中
戦
争︵ 四︶
現 代 史 資 料(Ⅰ 2)
日
み す ず 書 房
海 軍 軍 備 制 限問 題 に関 す る経 緯 の一 節(8頁
参照)
コ ン ドン軍 縮 会 議 に関 す る書 類 を綴 じ た フ ァ イ...
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中
戦
争︵ 四︶
現 代 史 資 料(Ⅰ 2)
日
み す ず 書 房
海 軍 軍 備 制 限問 題 に関 す る経 緯 の一 節(8頁
参照)
コ ン ドン軍 縮 会 議 に関 す る書 類 を綴 じ た フ ァ イル 表紙(資 料解説xi頁参照)
〔 両 総 長 〕奏 上書(56頁参 照)
倫敦海軍軍縮会議陸軍首席 随員復命書 の一節 (106頁参 照)
河 井 田 隊 長 報告 書 簡 の一 節(191頁 参照)
予備交渉帝国代表 に与 えらる る訓令 中 統帥事 項に関 し奏上の件通牒(44頁参照)
臨時独立飛行 中隊戦闘詳報表紙(135頁参照)
三 中 全 会 に就 て 表 紙(268頁 参照)
中支 出兵 の 決 定 表 紙(363頁 参照)
中国 々民 党 第 五 期三 中全 会 表 紙(257頁 参照)
蘆溝 橋 附 近 戦 闘 詳 報 表 紙(335頁 参照)
西村敏雄 中佐回想録表紙(457頁参照)
香月清 司中将回想録 表紙(529頁参照)
河邊 虎四郎少将 回想応答録表紙(401頁参照)
岡本大佐回想録表紙(511頁参照)
凡
例
本巻 に収 録 し た 資 料 は防 衛 庁戦 史 室 、 河井 田義 匡 氏 及 び島 田 俊彦 氏 の所 蔵 にか か るも ので あり 、 そ れら の本 巻 への収録
あ った 。
点 を置 いた のは、 海 洋 面 に於 い ては第 二次 ロンド ン軍 縮会 議 、 大陸 面 に於 い ては内 蒙 工作 か ら事 変 拡 大 に至 る迄 の経 緯 で
一 本 巻 には、 昭和 十 年 から十 三年 初頭 に亙 る期間 に於 け る軍 側 の動 向 を 示す 未刊 の基 本 資 料 を収 録 し た 。 そ の際 撰 択 の重
二
を 許 可 さ れた 防 衛庁 戦 史 室長 西浦 進 氏 、 河井 田義 匡 氏 及 び島 田俊 彦 氏 の御好 意 に深 い感 謝 の念 を 申 し述 べ た い 。な ほ こ の
間 にあ って終 始 斡旋 の労 を払 は れた 防衛 庁 戦 史 編 纂官 稲 葉 正 夫 氏 に も厚 く御 礼 を 申 上げ た い。
原 文 は 多 く片 仮名 を使 用 し て ゐ るが 、所 収 にあ た っては ﹁訓 令 ﹂ ﹁指 示﹂ ﹁電 報 ﹂ 等 は原 文 のま まと し 、 そ の他 は 平 仮名
五
四
原 文 の欄 外 に付 せ ら れ た註 記 は そ れ ぞれ 一括 し て各 資料 の末 尾 に移 し た。
原 文 中 の不整 合 、 誤 字 、誤 植 は 明白 な誤 り の場 合 に限 つて訂 正し た が 、他 は横 に ︹マ マ︺ を 付 し て原文 を尊 重 し た 。
人 名 、 地 名 は当 時 の漢 字 を用 い、 そ の他 は現 行漢 字 によ った 。
三
六 本 文 中 の ︹ ︺
に改 めた 。 そ のさ い 一部 を除 い て適 宜 に句 読 点 、 濁 点 を加 え た 。
七
本巻 は角 田順 が監 修 の責 任 に当 り、 編 集 と資 料 解 説 は小 林 龍 夫 、稲 葉 正夫 、島 田俊彦 、 臼井 勝 美 が分担 し た 。
は 編者 の註 記 し た も のであ る 。
八
凡例 資料解説
目
次
一第 二次 ロンドン軍縮会議
︹参 謀 本 部︺ 覚 書 一〇
三
二
海 軍 軍 縮 会議 の問 題 に就 て委 員会 設 置 に関 す る ︹参 謀 本 部第 二︺ 課 長 の意 見 一一
一 海軍 軍 備 制 限 に関 す る経 緯 (参謀 本 部第 二課 )
三
一九 三五 年海 軍 々縮 会 議 に対 す る方 策 ( 参 謀 本 部第 四課 ) 一二
一 六
四
に為 し た る質 問 及 之 に対 す る答 の要 旨 ( 於 陸 軍 省 )
一 九
一九 三五 年 海軍 軍縮 会 議 に対 す る方 策 に関 す る件 (参 謀 本部 第 二課 ) 一五
︹六 月十 三 日軍 令 部 より持 参 の議 題︺ ( ︹参 謀 本 部 第 二部︺)
二〇
五
七
太平 洋 防 備 問題 ( ︹参 謀 本 部 第 二課︺)
海 軍 軍 縮 方針 に関 し陸 軍 省 軍 務局 長 の海 軍 軍 務 局 長
八
太平 洋 防 備制 限 に関 す る件 ( ︹参謀 本 部第 二課︺) 二二
六
九
一〇
一二
一 一一 九 三 五年 海 軍軍 縮 会 議 に対 す る方策 (︹参謀 本部 第 二部︺)
一九 三 五年海 軍 軍 縮 会 議 に関 す る件 (︹参謀 本部︺ 第 一部)
二 五
二 四
海 軍 々縮 会 議 に対 す る方策 (参 謀 本 部) 二七
一七
一六
一五
一四
軍 縮 会議 海 軍 案 に対 す る所 見 ( 陸 軍 省 )
︹海 軍 大臣 より 陸 軍 大 臣 に手交 し た る意 見書 ︺
海 軍軍 縮 に関 し陸 海 軍 大 臣会 談 要 旨
海 軍軍 縮 問 題 に関 す る陸軍 大臣 ︹海 軍 大臣︺ 対談 要 旨 ( ︹陸 軍 省︺) 三一
軍縮 会 議 海軍 案 に対 す る所 見 ( ︹陸 軍 省︺ 軍事 課 )
三 七
三 五
三 三
二 八
一八
海 軍 案 海軍 々予 備 会 商 の為 の訓 令案 に対 す る意 見 ( ︹参謀 本 部 第 一部︺) 三八
三 九
一三︹軍 縮 会 議海 軍 案︺ ( ︹軍 令 部︺)
一九
華府 条 約廃 棄 の為 元 帥 会議 要 否 の件 (︹参 謀 本部 ︺ 第 二 課)
三〇
二〇
四〇
昭 和 十年 海 軍 軍縮 会 議 予 備 交渉 に於 け る帝 国代 表 に与 ふる訓令 四一
四 四
二 一 来 るべ き海 軍軍 縮 予 備 交 渉 に対 す る帝 国政 府 方針 二二
予備 交 渉帝 国 代 表 に与 へら る る訓令 中 統 帥事 項 に関 し
奏 上 の件 通 牒
二三
予備 交 渉 帝 国代 表 に与 へら る る訓 令 中統 帥 奏 上 の際 の奏 上書 四五
二四
事 項 に関 し軍令 部 総 長
三〇
二九
二八
二七
二六
二五
︹元帥 府 、 海 軍軍 事 参 議 会 の先 例︺ (︹軍 令 部︺)
華 府 海 軍 軍 備制 限 条 約 廃 止 通告 手続 (︹軍 令 部︺)
元帥 府 、軍 事参 議 院 所 掌 事 項 ( 榎 本重 治 )
︹華 府 軍 縮 条 約廃 棄 手 続 ︺覚 ( ︹参 謀 本部 第 一部︺) 四九
昭 和 十 年 海 軍軍 縮 会 議 に対 す る宣 伝 の件 ( ︹参 謀 本 部︺)
︹参 謀 総 長︺ 上聞 案
五 四
五 二
五〇
四 八
四 七
三七
三六
三五
三四
三三
三二
︹両 総 長︺ 奏 上書 六五
︹元 帥 府︺ 奉 答 書 案 ( ︹軍令 部︺)
元 帥 会 議 に於 け る質 問応 答 案 (︹軍 令 部︺)
元 帥 会 議 に於 け る参 謀 総 長説 明 案 (参 謀 本部 第 一部 長)
元 帥 会 議 に於 け る軍令 部総 長 説 明 案 ( ︹軍令 部 ︺)
︹元 帥 府 に︺ 御 諮詢 事 項 五九
元 帥 会議 次第 書 ( ︹軍 令 部︺)
六 四
六 三
六 二
六〇
三 一 ︹両 総 長︺ 奏 上 書 五六
三八
︹岡 田首 相︺ 覆 奏 文 六六
五 七
三九
︹参 謀 本 部︺ 意 見 ( 参 謀 本 部 )
六 七
四〇
四 一 国 際情 勢 と海軍 軍 縮 会 議 ( 海 軍 省 軍 事 普 及 部)
七 七
六 八
外 務当 局 談 ( 案 ) に対 す る意 見 (︹参 謀 本 部︺ 第 二課 )
七 八
華 府海 軍 々備 制 限条 約 廃 止 通告 に際 し発 表 す べき
華 府海 軍 軍 備 制 限条 約 廃 棄 ニ関 ス ル記 録 事 項 ノ件 ( ︹参 謀 本 部︺)
四二
四三 ︹参 謀 次長 宛 在 外 武 官電 ︺ 七九
四七
四六
四五
全 権 に対 す る訓令 ︹に就 て︺ (︹参 謀 本 部︺)
軍縮 全 権其 他 に与 ふ る訓令 に就 て (軍事 課 )
海軍 軍 縮 会議 帝 国 全 権委 員 に与 ふ る訓令 案 (海 軍 省 )
山本 五 十 六 中将 復 命 書 八三
九〇
八 九
八 六
三 伊国大使館附武官←参謀次長
四四
英 国大使館附武官←参謀 次長
四八
全 権 に対 す る訓令 中 修 正 に関 し海 軍 へ要 求 せ るも の (陸 軍 省 ) 九一
五 米 国大使館附武官←参謀次長
一 米国大使館附武官 ←参謀次長二
四九
倫 敦 に於 け る海軍 軍 縮 会 議帝 国全 権 委 員 に与 ふ る訓 令 九二
四 上海公使館附武官← 参謀次長
五〇
五二
陸 軍砲 兵 大佐 鈴 木率 道 に与 ふ る訓令
︹参 謀 総 長︺ 上聞 案 ( ︹参 謀 本 部︺) 九
訓 令 中統 帥 事 項 に関 し軍 令 部 総 長奏 上 の際 の 奏 上書
九 七
六
九 四
五 一 倫 敦 に於 け る海 軍軍 縮 会 議 帝 国 全権 委 員 に与 へら る る
五三
五五
五四 防 備制 限関 係 書 類 九九
︹参 謀 次長 宛 仏 国 大使 館 附 武 官 電︺
十 一年
倫敦 海 軍 軍縮 会 議 陸 軍 首 席随 員 復 命 書 (陸軍 大佐 鈴 木 率 道 )
昭 和 十︱
九 八
三
二
一
蒙古参考資料
︹内 蒙 古 最 近 情 報 ︺
︹河 井 田 隊 長 報 告 書 簡 ︺ 一九一
戦 闘 詳 報 (臨 時 独 立 飛 行 中 隊 ) 一
二〇三
一 九 七
一五 〇
四
︹田 中 参 謀 宛 オ チ ナ情 報 報 告 ︺
二〇四
五六
五
︹包 頭 近 況 報 告 の件 ︺
二〇五
二 内蒙工作
六
︹包 頭 情 況 報 告 ︺
二〇七
三五
七
︹臨 時 独 立 飛 行 隊 編 成 派 遣 に関 す る命 令 お よ び 指 示 ︺
九
六
一九五
八
空 地 連 絡 規 定 二一
行 動 詳 報 (第 七 号 ) (臨 時 独 立 飛 行 隊 ) 二二六
遠 事 件 概 況 報 告 二一
其 一
九 一〇綏 一一
河 井 田 隊 長 (蒙 古 名〓 爾 底 ) 任 命 書 (徳 王 )
四
三
二
一
注 目 を 惹 い た 中 国 三 中 全 会 の経 過 (外 務 省 情 報 部 ) 二六三
中 国 々民 党 第 五 期 三 中 全 会 (軍 令 部 第 六 課 )
西 安事 変
西 安 事 変 重 要 日 誌 (軍 令 部 )
西 安 事 変 (軍 令 部 )
二五七
二 五 三
二 四 八
二 三 九
二 三 六
五
三 中 全 会 に就 て (本 田 ︹忠 雄 ︺ 中 華 民 国 在 勤 帝 国 大 使 館 附 武 官 )
四
一二
六
三 中 全 会 に就 て (参 謀 本 部 ) 二七
二
三 西安事変後 の情勢
七
中 国 国 民 党 三 中 全 会 概 観 (南 満 洲 鉄 道 株 式 会 社 総 裁 室 弘 報 課 長 ) 二八
九
三 中 全 会 宣 言 文 (同 前 )
二 九 七
二 九 二
其の二 (軍 令 部 )
八
赤 化 根 絶 決 議 案 (東 亜 経 済 調 査 局 ) 二八
一〇
南 京 政 府 の対 内 方 針 (蒋 介 石 )
三〇〇
二 六 八
九
一一
西 安 事 変 に関 す る 報 告 (同 前 )
三〇三
一二
一三蒋 介 石 慰 留 決 議 文 (第 五 期 第 三 次 中 央 委 員 全 体 会 議 )
一四
︹三 中 全 会 外 務 、 海 軍 電 ︺
一 有野総領事←林外務大臣 二 川越大使←林外務大臣 三 加藤書記官←林外務大臣 四 加藤書記
一〇 三浦総領事←林外務大臣
官←林外務大臣 五 中村総領事←林外務大臣 六 川越大使←林外務大臣 七 湊武官←海軍次官、軍 令部次長ほか 八 川越大使←林外務大臣 九 川越大使←林外務大臣 二 中原武官←海軍次官、参謀次長ほか
三〇五
最 近 に 於 け る 支 那 各 地 の 一般 情 勢 と 日 支 関 係 の 概 要
三一九
三一二
一五 支 那 共 産 党 と 国 民 党 と の妥 協
三 二 二
(軍 令 部 ︶
一六
包 頭 邦 人 巡 査 拘 禁 事 件 (軍 令 部 )
二 、 上 海 中 山 鉱 業 罷 工 事 件 (軍 令 部 ) 三二
(軍 令 部 )
一七 一、 天 津 聖 農 園 事 件
溝 橋 事 件 及 びそ の後 (支 那 駐 屯 軍 歩 兵 第 一聯 隊 )
参 謀 総 長 、 軍 令 部 総 長 、 枢 府 議 長 の 説 明 要 旨 ︺
四〇一
三九五
三六三
三 三 五
九
一八
四蘆 溝 橋 附 近 戦闘 詳 報
︹中 支 出 兵 の 決 定 ︺ (大 東 亜 戦 争 海 軍 戦 史 本 紀 巻 一)
一蘆 二
想 録
一日
昭和 十 三 年 一月 十 ︹御 前 会 議 に於 け る
回
三
五
一 河邊 虎 四郎 少将 回想 応 答 録 ( 参 謀 本 部 作 製 )
五
四
三
二
支 那 事変 回想 録 摘 記 (陸 軍 中 将 香 月清 司 ) 五六一
香 月 清 司中 将 回 想録
岡 本清 福 大佐 回 想録
西 村敏 雄 中 佐 回想 録
五 二 九
五一一
四五七
第 二 次 ロ ン ド ン軍 縮 会 議
資 料 解 説
一
一本 巻 には 防 衛庁 戦 史 室 の御 好 意 によ り、 前 巻 に引 き続 い て第 二次 ロンド ン海 軍 軍縮 会 議 関 係 の陸 軍 側 の根 本 資 料を を収 収
録 し た 。 これ ら の資 料 は元 参謀 本部 第 二課 (作 戦) に保 管 され て いた極 秘 文 書 で、前 巻 の資 料 と 同様 昨 年 六月 に厚 生省
援 護 局 の倉 庫 か ら発 見 され て戦 史 室 に移 管 さ れ た も の であ る。第 二次 ロ ンド ン海 軍 軍 縮 会 議 に関 す る海 軍 側 の基 本資 料
が 見出 さ れ て いな い現 状 では、 本 巻 の文 書 は こ の会 議 に対 す る陸 海 軍 の見 解 、動 向 を知 る こと のでき る唯 一の貴 重 な資 料 で あ る。
文書 の中 で、 一︱四五 (四 一を除 く ) は 昭 和九 年 の予 備会 議 関係 の も の で あ って、 ﹁昭和 九年 五月 、 海 軍 軍縮 会 議 に
関す る書 類 綴 ﹂ と 墨 書 さ れ た フ ァイ ルに収 め ら れ てお り 、 四 六︱ 五 六 は昭 和十 年 の本 会 議 関 係 の 文 書 で 、﹁昭和 十年 十
月 三十 日一 十 二月 、倫 敦 軍 縮 会 議 綴 ﹂ と墨 書 さ れた フ ァイ ルに収 めら れ て いる。 ﹁四 一 国際情勢 と海軍軍縮会議﹂ は フ ア
イ ルの文 書 で はな く 、 当時 海 軍 省 海 軍 軍事 普 及部 から 数 多 く出 さ れ た パ ンフ レ ット の中 の 一つ であ る が、 海 軍 の国 内 世
論 啓 発 の サ ンプ ルで あ り、 ま た軍 縮 会 議 に対 す る海 軍 の姿 勢 を よ く 示 し て い る ので 、編 者 が所 蔵 の海 軍 パ ンフ レ ット の
中 から 選 ん で追 加 し た。 フ ァイ ルに はま た多 数 の外 務 電 報 が含 ま れ て い る が、 外務 省 外 交 文 書 室 で ﹁日本 外 交 文 書 ﹂ の 編 纂 が進 めら れ て いる関 係 上 、 外務 電 報 は全 部割 愛 し た。
陸 軍 側 の原 文 書 で は海 軍 軍 令 部 、 海軍 軍 令 部 総 長 と 記 さ れ て い る。 し か し海 軍 軍 令 部 条例 は 昭和 八 年 九 月改 正 さ れ て
軍 令 部令 と な り、 参謀 本部 にな ら って、海 軍 軍 令 部 は 軍令 部 に、 海 軍 軍令 部長 は軍 令 部 総 長 と 改 名 さ れた か ら 、本 巻 で
は編 者 によ って、 正 式 の名称 に従 いす べ て軍 令 部 、 軍 令部 総 長 と修 正 し た 。 な お この改 正 によ って、 軍 令 部 の班長 は部
長 と改 名 さ れ た。 本 巻 の文 書中 で時 点 によ って第 一班 長 、第 一部 長 と名 称 が違 う のは そ の ため であ る 。
原 文 書 は 陸軍 用箋 、 参 謀 本部 用箋 、海 軍 用 箋 に鉄 筆 書 、 ペ ン書 ま た は タイ プ印刷 さ れ 、奏 上 書 、奉 答書 は美 濃 全 葉 紙
海軍軍備制限問題に関する経緯﹂ は フ ァイ ル の順 位 では 後 の方 に置 か れ て い る が 、軍 縮 問 題 の経緯 を要 領 よ
に墨 書 さ れ て いる。 収 録 の順 序 は 大 体 フ ァイ ル の順 位 に従 った が、読 者 の理 解 に便 な よ う に編 者 が若 干 そ れ を変 更 し た 。 こと に﹁一
く ま と め て いる ので 、 先づ 軍 縮 問 題 に関す る軍 部 の動 向 を総 観 す る こと が便 宜 で あ ると 考 え 、 これ を冒 頭 に置 いた 。文
書 の中 ﹁一九 三五年海軍軍縮会議に対する方策﹂ ま た は同 類 似 名 の文 書 四、 五 、 一〇 、 一 一お よ び一二 は内 容 が著 し く似 て
い る が、 そ れ ら の相 互 関係 は次 の よう にな って い る。 文 書 四 は参 謀 本 部 第 四課 が起 案 した 原 案 であ り 、文 書 五 は そ れ に
対 す る第 二課 の修 正 意 見 であ る。 この第 二 課 の意 見 をと り 入 れ て、 第 四課 は 五 月 二十 八 日原 案 と 同 名 の修 正 案 (本 巻 で
は省 略 ) を 立案 し た。 そ れ は原 案 の対 策 九 を 十 と し て、 九 に第 二課 の修 正 意 見 の中 ﹁一、 会 議 決 裂 の公算 多 き に鑑 み云
昭
々を﹂ 加 え た以 外 は原 案 と 同 一で あ る。 こ の修 正案 に対 す る第 一部 の修 正意 見 が文書 一〇 であ り 、 これ に よ って第 二部
で再 修 正 し たも のが文 書 二 と な り、 更 に それ を も と に参 謀 本 部案 と し て決 定 さ れ た のが文 書 一二 であ る 。 ﹁五 六
和十︱十 一年倫敦海軍軍縮会議陸軍首席随員復命書﹂ の附録 第 九 、 第 十 の電 報 中 そ の発 電 日 に二 、 三誤 り が あ った の で、 電 報 原 文 と 照合 の上訂 正 し た。
本 巻 収 録 の原 文 書 には 、前 巻 所 収 のも のと 同 様 に多 く の付 箋 意 見 や欄 外註 記 が つ い てお り 、 ま た文 書 に表 題 が つい て
いな いも の、表 題 が簡 に過 ぎ る も のが あ る。 そ れ ら に つい ては 前 巻 の場 合 と 同 様 に処 理 し た。
二
ワ シ ント ン、 ロ ンド ン両条 約 の有 効 期 限 は いず れ も 一九 三 六 年 (昭和 十 一年 ) 末 と 定 め ら れ、 ロ ンド ン条 約 は第 二 三
条 で新 条約 を作 成 す るた め 、 一九 三五 年 (昭和 十年 ) に会 議 を 開 く こと を規 定 し て いた 。 こ の会 議 開 催 に先 だち 英 国 の
提 唱 で、 一九 三 四年 六 月 日 、英 、 米 、 仏 、 伊 五 ヵ国 は ロ ンド ンで予 備会 商 を開 いた が 、議 合 わず 七 月 交 渉 は ひと ま ず 打
切 ら れ た後 十 月 に再 開 さ れ た。 日本 政 府 が山本 五十 六 少 将 を 日 本代 表 と し て派遣 し た のは こ の時 であ る。 こ の再 開 予 備
会 商 も まと まら ず 十 二月 二十 日 に打 切 ら れ た。 つい で翌 一九 三 五年 十月 英 国 の招 請 によ り、 十 二月 九 日 か ら ロンド ン で
山本 五十六中将復命書﹂ が 、 ま た 本 会 議 に
昭和十︱十 一年倫敦海軍軍縮会議陸軍首席随員 復命書﹂ が簡 にし て要 を得 て いる から これ に譲 り 、以 下 には
五ヵ 国 の軍 縮 本 会 議 が開 か れ た の であ る。 予備 会 商 の状 況 に つ いて は ﹁四五 つ いて は ﹁五 六
当 時 の国 際 的 国 内 的状 況 を略 説 す る。
第 二次 ロンド ン軍 縮 会 議 を 担 当 し 、 し か も ワ シ ント ン条 約 の廃 棄 、 軍 縮 会議 か ら の脱 退 を敢 行 し た のは、 皮 肉 にも 昭
和 五年 の ロンド ン軍縮 条 約 を ま と め る た め に奔 走 最 も努 め た岡 田啓 介 海 軍 大将 を主 班 とす る内 閣 で あ った。 岡 田 内 閣 は
昭和 九 年 七 月 八 日 に成 立 し た が、 当時 の政 治 情 勢 は 内 外 と も に第 一次 ロンド ン会 議 の時 と は激 変 し て、 軍 縮 会 議 が成 功 す る基 盤 は 失 わ れ 、元 老 西 園 寺 公 が期 待 を かけ た岡 田首 相 も策 の施 し よ う が な か った。
一九 二九 年 (昭和 四年 ) 十 月ニ ュー ヨー ク に突 発 し た恐 慌 は 一九 三 一年 (昭和 六年 ) には 欧 洲 に波 及 し て世 界恐 慌 に
拡 大 し 、各 国 は経 済 的 ナ ショ ナ リ ズ ムに走 って、 第 一次大 戦 後 漸 く 回復 さ れ た平 和 と 安 定 、 国際 協 調 の土 台 を 崩 し てし
ま った 。東 では こ の年 九 月満 洲事 変 が起 り、 日本 は 国際 聯 盟 の処 理 を 不満 と し て 一九 三 三年 (昭和 八年 ) 三 月 国際 聯 盟
に脱 退 を 通告 し 、 い わゆ る焦 土外 交 へ進 ん だ 。西 で は こ の年 一月 ド イ ツ にベ ル サイ ユ条約 の破 棄 を 旗 印 にか か げ る ヒト
ラ ー が政 権 を握 り、 軍 備 平等 権 を要 求 し て十 月 国際 聯 盟 、 ジ ュネ ーブ軍 縮 会 議 から 脱 退 を声 明 し た が、 一九 三 五年 (昭
和 十年 ) 三 月 には ベ ルサイ ユ条 約 の軍 備 制 限 条項 を破 棄 し て再 軍 備 を宣 言 し た。 こ のド イ ツに備 え て フ ラ ン スと ソ連 は
五 月相 互 援 助条 約 を結 ん だが 、十 月 に は イ タ リ アが エチ オ ピ ア征 服 戦 争 を開 始 し た。 こう し て 一九 三四 、 五 年 の国 際情 勢 は東 西 と も に暗雲 低 迷 の状 態 で あ った。
ロンド ン条 約 を め ぐ って政 友会 が倒 閣 の手 段 に提 起 し た統 帥 権 干 犯論 は 、当 時 の深 刻 な 経 済 不 況 、政 党 の腐 敗 、 満蒙
問 題 の行 詰 りと 相俟 って、 日本 国 内 に危 機 意 識 と 政 党 政 治 、議 会 政 治 否 定 の風 潮 を生 み、 濱 口首相 狙 撃 事 件 (昭 和 五年
十 一月)、 三 月事 件 (昭和 六年 三 月)、 十 月事 件 (同 年 十 月 )、 血 盟 団事 件 (昭和 七 年 二 、 三 月)、 五 ・ 一五事 件 (同 年 五
月 )、 神 兵隊 事件 (昭和 八 年 七 月) 等 の ク ーデ タ ー、 テ ロ事 件 を 続 発 さ せ た。 満 洲 事 変 の勃 発 に よ って国 家 主 義 意 識 が
高 揚 し 軍備 増 強 の急 務 が 叫ば れ、 五 ・ 一五事 件 に よ って政 党 内 閣 は終 り を告 げ 、 世 は非 常 時 一色 に ぬり つぶ さ れ た。
五 ・ 一五事 件 の公 判 は 昭和 八年 七 月 に開 始 さ れ た が、 被 告海 軍青 年 将 校 は こも ご も 口を極 め て政 党 を 攻撃 し、 ロ ンド
ン条 約 に於 け る統 帥 権 干 犯 を論 難 し 、 国防 の危 機 を 強 調 し た 。 これ に対 し山 本 検察 官 は 、被 告 ら の いう統 帥 権 干 犯 論 は
世 の流 言浮 説 を信 じ確 実 な る資 料 にも と づ か な いも の であ ると 断 じ 、 そ の憂 国 の熱情 は諒 とす る が、 そ の行 動 は軍 紀 を
乱 し 軍 人勅 諭 に もと るも ので あ ると 断 乎 た る断 罪 の論 告 を 行 な った 。 この求 刑 論 告 は いた く海 軍 青 年将 校 を憤 激 さ せ た。
彼 等 は ク ラ ス会 、連 合 ク ラ ス会 を開 き 、論 告 は海 軍 青 年 将 校 一同 を 侮辱 す る も甚 だし いも ので あ ると な し 、 強硬 な論 告
反 対 決 議 を 行 な い、 軍 令 部 の中 堅 将 校 もま た会 合 し て論 告 排 撃 の決 議 を作 成 し、 高 須 四郎 裁判 長 に伝 達 し た 。 全 国各 地
から 軍 法 会 議 に寄 せら れ た被 告 の減 刑 、 無 罪 嘆願 書 は山 積 す ると いう有 様 で あ った 。 こ のよう な気 運 に乗 じ 、軍 令 部 の
首 脳 者 は 、 これ ら青 年 将 校 の意 を迎 え る か の如 く 、皇 族 部 長 の神 格 的権 威 を バ ック に海 軍 省 に強 圧 を加 え、 昭 和 八年 九
月海 軍 軍 令 部 条 例 が 改正 さ れ て軍 令 部 令 と名 を改 め 、海 軍 大 臣 の権 限 が大巾 に削 ら れ て軍 令 部 総長 に移 さ れ、 軍 令部 優
位 に道 を開 いた 。 こ の軍 令 部 令 は 天皇 の御 意 思 に沿 わ な いも ので あ ったと いわ れ る。 し か も さき に ロンド ン条 約 の成 立
に努 め、 世 上 いわ ゆ る条 約派 と呼 ば れ る部 内 の人材 は、 昭和 八年 から 九年 に かけ 相 次 いで 予備 役 に編 入 され 、 いわゆ る
艦 隊 派 が部 内 の実権 を握 る こと に な った。 軍 縮 予備 会 商 に 日本 代 表 と し て ロンド ンにあ った山 本 五十 六 少将 は、 ロ ンド
ン条 約 当 時 軍 務 局長 で あ った 同 期 の親 友堀 悌 吉 中将 の予備 役 編 入 を知 り ﹁か く のご と き 人 事 が行 わ る る今 日 の海 軍 に た
いし、 これ が救 済 のため 努 力 す る も到 底 六 かし と思 わ る。 や はり 山 梨 ︹勝之 進 ︺ さ ん が いわ れ る如 く 、 海 軍 自 体 の慢 心
に斃 る る の悲境 に 一旦陥 りた る後 立直 す のほ かな き にあ らざ る やを 思 わ し む﹂ と 慨 嘆 し た 。
岡 田内 閣 を と り ま く 昭和 九︱ 十 年 の政治 情 勢 は険悪 で あ った。 陸 海 軍 の軍 事 予算 増 強 要 求 は 内閣 を重圧 し 、倒 閣 の政
治 意 図 を秘 め た 天皇 機 関 説 排 撃 、 国 体 明徴 運 動 は内 閣 を ゆ さ ぶ り つづ け た 。 陸軍 部 内 で は、 いわ ゆ る統 制 派 と 皇道 派 と
の間 に血 みど ろ の対 立反 目 が つづ いた が 、 昭和 十 年 七 月 林銑 十郎 陸 相 は、 皇 道 派 の総 帥 で あ る真崎 甚 三郎 教 育 総 監 を罷
免 し て渡 邊 錠 太 郎 大将 に代 え た。 皇道 派 の青 年 将 校 は統 帥 権 の干 犯 であ ると憤 激 し、 統 制 派 の中 心 人物 永 田鐵 山 軍務 局
長 を そ の元 兇 であ る と目 し 、 盛 ん に怪 文書 をと ば し て攻 撃 し た。 これ を 信 じ て激 怒 し た相 澤 三 郎 中 佐 が、 八 月 十 二 日永 田少 将 を斬 殺す る と いう 事件 が起 り、 世 相 は 険悪 を極 め た。
巷 に は米 国 怖 る る に足 らず 、 日米 戦 わ ば式 のいわ ゆ る血湧 き肉 躍 る 日米 未 来戦 記 も の が流 行 し 、 理性 的 論 説 は 影 を ひ
そ め た。 清 沢 洌 は そ の著 ﹃ア メ リ カは 日本 と戦 はず ﹄ (昭和 七 年 十 月 千倉 書 房 刊 ) の中 で、 ﹁わ れら が率 直 に そ の感 想 を
ド ン条 約 反 対 の中 心 人物 末 次 信 正 中将 は 昭和 八年 十 一月聯 合艦 隊 司 令 長 官 に栄進 し た が、 ﹃非常 時 国 民 全 集 ・海 軍 篇 ﹄
書 く と 、 予 期 し な い危 害 と圧 迫 がわ れ 等 の上 を見 舞 う だろ う﹂ と の不思 議 な注意 を友 人 か ら受 け た と書 いて い る。 ロン
青 壮 年 諸 君 奮起 せ よ﹂ と 訴 え た 。
(昭和 八年 十 二月 中央 公論 社 発 行 ) に筆 を と り、﹁一九 三 六年 の危 機 将 に来 る﹂ と 強 調 し 、 艦隊 派 の総 帥 、 軍 事 参 議 官 加 藤 寛 治 大 将 も 、 同書 で ﹁必 ず 勝 つ!
第 二次 ロ ンド ン軍 縮会 議 開 催 の年 が近 づ く と 、陸 海 軍 と も にし き り に啓 発 宣 伝 パ ン フ レ ット を刊 行 し て、軍 備 増 強 の
急 務 であ る こと を説 き、 一九 三五 、 六 年 の危 機 を叫 ん だ 。 こ の危 機 と いう のは 、 一九 三 五年 (昭和 十年 ) 三 月 に 日本 の
国際 聯 盟 脱 退 通 告 が発効 し、 一九 三六 年末 には ワシ ント ン、 ロンド ン両 海 軍 軍 縮 条約 の有 効 期 限 が切 れ 、無 条 約 時 代 が
到 来 す る こと を意 味 し て いた ので あ る。 例 えば 陸 軍 のパ ン フ レ ット ﹁祖 国 の国際 的 立 場 ﹂(昭和 九 年 三 月 ) は 、危 機 は 刻
々日本 の前 途 に迫 り つ つあ ると説 き、 ﹁国 防 の本義 と其 強 化 の提 唱﹂ (同 年 十 月) は、 ﹁た た か いは創 造 の父 文 化 の 母 で
あ る﹂ に はじ ま り 、 国防 国 家 建 設 の急 務 で あ る こと を 強 調 し て いる。 ま た ﹁転換 期 の国 際 情 勢 と 我 が 日 本 ﹂ (昭和 十 年
九 月) で は、 対 ソ軍 備充 実 の喫 緊 な る所 以 を説 き 、 八 紘 一宇 の理想 を実 現 す る こと が 大和 民族 の負 え る 大使 命 で あ ると
力 説 し た。 海 軍 でも ﹁軍 縮 会 議 を 中 心 と し て﹂、 ﹁国 民 生 活 と軍 縮 問 題 ﹂、 ﹁現 存海 軍 軍縮 条 約 内 容 の検 討 ﹂ (以上 昭和 九
年 十 月) ﹁国 際 情 勢 と 海 軍 軍縮 会 議 ﹂、 ﹁海 軍 軍 縮協 定 の基 準 に就 て﹂ (以上 同 年 十 一月 )等 のパ ンフ レ ット を続 々と刊 行
し 、 不平 等 条 約 は断 乎排 撃 せ よ、 建 艦 競争 は恐 る る に足 り な い、古 来 戦 争 に敗 れ て つぶ れ た国 は あ る が軍 備 の競 争 で つ
ぶ れ た 国 は な い、 国 防 の安 全 を伴 わな いよ う な屈 辱 的 条 約 は 断 じ て結 ん で は なら ぬな ど と 説 いた。 差 等 比 率 主義 反 対、 ワ シ ント ン、 ロンド ン両条 約 の否 定 は 、海 軍 部 内 はも ち ろ ん 国 内 で支 配 的 な 声 と な った 。
当 時 日 、米 両 国 の国 力 の差 を例 示す れば 次 のよう にな る。 昭和 十 年 にお いて、 鋼 鉄 の生 産 高 は米 国 の 三、 四六 四 万 ト
ンに対 し て 日本 は 四 八〇 万 ト ン、 原 油 生 産 高 は 、米 国 の 一三 、 四 九 一万 ト ンに対 し て 日本 は 二 七 万 ト ンであ る (国際 聯
盟 統 計 年報 )。 昭 和 九年 の国 民 所 得 を 比較 す れば 、 総 額 では 米 国 の 一、六 七 六億 円 に 対し て 日本 は 一一二億 円、 一人 当 り
所 得 では米 国 の 一、 四一二 円 に対 し て 日本 は 一六 五 円 で あ る (総 理府 統 計 局 調 )。 ま た軍 事 費 の国 民所 得 に占 め る割 合
を見 れば 、 米 国 (昭和 八 年 ) の 一、 九 九 % (海 軍費 は 一、 〇 五% ) に対 し 日 本 (昭和 九 年 ) は 八 、 五 七% (海 軍 費 は 四 、
四五 % ) であ る (海 軍 省 ﹁昭 和 十年 海 軍 軍 縮 会 議 ニ対 ス ル諸 問 題 参 老 図 表﹂)。 し か も海 軍 は建 艦 競 争 恐 る る に足 らず と 豪 語 し 、 一般 国 民 も そう 信 じ た ので あ る。
本 巻 の資 料 が 示す 如 く 、海 軍 は ワ シ ント ン条 約 の廃 棄 、総 ト ン数 主 義 によ る 対 米 パ リ チ ー要 求 、 そ れ が容 認 さ れ な い
場 合 会 議 から 脱 退 す る ことを 不動 の方針 と し て軍 縮 会議 に臨 ん だ 。 そ の結 末 は 自 ら 明 白 で あ る。 こ こ に彼 我 の国 力 を度
外視 し、 ﹁全 部 か無 か﹂ と いう 日本 人 に伝 統 の完全 無欠 主 義 式 外 交 姿 勢 の典 型 が見 出 さ れ る の で あ る。 海軍 の吉 田善 吾
軍務 局 長 自 身 海 軍 の提 案 が成 立 す る見 込 が な い こと を自 認 し てお り (一七 頁 )、陸 軍 省 の軍 事 課 も 、今 次 海 軍 案 を 以 て す
れ ば会 議 の決 裂 は 必 至 で あ る から 、海 軍案 の再 考 を 促 し協 定 の成 立 を期 し 得 る よう 考 慮 す べし と の所 見 を表 明 し て いる (三〇 頁 )。
日 本 は国 際 聯 盟 脱 退 に つ いで、 ワ シ ント ン条 約 を廃 棄 し、更 に ロンド ン軍 縮 会 議 か ら も脱 退 した 。脱 退 は鈴 木 陸 軍 首
席 随 員 が そ の ﹁復 命 書 ﹂ で いう如 く ﹁予 定 の行 動 ﹂ で あ った 。 か く し て 日本 は 昭 和 十 一年 末 を以 て太 平 洋軍 備 無 条 約 時
代 を 迎 え た のであ る。 軍 縮 会議 脱 退 の 一ヵ月後 に二 ・二 六事 件 が 起 った。 日本 が運命 の 日中 戦 争 に突 入 し た のは これ か ら 一年 半後 の こと であ る。
参 考 のた め この資 料 に関係 の深 い武 官 表 を掲 げ る。 人 名 の上 の数字 は就 任 の年 月 を 示 し 、年 号 は特 記 し た も の の外 は
帥
府
す べ て昭 和 で あ る。 日本 全 権 団 の名 簿 は、 一 一五︱ 二 六頁 に掲 記 さ れ て い る。 元
海 軍 大 将 7 ・8
7 ・5
梨 本 宮 守 正 王
伏 見 宮 博 恭 王
陸 軍 大 将 正 8 ・12 閑 院 宮 載 仁 親 王 大 陸 軍 大 将
〃
〃
海 軍 大 将
8 ・11
8 ・11
7 ・10
5 ・6
中
野 村 吉
小
山
加
村
林躋
本
藤
修
良
英
寛
身
三
輔
治
(海 軍 軍 事 参 議 官 ) (以下、年 はす べて昭和である。 )
〃
6 ・12
野
三 郎
造
〃
永 省
9 ・11 軍
〃
軍 事 参 議院
陸
林
銑
之
9 ・1
義
夫︱
島
貞
川
木 本 虎
10 ・9
荒 橋
郎︱
6 ・12 9 ・8
十
陸 軍 大 臣 助︱
關仭
清
郎
平
一
清 武
井
幹
川 田
荘
柳 永
古
7 ・8 9 ・3
10 ・9
官 厚︱
之 助︱
次 重
今
岡 本
10 ・8
山 橋
山︱
7 ・2 9 ・8
鐵
軍 務 局 長 文︱
元
作
奉
三︱
之 助︱
口 廉 也 本
啓
下
山 乙
矩
第
川 副
10 ・10井
上
山
杉
田
規
第
廉
村
閑院宮載仁親王 9 ・8
山
水
爾 島
谷
10 ・10
7 ・4
田 9 ・8
清
莞
磨︱
第 二 部 長
群︱
6 ・12 植
9 ・7
今
原
琢
次
軍 事 課 長
参 謀 総 長 8 ・6 本 虎
群︱
9 ・8
石
村
寧
種
吉︱
長 橋 田
郎︱
10 ・8
西
村
正
謙
次 8 ・8 牟
幹
道︱
9 ・3
岡
田
誠
省
固
8 ・12 橋 荘 率
浩︱
10 ・3
神
多
軍
貞
総 務 部 長
8 ・8 古 木
介︱
10 ・3
喜
参 謀 本 部
海
田
庶 務 課 長
7 ・4 鈴
穣︱
9 ・8
谷
飯
一課 長
7 ・4 大
隆︱
長
田
10 ・12
一部 長
6 ・8 磯
村
生 9 ・5
豊
康
第 二 課 長
8 ・8
飯
井
徳︱
10 ・12
重
第 三 課 長
8 ・3
酒
角岺 尚
吾︱
木
第 四 課 長
7 ・8
大
田
善
鈴
第 五 課 長
8 ・1
藤
田
10 ・3
海 軍 大 臣
7 ・6
吉
清︱
次官
8 ・9
井
軍 務 局 長
軍
勝
雄︱
阿
部
8 ・9
一課 長
伏 見 宮 博 恭 王
第
藤
部 7 ・1 加
令 軍令部総長 9 ・1
義︱
長
竹
太 郎︱
信
太 郎︱
隆
次
藤
田 繁
近
島
10 ・ 12 岩 下 保
7 ・11
7 ・12
一部 長
一課 長
第
第
10 ・10
保 科 善
四 郎
三 郎︱
太 郎
村 亀
田 繁
中
島
10 ・8
繁
10 ・12
清︱
留
武
福
阿
10 ・1 0
林
起︱
10 ・2
生
稲
垣
9 ・7
(小
龍
夫 )
一 戦 闘詳報
二
二
内蒙 工作
河井田義 匡隊長報告書簡 は、 一九 三 五 (昭和 十 )年 十 二 月 五 日編 成 さ れ た河 井 田 を長 とす る臨 時 独 立
飛 行 中 隊 が 、 李守 信 軍 の察哈 爾 省東 部 への進 攻 に協 力 し、 偵 察 ・爆 撃 に従事 し た記 録 で あ る。李 軍 の進 攻 目 的 は徳 王 の
版 図 獲 得 にあ った が、 徳 王 と 関東 軍 と の合 作 の端 初 は 、本 巻 河 邊 回 想 録 (四〇 六、 四〇 七頁 ) を見 ら れ た い。 こ の 「察
東 事 件 ﹂ に つ いて の当 時 の資料 は ほ と ん ど存 在 し な い。本 記 録 は空 中 か ら の偵 察 と いう 点 で具 体性 には乏 し い が、 戦 闘
に大 き な影 響 力 を持 ったと 見 ら れ る 空爆 の状 況 、 李軍 の動 静 は正 確 に伝 え て いる。 この飛 行 中隊 は南 次 郎 関 東 軍 司 令 官
の命 令 によ り満 洲航 空株 式 会 社 で編 成 さ れ た も の で、 四機 か ら成 り、 国境 外多 倫 に派 遣 、多 倫 を 基 地 と し て沾 源 の爆 撃
を行 な った のち 、 十 二月 廿 五 日奉 天 に帰 還 し たも ので あ る 。察 東 事 件 に つ いて は、 ﹃日中戦 争 (﹄ 一) 所 載 の多 倫 特 務 機 関
補 佐 官 松 井 忠 雄 の ﹁手 記 ﹂ が詳 細 で あ る が、 飛 行 中隊 の資 料 と 事 実 上 の差 異 が若 干 見 ら れ、 ま た 空爆 の与 え た影 響 に つ
いても 評 価 が異 な る が、 事 実 上 の差 異 (例 えば 寳 昌占 領 日 の相 違 ) など は 、本 巻 の資 料 で訂 正 され る必要 が あ ろう 。寶
昌 占領 、沾 源 空 爆 の実施 さ れ て い る十 二月 上 旬 は 、華 北 殊 に京 津 地 区 は 日本 の強 い圧 力 下 に恐 慌 状 態 に陥 って いた。 九
日 北京 諸 大 学 の学 生 によ る反 日デ モが軍 事委 員 会 北 平 分 会 、 二 十 九軍 衛 成 司 令 部 に向 い、十 六 日 には 更 に 一万余 の学 生
が参加 し て ﹁冀察 政 務委 員 会 ﹂ 反 対 の大 規模 な 示威 運 動 が実 施 さ れ 、全 中 国 の耳 目 を聳 動 さ せ て いた 時 であ る 。
内豪古最近情 報)。 し かし 五 月 か ら政 府 所 在 地 と な った徳 化 も 百 五 十戸 程 の小 部 落 に過 ぎ ず 、政府 も普
察東 事 件 の結 果 、 察 東 六縣 は関 東 軍 と 結 ん だ徳 王 の勢 力 圏 と な り 、翌 一九 三 六 年 二 月 西 ス ニ ット で徳 王 は内 蒙 軍 政 府 を 樹 立 し た 。(三
通 の中 国家 屋 の約 半 分 を政 府 の事 務 室 王 族 の住 宅 にあ て、 半 分 を 日 本人 顧 問 (約 十 人 ) の執 務場 所 、 居 宅 にあ て て いる
よ う な状 況 であ った 。 (﹃日中 戦 争 (一 ﹄) 五 五九 頁 )
徳 王 を指 導 し て い た徳 化特 務 機 関 の田 中 隆 吉中 佐 の計 画 によ り、 同 年 十 一月 か ら、 蒙 古 軍 は緩 遠 省 進 入 を実 行 し た が、
却 って廿 四 日綏 遠 軍 のた め 百霊 廟 を占領 さ れ 、奪 回作 戦 も惨 敗 に終 った 。 いわ ゆ る綏 遠 事 件 で あ る。 同事 件 に つ いては 、
正
夫)
﹃日中 戦争 (﹄ 一) の ﹁綏遠 事件 始 末 記 ﹂ 五 六 二頁 そ の他 を参 照 さ れ た いが、 本巻 には、 やは り 察東 の際 と 同 じ く 河井 田 を
葉
長 とし て編 成 さ れ、 内 蒙 軍 に協 力 し た独 立 飛 行 隊 の行 動 記 録 (同年 十 一月よ り翌 三 七年 三月 ) を 収録 し てあ る。
(稲
三
西 変 事 変 後 の情 勢
西 安 事 変 が 日中 関 係 史 のな か で占 め る地位 は かな り 重要 であ る。 な ぜ な ら は、 当 時 中 国 の軍政 両 権 を 一手 に掌 握 し て
いた蒋 介 石 が、 一九 三 六年 十 二月 十 二 日突 如 と し て張 學良 のため に陜 西省 西 安 で逮 捕 監 禁 さ れ た この事 件 は 、 これ と前
後 し て 発生 し、 日本 の内 蒙 工作 の失 敗 と し て記 録 さ れ て いる綏 遠 事 変 (本 ﹁現 代 史 資 料 ﹂ 8 ﹃日中 戦 争 (一 ﹄) 参照) とと
も に、 翌 三 七年 以後 にお け る中 国 側 の対 日高 姿 勢 を決 定 づ け る有 力 な契 機 に な った、 と 考 え ら れ て いる から であ る 。
蒋介 石 は 一九 三三 年、 二年 前 から 開始 さ れ た 日本 の満 洲進 攻 (満 洲事 変 ) に対 し て ﹁安 内攘 外﹂ と いう 政策 を掲 げ た。
そ れは 一九 二七 年 以 来蒋 がと り続 け た 国 共分 離 の線 を 、満 洲事 変 の衝撃 にも か か わらず 崩 す こ と な く 、 相 変 ら ず 中 共
﹁討 伐 を抗 日 に優 先 さ せ よう と いう ﹂彼 の意 図 を示 す も の であ った 。 ま た汪 兆銘 も、 行 政 院 長 だ った 一九 三二 年 に ﹁一
面 抵 抗 、 一面 交 渉 ﹂ と いう 対 日策 を提 唱 し た が、 これ も蒋 の ﹁安 内攘 外 ﹂ と 同 一路 線 に立 つ妥 協 策 で あ った。
し か も蒋 が 三 三年 十 月 から 十 分 な 準 備 と強 固 な決 意 のも と に第 五次 中 共 ﹁討 伐 ﹂ 戦 を行 な った こと が 示す よう に、彼
の ﹁安 内攘 外﹂ は決 し て単 な る空 手 形 では な か った。 そ し て彼 は こ の戦 いを自 己 の圧 倒 的 優 勢 裡 に押 進 め、 三 四年 十 一 月 には 中共 、 中 央 の根拠 地 で あ る江 西 省瑞 金 さ え陥 れ る こと が で き た。
と ころ が こ の瑞 金 失 陥 は 、中 共 をし て陜 西省 西 安 を目 ざ す "大西 遷 " を敢 行 さ せ る一 大 契 機 とな り 、 こ の大 移 動 はま た将 来 にお け る中 共 の飛躍 的 発 展 をも た らす 結 果 を招 く の であ った。
瑞 金 の中華 ソビ エト政 府 は 、 早 く も 一九 三 二年 四 月 に対 日宣 戦 を 通電 し て汪 兆 銘 の ﹁一面 抵 抗 、 一面 交渉 ﹂ 策 を き び
しく 批 判 し た が、﹂ 彼 ら の第 一目標 も "帝 国 主 義 の走 狗 " 蒋 介 石 を打 倒 す る こと に よ って、 ソビ エト革 命 を 達 成 す る こと
に お か れ、実 際 に は "抗 日救 国" は第 二義 的 のも のと さ れ た 。 三 五年 八 月 一日 、中 共 は大 西 遷 の途 上 で 、有 名 な ﹁八 ・
一宣 言 ﹂ を 発表 し 、統 一的 な 抗 日連 合 軍 を組 織 す べき こと を全 国 同胞 に呼 び かけ た 。 これ は ヨー ロ ッパ で の人 民 戦 線結
成 の動 き に呼応 す る も の であ り 、 毛澤 東 と、 陳 紹禹 ら の在モ スク ワ代 表 部 と の合 作 に基 く も のだ と いわ れた 。 し か し 、
" "打 倒
だ から と い って この宣 言 がす ぐ さ ま中 共 の "抗 日第 一" への戦 術 転 換 を 意 味 し た わ け で はな く 、蒋 介 石 を はじ め と す る
国 民 党 の指 導 層 、 地 主 、 大 資産 家 階 級 は尽 く こ の 「宣 言﹂ の対 象 から 除 外 さ れ て いた。 相 変 らず 〃打 倒蒋 介 石 帝 国 主義 国 民党 " の旗 じ るし は彼 ら の大 移動 部隊 の最 前 列 に掲 げ ら れ て いた の であ る 。
三 五年 の十 一月 、 日本 は股 汝 耕 に翼 東 防 共 自 治 委員 会 を作 ら せ て、 河 北省 の東 北 部 を国 民 政 府 か ら もぎ と った 。 ま た
十 二 月 に国 民政 府 は 、 これ 以 上 の日本 の華 北 分 離 工作 を は ばむ ため の緩 衝 地帯 と し て、 宋 哲 元 を委 員 長 と す る翼察 政務
委 員会 を設 け て、こ れ に 河北 .チ ャ ハル両省 と北 平 ・天 津 両 市 に対 す る 、 あ る程 度 の自治 権 を 与 え た。 こ のよ う な 日本
九運 動 )さ ら に学 生 以 外 の各 層 も これ に同 調 し た
の華 北 分 離 工作 と 妥協 的 な国 民 政 府 の対 日態 度 と を非 難 し て、 まず 北 平 の学 生 が 十 二 月九 日 以来 猛 烈 な排 日 運動 を展 開 し 、 そ れ は恰も燎 原 の火 のよ う に全 国 の学 生 の間 に波 及 し た 。 (一二 の で、 ま さ に中 国 全 土 が排 日 のる つぼと な った 感 があ った の であ る。
そ の ころ 、 つま り 三 五年 の末 に中 共 は よう やく 大 西 遷 を終 え て、陜 西 北 部 に腰 を す え た。 そし て十 二 月 二十 五 日 には
﹁十 二月 決議 ﹂ を 公表 し 、 そ のな か で中 共 は はじ め て民族 ブ ルジ ョワジ ー に対 し て、 抗 日民 族 統 一戦 線 への参 加 を 求 め
た 。 こ の転 換 は 明ら か に ﹁一二 .九運 動 ﹂ に対 応 す るも ので あ った が、 こ の段 階 で もな お蒋 介 石 は彼 ら の戦 線 から除 外 さ れ て いた。
中 共 が こ のよう な "反蒋 抗 日" 策 から "連蒋 抗 日" 策 に踏 切 った のは 翌 三 六年 五月 の こと で あ った。 こ の年 の二 月以
来 中 共 は、 河 北 省 に あ る 日本 軍前 線 への近 接 と 、 対 日妥 協 の主蒋 介 石 の打 倒 と を 目 ざ し て 、突 如 山 西 省 に 進 入 し た が
(﹁抗 日東 征 ﹂)、 こ の戦 いが彼 ら に教 え た も の は、蒋 介 石 が中 央 軍 に対 し て不動 の統 制 力 を持 って い る こ と と、 そ の軍
事 力 が中 共 軍 の それ を越 え る も の で あ る、 と いう こと であ った 。蒋 の力 量 に対 す る、 そ のよう な 再 認 識 の結 果 が、 五 月
五 日付 の ﹁五 ・五 通電 ﹂ を生 み出 し 、蒋 介石 に対 し ても 戦 線参 加 を求 め る こと にな った のであ る。
こ のよ う な中 共 側 の提 案 は蒋 介 石 によ って全 く無 視 さ れ たば か り か、蒋 は そ の後 も 中 共討 伐 の方 針 を 一向改 め よう と
はし な か った。 そ のた め 国 共 の間 の溝 がか え って深 めら れ るよ う な こと もあ った が 、 中共 中 央 部 は さら に八 月 二十 五 日
付 の国 民党 にあ てた ﹁八 月書 簡 ﹂ と 、九 月十 七 日 に中 共 の党 中 央 政 治 局 が採 択 し た ﹁九 月決 議 ﹂と によ って "連蒋 抗 日〃 の基 本 的 態度 を確 定 し 、 ま た全 国 統 一的 な 「民主 共和 国 ﹂ 建 設 の構 想 を も打 出 し た 。
そ れ にも か か わら ず蒋 は相 変 らず 中 共 討 伐 戦 の強 行 を指 令 し 、 十 一月 一日 の洛 陽 軍 官 学 校 分 校 で の演 説 では 、当 面 の 敵 は "漢奸 " と "共 匪 " であ ると指 摘 す る ので あ った。
や が て十 一月 十 二 日 から綏 遠 事変 が始 ま ると 同 時 に、全 国各 地 で熱 狂 的 な綏 遠 軍 援 助 運 動 が展 開 さ れ、 そ う し た抗 日 世 論 を前 にし て 、中 共 討 伐 に固 執 す る蒋 は 、 次 第 に苦 境 に追 い こま れ て い った の であ る。
西北 掃 匪 総 司令 の肩 書 を与 え ら れ た張 學 良 は 三 五年 十 月陜 西 方 面 に移 駐 を命 じ ら れ、以来 東 北軍 を率 い て中 共 ﹁討 伐 ﹂
戦 に従 事 し て いた。 と ころ が 東 北 軍将 士 の間 には 中 共 の ﹁八 ・ 一宣 言 ﹂ に共鳴 し て、 東 北‖ 満 洲 の失 地 回復 を願 う も の
が あ り、 ま た 東 北軍 の西 北 移 駐 が ひと つに は蒋 の "雑 軍整 理" 策 であ る こと を捕 え て、 反蒋 感 情 を たぎ ら せ るも のも あ
った 。 そ れ をみ て東 北 軍 と対 峙 す る中 共軍 は、 東 北 軍 将 士 に対 し て、 し き り に抗 日民 族 統 一戦 線 の結 成 を呼 びか け た 。
"士兵 工作 " と 呼 ば れ る この宣 伝 工作 は着 々と 効 を奏 し、 や が ては 張総 司令 の洗 脳 にも 成 功 し 、 三 六年 八月 十 日 ご ろ に
は延 安 で張 學 良 と 周恩 来 の会 見 さえ 行 な わ れ る よう にな った のであ る。 (そ の間 の事情 を 明 ら か にし てく れ る の は 、 エ ド ガ ー ・スノ ー の ﹃中国 の赤 い星 ﹄ ︹日本 訳︺ であ る。)
従 って蒋 介 石 がや がて第 六次 中 共 軍 ﹁討 伐 ﹂ を命 じ た と き 、張 學 良 は全 く 窮 地 に追 込 ま れた 。 そ こで張 は蒋 自 身 洛陽
に来 て実情 を視 察 し 、事 態 の解 決 を は か って ほ し い、 と蒋 に要 請 し た の で、蒋 は 十 二月 三 日洛 陽 に赴 いて張 と会 見 し 、
翌 四 日 には 西安 に入 った 。 し か し蒋 は連 日西安 で中 共 討 伐 軍将 領 を招 いて、 中 共討 伐 の断 行 を強 調 す る ば か り であ り 、
十 日 には 三 カ月 以内 に中 共軍 を掃 蕩 せ よ、 と厳 命 す る の であ った。 そ こで張 學 良 は最 後 の手 段 に訴 え る決 意 を固 め、 十
一日 夜 東 北 軍将 校 に西 北 第 十 七路 軍 軍 長 の楊 虎 城 ら を 交 え た十 三 名 で、 ひ そ か に蒋 介 石 を 逮捕 ・監 禁 す る手 筈 を定 め た。
そし て翌 十 二 日 早朝 、 東 北 軍 の 一部 が出 動 し て、臨潼 の華 清 池 に滞 在 中 の蒋 介 石 を捕 え て、軟 禁 し た 。"兵諫 " の 名 で
呼 ば れ る 、 実力 を背 景 と す る こ の中 国 人 一流 の説得 手段 が、 ここ に蒋介 石 に 対し ても 加 え ら れ た の であ る。
こ の西 安 事変 は列 強 にと って、 全 く 青 天 の へキ レ キに 近 か った 。 日本 や アメ リ カ はも ち ろ ん の こと、 蒋介 石 の顧 問 だ
った イ ギ リ ス人 のド ナ ルド も 、蒋 の救 出 には活 躍 し たも の の、 事 変 の 予 知 は で き な か った 。(E.A.Sell:Donald
Chi) na 事件 勃 発 とも に、 西安 は封 鎖 状 態 と な り、 イギ リ ス人 新 聞記 者 の ジ エー ム ス ・バ ー ト ラ ム が、事 変 の当 事 者 と
関係 のあ る苗 剣 秋 と と 共 に、 北 京 から 西安 に到 達 す る の には 十 一日間 を 必要 とす る あ り さま だ った 。し かも そ の間 に氷
結 し た黄 河 を 徒 歩 で渡 る な ど幾 多 の辛 酸 を な め なけ れば な ら な か った 。 (バ ー ト ラ ム ﹃内乱 から 革 命 へ﹄ ︹日 本 訳︺) ま
た当 時 大 使 館附 武 官 輔 佐 官 と し て北 平 に いた 今 井武 夫少 佐 は、 事 変 の発 生 を聞 き 、 飛 行機 を チ ャー タ ーし て 、西 安 入 り
を企 てた が、 田 代暁 一郎 天 津 軍 司令 官 に中 止 を 命 じ ら れ て、 思 い止 ま った と いう こと であ る 。(今 井武 夫 ﹃支 那 事 変 の
回想 ﹄) こ の事 実 も事 変 の厳 し さ に対 す る認識 に いさ さ か欠 け る と ころ が あ った こと を物 語 るも のと い って よ い だ ろ う 。
蒋 介 石 は 十 二 月 二十 六 日無 事 に南 京 に帰 還 し た が 、問 題 は そ の釈 放 の経 緯 であ る。 三 七年 以後 蒋 介 石 と国 民政 府 が採
用 し た国 共 合 作 の政策 と、 そ の対 日高 姿 勢 から 推 し て、張 學 良 が つき つけ た 八項 目 の要 求 を蒋 が承 諾 し た こと は、 確 か
で あ る が、 そ こに至 る経 緯 は 、中 共 が これ にど のよう に介 入 し た か の問 題 をも含 め て、今 日 な お推 測 の範 囲 を出 る こと が でき な い。
本 資 料集 に は軍 令 部 の西 安 事変 資 料 を掲 げ た 。 これ は単 に海 軍情 報 ば かり でな く 、陸 軍 や外 務 のそ れ をも 参 照 し て い
ると 思 わ れ る ので、 大 体 これ を当 時 の政 府 ・軍 部 の統 一的 な 観 測 だ と み て誤 り な いで あろ う 。
三 七年 二 月十 五 日 から南 京 で開 かれ た 国 民党 第 五期 三 中 全会 は、 蒋 介 石 生 還後 にお け る党 方針 を決 定 す るも のと し て
世 界 の注 目 を ひ いた 。 こと に この会議 が表 面 で は方 針 の不変 を謌 いな がら 、実 は張 學 良 の要 求 す る国 共 合 作 の線 を採 用
し て いる 点 が、 とり わ け 日本 にと って の重 大関 心 事 であ った 。 そ こ で本 資料 集 で は繁 を いと わず 、 軍 令 部 、 外 務省 、 大
of
支 那共産党 と国民
使 館 附海 軍 武 官 、参 謀 本 部 、 そし て満 鉄 の観 測 を採 録 し た が、 内 容 的 には ほ と ん ど相 違 がな い、 と いえ るだ ろ う 。 ま た
この会 議 で の決 議 と 宣 言 、報 告 な ど の日本 語 訳 をも掲 げ て 、参 考 に供 す る ことと し た 。 そ し て﹁一 六
党 の妥協 ﹂ は当 時 の軍 部 が国 共 合 作 の進 行 を ど の よう に観測 し て いた かを 知 る に足 る資 料 だ と いえ る。 最 後 に 日中戦 争 の前 夜 にお け る 日中 外 交案 件 に関 す る いく つか の資 料 を掲 げ た 。
田
俊
彦)
な お こ の パ ート の資 料 は、 す べ て解 説 者島 田 が戦 時 中 軍 令 部 第 六課 (中 国 情報 担 当 ) から 入手 し た も のであ る こと を 、 付 け加 え てお く 。
(島
一
四 、 五蘆
溝 橋 事 件 及 び そ の後
・回 想 録
日中 戦争 に つ いて は、﹃日中 戦 争 国︵ ﹄で 二触 ︶ れ ら れ な か った蘆 溝 橋 事 件 、およ び上 海 出兵 に つ いて の経 緯 を まづ 収 録 し た 。
﹁蘆溝橋附近戦闘詳報﹂は 、 支那 駐 屯 軍 牟 田 口 (廉 也 )聯 隊 の戦 闘 詳報 で、 第 三大 隊 第 八 中隊 (中 隊 長 清 水 節 郎 ) の夜間
演 習 中 に始 ま った事 件 から 、 日 中 両軍 の衝 突 及 停 戦 に いた るま で三 日間 の現 地 の状 況 を 示 す も のとし ては 、 も っと も 直
接 的 な資 料 であ ろ う 。単 な る記 事 では な く 、牟 田 口聯 隊 の反 応 の仕 方 や、 局 地 的 では あ る が対 中 国情 勢 判 断 が よく 表 現
さ れ て いる 。蘆 溝 橋 事件 そ のも の の 日本 側 の損 害 、 戦 死 十 一、戦 傷 三六 から 以 後 八年 に わ た る 日中 両 民族 の悲 惨 な 大戦 争 が始 ま る のであ る 。
﹁中支出兵の決定﹂は 、 上海 に於 け る大 山 中尉 射 殺 事 件 後 、 日 本 の大規 模 派 兵 実 施 に いた る ま で の経 緯 を描 いたも ので、
海 軍戦 史 の 一部 であ る。草 案 の ため 記 事 に重 複 等 が見 ら れ る のは惜 し い (例 え ば 三 八〇 頁 と 三八 四 頁 の 第 三 艦 隊 宛 訓
令 ) が 、陸 軍 派 兵 ま で の海 軍 出 先 の焦 燥 、出 兵 に対 す る軍 令 部 と海 軍 省 と の判 断 の相違 、 対陸 軍 交 渉 な ど 、上 海 派 兵 決
定 への曲 折 を叙 述 し て の こす と ころ がな い。 八 月十 一日 の伏 見 総 長 宮 と米 内 海 相 と の対 話 (三 八 七頁 ) な ど は 、特 に注
目 さ れ る点 の 一つで あ り 、 政治 と戦 争 の論 理 の対照 を よく 示 し て いる。 米 内 は大 山 事 件 は 一つ の事 故 であ り 、中 国 側 の
停 戦 協 定蹂躪 の確 証 は な いと 云 って い る が、 翌 十 二 日夜 、 四相 (首 、海 、 陸 、 外 ) 会 談 は海 相 の要 請 によ り開 か れ、 陸 軍 派 兵 を決 定 し た 。 な お本 戦 史 は島 田俊 彦 (当 時 軍令 部 勤 務 ) 氏 の執 筆 にかゝ わ る。
﹁回 想 録 ﹂ と し て は、最 初 に ﹁河邊虎四郎回想録﹂を 収載 し た 。 日中 戦 争 前 の重 要 な時 期 (一九 三 四 ・八︱ 三六 ・十 一)
に関 東 軍 参 謀 で あ り、 戦 争 勃 発 時 に は、 参 謀 本 部 戦争 指導 課 長 、 続 い て作 戦 課 長 (三 八・三 ま で) で あ った 河邊 大佐 の
竹 田宮 に対 す る応 答 筆 記 であ る 。関 東 軍 の内 蒙 ・華 北 工作 の実 態 、 関東 軍 と支 那 駐 屯 軍 と の微 妙 な関 係 な ど が言 及 さ れ
て いる が、 板 垣 (征 四郎 )参 謀 副 長 の中 国 分 割統 治 の構 想 と 、 磯谷 (廉 介 ) 武 官 の統 一重視 の視 点 と の対 照、 ま た冀 東
政 権 への批 判 など 聴 く べ き意 見 が多 い。蘆 溝 橋 事 件 当 初 の中 国軽 視 の風 潮 、所 謂 一撃論 の横 行 の状 況 も よく 判 明 し 、﹃日
中 戦争 (二 ﹄︶ 所 載 の石 原 莞爾 回想 録 と彼 此参 照 す れ ば、 戦 争 当初 の陸 軍 中 央 部 の雰 囲気 は ほゞ 察 知 し得 よう 。
参 謀 本 部 作 戦 課 の動 向 を詳 細 に伝 え て いる のが、 ﹁西村 ( 敏雄)少佐 (当時)の回想録﹂ で あ る。 西 村 は 一九 三 六年 十 一
月 から 、 三 八 年 十 二 月 ま で作 戦 課 に勤 務 し、 初 期 中 国 作 戦 の中 枢 に参 劃 し て いる 。参 謀 本 部 の何 人 と雖 ど も中 国 に於 け
る 大作 戦 の展 開 を 予想 し て いな か った こと、 あ る いは 恒 に 対 ソ顧 慮 を強 いら れ な がら 中 国 作 戦 を 行 な って い る現 状 (西
村 回想 録 では 、 ﹁裏 口 の狼 を気 にし な がら 、 表 口に群 犬 を 追 いま く る﹂ と表 現 し て いる) な ど が如 実 に 判 明 す る。 一つ
の独立 国 家 と の軍 事衝 突 に於 て、 華 北 と いう 一部 の地 方 だ け に戦 闘 を局 限 す る こと が可 能 だ と信 じ て いた誤 謬 を反 省 し
事件 への対 応 の仕 方 に
て いる が、 これ は軍 部 だけ の問 題 で は なく 、 一般 の中国 認 識 自 体 に大 き な 歪 み が あ った こと に原 因 し て い る のを 指 摘 し な け れば な ら な い。
も っと も 強 い戦 争 推 進 者 と見 ら れ て い た陸 軍 自 体 、参 謀 本 部 と陸 軍 省 の内部 に於 て、 それ〓
大 きな 対 立 があ った (例 へば 陸 軍省 に於 け る軍 務 課 と 軍事 課 ) こと は、 軍 部 と軍 部 以外 諸 勢 力 と の関 係 を 複 雑 にし 、戦
争 の拡 大 を 防 止す る可 能 性 が残 さ れ て い た こ と示 す も ので あ る。 ﹁最 も強 い のは 国 民 で あ り 、 最 も弱 い の は参 謀本 部﹂
と 云わ れ た参 謀 本 部 が、薄 永 を踏 む 思 い で作 戦 を 継続 し な がら 、 結 果 的 には収 拾 の つか な い泥 沼 戦 争 に陥 った 過程 乃至
現 地 の動静 に関 し て は、 北支 那方 面 軍 第 二 軍 の参 謀 ﹁岡本清福大佐 回想録﹂ と、蘆 溝 橋 事 件 直後 支 那駐 屯 軍 司令 官 に任
原 因 は 、 今後 厳 密 に検 討 さ れ る 必要 があ ろ う 。
命 され 、続 いて 八月 末 第 一軍 司令 官 とな った ﹁香月清 司中将回想 (応答)録﹂ と 、﹁同摘記﹂を 収 録 し た 。第 二軍 の 一九 三 八
年 漢 口作 戦参 加 の記 録 は、 ﹃日中 戦 争(二 ﹄)の ﹁第 二軍 作 戦 経 過 の概 要 ﹂を 、ま た第 一軍 の日 中 戦争 当 初 から 一九 三 七年 末
ま で の作 戦経 過 に つい ては 、同 じく ﹁第 一軍 作戦 経 過 概 要 ﹂ を 参 照 さ れ た い 。香 月 中将 の ﹁回想 応 答 録 ﹂ と ﹁摘 記 ﹂ は
事実 上重 複 す ると ころ が あ る が、 ﹁摘 記 ﹂ の重要 性 に鑑 み、 両者 を収 録 す る こと とし た 。 ﹁摘 記 ﹂ は 、駐 屯 軍 司 令官 就 任
以後 、 翌 一九 三八 年 五 月突 如 第 一軍 司 令官 を罷 免 更 迭 さ れ る ま で の経 過 を、 憤懣 を 交 え な がら 叙 述 し た も の であ る 。香
月 司 令官 と寺 内 北 支 那 方 面軍 司 令 官 、 同岡 部 参 謀 長 と の間 に生 じ た対 立 関係 の深 刻 化竝 び に統 率 への不満 など を 率 直 に
披瀝 す ると と も に、 作 戦 指導 上 の是 非 の問 題 、第 一線 部 隊 と後 、方 司 令 部 と の確 執 等 を 端的 に表 現 し てお り、 数 少 な い貴
井
勝
美)
重 な手 記 の 一つと 云 へよう 。 こ のよう な 記 録 を手 掛 りと し て、軍 事 指 導 の面 を含 め て日 中戦 争 の全 構 造 が明 ら か にさ れ る こと が切 望 さ れ る の であ る 。
(臼
六
左に使用した資料 の原型 を掲げておく。
カ ー ボ ン 紙 複 写 。陸 軍 用 箋
カー ボ ン紙 複 写 。 三枚 。他 に太 い鉛 筆
で 、欄 外 と 一頁 の書 き こみあ り 。
太 平 洋 防 備制 限 に関 す る 件
(一四 行 ) 三枚 。
一九 三五 年 海 軍 軍縮 会 議 に 関 す る件
タイ プ 印刷 。陸 軍 用 箋 九 枚 。
タイ プ 印刷 。 陸 軍 用 箋 二枚 。
一九 三五 年 海 軍 軍縮 会 議 に対 す る方 策 一枚 七 行 、 一行 二 八字 。
カー ボ ン 紙 複 写 。陸 軍 用 箋 (一三
タ イ プ印 刷 。 海 軍用 箋 五枚 。
海 軍 々縮 会 議 に対 す る方 策 ︹軍縮 会 議 海 軍 案 ︺
軍 縮 会 議 海軍 案 に対 す る 所 見
表 紙 、 墨書 。 一枚 。本 文 ペ ン字。参 参
行 ) 二枚 。 ﹁ 意 見 左 記 の通 ﹂ は墨 書 。 一枚 。
一 海 軍 軍 備 制 限問 題 に 関 す る件 謀 本 部 用 箋 (十 二行 ) 四八 枚 。 ﹁次期 海 軍 軍 縮 会 議 の為 国 防 用 兵 上
海 軍 軍 縮 問 題 に関 す る 陸 軍 大 臣対 談 要旨
ぺ ン字 。参 謀 本 部 用 箋 (一二行 ) 四
タ イ プ印 刷 。 陸
カ ーボ ン紙 複 写 。 陸 軍 用 箋
ペ ン字 。 一二枚 。
重要 事 項 決 定 の手続 に関 す る意 見﹂ は カ ー ボ ン紙 の複 写 。陸 軍 用 箋
海 軍 軍 縮 に関 し陸 海 軍 大 臣 会 談 要旨
枚。
軍 縮 会 議 海 軍案 に対 す る所 見
軍 用 箋 七 枚 。 付 箋註 記 は ペ ン字 。 一枚 。
︹海軍 大 臣 よ り 陸海 軍 大 臣 に 手交 し た る意 見 書 ︺
(一三 行 ) 五枚 。
七枚 。 ﹁ 海 軍 軍 縮 会 議 に関 す る件 ﹂は カ ー ボ ン紙 複 写 。陸 軍 用 箋 (十
タ イ プ印 刷 。 陸 軍用 箋 二枚 。
三行 ) 二枚 。 ︹参 謀本 部 ︺ 覚 書
ペ ン字 。陸 軍 用 箋 (十 四行 ) 一枚 。 タ イ プ印 刷 。 九 頁 。 一頁 一
海 軍軍 縮 会 議 の問 題 に 就 て委 員 会 設 置 に関 す る ︹第 二︺課 長 の意 見
一九 三 五年 海 軍 々縮 会 議 に対 す る 方 策 五行 、 一行 三〇 字 。
カ ーボ ン紙 複
カー ボ ン紙 複 写 。 陸 軍 用箋 二
海軍 案 海 軍 々縮 予備 会 商 の為 の訓 令 案 に対 する 意 見 写 。陸 軍 用 箋 (一三行 ) 一枚 。
カ ーボ ン紙 複 写。
華府 条 約 廃 棄 の為 元 帥 会議 要 否 の件
一九 三 五年 海軍 軍 縮 会 議 に対 する 方 策 に 関 す る件 陸 軍 用箋 ( 十 四行 ) 三 枚 。
カ
カー ボ ン紙 複 写。
昭 和 十年 海 軍 軍 縮 会 議 予備 交 渉 に於 け る 帝 国代 表 に与 ふ る 訓 令
陸軍 用 箋 (一四行 ) 五枚 。
来 る べ き海 軍 軍 縮 予 備 交渉 に対 す る 帝 国 政府 方 針
枚。
海 軍 軍 縮方 針 に関 し陸 軍 省 軍務 局 長 の海 軍 省軍 務 局長 に為 し た る 質
タ イ プ印 刷 。 陸 軍 用 箋
ペ ン字 。 参 謀本 部 用 箋 (一二行 ) 九枚 。
ペ ン字 。参 謀 本 部 用 箋 (一二行 ) 三 枚 。
︹六月 十 三 日 海軍 々令 部 よ り持 参 の議 題 ︺
問 及 之 に対 す る 答 の要 旨
二枚 。 太平 洋 防備 問 題
ー ボ ン紙 複 写。 陸 軍用 箋 (一四 行 ) 一八枚 。
タ イプ 印 刷 。 一枚 。
予備 交 渉 帝 国 代 表 に与 へらる る 訓 令 中 統 帥事 項 に関 し 牒
奏 上 の件 通
タ イ プ印 刷 。 一枚 。
カー ボ ン紙 複 写 。 陸 軍用 紙 (一四 行 ) 四枚 。
タ イ プ印 刷 。表 紙 と も 六枚 。 一頁 一 一行 。
予備 交 渉 帝 国 代 表 に与 へら るる 訓 令 中 統 帥事 項 に関 し 軍令 部 総長 奏 上 の際 の奏 上 書 ︹参 謀総 長 ︺ 上 聞 案
活 字印 刷 。 二頁 。
ペ ン字 。 陸軍 用 箋 (一四 行 ) 四枚 。
ペ ン字 。 三枚
昭和 十年 海 軍 軍 縮 会議 に対 す る 宣 伝 の 件 ︹ 華 府 軍 縮 条 約 廃 棄 手続 ︺ 覚 元 帥 府 、軍事 参 議 院 所掌 事 項 華 府 海 軍 軍 備 制 限 条約 廃 止 通 告 手 続
タイ プ印 刷 。海 軍用 箋 四枚 。
タイ プ印 刷 。 海 軍 用箋 、表 紙
墨 書 。 一枚 。
タイ プ印 刷 。 海 軍 用箋 四枚 。
墨 書 。海 軍 用 箋 二枚 。
︹ 元 帥 府 、 海 軍 軍 事参 議 会 の先 例 ︺ ︹ 両総長︺奏上書 元帥会議次第書 ︹元帥 府 に︺ 御 諮詢 事 項
︹参 謀本 部 ︺ 意 見
一行 三 五字 。
活 字 印 刷 。 表 紙 と も 三〇 頁 。 一頁 一二行 、
カ ーボ ン紙 複 写 。 参 謀本 部 用 箋 (一二行 ) 一枚 。
国 際 情勢 と海 軍 軍 縮 会 議
ペ ン字 。 参謀 本
カ ーボ ン紙 複 写。 陸 軍 用 箋 (一四行 ) 一枚 。
華府 海軍 々備 制 限 条 約 廃 止通 告 に際 し 発 表 す べ き外 務 当 局 談 ( 案) に 対 す る意 見
華 府 海 軍 軍備 制 限 条 約 廃 棄 に関 す る 記 録 事 項 の件 部 用箋 (一二行 ) 四枚 。
謄 写版 刷 。 一五枚 。
タイ プ印 刷 。 陸 軍 用箋 。一二 頁 。 一頁 二
︹参謀 次 長 宛 在 外 武 官 電 ︺ 山 本 五十 六中 将 復 命 書
タイ プ 印刷 。陸 軍
カ ーボ ン紙複 写。 陸 軍 用箋 (一
︹海 軍軍 縮 会 議 帝 国全 権 委員 に与 ふ る 訓 令案 ︺
行 、 一行 二〇 字 。
用箋 八頁 。 一頁一一 行 。
軍縮 全 権 其 他 に 与 ふ る 訓 令 に就 て 三行 ) 五枚 。
元 帥 会 議 に於 け る 軍令 部 総 長 説 明 案
タイ プ印 刷 。
カ ーボ ン紙 複
ペ ン字 。 陸 軍 用箋 (一四 行 ) 一枚 。
全 権 に対 す る訓 令 ︹に 就 て︺
倫 敦 に 於 け る海 軍 軍 縮 会 議帝 国 全 権 委 員 に 与 ふ る訓 令
写 。陸 軍 用 箋 二枚 。
全 権 に対 す る訓 令 中 修 正 に関 し海 軍 へ要 求 せ る も の カ ーボ ン紙 複 写。 陸 軍 用 箋 (一
と も 七枚 。 一枚 八 行 、 一行 三 〇 字 。 元 帥 会 議 に於 け る 参 謀総 長 説 明 案 四行 ) 表 紙 とも 五 枚 。
倫 敦 に 於 け る海 軍 軍縮 会 議帝 国 全 権 委 員 に 与 へら る る訓 令 中 統帥 事
陸 軍 用箋 九枚 。 タイ プ 印刷 。海 軍 用 箋 三枚 。 一枚 一
タイ プ印 刷 。 海 軍 用箋 。
一行 、 一行 二七 字 。 お よ び カ ーボ ン紙複 写 。陸 軍 用 箋 (一五行 ) 二
奏上書
タイ プ 印刷 お よ び ペ ン字 。陸
ペ ン字 。参 謀 本 部 用 箋 (一二行 ) 三 枚 。
陸 軍 砲兵 大佐 鈴 未 率 道 に 与 ふ る訓 令
︹参 謀 総 長 ︺上 聞 案
表 紙 と も 七枚 。 一枚 一 一行 、 一行 二八 字 。
項 に 関 し 軍令 部 総 長 奏 上 の 際 の
元 帥 会 議 に於 け る 質 問応 答 案
タ イプ 印 刷 。海 軍 用箋 一枚 。
ペ ン字 。 参 謀 本 部 用箋 (一二行 ) 二 枚 。
墨 書 。 二枚 。
︹元 帥府 ︺ 奉 答 書 案
枚。
︹両総 長 ︺ 奏 上 書 ︹岡 田首 相 ︺ 覆 奏 文
軍用箋三枚。 謄 写版 刷 。 二枚 。
表 紙 、 目 次 ペ ン字 。字 陸 軍 用箋 二枚 。本 文 謄 写
︹参謀 次 長 宛仏 国 大使 館 附 武 官 電 ︺ 防 備 制 限 関 係書 類
お よ び ペ ン字 。陸 軍 用 箋 (一四行 ) 九 枚 。 カ ーボ ン紙
版 刷 。 三 枚 。 タ イ プ印 刷 、海 軍 用箋 十 枚 。 一枚 一 一行 、 一行 三 一字 。
昭 和 十︱ 十 一年 倫 敦 海 軍 軍縮 会 議 陸 軍 首 席 随 員復 命 書
表 紙 墨 書 。 本 文 謄 写版 刷 。 一〇 二頁 。
二
複 写。 陸 軍用 箋 (二九 行 )、表 紙 と も六 八枚 。
戦闘詳報
ペ ン字 。 コク ヨの便 箋 一四枚 。
行動詳報
謄 写版 刷 。表 紙 とも 三 二枚 。
墨 書 二枚 。
活 字 印 刷 。 九頁 。 一頁 一七 行 、
タイ プ印 刷 。 表 紙 と も 二 二頁 。 一頁 一
タイ プ 印 刷 。表 紙 とも 一三 頁 。 一頁 一二行 、 一行
タイ プ 印刷 。表 紙 とも 一三頁 。
タ イ プ印 刷 。 表 紙 と も 三 三頁 。 一頁 一二行 、 一行 三 一字 。
三
河 井 田 隊 長 (蒙 古名〓 爾 底 ) 任 命 書 ( 徳王)
西安事変
西 安 事 変 重要 日誌 西安事変其の二 三 一字 。
二行 、 一行 三〇 字 。
中 国 々民 党第 五期 三中 全 会
注 目 を 惹 い た中 国 三中 全 会 の 経 過
謄 写 版 刷 。表 紙 とも 二〇 枚 。
一行 四 五字 。 三 中全 会 に就 て
カー ボ ン紙 複 写 。満 洲航 空 株 式 会 社 用 箋 (一
︹ 河 井 田 隊長 報 告 書 簡 ︺ ︹内蒙 古 最近 情 報 ︺
タイ プ 印刷 。 と も 二 七頁 。 一頁 一四行 、 一行 三 〇
三 行 ) 五枚 。
三 中全 会 に就 て
カ ーボ ン紙 複 写 。 満 洲航 空会 社 用 箋 (一三行 )、
活字 印 刷 。 二頁半 。組 方 前 に同 じ
活 字印 刷 。 二頁 。組 方 前 に同 じ。
活 字 印 刷 。 四頁 。 組 方 前 に同 じ 。
活 字 印 刷 。 三頁 。 一頁 二段 組 、 一段 一二 行 、 一行
タイ プ印 刷 。 表 紙 と も 一九 頁 。 一頁 一五
蒙 古 参 考 資料 其 一
三中 全 会 宣 言 文
三 〇字 。
赤 化 根 絶決 議 案
行 、 一行 三 一字 。
中 国 国 民党 三中 全 会 概 観
字。 ペ ン字 。 コク ヨの便箋 三 枚 。
表 紙 と も 四枚 、 およ び 謄 写版 刷 一八 枚 。 ︹田中 参謀 宛 オ チナ 情 報 報告 ︺
ペ ン字 。満 洲 航 空株 式 会 社 用 箋 (一 一行 )
謄 写 版 刷 。 一 一枚 。
ペ ン字 。 満 洲 航 空 株式 会 社 用 箋 (一一行 ) 四枚 。
︹包 頭 近 況報 告 の件 ︺
︹包 頭情 況 報 告 ︺
三枚。
謄 写版 刷 。表 紙 とも 十枚 。
︹臨 時独 立飛 行 隊 編 成 派遣 命 令 お よ び 指 示︺ 空 地連 絡 規 定
南京 政 府 の対 内 方 針 西 安事 変 に関 す る 報 告
活 字 印刷 。 一頁 。 組 方前 に同 じ 。
蒋 介 石慰 留 決 議 文
ペ ン字 。 コク ヨの用箋 (一二行 ) 一六枚 。 三 は、
カ ーボ ン紙複 写 。 一二枚 。
緩 遠事 件 概 況 報 告
︹三 中全 会外 務 、 海軍 電 ︺
タイ プ 印刷 。 三 三 枚 。
最 近 に 於け る 支 那各 地 の 一般 情 勢 と 日支 関 係 の概 要
タ イプ 印刷 。
タイ プ印 刷 。表 紙 と も 一 一頁 。 一頁
表 紙 図 版 と も 二〇頁 。 一頁 一四行 、 一行 三 二字 。
タイ プ 印刷 。表 紙 図 版
タイ プ印 刷 。 表紙 と も 二〇 頁 。 一頁一二 行 、
支 那 共 産党 と国 民 党 と の妥 協 一二行 、 一行 三 二字 。
一行 三 一字 。 上 海 中 山鉱 業 廠 罷 工事件
汕頭 邦 人 巡 査抱 禁 事 件
天津 聖 農 園 事件
タイ プ 印刷 。表 紙 と も海 軍 用 箋 一四 七頁 。 平
カー ボ ン紙 複 写。 表 紙 、 地図 、附 表 と も九 七
と も 八頁 。 一頁 一二行 、 一行 三 一字 。
四
蘆 溝橋 附 近 戦 闘詳 報
︹中 支出 兵 の決 定︺
頁。
均 一頁 一〇 行 、 一行 三 二字 。
活 字 印 刷 。 四頁 、 一頁二一 行 、 一行 五 七字 。
昭 和 十 三年 一月 十 一日御 前 会 議 に於 ける 参 謀総 長 、 軍 令 部 総長 、枢 府 議 長 の説 明 要旨
五
謄 写版 刷 。 一七 〇頁 。
謄 写版 刷 。表 紙 と も 二九 四 頁 。
西 村 敏 雄中 佐 回 想 録
謄 写 版 刷 。陸 軍用 箋 (二九行 ) 七〇 頁 。
河 邊 虎 四郎 少 将 回 想応 答 録
岡 本 清福 大 佐 回 想 録
支 那事 変 回想 録 摘 記
香 月 清 司中 将 回 想 録
謄 写 版 刷 。表 紙 とも 一九 五頁 。
謄 写 版刷 。表 紙 とも 一七 六頁 。
一 第 二 次ロ ンド ン 軍 縮 会 議
︹参 謀 本 部 ︺ 第 二課 )
機 関 設 置 に関 す る 件
第 二 、参 謀 本 部 内 に於 け る海 軍 軍 備 制 限 問 題研 究
(昭和 九年 十 月
一 海 軍軍 備 制 限問 題 に 関す る経緯
第 一、 太平 洋 防 備 制 限 問 題 ︹ワシントン︺ 一、内 外 の情 勢 は 華 府 条 約 の後 始 末 及 倫 敦条 約 改 訂 に関 し 昭 和 九
し て も研 究 せら れ 度旨慫慂 す
軍 兵 力 量 に関 す る研究 を進 む る と同 時 に太平 洋 防 備 制 限 の問 題 に関
大 研 究 機 関 の設置 を企 図 せ し が第 一部 其 他 に於 て反 対 あ り遂 に参 謀
内 の研 究 機 関 を 設 置 せ ん と し最 初 第 二 部長 又 は陸 軍 次 官 を長 とす る
見 を定 め 機 を失 せず 海 軍 側 を支 援 す る の目的 を達 成 せん が為 陸 軍 部
て軍 縮 問 題 を研 究 し海 軍 及 外 務 側 の案 を適 時 適 切 に研 究 し て陸 軍 意
二、 昭和 九 年 四 月 太平 洋 防 備 制 限 に関 す る参 謀 本 部 の意 見 (別紙 )
本 部 内 の みを 以 て研究 機 関 を組 織 す る ことゝ な る ︹ 飯村穣︺ ﹁ 編成 ・動員︺ ︹ 要塞︺ ︹ 欧米︺ ︹ 支那︺ 此 機 関 は第 四課 長 を頭 に第 一、 第 二 、第 三 、第 四、 第 五 課 よ り主
海 軍 々備 制限 問 題 の漸 く世 上 に喧 伝 せ ら るゝ や陸 海 一致 の行 動 に ︹ 情報︺ 出 づ る の要 求 よ り第 二部 に於 て も海 軍 側 と連 絡 す る と共 に部内 に於
を決 定 し 五 月 十 五 日第 二課 長 鈴 木 大 佐 は 之 を軍 令 部 第 一部 に説 明 し
任 部 員 一を 定 め て研究 調 査 に従 事 せし む る も のとす
年 度 に於 て列 強 間 に折 衝 の行 は る べき 形 勢 を 馴 致 せ る を以 て昭 和 八 ︹ 作戦︺ ︹ 率道︺ 年 末 第 二課 長 鈴 木 大 佐 は 此等 問 題 の処 理 を し て陸 海 一致 せ る歩 調 に
之 に関 す る海 軍 側 の意 見 を求 む 当 時 海 軍 に於 て は軍 備 制 限 問 題 に関
よ り て指 導 す るを 要 す る こと を海 軍 側 に通ず る と共 に海 軍 に於 て海
し 研 究 中 にし て兵 力量 に関 す る意 見 も 未 だ確 定 に至 らず 従 つ て防 備
第 二課 に於 ては 本案 に対 し て本 案 機 関 の調 査研 究 及 審 議 は 常務 系
統 に於 け る業 務 の実行 を拘 束 す る も の に非 ず 従 って研 究 の後 常務 に
︹ 保 太郎︺
三、 六月二十二日軍令部第 一部第 一課長岩下大佐 は鈴木大佐を訪 ひ
に関 す る事 項 は第 二課 に於 て研 究 の結 果 を 此機 関 に移 す こと を条 件
移 す を要 す る こと 用兵 事 項 は此 会 議 の範 囲 外 な る こと及 国 防 の大 本
︹作戦 ︺
制 限 に関 し ても追 て意 見 を述 ぶ べき 旨回 答 あ り
曩に提示 せる防 備制限 に関す る参謀本部案 に異存 なき旨 口頭を以 て
と し て之 が設 置 に同意 す
回答す (当時問答 の大要 は書類綴 にあり)茲 に防備制限 に関する陸 海軍作戦部 の意 見は 一致す
第 三 、海 軍 軍 備 制 限 予備 会 商 の件
識 不十 分 な り し に起 因 す る も の にし て次 長 は 省部 一致 の意 見 と し て
限 方 針 に関 し意 見 の交換 を なす
及 参 謀 本 部 よ り右 に関 し 海軍 及 外務 に対 し 要 望 す る所 あ り ︹ 吉田善吾︺ ︹ 永田鐵山︺ 二 、 六 月 十 一日海 軍 省 軍 務 局長 、陸 軍 省 軍 務 局 長 を訪 ひ海 軍 軍 備 制
て折 衝 あ り し も海 軍 及 外 務 共 に陸 軍 に 対す る連 絡良 好 な らず 陸 軍 省
上 司 及 関 係 方 面 の説得 に努 む
る 回答 を 発 す る こと を得 ざ りし は遺 憾 な り き ︹ 元︺ 七 、 八 月 新 次 長 杉 山中 将 着 任 後 右 問 題 再燃 し た る に よ り第 二課 長 は
陸 海 軍 両 大 臣 陸 海 軍 両軍 務 局 長 の会 見 を な さ し め た るも 遂 に意 見 の
茲に於 て参 謀 次 長 は陸 海 軍 両 省 の 一致 を 図 るべ く軍 令 部 を通 じ て
海 軍 に回 答 を 発 し 度 く希 望 せ る も のゝ 如 し
三 、 六 月 二 十 二 日第 一部 は 一九 三 五年 海 軍 軍 縮 会議 に関 し別 紙 の如
八 、 此頃 に至 り 軍令 部 は ﹁成 る べく 速 に﹂ を除 き ﹁今 年 中 ﹂ に廃 棄
一、 五 月 中 旬 よ り 六月 上 旬 に亙 り倫 敦 及 東 京 に於 て予 備会 商 に関 し
き 方 針 を 以 て臨 む べき 旨 を策 案 し之 を第 二部 に移 し参 謀 本 部 の方 針
す る ことゝ し て陸 軍側 の回答 を 希望 し 来 る
鑑 み て緩 和 的態 度 を と りし にあ らず や と察 せ ら る然 れど も 一面 よ り
務 省 の間 の話 も 全 く円 満 な り し にあ らず 因 て海 軍 側 も四 囲 の状勢 に
軍 令 部 が 此 の如 き態 度 をと り し は 荏苒 日 を過 す の不 利 と 海 軍 対外
一致 を 見 ず し て陸 軍側 よ り海 軍 側 に対 し 釈 然 と し て疑 惑 な き 明 朗 な
︹ 林 銑 十 郎 ・大 角 寄 生︺
︹ 穣︺ 四 、 六 月 廿 七 日軍 令部 第 一部 田結 大 佐 は参謀 本 部 に第 二課 長 を訪 問
決 定 に資 す
し 予 備会 商 に関 す る海 軍 軍縮 会 議 方 針 を 説 明 す 田 結大 佐 に依 れば軍 令 部 は成 る べく 早 く 華府 海 軍 軍 備 制 限 条 約 を 廃 棄 す る案 に つき 軍令 部 及 海 軍 省 其 他 と 共 に研 究 し つゝ あ り と
意 を鈍 な ら し め た る は外 務省 等 に其 因 を有 す る が如 き も其 最 大 原 因
度 が外務 省 に作 用 し た るも のあ る が如 く表 面 より 見 れば海 軍側 の決
見 れ ば 外 務 が海 軍 に対 し 相 当 強 く当 り し は陸 軍 省 の釈 然 た ら ざ る態
成 な る旨 を述 ぶ
らる
依 て第 二課 長 と し て は陸 軍 作 戦 部 と し て は成 る べく 早 く 廃 棄 に賛
五 、 六 月 末 よ り 七 月始 に亙 り 参謀 本部 に於 て は成 る べく速 に華府 海 ︹ 閑院宮載仁親王︺ 軍 々備 制 限 条約 を廃 棄 す べき 件 を 第 二部 に於 て起 案 し 総 長 以 下之 を
1 、陸 海 軍 軍令 軍政 機 関 は完 全 な る 一致 によ り 一団 と な り て進 む
中 な りし が作戦 部 の二大 方 針 左 の如 し
を如 何 にす べき や に関 し て は本 問 題 発 生 当 時 よ り陸 軍 海 軍 共 に研 究
華 府 会 議 に於 け る海 軍 々備 制 限 条 約 廃 棄 に関 す る統 帥 部 最 高 手 続
元帥 会 議 等 に御 諮詢 奏 請 の要 否 に就 て
第 四、 華 府条 約 廃 棄 に関 し統 帥 部 の方針 決 定 の為
は陸 軍 が全 面 的 に海 軍 を 支持 す る の態 度 に出 でざ り し に あ り と考 へ
決 裁 せら る ︹ 加藤隆義︺ ︹ 植田謙吉︺ 六 、 七 月初 旬 軍 令 部 次 長 よ り参 謀 本 部 次 長 に対 し成 る べ く速 に華 府 海 軍 軍備 制 限 条 約 を 廃棄 す る の可 否 を 問 ひ来 る 右 に対 し 参 謀 本部 は異 存 な . し と の回 答 を発 せ ん と せ し も曩 の総 長 [ 磯 谷廉 介 ︺
次長及第 二部長 の此の如 き態度をと るに至 りしは陸軍省方面 に於
以下決裁案 ありし に拘 らず第 二部長異議を唱 へ次長亦躊躇 せり て海軍側と意 思 の疏隔ありし こと及本問題 に関する陸軍省方面 の認
べ き こと 2、 事 国 防 の基 本 に関 す る を以 て国 務機 関 に対 す る関 係 は 統帥 機 関 の独 自 の発 動 に基 き統 帥 方 面 を律 す べ き こと 右 に基 く 各 種 の形 式 は多 少 の経 緯 あ り と も大 本 は絶 対 に狂 ふ べ か らず と の主 義 を 堅持 せ り ︹琢磨 ・ 作戦班長︺ 而 し て之 に関 す る最 も適 当 な る形式 は 七月 十 六日 下 山 中 佐起 案 の 別紙 ﹃次 期 海 軍 軍 縮 会議 の為 国 防 用 兵 上 重要 事 項 決 定 の手 続 に関 す
次 期 海 軍 軍縮 会 議 ノ為 国 防 用兵 上
参 謀 本 部 第 二課
昭和九年七月十六日
る意 見 ﹄ の如 し
重 要 事 項 決 定 ノ手 続 二関 スル意 見
次 期海 軍 軍 縮 会 議 ニ対 シテ ハ統 帥 部 ト シテ会 議ニ 関 スル国 防 用 兵 上 重要 事 項 ノ決 定 ニ就 キ 左記 手 続 ニ拠 ル へキ モノ ト見 解 ス 記
別
紙
次期 海 軍 軍 縮 会 議 ノ為 国防 用兵 上 ノ見 地
ヨリ ス ル帝 国 ノ方 針 ニ就 キテ ノ 上奏 案
一、 次期 海 軍軍 縮 会 議 ノ為 国防 用 兵 ノ見 地 ヨリ帝国 ノ取 ル ヘキ方針
左
記
ハ臣 等慎 重審 議 ノ結 果 左 記 ノ 通 ナ ルヲ要 ス ル ノ結論 ニ到 達 セリ
帝国 内 外 ノ情 勢 ヲ有 利 ニ制 導 シ帝 国 ノ国 策遂 行 ニ遺 憾 ナ カラ シ
メ得 へキ海 軍 軍 備 保 有 ノ自由 ヲ確 保 シ蚊 ニ之 ニ関 聯 シテ必要 ナ ル 国 防施 設 ノ整 備 ヲ完 ウ ス
之 カ為 本年 内 二於 テ成 ル へク速 ニ華 府 二於 ケ ル海 軍 軍 備 制 限 ニ
ラ シメ得 へキ新 条 約 ヲ締結 ス
関 ス ル条 約 ノ廃 止 通 告 ヲ行 フト共 ニ明 年 前項 ノ目 的 達 成 ヲ確 実 ナ
二 、 右 方針 ノ決 定 ハ事 頗 ル重大 ニ属 スル ヲ以 テ特 ニ陸 海 軍 元帥 及軍
ラ ル ル ヤウ致 サ シ メ ラ レ度
事 参 議官 二御 諮詢 ノ上 更 二本方 針 案 文 ヲ内 閣 総 理大 臣 ニ下 附 アラ セ
左
一、 海 軍 軍 縮 会 議 ニ対 シ国 防 用 兵 ノ見 地 ヨリ帝 国 ノ取 ル ヘキ 方針 ニ
以 上謹 而 奉 仰 允 裁 候 也
関 シテ ハ予 メ (遅 ク モ八月 中 ナ ル ヲ要 ス)陸 海 軍 元 帥 及 軍事 参 議官 ノ内 議 ヲ経 テ陸 海 軍 軍令 軍 政 両 部 長官 連 署帷幄 上 奏 ヲ ナ シ ( 案 文別
陸
謀
軍
大
総
大
臣
長
臣
日
軍
月
参
昭和 九年
海
紙 ) 元帥 軍 事 参 議 官 ニ御 諮詢 ノ後 (陸 海 軍連 合 会 議 ト ス) 内 閣 総 理
二、 右方 針 ニ基 ク訓 令案 ハ軍 令 軍 政 両 機 関 ノ意 見 正 式 ニ 一致 シタ ル
大 臣 ニ下 附 ア ラ セ ラ レ ン コト ヲ奏 請 ス ル コト
後 閣 議 決 定 前 更 ニ陸 海 軍 元帥 軍 事 参 議 官 ノ内 議 ヲ経 タ ル後国 防 用兵
軍 令 部 総 長
二 、然 る に九 月 七 日 閣議 に於 て ﹁来 るべ き海 軍 軍 縮 予 備 交渉 に対す
上 適 当 ナ ル案 ナ ル コト ニ関 シ陸 海 軍 軍令 軍 政 両 部 長 官 連 署 上聞 ヲ行 フ コト
る帝国政府 の方針﹂及 ﹁昭和十年海軍軍縮会議予備交渉 に於 ける帝
軍 事 参 議 官 会 議案 を 以 て最 も事 態 に適 合 す る も のな る旨 進 言 し説 述
四、 午 後 第 一部長 今 井 中 将 は 次長 に対 し て 一再 な ら ず陸海 軍合同 の
︹清 ︺
国代表 に与 ふる訓令﹂決定 せら るベき趨勢となりしを以て統帥部 の
せし も次 長 は 欣 然 同意 を表 す る に至 らず
其 原 因 を察 す る に次長 が自 ら の倫 敦会 議 当 時 次 官 代 理 と し て得 た
最高処置 を閣議事前に行 ふの余裕なき情勢 となりしを以て九月五日 更 に別紙海軍軍縮会議 に関す る件を起案す
反 対 し元 帥 会 議 案 は 敢 て反 対 せざ る の態 度 を と る に至 れり 九 月 十 二
に よ り左 右 せら れ た る も の な る が如 く 陸 軍省 も亦 参 議 官 案 は絶 対 に
る軍 縮 問 題 に対 す る海 軍 の態 度 の印象 及陸 軍 省 の現 在 の対海 軍 態 度 昭和.九年 九月 五日 参 謀 本 部 第 一部
日軍令部第 一部長島田少将 は参 ︹謀︺本 ︹ 部 ︺第 一部長 の旨 を含 み
海軍軍縮会議 ニ関 スル件 一、 来 ル へキ海 軍 軍縮 予備 交 渉 ニ対 ス ル帝 国 政 府 ノ方 針 ハ原 則 ト シ
参謀本部 に参謀次長を訪 ひ陸海軍合同 の軍事参議官会議 の最も適当
︹ 繁太郎︺
ニ通 牒 ス ルヲ要 ス
テ正 式ニ元 帥 及 軍 事 参議 官 会 議 ノ議 決 ヲ経 タ ル後 軍 部 ノ態 度 ヲ政府
なる所以 を説明主張す
三、 第 二項 ノ場 合 ニ於 テ ハ閣議 後 速 ニ正 式 ニ元帥 及 軍 事 参 議 官 会議
ナ スヲ要 ス
く研究 の結 果次 の三案 を得たり (合同参議官会議は別として)
せず
り参謀次長 を説 きしも次長は尚 ほ決心す るに至らず随 て本案 を決裁
同軍事参議官会議 の適当なるを説 明主張 し十九日再 び参謀本部 に来
九月十 八日軍令部次長 は参謀次長 に対し第 一部長 と同様陸海軍合
二、 時 日 ノ関 係 上 閣 議前 ニ於 テ正 式 ニ元帥及 軍 事 参 議 官 会 議 ヲ開 ク
ノ開 催 ヲ奏 請 ス ルヲ要 ス
第 一案 陸 海合同元帥会議を開 く
コト ヲ得 スト セ ハ非 公式 ニ元帥 及 各 参 議 官 ノ諒 解 ヲ得 前 項 ノ通 牒 ヲ
︹ 清水規矩︺ 三 、 九月 五 日軍令 部 田結 大 佐 、 参謀 本 部 第 一第 二第 四課 長 は参 謀 本
第 三案 海軍参議官会議 を単独 に開き陸軍としては参謀総長 の責 を 以て今 回の問題 は海軍にのみ御諮詢あり て結構 なりと上奏す (次
関 し海軍単独 の参議官会議を開く
先づ陸 海軍合同元帥会 議を開 き然 る後海軍関係事項 のみに
第 一部 としては第 一課長とも協議 の上根本方針 に合致 せしむ る如
部 に於 て会 談 し た る が其 際 海 軍 側 よ り ﹁陸 海 軍 合同 の軍 事 参 議 官 会
第 二案
り
議 に御諮詢 を奏 請 す る案 に て進 み度旨 ﹂ 始 め て公 式 に内面 的 連 絡 あ
右 に対 し作 戦 課 と し て は陸 軍 従 来 の慣 例 と し て は此 の如 き 重大 事
長案 )
項 は元帥 会 議 に御 諮詢 を奏 請 す るを 至 当 とす る も慣 例 に抱 泥 せず 現 在 の事 態 及 環境 に処 す る為 に最 適 当 な るは海 軍案 な る を以 て之 を 以
而して作戦部 とし ては第 一案 止むなきも第二案 にて止まり度考な りき
て進 む べく努 力 し 万已 む を得 ざ る も陸 軍 の慣例 に よ る元 帥 会 議 案 に て進 む べく 談合 せり
九 月 二 十 八 日参 謀 次 長 は 前 記 三案 を齎 し て軍 令 部 次長 を訪 問 し懇 談す 軍. 令 部 次 長 の意嚮四左 の如 し ︹ 伏見宮博恭王︺ 1 、 第 三案 は軍 令 部 総 長 殿 下 の御 反 対 の虞 あ り 2 、 第 二案 は海 軍 ︹軍 令 部 ︺ 次長 と し て は妥 当 な る べ き も の と考 ふ るも 海 軍省 に難 色 あ る べき に付 何 れ にす る も海 軍 省 と 協 議 し何 分 の返 事 をな す べき旨 回答 あ り 九 月 廿 九 日軍 令 部 より 海 軍 と し て は第 二案 は反 対 にて第 一案 は我 慢 出 来 ぬも ので も な さ相 な り 何 れ 軍令 部 総 長 殿 下 の御 意嚮 を伺 ひ佐 世 保 よ り返 答 す べ き旨 通 知 あ り 十 月 一日海 軍 よ り ﹁三 十 日 夜 の入電 に よ れば 合 同 元帥 会 議 に軍 令 部総 長 殿 下 御 同意 あ り た り ﹂ と通 報 あ り茲 に陸 海 軍 一致 元 帥 会 議 に 御諮詢 奏 請 に決 定 せり
︹ 牟 田 口廉 也 ︺
︹ 鐡
し て是 非 然 るを要 す る事 項 な る に武 官府 にて之 を左 右 す る如 き は穏 蔵 ・大 佐 ︺
︹ 山田乙三︺
︹橋本虎之助︺
︹文三
当 な らざ るを 以 て庶 務課 長 武 官 府 に至 り て之 を訊 さ んと せ し に中 島 郎 ・少 将 ︺
武 官 来 部 説 明 す る所 あ り (総 務 部 長 へ)更 に第 一部 長 次 官 と川 岸 武
官 と協 議 し 八 日午 前 に之 を返 事 す る ことゝ な る 八 日朝 に至 り遂 に上
聞 は予 定 の如 く 九 月 八 日午 後 実 施 す る ことゝ な る ︹ 岡田啓介︺ 因 に総 理 は 七 日 既 に上奏 を終 れり
此 の如 き 事 態 の裏 には何 等 か影 の力 の動 き つゝ あり し を思 はし む る も のあり
第 六 、 元帥 会 議 に関 連 す る問 題
一、 十 月 十 一日 軍 令 部 田結 大 佐 は華 府 海 軍 軍備 制 限 条 約 廃 止通 告 手
二、 之 より 先 海 軍側 は本 問 題 の手 続 を枢 府 御 諮詢 奏 請 を 先 き に し元
続 を持 参 す
帥府 御 諮 絢 奏 請 を後 にせ ん とす る の議 あ り参 謀 本 部 側 は 極力 統 帥 部
が先 づ 発 動 す べき旨 を主 張 し たり し が 田結 大 佐 携 行 の手続 表 に よれ ば参 本 の主 張 は容 れ ら れ た り
(因 に陸 軍 省 及 参 本 第 一課 は当 初 元帥 会 議 軍 事 参議 官 会 議 何 れも 不用 な り と唱 へつゝ あ り し が愈 決 定 前 に は必 ず し も 元帥 会 議 案 に反
三、 十 月 十 三 日 に至 り軍 令 部 よ り 手続 表 の二十 九日元 帥会 議 開 催 を
首 相 奏 上 後 午 前 十 一時 よ り軍 令 部 総 長 上 聞 し午 後 一時 よ り参謀 総 長
両 総 長 殿 下 は 統 帥事 項 に関 し て奏 上 す る こと に予 め武 官 府 と連 絡 し
一、 九 月 七 日閣 議 に於 て訓 令 案 決 定 を見 た るを 以 て十 月 八日 陸 海 軍
す べ き を主 張 し遂 に之 に決 定 す
演 習 の為参 謀 総 長 殿 下 御 出 張 等 の関 係 上 飽 く 迄 主 動的 に原 案 を強 行
期 に決 し た り と 又武 官 府 に於 て は何 故 に元 帥 会 議 を開 く や軍 事 参議
にあ ら ざ れ ば 外交 上 の信 用 に関 す と 云 ふ議 多 く 海 軍 の上司 も 一時 延
頃 に予 備会 商 開始 せ ら る べく 其 推 移 を見 た る上 に て元 帥会 議 を 開 く
延 期 し 度 旨 申 出 あ り其 理由 を問 ふ に海軍 省 方面 に於 ては 二十 五 六 日
対 せざ りし 次 第 な り )
上 聞 す べき 旨 打 合 せ し た る処 七日 に至 り て武 官 府 に於 て上 聞 を 九 日 ︹橘樹︺ とす べき 旨 申 出 あ り綾 部 中 佐 武 官 府 と種 々連 絡 せし も 既 に陛 下 には
第 五 、 内奏 に関 す る問 題
九 日 に延 す 如 き御 印 象 を御 持 ち あ る によ り不 可 な りと の こと な り き
四 、 二 十九 日元 帥 会 議 に御 諮詢 奏 請 の際 に於 て
会 議 を 何故 に開 かざ る や等 に関 し軍 令 部 側 に質 問 あ り参 謀 本 部 は 大
然 れど も 事陸 海 軍相 関 連 せ る事項 に て之 を同 日 に上 聞 す る を至 当 に
何 故 に元帥 会 議 を要 す る や 何 故 に今 日 の時 機 を 選 定 ︹ す る︺ を 要 す る や に関 し 御 下問 あ り何 等 か の奏 答 あ りし 模 様 な る も 明 な らず ︹ 守正王︺ 五 、 十 月 二 十 七 日以 前 に梨 本宮 殿 下 に 御 説 明 ( 陸 海 軍 両 部 第 一部 長) 六 、 本 会 議 にて梨 本 宮 殿 下 御 質 問 の御 意 向 あ り両 第 一部 長協 議 御 質 問 事 項 を決 定 す 両総長
(軍令部総長宮殿下明快に奉答せられし趣拝承す)
午後 二時五十分 ︹ 本庄繁︺ 侍従武官長御使 とし て参謀本部 に来 られ先任元帥 に元帥府 に御 諮詢ありたる御 沙汰 を伝 へら る
(御諮詢事項を伝達の為にさきに上奏せる本文を持参せられ先任元帥に 御渡しせられたり)
因 に本文は元帥会議終了後武官府 に返納す
参謀本部及軍令 部 の第 一部長 ( 今井中将島 田少将)を参謀本部
午後三時
に召致し先任元帥閑院宮殿下 より幹事 に命 ぜらる
へ御 下 問 あ り し趣 な るも 其 内容 明 な らず 但 軍令 部総 長 宮 殿 下 に於 か
七 、 十 月卅 一日御 会 議 後 奉 答 又 は奉 答 文 内 覧 の際 に於 て
せ ら れ ては御 下問 の事 に関 し多 少平 か な ら ぬも のを存 せ ら れ た る が
付通牒す
十月三十 一日午前 十 一時 より宮中 に於 て元帥会議開催致すべきに
同 日 先任元帥より侍従武官長宛左 の通 ︹り︺通牒す
同 日 先任元帥副官 は各元帥 に元帥会議開催 に つき通牒を発 す
の動 き あ る こと歴 然 た るも のあ り
如 く 諸 般 の情 勢 に よ り て見 るに軍 部 の 一致 に関 し或 方 面 よ り影 の力
八 、 海 軍側 は (主 とし て海 軍省 方面 の要 求 ) 元 帥 会議 に関 し て記 事
す
会議用書類 (上奏書等 一切)海軍側 にて準備し当日海軍随員携行
禁止をなせり 陸 軍 側 は所 要 の発 表 を な す べ き を主 張 し 遂 に ︹十 一月 ) 七 日 ︹枢
十月卅 一日 元 帥会 議
帥
博
載
正
恭
仁 親
王
王
王
元 帥 府 へ御諮詢 奏 請
密 院 会 議 ︺開 議 前 に発表 せ り
十月二十九日
元
守
長
帥
議
帥
会議列席者 元
( 両総長御同列 にて参内先任総長たる閑院参謀総長宮殿下より奏上)
元
午 後 二時
一、 何故 に元 帥 会 議 を開 く を要 す る や
将
将
御下問
田 少
中
今 井
軍令部第 一部長 島
参 本 第 一部 長
( 何れ の総長宮殿下奉答 せられしや明かならず) 二 、何 故 に今 の時 機 を選 ぶ や
随
行
者
開議
次 第 書 の通 り
午 前 十 一時
結
部 大
中 佐
佐
各 元 帥 副 官
田
員
綾
部
参
本
軍 令 部 々 員
奉答
質 問 の部 に て梨 本 元 帥宮 殿 下 よ り質問 あ り
議長
終了
陸 海 軍 第 一部 長 答 弁 申 上 ぐ 午 前 十 一時 二十 分
一応 御 退 出
1、 午 前 十 一時 三 十 分
御控室 にて
2、 御 沙 汰 に よ り侍 従 武官 長 奉 答 文 を両 総 長 に閲覧 せ し めら る
3 、 両総 長 御 同 別 に て総 理 に奉答 文 を内 覧 せし め ら れ度 件 上奏 ( 此前 に上奏書 を総長殿下 の御 手許 に差出す時機 を失し両総長御前 に上 奏書 を携 へられずし て参入口頭 を以 て上奏 せら れ後侍従武官 を経 て御 手 ( 書類呈上 の責任者と調製者は常 に 一致 しあるを要し且 つ 一人なるを要
許 に差上ぐ)
海 軍 省 軍 令 部 首 脳 者 間 に於 て は本 日会 議 あり し こと を発 表 せず
第 二課 綾 部中 佐 よ り第 一課 及 軍事 課 に奉 答 文 案 を 手交 し 会 議
し ば ら く待 つ こと に決 し た る旨 を通 報 し来 る ︹ 六七頁参照︺ 午 後 四時 別 紙 の如 き右 に関 す る参 本 意 見 を鈴 木 大 佐 は軍 令 部 西 ︹ 鐵蔵︺ 山 少 佐 に電 話 す
記
に関 し 通 報 す
同日
別
加 藤 軍 令 部 次 長 は侍 従武 官 府 に出頭 、 本 庄
十 月 三 十 一 日 元 帥 会 議 の結 果 奉答後 同日
一月
武 官 長 よ り、 元 帥 府 の奉 答 書 写 を手 交 せら れ た り 十
一 月 二 日 閣 議 を開 き
一 日 元 帥 府 の奉 答 書 を 総 理 に閲 覧 を賜 ふ 十
一 日 仏 よ り拒 絶 回答 あ り
即 日 総 理敷 奏 (別 紙 敷 奏 書 ) ︹ 廣田弘毅︺ 十 一月 二十 七 日 外 務 大 臣 よ り仏 伊 大 使 に共 同廃 棄 提 案 十 二 月
十二 月 三 日 院 内 に て枢 府御 諮詢 手 続 を な す ︹ 義正︺ 十 二 月 四 日 中 原 大 佐 部 長 を来 訪 し英 米 の予 備 会議 に関 し 我 方
の提 案 に対 し実 質 的 に は反 対 の態 度 を取 り た る こ
す数 人にて責任 を分担せんとするは錯誤 を来 し易し)
と及 華 府 条 約廃 棄 の事 に関 し 話 し行 け り今 の所 十
の予 定
九 日本 会 議 ( 枢 府 ) を 開 き 審 議 の予定 直 ち に通 告
右 終 了 午 前 十 一時 五十 分
参 本 及軍 令 部 両 次 長 参 内侍 従 武官 長 よ り奉 答 文 写 を
正 午 御 昼 食 を賜 は り午 後 一時 退 出 午 後 一時 半
海 軍 田結 大佐 よ り鈴 木 大 佐 に電 話 あ り
下附 せらる 午後 二時
二
︹ 参 謀 本 部 ︺覚 書
(二)編
成 四 課 長
長
第
るを要 するに鑑 み別紙 ﹁一九 三五年海軍 々縮会議 に対する参謀本部
一九三五年海軍 々縮会議対策は情勢に応 じ特 に敏活機 敏 に処置す 内対策研究会設置要領﹂ に基 き処置する ことに同意す
二 課
一 課
長 (飯 村 ︹穣 ︺)
長 (西 村 ︹ 琢磨︺)
長 ( 鈴
長 (橋 本 ︹群 ︺)
長 (牟田口 ︹ 廉也︺)
(三)業 務実施 の要領
加 ふることを得
右 の他必要 に応 じ随時前記 の各 課及其 の他 の課 の部員 を 第 三 課
長 (酒 井 ︹隆 ︺)
課
第
四 課
庶 務
研究会員 第 一、第 二、第 三、第 四及第五課部員各 一名
昭和九年六月八日
第
五 課
る事項 は常務 に移し参謀本部案 たらしむ
研究会長 は前記目的達成 の為随時研究会を開き研究審議 を終りた
第
木 ︹率道︺)
第
一九三五年海軍 々縮会議 に対す る 的
参謀本部内対策研究会設置要領 (一)目
次期海軍 々縮会議 に関す る対策 を常時研究審議し之に関す る常務 の敏活簡捷を期 す
三
海 軍 軍 縮 会 議 の問 題 に 就 て 委 員 会 設 置 に 関 す る︹ 第 二︺課 長 の意 見
1、 第 四課 長 中 心 の関 係 部 員 会 議 に て可 な る べし
第 二部 に て此 に関 す る委 員 会 を設 置 す る 考 に就 て
2、 但 其 委 員 ︹会 ︺議 決 と も 云 ふ べき も のは実 行 を拘 束 す る も の にあ らず 3 、用 兵 作 戦 事 項 は 此 会議 の範 囲 外 とす 4 、国 防 の大 本 に関 す る事 項 は第 二課 よ り研究 の結 果 を此 の委 員 会 に移 す ことゝ す
方
四
針
一九 三 五 年 海 軍 々縮 会 議 に 対 す る 方 策 (昭和 九年 五 月
参 謀 本部 第 四課 )
を確保す
関 係 あ る唯 一の問 題 にし て之 が存 続 を希 望 す る こ と勿 論 な る のみな
五、 華 府 条 約 第 十 九条 規 定 の太平 洋 防 備 制 限 問 題 は陸 軍 とし て直 接
す而 し て其 の具 体 的 工 作 に就 き て は速 か に研 究 す
四、 条 約 廃 棄 に至 る場 合 を顧 慮 し 極 力 英 米 を 離 反 せ し む る如 く 施 策
帝 国 と し て如 何 な る程 度 迄 之 に応ず べき や に就 き速 か に研 究 す
二、本会議 の性質 に鑑 み純然 たる海軍 々縮会議 に限定す るを要す而
一、帝国 は華府及倫敦条約 に依 る不利な る拘束 を脱却し国防 の安全
して軍縮問題 に直接関聯 なき諸問題特 に東亜 の諸問題 に触 るること
らず 為 し得 れば 若 千 の条 文 の修正 を企 図 す べき も会 議 進 行 の途 上他
の重 要 な る案 件 を 支 持 す る為 必要 已 む を 得 ざ れば 交 換条 件 と し て之
は絶対 に之 を排撃す 策
が撤 廃 を も辞 せざ る こと あ る を予 期 し之 を 準 備 す
対
一、 一九 三五年海軍 々縮会議 に対す る帝国 の態度 は前記方針第 一項
1、 成 る可 く 速 に関 係 主 要国 に対 し帝 国 の主 張 と断 乎 た る我 決 意
六、 今 後 に於 ける 一般 情勢 を 有利 に導 く 為 左 の如 く施 策 す ︹1 ︺
に示す目的を達成 せざ るか或 は第 二項 に示す東亜 の諸問題 に触 れん
を表 明し 又極 東 問 題 除 外 に関 し機 先 を 制 し準 備 工作 を 為す
とす る際 に於 ては断乎条約廃棄 の挙 に出づる決意 を以 て之 に臨む
2、 国 内 有 力 新 聞 の指 導 に万幅 の注 意 を 払 ひ挙 国 一致 の輿 論 を起
七、 一九 三 四 年 末 迄 に ﹁帝国 々防 の安 全 を 確 保 す る に足 る改 定 を見
二、陸軍は海 軍と 一体 となり之を声 援す而して陸軍 としては海軍 の
る に あ らざ る限 り条 約 を廃 棄 す べき ﹂ 旨 の通 告 を発 す
技術的細部 に干渉 せずと雖も大所高 所 の見 地に基 き海軍 の主張を公 三、方針 第二項 及対策第 一項 に明かなる如 く軍縮会議 に直接関聯な
さし む る如 く す
き東亜 の諸問題を議する ことは断然排撃す べきも軍縮問題と不可分
八、 会 議 参 加 を 決 定 す る 以前 に議 題 内 容 の通 報 を 要 求 し帝 国 要 求 の
正 ならしむる ことに努む
の関係 にある安金保障 問題等 に就き議 せんとす るの情勢を見たる際
会議参加後 に於 ても情況 に依 り適時脱退 するの用意 にあ るを要す
故 に帝 国 と し て は予 め 英 米 を離 反 せし む る如 く 工作 す る こ と必要 な
関 し或 種 の協 定 を策 し て我 に対 し共 同 戦線 を張 る の顧 慮 な し と せず
然 れ ど も老獪 な る英 国 は 一面 米 国 を慫慂 し て両 国 間 に極 東 問題 に
の経費 は英 米 に比 し 大 な らず
九、前諸項 の目的 を達成 し且会議 に際し陸 、海、外務 の対立を避 く り
充足 に関する見込如何 に依り参否を決定す
る為今より陸、海 、外務混成 の準備委 員会 を構成し逐次情勢 の変 化
の目的 に反す故 に華府及倫敦条約 に因り国防 の安全 を脅威 せられあ
欠如 せしめんか却 て平和 の禍根を成し矛盾 せる結果 を招徠し て本来
一、世界平和を目的 とす る軍縮条約 にして若 し 一国 の国防的安全を
逸 せ し めざ る如 く 努 む る こと肝 要 な り特 に海 軍 は 五 ・ 一五 事 件 以来
し 公平 無 私 事 に処 し 機 宜 に適 す る助 言 を為 し 海軍 を し て軌 道 よ り脱
鑑 み陸 軍 とし て も海 軍 と 同 一の熱 意 を 以 て之 に臨 み常 に大 局 に着 眼
を 避 けざ る べ から ず 然 れ ど も過 去 に於 け る此 の種 軍 縮 会 議 の経験 に
の技 術 的 事 項 に就 ては 海 軍 の提 案 を支 持 し徒 ら に之 に干 渉 す る こと
二 、次 回 の軍 縮 会 議 は 海 軍 に関 す る問 題 を 主 体 とす る を以 て特 に其
る帝国が断乎之 を排撃す るは公正な る帝国 の権利 にし て寧ろ平和保
部 内 の感 情 著 し く 高 調 し あ る を 以 て会 議 に際 し時 と し て公 正 を 失 し
由
持 の為 にする道義 的義務 なりと云はざ るべからず右 の信念 を堅持 し
感 情 に走 る の虞 れ無 し と せず 其 の主 張 貫 徹 の為盲 目 と な り満 洲 問題
理
に応じ て其 の対策 を練 ると共 に三者 の行ふ宣伝工作を統轄 す
べし若し夫れ右顧 左眄諸国 の態度 に依 り左右せられんか最悪 の結 果
其 の他 の重 要 な る太 平 洋 の諸 問 題 を犠 牲 と す る こと無 き を保 し 難 き
公明正大なる主張 の貫徹 に邁進し初め て克 く有利 に情勢を打開し得 に陥らん こと過去 の経験 に徴 して明なり乃ち帝国 は我 が要求 にし て
に於 て然 り
唯茲 に 一考 す べき は国 際軍 縮 会 議 の傾 向 に見 る如 く今 回 に於 ても
容 れられざらんか断乎条約廃棄 の挙 に出づる の決意 を以 て対処する
る べか らず 此 の際 之 を 排 撃 す る こと は軍 縮 を 成立 せ しむ る所 以 にあ
軍 縮 と共 に何 等 か の安 全 保障 を要 求 せ んと す る提 案 あ る を予 期 せ ざ
を緊要 とす 之 に対し帝国 の強硬 なる態度 は条約廃棄 を来 し製艦競争となり尋
ら ざ る を以 て某 程 度 迄 之 れ に応 ず る の用意 にあ る こと必 要 なり 然 れ
で戦争勃発 に至 るべしと憂慮す る向あ るも国際聯盟権威失墜 一般軍 縮会議及国際経済会議 の失敗、不戦条約無価値 の暴露等 に依り世界
に触 る る こと と な るを 以 て之 を如 何 な る程 度 に止 む べき や に就 き て
は 予 め十 分 の研 究 を 為 す の要 あ り
ど も此 の提 案 に応 ず る こと は引 い て我 れ の希 望 せざ る東 亜 の諸 問 題
三 、華 府 条 約 第 十 九 条 即 ち防 備 制限 条 項 は 陸 軍 と し て直 接 関 係 を 有
の平和機 構弛緩 せる今 日本条約 の廃棄は世界平和 に重大な る脅威を 競 争 に最 も不利 なる英国 は条約存続 に関する必死 の努力を試み何等
す る唯 一の問 題 な り
与 ふるを以て欧州政局 の緊張と経済恐慌と に困惑 せる各国就中製 艦 かの形式 を以て製艦競争 の実現を阻止すベし若 し万 一製艦競争 に至 ︹2 ︺
るも帝国 が西太平洋上 に於 ける守勢作戦を方針 とす る限 り艦船補充
て帝国 の提 案 を若 干 修 正 採択 せ ら れ た る も の にし て我帝 国 の国 防 上
抑々 本 条項 は華 府 会 議 の当時 帝 国 が比 率 六 割 を 承 認 せ る代 償 と し
問 題 の如 き国 際 的 重 要 問題 に対 し て は挙 国 一致 政 府 を後 援 す る如 く
に大新 聞 を監 視 す る と共 に機 会 を捉 へて之 等 新 聞 の幹 部 と懇 談 し 本
し て積 極 的 に本 条 項廃 棄 を提 案 す る こと有 利 な る場 合 な き を 保 し難
に は当 然 本 条 項 も葬 ら る ベき に依 り 寧 ろ 重 大 な る案 件 主 張 の代償 と
な り然 れ ども 会 議 不調 に終 り華 府 条 約 を廃 棄 せざ る べ から ざ る場 合
拠 地及 之 に伴 ふ設 備 の設 定 を制 限 す る如 く 改 正 を企 図 す る こと 必要
し為 之 に関 す る記 述 明確 な らざ る に鑑 み更 に本条 を修 正 し 空 軍 の根
な らず 第 十 九 条 に於 ては 当時 空 軍 の状 態 今 日 の如 く発 達 し あら ざ り
に於 て会 議 の経 過高 調 に達 す る に従 ひ時 と し て陸 、 海 の対立 を惹 起
の際 に比 し更 に 一段 の熱 意 を以 て之 に臨 む こと肝 要 な るを 以 て 一面
六 、 次 回 の会 議 に対 し て は既 に述 ぶ るが如 く陸 軍 は華 府 及倫 敦 会 議
り ては 当 初 よ り 会議 に参 加 せざ るを 寧 ろ有 利 とす る こと あ る ベ し
を繋 ぎ 得 ざ る場 合 及 軍縮 以外 の事項 を審 議 す る と き其 内 容 如何 に依
勿 論 な る も事 前 に於 て会 議 々題 を 予 知 し之 に依 り会 議 の前 途 に希 望
る問 題 を議 し 帝 国 を 圧迫 す る場 合 等 に於 て帝 国 が会 議 を脱 退 す る は
五 、会 議 進 行 中 に於 て帝国 の主 張 容 れら れ ざ る か或 は帝 国 の欲 せざ
指 導 す る の要 あ り
し殊 に比 島 独 立 問 題 を繞 り其 の根 拠 地 撤廃 を 以 て米 国 の主 張 貫徹 の
て編 成 す る準 備 委 員 会 を設 け常 時会 合 し て対 策 を練 ると 共 に感 情 の
す る こと 無 き を保 し難 し故 に成 る べ く速 に陸 、 海 、 外 務主 任 者 を以
従 って 次期 会 議 に於 ては本 条 項 の存 続 は大 に希 望 す る所 な る の み
有 利 な る条 項 な る 二と勿 論 な り
口実 に利 用 す る にあ らざ る や の疑 あ る に於 て然 り固 より 本 条 項廃 棄
ず る我 国 防 の安 固 性 の増 大 と を 比較 す れ ば寧 ろ前 者 の脅 威 大 な る べ
り と雖 も勢 ひ好 機 を逸 し消 極 的 と な る の虞 れあ り 宜 し く前 項 委 員 会
又 現在 に於 け る三 省 の宣 伝 工作 は相 互 の連 繋 に依 り之 を実 施 し あ
疎 隔 を未 然 に防 止す る こと 緊 要 な り
の結 果 ﹁グ ア ム﹂、 比島 及 香 港 の防 備 強 化 に依 り帝 国 に及 ぼ す 脅 威
き も 一面 守 勢作 戦 の場 合 を考 ふ れ ば空 軍 の発 達 せ る今 日 千島 、 小笠
の 一途 の方 策 に立 て列 国 の機 先 を制 し之 を実 施 す る の要 極 め て大 な
の増 大 と 千 島 、 小 笠原 、 奄 美 大 島 及臺 湾 に於 け る防 備 強 化 の結 果 生
原 、臺 湾 等 を貧 弱 な る臨 時 築 城 の儘 に放 置 し置 く の危 険 又極 め て大
り と認 む
︹3︺ 撤廃 に伴ふ対応 空軍が実現す る限り
︹2︺ 守勢 作戦は不同意
以下 の ︹1︺︱ ︹3︺は第 二課 により上部欄外に記されたものである。 ︹1︺ 不成立を見越して之 に応ず る対策 の樹立に直 に着 手するを要す
︹ 編者註︺
な るも のあ り故 に帝 国 が西 太 平洋 上 に於 て守 勢 作 戦 を 方針 とす る限 り 防 備制 限 の撤 廃 は其 の影響 極 め て大 なり と 思 考 し得 ら れざ る所 な [ 3︺ り 四 、 従来 帝 国 の会 議 外 交 は事 前 の準 備 殊 に輿 論 の指 導 に大 な る欠 陥 あ り し に鑑 み次 回 の会 議 に於 て は此 の点 に関 し 十 分 の考慮 を払 ふ こ
の論 調 は極 め て鋭 敏 に外 国 の輿 論 に反 響 を 与 ふる状 態 な る を以 て常
と 緊 要 な り而 し て近 時 我 国 力 の異 常 な る発 展 に伴 ひ国 内 の有 力 新 聞
五
( 昭和九年五月二十六 日 第二課 )
一九 三 五 年 海 軍 軍 縮 会 議 に 対 す る 方 策 に 関 す る件
原案 の方針及対策 に記述せる諸件以外 に左記事項を附 加す 一、会議決裂 の公算多き に鑑 み今 日より不成立 (延期をも含む) の 場合 を見越 して不成立 の責任を帝国 に於 て負担する ことなき こと建 艦競争 に処す ベき帝国 の態度等之 に応ず る対策 の樹立 に直 に着手す るを要す 二、会議 に関す る帝国 の態度 に関 し過早 に新聞紙 等に暴露 せざ る如 く十分 の戒慎を要 す (過般既 に次回 の会議 に際 し防備制限撤廃を辞 せず との件 に関し 新聞紙 に漏洩しあるが如 き厳 に戒むるを要す) 三、太平洋防備制限竝海軍軍備 の帝国国防 に及 ぼす影響 に関 しては 主務部たる第 一部 に於 て研究中なり
(
六海 軍 軍 縮 方 針 に 関 し 陸 軍 省 軍 務 局 長 の海 軍 省 軍
)
(六月 十 一日
せば 別 個 のも のとす る意 義 如 何
於陸軍省)
○ 日米 不 戦 条約 、 比島 独 立 問 題 等 は 軍備 問 題 と関 係 な き や あ り と
(答 ) 之 等 の問 題 に は触 れず と の例 示 に過 ぎず
○ 満 洲 国 承 認 同 海 軍問 題 とあ るは 如 何 な る意 味 なり や
(答 ) 支 那 問 題 を含 む も のと 考 ふ
の と考 へあ り や
務 局 長 に 為 し た る 質 問 及 之 に 対 す る 答 の要 旨
︹守︺
長 室 に於 て第 二部 長 及 第 四課 長 に説 明
六月十三日午後軍事課原中佐当部第 四課 (○ 一海 )軍勢力 (兵力量)と防備制限と の関聯なきや 陸軍 とし ては防備制限 を存続す る方針を採 らるゝは差支 へなし
(答) 兵力量と交換す る価値なし
(希望せず とせば)其 の理由
○海軍 とし て防備 制限 の条項 は存続を希望す るや希望す るとせば
○ 別個 に 日米 不 戦 条 約 、 紛議 解 決 に関 す る条 約 協 定 等 の締 結 を欲
し 日 米親 善 の見 地 に於 て切 り 離 し て之 を考 ふ る余 地 あ り
軍 備 の代 償 的 に之 等 条 約 を締 結 す る が如 き こと は 考 へ居 らず 但
(答 ) 前 述 の如 く之 等 は会 議 に於 て触 れざ ら ん とす る例 な り
○会議決裂 の場合 以外 に防備制限を撤廃 する場合ありや ( 例 へば
す るや
(答) 存続するは可なるも之 れに因り兵力量 を調節す るは不可
( 答) 此 の場合あるを考 へ居らず
海 軍兵力量増加 の為)
(答 ) 考 慮 す るも 可 な り
如何
○ 航 空 根 拠 地 制 限 と艦 載 航 空 機 と の間 には 関聯 あ る も のと 思 はる
(答 ) 防 備 制 限 問 題 と 一括 考 慮 す ベ き も の にし て 目下 具 体 案 な し
(三 ○) 航 空 根 拠 地 制 限 は希 望 せざ る や せず とせ ば 其 理由
○防 備制限撤廃 の場合我軍事費 (陸海軍 を含む)延 て財政上 に及 ぼす影響 に関する海軍 の考察 ( 答) 華府条約 に基 づく代艦建造 に要す る費用 と建艦競争惹起 の 為要す る費用と の間 には大 なる差異なし (○ 二東 )亜 に関する政治問題 の範囲を支那問題及露西亜問題 に及ぶも
(答 ) 民 間航 空 と の関 係 もあ り (以 上 の如 く答 解 せ し のみ にし て
(答 ) 前 述 の理由 を更 に繰 り 返 し た る後 要 す る に日 本 の要 求 は実
○ 現 有勢 力 を基 礎 と し制 限 す る を不 可 とす る理 由
質 的 の平 等 即 ち 一〇対 一〇 を希 望 す る も の な り
明 答 を避 く ) (四 ○) 現 在 の条 約 にて国 防 の安 固 を期 し 得 ざ る理 由
( 答 ) 本 提 案 に云 ふ平 等 は実 質 的 の平 等 にし て表 面 上 の平 等 に あ
○ 本 提 案 は最 後 の退却 点 の意 味 なり や
らず 然 ら ざ れ ば 国 防 の安 固 を期 し得 ず
( 答 ) 倫 敦 条 約 には 不満 な り 又華 府 条 約 は 不 十 分 な り加 之 爾 後 に
得 ざ る に至 れり
( 答) 見込なし
○ 本 提 案 が実 際 に於 て成 立 の見 込 あ り と判 断 せら る るや
於 け る国 際 情 勢 の変化 及艦 船 兵 器 の進歩 の結 果 国 防 の安 固 を 期 し
○ 何等 か の協 定 に達 す る こと を希 ふ や或 は 遮 二無 二決 裂 を欲 す る
見 た る と きは 如 何
の見込 全 然 なく 極 め て僅 か 比率 を下 ぐ れ ば 成 立 の見 込 あ る情 勢 を
○会 議 進 行 の途 上 実質 的 の平 等 要 求 た る日本 の主 張 を以 ては成 立
答 なし
○ 制 限 量 の大 体 の基 準 を知 り たし
や (答 ) 固 よ り協 定 に達 す るを 可 とす る も恐 ら く 決 裂 す る な ら ん (五 ○) 最 大限 度 と は総 噸 数 でか或 は艦 種 別 で か ( 答 ) 之 に関 し 未 だ省 部 間 の意 見 一致 を 見ず 恐 らく 両 者 の混淆 し た る も のなら ん (同 一兵 力 ? ) ○ 攻勢 的 軍 備 と防 禦 的 軍 備 と は 区分 可 能 な り や
(答 ) 航 空 母艦 の み に関 し ては之 を攻 撃 的 武 器 と 見 る こと に 一致
( 答 ) 適 当 時 期 に於 て 我提 案 を出 す べ き も 予備 交 渉 に大 な る期 待
か ざ る こ とヽ し ては如 何
○ 成立 の見 込 な し と せ ば 予備 交 渉 に於 て我提 案 を なし 本会 議 を開
( 答 ) 其 時 の国 際 情勢 に依 る
す べし其 他 の も の に関 し ては列 国 必 ず しも 意 見 一致 せ ざ る べ し
を有 せず
又 区分 に関 し列 国 の見 解 一致 す べ し と考 ふ るや
(答 ) 艦 船 の進 歩 国 際 情 勢 の悪 化 に依 る特 に蘇 支 両 国 の海 軍 兵 力
○ 同 一同 量 を必 要 とす る 理由
○ 我国 防 を安 全 にし 而 も 成立 の可 能 性 あ る案 は考 へ得 ざ るや
決 裂 の時 機 は情 勢 を見 て適 当 に判断 し たし
( 答 ) 国 際 情 勢 によ る 今直 に答 へ得 ざ るも其 の時 に決 心 し た し
も考 慮 に入 れざ る ベか らず ○ 比 率主 義 (大 小 は別 と し ) を 認 め た る過 去 の方 針 を 変更 せざ る
○海軍軍務局長附言
( 答 ) 限 度 あ り と 思 ふ寧 ろ競 争 は余 り大 なら ざ る ベし
(六 ○) 建 艦 競 争 の場 合 自 ら 限度 あ り や
べ か らざ る理 由 (答 ) 前 述 の如 く 艦 船 の進歩 国際 情 勢 の悪 化 に因 る現 今 は艦 船 の 航 続 距離 増 大 せ し結 果 地 の利 は其 意 義 無 く な り従っ て比率 主 義 は 採 用 し得 ら れざ る に至 る .
建 艦 競 争 と な り各 国 各々 軍備 を 拡張 し た る際其 大極 に於 て 日本 は必 ず し も 之 と同 等 の兵 力 を整 備 せ ん とす るも のに あ らず し て其
将 来 の海 軍 戦 は恰 も練 兵 場 に於 け る戦 闘 の如 く 敵 が 一〇の兵 力
大 極 に於 け る僅 小 な る兵 力 の差 は 忍 び得 べ し
を有 す れば 味 方 も 一〇の兵 力 を 有 せざ る限 り勝 利 の望 み な し 艦 船 の進 歩 に依 り 地 の利 は消 失 せ り
議
七
︹ 六 月 十 三 日 軍 令 部 よ り 持 参 の議 題 ︺
二、 廃 棄 通 告 と共 に予 備 会 商 に於 て来 年 の本 会 議 は倫 敦 及 華 府 両
条 約 の為 の会 議 とす る こ と に努 力 す る こ と
三、 予 備 会商 に於 て他 国 よ り太 平 洋防 備 制 限 を議 題 と す べき 提 議
六月十三日軍令部 より ﹁本会議議題 は倫敦条約関係事項及華府条約規 定 の主力艦、航空
な き時 は会 議 の推 移 に応 じ 情 況 に依 り我 方 より 之 を提 議 す る こと
題 母艦 に関す る問題とするを適当 とす る意向なるも他関係国より諸 種 の意向出づ る場合 には随時請訓 せられ度 し 尚華府条約 による 防備制限条項 を他国 より議題とすベき提議 あらば同意し差支 なき 意向なり 但東亜 に関す る政治問題を本会議 の議題 とす べからざる こと往電 一四〇号 の通 なり﹂ 右 の案 を六月十 三日軍令部 田結大佐持参参謀本部 の同意 を求 めら
る之 に対し当部 に於 ては研究 の結果条件 を附 して之 に同意す ること とし翌十四日第 四課長持参軍令部に至 り回答す 左
記
左記条件 の下 に本案 に同意 す 一、成 るべく速 に華府条約廃棄 の通告 を為す こと
八
太 平 洋 防 備 問 題
1、 比 島奪 取 によ る戦 争 指 導 を容 易 な ら しむ る とす る利 益 (政 治
◎比 島 作 戦 の意 義
的) 彼 我 主力 の海 戦 の前 後 によ り て差 あ り海 戦 前 に比島 作 戦 を 絶 対 的 に行 はざ る べか らず とす る理 由 なし 2 、西 方 経 済 路 の擁護
(昭和九年四月五日 ︹ 第二課︺ )
a、海軍条約と如何 に繋 がらす べきや
2、全般 の戦争指導 の観 点に於 ける問題
華府倫敦条約を廃棄 し昭和十年開催 せらるべき会議 に於 て新
問題 を論議する場合海軍 が軍備平等を主張す るものとし て研究 す
平等 の為 に制限撤廃 を海軍 が要求する場合
比率と防備 に限 り両問題は切り離す を要す るも最後 には比率
問題 の所望 の海軍勢力を保持する ことを条件 とし て譲 るを差支
物 資 を取 る為 比島 作 戦 を や るを 可 と す る も海 軍 力 健 在 せば之 を 行 ふ要 薄 し
なし
ず ベく之 れは政府殊 に陸軍省部間 にも十分理解 せしめ置く要あ
其他之 が為 に航空兵備 の充実及臺湾 に師団充実等 の必要 を生
ては比島作戦を やらずと云ふ様 なことを明暸 に云ふ必要 あり
撤廃 した場合 には陸軍 の作戦 は困難とな るを以て場合 により
3 、 海 軍 作戦 の援 助 海 軍 勝 利 の為 即 根 拠 地 覆 滅 及各 個 撃破 の為 に は必 要 な り
究
之 を せ ん じ つむ ると き は海 軍作 戦 の為 の必 要 が第 一な る べ しと 考 へら る ◎研
b、形式上は海軍条約 と防備制限条約 と別箇 のものとする の要
り
a、 比 島作 戦 の件
あり
1 、純 用 兵 上 よ り見 た る問 題
b、航空
限
海 軍 条 約 と防 備 制 限 は別 にす る を可 とす べし
c、 期
期 間 を 短 縮 す る を可 と考 へら る支露 除 外 の関 係 も あ り故 に海 軍 の場 合 より も 半減 位 を可 と 考 ふ d 、 航 空 制 限 も 広 東 方面 に対 し ても 何等 か の手 を 打 つ を 要 す
条 約 内 に入 る
(左 の中 の何 れ かを取 る )
覚 書 を 作 る こと 議事 ︹ 録 ︺ 中 に入 る る 調 印 の際 に声 明 す る こと 議 事 録 に のせ る こと
太 平洋 防 備 制限 に関す る件
( 昭和九年四月十四日 第二課)
軍 令 部よ り質 問事 項
九
一、太平洋防 備制限 に関す る約定は空軍 に関す る制限事項 を附加し
1 、航 空 制 限 の具 体 的事 項
︹1 ︺
2 、防 備 制 限 撤 廃後 の対策 は如 何 な る事 か
て依然之を存続 す ︹ 2︺
海 軍 の軍 縮 全 般 の研 究 は早 く も本 月末 迄 かゝ る べし
空 軍 に関 す る制 限 は別 に之 を研 究 す
二、 海 軍 々備 制 限 に関 す る約 定 と 太平 洋 防 備 制 限 に関 す る約 定 と は
第 一部 及 海 軍 省 の 一部 軍 縮 関 係 者 のみ にて研 究 中 な り 上 には未 だ
(編者)
以下 ︹1︺│ ︹ 5︺ までは欄外 に鉛筆にて記 された海 軍 意 見 で あ る。
︹欄 外 註 記 ︺
海 軍 側 答 は 本 月末迄 は来 らざ る ベし と の観 察 な り
後 は戦 さ が困 難 にな る位 の処 な り
海 軍 とし ては 防 備制 限 は第 二義 的 な る に つき研 究 十 分 な らず 撤 廃
何 も 云 ひあ らず
原 則 とし て 之 を別 箇 の も のと し防 備 制 限 に関 す る約 定 の有 効 期 限 は ︹ 3︺
長くも五年 以内 とす るを要 す
三、所望 の海軍勢力 を保有す る為情勢上万已むを得ざるときは太平 洋防備制限に関す る約定を撤廃す るを妨げず ︹4 ︺
但右撤廃 に応ず る対策 に関しては予め之を十分 に研究 し国防上違 算な か ら しむ 四 、締 約 国 が他 の締約 国 の領 土 又 は属 地 に脅 威 を与 ふ る如 き 軍事 的
なす
︹5 ︺
施 設 を第 三国 内 に施 設 せざ る こと に関 し何 等か の型 式 を 以 て約定 を
六 月 二 二 日岩 下 大 佐 来 訪 課長 へ述 ぶ 大 体同 意
一、 第 三 課異 存 なし 二、 五 月 十 五 日第 二課 長 軍 令 部第 一部 に説 明 す
る や 疑問 也
︹1 ︺ 趣 旨 と し て同 意 な るも 空軍 制 限 条 項 を加 ふ るも効 果 を収 め 得
︹2 ︺ 研 究 の結 果 は通 報 せら れ度
が目 標 な り 、 甚 まず け れば 五年 な るや も知 れず
︹3 ︺ 出 来 う れ ば可 な る も原 則 と し て分離 困難 なら ず や海 軍 は十 年
︹4︺ 制 限 撤 廃 せ ば 比島 作 戦 を やら ぬと 云 ふ陸 軍 の意 志 と 誤解 し あ
撤 廃 後 先 方 が何 も せず と も某 程 度 迄 は増 強 の要 あ り 其 以 上 は相
り し も課 長 の説 明 にて諒 解 す (作 戦 が 困難 の度 を増 加 す )
対的なり ︹ 5 ︺ 同 意 な るも 形 式 を如 何 にす べき や を考 へ度
一〇
(昭和 九 年 六 月 二十 二 日
一九 三 五 年 海 軍 軍 縮 会 議 に 関 す る 件
参謀本部 は左記方針 により来 るべき海軍軍縮会議 に関 し陸海軍延 一、帝国 は成 るベく速 に華府会議 に於け る海軍軍備制限条約廃棄 の
て国論を指導す るを要す
二、予備会商 に於 て来年 の本会議 は之 を華府及倫敦会議 に於ける海
通告をなす 軍軍備制限条約 の内容 に関する会議 たらしむ ることに努力す ことに努 む
三、帝国 は右本会議 に於 て万難 を排 して所望 の海軍勢力を保有す る 陸軍は極力海軍 の右目的達成 を支援す るときは太平洋防備制限 に触 れざ る協定 の成 立を見 ることあるを妨
四、本会議 に於 て所望 の海軍勢力を保有する為情勢上万已むを得ざ
導くを有利 とす
げず然 れども成し得れば更に空軍制限を含む防備制限協定 の締結 に 五、会議 不成立 に際し執 るべき対策を速 に研究 し之 に関する会議事 前 の工作 に著手す
第 一部 )
一一
一九 三 五 年 海 軍 軍 縮 会 議 に 対 す る 方 策
五 、以 上 の如 く 本会 議 成立 に極 力 努 力 す と雖 前 記 方 針 第 一項 に示 す
(︹参 謀 本 部 第 二部 ︺)
目 的 を達 成 せざ るか 或 は第 二項 に示 す 東亜 の諸政 治 問 題 に触 れ ん と
に導 く を有 利 と す
一、帝国 は華府及倫敦条約 に依 る不利 なる拘束を脱却し国防 の安全
す る際 に於 て は帝 国 は随 時 会 議 よ り脱 退 す る の決 意 を以 て之 に臨 む
針
を確立す
六 、会 議 成 否 の如 何 は 一に懸 り て外 務 及 軍 部 の断 乎 た る決意 と国 民
方
二、海軍軍縮問題 に直接関係 なき諸問題特 に東亜 の政治問題 に触 る
共 に之 等 機 関 の 一致協 力 の下 に宣 伝 工作 を統 一す
輿 論 の 一致 に存 す る に鑑 み陸 、 海 、 外 務 の連 繋 を益々 密 接 にす る と
七 、会 議 不成 立 に際 し 執 る ベ き対 策 を速 に研究 し之 に関 す る会 議 事
策
一、帝国 は成 るべく速 に華府条約中 の海軍軍備制限 に関す る条約廃
前 の工作 に着 手 す
対
ることは之を排 撃す
二、予備交渉 に於 て来年 の本会議 は之を華府及倫敦会議 に於ける海
一九 三 五年 海 軍 軍縮 会 議 に対 す る 方策
棄 の通告をなす
三、帝国 は右本会議 に於 て万難を排し て所望 の海軍勢力を保有す る
軍 軍備制限条約 の内容 に関す る会議 たらしむる ことに努力す
補 遺 (陸 軍 以 外 に発 表 せざ るも の)
一、陸 軍 は大 所 高 所 の見 地 に基 き海 軍 の主 張 を公 正 なら し む る と共
に 一度 会 議 に 対す る帝 国 の方策 決 定 す る に於 ては極 力 海 軍 を支 援 し
陸軍 は極力海軍 の右目的達成を支援す
ことに努む 四、本会議 に於 て所望 の海軍勢力を保有する為情勢上万已むを得ざ
海 軍 の要 求 す べ き兵 力量 に関 し ては 国 際 情勢 と陸 海 協 同 の国 防
国 論 の統 一を図 り以 て主 張 の貫 徹 に努 む
然 れども成し得れば更 に空軍制限を含 む防備制限協定 の締結
るときは太平洋防備制限 に触 れざ る協定 の成立を見 ることあるを妨 げず
的 見 地 に基 き十 分 之 を 検 討 し て我 田引 水 案 たら し めざ る こと 肝 要
カッコ内 の字句 は第 二課が削 除し傍点 のついた字句は第 二課 が加筆した も のである
︹ 編者註︺
又 爾後 会 議 の推 移 に伴 ひ海 軍 部 内 の感 情 激 昂国 論 の沸 騰 等 に影
なり
響 せら れ て海 軍 の主 張 感情 に走 り或 は 其 主 張貫 徹 の為 盲 目 と な り
より 之 を公 正 なら し め 一度 我方 策 決 定 す る に於 ては極 力 之 を 支 持
し 場合 に於 て も陸 軍 は 常 に大 局 の着 眼 に基 く機 宜 に適 す る 助 言 に
す る を要 す 二、 他国 よ り 一般 的 安 全 保障 問 題 の提 議 あ り し 場合 に於 ては 延 て之 が東 亜 の政 治 問 題 に触 るる (の理 由 ) を 以 て断 乎排 撃 す (然 れ ど も 英 又 は米 と個 別 的 且秘 密 に不戦 を協 定 す るは 敢 て不可 な きを 以 て先 方 よ り 此 の種 提 案 あり た る際 は之 を審 議 す る の用意 あ り) 三 、会 議 不 成 立 の公 算 多 き に鑑 み速 に事 前 の工作 に着 手 す る を要 す
(1) 会 議 不 成 立 の責 任 を帝 国 独 り負担 す る こと なき 為 の工作
之 が為 差 し方 り速 に研 究 を要 す る事 項 左 の如 し
(2) 英 米 を 離 反 せ し む る の 工作 而 し て之 が為 親 英 を 可 と す べ き や 親 米 を可 と す べ き や は 一に (当時 の) 情 況 に依 るも 主義 とし て親
(3) 造 艦競 争 を可 及 的 に小 にし国 防 の安 全 を 確 保 す る の方 策 、 海
英 を可 と す
軍 の造 艦競 争 対策 に就 き ては陸 海 協 同 の全 般 的 国防 と国 家 財 政 の 見 地 よ り 十分 の検 討 を要 す 四、会 議 の推 移 に伴 ひ陸 、海 、外 務 の対 立 抗 争 を惹 起 す る の虞 な し と せず 特 に陸 、海 軍 部 の対 立 を 生ず る こと は延 て国 家破 滅 を来 す 所 以 な る こと を思 ひ事 前 の工 作 に速 に着 手 す る こと 緊 要 な り其 具 体 的 方 策 に就 て は速 に研 究 す
方
一二
針
(昭和 九 年 六 月 二 十 八 日
海 軍 々縮 会 議 に 対 す る 方 策
ず
参 謀 本部 )
んと す る の情 勢 と な るか 又 は東 亜 の政 治問 題 に触 る る の情勢 と な る
五 、本 会 議 に於 て我 国防 の安 全 を期 し 得 ら れざ る条 約 を強 制 せら れ
に於 ては帝 国 は随 時 本 会議 よ り脱 退 す
一、帝国は華府及倫 敦条約 に依 る不利 なる拘束 を脱却し国防 の安全
六 、 本会 議 に於 け る我 方針 貫 徹 の為 海 陸 両 軍並 に外 務 と の連繋 を緊
を確立す 二、海軍 々縮問題 に直接関係 なき諸問題 特 に東亜 の政治問題 に触 る
七、 会 議 不成 立 に際 し執 るべ き 対策 を速 に研究 し之 に関 す る会 議 事
一致 を招徠 す る指 導 施 設 併 に対外 工作 を 統 一す
密 な ら し む る と共 に此 等 機 関 の 一致 協 力 の許 に国 民 輿 論 の確乎 た る
る ことは之 を排撃す 一、帝国 は本年成 るべく速 に華府条約中 の海軍 々備制限 に関す る条
前 の 工作 に着 手す
策
約廃棄 の通告 をなす
対
二、予備交渉 に於 て来年 の本会議は之 を華府及倫敦会議 に於け る海 軍 々備制限条約 の内容 に関する会議 たらしむ ること に努力す 三、帝国は右 本会議 に於 て万難を排 して所望 の海軍勢力 を保有する 之 が為陸 軍は海軍 の主張 を支援 して右 の目的達成 に邁進す
こと に努 む 四、本会議 に於ける新海軍条約 に関しては空軍制限を含 む太平洋防 備制限協定 の締結 を希望す るも所望 の海軍勢力を保有する為情勢上 万已む を得ざ るときは太平洋 の防備制限 を除外す ることあるを妨げ
一 三
一、防備制限条項
︹ 軍縮 会議 海 軍 案︺
案
( ︹ 軍
令
部︺ )
に則 り右限度を低 下す る こと及攻撃的 軍備 は極力之を縮減 し防禦的
各国 の保有し得 べき兵カ量 の共通最大 限度 を規定し大軍縮 の精神
五、提
軍備 を整備し各国をして攻む るに難く守 る に不安な からしむるを本
華府条約規定 の防備制限条項 は帝国 に取 り有利なるも之 を以 て兵 力量を調節するには足らざるも のとす
七、協定 不成立 の場合 の対策
約共に効力 延長 を認めざ るも のとす
故 に華府条約 は速 に (遅くも本年末 日迄 に)廃棄 通告 を行 ひ両条
なり
を得ず締結 したるものにし て両条約共 に帝国国防 の安固 を脅すも の
二年を経過 して現在 の事態 に適 せず倫敦条約亦暫定措置 として已む
も通告遅延期間丈け効カを持続す而 して華府条約は締結以来已 に十
華府条約 は本年末日迄 に通告 せざ れば昭和十 一年末 日以降 に於 て
倫敦条約 は昭和十 一年末 日を以 て自然 に消滅 す
六、既存条約 の処理
前 に於 て之 を定む
旨 とす る ことを海軍兵力協定 の方針 とし具体的提案 は会議 に臨 む直
二、政 治 問 題 東亜 に関する政治問題 は本会議 の議題 とな さず仮令偶発的 に問題 となるも軍備問題 とは別個 のも のとなす (イ)満 洲国承認問題 (ロ)満 洲国海軍問題 (ハ)日米 不戦条約 (ニ)比島独立承認問題 航空機 の制限は艦船搭載航空機 のみ に限定す
三、航空 機制限
次期会議 に於 ては帝国国防 の安固を期 し得 る新な る協定 を締結す
四、会議 に対する根本方針
従 って国防 の安 固を期し得ざる条約 は之 を協定せず
るを以 て根 本方針 とす
今次会議 に於 て協定不成立 の場合建艦競争 の生起す ることあるべ きは予想 に難 からず而 して帝国海軍としては此 の場合数量的 に米、 英 と均等を保ち得ざ る ことあるも特長 ある軍備を整 へ以て国防 の安 固 を確保す べく之 が成算 を有す 八、予備交渉 に対す る方針 明年 四月を希望
予備交渉 に於 ける協定事項は (一)会議開催時期
題
華 府、倫敦両条約規定 の軍事条項 に限定
日英米仏伊 の五ケ国
(二)会議 地 巴里已むを得 ざれば倫敦 (四)議
(三)参加国 右諸項 を協定す る方針なり
予備交渉 に於 て兵力問題 に立入 り討議 する ことは今後 の情勢 に依 り決す べき も現状 に於 ては之 が討議を避 くる意嚮なり 以下は欄外に鉛筆にて記されたものである。︹ 編者︺ 六月 二十七日田結大佐持参説明 同 日第 二課長 より第 四課長 に説 明 六月三十日第 四課長 一部自筆にて写す 七月九日第 二課長 より次長 に説明す
意見 左記 の通
二
課
一、軍備 の平等権主張 を基礎とす る海軍 の方針には同意 を与ふるを
第
軍 縮 会議 海 軍案 に対 す る所 見 ( 昭九、七、一二軍事課)
国防 の安固 を期し得る範囲 に於 て次期軍縮会議 の成立を庶幾す る
七月十八 日
一四
は固より其所 なり然 るに今 次海軍案 を以 てせば会議 の決裂は必然 の
当然とす
勢と認めらる而 して決裂後 に来 るベき国際情勢 の悪化、造艦競 争 に 伴 ふ帝国財政 上 の負担 を顧慮 し此際海軍案 の再考 を促し何等 か協 定
条約締結 の見込ある提案 を再考せられ度
三、予備会商 に対する方針 に於 て兵 力量 の具体的問題に入るの可否
望 を述 ぶれば却て不利 なり
の再考を求むるは無意味なり又単 に協定 の成立を主 とす るが如き希
二、海軍 の案 は未 だ具体的提案 の体 をなし あらず之 に対し新なる案
成立を期し得 るの方策案出 方考慮す ること 細部 に就 て 一、提
東亜 に於ける政治問題 は本会議 の議題 と為 さず即ち
案
二、政治問題
を今論ず るは水掛論 に終 るべし唯々予備会議 に於 て速に本会議 の前
満洲問題、支 那問題 には触れざ るものとす 三、既存条約 の処 理に就 ては異存 なし
要す るに原則的には同意を与ふるを可 とす
途 に対す る見透しを付 け得 る如く工作 を進む るの着意を要す べし
帝国 の要 望 に鑑 み寧ろ予備交渉 に於 て進 で兵力量に立 入るを有
四、予備交渉 に対す る方針 利なりと思考す 以下は付箋の註記である。︹ 編者︺
論
一五
一 般
︹陸 軍 省 ︺)
海 軍 軍縮 問 題 に関 す る陸軍 大 臣 対談 要 旨
(昭 和 九 、 七 、 一九
に足 る公正妥当 なるも のたるを切要 とし少くも国際孤立 に陥 るの不
利 を避く ることに深甚 の考慮を払 ふを要す
甲
一、 現下 帝 国 の対 外 国 策 の基 調 は帝 国 の安 全 と 対満 国 策 遂 行 と を 目
乙 海軍案 に就て
華府条約 に於 ける防備制限条項 は帝国 に取り有利 なるを以 て成し
一、防備制限条項
標 と し列 国 と の間 に多 辺 的 親善 関係 を確 立 し 万 一の危 機 到 来 に際 し ても 其 の範 囲 を努 め て局 限 す る 点 に置 く を可 な り と信 ず
得 る限り之が存続 を希望す。
二 、 対満 国 策 を遂 行 し 満 蒙 の経営 に歩 武 を進 む る為 には尠 から ざ る 資 力 を要 し 日蘇 の関 係 亦 深 く 考慮 を要 す るも のあ り而 し て此 間 列 国
二、政 治 問 題
東亜 に於ける政治問題即ち満 洲支那等 に関する問題 は厳 に討議 の
と の間 に多 辺的 親 善 関 係 を招徠 せ ん が為 に は特 に対英 米 関 係 の調 整
三 、 此間 に処 し華 府 及 倫 敦 条約 の改 定 に臨 む には固 よ り既 往 条 約 に
三、会議 に対す る根本方針
範囲外 に置く
を緊 要 とす
依 る 不利 な る拘 束 は之 を脱 却 す べ き も帝 国 国防 の安 全 を毀 損 せざ る
国防 の安固を期 し得 る新なる協定 を締結すべく之 に反す る条約 は
之 を協定せず と云ふ根本方針 は全然同感なり
限 り 且東 亜 の政 治 問 題 に触 れ ざ る限 り に於 ては 力 め て国 際 情 勢 の悪 化竝 国 費 の増 大 を 避 く る の著意 あ るを 要 し 以 て有 利 な る解 決 を 図 る
軍縮 に対す る提案 、協定 不成立 の場合 数量的 に均等を保ち得ざ るも
一般論 に於 て述 ベたる所 に稽 へ特 に近き過去 に於け る帝国 の海軍
案
こと肝 要 な る ベ し
四、提
ん とす る か又 は東 亜 の政 治 問 題 に触 る る の情 勢 とな る に於 て は帝 国
工夫 に依 り国防 の安固 を確保す べき成算 ありと云ふ海軍 の所信等 に
四 、 従 って交 渉 中 我 国防 の安 全 を期 し得 ら れざ る条 約 を強 制 せ ら れ
は断 乎 決 裂 を 吝 む べ き に非 るも 我 の提 案 乃至 態 度 は 中 外 の首 肯 す る
照 し海 軍 の提案 中 に謂 ふ所 の兵 力協 定 の方 針 に就 ては尚 慎 重 に考量 を 加 ふ る こ とと 致 し度 く 少 く も 之 を 以 て唯 一最 後 的 のも のと なす や 否 に関 し ては篤 と 研究 を要 せん
華 府 条 約 廃 棄 通 告 には異 存 なき も 其 時 機 方法 に関 し ては慎 重攻 究
五 、既 存 条 約 の処 理
す る の要 あ る べし
寧 ろ 予備 交 渉 に於 て進 ん で兵 力 問 題 に入 る を可 と せざ る や研 究 を
六 、 予備 交 渉 に対 す る 方針
希望す
明
以下は付幾註記 である。︹ 編者︺
説
一、 本 案 は七 月 十 九 日午 後 五 時 軍務 局長 持 参 次 長 及 第 二部 長 に説 明 し 次長 は之 に同意 を与 へら る 二 、本 二十 日 海 軍 大臣 、陸 軍 大 臣 を訪 問 す る筈 に付 其席 上陸 軍 大 臣 は 本案 の主 旨 に依 り 対談 す る予 定 な り
本案 は 七月 二十 日 軍務 局長 よ り昨 日 次長 に申 上 げ 陸 軍 大臣 が十 分 に考究 せ ら る る資 に供 す る為 海 相 の来 訪 の機 会 に此 の主旨 にて善 く 先 方 の真 意 を慥 め隔 意 な き意 見 を交 換 さる る 為 の参 考 と し て提 出 せ
し事後 に閲 覧 し た るも のな り 一
部 (古 荘 ︹ 幹 郎︺)
ら れた る も のにし て本 論 が陸 軍省 の最 後 的意 見 に非 ず と の事 を承 知
第
第
二
課
(鈴木)
軍備平等権 の主張 には明確 に支持 を与 ふる ことを示す を要す
関聯 事項
軍備平等権 の主張 を支持す るや否や の反問 に会せば如何 に答弁す る目算 なり や 丙
日 ﹁ソ﹂開係 の現状、彼 我軍備 の懸隔 に鑑 み我陸軍 々備特 に航空
防空等 の為将来尚少からざる国費 を要す る事情 に在 り会議決裂 の場 合 には特に然 り
一六
(昭和 九 、 七、 二〇
海 軍 軍縮 に関 し 陸海 軍 大 臣会 談 要 旨
二 三 日 正午 陸 軍 省 よ り送 附
於 陸 軍 大臣 官 邸 )
﹁満 洲 問 題 の処 理其 他 のた め 相当 兵 力 の増 加 を 要 す る こと に同 感
一、 将 来 陸 軍軍 費 増 加 の要 あ る べき に関 し て は
なり﹂
一、 不 成 立 の結 果 海 軍 軍 備 が 予算 に拘 束 せら るる 場合 あ る べ き こと
﹁提 案 の内 容 には 三個 の条 件 を有 す る こと陸 軍 の見 解 の通 り具 体
一、 海軍 提 案 に関 し ては
的 提 案 の内容 は海 軍 内 に於 て も未 だ決 定 し あ らざ る が最 後 迄同 率
軍 費 を要 求 す る
﹁七 月 十 四 日海 軍 大 臣 より陸 軍大 臣 に手 交 し た る意 見書 を以 て陸
一、 華 府 条約 廃 棄 の協 議 を陸 軍 省 に提 議 せざ り し件 に関 し て は
様 な こと に は な ら ぬ積 り な り﹂
難 き も 海 軍 と し て は製 艦 競 争 のた め将 来 ど し〓
﹁陸 軍 軍備 に要 す る経 費 と の関係 は其 時 の情 況 によ り茲 に言 明 し
に関 し ては
但 し最 後 的 限度 に開 し て は未 だ決 定 し得 ず ﹂
を 要求 す る こ と は考 へ居 らず
一、 海軍 提 案 を主 張 す る こと によ り条 約 不成 立 に終 ら ざ る や に対 し ︹ 博︺ ﹁斎 藤 大 使 の言 によ れ ば米 国 は日 本 が ﹁パ リ テ ィ ー﹂ の標 準 引 上 げ を要 求 し米 国 が 日本 の攻 撃 を受 く る に非 ざ る や を懸 念 し あ る も
軍 省 に対す る下 相 談 と 了承 あ り度 ﹂
のにし て右 限 度 を 著 し く低 下 す べし と は 考 へ居 らず 従 て海 軍提 案 は米 国 軍 拡論 者 等 の意 表 に出 て 一般輿 論 は寧 ろ緩 和 せら るべ し と
(註 ) 条約 処 理 に関 す る意 見書 に し て陸 軍 大 臣 七 月 二十 日迄 持 ち
し と考 へあり
﹁大 体 は既 に海 軍 側参 議官 の了 解 を得 あ る に付改 め て開 催 の要 な
一、 軍事 参 議 官 会 議 開催 に関 し て は
居 り て下 僚 に示 さず
の こ と にし て 必然 的 に不成 立 に終 る も のと は考 へ居 らず 」
﹁国際 情 勢 の悪 化 は絶 無 と は 云 へず 又多 少 製 艦 競 争 を惹 起 す る こ
一、 会 議 不 成 立 の結 果 国際 情 勢 に及 ぼす影 響 及製 艦 競 争 に関 し て は
と あ る べ き も 八分 通 り は大 丈 夫 と考 へあ り斎 藤 大 使 の話 を聞 けば 此 の種 懸 念 も 軽 減 す るや に感 ず ﹂
陸海軍共同 の軍事参議官会議は必要 なき意見 なり﹂ 一、最後 に陸軍大臣より従来陸海軍間 の連絡 に稍遺憾 の点あるやに 聞及ぶを以 て今後共連絡 を密 にせられ度件を要望 し且陸軍としては 大体 の趣旨 に賛成 なるも条約不成立 に伴 ふ国際関係 の悪化 、製艦競 争 と財政 の開係及之 が陸軍軍備 に及ぼす影響等 に付深甚なる開心を 有し鋭意研究中な る旨 を述 ぶ 今後 数年間 の日米海軍力比較
(海軍大臣より参考書類 四部受領 ) 製艦費 に関す るも の 一九四二年頃 の日米 海軍勢力比較
三四年海軍現勢力
理
一七
(イ) 現 下 の国 際 情 勢 に鑑 み 華 府倫 敦 両 条 約 の不 利 な る拘 束 よ り
不利 と す る所 なく 徒 ら に之 に執 着 し て通 告 を 為 さ ざ る と き は反
も のな る を 以 て昭 和 九 年 中 に華 府 条 約 の廃 止 通告 を為 す は毫 も
立 し 帝 国 が所 要 兵 力 量 を 獲 得 す る に於 て は之 を 放棄 す る も差 支
防備 制 限条 項 は国 防 上 我 に不利 な る に あ らざ るも苟 も新 協 定 成
等 の防 備 は用 兵 上 十 数 年 前程 の価 値 を有 せざ る に至 れ り固 より
て も艦 船 、航 空 機 の進 歩 激 甚 な る 今 日 ﹁ガ ム﹂ ﹁ヒリ ツ ピ ン﹂
(昭 九 、 七 、 一四 )
︹ 海 軍大 臣 より 陸 軍大 臣 に 手 交 し た る意見 書︺
昭 和 九年 中 に華 府 条 約 の廃 止 の通 告 を為 す を要 す 由
脱却 し 一日 も速 に国 防 上 の不 安 を除 去 す る は帝 国 の最 も喫 緊 事 ︹ 齋藤内閣 ・首、外、蔵、陸、海相︺ とす る所 な り是 昭 和 八 年 十 二 月 二十 日五 大 臣 会 議 に於 て ﹁ 既存
(一) 国 防 上 よ り見 た る 考 察
条 約 期 間 満 了 後 我 が方 に不利 な る拘 束 を持 続 す る が如 き こと は
って彼 に乗 ぜら る る に至 る ベ し
質及量制限 }
らず 又米 国 の既 定 計 画 は 昭 和 十 四年 を期 し て補 助 艦 の大 部 分 を
為 さ ざ る べ し とす る は余 り に彼 を 下算 す る も のと 謂 は ざ る べ か
(ロ) 事 前 に通 告 を行 はざ れ ば英 米 は安 心 し て建 艦 競争 の準 備 を
な く 又協 定 不成 立 の場 合 は 華府 条約 と共 に之 を 消滅 せ し む ベき
帝国 の到 底 容 認 し能 は ざ る所 な り﹂ と決 議 せら れ た る所 以な り
力 艦
華 府 条 約 の主 た る 重 点 は
A)主
充 実 す る に在 る を以 て自 由 建 艦 の開始 時 機 遅 延 せば彼 我 の兵 力
(
(B) 補 助 艦 以 下 の質 制限
開 係 に於 て 我 に不 利 を来 す べし
宜 に適 す る も のな り
(イ) 帝 国 国 内事 情 に鑑 み昭 和 九 年 中 に廃 止通 告 を為 す は最 も時
(二) 国 内関 係 よ り見 た る考 察
(C) 防 備 制 限 の三点 に あ り而 し て今 回 帝国 の主 張 せ ん とす る所 は(A の︶ 質及量 を変 更 せ ん とす る に あり ((B の︶ 質 に も変 更 を及 ぼす こと あ る べ し量 は ロ ンド ン条 約 に規 定 せ ら る) 残 る所 は(C の) み にし て此 と
を行 ふベきなり
国内諸般 の事情廃止通告をなすに最 も適当 なる昭和九年中 に之
となる ことあるべく斯く ては国防 上由 々し き重大事なるを以 て
於 ては新協定 は成立 せず而も華府条約 は共 の儘存置せらるるこ
告を為 さんとせば国内的 に幾多 の困難予想 せら れ最悪 の場合 に
は単 に時機 の問題 なり若 し会議 に於 て協定 不成立 の場合廃止通
て円満なる協 定成立 の見込多からざるとに鑑 み廃止通告を為す
華府条約 の兵力 比率 に満足し得 ざると次期海軍軍縮会議に於
を悪 化 せし む ベき こと 明 白 にし て其 の利 害 亦自 ら 明 な り
測 は之 を認 む るも 協 定 不 成 立 の場 合 に通 告 を 為 す と き は 一層 之
(ハ) 事 前 の廃 止 通 告 は英 米 輿 論 を悪 化 せし む るな ら ん と す る観
廃 止 通告 を為 さ ん とす る時 機 を失 す る虞 あ るべ し
延 期 (実 は決 裂 ) の形 式 を 執 る場 合 に於 ては 帝 国 が 華 府 条約 の
議 の如 く会 議 期 間 ︹を︺ 延 し或 は曩 の世 界 経 済 会 議 の如 く無 期
︹ ジュネーブ︺ を 為 す こと と な り た る際 に於 ても 会議 が現 行 寿 府 一般 軍縮 会
ける廃止通告は何等 の障害 となるも のにあらず
(ホ) 事 前 の通 告 は帝 国 の企 図 を 暴 露 す と為 す論 あ る も帝 国 が比
断 的 基 礎 に基 き 立論 せ ら れ た る も の にし て意 に介 す る に足 ら ず
あ り と為 す 見 解 は 通 告 を為 さざ る場 合 英 米 は結 束 せず と す る独
(ニ) 事 前 の通 告 は英 米 を結 束 せし め我 を 抑 制す る に至 ら しむ 虞
(ロ)昭和九年 中 に廃 止通告 を為し て帝国 の決意 を表明す るは国
し て世 界 周知 の事 実 な り之 を以 て企 図 の暴 露 と為 す は 当 ら ざ る
率 変 更 の意 図 を有 す る こと は已 に海 軍大 臣〓 之 を声 明 せ る所 に
而し て万 一新協定成立することありとす るも昭和九年中 に於
て会議 に於 て我が態度 を強化するも のなり
内輿論を統 一し 一致団結不動 の信念 の下 に邁進す るに有利 にし
之 を 要 す る に 昭和 九 年 中 に華 府 条約 の廃 止 通 告 を 為 す こと は最
なり
意を疑 ひ輿論 の指導 上重大な る禍根 となる ことなしと断ず るを
も 時 宣 に適 し我 に不 利 な る同条 約 存 続 の必 要 は毫 も 之 を 認 む る能
若し廃止通告を為 さず会議 に臨まんか国 民は海軍及政府 の決 得ず又政府 の牢 固たる方針 と不動 の決定 と に依 れば輿諭 の指導
はず 尚 仏 国 の如 き 華府 条 約廃 止 の希 望 を有 す る国 の通告 を待 た ん
に於 て帝 国 の採 ら ざ る所 な り
︹以下 は付箋註記 である。 ︺
月 二十 三 日陸 軍省 よ り送 附
次 長 閣 下 には第 二部 長 よ り報 告 済
本 案 は七 月 十 四 日海 軍 大 臣 よ り陸 軍 大臣 に手 交 せら れた る も の七
(磯 村 )
と す る が如 き は 帝 国 の決 意 を逡 巡 せ しむ るも の にし て今 日 の情 勢
易 々たり (三)対外関係及会議対策上より見 たる考察 (イ)次期海軍軍縮会 議 に於 て華府条約全般 の改訂 を為 さんとせ ば事前 に廃止通告を為 さざ る可 からず仮令 予備交渉 に於 て同条 約改訂を議題 と為し得 たりとす るも法理上合 理的 のものに非ざ るを以 て会議 に於 て折衝紛糾する場 合等 に在 りては廃止通告 を 事前 に行はざ る限り華府条約 を議題 外に置 かるる虞 あり (ロ)若 し廃 止通告 を為 さずし て華府条約規定事項 に関し再協定
一八
案
希望す
寧 ろ予備交渉 に於 て進 んで兵力問題 に入るを可と せざるや研究を
軍縮 会 議海 軍案 に 対す る所 見 ( 昭和九、八、八 陸軍省)
華府条約 に於ける防備制限条項 は帝国 に取り有利 なるを以 て成し
一、防備制限条項 得 る限 り之が存続 を希望す 東亜 に於 ける政治問題即ち満洲支那等 に関す る問題 は厳 に討議 の
二、政 治 問 題 範囲外 に置く 国防 の安固 を期し得る新 なる協定を締結すべく之 に反す る条約 は
三、会議 に対す る根本方針
四、提
之 を協定 せずと云ふ根 本方針 は全然同感 なり 提案 に関しては五相会議 に於ける申合 の次第もあり具体的提案調 製 に方り所見 を述 ぶることとすべし 五、既存条約 の処理 華府条約 の廃棄通告を本年末 日迄 に行 ふは異存 なきも其 の時機等 に関 しては慎重攻究す るの要 あるべし 六、予備交渉 に対する方針
異存なし
一九
( 昭和九年八月十日 第一 部)
海 軍 案 海 軍 々縮 予 備 会 商 の 為 の 訓 令 案 に 対 す る意 見
二〇
(昭和 九年 八 月 二十 四 日
華 府 条約 廃 棄 の為 元帥 会 議 要 否 の件
原則 とし ては元帥 に御諮詢 あら せられ之 に奉答す るの手続を取 る 但形式的会合は必ず しも之 を要 せず 又右奉答 は閣議決定等に先
を要す ︹だ︺ つを要す 以下付箋註記である。︹ 編者︺ 軍事参議官会議は当然開催 せら るるも のと了解す
第 二課 )
二 一 来 る べき海 軍 軍 縮 予備 交 渉 に 対す る帝 国政
に於 て帝 国 政 府 は 帝国 主 張 の貫 徹 を図 る と共 に帝 国 国 防 の安 固 を期
一、 来 る十 月 頃 よ り 再開 せ ら るべ き 昭 和 十年 海 軍 軍 縮 会 議 予備 交 渉
結果関係国 が前記我方意向を応諾 せざ る場合若くは其 の諾否 の態度
の適当な る旨 を関係国側 に説示し右局面 に導 かんとす但し右交渉 の
続をなし次 で各国協力し て新協 定 の成立 に努む るの形式を採 る こと
のな るが故 に予備交渉再開後関係国 の合意 により之 が廃止通告 の手
(昭 、 九 、 九 、 六 )
し得 る範 囲 に於 て同 会議 の目 的 達 成 を容 易 な ら しめ ん こと を期 す る
を明 にせざる場合 に於 ては帝国政府は独自 の見解 により本年末迄 に
府方針
も のな り
本件廃止通告 をなすも のとす
旨
二、 帝 国 政 府 は海 軍軍 備 制 限 に関 し て は帝 国 国 防 の安 固 を期 し得 る
要
範 囲 に於 て 左 記要 旨 に依 り兵力 に関 す る協 定 を行 ふ を根 本 義 とす
(一) 各 国 の保 有 し得 べ き兵 力量 の共通 最 大 限 を協 定 す る こと
(イ) 軍縮 の精 神 を発 揮 す る為 右 限 度 を小 な ら し む る こと
(二) 右協 定 に当 り て は
(ロ) 攻撃 的 兵 力 は之 を極 力縮 減 し防 禦 的 兵 力 は 之 を整 備 し以 て各 国 を し て攻 む る に難 く 守 るに不 安 な から し む る こと 三 、 大 正十 一年 華 府 に於 て調印 せ ら れ た る海 軍 軍 備制 限 に関 す る条 約 は帝 国 国 防 上之 が存 続 を 不利 と し且 海 軍 軍 備 制 限 に関 す る帝 国 の 根 本 方針 に鑑 み本 年 末 日 迄 に之 が廃 止 通 告 を な す こと とす 尤 も 帝 国 は出 来 得 る限 り 友 好 的 且効 果 的 に今 次 予 備 交渉 を行 は ん と欲 す るも
昭和 十 年海 軍 軍 縮会 議 予 備 交渉 に於 け る帝
易 なら し め ん と す る に在 り
と共 に帝 国 国 防 の安 固 を期 し 得 る範 囲 に於 て同 会 議 の目的 達 成 を容
行 ひ各 関 係 国 の立場 及主 張 を明 な ら し め 以 て帝 国 主 張 の貫 徹 を図 る
激 化 せし む る を 避く ると 同 時 に関係 国 代 表 と充 分 な る意 見 の交 換 を
折 の予 想 せら るる に鑑 み右 交 渉 に依 り関 係 国 民 の輿論 を無 用 に刺 戟
同 意 せ る所 以 のも の は今 次 海 軍 軍縮 会 議 が重 大 事 項 にし て 且紆 余 曲
一、 帝 国 が本年 五月 英 国 政 府 申 入 に係 る海 軍 軍縮 予 備交 渉 の開 始 に
議 を行 ふ の準 備 な き揚 合 に於 ても 英 国 側 と適 宜 右 交 渉 を 行 ふ こと差
せ ら れ た し尤 も帝 国政 府 と し て は米 国 側 に於 て 万 一実質 問題 に付 論
議 を行 ふ の意 あ る こと を 明確 に せら れ以 て交渉 方 法 に遺 漏 な き を期
備 交渉 再 開 の劈 頭 に於 て帝 国 政 府 に於 ても 実質 問 題 に付 充 分 な る論
述 べ た る所 と の間 には 相当 懸 隔 あ り と認 め ら る る に付 ては 閣下 は 予
希 望 し来 れ る も米 国 政 府 に関 し て は必 ず し も 然 らず し て従 来米 国 当 ︹ 齋藤博︺ 路 者 の在 米 帝 国 大 使 に説明 せ る所 と倫 敦 に於 て米 国 代 表 者 の我 方 に
四 、英 国 政 府 に於 て所 謂海 軍 軍 縮 の実 質 問 題 の討 議 方 を 再 三我 方 に
項 に付 て も我 方 主 張 を 貫徹 す る に努 めら れ度 し
二二
二、 今 次 予備 交 渉 の複 雑 を 極 む べ き に鑑 み帝 国 政 府 は閣 下 の御 努 力
支 なき も英 国 が専 ら 交渉 を指 導 し 従 て我 立場 を不 利 な ら し む る が如
九、六 九 )、
に期 待 す る処 大 な る も のあ る処 右折 衝 に当 り ては後 掲 根 本 方 針 其 の
五 、今 海 軍 軍 縮 予備 交 渉 に於 て帝 国 政 府 は第 六号 所 載根 本 方 針 に則
( 昭
他 本 訓令 の趣 旨 を体 せら れ 又 海 軍専 門 事 項 に関 し て は首 席 海 軍 専 門 ︹ 岩下保太郎大佐︺ 委 員 の意 見 を徴 せら れ 度 し
り兵 力 に関 す る公 正 妥当 に し て帝 国 国 防 の安 固 を期 す る に足 る新 協
国 代 表 に 与 ふ る 訓 令
尚 交渉 の機 微 な る ベき に鑑 み其 の折 衝 振 に関 し て は閣 下 の裁 量 に
定 を遂 ぐ る の素 地 を作 り将 来 成 る べく 国 民負 担 の緩 和 を図 り 且各 国
制 限 条 約 実 施 期 間満 了 後 我 方 に の み不 利 な る拘 束 を 持続 し 又 は帝 国
間 の平 和 親 交 を 増進 せ ん こと を 期 す るも のな り而 し て既 存 海 軍 軍 備
き こと な き様 留 意 す る を要 す
る べし
依 り訓 令 の範 囲内 に於 て迅 速 且 適 切 な る措 置 を採 り 交渉 に善 処 せら
た る処 本 年 十 月頃 よ り再 開 せ ら る べ き 予備 交 渉 に於 ては未 解 決 の事
三 、 手 続 上 の問 題 に関 し ては 既 に主 要 関 係 国 と 一応 意見 の交 換 あ り
国防 を不利ならしむるが如き協定 を締結す るが如き ことは帝国 の到
減 し艦種毎 に各国 に対し割当量を定め帝国及米国 に対し右割当は
主 力艦、航空母艦を全廃 する場合亦之 に準ず
同量 とす
とを要求す るものな るも要すれば右協定兵力 の内容 に応 じ 一定期
(ニ) 帝国政府は成 る可く早き時機 に於 て新協 定兵力 に到達す るこ
六、海軍軍備制限 に関 する左記帝国政府 の根本方針は我方 の極 めて
底容認 し能はざる所なるを了し置 かれ度 し 重要視す る所なるを以て先づ以 て我が根本 方針 を提示し関係国特 に
国斉 しく之を享有し各国国防 の安 全感 を害す ることなく不脅威不
帝国は国家安全 の為必要 とする限度 の軍備を有する の権利 は各
るも のあるべき が故 に之等 の場合 に於 て我方会議対策 の大局上 に不
処今次交渉終止 の体様如何 は爾後 の国際情勢 に影響する こと甚大な
持越 し又は本会議不開催 に導 かんとす る事態 に立到るやも知 れざ る
八、予備交渉 の情況如何 に依 りては中途 にて交渉を打 切り本会議 に
間 内 に逐次該兵力 に到達 するを目途 とし協定す ることを考慮 し得
侵略 の原則を確立せんとす るも のにして大海軍国間に於 ける軍縮
利を招来 せしめざ る様特 に警戒 せらるべし
帝国政府 の根本方針 左の如し
英米 をして之を承認 せしむるに全力を尽されたし
の方法とし て各国 の保有 し得 べき兵力量 の共通最大限度 を規定す
九、仏伊両国間 の兵力均等問題 は未 だ解決 を見ず して今 日に至 れる
るを根本義とす 而 して之 が協定 に当 りては軍縮 の精神 を発揮する為右限度 を小
て機微 なるものとな るベきに付交渉 の中心を先づ英米両国 に置き我
次第 にて我方今次 の主 張と関聯 し帝国 の右 二国 に対する立場 は極め
方主張 が現下我が国民 の熾烈 なる要望 となり居 る点に出づ るものな
ならしめ且 つ攻撃 的兵力 は之を極 力縮減 し防禦的兵力 は之 を整備
る ことを充分説明し英米をして了解 せしむ るに努め又仏伊側 に対し
し以 て各国をして攻 むるに難く守 るに不安 なからしむるを基礎 と せざ るべからず之 が為高度軍備国 は他 に比し 一層大なる犠牲 を提
ては状況 に応 じ我方主張 の主要目的国 が英米 二国 に在 る旨 を説明し
供す ベきは勿 論なり 七、前記根本方針 の論議 に関聯し必要 に応 じ右根本方針 を前提 とし
る帝国 の主張 に鑑 み昭和十 一年末限 り之 を廃止す る帝国 政府 の方針
十、海軍軍備制限 に関する華府条約 は今次海軍軍縮予備交渉 に対す
さるる ことに付何等 の異議 を有 せざ る旨 を可然説明し置 かれ度 し
仏 伊両国間 の関係 に付ては直接関係国 の間 に適当なる妥結点 を見出
(ロ)航空母艦 は之 が全廃を主張す
なる処我方 に於 ては之が廃 止を為す も海軍軍備縮少 に関 する協定 を
(イ)主力艦 は会議対策とし て之 が全廃 を主張す ることを得
て左記含み の上具体的問題 に関する交渉 を開始 せらるべし
は乙級巡洋艦 、駆逐艦及潜水艦 と共 に 一括し て総噸数 を以 て制限
(ハ)主力艦 、航空母艦存置 の場合 に於 ては右両艦種及甲級巡洋艦
為 さざることを欲す るに非ず して関係国間 に公正妥当なる新協定 を
遂げ以て世界平和 の確立 に貢献 せんとす るものな り従 て今次予備交
す 此 の場合主 力艦、航空母艦及甲級巡洋艦 に付きては極力之を縮
渉 に於 て先づ以て我方根本方針 を提示すると共 に右方針 に照 らし華 府制限条約は之を廃 止す るのやむなき に到 るべきこと を関係国代表 者 に印象せしむるを適当な りと認む就 ては我方今次 の主張が現下国 民 の熾烈な る要望 に基く ものにし て帝国政府 としては早晩同条約廃 止通告を為す こと に決定 し居 る次第な るも他方帝国 は出来得 る限り 友好的且効果的 に予備交渉 を行 はむと欲し廃 止通告 は之 を差控 へ居 る実情 にして此 の際関係国間 の合意 に依り今年 中に之 が廃止通告 の 手続 をなし次 で各国協力して新条約 の成立 に努むる の形式 を採 るに 於 ては輿論 の緩和 に資する の効果尠 からざ るべき ことを適宜関係国 右 に対し関係国中特 に米 の如きは相当難色 を示すも のと予想 せら
代 表 に説 明せられ局面 を右 に導く様努力相成度し るるも英 国側 一部 に於 ては華府制限条約 の存続 に異論あるも のの如 く他方廃止通告後 二年 には締約国全部 に関 し同条約 の廃止を見 るに 至 るべきも のなるが故 に寧 ろ爾後 の交渉を友好的雰囲気裡 に進展 せ しむ るの点 に思ひを致 し各国共同し て昭和十 一年末 日迄 に本条約 を 但 し右交渉 の結果関係国 が我方提議を応諾 せざ る場合若は其 の諾
廃止す るに同意 する様勧説 せられ度し 否 の態度 を明 にせざる場合 には帝国政府は本件 に関 し帝国独自 の見 解 に依 り本年末迄 に廃 止通告 を為す べきは勿論 なり 十 一、本訓令 の趣旨以外 に亘る事項及本訓令 の趣旨 に拠 り難 き事項 に関しては随時請訓せられ度 し
二三
総 長
殿
昭和九年九月 六日 参 謀
予 備 交 渉 帝 国 代 表 に 与 へら る る 訓 令 中 統 帥 奏 上 の件 通 牒
軍 令 部 総 長
事 項に関 し
予備交渉帝国代表 に与 へらるる訓令 中統帥事項 に関し 奏 上の件通牒 首題 の件 別紙奏上書写 に依 り来 八日総理大臣 の訓令内奏 に引続 き (別紙添)
当 日午前 十時 奏上可致候 ( 終)
予 備 交 渉 帝 国 代 表 に 与 へら る る 訓 令 中 統 帥
主力艦 の全廃は英 、米等 の従来 の主張及独、仏、伊、蘇其 の他
二四
奏 上 の際 の奏 上 書
主力艦 を有す る諸国 との関係等 に鑑 み実現 の可能性は極めて小な
事 項 に関 し軍 令部 総 長
謹 みて本年十月倫敦 に於 て開催 せらるべき昭和十年海軍軍備制限
りと認 めますが万 一該艦種 の全廃 が実現す る場合 は常備兵力竝に
(昭和 九年 九 月 八 日)
会 議予備交渉 に参列 の帝国代表 に交付 の訓令中統帥 に関係 ある海軍
教育訓練 の内容等 に関 しまして改善を要 します
事項 に就 き 奏上致します 右訓令中統帥 に関係致しまする海軍事項は
(二)航空母艦は寿府 一般軍縮会議 に提案 致しまし た通各国 一律 に
量 の最大限度 を共通 とし且成 るべく之 を低く規定する
第 一には 会議参加各国特 に帝国 と米国と の保有 すべき海軍兵力
はありませぬが会議 に対す る帝国 の根本主張 を強固ならしむる為
但 し航空母艦 の全廃 は兵力量均等なる限 り帝国 の作戦上有利 で
之 を全廃す べきを主張致します
之 が為
ことで御座 ります (一)主力艦は情 況に依 りましては会議対策として各国 一律 に全廃
備 を必要と致します
該艦種金廃 が実現す る場合 には特 に常備兵力中 に於 て特種 の準
攻撃的艦種として之 を主張 せんとする次第 で御座 ります
す べきを提議す る場合 が御座 ります 但 し主力艦 は海上兵 力 の根幹 でありまし て大海 軍国 の地位を保
割当量 を定め帝国及米国 の割当量を同量 と致 さんとするも ので御
して総噸数を以 て制限し且甲級巡洋艦は極力之 を縮減し て各国 の 座 ります
(三)主力艦及航空母艦 を全廃す る場合 には甲級巡洋艦以下を 一括
て其 の実現を希望せざ る真意 で御座 ります るが帝国 の根本主張を
(四)主力艦及航空母艦 を存置す る場合には甲級巡洋艦以下と共 に
又作戦 上の見地より致しましても之 が全廃は帝国 に不利 なるを以 強固ならしむ る為情 況要す る場合 に之を提議せんとす るもので御
持す る為、又彼我兵 力比を戦時 にも平時 と大差なからしむ る為将
座 ります
一括 して総噸数を以 て制限し且主 力艦、航空母艦及甲級 巡洋艦 は 極力之 を縮減して艦種毎 に各国 の割 当量 を定め帝国及米国 の割当 量 を同量と致さんとす るも ので御座 ります 第 二には 華府海軍軍備制限条約 の拘束 より速 に脱却する ことで御座 ります 華府海軍軍備制限条約 及倫敦海軍条約所定 の兵力量は艦船兵器及 航 空機 の発達、国際情 勢 の変化等 に依 りまして帝国国防上忍び難 き に至りました為 に右兵力 の協定 は帝国将来 の国防用兵上不利とする 華府海軍軍備制限条約中には太平洋防備制限条項 の如 き帝国 に取
処 で御座 ります り今尚有利 なる条項 が存在致 します るが其 の程度 は兵力量 を調節す るに足らざるも のと認めます 倫敦海軍条約 は何等 の処置 を講ず ることなく昭和 十 一年限 り消滅 海軍関係事項 は以 上の通 で御座りまして低比率 に基 く海軍兵力 の
致す規定 で御座 ります 協定 は帝国国防 上に及 ぼす不利ある に加 へ東洋平和 の不安定 を招来 致 します るの事実に鑑 みまし て明年 の海軍軍備制限会議 に於 ては帝 国将来 の国防 に不安 なき協定を遂げんとす るもので御座 ります
博
恭
王
之 を要しまするに訓令中 の統帥事項は国防用兵上適 当と認 めます 昭和九年九月八日
右謹 みて 奏上致 します 軍令部総長
二五
︹ 参 謀 総 長 ︺上 聞 案
海軍軍備制限会議予備交渉帝国代表 に対す る訓令中統帥事項 に関す る件 昭和 九年十月倫敦 に於て開催 せら るべき海軍 々備制限会議予備 交
謹 みて 渉 に参列 の帝国代表 に対す る訓令中陸軍作戦に関係あ る左記二項 に 関し按ずる に 一、会議参加各国特 に帝国 と米国と の保有す ベき海軍兵力量 に付之 が比率を廃し共通 の保有最大限度を成るべく低度を以 て規 定す るの 件 に関し ては縮 減 に伴 ふ諸般 の対策 にして実現 せられ且陸海軍 の協 二、華府 海軍軍備制限条約 の不利 なる拘束 より速 に脱却す るの件 に
同緊密なる に於ては陸軍作戦上支障 なきものと認む 関し ては該条約中 には陸軍として存続 を有利とす る太平洋防備制限 条項 の如きを存 すと難所望 の海軍勢力 を保有す る為 大勢 上速 に此拘 束より脱 却す るは全局 の考察 に基 き支障なきも のと認む而 して脱却 右謹 みて上聞す
の実現 に伴 ひ所要 の対策を講ず る の要あ るも のと認 む
昭和九年九月八日
参謀 総長
載
仁 親
王
二六
総
務
部
長
(︹参
謀
昭 和 十 年 海 軍 軍 縮 会 議 に 対 す る 宣 伝 の件
在 外武 官 宛 (十 月 十 八 日発 電 )
昭和 十 年 海軍 軍 縮 会 議 ニ対 ス ル宜 伝 ニ関 シ国 外現 地 ニ於 テ ハ在外 公 館 ヲ中 心 ト シ館 附 陸 、 海 軍武 官 ト聯 絡 ノ上之 ヲ実 行 スル コト ニ外
キ任 地 ノ武 官 ハ ︹ ︺ 内 ヲ除 ク) ︹ 海 軍 武 官 卜 一致 協 力 シ テ︺ 在 外
務 、 陸 、 海 軍協 議 決 定 ヲ見 タ ル ニ依 リ之 ニ関 シ貴官 ハ (海 軍 武 官 ナ
シテ ハ十 月 十 五 日附 外 務電 一、 一二七 号 ヲ参 照 セラ レ度
公 館 ヲ輔 佐 シ貴 任 国 ノ輿 論 啓 発 ニ努 力 セラ レ タ シ追 テ之 が要 項 ニ関
本
部 ︺)
二七
︹ 華 府 軍 縮 条 約 廃 棄 手 続 ︺覚
今回 の華府会議軍縮条約廃棄手続 に関し陸海軍合同元帥会議案を 可とす る意見 は従来と変化なし而 して最悪 の場合即 ち軍令部 が陸海 軍合同元帥会議案を拒 否して飽迄海軍単独軍事 参議会案 を固執せ る 会御諮詢 に関す る軍令部総長 の正式協議を行 ふに於 ては該条約中 の
場 合参謀本部 とし ては軍令部 が先づ左記条件を承認 し海軍 単独参議
記
に異存 なき旨参謀総長 の正式 回答を発し陸 軍元帥会議 への御諮詢を
陸軍関係事項 に関し ては陸海軍 に於 て所要 の対策 を講ず る限り廃 棄
左
奏請す ることなし 一、海軍単独参議会 に対する御諮詢案竝同会議奉答案 は実質上陸軍 こと
と密接 なる関係 あるを以て予 め軍令部総長 より参謀総長 に協議する 二、今 回 の廃棄手続は新軍縮条約締結 の為 の前例となさず新条約締 尚陸 軍部内 に於 ては右 の参謀総長 正式回答 に先 ︹だ︺ち予め今回
結 に当 りては其重要性 に鑑 み陸海軍合同元帥会議 とす ること の手続 に関 し陸軍元師及陸軍大臣 の承認を求むるを要す
( 昭九、九、二七 ︹第一部︺ )
二八
榎 本 ︹重 治 ・海 軍︺ 書 記官 手 記 )
元帥 府 、 軍 事参 議 院 所掌 事 項 (九 、 九 、 三
時 は之 を置 かれざる こと有 るべきを以 て平戦両時 を問 はず常 に重要
元帥府 をして此任 に膺らしむべしと の議 あるべきも元帥 は其 人なき
両者 の聯〓を糾合し確実 ならしめざ る可らず或は軍事最高顧問 たる
元 帥 府 は陛 下 の軍 事 上 に於 け る最 高 顧 問 な るを 以 て其 本 質 上 所 掌
軍 事 の諮詢 に応ず ベき参議機関 の設置 は至当 の事 なりと思惟す
(一) 官制 上具 体 的 に之 を定 め た るも のな し
事 項 は 統 帥事 項 に限 ら る る こと なく 一般 軍 務 に及 び得 る も のと解 せ
軍 の司令官及艦隊 の司令長官 たるべき将官 をし て予め戦時指揮す べ
海両軍老巧卓抜 の将官を以 て之 に擬 せざ るべからず 、而 し て戦時 に
総長 軍令部総長及戦時 軍 の司令官 、艦隊 の司令長官 たる将官其他陸
此 の参議機関 の議官は機関 設置 の目的 に基き元帥陸海軍 大臣参謀
らる 軍 事 参 議 院 は帷幄 の下 に在 り て重 要 軍 務 の諮詢 に応ず る所 な るを
依 て 二者 の所 掌 事 項 の間 に広 狭 の差 あ る が如 し と雖 も官 制 の所 期
き団隊 の能力を知らし めんが為め之をして其検閲を行 ひ又機動演 習
以 て共 所掌 事 項 は統 帥 に関 す る事 項 に限 ら る る が如 し
の と解 す るを穏 当 とす
す る所 は 必ず し も然 ら ず 所 掌 事 項 に差 別 を 設 く る の趣 旨 に非 ざ る も
(参 考 )
華府条約批准 に際し ては元帥府 に諮詢 せら れたるも此 の事実 は同
(二)華府条約 の諮詢
艦隊演習若くは特別大演習 に於 て之を統監 し若くは 一方軍を指揮 せ し めら るるを要す⋮⋮
大 本 営 条 例 の改 正及 軍 事 参 議 院条 例 制 定 に関 す る奏 議 (明治 三十 六年 十 二月 ) ⋮ ⋮現 行 の軍 事 参 議院 条 例 は蓋 し 両 軍 の糾合 聯〓 を維 持 す る の主 旨 を以 て制 定 せら る る も の な るも 其 参 議 官 は陛 下 の帷幄
今日 に於 て最 も適当と認めらるる機関 に諮詢 せら るるを至当とす
条約廃止を同 じく元帥府 に諮詢せらるべしとの結論 とは為らず
利 害 得 失 を 研究 し之 を 調 理 一致 せ し む べき 性 質 を 有 せず 、宜 しく 之
華府条約 の廃 止 の諮詢 は其統帥事項 に関す る点 に付 てせら るるも の
に参 議 し 各 自 の意 見 を呈 す べき も のに し て意 見 の異 同 を討 議 し其 の
に代 ふ るに利 害 を討 究 し 衆 議 を 一定 す べき 一の参 議機 関 を置 き以 て
に外 なら ざ るを 以 て縦令 軍 事 参 議 院 の諮詢 事 項 が元 帥 府 に比 較 し て 狭 少 な り と の見 解 に従 ふ も華 府 条 約 廃 止 を軍 事 参 議 院 に諮詢 せら れ 差 支 な し 況 んや 元 帥府 と軍 事 参 議 院 と は 其所 掌 事 項 に差 別 を 認 む る 根 拠 なき に於 てを や (三) 尚 元 帥 府 は 陛 下 の最 高 軍 事 顧 問 にし て其 行 動 は 必 ず し も 諮詢 を 俟つを要 せざ るも のと解 せ ら る る を以 て元帥 府 が自 発 的 に軍 事 に関 し 其 意 見 を 上 奏 す る こと あ るも 之 を拒 否 す る の理 な き が 如 し
以下は欄外 に註記 されたも の。︹ 編者︺
︹九 月 五 日︺ 軍令 部 田結 大 佐 よ り第 一課 長 に説 明 せ し際 参 考 の為 手 交 せら れ た る も のな り
予 月
(イ)元帥会議開催竝に廃止通告 に 関し参本と協議 (ロ)第 一部長陸軍元帥訪問説明
政
府
元 枢
府
帥 及其
(九 、 一〇 、 二 ︹軍 令 部 ︺)
華 府 海 軍 軍備 制 限 条約 廃 止 通告 手 続 覚
非 公 式 軍事 参 議 会 よ ( り 通 告 実施 迄 の期 間 .)
1
諸手続 に関し侍従武官府と打合せ
部
2
(イ)元帥府に御諮詢奏請 の件海軍 大臣 に商議 (ロ)同じく参謀 総長 と連名奏請 の 件参 本 に協議
令
3
非公式海軍軍事参議会開催
軍
4
元帥府 に御諮詢奏請
定
5
序
二九
日 順
一四 〇 〇
一〇︱ 二 九 (月 ) 一一〇〇 同
府 他
同
日
日 次
一〇︱三一 ( 水) 一 一〇 〇
同 次
6
奉答文 を両総長 に閲覧 せしめらる
元帥会議 に於 て総長 ( 第 一部長代 理)説明
両総長 召 に依 り参内御沙汰拝受
海軍大臣 に対し ﹁御諮詢奏請 の実 施 及奉答 文の閲覧を賜 ひたるに依 り之を総 理大臣 に閲覧 せしめられ 度奏 上実施 の旨﹂通牒
両総長参内 奉答文 を内閣総理大臣 に閲覧 せし められ度奏上
7
8
9
10 11 12 13 14 15 16 17
奉答文 を総理 に閲覧 せしめら る 総理覆奏 (前例 により右案 文を省部協議) 総理枢府 に御諮詢奏請
総理大臣 に下付 廃止通告実施
(イ)元帥府 に御諮詢 (ロ) 元帥会議 に於 て審議 次で奉答
枢府 に御諮詢
枢府 奉答
御裁 可
(元帥 会 議
三〇
者
明
( 欠 席 者)
(︹軍
総 長
令
部 ︺)
(山下 ︹ 源太郎︺大将)
(上原 ︹勇作︺元帥)
(先任元帥 の意見 に依り) 参 謀
部
長
軍 令
奥 ︹ 保鞏︺元帥
軍令部第 一班長 ︹ 齋藤 七五郎少将︺
参謀本部第 一部長 ︹黒澤準少将︺
先任元帥 の命 に依り庶務取扱者
参 列
︹ 元 帥 会 議 、 海 軍 軍 事 参 議 会 の先 例 ︺
大 正 一 一︱三︱ 三 〇 ) 華 府条 約 当 時 の例
兵 力 及 防 備 に関 す る事 項 を専 ら政 府 当 局
条 約 と統 帥 事 項 に関 し 執 れ る処 置 一、 大 正 一 一、 三 、 三 〇
事項、
のみ を し て処 理 せ し む る は統 帥 関係 上許 さ る べき にあ らず とし 海 軍
﹁条 約 中兵 力 及 防 備 に関 し 帝国 の国 防 に及 ぼ す関 係 ﹂
側 よ り提 議 し ︹ 海 軍 軍 令︺ 部 長 、 ︹ 参謀︺総長連名にて
に付 御 批 准 に先 ︹だ︺ ち 元 帥 府 に御 諮詢 奏 請 (上奏 書 、御詢
(二)説 井上 ︹ 良馨︺元帥
(三)奉 答 国防上支障なき旨復奏 ︹ 加藤友三郎︺ ︹ 山梨半造︺ 三、軍令部長 より海軍大臣 へ、参謀 総長 より陸軍大臣 へ事前 の商議
海陸軍各別 に関係事項 に就き説明す
長谷川 ︹好道︺元帥
者
御 参 考 用条 約 文 訳 文 一括捧 呈 )
合
貞愛親王 ︹ 伏 見宮︺
(一) 会 者
二 、大 正 一 一、 三 、 三 一 元 帥 会 議 開 催
出席
東郷 ︹ 平八郎︺元帥
四、大正 一一、四、七
及事後 の通牒 をなす
︹ 高橋是清︺ 軍部大臣 より内閣総理大臣に移牒 す 川村 ︹ 景明︺元帥 元 帥 載 仁 親 王 ︹閑院 宮 )
六 調印
華 府 条 約 大正十 一年二︱
昭和九︱ 一〇︱ 二 (軍令部調)
三︱ 一八 協議 (総長←陸相、部長←海相)
日御諮詢
(元帥府 に御諮詢奏請 (総長 部長連名)即
帥往訪
三︱二五 内示 (総長← 元帥 、部長←元帥) 一班長各元 三︱三〇 三︱三 一 元帥会議開催 、復奏 枢府本会議 、奉答 、御批准奏請、御批准
四︱ 一八 枢府 に御諮詢奏請 、即 日御諮詢 五 批准 ︹書︺寄託
六︱二九 八︱ 大正十 二年八︱ 一七 公布、実施
海軍軍事参議会次第 (昭和五︱七︱二三)
倫敦海軍条約当時 の例 一、時刻諸員着席
五、質 議
問
二、開 会 ︹ 及川古志郎︺ 三、御諮詢事項 の朗 読 (軍令部委員﹁一班長﹂) ︹ 谷ロ尚真︺ 四、軍令部長所見陳述 六、討
会
七、修 正案採決 八、閉
三 一 ︹ 両 総 長 ︺奏 上 書
華府海軍軍備制限条約所定 の兵力及
博
軍 令部 総 長
恭
花押
二 、奏 上 了 り奏 上 書 及 御諮詢 事 項 書 は 一括 奉 呈 す
王
王
一、 口頭 奏 上 は奏 上 書 本 文 ( 総 長 御 名 ま で) のみ と す
覚
︹ 次は付箋註記 である。 ︺︹ 編者︺
防備 に関す る事項 の処理 に関する件 大正十 二年成立 の華府海軍軍備制限条約所定 の兵力及防備 に関す る事項 を昭和十 一年末限 り廃止す ること の帝国国防上 に及ぼす影響
親
行 はる
三 、右 一、 二 の実 施 は 両 総 長御 同 列 に て先 任 総 長 た る参 謀 総 長 之 を
王 花押
恭
載 仁
仁 親
王
に関 し同条約廃止通告に先 ︹だ︺ち元帥府に御諮詞あらせられ度 謹 みて奏す 昭和九年十月 二十九日 参 謀 総 長
軍令部総長 博 ︹ 次の文は上部欄外に墨書されたもの︺︹ 編者︺ 奏上 のことに協定す
昭和九年十月二十六 日
下記 の通
載
参 謀総 長
会
三二
一、時 刻 諸員 着 席 二、 開
元帥 会 議 次第 書
(議 長 ) 聖 旨 を奉 じ 只 今 よ9 元 帥 会 議 を開 き ま す ︹ 今井清中将︺ ︹ 島田繁太郎少将︺ 幹 事 と し て参 謀 本 部 第 一部 長 及軍 令 部 第 一部 長 を列 席 致 さ せ ます 三、 御諮詢 事 項 の朗 読
﹁朗 読 ﹂
(議 長 ) 先 づ 軍 令 部 幹 事 を し て御 諮詢 事 項 を 朗 読 せ し め ます (軍 令部 幹 事 )
四 、 軍 令 部総 長 海 軍 関 係 事 項 に就 き説 明
﹁説 明 ﹂
(議 長 ) 御 諮詢 事 項 に関 し 軍 令部 総 長 の所 見 を 求 め ます ︹ 軍令部第 一 部長︺ (軍令 部 総 長 ) 軍 令 部幹 事 を し て説 明 せし め ま す (軍 令部 幹 事 )
﹁説 明 ﹂
五 、 参 謀 総 長 陸 軍関 係 事 項 に就 き 説 明 ︹ 参謀本部 (議 長 、参 謀 総 長 ) 御 諮詢 事項 に関 す る参 謀 総 長 の所 見 は参 謀 本 第一 部長︺ 部幹 事 を し て説 明 せし め ます (参 謀 本 部 幹事 )
六 、質
問
﹁質 問 及 応 答 ﹂
( ︹ 軍
令
部︺)
( 議 長 ) 右 の説 明 に対 し御 質 問 はあ り ま せ ぬ か
﹁適 当 の時 機 に至 ら ば ﹂
議
( 議 長 ) 最 早 や 御質 問 な き も の と認 め ま す 七 、討
先 づ 軍 令 部 幹 事 を し て原 案 を朗 読 せ し め ます
( 議 長 ) 今 より 奉答 文原 案 の討 議 に移 り ま す
﹁朗 読 、原 案 を各 元 帥 に配付 す ﹂ ﹁討 議 を行 ふ ﹂
(軍令 部 幹 事 )
﹁適 当 の時 機 に至 ら ば ﹂
会
﹁奉 答 文 を 朗読 す﹂
( 議 長 ) 之 に て討 議 を 終 り ま し て奉 答 文 を可 決 致 しま す
八 、奉 答 文 案 可 決
( 議長 )
(議長 ) 之 に て会 議 を 終 了致 し ます
九 、閉
奉答書は御都合 を伺 ひたる上議長 より奉呈する ことと致 しま す ︹ 欄外註︺ 元帥府条例 に拠 り軍事参議院議事規程 を準用す
別室 に控 ふベき者
議長 は先任元帥 (閑院宮) 先例 にはなし 先例 によれば幹事 ︹には︺第 一部長 を任命 せらる
三三
︹ 元 帥 府 に︺御 諮詢 事 項
華府海軍軍備制限条約所定 の兵力及防備 に関す る事項を昭和十 一 年 末限 り廃止す ること の帝国国防上 に及ぼす影響
三四
説 明案 ( ︹ 軍令部︺ )
更 に満洲事変竝 に最近帝国 の経済 的躍進 に伴 ひ国際環境 の急変 は
の強化は兵術的距離 の短縮 と共に著 しく帝国を脅威する に至 れり
之 に反 し米国 は艦船航続距離 の延伸、海上航空兵 力 の進歩竝 に洋 ︹ハワイ︺ 上補給施 設 の発達等 に依り渡洋作戦容易 となり布哇 に於 ける根拠 地
至 れり
元帥 会議 に於 け る軍令 部 総 長
( 註) 軍令部幹事 (軍令部第 一部長) 依命陳述す べきも の 帝国海軍作戦 に於 て最も重要なる地位を占む る対米作戦 の方針 は 帝国国防方針 に基き開戦劈頭先ず敵 の東洋 に於け る海上兵力を掃蕩
米国 の外英国 、蘇国及支那 に対す る考慮 を増大す るの已むなき実情
す ると共 に陸軍と協同 して其 の根拠地を攻略 し以 て西太平洋を制御 し且帝国 の通商貿易 を確実 にし併せ て敵艦隊 の作戦 を困難ならしめ
特 に支那 の航空軍備 の拡大、蘇 国 の極東空軍竝 に海軍 の膨張 及英
に在り
国 の海軍政策就中新嘉坂根拠地 の強化等 は我海上作戦 に尠からざる
右作戦実施 に対し華府会議 に於 ては当時 の艦船兵器 の状態竝 に防
然 る後敵木国艦隊 の進出 を待 て之 を邀撃撃滅す るにあり 備制限及国際情勢 に鑑 み且主力艦、航空母艦 を対米 六割 とす るも爾
影響を及ぼす に至 れり
に戦機 を選ぶ ことを困難ならしめ且我潜水艦 の作戦 に困難 の度 を如
尚帝国 に有利 なり然 れども其 の程度は我兵力量調節 の代償とす るに
行機 の著しき発達 を見 たる今 日之 が実質 的効果 は大 に減じたるも今
華府条約中防備制限条項 は其 の規定 に不明確 なる点 あるに加 へ飛
とは帝国国防上忍 び得ざ る所なり
従 て兵力 に関 する華府条約 の規定 を昭和 十二年以降 に持続する こ
余 の兵 力 に拘束 を加 へざ るを以 て作戦目的 を達成し国防 の安固を期 し得 るに足 るものとして協定 に応じたり 然 るに同条約 は成立以来既 に十二年 を経過し共 の間に於 ける科学
へ又夜戦奇襲 の遂行分撃等 の如き所謂兵術 の妙用 を妨ぐ るに至り為
足らざ るを以て差等比率所定兵力 の拘束 より脱す る為 には之 が廃止
の進歩 に伴ふ艦船兵器及航空機 の発達竝 に之 が将来 の趨向 は自主的
に帝国 が従来期待 を持したる此種作戦 の予期効果を減少せしむるに
は已むを得 ざるものと認む 以上 の考察 に由り帝国は速 に差等比率兵力 の拘束 より脱却 して国 防 上 の不利 を清算し次期軍縮会議 に於 ては全然自由 且新 たな る立場 に於 て米国 に対 し保有兵力量 の最大限度を共通とす るを根本義とし 且軍備を成 るべく拡大せざる方針 の下 に帝国国防 の安固を確保すべ き公正妥当 なる協定を為さんとす るものなり 而 して右協定不成立 の場合 生起す ることあるべき建艦競争 の対策 としては我 は現存条約維持 の場合 に要すべき海軍経費 と大差なき範 囲 に於 て特徴 ある兵力を整備 し以て国防 の安固を期 し得 る成算 あり 之 を要す るに華府海 軍軍備制限条約 の廃止通告 を本年内 に行ひ以 て速 に同条約 の不利なる拘束 より脱却する ことは国防上極 め て緊要 なると共 に次期海軍軍備制限会議を有利 に指導す る為 にも必要欠く べからざ るものと認む
三五
( 参謀本部第 一部長依命陳述)
元帥 会 議 に於 け る参 謀総 長 説 明案
一、 華 府 海 軍 軍備 制 限 条 約 の廃 止 を通 告 し 速 に差 等 比率 海 軍 兵 力 量 保 有 の不 利 な る拘 束 よ り脱 却 す る は陸 軍 作 戦 上 支障 な く帝 国 の自 主
二、 華 府 海 軍軍 備 制 限 条 約中 に存 す る太 平 洋 防 備制 限 条 項 は陸 軍 と
的 国 防 確 立 の為 速 に之 を 実行 す る を要 す るも のと認 む
し て之 が存 続 を有 利 と す る も のな り と難 所 望 の海 軍勢 力 を保 有 す る 為 本 条約 を廃 止 す る こと は全 局 の考 察 に基 き 支障 な き も の と総 む 三 、前 二項 の実 現 に当 り ては帝 国 国 防 の安固 を確 保 す ぺき 所 要 の対 策 を実 施 す る の要 あ り と認 む
︹ 次 は付箋 の註記である。 ︺︹ 編者︺
三 の対 策 は陸 軍 関 係 と し ては 兵 備 及用 兵 両 方 面 に亙 る も のにし て
1 、臺 湾 に飛 行 隊 の充 実
兵 備 に関 す るも のに付 一例 を 挙 ぐ れば
2 、防 備 制限 中 の防 備 施 設 の増 強 の如 し
三六
量 の按配を定め得 るのみ
ならず 不経済 なる制限外艦艇 の建造 旧式艦 の改装等 の必要度 を減 じ又艦齢 外艦船 を随意 に保有し得 る こととなり経済上に於 ても利
戦上 の要求に合 致し得 る如く質 の選定
(昭和 九年 十月 二十 九 日 ︹軍 令 部 ︺)
元帥 会 議 に於 け る質 問応 答 案
只 今 の説 明中 に あ りま し た 新条 約 成立 せざ る時 に予想 せ ら る
梨本元帥宮
る 造 艦競 争 に つき今 一息 説 明 せ ら れ度 し
軍令部第 一部長(
べき製艦費 と大差なき経費を以て国防上 の安固を確保し得 る海軍
従て造艦競争 が起 りまし ても現存両条約 を持続する場合 に要す
する所 が御座 ります
て完 了す る予定 で御座りまするから条約 の成否 に関せず艦齢 に達
答
参謀本部第 一部長
ら る ベき 所 要 の対 策 と は 如何 な る こと であ り ま す か
陸軍側幹事 の説明中にありました華府条約廃止 に当 り実施せ
梨本元帥宮
軍備 を整 へ得 る成算を得 て居 ります
又現存主力艦 は艦齢 の関係上 昭和十 二年頃より代換開始 を
す べき旧艦 の補充其 の他新陳代謝 を意味す る補充計 画を必要 とし ます 必要 と致します 而 して協定不成立 の場合 には昭和十 二年より海軍軍備上何等 の 拘束 なき こととなりまするから帝国 とし ては国防上最 も適切 にし
を英米 に対し劣勢 に規定 して御座りまする ので軍備上所望 の特長
現存条約 に於 きましては単艦 の排水量及備砲を制限 し且保有量
も の で御 座 り ま す る が 兵備 に関 す るも のに 付 一例 を挙 げ ま す れ ば
に当 り実 施 を 要 す る陸 軍 関係 の対 策 は用 兵 、 兵備 の両方 面 に亙 る
華府海軍軍備制限条約所定 の兵備及防備 に関す る事項 の廃止
を発揮し得ず僅 に制限外艦艇等 を以 て各種 の欠陥 に備 ふるの已む
りま す
臺 湾 に飛 行 隊 の充 実 、 目 下防 備 制 限 中 の防 備 施 設 の増 強 等 で御 座
て特長あ る海軍軍備を整斉す るの自由があります
を得ざ る現状 で御座 ります るが此等 の拘 束無 きに至 りますれば作
三七
︹ 元 帥 府 ︺奉 答 書 案
華府海軍軍備制限条約所定 の兵力 に関する事項 を昭和十 一年末限 り廃止するは帝国国防上有利なり防備 に関す る事項 は帝国国防上有
日 各 元帥
署
名
花押
利 なるも其 の程度 は海軍兵力量 を調節す るに足らざるを以 て之を廃 右謹みて 月
止す るは已むを得ざ る所なり 復奏す 昭和九年
(︹軍
令
部 ︺)
三八
︹ 両 総 長 ︺奏 上 書
元帥府 に御諮詢事項 の奉答 に関する件 華府海軍軍備制限条約所定 の兵力及防備 に関す る事項を昭和 十 一
載 仁
親
対し元帥府 の奉答は之を内閣総理大臣 に閲覧 せしめられ度
博
王
王
年末限 り廃止する ことの帝国国防上 に及ぼす影響 に関する御諮詢 に
昭和九年十月三十 一日
謹 みて奏す 参謀 総長
王 花押
恭
軍令部総長
親
︹次 の文 は上 部 欄 外 に墨 書 さ れ たも の であ る︺ ︹編 者 ︺
昭和 九 年 十 月 三 十 一日
下 記 の通 奏 上 の こと に協 定 す
載 仁
参謀 総長 軍令部総長
博
恭
王 花押
三九
︹ 岡 田 首 相 ︺覆 奏 文
今般華府海軍軍備制限条約所定 の兵力及防備 に関す る事項 の処 理 に対する元帥府 の奉答を閲覧 せしめら れ恭しく之 を拝承す
岡
田 啓
中 佐
介
政府としても右条約廃止 の方針 を以 て諸般 の準備を進め国防 上万
内閣総 理大臣
遺憾なきを期 し つつあり臣啓介恐惶頓首謹 で奏す 昭和 九年十 一月二日
︹次 の文 は欄 外 に註 記 さ れ た も の で ある 。︺ ︹編 者 ︺
部
十 一月 五日 陸 軍 次官 よ り参 謀 次長 へ手 交 せ る写 し を手 写 す
綾
四〇
[ 参 謀 本 部 ︺意 見
御諮詢 に基き十月 三十 一日元帥府は華府海軍軍備制限条約所定 の 兵力及防備 に関する事項 の処理 に付審議せりとの趣は遅 くも来 る七 日枢府会議開催 の前 に之を発表するを要す
(昭和 九年 十 月 三 十 一日
参 謀 本部 )
目
︽一九 三 五 年 の危 機 ︾ 明年 開 催 せら れ る海 軍 々縮 会 議 は、 帝 国 将
対 し圧 迫 を加 へて来 た ので あ る。
処 の市 場 よ り駆 逐 せ ん と し 、 又同 胞 移 民 を阻 止 し 、我 国 力 の躍進 に
を確 保 せん と 欲 す る列 強 は、 帝 国 の発 展 を嫉 視 し 、邦 貨 を 世 界 至 る
一方 、 経済 不況 に悩 み、 世 界 の現 状維 持 に依 り、 只 管 自 己 の地 位
貨 進 出 時代 を現 出 す る に至 つた 。
と に依 り 、 我商 品 は世 界 の各 市 場 に流 出 し て行 った の で未 曾 有 の邦
獲 得 す る の必要 に迫 ら れ た の であ る が 、産 業 合 理 化 と 、 円為 替 暴 落
帝 国 は満 洲 事 変 以 来 、 支 那 の抗 日排 貨 の為 、 他 の方 面 に新 市 場 を
(昭和九年 十 一月 海軍省海軍軍事普 及部)
四 一 国際 情 勢 と海 軍 軍縮 会 議
次
第 一、国 際 情 勢 第二、寿府 一般 軍縮会議 第三、海軍 々縮 会議 に対す る帝国 の方針 第四、国民 の覚 悟
第 一、 国 際 情 勢 ︽国 際 経済 戦 と 日本 ︾ 世界 的 不景 気 の襲 来 に依 って 、国 際 間 に著 しく な っ て来 た こと は国 家主 義 の勃 興 で あら う 。各 国 共自 国 の産 業
の効力 発 生 に関 聯 し て、 委 任統 治 問 題 の派 生 を 見 るや も計 り難 く 、
来 の国 運 を左 右 す べ き 重 大事 で あ り、 又明 年 三 月 、 我国 際 聯 盟 脱 退
一九 三 五年 の危 機 は今 や眼 前 に迫 り来 つた、 此 の時 に当 り 、帝 国 の
を保 護 す る見 地 か ら、 関 税障 壁 を高 く し て輪 入を 防遏 す る と共 に、
国 防 と密 接 な る関 係 を 有 す る 列 国 の情 勢 は如 何 であ ら う か 。
自 国 商 品 の販路 を 拡張 せ んと努 め て居 る の で、 国 際 経済 戦 は愈 激 化 せ んと し て居 る 。 国際 経 済 戦 の激化 は勢 各 国 民 を し て国防 不安 の念
一、 米 国 は 華府 、倫 敦 両条 約 に於 て、自 己 の
欲 す る儘 に世界 第 一位 の海 軍 を整 備 し 得 る ことゝ な り、 彼 の東 洋 政
︽米 国 と軍 縮 条 約 ︾
を起 さ せる ので 、 必然 的 に軍 備 の充 実 、拡 張 競 争 と いふ傾 向 を 生ず る こと は大 戦前 の英独 関 係 に見 る も 明 であ る 。現 下 世界 各 国 は 口 に 平 和 を唱 へつゝ も 鋭意 軍備 を充 実 し 、自 国 の発 展 に余 念 な き 有様 で ある。
策 遂 行 上 の障碍 とな る べ き 日本 を政 治 的 に拘 束 す る と 共 に、 其の 海
のは周 知 の如 く 、 米 大陸 に於 け る モン ロー主 義 と支 那 に於 け る門 戸
遂 行 に は攻 勢 的 海 軍 を 必 要 とす る﹂ と公言 し て積 極 的 態 度 を明 に し
は ﹁モ ン ロー主 義 の為 には防 禦 的 海 軍 で足 り る が、 門 戸 開 放 主 義 の
開 放 機 会 均 等 主 義 であ る が、 之 に関 し当時 の作 戦 部長 エベ リ ー提 督
力 を保 持 せざ る べ か らず ﹂ と 云 ふ の であ る 。国 家 政 策 の維 持 と 云 ふ
此 の上 は之 を長 く持 続 し 且 、 他 国 を も之 に加 入 さ せ て益強 固 にす れ
軍力を彼 の渡洋作戦遂行上許容 し得 る程度 に制限した のであるから ば よ い ので あ って、 今 日彼 の欲 す る所 は戦 債 問 題 を 有 利 に解 決 す る と 共 に欧 洲 の陸 軍 空 軍 を縮 少 せ し め景 気 の回復 を 図 り 、自 国 の経 済 問 題 を 有 利 に導 き 、其 の繁 栄 を 将 来 に確 保 せ んと す る こと であ って、
来 な か った のは、 海 軍 の準備 が成 ら な か った 為 であ る と当 局 者 は判
︽ 米 海 軍 の拡 張 ︾ 満 洲 事変 当 時 、 米 国 が国 策 を遂 行 す る こと の出
て居る。
従 つて今 日 会 議 が 行詰 り、 其 の目 的達 成 困難 と な る や深 入 し て政 治
断 し て 居 る様 で あ って、 海 軍 拡張 に拍 車 を かけ 、条 約 限 度 を目 標 と
彼 が寿 府 一般 軍縮 会 議 に参 加 し 種 々画 策 し た のも之 が為 であ った 。
的 混 乱 の渦 中 に捲 き込 ま れな い様 巧 に手 を引 いて高 見 の見 物 を し て
す る所 謂 ヴ イ ン ソン案 (百 二隻 、 一九 三九 年 完 成 ) に依 る大 造 艦 に
着 手 し て居 る し、 全 艦 隊 を 太平 洋岸 に集 中 し て居 る し西 岸 及 布哇 根
居る。 ︽米 国 の対 日 態度 ︾ 満 洲 事 変 以 来 、 米 国 の対 日態 度 は ﹁スチ ム ソ ン、 ド ク ト リ ン﹂ に依 り九 ケ国 条 約 不 戦条 約 の 一点 張 であ つた が 、
︽米 国勢 力 の対 支 進 出 ︾ 又 支 那 に は経 済 的 、 軍 事 的 に進 出 目 覚 し
ウ シ ャ ン﹂群 島 方 面 迄 進 出 し て居 る状 況 であ る。
拠 地施 設 を拡 大 し、 又 航 空 兵 力 を増 勢 し て、 ﹁ア ラ ス カ﹂、﹁ア リ ユ
忙 殺 さ れ た為 、 其 の後 は 一見 満 洲 問 題 を 忘 れ た か の観 は あ るけ れ ど
く 、就 中航 空 勢 力 の拡 大 に努 め 、多 数 の飛 行 機 や指 導 者 を送 っ て、
現 大 統 領 就 任 前 後 か ら未 會 有 の経 済 的 難 局 に遭 遇 し之 が復 興 対 策 に
も、 そ れは 皮 相 の観察 で あ って現 政 府 が依然 前 記 の ド ク ト リ ンを堅
沿 岸各 地 に航 空 基 地 及 製 造 工場 を設 置 し て居 る。 ︹ラテ ンアメリカ︺
米 諸国 に対 し ては 善隣 政
備 を 一時緩 和 す る の已 む な き に至 り 、華 府 会 議 に於 て主 力艦 、 航 空
︽英 国 と 軍縮 条 約 ︾ 二、 英 国 は 大戦 後 財 政 上 の困 難 か ら軍 備 の整
持 し て居 る こと は 、広 田 、﹁ハル﹂ 交 換 文書 及 天 羽声 明 に 対 す る 米 政 府 の通 牒 を 熟 読 す れ ば 明白 で あ る。 拉
債 務 を履 行 せ な いと て 不信 呼 ば はり を し て来 た蘇 聯 邦 を 承 認 し 、更
母 艦 に就 て米 国 と の均 等 兵 力 を 認 め 、労 働 党 内 閣 に依 り倫 敦 会 議 に
策 と名 付 ける 新 政 策 を掲 げ、 覇 者 的 態 度 を執 らざ る こと を 強 調 し 又 、
に十 年 の猶 予 期 間 を 以 て 比律 賓 の独 立 を 公約 し た の であ る が、之 等
於 て更 に補 助 艦 に就 て も米 国 と均 等 兵 力 を認 め る こと にな った ので
さ れ、 倫 敦 条 約 の結果 改 訂 さ れ た が、 其 の根 本方 針 は ﹁米 国 海 軍 は
︽米 国 の海 軍 政 策 ︾ 米 国 の海 軍 政 策 は華 府会 議 後 成 文 と し て発 表
財 政 不 如 意 な る と 、引 続 く 世 界 的 不 景 気 に依 り未 だ 軍備 充 実 に専 念
等 条 約 に対 し 相 当不 満 を有 し て居 る ので あ る 。英 国 と し ては戦 後 の
あ るが保守党始 め英国 の海洋 に対する伝統的立場を重視する者 は之
︹ヒ リ ツ ピ ン︺
の政 策 は主 と し て経 済 的 理由 に基 く も の であ る。
国 家 の政 策 と通 商 を維 持 し、 本 国竝 に海 外領 土 の防 禦 に充 分 な る勢
に成就 せ ん と し て居 る。 之 が為 に国 民 生 活 を 甚 し く苦 境 に陥 ら し め
一九 三 七年 を目 途 と し て、 国内 工業 の自 給 自 足 や 国力 の培 養 を 急速
民衆 の反 感 甚 しき も の があ るけ れ ど も、 極 端 な 独 裁権 力 に依 って強
の基 礎 を確 立 し て軍 備 の充 実 に成 功 し 、 今 や第 二 次 五年 計 画 に依 り
已 の海 軍 々備 の安 定 を図 り、 且 欧 洲 大陸 諸国 の陸 軍 及 空 軍 を制 限 し
圧 を 加 へ国 内 を統 制 し て居 る。露 西亜 民 族 は先 天 的 に忍 従事 大 の性
す る の余 裕 に乏 し く 、自 国 の財 政 状 況 の好 転 を期 す る のを先 決 問 題
て自 国 の国 防 を安 固 な ら し め る と共 に、 欧 洲 の政 局 を 安 定 せ し め 、
と し 、倫 敦 会 議 後 、仏 、 伊 海 軍 の補 助 艦 の制 限 協 定 成 立 に努 め 、自
景 気 回復 の素 地 を築 き将 来 の飛 躍 を期 せん と し て居 る の であ る。
も の があ る ので 、 近 き将 来 に於 て内部 よ り崩 壊 す る危 険 性 が あ る と
を 有 し 、屈 伏 と諦 め の生 活 に甘 んず る こと は 日本 人 の意 想外 に出 る
は言 ひ難 い。 然 し乍 ら斯 様 な国 内 情勢 に基 き、 対外 政 策 に於 て は、
寿 府 一般 軍 縮 会 議 に於 て も、 英 国 は欧 洲 大陸 各 国 間 の紛 争 の渦 中
こと に努 め 、 独逸 に対 し ても 比 の見 地 から 好 意 的態 度 を持 し 、 伊 太
し 、欧 洲 及 近 東 諸 国 と 不侵 略 条 約 を締 結 し 、彼 の西 方 国 境 は不 戦条
裏 面 では 世 界 の赤 化 宣 伝 に努 め つゝも 、 表面 は終 始 平 和 主 義 を 標榜
に捲 き 込 ま れ な いと同 時 に、巧 に之 等 を誘 導 し て其 の目 的 を 達 せん
日 に於 ても 、 極 め て執 拗 な る態 度 を 以 て 、何 と か之 を物 に し よう と
緊密 に提 携 し 、 多 年 仇敵 の間柄 で あ った国 際 聯 盟 にも加 入し 、 又 東
約 国 を以 て囲繞 せら れ る に至 り、 最 近 対 独関 係 の悪 化 に依 り 仏 国 と
利 を引 き 寄 せて 共 に仏 蘭 西 を牽 制 し、 同 会 議 が愈 望 み薄 と な つた今
努 め て居 る。
方 安 全保 障 条 約 の締 結 を 試 み る な ど、 俄 然 欧 洲 外 交 界 に飛 躍 す る に
︽英 国 の対 日態 度 ︾ 英 国 の対 日 態度 は 日英 同盟 廃 棄 以 来米 国 の鼻 息 を 覗 ふ関 係 と 、 東 洋 に於 け る 日英 の経 済 的競 争 と から 疎 隔 の道 程
が共 の拒 否 に遭 ひ 、 又満 洲 事 変 北鉄 問 題 に刺 戟 せら れ て極 東 方 面 の
至 った 。︽蘇 聯 邦 の対 日態 度 ︾ 帝 国 に対 し て も不 戦 条 約 を堤 議 し た
防 備 を大 々的 に強 化 す る と共 に、 半死 の状態 に陥 った北 鉄 を満 洲 国
を 辿 つて来 た、 特 に印度 に於 て 日貨 阻 止 に努 め て居 る のは 周 知 の通
に譲 渡 せ ん と す る に至 り目 下 折 衝 中 であ る 。
り であ り 、和 蘭 の蘭 領 東 印 度 に於 け る行 動 と も 一脈 相 通 ず る も の が あ る やう で あ る が、 最 近 に至 り英 国 識 者 間 に日 英親 善 を強 調 す る人
︽蘇聯邦 の極東増勢 ︾ 蘇聯邦 は国内多事 であり乍 らも軍備 の充実
士 が多 く な った ことは慶 す べ き で あ る。 ︽英 海 軍 の極 東 増 勢 ︾ 英 国 の財 政 状 況 も最 近 好 転 し て来 た し、 寿
冠 たらん と レ極 東 方 面 には十 数 個 師 団 と多 数 の戦車 、 飛行 機 等 を 送
には凡ゆる努力を傾倒 し其 の陸軍兵数及装備 の強化 に於 ては世界 に
り 、蘇 満 国 境 に は尨 大 な 築城 を も施 し て居 る。 又 浦 塩 に は潜 水 艦 二
府 一般 軍 縮 会議 の不成 功 や、 欧 洲 政 局 の不安 等 に刺戟 さ れ軍 備 拡 張
の建 設 を 促 進 し 、 明年 (予 定 は 一九 三 九年 ) 之 が完 成 を期 し て居 る
論 が擡 頭 し て居 る 、極 東 方 面 には 有力 な艦 隊 を配 備 し 、新 嘉 披 軍 港
十余 隻 を配 備 し 尚 も増 勢 せん と し て居 る。
︽軍縮 条 約 と支 那 ︾ 四、 支 那 は華 府 、倫 敦 両 条 約 に依 って帝 国 が
様 で あ る。
︽蘇聯邦 の国内情勢︾ 三、蘇聯邦は第 一次五年計画 に依り重工業
英 、 米 に比 し海 軍 の低 比率 を押 し つけ ら れ 、 又政 治 的 に拘 束 さ れ る
時 に、 我 国防 上 の見 地 から も最 も 重 要 な事 柄 であ る が現 実 の問 題 と
東 亜 自 主 の本 性 に立 ち 帰 ら し む る べ き であ って我 国 とし て も日支 本
な発 達 と に依 り 、支 那 を し て欧 米 依 存 主義 の迷 夢 よ り覚 醒 せし め、
し て は当 分望 が 少 いやう であ る。 要 は 我実 力 の充 実 と満 洲国 の健 全
た こと は国 民 周 知 の通 り で あ る。 満 洲 事変 の勃発 は要 す る に支 那 が
来 の使 命 に鑑 み雅量 を 以 て彼 を善 導 し て行 く を要 す る。
に至 って から 対 日 態度 を漸 次 硬 化 し て、侮 日 、抗 日 に出 づ る に至 っ
つて兇 暴 な国 民 党 の排 外 政 策 を敢 行 し た結 果 に外 な ら な い のであ る。
万 一の場 合 は 英 、 米 等 の支援 あ る べき を恃 み 、 日 本 与 し易 し と見縊
空 方 面 に於 て は 日本 が 一指 を も染 め な い間 に各 国 は飛 行 機 の売 込 、
し て独逸 の勃 興 、 復 讐 を徹 底 的 に防遏 し、 国 際 聯 盟 を中 心 とし て自
︽仏 国 の対独 政 策 ︾ 五 、仏 蘭 西 はヴ エル サイ ユ条 約 を金 科 玉 条 と
︽列 国 勢 力 の進 入︾ 満 洲 事 変 以 来 列強 勢 力 の対支 進 入 は 著 し く、 航
航 空 基 地 の建 設 、航 空 路 の発 達 等 を競 ひ、 就 中 米 国 は之 を リ ー ドし
己 に都 合 の良 い状 況 に各 国 を 指 導 し て行 く こと を 其 の根 本 政 策 とし
反 対 し 英 国 や伊 太利 の牽 制 を巧 に潜 り抜 け て、 飽 迄 其 の政 策遂 行 に
て居 る ので 、独 逸 の再 軍 備 や ヴ エルサ イ ユ条 約 無 視 の態 度 に は極 力
て居 る状 況 で あ る 。
努 力 し て ゐる 。 独逸 が 一般 軍 縮 会 議 を脱 退 し て後 も独 仏 直接 に交 渉
一方 支 那 全 土 に亘 り澎湃 た る排 日排 貨 の風 潮 に禍 さ れ て従 来 第 一
に降 って居 るけ れど も 、 我国 の通 商 は之 に刺 戟 さ れ て支 那 以 外 の方
位 を保 って居 た我 対 支 貿 易額 は昨 年 に至 り 米 、英 両国 に次 ぎ 第 三 位
を し た り又 英 、 伊 両国 が其 の間 に色 々斡 旋 し て居 る が仏 蘭 西 も強 硬
に其 の態 度 を 固 執 し 、最 近 は英 国 や伊 太利 の対 独 態 度 に飽 き足 らず
面 に異 常 の発 展 を遂 げ て居 る 。
を 転 向 し 、現 南 京 政 府 首 脳 部 は逐 次 日支 関 係 の調 整 に努 め て居 る。
も のゝ 如 く 、昨 年 五月 の北 支 停戦 協 定 の成 立 を契 機 と し て対 日態 度
現在 伊 太利 と の間 に十 対 六 の優 勢 を占 め て居 る が之 を何 処 迄 も 保持
於 て も遂 に条 約 に加 は ら な か った のであ っ て、海 軍兵 力 に関 し ては
対 し相 当 不 満 を 有 し 、 寿府 三国 会 議 に参 加 を拒 絶 し、 又倫 敦 会議 に
︽仏国 と軍縮条約 ︾ 仏蘭西 は華府条約 に於 て仏伊均等 とした のに
已 む な く蘇 聯 邦 に接 近 し之 を聯 盟 に加 入 さ せ、 極 力 独 逸 に対抗 し て
︽支 那 の対 日態 度 ︾ 帝 国 は 支那 に 対し 終 始 公 明 正 大 な る態 度 を 以
然 し乍 ら 之 を 以 て支 那 が満 洲 失 地 の恢 復 を企 図 せ んと す る希 望 を棄
し て行 く と同 時 に、 独 逸 に対 し て も優 勢 を 保持 す る と いふ の が仏蘭
居 る の であ る 。
てゝ 対 日親 近策 に転 じ つゝ あ るも のと見 る のは 誤 り であ って、 要 路
て 一貫 し 、其 の破 邪 顕 正 の剣 は北 支 、中 支 に迄 及 んだ ので あ る が、
者 が 此 の際 我鋭 鋒 を避 けな け れば自 家 勢 力 の保 全 は勿論 、 国家 の存
に反 対 の対 度 を示 し て居 る。最 近伊 太利 が三 万 五 千噸 の戦 艦 二隻 を
西 の方 針 で あ って、 伊 太利 と均 等 兵 力 を 認 め る が如 き こと には 絶 対
之 に対 し 支那 は列 強 及 国 際 聯 盟 の支 援 の到 底 望 め な い こと を悟 った
立 す ら危 ぶ ま れ る様 にな った 結果 止 む を得 ず 緩 和 策 を 執 って居 る に
建 造 す る の が事 実 と な れ ば 、仏 蘭 西 は同 様 の戦 艦 建 造 に着 手 す る の
過 ぎ な い。 ︽日 支 提携 の必要 ︾ 日支 の提 携 親善 は東 洋 平 和 の基 礎 であ る と同
産 れ出 で、 又聯 合 軍 に加 担 し て戦 争 に勝 った 国 は 何 れ も 其 の領 土 を
て来 た が、 元 来伊 太利 は大 戦 後 の分 け前 に は不 平 があ り 、仏 国 と は
十 年 を 越 え て共 の基 礎 も 定 ま り 、最 近共 の国 際 的 地位 を 著 し く高 め
︽伊 太 利 の対仏 政 策 ︾ 六 、 伊 太利 は ム ソリニ ー の独 裁 政 治 も既 に
現 状維 持主 義 の国 際 機 関 と 謂 ふ も過 言 で はあ るま い。 之 等戦 勝国 に
者 で あ る とし て騒 ぎ 立 てゝ 居 る、 国 際 聯 盟 は 一言 にし て言 へば之 等
さ せ よう とす る者 があ れ ば 理由 の如 何 を問 は ず 、 一概 に平和 の破 壊
維持 し て行 かう とし て盛 に平和 を高 唱 し、 此 の現 状 を 少 し でも変 化
讐 を 恐 れ て、 之 を防 ぐ と 共 に折 角 獲 得 し た自 己 の立 場 を 何 処 ま で も
拡張 し た り種 々 の権 益 を獲 得 し た が、 之 等 の国 は 戦敗 国 の勃 興 と復
根 本 的 に利 害 を異 にし、 国 際 聯 盟 に対 し て も仏 国 の小 国 誘導 に飽 き
であ ら う と思 はれ る。
足 ら ず 聯 盟 規 約 の改訂 を欲 し、 時 に触 れ脱 退 を仄 かし て居 る位 で、
が 出来 ず 已 む なく 隠 忍 し て黙 って居 た が年 月 の経 つ に従 ひ 此 の儘 で
い様 に縛 ら れ て居 る の であ って 、其 の当 時 こそ は如 何 と も す る こと
は国 家 の発 展 は思 ひ もよ らず 、国 民 生活 の維 持 も難 い の で、何 と か
対 し て、 独 逸 を始 め戦 敗 国 は ヴ エルサ イ ユ条 約 に依 り 手 も足 も出 な
意 的 態 度 を持 ち 常 に仏 蘭 西 を牽 制 し て居 る ので あ る。 最 近墺 国 問題
し て局 面 を打 開 し な け れば な ら ぬ と いふ声 が盛 にな り 、 国 内 には国
対仏 及 対 聯 盟 関係 に於 て、 将 又 ヴ エルサ イ ユ条 約 に対 し 独逸 と 一脈
で ヒ ツ ト ラ ーと相 容 れ な い も の があ り 、 寧 ろ仏 蘭 西 と協 同 的 態 度 を
相 通 ず るも の があ って、 独 逸 の軍 備 権 平等 や再 軍 備 の要 求 に対 し好
執 った感 があ るけ れ ど も、 之 は単 に 一時 的 のも ので伊 太 利 の態 度 が
粋 主 義 が勃 興 し戦 債 の不 払 、 軍備 の充 実 な ど現 状 打 破 の実 行 手段 に
︽独逸 の軍 備 平 等 権 ︾ 昭 和 七年 二 月開 催 さ れ た寿 府 一般 軍縮 会 議
邁 進 す る様 に な って来 た 。
に於 て独逸 は ヴ エ ルサ イ ユ条約 に依 る自 国 の軍 備 制 限 を 破棄 し 、延
根 本 的 に変 化 し たと は思 は れ な い、 ︽伊 太 利 と 軍縮 条 約 ︾ 伊 太 利 は
目標 と し、 華 府 会 議 に於 て は主 力 艦 、 航 空 母 艦 に於 て仏 伊 均 等 を獲
て条約 全般 に 亘 る改 訂 の端 緒 を開 く こと が真 の目 的 であ った も のゝ
総 べ て の点 に於 て仏 蘭西 と優 位 を争 は ん とし て軍備 に於 て も均 等 を
入 し な か った。 彼 は財 政 状 況 等 から し て今 日直 に、 実 際 上 仏 蘭 西 と 同等 の海 軍 兵 力 を整 備 す る こと は困 難 であ る か ら極 力 仏 蘭 西 の軍 備
に於 ては他 の国 が軍 備 の縮 少制 限 を行 ふ こと を 容 易 な ら し む る こと
如 く 、 同会 議 で次 の如 く 主 張 し て居 る 。 ﹁ 独 逸 はヴ エルサ イ ユ条 約
得 し 、其 の後 補 助 艦 に於 て も、 仏 国 と の均 等 を主 張 し倫 敦 条 約 に加
を低 下 せし め て仏伊 均 等 とな さん と す る のが其 の対 軍 縮 態 度 であ る 。
そ し て居 る が少 し も軍 縮 を 行 って居 な い、 独 逸 はも う之 以 上我 慢 は
日迄 十幾 年 間 に亘 り忠 実 に守 って来 た、 然 る に各 国 は 軍備 の拡 張 こ
を前 提 と し て、 極 度 に独 逸 の軍 備 を制 限 せら るゝ こと を受 諾 し 、今
︽欧 洲 と 平 和 条約 ︾ 世 界 大 戦 は 当 時戦 争 を終 息 せし む ベ き最 後 の
第 二、寿 府 一般 軍 縮会 議
れ、 人 類 の自由 平 等 の鐘 が鳴 り渡 った か の如 く 感 ぜ ら れ た のも 全 く
戦 争 と し て観 ら れ 、休 戦 一度 伝 へら れ る や、 世 界 の平 和 は確 立 せ ら
し之 が出 来 な け れば 独 逸 は禁 じ ら れ て居 る軍 用 航 空機 戦 車 重砲 等 を
出 来 な い、 各 国 が独 逸 の制 限 せ ら れ て居 る軍 備 の水 準迄 下 る か、 若
束 の間 であ った 。 ヴ エ ルサ イ ユ条 約 に依 って欧 洲 には多 数 の小国 が
保 有 し、 一部 国 境 には要 塞 を築 き 又常 備 軍 も増 加 す る等 、 国 防 上 他 の国 と同 一の取 扱 を受 く べき も ので あ る﹂ と 終 始強 硬 に主 張 し たも
︽仏 国 案 ︾ 仏 国 は同 年 十 一月 次 の如 き 案 を提 出 し て自 国 の立 場 を
(一)
一切 の本 国 軍 隊 に対 し 兵 役 年 限 の短 縮
宣 明 し て居 る。
(二) 軍 縮 の国 際監 督 を設 け実 地 調 査 を も為 す こと を得
の であ る 。之 が所 謂 、 独 逸 の軍 備平 等 権 の主 張 であ って、 之 に対 し 、
(五 ) 軍縮 は海 、陸 、空 三軍 関 聯 な る こと
(四) 米 国 も安 全保 障 を与 ふ る こと
条 約 を締結 せ し め、 共 同 兵 力 に依 り侵 略 を防 止 す
ロカ ル ノ条 約 を補 充 す る為 欧 洲各 国 を し て地 方 的 相 互援 助
仏 蘭 西 は前 述 の如 く ヴ エルサ イ ユ条 約 を金 科 玉 条 と し て居 る ので、 (三)
数 の会議 参 加 国 が各 自 国 の立場 か ら議 論 をし て居 る ので具 体 的 結 論
(六 ) 海 外領 土 を有 す る国 は特 種 兵 力 を保 有 す 。
右 の如 く独 仏 両 国 が根 本 方針 に於 て対 立 し て居 る のみ で なく 、 多
独 逸 の再 軍 備 やヴ エルサ イ ユ条 約 無 視 の態 度 には極 力反 対 し て居 る。
には 却 々到 達 せな い の であ る 、 昭和 七 年 六 月 に至 って米 国 は大 要 次
の で、 帝 国 は 同年 十 二 月優 勢 海 軍 国 に 一層大 な る犠 牲 を要 求 す る海
︽帝 国 案 ︾ 之 等 英 米 案 の内 容 は帝 国 と し て同 意 し得 ざ る点 が あ る
の如 き所 謂 フーヴ ア ー案 を提 出 し た。
(一) 戦 車 、 化 学 戦 、 及 移動 砲 の全 廃
︽フーヴ ア ー案 ︾
軍 軍 縮 案 を提案 し た 。
を基 礎 と し 、各 国 の実 際 保 有 す べ き 兵力 量 (五 大 国 は 乙 級 巡洋 艦
全 世 界各 国 を太 平 洋 組 、 大 西 洋組 、欧 洲 組 に区 分 し 、 一般 協 定
(二) 特 別 協 定
を定 め 、実 際 の保 有 量 は 特 別協 定 に依 る こと
(ハ) 五大 海 軍 国 乙 級 巡 洋 艦 、駆 逐 艦 、 潜 水 艦 の最 大限 度 保 有 量
の大 縮 少 )
(ロ) 五大 海 軍 国主 力艦 、甲 級 巡 洋 艦 保 有量 の縮 少 (就 中 英 米 側
(イ) 各 艦 種 の艦 型 、備 砲 の縮 少 、 航 空 母艦 の全 廃
一般 協 定
(二 )
(一)
一切 の陸 上 軍 の三 分 の 一減
(三 ) 爆 撃 機 の全 廃 及 空中 爆 撃 の禁 止 (四 ) 海 軍 条 約 所 定 の各 国 保有 主 力 艦 の噸 数 及 隻 数 の三分 の 一減 一切 の航 空 母 艦 、 巡 洋艦 、駆 逐 艦 の各 海 軍 条 約所 定 各 国 割
当噸 数 の四分 の 一減 各 国 潜 水 艦 の保 有 噸 数 三万 五 千噸 。
(五 )
︽ボ ー ルド ウ イ ン案 ︾ 之 に対 し 英国 は 七月 ボ ー ルド ウ イ ン案 と称 す る修 正案 を提 出 し、 英 国 の立 場 を説 明 し て量 的 制 限 よ り も質 的 制 限 の可能 な る を主 張 し た。
以 下 の保 有量 ) に関 し各 組 毎 に制 限縮 少 を協 定 す る こと 。
一五 五粍 以上 の移 動 砲 二〇 噸 以 上 の戦 車 の廃 止
(二) 主 力艦 、 巡洋 艦 、 航 空 母 艦 の艦 型、 備 砲 の縮 少
︽英 国 の軍 縮 条約 案 ︾ 斯 く し て懸 案事 項 を討 議 し たけ れ ど も、 何
(一)
(三) 潜 水 艦 の全廃 及之 に伴 ひ駆 逐 艦 噸数 の三分 の 一減
等 重 要 な 協 定 に達 す る を得 ず し て会 議 の前 途 は悲 観 され て居 た が、
(四) 輸 送機 及 飛行 艇 を除 き航 空 機 の積 載 重量 制 限 (五) 陸 軍 、 海 軍航 空 機 の機 数 制 限
ド﹂ 案 を提出 し た ので 、会 議 は之 が審議 を続 行 し た が之 亦 協 定 に達
昨 八年 三 月 に至 り 、英 国 は軍 縮 条 約 の形 式 を 備 へた ﹁マ ク ド ナ ル
な い こと を自 覚 し 、 或 るも のは軍 備 の拡 張 充 実 を図 り 、或 る も のは
府 一般 軍縮 会 議 の開 会 当 時 と も 大 に趣 を異 に し て来 た。 更 に艦 船 、
国 際情 勢 は既 に述べ た如 く 、曩 の華府 会 議 や倫 敦 会 議 は勿 論 、寿
第 三、 海 軍 軍縮 会 議 に 対 す る帝 国 の方 針
合 従連 衡 の策 に出 で んと す る状態 と なっ た の で あ る。
き即 時 軍 縮 の実 行 を要 求 し、 仏 国 は軍縮 着 手前 必 要 な る予 備 期 間 を
兵 器 、 航 空 機 等 は 日進 月歩 であっ て、 之 が為 に海 上戦 闘 の様 式 に 一
す る見 込 な く 、 私 的交 渉 が続 け ら れ た が 、独 逸 は軍 備 の平 等権 に基
致 を見 な い ので昨 年 十 月 独逸 は軍 縮 会 議 から代 表 を引 揚 げ 続 い て聯
設 け て軍 事 監 督 を試 行 せ ん こと を 要 求 し 、︽独 逸 の脱 退 ︾ 意 見 の 一
た 。即 ち石 油 燃 料 の普遍 的利 用 、 機 関 、 補 給 設 備 の進歩 等 は艦 隊 の
大 変 革 を生 ず ると 共 に、 海 洋 の兵 術 的 距 離 を短 縮 す る の結 果 となっ
渡 洋 昨 戦 を容 易 な ら し め 、航 空 機 の進歩 は優 勢 軍 の捜 索偵 察 上 に至
盟 を も脱 退 し て其 の強 硬 な る態 度 を中 外 に宣 明 し た。 其 の後 仏 国 は
た の便 益 を与ふ る こ至っ た ので 、今 や、 昔時 に比 し 攻 勢 作戦 を容 易
直接 交 渉 を試 み英 、 伊 両国 も種 々斡 旋 をな し 独逸 の態 度 緩 和 に努 め て居 る が彼 は依 然 強 硬 な態 度 を固 執 し、 益 々国 内 的 結 束 を強 固 にし
決 意 を 表 は し 、他 方 大 戦 後 の跡始 末 に飽 き足 ら ぬ国 が 現状 維 持 主 義
て 一般 軍 縮 会 議 を脱 退 し、 独 力 国 家 の存 立 発 展 に邁 進 せ ん と す る の
に独 逸 の国粋 運動 が熾 烈 と な り 、 独 逸 は遂 に軍 備 権 平等 の旗 印 を以
一に も聯 盟 、 二 にも聯 盟 と称 し て来 た ので あ る が、年 月 の経 過 と共
に泌 み込 み 、 平和 条 約 に依 り 独逸 を押 へて、 現 状 維持 主 義 を標 榜 し
何 な る犠牲 を払っ て も戦 争 は避 け な け れ ば なら ぬと いふ 考 が 、 一般
に鑑 み 此 の間 に は欠 陥 補 充 の手 段 で国 防 を全 う し得 る こと が 予想 さ
る が 、 五年 の短 期 間 の取 極 であ る ことゝ 、当 時 各 国 の軍 備 の状 態 と
補 助 艦 対米 七割 も国 防 上 欠 陥 あ り 、国 内 に種 々異 論 があっ た ので あ
し 、国 際 平 和 の為 に難 き を 忍 ん で受 諾 し た の で あ っ て、 倫敦 会 議 の
戦 闘 を交 へ得 る最 小 限 度 の兵力 で は あ る が、 各 国 の軍 縮 精神 に信 頼
状 維持 を行 ふ な らば 西 太 平 洋 に進 出 す る 対手 国 の艦 隊 と 僅 に 対等 の
を受 諾 し た の は、 当 時 の情 況 に於 て、 西 太 平 洋 に於 け る根 拠 地 の現
元来 帝 国 が華 府 会 議 に於 て主 力 艦 航 空 母艦 の対 英 、 米 六割 の兵 力
な ら し め、 守 勢 作 戦 に不利 な る結 果 を招 来 し た。
に不 満 を感 じ来 り、 戦 後 引 続 き長 き に亘 る世 界 的 不景 気 と相俟っ て、
之 を要 す る に、 大 戦 後各 国 民 は具 さ に戦 争 の惨 禍 を嘗 め、 今 後 如
て 一歩 も譲 ら ざ る意 気 を 示 し て居 る 。
各 国 間 に国 家 主 義 的 傾 向 が 濃 厚 と な り、 国 際 聯 盟 が多 年 苦 心研 究 し
然 る に事 実 は、 両 条 約 締結 に も つ、 年 月 を 経 過 し た 今 日 の状 態 に
れ た ので、 本 条 約 の満 了 後 には各 国 の保 有 すべ き兵 力 量 は 、 更 め て
終っ た 。今 日 は大 戦 後 の空 気 は全 く消 失 し 、華 府 や倫 敦 で軍 縮 条 約
は既 に全 く 不 適 当 と な り、 之 が持 続 は 帝 国 将 来 の国 防 を危 殆 に陥 ら
於 て は条 約 締 結 当 時 に比 し情 況 の甚 大 な る変 動 が あ り 、 之 等 両 条約
次期 会 議 に於 て老 慮 す べ き旨 を保 留 し て同 意 し た も の であ る 。
主義と
来 り 、愈 之 が完 成 を為 さ ん と し て開 い た 一般 軍縮 会 議 も、 ︽軍 縮 会
を締結 した 当 寺の 空 気 と も大に異 り、 各 羽は従来の現状維持
議 の失 敗 ︾ ニ ケ年 以 上 の日子 を費 し た に拘 らず 全 然 失 敗 に 帰 し て
か、平 和協調主義 では到底国家の存立、繁 栄を維持す ることは出来
し む る事 態 を招 来 す る に至 った 。
︽帝国 の軍縮 方針︾ 斯 の如 き明白な る理由 に基 き、帝国 は既存条
︽仏 、 伊 の意 向︾ 仏 蘭 西 、 伊 太 利 は 華府 条 約 に不 満 を持 って居 る
様 であ るが 、 主 と し て 両国 相 互 の関 係 であ って、 進 ん で英 、 米 と の
︽国 防 対 策 ︾ 之 を要 す る に、 明 年 の軍縮 会 議 に於 て、 日米 の意 見
均 等 を要 求 す る が如 き こと は先 づ あ るま いと 思 は れ る 。
は正 面 衝 突 を惹 起 す る 可能 性 が あり 、 或 は会 議 は決 裂 と な って日 米
約 の不利 な る束 縛 より 速 かに脱 却 し、 軍 備 の平 等 権 よ り出 発 し て新 規 の軍 縮 条 約 を 締 結 し 、各 国 其 の国 防 の安 全 感 を確 立 し て、 国 民 負
と、 東 洋 平 和維 持 の成 否 と を決 す る分 水嶺 であ る 。会 議 が決 裂 し た
関 係 は 一時 緊張 す る か も知 れ な い が此 の難 関 こそ 、帝 国 将 来 の興廃
場 合 建 艦 競 争 が起 り 、其 の場 合 我 経 済 力 は之 に堪 へ得 る や否 や の心
担 の軽減 を も 行 ひ、世 界 の平 和 に貢 献 し な け れ ば な ら な いと 確 信 す
従 っ て明年 の軍 縮 会 議 に於 ては 、 比率 主 義 を撤 廃 し、 国防 自主 権
配 も さ る事 な が ら 、有 史 以来 戦 敗 の為 亡 び た 国 は多 々あ るけ れ ど も 、
る。
を 確 立 し て高 度 軍 備 国 の自 制 的 縮 減 を期 す る と共 に、 攻 撃 的 軍備 を
未 だ軍 備 に国費 を使 ひ過 ぎ た が為 に亡 び た 国 は 一国 もな い の であ る 。
彼 の英 国 と 和蘭 と の競 争 時 代 に、 和 蘭 の実業 家 は軍 備 に金 を出 す こ
減 廃 し防 禦 的軍 備 を整 備 し、 以 て互 に他 を脅 威 しな い公 正 妥 当 な る
︽華府 条 約 廃 棄 通 告 ︾ 以 上 の如 き根 本 方 針 に基 け ば 、 本年 十 二 月
新 軍縮 方 式 を採 用 す る こと が肝 要 と信 ず る。
︹と ︺ を 渋 り為 に軍 備 を怠 った が、英 国 は非 常 な苦 痛 にも 堪 へて、
軍 備 に金 を惜 ま な か った結 果 、 和 蘭 の衰微 せ る に引 換 へ、 英 国 は興
末 日 以前 に於 て最 も適 当 の時 機 に華府 条 約 第 二十 三 条 に依 る廃 棄 通
︽米 国 の意 向 ︾ 右 の諸 点 に関 し て は列 国 は未 だ公 式 に態 度 を明 に
告 を な さ ん とす るを 要 す る 訳 で あ る。
第 四、 国 民 の覚 悟
隆 の基 礎 を確 立 し た の で あ る。
︽個 人 道徳 と 国際 道 徳 ︾ 個 人 道徳 と し て は、 身 を殺 し て仁 を為 す
し て は居 ら な いけ れど も 、 現在 迄 の諸 情 報 を綜 合 す る に、米 国 は飽
し て居 る こと も、 凡 て自 国 の利 益 を確 保 増 進 す る ことが 第 一で あ っ
迄 五 ・五 ・三 の現 行 比 率 を 維持 せ ん と欲 す る も のゝ 如 く 、大 艦 巨 砲
て、自 国 を犠 牲 と し て平 和 に尽 し て居 る国 は 一国 もな い の であ る。
と いふ 美 徳 が存 在 し て居 る が、 国 際 間 には自 国 を犠 牲 と す る が如 き
︽英 国 の意 向 ︾ 英 国 には 既存 条 約 に不 満 を 有 す る 分 子 が相 当 に あ
他 国 と の親 善 と か協 調 と か云 ふ こと も 、或 る特 別 の場 合 の外 は、 到
道 徳 は 少 し も な い、 国 際 聯 盟 を 中 心 と し て各 加 盟 国 が国 際 平和 に尽
る ので表 向 こそ静 観 主義 で居 る が我 比 率 主義 撤 廃 に 対 し て は米 国 と
主 義 は依 然 とし て棄 てず 、 二割 天 引 に依 る各 国 保有 量 の縮 少 案 を考
略 同 様 の態 度 に出 るか も 知 れ な い、 一方 英 国 と し て は之 以 上艦 艇 の
には最 後 の寄 り処 とし て自 ら 侍 む も のを持 って居 る こと が絶 対 に必
底 之 を当 て にす る こと は出 来 な い ので あ って、 国 際 間 に伍 し て行 く
慮 し て居 ると 伝 へら れ る 。
り 、 巡洋 艦 は合 計 七 十隻 を 必要 と し、 尚 其 の他 の艦 種 も速 に建 造 せ
要 であ る。
隻 数 を減 ず る こと には 反 対 で寧 ろ艦 型 、 備 砲 の縮 少 に力 を入 れ て居
ね ば なら ぬ と伝 へら れ て居 る。
も多 数 を頼 む か 、 又 は或 る強 大 国 の援 助 を得 な い限 り は其 の主 張 を
国 際 場 裡 にあ って は、 自 ら 侍 む 所 の無 い国 は如 何 に正 当 な こと で
約 こそ は 帝 国 の将 来 に鑑 み国 防 上 は勿 論 、国 際 通念 上 か ら も断 乎 排
上 、 如 何 に多 く の障 害 を 及 ぼ し た かは 既 に明 白 で あ る、 斯 の如 き 条
り であ って 、之 等 不平 等 条 約 の存 在 が過 去 十数 年 間 東 洋 平 和 の維 持
︽不平等条約 は断乎排撃す べし︾ 帝国は今 や未曾有 の躍進時代 で
撃 せな け れ ば な ら な い 。
帝 国 が将 来 東 洋 の平 和 を双 肩 に担 ひ、 正義 を 以 て其 の所 信 に邁 進
あ るが 、 列 強 の重 圧 は刻 々に加 はり つゝ あ り来 る べ き軍 縮 会 議 は 帝
に聞 え るが 、強 国 の声 に は千 釣 の重 み が あ る が 如 く受 取 ら れ る。
せ ん と欲 し ても 、自 ら侍 む所 が無 け れ ば 正義 も 不正 義 呼 ば はり せ ら
貫徹す ることは不可能 であって、之等 の国 の正義 の声 は往 々泣き言
れ、 立 ち 所 に悲 惨 な る憂 目 に会 は され る の であ る 。満 洲 問 題 に於 て
そ は昭 和 聖 代 に 生 を禀 け た国 民 の責 務 であ り 、光 栄 であ り、 喜 び で
国 が永 遠 に興隆 す る か否 か の試 練 であ る 、此 の試 練 に堪 へる こと こ
あ る、冀 く は全 国 民国 防 の何 た る かを 自覚 し 一致 団 結 し て非 常 時 局
帝 国 は不 信 呼 ば は り を さ れ た が、 各 国 が 四囲 の環 境 上 制 肘 せら れ て
を見 ず に今 日迄 済 ん で来 た の で ある が 、之 は天 祐 と も称 す べき も の
力 に訴 へよ う と し な か った のと 、 我 に侍 む所 が あ った の で漸 く憂 目
(終 )
を克 服 し 、 国家 百年 の大 計 に邁 進 せ ん こと を 。
で今 後 之 で済 む か と言 へば 決 し て然 らず 、吾 々国 民 は挙 っ て奮励 一 番 、 ︽自 ら恃 む 処 を築 け︾ 国 力 の充 実 に努 め 、国 防 の整 備 を 期 し 、 世 界 をし て正 義 を 正義 と し て認 め させ る丈 の寄 り処 を築 き 上 げ な け
凡 そ国 家 間 の約 束 に於 て、 不 平 等 な こと を す る こと位 将 来 に紛争
れば なら ぬ 。
の種 を残 す も のは な い、 世 界 の 一等国 と し て数 へら れ る大 国 間 に は、 其 の如 何 な るも のた る を問 は ず 不 平等 の約 束 が あ る べき 筈 のも ので
亜 細 亜 に於 け る唯 一の大 国 であ り 、其 の安 定 勢 力 と し て東 洋平 和
は 断 じ てな い。
の確 保 と いふ 重大 な使 命 を双 肩 に担 って居 る帝 国 に於 ては 、 国際 条
るゝ 如 き こと が あ って は其 の使 命 の達 成 は到 底 期 し 得 ら れ な い ので
約 に依 り 、欧 米 の列 強 特 に英 、 米 に 比 し て不 平 等 な 立 場 に拘 束 せ ら
あ る。 彼 の華府 条 約 、 倫 敦 条 約 の如 き は何 れ も帝 国 海 軍 の軍備 を、 英 米 に比 し 低 比率 に束 縛 し た不 平 等条 約 で あ る こと は国 民 周知 の通
四二
第 二課 )
華 府 海 軍 々備 制 限 条 約 廃 止 通 告 に 際 し 発 表
(昭 和 九年 十 二月 十 八 日
す べき 外 務当 局 談 ( 案 )に 対 す る 意 見
一、 外 務 当局 談 の形 式 によ らず 帝国 政 府 の声 明書 と なす を要 す 二、 冒頭 に帝 国 が従 来 国 際 平和 に協 力 し来 り た る こと及 将 来 も 亦 此 態 度 を執 る べ き こと を 強 調 す る を要 す 三 、新 軍 縮 協 定 の根 幹 と す べ き点 の説 明 中 一、 に於 て差 等 比 率 に よ り て国 防 兵 力 を拘 束 せら る る は帝 国 の容 認 す ベ か らざ る所 な る所 以 を高 調 す るを 要 す
四三
長
参
謀
次 長
︹ 杉山元︺
(︹参
謀
本
華 府 海 軍 軍 備 制 限 条 約 廃 棄 二関 ス ル記 録 事 項 ノ件
佐
参密第 一二〇号第 一
次
︹ 加藤隆義︺
大
昭和十年三月十四日
参謀本部
中 島 部
華府海軍軍備制限条約廃棄 ニ関 スル記 録事項 ノ件
令
侍従武官 軍
華府海軍軍備制限条約通告 ニ関 シ当部 ニ於 テ ハ別紙 ノ如 ク記録 ニ 止 メ置 キ候 ニ付及通牒候也 別 紙 ︹ 本庄繁︺
昭和 九年十 二月二十八日 (華府海軍軍備制 限条約廃棄通告前日) 侍 従 武官 長 、 参 謀 次 長 会 談 ノ結 果 今 次 華 府海 軍軍 備 制 限 条 約 廃棄 ニ
御 沙汰 ヲ拝 受 スル コト ヲ奏 請 セ サ リ シ ハ諸 般 ノ関 係 上 已 ムヲ得 サ
関 シ陸 海 軍 統 帥 部 へ
スト ノ見 解ニ 意見 ノ 一致 ヲ見 タ リ
リ シ ニ依 ル モノ ニシ テ之 ヲ以 テ将 来 ノ先 例 ト セラ ル へキ モノ ニア ラ
部 ︺)
一秘
次
四四
報 長
宛
昭和 一〇、 一、 四
謀
四電 参 第 二六号
一
後 八、〇五着
前 二 、 四 三発
ン ト ス ル カ如 キ ハ寧 ロ大 国 ト シ テ ノ鼎 ノ軽 重 ヲ問 ハル ル モノ ニ シテ
持 ス ル英 国 有 力 者 ノ言 ニ迎 合 セ ル カ如 シ二国 ノ力 ヲ以 テ 日 本 ニ当 ラ
二、 日本 ノ 主張 ヲ抑 制 セ ン カ為 輿論 ハ 一時 英 米 ノ協 調 ヲ唱 へ之 ヲ支
非 難 ハ其 跡 ヲ絶 タ ス
説 ヲ為 ス モノ ア リ但 一部 ノ煽 動 者流 ノ支 配 ヲ受 ク ル輿 論 ノ根 拠 ナ キ
国 ノミ 日 本 ノ政 策 ヲ阻 止 セ ント ス ル ハ策 ノ得 タ ル モ ノ ニア ラ スト ノ
重 大 ナ ル モノ ニア ラ サ ル ニ拘 ラ ス伝統 的 ノ門 戸 開放 政 策 二拘 泥 シ米
又 一部 ノ識 者 ニ於 テ ハ米 国 ノ極 東 ニ於 ケ ル利 益 力米 国 ニ対 シ テ ハ
ト ヲ自 省 セ ント ス ル情 勢 ニア ル モ ノト観 察 セラ ル
︹ 参謀 次 長 宛在 外 武 官電︺
一、
[ 松本健児︺
米国大使館附武官
華 府 条 約 廃棄 通告 ニ際 シ米 国 輿 論 ノ趨 勢 ヲ考 察 シ情 勢 判 断 ノ資 ニ
日 本 ノ主 張 ノ 正当 ニ シテ其 行 動 ノ妥 当 ナ ル限 リ英 米 ノ協 同 ハ見 込
且 其 行 為 ヲ正義 附 ク ル モノ ニア ラ ス事 実 一部 識 者 ノ反 対 ヲ招 来 セリ
供 ス 一、 倫 敦交 渉 ニ於 ケ ル日本 ノ主張 ハ単 ナ ル海 軍 軍 備 ノ問 題 ヲ超 越 シ
尠キ モノ ト判 断 セラ ル
独 立 国家 ト シテ平 等 自 主 ノ権 利 ヲ主 張 ス ル モノ ナ ル処 当 地輿 論 ハ勿 論 識 者間 ニ於 テ モ伝 統 的 ノ優 越 感 ヲ脱 却 スル ヲ得 ス シ テ感 情 的 ニ之
有 セ ント ス ル専 門 的 ノ埒 内 ヲ出 テ ス国 務 当 局 特 ニ事 務 当事 者 ハ伝 統
三 、 米 国 海 軍 ハ尚 其 伝 統 的 政 策 タ ル日本 海 軍 ヲ打 破 シ得 ル兵 力 ヲ保
然 レト モ日本 ノ態 度 力確 乎 ト シテ主 義 ニ於 テ何 等 ノ譲歩 ヲ モ為 サ
的 観 念 ニ支 配 セラ レア ル モ日 本 ノ正当 ニ シテ 且強 キ主 張 ニ対 シテ ハ ︹コー デル・ハル︺ 唯 ﹁安 全 ノ平 等 ﹂ テ フ曖 昧 ナ ル主 張 ヲ漏 ス ニ過 キ ス国 務 長 官 ハ 一般
ヲ非 難 セ シ ハ御 承 知 ノ通 リナ リ
サ ル事 実 及 日本 ノ主 張 ノ正 当 ト 其 実カ ト ハ識 者 間 ニ暗 黙裡 ニ従来 ノ 優 越 感 ヲ以 テ 日本 ニ不 合 理 ナ ル コト ヲ強 制 スル コト ノ不 可能 ナ ル コ
ニ感 情 的 ノ言 ヲ避 ケ極 メ テ慎 重 ナ ル ハ官 辺 ノ対 極 東 態 度判 断 上注 意
然 シ テ伝統 的 政 策 ト
ヲ要 ス ル所 ナ ル モ満 洲 事 件 以 来 ノ米 国 ノ態 度 ヲ急 変 ス ル コト ハ大 国 ノ面 目 上 至 難 ナ ル コト ヲ承 知 セ サ ル へカラ ス 実 際 ト ノ矛 盾 ヲ如 何 ニ シテ調 和 ス へキ カノ問 題 ニ直 面 セ ル モノ ト判 断 セラ ル
秘
次
報 長
二
宛
昭和 一〇 、 一、 四
電 号
一、二 、後 二、 ○ 八発 三 、 前 六 、 四 五着
︹丸山政男︺
英国大使館附武官
参 謀
実 情 ヲ称 讃 シ満 洲国 ノ発 展 ニ ハ英 国 ノ協 力 ス へキ余 地 ア リ英国 品 中
一
モ漸 次 識 者 間 ニ自 省 セラ ル ル傾 向 ア ル カ如 シ従 テ今 後 左 ノ如 キ問 題
四 、米 国 ニシ テ強 制 セサ ル限 リ 日米 間 ニ戦 争 ヲ生 スル コト 無 キ コト
第二 実 業 視 察 団 ノ報 告 ハ日英 ノ協 力 ヲ強 調 シ満 洲 国 ノ発 展 治 安維 持 ノ
ニ関 シ其 政 策 ヲ転 換 ス ルカ 又 ハ伝統 ヲ持続 シテ 日本 ニ対 抗 ス ル カノ
発 展 事 業 ニ資 ス ル主 要 品 ハ輸 出 可能 ナ リ ト シテ各 会 社 力速 ニ其 代 表
岐 路 ニ立 テ ル モ ノト判 断 セ ラ ル イ、 支 那 及 満 洲 ノ問 題 ハ米 国 力日 本 卜戦争 ヲ賭 シテ争 フ程 重 要 ナ
者 ヲ満 洲 国 ニ派 遣 ス へキ ヲ提 案 セリ
テ ハ諸 外 国 ノ満 洲 国 投 資 ニ影 響 スル ナ ラ ン ト述 へ政治 問 題 ニ ハ 一切
満 洲 国 ノ石 油専 売 ニ関 シテ ハ若 シ英 国 ニ不利 ナ ル取 扱 ヲ為 ス ニ於
ル モノ ナ リ ヤ否 ヤ (海 軍問 題 ハ此 政 策 ニ従 属 ス へキ モノ ニシ テ其
米国 側 ハ思 惟 シ ア リ)
関 シテ ハ何 等 現 ハル ル所無 シ尚 報 告 ニ対 シ当 地新 聞 ニ ハ事 実 ヲ記 載
触 レ ス団 員 中 ニ ハ報 告 ニ比 シ悲 観 説 ヲ有 ス ル モ ノ アリ 日英 親 善 等 ニ
細部 ニ関 シ両 国 専 門 家 ノ意 見 ノ 一致 ヲ看 ル コト ハ困難 ナ ル モノ ト
ロ、条 約 ノ神 聖 ヲ擁 護 スル為 戦争 ヲ モ辞 セサ ルヤ否 ヤ ハ従 来 ノ如
電
次 長
報
伊国 大使館附武官
一二 、 三 一、後 六 、 五 〇 発 一、 一、前 五 、 ○ ○ 着
︹ 沼田多稼蔵︺
謀
昭 和 一〇 、 一、 四
セ ルノ ミ
秘
参
三
ク聯盟 及極 東 ニ関 係 ヲ有 ス ル欧洲 諸 国 ノ手 先 ノ如 ク行 動 ス ル コト カ米 国 ノ為 有 利 ナ リ ヤ否 ヤ 之 ヲ要 ス ル ニ米 国 ノ輿 論 ハ日 本 ニ極 東 ニ於 テ優 越 ヲ与 フ ル時 ハ如 何 ナ ル行 動 ニ出 ツ ルヤ モ測 リ難 シト ノ猜 疑 ニ帰 著 ス故 ニ日本 ト シ テ ハ貸 ス ニ時 ヲ以 テ シ挑 発 的 言 動 ヲ避 ケ米 国 側 ノ感情 ノ鎮 静 ヲ求 メ ツ ツ正 当 ナ ル主 張 ヲ反 復 シ且 米 国 ヲ シ テ 理想 ト現 実 ト ノ調 和 ヲ策 ス ル 余 裕 ヲ得 セ シ ム ル コト ニ拠 リ将 来 極 東 ノ実 情 ニ即 シ タ ル態 度 ヲ執 ラ シム ル如 ク ス ルヲ可 ト ス
第 八八号
一、条 約 廃 棄 通 告 ニ対 ス ル当 地 ノ輿 論 ハ沈 黙 ヲ守 リア ル モ日本 ニ於
ケ ル財 部 全 権 ヘノ 切腹 勧 告 等 従 来 ノ経 過並 本 通告 ニ対 ス ル東 京 ノ慎
談 力仮 令 不結 果 ニ終 リ タ ル ニ モセ ヨ更 ニ貴 重 ナ ル友 好 的 理解 ヲ以 テ
発 セサ ル如 ク各 国 共 大 ナ ル努 力 ヲ要 ス ルト共 ニ ﹁ロンド ン﹂ 予 備 会
本 側 ニ同情 ス ルト共 ニ他 方 其 ノ結論 ニ於 テ ﹁今 後 海 軍拡 張 競 争 ヲ誘
︹ 彪︺
二、 予 備 交 捗間 ヲ通 シ欧 洲 方 面 ノ輿 論 ハ日本 ノ方 針 中 ﹁パ リテ ィ﹂
重 ナ ル手続 ヲ詳 述 シ暗 ニ日本 ノ決意 ヲ是 認 シア リ
テ各 国 当 事 者 ヲ戒 シ ム ルト共 ニ支 那 側 ヲ挑 発 スル カ如 キ言論 ヲ避 ケ
長 宛
報
昭 和 一〇 、 三、 七
五
関 、 北 、 天 、台 、 済 、 漢 、 南 、広 、 スミ
ニ努 力 ヲ要 ス﹄ ト論 シア リ
秘
次
、
六 、前 五 、 五 七 著
五 、 後 一、 一一発
米国大使館附武官
三
ム ヘキナ リ又各 国 相 互 間 ニ在 ル深刻 ナ ル各 種 ノ猜 疑 ヲ氷 解 セ シ ム ル
ル へキ テ ナイ ト 同時 ニ無 暗 ニ其 ノ近 隣 ヲ刺 戟 スル カ如 キ言論 ヲ慎 シ
居 レ リ又 上海 ﹁タ イ ム ス﹂ ハ ﹃日 本 ハビ ン ソ ン声 明 ノ如 キ ニ刺 戟 サ
新 情 勢 ニ適 合 ス ル協 定 ノ締 結 ニ向 ヒ各々 犠 牲 ヲ払 フ覚 悟 ヲ要 ス﹂ ト
四 五著
四 、 一〇 発
ノ部 分 ノミ ヲ取 揚 ケ安 全 感 ト ﹁パリ テ ィ﹂ ト矛 盾 ス ト揚 足 ヲ取 リ 又
一、
後 ,五、
︹ 鈴木美通︺
上海公使館附武官
一二、 三
条 約 廃 棄 怖 ル ル ニ足 ラ スト ノ 日本 ノ率 直 ナ ル声 明 ハ却 テ日 本 ヲ傷 着
四
ケ ル為 悪 用 セラ レタ ル コト ア リ
報 宛
昭 和 一〇 、 一、 四
電 次 長
秘
参 謀
華 府 条 約 廃 棄 ニ関 シ当 地言 論 界 ハ年 末 ノ関 係 カ未 タ其 ノ意 見 ヲ発
支第八九二号 電 謀
一、英 国 ハ現 状 維 持 ノ為 列国 特 ニ米 国 卜協 同 セ ン コト ヲ望 ミ米 国 ハ
参
表 モ ル モノ僅 少 ナ ル カ時 事晨 報 ハ ﹁日本 ハ全 世界 ニ挑 戦 ス﹂ ト題 シ
華 府 諸 条 約 ヲ極 東 政 策 ノ基 調 ト ス ル傍 英 国 電 第 十 五号 聯 盟 ト離 レ独
第三 二号
ト ﹂内 ニ容 レタ ル モノ 卜看做 シ今 ヤ全 世 界 ヲ対 象 ト シテ 一貫 シ タ ル
﹁満 洲 事 変 、 聯 盟 脱 退 、満 洲国 ノ独 立 、 天 羽 声 明 及 最 近 ノ在 満 機 構
野 蛮 行 為 ヲ強 行 ス ル モノ ナ リ﹂ 卜毒 附 キ タ ル後 ﹁ 吾 人 ハ極 東事 件 ヲ
、デ ービ スノ声 明 ニ於 テ明 ナ リ唯 日本 ノ怨 ヲ買 フカ如 キ主 動 的 ナ
自 ノ見 地 ニ於 テ他 国 卜協 同 ス ルノ政 策 ヲ執 リ ア ル ハ最 近 ニ於 ケ ル ハル
改 革断 行 ト今 次 ノ破 棄 通 告 ヲ観 レ ハ日本 ハ既 ニ支那 ヲ其 ノ ﹁ポ ケ ツ
一個 ノ野 心国 ノ蹂躙 ニ委 ス ル モノ ニア ラ ス、 四国 協 定 、 九 ケ国 条 約
害 一致 ス、
即 英国 ハ実 益 上 ヨリ米 国 ハ主 義 上 ヨリ 日本 ノ発展 ヲ抑 圧 ス ル ニ利
ル ヲ慎 ミア ルノ ミ
ハ尚 存 在 ス ル モ日本 側 ノ手 段 ハ愈々 積 極辛 辣 ト ナ リ ツ ツア ルヲ 以 テ 国 民 ハ特 ニ警 戒 ヲ要 ス﹂ ト 論 シ 外 字 紙 中 ﹁デ リ ー ・ニ ユー ス﹂ ハ ﹁日本 ノ条 約 廃 棄 ハ明 カ ニ綜 合 的 平 和 建設 へノ挑 戦 ナ ル モ左迄 不 当 ナ ラ ス、 日 本 ノ平等 要 求 ヲ包 容 ス ル雅 量 ヲ示 スヲ要 ス﹂ ト テ 一方 同
二、 軍 縮 予 備会 議 ニ於 テ日 本 ハ政 策 ノ討 論 ヲ回 避 セ ル カ本 会 議 ニ於 テ ハ英 、 米殊 ニ英 国 ハ極 東 政 策 ヲ 上程 シ 日本 圧 迫 ヲ企 図 シ之 ニ墓 キ 最 近 主 ト シテ英 国 ヨリ英 、 米協 定 ノ宣 伝 旺 ニシ テ其 情 況 華 府 会 議 前 ニ於 ケ ル英 、米 協 定 ヲ目 的 ト シタ ル英 国 側 ノ巧妙 ナ ル宣 伝 ニ酷 似 ス ス マツ ツ ハ南 亜 ニ於 テ リ ツト ン ハ米 国 ニ来 リ ロー シヤ ン ハ英 国 ニ於 テ英 、 米 協調 ニ依 ル 日本 圧迫 ヲ声 明 シ英 国 下 院亦 之 ニ共 鳴 シ特 ニロ イド ・ジ ョー ジ ノ名 ニ於 テ (実 ハ英 国 宣 伝 機 関 ノ作 為 セ ル モノ ニシ テ英 国 ノ態 度 ヲ完 全 ニ反 映 セリ ト認 メ ラ ル) ﹁ハー ス ト﹂ 新 聞 ニ日 本 ノ支 郡 侵 略 ヲ阻 止 シ支 那 ニ統 一ノ余 裕 ヲ与 フ ル ハ世界 平 和 ノ鍵 ナ リ之 力実 行 ハ英 、米 ト雖 単 独 ニ為 シ得 ス五大 国 ノ協 調 ニ依 テ ノ ミ極 東 問 題 ヲ解 決 シ得 ルノ意 見 ヲ声 明 シ支 郡 ニ恩 ヲ売 ルト共 ニ米 国 ヲ誘 ヒア リ 三、 前 述 ノ如 ク軍縮 ヲ囲 リ、 英米 協 調 工作 ハ漸 次 進 捗 シア ル ノ兆 ア リ最 近 日支 交 渉 ニ対 ス ル英 国 ノ策 動 ハ冒 頭 ニ述 ヘタ ル根 本 政 策 ヲ意
ナ ル モ念 ノ為 対策 要 綱 ヲ述 フ
味 セル準 備 工作 ノ 一狂 言 ナ ル へシ之 ニ関 ス ル意 見 ハ既 ニ書 類 発 送 済
ナ ル検 討 ヲ遂 ケ置 ク ト共 ニ断 乎事 実 ニ拠 リ事 ヲ固 メ特 ニ満 洲 ノ発
1 、 軍 縮会 議 ニ於 テ政 策 ノ討議 避 ケ難 キ ニ付 日 本 ハ之 ニ関 シ周 到
華 府 条約 ヲ廃 棄 シ自由 ノ立 場 ニア ル日 本 ハ招聘 国 ニ招 集 ノ期 ヲ
達 ヲ促 進 シツ ツ会 議 ニ応 ス ル ヲ賢 明 ト セ ン
委 ス へク会 議 再 開 ヲ 日本 ヨリ促 進 スル ハ此 際 有利 ナ ラ ス
ト セ ン英 、米 協 調 ニ対 ス ル米国 ノ反 映 尚 顕 著 ナラ サ ル今 日 ニ於 テ
2 、 日 本 ノ対策 ノ主 目 標 ヲ英 国 ニ向 ケ英 、 米協 調 ヲ牽 制 スル ヲ可
然リ
四五
山 本 五十 六 中将 復 命書
謹 みて昭和十年海軍軍縮会議 の予備交渉 に関 し昨年十月以降 の経
英 米 側 に提 示致 し まし た る帝 国 政府 の根 本 方 針 は 次 の通で 御 座 り ます
べ か らず 之 が実 現 の具 体 的方 策 と し て は先 づ 我 等大 海 軍 国 間 に於
国 家安 全 の為 必 要 と す る限 度 の軍 備 を 有 す る の権 利 は各 国 の斉
臣 五十 六 帝国政府 の命 を承 け昨年九月本邦を出発致し十月下旬より倫敦 に
の安 全感 を害 す る こと な く不 脅 威 不 侵 略 の原 則 の下 に為 され ざ る
し く 之 を享 有 す る所 にし て軍縮 協 定 は此 の義 を 尊 重 し て各 国 国防
過 に就き奏 上致します
於きまし て英 国駐剳特命全権大使松 平恒雄 と共 に帝国代表として昭 和十年海軍軍縮会議 の予備交渉 に参 列致 しまし たが臣 は今回情況報
而 し て之 が協 定 に当 り て は右 限 度 を 出 来得 る限 り小 な ら し め 且
備 を整 備 し得 る如 く為 す を最 も適 当 と す
を規 定 す る を根 本 義 と し 右限 度 内 に於 て各国 国 防 上 必要 と す る軍
け る 軍縮 の方 式 とし て各 国 の保 有 し得 べき 兵 力量 の共 通 最 大 限度
今回 の予備交渉 は昨年十月二十三日再開 せられ 日英米 三国間 の交
告 の為帰朝 を命 ぜら れた ので御座 ります 渉 に終始 したので御座りまして主 として二国会談 の形式 を執 り海軍 軍縮問題 に関 し討議を行 った ので御座 ります する帝国政府 の根本方針を提 示致 します ると共 に新なる軍縮協定 に
各 国 は各 国防 の脆 弱 性 を異 にす るを 以 て其 の兵 力 に差 等 あ る べき
右 我 方 の主 張 に対 し ま し て英 国 側 は
攻 む る に難 く 守 る に不 安 な から しむ るを 基礎 と せざ る べか らず
攻 撃 的 兵 力 は極 力縮 減 し防 禦 的 兵 力 は 之 を整 備 し以 て各 国 を し て
到達 し以て国際平和 の確立維持 に貢献 せんとする我方 の真摯な る希
は当 然 な り 然 るに も拘 ら ず 一律 に共 通最 大限 度 を定 む ると き は右 限
交渉再開 の劈頭 に於きまして帝国側 は英米に対し次 に申 し上げま
に依 る華府海 軍軍備制限条約 は之を廃止す るの要 あることをも説明
度 迄 兵 力 を 必要 と せざ る国 は 兵 力 の整 備 上伸 縮 の自由 を有 す る も之
望を披瀝致した ので御座 りまして尚右根 本方針 に鑑 み差等比率主義 致した ので御座 ります
英国 としては常 に他国 の建艦 に対応し得 る如 く為す の要ありと の趣
を必要 とす る国は右伸縮性 を有 せず 特 に欧洲諸国を近く に控 へ居る
の趣 旨 を 以 ち ま し て反 駁 を加 へた の で御 座 り ま す る が英 米 共 に其 の
不 平 等 感 を 与 へ関 係 国 間 に感 情 上 面白 か らざ る影 響 を与 ふ る こと等
ざ る に至 り た る こと、 比 率 を 以 て兵力 に差 等 を附 す る こと は 国 民 に
各 国共大 なる犠牲 を払ひ締結 したるも のにし て建艦競争を防止し各
し ます る と共 に友 好 的雰 囲気 の裡 に之 が廃 止 を 実 現 せ ん が為 各 国 共
の有 効 期 間 た る 一九 三 六年 後 に之 を 存 続 せ し め 得 ざ る こと を明 に致
尚 華 府 条 約 廃 止 に関 し ま し て は英 米 に対 し 帝 国政 府 は該 条 約 を 其
主 張 を固 持 し て 我 方 の主 張 を 容 認 す る に至 ら な か った の で御 座 り ま
旨 を強硬 に主張した ので御座ります
国 に安全 の平等 を与 へ爾来十数年間最 も有効 に働き来 れるものにし
同 し て華 府 条 約 の廃 止 通 告 を致 し度 旨 申 し 入 れま し た が英 米 共 之 を
す
て其 の後更 に倫敦海軍条約成立し之 と相俟 って茲に世界 の平和と安
応 諾 致 さ な か っ た の で御 座 り ま す
又米国側は
全 とを維持 する機構 を建設せり然るに今 回の日本 の主張 は現存 の海
華府海軍軍備制限条約は海軍軍備 のみならず 万般 の事情を検討し
軍軍備制限条約 の基礎 たる安全 の平等 と異 なれる観念 より出発 せる
斯 か る情 勢 に於 きま し て英 国 側 は交 渉 の行 詰 り を 打 開 す る 一策 と
各国 は条 約 に依 り 平 等 的 立場 を有 す る こと
し て 一の示唆 案 を提 示 致 しま し た が其 の要 点 は
ものな るを以て之 が討議 には問題 の根本 に立ち帰り政治的其 の他 一 切の事情を再検討す るの要あ るのみならず折角建設したる平和機構
各 国 は 一九 三 六年 後 数年 間 の建 造 計 画 を協 議 し 之 を自 発 的 一方
を破壊せんとするものにして真 に不幸 なり尚 又日米 の兵力を均等 と
的 に宣 言 す る こと
せば地理的 に優位 を享有す る日本は米国 より優勢と為 るべく且日本 の提案 に依 るときは共通最大限度迄建造 せんとす る建艦競争 を惹起
と 言 ふ ので御 座 り ま す
此 の示唆 案 は表 面 上 我 方 の主 張 を加 味 し て は御 座 りま す るが実 質
す べしと の趣旨 を以て反対し倫 敦条約 は之を修正し華府条約 は之 を 存続す ることを以て今後 の軍縮協定 の基礎 たらしめん ことを強硬 に
至 るベき こと、仮令国防 の脆弱性が問題 となるとす るも帝 国 の脆弱
す る不脅威 不侵略 の原則 が実現せば国防 の脆弱性は考慮 の要 なき に
保有すべき兵力 に何等 の差等を付すべきに非ざ ること、帝国 の主張
是等 の英米 の主張 に対しましては海上兵力 の移動性 に鑑 み各国 の
ま す る に英 国 の保 有 せ ん とす る兵 力量 は各 種 の条 件 に依 り 多 少 の変
ま し て自 国 の建 艦 計 画 を も内 示 し た ので御 座 りま す る が之 に依 り 見
合 ひ之 に依 り何 等 か協 定 に到 達 せ ん こと を希 望 す る旨 繰 返 し 申 出 で
す るも 可 な り と の意 を仄 め かし 更 に今後 数 ケ年 間 の造 艦 計 画 を 示 し
後 英 国側 は自 発 的 且 一方 的 宣 言 は之 を契 約 的 基 礎 に依 ら ざ る こと と
ま し て 我 方 と致 し まし て は遽 に応諾 し難 き も ので御 座 り ま す 、其 の
に於 て は大 凡現 比 率 を維 持 せ ん とす る も の と認 め ら る る の で御座 り
性は米国 に比す れば却 て大な ること、華府条約 は締結以来 十数年 を
主張した ので御座 ります。
閲し国際情勢 の変化、艦船兵器 の進歩等 に依り今日 の情勢 に適応 せ
本 予 備 交 渉 に於 き ま し て は各 国 代 表 共 に終 始 友 好 的 な る雰 囲 気 の
を仏 伊 両 国 に臨 機 通 報 し た次 第 で御 座 り ます
裡 に腹 蔵 な く 率 直 な る意 見 の交 換 を行 ひ何等 か協 定 の基 礎 を 発見 す
化 が あ り ます る が大 体 百 二十 万噸 程度 で御 座 りま し て現 存海 軍 軍 備
に於 き ま し ては却 て増 加 し て居 る情 況 で あ り ま し て而 も之 を 以 て絶
制 限 条 約規 定 兵 力 量 と殆 ど 差 が あ り ま せ ぬ の みな ら ず 乙 級 巡 洋艦 等
る様 真 摯 な る 努 力 を致 し た の で御 座 り ま し て或 る 二国 が提携 し て他
た為 とは存 じ ま す る が軍 縮 協 定 の成 立 を熱 望 し交 渉 を 円 滑 に進 行 せ
の 一国 を 圧 迫 す る と か或 は之 を 疎 外 す る と か の如 き こと は全 然 見 受
しむ る如 く 終 始最 も熱 心 に斡 旋 致 し た の で御 座 りま す 而 し て英 米 共
対 的 所 要量 と し て之 が低 下 を 至 難 な り と主 張 致 し た の で御座 り ます
尚 英 国 側 は量 的 制 限 の協 定 が不 可 能 な る に於 て は建 艦 競争 を緩 和
に我 方 の主 張 を最 も大 な る関 心 を 以 て聴 取 致 しま し た ので我 方 と致
け ら れな か った ので御 座 り ます 特 に英 国側 は招 請 国 た る関係 も あ っ
す る為 単 艦噸 数 及備 砲 の大 さ等 の質 に関 す る協 定 丈 け に ても 成 立 せ
し ま し ては 充 分 に帝 国 政 府 の根 本 方針 を闡 明 し得 た の で御 座 り まし
る から 大 軍縮 を為 さ ん とす る帝 国 政 府 の主 張 と相 隔 る こと遠 く 我 方
し め 度 旨申 出 で た の で御 座 り ま す る が之 は最 少 の軍 費 を 以 て国 防 の
て之 と 共 に英 米 の主 張 も 大 体 之 を 了 知 し得 た の で御座 り ます る が各
と 致 し ま し て は之 を承 認 す る訳 に参 ら な か った次 第 で御 座 り ま す
安 固 を 期 し得 る軍 備 を整 へん と す る我方 に執 りま し て大 い に不利 と
国 共 に其 の立場 を異 に致 し て居 り ます る ので未 だ各 国意 見 の 一致 を
は 誠 に遺 憾 に存 ず る次 第 で御座 り ま し て之 が貫 徹 には更 に今 後 一層
英 米 側 を し て帝 国 政 府 の主 張 を 容認 せ しむ る に至 ら な か った こと
見 る に至 ら な か った の で御 座 り ま す
す る 所 であ り ます る為 此 の英 国 の提 案 は之 を拒 否 し た 次 第 で御 座 り
米 国側 は英 国 の示 唆 案 には 余 り 興味 を有 しな か っ た様 観 察 せ ら れ
ます
依 然 と し て現存 条 約 の存 続 を 固 執 し 現比 率 を維 持 し つ つ兵 力量 の 一 律 二割 縮 減 を為 さ ん こと を主 張 し た ので御 座 り ます
倫敦海軍軍縮予備交 渉帝国代表
の努 力 に俟 つ の要 あ るも のと 信ず る ので御 座 りま す
昭和十年二月十九日
謹 み て奏 上 を終 り ます
右 の様 な 次第 で御 座 り ま し て之 以 上交 渉 の進 展 は望 み難 き情 況 と
の問 題 を再 検討 す る為 本 国 政 府 と協 議 す る要 あ る を以 て 一応 帰 国 し
為 り 且 米 国側 は帝 国 が華 府 条 約 を 廃 止す る に於 て は根 本 に遡 り各 種
し各 国 共 互 に其 の主 張 に関 し再 考 慮 し 交 渉 再開 の機 運 が熟 し 次 第 成
度 意 志 を 表 示 致 し ま し た の で三 国 の代表 協 議 の結 果 一旦 交 渉 を休 止
る べく 速 に英 国政 府 は適 当 な る処 置 を講 ず る こと に申 合 を致 し ま し
尚 仏 伊 両 国 は 此 の度 の予 備 交 渉 には直 接 関 与す る に至 らな か った
て十 二月 二十 日休 会 と致 し た の で御 座 り ま す
の で あ りま し て日英 米 三国 交 渉 の経 過 に就 き ま し て は英 国 側 よ り之
海 軍軍 縮 会議 帝 国 全 権委 員 に与 ふ る訓令 案
縮協定を遂げんとす るに在り
安固を期し得 るを必須 の要件として関係国間 に公正妥当 なる海軍軍
一、今次海軍軍縮会議 に於 て帝国政府 の目的とする所は帝国国防 の
題 の解決 を複雑困難ならしむるも のなるを以て之 を避く るを要す就
四、今次軍縮会議 に於 て政治的諸問題 を導 入す ることは徒 に軍縮問
勿論 なり
からず之 が為高度軍備国は他に比し 一層大 なる犠牲 を提供す べきは
各国 をして攻 むるに難く守 るに不安 なから しむ るを基礎 とせざ るベ
四六
二、帝国海軍軍備 の要旨 は西太平洋を制御 し且国家生存 発展に必要
中東亜 に関す る政治問題 の如きを討議す ること は帝国政府 の同意 し
海軍省)
なる海上交通線 を防護 し東亜 の安定勢力 たる帝国 の地位 を確保す る
得ざる所 なり
(一〇 、 一〇 、 二 八
に足 るの兵力を整備す るに在り而 して之 が為海軍軍縮 協定 に於 ては
六、仏 伊海軍兵力問題 に関しては前顕帝国政府 の根本方針に基 き協
帝国 が世界最大海軍国 と均等 の海軍兵力 を保有整備し得 るの権利 を
定せらるベき保有兵力量 の共通最大 限度 の範囲内 に於 て英仏伊 三国
確立する こと絶対 に必要なり 帝国は国家安全 の為必要 とする限度 の軍備を有する の権利 は各国
間 に適 当なる妥結点 を見出 さるる ことに就 き帝国政府 に於ては異議
へざる限り之 を考慮す ることを得
斎しく之を享有 し各国国防 の安全感 を害す ることなく不脅 威不侵略
を有 せず
五、防備制限 に関す る協定は之が為兵力 に関す る我要求 に影響 を与
の原則を確立 せんとす るも のにして大海軍国間 に於 ける軍縮 の方法
三、今次会議 に於 ける帝国政府 の根本方針左 の如し
とし て各国 の保有 し得 べき兵力量 の共通最大限度を規定 するを根本
す るを要す参加国 を拡大し 一般海軍国間 の協定達成 を目的とする会
せらる るも のなるを以て参加国を右以外 に拡大す ることは之 を拒否
七、今次会議 は華府及倫敦両条約 の規定 に依 り条約署名国間 に開催
而し て之が協定 に当 りては軍縮 の精神 を発揮す る為右 限度 を小な
義とす らしめ且攻撃的兵力 は之を極力縮減 し防禦的兵力は之を整備 し以て
記
一、前顕第三号帝国政府 の根本方針 に基 く共通最大限兵力協定 の内
議開催は前項会議 に於 て五国間又は情況 に依 り日英米三国間 に協定 成立せ る後之 を考慮す ることを得
容 は左 の諸項 に拠り制限す るものとす
(ロ)航空母艦は之が全廃 を主張す
(イ)主力艦 は会議 対策 として之 が全廃を主張 することを得
八、帝国海軍軍備上今次会議 は成 る可く速 に其 の結果 を見 るを有利 様如何 は爾後 の国際情勢 に影響す る処大な るも のあるべき を以 て協
は乙級巡洋艦、駆逐艦及潜水艦 と共 に 一括し て総噸数 を以 て制限
(
とす る所なり而 して予備交渉等 の経過 に鑑み会議 の推移及終止 の体
せられん ことを望 む
数
単
噸
種
二八 、 ○ ○ ○ 噸
艦
艦
備
砲
二六年
艦 齢
口 径 三 五、 五 糎
二〇 、 三 糎
二〇年
二〇年
(
事
潜水艦単艦噸数は 二、〇〇〇噸 以下 に縮小せず
状 況 に応 じ 其 の 一定 量 に限 り単 艦 噸 数 を 一、 八 五 〇噸 迄 増 大 す る こ とを 考慮 し 得
備 砲 ロ径 を 三 五 、 五糎 未 満 とす る こと には 同意 し難 し
記
主力艦、航空母艦を全廃 する場合亦之 に準ず
同量 とす
減 し艦種毎 に各国 に対し割当量 を定め帝国及米国 に対 し右割当は
此 の場合主力艦、航空 母艦及甲級巡洋艦 に就 きては極力之を縮
す
定 不成立 の場合 に於 ても帝国将来 の立場を不利 ならしめざ る様考慮 九 、叙上各号 の趣旨 に則り且予備交渉以来執り来 れる帝国政府 の態 度 を考量 し前顕帝国政府 の根本方針 を基礎として討議 を進む ること に努 めら れ交渉 の進 捗 に応 じ左記 に遵 ひ又海軍専門事項 に関し ては ︹ 岩下保太郎少将︺ 海軍首席随員 の意 見を徴し交渉 に善処せられ帝国主張 の貫徹 に最善
力
尚本訓令 の趣旨に依 り難 き事項 に関し ては予め請訓 せらるベし
の努力 を致 さるべし
艦 主
八、○○○噸
一五、 五 糎
一六年
二〇年
甲 級 巡 洋艦
五、 ○ ○ ○ 噸
一三糎
一三年
一五( 五糎 (若 は 二〇 、 三糎 )
乙級 巡 洋艦
一、 五 〇 〇 噸
一三 糎
二〇 、 ○ ○ ○ 噸
艦
二、 ○ ○ ○噸
母 艦
逐
艦
空
駆
水
航
潜
(ホ)艦齢超過艦 艦齢超 過艦 の保有 に関し ては協定 せらるべき艦齢内保有量 の多 寡 に応 じ其 の量 を考慮す 制 限 外 艦 船及 特 殊 艦 船 に関 す る規 定 は現 存 条 約 の規 定 に準 ず
(へ)制限外艦船及特殊艦船 二、 帝 国 政府 は成 る可 く 早 き 時 機 に於 て新 協 定 兵 力 に到 達 す る こと を要 求 す る も のな る も要 す れば 右 協 定 兵力 の内 容 に応 じ 一定 期 間内 に逐 次 該 兵 力 に到 達 す る を目 途 と し協 定す る こと を考 慮 し 得 三、 質 的 制 限 は兵 力保 有 量 に関 す る我主 張 の容 認 せら れ ざ る 限 り帝 国 の国 防 上 に甚 大 な る 不利 を招 来 す る も のな る を以 て同 意 し 得 ざ る 所 なり
一定 期間 に於 け る建 艦協 定 を行 は んと す る こと は帝 国 の根 本 方針 を
四 、建 艦 計 画 宣 言 等 の形 式 に依 り或 は其 の他 如 何 な る形 式 に依 る も
上極 め て不 利 な るを 以 て之 を応 諾 す る こと能 はず
某 調 と し実 質 的 に我要 求 を充 足 す るも の にあ らざ る限 り帝 国 の国 防
五 、造 艦 休 止は 其 の内容 期 間 の如 何 を 問 はず 我根 本 方 針 を 基 調 とす る協 定 の成 ら ざ る限 り之 を 考慮 す る の余 地 な し 六 、 新艦 の建 造 に関 し 相 互 に通 報 を 交 換 せ ん とす る こ とは 我根 本 方
を 以 て之 を受 諾 す る こと能 はず
針 を 基調 とす る協 定 成 ら ざ る限 り帝 国 の国 防 上 に不 利 を招 来 す ベき
方
四七
針
(一〇 、 一〇 、 三 〇
軍 案 ざ る限 り之 を 考慮 す る こ とを 得
軍事課)
一〇 、 二 九
防 備 制 限 に関 す る協 定 は之 が為 兵 力 に関 す る我 要 求 に影 響 を与 へ
海
軍 縮 全権 其 他 に与 ふる訓 令 に就 て
海軍軍備制限問題 に関しては昭和九年夏 陸、海 、外 三省 に於 て相 当紛糾 し熱心 に研究論 議せられ尽 したる処 にして其後内外 の情勢は 本件 に関す る限り何等変化しあらず従 て今次軍縮会議 に当 り交付す ベき訓令内容 は勿論 其行文措辞 の末 に至 る迄成るベく当時決定せる 領
最後案 を踏襲す るを要 す 要
記
一、全権 に与 ふる訓令 中陸軍 に関す る限り左記二項 に就き方針 を明 示す 左
一、海軍軍縮問題 に直接関係 なき諸問題特に東亜 の政治問題 二、太平洋防備制限問題 二 、陸軍随員 に与ふるも のに在 りては右 に準ず る の外其他 の重要問 題 に関 しては (航空を含 む)事前 に請訓せしむる如 く附加す
︹次 の文 は付 箋 に註 記 さ れ た も ので あ る。︺︹編 者 ︺
○第
一 案
四八
一〇 、 三 〇
午前
( ︹ 参 謀 本 部︺ )
︹次 の文 は 欄 外 に註記 さ れ た も の であ る 。︺ (編 者 )
全 権 に対 す る訓令 ︹ に 就 て︺
一、 防 備制 限 に関 す る協 定 は之 を考 慮 す る も之 が為 兵 力 に関 す る 我 要 求 に影 響 を与 へざ る 如 く留 意 す るを要 す
有 末 ︹精 三 ・少佐 ︺ 稲 田 ︹正 純 ・少佐 ︺
二、 ﹁記﹂ に次 の 一項 を 加 ふ 前 顕 第 五号 防 備 制 限 に関 す る協 定 に就 ては華 府 条 約 第 十 九 条 に
磯 村 ︹武 亮 ・少佐 ︺
持廻 り元帥軍事参議官 に内議する予定 なり
会同
準 じ 為 し得 れ ば之 に航 空 制 限 を附 加 せる も のを締 結 す る を有利 と
案
岡 本 ︹清 福 ・中佐 ︺ 二
案
十 一月 二日
す 第
案
前掲(二の ) 末 尾 を ﹁有利 と す る も積 極 的 に提 案 せざ る を可 と す﹂
三
に改 む 第
四
第 一案 の 二件 を 一項 に編 む 第
第 一案 の(一 の) みとす ○ 陸 、海 軍 専 門 事 項 は 夫 々陸 、 海 軍 首 席随 員 と⋮ ⋮
四九
( 一〇 、 一〇 、 三 一
陸軍省)
全 権 に 対 す る 訓 令 中 修 正 に 関 し 海 軍 へ要 求 せ るも の
五、防備制限に関す る協定は之を考慮 するも之 が為兵力に関す る我 要求を調節 し得ざ るも のとす しては陸 軍首席随員 の意見を徴し云 々
九、又海軍専門事項 に関 しては海軍首席随員 の、陸軍専門事項 に関
五〇
倫 敦 に 於け る海 軍 軍縮 会 議帝 国 全 権 委員 に 与 ふ る 訓令
らしめ且攻撃的兵力 は之 を極力縮減し防禦的兵力 は之を整備し以て
勿論なり
一、今次海軍軍縮会議 に於 て帝国政府 の目的 とす る所 は帝国国防 の
四、今次軍縮会議 に於 て東亜 に関す る政治問 題を議題 とす ることは
からず之 が為高度 軍備国 は他 に比し 一層大 なる犠牲 を提供すべきは
とす るに在 り
徒 に軍縮問題 の解決を複 雑困難 なら しむるも のなるを以て帝国政府
各国 をして攻むるに難 く守 るに不安な からしむるを基礎 とせざるべ
二、帝国海軍軍備 の要 旨は西 太平洋を制御し且国家 生存発展 に必要
の同意し得ざる所 なり
安固を確保す る範囲 に於 て関係国間 に公正妥 当なる海軍軍縮協定を
なる海上交通線を防護し東亜 の安定勢力たる帝国 の地位 を確保する
五、防備制限 に関する協定 は之 を考慮するも之が為兵力 に関する我
遂 げ成 るべく国民負担 の緩和 を図り且各 国間 の平和親交を増進せん
に足 るの兵力を整備する に在 り而し て之が為 海軍軍縮協定 に於 ては
六、仏伊海軍兵力問題 に関 しては前顕帝国 政府 の根本方針 に基き協
要求を調節し得 ざるも のとす
三、今次会議 に於 ける帝国政府 の根本方針左 の如し
間 に適当 なる妥結点を見出 さるることに就 き帝国政府 に於 ては異議
こと絶対に必要な り 帝国は国家安 全 の為 必要 とす る限度 の軍備 を有す るの権利は各国 斎 しく之を享有 し各国国防 の安全感を害 する ことなく不脅威不侵略
七、今次会議は華府及倫敦両条約 の規定 に依り条約署名国間 に開催
を有せず
帝国 が米国と均等 なる海軍兵力を保有整備 し得 るの権利を確立す る
の原則を確 立せんとす るものにして大海軍国間 に於 ける軍縮 の方法
す るを要 す
せら るるも のなるを以 て参加国 を右以外に拡 大す る ことは之を拒否
定 せら るべき保有兵力量 の共通最大限度 の範囲内 に於 て直接関係国
として各国 の保有 し得 べき兵力量 の共 通最大限度 を規定す るを根本 而して之 が協定 に当り ては軍縮 の精神 を発揮す る為右限度を小な
義 とす
参加国 を拡大し 一般海 軍国間 の協定達成を目的とする会議開催は 前項 会議に於 ける五国間又は情 況に依 り日英米三国間 に協定成立 の 見込立ちたる後 に於 ては之を考慮 し得 八、帝国海軍軍備上今次会 議は成 る可 く速 に其 の結果を見るを有利 とする所にして会議 の促進 を希望するも のなるも我方 が進んで会議 今次会議 の推移及終止 の体様如何は爾後 の国際情勢 に影響 する所
の決裂を企 図し居 るやの印象を与ふる ことなき様留意するを要 す 大な るも のあるべきを以 て徒 に他国 の感情 を刺戟 し仮令協定不成立 尚会議 の終止 に際 し国際的雰囲気を悪化せざ る為 の措置 に就 ては
の場合 に於 ても帝国将来 の立場を不利 ならしめざ る様努むるを要 す
ものなるに於 ては之を考慮 することとし差支なし
前記軍縮会議 に対する根本方針 に反戻せず 且帝国 の立場を害 せざる 九、叙上各号 の趣旨 に則 り且予備交渉以来執 り来 れる帝国政府 の態 に努 められ交渉 の進捗 に応じ左記 に遵 ひ又海軍専門事項 に関 しては
度 を考量 し前顕帝国政府 の根本方針を基礎とし て討議 を進む ること 海 軍首席随員、陸軍専門事項 に関 しては陸軍首席随員 の意見 を徴し 交渉 に善処 せら れ帝国主張 の貫徹 に最善 の努力を致さるべし 記
︹前掲の訓令案と同 一︺
尚本訓令 の趣旨 に依 り難き事項 に関 しては予め請 訓せらるべし
五 一 倫 敦 に 於 け る海 軍 軍縮 会 議帝 国全 権 委 員 に
座 ります
( 昭和十年十 一月四日)
強固 ならしむる為情況要す る場合 に之 を提議 せんとす るも ので御
奏 上書
与 へら る る 訓 令 中 統 帥 事 項 に 関 し 軍 令 部 総 長 奏 上 の際 の
謹みて本年十 二月倫 敦 に於 て開催 せらるべき海軍軍縮会議 に参列 の帝国全権委員 に交付 の訓令中統帥 に関係あ る海軍事項 に就き 奏
和九年九月八日予備交渉 に関し 奏 上致しま したる所と同 一で御座
右訓令中統帥 に関係致 しまする海軍事項は根本 に於きましては昭
合は常備兵力竝 に教育訓練 の内容等 に関しまし て改善 を要 します
能性 は極 めて小なりと認めます が万 一該艦種 の全廃 が実現す る場
主力艦 を有す る諸国と の関係 、予備交渉 の経過等 に鑑 み実現 の可
主力艦 の全廃は英 、米等 の従来 の主張及独、仏 、伊、蘇其 の他
ります即
之を全廃す べきを主張致します
(二)航空母艦 は寿府 一般軍縮会議 に提案致しました通各国 一律 に
上致します
第 一には会議参加 の大海軍国特 に帝国 と米国 との保有すべき海軍兵
はありませぬが会議 に対す る帝国 の根本主張 を強固ならしむる為
但 し航空 母艦 の全廃は兵力量均等 なる限 り帝国 の作戦上有利 で
力量 の最大限度 を共通 とし且成 るべく之 を低く規定する 之 が為
ことで御座 ります
攻撃的艦種 として之を主張 せんとす る次第 で御座ります
航 空母艦全廃は予備交渉 の経過等 に鑑 み実現 の可能 性は極 めて
(一)主力艦 は情況 に依りましては会議対策とし て各国 一律 に全廃
持する為 、又彼 我兵力比を戦時 にも平時 と大差な からしむる為将
し て総噸数 を以て制限し且甲級巡洋艦は極力之 を縮減し て各国 の
(三)主力艦及航空母艦を全廃す る場合 には甲級巡洋艦以下を 一括
兵力中 に於 て特種 の準備を必要と致 します
小なりと認 めます が万 一該艦種全 廃が実現す る場合 には特 に常備
又作戦上 の見 地より致 しましても之 が全廃 は帝国 に不利なるを以
但し主力艦 は海上兵力 の根幹 でありまし て大海軍国 の地位を保
すべきを提議す る場合 が御座 ります
て其 の実 現を希望 せざ る真意 で御座 ります るが帝国 の根本主張 を
恭
王
右謹み て 奏 上致 します
博
之 を要 します るに訓令中 の統帥事項 は国防用兵上適当 と認 めます
軍令部総長
割 当量 を定め帝国及米国 の割 当量を同量 と致 さんとす るも ので御
昭和 十年十 一月四日
座 ります 一括し て総噸数 を以 て制限し且主力 艦、航空 母艦及甲級巡洋艦は
(四)主力艦及航空 母艦 を存置する場合 には甲級巡洋艦以下と共 に 極力之を縮減 して艦種毎 に各国 の割 当量 を定 め帝国及米国 の割当 量 を同量と致 さんとす るも ので御座 ります 第 二には華府海 軍軍備制限条約及倫敦海軍条約所定 の兵力量 に関す 右 二条約所定 の兵力量 は艦船兵器及航空機 の発達 、国際情勢 の変
る こと で御座 ります 化等 に依りまして帝国国防上忍 び難き に至りました為 に右兵力 の協 二条約と関係なく兵力量 を協定 せんとするもので御座 ります
定 は帝国将来 の国防用 兵上不利 とす る処で御座 りまして会議 には右 第三 には防備制 限 に関す る 華府海軍軍備制限条約 にあ ります如き防備制限 は帝国 に取り今尚
こと で御座ります 有利 ではあります が其 の程度 は兵力量を調節 するに足 らざ るものと 認 めます が故 に防備制限に関す る協定 には之 が為兵力 に関す る我要 求 を調節 せざ ることを要件とす る次第 で御座 ります 訓令中右 以外 の海軍関係事項 も各 々国防用兵上重要 且適当 とする 次第 で御座 ります 海 軍関係事項 は以上 の通で御座 りま して低比率に基 く海軍兵力 の 協 定は帝国国防上 に及ぼす不利 あるに加 へ東 洋平和 の不安定 を招来 致します るの事実 に鑑みまして今次 の海軍軍縮会議 に於 ては帝国将 来 の国防 に不安なき協 定を遂 げんとす るも ので御座 ります
五 二
︹ 参 謀 総 長 ︺上 聞 案
海軍軍縮会議帝国全権委員 に与 ふる訓令中統帥事項 に関する件 謹みて昭和十年十 二月倫敦 に於 て開催せらるべき海軍軍縮会議 に 参列 の帝国全権委員 に対する訓令中陸軍作 戦 に関係 ある左記 二項 に 一、会議参加 の大海軍国特 に帝国 と米国と の保有す べき海軍兵力量
関し按ず るに に付之が比率 を廃し共通 の保有最大限度を成 るべく低度 を以 て規定 す るの件 に関 しては縮減 に伴 ふ諸般 の対策 にし て実現せられ且陸海 軍 の協 同緊密 なるに於 ては陸 軍作戦 上支障なきも のと認 む 二、華府海軍軍備制限条約 に在 る如 き防備制限 に関する協定 を考慮 す るの件 に就 ては此種協定 の存在 は陸軍作戦上有利なるを以 て之 が て防備制限 に関す る協定存在 せざるに於 ては之 が為所要 の対策 を講
為海軍兵力量 に関す る我要求を調節 せざ る限 り適 当なりと認む而 し ず るの要 ありと認む 昭和十年十 一月八 日
右謹みて上聞す
( ︹ 参 謀 本 部︺ )
参謀総長 載
仁
親
王
貴 官は倫敦 に於 て開催 せらるる海軍軍縮会議 に於 ける帝国全権委
の趣 旨 に反 す
に制 限 を蒙 る は不 利 な り 従 て臺 湾 の み の除 外 例 を求 む ると せ ば本 項
一、 陸 軍 の見 地 に於 ても臺 湾 の航 空 兵 備 は 比島 の航 空 兵 備 と 対蹠 的
陸 軍 砲兵 大 佐 鈴木 率 道 に 与 ふ る訓 令
員陸 軍随員 の首席とし て其執務 を統轄し左記方針 に基 き全権委員を
二 、陸 軍 は 左記 理 由 に依 り航 空 制 限 附 加 に反 対 の意 向 な るを 以 て縦
五三
一、本会議 に於 ては海軍 の軍縮問題 に直接関係なき諸問題特 に東亜
輔 佐す ベし の政治問題 に触 るることは絶 対に之 を排撃す
に は到 達 し難 し
令 陸 軍 側 のみ有 利 な り と なす 場 合 に も国 策 と し て有 利 なり と の判 決
作 戦 上 不 利 と 為す は第 一南 洋 委 任 統 治領 に散 在 す る多 数 の島嶼
2、 作 戦 上 不 利
1、 航 空 制 限 其 物 の可 能 性 な し
二、防備制 限に関す る協定 に就 ては華府条約第十九条 に準 じたるも の或 は更 に之 を帝国 に有利なる如 く拡大 したるも の為し得 れば之等 に航空制限 を附加 せるも のを締結す るは有利なるも当 方より積極的 に提案す るの意 にあらず
之
不 利 な り 、第 二 千島 方 面 に於 ては 米 の ﹁アリ ユー シ ヤ ン﹂ 群島 は
は海 軍 主 作 戦 路 に当 り該 方 面 に対 す る航 空施 設 は殆 んど 絶 対 的 の
島 義
三、前項 以外会議 の情勢 に依 り陸軍及航空 に重大 なる関係を有する 川
も の にし て之 を ウ エー キ、 ガ ム島 と 相 互 的 に制 限 を蒙 るは作 戦 上
陸軍大臣
問題発生 せる場合 には先づ請訓す ベし
陸 上 航 空 基 地 絶 無 に し て水 上 基 地 豊 富 な る現 況 に於 て制 限 の苦 痛
る実 況 にし て然 も陸 上基 地 は平 時 より 施 設 を要 す る地 形 上 の特 質
は 彼 にあ ら ざ る に反 し我 千 島 は水 上 基 地 な く陸 上 基 地 のみ 求 め得
本項中 ﹁為し得れば航空制限 を附加す﹂ の件 は将 来 適 当 の機 会
に鑑 み る とき は 是 れ亦 我 の み制 限 に依 る苦 痛 大 な る も のな り
︹次 の 一文 は付 箋 に註 記 さ れ て い るも の であ る 。︺ ︹編 者 ︺
︹に︺削除 を要す るも のと認む其 の理由 左 の如し
秘
五四
電 次 長
報 宛
昭 和一一 、 一、一一
謀
第 一号
参
一〇 後 三、 五 五 発 一 一 前 三 、 一〇 着
︹ 参謀 次 長 宛仏 国 大 使館 附 武 官電 ︺
一、
︹ 菰田康一︺
仏国大使館附武官
倫 敦 軍 縮 会 議 ハ本九 日英 国 案 ニ対 ス ル日本 全 権 ノ反 駁 ニ対 シ英 国 全 権 色 ヲ作 シ会 議 将 二決 裂 セ ント セ シカ直 チ ニ会 議 ヲ打 切 リ明 日 午 後 ニ延期 セリト ノ危 機 ヲ伝 へラ ル 仏 国 ハ量 的 問 題 ノ主 義 ニ ハ日本 ニ同意 ナ ル モ太 平 洋 ノ情 況 ト事 情
著カ スノ 不徹 底 案 ニシ テ本会 議 ニ ハ最 初 ヨリ極 メ テ熱 意 ナ ク英 国 ニ
異 ナ ル ヲ主 張 シ概 ネ 伊 国 ト同 様 ノ意 見 ヲ提 出 セル モ其 内容 頗 ル孰 レ
枉ケ サ レ ハ茲二、 三 日遅 ク モ本 週 ヲ以 テ決裂 終 局 ヲ見 ル へシト考 へ
気 兼 セ ル八方 美 人 式 ナ リ輿 論 モ亦 極 メテ 冷淡 ニシ テ 日本 力其 主 張 ヲ
居 ル如 ク観 測 ス
目
五五
次
なす
執 り 不 利 な り と称 す
が存 続 を 有 利 と 認 め来 り しも のな る に反 し米 国 に於 て は之 を 同国 に
と し て帝 国 より 提案 し て成 立 し た るも の にし て爾 後 帝 国 に於 ては之
太 平 洋 防 備 制 限 条項 は華 府 会 議 に於 て日米 兵力 比 率 協 定 の 一条 件
一、 防 備 制 限 の沿革
防 備 制 限問 題 に関 す る研究
施設 を第 三国内 に施設せざる ことに関 し何等 かの型式 を以 て約定を
四、締約国 が他 の締約国 の領土 又は属地 に脅 威を与 ふる如き軍事的
算 なからしむ
但右撤廃 に応ず る対策 に関 しては予め之を十分に研究し国防上遺
洋防備制限 に関す る約定 を撤廃す るを妨げず
三、所望 の海軍勢力を保有す る為情勢上万已むを得ざ るときは太平
長 くも五年以内とするを要す
原則 とし て之を別箇 のも のとし防備制限 に関す る約定 の有効期限 は
防 備 制 限 関 係 書 類 (第部 一関係)
一、太平洋防備制限 に関す る件 ( 第二課) 二、防備制 限問題 に関す る研究 ( 海軍省) 三、防備制 限区域内 に於 ける陸軍防備 の現況 (第三課) 四、国土直接防空兵力資材 の現況 ( 第三課) 五、﹁別冊﹂ 一九 三〇年倫敦海軍会議に於ける全権 への説 明 案 ( 木村少 佐) ︹ 欠︺ 六、﹁ 別冊﹂華府会議諸条約 及諸決議 ︹ 欠︺ 七、﹁ 別冊﹂華盛頓会議復命書 ( 同附録共)︹欠︺ 八、﹁ 別冊﹂寿府三国海軍軍備制限会議報告書 ︹ 欠︺ 九、﹁ 別冊﹂倫敦海軍会議報告書 ︹ 欠︺
太平洋防備制限 に関す る件
昭和九年四月十四日 第 二 課
一、太平洋防備制 限に関す る約定 は空軍 に関 する制限事項を附加し て依然之を存続す 空軍 に関する制限 は別 に之を研究す 二、海軍 々備制限 に関す る約定 と太平洋防備制限 に関す る約定とは
せし作戦上 の利 益は尚或程度存続すると共 に精神的効果尠 からざる
には其 の効果を減少す るに至りたりと雖も防備制限協定 に当り所期
之 を要 する に本条項 は規定 の不徹底 と飛行機 の発達 に依 り実質的
防 備 制 限 条項 は其 の適用 地 域 に就 て は何 等 疑 義 な き も制 限 内容 は
も のあり
二、 防 備 制 限 区域 内 の防 備 状 況
あ り 又帝 国 の欲 せ ざ る監 督 制 度 を伴 ふ に非 ざ れ ば他 国 の違 反 を 阻 止
其 の性 質 上 明 白 を 欠く 点 あり て之 が解 釈 必ず し も 一定 な ら ざ る も の
四、防備制限条項 の改訂
殆 ど完 成せるに鑑 み之 に依り帝国 の受 くべき利益は殆 ど無く却而
大す る ことを要求し得ざる に非ざ るも右両 地の根拠地施 設は既 に
帝国 に対し不公平な ることを理由 として之 を布哇、新嘉坡 に迄拡
防備制限条項は締結当時 に比し価値減少 せる こと、制限区域 が
(イ)防備制限区域 の拡大 .
指 摘 し得 ざ る点 あ り 為に (一)マ ニラ要 塞 の防 備 を増 強 し た る疑 あ り (摘 発 し 得ず )
( 航 空 に関 す る規 定 を欠 く)
が兵力量 の低 下要求 の口実を与 ふるの虞 ある のみならず延 いては
帝国 は其 の代償 として更 に制限区域 を拡 大す べき余地なくし て我
(二比 )島 に軍 用 及民 間 飛行 場 を随 所 に設 置 せり
(三) 比島 に軍 用 道 路 を 各 方 面 に設 備 せり
孰れにし ても本問題 を兵力量協定前 に持出す ことは帝国 の不利
べし
も如斯 は実現性なく単 に懸引と見られ悪印象 を与 ふるに過ぎざ る
布哇、新嘉坡 の根拠地 を破壊 せば帝国としては或程度 の利あ る
我が委任統治領問題 に迄波及し来 ることあるべし
(沿岸 防 禦 の意 味 明瞭 を欠 く ) (四) 香 港 に飛行 場 設 置 及 防 空 其 の他 の背 面 防 禦 の増 大 を 見 た り (沿 岸防 禦 の意 味 明 瞭 を 欠 く ) 三、 防 備 制 限条 項 の価 値 (一) 現 条 約 は比 島 、南 支 の航 空 施 設 及 現 有 要塞 の改 修 を実 際 上 禁
とす る所なり
じ得 ざ るも 新 要 塞 の構 築 、 軍 用 船 渠 等 の新 設 は明 に之 を禁 止 し 得 る と共 に全 般 的 に精 神 的 束 縛 を加 へ得 る の利 益 あ り
(一)南西諸島、臺湾、南 方諸島、 千島列島 の軍事航空施 設制限 は
る ことは左記理由 に依り帝国 に不利 なり
現防備制限条項中 の軍事航空 に関す る規定を 一層厳 重ならしむ
とは我 の利 とす る所なるも其 の実現性殆 どなし
防備制限 に於 て軍事航空 と共 に民間航空 に関する制限 を為す こ
(ロ)防備制限区域内 に於 ける航空施設制限
︹シンガポール︺
(二) 英 米 をし て商 用 の名 の下 に軍 用 施 設 を 行 は し め得 る の欠 陥 あ り
(三)現条約 には 新 嘉坡 及布哇 を制限外 に置 きある の不利あり 公然 と実施し得ざる の不利 あるも之 が対策 は他 に求 め得ざ るに非
(四)南西諸島、臺湾、馬公、 小笠原諸島 に防空施設、航空施設を ず
帝国 の予想主作戦 上不利なり (二)南洋群島 の民間航空施設を拘束せらるるに至 る虞あり (三)商業 用航空路等 の名目 を以 て航空施 設実施可能 にして制限規 に於 ては之 等の名目 を立 つるに困難あり
定 の実効を期し難 きのみならず帝国は臺湾 、南西諸島 を除き現状 五、英米 の防備制限問題 に関す る態度予想 (イ)防備制限区域 拡大 に対し ては英米は帝国 が其 の代償 を払はざ る限 り絶対的に反 対す べし (ロ)米国は防備 制限 の撤廃 には反対 せざるべきも防備 の強化充実 を企図し我を威嚇す る ことあるべし (ハ)英国 は防備制 限 の撤廃 には反対 せざ るべし 防 備制限 は華府条約廃棄 に伴 ひ撤廃 せらるることとなるも のなる
六、防備制限条項 の処 理対策 が本 条項 の価値 は華府条約締結当時 に比 し減少したるも尚之 が存置 を有利 とす 而 して制限区域 の調節及制限条項 の詳細な る規定等 は仮令実現す るも現状以上 の実効 は殆ど之を期待 し得ざ るのみならず 却而帝国 に 不利 なる状況 に立至 る虞あるを以 て本問題は兵力と同時 に之 を議 せ ざるを可 とす 万 一兵力と同時 に本問題 が論議 せらるる に至れる場合 は防備制限条項 の精神的影響を指摘 し軍備制限 の主旨 に合す る理由 を以 て之 が存続 を主張し得 べきも本条項 の価値 に鑑 み之を以て我が
一 案
今後防備制限 を協定 せんとす る場合 には左記諸案を考慮し得
兵力量 を調節 すること能はず 第
第
現 状 維持
本 案 は 防 備制 限 を行 ふ以 上 最 小 限 のも のに し て帝 国 よ り 代償 を
案
払 ふ こと な き に於 て は協 定 し 得 るも のな り 二
左 記 に依 り 制 限 を 現状 よ り 一層 強 化 す
現状維持
日
布哇群島
米
馬来半島
英
仏領印度支那
仏
現状 に追加 す べき事項 地
制限区域内 に存在 を許す べき陸上 を基地とする 軍用及民間航空機竝 に其 の設備 を制限す
域 航空 に関す る制限
本案 は帝国 の受くる拘束 を現状 に止め英米等 に犠牲 を強 ふるも の 三 案
にし て成立 せば帝国 に 一層有利 となるも其 の可能性小なり 第
帝国 の受 くる拘束 を概 ね現状通りとし英米 に対し ては香港 、新嘉 坡 、真珠湾、比島 の防備を撤廃 せしめ布哇以西、馬来半島 以東 の太
本案 は実現 の可能性 なきも之 が提案 は軍縮 の精神 に合致 するを
平洋 諸島 の防備 を現状維持とす
以 て協定 不成立 の際等 に於 て言論戦 に利用 し得 るも のなり
︹次 の文 は欄 外 に註 記 さ れた も の であ る 。︺ ︹編 者 ︺
防 備制限 に関す る海軍側 の意見
海軍高級随員 に与 へた訓令中防備制限 に関す る事項 は本研究 に拠 陸軍側 の防備制 限事項 も先方 に示されあり
るべく示 されあり
昭和十年十月末 課 第 三
防備制限区域内 に於 ける陸軍防 備 の現状 一、千 島 列 島 北太平洋 に於け る海軍作戦及国土防空上千島列島 の価値重大なる に拘らず防備制限 の拘束を受け何等陸軍 の平時施 設なし 戦時後備歩兵、軽砲を以 て擇捉島、色丹、其他所要 に応 じ若干 の 島嶼を守備す る如く考慮 しあり 二、小笠原群島 小笠原群島特 に父島列島 は該 方面 に於け る海軍決戦 に方り拠点を 成形し海軍作戦 に協力する重要 なる任務 を有するに拘 らず防備制限 の拘束を受 け陸軍 の平時施 設は殆 ど見 るべきも のなし即ち父島 には 四 ︹糎︺榴 ︹ 弾砲︺ 四、十五 ︹ 糎 ︺加 ︹農砲︺四、十 加四) を構築
父島要塞司令部 を常設しあるも防禦施設 とし ては若干 の砲座 (二十 しあ るのみ にして備砲なく戦時内 地より輸送す るも のとす 八丈島及母島 は戦時後備歩兵及軽砲 を以 て防禦する如 く考慮 しあ り 南西諸島特 に奄美大島 は該方面 に於 ける海軍作戦 に方り拠点 を成
三、南 西 諸 島 形し且内台連絡航通 の掩護上重要 なる価値を有する に拘 らず防備制 限 の拘束を受 け陸軍 の平時施設 は殆 ど見 るべきも のなし
即 ち奄美 大島 には奄美 大島要塞司令部 を常設しあるも防禦施設 と
し ては若干 の砲座 (三十榴四、二十四榴 四、十五加四、七加四)を
構築しある のみにして備砲なく戦時内 地より輸送す るも のとす
沖 縄島中城湾、宮古島狩俣、及西表島船浮 は戦時臨時要塞を建設 す る如く考慮しあり 湾
澎湖島及高雄は南 方作戦 に於け る陸海軍 の拠点 たり基隆 は内台連
四、臺
絡航通 の起点とし て重要 なる価値を有す るに拘 らず防備制限 の拘束
即ち澎湖島及基 隆には夫 々澎湖島要塞司令部及基隆要塞司令部を
を受け陸軍 の貧弱なる平時施設 を有す るに過ぎず
常設 しあ るも防禦施設としては全く旧式 の火砲若干 を有す るのみ に
高雄 は戦時臨時要塞を建設す る如く考慮しあり
昭和十年十月末 課 第 三
し て防備 の骨幹た る火砲 は戦時内地より輸送するものとす
国土直接防空兵力資材 の現況
兵力整備 の現況附表第 一の如く資材 の現況附表第 二の如し
五六
鈴
木
率
倫 敦 海 軍 軍縮 会 議 陸 軍首 席 随 員復 命 書
一 年
昭和 十 一 十
陸軍砲兵大佐
其 三 将来 の軍縮会議
其 二 無条約状態下 に於 ける軍備競争
(昭和 十 一年 三 月
今次会議 は大体 に於 て夙 に帝国朝野 の予断 しありし経 過を辿 り其 結 果も亦簡単明瞭な るのみならず事専 ら海軍問題 に属し直接陸軍 に
其五 全 権団各機関 の連繋
其 四 会議と宣伝
の経過 は必要 の都度既 に其概要 を電報 々告 に及びたるを以 て今 に於
関 する案件竝政治問題は終に上提 を見 るに至らず し て已 み而も会議 て多く附加す べきも のなし以下主 とし て当務者後 日 の参考 に資する
録
其六 会 議脱退後 に於け る帝国 の国策
道)
第 二 帝国全権 に与 ふる訓令
第 一 帝国全権団名簿他国全権主要随員名簿
附
説
為左記要目 に基 き更 めて其梗概を叙す 第一 概
第 三 有末少佐 を正式随員となす べき や否 やに関す る往復電
第 四 十 二月九 日各国金権等 の演説
説
其 一 全権団 の氏名其他
第二 各
其 二 全権 に与 へられたる訓令
第十
第九
第八
第七
防備制 限問題研究 に関す る往復電
会議 の経過 に伴 ふ情況電
帝国 主張 の説 明
英仏伊建艦 通報案
第六英建艦宣 言案
第 五 各国質問 に対する日本 の説明
其 三 陸軍首席随員 に与 へられたる訓令其他 其 四 会議 に関する主要行事 日誌 察
陸軍随 員 の執 りたる処置概要 観
其五 第三
其 一 会議を続 る 一部 の国際情勢
第一 概
説
今次会議は華府倫敦両条約 の規定 に基き開催 せら れ其目的とす る と ころは 一九三七年以降関係国間に適用す べき海軍軍縮条約 を締結 せんとするに在 り
茲に帝国案 の討議は暫 く之 を後 日に譲 りて英 の建 艦宜言案 に移 るの
に触 るるを好まず)議決 せず事態 は漸く複雑微妙 の関係 を生じ来り
右英案 は十七日第五回十九 日第六回 二十日第七回第 一委員会 に上
已 むなきに至 り正 に会 議に 一段階 の劃 せら れたるを見る
り意義寔 に乏しきを以て我方 は真向 より反対を唱ふると共 に帝国案
提附議 せられた るも元来 現行比率 の存続を基礎とし且軍縮 の見地よ
討議復活 の機 を窺ふ乃ち該英案亦未 だ帰結を齎らす ことなくして二
会議前 に於ける 一般国際情勢 は錯綜 を極 め各国各 々其国防力 の増 強 により国際不安 を凌御 せんとする の気運濃厚 にし て又帝国国内 に
十 一日より休会 に入る
一月 六日会議再開 ( 第 八回第 一委員会) とな るや英 次で仏伊 より
在 りては挙国 一致均等兵力獲得 の決意牢乎 たるも のある こと周知 の りて魚を求むるが如し
如 く斯 かる雰囲気 の下実効あ る軍縮協定 の成立を期待するは木 に縁
に難 を避 けて易 に就き大本を逸 して末節 に流 れ剰 へ何時 となく逐次
夫 々内容略 々相似たる建 艦通報案 の提出 あり斯 の如くして会議 は明
質 的制 限に移行 せんとする の勢 を示しければ我方は此勢 を以て進 ま
会議 は十二月九日英首相 ﹁ボ ールドウイ ン﹂司会 の下 に開会先づ 議長副議長事務総長 の選挙 に亜ぎ各国 全権等 の演説 あり帝国は共通
せらるるに方 り帝国は量的根 本問題 の確立 せざ る限り次等問題 の討
に至らん ことを慮 り八 日第九回第 一委員会 に於 て上記三国案 の附議
議 に参 加すべからざ るを宜し会勢為 に急転決裂 の危機を孕む英是 に
ば帝国案 の討議終 に有耶無耶 の間に葬 り去 られ脱退 の好機 を失す る
現存比率 を基礎とする華府倫敦両条約 の補備 延長 を主張し 又仏は短
於 て打 開を策 せんと欲し て翌九日 の日英会談 とな りしも我方は更 に
最 大限度 の設定を基本 とす る量質両面 に亘る予 ての根本主張を卒直
期建艦通報案伊亦短期協定 を慫慂す尚会議 の進行 を図 る為第 一委員
明快 に陳述し英は主として質的制限竝潜水艦 全廃 に力点 を置き米 は
会 (全権及 一部随員 より成 る)を設くる こととな る
共通最 大限度 の設定を基本とする従来 の主張 にし て他国 の応諾 を得
事茲 に至 れるを以 て帝国全権は十日最後 の決意 に関し更 めて電訓
ざ るに於 ては遺憾な がら今後会議に留 まるべからざ る真意 を披瀝 し
を仰ぎ十二日に至 り廟護決すると ころも亦帝国主張 の反覆 徹底 に重
十 二月十日第 一回第 一委員会開催今後 の討議 は先づ量的問 題より
回) に於 て越 えて十六日全権 (一、 二 の随員 を伴 ふ)会議 に際 し又
ね て最善 の努力 を致し尚容れられず んば脱退已む を得ずと為し且能
我脱退 は只時 日と形式と の問題 となる
十三、十六両 日日英会談十七日日米会談を交 へて表裏 相応 じ反覆力
ふ べくんば潜水艦使用制限協定 の締結、軍備 不競争 の共同宜言によ
り我方 は翌十 一日より連続三日 に亘り第 一委員会 (第 二回乃至第 四
を尽し て帝国主張 の貫徹 に努 むると ころありしも英 米両国 は帝国 の
始 むべく之が為其根本問題 に触 るる日本案 を先議す ること ︹と︺ な
均等兵力を肯 んず べくもあらざれば辞柄 を設け て反対し (仏伊 も量
り会 勢 を有 利 に転 換 す るを得 策 とす る に在 るを 知 り 十 三 日 日英 会 談 を要 め て我 意 の存 す る と ころ を伝 へし も 彼 亦 既 に期 す る と ころ あ る も の の如 く 固 よ り之 に応 ず る の色 な し 斯 く て延 期 に延期 を 重 ね た る第 十 回 第 一委 員 会 は十 五 日開 催 先 づ 我 方 よ り 委 曲 を 尽 し て更 に帝 国 案 に説 明 を 加 へ次 で各 国 全 権 の意 見 陳 述 あ り 議長 は 日本 案 に対 す る支持 者 な き旨 を述 べ次 回 よ りは 建 艦 通 報案 の研究 を継 続 す べき を 宜 し散 会 、此 夜 九 時 我 方 は 第 一委 員 会 議 長宛 書 面 を以 て爾 後 の会 議 に参 加 し能 はざ る旨 を 明 にし て脱 退 の
第二
各
説
通告 を了 し多 年 の懸 案茲 に 一決 す
其 一 全権 団 の氏 名 其 他
其二
全 権 に与 へら れ た る訓令
全 権 団 の氏 名 其 他附 録 第 一の如 し
其三
陸 軍 首 席 随 員 に与 へら れ た る訓 令 其 他
全 権 に与 へら れ た る訓 令 附 録 第 二 の如 し
陸 軍 大 臣 川島 義 之 よ り陸 軍 首 席 随 員 に与 へら れ た る訓 令 左 の如 し
一一 著
一〇 、 一 一、 一〇 発 )
︹前 掲 、省 略 ︺
陸 軍 砲 兵 大 佐 鈴 木 率 道 に与 ふる訓 令 昭 和 (第 一二 三電 同
参 謀総長 より有末少佐 ( 駐 英大使館附武官補佐官)に与 へられた る命令 左 の如 し 昭和
一〇
、
一 一
、
一〇発 )
陸軍砲兵少佐有末次 ニ与 フル命令 (第一二四電
一一著
貴 官 ハ不 日倫 敦 ニテ開催 セラ ル へキ海 軍 軍 縮 会 議 ニ於 テ全 権 随 員 ノ業 務 ヲ補 佐 ス ヘシ
有 末 少 佐 を正 式 随 員 と な す べ き や否 や に関 す る 経緯 (往 復電 報 )
会議 に関 す る主 要 行 事 日誌
附録 第 三 の如 く 結 局 正 式随 員 の発 令 を見 ず 其四
永 野 ︹修 身 ︺ 永 井 ︹松 三︺ 両 全 権 任 命
十 一月 四日
随 員 十 六名 (含 鈴 木 大 佐 ) 任命
十 一月 六 日
十 二月 二日 (日 ) 一行倫 敦著 十 二 月 六 日 (金 )
駐 英藤 井 ︹ 啓 之 助 ︺ 代 理 大 使 よ り 日英 会 談 申 込
と す る の意 あ る を知 り 之 に対抗 す べく 機 先 を 制 し て我 より 二国
英 は専 門 家 円卓 会 議 を 設 け 他国 を誘 ひ て我 方 を 自案 に引 込 ま ん
会 議 を提 議 す
会 議 に対 す る我 一般 方 針 は自 主 積 極 以 て指導 的 立 場 を確 保 す る に在 り 十 二月 七 日 (土 )
席
者
日英 第 一次 会 談
日︱ 両 全権 、岩 下 ︹ 保 太 郎 ︺、寺 崎 ︹太郎 ︺、 溝 田 ︹主 一︺
点
英︱ チ ヤ ツ ト フイ ルド 、 ク レ ーギ ー
列
要
我 は主 と し て 日英 米 三 国 間 に 共 通最 大 限 度 を設定 せ ん と し 又
量 的問 題 定 ま ら ざ れ ば質 的問 題 に入 る を欲 せ ざ る こと を明 に
し 英 は 量 的 制 限 を希 はざ る にあ ら ざ る も成 算 乏 しき を 以 て質 に
一、 共 通最 大 限度 (Common
質 問 要 点
upper )はl 大i 海m 軍i国 tを小 海
軍 国 程 度 迄 引 下 ぐ る や、 或 は小 海 軍 国 を し て 大海 軍 国 程 度 迄 増
するや
を今 更覆 へす べ き事 情 起 りし や然 ら ず と せば 何故 比率 変 更 を要
四 、 安 全 の平 等 を得 た り とし て日 本 が 同意 せ る華 府 会 議 の基 礎
三 、 共 通最 大 限度 の適用 範 囲
提 示 の用意 あ り や
二、 総 て の海 軍国 が大 海 軍 国 限 度 迄 建 艦 す る場 合 日本 の建 艦 案
勢せしめんとするや
列
重 き を 置 き質 のみ に て も又 出 来 る国丈 に て も約 定 し た き 意 向
場 所︱ 外 務 省 ﹁ロ カ ルノ ルー ム﹂
を示す
時 刻︱ 午 前 十 時 三十 分
会
十 二月 九 日 (月 ) 開
席 者︱ 全 権 及 一部 随 員
議 長 (外 相 ﹁ホー ア﹂) 副 議 長 (海 相 ﹁モ ン セ ル﹂) 及 事 務 総長
主 要 日程
右 事 実 に変 化 を与 へざ るも のな る に鑑 み 量 約制 限 の為 共 通 最 大
す ると 仮 想 し 共 通最 大 限 度 が高 く と も 、 低 く と も 、実 質 的 に は
五 、 或 大海 軍 国 は死 活 的 権 誌 擁 護 の為 他 国 よ り 大海 軍 々備 を要
六)
限度 を基 礎 とす る場 合 安 全感 を抱 か る べ き や
(﹁ホ ル マン﹂) の選 挙 各 国 全 権 等 の演説 (附 録 第 四其 一乃 至其
第 一委 員会 ( 全 権 及 一部 随 員 よ り成 る 、議 長 ﹁モン セ ル﹂)設置
六 、 日本 提 案 に よ れば 最 大海 軍国 以外 の如 何 な る国 も 海 軍 力 を
決定 夕 日 本 人記 者 次 で外 入 記 者 二永 野 全 権 の演 説 敷衍 説 明
増 加 し得 べ き を以 て大 海 軍 が 死活 的 必要 に基 く も のな る に鑑 み
該 提 案 は大 海 軍 国 にと り不 公 正 な らざ る や
七 、各 国 海 軍 の要 求 、 責 任 、条 約 義 務 の相 異 あ る に鑑 み 総 て の
海 軍 国 を同 一水 準 に置 く こと は 一見 只 一般 の不 安 を増 大 す る が 如 し詳 細 の説 明 を望 む
八、 日本 の共 通 最 大 限 度 は艦 隊 の総 噸 数 に対 し て適 用 す る や艦
列 席 者︱ 両 全 権 及 一部随 員
此 日 随員 八名 (含 丸 山 ︹政男 ︺ 大 佐 ) 任 命 十 二 月十 日 (火 ) 第 一回第 一委 員 会 場 所︱ ﹁ク ラ レ ン ス ハウ ス﹂
隊 を構 成 す る各 艦種 毎 に適 用 す る や
議 事 概 要 第 一委 員 会 に於 て のみ議 事 を進 む る こと と す
先 づ量 に関 す る 日本 案 を討 議 の基 礎 とす 之 が 為書 類 を以 て 日本
第 二回 第 一委 員 会 (日本 案 の討 議 )
十 二月 十 一日 (水 )
各 国 主 張 の説 明
側 に質 問 す
議事 概要
四、 華 府 条 約 によ り 防 禦的 均 衡 を得 たる も のと考 ふ共 通 最 大限
度 あ り と せば 英 国 は 相 当高 き を要 し従 っ て各国 にも相 当 高 き も
のを許 す こと とな り 日 本 の謂 ふ経 済 的 軍 備 と は な らず ︹ 輝雄︺ 此 日随 員 蜂 谷 一等 書 記 官 を 主任 とす る情 報 部 成 り 主 と し て外 人 記
一、不脅 威不侵略 の情態実現を目的 とし共通最大限度を可 及的
各国質 問に対す る日本 の説明 ( 附録第五) 小 にす
者 等 に 対す る説 明 等 に当 る
第 三 回第 一委 員 会 (日 本 案 の討 議 続 行 )
十 二月十 二 日 (木 )
軍 拡 とな る を
二、共通最大限度 が量的 に決定せざれば建艦案は作成し得 ず共 通最大限度決定 せば相談す
議 事 概 要
三、日英米三国間な り 四、予は当時随員 たりし が当時 の全権其他当局 が安全 の均等を
日 本 の説 明 に対 す る各 国意 見 の陳 述
華 府 条 約 を 讃美 す
日本 提 案 の実 現 性 を 疑 ふ
得たりと考 へ居 たりとは信ず る能 ばず 五、各国 国防 の脆弱性 (Vulner) aに b差 i異 lあ iる tこ eとは之を
虞る
米 、英 の意 見 に同 意
仏 、 日本 提 案 を三 国 間 に協 定 す る こと に反 対
認 む而 して之 が原因 は各種 あるべきも兵力 の差異 が最大原因 な り故 に其撤廃 を要す
伊 、 三国 適 用 反 対
英 、 各 国 に満 足 な る協 定 を作 る こと
六、国防脆弱性 に応じ適当 に調整 せら れたる共通最大限度 なる 大
各 国 間 の安 全 を 同等 にす る こと
故 其全量 を充実す るも不脅 威不侵略 にし て公平なりと信ず 海 軍国 の支払 ふ犠牲 の大なるは 一に世界平和 の為なり
国 防 の脆 弱 性 の差 異 を認 む る点 日本 に同意 な る も日 本提 案 を
国 防 脆 弱 性 の差 異 を補 ふ も のは 兵 力 と 思 考す
容 る る には 慎 重 の考慮 を要 す
国 防 脆 弱 性 を 認 め て之 を取 入 る ると せ ば 日本 の所 謂 共 通最 大
七、詳細説明す (附録第 五) 全兵力 を総噸数 にて制限
限 度 は結 局 比 率 な らず や
八、総噸数及艦種別両方面 なり
乙種巡洋艦以下は 一括
英 は 日本 に対 し多 く の兵 力 を要 す
甲種巡洋艦以上は艦種別 英海 相反駁
永 野 全 権 の答 弁
二、共通最大限度 の三国間適用は困難なり
るも 日 本 案 従来 の主 張 には 何 等 変更 を加 ふ る の余 地 な し而 し て
各 国 全 権 の忌憧 な き意 見 を拝 聴 し 得 た る は欣 快 とす る と ころ な
一、 日本 の考 へる程共通最大限度 は有効なりや 三、結局比率主義とならざ るや
にし て侵略可能 なる優勢兵力を持 するに拘らず 他国が守 るに足
戦略的兵力運用 の実際的見地よりせば或国 が他国 に対し脅威的
調整 を加 ふる点 に於 て異 るところ あるを明にす
ことを認む 又日本今次 の主張 は予備会議当時 と変化 なきも此種
に就 き意見交換結 局英 の脆弱性 に応じ相当兵力 の調整 を要す る
に承認し難 し
らざる兵力 を有す るに過ぎざる実情 を生ず るが如き条約 は絶対
軍務局長 ︹豊 田副武︺より海軍首席随員 ︹岩下保 太郎︺宛来電 あ
日英第 三次会談 ( 午前 )
十 二月十六日 (月)
日英第 二次会談 に関聯 し会議 の応酬、今後 の進捗法等 に就き海軍
此日我金権より米全権 へ答礼訪問 の際彼 より ﹁日米は互 に脅威 な しと信ず、現状 にて可ならん﹂と云 へるを以 て ﹁現条約 には不備 り
十 二月十 四日 (土)
あり今 の比率は受 入れられず 」と答 ふ 此 日英 の求め により明十三日午後第 一委員会後日英会談 を行 ふ こ ととな る
整兵力は防禦的性質 を有す るもの (例 へば乙級巡洋艦 以下艦齢
るも のにし て結局英 の脆弱性 に応 じ共通最大限度 に加 ふべき調
第 二次会談 に関聯し我方真意 を誤解 せし めざ る為我 より提議 せ
超過艦) たるの意 向を伝 へ且本 日午後 の金権会議打合 を行 ふ
第 四回第 一委 員会 (日本案 の討議続行)
十 二月十三日 ( 金) 議 事概 要 共通最大限度 を設 くることは各国 に満足 を与 ふべき兵力 を得 る
永野全権 の答 弁
目
的
全権会議 (午後、日本案 の討議続行)
共通最大限度 の適 用範囲、脆弱性 に応ず る調整法等 に関し更 に
基礎的第 一手段 なり 各国 の脆弱性 、特種 の要求等を慎 重に考慮し て調整 を加 へら れ
議 事概 要
忌憚なき意見を交換 す
共通最大限度 を日英米三国間 に適用す るは過去 の軍縮会議 に鑑
た る兵力は各国特有 の不安 なる事情 を保障す み最も実際的 なり又 三国 共海洋国 なる故話が纏 まり易 し
米、華府条約を礼讃 し共通最大限度 の適 用脆弱性 の研究可能性
又其可能 性ありや
英、各国 の脆 弱性 に応 じ共通最大限度 内 に於 て行 ふ調整法如何
不可併し比率にも反対
伊、共通最大限度適用 に関し日英米三国 と仏伊 とを区別するは
各国 の意見陳述
各 国意 見陳述 次 の会議 は全権 (一、二 の随員 を伴 ふ) のみ の会合 とし審議促 進 を図 る 日英第 二次会談 共通最 大限度 に対し各国国防 の脆弱性 に応じ加 ふべき調整法等
等 に就 き所見を述 ぶ
が故 に軍縮 の目的 に適 せず帝国 の根本主張と相容 れざ るものな
を以 て軍拡を招来 し殊 に現行比率 の存続 を基礎 とするものなる
のにし て 一見多少 の合理性 を有す るが如 きも元来任意協定なる
間 に亘り建艦 を制限す べき 一方的自 発的宣言 を行 はんとするも
に賛同す り
日、共 通最大限度は各国 に於 て御異存 なくんば之 が五 か国適用
るやを定む ること が根本問題なりと考 ふ比率主義ならば反対
や﹂ を質問し明答 を得ず会議緊張す
撃力 を加 へら れたる場合 xより小 なる兵力 にて防 禦 可 能 な り
責任 の大小、集中 の難易等 とは別個 に戦場 に於 て 一国 が xの攻
各国 の質問続行、我方は先づ基本問題 に疑 義ありとし て 「 各国
議 事概 要
第六回第 一委員会 (英建艦宣言案 の討議続行 )
十 二月十九日 ( 木)
記諸点 に関聯する二、 三 の質問をなす
我方は本案 詳細研究 の上意見 を述 ぶべき ことは留保し たる後上
各国質問意 見 の陳述
吾 人は条約 の基礎 が比率主義なりや共通最大限度を基 本とす にして先づ共通最大限度を定め然る後各国 の脆弱性を研究し +を a要 する こともあ るべし但 aは防禦的艦船 とす
要すれば必要 の調整 を加 へんとするも のにし て其結果或国は 其他従来 の説明を反覆す 最後 に英 は 日本案 の討議 を暫く後 日に譲 り明十七日より英 の建艦宜言案 の 研究に移 らん ことを提議し可決 日仏第 一次会談 (全権会議後) 主 として仏 の短期建艦計画通報案 に就 き意見交換 十二月十七日 (火)
十 二月二十 日 (金)
会議 は十 二月 二十 一日より 一月六日再開迄休会 とす
軍縮方式 に関し意 見交換、彼 は主力艦、乙巡、駆 、潜 の2縮 0限 %
日米 会談
日仏第 二次会談 建艦宜言 に関し意見交換
(航母、甲巡は縮減 せず) 一部小規模 の質 的制限 を考慮 しあ る も飽く迄現行 比率 の存続 を強調し我根本方針 と相容 れず 第五回第 一委員会 (英建艦宣言案 の討議)
議事概 要
第 七回第 一委員会 (英建艦宣 言案 の討議続行)
我方意見 の要点
英案に対す る各国意見 の陳述
各 国質問 に対す る英説明
議事 概 要 英 建艦宜一 言案 (附録第六其 一、其六二)提案 しく之 を亨有する ことを形式 上認 め且数年 ( 例 へば六年) の期
本案は国 の安全 の為必要 とす る軍備 を保有する の権利 は各国斉
一、 本 案建 艦量 は各 国 現 有 兵力 関 係 を維 持 せ んと す る も のに し
英建 艦通報案提議 一月八日 (水)
第九回第 一委員会 (英仏伊建艦通報案 ︹ 附 録第 七︺上提)
て結 局 比 率 にな る 二、 軍 縮 断 行 の著 想 なし
議事 概要
議長 (﹁モンセル﹂)建艦 通報 に関す る英仏伊案 の研究 に入 る旨
三、 一国 が過 大 な る計 画 を示 し 軍 拡 誘起 の虞 大
を述 ぶ
四、 国 防 安 固 確 保 に関 す る 日本 の主 張 を 取 入 れ た り と 云 ふ も我
我方 は量 に関す る根本問題確立 せざ る限り次等問題 に入るべか らざ る旨主張
力 は実 質 的 に兵 力 の差 等 排 除 を要 求 す る も のに し て本 案 は我 主
議長推 して各国提案 の研究に入らん ことを宣 し会議緊張不快 の
張 を採 用 し あらず 此 夜 稲 垣 ︹生起 ︺ 阿 部 ︹勝 雄 ︺ 両 大 佐 日本 人倶 楽 部 に於 て在 留 邦
一月九日 ( 木)
次 回第 一委員会 を十日とす
場 面を展開 す
人 に対 し 帝 国 の根 本 主 張 に就 き講 演 す 十 二月 二十 一日 (土 ) 日米 第 二次会 談
日英第四次会談
はれ我方 は量的主張容 れられず んば脱退 の外なき決意 を明示す
会勢転換を策せんとする英 の求 めによ るも のにして懇談的 に行
に雑 談 に終 る
米 は我 方 態 度緩 和 の模 様 なき や を知 ら ん と欲 し た る が如 き も 遂
此 日阿 部 大 佐 より 日 本 人記 者 に対 し稍々 立 入 り て帝 国 の主 張 に就
一月 八日 の第九回第 一委員会及 一月九日の日英第四次会談 の結果
一月十 日 (金)
タ 日本人記者 に所要 の説 明を与 ふ
次 回第 一委員会を十三日に延期す ることとす
き説 明 す 昭 和 十 一年 一月 六日 (月 ) 仏 ﹁ド ク ー」 少 将 岩 下 少将 来 訪 英 案 は結 局 比率 と なり 又 期間 長 き に過 ぐ尚 仏 は 米 の2縮 0% 減
共通最大限度を基本 とす る帝国案 否決 の場合脱退差支 なきや、我
帝国 全権 は此上局面打開 の途なく脱退 已むなきものと判断 し左記
に賛 成せず と述 ぶ
脱退後四国 会議 の行 はるる場合我 ﹁オブザ ーヴア﹂列席妨なきや、
諸点 に就 き更 めて請訓す
英外相 ﹁ホーア﹂辞職 に伴 ひ新外相 ﹁イーデ ン﹂議長就任決議
潜水艦使用制限問題討議 に応じ て可なるや
第八回第 一委員会 (英建艦宣言案終局、英建艦通報案 提議)
英案 に対す る我方意見 に対す る英 の反駁
議 事概 要
仏 伊 の英案 に対する意見陳述
一月 十 一日 (土 ) 十 三 日 に延 期 開 催 予 定 の第 一委 員 会 更 に十 四 日 に延 期 せら る 一月 十 二 日 (日)
日本案 を再審議す ることとなり永野全権詳細説明 (附録第八) 各国全権意見陳述
議長 日本案 に支持者なき旨 を述 べ更 に次回より建艦通報案 の討
得 ざる旨 を明 にし て脱退 通告 を了す
此夜 九時我方は第 一委員 会議長宛書面 を以 て爾後 の会議 に参加し
議 を続行す る ことを宣し散会
一、 重 ね て我 根 本 方 針 を懇 切 に説 明 し公 正 妥 当 な る 条約 締 結 の誠
回訓 著 要 点 左 の如 し
意 を披瀝 す
夕 日本 人及外人記者 に所要 の説明 を与 ふ
述 べ形而 上 下 の脈 絡 を 保 つ海 軍側 に逐 次 申 入 れた る主 な る所 見 は機
爾 後 主 と し て岩 下 少将 稲 垣 阿 部両 大 佐 と連 絡 機 会 を 求 め て所 見 を
訓 令 に基 き今 次 会 議 に対 す る陸 軍 の態 度 とを 陳 述 す
心 同体 と な り て任 務 に邁進 す べ き 心構 と陸 軍 大 臣 よ り 与 へら れ た る
十 二 月 五 日丸 山 大 佐 帯 同永 野 全 権 に対 し 陸 軍 随員 の海 軍 側 と真 に 一
に全 権 を迎 へ十 二月 二 日 一行 と共 に倫 敦 に入 る
伯 林 に於 て若 松 ︹只 一︺ 中 佐 と連 絡 必 要 の書 類 を受 け 三十 日 同 地
︹ペ ルリ ン︺
十 一月 上中旬 に亘り内命電訓拝 受準備研究を始め十 一月 二十八日
の如 し
取 立てゝ述 ぶべき程 のこともなけれど 一応之 を列記 すれば大要次
其五 陸 軍随員 の執 りたる処置概要
二 、斯 の如 く に し て尚 我 主張 貫 徹 せざ れば 脱 退 已 む を得 ず 三 、 成 る べ く早 目 に潜 水 艦使 用 制限 等 協 定 可 能 な るも のを取 極 め 又 関 係国 間 に軍 備 競 争 を行 はず と 云 ふ が如 き共 同 宣 言 を 為 し 本会 議 を 終 了 せ し む る様 誘 導 す るを 得策 と思 考 す 四 、 帝国 を除 く会 議 関 催 せら るゝ 場 合 ﹁オブ ザ ーヴ ア﹂ を出 す こ と差 支 な し 一月 十 三 日 (月 )
彼 よ り 伊案 を説 明 し 日本 案 に対 す る態 度 を明 にす
日 伊 第 一次会 談
日 英 第 五 次 会談
も 彼応 せず
存 す る点 に就 き 一層 的 確 明 快 な る表 明法 を採 る べき こと質 的問 題 に
宜 に適 す る宜 伝 に 一段 の努 力 を払 ふ べ き こ と、 帝 国 案 特 に其 疑 義 の
回 訓 を 体 し殊 に前 記 第 三項 に基 き 我意 の存 す る と ころ を 伝 へし
こと と す
定 勢 力 た る特 殊 の地 位 使 命 に発 す る が故 に此 点 に触 る る こと 迄 を も
対 に避 く べ き も帝 国 が均 等 兵 力 を要 す る 一の根 本 理 由 は其 東 亜 の安
深 入 りし て脱 退 の好 機 を逸 す べ からざ る こと、 政 治 問 題 の上提 は絶
明 十 四 ︹日︺ 開 催 予 定 の第 一委員 会 を復 た 又十 五 日 に延 期す る
十 五 日 の委 員 会 進 行 方 法 に関 し 打合 を行 ふ
第 十 回第 一委 員 会 (日本案 再審 議 )
極 度 に忌 避 す る は適 当 な ら ず 少 く も英 米 をし て東 亜 に於 て日本 と対
一月 十 五 日 (水 )
議 事 概 要
首肯 し得 るが如きも自ら劣弱 の地位 に甘 んず る強国なき以上海軍競
所 を要す るが故 に軍備競争 は憂慮 に値 せず と の専門家 の説明 は 一応
会議 の経過 に伴 ふ情 況電附録第九 の如し
ある軍備 の採用 により経 費 の尨大化 を避 け得 ベしと為す の説 も亦某
争 は結局必至 の勢 と見 るべく尚我海軍技術 の優秀と相侯 ち所謂特長
等なりと の主張を黙認横行 せしめざ るを緊要とする こと等 に係 る 防 備制限問題研究 に関す る往復電附録第十 の如 し
英米両国が帝国 の均等兵力を応 諾せざ る理由 は多 々存 するも彼等
成行 に委するが如 き ことあらんか或は皇国 をして収拾すべ からざる
より確乎不抜 の方針 を樹立し て之 に臨 むベく仮初 にも妥協苟合 乃至
充実外交 の運用等 は決し て生易しきも のにあらずし て真に大所高所
要 する こと絮説 を須 ひず延 て思 ふ今後 に於け る陸海軍 の協同両軍 の
可能 の範囲 と年数 とには自ら限度 あり 一方陸軍兵備 の躍進的拡充 を
有 末少佐随員任否 に関する往復電附録第三 の如 し 察
一月 二十五日倫敦発経米 二月二十 一日帰朝す 第三 観
最大関心 の 一は若 し之 を応諾せば帝国 の極東発展愈々熾烈となり終
其 三 将来 の軍縮
窮状 に立たしむるに至 るなきやを
其 一 会議を繞る 一部 の国際情勢
には彼等活動 の根拠 を覆滅 せら るるに至らん ことを虞 るゝに在 り従
例示す ると共 に帝国今後 の努力 は実力 の飛躍的充実進展 と之 が正義
るべし)即 ち今次会議は実力 の伴 はざ る正義 の容易 に実現 せざ るを
背景的事態 を既成事実として黙認 せざ るを得ざるに至 れるの日と知
し ( 政治問題 に触れず兵力問題 のみを単独解決 し得 るは彼等 が此種
済的発展著 しく彼等を凌駕す るの日に非ざれば之 を庶幾す ること難
越苦労 の要なきも諸般 の研究施策 には積極的意 義に於 て之 が配慮 を
なる兵備 の国際的縮 減会議 を見 るに至 るベし固 より今 より消極的取
ベき重大変局 の起らざる限 り遠 からず し て軍縮就中協定比較的容易
際不安 の増大と相侯 ち協定軍縮 の気運漸次濃 厚となり 一切 を清算す
一歩武力抗争 の危 険に近づ き つつも他面逐年軍費 の荷重 に苦しみ国
事態以上 の如く尚 一般国際情勢 の推 移を考察 するに各国は 一面歩
議
て彼等 の公式応諾は帝国 が実質的 に均等兵力を持す るか其対極東経
的顕現 との外 なきを明示せるも のと謂 ふベく事茲に達す れば均等問
懈らす用意 の周到 を欠かざる こと肝要な り
当 にして真 に軍縮 に忠な る所以を如何 にして他国 に了得せしむるや
今 次会議 に方り小官等 の特 に考慮 を払 ひたるは帝国主張 の公正妥
其 四 会議 と宣伝
題 の如 き立 どころ に解決 せん 複雑化を招来 すべき を虞 れ て之 に触 るるを好まず (此点仏伊 の間 に
仏伊 は固 より比率を欲 せざ るも然 りとて均等原則 の確立 は問題 の 約諾ありしが如 し)蓋欧洲情勢紛 糾錯綜 の 一端 を発露 せるも のと見
己本位 にもあらず帝国 の主張を肯ぜざ るも のこそ公明を欠き天理 に
に存 せり蓋脱退 は覚悟 の前なりしも所謂横紙破 りにあらず単 なる自 其 二 無条約状態 下に於 ける軍備競争
背 くも のなる ことを了悟 せしむ るは啻 に会議 の終止 に際す る帝国 の
るべく復以 て帝国今後 の動向を示唆するに似 たり 艦船 の建造 には巨額 の国絡と多大 の日子とを裂し要員 の養 成亦年
今 次 の脱 退 は帝 国 の為 謂 はば 予 定 の行 動 にし て 他国 に取 り ても亦
会 議 脱 退 後 に於 け る帝国 の国 策
期 待 に反 す るも のに あ らざ る べく 従 て脱 退 前 及 後 に於 け る帝 国 の国
其六
を維 持 昂 揚 す る所 以 の途 な れ ば な り而 し て之 を実 績 に徴 す る に甚 だ
立 場 を良 好 なら しむ る に止 ま らず 永 遠 に亘 る道 義 日本 の国 際的 生 命
不満 足 な り と謂 はざ る を得 ず 国 内輿 論 が帝 国 案 を正 義 視 す る幾 十幾
理 あ る のみ 乃 ち問 題 は寧 ろ脱 退 前 に於 け る国策 の適 否 に係 る然 も其
の が正 に来 れ るは事 実 な れ ば諸 般 の施 策 に愈 々明 徴的 確 を加 ふ べき
朦 朧 と し て浮 動 せ し は 周知 の如 し今 や幸 にし て国 内的 一大 変 革 に会
策 に は左 し た る変 化 あ る べ き理 なく 只 予 測 が現 実 と な り来 る べき も
国家 百年 の長 計 に発 す る此 種 基 礎 的建 設 な く し て只 表 面 的 に皇 国 の
す 須 ら く 一切 を 此機 に清 算 し て更 生 躍 進 を 期 す べ き こと贅 言 を俟 た
百 分 の 一す ら も国 外 に反 影 感 得 せ ら れざ り し事 実 を牢 記 す べ し其 原
世 界的 飛 蹄発 展 日本 精 神 文 化 の世界 的光 被 等 を庶 幾 盲 進 せん か或 は
因之 が打 開 の方 策 は 一々今茲 に論 ぜ ざ る も 独 り今 次 会 議 に止 ま らず
虞 る労 功 相 償 はざ る の みな ら ず却 て反 対結 果 を招 く に至 ら ん こと を
一、首 席 全権 を海 軍 側 次 席 を外務 側 よ り選 び主 従 を誤 ら ざ り し こと
将 来 の参 考 と な る べ き主 な る点 左 の如 し
ぐ る の要 緊 切 な る を高 調 し国 策 遂 行 に些 の支 吾 渋 滞 な から ん こと を
の重 要 性 を附 加 し た る こと既 述 の如 し 予 は茲 に重 ね て此 種 解決 に方
れ た るは寔 に慶 す べ く而 も之 と 共 に陸海 外務 其 他 の協 同 連繋 に特 種
り帝 国 海 軍 は其 軍 備 充 実 上対 内 対 外 関 係 に於 て極 め て好 都 合 に置 か
命 達 成 に遺 憾 な か ら しむ る に在 る こと亦 論 な し而 し て今 次 脱 退 に由
と を図 り総 ゆ る部 面 に於 て国 勢 の維 新 的進 展 を遂 げ皇 国 の世 界 的使
ず 其 要 道 義 立 国 を本 と し内 国 民 生 活 の安 定 充実 と 外国 防 の安 固 確 立
全権 団各 機 関 の連 繋
況 ん や信 念 な く 正義 観 な き場 当 的 局 面糊 塗 の施 策 に於 てを や 其六五
尚 今 次 会 議 の如 き に於 て は首 席 全 権 は特 に腹 の据 り た る人 た る を要
祈 念 し て已 まず
大局 よ り見 又結 果 よ り判 じ 全権 団各 機 関 の連 繋 は概 ね良 好 な り き
す る こと ︹ 岩下保太郎︺ ︹ 稲垣生起︺ 二 、海 軍 首 席 随 員 (予 備 会 議 にも参 加 ) 同 次 席 随 員 を 共 に前及 前 々
帝国全権団名簿 全 権 委 員
附録第 一
三 、 人員 を極 限 し無 用 の論 議 と運営 の渋 滞 と を避 け た る こと 但駐 英
同
軍 大
将
特 命 全 権 大 使
海
永
永
井 松
野 修
三
身
. 印 は全 権 は十 一月 四 日 他 は十 一月 六日 任 命
(
○ 印 は十 二月 九 日 、 ×印 は十 二 月十 日 、 無
)
り て は情 実 と 因緑 と を排 し真 に大 局 的 見 地 に起 ち て大 乗 的戯 断 を遂
軍 令 部作 戦 当 務 者 よ り選 び直 戯 にし て初 よ り本 体 に触 れ主 流 を 誤 ら ざ る補 佐 を遂 げ し め得 た る こと 、尚 陸 海 軍 の浦 繋 は緊 密 良 好 な り き 蓋 意 見 の背馳 を来 す が如 き問 題 の発 生 を 見 ざ り し こと其 主 因 な るも 人 的 配 合 に於 て職務 上曾 て相 互 に密 接 な る関係 を保 ち 十 二分 の面識
外 務官 憲 よ り 任命 せ ら れ た る随 員 等 は其 数 過大 に し て活 動 之 に伴 は
全権委員随員
を 有 し た る者 を 充 て た る点 に負 ふ所 亦尠 か らざ り し も のと 考 ふ
ざ りき
海
軍 海 軍
軍 大
少 将
岩 下 保 太 郎
側 (二 名)
(
同
) ×根
岸
政
率
国
男
道
義
( 駐 英 帝 国 大 使 館 附 武 官 ) 陸 軍 歩 兵 大 ○
軍
山
木
生 起
別 に武 官 補 佐 官 砲 兵 少 佐 有 末 次 は参 謀 総 長 の命 令 に依 り随 員業
陸
丸
鈴
勝
陸 軍 砲 兵 大 佐
阿 部
稲
本 博
藤 田利 三郎
垣
同 為
篶
雄
同 ○
他 (二名 )
務 を輔 佐 す
海 軍 主 計 大 佐
川
其
ン
彦
恭 介
四 十 二名 (全 権 委 員 附 を含 む )
以 上 計 二十 九 名 (全 権 随 員 の み) 総員
デ
ア
孝
野
秀
他 国 全権 主 要 随 員 名 簿
ー
島
水
植 木 庚 子 郎
佐
内 閣 書 記 官
軍 中
大 蔵 事 務 官
海 正 雄
西
田
同 延 東 川
也
森
重 治 一
本
田 主
榎
佐 ○山 澄 忠 三 郎
光 軍 少
同 海 同 海 軍 教 授 兼 海 軍 書 記官 嘱託溝
英
イ
ル
フイ ルド
ー
洋
佐
海
側 (十 二名、外に全権委員附 四名)
官)
(駐英大使館附武官) (副
(武官輔佐官)
外 務
ホ
相
後に
外
モ
権
相
スタ ン ホ ー プ
全
海
チヤツト
同
外 務 次 官
側 (十 一名外 に全権委員附九名) (大使館参事官) ○ 藤 井 啓 之 助
同
軍 令 部 長
(大使館書記官) ○ 宮 崎 勝 太 郎
同
セ
清
随
ク レ ー ギ ー
ウイ リ ヤ ム ・フイ リ ツプ ス
ノ ー マン ・デ ヴ イ ス
暑す
外 務参 事 官
ン
形
雄
山
外 務 書 記 官
郎
員
太
谷 輝 ) ○ 寺
崎
同
( 大使館書記官) ○ 蜂 (
一
同
俊
権
・ 濠 州 、 加 奈 太 、 印 度 、愛 蘭 、新 西 蘭 、 南 阿
瀬
上孝 治 郎 加
外 務 事 務 官 井
同
全
同
晧
米
葉
) × 都 村 新 治 郎
国 務 次 官
( 大使館書記官) ○ 長 谷 川 元 吉 同
( 外 交 官 補) ×千 (
同
ア ンド レ ・ コ ル バ ン
陸 三 一二 電 末項 政府 ヨリ全 権 宛 ノ電 報 ハ別 ニ発 セ ラ レ サ ル コト ニ
(昭 和 十年 十 二月 七 日 発電 )
︹ 今非河︺ 共 二、 軍務 局長 ヨリ英 国 大 使 館 附武 官 宛 電 報
ル
デ ユ ラ ン ヴ イ エ ル
スタ ン ド レ ー
ド
作 戦 部 長
ーべ
ノ件 至 急 取 計 ハレ度
定 メ ラ レタ ルヲ 以 テ第 一項 永 野 全 権 ヲ経 テ丸 山 、 有 末 両 名随 員 申 請
仏
ル
ル へキ カ
鈴木大佐 へ
陸 第 三 二七 号
(昭和 十 年 十 二月 七 日発 電 )
(昭 和 十年 十 二月 九 日発 電 )
共 四 、陸 軍 次官 ヨリ英 国 大 使 館 附武 官 宛 電 報
決 (三者 ノ主 張 ヲ全 部 取 入 ル ルカ全 部 取 止 ム ル カ) ノ已 ムナキ ニ至
リ其 累 ヲ受 ケ テ解 決 ニ ハ尚 時 日 ヲ要 ス へク結 局陸 、海 、 外 務 一併 解
右 ト ハ別 個 ノ問 題 ト シ テ主 張 シ折 角 努 力 中 ナ ル モ上記 ノ行 掛 リ モ ア
テ当 地 ニ於 テ迄 相 争 フ コト ハ如 何二 モ浅 マシ ク小官 ト シテ ハ理 論 上
務間 ニ意 見 ノ野 格 ア リ テ未 タ決 セ ス開 会 ヲ目 前 二控 へ斯 カ ル問 題 ニ
随員 ( 海 軍 ハ次 級 輔 佐 官 一名 、外 務 ハ官 補 数 名 ) ノ増 加 二付 海 軍 外
ナ ル カ故 ニ素 ヨリ問 題 外 ナ ル モ有 末 ニ関 シテ ハ之 ヨリ 先既 二既 定 外
御 来 示 ノ件 早 速 海 軍 側 ニ申 入 レタ ル処 丸 山 ニ関 シテ ハ既 定 ノ事 項
貴 電 敬承
第 四 十 八号
其 三 、 小官 ヨリ陸 軍 次 官 宛 電報
鈴木大佐 へ
駐 英 大 使
ロ
ク
軍局 第 五九 号
軍 令 部 長
カ
権
同 海 軍 中 将 ド
全 同 殖 民 長 官
グ ラ ン デ イ
海 軍 少 将
員
権 駐 英 大 使
同 随 伊
全 附録第 二
倫敦 に於ける海軍軍縮会議帝国全権委員 に与 ふる訓令 ︹前 掲 、 省 略 ︺
附録第三
(昭和 十 年 十 二月 六 日発 電 )
有 末 少 佐 を 正式 随 員 とな す べ き や否 や に関 す る往復 電 ︹ 古荘幹郎︺ 其 一、陸 軍 次 官 ヨリ英 国 大使 館 附 武 官 宛 電 報
鈴木大佐 へ
陸 第 三 一二 号
軍 縮 全 権陸 軍側 随 員 ノ任 命 ニ関 シ海 軍 ト ノ振 合 モアリ貴 地丸 山 大
リ度
佐 ノ外 有 末 砲 兵 少 佐 ヲ モ正 式 随 員 ト ス ル如 ク至 急 永 野 全 権 宛申 請 ア
同 全 権 ヘ ハ政府 ヨリ別 ニ電 報 ヲ 以 テ意 見 ヲ徴 セ ラ ル ル筈 ニ付 為 念
ー
如 ク外 務 海 軍 ト ノ振 合 ニ応 シ適 宜 処 理 セラ レ度 尚丸 山 大佐 ハ之 ト関
ハ寧 ロ進 ンテ遠 慮 シテ 二名 ニ内 定 シタ ル次 第 ナ ル ヲ以 テ貴 電 末 項 ノ
成 ル へク少 ク ス ル ノ趣 旨 ニ賛 同 シ実際 上 ノ要 務 ニ関 ラ ス陸 軍 ト シ テ
執 スル ノ意 志 ナ ク元来 全 権 出 発 前 ニ於 テ随 員 ノ任 命 ハ全般 ノ関 係 上
貴 電 第 四八号 披 見 既 定 外 随 貝 ノ増加 ニ就 テ ハ当 方 ニ於 テ モ何 等 固
ことを茲に闡明す
般的新軍縮協定達成 の為終始真摯な る協力を為 さんとす るものなる
精神 を以 て各国全権 と虚 心坦懐 に折衝 を遂げ最も公 正合理的な る全
途 なりと堅く信ず るも のなり、依 て吾人は右 方針 に遵 ひ平和愛好 の
国民 の負担 を緩和軽減 し真 に世界 の恒久平和 に貢献す べき最良 の方
帝国政府 は実 に之を以て公正妥当な る軍縮協定 を達成し大 に各国
附録第 四 (共二)
係 ナ ク本 日 発令 セラ レ タ ル ニ付 承知 ア リ度
附録第四 (其 一)
して今 日に於 ても国際情勢 の変化及各国 の要望 に従 ひ便宜 にし て必
英国 の立場は 一九三二年寿府軍縮会議 に通報したる声明 と同様 に
十二月九日英首相 の演説要約
華府及倫 敦両条約 の規定 に従ひ茲に日英米仏伊五国海軍会議 の開
十二月九日帝国全権演 説 催 せら るるに当 り帝国全権は本会議開催 に関し昨年 以来種 々幹旋 の
渝らざ る政策なり従て帝国政府は誠意 を以て累次 の軍縮会議 に参加
重要視 し大型艦型及其備砲 の縮 小を希望 し又依然潜水艦 の全廃 を主
英 国政府 は量的及質 的両方面 に於 て制限 の継続せらるる ことを最
んとするの用意 を有す
要 なる変改及調節を行 ひ つつ華府及倫敦両海軍条約 の原則 を延長 せ
し関係国 と協力し来りたるが今次会議 に於 ても公正妥当なる軍縮協
抑々国際 の平 和を維持増進 せんとするは帝国政府 の終始 一貫 して
労 を執られたる英国政府 の努力 に対し深甚 なる謝意 を表す
定 を達成し各国 々防 の安固を確保し つつ国民負担 の緩和軽減 を図 る
ゆ べからざる共通限度 を定め且之 を出来得 る限り低下する ことを根
協定 の達成可能 なるべしと確信す
界 の有す る海軍軍備 の総量 を縮少し 又世界 の 一般安全感を伴 ふべき
各国 が 一般幸福 の為其最大要求 を少 しく譲歩する準備 あらば全世
防 止すべき協定 に到達す ること最も肝要 なり
若し潜水艦廃止 の協定不成立と認 めらるる際 には潜水艦 の濫用 を
不経済且最 も危険 なるも のと信ず
吾 人は新艦種及増大せ る艦 型 の出現 を以 て総 ての海軍競争中最 も
張す
惟 ふに今次会 議 の目的 とす る所は 一九三七年 以降関係国 の海軍兵
と共 に世界 の平和及親善 の増進 に寄興 せんとす るも のなり 力 を律す べき全般 的新海軍条約を締結す るに在 るべき処帝国政府 は
本 とし且攻撃的兵力 は極力之を縮減 し防禦的兵力は之 を整備 せしめ
右新条約 の締結 に当 りては我等世界大海軍国間 に於 て其保有量 の超
以 て軍縮 の実を挙 ぐると共 に各国間 に不脅威不侵略 の事態 を確立す ることを基 礎と為 さゞるべからず と認 むるものなり
十 二 月 九 日米 国 全 権 演 説 要 約
附 録 第 四 (其 三 )
米 国 政 府 並 国 民 の感 じ を最 もよ く表 明 せ る 一四 ケ月 前 予 備 交渉 の 出 帆 の時 受 け た る 訓令 を述 べ ん 一九 三 四 年 十 月 五 日附 、 同 文 に曰 く 来 年 の会 議 の目 的 は現 存 条 約 の目 的 を遂 行 し乍 ら之 に代 る べき 新 条 約 を 達 成 す る に在 り而 し て此 目 的 た る や 軍備 競 争 の危 険 を 防
華 府倫 敦
止 し国 民 の負 担 を軽 減 し且 華 府 会 議 に依 て始 め ら れ た る事 業 を 遂
米 国 は 今 日 と難 此 目 的 達 成 第 一主 義 を採 る も のな り
行 し 一般 軍 備 の縮 少 並制 限 に寄 与 せん と す る に在 り
各 国 海 軍 力 に対 し決 定 せら れ た る 制 限 は各 関 係 国 の防 禦 上 の必
両 条 的 は 決 し て単 純 な る数 学 的 公式 に非 ず
要 度 を 比較 研 究 せ ら れ た る結 果 に基 く も のに し て各 国 何 れ も其 致
但 事 態 は 変化 せ り、 昨 年 の会 議 は 一九 三 六年 末 を以 て当然 に解 消
す べき ﹁ロンド ン﹂ 条 約 に基 き な さ れ た る も のな る が其後 華府 条 約
両 条 約 の依 存 し た る或 根 本 的 観 念 は疑問 と な り世 界 の各 地 に於 け
の廃 棄 通 告 な さ れ 来年 末 を以 て其 結 了 を告 げ ん とす
る政 治 的 不 安 の発 生 は軍 縮 よ り も寧 ろ 軍 拡 の傾 向 と なり 今 や 一般 軍
此 困 難 に打 勝 った め第 一の方 法 は 虚 心坦 懐 相 互 の利 益 並 調 和解 決
縮 の協 定 に達 す る こと最 困難 の状 況 にあ り
過 去 六 年 間 経 済 圧迫 よ り逃 出 さん と す る今 日更 に又 国 際関 係 を紛
の根 本 的 要 素 に勢 力 を集 中 す る にあ り とす
糾 せし め 或 は経 済 復 興 を妨 害 破 壊 す る 軍拡 競 争 の如 き は最 も慎 しむ
べ きも の にし て両 海 軍 条 約 を 何 故 に今 日廃 棄 せざ るべ か ら ざ る や を 疑ふ
起 す る に在 り
ける本部門 に関す る規定 は軍備競争 を抑止し軍費 を節減す るに貢献
第 一に質的部門 に就 ては 一九 二二年及 一九三〇年 の海軍条約に於
見 解 の主要部分は寿府軍縮会議 にて明かなり
十 二月九日仏 国全権演説要約
附録第 四 (其四)
縮 少 を希 望 す る も のな り
断 言 す米 政 府 は決 し て海 軍競 争 の先 駆 を な す も の にあら ず 制 限 且
且 包 括的 な る条 約 の達 成 に資 す べ き な り
之 が不 成 立 の場 合 には極 力 淡 白 に友 情 的 に相 互 了 解
命 的利 益 を犠 牲 に供 し た るも のな く 又 相互 の安 全 感 を害 し た る こ
に努 め 少 く と も建 艦 競 争 を阻 止 し均 衡 の破 滅 を回 避 し 徐 う に永 久 的
共 第 一の方法 は事 態 の変 化 に伴 ふ修 正 を施 した る上 現存 条 約 を 再
と もな し 故 に此等 両 条 約 の勉 棄 は 相 互安 全 の均 衝 を全 然 破 棄 し測 り知 る べ か ら ざ る軍 拡 競 争 を招 裸 す る も のと言 はざ る べか らず 故 に余 は貴 官 に会 議 の最初 に於 て英 日 に対 し現 有 海軍 力 の多 分
例 へば 現 条 約 噸 数 の 二割減 の如 き、 若 し 此 割 合 に協 定 纏 まら ざ
な る比 例 的 縮 減 を提 議 せら れ ん こ と を要 求 す
る と き は 一割 五 分 、 一割 、或 は 五分 に ても 可 な り 若 し 又総 て が失 敗 に帰 し た り とす る も現 条 約 の維 持 並 延 長 に付 出 来 得 る限 り 努 力 さ れ度 右 訓 令 に表 は れた る 見解 は爾 後 変 更 を見ず
す る の喜 ぶべ き 結 果 を 有 す る こと を認 む 是 れ即 ち仏 国 政 府 が 今 日 に於 て も尚 徹 底 的 制 限 の採 用 、 最 大 噸 数
量 的 部 門 に於 て は右 に反 し海 軍 軍 備 の制 限 問 題 は 著 し く複 雑 な る
並備 砲 口径 の規 定 以 上 の大縮 減 にさ へも賛 意 を表 す る所 以 な り
情勢 に あ り量 は合 理 的 に可変 な る べ き も の な り其 解 決 は結 局 に於 て 一般 的 安 全 の第 一要件 た る相 互 信 頼 の維 持 を 必要 とす 何 れ の場 合 に於 ても 現在 の情 況 を前 回 の海 軍 会議 が開 催 せら れ た る 当時 に比 し著 し く 変 化 し 且短 期 間 に非 ざ る限 り吾 人 を拘 束 す る こ と な から し む るを要 す る 新要 素 を考 慮 す る こと 必要 な り 本 件 に関 聯 し 余 は仏 国代 表 が寿 府 に於 てな し た る毎 年 の建 艦 計 画 の広 汎 な る発 表 、 艦 船 起 工 に関 し某 期 間 を 以 てす る 予告 並 総 て の要 項 に関 す る通 報 の交換 を 包含 す る仏 国 の示 唆 に対 し茲 に再 び注 意 を
﹁ボ ー ルド ウイ ン﹂ 所 説 の潜 水 艦 に関 す る点 は是 認 す
喚起す
本 件 に関 し ては 衷 心 よ り賛 成 す
附録第 四 (其五) 十二月九日﹂ 伊国全権 の演説要 約 伊国は常 に海 軍軍縮問題 は出来得 る限り完全 なる解決を要 すと の 見解を有したり 然 るに吾人は素 より状 況に依 り専門的技術 の急速 なる発展 に応ず る造艦 を行 ふため長期間 に亙 る 一定不変 の解決 法を定む るは容易 な 即ち新しき問題 が生ず る毎 に之と歩 調を合す べき解決法を研究 し
らざ るを諒 解せり
各 国 に受 諾 せら るべ き海 軍軍 縮 に達 す る如 く順 を追 ふて進 まざ るべ
吾 人 の主 目 的 は 軍 備 競 争 を避 く る に在 り 、 此 目 的 は 如何 に し て も
か らず
放 棄 す べ からず
ナ
十二月九日英属領代表演説抜華 ダ︺
奈 陀
附録第 四 (其六) ︹カ
加
吾 人は本会議 に吾 人が参加 せる こと が重要な る役割 なりと言 ふ
度
加奈陀政府は本会議 の国際的平和及好意 に貢献 あらん ことを切
が如 き迷想 は懐き居らず然 も会議達成 に貢献す る希望 を有す 望す 印
印度 は前会議及本会議 の中心たる大艦を有せざ ることは事実 な
印度海軍所有 の軍艦 は大艦 にあらずし て全部 一九三〇年倫敦会
り然 るに印度は本会 議 に関 心を有し英国を支持 す
議 の免除級 のも のなり、然 も逐次発展 の域 に我印度海軍 はあり
本政府 の本会 議に参加 せる所以は特殊 の関心 にあらず 一九三〇
会議達成 に好意 と協力 の精神 に遺憾なく貢献 せん ことを希望す ︹ アイルランド︺ 愛 蘭
吾人 の目的 は我政府 の政策 に従 ひ軍縮 及平和維持 の貢献 に勢力
年海軍条約 の交渉 に参加 せし事実と該条 約 の履 行と にあり
し以 て極 力木会議 の討議 を補助し成功を熱 望する にあり 西 蘭
︹ニ ユ B ジ ラ ン ド ︺
新
我政 府 の懸 念 は全 世 界 に播 る 軍備 拡 張 の輿 論 によ り表 現す る国
余 は首 相 の声 明 に賛 同 す首 相 の希 望 とは 即 ち余 の希 望 な り ﹁ 南アフリカ連邦︺ 南 阿
際 関 係 の廃 頽 な り
三
問
)
国 民 の運 命 は代 表 の掌 中 に あ り安 全 及 平 和 は軍縮 政策 の協 定 に
十 二月 十 一日第 二 回 各国質問に対す る日本の説明(第 一委員会にて陳述
よ って のみ達 成 し得 るも のな る こと を確 信 す るも のな り
附録第五
第
先 づ第 三問 よ り御 答 へす べ し
共 通 最 大 限 設 定 に関 す る 日本 の提 案 は日英 米 三国 に対 す るも のと 御 承 知 あ り たし 日英 米 三 国 は従 来 又現 在 に於 て軍縮 問 題 に関 し ては 特 に深 き 関 係 を 有 す 華 府 会 議 に於 け る会 議 進 行 の実 際 は 日英 米 三 国間 に特 に深 き関 係 あ る こと を 実 証 せ り
坦 懐 に交 渉 し 一つの協 定 に達 す る の方法 は最 も実 際 的 にし て 且本 会
議 を成 功 に導 く最 良 法 な りと信 ず 過 般開 会 式 に於 け る米国 全 権 の演
説 中 にも 米 国大 統 領 の御 言 葉 と し て 日英 米 間 に比 例 的 軍縮云 々と あ
り 是 れ米 国 に於 て も 日英 米 間 に特 に深 き関 係 あ るを 認 め ら れ て の御
と 同 時 に欧 洲 海 軍 国 間 に於 て は相 互 に非 常 に大 な る関 心 あ り と信 ぜ
言 葉 な り と信 ぜ ら る英 国 が 一方 日米 に対 し て特 に深 き関 係 を有 す る
ら る蓋 し欧 洲 に於 ては種 々我 々の知 り得 ざ る 相 当 に複 雑 せ る関 係 も
あ る べく 欧 洲 海 軍 相 互 の相談 は共 通 最 大 限 度 内 に於 て適 当 の点 に於
て落 着 か せら る る こと に対 し て は我 方 に於 て異 存 な く尚 又米 国 が右
但 し若 し 万 一日本 の利 害 に関 し 重 大 な る事 項 議 せら る る場 合 に は
欧 洲 国 間 の相 談 に参 加 せ ら る る こと に我 方 に於 て異 存 なし
発 言 の権 利 を留 保 す る も のな り
﹁ヴ ア ルネ ラ ビ リ チ ー」 は 夫 々国 に依 り て差 異 あ るべ し と は思 は
尚 此 の際 共通 最 大 限 度 に関 し 全 般 的説 明 を加 へたし
る る も実 際 に如 何 な る差 異 あ り やは 研 究 を要 す る所 な り軍 縮 会議 に
て は各 国 安 全 の均 等 に関 し て は特 に重 大 な る考 慮 を払 はざ る べ か ら
も直 接 にし て且 最 も重 要 な る も のは 兵 力 の不 当 な る差 等 にし て 一方
ず 而 し て各 国安 全感 の均 等 に関 し 考 慮 す べ き件 は種 々あ るべ き も最
に は攻 撃 可 能 の国 あ る と共 に 一方 に於 ては守 る に足 ら ざ る如 き状 態
一九 二 七年 寿 府 に於 ては 日英 米 三国 間 のみ に て軍 縮 会 議 を行 ひ た
倫 敦 条 約 中 最 重 要 な る第 三編 は 日英 米 三 国 間 に協 定 を結 ば れた り
り
を 生 じ ては 到底 安全 均 等 の実 を挙 げ 得 ざ る べ し故 に吾 人 は 先 づ最 直
斯 く の如 く 軍縮 問 題 に関 し ては 日英 米 間 に歴史 的 に も亦 現在 相 互
保 有 量 を協 定す る を最 良 なり と信 ず 此 の基 準 とす る所 な く徒 に諸 事
殊 事 情 を加 味 考 量 し て適 当 に之 が 調節 を行 ひ之 によ り て各 国 の兵 力
り低 下 せ ん が為 先 づ此 処 に共 通 最 大 限 を定 め之 を基 準 と し各 国 の特
接 的 にし て最 重 大 な る原 因 を除 去 す る と 共 に各 国 軍 備 を出 来 得 る限
昨 年 秋 倫 敦 に於 て行 は れ た る予 備 交 渉 には 日英 米 三国 の代 表 が 参
間 の ﹁シ チ ュ エー シ ョ ン﹂ より 考 へ見 るも特 に深 き関 係 あ るが故 に
加 し たり
従 来 成 功 せし 会 議 の前 例 を も考 へ此 の際 先 づ 日英 米 間 に於 て慎 重 且
情 を集 積 す る のみ にて は各 国 に満 足 な る兵 力 量 の案 出 甚 だ 困難 な り
要す るに共通最大限は軍縮協定達成 に最 も必要 なる手段 にして其内 容 は各国特殊 の事情 を公平 に考量し之 に適当 なる調節を為す に吝 な
一
問
らざ るも の であ る
第 日本 の提 案 は協 定保 有 量 の共 通 最 大 の量 は出 来 得 る限 り 小 さ く せ
扨て其 量 は如 何 に定 む べき やは 関 係 国 間 の相 談 に よ り定 ま る 次第
ん とす るも のな り
但し不幸
な る が出 来 得 れ ば 日本 も 又相 当 の ﹁レヂ ユー ス﹂ を為 し 得 る が如 き
低 き量 に協定を得たき次第 なり之 れ軍縮 の精 神に合致す
にし て共 通 最 大 限 度 高 く な り た る場 合 には 日 本 も其 不足 を補 充 す る の権 利 を主 張 す るも のな り
(﹁サ イ モ ン﹂ 提 案 の要 旨 ) を述 べ
此提案 にては英国 が第五位 にして他 の大空軍国 に大犠牲を要請 し
共 通 最 大 限 を自 然 に定 め あ る こと 日 本今 回 の提 案 と同 構 成 な り
﹁サ イ モ ン﹂ 案 に は ﹁ア ジ ヤ ス ト ﹂ な し
第
二 問
(米国 ﹁アダ ムス﹂ 報 告 )
共 通最 大 限度 が量 的 に定 ま る にあ ら ざ れ ば ﹁ビ ルヂ ング プ ログ ラ
ム﹂は到底之 を作製す るを得ず 協議 の結果此 の量 が決定 せば御互 第
四 問
の建造計画に就 き御相談 が出来 ると思ふ
︹永 野 ︺
華府条約は幾多複雑 なる事情 の許 に遂 に締結 さるるに至 りしが当
夫 れは 兎 に
時随員 の 一人たりし小生 は当時我が全権当局 が此 の条約 に依り果し
て安 全 の均 等 を得 た り と考 へ居 りし と は信 ず る能 はず
む るも のな り と の所 見 を持 し爾 来 兵 器 の進 歩 に随 ひ研 究 の結 果 は益
角私等多数 の者 は華府条約 は日本 の国 威を汚 し其国防 を危殆ならし
共 通最大限を定むる目的は之 に依り出来得 る限り兵力を縮小する と 共 に不 脅 威 不 侵 略 の状態 を実 現 せ んと す ︹る ︺ に在 り併 し 乍 ら各
々 其 然 るを 信 じ て今 日 に至 り今 日 ︹に︺於 て は我 々 の意 見 が日 本 の
国 に於 て夫 々自 国 の ﹁ヴ ア ルネ ラビ リ チ ー﹂ 等 に関 し て御 意 見 も あ る べ き に付 其 点 は相 互 に研究 し量 の内 容 に適 当 の修 正 を加 ふ る に吝
第
五 問
陳 述 す る こと あ る べ し
尚 本 件 に関 し て是 以 上 の所 見 あれ ど も之 を 必要 に応 じ他 の機 会 に
固 き国 論 と な って居 る次 第 に て今 回 提案 の依 って来 る所 な り
大 海 軍 に大 な る犠牲 を要 請 す る は誠 に御 気 の毒 に て 心苦 し き 次 第
な らず (此 の考 へ各問 題 に関 係 す )
なるが海軍軍縮 の大業 は大海軍国 が世界 の為 に犠牲 を払 ふにあらざ
一、 ﹁ヴ ア ルネ ラ ビ リ チ ー﹂ は国 に依 り て差 異 のあ る こと は 考 へ居
れば 到 底 之 を達 成 し得 ず 日本 全 権 目 下 の心境 は 一九 三 二年 十 一月英
外相 が寿府 に於 て空軍丘ハ 力縮小 に関し提案 をなしたる場合 の英 外相
保 有 す べ き 兵 力 に差 等 を附 し攻 撃 力 に甚 し く 不 等 を生ず る こと に あ
し て此 等 は夫 々研 究 せ ざ る ベ か らざ るも 只其 最 大 な る原 因 は国 家 の
れ り而 し て ﹁ヴ ア ルネ ラ ビ リ チ ー﹂ は種 々 の原 因 よ り 生ず るも の に
大海軍国 には御気 の毒 なれ共海軍軍縮 の大業 を達成す るに最も早
の心境 と略 同 様 な り と信 ず
く 且 実現 性 あ る方 法 と し て敢 て之 を 提 案 せ る 次 第 な り
又共通最大限度を設 け此限度 を為 し得る限 り低下す る我方 の主張
は軍 縮 の実 を挙 ぐ る に最 も迅 速 にし て且 実 現性 を有 す るを 信 ず る も
るを 確 信 す る も のな り 二 、 ﹁ヴ ア ルネ ラ ビ リ チ ー﹂ を 取除 く こと は各 国 家 の慎 重 に考 慮 せ
七 問
ざ る ベ から ざ る所 にし て之 が為 には 何 よ り も 先ず 兵 力 の差 等 を 撤廃
論 なり
特 殊 な る諸 事 情 に就 き互 に好 意 を 以 て之 を 考 慮 す る の必要 あ るは 勿
各国 の保有兵力量 に関 し互 に満足 なる協定を為す場合此等各国 の
為す に吝 ならず
最 大 共 通 限 度 を 決 定 し た る後 は ﹁ヴ ア ル﹂等 に鑑 み適 当 の調 節 を
第
のな り
し 且為 し 得 る限 り攻 撃 的 兵 力 を 縮 減 し 不侵 略 の状 態 を作 る こと が最 も 必 要 にし て且有 効 な る を信 ず るな り
一、 ﹁ヴ ア ルネ ラビ リ チ ー﹂ の差 異 あ る が故 に所 要 兵 力 に差 異 あ
(参 考 )
る こと を頑 強 に主 張 す る も の に対 し て は
反問
就中各国 の安全 に対し ては特 に充分 の考慮を払はざ るべからず 安 な る は兵 力 の不 当 な る差 等 な り
全 に関 し考 慮 す ベ き処 は種 々あ る べ き も最 も 直 接 にし て 且最 も重 大
﹁然 ら ば 仮 に御 説 に従 ふ と せば 英 米 ﹁ヴ ア ルネ ラビ リ チ ー﹂ に差
二、 日 本 の ﹁ヴ ア ルネ ラ ビ リ チ︱﹂ は米 に比 し大 な ると も決 し て
六 問
此故 に先づ此最直接最重大 の原因 を除去す る為各 国兵力 を均等と し之を基準 とし各国 の特殊諸事情 を加味考量して適 当に内容 の調節
異 あり と 思 ふ が何 故 に其 兵 力 は 均 等 な り や﹂
第
小ならず と信ず
な く徒 に諸 事 情 を 集積 す る のみ にて は各 国 に満 足 な る兵 力 量 の案 出
此基 準 とす る処
甚 だ 困難 な り
を 行 ひ 以 て各 国 の保 有 量 を協 定 す る を可 な り と す
に調 整 さ れ た る共 通 最 大 限 は其 全 量 を作 ると 作 ら ざ る と は勿 論 各 国
第 一問 に於 て説 明 の通 り ﹁ヴ ア ル ︹ネ ラビ リ チ ー︺﹂ に 依 り 適 当
の勝手な るが仮令各国其全量 を充実す るも相互 の脅威 的侵略的なら
総噸数及艦種別 の両方面 に於 て制限致したし即ち全兵力 を総噸数
八 問
にて制限す るの外甲級 巡洋艦 以上は各艦種別 に又乙級 巡洋艦以下は
第
大 海 軍 国 の支 払 ふ犠牲 の大 な り と考 へら る るは 一面 御 気 の毒 の感
ざ る様 協 定 せら れ あ る に付 此種 の不 公 平 は な し と信 ず
あ る も我 方 の信ず る所 によ れば 是 れ 一に世界 平 和 を確 立 せ んと す る
一括 し て総 噸 数 に て制 限 せ ん とす るも のな り
即 ち共通最大限を定めて不脅威不侵略 の状態を実 現せんが為 には
建艦宣言案 に関 し条約 に挿入すべき方式
附 録 第 六 (其 一)
に在 り
大 な る兵 力 を 有 す る も のが 比較 的 大 な る犠牲 を 忍 ぶ は当 然 の義 務 と 考 ふ るも のな り
国 の安全 の為 必要とす る軍備 を保有す るの権利は各国斉 しく之 を 海軍兵力 は各国安全 の為必要 とす る最低限度 に止まるべく而し て
享 有 す る こと を認 む
之 等 限 度 は情 況 に応 じ て必 然 的 に相違 あ る べき こと を根 本 義 とす
特定条 約国間 に於け る 一定期間 に亙 る各国 の艦船建造制限 の任意
附録第 七 予告竝相互通報 英国 提案
締約 国は他 の各締約国 に対し て排 水量 一〇〇噸 (一〇二米噸)
1 、 各 会 計年 度 の第 一月中 に其 年 内 に建 造命 令 の発 せら るべ き 艦
以上 の条約規程 の海軍艦船 の建造 に関 して下記事項を通報す
2、各 会 計年 度 の第 六 月中 に (若 し 其 以 前 に 通 知 な か り し と き
船 に つき 其 分類 、最 大 備 砲 の口径 を 記載 せ る艦 船 表
協定 は単 に当該国 に依 り慎重 に考究せられたる該期間 に於 ける海軍
る る こと な し
船
名
水 線 に於 け る長 さ
基準排水量 (噸及米噸 )
分類又 は艦種
艦
は)同会計年度内 に起 工せらるべき艦船 に就き左記事項
の需 要 を 表 現 す る も の にし て関 係 国 の地位 を低 下 す るも のと 見做 さ
附録第六 (其二) 建艦宣言案 に関し新建造 に関する 一方的宣言方式案 某 国 政 府 は本 日 署 名 し た る条 約 第 ⋮ ⋮ 条 に包含 せ ら る る国 の安 全 の平 等 に関 す る規 定 に留 意 し 左 の宜 言 を 為 す の光 栄 を有 す
水線 に於 ける又は水線 下の最大幅
基準排水量 に於ける平均 吃水
右 政府 は該 国 の安全 の為 の需 要 が⋮ ⋮ の期 間 中 に於 て附 表 中 に各
計 画速 力
計 画馬 力 機 械 型式
艦種 に依 り示さるる数字を超過 して海軍艦船を建造し又は取得す る 四囲 の情 況 の変化 に依り国家安全 の需要 が重大なる影響 を受け附
の必要 を 生ず る に至 る こと あ る べき を予 期 す る こと な し
表 中 に示 さる る数 字 を離 脱 す る の必要 を生 ず る に至 り た る と き は某
口径三吋 (七六粍)及其 れ以上 の全備砲 の数及口径
口径三吋 (七六粍)未満 の備砲 の数
燃料 の種類
魚雷発射管 の数
国政府は直 に本 日署名し たる本条約 の他 の締約国 に通告し及右諸国 す る も のとす 某 国 政 府 は 如何 な る場 合 に於 て も他 の締 約 国 に対し 為
搭載し得 べき機雷数
と右事態 に関 し四囲 の情況 に適合す るが如き方法 に依 り進 んで協議
こと を約 す
し た る 通告 の日 よ り 一年 内 に当該 数 字 よ り離 脱 す る こと な か る ベ き
搭載 せら るる航 空機数
り行 はれたる通報 の更 新事項
4 、艦 船 完 成 の期 日 よ り 一ケ 月 以内 に完 成 期 日及既 に(及 2) (3 に) よ
り行はれたる通報 の更新事項
3 、艦 船 起 工 の期 日 よ り 一ケ 月 以内 に竜 骨 据 付 期 日 及既 に(2 に) よ
有す
に起 工 せ ん とす る各 艦 船 の表 と主 な る要 目 と を 公表 す べ き義 務 を
二 、右 宣言 を為 す と 為 さざ る と に拘 らず 各 国 は毎 年 該 会 計 年 度 中
と を得
四 、各 国 は前 第 三 号 に規 定 せ る通 告 後尠 く と も 六 ケ 月 を経 る に非
て自 由 に通 告 せら れ た る 一方 的宣 言 の形 式 に於 て 公表 せ ら る べし
三 、何 れ の場 合 に於 ても之 等 の意 図 は各 政 府 の完 全 な る責 任 を 以
量的制限 に関する現行規定 は 一九三 六年十二月三十 一日以後 に
仏国側覚 (仮訳) 之 を延 長 し得 ざ る こと 明 と な り たり 他 方 に於 て 一般 的賛 同 を 得 ら
ざ れば 其 何 れ の新 艦 を も実 際 に起 工 せざ る こと を約 す
右 の予告 の主なる目的 は締約国 の中何れか の国 が他国 の建艦 の
る べき 量 的 問 題 を 解決 す べ き何 等 の示 唆 な き事 を認 めざ る べか ら
題 に関 し ては何 等 理論 的 に完 全 な る解 決 に到達 せ ん と せざ るべ き
ず故 に仏国側は之等 の困難 を認 むるを以 て海軍兵力 の量的制限問
べき 相 互 の協 議 を容 易 なら し めん と す る にあ り
宣言 が該国 の直接 的安全 を脅 かすと考ふる場合締約国間 に行はる
五、他方 に於 て状況 の変化 が安全 の条 件を実際的 に変改し何れか
ことを 可 な り と 思考 す 此 点 に関 し ては 英国 側 と其 意 見 を 同 じ う す
る処仏国側は本会議 に参加 せる各国 の誠意 に信頼 せざ るベからず
の関 係 国 政府 を し て前 第 一、 第 二号 に従 ひ通 告 し た る数 字 を変 更
六 、前 第 四、 第 五号 に於 て考慮 せ る協 議 に基 く 結 果 に従 ひ各 国 は
国 に通知 し各 国 と其 情 勢 に就 き 商議 す べ き こと に同 意 す
す るを要 す る に至 ら し め た る場 合 には該 政 府 は直 に之 を 他 の締 約
んとする ことは不可能 なり然れ共軍備競争 を阻止し全世界 の海軍
海軍建 艦 に於 て完全 なる自由を有 する規定 を設く る事を協 定せ
と の見 解 を 有す
へば 艦船 が起 工 せ ら る る前 充 分 な る期 間 を置 き て之 が予告 を な し
建艦量を全般的 に低下す る為 に必要 とす る所 は仏国側 の意 見に従
し
艦計 画 に其 必 要 と 考 ふ る如何 な る変 改 をも 加 ふ る 権 利 を 有 す べ
互 に協 定 せ る所 によ り 或 は各 国自 ら の発 意 に依 り最 初通 告 せ る建
ふ各国 に依 る 一方的且自発的宣言 の規定 なり斯か る状況に於 て本
随 って関係国間 に意見 の交換 を行 ひ得 る如く為す補足的規定 を伴 会議中為 された る各種 の論議 に鑑 み仏国側 は協定 の基礎として用
く艦 船 の実 際 起 工と の間 には尠 く と も 六ケ 月 の期 間 を経 過 す るを
七、尚後者 の場合 に於 ては其新意図 に関す る各国 の通告 と之 に基
第 一条
締約国 は他 の締約国 が其安全 に必要なる海軍力 を完全 に
自主的量的制限 に対す る伊国案
要す
ひ得 ら る べ しと 考 へら るる解 決 を探 究 し た り 而 し て其 基 本 的 様 式 は次 の如 し 一、 各 国 にして 可 能 な る も の は任 意 の時 に各 艦 種 毎 に⋮ ⋮年 の期
間 を通し超 えざ るベき新艦建造 の総噸数を該年間 に付宣言す るこ
締約国は各国間 の安全感を増進せんことを望み当該年 に
自由 に整備す るの権利を相互承認す 第 二条
法即水 線
実際起 工又は収得 のX月毎及竣 工後 一ケ月内 に他 の締約国 に対 し左記事項 を通知す べし (A)一、︱竜 骨 据 附 の日
従 ふ各 艦 種 毎 の隻 数 を示 し各 自 其 数 字 を越 えざ る こと を 誓 ひ毎
二 、︱艦 船 の種 別
起 工し又は収得せんとす る総噸数を表す数字及現条約 の規定 に
三、︱噸 及 メ ート ル式 噸 に依 る基 準 排 水 量 並主 要 寸
各締 約国 に依 り通知せらるベき毎年 の計画宣言 の期 日は
二、︱完 成 の日
(B) 一、︱既 に為 し た る通知 に対 す る変 更
四、︱最 大 砲 口径
る平均吃水
全長、水線 又は水線下 の最大幅員、基準排水量 に於け
年相互 に各自 の造艦計画 に関する情 報を通知す ることを約す 第 三条 其 立 法 上 の必要 に応 じ各 自 之 を決 定 す る も のと す 第 二条 に依 る宣 言 は 正 規 の約 束 を為 す も の にし て 左 の型
式 に従 ふ も のとす
第 四条
﹁⋮ ⋮国 政 府 は⋮ ⋮ 年 に於 て各 自 の海 軍 の為 にす る海 軍 艦 船 の
三 、︱機関 の型 式
帝国主張 の説明 き軍縮方式 として
一、今次海軍軍縮会議 に於 て帝国は不脅威不侵略 の情態を招徠す べ
附録第八
七 、︱兵 装
六 、︱計 画速 力
五 、︱計 画 馬 力
収 得 又 は起 工 に より 左 表 に於 け る艦 船 の各 種 別 に付定 め ら れ た
事
四 、︱燃 料 の種 類
u
記
る数 字 を越 えざ る ベき こと を表 明 す る の光 栄 を有 す
総 噸 数
隻
数
種
y
艦 x
t
艦
主 s
力
航 空 母 艦
z
p
n
軽 水 上 艦
v
甲級巡洋艦
艦
水
各国 の超 ゆベからざ る保有兵力量 の共通最大限を定め右限度内
潜
右 と 同 時 に ⋮ ⋮国 政 府 は ⋮ ⋮年 分 と し て宣 言 し た る計 画中 次
に於て各国夫 々其国防上必要 とする最少限 の軍備を整備 し得 る如
攻撃的兵力 は之を大縮減若 は全廃す ると共 に防禦的兵力 は各国
く為 す こと
表 の も のは未 だ収 得 又 は起 工 せざ る こと を表 明 す る の光 栄 を有
締約国は現条約 に依り定めらるる艦種 の各艦船 に就 き其
す (前 表 と同 様 の表 を 附 す ) ﹂
第 五条
m
に難 く 守 る に不 安 な き も のと為 す ベき こと
当 と す る も のに し て 一国 が他 国 より 優 勢 な る兵 力 を保 有 す る場合
も 洋 上戦 闘 に参 加 し得 る凡 て の艦 艇 を 一括 し て之 を比 較 す るを至
右 の関 係 は 日英 米 三国 の如 く 大 洋 を 以 て相 隔 て相 互 の国 防 が主
自国 の国防 の安全 を超 えて他国を侵略し得 る の可能性 を生ず
は当然 の帰結 として劣勢海軍国 は国防 の不安 を感 じ優勢海軍国は
各 其 国 情 に応 じ て整 備 し得 る如 く し以 て兵 力 の内 容 を し て攻 む る
共 通 最 大 限 は出 来 得 る限 り低 く定 む べき こと を 根 本義 と し て主 張 したり 二 、抑 国 家 安 全 の為 必 要 と す る軍 備 を整 備 す る の権 利 は各 国 斉 しく
三 、各 国 が夫 々関 係 あ る総 て の国 に対応 す る軍 備 を 要 求 す る に於 て
なり
以 て兵力 の内 容 を専 ら 防 禦 的 のも ︹の︺ と為 さ ん こと を主 張 す る も
之を大縮減 又は全廃 し防禦的兵力 は之を自主的 に整備 し得 る如くし
の目 的 を達 す る も の な る所 尚 之 を徹 底 的 な ら し む る為 攻 撃 的 兵 力 は
五 、故 に均 等 兵 力 の主 義 を実 現 す ると き は 原則 と し て不 脅 威 不 侵略
と し て海 軍 に依 存 す る も のに於 て特 に然 る も のな り
は軍縮協定 は到底成立 の見込なし故 に協定 は 一国対 一国 の観念 に立
之 を享 有 す る所 なれ ば 言 ふ 迄 も な き こと にし て之 軍 縮協 定 の根 本 義
脚 し て為 さ る るを要 す
べく 従 って軍 備 を縮 少 す る の傾 向 を 生ず ベ く延 て国 民 負 担 の軽減 と
のなり蓋 し右 が実現す れば各国 の安全感 は全般的 に大 に増大せらる
も な る こと明 なり
即ち或 る二国 が平等 の立場 に於 て互 に其安全を期し得 る為 の海軍
六 、 以 上 二、 三、 四、 五 に於 て述 べた る所 は帝 国 の根 本 主 張 の由 来
兵力 を協定 せんとせば均等兵力主義 に依 るを最も合理的 にして特 に 大 洋 を隔 て て相 互 の国 防 が主 と し て海 軍 に依 存 す る国 の間 に は此 の
する基礎観念 にし て公正妥当な る軍縮協定 は之を基礎とし て始 めて
(グ ツ ド ウ イ ル) を要 求 す る も のに し て之 な く し ては軍 縮 条 約 は如
軍 備 の増 大 を来 す べし と 為 す も のあ る も之 に 対 し て は 各 国 の 誠 意
共 通最大限 を設定すれば各国は皆 此限度迄建造せんとし 一般的 に
ず
をも考量 して某兵力 にて満 足すと為 す観念 と何等抵触 す るも のに非
国 が海 洋国 た ると 同 時 に大 陸 国 た る の故 其 他 の理 由 に依 り他 の要 素
論 にし て其 国 防 上 必 要 と す る最 少 限 度 に 止 る ベき も のな り 従 って某
七 、 共 通最 大 限 は各 国 右 限 度 迄建 造 す べ し と の謂 に非 ざ る こと は勿
達 成 し得 る も のな る こと を確 信 す
ま ま適 用 せら る ベき も のな り
艦隊兵力 の骨幹 とな
四、他面 に於 て海軍兵力 の移動性並海上戦争 の特質より論ず るも国 防 の均衡 を得 る為 には兵力 は均等 なるを要 す る も の に於 て特 に然 り
然 れ共専ら防禦 に使 用す べき艦種 は各国 の特殊 の事情 に応 じ適当 海軍兵力は随時随 処 に集散離合す ること極め て容易 にして且右
な る調 節 を 為 す こと可 然
の特 性 は将 来 益々 大 と な る の傾 向 を有 す るは 論 を俟 たず 数 箇 の海
地点 に集中し得る ことは過去現在を通じ平戦何 れを問 はず事実問
面 に分在せ る兵力 は之 を必要 に応じ任意 の場所特 に 一国 の致命的
題 と し て論 証 し得 る処 なり 故 に 二国 の海 軍 兵力 を論 ず る には 荷 く
何なる形式 たるを問はず協定 不可能 なるは今次 の会議 に於 ても各国
ふるに人口は世界各国 中最 も稠密 にして且生活及産業 上 の必需品 の
一二、 帝 国 の軍 縮 に対 す る 見解 は概 ね前 述 の通 にし て帝 国 は其 公 正
大部 を遠 く 海 洋 を 渡 り て他 国 よ り仰 ぐも のな る こと を指 摘 せ ん とす
て会 議 に臨 み た るも のな るが 我 方 の主 張 が認 めら る る に至 ら ざ りし
な る を信 じ合 理 的 にし て妥 当 な る軍 縮 協 定 の成 立 を衷 心 よ り期 待 し
他方 に於 て帝国 の主張する所 は兵力 の内容不脅 威不侵略 の原則 に
が其 提 案 を為 す に当 り斉 し く強 調 し た る所 な り
適 ふ も のな れば 各 国 は 大 な る建 艦 を必 要 と せず 又 之 を企 図 す る国 も
は本全権 の遺憾至極とす る所なり
な き に至 る べ し況 ん や現 状 に於 てす ら世 界 の大 部 分 の海 軍 国 は全 然 条 約 に依 る拘 束 を受 け居 ら ざ る も敢 て尨 大 な る建 艦 を企 図 し居 らざ
軍縮協定 の 一義的目的は量的制限なり量的制限 は各国国防 の 一三 、
安否を左右す る兵力 の相対関係 に関するものにし て実 に各国 軍備を
る に徴 す るも 明 な り 八 、海 外領 土 海 上交 通 線 の大 な る の故 を以 て大 な る兵力 を要 す と為
の質 的制限相互通報等 の問題は次等 の問題 にして不脅威不侵 略を実
定む る基礎的要件 たると共 に軍備 を縮減す べき根本的方途なり其他
現し且軍備 の大縮減 を為し得 る如く量的制限 を決定し然 る後 之 に附
すは 一応尤 なるも之等 を保護する為 に某海面 に於 て他国と均勢 を要 縮 に関 す る基 礎 観 念 よ り見 て其 当 ら ざ る こと は 了 解 し 得 る 所 と 信
求す ると共 に本国海面 に可然兵力 の控置 を要すと為すは前述 せる軍
随 し て協 定 せ ら る ベき も のな り
は幾 多 の実例 に依 り之 を論 証 し 得 る所 な る と共 に 又史 家 の意 見 の 一
兵力 の推移 に応 じ我 が国情 を考量して其最 も適当 とす る艦種艦型を
る こと は大 に好 まざ る所 にし て之 が為 には帝 国 と し て は各 国 の海軍
海 軍 を 整備 せざ る ベ から ざ るも のな る が之 に依 り建 艦 競 争 を 誘 発 す
尚量的協定成立 せざ るに於 ては帝国としては其国防上必要 とする
ず
致 せ る所 にも あ り
一面 に於 て之 等 の保 護 は 一に懸 っ て海 を制 す る や否 や に在 る こと
九、他面 に於 て海外領 地を有す る国は之等 の各 地に於 て根拠地と補
選 び最 少量 の建 艦 を以 て之 に対 処 せん と す る も のな り
第 六〇号
其 一、 十 二月 十 日 発電
会議 の経過ニ伴 フ情 況電
附録第 九
受 諾 困 難 な り とし た る主 な る理 由 は 前述 し た る所 に存 す
帝 国 が本 会 議 に於 て量 的 制 限 な く し て質 的 制 限 の み を為 す こと の
給 の便益を有す之海外領 地海上交通線 の保護上莫大な る利を享有す るも のな る のみ な らず 其 海 軍 兵 力 を 所要 の海 面 に移 動 集 中 す るを 大 に容 易 な ら し む る も のな り 一〇 、 故 に海 外領 地交 通 線 の大 な る の理由 を以 て海 軍 兵 力 全 般 の優
勢を要すと為す は承服 し得ざ る所 にして若 し然 りとす れば何故 に英
一 一、 海 に依 存 す る国 家 は 海 軍 に大 な る関 心 を 有 す べ き は 当然 な る
米均等な るを要 するや疑問なき能 はず 処我帝国は全然海 に依存す るも のにして而 も国内資源豊富 ならず加
期 ノ如 ク質 的 制 限 ヲ帝 国 ニ強 要 セ ント ス ル ニ至 ル へク而 モ帝国 カ良
場 合 ノ外直 接 小官 ヨリ ハ電 報 致 サ ス) ヨリ察 ス ル ニ会 議 ノ焦点 ハ予
会 議 第 一日其 他諸 般 ノ情 勢 (会 議 一般 ノ経 過 ハ特 ニ必 要 ト認 ム ル
切実 ヲ要 ス ル モノ ト考 フ
ア ル ヲ以 テ前 電 ノ趣 旨 ニ基 ク内 外 ノ呼応 ハ其 後 ノ実情 ニモ鑑 ミ 一層
前 途 尚遠 カ ル へク而 モ適 時 ニ我 根 本 主張 ヲ追 及復 活 且拡 充 ス ルノ要
以 上 ノ如 ク会 議 ハ逐 次 予 測 ノ経 過 ヲ辿 リ ツ ツ ア ル モ危 機 ノ到 来 ハ
之カ
其 三、 十 二月 二十 一日 発電
右 ハ当 地海 軍側 ニ モ申 入 レ ア リ其 向 ニ於 テ ハ夙 ニ御 考 慮 ノ コト ト
早 ク再 開 後 ハ或 ハ爾 他 軍 縮 方 式 ノ提 案 ヲ見 ル コト ア ル へキ モ結 局 如
シ テ打 切 ト ナ リ斯 ク テ会 議 ハ今 二 十 一日 ヨリ休 暇 ニ入 レリ明 年 一月
ヲ基 本 ト ス ル帝 国 ノ公 正 妥 当 且 強 力 ナ ル反 対 ニ依 リ討 議 僅 ニ三 日 ニ
英 ノ建 艦 制 限案 ハ米 、 仏 、 伊 ノ支 持 ニ拘 ラ ス共 通 最 大 限度 ノ設定
鈴 木 大 佐 ヨリ
第 六三号
二 、 三 ハ附 録 第十其 一ニ在 リ
ク既 定 ノ方針 ヲ堅 持 シ就 中 其 主 張 ノ公 正妥 当 ナ ル所 以 ヲ中 外 ニ了 得
ルト否 ト ハ特 ニ〓数 日 ノ努 力 ニ係 ル コト大 ナ ル モノ ト判 断 ス
セ シ メ延 テ会 議 ノ終 止 ニ伴 フ帝 国 ノ有利 ナ ル国 際 的 立 場 ヲ保有 シ得
為 全 権 団 ノ奮 闘 ト相俟 チ密 ニ会 議 ノ推移 ニ照応 シテ今 後 共 機 ヲ逸 セ ス内 地 ニ於 テ 正 々堂 々権 威 ア ル公 式声 明 ヲ行 ヒ直 ニ之 ヲ欧 洲新 聞 界 ニ反 映 セ シ メ以 テ帝 国 ノ目 的 達 成 ニ努 ム ル コト比 際 極 メテ 緊要 ナ リ
ハ存 スル モ此 時 ニ臨 ミ テ 万 一機 宜 ヲ失 セ ンカ帝 国 ハ忽 チ受 動 ノ 地位
何 ニシ テ会議 ノ終 止 ヲ求 ム へキ ヤ ニ重 点 ヲ注 ク へキ モ ノト観 察 ス其
ト認 ム
ニ陥 リ弁 疏 ニ汲 々タ ルノ窮 境 ニ立 タ ン コト懸 念 ニ堪 ヘス陸 軍 ト シテ
其 四 、 昭和 十 一年 一月 九 日発 電
際 情 勢 ニ依 リ防 備 制 限 問 題 時 ト シ テ政治 問 題 ニ触 ル ル コト ア ラ ン
鈴 木 大 佐 ヨリ
第四号
モ全 局 的 見 地 且 ハ陸 海 協 同 上 黙 視 ス ヘカ ラ サ ル モノ 卜信 シ敢 テ現 地
其 二 、十 二 月十 七 日発電
ノ実 感 ヲ具 申 ス
第六 二号 一、 開 会 以 来 昨 十 六 日 ニ至 ル迄 会 議 ヲ重 ヌ ル コト 六 回此 間 更 ニ数 回
問 題 ヲ余所 ニシテ斯 カ ル次 等 ノ問 題 ヲ先 議 ス ルノ妥 当 ナ ラサ ルヲ主
ル建艦通報案 ノ提出 ヲ見 タ ルモ我方 ハ昨 八日ノ会議 ニ於 テ量的根本
一月 六 日会 議 再 開 ト ナ ルヤ英 、 仏 、 伊 三国 ヨリ夫 々内容 略 相 以 タ
ノ 二国 (主 ト シテ 日英 )会 談 ヲ交 へ専 ラ帝 国 ノ根 本主 張 タ ル共 通 最
ア ル モ我カ 決 意 素 ヨリ牢 乎 タ ル モ ノア ルヲ以 テ彼 等 ニ シテ 万 一我 カ
張 シ会 議 ハ〓 ニ急 遽 停 頓 ノ勢 ヲ示 シ英国 ハ目下 打 開 ノ途 ヲ講 シツ ツ
鈴 木 大 佐 ヨリ
ニ至 ラ ス問 題 ハ漸 ク複 雑 機 微 ノ関 係 ヲ生 シ来 リ〓 ニ暫 ク之カ 討 議 ヲ
キ ニ迫 レ ル モ ノト判 断 ス
主 張 ヲ容 ル ルカ如 キ コト ア ラ ハ格 別 然 ラ サ ル限 リ会議 ノ終局 既ニ 近
大 限 度 ノ設 定 ニ関 シ討 議 ヲ進 メ ラ レ タ ル モ未 タ他 国 ヲ承 服 セシ ム ル
後 日 ニ譲 リ テ本 十 七 日 ヨリ建 艦 宣 言 案 ノ研 究 ニ移 ル コト 卜 ナ リ正 ニ
申 ス迄 モナケ レト小 官 ト シ テ ハ帝 国 ハ仮
会 議ニー 段 階 ノ劃 セ ラ レタ ルヲ見 ル
令最 後 ノ場 面 ニ至 ル モ依 然 ト シ テ冷 静 且厳 然 タ ル態 度 ヲ堅 持 シ飽迄 其 主張 ノ公明 正 大 ナ ル所 以 ヲ中 外 ニ諒 得 セ シ ム ル ニ万 全 ノ努 力 ヲ払
其 五、 一月 十 五 日発 電
フ へキ ヲ主 眼 ト シ テ 其 任 ニ努 メ ツ ツ ア リ
鈴 木 大 匠 ヨリ
第七号
其 六、 一月 二十 日発 電
只 今 (一月 十 五 日夜 )帝 国 ノ脱 退 通 告 ヲ了 シ多 年 ノ懸 案〓ニ一 決 ス
鈴 木 大 佐 ヨリ
第九号 貴 電 二 一敬 承 、 又十 七 日 軍筋 発 御 懇 電拝 謝
三
十
日
﹁ニ ユ ー ヨ ー ク ﹂ 著
浅間丸
浜 著 ノ予定 ヲ以 テ帰朝 ノ途 ニ就 カ ント ス
二 月 六 日 桑港発
其 七 、 一月 二十 五日 発 電
二 十 へ 日横
鈴 木 大 佐 ヨリ
第十 二号
一、 二十 三 日 永井 全 権 ト ﹁モ ンセ ル﹂ 英 海 相 ト ノ対 談 ノ際 先 方 ヨリ
テ (全 権 発 外 務 大 臣宛 電 第 八 一参 照 ) 今 更意 ニ介 ス ルノ要 ナ キ モ今
潜 水 艦 問 題 ト共 ニ防 備制 限 問 題 ニ触 レ我カ 方 ノ脈 ヲ引 キ タ ル趣 ニシ
後 或 ハ我カ ﹁オブ ザ ーバ ー﹂ 其 他 外 交 機 関 ヲ通 シ帝 国 ノ意 志 ヲ確 メ 来 ル ヤ モ知 レ ス
シト モ思 ハ
シ何等 カノ約 定 ヲ見 ル コト ア リト セ ハ大 体 華 府 条
約第 十九 条 ヲ其 儘 存 続 ス ル位カ 関 ノ山 ナ ル へシト推 察 ス
右 御含 ミ迄 尚 目 下 ノ情 勢 ヨリ察 シ防 備 問 題カ 大 ナ ル発 展 ヲ遂 ク ヘ
一、 其 後 四 国 会議 ハ建 艦 通 報案 討 究 中 ニ シテ次 テ質 的問 題 ニ入 ル へ
第六 二号
十 二月 一七 日発 電
其 一、 小官 ヨり次 官 ︹古荘 幹 郎 ︺ 宛
防備制限問題研究 ニ関 又ル往復電
附録第十
ク情 勢 ニ依 リ或 ハ独 、蘇 ノ参 加 ヲ見 ル コト ア ラ ン モ素ヨ リ歯 牙 ニカ ク ルノ要 ナ シ
我 方 ﹁オブ ザ ーバ ー﹂ ハ幾 多 経 緯 ノ後 結 局 駐 英 藤 田 大 佐 、藤 井 参 事 官 ト ナ ル筈 二 、帝 国 脱 退 後 ニ於 ケ ル当 地新 聞 界 ノ論 調 ハ一` 二 ヲ除 キ特 ニ我 ニ 非 難 ヲ加 フル モ ノ ナキ モ政 府 当 局 ハ国 民 ノ関 心 ヲ漸 ク我ヵ 大陸 発展
(略 ス)
一、 開 会 以来 ⋮
ニ向 ケ 且対 米 接 近 ヲ庶幾 セ ント スル ノ風 ア ル ヲ窺 ハシ ム 三 、 全権 団 主 力 ハ三 十 一日 ﹁マル セ ー ユ﹂発 三月 四、 五 日頃 神戸 著 、
ヨリ未 タ何等 問 題 ト ナ リ居 ラ サ ル モ将来 ノ推 移 ニ応 スル万 一ノ準 備
委 員 会 ニ於
二、 直接 陸 軍 ニ関 スル問 題 ト シ テ ハ去 ル十 日第 一回
﹁オ イ ロ ツ パ ﹂
一部 ( 岩 下 、 稲 垣 、 阿部 、西 田) ハ経 米 帰朝 ノ予 定
﹁サ ザ ン プ ト ン ﹂ 発
テ英 国 全 権 ヨリ 一寸 防 備 制 限 ニ触 レ タ ル陳 述 ア リ タ ルノ ミ ニシテ素
一月 二 十 五 日
四 、 小宮 ハ大 体 岩 下 少将 ト同 行 (稲 垣 以 下 ハ著 米 後 別 行 動 ヲ取 ル)
ノ為 差 当 リ左 記 二点 早 目 ニ承 リ置 キ度 イ、臺 湾カ 航 空 制 限 ノ範 囲 内 ニ入 リ タ ル場 合 之カ 為同 島 ニ於 ケ ル
ロ、千島 ニ於 ケル飛行場適地丿実状竝之カ戦時利 用ノ為是非共平
予定航空施設 ノ受 クル影響 並対策 時 施 設 ヲ要 スル カ否 ヤ
其 二、陸 軍 次 官 ヨリ ノ返 電
貴電 三四三敬承
第 一項 ノ趣 旨カ 若 シ相 互 制 限 ヲ モ否 認 セ ラ ル ル意 ナ リ ト セ ハ電 一
一月 十 一日 発電
尚 我 方 ノ ミ ノ 一方 的 制 限 ハ全然 問 題 等 ト為 シ アラ ス為 念
二三 訓 令第 二項 ノ趣 旨 ト 一致 セサ ル処 ア リ真 意 果 シテ 如何
其 四、 陸 軍 次 官 ヨリ返 電
鈴 木 大 佐 へ、貴 電 第 二号 返
陸第 六号
シ テ此 点貴 官 見 解 ノ如 ク訓 令 第 二項 ノ解 釈 ト 一致 セ サ ル カ如 キ モ当
十 二月 二 十 七 日発 電
三 、政 治 問 題 ニ ハ未 タ全 ク触 ル ル所 ナ シ
一、臺 湾 ニ於 ケ ル航 空 制 限 ハ原則 ト シテ同 意 シ難 シ蓋 シ本島 航 空 兵
方 ノ意 見 ハ臺湾 ニ関 ス ル限 リ国防 及 国策 ノ見 地 ニ立 脚 シ前電 詳 報 ノ
前 電 第 一項 ハ台 湾 対 比 島 ト ノ相 互 制限 ヲ モ否 認 セ ント ス ル趣 旨 ニ
備 ハ其直接 対照 ヲ比島空軍軍備 ニ置 クト雖帝国将来 ノ大陸及南 方発
卜 ナ ス モ ノ ナリ
如 ク比 島 ト 対蹠 的 ニ航 空 ニ関 シ相 互 制限 ヲ行 フ ハ我 ノ失 フ所 大 ナ リ
貴電第 六二号返 (第三四三号)
ヲ以 テ 之カ 制 限 ニ ハ原 則 ト シ テ同意 シ難 キ ノ ミ ナ ラ ス米 国 ノ対 比島
一月 四 日発 電
一月 十 二 日発 電
右臺 湾 除 外 ノ主 張 諸般 ノ情 勢 上 至 難 ナ ル ニ立 到 ラ ハ更 ニ請 訓 ア リ
其五 、 小官 ヨリ次 官 宛
貴方 ノ真意大体判 明 セリ就 テ ハ御訓令修 正方御手配煩 シ度
鈴 木 大 佐 ヨリ
第 三号
度
ル如 ク処 理 アリ度
的 航 空 制 限 提 唱 セラ ル ル場 合 ニ於 テ モ臺湾 ニ関 シテ ハ除 外例 ヲ求 ム
ナ ルヲ以テ将来本問題 ノ上程 ニ方 リ現行防備制限地域等 ニ対 シ総括
又現行航空充備計 画ノ外目下更 ニ将来 ノ充備 ヲモ研究中 ナル次第
展 ノ支〓竝 南 門 ノ鎖鑰 ト シ テ多 分 ニ自主 的 意 義 ヲ包 含 ス ル モノ ナ ル
ノ苦 杯 ヲ嘗 メ サ ル へカ ラ サ ル ノ不利 ア ル ヲ以 テ ナ リ
政策上比島空軍拡張 ノ可能性極 メテ少キ現状 ニ於 テ ハ我方独 リ制 限 尚現行臺湾航空兵力 ノ充当 ハ十 一年度着手 シ十 二年度完了 ノ計画 ニシテ 制 限 ニ依 リ実 行 上 支 障 ア ル コト勿 論 ナ リ 二、 千 島 ニ ハ現在 陸 軍 ト シ テ飛 行 場 ヲ施 設 シア ラ ス又 差 当 リ戦 時 利 用 ノ為 是 非 共 平時 施 設 ノ要 ア リ ト ハ考 ヘア ラ ス従 ツ テ千 島 ノ航 空 制 限 ヲ米 国 ニ対 シ相 対的 ニ ﹁ア リ ウ シ ヤ ン﹂ 為 シ得 レ ハ ﹁ア ラ ス カ﹂ ノ制 限 ヲ条 件 ト シテ 行 フ ハ陸 軍 ト シ テ有 利 ナリ ト認 メ ラ ルル モ本 件
其 三 、 小官 ヨリ次 官 宛
ハ海 軍 ト 重大 ナ ル関 係 ア ルヲ以 テ十 分其 意 見 ヲ参 酌 スル ヲ要 ス
鈴 木 大 佐 ヨリ
第二号
二
内 蒙 工 作
玉 常
雄 殿
満洲航空株式会社副社長、電報後印刷交付
次
郎
附 表第 一
令
二
(自 昭和 十年 十 二月 四 日至 昭和 十 年 十 二月 二十 六 日
一 戦 闘 詳 報
児
関東軍司令官 南
臨時独立飛行中隊編成派遣 ニ関 スル命令
関 参 一発第 二 一六 一号
昭和拾年拾弐月五 日
副社長
満 洲航空株式会社 一、満洲航空株式会社副社長 ハ附表第 一ニ基キ臨時 独立飛行中隊 ヲ 編成 シ十 二月 六日 夕 刻迄 ニ多 倫 ニ到 著 セ シ ム へシ
下達法
二 、細 部 ニ関 シ テ ハ別 ニ示 ス
命
臨 時 独 立 飛 行 中 隊)一
康徳弐年拾 弐月四日
一、 軍 命 令 ニ基 キ別 紙 ノ通 リ臨 時軽 爆 撃 隊 一隊 ヲ編 成 ス
二、各所属長 ハ速 ニ別紙人員器材 ヲ本社 ニ差出 シ河井田義匡 ノ指揮
交 付 種 場所
承徳 飛行場
朝陽 飛行場
錦州飛行場
奉天飛行場
翼 下 照 明 火
四八発
三〇 発
期
日
交 付担 任 部 隊
付
交
独 立 混 成第 十 一旅 団
十 二 月 十 日
十 二 月 五 日
関東軍野戦航空廠
関東 軍野 戦 兵 器 廠
十 二 月 六 日 以後
臨時軽爆撃中隊 に対す る航空機用弾薬交付区分表
量
三 六九 発
数
十 五瓩 投 下爆 弾 三〇 発
分
五〇瓩投 下爆弾 二八 六 発
区
押 収 中爆 弾 一八 発
交 付
十五瓩投 下爆弾 三〇〇発
類
十五瓩投 下爆弾 三挺
十五瓩投下爆弾
三組
発
偵察機用 爆撃照準具
三組
三 、〇〇〇
機関銃
八 九式 旋 回
弾薬 (普 通弾 )
航重機 用機 関銃
同 爆弾投下機
三組
挿弾子紙凾共
偵察機用 旋回銃架
摘
関東軍 司令 部
要
在 錦 州東 部 隊 に交 付 し 該 部隊 移 動 に際 し て は所 在守 備 隊 に保 管 せ し む る も のとす
附 層 品 一式 共
ヲ受 ケ シ ム ヘ シ
ス ーパ ー機
三
一機 、
一三 八 、 M︱ 始動車
(M︱
一 一二 、 M︱ 9
1
一、
一
9号 乗合自動車 8
三、 主 要 器 材 左 ノ如 シ
三 M機
揮発油補給車
一、
一三 九 )
玉
常 雄
十 二月四日午後 七時 於 奉 天
副社長 児
四、 河 井 田義 匡 ハ明 五 日中 ニ編 成 ヲ完了 シ後 命 ヲ待 ツ へシ
三 臨独飛作命第 一号 臨時独立飛行中隊命令 一
正 明
寛
秀 司
鳥
上 野 俊 彦
一、 八
瀬
近 藤
明五日午前七時奉天 飛行場出発ノ飛行機 ニヨリ多倫 ニ先行 シ設
牧
細 部 ニ関 シテ ハ武 居 参 謀 、多 倫 特 務 機 関長 ノ指 示 ヲ受 ケ航 空 株
︹清太 即 ︺
営 其 ノ他 諸 設備 ニ任 ス ヘツ
才
治
式会社多倫出張所長 ト連絡 ノ上実施 スへシ 山
明五日満洲航空株式会社定期 ニョリ錦 州迄先行 シ同地 ニア ル無
二、 奥
河井 田義 匡
線 器 材 ヲ整 備 シ器 材 ト共 ニ承徳 ニ於 テ待 機 ス ヘシ
中隊長
令
下達法 口達
命
四
中
康徳 二年十 二月五日
副社長
移
玉 常
動計画
児
雄
一、臨 時 独 立 飛行 中 隊 ノ主 力 ハ空 中輸 送 ヲ以 テ明 六日夕 刻 迄 ニ多 倫
空
五 臨独飛作命第 二号 臨時独立飛行中隊命令
十 二月五日午後 五時 於 奉 天
整 備班 ハ午 前 十 時 迄 ニ全 機 ノ出 発準 備 ヲ完 了 ス へシ
一、 明 六 日別 紙移 動計 画 ニ依 リ多 倫 ニ向 ヒ空 中輸 送 ヲ実 施 ス
ノ
他
要
河 井 田義 匡
小野 利 一は 錦州 迄
と 交 代 の為 中 村 は
操 縦 士 承徳 に於 て且 代 操 縦士
奥 山 、中 村 は承 徳 より
摘
中隊長
其 ノ他 ノ者 ハ午 前 八時 奉 天 飛 行 場 ニ集 合 ス へシ
其
二、 予 ハ午 前 八時 飛 行場 ニ在 リ
材
無 線 器 材 、 飛 行場 器 材、修理器材
器
下達法 口達
員
石 川 正 義
人 奥 山 才 治
田 端 愛 太 郎
士
機 関
前 田 均 中 村 邦 夫
士
操
空 閑 均 仲川丈太郎
徳 永 潔 小 野 利 一
(中 村 邦 夫)
川 端 清
正
河井 田中 隊長 岡 本 虎 雄 (且 代 次 雄 )
河 野 与 助
高
塚 本 清 太 郎 高 岡 芳 三
一
古 川 真 吾
伊 藤 静次
一、 奉 天出 発 は午前 十時 三十 分 と し途 中 錦 州 、 承徳 に著 陸 油類 補 充 を な す 二、 且 代操 縦 士 は 水 本操 縦 士 到 着 せ ば交 代 帰 還 の予定 三、 中尾 操 縦 士 、伊 藤 機 関 士 は荒 木 操 縦 士 、 椎木 機 関 士 到 着 せ ば交 代 帰 還 の予 定
橋
中 尾 純 利
縦
ニ到著 シ関東 軍武 居 参 謀 ノ指 示 ヲ受 ク へシ
1
機種番 号 三 M 2
3
4
考
ス ー パ ー
〃
〃
備
に搭
N .
六 臨独飛作命第三号
原
一
臨時独立飛行中隊命令 一、 小
十 二月 六日午前七時 於 奉 天
自 動 車輸 送 ノ為奉 天 、平 泉 間 ノ宰 領 ヲ命 ス
利
一
平 泉 ニ於 テ卸 下 後 ハ多 倫 迄 地 上 輸送 ス へシ 野
空 中 輸送 ニ ヨリ錦 州 迄同 行 シ同 地 ニ於 テ待 機 シ錦 州多 倫 間 ハ小
二、 小
久
幸
原 一卜 行 動 ヲ 共 ニ ス ヘ シ
田
一
與 助 清
河井 田義 匡
十二月六日午後 二時 於 承 徳 飛 行 場
中隊長
残余 ノ人員器材其他物品等 ヲ取纏 メ成 ル可 ク速 ニ錦州迄輸送 シ
三、 丸
同 地 ニ待 機 シ後 命 ヲ待 ツ ヘシ
七 臨独飛作命第 四号 野
臨 時独立飛行中隊命令 一、河 川 端
第 一号機 ハ即時出発多倫 飛行場 ニ人員器材 ヲ卸下 シ速 カ ニ承徳 ニ歸還 シ本 日 ハ当 地 ニ宿 泊 ス ヘシ
明 七 日 以降 ノ行 動 ハ別 紙 計 画 ニ依 ル ヘシ
才
治
河 井 田義 匡
十二月六日午後 四時 於 多 倫 飛 行 場
中隊長
二、 予 ハ午 後 三時 三十 分 以後 多 倫 ニア リ
下達法 口達 八 臨 独飛作命第五号 山
臨時独立飛行中隊命令 一、奥
河井 田 義匡
十二月 六日午後八時 於 多 倫 旅 館
中隊長
無線 器 材 ヲ点 検 シ明 七 日中 ニ無線 開 設 ヲ完了 ス へシ 場 所 ハ多倫 旅舘 内 ト ス
下達法 口達 九 臨独飛作命第六号 明
臨時 独立飛行中隊命令 野 正
自 動 車 地上 輸 送 ノ為 明 七 日第 一号機 ニ ヨリ平泉 ニ至 ル へシ
一、上
平 泉到 着 後 ハ小 野利 一及 小原 一ト 行動 ヲ共 ニス ヘシ
了 ス ヘシ
二、 明 七 日整 備 班 ハ右 ノ作 業 ヲ実 施 シ午 前 十 一時迄 ニ飛 行 準 備 ヲ完
地 名
日別
徳
州
承
倫
錦
多
搭
載
品
備 考
日
防
八
寒
日
}
四
5
雑
九
品
一号 機 行 動 予 定
員
布
具
事 務 用 品
人
十 二 月 七 日 以 降 第
七
爆弾 7
毛
一、 十 日 以後 の行動 は別 に 示す
日
5
}
4
雑
十
品
日
3
摘
原 、山 下
要
一、 八 日 の 人 員 四 ハ荒 木 、 丸 田 、 奥
二、 七 日上 野 は 承徳 迄
400k
}
0
飛行機 ノ点検整備
爆弾装置 ノ点検
寛
一
器材掛 ハ当地特務機関 ニ保管 シアル爆弾ヲ成 ル可 ク速 ニ飛行場 鳥
ニ集 積 ス ヘシ
三、八
中尾操縦士 ノ指 示ヲ受 ケ直接使役兵 ヲ指揮 シ飛行場内 ノ除雪作
一 一
臨独飛作命第 七号 臨時独立飛行中隊命令 一、敵 状 ニ就 テ ハ得 ル処 ナ シ
十 二月 七日午後二時 於 多 倫 飛 行 場
二 、李 守 信軍 ハ本 七日 午前 十時 多 倫 出 発大 梁 底 ニ向 ヘリ
第 二号機
古川操縦士
高橋機関士
且代操縦士 岡本機関士
武居 参謀
特務機関員
三 、中 隊 直 チ ニ出 発 寳 昌 及沽 源 附 近 ノ敵 状 ヲ偵 察 セ ント ス
業 ヲ実施 ス へシ
第三号機
伊藤機関士
四 、搭 乗 区 分 左 ノ如 シ
河井 田義匡
中尾操縦士
十 二月七日午後 七時三十分 於 多 倫 旅 館
中隊長
五 、整 備 班 直 チ ニ三機 ノ出発 準 備 ヲ完 了 ス ヘシ
一二
六 、予 ハ第 三号 機 ニ搭乗 出 動 ス
下達法 口達
臨独飛作命第八号 臨時独立飛行中隊命令
李守信軍 ハ本 七日午後二時 正黄旗 ニ到着 シアリ
一、敵 状 ニ就 テ ハ情 況 ヲ得 ス
河 井 田義 匡
第 四号機
四、 明 七 日 ノ集 合 ハ午 前 七時 宿 舎 前 ト ス
中隊長
十 二 月 七 日 於 多 倫 飛行 場
五、 予 ハ午 前 十 時 以後 飛行 場 ニ在 り
下達法 口達
臨時独立飛行中隊戦闘詳報 一、 正 午 よ り全 機 試 験 飛行 を実 施 す
二、 午 後 二時 より 中 隊 長 は全 機 を 指揮 し寳 昌 、沽 源 方 面 の敵情 偵 察
をなす其詳細 は別紙戦 闘詳報 の如し
︱ 奉 天 間 の交 信 を 傍受 す る ことを 得 た り
三、午 後三時無線通信 所を開設し承徳 と直接交信 は出来 さるも承徳
三缶
四八缶
四 、 本 日燃 料 消 費 量 左 の如 し
カ スト ル油
飛行機用揮発油
二、 中 隊 ハ明 八 日午 前 九時 出 発 七 合 堂 、寳 昌 、 沽源 、平 定堡 ニ宣 伝
一
任 務
編 隊 の 編 組
候 象
十 二 月 七 日 第 臨 時 独 立 飛 行 中隊
川
4
一 号
藤
尾
伊
代
中
且
岡 本
戦
一、 五 〇〇
闘
詳
報
薬
弾
区
分
多 倫- 大梁 底 間 道 路 上 行軍 部 隊 の偵 察 及寶 昌 、沽 源 市 街 の状 況 並附 近 地
古
長 橋
形偵察
3
隊 高 2
平均
多 倫 出 発時 よ り吹 雪 あ り 七合 堂 附 近 よ り悪 化 し 引 返 す に至 る
二、〇〇〇
飛行 経 路 多倫︱正黄旗︱大梁底︱楡樹溝 及経 路 上 の高 度 七 合 堂 以南 は吹 雪 のた め引 返 す
天 気 護
(平 最 均 高) 最 高
掩
帰
爆
出
種
着
撃
発
携 行数
時
時
時
到
刻
刻
職氏名 中隊長
弾
河非 田義 匡
午後二時〇分
残
午後三時四〇分
使 用 数
数
爆
撃
た る空 地
捜 索 し得
故
の状 況
事
将 来 の参 べき 事 項
考となる
高
路
度
目
状
経
動
況
標
行 要
果
図
要
概
効 の 定
投下法
判
正 黄 旗 に於 て停 止 中 の自 動 車 部 隊 を見 る
着 陸 後 雪 塊 のた め滑 走 を 停 止 し更 に方 向 を換 へて滑走 せ ん と せし も ブ レー キ の油凍 結 し操 縦 困 難 と な り加 ふ るに突 風 に 扇 ら れ尾 部 を扛 起 せし ため プ ロペ ラ の両 先 端 を 湾曲 せり
番
立
中 隊
航
空
任務遂行概況
飛 行
務
梁底 聞 道 路 上行 軍
飛 最
平
高 度
候
天
記 録
行
多 倫 出 発 時 よ り 吹 雪 あ り
象
気 高
均
経 路
一正 黄 旗 に於 て停 止 多 倫 中 の自 動 宙} 部 隊 を 正黄旗 見る 大梁 底 七合 堂 附 近 吹 雪 の 楡樹溝 多 倫 た め引 返 す
時 出 発
帰 着
飛 行 時 間
刻
午 後3.40
時 独 操 同機 縦 乗関 任 者 著士
伊 部 隊 の偵 察 及寳 昌 沽源市街 の状 況 及 附 近 の地 形偵察
午 後2.00
臨 発 動 機 番
高
隊橋
古 中 川 貞
中
藤
吾 長正 多 倫、 大
尾
静
岡
七 合 堂 附 近 特 に 悪 し
事
昭和 十 年 十 二 月 七 日
き事 項
とな るぺ
将来参考
摘要
於 多 倫 飛 行 場
故
着陸後雪
溜 のた め
停 止 し更
に方向を
換 へ滑走
せんとせ
し もプ レ ﹁ キ の油
凍 結 し意
す
端 を湾 曲
ペ ラ の両
起し プ ロ
尾 部 を扛
に扇 られ
る に突 風
一の如 く な らず 加 ふ
1.40
号
3
4
純
且
本
次
代
虎
利
次
雄
1,500
飛行機 型
〃
2
雄
2,000
回
数
一
〃
112 1001 594
ー バ ー ス
文 ヲ散 布 シ該 地 ニ於 ケ ル彼 我両 軍 ノ情 況 ヲ偵 察 セ ント ス
第 二号機 古川操縦士 高橋機関士
且代操縦士 岡本機関士
三、 搭 乗 区 分 左 ノ如 シ
第三号機 荒木操縦士
伊藤機関士
第四号機 武装 ナシ
寛
一
四 、整 備 班 ハ午 前 八時 三 十 分迄 ニ出 発 準 備 ヲ完 了 ス ヘシ 鳥
明 八日午前八時多倫特務機関員松井大尉 ト同行 シ十 一日迄 ユ哈力
五 、八
更 台 附 近 ニ前 進著 陸 場 ト シ テ飛行 場 偵 察 並 ニ其 ノ設備 ヲナ ス ヘシ
中隊長
十 二 月 八 日 於 多 倫 飛行 場
河井 田義匡
六、予 ハ午前八時 三十分飛行場 ニアり爾後第 三号機 ニ搭乗出動 ス 下達法 口達
臨時独立飛行中隊戦闘詳報
一、 八鳥寛 一は前進飛行場偵 察並整備 のため多倫特務機関員と共に
一缶1/3
三二缶
四 、本 日油 類 消 費量 左 の如 し
カ ス ト ル 油
飛行機用揮 発油
一四
臨独飛作命第九号 臨時独立飛行中隊命令 一、敵 状 ニ就 テ ハ得 ル処 ナ シ
十二月八日午後八時 於 多 倫 旅 館
騎 兵 第 二 、 四、 五 団 ハ本 夕 臭 水泉 子 ニ到 着 ス
李司令官 ハ本日午後五時 三十分七合堂 ニ到着 ス
明九 日午前八時寳昌保安隊 ニ武装解除文 ヲ交付 シ東側高地帯 ニ
於 テ之 ヲ監 視 シ飛行 機 ノ飛来 ト共 ニ状 況 ニ依 リ攻 撃 ス
協 力 セ ント ス
高橋機関士
岡本機関士
武居参 謀
二 、中 隊 ハ明 九 日午 前 八時 三十 分 出 発寳 昌 ニ於 ケ ル友軍 武 装 解 除 ニ
第 二号機 水本操縦士
三 、搭 乗 区 分 左 ノ如 シ
第三号機 古川操縦士
第 四号機 荒木操縦士 椎 木機 関士
四 、整 備 班 ハ午 前 八時 三 十分 迄 ニ出 発 準備 ヲ完 了 ス ヘシ
哈力更台 に向ひ陸路出発す
河井 田義匡
五 、予 ハ午 前 七時 飛 行 場 ニア リ爾 後第 四号 機 ニ搭乗 出 動 ス
中隊長
二、午前十 一時中隊長 の指 揮する二機は七合堂、宝昌、平定堡 に宣
下達法 口達
伝文散布及該地に於 て彼我両軍 の偵察を為す 其詳細別紙戦闘詳報 の如し 三、本日は零下 三十三度なりしため第三番機寒冷 のため始動せず依 て二機編隊を以て任務 に就 けり
一
任 務
編 隊 の 編 組
十
二 月
八
日
臨時独立飛行中隊 第
川
2
高度
一 号
且
荒 岡
代
木 本
戦
闘
零 下 三 十 三度
詳
報
弾
薬
銃
機
爆
区
弾
関
弾
分
七合 堂 、寶 昌 、沽 源 、 平定堡 に宜 伝 文 散 布 及該 地 に於 け る彼 我 両 軍 の情
古
況偵察
3
中 隊長 高 橋
高 均
天 気晴 朗 な るも 西 風強 し
多倫︱七合堂︱寶昌︱張北︱沽源︱多倫
最 平 候 象
飛行経路 及経路上 の高 度
天 気 護
二 、〇〇〇
掩
発
時
時
刻
刻
刻
中 隊長
出
撃
時
職 氏 名
爆
着
携 行 数
帰 弾種
河 井 田 義 匡
数
午 前 一 一時〇 八 分
残数
午後 一時 四 三分
使 用数
爆
撃
高
度
経 路
行 動 概 要
果
投下法 効
寶昌 頗 る平 静 な り 異 状 を認 めず 治安 維 持 良 好 な る も のと認 む
定
の
寶昌 よ り張 家 ロ に至 る道 路 上 何等 部 隊 を 認 めず 平 常 の如 し
判
捜索し得
沽源 は殆 ど 人影 を 見ず 頗 る寂 漠 た り
極寒 の ため 三 番機 始 動 せず 依 て 二機 編 隊 を 以 て任 務 に就 け り
たる 空 地
故
の状 河
事
将来 の参 考となる ベ き事 項
目 標 状 況 要 図
号
飛行機 型
3
2
臨 操
時 同
独
者
乗
者
縦
発 動 機 番 号
隊
中
古 長 ・
・
荒 木 次 郎
正
橋
高
川 真 吾
且 代 次 雄
岡 本 虎 雄
立
任
中 隊
見ず
航 高 度
天
帰 着
飛 行 時 間
刻
午 後1.43
時 出 発
午 前11.08
録
平
最
候 気
33
℃
天 気 晴 朗 な る も 西 風 強 し
象
2,000
均
商
2,000
飛 行 経 路
多 倫 七合堂 賓 昌
空 記
沽 源 は殆 ど 人影 を
し
を認 めず 平常 の如張北 沽 源 多 倫
る道 路 上 何等 部 隊
賓 昌 よ り 張 北 に至
のと 認 む
安維持良好なるも
り異 状 を 認 めず 治
費 昌 は頗 る平 静 な
任 務 遂行 概 況
飛 行
務
七合堂、 寳昌、沽 源、平定 堡に宜 伝 文散布及 該 地 に於 け る彼 我 両 軍 の状 況偵察
2.35
回
数
一
〃
112 594
バー ー ス
事
昭 和 十 年 十 二 月 八日
べ き事項
考 とな る
将 来 の参
摘
於 多 倫 飛 行 場
故
め第 三 号
極 寒 のた
機始動せ
ず
要
一五
臨時独立飛行中隊戦闘詳報
十 二 月 九 日 於多 倫飛行場
一、 第 一次 出 動 午 前 八時 四十 五 分寳 昌 に於 け る友 軍 の武 装 解除 に協
力第二次沽源附近に於け る友軍 の武装解除 の状況偵察及機 に応じ爆
二四 発
十二月九日午前十 一時 於 多 倫 飛 行 場
第三次午後 四時二分出発沽源附 近に於ける友軍 の戦闘に協力す
撃 其詳細別紙戦争詳報 の如し 爆 弾 (一五瓩 )
二 、 本 日 の爆 弾 及油 類 消 費 量 左 の如 し
七缶
二九缶
カス ト ル油
飛行機用揮発油
一六
臨独 飛作命 第 一〇号 臨時独立飛行中隊命令 一、彼 我 両 軍 ニ就 テ得 ル処 ナ シ
武居参 謀
二 、 中隊 ハ沽 源 附 近 ニ於 ケ ル友 軍 ノ武 装 解 除 ノ状 況 ヲ偵 察 シ機 ニ応 シ爆 撃 ヲ家 施 セ ント ス
第 四号機 荒木操縦士 椎木機関士
三 、搭 乗 区 分 左 ノ如 シ
天馬号機 古 川操縦士 高橋機関士
第 二号機
且代操縦士 岡本機関士
各機 爆 弾 三 発 携 行 ス へシ
十二月九日午後 三時 二十分 於 多 倫 飛 行 場
中隊長 河 井 田 義 匡
四、 且 代操 縦 士 ハ沽源 偵 察 後 解 散記 号 セ ハ錦 州 ニ至 リ器 材 ヲ積 載 シ 明 十 日帰 還 ス ヘシ 五、 予 ハ第 四号 機 ニ搭乗 出 動 ス
下達法 口達 一七
︹一五 二、 一五三頁 表 ︺
一八
臨独飛作命第 一一号 臨時独立飛行中隊命令
一、沽 源 ニア ル敵 ハ武 装 解 除 ニ応 セ ス城壁 ニヨリ戦 闘 準備 完 了 シア
友軍 ハ沽源東南 方約千五百米及東方千五百米附近 ニ展開 シ戦 闘
リ
準備 ヲ完 了 シ アリ
二 、中 隊 ハ 一部 ヲ以 テ直 チ ニ出 動 沽 源 附 近 ノ戦 闘 ニ協 カ セ ント ス
爆弾全装備ト ス
三 、整 備 班 ハ天 馬号 機 ノ出 動 準備 ヲ成 ル可 ク速 ニ完 了 ス へシ
四 、予 ハ水 本 操 縦士 ト天 馬 号機 ニ ヨリ出動 ス
任 務
編 隊 の 編 組
十 二 月 九 日 臨 時 独 立飛 行 中 隊 第
荒 椎
木 木
2
一 号
岡
本
水 本
寶 昌 に於 け る友 軍 の武 装 解 除 に協力
4
中隊長 武居参謀
最 平 候 象
高 均
晴
高度
西風十米
二 、〇〇〇
零 下 三十 度
戦
闘
多倫︱寶昌︱哈力更台︱小廟子︱沽源︱多倫
天 気 護
飛行 経 路 及経 路 上 の高 度
掩
詳
報
弾
薬
銃
機
爆
区
弾
関
弾
分
出
撃
発
時
時
時
刻
刻
刻
中 隊 長
午 前 八 時 四 五分
河 井 田 義 匡
職 氏 名
爆
着
携 行 数
使 用数
残
数
午前 一〇 時 五 五 分
帰
種
弾
爆
経
高
路
度
目
状
標 行 動
況
平 定堡 (両 部落 ) よ り大 行 李南 下中 な り
第 三番 機 (第 三 号機 ) 地 上 運転 中 焼 着 を生 ず出 発 不能 と な る
沽 源 には 人影 を見 ず
沽 源 南 方 約 二 粁 を友 軍 騎 兵 一隊 、 沽 源 東北 方約 六 粁附 近
城 廓 内 外 に部 隊 集 結 し あ り 司令 部 も 同 地 に在 るものゝ 如
図
要
概 要
果
投 下法 効 決
の
午 前 九時 四十 分寶 昌 に到 着 す
判
し
撃
友軍 は既 に寶 昌 を占 領 し 在 り
捜索し得
を騎 兵 一団 、 其 中 間 を騎 兵 約 二 。 各々 南 下 中 な り
七合 堂 、 臭 水 泉 子、寶 昌 間輜 重 及後 続 部 隊 の前進 を見 る
の状 況
たる空地
事
一、 諸 舵 の滑 車 に附 着 せ る油 は凍 結 し 操 舵 意 の如 く な らず
故
将 来 の参
二、 空 地 連 絡規 定 に よる 友軍 の記 号 極 め て良好 な り協 定後 期 間 幾 何 も な き に拘 はらず 指 導 宜 敷 を得 教 育徹 底 し あ る も の と認む
考となる べ き事 項
任 務
編 隊 の 編 組
十 二 月 九 日 臨 時 独 立 飛行 中 隊 第
荒 木 椎 木
天馬 号
二
号
古
戦
川
代
高 橋 浅見少佐
且
本
闘
詳
報
薬
弾
沽 源 附 近 に於 け る友 軍 の武装 解 除 の状 況 偵察 及機 に応 じ爆 撃
4
中隊長 武居参謀 岡
高度
2
高 均
快 晴 な りも 沽 源 附 近 二、 三百 米附 近 に靄 あ り
多倫︱沽源︱多倫
最 平 候 象
なし
飛行経路 及経路上 の高度
天 気
護
二 、〇〇〇
掩
爆
弾
関
弾
分
機
区
銃
刻
午後 二時〇〇分
午 後 一時 二〇 分
田 義 匡
時
刻
河井
発
時
午後三時〇八分
中 隊 長
出
撃
刻
職 氏名
爆
時
残
着
九
使 用 数
帰
九
三
携 行 数
各機
種
弾
一五瓩
数
〇
爆
撃
捜 索 し得
故
の状 況
た る空 地
事
考となる
将 来 の参 ベ き事 項
路
高 度
経
行 動 概 要
定
の
果
投 下法 効 判
なり
二、 ○ ○ ○
沽 源 南 城 壁 直 上 を 東 よ り 西 に進 入す
同 一経 路 を三 回 進 入 せ り
同時投下
威 嚇 の目 的 を 十 分 に達 成 す
東 方 に在 る部 隊 は前 面 の敵 爆 撃 要 求 の布板 を出 せ り
目 標 状 況 要 図
沽 源 城 内 の敵 は城 壁 東 及南 に拠 り友 軍 と 対 峙 中 に し て友 軍 は沽 源 、 城 東 、東 南 、 南 約 一、 五 〇 〇米 の部 落 外 に て対峙 中
なし
なし
任 務
編 隊 の 編 組
十 二 月 九 日 第 臨時 独 立 飛 行 中 隊
水
本
最 平 候 象
高 均
なし
晴
高度
西風十五米
二 、○ ○ ○
三 号
零 下 二十 八度
沽 源附 近 に於 け る友 軍 戦闘 に協 力
天馬号 河井田
天 気
護
飛 行 経 路及 経 路 上 多倫︱沽源︱多倫 の高 度
掩
戦 闘
詳
報
弾
薬
銃
機
爆
区
弾
関
弾
分
出
撃
発
時
時
時
刻
刻
刻
午 後 五時 三 二分
午 後 四時 五 〇分
午 後 四時 〇 二分
河 井 田義 匡
爆
着
使 用 数
職氏名 中隊長
帰
携 行 数
残
種
一五
弾
一五
一五瓩
数
〇
爆
撃
捜索し得
故
の状 況
た る空 地
事
将 来 の参 考となる べき事項
高
度
沽源 東 側 の散 兵 壕 に対 し 南 よ り北 に進 入 す
二、 ○ ○ ○
動
我 が飛 行 機 に対 し射 撃 せ り
敵 の散 兵壕 に命 中 し 奏 功 す
連続投 下
到着 後 地 上 の友 軍 と 連 絡 を な し往 復 三 回投 下 す
路
行 要
経
概
定
の
果
投下法 効 判
沽 源 城 壁 に敵 の散 兵 な し
なし
なし
目 標 状 況 要 図
臨 時 操 縦 者
任
独 立 同 乗 者
飛
務
行
中
隊 航
空
任務遂行概 況
午 前 九 時 四 十 分寶 昌 に到 着 す 、 友 軍
記 高
度
天
録 飛 候 象
気
平 均
最 高
行 経 路
時 出 発
帰 着
刻 飛 行 時 間
事
べ き事 項
考 となる
将 来 の参
摘
昭和 十 年 十 二月 九 日 於 多 倫 飛 行 場
故
要
空地連絡
は 既 に寶 昌 を 占 領
2.15
飛行機
発 動 機 番 号
中 隊 長
規定 によ
凍 結 し操
せ る油 は
車 に附 着
導宜しき
拘らず指
もなき に
期間幾何
り協定後
て良 好 な
記号極め
舵 意 の如
認む
る も のと
徹底 し あ
を得 教 育
く な らず
諸 舵 の滑
し あ り、 城 廓 内 外
第三号機 地上運転 中焼付
る友軍 の
晴 風 速 十 米
には 部 隊 集 結 し あ
寶昌 間輜 重 及後 続
多 倫寶 昌 哈力 更台 小廟子 沽 源 多 倫
午 前8.40
り、司令部も同地 に在 るも のゝ 如 し 寶 昌 に於
部 隊 の前 進 を見 る
七 合 堂 臭 水 泉 子、 け る友 軍
沽 源 南 方約 二粁 を 友 軍 騎兵 一隊、 沽
の武 装 解 除 に協 力
源 東 北 方約 六粁 附 近 を 騎兵 一団中 間 を騎 兵約 二〇 南 下
2,000
番 号
荒 木 ・椎 木 次郎 ・武 居 参 謀
岡 本
中 な り、 沽 源 に は (両部 落 ) よ り
人影 を見 ず 、 平 定堡
2,00
回
型
1 0 0 1
水 本 佐
虎 雄
.55 〃10
4
スーパー
2
一
郎
大行李部隊南下中 なり
−30°C
数
一
〃
594
二
三
4
荒 木 次
中 隊 長 昏 刺 謀参
沽 源 城 内 の敵 は城 壁 東 及南 に拠 り友 軍 と 対峙 中 な り 且 友 軍 よ り前 面 の 敵 爆撃 要 求 の信 号 あ り た る を以 て沽 源 南城 壁 直 上 を東 よ り西 に 向 ひ進 入 同 一経 路 を 三回 に 亙 り爆 撃 す
倫 源 倫
多 倫 沽 源 多 倫
多 沽 多
風 速 十 五 米
晴
あ り
快 晴 な る も 沽 源 附 近 靄に 2,000
郎 沽源附近 に於 る友 軍 の武装 解除状況 偵察及機 に応じ爆 撃 ) 九 発威 嚇 の目
爆 弾使 用 数 (十 五瓩 的 を 十分 に達 成 す
友 軍 よ り 爆撃 の要 求ありたるを以て 沽 源 北 側 散兵 壕 に 対 し東 よ り西 に進 入 三 回 に亙 り爆 撃 す
2,000
高 橋
岡
沽源附近 に於 け る 友 軍 の戦 闘 に協 力
奏功大なり
2,000
古 川 真
且
本
正
代
虎
吾
次
雄
隊
中
雄
水 本 佐
長
2,000
ス
バー
天 馬 号
2
天 馬
一
郎
1.48 1.30
.08 〃3 〃5.32
午 後1.20 午 後4.02
〃
〃
〃
号
一28°C
1001 317 594 317
任 務
編 隊 の
編組
天 気
最 平
護
候 数
高 均
飛行経路 及経路 上 の高度
掩
十 二 月 十 日 臨 時独立飛行中隊 第
古 木
川
一
号
戦
闘
詳
報
弾
薬
銃
機
爆
区
弾
関
弾
分
寶昌 に於 け る李 司令 官 と の連 絡 要 す れ ば沽 源 方 面 に於 け る彼 我 両軍 の情 況偵察
天馬号 椎
二、 七 〇 〇
平均
一、 五 〇 〇
多 倫︱ 宋 義 南 北 城︱ 正黄 旗︱ 大 梁 底︱ 七合 堂︱寶 昌︱ 沽 源︱ 多 倫
最高
の吹 雪 の ため 高 度 二 、 七〇 〇 に て飛 行 す
爆
出
着
撃
発
時
時
時
刻
刻
刻
職氏 名 中隊長
帰
携 行 数
河 井 田義 匡
数
午 前 一 一時 四 五 分
残
午 後 二時 一五 分
使 用 数
特 に七 合堂 以西 は山 よ り
種
弾
西 風 強 く 吹 雪 のた め出 発 を延 期 し た る も漸 次良 好 とな り た る を 以 て出 発 せし も所 々吹 雪 あ り
爆
撃
捜索し得 た る空 地
故
の状 況
事
考となる
将 来 の参 べ き事 項
高
路
度
目
状
経
動
況
標 行 要
図
要
概 投下法 効 果 の 定 判
尚 一部 は 七合 堂 の方 向 より寶 昌 に進 入 し つゝ あ り
寶 昌 北 方 には 飛 行場 を 標 示 し あ りた るも 雪 溜 のた め着 陸 し得 ず 通 信筒 のみ投 下す 沽源 に於 ては 東 北 部 落 内 布板 上 に通 信 筒 を 投 下 す
約 四、 五十 名 の騎 馬 部 隊 が沽 源 南 方高 地 の陣 地 附 近 に移動 し居 る を見 る
寶 昌 に於 ては 約 一ケ 大 隊 の部 隊 が沽 源 に向 ひ前 進 を開 始 し つゝ あ り 沽 源 に於 け る 彼 我 両 軍 に は大 な る変 化 な し
なし
なし
番
臨 時
独
者
乗
同
者
縦
操
発 動 機 番 号
椎
立
中
隊
航
沽 源 に於 け る彼 我
録 飛 行 経 路
沽 多
多 倫 宋 義 南北城 正黄旗 大梁底 七合堂 寶昌 源 倫
空 記
任務隊行 概況
飛 行
務
ゝあ り尚 一部 は七
源 に尚 ひ前 進 し つ
任
寶 昌 に於
ケ大 隊 の部 隊 の沽
寶 昌 に於 て は約 一
け る李 司
両 軍 に は大 な る変
合 堂 の方 向 よ り寶
れば 沽 源
化 な し、 四、 五十
昌 に進 入 し居 れ り
方 面 に於
名 位 の騎 馬 部 隊 が
令官と の
け る彼 我
沽 源 南方 高 地 の陣
連絡要す
両 軍 の情
高
度
均
平
2,700
最 高
天 候 気 象
早 朝 吹 雪 な る も 良 好
時 出 発
帰 着
刻 飛行 時 間
2.35
号
古 木
一
甚
川 真 吾
況 偵察
ゝあ る を見 る
地附 近 に移 動 し つ
午 前11.40
事
な
し
摘
のた め 高
近 は吹 雪
七合堂附
要
昭 和 十年 十 二月 十 日
な
べ き 事項
考となる
将 来 の参
於 多 倫 飛 行 場
故
し
度 二、 七
〇〇〇
︹一五 八 、 一五 九 、一六 ○頁 の表 は ニ一の 附 表 ︺
午 後2.15
飛行機 型
天 馬 号
317
回
数
一
ー ーパ ス
1,500
下達法
口達
一九
一 号二
二〇
河井 田義 匡
十 二月九日午後九時 於 多 倫 旅 館
中隊長
︹ 一五 四 、 一五 五 、 一五 六 、 一五 七 頁 表 ︺
臨独飛作命第 臨 時独立 飛行中隊命令
李 軍 司 令官 主 力 ハ明 十 日寳 昌 ヨリ沽 源 ニ転 進 ス ル筈 沽 源 部 隊 ハ
一、 敵 状 ニ就 テ ハ別 ニ得 ル処 ナ シ
本隊 ノ到着迄現 地ニ停止 ス 二、 中 隊 ハ明十 日沽 源 附 近 ニ於 ケ ル敵 状 ヲ捜 索 シ併 セテ李 司 令官 ト ノ連 絡 ヲナ サ ント ス
三、第二号機 ( 操縦古川操縦士同乗椎木機関士) ハ別紙通信筒 ヲ李
五、 予 ハ午 前 七時 飛行 場 ニア ウ
下達法 口達
二 一
中隊長
河 井 田義 匡
十 二 月 十 日 臨時独立飛行中隊戦闘詳報 於 多 倫 飛行 場 一、第 一次 出 動 午 前 十 一時 四十 五分寳 昌 に於 け る李 司 令 官 と の連 絡
其詳細別紙戦 闘詳報 の如 し
及沽源方面 に於ける彼 我 の情況偵察をなす
一缶
三〇缶
二、 本 日 の燃 料 消 費量 左 の如 し
カ スト ル油
飛行機用揮発油
二二 臨独飛作命第 一三号
十二月十日午前十 一時三十分 於 多 倫 飛 行 場
一、彼 我 ノ状 況 ニ就 テ ハ得 ル処 ナ シ
臨時独立飛行中隊命令
二 、中 隊 ハ天 候 回 復 セ ルヲ 以 テ在寳 昌 部隊 ト ノ連 絡 ニ任 セ ント ス
司 令 官 ノ下 ニ 投 下 ス ヘシ 但 シ第 二号 機 ハ承 徳 ヨリ帰 還 セ ル且代 機 ヲ使用 ズ ル モノ ト ス
四〇〇発
四 、整 備 班 ハ直 チ ニ天 馬 号機 ノ出 発 準 備 ヲ完 了 ス へシ
天 候 許 セ ハ沽 源 附 近 ニ於 ケ ル彼 我両 軍 ノ状 況 ヲ偵 察 ス ヘシ
ス へシ
三、古川操縦士椎木機 関士 ハ正午出発在寳昌 友軍部隊 トノ連絡ニ任
第四号機 ︵ 操縦荒木操縦士同乗高橋機関士) ハ沽源︱前 二道凹 間 及 沽源 附 近 ノ彼 我 両 軍 ノ状 況 ヲ偵 察 ス ヘシ
へシ
機関銃
四 、 整 備 班 ハ第 四号 機 ヲ午前 八時 三十 分 迄 ニ出 発 準備 ヲ完 了 シ ア ル
武装
任 務
編 隊 の 編 組
十
二 月 十
一 日
臨時独立飛行中隊 第
本
水 本
一 号
戦
闘
詳
報
彼 我 の地 上状 況 並敵 後 続 部 隊 有 無 の偵 察 及 通信 筒 投 下
2
岡
最 平 候 象
高 均
なし
晴
高度
多 倫附 近 は濃 霧 あ り て視 度 悪 し
二、 ○ ○ ○
多倫︱沽源︱東二十 里脳包︱沽源︱多倫
天 気
護
飛 行経 路 及 経路 上 の高度
掩
弾
薬
銃
機
爆
区
弾
関
弾
分
爆
出
着
撃
発
携 行 数
時
時
痔
刻
刻
刻
職氏名 中隊長
帰
種
弾
河 井 田義 匡
午 前 一〇 時 一〇 分
残
数
午 後 一二時 一〇 分
使 用数
爆
撃
捜索し得
高
度
動
路
行 要
経
概
定
の
果
投 下法 効 判
敵 は沽 源 城 を 死守 せ る も のゝ 如 し 中なり
目 標 状 況 要 図
友 軍 は沽 源 西 北 方 部 落 に集 結 展 開 中 な り
第 一線 部 隊 は既 に沽 源 城壁 に 近接 し交 戦
な し
の状 況
た る空 地
事
る為 之 が 発見 に困 難 な り
彼 我 の状 況急 迫 し特 に第 一線 部 隊 の如 き は敵 に近 接 せる 為 空地 連 絡 に相 当 の時 間 を要 し 且第 一線 に近 き村 落 中 に標 示 せ
故
将 来 の参
将 来 空 地連 絡 に就 ては 四周 の地 形 地物 を考 慮 し速 か に応 答 し得 る如 く 指 導 す る を 要 す
考となる べき事項
任 務
編 隊 の 編 組
天 気
最 平
護
候 象
高 均
飛行 経 路 及経路上 の高 度
掩
十 二 月 十 一 日 第 臨 時 独 立 飛行 中 隊
且
代
二 号 戦
彼 我 の地 上 情 況 並敵 後 続 部 隊 の偵察
天馬号 中隊長 椎 木
二 、○ ○ ○
多 倫︱ 沽 源第 東 二 十 里脳 包︱ 沽 源︱ 多倫
高度
なし
闘
詳
報
弾
薬
銃
機
爆
区
弾
関
弾
分
爆
出
着
撃
発
携 行 数
時
時
時
刻
刻
刻
職 氏名 中隊長
帰
種
弾
河井 田義 匡
午 後 二 時 〇 五分
残
午 後 三 時 五 五分
使 用 数
数
晴
爆
撃
捜索し得
故
の状 況
た る空 地
事
将 来 の参 考となる べき事項
高 度
経 路
目
状
標 行 動
況
図
要
概 要 投下法 効 果 の 定 判
水 本機 の偵察 せ る状 況 に変 化 な し 沽 源 西南 方張 北 に通 ず る道 路 上 三十 粁 以 内 には敵 の増 援 部 隊 を 見ず
なし
沽 源 攻撃 の為 に は火 砲 を使 用す る か夜 襲 す る に非 ざ れば 日中 の攻 撃 は損 害 大 な ら ん
飛行機
臨 時 同
独
者
乗
操 縦 者
立
任
飛
務
行 中
隊
航 空
任 務遂 行 概 況
記 高
度
録 飛 平 均
最 高
行 経 路
2,000
敵 は 沽 源城 壁 を死
情 況 に変 化 なし 右
守 せる も のゝ 如 し 多 倫 友 軍 は 沽源 西 北方 沽 源 部 落 に集 合 を完 了 東 二十 し展 開 中 な り 第 一 里脳包 源 倫
沽 源 西南 方 張 北 に
同
に 近接 し 交 戦 中 な 多
線 部 隊 は 既 に城壁 沽
彼 我 の地
彼 我の地 上情 況並 敵 後続部 隊有無 の 偵 察及通 信筒投下 り
上情況並
通ず る道 路 上 三 十
水 本機 の偵 察 せ る
敵後続部
2,000
岡 本 虎 雄
中 隊 長 ・
粁 以 内 に は敵 の後
2,000
番
発 動 機 番 号
水 本 佐 一
郎
椎 木 甚
隊 の偵 察
続 部 を見 ず
天 候 気 象
多 倫 は 濃 霧 あ り
青 日
時 出 発
帰 着
刻 飛 行 時 間
2.00 1.55
号
2
天 馬
且 代 次 雄
2,000
回
〃
一
午 前10,10 午 後2.05
数
一
二 号
午 後12.10 3.55 〃
594 317
型 一 パ ー ス
事
な
な
故
し
し
十 二 月 十 一日
摘
於 多 倫 飛 行 場
将 来 の参
べ き事 項
考 とな る
情 況 急迫
の空 地連
せ る場 合
絡はなる
べく村落
に応 答 し
外とし速
得 る如 く
・
す る を要
す
のた め. に
沽 源 攻撃
は火砲を
が夜襲す
使 用する
︹マ マ︺
る に非 れ
ば 日中
要
五、 予 ハ飛 行場 ニア リ
下達法 口達 二三 臨独飛作命第 一四号 臨時独立飛行中隊命令
中隊長
河 井 田義 匡
十二月十 一日午前 一時三十分 於 多 倫 旅 館
友軍 部 隊 ハ寳 昌 ヨリ昨 十 日夕 沽 源 二到 着 セ リ
一、敵 状 変 化 ナ シ
ス
二 、中 隊 ハ本 十 一日沽 源 附 近 二於 ケ ル彼 我 両 軍 ノ状 況 ヲ偵 察 セ ント
三、水本操縦士岡本機関士 ハ午前九時出発沽源附 近 ノ状況 ヲ偵察 ス へシ
中隊長
十 二 月 十 一日 於 多 倫 飛行 場
河井 田義匡
四 、整 備 班 ハ午 前 九 時 出 発 シ得 ル如 ク 二機 ノ出 発 準備 ヲ完 了 ス へシ 五 、予 ハ午 前 七 時 飛 行 場 ニア リ
下達法 口達 二四 臨時独立飛行中隊戦闘詳報
一、午前 十時十分第 一次出動浩源に於 ける彼我地上状況並敵後続部 隊 の有無 の偵察
其 詳 細 は別 紙 戦 闘 詳報 の如 し ︹一六三、 一六二頁︺
第 二次午後二時 五分出動沽源附近に於 ける彼我地上状況並敵後 続 部 隊 を偵 察 す
二、第 四号機荒木操縦士、高橋機関士は圍場附近 に於 て我軍松井前
十二月十 一日午前九時 於 多 倫 飛 行 場
りたるに付之 が偵察 のため午前九時十八分出発該 地に至り通信筒
進部隊自動車故障 のため難行軍 のため凍傷患者続出し たる通報 あ
による連絡 の後十時 三十分帰還す 三、 本 日油 類 消 費量 左 の如 し
二 (小 缶 )
三缶
三七缶 カ ス ト ル油
飛行機用揮発油 ビ ード ル油
二五 臨独飛作命第 一五号 臨時独立飛行中隊命令
ケル軍隊輪送 ノ故障自動車状況 ヲ偵察 スへシ
中隊長
河井 田義 匡
一、荒木操縦士高橋機関士 ハ即刻出 発松井部隊 ノ承徳︱多倫間 ニ於 松井部隊石川中尉搭乗 ス 下達法 口達 二六 臨独飛作命第 一六号
任 務
編 隊 の 編 組
十 二 月 十 二 日 臨 時 独 立 飛 行 中 隊 第
椎
木
水 本 中隊長
沽 源 城 の敵 爆 撃
天馬号
高 均
快晴 零下 二十七度
高度
4
2
一 号
戦
本
橋
荒 木 高
岡
闘
多倫︱大梁底︱平定堡︱沽源︱平定堡︱多倫
最 平 候 象
なし
飛行経路 及経路上 の高 度
天 気
護
二、 ○ ○ ○
掩
詳
報
弾
薬
銃
機
弾
区
弾
関
弾
分
出
撃
発
碍
時
時
刻
刻
刻
午 後 一二 時 ○○ 分
午 前 一 一時 ○○ 分
午 前 一○ 時 一〇 分
河 井 田義 匡
爆
着
職氏名 中隊 長
帰
使 用 数
数
携 行 数
○
残
種
三二
一五〇
弾
三二
五〇
一五瓩
二〇 〇
古
爆
撃
捜 索 し得 た る空 地
高
度 一、 二 〇 〇 (比 高 )
沽 城
源 沽 源附 近 に於 て友 軍 地 上 部 隊 と 通信 連 絡 を な し平 定
第 二号 機 の電 気 投 下 器 不良 の た め帰 還 途 中爆 弾 一発 落 下 す
図
要
撃
爆
の爆 撃 効 果 を知 らし め 多 大 の損 害 を与 へ奏 功 す
予 期 の如 く城 内 重 要 地 点 に落 下 せし め 敵 を し て 未 知
連続投 下
向 よ り 三 回爆 撃 す
堡上 空 に於 て集 合 南 方 に向 ひ 爆撃 経 路 に進 入 同 一方
下 図 の如 し
動
路
行 要
経
概
定
の
果
投下法 効 判
敵 は依 然 とし て沽 源城 を死 守 せ るも の 、如 し
本 日 の出 発 は午 前 九時 の予 定 な りし も 左 の理由 に依 り出 発 は 午 前 十 時な り
友 軍 は状 況 上 第 一線 を約 一粁 後 退 し あ り
事
飛行 場 往 復 人 員 輸 送 のた め当 地 特 務 機 関 に自 動 車 を依 頼 し あ りた る も該 車 故 障 のた め整 備 班 人 員 は 徒 歩 に て 飛行 場 に至
の状 況
将 来 の参
り た る に因 る
故
べ き事 項
考 となる
臨時独立飛行中隊命令 一、敵 状 変 化 ナ シ 友 軍 ハ沽 源 城 近 ク攻撃 開 始 中 ナ リ
十 二月十 一日午前十 一時 於 多 倫 飛 行 揚
二、 中 隊 ハ更 ニ沽 源 附 近 ニ於 ケ ル彼 我 両 軍 ノ状 況 ヲ偵 察 セ ント ス
軍 ノ状 況 ヲ偵 察 ス へシ
三 、 且 代操 縦 士 椎 木 機 関 士 ハ午 後 二時 出 発 沽源 附 近 ニ於 ケ ル彼 我 両
中 隊 長
河 井 田 義 匡
四、 整 備班 ハ午 後二 時 迄ニ 一機 (天 馬 号 機 ) ノ出 発 準 備 ヲ完 了 ス へ
五、 予 ハ天 馬 号機 ニ ヨリ出 動 ス
下 達 法 口達
二七 ︹一六 四、 一六 五 、 一六六 頁 表 ︺
二八 臨独飛作命第 一七号
椎木機関士
高橋機関士
岡本機関 士
古川操縦士
第 四号機 荒 木操縦士
第 二号機
水本操縦士
天馬号機
爆弾全装備 トス
四、整備班 ハ午前九時迄 ニ全機 ノ出動準備 ヲ完了 スへシ
口達
中隊長
河 井 田 義 匡
五、予 ハ午前 七時飛行場 ニアリ爾後天馬号機 ニ搭乗出動 ス 下達法
二九
十 二 月 十 二 日 臨時 独立飛行中隊戦闘詳報 於多倫 飛行場 一、 午 前 十時 十分 全 機 ヲ以 テ沽源 城 ノ爆 撃 ヲ為 シ敵 ニ多 大 ノ損 害 ヲ 与 ヘタリ
其 詳 細 別紙 戦 闘 詳 報 ノ如 シ ︹一六八 、 一六九
第 二次 午 後 三時 三十 分出動 沽源 附 近 ニ於 ケ ル彼 我 両軍 ノ偵 察 並 友 軍 ト ノ連 絡 ヲ為 ス 頁︺
レ モ発 動 機 不 調 ノ タメ単 機 ヲ以 テ任務 ニ就 ケ リ
二、 第 二次 出 動 ハ全 機 ヲ以 テ ス ル予 定 ナ リ シ モ第 二、 第 三号 機 ハ何
五〇 発
三 二発
三 、本 日 ノ弾 薬 油 類 消費 量 左 ノ如 シ 爆 弾 (一五瓩 )
四 三缶
十 二月十 一日午後 八時 於 多 倫 旅 館
機 関 銃 弾
三 七立
臨時独立飛行中隊命令
カ ス ト ル
飛行 機 用 揮 発 油
友 軍 ノ攻 撃 ハ進 渉 セ ス 二、 中 隊 ハ明 十 二 日全 力 ヲ以 テ沽 源 城 内 ヲ爆 撃 セ ント ス
一、敵 ハ沽 源 城 ヲ死 守 シア リ
三、 搭 乗 区 分 左 ノ如 シ
錦
徳
州
日別
承
倫
地 名
多
搭
十
三
員
弾
日
二
十四日
十
材
五
日
人
六
材
員
食 糧 品
器
揮発 油
十
一 号 機 行 動 予 定
器
事務用品 食 糧 品 軍 需 品
日
十
爆弾
二
七
爆弾
日
600k
十 二 月 十 二 日 以 降 第
十 二日
人
爆
} 品
事務用品
雑
一、 河 野操 縦 士 十 二月 八 日罹 病 に付片 桐 操 縦 士 交 代 服 務 す
600k
300k 50k
300k
100k 400k
100k
200k
載
品
備 老
400k 300k
摘
要
任 務
編 隊 の 編 組
十 二 月 十 二 日 臨 時 独 立 飛 行中 隊 第
水 木
本
二
号
戦
闘
詳
報
沽 源 附 近 に於 け る彼 我両 軍 の偵 察 並 に友 軍 と の連 絡
天 馬 号
椎
高 均 晴
高度
零下二十六度
二、 ○ ○ ○
多倫︱平定堡︱沽源︱平 定堡︱多倫
最 平 候 象
飛行経路 及経路上 の高度
天 気
護
なし
掩
弾
薬
銃
機
爆
区
弾
関
弾
分
爆
出
着
撃
発
時
時
時
刻
刻
刻
職氏名
午 後 三時 三〇 分
河 井 田 義 匡
使 用数
残
数
一二
午後四時 五〇分
帰
携 行数
一二
種
弾
一五瓩
爆
撃
高 度
経 路
目
状
標
行 動
況
図
要
概 要
定
の
果
投下法 効 判
飜 へり歓 喜 の情 歴 然 た り午 前 の爆 撃 に て敵 を 圧倒 し之 に乗 じ友 軍 地 上 部隊 は機 を失 せず 攻 撃 し 、北 、 西 城 壁角 を破 壊 し
午 後 四時 十 五 分 沽 源 上空 に至 り た る時 既 に落 城 し敵 は 白 旗 を出 し 友 軍 は東 門 よ り続 々入城 中 な り 四囲 の城壁 には 日章 旗
なし
けり
主 力 (三機 編 隊) を 以 て任 務 に就 くべ き と ころ出 発 に方 り第 二号 機 及第 三号 機 は発動 機 不調 のた め 単機 を以 て任 務 に就
進 入 せ るも のゝ如 し
捜索し得
故
の状 況
たる空地
事
将 来 の参 考となる べ き事 項
回
数
号
番
飛行機 型
天
臨
時 独
縦 者
乗
同
者
操
発 動 機 番 号 中 隊 長
立
任
中
隊 航
空
任務遂行概況
飛 行
務
沽 源 附 近 に於 て友 し平 定 塗 上 空 に於
軍 地上 部 隊 と連 絡 て集 合 沽 源 城北 方 よ り南 方 に 向 ひ進 入沽 源 城 内 量要 地 点 を爆 撃 し 敵 に多 大 の損 害 を 与 へた
記 録 飛 行 経 路
高 度
天 気 象
候 均
平
最 高
晴快
右
同
-27° C
水 本 佐
椎 木 沽源城 の 敵爆撃
多 倫 大梁底 平定堡 沽 源 平定堡 多 倫
2,000
・
橋 り
右
2.000
一
郎
正
五十発
三十 二発
投下弾数( 十 五駈 )
機関銃弾
前 回 の爆 撃 に より 同
2,000
馬 号
荒 木 次 郎 岡 本 虎 雄
に於 け る
既 に落 城 し 友軍 は
沽 源附 近 彼我両軍
東 門 より 続 々入城
椎 木
の偵察 並
中なり
甚
友軍と の 連絡
2.000
高
古 川 真 吾 水 本 佐
一
時
発
出
着
帰
刻 飛 行 時 間
1.50 1.20
4
2
天 馬
一
郎
午 後12.00 .50 〃4
一
二
号
十 二月 十二 日 於 多倫 飛行場
摘
要
将 来 の参
べき 事 項
考となる
し
故
な
し
事
し
な
な
し
し
な
な
り第 二 、
出 発 に方
四号 機 は
発動機不
調 のた め
出動をせ
ず
"
午 前10.10 午 後3.30
317 1001 594 317
一 ー パ ス 〃
三〇
臨独飛作命第 一九号
三二
十 二月十二日午後 一時 於 多 倫 飛 行 場
第 二号機 荒木操縦士
古川操縦士
椎 木 機関 士
高 橋 機関 士
岡 本 機 関士
河 井 田 義 匡
十 一月
中 隊長
三 、 全員 午 前 十時 迄 ニ飛 行 場 ニ集 合 ス へシ
口達
四 、 予 ハ午 前 十時 飛行 場 ニア リ
下 達法
三三
臨 独飛 作 命 第 二〇 号
一 一日
兵 約 七 百 ハ龍 門 ヲ経 テ獨 石 口方 向 ニ移 動 シ李 守信 軍 ノ西 南 進 ス ル
於 多 倫 旅 館 一、 張 家 口特 務 機 関 ノ通報 ニ ョレ ハ宜 化 ニア リ シ姚景 川 ノ率 ユル騎
臨時独立飛行中隊命令
河 井 田 義 匡
二、 中隊 ハ明 十 三 日飛 行 機 ノ細 密 点検 並 ニ整 備 ヲナ サ ント ス
二沽源 城 ニ入 城 シア リ
十二月十 二日午後七時 臨時独立飛行中隊命令 於 多 倫 旅 館 一、 敵 ハ本 十 二日 午前 ノ爆撃 ニ ョリ降 服 シ タ ル モノゝ 如 ク友 軍 ハ既
臨独飛作命第 一八号 臨時独立飛行中隊命令 一、敵 状 変 化 ナ シ 友 軍 ハ戦 線 ヨリ後 退 シ アリ 二 、中 隊 ハ主 カ ヲ以 テ午 後 二時 出発 沽 源 附 近 ニ於 ケ ル彼 我両 軍 ノ状 況偵察 並 ニ友 軍 卜 ノ曲 運絡 ニ任 セ ント ス
第 四号機 水本操縦士
三 、搭 乗 区 分 左 ノ如 シ
天 馬 号機
其 ノ行 動 予 定 別 紙 ノ如 シ ︹一七 一頁︺
四、 片 桐 操縦 士川 端 機 関 士 ハ第 一号機 ニ 目リ器 材輸 送 ニ任 ス ヘシ
中隊長
五 、整 備 班 ハ午 後 二時 迄 ニ全 機 ノ出 動 準 備 ヲ完 了 ス ヘシ
口達
六 、 予 ハ天 馬 号 機 ニ搭 乗 出 動 ス
下達 法
二、 古 川操 縦 士 高 橋 機関 士 ハ第 四 号機 ニ搭 乗 明 十 四 日午 前 十時 三十
場 合 ニ於 テ ハ之 ヲ側 面 ヨリ攻 撃 ヲ企 図 シア リ卜 三一
況 ヲ捜 索 シ次 テ沽 源︱ 張 北 道 、 沽源︱獨 石 口道 上 ニ於 ケ ル敵 増 加
分 出発 寳 昌 ヲ経 テ 恰力 更 台 ニ飛行 シ哈 力 更 台附 近騎 兵 第 二 団 ノ状 ︹一七 二、 一七 三、 一七 四頁 表 ︺
隊 ノ有 無 ヲ捜索 シ在 沽 源 李守 信 軍 司 令 部 卜 ノ連 絡 ニ任 ス ヘシ
任 務
編 隊 の 編 組
十 二 月 十 四 日 第 臨時 独 立 飛 行 中 隊 一 号
戦
闘
詳
報
寳 昌 を経 て哈 力 更 台附 近騎 兵 第 二団 の状 況偵 察 次 で沽 源︱ 張 北 道 及沽 源
古
橋
川
最高 二、 五〇 〇
平均 二、○ ○ O
弾
薬
銃
機
爆
区
弾
関
弾
分
︱獨 石 口道路 上 の敵 増 援 隊 の有 無 の偵 察 並沽 源 軍 司 令 部 と の連 絡
4
高
高 均 晴
多倫︱寳昌︱哈力更台︱沽源︱多倫
最 平 候 象
なし
飛 行経 路 及 経路 上 の高度
天 気
護
静穏
掩
出
撃
発
時
時
時
刻
刻
刻
中 隊長
爆
着
携 行 数
職 氏 名
帰
種
弾
河 井 田 義 匡
数
午 前 一〇 時 三〇 分
残
午 後 一時 三 〇 分
使 用 数
爆
経
高
路
度
目 標 状
動
行
況
図
要
概 要 投 下法
果 定
の
ず
撃 効 判
寶昌 は市 内 至 て平穏 なり
飛 行場 は除 雪 作 業 不十 分 な る た め使 用 し得 ず
哈力 更台 城 内 に在 る蒙 古 部 隊 は附 近 一帯 を 捜索 し た るも 遂 に発 見 す る こと を得 ず 尚布 板 の標 示 無 き た め通 信 筒 を投 下 せ 捜索し得
沽 源 も 右同 様 な り
なし
なし
張 北︱獨 石 ロ各 道 路 上 に は敵 の増援 隊 ら し き も のを見ず
飛行 場 の標 示無 き ため着 陸 せず
た る空 地
故
の状 況
事
将 来 の参 べき 事 項
考とな る
号
番
飛行機 型
4
臨
時 独
縦
古 川 真吾
橋
高
者
乗
同
者
操
発 動 機 番 号
1 0 0 1
立
任
中 隊
航 空
任 務 遂行 概 況
飛 行
務
哈力更 台 城 内 に在
記
録
均
平
高 度 最 高
2,500
飛 行 経 路
も 遂 に発見 す る こ
一帯 を捜 索 した る と を得ず 尚 布 板 の
る 蒙 古部 隊 は 附 近
台 附 近騎
標 示無 き た め通 信
寶昌 を経
兵第二団
筒 を投 下 せず
て哈力 更
の状 況 偵
倫
察 次 で沽
多
源︱ 張 北
た め使 用 し 得ず
源 倫
寶 昌 は市 内 至 て平 寶昌 穏 な り飛 行 場 は除 恰 力 雪 作業 不十 分 な る 更 台 沽 源 も右 同 様 な り 多
︱獨石 口
道 及沽 源 道路上の
沽 敵 増援 隊
天 候 気 象
晴
時 出 発
帰
刻
事
着飛行時間
な
し
な
摘
し
要
飛 行 場
昭 和十 年 十 二月 十 四 日
な
べき事項
考となる
将 来 の参
於 多 倫
故
し
︹一七 六、 一七 七 、 一七 八頁 は三 四 の附 表 ︺
午 後1.30
回
数
一
正
ため 着陸 せず 張 北 、獨 石 口各 道
飛 行 場 の標 示 な き
路 上 には敵 の増 援
の有 無 の 源軍司令
隊 らし き も の を見
偵 察 並沽 部 と の達
ず
絡
午 前10.30
一 パ ー ス
2,000
中隊長
十 二 月十 四 日
於 多 倫 飛行 場
河井 田義匡
三 、整 備 班 ハ午 前 十時 三十 分迄 ニ第 四 号機 ノ出 発 準備 ヲ完 了 ス へシ
口達
四 、 予 ハ午 前 八時 飛行 場 ニア リ
下達法 三四 臨時独立飛行中隊戦闘詳報
一、午前十時三十分古川操縦士、高橋機関士 ハ哈力更台附近騎 兵第 二団 ノ状況偵察 以テ沽源張北道及沽源 、獨石 口道路 ノ敵増援部隊 ノ有無偵察及沽源 ニ於 テ軍司令部ト連絡 ヲ為 ス 其詳細別紙戦闘 詳 報 ノ如 シ
岡本機関士 ハ之 力捜索 ノタメ午後 一時 四十分出発午後 二時 二十分
二 、承 徳 ヲ出 発 セ ル当 隊 自動 車 ハ其後 消 息 不 明 ノタ メ且 代 操縦 士 、
帰還 ス 報 告 ニ依 レ ハ自 動車 三台 共 多 倫東 方 五粁 ノ地点 ヲ多 倫 ニ向 ヒ行 進 中 ナリ ト ( 始 動 車 ハ故 障 ノ タ メ補 給 車 之 ヲ牽 引 ス) 三 、 午後 四時 三 十 分右 三名 到着 ス
三五 臨 独飛作命第一二 号 十 二月十四日午後 一時三十分 臨時独立飛行中隊命令 於 多 倫 飛 行 場 一、 承徳 ヲ出 発 セシ当 中 隊自 動 車 ハ其 ノ後 消 息 不 明 ニ付 且代 操縦 士
中隊長
河井 田義匡
岡本機関士 ハ即刻出発自動車ノ運航状況 ヲ偵察 スへシ
口達
二 、 予 ハ飛 行 場 ニア ウ
下達法
三六 臨 独飛作命第二二号
リ北 進 シ目下 二台 ニ到着 シア ル モ ノ 、如 シ
十 二月十四日午後十時三十分 臨時独立飛行中隊命令 於 多 倫 旅 飯 一、張 家 口 ヨリ ノ情 報 ニ ヨレ ハ敵 騎 兵約 一団 及歩 兵 約 六 百 ハ張 北 ヨ
︱二台、馬力蓋廟︱花蓋諾爾︱ 二台道上 ノ敵状 ヲ捜索 シ在沽源友
二、水本操縦士岡本機関士 ハ明十五日午前八時三十分出発哈力更台 軍 部 隊 ト ノ連 絡 ニ任 ス ヘシ
中隊長
河井 田義匡
三、 整 備 班 ハ午 前 八 時 三 十分 迄 ニ第 二号 機 ノ出発 準 備 ヲ完 了 ス へシ
口達
四、 予 ハ午 前 八時 飛 行場 ニア リ
下達法
三七
︹一八 ○ 、 一八 一、 一八 二 頁 表 ︺
任 務
編 隊 の 編 組
十 二 月 十 五 日 臨 時 独立 飛行 中 隊 第 一 号
戦
闘
詳
報
薬
弾
区
高 均
晴
高度 二〇 〇 〇
分
哈 力 更 台 、 二台 、 馬 力 蓋廟 、花 蓋 諾 爾、 二台 の敵 情 捜索 並 沽 源 に於 け る
本
岡 本
水
友軍 と の連 絡
2
最 平 候 象
なし
多倫︱沽源︱哈力更台︱二台︱花蓋諾爾︱馬力蓋廟︱沽源︱多倫
天 気 護
飛行 経 路 及経 路 上 の高 度
掩
爆
出
着
撃
発
時
時
時
刻
刻
刻
中隊 長
使 用 数
午後 一二時 一〇 分
午 前 九時 一〇 分
河 井 田 義 匡
職 氏 名
帰
携 行 数
数
種
残
弾
爆
撃
高
度
動
路
行 要
経
概
定
の
果
投 下法 効 判
飛 行 経 路 要 図
二台 よ り海 営 子 を 経 て馬 力 蓋 廟 間 に於 て馬車 十数 台 を 一団 と せ る も の五団 南 下 せ る を見 る (主 と し て馬草 な り) 二台 に
任 務 に応 じ 経 路 各 道 路 上 を捜 索 せし も 敵 ら し き も の を発 見 せず
き は捜 索 に困 難 な り
駐 屯 せ る部 隊 の捜 索 は予 期 せ る部 落 に 対 し急 速 に近 接 捜 索 せ さ れ ば 近時 の如 く 対 空警 戒 に重 き を 置 き其 遮 蔽 良 好 な る と
なし
は敵 の駐 屯 部 隊 (馬匹 三十 頭 余 兵 数 名 ) を発 見 其 他 卜 羅 蘇 廟 に も宿 営 せ るも のゝ 如 し、 往 復 共 沽 源 に於 て友 軍 と連 絡 す
捜 索 し得
故
の状 況
た る空 地
事
将 来 の参 べ き事 項
考 となる
臨 時 同
独
立
任
飛
務
行 中
隊
航
空 記
任務遂行概 況
任 務 に応 じ 各道 路 上 を捜 索 せ し も敵
高 度
録 飛
均
平
最 高
行 経 路
天 候 気 象
時 出 発
帰 着
刻 飛 行 時 間
事
多
倫 源
台
昭和 十 年 十 二月 十 五 日
将 来 の参
考となる
べ き 事項
予期 せる
し急 進 な
部 落 に対
から ず
ら ざ るべ
之 れ遮 蔽
良好なる
ときは捜
索 に困 難
なればな
り
な
摘
し
要
於 多 倫 飛 行 場
故
し
ら し き も のを発 見
な
の捜 索 は
せず
営 子 を経 て 馬力 蓋
廠 間 に於 て馬 車 十 沽
二
数 台 を 一団 と せ る 哈 力 更 台 も の五団 南 下 せ る
を見 る (主 とし て
花 蓋諾 馬力 馬草 ) 二台 には 敵
晴
駐 屯 部隊
午 後12.10
二 台 よ り海
午 前9.10
操 乗 者
哈力 更 台 、二台 、 馬 力 蓋 廟、花蓋 諾爾、 二 台 の敵 情 捜索並沽 源 に於 け
3.00
縦 者
岡 本 虎 雄
源 倫
の駐 屯 部 隊 を発 見 蓋 廟 (馬匹 三〇 兵 数 名 ) 沽 其 他 卜 羅 蘇 廟 に も 多
2,000
番
発 動 機 番 号
水 本 佐 一
郎
る友軍と の連 絡
宿 営 せる も のゝ如 し 友 軍 と連 絡 を なす
往 復 共 沽源 に於 て
2,000
飛行機 型 号
2 594
回
数
一
一 パ ー ス
三八 臨時独立 飛行中隊戦闘詳報
十 二 月 十 六 日 於 多 倫 飛 行 場
一、第三号機 水本操縦士、椎木機関士は西蘇尼特 より患者輸送並同 地特務機関 に連絡を命 せら れ午前七時 三十分出発 せるも発動機 不具
十 二月十五日午後十時 於 多 倫 旅 館
合 のため引返し更 に午前九時 三十四分出発午後 一時 四十五分帰還す 三九 臨独飛作命 第二三号 臨時独立飛行中隊命令
二、 中 隊 ハ明 十 六 日 一部 ヲ以 テ待 機 ノ姿勢 ニア ラ ント ス
一、 彼 我 ノ状 況 ニ就 テ ハ新 報 ヲ得 ス
三、 水 本 操 縦 士 椎木 機 関 士 ハ明 十 六 日午 前 七時 三十 分 出 発 西 ﹁ソ ニ
十 二月十六日午後 十時 臨時独立飛行中隊命令 於 多 倫 旅 館 一、 密 偵 ノ報 告 ニ ヨ レ ハ多 倫 西 南 方 約 百 四 十吉 ノ康 保 (一三 三 六)
ニ ハ敵 歩 騎 兵 約 千 及康 保 西 方 約 五 十 吉 ノ 化徳 (卜 ー ラ) ニ ハ敵 騎
兵 約 三百 集 結 シア ル モノ 、如 シ
二 、中 隊 ハ明 十 七 日 一部 ヲ 以 テ康 保 及 化 徳 方 面 ノ敵 状 ヲ捜 索 セ ント ス
三 、水 本 操 縦 士 、高 橋 機関 士偵 察 荒 木 操 縦 士 ハ明 十 七 日午 前 九時 三
十分 出 発 康 保 、 化 徳 方 面 ニ於 ケ ル敵 状 ヲ捜 索 ス ヘシ
了 ス へシ
中 隊 長
十 二 月 十 七 日 於 多 倫 飛行 場
河 井 田 義 匡
四 、整 備 班 ハ明 十 七 日 午前 九時 三十 分 迄 ニ第 四号 機 ノ出 発 準 備 ヲ完
五 、予 ハ午 前 九 時 飛 行 場 ニア リ
四 一
臨時独立飛行中隊戦闘詳報
一、第 四号機水本操縦 士、高橋機関士は偵察者荒木操縦士を搭乗午
ット﹂ ヨリ多倫 迄 患 者 輸 送 ニ任 ス ヘシ 四 、整 備 班 ハ第 三 号機 ヲ午 前 七時 三 十 分迄 ニ出 発 準 備 ヲ完 了 ス へシ
前 九時 三十分多倫発、寶昌 を経 て康保︱化徳 の敵情 を捜索し更 に連
還 す 其詳細別紙戦 闘詳報 の如 し ︹一八三、一八四、 一八五頁︺
絡 のため西蘇尼特 に至り同 地特務機関と連 絡 の後午後 二時十五分帰
五 、予 ハ午 前 七 時 三 十分 飛 行 場 ニアリ
河 井 田義 匡
四二
中隊長
四〇
臨独飛作命第 二五号
下達法 口達
臨独飛作命第 二四号
任 務
編 隊 の
編 組
十 二 月 十 七 日
臨時独立 飛行中隊 第
荒 高
水 木 橋
本
康 保 、 化 徳 に於 け る敵 情 捜 索
4
最 平 候 象
高 均
なし
晴
高度
二、 ○ ○ ○
一 号
戦
闘
詳
報
多倫︱寶 昌︱ 康 保︱ 化徳︱ 西 蘇 尼 特 (着陸 )︱ 多 倫
天 気
護
飛行経路 及経路上 の高 度
掩
弾
薬
銃
機
爆
区
弾
関
弾
分
出
撃
発
時
時
時
刻
刻
刻
中隊長
午 前 九 時 三 六分
河 井 田 義 匡
職氏名
爆
着
携 行 数
使 用 数
残
午後 二時 五 五分
帰
種
弾
数
爆
撃
路
高 度
経
要
行 動 概 投下法 効 果
目
標 状 況
図
要
康 保 に は敵 約 一千 駐屯 せ る如 く情 報 を得 た る も城 内 は整 頓 せら れ交 通共 他 の状 況 は平 素 と変 り な く兵 営 には 人馬 を 認 め
定
の
ず
判
捜 索 し得
化 徳 は平 穏 にし て何 等 異 状 を 認 めず
なし
なし
の状 況
故
たる空地
事
考 とな る
将 来 の参 べ き事 項
臨
縦 者
乗
時 独
立
任
中 隊
航
空 記
任 務遂 行 概 況
飛 行
務
録 飛 行 経 路
昌
保
倫
人 馬 を認 めず
化 徳 は平 穏 にし て 何 等異 状 を認 めず 十二月十七日午後 十時 於 多 倫 旅 館
平
高 度
象
候 気
天
最 均
高
晴
下達法 口達
時 出 発
帰 着
四三 臨独飛作命第 二六号
刻 飛 行 時 間
臨時 独立飛行中隊命令
午 後2.55
昭和 十年 十 二月 十 七 日
事
し
故
将 来 の参
考となる
し
べ き 事項
な
な
摘
し
要
於 多 倫 飛 行 場
な
中隊長 河 井 田 義 匡
十 二月十八日午後十 一時 旅 多 倫 旅 館
二、 中 隊 ハ明 十九 日待 機 ノ姿 勢 ニア リテ 飛行 機 ノ細 密 点検 並 ニ器 材
変 り な く兵 営 には 西蘇 尼特
他 の状 況 は平 素 と
整 頓 せ ら れ交 通 共 康
多
康 保 に は敵 約 一千
る敵情 捜 索
を得 た る も城 内 は 宝
荒
康 保 、化
駐 屯 せ る如 く 情 報
次 郎 ・
高 橋
徳 に於 け
木
同
者
操
発 動 機 番 号
助
午 前9.36
一、 敵 状 ニ就 テ ハ新 報 ヲ得 ス
5.19
番 号
与
一
2,000
飛行機 型
水 本 佐 一
郎 正
一、 敵 状 ニ就 テ ハ新 報 ヲ得 ス 二 、中 隊 ハ明十 八 日待機 ノ姿 勢 ニアリ テ器 材 ノ整備 ヲ實 施 ス へシ
野 清
三、 明 十 八 日以 後 三M第 一号 機 ノ行動 ハ別 紙 ダ イ ヤ グ ラ ム ニ依 ル へ
四、河 端
シ
川
三 M第 一号 機 ト行 動 ヲ共 ニス へシ 五、 予 ハ午前 九 時 飛 行場 ニアリ
2,000
回
数
4 1001
臨時独立飛行中隊命令
一 ーパー ス
ノ整 備 ヲ家 施 ス へシ
口達
三、 予 ハ午前 九時 飛 行 場 ニア リ
下達法
四四 臨独飛作命第 二七号 臨時独立飛行中隊命令
一、 彼 我 ノ状 況 二就 テ ハ得 ル処 ナ シ
中隊 長
河 井 田 義 匡
十二月十九日午後十時 於 多 倫 旅 館
二、 中 隊 ハ明 二十 日以 後待 機 ノ姿 勢 ニア ラ ント ス
河 井 田 義 匡
十二月二十 四日午前十時 於 多 倫 旅 館
中 隊 長
三、 整 備 班 ハ器 材 ノ整 備 及 飛行 機 ノ細 密点 検 ヲ実 施 ス へシ
下 達 法 口達
四五 臨独飛作命第 二八号 臨時 独立飛行中隊命令
一、 中 隊 ハ奉 天 ニ帰 還 ヲ命 セ ラ ル
依 テ明 二十 五 日午 前 十 時 多 倫 出 発錦 州 経 由 奉天 ニ帰 還 セ ント ス 搭乗 区分 別 紙 ノ如 シ
二、 現 地 ニア ル器 材 燃料 及 爆 弾 ハ当 地特 務 機 関 ニ保 管 ヲ依頼 ス
器 材 係 ハ品 目員 数 ヲ明 ニシ本 二十 四日 中 ニ当 地航 空 会 社勤 務 員
野 瀬定 雄 二引 継 ヲナ バ ヘシ
ク へシ
三 、 無線 通 信 ハ本 二十 四 日交 信 終了 後 撤 収 シ器 材 ハ野 瀬 定雄 二引 継
号
号
機
機
機
機
帰
還
操
に
縦
於
士
古 川 操縦 士
水 本 操 縦 士
荒 木 操 縦 士
河 野 操 縦 士
け
機
る
関
搭
士
岡 本 機 関 士
椎 木 機 関 士
高 橋 機 関 士
川 端 機 関 士
一、 途 中 錦州 に着 陸 の上 油類 の補 充 を なす
乗
バ ヘシ
口達
分
表
五、 予 ハ午前 九時 飛 行場 ニア リ
下達法
区
塚 本 清 太 郎
名
高
人 長
者
男
乗
司
搭
邦
一
均
丸
菊
野
田
池
正
久
忠
明
幸
吾
田 端 愛 太 郎
三 秀
均
原
仲 川 丈 太 郎
上
下
芳
村
司
奥
岡 藤
隊 近
一
山
仲
空
原一
川
閑
永
小
徳
田
治
前
寛
雄
潔
才
彦
野
鳥
博
小
山
俊
清
八
田
雄
奥
瀬
義 牧
岩
利
中
中
四 、整 備 班 ハ明 二 十 五 日午 前 九時 三十 分 迄 二全 機 ノ出 発準 備 ヲ完 了
別 紙
番
二
三
号
スー バ ー 第
〃
第
四
〃
第
M
号
三 一 号
考
第
備
中隊長
摘
河 井 田 義 匡
要
西 ス ニツ ト﹁ よ り午 前 九時 三〇 分 迄 に到 着 の予 定
承 徳 よ り午 前 九 時 三 十分 迄 に
到着 の予 定
承徳 より 午 前 九時 三十 分 迄 に
到着 の予 定
写 多倫特務機関長 関参 一電一三五
第
一 課 長
臨時独立飛行中隊 ヲ奉天 ニ帰還 セシメ 一月上旬再出動準備 ニアタ ︹ 多倫特務機関︺
ラ シ メ ラ ル現 地 ニア ル器 材 及 燃料 弾 薬 ハ該 時 期 迄 多 機ニも 保管 セラレ 度
四六 臨独飛作命第二九号 十 二月 二十四日午後 十時 三十分 臨時独立飛行中隊命令 於 多 倫 旅 館 一、 西 ﹁ス ニ ット﹂ へ出 張 中 ノ水 本機 事 故 ノ為 該 機 ハ明 二 十五 日帰 還 不 能 ナ ル モ其 ノ他 ハ午 前 十時 多 倫 出 発 承 徳 、錦 州 ヲ経 テ奉 天 へ 帰還 ス
原
一
搭 乗 区分 ヲ別 紙 ノ通 リ改 ム︹一九〇頁︺ 二、 小
水 本 機 修 理 完 了多 倫 帰 還 迄 当 地 ニ滞在 シ爾 後 水 本 機 ト 共 ニ奉 天
明 二 十 五 日中 ニ水 本 機 多倫 迄帰 還 セサ ル時 ハ明 後 二十 六 日航 空
へ帰 還 ス ヘシ
原
義
雄
株 式会 社 軍 用 定 期 ニ ヨリ帰 還 ス ヘシ 三 、奥
通 信 連 絡 ノ為 当分 ノ間 多 倫 ニ於 テ勤 務 ス へシ 四 、 臨 独 飛 作命 第 二 八号 第 三 項 ハ之 ヲ取 止 ム
口達
五、 予 ハ午 前 九時 飛 行 場 ニアリ
下達法
多 倫 特 務 機 関
写
奉 機電 五 二 八
航 空 会 社副 社 長 ヨリ河 井 田 氏 へ
中隊長
一、 貴 隊 ハ成 ル可 ク速 ニ奉 天 ニ帰 還 ス ヘシ
ヘシ
河井 田義匡
奉天 特務機 関
二 、器 材 ( 飛 行 機 ヲ除 ク)燃 料 弾 薬 等 ハ特 務機 関 ニ保 管 方 ヲ依頼 ス
四七
十 二月 二十五日
三 、爾 後 ノ連 絡 ノ為 メ通信 器 材 ト通 信 手 一名 ヲ現 地 ニ残置 ス へシ
戦 闘詳 報
機 ( 操縦河野與助機 関士川端清 一)は午 前九時 三十分迄 に多倫 に
一、承徳 より スーパ ー 一機 ( 操縦荒木次郎機関士高橋正)及三M 一 到着す
発準備完了午前 九時 五十分離陸錦州 に直行す
二、別紙臨独飛作命第 二九号搭乗区分 により三M搭乗者は直 ちに出
三、 スーパー二機 は午前十時 三十 二分多倫出発同十 一時 四十 二分承
徳 着同 地に於 て油類を補充 し午後零時七分出発同 一時 三十分錦 州 着 同地に於 て油類を補 充す
号
還
古 川操 縦 士
操
に
縦
於
士
け
高橋 機 関 士
岡本 機 関 士
機
る
関
搭
士
乗
空 丸 上
別 紙
機
荒木 操 縦 士
川 端 機 関士
第
〃
区
機
河 野 操 縦 士
帰
機
番
四 号
二
号
ス ーパ ー
第
一
M
一、 途 中 承 徳 及 錦 州 に着 陸 の上 油 類 を補 充す
搭
分
島 田 池 瀬
乗
者
氏
名
摘
要
田 均 承 徳 より 午 前 十 時迄 に到 着 の 川 清 司 予定 野 利 一
寛 一 仲 川 丈 太 郎 博 雄 奥 山 才 治 承徳 よ り午 前 十 時 迄 に到着 の 予定 忠 吾 徳 永 潔 俊 彦 山 下
閑 均 前 田 久 幸 仲 野 正 明 小
中 隊 長 田 端 愛 太 郎 塚 本 清 太 郎 中 村 邦 男 高 岡 芳 三 近 藤 秀 司
三
考
号
第
八 岩 菊 牧
備
義
雄
二、 参 加 人員 は明 二十 七 日 各 所 属 ニ帰 還 シ後 命 ヲ待 ツ へシ
原
三、 新 京 飛 行場 勤 務 奥
十 二月 二十 五 日 ヨリ 当分 ノ間 多 倫 ニ出 張 ヲ命 ス
傭員
四、錦州 に於 ては先着 の三Mとスーパー二機編隊 を以 て午後 一時 五
四八 令
康 徳二年十 二月 二十八日
十五分出発午後 三時 十分奉天 飛行場 に著陸 無事帰還す
命
一、 臨 時 独立 飛行 中 隊 ハ昨 二十 五 日奉 天 ニ帰 還 ス
玉
常
3M 501
玉 常
雄
すと の同参謀 の真意 に有之候
児
十 二月 十 一日
副社長
察 東地今次軍事行動 の件
殿
河 井 田隊長
於多倫
電 を軍 に発 せらる、則ち軍事行動中 の事故 とし之 に応ず る如く処置
より意図 を明示せられ報告電 の如く報じ申し候 、武居参謀も同様 の
も時恰 も沽源 の攻略を案 じ且 つ磯谷参謀見送り に来場中 の武居参謀
る の不面目を生じ たるは誠 に申訳 なき次第情況別紙 の如 くに有之候
の大 破 を な し其 の報 告 を呈 す
河井 田隊 長
於多倫
河 井 田 隊長 報 告書 簡
雄 殿
五〇 一事故報告 の件
児
十 二月 十 一日
昭和 十 ︹年 ︺
副社長
二 先 に発動機 の焼付を起 し更 に今
3M
首 題 の件 左 の如 し
宋 哲 元 の自 治 宣 言 誠 に誠 意 な し 全 く蒋 と打 合 を な し北 支 に於 て日
察 東 地区 の行 政 は土 肥 原将 軍 と某 (氏 を忘 る ) と の協 定 によ り蒙
︹賢 二︺
本 を欺瞞 せ ん とす る にあ り
古 に返 し公 安 隊 も 長 城 以南 に返 さ しむ る にあ り然 れど も彼 れ 之 を省
蒙 古 独 立 のた め 察 東 は徳 王 に把 握 せ し め ん とす 為 之 に李 守信 を し
みず
先 づ賓 昌 、沽 源 を併 せ次 で張 北 に進 出 せ ん とす
て長 城 以 北 を 握 ら し め ん とす る にあ り之 れ今 次 の作 戦 方 針 な り
然 る に宋 は 河北 の将 来 如 何 にな る や不 明 な る ため若 し失 脚 せば 張
家 口 一帯 の小 地域 に限 定 せら る更 に失 脚 せば 察 東 地 区 に拠 らざ る可
らず 従 て彼 の地 盤 と し 当 地 方 は頗 る重 要 な るも のな り
故 に公 安 隊 の如 き も の全 地域 に亘 り 二千 数 百 を配 置 す
沽 源 は地 形 に表 れ る如 く獨 石 口 を擁 す る重要 な る地 点 たり 同 地 一
配 置 せる 公 安隊 は之 の軍 隊 にし て日本 軍 と 交 戦 せ る 訓 練 の者 な
帯 を見 る に人 口稠密 其 の価 値 大 な るも のと 認 む張 北 又 然 り
多 倫 は之 宋 軍 の地李 守 信 は 一度 攻撃 せ ら れ之 を放 棄 し圍 場 に退 却 せ る事 あ り 斯 る情 況 の元 に進 軍 を見 たり 、寳 昌 は安 く 占 領 せ り 沽 源 に は斯 の
兵 力 約 一千 を 以 て勇 敢 に攻 撃 せ るも 小銃 を以 てす る攻 撃 には 不能
兵 四百 あ り四 囲城 壁 あ り守 る に易 し ︹ 日 本軍 ︺
な り 日軍 も同 様 な ら ん 本 日 の攻 撃 に て参 謀 長 の戦 死 せ るが如 き情 況 に至 る
爆撃
殿
於多倫
河 井 田 隊 長
午後 、午前 の結果 に基 き更 に降伏 せざ る時は続行爆 撃す
午 前、全機出動
永 淵運航 部 長
殿
十 二月 十 二日
武宮総 務部 長
益 々御 健 勝 賀 し上 候 隊 員 一同無 事 な る も凍 傷 一、胃 傷 一患 者 あ り
先 に発 動 機 を焼 き今3M を 大破 恐縮 罷 り在 り候 、 河 野 も病 気 に て輸
全 員 早朝 よ り お そく 迄 で全 力 を挙 て活 動 中 御 放 神被 下度 候
送 上 大支 障 を来 せ し が本 日片 桐到 着 にて亦 任 を果 す 上 に支 障 な き に
﹁ 将 来 の ため に﹂ 李 軍 は仇 敵 に対 す る思 を頭 に満 し 部 下 に訓 諭 し出 発 す 本 戦 闘 に於
至 ると存 じ候 錦 州 の器 材 未 着 勿論 爆撃 燃 料 を第 一と し 他 の如 き も の
錦州 の器材輸送完了後
を以て承徳多倫間一日置 きに定期 を運航
義 あ る は 一同 働 き甲 斐 あ る 処 に有 之 候
飛行 隊 を重 宝 がら れ 全 く 之 によ り情 況 判 明 す るも のに て来 多 の意
と 思 い作 業 も誠 に進 捗 致 し 候
本 日 よ り 四温 に入 り ○ 下 二 十度 な る も風 も 七 、 八米 にて や れ や れ
ざ る処 と存 じ侯
何 も 不用 皮 のだ ぶ だ ぶ のも のを御 配 慮 頂 け るな ら 一同 感激 措 く能 は
の名 に於 て此 の慰 問 品 を頂 け るな ら何 よ り至 上 と存 じ 候格 好 な ん か
寒 天作 業 に手 袋 を最 も の必 需 品 と し最 も 不自 由 を 感 じ申 候 、重 役
と活 動 写真 機 の購 入御 願 上 げ 得 ら る れ ば幸 甚 に存 じ 候
実 に愉 快 な る行 動 に対 し特 に此 の時 期 の飛 行 準 備 等 に就 き参 考 に
一物 も念 頭 に無 之 候
て目 的 を達 せざ れ ば 全蒙 古 の独 立 不 能 な り 従 て特 機 軍 も最 大 の関 心
今 李 中 将 の存 在 を考 慮 し 、 火 器類 の集 結 のた め 本 日 の
を 有 す弾 丸 の如 き も の殆 ん ど交 附 しあ ら ゆ る 手段 を講 じ第 一線 に送 りつゝあ り 攻 撃 を中 止 し平 定堡 に兵 力 集 中 を計 ら れ た り 従 て沽 源 攻 略 は蒙 古 の独立 的 見 地 よ り全 力 を集 めら る るを 要 す 、 絶 対 的 な る も のと 磯 谷 、武 居 参 謀 に進 言 し 、軍 又之 を首 唱 す 、 当然 な り故 に将 来 の戦 闘 幾許 な る や計 ら れず 昨 十 日松 井 部 隊 多倫 に到 着 せ り即 刻 な ら ざ る も之 に協 力 せ し め ら るゝ に至 る可 し と 思考 せら る
十 二月十二日 中隊行動予定 各 種沽源 に対す る攻略 を講ず、最も最後的手段 とし爆撃を以て十 二日は終止す
3M
先は概報申上候
する如 く決定 せら候
児
玉
常 雄
十二月十八日 副社長
殿
敬
白
河 井 田 隊長
於多倫
益々御健勝 の段奉大賀候次 に隊員中極少 の感冐多少あ るも九十八 % は頑健何卒御放神被 下度候 種々御配慮を賜り恭く恐縮致し居 り候昨今天候全く順調 に有之候 必ず御安心賜り度候 十 六日は始めて朝 より暇を得始 めて全員 に対し入浴せしめ申候之 れにて ﹁しらみ﹂出来ずと存候 作 戦も 一段落ならざるも対峙 の形 となり武居参謀 も二十四、五日
殿
於多倫
敬
河井 田 隊長
白
頃 打合 のため新京に帰ら るゝと の事飛行機 も帰新後常 に出動し得ら
玉 常
雄
全機を以 て二十 一、 二日頃西蘇 尼特 に参る予定 に有之候
るゝ形 に於 て飛行機 人員 のみ帰還 の方針と決定仕 り候 先は略報申上度候
児
十二月 二十 一日 副社長
益々御健勝 の段奉大賀候次 に隊員 一同無事罷在候 に就御放神被下 北を蒙古軍 にて接受仕る可きに つき 一応帰還し其 の際再度多倫 に派
度候扨 て武居参謀と御面談被遊事 と存じ情勢は不記候要 は長城線 以
遣す べき旨申渡 され候兵力 は三機現在 の儘 と申居られ候器材類 は全 部残置致す事 に決 し申候
武居参謀 二十 二日帰新二十三日帰還命令 を頂き二十 四日午後隊員
最近好天 に恵 まれ 一同誠心誠意服務罷在 り候夙夜御配慮 を賜はり
一同帰奉可仕と予定致し居り候
尚器材 の保管等 に就き ては遣憾なきを期し申可く御安意願上候
申候事 一同恐縮至極 に存じ感激仕 り候
河井
白
田義 匡
敬
武居参謀と書信同時 に到着す ベき につき万事省略申 し概要報告申 上候
謀 殿
於多倫
行動予定 の件各官 には可然御達示願上候
参
十二月 二十三日 武 居
先般来 貴下 の御指導 に基き李軍 の戦捷引 いて長城以北、蒙古 の独
立等 々着着其 の緒け るは邦家 のため誠 に慶賀 に不堪候御出発 の砌り
当地 に在り 一々見聞する時此 の幸よき前途 に対し誠 に寒心 に不堪
は御全快なりしも御風気如何 かと御案 じ申居 り候
本件 を考慮 し浅海 少佐と合議 の結果本日松井大尉殿を新京 に送 る
候微細松井大尉報告 ありて之 に基 き御指示ある可きと存候
事と致 し候未 だ命に接 せざるも引上 二十五日以降は何時 たりとも完
細部 は松井大尉 の御報告 により断然是正すべき は摘発し為邦家 一
了致 し居 り候
引上 の方式 等 に就 き謹 而 命 を 相待 申 上居 り 候
日 た り とも暗 日 を許 さゞ る事 と 信 じ候
終 り に参 謀殿 の御 健 勝 を祈 上 候
敬 白
三
書類送付 の件 昭和 十 一年 関東軍軍用定期航空西蘇尼特事務所
内蒙 古最 近 情報
康徳三年 二月 二十五日 河井 田管区 長 殿 首題 の件左記 の通り送付す
五 百余 名 反 乱 し蒙 古 軍 並 自治 政 府 の包 を 襲 撃金品 兵 器 を奪 取 し憲
損 害 の程 度 目下 不明 な るも会 社 の包 も 相 当荒 さ れた る見 込 みな
兵 隊 長 李 鳳 山 を殺 害 し其 の他数 名 に傷 け 南 方 に逃 亡 せ り
り
反 乱 兵 引 上 げ に際 し百 霊 廟 の総 指 揮 官汪 景文 に対 し後 日綏 遠 側
に付 かざ れ ば 北京 に在 る君 の家 族 を全 部殺 害 す ると豪 語 せ りと
2 、 二十 二 日夕 刻 右 の情 報 に接 せ し王 府 並 に特 務 機 関長 は先 応 急
日早 朝 速 に自 動 貨 車 十 一台 を徳 化 に派遣 す る と共 に機 関 長 中 島 嘱
処 置 とし て徳 化 に在 り て寶貴 廷 軍 隊 百 名 を急 派 す る に決 し 二十 三
記 壱
左
壱
託 は飛 行 機 にて徳 化 に至 り 処置 を なし 同 日夕 八時 西蘇 尼 特 に全 部
一、内蒙古最近情報 ( 極秘扱)
上
一、内蒙古参考資料 ( 其 一).
以
3 、百 霊 廟 に於 て は 二十 一日夜 半 襲 撃 を 受 け 二十 二日 早朝 よ り之
り部 隊 は 百 霊廟 に向 ひ出 発 す爾 後 飛 行機 にて空 中 監視 を行 ふ予 定
集 結 を終 り 二 十 四 日夕 戦 闘 準備 完 了 本 二 十 五 日早 朝自 動 貨 車 に依
一、 二月十 日西蘇尼特王府 に於 て内蒙自治政府成立式 を挙行爾来着
方 七十 支 里 の地点 に於 て遭 遇兵 二名 を射 殺 し自 動 貨 車 一輛を奪 取
等 反 乱 兵 に対 し蒙 古 兵 (前 よ り在 りし 軍隊 ) を以 て追 撃 百霊 廟 南
内蒙古最近情報 着進歩し つつ在り
し て引 上 げ た り該 貨 車 は傅 作義 のも の にし て他 の者 は該 地附 近 よ
二、百霊廟徳王軍隊反乱 に就 て 1、二月 二十 一日正子百霊廟南 方二粁 の兵営 に駐屯 せし徳王軍隊
り数輌 の貨 車 に搭乗 逃 亡 せし 模 様 な り附 近 に貨 車 の輪 趾 無 数 に在 りと
過 般 飛 行 機襲 撃 に鑑 み 百霊 廟 反 乱 事 件勃 発 に際 し蘇 尼 特 南 方 五 十
三、 西 蘇 尼特 の近 況
粁 の地点 ﹁ト ム ロ台 ﹂ に綏遠 の軍 隊 ( 騎 兵 ) 約 百 名余 り進出 し在 り て之等 厳 に警戒 す ると 共 に事件 の真 相 を 明 にし綏 遠 に対 し今 後 の対 策 考究 中 な り ︹ママ︺
四 、勤 務 員 一同 元気 旺 盛 にし て器材 も 又 各係 の援 助 に依 り良 好 な る
り 於西蘇尼特
水 本 佐 一郎
態勢に在 り今回 の事件 に望み益々航空 の深意 を発揮す べく待機 しあ 康徳三年 二月 二十 五日
次
蒙古 参考 資 料 其一
(昭和 十 一年 二月
西蘇尼特)
︹マ マ)
(以 下 蒙政 会 と 云 ふ) な るも のを 設 立 せ し めた るも其 の地域 権 限 甚
し権 力 も極 度 に制 限 し 南 京 よ り政 務 費 月 額 三 万 元 を支 給 す るも 約 二
万 五 千 元 は 人件 費 とし て使 用 せ ざ る 可 から ざ る如 く な ら し め蒙 政 会
に執 心 せ り
を し て成す 事 能 は さら し む るを 目 的 と し彼 等 の懐 柔 工作 と気 勢 軟 化
然 し 乍 彼 等 蒙 人 は之 の蒙 政 会 の設 立 に よ り政 治 的 に訓練 を受 け政
治 的 に発展 向 上 し来 た り蒙 政 会 の現况 を以 て推 移 せん か単 に 一部 蒙
人 の失 業 救 済 に過 ぎ ず し て彼 等 の標 榜 す る蒙 古 民 族 運 動 に何 等 の効
の面 子 上 に関 す る問題 に迄 進 展 し南 京 政 府 に訴 ふ る も取 り あげ ら れ
らず 即 ち西 公 旗 問 題察哈 爾 改 盟 問 題 の解 決 に至 り て は蒙 政 会 と し て
発 せ る施 政 に対 し 南 京政 府綏 遠 省 政 府 側 の防害 圧迫 を被 る こと尠 か
果 な く 又 加 ふる に最 近 に至 り彼 等 の提 唱 せ る蒙 人治 蒙 の原則 よ り出
刺戟 を受 け徳王 を主体とする 一派 が班禅活仏を利用し頑迷 なる索王
ず 南 京 政 府 の真 に頼 るベ か らざ る を痛 感 せり
然 るに南京政府 に於 ては之等要求 に対し之を具体化 せざれば次 に
り し も情况 以 上 の如 く真 に蒙古 を復 興 せ んと せば 日本 と提 携 せず し
り た る も支 那 側 に対 す る憂 慮 と 地 理的 関 係 よ り積 極的 に連 絡 し 得 ざ
先 に徳 王 は じめ 一部 の蒙 人間 に於 て は早 く より 日本 側 と連 絡 し あ
来たる可き彼等 の日満提携を恐れ遂 に内蒙古地 方自 治 政 務 委 員 会
を要求 せり
蒙人治蒙を標榜 し高度自治を唱 へ遂 に南京政府 に向ひ自 治政府設立
雲王を動かし民国 二十 二年六月烏盟百霊廟 に蒙古代表会議 を開催し
満 洲国が日本 の援助 に依り成立す るや内蒙古青年間 に於 ても之 の
蒙政会設立より日満提携 に至 る経緯
五、蒙政会並に綏省内蒙古自治政務委員会 一覧表
四、察綏盟旗札薩克総管 一覧表
三、蒙政会 に対す る各盟旗関係概况
二、綏省境内蒙古自治政務委員会設立 に就 て
一、蒙政会設立 より日満提携 に至る経緯
目
蒙政会を中心として視 たる蒙古概況
四
て他 に方法なきを感 じ来 たり愈〓積極 的に日本 に対する連絡 を計画
委員長 とし烏盟 々長巴宝多爾済、副盟長阿拉坦鄂済爾及烏盟副 盟長
化城土黙特旗、綏東五縣及右翼 四旗 にして伊盟 々長 沙克都爾札布 を
一、察哈 爾 盟
蒙政会 に対す る各盟旗 の関係概况
しては中国側 の是命是従 の態度以外 に表明 し得ざ る現况 なり 了
きたる蒙古を再び分離 する手段な るを知悉しあるも実力 なき蒙人と
に蒙政会防害策にして蒙人自体は蒙政会 の出現 により漸く団結 に赴
之 れ南京政府並綏遠省政府方面 の防 共防匪 の美名を用 ふるも明か
潘弟泰札布 の三名 を副委員長 に任命 せり
せり 即ち昭和十年十 一月開催 せられたる第三回蒙政会委員会 に於 て日 了
本 と提携 し蒙古 の復 興を計 る事 を決議し其 の依頼決議文を蒙政会 の 名 のもとに関東軍 に提出 せり 綏省境内蒙古自 治政務委員会設立 に就 て 前述 の如く蒙政会設立 が蒙古民族 の為 にした るも のにあらず して 外長城 以北 の中央離反 及日本側 の徳王を中心とせる蒙政会援助 の具
蒙古 の日満提携危懼 の念 より出発せる情况 より河北政権成立 に伴 ひ
察哈爾は中国と接 近せる関係より常 に其 の圧迫及監視 を受け、蒙
最 近日本 の進出 により外長城以北地域 は察哈爾に復帰 し従来 の中
体化 に感づ き必然的 に来 たる察哈爾以西蒙古 の察哈爾合体を恐れ、
国側 の禍根 一掃 せられ蒙古 保安隊及改盟問題解決し盟長 及副盟長 も
し積極的 に進 み得ざる情况 にありたり
の下 にありて徳王 の主宰する蒙政会 に反感を有 しある四子部落札薩
蒙政会 の名 の下 に任命を見たる今 日察哈爾 の蒙政会 に対する態度感
民 は極度 に畏縮し為めに蒙政会 に対す る従来 の態度 も中国側 を懸念
克潘王を副盟長 に任命し、蒙政会 の中心 を移転 せしめ又蒙政会公布
情 に就きては明白 にし て贅 言を要 せず
先づ之 が対策 とし て蒙 政会委員長 にして烏盟 々長 たる雲王を避免し
の察哈爾改盟問題 に依 る右翼四旗 の察哈爾盟復帰即ち綏遠省離反 を
二、錫林郭勒盟
中公旗札薩克 たる巴寶多爾済 を盟長 に、西蘇尼特 と境 し常 に傳作義
恐 れ、剿匪 に名 を騙 りて閻錫山傅作義 は兵 を平地泉 に移駐し右翼 の
即 ち蒙政会副委員長 にて本盟 々長 たる索王念 経を事 とし政治 に関
しあるに過ぎず
的知識を有すも のなく 一般王公 は旧来より の彼 等 の地位固執 に専念
以上 の情况 より文化 に遅 るゝこと又甚しく王公中徳王を除き政治
最も蒙古旧習を止め頑迷 を以 て有名なる純蒙古 地方な り
本盟は中 国と遠隔 し中国側 の直接圧迫 を蒙 る こと少く他盟 に比し
察哈爾盟復帰を威嚇 し且 つ察哈爾以西蒙古 の東奔防圧 に腐心せり。 次 いで 一月 二十 五日南京政府 は綏遠省境内蒙古自治政務委員会な るも のの設立を公布し、先 に蒙政会 に与 へたる管轄地域 の蒙古地方 なるものより明 に区劃 し察哈爾以西 に防 共防匪 に名 をかりて新しく 地帯 を結成 せり 即 ち会趾 を伊克昭盟成吉 思汗寝陵 の所在地たる郡王旗伊金霍落 に 定め、其 の統轄地域は烏蘭札布盟所属各旗、伊克 昭盟所属各旗、帰
顔 も 見 せず 二 三 少壮 王 公 間 に蒙 政会 に対 し好 感 を有 し あ る も のあ る
与 せず 、 其 他各 王公 之 と大 同 小異 に て五台 山 に参 拝 す る も 蒙政 会 に
は連絡 の為 公爺 を派遣 し来 たれり
近中国 側 の圧迫又強化 し来 たりあり、其 の態度明 かならず特 に西方
六、阿拉善霍碩特旗
めあり ( 尚当旗出身者 は他旗 に比し共産党及藍衣社系多し)
然れ共文化 を浴 せる関係上蒙政会役員中当旗出身者其 の大部 を占
国恐怖病又濃 厚なり
本旗は傅作義 、王靖国 の御膝下 の関係 上完全 なる圧迫下にあり中
五、帰化城 土黙特旗
鄂托克 旗は蒙政会 との感情良く昨年蒙政会 より無電を派し該旗 より
以 上 の如 く 王 公 の多 く は政 治 的 に無関 心 に し て蒙 政会 及 徳 王 に 対
も周 囲 の関 係 上積 極的 に進 み得 ざ る情 況 な り
し ﹁出 過 ぎ た り﹂ と の感 念 を有 し あ り 、 又最 近 徳 王 及 蒙 政 会 の背 後 に 日本 あ る を 認 識 し来 た り幾 分 強 わ も て の気 分 あ るも好 感 を有 し あ ると は 観 察出 来 ず (之 の点 に関 し ては 近 く開 催 の錫 盟 王 公 会議 に依 り明白と)
︹マ マ︺
三 、 烏 蘭 札布 盟
る如し
昨年蒙政会 より連絡 の為無電を派遣 しある情况 にて好感 を抱きあ
し て其 の手腕 を振 ふを 得 た る も のに し て蒙 政 会 は 雲 王 、徳 王 の蒙 政
前 盟 長 雲 王蒙 政 会 委 員 長 にし て雲 王委 員 長 た りし 為 徳 王 秘書 長 と
会 と 云 ふも 過 言 にあ ら ざ る情 況 上 之 等関 係 は問 題 とな ら ず
の危険 もあり防共 の立場より蒙政会 には積極的 に連絡 しあり 了
本旗 は人口少く北方外蒙と境し外蒙新彊 との交通要衝 にて又赤化
七、額済納 旧土爾扈特旗
最 近 雲 王 の後 を受 け て盟 長 と な れ る中 公 旗 巴 王 も 蒙 政 会 に 対 し好 感 を抱 き あ り 然 乍 ら 四 子部 藩 王 、 西 公 旗 石 王 の両 王 は常 に傅 作 義 、 王靖 国 の傘 下 に在 り其 の威 を借 り反 蒙 政 会 を主 張 し最 近設 立 の綏省 境 内 蒙 古 自 治 政 務委 員 会 の要 員 とし 活 躍 し あ り
本 盟 は 蒙 政会 と間 に 地理 的 に王靖 国 、傅 作 義 等 の中 間介 在 物 あ り
四 、伊 克 昭 盟
て之 等 に依 り従 来 蒙 人 の蒙 政 会連 絡 を妨 害 せら るゝ こと勘 か らず 最 近 に於 て は鄂 托 克 旗 公 爺 は其 の妨 害 を受 け 百 林 廟 に来 た らず し て包頭 よ り旗 に帰 還 せり と 以 上 の如 く当 盟 々長 はし め 蒙政 会 に好 感 を有 し あ る者 あ る模 様 な る も其 の連 絡 充 分 に出 来ず 為 に東 方 の情况 も明 か な らず 加 ふ る に最
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◎右翼 を西、左翼 を東 と称す、蘇尼特右翼旗 を西蘇尼特旗と称するが如 し
察哈
左 翼 旗 正 藍 廂白 正 白 廂黄 牧 場 商 旗 都 牧 場 明 安 牧 場 太 僕 寺 左翼 牧 場 " 右 翼 牧 場
盟 長 、蒙 政 会 副 委 員 長
巴
穆
図
克
副 盟 長 、蒙 政 会 秘 書 長
勒
◎牧場 旗 は 一旗 と し て認 め ら れざ り し が 民国 十 七年 に一 旗 と し て認 め ら れ察哈 爾 は八旗 よ り 十 二旗 とな る
◎ 右翼 四旗 は民 国 十 七年 に綏遠 省 内 に編 入 せら れ たり 、 但 し蒙 人 は察哈 爾 の支 配 を受 く
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宝
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盟 長 、 蒙 政 会 副委 員 長
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巴
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達拉特〓 坑鏡〓 副盟長 蘇鄂托克〓〓 弁盟務 鳥審〓 札薩克〓
◎達爾〓愛牧場 は従前明安 の駱駝牧場 なりしも外蒙 独立と共 に外蒙 に包含せらる
伊克
蘭
◎但し鄂托克〓
烏
茂 鳥
旗
西 公〓 と 称 す
旗
済
〃中
済
〃前
◎喀爾喀右翼旗札薩克雲瑞旺楚克は前盟長 にして蒙政会委員長 として通称雲王と称 せら る、本 一月盟長 より国府季員 にあけられたる も病態 を理由として辞退 せり ◎烏 拉特中公〓札薩克は前副盟長巴宝多爾済 は雲王 の後任盟長として南京 より任命 せられたるも目下辞退しあり
察哈
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綏遠 旗
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正
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民 国 十 年 よ り綏 遠 省 に編 入 せら る
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内蒙古地方自 治政務委員会 趾 察哈
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索王、巴王、沙王
青 海 右 翼 盟
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烏 蘭 札 布盟 帰 化城土黙特旗
委 員
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死 去 、 正 参 領諤 斯 克 代 理
五
昭 盟
阿王、巴王、潘王
伊金霍落
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副委 員長
県
東
郭王旗
(昭和 十年 一月 二十五日国府発令)
綏遠省内蒙古自治政務委員会
地
会
烏 蘭 札 布盟 察哈爾右翼四旗綏 員
帰 化城 土黙 特 委 委
五
七 月六 日 田中 参 謀 殿
︹ 寧夏省︺
1、 チ ンギ ロツプ は 四 日外 蒙 兵 に連 れ て行 か れた (此 の者 御 承 知
上ぐ
残 は 七 月 三 十 一日 ラ クダ に て (七 月末 ラ クダ歩 け る に至 る) 引
十 六 日 初 車 にて 三︱ 四名 引 上 ぐ
来 の工 作 上精 神 的 実 質 的 に不利 な る を以 つ て自発 的 に引 上 げ 先 づ
田 中 参 謀 宛 オ チ ナ情 報 報 告
河 井 田義 匡
長 殿 より預 り申 候 左記 書 類 三 件提 出 申 上候
︹一字 不 明 管カ ︺
益 々御健掌 に亘らせられ候段奉大賀候扨先般 ﹁オチナ﹂ に私行仕 り候 節 江崎
3 、当 地 の王 は理 解 し あ り
2、 粛 州 は 緊 張 し あ り
と存 じ 上 候 ) 一部
御受領被下度候
一部
路 上附 近略 図
4 、店 の焼 し も の 、跡 始末 を よく つけ る
右
爾 後 包 頭 無 線 に て極 力 連絡 につと む るも 尚 ほ連 絡 とれず 困却 仕 り
一、西 ソ ェツ ト より オ チナ間 旅行 日誌
一枚
一、同 一、晤 談 録 要
右要々 報 告 申 し上 候
居 り候 と れ次 第 報 告 申 し 上可 く候
晤 談録 要 は李 一寧 員 が ﹁オ チ ナ﹂ のチ ンド ルサ ロン に語 り し も の を 極 秘 に手 交 せ し も のな りと 五 月 中 旬 オ チ ナ の役 員 は李 を迎 ひ に粛州 に旗 兵 を 率 ひ て赴 き 七月 上 旬 には オチ ナ に到 着 す と の事 な り 現 在 蒙 民 は頗 る好 感 を有 し あ り
現 在 信 用 あ る時 支 那 兵 入 ﹁ナ﹂ し 日 人侮 辱 を 受 け 引 け る時 は将
江 崎 氏 は 左 の如 く申 述 べあ り
六
戸
田
秋
包 頭 近 況 報 告 の件
包頭
雄
め て之 を 避 け ら るゝ 様 考 慮 せら れ ん こと を希 望 す 右 概 要電 報 報 告 済 み
以
上
愚 考 す依 て当 分 の間 他 機 の飛 来 す る こと は止 む を 得 ざ る場 合 の外 努
る こと は 工作 進 捗 上 甚 だ面 白 か らず 計 画 進 行 を 阻害 す る の慮 あ り と
戸 田機 一機 のみ に て も相 等 神 経 を尖 ら し あ る に尚 他機屡々 飛 行 し 来
し て 工作 進 捗 徐 々に初 期 の計 画 に進 み つゝあ り而 し て右 情 況 の折 柄
其他 大 体 の情 況 を 綜 合 す る に其 空 気 良 好 と 言 ひ難 し然 れ共 着 々と
難 準備 に着 手 せ るも のさ へあ りと
あり
殿
河井 田管 区長 経由
治
四 、 一部 日支 戦 闘 開 始 せ ら る の流 言 あ り 気 早 き者 は荷 物 を 取纒 め避
康徳三年八月七日
宮
豊
満航包第三号
武
包 頭 近 況 報告 の件
総務 部 長
首 題 の件 左 記 の通 り報 告 す 左記 一、 目下 数 日前 より 共産 匪 潜 入 の徴 あり て市 内 は戒 厳 令 下 に在 り警
二、 今 回 の蒙 古 飛 行 開 始 に当 り当 地 に飛 行 機竝 に邦 人 多 数 入 込 み
戒 頗 る厳 な り (本 件電 報 、報 告 済 み)
(我 々 一行 の外 オ チ ナ行勤 務 員 プ ロペ ラ船勤 務員 等 ) た る こと に依
り尚 明 八 日 は揮 発 油一三 〇 〇 箱 到 着 す る筈 にし て益々 彼 等 の神 経 を
り 且 つ飛行 場 機 首庫 建 設 地均 作 業 実 施 等 に依 り相 当 彼 等 を 刺激 し あ
尖 鋭 化 し あり 三 、 旅館 ポ ー タ ー洋 車 夫等 を し て義 務 的 に邦 人 の行 動 を 報 告 せ し め
七
包 頭 情況 報告
五 、前 項 連 絡 の為本 九 日包 頭︱ 白 林 廟 間軍 用 臨 時航 空 を実 施 す
包 頭特 務 機 関 への報 告 八 月 九 日)
を施 行 しあ り
七 、本 九 日 白林 廟 特 務 機 関 の言 に依 れ ば同 地 は 昨 八 日夜 より 戒厳 令
六 、戸 田機 発着 行 先 等 に関 し て は依 然憲 兵 の監 視 下 に在 り
河井 田管区長経由
田 秋 雄
通行 し得 る時 期 に至 らず ん ば物 資 の オ チナ方 面 への輸 送 は不 可能 な
戸
り と
包頭
一、包頭市街戒厳令依然解除 せられざるも甚だしき人心 の動揺 を認
八 、羽 山 特務 機 関 長 の主 旨 に依 る モス機 の派 遣 に関 し当 地 に於 け る
殿
めず邦人 に対する警戒厳なり
大 体 の空 気 を綜 合 す る に戸 田機 の出 発後 通 路 閉 塞 の慮 なく 寧 ろ他 機
宮
二、昨 八日揮発 一四〇〇箱到着領事館倉庫 に搬入せり之 が運搬 に当
を 当 地 に常 置 す る こと は当 地軍 部 以 下 の刺 激 を徒 ら に増 大 す る のみ
豊 治
満航包第四号
武
康徳三年 八月九日 総務部長
りては領事館門前 に巡警立哨監視 せり
揮 発 輸 送 の件 に就 き話 し た る も白 林廟︱ オ チ ナ間 の輸 送 は駱 駝 の
三、目下包頭市内 には密偵 三百余名潜入しありと
情況 報告
四、包頭西方八五粁公廟東 方地区 に於て六日午前五時頃 より石王対
以 上 八月 九 日 記載
にし て害 あり て益 な き こと は 明 かな るも のと思 考 す
に兵力 の援助を受く ることを得大喇嘛は兵力約七十孤立 の状態 にて
大喇嘛 の開戦兵力略同等なるも石王は支 那軍 より武器弾薬 の補充並
一〇 、本 十 日 定 期 にて天 津 会計 より 一、 五〇 〇 円 送 付 を受 く
九 、包 頭 - 百 霊廟 定 期 に関 し て は未 だ 何等 回答 な し
一 一、洒 井 機 本 十 日到 着 す
本九 日朝余 に弾薬僅 かに四千発 なり明後 十 一日迄 に弾薬 の補充無く は当然武装解除されん速か に応援 を求む (本件は公廟派遣松本邦人
一二、 モス機派遣 に関し て種 々私見電 報せしも本来ならば綏遠特務 にあり (引続き新京迄出張)打合 せ不能 の為私見電報 せり不悪御諒
機関長と連絡 の上電報す ベきを至当とするも当時羽山機関長は天津 承を乞ふ
八
社
定 ス へシ
副社長
補給及給与其他細 部ニ関 シテ ハ別ニ指示 ス
二 細 部 ニ関 スル指 示
児
玉 常
雄
器廠長、関東軍野戦航空廠長及関東軍司令部小野寺少佐ト直接協
兵器弾薬 ノ授受竝 ニ輸送 ニ関 シテ ハ部隊長 ニ於 テ関東軍野戦兵
臨 時 独立 飛 行隊 編成 派 遣 に関 す る命令 お よび
指 示一
臨時独立飛行隊編成派遣ニ関 スル命令 本
康徳 三年十月十九日正午 於 、
一、関東軍命令関参 一発 二六〇〇号ニ依 リ別紙 ノ如 ク臨時独立 飛行 隊 ヲ編成 シ十 一月上旬商都ニ派遣 セントス 編成完結 ハ十 一月五日午後六時 ト シ派遣 ノ時機 ハ別命 ス
一、 自 動 貨 車 ノ内 二輛 ハ会 社 ニ於 テ徳 化 ニ準 備 シ ア ル モノ ヲ充当 ス
主要兵器携行基準表並ニ交付区分表別紙第二、第 三ノ如 シ 河井田運航部長 ハ之カ編成 ヲ担任 スヘシ
四、所 要 地 図 ハ部隊 ニ於 テ準 備 ス ヘシ
ス ヘシ
三 、燃 料 ハ張 北 ニ向 ヒ輸 送 ノ モノ ヲ充 当 ス不足 ノ分 ハ別 ニ準 備輸 送
トス
本 社 ハ之 ヲ軍 ニ請 求 ス ルト共 ニ長 尾部 隊 ニ其 写 ヲ送 付 ス ル モノ
二 、軍 ヨリ貸 与 ヲ受 ケ シ器材 ノ補 給 ハ本社 ニ請 求 ス ヘシ
飛行機及同装備用兵器竝ニ個人装催用兵器 ニシテ現ニ会社ニ於
各部各課 ハ之カ編成ニ対 シ協力 ス へシ テ保管 シアル モノ ハ器材課 ニ於 テ整備 ノ上交付 シ以外 ノ兵器 ハ奉 天 ニ於テ関東軍野戦兵器廠長及関東軍野戦航空廠長 ヨリ部隊長ニ 於 テ受領 スへシ 爾余ノ兵器弾薬 ハ商都 ニ於 テ交付 セラル
隊
長
河 井 田 義 匡
臨
時 独 班別
立
一般 勤 務 班
空 中勤 務 班
飛 行 班
隊 編 長
表
川 綱
原
郎 喬 三 夫 郎
治
仁
石 上 喜 之 助
柿 崎 健 一郎 河 崎 利 作 原 口 貢
藤
浅 野関 太 郎 望 月 浜 次 瀬 尾 学
荒
担 任 者 氏 名
務
掛
任
真
戦闘 詳 報 、 戦闘 要 報 陣 中 日 誌 命 令、 情 報 其 の 他 一般 庶 務
写
掛
掛 戒
信
警
生
理
令
計、経
衛
士
ケ中 安 小 進 宮 伊 進 右 水 金
吾 一 郎 志 実
畑 憲 治 武 一 郎 林 三千 雄 藤 芳 郎 崎 繁 雄 藤 光 義 士庄 太 郎 田 潔 谷 佐 一郎 丸 末 芳
士
伝
操
関
縦
会
通
ケ塚 本 清 太 今 村 川 治 一 水 谷 篤 河 上 英 四
成
夫
塚 本清 太 郎
中 畑 憲
機
ケ石 川 金 渡 辺 高 橋 寛 二 中 間 清 倭
人 員 小計
一五
一四
摘
要
人 要
員 器 材
合 計
考
主
備
整
備
班
石
川
一、 本 表 中ケ は 兼 務 を 示 す
金 吾
一、 八八 式 軽 爆 撃 機 (全 装 備) 三、 ス ー パ ー 機 ( 連 絡 用) 五、 自 動 貨 車
機
器
四機 一機 七台 二、 現 地 に於 て必 要 に 応 じ 人 夫 を傭 入す
材
付
夫 雄 雄 晴 寿 生 年 生 蔵 太 房 彦 郎 登 六 雄 治 雄 吉
安 清 岩 横 平 金 鈴 筒 岩 藤 丹 高 仲 福 松 桜 田 河 奥
藤 元 水〓 田 博 山 千 沢 沢 万 亀 木 幸 井 卯年 森 忠 井 静 羽 義 森 安 川 丈 太 田 尾 恒 井 武 中 松 合 静 平 延
掛
郡 司 末 吉 小 野 利 一 中 村 邦 人 梅 本 勝 一 鈴 木 兼 桝 西 条 幸 三 郎 大 久 保 好 信 佐 竹 政 見 小 原 一 小 野 伝 右 衛 門 中 村 興 四 郎
二 、 九 一式 戦 闘 機 (全 装 備 ) 四 、 プ ス モ ス 機 (連 絡 用)
六 一名
四機 一機
三
附表第 二
附表第 三
隊
長
河 井 田義 匡
臨
班
時
別
一般勤 務 班
独
立
飛
主 任 者
塚本清太郎
柿 崎 健 一郎
行
隊
業
担
務
分
担
任
表
業
務
命 令受 領 伝 達 、 戦 闘 詳 報 、 戦 闘 要 報 、 陣 中 日 誌、 功 績 に 関 す る 事 項 、 発 来 翰 の整 理、 其 の他 一般 庶 務
担
今
者
喬
一郎
貢
作
ロ
雄 夫 雄 晴 寿
摘
要
昭 和 一 一、 一〇 、 三 一
任
村
塚 本 清 太 郎 川 治 一 三 水 谷 篤 夫
河 上 英 四 郎
情 報 蒐 集 及 貸 与被 服 の整 理、 地 図 及 宿 舎 に関 す る事 項
郎 次 学 喬 仁
治
通譚 に関 す る 一切 の事 項
綱
荒
浅 野 関 太 望 月 浜 瀬 尾 ケ今 村 藤 村
川
写 真 に関 す る 一切 の事 項 電 報 の発 信 及 受 信 並 に有 線 電 話 に関 す る件 其 の他 通 信 に 関 す る 一切 の事 項 警 備 に関 す る 事 項 並 に銃 器弾 薬 の保 管 整 理
柿 崎 健
石上 喜 之 助 予 算 、 決 算 現 金 の保 管 出 納 に関 す る事 項 、物 品 出 納 に関 す る事 項 、 給 養 計 画 の立 案 及 購買 に関 す る 事 項
河 崎
水〓 藤 元 田 博 山 千 沢
利
給 養 の実 施 精 算 に 関 す る事 項 、 酒 保 経 営 に関 す る事 項 、 財 産整 理 及宿 舎 に関 す る事 項
令
衛 生 に関 す る 事 項
伝
会 計経理
清 安 岩 横 平
原
飛 行 機整 備 に 関す る 一切 の事 項
諸 帳 簿 の記 帳 、給 与 に関 す る事 項 、 支 払 に関 す る事 項 、 発 来翰 の整 理其 の他 経 理 に関 す る 庶務事項
八 八式
備
考
整
備
班
石 川 金 吾
郡 司末吉
機
付
器 材 掛
九
一式
ス
ス ー パ ー
モ
飛 行 機 整 備 に関 す る 一切 の事 項
飛 行 機 整 備 に関 す る 一切 の事 項 飛 行 機 整 備 に関 す る 一切 の事 項
器 材 、 油 類 、 弾 薬 等 全 般 に関 す る 統制 器 材 、 部 品 、 消 耗 品 に関 す る 事 項
蔵 太 房 彦 郎 登 六 雄 治 雄
吉
延 吉
森 忠 井 静 羽 義 森 安 川 丈 太 田 尾 恒 井 武 中 松 合 静
金 沢万 亀 生 鈴 木 幸 年 筒 井 卯 年 生
岩 藤 丹 高 仲 福 松 桜 田 河
司 末
奥 平
郡
小 野 利 一 大 久 保 好 信
人
政 見
邦
一
佐竹
中 村
勝
機 関銃 に 関す る事 項 兵 器、 爆 弾 、 弾 薬 に関 す る 事 項
本
鈴 木 兼 桝 西 条 幸 三 郎
梅 武 装 々備 に関す る事 項
小 原 一 小 野 伝 右 衛 門 中 村 興 四 郎
飛 行機 用 及自 動 車 用 燃 料 に関 す る 事 項
自 動 車 に関 す る 事項
一、 空 中勤 務 者 及 機 付 の飛 行 機配 属 は別 に示 す 二、 右 の如 く業 務 分 担 す と雖 も相 互 協 力 の上 業 務 の進捗 を計 る も のと す
一一、 通 信 ハ会 社専 用 無 線ニ ヨリ 別ニ 制 定 セル暗 号 ヲ使 用 スベ シ
其 ノ他 ハ軍 及 現 地機 関 卜連 絡 ヲ要 ス ル場 合 ニア リ テ ハ其 定 ム ル所
一二、 今 次 出 動 ハ絶 対極 秘 卜 セ ラ レ ア ル ヲ以 テ細 心注 意 シ外 部ニ 対
ニ依 ベシ
ス へシ
但 シ作 戦 所 要 現 地 写真 八部 及 抄 画 地 図 ハ写真 部ニ 於 テ準 備 シ交 付
五 、防 寒被 服 及 寝 具 野 外 用炊爨 具 食 器 等 ハ関東 軍 倉 庫 ヨリ受 領 ス へ
一三 、陣 中 日誌 ハ四部 、戦闘 詳 報 ハ尠ク モ弐 拾 部 ヲ準 催 スべ シ
ス ル漏 洩 ヲ防 止 ス ル コト ニ努 力 ス ル如 ク各 自ニ 徹 底 セ シ ム へシ
シ 六 、糧 食 ハ尠 ク モ壱 ケ月 半 分 ヲ準備 携 行 ス へシ
表
七 、作 業 用防 寒 服 及 防 寒 靴 ハ会 社ニ 於 テ準 備 シ ア ル モ ノ ヲ携 行 ス ヘ
配
属
一 覧
康 徳 参 年 十 月十 九 日
一四 、将 来功 績 上申 ノ場 合 ヲ考慮 シ出 動 間 ニ於 テ之カ 資 料 ヲ準 備 ス
付
へシ
並
夫
機
シ
員
に
八 、出 動 者 ノ服 装 及携 行 品 ハ部 隊 長ニ 於 テ規 定 ス へシ
務
元
晴
付
藤
千
生
機
安
山
亀
生
士
雄
横
沢 万
年
関
雄
金
井 卯
太
機
水〓
寿
筒
静
彦
縦
清
田
年
井
安
操
渡 辺 機 関 士
岩
幸
藤
森
飛 行機 番 号
宮 崎 操 縦 士
高 橋 機 関 士
平
木
蔵
高
士
一五 、 本 社 ニ於 ケ ル補 給 及 連 絡 担 当者 ハ武 宮 総 務 部 長 ト ス
乗
一〇 、前 渡 金 ハ銀壱 万 円 ヲ携 行 ス へシ
分 号
中 間 機 関 士
鈴
忠
房
第
五
進 士操 縦 士
機 関 士
森
義
第
号
伊藤 操 縦 士
倭
岩
羽
七
右 田 操 縦 士
ケ渡 辺 機 関 士
丹
一
中 畑 操 縦 士
ケ高 橋 機 関 士
第
第 一〇 五 四 号
進 藤 操 縦 士
沢
一 三 九 号
第 六
一 五 号
一 六 号
第 二
川 丈
登
仲
田
ケ中 間 機 関 士
福 安 武 操 縦 士
太 郎 第 二八 三号
博
九 、給 与 ハ陸 軍 ニ於 ケ ル戦 時 給 与 (概 多倫 出 動 時ニ 同 ジ )ニ 準 ス
区
八八式軽爆撃機
九 一式 戦闘 機
ス モ
ー
パ
第
号
一三 八 号
金丸 操 縦 士
水本 操 縦 士
小林 操 縦 士
一三 号
ー
第
第 五
ス
ケ倭
田
松
平
中
尾
延
松
恒
吉
治
六
河
桜
合
井
静
武
雄
雄
機 関 士
ケ石 川 機 関 士
奥
配布 区分
九
空 地 連絡 規 定
一 軍 一〇
五
軍 ︹ 師 ?︺ 二〇
四〇
六〇
第 七 軍
徳化、張北機関 各 第 治 二〇
自 行 隊
自治独立第 一師 飛 空地連絡規定 は附図第 一の如し
第 一、空地連絡 に使 用すべき布板は大小二種 より成 る其大さ及形状
其 一其二其 三 の如 し
第 二、部隊号を現示す べき布板 の種類配置法及配布区分は附図第 二 行軍中は小旗軍旗 を振 つゝ行軍す 第 三、飛行機 より部隊 へ使用する信号 は附表第 一の如し 第 四、部隊より飛行機 に要求する信号は附表第二 の如し
号 を得 た る後 次 の信 号 を 現示 す るも のと す
第 五 、 部 隊 よ り 飛行 機 に対 す る布 板 信号 は 飛行 機 よ り ﹁承 知 ﹂ の信
飛行機 の使用する信号
附 表第 一
備
考 一、 ( ) 内 は補 助 方 法 とす
二、 飛 行 機 よ り 通信 文 を投 下 す る には 通 信筒 に よ る も のとす
三、 信 号 拳銃 弾 と赤 旗 何 れ か を用 ふ
一〇綏
遠事 件概 況 報 告
午 前 八 ・○ ○ 各 機整 備 完 了 離陸 に当 り 一機 (八 八) は故 障 の た
スーパ ー機 一 一 ・三 〇分 徳 化 着 、戦 闘 機 午 後 二時 に至 るも消 息
め点 検 他全 部 出 発
なく 商 都 と連 絡 と れず 心痛 す 、 八 八 一機 故 障 に て徳 化 東 南 約 四十
一︹ 集 結 ・緒 戦 ︺
謹 啓 寒 気 日増 に加 は り申 候折 柄 益々 御 健 勝 に亘 ら せら れ 候段 奉 大
吉 に不 時着 大 破 す仍 て応援 の手 配 を な し現 地 上空 よ り連 絡 し た り
十 一月 十 六 日
此 の間 連絡 手 段 悪 く 十年 分 の心 痛 一時 に来 る の感 あり
帯 内 の事故 に つき 特 別 心痛 す
本 集 合 に て特 別 な る情 況 な るた め長 城 以南 への不時 着 又 山嶽 地
発 せし む
く に不 時 着 人機 体 無 事 な る の報 あ り漸 く安 んじ直 ち に応 援 準備 出
あ り夜 八 ・二〇 に至 るも行 方 不 明 漸 く九 ・○ ○ 近 く に至 り 張北 近
十 二 日点 検 試 飛 行終 了 十 三 日出 発 せり と の報
戦 闘 機 は商 都 に着 す る の報 あり 、 承徳 の 一機 は連 絡 と れず
賀 候 、 征途 に当 り ては 早朝 な る に関 らず 遠 路 御見 送 り を忝 く し 一同
二機 を除 き着 す
感謝 奉 り誓 つて御精 神 に対 し 報恩 申 上ぐ るを誓 ひ申 候 爾 後 の経 過 概 要 御報 告 申 上 度 候
一 一 ・四 〇着
八 八 一機 商 都 着
十 一月 十 五 日
機
一、空 中 輸 送 及 集結 行
戦闘 機 は錦 州 にて燃 料 補 給
正午 着
十 一月 十 日午 前 八 ・三〇 奉 天 発 八八 式 スーパ ー、 モスは直 路 承
1、飛
徳
燃 料 補 給 に全 力 を注 ぎ し も多 数 機 に対 す る器 材 なく 午 後 二時 三
ひ大事 を採 り て承徳 に 一泊 に決 す
十 分 に至 り西 風 の強 き ため 直 ち に出 発 す るも薄 暮 に至 る可 き を思
十 一月 十 一日
十 四 日商 都 発 、 八台 一帯 に宿 営 兵 力 数 千 騎歩 半 す
闘 経験 あ る者 少 し
十 五 日 八時 行 動 を起 す 飛 行機 は 一〇 ・三 〇 分頃 之 を爆撃 す当 日 は
当 地 に来 り爆 撃 の威 力 に対す る期 待 大 な る に鑑 み機 数 増 加 を申 請 せ し に許 可 せ ら れ増 加 機二 スーパ ー到 着
十六日
壕 深 く攻 撃 し 得ず
正午 を期 し 爆 撃 及砲 撃 によ り攻 撃 す べき協 定 に より 全機 出 動 爆 撃
燃 料 は予 め 事前 五〇 〇 〇 罐発 送 しあ り た る は誠 に輸 送 上楽 な る
2、 器 材燃 料兵 器 爆 弾等
を得 たり 然 れ ど も敵 地内 前 記 の輸 送 にて途 に軍 の指 示 あ るも 辛 苦
す
し 飛行 場 内 に帰 還す
せし が兎 に角 爆 発 し渡 辺戦 死 す 、機 体 は大 破 せ し も中 畑勇 敢 に操 縦
午 後 一時 十 分 中畑 操 縦 右 田 、渡 辺 同乗 の ﹁スー パ ー﹂ に敵 弾 命 中
一方なら ず 張家 口以 後 は全 く自 動 車 に依 る数 量 約 一五〇 屯 長 城 線 の通 過 辛 労 せ る も当 事者 の適 切 な る行 動 にて十 一月 二十 一日全 部 集 積 完 了 す 山 と積 まれ た る此 等 のも のを見 る時 感 無量 な り之 れ に 要 せし 全 日 数 二十 五 日 二、 一般 の彼 我情 勢
亘 り 一歩 察哈 爾省 を越 ゆ れ ば村 落 と云 ふ村落 は周 囲 皆 大 な る外 壕 を
示 と し 人民 を 抗 日 に指 導 教育 す ると 共 に戦 闘準 備 に汲 々た り全 省 に
し に八台 西 方 四 吉米 位 に到着 し あ り之 を爆 撃 す午 後 一時敵 自 動 車 十
早朝 八台 占 領 せら るゝ の報 あ り出 動 せし に目 下退 却 中 な り偵 察 せ
十八日
十 七 日夜 より 敵 は猛 攻 勢 に出 づ王 英 軍 退 却 態勢 を整 ふる に決 す
当 日 も攻 撃 奏 功 せず
作 り散 兵 壕 を作 り防 備 堅 固 大市 街 は全 く 要 塞陣 地 な り打 倒 蒋 介 石 の
三輛 第 一線 後 方 約 二 〇吉 を 北 進 せ る の報 告 を 戦闘 機 の偵察 に て知 る
︹ママ︺
傅 作 義 は 全 く今 日 あ るを 予想 し且 つ蒋介 石 の抗 日 開戦 に対 す る指
王 英 部 隊 は商 都 にあ り綏 遠 に向 ひ行 動 を 起 す先 づ 包 頭 平 地 に進 出 を
一〇〇 〇 名 を 認 む
る に敵 は 一五 〇 〇位 な るも の の如 し本 日よ り第 一線 を撤 退 し あり 約
八台 及 第 一線 の情况 を見 る に 王軍 死 傷 約 三 百 な り と情報 を綜 合 す
十九 日
り︾
︽立 派 な る乗 用車 多 数 あ り敵 師 団 司 全 部 と判 断 せら る効 果 至 大 な
発 見爆 撃 十 四輛 破壊 な る効 果 を収 む
仍て全 機 を以 て爆撃 に決 す ス ーパ ー編 隊 は敵 自動 車 多 数停 止 せ る を
企図す 蒙 軍 司 令 官 の軍 は張 北 南 方 に位 置 す 、 此 の行 動 は 後 日報 告 す 、 今 日認 む るを 得ず 三 、 王英 部 隊 の行 動 紅 格 爾 図 (ホ ン コルト) の戦 闘 商 都 (七台 と書 あ る地図 あ り) 西 北約 二十 吉米 八台 之 れ より西 約 七 、 八吉 ﹁ホ ン コ ルト﹂(地図 に は記 入 な し)村 あ り綏 境 に て大 な る
王 英 部 隊 は 先 づ之 を攻略 、先 進 せん と す 、元 来新 募 兵 に て正 規 戦
壕 を 巡 らす 本 夏之 れ を襲 ひし に大 損 害 を受 け後 退 せ る事 あ り
興 和 方 面 に出 であ る友 軍 に昨 夜 出 撃 せ る報 あ り之 を爆 撃 の ため 全
二十 日
恵 ま れ風 少 く暖 く 朝 の如 き も 0 下十 二︱ 三度 の如 く 之 れ よ り逐 次 な
当 地遠 隔 せ る た め通 信 及 報 導 を受 く る事 遅 延 仕 り候 従 て中 国 に響
ひ申 候 一同 極 め て健 在 士 気 頓 に昂 り衝 天 の慨 有 之候
御 報告 申 上度 存 じ つゝ 交 通 機関 な く 且 つ多 端 な り し 為 め今 日 に及
備 中 一息 と 云 ふ可 き所 な り
刻 の暇 な か り し が近 々中 の為 め 今第 一次 戦 を終 了 せ る感 あ り目 下 準
要 す る に集 結 完 了 せず 多 端 な る時 に戦 闘 を 交 へ犠 牲 者 を出 す 等寸
る れ ば可 な る可 し
先 づ 第 一次 と も 見 る可 き緒 戦〓 に 一段 落 を つぐ る に至 る
機 出 動 せし も 大部 隊 を認 めず
四 、 敵 機 の情况 以 前 よ り 敵 機 集結 飛来 の報 し き り な り平 地泉 の飛 行 場 は 常 に厳 重 監視しあり 然 る に二 十 日午 後 二時 頃 劉 家 店 ( 商 都 東 南35km張 北 進 上 ) に て 馬 糧 集 積 中 の東 馬 に対 し敵 機 二機 飛 来 し 之 を爆 撃 す 投 下 弾 七 命 中 せ
く 反 影 如何 か と案 じ候 、 停 頓 せ る 日支 交 渉 の打 解 に若 干 なり と も資
程 伏 し て願 上 候
︹百 霊 廟 失陥 ︺
1 、 ﹁ホ ン コ ルト﹂ 方 面
一、綏 東 の採 れ る戦 略
先 般 御報 ︹ 告 ︺ 申 上 し 以 後 の概况 御 高 覧 に供 し 申候
二
敬
具
前 途 実 に洋 々た るを想 起 し益々 各 官 の御鞭韃 と御 指 導 、 御庇 護 の
若 干 散 見 仕 り候
後 れ馳 に来 る支 那 紙 によ り事 件 に対 す る蒋 の所 見 や判 断 及 要旨 等
.
せ ば と存 じ居 り候
にあ ら ざ る が如 し
ず 効 力 の判 定 は 之 れ よ り現 地 に至 り判 断 せ ん とす るも た いし た も の
五 、 軍 の戦 闘 力 正 規 の演 練 を経 ざ る も数 次 に亘 り突 撃 し壕 (深 さ12 尺 巾 10︱ 14尺 ) に飛 び込 む 等 勇敢 後 退 後 も司 令 以 下 至 て軍 規 正々 な り た のも し さ を
爆 撃 効 果
感ず
爆 撃 の効 力 は多 数 機 に依 らざ れ ば実 効 試 ? (疑 問 ) な り然 れ ど も
に対 す る多 大 の効 果 は 稀 に見 る処 なり 、 爾 後 広 正 面 に対 し其 の期 待
当 地 に到着 前 よ り各 方 面 の期待 大 な る は当 事 者 と し て 心 苦 し自 動 車
に対 し熟 慮 用 法 を 考研 中 な る ため 爆 圧 によ る負 傷 (特 に耳 に対 し) 者 多 数 な り と は戦 場
厳 重 を加 ふ
先 般 の戦 闘 後 所 要 守 備 兵 を配 備 し 一挙 後 退 せる も第 一線 の戦備
天
2 、興 和 方 面
候
空輸前後風速15-20に mて /砂 s塵多く全く閉 口せし が爾来天候に
より来 れる者 の言 なり
50k
方 面 の作 戦指 導 の方 針 にて第 一線 部 隊 は若 干 前進 せ し も 、此 の程
﹁ホ ン コ ルト﹂ 方面 にて戦 闘 せし 王 英 部 隊 の始 末 を なし 以 後 当
イ ク (重 爆 ) な り と 二 十 五 日以 来 太 原 飛行 場 設 備 のため 活 気 を呈 し
出 動 を命 ぜ り と 機 種 ﹁ボ ー イ ング ホ ー ク﹂ ( 戦 闘 ) カ ー チ ス シュ ザ
其 の筋 より 与 へら れ た る情 報 に依 れ ば蒋 は戦 闘 隊 爆 撃隊 五 十機 に
は配 備 地 勢 上 よ り全 く 裸 体 に て手 を頭 上 に挙 げ 昼寝 の体 如 何 様 に
し特 に百 霊 廟 に ては 三百 数 十 、 ホ ン コルト 一帯 は千 数 百 、殆 ん ど爆
自 画 自 讃 に似 た る も 、支 那 紙 によ れ ば戦 死 傷 一千 は下 ら ざ る が如
四、 爆 撃 の効 果
居 り候
居 れ りと 、 近 日 中 彼 の空 中 勢 力 を迎 え 一戦 仕 り得 ら る るか と楽 し み
度 に止 め爾 後 の行 動 準備 中 3 、商 都 前 面 当 地 は 全 く十 数 吉 に て前 方 の丘陵 地上 に ある敵 部隊 よ り瞰 制 せ
も攻 略 せ ら るゝ の地 充 分 配慮 し飛 行 機 の み は徳 化 に夜 のみ引 上 げ
弾 によ るも のな り と 、自 動 車 二十 数輛 之 れ は彼 の報 道 を其 の儘 に有
ら れ あ り 二 十 六 日諜 報 によ れ ば 二十 八日 大 挙 商都 を攻 撃 す と当 地
んか と 手配 せ る も 二十 七 日諸 種 偵 察 せし も攻 撃 の模 様 な し と判 断
之候
出 動 以 来 天 気 暖 にし て反 て閉 口致 し 居 り厳 寒 凛 烈 なら ん 事 を希 望
ず と申 し 居 り候
兵 も 恐 れ 住 民 は殊 に甚 し早 く 蒙 軍来 れ ば よ ろ し然 らば 爆 撃 を被 ら
し 警 戒 を厳 に し夜 を 徹 し事 な き を得 たり 本 日 は 二十 八 日 な り此 の 情况 の許 に若 干 日を 過 さ ん とす
十 一月 二十 三 日敵 自 動車 を 以 て百 霊 廟 に来 れ る の報 あ り偵 察 せ
4 、 百霊 廟 方 面
し も 認 め 得 ざ り し が 二十 四 日夜 半 大 挙 来 襲 し 遂 ひ に攻略 せ ら る同
爾 後 の状况 推 移 は如 何 に変 化 す る や 全 く 不 明 な ると 共 に将 来 に対
す 、 一同 士 気 旺盛 な り
す る件 は 述 べ得 ざ る は御 了 承 願 上単 に 過去 と し て の情况 のみ を記述
日爆撃 し 多 大 な る損 害 を与 え た り 、 二十 七 日夜商 都 よ り自 動 車 数 十輛 を 以 て 百 霊廟 に輸 送 二 十 九 日攻 撃 の予 定 目 下 ペ ンを持 て る間
︹自 十 一月下 旬 至 三月 中 旬 情况 ︺
具
す る に留 め候
三
敬
出動せしめあり 要 す る に相当 な る機 動 力 を 以 て機 先 を制 す る こと に勉 め あ るも の の如 し
首 題 の件 別紙 の如 く 概况 報告 申 上 候 粗 文 御 判 読 を願 上候
十 一月下 旬 よ り十 二月中 旬 に至 る間 情况 報 告 の件
二百 七 十粁 ) に 亘 り飛 行 時間 は出 動 せば 四︱ 五 時 を要 す る行 動 に て
厳 寒 の節 益々 御 健 勝 の程 祈 上候
出 動 以 来 一日飛 行 せざ り し のみ にし て此 の広 正面 (商 都 百 霊 廟 間
二 、 飛行 隊 の行 動
連 日出 動 致 し居 り隊 の有 す る機 数 に て は荷 重 す ぎ申 候 三 、敵 飛行 隊 の情 報
昭和 十 一年 十 二 月 十 四 日
に至 る当 日 の状 勢 判 断 不 良 な ら ざ り し も の と推 定 せ ら れ た り
四 日右 退 却部 隊 の掩 護 の命 に て出動 爆 撃 機 関 銃 掃 射
︽飛 行 隊 退却 援 護 の命 を受 け 実 施︾
四 日 の報 にて敵 の出 撃 に会 ひ退 却 せ り と
退 却 後 の兵力 集 中
河 井 田 義 匡
内蒙軍飛行隊長
十 一月 下 旬 以 後 の概况
は 陶 林 北 方 五〇 粁 の地 にあ り 一部 は陶 林 南 部 を 経 て西 進 す 、 爾来
中 にて 二十 七 日同 地 を 発 し て愈 々西 進 の途 に つく十 一月 二十 九 日
ホ ン コ ルト攻 撃 意 に反 し た る王 軍 は 爾 来 八台 北 方 に て前 進準 備
(3) 王英 部 隊 の行 動
ー ム) 一〇 〇 粁 ﹁シ ヤ ラ モリ﹂ 廟 に主 力 は引 上 げ る事 を得 た り
任 意 退 却 な るた め割 合 混 乱 な し、 百霊 廟 東 方 四〇 粁 (ハト ンス
戦 場 の推 移 依 然 西 方 にあ り東 部 の大 勢 平 静 た り 一、西 部 百 霊 廟 の攻 防 百 霊廟 は蒙 政 会 発 生 の地綏 遠 北部 内 蒙 に於 け る重要 な る地 点 たり 、 綏 遠 西 部 に対す る補 給 策 源 地 た り蒙 軍 は第 七師 を駐 屯 せ し む 第 七 師 は本 年 十 月 に編 成 完 結 せ し も の に て訓 練 等 一切 な し と 云 ふ
(1) 十 一月 二十 三 日頃 よ り敵 は 自 動車 数 十 に て東 南 より来 る の報
連 絡 な か り し も敵 の軍 隊 に多 大 の損 害 を与 へつゝ西 進 し あ り六 日
も過 言 な らず
烏 蘭 花 西 北 約 三十 粁 五 家 子 にあ り て敵 の大 兵 と交戦 中 な り と七 日
之 れ に協 同戦 闘 に飛 行 隊 は出 動 す王 軍 は有 利 に展 開敵 は退 却 し始
あ り、 二 十 四 日 に至 り連 絡 な く な り た り仍 て偵 察 に行 き た る と、
既 に同 日午 前 中 に後 退 せり
其 の間 に於 て定 期航 空機 と に よ り既 に戦 闘 中 な る を知 る
む
る者 の事 たり
所 謂 支 那 紙 記 載 の王 軍中 の石 旅 長 反 正 の言 は此 の整 理 せ ら れ た
を携 同 す る に決 し た る が如 し
中 には 不 良 な る者 多 数 あ り王 司 令 は兵 数 の整 理 を行 ひ有力 な る者
斯 く て王 軍 は意 気 昂 り た るも のと 認 む る も騎 兵 の み にて 三千 、
王 軍・ の整 理及 弾薬 類 の補給
兵 は遙 か東 北 一五 〇粁 附 近 に集 結 せ るを空 中 偵 察 に て知 る
爾 来 敵 は 陣 地 の構 築 集 結 に余 念 な し
(2) 奪 取攻 撃 、遂 に失 敗 す
王 英 部 隊 は歩 兵 部隊 の西 駆 に考 慮中仍 て之 れ と敗 惨 せ る第 七師 を 合 せ て百 霊廟 攻 撃 せ し む る が如 し 自 動 車 七 十余 に て廿 七 日夜 商 都 を 発 す 長 駆 三 百数 十 粁 を 走 破 し 廿 八 日 シ ヤ ラ モ ク廟 に至 る更 に第 二 次 旅 団 と し て残 余 を輸 送 し十
らる
補 給 を受 け 各 人 は 良馬 二︱ 三 頭 を有 し て陣 容 整 へる も のと判 断 せ
此 の地 に て兵 の整 理 を な し た ると 共 に自 動 車 に より 兵 器弾 薬 の
二日夕 方 よ り攻 撃 様 式 の通 報 あ り
二月 二日 よ り愈 々攻撃 に決 す
三 日飛 行 隊 は全 力 を以 て攻 撃 に参加 す 、全 機 三 回出 動 帰 還 暗夜
爾 来 今 日 に至 る迄 で爾 後 の経 過 報 導 を得 ざ るも 迅 速 な る行動 に
を知 れり 十日
夕 刻 に至 り兵変 を起し邦人 の生死不明 なるを知 る
午前五時反軍は各 邦人 の許 を襲 ふ顧問部 に至 り直 ちに小濱大佐
し只当時 の瞬時 のみを記 せば
所感各々抱く処現 地に飛行す る時格 別なるものあ るも之を省略
対し今更痛激 の至 りに堪 へざ る﹂ を感銘 せり
先づ徳王は ﹁ 死 を以 て蒙古を作 り蒙 人を指導し下さるゝ邦 人に
○蒙 人に与 へし教訓
爾後之 れが対策は考究 せられあり手配中
(二名脱出) 二十八名 の殺害 せら れた るを知 る
友軍 の偵察及び配属 せる自動車隊 の偵察 に赴 き始 め て全部 人
よ り西 進 し あ るも のと判 断 し 又急 速 な る西 進 と其 の成 功 を 一に祈
王軍 一度 包 頭︱ 固陽︱ 百 霊 廟 以 西 の地 区 に到 達 せ ん か綏 遠 及 中
る も の なり
央 軍 の狼 狽 幾 許 な り や と只 想 像 す る の み (4)遺 憾 な り ﹁シ ヤ ラ モリ スー ム﹂ の兵 変 ︹ 氏善︺ 小濱 大佐 以下 二十 八 勇 士英 気 を抱 き つゝ綏 北 の地 に英 魂 と な る 事 変 前 の情况 当 地 は西 漢昵 特 よ り百 霊 廟 に至 る唯 一の要 地 又綏 遠 よ り 北 方 に 至 る要 地た り 百霊 廟 事 変 の度 当 地 は 又其 の支〓 点 たり 退却 の際 も第 七師 、 及
射 殺、自動車手 は 一応百霊廟 に運航 を命 じ中途引返 させ射殺 せり
、及副官格 の岡中尉を 一撃 の許 に射殺、特務機関員等 は縛 して列 へ
王 英 の歩 兵 部隊 は共 に此 の地 に来 り当 時 に至 る 当 地 の重要 性 に鑑 み小 濱 大 佐 は陣 地構 築 軍 の指 導 のた め来 ら れ
候
復 四温続 きにて今0下十 六度内外 日中室内は日光を浴 びる処頗 る可
百霊廟攻撃 の時 気温降下 し0下 二十五度内外なり六日頃 より亦恢
三、天
現下未だ戦况変化 を見ず国軍 一旅 到着 せり
二、東 部 地 方
四囲 に壕 を築 け り 、王 軍 の戦 闘 せ る五家 子 は此 の地 より 南 約 四十 粁 の地 な り 七 日此 の情况 を 小濱 大 佐 は承 知 し た るを 以 て王 軍 の中 の金 旅 の 兵 (と推 定 ) を 引 ひ王軍 を助 け攻 撃 を奏 功 せ し む 且 つ王軍 に兵 器 弾 薬 を補 給 し西 進 の準備 を完 了 せし め た り
西部 地方 の戦闘 には連 日行動 したり情况判続 の最も迅速 なるは当
なり
九 日将 来 に対 す る 重要 指 導 協 議 の ため 該 地 に至 り て大 佐 を同 乗
然たり百霊廟 に至 る間往復五時間 乃至 六時間を要す敵 は最 近遮蔽巧
四、飛行隊 の行動
第 二回余 も (松井 補 佐 官 )偵 察 に行 く劇 戦 の後 な れ ど 戦場 は然 ら
妙となれり
帰 還 の命 に て我 機一 を 派す 、然 る に後 刻 に至 り本 早 朝 よ り通 信 な
ず 而 し て 地 上 よ り は記 号 な く 又敵 兵 を も見 ず 全 く 不審 な る儘 帰 還
し仍 て偵 察 を命 せら る帰 還 し報 告 に よ れば 既 に陥落 し た り と此 の
し た る に ﹁モ ス﹂ の行 き し 時 は 退却 し た る後 に て兵 は 南 下 中 な る
最近は至 る処高射砲 を配 して盛 に射撃 すと雖も其 の後命中弾なき も概ね近距離 にて炸烈す百霊廟 にて余 も之 を実見す小銃弾命 中せる 航 空隊開隊 以来余 を以 て嚆矢とするは不名誉乍ら友軍 の退却掩護
も寸 余 の処 にて危難 を脱 せり (中間機関士)
地上部隊成果挙らず如何とも致 し難 し隊とし ては所望 以上 の活動
を実地に実施 せることなく 一種 格別なる所懐 たり を続 け居 る処 なり 四日迄 では寒威烈しく四名 の凍傷 (八八式空中 にて)患者 を空中 勤務者中より出 し防寒 に対す る体験 を得 たり此 の間中央軍飛行機 の 綏遠出動を告 ぐる事甚 だ多く対空 の考慮極 めて大なり 一機は飛来 せ る事略確実なり 以上の如き情况 の許将来 に対す る方策は既 に決 定しあり此 の稿を ︹ 西安事変︺ 終らんとす る時蒋介石 の変事 を知 るを得 たり
一 一
行
動
詳
報
( 第七号)
臨独飛作命第三号
臨 時 独 立 飛 行 隊)
二番 機
編 隊長
小林 操 縦 士
中畑操縦士
藤 田 機 関士
赤 沢機 関士
編隊 ノ編組 左 ノ如 シ
於
行 ヲ実 施 シ同 地ニ一 泊 ノ上 明後 十 四 日帰 還 ス へシ
一月十三日
商
都
二、 中畑 編 隊 ハスー パ ー機 ニ ヨリ午前 八時 出 発 徳 化︱ 張 北間 示威 飛
一、当 隊 ハ明 十 三 日 一部 ヲ以 テ示 威 飛 行 ヲ実 施 セ ント ス
臨時独立飛行隊命令
一月 十 二 日午後六時
四、午後 五時当隊 の 一部帰還 に関 し特務機関より別紙第 二を受領す
時 二十分帰還す
三、進藤操縦士及寺崎機関 士は松井補佐官 一行を搭乗 せしめ午後 二
二、中畑編隊は示威 飛行 の為午前八時十分徳化及張北方面 へ出発す
待機す
一、整備班は午前 七時 三十分迄 にスーパ ー四機 の飛行準備を完 了し
行動 詳報
(自 昭 和 十 二年 一月 十 一日 至 昭和 十 二年 一月 二 十 日
︹ 編 者註 ・この行動詳報は察東事件当時 の戦闘詳報 に相当するものであ
一月 十 一日
るが、第 一乃至第 六号を欠 いている。従 つて前項河井田隊長 の報告書簡 によつて大体 を察す るの外はな い。 ︺
行 動 詳 報
一、整 備 班 は午 前 七 時 三 十分 迄 に スーパー 二機 の飛行 準 備 を完 了 待 機す
一月 十 二日
二 、 一月 七 日岩 元 大 尉 を搭 乗 せ し め徳 化︱ 北支 方 面出 張 中 なり し 梯 操 縦 士 は モ ス機 に より 本 十 一日午 後 零 時 三十 分 帰 還す
行 動 詳 報
一、 整 備 班 は 午前 七時 三 十 分 迄 に スー パ ー二機 の飛 行 準 備 を完 了 待 機す 二、 進 藤 操 縦 士寺 崎 機 関 士 は特 務 機関 松 井 補 佐 官 及 李 守 信 司令 官 一 行 を 搭 乗 せ し め午 前 八時 三 十分 徳 化 へ出 発 す
河 井 田 義 匡
三 、 整 備班 ハ待 機 飛 行 機 以 外 ニス ーパ ー 二機 ヲ午 前 八 時迄ニ 飛 行 準 備 ヲ完 了 ス へシ
臨 時 独 立 飛行 隊 長
四 、 予 ハ午 前 八時 飛行 場 ニア リ
下 達法 口達
関参 電 六 七九 満 航 副 社 長ニ 対 シ左 記 要旨 ノ命 令 ヲ発 令 セ リ 臨 時独 立 飛行 隊 ヨリ (ス ーパ ー) 三機竝 ニ之ニ 応 ス ル人員 (器 材 ヲ附 ス) ヲ逐 次奉 天ニ 帰 還 セ シ メ同 地到 着ニ 伴 ヒ臨 時 独立 飛 行 隊 ノ
一月十四日
編 成 ヨリ解 除 ス へシ細 部ニ 関 シテ ハ関 係 部 隊 長 間ニ 於 テ直 接 協 定 ス
へシ 一月十 二日 行 動詳 報
一、整備班 は スーパー二機を午前 七時三十分迄 に飛行準備完了待機 す 二、織田操縦士石川機関士は在張北中畑操縦士 と交代 の為 め (中畑 操縦士石 川機関士 は張北特務機関器材輸送 の為め奉天 へ運航出張 の 為め操縦 士 のみ交代す)午前八時五十分徳化経由張北 へ出発 す 三、中畑操縦士石川機関士は張 北特務機関器材輸送 の為め スーパー 機 により奉天 へ出発す 四、織田編隊は李守信 司令官 一行を搭乗せしめ午前 十 一時五十分張 北 より帰還す
行 動 詳 報
者
一月 十 五 日
摘
要
一、 整 備 班 は午 前 七時 三十 分 迄 に ス ーパ ー 二機 の飛 行準 備 を完 了 待
二、 午 前 九時 よ り別 紙 計 画 に より爆 撃 訓練 を実 施 す
機す
爆撃訓練計画
撃
一月 十 五 日
三 、満 洲航 空 株 式 会 社 副 社 長 よ り別 紙 命 令 を受 領 す
二、爆
一、 爆 撃 実施 日
爆
者
操
赤 沢機 関 士
撃
種
進士操縦士
西 田機 関 士
士 式
高橋操縦士
縦
ー
機
パ
伊藤機関士
八 ー
進藤操縦士
八 ス
ー
二千米
パ
八 八式
四十 五度 発
百 四十度
千 七百米
単
第 二 面
スーパー
ー
法
第 一面
ス
三、飛 行 高 度
下
四、進 入 方 向 五、投
臨時独立飛行隊 一部帰還ニ関 スル命令
康徳 四年 一月十二日
児
玉
竝 之 ニ応 ス ル人員 、 器 材 ヲ逐 次 奉 天ニ 帰 還 セシ ム ヘシ 副社長
雄
一月 一六 日
常
一、 関 東 軍 命令 ニ依 リ臨 時 飛 行 隊 ノ 一部 解 除 ノ為 ﹁スーパ ー﹂ 三機
行 動 詳 報 一、 整 備 班 は 一部 を 以 て午前 七時 三 十 分 迄 に ス ーパ ー二機 の飛 行 準
二 、新 任 徳 化 特 務 機 関 長 森 岡 大 佐初 度 巡視 の為 め来 商 せら るる に付
備 を完 了 し待 機 す
都 築 操 縦 士 、 倭 機 関 士 は 一行御 迎 ひ の為 め ス ーパ ー機 に よ り午 前 八 時 三十 分 出 発 十 時 帰 還 す
五、 之 ヲ要 ス ル ニ余 ハ親 日 ヲ曲 ケ ス関 東 軍 ト事 ヲ構 フル ヲ欲 セサ ル
之 ナリ
以
上
モ関 東 軍 ノ威嚇 ハ何 ラ効 果 ナ キ ヲ述 へ今後 益 々先 生 ト ノ親 密 ヲ測 ラ ント ス ルモ ノナ リ
羽 山 附 言
一月 十 七 日
第 二次 西 安 事 件 以来 傅 ハ早 晩 小官ニ 接 近 ス ル可 シト 予期 シア リ シ カ昨 夜 之 ヲ実 現 セ ル モ ノナ リ
行 動 詳 報
一、整 備 班 は 一部 を 以 て午 前 七時 三 十分 迄 に ス ー パ ー二 機 の飛 行 準 備 完 了 待 機す
二、 金丸 操縦 士 は モ ス機 に よ り森 岡 大佐 一行 を搭 乗 せし め 午前 九時
別 紙第 一
三 十 分 張 北 へ出 発 す
一月 十 六 日午 後 六時
綏 遠 電
臨 独 飛 作 命 第 四号
臨時独立飛行隊命令
一、 当 隊 ハ別紙 計 画 ニ ヨリ明 十 八 日閲 兵 並ニ 空 中 分列 ヲ実 施 ス
一月十 七日午後六時 於 商
三 、 明 十 八 日 の閲 兵竝 に空 中 分 列 に関 し 別紙 命令 を下 達 す
西 安 方 面 ノ発 展ニ 伴 傅 作 義 モ心細 ク ナ リ タ ル モノ ノ如 ク昨 十 五 日 夜 李 英 夫 ヲ派 シ小官ニ頌 徳 表 ヲ捧 ケ タ リ其 ノ要 旨 左 ノ如 シ 一、 貴 特 務機 関 設 立 以 来 先 生 (羽山 ヲ指 ス) ノ公 平 無 私 ナ ル行 動ニ 依 リ綏 遠カ 貴 国 ト何 ラ事 ヲ為 サ サ リ シヲ深 ク感 謝 ス
親 密 ナ ラサ レ ハ何 事 ヲ モ為 シ得 サ ルヲ 以 テ ナ リ
其ノ他 ノ人員 ハ午 前 十 一時ニ 飛 行 場ニ 集 合 シ ア ル へシ
二、 整 備 班 ハ午 前 十 一時 迄ニ 全 機 ノ飛 行 準 備 ヲ完 了 ス へシ
二、 余 ノ主張 タ ル親 日防 共 ハ今ニ 至 ル モ尚 変 化 ナ シ蓋 シ支 那 日本 ト
三 、綏 東事 件 ノ発 生 ハ誠ニ 遺 憾 ナ ル モ国 土 防 衛 ノ主 旨ニ 出 テタ ル モ
印刷配布
臨時独立飛行隊長
三、 予 ハ午 前 十 一時 三 十分 飛行 場 ニア リ
下達法
河 井 田 義 匡
ノ ニシ テ全 ク他 意 ナ ク余 ハ断 シテ勝 利 ヲ得 タ リ ト考 へス亦 誇 ル ニ価 値 ナシ 四、 此 ノ間 余 ハ貴特 務 機 関 ヲ保 護 セ リ即 チ綏 遠 特 務 機 関 ヲ追 ヒ払 フ 可 シト ノ声 四 方 ニ起 リ シ時 モ命 令 セ ラ レ シ時 モ之 ヲ敢 テ セ サリ シハ
都
一、日 所
時
飛 行 機 の前 方 に全員 整列
都 築 操 縦士
商 都 飛 行場
昭 和 十 二年 一月 十 八 日正 午
臨 時 独立 飛 行 隊 閲 兵 並 に空 中 分列 計 画
二、 場 官
揮
八
編
隊
隊
2、 梯
操 縦 士 、 寺 崎 機 関士
3 、 伊藤 操 縦 士 、 中 間 機関 士 1、 札 本操 縦 士 、 伊 藤 機関 士 2 、高 橋 操 縦 士 、 岩 田 博 雄 3 、新 貝操 縦 士 、 西 田機 関 士 1、 水 本操 縦 士 、 石 川 機関 士
機関士
2 、進 士操 縦 士 、 藤 田機 関 士 3 、織 田操 縦 士 、倭 1 、中 畑 操 縦 士 2 、進 藤 操 縦 士 3、 安 武 操 縦 士 離 陸後 オ ラ ンノ ー ル上空 通渦 後 黒 沙土︱ 六台
第 二編 隊
編
路
1、 宮 崎 操 縦士 、 高 橋 機 関士
都 築操 縦 士 、 赤 沢 機関 士
兵
三、 指 四、 閲 五、 空 中 分 列 1 、 編 隊 群長 機
八
2、 編 隊 の編 組 及 順 序
一
スー パ ー第 一編 隊
同
九
3、 経
度
二百米
︱ 套 図 を 経 て北 方 より 飛行 場 東 側 を 通 過後 解 散 4、 高
隊
河井
長
田 義 匡
臨
時
班
独
立
別
一般 勤 務 班
空 中勤 務 班
飛
行
班
隊
憲
編
長
夫
塚 本 清 太 郎
中 畑
成
表
治
郎 三 夫 郎 川
次 学 仁
月 浜 尾 原
綱
担 任 者 氏 名
荒
務
掛
望 瀬
任
真
掛
塚 本 清 太 川 治 一 水 谷 篤 河 上 英 四
写 信
戦 闘 詳 報 、戦 闘 要 報 陣 中 日 誌 命 令 、 通 報、 報 告 、 其 の 他 一般 庶 務
通
藤
理
掛 経
石 上 喜 之 助
士
ケ中 畑 憲 治 札 本 弥 六 水 本 佐 一 郎 梯 敏 男 安 武 一 郎 小 林 三 千 雄 進 士 庄 太 郎 宮 崎 繁 雄 新 貝 末 男 織 田 幸 吉 金 丸 末 義
柿 崎 健 一 郎 河 崎 利 作
士
令
戒 計
関
縦
警 会 伝
操
機
吾 郎 治 志 雄 生 実
ケ石 川 金 高 橋 寛 二 西 田 常 中 間 清 寺 崎 寿 藤 田 静 倭
人員小計
一 一
一七
摘
要
人
主
備
員
要
合
計
器 材
考
整
備
班
石 川
パ
車
ー
金
(一) 八 八式 軽 爆 撃 機 (全装 備 ) 貨
ー
(五自 ) 動
(三)ス
(一) 本 表中 ケ は兼 務 を 示す
吾
機
器
材
付
吉 菊 奥 清 田 安 筒 高 櫻 松 吉 田 藤 平 岩 丹 横 高 福
司 末 吉 野 利 市 原 一 野 伝 右 衛 門 村 邦 人 竹 政 見 木 兼 桝 条 幸 三 郎 村 与 四 郎 本 勝 一 久 保 好 信
田 博 地 忠 平 延 水〓 中 松 藤 元 井 夘 年 柳 源 井 武 尾 恒 川 清 谷 武 井 静 沢 森 忠 羽 義 山 千 森 安 田
雄 吾 吉 雄 治 夫 生 衛 雄 六 吉 雄 太 寿 蔵 房 晴 彦 登
掛
郡 小 小 小 中 佐 鈴 西 中 梅 大
三 一
一機
四機
六〇 名 ス (連 絡 用 )
モ
(四)プ
(二) 九 一式 戦 闘 機 (全 装 備 ) ス
四機
三機 七 (二) 現 地 に於 て必 要 に応 じ人 夫 を傭 入す
六 、射
撃
編 隊 群 解 散後 九 一式 編 隊 は 地 上攻 撃 を実 施 す 八 八式 ス ーパ ー第 一及 第 二編 隊 の順序 に九 一式
九 一式 編 隊 は 八 八式 及 ス ーパー 機 爆撃 終 了 後 飛
の地 上攻 撃 終 了直 後 飛 行 場東 側 の爆 撃 目 標 に対 し連 続投 下
七 、爆撃
装
一月 十 八 日
閲 兵 の際 の服 装 は乗務 員 は航 空 被 服 、整 備 班 員
行 場 上空 に於 て実 施 す
八 、高 等 飛 行
九 、服 は平 常 通 り 其 の他 の人員 は防 寒外 套 防 寒 帽着 用 と す 一〇 、其 の他 細 部 に関 し て現 地 に於 て指 示 す
行 動 詳 報
一、整 備 班 は全 員 を 以 て午 前 十 一時 迄 に全 機 の飛行 準 備 を完 了 す 二、臨 独 飛作 命 第 九 号 に基 く 閲 兵空 中 分 列 実 施 の為 午 前 十 一時 三 十 分 迄 に全 機 所 定 位置 に整 列 せ し む 正午 よ り計 画 に基 き閲 兵 引続 き空 中 分 列 を 実施 す
都
一月十 八 日 午 後 一時
三 、当 隊 の 一部 帰還 に関 し午 後 一時 別 紙命 令 を下 達 す
臨時独立飛行隊命令
臨独飛作命第 五号 於 商 一、 関 東 軍命 令 ニ依 リ臨 時独 立 飛 行隊 ノ 一部 解 除 ヲ命 セ ラ ル
二、 当 隊 ハ ﹁スー パ ー﹂ 三機竝 ニ之 ニ応 ス ル人 員器 材 ヲ奉 天 ニ帰 還 セ シメ ント ス
出 発ニ関 シ テ ハ別命 ス
三、 別 紙 人名 ノ者 ハ来 ル二十 日 空中 移 動 ニ ヨリ奉天 へ帰 還 ヲ命 ス
四、 爾 今臨 時 独 立 飛行 隊 ノ編 成 ヲ別 紙 ノ通 リ改 ム
別
還
名
班
整
備
班
表
別
計
河 井 田義 匡
元
木
邦
喜
幸
万 亀
良
夫
助
年
生
雄
名
鈴
本
一
次
氏
山
善
雄
沢
西
口
正
平
金
谷
井
秀
沢
桜
川 丈
海
金
仲
郷
畑
郎
小
十 九名
一月 十 九 日
太
本
臨時独立飛行隊長
人
名 郎 隆 義 郎 郎 斉 今 村 喬 浅 野 関 太 郎 原 口 貢
都 築 徳 三 高 橋 伊 藤 光 進 藤 芳 赤 沢 三 伊 藤
氏
帰
下達法 口達
班 空 中 勤 務 班
一
般 勤 務 班
行 動 詳 報
一月十九日午後 六時 於 商 都
一、整 備 班 は 一部 を以 て午 前 七時 三十 分 迄 に スー パ ー 二機 の飛行 準 備 を完 了 し 待機 す
臨 独 飛 作 命第 六号
臨時独立飛行隊命令
一、臨独飛作命第 五号 ニヨル帰 還人員 ハ都築操縦士 ノ指揮 ヲ以テ明 二十日午前九時 三十分商都出発徳化︱承徳 ヲ経テ奉 天 ニ帰還 スヘ シ
一月二十日
河 井 田義 匡
二、整備班 ハ午前 九時迄 ニ帰還飛行機 ノ飛行準備 ヲ完了 ス へシ 臨時独立飛行隊長
三、予 ハ午前九時 飛行場 ニアリ 下達法 口達 行動 詳報
一、整備班 は待機飛行機を午前 七時 三十分迄 に飛行準備完了 し帰
還 引継 ヲ要 ス ル モノ ハ三 月 上旬 迄 ニ完 了 ス へシ
臨時独立飛行隊長
河 井 田 義 匡
四 、 当隊 ノ編 成 ハ帰 還 ニ伴 ヒ逐 次現 在 編 成 人 員 中 ヨリ解 除 ス
下 達 法 口達
細 部 ニ関 スル指 示
一、 兵 器 器 材 類 ハ各機 種 ニ応 スル部 品 類 ヲ各 別 ニ梱 包 シ其 ノ内容 品
而 シテ将 来 蒙 古 軍 飛 行 隊 ニ交 付 セラ ル へキ機種 判 明 ニ ヨリ夫 ニ該
ノ品 目 員 数 表 ヲ明 記 シタ ル モノ ヲ添 付 シ之 ヲ特務 機 関 長 ニ返 還 引継 ス
当 ス ル部 品 類 ハ之 ヲ残 置 シ得 ル如 ク考 慮 ス ル コト
ニ於 テ張 北特 務 機 関 長 ニ引継 ス
二 、燃 料 ハ各 所 在 地 数 量 ヲ徳 化 特務 機 関 長 ニ引 継 ク コト爆 弾 ハ張 北
還飛行機 三機 を午前九時迄 に飛行準備完了す 二、午前九時 四十分都築操縦 士を編隊長 に二番機高橋操縦 士三番機
第 一次
二 月 下旬 (戦 闘 機 四機 並 ニ之 ニ応 ス ル人 員 器 材 )
二 月 中旬 (スー パ ー三 機 並 ニ之 ニ応 ス ル人員 器 材)
六、 徳 化 及 張 北 特務 機 関 長 ニ返 還 (引 継 ) ス へキ 日次 別 紙 ノ如 シ
五 、 空 中 輸送 ニ ヨ ル人 員 以 外 ハ北平 経 由 ノ汽 車 輪 送 ニ ヨ ル
同 様 特務 機関 ニ輸 送 ヲ依 托 ス ル モノ ト ス
四、 炊 具 雑品 等 ハ陸 行 者 出 発 当 日 之 ヲ取纒 メ梱 包 シ タ ル後 被 服 類 ト
部 之 ヲ梱 包 シ タ ル後 特 務 機関 ニ輸 送 ヲ依 托 ノ コト
三 、被 服 類 ハ帰 還 ニ従 ヒ逐 次 之 ヲ引 上 ケ第 三次 帰 還 者 ノ分 引 上 後 全
伊藤操縦士同時 に離陸帰還 の途 に就 けり
臨時独立飛行隊命令
臨独飛作命第九号 二月九日午後七時 於 張 北
第二次
三 月 上旬 (残 余 ノ人員 器材 及 飛 行 機 其 他 )
ヲ命 セラ ル
一、 臨時 独 立 飛行 隊 ハ三 月上 旬 迄 ニ左 記 区分 ニ ヨリ逐 次 奉 天 へ帰 還
第三次
帰 還 者 ハ奉 天 到 著 ノ 翌 日 ヲ以 テ編 成 ヲ解除 ス
二、 当隊 ハ別紙 計 画 ニ ヨリ逐 次 奉天 ニ帰 還 セ ント ス
三 、 整備 班 長 ハ交 付 ヲ受 ケタ ル兵器 、器 材 其 他 ヲ別 表 区 分 ニヨリ返
臨 時 区 分
帰還 順序
独
立
飛 行 隊
次
三
第
二
第
一 次
第
次
帰
還 輸
人 日
送
計
画
員
摘
次
乗
考
備
務
員
其 岩 藤 桜 吉 平 小
の 田 井 井 川 沢 野
博 静 武 清
他
中畑操縦士 梯 操縦士 宮崎操縦士 隊 長 織 田操縦 士 柿 崎 健 一郎 金丸操縦士 塚 本 清 太郎 石川機関士 奥 平 延 吉 高橋機関士 中間機関士 倭 機 関士
操 操 操 操 三 月 七 日 操 機 機 機 機
中畑操縦士 進士操縦士 安武操縦士 小林操縦士
操 操 二月 二 十 三 日 操 操
札本操縦士 水本操縦士 新具操縦士 西田機関士 藤 田機関士 寺崎機関士
操 操 操 二月 十 五 日 機 機 機
利
要
雄 太 雄 治 寿 市 中 畑 操 縦士 は張 北︱ 奉 天 間 の空中 輸 送 のみ と し 奉 天 到着 後 は速 に張 北 に帰 還す るも のとす
情 況 により 日 次若 干 変 更 す る こと あ る べ し
一、 本 表 外 の人 員 は 北平 経 由 鉄 道 翰送 に よ る 陸 行 者 の出 発 期 日 は 別命 す 二、 被 服 類 及其 の他 炊 具雑 品 等 は 北平 経 由 鉄 道 輸 送 によ る 三、 空 中 輸送 経 路 は張 北︱ 承 徳︱ 錦 州︱ 奉 天 間 と し途 中 給 油 左 の如 し
承 徳著 陸 (一泊 ) 給 油
第三次
承 徳︱ 錦 州 著 陸 給油
第二次
錦 州著 陸 給 油
第 一次
種 類
臨時独立飛行隊所属兵器返還及引継区分表 区
分
飛行機及同装備 用兵器 故 障 飛 行 機 々体
返 還 (引 継 )場 所
奉
在
地
受
領
部
隊
関東軍野戦兵器廠長 関東軍野戦航空廠長
徳 化特 務機 関長
商 都 、 徳 化 、張 北
飛行機及自動車 用燃料
関東軍野戦航空廠長
現
及 発動 機
所
天
張
爾余 の兵器器材 弾薬悉皆
北
張 北特務 機関 長
空
摘
中
輸
要
送
廃 品処 分 に附 し たる 器 材 は 徳 化特 務 機 関 長 に交 付 す
小 野寺 少 佐張 北︱ 奉 天 間 の 鉄 道輸 送 を処 理す
一、返 還 (引 継 ) 兵 器 器 材等 に は其 の品目 算 数 表 を添 付 し 受 授 を 明 にす る も の とす
備
考
二 、北 平 経 由 鉄 道 輸送 を 他 の経 路 に変 更 を要 す る場 合 にあ り ては 徳 化及 張 北 特 務機 関 長 並 に小 野寺 少佐 に於 て直 接協 定 し 適 宜 本表 中 の張 北 を 承 徳 又 は他 の 場 所 に変 更 す る こと を得
臨 時独 立 飛 行 隊 所 属 兵 器其 他 返 還 (引 継) 予 定 日 次表
種
類
区
分
化 料
張
器 器 材 薬 悉 皆
兵 弾
北 料
張
在 燃
商
在 燃
徳
在 燃
都 料
受
返還(引継)場所
張
被 服 類 其他 雑 品 等 備
徳
化
商
領
者
徳化特務機関長
都
張
徳化特務機関長 徳化特務機関長
北
張北特務機関長
北 北
張北特務機関長
日
摘
次
要
二 月 二 十 日
二 月 二 十 日 三
三
三
月
五
月
日
五
月
日
六
日
考
任
命
一二
令
蒙古軍総司令部任命令
件 令〓
爾
爾
底
底
総務字第37号
総司令徳穆楚克棟魯普
令〓
総務字第壱号
河 井 田隊 長 ( 蒙 古 名〓 爾 底 )任 命 書 ( 徳 王)
成吉思汗紀元七三二年 一月五日
〓任命〓爾底為航空中将 此令
訳 蒙古軍総司令部任命令
〓任命〓爾 底為航空司令此令 蒙古軍総司令徳穆楚棟魯普
三
西 安 事 変 後 の情 勢
一
安
事
支 那 特 報 第 一号
西
変
( 本 号 附 録 西 安 事 変 重要 日誌 は関 係 所 要 の向 に配 布す )
(昭和十二一月万 六日 軍令部)
西安事変重要日誌
三 、事 変 前 に於 け る西 安 方面 の情 勢
二 、事 件 の原 因
一、事 件 の概 要
賓 、蒋 方震 等 を拘 留 せ り、 本 事 件 勃 発 す る や蒋 介 石 の術 隊 は抵 抗 し
朱 紹 良 、蒋 鼎 文 、衛 立 焼 、 萬 耀 爆 、陳 継 承 、銭 大鈞 、 郡 力 子 、蒋 作
虎 城 部 下 軍 隊 を し て西 安 に あ る中 央 系要 人 を襲 は し め陳 調 元 、陳 誠 、
方 華 清 池 温 泉 にあ り し蒋 介 石 を襲 はし め 之 を逮 捕 監禁 す ると 共 に楊
昭 和 十 一年 十 二 月十 一日午 前 三 時 張學 良 は麾 下 軍 隊 をし て西 安東
一、事 件 の概 要
四 、国 民 政 府 の態 度 と 政府 部 内 の動 向
次
五 、国 民 政 府 の武 力 工 作
叛 軍 と銃 火 を 交 ゆ る に至 り 又楊 虎 城 部 は 土 匪 的部 隊 な る ため 掠 奪 を
目
六 、各 地将 領 の態 度
し衛 隊 は殆 んど戦 死 或 は負 傷 し、 残 り は捕 虜 と な り城 内 に在 り し其
行 ひ西 安 全 市 は無 秩 序 の状 態 に陥 れり 。 そ の際 蒋 介 石 の側 近 に在 り
の主 力 も悉 く 武 装 を 解除 せ ら れ 又邵 元 沖 外 二 名 は混 乱 中 に射 殺 せ ら
七 、妥 協 工作 と 英 米 の策 動
れ銭 大鈞 は負 傷 せり 尚 飛行 場 に在 りし 飛 行 機 二 ケ 中隊 二十 一機竝 十
八 、 張學 良 の軟 化
一〇 、国 民政 府 の善 後 処 理
九 、 蒋介 石 の生 還 と妥 協 条件
言
二 日南 京 よ り 飛来 せ し 六機 は共 に張 學 良 軍 の為 抑 留 せら れた るが如 一、 二結
録
而 し て張 學 良 は南 京政 府 に向 ひ左 記 八 ケ 条 の要 求通 電 を出 し 今 回
し。
一 一、帝 国 海軍 の処 置
附
来 る 不平 を昂 ぜ し め た る事
虎 城 部 ) 旧東 北 軍 、中 央 軍 の 三者 を以 てし 統 帥 上 の困 難 と之 より
(二) 蒋 介 石 が或 る 一単 位 の部 隊 を以 て共 軍 を 討伐 せず 西 北 軍 ( 楊
(一) 南 京 政 府 を改 組 し 各 党 各 派 を 容納 し共 同 し て救 国 の責 任 を負
の蹶 起 行動 を中 外 に宣 明 せ り
ふべし
張 學 良 に 対す る圧 力増 大 し遂 に は自 滅 に至 る べき を 予想 せ し こと
(三)綏 遠 問 題 が南 京側 に有 利 に進 む 形 勢 にあ り 斯 く て は蒋 介 石 の
一)切 の内 戦 を停 止 せ よ
(
(六) 人 民 の集 会 結 社 及 一切 の政治 自 由 を保障 せ よ
(五) 藍 衣 社 系 憲 兵隊 特 務 隊 等 を 入 れ て旧東 北 軍、 西 北 軍 (楊虎 城
見 ら れ た る こと
の兵 力 を 以 て張 學 良 軍 を 解決 し 独裁 権 を握 ら んと す る計 画 あ り と
に達 し蒋 介 石 は綏 遠 問 題 解決 後 日本 と関 係 を生 ず る翼 察 を避 け此
(四) 中央 軍 の河 南 、 山 西 、綏 遠 に移 動 せ ら れ あ るも の合 計 二十 万
(三) 直 に上 海 に於 て逮 捕 さ れ た る愛 国指 導 者 を釈 放 す ベし (四) 全 国 一切 の政治 犯 を釈 放 す べし
(七) 孫 総 理 の遺 嘱 を確 実 に実 行 せ よ
(五人 )民 愛 国 運 動 を解 放 せ よ
(八) 直 に救 国 国 民 大 会 を 開 け
部 )及 西 北 に於 け る 一般 行 政 に干 渉 せ し め た る のみ なら ず 蒋 介 石
(六) 中央 は邵 力 子 を陜 西 省政 府 主 席 と し て楊 虎 城 には西 安綏 靖 公
拠 は何 れ も張 の手 中 に握 ら れ た り し こと
は 藍 衣 社員 を し て張 學 良 を殺 害 せ ん とす る こと 三 回 に及 び其 の証
右 項 目 を検 討 す る に各 項 は抗 日 を 前提 とし (一 は︶ 共産 党 員 の参 加 (二)
も のと も観 ら るべ く右 要 求 に対 し 蒋 介 石 は十 二月 十 七 日 已 む な く全
署 主 任 と し て空 名 を与 え 極端 な る陜 西 の中 央 化 工作 を行 ひ し た め
は共 産 軍 討 伐 停 止︵七 は) 聯 俄 、容 共 、 工農 の三大 政 策 実 行 を意 味 す る
部 を 承 認 せ し も署 名 を 肯 ぜ ざ り し が宋 美 齢等 の西 安 に来 り 勧 告 す る
楊 虎 城 (陳 西派 ) と邵 力 子 (中 央 派 ) と の軋轢 激 化 せる こと
註
旧東 北 軍 一部 の赤 化 は 次 の諸 項 よ り推 理し て確 実 な ら ん
に は共 軍 と 内 通 せ る者 あり し こと
が煽 動 せし 形 跡 あ り 且剿 匪 に関 し 旧 東 北 軍 は 全然 戦 意 を 欠 き 一部
(七) 反 軍 は 人 民戦 線 派 或 は 第 三 ﹁イ ンター ﹂ と関 係 連 絡 あ り て之
に及 び遂 に署 名 せ る由 に て楊 虎 城 は中 央 が之 を実 行 せざ る場 合 には
二、 事 件 の原 因
公 表 す べし と て目 下 之 を 手 許 に保 管 中 なり と 云 ふ
今 次事 件 の原 因 を探究 す る に遠 因 及 直 接 の動 機 とし て次 の諸 項 を
因
挙 げ得べ し 遠
り政 治 訓 練 等 に当 り た る こと が赤 化 思 想 宣 伝 を促 進 せり
(イ) 東 北 大 学 出身 者 が近 年 他 に就 職 の途 な く多 数 旧東 北 軍 に入
に於 て巧 妙 な る作 戦 を以 て共 産 主 義 の宣 伝 を行 へり
(ロ) 共 軍 は剿 共 に従事 中 の旧 東 北 軍 に対 し あ ら ゆ る機 会 、 方 法
(一) 旧 東 北軍 は剿 匪 を理 由 に西 北 に追 ひ遣 ら れ而 か も剿 匪 に依 り
を受 け 且 軍費 、銃 器 、 弾 薬 の補 給極 め て少 く 坐 し て自 滅 を待 つ に
兵 力 減 損 し 之 が補 給 の為 め募 兵 せ ん とす れ ど も中 央 の阻 止、 妨 害
忍 びざ り し こと
方 勢 力 は 既 に大部 分中 央 派 に奪 はれ 、 加 ふ る に新 入 勢 力 旧東 北派
所 属 の将 領 を以 て旧 来 の地盤 固 守 に努 め あ れ ども 省 内 に於 け る地
(一)十 二月十二日蒋鼎文 の西北剿匪前敵 総司令 、衛立煌 の西北剿
直接 の動機
り あり 、 猶 表面 中 央 服 従 を装 へど も綏 靖 公署 内 の反 中 央 気勢 は相
あ り現 在 迄 に於 ては 地方 民 の好 意 あ る 外僅 か に綏靖一 公 薯 を守 り軍
当 濃 厚 にし て十 月 三十 一日蒋 介 石 五 十歳 記 念 に際 し ても 各 将領 連
警 督 察 処 に僅少 勢 力 を保 つと雖 、其 の勢 力 は衰 頽 傾 向 の 一路 を辿
(二)旧東北軍を綏遠 又は福建 に移駐せしむと の説伝 へられ旧東北
名 に て型 通 の祝 電 を発 せ し の み にし て祝 賀 会 ら し き も のも催 さず
こと 軍 の動揺 せること
匪総指揮 に任命 を以て旧東北軍将領は中央軍 の西北乗取と解せし
(三) 旧東北軍中就中楊虎城軍 は給料不渡り久しきに渉 り第︱ 一月中
鴻
蔚
馮欽
興
續式
虎
珂
仁
遠
俊
如
哉
中
甫
城
(軍 警督 察 処 長 )
( 〃
( 〃
第 二旅 長 )
(陜西 警 衛 旅 第 一旅 長 )
(第 三 十 八軍 長 )
(第 七 軍長 )
第 三旅 長 )
(綏靖 公 署参 謀 長 )
(綏靖 公 署参 議 )
(第 十 七路 総 指 揮 、 西 安綏 靖 主 任 )
主 要 人 物
らず 、 一枚 の標 語 も見 えざ りし 等 其 一端 を窺 知す る に足 る
各官庁均しく ︹ 擁 護蒋 公促 進 統 一︺等 の標 語 を貼 附 せ る にも拘 は
りしこと (中央 にては発送済 なるも途中行衛 不明 となれり)
央 に請 ひて百六十万元を受取 る事となり居りしに不拘之 を受領せ (四)蒋介石 は張學 良 に二個師団 の新編或は補 充竝に軍費 の補助を
張
友
とに対し學良は蒋 に含 むと ころありた ること
孫
英 夫 、荊 憲 生 等 中 堅 と な り全 省 の中 央 化 を 著 々進 捗 せ し め つつあ
治 訓練 処 、全 省 保 安 処 及 中央 憲 兵 第 一団 等 の機 関 密接 に連 絡 し郭
席邵 力 子 を首 領 と し省 党 部 を中 心 に省 政 府 、 軍警 督 察 処 、 西 北政
西 北 の完全 な る中 央 化 を実 現 せ ん と企 図 す るも の にし て、 省 主
(ロ) 中 央 派 (蒋 介 石系 )
王
西 安に於 ける党派 は陜西派、中央派、旧東北派 に三大別され、相
三、事 変前 に於 ける西安方面 の情勢
的に更 に何等 かの要求 に出づ るものと解し學 良を痛罵厳戒 せるこ
紛争 を起 せり、蒋介石 は之 を目し て學良が学 生運動 を利用し示威
楊
孫
一味 は蒋介石 に章 乃器等 六名 の釈放及抗日を請願 に赴 かんとし て
(一)陜甘共産軍 の状況及剿匪軍 の配備 に就 ては昭和十 一年支那特報
謝
許 せしに拘 はらず 十二月十 日学生等を中心とする人民戦線運動 の
第十五号及第十九号 の通なり
李
(二)西安 に於け る党派別
(イ)陜西派 (楊虎城系)
互鼎 立して、相当激甚な る暗闘 をなし居 たり 陜西 の旧来勢力 を基礎とし、之 を固守 せんとするも のにして、
りたり猶地方民衆 の中央化運動 に対しては軍事委員会別働 隊各地 に転駐 し、各縣縣党部 と協力、保甲、壮丁 の訓育 に任ぜり
劉
第百五師長
四、国 民政府 の態度と政府部内 の動向
多〓
英
邵力 生
夫
子
( 西 北政治訓練処長)
( 省党部書記長)
( 省党部特派員)
( 省政府主席)
策 し彼 の顧問 ﹁ド ナルド﹂等 を西安 に派遣 し學良と折衝 せしむ るに
委員会 の臨時聯席会議を召集 し左記事項 を決議し且蒋介石 の救出 を
午後十 一時蒋介石監禁 の確報 に接す るや急遽中央常務、中央政治両
大 いに狼狽し直ち に偵察 飛行隊 をし て西安 に到り実情 を確 むる 一方
国民政府は十二日午後 三時 に至り始 めて西安兵変 の報 に接す るや
郭 憲 ( 全省保安処長)
主 要 人物
割 情
臨時会議決議事項
生
坤 ( 憲 兵第 一団長兼軍警督察 処副処長)
曾擴 張 鎮
亜
決 せり
楊
割之 に属し、部内 の中央派 (三割 )と対立反目し つつありたり最
のにし て、西北剃匪副司令 張學良 を擁立し総部 ︵ 総 司令部) の七
(五)張學良 の本兼職を褫奪 し軍事委員会 をして厳重査弁せしめ其
(四)軍隊 の指揮移動 に関しては軍政部長何應欽責を負 ひ弁理す
(三)軍事委員会議は副馮委員長及常務委員責 を負 ひ弁 理す
祥 、李烈鈞、朱培徳 、唐生智、陳紹寛 を右委員とす
(一)行政院 は孔祥煕副院長、院長 の職務 を負責執行す
近張學良は表面絶対中央擁護 を唱 へあるも、内心 の反蒋気分 は相
の軍隊 は同委員会 の直接指揮 に帰 せしむ
(八旧) 東北派 (張學良系)
当濃厚なるも のありしと見られ、そ の好例とし て、十月二十二日
更 に国 民政府 は十 二日附左 の如き国 民政府命令 を発布せり
(二)軍事委員会は常務委員 五名を七名に改 め何應欽、程潜、馮 玉
西安 に飛来 せる蒋介石が宿 を城外 にとり、 一度 も剿匪総司令部を
旧東北勢力 を以 て新しく陝甘に確固た る地盤を築 かんとす るも
訪れざりしは張派 の暗殺を恐れたる為なりと云はる
の外侮緊急 を告げ剿匪将 に終 らんとする際統率 の地位 を奪はんと
張學 良十 二日通電 を発し叛 乱せる報 に接 し真 に痛恨 に堪 へず 此
し て妄 に主張 を為す剿匪 の重責 に任 ぜる身 を以 て行ひ匪冠と同じ
主 要 人物 甘粛 省政府王席兼第五十二軍長
西 北剿匪副司令
軍人 にして長官を冒犯せるは違法蕩紀 に属す依 て先づ其 の本兼 名
良
職を褫奪 し軍事委員会をして厳重査弁 せしめ其 の軍隊 は同委員 会
忠
第 六十七軍長
于學
騎 兵軍長
の直接 指揮に帰 せしむ
張 學
國
西北剿匪 総司令部参謀長 兼第五十 七軍長
然 るに元来国民政府 は各 々異り たる主義 を奉ず る数派 の宵合世帯
以 哲
何 柱
斌
第百六師長
王 董英
克
沈
の亡失は必然 的 に各派 の対立確執を発 生す べきは当然 にし て事 件勃
じ之 に適する派閥 を活動 せしめ来れるを以て本次事件 に因る蒋介石
にし て最高権 威者 たる蒋介石之を統轄運用 し其 の時機其 の相手 に応
の 三箇 師 を潼 關 附 近 に 又劉 峙 の三 箇 師 を第 二線 とし て洛陽 附 近 に前
総 隊 歩 兵 一団及 砲 兵 一営 を西 安 に向 け進 発 せ し む る と共 に洛陽 駐 防
ち に中 央 軍 に行 動 開 始 を命 じ其 の最精 鋭 部 隊 た る南 京 軍官 学 校 教 導
べ く 決 定 し た る 以 上軍 事 委 員 会 は 特 に討 伐 令 の発 布 を要 せず とし 直
安 北 方 及 西 北 に に集結 中 な り しも の の如 く西 安 附 近 に は事 変 当時 其
之 に対 し て張 學 良軍 は 九 日頃 より 全 く剿 匪 を中 止 し其 の主 力 は西
進 せ しめ 且 飛行 隊 若 干 を洛 陽 に移 動 せ し め た り
発後現れし派別は概 ね次 の三者と観るを得 べし 一、何應欽派⋮⋮ 程潜 、陳調元 を交 へ概ね保定軍官学校出身者よ 二、馮玉祥派⋮⋮于右任 、孫科等を交 へ立法院 の大部之 に属し陳
一部 (歩 兵 一団 砲 数 十門 ) は事 変 直 後潼 關附 近 を占 領 し中 央 軍 の前
の第 百 五 師 及 別 に楊 虎 城 軍 の 二、 三 団 あ り し に過 ぎ ず 學 良 軍 の他 の
り成 る 果夫、陳立夫を主班 とす るC ・C閥も亦之 に抱
其 の後 南 京 政 府 は愈 々學 良 討 伐 に決 し 十 六 日 之 が討 伐 令 を発布 し
は俘 虜 と な りた り と 伝 へら る
進 を阻 止 せ んと し た る も 十 三 日夜 萬 耀煌 軍 の為 撃 破 せ られ其 の大部
擁 せらる 三、宋子文派⋮⋮孔祥煕 も之 に交り概ね黄埔 軍官学校出身蒋介石 直系藍 衣社 の大部分之 に属 す 政学会系 は概し て三分し張群等 は何應欽派 に、李烈均等 は馮玉祥祥
軍 隊 を動 員 し何應 欽 を討 逆軍 総 司 令 に任 命 す ると共 に南 京 、 鎮 江 、
蕪 湖 に戒 厳 令 を布 き 次 で翌十 七 日 に は劉 峙 を 討 逆軍 東 路 集 団 軍総 司
討 逆 軍 東 路 集 団 軍 総 司令 た る劉 峙 の麾 下 軍 隊 は潼 關 よ り更 に西 進
右 三派 は各 々此 の機会を利用 し政権慾 を充さんとして活躍 し何慮
派 に亦廣西派は宋子文派 に合流 せり
し 華縣 を占 拠 せし も 誤 て友軍 飛行 隊 よ り爆 撃 を受 け し為 、 一時 同 地
令 に顧 祝 同 を同 西 路 集 団 軍総 司 令 に任 命 せ り 而 し て其 の企 図 は先 づ
観 るに孔祥煕、何應欽 の権力を著 しく認 められ特 に何應欽派 の勝利
を放 棄 せ り何應 欽 は十 八 日帰 京 せ る蒋 鼎 文 よ り 十 七 日附蒋 介 石 の親
學 良 軍 を完 全 に包 囲 せ る 後解 決 の途 を講 ぜ ん と す る にあり た り
を意味す るが如きも必ず しも然 らず寧 ろ国民政府当然 の責任上 又激
欽派 は断乎討伐 を主張し馮玉祥派 は合作 を望 み宋子文 派は蒋介石 の
昂 せる与論 に対す る政府として の面子保持上已むを得ず採 りし申訳
書 と 称す る ﹃渭南 爆 撃 を 中 止 す べく 予 は十 九 日 迄 に帰京 の筈 ﹄ と の
救出 を叫 び互 に暗闘を行 へり。而 して前記 の決議及国 民政府命令 を
的処置 とも観 るを得 ベく之が証左として馮玉祥派は討伐 に絶 対に反
書 面 を受 領 せし を以 て十 九 日迄 攻 撃 行 動 を 中 止 す る に決 せ り
行動は 一時中止し地上部隊 の前進 のみは依然続行す るに決 し之 が命
日 よ り断 乎 討 伐 を 再 開 せ ん と せ し が 一部 の反 対 を受 け 已む なく 爆 撃
然 る に十 九 日夜 に至 るも蒋 介 石 帰 京 せざ り し を 以 て何應 欽 は二 十
対し聯蘇策動 を行 へり又宋子文 は十九 日政府部内 の反 対を排 し単身 西安 に飛 び二十 日張學良と直接会 見し其 の意向 を敲けり 五、国昆政府 の武力 工作 国 民政府臨時聯席会議 の決議 の如く中央 に於 て學良 を厳罰 に処す
令 を 下 し東 路 軍 の先頭 は 再 び華 州 を奪 取 し 二 十 二 日 には赤 水 を占 領
尚 十四日梧州 より桂林 に向ひし廣西派 の元老李濟〓は十八日国
(3) 全 国 一致 抗 日 せ よ
議した る結果冀察政権 とし ては今後 一層保境安民 を趣旨 とし防 共
宋 哲元は十三日夜各地麾下将領 に集合 を命 じ十 四日南苑 にて合
察
後 述 妥協 運動 の進展 に件 ひ活溌 な る軍 事 行 動 の必 要 無 く妥 協 解 決 後
政策を徹底 し日支提携 を図 るべきを決議 したるが如く萬福麟亦冀
(三)翼
家救 亡 の際時局 を顧 み討伐令 の撤 回を望 む旨通電を発せり
し 更 に渭南 に向 ひ前 進 を 開 始 せ り 次 で中 央 は 二十 七 日 の常務 及 政治 委 員 聯 席 会 議 に於 て討 逆 の励 行
は東 北 軍 は西 方 に中 央 軍 は東 方 に各 一千粁 宛 後 退 し て中 間 には馮 欽
察政権 に対する従来 の態度 に変化なきが如し更 に二十三 日には宋
を 決 議 せ し も隴 海 線 は學 良 の為 破壊 せ ら れ零 口以 西 列 車 通 ぜず 一面
哉 (楊虎 城 の部 下 な れ ど叛 乱 行 動 を共 にせず 中 央 支 持 の態 度 を 執
哲元 は山東 の韓復榘 と連名 にて ﹁内戦反対﹂ の通電 を発 し国民政
る) の部 隊 駐屯 す る事 と なれ り
府部内 の武力討伐 を主張 する強硬派 に反対せり
本 事 変 に於 て南 京 側 の武 力 解 決 の為使 用 せ し兵 力 は従 来 よ り の陝 、
(四)山
努めたり。 東
協工作 を劃策す る等、今後 の政 局 に対 し有利 なる位置を占めんと
関し協商 し或 は山西派要 人趙戴文 、徐永昌等 を學良 の下 に派 し妥
を命ず ると共 に王樹常等 旧東北系要人 の太原 に入 るや之と調停 に
北部及綏遠方面 に派遺せ る軍隊 の主力 を太原以南旧駐防地 に復帰
閻錫山 は十三日中央支持 を表明す ると共 に綏東事件 に由 り山西
西
め ん とし 二十 一日頃 に於 て は陜 、 甘 省 内 十 二師 、十 二万 五 千 、山 西
甘 、 晋 地 方 及隴 海 、平 漢 沿 線 駐 屯 軍 の外遠 く は駐粤 軍 を も 北 上 せ し
省 内 五 師 五 万 二 千 、隴 海 、平 漢 沿 線 三 十 一師 三十 万、 合 計 四 十 八師
東
六 、各 地将 領 の態 度
約 四十 三 万 の多 き に達 せ り
(一) 廣
(五)山
余 漢 謀 及 黄 慕 松 は 十 三 日逸 早 く 連 名 に て中央 宛 中 央 擁 護 、 地 方
観察 せ ら れた り
治 安 維 持 の通 電 を 発 せ る も余 漢 謀 の真 意 は 形勢 観 望 に在 る も のと
(イ)韓復榘 は十 二月十三日中央擁護 の通電 を発し大体翼察 の宋
に対しては保境安 民を標榜すそ の後 二十三日宋哲元 と連名 にて
哲元と態度 を 一にし反共主義 に立脚 し日本 と の親善 を計り時局
西
本 次 事 件 は李 宗 仁 、 白崇 禧 と も連 絡 あ り と の疑 あ り し を以 て何
(二) 廣
應 欽 は 十 三 日両 者 に向 ひ意 見 を徴 し た ると ころ 十 五 日次 の通 電 を
央及西安 に対し不即不離 の態度 を持続せり
﹁内戦反対﹂ を通電 し何應欽等強硬派 の政策 に反対 を表明、中
(1)南京 、西安両軍は軍事行動 を停 止し政治的解決を行ふベし
(ロ)青島市長沈鴻烈 は張家 二代 の恩顧 ある関係上苦 しき立場 に
発 し そ の態 度 を表 明 し 何應 欽 一派 の武 力 討 伐 解 決 に反 対 せ り
(2)陳西 を攻 むる中央軍 は綏遠 を援助 に赴 け
護 の通電 を発す ると共 に張學良 に対し己 の苦衷 を述 べ今次學良
あり十三 日謝剛 哲以下第 三艦隊所属 の各艦長 と連名 にて中央擁
は 英国 の裏 面 的 猛 策 動 を 雄 弁 に実 証 す るも のと 謂 ふ ベ し。
し のみ なら ず 上 海 に於 け る 公債 の暴 落 が須叟 にし て恢 復 せ るが 如 き
る と ころあ り た り。 之 が為 め支 那 財 界 は 終 始 大 な る動 揺 を見 せざ り
は ﹁ドナ ルド﹂をし て十四日西安 に赴き状況偵知 に努 めしめ或 は正
派 をして時局 を平和的 に収拾 せしめんことを謀 り之と諒 解の下 に或
策動 し財政、金融 の混乱防 止には全幅 の努力を惜まず特 に宋子文 一
就中英国は事 件発生と共 に之 が迅速な る解決を希 望し躍起となり て
浙江財閥 の支持者たる英米 の暗躍 ありしは観過し得ざ る事象 にし て
を呈す るに至 れり此 の如く妥協 工作は逐次進展 せしが其 の背後 には
しむ る等武力 工作 の渋滞 に反し此等 一派 に依る妥協 工作 は漸次活況
常、王樹翰等 と共 に太原 に派遣し閻錫山と合商 し調停 に関し斡旋せ
る莫徳惠を十五日南京 に招致し妥協条件策定 に尽せし めたる後王樹
を件び再び西 安 に飛行 し所要 の折衝 を行 ひ 一方孔祥煕等は北平 に在
一先づ南京 に引き返 し孔祥煕等と協 議 の後更 に二十 二日宋美齢 夫人
を 派遣 し其 の諒 解 を求 む る等 世 人 を し て逐 次 共 の真意 那 辺 に在 る か
ナ ルド﹂、宋 子 文 等 と会 見 し而 も閻 錫 山 、 宋 哲 元 、 韓復 築 等 に 代 表
し所 謂 蒋 介 石 の親 書 を 携 帯南 京 に帰 還 せ しめ 又 南 京 よ り来 れ る ﹁ド
政府 側 と折 衝 せし めし が 十 七 日 に は更 に従 来 監 禁 中 の蒋鼎 文 を釈放
た る為 か十 六 日 自 己 の顧 問米 人 ﹁ジ ミ ー エルダ ー﹂ を南 京 に派遣 し
以 上 の如 く 張 學 良 は悉 く 己 の期 待 に反 し 自 己 の失 敗 な りし を 認 め
は之 に反 せ る こと
(四)蒋の監 禁 に因 り中 央 政 府 は当 然 崩 壊 す べ し と判 断 せ し に事 実
全 国 の与 論 は擁 護蒋 介 石 打 倒 張 學 良 な り し こと
答 なく 各 将 領 共中 央 支 持 にし て何 れ も學 良 反 対 を通 電 し 加 ふ る に
(三) 各 方 面 に対 す る蹶 起 の通電 に対 し て は全 然 張 學 良 に同 意 の回
を横 領 せ し に因 り誤 解 な りし こと
(二) 軍費 の支給 乏 し き も のと 判 断 せ し は部 下 の会 計 不 正 にし て之
の結 果 は 必 し も然 らざ り し こと
(一) 蒋 鼎 文 の前 敵 総 司 令 就 任 は麾 下 軍 隊 の破 滅 と 思 惟 せ し に調 査
原 因 と 考察 し得 ベ し
彼 の軟 化 に至 り し経 緯 は種 々憶測 さ る れど も次 の諸項 は其 の主要
に不 利 と な る に従 ひ逐 次 軟 化 の傾 向 を示 す に至 れり
乾 坤 一擲時 局 の中 心 に登場 せ し張 學 良 の態 度 も四 囲 の形 勢 漸 次 己
八、 張 學 良 の軟 化
の行動 は国 を誤 るも のなり速 に悔悟 し中央 の統制 に復 せられん の 他
ことを電請 せり (六)其 四川 の劉湘、湖南 の何鍵等 は蒋介石 より悉く圧迫 せられ其 の地 も のなれど、今次學良 の行動 に対しては均しく皆中央擁護 を表明
盤 は奪 はれ軍隊 は取り上げられ日頃 より中央 に対して快からざ る して學良 の態度 を難ぜり 七、妥協 工作 と英米 の策動
式 に大使 より孔祥煕 に働き かくる等巧 み に南京、西安方面 に於 て平
を 解 す る に苦 しま しむ る に至 れ り
二十日張學良 と直接会見し其 の意嚮 を敲 きたる宋子文は二十 一日
和斡旋 に乗出 し又米、仏、伊等 を誘 ひて張學良外遊問題に迄言及す
九 、蒋 介 石 の生 還 と妥 協 条 件 張 學 良 の態 度 漸 次 変 化 す るや 二 十 五 日俄 然 蒋 介 石 を 釈放 し事 変 に
斯 く て蒋 介 石 は同 日宋 美 齢 夫 人 と 共 に洛 陽 着 、 翌 二十 六 日南 京 に
絶 大 な る注意 を払 ひ あ りし 世 人 を し て唖 然 たら し めた り
帰 還 し陳 誠 、 蒋 作 賓 、銭 大鈞 等 の被 監 禁 軍 政要 人十 七 名 亦 二十 七 日
一〇、国民政府 の善後処理
蒋介 石生還 の報 一度伝は るや全国 民は歓喜し各所 に祝賀会 を開き
六日南京、鎮 江、蕪湖 の戒厳を解除し且討逆軍事 を停止し同総司令
今更 の如く支那人間 に於け る蒋の人気 を裏書 せし が国民政府亦 二十
こと は 固 よ り な る が然 も 国 民 政府 は頻 に大 義 を 以 て學 良 説 得 に努 め
せしを以て蒋 は休養 の為 一月二日寧波 に飛び次 で郷里奉化 に帰 れり、
留任 を決議し 且蒋 の健康 を害 せるを理由とし約 一箇月 の休暇 を附与
二回に亙り公職 の辞意 を表明 せしも行政院竝常務委員会 は其 の都度
蒋介石は本次事件 は全く自己 の貴任なりとし二十九日及三十日 の
部 を撤消 せり
そ の効 を奏 し そ の間 何 等 の妥 協 な し と公 称 しあ る が蒋 介 石 とし て は
南京 に到 着 せり蒋 介 石 の釈放 は宋 子 文 の斡 旋 に与 て大 いに力 あ り し
西 安 脱 出 の為 仮 令 一時 的 便 法 な り と雖 も少 く も抗 日 等 の要 求 を容 れ
尚二十九日 の常務委員会は三中全会 を二月十五日に開催 する旨議決
身亦二十六日南京 に飛 び宋子文別邸 に入 り自ら軍事委員会 に対 し自
せり 一方張學良 は蒋介石を釈放す ると共 に如何なる理由 に依 るか自
己 の処分を乞 ひしを以 て軍事委員会 は三十 一日有期徒刑十ケ年 公権
學 良 側 に屈 服 の態 度 を示 し たる べ き は想 察 す る に難 か ら ざ る と ころ
後 日 に於 け る蒋 介 石 の學 良 に対 す る特 赦 の要 求竝 に旧東 北 軍 側 の
剥奪五ケ年 の判決 を為した るが蒋介石 は之 に対 し特赦を要求 せしに
なり 。
蒋 介 石 に対 す る約 束 不履 行 に関 す る問責 等 は之 が事 実 を 裏書 す る も
又国民政府は五日 の行政院会議 に於 て顧祝同 を西安行営主任 に、
るに決せり
因り更 に 一月四日十年間 の徒刑を赦免 し厳 に軍事委員会 にて監督す
のと謂 ふを 得 べし 。 然 れ ど も妥 協 条 件 に至 り て は諸 説 紛 々と し て捕 捉 し 難 く 何 人 も窺
(一)蒋介石 の釈放 と張學良 の安全保障
知し得ざるも
に楊虎城 の西安綏靖主任竝 に于學忠 の甘粛省政府主席兼第五十 一軍
長 の留任 を決議し且新 に軍 の駐防 地を規定し尚西安 に軍事分局を設
孫蔚如 を狹西省政府 主席 に、王樹常を駐甘綏靖主任 に任命す ると共
置 し軍費 は各軍 の実数 に応 じ発給す る如く定め茲 に 一応 の事件後始
(二)国民政府 の改組 (四)中央政府 は共産軍 の討伐 を中止 し之 が勢力を綏遠 、熱河方面
末 に対す る中央 の表面的処理は概 ね 一段落を告げたり
(三)蒋介石 の抗 日容認 に指向せしむ
第 三艦隊 は事件発生以来各警備 地に在 りて警戒を厳 にし突発事故
一一、帝国海 軍 の処置
(五)學良以下事件関係者 の罪を問 はず之 が討伐を中止す (六)旧東北軍 の給養 を向上す 等 の条件を以 て妥協 せるものと観測する向き多し
漢 口着 漢 口陸 戦 隊 を
に備 へっ っあ る処 漢 口、 廣 東 、 上 海 方面 は 一層 警 戒 の要 あ る を認 め 差 当 り 左 の通 手配 せ ら れ たり ︹ 谷本馬太郎少将︺ 第 十 一戦 隊 司 令 官 は急 速 遡 江 二 十 二 日 (
三 百 名 に増強 せ り之 が為 め 上 海 海軍 特 別陸 戦 隊 よ り 約 百名 を増 派 し 楡 、柿 に乗 艦 、十 二月 十 九 日 上海 発 二十 日大 通附 近 に て比 良 、
の 二艦 を汕 頭 に配 し 廣 東 の情 勢 に応 ず る如 く 待機 せ り
鳥 羽 に転 乗 二十 三 日 漢 口 に到 着 す ︹ 大熊政吉少将︺ (イ) 第 五水 雷 戦 隊 司 令 官 は急 速 南 下 し十 八 日 福 州着 第 五水 雷 戦 隊
言
に 対し 一層 警 戒 を 厳 にせ り
(ハ) 上 海 に於 ては 特 別陸 戦 隊 の巡 羅 兵 力 、 回 数 を増 加 し 突 発 事故
一 二 、結
今 次 の西 安 事 件 は蒋介 石 の南 京 生還 に より 表 面的 に解 決 を告 ぐ る に至 り し が巷 間 に流 布 さ れ っ っあ る蒋 張 間 の妥協 条 件 を続 り て来 る
に於 て部 内 の各 派 の抗争 暗 闘 あ る は必 至 にし て、 又 近 く帰 国 の噂 あ
二 月 十 五 日開 か る べき 三 中 全会 に際 し国 民 政 府 の対内 外 政 策 の決定
る注 兆銘 の中 央 政 局 に対 す る登 場 は 一層 各 派 の動 向 に関 し 微 妙 な る 役 割 を演 ず べし 差 当 り 明 日 の問 題 は五 日 行 政 院 会議 に決 定 せ る西 北 善 後 処 理 に対 す る叛 軍 の態 度 と叛 乱 に関 係 あ り と目 せら る る甘陜 地 方 の共 軍 の動 向 な ら ん 。 一度 叛 軍 が共 軍 と合 作 せ ん か北 支 、 内 蒙 に 密 接 な る関 係 を 有 す る帝 国 に は 一大 脅 威 と な る ベく 帝 国 と し ては至 大 の関 心 を以 て情 勢 の推 移 を監 視 せざ る可 か らず 尚 之 を 契 機 と し て英国 が益 々深 刻 に支 那 の経 済 界 に喰 ひ入 り 今後 支 那 の大 勢 は必 然 的 に欧 米 依 存 特 に親 英 政策 に拍 車 す ベき こと は想 像 に難 からず
二
支 那 特 報第 一号附 録
西 安 事 変 重 要 日誌
一張學良西安 に於 て背叛 し蒋介石 を監禁 し中央
西安事変重要 日誌 二︱一二
に対 し 八 ケ条 の要 求 通電 を発 す
二 一国 民政府は二三三〇中央常務及政治委 員会 の 聯席会議 を開催し左記諸項 を決議す ると共 に 張學良今次 の行動 を難 じ學良 の本兼職を免 じ そ の軍隊 は軍事委員会 をして直接指揮す る旨 の命令を発表せり (一)行政院 は孔祥 煕貴 を負 ひて院長 の職務 を 執行す (二)電事 委員会常務委員 を五名より七名 に増 加し何應飲、程潜 、馮玉祥、李烈鈞、朱培 徳、唐生智 、陳紹寛 を常務委員とす (三)軍事委員会議 は馮副委員長及常務委員責 を負ひ弁 理す (四)軍隊 の指揮移動 に関 しては軍政部長何應 欽責を負 ひ弁理す (五)張學良 の本兼職 を褫奪し軍事委員 会をし
一二
︱ 一三
軍 令 部)
時 に西 安 に於 ては陳 調 元 、陳 誠 、 朱 紹 良 、 蒋
て厳重査弁せしめ其 の軍隊 は同委員会 の直 接指揮 に帰せ しむ 蒋介石華清池 にて張 學良 に逮捕 せら るると同
(昭和 十 二年 一月 六 日
三
鼎 文 、 衛 立〓 、 萬 耀〓 、陳 継 承、 銭 大鈞 、 郡
ら れ兵 変 の混 乱 中 に邵 元 沖 外 二名 は射 殺 せら
力 子、 蒋 作 賓 、 蒋 方震 等 の中 央 要 人 は監 禁 せ
れ銭 大鈞 は負 傷 せり
府 主席黄 慕松連名 に て中央擁護地方
廣 州綏靖主任兼第四路軍総 司令余漢謀、省政
民 を語 る
一一 閻 錫山中央支持表明 二 翼察首脳部宋哲元邸 に会合 、宋 は反共保境安
三
治安 持 、外 国 居 留 民 保 護 の通 電 を 発 す
四 一武漢警備司令部戒厳令 を布告す 五 廣東共産党市内某所 に会合協議 の結 果廣西当
( 反蒋 派 の仮 面 を被 る) を 即 日飛 行 機 に て廣
局 と西 安 事 件 に対 す る合作 協 議 の為 代 表 四名
一
一二
一四
西 に派遣 せり 六 韓復桀代表洛陽 に到着、劉峙、商震 と協議す 七隴 海線滝關以西 は不通となる 八 中央軍黄杰部歩兵四 ケ団鄭州着、尚劉峙 の歩 砲兵は潼關 に黄杰軍歩 兵は洛陽 に進出す 九 航空委員 会は空軍第六隊第 二十隊 の洛陽 に急 速移動 を命 じ空軍第三十 一隊 は杭州より洛陽 移駐 の命 を受く 一 何應欽 は張學良及楊虎城 に対し全軍は兄等 の 通電 を深く憤激し又兄等 が蒋介石及銭大鈞等 を殺害 せるやを疑ひ軍 を西 に移さんことを主 張 し速 に蒋委員 長を南 に護送し天下 に他意な きを示す様要求する旨 を発電 す 二 英国 は西安事変 に依 り非常 に心痛 し宋子文に 対し英国 は絶対 に中央金融経済 の崩壊 せざる 様支持す るに付平和的 に時局収拾を計られ度 と申し入れ南京 、西安方面 に対し平和斡旋 に 乗出 せり 三 張學良、楊虎城連名 を以 て傅作義 に対し蒋介 石監禁 の理由 ( 抗 日戦争を主張 し救国会領袖 の逮捕等を責む) を報じ協力 を求む 四 孔祥煕全国 に通電 を発し官民 の愛国心発露 一 致協力を要望す 五 宋哲元學 良軍討主張を中央 に打電す 六 四川省政府 主席劉湘山東省政府主席韓復榘中 央擁護を通電す 青島市長沈鴻烈 は謝剛哲以下第 三艦隊所属 の 七
一二︱
六
各艦長と連名 にて中央擁護 の通電 を発す 八 英人顧問 ﹁ドナ ルド﹂張學良と会 見のため飛 行機 にて南京より西安着 九 中央軍は潼關を奪取 し十五日朝渭南 に進出し 學 良軍に対し攻勢 の体勢 を執る 一〇淞滬 警備司令部 は戒厳令を布告 し 一般集会示 威罷業 を禁止す
一 国 民政府外交部 は ﹁蒋介石西安 にて健在 ﹂と
の最初 の公式発表 をなす 二 ﹁ 蒋介石擁護張學良打倒 ﹂の全支新聞界時局 協同宣言なるも の発表せられ上海各界 ﹁ 蒋救 出、學良討伐﹂ を要求する旨通電す 三 国民政府 は張學良討伐令 を発布し何應欽 を討 逆総司令 に任命 せり 四 軍事委員会 は南京、鎮 江、蕪湖 に戒厳を施行 す る旨を宣布す 依 つて南京警備司令部は戒厳を宣布し戒厳法 第十二条 の規程 により左記各項を執行す る旨 布告せり (一) 一切の集会結 社或 は遊行を禁 止す (二) 軍状 を漏洩し或 は治安 を妨害 する新聞、 雑誌、図書、標語等 の記事を取締 る (三)凡そ京内 に出 入す る船舶車輌航空機及郵 便電信等 は情況 に依 り之 を検 査或 は没収す る事 を得 (四凡)そ私有銃砲弾薬兵器火具 及其 の他危険 物は必要 に応じ差押或 は没収する事 を得
一二︱ 一七
一二︱ 一八
(五)旅館 、家宅、船舶及共 の他建築物 は情況 に依り検査 を施行す る事 を得 (六)右 の外軍事及治安 に関係 ある 一切 の事項 を取締 る 五 宋哲元は冀察各機関 に緊急治安命令を発す 六 国民政府命令 を以 て于右任を西北軍民宣慰使 に任命す 七廣 西 の李宗仁、白崇禧 は左記要旨 の通電 を発 し其 の態度を明 にせり 一、南京西安両軍 は軍事行動 を停止し政治 的 解決を行ふべし 二、陜西を攻むる中央軍 は綏遠 を援助 に赴け 三、全国 一致抗日せよ 一 国民政府 は劉峙を討逆軍東路集団軍総司令、 顧祝同 を討逆軍西路集 団軍総司令に任命す 二 何應欽、劉峙、顧祝同連名 にて就職通電を発 す 三蒋鼎 文 は張學良より自由 を回復せられ蒋介石 の親書 を携行し洛陽 に到着 四 張學良蒋介石 に対し要 求条件八ケ条 の容認 を 迫り蒋は已むなく全部を承認 せしが署名 を肯 ぜず 五 宋子文 上海 より南京 に入る 六于 右任南京発汽車 にて潼關方面 に向ふ 一 李濟深 ( 廣西派 の元老十四日梧州より桂林 に 向 ふ)は国家救亡 の際時局を顧 み討伐令 の撤 回を望むとの通電を発す
一二︱ 一九
一二︱ 二〇
一二︱ 一二
一二二 ︱二
二 三 四
蒋鼎文飛行機 にて洛陽 より南京着中央要人 に 蒋介石 の状況を報告し蒋 の親書を伝達す 北平 の国立北京大学 の時局問題学生大会意見 一致 せず大混乱 に陥る 徳王停戦通電 を発す
一 廣東 の中央空軍中第五、第 七隊 は漢口方面 に 北上す 二 国民政府張學良 に蒋介石 の自由恢復要求 を打 電す 何應欽取敢ず夕刻 まで停戦命令 を前線 に発す 宋子文は飛行機 にて西安 に向ひ南京発洛陽 に 到着 三 四
一 宋 子文西安着、張學良 と折衝を開始す 二 黄紹雄、王樹常、莫徳恵、王 樹翰開封 にて劉 峙 と会見 し鄭州 に赴 き更 に平漢線 にて石家荘 に赴 く (蒋介石救出 の目的 を以 て太原 に赴き 閻錫山と会見 のため) 北京大学再 び学生大会 を開 き共産派と中央擁 護派激論す 三
一 ﹁ドナ ルド﹂西安より南京帰着 二 宋子文西安 より南京 に帰還、中央要人 に報告 協議 黄紹雄 の 一行太原着、閻錫山等山西首脳部 と 協議す 三
一 宋子文、宋美齢夫人、﹁ドナ ルド﹂を同伴して 飛行機 にて西安 に赴く 二 學良軍漸次後退 し中央軍赤水を占拠す
一二︱ 二 三
三 太原 を舞台 に妥協 工作進捗、中央東 北 の要人 続 々集 る 一 宋哲元、韓復榘連名 にて ﹁ 内戦反対﹂ の通電 を発す 張學良外遊問題 に関し伊大使 は孔祥煕と会 見 申入をなす孔副院長は単 に謝意 のみを表す
一二二 ︱四
一 上海市政府は宋哲元、韓復榘連名 の内戦反対 の通電を受け取 りし が上海市党部 の主催、中 央擁護討逆大会開催 せら るる に鑑 み之 が発表 を禁止す 二 西北宜慰使于右 任潼 關 に て ﹁ 西 北、東 北将 士 、人民 に告 ぐる書﹂ を発表 三 張学良 外遊 に関 し英、米、仏 大使 は夫 々各別 に孔祥煕と会見 し伊国 と同様 の申 入をなす
二
一二︱ 二五
一蒋 介石、張學良楊虎城 に対し訓話す 二蒋 介石釈放され宋美齢 夫 人、宋 子文、﹁ドナ ルド﹂、張學良と共 に飛行機 にて洛陽着 国 民政府 は対西安軍事行動停止命令 を出す
一二︱ 二 六
一綏 境蒙政会正副委員長 沙王、巴王等連名にて
一 蒋介石飛行機 にて 一 〇二 〇南京 に帰還市民は 歓喜 に湧 き熱 狂歓迎す 二 国民政府蒋を迎 へて重要会議 を開き蒋は遺憾 の意を表明す 三 張學良洛陽より飛行機 にて南京 に入り特 に処 罰を乞 ふ 四蒋 介石生還 を祝し全支 一斉 に国旗を掲ぐ 五 南京警備司令部戒厳令 を解除す
三
一二︱ 二 七
一二︱ 二九
中央擁護 を表示す 二 中央常務会議は張學良処置問題 を協議す 一 蒋介石は辞表提出 につき中央政治会議慰留を 決議、蒋 は更 に辞表提出 軍事委員会 にて張學良処分 の軍法会議 を組織 し李烈鈞 を委員長 とす 二
常務委員会三中全会 を二月十五日召集 に決定 川越大使孔祥煕 を訪問蒋介石帰還 にっき祝辞 を述 ぶ
一 蒋介石再度 の辞表 に対し中央常務会議 は再び 慰留 を決議し長期休暇 を与ふ
三 四 一二︱ 三〇
三
一 西 安事件 の為め廣東 より洛陽 に派遣 せられし 空 軍ニケ隊は復員 を命 ぜられ洛陽発南昌 に向 ふ 二 国民政府委員会は張學良特赦案 を討論 し 一致 通過す 宋子文南京 より奉化 に飛 び蒋介石と会見す
一蒋 介石飛行機 にて寧波 に飛び次で郷里奉化に 帰省す 二 陳誠漢 口より南京 に飛来す
一潼 關東方面 に於 て中央軍と旧東 北軍衝突し戦 闘 を交ゆ
一 軍事委員会軍法会議 は張學良 に対して十年 の 有期徒刑、五年 の公権剥奪を宣告す 一
一二三 ︱一
一︱
二
五
四
一︱
一︱
一︱
一陜 甘両省 の善後措置 に関 し行政院会議 にて次 の如く決議し正式発表 さる (一)顧祝同西安行営主任
二 三
(二)西安靖綏主任楊虎城甘粛省政府主席兼第 五十 一軍長于學忠 は現職 に留任 (三)陳西安省政府主席邵力子辞職 を許可し後 任は第三十 八軍長孫蔚如 を任命す (四)駐甘綏靖主任朱紹良 の辞職を許可し後任 に王樹常 を任命す (五)第二十 七路軍総指揮 に馮欽哉を任命す 陳誠南京より来漢す 洛陽派遣 の空軍二ケ隊 は南昌 を経由 し廣東 に 帰着す
目
三
事
支那特報第 七号
安
変
其の二
(昭和十二年二月十吾
軍令部)
を 命 じ 一部 は直 ち に撤 退 行 動 を開 始 せし も其 の後 西 安 附 近 の状 況 判
西
明 す る や之 を 中 止 せ し めし のみ な らず 却 て万 一の場 合 討伐 の必 要 あ
次
二 、汪 兆銘 の帰 国 と活 躍
事 実中 央 側 は蒋 介 石 帰 還 す るや討 逆 軍 事 の停 止及 出 動軍 隊 の引揚
す る に至 りし を 以 て な り
三 、 妥協 工作 の 一進 一退
る西北 人事 た る や西 安 に在 る楊 虎 城 の綏 靖主 任 兼 第 十 七路 軍 長 に対
る べ き を顧 慮 し 更 に潼 關 附 近 の兵 力 を 増 加 せ し めた り 、 又異 動 に依
一、 一 般 情 況
四 、 国 民政 府 の対 策 と妥 協 決定
し其 の部 下 た る孫 蔚 如 を 省政 府 主 席 と し 又同 じく 部 下 た る馮 欽 哉 を、
五 、赤 色 ﹁ク ーデ ター﹂ 六 、中 央 軍 の西 安 入城 と事 件解 決
は宋 子 文 及 英国 側 の絶 対 的保 障 の下 に南 京 に飛 びし も のな る に拘 ら
以 て楊 、 干 両 軍 を分 裂 、 背離 せ し めん と す る魂 胆 に出 で而 も張 學良
政 府主 席 に対 し て は之 と同系 統 た る東 北 系 の王 樹 常 を綏 靖 主 任 と し
新 に第 二十 七路 軍 を設 け 其 の軍長 とし 、蘭 州 に在 る于 學忠 の甘 篇省
西 安 事 件 は蒋 介 石 の帰 還 、張 學 良 の処 罰 及 一月 五 日軍 政 部 発表 の
ず 此等 保 障 者 の面 子 を 顧 みず 其 の儘 抑 留 し て西 安 に帰 還 を許 さず と
一、 一般 情 況
き観 を 呈 せ し も事 実 は 然 らず 西 安 附 近 の情 勢 は時 日 の経 過 と 共 に却
陝 甘 軍 事 整 理弁 法 によ る人事 異 動 を 以 て 一応 解 決 の域 に達 せ るが如
葢し 西 安側 に於 ては 張學 良 の処 分竝 に出 動 中 央 軍 の不 撤 退 は蒋 介
叛 軍 と共 産 軍 蚊 に共 産 党 と の加 速 度 的接 近 を見 る に至 り西 安 に於 け
所 あ り、 加 ふ る に事 変 の為 め中 央 の西 北劉 匪 工作 は全 然 破 綻 を 来 し
云 ふ状 況 な るを 以 て楊 及 旧東 北 軍 の叛 乱 分子 の憤慨 も無 理 から ざ る
石 釈 放 の際 に叛 軍 側 と の口約 条 件 に反 す と 敦 圏 き新 に発 表 せ ら れ し
る共 産 党 員 の活 躍 は陜 甘 の共 産 軍 の東 進 南 下 と 相俟 て西 北 赤 化 浸潤
っ て険 悪 の度 を増加 せ り
西 北 人事 に は承 服 し得 ず と唱 へ中央 に対 し 強 硬 に反 抗 的 態 度 を表 示
張 は( 張 學 良 の釈 放 と陜 西 帰 任( 中 央 軍 の撤退 、 (陜 、甘 両 省 軍 政
の濃 度 を増 加 し情 勢 を 一層 紛糾 せし めた り而 し て常 時楊 虎 城 等 の主
国 内 の人 心 を定 め以 て支 那政 界 の指 導 者 と し て十 分 の貫 録 を示 せり
大演 説 を試 み 西 安叛 軍 将 領及 共 軍 に対 し痛 烈 に 一矢 を酬 ゆ る と共 に
斯 か る際 一月 十八 日海 は南 京 到 着 早 々記 念 週 に臨 み帰 国 後 最 初 の
三 、妥 協 工作 の 一進 一退
の独 立( 抗 日救 国 の即時 実 施 (政 府 の改 組 等 に在 り た る も の の如 く 次 で 一月十 五 日楊 虎 城 は叛 乱 軍 と共 産 軍 を 合体 せし め て抗 日聯 A合 軍
し結 果 一月 十 三 日軟 禁 中 の張 學 良 は 蒋 の妥 協 諮 問 に答 ふ る た め奉 化
奉 化 に於 て蒋 及 中央 要 人 と会 見 し政 治 的妥 協 の路 を発 見す る に努 め
一方 旧 東 北 軍代 表鮑 文〓 、米 春霖 、 西 北代 表 李 志 剛 は洛 陽 、 南 京 、
澤東 、彭 徳 懐 等 を 夫 々第 一乃 至第 六集 団 軍 可令 に任 命 し抗 日 の気 勢
を組 織 し自 ら 総 司令 に就 任 し 孫蔚 如 、 縁 徴流 、王 以 哲 、于 學 忠 、 毛
を 一層 昂 揚 せし む る と共 に中央 に対 し 武 力抵 抗 をも 辞 せざ る構 を執
に赴 く ことを 許可 せら れた り 。 又西 北 に於 て は共 産 党 員 の多 数 西 安
入 と共 産 軍 の南 下 のた め旧東 北 、 西 北 両 軍 も漸 く 之 が圧迫 を感 ず る
る に至 れり 然 れ共 一方 に於 て は楊 虎 城 も中 央 政 府 部 内 に於 て何應 欽 一派 の武 力 に依 る強 硬 解 決 の主 張 より も宋 子 文 一派 の平 和 的 政治 解 決 主 張 漸
承 認す ベし と か 、西 安 事 変善 後 措 置 は三中 全 会 の討 議 に付 す べし と
然 る に 一月 二 十 三 日頃 に至 る や楊 虎 城等 は再 び西 北 の既 成 事 実 を
に至 る等 情勢 は漸 次 政 治 的解 決 に傾 き 来 れ る や の観 を 呈 せ り
あ る を察 知 す る に及 び己 の代表 李 志 剛 を 奉 化 に あ る蒋介 石 或 は南 京
か 、蒋 介 石 釈 放 条件 を即 時実 行 す ベし 等 の要 求 を提 出 し主 と し て軍
次勝 を占 め来 れ る情 勢 と北 方将 領 亦 概 ね 内戦 反 対 、 抗 日実 行 の気 持
の中 央 要 人 の下 に派 し て妥協 を策 し自 己 に有 利 な る条件 に て解 決 を
備 及 地盤 問 題 を続 り て態 度頗 る強 硬 を持 し た る為 折 角 の妥 協 気 運 も
他 方 中 央 側 に於 ても汪 兆銘 は張 群 、 呉鐵 城 と協 議 の上中 央 より 安
挫 け和 平 解決 の望 薄 ら ぐ に至 り形 勢 は 再 び逆 転 せり
西 安 ﹁ク ーデ タ ー﹂ は各 種 の意 味 に於 て支 那 政 界 に大 影 響 を 齎 せ
日頃 に は討 伐実 行 の段 取 に立 ち至 り た るも 次 の如 き 支 障 を 生 じ之 又
内攘 外 、 反 軍 の赤 化 、 共 産 軍 の進 出 等 を殊 更 宜 伝 せし め 一月 二十 一
二 、注 兆 銘 の帰 国 と活 躍
遂 げ ん こと を企 図 せり
し が当 時 ﹁スイ ス﹂ の山 中 に保 養 中 な り し汪 兆 銘 を し て急 遽 帰 国 の
の 一なり彼 は蒋 介 石 の安否 未 だ不 明 の時 慨 然 と し て帰 途 に着 き し が
の不承服と西北共産軍 の南下東漸 により事態 は事変発生当時 にも劣
を見居 たり。然 れども西安善後処理問題 に関し ては甘陜 の叛軍将領
川蛾 眉 山 に軍需 品 武 器 弾薬 多 量 に貯 蔵 さ れ あり 何 れ も中 央 の討 伐
(ハ) 中 央 の現 銀及 紙 幣 四川 に 五千 万 、西 安 に四千 五 百 万 あ り且 四
有 せ る こと
(ロ)冀 察 側 は 対 日関 係 上 共同 通 電 は発 せ ざ りし も 右 と同 一意 見 を
(イ) 山 西 、山 東 、 廣 西 、 四川 より 内 戦反 対通 電 あ り し こと
行 悩 み の状態 と な れり
途 に就 かし め再 び政 治 壇場 に復 帰 す る の機 会 を与 へた る が如 き も 其 ︹ママ
らざ る緊張を示し国府内部 に於 ても大義 名分 に基き武力解決 か或は
一月十 四日着滬 の際 は蒋は既 に脱険生還 し事変自体は 一先づ 一段落
叛軍 に屈服的和協 をなすか何 れとも決 せず紛糾を極 め居 たり
を困難 ならしむ る原因 なること
(四) 旧東北軍及楊虎城軍軍費 は中央より支給す
(三)共産車は陜北 に引揚 ぐ
(二旧 )東北 車 は全部 甘肅 省 に移 駐 す
嚮を有 し為 に汪兆銘 一派 は討伐 の声 を高む るも単 に口号 のみにして
右 の事情 に依り陳誠、胡宗南等 の蒋直系 の将領 すら討伐反対 の意 実行性 乏しく結局西北側 と妥協し三中全会 に於 て表面 を糊塗す るの
(五)中央軍は潼關軍安 の線 及甘肅 の 一部 に進出す
妥 協 条 件 に基 き楊 虎 城 及 旧東 北 両 軍 は 何 れ も撤 退 を開 始 す ると 共
五 、赤 色 ﹁ク ーデ タ︱ ﹂
外なきに至 れり
に二 月 一日中 央 軍 は洛 陽 に監 視隊 を組 織 し渭 南 駐 屯 の旧東 北 軍 の撤
四、国民政府 の対策と妥協決定 以上の如く国府部内 に於 ては何恋欽 一派 は汪兆銘 の活躍 に依 り力
退 を監 視す る こと と な れり
然 る に西 安 に於 て は赤 化 尖鋭 分 子 た る張 學 良 の衛 隊 団長 孫 銘 九 一
を得そ の主張す る武力解決案 は大 いに勢力 を得たるも宋子文 一派 の
味 の旧東 北 軍 は 中央 と の妥協 に絶 対反 対 、 西 安城 死 守 、容 共抗 日を
欧米派及馮 玉祥、于右任 一派 の聯蘇派 などの政治的和協解決主張 も 大勢上侮 り難 き勢力ありて結局は実 力者蒋介石 の裁断 に俟つの外 な
混 乱 を起 せ り。 混乱 中 尖 鋭 分 子 の主 張 に反 対 せ る第 六 十 七軍 長 王 以
く終 に 一月 二十四日汪兆銘 は奉化 に赴 き蒋介石と会見し対西北和平
哲 及第 六十 七 軍 の幹 部 数 名 は射 殺 せら れ夜 に入 るも 銃声熄 まず 西 安
主張 し 二月 二日 突如 赤 色 ﹁ク ーデ タ ー﹂ を 敢行 し 為 に西 安城 内 は 大
(一)中央軍 は暫く現位置 に止まり顧祝同 は時期を見 て西安 に入り
解決 方針 を左 の如く決定 せりと伝 へらる 形式 的に西北旧東 北軍 を統制する こととし事実上は西安 に旧東北
城 は再 度 死 の町 と化 せ り
(三)国防問題中央改組問題等は三中全会 に於 て決定す
之 が為 西 安 の赤 色叛 軍 は四 日朝 楊 虎 城 何柱 國 軍 に武 装 を解 除 せら れ
南 北岸 の麾下 一部部 隊 に対 し 急遽 西 安 に引 き返 し暴 動 の鎮 圧 を命 じ
楊 虎 城 、 何 柱 國両 人 は孫 銘 九 の ﹁ク ーデ ター﹂ 決 行 と同 時 に渭 水
軍 、陝甘 二省 に旧東北、西北両軍 の駐防 を許す
斯 くして表面的 には西北側は中央 に服従 せりと宣伝 されあるも実
ー﹂ は完 全 に鎮 圧 せ ら れた り
過 激 分 子孫 銘 九 、苗 剣 秋 等 は逮 捕 銃 殺 せ ら れ茲 に赤 色 ﹁ク ーデ タ
(二)共産軍処理は旧東北、西北両軍 に 一任改編 の形式を採る
質的 には西北側 の主張を容納し西北を以 て共産軍 に対す る緩衝 地帯
︹マ マ︺
となす ものと観らる 収切崩 工作 の成功 に依り 一月二十八日中央及西北間に具体的和協条
接 な る提 携 を続 け来 り し共 産 軍 と完 全 に手 を 切 る に至 り し が之 が為
妥 協 成立 に伴 ひ楊 虎 城 軍 は 部隊 の移 駐 を令 す る と共 に事変 以 来 密
六 、 中央 軍 の西 安 入城 と事 件 の解 決
件成立 し更 に 一月三十日滝關 に於 て顧祝同、劉峙 及楊虎城代表間 に
麾 下 内 部 の暗 闘 激 化 の情 勢 顕 著 な る も のあ るに驚 き 二月 四 日更 に麾
一方 現地 に於 ては西安包囲陣完成 の威嚇 と資金を惜 まざ る叛軍買
大略 次の如き条件 を以て最後的決定 を見 たるも のの如 し
下 部隊 に対 し 現駐 地 に待 機 を指 令 し翌 五 日各 師 長 以 下 の将 領 を西 安
将領 中 には 撤 退 に反 対 す る強 硬 派 も尠 か ら ざ り し模 様 な る も 一方
に召集 、撤 退 問題 に関 し最 後 的協 議 を行 へり
張學 良麾 下蒲 城駐 屯 の騎 兵 第 十師 長 檀 白新 及楊 虎 城麾 下 砲兵 旅 旅 長 孫 友仁 は何 れ も 二 月 四 日単 独 中央 に降 服寝 返 る に及 び楊虎 城 も終 に 意 を決 し て結 局 ﹁ク ーデ タ ー﹂弾 圧 、 容 共 抗 日 の臨 時 軍政 府 及 西 北
他方 中 央 軍 方 面 に於 て は張 學 良 の親 衛 隊 劉 多〓 部 隊 全 部涓 水 の北
聯 合軍 事 委 員 会 を撤 消 し中 央 に帰服 す る こと と な れ り
岸 に撤 退 す ると 共 に第 二、 第 三 の両 師 は二 月 四 日午 前渭 南 に進 み馮 欽 哉部 隊 亦 四 日 夜蒲 城 に進 出 せ り次 で 二月 五 日 に は続 々西進 し そ の
尚 西安 城 内 の楊虎 城 等 は暫 時 撤 退 せざ り し も 八 日 に至 り 一部隊 を
に到着 し旧 東 北 軍 は隴 海 沿 線 より其 の北 方 富 平 、高 陵 の線 に後 退 せ
先 頭部 隊 は赤 水 、渭 南 を経 て同 日夕 刻 西 安 の東 二十 五 ﹁キ ロ﹂臨潼
り
残 し て三原 に去 り 中央 軍 宋 希濂 及陳 安 保 の両 部隊 入城 し 城 内 残留 の 楊 軍 は中 央 軍 に帰順 せ り こ こ に於 て甘陜 善 後 辮法 の発 表 以 来 約 一ケ 月 にし て西 安 は 漸 く中 央 の手 に帰 し 八 日中 央 党部 記 念 週 に於 て何應 欽 は 西 安問 題 解 決 に関 し詳 細 な る報 告 をな せり 。 二月 九 日 正午 西 安 行 営 主任 顧 祝 同 は西 安 に到 着 し隴 海 線 沿 線 は 全部 中 央 軍 の勢 力 下 に
肅に、楊 虎 城 軍 を陝 北 に夫 々移 駐 せ しむ る のみ と な れり 。 か く て幾
入 り張 學 良 楊 虎 城 両部 隊 は渭 水 北岸 に撤 退 し 爾後 更 に旧東 北軍 を甘
の形 と な れり
度 か決 裂 を伝 へら れ し和 平 交 渉 も漸 く 実 を結 び て時 局 は 表 面 一段 落
四
令
部
( 昭和十二年 軍令部第六課)
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段 落 を 見 た れ ども叛 軍 の提出 に係 る八個 条 の要 求 を 続 り て国 民 政 府
を聳 動 せ り而 し て事 変 は十 二月 二十 五 日蒋 介 石 の脱 険生 還 を以 て 一
中 国 々民 党 第 五 期 三 中 全 会
軍
は 従 来執 り来 れ る対 内 外諸 政 策 の再 検討 を行 ひ国 家 統 一、 民族 復 興
昭和十 二年三月五日
支那特報第十号 会
れ り 。 かく て十 二月 二 十九 日中 央 常 務委 員 会 は三 中 全会 を 昭和 十 二
二、 概
観
民 大会 開 催 問 題 等 を討 議 す る こと に決 せ り
に関 し 全国 の与 論 に基 き新 政 策 の決 定 を余 儀 な く せ ら る る趨 勢 と な
中 全 次
三 目
年 二月 十 五 日 に開 催 し 対共 産 軍 問 題 、国 府 改 組 問 題 、 対 日政 策 、 国
観
一、 召 集 の経 緯 二、 概 三 、各 派 の動 向
間 二六 回 の大会 を開 き 中央 地方 幾 多 の提 案 を議 了 せり而 て其 の重 要
三 中 全会 は 二月 十 五 日開 会 同 二十 二日朝 閉 会 式 を 挙行 せ る が其 の
案 の内容 は之 を極 秘 と し外 間 の窮 知 を許 さず 例 に依 り 大会 宣 言 のみ
四、 会 議 の経 過
(一)対 外 方 針
五 、 三 中 全会 宣 言
を以 て全部 を糊 塗 せり 会議 は事 前 に於 け る蒋 、汪 合 作 の対外 対 内 政
察 北 を 収復 し 華北 行 政 主権 の障 碍 を除 去 し 、対 内 政 策 と し て は ﹁精
尊 重 の原則 下 に日 支 国 交 の調 整 を 期 し其 の初 歩 的 解 決 策 と し て冀 東 、
国 際 和 平 の路 線 に沿 ひて前 進 し対 日外交 は平 等 互 恵 、領 土 主権 相 互
策 を反 映 し安 内攘 外 を 基 調 と し て対 外政 策 は集 団 安 全 制 度 を擁 護 し
(二)対 内 方 針
一、召 集 の経 緯 昭和 十 一年 十 二 月 十 二 日西 安 に於 て張 學 良 、 楊 虎 城等 の手 によ り 行 は れ た る兵 変 は中 国 全 土 を震駭 せし め た る の みな らず 世 界 の耳 目
る が如 き も 大会 宣 言 の ﹁ベ︱ ル﹂ の裏 面 には尚 相 当 重 要 な る決 議 を
異 な る処 な く、 一般 に開 会前 の空 気 に比 し て奇 異 の感 を さ え覚 へた
政 金 融 政 策等 を掲 げ た る も のにし て、 五全 大 会 以 来 の宣 言 の骨 子 と
撃 し 、 国 民大 会 の召集 、経 済 建 設 の提 唱 、 農 業 政策 、 工業 政 策 、財
誠 団結 、共 赴 国 難 ﹂ の ﹁ス ローガ ン﹂ の下 に共産 党 の国 内 撹乱 を排
抗 日国 民 会議 招 集 、 即時 出 兵 、失 地 回 復 、打 倒 親 日 派 、擁 護 蒋 委 員
界 慶 祝 三中 全 会 大 会 を開 き全 国 抗 日 救 国 、 三中 金 会 擁 護 を叫 び 一致
国 聯 合会 は全 国 一致抗 日救 国 の請 願 運動 を起 し 、 十 四 日 に は上 海 各
(ロ) 抗 日派 は三中 全 会 期 日 の切 迫 と共 に運 動 活溌 と な り上 海 各 界 救
る こと等 を決議 せ り。
主 張 を三 中 全会 に採 納 方電 請す る こ と竝 に代 表 を派 し て請 願 せ し む
﹁ビ ラ﹂ を撒 き て 示威 運 動 を 行 へり
長 領 導 全 国 抗 日、 聯 合 英 米仏 蘇 協 同 反 日、 打倒 日 本 帝 国 主 議 等 の
秘 めら れ ある が如 し 兎 に角 此 次 の会議 に於 て注意 さ れ た る点 は 容 共政 策 の採否 如何 が
(ハ) 中 国 共 産 党 中央 執 行 委 員 会 は抗 日協 同 の目 的 よ り 三中 全 会 に対
議 題 に上 り た る事 にし て国 民 党 が 民国 十 六年 国 共 分裂 以 来 の剿 共 政
(一) 内戦 を停 止 し 国 力 を集 中 し て 一致 対外 を計 る こと
して
(二) 人 民 の言 論 、 集 会 、結 社 の自 由 を 保障 す る こと
策 の放 棄 或 は修 正 を余 儀 な くす る に至 り た る事 を立 証す る も のな る
た る事 は日 支 関 係 が次 第 に緊迫 の度 を加 へつ つあ る事 を 物 語 る も の
(三) 各 党 、各 派 、 各 軍 の代 表 会 議 を招集 し全 国 人 材 を 集 中 し て共
と同 時 に全然 握 り潰 し に終 れ る ﹁即 時 抗 日﹂ 案 も討 議 さ る る に至 り
と謂 はざ る可 か らず 故 に帝 国 と し て は今 後 這 次会 議 に於 て決定 せ し
同 時 に共産 党 は
の四 項 を決 定 さ れ度 き旨 を電 請 し
す る こと
(四) 迅 速 に対 日抗 戦 の 一切 の準備 工作 を完 成 し 人民 の生 活 を 改善
同 救 国 を なす こと
諸 政策 に基 く 国 民 政府 の動 向 に対 し 一般 の注 意 を要 す るも のな り 三 、各 派 の動 向
し て国 民党 部 は金 国 の人 心 を収攬 せ んが た め対 抗 策 と し て救 国 統 一
(イ) 西 安事 変 後 益 々勢 力 を増 大 せ る人 民戦 線 派 の抗 日救 国 運 動 に対
運動 を企 て所 謂 国 民 戦 線 運 動 を開 始 し 、 昭 和十 二年 一月 九 日上 海 に 於 て封 建 的 残 余軍 閥 、共 産 党 及所 謂 人 民 戦 線或 は聯 合 戦 線 そ の他 一
は 国 民革 命 軍 と改 称 し何 れも 直接 国 民 政 府 及 軍事 委 員 会 の指 揮 を
(二) 中 国 ﹁ソヴ イ エト﹂ 政 府 は中 華 民 国 特 別 区政 府 と 改 名 し紅 軍
る こと
に救 国 統 一運 動 討 論 会 を開 催 せり そ の後 救 国 統 一運動 は C .C 団 を
受 く る こと
(一) 全 中国 内 に於 ては国 民政 府 を〓 覆 す る武 装 暴 動 方 針 を停 止 す
中 心 と し て全 国 各 地 に拡 大 さ れ 二月 十 五 日上 海 に於 て は C .C団 を
切 の反 統 一勢 力 を否 認 し 、 全 国 一致 統 一救 国 運動 の完 成 を声 明 せ る
中 心 とし 市党 部 、 文 化建 設会 、 大 学 、中 学 各 教 職 員 聯合 会 、 総 工 会
(三) 特別 区 政 府 の区 域内 に あり ては普 遍 的 、 徹 底 的 民主 制 度 を実
救 国 統 一宣 言 を発 表 せし が 一月 十 七 日 に は中 国 文 化建 設 会 主催 の下
及同 業 公 会 の代 表 者 を以 て上海 各 界 統 一救 国 大 同 盟 の結 成 を 見 そ の
﹁全 国 の平 和統 一は 二中 全会 の宣 言 に基 き顕 著 な る進 歩 を示 し 西
北 共 匪 は 自 滅 に垂 ん とし 、 又綏 遠 の役 に於 け る奪 闘 は守 土禦寇 の
現 す る こと (四) 地主 に対 す る土 地没 収 政 策 を停 止 し堅 く 抗 日 民主 戦 線 の共同
成 績 を挙 げ 同胞 に 一線 の希 望 と無 限 の勇 気 と を与 へた り西 安 事 変
(二) な ほ 三中 全 会 に出 席 せ ざ りし 地 方有 力 者 中 山 西 の閻 錫 山 は趙丕
益 々加 は る際失 地 を如 何 にし て 回復 す べき や未 喪 失 の領 土 を如 何
蒋 介 石 の脱 出 を見 秩 序 を 回復 し和 平 解 決 を 告 げ た り然 れ ど も国 難
の発 生 は救 亡 図存 の基 礎 に異常 の動 揺 を 与 へん とし た る も幸 ひ に
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綱 領 を執 行 す る こと
廉 、 徐永 昌 、支 鴻 文 を 代 理 と し て出席 せ し め た る が会 議 に対 し ては
の中 心問 題 なり 又 西 北 の不 安 未 だ去 らざ る今 日統 一と 安 定 を 図 り
に し て保 衛 す ベ き や は今 後 の努 力 に俟 た ざ る ベ からず 是 吾 人 工作
を 自 ら保 障 す る旨 を 宣言 せ り
何 等 の提案 を も な さざ り き 。廣 西 の李宗 仁 、白 崇 禧 は 四川 の劉 湘 及
り
既 定 の国 防 計 画 及剿 匪 工作 を挫 折 せ し めざ る こと も当 面 の急 務 な
在 廣 西 の中 央員 と の連 名 を 以 て、 目 前 の対 日抗 戦 、 危 急挽 救 に関 す
(一) 対 日抗 戦 を発 動 し て危 亡 を救 ふ案
る最 低 限度 の方 策 とし て
惟 ふ に救 亡 図 存 は国 力 の充 実 に俟 ち進 で民力 の増 進 に倹 つ吾 人
は 如 何 にし て民 権 主 義 に基 き民 主 政 治 を樹 立 し 以 て建 国 の 工作 を
(二) 民衆 を組 織 訓 練 武 装 し て抗 戦 動 員 の基 礎 と なす案
完 成 す べ き や之 亦 当 面 解決 を要 す る問 題 な り﹂
(二) 葉 楚〓 を会 議 の秘 書 長 に推 薦 す る こと
郷 魯 、 居 正 を会議 の主 席 団 に推 薦 す る 二と
(一) 蒋 介 石 、汪 兆銘 、 戴 天 仇 、王 法 勤 、馮 玉祥 、于 右任 、孫 科 、
決 議 事 項
決 議 し散 会 せ り
開 会 式 に次 いで中 央 党部 会 議 室 に於 て予備 会 議 を 開 き次 の事 項 を
(三) 民衆 の愛 国 言 論 を 保 持 し て愛 国 運 動 を開 放 し救 国 の力 量 を拡
四 、会 議 の経 過
大 す る案 を提出せり
斯 く て二 月 十 四 日迄 に提 出 せ ら れ た る議 案 は馮 玉祥 、 李烈鈞 等 の
十 四 日上 海 よ り帰 京 し地 方 より も余 漢 謀 、 會 養 甫 、沈 鴻 烈 、 商震 、
(三) 会 期 を 三日 乃 至 五 日と す る こと
救 国 禦 侮 に関 す る建 議 案 を初 め 二 十数 件 に達 す るに至 り、蒋 介 石 も
張發 奎 、 何 成濬 、徐 源 泉 、 秦 徳純 、何 柱 國 等 の中 央委 員 続 々入京 し、
(四) 提 案 は審 査委 員 会 の審 査 を経 て主 席 団 に送 付 す る こと
備 会 議議 事 録 、 秘 書 処報 告 、 提 案審 査委 員 会委 員 名 (党 務 組 陳 立 夫
綏 遠 陣 亡 蒋 士 及 西安 事 変 犠 牲 者 に対す る黙〓 あ つて議 事 に入 り予
(イ) 会 議 第 一日 (二 月十 六 日)
李 宗 仁 、 白 崇禧 、 劉 湘 、閻 錫 山 、 宋哲 元 、 韓 復榘 の地 方有 力 者 は 入
開 会 式 は十 五 日午 前 九 時 より 中 山陵 前 に於 て汪 兆銘 主 席 の下 に挙
京 せざ り し も 夫 々代 表 を派 遣 し来 れ り
の如 き開 会 の弁 を述 べ たり
行 せら れ 、蒋 介 石 は出 席 せざ り し が百 七 十 六 名 の委 員 参 集 し 注 は次
務報 告 (常 務委 員 会 、組 織 部 、宣 伝 部 、 民 衆訓 練 部 各 報 告 )政 治 報
一名 、 教 育 組 王世杰 以下 二 十 五名 、 軍事 組 何應 欽 以 下 三 十 五名 ) 党
以下 三十 八 名 、政 治 組邵 力 子 以下 四 十 七 名 、経 済 組 孔 祥 煕 以下 三 十
生後 の第 三 日 に至 つて初 め て所謂 八項 即 ち (一 国) 民 政府 を改 組 し 各
余 は終 始 張 を 叱責 せ した め 張 は 全 部 の意 見 を言 ひ 尽 さず 、 事 変 発
当 時 叛 乱 派 は国 事 に関 す る主 張 を通 電 し 外間 の注 意 を喚 起 せ し が
告 ( 中 央 政 治委 員 会 、行 政 院 、立 法 院 、 考 試院 、 司法 院 、 監察 院 各
に於 て逮 捕 せし愛 国 の領 袖 を釈 放 す る こと(四 全) 国 の政 治 犯 を釈 放
す る こと(五 人) 民 の集 会 、 結 社 そ の他 一切 の自 由 を 保護 す る こ と(
党 各 派 を 交 へ救 国 に当 る こ と(二一 ) 切 の内 乱 を停 止 す る こと(三 上) 海
政治 組 の審 査 に附 す る こと を 決議 せ り
報 告 ) あり 更 に党 務報 告 を 党 務組 の審 査 に附 す る こと及 政 治報 告 を
は 一定 の組 織 及 系統 存 す る を以 て何 等 か の意 見 あら ば 中 央 に陳 情
に対 し て罪 を悔 ひ 余 を南 京 に送 還 す る こと を命 ず ると 共 に党 国 に
こと(八 救) 国 会 議 を 即時 召 集 す る こと の実 行 を余 に強要 せ り余 は張
民 衆 の愛 国 運 動 を 解放 す る こ と(七 孫) 総 理 の遺 嘱 を確 実 に遵 守 す る
邵 力 子 、 陳 布 雷 の五名 を指 名 せ し こと を報 告 せ る後 議 事 に入 り 、何
す べき を論 ぜ ると ころ張 は余 が帰 京 後之 を中 央 に提 出 せ ん こと を
主 席 団 よ り大会 の宣 言 起 草 委員 と し て汪 兆 銘 、戴 天 仇 、 葉楚〓 、
(ロ) 会 議 第 二 日 (二 月十 七 日 )
(ハ) 会 議 第 三 日 (二 月十 八 日)
應 欽 の軍 事 報 告 及 張 群 の外 交 報告 あ り
請 へり依 つて余 は 中 央 に提 出 す る は差 支 へな け れど も 余 は張 の主
討 あ りし が こ こ に張 の要 求 す る 八項 目 の主張 に 対す る経 過 を述 べ
孔 祥 煕 の財 政 報 告 及国 民 大 会 選挙 総 事 務 所 の工 作報 告 あり し後 、
参 考 と す る次 第 な り ﹂
ては 西北 の善 後 措 置 に適 当 の支 持 を与 へて国 事 に対 し 詳 細 な る検
関 し ては災 民 救 済 、 官吏 制 度 の改 正 、地 方 自 治 の改革 等 にし て教 育
之 に対 し て大 会 は蒋 の採 り し措置 に深 く 感謝 慰 問 す る と共 に、事
張 には 不賛 成 な る こと を 必ず 声 明 せん と答 へた り。 三 中 全会 に於
に関 し て は学 校 制 度 の改 善 及 教育 費 の増 額 なり き 。尚 李 宗 仁 等 の提
党 務組 、政 治 組 及 教 育組 各 審 査委 員 会 よ り提 出 さ れ し各 議 案 を 上程
案 せ る民 衆 を組 織 訓練 し抗 敵 総 動員 の基 礎 を鞏 固 にす る案 及 愛 国 的
し 、討 論 の結 果 二十 数件 の議 案 通 過 せ り議 案 中 主 な る も の に政 治 に
言論 を保 障 し愛 国 運 動 を解 放 し て救 国 の実 力 を増 大 せ し む る案 も 上
て、 特 に叛 乱 者 が蒋 に要 求 せ し所 謂 八項 目 に対 し て蒋 が厳 然 之 に反
変 のた め に殉 職 せし 文 武 官 に対 し て は哀 悼 の意 を表 示 す るも の にし
対 せし は感佩 に堪 へざ る な り こ の種 の要 求 は そ の内 容 の如 何 を問 は
程 さ れ し が、 参 考 意 見 と し て採 択 し中 央 に交 付 す る こと とな り し趣 なり
ず 叛 逆 の行為 と脅 威 の方 法 によ り た るも の故 、国 法 及 軍 規 上 許 す可
次 で討 議 に入 り各 審 査 委 員 会 よ り 上程 せ る(一 地) 方自 治 綱 要 草 案 は
追 求 せざ る旨 を決 議 せり
から ざ るは勿 論 、 本 大 会 に於 て も之 を取 上 げず 唯 悔 悟 者 に対 し ては
(ニ) 会 議 第 四 日 (二 月十 九 日 )
﹁ 西 安 事 変 は全 国 軍民 の正 義 によ り叛 乱 者 を 悔 悟 せ し め平 静 に帰
蒋 介 石 より 西 安 事変 の経 過 に関 す る左 の如 き 報告 書 の提 出 あ り
す る こと を 得 、余 は十 二月 二十 六 日帰 京 し張 學 良 も自 首 服 罪 せり
て更 に弁 法 を攻 究 せ し め常 務 委 員 会 の決 議 に移 す こと等 の各 提 案 を
移 し(三) 固鞏な る和 平統 一実 施 方 策 確定 案 は政 治 委 員会 の審 議 に附 し
化関 係 の発 生 方 に関 す る 一定 方針 確 立案 は中 央 政治 委 員 会 の審 議 に
常 務委 貝 会 の研 究 に附 し(二 世) 界 回教 国 家 と の政 治 、経 済 、 教 育 、文
に解 消 す る こと(二 所) 謂 「ソヴ イ エト﹂ 政 府 及 そ の他 国 家統 一を破
の相容 れざ る所謂 紅 軍 及 そ の他類 似 の名 目 を有 す る武 力 は徹 底 的
はず よ つて中 央 の採 る ベき 当面 に於 け る最 低限 度 の便 法 は(一 主) 義
は国 家 の治 安 の維 持 、 人 民 の生命 財 産 の保護 上 こ れを放 任 す る能
に服 従 し 、国 法 、 軍 令 を遵 守 し て支 那 の良 民 とな る に非 れば 中 央
る赤 化 宣 伝 を 根本 的 に停 止 せ し む る こと (四 武) 装 暴 動 の手段 に出 で
壊 す る組 織 を 徹底 的 に解 消 す る こと(三 三) 民 主義 と絶 対 に相容 れざ
(四 庫) 金 三百 万元 総 理 記念 学 奨 励 金 設 置案 は文 化 事業 計画 委 員 会 を し
決 議 せ り 又蒋 介 石 よ り提 出 さ れし 二月 十 八 日附 本 兼 各 職 の辞 職 呈 文
社 会 民衆 の不 安 を招 来 す る階級 闘 争 を根 本 的 に停 止 せ し む る こと
は 主席 団 よ り慰 留 方 の意 見附 に て上 程 さ れ し が、 国 民党 は国 難 の際
徳 を破 壊 す るが如 き行 為 のあ る こと を許 さず吾 人 は先 づ 支那 民族
蒋 の領 導 の下 に努 力邁 進 を望 む を 以 て こ の際 辞 職 の願 出 を却 下 す る
固 有 の精 神 と道徳 と を恢 復 し て独 立自 主 の人格 を樹 立 し 得 れ ば支
の四点 にし て、要 す る に独 立自 主 の国 に於 て は断 じ て反 国家 、反
主 席 団提 出 の国 民 大会 に関 す る議 案 を 上程 し左 の如 く決 定 せり
那 固有 の版 図 を復 活 し歴 史 的 光 栄 を継 承 し て三 民主 義 を実 現 し得
民族 にし て而 も外 力 に附 加 す る団 体 の存 在 及民 生 に有害 にし て道
(一) 今年 十 一月 十 三 日 国 民大 会 を開 き憲 法 を制 定 し竝 に そ の施 行
べ き こと を知 り 得 る な り即 ち 赤 化 の根 絶 は支那 の国 家 民 族 の擁 護
に全会 一致 を以 て決 議 せ り
期 日 を決 定 す る こと
(ホ) 会 議 第 五 日 (二 月 二十 日)
(二) 国 民大 会 組 織 法 及代 表 選 挙 法 に改 正 を加 ふ べき こと なら ば 常
一、 中 央 民衆 訓 練 部 長 周佛 海 の辞 職 を許 可 し陳 公博 を後 任 に推 す案
不 易 の大 道 なり ﹂
一、 中 央宣 伝 部 長 劉盧 隠 を罷 め後 任 に邵力 子 を推 す案
務 委 員会 を し て之 を行 は し む る こと
に資 す る こと
(三) 国 民 大会 に関 す る提 案 は 凡 て常 務委 員会 に交 付 し て其 の参 考
に過 ぐ るた め今 後 主 席 制 を廃 し常 務委 員 制 を復 活 す る案
一、 中 央常 務 会 議 は 主 席胡 漢 民 の死 去竝 に副 主席蒋 介 石 の職 務繁 劇
等を議決せり
こ れ に引 続 き 三中 全 会 宣 言草 案 を附 議 せ し が討 論 の結 果修 正 す べ き 点 を生 ぜ し を 以 て閉 会 を 宣 す る こと 能 はず 改 め て 二十 一日 に開 会
了 せり
(一) 対 外 方 針
五 、 三中 全 会宣 言
斯 く て閉 会 式 は 二十 二 日 に行 は れ大会 宣 言 を発 し て 三中 全 会 は 終
式 を行 ひ宣 言 を発 表 す る こと と せ り
一、 主 席 団 の提 出 に か か る赤 化 根 絶 決議 案
(へ) 会 議第 六 日 (二月 二 十 一日)
﹁現 在 共産 党 は 辺境 の地 にあ り中 央 に誠 を誓 ふ と い ふ説 あ れ ども 共 産 党 の過去 に於 け る歴史 に徴 し て彼等 が真 に改 心 し て三民 主 義
会 等 に於 て決 定 せる方 針 に基 き て最 大 の忍 耐 と決 心 と を以 て国 家 の
支 那 は今 日 迄孫 文 の遺 訓 な る自 救 自 強 の道竝 に五 全 大会 、 二中 全
し国 民 革命 を破 壊 せ ん とす るも のな る を以 て方 法 の如 何 を論 ぜ ず 自
違 によ り武 力 闘 争 を 為す が如 き は国 家 と し て採 ら ざ る と ころ な り 共
す る目 的 に は変 り 無 く 、従 って同 一主義 の下 に於 て単 な る意 見 の相
力 を 以 て赤 禍 根 絶 を 為 さざ る可 から ず そ の他 民 衆 の組 織 及 訓 練 は 国
産 分 子 は最 近 共 同 禦 侮 の標 語 を以 て呼 び懸 け居 れ ど 過去 の歴 史 に照
民 党 の天職 な れど 、 国民 大 会 開 催 の準備 未 だ整 は ざ る を 以 て主 管 機
て和 平方 針 を抛 棄 す る こ と無 き も 万 一の場合 は最 後 犠 牲 の大 決 心 を
の対 日交 渉 も 全 く この方 針 に基 き しも の にし て過去 数 ケ 月間 折 衝 し
以 て外国 と の和 平 に対 し て最大 の努 力 を 為 し来 れ り。 二中全 会 以後
関 を 督 促 し て速 か に右大 会 を招 集 し 憲法 を制 定 し 民権 主 義 の基 礎 を
生 存 と民 族 復 興 の活路 を求 め 、和 平 全 く 絶 望 の時 に至 ら ざ れ ば決 し
屡々決 裂 に瀕 せ し が終 始 従 来 の方 針 を 恪 守 せ り 今後 も 右 方針 を継 承
な れば 、右 は孫 総 理 の民 生 主 義 に基 き農 、 工、 商 業 の発 展 を計 り 金
固 む る に努 む べく 、 ま た経 済 建 設 も 国家 統 一の進 行 上 重要 な る問題
(終 )
し 且 これ が進行 に努 む べく 若 し国 家 の蒙 る損 害 が吾 人 の忍耐 の程 度
融 経 済 の安 定 を策 せ ん
を越 ゆ る こと あ れ ば決 然 抗 戦 の態 度 に出 でん之 は単 な る自衛 の手 段 に止 まり 決 し て排 他的 意 味 を含 む も の にあ らず 然 れど 吾 人 の和 平 の 希 望 が全 く 断絶 せ ら れざ る以前 に於 ては 平等 互 恵 及 領 土 主権 互 尊 の
はし め (二 十 一日 の上 海 華美 晩 報 に発 表 さ れ し宣 言 文 には ﹁冀東 、
原 則 によ り漸 次 に解 決 を 策 し、 匪 偽 を し てそ の倚頼 す ると ころ を喪
察 北 の匪 偽 を し て そ の倚頼 す る所 を喪 は し め我 華 北 行 政 及 び主 権 の 障 害 を除去 し﹂ 云 々と あ り し が そ の後 削 除 し て発 表 さ れ た り) 以 て 主 権 の完 成 を期 す べし 然 る と き は両 国 の懸 案 は未 だ 完 成 に落 著 せざ る も和 平手 段 を 以 て紛 糾 を 解決 し得 べ き 可能 性 も漸 次 現 れ ん こ れ支 那 が挙 国 一致 し て最 も 短 き期 間 に貫徹 を期 す ベ きと ころ な り。 そ の 他 一般 の国際 関 係 は和 平 の原 則 に基 き政 治 的 協 調 及 経済 合 作 の実 現
(二) 対 内 方 針
に努 む べ き は勿 論 な り
和 平統 一は数 年 以 来全 国 民 の 一致 し て守 り 来 り し信 条 にし て、和 平 統 一と所 謂 内 戦 停 止 と は広 狭 の差 こそ あ れ民 族 の力 を集 め 目 前 の 国 難 を排 除 し民 権 主 義 の大 道 に踏 み 入 り国 際 間 の淘汰 よ り免 れん と
一
五
( 外務省情報部)
を 三中 全 会 に採 納 方 を電 請 し 、代 表 を三 中全 会 に派 し て請願 さ せ る
公会 の代 表 者 を 以 て上 海 各 界統 一救 国 大 同盟 が結 成 さ れ 、 そ の主 張
注 目 を 惹 い た 中 国 三 中 全 会 の経 過
三中 全 会 に対 す る各 派 の動 向
西 安 事 変 の後 を受 け て開 か れ た中 国 国 民党 の三中 全 会 ( 第 三次 中 央 執 行 委 員 全 体 会 議) の経 過 如 何 は各 方 面 の注 目す る所 であ つた。
海 各 界 救 国 聯合 会 は全 国 一致抗 日救 国 の請願 運 動 を 起 し 、十 四 日 に
な り、 上
は上 海 各 界 慶祝 三中 全 会開 幕 大 会 を開 き 、全 国 抗 日救 国 、 三中 全 会
ま た抗 日派 は 三中 全 会 の期 日 の切迫 と 共 に運 動 は 活溌
こと等 を決 議 し た の であ つた。
へら るゝ 容 共抗 日 政策 を如 何 に処 理し よう とす る かと いふ と ころ に
擁 護 を叫 び、 一致 抗 日 、 国 民会 議 招 集 、 即時 出 兵 、 失 地 回復 、 打 倒
特 に我 国 とし ては 同会 議 が曩 に張 學 良 等 に依 って主 張 せら れ たと 伝
重大 な関 心 を持 つた の で ある が 以下 簡 単 に三中 全 会 前 に於 け る抗 日
親 日派 、 擁 護蒋 委 員 長 領 導全 国 抗 日、 聯 合英 米 仏 蘇協 同反 日、 打 倒
日本 帝 国 主 義等 のビ ラを撒 いて示 威 運 動 を行 つた。 ま た中 国 共 産党
西 安 事 変 後 勢 力 を増 し た人 民戦 線 派 の抗 日救 国 運 動 に対 し て国 民 党 部 は 全 国 の人 心 を収攬 す る た め に人 民 戦線 派 に対 す る対抗 策 と し
を停 止 し 国 力 を集 中 し て 一致 対 外 す る こと
中 央 執 行 委 員会 は抗 日協 同 の目 的 から 三中 全 会 に対 し て
派 及 共 産 党 等 の策 動竝 に会 議 の経 過 に付 説 明 を加 へる こと 、し よう 。
て救 国 統 一運動 を企 て所 謂 国 民戦 線 運 動 を開 始 し、 一月 九 日上 海 に
催 で救 国 統 一運 動 討 論 会 が開 催 せら れ 、 そ の後 こ の運 動 は C ・C団
た救 国 統 一宣言 を発 表 し た が、 一月 十 七 日 に は中 国 文 化建 設 会 の主
一切 の反 統 一勢 力 を否 認 し 、全 国 一致 統 一救 国 運 動 の完 成 を声 明 し
政 府 を〓 覆 す る武 装 暴 動 方針 を停 止し
さ れ たき 旨 を電 請 し、 同時 に共 産 党 は
(一)全 中 国 内 に於 て は国 民
の 一切 の準 備 工作 を完 成 し 人民 の生 活 を 改善 す る こと の四項 を決 定
集 し全 国 人 材 を集 中 し て共 同救 国 を為 す こと
結 社 の自 由 を保 障 す る こと
(二)中 国 ソヴ ィ エト政 府 は
(二)人 民 の言 論 、 集会 、
(一)内戦
於 て封 建 的 残余 軍 閥 、 共 産党 及所 謂 人 民戦 線 或 は聯 合 戦線 、 そ の他
を 中 心 と し て全 国 各 地 に拡大 さ れ 二月 十 五 日 に はC ・C団 を中 心 と
(四 )迅速 に対 日抗 戦
(三)各 党 、各 派 、 各 軍 の代 表 会 議 を招
す る市 党 部 、文 化 建 設 会 、大 学 中 学 各 教職 員 聯 合 会 、 総 工会 及 同 業
没 収政 策 を停 止 し 堅 く抗 日民主 戦 線 の共 同綱 領 を執 行 す る 、 こと を
っ ては普 遍 的 、 徹 底的 民主 制 度 を実 現 し
(四)地主 の土 地 に対す る
(三 )特 別 区政 府 の区 域 内 に あ
中 華 民国 特 別 区政 府 と改 名 し 紅 軍 は国 民革 命 軍 と改 称 し何 れ も直 接
れば な ら ぬ。 これが 吾 々工作 の中 心 問 題 で あ る。 ま た西 北 の不安
はざ る領 土 を如 何 にし て保 ち衛 る ベ き かは 今後 の努 力 に俟 たな け
の益 々加 は る 際 、失 地 を如 何 にし て 回収 す べき で あ る か、 未 だ 失
に蒋 介 石 の脱 出 を見 、 秩 序 を 回復 し和 平 解 決 を告 げ た。 然 し国 難
安事 変 の発 生 は救 亡 図 存 の基 礎 に異 常 の動 揺 を 与 へん と し たが 幸
な ほ 三中 全 会 に出 席 し な か つた地 方 有 力者 の中 で山 西 の閻 錫 山 は
力 の充 実 に俟ち 、 進 ん で民力 の増 進 に俟 つ。吾 人 は如 何 にし て 民
作 を挫折 さ せ な い こと も 当面 の急 務 であ る 。惟 ふ に救 亡 図 存 は国
が未 だ去 ら な い今 日 、統 一と安 定 を 図 り既 定 の国 防 計 画 及剿 匪 工
南 京 政府 及 軍 事 委 員会 の指 揮 を受 け
自 か ら保 障 す る旨 を宣 言 し た と伝 へら れ て居 る 。
は何 等 の提 案 を し な か つた 。廣 西 の李 宗 仁 、白 崇禧 は 四川 の劉 湘 及
趙 不廉 、 除 永 昌 、李 鴻 文 を代 理 とし て出 席 せ し めた が 会議 に対 し て
開 会 式 に次 い で中 央党 部 会 議 室 に於 て予備 会 議 が開 かれ 、 (一)蒋
る か、 これ ま た当 面 に解 決 を要 す る問 題 で あ る。﹂
権 主 義 に基 き民 主 政治 を樹 立 し以 て建 国 の工作 を完 成 す ベ き で あ
(三 )民
(一)対 日抗 戦 を発 動 し て危 亡 を救 ふ
在 廣 西 の中 央委 員 と の連 名 を 以 つて、 目 前 の対 日抗 戦 、危 亡 挽 救 に
(二)民 衆 を組 織 訓 練 武 装 し て抗 戦 動 員 の基 礎 と な す案
関 す る最 低 限 度 の方策 とし て 案
介 石 、汪 兆銘 、 戴 天 仇 、 王法 勤 、馮 玉 祥 、于 右 任 、 孫 科 、鄒 魯 、居
(三)会 期 を 三 日乃 至 五 日 と す る こと
(四 )提案 審 査委
(二) 葉 楚〓 を会 議 の秘 書長 に推
正 を会 議 の主 席 団 に推薦 す る こ と 薦 す る こと
衆 の愛 国 言 論 を保 持 し て愛国 運 動 を開 放 し て救 国 の力 量 を拡 大 す る
会議 の経 過
案 を提 出 し た と報 ぜ ら れ て居 る。 二
(五 ) 提 案 は審 査 委員 会 の審 査 を 経 て主席 団 に送
員 会 は党 務 、政 治 、 経済 、教 育 、 軍 事 の五組 に分 ち そ の人 選 は主 席 団 に 一任 す る こと
斯 く て 二月 十 四日 ま で に提 出 せら れ た 議案 は馮 玉 祥 、李 烈鈞 等 の 救 國 禦 侮 に関 す る建 議 案 を初 め 二十 数 件 に達 す る に至 り、蒋 介 石 も
六日 よ り 正式 の会 議 に入 った の であ る。
付 す る こと竝 に十 七 日 を 以 て提 案 の受 付 を締 切 る こと を 決議 し 、十
△会 議第 一日 (二月 十 六 日)= は 先 づ綴 遠 陣 没 将 士 及 西 安事 変 犠 牲
上海 よ り帰 り 余漢 謀 、 曾 養甫 、沈 鴻 烈 、商 震 、張 発 奎 、何 成 溶 、徐
者 の黙祷 が あ つ て議 事 に 入 り予 備 会議 々事 録 、 秘 書処 報 告 、提 案 審
源 泉 、 秦 徳 純 、 何柱 國 等 の中 央 委 員 も 続 々入京 し 、愈々 十 五 日午 前 九時 から 中 山陵 前 に於 て開会 式 が行 は れ 、蒋 介 石 は出 席 せず 百 七 十
十 七 名 、経 済 組 孔 祥煕 以 下 三十 一名 、教 育 組 王 世杰 以 下 二十 五名 、
査 委 員会 委 員 名 (党 務組 陳 立 夫 以 下 三 十 八名 、 政 治組邵 力子 以 下 四
軍 事 組何應 欽 以 下 三 十 五名 ) 党 務 報告 ( 常 務 委 員 会 、組 織 部 、 宣 伝
六 名 の委 員 が 参 集 し、汪 兆銘 は左 の如 き 開会 の辞 を述 ベ た の であ つ
﹁全 国 の和平 統 一は 二中全 会 の宣言 に基 き著 し い進 歩 を示 し 、西
部 、 民衆 訓 練 部 各 報 告) 政 治 報 告 (中央 政 治 委 員 会 、 行 政院 、 立 法
た。
の成 績 を 挙 げ 、同 胞 に 一線 の希望 と無 限 の勇気 と を与 へた 。西
北 の共 匪 は 自 滅 に垂 んと し 、 ま た綏 遠 の役 に於 け る奮 闘 は守 土 禦寇
総事 務 所 の 工作 報 告 が あ った後 に党 務 組 、 政治 組 及教 育 組 各 審 査 委
△会 議 第 三 日 (二月 十 八 日 )= は孔 祥 煕 の財 政 報 告及 国 民大 会 選 挙
あ つた他 何 等 の討 議 も 行 は れ な か つた。
と を報 告 し た後 議 事 に入 り 、何應 欽 の軍 事 報 告 及張 群 の外 交 報 告 が
し て汪 兆銘 、 戴 天 仇 、 葉楚〓 、邵 力 子 、陳 布雷 の五名 を指 名 し た こ
△会 議第 二 日 (二月 十 七 日 )= は主 席 団 より 大 会 の宣 言 起 草 委 員 と
した。
の審 査 に附 す る こと及 政 治 報 告 を政 治 組 の審 査 に附 す る こと を決 議
院 、考 試 院 、司 法 院 、 監察 院 各報 告 ) があ り更 に党 務 報 告 を党 務 組
請 う た の で、 依 つて自 分 は中 央 に提 出 す る こと は差 支 へが な いが
し た と ころ 張 は 自 分 が帰 京 し た後 に これ を中 央 に提 出 す る こと を
と系 統 が あ る から 何等 か異 見 が あ るな ら ば中 央 に陳 情 す べき を 諭
自 分 を南 京 に送 還 す る こと を命 ず ると 共 に、 当国 に は 一定 の組織
る こと の実 行 を 自 分 に強 要 し た ので自 分 は 張 に対 し て、 罪 を 悔 い
孫 総 理 の遺 嘱 を確 実 に遵 守 す る こと
自 由 を保 護 す る こと
国 の政治 犯 を釈 放 す る こと
と
し各 党 各 派 を交 へ救国 に当 る こと
(七 )
し 詳 細 な 検 討 が あ つた が、 こゝ に張 の要 求す る 八項 目 の主 張 に対
(八 )救 国 会議 を即 時 召 集 す
(六)民衆 の愛 国 運 動 を 釈 放 す る こと
(五)人 民 の集 会 、結 社 そ の他 一切 の
(四 )全
員 会 か ら提出 され た各 議案 を 上程 し、 討 論 の結 果 二十 数 件 の議 案 が
三中 全 会 に於 ては西 北 の善 後 措 置 に適 当 の支 持 を与 へて国 事 に対
自 分 は張 の主 張 には不 賛 成 で あ る こと を 必ず 声 明す ると 答 へた 。
(二)一切 の内乱 を停 止 す る こ
通 過 し た。 そ の議案 は 政治 に関 す るも のは災 民救 済 、 官 吏 制 度 の改
(三 ) 上 海 に於 て逮 捕 し た愛 国 の領 袖 を 釈 放 す る こと
正 、 地方 自 治 の改革 等 で教 育 に関 す るも のは学 校 制 度 の改 善 及 教 育 費 の増 額 に関 す る も のが主 で あ る。 な ほ李 宗 仁 等 が提 案 し た 民 衆 を
こ れ に対 し て大 会 とし て は蒋 の取 つた 措置 に 対 し て深 く感 謝 慰 問
す ると 共 に、事 変 のため に殉 職 し た 文武 官 に対 し ては 哀 悼 の意 を表
す る経 過 を 述 べ て参 考 とす る次 第 であ る 。 ﹂
示 す るも の であ つて、 特 に叛 乱 者 が蒋 に要 求 し た所謂 八項 に 対 し て
組 織 訓 練 し て抗 敵 総 動 員 の基 礎 を鞏 固 にす る案 及 愛 国 的 言 論 を 保障
参 考 意 見 と し て採択 し中 央 に交 付 す る こと に な つたと 伝 へら れ て居
蒋 が厳 然 これ に反 対 した のは 感佩 に堪 へぬ 。 こ の種 の要 求 は そ の内
し 愛 国 運 動 を 解 放 し て救 国 の実 力 を 増 大 せ しむ る案 も 上 程 さ れ た が 、
△会 議第 四 日 (二月 十 九 日 )= は蒋 介 石 よ り西 安 事 変 の経 過 に関 す
る。
(一)地方 自 治 綱 領
(二)世 界 回教 国 家 と の政 治 、 経 済 、
教 育 、文 化 関 係 の発 生 方 に関 す る 一定 方 針 確 立案 は中 央 政 治 委 員 会
草案 は常 務 委 員 会 の研 究 に附 し
次 い で討 議 に入 り各 審 査委 員 会 か ら上 程 した
上 げず 唯悔 悟 者 に対 し ては 追 求 し な い ことゝ し た旨 を決 議 し た。
に、 国 法 及軍 規 上 許 す べ か ら ざ る は勿 論 、本 大 会 に於 て も これ を取
容 の如 何 を問 はず 叛 逆 の行 為 と 脅 威 の方法 に よ つたも の であ る が故
﹁西 安事 変 は全 国 軍 民 の正 義 によ り叛 乱 者 を 悔 悟 せ し め平 静 に帰
る左 の如 き報 告 書 が提 出 さ れ た 。
す る こと を得 、自 分 は十 二 月 二十 六 日帰 京 し 張 學 良 も自 首 し た。 当時 叛 乱 派 は国 事 に関 す る主張 を通 電 し 外 間 の注 意 を起 し た が自
(一)南 京 政 府 を 改 組
分 は終 始 張 を叱 責 し たた め張 は全 部 の意 見 を言 ひ尽 さず 、事 変 発 生 後 の第 三 日 に至 つ て初 め て所 謂 八 項 即 ち
(三)鞏固 な和 平統 一実 施 方 策 確 定 案 は 政治 委 員 会 の (四 ) 庫 金 三百 万 元総 理紀 念 学 術 奨 励 金 設 置案 は文 化 事
(一)主 義 の相 容 れ な い所 謂 紅 軍 及 そ の
れ を 放 任 し て置 く こと は出 来 な い。 よ つて中 央 の執 る べき 当 面 に 於 け る最 低 限度 の便 法 は
の審 議 に移 し 審 議 に附 し
ィ エト政府 及 そ の他 国 家 統 一を 破 壊 す る組 織 を徹 底 的 に取 消 す こ
他 類 似 の名 目 を有 す る武 力 は 徹 底 的 に取 消す こと
と
(二)所 謂 ソヴ
こと 等 の各提 案 を決 議 し た。 ま た蒋 介 石 か ら提 出 され た 二 月 十 八 日
業 計 画 委 員 会 を し て更 に辨 法 を攻究 せ し め常 務 委 員 会 の決 議 に移 す
附 本 兼 各 職 辞 職 呈 文 は主 席 団 から慰 留 方 の意 見 附 で上程 さ れ た が 、
る階 級 闘争 を根 本 的 に停 止 せ し む る こと の四点 で あ る が、 要 す る
し む る こと
(四)武 装 暴 動 の手 段 に出 て社 会 民 衆 の不 安 を 招 来 す
国 民 党 は国難 の折 柄蒋 の領 導 の下 に努 力邁 進 を望 む を 以 つて こ の際
(三 )三 民主 義 と絶 対 に相 容 れな い赤 化 宣 伝 を根 本 的 に停 止 せ
辞 職 の願 出 は 聴 届 け な い こと に全会 一致 を 以 て決 議 し た 。
(一) 今年 十 一月 十 三日 三 民大 会 を開 き憲 法 を制 定 し竝 に そ の施
活 し 歴史 的光 栄 を継 承 し て三 民 主 義 を実 現 し得 べき こ とを 知 る こ
を 恢 復 し て 独立 自 主 の人 格 を 樹 立 し得 れ ば、 支 那 固 有 の版 図 を復
為 のあ る こと を許 さ ぬ。 吾 人 は 先 づ支 那 民族 固 有 の精 神 と 道 徳 と
に独 立自 主 の国 に於 ては 断 じ て反 国家 、反 民 族 にし て而 も 外 力 に
行 期 日 を決 定 す る こと
附 加 す る国 体 の存 在 及 民 生 に有 害 に し て道 徳 を破 壊 す る が如 き行
(二) 国 民 大 会組 織 法 及 代 表 選挙 法 に改 正 を加 ふべ き こと が あ る
と が 出来 る 。即 ち 赤 化 の根 絶 は 支 那 の国 家 民 族 擁 護 の不 易 の大 道
△会 議 第 五 日 (二月 二十 日 )= は主 席 団 提 出 の国 民 大会 に関 す る議
な ら ば 常務 委 員会 を し て こ れを行 は し む る こ と
一、中 央 民衆 訓 練 部 長 周 佛 海 の辞 職 を許 可 し 陳 公 博 を 後 任 に推 す
である。 ﹂
案 を 上 程 し 左 の如 く決 定 し た 。
(三 ) 国 民 大会 に関 す る提 案 は 凡 て常 務 委 員 会 に交 付 し て そ の参
一、中 央 常 務 会 議 は主席 胡漢 民 の死 去竝 に副 主 席蒋 介 石 の職 務 繁
一、中 央 宣 伝 部 長 劉蘆 隠 を罷 め後 任 に邵 力 子 を 推 す 案
案
考 に資 す る こと これ に引続 き 三中 全 会 宣言 草案 を附 議 し た が討 論 の結 果 修 正 す べ
劇 に過 ぐ る ため 今 後 主席 制 を廃 し常 務 委 員 制 を 復活 す る案
き点 を 生 じ た ので閉 会 を宣 す る こと が出 来 ず 改 め て二十 一日 に閉 会
△会 議第 六 日 (二月 二十 一日 )= は主 席 団 の提 出 にかゝ る赤 化 根 絶
一 対 外 方 針
三
三 中 全会 宣 言
会 は終 つた の であ る。
斯 く て閉 会 式 は 二十 二 日 に行 は れ 次項 の如 き 宣 言 を 発 し て 三中 全
等 を議 決 し た。
式 を 行 ひ宣言 を発 表 す る ことゝ な つた。
決 議案 ﹁現在 共産 党 は辺 境 の地 に在 り中 央 に誠 を 誓 ふ と い ふ説 が伝 へら れ て 居 る が 、共 産 党 の過 去 に於 け る歴 史 に徴 し て彼 等 が真 に改 心 し て三 民主 義 に服 従 し 、国 法 軍 令 を遵 守 し て支 那 の良 民 とな る の でな け れば 中 央 は国 家 の治 安 の、 維 持 人 民 の生命 財 産 の保 護 上 こ
の生 存 と 民族 復 興 の活 路 を求 め 、 和平 が全 く絶 望 の時 に至 ら な け れ
全 会 等 に於 て決 定 せ る方 針 に基 いて最 大 の忍 耐 と決 心 と を 以 て国 家
支 那 は今 日 ま で孫 文 の遺 訓 であ る自 救 自 強 の途竝 五 全 大会 、 二中
う とす る目 的 には変 り が なく 、 従 つ て同 一主義 の下 に於 て単 な る意
の国 難 を排 除 し 民権 主 義 の大 道 に踏 み 入 り国 際 間 の淘 汰 から免 れ よ
で あ る。 共 産 分 子 は最 近、 共 同 禦 侮 の標 語 を 以 て呼 懸 け て居 るが 過
見 の相 違 によ り 武力 闘 争 を為 す が如 き は国 家 と し て採 ら な いと ころ
去 の歴 史 に照 し 国 民革 命 を破 壊 す るも ので あ る か ら、 方 法 の如何 を
ば 決 し て和 平 方針 を抛 棄 し な い が万 一の場 合 は最 後 犠 牲 の大 決 心 を
は な い から 主 管機 関 を督 促し て速 か に右 大 会 を招 集 し憲 法 を制 定 し
以 て外 国 と の和 平 に対 し て最 大 の努 力 を為 し て来 た が、 二中 全 会 以
民 権 主 義 の基 礎 を固 む る に努 む ベ く 、 ま た経 済 建 設 も国 家 統 一の進
論 ぜず 自 力 を 以 て赤 禍 の根 絶 を為 さな け れ ば な ら ぬ 。 そ の他 民衆 の
を 継 承 し 且 これ が進 行 に努 む べく若 し国 家 の蒙 る損 害 が吾 人 の忍 耐
行 上 重 要 な る問 題 で あ るが 、 右 は孫 総 理 の民 生 主 義 に基 き農 工商 業
組 織 及 訓 練 は 国 民党 の天 職 で あ るが 、 国 民 大会 開 催 の準 備 が未 だ整
の程 度 を越 ゆ る こと が あ れば 決 然抗 戦 の態 度 に出 る が、 これ は単 な
屡々決 裂 に瀕 し た が終 始 従来 の方 針 を 恪守 し て来 た 。今 後 も 右 方 針
る自 衛 の手 段 に 止 ま り決 し て排 他 的意 味 を含 むも の では な い。併 し
の発 展 を 計 り金 融 経 済 の安 定 を 策 す る で あら う 。
後 の対 日 交 渉 も 全 く こ の方針 に基 い た のも の で過 去 数 ケ月 間 折 衝 し
乍 ら 吾 人 の和 平 の希 望 が全 く 断 絶 せ ら れ な い以 前 に於 ては 平等 互 恵 及 領 土 主権 互尊 の原 則 に より 漸 次 に解 決 を策 し、 匪 偽 を し てそ の倚 頼 す る と ころ を喪 はし め (二十 一日 の上海 華 美 晩 報 に発表 さ れ た宣
北 行 政及 主 権 の障 害 を除 去 し ﹂ 云 々と あ つた が これ は そ の後 削 除 さ
言 文 には ﹁冀東 、 察 北 の匪 偽 を し て そ の倚頼 す る所 を 喪 は し め我 華
れ て発 表 さ れ たも の であ ら う ) 以 て主 権 の完 成 を 期 す べ し 。然 ると き は 両国 懸 案 は未 だ完 全 に落 著 し な いと は 難 も 和平 手 段 を以 て紛 糾 を解 決 し得 ベき 可 能 性 が漸 次 現 は れ て来 る であ ら う 。 これ支 那 が挙 国 一致 し て最 も短 い期 間 に貫 徹 を期 す べき と ころ で あ る。 そ の他 一 般 の国 際 関 係 は和 平 の原 則 に基 き政 治 的 協 調 及 経済 合 作 の実 現 に努
対 内 方 針
む ベ き は勿 論 であ る。 二
和 平 統 一は数 年 以来 、 全国 民 が 一致 し て守 つて来 た信 条 であ る が、 和 平 統 一と所 謂 内 戦 停 止 と は広 狭 の差 こそ あ れ 民族 の力 を 集 め 目前
本 田 中華 民国 在 勤 帝 国 大 使 館附 武 官 )
事 変 発 生 の直接 原 因 た り し共 産 党 問 題 と其 の表 面 的 理 由 た り し抗 日
(昭和 十 二年 二月 二 十九 日上 海
三中 全 会 に就 て
滬情報第五号
次
六
観
問 題 の討 議 を 以 て中 心 と なす も の にし て内外 の視 聴 を 集 め 会 議 は 二
目 一、概
の内 容 は 外 間 の窮 知 を許 さず 例 に依 り 大会 宣 言 を以 て全 部 を 糊 塗 せ
の大 会 を 開 き 中央 地方 幾 多 の提 案 を 議 了 せ る も のな る が其 の重要 案
り 、 会 議 は 事前 に於 け る蒋汪 合 作 の対 外 、対 内 政 策 を 反 映 し 安 内攘
月 十 五日 開 会 式 を行 ひ同 二十 二 日朝 閉 会 式 を挙 行 し 中 間 六 日 に六 回
(一)西安事変 の善後問題
外 を基 調 と し て
二、会議 の経過
(二)容 共 問 題
三、大会 の各種重要議題 と各派 の態度
(三)抗 日 問 題
進 し 、 対 日外 交 は平 等 互 恵 、 領 土主 権 相 互 尊 重 の原 則 下 に日華 国
一、 対 外 政策 は集 団 安 全 制 度 を 擁護 し国 際 和 平 の路 線 に沿 ひて前
(ロ) 人民戦線 の提案
交 の調整 を期 し其 の初 歩 的 解 決策 と し て冀 東察 北 を収 復 し華 北 行
(イ)廣西派 の一 提案 (ハ)共 の他 の提案
般 に開 会 前 の空気 に比較 し て奇 異 の感 を さ え覚 えた る如 き も 大 会 宣
等 を掲 げ た るも の にし て 五全 大 会 以 来 の宣言 の骨 子 と異 る処 な く 一
唱 農 業 政 策 、 工 業 政策 、財 政 金 融 政 策
の下 に共 産 党 の国 内撹 乱 を排 撃 し国 民 大 会 の召集 、 経 済 建 設 の提
一、 対内 政 策 とし て は ﹁精誠 団結 、 共 赴 国難 ﹂ の ﹁ス ロー ガ ン﹂
政 主権 の障 碍 を除 去 し
論
観
(ニ)抗 日法案 に対する政府 の態度 四、結
一、概
三中全会 に就 て 西安事変善後処置 の為 に開催す る事となりたる三中全会 は当然該
言 の ﹁べ︱ ル﹂ の裏 面には尚相当重要 な る決議 を秘 められあ る如く
の抗 日国防鞏化案 、宋哲元 の防共提案等は決定 を見ざ りし如く報 ぜ
るも李烈鈞、馮玉祥等 の言論自由、政党開放等左傾的提案 及廣西派
第 四次会議は十九 日午前九時より開 かれ此 日軍事委員長蒋介石 よ
蒸の末季宗仁等 の提案 のみ修正採択されたる如 し
基く容共問題及廣西派 の提案馮玉祥等 の提案 も上程 され相当議論沸
党務、政治教育 に関す る提案三十余件を提案討議 し共産党 の提案 に
第 三次大会は十八日午前九時 より開かれ孔祥煕 の財政報告 に次ぎ
りし に非ず
当 日国民政府は張學良 の公権 を復活したるが三中全会 の決議 によ
ら れたり
兎 も角此次 の会議 に於 て注意されたる点 は容共政策 の採否如何 が議 題 に上りたる事 にし て国民党が民国十 六年国共分裂以来 の剿共政策 の放棄或 は修正 を余儀なくする に至 りたる事を立証するも のにし て 同時 に従来全然握り潰し に終りたる ﹁即時抗 日﹂案 が討議 されるに 至 りたる事は中日関係緊迫 の度 を加 へつつあ る事を物 語るものな る ベし 左 に会議 の経過及其 の議題等 に就き検討す べし 二、会議 の経過
り西安事変 の経過 を報告し張學良等反軍 の要求 せし八項目を上げ自
三中全会は二月十五日午前 八時半中山陵前 に於て開会式典 を行 ひ 十 一時半中央党部 に集合 して季員百七十余名出席 し居正 を主席とし
分とし ては斯かる主張 には不賛成なるも取捨可否は衆議 により決定
さ れ度しと述 べ西安滞留半月間 の手記 を提出し本兼各職 の辞職 を申
て左 の決議 を行 ひ十 五分 にし て閉会せり (一)蒋中 正、汪兆銘、戴傳賢、王法勤 、馮玉祥、于右任、孫科、
の主張内容 の如何 を問はず反逆行為脅迫 方式 に出 でたる以上乱 をな
すも のと認むるも寛大 に処置すと の意 を示し蒋介石 の辞職 は慰留 さ
出 でたるが大会 は八項 の要求は受理せざ る事 を表明し西安事変 は其
れ て留任 に決 せり当 日張継等より満族主管機関設置案出でたるも再
鄒魯、居正、 の九委員 を第 三次全体会議主席 団とす (三)全体会議期間 は三日乃至五日とす
度審査委員会 に附託せり
(二) 葉楚〓 委員 を第 三次全体会議秘書長 とす (四)提案 審査委員会 は党務、政治、経済、教育、軍事五組 に分ち
第 六次大会は二十 一日午後 三時 より開かれ此日主席団提案 の抗日
会期 を延長す るに至 れり
正 の上通過せり其 の他 の重要提案 上程 されたるも議 論岐 して決 せず
当日大会宣言起草委員会 の提出 せる宣言草案 に就 き長時間討論修
本年 十 一月十 二日召集 に決定せり
第五次大会 二十 日午前開かれ主席団提出 の国民大会問題 を決議し
各組審 査委員 人選 は主席団之 を決定し大会 に報告す 第 一次大会 は十 六日午前九時 より中央党部 に於 て開 かれ先づ党務 政治、軍事 、経済 、教育等各機関 の報 告が行 はれ次 に主席団より各 組審 査委員会 の指定 人名 を発表し各組審 査委員会 は同日午後 夫 々集 第 二次大会 は十七 日午後九時 より召集 し主席団 の報告、何應欽 の
会 して提案内容を審査せり 軍事報告、張群 の外交報告等 あり此日各提案正式に上程討議 された
も抗日問題等 の具体的内容は発表 されず唯共産党 の提 議せる五項 の
問題等各種 重要法案上程され最後 の討議決定行はれたりと の事な る
が約 一週間滞在 し協議 を遂げ たりと の説伝はり三中全会 に対し て共
量 を集中 して抗 日せよと宣伝 し つつあり蒋介石 の奉化滞在中周恩来
共産党 は近来 ﹁ 停 止内戦﹂﹁協力対外﹂等 の口号 を掲げ 全 国 の力
︹ソ ビエ ト︺
動 の方針を停止す
(1)共産党は全国 の範囲内 にあり て国民政府 を推倒す る武装、暴
産党 より左 の如き提案 をなす と共 に各方面 に通電 せりと云はる
要求 に対して条件附容納 に決定 せり 閉会式は二十 二日午前九時 より開 かれ于右任全会宣言 を朗読し閉 会 とな つたが蒋介石は中央社を通じて言論開放、人材 集中 、政治犯 赦免等 に就き意見 を発表し汪兆銘 は外交部記念週 にて容共反対 の演 三、大会 の各種重要議題 と各派 の態度
説 をなし各 々其 の態度を明白 にせり (一)西安事変 の善後問題 西安事変 の現 地に於け る処置は三中全会開会前 に 一段落 を告げ た るも西北側 の要求 たる張學良 の放還及抗 日を目標とする八項要求 に 対す る三中全会 の表示如何は注目されし所なりし が學良 の公権復活 問題 は相当異論起 り三中全会とし て取扱 はず行政院は十七日命令 を 以て復活せしむるに至 れり、蒋介石 の張學良 に対す る個人的立場 に 八項 の要求は蒋介石 より西安事件 の報告 と 一括し て之を述 べ採否
出 でたるも のの如 し は大会 の決定 に転嫁 せり、大会は之を受 理せず放任す る形式を採 り 張學良以下 の行動 を反乱者と認め而 し て孫総 理の寛大仁恕 の遺教 を 体 し自ら悔を改むる者 に対し ては其 の誠実 を認め絶対 に追究 せずと 既往 を咎めざる ことを表示せり之を以て西安事変 に対する形式的処 置完了 せるも のなるが西北側八項 の要求 は其他各派 の提案 たる抗 日 救国案 と同巧異曲 のものなるを以 て大会 としては表面 一蹴 せし事 と (二)容 共 問 題
なりたるも他面 に於 て其 の意志 を採 択容認 せし が如し
なる に非ざ れば中央は国家治安維持 を保持し全国 人民 の生命財 産
り然 らざれば必ず痛剿す云 々﹂
と発表 せし が三中全会 の表示 と共通し共産党 の提議とも相接 近す る
も のにして外見的 には共産党 を否認 せしも実際 に於 ては既 に討伐 を
中止し政治的解決を計らんとしつつあるが如く而 して解決すると否
を保護 する為巧言暴行 の徒 を容 れ民族無彊 の深憂 を胎 す を得 ず 目前最低限度 の辨法に就 て云 えば
とは猶曲折 あるべし (三)抗 日 問 題
第 一に 一団 の軍隊 は編 成 の統 一号令 の統 一を必要 とす故 に徹底 的 に其 の所謂 「紅軍﹂及其 の他名目 の武力を取消すべし
三中全会 には各方面より抗 日案提出 され主席団 としては綜合 的提 に現 はれたるも の左 の如し
案 をなし討議決定したる趣 なるが未 だ其 の内容 に接 せざ るも大会中
第 二に政権 の統 一は国家統 一の必要条件なり須 く徹底的 に所謂 第 三に赤化宣伝と救国救 民を職志となす三民主義 とは絶対 に相
(1)迅速 に民衆訓練 を組織 し民衆 を組織 せしめ以て抗敵総動員 の
第 三次大会 に於 て討議し左 の如く決議 せり
李宗仁、白崇禧等廣 西派 より抗 日の即時実行案 を提出 し十八日 の
(イ)廣西派 の提案
「 蘇維埃政府﹂及其 の他 一切破壊統 一の組織を取消すべし 容 れず吾国人民 の生命 と社会生活 は又極端 に相反 す故 に須く其 の 赤化宣伝を取消す べし 第 四に階級闘争 は 一階級 の利益 を本位 となすも のにして其 の方
基礎 となるベしと の提案 ( 李宗仁外 二委員提案 )は審査意見 に照
法 は正 に整然たる社会 をして種 々対立 の階級 に分成 し之 をして相 殺 し相仇視せしめ必ず奪取 民衆 と武装暴動 の手段に出 づ故 に須く
らし中央党務委員会 に交 付し廣西民団組織及各省 にて実行中 の組
拡大す べし との提案 (李宗仁以下委員数名)は審査意見 に照らし
(2)民衆 の愛国言論を保障し民衆 の愛国行動を解放 し救国力量を
め系統的 に施行せしむ
織実際 工作 の内効果ありたるも のを参照し て妥当辨法 を決定 せし
根本的 に其 の階級闘争 を停止す べし 之 を要す るに凡そ独立自主 の国家は断じて反 国家反民族 にし て 中華民族固有 の精神 と道徳 とを恢復し中華民国 独立自主 の人格を
外国 に依附する の団体 を容許す るを得ず ⋮⋮吾 人は須く必ず先づ 樹立し万全能 く中華 民国固有 の版図を恢復し得るも のなることを
中央常務委員会 に交付適宜 実行 せしむ
孫文未亡人宋慶齢 の提案 にして李烈鈞、馮玉祥、孫科等 の連署 に
(ロ) 人民戦線派 の提案
て三中全会 の此 の決議 には満足 せざ りし が如し
廣西代表等 の表示する所 では本提案 は即時抗日を要求 せるも のに
知 るべし云 々﹂ 等 と共産党を痛撃すると共 に 一面容納 の条件を表 明せり、 一月三十 日陳誠は陵西 の陣中 に於 て ﹁共産党が若 し第 三国際を脱離し階級闘争 を放棄し、蘇維埃組 織 を取消し匪軍建制 の偽中央を解散するに於 ては亦収容す るも可な
と述 べ た り と報 ぜ ら れ た り 、大 会 の空 気 が対 日強 硬論 で囂 々た りし
とし 同 時 に日華 交 渉 に於 け る中 国 側 の立 場鞏 化 の為 蘇 聯 始 め 英 米
九 二七年国共合作 せる時代 に溯り孫総理 の三民主義再建 設を強調 し
に引 替 え大 会 宣 言 文 は頗 る和 協 的 な る も のな り 、 宣 言 の起 草 は汪 兆
仏 列 強 と の友 好関 係 を増 進 せ ねば な ら な い﹂
中国共産 党、労働者農民等を 一丸 とし抗日陣線を強化すベしと云ふ
帰 国直 後 の発 表 と同 一な る に徴 し蒋 注 の合 作 に より 両 者 の意 志 を反
銘 、葉 楚〓 、 戴 傳賢 、邵 力 子 、陳 布 雷 の五名 にし て文章 は 圧 の欧 洲
よりて提案 せしも のにして抗 日陣線強化 の為対外 的 には蘇聯、米国、
にあり て宋慶齢 は長文 の意見書を公表 して之 を強調した るが要す る
英国、仏国 と結 び太平洋集団安全 の為共同戦線 を張 り対内的 には 一
に太平洋集団共同抗 日陣線 と容共政策 による国内各派 の聯合戦線 を
論 今 回 三 中全 会 の特 色 は
四 、結
映 し た る も のな るべ し
(一) 国 民大 会 の召 集
此の二政策は統 一戦線派以外 の各派を率 ひんとす る傾向あり相 当有
張 るべしとなすも のにて提案 そのも のは通過 を見ざ りし如くなるが 力 な働 きをなしたるものの如く全会 に於 ても共 の主張 は相当参酌採
期 に し て已 に冀察 及 海 外 の 一部 を除 き代 表 の初 選 を終 了 せ る も の に
国 民 大 会 の召 集 は国 民党 は党 政 解 除 憲 政 実施 に移 る べ き重 大 変 化
(二) 西 安事 件 の善 後 処 置 に し て
用 したる如し 西北方面 の抗日提案 は張學良等 の八項要求 の実行 に在 りしが如く
(ハ)其 の他 の提案 此 の外張継 の提案満族主管機関設置案は対日紛争 を顧慮 して再度審
て再 度 延 期 す る事 な か る ベ し
で全 会 への提 案 中 に織 り 込 ま れ た る も のの如 く な るが 大 会 の結 果 を
従来 の安 内攘 外 が攘 外 安内 へと の大 転 換 を要 求 し 各 方 面 に共鳴 者 出
西 安 事 件 は抗 日救 国 を ﹁ス ロー ガ ン﹂ とし て起 り容 共抗 日 と な り
査 に附 されたる如し 中央提案 の国防充実等 に関 する案 は 一般 に秘されたる如 し
観 るに
(二)抗 日法案 に対す る政府 の態度 ﹁失はれたる領土を収復 し又失 はれざ る領土を保衛する為 には我
るま では日本 を殊更 に刺戟 するが如き愚劣な手段を改変 し表面上
﹁ 中国 は挙国 一致対日軍備 の充実 を図り対日抗 戦必勝 の確信 を得
努 め 他 日 の抗 日 戦 に備 ふ
(三) 全 面 的 衝 突 を 極 力 避 け 蘇 、米 、仏 、 英 と の共 同 戦 線 の結 成 に
(二) 即 時 抗 日を 排 す る も冀 東察 北 の収 復 に就 き 外 交 々渉 を 開 始 し
進 め ら る べし
(一) 共産 党 容 納 は 共 産 党 と し ては絶 対 に許 さゞ るも 事 実 容 納 工作
汪兆銘 は開会 に際し 等は今後共努力を続けざるベからず」
日華関係調整 を希 望するか の如く装 ひ日本 に対処すベきであ るが
大 会 宣言 の示 す 処 も 暑 以 上 数 点 を 摘出 し得 ら れ向 後 其 の動 向 に就
と頗る概念的表示をなし外交部長張群は
日華外交 々渉再開 に当りては平等互恵主権領土 の完整保持 を原則
き充 分 の注 意 を要 す る も の の如 し
我 等 は依 然 と し て平 等 互 恵 、 領 土主 権 相 互 尊 重 の原 則 を確 守 せ
附 記 、大 会 宣 言 文中 の 一節
ん ことを願 ひ 日華 国 交調 整 の努 力 を放 棄 せず 其 の初歩 解 決 を 求 め る、 即 ち冀 東 察 北 匪 偽 を し て其 の拠 る と ころ を 失 は し め我 華 北行 政 主 権 の障 碍 を除 去 し完 整 せし む る に在 り 左す れ ば 両国 の懸 案完
(終 )
全 には落 着 せず と も和 平 方法 に よ り紛 糾 を解 決 し 得 る こと を端倪 し得 ら れ 我国 々家 生 存 の最 低 限 度 の要 求 な り云 々
七
一、緒
支那時局報第四号
三 中 全 会 に 就 て
言
国 民党 第 五 次中 央 執 監 委員 会 第 三 次 全 体会 議 は予 定 の如 く 一一 月十
(昭和十二年三月十日
参謀本部)
述 ベ次 で午前十 一時 より中央党部 に於 て予備会議を行 ひ左 の決議 を
抑 々本 次大 会 は昨年 の日支 南 京交 渉 、綏 遠 事変 、西 安 事 件等 の後
三、会期は三日乃至五日とす
二、葉楚〓を秘書長 とす
鄒魯、居正を主席団とす
一、蒋介石、汪兆銘 、戴傳賢、王法勤 、馮玉祥、于右任、孫科、
為す、出席者前 に同じ
を承 け 対 日方 針 、対 共 産党 問 題 、 国府 の改 造 、 国 民 大会 の決 定等 重
四、提案審査委員会 は党務、政治、経済、教育、軍事 の五組 とし
五 日 よ り南 京 に開催 せ られ た り
議 一回、 各組 審 査会 議 四 回 、主 席 団 会議 八 回 に及 び 予定 会 期 を超 過
要 問 題 山 積 し あ りし を 以 て審 査 案 件 百 を越 へ、 本 会 議 六 回、 予備 会
其人選 は主席 団に 一任す
補 委 員 三十 九 名 、中 央 監察 委 員 林 森 以 下 二十 九 名 、 同候 補 委 員 二十
党 務組 陳 立夫 以下三十八名
主席 団 の選定せし審査委員左 の如し
七日迄 とす
五、提案は審 査委員会 の審査を経 て主席団 に送付す べく受 付は十
す る こと実 に三 日同 二十 二 日漸 やく 終 了 せ り
一名 計 七 十 六名 に及 びし も 地方 有 力 者軍 閥 た る中 央 委員 韓 復榘 、宋
政治組 邵
而 し て本 会議 出 席 委 員 は中 央 執 行 委 員汪 兆 銘 以 下 八十 七名 、 同候
哲元 、 閻 錫 山 、劉 湘 、 李宗 仁 、白 崇禧 等 の出 席 を 見 ざ り し は会 議 の
教育組
経済組
何應欽 以下三十 五名
王世杰以下 二十五名
孔祥煕 以下 三十 一名
力子 以下 四十七名
意 義 をし て稍 々薄 弱 な ら し め た るも のと謂 ふ を得 べ し
二月 十 五 日午 前 九 時 よ り中 山 陵 孫 文霊 前 に於 て開 会式 を挙 行 す 、
軍事組
二、 開 会 式 及予 備 会 議
参 会 者 約 百 七十 名 (蒋介 石 は欠 席 )汪 兆銘 開 会 の辞 ( 別 紙 第 一) を
三、第 一次本会議
尚本会議開会 に先ち午前 八時十五分より主席団会議 を開催 せし所 、
後、党務、政治、教育、経済各組審査委員会 より提出 の各議案を上
先づ孔祥煕 の財政報告並国 民大会選挙総事務所 の工作報告 あり たる
二月十八日午前八時開会 、出席者百七十七名、戴傳賢主席 となり、
五、第三次本会議
は張學良 の公権復活を発表 せり
二月十六日午前 九時開会、出席者百七十六名、于右任主席 となり、 蒋介石は該会議 に出席提出案件 の審議 に参加 せし如く、又此 日政府 綏遠陣没将士及西安事件犠牲者 に対す る黙祷 の後左記報告及決議を 為す 予備会議議事録
程討論 の結果 二十数件 の議案を通過せる如く内
一、報 告 事 項 秘書処報告
二月十九 日午後三時開会、出席 者百七十三名、馮玉祥主席 となり、
六、第四次本会議
党務及経済関係は特 に注目す ベきも のなかりし如 し
教育関係 は単校制度 の改善及教育費 の増額等を主 とせし如く
す るも の多く
政治関係 は災民救済 、官吏制度 の改正及地方自治 の改革等 に関
提案審査委員会委員名 党務報告 ( 常務委員会、組織部、宣伝部及民衆訓練部各報告) 政治報告 ( 中央政治委員会 、行政院、立法院、考試院及監察院 の 各報 告) 二、決 議 事 項 党務報告を党務組 の審査 に附 する件 四、第 二次本会議
政治報告を政治組 の審査 に附す る件
も のにして国法、軍紀 上許すべからざるは勿論大会も採用せず 、唯
を感謝す ると共 に其態度 を賞揚し、又此種要求は叛逆及脅威 による
先づ蒋介石提出 の西安事件経過報告 ( 別紙第 二)を披露 し蒋の措置
先 つ第 一次本会議 の議事録を読上げ、秘書処 より各委員 よりの来電
悔悟者に対しては之を追求 せざ るべき旨決議し、次て討論 に入り各
二月十七日午前九時開会、出席者百七十六名、孫 科主席 となり、 及各団体より の祝電を披露 し、次 で主席団より汪兆銘 、戴傳賢、葉
審査委員会 より上程 せる
る 一定 方針確立案は中央政治委員会 の審議 に移す
二、世果 回教国家と の政治、経済、教育、文化関係発生方 に関す
一、地方自治綱領草案 は常務委員会 の研究 に附議す
楚〓、邵力子、陳布雷 の五名 を大会宣言起草委員 に指名 せる旨報告 察委員会常務委員張継は、対日抗戦、対日強硬外交 の必要 を力説し、
三、鞏固 なる和平統 一実施方策 確定案 は政治委員会 の審議 に附す
し たる後、何應欽 の軍事報告及張群 の外交報告 あり右報告 に次ぎ監
の失敗を責め特 に北支問題に対す る政府 の失態 を痛烈 に弾劾 せし如
四、庫金 三百万元総理記念学術奨励 金設置案 は文化事業計画委員
政府は宜 敷く聯蘇、対日抗戦 の準備を為すべし と力説 し、対 日外交 し
会 を し て更 に辨法 を攻 究 せ し め常 務 委員 会 の決 議 に移 す 等 の各 提 案 を 決議 し 且蒋 介 石 の提 出 せ る二 月十 八 日附 本兼 各 職 辞 職 呈 文 に対 し ては全 会 一致 之 を否 決 し再 び慰 留 せ しむ る に決 せり 七 、第 五次 本 会 議 二 月 二十 日午前 九時 開 会 、出 席 者 百 七 十 五 名 、汪 兆 銘主 席 と な り、
別紙第 一
開 会 式 に於 け る汪 兆銘 の開 会 の辞
金 国 の和平 統 一は 二中全 会 の宣 言 に基 き顕 著 な る進歩 を 示 し、 西
北 共 匪 は自滅 に垂 んと し 、 又綏 遠 に於 け る奮 闘 は守 土 禦寇 の実 を挙
二 、国 民 大 会 組 織法 及 代 表 選 挙法 に改 正 す ベ き点 あ ら ば常 務 委 員
日 を決 定 す
一、今 年 十 一月 十 二 日国 民 大会 を開 催 し 憲 法 を制 定 し 且其 施 行 期
未 だ去 ら ざ る今 日、 統 一と 安 定 と を図 り 、既 定 の国 防 計 画 及剿 匪 工
力 に俟 たざ る ベ から ず 、是 吾 人 工作 の中 心問 題 な り、 又 西 北 の不安
を如 何 にす ベ き や、 未 喪 失 領 土 の保 衛 を 如 何 にす べ き やは 今後 の努
恢 復 し和 平 解 決 を告 げ たり 、然 れ ど も国 難 益 々加 は る際 、 失 地恢 復
礎 に異 常 の動 揺 を与 へんと し た るも 、 幸 に蒋介 石 の脱 出 を 見秩 序 を
け同 胞 に希望 と勇 気 と を与 へた り、 西 安 事 件 の発 生 は救 亡 図存 の基
を し て之 を実 施 せ し む
主席 団提 出 の国 民 大会 に対 す る議 案 を上 程 左 の如 く 議 決 す
三 、国 民 大 会 に関 す る提 案 は 総 て常 務 委 員 会 に交 付 し 其参 考 に資
作 を挫 折 せ し め る こと も 亦 当面 の急 務 な り
惟 ふ に救 亡 図存 は国 力 の充 実、 進 ん では 民 力 の増 進 に俟 つ、吾 人
す
は如 何 にし て民 権主 義 に基 き 民主 主 義 を 樹 立 し 以 て建 国 の工作 を完
右 に引続 き 三中 全 会宣 言 草 案 を 附議 せ し も、 之 が討 論 に約 二時 間 を要 し 且修 正個 所 を生 じ た るを 以 て予定 の閉 会 に至 らず 、 明 二十 一
西安 事 件 経 過 報告 要 旨
責 せ し為 張 は全 意見 を表 言 す るを得 ず 、 事 変 発 生第 三日 に至 り初 め
事 に関 す る主 張 を通 電 し外 間 の注 意 を喚 起 せ し も 、予 は終 始張 を 叱
当 時 の状 況 は 之 を 小冊 子 に記述 し茲 に配 布 せ り 、当 時 叛 乱 派 は国
るを得 、予 は十 二 月 二十 六 日 帰京 し張 學 良 も 自首 せ り
西 安事 件 は全 国軍 民 の正 義 に依 り叛 乱 者 を 悔悟 、平 静 に帰 せ し む
別紙 第 二
成す べ き や之 当 面 の解 決 を要 す ベ き問 題 な り 云 々
八、 第 六 次本 会 議
式
蒋 介 石 よ り第 四次 本会 議 へ提 出 の
日午 後 改 め て閉 会 式 を挙 行 し宣 言 を 発表 す る に決 せ り
二月 二十 一日午 後 三時 開 会 、 出 席 者百 七十 名 、鄒 魯 主 席 と な り 、 主 席 団 提出 の赤 禍 根 絶決 議 案 (別 紙 第 三) 及 中 央 民衆 訓 練 部 々長 並
会
に復 活 す る件 等 を議 決 せ し も尚 閉会 を宜 す る に至 らず 、 午 後 六時 解
同 宣 伝 部 々長 の更 迭 、中 央 常 務 会 議 を今 後 主 席 制 を廃 し 常 務委 員 制
散 せり 九 、閉
二月 二 十 二 日午 前 九時 よ り中 央 大 礼堂 に て閉会 式 を挙 行 、宣 言 文 (別 紙 第 四) を発 表 し茲 に漸 や く 大会 の幕 を閉 ぢ たり
取 消 す こと
三 、 上海 に て逮 捕 され し 愛 国 の領 袖 を釈 放 す る こと
が如 き 行為 あ る を許 さず 、 吾 人 は 先 つ支 那民 族 固 有 の精 神 と道 徳 と
而 も 外 力 の附 加す る団 体 の存在 及 民 生 に有 害 に し て道 徳 を破 壊 す る
の四 点 な り 、 独立 自 主 の国 家 に於 ては断 じ て反 国 家 、反 民族 にし て
三 、赤 化 宣 伝 を根 本 的 に停 止す る こと
四 、全 国 政 治 犯 を 釈 放 す る こと
を 恢 復 し て独 立自 主 の人 格 を樹 立 し得 ば 、支 那 固 有 の版 図 を復 活 し
一、南 京 政 府 を改 組 し 各 党 各 派 を 交 へ救 国 に当 る こと
て所 謂 八項 目 即 ち
五 、 人民 の集 会 、 結 社 、 其 他 一切 の自 由 を保 護 す る こと
四 、階 級 闘 争 を根 本 的 に停 止す る こ と
六 、 民衆 の愛 国 運 動 を 解 放 す る こと
歴 史 的 光 栄 を 継承 し て三 民 主義 を 実現 し得 べ き こと を 知悉 す べく 、
二 、 一切 の内 乱 を 停 止 す る こと
七 、孫 総 理 の遺 嘱 を確 実 に遵 守 す る こと
赤 化 根 絶 は支 那国 家 民 族 擁 護 の不 易 の大 道 な り
宣言文要旨
其 間屡 々決 裂 に瀕 し た るも終 始 従来 の方 針 を格 守 し来 れ り、 今 後 も
渉 も 全 く此 方針 に基 きた る も の にし て、 過 去 教 箇 月間 折 衝 を継 続 し
外 国 と の和 平 に対 し 最 大 の努 力 を為 し来 り、 二中 全会 以後 の対 日交
て和 平 方針 を抛 棄 せざ るも 、 万 一の場 合 は最 後 犠 牲 の大 決 心 を以 て
存 と 民族 復 興 の活 路 とを 求 め 、和 平 全 く 絶 望 の秋 に至 らざ れば 決 し
等 に於 て決 定 せ る方 針 に基 き 、最 大 の忍 耐 と決 心 と を 以 て国 家 の生
支 那 は今 日迄 孫 文 の遺 訓 た る自 救 自 強 の途 並 五全 大会 、 二中 全 会
一、 対 外 方 針
別紙 第 四
八 、救 国 会 議 を即 刻 召 集 す る こと の実 行 を強 要 せし を 以 て、 予 は之 に対 し罪 を悔 ひ予 を 南 京 に送 還 す ベ く命 ず る と共 に、 党 国 には 一定 の組 織 と系 統 あ るを 以 て意 見 あら ば 中央 に陳 情 す べく 諭 示 せ し に、張 は予 の帰 京 後 之 を 中 央 に提 出 方 請願 せ り 、依 て予 は中 央 に提 出 は支 障 な き も予 は 此主 張 には 不賛 成 な る旨 必ず 声 明 す ベし と答 弁 せ り 云 々
別紙第 三 第 六次 本 会 議 提出 の赤 禍 根 絶 案 要旨
過去 に於 け る歴 史 に徴 し彼 等 か真 に改 心 し て三 民 主義 に服 従 し 、国
現在 共産 党 は辺 境 の地 に在 り中 央 に誓 誠 す べ き 説 伝 へら れ あ るも 、
の維 持 、 人 民 の生 命 財 産 保護 上之 を放 任 し置 く 能 はず 、 依 て中 央 の
法 軍令 を遵 守 し て支 那 の良 民 と な る に あ らざ れ ば 、中 央 は国 家 治 安
是 は単 な る自 衛 手 段 に止 ま り決 し て排 他 的 意 味 を 含 む も の に あらず 、
て吾 人 忍耐 の程 度 を越 ゆ る こと あ らば 決 然 抗 戦 の態度 に出 づ べき も 、
右 方針 を継 承 し 且之 が進 行 に努 む ベく 、若 し国 家 の被 む る損 害 にし
一、主 義 相 容 れざ る紅 軍 其 他 の武 力 を徹 底 的 に取 消 す こと
然 れ ど も吾 人 の和 平 希 望 完 全 に断 絶 せ ら れざ る以 前 に於 て は、 平 等
執 る べ き当 面 に於 け る最 低 限度 の便 法 は
二 、 ﹁ソヴ エ︱ト﹂ 政 府 其 他 国 家統 一を破 壊 す る組 織 を 徹 底 的 に
互 恵 及領 土 主権 互 尊 の原 則 に依 り漸 次 解 決 を 策 し 、匪 偽 をし て其倚 ︹ 北力︺ 拠 す る所 を喪 は し め (草 案 は ﹁ 其 初 歩 の解 決 は冀東 、冀 察 の匪 偽 を
て秘 密 会 議 に終 始 せし を 以 て其 内 容 を詳 にす るを得 ざ る も 、今 諸 情
問 題 、西 安 事 件 善 後 処 理 及経 済 建 設 等 にあ り し 如 く 、 重要 問 題 は総
以上 を綜 合 す る に三中 全会 の重 点 は 対 日 外 交 、国 民大 会 、 共 産 党
し て其倚 拠 す る所 を喪 はし め 我 が華 北 行 政 及 主 権 の障 害 を除 ま し 云 云 ﹂ な り し如 し ) 以 て主 権 の完 成 を期 す ベし 、 然 る時 は両 国 懸 案 は
昨 年 の南 京 交渉 及綏 遠 事 件 の結 果 対 日 問 題 は 本会 議 に於 け る最 も
一、 対 日 問 題
報 を綜 合 し 之 を 判 断観 察 す る こと左 記 の如 し
漸 次 現 は る る に至 るベ し 、是 支 那 の挙 国 一致 最 短期 間 に貫 徹 を期 す
重 要 な る議 案 の 一にし て、宣 言 中 の対 外 関 係 も 対 日問 題 を主 とし て
未 だ 完全 に落 着 せず と 難 和 平 手段 を以 て紛 糾 を解決 し得 べ き可 能 性
べ き 所 な り 、其 他 一般 の国 際関 係 は国 際 和 平 の原 則 に基 き政 治 的 協
記 述 せら れ あ るは 其間 の消 息 を物 語 るも のと 言 ふ を得 ベ し
元来 南 京 政 府 の対 日態 度 の根 抵 は、 満 洲 の奪 回 少 く も其 宗 主 権 の
調 及 経済 合 作 に努 む べ き は勿 論 な り 二、対 内 方 針
を 以 て、 先 づ之 が準 備 工作 と し て満 洲 国 防 護 の外墻 た る冀 東 の解 消 、
回収 に あ り、 然 れど も 現情 勢 に於 て は其 目 的 の即 時達 成 不可 能 な る
内 戦 停 止 には広 狭 の差 あ り と難 、国 家 民 族 の力 量 を集 中 し当 面 の国
冀 察 、内 蒙 の中 央 化 を冀 念 し あ る は周 知 の事 実 にし て、汪 兆銘 の開
和 平統 一は教 年 以来 全 国 民 の 一致遵 行 せ る信 条 な り 、和 平 統 一及
難 を排 除 し 民権 主 義 の大 道 に踏 入 し国 際 間 の淘 汰 よ り免 れ ん とす る
に於 て ﹁国 難 益 々加 は る 際失 地恢 復 を如 何 にす ベ き や は吾 人 工作 の
中 心 なり ﹂ と 述 べ 満 洲恢 復 を 以 て当 面 の緊 急 根 本 の問 題 と な し 、 又
会 の辞 並 大 会 宣 言 は亦 明 か に之 を表 明 せり 、 即 ち汪 兆 銘 は開 会 の辞
同 禦 侮 の標 語 を 以 て呼 懸 け 居 る も 、過 去 の歴 史 に照 し国 民 革 命 を破
宣 言 に於 け る対 日 方針 の根 基 は ﹁漸 次 解 決 を 策 し 匪 偽 を し て其倚 拠
目 的 には変 化 な し、 従 て同 一主 義 の下 に於 て意 見 の相違 に因 り武 力
壊 す るも のな れば 方 法 の如 何 を論 ぜず 必 ず 自 力 を 以 て赤 禍 を根 絶 せ
闘 争 を為 す が如 き は国 家 と し て採 らざ る所 な り、 共産 分 子 は最 近 共
ざ る べか らず
東 、察 北 の匪 偽 を し て其倚 拠 す る所 を喪 は し む ﹂ る に存 す 、換 言 せ
く漠 然 抽 象 的 に記 述 し あ り と難 其 真 意 は草 案 の ﹁其 初歩 の解 決 は冀
す る所 を喪 はし む ﹂ る に在 り と称 し 、 其 字 句 は日 本 を 刺戟 せ ざ る如
整 はざ る を 以 て、 主 管 機 関 を督 促 し速 に右 大 会 を 召集 し、 憲 法 を 制
民 衆 の組 織 訓 練 は国 民 党 の天 職 な る も、 国 民 大会 開 催 の準 備 未 だ
定 し 民 権 主 義 の基 礎 を 固 む る に努 む ベく 、 経 済 建 設 亦国 家 統 一の進
の目 的 に し て、 其 目 的 達 成 せ ら れ ん か 、次 で満 洲 の収 復 に着 手 す ベ
本 に し て若 し之 に応 せざ る時 は決 然 抗 戦 す べ き旨 決 議 し 、 既 に陳 誠
冀 東 及察 北 を恢 復 し冀 察 政 委 会 を解 消 す べ き 対 日交 渉 を 開 始 し 、 日
き を言 外 に表 明 せ るも の にし て、伝 ふ る所 に依 れば 大 会 は 本年 中 に
ば冀 東 及 内 蒙 の依 日関 係 を断 絶 し之 を完 全 に中 央 化 す る こと第 一段
察
り金 融 経 済 の安 定 を策 す べし
行 上 重要 な る問 題 にし て孫 総 理 の民 生主 義 に基 き農 工 商 の発 達 を図
十 、観
又 抗 日戦 備 と し て全 軍 統 一、 空 軍 拡 張 、 保 安団 、青 年 団 等 の軍 隊化
を総 指 揮 と し 六箇 師 を率 ゐ冀 東 、 察 北 の占領 を準 備 中 なり と 謂 は れ
妥 協 を 策 せし と 見 る を至 当 と し 、 現 に共産 党 に対 す る取 締 は 以前 に
し 若 干 其 譲 歩 を求 め、 裏 面 国 民 政 府 の面 子 を保 ち つゝ 之 と 某 程度 の
は内 外 欺瞞 、 一時 的糊 塗 政 策 にし て、実 際 は表 面 共 産 党 弾 圧 を標 榜
解 成 立 し あ りと の説 さ へあ る に於 て益 々然 り
だ疑 問 にし て、况 んや 共産 軍 と閻 錫 山 、 傅 作 義 と の間 には某 種 の諒
れ ば 、今 後 仮 令 共 産 軍 討 伐 を 云為 す る も実 際 的 行為 に出 つベ き は甚
支 給 す る に決 し 、 朱 徳 軍 は 既 に国 軍 に改 編 せら れた り と も言 は れ あ
一年 間 を試 験 期 とし 共 産 軍 に陳 西 省 の十 数 縣 を与 へ月 額 九 十 万 円 を
比 し稍 々緩 和 せ ら れし 如 く 、 尚 某 情報 に依 れ ば大 会 秘 密 会 議 に於 て
軍 隊 の配 置 、 四川 、 漢 口、 鄭 州 の防 禦 施 設等 を決 議 せり と 称 せ ら れ あり 従 て共産 党 と の妥 協 、 親 日 分 子 の駆 逐 等 は之 が準 備 工 作 と観 る を 得 べ く 、巷 間 伝 ふ る如 く 日 支 両国 主任 者 の更 迭 に依 り 両国 の関 係 好 転 す る が如 き は夢 想 だ に為 し能 はざ る所 なり と す 二 、 対共 産 党 問 題 赤 禍 の危 険 に関 し ては西 安 事 件 以 来 支 那 官 民 の脳 裡 に相 当 深 刻 に
絶 決 議 案 を 議 決 し 且宣 言 中 に も排 共 の必 要 を 明 示 せ り 、然 れど も是
二、 言 論 、 集 会 、結 社 の自 由 、 一切 の政 治 犯 を釈 放 す
一、 一切 の内 戦 を 中 止 し国 力 を集 中 し て 一致 外敵 に当 る
左記第 一
は主 と し て会 議 を主 宰 せ し汪 兆 銘 の ﹁一国 内 には 二政 府 及 目 的 を 異
印 象 附 けら れ たる べ き は否 む べ か らざ る事 実 にし て 、大 会 亦 赤 禍根
に せ る 二軍 の存在 を許 さず 」 と す る思 想 の勝利 と認 む べく 、 政 府要
に任 ず
四 、 対 日交 戦 の 一切 の準 備 工作 を 迅速 に完 備 す
三 、 各 党 各 派 殊 に軍 の代 表 会 社 を 召 集 し 全国 の人 材 を 集 め協 同救 国
の存 在 す る あ り、蒋 介 石 と し ては 其 政権 行 使 上 此 等 反 共 容 共 両派 の
路 には 大会 に容 共 抗 日を 提 案 せ し 宋 慶齢 、馮 玉祥 、 孫 科 、李 烈鈞 等
存 在 を絶 対 必 要 と し 、 且 西 安 に在 り し時 事 件 解 決 に売恩 的奔 走 を為
二 、 ﹁ソヴ エ︱ ト﹂ 政 府 を中 華 民国 特 区 、 共 産 軍 を国 民革 命 軍 と 改
一、全 国 に於 け る国 民 政 府打 倒 の武 装 暴 動 を 停 止 す
左記第二
五 、 人 民 の生 活 を改 善 す
護蒋 介 石 反 対汪 精 衛 回 国 、打 倒 偽 国 民 党 、 推飜 国 民党 政 府 、 組 織 各
称 直 接 南 京 政 府 及 軍 委会 の指 導 を受 く
せ る 周恩 来 と の間 に或 種 の妥 協 成 立 しあ る が如 く 、西 安城 内 に は擁
し て は其 主 義 共産 党 の抗 日主 張 と 相 一致 す るも のあ り、 又 共 産 党 は
三、 特 区 政 府 区域 内 に於 て は普 選 を実 施 し 民 主制 度 を徹 底 す
種 救 国 会 、 実 行 抗 日 運動 等 の標 語 貼 附 せら れあ り と謂 ひ 、国 民 党 と
大 会 に対 し 左 記 第 一の如 き通 電 を発 し 、 若 し中 央 政 府 にし て之 を 採
四、 土 地 買 収 政策 を中 止 し抗 日民 族 統 一戦 線 の綱 領 を堅 決 執 行 す
蒋 介 石 は 十 九 日 の第 四次 本 会 議 に西 安事 件 の経 過 を 報 告 し 、張 學
三、 西 安 事 件 問 題
用 せ ば 左 記第 二 の如 き妥 協 条 件 を 以 て中 央 政 府 と抗 日 戦 線 及和 平統 一に協 力 す べ き旨 披瀝 せし 如 く 、右 第 二 の条 件 は赤 禍 根 絶 決議 案 最 低 限度 の要 求 と全 然 合 致 す るも のあ り 、従 て大 会 に於 け る反 共決 議
良 の要 求 八項 目 には 同意 せざ る旨 明 書 せり と 称 し あ る も 、 当時蒋 介 石 が八 項 目 を承 認 し た るベ き は 嘗 て報 道 せ し如 く 、 併 も 前 記共 産 党
而 し て共 第 一着 手 は海 南 島 開 発 及 南 支 鉄 道 敷 設 にあ る も のゝ如 く 、
億 二千 万 元 にし て 他 は外 国 借 款 に求 め ん と す る も のゝ如 し
ト リ ツ クと の間 に折 衝 中 な りと 伝 へら れ 、 又 米 仏 も割 込 む ベ し と噂
之 に要 す る資 本 に関 し目 下 英 国 輸 出 信 用 保 証 局 駐 支代 表 カー ク 、 パ
せら れ 俄 然 欧 米依 存 政策 を露 骨 に表 現 せ んと し つゝ あ り
と の妥協 、張 學 良 の公 権復 活 、張 群 の外 交 部 長 罷 免 及 中 央 通信 を通
にし て、 特 に右 声 明 は実 に八項 目 の要 求 を実 質 的 に認容 し 、之 が実
し て行 へる蒋 介 石 の声 明 ( 附 録 )等 は益 々之 が事 実 を裏 書 す る も の
而 し て事 件直 接 の解 決 策 と し ては 旧東 北 軍 を河 南 及 安 徽 省 北部 に
装 ふ も裏 面 満 洲 奪 還 及 北 支 現状 打 破 を包 蔵 す る深 刻 な る抗 日 にし て 、
其 対 日 方 針 並 対 共 産 党問 題 な り とす 、 然 る に前 者 は表 面 平等 互 恵 を
之 を 要 す る に本 次 大会 決 議 中 我 が国 とし て最 も 関 心 を有 す ベ き は
言
移 駐 せし む る に決 し た る が如 く 、 同 軍 は本 月初 頭 より 行 動 を開 始 せ
後 者 は外 面 之 を排 撃 す るも 内 面之 と妥 協 し将 来 抗 日戦 に際 し 其 第 一
十 一、結
り支 那 側 は 本件 に関 し 旧 東 北 、 楊虎 城 及共 産 の 三軍 切 崩 の為 先 づ 旧
践 を 天 下 に公約 せ しも のと も 言 ふ を得 べ し
東 北 軍 を 移動 せ し め、 他 の 二軍 に対 し ては要 す れば 武 力 解 決 を 為 す
線 に活 動 せ し め ん こと を企 図 す る悪 辣 な る陰 謀 なり
不足 も甚 しく 今 後 に於 け る支 那 の対 日態 度 は益 々抗 日 の 一途 に邁進
故 に現 下 の情 勢 を以 て両 国 の空 気 好 転 せ り と観 る が如 き は 認 識 の
べし と 称 し あ る も、 一方 に は事 件 解 決 に功 あ り し何 柱 國 及于 學 忠 を
し其 戦 線 は 一層 拡 大 す べ く 、之 に反 し欧 米 依 存 、 聯 蘇 の政 策 は愈 々
夫 々安 徽 省 主席 又 は同綏 靖 主 任 に任 命 し 、 之 に伴 ひ其 所 属 部 を 同 地 方 に移 駐 せし む る と共 に東 北 軍 の名 称 を 解 消 し軍 委 会 の直 轄 と な さ
強 化 せら る べ きを 覚 悟 せ ざ る べ か らず
二十 二 日 中央 社電
ん とす と の説 あ れ ば 、 旧東 北 軍 を し て楊 、 共両 軍 と の合 流 を 避 け 赤
録
蒋 介 石 声 明 の要 旨
ロ、軍 事 、 外交 の秘 密 を漏 洩 す る も の
イ 、 赤化 宣 伝及 国 家 を危 害 し 地 方 の治 安 を擾 乱 す る言 論 並 記 事
せ る も の並
中 央 は未 だ言 論 の自 由 を制 限 し た る こと な く刑 法 及 出 版 法 に規 定
一、言 論 解 放
附
化 拡 大 を防遏 せ ん と し あ る は真 な る如 き も 、共 産 軍 弾 圧 は既 述 の如 く 疑 問 な る のみ な らず 却 て之 に因 り 彼等 に 一定 の駐 防 地 を附 与 せ し にあ らず やと も 観察 せ ら る 四 、経 済 建 設 経 済 建 設 に関 し 大会 は蒋 介 石 、 孔 祥 煕 、宋 子文 等 の提 案 に係 る経 済 開 発 五年 計 画 を通 過 せし 如 く 、 本 計 画 は 現在 進 行 中 の各 部 門 を 画 一統 制 す る のみ な らず 更 に 一段 の飛 躍 を 為 さ ん とす るも の にし て、
国 内 出 資 二十 六年 度 七千 万 元 、 二十 七年 度 七 千 五百 万 元 、 二十 八 年
支 那 紙 の伝 ふ る所 に依 れば 之 に要 す る資 金 は約 二十 億 元 にし て、 内
度 九 千 五 百 万 元 、 二十 九 年 度 九 千 万 元 、 三 十年 度 九 千 万 元 、 合 計 四
ハ、 故 意 に是 非 を顛 倒 し 事 実 無根 の謡 言 を〓 造 す るも の の外 極 力 言 論 の自 由 を尊 重 し 断 じ て制 限 を 為 す も の にあ らず 、 今 後 更 に此主 旨 に基 き新 聞 及 出 版 物 の取 締 規 定 を改善 す べし
中 央 は単 に人材 を集 中 す る のみ な らず 多 方 面 の人材 を徴 集 し共 同
二、人 材 集 中
努 力 国家 を挽 救 せ ん とす るも のな り 、中 央 の目下 緊 要 とす る 人材 は
の士 にあら ず 、真 正 な る人 材 の奨 励 は決 し て官吏 とし て任 用す る や
真 に克 く国 家 一切 の文 化 経 済 に貢献 し得 る専 門家 にし て文章 、言 説
の事 業 を為 さ しむ る にあ り
否 や にあ らず 、 其 特長 とす る能 力 を 発揮 せ しめ 各 地社 会 に於 て種 々
三 、 政 治 犯赦 免 過 去 政治 上 に於 て過 誤者 を寛 恕 せし は例 乏 し からず 、現 在 の政 治
し て は条 例 あ り、 悔悛 の実 跡 を認 めら れ 保 釈 せら れた る も の既 に少
犯 は国 家 に反 対 し社 会 を破 壊す る共 産 党 及反 動 分 子 な る も此 等 に対
か らず 、 故 に此等 分 子 にし て真 に覺醒 し 且 其悔 過 自 新 に保 証 者 あら ば 夫 々之 を特 赦 す る を得
目
八
次
綜 合 情 報 一 一 第 一〇 号
中 国 国民 党 三中 全会 概観 (昭和 十 二年 三 月十 日
南 満 洲鉄 道 株 式 会 社総 裁 室 弘報 課 長 )
現 下 の中 国 に於 け る最 も 切実 な る問 題 は 対 日問 題 な り 。而 し て 日
本 の対 支 進 出 に対 す る政 策 に関 し 二大 勢 力 の抗 争 を見 る。 即 ち 一は
1 、中 国 共 産党 の三中 全 会 に対す る動 向
第 一、 三中 全 会 と 共産 党 及 各 派 の動 向
り。 前 者 は ﹁内戦 停 止﹂ (共産 軍討 伐 停 止 ) ﹁ 各 党 各 派 の合作 に依 り
共 産 党 勢 力 にし て他 の 一は所謂浙 江財 閥 を 基底 とす る国 民党 政権 な
即 時 対 日 抗 戦 す ベ き こと ﹂ を基 本 的 綱 領 と 為 す も の にし て、蘇 聯 の
2 、抗 日人 民戦 線 派 の三 中 全会 に対 す る動 向
対 日戦 備 工作 の 一翼 を形 成 し 、所 謂 抗 日 人 民戦 線 及 国 民 党内 部 の所
3 、 上海 各 界統 一救 国 大 同 盟 の動 向 第 二 、 三中 全 会議 経 過 概 要
謂 親 蘇 派 の支 特 を有 す 。 之 に反 し国 民 党 政 権 は 対外 抗 戦 の前 提 条 件
と し て国 内統 一︱共 産 軍 及 地方 軍 閥 の打 倒 、国 内 経 済 建 設︱ を其 の
第 三、 三中 全 会 に於 け る重 要問 題 に対 す る考 察
政 治 綱 領 と し 、所 謂 「安 内攘 外 ﹂ 政 策 を 遂行 せ んと す る も の にし て、
の動 向 を 一瞥 す る こと 必要 な りと す
英 、 米 諸 国 の支 持 を受 く る も のな り 。 三中 全 会 を論ず る 為 に は之 等
共 産 党 は第 七次 コミ ンテ ル ン大 会 の決 議 に基 く 抗 日 人 民戦 線 運動
(1) 中 国共 産 党 の三 中全 会 に対 す る動 向
の拡 大 強化 の為 に 一九 三 五年 来 数 次 に亘 り国 民 党 に合 作 を提 議 し、
一は 十 二月 十 九 日 発 し た る も のな る か 、共 の基 本 的綱 領 た る ﹁内 戦
而 し て西安 事 変 後 も 二 つ の重 要 な る文書 を国 民 党 に発 し た り 、其 の
提 議 し た り。 他 の 一は本 年 一月 六 日発 し た る ﹁内戦 停 止﹂ を主 張 す
停 止、 一致 抗 日 ﹂ の立 場 より 南 京政 府 に対 し 国 内和 平 会 議 の開 催 を
の共産 軍 討 伐 を極 力 回 避 せ ん が為 に斯 か る妥 協 的 態度 に出 でた る
に依 て 一段 と対 日準 備 工作 の強 化 を 必要 と な れ るを 以 て南 京 政府
し 、其 の民族 的 危 機 を軽 減 せ んと す る も の にし て、殊 に 日独 協定
る が、 同 時 に共 産 党 が如 何 に所 謂 抗 日 人民 戦 線 の拡 大 の為 に国 民 党
行 は れ た るも のな る べ し。 即 ち 抗 日戦 の為 に は共産 党 は其 の政府
ざ ると ころ な るを 以 て、此 の提 議 の意 義 は民 衆 獲 得 を目 標 と し て
(ロ) 国 民党 が此 の提 議 に即 時 応 ず る こと は共 産 党 も 恐 らく 予 期 せ
も の の如 し
を抱 き込 ま んと 意 図 し居 る かを 察知 す る を得 べし 。而 し て更 に三 月
右 二通 電 に依 り て も 共産 党 の時 局 に対す る態 度 の 一斑 を窺 知 し 得
る 通電 な り。
十 日 三中 金 会 に対 し大 要 次 の如 き 通電 を発 し たり 。 ﹁ 国 民 党 三 中 全 会議 が毅 然 と し て(イ 内) 戦 を 停 止 し 一致 抗 敵 す る こ
のな る こと を 表 明 し 、抗 日感 情 に沸 き る民 衆 の支 持 を獲 得 し 、民
及 軍隊 を南 京 政 府 の指 導 下 に入 れ て戦 ふ民 族 的熱 意 に燃 え居 る も
衆 の与 論 をし て南京 政 府 が共 産 軍討 伐 の中 止 、抗 日戦 争 を 余 儀 な
︹マ マ︺
と、 ( 言 論 、 集 会 、結 社 の自 由 、 一切 の政 治 犯 の釈 放 、 (ハ 各) 党各 派 の人 材 を 集 め て共 同 す る こと 、(ニ 抗) 日戦 備 を完 成 す る こと 、(ホ)
く せ し め んと す る意 図 より 出 でた る も の の如 し
昨年 十 一月 沈鈞 儒 、章 乃 器 等 七 名 の検 挙 に依 り所 謂 抗 日 人 民戦 線
(2) 抗 日人 民 戦線 派 の三中 全 会 に対す る動 向
人民 の生 活 を 改善 す る こと の諸 項 を国 策 と し て確 定 す る に於 て は 共 産 党 は ﹁団結 禦 侮 ﹂ の為 誠 意 を披瀝 し て三中 全 会 に次 の如 き保 障 を 与 へる も のな り。 (全 イ) 国 に於 て国 民 党 政府 打 倒 の武 装 暴動 を
溌 と な り殊 に西 安事 変 発 生 よ り 三中 全 会 迄 の期 間 に ﹁全 国 的 対外 抗
結 成 運動 に 一頓 挫 を来 せ る が間 も なく 陣 容 を 整 備 し漸 次 共 の活 動 活
戦 、 対内 平 和請 願 運動 ﹂ を展 開す る方 針 を樹 立 し、 而 し て運 動 の方
停 止 す る こと 、(ロ ソ) ヴ エ一卜政 府 は中 華 民 国 特区 政 府 と 改 名 、紅
る こと 、 (ハ 特) 区政 府 の区域 内 に於 て は徹 底 的 民主 制 度 を実 施 す る
軍 は国 民 革 命軍 と改 名 し 直 接 南京 政 府 と 軍 事委 員 会 の指 導 を受 く
立 す る行 為 を避 け各 地党 政 当 局 に最 も 穏 健 な る方 式 に依 て其 の諒 解
針 と し て、 ﹁請 願運 動 の過 程 に於 て は我 々は出来 得 る限 り 当 局 と 対
を求 め彼 等 に合 作 を要 求 す る と共 に地 方 の環 境 と自 己 の主観 的 力 量
こと 、(ニ 地) 主 の土地 没 収政 策 を停 止 し抗 日統 一戦 線 の共 同綱 領 を
に依 り各 様 の方 法 を以 て出 来得 る限 り 社 会各 方面 の人 士 を参 加 せし
堅 決 す る こと﹂ 共 産 党 の国 民党 に対 す る右 の如 き妥 協 的 態度 は、 西 安事 変 を契 機
む べ き こと﹂ を指 示 し 、 更 に三中 全 会 に対 し 次 の 如 く 働 き か け た
全 国 各 界救 国 聯 合 会 は五名 の代 表 を 南京 に派 し 、 二中 全 会 当時
(a) 抗 日 人 民戦 線 派 の三 中全 会 に対 す る意 見 書
り
と す る共産 党 の 一動 向 と し て十 二分 の検 討 を 必要 とす るも のな る が、
(イ)コミ ンテ ルンは 今 や完 全 に蘇 聯 の 一外交 機 関 と 変 り中 国 共 産
共 産 党 の此 の転 向 の動 機 は次 の如 き 二点 に帰 す る が如 し
︹ママ︺
党 の新 政 策 は全 く 蘇 聯 の都 合 に依 り 採 用 せ ら れた るも のに し て、
蘇聯は中国 の抗 日に依て自己 の対日戦備工作 の重要なる 一冀と為
よ り成 るも のな り。 ﹁ (イ 全) 国 一致 抗 日 (ロ 世) 界 の和 平 国 家 と の 聯 合
と同 様 三 中全 会 に意 見書 を発 表 せり 。意 見 書 の内 容 は次 の七 項 目
に対し ては ﹁ 統 一を破 壊 す る 地 方軍 閥 、 共 匪 を粛 清 し て政 令 軍権 を
京 政 府 の所謂 「 安 内攘 外 ﹂政 策 を支 持 す る御 用機 関 なり 。 三 中金 会
云﹂ と の請願 文 を提 出 せり
統 一し 更 に抗 敵 救 国 に名 を 托 す る反 動 分 子 を 厳 重 に処 分 さ れた し 云
本 同 盟 の提 唱 せ る統 一救 国 運 動 は 上海 の みな らず 各 地 に於 ても呼
(ハ 民) 主 政 治 の実 行(ニ 政) 争 の和 平 解 決(ホ 全) 国 救 亡 大 会 の招 集 ( 言 論 、
尚 上 海 の各 抗 日団 体 は之 に呼 応 す る為 反 日学 生 、 民衆 を動 員 し
り 。此 の運 動 が強 化 さ れん と す る に従 て人 民 戦線 派 と の対 立 が 如何
応 せ んと す る形 勢 に あ り既 に廣 東 、河 南 は此 の運 動 の支 持 を 表 明 せ
集 会 、結 社 の自 由 実 施(ト 政) 治 犯 の釈 放﹂
二 月十 四 日 示威 運 動︱ 約 一千名 ー を為 せ る が当 局 よ り解 散 を命 ぜ
な る発 展 を為 す か は興 味 あ る問 題 た る を失 はず
ら れ指 導 者 四名 逮 捕 され た り 抗 日 人 民戦 線 派 の三 中 全会 に対 す る提 案
抗 日人 民戦 線 派 又 は之 が シ ンパ と目 さ る る馮 玉 祥 、孫 科、第 李二 烈 、 三中 全 会 議 経 過概 要
鈞 、宋 慶 齢 、 何香 凝 等 の中央 委 員 十 四 名 は ﹁ 故総理三 の中 三全 政会 策議 復興 に出 席 せ る委 員 は 総計 百 七十 余 名 に達 し総 委 員 数 の八
に関 す る提 案 ﹂ を為 し た り 。提 案 の要旨 は¬一 九 十 二% 四年 に及 に於 ベり け。 る而 し て中 央 従 来 の宣 伝 を裏 切 り廣 西 の李 宗 仁 、 白崇
と の提 携 、 共産 党 と の同盟 、労 働 者 農民 への援 助南 ーの を龍 復雲 興等 し地 て方 抗 の実 力 者 が各種 の口実 を以 て 一様 に出 席 せざ り し こ
故 総 理 によ る国 民 党 の改 組 及夫 れ に附随 せ る 三政禧 策、 の四 樹川 立︱ の劉 蘇湘 聯 、山 西 の閻 錫 山 、山 東 の韓 復榘 等 を初 め宋 哲 元 、 雲
日す ベし﹂ と謂 ふ にあ り 。 此 の提 案 は提 案 審 査 委 と 員は 会前 に記 於地 て方 握潰 に於 け る中 央 の統 制 が猶 名 目 に過 ぎ ざ る も の な る こと
し と なり た る模 様 にし て公表 さ れざ り き 。 此 の提 を 案改 に依 て立 国証 民さ 党 れ た り。 会 議 中 は外 部 と遮 断 され 、厳 重 な る警 戒 の めて
れ む こと を警 戒 せ る に よ るも の の如 し 、提 案 は総計 百余 件 に達 し た
内 に も容 共 政策 を採 ら ん と す る相 当 有力 な る主 張下 の存 に行 すは るれ こた とる 立 が 、之 は会 議 内容 が外 部 に洩 れ て其 の進 行 を阻 碍 さ 証 さ れた る訳 なり
西 安 事 変 を契 機 とし て上海 市 社 会 局 長藩 公 展 ( 陳議 立に 夫上 一提 派せ とら 連れ 絡 ざ りし 模 様 な り 。
(3) 上海 各 界 統 一救 国 大 同 盟 の三中 全 会 に対す る動 る 向如 きも 公表 せ ら れ た るも のは 五十 余 件 に過 ぎず 他 は握 潰 され 本会
あ り) 等 を 中 心 とし て ﹁ 統 一救 国 ﹂ 運 動 が起 され たり提 。案 此討 の論 運動 の順 は序 は先 づ提案 審 査季 員 会 の審 査 に附 し次 い で主席 団
所 謂 支 那 国 民戦 線 の 一翼 を為 す も の にし て、 本 同 盟 に 結送 成付 のし 動討 機議 は救 の上全 体 会 議 に提 出 し通 過 の上 は意 見 を附 し 旧 機関 或
国 運 動 の指導 権 を共産 党 よ り国 民 党 に奪 回し 共産 党 は の国 策民 動政 を府 封に せ交 ん付 す る も のとす 。
とす る にあ る が如 し 。其 の基 本 的 政治 綱 領 は ﹁地 方軍 主 閥席 、団 共は 産全 党会 、 の指 導 権 を握 る も の にし て、蒋 介 石 、汪 精 衛 、戴 天
漢奸 を打 倒 し て真 正 な る統 一を完 成 し外 敵 に当 れ﹂ 仇 と、 謂王 ふ法 に勤 あ、 り馮 南 玉祥 、于 右任 、孫 科 、 郡魯 、居 正 の九 名 推 挙 さ れ た
り。 提 案 審 査 委 員 会 は 次 の五組 に分 れ委 員 の任命 権 は主 席 団 に帰 属 す
(イ) 党 務 組︱ 陳 立 夫 、陳 公 博 等 三十 六 名 。 召 集責 任 者 は陳 立 夫 と
る も のなり 。
陳 公博 。 (ロ) 改 治 組 ー 郡力 子 、恩 克 巴 図 等 四 十 七 名 。 召集 貴 任 者 は邵 力 子 と恩 克 巴図 。
李文博。
(ハ) 経 済 組︱ 孔祥 煕 、李 文 博 等 三 十 一名 。 召集 貴 任 者 は宋 子 文 と
玉世杰 。
(ニ) 教 育組︱ 朱家〓 、呉 敬 桓 等 二 十 五名 。召 集 責 任 者 は呉 敬 恒 と
(ホ) 軍 事組︱ 何應 欽 、何 成 濟等 三 十 五名 。召 集 責 任 者 は 何應 欽 と
文 の討 論 を 継 続 し 修 正 の上 通過 し、 次 い で 主 席 団 よ り ﹁赤 化 根 絶
案 ﹂ 及 中 央 常 務委 員 主席 の廃 止 を決 議 せ り 。 二十 二 日 は閉 会 式 を挙
行 、宣 言 文 を朗 読 し茲 に三 中全 会︱ 正 し く 謂 へは中 国 国 民 党 第 五期
尚 閉 会 当 日 蒋介 石 は中 央 通 信 社 を通 し 言 論 の解 放 、人 材 の集 中 、
第 三次 中 央 執 監 全 体 会議 ー は茲 に完 了 せり 。
政 治 犯 の釈 放 の三 点 に関 し談 話 を発 表 せ る が之 は主 とし て抗 日 人民
第 三 、 三中 全 会 に於 け る重要 問 題 に対 す る考 察
戦 線 派竝 廣 西 派 の主 張 に 対す る回 答 と 見 ら る 。
南 京 政府 の諸 般 の政 策 の推 進 案 は中 堅 階 級 の掌 握 す る と ころ にし
(1) 対 日 問 題
て (行 政官 庁 に於 て は司 、 科 長 、軍 部 に於 て は黄埔 軍 官学 校 出 身 将
に於 ては第 二義 的 意 義 を 有 す る に止 ま る と謂 ふ。 而 し て之 等 中 堅 層
校 、党 部 に於 て は各 部 長 級 ) 所謂 要 人 の意 見 は南 京 政府 の政 策 決 定
の対 日観 念 は支 那 の近 代 国 家 への成 長 を阻 止 し 居 る日本 に対 す る反
朱培徳。 会 議 は 十 五 日 よ り 二十 二日 迄開 催 さ れ た る が十 五 日 は 開 会式 に次
の特 殊 性 解 消 を意 図 し 居 る が如 し 。
撃 にし て目 前 の処 置 と し て察 北 の確 保 、冀 東 政権 の解 消 、冀 察 政 権
三中 全 会 は右 の如 き 中 堅 層 の意 向 を反 映 し て強 硬 な る態 度 を 表 明
い で予 備 会議 あ り。 十 六日 十 七 日 の両 日 は殆 ど 国 民 政 府各 院各 部 の
介 石 よ り西 安 事 変 の報 告 があ り 且西 安側 の彼 の八 項 目 の政 治主 張 の
し更 に現 在 以 上 日 本 の進 攻 に対 し て は徹 底 的 に之 を反 撃 す べ し と の
報 告 に終 り た り 。十 八 日 には提 案 三 十余 件 を通 過 し 、 十 九 日 には蒋
討 議 を要 求 あ り た る外 、 蒋介 石 は辞 意 表 明 した る が全 会 は西 安 側 の
公、
︹文麿 ︺
態度 を決 定 せむ と す る形勢 にあ り た る が、 日 本 に於 て は最 近衛
の外 交 報 告 、 大 会 宣 言 文 上提 の際 に は相 当 深 刻 な る論 議 行 は れ 、 漸
此 の為 に日 本 の感 情 を刺 戦 す る が如 き 提 案 は握 り潰 れ た るも 張 群
を静 観 す べ し と の方 針 に決 し た り。
とす る形 勢 にあ る際 な れ ば 、努 め て 日本 の感情 を刺 戦 せず 暫 く事 態
結 城 氏 等 の対 支 所 論 を 初 め漸 く 日本 の朝 野 に対支 認識 が是 正 さ れ む
[ 豊太郎︺
要 求 は討 議 の余 地 な し と決 議 し 、 又蒋 介 石 の慰 留 を 決議 せ り 。其 の 他 提 案 二十 余 件 を上 程 通 過 せ り。 二十 日 に は主 席 団 よ り国 民大 会 に 関 す る提 案 あ り之 を 通 過 し た る後 大 会 宣 君 文 起 草委 員 会 ( 委 員 は注 精 衛 、 戴 傳 賢 、 葉楚〓 、郡 力 子 、 陳 布 雷 の五 名 ) よ り宣 言 文 草 案 の 提 出 あ り た る と ころ 三時 間 に亘 り 討 論︱ 主 と し て 対 日方 針 た る が遂 に決 定 を 見 る に至 らず 翌 日 に持 越 す こと と な れ り 。 二十 一日 は宣 言
く 大会 宣言 よ り日 本 を刺 戟 す る が如 き文 句 を 抹消 し た り 。其 の他 対
を 示 せ る蘇 聯 、 コミ ンテ ル ンが 今 後 如 何 な る態 度 に出 でむ と す る や
想像 さ る る が、 中 国 共 産 党 を 通 じ 三 中全 会 に対 し最 大 の妥協 的 態度
尚茲 に指 摘 さ る べ き こと は中 央 が果 し て直 に共産 軍 討 伐 を実 施 し
は最 も 注視 を要 す べ き点 な り 。
日 戦 備 に関 す る提 案 等 あ り た る如 き も公 表 を 見 ざ り き 。 ︹マ マ ︺
之 を要 す る に南 京 政 府 の対 日方 針 は 二中 全 会 当 時 よ り更 に厳 然 た
だ息 まず 又 楊 虎 城 、 張學 良 部 隊 を以 て共 産 軍 討 伐 は 現状 に於 て は殆
得 る や の点 な り 。 西 安事 変 が 一応 の段 落 を見 せ た る も其 の余壗 は未
る方 針 を 保持 す る も のな る が 、 日本 の朝 野 の思 潮 に対意 す る為 に宣 言 文 其 の他 に於 て其 の表 現 を 緩 和 し 日本 の対 支 態 度 を 注 視 す る こと
ど不 可 能 な るべ く 、 又 国 民 政府 の財 政 上 より 見 ても事 実 上共 産 軍 討
と な れり 従 て日支 関 係 は何 等 突然 的 異変 の発 生 せざ る限 り現 状 維 持 す る も のと 観 ら る る が前 述 の如 き 中 堅 層 の対 日態 度 を 反 映 し て今 後
伐 は暫 く停 止 の已 む な き に至 る べ し。
態 な る こと は 明瞭 な る と ころな る が其 の主張 す る ス ロー ガ ンは往 年
人 民 戦線 運動 は共 産 党 の指 導 下 にあ り 共 の本 質 が赤 化 運 動 の 一形
対 抗 日 人 ︹民︺ 戦 線 間 題
旬 記 念 週 に於 て党 の元 老汪 精 衛 の口 を通 じ て国 内 統 一を 破壊 す る共
国 民 革 命 の途 上 に於 て国 民 党 の唱 導 し 来 れ る と ころ と大 同 小異 にし
(
伐 を決 行 せざ る に於 て は同 決 議案 は 一つ のゼ スチ ュア ーと 化 さ ん 。
中 国 当局 に し て赤 禍 案 を 切実 に決 議 せ る も の なら ば 最 短 期 間 に討
の我北 支 工作 は 相 当 困難 な る局 面 に逢 著 す る に非 ず や と思 は る。 (2) 対中 国 共 産 党問 題 中 国 共産 党 に対 す る国 民党 の態 度 決 定 は国 内 政 策 及 対 外政 策 の帰
産 党 討 伐 の必要 を強 調 し た り 。然 る に 三中 全 会 に於 ては 国 民党 の有
て且 政 府 内 に有力 な る支 持 者 を 有 し 又 其 の運動 方針 巧 妙 にし て極 力
趨 を 知 ら し む る上 に於 て極 め て 重要 な る問 題 な り 、国 民党 は 一月中
力 分 子 孫科 、馮 玉祥 、李 烈鈞 等 の容 共政 策 採 用 の提案 、 共産 党 の妥
当 局 と の対 立 激化 を 回避 せ むと し 居 るを 以 て国 民党 と し て も之 を徹
底 的 に弾 圧 し 得 ざ る 立場 に あり 、 従 て南 京 政 府 の対 人民 戦 線 運 動 に
の必 要 に迫 ら れ、 遂 に主席 団 よ り ﹁ 赤 化 根 絶 案 ﹂ を上 提 し 共産 党排
対 す る政策 の重 点 は 現下 の局 勢 に於 て は人 民戦 線 に対す る弾 圧 乃 至
協 申 入 れ 、抗 日人 民 戦 線 派 の策 動 あ り た る為 国 民 党 も茲 に態 度 簡 明
撃 の態 度 に出 て、 共 産 党 其 の他 の策 動 を封 ず る こと と な れ り 。 此 の
之 を解 消 に導 か む と す る が如 き方 策 の採 用 に非ず し て 人民 戦 線 運 動
の組 織 に喰 込 み其 の指 導 権 を国 民 党 側 に奪 回 せ む とす る に あ る が如
が続 け ら れ た る が 一部 の反 対 を押 切 り之 を通 過 し 更 に宣 言文 に於 て は共 産 党 及 人民 戦 線 派 の ﹁内 戦停 止﹂ の ス ロー ガ ン に対 し批 判 を加
(4) 国 民 大 会 問題
し。
提 案 を 続 って親 蘇 派 、 廣 西 派 と政 府 部 内 の自 重 派 と の間 に相 当論 議
へ ﹁此 の ス ロー ガ ンは国 家 民 族 の分 裂 行 動 を掩 護 す る も のな り﹂ と
期 日 の決 定 を為 す べ き こと を決 議 せ り。 此 の問 題 に対 し て は 三中 全
三 中 全 会 は 本年 十 一月 十 二 日国 民 大 会 を召 集 し 、憲 法竝 之 が実 施
断じたり。 斯 く て蒋 、汪 合 作 によ り 容 共 政策 は断 乎 排 撃 せら れ た り 。 之 に依 て日 、英 、 米 、 独 、 伊等 の諸 国 も好 印 象 を受 け た る こと は
て彼 等 は国 民 大 会 開 催 を機 と し て 人民 戦 線 派 其 の他反 蒋 的勢 力 の擡
早 論 が唱 へら れ たり 。時 期 尚早 論 の主 張 を為 す 者 は陳 立 夫 一派 に し
会 前 よ り中 央 委 員 一部 には有 力 な る延 期 論 が主 張 さ れ憲 政開 始 の尚
と し て玉寵 恵 が就 任 す る こと 内 定 し 、 又 実業 部 長 呉 鼎 昌 の駐 日大使
三 の部長 の更 迭 に 止 る こ とと な れ り 。 即 ち張 群 外 交 部 長 辞 任 し 後任
る揚 合 、 一様 に人事 は蒋 介 石 以 外 に知 るも のな し と答 ふ る と の由 な
就 任 も遠 か らず 実 現す べ しと 謂 ふ。 (中国 要 人 に 人事 問 題 を 質 問 す
方 針 な る こと が説 明 さ れ 、而 し て日 本 の之 に対 し如 何 な る態 度 に出
中 国 の当 面 の経 済建 設 は英 国 よ り低 利 且 長 期 の資 金 を得 て之 に当 る
注 視 を要 す べ し 三 中 全 会 に於 け る主 席 団 の打 合 会 議 の席 上 に於 て、
る関 心 を必 要 と す べ く 、之 に伴 ふ英 、 米 の対 支 活動 に対 し て は殊 に
し た る が、 中 国 の統 一過 程 に於 け る経 済 建 設 の進 行 に対 し て深 甚 な
更 に三 民主 義 に準 拠 し て地 権 の平均 、資 本 の節 制 を高 調 し縷 々説 明
俟た ざ る べ か らず 故 に経 済 建 設 は 目下 の重 要 な る政 策 な り と述 べ、
必ず 経 済 の統 一を必 要 とし 、救 亡 図存 は 人力 の充 実 、 国 力 の充実 に
大会 宣 言 文 は最 後 に於 て経済 問 題 に言 及 し、 国 内 統 一の進 行 に は
(7) 経済建設問題
る が以 て蒋 独 裁 の 一斑 を窺 知 す るを得 ベ し)
頭 を 恐 れ た るも のな り 。之 に対 し汪 精 衛 等 は 国 民 大会 の開 催 を首 唱 し たり 。 此 の注 の主張 に 対 し て は汪 等 と対 立 的 関 係 にあ る人 民 戦 線 及 廣 西 派 等 も支 持 し 、茲 に大勢 を支 配 し遂 に国 民 大会 開催 を決 定 す る に至 れ り 。大 会 の斯 る情 勢 の下 に陳 立 夫 一派 も 一歩 を譲 り之 を認 む る と同 時 に国 民 大 会組 織 法 の修 正 を求 め反 蒋 勢 力 の擡頭 を押 へん と す る策 に出 でた り 。 三中 全 会 に於 て示 さ れ た る 此等 の対立 と矛 盾 は更 に国 民 大 会 開 催 を繞 る 対立 と し て今 後 に於 け る支 那 政局 の 一主 流 を形 式 す るも のと 思 は る 。 (5) 西 安 事 変 善 後 処 置問 題 三中 全 会 開 会 直 前 に西 安 問 題 が 一段 落 を告 げ た こと は蒋 介 石 は固 よ り 中 央 にと り て甚 だ有 利 とな れ り 。 蒋介 石 は 三中 全 会 に西 安 事 変 の経 過 を説 明 し 更 に西 安 側 の政治 要 求 の附 議 を求 めた る が大 会 は其
が 、幣 制改 革 以来 の因 縁 に加 へて 、西 安 事 変 に際 し 直 接 問接 国 民政
中 英 経 済提 携 に余 り ヤ キ モチを焼 いて く れ る な﹂ と述 べた る由 な る
つ る やを論 じ た り と謂 ふ。 主 席 団 の 一人 が 此 の方針 を洩 し ﹁日 本 は
るが 如 き 情 勢 にあ り た る為 国 民 政 府 命 令 を以 て之 を 回復 し た り。 此
べ し と 予 想 さ れ た る が 、全 会 に於 て之 を円 満 に通 過す る こと困 難 な
の必 要 な し と せり 。 尚 張學 良 の公 権 回復 問 題 が三 中全 会 に上程 さ る
等 は 総 て蒋介 石 と西 安 側 の妥 協 条 件 を蒋 が履行 せ る も のなり 。 張 學
に は共 産党 が社 会 及 国 家 に及 ぼ す害 毒 を強 調 し 、其 の主 張 に批 判 を
方 針 に関 し ては 二中 全 会 当 時 よ り も 更 に明 白 に之 を闡 明 し、 対 内的
対 日態 度 の決 定 、 日 本 の対支 進 出 に対 応 す る政 策 の決 定 なり 。 対 日
的問 題 は対 日問 題 にし て 、全 会 に於 け る主 張 を貫 く 一大 根 幹 は即 ち
にも 重大 な る影 響 を 招来 す べ し之 を要 す る に三 中 全会 に於 け る基 本
府 を 支援 せ る英 国 の対 支 政 策 の動 向 は今 後 に於 け る日 支 関係 の将 来
良 部 隊 は 甘 粛 移 駐 に難 色 あ り と の ことな る が西安 問 題 の完 全 な る解 決 は未 し と謂 はざ るベ からず (6) 国 民 政 府 の改 組 問 題 蒋介 石 は西 安 事 変 の責 を 負 ひ行 政 院長 の職 を辞 す べ し と の観 測 行 は れ た る が大 会 は蒋 介 石 の留 任 を決 議 し 、 国 民 政 府 の人事 異動 は 二、
に抗 す る為 には経 済 建 設 に努 力 し国 力 充 実 す る こと を強 調 す る等 中
加 へ之 を排 撃 せざ る を得 ざ る理 由 を明 に せり 。 更 に国 内 統 一と外 敵
国 の現 に当 面 す る諸 問 題 に 一応 の結 論 を与 へた る こと は統 一を急 ぐ
(上 情 三 六第 四 一七号 )
国 民 政 府 と し て は極 め て大 な る収 穫 と謂 はざ るべ か らず 。
﹃東亜飜 訳 通信 第 二百 五 十号 ﹄
赤化 根 絶 決 議案 ( 第五期第三次中央委員全体会議)
に対す る最 近 の態 度 には 、蒋 介 石 の談 話 を裏 付 け る に足 る も の少
九
か らず 、 更 に人 民 戦 線 派 に於 て は、 蒋 の該 談 話 は南 京 政 府 開 設 以
東 亜 経済 調査 局 )
( 解 説 ) 去 る 二月 十 五 日 よ り 八 日間 に亙 っ て開催 さ れ た中 国 々
来 の劃 期 的 重 大 声 明 と し て 一応 歓 迎 の意 を 表 し 、自 派 の初 歩 的 成
東京
民 党 第 五期 第 三次 中 央 委 員全 体 会 議 (三中 全 会) は 、終 始 極 秘 裡
功 を公 言 し て ゐ る事 実 は結 局 三中 全 会 の反 共 決 議 乃至 宣 言 が、 国
(昭和 十 二年 三 月 十 一日
に議 事 を進 め 、外 面 的 には何 等 の波 瀾 もな く 完 了 し た か に見 ら れ
民 党 の名 分 を宣 揚 し 面 子 を誇 示 し た る に過 ぎず 、 現 実的 に は既 に
の見 地 よ り解 釈 さ るべ き で あ り 、国 内 経 済 建 設 計劃 も ま た こ の意
て いる が 、 本会 議 の期 間 が十 五 日 の予備 会 議 の決定 よ り も 二 日間
味 に於 て充 分 の検 討 を 要 す る も の で あ る。 な ほ国 共合 作 に関 し 、
延 長 さ れ 、宣 言 文 の通 過 に二 日 を要 し た 一事 を以 て し て も、 会 議
は 最 も 困難 を極 め たも のゝ如 く であ る 。左 に訳 載 せ る 本会 議 最 終
国 民党 と共 産 党 と の間 に ﹁ 狐 と狸 の瞞 し合 ひ﹂ にも 比す べ き微 妙
て いる ので あ る。 従 っ て宣言 に現 はれ た対 日 政策 の如 き も当 然 こ
日 に漸 く決 定 を見 た ﹁赤 化根 絶 決 議 ﹂ 並 に ﹁全 会宣 言 ﹂ の両 文 は、
国 共再 合 作 の第 一歩 を 大 き く踏 み出 した も の であ る こと を立 証 し
中 国 共産 党 及 び中 国 革 命 紅軍 を徹 底 的 に爆 撃 せ る も ので あ って、
な る懸 引 が行 はれ つゝ あ る こと は勿 論 であ っ て、支 那 の将 来 が、
が 相 当 混乱 に陥 り、 各 派 相 互 間 の意 見 対 立 が頗 る尖 鋭 化 し た こと
これ のみ を 以 て見 れば 、国 民党 及 び国 民 政 府 の態度 は飽 く ま でも
を共 同 目標 とす る国 共 合 作 が 相 当程 度 に進 展 す る こと は最 早 や疑
果 し て何 れ に向 ふ かは 軽 々に断 じ得 な い が、 近 き将 来 に於 て抗 日
が察 せ ら れ る。 殊 に人 民 戦線 派 の主 張 に対 す る全会 の態 度 決 定 に
反 共産 主 義 的 で あ り、 我 国積 年 の主 張 と 一致 す る も のゝ如 く感 ぜ
(南 京 二 十 一日発 由中 央 社 電 ) 二 月 二十 一日午 後 、 三中 全 会 第 六
ひ の余 地 な き と ころ で あら う 。
ら るゝ も 、 全会 閉 会 後 蒋 介 石 が中 央 通信 記 者 に対 す る 談話 の形 式
の主 張 を実 質 的 に認 容 し 且 これ が実 践 を天 下 に公 約 し た も ので あ
を 以 て発 表 せ る と ころ は、 左 に訳載 せ る全 文 の通 り 、 人 民戦 線 派
る。 し か も支 那 各 地 に於 け る現 実 の情 勢 並 に国 民 党 部 の左翼 分 子
ては そ の邪 説 を宣 伝 し て青 年 を 惑 は し 、 他面 に於 て は隊 を成 し て四
方 を騒 擾 し 、患 を為 す こと十 年 余 、実 に十数 省 を擾 乱 し た。 即 ち 武
し て尚 ほ世 人 の記 憶 に新 な ると ころ で あ る。 つ いで ま た、 一面 に於
漢 、 南 昌 、廣 州 、長 沙 の変 乱 及 び廣 東 の陸 海 豊 、福 建 の龍 岩 、 永 定 、
次本 会 議 を通 過 せる ﹁ 赤 禍 根 絶 決 議 案 ﹂ の原 文 左 の如 し。
命 に致 し、 以 て国 家 を建 設 し、 民 族 を復 興 す る に 一視 同 仁 の趣 旨 に
本 党 の歴 史 的使 命 とす る所 は 、 孫 総 理 の遺 教 を奉 じ、 力 を 国 民 革
基 き 、世 界 に対 し ては大 同 の治 を求 め 、 国 内 に対 し て は断 じ て党 派
江 西 の吉 安 、 上饒 、永 新 、銅 鼓 、戈 陽 、湖 南 の平 江 、瀏 陽 、 華 容 、
廣 東 、 福 建 、浙 江 、湖 南 、湖 北 等 の省 は被 害 最 も甚 し く、蹂躙 最 も
的 偏 見 な く 、 たゞ 国 力 を 集 中 し統 一の基 を定 め 、 以 て支 那 の自 由 平
久 しく 、 人 民 の痛 苦 最 も深 いも の があ つた 。 中 央政 府 は 人民 保 育 の
る処 は悉 く 廃墟 と な つた 。尚 ほま た彼 等 は偽 政 府 を樹 立 し 、 江 西 、
納 せず と い ふ こと は な い。 これ孫 総 理 の興 中会 、同 盟 会 、 中 華 革 命
責 任 を有 し 、 人 民 を毒 害 す る匪 類 を掃 討 せざ る を得 な いが故 に、 数
湖 北 の汚 陽 、 黄安 、監 利 、 河 南 の商城 、〓 川 等 の如 き、 赤 匪 の到 れ
党 、中 国 々民 党 等 の創 立 に於 け る 一貫 し た精 神 であ って、 興 中 会 、
年 以 来 これ が徹 底 的 討伐 を行 つた が 、 我 が将 士 が忠 誠 勇 敢 に 三民 主
等 を謀 る に在 る。故 に凡 そ 三民 主 義 を 服膺 し 、革 命 方 略 を遵 奉 し 、
同 盟会 時 代 に民 族 意 識 を有 す る志 士 を 延 請 し 、 民国 十 三年 の改 組 に
義 を 奉 じ て犠 牲 奮 闘 し たゝ め、 遂 にそ の根 拠 地 を覆 す を得 た。 か く
以 て国 民革 命 に共 同 協力 せ ん とす る者 は、 同 志 と し て誠 意 を以 て容
際 し 共産 党 個 人 の加 入 を容 納 し た るは 、 本 党 の史実 に明 かな こ と で
を 経 て四川 に至 り、 更 に甘肅 、陜 西、 寧 夏 、 青 海 、山 西 等 に及 び 、
あ る 。然 る に共 産 党 員 は本 党 に加 入 し た る後 に於 て そ の言 を飜 し 、
人 民 は脅 迫 に継 ぐ に残 殺 を以 てせ ら れ 、廬 舎 は悉 く 焼 き棄 てら れ 、
て凡 そ匪徒 の盤 胴 し て ゐ た地 方 を恢 復 す る や 、直 ち に区 処 を定 め て
の革命 建 国 の基 礎 を 顛覆 せ ん と謀 り、 東 下 し て南 京 、 上 海 を 衝 かん
城 市 、 農 村 の経 済 は徹 底 的 に破 壊 せ ら れ殆 ん ど遺 民 な き に至 つた 。
逃 亡 者 を招 輯 し、 数 ケ月 な らず し て旧 観 を恢 復 し た結 果 、 民 は 略
と せ る革 命 軍 を阻 止 し 、北 上 し て河 南 平 定 に当 ら んと す るを牽 制 し 、
凡 そ これ ら の こと は 昭彰 た る事 実 であ っ て、 更 に贅 述 の要 な き と こ
本 党 の掩 護 の下 に、 当初 は本 党 に対 し て陰 に壁 塁 を分 ち 、 次 い で本
両 湖 の恐怖 を演 出 し 、武 漢 、南 京 分 裂 の痛 史 を構 成 し 、 そ の結 果 北
ろ であ る が 、 そ の最 も痛 心す べき は 、満 洲 事 変 以来 国 難 重 大 にし て
党 の分 化 に努 め た 。 当時 本 党 は そ の悔 過 を望 み、 力 め て これ を容 認
伐 の大 業 は殆 んど 停頓 せ し めら るゝ に至 つた 。尚 ほま た紅 軍 創 立 を
全 国 々民 が統 一政 府 の下 に於 て国 力 を集 中 し 、真 正 に団 結 し 、 建 設
し た にも拘 ら ず 、 国 民革 命 軍 が衡 州 、長 沙 に出 で、 武 昌 、漢 口を占
主 張 し 、本 党 の幹 部 を破 壊 し、 階 級 闘 争 を 煽動 し 、革 命 政 権 を 奪 取
に尽 力 し 、国 防 を 充実 し て外 侮 を禦 く も 猶 ほ 及 ばざ る を惧 るゝ 状 態
る ま で悦 服 し た。 匪 徒 は江 西 総崩 潰 の後 、湖 南 、貴 州 、 雲 南 の辺 境
せ ん と し た が故 に、 本党 は党 の基 礎 を鞏 固 にし北 伐 を 完 成 し て人 民
な る に拘 らず 、共 産 党 員 は国 家 の危 急 存 亡 の際 に乗 じ て擾 乱 を肆 に
々そ の居 に安 ん じ、 中 央 の寛 仁 と 匪徒 の残 暴 と を 比較 し 、婦 女 子 に至
を 救 ふ た め に、 直 ち に武 力 を以 て清 党 に従事 せざ るを 得 な か つた 。
領 す る や、 本 党 と 民衆 と の連 繋 を 遮 断 し 、赤 化 の禍 根 を 植 え て本党
か く の如 く 共 産 党 員 が自 ら国 民 に反 し 、 本党 に反 し た事 実 は 歴 々と
防 破 壊 、 民 力〓 残 の挙 は更 に甚 しき を 加 へた 。思 う て こゝ に至 る毎
て は撫 州 を猛 撃 し 、南 昌 を脅 か し て抗 敵 の軍 を牽 制 し、 そ の他 の国
し 、上 海 戦 の時 に際 し て は〓 州 を猛 撃 し 、長 城 各 口 の戦 の時 期 に於
し な け れば な ら な い。
不安 と な り、 民 衆 は 離 散す る が故 に、 こ の階 級闘 争 は根 本 的 に停 止
で あ り、 且必 ず 民衆 奪 取 と武 装暴 動 と の手 段 に出 で、 た め に社 会 は
を各 種 の対 立 せる階 級 に分 割 し、 こ れを し て互 に仇 殺 せ しむ るも の
これ を要 す る に、 凡 そ独 立 自主 の国 家 は断 じ て国 家 に反 し民 族 に
に国 を挙 げ て痛 憤 す る と ころ で あ る。 今 や 共産 党 員 は辺 境 に窮 迫 し たゝ め、 遂 に誠 意 を 以 て投 降 せ んと す と の説 が あ る 。本 党 は博 愛 を
て 人民 を残 害 し 道 徳 を 破壊 す る如 何 な る行 動 を も容 忍 す る こと は出
反 し て外 国 の力 に依 拠 す る 団 体 の存 在 を 許 容 す る能 はず 、 また 決 し
来 な い。 本 党 は建 国 立 人 の責 任 を負 ふも の であ る が 、共 産 党 の封建
主 旨 とす るを 以 て、決 し て改悛 し た る者 を 拒 む も ので は な い が、 彼
服 従 し 、 団 結 を 恪 守 し 、軍 令 を厳 守 し、 中 華 民国 の善 良 な る国 民 と
を破 壊 す る行 動 並 に宣 伝 は 、実 に建 国 立 人 の要 旨 と絶 対 に相 反 す る
的 割 拠 、 専 制 残 酷 の策 略 及 び そ の国 際 組織 を 背景 と し て国 家 の統 一
等 が既 往 を回 顧 し て そ の過 誤 を再 び せず 、真 に改悛 し て三 民 主 義 に
な る にあ ら ざ れ ば 、中 央 政 府 は国 家 の治安 を維 持 し全 国 人 民 の生命
も の で あ る。 吾 人 は 先 づ支 那 民族 固 有 の精 神 と道 徳 と を依 復 し 、中
財 産 を保 護 す る た め に、 億 万 人 永 久 の利害 を顧 みず し て この少 数 の 巧 言 暴 行 の徒 を許 容 し民 族 無 窮 の憂 を胎 す を得 な い。即 ち 最 少 限 度
も の な る こと を 知 ら ね ば な ら な い。 従 って赤 禍 根 絶 は国 家 民族 の至
し 、支 那 民 族 の光 栄 あ る歴 史 を継 承 し 、 以 て 三民 主 義 を 実 現 し得 る
華 民 国 の独 立 自 主 の人格 を樹 立 す れば 、中 華 民国 固 有 の版 図 を恢 復
当 不 易 の大 道 であ る 。 凡 そ こ の主 旨 に基 く決 心を 具 有 し 、 事実 を以
一国 の軍 隊 は必 ず 統 一的 編 制 と統 一的 号 令 と に よら な け れ
ば そ の効 を 収 め得 ず 、 ま た主 義 を異 にす る軍 隊 の並 存 を断 じ て許 容
(一)
の条 件 と し て、 次 の四項 を強 調 せざ るを 得 な い ので あ る。
し 得 な いが故 に 、 そ の所 謂 「紅 軍 ﹂ 及 びそ の他 の如 何 な る名 目 の武
て全 国 民 の前 に表 現 し得 る も のは 何 れ も許 容 さ れ る が、然 らざ れば
国 脈 民 命 を 重 ん じ、 決 し て詭 弁 を軽 信 し て国 家 民 族 に無 窮 の患 を胎
力 を も徹 底 的 に取 消 さ なけ れ ば な ら な い。
す こと は出 来 な い。 これ即 ち 本 党 の責 任 で あ っ て、 敢 て全 国 同 胞 に 確 言 す る と ころ で あ る。
(二 ) 政 権 統 一は国 家 統 一の必要 条 件 で あ って、 世 界 の如 何 な る
「サ ウ ェー ト政 府 ﹂ 及 びそ の他 一切 の統 一を破 壊 す る機 関 を徹 底 的
国 家 も 一国 内 に両 種 の政 権 の存 在 を断 じ て 許 さ な い が 故 に、所 謂
に取 消 さ な け れば な ら な い。 (三) 赤 化 宣 伝 は救 国 救 民 を 職志 とす る 三民 主 義 と 絶 対 に相 ひ容 れず 、支 那 人民 生 活 と も ま た極 端 に背 馳 す る が故 に、 必ず そ の赤 化
(四) 階 級 闘 争 は 一階 級 の利 益 を本 位 と為 し 、 そ の方法 は全 社 会
宣 伝 を根 本 的 に停 止 し な け れば なら な い。
( 第五期第三次中央委員全体会議) ( 同
前)
と のた め の活 路 を保 障 す る に在 る 。而 し て平 和 未 だ完 全 に絶望 に至
三 中 全 会 宣 言 文
昨 年 七 月 十 日 、第 二次 中央 執 行委 員 会 全 体 会 議 開 会 に際 し 、中 央
ら ざ れ ば 決 し て平和 を放 棄 せず 、 国 家 既 に犠牲 に非 ざ れば 不 可 な る
一〇
同 人 は 内 憂 外患 益々 甚 し き に鑑 み 、同 心戮 力 以 て これ を挽 救 せ ん が
自 存 の目的 を達 し 、 且全 世 界 の国 家 と共 に世 界 大 同 の実 現 に勉 め ん
のた め に最 大 の努 力 を傾 け 、 真 正 の決意 を 以 て時 局 を 転 換 し 、 自 主
こと を期 す 。次 いで 二中 全 会 宣言 も こ の意 を再 述 し、 更 に厳 正 な る
時 至 ら ば決 然 と し て犠 牲 とな る。 最 後 的犠 牲 の決 心 を抱 い て、 平 和
今 回 の全 体会 議 は過 去 の成績 を検 閲 し 、現 在 の情 勢 を熟 察 し、 将 来
解 釈 を加 へた︱
ため に、 対 外的 には領 土 主権 の擁 護 、 対内 的 には 平 和統 一を進 行 す
の趨 向 を決 定 す る ため に、 対内 、 対外 各 問 題 を詳 細 に討 論 し、 且鄭
べき こと を鄭 重 に決 議 し 、爾 来 努 力 し て怠 らざ る こと こゝ に七 ケ月 、
重 に決 議 し た。 こゝ にそ の重要 な る も の を挙 げ 、謹 ん で 我 が同 志 及
的 には たゞ 最 大 な る容 忍 と 苦 心 と を 以 て全 国 々民 の団 結 を 求 め 、 対
て如 何 な る領 土主 権 侵 害 の協 定 にも 調印 せず 、 若 し領 土 主 権侵 害 の
外 的 には決 し て如 何 な る領 土 主権 侵 害 の事 実 も容 認 せず 、 ま た 決 し
国 家 既 に こ の非 常 の形 勢 にあ る以 上 、 吾 人 は 対 内
び国 民 に告 げ ん と す る も の であ る。 国 難 の由 来 に就 いて は 、孫 総 理 が そ の民 族 主義 中 に既 に明 か に説
事 実 発 生 し、 し か も政 治 的 手 段 を 尽す も尚 ほ効 なく 、 国 家 民族 の根
明 し 、吾 人 の自 救 自強 す る所 以 の道 も また 余 す と ころ な く明 示 せら れ た。 満 洲 事 変 以 来 、吾 人 は極 度 の痛 苦 中 にあ って孫 総 理 の遺 教 に
本 生存 を危 害 す る時 は必ず 最後 的 の犠 牲 の決 心 に出 で、決 し て毫 末 こ の国 難 重大 な る時 期 に際 し 、
恪 遵 し 、 民 族 のた め に 一条 の活 路 を 求 む る こと に専 心し て来 た 。 五 全 大 会 の宣 言 は 明確 に表 示 し た︱
月 、 屡々 折 衝 の破 裂 に瀕 し た が、 我 方 は そ の立 場 を 固守 し て終 始 変
二中 全 会 閉 会 以 後 、 対 日交 渉 は これ に基 い て進 行 し 、 そ の間 数 ケ
も猶 予 す る の余 地は な い。
に勝 つ﹂ 並 に ﹁これを 自 ら操 れ ば存 し 人 に操 られゝ ば 亡 ぷ ﹂ と の二
らず 、 匪 偽各 軍 の綏遠 進 出 擾 乱 発 生 す る や 、 全国 の力 を合 し て守 土
吾 人 の危 機 対策 と し て持 す る と ころ は たゞ 孫 総 理 の ﹁人 定 ま り て天
遺 訓 を奉 持 し、 最 大 の忍 耐 と決 心 と を 以 て国 家 の生 存 と 民族 の復 興
に よ る紛 糾 解決 の端 緒 を発 見 し得 べ く、 これ我 国 が挙 国 一致 の下 に
両 国 間 の未 解 決 懸 案 は完 全 な る 解決 に至 らず と す る も 、平 和 的 方 法
し め 、 主 権 の完 整 を期 せ ん と欲 す る も の で あ る。 か く す れば 、 日支
確 守 し て初歩 の解 決 を求 め 、 以 て匪偽 を し て依 拠 す ると ころ を失 は
絶 し な け れ ば 、吾 人 は固 よ り平 等 互恵 と領 土 主 権 相 互 尊 重 の原 則 を
と 平 和 の希 望 と は固 より 矛 盾 せず 、平 和 の希 望 にし て未 だ完 全 に断
す る のみ で 、決 し て排 外 の意 を抱 く も の では な い。故 に犠 牲 の決 心
を越 え 、決 然 起 って抗戦 す る こと あ るも 、 吾 人 は たゞ 自 衛 の心 を有
対 外 的 には共 存 を求 む る にあ り 、 た と へ損 害 を 蒙 る こと忍 耐 の限 度
す る も ので あ る。 蓋 し吾 人 の終 始 唯 一の目 的 は 、 対内 的 に は自 立 、
る対 外 方針 は依 然 こ れを継 承 し て変 らず 、 且 努 力 し て そ の進 行 を策
を措 いて は他 に道 な き を知 って い る が故 であ る 。 今 回 の全 会 に於 け
蓋 し 、 数年 来 本 党 の主 義 に対す る認 識 益々 深 ま り 、救 亡 図 存 は これ
心煽 動 の具 に供 せん と し た る も、 国 民 は 屹 然 と し て動 揺 しな か った 。
禦寇 に従事 し、 西 安 の事 変 起 る や、 首 動 者 は種 々の標 語 を借 り て人
頻 り に至 る時 に当 り 、 凡 そ国 民 にし て存 亡 を共 に せ んと す る な らば 、
人 、 一切 の団 体 の利 害 に優 越 す るを知 る で あら う 。 況 ん や こ の外 侮
に多 少 の感 情 的 の差 異 あ り とす るも 、 全民 族 の利 害 は遂 に 一切 の箇
ず 同 一国 民 は休 戚 相 ひ共 にし、 職 業 関 係 に因 って箇 人 間 或 は 団 体間
免 れざ る こと を知 る で あ らう 。 ま た全 民族 の意 義 を 明 か にせ ば、 必
ば 部 分 的 独 立 と な り 、劣 等 な る有 機 体 を形 成 し、 遂 に国 際 の陶 汰 を
必 要 より 中 央 政府 に於 て これを 総攬 し な け れば な ら な い。然 らざ れ
事 、 外 交 、 財 政 、 交 通 の諸 項 は そ の大 な る も のであ つ て、国 防 上 の
国 家 の意 義 を 明 か にせ ば、 必 ず 統 治権 の不可 分 な るを 知 る 。殊 に軍
を排 除 し 、 更 に 一歩 を進 め て民 権 主義 の大 道 に踏 み入 る にあ る。 全
る。 平 和 統 一の目 的 は、全 国 家 全 民 族 の力 量 を集 中 し て当 面 の国 難
き は、 平 和 統 一と 内戦 停 止 と の意 義 に広 狭 の大 な る差 あ る こと であ
て真 正 な る統 一を 馴 致す る に至 る が故 で あ る。 ただ こゝ に注 意 す べ
て然 る後 に国 民悉 く真 正 に団 結 し 、共 に国 難 に赴 く こと を知 り、 以
に現 代 国家 を建 設 し、 救 亡 図 存 の大 任 に当 り得 べく 、 必ず 平 和 にし
利 益 の原 則 に基 い て相 互 の関係 を 日 とゝ も に緊 密 化 せ ん こと を望 む 。
て友 誼 の増 進 を謀 り、 あ ら ゆ る政 治 的 協 調 、 経 済 的 努力 は必 ず 相 互
掩 蔽 し、 以 て随意 の行動 を為 す も の でも な い。昨 年 七 月 以 来 、統 一
す る が如 き 挙 動 を 謂 ふ ので は な い。 ま た 内戦 停 止 の標 語 に仮 借 し て
商 議 に より て解決 す る の謂 ひ であ っ て、 国家 を分 裂 し 、 民族 を分 裂
止 と は同 一主 義 の下 に於 け る意 見 の分 裂 を武 力 に よ り て解決 せず 、
る。 惟 ふ に こ の 二義 は実 に平 和 統 一の真 諦 な る が故 に、 所謂 内戦 停
階 級 闘 争 の説 に惑 ひ て自 ら そ の団 結 を解 く が如 き は断 じ て 不可 で あ
こ れ我 国 の従来 よ り執 り 来 った態 度 で あ り、 ま た我 が 民 族主 義 に固
事 業 は漸 く 形 成 せら れ 、 地 方割 拠 の跡 も 過去 のも の とな ら ん と し て
そ の他 の国 際 関 係 に至 っ ては 、自 ら国 際 平 和 の路線 によ り、 努 め
最 短 期 間内 に貫 徹 せ ん こと を期 す る点 であ る 。
有 な る精 神 で もあ る。 従 っ て吾 人 は こ れ を堅 守 し て変 ら ざ る の みな
安 の局 を定 む べ き であ る。
ゐ る。 今 後 は平 和統 一の原 則 に拠 り、専 心国 防 に適 応 し、 且長 治 久
らず 、 益々 これ を発 揚 せん と す る も の であ る 。 対 外 方針 は上 述 の如 く であ る が、 対 内 的 には 、平 和 統 一こ そ数 年 来 全 国 の共 に堅守 し来 った信 条 であ る。 蓋 し 必 ず 統 一成 って然 る後
命 財産 は これ が ため に危 害 せ ら れ、 種 々 の罪 悪 は実 に片 言 の表 示 を
段 を 以 て国 民 を危害 し、 国 家 の対 外 力 量 を削 減 し、 人 民 の無 数 の生
と揚 言 し な がら 、実 は国 民 革 命 を破 壊 し 、 民国 十 六 年 以来 は暴 動 手
往 事 に徴 す る に、民 国 十 三年 以 来本 党 に加 入 し、 国 民革 命 に従 事 す
共 産 分 子 は 、最 近 共 同 禦 侮 の標 語 に仮 借 し 呼 号 す と錐 も 、 これ を
も ま た こゝ に於 て そ の基 礎 を得 る が故 で あ る。
民 衆 の団 結 は こゝ に於 て具 体 的 に表 現 し得 る の みな らず 、 民権 主 義
期 日通 り に召 集 し、 憲 法 を制 定 し て共 に遵 守 す る ことゝ し た。 蓋 し
だ主 管 機 関 を督 促 し 、 法規 によ って これ を推 進 し 、 以 て国 民 大 会 を
大 な る を以 て、 特 に今年 十 一月 十 二 日 に挙 行 す る に決 し 、 今 後 は た
て召 集 す る こと を決 議 し た。 今 回 の全 体 会 議 は、 国 民 大 会 の関 係 重
特 に民 力 の充 実 に待 つが故 に、 経 済 建 設 は 実 に目前 の要 図 な るも 、
な る成 功 を 為 す も ので あ っ て、救 亡 図存 の際 に当 り、 国 力 の増 進 は
尚 ほま た国 家 統 一の進 行 は、 必ず 経済 の統 一を待 っ て始 め て真 正
以 て し ては信 ぜし む る能 はざ るも の があ る。 本党 は、 国 家 のた め 、
及 び他 の 一切 の同 志 を し て 、功 を 一簣に虧 く の恨 を懐 か し む る に忍
経 済 建 設 は 孫 総 理 の定 め た る民 生 主 義 に従 っ て進 行 し な けれ ば な ら
人 民 のた め数 年 以来 そ の血 汗 を擲 ち て剿 匪 工作 に従事 せ る武 装 同 志
びな い。 故 に如何 な る方 式 た るを問 はず 、 必 ず 自力 を 以 て支 那 に於
経 済 利 益 の調 和 に由 るも ので あ っ て、 社 会 上 の大多 数 の経 済 利 益 の
け る赤 禍 を根 絶 せ し め、 将 来 無窮 の患 を除 き、 以 て永 く 民族 復 興 の
衝 突 に由 るも の では な いが故 に、 階 級 闘 争 は単 に社会 進 化 の際 に発
にあ らず と 判 定 し 、 社 会 に進 歩 あ る所 以 のも のは 社会 上 の大 多 数 の
民 衆 を組 織 し 訓練 し て、 建 国 の大業 に共 同 参. 与 す る を得 せ し む る
な い。 民 生 主 義 は マルク ス学 説 を 以 て社 会 病 理学 にし て社 会 生 理 学
は、 実 に本 党 の天職 で あ る。 国難 (註︱ 満 洲 事 変 ) の発 生 以来 本党
そ の至 る を待 つ要 なし と 鄭 重 に説 明 し て ゐ る。 そ の殊 に反 覆 丁 寧 に
生す る病 態 で あ っ て、 こ の種 の病 態 に は予 防 法 を講 ず べ く、 坐 し て
基 礎 を定 め ん と す るも の であ って 、 これ明 か に天 下 のた め に告 げ ん
は自 己 の職 責 とし て挺 身 これ に赴 く ベき も のな る を深 く 思 ふ と 同時
と す ると ころ で あ る。
に、 ま た覆 巣 の禍 には国 民 何 れも 同 感 な るを深 く思 ふ が故 に、 真 正
貧 富 の懸隔 は 一般 的貧 窮 中 に於 て強 ひ て大 貧 小貧 の別 を為 せ る に過
す べ からず 、 支 那 現 下 の顕 著 な る事 実 は 一般 的 貧 窮 であ って 、所 謂
れば須 く事 実 に根 拠 す べく 、 玄 妙 な る 理想 と空 疎 な る学 説 と に彷徨
重 に 二十 五年 中 の国 民 大会 召集 及 び憲 法 草 案 宣 布 を決 議 し、 一中 全
ぎ ず 、 故 に支 那 民 生問 題 の解 決 方 法 は 、 予防 のた め に は地 権 平 均 、
説 明 せ る点 は 、支 那 の現 在 の地位 を 以 て 民 生問 題 を解 決 せ ん と欲 す
会 は こ の決 議 に基 い て同年 十 一月 十 二 日 を大会 の期 日 と定 む る とゝ
団 結 、 共赴 国 難 の意 識 を全 国 に普 及 し、 且 本党 の屡 次 の重 要 会 議 に
も に、 全国 の選 挙 事 項 を指 揮 監 督 す る選 挙 事 務所 を設 立 し、 全 選 挙
し、 同 時 に箇 人質 本 に対 し て も適 当 な る保 護 を 加 ふ べ し と の主 張 で
資 本 節 制 に従 事 す べく 、 生産 増 進 のた め には 国家 資 本 の発 達 に尽 力
於 て討 論 し、 以 て国 民 大会 の召集 を決 定 し 、 五全 大 会 に於 て更 に鄭
の完 了 期 日 を同 年 十 月 と定 め た が、 各 地 に於 け る種 々の関 係 に より
あ る が、 凡 そ こ の指 示 は経 済 建 設 上 の不 易 の方針 で あ る。 蓋 し 支 那
代 表 撰 挙 を法 定 期 日 内 に完 了 し得 な か った がた め に、 已 む なく 国 民 大 会 の挙行 を 延期 し 、 全国 各 地代 表 の規 定 によ る選 出 の完 了 を待 っ
危 急 存 亡 の際 に あ る我 国 を し て、 力 を国 防 に注 ぐ と同 時 に、 ま た 力
塗 炭 の苦 に陥 っ て ゐ る のは そ の明 証 であ る。 し か も外 患 頻 り に至 り
あ る。 数 年 以 来 共産 分 子 の流 毒 を 被 り 、村 落 は廃墟 と な り、 民 生 は
貧 を化 し て大 貧 と な し 、大 貧 をし て死 亡 せし む る ことゝ な る のみ で
生 産 建 設 の進 展 を 阻 止 す る ことゝ な っ て、 そ の結 果 は たゞ 人 民 の小
家 を滅 亡 に陥 れ、 対 内 的 には適々 以 て各 生 産 分 子間 の混 乱 を惹 起 し
そ れ は適々 以 て対 外 的 には 民族 の全 力 量 を 削 減 す る ことゝ な っ て国
も ので あ る。 従 っ て若 し 民族 の内 部 に於 て階 級 闘争 を煽 動 す れば 、
の貧 窮 な る所 以 は、 外 は敵 国 の圧 迫 に由 り、 内 は 生 産 の貧 弱 に由 る
い て言 へば 、数 十 年 来 外 国 の優勢 な る資 本 、 優 秀 な る技 術 の下 に、
これら 有 用有 能 な る分 子 はま た存 在 し得 な い であ ら う 。資 本 家 に就
て労 働 者 を煽 動 す れば 、 労 働 者 以 外 のも の は 一斉 に仇敵 視 せら れ、
ると ころ は 、極 め て深 く 、 切 実 且 明確 で あ って、 若 し階 級 闘争 を以
の分 子 は 社会 に於 て大 多 数 を占 め てゐ る と言 って ゐる 。 そ の指 示 す
ず 、 何 れも 生産 方面 に貢 献 し て ゐ る ので あ って、 こ の種 の有 用 有 能
なく 、 凡 そ 社 会 上 の各 種 有 能 の分 子 は直 接 た る と間 接 た ると を問 は
剰 余 価 値 は 、単 に工場 内 に於 け る労 働者 の労 働 の み によ るも ので は
悪 実 に言 ふ に堪 へな いも の が あ る。 孫総 理 は、 あら ゆ る工業 生 産 の
伝組 織 は階 級 闘 争 の毒 念 を 人 心 に潜 入 せ し め 、 そ の結 果 発 生 し た害
のゝ数 十 年 来 拮 据経 営 し て得 た ると ころ な る に も拘 ら ず 、 秘密 の宣
夜兢 々と し て維 持 を謀 り、往 々 にし て 一年 終 始 借 金 のた め に多忙 を
を剿 匪 に注 がざ るを得 ざ ら し め て ゐ る。而 し て剿 匪 期 間 に於 ては 軍
極 め 、 些 か対 策 を誤 ら んか忽 ち これ がた め に閉鎖 の已む なき に至 る
事 的 掃 蕩 、 政 治 的 保障 の他 に、 経 済 建 設 に就 き特 別 努 力 す るを要 す
そ の農 民 に関 す る も のは、 苛 税 雑税 を廃 除 し て病 苦 を 除 き 、農 業
極 め て簡 単劣 悪 な る 工場 に於 て、極 め て経 済 的 な る方法 を用 ひ、 日
の研 究 機 関 を 設 立 し て種 子 耕 作 を 改 良 し 、輸 送 販 売 機 関 を創 設 し て
ので あ って、 破 産 者 頗 る多 く 、 そ の艱 難 奮闘 の情 況 は そ の内容 を知
る の であ る。
輸 送 販 売 を便 利 にし 、農 民 銀 行 及 び組 合 を組 織 し て金 融 を 円滑 に し、
び得 やう 。 こ れ新 興 の工業 を し て幻 滅 に帰 せし め 、労 働 者 をも 必ず
これ と共 に打 倒 し 得 るも のな る を知 ら ざ る に異 ら な い。 経 済建 設 の
れ る者 の同 情 に堪 へざ ると ころ で、 何 う し て これ が打 倒 を叫 ぶ に忍
前 途 のた め に、 これ ら 工業 は 必ず 維 持 愛護 し な け れ ばな ら な い。即
に そ の生産 力 を増 加 す る に在 る。蓋 し生 産 力 を増 加 し て始 め て ﹁耕 す 者 は そ の田 を有 す ﹂ と の原 則 を実 現 し得 る の であ っ て、 もし 然 ら
治 川 造 林 によ っ て災 害 を防 止 す る等 、 そ の目的 は何 れも農 民 のた め
ざ れば 目 下 の生 産 条 件 の下 に於 て は 、自 作 農 もま た 自給 す る に足 ら
の生存 発 達 の ため であ る 。 そ の他 の やゝ大 な る 工業 、或 は そ の性 質
上 国営 と為 す べき も の、或 は そ の事 業 の箇 人的 の資 力 を 以 てし て は
ち 時 と し て は必 要 な る統 制 を施 す こと あ る も 、 これ凡 て これ ら 工業
数年 来 共産 党 の蹂〓 し た のは多 く 農 村 で あ っ て、農 業 は固 よ り破
き で あ る。
経 営 し得 な いも のは 、国 家 資 本 の発達 に努 力 し て そ の責 任 を負 ふ べ
売 却 し て小作 農 に転 落 す るが故 で あ る。
壊 せ ら れ、 更 に農 村 に僅 に存 す る手 工業 も ま た破壊 せ ら れ た。 こ の
ず 、 縦 へ土 地 を与 へた りと す るも、 久 し から ず し て必ず や ま た質 入
他 上海 に於 け る相 当 多 数 の軽 工業 は、 国 内 に於 て実 業 に従 事 す るも
二中 全 会 前 後 に於 け る幣 制 の改 革 、 金融 の安 定 は 、既 に経 済 建 設 の進 展 を助 け つゝ あ る が、 今 回 の全 会 に於 て は更 に最 大 の決 心 、 最
び 人民 生 活 の必要 に応 じ て、 必 ず 民 生 主義 の原 則 を遵 守 し 、 務 め て
善 の努 力 を以 てそ の発 達 を促 す ベく 、 あ ら ゆ る措 置 は務 め て国防 及
社 会 の利 益 を 相 互 に調 和 し、 平 均 に発達 せ し め、 共 有 、 共沾 、共 享 の域 に馴 致 し 、決 し て階 級 闘 争 の謬 説 を放 任 し て社 会 の擾 乱 を招 致 せず 、 ま た決 し て貧 富 の懸 隔 を 甚 し か ら し め て将 来 の紛 糾 を 招 か ざ る やう 努 めん と す る も の であ る。 目前 の救 亡 図 存 の 工作 は これ によ り て完 成 せら れ 、 民生 主 義 の実 現 も ま た これ を起 点 と す るも ので あ る。 以上 挙 げ た と ころ は、 今 次 の全会 に於 て確 定 し た 方 針 で あ って、 応 急 の策 と し て は これ に あら ざ れ ば 目前 の国 難 を排 除 す る に由 なく 根 本 の策 と し て は こ れ に あら ざ れ ば 三 民主 義 を 実 践 す る を得 な い の
一中 、 二中 両全 会 以来 奉 行 せ る と ころ であ っ て、 今 後 は たゞ こ れを
で あ る。 一切 の国 本 民 生 の大 計 に至 って は、 五 全 大会 の規 定 に よ り
継 続 努 力 す べ く 、重 ね て贅述 の要 は な い。 凡 そ 我 が同 志 は務 め て深 く 国 歩 の艱難 に し て本 党 の負 ふ使 命 及 び責 任 の重大 な る を思 ひ、 心
の霊 を 安 んず ベ き であ る 。
を 一にし徳 を 一に し以 て重責 を負 はむ こと を期 す べく 、 孫 総 理在 天
一 一
南 京 政 府 の対 内 方 針
( 同前
蒋
介
石)
表 の消 息 を 、 地 方 当 局 が却 って公 表 を許 さゞ る た め輿 論 界 に常 に問
に 一致 し 得ず 、往 々 にし て中 央 政 府 が許 可 せ る も の或 は中 央 政府 発
題 を発 生 す る ので あ る 。 し かし 中 央 政府 は極 力 言 論 の自 由 を 尊重 し
が、 我 国 は領 域 が広 大 で あ る ため 、 各 地 の言 論 開 放 に対 す る措置常
集 中 と の 二点 に頗 る注意 し て ゐ る が故 に、 記 者 は特 に これ に対 す
断 じ て過 度 の制 限 を 為 す も ので は なく 、 今 後 は更 に 一層 この主旨 に
(南 京 二 十 二 日発 中 央 社 電 ) 蒋委 員 長 は 、 三中 全 会 閉 会 後 、 中
る中 央 政 府 今 後 の方針 を質 問 す ると 共 に、 政治 犯赦 免 問 題 に就 い
央 社 記 者 を 会 場休 憩 室 に引 見 し た 。 外部 に於 て は言 論 開 放 と 人 才
ても こ れ に対 す る 三 中全 会 の討 論 及 び決 定 の経 過 を質 問 し た と こ
基 づ き新 聞 及 び出 版 物 の取 締 規 定 を改 善 し 、 ま た 一歩 を進 め て雷 論
出 版 事 業 の発 展 を扶 助 し 、言 論 界 をし て国 家 の利 益 に反 せざ る範 囲
ろ、蒋 委 員 長 よ り 左 の如 く 回答 があ った 。
内 に於 て充 分 貢 献 す る 機会 を得 せし めん と す る も ので あ る。 現在 各
今 次 の三中 全 会 に対 す る提 案 中 には 、言 論 の開 放
に言 及 せ るも の極 め て多 く 、 ま た 各 地 言 論界 に於 て も注 意 し て ゐ る
一致 し て これ を 行 ひ 、 中央 政 府 の発 表 せ る消 息 を勝 手 に禁 止 す る こ
地 方当 局 から も 既 に こ の種 の要 求 が あ る の で、 各 地方 当 局 も 今後 は
一、 言 論 開 放
と こ ろ で あ る から 、勿 論 中 央 政 府 に於 ても これ を 重視 し た 。但 し中
と な く 、全 国 のあ ら ゆ る 消 息 を し て国 家 の全 部 分 に暢 達 せし め、 以
央 政 府 は、 過 去 に於 ても刑 法 及 び出 版 法 に規 定 し てあ る も のゝ 外 は 、 何 等 言 論 の自 由 を制 限 し た こと は な い。 たゞ 左 記 三種 のも の は禁 止
て意 志 統 一の効 を 収 め ん こと を希 望 し て ゐ る。
意 に是 非 を顛 倒 し、 全 く事 実 無 根 の謡 言 を捏 造 す るも の。 こ の三 者
のみ な らず 、 多 方 面 の人 材 を徴 集 し て共 同 努 力 し 、国 家 を挽 救 せん
針 に基 いて実 行 し て ゐる ので あ る。 中 央 政 府 は単 に人材 を集 中 す る
大会 中 に於 ても これ を 討 諭 し た が 、中 央 政 府 に於 ては数 年 来 こ の方
二 、 人材 集 中 近 来 各 方 面 に於 て 、人 材 集 中 の問 題 を頗 る重 視 し
せざ る を得 な い。 (一) 赤 化 宣 伝及 び国 家 を 危 害 し 地 方 の治 安 を 擾 乱
以外 は元 来 開 放 され てを り 、 元来 自 由 な の であ り 、 且 ま た全 国 一致
す る言 論 並 に記 事 。 (二 ) 軍 事 、外 交 の機 密 を 漏 洩 す る も の。(三)故
し て合 法 的 な る言 論 の自由 を尊 重 せ ん こと を希 望 し てゐ る ので あ る
な い 。中 央 政 府 が国 家 のた め に目 下 緊 急 に必要 とす る人 材 は、 真 に
分 子 をし て、 人 材集 中 の名 の下 に猟 官 運動 を な さ し む る こ とは 出 来
反 親 投 機 の政 客 、国 家 を擾 乱 し 各 省 を煽 動 誘 惑 し て統 一を 破壊 す る
と し て ゐ る の であ る 。 し かし 共 産 党 及 び所 謂 人民 戦 線 派 の言 の如 く
尽 力 せ んと 欲 す る者 は 、必 ず これ を 尊 重 す る のみ な らず 、 大 い に こ
るも の であ っ て、 凡 そ真 に国 を愛 し 、 同 一目標 の下 に国 家 のた め に
せ る方 針 は 、 今後 は 必ず 更 に 一歩 を 進 め て充分 実 現 せ ん こと を 期 す
り貢 献 を 為 さ ん こと を 切望 し て ゐ る の であ る 。故 に人材 集 中 の 一貫
国 事 の危 急 な る こと 現在 の如 く 、建 国 工作
れ を歓 迎 す るも ので あ る。
の緊 要 な る こと ま た か く の如 く であ るか ら 、中 央 政府 は国 内 に対 し
三 、 政 治 犯赦 免問 題
よ く国 家 の 一切 の文 化 、経 済 の建 設 に貢献 し 得 る専 門 家 で あ っ て、
て必 ず 寛 大諒 恕 を主 旨 とし て平 和 を招 来 し 、 一切 の安 定 を謀 ら んと
決 し て文 章 、 言 説 の士 に限 る も の で はな く 、 況 ん や縦 横 に遊 説 し 政 治 に奔 走 す る徒 輩 で は な い 。 かく の如 き 観念 を矯 正 せざ れば 、 支 那
これ を寛 恕 し た る例 は 乏 しく な い。 し かし 現在 の政治 犯 は、 国 家 に
す るも の であ る。 過去 の政 治 上 に於 て過 誤 を 犯 し た る も のに対 し 、
反 対 し 、 社 会 を破壊 す る共 産 党 及 び反 動 分 子 であ って 、 これ ら の犯
の数年 来 の方 針 は、啻 に人材 を集 中 す る のみ な らず 、更 に 人材 を保 育 し 奨 励す る に在 る。 而 し て真 正 な る人 材 の奨励 は 、決 し て官 吏 と
罪 に就 い ては 自 新 (訳註︱ 自 ら を新 た にす )条 例 が あ り 、悔悛 の実
は 進 ん で統 一進 歩 の現 代国 家 と な り得 な い ので あ る 。故 に中 央 政 府
る能 力 を 発揮 せ しめ 、 各 地 の社 会 に於 て種 々 の事 業 を為 さ しむ る に
し て任 用す る や否 や にあ らず 、実 に各 地 の人 材 を し て そ の特 長 とす
これら の分 子 が真 に覚 醒 し 、再 び こ の国 難 重 大 の機 に乗 じ て国 家 を
擾 乱 し統 一を 破 壊 す る挙 動 を敢 て せず 、 そ の悔 過 自新 に保 証 者 があ
跡 あ り と認 め ら れ て保 釈 を許 さ れ た る者 は既 に少 く な い。故 に たゞ
り さ へす れば 箇 別 的 に これ を赦 免 し得 る の であ る 。 し か し悔悛 の誠
在 る。 政 府 が 近来 各 省 の事 業 に対 し て出 来 得 る限 り の補 助 を為 し、
し む べし と の遺 訓 の実 践 であ り、 これま た国 家 の建 設 を促 成 す る所
意 の有 無 を問 はず 、普 遍 的 に 且 一概 に赦 免 す る こと は 、中 央 政 府 は
そ の発 展 を促 し て ゐ る のは 、孫 総 理 の所 謂 人 々を し て そ の才 を尽 さ
が、 こ の方案 の実 行 に当 っ ては莫 大 な る専 門 家 及 び 人材 を 必要 とす
ので あ る。 政 府 には 政 府 の責 任 が あ り、 寛 大 には 寛 大 の方法 が あ る。
国 家 の法 規 を重 視 し 社 会 の安 寧 を保 証 す る必要 上 容 易 に行 ひ得 な い
以 でも あ る 。今 回 の全 会 に支 那経 済 建 設 方 案 を提 出 し て 通 過 を見 た
る。 政 治 方面 か ら言 へば 、 中 央政 府 が最 近 十 年 以 来 党 外 の有 能 分 子
漫 り に制 限 を無 視 し ては政 治 を廃 し、 害 を社 会 に貽 す ことゝ な る が
を採 用 せる は そ の数 を知 ら ざ る程 であ って、 事 実 上 民国 十 三年 以前 の各 党 各 派 に対 し て も何 等 差 別 的待 遇 を与 へてお らず 、 況 ん や排 斥
故 に、 国 民 は こ の点 を 諒解 す ベ き で あ る。
突 破 せ ん とす るも の であ っ て、全 国 の愛 国 者 は必 ず よ く 今 次全 会 の
真 正淡 白 に 一致 団 結 し 、責 任 を 以 て努 力 し、 以 て国 家 目 前 の困 難 を
これ を要 す る に、 吾 人 は 今後 必ず 全 国 の意 志 と 力 量 と を集 中 し、
の意 志 の如 き は全 然 な い の であ る 。殊 に国 内 の真 の学問 を有 し愛 国
問 し 、 極 力 尊 重 し 、彼 等 が教 育 、文 化 の上 に、 ま た 政治 、経 済 等 各
の熱 意 を 有 す る知 識 分 子 及 び 大学 教 授 に対 し ては 、 心 を虚 ふ し て諮
種 建 設 の上 に有 用 な る青 年 を 養成 し 、建 国 の大業 完 成 に出 来 得 る限
決 議 を擁 護 し、 共 同 努 力 し得 る も のと 深 く信 ず る次 第 であ る。
し く これ が実 現 を督 促 し た る と ころ、 料 らず も 張 學 良 等突 然 叛 乱 し
予 定 な り し を以 て、 余 は昨年 十 二月 、 特 に洛 陽 よ り 西 安 に入 り、 親
石)
( 解 説 ) 西 安 事 変 は蒋 介 石 個 人 に と っ ても 蒋 政権 にと っても 未
十 二 月十 二 日 の事 変 を 惹 起 せ り 。右 事 変 は 臨潼 、西 安 の両 地 に於 て
介
曾 有 の重 大 危 機 を 齎 し た 。従 って こ れ に対 す る蒋 及 び蒋 政 権 の対
同時 に勃 発 し、 ﹁兵 諌 ﹂ の名 に託 し て劫 持 の実 を 行 ひ た る も のに て、
蒋
策 も実 に慎 重 且 巧 妙 を極 め た 。殊 に西 安 監 禁 中 に於 け る蒋 介 石 の
( 同前
言 動 に関 し て、 蒋 自身 の言 ふ と ころ 並 に書 く と ころ に よ っ て、 彼
陝 西 に在 り て中 央 政府 軍 政長 官 は 一斉 に拘禁 せ ら れ 、綱 記 凌 乱 し て
西 安 事変 に関 す る報 告
を実 に稀 代 の英 雄 た ら し め た こと は 、 昨年 十 二月 廿 六日 、 彼 の南
らず 、僅 か に少 数 の衛 兵 を率 ゐ居 た る に過 ざ り し が 、 これ ら衛 兵 は
内 外 震 驚 せ り。 余 は部 下 を篤 信 せ るた め 、 事 変 に対 す る用 意 周 到 な
一二
るも のを 一読 し て も、 容 易 に察 し得 る と ころ で あ る。 南 京 に於 て
京 帰 還 と 同時 に発 表 さ れ た張 學 良 及 び楊 虎 城 に対 す る彼 の訓 話 な
も蒋 のかゝ る宣 伝 と相 呼 応 し て、蒋 を更 に 一層 偉 大 な る英 傑 に祭
の間 、 外 部 と の音 信 絶 へ、 たゞ 生 を捨 てゝ 義 に殉 ず る の決 心 の下 に 、
革 命 の天 職 に耻 ぢざ ら ん こと を 願 ひ 、 且 我 が中 央 政 府 よく 孫 総 理遺
何 れ も抵 抗 し た る た め遂 に職 に殉 ぜ り 。 当時 余 は事 変 に遇 ひ、倉 皇
左 に訳 載 せ る二篇 は こ の蒋介 石 と南 京 政 権 と の掛合 ひ を如 実 に物
嘱 の精 神 に よ り て変 乱 を 平 定 し 、国 本 を鞏 固 にす る に必ず 至 当 の措
り 上 げ、 以 て蒋 を シ ンボ ルとす る南 京 政 権 の強 化 拡 大 に狂 奔 し た。
語 る文献 と し て興 味 深 き も のと言 へよう 。
事 変 に関 す る報 告 並 に、 自 ら編 輯 せ る ﹁西 安 半 月 記 ﹂ と題 す る小
二月 二十 六 日 南京 に帰 り、 張 學 良 は身 を束 ね て 自 ら降 り、 処 罰 を 請
の首 動 者 を し て慴服 悔禍 せ し め、 事 変 を 平定 す る こと を得 、 余 は十
し き を得 、 ま た 全 国 の軍 民 同 心協 力 し て正 義 を 宣揚 せ る結 果 、事 変
置 を なす べ き こと を 深 く信 じ ゐ た り。 そ の後 遂 に中 央 の決 策 そ の宜
冊 子 を提 出 し た 。 そ の報 告 原文 左 の如 し 。
ふ に至 れり 。 こ の事 変 の経 過 に就 き ては 詳細 陳 述 す ベ き筈 な るも 、
( 南 京 十 九 日発 、 中 央 社 電 ) 蒋 委 員 長 は 三中 全 会 に対 し 、 西安
謹 啓 、西 北剿 匪 軍 事 は計 画 通 り半 ケ月 乃 至 一ケ 月 にて完 成 し 得 る
罪 の身 な り と思 考 し、 敢 て公 職 の地位 に在 る者 と し ては報 告 せざ り
ず と雖 も 、 職守 を毀 損 せ る こと か く の如 く な れば 、 早 く よ り 自 ら待
十 二月 十 二 日 以後 、 余 は中央 政 府 の寛 容 に よ り未 だ譴 責 を加 へら れ
同 志 を し て注 意 せし め ざ る も のな り。
置 き た る も、 こ の 一節 は 関係 一層 大 な るを 以 て特 に提 起 し て出 席 各
を声 明 す べし と説 明 せり 。 こ の談 話 の経 過 も ま た 小 冊子 中 に詳 記 し
これ を提 出 し 得 ると す る も 、余 は必 ず 汝等 の主張 に 不賛 成 な る こと
ふ。 当時 、陝 西 事 変 首 動 者 等 は 、 通電 を発 し て そ の所 謂国 事 に関 す
て 、特 に張 学 良 の余 に向 ひ て 八項 の主 張 を 陳 述 せ る経 過 を事 実 によ
っ て 一切 の取 捨 可 否 は 自 ら衆 議 に よ り て決 せら る べ き も のな る を以
あ る べく 、 国 事 に就 き ても ま た必 ず 詳 細 慎 重 な る検 討 あ る べく 、 従
今 次全 会 の開 会 によ り 、西 北 の善 後 に就 き 必ず 正確 適 当 な る指 示
き 。 たゞ 当時 親 しく 見 聞 せる 経 過 を逐 日追 記 し て小 冊 子 と為 し 、同
る主 張 を 陳 述 し 、頗 る外 部 の注 意 を 惹 起 し た るも 、 余 は 事 変 発 生 の
り 叙述 し て可 然 酌 量 に供 ふ。余 の編 輯 せ る小 冊 子 ﹁西 安半 月記 ﹂ を
志 の垂詢 に答 へ度 く提 出 し た る に付 き 、右 冊 子 によ り て御 承知 を請
日 、 張學 良 を終 始 厳 重 に叱 責 し た る た め彼 は遂 に言 は ん と 欲 す る と
添附 提 出 し、 出 席 各 同 志 に分 送 す る他 、 特 に こゝ に第 五期 中 央 執 行 委 員第 三 次全 体 会 議 に報 告 す 。
石
ころ を 尽 し 得ず 、 た め に余 は事 変 発 生後 第 三 日目 に至 り 始 め て所謂
(一)南 京 政 府 を 改 組 し 、 各党 各 派 を包 容 し 、責 任 を負
二 月 十八 日
三中 全 会 決 議 文
会 す る こと な り 。而 し て張 學 良 は こ れを彼 等 の共 同 の主 張 な り と し
理 の遺 嘱 を 確 実 に遵 守 実 行 す る こと 。 (八 ) 直 ち に救 国 会 議 を召 集 開
幸 にし て同志 蒋 介 石 は至 険 至 悪 な る危 体中 に於 て独 りよ く 犯す べ か
小冊 子 ﹁西 安 半 月記 ﹂ を受 理 せり 。 当 時事 変 倉 卒 の間 に起 り た る も
大 会 は同志 蒋 介 石 の西 安 事 変 に関 す る報 告 並 に そ の編輯 にかゝ る
変 に関 す る報 告 に対 し決 議 が行 は れ た 。該 決 議 文 左 の如 し。
二 月 十九 日午 後 、 三 中 全会 第 四次 本 会 議 に於 て蒋介 石 の西 安 事
蒋介
八 項 の主 張 な る も の あ る を知 れ り 。 そは 即 ち
ふ て国 を 救 ふ べ き こと。 (二)一切 の内 戦 を停 止す る こと 。 (三 )上海 に て逮捕 せ ら れ た る愛 国 領 袖 を 即 時 釈放 す る こと 。 (四 )全 国 の 一切 の政 治 犯 を 釈放 す る こと 。(五)人 民 の集会 、結 社 に関 す る 一切 の自
余 に そ の実 行 に同意 せ ん こと を強 請 し た るも 、余 は終 始 彼 に対 し 、
由 を保 証 す る こと 。(六)民 衆 の愛 国 運 動 を開 放 す る こと 。 (七 ) 孫総
直 ち に罪 を悔 ひ て余 を南 京 に送 還 す ベき を 命 じ 、 そ の他 は如 何 な る
り 。大 会 は同志 蒋介 石 が そ の党 のた め 国 のた め、 険 を平 ら げ て変 ら
らざ る正 気 を持 し 、大 無 畏 の精 神 を 乗 り 、事 変 の首 動 者 を衷 心慴 服 、
ざ る風 誼 に深 く 感佩 す る とゝ も に、 こ の事 変 中 に 、屈 せず 抵 抗 し て
感 動 悔 悟 せし め 得 た る が故 に、 遂 によ く危 局 を救 ひ大 乱 を 定 め得 た
び系 統 あ るを 以 て、若 し意 見 あ らば 中 央 政 府 に向 ひ 、法 規 に依 り て
の無 意 義 な る こと を指 摘 す る と同 時 に、党 国 には自 ら 一定 の組 織 及
請 求 す べ し と告 諭 せ り 。 これ に 対 し て張 は余 に対 し 、南 京 に帰 還 の
難 に殉 じ た る文 武 人員 、或 は 正 を守 り 犯 を 難 じ て そ の生 を殞 し た る
陳 述 を も聴 く を 欲 せず 、 そ の行 動 の不 法 な る こと及 び これ ら の主 張
上右 要 求 を中 央 政 府 に提 出 せ ら れ たし と請 ひ たる を 以 て 、余 は縦 へ
者 、或 は忠 勇 抗拒 し て職 とす ると ころ に殉 じ た る者 は、 何 れ も 実 に 党 国 の ため に正気 を 発揚 し た るも のな る を 以 て 、大 会 は深 く 景 仰悼 惜 の意 を致 す 。事 変 首動 者 の所 謂 八項 の主張 云 々に至 り ては 、 同志 蒋 介 石 が こ れを中 央 に提 出 す る に当 り 、 自 ら毅 然 とし て厳 正 な る態 度 を 以 て反 対 を声 明 せ ら れ た る が、 大 会 は ま た深 く こ れを 感佩 す 。 こ の主 張 は そ の内 容 の如 何 を問 ふ迄 も な く叛 逆 の行 為 及 び 脅 迫 の方 式 に出 で、 明 か に 口実 を 設 け て乱 をな し た る も のに し て、 実 に国法 軍 紀 の許 さざ ると ころ な れ ば、 大 会 は こ れを 受 理 せず 以 て再 発 を防
によ り 、途 に迷 ひ た るも 悔 悟自 身 を知 る者 に対 し て は誠 意 を以 てし
ぐ べし 。 た だ本 党 は孫 総 理 の寛 大 仁 恕 の遺 教 及 び 人 と善 を為 す 精 神
敢 へて これ を追 究 せず 。 但 し 今 回悔悛 せ る者 は 真 によ く そ の心 身 を
冀ふ。
革 め、徹 底 的 に覚 醒 し 、 そ の忠 誠 を尽 し、 以 て党 国 に報 ぜ ん こと を
( 南 京 十 九 日 発中 央 社 電 ) 蒋 委 員 長 は 西安 よ り南 京 に帰 還 後中
せ ん こと を請 ひ た りと雖 も 、 そ の莫 大 な る過 誤 は敢 て自 ら逃 れ得 ず 。
ひ 、責 任 を免 るゝ を 得ず 。故 に事 変 首 動 者 に就 き て は そ の罪 を特 赦
る の妄 動 を敢 てせ ん 。 余 党 国 の付 託 を受 け 、謬 り て軍 政 の重 任 を負
( 第五期第三次中央委員全体会議)
央 政 府 に対 し 再 三 辞任 を願 ひ出 でた が許 さ れず 、今 回 ま た三 中 全
帰 郷 以来 終 始咎 を受 け 、時 常忘 るゝ こと能 はず 、責 任 一日卸 さざ れ
一三 蒋 介 石 慰 留 決 議 文
る に全 会 は十 九 日午 後 の第 四次 本 会 議 に於 て満 場 一致 慰 留 を決 議
会 に対 し 西 安事 変 を 理由 と し て重 ね て引責 辞 職 を願 ひ出 でた 。然
く 、箇 人 に於 て は益々失 墜 の懼 れ を深 く す 。 こゝ に全 会 挙 行 の日 に
ば 胸 中 一日安 き を 得 ず 、党 国 に於 て は黜陟 の厳 を明 か にす る に由 な
蒋 氏 の辞 任 願
し た。 蒋 氏 の辞 任 願 書 並 に全 会 の慰 留 決 議文 左 の通 り であ る。
以 て党 国 の法 紀 を 伸 べ 、 引責 の初 衷 を遂 げ し め ら れ ん こと を請 ふ。
会 副 主 席 、 行 政 院 々長 、 軍事 季 員 会 委 員 長 の本 兼 各職 の辞 任 を許 し 、
当 り 、重 ね て誠 意 を 披瀝 し 、中 央 常 務 委 員 会 副 主席 、中 央 政 治 委 員
明 を恥 ぢ、 加 ふる に疲 労 重 な り過 誤 多 く 重 責 に堪 へざ る を以 て、 再
謹 啓 、昨 年 の西 安 事 変 後 、余 は上 は 綱 紀 の失 墜 を痛 み下 は深 く 不
三中 央 に本 兼 各 職 を免 ぜ ら れ ん こ とを 請 ひた る も未 だ許 さ れず 、 却
石
謹 ん で中 国 々民 党 第 五 期 中 央執 行委 員 第 三次 全 体 会 議 に呈 す 。
介
大 会 は同 志 蒋 介 石 よ り の来 文 を受 理 せ り。 同志 蒋 介 石 は十 余 年 来
蒋
雖も、 人 心 久 し く震 憾 せ ら れ、 生 気 大 い に傷 き 、変 乱 の原 因 を 追憶
に嘗 む。 西 安 の変 に至 り ては事 非 常 に出 で、 同 志蒋 介 石 は孫 総 理 の
入 り て は枢 機 を 主 宰 し 、出 で て は師 旅 を総 べ、 誠実 卓 越 し艱 苦 を具
大会決議文
二月 十 八日
って慰 問 激 励 し て療 養 のた め休 暇 を給 せら れ た り 。余 は中 央 の こ の 優 待 を感 銘 す るも のな る が 、更 に全 会 挙 行 に就 き暫 時 の休 暇 を 与 へ ら れ、 再 び陳 述 を敢 てす べ き も の なし 。 然 れ ど も 郷 里 に隠 退 し て過
し て益々 罪 過 の重 さ を恐 る。 余 を し て指 導 そ の方 を失 はず 、撫馭 よ
誤 を顧 る こと 五旬 を越 え、 中 央 の威 徳 によ り て変 乱 を平 定 し た り と
く そ の術 を 尽 さ し む れば 、 多 年 教 訓 せ る部 属 何 ぞ こ の国 本 を 危 害 す
そ の偉 大 な る 人格 の表 現 は未 曾 有 の ことな り 。 今国 難 益々 重 大 化 し
大 無 畏 の精 神 に基 き、 遂 に部 下 を感 化 し乱 萌 を阻 止 し た る も の に て、
万 端 処 理 を 待 つ時 に際 し 、 同志 蒋 介 石 更 に衆 を率 ゐ て未竟 の功 を遂
が故 に、 同 志蒋 介 石請 ふ と ころ の本 兼 各 職 の辞 去 は 議 す る の要 な し 。
げ 、 天 下 の望 み を慰 め ん こと を祈 る。 本 党 の前 途 、実 に これ に頼 る
[銑 十郎 ︺
一四
︹ 學︺
中 央 ト ノ感 情 モ面白 カ ラ サ ル ニ依 リ ( 往 電 第 一號 、第 三號 )出 席 ヲ
ノ際 モ足 疾 ト称 シ会期 切迫 ノ際 中 央 ニ請 暇 セ シ例 モア リ西 安事 件 後
テ落 馬 ハ事 実 ナ ル モ負 傷 ハ極 メ テ軽微 ナ リ ト ノ説 ア リ韓 ノ 二中 全 会
ノ消 息 通 ノ談 ニ依 レ ハ右 ハ三 中 全 会 出席 ヲ忌 避 セ ント ス ル苦 肉 策 ニ
右 負 傷 ノ程 度 ハ新聞 ニ ハ右 膝 関 節 ノ脱 臼 ト称 シ居 ル モ三路 軍麾 下
ヲ電 請 シ同 時 ニ政 務 ヲ李 民政 庁 長 ニ代 行 セ シ ムル旨 発 表 セリ
三中 全 会 外 務 . 海 軍 電
二月十日 日夜 後着 発 亜
有 野 総 領事
ニ関 シテ ハ沈鴻烈 ノ齎 セ ル蒋介 石 ノ伝
昭 和 12 二五 二六 暗 本 濟省 南
林 外 務 大 臣 第 一八号 往 電 第 九 号 ニ関 シ 韓 復榘 ノ三 中全会議出席方
ラ ル何 等 御 参 老 迄
使
避 ク ル為 斯 カ ル苦 肉策 ニ出 ツ ル コト ハアリ得 ヘキ コト ナ ル ヤ ニ察 セ
大
面 韓 ノ側 近者 中 ニ ハ今 回 ノ南 下 ハ危 険 ナ リ ト テ差 止 ム ル者 モア リ韓
川 越
十 五日後発 亜 二月十五日後着
支 、 上 海 大使 、北 平 、 在 支 各 総 領事 へ転 電 セ リ
昭和 12 二七 四 三 略 南京 本省
︹ 茂 ︺
言 (往電 第一 四號 ) ノ外蕭 佛 成 (七 日離 濟 ) ノ勧説 モア リ タ ル処 他
モ相 当迷 ヒ居 タ ル モノ ノ如 ク六 日本 官 同 人 卜 会 見 ノ節 出 席 ノ有 無 ヲ
林 外 務 大 臣
二
本官 ヨリ主 席 ノ南 下 如 何 ハ我 方 ニ於 テ モ注 目 シ居 ル所 ナ ル カ此 ノ種
ニ迷 ヒ居 タ ルカ総 領 事 ノ意嚮 ハ如 何 ト テ本 官 ノ意見 ヲ求 メ タ ル ニ付
問 質 シタ ル ニ韓 ハ最 近 孔 祥 煕 ヨリ モ熱 心 ナ ル出 席勧 告 電 報 来 リ進 退
会 合 ニテ重 要 ナ ル主 張 ヲ通 ス コト ハ困 難 ナ レ ハ出 席 ス ル モ無 意 味 ナ
沈 鴻烈 、 商震 、 張発奎 、何 成濬 、 徐 源泉 、秦 徳 純 、何柱 國等 モ同 日
蒋 介 石 ハ十 四 日 上海 ヨリ帰 寧 シ各 地 方 ノ中 央 委 員 余 漢謀 、曾 養 甫 、
第 一 一〇 号
然 ル ニ韓 ハ七 日 第 三路 軍 兵 士 ノ ﹁バ スケ ツ 卜ボ ー ル﹂ 試 合 参 観 ニ
ル ヘシト告 ケ タ ル ニ韓 ハ自 分 モ同 感 ナ リ ト答 へ居 タ リ
赴 ク途 中 落 馬 シ右 足 ニ負 傷 セ ル趣 ニテ 八 日行 政 院長 宛 七 日間 ノ休 暇
入京 シ三中 全 会 ハ其 ノ出席 者 優 ニ法 定 入員 ヲ越 ユル コト ト ナ リ本 十
定 並 ニ各 審 査 委 員 ノ選 出等 ヲ行 ヒ明 十 六 日 ヨリ 正式 会 議ニ 入 ル筈 ナ
議室 ニ於 テ予 備 会 議 ヲ開 キ全 会 首 席 者 及秘 書 長 等 ノ選 挙 、 会期 ノ決
来 ル へキ国民 大会 ニ持 越 サ ル ル モ ノト思 考 ス
密 会 議 ニ附 議 セラ ル へキ モ結 局 ハ最 後 ノ決 定 ヲ見 ル コト 困難 ニ シテ
リ勿 論 右 ハ公 開 ノ席 上 ニ於 テ ハ討 議 セ ス他 ノ対 内 重要 案 件 ト共 ニ秘
唯 同 会議 ノ重 要 性 ハ容 共 及 対 日策 ヲ如 何 ニ処 理 セ ント ス ルヤ ニア
ス
ル カ十 四 日迄 ニ中 央 党 部 秘書 処 ニ提 出 済 ノ委員 ノ提 案 ハ既 ニ二十 数
五 日午 前 九時 中 山陵 前 ニテ開 会式 ヲ挙行 シ同 十 一時 ヨリ中 央 党 部 会
件 ニ達 シ其 ノ内 ニ ハ馮玉 祥 、 李烈 釣 等 ヨリ提 出 セ ル救 国 禦 侮 ニ関 ス
モ国 民 党 今 日 迄 ノ失 政 ハ本 会 議 ヲ転機 ト シテ漸 次 党 勢 ノ衰 頽 ヲ招 来
党 ヲ中 心 ト ス ル三中 全 会 ナ ル以 上 直 ニ行 ハル へキ モノ ニ ハア ラ サ ル
二、 反 国 民党 派 ニ依 リ主 張 セラ ル ル党 権 ノ解 消 ト言 フ カ如 キ ハ国 民
上 海 大使 、 北平 、 在 支 各 総領 事 、満 へ転 電 セリ
ル建 議 案 モア ル趣 ナ リ
上海 大使 ヨリ上 海 へ転報 ア リ タ シ
ス へシ
スル モノナ ル モ蒋 ノ健 在 ス ル以 上 其 ノ実 現 ハ容 易 ナ ラ サ ル へシ
三 、中 央 政 府 改 組 ノ声 ハ蒋 介 石 ヲ牽 制 シ国 民党 独裁 力 ノ削 減 ヲ企 図
四 、軍 権 統 一案 ハ中 央 カ全 国 軍 隊 ノ統 一ヲ企 図 ス ル モノ ナ ル モ前述
ノ通 リ各 省 有 力 者 ノ出席 セサ ル会 議 ニ於 テ最後 的決 定 ヲ見 ル コト ノ
三 十七日後発 亜 昭 和 12 二九 一五 暗 北平 本省 二月十七日夜着 ︹ 傳次郎︺
加 藤 書 記 官
困難 ナ ル ハ勿論 ナ ル カ唯 之 ニ依 リ多 少 共右 機 運 促 進 ノ効 果 ハ之 ヲ収
林 外務 大 臣 第 六 六号
メ得 へシ ︹モ ス ク ワ ︺
十 七 日王 芳 亭本 官 ヲ来 訪 シ内話 セ ル要 領 左 ノ通 一、 三中 全 会 ハ開 会 シタ ル モ李宗 仁 、白 崇 禧 、 劉 湘 、閻 錫山 、宋 哲 元、 韓 復榘 等 主 要 ナ ル地方 実 力 者 ハ西 安 事 変解 決 ニ関 シ為 ス所 ア リ
ニア リ シ周 恩 來 ハ必 ス シ モ共産 主 義 ヲ表 面 ニ高 調 セ ス蒋 介 石 ヲ敵 ト
五 、西 安事 変 当 時 莫 斯 科ノ 指導 下 ニ朱 徳 、 毛 澤 東 等 ヲ代 表 シテ西 安
セ ス其 ノ討 伐 ヲ避 ケ中 央 ト 妥協 シテ人 民 戦 線 ヲ結 成 シ抗 日戦 ニ向 ハ
タ ル政 治 的 主 張 ノ手 前 モア リ又 表 面 中 央 擁 護 卜称 シ乍 ラ其 ノ実 ハ中
ルノ外 最 近 同 会 議 ニ孫科 ヨリ軍 権 統 一及 軍 政分 権 ノ提 案 ア リト ノ説
央 ノ地 方 ニ対 セ ル強 力 手段 ニ不 満 ヲ懐 キ 一種 ノ地 方分 権 ヲ希 望 シ居
モノナ ルカ事 後 事 変 ノ善 後 処置 ニ当 リ顧 祝 同 ト 張 、楊 両 軍代 表 者 ノ
シ メ ント ス ル根 本 方 針 ニ基 キ張 學 良 ニ勧 告 シ テ蒋 ヲ帰 還 セ シメ タ ル
希 望 一致 セ ス交 渉 停 頓 ノ際 共産 党 ハ張 、 楊 軍 ヲ出 シ抜 キ西 安 附 近 ニ
( 右 ニ依 レ ハ現在 各 地 ニア ル綏靖 公 署 及 政 務委 員 会 ハ之 ヲ廃 止 ス ル
進 出 シア リ シ共 産 軍 ヲ自 発 的 ニ後 退 セ シ メ張 、 楊 軍 ヲ シテ逆 ニ中 央
コト ト ナ ル) ア ル為 挙 ツテ出 席 ヲ回 避 シ タ ル為 仮 令 会 期 中 幾 多 ノ提
ハ中 央 当 局 ノ御 手 許 案 ノ形 ト ナ リ全 国 的 ニ実 行力 ア ル モノト 思 ハレ
案 ア リト ス ル モ之 ヲ議決 ス ル ハ無 意 義 ナ ル へク議 決 シ タ リト テ多 ク
シテ共 産 軍 討 伐 ヲ行 ハシ メサ ラ ント ス ル手 段 ニ外 ナ ラ ス 一方 蒋 介 石
蒋 介 石 擁 護 ノ宣 伝 ヲ行 ヒ蒋 介 石 祭 上 策 ヲ取 リ タ ルカ如 キ ハ凡 テ蒋 ヲ
側 ノ條 件 ニ屈 服 ス ル ノ已 ム ヲ得 サ ル ニ立 至 ラ シ メ而 モ其 ノ撤 退 前後
サ リ シ経 緯 アリ中 央 ト ノ関 係 気 マス クナ リ居 ル事 情 ア ル カ為 ニシ テ
安 事 変 当 時 中 央 ヨリ 二個 師 ヲ西 安 方 面 ニ出 動 方 要 求 ア リタ ル ニ応 セ
特 ニ対 日関 係 ヲ懸 念 シ且只 管 山 東 一省 ノ保境 安民 ヲ願 ヒ居 ルノ外 西
韓 ノ 三中 全 会 ニ出 席 セサ ル理 由 ハ大 体 他 ノ地方 実 力 派 ト同様 ナ ル モ
韓 ノ代 表 ト シテ派 遣 セ ル張鉞 ハ頭 モ勢 力 モナ キ単 ナ ル ﹁メ ツ センジ
︹マ マ ︺
ハ従 来剿 共 ヲ希 望 シ来 リ タ ル手 前 モアリ 正 面 ヨリ共 産 党 ノ要 望 ヲ受 入 ル ル コト ハ困難 ナ ル カ曩 ニ西 安 ニ於 テ張 學 良 ノ 八項 要 求 ヲ承 認 シ
アー 、 ボ ーイ﹂ ニ過 キ ス云 々ト内 話 セ リ
林 外 務 大 臣
昭和 12 三〇 四 〇 略 廣東 本省
中 村 総 領 事
十九 日後発 、亜 二月十九日夜着 情[豊 一]
支 ヨリ南 京 へ、 上 海 大使 ヨリ 上海 へ転 報 アリ タ シ
支 、 上海 大使 、 満 、 在 支 各総 領 事 へ転 電 セ リ
タ ル関 係 及 現 ニ共産 軍 ハ陜、甘 両 省 ニ於 テ其 ノ勢 力 ヲ張 リ且 他 ノ各 地 ニ於 テ共 産 党員 及第 三 ﹁イ ンタ ー﹂ ノ策 動 ニ依 リ対 内 和 平 運動 ノ 強 化 スル等 ノ ア ルア リ遂 ニ公 然 ト容 共政 策 ヲ採 用 セ サ ル迄 モ共 産 軍
自 国 内 ノ共産 党 ハ自 力 ニ依 リ掃 蕩 ス へシト テ応 セ サ リ シ行懸 ア ル処
五
実 際 問 題 ト シテ共 産 党 ノ討 伐 ハ実 行 困難 ナ ルヲ以 テ支 那 共産 党 ノ存
六、 日 本 ハ昨 年 支 那 中 央 側 ニ対 シ共同 防 共 ヲ提 議 シ タ ル モ支 那 側 ハ
討 伐 ハ之 ヲ行 ヒ得 サ ル破 目 ニ立 至 レ ル モノ ト考 へラ ル
在 、 其 ノ抗 日政 策 ハ日本 ノ共 同防 共 ノ要 望 ト相 背 馳 ス ル次第 ニテ中
全国 ノ対 日抗 戦 ヲ発 動 シ危 亡 ヲ救 フ案
九 、 一八 以来 国 難 日 ニ加 ハリ今 日 ニ至 リテ ハ我退 カ ハ敵 進 ムノ
ノ全 局 的 勝 利 ヲ求 ム ハ全 国 ノ力 量 ヲ集 合 シ対 日抗 戦 ヲ為 ス ニア ラ
︹マ マ︺
テ 当 レ ルカ故 ニ敵 ヲ逡 巡退 却 セシ メ 一時 ノ勝 利 ヲ納 メ得 タ リ最 後
状 態 ニ シテ長 城 、上 海 、 百靈 廟 ノ諸 役 ニ徴 ス ル モ不屈 ノ決 意 ヲ以
(
低 限 度 ノ方 策 ト シ テ左 記 三項 ノ提 案 通 知 方 ヲ通電 シタ ル由 ナ リ
ノ連 名 ヲ以 テ 三中 全 会 ニ対 シ目前 ノ対 日抗 戦 、危 亡挽 救 ニ関 ス ル最
︹ 李宗仁、白崇禧︺ 十 六 日梧 州 大 公 報 ニ依 レ ハ李 白 ハ四川 ノ劉 湘 及在 廣 西 中 央 委 員 ト
第 七 二号
ス ルノ外 ナ カ ル ヘシ
央 政府 ト シテ ハ容 共 抗 日 ト背 共親 日 ト ノ岐 路 ニ立 テ ル儘 目前 ヲ糊 塗
支 、上 海 大 使 、 満 、 在 支各 総領 事 へ転電 セリ
二 九 一四
十七日後 発 二月十七日夜 着 亜
支 ヨリ南 京 へ、 上海 大使 ヨリ上 海 へ転 報 アリ タ シ
昭和 12
四 北平 暗 本省
サ レ ハ不 可 ニ シテ既 往 ノ大 勢 ヲ挽 回 シ目前 ノ危 局 ヲ救 済 シ難 キ ニ
加 藤 書 記 官
第六七号
林 外 務 大 臣
付 九 、 一八 以来 ノ 一切 ノ屈 辱 調 停 ノ取 消 全 国 対 日抗 戦 ノ発 動 失 地
ノ回 復 ヲ全 会 一致 決 議 サ レ度 シ
往 電 第 六 六号 王芳 亭 ト会 見 ノ際 同 人 ハ韓 復榘 ノ病 気 ハ勿 論 仮 病 ニ シ テ往 年馮 玉祥 カ漢 口 ニ於 テ為 セ ル所 ヲ其 ノ儘 真 似 タ ル モノナ ルカ
一、 自 分 (秦 ) ノ来 寧ニ 付 テ ハ 一部 ヨリ危 惧 ノ念 ヲ懐 カ レ タ ルカ宋
哲 元 ハ従 来 ノ主張 タ ル反 共 及 憲 政 実 施 ノ意 見 ヲ徹 底 セ シム ル為 ニ ハ
三 中 全 会 ヲ利 用 ス ル コト然 ル へシ ト ノ意 見 ニテ代 表 ヲ派 遣 シ タ ル モ
ノ 卜期 待 シ居 レリ
我 国 ノ如 キ産 業 軍備 ノ落 伍 セ ル国 家 ニシテ対 外 抗 戦ニ 当 リ利益
(二) 民 衆 ヲ組 織 訓 練武 装 シテ抗 戦動 員 ノ基礎 ト為 ス案
二、 各 方 面 ヨリ ノ提 出 ノ試 案 ノ中 ニ ハ間 々抗 日ニ 関 ス ル モノ ア ル模
ト恃 ム ハ民 衆 ノ力 量 ノ ミ ナ ル カ其 ノ養 成 ニ ハ組 織 訓 練 ヲ必 要 ト ス
シ テ ハ全 民 族 ノ力 量 ヲ発 動 シ救 亡 図 存 ノ目的 ヲ達 セ ント ス レ ハ迅
様 ナ ルカ (宋 慶齢 、馮 玉 祥 、 李 烈鈞 其 ノ他 ノ連 名 ニテ提 出 セ ル抗 日
ル ニ至 ラ サ リ シ モ大 会 宣 言 中 ニ ハ右提 案 ノ精 神 ヲ反 映 セシ メ得 ル モ
速ニ 全 国 民 衆 ヲ組 織訓 練 武 装 シ テ其 ノ力量 ヲ集 中 シ困 難ニ 赴 ク以
救 亡ニ 関 ス ル提案 等 モア リ) 右 ハ大 体 責 任 ノ地位 ニア ラ サ ル少 数 ノ
ノ ニシ テ自 分 モ極 力 右 二点 ヲ強 調 ス ル ニ努 メ本 提 案 ハ大 会 ノ議ニ 上
外ニ 方法 ナ シ
ル処 廣 西ニ 於 ケ ル民団 制 度 頗 ル効 果 ア ル モノ ト認 ム斯 ル困 難ニ 際
(三) 民 衆 ノ愛 国言 論 ヲ保 持 シ愛 国 運 動 ヲ開 放 シテ救 国 力 量 ヲ拡 大
論 客 力勝 手ニ 熱 ヲ上 ケ居 ル モノ ニシテ是 等 ノ提 案 ハ審 査 委 員 会ニ 於
三 、 会 議ニ 臨 ミ各 委 員 等 大 多 数 ノ気 持 ヲ綜 合 シテ観 察 スル ニ
ラ ル ル コト ナ ク至 極 平 穏ニ 進 行 シ ツ ツ ア リ
テ握 潰 シ大 会 ノ議 題ニ 上 セ居 ラ ス従 テ大 会 ノ空 気 ハ何 等 是 等ニ 累 セ
ス ル案 数 年 来 民 衆 ノ愛 国運 動ニ 対 シ外 交 上 ノ困難 ヲ理 由 ト シ極 力 圧迫 シ来 レ ル カ此 ノ儘 進 メ ハ民 衆 ノ本 党ニ 対 ス ル信 仰 ヲ失 墜 シ民 族意
ルニ ア ラサ レ ハ民衆 ヲ シ テ其 ノ聡 明才 智 ヲ発 揮 セ シ メ得 ス其 ノ愛
識 ハ消 沈 ス ルニ至 ル へ シ李 宗 仁等 ハ惟ニ 民 衆 ノ愛 国 言 論 ヲ保障 ス
(一) 中 央 地 方 共同 一致 シ テ国 家 統 一ノ機 運 ヲ助 成 セ ント ス ル ノ希
四 、 一般 対 日 感情 ヲ見 ル ニ責 任 ナ キ 一部 ノ論 者 ハ別 ト シ テ中 央 、 地
カ大 体 一致 セ ル気 持 ナ ル模 様 ナ リ
力 之 ヲ防 衛 シ自 己管 轄 地方 ノ繁 栄 ヲ企 図 シ居 ル コト
(三) 各 地 方 当 局者 ハ各 其 ノ分 ヲ守 リ他 ヨリ ノ侵 略 、 圧 迫ニ 対 シ極
居 ル コト
望 ヲ懐 キ居 ル コト
使
国 運 動 ヲ開 放 ス ル ニア ラ サ レ ハ団 結禦 侮 ノ力 量 ヲ強 化 シテ 民 族主
大
義 ノ闘争ニ 従事 セ シム ル能 ハサ ル へシ
川 越
二十 日後発 亜 二月 二十 日夜着
(二) 出 来 得 ル限 リ国 内 ノ抗 争 ヲ避 ケ 平 和 ヲ確 保 セ ン コト ヲ希 望 シ
六
三 一二 六暗
南京 本省
支 、 上海 大使 、北 平 、 在 支 各 総領 事 、満 、臺灣 外 事 課長 へ転 電 セ リ
昭 和 12
林 外 務 大 臣
テ特ニ 悪 化 セ ル状 況 見 エ ス日本 ト ノ関 係 ヲ悪 化 ス ルカ如 キ コト ハ成
方 各 責 任 ノ地 位 ニア ル者 ハ相 当 慎 重 ナ ル態度 ヲ持 シ今 回 ノ大 会ニ 於 ︹ 董三︺
三 中 全会 出 席 中 ノ秦德 純 ハ十 九 日夜 清 水ニ 対 シ左 ノ通 リ内 話 セリ
第 一二 八号
五 、冀 察 政 務 委 員 会ニ 対 ス ル各 委 員 等 ノ気 分 ヲ窺 フ ニ或 ハ陰ニ 廻 リ
ル へク之 ヲ控 ヘント 欲 シ居 ル様 見 受 ケラ レタ リ
左 ノ如 シ
員 及 書 記長 等 ヲ召 集 シ聯 席 会 議 ヲ挙 行 ノ予 定茲ニ 特ニ 指 示 ス ル各 点
要旨
(一) 外 地 ニア ル各 員 ハ全 部 当 日 以前 入京 ノ上 通 知 ス へシ
三 中 全会 ハ大 約 二十 日 閉 会 二 十 四 日各 所 政 訓 処長 、保 安 党 部 特 派
テ宋 哲 元 ハ媚 日売 国 ノ輩 ナ リ等 ト悪 ロ ス ル者 モア ル模 様 ナ ル カ未 タ
(二) 要 求ニ 対 シ成 績 総 報 告 ヲ具 備 ス へシ
自 分ニ 面 卜向 ツテ 非 難 攻撃 セ ル者 ナ ク大 体宋 哲 元 ノ立 場 ニ ハ或 程 度 同 情 ノ目 ヲ以 テ其 ノ為 ス所 ヲ諒 ト シ居 ル様 見受 ケ ラ レ自 分カ 蒋介 石
(三) 提案内容 ハ
六 、今 次 ノ大 会ニ 於 テ ハ聯 俄 容 共 等 ノ論 議出 ツ ルヤ ノ噂 ア リタ ル為
作 人員 六名 ヲ選 ヒ身 分 軍 官学 校 出 身ニ 限 リ略 歴 ヲ提 出 ス へシ)
(ロ)綏 遠 及陜 西 甘肅 東 北 軍赴 援 人員 ノ選 抜 (各部 隊 ヨリ政 訓 工
(イ)綏 遠 救 援 ノ後 方 工作 計 画
ニ 面 会 ノ際 モ蒋 ハ宋 哲 元 ノ 立場ニ 於 テ ア レ丈 ケ遣 リ居 ル ニ ハ相 当 ノ
自 分 モ其 ノ立 場 上幾 分 緊張 シテ会 議ニ 出 席 シタ ルカ 一般 ノ空 気 ヲ見
(ハ) 徴 兵 計 画 ハ須 ラ ク駐 在 地 当 地 ノ実 情ニ 依 リ報 告 ヲ ナ ス へシ
苦 心 ナ ル へシト テ同 情 的 ノ口 吻 ヲ洩 ラ シ居 リタ リ
ル ニ右 ハ金 然 問 題 ト ナ ラ ス反 共 ノ空 気 ハ強 ク全 体 ヲ支 配 シ居 リ自 分
以 上各 項 ハ凡 テ上 京 通 知 ヲナ ス以前ニ 予 メ祕 書処ニ 提 出 ス へシ
又 本会 議 ハ外 部ニ 対 シ絶 対ニ祕 密 ヲ守 リ個 人ニ 於 テ モ亦 部 隊 不
二〇︱ 二二 〇 〇
上 海 大 使 、 北 平 、在 支 各 総 領 事 へ転電 セリ
︹マ マ︺
等 ノ心 配 ハ全 ク杞憂 ニ過 キ サ リ シ次 第 ナ リ
武
(F諜 者報 )。
要 ナ ル発 表 ス ヘカラ ス。
官
上 海 大 使 ヨリ 上海 へ転 報 ア リタ シ
︹ 慶讓 ︺
在福 州 湊
七 一二 二 二〇 二二〇〇 福州 発 (一五 三 七) 特 二 七 一〇〇 五九 電信所受
使
昭 和 12
大
林 外 務 大 臣
越
次官、駐満海 、十戦隊、十 一戦隊、上海特陸、 五水戦隊、
第 一三 六号
一、 中 央 ハ過 去ニ 於 テ言 論 ノ自由 ヲ制 限 シ タ ル コト ナ ク刑 法 出 版 法
要 左 ノ如 キ記 事 ヲ掲 載 シ居 レリ
川
馬要、旅要各 司令官
廿三 日後発 二月廿三 日後着 情 、亜
次長、天津駐在武官気付 三艦隊参謀長、支那各 地駐在武官、
二 十 三 日 ノ各 新 聞 ハ蒋 介 石カ 中 央 社 記 者ニ 為 シ タ ル談 話 ト シ テ大
八 南京 三 二六 一 略 本省
在支館附武官 、臺北在勤武官 二月十四日党 部執行委員会秘書処 ヨリ福建省保安処特別党部宛電
機密第七番電
ニテ 承知 シタ ル所ニ 依 レ ハ予 テ ヨリ辞 意 表 明 中 ノ張 群 ハ三 中 全 会 モ
ニ 十 三 日 上海 ヨリ来 寧 セ ル周作 民 ハ本 使 来 訪 ノ節 自 分 ノ今 朝 南 京
(イ) 赤 化 宣 伝 、 国 家 ヲ危 害 シ地 方治 安 ヲ擾 乱 ス ル言 論
ニ 規 定 ア ル モノ ハ別 ト シ
(ロ) 軍 事 外 交 ノ機密 ヲ漏洩 ス ル モノ
ト ナ ルカ大 会 終 了 後 モ右 外 交 部 長 ノ更 迭 以 外 ニ ハ別ニ 現 政 府 ノ改組
終 了 シタ レ ハ愈 近 ク辞 職 ス ル ニ決 定 シ其 ノ後 任 ハ王 寵 恵 ナ リ ト ノ コ
等 行 ハレ サ ル模 様 ナリ 卜内 話 セ リ御参 考 迄
(ハ) 謡 言 ヲ捏造 スル モ ノ ノ三種 以外 ハ極 力言 論 ノ自 由 ヲ尊重 シ特ニ 制 限 ス ル意 思 ナ シ今 後 ハ
上 海 大 使 、 北 平 、在 支 各 総 領 事 へ転電 セリ
一〇
更ニ 右 ノ趣 旨ニ 基 キ新 聞 及 出版 物 管 理 便 法 ヲ改善 ス ヘシ
三二七四
上 海 大 使 ヨリ 上海 へ転 報 ア リ タ シ
昭 和 12
暗 漢口 本省
三 浦総 領 事
︹義秋︺
廿三日後発 二月廿三日夜着 亜
二 、 現在 支 那カ 必 要 ト ス ル人材 ハ克 ク国 家 ノ文 化建 設ニ 貢 献 シ得 ル 専 門家 ナ ルカ中 央 年 来 ノ方 針 ハ人材 ヲ育 成 シ各 其 ノ特 徴 ヲ発 揮 セ シ メ ント ス ル モノ ニシ テ尚党 派ニ 区別 ナ シ但 シ共産 党 及所 謂 人 民 陣 戦 者 ノ言 フ如 ク投 機 政 客 及統 一ヲ破 壊 スル分 子 ヲ シテ人 材 集 中 ノ名 ノ 下ニ 猟 官 セ シ ム ル コト能 ハス
第 六 七号
今 般武 漢行 営ニ 於 テ ハ中 央 政治 委 員 会 ヨリ接 到 セ ル訓令 ヲ所 属 ノ
林 外務 大 臣
所 謂 政 治 犯ニ 対 シ テ ハ自 ラ制 裁 規 定 ア リ但 シ是 等 分 子ニ シ テ真ニ 悔
軍 隊ニ 通 令 セ ルカ右 通 令 中 日支 関 係 ユ言 及 シ最 近 民衆 ノ抗 日意 識 ハ
三、 国 家ニ 反 対 シ社 会 ヲ破 壊 セ ント ス ル共産 党 及反 動 分 子 等 ノ如 キ
悟 シ再 ヒ国 家 ノ統 一ヲ破 壊 ス ル行 為 ヲ繰 返 サ ス且 保 証 者 ア ル者ニ 対
裏 面 的ニ 益 々激 烈 ノ度 ヲ加 ヘツ ツ ア リ将 来 日支 間 ノ握 手 ノ如 キ ハ不
川
廿三日後発 亜 二月廿三日夜着
大 使
ノ行 動 ヲ厳ニ 査 察 ス ルヲ要 ス ト ノ趣 旨 ヲ述 へ居 レリ
関 係 紛 糾 ノ折 柄各 機関ニ 通 令 シ各 地 要 塞 ヲ堅 固 ニ シ在 支 日本 (脱 )
日準 備 ヲ為 サハ 日 本 ハ兢 々ト シ テ我 国 ヲ軽視 セサ ル ニ至 ル へシ外 交
力 ヲ挙 ケ テ我 国 ヲ討 ツ コト能 ハサ ル ヲ以 テ若 シ犠 性 的 決 心 ヲ以 テ抗
レ ハ勝 算 ハ我 ニア リ且 日本 ハ蘇 聯 邦 、 英 、米 ノ敵 ヲ控 へ居 ル ニ付 全
対 シ我軍 ハ之ニ 十 数 倍 ス へク持 久 戦 ヲ以 テ日 本 軍・ ヲ奔 命ニ 疲 ラ シ ム
可能 ナ ル処 之 ヲ軍 事 的ニ 見 レ ハ日本 軍 ノ最 大 動 員 数ハ 五 百 万 ナ ル ニ
シ テ ハ当然 夫 々特 赦 ス へシ
九 南京 暗 本省
越
要 ス ル ニ吾 人 ハ全国 ノ意 思 及 力量 ヲ集中 シ真 誠 坦 白 一致団 結 シ テ
上海 大使 、北 平 、 在 支 各 総領 事 へ転 電 セリ
目 前 ノ 困難 除 去ニ ⋮邁 進 ス へキナ リ 云 々
三 二六 六
上海 大使 ヨリ上 海 へ転報 アリ タ シ
昭和 12
林 外 務 大臣 第 一三七号
一
一五 一五 一二 二 二五 一九〇五
在南京
中
原 武
︹ 三郎︺
南京 発 電信所受 (一九 一 一) 支 二
次 官 、十 一戦 隊 、 十 戦 隊 、 駐満 海 、馬 要 、旅 要 各 司令 官
其 ノ 一、 二
次 長 、 三艦 隊 参 謀 長 、 支 那 各 地 駐在 武 官 、在 支 館附 武 官 機密 第 一四番 電 二十 五 日呉 震 修 談
官
一、行 政 院 ノ改 組 ハ 一切 行 ハサ ル方針 ( 京 機 密 第 十 二番 電 参 照 ) ナ リ シカ張 外 交 部 長 ノ辞 意 固 ク已 ム ヲ得 ズ王 寵 恵 ト交代 セ シム ル コト
二 、張 群 ハ辞 職 ノ上 外 遊 ヲ希望 シ居 リ タ ルモ中 央 ト シテ ハ之 ヲ許 サ
ニ決定 セリ
ス中 央 政 治 会 議 秘 書 長 兼 外交 組 主 任 ト シ テ主席汪 兆銘 ノ下ニ 党 部 ノ
︹ママ︺
外交 方 面 ヲ担 当 シ新 外 交 部長 ノ対 日外 交 ヲ内面 ヨリ援 助 セ シ ム ル コ ト 卜 ナ レリ
ス必 ス蒋汪 ノ 一致 セ ル外交 方 針 ヲ実 現 ス ル コト ニ努 ム へシ
三、 王 寵 恵 ハ国 際情 勢ニ 通 シ且 法 学 ニテ決 シテ無 理 ヲ ス ル人 ニア ラ
四、 三 中 全会 ノ赤 化 根 絶 決 議 ハ共産 党ニ 対 シ峻 厳 ナ ル条 件 ヲ以 テ応 付 シ居 ル山西 派 共産 党 ガ之 ヲ容 認 ス へシ ト ハ考 へ居 ラ サ ルカ如 シ。 二 五︱ 一四〇 〇
第一
目
一五
次
支那特報第十二号
最 近 に於 け る支 那 の対 日 一般 情 勢 は 概 ね支 那 時 局 月 報 第 四号 (五
第 一 支 那各 地 の 一般 情 勢
易額
( 昭和十二年五月十日 軍令部)
最 近 に 於 け る 支 那 各 地 の 一般 情 勢 と 日 支 関 係 の概 要
支 那 各 地 の 一般 情勢
月 一日附 ) 時 局 概 観 所載 の通 り に し て、 表 面 必ず し も 不祥 大 事 件 の
一、 青 島 方 面 二、 上 海 方 面
勃 発 を見 る が如 き状 態 に は非 ざ るも 、裏 面 的 に は容 易 且 早 急 には国
日支 関 係 は表 面 相 当良 好 な るも 、 最 近支 那 の統 一気 運 に乗 じ 中央
(一) 山 東 の特殊 事 情竝 に韓 復榘 、 沈鴻 烈 等 の努 力 に依 り目 下 の処
一、 青 島 方 面
主 要 各 地 の対 日情 勢 概 要 次 の如 し
交 調査 の実 を挙 げ 得 ざ る が如 き有 様 な り
三、 長 江 流 域
説
日 支 経 済 関 係 の概要
四、 南 支 方 面 第二 一、 概 二、 日 支 経 済 提 携 三、在 支 那 人 の経 済 状 況
政 府 より韓 、沈 に対 し ﹁日本 の国 権侵 害 行 為 を 排 除 す べし﹂ と の
蒋 介 石 政 権 の強化 と抗 日策 の概 況
一、蒋 政 権 の強 化
第三
密 令 来 れ り と の説 あ り之 が為 か膠 濟鉄 道 沿 線 (特 に淮 縣 方 面) の
(二) 五 月 初領 以来 第 二師 長 黄杰麾 下 の中 央 軍 は税 警 団 に改 編 せ ら
軍 事 的 施 設 は着 々強 化 せら れ つ つあ り 一九 三 六年 全 支 対 外総 貿 易統 計 表
れ続 々山東 省 内 主 要 各 地 に配 備 せ ら れ あ り、 之 に関 し 支 那 官憲 は
二、 軍 備 及 軍隊 教育
一九 三 七年 一︱三 月 上海 に於 け る主 要 国 別 対外 貿
三、統 一乃至 抗 日策 別紙第 一 第二
理 由 の説 明 を避 け、 支 那 紙 も 沈 黙 を続 け不 快 な る空 気 温醸 せ ら れ
最 も顕 著 な るも のあ る が如 く 、 之等 は 何 れ も 対 日戦 備 を 目標 と し
(二) 各 地 防備 施 設最 近 頓 に強 化 せ ら れ 、特 に江陰 砲 台 の改 修築 は
て行 は れ つ つあ り と 称 せ ら る
つ つあ り
(三) 支 那 官 辺 過 度 の対 日警 戒 は 一般 民 衆 を し て 日 本 人 と の接 触 を
税 警 団 の編 制 は 十個 営 よ り成 り、歩 、砲 、 工、 騎 の混 成 団 にし て正 規 軍 の混 成 旅 に相 当 し、 装 備 優 良 にし て 、相 当 の実 力 を 有 す
躊 躇 せ し め つ つあ り
つ つあ る も 日猶 ほ浅 く未 だ容 易 に改 善 の跡 を 認 め得 る に至 らず
廣 東 省 に於 て は呉 鐡 城主 席 就 任 後 幾 分緩 和 す べ し と期 待 せら れ
(一) 両廣 特 に廣 西 の排 日 空気 は全 般 的 に濃 厚 な り
四、南 支 方 面
るも のな り と称 せ ら る (三) 沈 鴻 烈 は 青 島 市 保 安 第 二大 隊 を 近 く歩 、 砲 、 工兵 編 制 と な し 有 事 に備 へん こと を 企 図 し あ り と 尚 海 軍 部 長 陳 紹 寛 の渡 英 と も 関 聯 し ( 支 那 は英 国 に潜 水 艦 注 文 の底 意 あ り と 伝 へら る) 某 国 海 軍 士 官 と密 に山東 沿 岸 を 巡 視 し 潜
又其 の度 を加 へつ つあ り
尚海 南 島 海 口唯 一の土着 邦 人 勝 間 田 一家 に対す る圧 迫 も 最 近 又
(二) 福 建 省 亦 主 席陳 儀 以下 の努 力 にも拘 らず 、福 州 以 外 の対 日空
水 艦 根 拠 地 の下 検 分 を 行 へり と の説 あ り (四) 以 上 の如 く山 東 の中 央 化 は漸 次露 骨 と な り、 膠 濟 沿 線 の対 日
のあ り と
説
日支 経 済 関 係 の概 要
支 那 側 は従 来 の日 貨 排斥 と 云 ふ が如 き 姑 息 な る手 段 を 止 め 、 一
一、 概
第二
気 は 良好 と は言 ひ難 し 、特 に厦門 の排 日 空 気 は楽 観 を許 さざ るも
空 気 漸 次 悪 化 す るに非 ず や と懸 念 せら る
(一) 排 日貨 運 動 は 表 面 著 し く緩 和 さ れ、 経 済 関係 概 ね順 調 に推 移
二、上 海 方 面
し つ つあ る も、 支 那 側 一般 人 士 の帝 国 従 来 の対 支 政 策 に対す る 不 満 は相 当 に強 烈 な る も のあ り、 殊 に青 年学 生其 の他 各 種 思 想 的 分 子 の対 日 感情 は 依然 険悪 な る空 気 を蔵 し居 るも のと観 測 せ ら る
面 の排 日貨 運 動 は 著 し く緩 和 せら れ 、 一方 支 那経 済 一般 情 勢 の好
意 全 面 的 抗 日意 義 の向 上 と 対 日軍 備 の強 化 に力 を注 ぎ あ る為 、当
転 の影 響 も あ り通 商 関 係其 の他 一般 経 済 関 係 は概 ね円 満 に維持 せ
(二) 支 那 側 は 上 海 停 戦 協定 の廃 棄 を放 送 し あ る 一方 、越 界 路 課 税
ら れ つ つあ り 、 特 に上海 、青 島 、 天 津 方 面 に於 け る邦 人 紡 績業 の
問 題 等 を持 ち 出 し 来 れ るが 、後 者 は帝 国 の強 硬 な る反 対提 案 に依 り 一時 市 参 事 会 議 に於 け る討 議 を延 期 す る こと と な れ るも 、前 途
(
膠 済 鉄 路車 輌 入札
二 、 日支 経 済 提 携 ( 最 近実 現 の主 な る も の)
発 展 は実 に目 覚 し き も のあ り
必 ず し も楽 観 を許 さざ る も のあ り 三 、 長 江流 域 (南 京 、 九 江 、漢 口、 宜 昌 万 面) (一) 長 江 一帯各 地 共排 日貨 運 動 は 漸 次 影 を潜 め経 済 関 係 は 概 ね支 障 な く維 持 せ ら れ つ つあ るが 如 し
三 百輛 の大 入 礼 は 、 日 、仏 、英 、 米 、白 、致 六国 九 会 社 の競 争 と
三月 十 五 日 一般 入札 に附 せら れ た る膠 済 鉄 道 機 関 車 七輛 、 貨 車
実質 的 に良好となり つつあり
島 、上海 、漢 口等何れも在留邦 人漸増し、 一般 に日支経済状況は
(一) 今後 の日支貿易は益々増加 の見込なりと の説多く 、天津、青
上海三井物産支店 の業績 のみ に付き見 るも、昨年 の商取引 は 一
な り 、日 本 側 は満 鉄 、弥 生会 (五 鉄道 会 社 ト ラ スト) 参 加 し、其
昨年 に比し約倍加 せる有様なり
の後葛 光 廷 (膠 濟 鉄 路 局長 ) は落 札 決 定 の為 中 央 鉄 道 部 と慎重 審 議 を 重 ね居 た る が四 月 十 六 日機 関 車 、貨 車 共全 額 三、 三六 九 、九
送 水管
一〇 八 万円
三菱
(ロ)現状 に於 ては、在 支邦 人紡績業 は其 の設備費 一切は概 ね二
(二)支那 に於 ける紡績業 は国内需要 に対 し未 だ供給不足 にして
と算 せらる
(ハ)在支紡績事業 に依存する支邦人 は家族を合し、約 一〇〇万
紡績 生産費中原料は八割 工賃〇 ・八割見当なり
ケ年 にして回収し得 る盛況 に在 りと 慎 昌 洋行
三 井磅 九 、 九 八 二 、 五〇
九 二、 三 三 三 円
業 者 の追随を許さず
て全支紡績 の殆んど五割 に当 り経営及業績共 に支那 又は英国同
﹁両三年を出ず して百万となる見込﹂天津其 の他 四〇万) にし
(イ)邦人紡績 は総計約 二百五十万錘 (上海 一五〇万青島六〇万
在支邦人紡績業 の最 近 に於け る概況左 の如 し
例 と謂 はざ るべからず
を以 て、本事業は文字通 り日支共存共栄 の実 を挙げ つつあ る好適
而 して其の製品 の大部 は直ち に支那大衆 の需要 に充 てられある
り、又工場使用 工人は殆 んど全部支那 人なり
現在紡績側 が使用す る原料 の大部 は概 ね之を支那国内 に仰 ぎあ
(二)在支邦 人商社中最も殷盛を極 め つつあ るは紡績 業なり
(イ) 落 札 要 旨
十二 ケ月 目 に三輛 、十 三 ケ月 目 に四輛 納 入
二 、 五 三 二 、〇〇〇 円
八 三 七、 九 〇 〇 円
〇 〇 円 に て左 記 の如 く 満 鉄 に落 礼 決 定 を 見 る に至 れ り
貨車 三〇 〇輛 ア ー セ ーバ型 四〇 屯 積
機 関 車 七輛 (ミ カド 型)
九 ケ 月目 に 一〇 〇輛 、十 ケ月 目 に 一〇 〇輛
(ロ) 納 入 方 法
車
機 関車 貨 十 一ケ月 目 に 一〇 〇輛 納 入 (二) 青島 水道 局 入札
青 島 水 道 局黄 埠 水源 池 材 料 鋳 鉄管 入札 は列 強 間 の猛 烈 な る競 争
大 口 甲 種 配水 管
の結 果 四月 十 一日 大 口 、 小 口共 左 記 の通 邦 商 に落 札 せり
小 口 "乙種 "
(三) 濟 南 ﹁プ レ ス﹂ 工場 建 設
将来更 に拡張 の余地大 なり
三菱 は資 本 金 五 〇 万 元 にて濟 南 に ﹁プ レ ス﹂ 工場 を新 設 す べく 敷 地其 の他 の準 備 を終 り五 月中 に建 設 に着 手 す る 予定 なり 、 同 工
(三)支那海運界 に於ける帝国 の地位は漸次発展 の途 上に在り
場 は 一時 間 四〇 〇 斤 詰 梱 包 五 五個 の能 力 のも のな り と 三 、在 支 邦 人 の経 済 状 況
最 近 日本 の造 艦 及 船 舶業 が異 常 の進 歩 を遂 げ た る結 果 、邦 人海
あ る も支 那 の沿 岸 貿 易 に於 て は未 だ英 国 断 然 覇 を 唱 へつ つあ り
運 界 の勢 力 は、 次 第 に、英 国 海 運 界 の地 歩 に食 ひ 込 ま ん と し つ つ
尚 最 近独 逸 海 運 の支 那進 出 と、 支 那 自 体 の海 運 勃 興 の趨 勢 に在
を進 め つ つあ り
開 催 し て、 憲 政 を 実 施 し統 一を天 下 に宣 布 せ む と し着 々之 が準 備
二 、 日本 を目 標 とす る軍 備 及軍 隊 教 育 は相 当 深刻 に行 は れ つ つあ り
一、第 二 の如 し ) 一方 昨年 来 の異 常 な る貿 易 の発達 に対 し外 国 貿
対外 総 貿 易 額 及 上海 の本年 一月 乃 至 三月 の対 外 貿 易情 況 、別 紙 第
て は次 第 に我 国 に肉 迫 し来 れ る盛 況 に在 り ( 昨 年 及 一昨 年 度 全 支
即 ち独 逸 は最 近着 々対支 貿 易 の進 展 を 遂 げ 上海 、漢 口方 面 に於
(ハ) 現 在 に於 け る蒋 介石 の勢 力竝 に政 策 が其 の儘 維 持 せら れ、 日
有様 なり
却す べ し と書 し あり ) の内容 を見 る に徹 頭 徹 尾抗 日 を主 張 し あ る
時 密 が に刊 行 配 布 せら れ あ る ﹁パ ンフ レ ツト ﹂抗 戦 ( 読 了 せば 焼
目下 盛 に抗 日教 育 を 実施 し あ り、 之 が 一例 と し て支 那 軍 中 に て随
(ロ)蒋 介 石 は自 己 直 系 の軍 隊 は勿 論 中 央 化 さ れ た る各 軍 に対 し 、
近来 頓 に進 捗 の跡 を 示 し あ る は否 み難 き 事 実 な り
(イ) 抗 日 を 目的 とす る諸 軍備 特 に空 軍 及 揚 子 江 方 面要 塞 の拡 充 は
易 に従 事 し 得 る船舶 を 有 せざ る支 那 政 府 は最 近排 他 的政 策 の下 に
支 関 係 が何 等 改 善 せら る る こと なく 、 一方 又 英 、米 、﹁ソ﹂ 等 列
る は大 いに注 目 を要 す
招 商 局 、三 北 、 民 生 、 政記 等 各 海 運 会 社 の発展 を計 り 上海 、蛟 口
強 の対支 策 動 止 ま ざ る に於 て は、尠 く とも 抗 日 と いふ が如 き 国民
の思 想 的 大 潮 流 を 利 用 し或 る程 度 の統 一状 態 に到 達 し 得 べし と観
を期 し つ つあ り 蒋介 石 政 権 の強 化 と 抗 日策 の概 況
碼 頭 の完 成 、 連 雲 港 ( 海 州 ) の築 港 等 と 相俟っ て 今後 大 いに活 躍
第三
下 彼 の故 郷 た る浙 江 省 奉 化 に於 て静 養 し あ り、 時 々上 海 に飛
蒋 介 石 は西 安 事 変 当 時 に於 け る腰 部 其 の他 の打 撲 傷 の為 目
記
に は国 民 党 を 背 景 と し 、経 済 的 に は所 謂浙 江財 閥 を踏 み台 とし 、 全
○附
測 す る向 き 多 き が 如 し
支 統 一運 動 に邁 進 し 且之 が手 段 とし て支 那 朝 野 に漲 れ る抗 日心 理 を
来 治 療 を 受 け あ る は事 実 な るも 、 所要 に応 じ随 時 軍 政 の要 人
蒋 介 石 は現 代 支 那 に於 て、 軍 事 上 の実 権 を 握 れ る は勿 論 、政 治 的
一、蒋 政 権 は日 と共 に強 化 し あ る如 く 観 察 せら る
利 用 し 着々 之 が成 果 を収 め つ つあ り
を 杭 州 或 は 上海 等 に招 致 し 重 要 指 示 を 与 へ つつあ り
(二) 支 那 軍 隊 の 一般 的 な実 情 概 ね 左 の如 し
(イ) 支 那 国 民 の蒋 に 対す る信 用 は 一昨 年 英 国 の支 援 に依 り成 し遂 げ ら れ た る幣 制 改 革 以 来 著 し く 増 大 し 次 で西 南 問 題 の解 決 、綏 遠 、
〇 南 京 に在 る軍隊 特 に軍 官 学 校 (三 ケ 大隊 編 制 ) は蒋 介 石 の親 衛
部 隊 にし て支 那 随 一のも のと称 せ ら る、 但 し 地 方軍 隊 は未 だ 旧
部 隊 た る丈 に装 備 優 秀 、 軍 紀 、 風 紀亦 厳 正頗 る近 代 化 さ れ た る
西 安 両 事 件 を経 て益々 一般 国 民 の憧 憬 尊 崇 は蒋 に集 中 せ ら れ つ つ あり (ロ) 蒋 を中 心 とす る南 京政 権 は愈々 本 年 十 一月第 一回国 民 大 会 を
態 依 然 た るも の決 し て尠 からず
置 き教 育 、 訓練 、 器材 共 に爆 撃 機 を中 心 と し て大 い に力 を 注 ぎ
○航 空 方 面 に於 ては 戦 闘機 の操 縦 より も 、 爆 撃機 の操 縦 に重 き を
つ つあ り
軍 事 教 練 を受 け た る者 は談 話 中 ﹁ 蒋 委 員 長 ﹂ と聴 けば 直 に起
立 す 中 国 童 子軍 (団長 蒋 介 石 ) に対 し ても 軍事 的 訓 練 を 行 ひ児
童 亦 蒋 介 石 の名 を聴 け ば直 ち に起 立 す
○綏 遠 事 件 の際 の如 き は ﹁ラ ヂ オ﹂ の発 達 に依 り満 洲 事 変 の際 に
映 画 、 ﹁ラ ヂ オ﹂ 等 に依 る) 等 盛 に提唱 せ ら れ つ つあり
○ 最 近 各 学 校 の軍 事 化 運 動 、国 旗 掲 揚 運 動 、 巡 回民 衆 教 育 ( 講 演、
れ た るが 訓練 其 の他 は上 海 事変 当時 と著 し く変 り た ると ころ な
に政 府 の宣 伝 も加 は り、 痛 く 民 心 を 刺 戟激 昂 せし む る等 大 いに
比 し遙 に速 に詳 報 手 に取 る が如 く 全 国 津 々浦 々に伝 へら れ 、 之
○ 中 央 、 地 方 軍隊 共多 年 に亘 る共 匪討 伐 の為 装 備 は相 当 改善 せ ら
く 、 結 局 戦 闘力 と し て は上 海 事変 当時 と 大差 な し と観 察 せ ら れ
国 家 意義 を 昂揚 し其 の効 果 甚 大 な る も のあ り しと
つ つあ り 但 し蒋 介 石 が 地 方軍 隊 の中央 化 を目 的 と し て時 々各 軍 の軍官
を実 施 し つ つあ る は注 目 を要 す
を 南 京 、南 昌等 に招 集 訓 練 し 、之 等 に 対 し て徹 底 的 に抗 日教 育
ど なし と
○機 械 化 部 隊 は 南 京 、南 昌 等 には 多 少 見 受 け ら る る も他 には 殆 ん
(イ) 国民戦線運動
三 、南 京 政 権 の採 り つ つあ る統 一乃 至 抗 日 策 の概 況 左 の如 し
昨 年 来 共 産 系 指 導 の下 に強 化 せら れ た る人 民戦 線 に対 し 所 謂 国 民戦 線 を主 張 しあ る が実 質 は斉 し く 抗 日 運 動 の鼓 吹 に外 なら ず 、 寧 ろ中 央 統 制 の抗 日 運 動 に進 展 せ るも のと 謂 ふベ く、 ﹁抗 日救 国 ﹂ ﹁ 安 内攘 外 ﹂ 等 を ﹁ス ローガ ン﹂ と す
本 運 動 に依 る国 家 意 義 の昂 揚 は 日新 月 異 の情 勢 に在 り
(ロ) 新生活運動
(ハ) 青 年 児 童竝 に民 衆 の訓 練 ○ 国家 公務 員竝 に青 年 学 生 に対 し 盛 に軍 事 教 練 を施 し つつ あり 、 而 し て之 が教 官 は藍 衣 社 員 に限 ら れあ り と 謂 ふ
別 紙 第 一,
1936年 自1月 至12月 全 支 対 外 総 貿 易 統 計 表
(註)× 印 ハ 減 ヲ示 ス
(単位 千銀弗)
前年 同期 額 (累 計)トノ 比 輸 較率
月
国 名 貿 易
類 輸
△ 印 減 (単位 万 円 印ナ キハ 増
入
前 年 同期,
出 額 (累計)トノ 比 較率 △0.17
国
2,201
851
日
本
1232 ,
816
0.732
416
0.227
英
国
956
490
0.227
446
0.567
独
逸
. 871
614
0.034
257
0.066
米
国
2,490
日
本
1
米
月 2
逸
英
国
米
(1,243)
967
343
791 (1,564)
月
独
782 (1,715) 3,153
国
3
(8,544)
日
1,542
本
(4,185)
1,481
月
独 逸
(3,658)
英
1,082
国
(3,387)
註(
)ハ1月
542
(4,541)
(1,826)
△0.008
787)
914)
1,948 (3,298)
(0.704)
(1,039)
以 降 ノ累 計 ヲ示 ス
(0.627)
(0.715)
) 1,335 (4,633)
(0.71)
(1,410)
(0.01)
(1,075)
(0.40
(1,182)
(0.263)
371 (0.651)
426
751 (2,205)
(851)
(0.33
1,055 (2,583)
(650)
4.05
(0.578)
' 1,171 (2,776)
(0.076)
393 (△0.026)
1,818 (3,911)
(0.276)
624
377 (864)
1,350
(0.097)
398
)
自1937年1月
上海ニ 於 ケル主 要国別 対外 貿易額 至"3月
)
(
別紙 第二
(0.768)
) 331 (0.70)
支那特報第十四号
支 那 共 産 党 と 国 民 党 と の妥 協
次
常 の発 展 を逐 げ た る共 産 軍 は 全 盛期 江西 省 瑞 金 を中 心 と し 、遠 く 四
此 の暴 動 軍 こそ 即 ち共 産 軍 の濫觴 にし て、 爾 来之 を 母体 と し て異
一六
目 言
軍令 部 )
第 一、前
川 方面 其 の他 と 呼応 し総 兵 力 約 三十 万 と称 せ ら れ中 央 政権 の 一大 敵
(昭和 十 二年 五 月 二十 日
第 二、妥 協 気 運醸 成 の原 因
国 を形 成 す る に至 れり
後 述 の如 き理由 に依 り 国 共妥 協 問 題 表 面 化 し本 年 四 月 中旬 概 ね妥協
至 り其 の主 力 は陜 西 、 甘 粛 方面 に占 拠 す る の已 むな き に至 れ るが 、
四年 暮 江 西 省 を追 は る る に及 び爾 来 各 地 を転 々とし 、 一九 三 六年 に
然 れ共 相 当 真剣 に行 は れ た る中 央 軍 其 の他 の大 討 伐 に依 り 一九 三
第 三 、妥 協 諒 解 の成立
言
言
第 四 、妥 協 調 印 及其 の条 件 第 五 、結
第 一、前
一九 二 四年 一月 国 民党 第 一回全 国代 表 大 会 に依 る同 党 の聯露 容 共
国 民党 は 、党 内 共産 党 の跋扈 日と 共 に甚 し く な り 、 一九 二七年 四月
と の妥 協 原 因 に関 し ては 多 々あ るべ き も 概 ね左 記 理由 に依 るも のと
多 年 互 に敵 国視 し居 た る国 民 党 (中 央 政権 ) と 共産 党 (共 産 軍)
第 二、 妥 協 気 運醸 成 の原 因
成 れ りと 伝 へら る
遂 に純 国 民党 系 の南 京 派 と共 産 党系 の武 漢 派 と の対立 を 見 るに至 り
政 策 を契 機 とし て北伐 決 行 の途 に就 き 、其 の声 威 俄 に強 大 と な れ る
し が 、次 で武 漢 派中 に次 第 に反 共産 主 義 に変ず る も のを 生 じ来 れ る
一、共 産 党 側
観 察 せら る
支等駐極東大使竝 に外蒙 代表等 を莫斯科に召集し、所謂極東会議を
︹モ スク ワ︺
﹁ソ﹂ 聯 は曩 に 二月 中旬 ﹁ユレ ニ エフ﹂ 駐 日、 ﹁ボ コ モ ロ フ﹂駐
を 機会 に、 同 年 七月 中 旬 所 謂 清 党運 動 行 は れ 共産 党 は殆 ん ど全 部 武 漢 地方 よ り駆 逐 せ ら れ たり 、 斯 く て、 共産 党 の 一部 は南 昌 に集 合 し 、 朱 徳 、賀 龍 、 葉梃 等 を擁 し て、同 年 八 月 一日南 昌 暴 動 を起 せ り
開 催 し た る模 様 な るが 、席 上 ﹁ボ コモ ロフ﹂ は ﹁ソ﹂ 支 聯 合 抗 日戦
﹁ボ ロツ キ︱﹂ ﹁コル スキ ー﹂ 及支 那 共産党 秘 書 長 李 幕 飛 、 政 治 部
支 那 共産 党 は前 述第 三 ﹁イ ン タ︱﹂ の指 令 に基 き、 本 年 三 月 上旬
第 三 、妥 協 諒 解 め成 立
し つ つ今 回 の妥 協 問題 に着 手 せ る も の と認 め ら る
し て表 面後 退 を装 ひ将 来 の大 飛 躍 を 期 し 一時 潜 伏存 続 せ しむ べく 、
備 の強 化及 行 詰 れ る支 那共 産 党 及 共産 軍 の局 面 打開 の為 、 共 産 軍 を
国 民 政府 を し て之 を 中 央軍 内 に収 編 し 、其 の代 償 と し て国 民 党 同 様
じ蒋 介 石 に対 し
主 任 石 佛 遵等 を代 表 と し て南 京 に赴 かし め 、孫 科 等中 央 左 翼 派 を 通
(一) 中 央 軍 の共産 軍 囲剿 計画 の取 消
共 産 党 を認 め し め党 の活動 を合 法 化 し党 を通 じ て ﹁ソ﹂ 支 連 衡 を 強
(二) 中 央 側 の各 種 反 共 宣伝 の中 止
化 し 、 以 て 日 ﹁ソ﹂ 作 戦 を有 利 に導 く こと最 も 肝要 な る旨 献 策 せ る と ころ 、本 献 策 は会 議 の容 る る〓 ころ と な り、 其 の旨 第 三 ﹁イ ンタ
(三) 共 産 軍 の抗 日軍 への改 編
(四) 甘肅 、 寧夏 、新疆 の各省 を共 産 軍 の根 拠 地 とす
ー﹂ の指令 と し て支 那 共産 党 に伝 達 せ ら れ たり と 称 せ ら る
(五) 賀 龍 、 徐 向前 、徐 海 東 軍 を剿 偽 匪 予 備 隊 とす
二、 国 民 党 側 (一) 左 翼 戦 線 に依 り拍 車 を掛 けら れし抗 日論 が反 つ て南 京 政 権 自
等 の主 張 を提 出 せし め た る が如 く 、 一方蒋 介 石 は 三 月中 旬 賀 衷寒 、
(七日 )本 の権 益 を 一切否 認 す
(六) 張 學 良 、 楊虎 城 部 隊 を 東 方 へ移 動 す
体 に相 当 の禍 を惹 起 す る可能 性 加 は り し こと 章 乃 器 一派 の人 民戦 線 派 首領 の逮 捕 弾 圧 は右 の片 鱗 な り と謂 ふ
張 中 、 戴 笠 、鄧 文 儀 等 を陜 西 に密 派 し 、綿 衣 一万 着 を共 産 党 に送 る
こと を得 べし
の存 在 は対 内 外 的 に南 京 政 府 に対 し、 実 に厄介 な る も の にし て 、
(二) 中 央 政 権 が 今 や全 支 統 一に懸 命 の努 力 を払 ひ あ る折 柄 共産 軍
と共 に毛 澤 東 と会 見 し
て は正 面 よ り之 に反 対 す る理 由 に苦 し み あ る こと
(三) 南 京 政府 と し ても 、 共産 党 の国共 一致 抗 日 の宣 伝 工作 に対 し
切 中央 軍 と同 様 の待 遇 を 為 す
(三) 東 北 軍 に対 し て は懲 罰 を加 えず 、 安 徽 河南 の地 区 を 与 へ、 一
(二) 中 央 は今 後 一切 の内戦 を停 止 し且剿 共 の口号 を取 消 す こと
の指 導 に従 ふ べき こと
(一) 連 合 抗 日 は夙 に我 が主 張 す る所 な る も軽 卒 を 戒 し め宜 敷 中 央
而 も 之 が徹 底 的剿 滅 は今 俄 に之 を 期待 し得 ざ るも のあ るを 以 て寧
(四) 国 民 政 府 は 対 ﹁ソ﹂ 政策 上 (一面 対 日牽 制 上 ) 共産 党 の抱 擁
(四) 西 北 共 産 軍 の軍 需 品 等 に関 し て は随 時 西安 行 営 主 任 顧祝 同 と
ろ之 と 妥協 し て 一時 を糊 塗 す るを 得策 と せ る こと
操 縦 を有 利 と せ る こと
等 の諸 件 を 商議 せし め し如 く 、 其 の結 果 両 者 の諒 解成 立 せ るも の の
商 議 す る ことを得
右 の如 く 国 民 党 と し て も現下 の情 勢 に鑑 み共 産 党 と妥協 必ず しも
し 一方 共産 党 の気 勢 を殺 ぐ と共 に他方 有 利 な る妥 協 条 件 の獲 得 を策
不 利 な らざ る も のあ る を以 て、 表 面反 共 宣 伝 、徹 底 的 討 伐等 を放 送
如 し、 斯 く て中央 は毎 月軍 事 委 員 会 特別 支 出 と し て五 十 万 元 を共 産 軍 に補 助 す る に決 し 三 月中 旬 既 に三 ヵ月分 を発 給 せり と 伝 へら る 第 四 、妥 協 調印 及 共 の条件 妥 協 条 件 に関 し て は、 双 方 の言 ひ分 に相 当 の懸 隔 あ り し こと は想
以 上 の如 く国 民 党 と 共 産 党 と は 、(イ﹁ )コミ ンテ ル ン﹂ の方 針 変 更 、
(ロ 支) 那 の国 家 統 一熱 、 (ハ 国) 内 の輿 論 ( 対 日強 硬 政策 )等 を主 要 理 由
と し て再 び苟 合 せ る が是 れ支 那 現代 の政 治 史 上 劃 期的 重大 問 題 なり
双 方 互 に本 妥 協 に対 す る不 平 分 子 も あ り と の説 あ り 、将 来 果 し て如
然 れ 共本 妥協 を以 て完 全 な る 両者 の合 作 と見 るは尚 過 早 な る べく 、
と 謂 は ざ る可 から ず
何 な る程度竝 に何 時 迄 此 の妥 協 が成 立継 続 さ る るや は、 今 日 尚 逆睹
像 せら る ると ころ に し て其 の詳 細 は 不 明 な る も、屡 次 の交 渉 に依 り 双 方 歩 み寄 り の結 果 、 四月 十 四 日 西安 に於 て南 京 代 表 顧 祝 同 と共 産
但 し 南京 政 府 と し ては多 年 血腥 き闘 争 を続 け来 れ る反 中 央 の急 先
し 難 き も のあ り
鋒 た る共産 党 の懐 柔 妥 協 に成功 し た る も の な るを 以 て 、茲 に仮 令 一
党 代 表 周 恩 来 と の間 に妥 協 に関 し 正 式調 印 を見 た るも の の如 く 、其
に改 編 し 師 長 は共 産 党 よ り副 師 長 は国 民党 よ り出 し 又 各 師 に政 治
(一) 共 産党 は中 央 軍 の編 制 、 装備 を採 用 す る 三箇 師 (十 二箇 団 )
て今後 其 の対 日政 策 を 硬 化 し來 る べ き可 能 性 大 な り と観 察 す る向尠
時的 な り と雖 も概 ね 国 内統 一の気 運 を強 化 し たる こと は否 み難 く 従
の条 件 とし て伝 へら る る も の概 ね 左 の如 し
訓 練 処 を 設 け 其 の処 長 は国 民 党 よ り出 す
からず
( 終)
(二) 改 編後 の軍費 は中 央 軍 と同 様 と し全 部 南 京 政 府 よ り 支出 す (三) 改 編 後 の駐防 地 を綏 遠 、陝 西 、 甘粛 省 内 とす
(イ)﹁ソヴ イ エ︱ 卜﹂ 政 府 の解 散
(四) 政 治問 題 に関 し て は南 京 側提 出 の左記 四条 件 を 承 認 す る こと
(ロ) 宣伝 の中 止 (ハ 紅 軍 の解 消 (二) 階 級 闘 争 の放棄 (五) 共産 党 員 は個 人 の資 格 を 以 て国 民 党 に入党 す る こと を得 るも、 団 体 的 活動 を許 さず (六) 朱徳 、 毛 澤 東 、 徐 向前 等 の高 級 責 任 者 は名 義 を与 へて外遊 せ
言
但 し 有事 の際 は 帰 国 せ し む
しむ
第 五、 結
支那特報第十七号
軍令部)
︹ 山崎誠 一郎︺ 二 、右 に関 し 領 事 は 不 取敢 館 員 を市 政 府 に派 し厳 談 せし む る 一方 、
( 昭和十二年六月五
署長 以 下 六名 を第 二警 察分 局 に派 し身 柄 交 附 方 を要 求 せし も 要 領 を
汕 頭邦 人 巡査 拘 禁 事 件
目
一七
第 一、事件 の概要
得 ず 、 更 に領 事 直 接 市 政府 を往 訪 厳 重交 渉 の結 果 一二 四〇 頃 漸 く 連
次
第 二、善後措置 交渉 の概要 帝国 の抗議 と支那側 の態度概要
日帰 汕 せる が 、市 長 は ﹁ロボ ッ ト﹂ に過 ぎ ざ る人 物 にし て、 警 察 行
一、 汕頭 市長 黄秉勛 は事 件 勃 発 当 時 廣東出 張 不 在 にし て五 月 二 十 七
政 に関 し ては 同 地警 察 局 長薛 漢 光 (廣東 軍 第 一五 五師 系 陸軍 大 佐 、
第 二、 善 後 措置 交渉 の概 要
第 一、外交部当局 の声明要旨
れ帰 れ り
別表
第 二、廣東省政府主席呉鐵城 に手交 せる廣東総領事 の
第 三、我 が警備艦船 の行動 別紙 口上書
二、 従っ て南 支 特 に廣 東 方 面 に横 溢 せ る 排 日気 勢 と相俟っ て、支 那
り あ る情 況 にし て 、市 政 府 周 秘書 長 及外 交 掛 た る黄 、 黄 両参 事 何 れ
咋 年 十 二月 中 旬着 任 ) 専擅 的 威 力 を振 ひ あ り、 事 毎 に排 日政 策 を執
側 は容 易 に其 の非 を 認 めざ る の み ならず
第三、汕頭市長 より汕頭領事 に提示 せる抗議書 第 一、事件 の概要 ︹ 清︺ 一、汕 頭南華旅館 に下宿中なりし同 地我 が領 事館青山巡査五月二十
も警 察 局 長 に対 し ては全 く無 力 な り と
二日邦商神 州洋行 に移転 せるが、領事館 より其 の前 日市政府 に通知
岸角 石 方面 に陸 兵 を移動 せ り と伝 へら れ
(一) 梅 縣 よ り汕 頭 方 面 に、 恵 州 より 潮 陽 方 面 に、南 山 より 汕 頭 対
(二) 駐汕 部 隊 は 五月 二十 八 日 よ り ﹁モー ゼ ル﹂ 銃 を携 帯 し数 名 よ
しありし にも拘 らず武装巡警数名同洋行 に侵入、青山 に対し移転 の ︹マ マ︺
許可 を求むる為自身警察分局 に出頭 せんことを強要し、遂 に拳銃 を 以て威脅逮捕し一一四〇頃警察分局 に連行す
り な る自 転 車 隊 の巡邏 を 開 始 す る と共 に夜 間 は 我 が在 泊 艦 の泊 地 附 近 の海 岸 に歩 哨 を配 し警 戒 し あ り (三) 駐 汕 第 一五五 師 長 李 漢 魂 二 十 七 日来 汕 し 、 市長 以 下要 人 と秘 密 会 議 を開 き対 策 を 講ず る 等 強 硬態 度 を持 し、 却っ て逆捩 的 に青 山 巡 査 拐 問 よ り得 た る 一札 を
(一) 第 十 六駆 逐 隊 (刈萱 欠 )
及 呉 竹 、 五 水戦 司令 官 の命 に依 り
二 、事 件 勃 発 以来 六 月 五 日迄 の警 備 艦 船 の行動 次 の如 し
五 月 二十 三 日 一〇 〇 〇 汕 頭 に向 け 旅 順 発
五月 二十 四 日 〇 五 三 〇汕 頭 に向 け 慶 門発 ( 同 日 一四 四 〇着 )
(二十 六 日 一四 〇 〇着 、夕 張 は基 隆 に向 ふ予定 を変 更 せる
(二) 五水 戦 旗 艦 タ 張
竹
五 月 三 十 一日 一八〇〇 汕 頭 に向 け馬 公 発 (六
五 月 三 十 日 一五 〇〇 馬 公 に向 け汕
五 月 二十 九 日廣 東 に向 け汕 頭 発
(三) 呉
も のなり )
不 誠意 な る見 解 を以 て容 易 に之 を承 引 す る気 配 な く 、 一方 南 京 及 廣
(四) 第 十 六駆 逐 隊 (刈萱 欠 )
根 拠 と し て我 方 に抗 議 反 駁 し 来 る と共 に、 我 が 要 求 に対 し て も 一々
東 外交 当 局 は我 方 を 被 告 人扱 せ る 不法 の声 明 (別 紙 第 一) を発 し 、
(五) 第 五駆 逐 隊
(六) 早苗
( 終)
六 月 三 日〇 八〇〇 汕 頭 に向 け馬 公 発 (四 日〇
月 一日〇 八〇〇 着 ) 六月 五 日〇 八 三 〇馬 公 に向 け汕 頭 発
頭発
各 地言 論 機 関 亦 之 に呼 応 し て捏造 記 事 を掲 載 し あ り 有様 にし て、 之 ︹ 我力︺ を要 す る に双 方 悪 し と の基 礎 の上 に強 硬 態 度 に出 であ る を以 て、 事 件 急速 解 決 の目 途 目 下 の処 尚 未 だ立 ち難 き 情 況 な り
第 三 、 我 が 警備 艦 船 の行 動
三 、帝 国 の抗 議 と支 那 側 の態度 概 要 別 表 第 二、 第 三 の如 し
六 月 五 日〇 八 一五 廣 東 よ り汕 頭 着
八 四〇 着 )
六 月 五 日 一八 三 〇 馬 公 に向 け汕 頭 発
竹
(七) 若
側
(八) 第 五駆 逐 隊
側
那
一、事 件 勃 発 以 来 帝 国 海 軍 は其 の成 行 に対 し 重 大 な る関 心 を払 ひ、
本
帝 国 の抗 議 と 支 那 側 の態 度 概 要 日
支 那 巡 警 は 青 山 巡 査 に対 し転 居 の正 式 手 続 を な さん こと
廣 東 漢 字 紙 汕 頭 通信 と し て左 の如 き 逆 宣 伝 記事 を掲 載 す
支
交渉 支 援 及 不 祥 事 件 勃 発 に対処 す る為 、 南 支 方 面 警備 艦 船 の汕 頭 増
日
勢 を計 り以 て事 件 解 決 の促 進 に当 る と共 に、 同 方 面警 備 の万全 を期 し つ つあり
別 表
月
五、二五
五、 二 六
五、 二 六
を再 三 請求 せ るも 青 山 之 に応 ぜず 却っ て巡 警 に悪 口し 之
せり 、 依 て特 に該 犯 人 を 警 察 第 二 分 局 に護 送 せ り
を 殴 打 負傷 せ しめ 我 政 府 を 蔑 視 し 我 が政 府 の命 令 を 破 壊
王 外 交 部長
き に付 真 相 を確 め た る上 、 適 当 措 置 の上通 報 す
事 件 発 生 の内 容 事 実 とす れ ば 誠 に遺 憾 な るも 、詳 細 報告 な
南 京 代 理 大使 に依 り地 方 的 に迅速 解 決 方 を 要 望 す る と共 に、 此 の種 事 件
. ︺
﹁尚 呉自 身 も着 任 以 来 廣 東 省 一般 の対 日猜 疑 心 の強 烈 な
速 に友 誼 的解 決 をな し 度 し
呉鐵城 ( 廣 東 省 政 府 主 席)
廣 東 省 政府 秘 書 長
事 件 の経 過 を 認 め た る ﹁メ モ﹂ を手 交 し、 外 相 訓 電 の趣 旨 の再 発 防 止 の為 各 地 方 当 局 に 訓令 方 を要 求 す
︹
. 軍務局長︱3F参謀長
事 件 要 求 事 項こ關 し外 務 大 臣 よ り 汕 頭領 事 宛 左 能 要旨 の訓 令 を発 せる 旨 通報 せ り (一) 市 長 の領事 に対 す る謝 意 表 示 (二) 警 察 局 長 の免宮 又 は 左 遷 (三) 督 察 長 の免職 (四) 第 二 分 局長 の免 職 (五) 将 来 の保 証 (六) 青 山 負傷 に 対す る要 求 は 経 過 を 見 る迄 保 留 す 顔 東 総 領事 事 件 の性質 を 説 明 し解 決 促 進 を要 望 す 廣 東 総 領事 口上書 ( 別 紙 第 二) を 手交 し 政治 的 に解 決 促進 を要 望 す
るに驚 き あ る有 様 な り﹂
にせ る声 明 を発 表 す
南 京 外 交 部当 局 談 の形 式 を 以 て不誠 意 にし て我 方 を 被 告 扱
五、二六
五、 二 七
五、 二 八
一
五、 二 八
五 、三一
六 、
領
事
事
事 実 の覚 書 を 手交 し支 那 側 の不 法 を詰 る 領 支 那 側 の申 出 を反 駁 す る と共 に経 過 事実 を述 べ 、 追 て交 渉 す る 旨 の公 文 (二 十 四 日附 ) を 黄 参 事 に手 交 せ り
事
(別 紙 第 一) 市 政府 周秘 書 長
黄参 事 (市 長 廣東 に赴 き 不 在)
事 件報 告 未 着 に付 き 調査 の上 回 答 す べ し 長
二 十 五 日附 領 事 に抗議 文 (別 紙 第 三) を提 出 戸 口 を報 告 せ
一 市
一札 を根 拠 と し て 四 ケ条 を要 求抗 議 し来 れ り
ず 転出 を強 行 且 警 察局 員 及 巡 警 を殴 打 せり と の青 山 巡 査 の
市長 (本 日 帰 汕)
事
言 を左 右 にし て応 ぜず
領
参
結 局 同 意 し 後刻 領 事 を訪 問何 分 の回 答 をなす 旨 答 ふ
黄
事 実 (不法 侵 入、 武 力拘 引 、 不 法 監禁 ) の認 定 を求 む ⋮
( 話 合 ひ水 掛 論 に終 る)
事
立 会 調 査 を提 議 領
左 記 を 口頭 承 認 す
市 長、 黄 参 事
日 支雙 方 の報 告 に懸 隔 あ る為 日 支 共 同調 査 解決 促 進 の目 的 を 以 て吉 武 廣 東副 領 事 及 凌 廣東 外 交 特 派 員 公署 秘 書 飛行 機 に
事
て廣 東 よ り汕 頭 着
領
(一) 神州 洋 行 侵 入 (二) 青 山 拘 引 及 同 人 の取 調
一四〇 〇 我 方領 事 、 副 領事 、 書 記 生 、領 事 館 警 察 署 長、 支 那 側 市 長、 黄 参 事 、 凌 秘書 、 警 察 局長 等 現 揚 に集 合 実 地 検 証
を行 ひ引続 き市 政 府 に於 て警 察 関 係 員 を除 き 日 支 双 方 の資 料 を 対 照 し事 実 の認 定 に関 し 徹宵 折 衝 せ るも 先方 の認 め た る
事 実 を容 易 に承 認 す る 模 様 なし
は、 九 時間 拘 留 せ る件 のみ にし て他 の重 要 な る 点 は悉 く 之 を否 認 せ り
廣東総領事
六、
六、
別紙第 一
三
四
事
市 長其 の他 (一) 拘留 の件 以 外否 認
領 (一) 四時 間 厳 談
参
事
長 容 易 に誠 意 を 示 さず
市
(四) (ホ 項) ⋮ ⋮研 究 の上 可 然 取計 ふ
(三) (( ハ二 ) 項) ⋮支 那 側 も 負 傷 せ る に就 き 相殺
(二) (ロ 項) ⋮ ⋮自 発 的 免 職 の形式 に ては 如 何
(一) (イ 項) ⋮ ⋮雙 方 より遺 憾 の意 を表 す
六 月 一日我 方提 示 の要 求 事 項 に 対 し
黄
な る に依 り注意 を望 む と 抗議 す
(三) 尚市 長 は 多数 の 日本 軍 艦来 汕 は民 衆 を刺 戟 す る こと 大
答ふ
(二) 要求 事 項 に 対 し ては 請 訓 の上 二、 三 日中 に回 答 す る旨
事
官 庁 に周 知 せ し む
(ホ) 借 家 規 則 は 日本 人 に適 用 なき こと を確 認 し 之 を関 係
(二) 市 長 又 は代 表 者 は被 害 者 を訪 問 慰問 す
(ハ) 青 山 、 黄 の両 名 に対 し 医薬 料竝 に慰 籍 料 を 支 払 ふ
(ロ) 警 察 局 長 、督 察 長 、 第 二分 局 長竝 に 関係 警 察官 免 職
さざ る こと を文 書 を 以 て声 明す
(イ) 市 長 は遺 憾 の意 を表 し、 今 後 類 似 の不法 事 件 を繰 返
提 示之 が受 諾 を迫 る
(二) 事 実 の確 実 な る旨 を声 明 し抗 議 す る と共 に左 記要 求 を
領 各項 に亘 り 反 駁反 省 を促す
事
廣 東 吉 武 副領 事 及 凌 秘書 同 船 に て汕 頭発 廣 東 帰任 の途 に就 く
領 を要 求 す
せしめたり警察当局は其 の日本人を警察局に連行、次で市政府 に
之 を勧告阻止したるも聴入れず却 て職員 、巡警各 一名 を殴打負傷
日強 て二分局所轄永平路 神州洋行 の二階に移 れり当時警察員 より
要 求 全 部 を容 認 す るか然 ら ざ れば 更 に詳 細 な る事 実 再 調 査
外交部当局 の声明要旨 汕頭日本人青山清 は警察規則 に依 る移転届を為 さず本月二十二
に対し本 人の懲戒其 の他 の要求事項 を提出 せり
送りたるが当 日夕刻直接日本領事 に身柄 を引渡す と同時 に同領事
ことを希 望 す 記
二 、汕 頭 市 警 察 局長 、 同 督察 長 、同 第 二分 局長竝 に本件 関 係 警 察官
表 すること
一、汕 頭 市 長 は在 汕 頭 帝 国領 事 を来 訪 し 本件 発 生 に関 し遺 憾 の意 を
〓作謙 特派員 をして至急赴汕調査方命 じ置 きたり左れば該事件も正
以上は当部 が今日迄 に得 たる報告なるが更 に真 相究明 の為在廣東 確なる事実 に基 き適当 の解決 を計 ること困難 にあらず と思料す
を罷 免 す る こと
三 、在 汕 頭 帝 国領 事 館 員 青 山清 及黄 祥琪 の両名 に対 す る相 当 額 の医 薬 料竝 に慰 籍 料 を 支払 ふ こと
四 、汕 頭 市 長 又 は其 の代 理者 を し て被 害 者 を訪 問 し慰 問 を為 す こと
廣東総領事より廣東省政府主席呉鐵
五 、本 件 発 生 の原 因 が、 廣 東 省 に於 て行 は るる警 察 局 租舗 屋 規 則 に
別紙第 二
由来汕頭市 に於 て貴国警察官憲 が本国人 に対し極め て無理解な る
但 し其 の金 額 は追 て我方 より 通報 す る も のな り
態度 を執り居れるは顕著 の事実 にして本総領事 は夙 に事端 の発生 を
あ る に鑑 み該 規 則 は 日本 人 に関 す る限 り適 用 な き こ とを確 認 し之 を
城 に手交せる廣東総領事 の口上書
惧 れ曩に貴主席 に面談 の際縷 々之 を説述し又五月 一日附節略 を以 て
が官吏 の家宅 を武装 して侵 犯し且我方官吏 に暴行侮辱を加 へ拘引 の
き旨 再 三勧 導 し た るも青 山 は之 を 聴 入 れず 前 記 尚 を殴 打負 傷 せし め
旨 の報 告 を受 け 分 局 員 尚文 治 を 派遣 し青 山 に対 し正 当 手続 を為 す べ
一、第 二分 局 に於 ては 当 日青 山 が戸 口 を報 告 せず 移 転 を強 行 し居 る
上
上手錠を施し て留置す るが如 きは前例なき重大 なる越軌行動 なりと
他 の巡警 一名 を傷 け た る に依 り拘 引 を命 じ た り 、青 山 は戸 口 を報 告
以
関 係官 庁 に周 知 せし む る の措 置 を執 る こと
考 へ本総領事 に訓令し今後斯 かる事態 の発生を防止し両国 の親善関
せず移 転 を強 行 し 且 局員 巡警 を 殴打 せ る旨 承 認 せ り
別 紙第 三
昭和 十 二年 五 月 二十 六 日
貴主席 の注意 を喚起し置きたる処其 の後何等事態 の改善 を見ず遂 に 本月 二十四日附節略 を以 て不取敢申進め置きたる如き事故 を発生し たるが本件は貴 国警察官員 の帝国総領事館員に対し加 へたる暴行侮 帝国政府 に於 ては本件事態 を極 めて重大視し貴主席 の完全 なる統
辱事件 にして本総領事 の極 めて遺憾とする所 なり
係 の増進に資す る見地より貴主席 に対し最 小限度左記 の事項 を速 に
二、警 察 本 局 に於 て も 前記 一の事実 を認 め 且今 回 の移 転 に戸 口 を報
汕 頭 市 長 よ り汕 頭 領 事 に提 示 せ る抗 議 書
実行せられん ことを要求せり尚要求事項 は本国居留民 の不安を 一掃
制 の下 に在り て汕頭市 の治安維持 の任 に当り居 る汕頭市警察当局側
し且帝国内 に於ける与論 の沸騰を避 くる為 一日も早 く実行 せられん
告 せざ りし は領 事 館 の命 令 に依 る旨述 べ た る が斯 の如 き は甚 だ非友 誼 的行 動 にし て従 来 日臺 人 は累 次 局 員 、 巡警 等 を殴 打 し未 だ に処罰 を受 け居 ら ざ る処 今 次 の暴 行 が領 事館 職員 に出 で且領 事 館 の命 令 に 依 れる こ とは甚 だ遺 憾 なり 三 、 依 て青 山 の斯 る行 動 は警察 法 規 に違 反 し 且勧 導 の局 員、 巡 警 を
(一) 青 山 をし て移転 登 記 手続 を為 さし む る こと
殴 打 負傷 せ しめ た る は殊 に無 理 な る に付
( 終)
(二) 累 次 の支 那 局員 巡警 を 殴打 負 傷 せし め た る 日本 居 留 民 を厳 罰 す る こと
(四) 将 来 の保 障
(三) 負 傷 せ る局 員 巡警 の医 薬費 を賠 償 す る こと
の四件 を実 行 せら れ度 し 云 々
目
一八
次
(一)事件 の概要
一、天津聖農 園事件 (二)事件 の解決
支那特報第十八号
一、 天 津 聖 農 園 事 件 二 、 上 海 中 山 鉱 業 廠 罷 工 事 件
令
部)
昭和 十 二年 六 月 二十 日 ( 軍
可能 の実例 を示 し、 一方農村指導員養成 を兼ね日支青年十 五名を
寄宿 せし め聖農園と称して事業 を開始 せり
天津縣政府は五月二十七日突如聖農園地主古恩富 を拘引し 一週
(ロ)支那側官憲 の不法行為
間以内 に土地回収方を強要 せり、依 て我天津総領事 は六月 一日縣
長及市外交当事者 たる市長 に対し 口頭に て厳 重抗議し地主 釈放 、
二、中山鉱業廠罷 工事件 (一)事件 の概要
邦人保護を要 求せる結果縣長 は円満解決 を約 し全責任を以 て保護
総領事 は相当慎重 の要 を認 め天津軍側とも連絡 し極秘裡 に真相
(支那人 なりや否も不明)放火 され全焼せり
然 る所 六月 二日午前 一時過聖農園 の邦人住宅及倉庫等何者か に
(ハ)放火事件 の生起
意 を促 せるも不実行なりしによる
(2)数年前中央 より(も の令 も明 1示 )され居 るを以 て地主 には再三注
にして法規上転貸 を許さざるも のなること
(1)開埠 地以外 に於 て土地借 入は条約 に反 し且同土地は官有地
に当る旨 を明言 せり尚県長 の拘 引理由 は次 の如し
(二)事件 の解決 一、天津聖農 園事件 (一)事件 の概要 (イ)聖農園 の起源 天津在住邦 人前島英三なる者 は予 てより農民同志 の提携 による 日支親善 を企 て同人 を主体とする日本青年 の 一団は昨年春頃 より 同 地郊外 に於 て支那農民 に伍 し労耕 を行 ひ率先衆 に範 を示 せり 本年 一月頃 より更 に組織 を拡大す べく市 の南西郊外天津縣東模 に塩分多く耕作 不能とされある不毛地約 二十五町歩 を借入 れ耕作
を調査す ると共 に市長 、縣長 に口頭を以て抗議 せり (二)事件 の解決 二日夕刻放火事件 に狼 狽せる支那側は天津縣代表 を総領事館 に派 (イ) 今後厳重 に排 日を取締 る
し (ロ)聖農園地主を即時釈放す
然 るに其 の後再 び悪化し 六月五日午 前六時約 二百名 の民衆 は増勢
中 の巡捕約九十名 に抗 して来襲し陸戦隊 の応急隊 の現場到着前 に工
一方罷 工中 の工場代表 人は支那側調停委員と会見し次の如 き条件
場 の門扉及貨物自動 車に若干 の損害 を与 へしも邦 人には事故 なかり き
(イ)十八時間労働 (一週 一回あり) を廃止す ること
を申出 でたり
(ロ)徒 に職工を殴打せざる こと
(ハ)聖農園其 の他 に於ける日本人 の生命財産 を保護す (二)放火事件 に就き ては更 めて処置す
依っ て申出 の条件を中心 に日支関係者折衝 の結果六日(ィ は代 )表側
事は市政府 に支那側 の取締不誠意を抗議 すると共 に左記要求を提出
暴徒 に対しその取締不誠意 の甚しきも のありしを以 て六月七日総領
然 れども本事件発生 の際支那側警察 は越界路 の外部 より侵入せる
之 にて罷 工自体 は無事解決し工場は六月七日より復業 せり
自発的 に撤 回し(、 ロ( )ハ に対 )し ては工場側 にて主義 とし て了解を与 へ
(ハ)濫 りに解雇 せざる こと
るヒ 日申出で来 れり、依っ て我当局は右支那側 の誠意 ある申出 でを 一応諒とし今後果 して之を実行す るや否 やを厳重監視 するに決 せ り 二、上海中山鉱業廠罷 工事件 五月二十八日上海中山鉱業廠 (豊 田紡績西方蘇州河畔 にあり) に
(一)事件 の概要 於 て邦人従業員 一名支那人職工を殴打 したるに因り職工間 の空気悪
せり
仍て工部局及警察局 は巡捕約三十名乃至 四十名 をし て厳 重なる警戒
て強硬 に職工側 の要求 を拒絶したるため形勢遽 かに悪化せんとせり
(二)暴行主謀者 の処罰
(ハ)責任者 (周家橋分局長) の処罰
(ロ)将来 の保証
(イ)警察局長 の謝罪
化しタ刻より罷業状態 とな れり
をなさしむると共 に我海軍陸戦隊 に於 ては豊 田派遣隊を待機 の状態
猶総領事 より工部局 に対し本事件 に関聯し武装 せる保安隊、警察
然 るに同 工場 は決算期及製品 過剰 の為罷業 に痛痒を感ぜざ るを以
となし、万 一に備 ふる処 ありたり
締 を実行する様警告 せり
隊、青年 訓練所員等 の租界蚊 に越界道路通過 に対しては将来厳重取
せんとせし が警察 局 の手 に依 り未然 に暴徒 を鎮 圧し爾後平穏 に経過
(二)事件 の解決
五月三十 一日午前 九時罷業 工人及其 の他 の民衆 は大挙工場 に来襲 せり
六月十 一日総領事、上海市長 と会 見 の結果市長 は次 の言明をなせ (イ)市長自 ら率直慎重 に遺憾 の意 を表す
り (ロ)責任者 の処罰 に就 ては当時 の事情調査 の上不都合 の点 を発見 せば何 分 の処置 を講ず (総領事 より我方調査 に依 る警備怠慢 の点 を指摘 し責任 回避 し得ざ る旨念 を押 せり) (ハ)暴行 の首魁 と目すべき三名を逮捕 しあり、取調 の上厳罰 に処 す べく猶背後関係者をも探査中 なり (ニ)将来 の保障 に就 ては極 力此種事件 の発生を防 止す べし 更 に越 えて六月十六日今回事件 の処理 に関し市政府周秘書総領事 を来訪警察分局長買恩超を譴責処分 に附す る旨文書 を持参 せり、依 って我方 は之 を以 て事件処 理は 一段落とし今後 の支那側 の態度を注 意 する こととせり (終)
中 國 各 省 及 大 都 市 重 要 職 貝 表
四 盧 溝 橋 事 件 及 び そ の後
支 駐 歩 一戦 洋第 一号
支 那 駐 屯軍 歩 兵 第 一聯 隊 )
ニ警戒配備変更 の状況
ハ 抗日意識 及我 に対す る不遜態度濃.厚 となる
(自 昭和 十 二年 七 月 八 日至 昭 和 十 二年 七 月 九 日
一 藍溝 橋 附 近 戦闘 詳 報
戦闘詳報目次
彼我 の 一般的態度
一般支那軍 の状況
2
1蘆 溝橋附 近 に於 ける我軍 の行動
三 戦闘直前 に於 ける支那軍態勢
1 豊臺 事 件
一 彼我 一般 の情 況
第 一 戦闘前 に於ける彼我形勢 の概要
2
四 最近 に於 ける我軍 の情態
3
支那側 の態度 に鑑 み我 の万 一に対する準備
2 森 田中佐 を現地 に派遣す
1 第 三大隊長 に対す る指 示
一 聯隊長 の処置
第 二 戦闘開始 に至 る経緯
2 大隊長 の処置
1 第八中隊夜間演習中支那側より射繋を受 く
五 事変 の発端
聯隊長 の注意
4 二 最近 に於け る支那側 の動向
1 本年九月十八日を期 し満 洲失 地恢復を図 るべしとの情 報
3 本 春 に於 ける南京交渉 の影響
2 昨 年末 の綏遠事件 の影響 4 北平城門警備増強竝支那軍警備行軍
記
一、 交 渉員 の資 格 を訊 し たる理 由
附
支那側交渉員 との交渉
3 イ 兵 力増加 の状況
5蘆 溝橋附 近 の支那軍 の状況 ロ 防禦工事増強 の状況
4
二、交渉員 として森 田中佐を派遣 したる理由 第 一大隊長 に対する処 置
第三 戦 闘 経 過 二 森田中佐をして出動部隊を指 導せしむ
第三大隊長 の攻撃
一 聯隊長 の決心 三
第 三 支那駐屯牟 田口部隊弾薬損耗表
第 一 戦闘前 に於 ける彼我形勢 の概要 一般支那軍 の状況
一 彼 我 一般 の状況
直接我聯隊 と接触 し且事変当初 我 に対抗 せるは宋 哲元 の指揮す
1
第 五 交戦 せし彼我 の兵力団隊号及損害 の状態
第 四 戦闘 に影響 を及 ぼせし天候気象及戦闘 地 の状況
りなり其 の兵力約 一万五千乃至六千を有す騎兵 一師は兵力約三千
辺区保安隊と称する 一隊 ありて 一師は歩 兵四個旅及特務団 一個よ
一個独立混成旅二個 及独立騎兵旅 一個を主なるものとし他 に華北
第二十九軍主脳部 は北平 に在 り共 の所属 四個師騎 兵 一師特務旅
る第二十九軍 なるを以 て主 として同軍 の情況 に就 き記述す
第 六 参考となるべき所見
独立混成旅は兵力約 三千乃至四千独立騎 兵 一旅 は兵力千五百内外
爾後 に於 ける戦闘経過 の概要 及下 したる命令竝理由
四 聯隊長戦場 に到著 し聯隊を指揮す
功 録
五
武
第七 図
第 二十九軍司令部及孫玉田 の指揮 する特務旅 は南苑 に位 置す
事変前 に於 ける配置 の概要左 の如し
を有し保安隊は其 の兵力約 二千な り共 の総兵力約十万を有す
附
馮治安 の指 揮する第 三十七師は其 の主力 を以 て北平西郊西苑 に
第 一 支那第二十九軍配置要 図 第 二蘆 溝橋 及長辛店附近支那第 二百十九団 の配置要図
位置し北平市内及蘆溝橋 を含む 一帯 の地域 に駐在し特 に其 の 一旅
第 三蘆 溝橋附近支那軍配備要図 第 四蘆 溝橋附近彼我態勢要図 其 一
を以 て保定 に位置 せしむ
張自忠 の指揮す る第三十八師は其 の主力 を以 て南苑 に位置 し小
第 五蘆 溝橋附近彼我態勢 要図 其 二
站大姑廊房等 北寧線上 の各地及馬廠滄縣等津浦線 の各地 に駐在す
第 六蘆 溝橋附近彼我態勢要 図 其 三
趙 登禹 の指揮す る第百三十 二師は其 の主力 を以 て河間 に位置 し任
し宣化 、柴溝堡、赤城等主 として平綏線 に沿ふ地区に位置 し又其
劉汝 明 の指揮す る第百四十三師 は其 の主力を以 て張家 口に位置
邸大名南宮等 の各地 に駐在す
第七蘆 溝橋天明攻撃要図 表
第八 豊臺附近牟田 口部隊配備要図 附
第 一 支那駐屯牟田 口部隊 死傷表 第 二 支那駐屯牟田 口部隊鹵獲表
の 一部を以て蔚県 に駐在す 阮玄武 の指揮す る独立混成第三十九旅 は其 の主力を以て北苑 に 位置す 劉汝 明 の兼任 せる独立混成第四十旅は張家 口、延慶懐来等 の各 地 に駐在す 鄭文章 の指揮す る騎兵第九師は其 の主力 を以 て南苑 に位置し長 辛店 、良郷 、〓縣及固安 の各地に駐在す 姚景川 の指揮す る独立騎 兵第十三旅 は其 の主力を以て宣化 に位 置す 石友 三の指揮 せし華北辺区保安隊約 二千 は其 の主力 を以 て北平 北郊黄寺 に位置し其 の 一部 は北寧線上黄村 に在 り 詳細 は別紙要図第 一の如 し 第 二十九軍主脳部 の我軍 に対す るや常 に日支親善 を説 き南京側
2 彼我 の 一般的態 度 を罵倒 し我軍亦彼等 を待 つに友軍 を以 てし表面何等懸念す べき情
講じあるは明白 なる事実なり之を以て聯隊将兵 が行軍演習等 の際
直接接触す る支那軍営長以下 の態度 は不遜非礼 の点多 く而も我は
帝国 一般 の情勢 に鑑 み彼れを待 つに常 に長者 の若者 に対する態度
を以 てし非礼 の事 あるや之を二十九軍主脳部 に通報し以て其 の部
下 の不都合 を責 めし こと 一再 にして止 まらず又児戯 に類するが如
き下級 者 の不法行違 を避けんが為多少彼等 の神経を刺戟すべしと
思考せらるる演習実施 に方りては条約上何等必要なき に拘 はらず
予め之を通告 して誤解なからしめ只管事端を醸さざらん ことを維 れ努 めたり
叙 上述 べし如く彼 等 の不遜行為 を 一々列挙せんか枚挙 に遑あら
3 豊臺 事 件
ず と雖特 に今次事 変処理に当 れる聯隊長 の意識 に潜在 し本次事件
を為 せるは昨年九月十八日に勃発 せる豊臺 事件 なるを以 て左 に其
勃発当時 の決心処置 に重大 なる関係を有 し又聯隊将兵行動 の素因
圧迫 に依 り偽瞞 の目的 を以 て抗日教育 を施 したるか或は又支那 一
舞しありしは事実 なり是れ彼 等 の真 の意志 なり や将亦南京政府 の
軍は恐るるに足 らずと の誤りたる教育 を施 し且之 を以 て志気 を鼓
報を綜 合するに彼等 が各種 の機会 に於 て部下 に抗 日を強調し日本
なり然れ共支那軍内部 の情勢 は決し て然 らず諜者報其 の他 の諸情
態度竝 一般情勢 と比較 し極 めて穏 やかなりと の感想 を漏らせし処
は直 に大隊全部 に警 急集合 を命 じて出動し支那兵営を包囲す同時
内 に追込 み且大隊長 に報告す此 の報告 に接した る大隊長 一木少佐
尉 の乗馬を殴打 せり之を以 て該中隊 は支那軍を圧迫し て之を兵営
岩井中尉後尾 に来 りて其不都合を詰す るや支那側 は銃を以て同中
対し手を以て侮辱的行動を為せしを以て先頭 に行進中 の指揮官 小
帰還す るに遭遇す然 るに支那側は不法 にも該中隊後尾 の看護 兵に
臺駅前 に差 懸りし際当時豊臺駐屯中 の支那兵約 一中隊 が行軍 より
近に於 て夜間演習 を実施 せんが為同同午後 五時頃兵営 を出発し豊
昭和十 一年九月十 八日豊臺駐屯第三大隊 の第 七中隊 が盧溝橋附
概要 を記述せんとす
に鑑 み自 己の地位擁護上斯かる方法 に
態を呈せず南支中支方面 よりの旅行者が該 方面 の支那軍主脳部 の
出でたるか遽 に判断す る能 はず と難 一面親日 一面抗 日 の偽瞞策 を
般 の情勢抗 日意識旺盛な
対 し射繋を準備 し其 一部は豊臺停車場迄出動し挑 戦的態度 に出 る
豊臺南方六百米 の造甲庄 村に駐在 せし支那軍隊は豊臺 の我兵営 に
4 支那側 の態度 に鑑み我 の万 一に対す る準備
しても深く之 を訓示する所 ありたり
に局限し共 に解決を最神速ならしむ所以なりと確信 し且部下 に対
異変 の勃発を見るや測 るべからざ るも のあり而 かも我軍 の支那軍
支那全般 の情勢 は日を経 るに従 ひ侮日抗 日意識熾烈となり何時
等将 に 一触即発 の状態 を呈 せり当時 聯隊長 は旅団長 の命 に依り現 地に急行 し支那側交渉員 たる馮治安 の部下 の旅長許長林と交渉 に
憾 なからしむ る為 には我行動 は常 に神速 にし て疾風迅雷 的ならざ
に対す るや前述せる如 く常 に友軍 を以 て遇 し其非行あ るも之を諭
任 し左 の条件を以て解決 せり
るべからず而 かも数 に於 て極 めて劣勢 なる我は夜 間戦闘 に依 らざ
し其誤解を解き以て和親 に努 めたり然りと雖万 一の変 に処し て遺
二
一 豊臺及造甲庄 に駐屯中 の支那軍隊を速 に撤去 す爾後両地点
し且関係責任者 を処罰す
るべからざ る場合多 き所以を訓示し平素 の視察 に検閲 に之を強 調 し特 に新操典草案発布以来聯隊全将兵薄暮黎明及夜間訓練 に精進
共支那軍隊 を駐屯せしめず
三 我 は支那軍隊 が其非 を覚 り謝罪せ る上は我 が武士道的精神
せり従 て駐屯地附 近 の地形 は 一兵 に至る迄之 を暗識し又夜間行動
日本軍 に非礼を働きし豊臺駐屯支那軍隊は日本軍隊 に謝罪
に訴 へ平素 の友好関係 に還 り特 に武装解除 を為 さず武装 の儘撤
に熟達す るに至れり而 して 一方支那軍主脳者邸兵営城門等 の奇襲
退 する ことを認む 宋 哲元 に対し交渉員 たる許長林 より特 に日本軍隊 の武士道的
せし めんとし て更 に問題を起し又其後諜者報 に依 り支那側は我 の
せしむ ることとし平時此等 の準備教育を実施 し編成 に遺憾 なから
隊及歩兵砲隊 の要員 不足 せるを以 て之 を 一般中隊 より臨時 に編入
に於 て大行李 小行李 は元より又機 関銃歩兵砲 の弾薬小隊 の編成 に
又数 回実施 せし演習 の結 果 に徴 して出動時 の編成 (我聯隊 の編成
武装解除を為 さざる寛大 の処置 を以 て日本軍 は支那軍勢 に恐れた る結果 なりと高言 しある ことを知 り聯隊長は支那軍 の不信行為 に
しめたり而 して此等編成 に関 しては本年三月軍 に対 し所要 の改正
計画 を策定 し各幹 部をして 一々実 地に就き数回 に亘り踏査 せしめ
対し憤懣 の情禁ず る能 はざ ると共 に我武士道的精神 を理解 せしむ
意 見を呈出 したる処なり)を定 むる等目的達成 の為 の準備演練事
好意 を報告す
る こと能 はず我態度 の寛 大 に過ぎ却 て皇軍 の威信を傷 けたるなき
項 に就 ては遺憾 なきを期したり
然 るに同 日午後 に至り支 那側は他 の部隊 を以 て依然豊臺 に駐屯
やを思 ひ傷心措く能 はず 若今後 支那軍 にして不法行為あらば決 し
1
本年 九月十八日を期し満洲失地恢復 を図 るべしと の情報
二 最 近 に於 ける支那側 の動向
て之なきを以て地方車輛及徴発馬匹を以て之 に充当し又機関銃中
て仮借す ること無 く直 に起 て之 に膺懲を加 へ以て彼等 の侮日抗日 むるを絶対必要とす是皇軍 の威武を宣揚 して而 かも事件を小範囲
観念 に 一繋 を加 へ彼等 の常套手段 たる不信 を策す るの遑なからし
本年五月頃 の情報 に依 り支那軍 は本年九月十八日満洲事変記念 日を期し山西省より察哈爾 を経 て外蒙古 に於 て蘇 軍と提携 し 一挙 満洲 の失 地恢復 を図り つつあるを聞 き且同日は昨年 の豊臺事件 の 日に相当しあ るを以 て右情報 の如 き大規模 のことは無 き迄 も何等 か の異変 あるべきを予想 したり 2 昨年末 の綏遠事件 の影響
溝橋附近 の支那軍 の状況
目撃 せり 5蘆
事変発生前蘆溝橋附近 の支那軍は其 兵力 を増加し且其態度頓 に 其変化 の状況左 の如し
不遜 となれり
遠 に於て南京側 は元 より冀察側 西南側要 人を集 め戦死者 の大慰 霊
対し成功を収 めたりと為し益 々侮日観念 を増長 せし め本年四月綏
を、蘆溝橋中 の島 ( 俗称) に兵力歩兵約 二中隊を夫 々配置 せり
に於 て城内兵力 には変化 なきも蘆溝橋城外 に兵力歩兵約 一中隊
約 一中隊を駐屯 せしめありしが本年五月十日乃至下旬 に至 る間
平素蘆 溝橋附 近 には城内 に営本部と 一中隊 を長辛店 には騎 兵
(イ)兵力 増加 の状況
祭 を施行し傅作義 を以て救国将軍と為し其 の気勢 を揚ぐ る等前記
一第 二大隊)を増加す るに至 れり
六月 には長辛店 は新 に歩兵第 一二 九団 の約 二大隊 (同本部及第
昨 年末 の綏遠事件 に依 り支那軍は日本軍 の支持し たる蒙古軍 に
対日戦争準備 に関する情報 の或は真ならざるやを感 ぜしむ るも の
ありたるも のの如し即ち南京側 と呼応 し状況 に依り ては 一戦 を交
ても彼 の態度硬化しありたり特 に馮治安秦徳純等は主戦論 を抱 き
と相待ち冀察要人 に於 ても侮 日感念 を増長せしめ対冀察関係 に於
本春南京 に於け る日支交渉有利 に進捗 せざりしは南京側 の策動
カ﹂(従来 より北平方向 に対し進出掩護 又は退却掩護 の意 を以
をも改修増強 し而 も従来土砂を以 て埋没秘匿 しありし ﹁トウチ
より鉄道線路附近 に亘 る間 の提防 上及其東方台地 の既設散兵壕
が六月 に入りて新 に散兵壕 を構築 し蘆溝橋附近 に於 ては龍王廟
的に二個所 に構築しあり又高地上 には野砲陣地を構築 しありし
長辛店北方高地 には従来高 地脚側防 の為 に機関銃陣 地を永久
(ロ)防禦 工事増強 の状況
える の決 心を堅 めありし には非ざ るが北京附近支那軍 の状況 は本
て蘆溝橋 を中 心とし十数箇 の ﹁トウチカ﹂ を橋頭堡的 に永 定河
本春 に於ける南京交渉 の影響
あり たり
年春夏 の候 より次項以下 に述 ぶる如く相当戦備 を進めありたるを
3
看取 せら る而 て本事変は敵 の未 だ十分戦闘準備 を完成せざ る時 に
左岸地区に構築 しありたり)を掘開す ( 主 として夜間実施せり)
蘆溝橋城通過に関 しては昨年豊臺駐屯当初 に於 ては我部隊 の
蘆溝橋城内 通過 の拒否
(ハ)抗 日意識及我 に対す る不遜態度濃厚 となる
於 て突発 せしものなり 北平城門警備増強竝支那軍 の警備行軍 本年 六月 に至 り北平城各門 の支那側守備兵増加 せら れ且警備行
4
軍 と称し特 に夜 間 に於 て北平市内及郊 外を行軍 しある部隊を屡 々
通過を拒否す る ことありしを以て之 に抗議 し通過 に支障なから し め特 に豊臺事件以後 に於 ては支那軍 の態度大 に緩和し日本語
撤去 せるを見 る
は電燈 による信号 を以 て頻 りに連絡を為しあるを目撃す
夜間演習部隊 の報告 に依 れば龍王廟附 近と鉄道橋及城壁上間
2蘆 溝橋及長辛店附近支那軍兵力 (第二百十九団)配置要図第
1
三 戦 闘直前 に於け る支那軍 の態勢
最近 に至 り再び我軍 の城内通過を拒否 し其都度交渉す るの煩瑣
二 の如し
を解する将校 を配置し誤解なからしむるに努 めし跡 を認めしも を要 したり
溝橋附近支那軍 の配備要図第三 の如 し
之 に接し其非行あれば之 を諭 し特 に帝国 四囲 の情勢 に鑑 み我行動
我駐屯軍 の支那軍 に対する態度 は前述 せる如く常 に友軍 を以 て
溝橋附 近 に於 ける我軍 の行動
然 るに最近に於 ては我演習実施 に際 しても支那軍 は畑 への侵
を慎重 にし事端 を醸 さざらん ことを努 めたり然れ共我は駐屯軍本
1蘆
四 最近 に於 ける我軍 の状態
3蘆
(ニ)演習実施 に対する抗議 蘆溝橋附 近は 一帯北寧線路 用砂礫 を採取す る地区 にし て 一帯 荒蕪地 に属 し多く落花生等荒蕪 地に適す る耕作物 あるに過ぎず
入 を云々し或 は夜間演習 に就 ても事前 の通報 を要求す るが如き
然 の任務達成 に遺 憾なからしむる為 め鋭意訓練 に従事し特 に夜間
従 て夏 期高粱繁茂時期 に於 ては豊臺駐屯部隊唯 一の演習場なり
来る等逐次其警戒 の山 皮を加 へたり
言 を弄し或は夜間実弾射撃を為さざ るに之 を実施 せりと抗議し
の演練 に勉めた ること前述 の如し而 して蘆溝橋附近 は地形特 に耕
イ 豊臺駐屯隊 の中期 (六月乃至 十月にして其間中隊及大隊教
ぐれば左 の如し
我部隊 の動静 が彼等 の神経を刺戟したりと思惟 せら るる事 項を挙
般 的関係乃至 は南京側 の指令 に依るも のと判断 せら るるも仮りに
蘆溝橋附近 の支那軍 の増強は他 の各種 の徴候 より判断し彼等全
の地なり
作物 の関係上豊臺部隊 は素より北平部隊 の為 にも演習実施 に恰適
(ホ)行動地区 の制限 従来龍王廟附 近堤防及同所南方鉄道 ﹁ガ ード﹂ は我行動自由 なりし が最近殊 に六月下旬頃 より之 を拒否 し我兵力少き時 は装 〓等を為し不遜 の態度 を示す に至れり 既設陣地 の守備
(ヘ)警戒配備変更 の状況 六月下旬より龍王廟附近以南 に配兵し警 備を厳 にす殊 に夜間
練 を演練 し特 に中隊教練 の錬成期 を五月六月とす) に於ける中
は其兵力 を増加せるも のの如し 一文字山 に兵力を配置す
隊教練 を昼夜 を論 せず実施 せり
ロ 豊臺駐屯隊 に対す る軍 の随時検閲を五月下旬該地 に於 て実
従来 一文字山 には全然警戒兵 を配置しあらざりしが夜間我軍 にて演 習を実施 せざ る場合 には該地 に兵力を配置し黎明時之 を
施 せられ軍幕僚 の大部 一文字山 (俗称) に参集す
2 大隊長 の処置
し つつ伝令を派し て在豊臺大隊長 に急報す
然るに兵 一名不在 なるを知り断然膺懲す るに決 し応戦 の準備をな
第 二 戦闘開始に至 る迄 の経緯
出動するに決 し非常呼集を命ず ると共に聯隊長 に報告す
大隊長 は正子稍前豊台官舎 に在 りて第八中隊 の報告 に接し直 に
ハ 聯隊長 の行 ふ豊臺部隊 に対する中隊教練 の検閲 を該地 に於 ニ 旅団長聯隊長 は該地附近 に於 て実施せる演習を視察 せり
て実施す る如く計画せり随 て補助官は度 々該地 一帯 を踏査 せり ホ 本年六月末乃至七月上旬 に亘り歩兵学校教官千田大佐 の新
1 第三大隊長 に対する指 示 ︹ 正三 ︺ 当時北平警備司今官河邊少将は歩兵第 二聯隊 の中隊教練検閲視
一 聯隊長 の処置
聯 隊長 は支那側全般的 の動静 が何 んとなく険悪 を告げ情勢逐次
察 の為南大寺 ( 秦皇島西方) の野営地 に出張不在なりしを以て聯
及豊臺部隊 の幹 部多数之 に参加 せり
歩 兵操典草案普及 の為 の演習 を蘆溝橋城北方に於 て実施し北平
悪化し抗 日的策動濃厚となりあ るを看取 し部下 一般 に注意を倍〓
大隊長 一木 少佐より事件 の概要 と豊臺駐屯隊 は直 に出動善処せん
隊長之 を代理しあり聯隊長 は七月 七日夜正午前後突如とし て第 三
2 聯隊長 の注意
に豊臺駐屯隊 に対しては ﹁トウチ カ﹂発掘及工事増強 の情況に就
︹徹 ︺
準備 を整 へた る後蘆溝橋城内に在 る営長を呼出し交渉す べきを命
と の電話報告を受 けたるを以 て直に之 に同意 し現地 に急行 し戦闘
し彼等 に乗 ぜら れざると共 に出 動準備 を完整し置 くべきを命 じ特 て注意すべきを命じたり
令せり
五 事変 の発端 1 第八中隊夜間演習中支那側 より射撃 を受く第八中隊 は七月七
2
支 那側 責 任 者 に対 し謝 罪 を要 求 す る 如く 命 じ た り之 が為 には慎 重
七 月 八 日午 前 二時 聯 隊 長 は森 田中 佐 を現 地 に派 遣 し之 が調 査竝
森 田中 佐 を現 地 に派遣 す
日午後七時三十分 より夜間演習 を実施し龍王廟附近より東方大瓦
事 を 処 す る と共 に必 要 に応 じ断 乎 た る処 置 に出 で得 る姿 勢 に於 て
窯に向 ひ敵主陣 地に対し薄暮 を利用す る接敵次 で黎明突撃動作を 演練せり而 して該中隊長が特 に龍王廟 を背 にし東面し て演習 を実
交 渉 す る を適 当 とす るを 以 て歩 兵 約 一中 隊 機 関銃 一小隊 を冀 察 側
調 停 季 員 と同 時 に蘆 溝橋 東 門 内 に進 入 せ し め第 三大 隊 の主 力 を蘆
解 を避けんが為 なり右演習中該中隊は午後十時四十分頃龍王廟附
溝 橋 停 車場 西 南 側 附 近 に集 結 し 何 時 に で も戦 闘 を 開始 し 得 る の姿
施 したるは予 て龍王廟附近 には夜 間支那軍配兵しあるを知り其誤
は直 に演習を中止し集合喇叭を吹奏す然 るに再び蘆溝橋城壁 方向
近 の支那軍 の既設陣地より突如数発 の射撃を受く之 に於 て中隊長
支 那側 交 渉 員 と の交 渉
勢 に在 る を可 とすべ き 旨指 示す る所 あ り た り 3
より十数発 の射撃を受く 此間中隊長 は大瓦窯西方 ﹁トウチカ﹂附近 に中隊 を集結せしむ
を 伴 ひ聯 隊 本 部 に来 る依 て聯隊 長 は王 冷 斉 に向 ひ貴 官 は如何 な る
午 前 三時 特務 機 関 員 寺 平 大尉 は宛 平縣 長 王冷 斉 外 交委 員 林 耕 宇
も何 等 要領 を得 ざ りし 点 よ り推 測 し其然 る を感 ぜし め た り
見 るを至 当 とす べし 蓋 し 王縣 長 が電 話 を 以 て秦 徳 純 に交 渉 せし
治 安 と協 議 の上 本 事 件 を拡 大 せ んと す る故 意 に出 で た る も のと
し秦 徳純 之 を代 理 し た る情 況 なり し に鑑 み彼 は同 穴の貉 たる馮
︹忠 輔︺
資 格 を以 て 現地 交 渉 に当 る やと 彼 曰 く宋 哲 元 の代 理 た る の資格 を
当 時 の状 況 は蘆 溝 橋 事 件 を契 機 とし 支 那側 主 脳 部 の動 静 に応
交 渉 員 と し て森 田中 佐 を 派遣 し た る理由
じ 又北 平 市 内 は元 よ り西 苑 南苑 北苑 等 の支 那軍 隊 の状 況 を注 意
二
以 て交 渉 に任ず と依 て聯 隊 長 は更 に宋 哲 元 は冀 察 政務 委 員 会 の委
貴 官 が軍 長 た る資 格 を代 理 し得 る や其 の資 格 な く し て将 に戦 闘 開
員 長 た る資 格 と第 二十 九 軍軍 長 た る の資 格 とを 有 し あ り文 官 た る
始 せ ら れん とす る切 迫 せ る情 況 に処 し 不法 を働 き し 二 十九 軍 の兵
し之 に対 し 処置 す る の要 あ り
記
す
第 一大 隊 長 に対す る処 置
当 時 第 一大 隊 の大 部 は中 隊 教 練 演 習 の為 通州 に廠 営中 な りし を
戦 闘 経 過
も発 砲 す る は純 然 た る 対敵 行 為 な り と認 む
午 前 三時 二十 五 分龍 王廟 方 向 にて 三発 の銃 声 を聞 く支 那 軍 が 二面
聯 隊 長 は午 前 四時稍 過 ぎ 第 三大 隊 長 より電 話 を 以 て次 の報告 に接
一 聯 隊 長 の決 心
第三
後 豊 台 に向 ふ如 く 命 令 せ り
以 て速 に之 を北 平 東 郊朝 陽 間 外 に在 る射 撃 場 附 近 に集 結 せし め爾
4
判 断 し た る に由 る
北 平 警 備 司令 官 代 理 た る聯隊 長 が遽 に北 平 を離 る べ からず と
に向 ひ命 令 し得 る やと 尋問 せし に彼逡 巡 し て答 ふ る能 はず 秦 徳 純 の指 令 を受 け ん と て電 話 にて交 渉 せし も 遂 に其 要 領 を 得ず 而 かも 情 況 切迫 し て 一刻 の猶 予 を 許 さず 即 ち森 田中 佐 をし て速 に彼 等 を 帯 同 し て 一文字 山 に到 ら しむ
附
時 に午 前 四時 な り
一 交 渉 員 の資格 を訊 し た る理由 当時 支 那 側 交渉 員 の態 度 よ り察 す る に彼 等 は真 に本 事件 を 以 て遺 憾 と し其 非 を謝 し速 に蘆 溝橋 附 近 の支 那 軍隊 に対 し絶 対 に
ざ る者 を 以 て之 に当 て侮 日感 念 に敦圉 け る無 智 の軍 隊 に対 し 之
射撃 を 止 め し めた き熱 意 は之 を 認 む る を得 たり然 れ共 軍 人 に非
に絶 対 命 令権 を有 す るも のに あら ざ れ ば此 際 の交 渉員 と し ては 不適 当 なり と し少 く も旅長 位 を派 遣 せし む る を可 なり と信 じ其
茲に於 て聯 隊 長 は熟考 の後 支 那 軍 が二 回迄 も射 撃 す る は純 然 た る
如 何 にす べ き やと
対敵 行 為 な り断 乎 戦 闘 を開 始 し て可 な り と命 令 せり 時 正 に午 前 四時
資格 を訊 し た る も のな り然 れ共 刻 々 の情 況 は 一刻 の猶 予 を許 さ
二十 分 なり
ず 不適 当 な り と信 じ つつも兎 に角 現 地 に派遣 せ し が其結 果 に徴
は特 に当時 宋 哲 元 不在 にし て平素 南 京 側 と策 謀 あ り と の噂 あ り
し 何等 の価 値 な き を立 証 せ り 又 一面 支 那 側 が 文官 を派 遣 し た る
第三大隊 の攻撃は平時演習 の如く進捗 し約十五分 の後龍王廟附近
の支那軍を撃滅 し永定河右岸 に進出 せり
二 第三大隊長 の攻撃 此処 に於 て第 三大隊長は支那軍攻撃 に関す る決意 を堅 め 一文字山 ︹徳 太 郎 ︺
に向 ふ途 中 第 二十 九 軍 顧 問 た る櫻 井 少 佐 と西 五里 店 (蘆溝 橋 東 方 約
シ永 定 河右 岸 ニ撤 退 ヲ要 求 シ要 ス レバ武 装 ヲ解 除 スベ シ
七月八日午前九時二十 五 分 命 令 於 北 平 聯 隊 本 部 貴 官 ハ廬溝 橋附 近 ニ出 動 シ ア ル部 隊 ヲ指 揮 シ藍 溝 橋支 那軍 ニ対
隊を指揮 せしむ
聯隊長 は午前九時二十五分左記命令 を以 て森田中佐 をし て出動部
三 森 田中佐 をして出動部隊 を指揮せしむ
千 八百 米 ) 西 方本 道 東 側 畑 地 に於 て会 見 し 左 の件 を 知 る
はく ﹁馮の部 下 は絶 対 に蘆溝 橋 城 外 に配 兵 せず 支 那軍 に非 ざ るべ
(イ) 櫻 井 少 佐 が馮 治 安 と会 見 し蘆 溝橋 不法 射 撃 を 訊 し た る処馮 曰
し﹂と (ロ) 城 外 に配 兵 せら れ あ り と せば 攻撃 は随 意 にし て恐 ら く は馮 の
注
︹ 正三︺
署 し て交 渉 を行 は ん と し大 隊 の攻撃 を中 止 せし め ん とし 将 に射 撃 せ
中 佐 は 北平 出 発 に当 り聯 隊 長 より指 示 せら れた る所 に基 き 兵力 を部
要 の兵 力 を展 開 し 攻 撃 せ ん と せり然 る に当 時 現場 に到 著 し た る森 田
右 櫻 井少 佐 と の会 見 によ り城 外 配 兵部 隊 に対 し 攻撃 す る に決 し 所
時 四十分豊台兵営 に到着 す当時第 一線 は戦闘咬綴し蔵溝橋城内 には
平発列車 に依 り聯隊副官少佐河野 又四郎及書記 二名を帯同 し午後 一
司令官 の任務を岡村中佐 に委 ね自ら第 一線 を指揮す る為午後 一時 北
八日午後零時 二十分頃聯隊附中佐岡村勝実帰隊 せるを以て北平警備
の為警備司令官代理とし て北平 に於 て事件 処理に任 しありしも七月
七月 七日夜事件発生以来聯隊長牟 田口大 佐は旅団長河邊少将不在
︹廉 也 ︺
聯 隊 長 戦場 に到 著 し聯隊 を指 揮 す
当 時 ニ於 ケ ル出 動 部 隊 ノ攻撃 態 勢 要 図 第 五 ノ如 シ
意
部 下 にあ ら ざ る ベし 又馮 の部 下 と す る も城 外 にあ らば 断 乎 攻 撃 し
蘆 溝 橋 占 領 ハ軍 ノ意 図 ナ ル ヲ以 テ速 ニ敢 行 スベ シ
右 は 全 く馮 治 安 の欺 弁 な り即 ち 責 任 を 回避 せん とす る支 那要 人 の
馮は ﹁城 外 に居 ると せば 其 れは 匪賊 なら ん と附 言 せ り﹂ と
て可 な ら ん
四
ん とす る歩 兵 砲 の射 撃 を停 止 せ し め たり 大 隊長 は如 斯 交 渉 は徒 に時
には警備小隊 (長歩兵准尉山田孝澄 ) に依 り警戒せられあ ることを
支那第二十九軍顧問櫻井少佐有り て支 那側 と折衝しあること竝豊臺
常 套 手 段 にし て心 事 の陋劣 唾 棄 す ベき も のあり
此 の時 我 の前 進 を停 止 し た る を以 て怯懦 と誤 り龍 王 廟附 近 の支 那 軍
知 り直 に 一文字山 に至 り同所 に迎 へたる当時 の指揮官森田中 佐より
間 を要 す ベき を慮 り展 開 のま ま前 進 を中 止 し 一般 に朝食 を為 さし む
再び 射 撃 を 為 す於 是 大 隊 は最 早 議 論 の余 地 なく 之 を膺 懲 せ んと し 直
す
時正 に
第 一線 の情況竝爾後部隊 を停車場附 近に集結 す る企 図 な る を承知 時 正 に午前 五時 三十 分 な り
茲に於 て聯隊長自ら現在 の第 三大隊及歩兵砲隊 を指 揮す
に第 一線 に攻撃 前 進 を 命 じ た り森 田中 佐亦 本 状 況 に於 て は攻 撃 の外 無 き を 知 り大 隊 長 の処 置 を是 認 せ り
当時 に於 け る第 三 大隊 の攻 撃 態勢 別紙 要 図 第 四 の如 し
次 で河邊旅団長 は午後三時 五十分列車 にて豊台 に到著午後六時 三
午後 三時なり 十分旅団命令を受領 し旅団長 の指揮下 に入る 当時 に於ける彼我 の態勢要図第六 の如 し 五 爾後 に於 ける戦闘経過 の概要及下したる命令竝理由
下達法
聯隊長
命令受領者 ヲ集 メ口達筆記
但第 一大隊 ハ 到着後大隊長 ニ□達
牟 田口大 佐
当時蘆溝橋 城内 の支那軍は白旗 を掲げあらず我第 一線 に対し時 時城壁上 より射撃 す
城内支那側と の交渉 は蘆溝橋駅にあ る平漢鉄路 の路警を使用 し 文書 を遞送 せしめたり
一 聯隊長は森 田中佐を伴 ひ平漢線 に沿ひ蘆溝橋鉄道橋 に至り第
二 第 三大隊 は聯隊命令 に従ひ転進す る為昼間死傷者 の収容を実
予 ハ蕨 溝橋 駅 ニアリ
無 線 班 ハ停 車 場 附 近 ニ通信 所 ヲ開 設 ス へシ
旅作命甲第 一号 旅 団 命 令 一敵 情 ハ貴 官 ノ知 ル如 シ
旅団 ハ歩 兵第 一聯 隊 ノ主 力 及機 械 化 部 隊 ヲ確 実 ニ掌 握 シタ ル
ヘシ
聯 隊 長 ニ ハ電 話 口達
予 ハ暫 ク現在 地 ニ在 リ
下達法
河
邊
機 械 化 部隊 ニ ハ通 州 特務 機 関 ヲ経 テ電 話伝 達
旅団 長
少
将
機 械 化 部 隊 ハ通 州到 著 後 ハ北平 南 側 ヲ経 テ豊 台 ニ向 ヒ前進 ス
死傷 者 ノ収 容 櫻井 少佐 寺 平 大尉 ノ救 出 ニ努 ム へシ
歩 兵 第 一聯 隊 ハ極 力蘆 溝 橋附 近 ニ其 ノ兵 力 ヲ集 結 スルト 共 ニ
時 機 ヲ以 テ蘆 溝橋 ノ攻 繋 ヲ開 始 ス
二
三
四
五
七月八日午後 四時三十分 於 豊 憂 兵 営
三 午後六時三十分 左記旅団命令 を受領す
待 つの已むなき に至 れり
施せんとせしも蘆溝橋 ﹁中 ノ島﹂ の敵 より猛射を受 け遂 に薄暮 を
一線 を視察 したる後蘆溝橋停車場 (蘆溝橋東北方約 七百米) に於
七月八日午後四時十分 於蘆 溝 橋 停 車 場
て左記聯隊命令 を下達す 歩 一作命令第 一号 聯隊 命令
聯 隊 ハ第 一大 隊 主 力 ノ 一文 字 山 附 近 到著 ヲ待 チ主 力 ヲ以 テ蘆
一 第 三 大 隊及 歩 兵 砲 隊 ハ自 今 聯 隊長 之 ヲ指 揮 ス 二
ヲ開 始 シ龍 王廟 北 方 ニ於 テ永 定 河 ヲ渡 河 シ概 シテ平 漢 鉄 道 停 車
第 三大 隊 (大隊 砲 一小 隊 ヲ属 ス) ハ午後 六時 現在 地 ヨリ転 進
溝 橋 東 北 角 ニ向 ヒ攻 撃 セ ント ス 三
場 西 方 ﹁シグ ナ ル﹂ ヲ中央 ト シ政 撃準 備 ノ位 置 ヲ占 ム ヘシ 第 一大 隊 (大隊 砲 一小 隊 ヲ属 ス) ハ 一文 字 山 ニ攻 撃 ヲ準 備 ス
攻 撃 前 進 ノ時 機 ハ別命 ス
四
五
歩 兵 砲 隊 ハ第 三大 隊 ノ転 進 ヲ掩 護 シタ ル後 大 瓦窖 (蘆溝 橋 停
ヘシ
六
車 場 北 方 約 四 百米 ) 西 南端 附 近 ニ陣 地 ヲ占 領 シ主攻 撃 点 ニ対 シ
七
射 撃 ヲ準 備 ス ヘシ
八
歩 一作命第二号
四 右命令 に基 き左記聯隊命令を下達す 七月八日午後 七時 聯 隊 命 令 於蘆 溝 橋 駅 一 旅 団 ハ我聯 隊 主 力及 機 械 化 部 隊 ヲ確 実 ニ掌 握 シタ ル時 機 ヲ利
第 三大 隊 ハ歩 一作 命 第 一号 ニ依 リ 一部 ヲ現在 地 ニ残 置 シ主 力
ント ス
聯 隊 ハ主 力 ヲ蘆溝 橋 停 車 場附 近 ニ集 結 シ爾 後 ノ攻撃 ヲ準 備 セ
用 シ蘆溝 橋 攻 撃 ヲ開 始 ス 二
三
ノ転 進 ヲ掩護 シ且死 傷 者 ノ収 容 ニ任 セ シメ主 力 ヲ以 テ龍 王廟 附
歩 兵砲 隊 ハ大 隊 砲各 一小 隊 ヲ両大 隊 ニ配属 ス ル予 定 ナ ルヲ以
第 一大 隊 ハ 一文 字 山東 側 地 区 ニ兵 力 ヲ集結 ス へシ
ス
爾 後蘆 溝橋 ニ対 スル薄 暮 攻 撃 ヲ顧 慮 シ其 ノ行 動 迅 速 ナ ル ヲ要
近 ニ於 テ永 定河 ヲ渡 河 シ大 瓦窯 附 近 ニ兵 力 ヲ集 結 ス ヘシ
四 五
テ 大瓦窖 及 一文字 山 ニ陣 地 ヲ準 備 シ聯 隊 砲 ハ大 瓦窯 附 近 ニ於 テ
通 信 班 ハ大 瓦窟 及 一文 字 山聯 隊 本 部 間 ノ通 信 連 絡 ニ任 ス へシ
爾 後 ノ攻 撃 ヲ準備 ス ヘシ 六
牟 田 口 大 佐
予 ハ蘆溝 橋竝停 車 場 ニ在 リ
命 令 受 領 者 ヲ集 メ 口達 筆 記
聯 隊長
七
下達法
附 歩 一作 命第 一号 実 行 ニ先 チ旅 団命 令 ニ基 キ同第 二号 ヲ下達 セ ル
午 後 七時 旅 団 長戦 場 に到 著 せ ら る聯 隊 長 は現 在 迄 の概 要竝 爾
ヲ以 テ実 施 二際 シ何等 支 障 ヲ来 サ サ リ キ 五
後 の攻撃 の為主力を蘆溝橋停車場附 近に集結すべく命じたる旨を
夕刻蘆溝橋城内 の敵 は迫撃砲を以 て我歩兵砲陣地を射撃 せる
報告し是 認せら る次で親しく戦場 を視察 せらる
を以 て之 が制圧 の為城壁 に対し歩兵砲 を以 て射撃 を開始せしめた
六
るが暫時 にし て敵 を沈黙 せしめたり 旅作命甲第 二号
七 午後九時二十分左記旅団命令 を受領す
七月八日午後九時 二十分 旅 団 命 令 於 豊 憂 溝 橋 ヲ占 領 セ ル敵 ハ尚 頑 強 ニ抵 抗 シ ツ ツア リ西 苑 附 近 ニ於
旅 団 ハ蘆溝 橋 停車 場 附 近 ニ兵力 ヲ集 結 シ明 天明 ノ攻撃 ヲ準 備
ケ ル敵 部隊 ノ 一部 ハ八寳 山 附 近 ニ進 出 セ ル モノ ノ如 シ
一蘆
二
歩 兵 第 一聯 隊 ( 第 二大 隊 ヲ欠 キ旅 団 無 線 一分隊 ヲ附 ス) ハ永
セ ント ス
河
邊
少
将
歩 兵 第 一聯 隊 第 二大隊 主 力 及 工 兵 小隊 機 械 化部 隊 ハ旅 団 予備
通州 ニ大 休 止 ノ後 午 前 四時 迄 ニ出 発 準 備 ニア ル ヘシ
機 械 化 部隊 (第 一聯 隊第 二大 隊 主 力 及 工兵 一小 隊 欠) ハ本 夜
ス へシ
ルト共 ニ主 力 ヲ蘆溝 橋 停 車場 附 近 ニ集 結 シ明 天 明 ノ攻撃 ヲ準 備
定 河右岸 ノ部 隊 ヲ左岸 ニ移動 シ 一部 ヲ以 テ鉄 道 橋 東 側 ヲ確 保 ス
三
四
五
ト ス豊臺 ニ位 置 ス へシ
予 ハ豊 壷 ニ在 リ明 払暁盧 溝 橋 ニ至 ル
旅 団 長
六
右命 令 に基 き 左記 聯 隊 命 令 を 下達 す 歩 一作 命 第 三 号
八
記
聯 隊 命 令 一 旅 団 ハ明 九 日天 明 ヲ期 シ攻 撃 ス
七月八日午後十時三十分 於蘆 溝 橋 停 車 場
聯 隊 ハ明 天明 ヲ期 シ歩 兵 砲 隊 ノ集 中射 撃 ヲ利 用 シ主 力 ヲ以 テ
第三大隊 ( 歩 兵 一小隊 欠大 隊 砲 一小 隊 ヲ附 ス) ハ概 シ テ長 豊
蘆 溝 橋 城 壁 東 北角 ニ向 ヒ攻 撃 セ ント ス
二
三
も無 く 第 三大 隊 長 来 り無事 集 結 終 れ る報 に接 し 一同 何事 な らん と
一犬 虚 に吠 え て 万犬 之 に倣 ふ の類 な るべ し と語 り支 那 軍 の無 能 振
怪 しむ 恐 ら く支 那 軍 が日本 軍 の夜 襲 を 恐 る る の余 り射撃 を開 始 し
り を目 の辺 り実 見 し 志 気更 に旺 盛 な る を 覚 え た り
後 日 支那 軍 の命 令 を 見 る に長 辛 店 永定 河右 岸 及 衙 門 口附 近 一
は我 聯 隊 は支 那 軍 よ り夜 間攻 撃 を受 け た る こと に なり 居 る な ら
帯 に亘 り夜 間 日本 軍 を 攻撃 す べき 旨 命令 し あ り支 那 側 の報 告 に
第 一大 隊 は酷 暑 を冒 し て強 行 軍 を続 け 北 平南 方 地区 を 通過 し
ん も笑 止 な り
支 線 ニ沿 ヒ蘆溝 橋 城 壁 ニ対 シ明 九 日 午前 二時 迄 ニ攻 撃 ヲ準 備 ス
十
へシ 一部 ヲ以 テ鉄道 橋 東 側附 近 ヲ占 領 シ右側 ヲ警 戒 ス へシ
全員 旺 盛 な る 志気 を 以 て午 後 十 一時 十 分 一文 字山 高 地 に到着 す 朝
来其 の到 著 を 渇望 せ し第 一大 隊 を掌 握 す るを 得聯 隊 長 喜 び 極 み な
し第 三大 隊 も 亦 死傷 者 の収 容 を完 了 し相 前 後 し て所 命 の地 点 に集
七 ) に就 き 夫 々天明 攻 撃 の準 備中 北 平 特 務 機 関 よ り蘆 溝 橋 の支 那
結 を終 り前 記歩 一作 命 第 三 号命 令 に従 ひ所 命 の配 置 (別 紙 要 図第
軍 は午 前 四 時 撤 退す る如 く 協 定成 り た ると の通報 に接 す
通信 班 ハ両 大隊 旅 団 司 令部 ト聯 隊 本 部 間 ノ通 信 網 ヲ構 成 ス ヘ
午 前 二時 迄 ニ大瓦〓 西 南 側附 近 ニ攻 撃 ヲ準備 ス へシ
聯 隊 砲 中 隊 ハ主 ト シ テ第 三大 隊 ノ攻 撃 ニ協 カ ス ル如 ク明 九 日
高 地線 上 ニ主 ト シテ楼 門 ニ向 ヒ攻撃 ヲ準 備 ス へシ
第 一大 隊 ( 第 二中 隊 欠 大隊 砲 一小 隊 ヲ附 ス) ハ 一文 字 山 西 方
梯 子六 個 ヲ配 当 ス 四
五
六
十 一 午 前 三時 左記 旅 団 命 令 を受 領 せり
旅 団 命 令
旅作命甲第六号
シ
第 七中 隊 ノ 一小隊 ハ予 備隊 ト ス停 車 場 北側 ニ位置 ス へシ
三
二
歩 兵 第 一聯 隊 ( 第 二大 隊 欠) ハ 一部 ヲ以 テ 一文字 山 東 側 ニ主
ヲ監視 セ ント ス
旅 団 ハ蘆溝 橋 駅附 近 ニ兵 力 ヲ集 結 シ支 那 軍 ノ協 定履 行 ノ確 否
軍 ハ支 那 軍 ノ協 定 履 行 ト同時 ニ兵 力 ヲ集 結 ス
蘆 溝 橋 橋 梁 ヲ経 テ永 定 河 右 岸 地 区 ニ撤 退 スル コト ヲ確 約 セリ
一 支 那 第 二十 九軍 主 脳 部 ハ軍 ノ要 求 ヲ容 レ在蘆 溝橋 ノ支 那軍 ハ
七月九日午前三時 於 豊臺
五 号無 線 機 一基 ヲ附 ス 七
牟 田 口 大 佐
予 ハ蘆溝 橋停 車 場 ニ在 リ 聯 隊長
八
命 令受 領 者 ヲ集 メ口達 筆 記
午 後 十 一時稍 過 ぎ敵 は永 定 河 右 岸 一帯長 辛 店 高 地龍 王 廟 北 方
下達法 九
地 区及 八寶 山 方面 全 線 に亘 り依 然 各 種 火 器猛 烈 な る射 撃 を開 始 し 又時 々迫 撃 砲 の射 撃 を交 へ全 線 螢 の光 を見 る が如 き観 を呈 す 或 は 第 三大 隊 の転 進 を発 見 し 之 を射 撃 せ る にあ らず やと懸 念 せし が間
力 ヲ 以 テ蘆 溝橋 駅 附 近 ニ兵 カ ヲ集 結 ス へシ
我砲弾 の命中神 の如 きに驚 かしめたりと
中し屋根 三棟を続 け様 に破壊し営長之 が為 に負傷 し支那側をして
少
将
は命令 を遵守し微動 だもす ることなし
其 の結果旅団長 の命令 により砲撃中止を令す此 の間第 一線歩兵
を撤退せしむ るに付砲撃 を中止せられ度旨嘆願的 に交渉す
員を率 ひ蘆溝橋停車場 に来 り旅団長 に対し城内 の第 二十九軍部隊
十三 午前七時冀察顧問中島中佐第 二十九軍周参謀等支那側交渉
に落下 せるも のなるを天佑我 に在る こと正 に此 の如 し
何ぞ知 らん当初 の三発 は未だ砲 の位置確定せざ る為誤 りて城内
之 力実 施 ハ午 前 五時 打 方 止 メノ号 音 吹 奏 ニ依 リ開 始 ス ヘシ 各 部 隊 ハ之 力徹底 ヲ期 シ益々 警 戒 ヲ厳 ニス ヘ シ 支 那軍 撤 退 ニ際 シテ ハ対 敵 行動 及蘆 溝 橋 部落 へ兵 カ ヲ進 ム ル
邊
機 械 化 部 隊 ハ 一部 (歩 兵 隊 、 工 兵隊 ) ヲ以 テ豊臺 ニ主 力 ヲ 以
コト ヲ厳 禁 ス
予 ハ今 ヨリ蘆溝 橋 ニ至 ル
テ 通 州 ニ集 結 シ後 命 ヲ待 ツ ヘシ
四
五
六 河
十四 午前七時 五十分停車場東方に於 て銃声 あり調査する に保安
旅 団 長
電 話 ヲ以 テ要 旨 ヲ伝 へ後 印刷 セ ルモ ノ ヲ配 布 ス
下達 法
約 束 を履 行 す べき 前提 の下 に下 さ れ た る命 令 な るべ し我 は自衛 の
に傷 者 を生 ず る に至 る 支那 軍 の不 信 此 の如 く軍 の命 令 は支 那 軍 は
結して我軍 の許可を待 たしむ
隊は蘆溝橋城入城 の為 のも のなるを知 り交戦を中 止せしめ之を集
任ず る ことに軍司令部 に於 て交渉成立 せる旨 の通報 あり前記保安
永定河右岸 に撤退せしめ其交代として保安隊を入れ該地 の治安 に
約三十分 の後蘆溝橋城内 に在る櫻井少佐より蘆溝橋 の支那兵 は
て之に対 せしむ
隊 の服装 を為したる者約 二百名我 に対 し射撃中なり依 て 一部を以
而 る に支 那 軍 は午 前 四時 に至 る も撤 退 の模 様 な き の みな ら
依 て聯 隊 は現 在 の態 勢 を以 て支 那 軍 の協 定 履 行 の確 否 を監視 す 十二
為 敵 を 制圧 す るは 此 際 当然 の こと な るべ し と意 見 を具 申 す 旅 団長
ず 益々 戦 備 を整 へ而 かも迫 撃 砲 を 以 て我 第 一線 を 射 撃 し我 れは 為
は熟 考 を重 ね遂 に我 が歩 兵 砲 を以 てす る射 撃 を許 可 せ ら る於 是 我
十五 午前九時三十分中島顧問より旅団長 に申出 あり
一 鉄橋附近 に日本軍あ る為蘆溝橋 の支那軍 は恐怖 の為撤退す
聯 大 隊 砲全 部 に対 し 射 撃 を命 ず
る能 はず
砲 弾 は当 初 の数 発 城 内 に落 下 せし 外東 門 城 壁東 北角 西 北 角 に命
二 荷物等 の整理もあり午前十時 三十分迄余裕 を与 へられ度
十六 午前十時三十分中島顧問帰来 し ﹁支那軍 は撤退を開始 せり
めたり
旅団長 は右希望 を容認 せら る依て第三大隊 を大瓦窯 に集結 せし
中 し 当時 櫻 井 少 佐 は 当 城内 に在 り 之 に危 害 を及 ぼさ ざ る為 城壁 の
彼 我 の銃 砲 声 股 々と し て黒烟 城 壁 を覆 ひ壮 烈 を極 む
敵 を射 撃 せ しむ
附 記 後日櫻井少佐 より承知す る所 によれば当初 の三発は縣政府 に命
支 那 軍 の死傷 百 名 あ り﹂ と 通報 す 以 上 の経 緯 に依 り左 の命令 を下 達 す
聯 隊 命 令
歩 一作 命 第 四 号 七月九日午前十時 三十分 於蘆 溝 橋 駅
一 第 一大隊 ハ一部 ヲ現在 地 ニ残置 シ主力ヲ西五里店、東 五里店 ノ地区 ニ集結 ス へシ大隊砲 ノ配属 ヲ解 ク
聯隊長 牟 田 口 大 佐
二 歩 兵砲隊 (第 一大隊配属大隊砲 小隊復帰) ハ西五里店 ノ地区 ニ集結 スヘシ 下達 法 命令受領者 ニロ達 午後零時 二十分支那側委員 と旅団長と の折衝 に依り次の如
注意 保安隊 ハ交渉中 ニ付尚監視 スへシ 十七 く協定 せられたり 一 城内 の支那軍は 一小隊を残置 し他 は全部永定河右岸 へ撤退 す 二 保安隊 は兵力 を五十名小銃武装 とし弾薬三十発携行 とす 三 旅 団長 は支那軍 の協定確 守を実視する為蘆溝橋城内 を 一巡 す 但 更に交渉あり弾薬三十発 は五十発とし旅団長 の実視 は取止 む 十八 午後 二時 四十分予て機械化部隊として通州を経て前進 せし 第二大隊 (第五中隊 (一小隊 欠)第 四中隊及機関銃 二小隊欠 )は 歩 一作命第五号
豊台 に到著せり依て取敢ず左記要旨命令を下達 せり
聯 隊 命 令 視 ニ任 スヘシ
七月九日午後 三時四十分 於蘆 溝 橋 駅
一 筒井 少佐 ノ指揮 スル部隊 ハ食後 一文字山 ヲ占領 シ支那軍 ノ監
二 九日タ食 ノ給養 ハ第三大隊 ニテ行 ハシム 通信班 ハ豊憂︱
聯隊長
牟 田 口大 佐
一文字山間 ノ有線及無線連絡 ニ任 スへシ
三 午後 四時天幕及宿 営材料 ヲ交付 ス 四
下達法 命令受領者 ニ口達 旅作命甲第七号
十九 下達終 るや続 て午後 四時左記旅団命令を受領
七月九日午後 三時四十分 旅 団 命 令 於蘆 溝 橋 駅 一蘆 溝 橋 ヲ占 領 セ ル敵 部 隊 ハ永 定 河右 岸 ニ撤 退 セリ
旅 団 ハ 一部 ヲ以 テ蘆 溝 橋 ヲ監 視 シ主 力 ヲ原 駐屯 配 置 ニ復 セ ン
軍 ハ先 ツ目 的 ヲ達 シ タ ルヲ以 テ原駐 屯 配 置 ニ復 ス
トス
二
支 那 駐 屯 歩 兵 第 一聯 隊 (東 機 局部 隊 ヲ除 ク) ハ成 ル へク速 ニ
戦 場 掃 除 ヲ ナ シ タ ル後 適 宜 原 駐屯 配 置 ニ復 ス へシ
三
又約 二中 隊 ヲ 一文 字 山 附 近 ニ位 置 シ蘆 溝橋 ニ於 ケ ル支 那軍 ノ
旅 団 ニ於 テ準 備 ス ル列 車 及自 動 貨 車 ヲ利 用 ス ル コト ヲ得
特 ニ 一兵 タリ ト雖蘆 溝 橋部 落 ニ入 ル ヲ許 サ ス
協 定 履 行 ヲ監 視 ス へシ
之 力為 所要 ノ露 営 材 料 ハ後 刻 豊 台 兵 営 ニ於 テ交 付 ス
機械 化 部 隊 (歩 兵 第 一聯隊 第 二大 隊 及 工兵 一小 隊 欠 ) ハ爾 今
軍 ノ直 轄 ト シ通州 ニ位 置 ス へシ
四
命令受領者 ヲ集 メ口達筆記 セシム
工兵小隊 ハ可成速 ニ通州 ヨリ列車 ニ依 リ天津 ニ帰還 スへシ
二十 午後 五時三十分頃第 二大隊 (第五中隊 (一小隊欠)第四中
候
状況
第四 戦 闘 に影響 を及 ぼせし天候気象及戦闘 地の
月
薄
齢
暮
日没時刻
日出時刻
二 気
自午後 七時 三十分 至午後九時〇分 旧六 月 一日 (暗夜 )
午後 七時 三十分
午前 四時 四十 二分
象
散兵壕 に水溜 り且土地粘 り戦闘行動稍々困難 を感ず
所 なく浸透 せり
く通視 を許 さざるに至 る九 日午前五時頃 より降雨 あり て被服等余す
七月八日は晴天 にして気温百度暑気烈しく夜間 は暗夜 にし て月な
一 天
第 八 の如し
斯 くし て本夜は聯 隊主力 は豊臺兵営 に宿営 せり当時 の配備要 図
各部隊 は昨日来 の戦闘 と降雨 との為疲労大 なり
る後豊臺 に向 へり
聯隊長 は旅団長と共 に 一文字山附近第二大隊 の配備 を巡視した
各 々豊臺 に帰還す
第 三大隊 も午後七時頃迄 に戦場掃除を完了し両大隊及歩兵砲は
午後 六時第 一大隊は第 二大隊 と 一文字山附 近 の陣 地を交代す
に到る
下達法
五
隊 及機関銃 二小隊欠)は自動車 に依 り蘆溝橋 駅 に到著 し 一文字山
将
其他ノ部隊 ハ軍命令 ニ依リ行動 スヘシ 少
六 河 邊
予 ハ蘆溝橋監視部隊 ノ配備 ヲ視 タ ル後北平旅団司令部 ニ移 ル 旅団長
七 下達法 右命令 に基 き左記聯隊命令を下達す 歩 一作命第 六号 七月九日午 後四時〇五分 聯 隊 命 令 於蘆 溝 橋 駅 溝橋 ヲ占 領 セ ル敵 部 隊 ハ永 定 河右 岸 ニ撤 退 セ リ
聯 隊 ハ 一部 ヲ以 テ 一文 字山 附 近 ニ位 置 シ主 カ ヲ以 テ適 宜 原 駐
軍 ハ 一先 ツ目 的 ヲ達 シ タ ル ヲ以 テ原 駐 屯 配 置 ニ復 ス
一蘆
二 屯 配 備 ニ復 セ ント ス
筒 井 少 佐 ノ指 揮 ス ル部 隊 ハ現 在 第 一大 隊 ノ占 領 セ ル 一文 字 山
牟 田 口大佐
第 一大 隊 及豊台口部隊 ハ適 宜 原 駐 屯 配 置 ニ復 ス へシ
ニ於 テ筒 井 部隊 ニ交 付 ス へシ
第 三大 隊 ハ豊 台 駅 ニ於 テ軍 ヨリ右 材 料 ノ交 付 ヲ受 ケ 一文 字 山
所 要 ノ天 幕 其 他露 営 材 料 ハ後 刻 交 付 ス
特ニ一 兵 タ リト雖蘆 溝 橋 部 落 内 ニ入 ルヲ許 サ ス
附 近 ニ位 置 シ支 那 軍 ノ協 定 履 行 ヲ監 視 ス へシ
三
四
聯隊長
五 予 ハ筒井部隊 ノ配備完了後北平 ニ移 ル
軍 の威信 を保持 し事件 を小範囲 に局限 し共 の解決を迅速 ならしむる
の余裕 を与 へざ ること絶対必要 にして又此 の如くする ことに依 り皇
高粱繁茂期 なるも蘆溝橋東 北側 地区 は高粱なく荒蕪 地若は落花生 が如し
所以なるを痛感 し又部下 にも予 て注意す る所 ありしは前 に述 べたる
三 戦闘地 の状態 の畑 にし て 一般 に開豁しあり但所 々に高 さ 一米内外 の小楊柳 の繁茂
受けた る聯隊 長をし て確信 を以 て支那側 に対す る態度 を決定し又豊
以上 の体験 及準備 は事件勃発当初豊台駐屯隊長 より適時 に報 告を
せる堤防ありて遮蔽 に便なり 第 五 交戦せし彼 我 の兵力、団隊号及損害 の状態
しめ たる有 力なる素 因を為 しあるも のと信ず
台駐屯隊長 の果敢勇 猛なる決意 と適切機 敏なる行動 とを採 るを得せ
一 日本軍兵力 聯隊本部第 一大隊 (九日 のみ)第 三大隊
森 田中佐が北平警 備司令官代理 たる聯隊長より現地 の調査竝責任
が龍王廟 の敵 に対し攻撃 せんとせし動作 は共 に適 切なり
二 当初森 田中佐 が 一文字山 に於 て歩兵砲 の射撃 を許 さず又大隊長
歩兵砲隊 (聯隊砲 四門、大隊砲 四門) 二 支那軍 の兵力及団隊号
者 に対し謝 罪を要 求すべき命 を受け午前四時北平聯隊本部を出発し
第 二十九軍第三十 七師第百十旅第 二百十九団 の二個大隊約八百名 三 彼我 の損害 十 一名
確む る為射撃 を命じたり茲 に於 て中佐は射繋を許 さず蓋 し中佐 が出
に陣 地を占領 しあり之 に対し 一木大隊長は龍王廟附 近に敵 の存否を
午前 四時四十五分 一文字山 に至 りし際出動部隊 の歩兵砲 は 一文字山
迫撃砲数門を有す
戦死者
七月八日及九日 の戦闘 に於 ける我損害 左の如し 三十六名
る以前 にし て飽く迄も慎 重を期 せんとす る聯隊長 の意図 を奉 したる
発 せし時 は聯隊長 が第三大隊長 に対し戦闘開始 に関 し指示を与 へた
戦傷者
敵軍 の損害は龍王廟南側附近及鉄道橋附近 に遺棄せる死体約 三十
而 して此事 たる事後 の結果 に徴 するに支那軍 の不法 を宣明 し我軍
処置 にして蓋 し至当 のことなり
なり其他中島顧問 の書 に依れば城内 に於 ける支那軍 の死傷百名 なり と尚後 日長辛店方面に出し たる密偵 の報告に依 るに七月八日九日両
踏まざる観 あるも緊迫 せる情況下 に於 て先づ射撃開始 を待 たしめ大
の立場 を有利 ならしむ るに甚大 の効果 を齎したり、 一見命令系統 を
隊長 をして再 考せしめんとす る臨機 の処置 にして止むを得ざる処 な
第六 参考 とな るべき所 見
日 の戦闘 の結果長辛店附近 に運搬 せられたる死体 は百以上なりと 一 昨年九月十八日に於け る豊台事件 の体験 は今次事変勃発時 に於
又 一木大隊長 が八日午前 四時 二十分聯 隊長 より敵 が再度 に亘り我
り
ける部隊 の行動及聯隊長 の決心 に重大な る素因 を為 せり 苟も皇軍侮辱 の行動 を敢 てす るに於 ては断乎之 に膺懲を加 へ彼等 の侮日抗 日観念 に 一撃を加 へ彼等 の常套手段たる不信行為を策 する
時 恰 も中 隊 教 練 検 閲 直 前 (七 月 九 日 よ り中 隊 教 練 検 閲 を開 始 する
し 又 夜 間行 動 熟 達 せ り
て可な る旨 の指示 を受け更 に第二十九軍顧問 たる櫻井少佐より ﹁馮
予 定 な り) にて中 隊 訓 練 も最 高 潮 に達 し中 隊 団 結 の基 礎 確 立 し あり
に対し発砲するは我 に敵 対す るの意明なるを以て断乎戦闘を開始し 治安は自分 の部下 は蘆溝橋城外 には絶 対 に駐 らず城外 に居るも のは
壁 よ り熾 烈 な る側 防 火 を冒 し而 も 死傷 者 を収 容 し処 によ り て は深さ
支那軍 には非ず匪賊 ならんと言明 せる﹂旨 を承知 し龍王廟附近 の敵 砲をし て先 づ射撃す るも支那軍は後 日に於 て何等異議 を挾む の理由
胸 を 没 す る永 定 河 の濁 流 を 渡 り 夜 闇 を冒 し斉 整 に集 結 せ し は幹 部以
より蘆 溝橋 停 車 場 附 近 に集 結 を 命 ぜ ら る る や当 時 中 ノ島 及蘆 溝 橋城
なしと断じ且大隊長 は昨年 の豊台事件 の体験支那軍 の平素 に於 ける
下 の勇 敢 に因 る こと 固 よ り な り と雖 平 時 訓 練 の結 果 に依 る こ と多き
し 時 期 にて平 時 訓 練 の結 果 を如 実 に顕 現 せ り第 三大 隊 が永 定 河 右岸
侮日的態度竝今 日迄 の凡有ゆる日支 の外交交渉 に鑑 み之 に断乎 一撃
を信 ず
は匪賊とせば之 に対し其存否を確むる為威 力偵察 の目的 を以 て歩 兵
を加 へざれば爾後 の交渉を有利に導 くを得ず又侮 日観念 を矯正す る
四
永 定 河 右 岸 一帯 楊 樹繁 茂 し あ る を以 て蔭 蔽転 進 容 易 な る べし との
永 定 河 右 岸 よ り の転 進 をタ 刻 命 じ た るも 実 行 困難 にし て夜 に入
の必要 なるを認めた る結果 にして其決心亦極め て至当なりと思惟す
を得ず速 に龍 王廟 の敵を攻撃し其蘆溝橋城内退避前 に膺懲を加 ふる
り斉 整 に実 行 せら れ た り
見 地 の下 に之 が実 行 を命 じ た る も楊 樹 な き 地 区 に多 数 の死 傷 者 あり
而 も森 田中佐 の注意 に従 ひ攻撃 を中 止し敵情 を監視中 更 に龍王廟 よ り射撃 を受け茲 に愈 々支那軍 の不法 を確実 にし我軍 の公正な る態度
し を以 て第 一線 中 隊 は之 が収 容 に苦 心 し結 局夜 に 入 る を待 つ の已む
録
と相対照し て之を天下 に宣明す るを得せしめたるは忍 ぶ可き に忍び
功
な き状 態 と な れ り然 れ共 夜 に入 る や極 め て斉 整 に実 行 せら れ た り
武
一 特種功績部隊
)
状 況 ニ処 シテ秩 序 整 然 タ リ真 ニ平 素 ノ演 習 ニ異 ナ ラ ス如 斯 ハ軍 紀 厳
寸毫 モ犯 ス所 ナ シ其 進 ム ヤ疾 風 迅 雷 敵 ノ心 胆 ヲ寒 カラ シメ惨 烈 ナ ル
存 ス然 ル ニ此 間 ニ処 シ豊 台 部隊 ノ動 作 ハ進 止克 ク指 揮 官 ノ命 ニ従 ヒ
交的 折 衝 ノ畢 肘 ヲ受 ケ 純 然 タ ル作 戦 本 位 ニ戦 闘 ヲ指 導 シ得 サ リ シ ニ
本 戦 闘 ノ特 質 ハ全 ク平 時 状 態 ヨリ突 発 的 ニ戦 闘 ニ移 レ ルト幾 多 外
豊臺 駐屯隊 歩 兵砲隊
撃 つべきに撃 ちて進止 を明瞭 にし而 も起 つや疾風迅雷支那軍を撃 破 し克 く皇軍 の武威 を宣揚し て余す所 なく第 一線部隊 の面目躍如 たら しめたり 蓋 し平素 の修養訓練 の成果相俟ちた る結 果 に外ならず と確信す 三 平時訓練 の結果 を如実 に顕現せり 昨年五月聯隊創設 に方り聯隊長 は吾人 の演習場 は即ち吾 人の戦場 なり故 に 一木 一草と雖看過すべからず又極 めて寡弱なる我兵力 を以 て極め て優勢 な る支 那軍に対す る為 には夜間戦闘 に依 らざ るべから ざ る所以を訓 示し爾来平素 の視察 に又検閲 に之 を強調 し聯隊全将兵 之 が訓練 に精進 せり之 を以 て駐屯地附 近 の地形を 一兵 に至 る迄暗識
正 訓 練 精 到 ノ致 ス所 ニ シテ 又形 而 上 下 ニ亘 ル応 急 準 備 力 一兵 ニ至 ル
少 佐
一
木
清
直
ニ於 テ克 ク支 那 軍 ノ不 法 ヲ膺 懲 シ我武 威 ヲ発 揚 シ テ先 制 ノ利 ヲ収 メ
迄 徹 底 シ且完 整 セ シ ニ因 ラ ス ン ハ非 ス戦 闘 ノ結 果 ハ事 変勃 発 ノ当 初
而 モ我公 正 ナ ル態 度 ヲ中 外 ニ表 明 セリ
特 種 功 績者
其 功 績 ハ卓抜 ナ リ ト認 ム 二 第 三 大 隊長
聯 隊 附 中 佐
森
田
徹
右 ハ聯 隊 長 ノ旨 ヲ承 ケ蘆 溝 橋 ニ臨 ムヤ外 交 交 渉 ヲ有 利 ナ ラ シメ ン
カ為部 隊 ヲ適 切 ニ指 導 シ 一部 ヲ蘆 溝 橋 城 内 一 一入 レ主 力 ヲ集 結 セン ト
セ シ モ既 ニ状 況 ハ切迫 シ豊臺 部 隊 ハ再 度 支 那 軍 ノ不 法 射撃 ヲ受 ケ タ
ル為 敢然 攻 撃 ス ルヤ之 ヲ是 認 シ当時 同 行 シ タ ル支 那要 人 我 特務 機 関
右 ハ戦 闘 ト平 和 ト ノ分 岐 点 ニ シテ最 困 難 ナ ル状 況 ニ於 テ爾 後 ノ外
員 等 ニ支 那 兵 ノ不 法 ト 我 軍 ノ公 正 ナ ル態 度 ト ヲ理解 セ シメ タ リ
交 交 渉竝 我 対外 関 係 ヲ有 利 ナ ラ シメ而 モ豊臺 部 隊 ノ戦機 ヲ過 マタ シ
右 ハ豊臺 駐 屯 隊 長 ト シテ全 賞 任 ヲ負 ヒテ事 件 勃 発 ニ処 シ テ機宜 ヲ 過 タ ス外交 的 折 衝 ノ為 種 々掣肘 ヲ受 ケ タ ル ニ拘 ラ ス支 那 軍 ノ不法 ニ
メ サリ シ モノ ナ リ
其 功績 ハ武 功 抜 群 ノ モ ノト認 ム
対 シ膺 懲 ニ決 ス ル ヤ果 敢 断 行 克 ク分 屯 隊 長 ト シテ面 目 ヲ発 揮 シ豊 台
河 野 又 四 郎
駐 屯 隊 ヲ指 揮 シテ勇戦 奮 闘 シ皇 軍 ノ威 武 ヲ発揚 セリ 其 功績 ハ武 功抜 群 ノ モノ ト認 ム
聯 隊 副 官 少佐
本 事変 当 初 ノ特 性 ハ突 発 的 ニ発 生 セ ル事 件 ニ対 シ如 何 ニ之 ヲ処 理 ス ヘキ カ ノ勇 断 ニ存 シタ リ 当 時 北平 警 備 司令 官 河邊 少 将 ハ検 閲 視察 ノ為 出 張 不 在 中 ナ リ シ為
折 衝諸 外国 護 衛 隊 ニ対 ス ル処 置 我 居 留 民 義勇 隊 ニ対 スル指 示 、在 平
聯 隊 長之 ヲ代 理 シ アリ 少佐 ハ聯 隊 副 官 ト シテ軍 ト ノ連 絡 支 那 側 ト ノ
ヲ輔 ケ テ遺 憾 ナ シ為之 聯 隊 長 ハ種 々外 交 的掣 肘 ヲ受 ケ タ ル モ遂 ニ断
部 隊 ノ出 動 準 備 豊 台部 隊 卜 ノ電 話 連 絡 等 ニ任 シ倥 偬 ノ間 克 ク聯隊 長
乎 ト シテ戦 闘 開 始 ニ関 シ豊 皇 部 隊 長 ニ明確 ナ ル指 示 ヲ与 へ以 テ機 宜
其 功 績 ハ武 功 抜 群 ノ モノ ト認 ム
ヲ過 タ ス警 備 司 令 官 ト シテ ノ職 務 ヲ遂 行 ス ルヲ得 タ リ
団
隊
戦
分
闘
詳
報
第
二
馬
号 附
匹 将
戦 闘 参 加 人 馬 准 尉 将 校 下士官 兵
表
死 准 尉 校 下士官 兵
馬
二
二
匹
自 七月八日 昭 和 十 二年 支 那 駐 屯 牟 田 口 部 隊 死 傷 表 至 七月 九 日 区
号 六 (二)
一九 (四 )
部
隊
本
聯
直 助 郎 七 助
一 一
一
一一 二 五八 ( 一) (二 )
一〇
隊
一
大
第
九
大 一四 四 ( 一)
一二 四九 〇 一〇 (三 ) (五 ) (一〇 )
三 三
隊
第 隊
一
砲
二七
兵
三二 九 一一 四七 (六 ) (一二 ) ( 一〇 )
一 木 清 会 田 庄 之 川 村 淳 二 野 地 伊 松 井 元 之
一、 本 表 中 ( ) 内 非 戦 闘員 、馬 匹 を 示す 本 表 外 軽 傷 にし て尚 隊 中 に在 る者 兵 一 生死 不 明 中 戦 死 と 推 定 し得 る者 兵 一
歩
備
考
二 、 将校 の負 傷 者 左 の如 し 第 三大 隊 長 陸 軍 歩 兵 少 佐 第 九 中 隊 陸 軍歩 兵中 尉 歩 兵 砲 隊 陸 軍 歩 兵 中 尉 第 八 中 隊 陸 軍 歩 兵 少 尉 第 三 中 隊 陸 軍 歩 兵 少尉
傷 准 尉 将 校 下士官 兵
二 八
一
三
二
一
一
五
馬
生
死
不
准 尉 匹 将 校 下士官 兵
一一
一一
馬
明
匹
計 三
区
種
数
分 将
類
戦
俘
校
闘 詳
報
第
匹
虜 准 尉 下士官 馬 兵
二 号
一〇
銃
附
一
表 獲 表
小 銃 実 包 刀 二 三 八
モ ーゼ ル拳 銃
戦
自七月八日 昭和十二年 支 那 駐 屯 牟 田 口 部 隊鹵 至 七 月 九 日
員
備
考
帯 銃
一
利
剣 外
八
一八
品
チ エツ
機 関 銃
套 青龍刀 ク式 軽
七 三
同 実
七〇
モ ーゼ 上 包 ル拳 銃 実包
三 六 〇
〇 七
隊
戦
闘 詳
報
第
二 号
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費
31
附 表
48
31 48
銃
拳
薬 機
弾 軽
8︹マ ︹︺ マ
八 九 式 榴 弾
0 4 3
340
弾
榴
武
( 一)
1
( 一
1
銃
小
銃
関
機
軽
損
機 関
器
弾
軽
共他
小
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失
小
薬
機
円
字
十
軽 機 空 包 銃 身
関
鍬
銃
関
機
匙
2
銃
6
2
銃
3 4
6
剣
2
3 4
小
銃
2
銃
自 七月八日 昭 和 十 二年 支 那 駐屯 牟 田 口部 隊 武 器 弾 薬 損 耗 表 至 七 月九 日
種 類 区
機 銃
分 銃 0 6
関
0 6
号 7 9 1 0 7 6 3
一 大 隊
第 2 4 9 4
0 3 7 3
0 5 1 5
2 0 0 5
第 三 大 隊
7 4 3 5
一、 本 表 中 ( ) は毀 損 を示 す
計
歩 兵 砲 隊
備 考
8
第 六篇
第 一目
事態悪化 に備 ふる兵力配備
増援兵力 の待機竝 に進出 甲支出兵 の決定
第二項
事態 の逼迫と上海 青島出兵 に関す る軍令部参謀本
中支派遣準備 に関 する軍令部海軍省 に対する申 入
上海情勢 の緊迫
の発令
上海 日支交戦 の必至態勢と上海確保 に関す る大海令
上海確保 に関す る大海令 の発令
第 二節
第四項 軍令部総長海軍大臣 の談合
第三項 軍令部海軍省間 の折 衝
部間 の連絡
第 一項
第 一節 中支出兵 に対する海軍中央部 に於け る意見 の齟齬
第三章
第 二目
二 ︹ 中 支 出 兵 の 決 定 ︺( 大東亜戦争海軍戦史本紀卷一 )
目次 事態全支拡大
第 一章 中支情勢 の逼迫
大山事件 の勃発時 に於 ける第 三艦隊司令長官 の処
大山事 件
第 一節 宮 崎 事 件 第 二節 第 一項 置 大山事件 の処理
北支全面作戦展開後 に於ける第 三艦隊 に対す る海軍中
第 二項 第 二章
八月初頃 に於 ける中国情勢
央部 の指導 第 一節
第 一項
第三節 陸 兵出兵決定時 に於け る陣痛
第 二項 第 四節
上海 に於 ける日支戦端 の開始 中央 に於ける作戦指導 第三艦 隊司令長官 の作戦指導
申
対支作戦計画 に関す る第三艦隊司令長官 の意見具
外交上 の転換機 に於け る作戦指導
第 一項
第 二節
第 二項 第 三項
第六篇
事態全支拡 大 宮崎 事件
中支情勢 の逼迫
第 一節
第 一章 昭和十 二年 七月二十 四日午後九時上海海軍特別陸戦隊 一等水兵宮 る旨邦 人よりの屈出 に接し特 別陸戦隊は直 に概ね虹 口 ﹁クリ︱ク﹂
崎貞夫 は北四川路狄思威路交叉点附近 に於 て支那 人に拉致 せら れた 八字橋越界路北端及沙涇港 ﹁クリーク﹂以内 の地区 に警戒配備 に就 き哨兵 を配し北站分局長 に事件 及当方 の手配を説 明し市政府及 工部
より投水せんとす るを救助 せられ、江蘇省政府より南京 外交部 に護
当時悪化し つつありし中支 の情勢 に 一時相当 の緊張 を与 へたる本
送せられ、更 に二十八日在南京帝国総領事館 に送致し来 れり
事件 は斯くし て事無 く結着 せるが帝国海軍 とし ては対内対外共 に面 第 二節
艦隊司令長官 の処置
大山事件 の勃発時 に於け る第三
大山 事件
目 を失 せる観無きに非ざ りき 第 一項
湾路 水電路交 叉点附近 に土嚢 又は鉄条網 を設け厳重 に警 戒せり。尚 閘北支那住民例 の如 く避難移転を開始し租界内外警察当局は之 が阻
保安隊は我 が方警戒配備 に対抗 するが如 き姿勢 にて寳 山路 上及江
隊本部 へ連絡 の途上上海西部虹橋 飛行場東南陽正門 の北約 一〇〇米
軍 一等水兵斎藤 の運転す る陸戦隊自動車 にて附近地区 の視察及陸戦
了せる処同夕大山事件 の惹起 を見 るに至れり同 日午後六時半頃 上海
懸念 せられ居りたる揚子 江沿岸在留邦人 の引揚 は八月九日無事終
止 に努力し 一時混雑 を呈し たるも、其 の後宮崎 の行動 に逃亡 の嫌疑
越界路たる碑坊路上 に於 て支那保 安隊 の為残虐 なる射撃 を蒙り殺害
局とも連絡 を採り極力真相調査 に努めたり。
ありと判断 せられ、陸戦隊 は二十五日午前 四時 に至 り警戒配備を解
せられ又斎藤 一等水兵は拉致後殺害 せられたり。
第 三艦隊司令部 に於 ては八月十日本大山事件処理方針を次 の如く
べき旨警告口せり。
事件 に関しては今後 の要求を保留す。 ﹄
﹃最近保安隊 の武装強化及我 に対する対敵行動露骨 なり。今次 の
との趣説明せるに対 し、我 が方は彼 に対し
て拳銃 にて保安隊 一名を銃殺したる に端を発す﹄
﹃大山中尉 が飛行場 に入らんとして保安隊 の制止を聞 かず、却っ
及大使館附武官と会見し、
同夕愈上海市長 は事件処理協 議 の為自ら総領 事館に来 り、総領事
海軍特別陸戦隊西部派遣隊長 ( 第 一中隊長)海軍 中尉大山勇夫は海
き巡邏を増派する に止 めたる処中国側は防備警戒 を撤去し避難 民も 殆 ど認 めざる に至 れり。海軍中央部 に於 ては本事件 は真相不明なる のみならず 中南支方面 に対す る海軍 の態度 が対外対内的共 に極めて 一 極力事態 の鮮明 に努 め犯人捜索 に努力す
機微 なる関係ある に鑑 み左記方針 に依り処 理す る こととせり 此 の間政府 の方針竝 に陸 軍 の内情等 に鑑み大袈裟 に取扱 はざ る如 く言論機関を指導す 二 外務官憲を通し南京政府及 び上海市政府 工部 局に対し排抗 日運 動 を厳重取締 ることを要求す 然 るに七月 二十七日に至 りて宮崎 一等 水兵は靖 江附 近にて汽船上
定 め右 に準拠 し つつ対処せん ことを決 心せり
七 停 戦協定 地域内 に 一切 の公 民軍事教育 の廃止
六 虹橋飛行場 を軍用 に使 用せず
五 停戦協定 地域内は同協定共同委員随時視察 の自由 を保証す
廃
事件自 体 の処置
八月九日上海碑坊路 に於け る大山事件 は帝国海軍将校 に対し白昼 るや支那政府軍部当局 の行 へる積年 の排外工作就中帝国 を仇敵とし
公道 上に於 て加 へられたる惨虐非道実 に未曾有 の暴行なり此 の事 た 丙
国民政府航空委員会責任者が責任者 の上海市長淞滬警備 司令
︹マ マ︺
て侮蔑排斥 し更 に進ん で抵抗撃攘す るを方針 とす る積極的指導 の結 八
の公文陳謝
果 に外ならず
虹橋飛行站長 の罷免
九
一昨年中山水兵 の凶手 に斃れたる以来上海市内 のみに於 ても数次 の暴行累発したるに際 しても帝国は専 ら外交上 の平和的手段 に依 り
一二 自動車及物品 の損害 に対す る賠償
一一被害者遺族 に対する弔慰金
◎旧套を脱却 して重要事項 のみを要求 し毫 も譲歩せざ るを方針と
一〇 虹橋飛行站掩護隊長 の厳罰
件不拡 大を方針とし殆 ど忍 ぶべからざるを忍 びて専ら事件 の発生を
其 の解決を計りしも未 だ其 一件だ に解決 を見ず今次平津 に事件発 生
避けたり然 るに拘らず 今此 の惨虐暴行を受 け帝国 の公正 なる権益と
一 停戦協定 の忠実 なる励行
す
後 当方面 の支那軍備甚だしく挑戦的なるも のあるに拘らず帝国は事
在留官民 の安全 は甚 だしく脅威 を被 むるに至れり依っ て茲に平和を
備 の制限
二 停戦協定地区内 の保安隊 (警察隊等を総 べて含む)員数及装
確保 し事態を恢復す る為左記各項 の迅速 にし て誠実なる実行 を要求
三 同右 地区内 の実状随時視察 の自由
緊急処置 ( 現下 の緊迫尖鋭 せる空気 を緩和する為 の措置)
甲
四
す 一 租界及北部越 界路 地城 の外周より五千米以内 に在 る保安隊 の
事 、福井領事、東 川憲兵少尉、﹁ク ローナ﹂工部局督察長 (英人)、
を収容せり。而 して同 日午後 田尻武官山内上海陸戦隊参謀、吉岡領
第三艦隊司令長官 は帝国外務 官憲と協 力し同十日未明両人 の屍体
遺族 弔慰
撤退 二 右 地区内 に在 り又構築中 の防備施設 の撤廃 三
岡市政府秘書長、趙淞滬警備司令部副官長等 を以て実 地検証 の結果
乙 根本措置 (右 に引続 き実行す べき永 久措置) 安隊を撤退し保安隊 は総数二千名以内装備は小銃及挙銃 以下 に制
両人共機銃弾 にて頭部貫 通し之 にて致命的打撃 を受 け爾後 の弾痕及
停戦協定地域内より 一切 の軍隊警察総隊 及銃砲 を装備 せる保
四 停戦協定地域内 に於 て軍用 に供 さるべき 一切 の施設 の永 久撤
限す
外傷は支那側 が苛 む為行 ひたるも のにして同時 に支那保安隊 一名 の るや疑問なり。
致死 は味方打ち に因 る こと明 かとなれるも支那側 が直 に之を容認す 斯く て八月九日以来 上海方面 の状況は険悪 の度 を加 へ形勢急迫を 告げ来 たれるが帝国 海軍 の慎重厳粛 なる態度を見るに及 び稍緩和 の 状態 を示す る至れり。 然 れ共支那兵力 の移動 は停止す ることなく最 近大兵力 を上海 に集
第 二項
大山事件 の処 理
事及兪上海市長 代理 に致す こととなれり。
旨
大山事件惹起す るや軍令部 は直 に之 が解決策 を研究 し次 の対処方 要
針 を決定し たり
大山事件 の解決は将来此種事件 の根絶を期するを方針とし左記
海附近要地 の防備を公然 と実施 し居 り 一度事端発生せんか容易なら
す
に於 ては実力を以て之 を強制するも敢て辞 せざるの決意 あるを要
而 して支那側当事者 に於 て之 が解決実行 に対し誠意 を示さざる
要求事項 の充足を目途 として交渉す るを要 す
ざ る事態 に立到 るも のと認 めら れたり。 ︹ 長谷川清中将︺ 第 三艦隊司令長 官は右 の事態 に応 じ、所在 艦船部隊 の警戒を特 に
一 事件責任者 の陳謝 及処刑
中 し同地 に於け る我が防備 区域 を包囲す るが如き態勢 を執 り、且上
厳 ならしむ ると共 に同日午後 一時 二十五分佐世保方面 に於 て待機中
二 将来 に対す る保障
由
一 大山事件 は単なる偶発事件 に非ず、昂揚せられたる排 日抗日
理
(四)排抗日 の取締励 行
(三)右 の実行を監視すぺき日支兵団委員会 の設置
(ニ)右 地区間 に於 ける陣 地の防禦施設 の撤去
(一)停戦協定地区間 に於 ける保安隊員数、装備 、駐屯 地の制限
要求 事項
の第八戦隊第 一水雷戦隊 、呉鎮守府第 二特別陸 戦隊及佐世保鎮守府 第 一特別陸戦隊 の発進を令 せり。右諸隊 は同十日午後 二時半上海 に 向け佐世保を出発 せり。 尚十 一日午前神威 飛行機 三機 をして上海及杭州方面 の写真偵察を 実施 せしめたり。 日本軍 が上海を作戦基 地として使用す ることある場合 又は増兵
の気勢 と日本 の武力 に対する軽侮 とに因由 して上海 停戦協定 の精
然 るに国民政府外交部は本事件 に関連し英、米、仏 、伊等 に対し す る場合支那側とし ては戦略上攻勢 に出づ るの外 なし故 に各国 は
神 を蹂躪し停戦区域内 に有力 なる装備 の多数保安隊を駐屯 せしめ
二 上海停戦協定 は日支両軍衝突 の原因 を除去し租界 の安固 を保
齎 せる必然 の結果なり
且各所 に陣 地を構築し防禦施 設を施す事 に基け る不穏 なる状勢 の
日本をし て右行動 に出 でしめざ る様斡旋あり度 し 上海 に及ぼさざる ことに関 し日支両国 へ通告 する の議纏ま れり尚上
と要請 せるが、上海 方面 の情勢逼追 に伴 ひ主 要国大公使間 に戦禍 を 海 に於 ては八月十 一日領事団会議 を開き同様 の決議 を同 地我が総領
障 す るを主 眼 と し た る処 支 那 側 の右 の如 き措 置 に依 り茲に 大 な る
す に異存なき研究 に到達 し居 たり
作戦 に支障を及ぼさざる限 り左 の条件を以 て上海 を非戦闘 地域 とな
一 日本居留民保護 のため日本海軍艦艇 の上海在 泊及必要 なる兵
障 碍 を受 け た る を以 て此 際 本 事 件 を契 機 と し此 の根 本 障 碍 を除 去
力 の陸上駐屯を妨ぐる事 なし
す るを要 す若 し然 らず し て単 に事 件 の対症 的 解 決 の み に止 む るに 於 ては禍 根 は永 く 胎 り対 日軽 侮 の念 愈 々助 長 せ ら れ従 来 と 同 様此
(攻撃) をなさざる限り我も亦戦闘動作 (攻撃) を行 はず
二 上海港域内 に於 ては支那軍隊軍艦又は航 空機 よ り戦 闘 動 作
三 上海停戦協 定を厳守 するを要す
種 不 祥事 件 頻 発 し上 海 居 留 民 の安 寧 を維 持 し同 地 を中 支 発 展 の拠
海軍中央部 に於 ては右 の情報 に接し上海列国総領事 団より上海 を
点 たら し む る如 き は到 底 之 を 予 期 す る を得 ざ る の み ならず 我 方 が 上 海 方面 よ り全 面 的 退 却 を為 さ ざ る 限 り今 後 半 年 一年 の間 に再 び
非戦闘地域たらしむべき提議 ある場合帝国 の取るべき態度 に関 し次
右解 決 方 は現 に進 行 中 な る外 交交 渉 を阻 磯 す る や の懸念 あ る
同 地 に於 て 日支 間 極 度 の緊 張 状 態 を招 来 す る事 明 な り 三
の方針 に基き対処すべき ことを決定 せり
在上海列国総領事団 より首題 に関し提議ある場合 は別項 一の趣
べき も右 交 渉 は北 支 事 変 解 決 と し て 日支 国 交 の根 本 的 改 善 を基 調
旨 に依り我方 の態度を闡明し尚列国 が執拗 に協定 の締結 を慫慂し
と す るも のな る を以 て短 時 日 の間 に之 が妥 結 を期 待 し 得べ か らざ る のみ な らず 右 交 渉 に於 て上 海 方 面 に於 け る将 来 の保 証 迄広 範 囲
一 帝国 は上海 の重要性 に鑑 み同地域 に戦闘 の生起 するを好 まざ
を適当とす べし
る事勿論なるも目下 の情 況に於 て同地を非戦闘地域 たらしむ事 は
来 る場合 は二 の主張 に依り先づ支那側 を応諾 せしむ る様要求す る
増 長 せし め本 交 渉 を不 利 なら し む る の虞 あ り寧 ろ大 国 策 と し て和
殆 ど不可能 なり
に亘 り 我力 の要 求 を満 足 す べき 妥 結 を得 る事 困 難 な り と認 め ら る
平 の間 に解 決 を望 む も 其 の間 に於 け る彼 の不 法 不 正 に対 し て は断
即 ち 大山 事 件 に対 し我 方 が求 め て消極 的態 度 を執 る事 は割 て彼 を
乎 と し て実 力 行 使 も敢 て辞 せざ る の決 意 を示 す 事 に依 り側 面 的 に
現在上海 を危殆 に瀕 せしめつつあるは実 に支 那側 の停戦協
其 の主 なる理由 左 の如 し (
定蹂躪と極端 なる抗 日煽動 とに在り
而 し て更 に大 山 事 件 を 以 て直 ち に我 実 力 発 動 を為 す に非 ず 、上
本 外 交 々渉 を支 援 す る の結 果 と も な る べ き も の と観 察 す
海 方 面 に於 け る我 権 益 及 居 留 民 の安全 を確 保 すべ き 取 極 め に対 し
へ抗戦熱横溢 せる情 況にありては帝国居留民及権益は当 に 一触
地区内 に多数 の偽装保安隊 を配備 し正規軍同様 の対日戦備 を整
今日 の如 く支那側 が停戦
支 那 側 が誠 意 を示 さざ る に対 す る 已 む を得 ざ る手 段 と 為 す に於 て
上同地域 の非戦協定 の如きは思ひも及ばざ る所とす
即発 の危険 に曝露せられあるものなるを以 て帝国としては自衛
名 分 自 ら公 正 且 明 確 な り 事 態 は中 南 支 に波 及 し 事 実 上 日支 開 戦 必 至 の情 勢 に於 て第 三国 よ り上 海 を中 立 地帯 と な す べき提 議 な き を保 し難 き に鑑 み右 の場 合 我
に基く ﹁テ ロ﹂行為 に在り之 に対し帝国 が自衛上必要とする独
(二)帝国居留民及権益 の危険 は前記支那側 の停戦協定無視 の外
一方八月十 一日午後帝国大使 館附武官海軍中佐沖野亦男 は中央指
らざる事 に同意す
保安隊 を速 に交戦距離外 に撤退す ることを条件とし戦闘動作 を執
を厳重申入 れた る処中国側 は偶十 一日上海 に増派 せられたる第八戦
保安隊 の撤退及防 備 の撤去等 の速な る履行
当面 の尖鋭化 せる空気 を緩 和する為 我が陸戦隊所在 に接 近せる
示 に基き警 備司令揚 に対 し
更 に抗 日 に狂奔 せる 一般民衆 の圧迫竝 に各種危険分子 の暗躍等 自 の措置 を執 り得ざ るが如き 一切 の協定締結 に対し ては帝国 と し て応ず る事 を得ず
隊以下 の兵力を懸念 し
二 以上 の如く非戦協 定 の締結 は現状 に於 て帝国としては応じ得 て来 るべき原因 の根 本的除去 に対し誠意を披瀝 し概 ね左記 の如き
日支 以外 の列国領事 は自ら進 んで処理す るの熱意なく結局有耶
と述 ぶ。
﹃最早自己 の権限外 なり﹄
右 に対し兪 ( 市長)委員は
とて速 に支那側 の実行 を要求す。
之 を撤退 せざ るが本事件 の基因 たり。﹄
﹃支那側が約 に反 し停戦区域内 に正規兵武 装保安隊を進出し、
我が方は
翌十 二日領事 団会議及停戦協定共同委員会開催 せら る
と申入れたると ころ彼 は稍安堵 の意 を表 したり
治 安 の維持 は望 なし保安隊 の撤退こ そ先決問題なり
安隊が却 て戦備 を促進するが如 き ことあらば上海 要人 の希望す る
其 の必要 を見ざ るに至らば撤退す べし、然 れ共若 し之 に依り保
と の質問 に対 し
や
保安隊撤退せば本日増派 の海軍兵力は之 を撤 退 せ し めら るる
ず と雖も支那側 にして直 に上海 の安寧 を冀ひ前 記不穏状態 の因っ 我方 の要求 を容 れ確実 に之 を実行す る場合は更めて考慮す ること とす 即 む
(一)支那側 をし て停 戦協定 の精神 を尊重し速 に左記 を実行 せし (イ)上海 四周 (概ね停戦協定会議 に於 て我方 の主張 したる範 域) に支那軍隊竝 に戦備を存在 せしめず (ロ)右 地区内 に配す べき保 安隊 の員数及装備を協定 に依 り制 限す (三)排 抗日 の徹底的取締
(二)大 山事件 の誠意 ある解決 但 し非戦協 定成立後 と雖も彼よ り挑戦 的態度 を執 り或は排日 ﹁テ ロ﹂行為等 に依 り我方 に於 て自衛行 動をとるの要ありと認 む る場合 の兵力行使 に関 しては飽く迄留 保するも のとす 支那側 に於 て上海停戦協定 の忠実 なる実行を基礎的要件 とす る も差当り租界附近 に於 ける支那側軍事施設 の解毀竝正規車及武装
を開始す るの意志 なきを約 したり。
無耶 に終り、最後 に日支共 に他方より発砲 せざ る限り進んで攻撃
拍車 をかけ開戦 を避 け得 られざ る状態 に導く に至 れり
北支全面作戦展開後 に於 け る第 三艦隊 に
八月初頃 に於 ける中国情勢
対す る海軍中央部 の指導
月初旬 に於 ては全支 に亘 り相当逼迫せる情勢 にありしなり。即ち
然 れども中南支 の実情 は右 の切望と背馳 し つつあ るは明 にし て八
と報告せり
切 に同 方面 の日本居留民を保護し彼等 を引揚げしむ ること勿れ
中南支 方面 に事 を及 ぼすときは海軍 の全面的攻撃予報せらる
八月二日在東京中国海軍武官 は
第 一節
第 二章
淞滬鉄道間区域居住 の日本人 には時局委員会 より立退 を命 じたり。
時局委員会は状 況 に鑑 み各部会 を日本人倶楽部 に集結 し北 四川路
ものあり
十 二日夜以来市内 の騒然 たる状況は悽惨を極 め北 四川路方面は既 ︹ 昭和七年︺ に暗黒 にし て死 の街 と化 したる如く 一般状況 上海事変前夜彷佛 たる
八月十二日英米仏伊 四大使は予 ての談合 に基 き上海不戦区域 の協 ︹ 茂︺ 同提案 を南京 に於 て提案 し来 りし を以 て帝国政府 は十 三日川越 駐支 大使 に対し次 の如 く回訓 し応酬 せしめたり。 一 支那側 が停戦協定を忠実 に実行す るを終局 の目的 とし差当り 租界附近に集中しあ る正規軍 及保安隊 を交戦距離外 に撤退 せしめ 且租界附近 の軍事施設を解殿せしむるを条件とし戦 闘行動 を採ら ざ ること に同意す 二 支那側 が右 を受諾 せば我方は陸戦隊 を常態 に復 する の用意を 有す尚ほ停戦協定 を完全 に実行せぱ我方増派兵力を復旧するの用 意 あり詳細 外務電 を参照 せられ度中原 に伝 へら れ度 尚十三日午後 五時頃在上海英米仏三国総領事 は岡本総領事 及兪上 海市長 に対し左 の要旨 の 一案 を示し調停方申 入れた るが双方共政府 に請訓する旨 回答 せり
蒋介石及南 京政府 の態度 は其 の真意捕捉 に苦 しむも、 一面 に於
一 国民政府 の情 況
て対日抗戦 の不利なるを知 り複雑な る政情 の間責任 者 の態度極 め
(二)保安隊 は租界全周 の鉄路 より二哩以外 に全部撤
一 支那側 (一) 正規軍 は現駐地 に退却す
て消極的 なる反面主戦論者 の積極論竝 に我が方 の積極行動 に対し
着後行動再開す るに至 らば必然的 に大勢は拡大 の余儀 なき情況な
従って概ね八月二十 日過我 が第 五第六及第 十師団北支前線 に到
及空軍 の行動稍積極 化せるやに認 めらる。
強腰 を示 さざ る能 はざ る情勢 に在り。之が為 八月 に入りて中央軍
中央軍 の無為な る態 度 に対す る反感緩和策 として蒋介石亦相当 の
退 し支那巡捕之 に代 る (一)陸戦隊 は鉄路東方に のみ駐屯す (外務電参照)
二 日本側 (一)増派特陸及艦船 の撤退 二二〇〇 既 に上海方面 に於 ては支那側 は着 々戦備 を進 め支那 の市当局者 には
要 するに大山大尉事件 の処理は列国 の空気 は日本 に有利なりしも 何 等時局解決能力無かりしを以 て本事件は益 々日支両軍 の尖鋭 化に
蒋 介 石 は各 地枢 要 の要 人 を引 見 し 、韓 復榘 は 八月 一日南 京 に至
り。
り 、白 崇 禧 、閻 錫 山 、馮 玉 祥 等 何 れ も 八 月五 日頃 迄 に集 合 し 、 六 日軍 事 会 議 開 催 の情 報 あ り 。 尚 蒋 介 石 は韓 復榘 と の会 議 に際 し 、簡 単 に ﹃応 戦 不 求 戦 ﹄ と 述
要 す る に今 日迄 国民 政 府 は所 謂 ﹃対 日応 戦 ﹄ 程 度 の消 極 的 方 針
べ た り と 云 ふ。
下 に取 締 を厳 にし つつあ り し も 、 蒋介 石 の統 制 力 の如 何 は 推 定 を
主要都市概況
許 さず 、而 も 一般 情 勢 は 何 時 不 祥 事発 生 を も予 断 し 難 き に至 れ り 。 二 京 戦 時気 分漲 り主 要 家 屋 は勿 論 外 人家 屋竝 に乗 合 自 動 車 に至 る迄
南
漢口
迷 彩 改 塗 を令 せ ら れ、 要 人 家 族 は 避難 を勧 告 せ ら れ たり 。
形勢益悪化 し租界附近 の支那軍は 一万以上 に達し武器を有する 海
我 が陸軍上陸 の声 に怖 え動揺 あり。沈鴻烈は若し攻撃 せら るれば
至し方なく応戦す る旨 大鷹総領事 に述 ぶ
対日商取引は殆ど停 止し、臺湾籍民 に対す る圧迫加 はり形勢不
南 支諸 市
穏 にし て七日来 より逐次在留邦人 の引揚を見るに至 れり。
対支作戦計画 に関 する第 三艦隊
外交上 の転換機 に於ける作戦指導 第 一項
第 二節
司令長官 の意見具申
第三艦隊司令長官 八月 三日第三艦隊参謀長をして軍令部第 一部長
第 三艦隊司令部
宛次 の如く第三艦隊司令部 の最近研究 の結果 に基 ける上海方面陸上
上海方面 の陸 上作戦 に関す る意見
作戦 に関す る意見を具申 せしめたり 昭和十三年八月三日
第 一 当艦隊 の上海附 近に於け る陸上作戦計画 ( 上海特別陸戦隊
立案 に成 るも の)は本来 上海居留民 の保護及航空基 地たるべき諸
一閘 北西端 ﹁クリーク﹂以東射的場北端沙涇港 ﹁クリーク﹂以
要点 の占領確保竝後方連絡線 の保持を目的とし開戦 と同時 に 西 の地区竝虹 口地区 の掃蕩
上
便 衣隊租界 に侵入し商業 全然停 止せり 附 近支那正規軍漸次近郊 に移動し停戦 地区 の保安隊亦内容を正
を 一斉 に決行し且陸軍部隊 の到着迄之 を確保 せんとするに在 り以
(四)呉淞砲台 の攻略
(三)公大飛行場 の占領
(二)龍華飛行場 の急襲占領
(一)江湾鎮竝江湾競 馬場 の急襲占領
二 有力な る各 一部 を以て
七月下旬通州事件 の報 伝はるや山東奥 地在留邦人婦 女子は逐 次
島
形勢刻 々に悪化せり
規兵 と交代 し、隠密裡 に包囲態勢を作為 しつつあり。謡言亦多 く 青
那人 の市外逃避を増加し、戦備 の強化 を促進 せるも のの如し。且
引揚 ぐるに至 れり。此 の引揚 は支 那側 を刺戟したるも のの如 く支
上 の計 画 は上 海 四 周 に於 け る各 種 兵 力 を 合 し て 一万 を下 らざ る現
北 方 約 一 ・八粁 )、 沙涇 港 ﹁クリ ー ク﹂ によ り囲 ま る る 地 域 及虹
一部 を 以 て北 停 車場 及商 務 印 書 館 の占 領
口附 近 の掃 蕩 確 保
るる状 況 に於 て は甚 だ放 胆 な る作 戦 に し て こ れ が実 施 は 第 一に鎮
他 の 一部 を 以 て公大 飛行 場 の占 領 確 保
一とす るを 以 て陸 上 作戦 自体 の不 利 は之 を忍 ぶと す る も其 の初 動
固 より 中 支 方 面 に於 け る作 戦 の重 点 は航 空 部 隊 の先制 空 襲 を第
二
状竝 開戦 第 一日 に於 て三 万 以 上 の兵 力 の上海 附 近 集 中 を 予期 せ ら
守 府 特 別陸 戦 隊 二 ケ大 隊 及 第 八戦 隊 及 第 一水 雷 戦 隊 の事 前増 勢 、 第 二 に陸 軍 先遣 旅 団 が三 日以 内 に上海 に到 着 し得 べき こと を前 提 条 件 とし て始 め て可 能 な る も のな り
即ち
及 ぼす べき 不 利 の影 響 は 閑却 す る能 はざ る重 大 事 な り
に於 て斯 の 如き 消 極 方針 に甘 ん ぜざ る を得 ざ る場 合爾 他 の作 戦 に
一 龍 華 飛 行 場 は 殆 ど 永 久 的 に我 の使 用 を許 さざ る に至 る べ し
然 る に第 一の事 前 増勢 は今 に至 るも 実 施 せ ら れず 第 二 の陸 軍 増 派 も遠 隔 の第 十 四 師 団 (宇 都宮 ) が充 てら れ 到底 急 速 な る増 加 を
二
第二
牲 を払 ひ た る後 開 戦 後 二十 五 日 にし て これ を占 領 せ り) 従っ て 江
二十 四旅 団 及 第 九 師 団 は 攻 撃 の重 点 を 此 の方 面 に指 向 し 多 大 の犠
江 湾 鎮 の占 領 には 多 大 の時 日 を要 し (上海 事 変 に於 て混 成第
期 待 し能 はざ る に於 ては 叙 上作 戦 計 画 は之 を放 棄 し新 な る計 画 に
僅 か に二千 四百 名 にし て上海 事 変 勃 発 の約 八 割 に過 ぎず 陸 戦 隊 の
三
湾 競 馬場 を 飛行 基 地 と し て利 用 す る こと 著 し く困 難 とな る べし
上 海 特 別 陸 戦 隊 の現有 兵 力 に出 雲 陸 戦 隊 を 加 へた る兵 力 は
よ る の外 無 し
装 備 は 上海 事 変 当 時 に比 し 面 目 を 一新 し た りと雖 も単 独 の陸 戦 兵
江湾 鎮 を放 棄 す る こと は市 政 府 方 面 よ り す る敵 の行 動 に自 由
力 と し て は 些 か跛 行 的 のも の にし て其 の砲 力 機 動 力 の優越 は銃 隊
る も の にし て爾 後 に於 ても航 空 作 戦 の優 越 を持 続 せ ん に は相 当 の
斯 の如 き は 我航 空部 隊 の先 制 空 襲 を単 な る線 香花 火 に終 ら しむ
るべ し
従っ て上 海 に於 け る現 在 兵 力 のみ を 以 て し て 且増 派 特 別 陸 戦隊
期 間 我 航 空 母 艦 を敵 の空 襲 圏下 に曝 露 す る を要 す る の結 果 を生 む
を 許 す こと と な り 公大 飛行 基 地 の整 備 も又 相 当 の妨 碍 を蒙 る に至
の戦 闘 加 入 に二 日 (人員 兵 器 の搭 載 に半 日輸 送 に 一日戦 線 進 出 に
のみな ら ず 我 が陸 上 攻 撃 機 の威 力 を奥 地 に及 ぼす こと至 難 と な る
る も のな り
半 日 とし て) を要 し陸 軍 先 遣 旅 団 の到 着 に 一週間 を要 す る情 況 の
に至 る ベし
兵 力 の増 加 に依 り白 兵 威 力 を 強 化 し て始 め て全 能 発 揮 を期 待 し得
地 に於 て も到 る処 正 面 過広 と な り て到 底 占 領 地域 を保 持 す る能 は
下 に前 項 の如 き 作 戦 を実 施 す る に於 ては 兵 力分 散 の弊 に陥 り各 局
四
呉淞 砲 台 の抵 抗 力 を 増 大 し要 塞 正攻 法 に依 ら ざ れば これ を攻
ざ る に至 る べき を以 て共 の作 戦 は左 記 の達 成 を 以 て満 足 す る の外
初 動 に於 け る呉淞 砲 台 攻 略 の要 否 に関 し て は尚 研 究 を要 す る も
略 し能 はざ る に至 る べし
一 虹 口 ﹁ク リ ー ク﹂ 八 字橋 開 林 公 司 、 西 方 橋 梁 ( 陸戦隊兵舎 の
無し
のあり即ち上海方面 の航空基地 が開戦後迅速 に整備 せられ且所要
更 に八月 四日軍令部 次長宛左 の対支作戦用兵 に関す る意 見を送付
らしむ
竝に海 上 の攻撃 に依 り其 の活動を或程度迄封圧し得 べきを以て開
対支作戦用兵 に関す る意見
現下当方面 の状況 を判断す るに我内地師団 の北支派兵 と支那中
せり
の兵器燃 料が開戦前 より上海 に集積準備 せられあ るに於 ては上空 戦当時 の彼我 の情勢 に照し他方面 の兵力部署 と利害軽重を比較考
るのみならず航空作戦 の特質 上戦乱 の全支波及を妨 止す る こと至
央軍及空軍 の北 上は北支 に於 ける彼 我全力 の衝突 に導 く の虞大な
慮せざる限 り過早 に之を断定する能 はず 然 れども飛行機燃料 爆弾 に関 し何等準備しあらざる現状 に於 て
難 にして而 も意外 に急速 に進展 する虞あり
は呉淞砲台 の攻略 に依る後方連絡線 の確保を絶対必要 とす るに拘 らず呉淞砲台急襲 の成算 は皆無 なり
滅 せんことを希 ふて止まず と雖も而も初動 の空襲 に於 て敵空軍 の
たることは全然異論 なき所 にして成し得る限 り敵空軍 を 一挙 に覆
領 し得 るに止ま り航空兵力 の全幅活用上特 に必要 なる江湾 及龍華
上海方面 の現兵力を以 てしては立上 りに辛 ふじて公大飛行場を占
一 待機中 の特別陸戦隊を可成隠密裡 に逐次上海 に増派す ること
認め敢 て卑見申進す
当艦隊 の任務竝 に現兵力 に鑑 み左記 二項は至急実現 の要ありと
大部を撃破し得べ しと楽観し て爾後当方に於 ける航空部隊優越 の
之 を要す るに中支作戦 の初動 に於け る先制空襲 が本作戦 の重点
持続を併 せ考慮 せざ るが如 きは吾人 の採らざ る所 なり
撃 をも封止し以 て初撃 の効果を線香花 火式 に終らしむる惧大 なり
間我航空母艦を敵機来襲 の危険 に哂し我陸上攻撃機 の支那奥 地攻
の占領 は成算 なき のみならず公大飛行場 の側面 を開放する の結果
故 に苟くも中支作戦を必要 とする事態 に於 ては初 動 に於 ける航
予定 の特陸 を事前 に増派し少くも江湾奪取 を可能ならしむ るを要
同飛行場 の整備をも妨碍 せら れ易く此 の当初 の後手は相当長 き期
空 部隊急襲 の必成と同時 に陸 上作戦 に於け る急襲 の必成をも併 せ
す
上海方面 に於け る陸上作戦が航空作戦 と密接不離 の関係を
考 慮する こと絶対必要 にして此 の際航空部隊を前進基 地に進出 せ
二 第 一聯合航空隊 の南方使 用を速 に決定し前進基 地に進出 せし
第三
しむると同時 に左記諸項 の準備 を平行実施する こと肝要 なりと認
むる こと
有する こと斯 の如し
一 鎮守府特別陸戦隊 を迅速隠密 に上海 に進出 せしむ
む
を敵 の不意 に乗 じ有効 に敢行す る為航空部隊 の機敏 なる行動を必
不拡大方針 に伴 ひ受け て立 つは止む を得ず とするも空襲第 一撃
力 し得 る如く上海 に進出 せしむ
要 とす之 が為航空部隊 の使用方面を速 かに決定 し基地整備 の上は
二 第八戦隊竝第 一水雷戦隊 は開戦第 一日払暁 より陸上作戦 に協 三 陸軍先遣旅団 を開戦 と同時 に内地港湾 を出発し得 る姿勢 にあ
直 に進 出 待 機 せし む る を要 す 殊 に季 節 的 に天 候 の支 障 多 き昨 今 に 於 て然 り
ツツアリ
偵 察 機 ﹁ノ ー ス ロツプ﹂ 機 二十 五 機虹 橋 ニ ﹁マ ルチ ン﹂ 機 ノ
彼 我 空 軍 衝 突 ノ時機 漸 ク 切迫 セ リ ト認 メ ラ ル
外 五機 ヲ以 テ上 海 方 面ニ 備 へ待 機 セ シ ツ メ ツ アリ
二
三
又例 へ北 支 の情 勢更 に悪 化 す る こと あ る も敵 航 空 兵 力 の 一半 は 中 南支 に控 置 せら る べ き を以 て第 一聯 合 航 空 隊 の北 支 転用 を断 念
姿 勢 ニア リ
支 那 海 軍 ハ南 京及 湖 口 ニ集 中 シ我 第 十 一戦 隊 ノ下 江 ヲ扼 ス ル
し 当初 よ り之 を 南 方 に配 備 す るを可 とす
中 支 方 面ニ 於 ケ ル抗 日気 勢 左 ノ如 ク日 々濃 厚 ト ナ リ ツ ツア リ
(イ) 七 月 三 十 日 八 月 一日 ニ於 ケ ル蒋 介 石汪 精 衛 ノ談 話 及 沈鈞 儒
四
以 上 の方 策 は 之 を絶 対 に秘 匿 す るは 不可 能 な るべ く 飛 行機 の奇 襲 を 不利 な らし む る虞 な き に非 るも 首鼠 両端 を持 せ る国 民 政府 幹 部 の 態 度 決定 を促 進 し 期 せず し て時 局 不 拡 大 の目 的 に合 致 し 得 る の利 あ
一派 ノ釈 放 ハ其 ノ真 意 如 何 ハ別 ト シ大衆 就 中有 識 中 堅 階 級 ノ全
面 的 抗 日開 戦ニ 拍車 ヲ掛 ケ タ ル コト明 瞭 ナ リ
り
(ロ) 上 流 各 地 及 上海 其 ノ他 中 南 支 一般 ノ対 日風 潮 日 々悪 化 シツ
デ ズ 深 刻 ニシ テ徹 底 セ ル抗 日気 運鬱 積 シア リ
ツ ア リ而 モ昨 年 ノ如 ク露 骨 不統 制 ナ ル ﹁テ ロ﹂ ﹁デ モ﹂ 等ニ 出
当 艦隊 の情 況 判 断資 料 別 電 す
第 三 艦 隊参 謀 長
別 電 次 の如 し 発
(ハ) 上 海閘 北 北 四川 路 方 面 支 那 人 ノ引揚 続出 シ両 三日 来 江 湾 方
次 官 、 次長
昭 和十 二年 八 月 四 日午 前 一時 三 十 二分 宛 第 三艦 隊 機密 第 三 七 六番 電
中 央 に於 け る作 戦指 導
面 支 那 要 人 ノ避難 者 激 増 ス
宛
発
第 三艦隊、第 二艦隊、佐鎮司令長官
昭和十 二年八月 一日午後 四時 三十分
軍令部 次長
る臺 北 及 済 州 島 前 進 基 地 に関 し次 の準 備 行 動 を 発動 を令 じ たり
軍 令 部 は当 時 の機 微 な る情 勢 を考 慮 し僅 か に予 て懸 案 と な り 居 た
武 官 よ り居 留 民 引揚 其 の他 に関 し屡 次 の意 見 具 申或 は情 況 報 告 せ り
第 十 戦 隊 司 令 官 第 五 水雷 戦 隊 司 令 官竝 に在 支 大使 館 附 武 官 各 地 在勤
事 態 全 支 波 及 の徴 顕著 な る情 勢 に監 み第 三 艦 隊司 令 長 官 第 十 一及
第 二項
各 種 情 報 ヲ綜 合 ス ル ニ当 方 面 ノ情 勢 左記 ノ如 ク中 国 政府 ノ所 謂 応 戦準 備 ハ着 々進 捗 シ抗 日思 想 横溢 セ ル支 那 空 軍 中 央 陸軍 及 一般 ノ為 ニ中 央 政 府 ノ好 ムト好 マザ ルト ニ関 ラ ズ 日支 全 面 衝突 ニ進 ム
記
ノ恐頓 ニ増 大 セ リト認 メラ ル
一 数 日来 空 軍 ノ北方 移 動 頻 ニシテ 八 月 二 日現 在 ニ於 テ隴 海 線 以 北 ニ集 結 中 ノ モ ノ ﹁カー チ ス ホ ー ク﹂ 十 四機 、 ﹁ダ グ ラ ス﹂ 機 十 六 機 ﹁コル セ ア﹂ 機 二十 八 機 、 ﹁サ ボ イ ヤ﹂ 重 爆 四機 、 計 六 十 二
又北 支 各 地 飛 行 場 ノ構 築竝ニ 燃料 爆 弾 医療 品 等 ヲ モ輪送 ヲ急 ギ
機 以 上ニ 達 ス
大海機 密第六号
軍令部機密第三九三番電 臺北及濟 州島前進基 地所要 ノ物件竝 ニ之ガ保管 及通信等 ニ必要 ナ ル最 小限度 ノ人員 ヲ進発 セシメラレ度
軍令部 一部長、軍務局長
昭和十 二年八月 一日午後 四時三十分 発
事 端 発 生 せば揚 子 江 に在 る艦 船 、 居 留 民 は絶 対 に安 全 には下 江す る を得 ざ る べし
軍 令 部 と し ては 右 事 態 の急 迫 に鑑 み全 面 的戦 争 避 く べ からず と な
し 此 の際 作 戦 実 施 上 最 も影 響 あ る漢 口下 流 在 留 邦 人引 揚 を即時 実施
方主 張 せ る も海 軍 省 外 務省 に抵 抗 あ り遂 に未 だ 発令 せ ら る る に至 ら
要 す る に現 状 は 軍令 部 と し て は海 軍 用 兵 の見 地 よ り 一歩 を 進 む る
ず 引 揚 完 了 前 戦 闘 開 始 さ れ ん か作 戦 上 極 め て不利 あ り
る のみ な らず 海 軍 省 首 脳 部 も 亦 八月 初 旬 在 南 京 日 高代 理大 使 が 実 行
要 あ る に立 ち 至 り し が 外務 側 は居 留 民 引 揚 に対 す る態 度 煮 え 切 ら ざ
各艦隊 、佐鎮参謀長、毫北武官
中 の外 交 交 渉 に望 を 嘱 し 、逼 迫 せ る実 情 の存 せ し にも関 らず 居留 民
宛
一 北上、佐多 ヲ以 テスル壷北基 地物件及人員 ノ輸送揚陸竝ニ
軍令部機密第 三九 四番電
の漢 口引 揚 にす ら同 意 せざ る情 態 な りき 。
八月 四 日第 三艦 隊 司 令長 官 は情 勢 の逼 迫 に鑑 み 軍令 部 次 長宛
基地ニ於 ケ ル保管等ニ関 シテ ハ対外的ニ機微 ナ ル関係 アル ニ付 努 メテ隠密ニ実施 スル如 ク取計 ヲ得度
に違 算 な から し む る 為速 に待 機 中 の特 別 陸戦 隊 を逐 次 成 る 可 く隠
其 の後 情 勢 益 々切 迫 の傾 向 に あ る を以 て事 端 発生 に対 す る 処置
密 裡 に上 海 に増 派御 取計 ひ を得 度 し
二 大海機密第 六号ニ依 ル輸送 ハ天候 ヲ考慮 シ特ニ急 ガ ルル要 ナシ
(一) 連 絡 船 に て百 名 位送 る と せば 一箇大 隊 約 一箇 月 を要 す
と要 請 す る処 あ り し が 軍令 部 とし ては
三 第 八戦隊及第 一水雷戦隊 ハ九州西岸方面ニ於 テ便宜出動訓 練差支無 キ内意 ナリ
(二) 海 軍 艦 船 にて送 る は目 立 つ
当時青島、漢 口、上海方面情勢 は危機 一発 の情勢 に在 り。彼 より
(三) 建 制 的 編 制 な る を 以 て成 る べく 纏 め て送 る を可 とす
(四) 第 八 戦 隊 、 第 一水雷 戦 隊 にて呉淞 方 面 の確 保竝 に上 海 増援 に
積極的攻勢 に出づ る ことなからんも突発事件 生起 せば之 を契機 に戦 海軍とし ては揚 子江流域邦 人引揚完了後 にあらざ れば徹底的作戦
闘 生起 は必然 なりしなり。
ぼさざ るべからず従っ て航空機等も自然局地的 に敵砲台 を相手とす
時 機 に第 八 戦 隊 第 一水 雷戦 隊 に て 一気 に送 致 す る を最 善 と 認 め た る
こと な がら 隠 密 増 派 の名案 も な く当 初 より の方針 にも あらず 最 後 の
と の見 地 よ り情 勢 切 迫 に件 ひ 一兵 た りと も 慾 し き 出先 の気 持 は さ る
使 ひ度 (中 村 参謀 承知 の筈 )
る如き場 合も生起すべ く計画的大作戦 の実施 困難 となる ことあ るべ
は実施 せざ る立前 にて従って局部的事端 の発生は局地的 以外 には及
し
司令 長官 の要望 せし特陸隠密派遣 の如 きも即応するを得ざ る情勢 に
のみならず統帥部 を徐く中央諸機関 の牽制 に依り当然 此 の第 三艦隊
ば直 に動 き得 る兵 力 を動 か し て大 に や る積 り な り
は海 軍 が反 撃 を せざ る べ か らざ る事 態 生起 し 全 面作 戦 開始 と な れ
居 留 民 を上 海 附 近 に引 揚 げ し め揚 子 江 部 隊 を 収容 し た る後 か 又
と諒 承 せ り。
すべ し
攻 撃 も控 制 し あ る次第 な る が之 が解 除 は尚 暫 く 見合 は す こと と致
克 く了 解 せ り実 は御 趣 旨 の如 き理 由 に て陸 軍 航空 部 隊 の積 極 的
と説 明 せ る処 寺 田 中 佐 は
る陸 軍 作 戦 に直 接 協力 す る能 はざ る情 況 にあ り
勿 論 輸 送 護 衛 の如 き は十 分 実 施 す る も目 下 のと ころ北 支 に於 け
そ れ迄 は濫 り に手出 し を許 さ れざ る状 況 な り
在りしかば即 日軍令部第 一部長 より第三艦隊参謀長宛次 の如く 回答 せり 特陸増派 に関 しては当初より逐 次増加 に依らざる方針 なるを以 て今暫 く情勢を観 て揚 子江部隊竝 に居留民 の引揚決定 の後更 めて 考 慮 せられ度意響なり 右 の如 く外 交 に起 因 し 軍令 部 と し ては 其 の作 戦 指 導 は多 少 障 害 を 受 け た る程 度 なり し も出 先 各 部 の苦 痛 は甚 し き も のあ り し な り 八 月 四 日寺 田参 謀 本 部 部 員 よ り作 戦 進 捗 指 導 に関 し 次 の如 く連 絡
然 る に現 地 の状 況 は弥 険 悪 の度 を加 ふ る に至 り 、中 南 支 方 面 に於
ありたり
け る海 軍作 戦 に 一歩 を進 め ん が為 八月 六 日省 部 協 議 の上 左 の如 く措 置 せ ら れ た り。
海軍次官 軍令部次長
嘗 て の話 合 ひ に ては 八 月 四 五 日頃 に は居 留 民 引揚 げ を終 り作 戦
海 軍関 係 の諸 準 備 の現状 承 り度 し
八月六日午前十 一時三十五分発電
発
を積 極 化 し得 る筈 な る に小 官天 津 よ り昨 日 帰 り 聞 く に未 だ共 の運 に至 り居 らざ る様 子 な り
七 月 二十 日頃 の緊 張 状 態 つづ き引 揚 発 令 にな り し場 合 は 八月 四
右 に対 し木 坂軍 令 部 部 員 は 次 の如 く応 酬 せり
宛
第 三艦隊司令長官
五 日 には居 留 民 の引 揚 は 完 了 す る 予定 な りし な り然 る に動 員 下 令
一両 日 ハ最 モ重要 ナ ル外交上 ノ転換時機 ニア ルニ付此 ノ
官 房機密 第六五〇番電
本件外務省と協議済
上 現地ノ状況ニ応ズ ル如 ク適当ニ処理 セラレ度 シ
二 漢 口居留民 ノ引揚ニ関 シテ ハ現 地外務官憲ト モ充分協議 ノ
セラ レ度
際特ニ鷹下竝ニ居留 民 ヲ引緊 メ隠忍自重 セシメ事 ヲ起 ササル様
一爰
遅 れし と同 様 の情 勢 の推 移 によ り 引揚 の発 令 遅 延 し 八 月 一日漸 く 重 慶 、宜 昌 が引 揚 を始 め八 月 八 日漢 口 に到 達 す る筈 な り 右 の情 況 によ り海 軍 に於 ては 諸 部隊 尚 概 ね 内 地 にあ り て進 出 し あ らず ﹁ 繁︺ 尚 福 留 第 一課 長 は 海 軍 と し て は極 め て不 愉 快 な る作 戦 振 りな れ ど政 府 の不 拡 大 方 針 に抑 制 せ ら れ尚 手 出 し を慎 み支 那 の出 方 を 見 つ つあ り
第三艦隊司令長官
昭和十二年 八月六日午後七時 十分発電 宛 軍令部機密第 四二〇番電 昭和十二年 八月六日
大海令第 八号 博
恭
発 軍令部総長
軍令部総長 長谷川第三艦隊司令長官ニ指示
王
各要司令官、駐満 司令官) 軍令部機密第 四 一三番電 大海機密 第八号
第二聯合航空隊 ヲ適宜周水 子 ニ進出 セシメラ レ度
次長
司令長官、各要港部 、駐満海軍司令官)
第 三艦隊司令長 官 ( 聯合艦隊、第二艦隊司令長官、各鎮守府
昭和十 二年八月六日午後十時 三十分発電 発 宛
軍 令部機密第四 二五番電 大海機密第十 一号
第三艦隊司令長官 ハ揚子江流域帝国居留民ノ引揚 ヲ倹 テ揚子江
第 一聯合航空隊 ヲ臺北及濟州島 ( 大村)ニ進出 セシメラレ度
次長
司令長官、各要港 部、駐満海軍司令官)
第 三艦隊司令長 官 ( 聯合艦隊、第二艦隊 司令長官、各鎮守府
三 呉鎮守府第 二特 別陸戦隊及佐世保鎮守府第 一特別陸戦隊 ノ上
ク外大海機密第 一号 ニ準ジ情 況 ニ応ジ適機 待機 セシメラレ度
二 第十 一戦隊支援等 当面 ノ任務遂行上特ニ 必要 トスル兵 力ヲ除
ル攻撃行動 ヲ執 ル ハ未ダ其 ノ時機ニ非 ラザ ル儀 ト承知 アリ度
撃破 スベキ コト勿論ナ ル処全面作戦 ヲ誘起 スル虞 アル広範囲ニ渉
一 揚 子江方面其 ノ他ニ於 テ敵攻撃 シ来 ル場合 ハ断乎当面 ノ敵 ヲ
大海機密第 一〇号
軍令部機密第 四二二番電
宛
昭和十二年八月六日午後七時 五十分発電 発
べシ
恭
王
配備艦船竝ニ上海海軍特別陸 戦隊漢 口分遣隊 ヲ上海 方面ニ集結 ス
博
発 軍令部総長
軍令部総長
昭和十二年八月六日午後七時 二十分発電 宛 聯合艦隊司令長 官 軍令部機密第 四 二一 番電 大海令第 九号 奉勅
昭和十 二年八月六日 永野聯合艦隊 司令長官ニ命令 聯合艦隊司令長官 ハ第八戦隊、第 一水雷戦隊及第 一航空戦隊 ヲ シテ作戦 ニ関 シ第三艦隊司令長官 ノ指揮 ヲ受 ケ シムベシ 昭和十二年八月六日午前十 一時0分発電 発
海 増援 ハ情況特ニ之 ヲ要 スル場合 ノ外第十 一戦隊 ノ概ネ上海集結
次長
宛 聯合艦隊司令長官 ( 第 二、第 三艦隊司令長官、各鎮司令長 官、
完了後 トセラ レ度 発
次長
府 司令長官、各要港部、駐満海軍司令官)
第三艦隊司令長官 (聯合 艦隊、第 二艦隊各司令長官、各鎮守
昭和十 二年八月六日午後十時三十分発電 宛 軍令部機密第 四二五番電 第 一聯合航空隊 ヲ臺北及濟州島 (大村)ニ進出 セシメラ レ度
大海機密第十 一号
増援兵力 ノ待機竝ニ進出
第三艦隊司令長官 ノ作戦指導
尚当時軍令部作戦主務部 に於け る上海 及青島作戦 に対する予定概 ね左表 の如し 第三項 第 一目
八月六日増援兵力 の待機竝 に 一部進出 に関する中央発令 を受領せ
軍令 部次長
る第 三艦隊司令長官 は逐次次 の如く発令処置したり 発
第三艦隊司令長官 ( 聯合艦隊、第二艦隊、各鎮守府司令長官、
八月六日 発電 宛
各要港部、駐満海軍各司令官) 軍令部機密第四二五番電 大海機密第十 一号 第 一聯合航空隊ヲ臺北及濟州島 (大村)ニ進出 セシメラ レ度 第 三艦隊司令長官 第 一聯合航空隊各司令官
発電 発
第三水雷戦隊
八月 七日 宛
各 要 港 部 、 駐満 海 軍 各 司 令 官 、鹿 屋 、木 空 、 各 司 令 、第
(次 官 、次 長 、聯 合 艦 隊 、第 二艦 隊 、 各鎮 守 府 各 司 令 長 官 、
三艦 隊 各 司令 官 )
一 第 一聯 合 航 空 隊 司令 官 ハ鹿 空 部 隊 ヲ臺 北ニ 木 空 部 隊 ヲ大 村ニ
第 三 艦 隊機 密 四 三五番 電
第 三水 雷 戦 隊 司令 官 ハ 一聯 空 ノ移 動ニ 際 シ麾下 ノ 二艦 ( 艇)
(濟 州島 基 地完 成 セバ濟 州島ニ 進 出 セ シ ムベ シ) 二
第 三水 雷 戦 隊 司令 官 ハ 一聯 空 ノ基 地 進出 後 第 一水 雷隊 ノ各 一
ヲ 以 テ木 空 部 隊 ノ飛行 警 戒ニ 充 ツベ シ 三
艇 ヲ指 定 シ後 発 基 地員 ヲ臺 北 及 ビ 濟 州島ニ 輸 送 セ シ メ爾後 各 基 地
第三艦隊 司令長官
ニ 於 ケ ル通 信連 絡竝ニ 飛 行 警 戒ニ 任 ゼ シ ムベ シ
発
(軍令部総長、聯合 艦隊 、第 二艦隊、各鎮司令長官、第九
第八戦隊、第 一水雷戦隊、第 一航空戦隊各司令官
八月 七日 発電 宛
戦隊司令官、呉鎮第 二佐鎮第 一特陸司令) 第 三艦隊機密第 四三六番電
一 第 八戦隊第 一水雷戦隊呉鎮守府第 二特別陸戦隊、佐世保鎮守
(二)乗艦区分 ヲ佐世保第 一特別陸戦隊第八戦隊呉第 二特陸 第 一
府第 一特別陸戦隊 ハ左記ニ依 リ佐世保ニ於テ待機 スベシ 水雷戦隊 トス
(二)十 二時間待機 トス但 シ特別陸戦 隊 ハ訓練及居住ニ必要 ナ ル
最小限 ノ モノヲ除 キ兵器物品 ヲ予 メ所 定乗艦ニ搭載 シ置 クモノ トス
発 第 三艦隊司令長 官
二 第 一航空戦隊 ハ十二時間待機 卜ナシ九州西岸ニ在 ルべ シ 発電
第三艦隊各司
(次官、次長 、聯合艦隊、第 二艦隊、各鎮司令官、各要 港
第三水雷戦隊、第 一聯合航空隊各司令官
八月 七日 宛 部、駐満海 軍各司令官、鹿空、木空各司令 令官)
認む
発
第 三艦 隊 参 謀長
尚 九 日次 の如 く具 申 せ り
発電
軍 令 部 次長 (次官 )
八月九日 宛
上 海 附 近 支 那側 軍 備 急 速 強 化 ノ実状 ハ累 次 電 報 ノ通 ナ ルガ右 ハ
第 三 艦 隊 機 密 号 四 八 四番 電
ノ状 況 ヲ彷 彿 セ シ ム ル モノ ア リ テ現在 ノ 上海 特 別 陸 戦 隊 及艦 船 陸
殆 ド我 方 ノ予想 セザ リ シ所 ニシ テ今 ヤ漢 口 ニ於 ケ ル居 留 民引 揚 時
戦 隊 ノ全 力 ヲ以 テ ス ル モ租 界 警 備 上兵 力 不足 ヲ感 ズ ル ニ至 レ ルヲ
第三艦隊機密四五三番電 三 第三水雷戦隊司令官 ハ水雷艇 ヲ以 テ第 一聯合航空隊後発基地
以 テ約 五 個 大隊 ノ 兵力 増 援 必要 ナリ ト認 ム依 ツ テ此 ノ際
第 三艦隊機密第四三五番電中第 三項 ヲ左 ノ通改 ム 員 ヲ輸送 セシメタル後臺北 及済州島ニ各 一隻 ヲ残留 セシメ通信連
顧 慮 ス ル ニモ及 バ ザ ルべ ク寧 ロ却 ツ テ我 ガ不 拡 大 方針 ヲ徹 底 セシ
右 ハ漢 口其 ノ他 ノ居 留 民 引揚 ヲ断 行 セ ル今 日ニ於 テ殊 更 刺 戟 ヲ
地ニ 待機 セ シ ム ルノ要 アリ
先 遣陸 軍部 隊 ヲ速 カ ニ上 海ニ 派 遣 ス ルカ 又 ハ少 クト モ之 ヲ乗 船
(一) 佐 世 保 待機 中 ノ特 別 陸 戦 隊 ヲ至 急 上海ニ 派 遣 シ
第 三艦隊司令長 官
絡竝ニ飛行警戒ニ任 ゼ シムべシ 発電 発
第三艦隊
八月九日 宛 第 三艦隊機密第四九四番電
ム ル上 ニモ、効 果 ア リ ト信 ズ 本 件 当 地陸 軍 ト協 議 済尚 上 海 方 面 ︹ 誠一︺ 作 戦 ノ場 合陸 軍 兵 力 派 遣ニ 関 ス ル喜 多 陸 軍武 官 ノ意 見 ( 陸軍電参
第八戦隊、第 一水雷戦隊 、第 一航空戦隊、第 二十 二航空隊、鶴 見佐 一特呉 二特 ハ即時待機 卜ナセ
照 ) ニ ハ全 然同 意 ナ リ
セラレ然 ルベキ儀 ト御了知 アリ度念 ノタメ
特陸派遣 ノ件 ハ大海機密第十号 ニテ貴艦隊長官ニ於 テ機宜実施
一 第三艦隊機密第 四八四番電
翌 十 日 軍令 部第 一部 よ り第 三 艦 隊参 謀 長 宛 左 の電 あ り た り
当時上海附近中国側軍備 の急速強化 に鑑 み第 三艦隊参謀長八月七 日軍令部 に対し次 の意 見を具申 せり 此数日更 に蛟江碼頭附 近 一帯 の地に江岸 に面す る防禦工事 を施 し つつあり右 の工事 は軈て呉淞に延長 せらるべく黄浦江岸よりは 陸兵 の上陸困難となるべき場合 を顧慮し第二段作戦 の派遣陸軍は 揚子江本流 の上流作戦 にも適す る兵団を充当す るを要す るも のと
二 陸 軍 上 海 出兵 ハ差 当 リ 一個 師 団 ( 内 一個 旅 団 ﹁ 歩 兵 三大 隊 基
特 別 陸 戦 隊 ハ現在 準 備 シ ア ル二個 大 隊 以 上 ハ増 派 セラ レズ
動 の慎重 を指令 せり
待機部隊 に対し短時間待機 を令し且其 の影響 を考慮し麾下 に対し行
八月十日 発電
発 第 三艦隊司令長官
三
宛
幹 ﹂ 応 急 派 兵 ) ノ コト ニ計 画 セ ラ レア ル モ未 ダ 動 員決 定 ア ラ ズ 決定次第通知 ス
ケ進 発 スベ シ
せし事態悪化 に対す る麾下兵力 の集中竝 に増援兵力 の待機進出 に関
田為次同山本親雄 と の間 に打合せを行はしめし が八月六日以来受領
に於 て第三艦隊参謀海軍中佐中村勝平 をして軍令部参謀海軍中佐岡
第 三艦隊 司令長官 は先 に策定せし作戦計画 に関し八月初 め佐世保
第 二目 事態悪化 に備ふる兵力配備
第 八戦隊 、第 一水雷戦隊 、佐 一特陸、呉 二特陸 ハ直ニ上海ニ向
第 三艦隊機密第 五〇三番電
要港部、駐満海軍司令官)
( 大臣、総長、聯合艦隊、第 二艦隊、各鎮各司令長官、各
第 三艦隊、第八戦隊 、第 一水雷戦隊、第 一航空戦隊
尚 明 十 日海 軍 次官 及軍 令 部 次長 よ り第 三艦 隊 司 令 長 官 宛 時 局指 導
目 下外 交 交 渉 進 行 中 にし て最 も慎 重 を要 す る時 機 に ても あ り旁
に関 し 次 の如 く 申進 あ り た り
旁 事 態 の解 決 は窮 極 は武 力 に依 る の外 無 き に至 る とす るも陸 軍 の
る限 り支 那 側 よ り攻 撃 せざ る中 央 政 府 の意 向 な る旨 の特 情 も あ る
派 兵 には相 当 の時 日を要 す る のみ ならず 我方 よ り攻 撃 を開 始 せざ
次 第 な る を老 慮 し 大 山 中尉 射殺 事 件 に対 す る 当面 の処 置 は先 づ真 相 を糾 明 す る等 必 要 な る外 交的 措 置 を執 る こと と し可 及 的 事 態 を 急 速 破 局 に導 かし めざ る様 致 し度
次 官 、次 長
する指示 に基 き該作戦計画案 に則 り逐次次 の如く兵力部署 を発布 せ
発
り
八月 十 日 午後 五時 一〇 分 発 電 宛
第 三 艦隊 司 令 長 官
機 密 六 八 五番 電
ル筈 ノ処 取 敢 へズ現 下 ノ尖 鋭 ナ ル空 気 ヲ緩 和 ス ルノ手 段 ヲ執 ル コ
宛
八月八日午 後十 一時発電
発 第 三艦隊司令長官
ト極 メ テ必要 ナ ル モノ ト存 ゼ ラ ル ル ニ付 貴 地 総領 事 ト連 絡 ノ上 上
一 時局不拡大 ノ帝国 ノ方針ニ拘 ラズ日支関係 ハ益悪化 ノ傾向 ヲ
大 山 事件 ノ根 本 的 処 理ニ 関 シテ ハ請 訓 ヲ待 チ テ 回訓 ヲ発 セ ラ ル
海 市 政 府 及 南京 政 府 関 係 当 局ニ 対 シ我 陸 戦 隊 ノ所在ニ 近接 ス ル保
二 本艦隊 ハ中支及南支方面ニ於 ケ ル帝国臣民ノ保護及権益 ノ擁
示 シ揚子江流域各 地居留民 ハ全部 上海及内地ニ引揚 ゲツツアリ
護ニ任ジ ツツ事態拡大ニ応ズ ル 一切ノ準備 ヲ迅速ニ整 ヘントス
第三艦隊、第 一航空戦隊、第 八戦隊、第 一水雷戦隊外
レ度 本 件 趣 旨 外務 省 ヨリ モ出 先ニ 訓 電 セ ラ ル ル筈
安隊 ノ後 退 及其 ノ防 備 施 設 ノ撤 廃等 ヲ速 ニ実 行 ス ル様 厳 重 申 入 ラ
第 三艦 隊 司 令長 官 は次 の如 く 逐 次 増派 部 隊 の進 出 を命 ず ると 共 に
三 兵 力 部署 (一)中支部隊 (本職直接指揮) 第十 一戦隊 ( 第十 一戦隊 司令官)
出雲、第十六駆逐隊 ( 臨時編入)( 直率)
(ロ)第 一警戒部隊 第八戦隊第 一水雷戦隊(第八戦 隊司令官)
(イ)主隊 (ハ)第 二警戒部隊
ニ至 ル水域
於ケ ル支那国艦船及航空機ニ 対 シ監視警戒 スべシ
二 第 二警戒部隊 ハ佐世保鎮守府第 一特別陸戦隊及呉鎮守府第 二
(一八)月十 二日 一三〇〇以後共 ノ大部 ハ便宜上海発呉淞ニ回航
特別陸戦隊揚陸後差当リ左記ニ依 リ行動 スべシ
シ同方面及其 ノ下流江口 ニ至 ル水域ニ於 ケル支 那国艦船及航空
(一二 部) 艦船 ( 軍艦 三隻又 ハ駆逐隊 二隊 ヲ標準ト ス) ハ上海ニ
機ニ対 シ監視警戒 スベシ
在 リテ同 地ノ警戒ニ関 シ第 一警戒部隊及陸戦部隊ニ協 力 スル外
別ニ定 ムル所ニ依 リ上海市内地形偵察陸戦諸訓練竝ニ補給 ヲ行 フべシ
ニ派遣 シ教育訓練 ヲ実施 セシム
長 谷 川清
(三)特令ニ依 リ又 ハ木職 ノ承認 ヲ得 テ 一部艦船 ヲ馬鞍群島方面
機密第三艦隊命令第 七五号
第三艦隊司令長官
昭和十二年 八月十二日上海 旗艦出雲 第 三艦隊命令
一 今夕上海 四周ノ情勢 ハ 一触即発 ノ危機ニ瀕 セリ
上海北力ニ於 ケ ル支那軍 ハ概 ネ左記配備ニ在 ルモノノ如 シ
路基美路交 叉点旧月迺家花園)附 近ニ在 リ
師 ノ 一部 (兵力不明) ニシテ其 ノ 一部隊 ハ陸軍武官室 (狄 思威
(二)江湾及市 政府方面警察大隊 ノ主 力保 安隊 ノ 一部及第八十 七
﹁ハスケ ル﹂路 ( 北 四川路老〓子路交 叉点北西 地区) ニアリ 清
(一)閘北方面保安隊主力及第八十八師 ノ 一部 ニシ テ其 ノ部 隊 長 谷 川
機 密第 三艦隊命令第 七三号 第 三艦隊司令長官
昭和十 二年 八月十 一日上海旗艦出雲 第 三艦隊命令 一 第 一警戒部隊 ハ八月十 二日以後黄浦江内及呉淞上流通州水道
(呉 三淞 )鎮賢山鎮方面所属不明ナ ルモ其 ノ兵力約 一千名 ト推測 セラル 二 当艦隊在 上海各部隊 ハ警戒ヲ厳 ニシテ事態 ノ推移 ヲ監視 セン トス 三 出雲艦長 ハ第 三編制陸戦隊ヲ虹 口地区ニ揚陸 シ上海特別陸戦 隊司令官 ノ指揮下ニ入 ラシムベ シ 四 第十 一戦隊 司令官 ハ麾下在 泊艦船 ノ第 一編制陸 戦隊 ヲ大阪商
みならず従来 の実情 より見 るも特 に支那側を刺戦す る虞少く交渉 けらるる意嚮 なり
上 の不利 を招く懸念亦少 なきに付形勢 に変 化なき限 り現配備を続
第 二警戒部隊指揮官第 八戦隊司令官海軍少将南雲忠 一は八月十日
対支作戦開始 に関し次 の如 く第 三艦隊司令長官に意見 を具申 せり
諸情報 を綜合する に近く 上海方面 に於ける日支開戦 は避くべ か
肯 せしむるに充分なり
膺懲を加 ふる大義名分明白 にして世界 に帝国 の断乎 たる処置を首
大山中尉射殺事件 は明に支那側 の挑戦行為 にして帝国 の支那 に
らざるものと判断す
シ
船〓山碼頭ニ揚陸 シ上海特別陸戦隊司令官 ノ指揮 下ニ入ラ シムベ 五 上海特別陸戦隊司令官 ハ前 二項 ノ兵力 ヲ併 セ指揮 シ概 ネ非常
但 シ現ニ警備地区内ニ侵入 シアル支那兵 ハ現在地ニ於 テ之 ヲ監視
一部兵力 ヲ以テ公大飛行基地設営作業 ヲ掩護 スベ シ
し此 の時隔 は極力短縮 するを要す
開始す るを要す而して攻撃開始 に続 いて陸 軍揚陸 を行 ふ如 く計画
緩 和し之等作戦諸準備 の完成 を侯っ て 一挙 に海陸空 の攻撃作戦 を
断行 し此 の間成可く内 は警戒 を厳 にし つつ外交手段 に依 り情勢を
帝国 は速 に上海方面攻撃 の準備 を進め殊 に陸軍 の出兵 を隠密 に
シ彼 ヨリ攻撃ヲ加 ヘントスルカ或 ハ現在地 ヨリ 一層 内方ニ侵入 セ
警戒第 三配備 ノ要領 ヲ以 テ常時警備 地区内 ノ居留民保護ニ任ジ又
ント スル場合 ノ外之ニ対 スル攻撃 ノ開始 ハ特令ニ依 ルモノトス
機 に到達 せりと認む
已 に計画 せら れある処 なりと思 はるるも速 に実行 に移 さるる時
右 に対し第 三艦隊参謀 長は ﹁末 だ開戦を先決して進 む時機 に非ら
六 第 一水雷戦隊司令官 ハ上海在泊艦 (隊) ヨリ急速陸戦隊 ヲ揚 陸 シ得 ル如 ク準備 スベ シ
中支出兵 の決定
る意 見 の齟齬
中支出 兵に対す る海軍中央 部 に於 け
第 一項 中支派遣準備 に関す る軍令部海
第 一節
第 三章
は右意 見と何等異 る処なし﹂ となせり
ず 開戦を覚悟 して外交交渉を待 つを適当 と思老す従って準備 に於 て
右陸戦隊 ノ上陸 点ヲ出雲繋留桟橋ト予定 ス 上海陸上 に於 ける兵力配備 に関し八月十三 日軍令部第 一部長 より 参諜長宛 鉄路 以西 の派兵は保安隊撤退方外交交渉 の見極め つく迄情況差 支無き限 り成可く見合す る様考慮あり度 と注意ありしに対し第 三艦隊参謀長より次 の如 く回答 せり 八字橋 地区内配備 は居留民居住区域 の確保上極 めて必要なるの
る支那正規軍 の兵力 に非す れば衆寡懸絶す我将兵 の善謀勇戦 を
に属す即 ち事態急迫 の時は所要 の陸軍兵力派遣 を必要 とする所
以 てす るも永 く居留 民保護 の任を全うし得る事 は蓋し至 難 の事
軍省 に対す る申入 軍令部 に於 ては山東及揚 子江流域 に於 ける不穏 の形勢 に鑑 み青島 以なり
及上海 に対する陸軍 の派兵準備 の必要 を感 じ八月六日左 の如く海軍 省 に申 入れたり
而し て事態 は今 や急迫 の頂 点に達 しあり仮令日支両国首脳部 に
有可能 の方法 を選 ぶも尚七日 ( 上海)乃至九日 ( 青島) を要す
(四)右陸軍兵力 の派遣は之を決意 してより現地 に到達す る迄凡
一 政府 は青島 、上海居留民 の生命財産擁護 の為陸軍兵力を所要
此 の際速 に閣議 に於 て左記承認するを要す に応じ直 に急派 し得 るの準備をなす こと
発生せざるを保 し難き状況 に於 て情況 の変化 に応じ最 小 の日数
於 て和平解決 上種 々の対策を講ぜらるるも万 一の事端 地方的 に
を以 て所要兵 力を派遺 せしめんが為 今日より右兵力派遣準備 を
由
(一)山東地方及長 江流域 は我国対支経済発展 の二大枢軸なり
完成し置 く事絶対必要なり
一 理
就中之 が中心たる青島及上海 に於 て邦人 の有す る経済産業施設
急進す るに至らば陸軍兵力 に依り て処断 する の外なく 一方目下進行
其 の後 大山事件勃発 に伴 ひ我が方が積 極的増兵 を直 に行 ひ事態益
処 ありたり
勢 の昂揚と共 に優勢 なる兵力 を両地 に集結 し我居留民居住地区
中 の機微な る外交措置 をも考慮し八月十日海軍中央部は省部協議 の
す る軍令部参謀本部間 の連絡
第 二項 事態 の逼迫 と上海青島出兵 に関
本件 に関し米内海軍大臣は八月七日午前杉山陸軍大臣に申入 るる
り
右準備は軍令部参謀本部 の事務的研究 によ れば実 行 可 能 な
は数十年 に亘 る苦心経営 の結晶 にし て 一朝 の事変 のため之を水 泡 に帰 せしむ るは帝国将来 の為忍 び得ざ る処なり即ち今次事変 の影響右両地 に波及 し邦 人 の権益侵害 せら れんとするに当りて は帝国は実力を以て之 を擁護す る事緊要なり之 れ満洲事変以後 帝国不動 の国策 なり (二)今次事変 発生以来支那官憲 に於 ても右 両地に禍乱 の波及を
邦人経営 工場を包 囲するの態勢 を整 へつつあり支那側 の保証誓
結果次 の如く処置 する こととなれり
防止す るがの如き態度 を示 したるも最近全支に漲る抗 日排日気
るは累 次実例 の示す ところ にし て邦入 の権 益生命 は当 に風前 の
宛 第 三艦隊司令長官
八月十日午前 十二時発電 発
次官、次長
言 は幾度之 を口舌 の上に反覆す る共事件勃発後之 に信頼 し得ざ
(三)現在 上海 に特別陸戦隊あ り青島 に派遣 せらるべき陸 戦隊亦
燈 に等 しと謂 ふべし 待機中なるもそ の兵力装備より見 て現 に右両 地に集結せられた
目 下 外 交交 渉 進 行 中 ニシ テ最 モ慎 重 ヲ要 ス ル時 機 ニシテ モア リ
海 市 政 府 及南 京 政 府 関 係 当 局ニ 対 シ我陸 戦 隊 ノ所 在ニ 近 接 ス ル保
ト 極 メテ 必要 ナ ル モノ ト存 ゼラ ル ル ニ付 貴 地総 領 事 ト連 絡 ノ上 上
ル筈 ノ処取 敢 ヘズ現 下 ノ尖 鋭 ナ ル空気 ヲ緩 和 ス ルノ手 段 ヲ執 ル コ
労 々事 態 ノ解決 ハ窮 極 ハ武 力 ニ依 ルノ外 無 キ ニ至 ルト ス ル モ陸 軍
レ度 本 件趣 旨 外務 省 ヨリ モ出 先ニ 訓電 セラ ル ル筈
安 隊 ノ後退 及其 ノ防 備 施 設 ノ撤 廃 等 ヲ速 ニ実 行 ス ル様 厳 重 申 入 ラ
機 密 六 八 一番 電
ノ派 兵 ニ ハ相 当 ノ時 日 ヲ要 ス ルノ ミ ナ ラ ズ我 方 ヨリ攻 撃 ヲ開 始 セ
特 別陸 戦 隊 ハ現 在 準 備 シア ル一一 個 大 隊 以 上 ハ増 派 セラ レズ
きも軍令部第 一部長 より動員実施 の必要 あるを述 べら れたる に対し
右 に対し海軍大臣 は関係師団 の動員準備 と考 へられ居 たりしが如
議し て閣議 に諮す ることを海軍省 に要求 せり
を上海 二箇師 団青島 も 一箇師団を必要 に応 じ派遣 の件 を海軍より提
と申越 せり依っ て軍令部は今後 の中南支 の事態 に応ず る為陸 軍兵力
相が陸相 に会見 せら れ情況竝 に出 兵提議 に つき打合は せられ度
参謀本部第三課長も三箇師団 一括閣議 上程 に同意なり閣議前海
寺 田参謀本部部員 に帰庁後更 に電話 を以て
と の回答 なりしが福留第 一課長 は ﹃其 の通運 ぶべし﹄と応じたり。
及各般 の準備を為す様海 軍大臣 より閣議 へ提出 を希望す
隊 及予定 の第三師団、第十 一師 団、第十 四師団 の三箇師団 の動員
の都度動員 に関し閣議 に諮 られるよりも此際 一括両地 への先遣支
陸軍と しては差当り上海 次 いで青島方面 に事件勃発せりとて其
望 を申 入れたるに寺 田参謀 本部部員 は
長 は朝来省部間 に進め来れる海軍作戦方針竝 に陸軍出兵 に対す る希
に海軍作戦特 に航空作戦 の方針 に就 き連絡し更 に福留 軍令部第 一課
本部部員 に対し大山事件 に関 し事件 の真相之 に対する海軍 の方針竝
一方同十日岡田軍令部第 一課部員 は軍令部 に来訪中 なる寺 田参謀
ザ ル限 リ支 那側 ヨリ攻 繋 セザ ル中 央 政府 ノ意 向 ナ ル旨 ノ特情 報 モ ア ル次 第 ナ ル ヲ考慮 シ大 山 中 尉 射 殺 事件ニ 対 ス ル当 面 ノ処 置 ハ先
軍 令 部第 一部 長
ヅ 真 相 ヲ糾 明 ス ル等 必要 ナ ル外 交 的 措 置 ヲ執 ル コト ト シ可 及 的 事
発
態 ヲ急 速 破 局ニ 導 カザ ル様 致 度
第 三艦 隊 参 謀 長 外
八 月 十 日午 後 一時 八 分 発電 宛 機密 四 四 四番 電 一 第 三艦 隊 機 密 第 四八 四番 電
特 陸 派遣 ノ件 ハ大海 機 密 第 一〇号ニテ 貴 艦 隊 長 官 ニ於 ア機 宜 実
二
陸 軍上 海 出 兵 ハ差 当 リ 一個 師 団 (内 一個 旅 団 ﹁ 歩 兵 三大 隊 基
施 セ ラ レ然 ルべ キ儀 ト御 了 知 ア リ度 念 ノ為
三
次官、次長
幹 ﹂ 応 急派 兵 ) ノ コト ニ計 画 セラ レア ル モ未 ダ 動 員決 定 ア ラズ 決 定 次 第 通知 ス
第三艦隊司令長官外
八月十日午後 五時十分発電 発 宛
機密六八五番雷 大山事件 ノ根本的処 理ニ関 シテ ハ請訓 ヲ待 チテ回訓 ヲ発 セラ ル
﹃動 員 部 隊 を内 地 に止 め置 く こと可 能 なり や ﹄ と の質 問 あ り 之 に 対 し て は参 謀 本 部 と の研 究 に よ り ﹃前 例 もあ り差 支 な し﹄ と 答 へた り 然 れ共 尚 米 内 海 軍 大 臣 は多 分 に目下 進 行 中 の機微 な る外 交 措 置 に
然 れ ど も 一方 全 支 に波 及 せ る抗 日侮 日気 勢 の狂 奔 的昂 揚 及 之 に
時 宜 に適 し た る も のと 信ず
る中 央 軍 の包 囲態 勢 は将 にそ の配備 を 成形 せ ん とす る の情 勢 に在
伴 ふ各種 積極 行動 は 日 に甚 しき を加 え 且平 津 地方 の安固 を脅 威 す
り、 一度 和 平解 決 に し て其 の望 を 失 ひ帝国 国 威 国 権 の為 遂 に断 乎
とし て実 力 に訴 へざ る可 から ざ る に至 る場 合 に対 し ては 我戦 略 的
望 を嘱し 今 明 日中 に何 と か其 の成果 を期 待 し得 べき を 以 て閣 議 に於 て今
らず
態 勢 は 日 に同 に非 な ら んと す る形勢 な る に深 く思 を致 さ ざ る可 か
惟 ふ に現 在 の時 局 は所謂 開 戦 前 に於 け る 政 略戦 略 の交 錯 期 にし
後 の情 勢 に応 じ直 に要 求貫 徹 を容 易 な らし む る如 く措 置 し置 く べ
て両者 の関 係 頗 る複 雑機 微 な るも のあ り 、 若 し大 勢 を洞 察 し て時
き も今 日直 に陸 軍 派 兵 の件 を決 定 す る は暫 く 待 た れ度 し
る こと と し 一応 海 軍 大 臣 の説 を 容 認 せ り 尚参 謀 本 部 に対 し ては岡 田
と の態 度 な り き軍 令 部 と し ては 今 後 の事 態 に応 じ何 時 に ても要 求 す
局 の推 移 を達 観 す る の明 を欠 き 両 者 の協 調 宜 し き を得 ざ る に於 て
今 や 支 那 は応 戦 不 求 戦 を 標 語 と し内 心戦 争 の荷 重 に堪 えざ る を
せざ る の愚 を嗤 ふ も の なる を忘 るべ か らず
戦 備 を遅 延 し遂 に空 し く戦 機 を逸 し却 て戦 争 (政略 )目 的 を達 成
決 の光 明 に眩 惑 せら れ相 手 国 を刺 戟 せざ ら ん こと のみ に専 心 し て
と な り遂 に身 を国 際 的 破 局 に投 ず る の暴 勇 を 戒 む る と共 に和 平 解
的 の老 察 措 置 を誤 り無 名 の師 の議 を受 け て列 国 の誹 議 干 渉 の焦 点
古 来 歴 史 の訓 ふ る処 は か の徒 に戦 略 的 優 位 獲得 に焦 慮 し て政 略
に至 ら ん事 を虞 る
は和 戦 其 の何 れ に決 す る も帝 国 を救 ふ可 か ら ざ る の深 淵 に投 ず る
軍 令 部部 員 よ り 海 軍 と し ては 一括 上 程 の手 配 を と り つ つあ る こと 及海 相 は陸 軍 動 員 の こと に関 し て は十 分 予 め 陸 相 と連 絡 し あ る故 閣 議 前 更 に会
軍 令 部 海 軍 省 間 の折 衝
見 す る の要 な か る べし と の意 見 な り と連 絡 し 置 け り 。 第 三項
軍 令 部 側 に於 ては事 件 処 理 の遷 延 は之 を 許 さ れ ざ る も のと し 焦 慮 す る処 あ り 当 時 横 井 軍 令 部 第 一部 甲部 員 は上 海 及 青 島 方 面 に 対す る陸 軍 動 貝
し之 を促 進 す る為 八 月十 日次 の意 見 を上 司 に致 せ り
派 兵 決 定 の遅 延 は戦 局 の前 途 に憂 慮 す べき 結 果 を齎 す べ き も のと な
の余 必要 な る戦 略 配 備 をな す事 を躇 躊 し厳 乎 た る決 意 を 示す に吝
たり と な さ ん事 を庶 幾 し つ つあ り若 し我 にし て和 平 解決 を決 す る
自 覚 し つ つも尚 其 の面 子 を維 持 し我 国 よ り屈 し て和平 解 決 を求 め
処 理す る は帝 国 と し て執 る べ き最 善 の方 策 な るべ く殊 に平 津 地 方
な る に於 ては彼 は 我真 意 を誤 解 し 日本 は戦 ふ能 はざ る が故 に和 平
北 支 事 変 の解 決 を 日支 国 交 の大 乗 的 見 地 に基 く 外交 交 渉 を以 て
の安 静 一段 落 を告 げ た る今 日 日支 全 面 衝 突 回 避 の外交 工作 は最 も
日 観 は層 一層 其 の甚 し き を加 ふ る の み にし て日 支国 交 将 来 の暗翳
得 ざ る べく 斯 く の如 く し て遂 に 一端 の解決 を 見 る も彼 の侮 蔑 的 対
解決 を求 む るも のな り と の妄 想 を助 長 せ し む る 以外 何 物 をも 克 ち
派部隊進発 し支那当局が豪語せる ﹃此 の上苟 も増派兵力上陸 せば
いて陸戦隊 が異常 の難局 に陥る事 予想 せらるるが故 に既 に特陸増
翌十 一日軍令部 に於 ては次長、第 一第三部長、第 一第 二第 六課長
せんとするものに他 ならず
進 んで攻撃 すべし﹄とす る状況も近迫 せる今 日特 に本意見 を強調
す れば彼 は常 套 的 手 段 に依 り常 に和 平 の望 を仄 し荏苒 時 日 を経 過
愈 々大 な る を致 さ ん のみ 、而 し て斯 く の如 き境 地 に於 て戦 は んと
し 内 戦備 を固 め外 列強 干 渉誘 致 に努 め以 て我 を し て進 退 両 難 に陥
今次大山事件は其 の原 因上海附近保安隊 の軍隊的増強 に関し上
及第 一部甲部員相会 し事件処理方針を研究し次 の通決定 せり。
海 に於け る幾多不祥事件 にも鑑 み、海軍省側 の意 見 の如 く、支那
見透 かされ彼 は軽侮増長し我が上海 より全面的退却を為さざる限
帝 国 と し て今 日執 る べき 対策 は東 洋 平 和 の大 局 的 見 地 よ りす る
ら し む べ き や明 か なり
り遠からず再我 が実力行使 に依り彼 を反省 せしむ るを要 する時機
側 が容認す る程度 の微 温的解決 に委 せんか、禍根を将来 に貽し上
た る 一撃を加 へ得 る の準 備 を完 成 し 両 々相俟っ て速 に時 局 の解決
海附近居留民権益 の擁護 は将来益 困難 とな り延 ては我方 の弱腰 を
を図 る の他 な し 、最 近 の外 交 交 渉 に対 し て は深 く そ の内容 を審 に
に達せん即ち目下進行中 の機微 なる外交 々渉 は前途尚遼遠なる の
る処 無 け れば そ の飽 く な き非 違 不法 を糺 弾 是 正 す る為 直 ち に断 乎
せざ る も関 係 者 の善処 に信頼 す る事 と し 一方 戦 略 的 準 備 完 から ざ
に余り に期待 を掛け断乎所信を実行 せざるは侮 を今後 に貽す虞大
みならず 上海局地 の事造見容 せしむる こと困難 なるに鑑み右交渉
公 平 至 純 な る外 交 交 渉 を促 進 す る と共 に支 那 側 に於 て遂 に反 省 す
る方 面 を 速 に充 足 す る事 肝 要 な り 即 ち現 地保 護 の方 針 下 に在 り然
︹ママ︺
も現 地 の情 勢 急迫 す る 上海 、 青 島 方 面 派遣 予 定 陸 軍 兵 力 の動 員 を
一 目下進行中 の外交施策とは別 に速 に局 地解決 を期す
なり仍って
二 我が方要求事項 は停戦協定 の誠実 なる実行即ち防禦撤廃は勿
速 に下 令 し 機 に臨 み直 に発 し 得 る の姿 勢 に在 らし む る事 を 緊 切 一
延 し外 交 手 段 に翻 弄 せ ら れ所 謂 ﹁明 日 の吉 報 ﹂ の み を鶴 首 し て現
三 適 当 の時機期限附要求を行ふ
論保安隊 の数及武装制限 を行 ふ件 に重点を置 く
刻 も緩 ふす るを 得ず と す る所 以 なり 若 し そ れ支 那 側 の巧 妙 な る 引
地逼 迫 の情 勢 に強 い て目 を蔽 は んと す る に於 ては 対策 機 宜 を 失 し
なくし ては同意出来ざ る軍令部案 には直 に同意し能 はず﹄
﹃現在 国家的方針 は事件不拡大 にし て上海 方面 に事 を起す の決意
協議 せしも
以上 の外右 に附 帯して陸軍派兵準備を促進する こととし海軍省と
遂 に我 国 が東 亜 の安定 勢 力 た る の地位 は有 名無 実 と なり 帝 国 の国
大 山 事 件 を 以 て陸 軍 派 兵 の理由 と なす に非 ず 本 事 件 を契
威 国権 空 しく 泥 土 に委 し去 ら ん のみ 。 附記
機 と し上 海 停 戦 協 定 の精 神 を再 確 認 せ し む る事 を主 眼 とす る交渉 開始 を先 づ 緊 要 と す る も勢 の激 す る 所 更 に大 な る不 祥 事 勃 発 し惹
軍令部作戦課長福留大佐当時 の情 況を次 の如く述 べたり。
とて議纏 るに至 らざりき。 大山事件 に関連し陸軍派 兵動員 に関す る閣議 の提議は今日 にて
も 先 方 よ り言 ひ出 せ しも のな り 成 否 は予 想 出 来 ざ るも 之 を促 進 せ し む る こと は大 切 な り
上海 附 近 に於 て支 那 側 の停 戦 協 定蹂躪 の確 証 な し
大 山 事 件 は 一の事 故 な り何 れ も交 渉 の余 地 残 れり而 も目 下 の処
二
上海 方面 に大 な る変 化 な し
も開 かるる様促進 せしが事 は高等政策 に移 り大臣総長 間 にて話進 行中 なり大山事件 の解決としては停戦協定 の厳 守協定 地域 より保
今 暫 く模 様 を見度 し
今 打 つべき 手 あ る に拘 らず 直 に攻 撃 す る は 大義 名 分 立 た ず
三
ひずし て済むも到底 我が要求 を容 れざ るべきを以て其 の時 は陸軍
安隊 の撤退、防備施設 の撤去 を要求す支那側之 を実行 せば兵 を用
四
公 言 は出 来 ざ れ 共停 戦 区域 に は正 規 兵 は 居 らず ﹁ト ー チ カ﹂
を以 て積極的 に追払ふ斯 くせば名分も立 つべし この為 には尚 一両
我 が居 留 民 に危 害 を及 ぼす が如 き 事 態 に至 ら ば直 に出 兵 す ベ
斯 く の如 き状 態 に ては 北 支 方面 に て積 極 的 に出 る こと は不 可 能
ベか らず
べ からず 満 洲 国特 に熱 河 方 面 の後 方 撹 乱 の虞 あ る こと も 考 へざ る
得 る兵 力 は各 一箇 師 団 に過 ぎ ず 斯 く の如 き こと に て は如 何 と も す
し 但 し 陸 軍 の事情 は 対蘇 作 戦 を 考 ふ る時 は 青島 上海 方 面 に使 用 し
五
塹 壕 等 は防 禦 の為 の準 備 な り
軍令部総長海軍大臣 の談合
然し これ に関 し現在 にては海軍省側 に尚 は つきりせぬ者あり
日を要 すべし 第 四項
軍令部 に於 ては陸軍出兵促進 の必要 を認 め八月十 一日午 前十時 三 十 分伏 見軍令部総長宮 は米内海 軍大臣 を招致 し 一 外交交渉 も必要な れ共対手 は支那人 にし て其 の成否は不明な
と な る 上海 方 面 への陸 兵 派遣 は 此 の辺 の ことも 充 分 に考 へた る上
り之 を重視す るを得ず 二 上海附近 の防備状態及保安隊 の現状 は停戦協定 の精 神に違反
決 行 せ ねば な ら ぬも のと思 考 す
尚 一昨日 は大山中尉射殺事件 あり之 に対する支 那側 の態度不
上海 日支 交 戦 の必 至 態勢 と 上海 確 保
上 海 情 勢 の緊 迫
に関 す る大 海 令 の発 令
第 二特 別 陸 戦 隊 は 同 日午 後 十 一時 上 陸 を了 し 上海 海 軍 特 別 陸 戦隊 司
八戦 隊 及 第 一水 雷 戦隊 は 八 月十 一日 午 後 二時 半 入港 し、 又呉 鎮 守府
斯 の如 く 中 央 に於 け る処 置 進 捗 を見 ざ る処 、 一方 上 海 に於 ては第
第 一項
第 二節
以 上 の如 く申 上 ぐ る所 あ り た り
せり 三
遜 なり今 や陸兵を上海 に派遣 して治安維持 を図るを要す る時機 に 達 せり而し て陸兵派遣 は同時 に外交交渉を促進 せしむるものと認 海軍大臣 の所信如何
む と の御質問 あり右 に対し米内海軍大臣は 一 外交交渉 には絶対的信頼を措かず然 れ共目下進行中 にし て而
令官 の指揮下 に入 れり。 然 るに支那側 にとりては大山事件 に次 で右 の艦船 及部隊 の上海集 中 は相当 の脅威 にして大 に刺戟 せら れたるも のの如 く、京滬及杭南 両鉄路 は旅客 の粟車を止め軍隊輪送 を開始す るに至 り、第 八十八師 と覚 しき支那正規兵及武装保安隊 は同 日朝来陸続として上海附近 に 所 に益戦備 を整 へ正 に 一触即発 の状勢 に在り
集 中し呉淞より江湾鎮 に亘り配備 に就 き租界 と〓北と の境界附近各 第三艦隊司令長官 は次 の命令 を下令 し現 地附近 の警 戒を厳 ならし め事態 の急 転に備 ふると共 に第八戦隊及第 一水雷戦隊 の駆逐隊 二隊 を呉淞 に配し第 一航空戦隊第十 二戦隊第 二十 二航空隊及鶴 見次で第 二航空隊を馬鞍群島方面 に進出せしめたり。 機密第三艦隊命令第 七十三号 第三艦隊司令長官
三
ニ定 ム ル所 ニ依 リ上海 市 内 地形 偵 察 陸 戦 諸 訓 練竝 ニ補 給 ヲ行 フ
第三艦隊司令長官
特 令 ニ依 リ又 ハ本 職 ノ承 認 ヲ得 テ 一部 艦 船 ヲ馬鞍 群島 方 面 ニ
ベシ
派 遣 シ教 育 訓 練 ヲ実 施 セ シム
昭和十 二年八月十 一日
機密第 三艦隊命令第七四号
︹ 專七 ︺
大川内上海海軍特別陸戦隊 司令官ニ命令
一 明八月十 二日午後 ( 時刻未定) 上海 入港 ノ特務艦知床搭載兵
上海海軍特別陸戦隊司令 官 ハ上海駐在主計科武官 ノ協議 ニ応
備品 ノ大部之 ヲ大阪商船〓山碼頭倉庫ニ陸揚格納 ス
ジ右 兵備品揚陸時 ヨリ 一部 兵力 ヲ以テ之 ガ警衛ニ任ズベ シ
二
幸 にし て我 が方 の自 重 に依 り 不安 の 一夜 は異 状 なく 経 過 せ る が 、
護の為 歩 武堂 々警 戒 配 備 に就 き 、 十 二 日 日 没前 虹 口 地区 越 界路 上 に
支 那側 包 囲態 勢 は益 緊 迫 を 加 ふ る も のあ り き 。我 が陸 戦 隊 は租 界 保
昭和十二年 八月十 一日 一 第 一警戒部隊 ハ八月十二日以後黄浦江内及呉淞上流 通州水道
命 令 を 下令 せ り 。
機密第三艦隊命令第 七五号 昭和十 二年 八月十 二日
一 今 夕 上海 四 周 ノ情 勢 ハ 一触 即 発 ノ危 機 ニ瀕 セり
第 三艦隊司令長官
旦り警 戒 兵配 備 の手 配 を了 し た る が 、 第 三 艦 隊司 令 長 官 は 同夜 左 の
ニ至 ル水域 ニ於 ケ ル支那国艦船及航空機 ニ対 シ監視警 戒 スべ シ 二 第 二警戒部隊 ハ佐世保鎮守府第 一特別陸戦隊及呉鎮 守府第 二 特別陸戦隊揚陸後差当 リ左記 ニ依リ行動 スベ シ (一)八月十二日一 二〇〇以後其 ノ大部 ハ便宜上海発呉淞 ニ回航 シ同方面及共 ノ上流江 口 ニ至 ル水域 ニ於 ケル支那国艦船 及航空 (一二 部) 艦船 ( 軍艦 三隻又 ハ駆逐隊 二隊 ヲ標準ト ス)上海 ニ在
機 ニ対 シ監視警戒 スベシ リテ同地 ノ警 戒 二関 シ第 一警 戒部隊及陸戦部隊 ニ協力 スル外別
上海 北方 ニ於 ケ ル支 那 軍 ハ概 ネ 左記 配 備 ニ在 ル モノ ノ如 シ
右陸戦隊 ノ上陸 点ヲ出雲繋留桟橋 ト予定 ス
然 る に海 軍 省 事 務 当局 は最 後 迄 不拡 大 方 針 を 堅持 し結 局海 軍 省 軍
(一)閘 北方 面 保 安隊 主 力 及 第 八 十 八師 ノ 一部 ニ シテ其 ノ 一部隊 ﹁ハスケ ル﹂ 路 ﹁北 四川 路 、 老〓 子路 交 叉 点 北西 地区 ﹂ ニ在 リ
務 局長 軍 令 部 第 一部長 の協 議 は 依 然 と し て何 等 の進 展 を見ず し て夕
動 員 下 令 時 よ り 二十 日 を要 す﹄ る を知 れり
﹃陸 軍 二箇 師団 が上 海 方 面 に展 開 し 攻 撃 前進 を開 始 す る迄 には
又同 十 二 日木 坂 軍令 部 部 員 が参 謀 本 部 に連 絡 せ し処 に依 り
刻 に至 れ り。
(二江 )湾 及 市 所 府 方面 警 察 大 隊 ノ主 力 、 保 安隊 ノ 一部 及 第 八 十 七 師 ノ 一部 (兵 力 不 明) ニシ テ其 ノ 一部 隊 ハ陸 軍武 官 室 (秋 思 威 路 、其 美 路 交 叉 点 、 旧月迺 家 花園 ) 附 近 ニ在 リ (三 呉) 淞 鎮 、 賓 山鎮 方 面 、 所 属 不 明 ナ ル モ其 ノ兵 力 約 一千 名 卜
右 に よれ ば動 員 下 令 と 日支 衝 突 同 時 に始 ま れば 陸 戦 隊 は単 独 に
て約 二十 日 間戦 闘 を継 続 す る を要 す る次 第 な り従っ て動 員 下 令 を
な る べく 早 く し 日支 衝 突 を な る ベく 遅 く す る を要 す 且陸 戦 隊 は戦
入れたり
あ り弾 薬 軍 需 品等 の補 給 に多 大 の顧 慮 を要 し之 が手 当 を各 部 に申
線 を極 力 短 縮 す る を要 す こ こに於 て上 海 が こ の期 間 孤 立す る の恐
船 羅 山碼 頭 ニ揚 陸 シ上海 特 別 陸 戦 隊 司令 官 ノ指 揮下 ニ入 ラ シ ム
然 る に上 海 方面 の情 勢 は 叙 上 の如 く 急 迫 せ る情 況 にし て這 般 の情
報 瀕 々た る に加 へ同 十 二日午 後 五時 五 十 分 第 三艦 隊 参謀 長 よ り軍令
部 次長 及 海 軍 次官 宛 左 の電 あ り 。
一 上 海 特 陸 ノ報 告 ニ依 レバ昨 夜 来 北 停 車場 附 近 ニ汽 車 及 ﹁ト ラ
機 密 第 五 四 八番 電
監視 シ彼 ヨリ攻繋 ヲ加 へ ムト ス ルカ或 ハ現在 地 ヨリ 一層 内 方 ニ
呉瀬 方 面 ノ状 況 栂機 密 第 二 四四番 ノ通
ツ ク﹂ ニテ八十 八師 続 々到達 既 ニ 一部 ハ鉄 路 ヲ越 へ ﹁ハ スケ ル﹂
此 ノ状 況 ニ対 シ万 一ニ備 フ ル為 本夕 到 迄 ニ虹 口 地 区越 界路 上
路 ニ進 出 ス 二
侵 入 セ ント スル揚 合 ノ外 之 ニ対 ス ル攻 撃 ノ開始 ハ特 令 ニ依 ル モ
第 一水雷 戦 隊 司令 官 ハ上 海 在 泊艦 (隊 ) ヨリ急 速 陸 戦 隊 ヲ揚
三
ノト ス
但 シ現 ニ警 備 地 域 内 ニ侵 入 シ ア ル支 那 兵 ハ現在 地 ニ於 テ之 ヲ
任 ジ 又 一部 兵 力 ヲ以 テ公 大 飛 行基 地設 営 作 業 ヲ掩 護 スべ シ
非常 警 戒 第 三配備 ノ要 領 ヲ以 テ常 時 警 備 地 区内 ノ居 留 民 保 護 ニ
上海 海 軍 特 別陸 戦 隊 司 令 官 ハ前 二項 ノ兵 力 ヲ併 セ指 揮 シ概 ネ
ベシ
第 十 一戦 隊 司 令 官 ハ麾下 在 泊 艦 船 ノ第 一編 制陸 戦 隊 ヲ大 阪 商
隊 司令 官 ノ指 揮 下 ニ入 ラ シ ムベ シ
出 雲 艦 長 ハ第 三編 制 陸 戦 隊 ヲ虹 口 地区 ニ揚 陸 シ上海 特 別 陸戦
トス
当 艦隊 在 上 海 各 部隊 ハ警 戒 ヲ厳 ニシ テ事 態 ノ推 移 ヲ監 視 セ ン
推 測 セラ ル 二
三
四
五
六
陸 シ得 ル如 ク準備 スベ シ
ニ警戒兵 ヲ配 セントス 四 本 日午前三時 ヨリ第八戦隊及第 一水雷戦隊 ノ駆逐隊 二隊 ヲ呉 一方大使館附武官及総領事 ハ即刻停戦協定委員 又 ハ同関係国
淞ニ配備 ス 五 領事ト連絡 シ当地支那官憲 ニ正規兵 ノ撤 退 ヲ要求 シ同時 ニ南京ニ
上海確保 に関する大海令 の発令
此ノ際速 ニ陸軍派兵 ノ促進緊要 ナリト認メラル
於 テ ハ国民政府 ニ要求 セシム 六 第 二項 前述 の如く陸軍出兵 の緊要 なるを要請し来りたるを以て茲に海軍 大臣軍令部次長 の協議 となれり。
陸 軍 出 兵 ハ未 決 定 ナ ル モ出 兵 ノ場 合 ニ ハ二箇 師 団同 時 ニ派 遣 ノ
コト ニ決 定 シ アリ但 シ陸 軍 ノ前 進 行 動 開始 ハ概 ネ 動 員 二十 日 後 ナ
ル ニ付 其 ノ間陸 戦 隊 ノ戦 闘正 面 ハ成 ルベ ク之 ヲ拡 大 ス ル コト ナ ク
陸 軍派 兵 ヲ待 ツ如 ク考 慮 アリ度
統 帥事 項 とし て第 三艦 隊 司令 長 官 に対 し 現 任 務 の外 上 海 を確 保 し
同方 面 に於 け る居 留 民 を保 護 す べ き任 務 を与 へ、 又第 二航空 戦 隊 を
王
し て作戦 に関 し 第 三 艦隊 司 令 長官 の指 揮 を受 け し め、 万 一の場 合 に
軍令部総長
博
恭
対処 す る に遺 憾 な から し めん が為 十 二 日夜 左 の通発 令 せり 。
第三艦隊司令長官
宛
軍令部総長
八月十二日午後十 一時 四十分発電 発 軍令部機密第 四六 一番電
島 田軍令部次長 は米内海軍大臣 に対し逼迫 せる状況 に鑑み最早最 後 の手段を採らざるべからざ ることを申 入れ大臣同意し次 の処置 を
軍令 部機密第 四六二番電
宛 聯合艦隊司令長官
八月十二日午後十 一時 四十五分発電
発
軍令部総長
二 細項 ニ関 シテ ハ軍令部総長 ヲシテ之 ヲ指 示セシム
帝国臣民 ヲ保護 スべシ
一 第三艦隊司令長官 ハ現任務 ノ外上海 ヲ確保 シ同方面 ニ於 ケル
長谷川第 三艦隊司令長官 ニ命令
奉勅
昭和十二年 八月十二日
大海令第十号
執 ること に決 せり 一 陸軍出兵 ( 上海 二箇師団青島 一箇師団) に関す る政府 の方針 二 外交機関を通じ上海停戦区域内 の保安隊及正規兵竝 に防禦 工
決定 の為即夜臨時閣議を要請す
三 所要 の兵力配備 を為 す
事 の撤退撤去を要求す但 し期限 を附けず 四 作戦準備を促進す
発 軍令部第 一部長
之 より先第三艦隊 の作戦指導 に資 せんが為左記を発電 せり。
第三艦隊参謀長
八月十 二日午後八時 四十分発電 宛
機密 四五八番電
昭和 十二年八年十二日
大海軍第十 一号 奉勅
軍令部総長
永野聯合艦隊司令長官 ニ命令
発
博
恭
軍令部総長
王
聯合 艦隊司令長官 ハ第二航空戦隊 ヲシテ作戦 ニ関 シ第三艦隊司 令長官 ノ指揮 ヲ受ケ シムベシ 八月十 二日午後十 一時 五十五分発電 第三艦隊司令長官
王
第 三節
と申 進 す る処 あ り た り
陸 兵 出兵 決 定 時 に於 け る陣 痛
八月 十 二日 夜 近衛 総 理 米 内海 軍 杉 山 陸 軍 廣 田外 務 大 臣 の四相 会 議
を開 催 し米 内海 軍 大 臣 よ り陸 軍派 兵 の方 針 決定 を要 求 せ り。各 大 臣
共事 態 斯 く な る以 上何 れも 異 存 な く、 翌 十 三 日午 前 九 時 正 式閣 議 を
然 る に右 四 相会 議 終 了 し 離 散後 同 夜 杉 山陸 軍 大 臣 より 米 内海 軍 大
開 き之 を決 定 す る ことと な れ り 。
﹃四相 会 議 散会 後 陸 軍 大 臣 は陸 軍 出 兵 内 定 の旨 参 謀 本 部 に通 知 せ
臣 に対 し秘 書 官 を通 じ次 の意 を 通 じ来 れ り
軍 の上陸 点 と し て作 戦 す る こと は絶 望 な り列 国 環視 の中 に て上陸
し く 困難 な ら し む る と ころ な る が更 に呉淞 に敵 が 入 り ては之 を陸
上海 方 面 の作 戦 に於 て は江 湾 を敵 手 に委 す るは 爾後 の作 戦 を甚
少 将 は 次 の如 く 答 へた り
部 部 員 は其 の突 然 な るに驚 き石 原 第 一部 長 に対 し 質 す処 あ りし に同
対す る陸 軍 即派 に関 し 否 定的 と認 めら るゝ 陳 述 あ りし か ば木 坂 軍 令
打 合 を行 ひ居 た る が、 参 謀 本部 第 一部 長 石原 少 将 入 り来 り て上 海 に
同 夜 木 坂 軍令 部 部 員 は 参 謀 本部 作 戦 課 に在 り て上 海 作戦 に関 す る
慮 を要 す る旨 通 告 あり た り﹄
る処 参 謀 本 部 は支 那 側 の戦 備意 外 に進 捗 し当 初 の計 画 時 と は上 海
宛
恭
軍令部機密第四六三番電
博
方 面 著 し く情 況 の変 化 を 来 し た る為 出 兵 に就 き ては 最 も慎 重 に考
軍令部総長
大海令第十二号 昭和十二年 八月十二日 長 谷川第 三艦隊司令長官 ニ指示 ル地域 ヲ確保 スル卜共 ニ機 ヲ失 セズ敵航空兵力 ヲ撃破 スベシ
一 第三艦隊司令長官 ハ敵攻撃 シ来 ラバ上海居留民保護 ニ必要 ナ 二 兵力 ノ進出 ニ関 スル制限 ヲ解除 ス 尚軍令部第 一部長 より第三艦隊参謀長宛第三艦隊 の作戦指導 に関 し
当面 の処 置 と し て は動 員 下令 を為 す こと は 必要 な り 一方極 力 外
戦 が 不成 功 に終 は る こと あら ん か今 次 の作 戦 は根 底 よ り覆 る ベ し
交 交 渉 を行 ふを要 す併 し 外 交交 渉 は成 立 の見込 なく 結 局 上海 陸 戦
陸 軍 出 兵 ハ未 決 定 ナ ル モ出 兵 ノ場 合 ニ ハ二箇 師 団 同時 ニ派 兵 ノ
ル ニ付 其 ノ間 陸 戦 隊 ノ戦 闘 正 面 ハ成 可 ク之 ヲ拡 大 ス ル コト ナ ク陸
隊 に陸 軍 若 干 を注 入 し上 海 租界 を固 め た る後徹 底 的 爆 撃 を行 ふ外
コト ニ協 定 シ ア リ陸 軍 ノ前 進 攻 撃 行 動 開始 ハ概 ネ動員 二十 日 後 ナ
軍 派 兵 ヲ待 ツ如 ク考 慮 ア リ度
手 なし 此 の際大 に考 へ直 す必 要 あり 分援 助 す べ し﹄
て陸 軍単 独 の無 暴 な る 上陸 とな る が如 き こと無 き 様海 軍 に於 て充
定 す る こと と す と茲 に両 部長 の意 見 は 一致 し て 、陸 軍 動 員 は予 定 通
るを 以 て上陸 点 の選 定 従 っ て作 戦 方 法 は 今後 の状 況 に依 り 更 め て決
呉淞 方 面 の上陸 は支 那 側 の戦 備進 捗 の状 況 に鑑 み著 し く 困難 と な れ
と の旨 を 以 て し結 局 上 海 に於 け る陸 軍 作 戦 の見 地 より 最 も 重視 せ る
木 坂 軍 令 部 部員 は ﹃閣 下 の御 意 志 は 帰 庁 の上 上 司 に伝達 す べし ﹄ と答 へた り 。 同 席 せし 参 謀本 部 第 三 課 長武 藤 大 佐 は 作 戦 に関 し ては尚 現 地 に て十 分研 究 打 合 さ れ度 し
之 を実 行 す るを可 と し従 っ て本 日閣 議 の動 員 に反 対 せざ る こと に決
と述 ベ更 に雑 談 と し て次 の如 き意 向 を漏 した り
隊 を同 方 面 に派遣 す る ことと す
現 下 緊 迫 せ る上海 方 面 の状 態 に鑑 み居 留 民 直 接保 護 の為 陸 軍 部
左 の通 決 定 せり 。
同 十 三 日閣 議 開催 せら れ十 二 日夜 に於 け る四 相会 議 の趣 を承 認 し
一 海 軍 は陸 軍 の大 陸 政 策 を 援 助 す る と云 ふ態 度 な り しも 今 と な
暴虐 文 那 の膺 懲 には生 温 き こと に て は効 果 な し有 ゆ る手 段 を
し た り。
二
り ては海 陸 軍 と 云 はず 一体 と な り て や る必 要 あ り
右 手段 を自 由 にす る為 宜 戦 希 告 の必要 も 生 じ来 る ベし
尽 し て や る必要 あり ( 都 市 の徹 底 的 爆撃 、 化 学 兵 器等 ) 三
由 来 陸 軍 は中 南 支 に対 す る関 心尠 く 如 ふ る に作 戦 極 め て困 難 な る
て協 議 の上之 を決 定 す る こと とす
但 し陸 軍 部 隊 の兵数 及 動 員 下 令 の時 機 は参 謀 本部 及 軍 令 部 に於
斯 く し て中 支 陸 兵出 兵 は 閣議 に於 て正 式決 定 を見 る に至 れ り。
各 地 の出 兵 は其 の好 ま ざ る所 な り し が今 次中 南 支 方 面 の出 兵 に対 し て は既 に事 情 已 む を得ず と し て作 戦 当 局 間 に諸 打 合 せ を進 め来 れる
面 ニ於 ケ ル作戦 上ノ地歩 ヲ獲得 スル迄 (概ネ陸軍主力上陸時機迄
上海方面事態急迫 セル所作戦全般指導上 ノ見 地 ヨリ先以テ同方
軍令部機密 四六七番電
本日陸 軍派兵 ニ決定 セリ派遣時機兵数等 ニ就 テ ハ追 テ通知 ス
軍令 部機密第 四六九番電
通 達 す る と ころ あり た り
軍 令 部 に於 て は同 日 第 三艦 隊 司 令 長 官 に対 し陸 兵出 兵 決 定 に関 し
も の な るが 右 不同 意 は参 謀 本 部 が ﹃其 の後 に於 け る支 那 側 の増 強 に鑑 み 呉淞 方 面 の上陸 極 め て困難 を加 へ極 めて勝 算 に之 し き実 情 ﹄ に在 ると 本 来 可 及的 出 兵 拒否 の態 度 と に因 り同 意 を 表 せ ざ る に至 り
八 月十 三 日 早朝 参 謀 本 部 第 一部 長 陸 軍 少将 石 原 莞 爾 は 軍令 部 に第
し も の と軍 令 部当 事 者 は 認 め た り 。
﹃今次 事 変 が斯 くな り た る上 は 已 む を得 ざ る 次第 なり 。 又 呉淞 方
一部 長 海 軍 少将 近藤 信 竹 を 来訪 し右 の趣 を 以 て せり 。 近 藤第 一部 長 は
面 の上陸 に対 す る懸 念 の如 き も事 前 海 軍 が爆 撃 砲 撃 等 に依 り決 し
発 動 ニ至 ラ ザ ルヲ有 利 ト ス ル ニ付 此 ノ点 特 ニ留 意 アリ度 意 向 ナ リ
ニテ動員 下 令 後 二十 日間 ) ハ爾 他 ノ各 地 ニア リ テ ハナ ルベ ク武 力
し 列 国 も 亦之 を勧 請 す る と ころ が あっ た が、 支 那 側 は 依 然 と し て
仍って我 方 は停 戦 協 定 委 員会 の招 集 を求 め支 那 側 の反省 を要 望
兵 を 停 戦協 定 区域 内 に配 備 し今 や 上海 の治 安 は危 機 に直 面す る に
第 一日 ト ス先遣 部 隊 ( 十 一師 団 ノ モノ歩 兵 四大 隊 砲 兵 二大隊 ヲ基
上 海 派遣 軍 ハ第 三師 団 第 十 一師 団 ヲ以 テ編 成 八月 十 六 日 ヲ動 員
厳 重 な る交 渉 を為 す と共 に居 留 民 の保 護 に付 て は万 全 の措置 を講
挑 戦 的 態 度 を勉 棄 せ し め事 態 一層 の悪 化 を防 ぐ 為 支 那 政 府 に対 し
側 の責 任 にあ る ので あ る から 此 の際政 府 は同 方 面 に於 て支 那側 の
ず る処 置 に付 き種 々協 議 を逐 げ た が同 方 面 情 勢 の悪 化 は 一に支 那
至っ た本 日 の閣議 に於 て は此 の緊 迫 せる事 態 に処 し 万 一の変 に応
幹 ト ス内歩 兵 三大 隊 砲 兵 一大 隊 ハ本流 江岸 ニ第 三師 団 ノ歩 兵 三大
ず る こと と し た
軍 令 部 機密 四 七〇 番 電
ニ上 陸 ) ハ八 月 二十 一日乃 至 八 月 二 十 二 日到 着 ノ見 込 尚里 力 ハ八
上 海 に於 け る 日支 戦 端 の開 始
つ異 常 の緊張 裡 に経 過 せり 。 十 二 日夜 は我 が陸 戦 隊 の慎 重 な る警 備
上 海 方 面 に於 け る情 勢 は八 月 十 二 日 以来 一触 即 発 の危 機 を蔵 し つ
第 四節
隊 砲 兵 一申 隊 及第 十 一師 団 ノ歩 兵 一大隊 砲 兵 一大 隊 ハ黄 浦 江 左岸
月 二十 八日 ヨリ九 月 七 日 ニ亘 リ到 着 ノ予 定
更 に十 四 日左 の如 く 連 絡 せ り
に依 り 事 端 を醸 さず し て十 三 日 を 迎 へた る も全 線 依 然 対立 状 態 を持
屋 に在 り し支 那軍 は横 浜 路 寳 山路 交 点附 近 に於 け る我 が陣 地 に対 し
し 、時 々銃 声 を聞 く 、 然 る に午前 十時 三十 分 頃 商 務 印書 館 及附 近 家
支 那 側 ハ呉淞 方 面 水路 妨 害 ニ付 テ ハ各 種 ノ企 図 を有 スル モノ ノ
突 如 機 銃 射弾 を浴 び せ来 り た るを 以 て我 亦 応 射 す る処 あ り し が不 拡
軍 令 部 機 密 四 六七 番電
ヲ充 当 セラ ル ル モ陸 軍 輸 送 ニ ハ差 支 ナ キ 見込
如 キ ヲ以 テ同 水路 ノ確 保 ニ ハ特 ニ留 意 ア リ度 之 ガ為 第 三 水雷 戦 隊
済 路 橋 及柳 営 路 橋 を爆 破 す る と共 に砲 撃 し 来 り た る を 以 て我 亦 之 に
然 る に午後 四時 五 十 四分 に至 り 八字 橋 方 面 の敵 は 突然 西 八字 橋 陽
大 方 針 に基 き 我 は極 力 当 面 の交戦 を避 く る に力 め た り 。
政府は十三日右 の閣議終了後上海事態 の悪 化に対処す る帝国政府
揚 せ り 。午 後 五 時 ヒ海 海 軍 特 別 陸 戦 隊 司令 宜 海 軍 少 将 大 川 内傳 七 は
を 敢行 し敵 をし て其 の火〓 下 に蔽 ひ大 に其 の気勢 を挫 き 我 士気 を挙
応 ず る と 共 に折 柄 の順 風 を 利 用 し て ﹁ク リ ー ク﹂ 対岸 敵 拠 点 の焼 打
大山事件発生以来上海 の治 安を脅威す るが如き事態 に立到 る こ
の方針 に関し書記官長談 の形式を以 て左 の如 く声明 せり。 とを防ぐ為我方は慎 重自制し厳 重公 正なる態度を以て事 に当っ て
次 の如 く 下令 せ り 。
﹃全 軍 戦闘 配 置 に就 き警 戒 を厳 に せ よ﹄
来 たが支那側 は停戦協定 を蹂躪して正規軍 を上海 に入市 せしめ挑 戦的態度 に出 で来っ た。
茲に中 支 に於 け る 日支 戦 端 は 開 始 せ ら る る に至 れり 。
一
三
例 へば ﹁日支 両 国 間 過 去 一切 の相剋 を 一掃 し両 国 国 交 を大 乗 的 基
りま し て本件 は今 次事 変 出 兵 目 的 の骨 子 を成 す も のと 信 ぜ ら れま す
参 謀 総 長 、 軍 令 部 総 長 、 枢 府 議
昭和 十 三 年 一月 十 一日 御前 会議 に於 け る
長 の説 明 要 旨
︹閑院宮載仁︺ 参謀総長 の陳述
礎 の上 に再 建 し﹂ と述ベ ら れ又 ﹁文化 提 携 ﹂ の語 句 を 用 ひ ら れま し
本 日 の議 題 た る支 那 事 変 処 理根 本 方針 に関 し大 本 営 陸 軍 部 と 致 し ま し て内閣 側 と意 見 の 一致 を見 る に至 り ま し た見 解 に就 き 御報 告 申
次 に講 和 の条 件 は勝 敗 及犠 牲 の程 度 等 に依 り自 ら 差 異 あ る は避 け
た のは 此 観念 を意 味 す る も のと 諒 解 致 し て居 り ます
りま し ても 戦勝 国 が戦 敗 国 に対 し過酷 な る条 件 を強 要 す る が如 き 心
難 い所 と 存 ぜ ら れ ます が前 述 の主 眼 に基 き ます れば 此 際 の解決 に当
日 支 両国 は 先づ 国 防 上 大 局 の見 地 に基 き ま す る も相 互 に衷 心 よ り
上げ ま す
道 義 的 の親 善 提 携 を 必要 とす る間 柄 でご ざ り ま し て更 に我 国是 に基
か し めず 且公 平 な る第 三 国 に 対 し でも 我 真意 の存す る所 を 認 識諒 解
て公 明 正 大 にし て支 那 民衆 を し て努 め て帝国 の講 和 条 件 に怨 恨 を懐
境 は毫 末 も 之 を 有 す べ き にあら ず と す る根 本 の観 念 に立脚 致 し ま し
く 両 国 国交 の大道 に照 し ます ると き は 益 々其 必要 を感 ず る の でござ
此 見 地 に基 き内 閣 側 と種 々意 見 の交 換 を 重 ね まし た結 果 只 今 外務
り ます
大 臣 より 御 報 告 に及 び ま し た方 針 案 に関 し 幕 僚 部 と し て は次 の趣 旨
せ し む る為 努 め て寛 大 な る を要 す べき も のと 思惟 致 し て居 り ます
等 にも照 し駐 兵 権 、 非 武 装 地帯 の設 定 等 必 要 な る保 障 ほ確 実 に之 を
唯 た支 那 側 為 政 者 の講 和 の内 意 及 共 不 信 行 為 に関 す る従 来 の経 験
見 解 に基 き意 見 の 一致 を見 る に至 り ま し た 次第 でご ざ りま す
て は従 来 の国 交 に 一大転 換 を劃 し ま し て東 亜 に於 け る両 国 が過 去 一
て爾 他 の講 和 条 件 と確 然 た る区 別 を設 け以 て将 来 に於 け る事 端 の再
把 握 致 し ます と共 に約 諾 の実 行 に伴 ひ之 を解 除 す る こと を約 しま し
今 次 支 那 事 変 の解 決 を契 機 とす る 日支 両 国 の国 交恢 復 に方 りま し
切 の相 剋 の因 果 を清 算 し道 義的 基 礎 の 上 に衷 心 より す る善 隣 友 好 互
発 を防遏 し今 次 事 変 の尊 き犠 牲 を意 義 あ ら し めま す る と共 に爾 他 の
助 共 栄 の実 を 挙 げ協 同 し て東 洋 の平 和 を確 保 し 其道 義 文 化 の擁 護 興 隆 を図 り 延 い て世 界 の平 和 に貢 献 す る こと を 主 眼 と す べ き も の で あ
の実行 を促進す る等 の目的 を併 せ達成す るを得策とす る次第 と存じ
来 に希望 と光明 とを与 へ併 せて今後成 るべく速 に而 も誠意 ある約諾
講和条件 を努め て寛大ならしむ ることを容易 にし且支那側 に対し将
し ま し た次 第 でご ざ り ま す ︹ 伏見宮博恭︺ 二 軍 令部 総 長 の 陳述
善 処 す べ きも のと 考 へ本 案 を 以 て此 趣 旨 に合 す る も のと解 し同 意 致
於 て は尚 先 づ 此 目 的 の為 政 戦 両 略 上 に於 け る諸 般 の措 置 を統 合 し て
為 誠 に喜 ぶ べき所 でご ざ り ます
尚 本 方 針 に基 き実 行 す べき 条
又 参 謀 総長 の述 べら れま
従 っ て帝 国 と し て は目 下 の時 期 に
ます 本案 は基礎条件細 目の内容 が適正穏健 に規定 されます ならば 正 に此趣旨 に合す るも のと見解致 して居ります
し た 所 見 の主 旨 に は同 感 であ り ます
之 と併行 し事変解決後 の国際情勢 の変転等 に備ふる為国家総力就
頂 の第 三節
本 方針 に対 し ま し ては 異存 あ り ま せ ぬ
中国防 力 の充実整備 を必須 の措置 と致 します
即ち今次事変解決 の
効果を真 に根本的 のも のたらしめ得 るや否 やは寧ろ我方今後 に於 け
国 家総 力就 中 国 防 力 の急 速 な る培 養 整 備 を促 進 し 第 三国 と の友 好
本事 変 に対 し 国 際 情 勢 の変 転 に備 へ前 記 方 針 の貫 徹 を期 す る為
関 係 の保 持 改 善 を計 るも のと す
事変 が持久 の
態勢 に移 行致 しまする場合 には右 の充実整備 は 一層促進せらるべき
る此等 の措 置如何 に懸 るも のが大であると存 じます
も のでありまして本案 は此等 の点 に関 し十分 の覚悟を表示せられあ
於 き ま し ても今 後 の国 際 情 勢 が益 々機 徴 な ら む と し ます る に鑑 み特
は 支 那 現 中央 政 府 が和 を求 め 来 ら ざ る場 合 は勿 論 和 を求 む る場 合 に
尚大本営陸軍幕僚部 と致しましては事変発生当時 より長期 に陥 る
に重 要 であ る と認 めま す から 各 部協 力 一致 し て極 力 之 が実 現 に邁進
るも のと幕僚部 は見解致して居 ります
あります るが前述 我国防上 の大局的見 地、我国是 に基く日支国交 の
場合 を顧慮し適時持久 の態勢 に転移し得 る為諸般 の準備を整 へっゝ
る所 を 当 局 大臣 に質 し其 の弁 明 を聴 き 本案 の趣 旨 を諒 承 致 し ま し て
唯 今 当 局 大 臣 の説 明 を聴 き尚 開 会 前 疑 問 の存 す
之 に賛意 を表 し ます
意 見 を申 上 ます
三
す る の要 あ る も のと認 め て居 りま す ︹ 験 一郎︺ 平 沼 枢 府 議 長 の陳述
大道等以外 に於 ても統帥 の立場 として支那 に対す る兵力行使 の持久 る満洲国 の現状等 に稽 へ又統帥部方面 より見 たる国際諸情勢、国内
殿 下 の御 示 し に な りま し た る点 に付 き ま し て は全 く 意 見 を 同 く致 し
戦争的物資、列強 の対支援助竝帝国 の対第 三国軍備及建設途 中 に在 及国家総力 の実情等 に鑑 みますれば今次事態 は共出兵目的 の本旨達
ます
る当 局 者 の注意 を喚 起 致 し度 存 じ ま す
る に付 深 く考 慮 す ベき 点 あり と信 じ ま す る が故 に之 を述 ベ て責 任 あ
此 の案 に付 て は異 議 は御 座 り ま せ ぬ が 此 の案 の本 旨 を 遂行 す
又 此 の席 に於 て参 謀 総 長 殿 下竝 に軍 令 部総 長
るのでござります 加之最近 の如き気 運に投 じ若我出兵目的 に適 す
成 に遺憾なき限り成るべく速 に之を終結 に導 くべきものと存ぜらる る講和解決 の成立を見る ことを得ますれば啻 に帝国 の為 のみならず
支 那 事変 起 り て より 当 局 者 が是 迄克 く聖 旨 を奉 じ て共 の任 務 を遂
日満支三国 の国力就中国防力 の過度 の減耗 を防 ぎ防共 を容易 にし帝 国 が将来 に処す べき此等 の充実整備 の余 力を存 せし め東洋 の平和 の
善 後 の処 理 と し て は 上下 心 を 一に
殊 に善 後 の処 理 宜 し き を 制 す る こと に深 く 留 意 す
は是 迄 よ り 一層 事 の困 難 な る こ と従 て責 任 の益 々重 き を加 へる こと
行 せ ら れ た こ と は深 く 感謝 す る所 で御 座 り ま す が今 後 に於 き ま し て
を痛 感 致 しま す る こと を 切望 せざ るを 得 ま せ ぬ
乍 去 此 の案 は綱 領 を示 し た
当 局 の立 案 は 此 の見 地 に立 脚
し て中 正 な る途 を 講 じ 国威 を宣 揚 す る と共 に信 を中 外 に失 はず 世 界
し て居 る こと は勿 論 であ る と考 へま す
平 和 の基 礎 を確 立 せね ば な り ま せ ぬ
別 紙 甲 に依 れ ば ﹁ 北 支 は支 那 主 権 の下 に於 て 日満 支 三 国 の共存 共
理 す る こと を 以 て動 かざ る方 針 と為 さ ね ば な ら ぬ こ とゝ 考 へます
に日満 支 経 済 合 作 の実 を 挙 ぐ る に あ り﹂ と 記 し て あ りま す
案ず る
栄 を実 現 す る に適 当 な る機 構 を設 立 し 之 に広 汎 な る権 限 を賦 与 し特
に此 の機 構 を 設 立 す る の目的 は三 国 の経 済 合 作 の実 を挙 ぐ る に在 る
も其 の機 構 の本 体 は 一種 の政 治 機 構 であ る こと は明 で御 座 り ま す
而 て此 の機 構 は 内蒙 に設 立 せら る べき 自治 政 府 と異 り中 央 政 府 の統
若 し 此 の機 構 が 一般 地 方政 庁
制 下 に置 か る べき も の で御座 り ます
実 際 に於 て其 の目 的 を達 す る には 尚細 目 に渉 り
独 立 国 家 の如 く条 約
も ので御 座 りま す
ば到 底 所 期 の目 的 を達 す る こと は出 来 ま せ ん
の如 く 各 般 の事 項 に付 き支 那 中 央 政 府 の指 揮 を受 く べき も ので あ れ
要 す る に寛 厳 宜 し き を制 す る こと が大 切 で
を締 結 す る こと を許 さゞ る は勿 論 な る も少 く とも所 定 の目 的 の為 に
こと が あ る と存 じ ます
て事 を定 む る の必 要 があ り 又之 を遂 行 す る に当 り 幾 多 考慮 を要 す る
は中 央 政 府 の指揮 を 待 たず し て有 効 な る協 定 を為 し得 る の権 限 を有
厳 に過 ぐ るこ と寛 に失 す る こ と は何 れも 再 び禍 乱 を 生
御座 り ます
本 文 に依 れば 支 那 現 中 央 政 府 が和 を求 め来 り和 議 成 ると き は永 く
す る の因 を為 す も の と思 ひま す
ます
此 の如 く なら ば 永 く支 那 の内 政 を拘 束 す る の結 果 とな るも こ
れ は東 洋 平 和 の為 に已 む を得 ざ る ことゝ し て忍 ば ね ば な り ま せ ぬ
せ し む る こと を動 かす べか ら ざ る の条 件 と せね ば な ら ぬ ことゝ 考 へ
其 の地位 を 認 め ね ば な りま せ ぬ
現 中 央 政 府 を存 置 す る場 合 に於 て
別 紙 甲 に記 載 す る が如 く内 蒙 に自 治 政府 を成 立 せ し め北 支 に特種 の
案 ず る に大
る様 国論 を指 導 す
対 外 啓 発 に付亦 同 じ﹂ と あり ま す
方針 が聖 断 に依 り定 ま り た る 以 上 は国 民 一人 と し て之 に異 議 を 唱 ふ
本 文 の末 項 に ﹁国 民 の間 に事 変 処 理 根 本 方 針 の趣 旨 を徹 底 せ し む
機 構 は 如何 な る運 命 に立 至 る ベき や 此 点 に付 当 局 大 臣 の弁 明 を求 め
政 治 機構 を 設 立 す る な らば 現在 内蒙 並 に北 支 に事 実 上 存在 す る政 治
た る に現存 す る機 構 は其 の儘新 設 せ ら る べ き自 治 政 府 又 は 政 治機 構
人
若 し此 の点 に付 万 一の失 あ る とき は国 民 の間 に疑 惑 を 生 じ
輔 翼 の国 務 大 臣 は国 民全 体 を し て
るも のな き こと は明 で あり ま す
案 ず る に内 蒙 並 に北 支
とし て認 む る の方 針 な り と の答 を得 ま し た
ります
徹 底 的 に其 の趣 旨 を 了 解 せ し む る の責 任 を 有 す る こと は勿 論 で御座 若 し講 和 成 り た る場 合 に於 て支 那 中 央 政府 が之 を
に現 存 す る機 構 は皆 我 方 の指 示 に依 り其 の組 織 を見 る に至 り た る も の で御座 り ます
思 はざ る の結 果 を生 ず る の恐 な し と断 言 す る こ とは出 来 ま せ ぬ
心 を中 正 に導 く こと は最 も 大 切 な る こと で あ りま す が古 来 為 政 者 の 素 よ り事 態 の推 移 に因 り多 少 の変 動 は免 る べ から ざ る こ
反 逆 視 す る が如 き こ と あら ば 我 は信 を中 外 に失 す るこ と は 必然 で御 座 りま す
最 も難 ん じ た る所 で御 座 り ま す
此点 に付 国 務 大臣 の責 任 の軽 から
と であ り ま せ う が 大体 に於 て当 局 大臣 の答 ふ る が如 き趣 旨 に於 て 処
ざ る こと を 痛感 致 します 以 上 当 局者 に望 む所 の大要 を述 べ ま し て意 見 の開 陳 を 終 り ます
五
回
想
録
六、 上 海 出 兵
五 、青 島 問 題
( 昭和十五年 参謀本部作製)
本書 は竹 田宮恒徳王殿下 が大本営研究班員として武力戦的見地 に
河 邊 虎 四郎 少 将 回 想 応 答 録
基 く中央部 の統帥 に関する御研究資料とし て事変勃発当時参謀本部
七、事変勃発当時 の情勢判断
一
第 二課 々長 たりし河邊虎 四郎少将 に就き昭和 十五年 七月直接聴取 せ
十 一、山 西 作 戦
十、察哈爾作戦
九、武力行使 の決意 せる時期 に於 ける中央部内 の空気
八、期限附要求提出
言
次
ら れたる事項 の速記録 なり。 目 一、前
十 四 、陸 海 軍 の関 係
十 三 、統 帥 と政 治 と の関 係
十 二 、大 本 営 の設 定
1 、関 東 軍 の徳 王 懐 柔
二 、事 変 の遠 因
2 、関東 軍 、 支 那 駐屯 軍 及其 の他 の対 支 問 題 解決 案 並 に関 東
十 六、杭州湾上陸 作戦
十 五 、大 本 営 会 議
3 、 支 那 駐 屯 軍 の増強
十 七、第十軍 の進出方向及南京追撃
軍 の北支積極工作 4、産業確立計画
十八、頓挫南支作戦
二〇 、 対 ﹁ソ﹂ 判 断
十九、出 師 準 備
5 、戦 争謀 略 の風 聞 三、 事 変 の勃 発 と 中央 部 内 の状 況
四、半年半軍動員
二 二 、長期に互る根本計画
二 一、 中 支 に対 す る観 察
つき り 日時 を 逐 ふ て申 上 げ る こ と が出 来 な い こと が多 々あ ると思 ひ
の当 時 の記 憶 が残っ て居 りま す だ け で あ り ます 。 そ れ から も う 一つ
ます 。又 申 上 げ る こと も前 後 致 す こと が あ る か も知 れ ま せん 。其 の
甚 だ申 訳 な い の であ り ます が、 私 は 日 記 を書 いて居 りま せん から は
点 は御 遠 慮 なく 突 込 ん で頂 き ま し て私 の記 憶 を 喚起 し度 いと 思 ひ ま
、媾和問題
二四
す。
二三 、 上 海 派 遣 軍 と第 十 軍 に就 て
二五 、 山 東 問 題
て居 る人 が書 く べ き であ り ます が、 ど う も 忙 がし い時 に は そ れ がや
だ僣 越 な言 葉 で御 座 いま す が機 密 作 戦 日誌 は 真 に其 の内 容 を熟 知 し
御趣 旨 の程 は私 は寔 によ く判っ て有 難 いと 感 謝 し て居 り ます 。 甚
二 六、青 島 問 題
支 那 事 変 に於 て中 央 が執 ら れ た統 帥 の跡 を時 期 を逐 ひ
二 七 、戦 面 不拡 大 方 針 決定 の経 緯
竹 田 宮殿 下
には 実際 の所 は耳 に入 ら な い こと が尠 く あり ま せん 。 殊 に政 治 出 兵
れ ま せ ん か ら結 局 大 尉 と か少 佐 級 のも の が書 く も の です が、 そ れ等
のや う な時 に は 日誌 を 書 く 人 の想 像 で書 く と い ふや う な こと が間 々
ま し て ⋮⋮例 へば斯 う いふ こと は斯 う いふ推 移 で斯 う なっ て行っ た
御 座 います の で、 殿 下 御 親 ら が御 訊 問 にな り ま す の にも相 当 不明 な
と い ふ経緯 の真 相 を伺 ひ度 い の であ り ます 。尚今一 つは先 達っ て書 い て差 上 げ ま し た 研究 事 項 に就 て どう いふ風 に御 考 へに なっ て居 ら
所 も あ り ま せう し 、 今 お や り のお仕 事 は相 当 厄 介 な こと と存 じま す
研究 事 項 は載 き ま し た が、 洵 に恐 縮 で御 座 いま す が答 解
れ る かを 伺 ひ度 い ので あ りま す が⋮ ⋮ 。 河邊 少将
こと にも 恐 らく 随 分僣 越 な こと を申 上 げ 乃 至 は先輩 、 同僚 の悪 口 が
来 非 常 に貴 重 な るも のと な る で あら う と 思 ひ ま す 。私 の今 申 上 げ る
が是 非詐 らざ る所 を研 究 し て頂 きま す れば 洵 に結 構 な こと で あ り将
言
は差 上 げ ま せ ん でし た 。
一、 前
ま し い こと を申 上 げ る かも 知 れ ま せ ん が、 そ れも 決 し て悪意 で申 上
の であ り ます から 、 其 の点 は どう ぞ宜 し く 御 諒 解 を願 ひ度 いと思 ひ
速 記 し たも のは 取 扱 ひ を慎 重 に致 し ま す 。
ます。
げ る こと で なく 実 際 が さう いふ 状態 で あっ た と い ふ こと を申 上 げ る
私 から 初 め に 一寸 申 上 げ て置 き た い こと は、 事変 勃 発 当時 私
殿下
は其 の当 時 の編 制 に於 け る第 二課 長 を やっ つて居 りま し た が 、之 は妙 な 中 間 の位 置 で あ りま し て本 当 の高 等 統 帥 の部 分 に は 直 接 ﹁タ ツ
河邊
チ﹂ し て居 りま せん 。
ふ こと が 一々は つきり 区 別出 来 ま せん から 、 申 上 げ ま し た中 で殿 下
此 の点 は速 記 録 にと り 、此 の点 は速 記 を 止 め さ せ て頂 く と い
謀 略 的 な こと も あり ま し た が 、 さ
河邊
そ れ か ら色 々極 内 的 な 方法︱
う いふ こと もは つき り と は耳 に入っ て居 ら な いの で只 ぼ ん や り と其
が御 覧 下 さ いま し て之 は 記 録 に残 す べき でな いと 思 召す こと が御 座
な解 決 が出 来 て居 ら な いと いふ こ と に在 る と思 ひ ます 。 只 之 は 停戦
り ま し た が 、 そ れ から 昭和 七 年 二 月 に ﹁ロシ ヤ﹂ に行 き ま し て 昭和
そ こ で私 は満 洲 事 変 の勃 発 致 し ま し た時 は参 謀 本 部 の作 戦 課 に居
りま す 。 斯 う いふ風 に私 自 身 は見 て居 り ます 。
りな がら う ま く ゆ かず 其 の中 に自 然 の間 に起 った の が此 の事変 であ
し てず っと 継 続 し て居 り ます 。 そ れ の真 の結 末 が つけ ら るべ き で あ
た も の です から 、実 際 は満 洲 事 変 と いふ も のは 日支 の間 には依 然 と
協 定 の際 に北 支 軍憲 側 と関 東 軍 と が間 に合 は せ の停 戦 協 定 を し ま し
速 記 の出 来 上 った も のはも う 一度 之 を 御覧 願 ひ まし て修 正 を
いま し た ら抹 殺 さ せ る かど う か し て頂 け れば 有難 いと存 じ ます 。 殿下
徹 底 し な い所 は もう 一度 考 へま す が ⋮ ⋮ さう云 ふ風 にし て頂
御 願 ひし ま す 。 河邊 け れば 洵 に有 難 い こと で あ りま す 。
多 田次 長 のは私 が来 ま す 前 に島 田中 佐 が話を 聞 い て書 いた も
失 礼 で御 座 います が誰 々が御 話 申 上 げ た のです か 。 殿下 ﹁ 莞爾︺
九 年 帰朝 を命 ぜら れ 、 そ れ か ら関 東 軍 の参 謀 を拝 命 し ま し た。 さう
︹ 鐵藏︺
のが あ り ます 。 総 務 部 長 、参 謀 次長 を や ら れ た中 島中 将 、石原 第 一 ︹群 ︺
年 三月 参 謀 本 部 課長 と な り ま し た。 此 の満 洲事 変 勃 発 当 時 から 関東
砲 兵 聯 隊 長 に転 任 を命 ぜ ら れ、 此 の職 に 一年 勤 め ま し た後 昭和 十 二
し て関 東 軍 に 一年 九 ケ 月居 り ま し て、 二 ・二 六事 件 の直 後 に近 衛 野
︹ 定︺ ︹攻 ︺
部 長 、下村 第 一部 長 、 橋 本 第 一部長 の話 を 聞 い て速 記 し た のが あり ︹一雄 ︺
之は私
ます。 堀場中 佐 の話 も聞 き ま し た。塚 田第 三 部長 の話 も 一寸 聞 き ま し た。 西 村 中 佐 の話 し た の を速 記 し たも のも 御座 います︱
軍 参 謀 時 代 を 経 、更 に参 謀 本 部 課 長 時 代等 自 分 が命 ぜら れ ま し た仕
。現 地 側 に居 る 人 の話 も聞きまし た 。
の来 る前 のも の であ り ます︱
事 を通 じ て 一貫 し て見 ます る と い ふと 今申 上 げ ま し たや う に満 洲 事
︹平助 ︺
と 考 へま す こと は特 に軍 人 にも政
う であ り ま す 。 此 の やう な状 態 に持 ち来 し た のは 偉 大 な る ﹁人﹂ に
今 日誰 し も 事変 の実 体 は実 に容 易 な ら ぬ こと を認 識 せら れ て居 る や
治 家 にも 日 本 に人 が居 ら な か った の であ る と いふ こと であ り ます 。
こ と と存 じま す が 、最 近 つく〓
った と い ふ こと を 断言 し た いの で あ りま す 。共 の点 は よく 御 聞 き の
す 。之 は軍 部 、 民 間 を問 はず 一人 も さう いふ考 へを持 った人 は な か
と いふ こと を考 へて居 た 人 は私 は中 央 部 で 一人 も な か った と思 ひま
今 か ら前 の状 態 を 考 へま す と 今 日現 実 に見 ます 如 き大 事 変 にな る
せ よず つと其 の儘 連 続 を し な がら変 遷 をし て来 て居 り ます 。
変 と い ふも のと支 那 事 変 と い ふも のと は そ こ に 一つ の段 階 は あ る に
それ に松井閣下の 日記 を見 せ て貰 ひま し た のと香 月閣 下 、 柳 川 閣 下
私 は勝 手 で御 座 いま す が︱之 は 殿下 の御 意 図 では な いか も知
の話 も聞 いて速 記 し た の があ り ま す 。 河邊
れ ま せ ん が、多 少 前 に遡 った こと を申 上 げ て御 参 考 に供 し た い と思
二、 事 変 の遠 因 十分 に御承知 の通りでござ います が、実際支 那事変 の原因は
ひ ます 。
河邊
色 々に之 は説 明出来 ると思 ひます が、私は結 局は満洲事変 の延長 で あ って満 洲事変 と いふものが実際は色 んな意味 に於 て本当 に政治的
の結 果 は兎 も角 と し て少 く も当 初 の思 惑 とす つか り外 れ て来 た の で
欠 け て居 た が為 に進 止 共 に透 徹 性 が な く 、為 に今後 の成 行 及 其 の後
準 備 の強 化 が叫 ば れ ま し て、 中 央 で は関 東 軍 に対 し て ﹁作 戦 準 備 の
胆 にな り 大 き な こと を言 ふ やう にな り ま し た ので、 そ こ で対 ﹁ソ﹂
其 の前 後 から ﹁ロ シヤ﹂ の態 度 が従 来 の喊黙 的 消 極 を棄 て て中 々大
扨て塘 沽 の停 戦 協 定 は関 東軍 司令 部 と 北支 の軍 憲 と の間 に於 て取
あ り ます 。
殊 に西 尾 中 将 は 先 づ 以 て満 洲 内 部 の治 安 が確 保 さ れ なけ れ ば 中 央 の
た けれ ど も 、満 洲 内部 の実 状 は当 時 之 を 許 さ な か った の で あり ま す 。
訓 練 に便 な る如 く集 結 配 置 を採 る やう に﹂ と いふ御 趣 旨 で あり ま し
の が軍 の実 権 で あ りま し て特 に関 東 軍 は自 ら之 に任 じ て其 の監督 の
り 決 め ら れ た も ので あり ま す か ら 、其 の停戦 協 定 の実 行 を 監督 す る
下 僚 た る吾 々も さ う いふ風 に感 じ て居 りま し た ので 、中 央 が今 何 ん
さう い ふ御 趣旨 も 結 局砂 上 の楼 閣 に等 し いと 云 ふ御 考 へで あ り、 又
さ う し て 一方 当 時 の支 那 駐屯 軍 は軍 司 令 部 の機 構 は 大 体軍 の任 務
衝 に当 って居 った の であ り ます 。
に適 し て居 た の で あり ま し た け れ ど も要 す る に実 威 力 の小 さ いも の
一時 極 度 の分散 配 置 を や って も構 は な い から 討 匪 治安 粛 正 を急 ぐ を
と仰 言 ら う と も 当 軍 と し て は中 央 の精 神 た る作戦 準 備 強 化 の た め に
以 て全 般 的 に有 利 で あ る と い ふ風 に考 へ、 そ のや う に仕 向 け て居 り
であ り ま し て、 河 北 の問題 に就 き ま し て も右 の停 戦協 定 と関 聯 し、 極 端 に申 し ます れば 関東 軍 の出 先 の如 き 地位 に自 然 の間 に置 か れ て
や ると 共 に他 の粛 正 工作 に大 馬 力 を か
き 匪賊 群 は ﹁ロ シヤ﹂ 或 は支 那 から の使嗾 の下 に活 動 す る と いふ こ
所 が斯 く し て当 時 逐 次 満 洲 の対 内 工 作 が進 み まし た が、 国 境 に近
け た の であ り ま す 。
大 兵 力 を 以 て討 伐 を ど ん〓
ま し た 。 そ の中 に之 は大 体 中 央 も諒 と せら れ 毎年 夏 、冬 等 に相 当 の
法 的 には さう い ふやう な こと は 全 然 誤 り であ り ま せう が事 実 は さ
居 り まし た。
︹壽造 ︺
う いふ こと であ り ま し た 。殊 に昭 和 九 年 の冬 に南 大 将 が関 東 車 に行 ︹次郎 ︺
垣 中 将 と い ふ ﹁コンビ﹂ で行 った 時 に此 の 「コンビ﹂ は非 常 に権 威
と が 明瞭 と な って来 ま し た の で、 例 の対 ﹁ソ﹂ 国 境 劃 定 、 対 ﹁ソ﹂
︹ 征四郎︺
かれたのですが︱ 軍司令官南大将、参謀長 西尾中将、参謀副長板 の高 いも の にな り 又政 治 的 迫 力 の強 いも の にな り まし た。 元 来 関東
にや ら なく ち や駄 目 だ、 それ でな け れ ば結 局 は飯 の上 の〓 を 追 ふや
う な も ので其 の本 の塵 芥 の所 を 糺 さ な く て は なら な いと い ふ風 に高
諜 報 、対 支 諜 報 、対 外 蒙 諜 報 、 殊 に防 諜 と いふ こと をも っと 積極 的
唱 せ ら る る に至 り まし た 。 か の北鉄 買 収問 題 の如 き も 関東 軍 に於 き
軍 は陸 軍 の停 年 名簿 の ﹁ハイ エス卜 ﹂ の大将 が御 出 に な る所 であ り
に或 は戦 術 に純 軍事 方面 に於 て は他 の追 随 を 許 さ ぬ と言 は れ る やう
ま し て、 当 時 政 治 方 面 に非 常 に権 威 の高 い南 大将 と 、 そ れ から 訓 練
な 西 尾 中将 と 、満 洲 の生 み の親 と 謂 は れ る板 垣中 将 と い ふ此 の 「コ
か ら帰 り ま し たも の です か ら参 謀 長 の西 尾 中 将 に ﹁ロシ ヤは売 る と
ま し て は叙 上 の見 地 から 非常 に熱 心 であ り まし た。 私 は ﹁ロシ ア﹂
そ こで 昭和 九年 の始 頃 に於 て中 央 部 の関 東 軍 への要望 又 は 関 東軍
思 う か﹂ と聞 か れま し た の で、 ﹁ロシ ヤは売 る意 図 が あ る﹂ と信 ず
ンビ ネ ー シ ョン﹂ は大 き な 威 力 であ った と私 は思 ひま す 。
に対す る指 導 精 神 は対 ﹁ソ﹂ 作 戦 準 備 と い ふ こと が主 であ り ま し た 。
る旨 を申 上 げ まし た が、 兎 に角 当 時 関東 軍 に於 ては 之 を買 ふ意 志 が
れ と関 聯 し ま し て対外 蒙 工作 を や る為 に は内 蒙 工作 を や る こと が 必
国 境 、対 ﹁ソ﹂ 防 諜 と い ふ こと が非 常 に喧 し く な って来 ま し た 。 そ
後 も意 見具 申 を せら れ た の であ り ます 。 さ う いふ風 に し て対 ﹁ソ﹂
ま し た のが例 の新 聞 記者 二 人 の殺 害事 件 で あり ま し た 。 此 の事 件 が
作 を や り次 から 次 と 小問 題 が続 出 し て居 りま し た が 、其 の中 に起 り
ま し た政 治 団 体 と か或 は藍 衣 社 が内 外 に活 動 を し て陰 に陽 に排 日工
体 に於 て其 の状 況 は 巧 く行 は れ て居 ら な い。 之 は 南 京 が操 って居 り
か ど う か と いふ こと を新 京 に居 っ て監 視 し て居 り ま し た が、 之 は大
一方曩 に も申 上 げ た やう に停 戦 協定 の実 行 が確 実 に行 はれ て行く
関 心 を持 た れ て居 り まし た 。
要 で あり ま す 、 そ れ を更 に基 礎 づ け る為 には 北 支 を矢 張 り は つき り
動 機 と な り ま し て、 ど う し て も北 支 政 権 は此 の停 戦 協 定 を誠 意 実 行
非 常 に強 く而 も大 急 ぎ でや り た いと い ふ の で、 一時 東 京 会談 決 裂 の
空 気 が逐 次 出 て
し て何 と か威 嚇 を やら な く ち や不 可 ぬが 、 そ れを 中央 に申上 げ ても
何應 欽 に対 し て交 渉 を進 め ら れ た の であ り ます が、 其 の助勢 手 段 と
に歩 を進 む べし と せら れ 、当 時 の支 那 駐屯 軍 司 令 官梅 津 閣下 が例 の
す る意 図 のな いも の即 ち南 京 の操 縦 下 にあ るも のと し て今 一応 的 確
段 々其 の当 時 の事情 は北 支
し て置 かな け れ ば な ら ぬ と い ふ風 に︱ 工作 を やら な け れ ば な ら な いと 云 ふ風 な考 へが︱ 来 た と思 ふ の であ りま す 。
し て調査 を進 め て居 り ま し た が、 ﹁ロ シ ヤ﹂ は 外 蒙 を ﹁バ ック﹂ に
所 で内 蒙 工作 の方 は張 家 口 に支 那駐 屯 軍 隷 下 の特 務 機 関 が居 り ま
し て内 蒙 に対 す る赤 化 工作 を や っ て居 り、 現 在 蒙疆 の盟 主 にな って
が故 に関 東 軍 が其 の所 管 内 で兵 を動 かす こと は中 央 の指 令 を要 しま
て居 る こと か ら来 て居 る ので あ る から 関東 軍 に関 係 深 き 問題 で あ る
せ ん の で山 海關 方 面 に兵 力 を集 結 し まし た 。時 恰 も稲 葉 騎 兵旅 団 が
其 の許 し は 中 々得 られ な い のみ な らず 、 元 々問 題 は 停 戦 協定 に悖 つ
た。 さう し て関 東 軍 では 此 の外 蒙 に対 す る ﹁ソヴ ェツト﹂ の 工作 が
〓 南 から ﹁ハイ ラ ル﹂ に移 駐 す る こと にな って居 りま し て︱
居 る徳 王 も其 の当時 は聊 か赤 い と睨 ま れ て居 った の であ りま す が 、
内 蒙 に及 ん で来 ぬ やう に⋮ ⋮内 蒙 の赤 化 を防 止 しな け れ ば な らな い
す る準 備 を し て居 り まし た の で陣営 具 な ぞは其 の儘 ﹁ハイ ラ ル﹂ に
併 し徳 王 は最 も 判 り の良 い青 年 であ る と いふ こ と が判 って居 り ま し
と いふ こと を切 り に考 へ、対 ﹁ソ﹂作 戦 準 備 の主 要 第 一線 兵 団 た る
引 越 し、 人 員 と馬 だ け を持 っ て山 海關 附 近 に 一時 集 結 致 させ ま し た。
殿下
昭和 十 年 です 。支 那 駐 屯 軍 の増 強 前 です 。之 を や りま し た の
そ れ は何 年 のこと です か 。
移駐
任 務 と し て之 を具 体 化 せん こと を企 画 し 、 現在 の兵 務 周長 石 本 少 将
其 の外 に飛 行機 も出 し ま し た 。
立 は希 望 す る所 で あ る け れど も併 し満 洲 側 に入 って仕 舞 ふ こと は嫌
で利 き ま し た の か、梅 津 、何應 欽 の協 定 が成 立 致 し ま し た。
河邊
︹寅 三 ︺
﹁ジ ンギ スカ ン﹂ 蒙 古 の再 現 を夢 想 し て居 り ま し た の で、蒙 古 の独
が当 時 第 二 課長 と し て熱 心 にや って居 りま し た が、 併 し徳王 は元 々
に靡 い て来 な か った の で あり ま す が、 そ の中 に軍首 脳 部 以 下 の努 力
此 の時 北 支 の方 の親 玉 は宋 哲 元 であ り まし た が、共 の当 時 関 東軍
だ と いふ感 じ を持 って居 り、 関東 軍 に対 し て 一抹 の疑 惑 を持 ち容 易
によ り飜 然 つ い て来 る やう にな り ま し た。 南 大 将 も非 常 に これ に は
と も 知 り ま せ ん でし た が何 れ にし て も宋 哲 元 は其 の時 分 の北 支 の親
非常 に知 慧 のな い排 日的 な 人 だ と言 ふ者 も居 り まし た。 私 は ど つち
内 で も或 る人 は宋 哲 元 は 北京 で 一番 偉 い人 だ と も言 ふし 、或 る人 は
ら之 が何 処 から 洩 れた か知 りま せ んが其 の電 報 の内容 は支 那 側 が全
京 、天 津 と の間 に非 常 に電 報 が往復 し て居 り ま す か ら ⋮ ⋮。 そ れ か
と 云 ふ考 も あ った ら し いの で御 座 いま す が⋮ ⋮ 此 の時 に は新 京 、東
い ふ こと も知 って居 り ま し て、 少 しも 恐 れ る ことは な いな ど支 那 の
部 知 って居 り、 勅 命 が な か ったら 万 里 の長 城 を関 東 軍 は越 へな いと
新 聞 にも出 て居 り まし た 。何 れ にし ても 本 目 的 のため の効 果 は な か
玉 であ り ま し た の で、北 支 の問 題 に関 し まし ては彼 を相 手 にし て交
満 洲 から 外部 へ逐 は れ た匪 賊 は、 逐 ひ廻 は さ れた結 果 其 の 一部 が
った の であ り ま し て、 夏 の最 中機 械化 部 隊 の行 軍 を や って帰 って来
渉 し て居 り ま し た 。
北 支 へ逃 げ ま し て例 の停戦 地域 に逃 げ 込 ん だ ので、宋 哲 元 に何 と か
た のであ りま し た 。
1 、関 東 軍 の徳 王 懐柔
せ よ と言 っても 中 々要 求 通 り運 び ま せ ん。 そ れ で満 洲 側 か ら も 日本
多 田閣 下 は支 那 駐屯 軍 司 令 官 を し て居 ら れま し た 。
其 の頃 多 田 閣 下 が居 ら れ たと 思 ひ ます が ⋮⋮。
︹駿 ︺
殿下
側 から も色 々な 要 求 を致 し ま し た が兎 角 誠 意 を 以 て やら な い、 又其 の外 に保 安 隊 問 題 と か其 の他 諸種 の問 題 が あ る のです が、 之 等 に対
河邊
右 に申 し まし た こと は洵 に つまら な い こと です け れ ど 、之 も今 の
し ても ど う も宋 哲 元 に誠 意 がな いと 見 ら れ、 之 には どう し ても 一度
が︱
支 那 問題 に関 聯 し て居 るやう で あ りま す から申 上 げ るや う な訳 です
強 圧 を示 さ ね ば なら ぬと い ふ意 見 が出 ま し た し又 軍 司令 官 の御 意 図 も あ りま し て、演 習 訓練 を兼 ね て混 成 の 一部 隊 を 出 す こと に きま り 、
始 末 を し な け れ ば なら な いと いふ こと にな っ て、私 は命 を 承 け て現
昭和 十年 の夏 、 丁 度 今頃 (七月 ) だ った と思 ひま す が圍 場 の
今航 空 士 官 学校 長 をし て居 る寺 倉 中 将 が当時 独 立 歩 兵 第 一聯 隊 長 を し て居 ら れ之 が歩 兵 二ケ 大隊 と砲 兵 一中 隊 と いふ極 め て 小 さ い自 動
地 に参 りま し て兎 も角 さき に申 し ま し やう に寺 倉 支 隊 を原 駐 地 公主
昭和 十 年 の秋 です
車 編成 の支 隊 を 作 りま し て圍 場 (赤 峰 北 方 )附 近 に出 さ れ ま し た。
そ れ は関 東 軍 でや って居 られ た のです か。
が⋮ ⋮ 。
工 作 は逐 次 良 い方 に進 展 致 し ま し て其 の年 の︱
は いさう です 。
嶺 に還 す やう にし て頂 き まし た 。 次 で 一方 徳 王 の懐 柔 問 題 、 内 蒙 古
殿下
当 時錦 州 に も飛 行部 隊 を集結 さ せ ま し た。 斯 う いふ こと を度 々や る
はあ り ま す け れ ども 、真 の目 的 は訓 練 と い ふ より も外 交 的 助 勢 の威
河邊
こと は中 央 で は御気 に召 さ ぬ ので あ り ます 。 訓練 上 或 る利 益 と効 果
赫 であ った の で あり ます 。 さ う いふ訳 で あ りま す か ら中 央 と し てお
と
説得 せら れま し た 。私 は其 の時 御供 を しま し た が通 訳 を 通 じ て徳 王
参 謀 副 長 は徳 王 を西 烏 殊 穆 泌 王府 の包 の中 に訪 ひ まし てし み〓
昭 和 十年 九月 十 八 日、 丁度 満 洲事 変 記念 日 でし た が、其 の日板 垣
気 に召 さ ぬ こ と は当然 かと 思 ひ ます 。支 那 駐 屯 軍 も之 には 賛 成 し な か ったと 思 ひ ます 。 此 の前 の出 兵 は 支 那 駐屯 軍 も 感謝 し て居 りま し た が今 度 は 感 謝 し て居 ら な い。 尚 これ に は支 那駐 屯 軍 は余 り強 圧 を如 へると いふ こと は よ く な い
叮嚀であ り ま し た 。相 手 は蒙 古 人 です から 相当 疑 惑 を持 って居 りま
た の です 。 此 の時 に私 は 感 心 し た の です が 、板 垣副 長 は非常 に懇 切
り ます 。 此 の会 見 に依 って徳 王 はす つかり 関東 軍 に降 参 し て仕 舞 っ
望 も副 長 に通 じ疑 問 とし て居 つた所 の説 明 を 副長 か ら受 け た ので あ
の気 持 ち を縷 々聴 か れ た の であ りま す 。 結 局 に於 き まし て徳 王 の希
問 題 は何 んと か し な け れば な ら な いと 云 ふ自 覚 を持 って居 ら れ た と
通 の御 歴 々 の方 が揃 って居 ら れた ので あ りま す から 、 此 の時 に支那
京 に磯省 中 将 、東 京 に第 二部 長 岡 村中 将 と兎 に角斯 う いふ風 な支 那
の配 置も 新 京 に板 垣中 将 、奉 天 に士肥 原 中 将 、 天津 に多 田中 将 、南
現 地 の諸 方 面 皆歩 調 を揃 へて やら う と ρふ気 分 があ り 、殊に 当 時人
特 務 機 関等 、支 那 関 係 の有力 な諸 官 が屡 々各 地 で会 見 さ れ て、 中央 、
︹寧 次 ︺
︹ 賢 二︺
す が、 相 手 の疑 問 とし て居 る所 をす つ かり思 ふ存 分 に徳 王 に話 し又
思 ひ ます が、残 念 な が ら以 上 の人 々の間 の頭 にも少 し づ つ其 の考 へ
板 垣中 将 は 、支 那 は分 裂 的態 勢 に あ る のが自 然 で あ る、各 々分 裂
あ り ます 。
︹ 廉介︺
希 望 を開 か れ た の で、 そ れ です つかり徳 王 は板 垣閣 下 を 信頼 し た訳
方 に開 き があ って具 体 的 の問題 にな りま す と 一途 に は行 かな いの で
し た所 に将 領 が居 って之 が各 々競 って日 本 に頼 って来 ると いふ やう
そ こで凡 て関 東 軍 に任 す と い ふ気 にな り、 徳 王 がそ れ迄 は満 洲 国
で あり ま す 。
領 土 にな って居 る蒙古 地方 は自 分 の配 下 に 入 れ た いと 考 へて居 った
にし な け れ ばな ら な いと 云 ふ風 に考 へて居 ら れ たと 思 ひます 。
北 支 に 一つ、 山 西 、南 京 に各 一つ、所 謂 東 南 方 に 一つ、南 方 に 一
や う で あ り まし た が副 長 の説 明 に依 り て氷 解 し関 東 軍 の意 のまゝ に
数 週間 を経 て、徳 王 は新 京 に参 り ま し て完 全 に恭順 の意 を表 し ま し
つと 云 ふ具 合 に各 々自治 的 の態 勢 を と る べき であ る 、 そ し て対 外 的
や る と い ふ気 持 にな った らし い のです 。 こ の 日 の会 見 が終 っ てか ら
た 。其 の時 御 金 も相 当 貰 って行 った と思 ふ の です が此 の会 見 は 内蒙
形 態 と し て 一個 の中 央 的政 権 は存 在 す る こと は差 支 な いが、 現 在 の
所 が南 京 に居 ら れ た磯 谷 閣 下 の考 へは必 ず し も さう で はな く 、現
思 ひ ます 。 大 体関 東 軍 は さう い ふ風 に考 へて居 った ので あ りま す 。
蒋 介 石 の如 き 対 日態 度 を と るも のは宜 し から ず と いふ ので あ った と
工作 の上 に大 き な意 義 あ る会 見 だ った と思 ひま す 。
解決案並に関東軍 の北支積極 工作
2、 関 東 軍 、支 那 駐 屯 軍 及 其 の他 の対 支 問 題
さう いう風 に内 蒙 の方 は そ れ で巧 く 行 って居 りま す 。 所 が南 京 側 の空 気 は御 存 じ の通 り満 洲事 変 より 日 に日 に排 日的 に強 烈 と な り、
そ れ が事 実 だ と いふ やう な 考 へで 、従 っ て北支 に 一つの政 権 を 立 て て之 が北 支問 題︱
在 は何 とし ても蒋 介 石 其 の も のを 操縦 す る案 を樹 て なく ち や駄目 だ、
向 け る こと は 不可 能 であ ると 云 ふ風 に見 ら れ て居 た やう に記 憶 しま
其 の執 拗 な る 工作 が段 々河北 に拡 張 さ れ て居 り ます 。 関東 軍 、支 那 駐 屯 軍 の支 那 側 に対 し て要 望 す る所 は支 那 側 は何 ん と 言 って も折 れ
す 。 支 那駐 屯 軍 に言 はせ れ ば 、支 那 駐 屯 軍 は あ そ こ に居 て政 治 的 の
を 専断 処 理し 得 るや う に仕
て来 な い、 ﹁ノ ー﹂ と拒 絶 はし な いけ れ ど も 決 し て ﹁イ エ ス﹂ と は
任 務 を 持 って居 る の では な いと し ても 、 北 支問 題 に関 し 関東 軍 が満
日満 に関係 深 い︱
言 は な い、 非 常 に欝 陶 し い状 態 であ り まし た。 其 の以 前 から関 東 軍 、支 那 駐 屯軍 、 南 京 、 上 海 各 地 の幕 僚 、 武官 、
洲 から出 て来 て御 節介 をし て自 分 の施 策 を ご ち や〓
にす る、関 東
︱ 就 中青 年 層 は完 全 に ﹃ナ シ ョナ リズ ム﹄ に な って 来 た、 之 に は
う いふ こと を民 間 の人 から 聞 か さ れ る が、之 か ら本 腰 を入 れ てや ら
だ﹂ と云 ふ ので あ りま す 。 そ こ で私 は率 直 に板 垣閣 下 に 対 し 、 ﹁ 斯
らず に支 那 に於 て政 権 分 裂 を企 てよう とす る が 如 き は も う 昔 の夢
さ う いふ やう な 状態 で、 要 し ま す る の に何 ん と か し なく て はな ら
う と い ふ時 に此 の点 如 何 に考 へて官 し い か﹂ と お訊 ね し た こと が あ
蒋 介 石 が非常 な努 力 を し て来 て居 る、 此 の実 相 を は つき り掴 ん で居
ぬと いふ考 は何 処 にも あ りま し た け れ ど も、 併 し そ れ を どう 云ふ具
やり 方 をす る のは腑 に落 ち ぬと 云 ふ やう な こと であ り まし た。
合 にす る か と い ふ 一途 の方 針 は 確 定 せず し て進 行 し て居 り ま した 。
り ます 。 又 も う 一つ、﹁関 東 軍 が 工作 を や るた め には何 と し て も 相
軍 が余 り ﹃出 し や ば って﹄ 来 て下世 話 に謂 ふ嫁 に対 す る姑 のや う な
唯 関 東 軍 と 致 し ま し ては 、北 支 に南 京 か ら独 立 し た 一つ のも のを 作
其 の時 私 は軍 の第 二課 長 に替
当 の資 金 を 必要 とす る であ ろ う 。 中央 部 を煩 は す こと なく し て或 る
程 度 ま で行 く 目途 が あ りま す が ﹂︱ って居 りま し た が︱
当時 ﹁ 関 東 軍 の対露 作 戦 準 備 は 何 を や って居 る か、﹃ロ シ ヤ﹄に対
ら う と 云 ふ考 を持 って居 りま し た 。
し ては 一つも や って居 ら ぬ﹂ と 云 ふ非難 を受 け まし た が、 し つか り
立 ち所 に次 の如 く答 解 を さ れま し た 。
日本 色 にし な け れば な ら な い、 それ だ から関 東 軍 は北 方 を忽 せ にし
ぬ 。支 那 は依 然 支 那 で あ る。 若 い者 の中 に は 一部 さ う いふ こと を言
は あ る け れど も 、 そ れ は君 の聞 かさ れ て居 る程 深 刻 には進 ん で居 ら
﹁ 第 一の国 民 思想 の変 ったと いふ こと に就 て は成 程 さ う いふ こと
と其 の二 つを聞 き まし た時 に、副 長 は 二 つ共
と ﹁ロシ ヤ﹂ に向 ひ得 るた め に は満 洲 国内 の粛 正 を 完 全 にす る こと
て支 那 ば かり を見 て居 る ので は な いと いふ 理念 の下 に対 北 支 那 の 工
ふ け れ ど も其 の点 は 一局 部 的 の観 察 であ る﹂ と 日 は れ 、 ﹁ 第 二 の点
と、 支 那 特 に北 支 那 を 安 全 にす る ため にあ の辺 一帯 を 満 洲色 、即 ち
作 を やら れ て居 ったと 当 時 の軍 参 謀 と し て今 も信 じ て居 り ま す。 即
は 安 ん ぜ よ﹂ と 云 ふ意 味 で あ りま し た 。
満 洲 と 中央 支那 と の中 間 地帯 に親 日 の傾 向 を有 ったも のを作 らう と
は あ り ま せん 。其 の動 き も良 好 の方 に向 い て居 ると いふ こと もな く 、
し た が、 そ れは 関東 軍 の意 図 の如 き 明瞭 に南 京 から 分 離 し た も の で
てど う に か宋 哲 元 を首 班 とす る翼 察 政務 委 員 会 と云 ふも のが出 来 ま
そ こで関 東 軍 は前 に申 し ま し た気持 で動 い て行 き ま し た が 、 や が
ち北 京 の宋 哲 元 に山 東 の韓 復榘 を合流 さ せ之 に山 西 の閻 錫山 を靡 か
い ふ考 へで あ りま し て、 この政 権 は防 共 の旗 標 に於 て日満 両国 と 其
せ て、要 す る に大 体 黄 河 の北 方 地 帯 で 一つ の独 立 し た 政権 を作 り、
の向 ふ と ころを 一な ら し め んと す る ので あ り まし た 。 さ う し て之 に
さ う し て山 東 の韓 復榘 と連 絡 を と るやう に言 ふと 向 ふ も洵 に結 構 だ
し て居 った や う で あ りま す 。
は 徳 王 の配 下 の内蒙 を協 力 せし む る と いふ考 へであ り ます 。
兎 も角 ﹁テ ンポ ﹂ が非 常 に遅 く ぐ ず〓
と 云 ふ答 解 であ り まし た。 之 で昭 和 十年 も段 々暮 れ て参 り ま し た が、
或 る民 間 の人 が私 に斯 ふ
支 那 の知 識 はな にも あ り ま せず 唯指 導 を受 け な がら
使 ひ走 り を し て居 った ので あ りま す が︱
そ れ で どう し ても 一つ北 支 政 権 を確 立 さ せ に や不 可 ぬ、 之 が為 には
私 は も と〓
い ふ こと を言 ひま し た ﹁支 那 の民衆 は今 や大 い に思 想 が変 って来 た
土 肥 原 中将 が関 東 軍 の代表 と し て北 京 に出 ら る る こと と な り ま し た。
那駐 屯 軍 と し ては 心 よ く も な か った に違 ひあ り ま せ ぬ が、 関東 軍 の
は多 田閣 下 よ り期 は若 いの です け れど も 停 年名 簿 は上 にあ る し 、支
っ た の であ り ます 。支 那 駐 屯 軍 は了 解 し て居 り ま し た。 土肥 原 閣 下
中 央 と は 土肥 原 中 将 が北 京 に行 く と 云 ふ こと は了 解 がと れ て な か
表 面 は 関東 軍 と宋 哲 元 と の間 に約 し た こと で実 行 せら れ て居 ら ぬ部
し つか り 工作 を やら な く ち や 不可 ぬ と い ふ の で、 奏 天 の特務 機 関 長
か り座 り込 ん で、宋 哲 元 を捉 へて冀察 の独 立 を慫慂 す ると 同時 に、
分 の督 促 に行 く と いふ形 で行 き ま し た 。 さ う し て そ こ へ行 って す つ
は更 に宋 哲 元 に対 し 、翼 察 方面 の独 立 の態 度 を 明 か にす べき こと を
所 用 と し て行 った こと と し て了 解 を得 た ので あ り ます 。 土 肥原 閣 下
を折 衝 し 、 結 局 関東 軍 に対 し 一札 を 入 れ さ せ よ う と 云 ふ の であ り ま
従 来 の懸 案 であ り ま す る満 洲 国 国 境 に近 き 方 面 の配 兵 及 張 北 の問 題
あ り ます 。 宋 哲 元 の方 で は南 京 か ら分 離 し て︱
大 いに説 かれ た ので あ り ます が、 之 は 中 々動 か ぬ やう にな った ので
を し た と い ふ こと を 通告 す る と い ふ こと は到 底 出 来 な いと 云 ふ こと
南 京 に対 し て独 立
し た 。 そ の所 謂 一札 の内容 は 三 ケ条 であ り ま し て、共 の初 め の 二 つ
いふ こと にな り ま し て︱
が 明瞭 にな り ま し た 。 さ う し て十 年 の暮 にな り ま し て到 底 駄 目 だ と
は兵 力 の配 置 に関 す る こと です が⋮ ⋮ 。
いや支 那 側 の こと です 。
兵 力 配 置 と は 支 那駐 屯 軍 の こ と です か。
南 京 の指 示 の下 に
殿下
動 いて居 ると 云 ふ こと が判 って来 た の で吾 々は焦 った の であ り ます 。
明瞭 に南 京 の傀儡︱
河邊
三番 目 は随 分 乱 暴 な 案 を 軍 で立 て た の で あり ま す 。即 ち ﹁張 北 六
案 の認 可 を受 け、 北 京 の土 肥 原閣 下 に打 電 しま し た。 土 肥原 中 将 と
か出来 さ う な気 が し まし た の で、 ﹁これ で行 き そ う です ﹂ と申 し て
が、 私 は其 の前 か ら色 々聞 いて居 ま し た と ころ から 判 断 し て何 ん だ
謀長 は 上京 不在 ) は、 之 は ひ ど い事 を書 い て居 るな と言 は れ まし た
副長 は 、難 し いが然 しま あ や って見 う と言 は れ、 軍 司 令官 閣 下 (参
哲 元 に先 立 って独 立 を宣 言 す れ ば 当然 支 那 側 から 反逆 者 と し て恐 ろ
て居 り ま し た が幾 ら 経 っ ても宋 哲 元 は立 たぬ 。殷 汝 耕 と し ては 、宋
と が関東 軍 の幕 僚 の間 に考 が出 ま し て、 それ で色 々内 々工作 を や っ
た め に 一つ殷汝 耕 を し て冀東 だ け でも 之 を や ら し て や らう と いふ こ
京 と 手 を切 って御 輿 を 上 げ て来 ん と い ふな ら ば︱
薬 籠 中 の人 間 と な った の であ り ます 。 それ は どう し て も宋 哲 元 が南
人 も 日本 人 で あり 、 非 常 に日本 語 も上 手 であ り ま す 。之 が関東 軍 の
此 の冀東 の長官 を し て居 る殷 汝 耕 は 日 本 の大 学 を出 ま し た し 、夫
そ こ へ出 来 た のが冀 東政 権 で あ り ます 。
し ては 色 々困 難 は あ った の です が最 後 に説 服 さ れ たら し いの です 。
し い圧 迫 を受 け る こと であ り ま す か ら絶 対 に関東 軍 の支 持 を約 束 し
ま す 。 此 の私 の立 て た案 に就 き ま し ては 上 の方 も 心配 せ ら れ まし た。
縣 は自 今冀 察 政 権 の羈 絆内 にあ らざ るも の とす ﹂ と 云 ふ意 味 で あり
斯 し て こ の土 肥原 談 判 は成 功 致 し ま し て 、張 北 六縣 は 北 支 の政 権 か
殿下
中央 には爾 後 報 告 を し て居 り ます 。
そ れ に対 し て中 央 とは 大 し て問 題 は な か った の です か 。
を 寄 越 し て、 関 東 軍 は本 当 に援 助 を し て呉 れ る かど う かと いふ こと
て欲 し い、 そ れ は彼 とし て当 然 であ り ます から 、 そ れ で関 東 軍 に使
其 の 口火 を 切 る
ら 離 れ る こと にな り まし た。
河邊
だ らう か支 那 駐屯 軍 はど う だら う か と考 へて決 す べき 問 題 では な い
ら ぬ時 だと 考 へら る る な らば 立 ち な さ い。他 力 本 願 で関 東 軍 が どう
日 、満 、 支 の為 を思 ふ て吾 々は 立 つべ き で あ る。 今 立 た な け れ ば な
に来 ら れ た。 此 の大事 の決 心 は貴 殿 方 の問 題 です 。真 に東 洋 のた め、
れ る か﹂ と 言 ひ ま す ので、 私 は 、 ﹁ 貴 殿 はま こ と に変 な こ と を 訊 ね
﹁関 東 軍 は 本 当 にや って呉 れ る か 、立 った後 の面 倒 を 見 てや って呉
あ り まし た が私 が会 ひ まし た 。 ﹁ 何 し に来 た の か﹂ と 言 ひ ま し たら 、
を糺 し に来 た こと が あ りま す 。其 の時 に使 に来 た のは殷 汝 耕 の甥 で
呉 れ て自分 の顔 を立 てろ ﹂ と云 ふ風 に拗 ね て来 て仕 舞 ひま し た 。
消 し て、 あ れ は御 前 の所 に合 流 さ れる﹂、宋 哲 元 は ﹁あ れ を 潰 し て
地 が な い﹂、土 肥 原 は ﹁お前 が立 つ決 心 をす れば あ あ い ふ こ と は 解
を 早 く潰 し て呉 れ るな ら ば 考 へる 。 さう でな か った な ら ば考 へる余
言 ひ訳 が な く な っ た の であ り ま せ う 。 さう し て土 肥 原 閣 下 に ﹁あ れ
と な った やう であ り ま す 。 即 ち彼 の面 子 を 破 壊 し 又南 京 に対 し ても
様 な ら﹂ と先 へ立 っ て仕 舞 った こと は、 宋 の心 中 に抜 け得 な い不 快
た の に、私 等 の焦 った や り 口 によ り宋 哲 元 の配 下 た る べ き者 が ﹁左
り 、何 と か妥 協 的 な 形 に於 ても形 態 が取 れさ う にな り つ つあ り まし
い。 一に殷 汝 耕 さ ん始 め貴 殿 方 の大 局 上 の観 点 か ら来 る。 何 も 関東
策 に出 る で あ りま せう 。要 す る に決 意 は関 東 軍 の意 見 や意 図 では な
で あ りま す 。 之 は殿 下 の御 耳 に も達 し て居 る と思 ひ ます 。 御 承 知 の
揚 し たと 思 ひ ます 。而 も冀 東 は副 作 用 的 に実 に悪 い作 用 を 起 し た の
処 置 し な か った と 云 ふ こ と が結 局 支 那 側 の反 日 、抗 日意 識 を 愈々 高
さ う し て私 は、 日本 が適 時冀 東 政権 の解 消 と い ふ こと に然 るベく
で せう 。関 東 軍 は 軍 の信 ず る東 洋 の保安 のた め結構 な こと な ら 力 一
軍 と 相談 な ど に来 な いで 一刻 も 早 く 帰 り自 分 で お決 め な さ い。 直 ぐ
い重 工業 地 帯 と 欧 人 が言 った位 の地 帯 であ り ま す か ら 、兎 角 山 師 が
やう に冀 東 は 割合 に天 産 の豊 富 な 所 であ り ま す 。世 界 中 で も最 も よ
杯支 援 もし ま せう し 、苟 も之 に反 す る こと が起 る なら ば 極 力排 撃 の
にも 通 州 に帰 ら れた ら よ いで せう ﹂ と いふ こと を言 ひ ま し た。 さ う
さう い ふ風 にし て ﹁イ ンチ キ﹂ を や っ て作 った も ので あ り ます か
眼 を着 け て居 ると 云 った状 況 で あ り ます 。
し た ら よく 判 りま し た と言 って帰 りま し た が 、程 なく 独 立 宣 言 を や
そ こで彼 等 は通 州 に小 さ な役 所 を 造 っ て独 立 の政 府 と なし 、冀 東
りました。
﹁支 那 ご ろ 」 又 は 極端 な のは軍 部 の 一部 にも 密 貿 易 を許 し て居 ると
ら自 然 に ﹁イ ン チ キ﹂ を や る も のが集 り、 さ う し て色 々悪 事 を や る。
そ れ は どう い ふ意 味 です か。
二 十 二縣 を共 の配 下 に置 き ま し た。 そ こ で私 は 此 の冀 東 政 権 の発 生
之 が因 にな り ま し て北 支 那 の政 権 と折 合 は なく な りま し た。
無 論 之 は素 々そ ん な つも り で作 った も の では な い ので あ り ます が、
殿下
が 支 那事 変 に 一番 近 い原因 を作 って居 る と 思 ひ ます 。
河邊
が、 兎 に角 非 常 に悪 用 せ ら れ た と いふ こ とを 聞 き 知 っ て居 り ます 。
さう し た内 容 は 其 の後 隊 附 を致 し ま し て詳 し い こと は知 り ま せ ん
云 ふ噂 さ へ立 ち 、随 分悪 い こと を し て居 たや う であ り ま す 。
立 つか も知 れ ぬと 考 へて居 り まし た所 が、 事 実 は逆 行 し まし た。 そ
そ れ で 日本 、 満 洲 、 支那 と いふ も の を綺 麗 にす るた め には 、冀 東 と
吾 々は宋 哲 元 は殷 汝 耕 のや り 口 に刺 戟 せら れ 、 そ れ が 口火 とな っ て
の以前 甚 だ緩 慢 且 不 明朗 な がら 幾 分 づ つ冀察 が も の に な り さう にな
を 見 ま し た 。而 も其 の動 機 は表 面 の理由 は色 々あ り ま す が関 東 軍 が
定 め ら る る こと にな りま し て、 昭和 十 一年 三月 か五 月 に実 際 の増 強
実 際 さう 思 って居 り ま し た が、 中 央 で は愈々 支 那駐 屯 軍 の増 強 が
其 の後 私 が隊 長 勤務 一年 を経 まし て参 謀 本 部 に来 ま し た時 には ど う
い ふも のは 何 ん と か処 理 し なけ れば な ら な いと考 へる に至 りま し た。
し ても冀 東 を 壊 し た 方 が よ いと思 ひ、 色 々其 の方法 に就 て支 那 駐 屯
があ った と思 ひま す 。
出 し や ば る のを封 じ て支 那 駐 屯 軍 に支那 問 題 を やら さ う と いふ真 意
六事 件 の直 後 私 は 近 衛野 砲 兵 の隊 長 に転 任 し 、 一年 許 り居
軍 方 面 の意 見 な ど を聞 いて居 り まし た が、 そ の中 に戦 争 と な り ま し
二・ 二
た。 3 、支 那駐 屯 軍 の増 強
う に思 ひま す 。 中央 は之 を 心配 さ れ、 其 の原 因 の 一つと し て支 那 駐
て な さ れ ると い ふ こと が 、東 京︱ 中 央 部 及 政 界 でも喧 し く な った や
居 るが 、其 の業 務 の外 廓 を な す も のに第 二課 が あ っ て国防 国 策 、大
動員 、作 戦 、之 等 を やり ま す 。第 一部 は第 二課 を 中 心 と し て や って
国 策 、戦 争 指 導 、 情 勢 判 断 な ど と いふ も の を や り、第 三 課 は編 成 、
時 の参 謀本 部 の編 成︱
第 一部 の編 成 は御 承 知 の通 り第 二課 は国 防
屯 軍 が余 り に関 東 軍 に比 し て薄 弱 だ から 関 東 軍 は出 し やば る、 之 に
き く言 ひ ます と戦 争 準 備 を 進 め て行 かう と い ふ の が当時 の第 一部 長
り ま し て十 二年 の三 月 参 謀 本 部 の課 長 に転 じ て参 りま し た 。其 の当
対 抗 す る も のを 作 った ら よ か らう と いふ風 に考 へら れ た ら し い の で
石 原 少 将 の抱 負 で あ りま し た 。 私 は 其 の第 二課 長 を命 ぜ ら れ ま し た
所 が さう い ふ風 な色 々な北 支 に於 け る政 治 的 工作 が関 東 軍 に依 っ
あ りま す 。 私 は公 平 に考 へま し て、 即 ち 関 東 軍 の参 謀 た る立 場 に於
4 、 産 業確 立 計画
︱ 石 原 少 将 は私 の前 任 の第 二課 長 を や って居 ら れま し た 。
て では な く 考 へま し て適 当 で な い と思 ひ意 見 を提 出 し た こと が あ り ま す 。 私 の見 方 と し ま し て北 支 に今 兵 力 を 殖 や す 理由 は な い と思 ひ
為 には 軍備 の充 実 を やら ね ば な ら ぬ︱
国防 、 国策 を確 立 し て国 防 国 家 の建 設 を や ら ね ば なら ぬ︱
当時 参 謀 本 部 の全 般 の空 気 と いふ も のは所 謂 「石 原 イ ズ ム﹂ で、
増 す と い ふ こと は愈々 北支 に 対す る武 力 的 工 作 を進 め る のだと いふ
で あ りま し て、 兵 力 には制 限 がな い の であ り ま す が 、今 に於 て兵 を
ま し た。 大 体 支 那 駐 屯 軍 は義 和 団 事 件 後 の条 約 に依 って出 来 た も の
感 じを 支 那 人 には勿 論 、外 国 人 に も与 へる こと にな り 、陸 軍 の内 部
る産 業 の拡 充 を や ら ねば な ら ぬ︱
それが
的 情 勢 の調 整 が主 目 的 で之 を行 ふ の は宜 し く な いと 考 へま し た。 若
やれ ば 此 の産 業 の拡 充 は 出 来 る、 と いふ考 への下 に⋮ ⋮ 日満 だ け で
的 を達 す る や う に や ら ねば な ら ぬ︱
日満 の産 業 を ﹁ブロツ ク﹂ で
其 の為 に は官民 を 通 じ て其 の目
又其 の軍 備 充 実 の根 元 で あ
は や れ る、 無 論 支 那 駐 屯軍 司令 部 の機 構 を 強 化 す る こと は差 支 な か
し 北 支 に出 兵 が必 要 な ら関 東 軍 か ら兵 を出 せば 五時 間 か か ら ん で之
て やら せま し た 。之 に命 じ て出 来 上 った も のを 以 て陸 軍 省 を動 か し
産 業 を 確 立 す る と いふ目 途 で、 其 の調 査 研究 を満 鉄 の外 部機 関 を し
之 が実 現 の為 には政 府 の顔 触 も 替 へなく
らう け れ ど も増 兵 は 不 必要 で あ り 、 そ れ だけ の兵 が あ る な らば 現 在
政 府 を 動 か し て行 かう︱
熱 河 の方 に は兵 は足 ら ぬか ら其 の方 に出 す のが 良 いと いふ考 で意 見 具 申 をし た こ とも あ り ます 。
の で、 相当 に裏 面 表 面 から 工 作 せ ら る る所 が あ ったと 思 ひ ま す 。私
ち ゃ 不 可 ぬ 、軍 の意 図 を 実 行す る内 閣 に替 へなく ち や 不 可 ぬ と い ふ
が良 い、 即 ち あ の地 帯 を し つか り軍 で実 質 的 に把 握 し て居 ったら 良
解 け な い︱
か 回避 し よ う と いふ気 で あ り まし た 。 そ れ が癌 の やう に な って仲 々
可 ぬ、何 と か 一般 重 要 産 業 も大 いに拡 充 し て かゝ ら ね ば な ら ぬ﹂ と
年 の四 、 五 月頃 で あ り ま し た。
つけ てか ら解 消 す る つも り であ りま し た 。 さう い ふ状 態 が丁 度 十 二
い の で法 的 には支 那 の も ので あ ると いふ風 に思 ひ、 大 体 先 の眼 鼻 を
そ こで冀 東 と い ふ も のは色 々 の都 合 で之 は解 消 し た 方
は ﹁さ う いふ こ と は極 め て結構 だ と思 ひ ます 。 さう や ら な け れ ば不
い ふ気持 で馬 力 を かけ る つも り で あ り ま し た 。 それ で十 二年 か ら 五
間 から 入 って来 た の です が︱
耳 に 入 って来 ま し た。 之 は 民
年 かゝ つて十 七年 の 三月 迄 に産 業 の拡 充 を やら う と 話 合 って居 り ま し た 。 従 って そ れ が出 来 上 る迄 は ﹁ソヴ ェツ ト﹂ に対 し て も支 那 に
5 、戦 争 謀 略 の風 聞
の やう な こと が起 る︱
近 く 北 支 方面 で 此 の前 の柳 條 溝事 件
又 そ れ が御 上 の御 方 針 だと 信 じ て居 り ま し た 。 さう し て此 の拡 充 計
と い ふ こと を民 間 の人 か ら聞 き ま し た 。 そ れ か ら私 は変 に思 ひま し
六 月 頃 でし た が妙 な 噂 がち よ い〓
画 の基 礎 は参 謀 本 部 の第 二課 が指 導 し て作 ら れ たも の で、之 は十 二
対 し ても戦 争 を や る べき でな いと いふ風 に固 く 信 じ て居 り ま し た し 、
年 の戦 争 が始 ま る直 前 頃 漸 く陸 軍省 に圧 し付 け て政 府 側 にも逐 次通
て石 原 部長 にも話 しま し た。 ﹁ど う も変 な こと を民 間 の噂 に聞 く が 、
に私 の言 に賛 成 し て ﹁何 んと し ても戦 争 は勿 論 此 の噂 も止 め さ せ な
そ れ を今 支 那駐 屯 軍 の幕 僚 が企 劃 し て居 る
じ て行 き つ つあ った と思 ひま す 。 そ れ が参 謀 本 部 の状 態 であ り ま し
そ れ を止 め さ せ る こと は出 来 んも のか﹂ と言 ひ まし た 。部 長 も非 常
く ち やな ら な い﹂ と い ふ こと を 言 ひ ま し て、 さう し て実 状 を 一遍 見
陸 軍 省 も そ の積 り であ りま し た 。併 し其 の間 に多 少 の軋 り が あ り
た。
ま し て参謀 本 部 の言 ふ こと で通 ら な い こと も あ りま し た 。然 し其 の
に行 った ち良 いぢ やな い かと い ふ こと で、 そ れ から 状 況 を 見 に軍 務
︹清 福︺
通 ら な い のを私 如 き が石 原 少将 の権 威 を笠 に被 て⋮ ⋮ 非 常 な卓 見 と
︹ 兼 四郎 ︺
迫 力 が石原 少 将 に あ る こと です か ら ⋮ ⋮遅 いな がら も 兎 に角 陸 軍 省
っ て来 ま し た。 そ れ から 今 一つ には石 原 部 長 から︱
課 長 の柴 山 大 佐 と軍 事 課 の岡 本 中佐 と が行 っ て 一、 二週 間歩 いて帰 ︹河邊正三少将]
其 の兄 に向 ひ公 私混淆 の感
丁度 私 の兄 が
に ぶ つか って行 って見 ると いふ状 態 で あ り ま し た⋮ ⋮ 。 一方 北支 に於 て も司 令 部 が強 化 さ れ ま し て、 中 央 の日 満共 同産 業
ふ の で、経 済 方面 の主 任 参 謀 も出 来 ま し て池 田純 久 中 佐 が冀 察 政 権
ど う か」 と の話 も あ り 、 私 は 兄 に私 信 を出 し た こと も あ り ます 。 所
ら 気 を着 け よ、 断 じ て不 慮 の事 態 を醸 さ ぬや う にと 言 って やっ たら
は あ るが手 紙 を や っ て、 今 のや う な こと を 言 っ て居 るも のも あ る か
歩 兵旅団長 を や って居 りま し た が︱﹂
を相 手 にし て色 々交 渉 を やり ま し た が どう も冀 東 と いふ も のが邪 魔
﹁デ マ﹂ で あ っ て心 配 無 用 と の こと であ り 、 又 私 の兄 の返 信 にも 安
が中 央 か ら視 察 に行 っ た 一人 の帰任 報 告 にも さ う い ふ や う な 噂 は
拡 充 五 ケ年 計 画 の企 図 に呼 応 し て北 支 で も之 に調 和 し てや らう と い
察 側 は率 直 に やら う と 言 はず 何 と
に な りま し た 。支 那 駐 屯 軍 は冀 東 の開 発 は直 ぐ 手 を 着 け る と言 って 来 ま し た け れ ど も 、支 那 側︱冀
殿下 私 は 六 月頃 だ と記 憶 し て居 り ます 。 私 の聞 いた のは 其 の頃 で
あ れ は 六 月頃 です か。
し た。
河邊
殿下
あゝ さう です 。 吾 々が 出 勤 し ま し た時 ⋮ ⋮ 八時 です から 朝 で
電 報 が来 て居 る の は朝 です ⋮ ⋮ 。
か ら 七日 の晩 か に突 つか った と いふ報 告 があ った のです ⋮ ⋮ 。
河邊
心 せよ と いふ やう な意 味 の こと が書 か れ てあ り まし た。
す ⋮⋮ 或 は其 の前 か も知 れま せ ん が ⋮ ⋮ それ で私 は視 察 に参 り ま し
つま り支 那 と事 が起 った
全 然 別 です 。
った い こと です が 、少 く とも 私 等 一部 の者 は対 支 戦争 は長 びく 虞 が
河邊
な ら ば長 期 持 久 にな る と い ふや う な判 断 もあ った のです か。
た か 。支 那 と戦 争 を し た らど う な る か︱
一寸 振 り 返 って伺 ひま す が、其 の当 時 の対 支 判 断 は どう でし
殿下
柴 山 大 佐 、岡 本 清 福 中 佐 は全 然 別 で行 った の です か、 或 は 一
た 人 に話 を 色 々聞 いた の です が ⋮ ⋮ 。 殿下
参 謀 本 部 から は誰 も行 っ て居 ら ん です か。
そ れ は観念 的 に二通 り に分 れ て居 た と思 ひま す 。実 は 口は ば
河邊
多 いと思 つて居 り ま し た。 実 は何 ん だ か臭 いと 申 し ま す か妙 に北 支
緒 だ った の です か 。
殿下
永 津 大 佐 が行 った と思 ひ ます 。他 にも 行 った か とも 思 ひます
︹ 佐 比重︺
河邊
が起 る か も知 れ ぬと の不安 も あ り、前 任 課 長 即 ち石
と の間 が こち れ て居 り ま し た から 、 双 方 の出 方 如 何 に依 って発 作 的
そ の考 は上 の方 も 是 認 せ ら るゝ ことゝ な り まし た 。当 時 を考 へま す
様 、事 を之 よ り拡 大 せ し め ぬ やう に関 東 軍 を抑 へる べ き だ と思 ひ 、
之 に対 し ては 第 三 課長 の武 藤. 大 佐 か ら の意 見 も あ り 、私 も同 氏 と同
編 制 の第 二 課 の部 員 と 致 し ま し て対 支 作 戦 の計 画 に参 画 し た こと も
其 の反 対 に大 い に楽観 的 に考 へる者 と が あ り まし た 。嘗 て私 は前 の
の際 事 が起 ったら 随 分 や や こし く な るぞ と いふ悲 観 的 に見 る者 と 、
い ふ こと に関 し ては具 体的 に練 っては な か った の で、 只観 念 的 に此
︱そ れ で若 し 対 支戦 が起 っ たら ど う いふ風 な戦 にな る だ らう か と
展 開 す る場 合 の研 究 をす る やう に準備 を進 め て居 った ので あ りま す
︱ 支 那 と戦 を始 め た こと から そ れ が因 に な って対 ﹁ソ﹂ 支 戦 争 に
原 部長 の申 送 り にも あ り まし た ので 、課 内 の研 究 と し て 対 支 作 戦
に何 かご た〓
が其 の報 告 は 聞 き ま せ ん でし た 。
三 、 事 変 勃 発 と 中 央 部 内 の状 況
そ んな こと を や って居 る間 に例 の ﹁乾岔 子﹂ 事 件 があ り ま す 。
と 誰 一人 ﹁ 此 の際 関東 軍 の案 を推 進 し て ﹃ソ﹄邦 に 一撃 を 加 ふ べ
河邊
し ﹂ と言 ふ も の があ り ま せ ん でし た 。 即 ち吾 々 一般 に ﹁ソ﹂ 邦 に対
あ りま し て、多 少 対 支 作 戦 の構 想 は 頭 にあ り ま し た が、作 戦 の研 究
︹ 章︺
し ては先 づ慎 重 を 持 し た の で あ りま す 。
結 局 対支 戦 争 準 備 と いふ も の は出 来 て居 ら な か った のです ね。
と し ては 第 二次 的 であ り ま し て洗 練 精 到 の研究 はな か っと 思 ひま す 。 殿下
全然 あ りま せん 。 そ れ で石 原 少将 も愈 々事 が大 き く な り かけ
が あ り ま し た が、
軍 司令 官 の辞 職 問 題 な ど も起 り まし て多 少 ご て〓
河邊
中央 か ら の右 の主 旨 に依 って なさ れ ま し た処 置 に絡 み ま し て関 東
そ れ が済 む か済 ま ぬ の中 に蘆 溝 橋 事 件 が起 った の であ り ます 。向 ふ
る と いふ時 に非 常 に心配 さ れ て部員 を集 め て次 の要 旨 の訓 示 を致 さ
向 ふ が言 ふ こと を聴 かな か った らど う す る︱
そ れは 現 に談 判 交 渉 を 支 那駐 屯 軍 にさ せ よう と し て居 るが 、若 し
な いかと いふ考 が出 て来 る のです 。
と いふ こと が 不言 の間 に明 瞭 に其 の気 持
之 は膺 懲 す べ き だ 、斯 う い ふ やう な こと を
れ まし た 。﹁斯 う い ふ状態 に な った のは兎 に角 石 原 の不 明 の 致 す 所
が あ るも のです から︱
支 那 は弱 いと いふ考
で何 故 も つと早 く 之 を 研 究 し て置 かな か った か と い ふ こと は 残 念
す る のは 一体 生 意 気 だ︱
支 那 から 戦 争 が起 った、 そ れ に次 で ﹁ロシヤ﹂ も立 つと いふ
殿下
に あ った のです 。 それ が前途 を楽 観 し て考 へて居 る楽 観 派 の思 想 、
だ﹂ と いふ こ とを 言 は れ て居 りま し た 。
考 も あ った の です か 。
にな るぞ と具 体 的 な こと は考 へず と も気 持 の上 に は相 当 な違 ひ が あ
言 葉 であ り 、他 の 一方 では 此 の交 渉 が こぢ れ た ら相 当 に厄介 な こ と
そ れ は余 程 あ り ま し た。 そ れ も纒 って居 り ま せ ん から 、印 象
に残 った儘 を 申 上 げ ます から そ れ で御 判 断 を願 ひ度 いと思 ひ ます 。
河邊
河邊
殿下
支 那関 係 者 は楽 観 派 な ん です 。参 謀 本 部 の第 一部 も 完全 に 二
支 那関 係 者 は楽 観 派 だ った の です か。
りま し た 。
つに分 れ て居 りま す 。 大 体陸 軍 省 の軍事 課 、 参 謀 本 部 の第 三課 及 第
八 日 の電 報 を見 ま し た時 の 一つ の例 とし て申 上 げ ます が、 軍務 課
な﹂。 そ れ が軍 務 課 長 の私 に対 す る電 話 の第 一声 であ り ま し た 。第
長 が斯 う いふ こと を電 話 で言 っ て来 ま し た。 ﹁厄 介 な こと が起 っ た
二部 の大部 殊 に支 那 課 は 此 の際 や るべ き だ と な し、 露 西 亜課 では早
く 支 那 を敲 き つけ て仕 舞 へば ﹁ロシ ヤ﹂ の方 は大 丈 夫 だ、併 し先 の ︹ 久雄︺ こと は判 ら ん ぞと 言 っ て居 り ま した 。当 時 第 二部 長 渡 中将 は病 気 だ ︹ 幸雄︺ っ たも のです から 笠 原 大 佐 が代 理 を し て居 りま し た が、之 は相 当 に
一方 は之
な 風 に陸 軍 省 と 参 謀本 部 に 二 つ の空 気 があ っ た のです︱
強 硬 で し た。
三課長 は ﹁愉 快 な こと が起 った ね﹂ と言 って居 り ま し た。 当時 そ ん
は 何 と か揉 み潰 し を し なけ れ ば な ら ぬ と い ふ風 に思 ひ、 一方 では此
殿下
河邊
前 に出 し た のを 見 た の です が、 それ と の関 係 は ど う いふ のです か。
奴 は面 白 いか ら油 を かけ ても や ら さう と い ふ気持 の上 に違 ひ が あ り
のと徹 底 的 に拍 車 を 入 れ てや らう と い ふ気持 と いふ も のと違 ひ ます 。
ま す 。電 話 でも さ う いふ風 な違 ひ が あ る、 之 は殊 に控 へ目 にす る も
観 派 と見 る べき 支 那班 が全 く 反 対 の非 常 に面 白 い作 戦 資料 を事 変 直
と いふ状 況 で 、之 あ た りは参 謀 心理 と し て非常 に気 を著 け な け れば
あ り ます ま いか 。
其 の時 の こと で私 は非 常 に不思 議 に思 っ て居 り ま す の は、 楽
ヤ﹂ に対 し て は兎 に角 警 戒 し て行 く が支 那 に対 し て は軽 く 見 て行 く
妙 な支 那 人 に対 す る見 方 、 第 一は さ つき も 申 上 げ ま し た が 、 ﹁ロ シ
な らな いと 思 ひ ます 。 ﹁一体 参謀 本 部 の部 員 と か課 長 と か 言 っ て 居
そ れ に依 る と支 那 は簡 単 に参 ら ん と い ふ判決 を出 し て居 り ま
そ れは 私 は覚 え て居 りま せん 。兵 要 地 誌 班系 か ら の意 見 では
る が、 ﹃チャ ン コ ロ﹄ があ ん な こと をし てあ れ で腹 は立 た ぬ の で す
殿下 す。
か﹂ と 言 った者 が あ りま す 。 ⋮ ⋮ そ こ等 に原 因 し て、支 那 人 ぶ つく ら は し て仕 舞 へば良 いぢ や
河邊 満 洲事 変 が比 較 的 順 調 に行 った の に鑑 み て北 支 も 簡 単 に行 く
あゝ さ う です か非 常 に面白 いです ね 。
ります。
そ れ か ら程 経 て であ り ます け れど も 、私 の第 二課 の方 で は ﹁や る
たが 、 作戦 課 長 は 明 瞭 に ﹁ 敲 き はす るけ れ ど も南 京 を取 ら う と い ふ
以 上 は南 京 を とる 考 でや ら なく ち やな ら ぬ﹂ と いふ意 見 を出 し ま し
殿下
いと 云 ふ希 望 を持 ったも の が居 った の では な いで す か。
と考 へたも の、及 之 に関 聯 し て 此 の機 会 に接満 地帯 を は つき り し た
そ れ は何 時頃 の話 でし た か。
こと は考 へて居 な い﹂ と私 に申 し た こと を記 憶 し て居 り ます 。
それ は 二 つが こん がら が って居 ると 思 ふ のです 。 それ で非 常
河邊
そ れは 大 分後 です 。
私 等 第 二課 のも のは ﹁事 こゝ に至 った以 上 思 ひ 切 って やら う 。首
殿下
都 南 京 を取 る計 画 を立 つ ベき であ る ﹂ と考 へて意 見 を出 しま し た 。
河邊
居 ると いふ状 況も あ りま し た らう 。支 那 班 の主 任 部 員 あ たり が来 ま
然 し こ の南 京 と 叫 ぶ こと が余 程 大 き く考 へた つも り で あ った の であ
に積 極 的 な 考 が出 て来 る 一つに は、 今 から 考 へます と 例 の内蒙 事 件 、
し て故 意 に気 勢 を挙 げ る為 か も知 りま せ ん が ﹁ 保 定 ま で や った ら必
り ます 。 之 は 八 月 に入 っ て から だ ったら う と 思 ひ ます 。
綏 遠 事 件 そ れ から 察哈 爾 と斯 う い ふ風 に積 極的 に支 那 を 見 く び って
ず 支 那 は 手 を挙 げ る⋮ ⋮ ﹂斯 う いふ風 に熱 烈 に説 いた こと も あ り、
殿下
それ は 全 軍 の半 数 動 員 を立 案 せら れ た頃 です か。
ぬと 考 へる か ら控 目 の案 に な る のだ 、 上陸 せ ん でも 良 いから 塘 沽 附
永 津 課長 の如 き は ﹁日 本 は動 員 を や った ら 必ず 上 陸 し な け れば な ら
あ の前 だ と思 ふ ので す が 、大 体 其 の頃 多 く の 人は 南 京 な ぞ を
併 し支 那 関 係者 の中 に は、 支 那 と いふも のは ﹁ア メ ーバ ﹂ のや う な
河邊
も の だ から 切 っても 切 って も駄 目 だ と いふ風 に見 て居 る人 も あ り ま
近 ま でず っと船 を 廻 し て持 って行 け ば そ れ で北 京 と か天 津 は もう一
之 は余 り個 人 の話 にな り ます が、 今 の軍 務 局 長 の武藤 大 佐 あ たり
し た。 殊 に兵要 地誌 関 係 の人 は さう であ った やう で あり ま し た 。 又
考 へな く と も そ れ迄 には片 が附 く だ らう と 考 へて居 たと 思 ひます 。
を
先 づ参 る であ ら う﹂ な ど と言 っ て居 り まし た。
は其 の時 の考 へを斯 う い ふ風 に私 に言 ひ ま し た 。 私 が ﹁ 何 処〓
斯 う な って来 て は蒋 介 石 の政 府 はな く な る だ らう と いふ 見解 を有 っ
︹ 第 五師 団 ︺
動員 し て出 す のか﹂ と訊 ねま す と 、 ﹁ 姫 路 、 廣 島 、熊 本 を 出 す 。宇
て居 る人 も あ り まし た。 も う一 つは陸 軍 省 方面 に於 て、 此 の際 や っ
︹ 廉介︺
都 宮 は土 肥 原 さ ん 、姫 路 は磯 谷 さ ん 、廣 島 は 板 垣 さ ん だ から 、 此 の
が、 戦 そ のも のは好 ま ぬ所 だ が兎 に角 国防 国 家 を作 る にも産 業 拡 充
︹ 第十師団︺
三 つを北 支 に出 せ ば あ そ こら の有 象 無 象 が双 手 を 挙 げ て来 るだ ら う
を や る にも今 の儘 では政 府 も国 民 も 容 易 に附 い て来 ん 、 そ れ だ から
現 実 に戦 でも あ れ ば国民 も仕 方 な く附 いて来 る、
そ れ が為 に此 の戦 を や った ら良 いぢ やな いか と い ふ意 見 を持 っ て居
︹ 第 十 四師 団 ︺
と思 ふ が、 余 り に見 え過 ぎ た や う だ から 宇 都 宮 を控 へて西 方 の師団 ︹ 第六師団︺ た る熊 本 にし た 。面 白 く な ると思 ふ が、 後 のご た〓 は君 の主任 だ
戦 でも始 ま って︱
たら 良 いぢ や な い かと いふ意 見 の中 に、 云 はば 方 便 的 な考 へ方 です
つた の で武藤 大 佐 の見 当 外 れ を笑 ふ の であ り ま せ ん 。当 時 さう いふ
から し つか り頼 む ぜ ﹂ と 云 ふ ので あ りま す 。之 は私 が主 任 課長 で あ
風 に大 抵 は之 で済 む だ らう と考 へて居 った も の が多 く あ っ た ので あ
る者 も あ り まし た 。
要 し ます る の に当時 戦 争 を や る べ き か、 何 と か止 め る やう にす る かは 確乎 一定 的 に中央 部 の歩 調 が揃 って居 り ま せん 。私 は部 長 と も 他 の同僚 と も相 当 激論 を し た こと も あ り ます 。然 し 私 と て も決 し て
﹁外相 とし て苦 し い立場 も あら う け れ ど も、 何 も か も軍 の言 ふ こと
を 聞 かん で も正 し いと思 ふ こ と は貴 方 が強 調 し実 行 せ ら れ た ら如 何
近 衛 公爵 は、 私 は直 接 御 話 を伺 っ た こと は あ りま せん け れ ど も、
です ﹂ と私 は申 上 げ た こと が あ り ます 。
当 時 は大 い に軍 の鼻 息 を窺 って居 る か の如 く真 に戦 争 指 導 の根 元 を
︹清 ︺
立 派 な先見 の明 があ った沢 では な く 、唯 軽 率 に考 へた く な か った こ
把 握 し て や る大政 治 家 とし て のや り方 は な か った と思 ひま す 。
ま す け れ ど もあ の時 国策 を指 導 出 来 る 地位 には あ り ま せ ん。 参 謀 本
軍 に於 き ま し ても 、私 は石 原 莞 爾 と 云 ふ人 は 本当 に偉 人 だ と思 ひ
と だけ は事 実 でご ざ いま す 。当 時 今 井 次 長 は病 気 欠 勤 中 であ りま す 。
は 一方 戦 争 指 導 、国 策 と いふ こと の考 へから 出 来 る だ け不 拡 大方 針
第 一部 長 は 大 体統 帥 部 の全責 に任 じな け れ ば な ら ぬ。 所 で第 一部 長
中 央 軍 が北 上 し て来 ると いふ情 報 が支 那 の出先 か ら来 ま
部 の第 一部 長 と し てそ れ 以上 にど う と も や れ な か った ので あ りま す 。 ど ん〓
でや り た い の であ り ます が、 又 他 の 一方 所 謂 作 戦部 長 の立 場 に於 て
た が動員 を 止 めら れま す れ ば自 然 に止 ま る で せう ﹂ と 極端 な こと を
し て石原 部 長 が非 常 に心配 し て居 ら れ ま す か ら、 私 は そ れ は ﹁あな
今 支 那駐 屯 軍 が敵 の重 囲 に陥 っ て居 る 不利 な る態勢 を緩 和 し な け れ
さ う いふ と語 弊 が
﹁ヂ レ ン マ﹂ に陥 って居 る、 そ れを 何時 で も︱
ば な ら な いから 、 好 まざ るも 出 兵救 援 し なけ れ ば な ら な い と い ふ
言 った ので非 常 に叱 ら れ ま し た が、 部 長 の心中 苦 し いと ころ が頗 る
非 常 に石 原 部 長 は苦 し ん で居 ら れ た の で
あ るか も知 れま せん が︱
や るな ら 再 び 立 て ぬ やう に大鉈 を振 ふ と い ふや う に、 ど つち か に決
が高 位 にあ って冷 静 な態 度 を持 って、 止 め る な ら思 ひ 切 っ て止 め る 、
そ こ で開 戦 の当 初 種 々岐路 に迷 ふ時 に、誰 か大 局 に明 徹 し た偉 人
多 か った と御 同 情 致 し て居 り ます 。
す 。政 治 家︱
め て そ れ に徹 し な け れば 不 可 ぬと思 ひ ます 。 私 は非 常 に教 訓 を得 た
に本当 に戦 争 を引受 け る気 持 と いふ も のがな け れ ば 駄 目 だ と思 ひ ま
あ り ます 。実 際 あ の当 時 部 長 には気 の毒 な所 があ り ま し た。 政 治 家
っ て居 った政 府 であ り ます 。 何 事 でも ﹁軍 は どう いふ 風 に思 っ て居
近 衛首 相 、 廣 田 外 相等 当 時 は軍 に ﹁オベ ッ カ﹂ を 使
る か﹂ と いふ て心 配 す る非 常 に勇 気 のな い政 府 であ り ま し て、 軍 に
やう な 気 が致 し ま す 。
そ れ で矢 張 り理 想 を言 へば 、 独 逸 にか ぶ れ て居 る と言 ふ か も知 れ
問 ふ ては事 を決 す ると いふ や り方 で、 政治 的 に全 責 任 を負 ひ戦 ふも
ま せ ん が、 一人 の人格 で全 部 を掴 ん で他 の者 は之 に絶 対服 従 をす る
と いふ やう な こと でな け れ ば駄 目 だと 思 ひ ます 。 予 定 が 次 か ら次 へ
之 は悪 口 にな り ま すけ れ
外 れて 三年 も 四年 も 好 ま ざ る に引 張 ら れる と いふ こと は 、 機 構 が悪
思 ひ ま す 。廣 田 さん は︱
ど も︱
こ とを つく〓
戦 はざ るも国 家 大 局 の着 眼 から や っ て行 か う と い ふも のは な か った
た が) 相 当 な 見識 を持 った 人 で あ り ま せう け れ ど も、 何 し ろ 軍 の意
か った と いふ よ りも 当 局 に ﹁人 ﹂ が不 足 し て居 た の だと い ふ こと を 、
( 私 は ﹁ロシ ア﹂ に行 っ て居 った時 非 常 に厄 介 にな り まし
向 を聞 かな け れ ば外 務 大 臣 と し て の仕 事 が出 来 な い と い ふ状 況 で、
条 件 を つけ て此 の事 件 が次 第 に こじ れ る こと の な い や う に、 一応
こ と を首 って帰 宅 し て仕 舞 ひ ま し た の で、私 は兎 に角 極 め て簡単 な
考 へます 。 当時 の出発 点 に非 常 に拙 い点 があ った と思
私 は つく〓
ま し て軍 務課 長 の柴 山大 佐 に相 談 し 、柴 山 氏 も此 の宅旨 で陸 軍 省 内
﹁ケ リ﹂ を つけ る のを必 要 と考 へ、 又部長 の考 も そ こに あ ると 思 ひ
ひま す。 私 如 き 一介 の課 長 に過 ぎ ま せん が何 れ にも血 を吐 く やう な
そ れ で不 拡 大方 針 は八 日 の晩 指 示 を出 し た ので す ね。
を説 き ﹁次官 、大 臣 も異 存 がな い。唯 次 長 の名 で打電 す る を至 当 と
熱 が足 り な か っ たと相 済 ま ぬ こと と思 って居 り ます 。 殿下 不拡 大 と 云 ふ文 句 は書 か れ てな いか も知 れま せ ん が、 拡 大 さ
︹ 正純︺
河邊
て病 中 の次長 の家 へ持 って行 かせ ま し た。 そ し て判 を貰 って来 て打
す る﹂ と 云 ふ結 論 を得 ま し た の で、第 二課 の高 級 部 員稲 田中 佐 を し
部長 に異存 がな いと確信 し て居 り
ま し た から そ れ を部長 に事 後 決裁 を得 る為 に明 朝 提 出 す る と、 こん
った電 報 な ん です 。 私 は も と〓
せ な いと いふ の で⋮ ⋮ あ れは ど う も正 当 の行 き方 には な って居 り ま
私 は第 三 課 の方 の は見 ま し た が、 第 二課 の方 のは見 て居 り ま
せ ん ⋮⋮ あ れ には 大臣 、次 官 の判 がな いと思 ひ ます 。 殿下
第 一部 長 の判 は な い筈 です 。今 井 次長 の判 はあ り ます 。 之 は
な大 事 な 電 報 を部 長 に見 せ ん で打 った と言 って非 常 に怒 ら れ た の で
せ ん。 河邊
あ り ます 。 そ れ で私 は部 長 に、昨 日 は斯 う いふ条 件 で斯 う〓
ふ こと にな り 、部 長 閣下 は あと の こと はど う で も よ い、早 く ﹁ケリ﹂
とい
私 の手 落 な ん です 。兎 に角 何 ん と か指 示 を や らな く ち や不 可 ぬ︱
を つけ る こと だ と 云 ふ風 に言 は れ ま し た から お見 せす る の必要 がな
し て居 る の です 。
天津 は困 って居 るだ らう︱
満 洲事 変 で こり〓
兎 に角 何 ん と か言 って や らな く ち や現 地 は 非常 に困 る のです 。 第 二
い、早 く 次長 の御 覧 に入 れ て早 く 打電 す べ き だ と思 ひ 処置 し た と云
ふ ことを 申 上 げ、 そ こで今 更 取 消 す 必要 は な いと部 長 も 不承 々 々 に
それは
課 が起 案 し た と思 ふ のです が、 そ れ を言 って や りま し た︱
認 め ら れた ので あ りま す 。所 が此 の簡 単 な 条件 を抽 象 的 に書 い てあ
今 のは ﹁軍 は進 ん で兵 力 を行 使 す る こと を避 く ベし ﹂ と いふ
退庁 後 であ ったと 思 ひ ます 。 殿下
の であ り ます が、
責 任 者 の処 罰 、将 来 に対 す る 保障 、被 害 者 に対 す る辨 償 と い
る︱
ふ やう な 御 定 り の文 句 が 三 つ四 つ書 いてあ る︱
な責 任者 と し て宋 哲 元 を罷 免 せよ と言 ふ者 も あ り、 そ れ は大 隊 長 程
河邊
度 で良 いぢ や な い かと いふ人 も あ り ます 。 将来 の保 障 も之 は将 来気
それ は私 の申 上 げ た のと は違 ひま す 。私 の申 す のは三 、 四箇
臨 命 第 四 百号 です か 。
それ は大 き な問 題 はな か った と思 ひ ま す ⋮⋮ は つき り は記憶
そ れは大 し て問 題 なく や れた の です か。
さ て具 体 的 に誰人 に責 任 を負 は せ る か とな ります と、 な る べく 大 き
殿下
条 の条 件 な ん です 。 之 は善 後 処 理 と いふや う な も の です 。
河邊
へる も のも あ り、 或 は支 那 側 の兵 営 を明 け て他 に移 転 せ し め よと 言
を着 け ると いふ 一札 を 入 れ させ た ら良 いぢ や な い かと いふ程 度 に考
ふ者 もあ り 、 そ れ等 の差 等 があ る為 現 地 の天津 軍 の交渉 振 に対 す る
にござ いま せ んけ れ ど も 、支 那 側 に対す る善 後条 件 を示 し たも ので
私 は後 は興 味 を持 た ぬ、陸 軍 省 がや る こと だ﹂ と 云 ふ やう な
あ り ます 。部 長 は 此 の種 条 件 の問題 に就 き ﹁ 後 の始 末 は どう でも よ い︱
示 に服 従 し 、中 央 が や れと言 ふ も のは や り ます と言 ふ。 そ れ で ある
中央 の是 認程 度 に差 が つき ます 。 当時 の天 津 軍 は よく 中 央 の方 針 指
てぱ っと戈 を 収 め て北 支 を 我 が意 の如 くす ると いふ案 と 見 て良 い の
か四箇 師 団 を 現 地 に出 し て 一撃 を喰 は し て手 を挙 げ させ る 、 さう し
拡 大 で、 政 治 的 に は現 地解 決 、 交渉 が纒 ま ら ぬ とな って も 三箇 師 団
いが拡 大 さ れ る かも 知 れ ぬ と いふ 心配 があ った から です 。方 針 は 不
です 。 さう し て多少 長 びく と し ても 一部 の兵 力 を北 支 に留 め て置 け
こと が出 来 な い のは当 然 であ り ます が、中 央 に於 て右 の やう に硬 軟 の意 見 が纒 って居 り ま せず 、 ど つち かと 言 へば 支 那側 の承 知出 来 難
⋮⋮斯 う い ふ考 へ方 で あ った じ やな いか と思 ひます 。
ば 大 体北 支 から 内蒙 は我 が思 ふ やう にな り、 他 へ飛 火 し な いで済 む
か ら中 央 がは つき り し たも のを や らな け れば 現 地 で は は つき り した
い強 い こと を要 望 し ます から支 那側 が中 々以 て折 れ て来 ず 、非 常 に
今 の除 隊 延期 を新 聞 に発 表 さ れ た のは 、 あ れは 支 那 に対す る
殿下
ひま ど りま し た。
威 嚇 の為 で あり ます か。
今 の交渉 であ り ます が 、其 の交 渉 は現 地 に任 ぜ ら れた のです
か。 又其 の交渉 は外交 的 交 渉迄 を意 味 し て居 った のです か。
殿下
新 聞 に発表 し た のは 、 あ れは 威嚇 で あり ま せう 。併 し私 等 も
河邉
さ つき も申 し ま し た如 く甚 だ的確 でな か
河邊
交 渉 の進 行 が愈 々斯 う な れ ば兎 に角 や らざ るを得 な い こと にな ると
方 針 は中 央 から︱
った か も知 り ま せん が︱ 示 し 、之 を基 礎 と し て現 地 機関 、 主 と し ︹ 太久郎︺ て松 井 特 務 機関 が張自 忠 の機 関 と接 衝 し て現 地解 決 、 不拡 大 と いふ
あり ま す が⋮ ⋮蘆 溝 橋 は本 当 にど う いふ真 相 だ った か、 之 は 支那 軍
そ れ か ら序 な が ら申 し上 げ た いと 思 ひ ます こと は、 良 心 的 問題 で
い ふ気持 ち にな り ま し た。 そ し て 一般 に は支 那側 が我 に威嚇 せら れ
見 地 で交 渉 致 しま し た 。然 し 中 々巧 く運 びま せ ん の で、 現地 解 決 、
て参 るだら う と いふ見 方 が相当 濃 厚 であ ったと 思 ひ ます 。 ︹ 付 六郎︺
南 京 で接 衝 に当 り、 之 も容 易 に進 み ま せん で し た が七 月 二十 日 を期
が本 当 にや った のか 、或 は此 方 が何 か の間 違 ひ であ った のか 、 万 一
不拡 大 、 之 だけ を 南京 政 府 に承知 さ せよ う と いふ の で日高 参 事 官 が
限 と し て最 後 通牒 をや る こと にな った と記憶 し て居 り ます 。
れ る根 拠 は何 処 にあ る か⋮ ⋮ そ ん な考 が起 り まし た 。
此 方 の何 か間 違 ひ だ とす れ ば非 常 に憤 慨 し て支 那軍膺 懲 と 力瘤 を入
そ れは陸 軍 省 で何 か外 交的 、政 治 的 の意 味 で深 入 りを す る の
の です が ⋮ ⋮満 洲事 変 の始 め 柳條 溝 事 件 に就 ても想 ひ出 す こと が あ
併 し 私 は其 の真 相 は知 りま せ ん。蘆 溝橋 の真 相 は知 り度 く も な い
では な いと いふ やう な考 へから です か。 は い、 さう です 。要 す る に現地 軍 憲 の間 に於 て解 決 し 得 る局
殿下
河邊
地 的 小問 題 と し て取 扱 はう と ま ふ老 で あり ま し た。
り ます が、要 す る に将 来 に於 き ま し ても或 る ﹁チ ヤ ン ス﹂ を 捉 へて
不 拡 大 方針 が今 のやう に決 定 さ れ た其 の翌 日除 隊 兵 の延 期命
殿下
之 に は軍 民共 に蹶 起 し て本 当 にや る と いふ気 合 が充実 す るよ う で な
謀 略 的 に開 戦 の動 機 を導 く と いふ ことは大 いに必要 で あ りま せ う が
く て は不可 ぬ と思 ひ ま す。
令 を出 さ れ て居 り ます が ⋮⋮ あ れ は当 時 作 戦課 の主 任者 が、 之 は相
は い、 さう だと思 ひま す 。 だ が其 の方 針 は不拡 大 には違 ひ な
当 大 きく な ると いふ こと を予 想 し て居 ったか ら です か。 河邊
今 度 の支 那事 変 の始 は そ んな 気持 は甚 だ薄 か った やう に思 は れ て
那側 の態度 を却 って強 固 にし 中央 軍 の北 上 を早 く せ し め たと 云 ふ風
に、 結 果論 的 に見 ま す る と考 へら れ ます が ⋮ ⋮。
結 果 を希 望 し たや う です が、 事実 は結 果 に反 し て、 そ れ に依 って支
部 内 の空 気 は さ つき から申 上げ た やう な こと であ り ます し 、陸 軍 省 河邊
な り ませ ん 。皆 んな が奮 ひ立 つと いふ気 持 は 少 く あ りま し た 。第 一
に於 ても 政 府 に於 ても 国 家 の大 事 だと真 剣 に奮 ひ 立 ったと は思 はれ
す る なら ば内 地 の動 員 は かけ な い方 が良 か った とも 思 ひ ます 。
日本 が予 て の野 望 であ る北 支 の武 力的 侵 略 を始 め る のだ と いふ風 な
内 地 から部 隊 を 出 す そ と い ふ肚 を見 せ ると 、此 の 「チ ヤ ン ス﹂ に
私 の個 人 の考 で申 し ま す れ ば、 真 に不 拡大 の精神 で行 か ん と
ま せ ん。 閣 議 は速 か に五 箇 師団 動 員 を 承認 し ま し て挙 国 的 の意 気 を
気 を向 ふ に起 さ せ、 ど ん〓
先 づ 示 し た か の感 が あ りま す け れど も 、真 に国 運 を賭 け る大 問題 の
いと 今思 ふ の であ り ます 。 満洲 事 変 勃 発当 時 の空 気 は全 然 違 っ て居
糸 口だ と考 へるな らば 、 あ のやう に早 く決 せら れた か どう か疑 は し
又 や るな ら や ると いふ風 に断 然速 か に肚 を決 め て之 に適 合 す る処 置
不 用 意 の中 に始 ま った こと でも 、之 を や ら んな ら や ら ぬ やう に、
中央 方面 から 兵 を北 上 せし む る こと に
り ま し て、 朝 鮮 か ら平 時 編 制 の混 成 一旅 団 を出 す た め に御 承 知 のや
な った のぢ や な いか と思 ひま す 。
右 のやう に、 閣議 が手 取 早 く決 めら れ た と い ふ こと も 、大 体当 初
う な 大問 題 とな り ま し た。
をす べき だ ったと 思 ひ ます︱
や る と云 ふ 肚 なら ば満 洲 事 変 の時 の
三 師 団位 を出 し 、少 し 場 面 が広 ま っ ても後 二師 団 も あ ったら鳧 が つ
やう に如何 な る難 関 と戦 っても懸 命 真 剣 にな って国 民 を引 張 って行
く やう にす る の必要 が あ ると 思 ひ ます 。
あゝ い ふ風 に応 急 動 員 で第 二十師 団 が行 った と いふ のは 、現
く と 誰 も彼 も思 って居 た の であ る と言 ひ た いの であ り ます 。 殿下
殿下
です か。
宋哲 元 と の協 定 が十 一日 に出 来 て居 り ます が 、 そ の後 に結 局
地 の情 勢 上 ど う し て も出 さな け れば な ら ぬ と い ふ ので 、 つま り 現地
北 支 事 変処 理 方 針 と いふも のが出 来 て居 り ます 。 あ れ はど う い ふ訳
之 は必ず し も引 き 摺 ら れ たと いふ訳 では な いと思 ひま す 。現
側 に引 き摺 ら れ て出 し たと いふ訳 です か 。 河邊
し て居 る し、 現 地 で も困 って居 る だら う から
早 く 何 ん と か方針 を定 め てや ら なく ち や 不可 ぬと いふ訳 です か。
中 央 部内 がご た〓
屯 軍 の兵 力 は極 度 に寡 弱 であ って而 も支 那 軍 と の関 係 態 勢 は頗 る悪
の合 作 と見 る べき で あ りま す ⋮ ⋮今 から考 へれば 可笑 し な も の でし
河邊
地 解決 及 不 拡 大 と いふ原 則 は決 ま って居 りま し ても、 何 し ろ支 那 駐
く 、内 地 の動 員 完 結 と輸 送 と の時 日 を考 へま す と危 険 極 ま る か ら関
あ の処 理 力針 は大 体第 二課 で立案 し まし た け れど も 軍務 課 と
東 軍 の 一部 と応 急 動 員 を 以 てす る第 二十 師 団 を出 さ れ た ので あ ると 思 ひ ます 。
何処 へ
た が⋮ ⋮。 出 し た の は大 体 仰 せ の通 り な ん です 。何 ん と か早 く現 地
会 議 に出 さう とす れ
に指 示 し て やら なく ち や不 可 ぬ と い ふ訳 だ った のです が︱
さつ
持 っ て行 っても あ れ がう ま く 通 ら ん の です︱
内 地動 員 と いふ こと に就 て であ りま す が 、其 の前 に︱
き も言 は れ た やう に嚇 し に依 って支那 側 は 手 を挙 げ るだ らう と いふ
殿下
ば 結 局 一箇 月 も 二箇 月 も かゝ り、時 機 を失 し て仕舞 ふ ので闇 から闇
り ま し た が、身 体 が強 く な い と不 可 ぬ と思 ひま す 。此 の事変 の始 め
な る、腹 は減 る の に向 ふ は平 気 で やる と いふや う な こと を言 って居
︹鐵蔵︺
当時 に於 け る陸 軍 部 外 の空 気 に就 き ま し ては詳 しく 存 じ ま せ ん。
には参 謀 本 部 は悲 惨 な も のでし た。
へと葬 ら れ て仕舞 ひ さう な状 況 だ った ので す 。 然 し遂 に七 月 十三 日 に参 謀 本 部 の中 島 閣 下 と陸 軍 省 の柴 山 とが持 っ て行 った の です が⋮ ⋮現 地 へ行 って から 香 月閣 下 に非常 に叱 ら れ
大 概 の者 の支那 に対 す る観 方 は 一般 に楽 観 的 で 、支 那 は今 に参 って
た だ私 は折 々部 外 の者 と連 絡 を と り ま し た結果 、要 す る に官 民共 に
次 に これは 此 の前 殿 下 か ら頂 いた問 題 に多 少 関 聯 す る も のと 思 ひ
た ら し いの です 。
ま す が 、国 家 大事 の時 には主 脳 部 は健 康 で揃 って居 ら な け れば 不可
心配 し て居 る者 も あり ま し た。 甚 だ殿 下 に失礼 な言 葉 であ り ます る
が 、或 る人 が私 に ﹁ 癩 病 患 者 と 相撲 を と るやう な も の で、自 分 は 相
仕 舞 ふ だら う と見 て居 た やう に思 ひ ます ⋮ ⋮無 論 一部 の者 は非 常 に
り ま し た。 之 はず っと 休 ん で居 り ま し た。陸 軍省 は皆 居 り ま した が 、
手 を や つ つけ た つも り で も自 分 が感 染 し て結局 く たば るやう にな り
な いと思 ひま す 。次 長 は病 気 であ り ま した し 、第 二部 長 も病 気 であ
参 謀 本部 は さ う い ふ風 な状 況 であ り ま し た の で此 方 から自 動 車 に乗
は せ ぬ か﹂ と申 し て居 り ま し た。
四 、半 年 半 軍動 員
っ て飛 ん で行 っても碌 々話 も申 上 げ ら れな い で帰 って来 る 、従 って 気合 のかゝ つた は つき り し た判 決 も し て頂 け な い の では 困 りま す 。 之 は 矢張 り志気 旺 盛 な健 康 な人 がず っと ﹁メ ンバ ー﹂ と し て揃 って
誰 か半 年 半軍動 員 に就 て殿 下 に申 上 げ た昔 があ り ますか。
居 ら な いと駄 目 です 。
書類は見 ま せ ん が石原閣下、 堀 場中 佐 に 一寸 御伺 ひ しま し た
の です が⋮ ⋮ あれ に就 て何 か経緯 が あ りま す か。
︹一雄 ︺
下 の職 を持 って居 る者 は ど んな に偉 く と も そ れだ け の権 力 し か な
河邊 ︹ 群︺
殿下
︹田代皖 一郎 中 将 ︺
く 又 そ れだ け の職 し か出来 な いか ら 、上 級 の方 が頭 も身 体 も 丈 夫 な
河邊
総 動 員 の方 に手 を つけな け れば 不可 ぬ、 さ う せん と 軍需 動 員 の曲線
北 支 に武 力 行使 を や っ て支 那軍 を 撃 破す る、 そ れ か ら上 海 、
謀 長 の みが 一人 で苦 ん で居 りま し た。 あゝ いふ やう な大 事 の時 に は
が、 然 し若 し之 が外 れ る と大変 な こと にな る の で、之 は どう し ても
青 島 は現 地保 護 でゆ く、 大 体 斯 う いふ風 に原 則 が決 った と思 ひま す
てない と駄目 です。天津軍 でも軍司令官が死 の床 にあ り、橋本 参
いか と思 ひ ます 。
ち や んと 首脳 者 が揃 って居 ると いふ こと が極 め て大 切 な こと ではな
そ れ で思 ひ出 し ます のは 、満 洲 事 変 の時 には 斯 う いふ こと は申 分
良 い かと いふ こと にな った が、先 づ概 ね 全軍 の半 数 十 五師 団 を半 年
も 昇 っ て来 な い から です が⋮ ⋮ 。 そ こ で総動 員 の基準 は どう し た ら
嘗 て満 洲事 変 の初 に外 務省 の 一部 の人 が、 ど う も陸 軍 の奴等 は身
間 使 用 と いふ見 当 で行 った ので あ りま す ⋮⋮ 所 が石原 閣 下 が御 説 明
な か った の で あり ます 。
体 が強 いから かな わ ん、 夕 方 か ち夜 明 ま でも 頑 張 って、 此 方 が睡 く
申 上 げ た か も知 れ ま せ ん が、 私 の記 憶 に残 って居 りま す る のでは 此 の数値 は陸 軍 省 方面 で引 懸 り ま し た。 即 ち何 故 十 五 箇師 団 が必 要 か 、
し て戦 力 充 実 の必要 があ る か ら ﹁七 プ ラ ス四﹂ と いふ数 字 十 一箇 師
は 、満 洲 の四箇 師団 も支 那 と同 じ やう に此 の際 対 ﹁ソ﹂ 関 係 を考 慮
あ と の 八箇 師 団 はど う し て要 る かと 言 ふ の です 。 そ こで参 謀 本部 で
軍 か ら 一箇 師 団 と朝 鮮 軍 から 一箇 師 団 と勘 定 す れば 七箇 師 団 で済 む 、
河邊
っ て青 島 、 上海 に兵 力 の派遣 を要 求 し て居 る ので はな い です か。
殿下
河邊
私 の聞 い て居 る限 り に於 て はさ う で はな いと思 ひます 。
軍 から申 込 み があ った の では な いです か⋮ ⋮。
殿下
昭和 十 一年 十 月 六 日 の協 定 と いふ の があ り ます が︱
五 、青 島 問 題
団 と い ふも のは動 員 し た力 を持 ち 、 あ と中 央 の予 備 的 のも のとし て
北 支 に三箇 師 団 、青 島 に 一箇 師団 、上 海 に 一箇 師 団 、 そ れ から 関 東
四箇 師 団 ば か り は充 実 し た力 を 持 たす べき だ 、 又事 変 が始 った以 上
そ こ で青 島 に出 兵 の 必要 を 現 地 から も 言 は れ、 陸軍 の 一部︱
た
右 の協 定 の詳 細 は知 りま せん が要 す る に当 初 青島 は現 地保 護
之 に依
石 原 閣下 も若干 言 は れ た のです が⋮ ⋮ 。 あ れは 一番 最 初 は海
半 年 位 は かゝ ると打 算 しな け れ ば な ら ぬと説 明し て漸 く通 った ので
の方 針 だ った と憶 え て居 り ます 。
し か天 谷支 隊 を そ ち ら に向 け る やう 陸 軍 が処 置 を し ま し たと ころ、
陸 軍 省 の希 望 は之 と 違 って非 常 に小 さ か った と い ふ こと です
あり ます 。
が⋮⋮。
の対象 が居 な いか ら出 兵 の要 な し と海 軍 か ら言 っ て来 た ので 、作 戦
殿下
陸 軍 省 は 五 、 六師 団 で済 む の では な いかと言 って居 った ので
海 軍 の工作 に依 っ て青 島 の居留 民 を全 部 引 き揚 げ さ せ最 早 現 地保 護
河邊
す 。 そ れ で之 は要す る に省 部 の話 合 ひ の時 に は、 半年 半 軍 動 員 と い
ひま す が、 要 す る に海 軍 は青 島 は是 非 と も自 力 だ け で処 置 し た いと
課 が非常 に憤 慨 し て居 ったも のです 。 私 の邪 推 ば か り では な いと 思
て居 りま し た 。 そ の中 に申 上 げ よ う と思 ひます が、 第 二軍 が済南 に
う に仕 組 ん で来 て居 る ので あ りま す 。之 が常 に 一貫 し た方 針 にな っ
いふ考 を以 て有 ゆ る方法 、 手段 で陸 軍 を此 の地 に上 陸 せ し めな いや
ふも のは参 謀 本部 が大 き な や ま を かけ た と い ふ位 に考 へら れ た の で
あれ は何 時 頃 な ん です か⋮ ⋮内 地 動員 の前 です か。
入 る時 にも海 軍 と の間 にご た〓
あ りま す 。 殿下
後 だ った と思 ひま す 。 そ れか ら総 動員 式 に作 戦 準備 を始 め た
第 一回 の時 には海 軍 は や り たく も や れな か った と い ふ状 況 だ
が あ りま し た。
河邊
河邊
海 軍 がや る だけ の力 が あ ったと か な か った ではな く て、 さ つ
っ た ので、 現 地保 護 を抛 棄 し て仕 舞 った のでは な いです か。
殿下
訳 であ り ます 。 それ か ら之 は私 の知 ら な い問題 です が 、第 一部長 か ら御 聞 き にな った でせ う が青 島 問題 が あり ます 。
き申 し まし た 方針 で現 地 居留 民 を 引 上げ て仕 舞 った のだ と し か考 へ
ら れ ま せん 。
で置 き た い、戦 術 的 に見 れ ば可 笑 し いが 保定 もそ う で大 体 天 津 よ り
そ れ は根 本 の考 が不 拡 大 と い ふ こと か ら です か 。
兵 と いふ ことを 第 一部 長 は承知 し な か った のであ り ま し た。
さ う いふ気 持 が あ る から 徹底 的 に 戦 を や る と 言 は ず
南 には手 を出 さず 、敵 が出 て来 た ら敲 く だ け でや ら さう と い ふ気 持
殿下
が あ って︱
そ れ で特務 機 関 あ た り は び つく りし て電 報 を打 って居 たと 思 ひま
︱上海 戦 がも う あ れ だけ に苦 戦 をし て居 る に拘 らず どう し ても増
す。 一番 初 め に内 地師 団 三 箇師 団 を北支 に派遣 し た時 分 から青 島
の こと は顧 慮 があ った ので せう が 、其 の準備 をし て居 った にも拘 ら
さ う であ り ま せう 。 何 ん と で もし て大 事 を起 さ ぬ よう と いふ
殿下
ず海 軍 はど う し て引 上 げ を決 心 し て仕 舞 った の です か。
の だら う と思 ひま す 。然 し 北 支 に於 て混 成旅 団 が全滅 にな る かも 知
河邊
初 め は 土肥 原 師 団 を青 島 に持 って行 く やう 考 慮 せ ら れて あ っ
河邊
れ な いや う な状 況 が描 か れ る の で、第 一部長 は非 常 に心配 し 三箇 師
た や う に聞 いて居 り ま す 。海 軍 の気 持 は さ つき申 し ま し た やう に陸 軍 の上陸 理 由 を封 ず る点 に あ った か と想 像致 しま す 。
が ら第 一部長 はど う し て不 拡 大 に忠 実 にな り得 て居 れ るん だ ?﹂ と
団 を出 す決 心を し ま し た。 所 が ﹁そ んな に心配 し てそ の決 心 をし な
今 の八 月 の時 に実 際 に上陸 し たら 好結 果 があ ったら う と いふ
自 分 は其 の心理 に矛盾 が あ った と 思 ふ の です が、 其 の後 上海 に激 戦
殿下
﹁ 今 俺 が行 け ば韓復榘 は俺 の手許 に つけ る ことが出 来 る﹂ と いふ こ
向 も あ ります が⋮ ⋮ 現 に土 肥 原 閣下 は非常 に それ に熱 心 を持 って、
も相 当熱 心 に言 ふ者 があ った のです が、結 局 ﹁焼 石 に水 だ﹂ から と
が展 開 せ ら るゝ や う にな って増 兵 を皆 ん な が喧 し く 言 ひ 、部 外 の人
言 っ て何 ん とし ても増 兵 と いふ こと に部長 は同 意 し ま せず 、 陛 下 が
私 は適 確 な こと は申 上 げ ら れま せ ん が、後 か ら思 へば そ れ が
河邊
出 せと仰 言 れば 別 だ が さう で な け れば 出 さ ぬと いふ や う に言 って居
と を言 って居 られ た やう です が ⋮ :そ の実 情 はど う です か。
木 当 ぢ やな い かと思 ひ ます 。本 当 は北 支 だけ を収 め れば 青島 を兎 に
し た。 さう いふ やう な 心 理 が青 島 に就 ても動 いた ので は な か った か
ら れま し た が、遂 に此 の方 面 の増 兵 が決 ま る と同 時頃 部 長 は罷 め ま
と 思 ひ ます 。 青島 には 触 ら ん で も居 留 民 の保 護 には大 し たも のは要
も思 ひ ます 。 そ こ で青島 問 題 は事 変 前 には相 当 熱 心 を持 っ て居 ら れ た がそ
ら ぬと いふ風 な考 で あ ったら し いの であ り ます 。
角 引 つか け ても つと早 く 作戦 を や った 方 が よ か った のぢ や な いかと
青 島 に具 体 的 に 一軍 を進
殿下
れを 止 めら れ た の は どう い ふ訳 です か?
所 謂 楽 観 的 に考 へるも のも ⋮⋮ 此 の頃 の考 には 本式 に出 兵す
殿下
河邊
今井 次 長 も さう い ふ こと を言 は れ たやう に聞 い て居 る の であ
作 戦 課 には あ り まし た 。
る と いふ考 はあ った も の です か 。
殿下
め る計 画 だ った の に そ れを事 実 に於 て変 更 せ ら れ た のは どう い ふ理
そ の事 実 は私 はは つき り知 り ま せ ん が、想 像 す る所 で は つま
由 です か。 河邊
之 は 石原 少 将 は何 ん と言 は れ た か知 極 力 戦 面 の縮 小 を 図 る為 には何 処 へも手 を つけな い
り当時 の第 一部長 の考 では︱ り ま せ ん が︱
殿下
河邊
当 時 の敵 情 判 断 若 く は兵 要 地誌 と かは 、 そ れ位 で良 いと いふ
何 処 にも な いと 思 ひ ます 。
り ます が。 河邊
基 準 を与 へら れ た やう な こと があ り ま し た の です か⋮ ⋮ 又 は不 拡 大
て居 り ま し て、 随 分激 論 も あ った やう でし た 。併 し 当時 の作 戦 課長
では あ り ま し た が⋮ ⋮ どう も精 神 的 には さう い ふ やう な こと にな っ
長 と 武藤 課 長 とは変 な 具合 にな って居 りま し た⋮⋮ 相互 に立 派 な 方
之 は武藤 君 が や って 居 った から よ く知 っ て居 りま せう が 、非 常 に部
殿下 作戦 を加 味 し た も の は非常 に ﹁デ リケ ー ト﹂ な も のです が、
未 だ忙 しく て会 って は居 り ま せ ん。
た と いふ こと にな った と思 ひ ま す 。
河邊
殿下
兎 に角 陸 戦 隊 は あ そ こで非 常 に苦 ん で居 る、 そ れ で兵 を出 し
上海 戦 を防 止 す る やう な案 は立 てら れ な か った のです か 。
考 へが実 に不適 確 であ り まし た 。
ま せん ⋮ ⋮ 之 は推 断 です け れど も ⋮ ⋮ あ れを実 際 後 か ら考 へま す と、
件位 に考 へて之 で誤魔 化 し て仕 舞 へる やう に考 へて居 った かも 知 れ
的 は明 確 でな いと思 ひま す が、 現 地 の陸 軍 、海 軍 は此 の前 の上 海事
と で あ った のだ らう と 思 ひ ます 。 従 って どう し よう と いふ作 戦 の目
軍 務 局長 の武 藤 に殿 下 は会 っ てお いで にな り ます か。
それ は あ ると 思 ひ ます 。此 の出 兵 を 止 め て居 った のは石 原 部
長 だ け で、作 戦 課 はそ れ を や り度 い気 であ り ま し た。
は積 極論 者 で あり楽 観 論 者 であ った と思 ひ ます 。
河邊
実 際 あ の時 は どう し てあゝ いふ風 にや られ た ので せう か 。
殿下
七 月 の終 に青島 若 く は上 海 に兵 を出 す と いふ案 は書 いて あり
私 は 今最 後 に仰 せ にな ったやう に 不拡 大 、現 地 保護 と いふ こ
殿下
上海 の方 の目 的 を申 し ます と、 石原 閣 下 は現 地保 護 を抛 棄 さ
と いふ こと に関 係 が あ る のです か。
河邊
兎 に角青 島 、上 海 と いふ も のは 対支 作 戦 の二大 拠 点 で あ る の
で、何 か事 があ ったら と 常 に考 慮 し て居 ったが ⋮ ⋮別 にあ の時 は適
河邊
ま し た が⋮ ⋮ 。
河邊
せ て も いゝか ら兵 力 を出 し て は 不可 ぬと言 はれ る のです ⋮ ⋮ 。
六 、上 海 出 兵
った の では な いと思 ひま す 。
確 に而 も 作 戦的 に それ を どう し よう と いふ考 の許 に それ を考 へて居
海 軍 の大 山 事 件 ⋮ ⋮ あゝ い ふ こと は始 終 あ そ こで は行 はれ て
殿下
遡 江 せし め る と い ふや う に考 へて居 りま し た 。
か ら徐 州 を 通 って津 浦線 に沿 っ て下 ると 共 に上海 から 行 ったも のを
た だ先 刻 申 し ま した 第 二課 から 出 し た南 京 攻略 の意 見 で は、 北 支
居 った やう です が、結 局 あゝ い ふ こと が起 ら ぬ でも 上海 に は事 変 が
そ れ は あ りま せう 。 併 し 私 は之 に就 ては適 確 な こと は知 り ま
起 った ので は な い の です か。 河邊 せん。
殿下
積極 案 も消 極 案 も 不拡 大 を堅 持 し て居 ら れ たで せう が、之 は
殿 下上
大 きく な る ぞ⋮ ⋮ 或 る程 度 ま で肚 を決 め てや ら なく ち や不 可 ぬと い
海 の問 題 に就 て言 ひ ま す と、 上海 に二箇 師 団最 初 に出 し て
之 で良 いと い ふ基礎 は何 処 にあ った の です か。
満 洲事 変 に際 し て は当 時 の国 際 関 係 が非 常 に心 配 せ ら れま し た 。此
の度 の事 変 当初 にも国 際 状勢 の観 点 か ら随 分 私 と武 藤 と が論 争 を し
ふ風 に考 へら れた のは結 局 上 海 の後 です か 。
た事 が あ りま し た 。武 藤 は ﹁千 載 一遇 の好 機 だ か ら 此 の際 や った方
之 は大 き く な る と い ふ不安 感 は、 私等 は当 初 から頭 にあ り た
河邊
が よ い﹂ と 云 ふ意 見 であ り ま し たが 、私 は縦 ひ 状勢 上有 利 だ か ら と
ま し て は ﹁ロ シア﹂ に居 り ま し た時 の印 象 から 致 し ま し ても ﹁日本
言 って無 名 の師 を興 す こと は不 同 意 だ と申 し ま し た 。私 自 身 と 致 し
だ極 力防 止 し た いと考 へた の であ り ます 。然 し今 日 の現状 のや う に
それ で大 体 北 支 方 面 は黄 河 ま で出 て、 其 の 一端 は津浦 線 に沿 ふ て
大 きく な る とは 考 へて居 りま せん でし た 。
南 京 ま で行 く 、 南 京 を陥 れ たら何 と か やめ る やう にし よう 、 と いふ
が ど ん〓
南 の方 に向 っ て支 那 へ積極 的 に深 入 りす る こと は ﹃ロシ
程 度 に考 へて居 り ま し た。 全 般 に之 は大 き く な る︱
一番 嫌 が って居 り、 ぐ ん〓
ア﹄ 人 は喜 ぶ が 、露 領 の方 に向 って出 る と い ふ こと は ﹃ロシ ア﹄ が
当 初 の楽観 派
の考 へのやう には行 か ぬ と気 の着 き出 し た のは、 ま あ大 体 上 海戦 が
迭 と い ふ こと に な りま し た が ⋮⋮ 此 の第 一部長 が更 迭 し ま す にも色
そ れ から 段 々進 みま し て上 海 に事件 が起 り 、終 に は第 一部長 の更
る と い ふ風 に観 察 せら れ た のであ り ます 。
察 し て居 りま し た。 併 し兎 に角 誰 にも大 体 初 め は ﹁ロシ ア﹂ が見 送
の充 実 を見 た 上 でな け れ ば何 れを 向 く にも 徹底 し 切 れな い のだ と観
日本 の軍 備 が事 実 出 来 て居 な い こと が恐 ろ し い﹂ と考 へ、 相 当軍 備
の自 分 の判 断 が裏 切ら れ て ﹁﹃ロシ ア﹄ が立 った時 にそ れ に 対 す る
﹃ロシ ア﹄ は喜 ん で居 る﹂ と い ふ観察 をし て居 り ま し た が、 万 一此
日本 が南 京 、 漢 口 へ行 く と い ふ ことを
非 常 に靱 強 性 を 持 っ て来 た頃 かと思 ひま す 。
七 、事 変勃 発 当 時 の情 勢 判 断
其 の当時 の こと で今 一つ申 上 げ た い こと がご ざ います る のは ﹁ロ ︹明夫 ︺
シア﹂ の こと でご ざ います 。 今 の土居 大 佐 あ た り が研究 を や って居 りま し た が、﹁大体 に於 て
色 の事 情 があ りま し た ⋮ ⋮其 の 一因 と し ては 軍務 局 長 と間 が合 はな
心配 は なく 、 手 取 り 早 く や れば よ いが遅 く な れば 心 配 だ﹂ と云 ふ見
殊 に乾岔 子 の如 きを 見 て も大 し て や
矢 張 り作 戦 課 の方 で も さう いふ風 に ﹁大
そ れ から ﹁ヨー ロツ パ﹂ の 一般 情 勢 に就 き ま し て も、 ﹁大 体英 国
れ、 石 原 少将 も部 長 を や めら れ ると いふ こと にな った の です 。其 の
と の仲 が変 な こと にな った も の です から 、 そ れ で後 宮 少 将 も転 任 さ
方 のや う であ り ま し た︱ 体 ﹁ロシア﹂ は や り は せ ぬ︱
く な って来た点 も あ ったので あ り ま ぜう 。兎に角陸 軍省 と参 謀本部
あた り は今 日 ﹃ド イ ツ﹄ と の関 係 から し て さう 出 し やば りは し な い
後 に軍務局長 には侍従武官府 から町尻少将が来 られ、第四部長 の下
︹淳 ︺
らな いだら う ﹂ と云 ふ考 へであ りま し た 。
︱此方 に大 仕 掛 に干 渉 し て来 は せ ぬ だ ら う 、 そ れ か ら ﹃ア メ リ
の話 は御 聴 き にな り ま し た です か 。
村 閣 下 が第 一部 長 に来 ら れ ると いふ状 態 にな り まし た⋮ ⋮下 村閣 下
︹ 量基︺
カ﹄ も極 東 に余 り注 意 を向 け て は来 な いだ らう ﹄ と いふ風 に楽 観 的
︹ 定︺
に見 て居 り ま し た。 此 の空気 は満 洲事 変 勃 発 当時 と は全 然違 ひ ます 。
殿下
聞 き ま し た。
河邊
はあ ー、 仰 せ の通 り です 。 何 処 の意 見 だ った か は つき り 憶 え
一方 中 央 軍 がど ん〓
北 上 し て来 る実情 では単 に北 支 の日 支 当事 者
て居 りま せん が、兎 に角現 地 で は さう い ふ風 な状 況 にな って居 るが 、
間 だけ で現 地 解 決 と 決 め て居 ても 駄 目 だ 、 此 の中 央 軍 を抑 へな け れ
つき り納 得 せ し む る の必要 も あり ま し た 。
ば なら な いと 云 ふ状 況 で し た。 即 ち 南京 を し て現 地解 決 の主 旨 を は
八 、期 限 付 要 求 提出
いや、 全 般 の意 見 だ った と思 ひま す 。
そ れ か ら さ っき の期 限 付 の要 求 は 第 二課 の起 案 です か。
武 力 行 使 を初 め に決 心 し た のは郎 坊 事 件 の為 と言 へる の です
部 内 の空 気
九 、 武 力 行 使 を 決 意 せ る 時 期 に於 け る 中 央
殿下
あ の時 に は南 京 の方 は兎 に角 とし て、未 だ宋 哲 元 と の間 では
は い、 さ う で す 。
殿下
河邊 殿下
河邊
あ の頃 現 地 の交 渉 は比 較 的 順 調 に進 捗 し て居 った の では な い
交 渉 中 です の に十 九 日 か に期 限 附 で や りま し た やう です が⋮ ⋮ 。
殿下
か 。 又内 地動 員 は廣 安 門事 件 が起 って始 め てや ると いふ決 心 を し た
私 の記 憶 では大 体 軌 道 に乗 っ て参 り ま し た。 即 ち 現 地解 決 と
の です か。 河邊
は あ ー、 まあ さ う です ね。
は あ ー、 さう であ り ま し た か な ?
殿下
度 と北 支 軍 憲 の内 心 と は違 ふ と見 た ため であ り ま せう 。
以上 の如 き 局 地 的 の問題 の頻 発 に よ っ て、交 渉 の上 に現 は れ る態
河邊
と いふ こと に な った の であ り ま せう か。
現 地 では例 の張 允 栄 、 張 自 忠 が来 て署 名 し た のは 十 八 日 の晩
い ふ こと は 、 私 共 は や れ さう だと い ふ風 に見 て居 り ま し た 。 殿下
其 の時 に期 限 附 の要 求 を出 す と い ふ こと は気 分 が合 は ぬ やう
でし た か ね 。 河邊
あ り ま せ ん で し た。
決 心時 機 を も っと早 く し て速 戦 即決 的 に持 って行 く と いふ案
殿下
は な か っ た の です ね 。 河邊
く 敲 い て仕 舞 ふ と いふ こと が却 っ て不 拡大 に導 く 為 の方法 であ る と
私 の印 象 が少 し 狂 って 居 る か も知 れま せん が ⋮⋮ 南 京 の方 も
に思 ひ ます が⋮ ⋮ 。
思 ふ の です が ⋮ ⋮ さう いふ風 な意 味 で 、思 切 っ て敲 く 方 が結 果 的 に
河邊
北 支 で は期 限附 の要 求 を出 し て は居 り ま せ ん やう です が⋮ ⋮ 。
不 拡 大 方針 、所 謂 局 地 解 決 の結 果 を得 る為 には 、思 切 って速
あ れは 出 し て居 り ま せ ん。
殿下
殿下
却 って よ いと いふ風 な考 は あ り ま せ ん でし た か。
的 確 に し て置 いてあ と く さ れ を防 ぐ の意 図 であ った と思 ひ ます 。
河邊
河邊
一部 に は あ った か
支 那 駐 屯 軍 か ら は交 渉 が巧 く 行 き さ う だ と反 駁 のや う な意 味
之 は な か った と は 申 し上 げ ら れ ま せん︱
の電 報 が来 て居 り ます ね ⋮⋮ 。
殿下
と も思 ひ ます ⋮ ⋮私 共 は反 対 の位 置 に居 った ので聞 え ま せ ん でし た が、少 く もそ れ が研 究 の論 議 とし て表 向 に出 て来 る程 度 に叫 ぶ 人 が
し て居 った か ら斯 ん
な か った と思 ひ ます 。併 し さう いふ 考 は有 って居 った人 があ る か も 知 れま せ ん 。 そ れを 口 にも せず 人 々は くず〓
す の で、 そ れ であす こに兵 力 を入 れ て日本 軍 の威 力 を 示 し て置 か な
け れ ば な ら な いと いふ考 への やう でし た 。
元 々当初 中 央 で は あゝ 云 ふ風 にや らな く ち や な ら ぬ と いふ顧 慮 は
敵 の有 力
全 く な か った の であ ると 思 っ て居 り ます が、 そ の以 前 に相 当 大 き な
な る部 隊 が侵 入 し て居 る の を見 逃 し ては な ら ぬと 見 ら れた の であ る
問 題 で あ ったら し い、綏 遠 作 戦 の行 は れ た 方 面 に ど し〓
只 今申 し まし た やう に、 会議 な ど に其 の案 が出 て来 た と い ふ こと は
と思ひます。
な結 果 にな る因 を開 い たと は申 上げ ら れ ぬ かも知 れ ま せ ん が、 併 し
あ り ま せん 。
之 は第 一部 長 更 迭 前 の問 題 です が⋮ ⋮察哈 爾 戦 は、 あ れはず
導 上 に何 かあ った のです か。 保 定 会 戦 と山 西 作 戦 と の関 係 に就 てで
殿下
十 一、 山 西 作 戦
殿下
と始 ま った ので す が 、或 は初 め から 之 を どう す ると い ふ案 が
十 、 察哈 爾 作 戦
る〓
す が⋮ ⋮ 。
関 東 軍 は 早く 第 五師 団 を保 定 会戦 の方 に転 用 し て仕 舞 へと 言 って
そ れか ら之 は少 し後 に な りま す が 、山 西 作 戦 に就 て は戦争 指
あ った の です か 。 あ れ は湯 恩 伯 の軍 が山 西 を通 っ てず っと 入 って来 て居 る、 由
近 ま で出 さ なく ち や駄 目 だ と言 ひ、 又第 五 師 団 は山 西作 戦 に執 着 を
来 て居 り ま す の に、 北 支 方 面 軍 は そ れ は出 来 な い、長 城線 、〓 源 附
河邊
来 関 東 軍 と の因 縁 が あ る地 方 を蹂躪 し て居 る 、而 も戦 略 的 に見 て京
やう に思 へ、 さ う し て遂 に山 西 に第 五 師 団 を抛 り込 む の決 定 は中 央
持 って居 ったや う に見 え る のです が⋮ ⋮ 終 には意 見 が 反対 に な った
津 地 方 を脅 かす も の で あ る、 幸 に今第 五師 団 が直 に使 用 し得 る態 勢 にあ る、 そ こ で之 を 使 用 し て清 掃 さ せ よう と い ふ考 であ った と思 ひ
第 五 師 団 を使 用 す る と 云 ふ のは前 に関 東 軍 から 意 見 具 申 が来
ます 。 殿下
の考 へだ と 見 え る のです が⋮ ⋮ 。
後 北 京 に行 き まし た時 に、 北 支 方 面軍 の幕 僚 達 から 随 分 大 き な問 題
之 は は つき り知 りま せん 。 第 五師 団 の動 かし 方 は、 私 が其 の
河邊
河邊
で あ った こと を聞 きま し た が 、私 自 身 は知 り ま せ ん 。
関東 軍 の意 見 具 申 の こと を私 は知 りま せ ん が⋮ ⋮ 。 あ れ は石
て居 りま す が 、 あ れ に拠 っ た の です か 。
原 部長 の発 案 だ った と 私 は 思 って居 りま す 。 そ れ は 同部 長 から 此 の
殿下
持 っ て居 ら れ た やう です 。
﹁
寺 内 閣 下 は 保 定会 戦 には間 に合 は ぬ でも や ら せ る と いふ考 を
作 戦 の非 常 に有意 義 であ る こと を屡 々私 は 聞 か さ れ た か ら であ り ま す 。 あ の方 面 の敵 を放 って置 く と 政 略 的戦 略 的 に頗 る悪 影響 を 及 ぼ
殿下
河邊 寺 内 閣 下 が出 征 さ れ る時 に必 要 あ れば 他 に兵力 を出 す と いふ
そ れ には何 か あ った と思 ひま す が 、 私 は は つき り知 り ま せん 。
如 く 色 ん な情 勢 に引 か れ て共 の時 々 に考 が変 って居 りま し た 。松 井
其 の後 結 局 や ら な け れば な ら ぬと こと にな って参 りま し た 。 斯 く の
考 で や らう と意 見 を出 せば 、 そ れ ま で は や らう と言 は れな い。所 が
大将 は出 ら れ る時 か ら南 京 ま では やる のだ と言 って出 て行 かれ た と
そ れ は内 々第 五 師 団 を 他 に転 用 す る こと があ る と いふ意 味 の
御 指 示 があ った やう です が ⋮ ⋮。 河邊
殿下
松 井 大 将 の出 ら れ る こと に就 て何 か ﹁ デ リ ケ ート ﹂ の こと が あ った やう です ね。
聞 い て居 り ます 。
其 の後 第 五 師 団 にも 何 か御 指 示 が あ っ たと 思 ふ の です が⋮⋮ 。
河邊
事 が あ った と 思 ひ ます 。 殿下 さ あー 、 ど う です か 。 私 は作 戦 問 題 のそ れ等 の こと は存 じ て
私 は よ く知 り ま せ ん が⋮ ⋮ 兎 に角 現役 で なく て初 め て の召集
河邊
司令 官 が出 ら れ る と い ふ の で何 か問題 が あ った のち やな いか と 思 ひ
作 戦 関 係 の事 です が 、 山西 を や る に就 ては 第 二 課 が積 極 的 な
居 り ま せん 。
︹美 治郎︺
意 見 があ った の です ⋮ ⋮主 とし て反 対 は 陸 軍省 に あ りま し た 。
そ れ か ら大 本 営 の設 定 と い ふ問 題 があ った のです が⋮ ⋮ 之 も 色 々
十 二、 大 本 営 の設 定
軍 が出 ら れ る やう に な った の かも 知 れ ま せ ん ⋮ ⋮。
殿下
南 部 山 西 を や る と いふ案 の こと です か。
ま す が ⋮ ⋮結 局 大 将 の数 が足 ら な か った ので、 支 那 通 であ る松 井 将
河邊 さう です 。
案 を出 し て居 るや う です が ⋮ ⋮。
殿下
山 西 に作 戦 を 行 ふ こと の可 否 は 一応 議 論 があ った の であ りま
あ れ はど う いふ経 緯 です か 。 河邊
す が 、 太原 を攻 略 す る の に石 家 荘 、 徳 州 の線 で止 ま ると い ふ こと は 戦 術 的 に見 て至 難 で あり 、 又 既 に今 迄 に手 を つけ た以 上 、 又資 源豊
殊 に梅津 次官 の如 き は具 体 的 に ﹁大 本営 の看 板 を掲 げ ね ば何 故 い
も 与 へる影 響 を考 慮 しな け れば な ら ん ﹂ と いふ こと を 私 等 は考 へた
け ん ﹂ と言 は れ て居 り ま し た。 兎 に角 そ れ は ﹁国 家 総 動 員 と いふ こ
南 京 攻 略 も同 じ 思想 だ った やう です ね 。
ので し た が ⋮ ⋮ そ の中 に政 府 では 参議 制 と いふ も のを 布 き ま し た 。
富 を称 へらるゝ 南 部 山 西 地 方 を放擲 し て置 く訳 には ゆ かず 、 ど うし
殿下
私 の居 りま し た 頃 の考 へ方 を申 し 上 げ ま す と 、洵 に之 は波 を
之 は新 部 長 が来 て から でし た 。第 三部 長 の塚 田閣 下 あ た り は前 か ら
と を や って居 る位 だ から ⋮ ⋮ 此 の戦時 下 の政 治 界 にも 亦 一般 国 民 に
河邊
大本 営 と いふ こと に就 ても 非常 に研究 し て居 ら れ て熱 心 に主 張 し て
こと を第 二課 は主張 し た と思 ひ ます 。
打 って居 りま す 。初 め は私 等 は先 に も申 し ま し た 如 く大 規 模 の戦 争
居 ら れ ま し た 。其 の理 由 と す る主 な る所 は、 此 の際 大 本 営 を設 け国
て も自 然 の国 境 のや う な黄 河 の線 ま で行 か なけ れば な ら な いと いふ
は止 め やう ぢ やな いか と いふ意 見 を持 って居 り ま し た が 、兎 に角 止
︹攻 ︺
め ら れ な いと 言 ふ 。 そ れ ぢ や や る と決 め るな ら 南 京 は是 非 攻 略 す る
河邊
殿下
海 軍 省 で は何 も問 題 は あ り ま せ ん か。
海 軍 は不 賛 成 では あ り ま せん 。
海 軍 は どう でし た か 。
殿下
海 軍 は海 面 封 鎖 の見 地 か ら言 って居 った やう であ り ます 。
海 軍 が熱 心 だ っ たと いふ 理由 は どう です か。
べ き で は な から う と 反 対 の意 見 を述 べ て居 り まし た 。
る ので は な い と標 榜 をし た 此 の戦 で あ る か ら 、宣 戦 の詔勅 を奏 請 す
あ る と思 ひ、 而 も支 那 の主 権者 と同 時 に其 の国 民 を も相 手 に戦 をす
さ う し た は つき りし た結 末 を 捉 へ得 る戦 争 にな る かな ら ぬ か疑 問 で
を芟 除 す る を主 目 的 と す る今 次 の出 兵 に宣 戦 の詔 勅 を 頂 け る か どう
殿下 陸 軍 省 で話 が纏 った ら海 軍 も直 ぐ にや り ま し た 。
河邊
大 本 営 の問 題 で は、陸 海 軍 をう まく 協 同 さ せ ると いふ こと の
か 、而 も 一旦宣 戦 の詔 勅 があ れ ば平 和 克 服 の詔 勅 も 賜 は るべ き で 、
河邊 陸 軍 の話 の纏 ら な か った のは どう い ふ風 な 訳 です か 。
殿下
務 統 帥 が完 全 な る協 調 の下 に動 く偉 大 性 を如 実 に示 す こと が 対内 対
殿下 杉 山 大 臣 は初 め は怒 って居 ら れ て 一時 は ご た ご た が あ りま し
外 共 に大 切 だ と いふ の であ り ま し た 。
河邊
他 に、 統 帥 と 政 治 の問 題 を巧 く さ せ よう と 云 ふ理由 も そ こに あ った
理由 はど う い ふ こと であ り ます か。
た け れ ど も 、上 海 の方 が景 気 が よく な った頃 ⋮ ⋮ 大 場鎮 が落 ち た前
河邊
後 に此 の大 本 営 を 作 ら う と い ふ気 分 が出 て奏 請 し た のは其 の頃 でし
結 局 あれ は 軍務 局長 の交 替 が影 響 し て居 る ので はな い です か。
だ と思 って居 りま す 。 さ う し て連 絡 会 議 な るも のも 、 あ れ は随 分 色
やう です が、 結 局 政 略 関 係 を大 本 営 が握 る こと が出来 な か った そ の
殿下
梅 津 閣 下 が反 対 だ った ので軍 務 局 長 の反 対 が あ った か らぢ や
た が ⋮ ⋮。
河邊
色 案 が あ りま し た が結 局 は あゝ いう こ と に決 り、 別 に理想 的 に大 本
政 治 関 係 を 入 れ な いと いふ こ と は統 帥 の独 立 と いふ関 係 から
一部長 が動 い て軍 務 局長 が変 って上 海 にも 兵 を 増加 す る と い ふ こと
な いと思 ひ ます 。 矢張 り動 機 が あり ま し て⋮ ⋮ 気持 の上 にも ⋮ ⋮ 第
け る かど う か、 ど う す る のが よ い かと い ふ点 に就 て、軍 事 課 と 第 三
営 と い ふ も の が現 在 の機構 に於 て政 戦 両 略 を 一途 的 に巧 く や って行
そ れ は大 本営 に絡 ん で で あり ま す か 。
十 三 、 統 帥 と 政治 の関 係
課 と で研 究 を や っ て居 り ま し た 。
にな って、 柳 川 軍 が出 て段 々戦 らし く な っ て来 た か ら大 本 営 が必 要
と行 き まし た。 海 軍 は大木営 と いふ よ り も宣 戦 布
ぢ や な い か と い ふ こと に な って来 た やう であ り ま す 。何 とな く 其 の 時 は話 がず る〓
大 本営 設置 と同 時 に宣 戦 布 告 と いふ こと を言 って居 った と記
告 論 を盛 ん に言 っ て居 り まし た。 殿下
殿下
河邊
立 と いふ こと の関 係 は どう い ふ風 にな り ま す か。
少 し 本質 論 に 入 る の です が、 全 体戦 争 と いふ こと と 統 帥 の独
に於 て ﹁天 佑 を保 有 し 万世 一系 の皇祚 を 践 め る大 日本 帝 国皇 帝 は 云
憶 し ます 。 併 し 宣 戦布 告 に就 き まし ては 、私 は苟 も そ の詔 勅 の冒頭
河邊
私 は 異端 者 か も知 れま せん が 、 人 の君 は れ る やう に統 帥 の絶
云 ﹂ と仰 せ あ るべ き で あ らう から 、 蒋 介 石 と か国 民 党 部 の排 日気 分
対 を 極度 に広 く 考 へら れ ぬ の です が⋮ ⋮ 。戦 争 指 導 即統 帥 、 従 っ て
であ り ま す が外 国 権 益 にも関 係 し、 総 力 戦的 問 題 にも関 係 し て来 ま
軍 で上海 か ら南 京 を衝 く ⋮ ⋮ と云 ふ やう な こと は、戦 略問 題 の やう
と いふ も のは戦 時 の国 務 と作 戦 とを 同時 に指 導 す る こと で あ って、
即 ち戦 争 指 導 とは 国 務 と統 帥 と合 体 し た も の だ、 従 って戦 争 指 導
と は 戦略 的 見地 から 大 い に必要 で あ ると し て も 、全 般 的 大局 上 之 を
海 軍 の統 帥 が生 れ ると 思 ひます 。 又南 京 から更 に武 漢 に追撃 す る こ
れば 其 の範 囲 に於 て陸 軍 も海 軍 も作 戦 を 行 ふ 、 そ こ に陸 軍 の統 帥 、
す から 、戦 争 指 導 と云 ふ べ き範 囲 では あ り ます ま いか 。 そ れ が決 ま
従 って時 に国務 の必要 大 な る場 合 に於 て統 帥 が束 縛 さ れ る ことは あ
やめ て和 平 工作 に乗 り 出 す を可 とす ると あ ら ば 、戦 略 上 の不利 を我
り ます 。
戦 争 指導 は統 帥 者 の分担 分 野 で あ ると考 ふ る こ と に疑 問 を持 って居
り得 べ き で あ ると 思 ふ ので あ り ます 。 そ れ が戦 争指 導 であ る、 従 っ
ふ追 撃 を決 行 す る を可 と す る と あ らば 、 国 民 の鍋 釜 を 集 め飯 を 一合
慢 し ても追 撃 を行 はな い、若 し 又、 ど ん な無 理 を押 し ても武 漢 に向
に忍 ば せ て も統 帥 系 統 の要 求 を満 足 さ せ る ⋮ ⋮ と い ふや う に、大 戦
って構 成 せ ら れ、 それ が協 力 し て考 へた も のを御 允裁 を仰 いで政 務
争 の実行 は国 務 と統 帥 と は 不可 分 であ り 、 従 ってそ の根 本 は文 武 の
て戦 争指 導 の最 高 機 関 は本 当 に宮 中帷幄 の許 に文武 の重臣 が数 人 居
と戦 務 の上 に実 行 せ ら る ベ き が本 当 であ る の で はな いか 、之 が戦 時
最 高 首脳 が は つき りと 決 め て允 裁 を仰 ぐ べ き も の であ り 、単 に統 帥
ると 考 へま す。 仰 せ の如 く作 戦 行 動 の本質 、特 に成 果 の大 を求 む れ
部 の意 の儘 に仕 方 がな いか ら つ いて来 ると いふ の では 不 可 ぬ のであ
る政 務 と いふ も の は内 閣 が行 ひ、 戦 務 は参 謀 本 部 、 軍 令部 に移 さ れ て純 軍事 即 ち具 体 的 な る作 戦 指 導 と な って行 く ベき で あ らう と考 へ
大 本 営 の本 質 で はあ る ま いか と思 っ て居 り ます 。 そ し てそ れ から 出
る ので あ り ます 。 現在 の大 本 営 は陸 軍部 と海 軍 部 と で や って居 り ま
大 局 上之 れ 以上 絶 対 に不可 と い ふ点 を し つか り と見分 け て統 帥 部 を
す が、 そ れ よ りも う 一段 上 に戦 争 指導 機 関 た る大本 営 と い ふも のが
圧 す る だ け の政 治 家 が大 切 で あ ると 考 へる ので あり ま す 。
の所 謂 「無 理﹂ を よく 理解 し て そ の押 し 易 き やう にす る と同 時 に、
殿下
殿下
ば 求 む る だ け無 理 を押 さ な け れば な ら ぬと思 ひ ます が、 そ の戦 略 上
と いふ風 に見 ると 、之 に は相 当 ﹁ 無 理﹂ を伴 ふ と いふ のが本 質 で は
が や る と考 へて良 い の です か。
統 帥 と政 務 と を合 体 し、 そ の二 つな が ら の根本 を指 導 す る最
居 る 人 でな けれ ば な ら ぬ と思 ひま す 。其 の人 は 統帥 の ことも 政 治 の
上 御 一人 の遊 ば す こ
と で あ り ます が、 其 の真 の帷幄 に参ず る士 は卓 抜 な る識 見 を 持 って
高 機 関 が望 まし い ので あ り ます 。 これ は勿 論
統 帥 な るも のを も つと 狭 義 に解 釈 し て兵 団 の運 用 、 作 戦 指導
な いか と思 ひま す が ⋮ ⋮戦 争 指 導 と いふ とそ れを反 対 に抑 へるやう
あ るベ き で はな いか と思 ひま す 。
な要 素 が多 いや う で、 そ れ が為 に作戦 が常 に掣 肘 さ れ て真 の折合 が
河邊
統 帥 と政 略 の両者 に無 関 係 の最高 機 関 がそ こ に存 在 し て、之
出 来 なく な る では な い か と い ふ気 が致 し ます が ⋮ ⋮。 河邊
戦 争 指導 と統 帥 と いふ も のに就 て適 切 な例 で な い かも知 れ ま
せ ん が⋮ ⋮ 例 へば支 那 事 変 が始 った ⋮⋮ 北 支 に兵 力 を使 用 し て事 変 発 端 の禍 因 を武 力膺 懲 し 乍 ら 一方政 略 的 効 果 を求 め て強 力 な る陸 海
戦 争 の時 に上 等 兵 か ら振 り出 し ま し た ﹁ヒ ツ ト ラ ー﹂ が 、 現 在 は
こと も判 って居 る人 で な け れば な ら な いと 思 ひます 。 此 の前 の欧 州
機 構 をそ れ に近 か らし め る為 に大 本 営 と いふ も の の中 に政略 の 一部
一部 で考 慮 し たと は 思 ひ ます が、 大 本営 は主 と し て軍 事 の本
を取 入 れ てや る と い ふ案 はな か った の です か。 河邊
殿下 そ の機 関 そ の も のは 実行 権 はな いも ので宜 し いと思 ひ ます 。
そ れは 実 行権 を附 与 さ れ た機 関 です か 。
大 本 営 を 宮 中 の中 に設 け て
宮 中 の中 に大 本 営 を設 け ると いふ 話 は ⋮⋮ 。
く 動 き ま し た ⋮⋮ 。
仰 ぐ と いふ こと は考 へて居 た の です が、事 実 そ こま では進 む こと な
営 にす ると いふ考 で進 みま し た 。尤 も 御 前会 議 で は全 般 に亙 って の
﹁ド イ ツ ﹂ の最 高指 導 者 であ り ます 。 そ の戦 争指 導 がう ま く行 って
河邊
殿下
居 り ま す る のは 、統 帥 と国 務 と を 一人 で把 握 し 、政 戦 略 の本 質 を確
諮詢 府 で あり ま せう 。 然 し そ れ に は総 理 大 臣 、両 総 長 其 の 他 若 干
河邊
そ れ は政 府 と の関 係 も併 せ て です か。
上 げ て御 裁 断 を 仰 ぐ と いふ こと にな る ん です が⋮ ⋮ 。
ことを 申 上 げ、 さう し て本当 の会 議 を やり 、 そ れ に依 って御 聖 断 を
( 少 数 ) の重 臣 が居 ら れ 、 そ こから 出 る こと及 そ こ で可決 せ られ た
そ れ は政 府 と の関 係 を含 ん で です 。
実 に心得 て居 る から だ と思 ひます 。
こと が 一面 は作 命 と し て総長 伝 宣 で出 るで あ りま せ う し、 又 一面 は
殿下
河邊
特 色 が あ ると 考 へて居 る の です が ⋮ ⋮ 。
上御 一人 の近 く へ参 って よく申
政府 が勅 令 と し て出 す も のが あ りま せ う と思 ひま す 。
河邊
統 帥権 と いふも のは其 の中 に含 ま れ る の です か 。
あ の時 に機 関 は大 本 営 の統 帥 を政 務 から 分離 し た の で非 常 に
殿下
殿下
河邊
根 本 的 な改 革 だと 考 へる の です か 。
な いと 思 ひ ます 。 南京 を どう 云 ふ風 に攻 略 す るか 、如 何 な る方法 で
ら う と い ふ不 言 の気 持 が動 い て居 る と思 ひま す 。
仰 せ の通 り で あ りま し て 、本 質 論 に遡 って事 態 を 六 つか しく
御 前 会議 も さ つき 申 し ま し た如 く 之 を大 切 に考 へず に、 唯 陸 海 軍統
第 一回 の御 前 会 議 の状 況 を写 真 に撮 って居 りま す 。 け れど も 此 の
もし よう と いふ やう な 考 が強 か ったと 思 ひます 。
て国 民 の気 分 を引 立 て、 又 支那 に対 す る 威圧 的 ﹁ゼ スチ ユアー ﹂ に
す る こと な く 、大 本 営 の下 に陸 海 軍 が完 全 に協 調 し た こと を表 明 し
河邊
そ れ から 飛 ん で直 ぐ に決 定案 に行 っ て居 り ま す ね。
それ に就 ては色 々 の案 は あ った の です が ⋮⋮ 。
之 を 考 へた のは統 帥 の独 立 と い ふ こと を 強く 、 且広 範 囲 に と
武 漢 に追 撃 す る か、斯 う し た こと を こ の機 関 が兎 や角 云為 す ベ き で
殿下
さ う だ と思 ひます 。私 は之 が決 し て統 帥 権 を干 犯 す るも の で
はな い ので あ りま す 。此 の重 要 な る政 、 戦 略 の調和 を連 絡 会議 で巧 く やらう ぢ やな いか と い ふ こと にな った の であ り ます 。 併 し 思 ふ や う に巧 く は参 り ま せず 、 其 の連 絡 会 議 に於 ては何 時 も 大 切 な問 題 が 的確 に斯 う 決 った と い ふ こと も少 な く 、 時 には政 府 と 軍部 と が意 見 衝 突 のま ま 物 わ か れ にな った に過 ぎ な い こと も あ りま し て 、連 絡 と 申 し ます るも ので は本 当 の こと は出 来 ま せ ん。 どう し ても も つと 強
そ こで根 本 的 に異 った改 革 が出 来 な か っ たと し ても 、 現 在 の
力 な決 定 権 を持 つも の でな け れば な ら ん と思 ひま す 。 殿下
帥 首 脳 部 が御 前 に 一応 揃 って、 両 軍 の作 戦 指 導 を 叡 聞 に達 し よう と
他 に移転 し て現 在 の陸 軍作 戦 共 のも のに没 頭 し た ら良 い のぢ や な い
河邊
こ とは難 し い です か 。
殿下
十 四 、 陸 海 軍 の関 係
謀 本 部 とは 別個 に存 在 し てあ り ます 。
﹁ド イ ツ﹂ の話 に な りま す が 、﹁ド イ ツ﹂の大 本 営 (陸 軍部 ) と 参
こと にし てあ れ ば良 いやう に思 ひ ます 。
(内 外) の蒐 集 と か 、外 国 人 に対 す る交 渉 機 関 とす る⋮ ⋮ さ う い ふ
之 は大 本 営 の留 守 部 で あ ると 同 時 に対支 作 戦 遂行 上 間 接 的 な る情 報
かと いふ気 が致 し ま す 。参 謀 本 部 と いふ も のは あ って宜 し い のです 。
大 本営 陸 軍 部 と いふ も のは あ そ こに居 た の では具 合 が悪 い、
云う やう な こと であ り ま し た。 さ う し て省 部 の間 も随 分 変 な具 合 で⋮ ⋮陸 軍 大 臣 は ﹁俺 が大 本 営 に来 て も自 分 の椅 子 一つ持 って居 ら ん ⋮⋮ ﹂ と い ふやう な こと を 言
服 務 規 程 が あ る やう です が ⋮ ⋮あ れ が徹底 し な か っ たと いふ
は れ て居 たと 聞 い て居 り ます 。 殿下 こと も大 体推 察 出来 ます が⋮ ⋮ あ れ が実 行 出 来 れ ば も っと 省 部間 は
あ れ は 運用 上 も っと勉 強 し てあ れ で能 率 を増 進 し た ら良 い と
緩 和 され た と いふ こ と はあ り ま せ ん か。 河邊
いふ こと だ った にも 拘 らず 大 本 営 と し て の運 用 を本 当 にや らう と い
間 に改 め て考 へ直 す べ き も のが少 く あ り ま せ ん でし た為 あ の状 況 と
河邊
ふ気 がな か った の であ り ま す し、 出 来 ま し た大 本 営 の本 質 が省 部 の
な り 、唯 言 はば 威勢 よ く大 本 営 陸 軍 部 の看 板 を掲 げ 、之 を新 聞 に出
笑 し いです が、 皇 族方 に之 を や って頂 き度 いと 思 ひ ます 。 之 は 日本
日本 人 は難 し い民族 だと 思 ひ ます 。 殿 下 の前 で申 上 げ ては可
陸 海 軍 の問 題 は 色 々あ り ます が、 そ れ を 一つ に帰す ると いふ
し た と いふ やう な も ので あ りま す 。 所 で当 時 大 本 営 が出 来 ま す と 野戦 兵站 関 係 の各 長 官 が色 々な問 題
そ れ で之 は皇 族 が本 当 に中 枢 の位 置 に お立 ち下 さ って頂 け れ ば巧 く
人 は皇 族 方 に絶 体 服従 の信 念 は 生 れ な がら 有 って居 る の であ り ます 。
つま り大 本 営 と い ふも の の名 に於 てや ら れ る やう にな り ま
行 く と思 ひま す 。臣 下 の者 でも陸 海 軍 の上 に超 越 し た偉 人 が出 て来
で大本 営 に や っ て来 て 、総 長 殿 下 に幕 僚 と し て報 告 し て居 った ので す が︱
補 給 関 係 の こと は或 る程 度 よ く行 く やう にな った と思
し た の で︱
には 手古 摺 り倦 い て仕 舞 ひま し た 。
に於 てや って頂 く のが良 いと 思 ひま す ⋮ ⋮私 は実際 海 軍 と い ふも の
ンテ リ﹂ の人間 です から 理論 闘 争 が多 く 、何 か絶 対 尊厳 のも の がな
其 の他 に機 構 は余 り変 って居 ら ぬ ので は あ りま せ ん か 。
か った な ら ば各 々自 我 を持 し て他 に譲 る こと をし ま せ ん 。殊 に陸海
れ ば別 問 題 です が ⋮⋮ それ で な か ったら 日本 人 は世 界 中 で 一番 ﹁イ
殿下
殆 ど何 も他 には 変 って は居 りま せ ん 。梅 津 次 官 も 、之 は何 処
ひま す 。
河邊
軍 を縛 る には之 より 外 に手 は な いと 私 個 人 は思 ひま す 。之 は殿 下方 大 本 営 陸 軍 部 の機 構 に就 て何 か お考 へにな って居 る こと が あ
が違 ふ のだ と い ふ質問 を せら れ た位 です 。 殿下
り ます か。
十 五、 大本 営 会 議
って居 り ま す 。 此方 から 御下 問 案 を 持っ て行っ て、 そ れ に依っ て会
吐 露 し て申 上 ぐ べき で、 又之 に対 し て御下問 もあ る のが当 然 だ と思
議 を進 め ると いふ やう な こと は甚 だ申 訳 のな い こ と だ と 思 ひ ま す
⋮ ⋮御 下 問 に対 し て八 百 長的 に お答 へす る と いふ やう な会 議 で は誠
大本 営 会 議 と いふ のは、 あ れ は大 本 営 が出 来 た の で それ で や
殿下
仰 せ の通 り で あり ます 。
のです か。
殿下
は い、 さう です 。
青 島 問題 、或 い頓 挫 し た南 支 作 戦 は 何 か問 題 があっ た やう で
陸 海 軍 間 の問 題 が解決 し な かっ たと いふ こと から だ と言 へる
河邊 第 一回 の大 本 営 会議 が終っ て から次 長 が総 理 に説 明 し て居 り
河邊
に申 訳 な い話 であ りま す 。
殿下
殿下
らう と いふ考 へに過 ぎ な かっ た の です か。
ます ね ⋮ ⋮ 。 あれ は連 絡 の型 で⋮ ⋮之 は大 本営 の会 議 の内 容 を言っ た だ け
河邊
連 絡 会議 の 一つと し て やっ た だけ で あり ま す か 。
でも決 論 を得 な かっ た ら御 前 に聖 断 を仰 ぎ 、 斯 う や らう と お決 め に
な かっ た と い ふ こと も あり ま す 。鎬 を削っ て陸海 軍 が やっ て、 そ れ
問 題 があっ た為 に、開 催 す べ き御 前 会議 も陸 海 軍 会 議 も や れ
す か。
殿下
作 戦 実施 の内 容 を総 理大 臣 に知 ら し て置 く と いふ目 的 で、 一
河邊
で あ りま す 。
河邊
なっ た ら 、 そ れを 互 に 一生 懸 命 で や る やう に努 力す べ き で あら う と
軍 事参 議 官 会 議 で何 か話 をし て居 る やう です が ⋮ ⋮誰 か がし
応連 絡 の形 であ れ を告 げ た ので あ りま す 。 殿下
陛下 の清 ら かな 御 心
秩 父宮 殿 下 も斯 う いふ問 題 で次
思ひます。
後 で媾和 問 題 が起 り まし た時 に
て居 る かも知 れ ま せん が ⋮ ⋮之 は別 に会 議 が あっ た 訳 で は な い でせ
別 に何 も会 議 があ った から でな く 、大 本 営 会議 が纏 まっ た か
長 に喰っ て かゝ ら れ ま し て、 御 前 で申 上げ て
う ね。 河邊
殿下
そ れ は結 局 一つ の機 関 説 と な ると言 へると 思 ひま す 。 一少 佐
さ うす る と結 局機 関 説 にな る のぢ や な い の です か 。
陛 下 に申 上
ても良 いのぢ やな いか と申 され ま し た が、 そ んな 風 に
の鏡 にお かけ し て⋮ ⋮其 の場 で決 め な く て も良 いか ら ⋮ ⋮後 で決 め
げ て聖 慮 を煩 し ては相 済 ま ぬと いふ風 に次 長 は申 し て居 ら れま し た 。
ら と いふ意味 か ら だっ た と思 ひ ます 。 殿下
其 の後 も大 本営 会議 は度 々あ り ま し た が、 一体事 実 に於 け る
大 本 営 の会 議 の内 容 は 既 に決 し た こと を会 議 で決 め る と いふ やう な
河邊
を 申 上 げ て頂 く だけ にな りま し た ⋮ ⋮ 。
そ れ で下 の方 で順 次纏 ま りま し た も のを、 総 長 殿下 に御 前 で御 説 明
私 の感 じ た のは会 議 で はあ り ま せ ん。 之 は 全 部報 告 であ り ま
状 況 です ね。 河邊 す。 会 議 と銘 を打っ て会 議 を開 き、 そ れ に出 る から には各 自 が信 念 を
長 の印 を 取 る だ け で そ れ が終 に御決 裁 を 得 る ⋮ ⋮御 親 裁 になっ た も
の書 い たも の に課 長 の印 を 取 り 、課 長 は部長 の印 を取 り、 部長 は次
高 松 宮 殿 下 が軍令 部 長 に お就 り に なっ た時 でな け れば 駄 目 です ﹂ と
よ く やっ て行 け ま せん 。
私 は直 ち に其 の時 に申 上 げ た のは ﹁到 底 今 の儘 で は私 如 き も のには
申 上 げ たら 、﹁さ う か﹂と 仰 せ にな り まし たが 、 そ の頃 私 は つく〓
秩 父宮 殿 下 が参謀 総 長 に お就 り に な り
のとし て出 て行 く と い ふ こと は 、事 務 的 の些事 は そ れ で宜 し いと致 し まし ても 、大 問 題 を有 耶無 耶 の間 に妥 協 的 な ど つち に でも と れ る や う にし て御前 に然 る べく 御 説 明 を申 上 げ 、 允裁 を得 たと す る のは
そ れ でも ま だ喧 嘩 し て居 る時 は良 い の です が 、段 々と 其 の喧 嘩 が深
是 程 こじ れ つ いた状 態 と いふ も のは今 迄 は な かっ たと 思 ひ ま し た。
小 さく は参 謀 本 部 の中 でも さう いふ 風 になっ て居 る の では な
実 によく な いや り 方 だ と思 ひま す 。 殿下
殿下
刻 にな る時 は迚 も み つと も な く な り ます 。
大 本 営 を仕 組 ん だ時 は 、之 で陸 海 軍 の関 係 は 円 滑 に行 く と い
い のです か。
ふ考 へでは あ り ま せ ん でし た か 。
次 長 が書 類 を持っ て行 き ます にし ても 、総 長 殿 下 は お年 を召
河邊
解 りま し た 。
私 は空 軍 を建 設 す ると同 時 に 三軍 の合 同 参 謀 本 部 を作 れば 、
参 謀 本 部 と軍 令 部 と を 一緒 にす る こと は出 来 ぬも ので せう か。
之 は採 用 に はな り ま せ ん でし た 。
合 は し て相 談 す る機 構 にし た ら どう だら う と いふ の であ り ます が、
言 ひ出 し た こと が あ りま す 。之 は部 長 が陸海 兼 任 を し て本当 に膝 付
そ れ から 少 し話 は前 の こと です が、 私 は 部長 の兼 任 と いふ ことを
行 退 歩 の感 があ り まし た。
さう いふ風 な期 待 も あ り ま し た が、 一歩 も よく な らず 却 て逆
河邊
殿下
併 し 本 当 は殿 下 の仰 せ にな る こと に 一言 も な いの であ り ます 。
いふ気 持 が非 常 に働 いて居 りま し た 。
し て居 ら つし や る こと で もあ り ます の で、 次 長 は御 老 体 に対 し て と
河邊
折 角 作っ た 大 本営 と いふ も のは仕 事 の能 率 を ど の位 発 揮 し て居 る
殿下
の か判 ら な い の です 。併 し之 が出来 た から 害 があっ た と い ふ こと は 申 上 げ ら れま せ ん が ⋮ ⋮ 又之 がな け れば ど ん な故 障 が あっ た か と い
河邊
参 謀 本 部 と 軍令 部 を 一つにす る に就 ては 、其 の参 謀 総長 は誰 にな
今 のやう な 陸海 軍 を も 一緒 にす る こ と が出来 る と考 へま す 。
ふ こと も解 り ま せ ん 。斯 く 申 す 私 も苟 も作 戦 課 長 を拝 命 し て居 り ま
し も変っ て居 り ま せ ん 。 どう も 両者 の間 がど う し て も巧 く い かぬ と
す か と い ふ の に問 題 があ り ま せう が⋮ ⋮ そ れ は初 め は 海 軍 の方 にや
し て今 自 責慚愧 の念 に堪 へま せん 。扨 て陸 海 軍 の問 題 は此 の為 に少
秩 父 宮 殿 下 が只 今 でも 御 記憶 に
いふ のは どう い ふ訳 か 不明 です が
を し て居 る時 に突 然 お出 にな り ま し て ﹁ど う し た ら陸 海 軍 が巧 く行
いふ こと ば かり考 へず 真 に大 局 の要 求 す ると ころ に進 ま な け れば 、
いと思 ひま す 。兎 も角 も う 少 し両 方 を公 正 に見 て、 両 方 と も自 分 と
って頂 い て後 で陸 軍 の大 将 が な ら れ ると いふ風 にし て 一向差 支 へな
く のか﹂ と 仰 せ にな り ま し た。 私 の喧 嘩 ば かり を し て居 る こと を御
日本 は亡 び て仕 舞 ふと い ふ感 じ が致 し ま す 。
なっ て居 ら っし や る と思 ひま す が、私 が煖炉 の傍 に じ だら く な格 好
覧 になっ て居 ら つし や る の で、 私 を お叱 り に いら つし たと 思 ひ ます 。
殿下 河邊
殿下
余 談 で甚 だ相 済 ま ぬ のです が、 私 が ﹁ベ ルリ ン﹂ に居 る時 に
対 立 し て仕 舞っ たら お終 ひ です から ね 。
併 し今 の空 軍 を 独立 さ せ る案 は出 来 ると し て も、 そ れ が為 に
益 々三者 が鼎 立 し て具 合悪 く なっ て行 く と い ふや う な こと はあ り ま
独 伊 の我 が外 交 官 と陸 海 軍 武官 が集 ま り、 色 々話 が出 た後 に空 軍問
所 用 あ り まし て ﹁イ タ リ ー﹂ に参 り 、 ﹁ロー マ﹂ の我 が大 使 館 で駐
題 が出 ま し て、 或 る外 交 官 が ﹁日本 に空 軍 を作っ た ら どう です か﹂
それ は何 ん とも 申 上 げ ら れ ま せん ⋮ ⋮併 し そ れ は 人 の関 係 だ
せ ん か。
と思 ひ ます 。 ﹁ド イ ツ﹂ の陸 軍 の参 謀 総 長 が ﹁日本 に於 て陸 軍 の 航
に座っ て居 り ま し た日 本 の海 軍 武 官 は ﹁ 空 軍 を作っ た ら其 の大 臣 は
と 言 ひ ま し た の で、 私 は ﹁大 賛 成 です ね﹂ と言 ひま し た所 、私 の前
河邊
空 部隊 と海 軍 の航空 部 隊 と 二 つ に分 れ て居 る と いふ こと は 必ず し も
陸 軍 で取 ら う と いふ の でせう ﹂ と直 ぐ 言 ひ ま し た の で実 に不愉 快 に
理 由 な し と は思 は な いが、 其 の後 の方 即 ち補 給 源 も亦 二 つ に分 れ て 居 る のは 、之 は吾 々が過去 に於 て既 に誤っ て来 た と思 ふ ことを そ の
十 六、 杭州 湾 上 陸 作戦
っだ と考 へざ るを得 ま せん でし た。
な り話 を やめ ま し た。 ま あ私 の僻 み かも知 り ま せ ん が海 軍 心 理 の 一
空 軍 の独 立 に よっ て、 さ つき殿 下 の仰 せ の やう な害 を生 ず る心 配
まゝ やっ て る やう に思 ふ﹂ と言 ひま し た。
は あ る と思 ひ ます が、 例 へば 現在 の ﹁ド イ ツ﹂ 空 軍 長官 ﹁ゲ ー リ ン グ﹂ の如 く 政治 的 手 腕 と 同時 に信 望 があ り 、又 国 家 国 軍 の為 め空 軍
の です か。
殿下
杭 州湾 の上 陸 の こと に就 て戦 争指 導 班 は余 り関 係 し な かっ た
斯 う いふ入 が三軍 を合 体 し た参 謀 総 長 にな れば よ いと 思 ひ ます 。 然
の使 命 を的 確 に認 識 し て居 る 人 が あっ た ら 心配 は要 ら ぬ と 思 ひま す。
し 現在 の やう に我 利 々 々 です と 三者 が分裂 す ると い ふ こと にな り ま
余 り関 係 致 し ま せ ん で し た。 純 作戦 的 な考 から やっ た のだ と
思 ひ ます ⋮ ⋮ あ れ は秘 密 は よ く保 た れた 作 戦 だ と思 ひま す 。非 常 に
河邊
実 際 残念 に思 ひ ます のは 、 民 間 の人 で私 に空 軍 の建 設 問 題 を慫慂
した。
注 意 深 く やっ て、部 内 でも殆 ど第 三課 と 第 三 部 だ け で やっ て居 り ま
す。
し た 人 が あ りま す が 、其 の人 は 現在 のやう な状 態 に於 か れ ては資 材
あ の時 分 に部長 が変っ て居 り ます が ⋮⋮ あ れ で所 謂 対支 主 作
戦 は 中 支 に移っ た観 が あ り ます が⋮ ⋮ そ れ に対 し てど う いふ感 じ を
殿下
の配 当 と いふ見 地 か らし て も陸 、海 、空 軍 が 一緒 になっ て呉 れ な け れば 民 間 が非 常 に困 る と言っ て居 り ま し た。
持っ て居 ら れ ます か。
洵 に相済 ま ぬ こと です け れど も ⋮ ⋮之 は殿 下 には恐 縮 な こと であ
河邊
と作 戦 班 と か ら成 り、 私 が其 の課 長 を命 ぜ ら れ まし た。 そし て中 支
部長 が替 りま し て、程 なく 編 制 が変 り、 第 二課 は 戦 争指 導 班
り ます け れ ど も、 陸 海軍 がご た〓
し て居っ て 一寸 話 が纏 らぬ と い
ふ時 に、皇 族方 に やっ て頂 け れば 良 いと思っ た こと が度 々ご ざ いま す。
方 面軍 が出 来 て こゝ に上海 を完 全 に封 鎖 し 、淅 江 財 源 を南 京 から 断 ち切 ると 同時 に蝟 集 し て居 り ます る約 七 十 師 を敲 き つけ る と いふ こ
そ こで中 支 に対 す る目 的 は変っ た の では あ りま せ ん か。
す が其 の経 緯 は ど う です か。
⋮ ⋮第 十 軍 が上 陸 を始 め る前 、 進出 方 向 に就 て問題 が起っ て居 り ま
殿下
十 七 、第 十 軍 の進出 方向 及 南 京追 撃
殿下 は い、 さう です 。
河邊
そ れ から 第 十軍 が出 て行っ て か ら作 戦 を や ら れ た の で す か
河邊 初 め は 居留 民 の保 護 を す る と いふ こと だっ た の が遂 に上海 を
と にな り 、大 規 模 の上 海作 戦 が本 腰 になっ て やら れ 点 と思 ひ ます 。
殿下
そ の頃 第 二課 長 にな ら れ た の です ね 。
は い、 さう です 。
ふ の で出 て行 か れ た の です が ⋮⋮ 。
少 将 でし た が ⋮⋮ 之 は 最 も中 央 の企 図 を よく 了 解 し て居 ら れる と い
松 井 閣 下 の上 海 派遺 軍 が方 面 軍 に なっ た時 は 、参 謀 長 は塚 田
孤 立 せし む る と いふ こと に変っ た ので は あり ま せ ん か。 河邊
第 二課 長 になっ た の です ⋮ ⋮第 二課 に作 戦 が入っ て来 た の で
す ⋮⋮結 局 昔 の編 制 になっ て来 た訳 です 。 戦争 指 導 と い ふも のと作
と を聴 かせ ん な ら ぬ ﹂ と努 力 せ ら れ て居 りま し た 。 そ こ で初 め にあ
なっ て居 り ま し た⋮ ⋮塚 田参 謀長 も ﹁柳 川 兵 団 にどう し ても言 ふ こ
方面 軍 司 令官 以下 中 央 の気 分 を よく 飲 み込 み 、中 央 の意 図 の通 り に
当 初 の柳川 兵 団 の運 用 、其 の後 の作 戦指 導 と い ふ も のは ⋮⋮ 松 井
河邊
殿下
戦 と いふ も のと を纏 め て、 一つ の課 長 の下 にや ら せた ら何 ん と か折
そ こ へ上 りま し た 当時 は 、松 井 方 面軍 司 令 官 は 主 力 を上 海 に近 く引
合 が つく だら う と いふ 理由 で 一緒 にな り まし た 。
張っ て来 ると いふ こと を考 へに持っ て居 ら れま し た 。所 が上海 は柳
中 支 に変っ て行っ た 時 の気 分 は部 長 更 迭 が大 き な 原 因 を な し
川 軍 の上陸 と前 後 し て敵 の総 崩 れ と な り 、爾 後 如 何 にす ベ きや を 現
殿下
河邊
地 の気 分 を申 上 げ ま す と 、軍 司 令 官 は依 然 積 極 的 な 考 を持っ て居 り
地 と も相 談 す る ため 私 は命 ぜ られ て上海 に参 りま し た 。其 の時 の現
私 は さ う 思っ て居 りま す ⋮ ⋮参 謀 本 部 の声 が高 く なり ま し た
⋮⋮ そ れか ら 北支 軍 あ た りは 兵隊 を幾 ら で も出 し てや らう と い ふ気
て居 る ので は あり ま せ ん か。
分 になっ て来 ま し た。
それ で第 十 軍 が出 来 て から 指 揮関 係 で問 題 があっ た やう です⋮が まし て⋮ ⋮ ﹁大 丈 夫 南 京 は取っ て見 せ る か ら是 非 やら な く ち や不 可
た り が軍 司 令 部 に文 句 を 言 ふ やう になっ て は駄 目 だ。 今 迄何 の文 句
長 の気 持 も ﹁も う兵 隊 は相 当 疲労 し て居 る﹂ と 言っ て居 りま し た 。 ︹一 策︺ 他 の司令 部 に就 ても 、西 原 上 海 派 遣 軍参 謀 の如 き も ﹁師 団司 令 部 あ
疲 労 し て居 る か ら、 今 直 ぐ にと は言 は ぬ﹂ と言 は れ、 そ れ か ら参 謀
ぬ﹂ と いふ非 常 に熱 心 な 御意 見 で あり ま し た。 但 し ﹁只今 は軍 隊 が
殿下
私 が作 戦 の方 も や る こと にな る前 であ り ます か ら 、直 接 には
川 閣 下 と松 井 閣下 と は前 から仲 が悪 いと いふ こと を聞 い て居 り ま し
﹁タ ツチ﹂ し て居 りま せ ん ので は つき り は聞 いて居 り ま せ ん が、 柳
河邊
た。
も 言 はず 黙 々服 従 し て居 た 第 九師 団 が ぼ つ〓
文 句 を 言 ふやう にな
下 村 閣下 は積 極 的 であ り ま し た が、 私 は第 一に現 地 の事情 を見 な
ふ ことを言っ て居 り まし た 。 そ こで大 体 当時 中 央 の案 であ り ま し た
の空 気 を見 てか ら判 断 す べ き だ と思っ て居 り ま し た。 部 長 と ても 私
って⋮ ⋮ 之 は どう し ても 相 当 な準 備 が必 要 だ らう から 、 行っ て向 ふ
を持っ た要 塞 も あ り、 其 の陣 地 も強 化 し て居 る と いふ こと が気 にな
たも の では あ り ま せ ん が上海 か ら南 京 に至 る ま で には 若 干 の陸 正面
蘇 州 、嘉 興 の線 で兎 に角 一遍 停 止整 頓 し よう と いふ気 であ り ま し た
が行 く 前 から 積極 的 で はな く 、某 範 囲 を劃 し て軍 を 一旦 集 結 す る考
け れば な ら な いと思 ひま し た 。先 入 主 か も知 れ ま せん が、 別 に大 し
⋮ ⋮之 は十 月 の幾 日 だっ た かは つき り憶 え て居 り ま せ んけ れ ど ⋮⋮
った のは 疲 れ た証 拠 だ﹂ と言っ て居 りま し た 。 又塚 田少 将 は ﹁非 常
参 謀 副長 の武 藤 あ た り に聞 く と ﹁軍司 令 官 は 大 体気 勢 を示 し て居 ら
へで居 ら れま し た ⋮ ⋮部 長 はさ う いふ つも り で見 て来 て呉 れと いふ
に軍 も疲 れ て居 る から 何 処 か で 一端 停 止 し な け れば な ら な い﹂ と 云
れ る が、上 海 派遣 軍 は殊 に激 戦 後 の疲 労 はあ るし 人員 の補 充 、 弾薬
然 し大 体 に於 て部長 は中 支 方 面 に対 し て非 常 に積極 的 で あ りま し
話 で あ りま し た。
いふ風 で私 の現 地 に於 て得 まし た印象 は 、兎 も角 ど ち ら か と言 へぱ
器 材 の補 充 も必 要 だ か ら急 追 は 難 し い﹂ と言っ て居 り ま し た。 斯 う
大 し た経 緯 はあ り ま せ ん 。中 央 では 近く 廣 東 の作 戦 を企 図 し 、
蘇 州 、嘉 興 の線 が な く なっ たと いふ経 緯 は どう でし た か 。
て⋮ ⋮戦 況 に就 ても 前 か ら看 破 し て居っ た の で はな いか と思 ひ ます 。 殿下
急 追 は不 可能 だと いふ こと で あ りま し た 。
河邊
重 藤 支 隊 と 第 十 一師 団 を 南 方 へや ると いふ 考案 で し た の で、松 井 方
私 は天 候 の加 減 で飛 行機 が出 ま せん でし た の で 船 で 帰 り ま し た
逃 げ ると
⋮ ⋮所 が丁度 私 が上 海 を出 ます 頃 から 状 況 が大 い に進 展 を致 し まし て ⋮ ⋮敵 は 御承 知 の如 く 総 雪崩 になっ て退却 し てど ん〓
づ 一応 蘇 州 、嘉 興 の線 で次 期 の準 備 をし よ う と 云 ふ こと で此 の線 は
面 軍 の兵 力 は減 る し 、南 京 に急 追 と い ふ こと は簡 単 に は往 かず 、先
丁度 私 が東京 へ到 着 す る前 に軍 から
いふ状 況 にな り まし た の で︱
あ れ は部 隊 が出 る前 だっ た と思 ひ ます が⋮ ⋮ 。
さ う し て此 の作 戦 地 域 を廃 す る のは 事 実 部隊 が出 て から です
決 ま りま し た 。
意 見 具申 があ り ﹁河 邊 大 佐 が 視察 し た当 時 と は 現在 の戦 況 が 一変 し、 是 非 と も南 京 に向っ て追 撃 し な け れば な らず 、 又 そ れ は可 能 であ る 。
出 て から 廃 止 し た と い ふ こと に なっ て居 り ます が ⋮⋮ 。
か。 河邊
殿下
殿下
仍て方面 軍 も段 々追 撃 の準 備 を し て居 る﹂ と いふ の です ⋮ ⋮ 柳 川軍
て居 り ま し た が、 状況 が右 の如 く であ り ます から 方面 軍 でも 段 々さ
は あ 、 さう です か 。南 京 作 戦 が容 易 に決 し な かっ た から でせ
が逸 早 く ﹁軍 は 南 京 に向っ て追 撃 せ ん とす ﹂ と いふ決 心 を送っ て来
う 思 ふ やう になっ て来 た と思 ひま す 。
河邊
そ れ で河 辺 閣下 が上 海 に行 か れ た後 に下 村 部長 が電 報 を打っ
それから南京追撃 です が⋮⋮追撃命令 が出た のが非常 に遅れ
殿下
う。 殿下
受 け て居 りま す 。
て居 りま す が、 あ れは受 け て居 りま す か 。 河邊
殿下
参 ら ん よ﹂ な ど と 水掛 論 を やっ た ことを 思 ひ出 し ます 。
る﹂ と申 し 、私 は ﹁ 南 京 は やら な け れば な ら ん が やっ ても蒋 はま だ
﹁敵 国 首 都南 京 を攻 略 す べ し﹂ と いふ命 令 です か。
て居 るやう です が⋮ ⋮ 。 河邊 は い、 さう です 。
河邊 決 定 し て居 る のは 十 二月 に入っ てから です ね 。
決 心 は ⋮ ⋮十 一月 二十 六 日 か に内 報 を下 し て居 りま す 。
十八 、頓 挫南 支 作 戦
は い、 さう です 。
此 に就 て は大 分 永 い間 次 長 か ら お許 し が出 な かっ た の です 。私 はず
ら前 過 ぎ る では な いか﹂ と言っ て居 ら れ た やう に思 ひます 。 それ で
方面 に対 す る作 戦 を実 施 し よう と企 画 し ま し た 。力 強 く な い廣 東作
ば 、南 京 の攻撃 開 始 は 一月 中旬 であ り ま す か ら、 之 に呼 応 し て廣 東
ま し た。 そ こで中 支 方 面 軍 か ら上 申 し て来 た作 戦 計 画 により ま す れ
東 方 面 に 一部 隊 の行 動 を や ら せ たら効 果 は あ る だら う ⋮⋮ 斯 う考 へ
南 京 攻略 と共 に敵 を参 ら せ た い、之 が為 に は同 時 に小 さく と も廣
河邊
の では な い の です か 。
て上海 に持っ て行っ た ら敵 は手 を 上げ る だら う と いふ考 へが あっ た
な い のです か⋮ ⋮ 当時 山 東 問 題 が あっ たや う です が、 之 も振 り切っ
其 の気 分 は 東 京 で も現 地 でも同 じ やう に持っ て居っ た の では
殿下
殿下 そ れ は 矢張 り南 京 攻撃 を や る か やら ん か と いふ こと が根 本 問
あ の決 心 は何 時 です か 。
河邊 題 から 論 議 が あ り まし たか ら ⋮ ⋮。
南 京 攻 撃 に 一番 不同 意 だっ た のは多 田次長 です 。積 極 的 な考 へを し て居っ た のは 部長 で ﹁私 が見 て来 て やらう ﹂ と いふ意 見 であ り ま
つと前 から 南 京 は や る ベ き であ る と い ふ意見 で あり ま し た が 、軍 そ
し た。 次 長 は ﹁ 戦 面 を拡 大 し て は不 可 ぬ⋮ ⋮此 の蘇 州 、嘉 興 の線 す
のも のの能 力 如 何 の見 方 は現 地 で得 た印 象 か ら部 長 より も稍 々低 く
な る ことを 考慮 し 、十 二月 二十 五 日頃 に南支 作 戦 を やら う と い ふ考
る衝 撃 力 は相 当 に強 いだら う 、 そ こ で南 京 攻撃 が計 画 よ り稍 々早 く
へであ りま し た ⋮ ⋮ 二十 五日 の ﹁ク リ ス マス﹂ の朝 やら う と いふ考
戦 ではあ りま し た が 、南 京 攻撃 と相 前 後 し て や る なら げ敵 側 に与 ふ
ら れ ま し た が、 ﹁ただ 現 地側 の強 硬 な意 見 に動 か さ れ て大 局 上 の 不
へであ りま し た 。作 戦 問 題 に関 し て私 の やう な 下級 のも のに総 長 殿
あ り ま し た。 然 し 帰任 後 現 地 の意見 に従っ て、 そ れな ら直 ぐ に やら
利弊 害 を忘 れ て は不 可 ぬ﹂ と いふ次 長 の御 意 見 で、仲 々お 許 し が な
下 が直 接 に仰 せ にな り ま した のは唯 一回 であ り ま し た が⋮ ⋮ ﹁南 京
う と 部長 の意 見 に賛意 を表 し ま し た 。部 長 は度 々次 長 に章 見 を述 べ
って、 二 十 六 日 次長 の名前 で内 報 を 出 し た の です が ⋮ ⋮ それ が為 に
い の です 。併 し執 拗 に部長 が意 見 具 申 を さ れ た の で遂 に御 採 用 にな
よ り も前 に やら な く ち や不 可 ぬ よ﹂ と仰 せ にな り まし た。 そ れ で其
も 一月 も早 く 取 れ て仕 舞っ た のです 。
の つも り で準 備 を進 め て居 り ま す る と 、幸 か不 幸 か南 京 は 予定 より
遅 れ て居 り ます 。然 し 其 の時 も次長 は非 常 に躊躇 さ れ まし た 。 私 が 上 海 へ参 りま し て 音楽 学 校 々舎 を利 用 し て あ り まし た軍司 令 部 で武 藤 副長 と話 を し た時 、雑 談 に副 長 は ﹁南 京 を やっ た ら 敵 は参
そ れ でも南 支 作 戦 は意 味 が あ る、首 都 の攻 略 によっ て敵 には勿 論
後 から 色 々雑 音 は聞 きま し た が ⋮ ⋮突 然 或 る日 、海 軍 の作 戦
せ う が ⋮ ⋮ あ れ に就 て何 か ⋮⋮ 。 河邊
部 で大 い に研究 し た結 果是 を認 め る こと に なっ た から 、陸 軍 も 同 意
︹福留繁 ︺
内外 に対 す る刺 戟 は大 き な も の があ、
は方 面 艦 隊 か ら参 謀 が軍令 部 へ中 止 の意 見 具 申 を 持っ て来 て、 軍 令
課長 が中 止 又 は延 期論 を持っ て来 ま し た 。彼 の言 ひま す のに は 、実
和 問 題 も ほ の見
え て来 た やう であ り 、 此 の時 機 に決行 す る のは益 々成 果 を 大 き くす
ぼ つ〓媾
る所 以 だ と考 へま し て 、 そ の儘 予 定通 り や る つも り で居 り ま し た所 が 、そ れ がす つぽ り や め る こと になっ た の であ りま す 。
し て呉 れ と 云 ふ の で あり ま す。
丁 度 あ の際 に ﹁パネー 号 ﹂ 事 件 な ん か が あっ た が ⋮ ⋮ そ れ に
殿下
関 係 し て です か 。
今 の南 京 と南 支 は策 応 し て考 へて居 ら れ た の です が ⋮ ⋮之 を
殿下
河邊
矢張 り之 は 補給 路 の遮 断 と いふ意 味 であ りま す 。 揚 子 江 口を
策 応 せし め る目 的 は どう いふ所 から 生 れ て来 た のです か。
さう い ふ こと が 矢張 り 海 軍 の方 に影響 し て居 る と思 ひ ます 。 海 軍
は い、 さ う です 。
河邊
の出 先 から意 見具 申 を述 べ て来 て中 止 さ れ た と い ふ こと に なっ た の
け塞 がう と い ふ の であ り ます 。 然 し其 の時 には戦 面 が広 いも のです
完 全 に封印 し、 首 都 を陥 れ、 同 時 に南 方 の大 切 な呼 吸 口を塞 げ る だ
か ら作 戦 上 の技 術 的 に も容 易 な 作戦 で はあ り ま せず 、 仲 々困難 な こ
殿下
陸 軍 の方 の実 際 の目的 は航 空 基 地 の占 領 と いふ にあっ た の に、
海 軍 の意 見 具申 が之 を 促進 し た動 機 に なっ て居 り ます る か。
其 の航 空 部隊 の主 力 たる海 軍 が反 対 し た ら 目的 の達成 が出 来 な く な
であ り ます 。
殿下
海 軍 は、 当初 か ら此 の作 戦 に は非 常 な乗 気 では あ り ま せ ん。
と があ り まし た 。
河邊
った と いふ こと に な る の です か。
殿下
あ の ため に の御 前 会 議 は あ りま せ ん 。
あ の ため に御 前 会 議 を し て居 りま せ ん か。
あ り ま し た。
せ ぬ前 には ﹁労 効 相償 は な い﹂ と いふ やう な第 三課 の反 対的 意 見 で
か ら私等 が主 張 し て居 り まし た時 、即 ち 私 が ま だ作 戦 を 分担 致 し ま
河邊
はな い の です か 。
殿下
河邊
殿下
海 軍 が 同意 し たけ れ ど も、 後 でま だ ぐず〓
は い、 さう です 。
其 の発意 は陸 軍 です か 。
の褌 で相撲 を と る と い ふ こと に な る の です 。
航 空 部 隊 の主力 は海 軍 のも の を胸 算 し て居 りま し た ⋮ ⋮ つま り 人
は い、 さう です 。
南 支 作戦 は矢 張 り 之 は戦 争指 導 課 あ た り の主 張 に依っ て共 の機 運 が
河邊
河邊
あ の⋮⋮ 南 支 を や る こと は海 軍 其 のも のは初 め は 同意 し て居
る やう になっ てか ら之 を や るや う に具 体 的 に進 んだ と思 ひ ます 。 前
向 い て来 た と思 ひます 。 生 意 気 な申 分 です が 、私 が作 戦 を も分 担 す
殿下
⋮ ⋮ さ う いふ風 な こ とが 先 入主 になっ て居 つたと 思 ひ ます 。
陸 軍 の作 戦 を何 か拘 束 し た いと いふ意 向 があっ た と思 ひま す
し て居っ た訳 で
る の です が ⋮⋮ そ れ を止 め る に至っ た動 機 は色 々其 の理由 は あ る で
又私 の実際 の考 へでは 、陸 軍 に はそ れ だ け の航 空 兵 力 の余 力 が今
竝べ てど う し ても 実 行 は出 来 な いと 言 ひ 、中 止 が無 理 な ら少 し ﹁ホ
私 は 斯 う し た大 問 題 を自 分 の 一存 で ﹁イ エス﹂ と も ﹁ノー ﹂ と も
トボ リ﹂ の冷 め る迄 延 期 し て呉 れ ぬか と 云 ふ の であ り ます 。
一部 と 共 に、九 龍 鉄 道 の遮 断 を行 ふと 共 に廣 東 への脅 威 を与 へる程
た訳 です が 、実 は諸 部 隊 は 二十 二日 に高 雄 附 近 に待 機集 合 す る為 に
言 へぬか ら 、兎 に角 一応 上 の方 へ海 軍 の意 向 を報 告す る と答 へま し
は と ても な いか ら、 陸 軍 部隊 で航 空 基 地 を確 保 し 海 軍 の航 空 部 隊 の
まし たが 、出 先 で は航空 の威 力 と い ふも のは そ んな に強 いも の ぢ や
既 に航 海中 の こと であ り ます 。 延 期 と言っ て何 時迄 と い ふ基 準 も得
度 に考 へて居 り まし た 。海 軍 の中 央 の方 では当 初 同意 し て事 を進 め
なし 、 又 此 の香 港 真 近 で ﹁パ ネー ﹂ 号 式 飛火 は避 け難 い、如 何 に注
い ふ案 で ⋮ ⋮課 の者 と相談 をし て、 そ れ を次 長 に申上 げ まし た (当
ら れな い次 第 で あ りま す か ら、 私 は 第 一案 決 行 、 第 二案 は止 め る と
時 部 長 は病 気 で休 ん で居 り まし た) 所 が 、次 長 も 大 いに困 惑 せ ら れ
りま す 。 又海 軍 中 央 でも 、陸 軍 は当 初 の言 ひ出 し は 如何 様 に あ らう
た 結 果 や は り第 一案 決 行 、第 二案 中 止論 で海 軍 の次長 と も協 議 せ ら
意 を加 へても不 慮 の事 件 は保 証 が出 来 ぬと言っ て来 た ら し いの であ
と も き つと其 の中 に廣東 方 面 に戦 場 を 拡 大す る下 心 が あ る のだ と心
れ ま し た が 、私 等 課 長 相互 の話 と 全 然同 様 であ り ます し 、聞 け ば本
そ れ が止 め になっ た時 に、 中 止 か延期 か と云 ふ こと の真 相 は
殿下
日 宮 中 で両 総 長 殿 下 がお会 ひ の機会 が あっ たら し く 、其 の際参 謀 総
配 し て居 た やう であ り ます 。
ど う です か。
長 は直 接 軍 令 部 総 長 に御 同 意 を 表 さ れ た と 云 ふ こと も聞 きま し た。
軍 令 部 と が非 常 によ く研 究 し た結 果 、総 長 殿 下 も之 を や め る こと を
し た 。其 の理 由 を 聞 き ます と⋮ ⋮ 其 の経 緯 は、 方 面艦 隊 と さう し て
ふ こと は余 り に潔 癖 にす ぎ る⋮ ⋮ そ れ から 止 め て第 十 一師 団 を満 洲
し た が 、併 し 結 局 私 が軟 弱 で大勢 に引 き 摺 ら れ 、作 戦 を 止 め る と い
て復 員 し て仕 舞 ふ と 考 へ、 これ は課 内 で井 本 大尉 も主 張 し て居 りま
いふ こと とし そし て第十 一師 団 を満 洲 に転 用 、 重藤 支 隊 は 現 地 に於
そ こ で先 づ実 行 は せ ぬ こと に決 め ら れ、 全 然 此 の際 この作 戦 を中 止
中 止 か延 期 かと 云 ふ こと が問題 にな りま し た 。
是 と し て御 決 裁 になっ た と斯 う いふ こと を話 し ま し た。 私 は 今 に及
に や る こと は 支 那軍 に対 し ても恰 好 が悪 いと いふ の で、 一時 的 中 止
さ つき も申 し ま し た が 、 そ れは 十 二 月 二十 日頃 だ と思 ひま す 。 軍
河邊
ん で之 を云 ふ彼 に対 しま し て頗 る意 外 の旨 を述 ベ ます る と共 に ﹁パ
延期 と いふ こと に致 しま し た 。此 の意見 を 次長 に申 上 げ て承 認 を経
令 部 の課 長 が来 ま し て ⋮ ⋮タ 方 であ り ま し た が⋮ ⋮何 時 も笑っ て来
ネー ﹂ 号 の如 き問 題 も最 初 から吾 々は十 分 に考 慮 し、 従っ て統 帥 命
があ り 、私 は此 の際 あ てど もな く 延 期 な ぞ とは 言 はず ﹁止 め る﹂ と
令 に不 必 要 と す る制 限 な ど ⋮ ⋮ つま り詳 し い指 示 が出 さ れ て居 りま
た る上 海軍 にも通 告 し 、直 ち に臺 湾 軍 に は ﹁別 命 あ る 迄 発 進 を 待
す る こと にす る か又 は 一時 延 期 と いふ こと にす る か は課 内 でも議 論
す ⋮⋮を附 け ら れ で あ る のぢ や な い か、 そ れ を今 更 お かし いで はな
て﹂ と いふ大 作 命 を出 す こと と せら れ 、各 部 隊 は臺 湾 に上 陸 す る こ
る男 が其 の時 は不 愉 快 な顔 をし て⋮ ⋮今 の中 止 の問題 を言っ て来 ま
い か と頻 り に述 べ まし た が、彼 が英 と米 と 合同 海 軍 力 の こと な ぞ を
りま す の で 、弾 丸 の比率 即 ち 軽 砲 と重 砲 、榴 散 弾 と榴 弾 と いふ やう
れ る位 に弾 丸 の準 備 は出 来 て居 り ま せ ん でし た 。 又 あゝ 云ふ戦 で あ
此 の作 戦 に就 て熟 慮 し 準 備 し て
と になっ た の で あ りま す 。 も と〓
な 比 率 は 、前 に考 へら れ て居っ た のと は金 然 違っ て現 は れた や う で
海軍 に同 意 を さ せ た が、 真際 に及 ん で斯 う いふ非 常 に拙 い ことと な り 洵 に申 訳 な いと自 責 の念 にか られ ま し た 。
あ りま す 。勿 論 研 究 さ れ て居っ た こと で は あ りま せう が 、あゝ いふ
其 の後 遂 に海 軍 の方 で は や る決 心 をす る に至 ら な かっ た の で
殿下
其 の頃. 海 軍 は青 島 に問 題 が あっ たと 思 ひ ます 。
之 は私自 身 も驚 いた こと であ りま す が 、 小銃 が足 ら な く なっ て参 り
団 や部 隊 を作 ら なけ れ ば な ら な いと いふ こと にな り ま し た時 にも 、
そ れか ら南 京 が済 ん で爾 後 逐 次 軍 備 の充実 、 つま り 漸 次新 し い師
りま す 。
た の であ り ます 。 実 際 に於 て非 常 に其 の準 備 が足 ら な かっ た の であ
特 別 の上海 の作 戦 に応ず る やう な も のが事 実 の上 に出 来 て居 な かっ
結 局 私 の在 任間 には再 興 の論 も 起 り ま せ ん でし た 。 と も かく
す が、 之 はど う です か。 河邊 海 軍 は無 線 電 信 一本 で直 ち に中 止、 再 興 は出 来 ます が、之 式 に陸 軍
殿下
さう であ るか も知 れま せ ん が 、私 は そ れ と関 係 があ る と は考
の統帥 指 揮 を考 へて やっ て来 ら れ る と実 に困 る の であ り ます 。
河邊
まし た。 ま さ か小 銃 がと 思っ て居 りま し た が 、之 が 一番 先 に足 ら な
のは余 り に貧弱 な る こと の暴露 で 、戦 争 が始っ た許 り に いき な り学
が 、之 には陸 軍 省 でも 不 賛成 で あ りま し た し 、私 も それ を引 上 げ る
そ れ で中 学校 の教 練 用 の小銃 を引 上 げ るか と いふ話 も あ り まし た
いと 云 ふ事 実 が現 はれ て来 ま し た。
へま せ ん が⋮ ⋮ 。
一九 、 出 師 準 備
出 師 準 備 と いふ も の に就 ては非 常 に不 足 だっ た と いふ ので あ
校 教 練 用 の小銃 を引 上 げ ね ば な ら ぬと い ふ こと は、 国 民 に対 し ても
殿下
り ます が 、特 に どう いふ点 が悪 かっ た或 は 将 来 ど う いふ点 を 注意 し
た 。其 の外 に存外 軽 易 な武 器 に於 て方 々 で不足 を生 じ、 而 も そ れ が
こと になっ た やう であ りま す 。
どう も適 当 でな いと思 ひま し た 。 そ んな こと で外国 から 買 ふ と い ふ
軍 需 動 員 の未 だ十 分 整 備 され て居 ら ぬ時 期 に要 求 さ れ て来 ま し た も
弾 丸基 数 あた り は 、余 程 前 です が前 の欧 州大 戦 の直 後程 なく
な け れば な ら な いかと いふ お考 に就 て何 か⋮ ⋮ 。
のです から 非 常 に心配 さ せら れ ま し た。 其 の頃 の こと は誰 か 御進 講
河邊
のな ど も決っ て居っ た の です が 、事 実 はそ れ に応 ず る現 物 が出 来 て
作 戦準 備 研 究 委 員 会 と か い ふも のが出 来 て居 りま し て 、今 の航 空 本 ︹ 率道︺ 部 の鈴 木 中 将 等 が中 心 に なり ま し て研 究 せら れ弾丸 の基 数 と い ふも
申 上 げ たと 思 ひ ま す が、 今 の燃 料 廠 長 、 当 時陸 軍省 の戦 備 課長 長 谷
当 時 野 砲 の余裕 は あ りま し た 。特 に 三八 式 野 砲 は残っ て居 り まし
いふ こと を発 見 し ま し た 。 それ で兵站 の連 中 は 大 いに悲 鳴 を 挙 げ ま
川 大 佐 が やっ て来 て ﹁自 分 でも自 信 を有っ て居 た軍 需 動 員 が職 工 が
居 らな い⋮ ⋮ 又共 の基 数 に依っ ては上 海 の戦 線 で は非 常 に不足 だ と
し て、 も う 一ケ月 も 大場 鎮 の占 領 が遅 れた ら 大変 だっ たら う と思 は
に動 か なく なった ﹂ と申 し ま し た 。斯 んな 状 態 が開 戦 後 二 ・三 ケ月
思 ひ 以上 に多. 数 召集 さ れ た為 に田舎 の工場 あ た り は と ても 予 定通 り
経って か ら判 りま し た 。
二 〇 、 対 ﹁ソ﹂ 判 断
出 来 ぬ と い ふ やう な こと で思 ひ 通 り に は参 り ま せ ん でし た。 さう い
ど も 、矢 張 事 務 的 には聯 隊 区 司令 部 で急 に大 き く 切 り換 へる こと は
な る者 に は多 少 手 心 を加 へる考案 を立 て ると 申 し て居 りま し た け れ
か と言 ひ まし た所 、今 の規 則 上 急速 に改 変 は出来 な い。 併 し 今後 主
で早速 動 員 主 務 課 の方 へ何 ん と か之 を もう 少 し緩 和 す る方 法 は な い
す 。 そ れ で当 初 先 づ 必要 な 武 器 関係 の軍 需 工 場 に欠 陥 が出 て来 た の
と いふ こと をし た関 係 で今 日 も 非常 に方 々 で困って 居 る やう 聞 き ま
す 。斯 う い ふ風 に民 間 工場 の職 工 を 一も 二も な く兵 隊 に取 り 上 げ る
る と申 し た い の であ り ます 。 又 相当 な考 へがあった とし ても そ れ に
じ ます 。 当 時 吾 々は ﹁ロシ ア﹂ に対 す る認 識 が足 り な かった のであ
が至 当 で あら う と 思 ひ ます るし 、 又 そ れも 可 能 で あった ら う か と存
河邊
と いふ問 題 に対 し て は如 何 にお 考 へに なり ま す か 。
支 那事 変 を完 遂 す る為 に思 ひ切って 執 るべ き 方 法 が あった か どう か
極 的意 味 でも つと 速戦 即決 に持って 行 く と か、或 は対 ﹁ソ﹂問 題 を
支 那 に対 し ても 積 極 的 な意 味 でなく て 二正 面 作 戦 を避 け ると いふ消
拡 大方 針 を捨 て切 れ な かった と いふ ことは あ り ま せ ん か︱
です が 、其 の結 果 が悪 い言 葉 で言 へば兵 力 の逐 次使 用 にな り あ の不
そ れ から 対 ﹁ソ﹂関 係 を 終始 考 慮 し 心 配 し て居 りま し た やう
さう い ふ こと は
殿下
ふ風 に人 員 の関 係︱
今後 は あゝ いふ こと は大 い に考 へら れ るだ らう と期 待 し て居 り ま
此 の武 器 弾 薬 の こと に見 ま し ても兎 に角 大 規 模 の戦 争 を 行 ふ態 勢
の課 長 を やって 居 り ま し た の でさう い ふ こと を 最 も よく 考 へなけ れ
徹 底 す る だけ の用意 が吾 々 にな かった の であ り ます 。私 は戦 争指 導
た時 代 の印 象 から 前 にも申 上 げ ま し た と思 ひ ま す が、 ﹁ロシ ア﹂ は
ば な ら ぬ立 場 にあった のであ り ます が 、私 は 前 に ﹁ロシ ア﹂ に居 つ
私 は今 から そ れ を思 へば後 の方 で殿 下 が仰 せ ら れま し た こと
。即 ち
︱ 準 備 的 事 項 が整って 居 な い の に戦 が始った と いふ こと は 言 へる
之 を や ると いふ案 を 出 し ま し て も恐 ら く実 際 は そう は出 来
大丈 夫 だと 思って 居 り ま し た。 そ れ は ﹁ロシ ア﹂ は 日本 が南 の方 即
動 員 の組織 と言 ひま す か︱
ので あ り ます 。 でご ざ いま す から実 際 思 ひ切って 相 手 を敲 かう と い
出 し て終 には ど
ふ案︱
な かった だら う と考 へら れま す 。 だ か らち びり〓
ち 支那 に向 ふ こと は喜 ん で居 ると信 じ て居 た から で あ りま す 。併 し
輸 送 力 の関係 で兵 力 を 一遍 に持って 行 け な かった と いふ こと
う し て も やら な け れ ば なら な いと云 ふ こと になった と思 ひま す 。 殿下
さ う は思 ひ乍 ら も 万 々 一立って 来 た ら 日本 は 非 常 に困 ると いふ不 安
感 的 の心 理 が働 い て居 り まし た 。 そ し て当 時若 し も ﹁ロシ ア﹂ が立
私 は輸 送 力 の関 係 で或 る限度 し か送 り得 な いと い ふ こと は聞
河邊
は あ り ま せ ん か。
き ま せ ん でし た 。
以 上 に内 容 を 知 り 過 ぎ て居 り ま し た ので心 配 が多 く後 髪 を 引 か れ る
った 場 合 に日 本 の軍備 態 勢 は ど う な る かと い ふ こと に就 て私 は必 要
いと 云 ふ私 自身 そ れ を認 め て居 た のは事 実 でご ざ いま す 。当 時 一般
思 ひ であ り ま し た から 、結 局何 れ にも 徹 底 し た意 見 を 立 て得 ら れな
。﹁ロシ ア﹂ の出 て来 る公算 が 頗 る 多
の人 は私 個 人 よ り も も つと 余計 に ﹁ロシ ア﹂ を恐 ろし く 見 て居 ら れ た のでな いか と思 ひま す︱ 殿下
二 一、 中 支 に 対 す る 観 察
今 と関 聯 し て北 支 では敵 を逐 ふ て段 々南 下 し て行 く 当時 に不
こと は 判 り ま す が、 之 は結 果論 とし て寧 ろ 初 め か ら対 支 作 戦 の重 点
拡 大 と いふ点 か ら上 海 への飛 火 を努 め て避 け る やう にし て居 ら れ た
は中 支 であ る 、依って 作 戦 重 点 を中 原 に置 く こと に依って 敵 を参 ら
斯 う いふ風 に見 て居 ら れ た人 の方 が 多 かった と 思 ひ ます 。 そ
す と い ふ こと が出 来 ると 云 ふ考 へから 、 中 支 に主 力 を持って 行 けば
い︱
治 問 題 に強 硬 な態 度 を執って 居 りま し た か ら此 の際 積 極 的 に出 て来
れ は然 し 大 体 の観 念 論 から であ り まし た が 、 そ れ迄 ﹁ロシア﹂ は政
シア﹂ に対 す る態 勢 を出 来 る だけ 崩 さ な い程 度 に於 てや らう 、 又其
る だ らう と いふ判 断 をし て居 る向 は相 当 にあ り まし た 。 そ れ で ﹁ロ
河邊
万事 控 目 で︱
。戦 面 不 拡 大 と いふ根 本 観 念
し た 。 そ れ は作 戦 的 の意 見 で あ りま す が 此 の意 見 には 吾 々は同 意 し
揚 子 江 の遡 江 作戦 、連 雲 港 、海 州 上陸 を や れ と い ふ意 見 も あ りま
ふ こと を言 ふ人 も 居 りま し た 。
私 の方 で は さう いふ考 案 はし て居 り ま せ ん 。
但 し稍々 あ と になって か ら で はあ りま す が 一部 の意 見 と し て さう い
北 支 の敵 は寧 ろ後 へ退 ると いふ考 案 はな かった のです か。
の程 度 に於 て支 那 を や つ つけ やう と いふ考 へ方 が支 配的 で あった と
って ﹁ロ シヤ﹂ が入って 来 たな ら ば 此方 は守 勢 を 取 る の肚 を決 め 関
申 し 上 げ た いの であ り ま す 。其 の時 にも つと徹 底 し た考 を持って 居
やった 方 が良 かった かと も思 ひま す 。
東 軍 の貯蓄 し て居 る武器 弾 薬 を 支 那 に廻 は し て来 て徹 底 し て支 那 を
斯 様 に ﹁ロシ ア﹂ と支 那 とを 両 天 秤 に か け てやって 来 たと い ふ こ
も申 上 げ ら れ ま せん ⋮ ⋮ 。其 の時 の実 際 の輸 送 関 係︱
於 ては私 は中 支 を 初 め か ら や れた かど う か と いふ こと も結 果 論 的 に
から 手控 へをし たと いふ のが至 当 であ ら う と思 ひ ます 。併 し実 際 に
な いで居 りま し た︱
を 消 耗 し 向 ふ に抵 抗 力持 久 力 を つけ て仕 舞った のだ と言 ひ た い の で
能 力 と いふ こと がど う いふ風 になって 居った か も 判 り ま せ ん か ら
と が蒋 介石 を し て日 本 の足 許 を 見 透 さ せ て仕 舞 ひ、 此方 も逐 次 戦 力
す が、 之 を流 行 の新 聞用 語 で申 し ま す る電 撃 的 に やれ ば或 は 之 は た
⋮ ⋮ は つき り其 の点 に就 て は申 上 げ ら れ ま せ ん 。
実 際 の輸 送
ま ら ん と いふ気 になって 前 の媾 和 問題 も も つと 巧 く行った かも 知 れ
中 央 の方 針 と し て自 主 的 に長 期 に亙 る根 本 計 画 と いふ も のは
二 二 、 長 期 に亙 る 根 本 計 画
ま せ ん 。兎 も角 国防 の実 力 と其 の機 構 態 勢 に於 て侍 む 所 が少 く ては は つき りし た考 へを定 め て進 み 得 な い も の であ る こと を熟 々考 へさ せら る ゝ次 第 であ り ます 。
殿下
不 拡 大 、 現 地 解決 と い ふ こと を初 め は方 針 と し て居 り其 の後 も 不
ど の程 度 に立 てゝ あった の です か。 殿下
不 拡 大 方針 で やって 行 く と いふ場 合 に於 ても若 し かす る と そ
前 途 を楽 観 し て居 た のであ りま す 。
れ が長 期 持 久 にな る と い ふ こと は考 慮 せら れ ると 思 ひ ます が、然 ら
ば其 の長 期 持 久 に対 す る計 画 と い ふも のは どう でし た か 。
拡大 と いふ方 針 を堅 持 せら れ て居 り ま し た が此 の不 拡大 と い ふ こと
河邊
或 る時 期 から は戦 争指 導 上 の見 地
は希 望 と見 る べき であって︱
に於 て特 に対 内 的 人 心統 一の観 点 か ら長 期 持 久 の覚 悟 を要 す る こと
其 の心組 み の下 に出 来 た の であ り ま
せう し、 国 家 総動 員 法 にし ろ 企 画院 或 は資 源 局 の調査 及 作 業 にし て
今 の軍 需 動 員 計画 は もと〓
皆 さう いふ点 に就 て、︱
拡大 と いふ希 望 と 同時 に拡 大 す る こと あ る べき 事 実 に即 し た方 針 が
を言 ひ出 し ま し た が 、併 し 長 期持 久 に対 応 す る為 に具体 的 の問 題 に
所謂不
あって 然 る ベ き では な い か と考 へる ので あ りま す 。 所謂 北 支 処 理 方
ど れ丈 の準 備 を せ ら れ たと い ふ こと は余 りな かった の で あ りま す 。
相 手 のあ る問 題 です か ら︱
あ れ が唯 一の当時 の方 針 であ り ます 。 そ れ で希望 と同 時 に之
河邊
針 と いふ も の はあ り ま す が あゝ し た も のが他 にも あった のです か。
が方 針 にな りま し て不拡 大 と い ふ こと か ら兎 に角 此 方 側 と し て も戦
も追 々進 ん では来 て居 た の であ り ま し た が、 ほん と の長 期 戦 準備 に
斯 う い ふ こと が殆 ど原 則 に
な り ま し て︱
れ ま せ ん。
就 て具 体 的 に何 処 を どう し た と いふ こと は 私 は は つき り申 し 上 げ ら
殊 に之 は多 田次 長 は 其 の方 針 を堅 持 し て居 ら れ まし
て、南 京 に行 く こと な ぞ非 常 に躊躇 さ れ ま し た位 であ り ま す から 、
争 を拡 大 し な いと いふ考 へ方 で やり︱
此方 か ら進 ん で大 き な手 を打 つと いふ こと は努 め て避 け 止 む を得 ざ る に及 ん で逐 次 に拡 げ て行 く と いふ こと に なった ので あ り ます 。 従
二三 、 上海 派 遣 軍 と 第十 軍 に就 て
殿下
の半 年 と其 の次 の半 年 と い ふ具 合 に半 年 づ づ刻 ん で居 り ます 。 そし
って 長 期 に亙 る計画 と いふ も のは な く先 づ さき に申 し ま し たと ころ
て第 三期 の半 年 と いふ も の も当 初 は 曲線 の下 るべ き も のと し て立 案
は第 十 軍 の派遣 と い ふ こと に依って 上 海 派遣 軍 が戦 場 心 理 上焦 り出
へた の であ りま し て当 時 の こと を憶 ひ出 し て見 ま す れ ば吾 々も 亦 何
持って 行った 局 面 には 四分 の 一師 団 で賄 はう 、 又賄 へる だ らう と 考
河邊
殿下
は い、 さ う です 。企 図 と し て 一年 も たった な ら今 迄 一師 団 を
そ れは 企 図 です か。
松 井 軍 だ け で は大 場 鎮 は抜 き 切 り得 ず 、遂 に柳 川 軍 の作戦 を行 は る
げ る材 料 は あ り ま せ ん。 今殿 下 が仰 せら れ ま し た やう にど うし ても
河邊
で始 終 色 々な問 題 があった と 思 ひ ます 。其 の点如 何 です か。
ら其 の後 の上海 派 遣 軍 の企 図 と第 十 軍 の進 出 方向 と い ふや う な関 係
し たと いふ感 を 呈 し て居 るや う に思 ふ の であ り ます が⋮ ⋮ 又 そ れ か
それ か ら さ つき大 場 鎮 の時 のお話 に出 た のです が⋮ ⋮ 此 の時
し た の であ り ま す 。
ぼ何 で も 一年 も 過 ぎ た なら ば 先 づ 大体 守 備 的 占拠 に必要 な兵 力 を 出
此 の点 即 ち松 非 軍 の心 理 は私 の記 憶 に残って 居 る こと を申 上
し て置 いて事 が済 む だ らう と 、 そ こに仰 せ のや う に希 望 に捉 は れ て
ゝに至った と いふ こと は 松 井軍 に とって は非常 な苦 痛 であった ら う と は思 ひま す 。 だ が元 々第 十軍 は松 井 軍 を刺 戟 す る為 に出 され た と いふ やう には伺って 居 り ま せ ん ⋮ ⋮第 十 軍 は 上 り まし て非 常 に調 子
と であった と申 し た いの で あり ま す 。
ん が敵情 を過 大 視 す る 、 さ う いふ気 分 が あ る やう に思 は れ ま し た。
非 常 に疲 労 し て居 ら れ る と感 じ まし た⋮ ⋮ 。言 ひ過 ぎ かも知 り ま せ
って 居 り ま し て も志 気 は 寧 ろ沈 痛 と い ふやう な風 で 一方 か ら 言 へば
居 りま し た が ⋮ ⋮今 言 ふ と怒 ら れ る かも 知 れ ま せん が、 追撃 戦 に な
し た やう に、当 時 飯 沼 参 謀 長 の下 に西 原 大佐 、川 上 中 佐 等 の人 々が
即 ち 上 海 派遣 軍 の司 令 部 に私 が参 り まし た当 時 の印 象 は申 し 上 げ ま
あ りま し た 一方 松 井 軍 ⋮ ⋮ 方 面軍 で は あ りま せ ん⋮ ⋮ 。 元 の松 非軍
仕 向 け た の であ る か今 も 一切存 じ ま せん 。 疑問 で居 りま す 。 只 之 は
支 那 側 にあ る のか 日本 側 にあ る の か、 若 し 日本 側 とす れば 誰 が之 を
河邊
判 り ま せん でし た が ⋮⋮ 。
殿下
と は誰 か殿 下 に申 上 げ た人 があ り ま す か 。
題 で あ りま す 。 ﹁ト ラ ウ ト マ ン﹂ が あ そ こで 口出 し を し た と 云 ふ こ
河邊
二 四 、媾 和 問 題
それ に反 し て第 十 軍 は南 京 追 撃 の決 心 な ど非 常 に威 勢 の良 いも の で
全 く お含 み にお聞 き願 ひ度 いと思 ひま す こと は 、 次長 が私 に起 案 を ︹ 浩︺ 命 ぜら れ た も ので当 時 伯 林 の大 島 武 官 (当 時 は未 だ駐 独 大 使 にあ ら
そ れ から後 、前 にも 申 上 げ まし た ﹁ト ラウ ト マ ン﹂ の媾 和問
あ りま し た 。経 過 した戦 況 が部 隊 及 司 令 部 の爾 後 の心 理 に大 に影 響
ず ) に電 報 を打った こと が あ りま す 。 当 時 部長 は石 原 少 将 であ り ま
よく 参 りま す し 、す べ て の意 見 は極 め て積 極的 且威 勢 のよ いも ので
す るも の であ る こ と がよ く判 る と思 ひま す 。併 し 何 し ろ あ れ だ け の
し た が次長 から の電 報 と し て ﹁適 当 ナ時 機 ニ︱
でお 出 にな る其 の時 に ﹁ 何 か課 長︱
から聞 く ことは
見 て参 り ま し た から 私 は僣 越 で あ りま し た が朝 香 宮 殿 下 が軍 司 令 官
ぬや う に思 ひ ます 。 又 どう いふ工 作 を せ ら れ た か も存 じ ま せ ん 。其
も の であ り ま す。 当 時 大島 武 官 から は そ れ に対 し て返電 は来 て居 ら
呉 レ ル気 ガ ア ルカ ナイ カト 云 フ コト ヲ知 リタ イ ノ ダ﹂ と云 ふ意 味 の
ナ時 機ニ 支 那 ト媾 和ニ 入 リ度 イ ガ ﹁ド イ ツ﹂側ニ 此 ノ斡 旋 ヲ ヤ ツテ
日本ニ 取 ツテ有 利
私 自身 ﹁ト ラ ウト マン﹂ が仲 介 に出 る や う になった 出 発 点 が
いや 、 あ り ま せん 。経 緯 に就 ても 色 々電 報 を見 ま し た が よく
ては 誰 も彼 も同 情 は致 し て居 り まし た 。 さう い ふ風 な 状 況 を現 地 で
苦 戦 を し て 一日 に百 米 づ つし か前 進 出 来 な かった 上海 派遣 軍 に対 し
な いか﹂ と の御 下 問 が あ り まし た から ﹁ 悪 口を 言 ふ ので は あ り ま せ
の後 私 が伯 林 へ行 き ま し て から 何 の話 も聞 き ま せ ん でし た 。 さう い
部長 代 理︱
に非 常 に疲 れ て居 るやう で あ りま す か ら お含 み の 上 御 督 励 頂 き た
ん が⋮ ⋮率 直 に申 し て殿 下 の隷 下 に入 り ます 兵 団 も司 令 部 も身 心 共
い﹂ と 云 ふ ことを 申 上げ ま し た。 当時 は そ れ以 上 に支 那 軍 も苦 し か
少位 は知って 居 ら れ るか も知 れま せ ん が ⋮ ⋮。 そ こ で之 と の関 係 の
ふ こと は極 く内 緒 で⋮ ⋮石 原 部 長 、 多 田 次長 ⋮ ⋮私 と 三 人 し か知 つ ︹鐡蔵︺ て居 ら ぬ こと と思 ひます ⋮ ⋮。 或 は 中島 少 将 ( 当 時 総 務 部長 ) も少
ったも のです から 段 々退 却 し て支 離滅 裂 にな りま し た ので、 矢 張 り 、 何 ん と言って も 追 撃 し な け れば な ら な いと決 め ら れ た のは至 当 の こ
使 を 通 じ て媾 和 条 件 の問 題 があ る 日本 側 は斯 う 云 ふ条 件 を出 し て居
カ﹂ の領 事 か公 使 かが ﹁今 、 日 支 の間 に ﹁トラ ウ 卜 マ ン﹂ 駐 支 独大
ラウ ト マン﹂ の問 題 を知 り まし た 。 そ れ は 南 京 に居った
﹁ア メ リ
有 無 は 不 明 です が其 の後 ズ ツ ト遅 れ て私 は外電 の傍受 で始 め て ﹁ト
で あ り ます 。
陥 る か ら多 少 の不満 を忍 ん でも媾 和 成 立 に導 く べ し﹂ と 云 ふ考 へ方
使 を や る べし ﹂ と 云 ふ考 へ方 と ﹁ 此 の時 機 を 失 し たら愈 々長 期 戦 に
った 強 い条 件 を出 し て へこま す か聴 従し な け れ ば更 に強 力 な武 力 行
持 に於 て 二 つの考 へ方 が対 立 し た と思 ひま す 。 即 ち ﹁敵 が弱気 にな
多 田次長 は あ と の方 の考 へ方 で非 常 に強 硬 な意 志 を 以 て 、ど う し
る ﹂ と言って 数 ケ条 の案 件 の電 報 を打った のを参 謀 本 部 で傍 受 し ま
て も媾 和 に導 かう と 云 ふ気 持 で動 い て居 ら れ まし た。 そ れ に全 然 反
し た 。 そ れ に依って 私 は始 め て ﹁ト ラ ウ 卜 マン﹂ が 工作 し て居 ると 云 ふ こと を 知った 次 第 であ り ます 。所 が其 の時 に之 が省 部 の間 に大
りま せ ん で し た。
対 では あ り ま. せん がそ れ程 非 常 に進 ん だ気 持 は陸 軍 省 には動 い て居
ひど い言 葉 で あり
き な ﹁セ ン セー ショ ン﹂ と な り まし て 一番 初 め疑 を蒙った のが私 で あり ま す 。 石原 少 将 の こと を当 時 軟 弱 だ か ら︱
れ る こと を 吾 々に は言って 呉 れ ぬ の か﹂ と言 う の であ り ます 。 併 し
し た ﹁此 の問 題 は第 二課 長 は 知って 居 ら れ る で せう︱
陸 軍省 の諸 君 と会 議 す る こと と な り最 初 に次 のやう に詰 問 を受 け ま
疑 は れ ﹁之 は兎 に角 第 二課 長 が臭 い﹂ と い ふ こと になった ら し く 、
の残党 の やう に見 ら れ た の でせ う か︱
知って 居 ら
。 先 づ 私 の内 部 工作 と でも
の時 は 転出 し て居 ら れ な かった の で⋮ ⋮ そ こ で私 は ﹁ 敗戦主義者﹂
政 府 と の連 絡 会 議 でも 屡々 問 題 にな り ま し た が、 政 府側 は は つき り
な い かと いふ意 見 も あ り ま し た。 そ れ で色 々ゴ タみ〓 が あ りま し て
れ に依って言 ふ ことを 聴 か な け れば 更 に降 伏 す る迄 やれ ば良 いでは
本 は戦 勝 者 では な いか、 だ か ら取 る も のは 取 ら なく ち やな ら ん、 そ
ら見 て善 い こと だ と思 ひ之 に努力 致 しま し た。然 る に他 の者 に は 日
を言 は ぬ で大 抵 の所 で手 を 打 つべ き であ り、 之 が ま た東 亜 の大 局 か
不利 だ と 云 ふ こと を考 へて居 りま し た から 条 件 な ん か強 過 ぎ る こと
併 し参 謀 本 部 、就 中 私等 は兎 に角 持 久 戦 にな ると いふ こと は頗 る
私 は実 際 に知 らな いと いふ ことを 述 べ ます と、 そ こで参 謀 本 部 でな
し た 定論 ⋮ ⋮即 ち 政府 と し て 一致 し た 方針 が確 立 し て居 ら なかった
﹁敗 戦 主 義者 ﹂ と言って 居 た者 す ら あ り ま し た が⋮ ⋮ 其
け れば 之 は外 務 省 だら う と 云 ふ こと にな り廣 田 外 相 の工作 だら う と
と 思 ひ ます 。 そ こ で参 議 の意 見 も 聞 き 、 又民 間 の反 響 を も収 集 し て
ま す が︱
云 ふ話 であ りま し た 。所 で私 は今 になって 推 断 さ れ る の は或 は 廣 田
︹ 貞夫︺
居 た やう で あ りま す 。参 議 中 末 次 大将 あ た り は大 に支 那 測 を 敲 き つ
であった よう であ り ます 。 ﹁一番 弱 いのは 参謀 本 部 だ、 軍 人 は 一番
︹ 僧 正︺
であ る と は思 ひま せ ん 。寧 ろ 斯 う し た我 が態勢 の良 い時 機 に和 平 工
外相 の工作 で あった か と思って 居 り ます が、 之 は決 し て悪 る い こと
け う と いふ、 強 硬 な意 見 であった よ う であ り 、荒 木 大 将 な ど も さう
と思 ひま す 。 ど う いふ風 な 方法 で やら れ た か と 云 ふ こと は存 じ て居
が立って 居 た やう であ りま す が 、多 田次長 は噂 や批 難 に屈 す る こと
強 いの が当然 だ のに 一番 弱 いと 云 ふ こと は怪 し か ら ん﹂ と いふ批 難
作 を進 め る のは 外務 当 局 の為 政家 とし て試 む べ き立 派 な 一つ の案 だ
りま せ ん。 そ れ か ら此 の問 題 が起 りま し た時 に省 部 の間 は矢 張 り気
と仰 せ になった と聞 いて居 る が、 此 の重 大 時期 に政 府 の辞 職々々 と
と言 は れ た の であ り ます 。 次長 は此 の時 ﹁明治 天 皇 は朕 に辞職 な し
い。従って 政 府 は辞 職 し な け れ ば な らな い と いふ こと にな り ま す ﹂
件 を 示 し 、之 に拠って 談 判 を開 始 す る意 図 が あ る かな い かを 聴 かう 、
あな た等 が お考 に な る気持 が判 ら ぬ﹂ と声 涙共 に下った 場 面 が あ つ
見 が違 ふ と いふ こと で戦 争 指 導 を統 帥 部 と手 を 取って やって 行 け な
そ し て其 の回答 要 求 に期 限 を附 け やう と いふ話 に なり 、 其 の案 を随
なく 真 に大 局的 見 地 に於 て此 の際媾 和 をす べき であ る と真 剣 に奮闘
分練 り上 げ て先 方 に通ず る方法 を執った の であ り ます が そ の条 件 を
せら れ ま し た。 之 等 の結 果 から 一応 当 方 の媾和談 判 開 始 上 の基 礎条
作為 す る にも 相 当 に揉 め ま し た 。 そし て談 判 が開 始 せ ら るゝ やう に
当 時 第 一部 長 は居 ま せ ん でし た ⋮ ⋮ 。私 は部 長 がどう し て居 ら な
た の であ り ま す。
かった のか は つき り知 り ま せ ん が⋮ ⋮ 。
な る も のと し て談 判 と休 戦 と の関 係 を ど う す る かと いふ問 題 も あり 、 私 は其 の前 から 日清 日露 両 戦役 終 末 の史実 をも 調 査 し て居 り まし た
殿下
ま れ て居 る の であ るか ら今 少 し く時 を待って や る か或 は回 答 の促 進
ま で の時 間 の関 係 も あ り、 又、 支 那 側 に とって も重 大 な 諸 案件 が含
かった のです 。上 海 へも之 はな かった のです 。然 し参 謀 本 部 は 期 限
河邊
殿下
は いさ う です ⋮ ⋮ 。 一月 十 五 日 です が其 の日 に は返 事 が来 な
其 の時 期限 附 の要 求 を し た の では あ りま せ ん か。
を主 張 し た陸 軍 の意 見 で罷 め る と い ふ こと があって は非 常 に具 合 が
う と言 ひま し た。 ﹁媾和 問 題 で強 い こと を主 張 し た政 府 が 弱 い こ と
かれ と なって 来 た のを申 さ れま し た から 私 は政 府 の態 度 は威 し だ ら
河邊
では な いです か。
部長 が更 迭 し て北支 から 末 だ橋 本 .閣 下は 来 て居 ら な かった の
︹群︺
か ら其 の例 を参 考 とし てや る案 を立 てゝ居 りま し た 。
を 図 る 方法 を取 るな らぽ 何 等 か の回答 を取 り付 け得 る であ ら う 。今
を申 上 げ ま し た 。所 が次長 は ﹁い や、 さ う では な いらし い︱
悪 る いと い ふ こと を見 せ つ つ威 し て居 る の では な いか﹂ と いふ こと
此 の考 で次 長 は軍 令 部 次長 と も打 合 せ両統 帥 部 の意 見 と し て連 絡 会
殿下
は い、 さう です 。﹁何 かき つか け を作って 罷 め た い ら し い ぞ
そ れ には 議 会 の関係 も あった ので せ う 。
は本 当 に嫌 がって 居 るら し い﹂ と 言って 居 ら れ ま し た。
近衛
あゝ さう かも知 れま せん 、 次長 は右 のや う に連 絡 会 議 が物 わ
直 ぐ に支 那 側 に和 平 を欲 す る の意 図 なし と 断定 す べき でな いと し て
議 で主 張 せ ら れ まし た が、 政府 側 は最 早 支 那側 に誠意 を認 め得 ず と
河邊
長 に対 し ﹁ 結 局 、 参 謀 本部 は支 那 側 に誠 意 なし と断 定 せ ら れ ぬ のは
何 か外務 大 臣 (廣田 弘毅 ) は罷 め る や う に決 し たと 私 に言って 居 つ
し ⋮⋮ 次長 か ら伺った 話 で あ りま す が⋮ ⋮最 後 の時 に米 内 海 相 が次
外 交当 局 た る外 務 大 臣 の判 断 と異 る も のであって 外 務 大 臣 の判 断 を
外 に現 は れ る こと は頗 る不適 当 で あ る から 政 府 に 一任 す ると いふ態
長 ( 本 間 雅 晴 ) も同 席 協 議 の結 果 、此 の際 統 帥 部 と政 府 と の対 立 が
さう いふ悲 劇 ま で あ りま し た が結 局 総 務 部 長 (中島 鐵 蔵 ) 第 二部
た ﹂ と 次長 は言 はれ ま し た。
基 礎 と し て国 策 を進 め て行 く べき 政府 と反 対 の意 見 であ ると 云 ふ こ と にな る。 即 ち 参謀 本 部 は外 務大 臣 に対 し 不信 任 と い ふ こと と同 時 に政 府 を不 信 任 と いふ こと にな る 。 さう す る と統 帥 部 と 政 府 と の意
し た が、 実際 海 軍 の上 奏 は 一寸 時 間 が遅 れ て行って 居 りま す 。其 の
同 じ こと を言 はう と 云 ふ話 で軍 令 部 次 長 と 話 合 が決 まった と聞 き ま
た の であ り ます 。所 で そ こ で 一つ奇 怪 な のは統 帥 部 の名 前 で海 軍 も
と に致 し ま す と 云 ふ意 味 を有 の儘 上奏 す る こと と な り上 奏 文 も出 来
ぼす 影 響 甚 だ宜 し く な い と思 ふか ら 、本 件 政 府 に 一任す ると い ふ こ
に意 見 を固 執 す れ ば 政府 の立 場 上其 の辞 職 問 題 を も惹 起 し 内 外 に及
こと に な りま し た 。 即 ち参 謀 本 部 は信 ず る と ころ あ る け れ ども こゝ
度 を と る こと に決 め ら れ、 そし て其 の旨 は つき り上 奏 し よう と いふ
殿 下媾
さ れ て居 りま せ ん し、 又考 へては居 りま せ ん でし た。
た か も知 れま せ ん が ⋮ ⋮。 私 共 の方 で はさ う 云 ふ ことは 少 し も聞 か
河邊
追 撃 の許 可 が遷 延 し た と 云 ふ こと は な い です か。
殿下
やう な こと で話 が進 んだ と思 は れま す 。
そ こ で今度 は首 都 が陥 ち た 以上 、 此 処 ら で何 んと かす る と斯 う いふ
れと 無関 係 に作 戦 は グ ン〓
を取って 、媾 和 の内 探 査 と いふ つも り で あった らし い のです が、 そ
て居 りま せ ん が あ の経 緯 は どう 云 ふ風 であ り ます か。
和条 件 の研 究 が段 々進 ん で来 て居 る のに そ れを 向 ふ に示 し
之 は全 然 な いと思 ひま す 。 万 一上 の方 にさ う 云 ふ気持 が あ つ
其 の媾和 問題 と 関聯 し て事変 の終 局 を結 ぶ と 云 ふ頭 から南 京
と陥 ち まし た 。
内 容 は 此 方 と は反 対 であ り ま し て政 府 の意 見 に同 意 であ る と いふ意
進 行 し南 京 は ス ル〓
味 に なって 居 ると聞 き まし た。
河邊
あ れ は随 分 こん がら がって 居 り ます が、 要 す る に種 々の意 見
殿下
と は談 判 委 員 が出 て来 てから 示 せば よ いぢ やな いか と い ふ意 見 も あ
条 項 を竝 べ る 必要 は な い、ご く 題 目 的 の こと だけ を 先方 に通 じ てあ
葉 山 に行 かれ た のです ね。 其 の時 には外 相 の奏 上前 総 長 殿 下
が 上奏 す ると いふ こと で侍 従 武 官府 と何 か あった の では な い の です
行って お出 になって 然 るべ き
秩 父 宮 殿 下 が葉 山 に お出 にな り ま し た こと は 知って 居 り ま す
が出 ま し て容 易 に纒 ま り ま せ ん でし た 。例 へば余 り 具 体的 に多 く の
宮 中 で はな かった で せう か︱
か。
が︱
し よ う と 云 ふ意 志 を持 つ訳 がな い。少 く も 必 要 の条 件 を明 示 し談 判
河邊
を開 始 し て から 不信 だ と思 は れ る やう な こと のな い やう にす ベき だ
り 、或 は そ んな やり方 で は先 方 が不安 でた ま ら な いか ら談 判 を開 始
殿下
時 節 では あ り ま し た け れど も ⋮ ⋮ は つき り記 憶 し て居 りま せ ん ⋮ ⋮ 。
事 変 を 終 結 に導 き度 いと い ふ思 想 か ら南 京 を 武力 戦 で圧 迫 し た時 機
と か、 又 例 の贖償 金 を 入 れ る か 入 れな いか と いふ問 題 でも参 謀 本 部
そ れ か ら媾 和 問 題 で伺 ひ度 い点 は南 京 を や る時 機 に何 ん と か
に、 そ こ に媾和 問 題 を 織 り込 ま せ ると 云 ふ気 持 は あった ので はな い
閣 下 は贖 償 金 を取 れと 主 張 さ れ昔 か ら媾 和 談 判 の時 に戦 敗 者 が戦争
で は それ を 入 れ る のは適 当 で な いと いふ意 見 で あり ま し た が、 梅津
さう 云 ふ気持 は あ りま し た 。
費 用 を払 は な いと 云 ふ こと はな いと いふ こと を 言って 居 ら れ ま し た。
の です か。 河邊
結 局 あ れ は 入 れ る案 になって 居った と思 ひま す 。
交 渉 途 中 の頃 向 ふ から 受 け る と言って 来 た条 件 は余 程前 に廣
事 実 は南 京 が先 に陥 ち て仕 舞 ふ と 云 ふ状 況 と な り結 局 南 京作
殿下
殿下
初 め は南 京 攻 略 以 前 に於 て南 京 攻 略 は 何時 で も やり得 る態 勢
戦 と は別 物 に話 を進 め る と云 ふ こと に なった の です か 。 河邊
吾 々は知 ら な かった の です が廣 田 氏 が出 し た と い ふ 条 件 は
田 さ ん が示 さ れ た条 件 です か。
ら う 、彼 が下 野 す る 公算 は非 常 に多 い、何 と言って も首 都 を敵 に屠
ら れ て彼 は国 民 に対 し て も晏 然 とは居 れ ぬ だら う 、 さ うす れば彼 の
て居 り ま し た。 所 が南 京 は取 ら れ た に拘 ら ず 支 那側 の態 度 が変 らず
あ と を引 き受 け た者 は平 和 を請 ふ であ らう ⋮ ⋮ 斯 ん な風 に私 は 思 つ
河邊 ︱あ れは廣 田氏 の みな らず 参 謀 本 部 な ん か とし ても考 へて居った
談 判 の基 礎 条 件 にも敵 は参った と 云 ふ気 持 が見 え な い。 だ から之 に
非 常 に懸 け 離 れ た も の では な いと思 ひ ま
やう な条 件 で あ りま す︱ す。
こと を言った 人 も あ り まし た 。
は も つと敗 戦 感 を 与 へる よう に ひど く追 込 ま な け れ ば なら ぬと 云 ふ
所 が そ れ に対 し て廣 田 は そ の条件 で は南 京 は 陥 ち て仕舞った
治 家 は無 暗 に右 翼 系 の鉄 砲 の弾 丸 を怖 がって 居 る 。 だ から 口 で強 さ
更 に私 は当 時 の所 感 と し て記 憶 に残って 居 り ま す る ことは 日 本 の政
殊 に政 界 参 議 あ た り に はさ う いふ感 じ があった やう であ り ます 。
以上 今 の状 況 に合 は ぬと 云 ふ考 へであった やう です が ⋮ ⋮ お前等 は敗 け た のだ か ら モツ ト下手 に出 て来 いと いふ考 へも
殿下
河邊
之 に伴って 和 平 の話 を進 め よう と云
南 京 を武 力 で圧 迫 し︱
う に言って 居 れば 大丈 夫 だと 考 へる よう に思 ひ ま し た。 よく 考 へて
あった と 思 ひま す 。 殿下
其 の媾 和条 件 は国 内 的 に進 展 し な か
見 ます れ ば軍 人 が長 期 持 久 戦 を 心配 す る以 上 に文官 が之 に関 し て深
ふ こと があった の で せう が︱
思 熟考 す べき では な いか、 戦 期 の長 びく こと も戦 面 の拡 張 を も考 へ
ったと 云ふ点 は あ りま せ ん か ⋮⋮ 南 京 攻繋 も早 き に過 ぎ た が外 務 省 、 陸 軍 省 、 参謀 本 部 と の間 の意 見 が 一致 し な い為 に媾 和条 件 が進 ま な
ず 、只 相 手 を 敲 け と い ふ こと は問 違 ひ だと 思 ひ ます 。 私 は 当 時 の印
象 では さう 云 ふ風 に思って 居 り ま し た。 之 は 手前 味噌 かも知 れ ま せ
南 京攻 略 に つれ て多 少 内 々 で話 を進 め て居 り ま し た が、南 京
かった と 云 ふ所 があった の で はな い のです か。 河邊
ん が或 る民 間 実業 界 の紳 士 は︱
し て同 意 す る と 云 ふ よ りも 非常 に感 謝 し て居 る 、大 本 営 は国 家 全 般
次 長 の所 へ来 て ﹁私 は参 謀 本 部 の主 張 を承った がそ れ に対
政 界 に関 係 し て居 ら ぬ人 だ さう で
の作 戦 が始 ま りま し てか ら は少 く も 私等 は事 務 的 にも媾 和 問 題 ど こ
す か︱
和問 題 は そ つち除 け になって 仕 舞った のです か。
ろ では な いと 云 ふ忙 が し さ であ り ま し た。
の こと を 考 へて戦 争 を やって 呉 れ る の で有難 い﹂ と 云 ふ こと を言 つ
殿 下媾
て居 たと の こと で あ りま し た 。
は い少 く も 私等 は さう であ り ま し た。 之 は戦 捷 気 分 に酔った
河邊
殿下
結 局 結論 と し ては 所謂 統 帥 部 と 政 府 と の連 繋 が悪 かった と 云
﹁バ イ ヤ ス﹂ 湾 作戦 問 題 等 仲 々 の忙 が し さ であ り ま し た。
と云 ふ よ りも 南 京後 の追 撃 戦 、 ﹁パネー ﹂ 号 事 件 、英 艦 砲 撃 事 件 、
ふ こと にな り ます か。
理 的 に強 気 が勝って 参 り ま す と本 当 に敲 き のめ し て向 ふを軍 門 に降
は い、 さう であ り ます 。 さう し て勢 に乗 じ て来 る と いう と 心
河邊
南 京 が落 ち て か ら其 の効 果 を利 用 し て何 ん と かや ら う と い ふ
殿下
は い、 さ う です 。 南 京 が陥 ち たら蒋 介 石 も何 んと か考 へる だ
考 へは あった のです か。 河邊
ら す と い ふ気持 が強 く な る のだ と 思 ひ ま す 。 そ れ だ か ら何 も 此方 か
て居 りま す 。 十 六 日 に も 回答 は来 ま せ ん で し た。 期 限 附 と いふ こと
と 記 憶 し て居 り ま す が、 ﹁蒋介 石 を 相手 に せず ﹂ と云 ふ声 明 を 出 し
河邊
其 の後 結 局 回答 は来 ま せん十 五 日 が期 限 でし たが ⋮ ⋮十 六 日
ら 遠 慮 す る こと が あ る も の かと 云ふ気 持 が あった の では な いか と思
は私 の記 憶 に間違 ひ が な け れば 之 は参 謀 本 部 が言 ひ出 し た こと で な
ひ ます 。 向 ふが降 参 し た参った と い ふ時 にやって 来 た ら良 いぢ や な い かと 云 ふ気 持 が あった と思 ひま す 。威 勢 の良 い時 に自 分 から媾 和
い と思 ひま す 。
初 め に先 方 が媾 和 談 判 の基 礎 条件 と し て応 ず る と言って 来 ま し た
に導 く と 云 ふ こと は非 常 に難 し い こと と 思 ひ ま す 。 ﹁ノ モ ン ハン﹂ あ た り も同 じ や う で あ り ます ね。
が そ の言 ひ方 が怪 し か ら ん と 云 ふ こと で、問 題 に せ ぬと 云 ふ空気 も
殿下 河邊
と にな り、 兎 も角 之 を幾 ら か修 正 補 修 し期 限 を附 し て回 答 を 求 め よ
出 ま し た が冷静 に研 討 す れば そん な に怒 る べ き こと もな いと 云 ふ こ
侍 従 武官 府 の四手 井 大 佐 あ たり も 私 の所 へ参 り ⋮⋮ 彼 は 戦 史
家 です から ⋮ ⋮ ﹃昔 の ﹁フリ ード リ ツ ヒ﹂大 王 な ど は何 時 も媾 和 の
そ の後 も 参 り ま せず 、而 も逸 速 く ﹁ 蒋 介 石 を 相手 に せず ﹂ と声 明 せ
う と 云 ふ こと に な り ま し た が、 結 局 回答 は期 限 ま で には 来 ま せず 、
時 期 を よく 選 定 し た 、今 非 常 に よ い ﹁チ ヤ ン ス﹂ だ と思 ふ。 今 は媾 和 の よ い時 機 だ ﹄ と言って 居 りま し た 。 所 が あゝ い ふ こと で結 局 不
殿下
其 の頃 に戦 争 指 導 班 で媾 和 条 件 を起 案 し て居 りま す があ れ は
こと になった 訳 であ り ま す。
ら れま し た か ら 、仮 令 そ の後 に来 た と し て も之 は取 り上 げ ぬと 云 ふ
成 功 になって 仕 舞 ひ ま し た。 南 京 戦 当 時 に強 気 に言って 居 た人 達 の思想 が 二年 半 後 の今 日果 し
軍 略 も政 略 も 解って
て満 足 な 結 果 を得 ら れ た か どう かと斯 う 云 ふ 風 に私 は考 へる の であ りま し て、 矢張 り本 当 に意 志 の強 い政 治 家︱
向 ふ へは行 き ま せ ん で し た か。
た許 世 英 を 通 じ て動 さ う と い ふ考 へも あった と思 ひま す 。 即 ち 日本
尚 何 ん と か支 那 側 の回答 を と るた め に日本 に大 使 とし て来 て居 つ
結 局 あ の形 で は出 て行って 居 り ま せ ん 。
居 る 人︱
河邊
を疑 ふ必 要 のな い こと を伝 へる と い ふ案 も あ り ま し たけ れ ど も さ う
が居 り ま し て 、適 当 と考 へる時 機 に自分 の思 ふ こと を断
然 し な い限 り は 必ず つま ら ん ことを 繰 返 し て居 る丈 だ と思って 居 り
さう 云 ふ こと が出来 な いと 云 ふな ら ば 初 め か ら考 へを決 め てや る
ます。
と 云 ふ こと が必要 であ り ます 。 向 ふ を武 力 で 抑 へて頭 の上 ら ぬや う
殿下
其 のず つと前 未 だ石 原 閣 下 が居 ら れ た時 分 に直 接 南 京 に乗 込
ん で媾 和談 判 を や らう と 云 ふ問 題 が あ り ま し た が⋮ ⋮ 。
い ふ風 にな らず に済 み まし た 。
殿 下媾
河邊
和 問題 期 限附 の要 求 は相 手 の態 度 が 不遜 だ か ら出 し た ので
す か。 又 其 の回答 ら し き も の が来 ま し た が其 の時 に陸 軍 は も う 二 三
下 の発 案 であ り ま せう 。 そ れ に は今 田 中佐 あ た り も非 常 に気 合 を か
に し て置 く と 云 ふ こと も 必要 だ と考 へて居 り ま す。
日 待った ら 良 いで は な いかと 言って 居 る が其 後 実 際 更 に回 答 は来 ま
[新太 郎 ﹂
は い、 あ り ま し た 。八 月 頃 だった と思 ひ ます 。 あ れは石 原 閣
し た です か 。
で上 陸 し よ う と決 め られ て居った のです が ⋮⋮ そ こ で私 の考 を申 上
ま せん け れ ど も 、兎 に角 青 島 は海 軍 と し て は優 先 的 に や ると いふ考
げ る と ⋮ ⋮海 軍 の肚 を想 像 し て申 上 げ る と 云 ふ こと にな る か も知 れ
上 海 に事 件 を起 す から と いふ のです 。
要 す る に事 態 の拡 大 の虞 が あ ると 云 ふ ので考 へら れ た のです 。
け て居 りま し た 。
殿下
へがあった の では な いかと 思 ひま す 。
ま ぬか ら兎 に角 や る のか や ら ぬ の かと 云 ふ こと は本 当 に大 政 治 家 が
に な り まし た。 第 二軍 か ら は非 常 に強 硬 な 意見 具 申 を方 面 軍 にな さ
し た。 十 一月 黄 河 は結 氷 さ れま し て洵 に作 戦 に不具 合 な結 氷 の状態
た がジ リ〓
其 の中 に上 海 が大 きく な り、 北 支 作戦 は妙 な所 で停って 居 り ま し
兎 に角 相 手 の気 持 で⋮ ⋮ 今 にも事 件 が起 る ぞと 去 ふ風 な気 が
向 ふ へ行って 突 つ かって 見 る べ き だと 云 ふ、石 原 閣下 の考 であった
れ、 方 面 軍 の岡 部参 謀 長 は飛 ん で来 ま し て中央 に諒 解 を求 め て認 可
と戦 にな る と 云 ふ こと は甚 だ 相 済
河邊
と 思 ひ ます ⋮ ⋮。 多 少 策動 さ れ た ら し い の です が ⋮ ⋮私 は ﹁さう い
を受 け ると 云 ふ方 法 を と ら れま し た。 第 一部長 は居 ら ぬ から 参 謀 次
す る 、之 に引 き 摺 ら れ て ズ ル〓
ふ こと を言 は れま す け れ ど も 日本 の政 治 家 ぢ や そ れ は や り得 ま す ま
長 に説 明 され る のを私 も聞 いて居 りま し た 、 どう し て も やら な け れ
前 へ出 ま し て黄 河 近 く で黄 河 の渡 河準 備 をし て居 り ま
い﹂ と 言 ひ ま し た。 今 田 も多 少策 動 し て居った と 思 ひ ます 。 秋 山 定
ば な ら な いと 云 ふ こと を説 かれ ま し た が 次長 は何 ん とし ても 聴 か れ
と言って も 許 され ま せ ん 。﹁兎 に角 更 に山東 に戦 面 を拡 大 す る と 云
ま せ ん でし た。 ﹁折角 来 て呉 れ た がど う し ても 不可 ぬ﹂ と 言って 何
︹ 直 三郎 ︺
にな り ま し た。
輔 が手蔓 を求 め て南 京 へ行 く と言った け れ ど も結 局 そ れ も有 耶 無 耶
私 は 石原 少 将 の や り方 を讃 美 す る訳 では な い の で す が、 あ れ は
軍部 の人 が飛 ん で行 く と 云 ふ考 へは な かった の です か 。
仕 様 がな い から 一応 退 りま す ﹂ と 云 ふ こと で あ り まし た が、 そ こ で
は聴 かな かった ので あ り ます 。 そ こ で参 謀 長 は ﹁御 承 認 がな け れ ば
ら之 が前 へ延 びる端 緒 に な る から ﹂ と の御趣 旨 で何 ん とし ても 次長
ふ こと は不 同 意 だ 、此 の線 は何 処 から 何 処 と 切 る こと は出 来 な いか
﹁ヒ ツト ラ ー﹂ 式 の やう に や る と 云 ふ のが 石原 少 将 の考 へであ り ま
殿下
な かった と 思 ひま す 。石 原 少 将 は 近 衛総 理大 臣 が行 かな く て
した。
河邊
りま し た﹂ と 申 上 げ ま し た。 そ れ で任 務達 成 せず と 云 ふ格 好 の悪 い
る こと です 、 も う 申 上げ る こと は あ り ま せ ん 、御 趣 旨 の程 は よく判
私 にも う 一遍 説 か れ まし た が ﹁兎 に角 私 は 次長 の御 命 令 で やって 居
は いか ぬ と強 調 し て居 り ま し た。
二 五、 山 東 問 題
之 は陸 海 軍 協 同
第 二軍 か ら の意 見 具 申 も斯 う 云 ふ風 な こと を言って 来 て ﹁どう し て
形 で帰 りま し たけ れ ど も帰 る や否 や直 ぐ に意 見 具申 をし て来 ま し た 。
其 の後 の山 東 問 題︱
帰 り ま し て研 究 し た結 果 斯 う 云 ふ結 論 になった と言って 来 ま し たし 、
そ れ か ら媾 和 問 題 の後 に済 南 の問 題 があ り ます が ⋮⋮ 青 島 に
第 一回 の山 東 問 題︱
殿下
河邊
行 く 前 の済 南問 題 ⋮ ⋮あ れ に就 てお話 を願 ひま す 。
もや ら な け れ ば な ら ぬ﹂ と 云 ふ こと を言って 来 ま し た 。
ん と か言って 二 日間 も暇 をと ら れ て仕舞 ひ まし た。 そ れ で陸 軍 省 方
れ ば な ら ぬと 思って 居 り ま し た。 此 の時 機 を失 し た ら 半 年 は 空 に
し ま し た が、 私 等 も 兎 に角 何 れ は山 東 、 同 時 に青島 に手 を つけ な け
れ ば な ら ぬ と 云 ふ こと を書 いて来 て居 り まし た。 私 も そ れ を拝 見 致
を 避 け る と云 ふ中 央 の意 図 は 判 る け れ ど も、 兎 に角 今 之 を や ら な け
河邊
ら 明白 に線 を 切 ると い ふ こと が出 来 な かった か ら です か。
と は 結 局戦 局 不拡 大 と云 ふ こと か ら です か、 あ れを越 へて仕舞った
殿下
其 の返 事 を引 張 ら れ て仕 舞った ん です 。
面 から も つ つき ま し た が何 と か かと か 、要 す る に 四十 八 時間 ば か り
過 さな け れば な ら な いか も知 れ ぬ から 今 な ら 自 力 で やって も良 いと
ら です 。
南 へ行った ら 何 処迄 行って も戦 線 を切 れ な いと 云 ふ心 配 があった か
其 の中 に第 二 軍参 謀 長 鈴 木 少将 か ら下 村 第 一部 長 宛 に戦 面 の拡 大
い ふ考 を 我 々も 之 を首 肯 せら れま し た の で、 そ こで結 局 次 長 の気 持
河邊
殿下
は い、 さう です 。 そ れ には条 件 附 で あ りま し て南 は何 処〓
結 局 そ れ を許 す に至った のは 現 地側 の意 見 に依 る のです か。
は い、 さう です 。南 の方 は結 局 大 運 河 の線 も越 へてダ ン〓
初 め参 謀 本 部 が黄 河 を 渡 河 す る こと を許 さな かった と 云 ふ こ
を 緩 和 し て貰 は う と 云 ふ訳 で お願 に行った のです が 、無 論 不賛 成 で あ りま し た が 、其 の後 或 る時 作 戦 室 に出 て来 て我 々の意 見 を 聴 か れ
迄 し か 不 可 ぬ ⋮⋮ 膠 済 線︱
⋮⋮ そ れ 以外 の所 へ絶 対 に出 な いと 云 ふ こと で結 局 現 地 が 一札 入 れ
青島 ま で の途 中 此 の辺 ま で し か不 可 ぬ
です が﹂ と申 上 げ たら ﹁そ れ ぢ や同 意 す る﹂ と云 ふ こと にな り ま し
ま し た ので私 は ﹁課 長 以下 部 員 が皆 現 地 の考 へに同 意 し て居 る も の
た 。 そ こで先 づ 一応 内 報 だ け を打 電 致 し ま し て⋮ ⋮ そ れ は第 一部 長
た形 で やって 居 りま し た 。
つけ る と 云 ふ こと は事 政 策 に関 す る か ら海 軍 大 臣 の了 解 を得 な け れ
島 の紡 績 工場 が焼 かれ つゝ あ る と 云 ふ状 況 であ り ま し て 日本 の所 有
河邊
殿下
は い、 さう です 。 青 島 は 十 二 月 の末 にな り ま し た之 は当 時 青
そ れ か ら青 島 問 題 です か。
二六 、 青 島 問 題
の名 前 で やり ま し た ⋮ ⋮陸 軍 省 は其 の こと に就 ては 双手 を挙 げ て賛 成 を致 し て居 り ま し て そ れ を待って 居った 位 だ と 云 ふ こと であ り ま し た 。 そ れ か ら 一応 海 軍 にも 話 し ま す と軍 令 部 は元 来 異 存 がな い の
ば な ら な い。 作 戦 命 令 を 出す 前 に 一応 連 絡 を し て貰 ひ た い﹂ と言 ひ
で あ り まし た沢 山 の建 物 が悉 く鳥 有 に帰 し て行 く と 云 ふ状 態 の時 で
だ と云 ふ ので あ り ます が、 只 向 ふが言 ふ こと に は ﹁山 東 に新 に手 を
ます から 、 直 ぐ にも同 意 を得 る も のと 思って 待って 居 り ます ると 今
あ りま し た、 当 時 海軍 が海 面 封 鎖 に当って 居 る支 那 海 は北 風 が強 い
の で其 の封 鎖 に非 常 に苦 ん で居 る何 と か し て青 島 に休 憩 所 が欲 し い。
にし て仲 々回答 し て来 ま せ ぬ、 其 の中 に大臣 は宴 会 に出 て居 ると 云 ふ こと で長 い間 待 た さ れま し て連 絡 に行 き ま し た井 本 大尉 は 海 軍省
さう 云 ふ や う な 二 つの理 由 か ら であ り ます が、 そ こ で海軍 は青 島 に
直 ぐ に返 事 す る と 言 ひ つ つ遷 延 す る こと 実 に四 十 八時 間 、 言 を左 右
の宿 直 室 に夜 半 ま で頑 張って 返事 を待 ち まし たけ れ ど も何 ん と か か
の課長 が言って 来 まし たが 、私 は ﹁必 ず 之 は 喧嘩 の種 にな る、 吾 々
上 陸 し た いか ら陸 軍 に於 て同 意 をし て呉 れ と 、 さ う いふ やう に向 ふ
呉 れ﹂ と云 ふ こと を言 ひま し た。 そ し て次 長 に直 ぐ言 ひま し た所 暫
て置 く 、 尚 次長 にも言って 置 く か ら 次長 と次 長 と の間 で話 を進 め て
て置 く︱
に命 令 を 出す こと は我 々は 阻 止 す る権 能 は な いけ れ ども 明 瞭 に言 つ
参 謀 本 部 の作 戦 課 長 は 不 同意 だ と海 軍 の作 戦 課 長 に伝 へ
がし つか り協 定 し て居 ら ん か ら だ、 中 央 の陸 海 軍 が し つか り協 議 し
は 既 に苦 い経 験 を経 て居 る、 現 地 の陸 海 軍 の喧 嘩 の因 は中 央 の両 方
て ﹁お前 の考 へ通 り に 不同 意 だと 言って 置 く か ら﹂ と云 ふ こと で あ
り ま し て次長 は 向 ふ の次 長 に ﹁不 同意 だ﹂ と 云 ふ ことを 言った ので
く 考 へて から家 へ帰 ら れま し た が其 の後 私 の所 へ電 話 がかゝ り ま し
あ り ます 。所 が 向 ふ は其 の儘 出 て仕 舞 ひ ま し た そ れ で稍 遅 れ馳 な が
てや れ ば 現地 で喧 嘩 にな る筈 は な い、 だ から 先 づ 中央 の協 定 を 確 実
私 は誠意 を持って 率 直 に言 ひ ま し た。 そ の こと は 向 ふ も主 旨 に賛 成
ら宇 品 から部 隊 を出 し まし て爾 後 甚 し き醜 態 を演 ず る こと にな り ま
にし そ れ を現 地 に移 し てや ら う で は な い か﹂ 斯 う いふ こと を本 当 に
し て居 り ま し た が ﹁陸 軍 を 青島 に 入 れ る には 今 か ら 一週 間 位 かゝ
し た。
る﹂ と言 ふ と 、海 軍 は ﹁そ ん な に永 く な るな ら其 の間 どう し ても 待 って 居 れ ぬ︱
のでな く 不同 意 だ と言 ふ の に敢 行 し た 訳 です か、 全 く 知 ら せず に や
殿下
不 同意 だ と いふ のに そ れを か ま はず やって 仕 舞った のです 。
ったと 云 ふ訳 で は あ り ま せ ぬ か。
先 に上陸 す る と 云 ふ こ とは 参謀 本部 が了 解 し て居った と 云 ふ
と いふ こと は、 そ れ は余 り に海 軍 の兵 隊 が可 愛 想 だ か ら な る べく 海
どう し ても そ れ を待って 居って や ら な け れば な ら ぬ
軍 は 早 く休 む所 を欲 し い﹂ と言 ふ の で終 に喧 嘩 になって 仕 舞った の です 。 が 、 そ こで ﹁そ んな に急 ぐ な らば 別 の案 を 出 さう 兎 に角 私 の
﹁帝 国 海 軍青 島 を攻 略 す ﹂ と い ふ形 を と り た かった のだ と 言 ひ た い
特 務機 関 要 員 は持って 行って 居った の で は な い の です か。
の であ りま す 。
河邊
殿下
考 へは陸 海軍 同 時 に入 るた め には初 め から し つか り協 定 し て居って
宇 品 に居 る か ら あ れを 使って 海 軍 と 一緒 にあ そ こ に上 げ る こと にす
同 時 に入 り た いと 云 ふ考 へだ か ら、 そ れ で特 種 工 兵 が 二百 名 ば か り
る ﹂ と申 し出 し ま し た 。 共 の前 に第 五 師 団 の 一部 があった の では な い のです か。
北 支 軍 か ら持って 行って 居った のです 。
殿下
て来 るけ れ ど も ⋮⋮ どう も 現 地 では仲 々始 末 に お へな い。 中央 で何
て呉 れ と 喧 しく 言って 来 る⋮ ⋮ 第 五師 団長 あ た り から も 盛 ん に言 つ
其 の後 あす こで醜 態 の限 りを 尽 し て居 る の で現 地 から 何 ん と か し
河邊
第 五師 団 に復 帰 す る 為 に居 り まし た の で、 そ れ を少 し乗 船 を 早 め れ
ん と かき ま り を つけ やう と 思って も 、 そ れ が仲 々決 ま ら な いの で あ
は い、 あ れは 上 海 か ら の帰 り でござ います 。國 崎 支 隊 です が
ば あす こ へ行 け やう と言った け れど も そ れ でも尚 遅 いと 云 ふ こと を
りま す 。色 々の問 題 があ り ま す が先 づ青 島 を海 軍 が要港 部 とし て使
河邊
も構 は ぬ から兎 に角命 令 は出 す ﹂ と云 ふ こと で あ りま し た ので私 は
用 す る こと は陸 軍 は 別 段 不 同意 で は な い が商 港 と し ても開 放 す る原
言って 居 りま し た。 ﹁そ れ も待 て ぬ から陸 軍 は遅 れ馳 に来 て 呉 れ て
海 軍 の課 長 に ﹁や る こと は不 同意 だ ﹂ と明暸 に言 ひ ま し た 。﹁勝 手
寺
ふ肚 を決 め て腰 を 落 ち 付 け て や らう と大 体 こ の方針 で あ りま し た 。
陸 軍 部 隊 の新 編 成 も やら う 、 さ う し て戦 争 指 導 全 面 的 に持 久 戦 と 云
は不 同 意 であ る。北 支政 権 の下 にあ る と 云 ふ こと は異 存 はな いけ れ
内 閣 下︱
う な こと が動 機 にな り ま し て新 設 五 ケ師 団 が出来 る迄 ⋮⋮ 八 月 迄 を
で あ りま し た︱
云 ふ肚 を決 めよ う 、 そ れ が為 には軍 部 内 の態 勢 を整 へる と云 ふ意 見
此 の時 は廣
に あ る のだ から ⋮ ⋮共 の北 支 政 権 を指 導 し て居 る 北支 方 面 軍︱
則 は認 む べ き こと と か 、 又青 島 の特 別 市 と 云 ふ も のは北 支 政 権 の下
ども 之 を陸 軍 が指 導 す る と 云 ふ こと は満 洲 の時 にも懲 り て居 る。 そ
⋮ ⋮ 目 途 と し て作戦 指 導 方針 を決 めよ う と 云 ふ こと に なり ま し て 二
之 には陸 軍省 も同 意 で あ りま し た︱
さう いふ や
攻 略 と 云 ふ話 も ま だ出 て居 りま せん 、本 当 に持 久 戦 と
の手 を 今度 も や ら れ て仕 舞った ら 困 る か ら 東 京政 府 が全 般 の北 支 政
の指 導 下 にあ る北 支 政 権 下 のも のだ と 云 ふ こと に は海 軍
権 を指 導 す る な ら ば何 も異 存 は な い。 現 地陸 軍 が指 導 す る原 則 には
そ れ に就 て起って 来 た問 題 は津 浦線 に沿って 南 北 を繋 ぐ こと 、第
月頃相談しま た。
ても 駄 目 だ か ら上 の方 で定 め て貰 は なく ち や駄 目 だと 思って さ う言
一軍 の黄 河 の南 岸 鄭 州 方 面 に足 場 を取って 置 く こと 。 又 廣東 攻 略 の
服 し 得 な いと言 ふ ので あ りま す 。 そ れ ぢ や 我 々下 の者 が話 し て居 つ
ひ ま す と 、 そ ん な ことは 下 の方 で話 を定 め て来 い と云 ふ話 であ り ま
海 軍 と も話
を進 め ま し た 。私 は故 意 に自分 の本 当 に思って 居 る以 上 に言った 一
之 は 相 当 に研 究 致 し まし た︱
部 も あ り ます が、 兎 に角 私 等 の方針 と し て八 月 迄 絶 対 に新 作 戦 をし
になって 居 り ま し た︱
問 題 或 は漢 口 に威 力 を及 ぼす 方 法 は どう か と 云 ふ やう な こと が問 題
や 此方 で勝 手 に や る ぞと 云 ふ ので陸 海 軍 は各 々飛 行 場 を作った り歩
な いと 云 ふ の を原 則 と し て此方 の態 勢 を固 め る為 に専 ら兵 団 の整 理 、
現 地 から は決 ま ら なき
米 内 海 相 も杉 山 陸 相 も さう 云 ふ こ と は相 互 に話 は な さ らな
さう 云 ふ醜 態 であ り ま し た時
現 地 か ら は矢 の如 く に催 促 が来 る︱
に私 は参 謀 本 部 を 出 て仕舞 ひ ま し た 。其 の中 に徐 州会 戦 が始 ま りま
哨 が睨 み合った りし て居 り ま し た︱
軍紀 を粛 正 し な け れ ば な ら な い。南 京 あ たり で変 な事 が出 来 た後 で
い︱
し た︱
し た の で青 島 の問 題 も 自然 に和 ら い で行 き ま し た か ら結 局 あ そ こも
あ り ます から 其 の悪 い連 中 を帰 し て独 立 混 成 旅 団 が 四 つか五 つ か出
しま し た所 、 海 軍 は ﹁ 安 慶 だけ を取って 呉 れ﹂ と い ふ希 望 であ り ま
を八 月 迄 に作 り 直 す のだ と 云 ふつ も り で、 そ の考 へも金 部 海 軍 に話
来 て来 る から さう し た ら 之等 を 入 れ替 へて新 鮮 な は つき りし た軍隊
後 は有 耶 無 耶 にな り ま し た け れど 一時 は 非 常 に醜 態 で あ りま し た。
二七 、 戦 面 不拡 大 方 針 決 定 の経緯
戦 面 不 拡 大 方針 と
し た⋮ ⋮ 飛 行 場 に使 用 す る為 に⋮ ⋮ ﹁安 慶 を欲 し い﹂ と云 ふ こと を 二 月 上旬 に︱
言 ふ の で ﹁安 慶 は二 ケ大 隊 位 で飛 行 場 は取 れ る か も知 れ ぬが安 慶 、
それ から 、 あ の前 後 に︱
殿下
蕪 湖 の間 を繋 がな け れ ば な らな い から 之 には相 当 の兵 力 を要 す る か
第 二 軍 を 大体 濟 南 に停 め 第 一軍 を黄 河迄 進 め て山 西 の方 を掃
河邊
ら出 来 な い﹂ と言って や り まし た。 又津 浦 線 に沿って 南 北 を繋 ぐ作
云 ふも のを決 定 し て居 り まし たが そ の経 緯 は どう です か。
除 さ せ る為 に黄 河 の線 ま で出 す 、 さ う し て 此処 で態 勢 を 建 て直 さ う 、
附 近 に 一ケ師 団 も 注 げ ば 日本 軍 な ら ば出 来 る と言 は れま し た が私 の
戦 は陸 軍 省 の梅 津 次 官 あ た り も非 常 に強 硬 に主 張 せら れま し て徐 州
の儘 大 本営 の仰 せ の通 り承 る﹂ と 言 は れ ま し た が寺 内 閣 下 は斯 う 云
軍 司 令 官 の大 体言 は れ た こ と は 、 ﹁よ し そ れぢ や文 句 を 言 は ぬ 、其
斯 う 云 ふ訳 で 二月 末 から 三 月初 にかけ て廻って 来 ま し た其 の時 各
ふ風 に言って 居 ら れ ま し た。 ﹁無論 大本 営 の示 さ れ る こと に反 対 は
計算 では 四 ケ師 団 は喰 は れ る、 私 は満 洲 事 変 に於 け る治 安 確 保 の経 験 か ら之 は相 当 信 ず る所 が あ る の であ り ま し て長 遠 の地 帯 を確 保 す
し な いが意 見 と し て は あ る ぞ﹂ と云 ふ こと で あ り ま し た。 そ し て
﹁どう し ても 徐州 は や ら な くち やな ら ぬ 、 そ し て 八月 以 降 にな る と
兵 を配 置 し て置 く ので は不 可 な い の で
る の には そ の線 内 にぽ つ〓
は承って 置 く ﹂ と 云 ふ こと で あ りま し た 。蓮 沼 閣下 も ﹁俺 の所 は直
気 候 の関 係 で非常 にや り難 い、 又 敵情 も 之 を許さ ぬ だ らう 併 し 一応
あって 、必 ず 三角 測 量 の図根 点 の如 く 或 る縦 横 の広 さ を持った 網状 に兵 を配 置 し なけ れば な り ま せ ん。 故 に黄 河 と長 江 と の間 概 し て津
ぬ こと に決 め まし た。 又 山 西 の南 部 と 云 ふも のは 何時 迄 経って も掃
接 関 係 は少 な いも のだ が承って 置 く ﹂ と 云 ふ こと で し た。 関 東 軍 も
︹蕃︺
浦 線 沿 線 にも 四 ケ師 団 位 は 最 小限 必要 で あ ると 思 ひ結 局 之 を実 行 せ
余 り直 接 関 係 がご ざ いま せ ん が東 條参 謀 長 、石 原 参 謀 副 長 も ど つち
︹ 群︺
除 は 出来 な いも の だ と思 ひま し た 。共 の時 に橋 本 閣下 も来 て居 りま
か と言 へば 之 に同意 だった と思 ひま す 。
小磯 閣 下 は 全 く個 人 の意 見 とし て言 は れ た の です が 、強 硬 に徐 州作
れ だ から是 か ら先 実 際 の兵 力 が ど れ位 要 る かと 云 ふ こと を理 論 的 に 決 め て頂 き度 い。 だ から 其 の兵 に 対す る方 策 を 相 当 な時 機 にな る迄
と 云 ふ ことは 嘘 だ 、併 し俺 は漢 口 をや れ と 云 ふ こと は言 は ぬ﹂ と言
戦 を唱 へら れ ま し た﹁苟
朝 鮮 に参 り ま し た が之 も殆 ど直 接 の関 係 は ご ざ いま せん け れ ど も
し た が ﹁あ そ こは是 から 癌 にな り ます ね﹂ と 言って 居 り まし た。 そ
考 へ直 し て頂 き度 い。 そ こ で四 ケ 月 か五 ケ月 の間 作戦 を しな いと云
そ れ で漸 く 私 の案 が通 りま し て自 分 で案 を 書 き ま し て そ れ を御 前
し た 。 そ れ で私 は ﹁閣下 の仰 せ にな り ま す こと に対 し御 意 見 に不 同
って 居 りま し た 。 又鄭 州 に 一石 を 打って 置 け と 云 ふ ことを 言 は れ ま
も支 那 を討つ も のが徐 州 に手 を つ け な い
ふ こと を申 し 上げ まし た 。
会 議 で御裁 決 を仰 ぎ大 本 営 の通報 とし て各 軍 司 令 官 に皆 渡 す と 云 ふ
を し な け れば な ら な い の であ り ます ﹂ と斯 う 言 ひ ま し た 所 ﹁判 つ
意 な ど と は申 し ま せん け れ ど も兎 に角 今 の軍 隊 は 至急 に 一応 の整 理
た ﹂ と明 白 に言 は れ ま し た 。非 常 には つき り し て居 り まし た。 そ こ
こと を 決 め て頂 き ま し た。 御前 会 議 で御 裁 決 を 得 た 上 で大 本営 とし
と 云 ふ訳 で 、北 京 、張 家 口、新 京 、龍 山 各 軍 司 令 部 へ私 が持って 参
へで八 月頃 の新 態 務 を と る迄 一時 徐 州 、 鄭 州 と 云 ふ こと は考 へな い
で要 す る に此 の爾 後 の作戦 指 導 と 云 ふも のは 大 体 さ う 云 ふ やう な 考
て之 を渡 す な ら ば 一つお前 が書 いた も の を自 分 で持って 行って 来 い
り大 本営 の通 報 を伝 へ御 前 会議 で総 長 殿 下 が申 上 げ ら れ た こ と そ の
か れ た直 後 で参 謀 長 が東 京 に来 て居 り ま し た から そ れ を渡 し て や り
き 徐 州会 戦 が起 ると 云 ふ こと は全 く考 へま せ ん でし た 。其 の後 私 が
で共 の後 の情 勢 で や るべ き だ と 云 ふ こと にな りま し た 。従って 引 続
︹ 俊 六︺
まま を 各 軍 司 令官 に申 上 げ た ので あ り ます 。 当 時 畑閣 下 は中 支 に行
ました。
浜 松 へ行 き ま し て ( 浜 松 飛 行 学 校 に転任 ) 一ケ月 も経 た ぬ中 に徐 州
く 大 き な こ と を吹 つか け て も誹 ら れ る事 も 亦彼 等 に文 句 を言 は れ る
の た め には 如 何 な る要 求 をし ても 良 いぢ や な いか︱
我 々は遠 慮 な
会 戦 が起った ので非 常 に驚 き まし た。 あ れ が起った 動 機 は知 り ま せ
こと も なく 、 又言 は さ な い筈 だ︱
殿下
其 の頃 参 謀 本 部 では意 見 が完 全 に 一致 し て居った 訳 です か。
殿下
又陸 軍 省 は其 の頃 積 極案 になって 居った の です か ⋮ ⋮今 の媾 和 問題
徹 底 し た持 久 即ち 大 規 模 な 計画
んけ れど も 二 月 に於 け る方 針 は さう 云 ふ風 な考 へで お決 め になった
を 立 て て本 当 の持 久 戦 で か か らう と 云 ふ気 持 になった のです 。
す る考 へが あった や う で あ り ます が、実 際 の計 画 は 三月 迄 です か、
は陸 軍 省 は反 対 の立 場 だった と思 ひま す が⋮ ⋮ 河邊
其 の時 は長 期 に亙 る も のを 定 め る と 云 ふ確 固 た る方 針 で起 案
の であ りま す 。
七 月 迄 です か 。 河邊
ど も ⋮ ⋮併 し 見事 な媾 和 条 件 を何 と かも う 少 し余 計 欲 し い。 参謀 本
次 官 、軍 務 局 長 、 軍 務課 長 あ た り は それ を 望 ん で居 ら れ まし た け れ
第 二課 、第 三課 戦 争 指 導 と 云 ふ見 地 、兵 力 資 材 の関 係 を顧 慮 し金 く
な かった の です 。併 し 事 務 的 には相 当 深 刻 になって 居 り ま し た︱
別 途 に研究 は し て居 りま し た が、御 前 に は申 上 げ る程度 に出 来 て は
殿下
居 た こと は事 実 で あ りま す 。
く 致 し て居 り ま し た︱
あった と思 ひます︱
部 の やう に遠 慮 せず にも つと向 ふ に強 く 言って も よ い と い ふ気 持 で
陸 軍 省 は媾 和問 題 に反 対 だった と は 申 し ま せ ん け れど も ⋮ ⋮
て つ つあった 訳 です が 、編 成 動 員 、作 戦 資 材 斯 う 云 ふ やう な 方 面 に
持 久 の形 で研 究 をし て居 り ま し た が未 だ御 前 に申 上 げ る迄 に は至 つ
を 盛 ん に言 は れ て居った の では な かった のです か。
は い先 づ 七 月迄 です 。 別 に本 当 に持 久 戦 の具 体 的 な こと を 立
亙 る長 期 に亙 る計 画 や 又外 国 から 品物 を買 ふ と か何 と か云 ふ 方法 を
て居 り ま せ ん でし た⋮ ⋮ 。 成 文化 迄 は行って 居 ら ぬ時 代 であ り ま し
購 和 条 件 が破 棄 さ れ た後 で梅 津 閣 下 が徐 州 を やれ と 云 ふ こと
。 然 し媾 和 と 云 ふ こと が出 来 れば と望 ん で
。 各 種 の研 究 討議 の上 で も さう 云 ふ感 じ が強
た。
梅津 閣 下 が徐 州 問 題 を 喧 し く 言 は れ た のは 之 は媾 和問 題 の後
です 。 そ の前 にも さう 云 ふ考 へが あった か と思 ひま す が は つき り判
河邊
さう す る と先 づ 其 の研 究 が出 来 たな ら ば や る と 云 ふ 思想 だ つ
た の です か。 又 其 の実 際 の根 本 方 針 は持 久 と 云 ふ事 で あった の です
殿下
り ま せ ん 。併 し山 東 問 題 は前 か ら非 常 に主 張 さ れ て居 り ま し た が私
が他 の用事 で次 官 室 へ行 き ま し た時 に ﹁どう だ 山 東 は や ら ぬ の か﹂
か。
と言って 居 ら れま し た 。徐 州 に関 し ては は つき り言 は れ ま せ ん でし
蒋 介 石 を 相手 にせず と 云 ふ声 明 から持 久態 勢 に変 は ると い ふ
やう になった の であ り ます 。
河邊
濟 南 作 戦 は何 処 で止 め る と明暸に 指 示 し な かった の です か 。
た。 殿下
地 線 を 示 し た筈 だ と思 ひま す が⋮ ⋮ 。
な る た け持 久 戦 にし な いで行 き た い。 従って 一旦
和 平 す る のだ と あ の年 末 年 始 に奔走 し た の で あ る が、 そ れ にも拘 ら
河邊
私 共 は も と〓
ず 私 共 の志 と違って 持 久 戦 になって 仕 舞った の だ から 我々 は持 久 戦
殿下
河邊
殿下
は つき り憶 へて居 り ま せ ん。
南 へ出 る な と い ふだ け だった と思 ふ の です が ⋮⋮ 。
地 点 を示 し た と記 憶 し て居 りま す 。
地 点 を示 し て居った のです か。
私 の記 憶 が非 常 に粗漫 で あ りま し て余 り御 参 考 にな ら ぬ か と
大 体 経 過 を追 ふ た事 実 に就 て私 の伺 ひ度 い こと は之 で終 り ま
河邊 殿下 し た。 河辺 思 ひ ます が、 又将 来 も 御 下問 が あ れば 随 時 何 処 へで も参って 申 上 げ ます 。 又伺 ひ ま す 。
此 の前 送 りま し た こと に就 いて (武 力 戦 的 見 地 に基 く 中 央 部 の統
殿下
帥 に関 す る研 究 事 項 )何 か お気 附 き にな り ま し た こと があ り ま し た
も う 少 し 考 へを練 り ま し て から にし て頂 き度 いと 思 ひ ます 。
ら お話 を し て頂 き 度 いと 思 ひま す 。
統 帥 と国 務 の統 合 と 云 ふ問 題 は非 常 に難 し い こと で独 逸 の ﹁ヒツ
河邊
ト ラー ﹂ のやって 居 る状 況 を 私 は朧 気 な が ら見 て来 ま し た が 、 日本 と し ては ど う 云 ふ風 にやった ら よ いか と いふ こと が 一番難 し い問 題
了
で あ ると 思 ひ ま す 。其 の中 必 ず 御答 解 を申 上 げ 度 いと 思 ひ ます 。
大正十年陸大卒 。昭和九年八月関東軍参謀 、十年八月
同第 二課長 ( 大佐)。十 一年三月近衛野砲兵聯隊長 。十二年三月 よ り 十
︹ 註︺ 河邊虎 四郎
三年 三月まで参謀本部戦争指導課長 、作戦課長。
目
次
二 西 村 敏 雄 回 想 録
一、 北 支 事 件
四 、石 家 荘附 近 の会 戦
五、 石 家 荘附 近 会 戦 後 に於 け る北 支 方 面軍 の作 戦指 導 に就 て 六、 青島 に対す る作 戦
2、 青島 に対 す る作戦
1 、青 島 上 海 の処 理 に関 す る陸 海 軍 の態 度 研 究 に就 て
1、 北 支事 件 の発 端 2 、 北 支時 局 処 理 要 領 に就 て
3 、青 島 派 兵 問 題 に就 て
3 、 事 変処 理 に要 す る兵 力 の見 込 に就 て 4 、 事 変初 期 に於 け る航 空 部 隊 集 中 状況
4 、 天 谷支 隊 の運 用 に就 て 七、頓 挫 南 支 上 陸 作戦
5 、 北 京駐 屯 部 隊 の会戦 指 導 6、通 州 事 件 二、察哈 爾 作 戦
4 、京綏 沿 線 及 北 部山 西 に対 す る作 戦 進 捗 の経 緯
3 、内 蒙 方 面 作 戦 開始 に就 て の関 東 軍 の交 渉経 過
2 、 八達 嶺 攻 撃 開 始 の発 起
十 二、 張 鼓峯 事 件
十 一、 ﹁カ ンチ ヤズ﹂ 事 件
十 、南 部 山 西 省戡 定作 戦
九 、 太原 進 入作 戦 決 定 の経 緯
隊 の上陸 作 戦 の関 係
八 、濟 南 正 面 に対 す る第 二軍 攻 撃 並 に青 島 方 面 よ り す る独 立 部
5 、蒙疆 方 面 に独 立兵 団 設 定 に就 て
十 三、 沙 草 峯 事件
1 、察哈 爾 作 戦
6、 駐 蒙 軍 の作戦 地境 決 定 に就 て 三 、〓 州 保 定附 近 の会 戦
一、 北 支 事 件
1 、北 支事 件 の発 端
ら れま し た か ら鼓 に参謀 本部 の意 見 が確 定 し た ので あ りま す 。総 長
か ら駐 屯 軍 司令 官 に事 件 の拡大 を防 止 す る為 に之 以上 そ れ に進 ん で
実 力 を 以 てす る が如 き は 避 く べし と指 示 を 出 し ま し た。
事 実 そ れ だ け で あ りま す が其 の当 時 の此 の判 断 が 二年 後 の今 日反
対 方 向 を取っ て居 る の であ り ま し て、 当 時 の不 拡 大 の方 針 は 真 実適
又決 心 が不 拡 大 で も処 置 が不拡 大 を とら な かっ た 点 は研 究 を要 す る
当 で あっ た か ど う か多 分 に研究 を要 す るも の があ る ので あり ま す 。
七月 八 日 支那 駐 屯 軍 参謀 長 から 次 の電 報 が あっ た 。 豊 台附 近 に駐 屯 し て居 る駐 屯 部 隊 が夜間 演 習 中 支 那軍 か ら射 撃
も のがあ る ので あ り ます 。 方 針 は不 拡 大 を とっ たけ れ ど も其 の後其
を受 け た ので直 ち に対敵 態 勢 を取 り 交 渉す る と共 に謝 罪 の交 渉 を し て居 る ので あ るが謝 罪 に応 じ な け れば 実 力 を行使 し て敵 を附 近
の決 心 と違っ て共 の処 置 が北支 に事 件 を拡 大 す る様 な結 果 となっ た
又 そ れ と同 時 に北 京 駐在 武 官 補 佐官 か ら も同 様 の電 報 が あっ た の
戦 線 に中央 直 系 軍 等 が前 進 し動 き出 し て京 漢 線 平 地 を占 め北 上 の処
ま し て、 此 の状態 が速 か に向 ふ側 に響 い て参 りま し て、直 ち に北 支
し第 五師 団 、第 六師 団 、 第 十 四 師団 と言 ふ様 に次 々 に動 員 を行 は れ
此 の不 拡 大 方針 の決 心 が事実 定 る と同 時 に第 二十師 団 を応 急 動員
も のが沢 山 あ る ので あ り ます 。
か ら蘆 溝 橋附 近 に撃攘 す る と謂 ふ意 味 の電 報 が来 た のであ り ま す 。之 が事 変 の発 端 の電 報 であ
で あり ま す 。其 の他 の電 話等 に より東 京 は之 に対 し て処 理す ると言
り ます 。
ふ様 な事 は な かっ た ので あ りま す が、 此 の事 は対 支作 戦 上 問 題 と な
置 を取っ て来 た、 万 一の顧 慮 か ら処 置 を取っ た事 が向 ふ を動 かし 、
た意 見 であ り ま し た が、 然 し其 の中 に は対 支膺 懲 だ け でなく 出 来 る
の で あ りま す 。即 ち表 面 的 不拡 大 と謂 ふ之 は 作 戦 部 が議 論 し て定 め
︹ 莞爾︺
る の で続 いて対 支 戦 を や れば ど う な る か と い ふ議 論 が あっ て当 時参
万 一と思っ た事 が 万 一になっ て了っ て居 る の で あり ま す 。
目下 は専 念 満 洲 国 の建 設 を 完成 し て対 ﹁ソ﹂ 軍備 を完 成 し 之 に
斯 様 な処 置 を取っ て居っ た半 面 に は心 持 の上 に次 の様 な事 が あ る
謀 本部 の中 枢 部 以 上 に於 て も同 様 であ り ます 。 作 戦部 長 石 原 少 将 の
依っ て国 防 は安 固 を得 る の であ る。支 那 に手 を出 し て大 体 支 離滅
事 なら 北 支 必ず し も北 支 全 部 で な く満 洲 に接 近 す る 部 分 に例 へば翼
考 へて居 ら れ る所 の考 は 即 ち
裂 なら しむ る事 は宜 しく な い。
東 、 察 蒙 と いふ様 な対 満 地 区 と いふ も の を此 の際 満 洲 国 の為 に作 る
内 蒙 事 件 或 は 嘗っ て翼 察 政 権 を経 営 し て見 た考 、 こう いふ様 な冒 険
様 に緩 衝 地帯 とす る が宣 し い、換 言 す れば 嘗っ て関東 軍 が実 施 し た
こう い ふ状 態 であ り ます が、之 が大 体 作 戦 部 全 部 の持 論 と し て居
そ うし て不 拡 大 の此 の方 針 を 作戦 部 で催 定 致 し ま し た と ころ が当
り ま し た の で実 際 不拡 大 と言 ふ 方針 で あっ た の であ りま す 。
的 な考 が幾 分働 き満 洲 国 の責 任 を軽 く し其 の国 家 を補 強 す る所 の緩
︹ 清︺
時今井次長 は御病気でありました ので、総長殿下に部長直接説明せ
の大 部 を錦 州 、 山 海 關 附 近 の地区 に集結 し中 央 の直 轄 と す る。
新 し く 部隊 を動 員 し て暫 く情 勢 の推 移 を見 定 め 、 新 し く航 空 部 隊
こう いふ考 方 が之 が十 三 日 の夜 に於 け る私 の記録 であ り まし て こ
兵 力 を 行使 す る場 合 は中 央 の承 認 を受 く 。
図 す る等 の場 合 には断 乎 た る決 意 に出 つる こと があ る 。駐 屯 軍 の
く 様 な 場合 、或 は 中 央 政府 が中 央 軍 を漸 次 北 上 せし め て抗 戦 を企
然 し 乍 ら其 の情 勢 より 此 の解 決 条 件 が若 し其 の実 行 に誠意 を欠
之 が第 一の方針 であ りま し た 。
衝 地帯 を有 せ し む る と いふ様 な 気持 が自 然 に作 用 し て居った ろ う と
例 へば 当 時 第 三課 長 武 藤 章 大 佐 は其 の時 は明 瞭 に其 の希 望 を抱 い
思 ふ の であ り ま す。
て居 ら れ たと 私 は思 ふ の であ り ま す 。 又作 戦 部 以 外 の方 は そう い ふ希望 を持って 居って 、間 接 に作戦 部 幕 僚 に意 志表 示 せ ら れ た者 も あ る ので あ りま す 。 之 等 の人 は 今言 ふ様 な処 置 を し て其 の処 置 は絶 対 不拡 大 の方針 で
い のだ と謂 ふ、 又努 め て第 一線 部隊 は紛 争 を惹 起 せざ る様 にし 、 万
事 で以上 不 拡 大 方針 か らし て求 め て進 ん で敵 を 攻撃 す る こと は し な
七月 十 五 日 に至って 私 は 現 地 の〓溝 橋 事 件 に即 し た現 地 の不拡 大
あ り乍 ら 拡 大 を腹 案 とし て行 は れ た と こう 思 ひま す 。
た。
る決 意 を要 す る場 合 には 寧 ろ出 先軍 の判 断 を尊 重 し て万 全 を期 し て
へた ので あり ま す 。之 は駐 屯 軍 幕僚 に示 し た事 で単 に法 則 を示 し た
恰度 其 の時 は北 支 那 駐 屯軍 司 令 官 田 代中 将 は病 死 せら れ ま し て後 ︹ 清司︺ 任 の香 月中 将 が著 任 せ ら れ た直 後 であ り ます 。北 支 那 に於 て は北 支
宜 し い が、 当時 北 支 に出 て居 り まし た兵 力 は駐 屯 軍 隷 下 の兵 力 と独
う いふ風 に今 後 の作戦 を指 導 し やう と言 ふ意 味 の事 を軍 司 令 官 に伝
那 駐屯 軍 司 令 部 は 宋哲 元 、張 自 忠 を 相 手 に勧 告 的 に事 情 を再 調 せし
立 混 成 第 一旅 団 、独 立 混 成第 十 一旅 団 そ れ だ け であ りま し て 、次 で
方 針 を事 実的 に徹 底 せし む る事 を任 務 と し て現 地 に差 遣 せら れ ま し
め そ こで大 体 軍 の意 向 は 先 づ平 静 にお さ め ら るゝ であ らう と言 ふ気
第 二十 師 団 の応 急 動 員 部 隊 が参 りま す 。
元政 権 が屈 服 し た 場合 に於 て中 央 政 権 か ら もう 一度 叩 いて押 し出 さ
哲 元 の威 令 は 行 は れず 板 挾 み の状 態 であ り ます 。 そ れ か ら或 は宋 哲
定 、 濁 流鎮 の線 の地 区 、出 来 る だけ 永定 河以 北 の地 区 にて撃 ちと め
や る かは 当時 の状 況 によ る も の で差 当 り作 戦 の限 界 と言 ふ も のを 保
元 来 之 等 の部 隊 でや るか或 は更 に内 地 か ら動 員 し た 師 団 を合 せ て
︹院 一郎 ︺
分 が多 数 を占 め て居 り ま し て只 一抹 の不安 は、 蒋 政 権 は中 央 の精 兵
れ る と い ふ 一抹 の疑念 も あった の であ り ます 。 私 が当時 作 戦 部 の意
一企 図 外 の紛争 が起 き た場 合 は 局 地的 に処 置 す る。 然 し 乍 ら 断乎 た
其 の直系 軍 を 保 定 附 近 に押 し出 し て居 り宋 哲 元 の其 の時 の情 勢 は 宋
向 と し て現 地 に伝 へた事 は
と 左 様 に言 ひ乍 ら 内 地 か ら はど し〓
それ に対 し て軍 司令 官 が率 直 に言 は れ た事 は よ せ〓
ぢ や な いか、之 を見 れば 向 ふだって 兵 を多 少出 し て来 るだ ら う。
兵 を出 し て来 る
た いと 言 ふ意 味 の事 を 私 は連 絡 し て居 り ます 。
大 体 陸 軍 は 今後 共 局 面 不 拡 大現 地解 決 の方 針 を堅 持 し て全面 戦 争 の如 き は極 力 之 を 回避 す る。之 が為 には 第 二十 九軍 代 表 に提 出 し て十 一日午 前 八時 調 印 の解決 条 件 を承 認 し て之 が実 行 を 監視 し、
り ま す か ら、 此 の作戦 通 り全 部 を実 行 す る と いふ事 は考 へて居 な か った ので あ りま す 。
動 員 し た兵 が来 れ ば 一人 で も出ざ な け れば な ら ん 様 に
そ こで私 は蘆 溝 橋事 件 を断 定 し て事 変 と言 ひま す が 大体 宋 哲 元 と
ど ん〓 なって 来 て却って 自 分 から 計 画 さ れ た事 にな る ので あ る から そ こ
が廊坊 で 日支 駐 屯 部隊 が衝 突 し て から前 の条 約 を 破 殿 し て漸 次対 敵
の条約 仮 調 印 によ り ま し て殆 んど 解決 し て居った と 思 ひ ます 。 そ れ
で非 常 にむ つ か し い。
行 動 に入って 行った ので あ りま す 。 換 言す れば 支 那事 変 は廊 坊 事 件
と言って 居 ら れ ま す 。
戦 場 に増 え て参 る と言 ふ状 態 であ
大 体廊 坊 事 件 と言 ふ のは極 め て些 細 な問 題 であ り ま し て 、廊 坊 部
件 後 は完 全 に支 那 軍 を 以 て敵 とし た の であ り ます 。
を以 て新 に始った と断 定 し て よろ し いと思 ふ の であ り ま す 。廊 坊 事
北京 天 津 の現 地 を防 護 す る事 が出 来 る之 丈 け の処 置 をし た の であ りま す が 、兎 も 角 軍隊 はど ん〓 る ので あ りま す 。 天津 駐 屯 軍 の作戦 幕 僚 が現 地を視 察 し乍 ら樹 てら れ た当 時 の駐 屯 軍 作戦 計 画 と い ふも のは、 天 津 は確 実 に軍 の掩 護 を 受 く る こと が出
切断 され て故 障 が起 る
の で之 が修 理 部 隊 を出 し 、明 瞭 に支 那 側 に諒 解 す る様 に通告 し て紛
隊 を通ず る北 京 、 天津 間軍 用 電 信 がし ば〓
戦 状 態 の起 ら な い様 に注意 し て出 し た が、 ゆ く と向 ふか ら射 撃 を受
来 る 、 そ こで北 京 周 囲 の敵 は主 に第 三 十 七 、第 三 十 八師 そ れ から 第
て、 大 体 北京 を中 心 と し て東 方 及 南 方 か ら南 苑 の敵 に対 し て駐 屯 部
け たと いふ様 に かう いふ 風 にし て戦 になった ので あり ま し て 、宋 哲
百 三 十 二師 で之 等 を ど う いふ風 に料 理 す る か と言 ふ考案 で あり ま し
隊 及 第 二十 師 団 応 急動 員 部 隊 を以 てし 、 又独 立 混 成 第 一旅 団 及 同 第
が徹底 し て居 ら んと いふ事 が表 現 し た の であ りま し て結 局 大事 に な
元 並 に張自 忠 の謝 罪 の意 は あって も 支 那 の軍 人 には 決 し て其 の気 持
った ので あ りま す 。 又其 の後 諜 知 し た所 によ りま し て宋 、張 は平 時
十 一旅 団 を以 て北 方 及 西側 郊 外 にあ る敵 に対 し同 時 に ﹁S﹂ 字 形 に
から 日本 軍 に対 し て北 京 天津 間 の交 通 遮断 を企 図 し て居った 様 で あ
包 囲 を なす と言 ふ風 に計 画 さ れ て居 り まし た。 此 の効 果 を最 も確実 にす る為 に天津 か ら豊臺 に至 る鉄 道 を確 保 す
蘆 溝橋 事 件 を起 し た のは宋 哲 元 の第 二十 九 軍 で其 の平時 防 衛 計 画
ります。
及 作戦 計 画 に表 は れ て居 りま す から 此 の部 隊 の態 度 は 又 お さ へる事
る のが条 件 であ り ます け れど も 、其 の上 に は多 数 の鉄橋 が あり ま す
って 行 く には 多 大 の注 意 を 払って 偵 察 し援 護 の処 置 を講 じ て居った
が 出来 な かった と 思 ふ ので あ りま す 。
ので軍 の作 戦 主 任者 は第 二十 師 団 を汽 車 輸 送 によって 豊臺 附 近 にも
ので あ りま す 。 兎 も角 軍 の作 戦計 画 が出 来 ま し て 万 一の場 合 は徹 底
扨此 の廊 坊 事 件 で全 く実 力 を 行使 す る と い ふ事 に変った の で あ り
的 に行 動 し得 る如 く処 置 し 、 準備 は段 々進 ん で居 り まし た が十 五 、
ま し た 。 そ れは 今 迄 の不拡 大 方 針 と し て の実 力 行使 で あった の であ り ます 。
六 、 七 日頃 迄 は 之 を実 現 す る機会 が 二分 の 一以 上 の公算 を持 つと い
は いって 来 て軍 に陳 辞 之努 め て居 る状 態 であ
ふ気持 に な りま し た 。 と申 し ま し て も派 遣 軍 司令 部 の裏 門 から宋 哲 元 も張 自 忠 も ど し〓
斯 く し て動 員 が令 せら れ ま し て本 腰 に内 地部 隊 を動 員 し て 此処 に もって 行 く事 に な りま し た 。 先 づ動 員 し た部 隊 は第 五 、第 六師 団 で応急 動員 部 隊 が先 づ出 て行
が 八月 上 旬 、続 いて第 六師 団 、其 の後 に戦 車 、高 射 砲 、 野 砲 、 独立
って 其 の次 には第 十 師 団 が出 た ので あ りま す 。 即 ち第 五師 団 の先頭
工兵 、重 砲 等 が前 進 し八 月 下 旬 に第 十 師 団 が到 著 す る、 こう いふ様
2 、北 支 時 局 処 理要 領 に就 て
な状 態 であ り ま し た。 事 件 の発端 は大 体 こん な も ので あ りま す 。
事 変 は 努 め て平 津 地 方 に限 定 を し て速 に同 地 方 を確 保 し 之 が安
七 月八 日 作戦 課 の起 案 し た る時 局処 理 考 案 は
退 け る。
こう いふ徹 底 し た意 見 つま り、冀 察 、翼 東 政権 を作った と同 様 の満
之 に対 し軍 務 課 長 柴山 大 佐 は極 め て局 限 せ る小 範 囲 の条 件 を 主張
︹兼 四郎︺
洲 国 に接 壌 し て緩 衝 地帯 を作 る こと で あ りま す 。
して
此 の際 領 土 的 若 く は満 洲 国 の拡張 と言 ふ様 な意 見 を持 つべき で は な い。
こう いふ 二 の意 見 があ り ま し た が結 局会 議 の結 果 次長 電 を以 て駐屯
蘆 溝 橋 事 件 解 決 ノ為 ニ此 ノ際 政治 問 題 ニ触 ル、 コト ヲ避 ケ概 ネ
軍 に宛 て
三 、直 接 責 任 者 ノ処罰
二、 将来ニ 関 ス ル所要 ノ保 証
一、 支 那側 ハ蘆溝 橋附 近永 定 河 左 岸ニ 駐 屯 セ サ ル コト
支 那駐 屯 軍 に所要 の兵 力 を 増 加 し 、我 に敵 対 す る 支那 軍 を 京 津 方
四 、謝 罪
左 記要 求 ヲ提 議 シ翼察 側 ( 第 二十 九軍 ) ヲ シ テ
面 よ り駆 逐 す 。 外交 々渉 も 亦 此 の方 針 に依 る。若 し敵 の抗 日戦 争
此 の電 報 に対 し ては 中央 部 の意 向其 のも の に多 少 の不同 意 も あ つ
定 を企 図 す る を 方針 とし 、 共 の要 領 とし ては 事変 不拡 大 の方針 を
が中 支 、 南 支 に波 及 す る こと が あって も中 支 、南 支 へは陸 軍 の出
以 て進 み、 支 那 側 に し て我 が軍 に対 し挑 戦 的 態度 に出 る に於 て は
兵 を行 は ざ るを 主義 とす 。 担 し 所要 に応 じ て青島 方面 に出 兵 し て
代 表 と の間 に条 約 を取 り纒 め殆 んど事 件 の解 決 迄 に進 ん で居 た事 は
た の であ り ます が、 出 先 軍 は逐 次 に中央 の意 図 を実行 し第 二十 九軍
別 項 で話 し た通 であ り ま す 。
居 留 民 を 保 護 し 我 が権 益 を 確 保 す 。 と 謂 ふ にあ り、 之 に依って 想 像 が つき ます 如 く 大 体事 変 の初 期 よ り
事 を報 告 し て参 り ま し た。
航 空部 隊 の 一部 を 以 て直 ち に出 動 し得 る準 備 を さ せ あ る
北 支 の情 勢 に鑑 み 独 立混 成 第 一旅 団 、独 立 混 成第 十 一旅 団 主力 、
薦蘆 溝 橋事 件 発 生 と同時 に関 東 軍 司 令官 は参 謀 総 長宛
︹植田謙吉︺
3 、 事変 処 理 に要 す る兵 力 の見 込 に就 て
参 謀 本 部 の意 向 は事 件 を北 支 に限 定す る と謂 ふ主張 で、此 の北 支 に 限定 す る と謂 ふ事 は陸 軍 省 も 異 存 のな かった 事 であ り まし て、 従つ て事 変 の名 前 を北 支 事 変 と名 附 け た の で あり ま す 。 ︹ 新一 ︺ 只 陸 軍 省 に於 け る軍 事 課 の意 見 は課 長 田中 大 佐 は 此 の際 徹底 的 に禍 根 を芟 除 す る為 に梅津 、何應 欽 協 定 を第 二十 九 軍 に適 用す る か、 又 は永 定 河 を去 る 二十支 里 の地 区 に支 那 軍 を
又朝 鮮 軍参謀 長 から は 北 支 事件 の勃 発 に伴 ひ第 二十 師 団 の 一部 を随 時 出動 せし め 得 る 態勢をとらしめた 事 を報 告 し て参 りま し た 。
ひ得 る ので あ りま す 。然 も十 二年 初 頭 作戦 計 画 の立 案 せ ら るゝ に当
支 那 を屈 服 せし め得 る方 策 あ り や否 や
って 作 戦課 が支 那 班 に対 し て
は 当時 全 面 戦 争 を 予想 す る記 述 より も 寧 ろ局 所 的 政策 出 兵 を主 題 と
と の判 決 で あ りま し た 。 従って 平 時 作 戦計 画 は支 那 に対す る諸 計 画
支 那 を屈 服 せし め る 方策 なし
と の質 問 に対 し て支 那班 の 回答 は結 論 に於 て
は現 在 あ る駐 屯 軍 兵 力 と先 に申 し ま し た朝 鮮 軍 及 関東 軍 を満 洲 よ り
し て記 述 す る方 に重 点 が お か れ て居った ので あり ま し て 、之 は対 支
参 謀 本 部 に於 ては 此 の処 置 を是 認 し単 に蘆 溝 橋事 件 の解 決 の為 に
然 し乍 ら第 二十 九 軍総 兵 力 は歩 兵 四師 、 独 立 三旅 、騎 兵 一師 、 一
戦 争 は其 の本 質 に於 て決 戦 を得 ず 、 持 久戦 で あ ると の観 点 の もと に
応 急 派 兵 し た も の に依って 処 理 が つく だら う と考 へた の で あり ま す 。
旅 、 兵員 約 七 万五 千 のみな ら ず 、 京漢 線 に沿 ふて逐 次中 央 軍 を 北 上
立 案 せ ら れ て居った も のと考 へて居 り ます 。
七 月十 五日 航 空 兵団 の平 津 派 遣 が問 題 と せら れ た ので あ りま す が、
4 、事 変 初 期 に於 け る航 空 部 隊 集 中状 況
せし む る で あら う事 も想 像 し ま し た ので、 別 に内 地 よ り 三箇 師 団 及 航 空 兵 団 を出 動 せし む る決 心 をと ら れ た の で あり ま す。 即 ち 以 上 の兵 力 を 以 てす れば 京津 平 地 に於 け る処 理 は素 より内 蒙 、
嚇 す る が宜 し いと言 ふ意 見 があ り ま し て、 当 時 関東 軍 が持って 居 る
主 張 し まし た 。応 急 出 動 の兵 力 と し て は積 極 的 に あ る部 隊 で充 分 威
之 は他 の 一般 判 断 に先 だって 相 当 大 き な航 空 兵 団 を 一挙 に熱 河 省 地
結 果 か ら観 ま す れば 大 同 、保 定 、 濁 流 鎮 の線 迄 は大 体 此 の程度 の
航 空 部 隊 中 有 力 な る 一部 を 之 にあ て 、 又内 地航 空 兵 力 を内 蒙 正 面 に
﹁チヤ ハル﹂ の処 理 にも概 し て事欠 か ぬ であ ら う と判 断 し た次第 で
兵 力 で処 理 せら れた ので あ りま す 。只 一言 注 意 す ベ きは 当 時参 謀 本
域 に展 開 す る こと を当 時 作 戦 課 の高 級 課 員 中 寺 田済 一中 佐 が熱 心 に
部 の誰 人 と雖 も 今 日十 二、 十 三年 の如 き 大作 戦 を導 く 事 を希 望 し た
あり ます 。
者 はな く 、 又 斯 様 な大 作 戦 にな る事 を怖 れ 予想 し た人 も な かった と
せ ら れ て居った の であ り ま す が 、〓 此 の内 地航 空 部 隊 を空 中 輸送 で
島 に集 中 し まし て其 の結 果 は無 事 故 であった の に比 し て 、戦 争 の初
であ り ます 。之 に反 し て海 軍 の航 空 部 隊 が或 は大 連 或 は 九 州 、済 州
は 今 後 我 が陸 軍 航 空 部隊 の為 に改 善 進 歩 を考 慮 せな け れ ば な ら ぬ の
ト﹂ 内 外 の損 害 を生 じ た ので あ りま す 。 此 の憂 ふ べき 不幸 な る結 果
大 陸 に集 中 し た結 果 か ら観 ます ると 、 大 体集 中 途 中 で十 ﹁パ ー セ ン
集 中 す ると 言 ふ事 に就 て は其 の重要 性 を考 へて色 々研 究 し 又 演習 も
多 く の人 は斯 様 な 大作 戦 迄 進 展 し な い以 前 にあ る限界 に達 す れ ば 、
考 ふ る の であ りま す 。
と言って も宜 し い位 であ りま し て、第 二部 特 に支 那班 の有 力 な 部員
支 那側 が屈 服 す るも ので あら う と漠 然 た る想 像 に支配 さ れ て居った
の意 見 と し て も亦 同 様 で あ りま し た 。 結果 か ら観 ま す れ ば我 々は 支 那 の覚 醒 意 思 を 誤断 し て居った と言
を 警 戒 し乍 ら 必 要 が な け れば 対 敵 行動 は し な い、 そ し て市 街 戦 を避
で、敵 第 二十 九 軍 を主 に相 手 と し て 、其 の他 の支 那 軍 に対 し て は之
け 北 京 、天 津 附 近郊 外 に於 て神 速 果 敏 に之 を撃 破 す る と言 ふ ので あ
期 か ら陸 軍 航 空 の為 に 一抹 の暗 影 を見 た の であ り ます 。 恰 度 私 (西 村 中 佐) が事 変 の初 期 、駐 屯 軍 に連 絡 を し て 七月 十 七 ︹好 敏 ︺
に 帰 る途 中 錦 州 に立 寄 った際 に、徳 川 兵 団 長 が錦 州 に前 進 せら れ 、 りま す 。
此 の第 三十 七師 を 撃 つ為 には其 の前 にあ る第 三十 八師 を撃 たね
す。
どう し ても此 の奥 の師 団 が 一番 抗 日意 識 を持 っ て 居 る の で あ り ま
った のは馮 治 安 の第 三 十 七師 で北 京 の西郊 外 にあ る ので あ りま し て 、
張 自 忠 は親 日的 であ り ま し た 。所 が最 も排 日的 抗 日 的意 識 の盛 であ
当 時 南 苑 に は第 三 十 八師 の張 自 忠 の師 団 が あ りま し て 、始 め から
現下 の航 空 部 隊 は集 中 輸 送 中 であ り まし た が、錦 州 に於 け る兵 団 司 令部 は中 国 、 朝 鮮海 峡 及 南 朝 鮮 に於 け る隷 下 部 隊 航 空事 故 の電 報 を
兵 団 長 は 私 か ら北 支 状 態 が 一先 落 付 き そう だ と 言 ふ状 勢 判 断 を 聴
逐 次 に受 取 ら れつゝ 憂 の色 に包 ま れ て居 た次 第 でし た。
取 ら れ た上 安堵 の色 を示 し て 、 そ れ では航 空 部隊 の集 中 は 無 理 を しな い様 に緩 っく り指 導 し やう 。と言 って居 ら れ た ので あり ま す 。
の配 置 上 止む を得 な い事 で 、第 三 十 八師 を南 方 から 攻 む る と言 ふ事
は仲 々難 し い。然 し 結 果 は南 苑 の第 三 十 八師 並 に増援 し て来 た第 百
ばなら ぬ。第 三十 八師 を 先 に片 附 け て第 三十 七師 を繋 っと言 ふ事 は敵
の障 碍 に対 し て征 服力 が海 軍 に比 し て充 分 でな い様 な印 象 を持 った
三十 二 師 に殆 んど 全滅 的打撃 を与 へま し た 。之 に反 し先 程 の第 三十
元 来 陸 軍 の航 空部 隊 は其 の生立 か らし て海 軍 の航 空 部 隊 に比 し て
事 は 、特 に此 の動 員 し た る航 空 部 隊 の中 には 技量 の著 く 未 熟 な航 空
そ こで第 三十 七師 の主 力 の撃破 は次 の会 戦 に委 せね ば な らな か っ
七師 は殆 ん ど無 損 害 で逃 げ てし ま った と言 ふ結 果 にな って居 り ま す 。
足 が短 いと 言 ふ事 は当 り前 の事 で あ った の であ り ま す が 、天 候 気 象
の上 に余 程 研 究 せ ねば なら ぬ事 だ と 一番 に感 じ て 居 る 訳 で あ り ま
此 の作 戦 で先 づ 廊 坊 部隊 及駐 屯 部 隊 が苦 労 し た が、鮮 か であ った
て将来 軍 の前 線 部 隊 が研 究 の余 地 を 持 って居 る の であ り ます 。
言 ふ点 で あ りま す 。之 は機 械 化 旅 団 が 全く 初 め て の戦 場 で あり ま し
は 、機 械 化 旅 団 即 独 立 混成 第 一旅 団 の機 械 化 旅 団 が働 け な か った と
た 訳 であ りま す 。 も う 一つ此 の北 京 附 近 の会 戦 で研 究 を要 す る問 題
勤務 者 が相 当 多 数交 って居 った と言 ふ事 は勿 論乍 ら 、今 後 航 空指 導
す。 5 、北 京 駐 屯 部隊 の会 戦 指 導 参 謀 本 部 と し て は軍 の意 見具 申 、 幕 僚 の連 絡等 によ り まし て 大体 此 の北 京 附 近 の敵 掃 蕩 の為 に当時 迄 北 支 那 駐 屯 軍 司令 官 が指揮 し て
こと は第 二十 師 団 が鉄 道 輸 送 され 次 で徒 歩 行 軍 に て南苑 を南 方 か ら
居 ら れ た兵 力 、 即 ち北 支 那 駐 屯 混成 第 一旅 団 、 独 立 混成 第 十 一旅 団、 第 二十 師 団 の応 急動 員 部 隊 、 徳川 兵 団 で大 体 片 附 け得 る見 込 を っけ
駐 屯 軍 に於 て作 戦 的 問題 と な った のは豊臺 の河 邊 旅 団 の遣 方 であ
包 囲 し た機 動 作 戦 が何 等 の渋 滞 な く 実 行 さ れ た事 であ り ます 。
て余 り津 浦 線 、 京 漢線 、京綏 線 に沿 ひ遠 く 作 戦 す る こと を考 へな い
此 の作 戦 に対 し て抱 いて居 った計 画 は北 京 、 天 津附 近 の範 囲 であ っ
げ ら れ たも のと思 ふ の であ り ます 。
の為 には北 京 武官 補 佐 官 、 特 務機 関 等 に より非 常 に大 い な効 果 が あ
ど う も冀 東 の役 人 が怖 が っ て仕方 が な い の で保安 隊 の全 部 を集
が 通州 に連 絡 に行 った時 細 木 特 務 機関 長 は
︹繁 ︺
次 は通 州事 件 で あ りま す が 、 此 の事 件 の起 き る数 日前 に西 村 中佐
6 、通 州 事 件
り ま し て 、北 に向 いて第 三十 七 師 に対 し 南 に向 いて第 三十 八 師 に対
そ こで河 邊旅 団 の騎 兵 一中隊 は北 に向 け 、 其 の他 の兵 力 を 挙 げ て
す る作 戦 は非 常 に難 し い。
南 向 け て南 苑 を攻 撃 し た 、誠 に放 胆 に敵 を 相 手 と し て来 ら れ た事 で 之 は既 に事 件 の始 に議 論 さ れ た意 見 で あ り ます 。
モ ス﹂機 で豊臺 に行 って見 た が 、北 京 の南 方 に対 し て の攻 撃 配置 を
常 に危 な か し が っ て居 る旨 を申 し て居 った が、 代 表 がそ ん な 心配 は
と こう 言 ふ様 な 事 を 言 は れ まし た。 軍 司令 部 でも冀 東 の保 安 隊 を非
め たが 、尚 怖 が るか ら北 京 の方 に壕 を作 ら せた ら落 付 き を与 へて
私 が現 地 に派 遣 せら るゝ 時 石 原部 長 に特 に面 子 を考 へて おか ね ば
現 地 に就 て研究 せ ら れ て居 りま し て非 常 に士 気 旺盛 で あ った ので あ
な いと言 ふ様 な事 を 言 は れ た。 免 も角 私 共 は何 れも 捜 索 其 の他 の調
な ら ぬ が、 河邊 旅 団 が孤 立 無援 にな る様 な 場 合 は退 いて宜 し いと言
り ます 。 従 って南 苑 の攻 撃 の時 は河 邊 旅 団 の主 力 は南 方 よ りす るD 20
る ことを知 りま し た 。
査 に依 って其 の後 に部隊 の内 面 的 には 動揺 し て居 る こと は確 実 であ
居 る様 だ。
の攻 撃 に呼 応 し 、 其 の西 北 方 より敵 の退 路 を遮 断 し 、 北方 第 三 十 七
ふ議 論 で、 私 は直 ち に汽 車 に乗っ て行 く 事 が出 来 ま せ ん の で ﹁ブ ス
師 に対 せし 騎 兵 中 隊 は相 当 危 機 が迫 って会 戦 の最後 には憂 慮 す ベ き
又 当時 心痛 し て居 った のは、 北 京居 留 民 の食 物 の問 題 で 、当 時 北
州 に入城 し て来 た部 隊 等 が小 さ い失 策 を や って居 る の であ り ま す 。
ので あり ま し て、 例 へば豊臺 に孤 立 し ま し た或 る部 隊 に対 し て 又通
動 揺 し て居 る と言 ふ の には 、 そ れ には 前 線部 隊 に個 々 の事 実 が あ る
私 共 が行 った時 も 其 の事 は主 張 せら れ ま し た が、冀 東 の保 安 隊 が
京 には在 留 民 は 朝 鮮 人 を合 せ て三 千 人近 く 居 った の であ り ます 。 之
状 況 と見 ら れま し た 。
等 を 公使 館 区 域 に収容 す る の であ り ます が 、食 糧 の集積 等 が そう な
になっ て通 州 に帰っ て来 た の であ り ま
そ れ は戦 車隊 の修 理 班 が豊臺 へ前 進 し て其 が北 京 の門 内 の守備 隊 か ら射撃 を受 け散 々バラ〓
い、 軍隊 及全 部 の居 留 民 に対 し て判断 す れば 一週 間 分 位 し か な い。 居 留 民 だ け だ ったら 三 十 日分 位 あ った と思 ひ ます 。 道 は全 部 閉 鎖 さ
だ か ら、 過 度 に小 さ い部 隊 で満 洲 に於 け る様 な 分散 姿 勢 は とら れ な
対 し ては 一寸 し た事 が敵 に餌 を与 へて意 想 外 の事 件 を作 り出 す も の
そ こ で此 の後 に も戦 場 に行 か れ る際 、作戦 課 にお寄 り にな る人 に
ます 。
す 。 かゝ る小部 隊 の醜 態 が保安 隊 を動 揺 せし め た動 機 であ ると 思 ひ
そ こで南 苑 の攻撃 は 今言 ふ様 に北京 の南 方 の敵 の攻 撃 を計 画 し 、
れ て補給 の方 法 はな い、 此 の点 であ り ます 。
当 時 北 京 の東 門 を武 力 を 以 て戦 車 部隊 の掩 護 下 に爆 破 す る と言 ふ事
之 は然 し実 行 す る前 に全く 北 京 の処 理 が つき まし た が、此 の処 理
を計 画致 し まし た。
い様 にと何 時 も言 って居 った次第 で あ りま す 。 ︹チ ヤ ハル︺
二 、 察哈 爾 作 戦
1 、﹁チ ヤ ハル﹂ 作 戦 先 づ ﹁チ ヤ ハル﹂ 作 戦 は計 画 的 に起 った も の で は あり ま せ ん。
に帰 へす と斯 様 な計 画 であ り ます 。 其 の増 加 兵 力集 中 要 領 は
対 せし め 第十 師 団 が天津 に到 着 す る に従 って独 立 混成 旅 団 を 関東 軍
第 五 師 団 は豊臺 南 方 地 区 第 六 師 団 は廊 坊 附 近 第 十師 団 は濁 流 鎮附 近
之 は ﹁チ ヤ ハル﹂ に於 け る敵 の兵力 は相 当優 勢 に な って来 た ので駐
事 実 北京 会 戦 直 後 独立 混 成 第 十 一旅 団 が南 口 の敵 を攻 撃 し始 め て、
七 月十 日頃 迄 は 以 上 の様 な 考 へを も って居 った の で あり ます が、
斯 ふ いふ結 果 であ り ます 。
す が、 之 は北 京 附 近 の会戦 を終 った 直後 立 て ら れ たも ので あ りま し
屯 軍 は之 を放 置 し て おく 訳 には いか な い様 にな り ま し た ので 、参 謀
八 月 十 日頃 に駐 屯 軍 司令 部 で立 案 し た集 中 計 画 と言 ふ のが あり ま
一部 は長 辛 店 及 濁 流 鎮附 近 を占 領 し て敵 の攻 勢 に備 へっ っ逐 次 到着
本 部 に於 ては 今 後 の作 戦 指 導 の要 領 とし て ﹁チ ヤ ハ ル﹂ 方面 の作 戦
て大 体 其 の主 旨 は、 駐 屯軍 は北 京 、 天津 市 街竝 に北 寧鉄 路 を確 保 し
す る増 加兵 力 を京 津 平 地 に集 中 す る 。其 の増 加 兵 力 は永 定 河 の線 か
を 次 に申 述 べ る様 に指 導 す る事 に定 った の であ りま す 。即 ち
作 戦 目 的 は ﹁チ ヤ ハル﹂省 に進 入す る と 共 に敵 を 掃蕩 し て駐屯
ら 南 方保 定 方 向 に対 し て作 戦 を 実施 す る。 此 の集 中 は大 体 八 月 二十 五 日頃 迄 に終 っ て九 月始 頃 は 南 方 に向 って作 戦 を実 施 す る と言 ふ構
屯 混 成 旅 団 は 北 京附 近 の敵 に当 り、 独 立 混成 第 一旅 団 は蔚 州附 近 に
京綏 線 に沿 ふ地 区 から張 家 口 に向 ふ作 戦 をし 、 関東 軍 司 令 官 は 日本
隊 即 ち 独 立 混成 第 十 一旅 団 、第 五 師 団 及所 要 の現 地部 隊 を 以 て寧 ろ
態 であ り ま し た。 此 の作戦 は支 那 駐 屯 軍 が 八月 中 旬 か ら有 力 な る部
軍 右 側 背 を安 全 にす ると 共 に満 洲 国 の国境 の脅 威 を 除去 す る。
於 て警 備 に当 り 且軍 の機 動 予備 にな る。 独 立 混成 第 十 一旅 団之 が北
軍 一大隊 を基 幹 とす る満 軍 部 隊 を 以 て熱 河 の西 南国 境 を警 備 せ し め
想 で あ り まし て、 此 の構 想 の中 に は ﹁チ ヤ ハル﹂ に有 力 な る兵 団 を
京 西 北 地 区 を掃 蕩 し て南 口方 面 の敵 に対 し南 口の敵 を攻撃 す る か、
本 多 混成 旅 団 、 堤 支隊 を内 蒙 方 面 に出 し満 蒙 軍 を支 援 し て張 北 地方
り ます から 、内 蒙 軍 は 逐 次山 西 軍 の為 に追 は れ て張 北危 しと 言 ふ状
或 は迎 撃 す る か状 況 に依 る け れ共 、 軍 の主 力 が前 進 す る に 先立 って
事 実 支 那 軍 の 一部 は満 洲 国境 を越 え て熱 河 を荒 し て居 った実情 であ
南 口 の敵 を 八達 嶺 以 南 に撃攘 し て軍 の右側 背 を安 全 にす る 。之 で見
の安 全 を確 保 す ると 共 に戦 況 に依っ て は張 家 口南方 に進 出 し 、京綏
以 て作 戦 す る企 図 は現 れ て居 ら ん の で あり ま す 。従 って此 の兵力 配
て も始 め か ら独 立 混 成第 十 一旅 団 が南 口を真 面 目 に攻撃 す る意 図 は
置 は第 二十 師 団 が張 辛 店 附 近 に於 て第 二十 九 軍 と相 対峙 し 、 北支 駐
な いと言 ふ事 が現 れ て居 りま す 。
であ り まし た。
線 を 遮断 し て支 那 駐屯 軍 の ﹁チ ヤ ハル﹂ 作 戦 に協 同 す ると言 ふ考 案
尚第 一師 団 の関 旅 団之 は天 津 南 方濁 流 鎮 附 近 、 西 方津 浦 線 の敵 に
即 ち参 謀本 部 は第 五 師 団 を遠 く 中 部 山西 に進 む る企 図 を有 し て お ら な か った事 は 明瞭 で あり ます 。
︹幸 雄 ︺
も のが あ りま し た) に指 示 を し た
意 し難 し 、詳 細 は笠 原 少 将 ( 実 は参 謀 副長 に任 命 され て出 発 前 の
東 軍 参謀 時 代 より 内蒙 工作 は主 任 者 であっ た関 係 上 此 の際 内 蒙 軍 に
即 ち 前電 を した ので あ り ます 。 之 に対 し ては 作 戦課 長 武 藤 大 佐 は関
北 京附 近会 戦 の後 駐 屯 軍 とし て は京 漢 線 方 面 のみ を考 慮 し て ﹁チ
へか ら熱 心 に意 見 具 申 し ま し た が不 採 用 に なっ た次 第 であ り ます 。
核 心 を与 へ今 よ り堤 支 隊 を張 北 に派 遣 す る ことは 必要 であ る と の考
2 、 八達 嶺 攻撃 開 始 の発起
ヤ ハル﹂方 面 には余 り考 慮 を払 って居 らな かっ た ので あ りま す 。其
関東 軍 は数年 前 よ り内 蒙 と 独 特 の関 係 を 以 て居 り ま し て満 洲国 の
経過
3 、 内 蒙 方面 作 戦 開 始 に就 て の関 東 軍 の交 渉
の事 は 別項 に申 述 べま し た様 に駐屯 軍 集 中 計 画 に現 は れ て居 る ので あ りま す が 、東 京 に於 ては他 方 面 の各 種 の状 況 より ﹁チ ヤ ハル﹂ の
西 境 を安 全 にす る為 に謀 略 的 にも戦 略 的 にも 亦 戦術 的 に も相 当 の工
敵 情 は軽 視 を許 さ ぬも のが あ ると 考 へま し た の で、 必ず 八達 嶺附 近 、 分 水 嶺 を抑 へて察 北 を安 全 な らし め た る後 南 方 に向 ふ作 戦 を考 究 す
作 をし て居っ た ので あ り ます が、 北 支事 変 が起っ た 当時 に此 の関 東
軍 の ﹁イデ オ ロギ ー﹂ は再 び活 動 を始 め まし て此 の機 会 に於 て内 蒙
べ き で あ ると考 へ、 八月 三 日当 時 駐 屯 軍 に連 絡 の為 に派遣 せら れ て
を積 極 的 に指 導 し や う と す る意 見 が提 出 せ ら れ た の であ り ます 。 之
居 り ま し た寺 田航 空 兵 中 佐 に対し て作 戦 部長 よ り 当 時 の支 那 の情 況 は敵 の動 静 に注 意 を要 す る も のあ り 、此 の際
関 東 軍参 謀原 田丞 佐 ( 後 の航 空 兵 中 佐) が東 京 へ参 り ま し て、 内
︹少憲 ︺
は七 月 三 十 日 の事 で あ り ます 。
南 口、 八達 嶺 の処 理 に対 し て考 慮 す る こと 肝要 な り と感 ぜ ら る現 地 の実 情 如 何 詳細 電 報 あり た し と言 ふ意 味 の電 報 を し て軍 の注意 を喚 起 し た の であ り まし た 。之 を
た 。之 に依 り ま す と北 支 方 面 の作戦 に連 繋 を し て内 蒙 軍 は商 都 、張
蒙 方面 の作戦 指 導 に関 す る満 洲国 関 係 事項 を中 央 に提 出 せら れ ま し
内 蒙 軍 と言 ふ ても前 記 の希 望 達 成 には も と より 日 本軍 の使 用 を 必
大 同 方面 に進 出 し て之 を占 領 す る意 見 で あ りま す 。
北 の線 を確 保 し て そ の後 の攻 勢 を準 備 し、 攻 勢 の進 展 に伴 ひ平 地泉 、
動 機 と し て独 立 混 成 旅 団 を以 てす る南 口 の攻撃 に発 展 し た ので あ り
八 月 五 日 に至 って関 東軍 司 令 官 は参 謀 総 長 宛 意 見 具申 を され ま し
ます 。
て 、多 倫 に出 し た堤 支 隊 を直 ち に張 北 に前 進 さ せ たし と の こと であ り まし たが 之 に対 し て石 原 部長 は 之 を認 容 せざ る方 針 で、
げ て支 那 軍 一箇 師 に足 ら な いで逐 次 傅 作義 軍 に圧 迫 せ ら るゝ 傾 向 に
あ り まし た 。此 の関 東 軍 の意 見 に対 して作 戦 部 は不 拡 大 方針 を堅 持
用 とし 、 当時 内 蒙 軍 の兵 力 は九 箇 師 九 千 あっ て其 の兵力 は全 部 を あ
す べ き時 期 に斯 様 な 積 極 的 な 進出 作 戦 を 行っ て は な らな いと言 ふ意
平 津 地 方 の安 全 を見 ざ る 以前 に過早 に内 蒙 方 面 に対 す る作 戦 行
対 し て積 極 的 に攻 撃 し来 ら ざ る限 り我 より進 ん で内 蒙 方 面 に作 戦
動 を開 始 す る こと は適 当 でな い から 、張 家 口附 近 の支 那 軍 が我 に
を導 く事 は時 期 尚 早 で あ り、堤 支 隊 を 張 北 に前 進 せし む る件 は同
多 倫 附 近 に配 置 し其 の実 力行 使 を控 制 す る旨 の電 報 を起 案 し て原 田
線 を 確 保 し て既 存 勢 力 を擁 護 す る程 度 に所 望 し 日本 陸 軍 派遣 部 隊 は
見 に 一致 し て 、参 謀 長 に指 示 し て内 蒙 に於 け る作 戦 は 商 都 、張 北 の
む る事 、之 に聯 接 を し て察哈 爾 、山 西 の戦 況 の進 む迄 張 北 、厚 和 、
言 ふ事 は大 体 の判断 と し て、 現在 兵 力 に て概 ね 保定 附 近 の作戦 に止
で あ りま す が、東 京 に於 ては 此 の方 面 の作 戦 は ど の程 度 進 む る か と
斯 様 な 考 へか らし て此 の山 西 省 に飛 込 ん で徳 王 勢 力範 囲 を更 に拡
あ ると 考 へた のであ り ます 。
内 蒙 一独 立政 権 に依 っ て満 洲 国 の西 南 隣 を援 護 す る最 小 限 の地 帯 で
た線 で あり ま し て所 謂 徳 王 の領 域 で あ った ので あ りま す 。 之 が元 来
晋 北 の線 、 此 の厚和 、晋 北 の線 は嘗 て徳 王 内 蒙政 権 の管 轄 し て居 っ
此 の関東 軍 の思 想 は 機会 あ る毎 に諸 所 に実 行 に移 し事 実 に現 は れ
少 佐 に指 示 の電 報 を携 行 せ し めら れ た次第 で あ りま す 。
た の であ り ます 。 当 初 関東 軍 の出 し た 兵力 は堤 支 隊 ( 歩 兵 一大 隊 を基 幹 とす る機 械 化 部 隊 ) だ け であ り ま し て 、当 時 関 東軍 は予 備 に持 って居っ た兵 力
め て や ると言 ふ事 は危 険 で あ る と不 拡 大 方針 か ら考 へた ので あ りま
備 さ す 、之 が為 関東 軍部 隊 は山 西 省 の敵 を撃 破 す る余 力 もな いと こ
を 北 支 の戦 況 に応 じ て北支 京 津 平 地 に出 し て居 る の であ り ます から 、
う 老 へた の で あ りま す 。此 の考 へは東 京 と北 支 那 方面 軍 司 令 部 と は
に南 方 京漢 線 方 面 に下 げ厚 和 以 東 内 蒙 察哈 爾 は関 東 軍部 隊 をし て警
ひ、京 津 平 地 に急 派 し た る関 東 軍 の兵団 即 ち 独 立 混 成第 一旅 団 、 独
し っく り 一致 し て居っ た の であ り ま す が事 実 は之 に反 し て進 行致 し
す 。 中 央 の腹 は段 々悪 化 し まし て第 五 師 団 を蔚 縣 から成 く 可 く 速 か
立混 成 第 十 一旅 団等 を戻 し て呉 れ と言 ふ希 望 を持 ち だし た の であ り
に内 地 か ら の動 員 部 隊 が漸 次 参 り ま し て駐 支 軍 の指 揮下 に入 る に従
ます 。此 の事 は数 次 の折 衝 の後 に先 づ本 多 旅 団 次 で独立 混 成 第 一旅
た ので あ りま す が、之 は関 東 並 に第 五師 団 が全 く別 個 の考 へを 以 て
之 以 上内 蒙 派 遣 兵 力 は 増 加す る ことは 困難 で あ った ので 、京 津 平 地
団 を関 東 軍 に復 帰 さ るゝ こ と にな り 、軍 は之 等 の部 隊 を直 ち に内 蒙
以下 其 の事 実 を申 上 げ ま す 。
居 った から であ り ます 。
4 、京綏 沿 線 及北 部 山 西 に対 す る作 戦 進 捗 の
方 面 に派 遣 を し まし た。
別 項 に述 べ ま し た様 に察哈 爾 省 に於 け る作 戦 は張 家 口方 面 よ り関
な りま し た ので 、第 二部 方面 の謀 略 実 施 上 の意 見 から 次長 電 を以 て
関 東 軍 部 隊 は 本多 旅 団 を 北 方 よ り進 む る事 にし な けれ ば な ら ん様 に
ま す 。之 に対 し て大 同 附 近 には山 西 軍 の主 力 が集 中 し て居 り まし て
九月 十 日関東 軍部 隊 は陽高 、聚 楽堡 方 面 に前 進 し 始 め た ので あり
東 軍 部 隊 の進 出 、 八達 領 方 面 よ り第 五 師 団 、独 立 混 成第 十 一旅 団 の
関 東 軍 に、
経緯
日蔚 県 に遠 く前 進 致 し ま し た 。
此 の方 面 に我 兵 力 増 加 を企 図 せざ る のみ な らず 復帰 をす るを要 す
大 同 附 近 の隷 下 部 隊集 結 中 の状 況 から ソ聯 に対 す る顧 慮 上特 に
進 出 に依 り ま し て有 利 な状 況 を作 りま し た ので第 五 師 団 は 九月 十 一
当時 関 東 軍 部 隊 は第 五師 団 の右 翼 に前 進 す る のは変 更 致 しま し て、 京綏 沿線 天鎮 、陽 高 、 聚楽堡 を経 て大 同方 向 に前 進 し て居 まし た の
省 作 戦 に相呼 応 す ると 言 ふ様 な積 極 的 考 へが 現 れ て来 た の であ り ま
のも のであ り ま し て、 何 時 迄 も 南方 に興 味 を 持 つと云 ふ事 は 金般 の
す 。元 来 関東 軍 は専 ら北 方 に対 す る対 ﹁ソ﹂作 戦 を準 備 す べ き性 質
べ き状 態 な り 貴 軍 の任 務 は曩 に内 蒙 処 理要 領 を以 て承 知 せ し めた 通 り で あ っ
派遣 し察哈 爾 、山 西 に於 け る 作戦 に任 ぜせ し め要 す れば 之 に 一軍 を
で之 が為 には関 東 軍 部 隊 を 引 上 げ し め山 西 省 、察哈 爾 に別 の部隊 を
戦 課主 任 者 は北 支 事 変 から 関 東 軍 に手 を切 ら せ る 必要 を痛 感 し た の
国 防指 導 上 由 々し い危 機 を 齎 ら し む る の であ り ます が、 此 頃 か ら作
て 北部 山 西 省 及綏 遠 省 に対 す る勢 力 充 実 の関係 か ら大 な る新 作 戦 指 導 に就 き再 考 せ ら れ度 と言 ふ意 味 の も の であ りま す 。
居 る が戦 況 の見 透 不 明 瞭 の今 日武 力使 用 迄 は進 展 し て居 りま せ ん が、
充 当す る考 へを起 し た の であ り ます 。之 が駐蒙 軍 編 成 の抑々 の理由
東 京 の対 ﹁ソ﹂ 判 断 は ﹁ソ﹂ は資 材 の補 給 に依 り支 那 を 援 助 し て
此 の暮 又 は 一月 初 頃 が彼 の武 力 的 援 助 の 一時 機 とし て警 戒 を要 す ベ
であ った の であ り ます 。
平 地 に南 下 す る と言 ふ のは 頗 る重大 で あ った ので あ りま し て、此 の
す 。関 東 軍 の此 の北 部 山 西 省 進 入作 戦 、 殊 に内 長 城 線 を 越 へて代 州
当時 山 西省 に於 け る作 戦 は 関東 軍 の思 想 に依 って な され て居 り ま
き であ ると 云 ふ訳 から 、関 東 軍 部 隊 の積 極 前 進 を 控 制す る に決 し九
板 垣兵 団 、東 條 都 隊 の正面 の敵 は廣 霊 、大 同 附 近 に集 中中 な る
思 想 は第 五 師 団 の思 想 とぴ った り 一致 し て最 後迄 北 支 那 方 面 軍及 東
月十 三 日次 長 電 を以 て北支 那 方 面 司令 官 に対 し ま し て
が如 きも 此 の方 面 の今 後 の作 戦 指 導 は 大 いに考 慮 を要 す るも のあ
︹ 第 五師阻︺
り両 兵 団 の現況 及 爾 後 の企 図 等 不 明瞭 な る に付 き 明瞭 に報 告 せ ら
京 を引 摺 っ て来 た思 想 であ り ま す 。
然 し東 京 に於 き まし ては 尚 不 拡大 方 針 を 堅 持 し ま し て、決 し て全
れ度 と の意 味 の電 報 を出 し ま し た が同 時 に大 同 占 領 の報 告 が来 た ので あ り ます 。 大同 占 領 後 どう す る か と思 って居 る時 先 手 を打 って関東 軍
の南下 作 戦 に反 対致 し まし た 。第 二部 も北 方戦 略 指 導 の観 念 よ り更
大 同 附 近要 地 を占 領 し 作戦 地域 内 察哈 爾 省 の安 定 確 保 に任 し且
て来 た の であ り まし て、 遂 に九 月十 三 日関東 軍司 令 官 に
に大同 を越 へて南 方 に兵 を 進 む る こと は不適 当 とす る意 見 を 堅持 し
北 支 に手 を伸 ば す考 へを有 し な い思 想 であ り ま し た の で、 強 硬 に此
大 同 攻略 後 引 続 い て山西 省 境 に対す る板 垣 兵 団 の攻 撃 を支 援 す
から
る考 へな り 。今 後 一般情 勢 を判 断 す る に関 東 軍 部隊 は寧 武 、代 州 附 近 を攻 略 し て将 来 第 一軍 正 面 に於 け る石 家 荘 方 画 の作 戦 の為 北
第 五 師 団 の保 定 に向 ふ用意 を せら れ度
要 す る兵 力 を増 派 す る事 が出 来 ん現 況 で関 東 軍 部 隊 が何時 迄 も相 当
と の任 務 を与 へた の であ り ます 。此 の理由 は大 同 から 南進 す る為 に
と言 ふ意 味 の意 見 具 申 が参 りま し た 。此 の関 東 軍 の意 志 は内 蒙 を此
大 な る兵 力 を此 の方 面 に出 し て居 る のは危 険 であ り 兵 を帰 す ベき 筋
二ケ 師団 を 必要 とす る を以 て兵 力 を増 加 せら れ度 。
部 山 西省 に於 け る作戦 の根 拠 を占 め て おく を要 す 。之 が為 実 力 約
の際 徹底 的 に攻 略 す ると共 に北部 山 西 省 に進 入作 戦 を指 導 し て河 北
尚 其 の電 報 と 同時 に内 蒙 方 面 には内 蒙 軍 を使 用 し て平 地泉 (含 ま
合 のも の で あ ると の点 か ら で あ りま す 。
ず ︶ 以東 察哈 爾 を平 定 す る事 は当 然 な り と せ ら れま し た。
な いだ らう と考 へて居 った の であ り ま す が 、参 謀 長 ( 西村大佐)は
通 信 家 で あ りま す か ら連 絡 し さ う な も のと の笑 話 も出 た の であ り ま
其 の主 力 は〓 州 に於 て打 撃 を与 へ次 で大 部 は保 定 に於 て打 撃 を与 へ
保 定会 戦 に於 ては敵 が現 陣 地 を出 て我 に向 って前 進 し て来 た の で
す。
ま し た が 、意 見 を 異 にす る場 合 に は其意 見 を 明 かな ら し む る如 く訓
であ り ます か ら実 は第 五師 団 をし て南 下 参戦 せ しむ るを 必要 と しな
ま し た 。第 一軍 は 此 の会 戦 に、 三箇 師 団 を 以 て思 ふ存 分 に敲 いた の
由 来奉 勅 命 令 の主 旨 は含 蓄 あ る言 葉 を 以 て大 要 を知 ら し め て居 り
令 す る こと 必要 で あり ま せ う 。要 す る に先 づ基 礎 観 念 を 一致 せ し む
か った の で あ りま す 。然 し之 は 結 果 から の議 論 であ りま し て 、保 定
べき で之 無 き場 合 単 に 一電 報 を 以 て は意 思 が 尽 せな い の であ り ます 。 更 に人事 の交 流 を最 後 には要 す る次 第 であ り ます 。 関 東 軍 は東 京 の
陣 地 の強 度 並 に守 備 兵力 よ り考 へま し て支 那軍 とし て最 初 よ り頑 強
第 五 師団 の沫 源 から 保定 左側 背 に下 っ て来 る と言 ふ事 は 甚 だ期 待 し
に保 定陣 地 を死 守 し て居 ったな ら ば 必 ず や相 当 な 日数 を 要 し 此 の間
意 思 を 一応 は諒 解 致 し ま し て 九 月十 五 日 軍 は 大 同附 近 要 地 を 占 領 し て作 戦 地 域 内察哈 爾 の安 定 確 保 に任 じ 第 五 師 団 は保 定 作 戦 を 準備 す べ き命 令 を下 達 す
此 の後 に於 け る関 東 軍 東 條 部 隊 の態 度 は概 ね 中央 の意 図 に忠 実 に
に拘 らず 依 然 と し て山 を 下 り ま せ ん。 そう し て九月 下 旬 にな る や霊
向 ふ攻 勢 を準 備 致 しま し て此 の間 第 五 師 団 は 方面 軍 の頻 繁 な る督 促
処 理 が っき ます と別 項 申述 べ ま し た様 な事情 から第 一軍 の石 家 荘 に
て居 った状 況 で あ ると感 ぜ ら れ た の であ り ま す 。斯 く 九 月末 保定 の
従 った の であ り ます が、 唯 平 地泉 攻撃 が中 央 に於 て は 平 地 泉 ( 含
邱 方 面 に分遣 し て居 りま し た 三浦 旅 団 が内 長 城 線 に あ る山 西 軍 主力
と の報 告電 報 を致 し ま し た 。
む) 以西 に手 を染 め さ せ な い考 へで あ り まし た が、 此 の方 面 の敵 情
部 隊 に対 し て平 型 関 ロ の攻 撃 を開 始 致 し まし た。斯 く し て此 の攻撃
は非 常 に困 難 であ りま し た の で第 五師 団 は殆 ど 大部 の兵 力 を 之 に集
上 内 蒙 軍 を支 援 す る 一部 の日 本 軍 部隊 を 以 て綏 遠 、包 頭 作 戦 をな す
中 し更 に関 東 軍東 條 部 隊 の兵 力 は 逐次 之 に参 加 を し て此 の局 面 を打
結 果 と な っ て之 は後 に東 京 も承 認 を 与 へた の であ り ま す。 九 月十 五 日 第 五師 団 は蔚 縣 占領 後 一部 を深 源 、 一部 を廣 霊 を経 て
開 す る為 には 大同 附 近 にあ った関 東軍 部 隊 の全 力篠 原 旅 団 、 本 多 旅
団 等 に呼 応 し て遂 に内 長 城 線 を越 え て代 州 平 地 に出 て行 く 作 戦 と な
に向 ふ準 備 的 態 勢 を と って暫 く 動 かな い ので あ りま す 。 此 の時 の行 動 は 甚 だ 不 明瞭 であ り ま し て懐 來 を 出 発 し た 八月 二十 六 日 以後 は余
った の であ り ま す 。九 月 十 九 日附 蔚 縣 の板 垣 師 団長 よ り石 原 作 戦 部
霊邱 方面 に出 し て京綏 線 を下 っ た後長 城 線 を越 え て代 州平 地泉 の線
り は っき り解っ て居 り ま せ ん。 非 常 な速 い速 力 で未 開 の地形 を踏 破
︹ 駿 ︺
し て居 り ま し た の で其 の間 方面 軍 も 東京 も 一っも連 絡 を取 り得 な い
に も同 様 発 し た旨 附 記 し てあ り ま し た 。板 垣 師 団長 の意 見 は
長 宛 意 見 の私信 が あ りま す 。 之 は寺 内 方 面 軍 司 令官 並多, 田参 謀 次長
︹寿一︺
ので あ りま し た 。作 戦 課 に於 ては 師団 長 はあ ん な性 質 だ から 報 告 せ
青島 の線 を占 め 此 に包 含 す る資 源 を獲 得 し其 処 に住 む 一億 民 衆 を
定 的作 戦 とし ても 北支 に於 ては概 ね綏 遠 、太 原 、石 家 荘 、済 南 、
素 よ り全 面 的 対支 戦 の実 施 を提 唱 し た も の では あ りま せ ん が限
ま す 十箇 師 団 内 外 の兵 力 並 に 23 に及 ぶ軍 直 兵站 諸 部 隊 は 之 は 総
遣繰 り も楽 であ った であ らう と思 ひ ま す 。既 に支 那 に充 当 し て居 り
既定 軍 備 充 実 計 画 が今 少 し進 行 し て居 った時 期 であっ た な らば 比 の
若 し予 て企 図 せ ら れ て居 りま し た 昭和 十 七年迄 の軍備 充 実 計 画 、
定 、 天 津 の線 以北 の特 殊 地帯 案 に対 し て は 一歩 を進 め た も の で あり
北 方 に事 が起 れば 今 日 の対 支 作戦 兵 力 を惜 し 気 も な く 一切 を残 さず
居 る兵 力 は対 ﹁ソ﹂ 作 戦 兵 力 の 一時 的 借 用 品 であ り ます 。 何 時 でも
兵 力 と し て の所 要 最 小 限 のも の で あ りま す ので支 那 に現 に使 用 し て
て対 ﹁ソ﹂ 作 戦 兵 力 であ り ま し て、 日 本 軍 の全 兵 力 は 対 ﹁ソ﹂作 戦
同 僚 と し て新 北 支 政 権 を結 成 す るを可 とす
ます 。 此 の思 想 に対 し ま し て は当 時 既 に東 京 一部 幕 僚 にも議 論 の出
北 満 洲 に転用 す る を要 す る の であ り ます 。 朝 に 一城 を夕 に 一村 を各
と云 ふ意 見 で あ りま す 。 即 ち当 時 中 央 の抱 いて居 りま し た厚 和 、 保
た も の であ り ま し て決 し て新 し い問 題 と し て考 へた訳 であ り ま せん 。
り ま し て恐 ら く参 謀 本 部 に あ る者 誰 も が或 る意 味 に於 ては薄 氷 を踏
方 面 の戦線 が前 進 し勝 利 の号 外 を聞 く毎 に北 方 に事勿 れ と祈っ て居
現 に寺 内 司 令 官 か ら北 支 著 任後 受 け た伝 言 等 にも 部 下 の将 兵 は黄 河 の水 を 水筒 一杯 を お土産 にし な けれ ば どう し
む気 持 を持 った で あ らう と思 ひま す 。 此 の作 戦 の初 期 に於 て は同 僚
て も帰 ら な いと言 って居 る と の名文 句 もあ った ので あ りま し て 、寺 内 大 将 が北支 那 方 面 軍 司令
警告 を聞 きま し た が事 実 は其 の通 り であ り まし て 、対 ﹁ソ﹂ 対支 二
に曰 く 、最 も強 い のは国 民 で あ り最 も弱 いの は参 謀 本 部 であ る と、
正 面 作戦 を遂 行 し て居 る作 戦 課 とし ては其 の採 る策 悉 く が消 極策 で
か ら よ く嘲 笑 せら れ た ので あ りま し て親 し い同 期 生 は 度 々電 話 で噂
部 の意 見 の中 に黄 河 の線 に向 ふ前進 希 望 があ りそ れ を東 京 が押 へて
あ る のは 止 む を得 な い の であ り ます 。 幸 にし て ﹁ソ﹂ 聯 邦 は 其 の内
官 に親 補 せら れ て出 発 せ ら れる時 、既 に黄 河 の線 ま で を獲 得 す べ き
居 る ので あ りま す 。 別項 に申 述 ベま し た様 に中 支 最高 指 揮 官 松 井大
部 的 政情 不安 定 から 全然 攻 勢 の時 機 を 失 し て今 日 に至 った の であ り
こと を幾 回 とな く 我 々に話 され ま し た 。従 って北 支 那方 面 軍 の中枢
の占 領 を唱 へ、 斯 様 な 現状 は我 々中央 統 帥 部 に職 を 奉ず る者 とし て
将 は 大本営 に南 京 攻略 を提 議 し 、 北支 那最 高 指 揮 官寺 内 大 将 は 黄 河
察哈 爾 、 北 部山 西 省 の作 戦 が進 展 す る に っれ て将 来 此 の方 面 を政
5 、 蒙疆 方 面 に独立 兵 団 設 定 に就 て
と思 ふ ので あ りま す 。
な いの であ り ます 。 唯 残 念乍 ら之 等 の重大な る企 図 を 当 初 よ り許 さ
ま す 。 誠 に大 和 民 族 の為 に此 の粛 清 の嵐 こそ は伊 勢 の神 風 であ った
れ な か った も のは 、 一に対 ﹁ソ﹂ 顧 慮 に依 る も ので あり ま し て我 々
ます 。
治 的 に如 何 に処 理 し て行 く かと 言 ふ議 論 は別 項 に申述 ベ た通 であ り
誠 に心強 いも の が あり ま し て、 我 々は鞭 を要 せず 、単 に手 綱 を以 て
は常 に裏 口 の狼 を気 にし 乍 ら表 口 に群 犬 を追 ひ まく る気 持 で あ り ま
方 向 を示 し前 進 を許 せば足 る の で此 の位 愉 快 な る気 持 の好 い ことは
す。
を以 て居っ た ので あ りま す 。 之 が為 に は独 立 混成 第 十 一旅 団 を 増強
し て 、関 東 軍 東條 中 将 以 下 が興味 を以 て指 導 を し て居 り ます 此 の方
﹁ソ﹂ 作 戦 準備 に専 念 せし む る態 勢 を とら せ る 必要 が あ ると 考 へま
東 京 と致 し ま し て は関 東 軍 を し て速 か に其 の 本 然 の任 務 即 ち 対
と にな った ので あ りま す 。
に任ず る と共 に政 治 的 に蒙疆 地 方 にあ る徳 王政 権 を指 導 培 養 す る こ
軍 事 的 には第 二十 六 師 団 に後 備 諸 隊 を 合 せ指 揮 し て京綏 沿線 の警 備
も 之 を 以 て天 皇 に直 隷 す る 一独 立 兵 団 と 致 し之 を 蒙疆 地方 に配 置 し
であ り ます 。只 内 容 は飽 く迄 軍 司 令 官同 一のも の であ り まし て、 然
か関 東 軍 に隷 属 せ し む ベ き かと 言 ふ問 題 に当 面 致 し ま し て従 来 の経
ら れ た の であ り ます 。斯 く て此 の独立 師 団 を 北 支 軍 に従属 せし む る
し得 る の では あ る ま い かと 考 へま し て、 其 の独 立 一師 案 を当 初 考 へ
部 山 西 省 を蒙疆 聯 邦 に与 へる か否 かと 言 ふ事 に帰 着 す る ので あ りま
の であ り ます 。要 す る に之 は徳 王 政 権 に対 し て察哈 爾 省 及長 城 外 北
竝に其 の思 想 を是 認 す る方 面 に於 ては 外長 城 線 と す る事 を是 認 す る
関 東 軍竝 に其 の思 想 を是 認 す る方 面 に於 て は内 長城 線 と し北 支 軍
題 は 北 支軍 と の内 外 長城 の何 れ にす るか と言 ふ事 であ り ます 。
関 東 軍 と は満 洲 国 境 の線 を以 て境 と す る に は当 然 で あ り ます が問
6 、 駐蒙 軍 の作 戦 地境決 定 に就 て
面 の攻 撃 を 成 る べく 速 か に関東 軍 は満 洲 国 内 に帰 還 せ し めた い希 望
を し て師 団 にす る事 を促 進 致 し概 ね十 二月 にな ると第 二十 六 師 団 の 編 成 が完 結 し て此 の方 面 に配 置 せら るゝ 事 にな った ので あ りま す 。
緯 では蒙疆 は明 か に関 東 軍 司 令 部 が多 大 の興 味 と 熱意 を 以 て指 導 し
の発 達 を計 る を適 当 と し ま し た。
し て参 謀 本 部 とし て は差 当 り蒙疆 聯 邦 の中 に此 の領域 を お さ め て其
そ こで独 立 一師団 に若 干 の後 備 大 隊等 を増 加 す れ ば京綏 沿 線 を 確保
来 った の で あり ま す が、 然 し乍 ら 新 な る北 支 事 件 に関 聯 を持 た せ内
北 支 と し て は此 の 一角 が なく て も必ず し も不 便 不自 由 は な い が蒙
蒙 察哈 爾 作 戦 後 は支 那 よ り離 せな い ので あ り ます か ら 此 の点 を申 せ
疆から 此 の察 南 、 察 北 の両 地方 を除 いた な らば 甚 だ不便 で あ ると 言
事 実 的 に軍 司令 部 を殊更に 兵 団 司 令 部 と称 せし む る の止む を得 な
ば 北 支軍 の隷 下 にお か なけ れば な ら ん こと で政 治 的 処 理 に就 て今後
か った のは陸 軍 次 官 梅 津中将 の意 見 に依 る も の であ り ま し て、 梅 津
ふ意 味 から察 北 、 察 南 、 晋北 を蒙疆 に入 れ る案 で駐蒙 軍 の作 戦 地 域
ま す の考 へから 独 立 一軍 を使 用 す る ので あ りま す 。 地勢 的 に考 へて
中 将 が第 一軍 司令 官 に転補 せ ら れ た る後 改 め て此 の議 が起 り ま し て
の動 き を観 る事 と し て全 般 の作 戦 的観 点 から 関 東 軍 には 対 ﹁ソ﹂専
海 拉爾 に於 て既 に自 ら 不適 当 と せら れ て居 る騎 兵 師 団 を 此 の方 面 に
此 の姑 息 の兵 団司 令 部 の名称 を廃 し駐 蒙 軍 とす る事 に改 正致 し ます
を 内 長 城線 の案 を同 意 を し て此 の案 を採 ら れ た の であ り ます 。
移 し て即 ち第 二 十 六師 団 の 一部 若 く は大 部 を属 し て独 立 一軍 とす る
と 共 に当時 の政 治 的 動 向 は蒙疆 聯 邦 は 北 支 に新 し く 生 れ出 つベ き新
依 って両 軍 の間隙 を閉 塞 し 此 の軍 は外 蒙 、 寧 夏 、綏 遠 方面 を十 分睨
案 を採 って上 司 に提 議 致 しま し た と ころ概 ね是 認 せ ら れ まし た ので
支 那 聯 邦政 権 た る統 一政 権 下 の 一自 治 団 体 た ら しむ と の意 見 が漸 次
念 、 北支 軍 には 対支 専 念 此 の中 間 の蒙疆 には独 立 一軍 を置 い て之 に
あ り ま し た が、陸 軍省 の上 層 部 に於 て人的 配 置 の関係 よ り軍 司 令官
︹ 美 治郎 ︺
を 設置 す る事 を 認容 せ ら れず 遂 に兵 団司 令 部 を 設 く る事 にな った の
固 定 し て参 りま し た ので、 先 づ 以 て之 を北 支 方 面 軍 司令 官 の隷 下 に 人 ら し む る事 に せら れ た の であ ると私 は思 ふ の であ り ます 。
三 、〓 州 保 定 附 近 の 会 戦
﹁チ ヤ ハ ル﹂ 作 戦 は寧 ろ始 め から計 画 さ れた も の では な か った の
い事 があ り ます 。
保 定 の既 設陣 地 を捨 てゝ 之 が攻 撃 に転 じ て来 た 、即 ち 強 い圧迫 が
シ兵 を 北 上 せ しめ て居 る の であ り ます 。 最 後 に其 の師 団 は 中 央直 系
京 漢 線 方面 山 の中 特 に第 二 十師 団 の右 翼 に当 って来 た。 敵 は ド シド
軍 であ る こと が解 った事 であ り ま し た が当 時陳 誠 が督 戦 に来 た と言
大 体 南 口正面 に指 向 し て居 る独 立 混 成 第 十 一旅 団竝 第 五 師 団 の左
っ て居 り ます 。
翼 を 衝 く為 で あ った の であ り ま し て山 を数 縦隊 にな って南 口正 面 に
であ り ます が、 北 京平 地 の会 戦 が終 り ま し た後 次 で起 る も の は保 定 会戦 と さ れ て考 へら れ て之 に依 り動 員 せ られ た も のが第 五、 第 十師
攻 繋 移 転 し之 等 に連 れら れ て他 の支 那 軍 も長辛 店 以西 の山 中 を 北進
後 方 を 持 た ん支 那 軍 だか ら出 来 る ので あ りま す 。蘭 州 附 近 で南 口に
あ の山 を 谷間 を伝 ふ て数 縦隊 が頂 上 を行 く事 は相 当 困 難 であ る が
前 進 し た ので あ りま す 。
せ ら れ まし た。 之 は後 述 し ま す様 に青 島 作 戦 は 実 行 に至 りま せん で
そ れ か ら青 島 の現 地保 護 とし て考 へら れま し て第十 四師 団 が動員
団 であ りま す 。
第 十 四師 団 は其 の儘 北 支 塘 沽 に上 げ て北 支 の戦 場 に っけ る事 にな り
保 定 の既設 陣 地 及 諸 部隊 の大部 分 のも のは 前 に出 て参 りま し て永 定
り 、出 て来 た敵 が永 定 河 の線 に来 た所 を 第 二十 、 第 十 四 、第 六師 団
師 団 は 河 の此 方 側 にあ り そ し て永 定 河 を 渡 河 し て攻 撃 す る方法 を と
そ れ に対 し て第 二十師 団 は長 辛 店 で渡 河 し て 河 の西 側 に、 第 十 四
河 に前 進 し て来 た の であ り ます 。
ま し た。 従 って北 京 永 定 河 の線 に於 て保 定 に向 って戦 略 展開 し た駐 屯 軍 は
団 と し、 駐 屯 軍 の右 翼 は永 定 河 の線 とな りま し て此 の 三箇 師 団 を以
は展 開 完 了 前 進 と 言 ふ事 に な り まし た 。
漸 次第 二十 師 団 そ の次 に第 十 四師 団 が挾 ま り ま し て其 の次 に第 六師
て実 施 す る こと に な りま し た 。保 定 は御 承 知 の様 に天 与 の山 間 谷 地
保 定 附 近 で第 一迅 速 な る作 戦 第 二包 囲 が非 常 に大 き な る 周 を なし
訳 で あ る。
は此 の軍 の前 進 間 の統 帥 で あり ま し て三箇 の師 団 を 一正 面 に動 かす
之 が保 定 、〓 州附 近会 戦 であ り ま す が之 で最 も 愉快 に感 ず る も の
た の で あ りま す 。
従 って そ れ は陣 地 では な いが支 那 軍 正 面 は相 当 に優 勢 と考 へら れ
にあ り湖 沼 地 帯 に在 り保 定 其 のも の の価 値 と 相俟 ち戦 略 上 の要 点 で あ り ます 。而 し て不 拡 大 方針 に基 き限 定 目 標 を作 戦 目 標 と さ れ ま し た保 定 に関 聯 し て新 安 、 文安 、馬 廠 こう いふ線 が陣 地 の第 一線 で あ ります。 飛 行 機 の報 告 に依 れば大 体 三十 箇 師 之 は第 二十 九 軍 の残部 其 他 平 津 から 来 た も の に中 央 軍 を交 へた も の が三 十箇 師 位 あ ると言 ふ事 を 以 て展 開 を部署 し た ので あ りま す 。 此 処 に支 那 軍 に今 日 迄夢 想 しな
活〓 な機 動 であ り ま し て、 先 づ第 二十 師 団 が山 の裾 か ら敵 の陣 地 の
ま し た が、 此 の軍 の前 進 統 帥 を 可能 な らし め た も のは中 間 に居 った
ん。
問 題 であ り ます から参 謀 本 部 と し ては深 く 干 渉 し た訳 では あ り ま せ
此 の問 題 に対 し て は参 謀 本 部 で裁 く範 囲 のも のでな く 軍 と師 団 の
と の間 に意 見 の相違 が あ る 。之 は 参 謀総 長 宛 言 っ て来 た のであ り ま
保 定会 戦 の戦 後第 五師 団 の動 き に関 し調 査 す ると師 団 と北 支 那軍
団 の苦 戦 と 言 ふ様 な そう言 う問 題 に対 し て比較 的 北 支 那駐 屯 軍 司 令
地 帯 を作 る考 へで あ った の であ り ます 。 只作 戦 的 に見 ます と第 五 師
九 軍 を 目標 と し夫 々 の要求 に鑑 み出 来 得 れば 満 洲 と 北支 の間 に緩 衝
河 北 省 、陜 西 省 に進 む こと は考 へて居 ら ん時 であ り まし て、第 二十
方 針 であ り ま し て、 決 し て広 く 中 部 山西 省 、 後 方 ﹁チ ヤ ハル﹂省 、
此 の時 の軍 と の意 見 の対 立 に於 て見 ます る如 く未 だ当 時 は 不拡 大
進 し 次 に大 原 迄 出 て行 く事 にな った ので あ りま す 。
定 会 戦 を し ま した こと で あ りま す 。 第 五師 団 の主 力 は中 央 山 西 に前
第 五 師団 は其 の 一部 を蔚 州 から〓 源 を経 て進 め て軍 の言 ふだ け保
一般 の経 過 は自 ら 裁 き を与 へま し た 。
後 にぐ る つと 廻り 展 開 し て敵 を遣 り過 ご し て包 み之 を料 理 す 。 次 で 敵 の後 に前 進 す る。 又第 六師 団 では 保定 東 北 方 正 面 か ら敵 がか かっ て居 る時 に保 定 の西 後 に出 て第 六 師 団 は相 手 のも う 一方 を包 囲 し て
斯 く し て永 定 河 を越 へて行 ふ会 戦 は 三十 里 以 上 の距 離 を三箇 師 団
居る。
が 僅 に十 日余 り で〓州 会 戦 保 定 会 戦 の二 回 の戦 闘 を経 過 し て敵 に殲
し た 。 之 は第 五師 団 並駐 屯 軍 幕 僚 の 一部 は第 五 師 団長 の意 見 通 り に
滅 的打 撃 を与 へて居 り ます 。
ぐ ん ぐ ん ﹁チ ヤ ハル﹂作 戦 を遂 行 し 山 西 、大 同 を目 標 と し て前 進 し
部 ( 後 、方 面 軍司 令 部 ) は冷 淡 で あ った 様 で あ りま す 。結 果 的 に見
ち 第 五 師 団 の之 等 の兵 力 が揚 源 、蔚 州 に居 た のは実 は 保 定会 戦 を交
って第 五 師 団 を京 漢 線 に っれ て来 さ せ様 と言 ふ意 見 であ り ます 。 即
こと であ る 。北 支 作 戦 を 中 部山 西 に導 く と 言 ふ のは滴 当 でな い。 従
大 本 営 、 軍 司令 部 、 其 の隷 下 部 隊 、 一司令 部 と 上 級 司令 部 の指 揮 相
ら な いと 言 ふ事 から 実 に多 く の禍 をし て居 ると 思 ひ ます 。 こう いふ
の指 示 と 第 五 師団 と の連繋 が よく なく 第 五師 団 の実情 が は っき り 解
なく 思 想 的 に師団 軍 間 其 の根 木 を異 にし て居 る の であ り ます から 軍
れば 冷 淡 であ る、 そ れ が単 に冷 淡 と言 ふ簡単 な 言 葉 で なく 現 問 題 で
て行 く と言 ふ意見 で あ りま す 。
ふ る如 く蔚 州 から〓 源 を経 て保 定 の西 方 地 区 に出 させ て敵 の左 側 を
け れば な ら ん問 題 かと 思 ひ ます 。
剋 に起 る次 々 の問 題 がう ま く行 か な い のは作 戦 上 今 後余 程 注 意 し な
之 に対 し て支那 駐 屯 軍 の主 な る意 見 は 之 を京 漢 線 作 戦 に調 和 す る
ヤ ハル﹂省 に於 け る位置 か ら万 里 長 城 を越 え て西 進 す る と言 ふ。
四 、 石 家 荘 附 近 の会 戦
包 囲 せし む ベ き希 望 であ り ます 。然 る に 一方第 五師 団 の主 力 は ﹁チ
保 定 会戦 時 第 五 師 団 は 大同 へ向 ふべ き だ と言っ て大 同 を占 む れ ば 北 支 事 件 は解 決 す る積 り で あ った の であ り ます 。 之 は 軍 と師 団 と意 見 が対 立 し た の であ り ます 。
九 月下旬〓 州 保 定会 戦 は相 当戦 果 を お さめ ま し た が之 は 第 二十 九
でな いと言 ふ気 持 も動 いて参 り ま し た 。此 の気持 を実 現 し た第 一の
を 進 む る 上 に山 西 省 に於 て第 五 師 団 を 太原 方 向 に進 む る事 は 亦無 駄
テ恒 山 々脈 ヲ越 エテ北 部 山 西 省 方 面 二前 進 ス ル事 モ 一応 考 ヘラ ル
河 北省二 於 ケ ル作戦 ノ為 二兵 力充 分 ナ ル二於 テ ハ第 五 師 団 ヲ シ
も のは 九 月 二十 二日 次長 電 を以 て北支 那方 面 軍参 謀 長 に宛 て
軍 を主 体 とし 之 に商震 軍 、萬 福 麟軍 等 の雑 軍 を 加 へた も の であ り、
当 多数 の兵 力 は石 家荘 附 近 に集 中 々で あ る報 を得 ま し た。 且 此 の石
ル案 ナ ルヲ以 テ 一応 貴 軍 ノ意 見 承知 シ度
中 央 軍 の 一部 も加 は って居 り、 爾後 中 央 軍 に依 って支 援 せら る る相
家 荘 を中 心 とし て遠 く東 方 津 浦線 に延 び て徳 州 に及 ん で居 り北 支 那
で九月 二十 二 日到 着 し た下山 北 支 方 面 軍 作戦 課 長 の武藤 参 謀 本 部 作
が、 一応 軍 の意 向 を 聞く 事 にし た ので あ りま す 。之 に対 し て方 面軍
と の意味 の も の で次長 並 に部 長 には相 当 難 色 が あっ た の であ り ます
︹ 琢磨︺
方 面軍 に於 ては 既 に保 定 会戦 末 期 から 石 家 荘 に向 ひ前 進 を考 へた の
戦 課長 に寄 越 し た私 信 中 に概 ね次 の様 に書 か れ て居 り ます 。
の意 見 は寧 ろ消 極 的 で第 五 師 団 の北部 山 西 作戦 は やら せ ぬが よ いと
言 ふ 様 な風 に受取っ た の であ り ま す が、 武 藤課 長 以 下作 戦課 に於 て
第 一軍 主 力 を 以 て永 定 河 の線 を 越 え て作 戦 せし結 果 此 の勢 に て 行 けぼ 保 定 の線 を突 破 す る は困 難 に非ず 支 那 軍 は 保 定会 戦 のみ に
は 山 西 に進 入 す る こと は有 利 な る を稽 へ此 の日武 藤 課長、 公,平 中 佐 等
と云っ て居 り ます が之 は山 東 作 戦 を 指 し た も の であ り ます 。
当 方 と し て は第 五 師団 を急 速 に他 方 面 に転 用 す る意 図 な し
対 し て武 藤 作戦 課 長 は補 足 し て下 山 大 佐 宛
いと考 へ従っ て前 申 した 様 な 不 明瞭 な意 思 表 示 と な りま し た 。之 に
で山 西 を お さむ る事 あ り過 早 に武 力 を行 使 す る事 は反っ て得 策 でな
り ま し た が上 級 の態 度 は尚 一縷 の望 が あ る に於 ては武 力 を要 し な い
許 さ な いか で あり ま す が、 武 藤 課 長 以下 作 戦 課 は 実行 す る意 見 であ
ふ の であ り ます 。 従っ て大 本 営 の採 る べ き北 部 山 西省 作 戦 を許 す か
山 西 作 戦 を や る か やら な いか と言 ふ事 は 方面 軍 に決定 せ しむ ると 言
思 ふ様 に使用 し大 本 営 は之 に干 渉 し な いと言 ふ の であ り ます 。 北 部
り ます が、 甚 だ 不明 瞭 な意 思表 示 で此 の意 図 は第 五師 団 を方 面 軍 の
団 の使 用 を 当 方 と し て何 等拘 束 し な いと 言 ふ意 味 を電 報 し た の であ
次長 私 宅 に集 合 し て部 長 の来宅 を求 め 遂 に山西 作 戦 を決 意 し第 五師
︹ 匡武︺
決 戦 を 強 ふ る は無 理 な話 な り。 之 に此 の戦 果 を利 用 し更 に次 の 一 大 打 撃 を 石家 荘 附 近 に於 て加 へ敵 の戦 意 を挫 折 せ し む るを 可 とす 。 之 が為 には第 五 師 団 を北 部 山 西 省 よ り 太原 に進 め第 二軍 の 一部 を 以 て徳 州 、 石家 荘 中 間 方 向 に進 め第 一軍 の石家 荘 陣 地 正面 攻 撃 と
軍 司 令 部 の或 る者 は海 州方 向 より 青 島作 戦 の発 起 を 考 へて居 る
合 せ て三 面包 囲 の態 勢 を と る を可 と す 。
向 あ る も 、其 よ りも 今 考 ふ ベ き は第 五 師団 を太 原 に前 進 せし め 石 家 荘 の敵 軍 の側 背 を脅 威 せし む る事 肝 要 な り 。 と 言 ふ意 味 の事 であ りま す 。 此 の頃 に至 り ま し て敵 の抵抗 の度 合 は大 体 解 り先 一息 進 ん で も現
と し て は第 百 八 、第 百 九 師 団等 が逐 次 増 加 せ ら れ て居 り まし た の で
在 動 員 し て居 る兵力 を以 て先 づ宜 から う 、 殊 に保 定 戦 後 、新 鋭 兵 力
方面 軍 の希 望 通石 家 荘 の敵 に打 撃 を加 ふ る事 を決 意 す る に至っ た の で あ りま し て 、河 北 省平 地 に於 て石 家荘 、徳 州 の線 を目 標 と し て軍
軍 部隊 の背 後 を 安 全 にし 且山 西 政権 に対 す る謀 略 を容 易 なら し む る
従 って第 五 師 団 は 河北 作 戦 に先 だ ち綏 遠 方 面 に攻 撃 前 進 す る関 東
と の意味 の電 報 を し て居 ら れま す 。
新 任務 ヲ与 ヘラ ル ル事 ト ナ ル筈
ス ル事 ヲ予 期 シ ア ル次第 ナ ル ヲ以 テ之ニ 関 シ テ ハ更ニ 情 勢ニ 応 シ
浦 線方 面ニ 於 テ ハ山 東ニ 対 シ テ黄 河 ノ作 戦ニ 次 テ濟 南 附 近迄 進 出
石 家荘 附 近 の会 戦指 導 は素 よ り方面 軍 の統 帥 の範 囲 で あ りま し て
為 に代 州附 近 を 占拠 す る 必要 あ りと考 へら れ、 第 一軍 は石 家 荘附 近
作 戦 を行 ふ が適 当 と な る で あら う 。 又将 来 は私 案 乍 ら第 二軍 の 一部
て正 面 よ り 正定 以 西 の敵 陣 地 を攻 撃 せ し む る と共 に第 二軍 の主 力 を
大 本 営 と し て は其 の計 画指 導 に参 与 し て居 りま せん 。只 第 一軍 を 以
占 拠後 概 ね同 地 附 近 を確 保 し 一部 を 以 て正 太 線 に沿 ひ 太原 方 面 に支
を 済南 に進 め別 に予期 す る山 東 作戦 ( 海 州 上 陸 ) に相 呼 応 せし む る
之等 の往 復 書 に依 る も作 戦 課 は既 に此 の頃 即 ち 九 月 二十 日過 から
注 文 せら れ 然 も此 の小 蒸 汽船 が仲 々多 数 は獲 ら れな い事 情 で あ る の
理 由 は 其 の子牙 河 の遡 航 の為 の所 要 船 舶 と し て特 別 な る 小蒸 汽 船 を
考 案 に就 て は其 の実 行 の成 否 に多 大 の疑念 を持っ た ので あ りま す 。
子 牙 河 に沿 ふ て前 進 せ し め石 家 荘 西 方敵 陣 地 の右翼 に進 出 せし む る
必 要 が あ る と考 へて居 る の で あ りま す 、 と 云 ふ意 味 を電 報 し て居 り
北 支 に於 て は山 東 省 、 河 北省 、 北 部 山 西省 並 に察哈 爾 、綏 遠 省 を 占
ます。
拠 し て之 を確 保 す るを 必 要 と す る意 見 を進 め て居っ たが然 し 上層 部
で 九月 二十 五 日 次長 電 を以 て 北支 軍 参 謀 長宛
第 二軍 主 力 ヲ指 向 セ ラ ル 、方面 ハ地 形相 当 困 難 ナ ル モノ ノ如 ク
に於 ては 別 の観 点 を 加 へ其 の積 極 的 意 見 を率 直 に採 決 す る に至 って 居 りま せ ん 。上 層 部 の別 の観 点 と謂 ふ のは 石原 部 長 の満 洲建 設 第 一
ヲ充 足 シ得 ルヤ多 大 ノ疑 問 ヲ有 ス就 テ ハ第 二軍 ガ敵 ノ側 背ニ 進 出
水 流 運 河 等 利 用 ス ル為 所要 ノ資 材 補 充ニ 努 力 シツ ツ ア ル モ滴 時 之
シテ敵 ヲ殲滅 ス ル事 ヲ期待 ス ルノ ハ困 難 ナラ ズ ヤ ト考 ヘア リ尚 将
主 義 並 に多 田次 長 の純 作戦 の進 展 に委 す る と 云 ふ事 な く謀 略 、政 略 、
来 山 東 方 面 ヲ攻 略 ス ル為ニ 此 ノ際 寧口 第 二 軍主 力 ヲ直接 石 家 荘 会
外 交等 諸 方策 の調 和 追 随 と言 ふ様 な事 が、 上 層部 の袖 を 引 いて轡 を お さ へて居 る の であ り ま し て、 之 は 別 の方 面 の人 から記 録 が出 来 る
戦ニ 参 加 セ シ ム ル コト ナ ク津 浦 線ニ 沿 ヒ南 方ニ 指 向 ス ルヲ適 当 ト
事 と思 ひ ます 。
思 考 ス ル モ如 何 ナ ル モノナ リ ヤ
九 月 二十 四 日第 一軍 の保 定占 領 の報 告 が到 着 し ま し た 。 二十 五 日 参 謀 総 長 指 示 を 以 て北 支 那 方面 軍 の作 戦 地 域 は概 ね石 家 荘 、徳 州 を
と言 ふ意 味 を電 報 し て居 りま す 。
蘇 聯 邦 ノ態 度 未 ダ 判 明 セザ ル今 日過 度ニ 兵力 ヲ南 方 ニ使 用 シテ
線 に作 戦 す る弊 が あ り、况 ん や 津浦 線 が水 浸 し に なっ て居 る現 況 か
平 地 に於 け る 作戦 重点 は京 漢 沿線 そ れ から 方面 軍主 力 は 当時 京 漢 沿
て合 同 研 究 を し た 。当 時 私 (西村 ) 共 は下 山作 戦 課 長 に対 し て河 北
北 支 那 方 面 軍 司令 部 の編 成 せ ら れ ま し て其 の幕 僚 が参謀 本 部 に於
連 ぬ る線 以 北 と す る旨 指 示 せ ら る る と同時 に次長 電 を以 て次 の補 足
抽 出 転 用 ヲ困難 ナ ラ シム ル コト ハ 一考 ヲ要 ス ルヲ 以 テ差 当 リ貴 軍
を加 へて居 り ます 。
ノ作 戦 地 域 ハ右 家 荘 徳 州 以 北 ノ線 ト制 限 せ ラ レタ ル次 第 ナリ尚 津
しむ
此 の兵 団 は徐 州海 州 方 面 に前 進 し て確 実 に山 東省 を掌 握 す る
ら 尚 大兵 力 を使 用 す る事 が出来 な い の に北支 軍 の兵 力 が 七、 八 師 団
続 いて第 二軍 主 力 は之 に追 随 し て前進 せし む
二、 第 一軍 は石 家荘 突 破 の後 は京 漢線 に沿 ふ て前進 し鄭 州 を攻 略
に及 ぶ ので 二箇 の方面 軍 に編 組 し なけ れ ば我 々主 任 者 の考 へとし て
の独 立 一箇師 団 を充 当 す る考 へで あり 、第 一軍 は京 漢 線 、第 二軍 は
は 此 の二箇 軍 を竝 べ て京 漢 沿線 に使 用 し 、津 浦 沿 線 には 方面 軍 直 轄
す 爾 後 武漢 方 面 に対 し て進 撃 を準 備 す
ん で は南 京 及武 漢 三 鎮 に対 し て進 撃 の出発 点 を作 ると言 ふ構 想 であ
即 ち 此 の根 本 観 念 は山 東 省 (含 む ) 黄 河 以北 の北 支 を戡 定 をし 尚 進
津 浦線 とし て而 も 此 の兵 力 は 大差 を っけ な いと言 ふ様 な 併行 使 用 を
二軍 主力 を子 牙 河 に沿 ふ て斜 に第 一軍 の正面 に集 中 す る様 な考 へは
作 戦 は 許 せ る訳 では あ り ま せん 。 其 の理由 は申 述 ペ た様 に上 海 は全
素 より 当時 九月 下 旬 に於 け る東 京 の空気 は到 底 斯様 な思 ひ切 った
りま す 。
な す事 を希 望 し た ので あ りま す が 、当 初 天津 か ら津 浦 線 に沿 ふ て第
考 へて居 ら な か った の であ り ま し て、 子 牙河 の水 運 に依 る遡 航 作戦
る 遡航 作 戦 は第 二軍 の強 烈 な意 思 を以 て敢 行 せら れ 戦 史 的 に珍 作戦
く 膠 着 し た状 態 であ り ま し て殆 んど 勝 目 が想 像 っかな い。兵 力 を 追
が適 当 可 能 な ら し む る や全 く見 当 が っき ま せ ん でし た 。 此 の困 難 な
と な って表 はれ た のであ りま す 。戦 場 に於 け る個 々 の戦 例 は少 く あ
加 し な け れ ば局 面 の打開 は出 来 な いと言 ふ憂 欝 な 状態 で あ り、 北 方
す べく命 令 を与 へた り
第 十師 団 は徳 州附 近攻 略 後 同 地 附 近 に兵 力 を 集中 し済 南 に前 進
北 支 方 面 軍 に於 ては 十 月 三 日附 参 謀 長報 告 に て
問 題 とし な け れば な ら ん のは第 一の山東 作 戦 であ り ま す 。
津 浦 、 京 漢 、同 蒲 三鉄道 に沿 ふ て作 戦 を企 図 さ れ て居 り ます が最 も
前進
三 、 太 原平 地を戡 定 を し て更 に進 ん では南 部 山 西 に迄 手 を伸 ば す
二 、 石家 荘 を越 え て遠 く南 方 に前 進 し て鄭 州 方 面 に前 進 す る作 戦
一、 山東 の処 理
此 が具 体的 の問 題 とし て
ふ様 に大規 模 な進 撃 作戦 は許 さ るべ き 訳 で あ りま せ ん 。
(註 ﹁ソ﹂ 聯 ) の状態 は 又安 心 を 許 さ ぬ状 態 であ り 北 支 方面 軍 の言
り ま せ ん が兎 も角 二軍 を竝 べ た作 戦 は 大 いに研 究 の値 あ る も の があ り ます 。
五 、 石家 荘 附 近会 戦 後 に於 け る北 支 方 面 軍 の作 戦 指 導
九 月 二十 日附 北支 那 方 面 軍 作戦 課 の立案 し ま し た ﹁北 支 に於 け る 今 後 の作 戦 計画 案 ﹂ と 言 ふ のは 北支 方 面 軍 は京 漢 沿 線 の要 点 を占 め 所要 に応 じ南 京 武漢 方 面 に
し 北支 防 共 地帯 建 設 の基 礎 を作 る
進 攻 の準 備 を整 ふ ると 共 に同 時 後 方 重要 交 通 線 に沿 ふ地域 を確 保
一、石 家 荘 会 戦 の進 展 に伴 ひ て第 二軍 の 一部 を濟 南 に向 け進 出 せ
と 書 ふ方 針 であ り まし て指 導要 領 と し て は
る方 法 を 以 て之 を攻 略 す る こと の理 由 は認 め て居 りま し て 、当 時 の
旨 の電 報 を致 さ れま し た。然 し乍 ら中 央 に於 て は内 心 山東 に適 当 な
模 ノ追 撃 又新 ナ ル作 戦 行動 ヲ行 フ事 ハ避 ケ ラ レタ シ
当時 中 央 に於 ては山 東 の進 撃 を 実 行 す べ き や否 や に就 て議 論 があ
兵 力 の不 充 分 は 止む を得 ず し て無 理 は出 来 な いと言 ふ立 場 を取 った
と 云 っ て来 た の であ り ま す 。
りま し た 。之 が為 十 月 四 日下 村 部 長 統 裁 の下 に作 戦 課長 以下 関 係 部
︹ 定︺
員 公 平 、 西村 、 井 本 、 有末 等 集 合 し て作戦 に関 し て研究 会 議 を催 し
のであ り ま す 。
居 る の であ り ます 其 の 一節 に
其 の事 は 十 月 六 日今 後 の作 戦 に関 す る上 奏 文 の中 に充 分表 は れ て
ま し た 。 此 の場 合 に北 支 方面 の作 戦 は 保 定会 戦 の余 勢 を 利用 し て黄 河 の線 に 向 ふ前 進 を指 導 す べき で あ るか或 は適 当 な 地 線 に戦 線 を止 め て兵 団 を上 海 方面 に転 用 す ベ
山 東 省 は 勃 海湾 を制扼 す ると 共 に河北 平 地 を制扼 し 戦 略 的価 値
なら ず 過 去 に於 て帝 国 と 歴 史 的関 係 極 め て大 な る此 の方 面 に作 戦
極 め て大 な る も のあ り。 帝 国 と し て の意 図 は権 益 を擁 護 す る のみ
き であ る か に就 て の研究 で あ った の であ りま す 。 作戦 課 長 は寧 ろ 北 支 方面 に於
を進 む る事 は政 戦 両 略 の価 値極 め て大 な り 。而 し て韓 復榘 を し て
け る戦 線 を拡 大 す べ し と の案 で あ りま し て山 東 作 戦 を 必要 とす る議
上海 方面 は相 当 の兵 力 を進 めな け れ ば局 面 の打 開 は出 来 な い。
上 陸 し て隴海 線 方 面 に作戦 せ しめ 山 東 省 を挾 撃 す ると 共 に南 京 を
の余 勢 を 以 て山 東 省 作 戦 を行 ひ 又有 力 な る兵 力 を以 て海 州附 近 に
を与 へ得 ベ く北 支 方 面 の戦况 極 め て順 調 に進 捗 し ある を 以 て追 撃
反蒋 政 策 を と ら し め支 那 軍 の戦 意 を喪 失 せ し む る に重 大 な る動 機
斯 く の如 く兵 力 を 上海 に集 結 す る こと を考 へて居 ら れ ま し た様 で、
北 支 は自 ら 其 の勢 は自 然 に労 せず し て出 て行 け る と思 は れ る。
論 を発 表 せ ら れ た の であ り ます が下 村 部長 は
当 日 は夜 にな るも 此 の会 議 は決 せず 、十 月 五 日再 び集 合 致 し ま し て
衝 く の勢 を 示す 事 は今 日之 を許 せば 極 め て適 切な る作戦 な り とす 。
務 達 成 迄 には今 後 相 当 の日数 と損 害 とを 予 期 せざ る ベか らず 且 上
然 れ 共 上海 方 面 を 観 れば数 日来 の戦 況梢 進 展 せ りと 難 も終 局 の任
研究 致 し まし た結 果 部 長 は採 決 を し て 、 上 海 方 面 に派兵 す るを 必 要 と す る が為 兵 力 の余 裕 を得 る迄 一時 山東 作 戦 を断念 す ベ き で あ る
に入 る る に先 だち 北 方 に異変 生ず る が如 き こと あ れば 極 め て憂 慮
海 戦 線 は中 外 注 視 の的 と せ ら れ あ り若 し 上海 を完 全 に我 が制扼 下
す べき 結果 を見 る べ きを 以 て此 の際 上 海 の戦 局 を 一刻 も速 か に終
と の決 心 に対 す る次 長 の採 決 を 得 ら れ まし た。 依 っ て北 支 方 面 に対
北 支 方 面 ノ今後 ノ作 戦ニ 関 シテ ハ近 ク具 体 的ニ 指 示 セ ラ ルベ キ
し 次 の電 を出 し た ので あ りま し た
と言 ふ様 な 一節 が あ る の であ り ます が、 ど う か 上海 から 先 と言 ふ事
結 せし む る事 は刻 下 の急 務 な り 。
を考 へら れ て居 り ま し た の で、 手持 の兵 力 全 部 即 ち 第 十 八 師 団 を
モ上海 方 面 ノ戦况 未 ダ予 断 ヲ許 サ ザ ル関 係 ヨリ 目下 ノ ト コ口直 チ
又軍 主 力 ヲ以 テ概 ネ太 原 、 石家 荘 、 徳 州 ノ線 以南ニ 対 シ テ大規
ニ 貴 軍 ヲ シ テ山東 省 方 面ニ 進 出作 戦 ヲ実 行 セ シ メラ ル ル意 図 ナ シ
( 当 時 大本 営直 轄 と し て持 って居 る )杭 州 湾 方 面 の作戦 に内 地 よ り
ル事 ナ ク順 徳 附 近 迄 攻撃 ヲ行 フ筈
ルケ レ共大 体 敵 ヲ逸 ス ル虞 多 分ニ アリ極 力 軍 ハ石 家荘 附 近 ニ止 マ
当 時 北 支 方面 に於 ては各 種 の問 題 現 在 の外 に作 戦 の議 論 ( 蒙疆 地
と の電 報 々告 が参 りま し た 。
の動 員 部 隊 と北 支 から 引 抜 いた部 隊 之 を合 せ て上 海 に集 中 す る事 に
只作 戦 課 と 致 し まし ては 何 れ は山 東作 戦 を実 行 し な け れ ば なら ん
で、 作 戦 課長 武 藤 大 佐 を 現 地 に派 遣 し て連 絡 を と る事 にな りま し た。
方 の処 理 、中 部 山 西 省 の処 理等 ) 等 相 当 戦略 的問 題 があ り ま し た の
な った の であ りま す 。
と言 ふ考 へであ りま し た の で十月 上 旬 か ら船 舶 班 北 村 少 佐 を山 東 沿
であ り ます 。 両 者 の案 は素 よ り根 本 に於 て差 異 あ る も ので はな い の
北 支 作戦 今 後 の指 導 要領
平 中 佐 及 西村 中 佐各々 起 案 し た る
当 日部 長 以下 参 謀 本 部関 係者 集 合 し て議 題 と せ ら れま し た のは 公
長 の出 発 に先 だっ て研 究 を し た ので あ りま す 。
十 月 十 一日中 央 の意 見 を確 定 す る必 要 があ る と考 へま し た ので課
岸 の上 陸 点 の偵察 に派 遣 致 し ま し た。而 し て偵 察 の基 礎 観念 と致 し ましては 一軍 (第 二軍 ) を以 て徳 州方 面 から津 浦 線 に沿 ふて 濟南 を攻 撃 す る場 合 に近 く之 に相 応 す る為莱 州 縣 方 面 か ら 一支 作 戦 を指 向 す る地 点 は小 清 河 々谷地 区 方 面 か ら龍 口方面 と す。
であ り まし た 。 公平 案 は稍々 濃 厚 に山東 作 戦 の実 行 を予 想 せら れ て
を 研究 せら れた ので あ りま す 。 又 一っは 直 接 一兵 団 を以 て青 島 に上陸 す る場 合 の上陸 点 偵 察
りま し た 。
と言 ふ事 に定 りま し た 此 の旨 を含 ん で課 長 は現 地 に出発 す る事 にな
決 定 のま ま保 留 す
太原 、 石 家 荘 、徳 州 の線 を以 て 一段 階 とす 山東 作 戦 は実 行 を 未
此 の会 議 は大 体 に於 きま し て先 に申述 べ まし た 如 く
居 る ので あ り ます 。
之 は 大 体青 島 の東 北 方海 岸 に向 け ら れ た の であ り ます 第 三 は 海 州 を攻 撃 す る為 に海 州 の北 方地 区 日 照鎮 方面 に 一兵 団 を 上陸 せしむ 此 の第 三 の考 案 に就 て細 部 的 疑義 が あ る と予 想 し ま し た。 即 ち平 時
に厳密 に海 軍 艦 艇 、 飛 行機 等 に よ りま し て種 々偵察 を し まし た。 之
作 戦 計 画 に於 け る 上陸 点 の偵 察 実施 に就 ては資 料 を持 って居 るが更
等 を綜 合 判 断 致 し ま し て大 体 に於 て平時 作 戦 計 画 通実 行 の出 来 る と
尚 東 京 に於 ては 山 東 は謀 略 的 に成 功 す べ く韓 復榘 を武 力 を伴 ひ寝
あ りま す 。韓 の参 謀 長 は其 の親 戚 に当 る者 と共 に屡々 北 京 に出 て来
返 へら せる と言 ふ事 の工作 に対 し て多 分 の期待 を懸 け て居 った ので
言 ふ事 を知 った の であ り ます 。 十 月 十 日第 一軍 第 一線 部 隊 は〓沱 河 を渡 って石 家 荘陣 地 に突 進 し
何 な る時 期 に如 何 な る方 法 に依 って韓 は反蒋 親 日 の態 度 を表 現 す る
て密 接 に軍 の謀 略 機 関 と連 絡 を取 って居 った ので あ りま す 。 即 ち如
我 が戦 況 は頗 る有 利 に進 展 す べく 観 え まし て此 の日 北 支 方面 軍 参 謀
第 一軍 正面 ノ敵 ハ早 ク モ退 却 ヲ開始 シ極 力 退 路 遮 断ニ 努 メ テ居
長 から
か に苦 し ん で居 った の であ り ま す 。之 は後 に韓 の末 路 に就 て申述 ベ
現况 ニ於 テ ハ到 底 韓 ニ武 力 ヲ加 フ ル コト ナ シ ニ ハ韓 ハ殆 ンド見
る状 態 であ り ます が彼 は 当時 の事 態 を比 較 的 正 しく 観 て居 った 様 で
の間 に於 け る連 絡 の現 況 に照 ら し ま し ても 韓 は大 に去 就 に迷 ふ て居
と す る も充 分 中 央 と連 絡 をと ら れ度 と言 ふ意 味 の電 報 を打 っ て手 綱
部 の意 図 に関 し では曩 に電 報 し た通 で山 東 作 戦 の実 行 を絶 対 に必要
実 施す る企 図 を 以 て之 に対 し て 研究 の結 果 、 山東 方面 に対 す る中 央
と 言 って居 り ま す 。当 時 北 支 方 面軍 は第 二軍 を 以 て山 東 省 の攻撃 を
込 ガ ナ クナ ツ タ
あ りま し て斯 の様 な状 態 な ら ば 遂 に抗 日は 無 意義 で あ る。 其 時機 に
る機 会 があ る が此 の途 中 十 月 中旬 に於 け る韓 の連 絡 者 と 謀 略 機関 と
中 央 から 縁 を 切 って 日本 側 に転 進す べ しと 連 絡者 を通 じ て洩 せ る所
を控 へて居 る の であ りま す 。
山 東 攻 略 作 戦 ノ数 次 ノ御趣 旨 ハ充 分 諒 承 シテ居 ルケ レ共 今 ヤ濟
十 一月 二十 一日 甲集 団 参謀 長 よ り
︹ 北文那方面軍︺
であ り ま す 。 そ こ で韓 には 日本 軍 が前 進 し て行 って も尚 部 下 を率 い て東 部 山東 省 (濟 南 から東 ) に退 避 を せ よ 。 日本 軍 は津 浦線 に沿 ふ て南 進 す る
と ころ が韓 は既 に中 央 の虜 にな って居 りま し て思 ふ様 に兵 力 を導
り ま し た の で兵 力 の余 裕 も出来 た の で 一般 の考 は此 の際 第 二 軍 を濟
海 方面 の戦 局 は進 展 を致 しま し て大 体 太 湖 以 東 の敵 を撃 退 を し て居
と 之 が決 行 に関 す る意 見 具 申 の電 報 が参 りま し た 。此 の事 は 既 に上
モ容 易 ナ時 機 デ ア ル
く事 が出 来 な い事 実 で、 当 時 済 南 を中 心 とし て黄 河 の線 に対 陣 し て
南 を津 浦 線 に沿 ふて占 拠 せし む る と共 に、 一兵 団 を青 島 に上陸 せし
南 攻略 ト戦 線 謀 略 ハ其 ノ効 果 極 メテ最 高 潮 デ アリ当 面 ノ戦 況 ハ最
居 る兵 は 二十箇 師 で韓 の隷 下 七 箇師 は其 の間 に転 在 し て居 りま し た
め て膠 済 沿 線 を 東 方 よ り攻 撃 せ し む る案 を採 ら れ た ら どう か と言 ふ
か ら中 央 軍 と 山東 軍 に依 っ て分 離 す る 。 そ こ で韓 は は っき り態 度 を
ので金 く 動 き得 な い で実 権 は 中 央 の將 伯 誠 にあ った ので あ りま し た 。
考 が あ った の であ り ます が、作 戦 課 部 員 は 濟南 と同 時 に青 島 を攻 略
表 明す る事 を要 求 し た の であ り ます 。
り東 側 から す る山 東 省 海 岸 への上陸 作 戦 を有 利 とす る か不 適 当 と す
先 づ 直 面 せ る問 題 は韓 の寝 返 り を容 易 にす る為 には青 島 な り海 州 な
す る と言 ふ の が適 当 だ と意 見 具 申 し た の であ り ます 。
然 し部 長 の採 決 す る と ころ と な らず 遂 に次 長 の決 裁 を経 て此 の意
る か と言 ふ事 であ りま す 。 之 は 研究 のも のと し て後 々迄 残 った問 題
キ貴 軍 ノ意 見 ヲ 一応 諒 解 シ得 ル所 ナ ル モ対 支作 戦 全 般 ノ状 況 カ ラ
第二 軍 正 面 ノ敵 情 等ヨ リ判 断 スレ バ此 ノ際濟 南 攻 撃 ヲ実 行 スベ
見 具申 を否 定 す る こと にな り
第 二軍 ハ将 来 濟 南 攻 撃 ヲ ス ル準 備 ノ為ニ 黄 河 ノ偵 察 ヲ充 分的 確
今 直 チ ニ濟 南 ヲ攻略 スべ キ ヲ必要 卜 セ ラ レザ ルノ ミ ナ ラズ貴 軍 占
梢々 時 を経 ま し た十 一月 十 日 にな り ます と 北 支 方面 軍 参 謀 長 よ り
であ り ま す 。
ナ ラ シ メネ バ ナ ラ ン之 ガ為 ニ黄 河方 面ニ 出 テ居 ル山 東 軍 ヲ黄 河 以
領 地 域 ノ確保 ノ事 情 ト ヲ顧 慮 シ意 見 具 申 ハ認可 セ ラ レズ
南 ニ駆逐 シナ ケ レバ ナラ ン撃攘 ス ル必要 モア ル と言 ふ電 報 が参 りま し た 尚附 加 し て
と 返電 致 し ま し た 。 更 に之 に対 し て二 十 二 日北 支 軍 は 電 報 ノ意 味 ハ諒 解 シタ コ コ十 日間 ガ渡 河 攻 撃 ノ最 好 期 デ ア ル此
こと が下村 部 長 の頭 を指 導 し た のも亦 当 然 で あ った と言 はな け れ ば
他 の正 面 に思 切 っ て指導 出 来 ず 所 要 の 一正 面 に兵 力 を集 中使 用 す る
全 戦 面 の事 情 か ら既 に判 断 し乍 ら も専 ら当 面 の戦 況 を考 へて各 方
な ら ぬ ので あ りま す 。
面 軍 は熱 心 に自 分 正面 の戦 況 から 尚攻 勢 の好 機 な る の意 見 具 申 をす
ノ時期 ヲ逸 ス レバ黄 河 ノ結 氷 ノ関 係 ヨリ渡 河 ガ困難 ト ナ ル 意 味 を補 足 し て改 め て意 見 具 申 し て来 た ので あ りま す 。 十 一月 下 旬
る事 は概 ね当 然 の事 で あ り ます 。
の間 の消息 等 を伝 ふる も ので あ り まし て此 の要 旨 を申 述 ベ て見 ま せ
将よ り 下村 部 長 宛 の書 簡 と 並 に之 に対 す る下 村 部 長 の返事 等 は此
︹直 三 郎 ︺中
北支 軍 司 令 部 の山 東作 戦 に関 す る十 一月 三十 日到 着 の参謀 長 岡 部
頃 は南 方 に於 て は中 支 方 面 軍 、第 十 軍 等 より頻 繁 に南 京 に向 ってす る攻撃 実 施 の意 見 具 申 があ り 、 北 支 に於 ては 斯 様 に山 東 攻 撃 の意 見
う 。 岡 部参 謀 長 の手 紙 は
具申 が あ り、 中央 に於 て は若 し自 由 に対 支 に専 念 し得 る戦 況 であ り ま し た な らば 此 の両方 面 の悍 馬 を放 せ ば此 の苦 境 を自 ら徐 々 に開陳
︹マ マ ︺
に於 け る進 出 線 に就 て中 央 と の見 解 にか な り相 違 が ある か どう か 。
戦 を許 す 考 な る かど う か 、尚 方 面 軍 の進 出 線 は太 原 、 石家 荘 方 面
であ った が厳 命 を 下 し て之 を禁 止 し た 。中 央 部 は 方 面軍 の渡 河 作
第 二軍 は渡 河 準備 の完 成 と 共 に 一部 を以 て前 岸 に渡 河 さ せ る考
高 潮 に達 し 敵 軍 の志 気 逐 次 衰 へっ っあ る現 在 最 も適 当 で あ る。
黄 河 の結 氷時 期 に な れば 渡 河 は 困難 であ る から第 二軍 の準 備 最
第 一 濟 南攻 撃 に就 て
と言 ふ前書 であ り まし て
に意 図 を 行 ふ事 困難 にし て部 下 の指 導 に苦 し む こと あ り。
司 令 部 以下 中 央 の意 図 に副 ふ如 く 努 力 し あ り 。只 方 針 不 明 の為
し 甚 だ攻 撃 を遂 行 す る に効 が多 か った ので あ りま す 。即 ち戦 況 判 断 に於 て十 一月 十 二月晩 秋 、初 冬 の頃 は 対 ﹁ソ﹂ 顧 慮 を要 す る時 と 考 へられ て居 った為 に充 分 な る兵 力 及 作 戦資 材 を 対支 戦 に使 用 す る余 裕 があ り ま せ ん。 そ こ で次長 は左 の如 く 採決 を とら れ ま し た 南 方 の南 京 に向 ふ追 撃作 戦 は是 認 を し て所 要 の作 戦資 材 を之 に 補 充 す ると 共 に北 方 は 之 を控 制 をし て兵 力 を 一途 に集 中 す る と言 ふ案 を と ら れ たも のと 思 ひ ます 。 尚参 考 迄 に申 し ます れば 此 の十 一月 下 旬 には 独立 一箇 師 団 程度 の 兵 力 を 以 て南 支 作 戦 を企 画 せら れ て居 った時 期 であ り ます 。 三 方面 同 時 に攻 撃 を指 導 す る事 は到 底 兵 力 並 に資 材 の補 給 の顧 慮 に於 て之 を許 さな か った の であ り ま す 。
と 言 ふ質 問 が あ りま す 之 に対 し て下 村 部長 の返 信 は
北 支軍 は始 終 中 央 の意 図 を尊 重 せら れ屡々 軍 とし ては 定 め て宜
若 し徐 州 会 戦 後 の如 き状 態 であ り ま し た なら ば 即 ち敵 の兵 力 が 既 に減 って居っ た と仮 定 し まし たな ら ば 此 の北 支 軍 の決意 、中 支 軍 の
る事 は 小 官等 の立 場 上 深 く感 謝 し て居 る所 であ る 。
し から ん と思 は れあ る事 に断 乎 とし て中央 の命 令 に迎 合 せら れ あ ︹マ マ ︺
南 京 に向 ふ攻撃 の決 意 と は是 認 せ ら れ て居 た と 思 ひま す け れ 共 、当 時 上海 の作戦 は精 根 を尽 し た 生 々し い苦 の後 であ り まし た ので 此 の
註 (西 村 ) 之 は第 五 師 団 の運 用 又 当 面 し あ る第 二軍 の渡 河 の問 題 等 を指
戦 力 を発 揮 し て 行 かう と言 ふ考 で あ る から各 方面 共 不満 足 な事 に
りと の御意 見 は御尤 も と存 ず る。 只 御承 知 の通 中 央 部 の企 画 には
将来 作戦 に関 す る中 央 部 の意 図 不 明 な る為 方 面軍 の統 帥 上 不 便 な
補 給 路 を遮 断 す る為 に南 支 方 面 に対 し て 一作 戦 を企 図 し て居 る次
今 や 出来 る だけ の力 を之 に集 中 す る考 であ ると同 時 に敵 の唯 一の
あ る が主 とし て南京 を攻 略 す る事 が 目下 効 果 的 で あ ると思 ふ から
る。 北支 方面 よ り之 を観 れば 異 論 の生ず る事 も無 埋 から ん こと で
目 下 の状 況 に於 て は中 支 、南 支 作 戦 に努 力 を傾 注 す る 方針 であ
な る か も知 れ ん が 止む を得 な い事 であ る。
適 時 に之 を御 示 し し 難 い事 由 あ れば 此 の点隔 靴 掻 痒 の感 あ るも 御
第 であ る 。
し た も の で ある
を収 め ず 。効 果 大 な り と 認 む る方 面 に対 し て着 々攻 勢作 戦 を行 ふ
等 を おさ へて全 戦 力 を 南 京攻 略 に集中 す る事 に決意 し た次 第 であ り
意 見 を 手紙 で下 村 部長 宛 に連 絡 せ ら れ た の であ り まし た が、 悉 く之
之 と相 前後 し て鈴 木 第 二軍 参 謀 長 よ り は濟 南 攻撃 の実 施 に関 し て
と言 ふ意味 の返 信 を致 し まし た 。
諒 察 下 され度 。支 那 側 が抗 日意 思 を放 棄 し な い限 、軍 は武 力 の戈
事 を以 て大 方針 と せら れ て居 る ので あ る。然 し乍 ら 今 次事 変 に於
基 き之 を律 し な け れば な ら な い。然 も此 の内線 的 見 地 に於 て我 が
け る陸 軍 の作戦 は大 局 上 ﹁ソ﹂支 両 国 に対 し て戦 争 指 導 の見 地 に
兵 力 並 に国 力 の限度 を考 察 す る に、差 当 り ﹁ソ﹂ 聯 邦 が直 接参 戦
ま す。
へ抑 へて十 二 月 の中 旬 末 と な り ます 。 十 二月 中 旬 初南 京 陥 落 致 し て
斯 様 な 経 緯 を致 しま し て第 二軍 の黄 河北 岸 渡 河 準備 を完 成 の儘抑
の虞 な しと 認 ら るゝ 現 況 に於 ても 支 那 に対 し て単 に政 戦 略 上 の要
度 及占 領 地 域 両 方 面 共) 占 領 地 域 の拡大 等 を許 さ ざ る も の があ る 。
此 の戦 況 は思 ふ よ り楽 であ り まし て作 戦 に要 す る資 材 人員 の減 耗 も
求 に基 き無 制 限 な る出 動 兵 力 の増 加 或 は攻 勢 作戦 の徹 底 (前進 速
此 の事 は統 御 上 最 も苦 痛 とす る所 であ り 、止 む を得 ず 左 の如 き
り まし た。 宛 も 当年 は割 合 に暖 で例 年 に比 し て黄 河 の結 氷 が遅 れ て
居 り ます 。 愈々 此 の方 面 に於 て更 に北 方 よ りす る圧 力 を増 加 せし む
甚 だ少 かっ た ので あ りま す 。大 本 営 と し て は戦 力 の余裕 を見 せ て参
る為 に中 央 に於 て は黄 河 渡 河 に対 す る決 意 を せ ら れま し て十 二月 二
一、 使 用兵 力 は概 ね 現在 程 度 のも のを 以 て之 が運 用 に依 り所 要 の 方 面 に作 戦 を指 導 す る
十 三 日決 行 す る事 になっ た ので あ りま す 。
方法 に依 って作 戦 目 的 の達 成 を期 し っ っあ る次 第 であ る 。
二 、 船 舶鉄 道 輸 送 力其 の他 後 方 施 設 等 に於 ても 大 体現 況 以上 に尚
六 、 青 島 に対 す る作 戦
能 力 を期 待 し 得 な い 三 、 守 備兵 力 を膠 着 吸収 せ ら る る から 過度 に占 領 地域 を拡 大 し た くな い 以 上 に見 る様 な 条件 に拘 束 せら れ乍 ら 限定 目 標 に対 し て逐 次 に
1、 青 島 上海 の処 理 に関 す る陸 海 軍 の態 度 研 究
寧 ろ当然 で あ りま し て 、北 支 に日 本 と支 那 と 戦争 を し ても 上 海 、青
一、 事 変 を 北支 に局 限 す る こと
関 す る連 絡 と し て申 出 でた る内 容 は
て き っ っあ った当 時 の支 那 の実 態 を 我 々は尚 は っき り掴 み得 ず し て、
ま し て 、 独 立国 家 の態 容 を支 那 統 一に依 っ て殆 ん ど完 全 に近 く 備 へ
言 へば 当時 尚 支 那 を甘 く見 過 ぎ て居 った と言 は ざ る得 な いの であ り
島 の日 本 人 が案 外商 売 が出 来 な い訳 で はな い ので あ り ます 。 極 端 に
二 、 一挙 に出 兵 し て迅 速 に片 附 く る こと
即 ち上 海 の陸 戦 隊 は其 の租界 の外 国 を 警 備す る態 勢 に於 て敵 の盛 な
北 支 だ け で戦 闘 を局 限 し得 る と想 像 し た事 は誤 であ った と思 ひま す 。
七月 十 日 軍令 部 第 一課 参謀 岡 田大 佐 が時 局 処 理 の為 の作 戦 指 導 に
三 、北 支 に出 兵 せ ば全 支 に排 日気 分 が盛 と な る で あら う が北 支 以
る攻 撃 を 受 け た の で之 を救 援 す る為 に約束 通 二箇 師 団 急 派 のやむ な
外 には積 極 的 の出兵 は な る ベく之 を避 け 別 に居 留 民 の保 護 の準 備 を整 へて おく こと
き情 態 に なり ま し た。
様 と す る構 想 が進 ん で居 る の であ り ます 。 此 の構 想 には 二 つの種 類
った ので 、此 の北支 作 戦 の始 ま ると同 時 に此 の正面 に 一部 隊 を 上 げ
青島 の居 留 民 に対す る現 地 保護 と謂 ふ考 へ方 は既 に暗 黙 の中 に定
2 、青 島 に対 す る作 戦
四 、 居 留 民保 護 の為 には或 は青 島 、 上海 に十 一年 十 一月 協 定 の兵 力 を 出 す場 合 あ る事 を顧 慮 し てお か れ度 事 五 、 上 海 、青 島 共 に居留 民 の引 上 げ は行 は な い
上海 に事 態 が起 き たな ら ば陸 戦 隊 増援 の為 に 二箇 師団 を出 す 青
があ り ま し て 一っは相 当有 力 な る部 隊 、或 は軍 を 進 め て膠 濟 沿 線 、
十 一年 十 一月協 定 の兵 力 と言 ふ のは
島 には事 件 が起 き たな ら ば 二箇 師 団 出 す が浩 し 青 島附 近 だけ を 警
濟 南 と か そう し て此 の京津 平 地 作 戦 を容 易 なら し む る作戦 を要 す る、
面 が あ る訳 であ り ます 。
民 の現 地 保護 の為 に は最 少 限度 の作 戦 部隊 にて間 に合 ふと 言 ふ 二方
こう 云 ふ案 であ り ます 。 膠濟 沿線 の戦 の為 に は相 当 兵 力 を要 し居 留
備 す る場 合 は 一箇 師 団 を出 す こう 言 ふ約 束 であ る ので あり ま す 。之 は平 時 作戦 計 画 で其 の協 定 が
此 の以 上 の主 旨 は 当 時 の作 戦 課長 と軍 令 部 作 戦課 長 と話 があ って
明 示 さ れ て居 りま す 。
津 平 地 に局 限 す ると 言 ふ意 見 であ った ので あ りま す 。之 は当 初 の考
成 る ベく 此処 迄 は戦 闘 を引 起 さな い様 に注 意 をす る 。即 ち 事 件 は京
参 謀 本部 とし ても 青 島 及 上海 の居 留民 保 護 に就 ては考 慮 をす る が
師 団 を 上陸 せ し め此 の第十 四師 団 は 膠濟 鉄 道 に沿 ふ て独 立 し て作 戦
団 を 青島 に敵 前 上 陸 せ し め此 の敵 前 上陸 部 隊 にす ぐ 引続 いで第 十 四
支 作戦 要 領 ) 青 島附 近 の事 態 が悪 化 し たな ら ば第 十 一師 団 より 一旅
し た 。局 地解 決 の方針 の重 点 で其 の当 時 樹 てら れ ま し た考 案 は (北
八 月 上旬 頃 即 ち未 だ保 定 会 戦 の始 って居 ら ん と言 ふ時 期 であ り ま
方 で あ りま し て事 実 は 之 に反 し て逐 次 に波 及 し て行 った の であ り ま
せし む る企 図 を有 せず 、青 島 附 近 の要 点 を占 領 し 海 軍 と 共 同 し て居
お互 に諒解 し た事 であ りま す 。
す 。之 は満 洲事 変 の起 き た時 に も上 海 に問 題 を起 し た前 例 に鑑 み て
る べ く速 か に上海 方 面 に転 用 し て師 団 長 の隷 下 に っ かし む 。
留 民 の現 地 保護 を や り敵 前 上陸 を実 行 し た第 十 一師 団 の 一支 隊 は成
軍 艦 が青 島 の沖 合 を 数 日曳 航 し た ので遂 に殆 ど 舟 に参 ら な い者 は
な い位 にな って我 が天 谷支 隊 は其 の上大 連 に帰 っ て休 止 を し やう と
言 ふ事 にな り まし た が、東 京 から 青 島 上陸 軍 に対 し 上海 の師 団 長 の
又 此 の天谷 支 隊 に次 で動員 しま し た部隊 は第 十 四 師 団 で あ りま す
こう 言 ふ計 画 で此 の作 戦 考案 に第 十 一師 団 の 一部 隊 を 使 ひ ま した
が青 島 に上 げ る予 定 であ り ま し て、 支 隊 と師 団 は両 方 共同 に於 て青
て航 海 を終 へて上 海 に到着 し た の で あり ます 。
而 し て第 五 師 団 は山 西 の山 中 にあ る状 態 で上陸 作 戦 に使用 し得 る
島 に上 る事 と し て乗 船 し た が其 の後 北 支 那軍 の隷 下 と し て保 定 の正
隷 下 に復 帰 せ よ の命 令 を与 へし為 天 谷 支 隊 は非 常 に疲 労 の状態 を以
のは第 十 一師 団 のみ であ り ま す 。然 も当 師 団 は 上海 作 戦 軍 に充 当 し
面 に使 った ので あ りま す 。斯 くし て青島 上陸 戦 と 言 ふ事 は誠 に不 手
のは国 軍 に於 て敵 前 上陸 の訓練 を経 た るは 第 五師 団 と 第 十 一師 団 で
な け れば な ら ん ので中 支 の 一支 隊 (天 谷 少 将 の指 揮 す る 一聯 隊 ) を
際 の経 緯 を 以 て不 実 行 と な った も の であ り ます 。 之 は純 作 戦 的 の問
あ る から であ り ます 。
青 島 に使 ふと 言 ふ計 画 であっ た ので あ りま す 。 そ うし て此 の問 題 は
題 では な く政 策 的 考 へ方 の為 に研 究 を要 す るも の であ った の で あり
︹ 谷萩那華雄︺
の動 員 を 令 し 先 づ天 谷 支 隊 を引抜 いて至 急 出征 せ しめ 先 づ 大連 を目
在 青 島 特 務 機 関長 矢 萩 大 佑が 極 力 必要 を唱 へま し た の で第 十 一師 団
之 は 別 に説 明し ま す 。何 故 に海 軍 は始 め実 行 を 約 し既 に軍 を青 島
ます 。 上陸 作 戦 は今 事 変 を通 じ て数 度 の上陸 作 戦 の中 に二 っのも の
沖 合 に集 め な がら 之 を 実行 に移 さな か った と言 ふ事 、之 は当 時 上 海
標 とし て出 発 さ せ た の であ り ます 。之 は 企 図秘 匿 を主 な る 理由 とし
と ころ が海 軍 は違 った考 へで あ りま し て青 島 に は兵 を出 さ な い方
正 面 の陸 戦 隊 が全 く 苦 戦 の状 態 にな り ま し て陸 戦 隊 の悉 く を上 海 に
が遂 行 に至 らず し て終 へら れ て居 りま し て 、其 の 一は青 島 天 谷 支 隊
が宜 敷 いと言 ふ意 見 が出 た ので あ りま し た 。 そ れは主 に海 軍 省 方 面
集 め ま し た か ら であ り ます 。海 軍 と し て は全 力 を 挙 げ て上 海 に集 中
の上 陸 作戦 、尚 一っは 南 支平 海 半 島 に対 す る上 陸 作 戦 で あ りま す 。
の意 見 であ ったと 想 像 し て居 る の であ り ま す が、 海 軍 は各 方 面 から
し た の であ り ます 。 従 って此 の青 島 と同 じ様 に上 海 を甚 しく危 険 と
た も の であ り ま し て、 大 連 に於 て海 軍 の護 衛艦 艇 の護 衛 下 に は いっ
居 留 民 を半 ば強 制 的 に青 島 か ら撤 退 さ せ て了 ひ まし た 一方、 矢 萩 特
し 重 大 と なし 全 力 を 分散 す る考 へ方 は し な か った と思 ひ ます 。 此 の
て青 島 に向 って上 陸 作戦 を指 導 し やう と し た の で あり ま す 。
に作 戦 的 の意 見 具 申 を兼 ね た電 報 が来 た ので あ りま す が 、東 京 に於
務 機 関 長 か ら は何 故 に敵 前 上陸 を やら な いの か原 因 を問 ふ の電 報竝
あり ま す。 上 陸 作 戦 には海 軍 の諒 解 が必 要 で船 のみ な らず 海 軍 の優
勢 な る航 空 に依 ら ね ば な ら な い の であ り ます 。 此 の十 三 日 の夜 に韓
青 島 作戦 を中 止 させ た のは之 は共 同作 戦 す る海 軍 の作 戦 に よる ので
復榘 の幕 僚 は済 南 に於 け る特 務 部 に逃 走 し て来 我 に掴 ま っ て居 る の
ては 既 に天 谷 支 隊 を 出 発 さ せ て あ る の に 一向 に上 陸 し な い。 そう し
い。 其 の内 に青 島 を 全部 撤 退 し 終 った ので現 地 保 護 は 必要 がな い様
て青島 の海 上 で輪 乗 を し て待 機 し て居 り ま し てど う し て も上 が れな
にな り 上陸 は止 め よ う と言 ふ事 にな った ので あ りま す 。
面白 い問 題 と な った かと も思 ひま す 。 現 に当 時 第 十 四師 団 長 土 肥 原
で あ りま す 。 あ の時 期 に青 島 に上 陸 し た な らば ど う結 果 と な った か
に拘 らず 閣 議 は逐 次 青島 に現 地 出 兵 を 必要 と せず と言 ふ事 とな りま
う と 云 ふ の であ り ま し た。 此 の間 青 島 現 地機 関 の熱 心 な る意 見 具 申
︹ 賢 二︺
の可否 に就 て研 究 致 し まし た が時 局 処 理 の方 針 が京津 平 地 に極 限 し
し た ので、 八 月 二十 三 日作 戦 班 は純 作戦 の見 地 より青 島 に派 兵 す る
て処 理す る意 見 があ り ま し た の で膠 済 沿線 を濟 南 附 近迄 兵 を進 む る
中 将 あ たり は 乃公 は青島 に上 れば 韓 復榘 を寝 返 へら せ る と言 ふ様 な
八 月 半頃 に 一度 は右 のやう な事 が あ り ま し た の で、 あ の時 に やら
事 を自 認 を し て居 ら れた様 で あり やす 。
の意 見 で あ りま し て未 だ確 定 的 に出 兵 の意 見 の必 要 を断 定 す る に至
事 を前 提 と せざ る限 り青 島 の出 兵 は 大 な る効 果 があ る ま いと言 ふ位
人 に説 いて青 島 派 兵 の不適 当 な る所 以 を説 か れ た様 であ り まし て 二
と ころ が不 拡 大主 義 の熱 心 な る 主 張者 た る石 原 部長 は軍 政 要 路 の
ら な い。
な か った のが悪 か った ので惜 し く てな り ま せん 。 之 を は っき り平 時
を樹 て させ た であら う と思 ひ ます 。
計 画 に従 っ て上陸 さ せら れ て居 るな ら ば韓 復榘 を寝 返 へら せ る決 心
斯 様 に実 行直 前 の海 軍側 の要 求 に依 り ま し て青島 上陸 作 戦 は実 行
む る 必要 が あ り、 其 の撤退 を安 全 な ら し む る為 には 或 は兵 力 を 以 て
只青 島 に派 兵 せざ る のは其 の居 留 民 を膠 済 沿 線 より逐 次撤 退 せし
十 四 日 に至 り青 島 に派兵 せざ る事 に決 定 し た の であ り ます 。
其 他 一切的 確 な計 画 を樹 て 一体 内 地 港 湾 を出 る。 其 の後 は始 め の企
す る援 助 を要 す る事 であ らう と の考 へか ら第 十 四 師 団 を 万 一の場 合
で上 陸 作 戦 と言 ふも のは内 地 の港 湾 を出 る時 に上陸 の時 期 、 方 法
に至 らず し て終 りま し た 。
い事 を痛 切 に感ず る の であ り ます 又 洋 上 に於 て決 心 し や う とす れば
図通 り に進 行 さ せ てゆ く事 に なら なけ れ ば各 方 面 に非常 に支 障 の多
の使 用 に充 て る心 組 を 以 て、 二十 六 日頃 衛 戌 地出 発 二十 九 日頃 神 戸
が上陸 作 戦 の訓 練 を し て な い に鑑 み此 の露 払 とし て第十 一師 団 の 一
出 帆先 づ大 連 に輸 送 し て待 機 せし む る 考案 を樹 てた 。然 し此 の部 隊
船 に は船 の意 見 が出 て来 て出 来 な いと 言 ふ事 にな りま す 。
に な ってゐ る儘寳 山 の戦 場 に つぎ 込 ん で し ま った そ
こう 言 ふ様 な状 態 で上海 に到 着 し た天 谷支 隊 の兵 隊 は疲 労 し て居
部 ( 天 谷 少 将 の指 揮 す る歩 兵 三 大 隊 を基 幹 とす る) を第 十 四師 団 に
る馬 は へ卜〓
先 立 って大 連 に派遣 す る事 の必 要 を 感 じ具 体 的 の 処 置 を 致 し ま し
八 月 二十 七 日 青島 の情 況 は居 留 民 の引 上 げ 中 であ り ま し て突 発 事
た。
れ で 、賓 山 では疲 労 の上 に乾 く の で水 を飲 む下 痢 を す る ひ ど い目 に
3、 青 島派 兵 問 題 に就 て
あ って天 谷 支 隊 は戦 病 兵 が多 か った ので あ りま す 。
が あっ た の であ り ます が 、大 体 当時 の意 向 は外 務 大 臣 は不 同 意 、 海
件 を老 慮 しま し た か ら 万 一の場 合 に相 応ず る為 に此 の日頃 大 連 に到
4 、天 谷支 隊 の運 用 に就 て
軍大 臣 は其 の時 期 に は達 し て居 ら な いが派 兵 を要 す る時 期 とな ら ば
着 す る天 谷 支 隊 を青島 沖 に派 遺 待 機 せ し む る事 と な って次 の電 報 命
八 月 十 八 日 の閣 議 に於 て青 島 に派 兵す る こと を要 す る や否 や の話
陸軍 の援 助 を 必要 とす る 。陸 軍 大 臣 は 必要 なら ば何 時 で も派 兵 し や
令 を 発 し まし た。即 ち 天谷 支 隊 ハ将 来 上海 ニ派 遣 セ ラ ル ル予 定 ナ リ然 レ共 概 ネ 八 月 二 十 九 日頃 迄 ニ完 了見 込 ノ青 島 邦 人 引上 ゲ ニ対 ス ル顧 慮 上 一時 青 島
は 第 二艦隊 の兵 力 行 使 に相 応 ず る の準備 に居 ら し め た る なり
従 って大 体 此 の部 隊 は勅 命 に依っ て爾 後 行動 す べき筋 合 で あ りま
と言 ふ文 句 がは い って居 り ま す 。
す が、 事 態 急 変 の場 合 は支 隊 長 は第 二艦 隊 司令 長 官 と協 議 の上同 隊
事 実 は居留 民 の安 全 な る撤 退 の後 見 届 け て概 ね四 日 間海 上 に待 機
を以 て実 力 行使 す る こと あ る べ き を予 期 し て居っ た ので あ りま す 。
方 面 ニ進 出 シ海 上 ニ待 機 セシ メ ラ ル 此 の処置 は誠 に不的 確 な処 置 であ る ので あ りま し て其 の
営 は不 拡 大 方針 を 一擲し対 支 全面 戦 の覚 悟 を な し徹 底 的 に蒋 介 石 打
九 月 下 旬 石 原 部長 と下 村 部長 交 代 とな り 、 十月 に入 っ てか ら大 本
七 、頓 挫 南 支 上 陸作 戦
し た る後 上海 に転 用 す る こと にな りま し た 。
第 一は天 谷支 隊 は出 発 当 初 から 的確 な任 務 が な い 即 ち青 島 に派 兵 す る意 思 は上 陸 せ し む べき や否 や 不確 定 のも ので あ
1 、 閣議 が現 地 保護 を放 棄 し た る事
った ので あ りま す 。即 ち
2 、居 留 民 引 上 げ の状 態 3 、 突発 事 項 に対 す る顧 慮 (日 本 軍部 隊 が上 陸 す れば 却 って迫 害 破 壊 を受 け る であ らう )
方面 に於 て概 ね 黄河 の線 (山 東 を含 む ) 以 北 を戡 定 し な け れば なら
ん と言 ふ やう な こと に なり 、 之 が為 北 支 方 面 に於 て黄 河 山東 の処 理
倒 の企 図 を と った の で あり ま し て 、此 の作 戦 の手 段 と致 し て は北 支
を如 何 にす る かと言 ふ問 題 があ り ま し て濟 南 方面 に於 け る 渡 河作 戦
等 が相 交錯 し て此 の部隊 を青 島 海 上 に準 備 陣 を 張 ら し め た の であ り
従 って天 谷支 隊 は上陸 作 戦 の態 勢 を持 って居 ら な いし 、又 其 の企
山東 沿岸 上 陸 作 戦等 考 へら れ て居 り ます 。 中 支方 面 に於 ては戦 局 膠
ます。
図 も な い の であ りま す か ら作 戦 に関 す る陸 海 軍 部 隊 の具 体 的 協 定 も
尚南 支 方 面 に於 て 一作 戦 を指 導 し て敵 の主 要補 給 路 を遮 断 す べ き
の花 を咲 かし て居 り ま す 。
り ま す 。当 時 南 京 に向 ふ作 戦 を指 導 す べき や否 や に就 て大 い に論 議
着 し て杭 州 湾 沿 岸及 白茆 口上 陸戦 が十 一月 上 、中 旬 行 は れ た ので あ
何 も な い、 全 く不 決 心 な る 政策 出 兵 の形 であっ た の であ りま す 。 八 月 二十 八 日奏 上 し た 上 奏文 の中 には 上 海 に派遣 待 機 中 な り し 上海 派 遣 軍 司 令官 指 揮 下 の天 谷 支 隊 に 対 し て青 島 方面 に進 出 し 第 二艦 隊 司 令 長 官 と協 同 し海 上 に待 機 す る こと
は戦争指導班堀場少佐 の班 で全面的 に支那戦争 の判断 から其 の軍需
︹一 雄 ︺
意 見 が起 った の であ り ます 。 此 の意 見 を先 づ専 ら熱 心 に主 唱 し た の
青 島 の陣 地保 護 を中 止 せら る現 在 に於 て は居 留 民 の撤退 は未 だ
品軍需諸資材 は殆ど大部香港、廣東 を経 て補給せらる事実 からして
が命 令 せら れそ の目 的 と す ると ころは
完 成 せざ れば先 づ支 隊 兵 力 を 以 て処 理 す る を要 す る こと あ る場 合
之 を遮断 し な けれ ば なら ん と言 ふ議 論 であ り ます 。 当 時海 軍 は海 上
拡 大 し な い、 其 他 然 も 上陸 作 戦 の実行 が容 易 であ る と ころ でな け れ
︹ 千秋︺
よ り又 は航 空 機 によ って粤漢 、廣 九 鉄 道 を攻 撃 し て居 る の で あり ま
に充 当し 得 る兵 力 は第 十 一師 団 並 に壷臺 湾 重、 藤支 隊 を充 用 す る覚悟 で
ば な り ま せ ん。 従来 の調 査 資 料 か ら此 の四案 を 選 定致 し まし た 。之
此 の案 を実 行 す る為 に併 せ て平 時 調 査資 料 の確 実性 を確 め る為 に
あ った の で あり ま す 。
す が、 此 の航 空 機 に よ る戦果 は十 分 でな い。例 へば其 の根 拠 地は壁
現 地偵 察 を 必要 と す る ので、 之 が為 船舶 関 係 と航 空関 係 の者 の偵察
湾 若 く は海 上 にあ る の で思 ふ やう に攻 撃 が出 来 な い の であ り ます 。 当 時 は 尚 対 ﹁ソ﹂顧 慮 上 全兵 力 を挙 げ て対支 作 戦 に充 当 し得 な い の
を 必要 とす る観 点 より船 舶 班 北 村 中佐 、航 空 班 三 好少 佐 を派 遣 し た
の であ りま す 。 海 軍 の水 上艇 偵 察竝 に潜 水艦 、 駆 逐艦 等 を利 用 し て
へて居っ た の であ り ます 。 又廣 東 作 戦 の為 には作 戦 課 は大 体 三箇 師
現 地 を大 体 一週 間 以 上 に亘 りま し て偵 察 し て帰 りま し た 。
で大 体総 兵 力 の約 二分 の 一の程 度 を以 て支 那 を処 理 し 得 ば い いと 考
団 乃 至 五箇 師 団 を要 す ると判 断 致 し ま し た が、 上層 部 に於 て は三 箇
将 は数 次 の意 見 具申 をし て航 空 基 地 をと る為 のみな らず 諜 略 根 拠 地
の で又向 側 の内 密 の申 出 が あり 、 向 ふ の考 へを将 来利 用 す る事 が出
第 二案 は飛 行 場 は 可能 で廣 東 附 近 唐家 湾 の飛 行 場 の利 用 が出 来 る
其 の理由 は
此 の偵 察 の結 果 に基 き遂 に第 一案 を決 定 す る事 にな り まし た。
師 団 を主 張 され た の で新 に内 地部 隊 を出 す時 の決 心 を持 って居 った の であ りま す 。 ︹幹 郎︺
を と る為 に、 例 へば廣 東 に向 ふ作 戦 の為 に南 支 平 海 方 面 の 一地 に陸
るや う で あ る が上 陸 地 と し利 用 す る事 が出 来 る訳 で唯 金 星 門 附 近 は
来 る 。之 は澳 門 の総 督 が内 面 的 に向 ふ の心 を反 映 し て本 国 に対 立 す
そ こで廣 東 作 戦 は斯 く し て行 き悩 ん で居 って憂 湾 軍 司令 官 古 荘 中
一部作 戦 の指 導 を 考究 さ るゝ に至 りま し た 。斯 く し て杭 州 湾 上陸 作
軍 を進 め て拠 点 を と る事 が必要 で あ ると 為 し逐 次 限 定 目標 に対 す る
便 で且混 成 一旅 団 程 度 を以 ては 防 禦 困難 で あら う と思 ふ の で あ りま
狭 小 な る欠 点 があ り ま し て多 大 兵 力 の上陸 点 がな い ので之 が為 尚 伶
平 海半 島 の み の占拠
戦 の完 成 致 し ま し た後 十 月中 旬 に な りま し て作 戦 課 は南 支 沿岸 に於
漢門 を含 む 中 山縣 以南 の半 島 の占 拠
停 島 西側 の泊 地 を 利 用 し な け れば な ら ん 次第 で あり ま し て、 甚 だ不
第 一案
け る 限定 目 標 に対 し て の作戦 を研 究 致 し ま し た 。
第 二案 上 川島
以 て十分 と れ る上 に守備 兵 力 が僅 少 でよ いけ れ共 差 当 り利 用 す る飛
に非常 に容 易 であ り ま す 。占拠 後 の守 備 の為 に考 洲 の入江 が あ りま
そ こで却 って第 一案 を採 った の であ り ま し た が、之 は到 る処 上 陸
第 三案 上川 島 下 川 島 の占 拠 は占 領 が容 易 で あ りま し て数 箇 大 隊 を
第 三案
三竈 島 の占拠
す。
第 四案
行 場 の適 当 な るも のが な い。
下 川島 の占拠
之 は概 ね独 立 一箇 師 団 を 以 て占 領 し 且 確保 し得 る も ので あ りま す 。 其 の占 領 地 域 内 に適 当 な る航 空 基 地 を 設 定 し得 る こと 、将 来 極 め て 優 勢 な る敵 の攻撃 に対 し て安 全 な る こと 、戦 局 が其 処 か ら不 用 意 に
の 一地 に破 璃 廠 に近 く 飛行 場 があ り ます 之 に手 入 を加 へて利 用 す る
し て此 の部 分 を 約 一旅 団 を以 て押 へて居 れば 守備 容 易 であ り其 の西
師 団 重藤 支隊 の集 結 転 用 を許 す に至 り逐 次 実 行 性 を 帯 び て来 た の で
兵 は 漸 次 太湖 の線 を越 へて前 進 す る と言 ふ状 態 であ る ので、 第 十 一
協 定 が相 当 出 来 上 って来 ま し た。 且 上海 方 面 作 戦 は 一大 進 展 致 し将
附 近 に集 合 さ れた の で ( 之 等 の集 中 は大 本 営 の指 導 によ る) 総 て の
此 の作 戦 指 導要 領 は概 ね十 二 月中 旬 に作 戦 部 隊 を臺 湾 の西 岸榜 蓼
と す る考 へであ った ので あ りま す 。即 ち敵 が上 海 、南 京 の正 面 に
当 初 よ り 二乃 至 三箇 師団 を以 て 一挙 に廣 東 に向 ふ 作戦 指 導 を有 利
第 五軍 司 令 部 (臺湾 軍 ) と し ては斯 様 な 限 定 的 な目 標 を と らず
第 一、東 京 と臺 湾 軍
の であ りま す 。
し た 。此 の席 上各 方 面 の事 情 があ って問 題 にな った のは 次 の如 き も
て の第 四艦 隊 と 第 五軍・ 司 令 官 の協 定 に列 席 の為 に臺湾 に出 発致 し ま
十月末私 ( 西 村 ) が此 の案 を 以 て臺 湾 軍 に連 絡 し臺 北 、基 隆 に於
あ りま す 。
の で平海 半 島 を上 陸 目 標 と決 定 し た ので あ りま す 。 此 の決定 を見 ま す と 逐 次海 軍 と 協 調 を進 めま し て上陸 作 戦 の為 の 一案 を得 た ので大 体 十 一月初 に決 定 を見 ま し て其 の作 戦要 領 は次 の
独 立 一箇 師 団程 度 の兵 力 を 以 て平 海 半 島 を占 領 し て航 海基 地 を
通 り であ り ま す。
設 定 し航 空 部隊 に依 って粤 漢 及廣 九 鉄 道 珠 江 水道竝 に之 に沿 ふ交
船 舶量 は軍 隊 軍 需 品 を合 せ て大 約 四 十 万噸 、上 陸 点 は大 体 此 の平 海
に 二箇師 団 を並 べ て後 二十 数 箇 大 隊 を 以 て側 面 掩護 を なす 考 へ方
全 力 を集 中 し て居 る の で其 の隙 に 一挙 に廣 東 を衝 く見 込 で第 一線
通 の要 衝 を爆 破 し敵 の補 給 を 阻 止 す。
半 島 の西海 岸 に指 導 す る計 画 で あ りま し た 。之 は予 ね て臺湾 軍 の調
唯臺 湾 軍 司令 部 は自 ら の兵力 は僅 か に独 立 一箇 師 団 で適 当 の作 戦
首 を押 へる事 に満 足 す る事 とし 大 本営 に手 持 の兵 な き事 を基 隆 出
説 明 し ま し て納 得 させ ま し た。 大 本営 の意 図 の通 り平 海 半 島 の喉
で あ ります が、 大 本 営 の気 持 は 一般事 情 から 之 を許 し ま せん の で
査 研 究 を し て居 った関 係 上臺 湾 軍 司 令 部 を し て実 行 せ し む る が最 も
を実 施 す る と 言 ふ事 は其 の任務 を果 す 兵 を 有 せ な い の で、従 って新
発 迄 繰 返 し た事 で あ りま す 。
当 を得 た も ので あ りま す 。
な軍 を第 五 軍 と称 し軍 司 令 官 を臺 湾 軍 司 令 官 と致 しま し て其 の司 令
第 二 、参 謀 本 部 と軍 令 部 と の関 係
に就 て其 の伝統 精 神 で あ る対英 の観 点 から 此 の際 英 吉 利 を刺 戟 し
軍 令 部 と 参謀 本 部 と の問 題 は海 軍 々令 部 は当 初 作 戦 す る や否 や
部 は臺 湾 に居 る のを本 則 と致 し作 戦 指 導 の必要 上戦 闘 司 令所 を平 海
し て第 五軍 司 令 官 と 称 し て外 地 に出 る と言 ふ事 にな る と新 に臺湾 軍
航 空 部隊 の洋 上 よ りす る攻 撃 に委 せ て陸 兵 を進 む る必 要 は な いと
米 国 を引 具 し て悪 戯 せら れ た ら之 重 大 であ る と言 ふ事 で暫 く海 軍
半 島 に進 む る こと を許 し た の であ り ます 。 之 は 若 し臺 湾 軍 司 令 官 に
司 令 官 を親 補 す る の必要 が生 じ ま す ので古 荘 中 将 を し て臺 湾 軍 司令
言 ふ意見 であ りま し た 。之 を強 硬 に主 張 され た のは軍 令 部 作戦 課
官 及 第 五軍 司 令 官 を 併 せ担 当 せ し め ら れ た の であ り ます 。 十 一月 に至 りま し て此 の考 案 は漸 次具 体化 致 し ま し て 、海 軍 と の
長 福 留 大佐 で、 私 ( 西 村 ) は海 軍 側主 任 者 木阪 少 佐 と数 度 折衝 の 後 に平海 作 戦 に関す る左 の如 き陸 海 軍 中 央協 定 は強 い て同意 を得
︹ 虎 四郎 ︺
此 の理 由 は 二 十 日夜 軍 令 部 の福 留 大 佐 が参 謀 本 部 に河 邊 大佐 を訪
と し て此 の作戦 の中 止 が命令 せ ら れま し た 。
ね ら れ て ﹁蕪 湖南 京 附 近 の米 艦 撃 沈 英 艦 爆 撃 事件 あ り其 の後 の経 過
等 よ り此 の際 之 以 上英 米 を 刺激 す る は得 策 にあ らざ る を以 て 目 下実
ました。 一、第 三国 特 に英 国 領 域 等 に関 す る考 慮 を 周密 なら し む
行 中 の平 海 半島 作戦 を暫 く 延期 せ ら れ度 ﹂ と の申 出 が あり ま し た 。
河邊 課 長 は之 を 私及 井 本 大尉 に示 さ れ善 後 処置 の研 究 を 同時 に命
二 、航 空 基 地 確保 に必要 な る範 囲 に於 て平海 半 島 を占 拠 す
に答 申 せら る る こと に な りま し た 。
ぜ ら れま し た の で研 究 の結 果 二 十 一日朝 作 戦 課長 よ り次 長 に次 の様
此 の妥協 は無 理強 いも の で海 軍 側 は依 然 と し て対 英 考 慮 があ っ た の であ り ます が 、兎 も角 作 戦 指 導 上十 分 注意 し て第 三国 の紛 争
即 ち 暫 く 延 期 と は海 軍 側 は 船 を洋 上 にお く ので何 とも な いが陸
項 あ りと す れ ば延 期 す るは 不可 にし て寧 ろ 中 止す べ き であ る 。
判 決 と し て実 行 す ベき であ って若 し 此 の作戦 を実 行 し 得 ざ る事
一、依 然 作 戦 実行 す ベし
を防 止 す る から と纏 め た の で あり ま す。 第 三 、 第 四艦 隊 の意 向 第 四 艦隊 の意 向 は航 海 基 地 を進 む る こと は 多 小便 益 は あ るが 、
る こと は甚 だ困 難 で願 く は陸 軍 部 隊 を以 て廣 九鉄 道 を遮 断 し て貰
軍 とし ては 四 十 万噸 も の 一百艘 に近 い船 を 洋 上 に放 置 し お く 事 は
然 し 航 空基 地 より す る航 空 機 の攻 撃 のみ に依 って は鉄 道 を 遮断 す
ひ度 い。即 ち平 海半 島 よ り石 龍 附 近迄 出 て行 って陸 軍 自 ら 鉄道 を
許 さ れな い の であ る。 然 も臺 湾 附 近 に は百 艘 の運 送 船 を 入 れ る港
兵 上 も 不 可能 であ り 一先 づ作 戦 を打 切 ら な け れば な ら ぬ。 況 や 此
ケ月 と も 解 ら な い。 此 の際陸 軍 とし て は陸 兵 を洋 上 にお く事 は用
な らば 兎 も角 何 時 か解 ら な い国 際 外 交 の沈 静 を待 つ為 には 半 月 一
送 船 には 何時 迄 も長 期 に亘 って兵 を養 ふ能 力 は な い。 数 同 の延期
が な い。 高 雄 、基 隆 、澎 湖島 分散 し て お かな け れば なら な いが運
遮 断 し て貰 ひ度 い。 又 珠 江 は海 陸 協力 し て閉 塞 す る と言 ふ意 向 で あ った の であ り ま す。 右 意 見 に対 し て中央 の意 向 説 明 し た 上 一先 づ現 作 戦 に て実 行す る と言 ふ事 にな って十 一月末 から 十 二 月 にかけ て臺湾 に於 け る研究 協 議 を終 った ので あり ま す 。
の方 面 の気象 は 一月 迄 は 晴天 であ る が 二月 半頃 から は降 雨 、 泥濘
で到 底 上 陸作 戦 に適 し な い ので そ れ迄 に再 行 の見 込 がな い場 合 は
十 二月 中旬 に其 の上陸 作 戦 の指 導 上 重藤 支 隊 を集 中 し第 十 一師 団 の 二分 の 一を補 強 を し て逐 次 集 合 し て軍 司 令官 に は奉 勅 命 令 、御 勅
斯 様 な 事 情 か ら海 軍 側 の簡単 な 理由 に依 って全 然 兵 を 駐 め て実 行
作 戦 は解 消 す ベ き であ る。
斯 く し て総 て の準備 は整 った の であ りま し て愈 々二十 日 夜 集合 せ
の機 を待 っ こと に な った ので あ り、 又 暫 く の延 期 も不 適 当 であ る と
語 を伝 達 せ ら れま し た 。
る諸 隊 を軍 司 今 官 は勇 躍 し て出 発 せ し め様 と す る時 期 に至 っ て突 如
対 し て軍 令 部 次 長 の寄 越 さ れた 返 事 に軍 令 部 総 長 も 止 め た が宜 敷 い
し て多 田次 長 は軍 令 部 次長 に返 事 を せ ら れ た様 であ り ま し て、 之 に
の教 訓 を思 ひ出 し た事 で あ りま し て、 あ の腰 の抜 け た海 軍 を 打 って
斯 く し て約 一年 を経 過 致 しま し た今 日 は英 米 の実力 も 日本軍 の主
も 蹴 って も迚 も立 てな い のです 。
力 も はつ き り認 識 致 し ま し た の で海軍 は立 上 って宜 し い時 期 と断 定
と 云 ふ御 意 見 であ る こと 、然 も 此 の前 上 奏 の為 参 内 せ ら れ て参 謀総
ら れ其 の際 参 謀 総長 は ﹁左 様 な事 情 な ら止 め た が宜 敷 い﹂ と 言 ふ半
長 は宮 中 に於 て軍 令 部総 長 から 此 の作 戦 の中 止 に関す る提 議 を 受 け
河 邊 大 佐 は後 日作 戦 課 長 の更 迭 を見 ま し た 。
重大 な る蹉跌 の責 を感 じ て夫 々進 退 の処 置 を採 った次 第 であ りま す 、
斯 様 に作 戦 は中 止 と決 定 せら れ て作 戦 課 長 以 下作 戦 主 任 者 は此 の
致 し ま し た が蓋 し 次長 の名 言 であ った と思 ひま す 。
て押 切 っ て実 行す る やう な 事 は採 ら れな か った 次第 で あ りま す 。
諒 解 の返 事 をせ ら れ て居 ると の事 であ った の で、 次長 は更 に反 対 し
依 って私 (西村 ) は事 の重大 な る を考 へま し て戦 争 指 導班 の意 見
し て之 は ﹁ 英 米 の実 情 よ り 現 に実 行 中 の廣 東 作 戦 は暫 く見 合 せ るを
此 の次長 の中 止 の決 心 を確 定 さ せた のは課 長 の意 見具 申 で あ りま
有 利 と す﹂ と の意 見 であ り ます 。 揚 子 江事 件 解 決 迄 廣東 作 戦 を 延 期
を叩 く と 海軍 側 の判 断 し て居 る程 英 米 の脅 威 を感 じ て居 り ま せ ん。 彼 等 は和 平 を提 唱 し て居 る時 期 で あり ま す 、依 って此 の事情 を説 明
す るを 可 とす と言 ふ の であ り ます 。 此 の作 戦 の中 止 に伴 ひ爾 後 此 の
︹辰彦 ︺
であ り ます が 、恰 も次長 は軍 令 部 次 長 と懇 談 中 であ り ま し た。 高 島
す る為 に高 島 中 佐 を伴 っ て私 (西 村 ) は 次長 室 に意 見具 申 に出 た の
軍 の主 体 を如 何 に処 す る か と言 ふ事 を 研 究 を し ま した 私 (西村 ) は ︹ 熊男 ︺
中 佐 及 私 は次 々に現 作戦 不実 行 の不 適当 を意 見 具 申 致 し まし た所 、 次長は ﹁ 軍 令 部 次 長 に止 め ると 返 事 を し た所 だ、 君等 の説 明 は良 く
当時 下 村 部 長 は病 気 で休 務 中 であ りま す 。
の であ り ます 。
先 づ 井本 大 尉 と 共 に研 究 し た基 礎 案 を 以 て課 長 、 次 長 の承認 を 得 た
軍自 身 や り得 な い のだ か ら仕 方 がな いぢ や な い か、之 は大 本 営 の御
一、第 五 軍 の任 務 を解 除 し 戦 闘序 列 を 解 く
其 の基 礎 案 は
諒 解 し た、 此 の作 戦 は陸 海 軍 共 同 作 戦 で陸 軍 一人 では出 来 な い、 海
も海 軍 は遣 り得 ま い﹂ と言 ふ意味 の説 明 を加 へら れ て、 更 に私 ( 西
二、 重 藤 支 隊 を臺 湾 に復 帰 せ しむ
前 会 議 を開 い ても陸 海 軍 の不 一致 を 明 る み に出 す だ け で それ 丈 け で
村 ) に対 し て別 に ﹁何 れ此 の作戦 は何 時 か の時 機 に やら な け れ ば な
と言 ふ の であ り ます 。 然 し 次長 は其 の後更 に考 へを変 へら れま し て
三、 第 十 一師 団 は北 支 に転 用す
御 前 会 議 の席 上 で海 軍 の不甲 斐 な さを 言っ ても宜 し いが協 同 で どう
ら ん作 戦 だ と信 ず る。 将 来 や ら ねば なら ん のが当 然 な れ ば 、海 軍 を
し ても や ら ね ばな ら ん 作戦 だ か ら暫 く 我慢 をし て時 節 を待 て腰 の弱
どう か﹂ と言 は れま し た 。次 長 の考 へに依 れば 今 後 何時 か の時 期 に
南 支 作 戦 を復 興 す る場 合 に好 都 合 であ る か ら と言 ふ意 見 で あり ま し
私 (西 村 ) を招 致 し ﹁第 十 一師 団 を臺 湾 に待 機 さ せる様 研 究 し ては
之 は 次 に廣 東 作 戦 を 実行 す る時 期 に至 って私 (西 村) は更 に次 長
い弟 を 持っ た と思 っ て居 れ ば何 でも な い﹂ と申 さ れま し た 。
た。 そ こで第 十 一師団 を臺 湾 に置 く事 に就 て再 び研 究 を 致 し た ので あ
英 米 人 のも のを爆 撃 す れ ば処 罰 され る、 そ れ には 平 海半 島 だけ を と
っ て航 空基 地 を進 め ても斯 様 な処 は 爆撃 も出 来 な いと言 って居 り ま
見 具 申 をす る 、支 那 方 面艦 隊 から は 慌 て て東 京 に飛 ん で来 る、 そ こ
す 。 第 四艦 隊 の作 戦 主 任参 謀 が其 の意 味 を支 那 方 面 艦隊 に行っ て意
軍 司令 部 の任 務 を解 く か
りま す が之 が為 に
で軍 令 部 は実 行 部 隊 が不同 意 であ っ ては 止 む を得 な い斯 う言 ふ事 で
換 言 す れ ば軍 令 部 の英米 に対 す る観念 か ら実 行 部 隊 の不安 と な り、
中 止 に至 り ま し た。
戦闘 序 列 を解 く か の問 題 に就 て兵站 戦 争 指 導 並 に編 成 課 等 から夫 々意 見 が出 て参 りま
其 の 一方 の判 断 から で決 し て陸 海 軍 共 同 し て中 止 に至 った の で は な
し た 。論 議 の結 果 次長 の決 裁 を得 て任 務 を存置 し戦 闘 序 列 も其 の儘 と し 、第 五軍 は臺 湾 に待 機 し て兼 ね て訓 練 に任 ず る の命 令 を出 され
い の であ り ま す 。
件 ニカラ ム英 米 ニ関 ス ル 一般 ノ関 係 ヨリ中 止 ス ル如 ク近 ク勅 命 ア
貴 軍 ノ目前 ニ企 図 シ ア ル平 海 作 戦 ハ蕪 湖 南 京 ニ於 ケ ル最 近 ノ事
十 二月 二 十 一日軍 機 電 報 を 以 て第 五 軍 司 令官 宛
事 情 斯 く の如 き を以 て参 謀 本 部 とし ては
る起 案 を し た の であ りま す 。 此 の研究 に依 っ て次 長 は明 瞭 に其 の態 度 を表 示 され 英 米艦 船 爆 撃 事 件 の解決 を見 るや海 軍 を督 励 し て再 挙 し な け れば な ら ん為 に其 の
二月 にな っても 海 軍 の英 米 に関 す る顧 慮 は去 らず 、 荏苒 日 を閲 し て
準 備 陣 と し て臺 湾 に待 機 せし め ら れ た の であ り ます 。 然 し乍 ら 、 一、
ル筈 ニ付 軍 ノ進 発 ヲ見 合 ハサ レ度
と発 電 す る 外 別 に作 戦 課長 よ り山 内 大 佐 (第 五軍 作 戦 課長 の予 定 )
居 った の であ りま す が、 第 十 一師 団 は内 地 帰 還 し後 日満 洲 に移 駐 せ
研 究 努 力 二 ケ月 ノ結 果然 モ矢 ハ既 ニ弦 ヲ放 レタ ル今 日 ニ於 テ卒
に
然 ト シ テ中 止 ノ止 ムナ キ ニ致 レ ル ハ縦 ヒ情勢 ノ変 化 ト ハ謂 へ小官
し む る こと にし 一先 づ内 地 に帰 還 せ し め、 尚 重藤 支 隊 は臺 湾 の守 備
ま し た 。第 二部 長 の意 見 具 申 があ った に拘 らず 第 二部 の部員 にも尚
の為 其 の必要 があ り ま せ ん の で 二度 上海 戦 に前 進 せし む る事 にな り
実 行 案 を提 議 す る のも相 当 居 り ま し て例 へば唐 川 中 佐 は主任 者 とし
の諒 解 電 報 を し て居 りま す 。
ア リ此 ノ辺 諒察 セラ レ爾 後 ノ命 令 指 示 等 ヲ待 タ ル 、様 願 ヒ度 云 々
ノ諸 部 隊 ニ対 シ誠 ニ相 済 マント考 へ申 訳 ナ キ次第 モ幾 多 ノ事 情 モ
等 主 任 者 ノ甚 ダ 心苦 シ ク感 ズ ル所 ノ ミ ナ ラズ貴 方 ニ対 シ又行 動 中
﹁パ ネ ー﹂ 号事 件 其 の後 の情 態 を見 まし て も実 行 し た 方 が よ か っ
て実 行案 を持 っ て居 られ た 。
た 様 に思 は れま す が ﹁パネ ー﹂号 事 件 の善 後処 理 の為 に先 方 の希 望 を 容 れ て海 軍 は 其 の関 係 将 校 を責 任者 とし て処 罰 した と 聞 いて居 り
ては 左様 な難 し い爆撃 は益々 喜 ば なく な って、 若 し 標 識 を 誤認 し て
ま す 。 此 の事 が甚 し く海 軍 航空 将校 の神 経 を刺 激 し て第 四艦 隊 に於
八 、 濟 南 正 面 に対 す る 第 二 軍 攻 撃 並 青 島 方 面 よ り す る 独 立 部 隊 の 上 陸 作 戦 の関 係
十 二月 四 日 北支 軍 参 謀 長 よ り電 報 が あ りま し て
ンバ悔 ヲ他 日 ニ貽 ス コト ア ラ ン
斯 様 な 状 態 に於 て既 に南 京 は占 領 さ れ、 比 の際 北 方 の敵 に圧迫 を
と言 ふ意 味 の意 見 を具 申 され て居 りま す 。
加 ふ る事 は可能 であ る と考 へら れま し た の で 、作 戦 課 は攻 撃 の実 行
の であ り ます が、 兎 も角 其 の意 図 を軍 に伝 へる必 要 があ る とし て十
に於 て多 少 の難 点 があっ て之 が説 得 に時 間 を要 し て居っ た の であ る
を決 意 しま し て之 を 上申 致 し ま し た と ころ が、 上 層 方面 並 に海 軍側
七日
第 二軍 ノ黄 河 ノ渡 河 作 戦 準備 全 ク完 了 ス何 時迄 モカ カ ル張 切 ツ
ルル ナ ラバ 明 示 セラ レ度
軍 部 隊 (第 十 師 団本 川 旅 団 ) ノ外 大 本 営 ガ控 置予 定 シ テ居 ル第 五
其 ノ使 用兵 力 ト シテ ハ現 ニ黄 河 ノ済 南 ノ正 面 ニツ イ テ居 ル第 二
と の部 長電 を だ し尚 続 いて
努力中ナリ
ナ キ モ戦 争 指 導 全 般 ノ見 地 ニ於 テ他 方 面 ヨリ異 存 ア リ之 ガ説得ニ
当 方 ニ於 テ ハ済 南 攻 撃 ノ即 時 開 始 ヲ強 調 シ陸 軍 部 内 ハ概 ネ異 存
タ ル準 備 態勢 ニツ カ シム ル事 ハ悪 キ ヲ以 テ是 非黄 河 ノ渡 河 ヲ許 サ
此 に対 し 次 長電 にて 済 南 攻 略 ニ関 ス ル全 般 ノ関 係 上 解 氷前 ニ之 ヲ行 ハレズ と言 ふ意 味 を返 電 致 し ま し た 当 時 一兵 団 を以 て南 支 作 戦 に対 し 転進 中 で あ りま す し 、中 支 に於
師 団 ノ主 力 ノ使 用 ヲ認 ム ル考 ナ リ シガ船 舶 及揚 陸 材 料 ヲ増 加 ス ル
ては南 京 に向 って進 撃 真最 中 で あ りま す し 、兵 力 を此 の方面 に充 当 し ま し た関 係 から 解 氷 以前 に兵 を進 む る事 に就 て は甚 だ 心配 な る様
で あ っ て済南 を占 領 し得 る様 な 場合 で も之 を差留 め ら る る御 考 な り
動 揺 があ った ので あ りま す 。 北支 軍 参 謀 長 は 更 に敵 が無 抵 抗 の状 態
せ て参 り ま し た 。宛 も十 三 日南 京 は陥 落 致 し ま し て敵 の内 部 には大
み ならず 黄 河南 岸 の敵 軍 は逐 次 退却 の模 様 があ る意 味 の こと を 知 ら
りま す が 、南 方 作 戦 実 行中 で も あり船 舶 及 揚 陸 材 料 の余 分 なく 、 又
又 済南 攻 撃 よ り先 に青 島 に出 るを有 利 で あ る と考 へて居っ た の であ
は 武力 的 に処 理 す べ き 必要 があ ると考 へて居 った の であ りま す が 、
伝達 し て や った ので あ り ます 。 青島 に対し て は政 略 的見 地 よ り何 れ
らず 海 軍 と の関 係 よ り陸 海 軍 共 同 で処 理 す る案 を 研究 中 で あ る旨 を
又青 島 に対 し ては同 時 に上 陸 作戦 を指 導 す る事 は出 来 な い のみ な
之 は 上陸 作戦 実 行 の途 中 で あ った の であ り ます )
や、 と 電 報 を 以 て詰 寄 って来 て居 り ます 又間 接 に第 二軍 参 謀 長 から
青 島作 戦 に充 当 し た 部 隊 を南 京 攻略 に使 った 、之 の部隊 を南 京 攻略
( 註
事 ハ出 来 サ ル次第 ナ リ
子 であ り まし た の で之 を 止 む る考 へであ り ま し た。 と ころ が十 二月 十 八 日頃 に な りま し て再 び 北支 軍 参 謀長 から黄 河
当 面 ノ敵 状 並 ニ爾 後 ノ全 般 ノ作 戦 指 導 ヨリ見 レバ比 ノ際 小成 ニ
の結氷 が今 年 は暖 で逐 次 遅 れ て居 り尚 鼓 数 日 は渡 河 は可能 であ る の
安 ンジ 或 ハ従 来 ノ経 緯 等ニ 捉 ハレ左 顧 右眄 シテ決 ス ルト コ ロナ ク
の状 熊 は結 氷 前 に や るな ら ば第 二軍 の準備 し て居 りま す も のを利 用
不可 能 な事 情 で あ る の であ り ます 。 と ころ が濟 南 北 方 に於 け る黄 河
以後 の時 期 でな け れば 青島 に兵 を進 む る事 に就 て は大 本 営 と し て は
後 よ り転進 せ しめ な け れ ば な ら な い事情 か ら どう し ても 一月中 下 旬
理 は陸 海 軍 共 同 し て之 に当 る こと と し て議 を纏 め た の であ り ます 。
た が 、之 は此 の作戦 に伴 ひ及 ぼさ れ た も の であ りま し た 。青 島 の処
手 を附 け さ せま いと 共 に濟 南 にも 手 を附 け さ せま い考 へであ り まし
従 って海 軍 側 は 自 分 から準 備 が出 来 上 る迄 は青 島 に陸 軍 にも同 時 に
の手 に依 って恢 復 さ せ て や らう と 言 ふ考 へが相 当 濃 厚 であ りま し て、
膠済沿線 に
し て数 日 以内 に実 行 し な け れ ば なら な い。黄 河 の結 氷 し ま す る前 で
即 ち此 の当 時 の海 軍 は済 南 を取 っ て後 陸 軍 がド シ〓
沿 ふ て出 て来 た の で独立 で青 島 を恢 復 す る事 を 恐 れ た様 で之 を交 渉
な けれ ば 此 の結 氷 の状 態 は両 岸 だ け が凍 って真 中 が凍 ら な い為 に如
四月 の候 を待 たな け れ ば な ら な い の であ り ます 。 之 が為 に三 、 四月
何 な る方法 を以 ても 渡 河出 来 な い の であ り ま し た。 従 っ て解氷 後 三、
の余 裕 がな い時 期 で あ りま し た の で此 の時 期 の青 島 作戦 の遂 行 を 陸
せら れ て居 り ま す 。当 時 は海 軍 は南 方作 戦 実 行途 中 で あ り まし て船
二 十 三 日午 後 八時 に軍 は 渡 河 を成 功 し 北 方 及東 方 よ り濟 南 に迫 っ
済 南 攻 撃 を 実行 せし め まし た 。
十 二月 十 八 日北 支 軍 は命 令 し て第 二軍 を し て黄 河 の渡 河 に引続 き
軍 に封 じ た ので あ りま す 。
の候 を 以 て両 方 面 同時 に山 東 の処 理 をす る か 、或 は先 に黄 河 の渡 河 を実 行 せ し め てを い て之 に次 で青 島 上陸 作 戦 を指 導 す る か 一考 し な けれ ば な ら ん事 情 であっ た の であ り ます 。 そ の為 大 本営 は第 二軍 の 実 行 部隊 た る意 見 を是 認 し て即 時 黄 河作 戦 を実 行 せ し む る事 とな り ま し た が戦 闘 指 導 上 の見 地 よ り他 方面 に異 論 があっ て 、此 の決 定 が
た 様 な事 情 か ら中 止 致 し ま し て 、此 の方 面 に充 当 し て居 り ま し た海
た の であ り ます 。宛 も此 の頃 南方 平 海 半 島 上陸 作 戦 は別 項 で申 述 ベ
一、外 務 大臣
軍 兵力 第 四艦 隊 は手 空 き と な りま し た 。 此処 に於 て海 軍 は 第 四艦 隊
三 、 四 日遅 延 致 し まし た其 の理由 は
二、 海 軍大 臣
な る時 期 に海 軍 の手 に依 って青 島 を恢 復 し復 旧 せし む る事 を考 へて
ふ のは 青島 の処 理 にか ら ん で居 る の であ り ます が、 元来 海 軍 は適 当
な理 由 であ りま し た の で片 が付 い た の であ り ます が、海 軍 大臣 の言
外 務 大 臣 の言 ふ理 由 は 、戦 面 を拡 大 す る は適 当 で な いと言 ふ単 純
此 の申 出 に対 し て作 戦 課 は 大 体 一月 二十 日頃 に國 崎 支 隊 を つけ て共
の青 島 に向 ふ 転 用輸 送 にも 相 当 手間 を取 る の であ り ま し て 、海 軍 の
らず 南 京 攻 略 後南 京 か ら転 用 せら る る國 崎 支 隊 (第 五師 団 の 一部 )
軍 側 の運 送 船 、揚 陸 材 料 等 を転 用 す る に はし かく 簡 単 で な いの みな
提 議 し来っ た の であ り ます 。海 軍 の艦 は動 き の軽 快 な の に比 し て陸
を 以 て青 島 恢 復 の考 へを起 し まし て直 に陸 軍 側 に青 島 の共 同処 理 を
居っ た様 で あり ます 。之 は事 変 前 から青 島 は海 軍 の色 の濃 い土 地 で
で あり ま す
あっ て海 軍 とし て深 い因 縁 を考 へて居っ た の であっ て現 地保 護 を 放
と ころ が 一月 二十 日 の処 理 では遅 い と言 ふ 理由 で海 軍 側 は 甚 だ不
同 作 戦 を 青島 に導 く 事 に就 て協 議 を纏 め た の であ り ます 。
棄 し て居 留 民 を撤 退 せし め た 主 唱者 た る観 点 も あっ て 、何 と か海 軍
軍 の上 陸 作 戦 指 導 の為 先 づ 困 る も の は発動 艇 を持 って居 ら ん と言 ふ
事 で あ りま す 。 之 は佐 世 保 海 軍主 任 参 謀 が廣島 陸 軍 運 輸 部 に出 頭 し
自 ら独 力 青島 上陸 の考 へを起 さ しめ たも のと思 ひ ます 。 と ころ で海
純然 た る教 育 用 の資 材 と し て 二十 艘 の発 動 艇 を借 り た い旨 を申 入 れ
同 意 であ り 、其 の遅 いと 言 ふ 理由 は十 二 月 下旬 濟 南 が陥落 す る や北
逐 次 東 進 せ し め て居 った の であ り ま し て 一月下 旬 とな ら ば 第 五師 団
ま し た の で、 運 輸 部 に於 て は何 も重 大 な る結 果 を起 す も のと は信 ぜ
支 軍 は第 十 師 団 の後 方 に集結 せ し め まし た 第 五師 団 を 膠 済線 に 沿 て
は陸 上 から 青島 を と ってし ま う と言 ふ事 を 海軍 とし ては 恐 れ た ので
どう も 此 の青 島 共 同 作 戦 は 甘 く行 き そう にな いと思 は れ ま し た のみ
の後 始 末等 の問 題 、之 に前 後 す る陸 海 軍 統 帥部 の感 情 の疎 隔 等 よ り
究 し て成案 を得 た の であ り ます 。 と ころ が南 方作 戦 中 止 の経 緯 と其
支 隊 を 青島 の外 海 に、 海軍 部 隊 を以 て青 島 内海 に共 同 上陸 作戦 を研
の であ り ま す 。斯 く し て協 議 の結 果 大 体 一月十 六 日頃陸 軍 部 隊 國 崎
同 じ う し て海 軍 は青 島 上陸 を指 導 す るを 適 当 で あ ると 考 へて居 った
國 崎 支 隊 を 以 てす る青 島海 岸 上陸 作 戦 が早 いか 、何 れと し て も時 を
兎 も角陸 上 よ りす る第 五 師 団主 力 部 隊 の青島 進 入 が早 いか 、或 は
隊 の上 陸 を指 導 す る こと にし た ら どう か と言 ひ出 した の であ り ま す 。
行 す る為 の碇 泊 場 機 関 とし て (臺湾 に出 て居 った の を南 方作 戦 延 期
等 を予 め 準備 せ し む る必 要 から櫻 井 大 佐 を長 と し て準 備 や 上陸 を実
此 の國 崎支 隊 の上陸 並 に爾 後 の軍 需 品 の補給 輸 送 の為 に港 湾 施 設
進 入 す るや有 ゆ る機 関 を其 の管 理 に押 へて し ま った の であ り ます 。
乗 せ た陸 軍 運送 船 を青 島 に差 向 け て居 り ま す 。而 し て海 軍 は青 島 に
に上 陸 指 導 致 し た の で あり ま し て、 其 の後 数 日 を距 て て國崎 支 隊 を
の陸 軍 部 隊 の青 島 への進 入 には若 干 日 を要 す る様 な誠 に恰 適 の時 期
に前 進 し て完 全 に青 島 から 支 那軍 が撤 退 し てし まっ た時 期 で然 も其
り ま し て、 陸 軍 部隊 は青 島 には到 着 し て居 り ま せ ん 。高 密 膠州 附 近
隊 を 以 て独 力 上 陸 を決 行 致 し ま し た。 其 の時 期 は誠 に良 い時 期 で あ
海軍 は之 を直 ち に青 島 に輸 送 致 し まし て之 を 以 て青 島 外 方 から陸 戦
ず 、当 時 多 少 余 裕 が あ りま し て発 動 艇 を 貸 し て や った の であ り ます 。
あ りま す 。 そ こで海 軍 と し て は若 し 國 崎支 隊 の 一月 二十 日頃 に於 け る上 陸 が
ならず 、少 し立 てば 第 五師 団部 隊 が膠 済 沿 線 に沿 ふ て東 進 す る と言
によ り北 方 へや った も の)海 軍 に追 随 を し て青 島 に出 し ま し た が、
遅 れ るな ら ば 第 五師 団 部 隊 の陸 上 よ りす る青島 進 入と 同 時 に海 軍 部
ふ状 態 の時 に好 ん で困 難 な る上 陸 作 戦 を 二 度実 行 し な け れ ば な ら ん
之 は将 校 以 下約 一千 名 許 の船 舶部 隊 で碇 泊 場機 関 で あり ま す。
之 が海 軍 と協 調 し て港 湾 施 設 を陸 軍 の使 用 に なす こと と し た の で
かと 言 ふ事 を疑 念 を 以 て居 り まし て、統 帥 部 とし て此 の際 多 少 と も
に既 に青 島 の全 部 は合 せ て海 軍 の管 理 を受 け て居 りま し て 、此 の海
あ り ます 。 次 で第 五師 団 の主 力部 隊 が青島 に進 入致 しま し て此 の際
危 険 を 孕 む上 陸 作 戦 を 強行 す る必 要 がな いと判 断 致 し ま し て 、当 時 既 に膠 済線 を経 て半 近 く に前 進 し て居 る第 五師 団 主 力 部隊 の青 島 到
とし て第 四艦 隊 と の協 議 によ って青 島 の軍 事 的処 理 を進 め た の であ
軍 と共 同 し て警 備 に つきま し た 。爾 後 は 第 二軍 の 一部 の青島 出 張 所
著 を待 ち海 軍 部 隊 が上 陸 を し て政 治 的 に共同 処 理 す る こと を更 め て
固 よ り斯 様 な事情 から海 軍 側 に於 ては遂 に相 当 の陸戦 隊 を集 め て
提議 し た の で あり ま す 。
そ う し て斯 様 な経 緯 か ら今 日 尚 占領 後 一年 市 政府 す ら出 来 な い状
りま す 。
之 は 山東 の処 理 に就 て寧 ろ作 戦 実行 に就 て今 事変 間 陸 海 軍 の最 も
態 であ る のであ り ます 。
︹ 副武︺ 居 ま す 。 之 は第 四 艦隊 司 令 長官 豊 田中 将 の意 見 に基 く も の で其 の更
迭 後 に於 て解 決 が 予期 せ ら れ て居 る の であ り ま す 。
九、 太 原 進 入作 戦 決 定 の経緯
中 央 及 現 地部 隊 共 に九 月 二十 四、 五 日頃 に於 ては 一応 大同 平 地 の
の であ り ます 。只 依 然 と し て第 五師 団長 の考 方 並 に関東 軍 の考 方 は
攻 略 を 以 て当 方 面 の作戦 は 一段 落 とせ し む ると 言 ふ事 に就 て定った
よ り問 題 と な るも のは 、
協 調 の取 れ な かった 唯 一のも の であ り ます 山 東 の処 理 で戦 史 的 観点
海 軍 の意 向 は日 本色 の青 島 更 に進 で言 へば 海 軍色 の青 島 と言 ふ
此 の機 に乗 し て 太原 に進 むべ し と の潜 在観 念 が あった ので あ り ます
も のを 作 り上 げ ると言 ふ ので、 従って 此 の港 務 機 関 、水 道 、 電燈 、 郵 便 、 税 務更 に進 では施 政 全 般 を海 軍 に集 め て処 理 す る と共 に管
が、 九 月 二 十 五 日関 東 軍 参 謀長 の報 告電 にあ り ます 如 く 、第 五師 団
い ので関 東 軍 篠 原 旅 団 を大 同 から 南進 せ しめ て繁峙 南 方 の線 を突 破
て参 り まし た。 当 初関 東 軍 部 隊 の 一部 を以 てし ては奏 功 の見 込 が な
然 し平 型 關 に対 す る第 五師 団 の三浦 旅 団 の攻 撃 は漸 次困 難 を 加 へ
出 る意 図 のな い こと を 明 にし て居 る の で あり ま す 。
べ き任 務 を 与 へた ので あった が、関 東 軍 とし ては単 独 で代 州 平 地 に
を 以 て渾 源 から南 方 に攻 撃 し て第 五師 団 の平 型關 攻 撃 に協 力 せ しむ
の約 半 部 が平型 關 を攻 撃 し て居 る現 状 に鑑 み て 、関 東 軍 部隊 は 一部
理す る 考 へを以 て居 る事 に対 し て、陸 軍 側 と し て は 河野 大 佐 を長 とす る青 島 特務 機 関 の首 唱 す る意 向 は 新 支 那 の青 島 とし て特 別市 を結 成 せし む る と同 時 に其 の上 軍 事 上 並 に特 種経 済 上 必 要 な る最 少 限 度 の事項 を 日本 側 の指 導 下 に置 く。
青 島 を将 来概 ね混 成 一旅 団 或 は 一箇 師 団位 の部 隊 の衛戍 地 と な
に対 し て東 か ら攻 撃 す る三浦 旅 団 の作戦 に北 方 及 西 北 方 か ら関 東 軍
せ し む る様 な作 戦 を開 始 致 し まし た 。 即 ち代 州 平 地 方 面 で内 長 城 線
と 言 ふ考 へであって 陸 軍 とし て の希 望 は
す 。素 よ り此 の港 に数 箇 師 団 を養 ひ得 る補 給 根拠 地 を設 定 し 、将
部 隊 を 以 て支 援 をし 、 之 に依って 内 長 城線 を破って 代 州 平 地 に出 る
来 北支 の或 る部 分 を放 棄 す る の止 む を得 ざ る事情 に立 至 る場 合 に 於 て京津 平 地 を 合 せ て青 島 附 近 ( 含 む) 以 東 の山 東 半 島 の 一角 を
事 が出来 た ので あ りま す 。 此 の当 時 から 関東 軍 司令官 は数 次 に亘 つ
日附 電 報 に於 て は ﹁北 支 那 方 面軍 主 力 は保 定 、滄 州 の線 に於 て偉 大
て太 原進 入作 戦 の好 機 で あ る事 を意 見 具 申 し て参 り まし た 。 二十 六
確 保 し 日満 海 陸 空航 通路 の側 面 を 安 全 なら し む 。
し む れば 夫 以外 の 一般 情 勢 指 導 は支 那 側機 関 の自由 と 致す 考 へであ
な る戦 果 を 収 め た る も敵 は石 家 荘 、徳 州 の線 に抵 抗 す る事 は 必然 な
と言 ふ考 へで あ りま し て 此 の軍 事 上 の必要 から 右 範 囲 の要 求 を認 め
り まし た 。此 の根 本処 理上 の考 への差 異 が問 題 解決 を遅 延 せし め て
指 向 せ ら る る場 合 には 関東 軍 部 隊 を代 州 平 地 の安 定 確 保 並 に第 五師
団 を し て山 西 作 戦 を せ し む る を至 当 と信 ず 、第 五 師 団 を 太 原方 向 に
要 な る は 明白 な る事 と な り、 此 の際 従来 の決 心 を変 更 せ ら れ第 五 師
り、新 会 戦 の指 導 を 有利 な らし む る為山 西 省 城 太 原 を攻 略 す る事 緊
か、 此 の占領 地域 に対 す る察哈 爾 省 は 将来 北 支 方 面 軍 の隷 下 に於 て
適 当 な 正 し い所 とす る か何時 迄 も単 な る協 同 に委 し て置 かし む べ き
居 る の であ り ます 。 然 し乍 ら戦 場 統 帥 の考 へから し て之 等 の協 同 を
礎 観念 が同 じ で あっ た 為 に其 の共 同 振 り は極 め て密 接 の度 を加 へて
中 将 の個 人的 関 係 の通 り で あ りま し て、非 常 に密 接 で作 戦 指 導 の基
指 導 せ し む る か、 或 は関 東軍 に依っ て換言 す れば 関 東軍 の支 援 す る
団 の後 方補 給 の為 に任 す る のみ なら ず 、要 す れば 一部 兵力 を第 五師 団長 の指揮 下 に入 れ ても宜 敷 い﹂ と言 ふ意 味 の電 報 であ り ます 。 之
支 戦 面 ヲ拡 大紛 糾 セ シ ム ル ハ将 来 ニ於 ケ ル兵 力 抽 出 ヲ困難 ニ スル
要 ス ト判 断 シア リ、 当 方 ニ於 テ ハ太 原 附 近共 産 化 ノ情 報 ニ鑑 ミ北
太 原 攻 略迄 少 ク モ 一ケ 月半 ヲ要 シ、 且 関 東軍 ヨリ微 弱 一師団 半 ヲ
おく 必 要 が あ り ま し た ので 、時 恰 も上 海作 戦 指 導 、 杭州 湾 上 陸 作 戦
又今 後 政 策指 導 の観 点 から し ても 此 の方面 の現 況 の実体 を確 にし て
後 に於 け る 重大 問 題 で あり ます 。 斯 様 に戦 争 指 導 の観 点 か らし ても
か、 換 言 す れ ば内 蒙 にくっっ け る か北 支 に くっっ け る か の問 題 が今
の管 轄 範 囲 を 外長 城 線 に依っ て境 す るか 、内 長 城 線 に依っ て境 す る
にす る 必要 が あっ た の であ り ます 。 即 ち関 東 軍 の管 轄範 囲 、 北 支軍
内 蒙 政 権 に依っ て管 轄 す る か適 当 の線 を 以 て之 等 の管轄 範囲を闡 明
事 ア ル ヲ恐 レ或 ハ第 五師 団 ノ太 原 攻 略 ヲ要 求 セ ス、 方 面軍 ノ自 由
の計 画 等 作戦 事 務 が甚 だ繁 雑 で あ りま し た が此 の時 井本 大 尉 を 現 地
第 五師 団 ヲ シ テ太 原 ヲ攻 略 セ シ ム ル件ニ 関 シテ北 支軍 ニ於 テ ハ
に対 し 中央 の二十 七 日 附返 電 は
裁 量 ニ委 シ度 キ モ方 面軍 ニ於 テ ハ既 ニ第 五師 団 主 力 ヲ河 北平 地 ヨ
キ カ従 来 ノ経 緯 現 下 ノ作戦 並 ニ将 来 ノ指 導 ヲ考 慮 シテ決 定 スべ キ
察哈 爾及 山 西 省 北 部 ノ処 理 ハ関 東 軍 、方 面 軍 ノ何 レデ 管 轄 ス ヘ
武 藤 課 長 よ り北 支 方 面軍 下山 大 佐 宛 の通 信 に
に派 遣 す る事 に なり ま し た 。
リ招 致 ス ル件 ヲ訓 令 シタ ルヲ以 テ今 更変 更 ス ルノ意 図 ナ シ 尚 二十 七 日附 北 支 方 面 軍 の報 告 によ り ます と 第 五師 団 の使 用 に関 す る意 図 に変 更 な く第 五師 団 は 当面 の敵 を
ナ リ。情 勢 ハ予 想 以 上 ニ発 展 シ タ ル今 日実 情 不 明 ニ シテ中 央 ニ於
撃攘 せ ば 一部 を以 て関東 軍 部 隊 に直 接協 力 し主 力 は情 勢 の推 移 に 伴 ひ行動 す べく
テ ハ決 定 困難 ナ ル状 況 ナリ 。若 シ不適 当 ナ ル決 定 ヲ見 ンカ禍根 ヲ
発 令 し て居 り ます 。 然 し 乍 ら 第 五師 団 は方 面軍 の切 な る要 求 に依 り まし て、 國崎 少 将
シ置 キ タ ル モ、現 ニ実 行中 ノ代 州 方 面 ニ対 ス ル作 戦 ハ両 軍 何 レガ
主 体 ナリ ヤ不 明 ナ ル状 況 ニ シテ至 急 決定 ヲ要 ス ル事 項 ハ現 在 及将
将 来 ニ残 ス恐 レ ア ル ヲ以 テ井 本 大尉 ヲ シテ十 分 連絡 ス ルヤウ指 示
来 ニ亘 ル意 見 承 知 シ度 。
の指 揮 す る 三箇 大 隊 を基幹 と す る 一部 を 以 て河 北 平 地 に出 し た外 は
て居 りま し た 。斯 様 な状態 であ り ま し て、 三浦 旅 団 は 平 型關 に苦 戦
依 然 とし て 師 団 の殆 ど全力 を挙 げ て北 部 山 西省 に向 ふ作戦 を実 行 し
をし て居 る 。 此 の場 合 第 五師 団 と関 東 軍 と の協 同 、 板 垣中 将 と東 條
戦 史 的 に見 まし ては関 東 軍 東 條 部隊 と第 五師 団 と が同 じ作 戦 構 想
勢 を利 用 し武 力 的 に太 原 に手 を染 む る 考 へに前 進 し た ので あ りま す 。
報 告 が北支 方面 軍 及 北 京 武官 よ り到 著 致 し ま し た。 此 処 に於 て此 の
旨 命令 せら るゝ と 共 に参 謀 総長 指 示 を以 て
為 一部 ノ兵 力 ヲ北支 那 方 面 軍 司令 官 ノ指 揮 下 ニ入 ラ シ ム へシ
関 東 軍 司令 官 ハ北 支 那 方面 軍 ノ右 作 戦 ヲ容 易 ナ ラ シ ム へシ之 カ
原 ヲ占 領 セ シ ム ヘシ
北 支 那 方面 軍 司令 官 ハ 一部 ノ兵 力 ヲ北 部山 西 省 ニ作戦 セ シメ太
即 ち 十 月 一日大 陸 命 に依 り ま し て
を持っ て居 る。 即 ち 太 原平 地 に向 ふ事 項 で あ りま す が之 等 に対 し て 方 面 軍 司 令部 は 一部 下 山大 佐 、 辻 大 尉等 一部 の共鳴 者 が あ りま し た が、 大 体 に於 て之 を否 定 し て居 る の であ り ます 。東 京 も又 之 を 否 定 す る意 見 で あ りま す 。 従っ て関 東 軍 東條 部隊 及 第 五 師 団 は其 の許 され た る範 囲 に於 てお
て永 城 に進 出 し第 五 師 団 が大 営 鎮 を 攻 撃 す る や否 や繁 峙 を攻 撃 し 永
互 に他 を 支援 し つゝ 関東 軍 部 隊 の大 同 に出 る や否 や廣 霊 、 霊邱 に出
て置 く と 言 ふ事 は統 帥 の本 義 上 は つき り さ せ なけ れ ば な ら ん と考 へ
戦 部長 の更 迭 に依っ て行 は れた も ので あ りま し て、 大 体此 の十 月 以
此 の大 本 営 の決 心 の変 更 は換 言 す れ ば大 本 営 の企 図 の躍 進 は 一に作
其 の作 戦 限 界 を太 原 附 近 以 北 と指 定 せら る
た し 、当 時 既 に此 の事 に就 て は別 に申 述 べ た様 に作 戦課 長 武 藤 大 佐
降 に大 本 営 は 不 拡 大 方針 を 一擲し て 日支 全 面 戦 を決 意 し た と言 ふ べ
城 に お互 に手 を取 り 合 ふ形 で出 て行 く 斯様 な情 勢 に何 時 迄 も放 任 し
の意 向 は太 原作 戦 は止 む を得 ず と認 め て参 り まし た ので 、 以上 の如
き であ りま す 。
べま し た如 く 十 月 以 降 上海 方 面 戦 局打 開 の為 に杭 州湾 、白茆 口方 面
を 覚悟 せら れ た と 想像 し得 る節 があ る のであ りま す 。 又別 項 に申 述
の線 を作 戦 目 標 とし 更 に其 の胸 中黄 河及 山 東 以 北 の戡定 を要 す る事
即 ち下 村 新 作 戦 部長 は北 支 方 面 に於 て は先 づ 太 原 、石 家 荘 、徳 州
く現 地 の実情 を確 にし て的 確 な処 置 を す る観 念 に出 た ので あ りま す 。
の要 衝 を占拠 せし む る。之 に依っ て北 及東 方 面 より 太原 附 近 を謀 略
謀 本 部 の意 向 は大 体 に於 て第 五師 団 及 関東 軍 部 隊 を 以 て石 家 荘 附 近
に対 す る新 作 戦 の企 図 を洩 し部 員 を し て共 の研 究 に著 手 せし め ら れ
当時 十 月 一日頃 に於 ては即 ち内 長 城 線 作戦 の真 最 中 であ り まし て参
的 、戦 略 的施 策を 閻 錫 山政 権 に対 し て指導 をす る。 此 の施 策 の情 勢
て居っ た の であ り ます 。十 月 一日 以降 中 央 統 帥 部 の行 方 は所 謂 日支
全 面戦 の行 方 であ り ま し て、 九 月 以前 のも の と姿 を変 へて居 る事 を
に依っ ては両 方 面 よ り軍 を進 め て太 原 の要 衝 を武 力 的 に奪 取 す ると
認 め ら るゝ の であ り ま す 。此 の大本 営 の企 図 の変 更或 は誠 に大 本営
言 ふ事 に落 付 いて行っ た の で あり ま す 。 と ころ が代 州 平 地 を占 拠 致 し ま す れ ば大 体 此 の山 西軍 主 力 は代 州
と し て は重 大 な る行事 で あ りま し た ので参 謀 総 長 上奏 参 内 に際 し て
は 別 に細 部 に亘 る御下 問 の あ る場合 を顧 慮 し て次 長 を同 行 せし め た
地 に進 入 し ます と散 を乱 し て退 却 し て、此 の勢 を 利 用す れ ば極 め て
程 であ り ます が、 此 の電 報命 令 の予報 に対 し て方 面軍 司令 官 は之 に
平 地 に集 中 さ れ て居 り まし た の で平 型關 方 面 及 代 州北 方 か ら代 州 平
之 と時 を同 じう し て閻 錫山 政 権 に対 し て の謀 略 は 到底 見 込 なし と の
簡 単 に労 少 く太 原 平 地 に前 進 し得 る 様 考 へら れた の であ り ます 。 尚
対 し て反 対 の意 見 を表 明 し参 謀 長 電 を以 て 山 西 作 戦 ノ件 決 定見 合 ハサ レ度
山 西 作 戦 ニ就 テ ハ当軍 ニ於 テ慎 重 研 究 ノ結 果 既 定 方針 ヲ変 更 ス
と急 電 をし て之 に補足 し て 曰 く
山 が山 西 に立 籠っ て所 謂 山西 ﹁モ ン ロー﹂ 主 義 を称 し如 何 な る将領
に 対 し て も此 の手 を染 め 得 な かっ た堅 陣 線 であ り ま す 。 又太 原 の直
接 防 衛 線 は北 は忻 州 陣 地 東 は陽 泉 西 方 の山 地 で之 が最 後 の線 であ り
入 レ其 ノ主 力 ハ保 定 ニ向 ヒ鉄 道 及 陸 路 ニ依 リ挺 進 中 ナ リ今 直 チ ニ
陣 地 を確 保 し て居 り ま し た 。 そ こで第 二十 師 団 を し て後 方 陣 地 線 を
第 五師 団 は忻 州 の線 が突 破出 来 な い。 山 西 軍 は殆 ん ど全 部 で忻 州
此 の何 れ かを 攻 略 す れ ば 他 は自 ら放 棄 せら るゝ の であ り ます 。
ます 。
作 戦 方 針 ヲ変 更 ス レバ徒 ニ統 帥 ヲ攪 乱 スル ニ過 ギ ズ 尚山 西 方 面 各
て忻 州 の敵 は退 却 し は じ め 攻撃 に次 で追 撃 し た の であ り まし た。
西 に さし 向 け て正 太 線 陽 泉間 を突 破 し まし た。更 に西 進 す る に従っ
ル コト ナ ク山 西 ニ ハ第 五師 団 ノ 一部 ヲ残 置 シ テ東條 部隊 ノ指揮 ニ
シ難 シ之 ガ為曩 ニ内 示 セラ レ タ ル山 西 作 戦 ノ命 令 訓 令 ハ中 止 セ ラ
兵 団 ノ後 方 補 給 方 面軍 卜 ノ関 係 ハ既 定 ノ如 ク迅 速 ナ ル作 戦 ハ期 待
大 体 此 の戦 略 態 勢 を 利 用 す れば 其 の後 の抵 抗 は割 合 に頑 強 で あり ま
支 那軍 の やり 方 は戦 術 的 と謂 ふ よ り も多 分 に戦 略 的 であ り ます 。
せ ん 。支 那 軍 に対 す る 大 軍 の統 帥 上着 眼 す べ き点 であ り ま し て支 那
レ度 と言 ふ意 味 の電 報 であ り ます が、 之 が到 着 致 し ま し た時 は既 に御 命
高 級 将 星 は戦 術 的 より も 多 分 に戦 略 的 に動 く 又 一方 、政 略 的 に動 く
は関 東 軍 な り の抱 い て居 り まし た構 想 は 、 即 ち 第 一軍 の石 家 荘 攻 略
が捗 々し く な い戦 を す る結 果 と な りま し た 。 即 ち 当初 大 本 営 な り或
抵 抗 に衝 突 し て地形 の〓峻 と又 第 五 師 団 兵 力 の消 耗 の為 に戦 闘 経 過
述 べ まし た様 に黄 河 の河 畔 に達 せ んと す る北 支 軍 の意 向 は最 も 京 漢
南 下 をし て河 南 省 に進 入 し 彰徳 附 近 に出 た の であ り ま す 。別 項 に申
近 を経 て河 北 省 を 殆 ん ど 完 全 に占 拠 す ると 共 に其 の先頭 部 隊 は逐 次
第 五師 団 並 に第 一軍 部隊 の太原 占 拠 と同 時 に第 一軍 部隊 は順 徳附
十 、 南 部 山 西 省戡 定 作 戦
考 が あ ると 言 は ね ば な り ま せ ん 。
令 後 で あり ま し た の で先 の如 く 実 施 せし め ら る る事 と なっ た の であ
斯 く し て代 州 平 地 に進 入し た関 東 軍 部 隊 は其 の有 利 な る態 勢 を利
りま す 。
用 致 し まし て代 州 占 領後 休 む暇 なく 南 方〓 縣 原 平 、忻 州 に逐 次 南 下 前 進 致 し ま し て第 五師 団 の主 力 を 以 て之 に追 及 し て南 進 を開 始 し た
と同 時 若 く は 其 に先 立っ て太 原 占 拠 の企 図 を実 行 す る に至 ら ず 却っ
る意 見 は余 り現 地 方 面 では 聞 か な かっ た の であ りま す 。第 二軍 の済
線 上 に表 は れ て居 りま し て南部 山 西 省 に対 し て手 を 延 ばす 事 に関 す
の で あ りま す 。 此 の作 戦 は意 想 外 にも忻 州 附 近 に於 て頑 強 な る敵 の
て第 一軍 部 隊 は石 家 荘攻 略 後 正 太 線 に沿 ひ西 進 部 隊 に依っ て漸 く 此
南 攻 撃 の許 可 のあっ た 十 二 月十 八 日 の命 令 に於 け る其 の 一項 に
の忻 州 陣 地 に向 ふ事 が出 来 た の であ り ま す 。夫 は 太原 の防 備 線 は其 の第 一線 は北 は内長 城 線 、東 は娘 子 關 の山 系 であ り ま し て之 は閻 錫
大 本営 ハ情 勢 ノ推 移 ニ伴 ヒ膠 済 沿 線 及 済 南 ヨリ上 流 黄 河 ノ左 岸
に且戦 ひ且 前 進 し て居 る体 力 、戦 闘 力 を証 明 し 得 るも ので あ り ます 。
至 り ま し て は驚 く べき能 率 を発揮 し た も の であ りま し て、当 初 心配
就 中 大 軍 の作 戦 と し て最 も 困難 な る後 方 の追 随 力 補給 力 と言 ふ点 に
せ ら れ て居 りま し た 京漢 線 、 正太 線 の輸 送 力 は 作 戦 開始 迄 に意 外 に
北 支那 方 面 軍 ハ前 項 ノ線 ニ向 ヒ逐 次 其 ノ作 戦 ヲ推 進 スル ト共 ニ
ニ ヨル地 域 ヲ戡 定 ス ル意 図 ヲ有 ス
多 く の輪 送 力 を 発 揮 し て居 り ま し て爾 後 此 の山 地 を越 え てす る果 敢
な る作 戦 縦 隊 に対 し て追 随 補給 の目 覚 し い活 動 を見 る の であ り まし
占 拠 地域 ノ安 定 ニ任 ズ ベ シ
之 に依っ て北 支 軍 は南 部 山 西省 黄 河 の線 迄 押 出 せ る任 務 を得 まし
と の任務 を与 へら れ ま し た 。
て 、之 等 を綜 合 致 し ま し て此 の南 部 山 西 省 戡 定 作 戦 は事 変 開 始 以 来
る も のが あ る の で あ りま す 。就 中 京 漢 線 方 面 新 郷 附 近 の戦闘 、同 蒲
た の で任 務 の遂 行 は素 よ り今 即 刻 実 行 させ や う と言 ふ の では なく 情
線 方 面霊 石 附 近 の戦 闘 は最 も 困難 な も の で あ る の であ り ま す が 、 そ
一八〇 八年 頃 の最 も老 練 時 の ﹁ナ ポ レ オ ン﹂ の統 帥 を 思 は せ ら る
の末 から 正月 に か け て黄 河 の渡 河 、 膠 済 沿 線戡 定 の実 施 を 又適 当 な
れ を除 いて は大 体 皆 戦 略 的 に処 理 し片 附 けら れ て居 り ま し て 、 つま
最 も大 規 模 の作 戦 で あ ると 同時 に最 も手 際 の よ い作 戦 であ り ます 。
時 期 に第 一軍 の軍 備 を整 へ次 第南 方 に向 ひ前 進 す る こと 、予 定 し て
り劔 に衂ず し て戦 略 的 に敵 を し て退 却 に導 い て居 りま し て戦 史 的 に
勢 の推 移 に伴 ひ実 行 す べ き も の で あ り、 逐 次 其 の作 戦 を推 進 す る こ
居っ た ので あ りま す が、之 に対 し て 二月 の紀 元 節 の日 を卜 し て全 線
面 白 い事 で殊 に軍 の統 帥 に於 て然 り で あ り ます 。
と を 要求 せ ら れ て居 る の であ りま す 。大 本 営 の構 想 と し て は十 二月
攻 撃 を 開始 し得 る こと の現 地側 の作 戦 構 想 を受 取っ た の であ り ます
扨 作戦 的 に鮮 や か に南 部 山西 省 は 一応戡 定 致 し ま し て、今 日更 に
が誠 に準備 が斯 様 に早 く出 来 る も の と は驚 いた 位 であっ た の であ り
し得 る ので あ り まし て、 太 原特 務機 関 は此 の方 面 に戦 略 的謀 略的 に
振 返っ て見 ます と此 の京 津 から黄 河迄 広 正面 に亘っ て南 部 山 西省 を
特 別 な努 力 を し て居 りま し たが 、将 来 共 行 け そう に思 ふ の であ り ま
ま す 。然 も此 の第 一軍 の南 部山 西 省 並 に北 部 河 北 省戡 定 作 戦 は紀 元
戦 縦 隊 を 以 て軍 の全 正 面 に於 て多 い時 は十 本 内 外 の作 戦 縦 隊 を進 め
す け れ 共何 と言っ て も広 い地 域 であ る 。精 々今 後 共 努 力 と 犠 牲 と を
節 前 夜 を卜 し て開 始 せら れ概 ね陸 軍 記 念 日迄 を最 後 と せ ら れ て居 り
て敵 の止 ま り そう な 結 節部 に 対し て適 時 縦 隊 を集 中 せ し め更 に次 の
積 ま な け れば なら ん と思 ひま す 。更 に極 め て 小 さ な着 眼 であ るけ れ
て南 部 山西 省 に 二箇 師 団 の兵 力 を 必要 と し て之 を以 て同 蒲線 を確 保
目 標 に向っ て分 進 をす る と言 ふ様 な形 式 で あ りま し て此 の当 時 の敵
共 も う 一つ目 を変 へて言 へば 膠 済 沿線 か ら南 部 山 西 省 黄 河 の線 迄 を
完 全 に平 静 に押 へる と言 ふ事 は誠 に困 難 な事 で あ りま す 。 現在 に於
就 中 山 西軍 に対 し て の作戦 方式 とし て誠 に巧 妙 な も ので あ る と思 ふ
処 理 す る を適 当 と す る か どう かと 言 ふ 事 に就 て大 本 営 とし ては 京 漢
ま し て、此 の作 戦 正 面 百 里 、作 戦 躍 進 距 離 は百 里 に及 び事 変 開 始 以
の であ りま す 。 又各 部 隊 は 概 ね 四 週間 内 外 の作 戦 間 に大 小十 数 合 の
来 の大 作戦 で あ りま し た 。 此 の作 戦 指 導 を戦 史 的 に観 れ ば絶 えず 作
戦 闘 を経過 し て居 る の であ り まし て 百里 も の前 進 距離 を斯 様 に迅 速
線 、黄 河 の線 と分っ て居 る の で太原 以南 同 蒲 線 を彼 の時 機 に無 理 を
満 洲 領 タ ル事 明 確 ナ ル領 土 ガ ﹁ソ﹂兵 ニ依 ツ テ不 法 占 有 セラ ル
依っ て電 報 折 衝 の結 果 二十 四 日 次長 電 を 以 て
、時 ハ我 ガ将来 作 戦 ニ及 ス影 響 重 大 ナ ル考 へニ付 今 後 共 機 宜 ノ処
し て と ら な け れば なら な かっ た と は 私 は考 へな い の であ り ま す 。何
次 で関 東 軍 は 北 方 正 面 に あ り ま し た 一師 団 の有 力 な る 部隊 を同 島 正
置 ニ依 リ旧 態保 持 ニ努 メラ レ ム事 ヲ要 望 ス
面 に派 遣 す る外 、軍 は北 方 に於 て集 中 し 得 る相 当兵 力 を此 の正面 に
の必 要 があっ て霊 石 以南 南 部 山 西 省 に手 を差 延 べ な け れば な ら ぬか
先 軍 が屡々 意 見具 申 し て居っ た点 であ り ま す 。同 蒲 線 に前 進 し た い
集 む る処 置 を取 ると 同時 に、 六月 二十 一日 以 来 在哈 爾 賓 ﹁ソ﹂ 聯 領
と 言 ふ事 であ り ます 。京 漢 線 を新 郷 、鄭 州迄 進 む事 に就 ては 現 地 出
と言 ふ事 に就 ては 一度 も具 申 し て居 り ま せ ん 。 又東 京 に於 て は作 戦
隊 及 該 正 面 の赤 軍 師 団 を 野 営 地 よ り帰 還 せし め て現 地 に増 援 す る状
課 其 の他 斯 様 な意 見 を聞 か な い の であ り ま し て 、 此 の命 令 を作 戦 課
況 が観 え て参 りま し た 。 依っ て当 方 とし ては ﹁状 況 之 を要 す れば 兵
正面 に砲 艦 、砲 艇 、 警 備 艇 等 十数 隻 を集 中 致 し ま し た 外 、国 境 警 備
を定 む る事 を 有 利 と 考 へら れ る が 、此 の黄 河 を国 境 とす る は適 当 か
力 を行 使 し得 べ き諸 準 備 を進 めっ 、主 と し て外 交 折 衝 に依 り 旧態 の
事 に 対 し て厳 重 な る抗 議 を な し た る所 ﹁ソ﹂ 聯 邦 側 に於 て も紛 争 地
どう か、 若 く は霊 石 の山 地 を以 て南 の境 と し 山 西 の東 南 省 境 の線 を
回復 を期 す 但 し 帝 国 は 第 三 者 の立場 に於 て満 洲 国 の外 交 々渉 を支 援
長 (河邊 大 佐 ) が自 ら提 議 せ ら れ た の であ り ま す が 、黄 河 と言 ふ政
以 て其 の境 と す る事 は出 来 な かっ たも の であ るか ど う か 今後 数 年 の
す ﹂ と の方 策 をとっ た の であ り ま し て 、僻 遠 の地 にあ る此 の島 の問
治 地 理 上 の要 線 を睨っ て之 を以 て友 邦 支 那 と抗 日 支那 と将 来 の国 境
実 際 の状 況 を待 た な け れ ば 尚是 非 を定 む る事 は 困 難 であ り ます 。現
題 は 国力 を賭 す る に値 す るも の では あ り ま せ ん が、 実 力 行使 の脅 威
兵 を 撃攘 す る事 あ る を予 期 致 し ま し た 。其 の後 状 況 は逐 次 拡 大 の気
を伴 ひっゝ 外 交 折 衝 を 進 め 此 の間 状 況 に依っ て は奇 襲 的 に両島 ﹁ソ﹂
在 私 の心境 と し ては 之 は 疑 問 であ る が、 心 持 を申 述 べ て見 ま す と霊
﹁カ ン チ ヤ ズ ﹂ 事 件
石 以南 は手 を染 め な かっ た 方 が よ かっ たろ う かと 思 ふ の であ り ます 。
十 一、
配 を 見 せ て参 り ま し た 。或 は ﹁ブ ラゴ エ﹂方 面 の赤 軍 (多 く も 三箇
十 九 日 ﹁ボ ルシ ヨイ ﹂ 島 ニ ﹁ソ﹂ 兵 上陸 シ採 金 作 業 中 ノ満 人苦
井 次 長 に説 いて力 め て戦 局 を拡 大 せ し め ざ る 方法 に出 づ る事 を具申
覚 悟 し な け れ ば な ら ぬ事 態 となっ た の であ り ま し て 、石 原 部 長 は 今
は甚 だ 重 大 であ り 、当 方 とし ても 万 々 一日 ﹁ソ﹂ 全 面 戦 にな る事 を
師 団 ) の大 部 を集 中 し 来 る や の気 配 も 見 え ま し た 。而 も内 外 の事 態
力 四 十名 ニ退 去 ヲ要 求 シ其 ノ 一部 ハ拉 致 セラ レ同 日 ﹁セ ン マ ハ﹂
昭和 十 二年 六月 二十 二日 附 関 東 軍参 謀 長 電 を以 て
島 ニ於 テ ﹁ソ﹂ 兵 約 二十 名 進 入 シ並 ニ二十 日朝 満 軍 ノ 一部 (兵力
せら れた 様 であ り ま し た 。
之 と 時 を 同 じ う し て関 東 軍 に於 ては 現 地 に集 合 を終っ た第 一師 団
十 七 名 ) ﹁カ ンチ ャズ﹂ 北 方 ニ於 テ ﹁ソ﹂ 軍 砲 艦 ト交 戦 ス と の報 告 が参 り ま し た。
隊 が ﹁ソ﹂ 軍 砲 艇 を 撃沈 致 し た事 に依っ て現 地 ﹁ソ﹂ 軍 並 に莫 斯 科
す 等 現 地 中 央 間 の意 思 に若 干 の疎 隔 があ り ま し た が、 第 一師 団 の部
と なっ て参 りま し た ので 、中 央 は暫 く 之 を 中 止 す ベ き意 思 表 示 を 為
の部 隊 をし て実 力 に依 り失 地 の 回復 を計 る決 意 を し て居 る こと が明
し て 先 づ甚 しく 深 入り せん 方 法 に於 て支 那 に 一撃 を与 へ膺懲 す る事
溝 橋 事 件 、 廊 坊 事 件 、 廣 安門 事 件 等 は某 程 度 の不 拡 大 主義 であ り ま
心持 を言 へば 黒 龍 江 事 件 は絶 対 且全 員 一致 の不 拡 大 主 義 であ り 又盧
で あ り まし て真 に良 き 威 力偵 察 であ る と思 ふ の であ りま す 。 我 々 の
即 ち此 の ﹁カ ンチ ヤズ ﹂事 件 は支 那 事 変 勃 発 に先 だ つ こと 一ケ 月
を 心組 で居っ た の で あ りま し て、 此 の心 の余 裕 は ﹁カ ンチ ヤズ ﹂事
︹モ ス ク ワ ︺
に重 大 な る衝 動 を 与 へ七 月 二 日夜 莫 斯 科 に 於 て 重 光 ﹁リ トヴ イ ノ フ﹂ 会 見 の結 果 ﹁ソ﹂聯 邦 は両 島 よ り直 ち に撤 兵 し附 近水 面 に あ る
ります。
件 の結 果 莫 斯 科 の腰 の弱 さを 知っ た と言 ふ気 安 さ も あっ た から であ
退 を要 求 す る 考 な る も 万 一 ﹁ソ﹂ 側 に於 て我 が要 求 に応 ぜ ざ る場 合
の警 備 を 担 当 す る 軍 と し て は先 づ条 理 を尽 し 現 地 に於 て直 接 其 の撤
兵 が進 入 し て作 業 を開 始 し あ り目 下 尚 兵 力 は 約 四 十 名 な り 此 の方 面
七 月 十 四 日朝 鮮 軍 か ら ﹁十 一日 正 午頃 から長 池西 側 張 鼓 峯 に ﹁ソ﹂
十 二 、張 鼓 峯 事 件
艦 艇 の引 揚 げ を 約 束 す る こと と なっ た の であ り ま す 。 斯 く し て危 機 を 孕 ん だ黒 龍 江事 件 は莫 斯 科 の単純 な る屈 服 に依っ
﹁ソ﹂側 は実 質 的 戦 争 準 備 が完 成 し て居 らん こと を は つき り認 識 致
て終 末 を着 け た の であ り ま し た が 、之 に依っ て 我 々 の得 た 印 象 は
し た ので あ りま す 。素 より 我 が 方 に於 て も戦 争 準 備 は 完成 し て居 る 訳 では あ り ま せ んけ れ ど も 、 当時 作 戦 課 とし て の黒 龍 江事 件 処 理 の 根 本 観念 は 六月 三十 日 夜 起 案 の西村 案
集 中 せ る彼 我 の兵 力 は 近 く 相 対峙 し 河上 、 空 中 、 一度 処 置 を 誤
は断 乎 と し て実 力 を 以 て ﹁ソ﹂ 兵 を長 池 以 東 に 駆 遂 す る意 図 を 有
黒龍 江事 件 発 生 以 来 作 戦 部 は 紛争 不拡 大 主 義 を 堅 持 す
れ ば事 態 は激 化 の恐 あ り而 も 黒 龍 江 上 二、 三島嶼 の問 題 は 夫自 体
す ﹂ 旨 を電 報 し て来 ま し た 。
本 部 の地 図 には 長 池 東 側 にあ る稜 線 とし てあ りま す し 、 此 の線 上 に
此 の張 鼓 峯附 近 の国 境 線 は甚 だ不 明 確 であ りま し て ﹁ソ﹂ 国 参 謀
国 運 を賭 す る に値 せざ る の みな らず 此 の事 件 を契 機 と し て未 だ膺
大 体 守 備 兵 の陣 地 が あっ た ので あ りま す 。 他 の琿 春 界約 にあ る のは
懲 の好機 に非 ず 国 軍 は今 や 軍 備 を 充 実 し 必勝 不 敗 の態 勢 を 占 む る
﹁ソ﹂軍 に対 し て 昭和 十 四 年 以 前 に帝 国 が単 独 戦 争 を開 始 す る は
に努 力 し あ る途 上既 に 一歩 を 先 ん じ て近代 軍 備 の概 要 を 整 へた る
に言 ふ と長 池 西 側 を 経 て洋舘 坪 以西 に出 るも のと 張 鼓 峯 の峯 を 伝っ
て洋舘 坪 に出 る案 と の 二線 があ り ま し て之 が ハツ キ リし て居 ら ん為
境 界 が不 明 で支 那 文 によ る解 釈 と露 文 に よ る解 釈 があ り ま す 。厳 密
に我 々 の考 と し て は在 来 通 り 国 境線 が 不明 瞭 だ か ら ﹁ソ﹂ 軍 も日 本
適 当 にあ らず と思 考 す 云 々
も ﹁ソ﹂ 聯 邦 を し て真 面 目 な る戦 争 を決 意 し 得 ざ る事 情 あ る こと を
此 の ﹁ソ﹂軍 の軍 備 は尚 実 質 的 に整 う て居 らず 、 此 の国 際 の情 勢
察 知 し得 た の であ り ます 。
軍 も 警備 線 を侵 さ な いと 言 ふ考 へ方 であ り 、不 明 瞭 な る が為 に ﹁ソ﹂
であ り ま す 。此 の電 報 に対 し て其 の事 件 を如 何 に取 扱 ふ か に就 ては
な る に乗 じ新 事 態 を作っ た と言 ふ事 は 不法 で あ ると の考 を持っ た の
の張 鼓峯 を自 分 の領 土 と す る為 に兵 を出 し て来 た のは 国 境 の不 明 瞭
な ら ば期 を失 せず 之 を振 り棄 て る のが最 も宜 し い事 と関 東 軍 は 在 来
し た こと は素 より 戒 む べ き であ る。 只此 の 一点 を見逃 し てな ら ん の
起 り 只 愚 に も附 かん 小 な る土 地 を 競っ て対 支 事 変 真 最 中 に問 題 を 起
あ り ま し て 、当 初 関 東軍 は例 に依っ て 小 さ な国 境 紛 争 が此 の正 面 に
の ﹁ソ コ ロフ﹂ 中 将 に宛 て た意 見 具 申電 報 の傍 受 から始 まっ た ので
元来 此 の事 態 は 七 月 六 日 ﹁ポ シ エツト﹂ 地 区 の警備 隊 長 から哈 府
ました。
陸 軍 省側 の 一の意 見 を 確定 し おく 必要 が あ る と考 へま し て作 戦 課 に
側 の兵 を若 く は 日本 側 の兵 を 入 れ な いと し た訳 であ り ま す 。敵 が此
於 ては直 ち に ﹁張 鼓 峯事 件 処 理 要 領 ﹂ な るも のを 作 り ま し て之 に依
の経 験 か ら信 じ てゐ る の で あり ま し て 、此 の事 を 間接 的 に朝 鮮 軍 に
警告 し た も のら し い。朝 鮮 軍 に於 ては恰 度 小 磯 軍 司令 官 が更 迭 され
り 各 方面 の意 見 を確 立 し た の で あ りま す 。 そ の内 容 は左 の如 く であ りま す
一、 日満 両 国 政 府 よ り強 硬 に抗 議 し外 交 接 衝 に依っ て撤 兵 せし む
ん な も のは〓 冠 り し て ゐ よう と し て居っ た 様 であ り ま し て暫 く放っ
与 へな い此 の張 鼓 峯 の 一小 地 に敵 が監 視 哨 を出 さ う と出 す ま いと そ
て出 発 しま し た時 で あ り旁々 対 支 事変 処 理 の本 筋 には何 等 の妨 害 を
る を要 す
張 鼓 峯事 件 処 理 要 領
二 、外 交 接 衝 の状 況 の悪 化 万 一に即 応 の為 所要 に応 じ兵 力 を 事件
つ現 地 撤 退 を要 求 し聞 かな け れ ば実 力 に依っ て や る か と の意見 具 申
て置 いた の に、関 東 軍 が横 槍 的 に 一言 警 告 し て来 た の で それ では 一
そ こ で中 央 の意 思 を 体 し て有 末 中 佐 ( 作戦)甲谷少佐 ( 露班) を
る点 が多 々あっ た の であ り ま す が之 も止 む を得 な い次 第 であ り ます 。
而 も斯 様 な事 を処 理 す る には誠 に不 慣 れ で処 置 万端 円 滑 に進 まざ
電 報 と なっ た も の らし く あ り ま す 。
地 正面 に集 中 す所 要 兵 力 は朝 鮮 軍司 令 官 の隷 下 部隊 とす 三 、実 力 行 使 は中 央 の指 令 によ る 右 処 理 方 針 に基 き曩 の朝 鮮 軍 の電 報 に対 し ては同 意 の旨 を 通達 し 関 東 軍 に対 し て は其 の由 を通 報 し て置 きま し た 。所 が関 東 軍 よ り折
中 央 に於 ては ﹁ソ﹂ 軍 が我 々 の要 求 に応 ぜざ る場 合 に実 力 を 以 て
返 し電 報 し て参 り ま し た。
ど誤 訳 或 は未 解 読 の事 が多 く て東 京 と 現 地 と の連 絡 にも 円滑 を欠 い
な い時 に斯 う言 ふ問 題 が起 き て頻 繁 なる電 報 を使っ て居 り ます が殆
平 素 朝鮮 軍 殊 に第 十 九師 団 と東 京 と頻 繁 に暗 号 電 報 を 使っ た事 が
現 地 に差遣 を し て連 絡 せ し む る事 と致 し ま し た 。
は如 何 な も のか と言 ふ様 な返電 を寄 越 し ま し た ので、 之 に対 し て は
て手違 を更 に増 加 す る結 果 と なっ た の であ り ます 。
長 池 以 東 に之 を駆 逐 す べ き朝鮮 軍 の企 図 を 是認 せ ら れ て居 るが 、之
中 央 とし ては 本事 件 の処 理 は外交 折 衝 に依 る撤 兵 を第 一と し て進 行
兎 も あ れ朝 鮮 軍 は要 す る に実 力 の行使 を決 意 致 し て居 る の で中 央
し て居 る が之 が後 拠 とし て事件 地正 面 に兵 力 を集 中 し 得 る如 く朝 鮮 軍 に指 示 し た 次第 で あっ て尚関 東 軍 に宛 慎 重 を要 す る旨 を返 事 致 し
之 ガ実 力 ノ行 使 ハ命 令 ニ依 ル﹂ 旨 を朝鮮 軍 司 令 官 に対 し大 命 を 与 へ
ニ対 シ所要 ニ応 ジ 在 鮮 ノ隷 下部 隊 ヲ国境 二近 ク集 中 ス ル事 ヲ得 但 シ
に於 ては ﹁朝鮮 軍 司 令官 ハ張 鼓 峯 附 近 ニ於 ケ ル ﹁ソ﹂ 軍 ノ不 法 越境
った様 で あ りま す 。
慎重 に な りま し て従っ て現 地 部隊 の独 断 急 襲 等 を 十分 押 へら れ て居
な き だ に慎 重 な る性格 を持っ て居 れ る当 軍 司 令 官 の指 導 は更 に 一層
い様 と の希望 を深 刻 に諒 解 を願っ て居っ た の であ り まし て、 爾 後 さ
十 七 日夕 在 来 の満 洲 に於 け る経 験 に徴 し て此 の四、 五 十 名 の敵 兵
た る後 に外 交 接 衝 に移 る が宜 し 実 力 を 以 て現 地 を 回復 し な け れば 到
入 る だ け の心 構 を 有 せ な い の で宜 敷 く実 力 を以 て速 か に現 地 回 復 し
は成 功 の見 込 がな く 且 ﹁ソ﹂ は 此 の国 境 問 題 を 出 発点 と し て戦 争 に
十 七 日 にな りま す と莫 斯 科 武官 か ら電 報 があっ て到 底 外 交 々渉 で
ら れた ので あ りま す 。之 に従っ て朝 鮮 軍 司令 官 は第 十 九 師 団 の主力 を逐 次 古 邑 、 四会 、 阿吾 地 、慶 興 の地 区 に鉄 道 集 中 を部 署 致 し ま し
を機 敏 に撃 退 をし て其 の上 で莫 斯 科交 渉 を進 む る こと が最 も 機宜 を
底 百 万言 を費 やし ても見 込 がな い ので あ る から 実 力 を行 使 前 は つま
た。
得 た方法 で あ る と考 へま し た の で現 地 に出 向 いた 有末 中 佐 に対 し て
の であ り ます 。 東 京 に於 け る考 へ方 も亦 之 と同 様 で現 地 の重 光 大 使
ら な い初 め から 撤 兵要 求 を せ ぬが宜 敷 し いと言 ふ こと を言っ て来 た
が 既 に実 力 を行 使 せ ん限 り外 交 だ け で は撤 兵 要 求 す る こと の見 込 な
小 兵 力 ヲ以 テ ス ル張 鼓 峯 ノ奇 襲 奪 回 ヲ準 備 シ置 ク ヲ要 ス ル意 見
課長電を以て
ナ リ蓋 シ事 態 ヲ拡 大 セザ ラ ンガ為 ニ ハ地上 部 隊 ヲ 以 テ奇 襲 的 ニ限
し と言っ て居 る今 日 、之 以 上外 交 々渉 に期 待 し て荏苒 日 を閲 す る 二
依っ て 七月 十 九 日 作戦 課 に於 ては 朝鮮 軍 司 令 官 に実 力 を行 使 し て
あ り ま し た。
現 地 部隊 の現 況 に適 す る独 断 があ れ ば宜 し いと の希望 を抱 く 程 度 で
と は時 期 を失 す れ ば 失す る程 事 態 は紛 糾 し て来 る と言 ふ考 へを持 ち
定 攻撃 ス ルヲ得 策 ト ス レバ ナ リ と言 ふ意 見 を打 電 致 し ま し た。 当 時朝 鮮 軍 の考 へて居 り まし た 攻 撃要 領 は 歩兵 一大 隊基 幹 の部 隊 を以 て張鼓 峯 西 側 より 豆満 江 を渡 河 し て 直 接 張鼓 峯 正 面 を 攻撃 す る と共 に歩兵 一一 大 隊 基 幹 の部 隊 を以 て慶 興 南 方橋 梁 よ り渡 河 し 河 の北 岸 に沿 ひ て南 下 し 北方 よ り張 鼓 峯 を
令 を 与 へな け れば 朝 鮮軍 は甚 し く 慎 重 に構 へて動 かな い考 であ る様
ても 此 の関 東 軍 の遣 口が主 となっ て居 り ま し て中 央 から 的確 な る命
と言 ふ考案 の様 で あり ま し た が、 斯 様 な 一般 的 の方法 よ り も在 来 関
に見 え ま し た の で ﹁朝 鮮軍 司 令 官 は隷 下 部隊 を 以 て張 鼓 峯 の ﹁ソ﹂
現 地 を 回復 す べき 命 令 を与 ふ る事 に就 て研 究 を致 しま し た 。 どう し
東 軍 のやっ て ゐ る奇 襲 的 方法 に よ る が宜 し い と言 ふ中 央 部 の見 解 を
仰 ぐ 準 備 を進 め た の であ り ます 。 其 の理 由 と し て当 時 御 説 明 の案 に
攻 撃す
電 報 し た次 第 であ ります 。 ︹ 孝太郎︺ 中 村新 軍 司令 官 は十 七 日タ に急 い で現 地 に著 任 を や ら れ ま し た が
申 述 べ て居 り ま し た所 は 対支 作 戦 の進 行 中 大 局 の見 地 よ り対 ﹁ソ﹂
軍 を 撃 退 す ベ き﹂ 意 味 の奉勅 命 令 を起 案 し て之 を 以 て上 奏 御裁 可 を
軍 司 令官 出 発 に先 だっ て中央 の意 図 を 之 を 不用 意 に事 件 を拡 大 しな
の抗 争 意 思 を圧 縮 し お く事 を至 当 と 判断 致 し ます 。 勿 論努 め て事 件
恐 れ あ り、 且 張 鼓峯 の位 置 は大 兵 力 を集 め て抗 争 を拡大 す る危 険 は
の不 法 要 求 を黙 過す れ ば次 々 に他 正面 に於 て同 様 の事 件 を惹 起 す る
正 面 に事 を構 ふ る こと は極 力 回避 し度 きと ころ で あ りま す が 一正面
頂 けず 御 留 め 置 き になっ た話 であ り 、依っ て次 長 は 午後 八時 頃 陸 相
六時 総 長 は 御 殿 に帰 還 せら れ て次長 を召 さ れ本 日 の上奏 は御 裁 可 を
従 武 官 長 宮 中 に居 残っ て協 議 中 で あ ると の こと で あ りま し た 。午 後
尚 御 退 出 にな ら な い。 聞 く と ころ に依 れ ば総 長 、大 臣 、 侍 従長 、侍
然 る に午 後 四時 上 奏 の為 参 内 せら れた参 謀 総 長 は五 時 に至っ て も
を訪 問 し次 で部 長 、課 長 等 を官 邸 に集 め て善 後 処置 を研 究 す る事 に
比較 的 少 し と 考 へら れ ます の で寧 ろ 此 の際 一撃 を加 へて ﹁ソ﹂ 聯 邦
の拡 大 を防 止 す る為 其 の攻撃 は限 定 せる 目 標 に対 し 奇 襲 的 に指 導 し
な り まし た 。
実 力行 使 に関 す る 奉勅 命 令 の上奏 は斯 く し て聖 断 に依っ て御 裁 可
且 航空 戦 の惹 起 を 避 く る こと等 諸 般 の注意 を行 ひ ます と 共 に事 態 紛
を 得 な い事 に なっ た ので其 の夜 直 ち に午 後 八時 三 十 分 現 地 に派 遣 し
糾 の場 合 に応 ず る準 備 と を考 慮 し 居 る次 第 であ り ます 。 張 鼓峯 正 面 の攻 撃 兵力 は朝 鮮 軍 の意 見 に依 れば 多 く も 数大 隊 を基 幹 と す る部 隊
てあ り ます 有 末 、 荒 尾 両参 謀 に宛 て課長 電 を以 て
此 の様 に取 急 ぎ ま し た事 は中 央 統 帥部 に於 て実 力 行使 を決 意 致 し
と電 報 致 し ま した 。
考 へ方 ト同 様 ナ リ紛 争 ヲ惹 起 セ サ ル様 指 導 上 慎 重 ラ期 セラ レ度
実 力 行 使 ニ関 シ テ ハ大 命 ヲ仰 グ ニ至 ラ ズ状 況 ハ有末 出 発 当 時 ノ
とな る ベ く共 の他 の朝 鮮 軍 隷 下部 隊 は所 要 に応 じ琿 春 附 近 に集 結 し
を必 要 と考 へます 。以 上 の如 き処 置 を以 て事件 を局 地 的 に処 理 し得
戦 略 的 に敵 を脅 威 し事 態 の万 一に応 ぜし む る の用 意 を整 へし め おく
ると 考 へて居 る次 第 であ りま す が 万 々 一 ﹁ソ﹂聯 邦 が本 事 件 を利 用 し故 意 に事 態 の紛 糾 拡 大 を計 る様 な場 合 が起 る に至 りま す れ ば漢 口
の考 へ方 と は更 に 一歩 進 ん で荒 尾 少 佐 出発 当 時 は殆 ど 実 力 行使 が確
改 め て荒 尾 少佐 を派 遣 し て居っ た の であ り ます 。 有 末 中 佐 出発 当 時
へた い点 で あ り、旁々 東 京 で の復 案 を ハッキ リ現 地 に伝達 す る為 に
実 力 行 使 す る こと の考 を確 立 致 し ま し て十 九 、 二十 の両 日先 づ 陸軍
定 的 と なっ て居っ た の で斯 う いふ事 情 から大 命 を仰 ぐ を 得 ざ る事 に
ま し た 十九 日 の攻 撃 要 領 に就 て朝 鮮 軍 の考 へ方 に は全幅 の同 意 を与
省 側 と協 議 し て其 の意 見 の 一致 を 見 二十 日午 後 四時 を期 し て参 謀 総
に なっ て解っ た事 で あ りま す が斯 様 な機 微 な事 情 を電 報 致 し ま し た
攻 勢 開 始 以前 な ら ば兵 力 の転 用其 の他 の諸 作 業 は右 開 始 以 後 よ り も
長 が 上奏 せら れ続 い て陸 軍 大臣 が上 奏 す る と 云 ふ話 合 になっ た の で ︹ 字垣 一成︺ あ り ま す 。只 此 以 前 に外 務大 臣 は実 力 行使 に 不同 意 であ り まし て今
に拘 ら ず之 等 の事 は或 は誤 解 を な し或 は 解 読 不可 能 で現 地 幕僚 に は
好 都 合 な り と 思 ふ ので あ りま す 。斯 様 な考 へ方 から次 に命 令 を 以 て
外交 折 衝 実 行 中 に過 早 に見 切 を つけ て兵 力 を動 かす こと は適 当 でな
適 時 伝 達 せ ら れ て居 ら ん の であ り ます 。
と ころ が七 月 二十 日夜 発 電 の朝 鮮 軍 司 令 官電 報 に依 りま す れ ば
なっ た の で両官 に宛 てた 此 の課 長 電 となっ た次 第 であ りま す 。只 後
い、暫 く外 交 折 衝 の推 移 を見 たら ど う か と い ふ意 見 であっ た の であ
の で斯 様 に総 長 、 大 臣 の上 奏 と なっ た の であ り ます 。
り ま す が 二十 日午 後 に至っ て 一応 諒 解 を得 た と い ふ事 であ り まし た
﹁ソ﹂ 軍 ノ警 備 ハ益々 厳 重 ト ナ リ居 リ張 鼓 峯 攻 撃 ハ漸 次 困 難 ノ
な かっ た事 に就 て恐懼 し た次 第 であ りま し た 。
採 否 は首 長
が別 に幕 僚 が案 を具 し て申 述 べ た のは飽 く 迄 案 であ つ
之 に対 し て総 長 以下 不 明 の責 を負 ふ べし と いふ意 見 で あ りま し た
の決 心 に存 す る の で あ り、 事 聖 断 に出 づ る 以 上幕 僚 は悉 く 共 の新
度 ヲ増加 ス尚 現 情 ノ儘 放 任 シ置 ク ハ他 正面 ニ及 フ ヲ恐 ル外 交 々渉 ノ見 透 シ附 カザ ル ニ於 テ ハ断 乎 ト シ テ張鼓峯 ノ敵 ヲ速 カ ニ掃 蕩 ス
合 にど う 処置 を附 け る考 へであ る か
現 在 の情態 に於 て 万 々 一にも 真面 目 な る対 ﹁ソ﹂戦 が起 きた 場
の上 奏 並 に御説 明 を御 聴 取 り の後
伺 を出 さな かっ た ので あ りま す 。後 に洩 れ承 ると ころ に依 れば 総長
決 心 を御輔 佐申 上 ぐ る事 が至 当 であ る と の考 へ方 から 次長 以下 進 退
ル必要 アリ と意 見 具 申 し て参 りま し た之 に対 し ては 内 外 諸般 ノ情 勢 ハ慎 重 ヲ期 ス ヘキ モノ ア リ依 ツ テ貴意 見 具 申 ハ 採 用 セラ レズ と の簡 単 な る返 電 を致 し ま し た 。
就 中 其 の国 力経 済 力 に就 て深 く 御軫 念 の程 を察 し 得 ら るゝ 御 言 葉 を
此 の簡 単 な る内 外 諸般 の情 勢 と言 ふも のは簡 単 な る言葉 で は此 の 間 の微 妙 な る事 情 を表 現 せら れ な いの であ り ま し て、 派 遣幕 僚 は又
に関 係 閣 僚 の見 解 の差 異 を御 認 め になっ て反 省 せし め ら れ た も のと
﹁ 実 力 行 使 は 不 同意 な る﹂ 旨 を申 上 げ て居 ら れ ると いふ事 で此 の辺
之 は別 の角 度 よ り外 務 大臣 の所 管 事項 の 上奏 の 際 に 外 務 大 臣 は
る か どう か﹂ と 言 ふ点 を御 下 問 になっ た と い ふ事 であ り ます 。
又大 臣 の上 奏 の際 には ﹁ 関 係 閣 僚 方面 と十 分 な る諒 解 を逐 げ て居
参 謀 総 長 に対 し て賜 はっ たと 言 ふ事 で あ りま す 。
の大 命 を戴 き度 件 を具 申 し て居 り まし た の で課長 電 を以 て
別箇 の立 場 か ら攻 撃 準 備 完了 の時 期 近 き現 況 に於 て速 か に実 力 行 使
荒尾 報 告其 ノ 一乃 至 四受 領 セリ前 電 ノ如 キ内 部 的 事情 ヨリ実 力
進 ス ル モ成功 ノ見 込 ナ キ時 ハ機 ヲ失 セズ事 ヲ打 切 ル コトヽ シ集 中
行使 ノ大 命 ヲ仰 グ 見込 ナシ 張鼓 ﹁峯 事 件 今 後 ノ処 理 ハ外 交 々渉 ヲ促
兵 力 ハ暫 ク現 在 地 ニ待 機 セ シメ テ其 ノ主 力 ハ成 ル可 ク速 カ ニ原 状
拝 察 す る の であ り ます 。
な いと いふ こと は素 よ り今 回 が初 で あ りま し て、然 し歴 史 的 に古 い
対支 作 戦 開始 以来 統 帥 部 の起 案致 し まし た 奉 勅命 令 を御 裁 可 を得
隊 ハ暫 ラク現 在 地 附 近 ニ待 機 セ シメ尚其 ノ主 力 ハ成 ル可 ク速 カ ニ
功 ノ見 込 ナ キ場 合 ハ機 ヲ失 セズ之 ヲ打 切 リ曩 ニ国 境 ニ集 中 セ ル部
張 鼓 峯事 件 今 後 ノ処 理 ニ関 シテ ハ外 交折 衝 ハ依 然 促 進 ス ル モ成
を は つき り書 い てあ り ま す即 ち
朝 鮮 軍 並 に関 東 軍 各 参 謀 長 に打 電 し た ので あ り まし て此 の間 の事 情
二十 二 日研 究 の結果 今 後 の処 理 方針 を確 定 し て之 を 次長 電 を以 て
ニ復 帰 セ シ ム ル方 針 ニ進 ミツ 、ア リ状 況 ハ百 八十 度 ノ転 回 ヲ来 タ シ我 等 ノ責任 ヤ独 断 ノ範 囲 ヲ既 ニ超 越 シ ア リ考 へヲ新 ニシ テ状 況 ニ善 処 セ ラ レ度
事 を探 せば 左 様 な機 会 は幾 ら も あ る と言 ふ事 であ り ます が、 兎 も角
原 状 ニ復 帰 セ シム ル方 針 ニテ進 ミ ツ 、アリ 従 ツ テ実 力 行 使 ハ事 態
と 返電 致 し ま し た 。
初 め て重 大 な る事 態 に直 面 し た 関係 幕 僚 は新 な る処 置 判 断 の当 を 得
ル可 キ考 へデ ア リ事 情 右 ノ如 ク処 理 方針 ハ朝 鮮 軍 司 令 官 東 京出 発
更 ニ悪 化 シ万 止 ムヲ得 ザ ル如 キ新事 態 ヲ発 生 セザ ル限 リ命 令 セザ
当 時 ヨリ モ更 ニ慎 重 ニ進 ミ ツ 、ア リ而 モ実 力 行使 ヲ認 可 サ レザ ル ハ 一 ニ聖 断 ニ依 ル モノ ニシ テ論 議 研 究 ノ範 囲 ヲ超 越 ス ル モノナ ル ニ付右 御含 ミ ノ 上新 観 点 ニ於 テ今 後 ノ情 勢 ニ善 処 シ今 後 共 不 用意 ノ紛 争 拡 大 ヲ防 止 ス ル為 十 分 ノ指 導 アリ度 此 の電 報 は 其 の後 も依 然 と し て軍 の幕 僚 、長 官 等 よ り攻 撃 の意 見 具
て次 の段 階 に這 入っ た ので あ りま す 。
十 三、 沙 草 峯 事件
七月 三 十 日 午 後 五時 頃 張 鼓 峯 に連 続 し た 沙草 峯 地 区 に於 て彼 我 の
衝 突 が あっ た 事 を 知 り ま し た 。即 ち 朝 鮮軍 参 謀 長 二十 九 日附 電 報 に
越境 シ来 リ 工事 ヲ開 始 セリ
二十 九 日 朝 約 十 名 ノ ﹁ソ﹂ 兵 沙 草 峯南 方 一粁 ノ高 地 ニ於 テ明 ニ
依 り ます と
古 邑 守 備 隊 ハ兵 二 十 名 ヲ 以 テ午 後 三時 頃 之 ヲ撃 退 シ次 デ 同 小 隊
申 が来 ま し た の で、考 へを新 にし て対 処 し な け れ ば な ら ん と い ふ こ と を明 示 し た も の であ り ます 。 と ころ で二 十 三 日頃 に至っ て荒 尾 少
ふ様 に行 か な かっ た 先 の経験 も あ りま す の で沙草 峯 事 件 の処 理 方 針
之 に対 し て は既 に現 地 派遺 幕 僚 も全 部 帰 還 し て現 地 と の連 絡 が思
と の報 告 であ りま す 。
視 シア リ
ハ爾 後 ノ戦 闘 ヲ避 ク ル為 洋 舘 坪 南 方 二粁 ノ高 地 ニ撤 収 シ敵 情 ヲ監
佐 よ り課 長 宛 に 師 団 ハ事件 ヲ拡大 セズ ニ張 鼓 峯 ヲ奪 回 ス ル方針 ト共 ニ攻 撃 計 画 ヲ準 備 中 ナリ
其 の上 に第 一線 に手違 あ る を思 ひま し た の で此 の点 を更 め て注 意
と の電 報 が参 り ま し た 。
を加 へて其 れと 同 時 に斯 く なっ た上 は此 の儘 見 捨 てて兵 力 を撤 退 す
と し て は、
に委 す る も のとす
本 事 件 は不 拡 大 方 針 を 堅持 し て実 施 し つゝ あ る現 地部 隊 の処理
る に若 かず と 思 は れま し た ので 二十 六 日 に至っ て 朝 鮮 軍 司 令 官 ハ国 境 ニ近 ク集 中 セ ル部 隊 ヲ適 宜 原 駐 地 ニ帰 還 セ
草 峯 高 地 並 に張 鼓 峯 高 地 を奪 回 し た模 様 で あ りま し て之 と 同時 に師
尚 三 十 日 に至 り ます と夜 の戦 闘 は 我 が軍 に有 利 に進 展 し 完全 に沙
と 決 定 を し て此 の旨 を 三十 日 午 後朝 鮮 軍 及 関 東 軍 の両参 謀 長 に通達
シ ムべ シ所 要 ニ応 シ 一部 ヲ以 テ国 境 ノ警 備 ヲ強 固 ナ ラ シ ムべ シ
り 、 師団 長 は当 分 歩 兵 一大 隊 砲 兵 一中 隊 工兵 一中 隊 を 基幹 と す る部
団 長 は 羅 南 に帰 還 せ し め た諸 隊 を 二度 現地 に引 返 へさし め 、続 いで
し た の であ り ます 。
隊 を 以 て慶 興 の守 備 隊 を増 強 す る処 置 を取っ た の であ り ま す 。之 に
衛戍 地 に残置 し て居っ た諸 隊 を も 現 地 に追 及 せし め る処 置 を取った
と の参 謀 総 長 指 示 を発 せら れ て、国 境 に集 中 し あ る第 十 九師 団 の歩
て張鼓 峯 事 件 は不 拡 大 方 針 に終始 し 一先 づ打 切 りと な る や に見 え た
兵 四 大隊 山 砲 二大 隊 重 砲 一大 隊 を逐 次 に原 駐 地 に撤 退 す る こと と な
の であ り ま し た が 、新 な る問 題 と し て起っ た沙 草 峯 事 件 を動 機 と し
多 数 、 死 傷推 定 少 く も 二百 人 は判 断 さ れ て居 り ま し て、 其 の夜 間 攻
に於 て戦 死傷 合 計 九 十 七入 に及 び敵 に与 へた損 害 は戦 車 、 火砲 相 当
様 で あ りま し て 、我 が損 害 は 三 十 日 夜 よ り 三十 一日 に かけ て の戦 闘
軍 に対 し て或 は戦 車 を中 心 とす る攻 撃 によ り、 或 は空 中 より す る爆
に驚 いて逐 次 各 方 面 よ り兵 力 を 増 強 し て参 りま し て其 の正 面 の我 が
への紛 争 拡 大 を 絶 対 に許 さ れず 且之 から 一歩 も 出 て行 く こと が許 さ
防 禦 も比 較 的 楽 に出 来 た であ り ま せう が、 他 の 一般 事情 から 他 正面
事 を許 さ るゝ 状 況 であっ た な ら ば大 な る成 果 も 得 た であ り ま せ う し 、
教 訓 が多 々あ る の で あり ま し て、若 し他 の正 面 よ り越 境 反 撃 を す る
に及 び まし た 。此 の間 の専 守 防 禦 は ﹁ソ﹂ 軍 に対 し て専 守防 禦 の良
て敵 の奪 回企 図 を挫 折 せし む べ く頑 強 に抵 抗 を続 く る こと約 二 週間
軍 の現 地部 隊 は此 の間 命 令 通 り 現 占拠 線 を確 保 し 専 ら 専 守 防 禦 に
撃 の協 力 に手 を変 へ品 を 変 へ反 復 攻 撃 し て来 た の であ りま す 。
撃 の戦 果 は 予想 外 に大 な るも のと 思 は し め まし た。 三 十 一日 次長 は 此 の新 な る衝 突 の戦 況 を 葉 山 に伺 候 し て上 奏 せら れた の であ り ま す が、曩 の御聖 断 に よ る実 力 行使 御 差 止 め の事 も あ り痛 く 恐懼 し て御 前 に罷出 ら れ ま し たと ころ却 て御 機 嫌 の宜 し い状 態 を拝 せ ら れ て感
事 実 は 現地 部 隊 の新 な る衝 突 に依っ て急 角 度 の転 換 を 致 し ま し た
激 し て引 下っ て来 ら れ た 次 第 であ り ます 。
が何 と いっ て も実 力 を 以 て問 題 の地点 を奪 回し た 事 は敵 に与 ふ る威 嚇 は大 で あ りま し た の で此 の機 を失 せず 之 を外 交 折 衝 に移 す こと と
の苦 し かっ た こと は 又 宜 な る哉 と思 ひま す が、 之 に依っ て日本 軍 は
戦 車 及 航 空 機 の絶 対 優 勢 な る支援 を得 る概 ね三 倍 兵 力 の ﹁ソ﹂ 軍 の
れ て居 りま せん 。 全 然 拘束 さ れ た専 守 防 禦 であ り ま す か ら現 地部 隊
沙 草 峯 張 鼓峯 附 近 ノ事 件 ニ関 シ中 央 ハ現 状 以 上 ニ拡 大 セ ザ ル方
ます 。
反 復 攻 撃 に対 し て少 く も 二週 間 を持 久 し 得 る自 信 を得 た 次第 で あ り
し 次長 電 を以 て
ニ移 ル コト 、ナ ルべ ク軍 ノ行 動 ハ改 メ テ大 命 ア ルべ キ モ差 当 リ左
針 ヲ以 テ局 地 的 問題 ト シテ迅 速 ニ之 ガ解 決 ヲ期 ス ル為 外 交 的 商 議
所 が八 月 四 、 五 日 に至 る や逐 次 に我 が損 害 が増 加 し戦 況 は楽 観 を
も尚 依 然 頑 強 であ り ま す 。 此 の折 衝 に於 け る ﹁ソ﹂側 の言 分 は 二十
許 さ ぬ状 態 と な り莫 斯 科 に於 け る外 交 折 衝 は多 少 の光 明 を存 し乍 ら
記 ニ依 リ処 理 セ ラ レ度 一、敵 ノ挑 戦 ナ キ限 リ対 敵 行 動 ヲ現 在 以 上 ニ発展 セ シメ ズ
ヲ占 守 シ且 右 以外 軍 正面 ノ満 ﹁ソ﹂ 国 境 ノ警 戒 ヲ厳 ナ ラ シ ムベ シ
朝 鮮 軍 司令 官 ハ当 分 ノ間 張 鼓 峯 、 沙草 峯 附 近概 ネ現 進 出 線 附 近
の問 題 は残 さ れ た 今後 の研 究 と し て差 し 当 り事 件 地 の戦 闘 を停 止 せ
件 と す るも の であ り ま し て 、 此 の際 同 時 に国 境 を 確定 す べ き や否 や
求 は 七 月 十 一日 張鼓 峯 事件 が起 ら ん以 前 の状態 に復 帰 す る こと を条
日以 前 の状 態 に復 帰 す る こと を条 件 とす るも の であ り 、 日本 側 の要
九 日 以 前 の状 態 に復 帰 す る 、 即 ち張 鼓 峯 を 彼 が有 し居 り た る 二十 九
二 、軍 ノ配 置 及行 動 ハ敵 ノ反 撃 ニ対 シ準 備 ス ル外暫 ク現 状 ノ儘 ト シ其 ノ行 動 ヲ慎 重 ニス
と の任 務 を課 せ ら れ た の で あ りま す 。 斯 く し て 現 地部 隊 は張 鼓 峯 、
し む る こと の意 見 は 日 ﹁ソ﹂ 共 に 一致 し た意 見 であ り ま し た 。
と打 電 す ると 共 に八 月 一日午 後 に至 り奉勅 命 令 を 以 て
沙 草 峯 の占拠 地域 を確 保 し て居っ た の であ り ま す が 、敵 は此 の反 撃
統帥 部 に於 て は兎 も角 一度 当面 の敵 を撃 退 し て我 が面 目 も達 し ま
尚 当 正 面 の満 ﹁ソ﹂ 国 境 に関 し 警 戒 を厳 な ら し む べく 之 と 共 に参 謀
面 ノ状 況 ニ基 キ其 ノ行動 ヲ律 ス ヘ シ之 カ細 部 ハ第 一部 長 橋 本 少 将
一、 兵 力 ノ豆満 江 右岸 ニ集 結 ニ当 リテ ハ紛 争 ノ拡 大 ヲ遷 ク ル外 当
総 長 の指 示 は
を頑 張 る必要 も な いで は な い か、 若 し適 当 な時 期 に停 戦 が成 立 す れ
ヲ シテ指 示 セ シ ム
し た の であ る か ら何 時 迄 も 苦 し い防 禦戦 闘 を交 へて張 鼓 峯 の山 一つ
ば よ し 縦 ひ停 戦 が成 立 し なく と も 軍 は自 主 的 に或 る時 期 を観 て兵 を
云 々と定 めら れま し た 。
々渉 の経 過 と 合 せ 考 へ現 地 に派 遣 し あ る大 本営 の作 戦 部 長 の決 定 に
令 ﹂ を起 案 せら れ只 其 の撤 収 の時 期 を現 地 の戦 況 を観 察 し つゝ外 交
最大 の希 望 で あ りま し た 。 然 し乍 ら若 し成 立 し な い場 合 に は飽 く迄
立す る か も知 れ ぬ、 成 立 す れば機 を失 せず 兵 を 引 放 さ う誰 し も之 が
当 時 此 の命 令 の起 案 せ ら れ た 八 月五 日 に於 ては 莫斯 科 の協 定 が成
[群]
て参 りま し た 。 之 が為 八月 五 日既 に ﹁朝 鮮 軍 の原 駐 地 へ撤 収 の 命
現 地 よ り撤 収 す る こと が適 当 な遣 方 では な いか と の意 見 も漸 次 起っ
委 す べ き意 味 の奉勅 命令 及 参 謀 総 長 指 示 を 発 す る用 意 を せ ら れ た の
現占 拠 地 を確 保 し て実 力 を 以 て 我 が軍 の信 ず る国 境 を持 続 す ぺ き で
あ る か 、或 は 又満 洲 領 と 決 め て機 を得 た時 機 に引 下っ て事 件 を拡 大
で あ りま す 。
さ せ な い様 にす る か、 此 処 に議 論 の別 れ目 が あっ た の であ り ま し て、
御 裁 可 を 仰 ぐ 此 の命 令 は、 之 が伝 宣 実 行 の時 期 は現 地 に派 遣 す べ き作 戦 部 長 に委 任 せ ら る 、事 と なっ て居 りま す のは作 戦 部長 と し て
に従っ て新 な る戦 闘 が起 き た も のと知っ て から 之 以 上 つま ら ぬ意 地
現 地 か ら は頻 々と し て第 十 九 師 団 参謀 長 よ り戦 況 の電 報 が参 り ます
を張っ て戦 を引 摺っ て来 た事 で師 団 と し て は今 小な る面 目 を言 ふ時
は外 交 折 衝 の光 明 を 僅 か乍 ら も認 む る現 況 に於 て今暫 く時 期 を見 る
此 の間 統 帥 部 と し ま し ては第 十 九 師 団 の戦 況 を 緩 和 す る為 第 十 九
て参 り ま し た 。之 を代 表 す るも のは軍 事 課 の意 見 であ りま す 。
機 では な い。引 下っ て 日露 戦 争 を 起 さ な いが宜 し い声 が段 々高 まっ
を適 当 と考 へ伝 宣 を 差 控 へて居っ た次 第 で あり ま す 。
他若 干 の部 隊 を間 島 県 より 転 用増 援 す る外 、八 月 十 日 大 本営 直 轄 と
む ると いふ事 が果 し て適 当 な る処 置 であ る か 、之 が敵 側 に与 ふる感
当 事 者 の脳 裡 には 日本 軍 を奉 勅 命 令 を 以 て戦 闘 中 の軍 隊 を 退 却 せ し
あ るを 予 期 し て起 案 せ ら れ た命 令 であっ た ので あ りま す 。 但 し 作戦
な る場 合 には 止 む な く責 を中 央 に て負 う て 日本 軍 を撤 退 せし む る事
即 ち張 鼓 峯 の専 守 防 禦 は無 意 義 であ る と の議 論 から 戦 況愈々 不利
論 を 持 出 し て来 た ので あ り ます 。
斯 く し て陸 軍 省 方 面 から 課 長 は 課長 に課 員 は課 員 に猛 烈 な る撤 兵
師 団 の臨 時 動 員 を令 し 所 要 の部隊 と共 に重 砲 、 高 射 砲 、 列車 砲 其 の
し て婁 に南 満 に待 機 せし め て居 り ま し た第 百 四師 団 を琿 春 以 西 の間 島 省 地 区 に進 め て間 接 的 に琿 春 正面 よ り敵 を牽 制 す ると 共 に事 態 万 一の悪 化 に備 ふ る準 備 を 致 し 又関 東 軍 は其 の他 の判 断 に基 き ﹁ハル
八月五日 ﹁ 朝 鮮 軍 部 隊 の原 駐 地 撤 収 に関 す る命 令 ﹂ の内容 は
ピ ン﹂牡 丹 江附 近 の兵 力 を逐 次綏 紛 河 、東 寧 に集 めた の であ り ま す 。
朝 鮮軍 司令 官 ハ張 鼓 峯 沙 草峯 附 近 ヲ占 拠 セ ル兵 力 ヲ時機 ヲ観 テ 豆 満 江右 岸 地区 ニ集 結 シ次 テ逐 次原 駐 地 ニ帰 還 セ シ ム へシ
尚 暫 く 中 央 に於 て莫 斯 科 の情 勢 を見 定 め る を 至当 とす る意 見 であ り
律 す ベき 参 謀総 長 指 示 の御 委 任 を受 け 近 く 現 地 に出 発 す べき 部長 は
と の判断 を し て居 ら れま した ので 、其 の伝 宣 特 に撤 収 開 始 の細 部 を
は作 戦 課 の若 い部 員 達 で あり ま す 。部 長 は尚 外 交 折 衝 の見 込 み あ り
へが深刻 に脳 裡 に あっ た の であ り まし て、 其 の意 見 を 代表 す る も の
九 師 団 の大 部 を犠 牲 にす る共 、断 じ て張 鼓 峯 を放 棄 す べ か らざ る考
作 延 いて は 日 ﹁ソ﹂ 今 後 の政 局 に及 す 影 響 等 を考 ふ る時 に従 ひ第 十
依然大本営直轄 の総予備 の儘単 に其 の待機 位置を東方正面 に近く変
第百四師団 の移動 は示威的行為 にし て未だ作戦任務 を課す るに非ず、
又 万々 一隣接 地域 に紛争 の波及す る場合 には之 に応 じ得 る為素 より
攻勢を緩 和する上延 いては外交折衝 の有利 なる進展 を支援す るを得、
移動せしむる時 は、其 の戦略態勢 の不利 により戦 はず して敵 の反撃
あり満洲国 に待機し ある第百四師団 を此 の際琿春 、延吉間 の地域 に
転じて無言 の脅威を与 ふる に聯繋し て、曩 に大本営直轄 の総予備 で
は飽く迄彼 の弱点 であ ります。そ こで関東軍 は共 の主力 を東方正面
︹マ マ ︺
ま し た の で、 其 の命令 は逐 に其 の儘 伝 宜 を 引 延 ば し 十 一日停 戦 協 定
な る地歩 を占 めむ と の底 意 に出 づ る も の と推 断 す べし 。 即 ち初 め
縊り居 る証 左 な ると 共 に、 他面 飽 く 迄 現 地 に於 て外 交 々渉 に有 利
拗 に反撃 を試 む る は 一面 真劔 な る全 面 戦 の起 る公 算 な し と し て見
八月十日夜現 地に派遣 してあった露 班山本 中佐 及寺 田大佐帰京致し
闘中止論 を唱 へ作戦課 に屡々忠言 を呈せられて居 るのであります。
特 に陸軍省 の軍事課並 に参謀本部第三部 編成課 は全員挙っ て即時戦
を命令す るの止む を得ざ るを覚悟 する様 な状況 となって参りました。
して、中央 に於 ては (作戦課長及 一部課員 を除く)態勢 は或は撤 退
当時戦場 より頻 々とし て到着す る戦況報告 は漸次悲観的 でありま
ことなく直ち に帰京し度﹂意味 の事 を申し て参 りました。
ありまし て ﹁重要な る意見具申 あり茲に連絡幕僚とし て現地に留 る
戦 況判断 を報告すベき任務 を電報命令 せら れ折返し同官 より返電 が
に、自今大本営派遣幕僚 として現地部隊 の連絡 に任じ適時戦況 並に
更す るも ので八月十 日調査任務を以 て現地 に出張 中 の寺 田雅雄大佐
大 本 営 の直 轄 た る第 百 四師 団 を琿 春 方 面 に移 動 す る に関 す る大 本
成 立 直 後 に発 せ ら れ た次 第 であ り ま し た 。
張 鼓 峯 及 沙 草峯 正 面 に於 け る国 境 紛 争 其 の後 の推 移 を見 れば 外
営 の当 時 の判断 は 次 の様 で あ りま す 。
交 々渉 の遅 々た る進 捗 に反 し現 地 に於 け る敵 は 反復 執 拗 に攻 撃 し
よ り事 を起 し た現 地 部 隊 は飽 く迄 日本 軍 隊 を撃 退 し て其 の面 目 立
まし て先づ山本 中佐戦 況報告 がありました が其 の判決 は
来 る状 況 な り ﹁ソ﹂ 側 が 戦略 上甚 だ 不利 な る地 点 に於 て斯 く迄 執
場 を 保持 せ ん と し 、無 暴 な る反撃 を敢 て し莫 斯 科 交 渉 が希 望 の方
との事 で之 に引続 いて寺田大 佐は関係課長以上部長次長 の在席 を求
も楽観的なり
て其 の戦闘力も大 したる ことなし 一般 の戦況は寧ろ電報報告 より
﹁ソ﹂軍 は執拗 に反復攻撃し来 るも其 の攻撃 法は寧ろ拙劣 にし
向 に向 ひ つゝ も尚 遅 々た る に現 地 ﹁ソ﹂ 軍 の無 暴 な反 撃 を 認 容 し 外 交 々渉 の有 利 な る転 回 を期 待 し あ る や に推 察 す べし 。 真 劔 な る全 面戦 の意 図 なし と 見 ら るゝ 彼 が 現 地 に反 復 攻 撃 を 企 図 す る に当 り最 も 苦痛 と す る のは東 寧 、 琿 春 よ り す る側 面 の脅 威 で あ り ます 。 彼 は沿 海 州 兵 団 の主 力 を 之 に備 ふ ると雖 も戦 略 態 勢 の不 利
な る意 見 具申 を致 され ま し た 。其 の夜 部長 課 長 は此 の意 見 具申 に基
め、 其 の他 一切 の部 員 を 遠ざ け た後 直 接 次長 に対 し即 時 撤 退 の熱 心
宣 せら れた る後 参 謀 総 長 は作 戦 部長 を現 地 に派遣 し て別紙 の如 く 指
結 局 御 裁 可 を得 た の は午 後 三時 で、 此 の戦 闘停 止 に関 す る 大命 を伝
あ りま す 。 此 の間 東 京 と の間 に暗 号 電 報 の往 復 が必 要 であ り まし て
示
き研 究 し 尚迷 は れた の であ り ます が作 戦課 少壮 部 員 の強 硬 な る具 申
莫 斯 科 協 定 ノ要 旨
要 ナ ル事 項 ノ処 理 ニ任 ス へシ
朝 鮮 軍 司令 官 ハ別 紙 莫 斯 科協 定 ニ ヨリ現 地 ニ於 ケ ル軍 ト シテ必
指
示 せら れ た の であ り ます 。
斯 く し て此 の日夜 の時 刻莫 斯 科 の停 戦 が成 立致 し ま し た ので あ り
(撤 収 不適 当 ) に依っ て尚 一夜 考 ふ る事 と し て散 会 致 し ま し た 。
ます 十 一日朝 先 づ電 話 を 以 て課 長 よ り朝 鮮軍 に対 し 本 日 正午 を期 し 戦 闘 行動 を停 止 す る こと に交 渉 成 立 せ る模 様 な
一、 十 一日 正午 ( ﹁ソ﹂ 側 沿海 州時 間 ) (日 本時 間 午 後 一時 ) 双方
り。就 ては正 午 を 期 し 敵 の突 入 なき 限 り 一切 の作 戦 を 停 止 せ し め ら れ度 。但 し敵 が莫 斯 科 の統 制 に服 せざ る場 合 の攻 撃 に備 ふ る事
と の命 令 を御 允 裁 を 仰 ぎ伝 宣 致 しま し た 。此 の伝 宜 の命令 を御 允 裁
の であ り ま す 。之 は外 交 交渉 上 日本 側 の譲歩 を意 味 す ると斯 く の如
は正 子 の線 を保 持 し 日本 軍 は其 れ よ り 一粁後 退 す る事 と なっ て ゐ る
りま す 。 之 を受 け た時 は我 々と し て奇 異 に感 じ ま し た事 は ﹁ソ﹂ 軍
此 の莫 斯 科協 定 は十 一日午前 十 一時 外電 に依っ て承 知 し た ので あ
右 協 定 ノ実 行 ハ双 方 軍 隊 ノ代 表 者 間 ニ於 ケ ル協 議 ニ付 シ タ ル事
ノ現 在 占 拠線 ノ 地点 ヲ考慮 ニ入 レタ ル モノ ナリ
﹁ソ﹂ 軍隊 ハ同 時 刻 現 在 ノ地位 ノ線 ヲ保持 ス ル コト右 ハ日本 軍
一粁 撤 収 ス ル コト
二、 日本 軍 隊 は 十 日夜 十 二時 (﹁ソ﹂ 側 沿 海 州時 間 ) 現 在 線 ヨ リ
軍 隊 ノ戦 闘 行為 ヲ止 ム ル コト
正午 と謂 ふ も沿海 州時 間 と 日本 時 間 の間 に確 か 一時 間 の差 異 あ
特 に肝要 な り 。之 に関 す る大 命 は確 報 を得 次第 発 令 せ ら るゝ 筈 。
り と考 ふ る に就 き 此 の 一時 間 に特 に注意 せ ら れ度 。 敵 は 尚 いや が ら せ を や る事 あ るベ く厳 に警 戒 せら れ度 。 朝鮮 軍 土屋 参 謀 に電 話 を終っ た の が午前 十時 四十 分 であ り ます 。 素 よ り戦 闘 行 動 停 止 の為 に 八 月 十 一日正 午 (事 件 地時 刻 ) 以 後張 鼓峯 沙 草 峯 方面 ニ於 ケ ル
を仰 ぐ のは 一体 現 地時 間 正午 の停 戦 にし な け れば 戦 局 上第 一効 力 が
﹁ソ﹂ 軍 ト ノ戦 闘 行動 ヲ停 止 ス ヘシ
発 生 し な いの で あり ま し て、 此 の内報 を受 け た のは 既 に午 前 十 時 で
く 思 は るゝ ので あ りま す が、右 は 日本 軍 の現在 占 拠 線 の 一項 に依っ
む る為 には出 過 ぎ て居 る日本 軍 を先 づ退 か し む る こと は整 理 上必 要
は マダ〓
国 境 線 に近 寄っ て居 らな い。 従っ て国 境 線 を ハツ キ リ定
の
の処 迄 出 て居 り ﹁ソ﹂ 側
直 ち に其 の要 旨 を朝 鮮軍 に電 話 致 し ま し た が此 の短 時 間 に其 の命 令
て考 へると 明 に 日本 軍 隊 は国 境 線 ぎ り〓
の行事 の為 に横 須賀 に行 幸 中 であ り ま し た。 而 も 正午 前後 軍 艦 にお
で、 即 ち戦 闘的 の成 果 を裏書 す るも の であ り 必ず し も 日本 軍 の譲 歩
御 裁 可 を仰 ぐ 事 は素 よ り可 能 であ り ます が、 当 時恰 も海 軍 関 係
乗 り に なっ て東 京 湾北 岸 の海 軍 飛 行場 に御 出 向 になっ て居っ た の で
では な いと思 は れま し た 。私 (西村 ) は ア ツ サ リ事 を観 れば 日 本 側 に歩 が悪 く 日本 側 一粁 撤収 は素 よ り気 持 の良 い条 件 で は な いと 考 へ
ク其 ノ労 ヲ多 ト ス ルト共 ニ戦歿 英 霊 ヲ悼 ミ傷 病 ノ将兵 ヲ慰 ム
八 月 五 日以 来 懸案 の朝 鮮 軍 部 隊撤 収 の奉 勅 命 令 を 伝 宣 し、 之 が細
と の参 謀 総 長 電 を発 せ ら れ た の であ り ます 。
部 の指 導 の為 橋 本 少将 外 関 係 幕 僚 を 現 地 に派 遣 せ ら れ逐 次 現 地協 定
た次 第 であ り ます が、 前 日 の如 き中 央 部 の空 気 であ り まし た の で斯 う いふ問 題 を文 句 を 言 ふ程 でも な いとし て全 面 的 に之 を容 認 し た の
成 立 を以 て兵 力 を原 状 に復 帰 す る処 置 を取っ た の であ りま す 。
七 月十 日よ り 約 一ケ月 間 漢 口作戦 ノ集 中 真 最 中 に於 て対 ﹁ソ﹂ 正
であっ て、 上 下 ホ ツと し た形 であ り ます 。 所 が其 の日夕 刻 到着 し た
面 に斯 様 な問 題 が起 た事 は甚 だ中 央 統 帥 部 を し て 一時 不 安 に襲 は れ
電 報 は 此 の 日本 軍 の 一粁 撤 収 の項 を削 除 し て両軍 共 に十 日 正 子 の線 を保 持す る こと に修 正 し た公電 が到 着 し た の であ り ます 。 此 の事 情
し め た の であ り ます 。
御稜 威 の效 す所 克 く 難 関 を突 破 し得 て爾 後 一意 専 心且 明 朗 の気 分
は後 になっ て解っ た こと であ り ます が ﹁リ トヴ イ ノ フ﹂ 外 相 と 重光
﹁ソ﹂ 威 力 偵察 を終 て其 の立 つ能 はざ るを 感 知 し得 た後 であっ た か
を 以 て漢 口作戦 即 ち対 ﹁ソ﹂作 戦 に専 念 す る事 を 得 た の で蓋 し 対
大使 と の間 に明 に 一粁 撤 収 の第 一案 を以 て準 決定 案 とし た 由 であ り ま し た が、 若 干 時間 の後 改 め て第 二案 の修 正 案 を先 方 より提 議 し来
︹ 註︺ 西村敏雄 昭和四年陸大卒。昭和十 一年十 二月 より十三年十 二月ま で参謀本部作戦課勤務。( 少佐) 。
ら であ りま す 。
った の であ り ま し て此 の修 正 は ﹁リ トヴ イ ノ フ﹂ 以上 の者 即 ち ﹁ス タ ーリ ン﹂ 若 く は其 の側 近 ﹁ポ リ 卜ヴ ユ ロー﹂等 に依っ て改 め て し た ので あり ま し て 、之 に依っ て観 れば 莫 斯 科 中枢 部 が日 ﹁ソ﹂ 全 面 戦 の開 始 に之 以 上事 件 の拡 大 を希 望 せざ る 現 れ とし 求 め て譲 歩 し た も のと判 断 し 得 る の で あり ま す。 斯 様 な 最後 の土壇 揚 に於 て 明確 に謂 へば も う 一日莫斯 科 が頑 張 れ ば或 は東 京 は自 主 的 撤 収 の処 置 に出 でた様 な気 分 になっ て居っ た か も知 れ ま せ ん 、自 主 的 撤収 と謂 へば誠 に気 の済 む 言 葉 で あ りま す が
斯 く し て事 は莫 斯 科 の屈 服 に依っ て 日本 国 家 、 日 本軍 の面 目 を 保
然 し 事 実 は防 禦 戦 闘 中 軍隊 への退却 命 令 で あ りま す 。
ち 得 て大 団 円 を見 る に至っ た の で参 謀 総 長 よ り朝 鮮軍 司 令 官 以 下 に
機 宜 ニ適 セ ル処 置 ニ依 り国 境 ノ警 備 ヲ完 ウ シ不拡 大 方 針 ヲ堅 持
対し
シテ困 難 ナ ル戦 闘 ヲ遂 行 シ力戦 奮 闘 能 ク皇 軍 ノ威 武 ヲ発 揮 セリ深
三
本稿 は昭和十四年 参会者
目
月
岡本 清福 大 佐 回想 録
日軍人会館 に於 て午前十時 より午後 四時
5 、同
(続 )
大
佐
8、徐 州 会 戦
7 、 南 部 山東 省 掃 滅 作戦
6、青 島 問 題
小 藤 佐
見
武漢 攻略戦 、
中
三 、所
9
星
次
一、 前
軍 の作 戦 指 導 に関 す る事 は機 密 作戦 日誌 に詳 細 認 め 且参 考 資 料 も
言
田 少 佐
言
島
二十 二分迄 の間 元第 二軍参謀岡本大佐 の口演 を筆記 したるも のなり
一、 前 二、 作 戦 指 導
一、 第 二軍 作戦 指 導 の特 質 二 、作 戦 指 導 の基 調 三、 作 戦 指 導
軍 機密 作 戦 日誌 は軍 参 謀 長 が参 謀 を指 定致 しま し て常 に記 載 を さ
綴 込 ん で あ り ます から之 に依っ て御 覧 願 ひ ます 。
参
謀
せ て居っ た の であ り ま す 。大 体 次 の様 に四人 の参謀 が之 を分 担 致 し
1、 第十 師団 津 浦 沿 線 の戦 闘
本
2、 子 牙 河附 近 の戦 闘
岡
ました。
一昨年 九 月 から 十 二 月黄 河 の渡 河 迄
3、 黄 河 北岸 の掃 蕩 作 戦 4、 黄 河渡 河作 戦
昨年 一月 より徐州会戦終迄 武漢攻略戦前半期迄 参
謀
鵜沢参 謀 ( 現 教 育 総 監 部)
田 参
謀
( 現第十 一軍参謀)
天 野 細
近作 戦 は 地形 其 のも ので はな く本 当 の敵 と戦っ た ので あ りま す 。其
以 外 は敵 より も 地 形 天候 と闘っ た と言 ひ得 ると 思 ふ ので あり ま す 。
軍 司 令 部 は 天 津出 発 以来 漢 口 に至 る迄 司 令 部 の移 駐 十 五 箇 所 、常
2 、軍 司 令 部 の新 々た る移 動
に点 々とし て居 り ま し て司 令 部 が そう で あり ま す か ら、 軍 其 のも の
武漢攻略戦後半 期 之 等 四人 が担 任 致 し て 二人 は東 京 に居 り ま す 。
の作 戦 も之 に従っ て点 々と し て色 ん な方 面 に色 ん な作 戦 をし て居 り
之 は将 来 色 々御 研究 さ れ る際 御覧 願 ひ た い。 即 ち 昨年 五月 五 日 西
ます。
書 類 の整 理 其 のも のは全 部 岡本 が致 し ま し て内 容 の取 捨 、記 述 法
尾 軍司 令 官 から 東 久邇 宮 殿 下 に変 り ま し た が、 第 二軍 と し ては 二代
3 、軍 の作 戦 指 導 は 名実 共 に参謀 長 中 心 主 義 であっ た 。
木 、 町尻 両 参 謀 長 共 に作 戦 指導 に関 し ては 一言 一句 御 覧 になっ た も
共 に参 謀 長 を 絶 対 に御 信 頼 にな り ま し て軍 司 令 官 は単 に大 綱 を 把 握
と言 ふ も のは 主 任者 其 の儘 になっ て居 な い点 も あ らう と 思 ひま す 。
のを清 書 し た上 に充 分見 ら れた ので之 が為 に内容 共 のも の に就 ては
私 が 一月 から 今 日迄 かゝっ て統 一整 理し たも ので あ りま す 。然 し鈴
参謀 長 以下 認 め た も のと御 考 へし て載 き た い。 但事 務 的 整 理 法 は 私
は約 六百 あり ま す か ら毎 日 一位 出 た形 に なっ て居 り ま す 。之 に対 し
せ ら るゝ にとゞ ま り 私 共 の起 案 致 し ま し た上 御 目 に かけ た作 戦 命 令
本 日申 上 げ ま す のは機 密 作 戦 日誌 を御 覧 になっ て御 解 り にな る事
に貴 任 が あり ま す 。
て軍 司令 官 は 一つも 御直 し になっ た事 は あ りま せん でし た 。其 の代
何 よ り も先 づ 電 報 を握 る事 が参 謀部 の事 務 的 統 制 上 非常 に良 いと 思 ︹ 率道︺ ふ ので あ りま す 。中 にも第 一代 の鈴 木 少 将 は参 謀 長 室 を作 らな い で ︹ 量基︺ 始 終参 謀 室 に居 ら れ ま し た。 町 尻少 将 は別 室 を作 ら れ ま し た が参 謀
む を得 な い時 は御 同意 を得 て其 の他 は翌 朝 見 せ る様 に致 し まし た。
到 著 し た電 報 も 必ず 参 謀 長 に御見 せ し夜 寝 ねら れ て居 る時 は 万 止
結 局 電 報 さ へ握っ て居 れば 参 謀長 の意 図 外 の事 は出 来 ま せ ん。
ま し た 。(御 承 知 の通各 課 高 級 参謀 は夫々 発 信 権 を持っ て居 ます )
し ま し て私 共 参 謀 部 の者 の発 信 す る電 報 は全 部 参 謀 長 の承 認 を受 け
そ こで参 謀 長 中 心 主義 と漠 然 と申 し ま し て も其 の事実 的 手 段 と 致
り 参謀 長 以下 でし つか り練っ た ので あ り ます 。
は別 に御 説 明 を避 け ま し て其 の他 の補 足 事 項 を申 上げ 様 と 思 ひ ま す。 何 れ も私 個 人 の私 見 に過 ぎ ま せ ん か ら此 の点 特 に御 断 はり 致 し ま す。
二、 作 戦 指 導 大 体 の経過 を追 ふ て御 説 明申 上げ ま す 。 一、第 二軍 作 戦指 導 の特 質
之 は 他 の軍 に於 ても同 様 であ り ま す が特 に第 二 軍 に多 かっ た 様 に
1 、始 終 地 形 天 候 と 闘 ひし 事
存 じ ま す 。但 一部 例 外 は御 承 知 の通山 東 省 内 部掃 蕩 作 戦 及臺 児 荘附
闘 で あり ま す 。之 は相 当苦 心 を し て然 も健 闘 をし て戦 果 の多 かっ た
之 は軍 の支作 戦 方 而 で第 十師 団 の若 干 本 田支 隊 を 以 て遂 行 し た戦
戦 だっ たと 思 ひ ます 。 之 に対 し て軍 と 致 し まし て主 作戦 を西 方 にと
室 に来 て居 ら れま し た 。 4 、第 二軍 司 令 部 と直 上司 令 部 の意 思 の疎 通 は作 戦 指 導 に就 ては非
り ま し た。 斯 く し て作 戦 の進 捗 を図 りま し た ので支 隊 は 独力 で頗 る
常 に良好 で御 座 いま し た 。 方 面軍 、派 遣 軍 の意 図 外 の事 は 一回 もな かっ た と考 へて居 り ます 。
大 体 敵 の陣 地 は非 常 に堅固 で あ りま し て滄 州 は 河 北省 に於 け る其
苦 心 した の であ りま す 。
の第 一線 で、第 一軍 方面 の〓州 の線 と 一線 を なし て居 り ます 。 次 が
には 公平 中 佐 (同 じ く作 戦 課 に て仕 事 をし て居 り ま し た) で電 話 や
人 的配 置 も方 面 軍 作 戦 課 に は下 山大 佐 、 寺 田 中 佐 ( 後 課 長 )中 支 軍
電 報 や 又行っ て話 を し て も解 り が早 い。 そ ん な具 合 で意 思 の疎 通 が
滞 し 更 に黄 河 の水 の氾濫 に依っ て作戦 行 動 を阻 害 し て全 く機 動 を妨
当 時 は御 承知 の如 く 一昨 年 は 八 、 九 月 の候 に非 常 な降 雨 で雨量 停
保 定 の線 次 が石 家 荘 、徳 縣 の線 であ り ま す。
げ 或 る方面 に於 ては兵 が戦 闘 中 溺 死 し て居 る ので あ りま す 。
従 ひ ま し て作命 も先 づ方 面 軍 の指 示 を受 け る と言 ふ様 に充 分出 来
好 都合 で あっ た と 思 ひ ます 。
て居 り ます 。 最後 の武 漢 攻 略 の時 は殆 んど 一字 一句 迄 事 前 によく 相
そ れ が為 に車 輌 が動 かな い。 砲 兵 の展 開 が出 来 な い の で大 変 に苦
で歩 いた位 であ り ま す。
之 は 別 です が天 津 の飛 行 場 は 水 が出 て飛 行機 と 飛行 機 と の間 を舟
談 し ま し て第 二軍 は派 遣 軍 の意 思 を尊 重 し派 遣 軍 は第 二軍 の意 思 を 克 く容 れ て呉 れ ま し た 。 二 、作 戦 指 導 の基 調 第 二軍 作 戦指 導 の根 本 思 想 は 一昨 年 九 月 九 日軍 司 令 官 が天 津 到 着 と 共 に出 され た 訓 示 に尽 き て居 ます (機 密作 戦 日誌 に あ り ま す )。
の であ り ます 。 今 日 から 見 ま す と 当初 は第 十師 団 だけ で九月 十 二日
心 致 し ま し た。 氾 濫 し て地 形 は悪 いの で砲 兵 の使 用 が充 分出 来 な い
を取 りま す が、 此 の至 る所 を克 く突 破 し 得 た も の と思 ひ ます が只 今
馬 廠 を と り 二十 四 日 には滄 縣 を取 り十 月 三 日 に は追 撃 の余勢 で徳 縣
之 は鈴 木 参 謀長 自 ら記 述 せら れ た も の で御座 いま し て之 以外 は多 く は参 謀 長 自 ら筆 を とら れた も のはあ り ま せ ん。 当時 私 は軍 司 令 官 を
石 家 荘 、〓 陽 河 附 近 の戦 闘 の下 流 で此 の子 牙 河 、〓 陽 河 附 近 の戦
2 、子 牙 河附 近 の戦 闘
た様 で今迄 に死傷 は 一万 四千 を下 ら な いと私 は思 ふ ので あり ま す 。
第 十 師 団 は 其 の後 も徐 州戦 又 は漢 口戦 共第 二軍 と 致 し て も苦 心 し
二 、〇〇〇 合 計約 二、 七 五 〇 の死 傷 を出 し た事 にな り ま す。
日 か ら見 ま し て死 傷 が多 い様 で あ りま す 。 即 ち戦 死 が 七 五〇 戦 傷 約
大 連 に御 迎 へし て御 承 認 を受 け た の であ り ます 。 第 二代 町 尻参 謀 長 は 書 類 で は つき り指 示 し たも のは御 座 いま せ ん が 、意 思 は よ く似 て居 ら れ ます 。此 の訓 示 を以 て第 二軍 作 戦 指 導 の 全 般 の基 調 の考 へであ り ます 。 作 戦 の終 はり ま し た今 日 も何 等 之 に
三 、作 戦 指 導
背 馳 す る事 は な かっ た と 思 ひま す 。
1 、 第 十師 団 津 浦 沿線 の戦 闘
研究 し参 謀 長 は 一人 で地 図 を見 て考 へて居 ら れま す 。数 日 の後 此 の
を進 む事 で此 の発案 は鈴 木参 謀 長 であ り ま す 。私 共 は 九 月 一日以 来
思 ひ ます 。 普 通 誰 し も の考 は第 一軍 は京漢 沿線 、 第 二軍 は津 浦 沿 線
の河 を利 用 し て軍 の主 作戦 を導 く と言 ふ事 は非 常 な 問題 が あっ たと
は今 日 から 考 へます と軍 司令 部 は九 月 初 天津 に居 り ま し て此 の 一本
工兵 中隊 を第 十 六師 団 に配 属 し ま し た 。
出 来 ま せ ん が私 共 は 之 を機 動 船 隊 と 名 付 け第 五碇 泊 場 司令 部 の独 立
敵 が居っ て も停 滞 し てし まう 。 斯 様 に思 ふ様 に活 発 に移動 す る事 が
は不 明 で堤防 が見 え な いで操 縦 が難 か し い。 そう し てチ ヨツ トし た
整 へて動 いて居 ます 。 共 の間 砂 が入っ て発 動 機 が皆 傷 ん で了 ひ水 路
銃 一大基 幹 ) は長 い のは 一回百 粁 の距 離 を発 動 艇 、折 畳舟 が隊 伍 を
此 の戦 闘 の成 果 は 敵 が第 一軍 の総追 撃 の為 に全 面 的 に退 却 をし て
案 で行 かう と 示 さ れ た も の であ りま す 。 当時 河 に関 す る資 料 も少 い
そ こ に軍 が行っ たと 言 ふ事 に なっ た と 思 ふ ので あり ま す 。 そ こで諸
ので此 の河 を 行っ て軍 が水中 に入っ て行 く 心配 を幕 僚中 に も持っ て 居 る者 があっ た ので あ りま す 。之 を思 切っ て行 は れた のは鈴 木 参 謀
隊 は意 外 に進 ん で上 陸後 馬 も来 な い の で旅 団長 以 下 徒歩 で山 砲 も機
所 で追 撃 戦 闘 を やっ た ので あ りま す 。 此 の第 十 六 師 団 の船 の前 進 部
最 初 子牙 河 を 利用 す る軍 は保 定 の方 へ出 て行 く 。 第 一軍 は九 月 十
長 の鞏固 な る意 志 の力 であっ た と思 ふ ので あ りま す 。
四 日永 定 河 を 渡っ て前 進 を 初 め て石 家 荘 、〓 陽 河 の方 へ進 ん で行 く
関 銃 も か つい で行 く の で部 隊 の行動 は仲 々思 ふ様 に行 か な い。 部 隊 ︹ 今朝吾︺ で陸 上 を行 く が第 十 六師 団長 中 島 閣 下 は舟 で行 かれ て御自 身 で先 行
る為 に は舟 を集 む ると 言 ふ事 に着 目 し て天 津 附 近 所在 のも のゝ 軍 用
干 輌 だけ し か 通 れ な い の で結 局舟 で行 く外 は な い従っ て河 を利 用 す
扨 舟 で此 の河 を利 用 し な け れば な り ま せ ん 。河 の堤防 は輜 重 車 若
線 だけ で も多 々あり ま し て、 進 ん で 上陸 す る と兵 が居 る ので我 軍 が
旅 団長 を激 励 し て居 ら れ ます 。 本師 団長 の勇 猛 果 敢 振 は此 の津 浦 沿
緒 に寧 晋 に入っ た ので あ りま す 。 そ し て次 々に進 ん で居 る聯 隊 長 や
指 導 せ ら れ師 団 司 令部 は後 の方 を行っ た の で師 団 長 は 早 い部 隊 と 一
訳 で御 座 いま す 。
舟 艇 を集 む る は勿 論 、 人 を大 連 、營 口、哈 爾 賓 附 近 に派 遣 致 し ま し
が軍 か敵 か わ か らむ も のと思っ て最初 は 日本 の進 軍喇叭 を吹 い て見
其 処 へ行っ たも のと 思っ て居 ると 上 る と共 に射 撃 を う け た 。之 は我
た が駄 目 だ今 度 は鵜 澤 参謀 が君 ケ代 を 吹 か せ た が吹 け ば 吹 く程 弾 丸
て小 蒸 気 は汽 車 で運 搬 し 又 工兵 廠 で船 大 工 を集 め て急 に木 船 を 作 る
が来 る 。師 団 長 以 下 司 令部 非 常 な危 機 に会 し て師 団 長 以 下皆 腰 迄 水
と言 ふ具 合 であ りま し た 。大 小発 動 艇 、鉄 舟 、渡 河材 料 、 折 畳 式 小 蒸 気 船 、 発動 機 船 等 種 類合 計 十 種 類 許 のも のを集 め ま し て此 の河 で
進 ん で居 る中 に友 軍 部隊 が進 ん で来 た様 な事 も あ
に浸 り チ ヤブ〓
3 、黄 河 北岸 の掃 蕩 作 戦
以 上 か ら し て湖 江 作 戦 は先 づ 船 を 集 む る事 が大 切 であ り ます 。
りま し た 。
一番 多 かっ た時 は一三 四 五隻 もあ り ま し た 。其 の後 も第 一線 の機 動
第 十 六 師 団 が石 家 荘 南 方 へ出 て〓 陽 河本 流 を渡 河 す る為 に道 路 を
に大 小 発 動艇 、折 畳 舟 を使 用 致 し ま し た。
二日 夜 から中 旬 頃 迄 に師団 司 令 部 、 旅 団司 令 部 ( 歩 四大 、 独 立 機 関
歩 き まし た が道 が悪 く て仲 々進 め な い ので百 隻 許 の舟 を集 め て十 月
子牙 河 、〓 陽 河 の線 に方 面 軍 の岡 部 参 謀 長 の戦闘 司 令 所 、 第百 九
以 下幾 度 か匙 を 投 げ様 とし た 地 形 を突 破 し て第 十師 団 の分 迄黄 河 の
座 いま し た が、 小 沼中 佐 は旅 団 長 に対 し て名 参 謀振 を発 揮 し 旅団 長
方 警 備 に就 い て居 り ま し た 。此 の頃 色 々な評 判 があ り ま し て、 も う
当時 第 十師 団 及第 百 九師 団 の本 川旅 団 (歩 兵 一聯 隊基 幹 ) 之 が後
戦 争 す れ ば戦 争 す る程 年 が若 く なっ て行 き 現 役 部隊 は逐 次 年 が いっ
立 派 に働 き得 る と思 ふ ので あり ます 。茲 に面 白 い現 象 は特 設 部 隊 は
だ から強 いと言 ふだ け で はな く 其 の指 揮 官 、 幕 僚 に人 を得 て始 め て
原 因 が あ る と思 ひ ま す が、 之 は 私 は東 北 の兵 だ から強 い、 金 沢 の兵
二 つ共 特 設 師 団 でも 予想 外 に強 いと 思 ふ の であ り ます 。之 に は色 々
私 共 は特 設 師 団 中武 漢 攻 略 戦 の第 十 三師 団 を 連想 し ます が、 此 の
渡 河点 を取 り ま し た。
師 団 、第 十 六 師 団 と集っ て両 師 団 を どう す る かと言 ふ事 にな り ま し たが 之 は自 然 に解 消 し ま し た。 そ れ は第 十 六 師 団 は中 支 に転 用 し第 百九 師 団 は 山 西省 に進 み始 め
第 二軍 は用 が な い から 山 西 方面 に移 す のだ と言 ふ者 も あ り まし た 。
て後 には 両方 同 じ様 にな る と言 ふ事 であ り ます 。勿 論 装備 は悪 く あ
た から で あ り ます 。
を や ると言 ふ者 も あり ま し た 。
髯を剃 ら せ ま し た の で現役 部 隊 と少 し も変 は りま せ ん 。只 現 役 将校
り ま す が 、 そ こで漢 口進 入後 第 十 三 師 団 の或 る部 隊 は 旅団 長 以 下鬚
恰 度 第 一軍 の第 五師 団 は忻 口鎮 附 近 の戦闘 中 で あり ま す 。山 東 作 戦
其の中 に方面 軍 か ら忻 口鎮 附 近 に飛 ん で行っ て偵 察 の結 果第 十 師
は非 常 に少 く精 々聯 隊 長 、大 隊 長 一人 、中 隊 長 二人 、 機関 銃 隊 長 、
遂 には 山西 に進 む ベ き 方 面 軍 の内 命 電 も あっ た位 であ り ます 。
団 は徳 縣 にや る が黄 河 の南 に進 入す る事 は な い。 韓 復榘 の軍 が余 り
しま し た 。本 川 旅 団 は滄縣 か ら下っ て黄 河 の渡 河 点 を掴 ま へる事 に
同 じ 第 百 九師 団 であ り 乍 ら本 川 旅 団 は非 常 に評 判 が宜 し いが 、山 ︹ 重厚︺ 岡 中 将 の指揮 す る山 西 に向っ た師 団 主 力 は 方面 軍 の評 判 が 大 変 に悪
点 があ り ます 。
此 の部 隊 は大 別 山 中 の富金 山 に引 懸っ て ね ばり 気 がな いと言 ふ欠
通 信 隊 長 位 のも のであ り ます 。
し敵 の退 路 を遮 断 す る為 に之 に自 動 車 を出 来 る だ け附 け ま し た。 旅
る事 を始 め ま し た が第 十 師 団 は徳 縣 南 方 専 ら津 浦 線 に沿 はず に南 下
徳 縣 から出 て来 な い の で当時 無 論 黄 河 を渡 ら な いで只 北 岸 を掃 蕩 す
団 長 以 下自 動 車 に乗っ て進 み ま し た が特設 旅 団 の良 好 な 例 で あ り ま
いの であ り ます 。 要 す る に貴 任 観 念 の旺盛 、意 思 の強 固 、強 健 な る
体力 で あり ま す 。師 団 長 閣 下 は あ の様 な 立派 な方 で充 分働 き得 な く
す 。 之 には軍 参 謀 の小 沼 中 佐 を附 け られ ま し た 。
ち や なら む ので あり ま す 。
之 に依っ て 小沼 参 謀 は好 経 験 を し て居 り ま す が 、 此 の戦 は全 く本 川 旅 団 の独壇 場 で特 設 部 隊 の価値 を遺 憾 な く発揮 し好 適 例 を示 し て
4 、黄 河 の渡 河作 戦
ま す。
黄 河 の渡 河作 戦 は軍 と し て私 共 が方 面軍 に意 見 具 申 し た事 であ り
居 り ます 。暫 く の間 は非 常 に道 が悪 く自 動 車 が 二 、 三十 台 通 る間 は 何 でも な いが恰 度 地 面 が護謨 毬 の様 で 二百 、 三百 と通 ると 地面 が割 れ て水 が出 る変 な地 形 であ り ま し た。 塩 山 附 近 一帯 そ んな 地 形 で御
半 凍 の時 機 が ピ リ ツ卜来 な かっ た の であ り ます 。 私 共 は其 の半 凍 の
鈴 木 参 謀 長 の全 く 非 常 な卓 見 で あっ た と思 ふ の であ り ま す が 、此 の
通 れな い ので解 氷 迄黄 河 の渡 河 作 戦 は出 来 な い事 にな り ます 。 之 は
せん が所 謂 半 凍 の時 機 が 一番 困 ま り ま す。 凍っ て了 ふと重 いも のは
ます と非 常 に厄 介 で あ り ます 。 カ ン〓
に凍っ て了 へぱ問 題 あり ま
今 恰度 敵 を追 詰 め て居 り 又御 承 知 の様 に黄 河 が十 二 月 になっ て凍 り
営 の指 示 に依 る ので 、渡 河 を 許 さるゝ な らば 十 一月今 が 一番 良 い。
つま る所 黄 河 を渡 河 さ した が よ いか 、渡 河 し な いが よ い か は大本
た。
て只 此 の 一夜 の中 に渡 河 し得 て何 と か敵 の虚 を 衝 く 事 が 出 来 ま し
に保 た な いで中 程 が結 合 さ れ な い。 然 し 第 一線 だけ は 幸運 に恵 ま れ
次 第 であ り ます 。 橋 を 架 け様 と し ても 水 量多 く水 圧 の為 に橋 が真 直
れ て了 ふ 。茲 に初 め て 私 共 は参 謀 長 の予 想 せ ら れた 事 を真 に思っ た
﹁エンジ ン﹂ は止 ま る 。折 畳 舟 なん か此 の部 屋 程 の氷 塊 の為 に切 ら
出 来 ま せ ん 。氷 が流 れ て来 て舟 が とま ると そ の周 囲 が凍 り初 め る。
渡 り ま し た が夜 半 から段 々凍 り初 め て二 十 四 日夜 から は全 く渡 河 が
愈々 二十 三 日晩 にな り ます と氷 が な いか ら第 一回渡 河部 隊 は甘 く
方 に向 け て盛 に工事 をし て居 ま す 。察 す る所 敵 は何 れ の方 向 から 我
はズ ツ ト堤 防 近 く に進 ん で砲 隊 鏡 で敵 情 を視 察 し ます と、 お尻 を 此
大 体 第 一線 方面 の希 望 は師 団長 以下 強 襲 でや る と言 ふ の です 。私
り まし た 。
此 の渡 河 に就 て問 題 になっ た のは強 襲 でや る か奇 襲 でや るか で あ
時 機 でも 無 理 をす れば 渡 れ る だ らう と 思っ て居 た の であ り ま す。 参 謀 長 は体 験者 で はな い が絶 えず 此 の半 凍 の事 を言 は れ て居 り ま し た。 方面 軍 も 軍 が困 ま ると 言 ふ ので あ る から 困 ま る だ らう 、 又 私共 も参
面 軍 は大 本 営 に電 報 を打っ て 先 づ命 令 を受 け ても解 氷 以 前 には や ら
謀 長 が言 は れ る か ら何 と か 困 ま る の だら う と 思 ひ ま した 。 そ こで方
ん と言 う の であ り ます が、 方 面 軍 、大 本 営 のや る事 は ハツキ リ し な
が軍 が渡 河 す るか は解っ てゐ な いら し い。
的 に 一斉 渡 河 を す る を可 とす る考 で あ りま す 。 之 は十 一月 末 から の
何 れ にし ても 渡 河 は成 功 す る に決っ て居 る が日 が暮 れ て から 奇襲
いで軍 で は此 の半 凍 を熱 烈 に心 配 し ま した が之 は全 く鈴 木 参 謀長 の
十 二月 四日 方 面軍 か ら解 氷 前 には渡 河 せし め な い予 定 なり と の事
は 益々 砲 兵 で射 撃 し て然 る後 渡 河 せ し む る案 を堅 め 、 軍 と し ては 飽
問 題 で あ りま す が 軍 と第 一線 と の意 見 が仲 々定 ま り ま せ ん。 第 一線
考 か ら であ り ま す。
に ハツ キ リ定 ま り 、軍 は冬 営 に都 合 の好 い黄 河 河畔 徳 縣 から 黄 河 の
け れ ば渡 れま せん 。然 も其 の架 橋 は氷 の為 に手 違 ひが 生 じ て出 来 ま
第 一線 の歩 兵 だけ は渡 る事 が出 来 ま す が、 爾 余 の部隊 は架 橋 し な
の考 に因 した の であ り ます 。
く 迄奇 襲 渡 河 を堅持 し て居 りま す が之 は参 謀 長 の堅 い信 念 、 絶 対 的
間 に軍 を退 け て只渡 河 に必 要 な 部隊 、砲 兵 部 隊其 の他 の部 隊 を黄 河 近 く に残 し て十 一月 十 四 日冬 営 の配 置 に就 き ま し た。 十 七 日夜 に軍 司令 部 から電 話 で ﹁お前 等 の希 望 が叶っ た﹂ と言 ふ
殿 下御 誕 生 の 日を卜 し て行 ふ事 と し、 之 を第 一線 部 隊 に電 報 や電 話
せ ん 。而 し て第 五 師 団部 隊 は徳 州 から つめ か け て居 り ます 。 其 の時
のです 。 そ れ で早速準 備 に か かっ て其 の渡 河 日を 二 十 三 日 の皇 太 子
で通知 す る。 其 の間 十 八 日 から 二十 三 日迄 準 備期 間 が あ りま す 。
の であ り ます が、和 田 大 佐 は黄 河 の鉄 橋 を利 用 し て其 の下 流 に架 け
が と ま ら な い。 初 め 第 十 師 団 の工兵 隊 が どう し ても 架 け得 な かっ た
出 来 て残 余 の部 隊 を 渡 し ま し た 。黄 河 は 底 が動 い て居 る ので全 然 錨
和 田 工兵 聯 隊 長 の形而 上下 の努 力 に依 り ま し て、 漸 く 架橋 す る事 が
頃 と記 憶 致 しま す 。然 し第 一線 の部 隊 は10 、D 109D、12と iす を基 る幹 本
じ まし た。 斯 く し て後 方 に集 結 を終っ た のは十 二月 中 旬 十 三 、 四 日
聞 いて渡 河 点 準 備 に関 す る 工兵 部 隊 主 力 は後 方 数 里 の所 に集結 を命
夜大 本 営 か ら近 く 第 二 軍 に黄 河渡 河 を命 ぜ ら るゝ 予定 だ と言 ふ方面
川 旅 団 等 で之 等 の師 団長 各 団隊 長 を集 め て準備 を し 、十 二月 十 七 日
無 益 の損 害 は出 し た く な い。 時機 は何 時 が よ い かと言 ふ と十 一月 下
て最 後 は濟 南 を攻 撃 す る のが 一番 よ いと思 は な け れば な り ま せ ん。
て濟 南 を と る の がよ いか 、 或 は山 東 省 をと る のが よ いか第 二軍 をし
で視 る と盛 に 工事 を やっ て居 りま す 。 日 本 軍 が来 た事 を知 ら ぬ様 子
り ま し て、 其 れ に隠 れ て向 ふ の動 きが よ く見 え ます 。 そ れ で砲隊 鏡
第 一線 は敵 情 を 見 て居 ら れ まし た が良 い按 配 に此 方 側 に は堤 防 があ
法 を と るべ き かで 御座 います 。 第 一線 と 軍 司令 部 と の意 見 の間隔 で
第 一線 が黄 河 河 岸 に詰 か け て、 大 問 題 と なっ た のは如 何 な る渡 河 方
愈 二十 三 日 夜 を 期 し て部 隊 は詰 かけ ま し た。 之 よ り先 十 一月 中 旬
事 で方 面 軍 の作命 が内 地 の神 戸 に行っ た 事 が 二度 も あ り まし た 。
に名 付 け まし たが 、 此 の時 問 題 は郵 便 物 が 郵便 局 の手 違 で他 に行 く
そ し て地 名 を内 地 名 に変 へて黄 河 を 東 海 道 、渡 河 を飛 躍 と 言 ふ様
て居 り まし て、 他 の行 動 は全 部 夜 行 ひま し た 。
匿 は 昼間 に於 け る河 岸 への行 動 を止 め 渡 河 点 準備 以外 皆 後 方 に動 い
軍 で は十 八 日朝 簡単 に第 一線 に電 話 し ま し た 。敵 に 対す る企 図秘
軍 か ら電 話 が あり ま し た 。当 時 私 共 は徳 州 に居 り ま し た。
ま し た 。後 か ら考 ふ れば 何 でも な い事 で あり ま す が仲 々之 に気 が附 き ま せ ん で し た。
黄 河渡 河 に就 て私 共 は 十 一月 か ら十 二月 に かけ て大 本 営 の裁 断 に
5 、 第 二軍 黄 河 渡 河 作 戦 (続 )
よっ て急 に や る と言 はれ て も 出来 る様 に と十 二 月 下 旬 には部 隊 は黄
私 は 当時 北 支 軍 に於 て私 共 の意 見 具 申 を容 れて 下 さっ て軍 から 大
河 に詰 め か け てす ぐ 出 来 る様 に なっ た の であ り ま す 。
本営 に具 申 し た が採 用 せ ら れず 、 此 の儘 何 時 迄 も 居 て は却 て気 合 が
旬 が 一番 よ い。 十 二月 頃 から 凍 り ます が完 全 に凍 ら な いで川 の水 面
です 。 で あり ま す か ら砲 兵 で 一撃 を加 へ彼 を制 圧 し た後 か 、ら ねば
抜 け る 。 そ 乙 で私 共 の主張 し た のは戦 略 上 或 は 政略 上今 黄 河 を渡っ
は 大 概 凍っ て了 ひま す 。 此 の凍 る直 前 は仲 々困 難 で結 氷 後 と雖 も 難
軍 に於 ては 軍参 謀 が状 況 を見 ま し て敵 が 工事 を し て居 りま す が、
な ら ん と言 ふ のが10 のD 意 見 であ り ま す 。
し い。 そ れ で此 の結 氷 を最 も 心 配 し て居 た の で其 の頃 に渡 河 が出 来 な け
日本 軍 が来 た 事 を知 ら ぬ様 です 。 タ 方 は皆 が何 か貰っ て帰っ て行 く 。
れ ば結 局濟 南 は解 氷 後 た る 三 、 四月 後 でな け れ ば渡 河 は出 来 な い。 そ れ 迄待 つな らば 今 の中 にや ら し て呉 れと 言 ふ のが私 共 の希 望 であ
く 様 で あり ま す 。 そ れ で ド スンと 撃 てば敵 にす ぐ 解 る。 何 れ に し て
夜 は中 隊 の予 備隊 の位 置 で配 兵 を よく し て居 り ます が毎 日増 し て行
十 二 月 四 日黄 河 の結 氷 期前 に達 せ ら れそ う だ と の大 本 営 の意 向 を
ります。
々岸 に集っ て協 議 し ま し た が意 見 の 一致 を見 ま せ ん。 諸 隊 は逐 次詰
増 へて来 て舟 の操 縦 は意 の如 く な り ま せ ん。 河 岸 には歩 兵 、大 小行
始 め ま し た。 歩 兵 だ け は追 及 し ま し た け れ共 、 二 十 四 日夜 頃 は氷 は
李 の渡 河 部隊 、軍 直 部 隊 、 砲 兵 部隊 と乗 馬 のも のも あ り ま す 。皆 渡
も成 功 は疑 あ り ま せ ん が、 二 十 二 日 に軍司 令 部 と前 線 司 令 部 と黄 河
かけ る。 軍 は絶 対穏 密 で や り た い の で参謀 長 を第 一線 に やっ て 軍 の
橋 を 開 始 し て逐 次両 方 近 づ き ま す が真中 辺 に水 量 が加 はっ て真 直 に
二 十 五 日朝 か ら架 橋 を10 のD 須 磨 大 佐 が始 めら れま す 。 両 岸 か ら 架
河 が出 来 ま せ ん 。
って居 た の が、 之 に配兵 を し初 めま した 。 二 十 三 日鵜 澤 大 佐 が第 一
て そ れ以 上 連 結 が むつ か し い前 岸 に渡っ た のは歩 兵 と 砲 兵 の 一部 で
結 ベな い、 舟 の錨 留 が出 来 な い から であ り ます 。 中 央 が五 〇 米 開 い
二 十 二 日 から 二十 三 日 に か け て敵 は今 迄 我 に尻 を向 け て 工事 を や
考 を伝 へまし た。
線 を視 て居 ら れ ます と 敵情 に格 別 変 化 な い が所 に依 て は点 々配 兵 を
日両 大 佐 は堤 防 上 を 飛 び歩 いて渡 河点 を探 し て結 局 、和 田大 佐 の結
ら れ ま し た。 軍 兵 器 部 の横 山 大佐 と之 が対 策 を研 究 さ れ 二十 七 日 一
其 の頃5D は京 漢 沿線 に あ り ま し て、5P の和 田孝 次大 佐 が通 り かゝ
す。
す 。 前 線 の前 進 に従っ て須 磨 大 佐 は其 の儘 工兵 隊 を連 れ て進 ま れま
二十 六日 頃 にな り ま す と 、 此 の部 屋 位 (八畳 ) の氷 が流 れ て来 ま
諸 行 李 以 下 大 部 分残っ て居 り まし た。
し て居 り ます 。 軍 は依 然今 迄 の方 針 通 遂 行 し た いと思 ひ、 師 団 は 師
です 。
団 で自 分 の思 ふ様 に やり た いと思 ひ ます 。 敵 は薄 々感 付 いて居 る様
十 二 時 過師 団 作 戦 主 任 か ら愈々 今 夜 にな るが ど う す る か と の電 報 です が、 軍 の方 針 に は変 化 あ り ま せ ん。 軍 の方 針 通 決 行 す る に決 し
論 は 現在 地点 は架 橋 至 難 だ と 書 ふ事 で あ り まし た 。 先 づ和 田大 佐 は
日 の暮 るゝ迄 は 一切舟 を出 さ な い。 ﹁エ ンジ ン﹂ の始 動 も や ら ん。
なっ ても 火 が使 は れ な い の で対岸 が 見 え な い。 ﹁エンジ ン﹂ は只 一
只 仕 方 のな い のは犬 で 日中 には犬 殺 の薬 を求 め て犬 殺 を や る。 夜 に
木 で流 氷 止 を作っ た が止 ま ら な い。尚 困難 な のは錨 が留 ま ら な い。
そ の為 に部 隊 を横 滑 に移 動 さ せな け れば な り ま せ ん。
軍 司 令 官 も そ の具申 を容 れ て渡 河 点 を 変 更す る こ と にな り ま し た 。
ら相 当 の自 信 が な け れば 引 受 け ら れな い。
橋 の脚 を利 用 し やう と具 申 しま し た 。結 局 一度 失 敗 し て居 る のだ か
そ こ で和 田 大佐 は第 二案 とし て軍 が 思 切 る な らば 敵 の破 壊 し た鉄
来 る 水 の速 さ は早 い。
之 は 黄 河 の底 は砂 が動 い て居 る ら し い ので あり ま す 。 そ れ に流 氷 が
回 か け てお く 。 そ し て総 べ て の準 備 を午 後 八時 迄 に終っ て八 時 を期
第 一回 の渡 河 は 三分 乃至 十 分 を要 し て各 方面 共 に大 成 功 でし た が 、
し て 一整 に出 発 す る こと に し まし た 。
困 る のは水 が減 じ て来 る こと で浅 瀬 が出 る。選 ん だ渡 河点 も 悪 く な る。 斯 く し て殆 んど敵 の不意 を襲 ふ事 が出 来 ま し た 。為 に敵 の第 一線 は撃っ た も の があ り ま せ ん 。軍 師 団 全 体 を 通 し て数 名 許 の死 傷 を 出 し た に過 ぎ ま せん 。 敵 の後 方 は相 当 撃 ち ま し た 。 斯 く の如 く し て歩 兵 第 一線 の渡 河 は出 来 ま し た が、氷 が流 れ て来
十 二 月 三十 一日夜 迄 に集 中 を 終 り ま し た。
と の事 でし た 。私 共 は濟 南 に参 り ま し て其 の時 は陸 戦 隊 も國 崎 支 隊
七 日 に國崎 支 隊 は大 連 に上 り汽 車 に濟南 に向 ふ 。 八日 にな り ます
島 に向っ て進 み つゝ あ り ます 。
地 歩 を占 め う と言 ふ電 報 が あ りま し て、第 五 師団 部 隊 は濟南 か ら青
月 四 日方 面 軍 命 令 で第 五師 団 の主 力 を 配 属 す る か ら速 に青 島 に 近 く
も青 島 には 上 ら な い。換 言 す れば 第 二 軍 が青 島 を と ると言 ふの で 一
流 れ て来 る。
三 十 一日 か ら和 田大 佐 は5P 、後 備 工兵 、 独 立 工兵 中 隊 で架 け渡 し ま し た 。午 後 八時 流 氷 は どん〓 明 け て 元 日 の午 前 六 時 全 部 隊 で架 け渡 し ま し た。 敵 の落 し た鉄 橋 の桁 の向 ふを流 氷 が流 れ て来 る のを鉄 舟 の舳 に立っ て居 る工 兵 が落
と方 面 軍 電 報 で中央 部 か ら の電 報 で海 軍 は 第 五師 団 が青 島 の西 方 に
し てや り ま す 。部 隊 全 部 が渡 り 終 ふ る に 三 日 かゝ り ま し た 。逐 次 軍 橋 が緩 ん で両側 の岸 が崩 れま す 。道 路 修 理 に 三 日間 かゝ り ま し た 。
で第 二軍 は速 進 せ よ と の事 で あり ま す 。
当 時 の状 況 は 濟南 か ら青 島 迄 百 里 あ り ま し て第 一線 から 師 団長 迄
来 た時 に陸 軍 に先 だっ て上 る かも 知 れ ん と 言 ふ ので あり ま す 。 そ れ
五十 里 か らあ り ま す 。斯 く し て陸 戦 隊 は 十 日 國崎 支 隊 は十 四 日 に 上
御 承 知 の様 に軍 橋 は連 続 同 方 向 に渡 る も ので は あ りま せん 。 交 互 に
結 果 から 見 れ ば何 だ桁 を利 用 す る のな ら何 で も な い で はな いか と
り陸 上 部 隊 は 十 八 、 九 日頃 初 め て青 島 に入っ た状 況 で あり ま す 。
渡 る ので あ り ます 。
申 しま せう が 、 他 人 の失 敗 の後 を受 け て現 地 を 一度 も見 ら れた事 の
新 聞 記 者 が やっ て来 た が、 非 常 な権 幕 で漸 く渡 れ る様 になっ て も
島 を や ると言 ふな ら海 軍 に思 ふ様 にや ら せ 、 陸 軍 は別 の方 面 に や る
東 京 へ紛 糾 せ ぬ様留 意 さ れ度 と申 し て居 ら れ ます 。 そし て海 軍 が青
の際 海 軍 と紛 糾 す る のは いか んと 言 ふ の で電 報 に て方 面 軍 を 通 し て
何 し ろ 鈴 木 参 謀長 は 以前 か ら海 軍 と 折 衝 し て居 ら れま す ので 、 此
な い和 田大 佐 が成 功 さ れ た のは 大 佐 の精 神 力 に あ る と私 共 は 感激 致 し ま し た 。 軍 刀 を抜 い て兵 の脊 中 を な ぐっ て居 ら れ た事 が思 出 さ れ
渡 初 も やら ず 、 写真 を も撮 ら せら れ な かっ た ので、 余 り 有 名 に な り
事 とし 、 今度 は 海 軍 に や ら せ て宜 い では な いか と具 体 的 意 見 具申 を
ます。
ま せん でし た。
があ り ま し た ので 、従っ て上陸 後 も
そ れ で色 々と折 衷案 を出 し た が纏 ま ら な い。 そ こで陸 軍 は思 ふ 通 り
部 海 軍 が押 さ へて居 る ので陸 軍 の必 要 な所 を と る に も仲 々難 し い。
紛 糾 を極 め ま し た 。要 す る に陸 軍 が青 島 に着 いた時 は そ の要 点 は全
り まし て、爾 後 約 三 月 中旬 迄 海 軍 と 折 衝 し ま し た が、 難 し く なっ て
其 の処 理 に就 い て紛 糾 し参 謀 長 は 二、 三 の参 謀 を引 連 れ て青島 に参
と ころ が上陸 時機 に ゴ タ〓
致 しま し た 。
(イ) 青 島 処 理問 題 の紛 糾
6、青 島 問 題
青 島 上 陸 問題 は黄 河 の渡 河 中 に私 共 は大 本 営 の意 図 を聴 き ま し て 、
て居 り ま し て中 佐 は
共 の初 は 十 二 月 二十 三 日黄 河 を 渡 る際 大本 営 の有 末 中 佐 が黄 河 に来
一月 十 日頃 海 軍 陸 戦 隊 と第 五 師 団 の國 崎 支 隊 と を以 て青 島 に作 戦す
にや る と自 然 に相 争 ふ事 になっ て誠 に遺 憾 であっ た と思 ふ の であ り ま す 。私 が内 地 に帰 りま す と ﹁ 第 二軍 は青 島 に行っ て余 計 な 我 を張 る から紛 糾 す る のだ ﹂ と お 叱 り を受 けま し た が 、事 実 は今 申 上 げ ま
四月 五、 六 日 朝 一度 は 坂本 支 隊 長 は忻 州 への転進 を決 意 せ ら れ
児 荘 方面 に出 て沢 山 の敵 中 に這 入っ てし まっ た ので あ り ます 。
た様 で あ りま す が 、瀬 谷 支 隊 は 正 に戦 争 の真 最 中 で今 行 か れ たな
す 。 御 承 知 の如 く坂 本 支 隊 は 二月 下 旬 以後 行 動 し て居 りま す 。 一
瀬 谷 支 隊 は 元 々坂 本 支 隊 に対 す る信頼 が薄 かっ た の で あ り ま
ら乃 公 が困 ま る と言 ふ の で坂 本 支 隊 の人 は自 隊 へ帰 ら れ た様 です 。
な らば よろ し いと意 見 具申 を し て居 る ので あ り ます が、 此 処 には陸
番 始 めは21 のi 支 隊 が 二月 十 九 日膠 済 沿線〓縣 を出 発 致 し ま し が、
す る事 は よく な いか ら青 島 は海 軍 に委 せ た
軍 と し ても 全 く 期待 す る所 が多 い の で大 本 営 か ら は遠 慮 な く 必 要 の
し た様 に海 軍 と ゴ タ〓
通 り に や れと言っ て来 ます 。最 初 の宿 営 地 か ら も め初 めま し た 。
二月 二十 四 日坂 本 支 隊 と なっ て爾 後 二 月 中旬 か ら戦 闘 し て其 の間
相 当 頑 強 な敵 に会 し て損 傷 を出 し て居 り ます 。 一方 瀬 谷 支 隊 は作
が あ り まし て共 の後 漢 口 の処 理 に当っ ては細
戦 行 動 開始 が 三月 十 四 日 で其 の距 離 も異 い損 害 も少 い上 、 大 な る
此 の脊 島 のゴ タ〓
まし た の で漢 口 は穏 や か に出 来 ま し た。
密 の協 定 を 大 本営 で定 め軍 司 令 部 と出 先 軍 が定 め る と言 ふ事 に努 め
隊 が四 月 六 日主 任 務 た る忻 州 に転進 す る と言 ふ事 を 聞 いた ので 一
成 果 を も 挙 げ て は居 り ま せん 。 そ し て 元来信 頼 の薄 かっ た 坂本 支
(毫児 荘 附 近作 戦 に就 て)
7 、 南 部 山東 省 掃滅 作 戦
之 は 機密 作 戦 日誌 に私 の集 め 得 る だ け の資 料 は集 め ま し て第 一線
か ら後 方機 動 を 開 始 し て居 る ので は な い かと 言 ふ様 な 様 子 が具 体
的 に見 え まし た 。 其 処 で瀬 谷支 隊 長 は 四月 六 日十 五 時後 方機 動 を
応 思 ひ 止 ま らし た と は雖 も 、 ど う も不 安 の念 があ る。 四 月 六 日頃
さ い。結 局第 十 師 団 の瀬 谷 支 隊 と第 五師 団 の坂 本 支 隊 の三 月下 旬 か
と の当 時 の往 復 書 類 は出 来 るだ け集 め て居 りま す から 一切 を御 覧 下
ら 四 月 上 旬 に亙 る作 戦 に尽 き て居 ます 。
坂 本 支 隊 は六 日夜 か ら 七 日朝 に な ると 瀬 谷 支 隊 が退っ て居 な い。
命 じ て居 りま す 。
そ こで坂 本 支 隊 は 七 日夜 退っ て了 ふと 言 ふ事 に な り ま し た。
四 月 六 日夜 か ら後 方 機動 を開 始 し た の であ り ま す が 、之 に は色 々 の動 因 が あら う と思 ひま す け れ共 、 両 支 隊 の勢 だ と 思 ひ ます 。 当 時
以 上 申 し た事 が要 約 し た両 支 隊 の心 持 では な いか と思 ふ の であ り
ます 。 其 の間 全 く 不可 解 な も の があっ て結 局 明 に は解 ら な い の であ
瀬 谷支 隊 は10 のD 逆 瀬 川 騎 兵 大尉 、 坂 本 支 隊 は5D の奥 参 謀 が指 導 し て
坂 本 支 隊長 は 元来 の任 務 が臺 児 荘 に行 く ので は な く て忻 州 を と
居 ます が軍 と し て の判 決 は 次 の様 に思 ふ て居 り ま す 。
当 時 両 支 隊 共参 謀 は中 隊 に附 け て居っ て第 一線 部 隊 に退 却命 令 を
りま す 。
陣 地 を整 へ主 力 を集 め て来 まし た 。 そ こ へ坂本 支 隊 が出 て来 ま し
に依 り 大 体補 給 が持 続 せら れ て居 り ま し た 。弾 薬 もド ンド ン補 充 せ
下 達 さ れな い事 は あ り ま せ ん。 当 時 三 月下 旬 か ら四 月 初 旬 迄自 動 車
る の であ り ま す 。 そ し て瀬 谷 支 隊 は臺児 荘附 近 に進 出 す るや敵 は
た が 一応 敵 を 撃 退 し た な らば 、忻 州 攻撃 を す る と言 ふ事 にし て臺
が約 十 師 、彼 我 の間 合 も遠 く し て我 が 支隊 が退 却 し た の で敵 も 不審
ら れ て居 り ま す 。敵 と も余 り接 触 し て 居 らず に我 が 二旅 団 に対 し彼
最 後 の五分 間 で あ る と思 ひま す 。精 神 的 に最 後 の五 分 間 を頑 張 れ
ト ス ル所 ナ リ
一箇 師半 ノ敵 ト戦 へル ニ不 拘未 ダ勝 利 ヲ得 ザ ル ハ本 職 ノ真 ニ遺 憾
時 間 が かゝっ た か も知 れま せ んが其 の中 間 なら 行 け た か も知 れま せ
分 は 坊 堵 製 で 昭和 八 年 以 来 の国防 陣 地 の 一端 とし て作っ た所 で相 当
此 の臺 児荘 の町 は東 方 は囲 壁 も防 塁 も な く、 東 半 分 支 那街 の西 半
ば 勝 て たと 思 ひま す 。
視 し た様 です 。 三 日10 はD 大 運 河 以北 の敵 を掃 滅 し た 後忻 州 か ら棗 荘 に進 んだ が 、
ま し た。 そ れ で臺児 荘 は其 の為 に簡単 に取 れ る と思っ て居 た ら し い。
当 時臺 児 荘 迄 は 大運 河外 方 から 第 一線 が迂 廻 し て ソツ ト取っ て了 ひ
瀬 谷 支 隊 の任 務 は臺 児 荘 附 近 大 運 河 の要点 を取 り大 運 河 北 方 の敵 を
ん。
併 立 し て特 に 坂本 支 隊 に は小 沼参 謀 を附 け て軍 の意 図 通 グ ン〓
思 ひ ま す が 、之 を10 にD 指 揮 さ せた な ら と思 は れま せう が 、 二支 隊 を
我 が軍 は集 め る だ け の兵 力 を集 め ま し た 。之 を統 一し た ら良 いと
し て十 七 日 中央 軍 の先 頭 は瀬 谷 支 隊 と遭 遇 し て居 りま す 。
三 月 十 四 日李 宗 仁 は其 の兵 力 を瀬 谷支 隊 の方 面 に集 中 、命 令 を出
掃 減 す る にあ り ます 。 之 よ り先 此 の退却 に就 て は旅 団 長 は進 出 し て来 た師 団 参 謀長 と遭
し い が、 全 く 其 の目 的 を達 し て居 り ま せ ん 。従っ て師 団 長 は臺 児 荘
事 と思 ひま す 。其 の目 的 を達 し た な ら師 団 の意 図 通 り に退っ て も宜
摺っ て行っ た ので あ り ます 。
って ど んな 話 を さ れ た か解 ら な いが 、 其 の辺 は旅 団 長 には お解 り の
を奪 回 し な け れ ば師 団 の面 子 にかゝ は り再 攻 撃 と な り ま し た 。初 め
結 果 が そ う なっ た の で あり ま す 。此 の戦 闘 は真 当 に敵 と戦 ひま し て
摺っ て居 る ので はな い か﹂ と 申 し ま し た が、 軍 は想 像 も し な い事 で、
第 三者 は ﹁ 徐 州 を取 る のか どう か第 二軍 が徐 州会 戦 を や る為 に引
引
参 謀 長 が行っ た時 ﹁ 之 は大 変 だ 退っ た が よ か ろ l﹂ と言 ふ話 が あっ た かも知 れ ま せ んし 、 又 瀬 谷 支隊 は坂 本 支 隊 が退っ た も のと信 じ て
之 程 重 大 な も のです から 参謀 長 は師 団 長 に報 告 さ れ た と思 ひま す
退っ た も のと思 ひま す 。
徐 州東 周 ノ敵 ハ我 部 隊 ニ向 ツ テ攻 撃 約 百 米 前 進 徐 州 ハ殆 ンド ︹ 四字不明︺ 将 兵 ノ死傷 甚 ダ多 ク将 来臺 児 荘 ニ参謀 ヲ派 シ之 ヲ死 守 ス
四 月 五 日十 八時 孫 連 仲 が戦 区 司令 程 潜 に宛 てた電 報
谷 支隊 か ら の報 告 が何 と も な いの で心 配 だ が、 兵 力 がな い の で〓う
の任 務 は大 運 河 以 北 の要 点 占 領 であ り ま す が 、結 果 から見 て瀬
し た 。10D
し た 。両 支 隊 の砲 撃 は 徐州 会 戦 の緒 戦 迄 約 一万 四 、 五千 にも な り ま
敵 も砲 兵 を十 六 、 七 箇 中 隊集 め飛 行 機 で爆 撃 し気 合 を掛 け て居 り ま
ル考 ナ リ其 部 隊 ハ今 日五 日臺 児荘 ニ於 テ 一百余 名 ノ死 傷 ヲ生 セ リ
が私 共 に解 り ま せ ん。
六 日朝 十時 湯 恩 伯 の電 報
然 も臺 児 荘 附 近陣 地 は敵 の国 防 陣 地 の先 端 に昔 から 作っ た陣 地 で
も な ら ん。 恐 ら く臺 児 荘占 領 の命 令 を与 へて居 り ま せん 。 臺 児 荘附 近 ノ会 戦 ニ我 カ方 ハ十 箇 師 ノ優 勢 ナ ル兵団 ヲ以 テ僅 カ
あ り ます 。 然 し支 那 軍 の陣 地 は至 る所 に あ り、 つま り 恰 度攻 勢 の終 末 点 と言 ひま す か 此 方 の進 んだ 方 へ敵 が集っ て来 た形 になっ た の で あ り ます が、 軍 が命 令 を出 し た時 はそ ん な敵 は居 な かっ た のです ぐ 退 け る つも り でし た。 逐 次 敵 は集っ て来 て我 が軍 は 円 く なっ て行っ た の であ りま す 。
五 日戦 区司 令 官 程 潜 が何應 欽 に宛 た意 見 に依 れ ば 、
敵 は目 下 我 が 軍 の五分 の 一の兵 力 を 以 て包 囲 せ り我 が軍 は徐州
を 確 保 し 之 を撃 破 せん と す 云 々
と言っ て居 り ます が、16 がD 隴 海 線 を遮 断 し5D が大 運 河 に出 やう と し
我 が軍 は劣 勢 兵 力 を以 て動 いて 居 り ます 。14 もD 濮 縣 か ら徐 州 附 近
た こと を 指 す も のと思 ひま す 。
に来 たが兵 力 は そう あり ま せん 。 武漢 攻 略 戦 で は日 本 軍 は 公路 を来
8、 徐 州 会 戦 曩に申 し ま し た様 に臺児 荘 附 近 会 戦末 期 は敵 兵 力 は三 十余 箇 師 集
此 の戦 闘 に於 て第 十 六 師 団 の機 動 は特 筆 大 書 す べき も のと思 ふ の で
進 ん で は部 下 を督 励 し て 居 ら れ ます 。
った と 思 ひ ます が、 我 が軍 は劣 勢 を 以 て優 勢 を殲 滅 し や う と言 ふ の
武 漢 攻略 戦 は戦 果 を多 く す る こと に も つと 努 め な け れ ば な ら な か
申 し ま す と殲 滅 は出 来 な いと 思 ひま す 。
此 の徐 州戦 は支 那 軍 の殲 滅 戦 が目的 か 、徐 州 をと る のが 目的 かと
ん〓
此 の原動 力 は師 団 長 にあっ た と 思 ひま す が、 専 属副 官 を連 れ てど
り 開 封 へと行 動 距 離 六 百 粁 、 之 を数 日間 に突 破 し て 居 り ます 。
る から 我 々は そ れ を避 け て二粁 位 離 れ て退 却 し ろ と言っ て居 りま す 。
め て来 まし た 。 此 の敵 を撃 滅 す る命令 は徐 州 を と る大 本営 の考 へか ︹ 橋本群第 一部長︺ ら来 た も の で作 戦 最 中大 本 営 の 一部 長 は濟 南 に集 めま し て研 究 が あ
兵 力 を つぎ 込 んで行っ た
あ り ま す 。即 ち濟 寧 から隴 海線 に沿 ひ徐 州 に向 ふ機動 、 次 で歸 徳 よ
第 二軍 は徐 州戦 を どう す る か、 ド ン〓
り ま し た が、結 局第 二軍 は徐 州 戦 に岐 路 を つけ る こと は出 来 な い。
ので あ りま す 。之 は鈴 木 参 謀 長 の結 果 か ら観 まし て非 常 な 明察 であ った と 思 ふ の であ り ま す が 、鈴 木 参 謀長 は大 体 経 過 が示 す様 な観 察 を 予察 しそ れ に応 ず る浄 備 を第 一線 に進 め て行っ た の であ り ます 。 臺 児 荘 附 近 は5D 、10 のD 各 一部 が攻 め5D が主 力 を西 に移 動す る間 隙 を防 ぐ 為 4 1D 1 の 一部 を其 処 に つき 込 み まし た の で敵 は逐 次 動揺 し て来 ま し た。 そ し て敵 の退路 を衝 く 事 にな り ま し た。
でし た が 、武 漢 攻 略 戦 は敵 を掴 へる為 に 二正 面 作 戦 を企 図 し まし た 。
徐 州 戦 は 大本 営 の意 向 は 徐 州 を と る が出 来 る丈殲 滅 す る と言 ふ事
だ か ら 武漢 攻 略 戦 で は全 部 逃 げ ら れ まし た。
に於 て 一番 問 題 と な る のは中 支 軍 が五 月上 旬 節 句 頃 北 上 す る事 であ
ベ き命 令 を 与 へまし た が軍 はそ の命 令 を出 し て居 り ま せん 。 徐 州会
す が、13 はD 軍 歌 を作っ て志 気 を 鼓 舞 し ま し た。 方 面 軍 は漢口 に向 ふ
徐 州会 戦 、武 漢 攻 略 戦 共 に 一番 乗 の気 分 が濃 厚 にあっ た と 思 ひ ま
即 ち3D 、10 とD 13 、D 16 方D 面 で あり ま す 。
月頃 は微 山 湖 の中 に道 路 が あり 水 路 は定っ て他 は水 がな く兵 を動 か
此 の附 近 の地形 は図 上 は河 でも意 外 の旱魃 で至 る所 歩 け ます 。 五
りま す 。
す に非 常 に良 い時 期 であ り ま す 。敵 は至 る所 を逃 げ る 。恰 度 五 月 十
戦 に当っ て は徐 州 に向 ふ べ き命 令 を 与 へま し た 。所 が各 師 団 が徐 州
つも り で中 間 に つき 込 ん だ のが ド ン〓
敵 が出 て参 り まし た の で其
に向 ふ前 に既 に敵 は逃 げ て了 ひ まし た 。 又草 場 支隊 はす ぐ 引 揚 げ る
の儘 に なっ た の であ り ま す。
病 気 は ﹁マラ リ ヤ﹂、脚 気 、 胃 腸 障害 が自 然 に発 生 し ﹁マラ リ ヤ﹂
尚 兵 の減 小 です が 、 よく 後 方 に残 り ます 。 そ れを 憲 兵 が見 附 け る。
に は塩 規 をな め さ せ た な らば い い のだ が塩 規 が足 り な い。
か言っ て残 留 し て 居 ます 。 功 績 調 査 と か の名 目 で残っ て居 ま す。 中
幕 僚 が行 く 。 そ れ を自 動 車 に載 せ て第 一線 に進 めま す が何 と か か と
に は病 院 を退院 し て本 隊 に追 及 し つゝ あっ て何 時 し か迷児 になっ た
次 に鄭 州 作 戦 であ り ます が、14 本D 部 が敵 に包 囲 せ ら れ て円 く なっ て居っ た。 之 を救援 す る為 に蘭 封 に進 む と言 ふ のが目 的 で従 来 問 題
者もあります。
次 に臺 児 荘 よ り追 撃 前 進 の時 期 であ り ます が、 遅 く な る と出 れな
と なっ て居 る鄭 州 を と る が よ いかど う かは ハツ キ リし な い で、 中島
い の で十 八 日 に攻 撃 に出 てた 様 で、 板 垣閣 下 は自 分 で四 、 五大 隊 を
師 団 長 に伝 達 す ると 、開 封 を も と らな け れ ば な ら ん と言 ふ事 にな り ま し て、 遂 に中 牟 、尉 氏 に向っ て前 進 す る状 態 と な り鄭 州 攻 略 は第
次 に兵 力 運 用 に就 て で あり ま す が最 初 は16 がD 濮 縣 を渡 河 す る と言
将来 要点 を と る為 に14( D 当時 第 二軍 ) を充 てま し た 。中 牟 に来 た 田
来 黄 河 の堤防 破 壊 と言 ふ事 は戦 争 の初 よ り言 はれ て居っ た事 で軍 は
徐 州会 戦 の末 期 六月 十 二日晩 、黄 河 の堤 防 破 壊 せ ら れ まし た。 本
9 、 武漢 攻 略 戦
ん射 撃 し て十 九 日 から 追撃 に移 り ま し た。
連 れ て十 七 日 か ら 二十 日 に沂 州 を と ら れ ま し た。 十 八 日 一日 ど んど
当 時 中 島 閣 下 は 武漢 攻 略 の話 が起 き て居っ た の で是 非 鄭 州 を と ら
二軍 は思っ て居 り ま せ ん でし た。
な け れば な ら ん と言 ふ意 見 であ り、 方 面 軍 の意 見 も そ こ にあっ た と
ふ事 で渡 河 準備 を し て居っ た の であ り ま す。 四月 中 旬 渡 河 し て臺児
島支隊 ( 歩 一大 野 砲 一中 ) は 中牟 か ら驀 進 中 爆 音 を聞 いて 一時 は 大
思 ひま す 。
荘 方 面 に向 ふ予定 でし た が都 合 に依っ て16 をD 第 二軍 にや る事 に な り
ので し た。16D
黄 河 を破 壊 す る つもり で氾濫 と共 に早 手 廻 に後 方 を遮 断 す ると言 ふ
ま し て 、 そ れ に は 五月 十 二 日 に なっ て居 りま し た ので 五月 十 二日頃
砲 を お いて帰っ て来 た 事 も あ り まし た。 之 は程 潜 の布 告 文 にも あ り
遊 撃 戦 等敵 の後 方 撹 乱 、共 産 主 義 の問 題 に就 ては 軍 は占 領 地行 政
ました。
に頭 を向 け 殊 に濟 南 、 青 島 問 題 には力 を尽 し ま し た 。 外 国 関 係 は済 南 、袞 州 、濟 寧 等 相当 あ りま し た が作 戦 の影 響 は余
かっ た と思 ひま す 。徐 州戦 も終 り之 を 速 か に移 す為 に六 月 中 旬 か ら
に氾 濫 が起 りま し た 。 此 の黄 河 の堤 防 決 潰 は作 戦 に は何等 影響 が な
進 ん で鄭 州 に前 進 目 標 を と り前進せ んと し て居 る時
第 五 師 団 の沂州 攻 撃 の際 は 相 当 跡仕 末 を さ せら れ た 様 で し た。 之
は ど ん〓
は 鵜 澤参 謀 が英 語 が出 来 ま す ので 一人 で引 受 け て片 附 け て居 り ます 。
舟 や 工兵 を 集 め て次 の武 漢 攻 略 戦 の大 本 営 の方 途 に従 ひ誠 意 を以 て
り あ り ま せ ん でし た。
結 局 に於 て作 戦 に影 響 はあ り ま せ ん 。宿 営 地 は特 に注意 し ま し た。
之 よ り先 有 末 参謀 は ﹁今 度 は第 二 軍 諸隊 の武 漢 攻 略戦 を や る に は
やっ て居 た ので あ りま す 。
淮河 の水 運 が非 常 に良 いか ら鉄 道 は な いが淮 河 の方 向 か ら 下っ て行 く﹂ と 言 は れ第 五師 団 が行っ て作戦 を やっ た の でし た。 六 月末 私 は東 京 に招 致 せ ら れ て武 漢 攻 略 戦 を 研究 を致 し まし た 。
(ハ)鉄道 が全く破壊 せられ道路も少 い。
初 め徐州 にありましたが事務的 に面倒 な問題 が起 りて次 々に編
(ニ)軍司令部参謀等編成替
成替 をやり、又八月異動 と 一緒 になって軍参謀 は全部変 り作戦課
変 り参 謀長 は 六月 変 り、 功 績 調 査 だ け は 困 ま る の で私 が引続 き や
は全員変り、鵜澤大佐 は教育総監部第 一課長 へ次席 の天野参 謀は
運 から 困難 な枝 作 戦 を や る﹂ 事 に な りま し た 。茲 に問 題 は大 別 山突
そ れ で ﹁予定 通 実 行 し 重 点 を 第 十 一軍 方 面 に おき第 二軍 は淮 河 の水
破 は何 時 や る か何 処迄 を 目標 とす る か であ り ま し た。
り ま し た か ら 一度 型 には め る 必要 が あ り そ の上 に武漢 攻略 戦 を や
此 の異動 で 立派 な参 謀 を 頂 き ま し た が 、皆 初 め て の方丈 け で あ
って 居 り ます 。
以下 主 要 な る点 を申 上 げ ま す 。 (イ)集 中 に非 常 に困難 致 し ま し た
を集 め まし た が、良 い交 通 路 があ り ま せ ん 。10 はD 歸徳 附 近16 はD 開
った も のが な いの で人 々 が変っ た な らば 仲 々固 ま り難 い。電 報 文
師 団 司 令部 な ら ば そう でも な いけ れ ど も軍 司 令 部 は 何 等 適 当 に定
ら な け れ ば な ら ん。 七 、 八 月 一杯 頭 を尽 し まし が仲々 は ま ら な い。
封 附 近 に居 り ま し た 。3D は南 京 附 近 の警 備 を有っ て居 り結 局軍 の
の ﹁テ ニオ ハ﹂ から 型 には め て行 か ねば な りま せん 。
集 中 には 鉄 道 が な いの で集 中 点 を 盧州 に定 め 、徐 州戦 終 了後13D
有 し て居っ た13 がD 盧 州 へ行 く 事 にな り まし た。
尻 参謀 長 が大 綱 を常 に練っ て 名参 謀 長 とし て処 置 せら れ て居 り ます 。
以 上 の様 に四 の難点 があっ た様 に 私 は思 ひ ます 。 六 月 中 旬 以来 町
其 の最 大 な る も の及 私 の所 見 を申 し ま せう 。
之 が為 大 本 営 の申 さ れ た 九月 上 旬 迄 、 即 八 月 一杯 に出 来 る だ け
でな く 七 月 中 旬 の氾 濫 で此 の開 封 附 近 の氾 濫 は最 後 迄 武漢 攻略 戦
見
山 、光 州 をと る事 であ り ます 。 之 は自 動車 以 外補 給 方 法 が な い。13D
( 盧 州 より 十 五 里 ) に先 づ飛 行 場 を と ると 言 ふ事 で 、 そ れ か ら光
軍 が徐 州 に進 入す ると 共 に第 一回渡 河 迄 大 本営 の策 案 は 六安 、霍
(イ) 軍 の方 針
三、所
兵 力 を集 め る様 な経 路 を とっ た の であ り ま す が、 道 が悪 いば か り
に影 響 し た の であ り ま す。 そ れ に総 計 一、 二〇 〇 の患者 ( 内 二、 三百 死 亡 ) が出 来 て之 を隔 離 す る初 め 五 日間 す る中 に、 又出 る と 十 日間 隔 離 す る等 し て作 戦 に影響 せ ら れ て いっ た ので あ り ます 。 (ロ) 兵 の栄 養 斯 く の如 き炎 熱 間 に無 理 を し た ので我 が兵 は跛 を曳 いて盧 州 で も恢 復 の暇 な く交 通 不 便 で栄養 も満 足 でな く 其 の儘前 進 す る事 に な り ま し て最 後 迄 戦 力 に影 響 し まし た。
等 集 中 部 隊 は馬 がど ん〓
倒 れ て了 ふ自動 車 は 傷 む 状 況 で あ り ま
山 中 には 沢 山 の敵 兵 が居 り まし た の で後 方 を相 当 心配 致 しま し た 。
中 旬 に参 り ま し た。 方 面 軍 から ﹁一部 ヲ信 陽 附 近 ニオ キ主 力 ヲ以 テ
八 月 中 旬 前進 致 しま し た の は十 三 、 十 師団 だけ で 次 で信 陽 迄 十月
参 謀 長 は数 日熟 慮 の後 ﹁ 盧 州 へ行 く のは や め様 一挙 に光 州 に行 か
す。
う﹂ と決 せら れ ま し た。 前 面 の敵 は皆 我 が軍 の機 動 作 戦 に乗 せ られ
あり ま す 。 当時 信 陽 を と る迄 敵 を捕 捉 す る事 は出来 な い。 又鄭 州 か
漢 口北 方 地 区 ニ向 ツ テ敵 ノ退 路 ヲ遮 断 ス ヘキ﹂ 命 令 を受 け た から で
そ こで到 着 兵 力 を し て信 陽 にお く が良 いが漢 口 の西 北 方 へ逃 げ る
ら南 方 に下 せ ば下 す こと を得 。
て皆 九 江 の方 面十 軍 の線 に投 入 し て行 く様 で 、軍 正 面 の敵 が行 き だ し たな ら 行 か う と言 ふ の でし た 。当 時 道路 を徹 底 的 に破 壊 し て盧 州
十 七 日出 発 以来 九 月 三 日富 金 山 攻 撃 を 始 め て十 二日迄 かゝっ て居 ま
附 近 の道路 は
敵 を捉 へる の が任 務 です から 残 置 兵 力 を私 共 は少 く も 一旅 団 と し、
参 謀 長 は旅 団長 の指揮 す る 一聯 隊 と さ れ ま し た。
斯 く て漢 口北 方 の自 動 車 道 、 駄 馬道 、輜 重 車 道 三方 を押 さ へて了
敵 は信 陽 の南 方 広野 に満 々 て居 り ま す 。
ひま し た 。
殿 下 に決裁 を受 け る の でし た。 我 々 の持 参
町 尻 少将 は何 時 も夜 考 へて朝 私 共 に大 き な問 題 を言 はれ る 。私 共 は之 を研 究 し、 そ れ を
し た も の は其 の儘 決裁 さ れま し た 。
初 め集 中 部 隊 が集 中 地 を出発 し た時 は商 城 、光 州 迄 は師団 も補 給
を受 け な い約 束 で、 そ れ が為 十 日 及至 十 五 日 分宛 持っ て行っ た の で
兵 の各 人 は相 当持 つ こと にな り ま し た。
そ こ へ水 がな い。八 月 二十 七 日 に行 動 開 始 か ら九 月 二日迄 は非 常
な炎 熱 であ り ま し た。 一師 団 に渇 病 三 百 人 そ れ に特 に駄 馬師 団 の13D
の様 に破 壊 せ ら れ て居 ま し て 、後 方 確 保 に於 て非 常 な 憂慮 が あっ た。
の だ から第 一線 小銃 中 隊 (百 二十 人 ) が 九月 上 旬 中旬 頃 には 八 十名
す 。 兵 力 を1/3 位 失 ひま し た 。盧州 を 出 発 し た時 に栄養 悪 かっ た も
は大 別 山 北 方 か ら進 ん だ為 に ﹁マラ リ ヤ﹂ に罹 る者 が多 く、 八 月 二
かっ た と 思 ひ ます 。 第 一目標 を 六安 と せず に光 州 にと り 、大 別 山 の
参 謀 長 は 思 切っ て行 かう と鞭撻せ ら れま し た 。私 共 結 果 か ら 見 て よ
位 になって 特 設 師 団 の唯 一の聯 隊長 の二名 が担架 で、 聯 隊 副官 二名 (ロ) 作 戦 指 導 の要訣
後 に は 二、 三 名 で突 撃 し て居 り ます 。
て も慎 重 になって 敵 情 を知って 真 に之 を納 得 す る迄 は進 ま な い。 結
作 戦 指 導 の要訣 は思 切 にあ り 、明 断 が必 要 だ と思 ひま す 。 どう し
は負傷 、大 隊 長 は 師団 を通 し て四名 負 傷 し 、 そ こに山 砲 以 外砲 兵 は
局 解 ら な いで 立 つる策案 には名 案 はな いと 思 ひ ます が、 軍 が よ いと
到着 し な い の で富金 山 攻 撃 は13 はD 非 常 に苦 心 し て居 ます が 大体 13 のD 戦 力 の限度 で はな かった かと 思 ふ のであ り ま す 。爾 後 九 月初 か ら 二
思 ふ た時 は師 団 に は遅 過 ぎ て戦 機 を 逸 す る事 が多 く あ り ます 。 (ハ) 対支 軍敵 情 判 断
ケ 月間 大 別 山 に つぎ込 ん で行 き相 当 に苦 心 を し て居 りま す 。逐 次 補
漢 口 で第 十 一軍 の兵 と比較 し て非 常 に情 な い恰 好 を し て居 りま し
充 兵 も到 着 し 後 方恢 復 者 を四 十名 程 度 補 充 し て居 りま す 。
支 那 軍 は 一皮 剥 け ば 逃 げ る。 其 の 一皮 が前 進 陣 地 、 主陣 地 で あら
り ま せ ん。
そ れ で陣 地を 攻 む る場 合 に予 備 隊 を お か ねば な ら ん と言 ふ心 配 があ
ンド ンと れ る。 之 は滄 縣 から 漢 口迄 常 に持って 居 た 心持 で あ りま す 。
う と 戦况 が よ い と無暗 に兵 力 を つき 込 ん で来 ます が 、 一皮 剥 げ ば ド
山 に参 り ま し た。 其 の頃 の兵 力 は謝 は約 八 百 、 盧 州 を出 る時 は 二 千
山 で戦って 居 り ま す 。10 はD 大 体 羅 山 が限 度 だったと思 ひま す が、 引
十月 中 旬 大 別 山 に かゝった33は i、 当 時約 六 百補 充 員 到着 後 小銃 中
続 いて信 陽 から 尚進 ん で居 り ま す 。
隊平 均 七 十補 充員 の中 隊 は中 隊 長 以 下 十 一小銃 あ る中 隊 は十 二中 隊
3Dは 南 京 の守 備 を交 代 し て来 た為 に栄養 も恢 復 し 体 力 も恢 復 し 羅
中 四中 隊 に過 ぎ ま せん 。
山 から 戦 闘 し た ので戦 闘 力 は低 下 し て居 り ま せ ん。 斯 く の如 き戦 力 の低 下 の原 因 は死傷 者 で は なく 主 に戦 病 、 平病 で あ りま し て、 先 申 し ま し た様 に十 七 万 の療 病 者 中 入院 患 者 が約 六 万
それ も 第 一線 の歩 兵 程 一番 多 く て後 方程 罹 る者 が少 い の であ り ま
死 亡 者 一千 を超 へて居 り ます 。
す 。 そ れ で困 ま る のは白 兵 力 の少 い事 で 二中 隊 分 を軍 曹 が 指揮 し て
切 ら れ る状 態 でし た。
になって し ま
大 別山 には敵 が居 り ま し た師 団 は之 に 一大 隊 程 充 当 し ま し た 。
し た。
信 陽 に向 ふ前 進 間10 はD 羅 山 から 真直 に南 方 に動 いて信陽 に行 き ま
(ニ) 支 那 軍 は相 互 協 力策 応 す る事 が あ り ま せ ん
ド ン〓
には 道 が な い事 で信 陽 には 必要 な る守 備兵 力 を おき ま し た。 後 方 を
ら れ師 団長 自 ら突 撃 せ ら る 、有 様 でし た 。実 際 問 題 は信 陽 か ら南 方
に出 た 様 な 状况 に なり ま し た が、 参 謀 長 は之 を見 限って 前 進 を命 ぜ
富 金 山 を 突破 し て信 陽 に向 ふ や敵 は 逐 次出 て参 り ま す 。 我 が脊 後
う のであ り ま す 。
ひ ます 。 そ こ で我 が兵 が之 を突 破 す る と後 は バ ラ〓
大別 山 の13 、D 16 のD 正 面 には 分 水嶺 には既 設 陣 地 はな かった 様 に思
八 百 も あった の です 。 小銃 中 隊 は平 均 二十 九 名 最 小十 一名 を 以 て羅
は富 金 山 に ひ つか 、って 光 州 を と り、 九 月 二十 日岡 田支 隊 が羅
︹ 資 ︺
た。 十 一軍 は揚 子江 の大動 脈 が あり ま す ので之 から 栄養 を摂 る こと が出 来 た が第 二軍 は 栄 養 が と れな い。 10D
(当 時 軍司 令 部 の有 す る戦 闘 兵 力 は 一旅 団 ) そし て 1、 3D 16 、D 10 とD 進 ん で行っ て心 配 し て居 り まし た が殆 ん ど敵 が出 る事 は御 座 いま せ ん でし た 。 (ホ) 空 中 偵 察 我 が軍 飛 行 機 の敵 情 は其 の儘 総 べ て を資 料 と す る事 は難 し い。特 に情報 幕 僚 等 が乗っ て 調査 し て来 た事 は余 り 信 用 す る こと は 出来 ま せ ん。 例 へば 九 月 二 十八 日敵 兵 一万羅 山 附 近 に東 北進 し つゝあ る と の報
であ り ます から 、 対 ﹁ソ﹂ 戦 の場 合 に は思半 ば に過 ぎ るも のがあ る と 思 ひ ます 。
皇 軍 の練 成 上 、誠 実 に研究 し そ れ に 一段 と研 究 を 要 す る と思 ひま す。
歩 兵 が軍 の主 兵 であ る こと は当 然 で私 共 の経 験 上 から白 兵 力 は皇
(ト) 編 成 装 備
軍 の特 色 で他 国 の追 随 を許 さむ こと は 申 迄 も あり ま せ ん。 歩 兵 の兵
茲 鼓 に歩 兵 の装 備 を良 くす る か砲 を増 す と言 ふ事 が 必要 で せう 。歩
は歩 兵 の戦 闘 を容 易 な ら しむ ると 言 ふ事 にな ら ね ば な ら ん。
力 を考 慮 す る と言 ふ事 は 大 切 だと 思 ひ ま す。 そ れ故 に他兵 種 の作戦
た らし い。 そ れ と敵 は盛 ん に夜 間行 動 を や る ので之 は飛 行機 に はど
告 に10 長D は前 進 す る と何 も 居 り ま せ ん。 之 は 日本 軍 を敵 軍 と 見誤っ
兵 は 必 要最 小限 にし て皇 軍 独 特 の軽快 性 を有 し 砲兵 は歩 兵 の為 の砲
此 の際 に第 二軍 は野 砲 を 軍司 令 部 に於 て山 砲 に臨時 編成 し輜 重車
と 思 ひ ます 。
ま し た。 車 輌輜 重 は駄 馬 に編成 し得 る様 注意 す る が必 要 では な いか
と 言 ふ事 でし た 。 そ の為 に10 はD 車輛 を全 部駄馬 にし 野 砲 は山 砲 にし
し た 。 そ し て此 処 には路 が あり ま せ ん此 の地形 を如 何 にし て行 く か
車 と 馬 に依 ら ねば な り ま せ ん でし た が 、当 時 馬 に不足 をし て居 り ま
特 に機 動 性 を発 揮 し た のは武 漢 攻略 戦 であ り ま す。 第 二軍 は自 動
派 なも のを頂 い ても そ れ が殆 ん ど力 を発 揮 す る事 は出 来 ま せん 。
砲 撃 に依っ て敵 を撲 滅 す る事 は出来 ま せ ん。 騎 兵 の装 備 は実 に立
ば な りま せん 。
は難 し いと 思 ふ ので あり ま す 。斯 く て結 局第 一線 歩 兵 の力 に依 ら ね
け れ ば な りま せ ん 。 でな けれ ば折 角 有 す る戦 力 を綜 合 発揮 す る こと
兵 であ り歩 兵 の為 の騎 兵 であ り 、各 兵 種 悉 く が歩 兵 の為 のも のでな
う も偵 察出 来 ま せん 。 次 に飛 行隊 は情况 を判 断 し て偵 察 す る ので そ れ に依っ て報 告 し ま す 。 之 が為 に真 当 に敵 を追 詰 め て行っ てよく わ かり ま す。 十 月 二十 七 日徳 安 には約 数 十 門 の火 砲 、二 、 三 百 の自 動 車 が充満 し 右 往 左往 し て居 ると の飛行 隊 の報 告 でし た。 そ し て徳 安 部 隊 は動 揺 し て居 ると の事 で あ り まし た。斯 く て 二十 九 、 三十 日 には敵 は孝 感 へ逃 げ る。 そ こ に歩 兵 一聯 隊 基幹 の我 が部 隊 が進 ん で行っ た の で あ りま す 。 (へ) 戦 闘 指 導 申 す 迄 もな く 軍 隊 は常 に攻 勢 を 以 て任 務達 成 に邁 進 し な け れば な り ま せ ん。 状况 真 に止 む を得 な い場 合 の外 は常 に攻 撃 を決 行 す る事 は定っ た鉄 則 で あ りま す 。 優 勢 な る敵 の為 に機 先 を制 せ ら れ た様 な場 合 に守 動 的 になっ て損 害 が尠 く な かっ た例 が多 々あ り ます 。戦 力 の弱 い支 那 軍 に於 てそう
を全 部 お いて唐 米 袋 を馬 に積 ん で駄 馬 にし て行っ た ので あり ます 。 之 は平素 から 研 究 し て おく ベ き だ と思 ひ ま す 。 (チ) 幕 僚 勤 務 幕 僚 は第 一命 令 、通 報 、報 告 を確 実 に速達 す る様 に注意 し な け れ
即 ち電 報 に於 ても通 信 能 力 と 言 ふ事 を皆 考 へて お か ねば な りま せ
ば な ら ぬ と思 ひま す。
ん。 本戦 闘 間 10 がD 一時 間 八 五、 通信 し て居 り ま す 。13 はD 午 前 八時 から 午 後 四時 迄 に最 初 三 七 、通 信 し て居 り ます 。長 文 を電 報 す ると他 の 残 部 が閊 へま す 。 そ れ で幕 僚 は先電 報 を起 案 す る に は簡 潔 にす る様 に注 意 し な いと
次 に電 話 は使 用者 を制 限 す る 必要 があ る と 思 ひ ます 。
電 報 が輻輳 し て来 ます 。
又 ﹁チ ヨ コレ ート﹂ と兵 隊 の話 で あ りま す が 、馬 杉 道 路 構築 隊 に あっ た事 で、 其 の主 人公 斉 藤 上等 兵 の戦 死 に関 し た事 であ り ます 。 其 の行動 は誠 に其 の通 で あり 、 其 の人 と成 り亦 立派 で あり ま す。 然
だと 思 は れ る かも知 れ ま せ ん が、此 の点 ヨク〓
注 意 す る要 が あ る
し 之 が功 績 と 一致 す る訳 で は あ り ま せ ん。 功 績抜 群 で感 状 を貰 ふ程
と 思 ひ ます 。 之 が為 功 績 あっ た者 と か第 一線 部 隊 に対 し て非常 な悪 影 響 を与 ふ る事 でも あっ たり 、之 が単 に 一会 社 の宜 伝 になっ た のな ら ば 、誠 に申訳 な いと 思 ひま す 。 ︹ママ︺
最後 に今 事 変 と 将来 戦 と の関 係 であ りま す が、 敵 の装備 火 砲 、 飛
へま す な らば 寒 心 す ベ き で あ る と思 ひ ます 。
行 機 、戦 車 特 に大 な る 砲兵 に対 し無 観 心 の状 態 であ る が将 来 戦 を考
︹ 註 ︺ A=軍D=師団P= 工兵聯隊i=聯隊 岡本清福は昭和十二年 八月 より十四年十二月まで第二軍高級参謀 ( 十二 年十 一月大佐)。以後駐独武官 、参謀本部第二部長 、南方軍参 謀 副 長を
経て終戦時 二十年八月 スイスで自決。
目
四
次
香 月 清 司中 将 回想 録
の対 立
十 六、 石 家 荘 攻 略後 の追 撃 時 に於 け る第 一軍 と方 面 軍 と の意 見
十 七 、山 西 作 戦 に関 聯 す る第 一軍 、 方 面軍 間 の意 見 の対立
一、事変前 の北支 の状況 二、支那駐屯軍司令官更迭当時 の真相
十 八 、宋 哲 元 軍 掃蕩 戦 及 河北戡 定 戦 間 に第 一軍 と方 面 軍 の間 に 生 じ た る諸 問題
三、中央 の ﹁ 事変処理方針﹂ を廻ぐる諸問題 四、現地交渉 の経緯 と其 の裏 面 の真相
二 十 、第 一軍 と方 面 軍 間 に生 じ た る感 情 問 題 の真 相
十 九 、戦 闘 序 列 に基 因 し て生 起 せ る諸 問 題
二 一、第 一軍 司 令 官在 任中 企 図 し た る諸件竝 に所 感
五、支 那駐屯軍最初 の作戦計画に就 て 七、北平 周辺の戦闘指導 に就 て
附録
二 二 、結
六、廊坊事件及広安門事件 の真相 八、通州事件 に関す る問題
竹田宮殿下 閣下 が支那駐屯軍司令官及第 一軍司令官 として支那事
支 那 事 変 回 想録 摘 記 (陸 軍 中 将 香 月清 司 手 記 ) ︹ 五︺
論
九、天津 の暴動及爆撃問 題 十 一、北平周辺 の戦闘後 に於 ける諸問題
変 に際し て実際 に行 はれ た統帥 に関 して忌憚な い御所感 をお話し願
十 、察哈爾作戦実施 の経緯 十 二、謀略に関す る企図及効果
ひた いのです 。
と の関係はどう云ふ風 になって居っ たかと云 ふことを折込 んでお話
尚特に現地から見 られ た中央部 の統帥 に対す る所見及現地 と中央
十 三、〓州会戦 に就 て 十 四、保定会戦 に就 て 十 五、石家荘会戦 に就 て
本 日 は 殿下 の御 前 でご ざ います か ら遠 慮 な く 率 直 に申 上げ た
し 願 ひま す 。 香月 いと 思 ひま す 。 或 はお 聴 き難 い ことも あ るか と 存 じ ます がど う ぞ お 聴 き逃 し を願 ひ度 いと 思 ひ ます 。
一、事 変 前 の北 支 の状 況
え な い⋮ ⋮ それ で各 人 が夫 々の意 見 を持っ て居 り ます が其 の各 々の
ま し て、 ど う も そ れ は軍 司 令 官 が 一手 に握っ て 居 る と 云 ふ風 には 見
意 見 が違 ふ と云 ふ のが現 状 で あ り まし た。 あ う云 ふ風 で は どう も
ぬ。
具 合 が悪 いか ら、 そ こら の点 に就 て も何 ん と か改 革 を や ら ね ば 不 可
(三も )う 一つは初 年 兵 を 通 州 、北 京 の近 郊 と云 ふや う な所 で教 育 し
て 居っ て 周 囲 に は支 那 兵 、支 那 人 が集っ て来 て見 て居 るが 、 一体 初
駐 屯 軍 の兵 は内 地 で教 育 す る か、 満 洲 で教育 す る かし てか ら 向 ふ へ
た 者 が皆 軽 蔑 的 な動 作 を やっ た り し ま す ので 、之 は 不 可 な い。支 那
年 兵 の教 育 と 云 ふ も のは 非 常 にみ つと も な い も の です から そ れ を見
連 れ て行 く やう にす べ き だと 云 ふや う な こと を意 見 具 申 し たと 思 ひ
私 は実 は 昭 和 十 一年 に 二 ・二六事 件 が起 り ます 直 前 支 那 駐屯
軍 司 令官 の内 命 を受 け て 、第 十 二師 団 長 を罷 め ま し た こと が御 座 い
ます。
香月
ま し て、其 の時 分 から種 々支那 に就 て研 究 を 致 し て居 り まし た の で
二、 支 那駐 屯 軍 司 令 官 更 迭 当 時 の真 相
った やう であ り ま す。
併 し 此 の意 見具 申 は承 はり 置 く と 云 ふ程度 で余 り重 く 見 ら れ な か
ご ざ いま す が、 十 二年 の五 月 か ら北 支 方 面 、 満 洲 方面 を教 育 総 監 部
に陸 軍 大臣 、教 育 総 監 、 参 謀総 長 に私 は情 勢 を 述 ベ 且之 に就 て の意
本 部 長 の資格 で 一ケ月 半 に亙っ て視 察 を致 し ま し て帰 り まし た。 時
其 の内 容 を申 し ま す と
見 を 具申 し た の であ り ま す 。
香 月扨
(一) 北 支 の情 勢 は斯 々 の如 く逼 迫 し て居 るや う に思 ふ 、就 て は北 支 の兵 力 が少 な いか ら増 強 と 云 ふ こと が是 非 必 要 であ るけ れ ど も、 そ
で あ り ます 。
す が 、私 が ほ んと に支 那駐 屯 軍 司 令 官 の内 命 を受 け まし た のは 九 日
て事 変 が突発 し た の は 昭和 十 二年 七 月 七 日 の夜 半 であ り ま
れ は急 には出 来 な いだら う から 、少 く も熱 河 省 方 面 に兵 力 を増 強 し
殊 に 二 回目 の衝 突 が十 日 で あ り まし た の で頗 る緊 張 し て居 る為 に
を聞 き まし た。
こと で あ り まし て十 一日朝 早 く 電 話 で ﹁今 日直 ぐ行 け﹂ と 云 ふ こと
其 の頃 田代 軍 司 令官 は病 気 で あり ま し た ので是 非 早 く 行 けと 云 ふ
て置 い て、 いざ と 云 ふ時 に北 支 方面 に兵 力 を 使 へるや う にし た いも
(二そ )れ から もう 一つは 支 那 にあ る各 種 の機 関 が軍 司 令 官 の手 許 に
の だ と云 ふ こと。
統 一さ れ て居 ら な い⋮⋮ 例 へて申 し ます る と支 那 大 使 館 附 武官 の出 張 所 と云 ふやう な も のも あり 、 又 特務 機 関 も あ れば 軍 事 顧 問 も居 り
今 日 直 ぐ 飛 行機 で 飛 ん で行 け と 云 ふ命 令 を受 け た の であ り ま す 。 そ こ で旅 装 を整 へて七 時 半 頃 に大 臣官 邸 へ行 き ま し て、 大 臣 と 次
儘 です が 、其 の外 に逐 次 増 加 せ ら る べ き兵 力 を併 せ指揮 し て其 の任
其 の場 合 参 謀 総 長 の宮 殿 下 の前 には参 謀 次 長 及 第 一、第 二、 第 三
務 を 実 行 せ よ と 云 ふ の が共 の時 に加 へら れ て居 る訳 であ り ます 。
になっ て居 る 三名 の参 謀 を 呼 ぶ と 云 ふ こと も お許 し にな り まし て、
部 長 が 居 り ま し た、 又 私 の手 許 に当 時 増 加 せ ら れ て連 れ て行 く こ と
官 と に其 処 で会 ひ ま し た が、 其 の時 大 臣 は訓 令 と 云 ふや う な厳 格 な 意 味 の こと は申 し ま せ ん でし たけ れ ど も ﹁ 兎 に角 困っ た こと になっ
然し私は ﹁ 之 は どう も支 那 側 の計 画 的 の行 動 で あら う から 従っ て
に 二個 師 団 を動 員 し て山 東 に派遣 す る 、但 し其 の上陸 地点 は青 島 に
師 団 を応 急 動 員 で行 か せ るし 又 関東 軍 の 一部 も行 か せる と 云 ふ こと ︹ 清︺ であ り ま し た。 そ れ から 更 に今 井参 謀 次長 が 言 ふ に は 、﹁引 続 き 別
其 の時 の説 明 は内 地 師 団 を 三 個師 団動 員 し て そ れを増 加 し尚 朝 鮮
殿 下 の前 で詳 し く状 況 を伝 へら れ た ので あ り ます 。
た 。 就 ては 御 苦 労 な話 だ が根 本 方針 を 不拡 大 に置 い て現 地 で出来 る
現 地 解決 と 云 ふ やう な 生 温 い こと で は片 が付 か ぬ のぢ や な いか﹂ と ︹ 元︺ 云 ふ考 へを持っ た の であ り ま す が 、其 の時 の陸 軍 大 臣 杉 山 大 将 が申
だ け 解 決 し て貰 ひ た い﹂ と云 ふ こと であ り ま し た。
い﹂ と 云 ふだ け で多 く は言 は れ な かっ た ので あり ま す 。
し ま す の には ﹁ 兎 に角 行っ て様 子 を 見 て現 地 で 解 決 を し て貰 ひ た
る が何 れ に せ よ引 続 き 山 東作 戦 を さ せ る﹂ と 云 ふ こと で あ りま し た。
ては海 州 に上 陸 さ せ る こと を希 望 し て居っ て ⋮⋮ そ れ を研 究 中 であ
す る か 、或 は海 州 に上 陸 さ せ る か未 だ決 定 し て居 ら ぬ⋮⋮ 海 軍 と し
も 詳 し く 大臣 か ら聞 いて行 き た かっ た ので あ りま す が、 大 臣 は急 い
そ こで私 は陸 軍 省 は 不拡 大 の方 針 で現 地 解 決 を せ よ と 云 ふ の に参
其 処 で私 は国 策 に関 す る方 面 、或 は廟 議 と 云 ふ やう な 方面 の こと
で行 け と 云 ふ だ け で廟 議 に関 す る話 も せず 、只 現 地 解 決 だ と 云 ふ こ
陸 軍省 と の空 気 は 違っ た も ので あ る と感 じ ま し た か ら、 今 井 中 将 に
謀 本部 で は既 に作 戦 を 準 備 し て居 る と 云 ふ の で、 どう も参 謀 本 部 と
次 で参 謀 本部 へ行 き 総 長 の宮 殿下 の御 前 に参 り ま し て訓令 を受 け
と で あっ た の で あり ま す 。
な いと 云 ふ こと を 既 に考 へて居 る﹂ と 云 ふ答 であ り まし た の で、 従
其 の こと を聞 き 糺 し ま し た所 が ﹁参 謀 本 部 では斯 う し な け れば な ら
って動 員 、 輪 送 其 の他 の こと 、或 は現 地 に於 け る補 給 と 云 ふ こと に
ま し た。 そ れ は次 のや う な支 那駐 屯 軍 司 令 官 に与 ふる任 務 で あ り ま
一、支 那駐 屯 軍 司 令 官 は勃 海 湾 よ り北 平 に至 る交 通 線 を確 保 し 且
せ をす る こと を 命 じ ま し て そ れ から 出 発 を 致 し ま し た。
付 て尚 参 謀 本 部 々員 と自 分 の連 れ て行 き ま す 参謀 と の間 に よく打 合
す。即ち
二 、貴 官 は新 に増 加 せ ら る べ き兵 力 を併 せ て指揮 し て本 任 務 を実
し た。 又 私 は陸 軍 大臣 の言 ふ現 地 解 決 と云 ふ意味 は之 は外 交 官 に代
て居 るし 而 も廟 議 は ハツ キ リ決 定 し て居 ら な いと 云 ふ風 に観 察 し ま
要 す る に私 は陸 軍大 臣 の考 と参 謀 本 部 の頭 と は ま るき り 喰 ひ違っ
北 支 那 主 要 各 地 帝 国 官 民 の保 護 に任 ず べ し
行 す べし 三 、細 部 に関 し ては 次長 各 部 長 を し て説 明 せ しむ と 云 ふ の で、 第 一項 は平 時 支 那 駐 屯 軍 司 令官 に与 へら れ た任 務 其 の
っ て の外交 交 渉 ま で も や れと 云 ふ意 味 を含 ん で居 る と斯 う解 釈 を致
政 治 問 題 に実 際 に関 与 し て は不 可 な いと 斯 う 云 ふ こと を言 は れ て居
適 当 であ る﹂ と云 ふ こと を申 し ま し た。 所 が参 謀 長 は ﹁ 陸 軍 省 から
を や ら な いと将 来 の保障 は出 来 な い、 即 ち 只 単 に形 の上 だ け で は不
る ので此 の程 度 になっ た の だ﹂ と答 へま し た が 、之 は 必ず し も それ
し ま し て三名 の参 謀 とも 種 々協 議 し まし て から 出 発 し 現 地 に着 き ま
が為 に曖 昧 に事 を や れと 云 ふ こと では な く 、殊 に政 府 の声 明 を 見 ま
し た のが十 二 日正 午 頃 であ り ます 。 所 が十 二 日 に着 い て見 ま す と十 一日 の夜 に御 承 知 の通 り橋 本 参 謀
す と現 地 に於 け る外 交 官 に代っ て国 家 と し て の交 渉 を せ よと 云 ふ こ
と にな る の であ り ます から 之 は も う 少 し考 へな け れば な ら ぬと 思 ひ
又 一方 に於 ては 十 一日 午後 六時 二十 五 分 、 即 ち其 の協 定 の出 来 る前
ま し た の で、 そ こで幕 僚 を集 め て会 議 を 聞 き ま し た。
長 と宋 哲 元 の代 表 者 と の間 に北 京 に於 て協 定 が出 来 て居 りま し たし 、
に近衛 政 府 が北 支派 兵 の声 明 を致 し ま し た ⋮ ⋮私 は其 の声 明 を 朝 鮮
之
﹁軍 は 依然 公正 な る態 度 を 持 し つゝ十 一日 の協 定 を冀 察 側 を し て
結 果 であ り ま し て既 に御 覧 頂 いた と 思 ひ ま す が其 の状 況 判 断 は
支 那 駐 屯 軍 の十 三 日 の状 況 判 断 と 申 し ま す も のは其 の幕 僚 会 議 の
に居 り まし た時 に受 取 り まし た⋮ ⋮ 其 の声 明 を見 ます ると ﹁支 那 の
交 渉 の希 望 を捨 てな い から 交渉 は現 地 で や れ﹂ と 云 ふ声 明 で
行 動 は計 画 的 の武 力 抗 争 で あ る から 増兵 し た の で あ る が併 し乍 ら未 だ〓
が為 必 要 に応 じ兵 力 を 行 使 す る こと を 予期 す ﹂
履 行 せし め る為 厳 に之 を 監 督 し 、 そ れ を具 顕 せ しむ る を要 す
あ り ま し た ので 、従っ て私 は 矢張 り現 地 交 渉 は 外 交 交渉 を含 む も の であ り、 軍 司令 官 は国 家 の代 表 であっ て軍 部 ば かり の交 渉 では な い
べ き 七 項目 の条 件 を決 定 し ま し た 。 そ れ は
斯 う 云 ふ こと だ
又 夫 れ と同 時 に冀 察 政 権 に対 し て将 来 に於 け る保障 と し て要 求 す
と 云 ふ こと を決 め ま し た の です 。
た る処 置 を執 る 、其 の場 合 に於 け る作戦 は斯 う〓
と 云 ふ ので あ り まし て十 一日 の協 定 履行 を彼 等 が やら ぬ場合 は断 乎
と云 ふ こと を考 へまし て出 発 直前 の私 の考 へは 誤っ て居 ら な かっ た と 云 ふ こと を 一層 強 固 にし た の であ りま す 。 所 が橋 本参 謀 長 の報 告 に依 れば前 に申 し ま し た通 り 十 一日午 後 八
罪
時 協 定 が出 来 て居 り まし て其 の定 結 と 云 ふ のは 一、謝 二 、将 来 に関 す る 所 要 の保 障
参 謀長 に 対し ま し て ﹁此 の現 地解 決 と云 ふ こと は之 は政 府 の声 明 に
解 決 す る為 の普 通 の条 件 と 一つも違 ひが な いと 思 ひ ま し た の で私 は
と 云 ふ こと であ り ま し た 。然 し之 は従 来 軍 部 で抗 争 のあっ た際 之 を
五 、学 生 民 衆 の排 日 運動 の取 締
四 、排 日言 論 及 宜 伝機 関 の取 締
三 、排 日中 央 系各 機 関 、排 日団 体 の撤 去
二 、排 日要 人 の罷 免
一、共 産 党 笹動 の徹底 的 弾 圧
依っ て 明 かな る如 く東 洋 の平 和 を齎 す 為 の交 渉 であ る か ら第 二項 の
六 、学 校 軍 隊 等 に於 け る排 日教 育 の取 締
三 、直 接 責 任 者 の処 罰
将 来 の保 障 に付 いて は漠 然 と し た こと では 不可 な い 。徹 底 し た要 求
七 、 北平 の警 備 は公 安 隊 を 以 て し城 内 に軍 隊 を 駐 屯 せ し めず
った⋮ ⋮ 。例 へば 支 那 の要 人 と 申 し ま す る か 、 さう 云 ふ風 な者 に対
先 程 も 申 し ま し た如 く 従 来 の行 き懸 り で各 人各 様 の意 見 を持っ て居
ひ或 は 全 然 さ う ぢ や な いと 言 ふ者 も あ る訳 で要 人 に対 す る観 察 も そ
目 だと 考 へ、或 は張 自 忠 に対 し ても 或 る 人 は親 日的 の紳 士 だ と も言
違 っ て或 る 人 は宋 哲 元 は誠 意 が あ る と言 ひ、
す る考 へ方 も夫 れ〓
香月
れ〓
当時 拡 大 す る かし な い かと 云 ふ こと に付 てど う 云 ふ 御 気持 で
殿下
又 一方 では全 く蒋 介 石 の傀儡 になっ て居 る のだ か ら今 日 で は もう 駄
と 云 ふ や う な将 来 の保 障 に関 す る項 目 を並 べ たも の であ り ま す。
あっ た の です か 。
従 ひま し て、 軍 と致 し ま し ては さう 云 ふ交 渉 を や る場 合 にも 作戦 と
悪 かっ た のです 。
私 は 拡 大す る と 云 ふ こと を考 への中 で は思っ て居 り ま し た 。
云 ふ こと も 考 慮 に入 れ な け れば な ら ぬし 、作 戦 は勝 を制 す ると 云 ふ
人 に依っ て違 ふ と云 ふ かた ち でし た ⋮ ⋮ そ の為 ど う も具 合 が
こ と が第 一であ り ます か ら今 の状 況 判 断 に於 て も其 の方 面 に可 成 力
即 ち 結 局各 人 の意 見 を 一致 させ ると 云 ふ こと が急 務 であ らう と考
へま し た ので例 の状 況 判 断 を やり ま し た訳 であ りま す 。
を 入 れ て やっ た 心算 で あ りま す 。
殿下
る に二 十 九 軍 を敲 く と 云 ふ こと を思っ て居 ら れ た の で あ り ま す か⋮⋮
其 の時 止 む を得 な れば敲 く と考 へて居 ら れ たと 云 ふ のは要 す
殿下
当 時 現 地 に前 か ら居っ た者 は 交 渉 に依っ て纏 め得 る やう な気
分 を持っ て居っ た ので は な い の です か 。 ︹ 太久郎︺ 北 平 に居 る松 井 特 務 機 関 は之 は 現 地 で纏 ま る と云 ふ腹 を持っ 香月
て居 り ま し た し 、 又参 謀 長 も さう 云 ふ考 を持っ て居 りま し たが中 に
し て相 手 を敲 く と同 時 に居 留 民 の保 護 も や る 、 そし て或 る程 度 の持
さ う です 。駐 屯 軍 固 有 の任務 に基 いて 必要 に応 じ兵 力 を 使 用
久 をし よ う と考 へた の です が、 併 し其 の結 果 全 面 的 の戦 争 にな ると
香月
ふ考 へを 持っ て居っ た者 も居 りし て夫 等 は兎 に角 何 処 か で 一度 一撃
は 参 謀 あ たり でも 之 は と て も従 来 のや う な や り方 で は纏 ら な いと 云
を与 へる の でな け れ ば到 底 向 ふ を へこま せ る こと は出 来 な いと 云 ふ
云 ふ心 配 も相 当 濃 厚 に なっ て居 り ま し た 。而 し要 す るに私 の考 へで
撃 つと 云 ふ のは 二十 九 軍 を撃 つと 云 ふ こと を考 へて居っ た ので あ り
考 であ り ま し た 。 異っ
まし て、 そ れ 以 上 は参 謀 本 部 で全 軍 的 の立場 から の動員 を し て作 戦
而 し て此 の事 は 先程 も申 し まし た如 く各 種 の機 関 が夫 れ〓
た意 見 を持っ て居っ て 一つも統 一せら れ て居 ら ぬ習 慣 があ る の で其
を や るや う にな ら な け れば やれ ぬ の で、 そ れ は慎 重 にや ら ねば な ら
当 時 中央 の 一部 で は北 支 の満 洲 に接 し た る地 帯 に特 別 な地 区
か さう し た後 始 末 に就 ても 考 へて居 ら れ た のです か。
を作 ら う と 云 ふ やう な 、 そ んな 考 へも あっ た やう であ り ま す が、 何
殿下
ぬ と考 へて居 り ま し た。
の時 期 になっ ても 各 人 の意 見 は纏っ て居 ら な いです 。 そ こで十 二日 会 議 を開 き ま し た のは 幕僚 の意 見 を 一致 さ せる 意 味 に於 て開 いた の であ り ます 。 其 の時 の幕 僚 会 議 は非 常 に議 論 が喧 々と し て居 り まし て午 後 三時 に開 き夜 の十 二時 頃 になっ て も仲 々纏 ら な かっ た のです が、 そ れ が
いと 思って 居 りま し て当時 既 に内 々夫 れ等 の方 面 に交 渉 を進 め つゝ
り に誰 か を持って 来 た い。若 し呉佩 孚 が立 たな け れ ば萬 福 麟 で も良
後 始末 に就 て は当 時 宋 哲 元 を追 ひ払っ て夫 れ に替 るに或 る将
香月
香 月扨
て十 二 日 の状 況 判 断 を 十 三 日朝 早 く電 話 と電 報 を以 て参 謀
三 、中 央 の ﹁事 変 処 理 方針 ﹂ を廻 る諸 問 題
あった ので あ りま す 。
軍 を持っ て来 て将 来 北 支 に特 殊 地 域 を作って そ れ に持 た せる と 云 ふ こと が 一番 良 い こと で あ る と考 へて居 り ま し た、 そ れ で さう 云 ふ風 にし て事 件 の拡 大 と 云 ふ こと を或 る 程度 で防 止 す ると 云 ふ意見 を幕 僚 会 議 で出 し た者 も あ り まし て、 相 当有 力 な意 見 とし て私 も そ れ に
従 ひ まし て二 十 九軍 を撃 破 す ると 同時 に軍 は そ れ に替 る者 を持 つ
同 意 し て居 り ま し た のです 。
も開 か れ、 又 省部 間 の意 見 も決 定 しま し て十 四 日朝 に は陸 軍 省 と参
本 部 に報 告 を 致 し ま し た所 が此 の報 告 に依って
(?) 十 三日 に閣議
ので 、 そ れ で呉佩 孚 に連 繋 を執 り ま し た 。
て行 き た いと 考 へ、私 は呉佩 孚 を将 領 と し て置 き た いと 考 へま し た
謀本部両者連名 で ﹁ 事 変 処 理 ニ関 スル方針 ﹂ と云 ふ も の が軍 に伝 へ
当 時 参 謀 本 部 が戦争 避 け難 し と云 ふ考 へを持って 居った と 云
殿下
そ こで十 五 日 の夕 方両 者 と種 々話 し 合 を 致 し ま し た が其 の内 容 は
兵 大 佐 が飛 行 機 で十 五 日 に参 り ま し た。
︹ 鐵藏︺ ︹ 兼四郎︺ さう し て其 の説 明 の為 に参 謀 本 部 の中 島 少将 と陸 軍 省 の柴 山輜 重
ら れ て来 ま し た。
さう で はな いと 思 ひ ま す。 今 井 中 将 が青島 に 一部 を上 陸 させ
ふ のは 二十 九 軍 を 敲 く と 云 ふ程 度 に考 へて居った ので せう か⋮ ⋮ 香月
ると言 ひ 、況 や海 軍 案 のや う に海 州 に上 陸 さ せ る と 云 ふ こと にな れ
要するに ﹁ 事 変 処 理 に関 す る方 針 ﹂ は参 謀 総長 、陸 軍 大 臣 両 者 の連
ば 之 は 中央 軍 を相 手 と し て の戦 で あって 北 支 限 り に於 て戦 を や めら れる と 云 ふ考 へでは な く 、 全 面 的 の戦 争 避 け 難 し と 云 ふ考 へで居 つ
名 で ﹁上奏 を経 てあ る﹂ と 云 ふ こと で あ りま し て、其 の条 項 は
し 兵 力 を支 那 駐 屯 軍 が使 用 せ ん とす る時 は予 め 中央 部 の承 認 を受
る 、若 し実 行 す る誠意 が な いな らば 之 に鷹 懲 的 打繋 を 与 へる 、併
﹁十 一日 の彼 我 の協 定 を全 面 的 に承 認 し 、 軍 は 其 の実 行 を監 督 す
たと 私 は考 へて居 りま し た。 又 私 の連 れ て行 き ま し た参 謀 も之 と同
尚 夫 れ に就 て今 井 中 将 が言 ひ ま し た の は ﹁或 は 青島 に第 五師 団 を
け よ﹂
様 の意 見 を述 べ て居 り ま し た 。
上 陸 さ せて 、 そ れ を支 那 駐 屯 軍 の隷 下 に入 れ ると 云 ふ案 も あ る が併
﹁中 央 に於 け る此 の ﹁事 変 処 理 ノ方針 ﹂ は必 ず し も軍 の状 況 判断
き ま し た所 が中 島 少 将 が言 ふ には
併 し ど う も之 が出 来 た事 情 が は つき り判 り ま せん の で更 に色 々聞
と 云 ふ こと であ りま し た 。
し 恐 ら く其 の頃 になった ら 方 面 軍 の編 成 が出 来 て其 の隷 下 に全 部 が
ては 支 那駐 屯 軍 に与 へら れ た丈 の任 務 は是 非 と も 完 了 し な け れ ば な
入 る の では な いか と思 ふ﹂ と 云 ふ ことも 言 は れま し た 。而 し私 と し
らな いが其 の後 は参 謀 本 部 の指 示 に従って 恒 久 的 の処 置 を と る べ き で あ ると 老 へま し て 、先 づ北 支 に就 て は宋 哲 元 を追 ひ出 し て其 の替
と 一致 し て居 ら な い
何 と な れば 軍 の状 況 判 断 を土 台 に し て協 議
し たも の では な いか ら だ﹂ と 云 ふ話 であ り ま し て更 に申 し ます の には
﹁ 形 勢 は拡 大 が避 け られ ぬや う に思 ふ が絶 対不 拡 大 と 云 ふ こ と な
そ こで私 は大 いに考 へま し て
間 に硬 軟 両 派 の意 見 の衝突 が あ って非 常 に議 論 が囂 々と し て居 っ
増 派 は 止 め な け れば な るま い︱
仲 々難 し い こと だ︱
声 明 を し て居 る、 さう し て事 変 を 不拡 大 にす る と云 ふ こと は之 は
即 ち 日本 は既 に十 一日 に兵 力派 遣 の
て 収拾 出 来 な い形 にな った の で之 を緩 和 す る意 味 で、参 謀 本 部 、
完 全 に達 す る 為 には矢 張 り内 地 から 三 ケ師 団位 を動 員 し て持って
にも 言 ひ分 が あ る だ らう︱
れ ば之 は大 いに考 へな け れ ば な ら な い。 私 の考 へる の には支 那 側
陸 軍省 の関係 部 局 長 三、 四 名 集 っ て貰 って 、 さう し て此 の案 を作
来 て貰 は ね ば な ら ぬ が、 併 し そ れ も 時機 の問題 で あ る︱
﹁軍 の状 況 判 断 そ のも の に対 し て も参 謀 本 部 と陸 軍省 に居 る者 の
製 し 、 そ れ を 上聞 に達 し て之 に依 っ て皆 を抑 へて意 見 を 纏 め た と
力 の増 派 に就 ては 考 へま せう ﹂
﹁ 御 尤 も です 。支 那駐 屯 軍 が現 在 の兵 力 で大丈 夫 だ と 悉 ふな ら兵
と中 島 少 将 に申 し ま し た ら
貰 ひ た い﹂
大 と 云 ふ方針 を遂 行 す る為 には 先 づ 兵 力 を増 派 す る こと を 止 め て
不 拡 大 も 手 段 を尽 せば 今 な ら 出 来 ぬ こと も あ る ま い から絶 対 不拡
事件 の
支 那駐 屯 軍司 令 官 固 有 の任務 を
若 し絶 対 不 拡 大 の意 図 な れば 此 方 への兵 力
云 ふ のが真 相 で 、 つま り 此 の処 理 方 針 が そ れ であ る﹂ と 云 ふ や う な話 で あ りま し た 。 そ こ で
出 先 の意 見 に重 点 を 置 いて や っ て貰 は ぬと
さう 云 ふ こと を やら れ ては出
先 の者 は 実 に困 る︱
内 部 の方 で硬 軟 両 派 があ って其 の意 見 が纒
﹁そ れ は ど う も 甚 だ穏 か でな い︱
全 く 処 理 が出 来 ぬ︱
そん な こと で出 来 た も の を参 謀 総 長 、陸 軍大 臣 の御 意 見 で
らな か った と 言って 一部 の者 で さう 云 ふ こと を や ら れ た の では 困
と 云 ふ ので中 島 少 将 から其 の こと に付 て意 見 具 申 の電 報 を さ れた や
る︱
あ る と言 っ ても 疑義 を持 っも の が あ っ て却 て甚 だ具 合 が悪 く はな
う で あ り ます 。 従って 内 地師 団 の動 員 も少 し 遅 れ た と思 ひ ます し 、
殿下
第 二十 師 団 は 十 一日 に応 急 動 員 をし て丁 度 其 の頃 来 つ 、あ り
当 時 第 二十 師 団 は行 き つゝ あった の であ り ま せう 。
力 は 其 の後 に置 く こ と にし た ので す ⋮ ⋮併 し な がら 之等 の地点 に配
旅 団 司 令 部 と 一ケ聯 隊 は唐 山 と 山海 關 と の中 間 の鉄 道 沿 線 に置 き主
が兎 に角 輸 送 を 一時 中 止 し ま し て 、師 団 司 令 部 と 一ケ聯 隊 は天 津 に、
ま し た が之 も 一時 止 め まし た ⋮ ⋮先 頭 部 隊 は既 に天 津 に入 り ま し た
香月
又其 の兵 力 を北 支 に入 れ な いやう に意 見 具 申 も 致 し ま し た。
い か﹂ と 云 ふ こ と を雑 談 と し て申 し て置 き まし た 。 尚 其 の前 日 に侍 従 武 官 長宇 佐美 閣 下 が或 る将 校 に托 し て私 に手 紙 を寄 し て下 さ いま し た が其 の手 紙 を見 ます ると ︹ 天皇︺ ﹁お上 のお思 召 も 事 変 の拡 大 と 云 ふ こ と を非 常 に御軫 念 遊 ば さ れ て居 ら れま す から 此 の辺 の こと は 十 分心 得 て居 ると 思 ひ ます が お 思召 の点 を お伝 へし ま す﹂ と 云 ふ こと を特 に寄 さ れま し た 。
置 し た兵 力 は それ つと 云 ふ時 に北 京 へ持 っ て行 く こは作 戦 的 にも 難
さう 云 ふ風 で事 変 処 理方 針 を伝 へら れ た 支 那駐 屯 軍 は そ れを 実 行
云 ふ こ とを 中 島 少将 に言 って置 き ま し た 。
す る為 に苦 労 し た 訳 であ り ます 。
し い状 況 で あ りま し た⋮ ⋮而 し当 時 敵 は北 京 周 辺 には大 分 来 て居 り ま し て ⋮⋮ 平 時 は こ三 ケ師 位 し か居 りま せん が ⋮ ⋮既 に趙 登 寓 の軍
ふ こと は事 実 であ り ます か ⋮⋮
殿下
此 方 が 兵 を出 し た と 云 ふ こと に依って 向 ふ が手 出 し し た と 云
隊 も永 定 河 を 渡 っ て来 て居 る と 云 ふ状 況 でし た か ら此 処 へ内 地 師 団
支 那 側 は其 の通 り に申 し て居 り ま す 。 ︹信 六郎︺ 之 は蒋介 石 が盧 山 に於 て言った こと も あ る し 、 日高 参 事 官 が向 ふ
﹁日本 は ど ん〓
兵 力 を増 加 し てさ う し て 此 方 に は兵 力 を 増 加 す
何 と な れば 当 時 永 定 河 、蘆 溝 橋 附 近 では 敵 と相 待 峙 し て居 るし 其
か、 少 く と も 事実 に於 て は当 時 あ の声 明 を 引 っ込 め な け れば 甚 だ都
と 云 ふ の で十 一日 の派兵 の声 明 がど れ だ け 向 ふ に刺 戟 を与 へた こと
ち
と交 渉 し た際 にも 支 那 の外 交 次 長 の返 答 には さ う あ った の です 。 即
香月
を持って 行 く こと は敵 を刺 戟 す る やう で具合 が悪 いと 云 ふ考 も あ り 、 さ り と て第 二十 師 団 を 満洲 へ置 く こと も 具 合 が悪 いと 云 ふ事情 が あ
丁 度 其 処 へ先程 申 し た やう に陸 軍 省 と 参 謀本 部 と連 署 の処 理 方針
り ま し た の で こん な所 へ止 め た の であ り ま す 。
が来 た の であ り ま す が其 の処 理方 針 に依 り ま す と兵 力 を行 使 す る場 合 には予 め 中 央 の承 認 を得 な け れば な ら ぬと 云 ふ こと を 言 っ て来 て
の他 の方 面 に於 ても 満 洲 か ら相 当 に志 気 が昂 っ て居 る混 成 旅 団 が参
合 が悪 いと 私 は考 へた ので あり ま す 。
る の を止 め て外交 交 渉 に移 せと 言 ふ のは 可笑 し い﹂
って 居 りま す から何 時 何 処 で 不意 に衝突 が起 ら ぬ と も限 ら ぬ の に其
殿下
居 り まし た の で之 には非 常 に困 っ た の であ り ます 。
の際 に 一々参 謀 本 部 、 陸 軍省 に兵 力 使 用 の許 可 を 得 な け れば な ら ぬ
で せう が、実 際 現 地 に行 か れ て から は お考 へが変 った の では あ り ま
宇 佐美 侍 従 武 官 長 が呉 れ た 手紙 を見 て か ら之 は絶 対 不拡 大 で
閣 下 が出 て行 か れ る時 分 には 拡 大避 け難 し と考 へて居 ら れ た
と 云 ふ こと は 非 常 に具 合 が悪 い の みな らず 、 軍 司令 官 になった 時 挨
香月
せん か。
﹁ 逐 次 増 加 サ ルベ キ 兵力 ヲ併 セ指 揮 シ支 那駐 屯 軍 司 令 官 ノ任務 ヲ
拶 に参 りま し た際参 謀 本部 で は
達 成 スベ シ﹂
を受 け よと 云 ふが如 き は之 は統 帥 権 の干 犯 であ る。 斯 の如 き こと を
を達 成 す る為 には或 る程 度 当 然 であ る の に今更 兵 力 使 用 に関 し承 認
川 岸 中将 ( 第 二十 師 団 長 ) の宿 に出 か け て行って 天 津 で二 ・二 六事
あ り ま し て居 留 民 の中 には 私 を 攻撃 し て居 っ た者 も あ り ま す やう で
より 方 法 が な いと私 は思 ひま し た が 、其 の時 分 に は相 当 種 々意 見 が
そ こ で之 が為 には先 程 申 し た や う に兵 力 増 強 と 云 ふ こと を 止 め る
進 ん で行 かな け れば なら な いと 思 ひ ま し た 。
や ら れ ると 云 ふ こと は支 那 駐 屯 軍 司 令 官 を し て、 ま る で ﹁ロボ ツ
件 のや う な も のを起 し て軍 司 令官 を や っ っけ やう と 云 ふやう な こと
と 云 ふ作 戦 命 令 を受 け て居 る の です から 兵 力使 用 は軍 司 令 官 の任 務
ト﹂ か ﹁デ ク ノ棒﹂ た らし め るも の であ る 。其 の点 を 考 へて呉 れ と
と 云 ふ こと を張 自 忠 の 口 から参 謀 長 を経 て聞 い て来 た ので あり ま す 。
﹁ 宋 哲 元自 身 が謝 罪 に行 く のが良 いか代 理 でも 良 いか﹂
そして
を言 った居 留 民 も あ っ たさ う であ り ます ⋮⋮ 勿 論 私 は其 の当 時 そ ん な こと は何 も 聞 い て居 り ま せ ん で し た が、 後 で斯 う 云 ふ ことも あ っ
特 に支 那 人 は ﹁面 子﹂ を重 んず
て は 軍 司令 官 の指 導 を仰 ぐ こと にし た い と思 ひま す か ら何 事 に依
﹁ 自 分 は今 回 の事 変 に付 て甚 だ遺 憾 に思 ひま す 。 今後 のこ と に就
に彼 が申 し まし た こ と は、
と 申 し ま し た所 が宋 哲 元 は 十 八 日 の午 後 私 の許 に来 ま し た 。共 の時
ひ度 い こと が あ る 。 ﹂
子﹂ 等 を問 題 に せず 自 分 でやって 来 い、 特 に自 分 と し て も是 非 言
﹁今 や宋 哲 元 は非 常 な大決 心 を 必要 とす る 時 だ か ら 彼 等 の ﹁面
と 云 ふ こと を参 謀 長 が聞 き ま し た の で私 は
る から や ら ぬ の だら う が ど う し ます か﹂
罪 に来 る こと は今 迄 はな い。︱
﹁従来 は 二十 九軍 長 であ り冀 察 政 務 委 員 長 と云 ふや う な も の が謝
た と私 に伝 へて呉 れま し た 。 そ れ だけ 居 留 民 が昂奮 す る だ け に 一般 の情 勢 が逼 迫 し て居 っ
以上 の やう な こと で中島 少将 、柴 山 大 佐 は 帰 り ま し た が此 方
四、 現 地 交 渉 の経緯 と其 の裏 面 の真 相
左 様 です 。
た こと は事 実 で あり ま せ う ね 。
殿下
香月
香月 と し て は依 然 協 定 の履 行 を迫 った ので あ り ます 。
所 が十 八 日 に宋 哲 元 が謝罪 に来 ま し た。 其 の時 彼 は張 自 忠 (三十
らず 指 示 に与 り度 い。 今 回起った 不祥 事 件 に付 ては私 洵 に遺 憾 に
八 師長 ) と例 の北 寧 鉄 路 総 局 の総長 を や って居 った陳 畳 生 と共 に来 ま し た ⋮ ⋮陳 畳 生 は 日 本 語 が よ く出 来 る が張 自 忠 は話 せ ま せ ん⋮ ⋮
思 ひ ま す。 自 分 は 予 て東 洋 の和 平 を切 に願 ふ のみ で あって 、 殊 に
私 は池 田純 久 を伴 っ て之 と 会談 を致 し まし た。
日支 親 善 に就 ては 最 も努 力 し た心 算 であ る。 従って 前 軍 司 令 宮 に
其 の時 閣 下 は 司 令 官 と し て行 か れ て から初 め て宋 哲 元 に会 は
と を祈 り ます 。 万 事 宣 し く御 指 導 を願 ひ度 い。﹂
は特 に御 親 交 を願った が何 卒 今 度 の閣 下 にも 御 親交 を賜 はら む こ
殿下
初 め て であ り ま す 。
れ た の です か⋮ ⋮ 香月
宋 哲 元 は十 二 日 に楽 陵 か ら 天津 に来 まし た。 そ し て人 を介 し て私
と 云 ふ のは之 は ﹁謝 罪 ﹂ を意 味 す る のだら う と は 思 ひ ま す が ﹁謝
﹁ 遺 憾 に存 じ て居 りま す﹂
と 云 ふ こと で あ りま し た。 そ こで
罪 ﹂ と 云 ふ こと は言 は ぬ ので あ り ます 。 併 し ﹁謝罪 す る﹂ と云 ふ意
﹁ 私 は今 度 の事 変 で非 常 に苦 心 を し て居 る、 これ か ら は天 津 に居
に斯 う 云 ふ こ と を言 っ て来 ま し た 。
って軍 司 令 官 の横 に居って 軍 司令 官 の言 ふ通 り にや る 、就 て は自
味 で は な い か も知 れ ぬ が ﹁ 遺 憾 に思って 居 る﹂ と 云 ふ こと を 申 し て
分 を援 助 し て貰 ひ度 い。 ﹂ と 、併 し私 は聞 き 流 し て居 り ま し た が、 次 で
居 りま す か ら 私 は斯 う 云 ふ こと を彼 に申 し まし た。
二 、 日 支 双方 の合 作 に不 適 当 な る職 員 は冀 察 に於 て自 発 的 に罷 免
有 す る 職員 を取 締 る
三 、冀 察 の範 囲 内 に他 の方 面 よ り設 置 せ る各 機 関 内 の排 日色 彩 を
す
る。自 分 は 此 の際 貴 軍 長 が 一大 決 心 を もって 此 の種 不祥 事 件 の再
と す るが問 題 は今 後 断 じ て斯 の如 き事 件 を再 発 さ せ な い こと に あ
四 、藍 衣社 、 C C団 等 の如 き排 日団 体 は冀 察 に於 て之 を撤 去 せし
﹁今 回 の事 件 に就 て貴 軍 長 が遺 憾 の意 を表 せら れた こと は之 は諒
発 排 除 を期 せ ら れ る こと を希 望 す る。 殊 に東 洋 の平和 を希 望 す る む
五 、排 日的 言 論 及 排 日 的 宣 伝機 関竝 民 衆 等 の排 日 運動 を取 締 る
彼 の欧 洲 大戦 も ﹁セルビ ヤ﹂
六 、冀 察 所 属 の各 軍 隊 、各 学 校 の排 日教 育 及各 学校 の排 日運 動 を
こと は自 分 も貴 軍 長 に劣 ら な い︱ の青 年 の放った 一発 の銃 声 に因 を なし て居 る︱
取締 る
将 来 此 の種 事故
の発 生 を未 然 に防 ぐ 為 には 閣下 の重 大 な る決 心 を もって お互 に和
と 云 ふ の で、 之 に十 九 日張 自 忠 、 張 允 栄 の二 人 が署 名 し て参 謀 長 に
こと は冀 察 側 に於 て自 発 的 に之 を実 行 す
右 の外 北 平 城 内 に在 る第 三十 七師 の部 隊 を 他 に撤 去 せし む る
協 的 に東 洋 の平 利 に貢献 し た い か ら閣 下 に於 ても 此 の点 に十 分 御 協 力 を願 ひ度 い。﹂ と 云 ふ やう な 意 味 を 申述 べ た のであ り ま す 。 さう し て向 ふ では ﹁よ く解 り ま し た 。 ﹂
に於 け る保 障 に就 ては 此方 の希 望 し た所 を全 部 容 れ る こ と にな っ た
渡 し て冀 察 側 と の交 渉 が成 立 し た の であ り ま す 。即 ち冀 察 側 も 将 来
ので あ りま す から之 で現 地交 渉 は完 全 に纒 った こと にな っ た の であ
其 の結 果 更 に色 々交 渉 を致 し ま し たが実 は 支那 駐 屯 軍 の状 況判 断
と云 ふ ことを 申 し て 辞去 致 し まし た 。
に基 く 七項 目 の要 求 と 云 ふ も のは 中 央 の ﹁ 事 変 処 理 ノ方 針 ﹂ の中 に
り まし て、 従 ひま し て支 那 駐 屯 軍 が中 央 の指 示 であ る不 拡 大 の方 針
であ り ます 。
何 も書 いて居 り ま せ ん ので此 方 から は 向 ふ に書 いて渡 し て居 ら な か
殿下
に依 って行 っ た現 地 解決 と 云 ふ こと は 形 式 上 成立 し た と私 は思 ふ の
を急 い だ こと は事 実 で あり ま し て 、殆 ど毎 日毎 晩 張 自忠 と話 し て居
参 謀 長 と が再 三協 議 し て居 りま し た の で此 の頃 も参 謀 長 が 此 の協 定
た と思 ふ の です が ⋮ ⋮
ったの です 。 然 し将 来 の保 障 と云 ふ こと に就 て は初 め から張 自 忠 と
り まし た が、何 ん で も其 の条 件 を見 せ て呉 れ と向 ふが言った ら し い
香月
たり には始 終 電 話 連 絡 があ る の です が私 の方 に は何 等 話 が な い ので
です が ⋮ ⋮ どう も下 の連 絡 だけ が多 く て困 る の です 。 っま り参 謀 あ
何 ん でも十 七 、十 八 日頃 に参 謀 の方 に は何 か話 が あ った ら し い の
私 のと ころ に は夫 れ が来 て居 り ま せ ん 。
其 の当 時 中央 は期 限 附 の要 求 を 出 す と 云 ふ やう な 問 題 があ っ
の で遂 に之 を示 し た為 に此 方 の要 求 通 り に向 ふが 書 いて来 たら し い の です が兎 に角 十 九 日 には 此 方 の思 ふ通 り に協 定 を 致す こと が出 来
一、共 産 党 の策 動 を 徹 底的 に弾 圧 す
まし た。 即 ち向 ふ が書 い て来 た の は
絡 は上 の方 か ら来 な いと どう も具 合 が悪 る い のです ⋮ ⋮殆 ど私 の耳
どう も色 々と 困 る こと が起 る の で遂 にそ れ を 止 め さ せま し た ⋮ ⋮連
香月
殿下
そ れ が判って 居 れ ば 勿論 彼 を やら な かった のです が、 後 で熊
熊 斌 が来 たと 云 ふ こと は後 で判った 訳 であ り ます ね。
図 を通 じ る こと になって 仕 舞った のだ と 思 ひ ま す。
ま し た の です が遂 に彼 は此 の熊 斌 と の会 見 に依って 蒋 介 石 と 大 体意
其 の後 宋 哲 元 は 暫 く 天津 に居った の です が 二十 一日 になって
には 入って 居 りま せん 。
し て居 り ま す が其 の時 から 北 京 は 非常 な活 気 を呈 し て来 ま し た。
斌 が来 た と 云 ふ こ と が判った の であ り ます 。 彼 は 北京 に来 て会 議 を
天 津 に居って は仲 々其
﹁北平 に行って 自 分 の部 下 を抑 へた い︱
ま し て親 日 的 な色 彩 を持って 居 ると謂 は れ て居 る張 自 忠 、張 允 栄 、
其 の会 議 は馮 治 安 、 秦 徳 純 等 の非常 な排 日家 だけ が参 加 し て居 り
の実 行 が出 来 な いと 思 ふ から 向 ふ に行って 取 締 り を や り た いが行 っても良 いか﹂
陳 畳 生 と 云 ふや う なも の は其 の会 議 に参 列 さ せ ら れな かった ので あ
と 聞 い て来 ま し た。 そ こ で私 は
り ま す ⋮ ⋮彼 等 は天 津 に残 さ れ て居 り ま し た ⋮ ⋮そ れ で実 は当 時 宋
お前
﹁何 も 天 津 で私 の横 に居 ら ねば な ら ぬと 云 ふ こと はな い︱
五 、 支 那 駐 屯 軍 最 初 の作 戦 計 画 に就 て
一方 二十 一日 に参 謀 総 長 から は ﹁内 地 に於 て動 員 し た部 隊 を
機 せし め北 支 事 変 の推 移 を監 視 す るを要 す﹂
て内 地 動 員 師 団 は 一部 を以 て満 洲 ・朝鮮 に、主 力 を以 て内 地 に待
﹁帝 国 が北 支事 変 の不拡 大 主 義 を 放 棄 せざ る限 り目 下 の状 況 に於
の で次 のや う な意 見 を述 べ て置 き ま し た。
不 拡 大 の為 には兵 力 増 加 をせ ぬ方 が よ いと 云 ふ考 を 固持 し て居った
ど う 云 ふ風 に使 用 す る か﹂ と 云 ふ意 見 を徴 せ られ ま し た が私 は事 変
香月
事 件 が起 りま し た ので あ り ます 。
た のです が 二十 四 日午 後 には之 を中 止 す る に至 り 二十 五日 には廊 坊
し 始 め、 又 排 日 の親 玉 を罷 免 す ると 云 ふや う な こ と を やり か け ま し
哲元 はボ ツ〓く 協定 の実行 を始 めまして三十 七師 を永定河 の南 へ移
が協 定 に基 いて自 分 の部 下 軍 隊 、冀 察 政務 委 員 会 を指 導 す る為 に 北 京 に行 く のは宜 し い。﹂ と言って やり ま し た ので彼 は喜 ん で二 十 二 日出 発 し まし た。 所 が実 は彼 は 二 十 二 日 に蒋 介 石 の参 謀 次 長 た る熊 斌 に会 ふ為 に行 ったの だった の であ り ます 。 即 ち当 時 熊 斌 が保 定 ま で飛行 機 で来 て そ れ から汽 車 で北 京 に密 か に入って 居 り まし た の で、 そ れ に指 示 を受 け に彼 は行った ので あり ます 。 そ こで話 は前 に戻 る の です が 、 私 が初 め て宋 哲 元 に会った 時 尚 一
﹁蒋介 石 に対す る お前 の腹 は ど う か﹂
歩 突 つ込 ん で
と 云 ふ こと を聞 き 、 そし て私 の決 心 と し て は ﹁要 す る所蒋 介 石 と手 を切 れ、 さ う し て 日本 軍 に頼 るや う にし た らどうだ。 ﹂ と 云 ふ ごと を 言 は う と し まし た が、 そ れは参 謀 長 が抑 へた の で止 め
然 し 先 程 も申 しま し たが 、形 勢 は緩 和 さ れ て居 り ま せ ん から いざ と 云 ふ時 には現 在 持 っ て居 る兵 力 で軍 司 令 官 の任 務 を達 成 す る考 へ
六 、 廊 坊 事 件 及 広 安 門 事 件 の真 相
香月
の妨害 を受 け て思 ふ やう に修 理 が出 来 ま せ ん の で、其 の日 は止 む を
二 十 五 日 に起 りま し た廊 坊事 件 は之 は全 く 予 期 せざ りし も の
関 す る こと が判 りま せ ん ので、 ほ ん の少 部 分 の増 援 を得 た時 のも の
であ り ます が次 に之 が起った 経 緯 を申 し ます と今 迄 も屡々 軍 用 電 線
で、作 戦 計 画 を作 って居った の で あり まし たが 、是 迄 は増 援 部 隊 に
であ り ま し た から 全面 的 の戦 に なった 時 の こと を考 慮 に入 れ たも の
が 破壊 さ れ る ので其 の補 修 のた め兵 を出 し て居 り ま し た が何 時 も敵
而 し て此 の作 戦 計画 を立 て る上 に私 が注 文致 し まし た こと は
に修 正 さ せま し た 。
忠 が天 津 に居 り まし た から之 と連 繋 を し まし た所 が張 自 忠 は
﹁ 廊 坊 に居 る のは 自 分 の部 隊 で あ る が あ そ こ へ兵 力 を出 さ れ る こ
得 ず 廊 坊 迄 掩 護 部 隊 を附 け て や らう と云 ふ こと になって 、 丁 度 張 自
と は間 違 ひ が あ ると 困 る か ら な る ベ く出 さ ぬや う にし て貰 ひ度 い、
(一) 緒 戦 であ り ま す か ら絶 対 に勝 利 を得 る と 云 ふ こと を 強 調 し 、
置 き且 っ疾 風 迅 雷 的 な行 動 を や る必 要 が あ る ので従 来 は 西 苑 に重
若 し出 す な ら ば 極 力 少 く し て呉 れ 。 ﹂
特 に第 一線 の兵 力 が 少 い だ け に其 の兵 力配 備 は或 る 一地 に重 点 を
点 を置 く と 云 ふ計 画 でし た が之 を南 苑 に置 くと 云 ふ こと に変 へさ
力 を置 かな いで後 は運 命 に任 せ る と 云 ふ より 仕 方 が な い と云 ふ腹 を
そ こ で其 の作 戦 計 両 は 天津 に 一ケ中 隊 、 北 京 にも 一ケ中 隊 し か兵
す 。 そ し て其 の指 示 を仰 ぎ ま す 一方 に於 て は 独断 で 一ケ 聯 隊 の増 援
軍 大 臣 に兵 力使 用 に関 す る指 示 を受 け るや う に迄 なった の であ り ま
れ が敵 の包 囲 を 受 け非 常 に苦 戦 にな り まし た ので遂 に参 謀 本 部 、 陸
と 云 ふ の で二 十 五 日 に兵 を出 し まし た訳 です が 、夜 の十 一時 半 にそ
﹁承 知 し ま し た。 ﹂
と申 し ま し た所 が 張自 忠 も
にし て貰 ひ度 い。﹂
﹁お前 が厳⋮ 戒 を 加 へて部 隊 に妨 害 を加 へる やう な こと がな いや う
と 云 ふ答 でし た の で
し た の であ り ます 。 (二) 次 に居 留 民 は京 津 地 方 だ け でも 非常 な数 であ り ま す から之 の 保 護 と 云 ふ こと に も相 当 兵 力 を 取 ら れ る こと にな る の で場 合 に依 っては 居 留 民 の保 護 をも抛 棄 し な け れ ば な らな いし 交 通線 の確 保 をも 作 戦 の為 には 一時抛 棄 せ ざ る を得 な い こと も あ ら う が そ れ は
決 め ま し た ⋮ ⋮其 の作 戦 計画 は 恐 ら く御 覧 頂 い た こ と と 存 じ ま す
を 送 り 、 又 同時 に宋 哲 元 に向って 協 定 の実 行 を迫 り ま し て
止 む を 得 な い こと だと 云 ふ指 示 を参 謀 に致 し ま し た 。
一旅 団 、酒 井 第 一旅 団 及 川岸 第 二十 師 団 主 力 の展開 も やった の で あ
﹁特 に其 の中 でも兵 力 の引 上 げ と 云 ふ こと は速 急 にや れ ⋮ ⋮ 二 十
⋮ ⋮ さう し て更 に進 ん で支 那 駐 屯 軍 在 来 の河 邊 旅団 の外 に鈴 木 第 十
り ます 。
八 日 正午 迄 に や れ⋮ ⋮ 若 し や ら な いな らば 誠 意 のな いも のと し て
断乎 た る処 置 を と る ⋮⋮﹂
廊 坊 事 件 は 夫 れ等 の処 置 に依って 片 付 く と 云 ふ空気 が濃 厚 で
と 云 ふ最 後 的 通 牒 を出 し まし た 。 殿下
廊 坊 事 件 迄 は大 体 よく な る と 云 ふ こと を推 定 し て居 り まし た
あった の です か。 香月 ︱ 当 時 支 那 大使 の川 越 が天 津 に来 て居 り ま し て私 の所 へ寄 って話 を し ま し た が其 の時 も ﹁ 大 体 之 で蒋介 石 の方 も抑 へて事 件 も 片 付 く だ らう ﹂ と 言って 居 り ま し た し 、又 日 高 参事 官 の方 でも ﹁鳧が付 く ﹂
さ う 云 ふ通 牒 を出 し て呉 れ
元 は非 常 に驚 き ま し て松 井 大 佐 の所 へ行 き ま し て
﹁従 来 は自 分 の方 に不 覚 が あ った︱ る な﹂
と 云 ふ こ と を言って 彼 は非 常 に困 って居 ると 云 ふ こと を 松井 か ら言
﹁ 要 す る にお前 の方 は実 行 さ へす れば 良 い の だ か ら 之 は 受 け 取
って 来 まし たが 軍 司令 官 とし ては 、
れ﹂
﹁此 の通 牒 の主 旨 は実 行 さ せ る と云 ふ こと に あ る のだ か ら若 し 実
と言って 渡 し ま し て
行 しな け れば 不測 の事 件 が起 る ぞ。﹂
所 が其 の晩 に廣 安 門 事 件 が起 った の です 。併 し宋 哲 元 は未 だ愈々
と 云 ふ こと を警 告 し て帰 し てや った さう です 。
や る と 云 ふ腹 は な か っ た やう であ りま し て彼 は非 常 な 心配 をし て秦
に不意 に廊 坊 事 件 が起った 訳 であ り ま し て愈 々之 では 不可 な いと 云
と 言って 居った ので 一般 に安 心 し て居った 形 であ り ます が 、 其 の時
ふ こと にな り、 又 続 いて 二十 六 日 の晩 にな り ま す と例 の廣 安 門事 件
ます 。
其 の頃 には宋 哲 元 の威 令 が行 は れな かった やう であ り ます ね 。
徳 純 等 と 一緒 に自 動 車 に乗 っ て廣 安 門 附 近 にや って来 たやう で あり
熊 斌 が来 てか らど う も馮 治安 等 の意 見 が強 硬 になって 来 て宋
が起 り ま し た の で遂 に参 謀 本 部 に兵 力使 用 に関 す る意 見 具 申 を ⋮ ⋮
殿下
香月
は 殆 ど な い の であ り ます︱
事 が 相当 忙 し く 軍 隊 の検 閲 等 が出 来 な い為 に彼 の軍 隊 に対す る威 信
であ る と共 に冀察 政務 委 員 であ り 、天 津 市長 であ る の で行政 的 の仕
哲 元 は出 し抜 かれ た格 好 になって 居 り ます 。 又張 自 忠 は 三十 八師 長
香月
前 の訓 令 にあ っ た関係 上 ⋮⋮ 致 し ま し て率 直 に御指 示 を得 た いと 云
さう す ると 兵力 使 用 の意 見具 申 は廣 安 門事 件 の直 後 の こと で
ふ こと にな っ た ので あ り ます 。 殿下
善 いと も悪 いとも 言 って来 ま せ ん で、 只石 原 第 一部 長 が独 断 で ﹁ 承
ま す︱
す か。
認 ﹂ と云 ふ こと を言 って来 た だ け で後 は何 も言 っ て来 て居 りま せ ん 、
重 んず る結 果 ど う し て も政 治 の方 に勢 力 を注 ぎ そ れ が主 になって 軍
そ れ は其 の前 です 。然 し 中 央 から は其 の後 兵 力使 用 に就 ては
あ 、云 ふ こと で軍 司令 官 の行 動 を製 肘 す る と 云 ふ こと は中 央 部 の非
隊 の方 が お留 守 にな り まし て張 自 忠自 身 とし ても師 団 長 と云 ふ より
何 んと な れば 我 国 と は 元来 考 へが違って 非 常 に ﹁ 面 子﹂ を
而 し て概 し て支 那 で は之 が普通 で あり
常 な失 敗 だ ったと 私 は今 日 でも 考 へて居 り ます 。 そ れ か ら 二十 六 日 の正 午 宋 哲 元 に最 後 通 牒 を出 し ま し た所 が宋 哲
即 ち外 交 交渉 又 は天 津 の治 安 維 持
と 云 ふ こと を申 し て来 まし た ので止 む を得 ず
う にせ よ﹂
﹁二 十 八 日 の朝迄 延 ば す から 二十 七 日夜 迄 に居 留 民 を引 上げ る や
も 役 人 と し て の方 が腕 があ る︱ と 云 ふ こと に就 ては相 当 な 腕 が あった やう であ りま す が 、自 分 の部
只馮 治 安 は自 分 の部 下 を北 京 の周 囲 に集 め て置 いて居った 為 に自
味 方 であ りま し て居留 民 の都 合 の良 いやう に やり ます 為 に軍 が軍 本
之 は先 程 も 一寸申 し まし た が特務 機 関 と 云 ふも の が元来 居 留 民 の
と 云 ふ こと を命 じま し た。
下 軍 隊 に対 し ては殆 ど威 令 が行 は れ な か っ たと 云 ふ の が事 実 であ り
分 は河 北 省 の省 長 兼 任 で あ りま す が自 分 の部 下 にも始 終 接 し て居 り
然 の作戦 をす る と云 ふ時 に なって も 特務 機 関 の為 に其 の実 施 が妨 害
ます し 、宋 哲 元も 全 く そ れ と同 じ だ った と思 ひ ます 。
ま し た為 に師長 とし て の勢 力 も 仲 々あ った やう であ り まし て馮 治 安
之 は 私 の統 率 下 にな く内 地 の方 か ら直 接 指 示 が来 る こと にな
当時 も特 務 機 関 は軍 司 令 官 の区 処下 にあ った ので はな い ので
され た と 云 ふ こと になった の であ り ま す。 殿下 す か。
然 し今 申 し た やう な 一般 の状 態 です から之 等 を相手 と し て如 何 に
の部 隊 は 統 制 が と れ て居 った やう です 。
上 の方 で交 渉 が巧 く行 って居 って も下 の方 で は巧 く 行 って居 な か っ
香月
さ う 云 ふ こと で作 戦 を 一日延 ば す と 云 ふ こと にな った の であ り ま
れ から 軍 事顧 問 の如 き も さう で あり ま す 。
って居 る関係 上非 常 に特務 機 関 の や る こと が具 合 が悪 いの です 。 そ
た と 云 ふ こと は事 実 であ り ます 。
七、 北平 周 辺 の戦 闘指 導 に就 て
し て作 戦 部隊 か ら言 へぱ苦 痛 で あり ま し た が思 っ たよ り も効 果 は あ
廣 安 門 事 件 が 二十 六 日 に起 り まし たが前 日 の二 十 五 日 の昼 に
香月
りま し た 。
よ く行 きま し た。 即 ち午 前 八 時 か ら歩 兵 部 隊 の攻 撃 が始 ま り 十 一時
に兵 力 を集 中 し て疾 風迅 雷 且 つ徹 底 的 に終 始 や り まし た の で非 常 に
二 十 八 日 に南 苑 の攻撃 を始 め た が之 は先 程 も申 し まし た如 く 一点
最 後 通牒 を届 け ま し た時 に
と 云 ふ こと を宋 哲 元 の所 へ松 井 大 佐 を や って通達 さ せ てあ り ま し た
半 頃 には其 処 に居 り ま し た七 、 八 千 の敵 は総 崩 れ になり ま し て遺 棄
﹁止 む を得 ざ れば 日本 軍 は 独自 の自 由 行 動 を と る﹂
が、 二十 六 日廣 安 門事 件 で此 の通 牒 を取 り消 し 即刻 自 由 行動 に移 る
は必 ず 永 定 河 の方 に逃 げ出 す から 之 を鈴 木 旅 団 酒 井 旅団 及 第 二十 師
併 し 遺憾 な こと が 一っあ り まし た。 そ れ は南 苑 をや る と北 京 の敵
ます 。
死 体頗 る多 く約 五 千 の敵 は繊 滅 し 得 て偉 大 な戦 果 を挙 げ た の であ り
旨 を通 告 し て私 は ﹁二十 七 日 の正 午 か ら攻 撃 を 開 始 せ よ﹂ と各 部 隊 に命令 致 し ま し た。 然 し 北平 の松 井 特 務機 関 か らは ﹁ 未 だ居 留 民 が収 容 さ れ て居 ら ぬ から 二十 七 日 を 一日延 期 し て呉 れ﹂
と申 し て置 き ま し た か ら巧 く やって 呉 れ るだ ら う と思 ひま し た の に
て貰 ひ度 い。﹂
仲 々巧 く行 き ま せ ん でし た。
団 等 で追 撃 し て全滅 さ せ やう と す る のが計 画 であ り まし た の に二 十 八 日 の第 二十 師 団 の戦 闘 は緒 戦 でも あ り且 つ相 当敵 が頑 張った 為 に
八 、 通 州事 件 に関 す る問 題
死 傷者 が 可成 り多 かった ので遂 に南 苑 附 近 に 一晩 明 かし て戦 場 を掃 除 し 又休 養 を取って か ら 二十 九 日動 き出 さう と 云 ふ こと になった こ とと
そ れか ら 次 は通 州 事 件 であ りま す 。
先程 も申 し ま し た如 く 段 々兵 力 は少 く な る も のです から絶 対的 に
香月
勝 利 を得 て非常 な効 果 を挙 げ ると 云 ふ為 には ど う し ても前 線 へ多 く
北方 に参 りま し た鈴 木 混 成 旅 団 の戦 闘 の やり 方 が活〓 でな く 且 つ
長 は十 八期 位 です が どう も 両 者 の間 が巧 く 連 繋出 来 ず 、 其 の為 に作
之 と協 同 作 戦 を す る酒 井 部 隊 と の指 揮 官 の間 に意 志 の疏 通 を 欠 いた ︹ 重康︺ ︹ 鏑次︺ 為 に両 者 の戦 闘 が巧 く いか ぬ⋮ ⋮鈴 木 旅 団 長 は十 七 期位 で酒 井 旅 団
の保 護 及 交 通線 の確 保 等 も抛棄 と ま で行 かな く ても 之 を軽 く見 ても
出 さ な け れば な ら な いと思 ひま し たし 、 又 勝 利 を得 る為 には居 留 民
差 支 えな いと考 へて居 りま し た し、 殊 に通 州 の如 き は殷 汝 耕 が政 務
戦 が思 ふ やう に行 か な か った のが実 情 であ り ま し た ⋮⋮ そ こで宋 哲
こと に なって 捕 へる こと が出 来 な か った こと が真 に遺 憾 であ り まし
元 が 二十 八 日 の夜 か ら 二十 九 日 の昼 の間 に西 の方 に逃 げ出 す と 云 ふ
委 員 長 をし て居 る冀 東 政 府 の所 在 地 であ り ま す から あ れ に叛 乱 が起
ると は全 く 思 っ て居 り ま せん の で特 に顧 慮 し て居 り ま せ ん で し た
た。
⋮ ⋮殊 に細 木中 佐 は殷 汝 耕 を信 頼 し て居 り ま し た から ⋮ ⋮然 し之 は
感じ
ま し た。 そ こ で軍司 令 部 と 云 ふ やう な も のも 平時 から ち や ん と編 成
そ れ で矢 張 り 人 の和 を見 な いと駄 目 だと 云 ふ こと を つく〓
し て置 い て、 軍 司令 官 とじ つく り気 の合 っ た軍参 謀 長 以 下 少 く も作
ふ こと であ り ます 。只 それ が吾 々に判 ら な か ったと 云 ふ のは当 時 軍
事 顧 問 と 云 ふ も の を軍 が確 か り握 る制 度 にな って居 ら な か ったと 云
後 で判 った ので あ りま す が実 は あ の叛 乱 も前 か ら徴 候 は あった と云
ふ やう に せぬ と非 常 に具 合 が悪 い と思 ひま す ⋮⋮ いざ と 云 ふ時 に寄
戦 主 任 位 は決 め て置 て現 地戦 術 で も や っ て考 へを統 一し て置 く と 云
思 ふが何 ん とも 致 し仕 方 があ り ま せ ん⋮ ⋮特 に細木 中 佐 が真 先 に殺
にな って居 りま し た し夜 中 に叛 乱 が起 ったも の です か ら甚 だ遺 憾 に
り ます が何 しろ それ迄 は全 く 平 穏 であ り まし た為居 留 民も バ ラ〓
って居 った関 係 上 兵貼 自 動 車 中 隊 の百 人余 り の部隊 も居 っ た ので あ
当 時 通 州 に は五 、 六十 名 の駐 剤 部隊 が居 り まし た外 兵站 末 地 にな
ふ点 に原 因 があ り ま す 。
之 は 非 常 に悪 い こと だ
人 の和 と 云 ふ こと に就 て殆 ど 今陸 軍 の中 央 部
せ集 め た者 では駄 目 だと 思 ひ ます ⋮ ⋮ 人 の和 を得 な け れば 作 戦 は 殊 に巧 く 行 き ま せ ん︱
は 考 へて居 ら ぬ のち や な いか と思 ひま す︱
緒 戦 の効 果 は先 制 が絶 対 斯 う 云 ふ計 画 で や るか ら大 い に其 の目 的 の為 に協 力 し
﹁一 番 初 め の戦 は 疾 風 迅雷 的 にや れ︱
と 思 ひ ま す。 事 実 此 の時 でも
必要 だ︱
さ れ まし た ので全 く 処置 が あり ま せん でし た。 之 に関 聯 し て当 時 私 と し て甚 だ不 快 に思 ひま し た のは杉 山 陸 軍 大 臣 か ら議 会 の関係 上 軍 司令 官 とし て ﹁ 通 州 事 件 は甚 だ遺 憾 だった ﹂
殊 に彼 が甚 だ横 着 な こと は要 人 連 と会 談 す る為 に冀 東 政府 北 京 出
頭 釈 放 され て仕 舞 ひま し た のは甚 だ 残念 です 。
張 所 と 云ふ や う なも のを作った 事 です 。 又張 自 忠 は初 め か ら軍 参 謀
﹁冀東 政府 の代 理 を 命 ぜ ら れ まし た から宜 しく ﹂
長 と非 常 に懇 意 に し て居 り ま し た関 係 上 宋哲 元 脱 出 後 張 自忠 が
と言って 来 ま し た こと です 。 併 し勿 論 日本 軍 と し て は既 に敵 と な つ
と 云 ふ意 志 表 示 を や れと 云 ふ こと を言って 来 まし た こと です 。 併 し
思 ひ ま し て、 彼 を捕 へやう と 思った の です が何 処 か へ逃 げ 出 し て仕
私 は当 時 軍 の作戦 の為 には 或 る程 度 の居 留 民 が犠 牲 にな る のは忍 ば
舞 ひ ま し た⋮ ⋮ さ う 云 ふ やう な こと で甚 だ あす こ では不 都 合 な 点 が
た 三十 八 師 の師長 で あ る張 自 忠 に翼 東 政 治 を任 す訳 に は行 かな いと
﹁苟も作 戦 軍 の司今 官 が殊 更 にそ れ に対 し て遺 憾 の意 を表 す る と
あった の であ り ま す。
な け れば な ら な いと覚 悟 し て居った 際 であ り ます から
云 ふ こと はな い、既 に陸 軍 と し て遺 憾 の意 を表 し て居 る のだ から
九 、 天 津 の暴 動 事 件 及 爆 撃 問 題
こと に欠陥 があ る のち や な い かと思 ひ ます 。
而 し要 す る に之 も軍 司 令 部 で総 て を統 一し て居 ら な かった と 云 ふ
今更 改 め て自 分 が言 ふ には 及 ぶ ま い。﹂ と言って お断 り 致 し まし た が陸 軍 大臣 は それ が 不快 であった やう で
股汝 耕 は事前 か ら禰 治 安 、 孫殿 英 の やう な排 日派 の要 人 と屡
今 の叛 乱 の徴候 と 云 ふも のは どう 云 ふも のだった の です か。
あ り ます 。 殿下
ヒ会 見 し て居 りま す し 、 そ れ に叛 乱 当時 政 府 の要 人 と 云 ふも のは 一
香月
香月
二 十 八 日 の夜 から 二 十九 臼 の朝 に かけ て天 津 にも 事件 が あ り
人 も 殺 さ れ て居 りま せ ん のみ な らず 、 そ れを護 衛 し て北 京 へ連 れて
分 置 し て居 り ま
ま し た。 此 の頃 天 津 には 僅 に二中 隊 の丘ハが居った 許 り で其 の中 一小
隊 は飛 行 場 の方 へ行って 居 り 、其 の他 は チ ヨイ〓
し た関 係 で軍 司令 部 附 近 に居った のは 一中 隊 で あ り ます 。 そ れ で遂
此 の叛 乱 の真 網 は 彼等 が 二十 八 日 の戦 況 を支 那 軍 の大勝 利 だ と信
行 っ て居 り ます 。
じ て居った 為 に此 の際 一旗 揚 げ やう と 思って 股 汝 耕 を 北 京 へ連 れ て
と言って 来 ま し た が結 局 実 行 さ せ まし た 。 又同 時 頃 塘 沽 にも事 件 が
﹁外 国 と の関係 が あ る ので止 め て呉 れ﹂
に爆 撃 を 命ず る決 心 をし ま し た が其 の時 堀 内総 領 事 から
ご ざ いま し た 。
そ れ で私 は殿 汝 耕 を 監躰郊さ せ て憲 兵 に厳 重 に取 調 ぺ を さ せ た の で
行った と 義 ふ やう に考 へら れま す 。
あ り まし て、其 の こと は後 の寺 内 軍 司 令 官 にも申 り 送 り ま し た やう
即 ち通 州 、 天津 、塘 沽 と事件 が起 って来 て方 々 に暴 動 が起 って来
な 次第 で、 当 時 の状 況 では 全 く股 汝 耕 自身 が やった こと であ る こと は 明白 で あ るか ら 、先 づ 此 奴 を 血祭 に上 げ て やら う と し ま し た が到
香月
は い、 さ う です 。 支 那 駐 屯 軍 に第 五 、 第 六 、第 十 師 団 が増 加
さ れ まし た の で其 の中 から 第 五師 団 をあ の方 面 に使 ひ第 十師 団 は津
今 の爆撃 問 題 です が、初 め から 積 極 的 に之 を や る か、 又 は や
た ので あ りま す 。
ら な い かと 云 ふ問 題 があった ので はな い の です か⋮ ⋮
し其 の後 は 北方 を関 東 軍 に任 せ て駐 屯 軍 は全 力 を挙 げ て京 漢 沿 線 方
ふ と 云 ふ こと に計 画 し 事 実 第 五 師団 を長 城線 ま で出 し た のです 。 然
殿下
さ う 雪 ふ こと は私 は聞 いて居 り ま せ ん 。只 酒 井 少尉 が石 家 荘
浦 線 に使 ひ、第 二十 師 団 及 後 から来 る第 六 師 団 を京 漢 沿 線方 面 に使
香月 附 近 で敵 の軍用 列 軍 を攻 撃 し た と 云 ふ こと等 が あり ま し て飛 行 隊 と し ては 大 い に爆 撃 を やり た いと 云 ふ こと を思って 居った ら し いの で
の では な い のです か。
殿下
初 め の頃 劉 汝 明 は 攻撃 せず とも 此 方 に来 るや う な状 況 だった
す が、 之 は 司令 部 で抑 へて居 り まし た 。何 ん と な れば 支那 駐 屯 軍 の
面 及 津 浦 線 方面 に向 く と 云 ふ腹 を決 め て居 り ま し た の です 。
任 務 を 堅 持 し な け れば な ら な い ので将 来 色 々と問 題 を 起す やう な こ
殿下
初 め から察哈 爾 作 戦 は関東 軍 に任 せる や う な計 画 にな って居
と云 ふ やう に考 へて居 った の であ り ます 。
︱ 即 ち懐 来 平 地 に顔 を覗 かせ た ら後 は鈴 木 旅 団 に任 し て引 上 げ る
が為 に此方 とし ても第 五師 団 を 北 方 に使 ひま し た が あ れ は長 城線 迄
あ れ は最 後 ま で此 方 に好 意 を有 って居 っ た のです が、 関東 軍
と は やら ぬや う にしな け れ ば な らな いと 云 ふ考 へから 極力 抑 へて居
があ れ を つ つい た ので あ ㌧云 ふ こと にな った の であ り ま し て、 そ れ
香月
そ こで当 時 支那 駐 屯 軍 と し ま し て は永 定 河 以 北 を確 保 し ま し
十 、 察哈 爾作 戦 実 施 の経緯
り ま し た のです 。
香月
駐 屯 軍 固有 の任 務 上 八達 嶺 迄 は 此 方 で や る と巽 ふ考 へであ り
香月
った のです か。
を長 城線 で止 め な け れ ば なら ぬと 云 ふ考 へから 鈴木 旅 団 を出 し て共
ま し た。 当時 一部 の幕 僚 は南 口 を取 るだ け で よ く はな い かと云 ふ意
た が北 方 の南 口、 察哈 爾 方 面 から は敵 が進 入 し て来 る状 況 な ので之
の方面 を 之 に任 せ ま し た が其 の旅 団 の行 動 が非 常 に緩 慢 であ り まし
見 を申 し た者 も あり ま し た が支 那 駐 屯 軍 は任 務 上 長 城線 ま では 取 ら
な け れば な ら ぬと 云 ふ考 へか ら さう す る こと となった のであ り ま す。
初 め は攻 撃 命 令 でな し に単 に監 視 と 云 ふ程 度 であった のでは
た。 殿下
殿下
や ると 云 ふ考 へであ った のです か⋮ ⋮
劉汝 明 をや つ つけ る為 と云 ふよ り も南 の作 戦 を掩 護 す る為 に
な い の です か。
香月
常 に頭 を悩 し て居 り まし た。 殊 に当 時 後 方 から来 る部 隊 は朝 鮮 、満
は い、 さう です。 何 分 八 十 三師 、 八 十 五 師等 が將 介 石 の命 令
香月
﹁ 南 口附 近 ノ敵 ヲ攻 撃 スべ シ﹂ と 云 ふ やう に命 じ たと 思って
居 り ます が併 し非 常 に其 の行 動 が活溌 で なく 大 変 遅 れ ま し た の で当
に依 り まし て第 五師 団 の左 側 背 に進 出 し て居 ると 一 四ふ の で之 には非 初 め から 第 五 師 団 を使 ふ こと を計 画 さ れ た のです か。
時 丁 度到 着 し て居った 第 五師 団 を 此方 に使 ふ決 心 を し まし た。 殿下
的 にや って呉 れ れば さう 云 ふ風 な 心配 は せ ぬ でも良 か ったと 思 ひ ま
あ り ま し た為 にあゝ な った の で最初 に申 上 げ ま し た やう に疾 風 迅雷
り ま す ⋮ ⋮相 当 軍 は之 に干 渉 を 致 し ま し た⋮ ⋮ が其 の行 動 は緩 慢 で
り ま し て第 五師 団 が行 く 迄 活〓 な行 動 を鈴木 旅 団 に要 求 し た ので あ
洲 の洪水 の為 に輸 送 が非 常 に遅 れ て居 りま し た の で非 常 な危 機 であ
撃 ま でも や るとす れば 全 部 で、 六 ケ師 団 は 欲 し いと思 ひま し た 。
香月
す か。
殿下
居 り ます 。 此 の点 は将来 大 いに考 へな け れ ば な らな いと 思 ひ ます 。
日 ま で累 を 及 ぼ し た の では な い か と云 ふ こと を今 日 でも 私 は信 じ て
要 す る にあ の時 に思 ひ 切 って軍 政 を 布 か な か ったと 云 ふ こと が今
又 当時 第 五師 団 を防 禦 の姿 勢 に使った 方 が良 いと 云 ふ意 見 も あ り
ま し て、 夫 れ に拠って 立 てた計 画 に対 し て参謀 本 部 の承 認 を得 る為
て大 体 駐 屯 軍 の任 務 を達成 し た いと云 ふ考 への下 に状 況 判断 を致 し
そし て此 の兵力 で保 定 、濁 流 鎮 、馬 廠 の線 を取 り そ こ に兵 を止 め
方 面 軍 の編 成 が出来 る な らば 兎 も角 支那 駐 屯 軍 だ け で保 定 攻
当 時 兵 力 が も っと 欲 し いと云 ふ感 じ が あ った の では な いの で
がら 攻 撃 せ ねば な ら な いやう にな った のです 。
す が、 遂 に第 五師 団 は そ こに到 着 し て から 左 側 の警 戒 を自 ら や り な
をし ま し た の で攻 撃 さ せ る こと にな り ま し た のです 。
香月
や ら せ る為 であ る と ま ふ こと を意 見 具 申 し た ので あり ま す 。
団 で も宜 し い。何 と な れば 此 の師 団 は北 京 、 天津 方 面 の治安 維 持 を
二十 師 団 の外 に尚 ニ ケ師 団位 欲 し い、 而 し て其 の二 ケ師 団 は特 設 師
即 ち今 の意 見具 申 を更 に詳 し く申 し ま す と第 五 、第 十 、第 六 、第
ら れ た訳 であ り ます 。
に 八月 末 参謀 長 を東 京 に出 し まし た、 其 の後 へ方 面 軍 の編成 が令 せ
ま し た が第 五師 団 長 が どう し ても 攻勢 に出 し て呉 れ と 云 ふ意 見具 申
十 一、 北平 周 辺 の戦 闘後 に於 け る 諸問 題
く と云 ふ こと を上 申致 し まし た。 と 申 し ます る のは冀 東 政 権 は殷 汝
宋 哲 元 を撃 退致 し まし て から私 は永 定 河 以北 の地 に軍 政 を布
耕 があ 、云 ふ風 にな り ま し た為 に冀察 政 府 も な く な り まし たも ので
即 ち関 東 軍 の植 田大 将 、 朝 鮮軍 の小磯 大 将 等 は 切 り に
而 し て当 時 私 の所 へは各 方面 か ら意 見 具 申 が 沢山 来 て居 り ま し た。
云 ふ こと が具 合 が悪 け れ ば そ れ に似 た も のを 作 らう と 云 ふ考 へで意
す から 矢 張 り之 は軍 政 を布 か な けれ ば な らな い。若 し軍 政 を布 く と
見 具 申 を 陸 軍大 臣 に出 し まし た の です 。然 し そ れ は容 れら れな か つ
﹁支 那 駐 屯 軍 は黄 河 沿 線 ま で や れ﹂ ︹ 今村均少将︺ と 云 ふ意 見 を 言 ふ て来 て居 り ま し て関 東 軍 の参 謀 副 長 な ど は ひ っき
たも の で日本 語 も 話 せ ます ⋮ ⋮ 併 し と ても そ れ等 で は之 等 の地 方 の
は 池 宗墨 と 云 ふ者 を任 命 致 し ま し た ⋮ ⋮此 の男 は 日本 大 学 を 卒業 し
そ こで天 津 、 北 京 に治 安 維 持 会 を作 ら せ、 又冀 東 政 府 の委員 長 に
ら も猛 烈 に意 見具 申 が や っ て来 る し、 又 漢 口 、 上海 、 南 京 、青 島 と
シテ ア ル カ ラ﹂ と其 の写 を 呉 れ た り、 或 は 朝鮮 総 督 の南 大将 な ど か
た し 、小 磯 大 将 は激 励電 報 を呉 れ る上 に ﹁中央 ニ モ斯 ウ云 フ上申 ヲ
り な し にや って来 て軍 司 令部 を鞭撻 す ると 云 ふ形 にな っ て居 り まし
た の で結 局当 時 は 無政 府 状 態 であ り ま し た。
真 の治 安維 持 は出来 な いと云 ふ状 態 でし た。
書 類 等 迄 も さ う で あ りま し て 、
支 那 駐 屯 軍 と 云 ふ も の は第 一軍 と第 二軍 と 方 面軍 と に分 れて
でし た か。
支 那 駐 屯 軍 が方 面軍 、第 一、第 二軍 に変った 時 の状 況 は どう
云 ふ やう な 各 方 面 の特 務 機 関 は特 務 機関 と し て の長 い電 報 の意 見 具
全 部 積 極 的 にや れ と云 ふ意 見 で あ りま し た か。
申 せま せ ん が、 ど う も さ う 云 ふ風 な 感 じ が致 し ま し た。
左 様 です 。
殿下
殿下
申 を寄 す と 去 ふ風 で之 に は軍 司令 部 も弱 り まし た 。
香月 香月
仕舞 って全 く な く な り ま し た。︱
例 へば支 那 駐 屯 軍作 戦 経 過 概 要 と 云 ふ やう な も のも之 は第 一軍 の参
﹁ 支 那 駐 屯 軍 ハ皇 道 発 布 ノ意気 ヲ以 テ大 イ ニヤ レ﹂ と 云 ふ電 報 で あ り ま し て特 に南 総督 と小 磯 中将 か ら は さう 去 ふ こと を盛 ん に言 つ
謀 に書 かし た ので あ り ます︱
と 云 ふ状 態 でし た が之 は非 常 に可 笑 し いと 思 ひ ま し た。 即 ち支 那 駐
即 ち方 面 軍 が出 来 た時 には 支那 駐 屯 軍 の仕事 を受 け継 ぐ 人 が な い
出来 ず 機 密 作 戦 日誌 等 の整 理 も出 来 て居 ら ぬと思 ひ ます 。
誰 も此 の後 を受 け継 いで やって 居 るも のが な い為 に後 始末 が全 く
或 は天 津 に若 干 の人 を置 い て整 理 をす べ き だ った と思 ひま す 。
併 し之 は 当 然 方面 軍 司 令 部 の手 許 か
て居 ら れま し た 。 そ れ から 参 謀 本部 はど う であった か と申 し ま す と、 ど う も当 時 作 戦 計 画 と云 ふも のが立って 居 ら な かった やう です 。例 へば ﹁動 員 師 団 を どう 云 ふ風 に使 ふ か﹂
﹁ 山 東 方 面 に作 戦 す る為 には上 陸 地 点 を 何処 に求 め た ら良 いか が
と 云 ふ意 見 を 求 め て来 たり 、或 は
のか事 実 は判 ら な いと 云 ふ状 態 でし た 。
な っ た のです が、 併 し 駐屯 軍 に居 った 者 の責 任 が何 処 へ行 って居 る
屯 軍 の今 迄 し て居 った こと は 方面 軍 司 令官 が其 の任 務 を や る やう に
と云 ふ こと を言って 来 た り 、或 は其 の後 、 方面 軍 の編成 が出 来 た場
は つき り判 らな い。﹂
合 にも第 一軍 に三 ケ師 団 、第 二軍 に三 ケ師 団 、方 面 軍 に ニ ケ師 団 と
が、 支 那駐 屯 軍 には 平 時 か ら そ れ に対 す る予 防 策 に就 て十 分 研究 さ
そ れ が為 の悪 い例 を 申 し ます と当 時 天津 には大 洪 水 が あ りま し た
し た書 類 が あ り ます から 、従 って支 那駐 屯 軍 司 令 部 が あ ったな ら 此
云 ふ兵力 の配 当 を し て重点 が何 処 にあ る か判 らな いや り方 をし た等 、 之 は 全 く参 謀 本 部 の方 針 が は っき り し て居 な かった か ら ち やな い か
の間 のやう な 大 き な洪 水 は な か った のでは な いか と思 ひま す の に、
と思 ひ ます 。 方面 軍 を作 った 時等 は何 処 に重 点 を置 く かと 云 ふ こと が先決 問 題
ので あり ま す 。
あ の時 は戦 闘 序 列 が令 せら れ る と直 ぐ 交代 さ れ た の です か。
司 令部 がな く な った為 に書 類 も 行方 不明 にな り処 置 も出 来 な か った
八 月 三 十 一日令 せら れ て方面 軍 司 令 宮 が着 任 せら れ た の が九
でそ れ を中 心 にし て各 軍 の編 成 を定 め な け れば な ら な いと 思 ひ ま す
殿下
ので あ の戦 闘 序 列 は実 に具 合 が悪 いと思 ひ ます 。由 来 参 謀 本部 は関
香月
月 四 日 であ り ま す。 私 は戦 闘 序列 が令 せら れ る と同 時 に第 一軍 司 令
東 軍 の立 てた 計 画 を其 の儘 是 認 し て居 り 、 又 支那 駐 屯 軍 の計 画 も亦
は っき り し た こと は
其 の儘 是 認 し て居 る やう な こと で国 軍 を 指 導 す る と 云 ふ こと で は何 ん だ か腹 が決 って居 ら ぬや う であ り ます 。︱
扱 てそ こで先 程 申 し た呉佩 孚 が立 っか 、立 たぬ か は実 は吾 々
十 二、 謀 略 に関 す る企 図 及効 果
官 にな り ま し た。
香月
から是 非 此 の際 呉佩 孚 を採 用 し て呉 れ﹂
皇 軍兵 力 を集 中抽 出 す る こと が出 来 て非 常 に具 合 が宜 らう と思 ふ
そ れ は何 時 頃 の こと です か。
と云 ふ意 見 具 申 を 私 信 で今 井 参 謀 次 長 に出 しま し た 。 殿下
八 月初 め であ り ま す さう し て
と云 ふ こと を申 し ま し た が到 頭 何 んと も言 って来 な か った の であ り
﹁これ は陸 軍 大 臣 に対 し て御 協 議 をし て見 て下 さ い﹂
香月
﹁蒋 介 石 と は元 来 氷炭 相容 れな い仲 だ か ら呉佩 孚 は 必ず 言 ふ こと
にも余 り 自 信 が な か っ た の で和 知 参 謀 を 呼 び ま し てよ く聞 き ま す と
あり ま し て
彼 の参 謀 であ る何 公 衰 は 私 が陸 軍 大 学 で教 育 し た男 だ と 云 ふ こと で
ます 。 又永 定 河 の攻 撃 を す る時 分 には萬 福 麟 を利 用 致 し ま し た⋮
と 云 ふ こと であ り ま し た の で私 は斯 う 云 ふ人物 は是 非 利 用す べき だ
を聞 く 。﹂
と 云 ふ こ とを 考 へ直 接 呉佩 孚 に会 び度 いと 思って 居 り ま し た が、 幸
と言 っ て来 た ので之 を作戦 の方 にも 利 用 し よう と考 へま し て 、軍 の
﹁軍 司令 官 の言 ふ こと は何 ん でも 聞 き ます 。﹂
参 謀 であ る桜 井 徳 太 郎 中 佐 を使 って⋮ ⋮所 謂謀 略 をや って ⋮ ⋮彼 等
に私 が任 命 を 致 し ま し た糞 東政 府 の委 員 長代 理 、池 宗墨 が よく 呉佩
が
﹁あ す こに根 拠 地 を 与 へて貰 ひ度 い。﹂
大 名 附 近 に居 りま し た の で
張 り 彼 は其 の前 日 の六 日 に退 却 を始 め ま し た。 そし て其 の頃 彼 等 は
で前 と 同 じ やう に申 し ま し て私共 は十 月 八 日攻 撃 を始 め ま し た が矢
次 に石家 荘 の政 撃 の際 にも亦 萬 福 麟 は指 示 を受 け に参 り ま し た の
朝 に かけ て事 実 退 却 を し た ので あり ま す 。
方 面 に居 った萬 福 麟 、馮 占 海 な ど の軍 隊 は 十 三 日 の晩 から 十 四 日 の
そ こ で私 は九 月 十 四日 に攻撃 を始 め ま し た が共 の時 の我 が主 攻 撃
と斯 う 云 ふ 二と を言 って来 ま し た。
﹁日本軍 に対 し て決 し て敵 対行 動 は執 ら な い﹂
に退 却 を命 じ まし た所 が 、其 の答 は
孚 を知 っ て居 り ま し た の で之 を通 じ て 呉佩 孚 の意 見 を聞 き まし た所
﹁日本 軍 が 北支 方面 を 自 分 に任 し て呉 れる な ら自 分 と し ては 北 支 五省 は完 全 に掌 握 す る こと が出 来 ま す 。 さ うし て将 領 ⋮⋮ 韓 復榘 、 萬 福 麟 、 干學 忠 、 石 友 三 、縄 占 海 、商 震 、劉 汝 明等 ⋮ ⋮ 二週 間 以 内 に自 分 の手 許 に入 れ る ことも 出来 る し閻 錫 山 も結 局自 分 の許 に 来 るやう にな る﹂ と 云 ふ こと を言って 居 り 、 又 ﹁蒋 介石 と は 日本 軍 の援 助 さ へあ れ ば徹 底 的 に抗争 が出 来 るか ら 是 非財 政 的 に援 助 を願 ふ﹂ と 云 ふ こと を言って 来 た の で私 と し ては ﹁呉佩 孚 を軍 に採 用 し て北 支 方 面 の全 権 を彼 に握 ら せ る こと にす れ ば参 謀 本 部 が 心配 し て居 る所 の対露 作 戦 が若 し始って も 必要 の
から は つき り と条 件 を示 さな か づた為 か其 の後 は状 況 が変って 仕 舞
日 本 軍 に手 向 ひ を し て居 らな か った のは事 実 で あり ま す の に、此 方
彰 徳 の西 の林 縣 附 近 に其 の後参 り ま し た け れ ど も、 当 時彼 等 は 一切
と 云 ふ こと で あ り まし た が、 さ う し て や る こと が出来 ず に居 る中 に
の方 に持 って行って 攻 撃 し よう と 云 ふ こと にな りま し た 。 と ころ が
く で決戦 が っく か も知 れ な いと 考 へて 、 そ れ なら ば 重 点 をず っと左
です が 、段 々敵 が前 の方 に増 加 し て来 る の で此 の分 な ら永 定 河 の近
そ こ で私共 は九 月 十 日頃 には 開進 を やら う と云 ふ考 へであ った の
十 四、 保 定 会 戦 に就 て
州 会 戦 後 、 方 面 軍 に問 合 せ た所 が戦 略 展 開 を せず に出 来 る
な ら ば直 ぐ保 定 攻 撃 を し ても良 いと 云 ふ の で軍 は 十 五 日 に はも う追
香 月〓
逃 げ て仕 舞 ひ ま し た の で あり ま す 。
め た第 二十 師 団 の正 面 の敵 の退 路 を遮 断 し ま し た の で敵 は山 の方 に
攻 撃 が進 捗 し 且其 の右 旋 回行 動 が楽 に行 き 、 従 っ て其 の頃 退 却 し 始
等 に対 す る策 動 が巧 く 行って 彼 等 が退 った為 に第 十 四 、第 六師 団 の
其 の正 面 に萬 福 麟 、馮 占 海 の軍 隊 が居 った為 に先 程 も 申 し た所 の之
斯 う 云 ふ こと に関 し て は其 の後 私 が帰 り ま し て拝 謁 を仰 付 け ら れ
って 居 り ます 。
て戦 況 を申 上げ ま し た時 に、 ﹁閻錫 山等 は どう に かな ら ぬ か﹂ と 云 ふ御 下問 が あ り まし た位 で私 と し て は今 日 のや う に彼 等 を向 ふ に廻 し て仕 舞った こと が最 も遺 憾 な点 で あ り ます 。
十 三、 深 州 会 戦 に就 て 次 は〓 州 会 戦 であ り ます 。
寺 内 方 面 軍 司 令 官 は出 発 に際 し て
香月
た︱
せ てS型 に な っ た の であ り ま す︱
丁度 そ れ が〓 州 会 戦 と合
撃 命 令 を下 し て易 縣 からず っと其 の儘 前 進 を 継 続 し て敵 の保 定 陣 地
と 云 ふ大 命 を受 け て来 ら れ た の であ り ま す ⋮⋮ 。中 部 河北 省 と 云 ふ
福 麟 を謀 略 で退 却 さし た こと にも因 るも のと 思 っ て居 り ます 。
当 時 は第 五 師 団 を も保 定 会 戦 に使 ふ計 画 だ った ので は あり ま
此 の会 戦 は 思 った よ り楽 で あ りま し た が、 そ れ は 一つ には萬
保 定 は 九 月 二 十 三 日 に取 れま し
のは石 家 荘 、徳 州 の線 位 の所 と解 釈 さ れ て居 るら し い ので あ りま す
を 左翼 の方 から 巻 い て攻 略 し ま し た。︱
⋮ ⋮従 ひ ま し て方 面 軍 は 作 戦指 導 は石 家 荘 、 徳 州 と 云 ふ線 を越 へな
殿下
﹁ 中 部 河 北 省 の敵 を撃 滅 せ よ﹂
い区域 で指 導 さ れま し た 。
香月
せ ん か。
し た し、 又方 面 軍 の命 令 で或 は第 十 六 師 団 を も使 ふ か も知 れ ぬと 云
最 初 保 定 陣 地 は相 当 堅 固 だ と 云 ふ こと を色 々 の諜報 で知って 居 り ま し た の で私 共 は先 づ其 の前 で戦 略 展 開 を やって 作 戦 す る と 云 ふ計
ふ腹 で あった ら し い の です が 、結 局種 々な事 情 で思 ふ やう な 行動 が
初 め は第 五 師 団 を 保定 会 戦 に参 加 さ せ ると 云 ふ計 画 であ り ま
し て実 行 を 命 じ た の であ り ます 。
画 を立 てま し た が、 其 の吾 々の立 て た計 画 を 方 面軍 は其 の儘 を踏 襲
一番 初 め中 央 で は青 島 に兵 力 を上 陸 さ せ る と か云 ふ計 画 が あ
け れど も 思 ふ やう な戦 果 が挙 っ て居 る か ら問 題 は な いと 思 ひ ま す 。 殿下
彼 等 が保 定 の陣 地 に拠った ら 第 五師 団 、第 十 六師 団 の転 用 が
殿下
取 れず 実 行 が出 来 な かった の であ り ま す 。
っ た の です か 。
っ た やう で あ り ます が、 そ れ に就 て共 の頃 交 渉 を受 け た こと は な か
香月
必要 だった と 思 ひ ま す が ⋮⋮ 香月
十 五 、 石 家荘 会 戦 に就 て
初 め は青 島 方 面 に 一軍 を進 め る と 云 ふ話 が あった の です け れ
十 六師 団 を 此 の方 面 に転 用 し其 の後 方 から 第 五師 団 を出 す や う にし
ど も 其 の後 は何 ん に も聞 き ま せん でし た 。
初 め は 軍 の主 力 た る 三 ケ師 団 を 先 づ 正面 に出 し てそ れ か ら第
な け れ ば保 定 は 取 れ な いと 云 ふ こと を 考 へた ので あり ま す が 実 際 は そ れ よ り前 に保 定 が簡 単 に取 れ ま し た の です 。 さ う 云 ふ風 にし て保 定 は取 れま し た の で実 は之 は方 面 軍 の会 戦 計
は ﹁コレ ラ﹂ が あ った ので若 し石 家 荘 に此 の儘 飛 び込 ん で行 っ ては
是 から 先 は追 撃 命 令 が あ って行 った ので あ り ます が石 家 荘 に
大 変 だ と云 ふ の で⋮ ⋮ そ れ迄 に天 津 、 塘 沽 あ た り で ﹁コレ ラ﹂ のあ
香月
った の で、 そ れ に就 て方 面 軍 は何 ん だ か面 白 く な いやう な感 じ を持
出 し た だ け で あ っ た の であ り ます が 、遂 に第 一軍 が之 を取って 仕舞
る と 云 ふ こと を知 った部 隊 は チ ヤ ント ﹁コレラ﹂ の予 防 接 種 を や つ
即 ち 方面 軍 は只 斯 う 云 ふ風 に保 定 攻 撃 を準 備 す べし と 云 ふ命 令 を
画 でや った の では な か った も の であ り ま す 。
っ て居 った らし い の であ り ま す。
こで ﹁コレ ラ﹂ の予防 接 種 を や り まし た が、之 は 二 回 や ら ねば なら
た部 隊 もあ り ま し た が そ れ を や らず に来 たも のも あ り ま し た ⋮ ⋮ そ
永 定 河 から 先 の攻撃 前 進 は待 てと 云 ふ こと を方 面 軍 から 言 っ
な い の で先 づ 保定 で 一回 や って間 の 一週 間 を無 駄 に せ ぬ為 に行 軍 し 、
て来 た こと があった と 思 ひ ます が⋮ ⋮ 香月
途 中 に於 て二 回 目 の予防 接 種 を や ると 云 ふ こと にし た が其 の為 に 一
殿下
の であ り ます 。 併 し な が ら軍 は之 を承 知 し な かった の で あり ま す 。
週間 遅 れ て十 月 一日各 部 隊 出 発 と 云 ふ こと になった のは真 に残 念 で
第 十 六師 団 を そ こ へや る から 攻 繋 を 待 て と 云 ふ こ と であった
何 ん と な れば 第 十 六 師 団 は展 開 し て居 る所 へ後 か ら来 ても 一向 差 支
あ り ま し た。
行 く決 心 であった の です 。所 が此 の時 分 に第 二 軍 が第 十 六師 団 、第
次 に愈 ヒ石 家 荘 攻 撃 にな り ます が其 の時 の私 共 の計 画 は正 面 から
え な いが 、 そ れは 前 進 と 云 ふ こと と は別 では な いか と 云 ふ の で軍 は
定 ま で行 っ て仕 舞 ひ ま し た為 に従 っ て第 五 師 団 の 一部 が此 処 へ出 て
に突 進 し て之 を包 囲 しよ う と 云 ふ こと に な っ た の です け れ ど も 、其
百 九師 団 (第 一軍 に此 処 では属 す る こと なく ) を 以 て 石家 荘 の南 方
前 へ出 て仕 舞 ひま し た のです 。 所 が出 て見 ると割 合 に巧 く 行って 保
来 ま し た が間 に合 はず 、第 十 六師 団 は上 陸 し て居 った け れど も 未 だ
の時 日 が は っき り判 らな い の で、第 一軍 は自 然 的 に十 月 八 日 から攻
展 開 を終 らず 仕 舞 ひ になった ので之 は会 戦 指 導 が 戦機 に乗 じ た為 だ ったと思 ひ ます 。 そ れ で 方面 軍 と の間 に幾 ら か感 じ を悪 くし ま し た
た〓
が あ り ま し た。 之 は方 面 戦 に会 戦 計画 が な いも の です か ら何
撃 す る こと にし ま し た。 所 がそ れ を少 し延 し て呉 れと 云 ふ ので 、ご
に居 り まし た第 十 四 、第 六 、第 百 八 の三 ケ師 団 を し て猛 烈 に追撃 さ
に はど う し ても 之 を急 追 し な け れば な ら な いと 云 ふ こと から第 一線
そ こ から 崩 壊 を始 め て訳 なく 取 りま し た が 、敵 を逸 脱 せ し めざ る為
せ まし た。
時 ど う 云 ふ態勢 にな る の か誰 にも 判 ら な い為 に只延 ば し て呉 れ と 云
一方 此 の頃 第 二十 師 団 の 一部 は娘 子 關 に行って 攻 撃 し て居 り ま し
し た のです が、 第 一軍 と し て は仕 方 がな いか ら
た か ら第 二十 師 団 の主 力 は 必要 に応 じ て之 を 増援 す る意 味 合 で石家
ふ の で色 々 ゴタ〓 二 日延 し て十 月 十 日 か ら攻 撃 す る こと にし た ので あ り まし た。之 な
と 云 ふ ので あ り ま し たけ れど も 当時 に は敵 が 四十 万 も 居 る ので幕 僚
第 六師 団 、第 十 六師 団 (第 二軍 所 属 ) を引 上げ ると 云 ふ こと に な り
ふ返事 を 致 し ま し て、 それ に依って 会 戦 中 に方 面 軍 命令 が出 まし て、
師 団 を出 す こと にし 、 又野 戦 重 砲 の全 力 も 持 っ て行 って も良 い と云
と 云 ふ こと を言 って来 ま し た ので軍 と し ては 相 当 困 り ま し た が第 六
﹁一ケ師 団 を上 海 方 面 に抽出 す る﹂
所 が さう 云 ふ時 期 に
荘 に集 め て置 き ま し た 。
ん か は方 面 軍 で会 戦計 画 を立 て て指 導 し て呉 れ れば 非 常 に やり良 か
そ の頃 方 面 軍 から来 た命 令 は
ったの であ り ま す 。
﹁ 第 一軍 は適 宜 攻 撃 を 開始 し敵 の遁 避 を 捕 捉 す る に遺 憾 なき を 期
も 相 当 困って 種 々研 究 し た の であ り ます が要 す る に追 撃 を徹 底 的 に
之 等 の師 団 は 中途 で攻 撃 を止 め て上 海 へ行 き まし 物。
す べし ﹂
やって 敵 を捕 捉殲 滅 す る より 確 な こと は な いと 云 ふ結 論 になった の
十 六 、 石家 荘 攻 略 後 の追 撃 時 に於 け る第 一
軍 と 方面 軍 と の意 見 の対 立
其 の頃 第 十 四 師 団 は猛 烈 に追 撃 を し ま し て彰 徳 の手 前 迄行 き
﹁ 出 る な﹂
﹁イ ヤ前 へ出 る﹂
と 云 ふ ので あ り まし た 為 に当 時
﹁ 石 家 荘〓 州 の線 で止って 余 り前 へ出 ては 不可 ん﹂
ま し た が方 面 軍 の意 志 は
香月
であ り ま す ⋮ ⋮然 し之 に就 ても 軍 と し て は ﹁方 面 軍 がま るで軍 を軍 と思 はず 師 団長 か聯 隊 長 が受 け るや う な 命 令 を 言 って来 た﹂ と言 っ て怒 っ て居 った幕 僚 も あ った の であ り ます ⋮ ⋮尚 斯 う 云 ふ こ と にな っ た のは 第 一軍 が独 力 で保 定 を やった ので方 面 軍 では 内 心 面 白 くな か った と 云 ふ のが原 因 で あ っ た やう であ り ます 。
﹁ 追 撃 を継 続 す べ し﹂
石 家 荘 攻 略 の実 情 を申 し ます と元 々方 面 軍 が
と 云 ふ命 令 を し た の でや った のです が、 此 処 にも相 当堅 固 な陣 地 が あ り ます か ら軍 は行 軍 中 に計 画 を立 て て攻 撃 した の であ り まし て、 此 処 に於 き ま し ても 亦萬 福麟 の五十 三師 が 一番 先 に退 り ま し た為 に
と 云 ふ こと で非 常 な 争 ひ が あ りま し た。 然 し 凡 て戦 は 勢 ひ に乗 じ て や る も ので あ りま す か ら ﹁ 追 撃 で敵 を覆 滅 し よう ﹂ と 云 ふ のが 方 面 軍 の指 示 で あ る以 上 は何処 迄 も第 一線 は 追 撃 を 致す べき で第 十 四 師
事 前 に方 面 軍 から何 処 で止 れ と 云 ふ こと を言 って来 て居 ら ぬ
団 が彰 徳 の手 前 迄 出 た のは当 然 と 思 ひま す 。 殿下
何 も言 って来 て居 り ま せ ん。 只 ﹁順 徳 ニ向 ヒ追 撃 スベ シ﹂ と
のです か。
﹁そ れ な ら ば せ め て将 来 前 進 す る 為 に都 合 が よ い やう に〓 河 の南
更に
岸 に手 を か け る こと が非 常 に必 要 だ ﹂
と 云 ふ こと を 上申 し た のです がそ れ も 遂 に不可 な いと 云 ふ こと にな っ た の であ り ます 。
﹁ 軍 の持 っ て居 る 全弾 薬 を上 海 方 面 へや る為 に引上 げ る﹂
さう し て更 にも う 一つ の こと は石 家 荘 の攻 撃 を終 り ます と
と 云 ふ こと を 言 っ て来 ま し た こと です が、 之 には 私共 は最 初 極 力 反
香月
対致 し まし た の に結 局各 師 団 の 一ケ中 隊 分 を 軍 で保管 す る外 の残 り
そ れ だ か ら今 に なって 止 れ と言って も第
一線 の方 で は 、仲 々承 知 し な い のは 当然 で第 百 八 師 団 の如 き も方 面
十 七 、 山 西 作 戦 に関 聯 す る第 一軍 、方面軍
間 の意 見 の対 立
一方 第 五師 団 は忻 口鎮 に於 け る攻 撃 に失 敗 し た ので、
と 云 ふ答 で容 れ ら れ な かった の であ り ま す 。
﹁そ れは後 でも宜 し いか ら﹂
と 云 ふ意 見 を出 し ま し た が方 面 軍 は
から 南 部 山 西 平 地 に進 出 さ せ る方 が よ い﹂
﹁ 第 二十 師 団 を 山 西 に向 け る こと にし ま し た が之 も要 す れば 新 郷
香月
の感 情 が縺 れ来 始 め ま し た のです 。
以 上 のや う な こと で此 の頃 か ら はど う も 第 一軍 と 方面 軍 と の お互
弾 薬 を補 充 し た其 の後 軍 では全 然 弾 薬 の補 充 が出 来 な く なり ま し た 。
後 で な けれ ば 出来 な いと 云 ふ状 態 にな り 、 太原 攻 略 の為 に消 費 し た
は全 部 向 ふ へ持 っ て行 か れ ま し て、 而 も 其 の補 充 は 二 、 三 ケ月 も 以
命 ぜ ら れ て あ り まし た︱
軍 の希 望 す る ﹁ 順 徳 で止 る こと は出来 な い﹂ と 言って 来 ま し た 。然 し 一元来 第 百 八師 団 は方 面 軍 の直 轄 部 隊 で あ り
﹁将 来 の用途 が あ る から 是 非石 家荘 附 近 に集 結 さし た い﹂
ま す る ので 方面 軍 とし ては
と云 ふ こと であ り ま し て仲 々双 方 と も承 知 出 来 な いと 云 ふ こと にな って 仕 舞 ひ ま し た け れど も 、 結 局 第 一線 が退 り ま せん の で止 む を得 ず 第 百 八 師 団 を順 徳 附 近 に集 め る こと にし て 、第 二十 師 団 で 太原 を
是 非 此 の勢
戦 は勢 ひ
そ れ から 私 は其 の時 方 面 軍 司令 官 に対 し て次 のやう な意 見 を述 べ
攻 略 す る こと になった の であ り ま す 。
ました。それは
そ れ を 此処 で止 め る こと は適 当 で な い︱
﹁此 の勢 ひ に乗 じ て黄 河 の線 ま で突 進 し た方 が よ い︱ であ る︱
ひ に乗 じ て黄 河 の線 迄 進 出 し た 方 が よ い。 ﹂ と 云 ふ の で あり ま し た が 、併 し 方 面 軍 は之 を採 用 し ま せ ん ので私 は
が 一指 揮 官 が同 時 に二方 面 の作 戦 を指 導 す る と云 ふ こと は難 し い こ
又 当 時 第 一軍 は京 漢 線 方 面 と 山 西 方面 と両 方 を持 って居 り ま し た
って 来 まし た。 然 し 軍 と し て は どう し ても 第 二 十師 団 を山 西 方 面 に
訂 正 し第 五師 団 を引 上 げ て第 二十 師 団 を 山 西 に使 ふ と 一 本ふ こと を 言
一軍 と 方 面軍 の間 に生 じ た る諸 問 題
十 八 、宋哲元軍掃蕩戦及河北戡定戦間 に第
の経 緯
当 時 第 百 八 、第 十 四師 団 は順 徳 以南 に居 り まし た が宋哲 元 が
順 徳 に向 ひ逆 襲 し た為 に苦 し みま し た の で軍 は第 五師 団 を 使 は せ て
香月
師 団 が共 に山 西 に残った ので あ り ます 。
と 煮 ふ こと で保 定 に退 げ て仕 舞 ひま し た 。 さ うし て第 二 十 、第 百 九
轄 と し休 養 さ せ る。﹂
﹁太 原 に居 る第 五師 団 は戦 力 を損 耗 し て居 る から 之 を 方 面 軍 の直
にも可 哀 想 だ と 云 ふ こと を 更 に申 し た の です が結 局
方 面 軍 の いふ やう にし て は第 二十 師 団 にも 第 五師 団
使 ひ度 な い︱
﹁当 時 徳 州 附 近 に止 ま って居 る第 二 軍司 令 官 に山 西 作戦 を指 導 さ
と で あ り ます から私 は
せ たら 宜 か ら う 。 ﹂ と 云 ふ意 見 を 申 し ま し た が之 も 採 用 にな ら な かった ので あ り ます 。 尚 現 地 にあ る第 五師 団 は戦 力 が な く な り ま し て忻 口鎮 が取 れ る か
って来 て
どう か判 らな いと 云 ふ風 説 が当 時 伝 は り ま し て飛 行 将 校等 は屡々 や
﹁第 一軍 が 徹底 的 に や っ て貰 は ね ば 国軍 最 大 の不 名 誉 だ﹂ と 云 ふ こと を 君 ひ ます ので逐 次 兵力 を 山西 方 面 に増 加 し ま し て遂 に 十 月 二十 六 日 に娘 子關 を取 り ま し た ので あ り ます 。 そ こ で其 の ﹁戦 略 態 勢 上 退 り か け て居 る敵 に対 し て第 五師 団 は突 進 せ よ﹂
と度 々促 し ま す け れど も第 五 師 団 は 一っも 前 へ出 な いで 、 ヤツ ト十
な い の で非 常 に苦 心 を し て漸 く種 々な 手段 を講 じ て撃 退 を 致 し まし
呉 れ る やう に方 面 軍 に屡々 意 見 具 申 を 致 し ま し た が、 遂 に之 を呉 れ
﹁突 進 せよ﹂
一月 三 日 に第 二 十師 団 の先 頭 部 隊 が 太原 平 地 に出 た時 に至って 当 面
た こと が あり ま す が 、之 は第 一軍 が命 令 を聴 か ぬ から そ れ を懲 罰 す
の敵 が退 却 し て居 る と 云 ふ こと を知 って 、始 め て主 力 が動 き出 し ま し たと 云 ふ状 況 でし た為 、 其 の時 には既 に大 部 分 の敵 は逃 げ て仕 舞
る意 味 で や っ たら し い ので あ りま す 。
と云 ふ こと を 言って 来 まし た が、 此 方 と し て も兵 力 は な し 、弾 薬 は
﹁黄 河 の線 ま で進出 し て は何 う か﹂
一軍 に は
軍 は黄 河 を越 へて濟 南 に行 く と 云 ふ こと に なった の であ り ます が第
さう 云 ふ風 で十 二月 中 旬 にな り ま す と徳 州 附 近 に居 り ま し た第 二
ひ まし た 。併 し其 の時 分 には 第 二十 師 団 が未 だ太 原 を取って 居 ら ぬ と 云 ふ の で作 戦 地境 を決 め て第 五師 団 で太 原 をや り ま し て十 一月 八
太 原 攻 略 の為 には第 二十 師 団 の外第 百九 師 団 を 其 の方面 に増 加 し
日太 原 を 占領 し ま し た。
て居 り ま す の で軍 とし ては 太 原 攻略 後 速 か に第 二 十 師 団 を京 漢 沿 線 に使 ひ度 い考 へか ら之 に転 進 を命 じ ま し た が、 方 面 軍 は其 の命 令 を
れ で第 一軍 と し て は 二月 上旬 に黄 河 以 北 の河北戡 定 戦 を や る と 云 ふ
なし と 云 ふ状 況 で あり ます か ら勿 論 南 へ出 る こと は出来 ま せ ん 。 そ
百 八師 団 の 一部 を苦 労 し て後 へ退 げ る こと にし て⋮ ⋮ 二 、 三 日 は遅
こで石 家 荘 の軍 兵站 監 が有 っ て居 った兵 力 の 一部 及 娘 子關 に居 る第
然 る に此 の会 戦後
れ まし たが 兎 に角出 し ま し た。
そ れ か ら 二月 の河 北戡 定 戦 にな り ま す が之 は大 体 兵力 が あ り ま せ
﹁軍 の参謀 長 に 一寸 来 い﹂
﹁謝 罪 し ろ﹂
と言 ふ の で軍 参 謀 長 が北 京 に行 き ま し た所 が方 面 軍の 参 謀 、長に
︹ 岡部直三郎︺
計 画 を 立 て ま し てそ れ を上 申 を し ま し た 。
ん の で京漢 線 方 面 に居 る第 百 八 師 団 及 山西 方面 に居 る第 百 九師 団 及
に使 ひ度 な い と云 ふ話 も あ ったが 結 局第 一線 師 団 と し て使 ふ と 云 ふ
上海 方 面 か ら抜 い て来 る と 云 ふ第 十 六師 団 ⋮ ⋮第 十 六師 団 は第 一線
と言った ので軍 参 謀 長 は
が違 ふ︱
性質
ふ こと を考察 し てか ら下 す べき であ り 、 そ れ を実 行 す る為 に裕 り
﹁ 作 戦 命 令 と 云 ふも のは 必ず し も さう 云 ふ も のぢ やな い︱
それ で私 は
と 云 ふ やう な こ とを 長 々と 言 って非 常 に叱 ら れ た さ う で あり ま す 。
﹁第 一軍 は誠 意 がな い。 軍 司令 官 の命 令 を 実 行 し な い﹂
﹁謝 罪 す る こと は な い﹂
こと に し まし た⋮ ⋮等 を使 っ てや る と 云 ふ計 画 をし ま し た 。 ︹ 寺内壽︺ そ こで此 の攻 撃 は紀 元節 から始 め た のです が翌 十 二 日 に方 面 軍 司
と申 し ま し た所 が方 面 軍 司 令 官 の前 に連 れ て行 かれ て
ら命 令 が出 ま し て
令 官 が彰 徳 の軍 戦 闘 司令 所 に来 ま し た 。所 が其 の晩 に方 面 軍 の方 か
﹁ 十 一日 に石 家 荘 と保 定 の間 の鉄 道 が破 壊 され た か ら之 を討 伐 す る為 に第 一軍 か ら歩 兵 ご ケ 大隊 、野 砲 一ケ中 隊 を寄 こせ﹂
云 ふ こと であ り ま し た。 然 し 此方 と し て は今 作 戦 計画 を立 て て之 を
と言 って来 た。 さ うし て方 面 軍兵 貼 監 が之 を指揮 し て討 伐 を や ると
既 に開 始 し て逐 次 に部 隊 を前 方 へ持 って行 き つ つあ る場 合 です か ら
而 し若 し言 ふ こと
言 はず に私 に言 っ て下 さ い。 ﹂
何 も返 事 を寄 し ま せ ん でし た 。
と 云 ふ こと を方 面 軍 司 令 官 に言って やった の です が 、夫 れ に就 ては
があ れ ば参 謀 長 に ワイ〓
依 る のだ か ら そ れ を責 め る のは少 し苛 酷 だ︱
た が実 行 し た ので あ りま し て、其 の延 び た と云 ふ のは 一に状 況 に
︱ 而 も其 の作 戦 命 令 は実 行 さ れ て居 ら な い かと 云 ふ に若 干 延 び
将 来 も あ る こと だ が其 の点 御 了 承 願 ひ 度 . い
作 戦 命 令 と 云 ふ も のは それ が実 行 さ れ る かど う か と 云
今 更 な け な し の兵力 を 一部 た り と も後 へ退 げ る と 云 ふ こと は出 来 な
のは当 然 であ る︱
が な け れば部 下 に実 行 を強 い ても そ れ は実 行 さ れな い こと が あ る
と 考 へた 挙
いと 云 ふ の で参 謀 間 で切 り と協 議 し て居 り ま し た ⋮ ⋮当 時 閑院 若 宮 殿 下 も来 て居 ら れ まし たが ⋮ ⋮ そ れ で参 謀 が イ ロ〓 句 ﹁ 十 七 、八 日頃 に其 の兵 力 を抽 出 し よう ﹂
言 ふ か、絶 対 服 従 す る ん だ﹂
と 云 ふ交 渉 をし ま し た 。所 が北 京 の方面 軍 で は ﹁ 何 をぐ ず〓
と 云 ふ返 事 だった と云 ふ の で参 謀 は非 常 に憤 慨 し て居 りま し た 。 そ
併 し 結 局 私 の免 職 になった 主 な 理 由 は其 の点 が影 響 し て居 ると 思
た が⋮ ⋮所 で第 一軍 から 第 十 四 師 団 を抜 いた為 に其 の後 が す つかり
十 四 師 団 が損 傷 なく 渡 り ま し た の で実 際 上 の困 難 は あ り ま せ ん でし
っと や っ て来 て大 変 苦 労 を し ま し て、 一度 取った 所 を全 部敵 に取 り
空 に な っ たも のです か ら山 西 南 部 に居 った第 二十 師 団 の所 へ敵 がず
ひ ます ⋮⋮ 陸 軍 大臣 にも其 のこと は話 し 合 ひ が あ った やう であ り ま す ⋮ ⋮ そ こ で結 局 私 が病気 で あ る と 云 ふ理 由 の許 に軍 司 令 官 を更 迭
十 九、 戦 闘 序 列 に基 因 し て生 起 せ る諸問 題
も う 一つ私 の言 っ て居った こと は
﹁戦 闘 序 列 を方 面 軍 命 令 で勅 命 な し に変 へる と云 ふ こと は 不可 な
香月
居 り ま す。
返 へさ れ た為 今 日 ま で同 じ やう な こと を繰 返 さ ねば な らな く なって
す る と 云 ふ こ と になった ので あ り ます が 、 併 し斯 う 云 ふ こと は非 常 に面 白 く な い こと だ と思 ひま す。 尚 河北戡 定 戦 で私 が考 へて居った こ と は な るべ く 早 く黄 河 の線 に
の以 北 を掃 蕩 し て其 の中 の重 要 な所 を抑 へて北 支 作 戦 を 終末 と す る
出 ま し て是 か ら南 へ敵 が退 却 出来 ぬやう に し て仕 舞って さ う し て其
と云 ふ考 へで居 り ま し た が之 が為 には非 常 に兵 力 が少 い の で其 の終 り は五 月 迄 と云 ふ目 標 で着 々作 戦 し て居った ので あ り ます 。 所 が其 の真 最 中 に徐 州 会 戦 が始って 第 十 六師 団 は 引 き抜 か れ第 十 四 師 団 は
い こと だ ﹂
第 一軍 に は独 立 山 砲 兵 が あ って其 の頃 之 が國 崎 部 隊 に附 い て居 つ
と 云 ふ こ と で之 は 軍令 違 反 だ と思 ひま す 。
官 の知 ら な い中 に而 も 戦 闘 序列 変 更 の勅 命 も来 て居 ら ぬ の に何 時 の
た の であ り ます が 、 此 の山 砲兵 が第 五 師 団 の 一部 と共 に第 一軍 司令
と 云 ふ意 見 具 申 を し た の で あり ま す が 、 そ れ も採 用 には な り ま せ ん
間 に か上海 に行 っ た こと が あ る のです 。 それ か ら 又野 戦 重 砲 兵 第 二
今 中 途 で引 き 上げ
五 月 上旬 に は此
河 を渡って 蘭 封 に向 は せ ら れ る と 云 こと であ り ま し た ので私 は ﹁ 第 十 四師 団 を使 ふ のは も う少 し待って 呉 れ︱ の方 面 の掃 蕩 が終 る か ら其 の頃 にし て呉 れ︱
でし た の みな らず 、第 十 四師 団 主 力 の渡 河 を容 易 な らし め る為 に河
て来 な か った と 云 ふ やう に方 面 軍 が勝 手 に戦 闘 序列 内 の部 隊 を他 方
旅 団 司令 部 も第 二軍 に属 せ ら れ て仕 舞 っ て私 の居 る間 には遂 に帰 つ
た ら駄 目 だ﹂
の向 ふ に出 し た 掩護 部隊 ⋮ ⋮酒 井 の指 揮 す る歩 兵 一ケ聯 隊 に優 良 な
面 に や っ て仕 舞 ふ こと があ り ま し た が 、私 は 之 は 方 面 軍 の誤 り であ
騎 兵 や機 械 化 部隊 を附 け た も の であ り ま す ⋮ ⋮ を其 の目 的 達 成前 に 途 中 で引 き 抜 い て第 二軍 へ附 け て仕 舞 ひ ま し た 。 そ こ で第 一軍 と し
らう と考 へま す 。
時 に出 来 る軍 には そ れ が あ り ま せ ん から 誰 々を長 と し て 一致 団結 し
団 長 の下 に編 成 で は っき り決 って居 り ま す か ら よく 行 き ま す が、 戦
単 に誤 りと 云 ふ だ け で なく 非 常 に具合 が悪 い の です 。平 時 は各 師
ては ﹁之 は渡 河 掩 護 部 隊 であ る か ら是 非 主 力 の渡 河 を掩 護 さ せ て貰 は ねば な ら ぬ﹂ と再 三懇 願 し ま し た が遂 に之 も 許 さ れず に終 ひま し た 。只 幸 ひ に第
て 此 の方 面 の戦 を や れと 云 ふ勅 命 が出 る必 要 があ る の で あり ま し て、 之 が即 ち戦 闘序 列 であ り ま す か ら 、 そ れ を勝 手 に引 き抜 い て は団 結 も出 来 ま せ ん し事 務 上 の書 類 等 の進 達 も出 来 ま せ ん 。即 ち 斯 る こと
要 す る に戦 闘 序 列 を命 ぜ ら れ て即 ち 勅 命 に依って 一致 団 結 を し て
を や る のは勅 令 違 反 だと 云 ふ感 じ を有って 居 り ま す。
作 戦 し な け れ ば最 後 の勝 利 を得 る こと は殆 ど 難 し いし 、 又戦 場 に於
りました。
二 十 、第 一軍 と方 面 軍 間 に生 じ た る感 情 問
題 の真相
﹁方 面 軍 と第 一軍 と仲 が悪 かった ﹂
﹁第 一軍 と 中央 と が仲 が悪 かった ﹂
香月
と 云 ふ こ と をよ く 言 は れ ま す が、 実 際 に於 て も 只今 迄 に申 上 げ ま し
け る秩 序 を保 つと 云 ふ こと は幽 来 ま せ ん の で此 の部 隊 の隷 下 変 更 を 平 時 編 成 の団 隊 長 の交迭 と同 じ に考 へて居 る所 に誤 が あ り ます 。 作
た やう な こ と があ り ま し た 。其 の中 で繰 返 し て申 し ます やう であ り
ま す が方 面 軍 は軍 と 云 ふ も のを独 立 し た作戦 方 面 に使 ふ独 立 軍 と云
戦 は 精 神 的 団結 が基 をな す も の で単 な る技 術 的 な も ので はない
か に指 示 を与 へま し て 、軍 参 謀 の如 き は
な考 へし か持って 居 ら ぬ や う で あ りま し て、指 示 を与 へる に も事 細
ふ風 に考 へて居 らず 、矢 張 り方 面 軍 の直轄 師 団或 は軍 隊 と 云 ふや う
そ れ に類 す る やう な こと は 沢山 ござ いまし た。
居 る と思 ひ ます 。
︱ 斯 う 云 ふ風 な こと が作 戦 能 力 を減 退す る最 も大 いな る原 因 を な し て
例 へば ﹁ 第 六師 団 ヲ上海 ニ転 用 ス ル為 ニ塘 沽 カラ乗 船 サ セ ヨ﹂
﹁ま る で軍 曹 が上等 兵 に言 ふ やう な事 を言 ふ﹂
と言って 不 平 を竝 べ て居 り まし た やう に非常 に細 か い こと ま で命 令
と 云 ふ 方面 軍 命 令 を寄 し た こと が あ り ます が、 軍 参謀 が之 は戦 闘 序 列 にあ る も のだ から 単 な る方面 軍命 令 で他 へ動 かす のは どう か と云
ら後 に方 面 軍 の命 令 が来 る と 云 ふ状 況 も あって 、 そ れ も軍 は第 一線
依 って軍 命 令 が出 る と 云 ふ の が順 序 であ り ます が、 軍 命 令 が出 て か
そ れ で方 面 軍 の命 令 に就 て考 へて見 ま し て も大 体 方 面 軍 の命 令 に
と申 し上 げ た こと も あ り ます 。
と思 ひ ます 。﹂
﹁そ れ はも う 少 し 方面 軍 が軍 と 去 ふも のを了 解 し な け れば 不 可 ぬ
と申 し て居 られ ま し た の で私 は
﹁両 軍 の仲 の悪 い のは ど う 云 ふ所 に原 因 が あ る ので せう ね﹂
致 し ま し た。 嘗 て閑 院若 宮 殿下 も
﹁ 軍 隊 区 分 で第 六 師団 を寄 こ せ﹂
ふ こと を方 面 軍 に聞 いた ら
と 云 ふ答 へで あった と 云 ふ こと です か ら ﹁ 戦 闇 序 列 にあ る部隊 を他 の戦 場 へ持って 行 く と 云 ふ こと は戦 闘 序 列 を変 更 す る こと だ か ら勅 命 が出 な け れ ば出 さ ぬ﹂ と書って やった ら ﹁ 兎 に角 軍 隊 を集 結 し て 方面 軍 の直 轄 にす る か ら寄 こせ﹂ と君って 塘 沽 に集 め てそ れ か ら勅 命 を戴 いた こと等 も あ りま す 。 其 の他 の場 合 にも 沢 山、斯 う 云 ふ風 な 戦 闘 序列 を無 視 し た命 令 があ
の状 況 に依っ て命 令 を下 す の であ り ます か ら、 後 から来 た 方面 軍 の
やう に色 々意 見 を求 め て方 面 軍 参 謀長 が其 の場 で決 裁 をす る と云 ふ
て居 って 、軍 あ たり から 方 面軍 へ連 絡 に参 り ま す と 方面 軍 司 令 官 の
其 の上方 面 軍 参 謀 長 は悉 く 方面 軍 司 令 官 と 同 じ やう な形 式 を取っ
も 一因 でど う も お 亙 の間 が面 白 く なく な った のだ と思 ひ ます 。
う も 方 面 軍 は命 令 を軽 んず る やう な所 が あ り ま し た。 例 へぱ 方面 軍
こ と であ り ま し た し、 又 巡 視 予 定 表 と 云 ふ やう な も のを拵 へて
命 令 を見 ると 殆 ど 此方 の言 っ た通 り になっ て居 る こと が 多 く て 、 ど
て留 守 の時 に下 し 而 も其 の実 行 を強 調 し て
方面 軍 参 謀 長 に師 団 長 が状 況 を報 告 す ると 云 ふやう
方面 軍 と第 一軍 、方 面 軍 と第 一線 師 団 と の間 の意 志 がし つく り疎
ぼ し た こ と と考 へら れ ます 。
と言っ た こと があ り ま す が 、斯 う 云 ふ事 が色 々事 務 上 にも 影 響 を及
な こ とは な い。 ﹂
﹁何 事 ぞ︱
と言 っ たや う な こと が あ って師 団 長 が
の状 況 を 此処 で聴 き取 る﹂
﹁此 処 か ら此 処 ま では 自 動車 で何 時 間 、 さう し て何 師団 の師 団 長
司 令 官 の命 令 だ と言 って来 ても 方 面軍 司 令 官 が現 実 に第 一線 へ行 っ
﹁命 令 を 実 行 せ ぬ のは怪 し か ら ぬ﹂ と言 って非 常 に方 面 軍幕 僚 に叱 ら れ た こと も あ り ま し て、 方 面 軍 幕 僚 のや り方 を参 謀 長 等 は 非 常 に憤 慨 し て居 り ま し た 。 而 し て そ れ が為 に先 程 も 申 し た やう に軍 参 謀 長 が 方 面軍 司 令 官 の 面 前 で方 面 軍 参 謀 長 に叱 ら れ る と 云 ふ こ と になっ て仕 舞 った も の で 言 ふ やう な こと にな った のだ と 思 ひ ます 。
そ れ か ら尚 先 程 も申 し 上 げ ま し た やう に戦 闘 序 列 を 無視 し て兵 力
す から ど う し て もワイ〓
の転 用 を 勝 手 にや る と 云 ふや う な こと も あり ま す し 、 又方 面 軍 の命
通 し て居 な か った と云 ふ 点 に も斯 う し た 所 に 一つの原 因 があ ると 思
ひ ま す が、 要 す る に方 面 軍 参 謀 長 が階 級 が高 いと 云 ふ環 境 にあ り ま
し た ので方 面 軍 参 謀長 迄 も統 率 者 の やう な感 じ を持 った の では な い
﹁細部 は参 謀 長 をし て指 示 せ し む﹂
令 は 奉勅 命 令 の形 式 を取っ た の であ り ま し て常 に
と 云 ふや う な形 式 を取 って居 る の で実 に僣越 だ と 云 ふ気 が す る ので
か と 思 ひ ます 。
し い の であ り ます 。
を し て指 揮 さ せ る と云 ふ こと に意 外 な感 じを 持っ て反 感 を買っ たら
令 を出 し ま し た こと も あ り ま す が 、之 等 も指 揮 権 が な い筈 の参 謀 長
尚 方面 軍 の直 轄 部 隊 は 方面 軍 参謀 長 をし て指 揮 せ し む る と 云 ふ命
軍 等 の 一部 には之 に対す る反 感 があ り ま し た。 即 ち 参 謀 総長 の指 示 事 項 のや う な意 味 で方 面 軍 参 謀 長 が 軍 司令 官 に伝 へて来 る の です が 其 の内 容 の中 には ﹁方 面 軍 は斯 う 云 ふ風 にす る﹂
﹁方 面 軍 達何 号 ﹂
それ から
と 云 ふ やう な 方 面 軍司 令 官 の企 図 に関 す る事 迄 も参 謀 長 から 言 って 来 る と云 ふ状 態 でし た が 、軍 に於 ては 方 面軍 参 謀 長 が軍 司 令 官 に指
と 云 ふや う な形 式 を造っ て色 々 の こと を言 ふ て来 ま し た が之 等 は丁
示 を与 へる と云 ふ こと は な いと 云 ふ の で、 私 には 一切其 の指 示 を 見 せ ま せ ん でし た がど う考 へて も之 は 可 笑 し な こと でし て、 斯 ん な事
﹁陸 達 第何 号﹂
度陸軍省 の
そ れ か ら責 任 を 非 常 に軽 く見 る と云 ふ こと であ り ま す︱
や って居 る と 云 ふ のが 現 状 で は な いかと 思 ひ ま す 。
戦死傷
者 が 沢 山出 る と自 分 の命 令 が善 か った か悪 か った か と 云 ふ こと を顧
者 が 多 いと 云 ふ こと で責 任 を感 じ て居 りま し た が、 方 面 軍 へ行 きま
と 云 ふ も のを 真似 た 心算 であ る だ ら う と言 っ て相 当 評判 が悪 かっ た
す と 非 常 に其 の感 じ方 が 薄 く中 央 に於 き まし ては も つと薄 い ので あ
み て非 常 に責 任 を感 ず るも ので あ り まし て、 第 一軍 でも非 常 に死 傷
元 来 方 面 軍 は戦 地 か ら遠 去 か っ た地 に居 りま し て、 夕 方 には宿 へ
り ま す︱
の であ り ま す 。
下っ て仕 舞っ て居 ら ぬ と 云 ふ状 態 だも の です から 方 面 軍 では戦 を し
﹁お前 等 の子 孫 が 栄 え る為 の戦 だぞ﹂
と 云 ふ こと であ り ま し た が之 等 に就 ても 第 一線 の部 隊 等 は
﹁明瞭 に賠 償 金 も領 土 的 野 心 もな い﹂
と言 って第 一線 では之 が非 常 に問 題 にな り ま し たし 、 又
標 を捨 て て仕舞 った な らば 将 来 何 を 目標 に し て戦 を す るん だ﹂
﹁今 迄 戦 を し て来 て居 る の に今 此処 で斯 ん な声 明 を 出 し て作 戦 目
と言 っ て
﹁あ れ の軍隊 を敲 き潰 せ﹂
﹁蒋介 石 を敲 き潰 せ﹂
と 第 一線 の者 は言 って居 り ま す 。何 ん と な れば 、
﹁吾 々は本 当 に ガ ツ カ リし た﹂
に対 し て
﹁蒋 介 石 を相 手 に せず ⋮⋮﹂
衛 内 閣 の出 し た声 明
と 云 ふ感 じ を持 ち不 平 を 言 ふ者 も出 て来 る の であ り ま す 。尚 彼 の近
﹁吾 々は何 の為 に生 命 を 捨 て る のだ﹂
。斯 う 云 ふ風 な こと が自 然 第 一線 の士 気 にも影 響 を及 ぼ
へ下っ て居 ら ぬと 云 ふ やう な事 が始 終 あ った為 に
て居 る感 じ が殆 ど な く、 必 要 な 時 に此 方 か ら何 か言 っ ても 向 ふ が宿
す の であ り ま し て そ れが 為 に第 一線 の各 将 兵 や各 団 隊長 も
﹁ 方 面 軍 は戦 の指 揮 をす るな ら ば モツト前 へ出 て来 て状 況 の判 る 所 で直 接 第 一線 の状 況 を よく 見 て貰っ た 方 が よ い。﹂ と 云 ふ老 へが 一般 にあ った の であ り ま す 。
﹁ 第 一線 師 団 へ行 か れ た ら方 面 軍 司 令 官 と し て も沢 山 の戦 死 者 を
嘗 て方 面 軍 司令 官 に対 し て
出 し て相 済 ま ぬ 。 ﹂ と言 って下 さ いと言っ た ら ﹁ 戦 をし て戦 死 者 の出 る のは 当 然 だ 。﹂ と言 った と 云 ふ の で非常 に参 謀 が憤 慨 し て居 り ま した 。 当 時 方 面 軍 には事 務的 に は相 当 の力 を 有っ た者 もあ っ た の であ り
った と云ふ 人 もあ り ます 。然 し 之 に就 ては 丁度 今 の関 東 軍 が 矢 張 り
ます が 、ど う も政 治 の方 に興 味 を有 っ て作戦 が第 二義 的 になっ て居
政 治 問題 に興 味 を 有 って作 戦 が第 二義 的 になっ て居 る やう に思 は れ
のは 一団 と な って敵 を撃 破 す る と 云 ふ こと を 目的 と し て居 ると 思 ひ
ま す し 、今 の総 軍 司 令部 も さう 云 ふ感 じ が致 し ます 。 作 戦 と 云 ふも
ま す の に後 方 の方 面 軍 は 政 治 に頗 る趣 味 を持 ち 従っ て戦 を趣 味 的 に
ふ こと にな った ので は第 一線 部 隊 長 に悪 い感 じ を与 へた のは 当 然 だ
と 云 ふ て士気 を鼓 舞 し て居 りま す の に此 の声 明 で さう ぢ やな いと 云
之 も ど う な り ま し た こと か不 明 です 。
ず 政 治 方 面 に影響 す る と 云 ふ こと に就 ても意 見 具 申 を致 し ま し た が
行 使 を止 め な け れ ば斯 ん な状 況 では 日 本 の真 価 を疑 は れ る のみ な ら
等 も 少 く て済 み ます の で 、従 っ て聯隊 長 等 は実 施 学 校 で教育 を受 け
と は実 に大 き な こと で而 も団 隊 長 が実 兵指 揮 の巧 い人 であ れ ば損 害
そ れか ら 次 は団 隊 長 等 の力 が其 の部 隊 の戦 力 に影 響 があ り ま す こ
った と 思 ひ ます 。
二一、 第 一軍 司 令 官 在 任 中企 図し た る諸 件 並 に所 感
と 思 ふ ので あ り ます 。 即 ち 中 隊 長 は 一種 の親 分 肌 の意 気 込 み のあ る
人 であ る ベ き で、 そ れ さ へあれ ば 他 に戦 術 等 は十 分 でな く て も良 い
楽 を 共 にす る も ので あ り ます から 兵 か ら絶 対 的 信 頼 を 受 け る と 云 ふ
さ せ ると 云 ふ こと が 必要 で あ ると 思 ひ ま す し 、 又中 隊 長 等 は 兵 と苦
れは徐 州会 戦 に関 与 す る こと にな り ま し た第 十 四師 団 を 蘭 封等 へ出
香月
人 で、 兵 は 子分 で、 つま り 親 分 、 子分 と 云 ふ やう な 関 係 を続 け得 る
そ れ か ら私 は斯 う 云 ふ意 見 を述 ベ ま し た こと が あ り ま す 。 そ
す よ り も鄭 州 附 近 に於 て河 を 渡 し てそ し て黄 河 の決 潰 を 私 が や り た
其 の考 案 は徐 州 方 面 に兵 力 を 吸 集 し た其 の時 に黄 河 を 不意 に渡 っ
いと 云 ふ こと を考 へて居 った ので あ りま す 。
の而 も年 長 の将 校 で なけ れば 不 可 ま せ ん。 召 集 の中 少尉 が中 隊 長 で
や う な 人 で な け れば なら ぬと 思 ひ ます 。 そ れ が為 には 中 隊長 は現 役
と が あ り ます が今 日 の如 く各 種 の部 隊 があ っ てそ れ を編 合 し て指 揮
何 ん と な れば よく 師 団 を 二 分 の 一、 三分 の 一と 分 け て戦 闘 さ せ る こ
そ れ か ら師 団 は是 非 歩 兵 四 ケ聯 隊 を以 て編 成 し た いと 思 ひ ます 。
は と て も駄 目 だと 思 ひま す 。
てさ う し て之 を決 潰 す る⋮ ⋮ 決潰 し た後 其 の兵 力 を 此 方 に引 き上 げ る⋮ ⋮ そ し て敵 の退 路 を遮 断 し て之 を殲 滅 す る と 云 ふ の で之 は 二月 十 二日 に彰 徳 へ方 面 軍 司 令 官 が来 た時 に意 見 具 申 をし た の です が之
又 河 北戡 定 戦 後 築 城 隊 を 呼 ん で黄 河 の線 に築 城 し て内 部 を し つか
し な け れば なら な い状態 であ り ます と 旅 団 長 が そ こ へ行 って居 れば
亦 一蹴 さ れ て仕 舞 ひ ま し た 。
って 二千 八 百 粁 の間 に築城 し た い と 云 ふ こと を言 ひ ま し た が そ れも
り固 め る と 云 ふ こと を 計 画 し て金 を 一億 円 程 出 し て貰 って 一年 か 、
か っ た の であ り ま す 。
い ので之 では 不 可 ぬと 云 ふ意 見 具 申 を 致 し ま し た が之 も採 用 さ れ な
非 常 に師 団 長 が安 心 す る の です が 三単 位 では さ う し た ことも 出 来難
次 に在 職 間 に感 じ ま し た こと を申 し ま す と先 づ 一ケ年 後 に於 け る
遂 に採 用 さ れ な か った ので あ りま す 。
そ れ から 又 北支 五省 に於 て呉佩 孚 を長 と し て 旧軍 閥 の諸 将領 を手
馴 付 け それ に地盤 等 を や って此 方 に附 く や う にす れば 日本 の兵力 は
石家荘作戦 の頃は
未 だ判 ら な か った の です が河 北戡 定 戦 では そ れ が段 々明 瞭 に戦 力 低
五、 六 ケ師 団 の少 な いも ので済 む から と 思 ひ ま し て意 見 具申 を しま
現役師団 の戦 力低下を痛 く感 じまし たのですー
下 の状 態 が看 取 さ れ る やう に なり ま し た 。 そ こで な る ベく 早 く 武 力
是 非 共 の基 礎 を作 って置 かう と し ま し た。 即 ち 臨 清 附 近 に蔡培 徳 が
し た が採 用 さ れ ま せ ん でし たが 、 そ れ で も私 は罷 め させ ら れ る前 に
戦 に影 響 が あ り は せ ぬ か と思 ひま す 。
や う にし な け れば 之 が為 に国 軍 の価値 を失 墜 さし て将 来 の大 き い作
そ れ で武 力 交 戦 と 云 ふも のは 之 は どう し ても 一日 も 早 く停 止す る
有 難 ふ御 座 いま し た。
明治四五年陸大卒。昭和十二年七月支那駐 屯軍司令官。
八月第 一軍司令官 。十三年 七月予備役。
︹ 註︺ 香月清司
殿下
之 で私 の話 は終 り ま す 。
約 六 万 の兵 を持 って居 り ま し た か ら之 に此 の辺 の治 安 を維 持 さ せ、 彰 徳 附 近 に李 英 、李 福 和 を し て約 四 万 の部 下 を以 て附 近 の治 安 に任 ぜし め 、之 等 には月 に二 十 万 か 三十 万円 の金 を や れば 治 安 の維 持 は 幽 来 る。 又萬 福 麟 の如 き も そ れ が為 に極 め て容 易 に手 に入 る と思 ひ まし た の で其 の こと を中 央 に照会 し ま し た が之 も何 ん と も言 って来 な か っ た ので あ り まし て、 私 が帰 る頃 に は もう 彼 等 は 仲 々手 に 入 ら ぬ やう にな って仕 舞 ひ今 では 皆匪 賊 に なっ て敵 側 に附 い て居 る やう
そ れ から事 変 解 決 に就 て私 は 旧黄 河 の線 で止 め てそ れ から以 南 に
であ り ます 。
は手 を 出 さ ぬ が よ い と云 ふ考 へを持っ て居 りま し て黄 河 の線 に永 久
論
要 す る に本事 件 に於 き まし ては参 謀 本 部 と陸 軍 省 と の間 に事
二 二、結
で罷 め さ れ ら れ る時 分 に意 見 具申 を致 し ま し た 。
築 城 を や って置 かな け れ ば な ら ぬ と そ んな 風 の感 じ が 致 し まし た の
香月
変 当初 に於 ては 意見 が 一致 し て居 らず 、政 府 と も海 軍 とも 意 見 が 一 致 し て居 らず 、出 先 に於 て は第 一線 軍 と方 面 軍 司 令 部 と の意 見 が 一 致 し て居 ら な いと 云 ふ こと が著 し く 戦力 を弱 め て居 る のぢ や な いか と思 ひ ます 。 今 日 で は幾 分 第 一線 の士気 は前 と比 ベ て恢 復 し て居 る
対す る熱 意 は非 常 に乏 し く な って来 て居 り ま し た 。
模 様 で あり ま す が 、私 が帰 り ま す時 に は第 一線 は惰 気 満 々で戦 争 に
目
五
次
支 那 事変 回想 録摘 記
一、軍 司 令 官 と し て東 泉出 発 に際 し陸 軍 大 臣 よ り授 け られ た る 指示
説 明要 旨
二 、参 謀 総 長殿 下 より授 け ら れ た る任 務 及 参 謀 次長 、各 部長 の
三、 七 月 十 一日午 後 六時 二十 五 分 発表 の北 支 派 兵 に関 す る政府
(陸 軍 中 将
香 月 清 司 手記 )
十 三 、呉佩 孚 、萬 福麟 及馮 占海 と の交 渉
十 四 、八 月 二十 日 に於 け る軍 の状 況 判 断 十 五 、隊 州 及 保 定 会戦
十 六 、石 家 荘 及〓沱 川 の会 戦 十 七 、太 原 攻 略戦 十 八 、宋 哲 元 軍掃 蕩 戦
二十 、占 領 地 粛清 戦
十 九 、河 北戡 定戦
四、 七 月 十 三 日 に於 け る支 那 駐 屯 軍 の状 況 判 断
二 一、徐 州 会 戦 に策 応
の声 明
五、 侍 従 武官 長 宇 佐 美 中将 の書信
二 二 、所
八 、 支 那駐 屯 軍 作 戦計 画
四、 上 級 官 衙及 司 令 部 の独善 思 想
三 、作 戦 計 画 及作 戦 命 令
二 、作 戦 指 導 と行 政 の分 離
一、攻 略 と 戦略
感
六 、 陸 軍中 央 部 の ﹁ 事 変 処 理 に関 す る方 針﹂ 伝達
九 、 七 月 二十 五 日 に於 け る郎 坊 事 件
七 、 宋哲 元 と の会 見
十 、 北平 周 辺第 二 十九 軍 掃 蕩 戦 に関 す る軍命 令 の変 更
五 、人
事
十 一、 天津 に於 け る爆 撃 問 題 十 二 、通 州 事 件 及陸 軍 政 務 次 官 の現地 調 査
臣 よ り授 けら れ た る指 示
一、 軍 司 令 官 と し て東 京 出 発 に 際 し 陸 軍 大
昭和 十 二年 七 月 十 一日午 前 四時 三十 分 頃電 話 を 以 て陸 軍 大臣 杉 山 大将 代 理 とし て人 事 局長 阿 南 中 将 よ り ﹁貴 官 は支 那 駐 屯軍 司令 官 に親補 せ ら るゝ も 差 支 な き や。差 支 へ なく ば成 る ベく 本 日 中 に任 地 天津 に到 着 す る如 く出 発 せら れ た し 飛行 機 を準 備 す 。﹂ の旨 を伝達 せら れ直 ち に旅 装 を整 へて午 前 七 時 三十 分 頃 陸 軍 大臣 官 邸 に到 れ り。 陸 軍 大 臣 は陸 軍 次 官 梅津 中 将 を列 席 せし め て小官 に左 の指 示 を与 へられ た り。
二、 参謀 総長 殿 下 より授 け ら れ た る任 務 及
参 謀 次 長 、 各 部 長 の説 明 要 旨
参 謀 総 長 殿下 は直 ち に総 長 室 に小官 を召 さ せ ら れ今 井 参 謀 次長 侍
立 の下 に親 ら 左 の要 旨 の任 務 を 口頭 附 与 せら れ た る後 左 の書 類 を下
一、支 那 駐屯 軍 の任 務 は勃 海 湾港 より 北平 に至 る間 の交 通線 を確
附 せ ら れ たり 。
二 、貴 官 は逐 次増 加 せ ら るべ き部 隊 を併 せ指 揮 し て本 任 務 を実 行
保 し 且同 地 方 に在 る我 が居 留 民 を保 護 す る にあ り
三 、細 部 に関 し て は各 部 長 を し て指 示 せし む
す べし
次 で各 部 長 及 小官 に随 行 を命 ぜ ら れ た る参謀 三名 (堀毛 砲 兵 中佐 、
菅 波歩 兵 中 佐 、橋 本 砲 兵 中 佐 ) を総 長 室 に招 致 せ し め ら る。
(1︶ 第 二部長 よ り宋 哲 元 軍 及 北 支方 面 諸 軍 北 上 の状 況 及 中 央 軍 の
各 部 長 の説 明 せ る事 項 概 ね 左 の如 し 。
一、 貴官 の任 務 は参 謀 総 長 より附 与 せら る 二、 藍溝 橋 事 件 に就 て は極 力 不拡 大 方 針 の下 に現 地解 決 を 計 ら れ
内 地 三 ケ師 団 を動 員 に依 り 直 ち に北 支 に出 動 せ し め 小官 の指揮 に
(2︶ 第 一部長 よ り関 東 軍 の 一部 及第 二十 師 団 を応 急 動 員 に依 り 又
状 況 (要 図 にて説 明 し 之 を 交附 せら る)
度し 以上 二項 目 の極 め て簡 単 な る指 示 に過 ぎず 他 に多 く を語 ら ざ りし
には多 数 の局 課 長 等集 合 しあ り 。教 育 総 監 部 課員 森 田利 勝 大尉 を臨
(3︶ 第 三 部長 よ り内 地 動 員 部隊 の輸 送 には動 員 完 結 の 日よ り約 一
属 せし め ら る
を以 て直 ち に官 邸 を辞 去 し て参 謀 本 部 に赴 き た り。 但 し 官 邸応 接 室
時 に副 官 とし て随 行 せし めら るゝ こ とと な り 大 臣以 下 と共 に冷 酒 乾
ケ月 の 日子 を要 す
杯 一同 に告 別 せ り 。
右 終 って随行 参 謀 をし て夫 々各 部 の主 任者 に就 て尚 詳 細 の打 合 せ を行 はし め た り。
一、 支那 駐 屯 軍 に増 加 せ ら る ベき 兵力 は概 ね第 一部長 説 明 の通 り
尚 小官 は参 謀 次長 室 に於 て今 井 中将 と会 談 す 。
を確 定 し あ り し や否 や の疑 問 は小 官 の今 日 と錐 も 尚釈 然 た るを 得 ざ
事 件 の将 来 性 に関 す る 正確 な る見透 し と凡 ゆ る変 化 に対応 す る腹 案
仰 ぐ こと に決 心 し て辞去 せし も のな り 。只 当 時 に於 て陸 軍 大 臣 が本
き稍 憂 愁 沈欝 な る状 態 を感 ぜ し め た る に反 し て、 参 謀 本 部 に於 ては
当 日陸 軍省 の此 の如 き 不 明朗 な る否 寧 ろ暗 雲 低 迷 の恐 れ あ る が如
る所 な り とす 。
同 次長 談 話 の要 旨 は
な れど も尚 研 究 の上 意 見 あ れぱ 時 々開 示 せら れ たし
山東 方面 に作戦 せ し めら るゝ 筈 、而 し て其 の上陸 地 点 は大 体青 島
ち即 時 必 要 な る 応急 派 兵 、 内 地数 ケ師 団 の即時 動 員 、 山 東作 戦 の意
極 め て緊 迫 せ る情 勢. を直 ち に感 得 せし む るが如 き も のあ り た り。 即
二 、前 述 の内 地 三 ケ師 団 の外引 続 き別 に二 ケ師 団 を動 員 し て之 を
の予 定 な れ ど も我 が海 軍 は海 州附 近 の上陸 を希 望 し あり て未 だ意
き 以 て 対 ﹁ソ﹂作 戦 に遺 憾 な き を期 せざ る ベか らず と云 ふ に 一致 し
の拡 大 を戒 む に努 め止 む を得 ざ る に至 れば 対 支作 戦 を速 戦 速決 に導
軍省 の空気 に就 て談 話 を交 へ結 局 現 地到 着 後 情勢 を精 査 し 極力 局 面
向等 全 く 対 支 全 面作 戦 の端 緒 な る を覚 れ り 。 故 に今 井 参 謀 次長 と陸
見 の 一致 を見 る に至 らず 等なり。 而 し て総 長 宮 殿 下 を始 め奉 り 各 部 課長 と共 に冷 酒乾 杯 し総 長 殿 下 謹ん で
て直 ち に出 発 せる も のなり 。 要す る に当 時 省 部間 に於 て未 だ完 全 な
﹁皇 威 を傷 つけ皇 軍 の名 誉 を損 ふ が如 き ことな き を期 す﹂
より 御 激励 の御 言 葉 を頂 き感 激 極 に達 し
る意 見 の 一致 を 見ず 。 為 に所 謂事 変 の立 ち 上 り に於 て既 に蹉跌 を来
小官 等 の搭 乗 せ る軍 用 飛 行機 は天 候 の不 良 な りし と機 関 の不 調 と
支 派 兵 に関 す る政 府 の声 明
三 、 七 月 十 一日 午 後 六 時 二 十 五 分 発 表 の 北
明 な る事 変 処 理 の誘 因 を為 し た る に あら ざ る か。
た し た る こと は争 ひ の余 地 な き所 な り。 之 爾 後 に於 け る極 め て 不鮮
の旨 を言 上 し午 前 九時 半 頃 参 謀 本 部 を発 し て立 川 飛行 場 に到 り午 前
当 日 の所 感 を述 ぶ れ ば陸 軍 省 に於 て大臣 、次 官 は事 件 の不 拡 大 を
十 一時 勇 躍 し て同 飛行 場 を出 発 せ り。
強 調 す る の み にし て 大 に し ては 国策 、小 にし ては政 府 の本 事 件 に対 す る 政策 等 に関 し て何 等 説 示 言 及 す る所 な く 只漫 然 と現 地 解決 を希 望 せ し は 小官 の不 可 解 とす る所 にし て当 時 一抹 の不安 を禁 ず るを得 ざ り し な り。 然 れ ど も陸 軍 大 臣 は 既 に事 件 発 生時 に於 て当 時 の軍 司
﹁ 政 治 問 題 回避 、事 件 不 拡 大 、局 地解 決 の三 大 方針 の下 に交 渉 を
令 官 田代 中 将 に対し
し て間 もな く 新 聞通 信 に依 り て北 支 派 兵 に関 す る我 が政 府 の声 明 を
着 、航 続 不 能 の為 同 夜 遂 に京 城 に 一泊 す る の止む なき に至 れ り。 而
に依 り て速 度 不 十分 な りし為 十 一日午 後 六時 頃 漸 く 京城 飛行 場 に到
旨 を訓 令 せら れた る趣 な りし を 以 て改 めて茲 に反 問 を試 み る 二と な
行 ふ べき﹂
く 先 づ 現地 到 着後 に於 て状 況 を確 認 し た る後 必要 あ れぱ 更 に指 示 を
知 るを得 た り。 此 の政 府 の声 明 によ り て始 め て今 朝 陸 軍 大 臣 の指 示 せら れ ざ り し 我 が政 府 の政 策 を明 かな ら しむ る こと を得 て大 い に意 を強 う せ り 。
十 二 日午 後 二時 軍 司 令 部 に到着 す る や直 ち に軍 参 謀 長 橋 本 少将 よ
判断
四 、 七 月 十 三 日 に 於 け る 支 那 駐 屯 軍 の状 況
り 諸般 の報 告 を受 け殊 に前 夜 即 ち七 月 十 一日午 後 八時 に至 り 北平 に
而 し て本声 明全 文 を 反覆 含 味 し て得 た る感 想 は文中 の
遂 に北平 に於 け る交 渉 を全 面 的 に拒否 す
一、 ⋮ ⋮中 央 軍 に出 動 を命 ず る等武 力的 準 備 を進 む る と共 に平 和
於 て同 参 謀 長 と支 那 第 二十 九 軍 と の間 に成 立 せ し め た る事 件 解決 に
的 に応ず る の誠 意 な し る に至 れ り⋮ ⋮
然 る後 前 述 せ る
関 す る協 定 に就 き詳 細 に報 告 せ し め たり 。
茲に贅 雷 を要 せず ⋮ ⋮今 後 斯 か る行為 な か らし む る為 の適 当 な る
二、 思 ふ に北 支 治 安 の維 持 が帝 国 及満 洲 国 によ り 緊要 の事 た る は
に対す る小 官 の感 想 及 東 京 よ り 随行 せ る参 謀 の意 見竝 に此 の協 定 等
﹁ 北 支 派 兵 に関 す る我 が政 府 の声 明 ﹂
三、 ⋮ ⋮ 今時 事 件 は 全 く支 那 側 の計 画的 武 力 抗 日 な る こと最 早 疑
保 障 等 を為 す こ とは 東亜 の平 和 維持 上極 め て緊 要 な り
を加味 し て軍 の現 在 す る参 謀 全員 よ り な る幕 僚 会議 を開 催 し て
又 支 那 軍 の計 画的 武 力 抗 日 た る こ と最 早疑 ひ の余 地 な し と観 察 し
判 断 を基 礎 とし て 一切 の行 動 を律 す べ き を命 じ 且 直 ち に之 を参謀 総
な るも のを作 成 せ り 。 小官 は之 に全幅 の同 意 を表 し 、 即刻 軍 は 此 の
﹁七月 十 三 日 に於 け る支 那 駐 屯 軍情 況 判 断 ﹂
る迄慎 重 な る討議 を行 ひ
依 って橋 本 参謀 長 は直 ち に参 謀全 員 を招 致 し てタ 刻 よ り夜 半 に至
の確 乎 た る方 針 を 速 か に決 定 す べき こと を命 今 せ り 。
﹁ 軍 は今 後何 を為 す べ き や﹂
の余 地 な し
の交 渉 は陸 軍 大 臣 の希 望 す る如 き政 治 問題 回避 にて は其 の目的 を達
等 の字 句 に依 り て政 府 の意 の存 す る所 を考 察 す れば 北平 に於 け る軍
す る も の にあ らず 。 政 府 は軍 に於 て外 交 的折 術 を行 ひ北支 治 安 の維 持 と東 亜 の平 和維 持 上適 当 な る保 障 を要 求 せ し め む とす る も のな る
あ るを 以 て恐 らく 陸 軍 大臣 の希 望 す る事 件 不拡 大 、 現 地解 決 も 甚 だ
を知 る べ し。
期待 薄 にし て矢張 り参 謀 本部 の予 期 す る が如 き 対支 一戦 の止 む を得
官 の意 図 の如 く 活 動 せ し む る を得 る に至 りし な り 。
斯 く て衆 心茲 に帰 一し て処 理 整 然業 務 敏 活 直 ち に全 機関 をし て小
長 及 陸 軍 大臣 に電 報 報 告 せ し め たり 。
ざ る情勢 を呈 し つつあ る も のな り 。故 に支 那 駐 屯 軍 の作 戦 準 備 には 聊か の遺 漏 あ る べ か らず し て事 変 は 急 転 し つつ あり と の深 刻 な る感 想 を懐 き つゝ 翌 十 二 日早 朝倉 皇 とし て京城 を出 発 し 同 日牛 前 十 一時 三十 分 頃 天津 飛行 場 に到着 午 後 二 時 支 那駐 屯 軍 司 令 部 に入 れり 。
五 、 侍 従 武 官 長 宇 佐 美 中 将 の書 信
其 の要 旨 は
七月 十 四 日東 京 より の幸便 を 以 て侍 従武 官 長 宇 佐 美 中将 の七月 十 一日附 書 信 を受 領 せり
六、 陸 軍 中央 部 の ﹁事 変処 理 二関 ス ル方 針 ﹂ 伝達
︹ 鐵 藏︺
七月十四日電報を以て陸軍大臣、参謀総長連名 の ﹁ 事変処理 ニ関
メ ル方金 ﹂ を通達せれ`翌十五日タ参謀総務部長中島少将`
陸 軍 省 軍 務課 長 柴 山 大 佐 同列 にて飛 行 機 にて天 津 に来 着 し右 の文書
﹁⋮ ⋮ 陛 下 には今 回 の北支 事 変 に関 し其 の拡 大 を 特 に御珍 念 被 為 在 此 点 勿論 十分 御 考 慮 の事 と存 候 も 小官 よ り御 思 召 を拝 察 致 し 御
を 軍 司令 官 に手 交 し 且 口頭 を以 て ﹁本 件 は 上聞 に達 し あ り﹂
伝 へ申 候⋮⋮ ﹂ 直 ち に橋 本 参 謀長 に も此 の書 信 を披 見 せし め 共 に此 の旨 を 奉 体 し て
を是 認 し て之 が実 行 を 監督 す
1、 軍 は事 変 不拡 大 、 現 地解 決 の方 針 を保 持 し七 月 十 一日 の協 定
と伝 達 せ り 。其 の要 旨 は
2、 支 那 側 に本 協 定 履 行 の誠 意 な し と認 む る場 合 は断乎 之 を膺 懲す
(一) 第 二十 九 軍側 を督 促 鞭韃 し て速 か に本協 定 履 行 の実 を 上げ し
遺 憾 なき を期 し た り。 而 し て
む る こと 。
得 る限 り遠 く 之 と離 隔 せし む る こと。 及 び支那 軍 の挑 戦 的 行動 に
(二) 北 平附 近 に於 て近 く 支 那 軍 と相 接 触 す る我 が部 隊 をし て出 来
3、 兵 力 使 用 の場 合 には 予 め中 央 部 の承 認 を受 く べ し
依 って 小官 は中 島 少将 及 柴 山 大 佐 に対 し左 の要旨 の問 答 を な し説 明
対 し極 力 之 を 退避 す る に努 め 且断 じ て我 が 方 よ り挑 戦 的 又 は之 に
を 求 め たり 。 固 よ り橋 本 参謀 長 を列 席 せし め た る上 な り 。 香月
類 す る が如 き 行動 を為 さし め ざ る こと。
ありや
(三) 状 況 之 を許 す 限 り関 東 軍 の増 加 部 隊 及 逐 次到 着 すべ き 第 二十 師 団 を 北平 及 天 津 地 区 よ り遠 隔 せ る地方 に位 置 せ し め内 地 よ り の
中島
本 指 示 と 軍 よ り報 告 せ る状 況判 断 と如 何 な る点 に於 て相 違
増 加部 隊 は要 す れ ば之 を満 洲 及 朝鮮 等 に待 機 せ し め以 て急 激 な る
等 の事項 を決 定 し 直 ち に夫 々所 要 の処 置 を執 ら し め た り。 然 れ ど も
執 り つゝ あ る処置 と本 指 示 の精神 と は毫 も 相 背馳 せ る所 な き が如
香月
ら れ た るも のな り
本 指 示 は 軍 の状 況 判 断 に何 等 の関 係 な く全 く別 個 に作 為 せ
増 兵 に依 り て支 那側 を刺 戟 せざ る こと。
遂 に不拡 大 の目 的 を達 す る こ とを 得ず し て宸 襟 を 悩 ま し奉 り たる は
小官 の見 る所 に依 れば軍 の状 況 判 断 、 即 ち軍 司 令 官 が目 下
恐懼 に堪 へざ る所 な り 。
し 。然 る に茲 に更 め て此 の指 示 を与 へら れ たる所 似 は如何 、何 か
特 別 の理由 あ る にあ らざ る か。殊 に兵 力 使 用 に関 し予 め中 央 部 の 承 認 を受 く る こと と せら れ た る理 由 は 如何 。
要 す る に軍 は現在 に於 て本 事 変処 理方 針 と全 然 同 一の精 神 を 以
て善 処之 努 め つ つあ り 。 又今 後 と錐 も固 よ り誠 心 誠意 を 以 て此 の
も支 那 駐屯 軍 司 令 官 に附 与 せ られ あ る固 有 の任 務 を完 うす る為 に
は既 報 告 の状 況 判 断 を 基礎 と し て行動 を律 す る要 ある こと を認 識
方 針 に基 き最 善 最 大 の努 力 を払 ふも のな る こと を 断 言す 。然 れど
せ ら れ速 か に帰 庁 の上 此 の旨 を上 司 に報 告 し若 し 不 可 な る点 あら
本 指 示 を作 為 せ ら るゝ に至 り た る所 似 は実 は中央 部 即 ち 参
意 見 と が相 対 立 し て容 易 に之 を 一致 せ し む こと能 はず 、故 に止 む
ば直 ち に之 を 回示 せら れ ん こと を希 望 す所 見 如 何 。
中島
を得 ず 省 部 の二 三 の部 局 長 のみ の談 合 によ り て本 案 を作 為 せら れ
中島
謀 本部 と陸 軍 省 に於 て硬 軟 両論 即 ち 頗 る積 極的 の意 見 と然 らざ る
之 を総 長 、 陸 軍 大臣 連 署 を 以 て上 聞 に達 せ ら れ省 部 の意 見 を帰 一
了承 せ り。
せ し め た る次 第 な り。 云 々。
後刻 改 め て協 議 す べ し ( 柴 山 に対 し)。
状 況判 断 中 の第 三 項 に就 て異 論 あ り 。
(中島 少将 は同 夜 参 謀 次 長宛 此 の旨 電 報 報 告 せ り と の こと な り) 柴山
尚事 変 処 理 方 針 中 の
説 明 は之 を了 承 せり 。 小官 は固 よ り 軍 の各 員 皆 等 しく 本 事
変 の拡 大 を避 け る為 に は夙 夜痛 心全 力 を 傾 倒 し将 来 測 り知 る可 ら
橋本
香月
ざ る作 戦 上 の不利 も 又時 と し て は皇 軍 の面 目 を も犠 牲 と す る決 意
香月
ざ る場 面 に到 達 す る な き やを 恐 れ あ る次 第 な り 。若 し夫 れ斯 の如
と 難 も支 那 側 に於 て何 等 反 省 す る所 な く ん ぱ遂 に自 然 拡 大 を免 れ
政府 が声 明 し た る が故 に我 が軍 に於 て如 何 に拡 大 防 止 に努 力 す る
も の にし て彼 の計画 的 武 力 抗 日 な る こと 最 早疑 の余 地 な し と 我 が
力抗 日 の意 志 の下 に挑 戦 的 態度 を継 続 し つ つあ る今 日 に於 て は如
呈 せず や、 又 現在 の現 地 情 勢 殊 に前 述 せ るが如 き支 那 の計 画的 武
拘束 せら れ陸 軍大 臣 が公 然 用 兵作 戦 上 に容喙 せ らゝ
と せぱ 参謀 総 長 よ り授 け ら れ た る任 務 の実 行 に就 て陸 軍 大 臣 よ り
と あ る が中 央 部 と は参 謀 総 長 と陸 軍 大 臣 の意 な る や。 果 し て然 り
﹁ 兵 力使 用 に関 し て は予 め中 央 部 の承 認 を受 く ベし ﹂
を 以 て之 に善 処 し つつあ る状況 は後 刻 参 謀長 に就 てよ く 承知 せ ら
き場 合 に至 り て も 尚極 力 其 の拡 大 を回 避 せん と せぱ 最 早 逐次 支 那
れ た し。 然 れど も 本事 件 は支 那側 の挑 戦 に依 り て惹 起 せら れ た る
側 の鋭 鋒 より 退 避 す る の外 手段 な き に至 ら ん か 、而 し て万 一此 の
不祥 事 件 再 発 の皆 無 は俄 か に之 を保 証 す るを得 ざ るな り 。 斯 の如
何 に我 が方 の不拡 大 方 針 の堅持 と凡 ゆ る処 置 と に拘 はらず 突 発 的
を 変更 せ ら るゝ こと あ り とす る も其 の状 況 に於 て は之 等 の部 下 と
の面 目 上 斯 の如 き侮 辱 に甘 んず べく も な く 、 又 小官 が縦 へ現任 務
が此 の北 支 に集 中 せし め ら れ つ つある 状 況 に於 て は皇 軍将 兵 が其
力 を使 用 す る に至 る が如 き は 恐 らく は 状 況 に適 合 せざ るな ら ん。
大臣 連 署 を 以 て軍 に指 令 を 発 せ ら る る に至 り之 に依 り て始 め て兵
に関 す る申 請 を為 し省 部 間 に協 議 を重 ね た る後 上 奏 せら れ総 長
き場 合 に於 て参 謀総 長 及陸 軍大 臣 に夫 々状 況 を具 し て兵 力 の使 用
が如 き観 を
途 を選 ぶ こと あ り と仮 定 す るも 現在 の如 く 陸続 と し て皇 軍 の精 鋭
生死 を同 ふす る よ り他 に執 る べ き途 な き は 明 か なり 。
し と難 も何 の為 に斯 の如 き規 定 を 設 けら れし や既 に参 謀 総 長 殿 下
無 論 斯 の如 き場 合 に於 て軍 司令 官 の執 るベ き途 は之 あ りと存 す べ
要 な るベ し 。然 ら ざ れ ば皇 道 宣 布 な る国 策 に暗翳 を投 ず る に至 る
な る探 求 を遂 げ 其 の原 因 に向 っ て鋭 利 な る ﹁メ ス﹂ を揮 ふ こと緊
際 的 信 用 を殿 損 せ る こと甚 だ大 な るが如 き を以 て時 機 を得 て真 剣
柳條 溝 爆 破 事 件等 の例 も あり て之 等 の所 謂 風評 に依 り て皇 国 の国
固 よ り之 を明 か にす る こと を得 ざ り し のみな ら ず 既 に我 が政 府 は
と す る も の なり と の風 説 切 り に流 布 せ ら れ たり 。 其 の真 偽 の如 き
即 ち 本事 件 を拡 大 し て 日支 の紛 争 と な し 対支 権 益 の拡 充 を図 ら ん
為 せ る悲 劇 にし て軍 の過 激 分 子 と居 留 民 中 の不良 分 子 の合 作 な り、
中 央 部 の意 志 の如 く な らざ りし と せば そ れ は 一、 二幕 僚 の罪 にあ
り て統率 せ ら れ幕 僚 は其 の補 佐 官 たる に過 ぎ ざ る が故 に軍 が若 し
其 の時 機 は適 当 な ら ざ り し に あら ざ る か 。元 来 軍 は軍 司令 官 に依
す と 錐 も幾 分 に ても 両名 の剛 直 硬 骨 が其 の因 を 為 し た り とす れ ば
し 。 固 よ り止 むを 得 ざ る 人事 行 政 の必要 よ り せ る転補 な りと 確 信
に於 け る前 記 風 評 を 裏書 す る が如 き 詑伝 風 説 の因 を な し た る が如
知 中 佐 、続 いて池 田 中佐 共 に内 地 に招喚 せ られ し が之 又平 津 地 方
前 述 せ る事 変 処 理 に関 す る方 針 伝 達 せ ら れ て間 も な く軍 参 謀和
を懼 る 。
よ り兵 力 使 用 に関 し て明 確 な る任 務 を附 与 せ ら れ あ る時茲 に此 の
全 く 同感 な り。
制 限 に会 し徐 う に憂 欝 の念 を生ず 。貴 見 如 何 。 中島 以 上 の如 き 所 見 を開 示 し置 き たる も其 の後 当 局者 よ り は何 等 の回答 に接 せざ り き 。
七 月 十 一月 声 明 を発 し て本 事 件 が支那 側 の計 画 的 武 力抗 日 な る こ
ら ず し て軍 司 令 官 の責任 な るは 当 然 の事 な り。
当時 平 津 地 方 の日支 人 間 に於 て蘆溝 橋 事 件 は 日本 側 が故 ら に作
と 最 早疑 の余 地 な し と断 定 せ る以 上 は当 時 更 め て之 を探 究 す る の
と述 べ た る趣 を仄 聞 せり 。其 の文 意 は 之 を知 悉 せざ る も幕 僚 より
﹁軍 司令 官 及軍 参 謀 長 は事 変 不 拡 大 に努 力 し あ り 云 々﹂
当 時 天津 に差 遣 せら れ た る中 島 少 将 が中 央 部 に打電 し て
之 を承 知 し て小官 は憤 慨 せ し所 なり 。
然 る に七月 中 旬 第 二 十 師 団長 川 岸 中将 が同 師 団 の先頭 に在 り て
必要 も認 めざ り し所 な り。
天 津 に到 着 す るや 天 津在 留 邦 人 の代 表 と称 す る者 等 直 ち に同 中 将
能 く軍 部 に於 て下 剋 上 の思想 を 云為 し て下級 者 を非難 す る声 を
を訪 問し て、 ﹁現駐 屯 軍 司 令 官 及 其 の幕 僚 等 の態度 は極 め て軟 弱 にし て吾 等
能 く数 十 万 、 数 百 万 の軍 隊 を意 の如 く 統 率 す る ことを 得 ん や。 下
せ飲 む の量 な き を非 難 す ベ し と な せり 。 然 らざ れば 如何 にし て か
級 者 を非 難 す る よ り は上 級 者自 ら を反 省 す る を急 務 と す と。 故 に
聞 く ことあ るも 小官 は之 と 反 対 に上級 者 の無智 無能 にし て清 濁 併
の旨 を熱 心 に述 べ た る こと 及之 に類 す る が如 き諸 種 の策 動 あ り し
前述 の中島少将 の打電を灰聞したる後同少将に対し て小官 の抱懐
の事 件 を直 ち に天 津 に於 て実 行 せし め ら れ ん こと を切 望 す﹂
こと は事 実 な る を以 て前 項 の風 評 も全 く 一笑 に附 す る こと も或 は
居 留 民 の信 頼 に値 ひせず 。宜 しく 貴 師 団 に於 て 二 ・二六事 件 的
適 当 にあ ら ざ る べし 。 蓋 し前 に奉 天 に於 け る張 作霖 の爆 死事 件 及
願 ひ申 上 げ ます 。 本 日 は 一寸 御 挨 拶 に上 り ま し た 次 第 で す 。 云
ひ まし た何 卒 閣 下 に於 ても格 別 御親 交 を賜 り万 事宜 敷 御 指 導 を御
て居 り ま す。 従 って前 軍 司令 官 田代 中将 閣 下 には 特 に御 親 交 を願
﹁ 若 し不 拡 大 方針 の遂 行 に於 て軍 の処 置 が適 当 なら ざ る か或 は
す る意 見 を述 べ て
中 央 部 に於 て杞憂 に堪 へず と せぱ 、 寧 ろ 先 づ軍 司 令官 の錚 々た 云 。﹂
﹁今 回 の事 件 に就 て貴 軍 長 が遺 憾 の意 を表 明 され た事 は之 を諒 と
之 に対 し て 小官 は
る 人物 を更 置 す る を必 要 と せ ん。﹂ と の意 見 を開 示 せ り。
す る。今 後 の問 題 は自 今 断 じ て斯 の如 き事 件 を 再発 せし め ざ る に
宋 哲 元 は石 津 鉄 道問 題 紛 糾 以 来病 と称 し て其 の郷 閣 楽陵 に引遁 中
和就 中 北 支 に於 け る 日支 の親 善 を希 ふ事 は 小 官 は決 し て貴 軍 長 に
と な る べ き事 項 を 根本 的 に芟 除 せ ら る 、事 を 切望 す る 。東 洋 の平
在 る。自 分 は 此 の際貴 軍 長 が 一大決 心 を以 て不祥 事 件 再 発 の素因
なり し が 、事 件 勃 発 に依 り て七 月十 一日天津 に帰来 し冀 察 要 人 を北
の銃 声 に導 火 せ ら れ た る事 を老 ふ る時 貴 軍 に於 て は特 に我 が軍 に
劣 らざ る も の であ る 。し かし彼 の世 界 大 戦 は セ ルビ ヤ国 内 の 一発
七、 宋哲 元 と の会 見
平 より招 致 し て之 と 対策 を講 じ 、特 に第 三 十 八師 長 兼 天津 市 長 張 自
め度 いか ら閣 下 に於 て も誠意 を 以 て之 に応ず る様 に取 計 ら れ度 い.
に関 す る細 部 の事 項 は我 が軍参 謀 長 をし て閣 下 の幕 僚 と協 議 せ し
対 す る挑 戦 的 行動 を厳 に戒 め ら れ ん事 を 切望 す る。 尚 将 来 の保障
忠 をし て軍 参 謀 長 橋本 少 将 と 折 衝 せ しめ た り 。 小 官 着任 後 彼 は張自 忠 を通 じ て橋 本 参 謀長 に ﹁哲 元 は自 今 天 津 に留 まり 軍 司令 官 の 一切 の指 導 に 従 ふ 意 志 な り﹂
尚 今 後 公 私 共 に御 懇 親 を 御願 ひ しま す 。﹂
我 が希 望 事 項 を彼 の自 発 的 意志 によ る細 部協 定 事 項 とし て我 が 方 に
而 し て翌 十 九 日 には軍 の状 況判 断 第 三項 にあ る将 来 の保 障 に関 す る
と言 は し め たり 。 小官 は ﹁先 づ彼 が虫 る十 一日夜 成 立 せ る協 定 の誠 実 且最 も 迅速 な る実 行
七月 二 十 一日宋 哲 元 は
る如 く 勢 力 せ ら れ たし 。 且在 北 平 の特務 機 関 松 井 大 佐 と密 に連 絡
﹁之 に就 ては何 等 異 存 な し成 る べく 速 か に且確 実 に協 定 を実 行 す
旨 を申 出 で て小官 の意 見 を徴 し た る に依 り 、 小官 は
い。﹂
﹁ 協 定 の履 行 を部 下 をし て確 実 に実 行 せ し む る 為 北 平 に赴 き た
提 出 す る に至 れ り
に依 り て共 の誠意 を示 す べ し﹂ と 答 へし め切 り に之 を督 促 せ し め た りし が 、 七 月十 八 日午 後 二時 彼 は張 自 忠 及 陳覺 生 を伴 ひ て天津偕 行 社 に小官 を訪 問 せ り 。 小宮 は 橋 本 参 謀 長 及 池 田参 謀竝 に通 訳官 を帯 同 し之 と会 見 す 。宋 哲 元 は 恭順
﹁ 今回 の事 件発 生 は誠 に遺 憾 に存 じ ま す。 自 分 は か ね て より 東 洋
な る態 度 を以 て 小官 に対 し て
の平 和 を切 に希 って居 り殊 に日支 間 の親 善 に就 ては最 も力 を尽 し
せら れ た し。﹂ と答 へし め し によ り 、宋 哲 元 は張 自忠 を天 津 に残 し て爾 他 の要 人 と 共 に北 平 に赴 き たり 。 宋 哲 元 は北 平 に赴 き直 ち に協 定 の履 行 を始 め事 件 は 急速 解 決 の徴
然 れど も本 作 戦 は 又事 変 拡 大 の際 に於 け る緒 戦 と し て全 戦 役 に重
あ る べし 。
︹一 麿 ︺
大 な る弱 係 を有 す る に至 る こと を も 十分 に考 慮 せざ る可 らざ る を以
て 小官 は作 戦 主 任参 . 課堀 毛 中 佐 を招 致 し て左 の指 示 を 与 へた り。 一、事 変 悪 化 の情 勢 に於 ては逐 次 重点 を作戦 の準 備 に移 行 し其 の
二 、開 戦 の止 む な き に至 れば 予 は本 作 戦 が全 戦 役 の緒 戦 た る べき
完璧 に遺 憾 なき を期 す べし
を 示 せる も、 南 京 政 府 は之 を承 認 せず と なし 蒋 介 石 の参 謀 次 長 熊斌 を 二十二 日夕 宋 哲 元 の許 に差 遣 し 之 を威 嚇 し て協 定 の履 行 を妨 げ た
性 質 を有 す る に鑑 み顕 著 な る戦 果 を獲 得 す る如 く作 戦 を指 導 せむ
る のみ な らず 、 陸続 と し て中 央 軍 を北 上 せし め つゝ あ り 。軍 は 特務 機 関 を し て屡 次厳 重 な る戒 告 を 行 は し め たり と 錐 も其 の効 果 漸 く少
之 が為
とす
イ、 機 敏 にし て疾 風 迅雷 の行 動 を要 求 す
之 が為 南 苑 の如 き は 好 個 の目 標 な る べ し
第 三 十 八師 長 張 自 忠 の了 解 の下 に通信 線 補 修 及 其 の掩 護 の為 に派
九 、 七 月 二 十 五 日 に 於 け る廊 坊 事 件
第 二十 九 軍掃 蕩 戦 の形 に移 行 せ る も のな り 。
之 に依 り て逐次 本 作 戦 計 画 を修 正 変 更 し 七 月 二十 八 日 北平 周 辺 の
ハ、敵 の心胆 を寒 から し む る が如 き 偉 大 な る戦 果 を 収 む ベし
作 戦 を 指 導す
ロ、其 要 点 に徹 底 的 重 点 を形 成 し 之 に全滅 的 打 撃 を 与 ふ る如 く
即 ち徹底 的機 動 なり
く情 勢 は再 び悪化 の逆 路 を辿 る に至 り た るは誠 に痛 恨 に堪 へざ る所 な りき 。
八 、支 那 駐 屯 軍 作戦 計画
七 月十 三 日 に於 け る軍 の状 況判 断 に基 き 直 ち に軍 参 謀 部 に於 て は 支 那 駐 屯 軍 作戦 計 画 を樹 立 せ り 。然 れど も 前 に述 べ た る如 く極 力事 件 を拡 大 せ ざ る こと に努 め た る結 果 、 古 北 口方 向 よ り前 進 す る混 成
一部 を天津 に主 力 を唐 山 以 北山 海 關 に至 る間 の地 区 に集 中 せ し め る
第 一及 同 第 十 一旅 団 は之 を 成 る べ く北 方 に於 て 又第 二十 師 団 は其 の
が如 き 、 尚 通州 に於 け る 飛 行場 の設 備 も之 を中 止 す る 等稍々 消 極 的 の処 置 に停 む る の止 む を得 ざ る に至 れ り 。
に於 て在 廊 坊 の第 三 十 八師 所 属 部 隊 の攻撃 を受 け多 数 の死 傷 者 を 生
ず る に至 る や 、小 官 は 値 ち に前 述 の中央 部 の指 示 に基 き参 謀 総 長 及
遣 せ る我 が歩 兵 一中 隊 が 、 七月 二十 五 日午 後 十 一時 三十 分 頃 廊坊 駅
陸 軍 大 臣 に兵 力 使 用 の電 報 指 令 を仰 ぎ た る も現 地 の状況 は寸 時 の猶
其 の他作 戦 の目 標 も 当初 は第 二十 九 軍中 の最 も強 烈 な る抗 日意 識
戦 上 大 な る 不利 を忍 び つ つ細 心 の注 意 を 払 ひ た る も のな り 。従 って
を有 す る馮治 安 の第 三 十 七 師 のみ を目 標 と せ る等 不 拡 大 の為 に 、作
本 計 画 は 此 の間 に於 け る幕 僚 の苦 心 を 十 分 に考 察 し て研究 す る の要
予 を許 さざ る を 以 て其 の指 令 を待 つ遑 な くし て在 天津 部 隊 の 一部 を
戦 は 爾後 に於 け る戦 争 の指導 に重 大 な る関 係 を 有 す る故 に必 勝 を期
一斉 に攻 撃 前 進 を 開始 す べき命 令 を下 達 せし め た り。 蓋 し 第 一の会
上 奏 等 一切 ノ責 任 ハ参 謀 本 部 ニテ負
綿 密 周到 な る注意 を 払 ふを 要 す る も而 も 敵 軍 の特性 如 何 に依 り ては
を 支配 す る の概 な かる可 らず 。 従っ て其 の計 画 指 導 に関 し ては 特 に
す る と共 に絶 大 の戦 果 を収 め て敵 国 及 敵 軍 の心 胆 を奪 ひ戦 争 の全局
以 て救 援 せし む る の止 む を得 ざ る に至 れ り。
シ
翌 日参 謀 本部 第 一部長 石原 少 将 よ り 軍参 謀 長 宛電 報 を以 て ﹁徹 底 的 ニ膺懲 セ ラべ
放 胆 な る作 戦 に出ず る を躊 躇 す べ か らざ る原 則 を 其 の儘 実 行 せむ と
フ云 々﹂ の通 報 あり し のみ。 小 官 が曩 に中 島 少 将 に向っ て質 問 せ る事 項 が直
す る 小官 の切願 に依 れ る も のな り 。
斯 の如 き 対居 留 民 関 係 に依 り て作 戦 上最 も重 要 視 せ る 疾風 迅 雷 的
に延 期 す る の止 む を得 ざ る に至 れ り。
出 でた り 。故 に居 留 民 保護 の任 務 上 遂 に此 の攻 撃 開 始 を 翌 二十 八 日
迄 には完 了 の見 込 な き を 以 て、 軍 の攻 撃 開 始 を延 期 せ ら れ た き旨 申
く 北 平 居留 民約 四千 名 の大 使 館 地 域 への集 合 避 難 は 二 十 七 日正 午 頃
然 る に右 命 令 下 達 の後 北 平 特 務機 関 松 井 大 佐 より平 素 の計 画 に基
ち に茲 に実 現 せざ る可 も ざ る状 況 に立到 り た るは遺 憾 な り。
十 、 北平 周 辺 第 二 十九 軍 掃 蕩戦 に関 す る軍 命 令 の変 更
蘆 溝 橋 附 近 に於 け る支 那 軍 の挑 戦 的 態 度 は毫 も緩 怠 せず 北 平 及 南
の行 動 開 始 を二 十数 時 に亙 り 遅 延す る に至 り し は軍 の平 時 計 画 の不
苑 附 近 に於 ても各 種 の小 事件 発 生 せり 。 而 し て宋 哲 元 の北平 帰 還 後細 部協 定 の 一部履 行 は実 現 せ る も 二十
動 を開 始 し た り と せば 其 の成果 は更 に顕 著 にし て従っ て通 州 、 天津
り 。今 日 より 之 を考 ふ れば 二 十 七 日正 午 より所 期 の如 く 神 速 な る行
等 の事 件 も或 は之 を未 然 に防遏 し得 た る には 非 ざ る か、 将 来 に於 て
備 と其 の用 意 の不 十分 なり し に因 るも の にし て最 も遺 憾 と せ る所 な
が廊坊 に於 て我 が 一小 部 隊 を邀撃 す る に至 り し を以 て、 翌 二十 六 日
も 研究 を要 す る重要 問 題 にし て 小 官 の如 く事 件 勃発 に方 り て突 如 と
二 日熊 斌 の北 平 到 着後 は之 も中 止 せら るゝ に至 り 二十 五 日夜 に は従
正 午 小官 は宋 哲 元 に対 し強 硬 な る抗 議 を提出 す る の止 む を得 ざ る に
し て任 に赴 き た る 者 の最 も苦 心 す る所 なり 。
来 我 が軍 に対 し 最 も穏 健 柔 順 な る態 度 を持続 し あり た る第 三 十八 師
至 りし な り。 然 る に同 日タ には更 に廣 安 門 に於 て既 に南 方 よ り永 定
七 月 二 十 八 日夜 半 即 ち 二十 九 日午前 二時 頃 を期 し て天 津 軍 司 令 部 、
十 一、 天 津 に 於 け る爆 撃 問 題
河 を渡 過北 上 し あ り て其 の主 力 を南 苑 に、 一部 を北 平 城 内 に進 入 せ し め あ り し第 百 三十 二師 の部 隊 が我 が北 平 帰 還 の部 隊 を挾撃 す る が 如 き 不法 不信 の行 為 を敢 てす る に至 り し を以 て小官 は同 夜 半 宋哲 元 に対し て前抗 議 を撤 回 し 軍 は即 刻自 由 の行 動 を執るべ き旨 を 通告 せ し め たり 。而 し て所 属 各 部隊 に対 し ては 七月 二十 七 日正 午 を期 し て
天 津 東站 及 同総站 、 東 機 局 飛行 場 等 に対 し て天 津 保 安 隊及 第 三十 八
相 互 隔 絶 せ ら れ仏 界 万 国 橋 は之 を通 過 す るを得 ず 。 加 之 通信 線 は全
等 各 別 に敵 の為 に包 囲 せら れ 、而 も英 、仏 、伊 の外 国 租 界 に依 り て
此 の事 は 通信 杜 絶 の為 二十 九 日午 後 に至 り て漸 く判 明 せ る所 な り。
ら れ 、之 が為 各 方 面 にあ る軍 内 各 部隊 の指 揮 を不能 な ら しむ る こと
諫 止 せ り。 然 れど も 小官 は縦 ひ 一時 的 に も せ よ軍 の中 枢 部 を包 囲 せ
め ん こと を謀 り し が参 謀 長 は 天津 の特 性 に鑑 み不可 な りと な し 之 を
茲に於 て小 官 は 軍参 謀 長 を招 致 し て飛 行 隊 を し て爆 撃 を 敢 行 せ し
不安 を感 じ あ る の情 態 を看 取 せ り 。
く破 壊 せら れ て相 互 の連 絡 不能 に陥 り、 為 に将 兵 居 留 民 共 に大 な る
師 の 一部 兵力 の合 計 約 一万余 の攻 撃 を受 け た り。 天 津 の此 の攻 撃 と殆 ど 時 を同 ふし て太 沽 に於 て は我 が軍 用桟 橋 及 倉 庫 地 区 に対 し て 又通 州 に在 り て は我 が守備 隊 兵舎 及 邦 人住 宅 に 対
此 の三要 衝 に対 す る支 那 軍 の同時 攻 撃 は 固 より 十分 な る計 画 の下
は 此 の際 極 め て不 利 にし て或 は予 期 せざ る不 祥 事 を惹 起 す る の虞 な
し て攻 撃 を 行 ひ た り。
に行 は れ た るも の にし て 、想 ふ に我 が軍 の 二十 六 日 正午 宋 哲 元 に手
し と せざ る を以 て結局 当 時 軍 の唯 一の予備 隊 た る飛 行機 を使 用 し て
交 せ る強 硬 な る抗 議 に於 て其 の回答 期 限 を 二十 八 日 正午 迄 と なせ る
田中 佐 を招 致 し て天津 市街 図 上 に於 て当時 敵 の占 拠 し あ る地 点 を 朱
爆 撃 を敢 行 し速 か に敵 を 四散 せし む る こと に決 し、 航 空主 任 参 謀 塚
を 以 て 我 が軍 二十 八 日午 後 よ り行動 を開 始 し先 づ 天津 よ り通 州 方 面 に兵 力 を集 中 す るも のと 判断 し た る にあ らざ る か ︵天 津ー 通 州 間 の
記 し外 国 租界 は勿 論 無 益 の地 域 を妄 り に爆撃 せ しめ ざ る如 く注 意 し
自 動車 道 路 は 二十 七 日 夜 よ り 二十 八 日 に亙 る間 諸 所 に大規 模 の破 壊 を実 施 せ ら れ豊臺 ー 天 津 間 の鉄 道 破 壊 は 二十 八 日以 後 に於 て行 は れ
て航 空 兵 団 司令 官 徳 川 中 将 に爆 盤 を命 令 せ り。
参 謀 長 は 軍 が止 む を得ず 爆 撃 を敢 行 す る所 以 を我 が総領 事 堀 内 干
た り)。 而 し て我 が主 力 の行 動 を妨 害 し 或 は兵 力 を牽 制 す る 目 的 を
城 に通 告 し 各 国領 事 に通 告 を求 め たり し が同 領 事 は 先 づ直 ち に小 官
以 て軍 長 宋哲 元 の命 令 に依 り て実 行 せら れ た る も の な るべ し 。斯 く の如 き 状 況 は固 より 軍 の予期 せ る所 (天津 に於 て は 二十 八 日既 に其
を訪 問 し て、
上海 事 変 の際 に於 て上 海 の爆 撃 に就 て重 大 な る外 交 問題 を惹 起 し
﹁ 天 津 爆 撃 は外 国 租 界 の関 係 上是 非 お取 止 め を乞 ふ。 現 に前 回 の
の徴 候 を 偵知 せ り) な れど も 、併 し前 述 せ る 如 く本 作 戦 に方 り て は
た る前 例 も あ れ ば更 に考 慮 を お願 ひし た い云 々⋮ ⋮ ﹂
要 点 に徹 底 的 重 点 を成 形 す る意 志 を以 て当 初 太沽 には約 一中 隊 、天 津 に約 二中隊 、通 州 に は 一小 隊 の兵 力 を残 置 せ る に過 ぎず し て後 方
と兵站 部 隊若 干 を 、通 州 には 兵站 自 動 車 一中 隊 を増 加 し あ り た り。
な る事 を諒 せ ら れ度 。既 に 一旦部 下 に命 令 を下達 し た る以 上 小官
し作 戦 の必 要 上 小官 の全 責 任 に於 て止 む を 得ず 之 を断 行 す る も の
﹁ 御 意 見 は 十 分了 解 す る。 併 し な が ら小 官 は 此 の危 急 の場 合 に際
と申出 で た る に対 し て小 官 は
よ り到 着 中 の各 種 部 隊 を以 て逐 次 に之 を増 強 す べ き方 針 な り し な り。
而 し て天津 に於 て は広 大 な る 日本 租 界 及 各 種大 工場 等 を 直接 掩 護
而 し て当 夜 に於 て も既 に太 沽 に重砲 兵 一中 隊 、天 津 には 砲 兵 二中 隊
す る必 要 上特 に其 の兵 力 の不 足 を感 ぜ り。 之 が為 飛行 場 、 総站 東站
に属 す る も のは 我 が 目 的 に在 らざ る事 を外 国 側 によ く説 明 さ れむ
市 街 を無 差 別 に爆製 す る も の に非ず 。殊 に外 国 租 界 又 は其 の権 益
を命 じ た る は現 に敵 の占拠 し あ る地 点 又 は建 造 物 の み にし て天 津
は断 じ て之 を 取 消 す こと が出 来 な い のを遺 憾 とす る 。固 よ り爆撃
議 し た る が如 き も特 別 の処 置 を講 ず る の必 要 な し と の結 論 に達 し た
木 中 佐 及 領 事 館 警察 分 駐 所 員 と連 絡 し て居 留 民 保 護 の手段 に就 き 協
せ る状 況 に立到 り た る を知 るや 、 田村 中 尉 は 城 内 に在 る軍 事 顧 問 細
二十 七 日北 平 に於 て は同 地 の居 留 民 を大 使 館 区 域 に収容 す る の切 迫
よ り到着 せ る兵站 自 動 車 隊 一中 隊 之 に増 加 し あ り た り 。而 し て七 月
る も の の如 し 。然 る に 二十 九 日午 前 三時 頃 不 意 に冀 東 保安 総 隊 の為
事 を希 望 す る。﹂ の旨 を明 確 に答 へ置 け り 。而 し て此 の爆 撃実 施 に より て各 方面 の敵
に包 囲 攻 撃 せら れ 田村 小隊 及 自 動 車 隊員 は協 力 し て兵 営 を死 守 し 田
を得 た り。 然 れど も 此間 に城 内 に在 り ては軍 事 顧 間 部 及警 察 分 駐 所 、
村 中 尉 以 下 多 数 の死傷 者 を生 じ た るも能 く抗 戦 し 遂 に之 を繋 退 す る
の問 題 に つき交 渉 せら れ た る ことあ り し も 、軍 は成 る べく流 接 其 の
は悉 く此 の叛 乱 部 隊 の襲 撃 に遭 ひ邦 人 旅館 兼 飲 食 店 ﹁近 水﹂ も亦 此
冀 東 政 府 顧 問官 吏 、満 鉄 出 張 所 、 電 話 局 、銀 行 会 社 等 の職 員 及家 族
其 の後 に於 て、 英 、 米 、仏 等 各 国 の軍 司令 官 又 は領 事等 よ り諸 種
の包 囲 は忽 ち解 除 せら れ 立所 に敵 を 四散 せ し む るこ とを得 た り。
と せり 。然 れ ども 此 の問 題 以外 或 は 北 平 居留 民 避 難 遅 延問 題 、通 州
の難 を免 る るを得 ず し て内 地 人 約 百名 、鮮 人 約 百 名合 計 二 百名 の犠
衝 にあ た る こと を避 け我 が総 領 事 に移 し て其 の処 理 を 一任 す る を例
に於 け る居 留 民 保 護怠 慢 問 題 等 々軍 と 外交 機 関 と の間 に協 調連 絡 の
牲 者 (生 存 者 二 百余 名 ) を生 ず る に至 れ る も のな り 。
し め 在 り た り。 而 し て当 時 通 州 城 内 には我 が居 留 民 四 百名 近 く居 住
点 たる関 係 上 平時 よ り北 平 駐 屯 部 隊 の内 一小隊 を通 州 城外 に駐 屯 せ
駐 兵 は 不 可能 な るも 、 北 平方 面 に対 す る 我 が駐 屯 軍 の作戦 上 の 一要
通 州 は勃 海 湾 港 よ り北 平 に至 る交通 線 以外 の地 にし て条 約 上 其 の
十 二 、 通 州 事 件 及 陸 軍 政 務 次 官 の現 地 調 査
以 て之 を同 軍 司令 官 に引 継 ぎ し が間 も な く彼殷 汝耕 は無 罪 と なり て
し が未 だ其 の罪 状 を 明 か に せず し て方 面軍 の編 成 を 見 る に至 り し を
謂 ふ 。依 り て小官 は北 平 に於 て殷汝 耕 を直 ち に監禁 調 査 せし め たり
宋 哲 元 の命 令 に依 り て殷 汝 耕 了 解 の下 に実 行 せら れ た る形 跡 あ り と
り第 二十 九 軍 と 密接 な る連 絡 を保 持 し あ り て本 叛 乱 は第 二 十 九軍 長
と謂 ふ。 然 れど も後 日 の調 査 に従 へば保 安 総 隊 は 既 に久 し き 以前 よ
所其 の他 の機 関 に於 て全 然 此 の叛 乱 を 予知 し得 ざ り し に由 る も の に
蓋 し此 の事 件 は冀 東 政 府 に関 係 す る軍事 顧 問 部 及 領 事館 警 察 分 駐
緊 轡 な らざ りし 点 あ り た るは 遺 憾 な り。
(内 約半 数 は鮮 人 にし て内 地 人 の多数 は冀 東 政 府 関 係 の職員 及 其 の
釈 放 せら れ た り と 云 ふ。
然 れど も 同事 件 に於 て冀 東 政 府 に関 係 あり し 邦 人 八 十余 名 は 悉 く
し て 、保 安 総 隊 が叛 乱 を起 す が如 き は全 く夢 想 だ にせ ざ り し所 なり
り て保護 せ られ た る も のなり 。
家 族 な り) し 、 北 平領 事 館 警 察 の分駐 所 及冀 東 政 府 軍事 顧 問 部 に依
事 件 当時 軍 の駐 屯 小隊 は 田村 中 尉 以 下 約 六十 名 にし て、前 日天 津
東 政府 要 人 は平 然 と し て北 平 に於 て同政 府 出 張 所 を 設置 せ る旨 を 通
叛 乱 部隊 に依 り 総 て安 全 に北 平 城内 に護 送 せら れ た り。 而 も 之等冀
支 那側 要 人及 家 族等 に は 一名 の死傷 者 をも 出 だ さず し て反 対 に 此 の
叛 乱部 隊 に惨 殺 せ ら れ た る に拘 らず 、 同 じ く 通州 に あり し 同 政府 の
約四百 名 、負 傷 約 八 百 名 、計 一千 二百 名 に上 れり 。 此 の以外 に通 州
に通 州 、 天津 、 太沽 等 に於 け る戦 闘 に於 て我 が軍 将 兵 の損 害 は戦 死
兎 に角 七月 二十 八 日及 二十 九 日 の北 平 周 辺 の第 二 十 九軍 掃 蕩 戦竝
る軍 政 の施 行 を適 当 と 考 へて軍 中 央部 に稟 申 せし め た る も のな り 。
直せし め冀 察 政 府 は之 を解 散 せし め た り。 而 し て当 分 皇 軍 の手 に依
糺明す べ く張 自 忠 は之 を捕 虜 と す べし 。冀 東 政府 は別 に新 に之 を設
事件 に於 て犠 牲 者 邦 人 百 四名 ( 内冀 東 政府 の職 員 及 其 の関 係 者 約 八
告 し来 れ り。 又軍 の二 十 八 日 に於 け る 北平 周 辺 の掃蕩 戦 に依 り て宋
を率 ひ て永 定 河以 南 に逃走 せ る際 、冀 察政 府 要 人 も概 ね之 に随 ひし
哲 元 が七 月 二十 八 日夜 よ り 二十 九 日 に亙 り て城 内 の第 二十 九軍 全 部
なり しも の) を算 す る に至 り し は誠 に痛恨 に堪 へざ り し所 な り。
然 れど も当 時 我 が国 内 に於 ては軍 の此 の作 戦 上 の犠 牲 者 よ り も通
十 名 ) 鮮 人 百 八名 ( 大 多 数 は 阿片 密 売 者 及醜 業 婦 にし て在 住 未 登 録
州 に於 け る内 鮮 常 人 の死 傷 に就 て重 大 な る関 心 を有 せ るも のの如 く
が張 自 忠 外若 干 の者 は北 平 に留 ま り、 張自 忠 は宋 哲 元 よ り冀 察 政 府
然 た りし が直 ち に之 を逮 捕 す べき旨 を命 令 せし も 、彼 は如何 にし て
臨 時議 会 に於 て政友 会 代 議 士 東武 氏 は陸 軍 大 臣 に対 し て
長 官 の代 理 を命 ぜ ら れ た る旨 を 小官 に通 告 し 来 れ り。 小 官 は金 く呆
之 を知 りし や 先ず 米 国 病 院 に次 で城 外 に遁 走 し宋 哲 元 の下 に復 帰 せ
﹁ 此 の常 人 の殺傷 せ られ たる こと は尼 港事 件 以 上 の重 大問 題 なり 。
り 。其 の他 現 北 支臨 時 政 府 の要 人中 には 湯 爾 和 、 王揖 唐 、 斎燮 元、
現地 軍 当 局 の失 態 に あら ざ る か、 用 兵 上 の欠 陥 なら ざ る や﹂
高凌 欝 等 の冀 察 政務 委 員 会 委 員 を無 条 件 に起 用 し あ り。 王 克敏 の如 き も其 の以 前 に同委 員 会 委 員 たり し 人物 な るを思 へば、 今 日尚 前 線
と問 責 、厳 重 な る質 問 を行 ひた る に対 し て陸 軍 大 臣 杉 山 大将 は
旨を答 弁 し且 再 三電 報 及 電 話 を 以 て軍 司 令官 に遺 憾 の意 を表 明す ベ
﹁ 甚 だ遺 憾 に堪 へざ る﹂
に在 り て皇 軍 に刃向 ふ敵 の将 領等 及皇 軍 の後 方 を撹 乱 し て地方 の治
き こと を要 求 せし め ら れ たり 。然 れど も小 官 は
安粛 正 を妨 害 し つ つあ る匪 徒 の首 領 等 は 爾 後 常 に之 等 臨 時 政府 要 人 等 と絶 えず 一脈 の連 絡 を有 し て以 て暗 に聖 戦 の完 成 を遅 緩 せ し め つ
避 け難 か りし 天災 と見 る を適 当 とす る が如 し 。軍 は当 然 努 む べき
殞 す に至 り た る こと は其 だ 不 幸 の事 に相 違 な き も之 は 寧 ろ 一種 の
﹁ 通 州 に於 て予期 せざ る保 安 隊 の叛 乱 に遭 ひ て多 数 常 人 は 生命 を
つあ る こと な き か、 其 の後 五臺 の共 産 軍 には 北平 要 人 より 軍費 の補 充 を なし あ り し こ と を聞 け り 。 又蒋 介 石 は 臨 時政 府 要 人 に指令 を与
元 来 小官 は 支 那 の民族 性 及 其 の歴 史 より 考 察 し て支 那 人 に対 す る
に散 在 す る数 十 万 の居 留 民 の生命 財 産 を保 護 せ ん が為 に莫 大 な る
事 を努 め貴 重 な る将 兵 多 数 の生命 を犠 牲 と な せ り。 況 や北 支各 地
へつ つあり と も聞 け り。
には妄 り に恩 を 売 らず 阿 談 せず常 に厳 と正 を以 て之 に臨 み、苟 も不
将 兵 を犠 牲 と せ る大作 戦 を遂 行 し 尚続 行 中 な り 。希 く は全 般 的 の
正 を な し反 抗 を試 み た る場 合 には徹 底 的 に之 を膺 懲 し強 圧 弾劾 寸 毫 も仮 借 す る所 な き を要 す るも のと考 へあ り たり 。故 に殷 汝 耕 は之 を
見 地 に於 て総 括 的成 果 を批 判 せ ら れ たし 。 加 之 此 の局 部 の事 象 を 以 て軍 司令 官 が謝罪 的遺 憾 の意 を表 明す るは 軍爾 後 の作 戦 指 導及 志 気 に影 響 す る所 大 な り と信 ず る も のなり 。 尚 目 下同 事 件 に就 て
るを 以 て其 の報 告 に依 り て適 当 に処 置 せら れ 度 。 ﹂
詳 細 取 調 べ中 にし て 一般 作 戦 事 項 と共 に逐 次 参謀 総 長 に報 告 中 な
然 れ ど も其 の結 果 を生 ず る には 必ず 原 因 あり て鼓 に真 の理 由 を蔵
す る こと を深 く 考 慮 す べ き も のな り と信 ず 。
十 三 、 呉佩 孚 、 万 福 麟 及馮 占 海 と の 交 渉
薄 な るを自 覚 せ るを 以 て支 那 駐 屯 軍 司令 官 に任 ぜ ら れ 天津 に赴 任 す
小 官 は専 修 語 学 の関係 と 従来 の経 歴 よ り支 那 に関 す る 知識 甚 だ浅
然 る に陸 軍大 臣 は事 件 数 日後 八 月 上旬 土 岐 陸 軍 政 務 次官 に某 将校
旨 を回 答 せ しめ たり 。
る や努 め て支 那 に関 す る知 識 の豊 富 な る将 校 、 常 人 、 支 那 人等 に つ
斎 藤 等 の支 那 通 、 池 宗 墨 、 王維 蕃 、 何 公袁 の日本 に留 学 し た り し支
き 各 種 の事 情 を習 得 す る こと と せり 。 就 中和 知 、 専 田 の参謀 、行 元 、
那 人 等 に就 て学 ぶ所 多 か り き。 而 し て七 月 二十 八 日 遂 に北平 周 辺 に
を附 属 せ し め飛 行 機 に依 り て北 平 及 通 州 に派 遣 し 之 を 調査 せし め た
﹁通 州事 件 に就 ては軍 司令 官 には責 任 はあ り ま せ ん ね⋮ ⋮ ﹂
於 け る第 二十 九 軍 掃 蕩 戦 を断 行 す る の止 む を得 ざ るに 至 る や、 小官
り。 同 次官 は帰 還 の途 に天津 軍 司 令部 に小官 を 訪問 し て
と述 べ た る を以 て小官 は苦 笑 を以 て 之 に応 へた る のみ 。果 し て同次
は 既 に完 金 に蒋 介 石 に捉 は れ あ る宋 哲 元 及其 の部 下 蛇 に冀 察 要 人 等
は 悉 く之 を 一掃 し 、之 に代 ふ る に蒋介 石 と氷 炭 相 容 れ ざ る如 き有 力
りし や 、今 日 に於 ても尚 知 る所 な し。 其 の他 代 議 士 、新 聞 記 者 、 知 名 の士 等 引 続 き 通州 を訪 問 せ る も、
の者 を擁 立 す る の必要 あ る べく 、 而 も 矢張 り軍 閥 にし て有力 な る手
者 か或 は全 く軍 の傀儡 と な り て惟 々と し て我 に服 従 す る が如 き凡 庸
官 が陸 軍 大臣 に如 何 に報 告 せ る や、 又陸 軍 大 臣 が如 何 な る処 置 を執
軍 は 彼等 の為 す が儘 に委 せ て 一切之 に干 与 せ ざ り し が当 時 軍 の上下
ん じ て対 ﹁ソ﹂ 作戦 を遂 行 す る こと能 はざ るベ し と の信 念 (之 は出
らず 。然 らざ れば 二正面 作 戦 を予 期 す る皇 軍 が少 く も北 支 方 面 に安
兵 を有 し皇 軍 庇 護 の下 に蒋 介 石 の軍 隊 に拮 抗 し 得 る如 く な らざ る可
を 通 じ て終 始 不快 の気 分 に支 配 せ ら れし は蔽 ふ ベ か らざ る事 実 な り とす。
を 視察 し た る後 陸 軍 大 臣 に対 し て北 支 方 面 の諸 機 関 (駐 屯 軍 、外 交
て 、 八月 の初 め頃 前 記 行 元 及 池 宗 墨 を し て呉佩 孚 の意 向 を打 診 せし
発 前 今 井 参 謀 次 長 と話 し合 ひ意 見 一致 せし も のな り) を有 せし を以
小 官 は蘆 溝橋 事 件 に先 だ つ二 ケ月 即 ち 昭和 十 二年 四月 末 北支 方 面
機 関 、特 務 機 関 、顧 問 等 々) の統 一の要 と北 支 接 壌 方 面 、殊 に熱 河
め た り (其 の前 に呉佩 孚 より書 面 にて教 を乞 ふ旨 申 し 来 れ り )。彼
省 に速 か に兵 力 を増 加 し て支 那駐 屯 軍 の強化 の 一方 便 たら し む る の 要 等 に就 き 縷 々意 見 を具 申 し た る こと あ り し を 回想 す 。 人 は結 果 の
は直 ち に
﹁将 軍 の知 遇 に感 泣 す 。佩 孚 は蒋 介 石 の如 き弱 輩 に 一歩 も 屈 す る
み を 見 て批 判す る に長 ず るも其 の原 因 を 深 く探 究 す る の煩 を厭 ふを 普 通 とす る が如 し。
も の に非 ず 。 将 軍 の助力 を得 て佩 孚 一度 び起 てば 干学 忠 、韓 復榘 、
靖 委員 会 長 に推 挙 せら れ た る が如 き も 彼 の志 す所 は此 処 にあ らず 。
更 せ ら れ た る が如 く 呉佩 孚 も臨 時 政 府 によ り開 封 に行 営 を有 す る綏
其 の後 中 央 部 に於 ても 旧将 領 を懐 柔帰 順 せし む る こと に方 針 を変
も禁 止 せ ら れ、 遂 に之 を如 何 とも す る能 はざ る に至 れ り。
せし む る を得 べし 。 又 閻 錫 山 の如 きも 遠 からず し て我 に款 を 通ず
又 注精 衛 と の妥 合 の如 き 、固 よ り彼 の快 し と せざ る所 な る為 遂 に実
萬 福 麟 、商 震 、馮 占 海 、石 友 三等 の諸 将 は 立 ち所 に予 の鷹 下 に属
る に至 る べ し 。爾 後 全 国 に反蒋 気 勢 を醸 成 せし む る に至 るは決 し
現 す る に至 らず し て彼 は 不帰 の客 と な り 。爾 他 の諸 将 領 又各 地 に撃
て難 し と せず 貴 意 を安 じ て可 な り云 々。﹂ の書 を寄 せ 爾後 屡 々池 宗 墨 及 行元 を し て小 官 に其 の決 意 を伝 へし め
破 せら れ 今 は昔 日 の勢 を 喪失 し あ るを 以 て最 早 軍 に寄 与す る所 な か
絡 を保 ち韓 復榘 、 商震 、石 友 三等 も 軍 の第 一線 た る第 十 四師 団 長 土
て其 の起 用 を希 ひ 、萬 福 麟 、馮 占 海 は 又 小官 の戦 地 勤務 間 不断 の連
其 の後 死 残 す るに至 る ま で、 池宗 墨 及行 元 を介 し て小官 に連 絡 し 以
に至 らず し て方 面軍 司 令 官 と 更迭 す る に至 れり 。然 れど も呉佩 孚 は
の兵力 を概 ね六 ケ師 団 とし て成 る ベ く速 か に此 の作 戦 行 動 を 開始 す
線 に定 め山 東 半島 に 一軍 の作 戦 を実 施 せし めら るゝ も のと し て 、軍
於 け る状 況 判 断 の主 旨 を基 礎 と し て作 戦 目 標 を概 ね石 家 荘 、徳 州 の
の作 戦 に関 す る何 等 の指 示 にも接 せざ るを 以 て、軍 は七 月 十 三 日 に
争 に関 す る声 明 の発 表 を見 るに至 れ る も未 だ参謀 本 部 よ り北 支 方 面
而 し て八 月 十 日 上海 に大 山事 件 発 生 し同 十 五 日我 が政 府 の全面 的 戦
中 な る も敵 は 平綏 線 及 平 漢 線 方 面 よ り切 り に兵 力 を増 加 しつ つあ り。
方 一帯 を戡 定 し 八月 十 一日 以後 南 口、 八 達 嶺附 近長 城 線 の敵 を攻 撃
軍 は 七 月 二 十 八 日作 戦 を 開始 し同 三十 日 には永 定 河 以北 の平 津 地
十 四、 八 月 二十 日 に於 け る軍 の状 況判 断
る べき を惜 む。
たり 。 又 萬 福 麟 に対 し て は何 公袁 及 斎藤 をし て連 絡 せ し め た る に彼 も亦
﹁ 福 麟 は前 非 を悔 ゆ る事 久 し 。今 将 軍 の知 遇 に接 し感 極 ま れ り 。
随喜し て
自 今 只 将 軍 の命 令 を奉 ず る のみ 。乞 ふ令 せよ 。福 麟 必 ず 之 に 従 は ん 煮 々﹂ と答 へた り 。
肥原 中 将 に対 し 、 又閻 錫山 は第 百 九 師団 長 山 岡 中 将 に対 し て夫 々連
依っ て小 官 は 此 の意 見 を今 井参 謀 次長 に通 ぜ し も其 の回 答 を得 る
絡 を保 持 し あ りし も 、 其 の後 中 央 部 の指 示 に依 るも のと し て方 面 軍
一軍 司令 官 を命 ぜら れ軍幕 僚 及 其 の他 の機 関 も夫 々各所 に分 属 せ し
然 れ ど も 八月 二十 六 日支 那 方 面 軍 の編 成 を令 せら れ 小官 は其 の第
へ飛 行機 に て上 京 参 謀 総長 に提 出 せ し め た り。
べし と為 す状 況 判 断 を なし 、 八 月 二 十 日橋 本 軍参 謀 長 をし て之 を携
﹁旧 将領 は 一切之 を認 めず 。故 に旧 将 領 に対 し其 の将 来 を保 証 し
司令 官 より
又 は 地盤 の約 束 す るが如 き は之 を厳 禁 す﹂ の旨 通 達 せ ら れ 且其 の懐 柔 目的 の為 軍 に於 て使 用 し あ り し 機密 費 を
めら るゝ に至 り し を以 て作 戦 の進 行 は 為 に 一時 中 止 せら る る の形 と
し め た るを 以 て軍 の企 図 せ る速 戦 即 決 、 疾風 迅 雷 的 作 戦 指 導 は為 に
漢 線 方 面竝 に津 浦 線 方 面 よ り続 々其 の兵 力 を平 津 地 区 に向 ひ集 中 せ
大 いに阻 害 せ ら れ 、反 対 に 一時 は甚 だ消 極 的 の態 勢 に留 ま る の止 む
なれ り と雖 も長 城 線 に在 り ては第 五師 団 及混 成第 十 一旅 団 が 、平 漢 線 、 長辛 店 に於 ては第 二十 師 団 、津 浦 線 濁流 鎮 に在 り ては 第 十師 団
を得 ざ る に至 り た り。
す る混成 第 十 一旅 団及 其 の左 側 に連 繋 し て八 月 十 五 日 よ り鎮 邊 城 方
就 中 八月 十 一日 よ り攻 撃 前 進 を 開始 し た る南 口、居 庸 關 方 面 に対
が夫 夫戦 闘 を継 続 中 な り 。
は直 ち に其 の隷 下 に属 し 、主 とし て平 漢 線 方 面 に作 戦 す べ き命 を受
も進 捗 せ ざ る の みな らず 時 とし て梢ゝ 悲 観 的 の報 告 又 は意 見 具 申 等
向 に向 ひ た る第 五 師 団 の攻 撃 は当 初 甚 し く威 力 を欠 き 遅 々と し て毫
而 し て九 月 四 日方 面 軍 司令 官 寺 内 大将 天 津 に到 著 す る に及 び小官
け豊臺 に軍司 令 部 を 開 設 せ り。 斯 く て支 那 駐 屯 軍 司 令 部 は自 然 に消
所 な り。 当 時蒋 介 石 は此 の情 勢 を観 取 し て南 口 、鎮 邊 城 方 面 の湯 恩
を なし 軍 を し て甚 だ憂慮 せ し め た る こと 少 か らざ り し は遺 憾 と せ る
滅 す る に至 れ り。
﹁ 新 に北 支 方 面軍 司 令 部 を 編 成す る こと な く現 支 那 駐 屯 軍 司令 部
寺内 大 将 天津 著任 の当 時 小官 に向っ て
の指 揮 す る三 ケ 師 団 を以 て保 定附 近 よ り山 中 を 西北 進 し て速 かに第
伯 軍 に 対し 当 面 の我 が軍 の前 進 を絶 対拒 止 せ し め 、此 の間 に衛 立煌
五 師 団 の左側 背 に進出 せ しめ む と せ り。 小 官 は予 め第 五師 団 長 に対
の機 構 を拡 大 し て其 の儘 此 の方面 の作 戦 を担 任 せ し む る を有利 と
々 。﹂
考 へ其 の意 見 を述 べ た る も遂 に採 用 せら る る に至 ら ざ り し 。 云
む ベき こと を要 望 し あ り し も、 師 団 長 は其 の実 行 を怠 り た る を以 て
し て此 の種 危 険 に対 し て予 め有 力 な る 一部 隊 を以 て十 分 に警 戒 せし
軍 は此 の危険 の 切迫 に依 り 止 む を得 ず 命令 を 以 て之 が実 行 を促 す に
と述 べら れ た る が、 小 官 も 当時 全 然 同 一の所 感 を有 せり 。少 く も 軍
か、況 や此 の方面 の作 戦 が中 部 河北 省 に於 け る敵 を撃 滅 す る程 度 の
参謀 長 以下 の幕 僚竝 に諸 機 関 は之 を変 更 せざ る を有 利 と せ し なら ん
至 り た るも 時 既 に遅 く し て師 団 に は兵 力 の余 裕 を存 せず 、 僅 か に其
十 五 日以 後第 五師 団 長 併 せ指揮 せり ) の攻 撃 の緩 漫 と は敵 の保 定 陣
然 れど も此 の集 中 輪送 の遅 延 と 混 成第 十 一旅 団 及 第 五師 団 (八 月
す る こと を得 たり し は誠 に天 祐 神 助 と称 す ベき か。
る第 六師 団 の先 頭部 隊 を急 行 せし め て 以 て辛 う じ て其 の破 綻 を防 止
は俄 か に北 平 にあ る支 那 駐 屯 軍 の 一部 を次 で漸 く豊臺 附 近 に到 著 せ
に対 し て不 利 な る戦 闘 を交 ゆ る に至 りし は 遺 憾 に堪 へず 。 依っ て軍
の騎 兵 部 隊 及 補 充要 員 等 よ り な る集 成 部 隊 を 之 に充 当 し 優 勢 な る敵
小規模 のも のな り し に於 て殊 に然 り と考 へた り 。
十 五、 豚 州 及保 定 会戦
我 が陸 軍 中 央 部 に於 け る動 員 の 一時 延 期 、 其 の集 中輸 送 間 に於 け る鮮 満 地 方大 洪 水 の為 鉄 道 の破 壊 其 の他 の事 故 によ る輸 送 計 画 の変 更 、遅 延等 幾 多 の障 碍 が軍 の予想 せ る作 戦 計 画 の実 施 に甚大 な る支 障 を来 た さし め つ つあ る状 態 に反 し て、敵 は同 蒲 及 平綏 線 方面 、 平
地 の防 禦 兵 力 を逐 次其 の前 方 に推 進 し て我 に対 す る全 面 的 攻 勢 意図 を誘 発 せ る が如 き結 果 を生 じ、 爾 後 第 一軍 の実 施 せ る〓 州 、 保 定会
つ先 づ 易縣 、 定興 の線 に向 ふ攻撃 前進 を実 行 す る こと と せ り。
小 官 が第 一軍 司 令 官 と し て軍 の作 戦 開 始 に先 だ ち て幕 僚 及 各 部
長 に指 示 し た る事 項 の主 な るも の左 の如 し。
一、 作 戦 は絶 対 に機 動 戦 た るべ し 。鋭 敏 に戦 機 を看 破 し神 速 に
戦 を我 に極 め て有 利 な る陣 地外 の決 戦 に導 く こと を得 る に至 ら し め た る も のにし て、 実 に戦 機 の変 転 は予 期 し難 く 戦 勝 の機 は何 処 に潜
二、 攻 撃 の重 点 には徹 底 的 に戦 力 を集 中 す べし 。 其 の戦 力 は為
戦 機 を 捉 へ徹 底 的 に機 動 を 行 ふベ し 。
方 面 軍司 令 官 寺 内 大 将 は 九月 四 日天 津 に到 著 し 同 日第 一軍 は易 縣
在 す る や計 り難 し の感 を深 く せし めら れ たり 。
の意 表 に出 ず る如 く作 戦 を指 導 す べ し 。
し得 れば 全 体 の四 分 の三 に近 く 止 む を得 ざ る も 三分 の二 以 上 を
四、 後 方 より す る物 資 の補 給 追 送 に遺憾 な き を期 す る は 勿論 な
定 興 の線 に於 て保 定 攻 撃 を 準備 す べき 事 を命 令 せら る 。 小官 は支 那
る こと に決 定 し あ り たり 。 且 第 一軍 の幕 僚 も既 に充 実 し て此 の計 画
る も作 戦 行 動 間 に於 て は地 方 所在 物 資 の利 用 を重 点 と す べ し 。
三 、地 形 は 勿 論 天候 其 の他 の障 碍 を 好 ん で克 服 突 破 し て以 て敵
に従 ひ準備 す る所 あ りし を 以 て 九 月十 日 よ り此 の行動 を開 始 せ ん こ
五 、作 戦 間 の傷 病者 は 一師 団 一会 戦 間 の概数 を 一三〇 〇 名 内外
基 準 とす べ し 。
と を 企 図 せ り 。然 れど も 軍 所 属部 隊 の到 著 意 の如 く な らず 、 又軍 司
と予 定 し之 が迅 速 な る収 容 後 送 を 遺 憾 な か ら し む る の処置 を 予
駐屯 軍 司令 官 とし て既 に保 定 、馬 廠 の線 に向 ふ攻 撃 を計 画 し (八 月
令 部 の諸機 関 の主 力 も十 四 日 にあ らざ れ ば豊 憂 に到 著 せ ざ る状 態 に
二 十 日 の状 況判 断 ) 軍 の集 中 地 を機 を見 て易 縣 、 定 興 の線 に推 進 す
あ り 。 加 之敵 は益 々其 の後 続兵 力 を保 定陣 地 を越 へて北進 せ し め つ
定 す べし 。
六 、獣 医部 に於 ては患 馬収 容 は勿 論 な るも戦 闘 間 及 会 戦直 後 に
ず べ し。
又兵 員 の戦 力 保持 、気 力 恢 復 に必 要 な る衛 生 方 面 の処 置 を講
つあ る状 況 を察 知 し得 た るを 以 て最 早単 な る集 中 推進 の時 にあ らず
ら るゝ に至 り し を 以 て軍 の部 署 に変更 を加 へ、攻 撃 前 進 開 始 を 九 月
於 け る隊 馬 の神 速 な る補 充 に付 常 に遺 漏 な く準 備 を怠 るベ か ら
し て永 定 河 、 保 定陣 地間 の地 区 に於 て決 戦 を惹 起 す るも のと判 断 せ
方 面 軍 司 令 官 は保 定陣 地攻 撃 に際 し第 一軍 の右 翼 に於 て第 五 師 団
ず。
十 四 日夜 と 決 定 し 九 月十 一日隷 下 各兵 団 に所 要 の命 令 を 下 達 せ り 。
の 一部 を、 又軍 の左側 に於 て第 十 六師 団 を参 加 せ し む る の意 図 を 有
に任 ぜ しむ べし 之等 の将 校 は第 一線 兵 団長 等殊 に師 団 長 に対 し
ては其 の人 格 を尊 重 し絶 対 に督 戦 又 は督 促 的 の言 辞 を弄 す べ か
七 、会 戦 間 軍 幕 僚 及 各 部 々員 を絶 え ず 第 一線 師団 に派 遣 し 連絡
らず 又同 様 の意 味 の軍命 令 を下 達 す るを許 さず 只 絶 えず 師 団長
せ し が如 く 、 之 が 為第 一軍 の前 進 開 始 を 若 干 延期 せし め む と 欲 し た
再 び保 定 の既 設 陣 地 に退 嬰 せ し む る の虞 な し と せざ る が故 に、 軍 は
る が如 き も時 日 の過 度 の遷 延 は敵 の警 戒 心 を新 た に し或 は 之 を し て
九 月 四 日 の方 面 軍命 令 に基 き保 定 北 方 地 区 に於 け る決 戦 を 予 期 し つ
き旨 を通 達 せし む る ことと せり 。 櫻 井少 佐 は直 ち に数 名 の使 者 を選
期待 を存 せず 従っ て之 が為 に作 戦 指 導 を 誤 ら し む る が如 き こと な き
抜 し て萬 、 鷹 の許 に派 遣 せ り。 然 れど も固 よ り其 の成 果 には 大 な る
の判 断資 料 と な る ベき 情 報 を通 告 す ぺし 。 但 し 軍 の作 戦 上重 大 な る影 響 あ り と感 ず る時 軍 司 令官 の指 示
り既 に退却 を始 め第 六師 団 正 面 に於 て萬 福 麟 軍 は十 四 日朝 より 既 に
然 る に第 十 四師 団 正面 に於 て縞 占 海 軍 は 我 が攻 撃 開 始 前 十 三 日 よ
を要 す る を以 て 一切 の口外 を厳 禁 せり 。
を仰 ぐ 途 な き場 合 に於 て は軍 司令 官 の名 に於 て必 要 の命 令 を下
八 、軍 司 令 官 の信 条 と す る所 は皇 威 を発 揚 し皇 軍 の真 価 を遺 憾
達 す る こと を 得 。
な く発 揮 し て以 て戦 へば 必ず 勝 ち し か も其 の戦 果 を偉 大 な らし
退 却 中 な る こ とを 明 かに し 、萬 福 麟 が小 官 の指 示 を忠 実 に実 行 せる
能 と 努 力 と を払 ひ て以 て共 に皇 国 三 千 年 の鴻 恩 に報 ひ奉 ら ん 。
ず 希 く は衆 心 一如 常 に作戦 を最 も 有 利 な ら し む る如 く渾 身 の知
行 動 梢ゝ 緩 漫 な り し第 六 師 団 を推 進 し 且優 勢 な る孫 連 中 軍 を 正面 攻
以 て鼓 に既 に戦 勝 を確 信 す るを得 る に至 り、 第 十 四 師 団 に比 較 し て
定 興 附 近 にあ りし 曾 萬 鐘 軍 が急 遽 来 著 中 な る情 報 を確 実 にし た るを
は 既 に拒 馬 河 の線 に達 し て同河 の渡 河 を準 備 中 にし て其 の対 岸 には
こと を確 認 せ り。 而 し て翌 十 五 日良 郷 戦 闘 司令 所 に於 て第 十 四師 団
む る に在 り。
若 し 夫 れ前 述 の指 示 を奉 じ 専念 職 務 に従 事 し あ る間 思 はざ る失
撃 中 な る第 二 十師 団 の行 動 を活溌 な ら し む る為 直 ち に追 撃命 令 を作
古 人 の所 謂 天 の時 は 地 の利 に如 かず 。 地 の利 は人 の和 に如 か
策 をな す こと あ り とす るも決 し て之 を憂 ふ る に及 ばず 軍 司 令 官
為 し て十 五 日 午後 三時 頃 本 命 令 を 下達 せ り。
は身 を 以 て其 の責 に任 ず べ し意 を安 んじ て可 な り 。
此 の第 十 四 、第 六師 団 の西 方 に向っ てす る追 撃 前 進 は北 面 せ る孫
斯 く て愈ゝ 十 四 日軍 の主 力 を 以 て固 安 東 西 の地 区 に於 て永 定 河 の 敵 前 渡 河 を実 行 す る準 備 中 、第 十 四師 団 長 は其 の正 面 宮 村鎮 附 近 の
に進 出 中 の衛 立煌 軍 と併 せ て之 を〓 州 、保 定 平 地 西 方 及 西 南 方 の山
連 中 及 曾 萬 鐘 軍 の保 定 への退 路 を 遮 断 し 、千 軍臺 方 面 より 易 縣附 近
地内 に圧 迫 す る に至 れ り 。蝕 に於 て軍 は 保定 陣 地附 近 にあ る關 麟徴
馮 占海 軍 の陣 地 に於 て敵 軍 退 却 し あ る を偵 知 し て直 ち に渡 河前 進 せ
軍 約 ニ ケ師 団 の同陣 地 に拠 る抵 抗 と 山 中 に退 却 せ る部 隊 の同 陣 地 に
ん こと を具 申 せ る を 以 て 、直 ち に之 に同 意 し て正 午 頃 より 攻撃 前 進 を 開 始 せし め第 六 師 団 に対 し て も亦 此 の状 況 を通 告 し て直 ち に右 翼
る満 城 、石 板 山 等 の要 地奪 取 の必 要 を認 め各 兵 団 の疲 労 と極 度 の補
収 容 せ ら る に至 るべ き を予 期 し て此 の際 一気 に同 陣 地 左翼 の拠 点 た
師 団 に連 繋 攻 撃 前 進 を 開 始 せ し め たり 。 是 より先 九 月 十 一日 小 官 は軍 第 二課参 謀 櫻 井 徳 太郎 少 佐 を自 室 に
給 困 難 に介 意 す る こと な く作 戦 を続 行 し 遂 に保 定陣 地 攻略 戦 を省 略
招 致 し て同 少 佐 が第 二 十 九 軍顧 問 たり し 関係 上 北平 附 近 に旧 知 の支 那 人多 き を 以 て同 少 佐 に前 に述 べ た る萬 福麟 に対す る既 交 渉 の経緯
す るを 得 て 九月 二十 四 日 保 定南 方 に進 出 せり 。
而 し て九 月 二十 日〓 州戦 闘 司令 所 に於 て萬 福 麟 の使 者 は櫻 井 少 佐
を説 明 し て其 の成 否 は別 とし て試 に萬 福 麟 及馮 占海 に対し 我 が軍 に 対 し て抵 抗 を試 み る こ と なく 速 か に白 洋 淀南 方 地 区 に向 ひ退 却 す べ
を訪 ひ軍 司 令 官 の退 却 命 令 は直 ち に之 を実 行 し隅 占 海 軍 は 十 三 日 よ り萬 福 麟 軍 主 力 は十 三 日 よ り夫 々退 却 を開 始 せ る旨 を報 告 せ り 。斯
﹁方 面軍 は 河北 平 地 の敵 兵 を 一挙 覆 滅 す る為第 一軍 は適 時 攻 撃 を
るを得 べ し 。然 れど も 石家 荘 の攻 撃 に関 す る方面 軍 命 令 には
司令 官 の希 望 は真 実 な り し に は あ らざ る か、 果 し て然 りと せ ば 方 面
と 云 ふ が如 き命 令 を下 達 し た る点 よ り、 之 を察 す れば 前 述 の方面 軍
開 始 し特 に敵 の退 避 を捕 捉 す る に遺 憾 なき を 期 す べし ﹂
は殊 勲 を奏 せ る も のと 云 ふ べく 爾 後 小官 の戦 地 勤 務 中 は絶 えず 其 の
く て彼 等 は 本会 戦 に於 て劉 峙 を裏 切 り た る も のな るも 皇 軍 に 対 し て
忠 誠 を 継 続 せ る も 小官 の微 力 遂 に之 に報 ゆ るを 得 ざ り し は 武士 道 の
適 切 な る命 令 を 与 へて其 の行 動 を 律 す﹂
﹁ 指 揮 の要 訣 は 部 下 軍隊 を確 実 に掌 握 し 明確 な る企 図 の下 に適 時
軍 は作 戦 上 重 大 な る過 失 を犯 し た るも の にあ らざ る か
此 の会 戦 に於 て敵 に与 へた る損 害 は 二 万 五六 千 に達 す る が如 し と
上 よ り 見 て 小官 の痛 恨 とす る所 な り 。
雖も 軍 の損 害 も亦 四 千 以 上 に達 し た る は遺 憾 に堪 へず 。
る に あ り。 作 戦 計 画 な く企 図 を示 さず 、適 時適 切 な る命 令 を与 へず
し て後 に及 び て徒 ら に愚 痴 を述 べ る が如 き は武 夫 の為 す所 に あ らず 。
尚後 日 小官 の仄聞 せ る所 に依 れ ば方 面 軍 司 令 官 は 本会 戦 に於 て前
に於 て劉 峙 軍 約 二十 師 団 を捕 捉殲 滅 せむ こと を希 望 し あ り し も 、第
述 せ る第 五師 団 の 一部 及 第 十 六師 団 を第 一軍 に策 応 せ し め保 定 陣 地
に独 断 活 用 の余 地 を与 へら れ た る も のと信 ぜ んと す る も のなり 。 而
故 に小 官 は し かく信 ず る を欲 せず 。 方面 軍 司 令 官 は小官 に 対し 大 い
位 を確 保 す る と同 時 に愈々 各 兵 団 の戦 力 を 更張 し以 て至 短 の期 日
方 面 に優 勢 を占 め 而 も敵 の意 表 に出 で斯 の如 く し て益 々主動 の地
動 力 を発 輝 し使 用 し 得 る 限 り の兵 力 を尽 し て所 望 の時 期 、所 要 の
﹁会 戦 指 導 の要 は常 に不 利 な る決 戦 を敵 に強 ゆ る が如 く 極 度 に機
し て軍 の行 ひ た る作 戦 は
一軍 の盲 進 に より て徒 ら に敵 を逸 走 せし め た る を甚 だ遺 憾 と せり と 。 其 の真 偽 は固 より 明 か な らず 。又 小官 は 之 に就 て事 前 に指 示せら れ た る所 も な く 尚 方面 軍 作 戦 計 画 をも 接 受 せ し こと なし 、 只 九 月 四 日
﹁方 面 軍 ハ保 定 、 槍 州 ノ線 附 近 ノ敵 ヲ撃 滅 ス ル目 的 ヲ以 テ速 カ ニ
に甚 大 の戦 果 を収 む る如 く 、 而 も 戦 局 の推 移 を し て遂 に堅固 な る
の命令 に於 て
ヲ準 備 セ ント ス依 ツ テ第 一軍 ハ第 十 四師 団 ノ到 著 ニ伴 ヒ当面 ノ敵
易 州 、定 興 、白 溝 河 鎮 、 覇 縣 及 馬廠 附 近 ノ線 二進 出 シ爾後 ノ攻撃
陣 地 の力 攻 に終 ら し めざ る如 く 会 戦 を指 導 す る﹂
保 定 会 戦 後 、軍 は 石 家 荘 に向 ひ追 撃 を続 行 せし が石 家 荘 附 近 一帯
十 六 、 石 家 荘 及〓沱泊 川 の会 戦
に最 善 の努 力 を 傾倒 し た るも のと確 信 し あ り 。
先進 兵 団 ヲ撃 滅 シ テ易 州 、 定 興 、白 溝 河 鎮 及 覇 縣 ノ線 二進 出 シ保 定 附 近 ノ敵 ニ対 ス ル攻撃 ヲ準 備 スベ シ﹂ と命 令 せ られ し のみ 。而 し て爾 後 の状 況 の変 化及 之 に応 ず る軍 の企 図 は刻 々天 津 の方 面軍 司 令 官 に報 告 せ る所 な り。 況 や広袤 三 十 里 に 跨 りあ る 二十師 団 の敵 に 対し て僅 々三 四 の師 団 を以 て真 の撃 滅 を な し 得 たり し や否 や は後 日史 家 の冷 静 な る判 断 に依 り て始 め て明 か な
広袤 三 四十 里 に亙 り 約 四 十師 団 の敵 が陣 地 占領 中 なり し を以 て、軍
の退 路 に迫 り次 で諸 方 面 より之 を包 囲 す るを 可 と す否 らざ る も敵
を 嵐 滅 す る に在 り。 之 が為先 づ 以 て広 く 深 く 敵 方 に溢 出 し特 に其
﹁ 第 一軍 は適 時 攻 繋 を開 始 し重 点 を 石 家 荘 に指 向 す べき こと 及敵
と 云 ふ主旨 を 以 て各 兵 団 は列 車 、自 動 車 等 を以 て急追 に次ぐ に急 追
く は 不利 な る態 勢 に於 て之 を捉 へ以 て敵 軍 を 撃 滅 す る を要 す 。 ﹂
を 其 の背 後連 絡 線 以外 に圧迫 し其 の他 敵 の欲 せざ る時 機 及 地 点 若
は 攻 盤計 画 を策 定 し 十 月 四 日定 縣 に於 て之 に関 す る命 令 を下達 せ り。
の退 避 を捕 捉 す る に遺 憾 なき を期 す べ く 、 又敵 線 を突 破 せ ば順 徳
る善 戦 は如 何 な る理 由 を 以 てし て も之 を停 止 せし む る こと能 はず 十
を 以 て随 所 に敵 を捕 捉 職 滅 し つ つあ り。 此 の決 河 奔流 の勢 を 以 て せ
超 え て 六 日方 面 軍 司令 官 よ り攻 撃 命 令 を 下達 せ ら る。 其 の主 旨 は
附 近 に向 ひ急追 す べ き こと。竝 に第 二 軍 は盗 陽 河 左 岸 地 区 よ り第
七 日障 河 の地障 に到 著 し て漸 く其 の鋭戈 を収 む る に至 れ る も のな り。
一軍 の攻 撃 及追 撃 に策 応 す ﹂ と 云 ふ に あり 。 然 れ ど も 亦共 同 作 戦 の準拠 と な す べき 方 面 軍会 戦 計
之 を 自然 の勢 と称 す べき か 。
と な り 、第 百 八師 団 の半 部 も亦 方面 軍 直 轄 とし て石 家 荘附 近 に控 置
而 し て爾 後 直 ち に第 二 十 師団 は之 を太 原 方 面 に使 用 せ ら る る こと
画 を附 与 せら れず 、遠 く天 津 の方 面 軍 司令 部 よ り指 導 し 第 二 軍 司令 官 も亦 天 津 に位置 し あ り て相 互 の連 絡 も殆 ど 不可 能 な り し為 本作 戦 間 に も幾 多 の不都 合 事 を生 起 せり 。
る の状 態 に陥 り た る際 、 十 月 下 旬 よ り 此 の地 区 に宋 哲 元 軍 の攻 勢 を
せ ら るる に至 れ り 。斯 く て軍 は石 家 荘 、順 徳 間 に殆 ど 部 隊 を有 せざ
見 る に至 れ り 。当 時 此 の事 実 を 目 し て軍 の将 兵 は方 面 軍 が第 一軍 の
本 作 戦 も 亦 萬 福麟 の率 先 せ る十 月 六 日 よ り の退 却 を契 機 と し て敵
軍 司令 官 の意 図 に従 ひ敵 の退避 を捕 捉 す るに違 算 なき を期 し て軍 の
るも のな り 。
順 徳 線 超 過 を 処罰 し た るも のな ら ん と し て大 い に憤 激 せ し め ら れ た
の全 線 は直 ち に崩 壊 を始 め軍 は十 月 十 日 石 家 荘 を占 領 し 直 ち に方面
全部 は挙っ て金 幅 の努 力 を傾 注 せ り。 而 し て元 氏 、趙 州 、内 邸 、沙
な く し て彰 徳 附 近 を占 領 す る を得 べし 。 尚 状 況 に依 り て は新 郷附
今 一歩 追 撃 を強 行 せば 敵 を し て〓 河 の既 設 陣 地 に拠 ら し む る こと
﹁平 漢 沿線 の敵 は我 が急 追 によ り て大 な る混 乱 に陥 り た り 。故 に
問 せり 。依っ て 小官 は詳 細 に戦 況 を報 告 し
十 月 十 七 日 方面 軍 司 令 官 寺内 大 将 は石 家 荘 に来 た り 軍 司令 部 を訪
河 、耶 邸 、 肥 城 、 成 安 、〓 河等 に於 ては 常 に敵 を超 越 し て猛 烈 果敢 な る攻 撃 を加 へ潭 河 以 北 に於 け る敵 の抵 抗企 図 を挫 折 せし む る こと を得 た り。 只 、 当時 最 も遺 憾 と せし 所 は 十 一日既 に第 六 師 団 の他方
行動 を俄 か に停 止 せ し む る に至 り た る こと と 、第 十 四 師 団 及第 百 八
面 への転 進 準 備 を命 ぜ ら れ て最 も 有 利 な る追 撃 状 態 にあ りし師 団 の
師団 が敵 に追 尾若 く は之 を超 越 し つ つ急 追 中 、方 面 軍 の指定 せ る順
の線 に達 し 得 る や も計 ら れず 。故 に此 の際 軍 に第 百 九 師 団 を増 加
近 の予想 せ ら る べ き将 来 の陣 地 攻撃 を も之 を省 略 し て 一気 に黄 河
し 此 の追 撃 の最 も有 利 な る情 勢 を利 用 し て続 い て南 進 せ し め ら れ
徳附 近 の線 を越 へて前 進 せ しむ るは 不都 合 な り とし 、 方 面 軍 が 此 の
﹁ 追 撃 の主 と す る所 は会 戦 の目 的 を達 す る為 速 か に敵 を捕 捉 し之
追 撃 の中 止 を命 ぜ ら れ た る こと 等 な り 。然 れ ども
五師 団 と相 呼応 し て 一挙 に山西 省 全 部 を 攻略 す るを 得 て極 め て有
領 し た る後 一部 を南 山 西 平 地 に進 出 せ し め同 蒲 鉄 道 を遮 断 せば 第
り兵 力 を 増 加す る等 の処 置 を講 ぜし め 、 軍 が彰 徳 若 く は新 郷 を占
間 の日 子 を要 す る なら ん 。故 に第 五 師 団 に対し ては 依 然該 方 面 よ
娘 子 關 の堅要 を突 破 し て太原 附 近 に進 出 す る為 には 或 は尚 三 四週
たし 。折 口鎮 に於 け る 第 五師 団 の苦 戦 は之 を諒 す る も軍 の 一部 が
師 団 の部隊 は同 師 団 が折 口鎮 を奪 取 し た る後 に於 て小官 の指 揮 に属
師 団 (半部 ) を以 て第 五師 団 と協 力 し 太原 平 地 を 攻略 す べく 、第 五
先 十 月 二十 一日方 面 軍 司令 官 より 更 め て 小官 に第 二 十師 団 及 第 百 九
容 易 に此 の険 難 を突 破 し十 月 二十 六 日陽 泉 平 地 に進 出 せり 。是 よ り
全 力 を使 用 す る こと と せ り。 同 師 団長 は極 め て巧妙 な る作 戦 を 以 て
同 師 団長 の意 見 具 申 に依 り速 か に娘 子關 の要 害 を突 破 す る為師 団 の
せし め ら る べ き命 令 を受 領 し あり し を 以 て第 二十 師 団 をし て引続 き
而 し て軍 は十 月 二 十 六 日第 二十師 団 が陽 泉 平 地 に進 出 す るや折 口
太 原 平 地 に向 ひ追 撃 を 続行 せし め其 の先 進 部 隊 は 十 一月 三 日既 に太
利 な るベ し と判 断 す 。﹂
鎮 方 面 の敵 は逐 次 南 方 に退 却 を開 始 せ る が如 き 徴 候 を偵 知 せる を 以
原 平 地 に進 入 せり 。
﹁元 来 山 西 に進 入 せ る こと が大 な る過 誤 にし て関 東 軍 参謀 長 東 條
て、屡 次 に亙 り第 五 師 団長 に此 の状 況 を通 報 せる も該 方 面 に於 て は
の旨 縷 々意 見 を具 申 せ るも 同 大 将 は第 五 師 団 の攻 撃 不 振 に付非 常 に
中 将 と板 垣 中将 の合 作 によ り て無 謀 に前 進 し遂 に斯 の如 き失 態 を
全 く其 の徴 候 を認 めず と な せ るが故 に折 口鎮 附 近約 二十 師 団 と称 せ
憤懣 の意 を 洩 ら し
醸 す に至 れ る も の なり 。 今 此 の攻 撃 の失 敗 に際 会 し 徒 ら に時 を移
ら る る敵 及 娘 子關 よ り 退却 せ る約 十 師団 の敵 の太 原附 近 に於 け る企
し が 、 方面 軍 司 令 官 よ り始 め て太 原攻 略 の為 の作 戦 指 導 の要 領 と も
す は国 軍 の名 誉 を失 墜 す る に至 るを 以 て先づ 太 原 攻 略 を実 施 す る
称 せ ら る べ き も のを交 附 せら れ た り 。要 す る に太原 及 附 近 要 地 の攻
意 志 な り 。 又第 百 九 師 団 は他 に転 用 す るを以 て第 一軍 に増 加 し難
と答 へし を 以 て、 是 以 上 の論争 を さけ し が 十九 日第 十 四 師団 追 撃 隊
略 は第 一軍 司 令 官 の統 一指 揮 に て行 ふ。 追 撃 は平 地 周辺 の要 地占 領
図 判 断 に苦 し み軍 の太 原攻 略 作 戦 計 画策 定 に大 な る困 難 を来 た せ り
の 一部 が潭 河 を渡 過 し て所 謂〓 河陣 地 の 一角 を占 領 し た るを 以 て再
し﹂
び此 の好 機 を 利用 せざ るを 遺憾 と し、 再 び前 言 を繰 り 返 し て新 郷 に
に止 め主 力 を 太原 楡 次 に集 結 す と 云 ふ に あ り。越 え て十 一月 三 日夜
微 な る抵 抗 を排 し て 太原 城 を占 領 す るを 得 たり。 第 二十師 団 は既 に
日太原 城 内 の部 隊 に降 伏 勧 告 を な し其 の容 れざ る に及 び 八 日敵 の軽
既 に遠 く南 方 に退 却 し あり 。 第 五師 団 は六 日夕 太原 北 端 に到著 。 七
二十 師 団 は太 原 南 方 及楡 次 に於 て其 の 一部 を捕 捉 せ るも 敵 の大 部 は
折 口鎮 の敵 は全 面 的 に退 却 を開始 せ る旨 第 五師 団長 の通 報 に接 し第
向 ふ意 見 具 申 を な せ るも 遂 に何 等 の反 響 を来 た さざ り き 。
十 七、 太 原 攻 略 戦
十 月 十 七 日 の方 面 軍命 令 によ り当 初 第 二十 師 団 の混成 一旅 団 を以 て娘 子 關 の敵 線 を突 破 し て第 五師 団 に策 応 せし む る如 く計 画 せし も 、
を 生 ぜし めた る師 団 長 の苦衷 を了 察 し 太 原略 取 の名 誉 を第 五師 団 に
は折 口鎮 に於 て実 に 二十 有 余 日 間悪 戦 苦 闘 を継 続 し莫 大 な る死 傷 者
十 一月 四 日太 原南 側 に進 出 し あ り て太 原 の攻略 を熱 望 せる も 、小 官
たり と謂 ふ 。
に方 面軍 司 令 官 の徳 を傷 つく るが如 き風 聞 広 く 将兵 間 に伝 播 せ ら れ
し 為各 所 に敵 の反 撃 的 の戦 闘 頻 発 し あ り し時 期 な る に於 てお や 。為
く 兵 力 の不足 を感 じあ り し時 にし て山 西 に於 ても 亦追 撃 不 徹 底 な り
尚 又所 口鎮 に於 け る第 五師 団 の攻撃 に就 ては 当時 北 支 方 面 に於 け
与 ふ る を武 士道 の情 と信 じ た る を以 て故 ら に太原 を 第 五師 団 の作 戦 地境 内 に包含 せ しむ る如 く処 置 せし め た り。
之 を 依然 太 原 平 地 に於 て作 戦 せ し め其 の名誉 を恢 復 せし む る を至 当
る各 部隊 間 に非 常 な る悪 評 各種 の非 難 の焦 点 たり し所 なり し を 以 て 、
を視 察 せし め た る に軍 隊 の兵 員 は殆 ど 半数 以下 に減 少 し、 多 く の部
と せ し なら ん。 然 るに小 官 が内 地帰 還 後 に於 て多 田参 謀 次長 の語 る
第 五師 団 の太原 附 近 到 著 と同 時 に軍 参 謀 を派 遣 し て該 師 団 の状 況
隊 は全 く 将 校 を有 せず と云 ふ状 態 に在 り し も師 団 長 は意 気 軒 昂 直 ち
所 を 聞 きし に
﹁ 折 口鎮 に於 け る第 五師 団 の作 戦 は極 め て適 切 に し て板 垣 師 団長
に南 部 山 西 に向 ひ追 撃 前 進 の続 行 を 希 望 し て小 官 に対 し意 見 を具 申 し来 れり 。依っ て小 官 は 此 の意 見 を 方 面軍 司 令 官 に転 送 し 且 太 原 攻
其 の理 由 と す る所 は第 五 師団 に暫 く休 養 を与 へて戦 力 を恢 復 せし む
遮 ぎ り 第 二 十師 団 を太 原 平 地 に残 置 す べ き こと を命 令 せ り。 而 し て
師 団 と共 に太原 平 地 に残 留 せ し め んと せ し が、 方 面 軍 司令 官 は之 を
録 等 に依 り て後 日 に至 り て適 正 公平 に判 断 せ ら れ て後 始 め て之 を 明
戦 に関 す る批 判 は戦 闘 詳 報 は勿 論 爾 後 漸 次 鮮 明 と な る べき敵 側 の記
批 判 の間 に真 に雲 泥 の相 違 ある こと に 一驚 を喫 し た る次 第 な り 。作
之 を詳 か に せざ るも 当時 の現 地 に於 け る風 聞 と内 地中 央 部 に於 け る
と 、 小宮 は固 より 十 一月 四 日以前 の第 五師 団 長 の作 戦 指 導 に就 ては
な れば こそ能 く 此 の困 難 な る作 戦 に成 功 せ る も の なり と の好 評噴
る の要 あ る を以 てな り と 。然 れど も其 の損 害 の度 に於 ては 当 時 第 一
瞭 な らし む る こと を得 るも のな れ ども 、 作 戦直 後 に於 け る 一般 の感
略 の任 務 は全 く終 了 せ るを 以 て平 漢 沿線 の軍 の主作 戦 方面 の状 況 切
軍 に於 け る第 十 四 師 団 の約 二、 二 〇 〇名 、第 二十師 団 の約 三 、 一〇
噴 た り﹂
〇 名 に対 し第 五 師 団 の約 七、〇〇〇 名 は比 し て稍ゝ 大 なり と 難 も軍
想 就 中 其 の作 戦 に参 加 せ るも の の所 感 は極 め て重要 な る価 値 を 呈 し
迫 せ るを 以 て速 か に第 二 十師 団 を石 家 荘 に招 致 し第 百 九師 団 を第 五
隊 の疲 労 の度 に至 り て は前 者 は 後 者 に比 し て遙 かに大 な るも のあ り。
然 る に此 の人 格 は時 を経 過 し所 を異 にす る に従 ひ種 々の様 相 を 呈 し
は其 の統 帥 指 揮官 の人格 の反 映 にし て戦 闘 中最 も露 骨 に之 を 表 現 す 。
或 は全 く 偽 装 せ ら る る に至 る こと屡 々な るを 以 てな り。 故 に作 戦 の
時 と し ては 最 も適 切 な る批 判 た る こと あり 。 蓋 し作 戦 上 の統 帥指 揮
退 せし め て方 面 軍 の直 轄 と なし 悠 々数 ケ月 に亙 り休 養 を行 は し め た
途 中 に於 ては 現 地 現場 の観 察 は之 を疎 か にす る可 らざ るも のな り と
故 に今第 五師 団 に対 し て特 に休 養 を 与 ふ る が如 き は適 当 な ら ざ る が
る処 置 が他 の諸 部 隊 に与 へた る悪 感作 は決 し て僅少 な るも の にあ ら
如 く 思惟 せ られ た り 。故 に方 面 軍 が直 ち に第 五 師団 を保 定 附 近 に後
ざ るが如 し。 況 や平漢 線 方 面 に於 て は宋 哲 元 軍 の攻 勢 に対 し て著 し
渉 拘 束 等 は 漸 く頻 繁 とな り て方面 軍 命 令 の数 増 加 す る に至 り し も屡
此 の太 原 攻略 戦 前 頃 より 方 面 軍 司令 官 の第 一軍 の作 戦 に対 す る干
恰 も平 時 官 衙 に於 て執 務 し ある が如 き 状 態 に在 る を以 て、先 づ精 神
戦 場 を離 れ て天津 又 は北 平 等 の安 全 繁華 な る都 市 の中 心 に位 置 し て
前 敵 中 に在 り て作 戦 の み に専念 し あ る に反 し て方面 軍 司 令部 は遠 く
め た る は事 実 な る が如 し。 想 ふ に軍 司 令 部 及其 の隷 下 部 隊 は終 始 敵
屡 共 の時 機 を 失 し為 に軍 は之 が為 に既 に下達 せ る命 令 又 は処 置 の変
信ず。
易 を要 す る場合 屡々 にし て、為 に軍 は 隷 下 団隊 の不 信 を招 き其 の不
た る にあ ら ざ る か 。曾 て方 面軍 参 謀 長 岡 部 中将 が小 官 に対 し雑 談 中
的 に相 互 の調 和 を欠 き為 に業務 上 に平 戦 両 時状 態 を混 合 す る に至 り
は軍 司令 官 が退 屈 しな いやう に勉 め て本 で も読 ま す やう にし て居
﹁軍 司 令 官 は閑 で困 る でせう 。 何 を し て居 ら れ ます か 。私 の所 で
に
以 て此 の不吉 な る徴 候 の現出 に依 り て傷 心措 く 能 は ざ る も の あ り た
ま す が 云 々﹂
小官 は人 和 を以 て作 戦 遂 行 上極 め て重 要 な る 一因 子 と 信 じ た りし を
満 を生 ぜ し む る が如 き 不 幸 事 あ る に至 り し は最 も遺 憾 と せ る所 なり 。
り。 故 に軍幕 僚 を戒 め て努 め て方 面 軍幕 僚 と の連 繋 を 密接 にし円 満
と語 り た る こと あ り て小官 をし て唖 然 た ら し め た る こと あり 。 以 て
な る協 調 を保 持 せし む る に努 力 せ るも 方面 軍 命 令 は 多 く は大 本 営 命 令 の如 き形 式 に より 方面 軍 参 謀 長 の指 示 に重 点 を置 く が如 き 感 あ り 。
其 の間 の消 息 を窺 ふ を得 べ き か。
際 、 師 団長 の状 況 報 告 を要 求 し軍 司 令 官 に面 接 の時 刻 を 通告 す る等
一例 と し て 一度 方 面 軍 参謀 長 が第 一線 兵 団 を訪 問 し た る こと あ りし
の効 果 な し 云 々と 小 官 に語 り た る も の 一、 二 に止 まら ざ り き 。其 の
以 て下 級幕 僚 相互 間 の協 調 連絡 が如 何 に良 好 な る とも 事 実 上 は何 等
の全 権 者 にし て作 戦 課 長 が参謀 長 兼 作 戦 課 長 の職 務 を実 行 し あ る を
幕 僚 間 に在 り て も方 面 軍 司 令官 に於 て は事 実参 謀 長 は軍 司令 官 以上
あ り とな し 大 い に憤 慨 し 常 に不快 の念 を蔵 し た る が如 く 、 又 方面 軍
て方面 軍 司 令 官 は軍 司 令 官 を恰 も 一下 士 官 と 同様 に待 遇 し あ る の観
す れ ば命 令 の如 き形 態 と性 質 を有 す る に至 り て履 々軍 の幕 僚 等 を し
実 に荘 然自 失 の態 に陥 り た る な り。 依っ て 小官 は軍 の幕 僚 をし て再
時 期 に当 り て此 の作 戦 目 的 と相 容 れざ る処 置 を強 要 せ ら れ た る軍 は
軍 と決 戦 を 予期 し、 為 に軍 に第 五及 第 百 九 師団 を も増 加 せ ら れ た る
新 に軍 の作 戦 地境 内 に編 入 せ ら れ太 原 平 地 に於 て強 大 な る敵 の中 央
方面 に在 り ては彰 徳 、新 郷 に向 ふ 次期 作 戦 を準備 す べ く 又 山西 方 面
引 き渡 す ベ し と の命 令 に接 し た り 。軍 は方 面 軍命 令 に依 り て平 漢 線
過 ぎざ りし が突 如 と し て師 団輜 重迄 弾 薬 を余 す 外悉 く の残 存弾 薬 を
弾薬 を節 約 し て当時 漸 く 一会 戦 準 備 弾薬 の 三分 の 一を使 用 し た る に
方 面 に転 用 せら るる に至 り た る こと な り。 軍 は作 戦 の当 初 よ り極 力
せ ら れ た る外 、 当 時 軍 の保 有 す る会 戦準 備 弾 薬 の殆 ど全 部 を も他 の
た る事 実 は石 家 荘 会 戦 の直 後 に多 数 の部 隊 を上 海 及山 西 方 面 に転 用
此 の以外 に方 面 軍 の措 置 により て軍 が最 も重 大 な る困 難 に遭遇 し
又 一方 方面 軍 参 謀 長 は 、方 面 軍 直 轄部 隊 の指 揮 官 と し て之 に対 す る
の傲 慢 な る態 度 に出 でて各 方 面 の非 難 を浴 び又 ﹁方面 軍 達 第 二号 ﹂
命令 権 を委 任 せら れ あ り た る関 係 上軍 に対 す る同 官 の指 示 も 、 動 も
等 の書 類 を各 兵 団 に発 送 し あり し 等 は 一般 に怪 奇 不穏 の念 を生 ぜ し
三 再 四方 面 軍幕 僚 と交 渉 せし め た る も僅 か に其 の 一部 の控 置 を 容認
十 九軍 は平 漢 線 方 面 に劉 峙 軍 の進 出 す る に及 び 、逐 次 津 浦 線 方 面 に
七 月 下 旬 平 津 地 方 に於 て支 那駐 屯 軍 に撃 退 せ ら れ た る宋 哲 元 第 二
け る石 家 荘 及〓沱 河 に於 け る会 戦 直後 我 が軍 が平 漢 線 方 面 よ り俄 か
せら れ た る の み にし て直 ち に其 の命令 を実 行 せ し め ら れ、 且此 の弾
に多 数 の兵 力 を他 に転用 し て追 撃 を中 止 し た るを知 る や 、好 機 到 れ
最南 端 黄 河両 岸 の地 区 に其 の兵 力 を集 結 し あり し が 、十 月 中 旬 に於
の時 期 に於 て は全 く之 を補 充 し 尽 す に至 れ る状 況 にし て不 安 の極 に
り と 為 し て蒋 介 石 の激励 を受 け て濮 陽 よ り大 名 を 経 て威 縣 附 近 に進
移 動 し馬 廠 、漁 州 附 近 に於 て我 が第 二軍 の為 に撃 破 せ ら れ河 北 省 の
達 せ り。 只 幸運 にも 方 面 軍 の予 期 に反 し て太 原 平 地 に於 て は大 規 模
出 し 順徳 及 石家 荘 等 の奪 還 を企 図 せり 。其 の兵 力 約 八 ケ師 団 を算 し
薬 の補 填 は 明春 一月 以降 にあら ざ れ ば実 施 せら れざ る旨 を予 告 せ ら
の作 戦 を 生起 せず 、 又 宋 哲元 軍 の攻 勢 に対 し ても 大 な る戦 闘 を惹起
れ たり 。而 し て軍 の此 の軽 少 な る予備 弾 薬 も 第 二十 師 団 の平 定 進出
す る に至 らず し て之 を 撃 退す る を得 、 爾後 は努 め て大規 模 の戦 闘 を
り。 之 に対 し て軍 は先 づ 第 十 四師 団 の 一部 を 以 て彰 徳 を 次 で大 名 を
占 領 し て〓 河南 方 より す る敵 の策 応 企 画 を封 じ宋 哲 元 軍 を孤 立 せし
河 南 に於 て瓦全 せ んよ り 河北 に於 て玉 砕 す べし と 部下 を叱咜 北 進 せ
め た る後 之 を成 る べく 深 く順 徳 及 石 家 荘 方面 に誘 致 し た る後 一挙 に
避 け専 ら守 勢 の状 態 を維 持 し た る為 大 事 を惹 起 す る に至 らざ りし と
あ り た り。 而 し て 此 の間 此 の消 極 的 態 勢 に依 り て将 兵 の士気 沈 滞 、
難 も此 の間 軍 及各 師 団 の不安悄 愴 の感 は 真 に名 状 す べ から ざ る も の
戦 意 消耗 の徴 を 示 す に至 りた る は否 定 し 難 き事 実 な りし を遺 憾 とす 。
を下 達 せり 。
此 の会 戦 に於 ては平 漢 線 方面 に於 け る軍 の隷 属 部 隊 の僅 少 な りし
撃 滅 せ ん こと を企 図 せり 。而 し て十 一月 三 日之 に関 す る所要 の命 令
と太 原 攻 略 戦 に過 分 の兵 力 を使 用 せし め られ 且第 百 八 師 団 の使 用 に
此 の現実 にも 拘 らず 十 二月 下 旬 第 二軍 が黄 河 を渡 過 し て済 南 の攻 略
黄 河 の線 に向 ひ進出 せ ん ことを 徳悪 せ しも 、 小官 は弾 薬 の十 分 な る
を行 は ん とす る に際 し方 面 軍 参 謀長 は第 一軍 も亦 平 漢 線 方 面 に於 て
補 給 を得 且各 部 隊 の士気 を更 に作 興振 起 す る為 今後 少 く も 一ケ月 の
り て は兵 力 の運 用 上 に至 大 の困難 を感 じ、 為 に宋 哲 元 軍 の 一挙覆 滅
関 し て も拘 束 せ ら れ あり たる関 係 上此 の予 期 せざ る会 戦 の実 施 に方
を希 望 せ る軍 の作 戦 も予 期 の成 果 を挙 ぐ る を得ず し て遂 に竜 頭 蛇尾
日 子 を要 す る を以 て二 月 上旬 頃 より前 進 を開 始 す る意 図 を有 す る旨
て十 二月 二 十 五 日之 に関 す る作 戦 計 画 を立 案 し て之 を 上司 に報 告 せ
を 以 て之 に答 へ、 軍 に於 て は著 々と し て之 が準備 を進 め た り。而 し
に終 り た る は遺 憾 な り。
加之 此 の両 方 面 の交 通 は巍 義 た る山 脈 に より て殆 ど遮 断 せ ら る る
有 力 な る敵 に対 せ ざ る可 ら ず 。
が平 漢 線 方 面 に於 て南 面 し て尚 有 力 な る敵 に対 し同 時 に又 西 面 し て
本 来 の戦 闘 序 列 に於 て僅 か にニ ケ師 団 を有 す る に過 ぎ ざ る第 一軍
り 。而 し て其 の実 行 に先 だ ち方 面 軍 よ り新 に第 十 六 師 団 を増 加 せ ら れ た る を以 て 又 一部 本 計 画 に変 更 を 加 ふ る に至 れ り 。
十 八、 宋 哲 元 軍掃 蕩 戦
情 態 にし て、 軍 の此 の二正 面 作 戦 の負 担 は 過 重 な りと 考 へ、山 西 方
要 す べ き 重要 問 題 たり と信 ず 。
即 座 に更 迭 せし めら れ た る如 き も 其 の 一例 たる ぺし 。 大 いに考 慮 を
ひ﹁ 軍 司 令 官 は戦 闘 の始 終 を主 宰 す る も の とす ﹂ 又 ﹁ 作 戦 軍 の編組
も のにし て方面 軍 は 一つ の統 一機 関 に過 ぎ ず 。 作 戦 は 軍 に於 て 行
せら れ作 戦 方面 に依 り ては之 を方 面 軍 に統 一せら る﹂
て之 に依 り統 率 の関 係 を律 す ﹂ と ﹁ 作 戦 軍 は通常 若 干 の軍 に区分
﹁戦 闘 序 列 は戦 時 又 は事 変 に際 し天 皇 の令 す る作 戦 軍 の編 組 にし
面 の作 戦 を直 接 方 面 軍 司令 官 に於 て担 任 す る か或 は独 立 せ る 一軍 と なす を有 利 とす べ き旨 再 三具 申 せ る も遂 に許 容 せ ら る る に至 らず し
元 来 軍 の戦 闘 序 列 は勅 命 に依 るも のにし て、勅 命 に依 る にあ らざ
て作戦 指 導 上絶 えず 大 な る苦 痛 を満 喫 せし め ら れ た り。
れば之 を変 更 す るを得 ざ る も のな り 。故 に軍 隊 区 分 に依 る作 戦 軍 の
此 の絶 対信 念 の下 に方 面軍 よ り其 の直轄 部 隊 を軍 に配 属 せら れ或 は
は軍 隊 区 分 に依 り 一時 之 を変 更 す るを得 ぺし と錐 も其 の必 要 止む
編 組 は 真 に 一時 的 のも のた る べき は勿 論 な り。故 に第 一軍 に於 ては
突 如 之 を 他 に転 用 せ ら れ 、 又 は其 の位 置 、用 途 等 に就 き指 定 せ ら る
や速 か に旧 に復 す るも のとす ﹂
元軍 の掃 蕩 を終 り 、爾 後 軍 命令 に基 き 大 名 を通 過 し て順 徳 に後 退 せ
本 会 戦 に於 て第 百 八 師 団 は威 縣 より臨 清 を経 て漢陽 に出 で て宋 哲
之 等 原 則 は 統帥 の根 基 にし て絶 対 に遵 奉 す べき も のと確 信 す 。
る等 時 と し て軍 の希 望 と相 背 馳 す るが如 き ことあ り ても洵 に止 む を
隊 に対 し て も亦 屡ゝ 方面 軍 が専 断 の処 置 を執 る こと あ りし 為 、 軍 の
し め ら れ たり 。 此 の際 同 師 団長 下 元 中 将 は 小官 に対 し
得 ざ るも のと断 念 す るを常 と せ り。 然 れ ど も第 一軍 戦闘 序 列 内 の部
統 帥 、 経 理、 衛 生等 の関 係 を律 す る上 に於 て も絶 えず 大 な る困難 を
の戦 闘 序列 に あ りな が ら第 三聯 隊 及輜 重 の半 部 以 外 は開 戦 当 初 よ り
す﹂
報 告 し将 来 断 じ て斯 の如 き処 置 を再 びせ ら れ ざ ら ん こ と を 切 望
﹁ 此 の後 退 運動 の部 下 に与 へた る精 神 的悪 感 作 の莫 大 な るを縷 々
︹熊彌︺
生 じ たり 。其 の 一、 二 の例 を述 ぶ れば 野戦 重 砲 兵 第 一旅 団 は第 一軍
せし め ら れ た り 。又 独 立山 砲 兵第 三聯 隊 の如 き は当 初 よ り第 五 師 団
翌 十 三 年 六 月 小官 が戦 場 を 離 れ る 日迄 終始 第 二軍 司 令官 の隷 下 に属
と恰 も 太原 攻 略 に当 り て第 二 十師 団 の先 進部 隊 長 高 木 少将 が十 一月
軍 の統 帥 に任 ず るも の の大 いに考 慮 せざ る可 らざ る重 要事 項 なり と
四 日 太原 城 南 側 に進 出 し た る際 軍命 令 に依 り て太 原 城 突 入 を禁 止 せ
信ず 。然 れど も 第 百 八師 団 の順 徳 後 退 は 方面 軍 の前 述 す る如 き 順徳
に配 属 せら れ 、其 の聯 隊 本 部 及 一ケ大 隊 は第 五師 団 國 崎 支隊 とな り
後 上 海 に転 送 せ ら る べき 第 六 師団 及 其 の他 の軍 の戦 闘 序 列内 の有 力
重 視 と軍 の兵 力 より 止 む を得 ざ る に出 でた る処 置 にし て高 木 旅 団 は
ら れた る場 合 の失 望落 胆 を小 官 に物 語 りた る と好 一対 の話 柄 にし て 、
部 隊 は戦 闘 序 列変 更 の大 命 に先 だち て方面 軍直 轄 とし て天 津 に移 動
第 五師 団 長 に名 誉 を失 墜 す る ことな から し め ん と の小官 の意 志 に出
の儘 第 二軍 司令 官 の隷 下 に属 せ ら れ あり た り 。其 の他 石 家 荘会 戦 直
せ し め られ た る が如 き 之 な り 。尚 小官 が第 一軍司 令 官 と し て戦 闘 序
て北 支 より 上海 戦 線 に送 ら れ再 び北 支 に来 た り、 青 島 に上陸 し て其
列 に明 記 せ ら れ あ る に拘 は らず 、 陸 軍 大臣 の軍 政 命 令電 報 に依 り て
るを確 認 す 。
で たる も のな れ ど も戦 場 心 理 に就 ては 大 いに考 慮 を 払 はざ る可 らざ
を西 方 に駆 逐 し 三 月八 日軍 は全 く黄 河 左 岸 一帯 を確 保 す る に至 れり 、
の瞼 要 を突 破 し て南 進 し 第 百 九師 団 も亦 之 に策 応 し て離 石附 近 の敵
河畔 に 日章 旗 を翻 す こと を得 る に至 り 感 慨真 に無 量 な り 。
永 定 河渡 河 の後実 に六 ケ 月 にし て軍 将 兵 の待 望 し て止 まざ りし 黄 河
本 会戦 に於 け る 軍 の作 戦 区 域 は 正面 約 百 二十 里 、 縦 深 約 百 五十 里
食 を前 方 に蓄 積 し あ りし が為何 等 痛 痒 を感 ぜず 、 太 原 方 面 に在 り て
線 を脅 威 せし が軍 は既 に之 を 予期 し て作 戦 開始 前 に十 分 な る弾 薬 糧
正 太線 の両 鉄 道 蚊 に太 原 - 原平 鎮 鉄 道 沿 線 に出 没 し て我 が後 方 連 絡
此 の間 に五臺 附 近 に根 拠 を有 せ る共 産 軍 及匪 賊 は 切 り に平 漢 線 及
に亙 る広 大 な る 地 域 にし て敵 の兵 力 は黄 河 北岸 地区 に ても 大 凡六 十
は 第 百九 師 団 が離 石方 面 の作戦 を終 了 し たる後 直 ち に之 を 回復 し、
十 九 、 河 北戡 定 戦
(第 十 六師 団 を増 加 せ ら る ると す る も恐 ら く 一時 的 な るぺ し と考 へ
の兵 力 を後 退 せ し め之 が討 伐 に任 じ た り。 正 太線 に於 ても井 径 炭 坑
平漢 線 方 面 に在 り て は方 面 軍 の厳 命 に依 り て急 遽 作 戦 兵 団 よ り 一部
師 団 を算 す べし と判断 せ ら れ、 之 に対す る軍 の兵 力 は 大 体 四 師 団
た り) な り。 故 に出 来 得 る限 り 多 く の兵 力 を第 一線 に使 用 す 。之 が
及 石家 荘 附 近 に於 て 一時 騒擾 を生 じ た る こと あ る も大事 に至 らず し
為 成 るべ く作 戦 地 に 近 く全 弾 薬 と作 戦 所 要 三 ケ月 分 の糧秣 を 予 め集 積 せし め 、縦 ひ本 作戦 問 に後 方連 絡 線 を遮断 せ ら る る が如 き こと あ
て止 めり 。
然 れど も平 漢 線 方面 に於 け る 此 の問 題 に関聯 し て又 方 面軍 司令 部
り とも 決 し て作 戦 の遂 行 に妨 げ な か らし む る 如 く周 到 な る事 前 準 備
と の間 に 一大 葛藤 を惹 起 す る に至 れ り。 即 ち 二 月十 四 日 方面 軍 命 令
を行 は し め たり 。 而 し て第 一期 の作 戦 を黄 河 の線 を確 保 す る迄 とし 直 ち に第 二期 の占 領 地域 内 敗 残 部隊 等 の掃滅 戦 に移 行 し て占 領 地 区
を以て
は歩 兵 二大 隊 砲 兵 一中 隊 を 方面 軍兵 姑 監 の指 揮 に入 ら し む ぺ し 云
﹁ 保 定 西 方 山中 の阜 平 の共産 軍 根 拠 地 を攻略 す る為 第 一軍 司令 官
の安 定 確 保 に努 む る こと とな せり 。而 し て此 の占 領 地 区 の安 定 確 保 の為 には将 来 少 く と も動 員 師 団 五箇 を必 要 と す べき 意 見 を 方面 軍 に 進 達 せし め たり 。
に於 け る作 戦 共 に極 め て有利 に進 捗 し 引 続 き両 師 団 共 に各ゝ 共 の 一
せ り。 爾後 第 十 四 師団 の新 郷 平 地 の作 戦 及 ぴ第 百 八 師 団 の々安 平 地
十 一日紀 元節 の佳 辰 を期 し て先 づ彰 徳 南 方 の敵 に対 す る攻撃 を開 始
一兵 にて も之 を 後 方 に使 用 す る は洵 に忍 び難 き所 とし 、 方面 軍 に対
逐 次 到着 中 の第 十 六師 団 を漸 次前 方 に推 進 中 な りし を 以 て此 の場 合
る直 後 の事 にし て而 も新 郷 附 近 に於 て は敵 の頑 強 な る抵 抗 を 予想 し
後 方連 絡 線 上 の不 利 は 一時 之 を 忍 ぶ ぺ き方 針 の下 に作 戦 を開 始 し た
と 云 ふ に あ り。 然 る に軍 は 前述 せ る如 く 前 方 の作 戦 に全 力 を傾 倒 し
云﹂
部 を以 て南 山 西 平 地 に向 ひ作 戦 せ し め て第 二十 師 団 に協 力 し 、第 二
昭和 十 三年 一月 二 十 六 日此 の作戦 に関 す る軍 命 令 を下達 し て 二月
十 師 団 は 巧 に敵 の攻勢 企 図 を 逆 用 し て忽 ち霊 石 、 雷 縣 附 近山 西 唯 一
し て此 の旨 を具 申 し て此 の兵 力 派 遣 の時 日 を若 干 延期 せ ん こと を要
のあ り云 々」 と故 ら に大 書 せ る も のを 方面 軍 の各 部 隊 に配 布 し 、 且
と叱 責 し たり 。而 し て同 会議 書 類 中 に ﹁ 命 令 を直 ち に履 行 せざ るも
し 且方 面 軍 司令 官 の叱 責 の言 を伝 達 せり 。 小官 は司 令部 を離 れ て北
軍 参 謀 長 飯 田 少将 は軍 司令 部 に帰 還 後 小官 に詳 細 其 の状 況 を報 告
之 を陸 軍 省 、参 謀 本 部 等 にも提 出 せし め た り と謂 ふ。
請 せり 。然 る に方 面 軍参 謀 長 は断 乎 と し て之 を却 け ﹁命 令 ハ直 チ ニ之 ヲ実 行 スぺ キ モノ ナ リ﹂
京方 面 軍 司令 部 に到 る こと能 はざ るを 以 て 左 の要 旨 の書 信 を認 め 方
と 返 電 せ り 。依っ て軍 は止 むを 得 ず 後方 部 隊 より兵 力 捻 出 の処 置 を 講 じ 且 方面 軍兵 鮎 監 と各 種 の打 合 せを行 ひ た る後 二 月十 八 日所 要 の
今 回 図 らず も閣 下 の叱貴 を蒙 む り 漸愧 の至 り に堪 へず 。 果 し て
ふす 。
1、 小 官 不 肖 な り と錐 も 、大 命 を拝 し て作 戦 軍 司 令官 の重 任 を辱
面軍・ 司 令 官 に送 附 せ り
命 令 を下達 せ り。 従っ て若 干 時 日 の遷 延 を免 れざ る に至 れり 。 方 面 軍 に於 て は第 一軍 が故 ら に本 命令 を遵 奉 せざ り し も のと 為 し ︹ 祥 二郎 ︺
三 月 二 十 一日北 京 方 面軍 司 令 部 に参 謀 長 会 議 を 行 ひ席 上 方 面 軍 参 謀
﹁第 一軍 は命 令 の履 行確 実 な ら ず 。誠 意 に乏 し 、殊 に阜 平 討 伐 の
芸 母部中将 に舞 一鐸 参謀 最飯 匠 4 将 に対 し て
小官 罪 あ ら ば 死 を以 て之 を償 ふ に吝 な らず と難 も愚 昧未 だ共 の罪
2 、軍 の行動 は細 大 洩 す ことな く 軍 司令 官 の貴 任 にし て軍 参謀 長
を覚 るを 得ず 敢 て閣 下 の御 指 教 を 希 ふ所 以 な り。
は小 官 の 一輔 佐官 た る に過 ぎず 。 故 に参 謀 長 に謝 罪 を求 め又 は之
為 兵 力 差 遣 の命 令 に対 し或 は意 見 を述 ぺ或 は之 を非 議 し時 日を遷
と猛 烈 に之 を非 難 し たる後 軍 参 謀 長 に対 し謝 罪 を要 求 せ り。而 し て
を叱 責 す る は当 らず 況 や貴 軍 参 謀 長 が謝 罪 を要 求 す る が如 き は非
延 せる こと は許 す 可 らざ る こ とな り 云 々﹂
若 し 謝 罪 の上将 来 の忠 実 を誓 ふ に於 て は之 を穏 便 に取 計 ふべ し と告
已 まず 。
常 識 極 ま れ り 。彼 貴 軍参 謀 長 に就 て先 づ 公 正 な る御賢 察 を希 ふて
遣 に関 し ては作 戦 の必要 上 の希 望 を開 陳 せ るも のにし て作戦 中 の
と錐 も 之 に違 反 す べき も のにあ らず 敢 て貴 軍 参 謀 長 の指 示 を 要 せ
3 、 上 官 の命 令 を実 行 す べ き事 は 大 詔 の教 示 せら る ㌧所 全 軍 一兵
﹁軍 は 未 だ曾 て方 面 軍 命令 に忠 実 な らざ る こと な く今 回 の兵 力差
げ たり 。軍 参 謀 長 は
の意 志 な し 。云 々。﹂
第 一線部 隊 に対 し は許 容 せら るべ き問 題 なり と信 ず 。 従っ て謝 罪
の旨 を 答 へし に`岡 部中 将 及 同 席 の下 山大 佐 は噺 怒 罵 倒 し て直 ち に
を 記載 せず し て可 な り とす るも発 令 者 の心 得 ぺ き条 件 に就 て は縷
ざ る所 な り 。故 に典 範令 等 に於 ても受 領 者 の心 得 に就 ては 殆 ど之
︹琢磨 ︺
方 面 軍 司令 官 寺 内 大 将 の下 に連 行 し て之 を訴 へ出 で たり 。而 し て同
縷 且最 も厳 格 に規 定 せ ら る。 蓋 し命 令 は受 令 者 を し て安 ん じ て且
貴 軍参 謀 又は参 謀 長 の起 案 或 は発 送 せ る命令 に於 て果 し て統 帥
喜 ん で直 ち に之 を実 行 し 得 る如 く な るを 要 す る を以 てな り 。
大 将 は 飯 田 少将 に対 し て ﹁凡 ぺ て命 令 は直 ち に之 を実 行 せざ る可 らず 。将 来 厳 に注意 す べ し 。 尚軍 司 令 官 に此 の旨 を伝達 せ よ。﹂
き も のな り云 々
熟 慮 の結 果 貴 信 は之 を返 却 す る事 と せり兎 に角 命 令 は遵 奉 し た
小 官 は 方面 軍 司 令官 の意 中 を付 度 す る を得 ざ りし も尚 作 戦 の継 続
綱 領 又 は典 範 令等 に於 て教 示 し あ る が如 き受 令 者 の性 格 、 心理 状 態 、 時 、其 の他 の状 況等 を十 分考 察 し て慎 重 な る考 慮 を払 ひあ る
若 し 夫 れ受 令 者 に於 て命 令 の実 行 に困 難 を感 ず る が如 き場 合 殊
も のと 思惟 せら る 、や。
な り と 愚考 す 。
之 と 雌 雄 を決 し つゝ あ る作 戦 の真 只 中 に於 ては誠 に止 む を 得ざ る
を 実 行 せざ る場 合 を も生 ず る事 あ る ぺし 。 之 れ前 後 に敵 を 控 へて
場 合 に依 り ては 其 の命 令 の 一部 を変 更 し 若 く は状 況 に依 り て は之
見 を具 申す る が如 き は寧 ろ其 の命 令 に対 し て忠 実 な る所 以 にし て
領 し た り と せぱ 、受 領 者 が全 般 の状 況 を判 断 し て命 令 者 に対 し意
皇 協 第 一軍 を編 成 す る に至 れ る等 之等 の敵 将 領 を懐 柔帰 服 せし む る
彰 徳 西 方 又東 北 方 に於 て は李 英 、 李 福 和等 約 三 四万 の部 下 を持 ち て
て は薬 培 徳 約 六 万 の部 下 を糾 合 し て軍 に帰 順 し て皇 協 第 二軍 と な り 。
蟄 居 し て絶 えず 軍 に連 絡 し て指 示 を 仰 ぎ あ り た り。 其 の他 臨 清 に於
麟 亦 小 官 の意 を承 け て石 家 荘 陣 地 を 最初 に離 脱 し た る後 林 縣 附 近 に
以来 第 十 四師 団 長 の許 に代 表 を派 遣 し あ り て恭 順 の意 を表 し 、 萬福
石 友 三 軍 配置 せら れあ り し が石 友 三 及商 震 蚊 に韓復榘 は既 に前年 末
河 北戡 定 戦 に於 て第 十 四師 団 主 力 の当 面 せ る彰徳 南 方 敵 陣 地 に は
中 な るを 以 て後 日機 を見 て更 め て自 ら処 理 す る こと と な せり 。
4 、 二 月十 四 日 の方 面軍 命 令 に依 る兵 力 転 用 は全 く軍 の直 面 せ る
の機 は 既 に十 分 に醸 成 せ ら れ あ りた るに拘 らず 方 面 軍 に於 て は頑 と
に作 戦 中最 も重 要 な る時 機 に於 て状 況 に即 せざ る が如 き 命令 を受
作 戦 の最 も重 要 な る推 移 にし て 、而 も 全 く 予期 せざ り し突 発 の命
し のみ な らず 、 河 北戡 定 戦 に方 り て は石 友 三 、 商震 及 萬 福 麟等 の軍
を 固 執 せ る為 遂 に此 の極 め て有 利 な る情 勢 を利 用す る こと を得 ざ り
は其 の将 来 を約 束 す ぺ から ざ る こと﹂
﹁一切 の旧将 領 を認 めず 又 帰順 部 隊 に 対し ても或 は地 域 を与 へ又
して
る に於 て兵 力 抽出 の為 百 万 手段 を廻 ら し た る結 果 若 干時 日 の遷 延
令 な り し を以 て種 々研究 の結 果 一応 意 見 を 開陳 し其 の容 れ ら れざ
を 見 る に至 り し も のなり 。 蓋 し軍 司 令官 は作 戦 の終 始 を主 宰 す ぺ
小官 は閣 下 が全 軍 の為 め又 将来 の作 戦指 導 の為 に更 に今 一応 当
き 重 大 な る責 任 を課 せ ら れあ る を以 てな り 。
時 の状 況 を 回 顧 せ ら れ公 正 な る判 決 を 下 さ れ ん事 を切望 す 。
の止 む な き に至 れ る は大 な る恨 事 と せ る所 な り 。而 し て小 官 の内 地
帰 還後 方 面 軍 に於 て は更 め て旧将 領 の懐 柔 帰順 の工作 を始 め た りと
を も 併 せ て撃 破 せざ る可 ら ざ る に至 り遂 に彼 等 と の連 絡 を 切 断 す る
一層 作 戦 地 に 近 く司 令 部 を推 進 せら れ 、刻 々の作 戦 の状 況 を親 し
5 、尚 今 後 の作戦 に於 て閣 下 が直 接 作戦 を指 導 せら る 、場 合 には
く視 察 せら れ て以 て第 一線 と同 一の作 戦 の雰 囲 気 の裡 に指 導 せ ら
石 家 荘 に 一泊 十 三 日楡 次 及 太原 を巡 視 せし が 小官 は彰 徳 に於 て当 日
二 月十 二 日方面 軍 司 令 官 寺内 大 将 は彰 徳 の軍 司 令 部 を 訪問 し同 夜
聞 き し も既 に彼 等 の信 を失 ひ た る後 に於 ては効 果 なき は 当然 な り。
る 、を得 ぱ之 等 の紛 糾 を 防 止す るを得 ぺ し と老 ふ。 本 書信 は後 数 日 に し て左 の片 信 と共 に 小官 の許 に返送 せら れた り
方 面 軍司 令 官 に左 の要 旨 の意見 を開 陳 せり ﹁小官 は十 分 な る準 備 を整 へた る後 本 会 戦 を開 始 し あ るを 以 て概 ね 予定 の如 く 三 月 十 日以 前 に黄 河 一帯 の線 を確 保 す べく確 信 を有 す 。 鼓 に軍 正面 に於 ては 北支 を完 全 に領 有 す る こと と な る を 以 て 直 ち に黄 河 左岸 の要 地 に堅固 な る陣 地 を構 築 し以 て占 領 区域 の安 定 に資 す る の必要 あり と信 ず る を以 て此 の点 配 慮 せ ら れ直 ち に築
な り。 云 々。 ﹂
寺 内 大将 は之 に対 し て ﹁大本 営 が承知 し ま せ ん よ﹂ と答 へた る の
み に て真剣 に受 入 れた る風 も見 え ざ り き 。
二 十、 占 領 地粛 清 戦
領 地 域 に於 け る敗 残部 隊 を掃 滅 す る を 以 て第 二期 と せ り。 従っ て軍
河 北 の戡定 は前 に述 ぺ た る が如 く 先 づ黄 河 の線 を確 保 し 引続 き占
又 中 支 に於 て は既 に南 京 を攻 略 し あ る 今 日之 と 関聯 し て両 占 領
内各 兵団 は約 一ケ 月 に亙 る作 戦 の継 続 に依 り て疲 労困 憩 し あ る に拘
城 団 の派 遣 、揚 子江 沿 岸 に於 て歯 獲 せ る重砲 の配 属 等 を希 望 す
地 域 を 確 保 せ む と欲 せ ぱ軍 をし て今 後適 当 の時 機 に 一部 を以 て黄
は らず 直 ち に第 二期 作 戦 に移 行 す べ く命 令 せり 。即 ち第 百 九師 団 は
第 百 八師 団 は〓 安 の山 地 地 区 、第 十 四師 団 は 新 郷平 地 、 第 十 六師 団
太原 平 地 及 其 の以北 地 区を 、 第 二十 師 団 は南 山 西平 地 及 周 辺地 区 、
れ ん こと を 切望 す 。然 ると き は 現 に徐 州 及 其 の附 近 に あ る強 大 な
は彰 徳 、大 名 平 地及 其 の以 北 を担 任 せし め 且隣 接 師 団 相 互 の連 繋 協
て黄 河右 岸 の堤 防 を決 潰 し新 黄 河 の線 を設 く る如 く 区処 せし め ら
る敵 の退 路 を遮 断 し て之 を殲 滅 す る を得 べく 且 爾後 速 か に此 の新
河 を渡 河 し鄭 州 附 近 を占 領 せし め其 の掩 護 の下 に鄭 州東 北 側 に於
黄 河 の線 に築 城 を施 す とき は 北 中 支 の連 繋 は 極 め て緊 . 密 と な り蒋 介 石 の企 図 す る長 期抗 戦 に対 し ても何 等 憂 ふる所 なき に至 るべ き
着 々と し て偉 大 な る成 果 を収 め つ つあ る間 、方 面 軍 に於 て徐 州会 戦
各 師 団 は其 の戦 力 の恢復 を計 る に遑 な く し て夫 々其 の実 行 に移 り
同 を緊 . 密 な ら し む る如 く 必 要 な る指 定 を な し概 ね 四月 下旬 頃 ま で に 本 作 戦 を終 了 せ しむ る こと と せり 。
若 し そ れ更 に陜 西省 の北 部 を攻 略 し て蒙疆 地域 と 山 西南 部 と の
の為 第 十 六師 団 及 其 の他 の軍 直 属 部隊 を第 二軍 に転 属 せら れ又 第 十
を確 信 す 。
四師 団 を し て黄 河 を渡 河 し て此 の会 戦 に策 応 せし む る如 く 命 令 せ ら
る の止 む を得 ざ る情 況 に陥 れり 。斯 く て再 び敵 は黄 河 を渡 過 し て山
一線 の連 繋 を計 る こと及 南 支 方面 海 岸 の要 地 を攻 略 し て蒋攻 権 の
西 及 河北 に進 入 し爾 来 黄 河 渡 河 点 の大 部 は尚 今 日 に於 ても敵 の有 に
れた る 為 中途 にし て本作 戦 を中 止 し為 に遂 に 一部黄 河 の守 り を撤 す
要 す る に黄 河 の線 に進 出 し た る時機 を 一劃 期 と し て 対支 作 戦 を
没落 を促 進 す る等 の作 戦 は 今後 数 年 又 は 十数 年 の後 に譲 る も亦 可
一応 打 切 るを 必要 とし 此 の明確 な る意 志 を表 明 し 之 を実 行 に現 は
な る ぺし 。
す こと は 蒋介 石 をし て其 の企 図 す る退避 長 期 戦 を断念 せ しむ る最
昭和 十 三年 三月 十 日黄 河 河岸 に散 華 し た る忠 魂今 何 処 に彷 復 す る
帰 す る に至 りし は真 に慨 嘆 に堪 へざ る所 な り。 良 の策案 な るぺし と 信 じ た る が故 に敢 て鼓 に意 見 を具 申 す る所 以
本作 戦 に於 ては敵 は支 離 滅 裂 せ る敗 残 部隊 に し て未 だ其 の統 一を
にや 。
回復 せざ る時機 に乗 じ た るも のなり し を 以 て其 の成 果 は極 め て偉 大
一軍 より 先 づ第 十 六 師団 の 一部 、 次 で其 の全 力 及 軍直 轄 諸 部 隊 を逐
次 に第 二 軍方 面 に転 用 せ ら る る に至 り て軍 の占 領 地粛 清 戦 は 遂 に之
へざ り し所 な り。 即 ち各 兵 団 の行動 は著 し く 消極 的 と なり 或 は好 ん
り た るは 小官 の作 戦指 導 十 ケ月 間 嘗 て見 ざ り し 現象 にし て憂 慮 に堪
反 し て我 が軍将 兵 の士 気 は漸 く 弛 緩 し戦 意 も 亦 消磨 の徴 を示 す に至
の等 し く 長 大息 を禁 ぜ ざ り し所 な り 。而 し て其 の後 敵 の戦 力 恢復 に
絶 せし めら れ千仭 の功 を 一笹 に虧 く の恨 を残 さし め し は軍 将 兵 全部
た る損 害 は実 に優 に我 に百倍 せ り。然 る に不 幸 にし て此 の作 戦 を中
極 め て旺 盛 な り し を以 て随所 に破 竹 の勢 を以 て敵 を 撃滅 し敵 に与 へ
依 り て心 身 共 に極 度 に疲 労 し あ りし に拘 は らず 戦 勝 の勢 に乗 じ士気
力 は掩 護 隊 な き敵 前 渡 河 を敢 行 せざ る可 らざ る に至 り し か も其 の兵
に転 属 し 直 接之 を徐 州 方 面 に使 用 せら れ た り。 之 が為 第 十 四師 団 主
に行 動 せし め た りし が、 方 面軍 は此 の部 隊 を行 動 半 途 に於 て第 二軍
護 せ しむ る為 一支 隊 を編 成 し濟 寧 に鉄 道 輸 送 の後 濃 縣 対 岸黄 河右 岸
倉 皇 とし て此 の方 面 軍 命 令 の実 行 に移 り 先 づ第 十 四師 団 の渡 河 を掩
黄 河 を渡 り帰 徳 、蘭 封 方 面 に進 出 せし め ら る る ことと な れ り 。軍 は
る も之 又軍 の意 見 の如 く な らず し て五 月 上 旬 よ り第 十 四 師 団 を 以 て
を 渡 河 し て之 に策 応 す るを 得 ぺ く其 の時 機 は 五 月下 旬 な るを希 望 せ
を 以 て軍 は ニケ 師 団 (第 十 六師 団共 ) を以 て軍 の現 在 正 面 よ り黄 河
次 で徐 州 会 戦 計 画 せら れ、 軍 に策 応 に関 す る意 見 を徴 せら れ た る
を 中絶 せ し めら る る の運 命 に遭 遇 せ り。
で防 禦 の守 勢 に陥 り 、 又 は他 部 隊 の救 援 を希 ひ或 は妄 り に要 地 の占
力 を著 し く減 殺 せら れ た る為 其 の渡 河 と爾 後 の作 戦 に大 な る灘 飴 を
な り き。 況 ん や軍 の将 兵 は連 続 せ る作 戦殊 に猛 烈 果 敢 な る機 動 戦 に
領 を怠 り若 くは 其 の撤 退 を要 請 す る等 の不快 な る情 報 に接 す る こと
属 に復 帰 せし め た り。曩 に二 月中 旬 の兵 力 転用 に関 す る方 面軍 命 令
依っ て止 む を得 ず 小 官 は 之 を方 面 軍 司 令 官 に具 申 し 漸 く 之 を原 所
め ら れ ん こと を 切望 す る意 見 を具 申 す る に至 れ り 。
小官 に 対し て直 ち に第 二軍 への転属 を解 き 速 か に原 所 属 に復 帰 せ し
よ り敵 と誤 認 せら れ爆 撃 を蒙 り た り し を以 て其 の憤 憩 は 一層 増 大 し
た り 。加 之 此 の部 隊 が黄 河 々畔 よ り徐 州 方 面 に東 進 中 我 が飛 行 部隊
は らず 方面 軍 は 此 の処 置 に出 でた る為 将 兵 の憤 激 甚 だし き も のあ り
せ ら れ ざ る如 く 予 め 相互 の幕 僚 間 に於 て堅 く約 束 せ し所 な りし に拘
敵 前 渡 河 の為 絶 対 必 要 な る を以 て方 面軍 に於 て他 の目的 の為 に使 用
来 たす に至 りし は 当 然 の事 なり 。 而 も 此 の掩 護 部 隊 は第 十 四師 団 の
而 し て其 の原 因 は軍 隊 にあ らず し て統 帥 の拙 劣 にあ り と信 ず るも
屡 々な りき 。
のな り将 来 の為 に十 分 の研 究 を 必要 とす べし 。
二 一、 徐 州 会 戦 に 策 応
第 二軍 の十 二 月 下 旬 よ り開 始 せる濟 南 攻 略 は極 め て順 調 に経 過 し た る が如 き も逐 次 南 方 に戦 面 を拡 大す る に従 ひ第 五師 団 、第 百十 四 師 団 等 を逐 次 同 方 面 に増 加 せら れ 三月 下 旬 壷児 荘 附 近 に進出 せ る瀬 谷 、 坂本 両 支 隊 が敵 の反 撃 を蒙 り て後 退 す る に至 り てよ り俄 か に第
徐 州 会 戦 に当 り て は方 面 軍 司令 官 は其 の戦 闘 司 令所 を済 南 に進 め て
作 戦 の 必要 とは 之 を黙 視 す る こと能 はざ る に至 り し も のな り 。 但 し
意 見 を具 申 す る に至 れ るは 小官 の欲 せざ りし所 な る も部 隊 の実情 と
に 対 し て意 見 を開 示 し て其 の叱責 を蒙 り今 又同 一の事 項 に就 て再 度
く虞 れ多 し と 確 信 せ る を以 て小官 は之 等 参 謀 の兵 力 増 援 の献 策 を却
弥 縫 策 を講 ず ると も其 の効 果 甚 だ 少 く し て却っ て全 面 的 の不利 を招
ぐ而 し て軍 の使 用 し得 る余 力 は殆 ど皆 無 に近 く 之等 を以 て姑 息 な る
殆 ど杜 絶 し あ り て同 方 面 に派遣 せ る軍 参 謀 も 亦 切 り に救 援 の急 を告
団 への唯 一の補給 路 は敵 の為 根 本的 に破 壊 せら れ て糧 食 弾薬 の補 給
﹁貴 官 は 二十 九 日附 第 一軍 司令 官 を免 じ参謀 本 部 附 に補 せ ら る 云
を以 て
然 る に何 たる 不幸 ぞ五 月 二 十 九 日突 如 陸 軍 大 臣杉 山 大 将 よ り電 報
り。
を伝 達 せ し め 且軍 司 令 部 に於 て は此 の準 備 を な す ぺ き こ と を 命 ぜ
し軍 司 令 官 親 ら混 成旅 団 の 一部 を 率 ひ て此 の攻 勢 に参 加 す ぺ き意 図
け第 十 四師 団 方 面 に 対し て は極 力 攻撃 移 転 の機 を作 為 す る如 く努 力
作 戦 の指 導 に任 じ た る が故 に前 回 と は幾 分 其 の感 想 を異 にす る も の あ り しな ら んか。 徐 州 会 戦 に於 て は北 支 、中 支 両 方面 軍 司 令 官 親 ら馬 を陣頭 に進 め て南 北 両 方 面 よ り之 を包 囲 し其 の総 兵 力 六 ケ師 団以 上 に達 し て理想 的 の包 囲 態 勢 を成 形 せし が如 き も約 六 十 師 団 を算 せ る敵 は 巧 に此 の 包 囲 を脱 し て退却 し既 に五 月 十 一、 二 日頃 よ り逐 次隴 海 線 に依 り て
四面 よ り猛 烈 に包 囲攻 撃 し 師 団 は漸 次 苦 戦 に陥 る に至 れり 。敵 は重
西 方 に退 却 を開 始 しあ り し も のは 我 が第 十 四師 団 を蘭 封 附 近 に於 て
の あ りた り 。当 時 軍 は 新 郷 平 地 に於 て第 百 八師 団 を彰 徳 附 近 に混 成
を使 用 し て師 団 の翼 側 の拠 点 を蹂躙 す る等其 の行 動 甚 だ 活溌 な るも
此 の残体 を 以 て鋭 意 軍 全 面 の戦 勢 挽 回 に努 力 せ り。然 る に第 十 四 師
撃 を受 け 荘 然 自失 せ るは勿 論 な れど も 大 命 如何 と もす るに由 な く只
の通 報 に接 せ り。 此 の青 天 露靂 の命 令 を受 領 し て異 常 な る精 神 的 衝
々﹂
一旅 団 を有 す る のみ にし て京漢 沿線 方 面 は極 度 に兵 力 の不足 を感 じ
て戦 況 漸 次緩 解 の徴 を 呈 せ り。 依っ て小官 最 後 の命令 と し て第 十 四
団 方 面 に在 り て は第 十 六 師団 が帰 徳 よ り尉 氏方 面 に向 ふ前 進 に依 り
加 農 及 列 車 砲等 を使 用 し て蘭封 西北 方 の渡 河 点 を遮 断 し 多数 の戦 車
又 山 西南 部 の第 二十 師 団 方 面 に在 り ては 之 又再 び黄 河 を渡 過 せ る優
師 団 に直 ち に出 撃 を命 じ 次 で開 封 に向 ひ追 撃 せ しむ 。之 に依 り て俄
勢 な る敵 の攻撃 を受 け 曲 沃 附 近 に於 て極 め て逼 迫 せ る状 況 に陥 れり 。
然 戦 況 は 有利 に進 転 す る に至 れ り。 次 で第 二十 師 団 方面 に対 し ては
其 の補 給路 の開 放 に努 め漸 く愁 眉 を開 く を得 る に至 り 六月 四 日石 家
蘭 封 附 近 の第 十 四師 団 は既 に黄 河 を背 にし 半 円形 に戦 闘 正 面 を縮
荘 に於 て後 任 軍 司 令 官梅 津 中 将 と 交 代 せ り。 而 し て孤 影悄 然 と し て
先 づ 第 百 九師 団 の 一部 を次 で混 成 一旅 団 を之 に増 加 す る と共 に極 力
謀 長 及 作 戦 主任 参 謀 等 亦 切 り に 小官 に此 の決 心 を促 がす所 あ り。 又
せ る軍 参 謀 は速 か に之 に増 援 部 隊 を派 遣 す る の要 切な るを説 き軍 参
第 二十 師 団 は主 力 は 曲沃 附 近 に其 の 一部 は運 城 、河 津 等 に於 て優 勢
石家 荘軍 司 令 部 を去 る に至 れり 。 当時 の心 情 は 到底 口舌 筆 紙 の尽す
少 せ る背 水 の陣 を布 き て悲壮 の決 心 を 示 し あ る を以 て同 師団 に派 遣
な る敵 に 対 し或 は全 く包 囲 せら れ あり 。 而 も霊 石 附 近 に て第 二十 師
﹁ル ーデ ンド ル フ﹂ は大 戦 当 初 及其 の末 期 に於 て共 に此 の両 略 の運
の勝 利 を獲 得 し 独 の宰 相 ﹁ぺ ート マ ン ・ホ ル ウ エ ビ﹂ 及 総 参 謀 長
知 悉 せざ る所 にし て従 って鼓 に之 を論 ず る の資格 を 有 せ ざ る も、事
今 次事 変 に於 け る我 が国 の政 戦 両略 の運 用 に就 ては 固 よ り小 官 の
用 を誤 り て遂 に戦 敗 の因 を為 し た る も の の如 し 。
能 は ざ る所 、只 黄 河 々畔 に至 り て此 の残体 を馬革 に表 む 能 は ざ り し
感
を千 載 の恨 とす る のみ。
二 二、 所
変 当 初 に於 け る陸 軍 大 臣 の支 那 駐 屯 軍 司令 官 に 対す る指 示及 九月 以
れば 時 と し て は政 略 が戦 略 を拘 束 し 時 に及 ん で は戦 略 が政略 上 の構
降 に於 け る北 支 那 方 面 軍 司令 官 の第 一軍 に対す る作 戦 に就 て之 を観
一、 政 略 と戦 略 政 略 は国 家国 民 の建 設維 持 の作 用 にし て穏 健 、妥 当 の性 質 を有 す
らず 。陸 軍 大臣 杉 山 大 将 は 昭和 十 二年 十 二 月末 北平 に方 面 軍 司令 官
想 を 破壊 し つ つあ る に非 ざ る や の疑 を 生 ぜ し め た る こと 一再 に留 ま
る も のな るに反 し て戦 略 は其 の破 壊 掃 滅 の手 段 を謂 ひ性 質 は惨 忍 無 道 な る を常 と す 。然 る に 一独 立国 家 の他 国 に 対す る政策 に於 ては 此
寺 内 大 将 を訪 問 し て数 日間 の滞 在 をな し 翌 十 三年 四月 再 び北 平 に来
の両 略 の相 互 関聯 作 用 を行使 す る を必 要 と す る も の にし て両 国 平 和 の維 持 に関 す る 外交 政 策 上 に破 綻 を来 たす に至 れば 止 む を得 ず 戦 争
り其 の序 を 以 て石 家 荘 に軍 司令 部 を訪 問 せる際 小官 に対 し て
せ るも未 だ其 の態 度 を 決 す る に至 らず 。 以前 は陸 軍 省 の態度 は軟
﹁是 非徐 州会 戦 は之 を 断 行す ぺき な り と考 へ極 力 参 謀 本部 を説 得
の破 壊 的 行 為 によ り て之 を解決 す る に至 り 、更 め て平 和建 設 の外 交
弱 なり し も昨 今 は反 対 に参 謀 本 部 の態 度頗 る軟 弱 にし て事 変 当初
政策 に移 行 す 、而 し て此 の対蹠 的性 格 を有 す る政 戦 両 略 の関 聯 移 行 は 一国 の政 策 遂 行 上 の最 大 の難 関 とす る所 にし て、 二十年 前 の世 界
と は全 く 反 対 な り。 云 々。 ﹂
と語 れ るを 聞 き て陸 軍 大 臣 即 ち政 府 の戦 時 政 策 の中 心 人 物 が事 変 に
大戦 に於 て交 戦各 国就 中 独 、英 、仏 、米 等 の諸 国 が等 し く大 な る苦
く は戦 略 が政略 の境 界 を冒 し て侵 入 し つつ相 互 に其 の固有 の性 格 を
も依 然 と し て用 兵 作 戦 に容喙 し あ る こと を知 り寒 心 を禁 ぜ ざ り し所
当 り て確 乎 不動 の政 策 を有 せず し て中途 に於 て其 の方 針 を 変 更 し而
汁 を嘗 め た る所 な り。 即 ち動 も す れば 政 略 が戦 略 の分 野 に移 行 し 若
の鶴 的 の性 格 に堕 し為 に 一貫 せ る不 動 の国策 を遂 行 す る能 はざ る に
き感 を懐 かし む る も の あ れど も 、此 の両 略 は根 本的 に性 格 を 異 にす
て恰 も政 略 と戦 略 が 一体 な る か乃 至 は協 同 融合 を本 旨 とす る か の如
世 に或 は政 略 戦 争 と 称 へ又 は現 代 の戦 争 は 国 家総 力 戦 な り と称 へ
な り。
固 執 し て相 剋 反 発 を生 じ若 く は各 ζ其 の固 有 の性 格 を喪 失 し て 一種
至 る の虞 大 な るも のな り。
此 の政 戦 両 略 の特 性 を遺 憾 な く発 揮 せし め て 以 て か の独逸 の強 大 を
る こと前述 の如 く にし て 一貫 せ る政 策 の延 長 内 に於 て為 し 得 る 限 り
鉄 血 宰 相 と し て最 も有 名 な り し ﹁ビ ス マルク﹂ は 政 策遂 行 上 常 に
の ﹁ロイド ・ジ ョー ヂ﹂ も亦 大戦 中 期 以 後 に於 て は之 に倣 ひ て終 局
為 し た る も のな り と聞 く 。世 界 大 戦 に於 て仏 の ﹁ク レ マンソ !﹂ 英
く は 共 の成 果 を減 殺 す る が如 き こと あ ら ん か遂 に二 兎 追う て 一兎 を
る 如 く最 大 の努 力 を傾 注 せざ る べ か らず 。苟 も 其 の施 策 を阻 害 し 若
の時 期 は所 謂 国家 の総 力 を 尽 し て成 る べ く速 か に其 の目 的 を達 成 す
て政 略 、戦 略 、 政 略 を 夫 々 の主 体 と せざ る可 ら ず 。 而 し て戦 略 施 策
截 然 と 其 の時 期 を区 別 し 外交 政 策 、鉄 血 政 策 、 平 和 政策 の各 期 に於
能 と勇 気 と を 作 戦 に傾 注 す る を得 たり 。
に至 る や初 め て軍・ 人 と し て蘇 生 せ る が如 き 感 を懐 き て爾 後 渾 身 の知
り 。九 月 上 旬 方 面 軍 司令 部 天 津 に到 着 し て此 の任務 を解 除 せら る る
作 戦 の準 備 及 之 が指 導 に関 し て常 に綽 々 の余 裕 を 存 せざ る を恨 み た
項 を も統 轄 し て冷 汗 背 を 潤す の感 を禁 ず る を得 ざ る のみ か 、爾 後 の
れ ど も容 れ ら れず し て甚 だ繁 雑 な る而 も全 く 自 信 を有 せざ る行 政 事
に属 せし め ら れ た る幾 十 万 の陛 下 の赤 子 の生 殺 与奪 に関 す る極 め て
畏 く も勅 命 によ る戦 闘序 列 に依 り て鷹 下
令 部 が政 ・戦 両 略 の施 策 を併 せ行 ふ こと は 適 当 な らざ る が如 く 殊 に
重大 な る責 任 を有 す る も のにし て啻 に戦 闘 の勝敗 、 一身 の存 亡 に関
而 し て作 戦 の事 た る や
得 ざ る に至 る べき を 信ず 。
戦 時 に在 り て は甚 だ不都 合 な り と謂 ふ を揮 らず 。 小官 は支 那 駐 屯 軍
な り。 故 に小 官 は身 魂 を傾 け尽 し て簿 謀 計 画 の最 善 と命 令 の適 正 に
す る に停 ま らず 真 に皇 威 の宣 揚 、 国 家 の盛 衰 に関 は る重 大 な る問 題
此 の見 地 に基 く時 は 戦 時 に於 ては勿 論 平 時 に在 り ても 上級 の軍 司
司 令 部 に於 て之 を確 認 し 北支 方 面 軍 司 令 部 に就 て其 の害 を窺 知 す る ︹元来 力︺
を得 た り 曰 く ﹁作 戦 ば 元 戦, 争 遂 行 の為 最 も 重 要 な る 手段 た る を以 て
の発 揚 、 給 養 の適 正 、補 給 の円 滑 、 医 薬 治 療 の完 備 等 に対 し て万 全
の注 意 を 怠 ら ず し て而 も常 に最 少 の犠 牲 を払 ひ て最 大 の戦 果 を獲 得
し て些 宋 の欠 陥 な か ら ん こと に努 む ると 共 に部 下 将 兵 の愛 護 、士 気
せ ん こと を念 願 し 軍幕 僚 は勿 論 部 下 全 将 兵 の知能 と努 力 と を 之 に集
啻に政 略 上 の利 便 に随 従す べ か らざ る のみ な らず 其 の実 施 に至 り て
の律 す る所 にし て其 の直 属 の高 級 指 揮 官 は能 く之 が 方針 を体 し て事
中 せし め たり 。 小 官 は末 だ嘗 て陣 中 一日 の偸 安 を貧 り た る こと な き
は金 然 独 立 不 轟 な るを要 す。 抑 々此 の政 ・戦 両 略 の関 係 は最 高 統 帥
のとす 。﹂
る あ る の み。 他 を顧 る こと を許 さ れざ るな り 。 小官 が北 平 周 辺 に於
故 に作 戦 軍 は 上 下 一致 し鉄 石 の団 結 を以 て 一意 敵 に向っ て突 進 す
に在 り ﹂
而 し て戦 闘 一般 の目 的 は敵 を圧 倒殱 滅 し て迅速 に戦 捷 を獲 得 す る
長 飯 田少 将 が小 官 に報 告 せ る こと あ り 。
之 を関 知 せず し て下 山 大佐 の独 断 専 行 に出 で たる も のな り と軍 参 謀
司 令 官 の命 令 及 之 に関 聯 せ る往 復 電 報 等 も 軍 司 傘官 寺 内 大 将 は 毫 も
討 伐 の為 第 一軍 よ り歩 兵 二 大隊 砲 兵 一中 隊 を後 退 せ し む べ き方 面 軍
め た り。 現 に 二月 十 四 日 河北戡 定 戦 の開 始 直 後 に阜 平 附 近 の共 産 匪
が如 く 作 戦 上 の諸問 題 は為 に幾 分 閑 却 せら れ たる に あ る や を疑 は し
然 る に方 面 軍 司令 部 に於 て は繁 多 な る行 政 上 の問 題 常 に山 積 せ る
を当 然 な りと は 云 へ心中竊 に誇 り と せ る所 な り き。
に従 ふ べく 爾 他 の指揮 官 に在 り ては 専 念 作戦 の遂 行 に努 力 す べき も
二 、作 戦 指 導 と行 政 の分 離
て宋 哲 元 軍 を 撃 破 し た る直 後 平 津 地 方 に軍政 を布 き速 か に軍 政官 を
﹁ 軍 の主 とす る所 は戦 闘 な り故 に百 事 皆 戦 闘 を 以 て基 準 と す べ し
任 命 せら れ ん こと を陸 軍 大 臣 に具 申 し た る所 以 実 に鼓 に存 せり 。 然
斯 の如 く し て作 戦 に関 す る重 要 な る命 令 が或 は時 機 を失 し或 は現
な る場 合 と錐 も作 戦 の根 本 目的 を逸 す る が 即 き こ と あ る ぺ か ら ず﹂
然 れ ど も未 だ嘗 て方 面 軍 作戦 計 画 又 は会 戦 計 画 等 を 接手 し た る こ
之 に依 り て軍 の威 力 は其 の最 大 限度 に発 揮 せ し めら る るを得 ぺし 。
況 に 即 せず 乃 至 は 其 の実 行 上 に大 な る困 難 を来 才等 の不 都合 を 生ず
と な く軍 は屡ゝ 方面 軍 作 戦 計 画或 は会 戦 計 画 の交 付 を 求 め た る こと
る に至 り た る に あら ざ る か 、之 等 の事 例 は 方 面 軍命 令 到 達 時 に於 け
攻 略 戦 の後 第 二十 師 団 を平 漢 線 方 面 に転 用 す る に決 し て軍 は 師 団主
あ れ ど も多 く は時 々の作 戦 命 令 に依 り て其 の方針 を指 示 せ るに過 ぎ
小官 の軍 に於 て は終 始 此 の原 則 に基 き て之 等 計 画 の策 定 に遺 憾 なき
力 に転進 準 備 を 命 じ其 の 一部 は既 に転 進 を開 始 せ る後 同 師 団 を太原
画 等 を方 面 軍 司令 官 に提 出 報 告 し あ る に拘 らず 作 戦 間 常 に軍 と 方面
ず 。 而 し て 軍 に於 て は各 会 戦 毎 に予 め策 定 せ る作 戦 計 画或 は攻 撃 計
を 期 し隷 下各 兵 団 亦 之 に基 き て夫 々各 兵 団 の行 動 を律 す ぺ き計 画 を
平 地 に残 置 す べ き 方 面 軍命 令 に接 し た る如 き 、 其 の他 方 面 軍 命 令 の
軍 と の間 に於 て屡 次 の葛 藤 を 生起 せ し は最 も遺 憾 と せ る所 な り き。
る軍 作 戦 の状 況 の対 比研 究 す る こと に依 り て之 を立 証 し 得 るも の砂
為 軍 の作 戦 指 導 が混 乱 せ ら れ た る場 合 決 し て砂 し と せざ る なり 。 曰
方 面 軍 は 第 一軍 を平 漢 沿 線 地 区 の作戦 に専 任 せ し め あ る が故 に特 に
樹 立 し て作 戦 を遂 行 せ り。
﹁ 高 級 指 揮 官 は 作 戦 指 導 に 方 り常 に身 を細 務 の外 に置 き 心 を籌 画
方 面 軍作 戦 計 画 を策 定 す る の要 な し と す れ ば確 に ︼理 あり て存 す 。
か らず 。 即 ち 石 家 荘〓沱 泊 河右 岸 に於 け る敵陣 地 の攻 撃 命 令 は 十 月 四
竝に大 局 の指 導 に専 ら な ら し めざ る可 らず 之 が為 幕 僚 を信 任 し て
日下 達 の軍命 令 に後 る る こと 二 日 、乃 ち十 月 六 日 に下 達 せら れ太 原
く
其 の局 に当 ら し め幕 僚 は指 揮 官 と 一体 同 心 と な り て融 和 結 合 し其
然 れど も〓 州 、保 定会 戦 に於 ては 第 五師 団 及第 十 六師 団 を之 に策 応
せし めん と し 、石 家 荘 会 戦 に在 り て は第 二 軍 と協 同 作 戦 を 行 は し め
の職 務 に殉 ず ぺ き も のとす ﹂ と 、若 し行 政 が作 戦 を疎 か にす る こ と あ りと せ ば之 は重 大 な る過 失
太 原 攻 略 戦 に於 て は俄 か に之 を 第 一軍 の任務 と な し徐 州 会 戦 に於 て
は 軍 の占 領 地粛 清 戦 を中 絶 し て軍 の約 半 部 を第 二軍 方 面 に転 用 又 は
策 応 せし む る等 方 面 軍 の絶 えず 軍 の作 戦 に干 与 し た る に拘 らず 、 そ
な り。
作 戦 に方 り ては 事 前 に適 正 な る情 況 判 断 を行 ひ之 に基 き て作 戦 の
れ に関 す る作戦 計 画 を 予 め樹 立 せざ り し と せ ぱ 、之 れ軍 統 帥 上 の重
三 、 作戦 計 画 及 作 戦 命 令
計 画 を樹 立 す る の要 は喋 々を要 せず 。 之 に依 り て始 め て各 級 指 揮官
大 な る過 失 にあ ら ざ る か 。
に於 て は其 の情 況 に適 合 し厳 格 にし て而 か も部 下 を 愛 す る の情 味 を
る の決 意 を明 確 適 切な る 字句 を 以 て之 を表 示 し 受 令 者 に与 ふ る任 務
作 戦 に関 す る命 令 は発 令 者 の真 剣 にし て其 の部下 と運 命 を共 にす
の方針 を 一貫 し 其 の最 大 の努 力 を同 一目 的 に集 注 せし む る こと を得
﹁ 会 戦 指 導 の方 針 一度 確 立 せば 妄 り に情 況 の変 化 に眩 惑 せら る る
る も のな り。 而 し て
こと な く 明快 な る判 断 、堅 確 な る意 志 を以 て之 が遂 行 を 図 り如何
ず 。之 れ我 が典 範 令 が命 令 の作 為 、 下 達 に関 し て諄 々とし て説 示 し
含 み之 をし て欣 然 と し て死 地 に就 か し む る が如 き も のな ら ざ る可 ら
に部 下 をし て多 く 言 は し め多 く行 はし め 其 の可 な り とす るも のは 必
と は 小官 の信 念 にし て作戦 指 導 に於 ても常 に此 の 心 を以 てせ り。 故
ら ざ る所 を補 ふ の利 益 に停 ま らず し て作 戦 上 最も 緊要 な る軍 の上 下
左右 の精神 的 団 結を鞏 固 な ら し む る為稗 益 す る所 甚 大 な り と信 じた
ず 之 を採 り て作 戦 の准 展 に利 す る ことと せ り 。之 れ只 単 に自 ら の足
れ ば な り。 現 に軍 司 令 部内 は 勿論 軍内 各 兵 団 各 部 隊 と の円満 協 調 は
に対 し端 摩 臆 測 を為 し若 く は之 が実 行 に方 り て意 見 を具 申 す る が如 き こと あ り とす れば 之 は受 令 者 の罪 にあ らず し て発 令 者 の責 な り と
殆 ど完 全 に近 く 維 持 せら れ た る も のと自 負 せ る程 な り 。
あ る所 以 な り とす 。苟 も 受 令 者 を し て命令 に就 て疑 義 を挾 み或 は 之
す る を至 当 とす 。 況 んや 受 令 者 の性 質 と 識 量 を 無視 し て其 の権 威 を
す と し て 、軍 司令 官 を侮 蔑 し 又 は同 会 戦 に於 て第 二 軍 と の間 に作 戦
の時 日 に就 て異 論 を 唱 へ且敵 を 敗走 退避 せし めざ る に違 算 なき を 要
し のみ 。石 家 荘 の攻 撃 に於 て は第 一軍 は 適 宜 攻撃 開始 を命 じ て後 其
に不利 を来 す に至 り た る事 例 は 甚 だ 多 き が如 く 観 察 せ ら る。 之 れ恐
て其 の後形 態 を変 じ て実 施 せら れ た る も の或 は実 現 せ ら れざ る が為
の章 見 具申 が其 の時 々正 当 に受 理 活 用 せ ら れ た る事 実 は 甚 だ少 く し
及幕 僚 に対す る意 見 具 申 等 其 の数決 し て砂 しと せず 。然 れ ど も之 等
大臣 に 対す る意 見 の開 陳 、 第 一軍 司 令官 及 同 幕 僚 より 方 面軍 司 令 官
る に努 め た り 。即 ち 事 変 当 初 に於 け る支 那 駐 屯 軍 司 令 官 と し て陸 軍
戦 を利 し政 策 に利 あ りと 確 信 す る事 項 に関 し ては 其 の意 見 を開 陳 す
故 に 上級 官 衙 及 方 面 軍 に対 し ても 小官 は勿 論 軍 幕僚 を し て苟 も 作
傷 つけ若 く は妄 り に受 令 者 の職 域 に侵 入 し て其 の行 動 を掣 肘 し て或 は 之 を拘 束 す る が如 き は厳 に戒 めざ る可 ら ざ る こと に属 す べし 。 此 の点 に関 し 方面 軍 よ り受 領 せ る命 令 中 には遺 憾 の点 な し と せず 。
地 境 の劃 定 な く 第 二 軍 は石 家 荘及 内邱 に突 進 す る命 令 を下 達 し た る
例 へば〓 州 保 定 会 戦 に関 す る命 令 には 保定 に対す る攻 撃 準 備 を命 ぜ
為 将 に友 軍相 撃 の悲 劇 を 演出 せ し め ん と せ る等絶 えず 此 の種 の命 令
ら く は 上級 官 衙 及 司 令 部 の独 善 思 想 の反 映 な る に あら ざ る か 。
回 、 陸 軍 次官 、政 務 次 官 、 参 与 官 は 固 よ り陸 軍 省 各 局 課 長 課員 等 の
小 官 の事 変 地勤 務 一ケ年 間 に陸 軍 大 臣杉 山 大 将 の旅 行 せ る こと 二
に関 す る相 互 の幕 僚 間 の紛争 を 醸 す に至 れ り。
﹁方 面 軍 は第 一軍 司 令 官 を下 士 官 以 下 と 心 得 ら るる や 。否 現 在 の
視 察員 踵 を接 し て来 た り。 之 等 高 官 の多 く は優 秀 な る専 用 飛行 機 に
小官 の幕 僚 た りし 矢 野 大 佐 が方 面 軍 司令 官 寺内 大将 に対 し て
依 り て数 日 又 は十 数 日 に亙 り縦 横 に作戦 地後 方 を旅 行 す るを例 と せ
り 。然 る に軍 に於 て は作 戦 上 の緊 急 の用 途 に於 て さ へ飛行 機 の用 途
方面 軍 の作 戦 指 導 の状 態 な れ ば軍 司令 官 は 上等 兵 に ても 可 な る べ
は 極度 に制 限 せ ら れ而 も ﹁モ式﹂ 又 は ﹁ス式 ﹂ 等 の劣 悪 な る も のを
し﹂ と 訴 へた る由 寺 内 大 将 が小官 に語 り た る言 な り。
其 の他 前 線 将 兵 が未 だ 冬 服 の補給 さ へ十 分 なら ざ る酷 寒 期 に於 て之
供 せ ら れ し如 き実 情 に於 て斯 の如 き横 暴 を逞 し う す る を常 と せ り。
四、 上 級 官 衙 及 司令 部 の独 善 思 想 ﹁普 く衆 知 を聚 め群 力 を 展 ベ 以 て皇 国 二 千 六百 年 の危 局 に当 ら む とす ﹂
論 ぜず 上 下 を問 はず戮 力協 心真 に全 軍 一体 の実 を挙 げ始 め て作 戦 の
協 同 一致 は作 戦 の目的 を達 す る為 最 も 緊 要 な る 一事 なり 。 兵 種 を
事
人 作 戦 地 に於 て士 卒 と艱苦 を共 に し つ つあ るも のを し て顰蹙 せし め
五、人
た る事 例 甚 だ 多 し 。而 し て之 等 無 知 な る者 の多 く は其 の態 度 横 柄 に
の中 枢 に し て又 其 の団結 の核 心 を為 す 。 故 に特 に戦 時 に於 て軍 隊 の
偉 大 な る成 果 を 期 し 得 る も のと す 。 而 し て各 級 の指 揮 官 は 軍 隊 指揮
等 の旅 行 者 は 総 べ て完 全 な る官 用 防 寒 被 服 を 纏 ひて出 張 す る等 、吾
し て倨 傲 不遜 恰 も検 察官 又 は検 非 違 使 の如 き 感 を起 さ し む る を普 通
る所 な り 。蓋 し 軍 の主 とす る所 は戦 闘 にし て凡 百 の事 皆 此 の戦 闘 を
指 揮 官 た る将 校 の人 事取 扱 の重 点 を茲 に置 く べ き こと は論 を俟 た ざ
と せり 。而 も交 通 不 便 な る第 一線 兵 団 又 は作 戦 中 の部 隊 の実 情 の視 察 の如 き は悉 く之 を避 け るを例 と せ り。 何 の益 す る所 が之 あ ら ん や。
以 て基 準 と せざ るべ か らざ れば な り。
方 面 軍 司令 部 に属 す る者 の動 作 及態 度 等 も殆 ど 之 に 近 く 、方 面 軍
斯 る が故 に小 官 は陸 軍省 及参 謀 本 部 等 の出 張 者 に し て人 事 に関 係
が戦 闘 司 令 所 を 設 け た るは 只徐 州 会戦 に於 て若 干 日間 濟 南 に移 動 し た る の み。 其 の他 は天 津 及 北 平 に位 置 し会 戦 間 参 謀長 は 固 よ り参 謀
以 上 の現実 勤 務 に服 し 居 るも のな る こと を十 分 に老 慮 し て 予後 備 役
揮の良否 に置 く べき こと 、 及 び戦 地 の勤 務 に服 す る者 は総 べ て現 役
者 を し て現 役 者 以下 に差 別 待遇 す る の絶 対不 適 当 な る所 以 を説 得 す
を有 す る者 に絶 えず 之 を 強 調 し て 人物 査 定 の基 準 を軍 隊 の統 率 と指
只 河北戡 定 戦 に際 し て閑 院 宮 春 仁 王 殿 下 が方 面 軍 参 謀 の御 資 格 に
るを 常 と せ り。 又 団 隊 長 の更 迭 の如 き は出 来 得 る限 り之 を避 け、 為
と難 も第 一線 兵 団 は無 論 軍 司 令 部 にさ へも差 遣 せら れ た る こと 稀 な
て 二 週間 の長 き に亙 り第 一軍 戦 闘 司 令 所 に起 居 あら せ ら れ 此 の間順
し 得 れ ば全 戦 役 間 各 部 隊 を 同 一部 隊長 の下 に留 まら し む る如 く す る
りき。
を親 しく 視 察 せ ら れ軍 将 兵 一同 を 感 泣 せ し め ら れ た る御 事 実 あ る の
徳 に第 十 六 師 団 司令 部 を、 又 占 領 直後 の清 化 鎮 に第 十 四師 団 司 令部
み。
私 閥 、風 評 、私 見 等 に基 く 偏狭 な る思 想 に依 り て怪奇 な る任 免黜陟
の取扱 の規 範 を脱 せず し て戦 績 の如 何 さ へ全 く 問 題 外視 し依 然 学 閥
を 有 利 と す る旨 を強 調 せ り 。然 れ ど も事 実 は全 く 平 時 に於 け る人 事
次 、石 家 荘 等 の師 団 及軍 司 令 部 を訪 問 せ る事 は徒 ら に師 団 及 軍 司令
を行 ひ予 後 備 役 者 に対 し て は極 端 な る差 別 待 遇 を な し て甚 だし き 人
然 も方 面 軍 参 謀 長 が恰 も方 面 軍 司 令 官 の如 き態 度 を以 て太 原 、楡
部 将 校 の反 感 を 助長 し 三月 二十 一日軍 が尚 ほ占 領 地粛 清 の作 戦 を実
の秩 序 は為 に素 乱 し 作戦 軍 の戦 力 為 に大 い に低 下 せ り とな す の言 、
(昭和 十 五年 二 月 )
事 の混 乱 と無 秩 序 の状 態 を 生 ぜ し め た る が如 く 観察 せ ら る。 軍 全 般
終
行 中 に於 て参 謀長 会議 を北 京 に招 集 し て第 一軍 の命 令 遵 奉 の誠 意 を
支那事変回想録摘記
誣 妄 な れば 幸 な り 。
非 難 し た る事 実 の如 き は明 か に方 面軍 司 令 部 の独 善 思 想 を 明 示 し た る も のに外 な らず 。陸 軍 中 央 部 が其 の真 相 をす ら明 かに せず し て誤 り た る処 理 を な せ る が如 き は自 ら も亦完 全 に此 の独善 の泥 田 に陥 没 し た るも のと謂 ふ べき か 。
編者略歴 小林 龍 夫
<こば や し ・た っ お>1916年
三 重 県 に 生 れ る.東
京 大 学 法 学 部 卒業 ・ 元 国学 院 大学 教 授 . 著 書 『太 平 洋 戦 争 へ の道 』(朝 日新 聞 社,共 著)ほ か ・ 稲 葉 正 夫 くい な ば ・ま さ お〉(1908-1973)陸 軍 大学 校 卒 業. 元 防 衛庁編簒 官 .著 書 『太 平 洋 戦 争 へ の 道』(朝 日 新 聞 社,共
著).編
著 『敗 戦 の記 録 』(原 書 房)ほ
か・
島 田 俊 彦 くし まだ .と し ひ こ>(1908-1975)東 京大学 文 学 部 卒 業 . 元 武 蔵 大 学 教 授.著 書 『関 東 軍 』(中 公 新 書) 『満 州 事 変(近 代 の戦 争)』(人 物 往 来 社)『 昭 和 の激 流(日 本 歴 史 全 集)』(講 談 社)ほ 臼 井 勝 美<う
か・
す い ・か つ み>1924年
栃 木 県 に 生 れ る. 京 都
大学 文 学 部 卒業 ・ 現 在 桜 美林 大学 教授.編 著書 『日本 外 交 年 表竝 主 要 文書 上 下 』(外 務 省)『 日中 戦争 』(中 公 新 書) 『日 中外 交 史 一 北伐 の 時 代 』(塙書 房)『 日本 と 中国 一 大 正 時 代 』(原 省 房)ほ
か.
現代史資料12
日中戦 争4 小林龍夫 稲葉正夫 島 田俊彦 臼井勝美 解説
1965年12月15日 1991年7月25日
第1刷 第6刷
発行 発行
発行者 小熊勇次 発行 所 株 式会 社 み す ず 書 房 〒113東 京 都 文京 区本 郷3丁 電 話3814-0131(営
業)3815-9181(本
本 文 印 刷所 精 興社 扉 ・口絵 ・函 印刷 所 粟 田印刷 製 本 所 鈴 木 製 本所
〓 1965
Misuzu
Printed
目17-15
社)振 替 東 京0-195132
Shobo
in Japan
落 丁 ・乱 丁 本はお 取 替 えい た します