島根 県 日原 町 国有 林 。 大 き な木 が 多 い。( 昭 和30年)
鹿 児 島県 大 口市 国有 林 の林 種 転 換 すす む 。広 葉 樹 か ら杉 へ 。 昭 和35年)
(
大 口市 木 地 山。 国 有 林 ...
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島根 県 日原 町 国有 林 。 大 き な木 が 多 い。( 昭 和30年)
鹿 児 島県 大 口市 国有 林 の林 種 転 換 すす む 。広 葉 樹 か ら杉 へ 。 昭 和35年)
(
大 口市 木 地 山。 国 有 林 に囲 まれ て い る。( 昭 和35年)
青森県下北郡川内町湯の川。国有林の 中の温泉。(昭和38年)
青森 県 下北 郡佐 井 村 。 野平 の 国 有林 あ とに入 植 した 開拓 部 落 。 昭和38年) (
岡 山県 加 茂 川 町 円城 。 国有 林 の払 下 げ を うけ て炭 焼 を す る。 昭和27年)
(
秋田県上小阿仁営林署貯木場。(昭和31年)
青森県下北郡川内町の森林軌道。(昭和38年)
山村 と国有 林 目 次
一 調 査 地 の概 況 九
1 はじ めに 九 2 調査地と調査者 一 〇
3 調査地概観 一 二
4 地形的 に見た三類型 二 〇
二 集 落 の成 立 と 土 地利 用 二 二
1 集落 の沿革 二 二 2 農業 の村 三 三
3 林業 の村 四 七
三 旧藩 時 代 の林 政 五 〇
四 国有 林 の成 立 六 四
五 公有 林 の成 立 八一
六 民 有 林 の成 立 九 七
1 共有林 九 七 2 私有林 一 〇 五
七 人 口 の変 遷 一一 三
八 生産 構 造 と そ の発 展 一一 六
1 林業村と農業村 一一 六
2 経営 の発展︱︱三 つの型 一 二二 3 兼業 の位置 一 三 七
4 開拓地 一 四一
九 単位 生産 力 一 五 〇
一〇 交 通 の発 達 と 林業 一 六 六
一一 農 家 の林 野 利 用 一 七二
1 燃 料 一 七二
2 採 草 一 七五
一二 林 政 の確 立 一 八一
1 地元慣行権 の確 立 一 八一
2 林木払下げ 一 九 六 3 国有林直営 の展開 二 〇一
一三 国 有 林 経営 二一 三
務 二 二 六
1 直営事業 二一 三 2 労
二 四〇
3 労賃 と労働組織 二 三一 4 製 炭
5 林 道 二 四 六
一四 民有 林 経 営 二四 八
1 公有林 二 四八
2 私有林 二 五 三
一五 山村 を 安 定 せし む るも の 二 五 八
1 入村者 ・離村者 二 五八
2 預貯金 二 六六
び
三二 二
一六 国有 林 と地 元民 の生 活 二 六九 一七 結
あとがき 三二 九
山 村 と国 有林
一
め に
調 査 地 の概 況
1 は じ
昭 和 二七年 度 よ り 二八年 度 にか け て行 な わ れ た林 野庁 調 査課 の企 画 し た国有 林 地 元 利 用 実態 調
の 一文 は、 報 告書 に も とづ い て 一応 のと り ま と めを し た も ので あり 、特 に国有 林 の成 立、 経営 、
査 は、 次 の よう な 、全 国 二七 の町村 を対 象 と し て行 な わ れ 、 そ れぞ れそ の報 告 書 が完 成 し た 。 こ
地 元民 と の諸 関 係 を 歴史 的 展 開 の面 か ら見 よ う とし た。 そ し て 現状 の中 にあ る いろ いろ の問 題 を 歴 史的 な 必然 と し てと ら え て見 た いと 思 う 。
そ のと ら え方 とし て国有 林 を め ぐ るも ろも ろ の制 度 と、 山 間 への貨 幣 浸 透 と資 本 主義 的 な経 済
く な い。 時 に は ま た反 対 の立 場 を と った こ とも あ る。
機 構 への移 行 のた め に果 し た 国有 林 の役 割 を 、 でき るだ け具 体 的 に見 て行 こ う と した 。 し かし 、 分析 が十 分 でな く 、 か つ報 告 者 の主 旨 と す る と こ ろを 十 分 把 握 し て いな い場 合 も少 な
得 た結 論 を も って全 体 の結 論 とす るこ と が で き難 い場 合 が あ った から であ る 。
こ れは 問 題 を 日本 の山村 全 体 の姿 の歴史 的 な流 れ の上 にお いて見 よう と し た た め に 、 一カ所 で
ま た文 章 の記 述 に あ た って は でき る だ け報 告 書 の原 文 を そ のま ま の せる よ う に し て、 客 観 性 を
失 な わ な いよう にし 、 各 地 の特 殊 性 を も 明 ら か に し た い と思 った 。
同時 に私 は、 こ の調 査 さ れ た町 村 のう ち 一四 カ町 村 は そ の地 を見 る機 会 を 持 ち 、 六 カ町 村 は隣
村 ま で行 った こと が あ って 、 そ れら の土 地 を頭 に思 いう か べ つ つ筆 を す す め た。 私 が そ の村 の自
然 景観 を全 然 頭 に描 き得 な い のは朝 日 、高 崎 、宮 崎 、 荒 海 、 沢 山 、箒 根 、山 野 であ る 。 こ れら を
け た印 象 と やや 違 った も のも あ った 。 そ う し た場 合 、 私 の主観 が多 少 は い って い った かと 思 う 。
除 いて は 、報 告 書 も あ る種 の実 感 を も ってよ む こ と が でき た 。 し か し報 告 の記 述 の中 に は私 のう
2 調 査 地 と 調 査 者
1 北海 道 上川 郡 朝 日村︵現 、朝 日町︶ 東 京 教育 大学 農 学 部 林 政 学 教 室 山本 光 昭 和 二八年 七 月 2 北海 道 山 越 郡 長 万 部 町 運輸 調 査 局 池 田博 行 昭 和 二九年 二月
3青 森 県 北 津 軽 郡 内 潟村︵現 、中 里 町︶ 農 林 統 計 協 会 村 上保 男 昭 和 二八年一二 月
4岩 手県 二戸 郡 田山村︵現 、安 代 町︶ 日本 農 業 研 究 所 西村 甲 一 昭 和 二八年 八月
5岩 手 県 上閉 伊 郡 土 淵村︵現 、遠 野 市︶ 国 民 経 済研 究 協 会 栗 原東 洋 昭 和 二 八年 八月 6岩 手 県 紫 波 郡 煙 山村︵現 、矢 巾 村︶ 国 民 経 済 研 究 協会 栗 原 東 洋
7秋 田県 北 秋 田 郡 早 口町︵現 、田代 町︶ 東 京 大 学農 学 部 林 政 学 教 室 島 田 錦蔵 昭 和 二八年 八月
森 林 資 源 総 合対 策 協 議 会 満 田 龍彦 昭 和 二 八年 一月
8 山形 県 最 上郡 東 小 国村︵現 、最 上 町︶ 総 合 農 業調 査 会 稲 葉 泰 三 昭和 二八年 八月
9山形県 北村山郡高崎村︵現、 東野市︶ 山形県国有林野経営協議会 岸英次 昭和 二八年 一〇月
1宮 0城県加美郡宮崎村︵ 現、 宮崎市︶ 農林統計協会 恩田芳彦 昭和 二八年 八月
11福島県伊達郡茂庭村︵ 現、 飯坂 町︶ 東 京大学農学部林政学教 室 島 田錦蔵 昭和 二七年 一二月
12福島県 南会津郡荒海村︵ 現、田島町︶ 宇 都宮 大学農学部林政学教室 大崎 六郎 昭和 二八年 一〇月 13茨城県東茨 城郡沢山村︵ 現、 桂村︶ 農 林統計協会 村上保男 昭和 二八年三月
14栃木県 塩谷郡箒根村︵ 現、 塩原町︶ 宇都宮大学農学部林政学教室 大崎 六郎 昭和 二八年 一月
15群馬郡吾妻 郡沢 田村︵ 現、 中之条町︶ 農林省林野庁調査課 小田許久 昭和 二七年 一〇月 16静岡県駿東 郡富 士岡村︵現、 御 殿場市︶ 農林統計協会 恩田芳彦 昭和 二八年 六月
17長野県上水内郡富 士里村︵ 現、 信濃 町︶ 信 州大学農学部 太 田勇治郎 昭和 二八年九月
18長野県西筑摩郡日義村 信州大学農学部 山内倭文夫 昭和 二八年九月
19三重県南牟婁郡五郷村︵現、 熊野市︶ 運輸調査局 池 田博行 昭和 二八年九月 20兵庫県宍粟郡三方村︵現、一宮町︶ 日本農業研究所 西村甲 一 昭和 二八年 一月 21岡 山県御津郡円城村︵現、 加茂 川町︶ 日本常民文化研究所 宮本常 一 昭和 二八年 一月
22高知県安芸郡東川村︵現、 安芸市︶ 九州大学農学部 林政学教室 塩谷勉 昭和 二八年七月
23高 知県幡多郡大川筋村︵現、 中村市︶ 東京農業大学林学教室 尾越豊 昭和 二九年 二月
24佐賀県神崎郡東背振村 森林資源総合対策協議会 満田竜彦 昭和 二八年七月
25宮崎県児湯郡三納村︵現、西都市︶ 九州大学産業労働研究所 吉村正晴 昭和 二九年 二月
26宮崎県 南那珂郡酒谷村︵ 現、日南市︶ 鹿児島大学農学部 林学教室 山添精三 昭和 二九年 二月
27鹿児島県伊佐郡山野町︵ 現、大 口市︶ 日本農業研究所九州支所 堤元 昭和 二九年 二月
3 調 査 地 概 観
こ の調 査 は、 町村 合併 以 前 に行 な わ れ た も ので、 以 下 旧 町村 名 によ って記 述 を す す め て いく 。
こ れ ら の村 は いず れ も大 なり 小 な り林 地 を持 って い て、 純然 た る平 野 の村 と いわ れ るも のは ほ と
ん ど な い。 岩 手 煙 山 、茨 城 沢 山 を 除 いて は林 地 が村 の全 面積 の半 ば 以 上 を し め て いて、 いわ ゆ る
山村 と い って い い村 々で あ る が、 そ れぞ れ違 った条 件 のも と に あ って、 そ の生産 構 造 は 一様 でな
く 、 山林 に た よる こ と の少 な い村 も多 い。 そ の特 色 とも いう べき も のを ざ っと記 し て み ると 、 次 のよ う で あ る 。 1 北海 道 朝 日 村︵ 以下、地名に付した数字 は前掲調査地 の番号を示す︶
北 海道 の中 央 より や や 北寄 り の山 中 で、 明治 三七 年 以 前 は 山 野 は す べて原 生 林 でお お わ れ た無
ほか は ほ と ん ど私 有 地 が存 在 せず 、 か つ住 民 も全 国 各 地 から 集 ま って いる全 く 新 し い村 で あ る。
人境 であ った が、 明 治 三 八 年 旧御 料 地 の解 放 が あ って 入植 者 を見 る よ う に な ったも ので 、耕 地 の
農 業 の傍 ら 、 国有 林 の賃 労 働者 と し て働 き 、 あ る いは木 材 運 搬 に従 事 し て生 計 を た て て いる 。 2 北 海道 長 万 部 町
北 海道 の西南 、 噴 火 湾 の西 北岸 に位 し 、 函 館 本線 と室 蘭 本 線 の分岐 点 で あ る。 調 査 地 中唯 一の
海 に のぞ んだ と こ ろ で、林 業 、農 業 の他 に漁業 も 町 の重 要 な 産 業 にな って いた。 幕 末 の頃 か ら 北
海道 奥 地 への交 通 の中 継地 と し て ひら け は じ め 、 一時 は漁 業 で栄 え た が、 漸 次 農 地 が開 拓 さ れ て
生産 の比重 が大 にな り 、 さ ら に昭 和 一四、 五年 頃 、噴 火 湾 で は寒 流 系 の魚 が全 然 と れな く な り 、
陸 上 の気 象 にも 著 し い変 化 が あ って、 漁業 は著 しく おと ろえ た 。 一方 交 通 都 市 と し て の発 達 が見 ら れ 、林 業 の比 重 は 今 そ れ ほ ど大 き いと は いわ れ な い。 3 青 森 県 内 潟 村
り 、住 民 は農 業 を 主 業 と し 、国 有 林 の賃労 働 を金 銭 のも っと も 大 き な収 入源 とし て いる 。
津 軽 平 野 の北 部 にあ り 、背 後 に広 大 な 山林 を持 つ村 であ る が 、 そ の山林 の大 部 分 は 国有 林 で あ 4 岩 手 県 田山 村
って生 計 を た て て いた が 、明 治 に入 っては馬 の飼 育 が農業 に つい で重 要 な産 業 に な った 。広 大 な
岩 手 県 でも も っと も 文化 のおく れた と こ ろ と いわ れ て いる 。 も と は薪 炭 を 花輪 地方 の銅 山 に売
山 林 を 持 つが いず れ も国 有 林 で、 そ の賃 労 働 者 とし て の収 入 が住 民 の生 活 を 大 き く支 え て いる 。
昭 和 初 年 、 花輪 線 が開 通 し て奥 羽 本線 の大 館 と東 北 本 線 の沼宮 内 の間 を つな いで か ら は、 漸次 新 文 化 の流 入 を見 る に至 って、 村 の産 業 構 造 にも変 貌 を来 し つ つある 。 5 岩 手 県 土 淵村
北 上 山 脈中 に ある 遠 野 盆地 の東 北 隅 に位 す る 。 も と は東 海 岸 地方 への通 路 にあ た って い て、 駄
賃 付 な ど す るも のが多 か った 。平 地 は農 業 、 山地 は牧 畜 を主 と し 、明 治 以 来 養 蚕 が行 な わ れ て 比 較 的 早 く か ら貨 幣 浸 透 が 見 ら れ た 。 6 岩 手県 煙 山村
盛岡 の南 、北 上 川 中流 の右 岸 に位 す る 。村 の東 部 を 南 北 に東 北本 線 が通 ってお り 、村 内 に矢 巾
駅 が あり 、 そこ にさ さ や かな 商 業 地 区 が見 ら れ る 。地 形 は 西 す る に従 って高 く 、奥 羽 山 脈 の支 脈
南 昌 山 と な って いる。 近 世 初期 に鹿 妻 用 水 が完 成 し て か ら漸 次 水 田 が ひ ら け、 さら に昭 和初 め、
新 鹿 妻 用 水 の開 通 に よ って新 田開 発 が飛 躍 的 に進 み、調 査 地 中 、 水 田率 のも っと も高 い村 で ある 。 従 って山 村 のお も かげ は最 も う す い。 7 秋 田県 早 口町
を 中 心 に し て商 業 地 区 が形 成 せ ら れ て いる 。 こ こ で は杉 の育 成 事業 が盛 ん で、 いわ ゆ る能 代 川 林
能 代 川 の流 域 、 そ の中 流 右岸 に あ って、 奥 羽 本線 が町 の南 部 を東 西 に貫 通 し 早 口駅 が あ る。 駅
業 地 区 に属 し 、町 に は製材 工業 も発 達 し て いる 。林 業 労 働 、 製 材 工場 への勤 務 が 一般 民 の大 きな 収 入 源 に な って い る。 8 山形 県 東 小 国 村
山 形県 の北部 に位 す る 。林 野 率 は九 一% でき わ め て高 い。 世 に いう 金 山 林 業 地区 に属 す る。 し
かし村 の主 産 業 は農業 で、製 炭 及 び 林 業 労働 を兼 ね てゆ たか に暮 し て いる が、明 治 以来 、山 間 傾 斜 地 に新 し く住 み つい た人 々 の生活 は必 ず し も ゆ た か で はな い。 9 山形 県 高 崎 村
峠 を こ え て仙 台 に いた る関 山 街 道 に沿 い、明 治 時 代 は車 馬 の往 来 の絶 え間 な か った所 で あ る が、
村 山盆 地 の中 、 奥 羽 山脈 の西 斜 面 に立 村 し 、村 は観 音 寺 、関 山 の 二大 字 にわ か れ 、関 山 は関 山
い下 げ ら れ てか ら 、依 然 と し て国 有林 労務 を金 銭 収 入 源 と し て い る観 音 寺 と は対 照的 で、 こ れが
奥 羽 線 の開 通 で急 にさび れ た。 しか し こ の地 の区 域 内 に属 す る尨 大 な国有 林 が 、村 有 林 とし て払 零 細 民 の没 落 を せき と め る力 に な って いる 。製 炭 が盛 ん であ る 。 10 宮 城 県 宮崎 村
仙 台 市 の西 、奥 羽 山 脈 の東 斜 面 に あり 、 山巓 に 近 い山 地 は国有 林 と し て 、 そ の下 に つづ く緩 傾 斜
面 はも と馬 の放 牧 地 と し て部 落 有 とな り 、今 日 で は植 林 を 行 な い つ つあ る が、 旧 北 川内 村 地 域 内
で は い った ん国 有 地 と な った も のを払 い下げ に あ た って、 共有 及び 私 有 の形 式 を と り 、 土地 所 有
は部 落 を 異 に す る こ と に よ って大 き い差 異 を 見 せ て いる。 畜 産 より 林業 へ転 じ つ つあ る 。 11 福島 県 茂 庭 村
福 島 県 の最 北 隅 に位 す る。 村内 に は平 地 ら し い平地 が ほ と んど な い。村 内 を流 れる 摺 上川 に沿
う て村 落 が 散在 し 、林 野 率 も も っと も高 い。 そ し て そ の九 三% が国有 林 と いう村 であ る 。 従 って
のび て いな い。林 業 とし て はも っと も原 始 性 を 持 って いる村 の 一つと見 て い い。
ほ と んど の人 々が国 有 林 に依 存 し 、製 炭 を 業 と し て生 き て い る。 ここ は未 だ 育 成 林 業 は ほ と ん ど 12 福島 県 荒 海村
会 津 若 松 の南 、 大川 の谷 の最奥 で、 山王 峠 を こえ る と 栃 木県 今 市 へ出 て行 く。 古 い街道 に沿 う
た村 で、 今 は 荒 海線 の終 点 にな って いる。 山 林 率 は高 いが そ の大 半 が公有 林 に な って いる 。製 炭
を 主 と し て おり 、育 成 林 業 はそ れ ほど発 達 し て いな い。昔 は会 津 の屋 根 屋 で ひ ろ く関 東 平 野 の人 び と に知 ら れ た村 であ った。 13 茨 城 県 沢 山 村 山林 は燃 料 や温 床 材 料 のた め に利 用 せら れ て いる程 度 であ る 。
水戸 の西 北 方 、 那 珂川 の中 流 右 岸 に 位 す る。 山 村 と いう よ り は平 地 の村 と い って い い。 従 って 14 栃木 県 箒 根 村
いわ ゆ る 那須 野 の 一部 で、 こ こ より 西 北 へ進 めば 塩 原 の温泉 に達 す る。 林 野率 は か なり 高 い が、
耕 地 も 一、○ 〇 〇 町歩 近 く あり 、 農 村 とし て の要 素 が強 く 、 山 林 では 燃料 、飼 料 、 タ バ コ温床 の 落 葉 の採 集 のた め に利 用 せら れ て いる面 が つよ い。 15 群 馬 県 沢 田村
群 馬県 の西 北部 、信 越 と の国境 に つら なる 三 国 山 脈 の南 斜 面 に存在 し 、東 南 隅 にや や 平地 を見
る。 集 落 は 四 万川 と そ の支 流 の つく った蛇 野 川 渓 谷 と渓 口 に分 布 し 、 谷奥 に あ る 四万 は 温泉 地 と
し て知 ら れ て いる が、 これ ら の集 落 を めぐ る急 峻 な 山 々 は いず れ も 国有 林 で、 地 元 民 は 国有 林 の
林 業 労働 と製 炭 で生 計 を た て て いる も のが 多 い。渓 口 の集 落 は渋 川 か ら長 野 原 に至 る鉄 道 駅中 之 条 に近 く 、 そ の方 面 に通勤 す る 俸給 生活 者 も ふ え つ つあ る。 16 静 岡県 富 士岡 村
富 士 山 の東 南 麓 、 黄 瀬 川 の浅 い谷 にあ り 、東 は 箱 根 の外 輪 山 に つづ く 。 も と は甲 州 か ら 三島 沼
津 に いた る街 道 筋 の村 で、 駄賃 付 な どす るも のが多 く 、 ま た箱 根 竹 を き って竹 細 工 を業 と す るも
のが 多 か った 。 し た が って山村 と い っても や や 形質 のか わ った村 であ った 。 そ れ が村 か ら 西 に ひ
ろが る裾 野 原 が、 明 治 にな って官 有 地 と な り 、 さ ら に御 料 地 と な り 、 三転 し て陸 軍 演 習場 と なり 、
今 ま た米 軍 の演 習 場 にな って いる。 し かも 明 治 以来 街 村 と し て の機能 を失 な って から は 、 漸次 農
る。 こ こ では国 有 地 は地 元 民 に は林 業 地 と し てよ り も農 耕 地 とし て、 よ り多 く 利 用 し た い意 図 と
業 に転 ぜざ る を得 な く な り 、 こ の演 習 場 に耕 地 を も と め て、 も っと も 大 き な矛 盾 と 苦 悩 の中 に あ 必 然 的要 求 を も ち つつ、 し か も そ の要 求 が 十 分 に達 せ ら れ て いな い。 17 長 野 県 富 士里村
長 野県 の北 隅、 霊仙 寺 山 の東 北 麓 に展 開 す る 村 であ る 。村 の東 辺 の北国 街 道 が南 北 に 通 り 、辻
屋 は こ の街道 に 沿 う た街 村 であ る が 、信 越 線 が通 じ て後 はさ び れ は て た 。集 落 と 耕 地 は 霊仙 寺 山
の裾 野 に散在 し 、農 業 を 主 と し 、 も と は養 蚕 業 が き わ め て盛 ん であ った が、 今 は か つて の面 影 は
な い。 そ の頃 は 畑地 が広 か った が 、 こ れ を漸 次 水 田 化 し て稲 作 中 心 の村 に な った の であ る 。実 質 的 に は山 村 と は い い難 いま で にな って い る。 18 長 野 県 日義 村
中仙 道 に沿 う 宿 駅 の 一つで あ った。 同時 に い わゆ る 木曽 林 業 地 帯 にも 属 し 、育 成 林 業 が 盛 ん で あ
木 曽 谷 の、鳥 居 峠 を南 へこえ た ば かり のと ころ 、 す な わ ち 一番 北 のは し に近 い山村 で、宮 越 は
る が 、 公有 林 は 国有 林 を は るか にこ え る広 面 積 に か か わ らず 、 そ の収 益 のき わ め て低 いこ と が注 目 さ れ る。 19 三 重 県 五郷 村
三 重 県 の西 南部 、北 山 川 の枝 谷 に発 達 し た村 で、吉 野 川 上 から 伯 母峯 を こえ て木 之本 に至 る街
道 筋 の村 であ る 。 山 一つ越 え て南 へ下 れば 木 之 本 に な る 。 い わゆ る熊 野 林 業 地 帯 に属 し 、杉 の育
成 が盛 ん であ り 、 か つ民 有 林 が 大半 を し め る。 こ こ に は林 業 の企 業経 営 が見 ら れる 。 2〇 兵 庫 県 三 方 村
に し て直 径 一〇 里 の円 形 を 描 い た地 域 は杉 の造 林 の盛 ん な い わゆ る 宍粟 、智 頭 林 業 地帯 で あ る。
兵 庫 県 の西 北部 に位 す る山村 であ る。 こ の村 の西南 に あ た る播 磨 と因 幡 の国 境 の戸 倉 峠 を 中 心
三方 もま たそ の 一部 に属 す る。村 有 林 が ひ ろく 、 大阪 営 林 局 の指 導 に よ る官行 造林 地 の広 い のを
特 色 とす るが 、 そ れ以 前 より 製炭 が盛 ん で、 造 林 地 以外 は製 炭 に利 用 せ ら れ て いる 。製 炭 より 育 成 林 業 への途 中 にあ る村 で あ る。
21 岡 山県 円 城村
林 業 ら し い林 業 のな い山 村 の多 い のが岡 山 県 だ が 、 こ の村 も そ の 一つで あ る。 老年 期 の準 平 原
に立 地 し て いる た め に、高 台 を な し て い る所 が多 く 、村 は高 台 の上 に 立地 し て い て、 ま と ま った
山 林 が少 な く 、山 林 も 松 が多 い。 そ し て ここ では未 だ 育 成 林 業 へま で十 分 に進 ん では いな い。 山
林 は住 民 の薪 炭 材 供 給 に利 用 せ ら れ て い る面 が も っと も 大き く 、 山林 面 積 の広 い割 合 に そ の利 用 度 は き わ めて低 い。 22 高 知 県東 川村
山地 によ って形成 せら れ、 国有 林 は そ の最 奥 にあ り 、他 は多 く 民 有林 で あ り、 中 に 一人 の大 山林
高 知 の東 部 に位 す る山 村 。伊 尾木 川 が北 より 南 に流 れ て つく った渓 谷 を真 中 にし て東 西両 側 の
地 主 が い る。 国有 林 、会 社 有 林 、個 人有 林 と 三 つ の経営 形態 を見 るこ と が で き る。 そし て国有 林 、 め て少 なく 、 林業 度 のき わ め て高 い村 と いう こと が でき る 。
会 社 有 林 を 中 心 に育 成 林 業 が盛 んに な り つ つあ る が 、 一般 に は製 炭 を 主 と し て いる。 耕 地 は き わ 23 高 知 県 大 川筋 村
高 知 県 の南 西部 、 四万 十 川 の中 流 に位 す る。 民 有 林 が き わ め て広 い。 し か し 大山 林 地 主 は いな い。 製 炭 を主 業 と し て 生計 を た て て いる 。 24 佐 賀 県 東 背 振村
佐 賀 県 の東 部 、村 の南 部 は佐 賀 平 野 の 一部 分 にな って いて 、米 作 を 主 と す る集 落 が発 達 す る 。
従 って現 在 国 有 地 と し て造 林 せら れ て いる と こ ろ はも と 採草 地 と し て、 農 民 に と って は重 要 な 肥
料 供 給 源 であ った 。 そ れ が漸 次 杉 が 植 え つけ ら れ て林 地 化 す る と 共 に、 農 家 では金 肥 の使 用 か ら
伐 採期 にま では至 って いな い。
採 草 す る こ と が少 な く な り 、 山地 の利 用 目 的 のす っか り変 化 し た村 で あ る。 そし て育 成 林 は未 だ 25 宮崎 県 三納 村
宮崎 平野 の西北 隅 と、 そ の背 後 の山 地 よ り 成 る村 で あ って、 山 地 の広 さ に かか わら ず住 民 は農
て いる も のも少 なく な い。 つま り 、広 大 な 山 林 を 持 ち つ つ山 林 利 用 は ほ と ん どな さ れ て いな い。
業 を 主 業と し て、 山 林 労 働 にし た がう も のは き わ め て少 なく 、 労 務者 は む し ろ他 地方 か ら や って来
一戸 当 り の耕 地 面 積 の狭 小 を林 業 労 賃 によ って カ バ ー す る より も 、蔬 菜 園 芸 、 す な わ ち耕 地 の高 度 利 用 によ って経 営 の合 理 化 を は か ろう とし て いる 。 26 宮 崎 県 酒 谷村
の東 端 は 渓 口が ひ ら け て水 田 地帯 に な って いる 。 こ の村 と こ の北 に隣 す る北 郷 村 は 、 いわ ゆ る飫
宮崎 県 の南部 、 日南 市 の西方 に位 す る村 であ る 。東 西 に流 れ る酒 谷 川 の谷 に集 落 が 分布 し 、村
肥 林 業 の名 を以 て よば れ る杉 の育 成 林 地 帯 であ る 。 し か も そ の林 地 の大部 分 は国 有 林 であ り 、藩
政 時 代 の部 一山制 度 を そ のま ま う け つ いだ 部 分 林制 度 の発 達 し た 地 であ る。 一種 の借 地林 業 と い う こ と が でき る であ ろう 。 27 鹿 児島 県 山野 町
鹿 児 島 県 の西 北 隅 に あ る。 山 を 北 へこえ て谷 を 下 れ ば熊 本 県 水 俣 に出 る 。 古く から 山 間 交通 の
し て町 の東 南部 は渓 口平 地 と な って いて、 水 田 が発達 す る 。山 地 の大半 は国 有 林 だ が、 町 民 が林
要 地 であ った 。今 山 野 線 が開 通 し て 、村 内 に は駅 が二 つも あり 、 一応便 利 で あ る と い い得 る 。 そ
業 労 働 に従 う歩 合 は き わ め て低 く 、 山間 に あり つつ 一応農 村 と いう こと が で き る 。
4 地 形 的 に 見 た 三 類 型
さ てこ れ ら の村 は、 ま ず 地 形 上 か ら見 て大 き く 左 の三 つに分 け る こ と が でき る。
︵1 ︶ 山 地 と 渓 口平 地 ま た は山 麓 平地 を も つも の︱︱ 朝 日 、長 万 部 、 内 潟 、 田山 、 土 淵 、 煙 山 、
早 口、東 小 国 、高 崎 、宮 崎 、 荒 海 、 沢 山、 沢 田、 富 士 里 、 三方 、 東背 振 、 三納 、酒 谷 、 山 野 ︵2 ︶ 渓 谷 に集 落 の立地 す るも の︱︱ 茂 庭 、日 義 、 五郷 、東 川 、 大 川筋 ︵3 ︶ 台 地 に立村 す る も の︱︱ 箒 根 、富 士岡 、 円 城
お り 、林 業 及 び 林 業労 務 に従 う 人 々は多 く 山間 地 帯 に住 んで いる。 そし て北海 道 を 除 い ては 、耕
上記 のう ち︵1 の︶ 場 合 は、 農 耕 を 専業 と す る農 家 によ って形 成 せら れた集 落 が村 の主 体 を な し て 地 中 、 水 田歩 合 がき わ め て高 い。 と が でき る。
︵2 は︶一般 に耕 地 が 乏 し く 、林 業 労 働 が 最 も 大 き な収 入 源 と な って い る。 一応林 業 の村 と いう こ
︵3 は︶ 耕 地 のう ち畑 地 の歩 合 が大 き い。 貨 幣収 入 に は畑 作物 の果 す役 割 が大 き く な る 。 し か し全 般 に生産 力 が低 い。
こ のよ う な 立地 条 件 がそ のま ま村 の生 産 構 造 と 生産 力 を支 配 し て いる と い っても い い ので あ る
が、 こ の立地 条 件 に交 通 の要素 が加 わ る と、 生産 事情 は さ ら に 一変 す る 。
︵1の︶う ち 、長 万 部 、 田山 、 煙 山 、早 口、 東 小 国 、荒 海 、山 野 、︵2 の︶ う ち 日義 、︵3 の︶ う ち富 士岡
は 、 そ れ ぞ れ村 内 に国鉄 の駅 を持 って いる 。 こ と に東 小 国 の如 き は三 つの駅 が あ る 。 そ の国 鉄 の
開 通 の古 さ と村 の貨 幣経 済 の浸 透 、 ひ いて は山 林 利 用 の高 度 化 と は 一応 比 例 し て いる 。 と同 時 に、
村 の古 い歴 史 や藩 の政策 が現 在 の林 業 を規 定 し て い る力 の大 き さ を も見 のが し て は な らな い。
中部 以 東 の山 地 に国有 林 の多 か った のは 、 か つて山 林 利 用 が き わ め て低 か った か 、 ま た は藩 が
ず か に能 代 川 、 金 山 、 西 川 、天 竜 川 、 木 曽 谷 な ど に育 成 林 業地 帯 を見 る にす ぎ な い。
育 成 林 業 地 を支 配 し て いた た め であ る 。 し た が って民 有 地 は今 日 も ほと んど 伐採 林 業 が主 で、 わ
り 、智 頭 、宍 粟 地 方 は こ れ に つぐ 。 そ し て そ の多 く は民有 林 で あ る。
こ れ に対 し て近 畿 、 中 国 に は早 く 山 林 の利 用 が見 ら れた 。吉 野熊 野 は杉 の育成 林業 の中 心 であ
は 用材 育 成 が ほ と んど見 ら れ な か った 。 こ のこ と が山 を 荒 ら し て し ま った。 そ し て な お育 成 林 業
中 国地 方 は砂 鉄 精 錬 のた め の製 炭 、 及び 製 塩 のた め の薪 材 の必要 から 山 林 が利 用 さ れ、 ここ に の発達 は何 程 も 見 ら れな い。
は り政 治 の力 が大 き い。 こ れ に対 し て 薩摩 藩 は農 民 を し て完 全 に山 に背 を 向 け し め た。 こ のた め
九州 南 部 と四 国 は 中部 以東 と事 情 が 相似 て いる。 ただ飫 肥地 方 に育 成 林 業 の発 達 を 見 た のは や
に 三納 、山 野 両 地 に見 ら れ る よう に農 業 と林 業 は 一応 隔 絶 し た形 で存 在 し て いる 。
二 集 落 の 成 立 と 土 地 利 用
1 集 落 の沿革
な け れば な ら な い。
そ れぞ れ の土地 の特 殊 性 を 理解 す る た め に は、 そ れ ぞ れ の村 が いか に成 立 し て来 た か を検 討 し
た脊 梁 に近 い谷 間 に立 地 す る こ と が多 く 、 異 域 への通 路 にな って いる所 が少 な く な い。 こ こ に調
日本 にお け る政 治 的 な 地 域区 劃 は多 く 山 の脊 梁 を境 にし て行 な わ れ て い る。 山 間 の村 は そう し
査 せら れ た村 の中 にも そ う いう地 が き わ めて多 い。長 万 部 、 田 山 、 土淵 、東 小 国 、高 崎 、荒 海 、
富 士 岡 、 日義 、 五郷 、 酒 谷 、 山野 が そ れだ 。住 民 は農 耕 の傍 ら 、荷 持 ち駄 賃 付 な ど を副 業 とし て
金 銭 収 入 の途 と し、 村 は ま た そ う し た性 格 を も って なり た ってき た 。 そ れが 鉄 道 開通 に よ って変 貌 せざ る を得 なく な ってき た 。 まず そう いう村 々 の姿 に つ い て見 よう 。 北海道 山越郡長万部町
町 の歴史 は享 徳 三 年︵ 一四五四︶に若 狭 の武 田信 広 が松 前 に来 住 し た時 には じ ま り 、 天 正 一八
年︵ 一五九〇︶ に徳 川家 康 から エゾ 地 を統 治 す る こと を み と め ら れ て いる 。
武 田氏 は慶 長一一 年︵ 一六〇六︶ に松前 と改 姓 し 、 寛 文九 年︵ 一六六九︶ の松 前 知 広 の時 に シ ャ
チ ャリ の エゾ 酋 長 た る シ ャク シ ャイ ンと戦 いこ れを 征 服 し て以 来 、 文 献 上 で も明 白 に松前 家 の領 地 と な って い る。
長 万部 は噴 火 湾 の北端 極 点 にあ って、 北 は礼 文 華 へ、 西 は 西海 岸 各 地 への横 断 の要 路 で、旅 行
者 が多 いにも か かわ らず 、宿 泊 の便 に か け て い る の で、 松前 家 で は富 商伊 達 、柄 原 両 家 に 命 じ て 受負 場 と な さし めた 。
安永 二年︵ 一七七三︶初 め て家 屋 を た て 、 こ れを 番 屋 と と な え 、支 配 人 が 土 人 を使 役 し て旅 客
の宿 泊 に あ て、 人 馬 継 立 て の便 を は かり 、 同年 一二月 には 会所 を設 置 し た 。
ま た長 万 部 通 行 の旅 人 を あ ら た める た め に山 越 内 番 所 を と り た て て、 旅 人 より 袴 料 とし て銭 五
〇 文 を とり た て た。 こ の番 所 は文 化 の初 め 、亀 田関 門 を こ こ に移 し華 夷 の限界 と し た。
天保 二年︵ 一八三 一︶松前 の人 、 利 右衛 門 は 、土 人 恵 比 曽 、羅 牟 和 、 久 志 志 、 禰牟 古 の 四 人 と 共 に 橋 を架 し道 を 修 めた 。
弘化 年 間︵ 一八四四︱四七︶の初 めご ろ は な お丈 余 の笹 を 分 け てゆ く有 様 で あ った。
嘉永 六年︵ 一八五三︶松 前 家 の領地 は幕 府 の直 轄 地 と な り 、箱 館 奉行 竹 内保 徳 が長 万 部 を 所 轄 地 と し た。
安 政 三年︵ 一八五六︶箱 館 奉行 に請 い、許 可 を 得 て、 平 沢豊 作 は栗 山 岱 、 森内 八内 は 蕨 岱 に居
の四 人 は官 に請 う て 、車 馬 を 通 す 山道 を つくり 、 三 八 の川 に橋 を架 し、 一つ の橋 に銭 三 文 ず つ、
住 し開 墾 を 行 な う 。 同年 中 箱 館 の人 、中 郷 源 兵 衛 、 千 代 田才 兵 衛 、 一本 木新 兵衛 、庚 申 堂儀 兵衛 合 計 一 一四文 を 旅 人 に求 め て開 墾 の資 金 に し た 。
安 政 四年 、 亀 田 よ り竹 内 弥 兵衛 転 住 し て家 屋 を 新 築 し 、初 め て旅 人宿 な らび に馬 追 業 を 営 んだ 。
の各 所 に分 配 し 、開 墾 を な さ し め 、 二間 二五 間 の家 屋 一棟 およ び農 具 、夜 具 など を給 与 し 、家 族
ま た こ の年 、徳 川 幕府 は荒 井 小 一郎 を 監 督 と し て農 民 一五 〇 戸 を紋 別 、栗 の木岱 、 二股 、静 刈
七 歳 以 上 一名 に玄 米 五 合 、菜 料 五〇 文 ず つ給 与 し て開 墾 に従 事 さ せ た 。農 民 は 二、 三年 で扶 持 米
な ど を 廃 止 さ れ た た め四 散 し 、残 ったも のは 田村 平 助 、堀 野 仙 蔵 、 山崎 宇 右 衛 門 、 竹 政吉 蔵 、浅 野 三 左 衛 門 の五名 で あ った。
こ の頃 、長 万 部 、 黒松 内 間 の道 路 不 完 全 のた め 、前 の発 起 人 が継 続修 繕 し 、 な お三 カ年 橋銭 徴
収 を 旅 人 に請 い、許 可 せら れ て橋 銭 徴 収 方 を 黒 松 内 の花 岡 利 右 衛 門 と定 め た。 て き た。
な お当 地方 は安 政 年 間 ま では 鹿 が多 く 、 狼 も 時 々出 没 し た が、 間 も な く影 さえ も 見 え な く な っ
文 久 三年︵ 一八六三︶竹 内 弥 兵衛 は長 万 部 の名 主 を 命ぜ ら れ、 長 万部 と 黒岩 間 数 カ所 の 橋 を自 上 に な った の で、 ド ッタ付 近 の悪 路 を改 修 し た。
費 を投 じ て架 設 し 、蕨 岱 の森 田 八内 は 、近 辺 にあ る 閻 魔堂 に参 詣 人 が多 く 、 そ の賽 銭 が 六〇 両 以
のこ の地 の収利 は大 き か った。 よ って各 地 から 移 住 す る商 人多 く 、 旅 人宿 、馬 追 業 者 も多 か った。
こ の頃 各 地 の漁業 が 日 に月 に進歩 す る に し たが って旅 行 者 貨 物 の運 搬 が増 加 し、 中 継地 と し て
元 治 元 年︵ 一八六四︶箱 館 奉行 小出 大和 守 が当 地 へ出 張 し初 め て村 並 に列 せら れ、 長 万部 村 と 称 し 、 そ の後 受負 場 は廃 止 に な った 。
こ の頃 のこ の地 の漁 業 は不 漁 が つづ き 、漁 業 者 は旅 人宿 、馬 追 業 に転 業 す る者 が続 出 し た 。
慶 応 二年 には徳 川脱 走 隊 の榎 本 武揚 ら 二 、〇〇〇人 が汽 船 で入港 し 、 長 万 部 詰 所 を 榎本 隊 の本 営 と し た。
明治 元年︵ 一八六八︶五 月 に は箱 館 府 に編 入 さ れ 、同 年 八月 北 海道 と よば れ る に至 り 、 明 治 三
年 に長 万部 は斗 南 藩︵ 青 森 県 む つ市︶ の支 配 に属 し 、 四年 に は斗 南 藩 よ り は な れ、 五 年 九月 に は 函 館 支 庁 の管轄 に 入 って胆 振 国 山越 郡長 万 部 村 と 称 せ ら れ た。 岩 手県上閉伊郡土淵村
徳 川 時 代 にこ の村 の経 済 生 活 は 水 田農 業 と放 牧 に よ る養 畜 の 二 つ の産 業 を基 調 に し て進 ん でき
た 。 し か し そ れだ け で生活 で き るも の では な く 、 主業 を 補 充 す る た め に農 業 地 帯 では 駄賃 付 を行
な った 。太 平 洋 岸 の釜 石 、宮 古 、 大 槌 、 大船 渡 、気 仙 沼 等 の海産 物 と内 陸 の農産 物 と の交 易 仲 介
が そ の主 な仕 事 で、 農村 か ら は シ ビ ナ ワ の ナ ワが多 く出 て行 った 。 シビ ナ ワを な う のは冬 期 間 男
女 の朝 飯前 の仕 事 で、 一定 量 の仕 事 が でき な いと朝 食 に は あり つけ な か った 。 一マ ル︵ 一〇 把︶ なう の が 一日 の仕 事 で、 一マ ルは 米 二、三 升 にあ た った 。 そ こ で竹 細 工 の原 料 にし た 。
ま た 土淵 村 の北部 に あ た る小 国 地方 に多 いシ ノ竹 は、 遠 野 か ら青 笹 、 気 仙 郡 の方 に おく ら れ、
も 必 要 な ので 、 大量 に購 入 し て倉 な ど に しま ってお いた 。
海岸 地 方 か ら運 ば れる も のは海 産 物 、 塩 な ど で あ る が、 塩 は調味 料 と し て の みな ら ず 、家 畜 に
次 に炭焼 き も行 な わ れ、 そ れら は 土 淵 の宿 場 、 さ ら に 藩城 遠 野 の町 に運 搬 さ れ て い た。
土淵 村 にお いて は 山手 部 落 は平 坦部 落 に比 し て、 そ の成 立 があ たら し い。 山手 の栃 内 部 落 は 古
く は 六、 七 代 ま え にさ か のぼ るも の、新 し い家 は 二、 三 代前 の分家 で あ る。 山 手 山 間 への発 展 は畜 産 経 済 の発 展 にと も な い出 作 が定 住 す る に至 ったも のと 思 わ れ る。 山形県北村 山郡高崎村
高 崎 村 は現在 観 音 寺 、 関 山 、 名 和新 田 、大 江 新 田 の四大 字 に分 れ るが 、後 二者 は面 積 的 に も取 る に足 らず 、 主 と し て観 音 寺 、 関 山 の 二部 落 から な る と い って よ い。
観 音 寺 は古 く 北部 上野 より 鳥 越 、 間木 野 、大 門 、新 田 と次 第 にひ ら か れ 、長 和 二年︵ 一〇 一三︶ の頃 、 北 山 郷 と 称 さ れ た。
関 山 も 建 久年 中︵ 一一九〇︱九八︶以前 から す で にひ ら か れ た と いわ れ て いる が詳 か でな い。
旧藩 時 代 は関 山 は寒 河 江 の織 田領 に属 し、 観 音 寺 は安 政 一三 年 以降 、福 山 の城 主 松 平伊 豆 守 の 所 領 に属 し て いた 。
明 治 一七年 合 併 し て組 合 戸長 役 場 を設 置 し 、 二 二年 町 村 制 実 施 と 共 に高 崎 村 と 改 称 し今 日 に至 った。
こ の村 の歴史 はま た 一面 、関 山街 道 の盛 衰 の歴史 で も あ ると い いう る 。関 山 街 道 は 天 童 か ら宮
の であ った が 、明 治 一五 年新 道 開 設 、 ト ンネ ル開 通 に とも な い、 一躍 し て村 山 盆 地 と 仙 台 を結 ぶ
城 県 に通 ず る道 で、 旧 藩 時 代 に は 、七 ガ 宿 、 笹 谷 、 二 口など の街道 に比 す れば 重 要 性 に 乏 し いも
最 重要 路 線 とな り 、 山 形 は も と より 米 沢 、 酒 田方 面 の物 資 も多 く こ こを 経 由 す る に いた った。
当 時毎 日 、郵 便 逓 送 夫 四 〇 人 、人 力 車 夫 一、二三 〇 人 、荷 馬車 ひ き 二〇 〇 人 の往 来 が あ り、 関 山 の西原 、原 宿 等 には旅 館 、運 送 店 約 一〇軒 が軒 をな ら べ、 住 民 の大 半 が交 通 関 係 の事 業 な いし 労 務 にた ず さ わ った。
こ のよう な事 情 も 明 治 三 四年 奥 羽 線 の開通 と と も に急 激 な変 化 を余 儀 なく さ れ た 。街 道 の衰 微 に と も な い仕 事 を 失 な った村 人 は止 むを得 ず 農 業 お よび 林 野 に た よ らざ るを得 な く な った が、 過
大 な戸 数 、 人 口を こ の面 だ け で処 理 す る こ と は困 難 で、明 治末 期 以 来 離 村 者 が 相 つぎ 、 そ の代 表
的 な も のは北 海 道移 住 で あ った。
奥 羽本 線 開 通 後 、 街道 の衰 微 があ ら わ れ る と 、村 山 和 十郎 は いち はや く 屯 田移 住 の募 集 に応 じ 、 で全戸 ま た は 一部 居 住 者 は 一六 六戸 を数 え た 。
明 治 三 四年 部 落 の有 志数 十 戸 を ひき い て北 海道 に移 住 し た が、 以後 明 治 四 二年 よ り 大 正 一二年 ま
関 山 新道 も戦 後 は仙 台 、 山 形 を結 ぶ重 要 路 線 と し て バ ス、 ト ラ ック の往 還 が はげ し く 、物 資 の
輸 送 も 頻 繁 であ る が、 す でに そ れ ら は こ の村 にと って全 く無 縁 の事 柄 に ひ と しく な った 。
一方 関 山 部落 は明 治 二五 年 以降 再 度 の請 願 のも と に 、明 治 三 一年 に従来 の百 姓 持 山 の下 戻 し に て国 有 林 野 に依 存 す るも のと対 照 的 な姿 を 示し て いる 。
成 功 し、 自 ら の部 落 有 林 野 の上 に 生活 を営 む こと は 、 同 じ く観 音 寺 が下 戻 運動 に失 敗 し 、 主 と し 静 岡県駿東郡富士岡村 市 町村 制 に よ って合 併 さ れ て成 立 し た 。
富 士岡 村 は竈 、 萩蕪 、 沼 田、 二子 、 中 山 、中 清 水 、 駒 門 、 大阪 、神 山 の旧村 が 、明 治 二三 年 の
のよ う な 大厦 な ども あ り 、 相 当 の繁 昌 を みた ので あ った が明 治 二 二年 、東 海 道 線 が敷 設 さ れ て か
竈部 落 の成 立 は寛 永 年 間 と いわ れ て いる 。 旧甲 州 街 道 の衝 に あ た り、 商 家 軒 を な ら ベ、 旅 人 宿 ら そ の繁 栄 は御 殿場 町 に奪 わ れ た 。
萩 蕪 は 竹 細 工 を副 業 と す る も の多 く 、ま た東 海道 線 開 通 ま では 駄 賃付 な ど に よ って生活 が支 え ら れ て い た。 し て いた。
沼 田 は百 姓 の合 間 に竹 細 工を や って いた 。中 山 、 中清 水 は ソダ 薪 を き って沼津 、三 島 に付 け出
駒 門 は 純農 業 部 落 であ った 。 ま た甲駿 間 の荷 物 の運 搬 を業 と す るも のが 多 か った 。
大 阪 は耕 地面 積 狭 小 で、 小 田原 藩領 の極 貧 村 であ った 。農 業 のか た わ ら竹 木 を き って売 り出 し、
神 山 は最 も 早 く開 発 さ れ たも のら し く 、甲 州 往 還 の貨物 運搬 に特 権 を 持 って いた の で、収 入 は
当 って い た。 こ の塩 の輸 送 路 は最 初 大阪 以 北 八 カ村 に 下命 が あ った が、負 担 過重 にな るこ と を 恐
多 か った。 甲州 往 還 は沼 津 、本村 、原 里 、甲 州 へと通 ず る が 、 こ れ は昔 武 田家 の塩 の輸 送 路 に も
れて こ れを 拒 絶 し た 結 果 、神 山部 落 が こ れ を ひ きう け 、 街道 利 用 上 の特 権 を得 た 。
し 多額 の賃 金 ﹂ を 得 る状態 と なり 、 神 山 の馬 方 は ﹁街 道 の荒神 ﹂ と い わ れる ほ ど 、鼻 息 も あ ら く 、
実物 の運 搬 量 が増 加 す る に し た が って ﹁田畑 の把 々た る を 顧 みず 、 村 民 いず れ も駄 馬 業 に従 事
こ の業 に依 存 す る者 も多 か った。 そ れだ け に明 治 二 二年 の東 海道 線 の開 通 に よ って う け た打 撃 は 大 き か った 。 駄 馬 業 のほ か に木 竹 を 伐 り 出 し て 生活 を さ さ え る も のも あ った 。
明 治 二 二年鉄 道 開 通 、 二三年 官 有 地 の御 料 林編 入 は、 駄 馬 業 にし た がう 大 阪 、 神 山 、宿 場 と し
て繁 栄 し て いた 竈 に つよ い打 撃 を与 え た。 そし て農 民経 済 は農 業 生産 に 主力 を おき かえ 、林 野 の 産 物 採 取 に依存 す る と い った方 向転 換 が要 請 せら れ た 。
れ に とも なう 賭 博 の流 行 な ど で、 農業 生産 への志 向 は な か な か強 化 さ れ な か った。
し か し、 そ の転 換 は容 易 でな く ﹁飲 酒 、 飽 食 し て宵 越 の銭 を つか わず と いう 一般 の風 習﹂、 そ
明 治 二七 年 神 山部 落 で報 徳 社 運 動 が お こ さ れ、 三 二年 に は大 阪 部 落 でも社 員 数 が 八六 名 に のぼ った 。
農 会 に 対 す る関 心も これ に よ って強 ま り 、 二八年 の村 会席 上 で農 会 結 成 の件 が発 議 さ れ、 同 年
八月 には 貴族 院 議 員 前 田正 名 を村 に ま ね い て五時 間 に わ た る講 演 を き いた。 そ し て麦 作 の改 良 を まず とり あげ た。 長野県 西筑摩郡日義村
日義 村 はも と柏 原村 と いい、 明 治維 新 当時 は菅 、 宮越 、原 野 の三村 に 分 れ て いた 。 尾州 藩 領 で、
明治 三年 に廃 藩 置 県 に よ り名 古 屋県 に属 し 、明 治 五 年 筑 摩県 に移 り 、 菅村 は地 形 上 木 租村 に編 入
し 、 明治 七年 一 一月 宮 越 、原 野 両 村 を 合 し て 日義 村 と 改 称 し 、明 治 九 年長 野県 の所 管 と な った 。
集 落 は 木曽 川 の右 岸 には わず か に徳 音 寺 、百 島 部 落 五 〇 世 帯 が あ る の み で、他 は す べて左岸 に
あ る。特 に 山 間 の寒 冷 地 と し て農 業 生 産 低 位 に あ るも のは 、 神 谷 、砂 ガ瀬 、 野 上及 び 渡 沢 の四部 落 であ る が 、 そ の世 帯 数 は 七九 世帯 で、 総 世 帯数 の 一五% にす ぎ な い。
を はじ め、 沿 線 に 点在 す る部 落 が 主体 で、 山 稼業 を 主 と し岐 阜 県 そ の他 か ら移 住 定着 し た も のと
こ の部 落 分布 の特 性 は往 時 中 仙道 の交 通 頻 繁 の時 代 に宿 駅 と し て発 達 し た宮 越 、 原野 の両 部 落
見 ら れ る山 間 部 落 と 純農 業 を 営 む中 間部 落 とを も って構 成 せら れ て いる 。
宮 越 、原 野 が も と 中仙 道 の宿 駅 と し て相 当 繁 栄 し た こ と は現 在 国道 に面 し て櫛 比 す る 二階 建 商 家 風 の住 家 に よ っても し のぶ こ と が でき る 。
伝 統 が あ り 、徳 川 時 代 と な って尾 張 藩 の政治 の中 心が 福島 町 に移 ってか ら は 、 も っぱ ら 宿 駅 と し
こ と に宮 越 は木 曽義 仲 の発 祥 の地 と し て知 ら れ、 木 曽 谷 に お け る政 治 経 済 の中 心地 と し て古 い
て商 業 によ って 生計 を いと な ん だ。
原 野 は中 間 宿 場 的 な 立場 に あ って 、農 業 を 主 と し、 商 業 は 町 並 のわず かな 世 帯 に限 ら れ た。
宮 越 に 属 す る神 谷 、 砂 ガ 瀬 、野 上 のう ち、 神 谷 は伊 那谷 と木 曽 谷 の捷 路
一面 林 業 労 働 の根 拠 地 と し て岐 阜県 そ の他 の林 業 技能 者 の移 住 に よ って形
権 兵 衛 峠 の北側 中 腹 に あ って伊 那高 遠 米 の駄 馬 輸 送 の中 継地 と し て発 達 し 、 成 せ ら れ て いる 。 ひ ら いて農 業 に重 点 が 加 わ った も の と見 ら れ る 。
ま た砂 ガ瀬 、 野 上 は 純然 た る林 業 部 落 と し て移 住 定 着 し 、次 第 に耕 地 を 三 重県南牟婁郡五郷村
湯 ノ谷 、寺 谷 下 番 、 寺 谷 上番 、和 田 、神 ノ上 、 野 口、佐 渡 、 小 坂 、 小股 、
五郷 は大 化 の年 代 北 山郷 に属 し、 神 の上 、長 原 、 柳谷 、 大 井戸 、桃 崎 、 大 股 下番 、 大股 上番 の 一六 カ村 で あ った。
こ の部 落 は 藩政 時 代 には 和歌 山 藩 の北 山組 流 れ 谷 一四 カ村︵ 大 又 、 小 又 、
佐 渡 、 野 口、神 上 、寺 谷 、 和 田、 桃 崎 、 湯 谷 、 大井 谷 、 柳谷 、 神 上 、長
み 入 れら れ、 明治 二 二年 四月 に自 治制 が し か れ て から 、 五部 落 を統 合 し て
原︶ に組 みこ ま れ て いた が、 さ ら に 北 山組 が廃 止 さ れ て のち 、新 鹿 組 に組
現 在 の五 郷村 と 名付 け ら れ た。 宝暦 三年 のし ら べに、 上 表 のよ う な数 字 を
農﹁ 民 の生 計 は ま こ と に悲 惨 な るも のに し て 、収 入 の 一〇 分 の六 は 公租
見 る こ と が でき る 。 ま た郡 誌 に は、
の 二分 を以 て肥 料 代 、 農 具代 等 を弁 いた る外 、 一家 の生 計 を 維 持 せざ る ベ
と し て、 一〇 分 の 二は そ の他 の租 税 と し て徴 収 せ ら る るが 故 に僅 か に残 り
か らず 、 ごく ご く勤 勉 な る百 姓 に し て始 め て よく 一家 を維 持 す るを 得 る も のに し て、 普通 の者 は
し て 、 田 一畝 を 他 に 与 え し と 云う 奇 談 さ え あり 、 か つ納 税 の単 位 は個 人 にあ る と いう より も 村 に
得 る所 、失 う 所 を償 う に足 ら ず 、数 丁 の田 を有 しな が ら 、 逃亡 す るも のも あ り 、或 は酒 一升 を 付
あ る と いう べく 、 一村 の村 高 如 何 程 と 確 定 し 、是 に対 す る定額 租税 は村 とし て是 非 納 付 せざ る ベ
から ず 、故 に そ の村 に お いて 逃亡 もし く は 死絶 等 あり て耕 作 者 な き に至 る時 は、 そ の村 共同 に て
こ れを 耕作 し て納 租 の義 務 を は た さざ る ベか ら ず 。 こ れ を村 作 と いう 。村 民 窮 乏 のあ ま り 逃亡 す
る も の続 出 す る と き は村 作 い よ いよ多 く なり ゆ き て 一村 ま す ます 窮 乏 に陥 る に至 る ⋮ ⋮﹂ と あ り、 藩 政時 代 の生活 のく るし さ を う か がう こと が で き る 。
こ のよう な 生 活 は 大 正時 代 ま で つづ き 、妻 子 を と も な って年 期 奉 公 にで か け る作 り 名 子 の慣 習 が み ら れ た。
鹿児島 県伊佐郡山野町 院 政 のし か れ て いた時 代 、 こ こ は中 犀院 の 一部 で、 俗 に いう ﹁元 山 野 ﹂ を も って 一郷 を なし て いた 。
に通 ず る 最短 距離 とし て の交通 路 が 、町 内 を 貫通 し 、水 俣 への物 資 の輸 送 も 盛 ん であ った 。
藩 政時 代 に は薩 藩 北 端 の要 衝 と し て、 軍 事 的 に は 重要 な地 位 を占 め て い た の で、 大 口よ り水 俣
大 正 一 一年 に は栗 野 、 山 野 間 に国 鉄 が開 通 し 、 一二年 に は山 野 、 水 俣間 が開 通 し た ので 、県 内 や熊 本 方 面 と の交 通 も非 常 に便利 に な った。
な お藩 政 の崩壊 と と も に明 治 二年 大 口 、 山野 、 羽 月 の三郷 を合 せて 中 山郷 と称 し 、 区制 が し か
れ 、同 一七 年 ここ に戸 長 役 場 が おか れ 、 山野 外 四 カ村戸 長 役 場 と称 し 、 山 野 、 山木 原 、 平 出 水 、
淵 辺 、小 川 内 の五 カ村 を管 轄 す る こ と に な った。
明 治 二二年 には 山 野郷 を 廃 し て、 山野 村 と改 め、 旧村 名 を大 字 と し てよ ぶ こ と にな った 。
こ の町 の北 部 山 間 に あ る木 地 山 は押 野 と も よば れ、 現在 三〇 戸 あ る。 大 正 の初 め は 一〇戸 に す ぎ な か った が、 終戦 前 に は 二〇 戸 、 現在 三〇 戸 に な って いる 。国 有 林 の植林 、伐 採 、 炭 焼 な ど 山 仕 事 に 従事 し て いた 。
明治 中 期 に は水 田 が 一枚 あり 、 農 業 と い って も 甘藷 を つく る く ら いで、 そ れ も イ ノ シ シ にあ ら さ れ て し まう 分 が多 か った。
こ の人 た ち の出身 地 は熊 本 県 の北 部 が 一番 多 く 、 そ の ほか で は天 草 、 広島 県 か ら山 仕 事 を 追 っ て、 た どり つい た者 も あ る。
に従事 す る た め に来 て、開 墾 し て農 業 に 従 う た め に定 住 し た ので あ る。
移 住 の目 的 は付 近 の布 計 金 山 で働 く こ と に あ ったも のが 二名 あ る が、 他 の大半 は国 有 林 の仕 事
平出 水 も山 間 部落 であ る が、 水 俣 街道 に 沿 う て以 前 は車 馬 の往 来 も 多 く 、 早 く より ひら け て い た が 、鉄 道 開 通 によ って さび れ てき た 。
ってあ る程 度 の交換 経 済 の行 なわ れ て いた と こ ろ では 、 た と え 、古 い交通 が お と ろえ て、 そ れ に
こ れ ら の村 々 では 、漸 次 農 耕 に重 点 が お か れ て く ると 共 に ま た山 林 の利用 度 も高 ま ってき つ つ あ る 。地 形 に支 配 せら れ て 、十 分 の農 耕 地 を持 ち得 な いこ と が 一つ。今 一つは早 く金 銭 収 入 が あ
い世界 を見 出 し てゆ く。 そ の 一つと し て離 村 があ る。 山形 県 高 崎 の関 山 な ど は そ の代 表 的 な も の
と も な う金 銭 収 入 が少 な くな った と し て も 、 そ の まま 自給 化 へ後 退 す る こ と は少 な い。 必 ず新 し
で 、関 山街 道 の交通 が お と ろえ て、 荷持 、駄 賃 付 、旅 客業 な ど がす たれ て く る と夥 し い村 人 が 北
海 道 へ移 住 し た 、 と同 時 に あら たな 商 品産 物 の生 産 に のび て ゆ く。 製 炭 事 業 が そ れ で あ る。 五郷 、日義 、 土 淵 、荒 海 など には いず れ も相 似 た傾 向 が見 ら れ る。
2 農 業 の 村
村 は調 査 地 中 も っと も おく れ て いる 。 そ し て そ の発 展 のさ ま は そ のま ま き わ め て明 ら か であ る が 、
次 に は最 初 か ら 農耕 を目 ざ し て成 立 し た村 があ る。 北海 道 朝 日村 はそ のよ い例 で あ る。 そ の開
こ の村 にお け る が如 き事 情 が、 他 の古 く から 開 け た同様 の目的 を 持 つ村 に も あ て は ま ると考 え ら れ る。 よ って調 査書 に つい て開 村 の事情 を見 よう 。 北海道上川郡朝日村
船 で天 塩 川 を 上下 し て漁 猟 を行 な って いた と いう こと が開 拓 者 に よ って伝 え ら れ て い る。
明 治 三 七年 以前 に あ って は山 野 は す べて、 原 生 林 でお お わ れ た無 人 境 で、 た だ ア イ ヌ人 が 丸木
こ の村 のお こ り は明 治 三 八年 は じ め て 旧御 料 地 が解 放 さ れ、 現 朝 日 村 の入 口御 料 一線 より 本通 り 九 線 ま で︵ こ れ を現 在 糸 魚地 区 と呼 ん で い る︶ の間 に数 十 戸︵ 約 一〇〇 戸 と も いう︶ が、道 内
他 地方 か ら転 住 し、 当 時 の御 料 局 より 土 地 の貸 下 げ を 受 け て入 植 し た のが先 駆 であ ると いう 。 こ
の人 々は元 来 御 料 林 の林 業 労 働 に従 事 す る た め に 入 って来 た の で、 こ れら の人 々が 住 み つい て村
が成 立 し た の であ る 。 こ れ ら の人 々は団 体 と し て では な く個 々別 々 に 入 って来 た 。 し た が って本
村 は京 都 、 長 崎 、宮 崎 の三府 県 を 除 いた全 国 各 地 の出身 者 か ら成 って おり 、 今 でも 排他 心 と いう
よう な も のが見 ら れず 、 むし ろ他 所 の人 達 でも 喜 ん で迎 え入 れ協力 す る と いう 気 風 が あ る のは こ う いう と こ ろ に帰 因 す る の であ ろ う。
明 治 三 四年 春 に は 、 ペ ンケ 沢︵ ペ ンケ ヌ カナ ンプ︶ お よび 本 通 り 一〇 線 か ら 一五線 ま で を奈 良
のであ る が 、 ペ ンケ 沢 乙 一線 には福 島 県 信 夫 郡 佐倉 村 よ り の団 体 が須 田 金平 に率 いら れ て 一九 戸
県 人 藤 井 庄 太郎 が団 体 移 民 地 と し て貸 付 けを 受 け 、 さ ら に、 こ こ に道 内 各地 から 来 住 入地 し た も 入地 し、 同 じ年 の秋 に は ペ ンケ沢 甲 一線 に 一八戸 が 入 植 し て いる。
同 じ時 に北 一線 に 二 二戸 、 登 和 里 沢 に 一五戸 が道 内各 地 より 来 住 し 、 大 正 二年 春 に登 和 里 一五 線 か ら似 峡 二六 線 一帯 の地 域 に内 地 お よび 道 内 各 地 から来 住 し た。
大 正 一五 年 に旧帝 室林 野 局 から使 用者 への土 地特 別売 払 いが行 なわ れ、 こ こ に お い て土 地 に対 す る権 利 が移転 さ れ て 、 は じ め て民有 地 と な った。
そ の後 昭 和 六 年春 に は ペ ンケ ヌ カナ ンプ 移 民 地 に福島 県 人 一九 戸 、 島 根県 人 、徳 島 県 人 、 香 川
上似 移 民 地 に釧 路 根 室方 面 か ら転 住 移 民 が 三 三戸 入地 し てそ れ ぞ れ民 有 地 と な った 。
県 人各 一戸 の計二二 戸 が 入地 し、 同 じ 時 に新 奥 士別 移 民 に内 地 各 県 から 三 三戸 、昭 和 七 年 春 には
そ の後 太 平 洋 戦 争 の終 戦 に とも なう 国内 情 勢 の変 化 によ って食 糧 増 産 と 農 耕適 地 の開 拓 が国 家
の要 請 す る と こ ろと な って 、戦 災 者 、外 地 引揚 者 、 復 員 者 な ど の帰 農 者 を 昭 和 二〇年 秋 に ペ ンケ
中 の沢 に受 け 入 れ 、 ま た 二 二年 春 には 、 右 の沢 に二一 戸 、 左 の沢 に三 戸 、新 奥 士 別 の奥 の茂 志 利
奥 地 に 一 一戸 、 登 和 里 一八線 に 六戸 が戦 後 緊急 開 拓 者 と し て入地 し た。 植計 画 に より こ の付 近 一帯 の可 耕 地 に 入植 が行 な わ れ る予 定 であ る。
昭 和 二 四年 春 には 登和 里 二 一線 から 一五線 に香 川 県 よ り外 地 引 揚 者 が 一戸 入地 し た が、 今 後 入
支 庁 管 轄内 に移 さ れ、 そ のと き戸 長 役 場 が 剣 淵村 に 置 か れ、 明 治 三 五年 九 月 に 士別 戸長 役 場 を設
本村 の行 政 管 轄 はも と 増 毛支 庁 管轄 下 にあ って天 塩外 数 個 所 戸 長 役 場 に属 し 、明 治 三 二年 上 川
け 、 明 治 三 九年 二級 町村 制施 行 、大 正 二年 四 月 分村 独 立 し て上 士 別 村 と称 し 、大 正 一二年 四月 一 日 一級 町村 制 を 布 か れ、 そ のま ま 上 士別 村 に包 含 さ れ て いた。
と こ ろ が 、 上 士別村 は 一〇 里 にも わ た る長 い村 で 、 た とえ ば 似 峡 か ら役 場 ま で は 六里 も あ る と い
こ のよ う に 一つの県 ほど の広 さ をも った 剣 淵 が 母村 で 、そ れか ら 次第 に分 れ て き たも の であ る。
う 状態 で 、 こう いう 場所 で戦 時 中 戦 後 の米 そ の他 物 資 の配 給 な ど で、 不便 を痛 感 し て いた 。特 に
現朝 日村 の東 部 の奥 地 な ど は配 給 が おく れ、 ま た学 校 建 築 など に つ いて も不 利 な状 態 にお か れ る
と いう よう な こ と が多 か った 。 そ こ で当 時 の 二六名 の村 会 議 員︵ 現 上 士 別村 関 係 一五 名 、朝 日村
関 係 一一名︶ が主 と な って相 談 し 、四 年 間 慎 重 に経 済 調 査 を行 な い、 分村 実 行 後 、 母村 新 村 と も
成 り 立 つ成 算 を 得 た の で昭 和 二四 年 分 村 を実 行 し、 上士 別 村 か ら奥 士別 、新 奥 士 別 、 ペ ンケ ヌ カ ナ ンプ の三字 を さ い て朝 日村 を設 置 し た。 部 落 の分 布 状 況 お よび各 部 落 の特 徴 に つ いて の べよう 。
本 村 は名 寄 盆 地 の隅 の方 が天 塩 川 上 流 水源 地 帯 の小 渓 流 に沿 って 、丘 陵 地 帯 に入 り こ ん で いる と で も いう よう な 地勢 で あり 、 そう いう場 所 に個 人 が五 町 歩︵ 後 に は 一〇 町 歩︶ の土地 を もら っ
て 入植 し、 そ の土地 の内 の勝 手 な 所 に 家 を か ま え た た め、 内地 府 県 のよう な 集村 では なく 、散 村
が形 作 ら れ て い る。御 料 林 時 代 に本村 の入 口か ら幹 線 道 路 に直 角 に 一線 二線 と いう よ う に道 路 が
設 け ら れ て い る が、 そ の御 料 三線 を 中 心 に 市街 地 が発 達 し て 、 現在 の朝 日市 街 地︵ 糸魚 市 街 地︶
と な って い て、全 村 一、○ ○○ 戸 た らず のう ち 約 三 分 の 一の人 家 はこ こ に集 中 し て いる 。
他 に いま 一カ所 似 峡 に市 街 地 が形 成 さ れ て いる が 、戸 数 は前 者 の半 分 た らず で 、 は る か に貧 弱
なも の であ る 。 のこり の約 半数 の家 が各 沢 沿 い に点 々と 散在 し 、特 別 の集 落 と いう も のはな い。
字 は奥 士別 、 ペ ンケ ヌカ ナ ンプ 、新 奥 士別 、 北 線 、 登 和 里 、似 峡 、 似 峡 原 野 と いう ふう に分 れ
て は い る が、 広 い国有 林 中 の比 較 的高 い山頂 を のぞ ん で直線 を ひ い て区 画 し た よ う な分 け方 で住 程度 のも ので あ る。
居 と無 関 係 であ る た め実 際 に は ほと んど 用 いら れず 、 役 場 吏 員 さ え そ の名 を 覚 え て いな いと いう
ま で︶、似 峡︵ 奥 地 一帯︶ の四 地区 に分 け、 こ れを 地 方 区 と よ ん で い る。 そし てそ れ を さ ら に戸
ふ つう は全 村 を 朝 日︵ 本 流 沿 い九 線 ま で︶、 ペ ンケ︵ ペ ンケ沢 沿 い︶、登 和 里︵ 本 流 沿 い二 一線
数 一〇 〇 戸 、 人 口五〇 〇 程 度 を 限 度 と し て、 二 三区 に分 け て いる 。集 落 で はな いが村 の人 々 は こ れ を部 落 と よ ん で いる 。
こ の村 は 日本 の北 隅 に あ り、 一応 農 村 と し て成 立し 、 農 民 は 山林 を持 って いな い。 そ の上耕 地
は 畑 に限 ら れ て いて、 今 日 の農 耕 技 術 を も ってし て は畑 を 水 田 にき り か え る こ と は むず か し い。
し た が って畑 作 を 中 心 にし て 、畑 作 技 術 の高 度 化 に よ って農 業 経 営 を 合 理的 な らし める 以外 に は
て行 く 以 外 に道 が な い。
冬 期 の余 剰労 力 を利 用 し て林業 労 務 者 と し て の金 銭収 入 の増 大 を は か る か 、 ま た は酪 農 を す す め
が 、 か つて の日本 の農 村 の姿 であ った。 そ の代 表 的 な も のとし て、 煙 山 を見 出 す。
こ れ に対 し て、 畑 作 の村 と し て開 村 し たも のが 、農 業 の高 度 化 を 水 田 の方 向 にす す め て行 く の 岩手県紫 波郡煙 山村
平 泉 の藤 原 氏 が繁 栄 し た 当時 は秀 衡 の 一族 であ る 比 爪太 郎 俊 衡 、 同 五郎 秀 衡 の食 邑 であ った が 、
文治 五年 八月 源頼 朝 の奥 州 征 伐 に際 し 、 俊衡 等 が降 って こ こに定 住 し た。
のち 斯波 氏 の所 領 にな って か ら は、支 城 と し て煙 山 某 が居 住 し て いた が、 天 正 一六年 南 部 大 膳 信 直 が 斯 波氏 を滅 ぼし て以来 、南 部 領 と な り明 治 に至 った。
昔 は赤 林 、広 宮 沢 、 煙 山 、 矢次 、 矢 羽 々 の五 カ村 に わ か れ て いた が 、 のち に矢 羽 々か ら南 矢巾
と 又 兵衛 新 田 、 お よび 白 沢︵ 現 在 不 動 村︶ を 分村 し 、合 計 八 カ村 に な った 。 こ の 八 つが 現在 大字 を なし て いる 。
往 時 の行 政 区画 が 、村 の発 展 にと も な って合 理 性 を 失 な う例 はど こ にも あ る こ とだ が、 本 村 の
場 合 も 昭 和 開 田 そ の他 の大 変 化 を経 た結 果 、 今 で は 一五部 落 に わけ て行 政 単位 に し て いる。
と いう 概 念 を 持 ち 得 な いほ ど で ある 。 こ こ で は古 く から馬 の成 育 に従 事 し 、 五 月 か ら 一〇 月 ま で
最 奥 部 にあ た る 南 昌部 落 は 二、 三 戸ず つ の小 集 団 が 広 い地 域 に散 らば って いる に すぎ ず 、 部 落
共 同 で放 牧 し てき た 。 古 老 は こ れを ﹁馬 放 し﹂ と よ ん で い る。清 水 野 の地 名 から わ か る よう に、
原 野 の各 所 に湧 水 が あ る ので放 牧 地 に適 し て いた ら し い。 当歳 仔 を買 い、 三 、 四 歳 迄育 て て平 地
部 落 へ売 る のであ る 。 ど の家 も毎 年 二、 三頭 の馬 を遠 く は 新 潟方 面 へ売 って いた と いう 。
ま た 水 田 か ら得 ら れた イ ワ ナ ワ ラ から ツ マゴ 、草 履 、馬 靴 等 の ワ ラ工 品 や藺 草 で畳 表 、 ゴ ザ等 が つく ら れ た 。
農 耕 の方 は わず かば かり の水 田 のほ か に、 畑 には ムギ 、 ア ワ、 ヒ エ、 ソバ 、ダ イズ 、 アサ 等栽
培 し て いた。 ほと ん ど自 家 で消 費 し た 。 当時 こ の飯 を 三穀 メシ と よ んだ 。
のた め の飼 料 作 物 が 栽 培 さ れ 、 ア ワや ヒ エも 飼料 に なり 、 牛馬 の舎 飼 が普 及 し てき た 。
つ いで養 蚕 が 盛 ん に な り、 畑 の多 く が桑 畑 に なり 、 のこ り の畑 に は放 牧 の でき なく な った家 畜
昭 和 四年 、新 鹿妻 堰 が完 成 す る に お よび 、 煙 山 、耳 取 以 東 の畑 の大部 分 は水 田化 さ れ る こ と と な った。
平 坦 地方 は古 く から 米産 地 と し て知 ら れ て いた 。慶 安 四年︵ 一六五 一︶頃 、北 上 川 の支 流 雫 石 川 から 引 水 す る 鹿妻 堰 用 水 が 完成 し て以 来 の こと であ る 。
こ の用 水 は南 部 侯 が三 戸 地 方 か ら寛 永 一二年︵ 一六三五︶盛 岡 に移転 し て のち 工事 に 着 手 し た も ので、 一五 、 六年 で完 成 し て いる 。
田 が多 く、 営 農 上 必要 な野 草 は、 昭 和 開 田 のま え で は 一応 丘 陵 地帯 への依 存 によ って バ ラ ンス し
し かし下 赤林 、下 矢 次 、 矢 巾 を結 ぶ断 層 から東 にあ る 旧 田地 帯 は 地質 の関 係 上排 水 がわ る く 湿 て いた。
かく の如 く 用 水路 の完 成 によ って林 地 、採 草 地 が畑 に 、畑 が水 田 にと転 じ て い った 。 そ し て元
禄年 間 石高 七 五 六石 にす ぎ な か った村 が 、米 一四 、七 六〇 石 の生産 力 を持 つ村 に な った のであ る。 は そ の典 型 的 な村 であ る と い って い い。
土地 の利 用 の高 度 化 への途 は、 一応 山林 原 野︱ 畜産 、畑 地 化︱ 水 田 化 の コー スを たど る 。 煙 山 こ れ とや や 似 た型 に属 す るも の に富 士 里村 があ る。 長野県 上水内郡富士里村
徳 川 時 代 に入 って 、 霊仙 寺 山 、 黒 姫 山 、巣 鷹 山 は天 領 に 属 し 、巣 鷹 山 は 文字 通 り 放 鷹 地 であ り 、
御 巣鷹 山 と称 し 、 七 人 扶持 槍 一す じ の番 人 を おき 、御 上 山 と なり 、 黒 姫 、 霊仙 寺 は野 山 を 称 し 、 に 上地 し 、明 治 四 年 国有 林 に編 入さ れ た 。
信 濃尻 村 等 六 カ村 の入会 山 であ って、高 井 郡 中 野 町 の陣 屋 に於 て管 理 し た も のが 、明 治 維新 の際
﹁文 永 七 年 宝光 院 大 衆 離 山 住 霊仙 寺 云 々﹂ の記 事 が あり 、 離 山 の当 時 、す で に同寺 の存 在 を 暗 示
本 村 中 発祥 的 古 部 落 は霊 仙寺 部 落 であ ろう 。戸 隠 山宝 光 寺 流記 の ﹁別 当 職 位 事 ﹂ 中 の 一節 に し て い る。
ま た霊 仙 寺 の奉 仕 し た五 社 大 明神 の鎮 座 地 は今 日 も小 濠 を 回 ら し た 旧域 が明 瞭 に残 存 し、 小 祠
を ま つ ってあ る が 、 旧時 の遺物 たる 石鉢 様 の石 の前 面 に ﹁一切 衆 生 乃 至 法界 平 等 利 益 応永 一 一年 八月 ﹂ と刻 銘 が残 って いる。
ま た 五社 大 明 神 の別 当 寺 た る霊仙 寺 の礎 石 も 現 在 し 、 五輪 原 そ の他 に は鎌 倉︱ 室 町期 の五輪 塔 いわ ゆ る ﹁門 前 村 ﹂ と し て の部 落 の衰 退 型 を し めす も の であ る 。
石 も た く さ ん存 し 、付 属 の坊 名 も 随 所 に のこり 、 十 箇寺 、数 十 の社 人 屋 敷 の存 在 を う か が わ せ る。 大井 区 い た。
発 祥 は あ きら か では な いが 、最 初 山 林 原野 を開 拓 し て、 稲付 、松 カ原 、 落影 の三 カ所 が でき て
古 時 大 田郷 に属 し 、 後 、原 庄 と なり 、村 と し て は、 稲 付 村 で あ った。 水 利 、 地勢 等 の関 係 から
分 れて 稲付 、石 橋 、 板 橋 、高 山 の四村 と な った︵ 天明年間︶。明 治 五 年 に霊 仙寺 の民戸 五 戸 が地籍
と共 に高 山 に合 併 し 、 明 治 八年 四 カ村 合 併 し て大 井 村 と改 称 し た 。明 治 二 一年 に 平 岡村 、穂 波村
と 合併 し て 現在 の富 士里村 と な った も の であ る 。 大井 の名 称 は 現在 大字 名 と し て残 って いる。 平岡区
現 在 は 大字 で あ って、御 料 、原 、落 合 の三 部落 を含 む。 古 く は 松井 カ原 村 と よ ば れ 、 太 田郷 に
属 し た。 ま た 、原 庄 とも いわ れ た 。俗 伝 に よ れば 、 霊仙 寺 領 に属 し た時 も あ ったと いう 。
って三部 落 に住 まし め村落 を形 成 し 、高 六 三 石 を なし た。 す な わ ち原 、落 合 、御 料 の三村 であ る 。
弘治 ・永 禄 年 間 に甲越 戦 闘 の際 、 兵 火 のた め 霊仙 寺焼 失 し 、廃 寺 と なり 、 し た が って住 民 も ほ と ん ど離 散 し た。 明 暦年 間 に幕 府 の代官 天 羽 七右 衛 門 が尽 力 し て離 散 し た住 民 を集 め 、水 利 によ
し か る に 、寛 文 一〇 年 旧 松 代領 四〇 カ村 、長 沼領 一三 カ村 、 赤 沼領 五 カ村 、 合 わせ て 五 八 カ村 か
ら 本 村 へ対 し て、二〇 年 以 前 、前 記 五 八 カ村 の入 会 原野 へ、本 村 民 が勝 手 に 入植 開 墾 し た も のだ か
ら 、 旧 に復 し て 入会 原 野 と な し 、全 部 耕 地 は 取 潰方 を 幕 府 へ訴 え た 。 こ れ に対 し て本村 の住 民 は、
た。 明 治 一〇 年 三村 合 併 し て平 岡村 と なり 、 明 治 二一年 大 井 、 穂 波 と 合 し て富 士里 村 と な った。
新 規 開 墾 でな く 旧時 の亡 村 を再 建 し た の であ ると 応 じ て、 双 方 取 調 ベ の結 果 、 本村 の勝 訴 と な っ 穂波 区
往 昔 の郷 、 庄所 属 や成 立 は他 の 二区 に同 じ 。 古 く落 影 村 と称 し た 。 こ の村 も 甲 越 戦闘 の兵 火 の
災 を 受 け て離 散 し た が 、寛 永 年 間 、佐 久 間 大 膳 亮領 知 の頃 、帰 郷 再 墾 し落 影 、 辻 屋 、 中島 、宮 腰 、
戸 草 の五 村 落 を な し た 。明 暦 元 年代 官 天 羽 七 右 衛 門 の検 地 に て高 三 〇 三 石 七斗 七 合 であ った 。 こ の村 も 前 記 平 岡 と 共 に 五 八 カ村 と訴 訟 し た。
明 治 八年 に五村 合併 し て 一村 と な り 。 穂波 村 と 改 め た 。以 上三 大 字 に開 拓 地 を戦 後 に加 え て現 在 の富 士里 村 の部 落 を形 成 した 。
かく の如 く 霊仙 山 麓 の緩 傾 斜 を ま ず畑 とし てひ ら き 、桑 畑 と し て養 蚕 に利 用 し て いた が 、 漸次
水 田化 し、 明 治 一四年 産 米 一、四 五 二石 だ った も のが 、昭 和 二五年 に は 五 、九九 二石 に増 加 を見 て いる。 そし て換 金 化 さ れ る も っと も 重要 な も のが米 にな って いる。 そ れ とや や 似 た 事情 に あ る の が東 小国 村 で あ る。
山形県最上郡東 小国村
古 く から 中 心 を な し て い た部 落 は本 城 であ り 、 そ の隣 接 部 落 であ る 向 町 が今 日中 心 にな って い
る 。 こ れ より 東 北 方 沢 添 の黒沢 部 落 のはず れ 、国 境 寄 り に判 屋 と いう 一二戸 の集 落 があ るが 、 こ
こ に 昔番 所 が おか れて いた と いわれ る 。 向町 か ら判 屋 に至 る道 は花 立峠 を こえ て隣 国 鬼 首 村 に抜
け る 唯 一の通 路 であ って明 治 一三 年 小 国 川 沿 いに鳴 子 に至 る道 路 が開 通 す るま で用 いら れ た と い
う 。 こ の交通 の要 路 に最 上戸 沢領 に よ って貞 享 元年 番 所 詰 と し て任 命 さ れ て以 来続 いて いる のが
A家 であ る 。解 放 前 、 水 田 八町 、畑 三町 を 所有 し た が 、現 在 水 田 二 ・五町 のう ち 一町 を 小作 さ せ、
畑 七 反 のう ち 三反 を貸 付 け し て いる 。家 族 労 働 四 人 、使 用 人 一人 、 山林 一六町 、 原 野 一町 、 そ の 他 牧 野 に対 す る 入会 権 を有 す る 。
明 治 初 年 、 同家 は村 役 人 であ り 、農 業 の傍 ら鬼 首村 ま で の牛 に よ る駄送 で家 計 を た て て いた。
村 内 か ら米 を 運 び 、 向 う か ら木 工品 を 持 ち か え ったと いう 。 村 と し て は戸 沢 領 以来 の馬 産 地 で、 A家 は明 治 二〇 年 代 か ら馬 の飼 育 を は じ め 、 二 八年 か ら は
村 に畜産 組 合 が成 立 、東 村 山地 方 の県 営 種 畜場 そ の他 に牡 馬 を ﹁建 て馬 ﹂ と し て貸 付 け た。
向 町 は経 済 、行 政 、 交通 上 の中 心市 街 であ り 、古 く から 成 立 し て いる部 落 であ る 。 そ の農 家 戸
数 は七 二戸 で 、村 と し ては 最高 で あ る が、非 農家 割 合 が 八三% に達 す る市 街 村 で、農 業 部 落 とし
て は零 細農 家 が相 対 的 に多 い。 こ の地 は明 治 一〇 年 頃 から 交通 の発 達 、村 人 口 の増 加 と 共 に商 業
地 とし て徐 々に 膨張 を はじ め非 農家 層 を増 加 す る と 共 に、 農 家 人 口も増 大 し、 分 家 入 植者 を前 森 第 一部 落 に送 って いる。
ち ょう ど そ の頃 、前 森 原 地 区 の官 林 の管 理 の放 漫 に乗 じ 、地 元 民 は 大 いに利 用 し て いた 。 も ち
ろ ん旧 幕 時 代 か ら 山 運 上 を納 め 入山 は し て いた わけ であ る が 、 入会 権 を 設 定 す る に至 って いな い。
* 明治 一八年地押調査 にともなう土地官民有区分に際 し、新庄 の旧藩士が横領 を企 てたに対し、向 町
は訴訟をおこし、そ の結果国有林であること におち ついた。明治 二四年改めて県に申請 して、 一五〇 町歩を向町三六名記名共有地として払 下げを受け、現在前 森所在 地の約 八〇町はこれら 旧藩 士の所有 に帰し、 のこる田地 は国有林 のまま、向町部落 の利用をゆるされた。
こ れ に対 し、 向 町 よ り低 地 の小 国 川 にそ う た豊 田 は明 治 一〇 年 代 の入植 部 落 であ る に か か わら
ず 、今 日村 最 高 の水 田 率 、専 業 率 を 有 し 、耕 地 規 模 の大 き い農 家 の割 合 も 最 も多 い。
明 治 一〇 年 以 来 、東 村 山地 方 か ら の集 団移 住 者 た ち は、 向 町 、満 沢 、 お よび 、 隣村 、 西小 国 村
月槇 、諸 部 落 周 辺 の山 林 原 野 に増 反 し、 相当 の林 野 資 源 破 壊 を行 な った と いう こ と で あ る。
豊 田 が今 日 の経 済 力 を獲 得 す る に至 った のは 、定 着 地 の自 然 条件 の外 に村 山 地 方 の水 田経 営 方 式 と 、或 る程 度 の資 力 を移 し た こ と に よ ると考 え ら れ る。 黒 沢 は豊 田 に つづ き 、 旧 部 落 の代 表 的 存 在 であ る 。
明 治末 期 開 拓 の前 森 は 、 経済 事情 は村 で最 も悪 く 、自 然 条 件 にも め ぐ ま れ て いな い純 畑作 兼 業 の部 落 であ る 。
った。 前森 第 一部 落 が明 治 二〇 年 代 に形 成 さ れ た と す る と、第 二部 落 は 日露 戦 争 前後 であ った。
いず れ も 旧藩 士 の小 作 人 と し て 入植 し た の であ った 。小 作 料 は 一反 に つき豆 一斗 五 升 の割 で あ
彼 等 は採 草放 牧 入会 地 を 持 た な い。 し か も戦 後 四 〇頭 か ら の役 牛 が導 入 さ れ て い る に かか わ ら ず 、
現 在 利 用 し て いる採 草 地 は刈 り つく さ れ よう と し て いる 。彼 等 はわ ず か に 、向 町 の共 同 採 草 地 の 茅 場 地 に従 属的 な参 加 を ゆ る さ れ て いる に すぎ な い。
す な わ ち 、 こ の地 に お い ては 、古 く 成 立 し た集 落 の間 や山 間 の緩傾 斜 地 へ明 治 以 来 し き り に 入
植 が行 な わ れ 、著 しく 人 口を増 加 し てき た の であ る が 、 こ こ で は低 地 に定 住 し たも のは 最初 か ら
水 田を ひ ら く こ と に し て成 功 し 、 山地 は採 草 地 と し て の利 用 度 を 高 く し て いる の で あ る。
沢 田 村 大岩 も 、 も と畑 だ け で田 は少 し もな か った 。 大正 一五 年 に は三 八戸 の部 落 だ ったが 、 大
正 一四 年 か ら 開 田 を計 画 し て、 昭和 一二年 に完 成 を見 てよ り に わか に人家 の増 加 を見 、 現在 七 五
戸 に の ぼ って いる 。 こ れら は全 く 分家 に よ るも の で、 他 か ら 入 ったも のは な い。
こ の地 は 、 こ のよ う に し て農 村 化 への道 を たど り つ つも な お国 有 林 労 働 や製 炭 事 業 に依 存 し て、 大 きく 現 金 収 入 を 得 て いる。
かく の如 く 、多 く の山村 は今 日 ま で のと こ ろ、 山 林 への依 存 を高 め る より も農 業 技 術 と生 産 の
よ う に 、畑 作 り によ り 大 き く依 存 す る村 に お いても 、 林 業 を農 業 経 営 の中 に と り 入 れ よう とす る
高 度 化 によ って 、 よ り農 村 化 し て行 く傾 向 を たど って いる のが普 通 であ る。 そ し て そ れ は円 城 の 方 向 を 辿 ろう と は し な か った。 岡山県御津郡円城村
一般 の農 家 は三 〇 〇 米 台地 にく い こん で いる谷 の上 に多 く存 在 す る。 そ こ は傾斜 が ゆ る や か で、
や や集 村 に な って いる 。 こ こ に は天 台 宗 円 城寺 の塔頭 観 音 院 、 地蔵 院 、医 王 院 が あ り 、 そ の門 前
多 く は畑 に ひら かれ て いる 。家 は こ の畑 の中 に散 在 す る。 全 く 散村 の型 をな し てお り 、 円城 のみ 町 と し て集 村 の態 を な し た も ので あ ろう 。
こ の地 方 は早 く 加 茂 神領 に な った。 し かし そ の間 の事 情 は全 く明 ら か でな い。 そ の加 茂 郷 の地
域 に長 田荘 が成 立す る。 初 め は 亀 山院 領 、 弘 安 の頃 に は最 勝 光 院領 、 嘉 元 三年 に は後 二条 天 皇 に
ゆ ず ら れ た と あ る から 、 お そ ら く平 安末 には荘 園 が でき て いた も のと おも われ る 。
さ て荘 園 の内 部 には新 た な開 墾 が おこ って名 田 が発 達 す る 。今 日円 城 村 には そ う し た名 田 の名 残 り と 思 わ れ る地 名 が いく つも 残 存 し て いる 。年 末 、 霊 信 、 実定 、小 利 清 、 実 方 、 国近 、光 則 を
は じ め と し て、 屋 敷名 と し ても 忠 富 、友 光 、実 竹 、 久 実 、有 年 、国 成 、 末 次 、邦 忠 、末 信 な ど が
そ れ で あ る。 屋 敷 名 と いう のは家 々 の屋敷 の名 で、 同 姓 の者 が き わ め て多 いた め に こ の地 で は屋
敷名 をも って よぶ 風 が見 ら れ る。 そ し て 古 い屋 敷 名 を名 と も言 って い る。
戦 国 時 代 の末 、 こ の村 々 へ多 く の敗戦 武 士 が落 人 と し て定 住 す る。 そし て名 主 な ど にな る 。 い ず れ も農 業 を 主業 と し て生 計 を た てた ので あ る が、 幕 末 の頃 、安 芸 の国 か ら多 く の人 が木 び き 、
のが多 い。 こ の地 は人 口増 加 率 が き わ め て低 く 、養 子 や株 つぎ に よ ってそ の家 系 を 維 持 し て ゆく
炭 や き と し てや ってき て定 住 す る よ う に な る。 こ の人 た ち は 一般 農 家 の養 子 と し て住 み ついた も も のが き わ め て多 い。
ただ わず か に岡 山 への薪 炭 供 給 地 と し て の山 稼 ぎ が村 の北部 地 区 に見 ら れ た 。
か く の如 く 、林 業 は も と他 処 者 に ま か せ て村 人 はほ と ん ど こ れを か え り みる こ と がな か った 。
が さ ら に古 く 、 か つ山林 の利 用 を 自家 燃 料 の採 取 以 外 に は考 え て見 な いよ う な純 粋 な 農村 も存 在
以 上 の村 々 は 一応林 地 を きり ひ ら いて農 耕 地 たら し め 、住 居 を 定 め た村 々 の例 であ る が、 開村
し た 。 そ れら の村 の歴 史 はき わ め て 古 い。 そう いう村 で は水 田 の上 にひ ろ が る傾 斜 地 は多 く牛 馬
の放 牧 場 とし て利 用 せ ら れ て いる か 、 ま た は採 草 地 と し て利 用 せら れ て いる 。草 は金 肥 の行 な わ
れ る以 前 に は肥料 と し て農 耕 上 欠 く べか らざ るも ので あ った 。 こう いう村 に宮 崎 、 東背 振 が あ る 。 宮 城県加美郡宮崎村
豊 臣 時 代 大崎 義 隆 の重 臣 笠原 民 部 の居 城 であ った 。大 崎 家 は新 田義 貞 を ほ ろぼ し た 功績 に より
る 、宮 崎村 の中︶ に は尾 形 氏 が住 み豪 族 と な って いた 。天 正 一九年 尾形 河 内 守 は 笠原 家 の客 分 に
足 利 尊 氏 よ り出 羽探 題 職 に補 せら れ、 中 新 田 に 城 を か ま え た。 北 川内 村︵ 当 時如 宗堂 村 と よば れ 迎 え ら れた 。 ま た柳 沢 和泉 守 が柳 沢 に居 を か ま え て町 を つく った。
そ の後 大崎 家 は伊 達 氏 にほ ろ ぼ さ れ、 笠 原 、 尾 形 も ほ ろび た。 万治 二年 、 石 母 田 長門 守 が岩 が が宮 崎 三 、三〇 〇 石 に封 ぜ ら れ た 。
崎 より 宮 崎 五 、〇〇〇 石 に移 封 せ ら れ た が伊 達 騒 動 の責 を負 ってし り ぞ けら れ、 宝暦 七年 古 内 家
廃 藩 後 宮 城 県 の管 轄 と なり 、明 治 二 二年 町 村 制 施行 の際 、柳 沢村 、 北 川内 村 お よび宮 崎 村 の三 村 が合 併 せら れ 、現 在 の宮 崎 村 に な った。 佐賀県神崎郡東 背振村
本 村 は下 石動 、 三津 寺 カ里 か ら は縄 文 土器 の出 土 が あり 、奈 良 時 代 に は条 里 制 も し か れ 、現 在
永 田 力里 、 大塚 カ里 、 伊 生 カ 里 な ど と いう 名 が残 さ れ て おり 、 ま た百 堂 伽 藍 三 千 坊 な ど の口碑 も あり 、 早 く か ら ひ ら け て いた 土地 で あ る。
村 落 の構 成 を み る と、 徳 川 中期 のも のと みと め ら れ る ﹃神 崎 郡 郷村 帳 ﹄ に 、 小川内村 大野、竹 屋敷 永 山 村 一ノ瀬、熊ノ谷 坂 本 村 寺領 松 隈 村 西隈、西谷
大 曲 村 松葉、在郷 西石動村 上三津村 上三津東、上三津 西、山 田 下三津村 下三津東、下 三津西、伊生 カ里、長者原 横 田 村 永田カ里、大塚 カ里、中 ノ原、瀬尾カ里
があ り 、坂 本 村 、 松 隈 村 は寺 領 で高 一五 〇 石 、 山林 七 五町 歩 を領 有 し て いた。
明 治中 期 頃 ま で には 松 隈 、 石動 、 三 津 、 大 曲 の四 カ村 に変 化 し 、明 治 二 二年 町村 制 施 行 と とも に現 在 の東 背 振 村 に統 合 さ れ た 。
貞 享 四年 、 坂本 、 永 山 、松 隈 、三 津 の各 村 に布 達 さ れ た古 文書 に よ る と、 当 時 の林野 入会 は坂
に定 め ら れ 、 さら に頻発 す る 入会 関 係 の紛争 を防 ぐ た め、 宝 暦 六年 に は藩 命 によ って入 山 の通 路
本村 は岩 井 谷 、永 山 は村 内 、 上下 石 動 は権 堂︵ 現在 三 田川 村︶ と い った具 合 に入会 地 が部 落 ごと が部 落 ご と に定 めら れ る こ と に な った。 二把︵ 長 さ五 尺 で三 尺 な いし五 尺︶ に及 ん だ と いう 。
入会 地 に関 す る 古 老 の話 に よ ると 、 明治 末 期 ま で は春 先 か ら盆 ま で連 日 採草 し 一日 一〇 把 ∼ 一
と いう のも 低 位 の生産 力 段 階 にあ った当 時 と し て は厩 堆 肥源 、燃 料 源 と し て 林野 のも つ比 重 は 決 定的 な も のであ った 。
小 川部 落 は藩 政 時代 国 境 守 備 の役 割 を果 し て い た とこ ろ か ら 、維 新 後 か な り の私 有 林 野 を あ た
え ら れ、 耕 地 の少 な い部 落 民 は、 こ れ ら の林 野 経 営 に相 当 の努 力 を払 ってき た 。
こ れ が北 九 州 の経 済 的 発 展 に応 じ て非 常 な価 値 を ま し 、豊 か な林 業 部 落 と し て 、今 日栄 え て い
る。
り村 とし て、後 者 は駄 賃 付 の村 と し て別 の要 素 を も 大 き く持 って いた 。
牧 畜 にた よ った村 とし ては 、 右 のほ か に田 山 、 土 淵 な ども あ る。 し か し牧 畜 以 外 に前 者 は 薪売
3 林 業 の 村
以 上 二 つのケ ー ス のほ か に、 最初 か ら 山 に たよ ら ね ば 生 き てゆ け ぬ村 が あ った。 そ の中 に は高
知 東 川 、 大 川筋 、福 島 茂 庭 、 群 馬 沢 田 のよう に深 い峡 谷 の中 にあ って、 し か も そ の谷 の奥 は行 き
づ まり にな って いて 、交 通 の上 か ら言 っても 袋 小 路 に な って い る。 そ う いう谷 間 に住 み つ いた 人 々 は最 初 か ら農 耕 が も っとも 大 き な 目的 で は なか った はず で あ る。
そう し た山奥 に は色 々 の理 由 も あ った で あ ろう が、 山間 に住 み ついて 生活 を た てる こ と ので き た のは、 売 って金 に な るも の があ った か ら で あ る。
即 ち早 く 交 換 を 主体 とす る 経 済態 勢 に あ った。 炭 や 薪 を買 ってく れる 土地 が大 抵 そ の峡 谷 の下
の方 に あ った 。茂 庭 で いえ ば 飯 坂 、福 島 など の消 費地 が あ まり 遠 か ら ぬ所 に あり 、 沢 田 は村 内 に
四万 のよう な 温泉 地 が あり 、 ま た 谷 を出 る と原 、 中 之条 な ど の町 があ る 。
し た燃 料 の消費 地 への供 給 地 と し て 、 藩政 時 代 には 大 き な町 の近在 に薪 炭 材 を 伐 り 出 す 山村 が存
同 様 に東 川 に は谷 の出 口 に安 芸 の町 が あり 、 大 川筋 は川 下 に中村 の町 を持 った。 つま り 、 そう
在 し たも の であ る 。 そし て、 そ のよ う な薪 炭 を 運 ぶ た め に は川 が最 も便 利 な運 搬 路 で も あ った か
ら、 日 本 の古 い城 下 町 は多 く は背 後 にゆ た か な 薪炭 を供 給 す る 山村 を持 ち、 か つそ れ ら を運 ぶに
便 利 な 川 の中 流 ま た は下流 に多 く 立地 し て いる こ と を見 のが し て は な ら な い。
およ び 鉱 山労 務 者 であ る 。 そ の人 々 によ って成 立 し た集 落 に は早 口町 の矢 櫃 鉱 山 を中 心 にし た中
今 一つ、 そ れら と は別 に農 業 を対 象 にし な いで 、 山 に生 き た人 々が あ る。 そ の 一つは鉱 山 業 者
谷 地 、 大 野 、高 祖 があ る 。 こ こ に住 む人 達 は 土 地 を所 有 せず 、 営農 資 本 を も た ず 、 し た が って鉱 山 が廃 坑 に な ると 山 林 労働 者 と し て働 く に至 った。
高 知県 東 川 の山 林 地 主清 水産 業 も 、 も と こ の地 の仙 谷 銅 山 を経 営 し 、 そ れに と も な って山 林 の
集 中 を行 な った の であ る 。 こ の銅 山 には 古井 部 落 の者 が多 く 働 いた の であ るが 、今 日 も な お清 水 産業 の林 業 労 務 者 と し て特 別 の関 係 を 持 って いるも の が多 い。 今 国有 林 の林 業 労 務者 と な って いる。
鹿児 島 県 山野 町 の木 地 山 も 、 も と付 近 の布 計 金 山 の労 務者 だ ったも のが定住 し た も のであ り 、
大 山 林地 主 の多 く は鉱 山経 営 者 であ った 。 同様 に、 鉱 山 労務 者 が林 業 労 務 者 に転 じ た例 も き わ め
今 回 の調査 に は鉱 山 と林 業 の関 係 を も のが た る も の は以 上 三 つ の例 し かな いが 、 日本 に おけ る て多 い の であ る。
今 一つ最 初 から 山 林 を薪 炭 材 採 取 以外 の目的 で利 用 し た 人 々が あ った。 膳椀 そ の他 家 庭 で使 用
は製 炭 を 主 と し て いる が 、 も と は山 から 山 へ良 材 を も と めて 木地 を つく って歩 いた ので ある 。 宍
す る 木 器 を つく る木 地 屋 の仲 間 であ る。 本 調査 で は兵 庫 県 三方 村 に そ の人 々 の定 住 が見 られ 、 今 粟 郡 山 間 に は こ の木 地 屋 の定住 し た部 落 が少 な く な い。
単 に宍 粟地 方 のみな らず 、育 成 林 業 の先 進 地吉 野 林 業 地 帯 も実 は こ の木 地 屋 仲間 に よ って ひら
か れ 、そ の人 々 の定 住 に よ って今 日 の林業 の盛 大 を 見 る に至 った ので あ る。
岐 阜 県 も ま た 木地 屋 の多 い所 であ る が 、 そう し た木地 製 造 か ら建 築 用 材 が 商 品 と し て重 要 な 価
のゆ た かな 所 に移 動 し 、 や が て定 住 す る に至 る。 長 野 県 日義 村 の林 業 労 働 を 主 と す る 人 々 は岐 阜
値 を持 つに至 る と 、 こ れ ら の人 存 は用 材伐 採 を 主 とす る 林業 労 働 者 に転 じ てく る 。 そ し て用 材 林
て い ると いわ れ る も のな ど、 も と 木地 挽 を 主業 とし て いた も のが少 な く な い。 そ し て そ の よう な
県 か ら来 住 し た と い い、高 知 県 大 川筋 へは徳 島 から 、宮 崎 県 三納 の林 業 労 働者 は 四国 から 多 く 来
林 業 伐 採 の技術 が や が て 、 そ れぞ れ の土地 の住 民 にう け つが れ、 そ の こと に よ って地 元 民 によ る 林 業 が展 開 し て来 る 。
な お山 地 に は 狩 猟 を主 業 と し た 集落 も少 なく な か った が 、 こ れ は今 回 の調 査地 の中 には 見 ら れ
な か った。 日 本 で は狩 猟 社 会 の解 体 が き わ め て早 く 、 そ の残 存 集 落 の少 な いこ と から 対象 地 の中 にう かび 上 って こ な か った の であ ろう 。 れ異 にす る村 が成 立 し て来 て いる ので あ る。
以 上山 地 に 立地 す る村 々も そ の開 村 の初 期 の目的 と歴 史 と に よ って 、 生産 と社 会 構 造 を そ れ ぞ
三 旧 藩 時 代 の 林 政
山村 の人 々は ど のよ う に し て 土地 を利 用 し 、 ま た所 有 し て い った で あ ろう か。
そ れ に つ いて は各 藩 の林 政 を先 ず 見 てゆ く 必要 が あ る。 報告 書 に のせ ら れ たも の は 南 部︵ 岩
手︶、 秋 田 、仙 台︵ 伊 達︶、 米沢 、水 戸 、 小 田 原 、 土佐 、飫 肥 八 つ の藩 にす ぎ な いが 、 そ れ ら の藩
が 山 林 に 目 を つけ て民衆 の山林 利 用 を 制 限 化 し た のは、 いず れ も 江戸 時 代 初 期 のこ と で あ って、
藩 と し て用材 の必要 から 植 林 や禁 伐 樹 木 を き め、 そ れ に とも な って 山林 の利 用 を いろ いろ に規 定
し た。 そし て里 に近 い山 林 を 百 姓林 と し て燃 料 や 飼料 の採 取 に あて さ せ た の であ る 。
し か し、 中 に は林 産 物 の商 品 化 を図 る政 策 も と ら れ 、南 部 藩 が輪 伐 の制 を とり 、 仙 台 藩 が早 く
元 和 七 年 に漆樹 を百 姓 一人 に毎 年 一五本 ず つ植 え さ せ た こ と や、 飫 肥 藩 が 山地 に杉 を 植 林 さ せ て
利 益 を 歩 合 分 け に す る こ と にし た例 も見 ら れ る。 こう し た積 極 的 な 林業 政策 は調 査 地 以 外 の山林
に お いても いろ いろ と ら れ て いた が 、全 般 的 に林 産物 の交 換経 済 への参 加 を計 画 的 に行 な った 藩
は少 な か った。 ま た そ れ ほど 一般 社 会 に お いて木 材 の利 用 が少 な か った と い って も い いの であ る 。
囲 の山林 に自 己 の所有 権 を感 じ て いた 。 し か し そ れす ら も実 は完 全 なる 土地 所有 権 と し て では な
さ て 、百 姓 林 、寺 社有 林 以 外 は 一応 藩 の所 有 林 と考 え ら れ て おり 、農 民 は 自 己 の利 用 でき る範
く 、地 上用 益 権 ま た は占 有 権 的 な も の であ った 。 そ れ は早 く 山林 の民 有 化 し て いた吉 野 熊 野 地 方
に お い てす ら 、 山林 の売 買 証 文 に し ば しば 立木 一代 限 り と あり 、立 木 の伐採 ま で の土 地 用 益 権 の
売 買 であ った こ と を知 る の であ る 。 こ のこ と が こ の地 方 の林 業 を借 地 林業 と よば し め る ほど 、 用
であ って、部 一山 の制 度 は、農 民 が植 林 し た山 を 伐採 に あ た って、 そ の 二分 の 一ま た は三 分 の 一
益 権 を 主 と し た育 成 林 業 を 成 立 せ し め た のであ るが 、 こ のこ と は飫 肥 林業 に つ いても いえ る こ と
を 藩 が 収 公 す る制 度 であ った が 、農 民自 身 は そ の収 公 す る部 分 を土 地利 用 に対 す る利 益 分 収 と は
考 え ず 、 租税 と し て考 え て いた の であ る 。 こ の場 合農 民 は 土地 の所 有者 が誰 で あ る か は問 題 でな
は、 藩 政時 代 に は、 山 林 を き り た お す と農 民 たち は き そ って そ の伐 り あ と に 入り 、 四方 に棒 を 立
く 、 そ の用 益権 が問 題 であ った 。酒 谷報 告 書 には 見 え て いな い が、 私 が 同村 で調 査 し たと ころ で
て て自 分 のこ れ から 植 栽 し よ う と す る林 地 を 定 め た も ので あ る と いう 。 そ う し て そ の地 が村 民 お
互 いに よ って確 認 せ ら れる と 、 徐 々に杉 を植 え て い った ので あ る。 こ のよ う な制 度 は必 ず し も 飫
肥 藩 の発 明 で は な か った ら し く 、飫 肥 藩 の南 隣 の高 鍋 藩領 でも 同 様 の慣行 が あ った。 ただ ここ で
は 林地 は明 治 に な って民 間 のも のと確 認 せら れた の であ る 。 かく の如 く育 成 林 業 の早 く 行 な わ れ
た 土地 では 、 土地 の所 有 権 よ り も用 益権 の方 が農 民 に と って は重 大 な 意 味 を持 って い た。 南 部藩の林政
文禄 二年︵ 一五九三︶二月 、南 部 利 直︵第 二七代︶が盛 岡 市 内 未 来方 の城 に移 転 し て以 来 、 寛 永 一
一年 の夏 落 雷 の ため 城 中 に 失火 が あり 、 当 時 の諸 簿 冊 が烏 有 に帰 し た ので 、 そ れ ま で の山 林制 度
に つ いて は全 く 調 ベ得 な いこ と にな った が、当 時 は開 拓 当 時 の北 海道 の如 く到 る所 に森 林 が あ り 、
も っぱ ら開 墾 に重 点 が あ って 、森 林 は全 く の邪魔 物 視 さ れ て い た であ ろ う と想 像 さ れる 。
文 献 に よ ると 、 初 め て 山林 の制 度 が定 めら れ た のは正 徳︵ 一七一一︱ 一五︶ の頃 と い われ る 。次
いで 宝暦 年 間︵ 一七五 一︱六〇︶に 田名 部 に輪 伐 の制 、雫 石 、 門 馬 そ の他 の各 地 に、御 山 を設 け、
さ ら に 、運 上山 の制 度 も創 始 し て 、う ち 二、 三 カ所 に山 奉 行 を 配 置 し て 藩林 を監 視 し た と いう。
民 林 に つ いて も代 官 の統 轄下 に 山奉 行 が監 督 の任 に あ た り、 士民 の別 な く濫 り に伐 木 す る こ と を
て輪 伐 の制 を 設 け た 田名 部 の松 山 は 二〇 八 の山 林 を 輪 伐 し て 、 そ の材 を 江戸 、加 賀 、越 前 等 に移
禁 じ ま た植 立奉 行 を し て空 閑地 の植 林 を勧 奨 せし め た 。 当 時 南 部 藩 の財 政 が相 当 程 度 木 材 に依 存 し て いた 事実 は 、藩 政 史 から も う か が わ れ る が、初 め
は、 二 二、三九 二両、 永 七 七 〇 文 で あ った と いう 。
出 し たが 、 年 平均 一〇 万 石 目︵ 一〇 石 目 は大 略 二五 万 二千本 に当 る︶ 以 上 を 販売 し て 、 そ の収 入
し かし こう し た森 林伐 採 のた め、 林 相 が次 第 に悪 化 し た跡 も史 実 か らう かが わ れ る 。 す な わ ち
寛政︵ 一七八九︱ 一八〇三︶ の頃 に な る と、 本 数 が 一六 、○〇〇 本 増 え て い る の に、 金 額 は七 、七 〇 金 額 では 八 、三 五 〇余 両減 じ て いる 。
〇 両 に減 り 、 さ ら に文政︵ 一八 一八︱二九︶年 間 に な る と、 二〇 、四 五〇 本 の本 数 増 加 に拘 らず 、
こ の他 当 時 は、 雫 石 通 で 藩 と農 民 の需 要 に応 じ て 用材 を伐 採 し、 門 馬 で柾 、海 岸 通 り で江 戸 屋
敷 用 の用 材 を 生産 し た と いう 。 な お 藩内 の薪炭 生 産 と そ の他 に よ る収 入を 加 え た森 林 生 産 事 業 の
実 益 は、 ほ ぼ一三 万両 で、 こ のう ち約 一割 の純 益 を藩 租 に繰 り 入 れ て いた と いう こ と で あ る。
次 に当 時 の管 理機 関 に つ いて、 南 部 藩 山 林資 料 に記 す と こ ろ を ひ ろう と次 の如 く であ る。
地 方 代 官︱︱ 盛 岡 近郷︵ 上 田通 、 厨 川通 、飯 岡 通 、 見 前通 、向 中野 通︶ の外 、諸 地方 に在 勤 し
て いたも ので、各 担当 地 方 の山 林 の処 分 に加 わ ら な か ったが 、 山奉 行 の上席 者 と し て、 民家 建 築
等 のた め の民 林 伐 採 願 を調 査 し て許 可 を 与 え 、 そ の結 果 を報 告 す る権 限 を有 し て い た。
山 奉 行︱︱ 盛 岡近 山︵ 西 山 根 、東 山 根 奉 行︶ のほ か各 地 に在 勤 し 、担 当 す る藩 山 を 春秋 二回見 し て いた 。
回 る ほか 、 伐木 願 や植 立 願 に対 す る地 所 検 査 を行 な い、 ま た藩 山 の伐採 地 を随 時 巡視 す る任 を有
な お 代官 と山 奉行 は、任 期 が三 年 で連続 勤務 は原 則 と し て許 可 し な か ったと いう 。
山林 方︱︱ 勘 定 所︵ 現在 の出 納 課 にあ た る︶ に属 し、 国 内 の山林 本 数 を 調 査 し て 、 山林 に関 す る 金銭 出 納 を掌 った 。 藩用 の木 材 を 伐 出 す る と き は山 奉行 と 共 に実 地 を 検 査 し て 、木 材 の良 否 を 検 査 す る任 にも あ た って いる。 された。
植 立吟 味 役︱︱ 勘定 所 役 人 の中 から 選任 し て植 立 奉行 の事務 を検 査 し たが 、 藩政 の半 ば 頃 に廃
植 立奉行︱︱ 植 立︵ 植 林︶ や 種 芸 の篤志 者 を 選 ん で任 命 し た も の で、 造 林 事業 の実 行 推 進 の責 に任 じ て い た。
山守︱︱ 各村 に 置 か れ た役 人 で、村 内 の藩 林 を 監護 し 、猥 り に伐 木 す る者 は も ち ろ ん、 法 を 犯 す 者 を 山 奉行 へ訴 え出 る責 に任 じ た 。
も あ った が 、 藩林 の枝 条 や下 枝 の収 穫 を代 償 と す る無 給 の者 も あ った 。
山 守 は藩 林 の多 寡 に より 一村 当 り 一人 か ら四 、 五 人 が任 命 さ れ、 中 に は給 料 を支 給 さ れ る も の
な り 林 相 が悪 化 し て いた と こ ろ へ明 治 の維新 に際 し て 、匇 々 の、 山 林 に つい て は不 問 に付 し 、還
岩 手 の山林 は以 上 の管 理 組織 のも と に経 営 さ れ た が 、先 述 の よう に、 藩財 政 の 一端 を 担 って か
禄 者 や縁 故 者 に対 す る払 下 げ を無 制 限 に許 可 し 、 ま た盗 伐 乱 伐 が 逐年 つづ い たた め、官 林 の荒 廃 は 甚 だ し いも のがあ っ た。
な お 当時 の山林 諸 制 度 を 調 べる と、 お およ そ次 の如 きも のが あ った 。
藩 山︱︱ 江 戸 屋 敷 の焼 失 の如 き非 常 の役 に供 す る こ とを 主 眼 に設 定 さ れ て い たた め 、宮 古 のよ
う な 早出 し の便 利 な地 区 に配 備 さ れ て いた 。 こ のう ち には いか な る事 由 たり と も 払下 げ し な い山
も あ った が、 必ず し も 絶対 的 で は なく 、 ま た 城下 で は城 の非 常 時 に対 す る予 備 とし て堤防 の松 や、 南 箱 館街 道 の松 等 は厳 重 に 監視 さ れ て い た。
藩 山御 留 山︱︱ これ は良 材 で は な く、 も っぱ ら薪 炭 に供 す べき 山 を 盛岡 近 傍 に設 定 し た も ので 、 の森 林 は 、 お お む ね こ れに 該 当 し て いたと いう こ と で あ る。
凶作 の際 に は 薪炭 を購 入 し得 な い士族 や 窮 民 に対 し て 薪炭 を 供 給 す る のが目 的 であ った 。 煙 山村
私 山︱︱ こ れ は何 時 誰 か ら何 程 で買 い 入れ た等 の確 認 が あ ったり 、 あ る い は そ の証 拠 が な く て
も 古 く か ら何 某 の持 山 と いわ れ て いて、 村 内 で信 認 し て い るよ う な 山 林 を私 山 とし て認 め た 。
ま た 私 山 は御 山帳 に記 入 さ れ な か った ので、 そ の有 無 も 一つの証 拠 に な って い た。
し か し 私 山 と い っても 、 杉 、 松 、栗 の如 き 建築 用材 は自 由 に伐 れ な か った。 った。
こ の他 、御 取分 山 、 御 忠 信 植 立 山 、高 の目 山 、 尾久 根 山 、宅 地 山 、 寺社 山 、運 上山 等 の制 が あ 秋田県北秋田郡早口町
て、 採 取 の代償 と し て木 元 米 を 上 納 せ し め ら れ て いた 。 そ の他 は御 留 山 であ って 、薪 採 取 の許 可
早 口町 は佐 竹氏 の所 領 で あり 、現 在 の国 有 林 の小 字 小 木津 沢 は当 時 数 カ村人 会 の薪取 山 であ っ
は容 易 に受 け ら れ な か った よう であ る 。 こ と に高 祖 沢 から 味噌 内 沢 方 面 一帯 は、 宝永 六年 以 降 、 御 留 山 とし て林 木 の伐 採 を 一時 厳禁 し た こ と があ る 。
代杣 方支 配 の下 に藩 直 営 を も って 、主 に保 太 木 、寸 甫 、角 材 、 丸 太材 の四種 を 生 産 し 、 水 運 に よ
し かし 文化 七年 に至 って留 山 の青 木︵ 針 葉 樹︶ へは杣 入 番 す な わ ち輪 伐 期 に編 入 せ ら れ て、 能
り 能 代 港 に運材 の上藩 内 の需 要 を充 た し た の みな らず 、広 く 藩外 にも輸 出 販 売 せら れ た 。 伊達藩 の林政
行 を お き 、 山林 元 締 、 山 林横 目 、 山林 方 下 役 、 近 山横 目 、 及 び御 山守 を統 管 せし め た 。後 に文 政
伊 達 藩 の林 政 に つい ては 、 藩祖 伊 達 政 宗 は山林 の管 理維 持 に心 を傾 け、 出 入 司 の庁 中 に 山林 奉
七年 七 月 、 さ ら に各 郡在 勤 の郡 代 官 を し て山林 台帳 の調 整 、 補植 造林 及 び 野 火 取 締 の事務 を司 ら し め た 。 そ の文 書 を 引 用 す る と 、 一、御代官 一手前切杉三、四本づ つ、年 々無怠植 立之首尾可仕候
一、野火防之儀折入吟味仕、所 々により番 人等 不相付指置侯所も候 はば夫 々御手当も可被成下侯間吟味 申出候事
一、御帳付竹木 上 へ御用立候計にも無之、全体 の備 のため被相 立置候事に候 処、折 入吟味之上藪主木主 痛 にも不相候様吟味 可仕候、平藪 の儀者三役︵代官、大肝入、村肝入︶打合吟味可仕事
の南 隣 村︶ の奥 山家 の士 分 と百 姓 屋 敷 の地 続 山 、 尾 久 根 山 、 ま た は神 社 仏 閣 の境 内 竹 木 を 除 く の
伊 達 藩 の山 林 制度 に お いて は藩 士 に下 賜 し た る山 林 、 た と えば 宮 崎 の古内 家 、小 野 田︵ 宮崎 村
ほ か は全 部 を あげ て 悉 く仙 台 藩 庁 の直 轄 で あ って、 これ を ﹁御 林 ﹂ と 称 し た 。 た とえ ば 切 込御 林 、
後 東 西 四四 町 一〇 間 、前 南 北 一〇 町余 、大 森 御 林 、 越後 原 御 林 、 三 カ内御 林 、赤 坂 社 松御 林等 が こ れ であ る。 こ れ ら は宮 崎 村 所 在 であ る 。
こ の西 方 一帯 の奥 羽山 脈 分 水 嶺 に属 す る地 帯 の山 林 は ﹁岳 山 ﹂と も 、ま た ﹁御 留 山 ﹂と も 呼ば れ
て柴 伐 林 であ り 、水 源涵養 林 で あ った よう であ る 。 こ れ が現在 は国 有 林 とな って いる も のであ る。
次 に青 木留 木 の法 があ る 。治 山治 水 の見 地 よ り 、寺 社 境 内 お よび 民木 に至 るま で御 留 木︵ ヒ バ、
カ シ、 ホ ホ 、 カ ツ ラギ︶ と青 木︵ スギ 、 マツ等︶ の樹 種 本 数 を 藩 の台 帳 に登 録 さ せ て 、伐 採 に当 って藩 の認 可処 分 の制 を と った 。御 裏 山 森 林 が そ の例 で あ る。
山 林 が あ った。
こ れ に対 し 、製 塩 の燃 料 、神 社 の殿 宇 ま た は寺 院 の伽 藍 の修 復 な らび に、 架 梁船 舟 に使 用 す る
次 に売 分 山 と称 す る制 度 も あ った。 立 木 の十 分成 長 し たも のに あ って は、 山林 奉 行 の裁 量 によ
って 、地 元 の住 民 に売却 し て伐 採 さ せた 。 伐採 し終 れば 、場 山 と称 し て伐 採 を禁 止 し 、さ ら に他
の地方 に移 って伐 採 せし め 、勉 励 の能 否 を 監査 し て恩 典 に浴 せ し め る法 であ った と いわ れ て いる 。 伐採 期 は秋 の彼 岸 に始 ま り翌 年 三 月節 句 に終 る のが通 例 であ った。
ま た 屋敷 の周 囲 、 す な わ ち尾 久 根 に 生 立 す る樹 木 を 自家 用 と し て伐 採 し よ う と す る場 合 は、親
族 お よび 五人 組 頭 の連 署 を 必要 と し、 山林 奉 行 の裁 許 を 得 て伐 採 す る制 度 であ った。 以 上 の ほ か帰 農 を条 件 とし て、 特 に下 付 の処 分 を 受 け た拝 領 山 お よび 渡 世式 の民 林 があ った 。
造 林 施 策 の 一例 を あげ る と、 元 和 七年︵ 一六 二一︶に 漆樹 を領 内 百 姓 に 一人 に つき 毎年 一五本
ず つ植 栽 さ せ、 根 は検 査 の上 、 そ の 一〇 分 の 一を 無償 交付 し た。 桑 樹 植栽 は無 税 と し、楮 竹 の植
栽 を督 励 し 、 あ る いは マツ、 スギ 、 キ リ の造 林 を 命 じ た が 、命 令 に服 し な い場 合 は、 科 税 と し て
一人 に つき 、 二〇 日間 の人 夫 と し て の出 役 を 命 じ 、 ま た濫 伐 し たも のか ら は科 料 金 を 徴 収 し た 。
さ ら に伐採 跡地 に対 す る 造 林 の義 務 制 を と り 、 伐 木 一本 に つい て苗 木 三本 ∼ 五 本 を 植 栽 さ せ た。
山 林 の取 締 り に つ いて は野 火 の防 禦 に重 点 が おか れ た 。毎 年 一回 森 林所 在 を 巡視 し 、 野 火 に関
す る条 目 を よ み聞 か せ、 改 め て住 民 、山 守 、 組 頭 、 肝 入等 連 署 の野 火 証 文 を提 出 さ せ た。 ま た要
所 要 所 に御 札 を た て て人 馬 の通 行 を禁 止 し、 あ る いは 火道 具 の携 帯 を 厳禁 し 、番 所 を おき 三 つ道
回以 上 領 内 を 巡視 し た。 こ れは 藩 の直 轄 地 のみ で はな く 、所 拝 領 等 の 士分 の山 林 に も相 当 に山 林
具 を 備 え て犯行 非 為 の輩 を 逮 捕 し 、 山林 方 下 役 は不 断 に 巡視 し て山 守 を 監 督 し 、山 林 奉 行 は年 一
役 、 山 守 等 を 付 し て 互 いに助 け て防 火 の警 戒 を厳 にし 、 こ と に盗 伐 等 の警 戒 に 怠 り な か らし めた 。
次 に造 林 地 に適 し な い原 野 を ﹁野 手 山﹂ と称 し、 秣 を 刈 り と って馬 糧 と し 、 ま た は カ ヤを 刈 り
って村 民 の関 心 、利 害 関 係 も 深 か った と 思 わ れ、 区 画 を定 め て境 界 線 を 築 いた が 、往 々境 界 線 に
取 る適 地 を カ ヤ ノと い い、 ワ ラビ を採 取 す る地 を ワ ラビ ノと い った。 こ れ は採草 地 で あ った。 従
つ いて の紛議 が接 続 す る両 村 に突 発 し て 、 人命 殺 傷 の事 件 が お こ った 。
と の争 議 は、 寛 文 一二年 一月 一七 日 に初 ま り 、元 禄 九 年 四 月 九 日 に終 り 、 そ の間 実 に 二五年 に わ
と り わ け、 加 美 郡 四 竈村 、王 城 寺 村 お よび 黒沢 村 の三カ所 と 黒 川郡 大 瓜 村 および 吉 田村 二 カ村
た った 。 両郡 の境 界 争 いは 野手 山 よ り起 った。
竹 林 に つ いて は竹 藪 の面 積 本 数 を書 上 す る のを御 藪 本 帳 と い った 。 肝 入 お よび 藩 役 が連 署 し て、
極 めて厳 格 な保 護 の法 を定 め た 。御 留 藪 守 を おき 、鉄 砲 火 薬 を 備 え て 猪 鹿 の被 害 を 防 ぎ 、 藩庁 に
入 用 が あ れば 御 墨 印 付 の命令 書 を発 し て後 、 伐 採 せし め る規 程 であ った 。
福島県伊達郡茂 庭村 旧 藩 時 代 は 上杉 家 の所 属 であ り 、部 落 周 辺 の林 野 は地 付 山 と称 せら れ た 。特 に部 落 に接 近 し た
に つづ く 奥 山 は 、 あ る いは区 域 を定 めて他 町 村 の入 会 を許 し 、 あ る は 一般 村 民 の稼 業 用 薪炭 の採
も のは黒 木 山 と 呼び 、各 自 需要 の薪炭 を採 収 し、 あ る いは協 議 に より 、 自 由処 分 し て い た。 そ れ
収 地 と し てき た 。 茨城県茨城郡沢山村
安 永 三年︵ 一七 七四︶ の ﹃赤 沢村 御 立山 並 に厳 野 分付 山元 帳 ﹄ によ れば 、当 時 の赤 沢 部 落 の山 林 原 野 の地 積 と利 用 状 況 は次 のと おり であ る。 ︵1 ︶ 御 立 山 五カ所 二九三町七四〇八 ︵2 ︶ 入会厳野分 二カ所 一四〇町六六 ︵3︶ 内 厳 野 分 二カ所 二五町八 ︵4︶ 分 付 山 分 一七カ所 三町〇五〇 一
え に村 民 の入会 利 用 が、 認 めら れ て いた よう であ る 。
赤 沢 部落 の山林 の大 半 に当 る 藩有 林= 御 立山 は野銭 、御 林 下 草 銭 、 松 葺 運 上等 の雑 税 と ひき か
と く に内 御 立 山 一二 一町 八反 歩 は燃 料 の給 源 と し て農 民 生 活 に密接 に 結び つい て い た。 こ の慣 行 は廃 藩 以後 ﹁拝 借 山 慣 行 ﹂ と し て引 き つがれ た 。
分 付 山 と いう のは百 姓 持 分 山 のこ と で、 上 中 下 に 分 け野 銭 を 出 す 。 天 和 三年 に初 ま る 。 分付 の
名 目 は 百姓 に誰 分 誰 分 と 割 り付 け る より 起 った 。 百姓 持 分 の 田地 高 へ其 村 に あ る無 用 の山 野 を持
高 に応 じ て割 り付 け た。 こ の分付 山 を みだ り に売買 す る こ と は禁 ぜ ら れ て いた。
分 付 山 は明 治 政 府 の官 民有 地 区 分 のさ い、 民有 地 と な った が、 地 租改 正下 調 の ﹃反 別総 計 帳 ﹄ 明︵ 治九年四月︶ に よ れば 、 三 町 五 畝 一歩 の反 別 は 、 三 一町 歩 余 と な って いる。 ろう 。
入 会 原 野 一四〇 町 六 六 は六 カ村 の入会 であ る のに対 し 、内 原 野 は村 中 入会 が行 な わ れた ので あ
﹃駿河 国駿 河郡 御 厨 領 指 出 帳 ﹄ に よ れば 、
静 岡県駿東郡富士岡村 竈部 落︱︱ 一、新家道具 の雑木 の分富 士東山にて伐 来申候 一、茅馬草刈敷場西東 入込 て刈来り申候 一、久根竹、針竹 の儀二子 山、沼 田山にて伐来申候
萩 蕪部 落︱︱ 延 宝 八年︵ 一六八〇︶ の ﹃村 鏡 ﹄ に よ る と 、 一、百姓仕事耕作 の間には箱 根竹 にて、 いざる、かご つくり 、沼津三島在に出し申 し候、水久保伊豆島 田にて御拾分 一銭指上げ申候 右 いざ る竹 二子村、山東 田中村 にて伐申侯 二子 部 落
一、馬草刈敷場当村 分東山 へ 一〇町から二五町余迄村 の草刈場に御座侯、但 入込山に御座候
中 山部 落︱︱ 延 宝 八年 の資 料 によ る と 、馬 草 刈 は村 より 西 上道 は須 山 境 ま で 一里 五町 余 、 中 道
一里 一、下 道 一里 の間 に 入 り込 ん で おり 、 山林 の方 は、 東 山 椿 ガ 尾 より 北 丸 岳 の腰 ま で 一里 五町
余 、 南 は長 野 沢 大 丸岳 腰 か ら下 の方 に入 会 し 、草 、 薪を 採取 し て いた 。山 に は近年 木 が な く な っ ﹃貞 享 三 年 検 地帳 ﹄ に、
たと 記 さ れ て いる。 神 山部 落︱︱
一、山役九米斗宛 毎年 一、薪 四八駄 但 一軒に付 一駄づ つ 直段銀二分五厘宛 小百姓式三軒組 合 一駄納候儀も有之候 一、薇 三尺廻 七束七分宛毎年納申候 一、樺 三尺廻 一六束宛 毎年納申侯
一、薪 三島、沼津 へ売 出申候
但水窪伊豆、島 田にて御十分 一差図次第申納候
一、貫板は五〇年以前より、薪 は、二四年以前より、芽は 一四、五年以前 より差上申候 一、薯蕷 五年以前戌之年より御免下 され候 一、御鷹持 六年以前より御免下され候 一、内林 竹林 は御免 にて勝手次第伐申候 高 知県安芸郡東川村
土佐 藩 政 の初期 に野中 兼 山 は林 政 面 で も 大 いに貢 献 す る と こ ろ があ り 、 大井 甲 の下 久 保 山 国有
安﹃ 芸 郡 改 正 御 山 牒﹄ と いう 藩 政 末 期御 山廻 が所 持 し て いた帳 簿 に よる と 、本 村︵ 当 時 は 奈 比
林 に は 近年 ま で藩 政 時 代 の造林 地 が のこ って いた。
賀 、 入河 内 、 黒瀬 、 大 井 、 古井 、島 、 別 段 の七カ 村 であ った︶ の山林 は大 別 し て、御 留 山 、 所 林 、 明 所 山 の三種 か ら成 って いた 。
御 留 山︱︱ 御 用 木 山︵ 貢 献用 材 調 達 山︶ と 御 国用 山︵ 藩 自 給用 山︶ の二種 あ り 、 庶民 の伐 採 を
許 さ な か った。 い わば 純粋 の官 山 、 留 山 の小 さ いも のを 散 林 と いう 。留 山 の中 、特 に優 良 なも の た。
と し て土佐 十 宝山 と 称 す る も のが あ ったが 、 両隣 の魚 梁 瀬諸 山 、槇 山 諸 山 も そ の中 に含 ま れ て い
所 林︱︱ 地 元 民 の困 窮 救助 を目 的 と す る森 林 、救 助 用 は薪 炭林 に限 り 、 無 償 で給 与 し 、救 助 の 要 のな い時 は渡 世 払 下 げ を し た 。
俗 に渡 世 山 と いわ れ、 庶 民 は 自 由 に 入 山 し て 一日 一荷 の程 度 で雑 木類 を伐 採 す る こ
とが でき た 。実 質 的 に は民 林 。
明 所 山|
な お 一部 に井 林 山 も あ った と 思 わ れ る。 こ れは 耕地 に 必要 な修 堰 用 材 目的 の森 林 で、 無償 で伐
採 が許 可 さ れ た 。修 堰 の需 要 が な いと き は地 元 民 の渡 世 用伐 採 も 許 可 さ れ た も のであ る。
土 地 柄 か ら し て伐 畑 式 の火耕 は取 り締 ら れな が ら も盛 ん で 、森 林保 護 上被 害 も お よぼ し た が 、 大 体 に お いて 林相 は維 持 さ れ て明 治 に持 ち こさ れ たも のと考 え る。 宮崎県南 那珂郡酒谷村
天 正 一五年 、藩 祖 伊 東 祐 平 が飫 肥 に封 ぜ ら れた が 、禄 高 わず か に 二万 八千 石 で、 朝 鮮 征 伐 の際 、
五 万 石 以下 の小 名 は 一方 の部将 と な る こ とが でき ず 、 そ のた め功 績 の挙 ら な いこ とを遺 憾 と し 、
文 禄 二年 領 内 の検 地 を 行 な い、 三万 六千 石 とな った が 、 文禄 四年 さら に検 地 を な し 四万 五千 石 に ま で禄 高 揚 げ を し た 。
そ の後 、祐 平 卒 去後 、 家 老 落 合九 右 衛 門 、 山 県 太 郎 右衛 門 協 議 の上 、 伏 見 に て禄 高 六万 石 の披
露 を した ので 、国 家 老 こ れを聞 き 大 いに驚 き 、善 後 策 と し て慶 長 九 年 三 回 目 の検 地 を行 な い、 禄
に元 和 の頃 に は 藩 の出 費 が かさ み、 江戸参勤 交 代 の費 用 に困 る ほ ど の財 政 難 に陥 った。
高 五 万 七 千 石 と な った。 こ のよ う な名 誉 欲 から 出 た無 理 な再 三 の禄高 揚げ を蛮 行 し た の で、 つ い
こ の窮 乏 を打 開 す る ため 、 山林 原 野 に挿 杉 す る こ と に よ って、 藩 財 政 立直 し の 一策 と し た 。
し かし そ の後 、 享保 の頃 ま で、 お よ そ 一〇 〇 年 間 の挿植 は僅 少 で、 しか も 、当 時 杉 は藩 主 の御
用物 と称 し て みだ り に伐採 す る こ と を許 さ な か った ので 、人 民 は進 ん で行 な おう と はし な か った 。
し た が って藩 用 家作 の需 要 を充 足 す る にも 足 らず 、 こ こ に お い て、 旧法 を改 め、 杉 山 部 一法 、 す な わ ち 五官 五民 の分 収 法 を設 け 、 杉造 林 を 奨 励 し た 。
そ の後 、 二部 一制 では 挿 植不 振 で あ った の で、天 明 年 間 、 三 部 一制 、 す な わ ち三 分 し て 一官 二
民 制 に改 め 、植 木 方 役 所 を 設 け 、 ま た各 村 に山守 人 を お き 、杉 山帳 簿 を設 け 、 こ れに 登録 し た場 た ので 、 山野 到 る と こ ろ杉 挿植 を見 る に い た った。
合 は領 内 いか な る土 地 に お いても 、す べて こ の方 法 に よ って処 分 す る旨 を告 示し て造 林 を 奨励 し
三 〇歳 よ り七 〇 歳 に至 る ま で実 に 四〇 年 間 、 常 に山野 に起 臥 し、家 に居 る こ とま れ で、 心 血 を そ
そ の後 、寛 政 の末 より 天保 年 間 に至 る間 、 藩 士 野中 金右 衛 門 藩 主 の命 を捧 じ、 植 木 方役 と し て
そ ぎ 、 献身 努 力 を払 って挿 杉 造林 を督 励 し た の で、今 日 の盛 況 を 見 る に 至 った と つたえ ら れ る 。
挿 付 け さ せ 、成 木 の上 は藩庁 に お いて 、 入用 の節 、 伐採 収 穫 し て 二分 す る を原 則 とし 、村 方 で 堤
部 分 林 の造 林 は、 二部 一制 時 代 は、 山 方 奉 行 が 植木 方 を し て、 原 野不 毛 の地 に村 民 を督 励 し て
し め た。
防 、橋 梁等 の用 材 、 あ る いは非 常 の災 害 罹 災 者 から 伐 採 を 出願 し た場 合 は、無 償 で こ れを 伐採 せ
な く 、 自 分 の適 当 と認 める場 所 を 選定 し て挿 付 け 、下 刈 り 、防 火等 の手 入 れ を な し、 五年 な いし
三部 一制 が採 用 せら れ てか ら は 、村 民 の進 ん で挿付 けす るも のが多 く なり 、奥 山 、 里 山 の区 別
二〇年 を経 過 し た後 、 成 林 の見 込 み の つい たと き 、 山方 へ申 し出 で検 査 を受 け、 杉 帳 に登録 を う け 、 部 一山 の設 定 を する ので あ る。
造林 の手 入保 護 は、仕 付 主 が 一切 こ れを行 な い、造 林 木 三尺 未 満 の間 に鎌 払 い と称 す る 間伐 三 回 、 さ ら に 四尺 未 満 の間 に 一回間 伐 を行 な う 。
前者 は 、間 伐 木 は全 部 無償 で仕 付 主 に下 附 せ ら れ 、後 者 は官 民 分収 で あ る。
杉林 が成 長 し 伐期 に達 し た時 は、 山 方 奉行 に伐 採 を願 い出 て、実 地 検 査 を う け 、 伐採 の許 可 を 得 な け れば な ら な い。
収 穫 は全 林 にお け る樹 数 を 三本 ず つ 一組 と し 、 三本 のう ち そ の上等 木 を ﹁御 物﹂、 中 等 木 お よ
び下 等 木 を ﹁渡 木 ﹂ と称 し 、御 物 は現 地 に残 立 せ し め、 渡 木 は代 価 見 積 り を し 、 そ の三分 の 一を 上納 せ し め、 そ の後 任 意 に こ れを 伐 採 せし め た 。
藩庁 に お いて仕 付 人 の伐採 願 出 前 に御物 必要 のと き は、 御 物 に相 当 す る分 を 伐 採 し 、渡 木 を残 存 す る こ と が あ った。
し か し ま た異 説 があ って 、 三尺 以 下 のも のは 一本 に つき銀 五 分 、 三 尺以 上 は三 本 一組 と し 、 一
本 は ﹁上 り木 ﹂、 一本 を ﹁渡 り 木﹂、他 の 一本 を ﹁売 り木 ﹂ と称 し 、﹁上 り 木﹂ ﹁売 り 木 ﹂ の 二本 分
の代 価 を 徴収 し 、伐 採 指 図者 を 附与 し て伐 採 せし め た 。 な お杉 帳 に 登録 さ れ て、 確 認 さ れ た仕 付 主 の栽 植権 の売 買 は許 さ れ て いた。
の民 政 は ﹁門 割制 度 ﹂ を 基 底 と し 、 き わ め てき び し いも のが あ ったよ う であ る 。
鹿児島県伊佐郡山野 町 藩 政 時 代 こ こは 薩 藩 に属 し て いた 。 し か も当 藩 は 、国 内 にお け る雄 藩 と 称 せ ら れ て いた が、 そ
当 時 の林政 を県 刊 行 の ﹃鹿 児島 県 の林 業 ﹄ によ って みる と ﹁藩 政 時 代 に在 り て は本 県 森 林 の大
部 分 は島 津 宗 藩 の直 領 に属 し⋮ ⋮年年 莫 大 の収 利 に拠 て藩経 済 に尠 か らざ る余 裕 を与 え たり 、 今
日欝 蒼 た る国 有 林 の存 す る は皆 之 藩 政 時代 の遺 物 にし て﹂ と称 す る ほど 、 藩内 林 野 の大 部 分 が 藩
主 の手 中 にあ り 、 藩財 政 に寄 与 し ては いた が 、農 民 はそ の利 用 よ り締 め出 さ れ て いた。
も ち ろ ん、 そ の所有 利 用 の形 態 には 種 々あ り 、御 物 山︵ 衆 力 山︶、 仕 立 山 、 鹿倉 山 、 部 一山 、
稼 山 な ど に分 れ て いた が 、 いず れも 苛 酷 な農 民 収 奪 の形 態 に変 り は な か った 。 そ れ は山 野 町 でも 同様 で あ った よう であ る。
四 国 有 林 の 成 立
藩 政 時 代 にお け る山 林 所 有 の観 念 は今 日 と は およ そ ち が って いたも の であ る。 そ のや や 進 んだ
所 で は山 林 所有 権 と は山 林 用 益 権 の所 有 を意 味 す るも ので あ る こと はさ き に の べた が、 そ れ より
も さら にプ リ ミ テ ィブ な 、 占有 権 を意 味 す る場 合 も あ った 。 二七 の調 査地 で は そ の よう な実 例 は
ほ と んど 見 か け な いが、 木 地 屋 仲 間 が 山 七合 目 から 上 は自 分 た ち のも のと称 し て 、税 も 何 も お さ
めず 、 自 分 た ち の欲 す る 木 を 思 う ま ま に伐 って木 地 挽 を し た こ とな ど 、 そ のよ い例 であ る 。 兵庫
県 三 方 には 木地 屋 の定 住 が 見 ら れ る が 、彼 ら は税 を お さ め な か った が故 に 、明 治 にな ってか ら 土 地 に対 す る権 利 は何 ら みと め ら れ て いな い。
さ て、明 治 九 年 の地 租 改 正 にと も な い、官 民有 区 分 のお こ な わ れた こ と は 、 日本 にお け る 所有
観 念 に 一大変 改 をも たら し た 。 そ し て税 を納 める も のが そ の土地 所有 の権 利 を持 つも のと さ れ た が 、 山 林 の場 合 は必 ず し も そ う な って いな い。
ま ず 、 旧 藩 の直 領 と目 さ れ た 土地 、 た とえ ば 南 部 藩 の藩 山 御 留 山 、御 蔵 付 御 山 、 秋 田 藩 の御 留
山 、 仙 台 藩 の御 林 、 御 留 山 、 水戸 藩 の御 立出 、 岡 山藩 の地 頭 山 、高 知 藩 の御 留 山 、 所 林 な ど は、
一応 藩籍 が奉 還 さ れ たこ と に よ って所 有 主 を 失 な い、 そ れ が官 林 に編 入 さ れ たこ と は う なず け る 。
し か し農 民 の利 用 率 の高 か った 入会 地 、入 込 山 と いわ れ るも のは 、 山役 銀 、運 上 銀 な ど を お さ
め つ つも 必ず し も 農 民 の手 に お さ めら れて は いな い。 特 に東 北 日本 に お いて は、 農 民 の利 用率 の
き わ め て高 か った岩 手県 田山 の村 付 御 山 、静 岡 県 富 士岡村 の入 会地 、佐 賀 県 東背 振 の入会 山 の如
き 、当 然 農 民 のも のと考 え て いい よう な 山 さ え国 有 林 に編 入 さ れ た のは 、用 益 権 を 土地 所 有 と は 考 え て いな か ったか ら であ る 。
と し て み と めら れ て いる よう な山 林 が 国有 林 に編 入 さ れ て いる例 が 、国 有 林 率 の高 い地 方 に お い
つま り地 元 農 民 に か な り高 度 に利 用 さ れ て お り 、他 の地 方 では そ れ が当 然 村有 林︵ 部 落 有 林︶
て は み と め られ る の であ る。 こ れら は農 民 が 山林 に背 を 向 け て いた た めと の みは 言 え な い。
で は ど の よう な 山 が国 有 林 に編 入 さ れ て い った かを 具 体 的 に 見 て ゆ こう 。 2 北海 道 山 越 郡長 万 部 町
め寿 静 郡 界 西方 長 万 部 岳 より 成 る 稲 穂 峠 を通 過 す る ル コ ツ岳 の山脈 、 す な わ ち 山越 郡 瀬 柵 郡 界 南
明 治 初 年 、 山 越 郡 長万 部 村 全 面 積 三 〇 、三 八四 町歩 のう ち 、 民 有 地 を 除 き 北方 静 刈 川 より は じ
端 ル コツ川 東 方 、 長 万部 村 民 有 地 と界 す 。 面積 二一、 二一三町 歩 を 国有 林 に編 入 せ ら れ たる も 、
未 だ 施 業 方 法 を施 さざ り しも 保 護 区 員 を 置 き 、地 元 民 の要 求 に より て林 産物 供 給 せ る が、 明 治 一
九 年 二月 に至 り 、当 時 国 有 林産 所 に 配 置 し て、 監 護 お よび 林 産 物 検 査 実行 せ し む 。明 治 二五年 頃 、
国 有 林 境 界 踏 査確 定 の上 、 仮施 業案 を施 行 。 そ の後 、 同 三 一年 より 簡 易施 業 案 実 行 せら れ 、 森林
検 査 員 およ び 監守 を長 万 部 現 在 の森 林 監 守 駐 在 所 に駐在 せ し め、検 査員 は林 産 物 の売 払検 査 、森
林 監 守 は監護 の任 に当 ら し め 、 林中 の針 葉 樹 を建 築用 材 と し て民 間 に専 ら供 給 せり 。 明 治 三 八年 、
森 林検 査員 を廃 す。 森 林 監 守 を し て林 産 物 の売 払検 査 お よび 監 護 の任 に当 らし む こと と な れ り。
明 治 四 二年 、国 有 林 は支 庁 管轄 より 分 離 し て函 館 営林 署 に移 り 、森 林経 営 は初 め て理 想 的 の施 業
を行 な う こ と と な れり 。 大 正五 年 度 より 同 六年 度 に亘 り 、 北 海道 庁 技 師 松 原 太 郎 監督 の下 に加 賀
美 およ び佐 々木 の両 技 師 は 、長 万 部 村 部 内 国有 林 の全 般 に亘 り てさ ら に実 測 の上 、 正規 の境 界 標
を建 設 す 。同 時 に森 林 調 査 の上 、制 規 施 業 案 を作 り 、大 正 六年 六月 に至 り 、 い よ いよ本 施 業 を実
行 す る こと に 決定 せり 。 然 る に 従来 の簡 易 施 業案 によ り、 ほと んど願 人 の希 望 に近 き 林産 物 の処
分 を な し き た る 弊 あ る に、 今 回 は本 施 業 案 を 実行 に当 り 、 薪材 を 主 と し て供 給 の方 針 に急変 す る や 、 地 元 民 間 に お い て異 様 の覚 あ る に や推 量 せら る る こ と多 々 あり 。
国 有 林 は明 治 四 二年 後 、 連年 未開 地 編 入 そ の他 の目 的 に て 五 、七 三 六 町余 を解 除 す 。 現在 の国
有 林 は 一五 、五 一六 町 余 歩 と す 。樹 種 は国 有 林全 般 に 亘り 針濶 混 淆 林 に し て 、 そ の混 淆 歩合 お よ び 蓄 積 状 況 次 の如 し 。 混淆歩合 ブ ナ 五〇% ナラ 一〇% 雑木 三五% トド 五% 蓄積︵ 一町歩当︶ 知 来 一二〇石 二股 一〇〇石 ド ッタ 一一〇石 紋別 一一〇石 訓 縫 一〇〇石 4 岩 手 県 二戸 郡 田山 村
本村 国有 林 は 旧藩 時 代 は 南部 藩 の直 接 所有 に属 し 、御 村 付御 山 と御 蔵 付 御 山 の 二種 に 分 け御 山
守 を 置 いて こ れ を監 視 し た 。前 者 は産 馬 飼養 お よび 肥 料 採 取 地 と し 、後 者 は薪 炭 材 伐採 地 と し た
も の であ る 。住 民 が立 木 を 伐 採 ま た は製 炭 し よ う と す る とき は前記 御 山守 の手 を 経 て代官 所 に出
願 し 、 銀 二分 を納 め、 紙 札 枚 の下 付 を受 け て、 場所 、数 量 に は制 限 な く御 蔵 山 に入 林 し 、 薪 の採 取 ま たは 製炭 事 業 に従 事 し た も ので あ る。
に属 し 、 つづ いて大 蔵 内 務省 の主 管 に移 り 、 そ の間 岩 手 県 庁 に属 し た こ とも あ った 。
こ れが 維新 に より 林 政 も 一大変 革 を なし 従来 の藩 有 林 は官 有 林 と な った。 官 林 は は じ め 民部 省
よ り 従来 私 有 地 同 様 に使 用収 益 し た山 林 を新 た に私 有 地 と す る た め に は、 当 時 、 秋 田県 鹿 角 郡 宮
明 治 一〇 年 施 行 の土 地 官私 区 分 に より 山 林 原 野 の区 分 が明 確 に さ れ る こ と にな った が 、 こ れ に
川村 湯 瀬 お よび 岩 手 県 二戸郡 荒 沢 村 両 村 民 中 よ り各 一名 宛 の証 人 を得 さえ す れ ば 、 即 座 に人 、 場
てば 税 金 倒 れと な る こ と を 恐 れ、 村 民 の大部 分 は私 有 林 と す る も のな く 、 官 地 と し た ま ま従 来 通
所 を問 わず 私 有 地 と す る こ と が でき た と いわ れ た が、 当 時 木材 価 格 も 低 廉 で、 莫 大 な私 有 林 を も り利 用 し てゆ こう と し た も のであ った 。
明 治 一四 年 に農 商 務 省 の所 管 に な ってか らも 、 国 有 林 野 の利 用 に つ い ては 地 元 民 の間 に は別 に 然截 と し た 区別 も な か った如 く であ る 。
老 人 の話 に よ る と 、国 有 林 区 分 の際︵年 代 は明 治 六年 頃 と いう が こ の点 は正 確 でな い︶、時 の県 庁 遠 野 県 へ村 の総 代 六人 が 一週 間 ほ ど出 頭 し 、 自 己 の必要 面 積 を 主 張 す れば よ か った と いう が 、
それ でも税 金 の賦 課 を 恐 れた た め に官 有 にし た と いう。 当時 の旅 館 宿 泊料 が 一五 銭 で、 こ れ を村 が負 担 し て く れ る か、 自 弁 か に つ いて 心配 し た 程度 で あ った。
こ の点 を明 治 三五 、 六年 頃 に なり 、当 時 関係 し た老 人 は申 訳 け が な か った と い って いた 由 で あ
る 。少 な く も当 初 は こ の山村 に役 人 がく る こ と も な か った ろう し 、税 のか か ら ぬ、 国有 林 を利 用
す る のが よ か ろう と の考 え方 で あ った。
小 林 区 署 の設 置 に より 担 当区 が で き官 吏 が駐在 す る こ と にな り 、 以 来 一本 の伐 木 も 許 さ れ な く な った 。
明 治 三 五 、 六年 当時 ほ と んど 同様 な事 情 に あ った田 山聯 山 四五 カ村 は 、 一致 し て国 有 林 を村 有
林 に移 す べく 、村 出 身 岩 手 県議 米 川 北夫 を中 心 に県 山林 課 に申 請 書 を 提 出 し た︵ 明 治 三 二年 四月
国 有 土 地 森 林 原 野下 戻 法 に よる も ので は な い かと 察 せら れ る が明 ら か でな い︶。
県 山 林 課 は村 役 人 の主 立 ったも の 一〇 人 ほ ど 召致 し 、 該当 事 項 に関 し 種 々質 問 を発 し意 見 を 徴
し た が 、村 側 が答 弁 に苦 し み 、申 請 は不 許 可 に終 った と いわ れ る︵ 田山小学校 編 ﹃郷土教育資料﹄
紀元 二六〇〇年記念刊行︶。ま た 、 一説 に は当時 これ を村 有 にし ても 税金 に困 る と か、 村有 と は いえ と も いわ れ る。
将 来 は有 力 者 の独 占 す る と こ ろ とな る と か問 題 も で て、 結 局図 面 ま で作 り な が ら提 出 し な か った 6 岩 手 県 紫 波 郡 煙 山村
と し て 、 こ の中 に留 山 、札 山 、永 の目 山 と あ る も のは官 林 に属 す る と し て、 ま ず明 治 七 年 に内 務
明 治 維 新 の山 林 官 民有 区 分 は 、弘 化年 間︵ 一八四四︱四七︶に調 整 さ れ た ﹃総 山 調書 上帳 ﹄ を 基
省 官 吏 と協 議 の上 、 六〇村 内 一五 四 カ所 を存 置官 林 と なし 、他 は官 民有 区 分 が判 明 し な い ので、
再 調査 の上決 定 す る こ と に な った が、 未 所有 確 認 に つい て種 々異議 、申 請 が続 出 し て 動揺 し た が、
明 治 一五 年 一二月 に内 務 省 と の共 同 調 査 で紫 波 郡 下 の官 林 帳 が完 成 し た。
煙山 村 の国 有 林 は 、前 記 の如 く官 林御 留 山 で あ った た め、 一括 官 林 に編 入 さ れ た が 、事 実 は南
昌 山 の前 面 を 占 め た松 林 は別 と し て、背 後 の雑 木 山 は地 元 処 分 の事 例 も あ ったら し く 、 ま た前 面
の松 林 の中 に も植 林 せる も のあ り と し て、 明 治 三 一年 か ら 四 二年 ま で 一〇 年 間 に わ た って下 戻 し を 申 請 し て係 争 し て いる 。
が、 こ の前 後 に 盗伐 が頻 発 し た り 、森 林 保 護 組 合 が設 立 さ れ て いる 点 か ら考 え る と、 自家 用 薪炭
村 長 の言 に よ れば 、右 の係 争 は結 局 、証 拠 不 充 分 と いう の で訴 訟 を取 り下 げ た と のこ と であ る 材 の供 給保 証 と引 換 え に妥協 し た ら しく 考 え ら れ る 。
針 決定 に あ た って、 村 民 と の係 争 解 決 を 保 証 し た で あ ろう と想 像 さ れ る 。
ま た当 村 の国 有 林 に対 し て 、初 め て施 業 案 が編 成 さ れ た の が明 治 四 二年 で あ る こと も 、施 業 方
本﹁ 事業 区 の殆 んど全 部 が 一旦下 戻 申 請 にか か った所 で、 証 拠 不 備 のた め不 許 可 と な り しも 、
な お当 時 の民 情 に つい てこ の施 業 案 に記 載 さ れ て いる と こ ろを 引 用 す れば 、
旧 藩時 に於 て は副産 物 の採 収 は 、無 料 に て自 由 に取 採 を な し居 り し も のに し て、 直産 物 に つ いて
は 夫 々規 定 あり と雖 も 、今 日 の委 託 林 の如 き も のあり 、 保 護 監督 を な す報 酬 とし て自家 用 薪材 は
自 由 に伐 採 し て いた 。而 し て明 治 一〇 年 官 私有 区 分調 査 の際何 れ も官 林 と なり し を 以 って 入林 伐
木 は禁 止 さ れた と は いえ 、矢 張 り 自 己 所有 の林 の如 き考 で随意 入林 伐木 をな し 少 し も怪 し まざ り し な り 。然 る に林区 署設 置以 来 其 監 督 厳 と な り 、 盗伐 者 は夫 々処 分 せ ら るる に至 り し かば 漸 く そ の非 を悟 り 今 日 にて は 大 いに其 の数 を 減 ず る に至 れり 。
当 地 の如 き 冬 期気 候 寒 烈 に し て薪 炭 材 の需 要 多 きも 民 林 は少 な く殆 ん ど軒 下 よ り国 有 林 と いう
有 様 にし て、 且 以前 は各 自 一定 の所 を自 己所 有 の如 く 取扱 い自 家 用 薪 炭 材 は 自 由 に伐 採 使 用 し 居
り た る の習 慣 あ り し た め遂に 屡 々犯 罪者 を出 す に至 り し な り 、即 ち本 地 の犯罪 者 の如 き は大 い に
情 状 酌 量 す べき 点 あ るも のと 思 料 せら れ 、地 元 人 民 は 一般 に質 朴 に し て衣 食住 は極 め て粗 悪 にし
て農 事 の傍 を 、 何 れも 山稼 を な し其 技 に熟 し居 れ り 。而 し て他 に職 業 を得 る の達 な き を以 って、
賃 金 も低 廉 に し て労働 に勉 む が故 に、 植 樹 伐 木 山林 事 業 に使 役 す る に は最 適 なり 。 ﹂
こ の記 述 に明 ら かな よ う に 、国 有 林 の管 理経 営機 構 が整 備 され る に従 って煙 山 の薪炭 採 草 の問 題 が窮 屈 に な ってき た こ と は 否 め な い事 実 であ った ろ う 。
し かし こ の種 の摩 擦 は 、 ひ と り こ こだ け の問 題 で な く 、全 国 的 に各 地 で 起 った に違 いな く 、明
治 三 二年 に創 設 さ れ た国有 林 野 法 に お い て委 託 林 野 の制 度 が定 めら れ て いる 。 山村 森 林 保護 組 合 が設 立 さ れた 。
かく し て明 治 四 二年 に初 めて当 村 国 有 林 に対 す る施業 案 が編 成 実 施 さ れ た のを契 機 と し て、 煙
が、 主 目 的 が 、国 有 林 の保 護 と 交換 に自 家 用 薪 炭 材 を 払 い下 げ て貰 う こと にあ った た め 、自 分 で
当 時 の事情 に つ いて 、現 組 合 長吉 田梯 二郎 氏 の談 に よ る と 、組 合 員 は全村 か ら希 望 者 を募 った
薪炭 林 を 持 って いる者 の中 には 加 入 せぬ者 も あ って、 約 三〇 〇 人 くら い で組 織 し た と いう。
な お そ の時 の官 材払 下 げ 条 件 は、 馬 を有 す る者 に対 し て、 一頭 一駄 分 と いう こ と で あ った。 こ れ は払 下 げ 材 の運 搬 を 主 に考 え て基 準 と し た ので あ ろう 。
当 時 の国 有 林 と 煙 山村 と の関 係 を 好転 せ し め たも の に、 も う 一つ苗 畑 が設 定 さ れ た こ と を挙 げ ね ば な ら ぬ。
現在 盛 岡 営 林 署 の煙 山綜 合苗 畑 と 称 す る当 該苗 畑 は 、明 治 三 七年 の創 設 に か かり 、明 治 四 二年
の であ る 。現 在 苗 畑 面 積 が約 一八町 歩 であ る のに 、年 間 延 べ 一万 人余 り の労 務 者 を 雇 傭 し て いる
か ら 大 正 一 一年 ま で、 一六 カ年 に わ た る特 別 経 営 事 業 の最 盛 期 に は約 三〇 町 歩 の面積 を有 し た も
こ と か ら考 え て み ると 、当 時 こ の苗 畑 が村 の経済 に とり 、 重 要 な 収 入 源 で あ った であ ろ う こ と が
推察される。 7 秋 田県 北秋 田郡 早 口町
秋 田 藩 旧御 留 山 は 、明治一一 年 、 山林 原 野 地 租 改 正 の際 に官 有 地 に帰 属 し た 。
明 治 一九 年 、林 区 署 制 度 の発 布 と とも に、 秋 田 大 林区 署 早 口小 林 区 署 の管 轄 す ると ころ と な っ
た。 そ の後 大 正 八年 四月 、管 轄区 域 の変 更 によ り 、 一部 の国 有 林 二、一五 二 町 七 反 が青 森 大林 区 署 弘 前 小 林 区署 の管 轄 に移 った が 、昭 和 一〇 年 に元 に戻 った。
が行 な われ る こ と に なり 、 早 口町地 内 に お い て は下 戻 し許 可 に な った のは 六 町 に すぎ な か った 。
明 治 三 三 年 に植 立 て の実 証 あ る林 、 お よび そ の他 旧記 に 照 ら し て下 戻 し可 能 のも の には下 戻 し 8 山 形 県 最 上郡 東 小 国 村
藩 政 時 代 の記 録 に よ る と、 林 地 を利 用 し て山 運 上 を 納 め た と いう 記 録 は のこ って いる か ら 、 小
国 川 を利 用 す る 用材 の伐 出 し と 薪炭 利 用 が行 な われ て いた こ と が推 定 さ れ る 。 し か し、 そ の後 土
地 森 林 原 野 下 戻 法 に よ って下 戻 し を う け た林 野 が 一つも な いと いう 事 実 に徴 し て も 、 入会 権 を 設
定 で き る よう な明 確 な地 域 に対 す る利 用権 は ほ と んど 成 立 し て い な か ったと見 て も よ い。新 庄 か
いた と い わ れ て いる 。 人 口の少 な く 、経 済 力 の劣 って いた こ と が、 村 の九 〇% 以 上 を国 有 林 によ
ら仙 台 藩 に ぬけ る宿 場 と し て の交 通業 を除 いて は、 わず か の水 田 と採 取 業 に よ って生 計 を た て て って占 めら れる 結 果 に な ったも のと推 定 さ れ る。
明 治 初 年 、 他 地方 か ら の移 住者 によ って水 田経 営 が積極 的 に行 な わ れ、 こ れ に刺 戟 をう け て、
水 田開 発 が進歩 し た 。 こ れ に伴 って副業 と し て の林 野 利 用 、自 家 用 薪炭 、 肥 料 用下 草 、飼 料 用 採
草 地 の需 要 が高 ま り 、林 野 管 理制 度 の弛緩 に乗 じ て部 落 の 一里 か ら 二里 の距 離 に国 有 林 地 の略 奪
的 土地 利 用 を行 な ったも のであ ろう 。当 時 は そ の た め の資 源 も充 分 であ った と見 て よ い。
合 が結 成 さ れ て いる 。 し た が って牧野 利 用 に対 す る 関 心 が高 まり 、 後 の前 森 原 地 区 に見 ら れる よ
明 治 二〇 年 代 にこ の地 方 に馬産 経 営 が始 め ら れ、 明 治 二八年 以 降 は種 馬 の供 給 地 と し て畜産 組
う な官 民 有 区 分 を 巡 る地 元 と 元 藩 士 と の利 害 の対 立 と いう よう な事 実 も 見 ら れ る。
が 、 そ の後 、 牧 野経 営 の名 目 を 以 て地 元部 落 お よび 他 地方 有 力 者 が県 に申請 し て払 下 げ を 受 け て
八 二町 にも わ た る牧 野 の地 押 横領 事 件 は結 局 敗 訴 に終 り 、総 て国 有 林 野地 で あ る こと にな った
いる のは、 おそ ら く明 治 二四 年制 定 の ﹁官 有 森 林 原 野 売払 規則 ﹂ に基 づ く も ので あ ろう 。
明 治 一八年 の官 民 有 区 分 を 経 て 一九 年 に林 区 署 制 が制 定 さ れ ても 、調 査 は 二三 年 に着 手 し 、府
県 から 林 野 管 理 の移 管 を う け た のが明 治 三 〇 年 であ る 。 こ の頃 には す で に牧 野 利 用 は行 く処 ま で
行 き つく し 、原 野 の火 入 れと 自由 な 薪炭 採 取 の ため部 落 周 辺 の林 地 はほ と ん ど焼 き払 わ れ て いた。
る こと が禁 止 さ れ て、 あ ら た め て薪 炭 林 を 成 育 す る よ う に な ったと いう 。
古 老 の話 では明 治 三 〇 年 代 に始 め て ﹁輪 伐 山 ﹂ の指 定 が厳 格 とな り 、 みだ り に 入山 火 入 れ を す
一、三 五 九 町 の申 請 に対 し て、行 政 裁 判 ま で い って も 一件 の払 下げ も認 めら れ て いな い。
明 治 三 二年 に 土地 森 林 原 野下 戻 法 が制 定 さ れ て 入会 権 の明 確 な る 林野 の下 戻 し が行 な わ れ た が、 9 山 形県 北村 山 郡高 崎村
が年 々山年 貢 永 一貫 五 〇 〇 文 を 上納 し て主 副産 物 採 取 の た め入 林 の慣行 があ った 。 た だ し 薪材 伐
観 音 寺 国 有 林 は旧 領 主松 平 伊 豆 守 所 領 よ り 、 そ のま ま国 有 に編 入 さ れ た。 旧 藩 時 代 に は観 音 寺
った と いう 。
採 のた め に は毎 年 正 月 か ら 八十 八夜 ま で の間 に限 り 入林 が許 可 さ れ 、 そ れ以 外 は 許 さ れ ぬ掟 であ
ま た御 割 付 、 あ る いは差 出 明 細 書 な ど炭 窯役 など の記載 が な いこ と か ら、 森林 保 護 のた め伐 採
は 薪材 に限 ら れ、 製 炭 原 木 の伐 採 は禁 じ ら れ て いた も の のよ う で あ る。
観 音 寺 国 有 林 には 、 こ のほ か隣 村 東 郷村 野川 部 落 の入 会 慣行 が 古 く か らあ った 。
そ の起 原 、年 代 は詳 か で な いが︵恐 ら く ﹁天 明 七 年 野 川村 御 割 付﹂ 中 に 山年 貢 と し て永 五 〇 〇
匁 上 納 し た事 実 があ る ので 、 そ の以 前 と推 定 さ れ る︶ 、 当 時 観 音寺 村 に は名 主 を つと め る適 当 な
そ の間 に 現 大字 観 音 寺 の承諾 を得 て、 野 川 村 が 山年 貢 五 〇 〇 文 を 上 納 し て 入林 す るよ う に な った
人 物 が な か った の で野 川村 の名 主名 和 善 右 衛 門 が約 二〇 年 間 観 音 寺 の名 主 を兼 務 し たこ と が あり 、 も のだ と いわ れ て いる。
し、 入 会 権 を め ぐり 両 部 落 の間 に地 元争 いが起 り 、明 治 二二年 に至 って従来 上納 を続 け てき た 山
そ の後御 割付 に よ って山年 貢 を 上納 し て慣行 を続 け て き た が、 明 治 八年 地 租 改 正 官 民区 分 に際
年 貢 に比 例 し て観 音 寺 七 ・二分 、 野 川 二 ・八分 と し て漸 く争 いを や め、 稼場 が決 定 し た。 こ の慣
行 は今 な お認 め ら れ 、現 在 一九 〇ha の委 託 林 が野 川部 落 に利 用 さ れ て いる が 、最 近国 有 林 野 の整 備 の問 題 を通 し て再 び 両 部 落 の利 害 対 立 が ひ き起 さ れ て いる 。 11 福 島 県 伊 達 郡茂 庭 村
が 、実 地 踏 査 の際 に いか に こ れを 査 定 し た か は書 類 散 逸 し て不 明 であ るが 、 一応 民有 地 に査 定 し
明治一一 年 の山 林原 野 地 租 改 正 の際 に、福 島 県 の山 林 原 野地 租改 正 係 折 笠義 路 が出 張 し てき た
た も の のよう であ る 。 し か る に翌 一二年 に県 官 矢 部 重 高 が出張 し て き て、 これ を官 地 に編 入替 え
し た 。大 正 八年 に茂 庭村 長 より 提 出 し た ﹁不要 存 置 林 編 入 に関 す る請 願 ﹂ によ れ ば 、矢 部 重 高 の
官地 編 入 の要 旨 は、 茂 庭村 のよ う に山 間 渓 谷 に介 在 す る僻 邑 に民 有林 の多 いこと は将 来 の経 済 上
のは官 有 地 に編 入 し 、 た と え官 有 地 に編 入 の のち と いえ ど も 、 立木 の払 下げ は容 易 に得 ら れ る か
不利 益 な るゆ え︵ 多 分地 租 負 担 の意 で あ ろう︶ 、 一村 有 は も ち ろ ん、 最 寄 り 共有 地 も 大 反 別 のも
ら 、却 て有 利 であ ろ う と いう こと にあ った よ う で ある 。 か く て部 落 近 接 の 一部 の山 林 だ け が 、 民
有 地 と なり 、大 部 分 の山 林 は官 有 地 と な って、今 日 に至 ったも ので あ る。 13 茨 城県 茨 城 郡 沢 山村
藩 政 時代 、御 前 、 内 山 、白 山 の三 つの御 立 山 は赤 沢 そ の他 の村 民 の入会 利 用 が 認 め ら れ て い た。
こ の慣行 は明 治 政 府 のも と に う け つが れ、村 民 は 薪炭 、落 葉 、下 草 を求 め て官有 地 と な った御 立
山 に入 会 を つづ け た。 官 林費 、官 林 下 払 免 許 税 、官 地 拝 借 料 な ど は 、 こ の入会 利 用 に対 す る税 で、
下 草 刈 取 のた め に は免 許 鑑 札 が交 付 さ れた 。 官 林 の中 でも 内 山 は と く に 旧藩 時 代 にも 広 く 入会 利
に おけ る官 民有 地 区 分 の さ い、 一方 で は部 落 有 林 野 の減 少 が著 し く な ってゆ く な かで 、明 治 九 年 、
用 を認 めら れ て いた ほど で、農 民 の生 活 に つよ く 結ば れ て い た ため農 民 の要 求 も 強 く 、地 租改 正 向 う 三 〇 年 期 限 の拝 借 山 と な った。
村 民 は お立 山 か ら マキや タキ ギ を と って、 鉄 製 所 の燃 料 を つく る夫 役 に つ いて い た。
こ の村 には 藩政 時 代 、 藩 の鉄製 所 が つく ら れ て那 珂 川 の鉄 を ふ いた こ と が あ った。 こ のと き 、
ま も なく 廃 し た 。 そ の経 営 が再開 し た のは 八、 九年 頃 で あ った。 し か し こ れ が拝 借 山 ので き た原
鉄 製 所 はそ の後民 間 に払 い下げ ら れ 、明 治 に入 ってか ら も村 民 の中 で経 営 し たも のが あ った が、
た こと が第 一の要 因 であ ろう 。
因 で は なく 、内 御 立 山 の 入会 慣行 が政 府 に黙 殺 を ゆ る さ な い ほど つよ く農 民 生活 に つな が って い
拝 借 山 は上 古 内村 の拝 借 人 小 滝 太 一兵 衛 に 二町 五 、九 〇 三 を 配 分 し た後 、 三 一町 九 五 を村 持 分
と し、 これ を 六 三戸 に 一町 ○ 、一一二ず つ 一率 に配 分 し た。 のこ り の八五 町 四 、五 二七 は 六 二戸 に 五 、 六反 か ら 一町 六反 の間 で配 分 さ れ た。
こ と わ った内 山官 林 で は 、大 林 区 署 の直 営 造 林 事 業 が 開始 さ れ た、 三〇 年 の歴 史 を 通 じ て慣行 化
拝 借 山 の官 没 は明 治 三 九 年 に行 な わ れ た。 三 〇 カ年 の拝 借 期 限 が おわ った翌 年 、農 民 の入会 を
し つ つあ った拝 借 山 の官 没 は、 農 民 か ら平 均 一町 七 、 八反 の山 をう ば った こ と で あり 、 そ の生産 的 諸条 件 を はげ しく 傷 め つけ た。 16 静 岡 県駿 東 郡 富 士岡 村
藩政 時 代 に おけ る 林 野 の使 用 、 収 益 関係 と農 民 の占 有 関 係 は莫 と し て把 握 し が た い。
明治 維 新 を迎 え 、 同 五年 の地 租 改 正 、 同九 年 から の官 民 地 区 分事 業 によ って大 き く こ の関 係 は 転 換 し再 編 成 さ れ て い った 。
官 地 と 民地 の区 分 は ﹁し し 土 堤﹂ が大 体 境 に な って いる。 これ ら の村 々 は猪 に よる農 作 物 の被
害 が 甚 し く 、 そ の侵 入を 防 ぐ た め耕 地 の周 辺 に 土 堤 や堀 を構 築 し た も ので あ る。
こ の土 堤 や 堀 が自 然 的 な境 界 に な って、 そ の内側 の部 落 の周 辺 は最 も利 用 度 が高 く な り 、 し た
が って農 耕 地 に かぎ らず 、 原 野 に つ いても 占有 権 が発 生 し はじ め て いる 。
こ れ に対 し て外 側 の原 野 、 山林 等 は自 由 な入 会地 と な って い たも ので あ った から 、 地 租改 正 に
あ た って は、 貢 税 を免 か れ ん ため に、 こ の ﹁しし 土 堤﹂ か ら外 側 を 公 有 地 な いし 官 有 地 と し て 差 し出 し てし ま った 。
農 民 の用 益 関 係 か ら み るな ら ば 、植 林 こ そ見 ら れな か った が、 部 落 に近 い山 や野 は ほと ん ど草
刈 場 とし て利 用 さ れ て おり 、 残 る 三 分 の 一の山 頂 近 く に 天然 薪 炭 林 、 そ の中 に叢 生 す る箱 根竹 の
採 取 な ど 、 藩政 以来 変 ら な い密接 な用 益 関 係 が 存在 し て いた。
を認 めず 、 前者 に対 し て は借 入地 の制 度 を設 け 、後 者 に 対 し て は産 物 の売 払 いに よ る用 益 を 認 め
明 治 九 年 以降 は 入会 使 用 す る区 域 を採 草 、 萱刈 地 の み に限定 し て 立木 の成 立 す る地 帯 に は入 会 る こ と と な った。
借 入 地 は 旧村 ご と に総 代 を 設 け、 関 係村 総 代 が集 ま って代 表 総 代 を決 定 し、 官 有地 管 理者 と契
約 を行 な った も の であ る 。 そ の当 時 の料 金 は 一村 の古老 に よ ると 無 料 で あ ったと いう 。 そ し て明 治 二三 年官 有地 が御 料 地 に編 入 の際 も ひき つが れた 。
借 地 契約 が設 定 さ れ た御 料地 は 、 二子 山 で大約 二五〇︱ 二 六〇 町 に及 び 、 こ れ に関 す る部 落 は
二子 、 中 山 、 沼 田 、竈 、 萩 蕪 、中 清 水 、駒 門 の七 力村 で あ った。 そし て七 カ村 の関 係 村 民 は御 料 地 拝 借 組 合 を つく った。
大 野 原御 料 地 に も拝 借 契 約 が設 定 さ れ た。 関 係部 落 は富 士岡 村 を 形成 し た 竈 、萩 蕪 初 め九村 全
部 で 、 そ の関 係 面積 は最 初 全 原 野 五 七 九 町 に及 ぶも の であ った よう で あ る。 で いる のであ る。
そ し て富 士岡 村 農 民 の入 会関 係 は 、同 村 内 だ け で な く 、須 山 村 、 原 里村 、富 岡 村 地 内 ま で及 ん
旧村 ごと に 一大 割 し 、自 由 無 償 で使 用 し て いたも の であ った 。御 料 地 にな ってか ら 二〇 〇 町 歩 引
駒 門 部 落 の関 係 者 の語 る通 り に しる し て見 る と ﹁拝 借 地 は御 料 地 に な る以 前 は 、部 落 ご と に 一
き 上げ ら れ て、 御料 局 で造 林 し た。 こ の土地 を みな ﹃新 植﹄ と よ んだ 。 拝借 当時 、御 料 局 は開 墾
を奨 励 し た。 だ が利 用 は採 草 が主 で、 次 に開 墾 、第 三 に僅 か ば か り の植 林 であ った 。明 治 三五 年 頃 入 会地 は 三 、〇 〇〇 町歩 と い わ れ て いた﹂。
た だ し明 治 三 六年 八月 一五 日付 の文 書 によ れば 、下 草 は払 下げ と いう 形 式 を と って おり 、借 地
関係 には な って いな い。 ゆ え に御 料 地 当 局 は払 下 げ と考 え て借 地 と区 別 し て いる か のよう で あ る
が、部 落 農 民 から す れば 、実 質 的 に は 入会 地= 拝 借 地 と受 け と って いる。
大 野 原 の御 料 地 は明 治 四 五年 陸 軍 省 に貸 下 に な り 、演 習 用 地 にな る 。
昭 和 二 二年 、皇 室 財 産 の解 体 に当 って国 有 林 に編 入 さ れ た のは 山林 三九 七 町 余 であ る 。
大 野 原 の四七 九 町 余 は大蔵 省財 務 局 管 轄 とな り 、 爾余 一八四 町 は 縁故 払 下 地 とし て整 理 さ れ た。
整 理 地 のな か で も っとも 大 面積 で あ った の は、 二子 山 の ﹁拝 借 地 ﹂ で 一七 七 町 四 八 であ る 。 18 長 野 県 筑 摩 郡 日義 村
旧 藩 時 代 は 尾張 藩 に属 し 、 福島 の代 官 山 村 氏 が管 理 の任 に あ た って いた が 、廃 藩 にあ た って国
入 せら れ帝 室 林野 局 木 曽 支 局 の管 理 す る と こ ろと な った が 、終 戦 後 の林政 改 革 に伴 って再 び 国有
有 に帰 し 、 松本 大林 区 署 が管 轄 し た が 、明 治 二 二年 四月 御 料 林 制 度 が し か れ た さ い、 御 料 林 に編 林 に復 帰 し たも の であ る。 21 岡 山 県御 津 郡 円 城村
こ の地 の国有 林 は 二 つの地 区 に分 れ て存 在 し、 北 の高 松 、 大師 山 はも と 金 川 の領 主日 置 氏 の領 地 、 南 の加 茂 山 は岡 山池 田 氏 の直 領 であ った 。
加 茂 山 の管 理 は 円城 の片 山 家 が山番 と し て あ た ってお り 、 そ の家 を 番 所 と い った。 そ し て年 一
回 山奉 行 がや って来 て村 人 への お達 し が あ った 。加 茂 山 の木 は フク ラ シ、 スギ 、 ク ヌギ は自 由 に
切 っても よ い が、 松 、 ツグ 、 ホ ウ、 サ ク ラ は 切 って は相 成 ら ぬと い った。 伐 ってよ い木 のこと を フチ ョー ギ と い い、 人 々は そ れ を薪 にし た ので あ る。
あ った 。第 一距 離 が遠 すぎ る 上 に、 そ の手前 に村 の入 会 山 が あ った から 。
し た が って御 立林 の農 民 側 の利 用 は 薪 柴草 を取 る こと に 限 ら れ て おり 、 そ れ も わず かな も の で
れ た 。 こ の国 有 林 は す ぐ そ の西 に円 城村 村 有 林 を 控 え てお り 、 そ のた め に国有 林 下 戻 運 動 は起 ら
ま た明 治 初 年 の地 租改 正 の折 、 これ ら御 立林 は そ のま ま 国有 林 へ編 入 さ れ本 宮 山国 有 林 と 呼 ば
な か った が、 北 部 の高 松 、大 師 国 有 林 は 一般 民有 林 の間 に存 在 す る た め、 そ の 一部 は早 く 下 戻 し
を 見 て村 有 林 にな った 。柿 山 で は明 治 二〇 年 代 に部 落 の共有 地 に す る た めに 三〇 町歩 を払 い下 げ
た が大 正 一 一年 用 水 池 を作 る費 用 にあ て る た め に 二三 名 の者 に 分割 売 り し て個 人所 有 にし た。 一
口七〇 円 で 一〇 口に し た が、 そ の 一口を 一人 で持 て ぬ者 は二 な いし三 人 で持 ち 、 二三人 が分 け た ので あ る。
そ の後 久 し く 国有 林 下 戻 し のこ と は な か った が、 戦 後 帰農 者 の開 拓 に加 茂 山 の中 小 本 宮 、 菅 ケ 谷 、御 所 谷 など 二〇 〇 町歩 が解 放 せら れ た 。 24 佐 賀 県 神 崎 郡東 背 振 村
こ の村 には 、明 治 以 前 から 、一、〇 〇 〇 町 歩 を こえ る採 草 地 が あ った。 そ れ は領 主鍋 島 侯 にと っ ても 、 高率 の封 建 貢 租 を 徴 収 す る 上 に不 可 欠 のも の であ った し 、 そう し た体 制 下 で、 自 然 経 済的
って境 界 争 いは古 く から 流 血 の惨 事 を ひ き お こし てま で続 け ら れ、 領 主 も こ れ に対 し て非 常 な関
条 件 に依存 す る隷 農 経 済 にと って も 、農 地 に つぐ 重 要 生活 基 盤 であ った 。 こ のた め、 草 山 を め ぐ 心 を し めし た 。
こ の採 草 が維 新 以 降 、 国 有 林 野 と し て管 理 さ れ る に 至 った後 も 、 当 分 の内 、地 元 民 の自 由 に放
任 さ れ て いた こ と は 、維 新 後 にお け る新 し い県 政 の空白 に よ る も のであ ろ う 。
し か る に、 こ の広 大 な︵ 一、〇 〇 〇 町歩 を越 し たと推 定 さ れ る︶採草 地 も 、明 治 末 期 から 大 正半
ば に か け て行 な わ れた と考 え ら れ るこ の村 への貨 幣 経 済 の滲 透 と とも に、 そ の重要 性 を変 え て い
った 。 す な わ ち、 貨 幣 経 済 は 、年 間 各 戸 一〇 〇 日前 後 と いう が如 き採 草 労 働 か ら 、他 の賃 金 労 働
へと 労働 力 を抜 き と って い った︵ 金 肥 の出 現 が そ れ に 拍車 を かけ た こ と も も ち ろ ん であ る︶。 こ
の こと は 一方 、 日本 の資 本 主義 的 発 展 と とも に拡 大 さ れ て い った 。国 有 林 野 特 別 経 営 事業 の 一環
と し て の、未 立木 地 造 林 事 業 を可 能 に し て い った 。 こ の村 の場 合 、 か か る未 立 木 地 造 林 の拡 大 は、 き わ め て巧妙 に行 な わ れ て いる 。 いと いう と こ ろ ま で縮 小 さ れ て いる 。
こ の村 の国有 草 地 は、 かく し て迂 余 曲 折 しな が ら 、今 日 で は、 わず か 一三 町 歩 を 残 す に すぎ な 25 宮 崎 郡 児湯 郡 三納 村
三 納 村 は旧 藩制 下 、佐 土 原 藩 に直 轄領 治 さ れ て い た。佐 土原 藩 は慶 長 八年 一二月 島 津 以 久 が領
主 と な って以 来 、 藩籍 奉 還 に至 る ま で代 々そ の子 孫 が継 承 し て き た。 し た が って島 津 鹿 児 島 藩 と
血族 関 係 にあ り 、勢 い島 津 藩 の勢 力 分 野 の中 に 入 って いた 。宮 崎 県 を 南 北 に分 け て見 る と、 囎 唹
郡 、東 、西 、 北諸 県 郡 は直 接 鹿 児 島 藩 の領 有 に属 し、 飫 肥 藩 は つと に鹿 児島 藩 の勢 力 の中 に入 り 、
県 南 は あげ て島 津 の翼 の中 にあ った と いえ る 。 し かも こ の旧 藩制 下 の権 力構 造 の南 北 に おけ る 差 であ る。
異 が 、以 下 述 べる よ う な 理由 のも と に、 国有 林 設 定 の過 程 と そ の結 果 を著 し く 異 に さ せ て いる の
徳 川封 建 制 下 、 封建 領 主 が取 得 す る封建 地代 の絶 対 的 増加 は開 墾 に俟 た ねば な ら な か った。 こ の た めに商 業 資 本 的 新 地 主 が発 生 す る こと と な った 。
を中 核 とし た開 墾政 策 が とら れた 。 し た が って門 割 制 度 か ら新 地 主 のよ う な新 し い生 産 関 係 は発
然 し薩 藩 の農 業 政 策 は門 割 制 度 を 基 礎 と し て いた。 こ の制度 は 一な いし 五戸 の平 民 農 家 を 一小 団 と し て門 と呼 び 、 土地 に緊 縛 す る も ので あり 、 こ れを基 礎 と し て郷 士 制度 が確 立 さ れ、 こ の門 生 し な か った。
こ の門 割 制度 のも と に おけ る農 民 の徹底 し た土 地 緊 縛 は 、農 民 の意識 を 遅 れ たも のと し 、 後 述 のよう に国 有 林設 置 に反 対 す る農 民 運動 の形 態 を 県 北 と異 な ったも のにす る 。
し か し佐 土原 藩 は薩 藩 が明 治 維新 に際 し て 、積 極的 働 き を し た の に呼 応 し て急 進 的勢 力 と な り 、
藩 籍 奉 還 の折 も率 先 し て これ を行 な い、朝 廷 より御 下 賜 を戴 い て いる 。周 知 のよう に明 治維 新 は
不 徹 底 な ブ ルジ ョア民 主 主 義革 命 で あ った。 そ の明 治 政 権 の中 核 を な し た のは薩 、 長 、 土 、 肥 の
諸 藩 であ った 。 こ のた め に佐 土 原 藩 お よび こ れに連 ら な る そ の後 の役 人 が、 政 権 に対 す る反 抗 力
を 欠 く こと と な り国 有 林 設 置 の場 合 にも 、 郡 役 所長 が政 府 権 力 に迎 合 し 、 ひ い て は村 民 を抑 え、 今 日見 る 国有 林 の圧 倒 的 支 配 と いう結 果 を 生 み出 し て いる。
五 公有 林 の成 立
二七 の調 査地 に つい て見 る に、村 有 林 ま たは 共有 林 を比 較 的 ひ ろ く持 って い る のは 、 山形 県 高
崎 、 宮 城県 宮 崎 、福 島 県 荒 海 、静 岡 県 富 士 岡 、長 野 県 日義 、 兵 庫県 三方 、岡 山 県 円 城 、高 知 県 大
川 筋 の諸 町村 で あ る が、 そ の成 立 せ ら れ て い った実 情 は 必ず し も 一様 で は な い。
今 日村 有 林 と よば れ る も の は、 も と多 く は部 落有 林 で あ った。 部 落 と 言 って も 、 そ れは 明治 二
三 年 の町村 合併 以前 に は 一村 を な し て いたも の であ って 、 こ れ には 藩 政時 代 にす で に村 共有 と確
認 せ ら れ て いた も のと 、明 治 にな って い った ん官 収 さ れ た も のが払 い下 げ ら れ て村 有 にな ったも
のと ある 。 こ の場 合 、払 い下 げ ら れ る に は何 ら か の意 味 で 、縁 故 がな け れば なら な いと さ れ た 。
し か しそ れ に つ いて 必ず しも 一定 の基 準 のな か った こ と は 、 一方 では 山 形県 高 崎村 関 山、 高 知 県
大 川 筋 の如 く 払 い下 げ ら れ たも のが あ り 、他 方 では申 請 の却 下 せら れ た例 が あ る。 こと に茨 城 県
沢 山 の拝 借 山 の如 き は 、 そ の用 益 慣行 に つ いて見 れ ば 、 む し ろ当 然 払 い下げ ら れ るべき 性 質 のも
のが逆 に官 収 さ れ て しま って いる 。 ま た高 知 県 で明 所 山 と いわ れ る山 のほ と ん ど は国 有 林 に編 入
さ れ た の であ る が 、 同 じ高 知 県 の東 川 で は そ れら の多 く が民 有 に帰 し て いる 。
こ のよ う な 差 異 は そ のこと にあ た った官 吏 の主観 に も とづ いて生 じ た場 合 が 多 か った ので あ る。
福 島 県 茂 庭 の如 き も 、明 治 一 一年 の山林 原 野 の地 租改 正 に際 し、 実 地踏 査 に あ た った折 笠義 路 は
今 日国 有 林 と な って いる林 野 を 一応 民有 地 と し て査定 し て いる。 し かる に、 翌 一二年 に県官 矢部 いに た え か ねる であ ろう と の配 慮 か ら であ った。
重 高 が こ れを官 地 に編 入替 え し た 。 こ れ は利 用 度 の少 な い山林 を広 大 に所有 し て も、 税 金 の支払
か か る現 象 は 決 し て茂 庭 一村 に限 った こ と で は なく 、全 国 に ひ ろ く見 ら れ た現 象 で あ って、 広
大 な 土地 を 背 負 いこ む こ と に よ って支 払 わ ねば な ら ぬ税 金 の重 さ、 つま り 林産 物 と税 を比 較 す る
の であ る。 こう し た こ と に対 す る人 々 の判定 は決 し て 一定 し な か った。 そ の こと が用 益権 を も 所
場 合 、林 産 物 が 税 を こ え る ほ ど の利 益 を あげ 得 る と考 え ら れ る ほ ど山 林 の利 用度 は高 く な か った 有 権 と し て認 定 す る か否 か を 左右 し た 。
を官 と民 に分 け る こ と自 体 の判 定 の規 準 も は っきり し て いな か った こ と は、 左記 の高 知 県 東 川 の
し か も山 林 の制度 は複 雑 で、 留 山 と い い、堰 山 と い い、御 蔵 付 林 と い い、 所林 と い い、 そ れら 実例 を 見 て も わ か る。
奈 比賀︱︱ 御 留 山 六カ 所 中 、四 割 は 国有 林 で のこ って い るが 、 六割 は民 有 にな って いる。 明 治
か らず あ る も、 後 日 の移 動 と思 わ れる 。 所林 二、明 所 山 一は 民有 林 に な って いる 。
初 年 縁故 者︵ 特 に部 落︶ に払 い下 げ ら れ た ら し い。 現 在 、 川 北村 民 の手 に入 って いる も のも 少 な 入 河内︱︱ 上 御留 山 一、所 林二 が全 部 民 有 。
黒 瀬︱︱ 御 留 山 一、所 林 一、 明 治 二〇年 に民 有 。 所 林 は明 ら か に部 落 共有 であ った。
た め払 い下 げ 、 ま た六年 頃 大 井 部 落 に払 い下 げ た 。所 林 三 は地 元部 落 に帰 す 。 二〇年 に は部 落 有
大 井︱︱ 御 留 山 六 のう ち 二カ所 は現 在 国有 。他 は明 治 初年 高 知 士族 片 岡 氏 に 還禄 士族 授 産 の であ った 。明 所 山 一は 一五年 当 時 部 落 のも ので あ った。
井︱︱ 御 留 山 九 の中 、 国 有 で残 る も の七 、 ただ し そ の中 の新 御 留 山 一カ所は 六年 古 井 部 落
に払 い下 げ ら れ村 持 地 に な った。
古
島︱︱ 御 留 山 五 のう ち 四 カ所 と 、 明所 山五 のう ち三 カ所 が国 有 に な った が 、 そ の 一つは三 六 年
七 月 川 北 村 へ払 い下 げ ら れ て いる 。 所林 一と明 所 山 のう ち 二カ所 が初 年 に民有 に な った。
三 八年 に個 人 へ払 い下 げ ら れ て いる 。明 所 山 一〇 のう ち 二は国 有 であ った が 、 そ のう ち 一カ所 が
別 役︱︱ 御 留 山 七 と所 林 四 は今 も全 部 国 有 。 散 林 二も 国有 に な った の であ ろ う が 、 四〇 年 と
ら れ 、 ま た転売 さ れ た も のと推 定 さ れ る 。
今 回林 野 整 備 で払下 げ の対 象 にな った 。 そ の他 の明 所 山 も 一度 は国 有 にな って後 部 落 に払 い下げ
て民 有 にな って し ま った。 そ れ にひ き か え て 、北 部奥 地 の不 便 な方 は明 所 山 さ え も国 有 と し て残
以 上 、各 部落 を通 観 し て いえ る こ と は 、本 村 の中 部 以 南 では 、御 留 山 であ って も大 半 処 分 さ れ さ れ た と いう こ と で あ る 。 った こ と は明 瞭 であ る。
藩 政 時 代 の所 林 、明 所 山 も 地 元 民 の用 益 の事 実 はあ った と し ても 、今 日 に お け る所 有 権 でな か
く民 地 と さ れ た 。北 半 で は 一部 里 山 を も含 め て相 当 大 面積 が官 有 に取 り 込 ま れ た 。
官 民 有 区 分 は明 治 九、 一〇 年 頃行 な わ れ た が、 本村 南半 で は支 谷 の奥 ま った 一部 を 除 い ては多
明 治 二〇年 、 土地 台 帳 が でき る わ け で あ る が、 民有 と さ れ た分 も 村 持 山 が多 か った。
下 別 役 の影 野 に昔 番 所 があ って 、 そ こ を守 って いた 湯浅 氏 に廃 藩 後 付 近 の山林 五〇 町 を 謝 礼 と し て贈 ら れ た が 、税 金 を 納 め る のが い やだ と い って受 け な か った。
こ の例 に よ っても わか る ご と く 、留 山 、 所 林 、 明所 山 が そ の名 称 や制 度 に よ って国 有 林 や 民有
あ ろう か。 こ の地 に関 する 限 り では 、住 民 と山 林 の結び つき の深 さ如 何 に よ った よう であ る 。
林 に区 別 さ れ た も ので な いこ と は明 ら か で あ る。 では官 民 の区 分 はな にに よ って行 な わ れた ので
ので あ る。 す な わ ち東 日本 にお いて は 、津 軽 、秋 田、 栃 木 、 埼玉 、天 竜 川 流域 な ど の小 部 分 を 除
そ のこと か ら考 え て 、国 有 林 が 東 日本 に偏 在 す る のも 、 か か る傾 向 にも と づ く も のと見 ら れる
いて は、 山 林 の利 用度 は低 か った 。 そ れ は 一つに はブ ナ 、 ナ ラ 、 ト チ、 な ど のよ う な落 葉 広 葉 樹
が多 く、 そ れら は 土木 建 築 用 材 と し ては 必ず し も有 利 でな く 、 し た が って藩 政 時代 に は薪 炭 材 以
外 の用 途 は限 ら れ て いた 。用 材 とし ては スギ 、 マツ、 ヒ ノキ 、 ア テ ノ キ、 な ど が最 も重 要 視 さ れ 、
そ れ の原 生林 地 帯 にま ず用 材 林 業 が 成 立 し て く る のであ る。 そ う いう と こ ろ では 山 林 の利 用 度 も 高 く 、 し た が って民 間 の山林 に対 す る認 識 も ふ か か った。
う と ころ も民 間 の利 用 度 は高 く 、 そ れら も ま た 民有 地 と し て の性 格 を おび てく る 。 そ れ に も か か
今 一つ、採 草 地 あ る いは放 牧 地 は、 も と 入会 慣行 のひ ろく行 な わ れ た と こ ろ であ る が 、 そう い わら ず 、佐 賀 県 東 背 振 では そ う いう 土地 が国 有 地 に編 入 せら れ て いる 。
な お そ れ ほど 不便 だ と は考 え な か った し 、ま たそ のほ う が有 利 だ と いう考 え方 が つよ か った 。
し かし 国有 地 に な ったと し て も 、 そ の 土地 が民間 で借 用 し て使 用 せ ら れ る も のな ら ば 、住 民 は
こ れは 、 封建 制 下 と資 本 主義 制 下 に お け る所 有権 の観 念 が 、根 本 的 にち が って いるも の であ る
こ と の自 覚 が な か った こ と が大 き な 原因 で あ る。 封 建制 下 に お け る土 地 所 有権 の概 念 は、 そ の土 地 お よび 土地 の属 性 の 一切 を所 有 す る権 利 と考 え ら れ ては いな か った 。
か く て山 林 は国 家 に 所属 せ し め、 利 用 は民 間 に お い て行 な お う と す る拝 借 山 、借 用 山 の制 度 は
各 地 に見 ら れ た。 岩 手県 田 山村 でも そう し た 広 い借 用 地 請 願 を し て成 功 し今 日 に至 って お り 、佐
賀 県 東 背 振 の場 合 も 、採 草 の ため に長 く国 有 地 が利 用 さ れ 、 そ れは 草 肥 が金 肥 に か わ って採 草 の 行 な わ れな く な る ま で つづ い た の であ る。
し か しそ れ ら借 用 地 の権 利 は も と も と国 家 のも の であ る か ら 、国 家 へひ き あげ ら れる と き に は
拒 む力 を も たな か った。 茨 城 県 沢 山 の拝 借 山 や 、 静 岡県 富 士岡 の拝 借 地 な ど そ のよ い例 で、 沢 山
の場 合 に は官 地 を ひ き あげ ら れ ても 大衆 は な ん ら の抵 抗 す ら し て いな い。 こ れ に対 し て富 士 岡 で
は 、今 日ま でも な お耕 地 に利 用 し あ ら ゆ る不 便 をし のん で 耕作 を つづ け て いる 。 そ し て そ の矛 盾 は 未 だ解 決 さ れ て いな い ので あ る。 適 用 が も た ら し た不 幸 と負 担 は実 に大 き か った 。
土地 の用 益 と所 有 権 の観 念 の截 然 と し な か った と こ ろ︱︱ と く に後 進 地 区 に 、 欧米 流 の法律 の ま ず 用 益権 が そ のま ま 所有 権 と し て見 ら れ た地 に つい て見 よ う 。 7 秋 田県 北秋 田郡 早 口町
と な って行 な ったも の であ る が 、 そ の ほ か に五 七町 三 一およ び 六 八 町 二反 の官行 造林 地 が あ る。
現 在 の町 有 林 面 積 は実 測 で五 四 三町 二、九 一〇 で あ る。 こ の七 八% は スギ の造 林地 で町 が主 体
こ の面積 は本 来 の町 有 地 で、終 戦 後 の部 落 有 返 還地 は こ れ に含 ま れ て いな い。
部 落 有 林 野 は 九七 一町 三 八 で い った ん昭 和 六年 に町 有 に統 一さ れ た 。終 戦 後 こ れら の林 野 は ふ
た たび 縁 故 部落 に 返 還 さ れ、 そ の代 償 とし て部 落 よ り町 へ学 校 建 築 費 約 二〇 〇 万 円 が 調達 さ れ た。
そ の場 合 、 市街 地 方 面 は建築 敷地 に売 却 さ れた が 、 山間 部 落 では 立 木処 分 し て、 寄 付 金 が調 達 さ
れ た。 本 町 に お け る こ れら 公 有 林 野 の人 工造 林 の発 展 は 、 か なり 目 覚 し いも ので あ って、 と く に
そ の発 展 の指導 的 役 割 を 果 し た県 有 林 の造 林 投資 は 早 口町 にも お よん で き た 。 そ の結 果 、採 草 地
の減 少 を き た す こ と にな った 。 6 岩 手 県 紫 波郡 煙 山 村 な った地 域 であ る 。
煙 山 村 の村 有 林 は 、隣 村御 所 村 の矢 櫃 山 に九 町 六反 歩 あ る。 明 治 中葉 の官 民 区 分 当 時下 戻 し に
て き た入 会 地 が 、矢 櫃 山 一帯 に三 、〇 〇 〇 町歩 か ら あ ったと いう こ と で あ る。
古 老 の言 によ る と 、藩 政 当 時 馬 一頭 に つき 米 五 升 、銭 三文 と いう よ う な条 件 で薪 炭 材 を採 取 し
現 地 は馬 の背 のよ うな瘠 せ尾 根 を含 む急 斜 地 で、 林 相 も極 め て劣 って いた が、 立 木 は 昭和 二四
年 に学 校建 築 資 金 の 一部 にあ てる た め 二八万 円 で処 分 し 、 そ の跡 地 二町 三反 歩 に、 二五年 松 と杉 を植 林 し 、 残 り は萌 芽 更 新 を 期 待 し今 日 に至 って い る。 10 宮 城県 加 美 郡 宮 崎 村
理寮 山 林 局 の管 轄 す ると ころ と な り 、官 林 に編 入 さ れ た。 宮 崎 村 の林野 総 面 積 は、 昭 和 二七年 六
明 治 維新 に伊 達 藩 は 六 二万 石 余 の封 土 を奉 還 す る に当 り 、地 頭 お よび 社寺 拝 領 の山 林 は 悉 く地
月 現 在 で一三 、二七 四町 歩 で あり 、 そ のう ち国 有 林 面 積 三 、九 六 六町 、 三〇% 、村 有 林 五 、 六 四 四 町 、 四三% お よ び部 落 有 林 一、五九 九 町 、一、二% で あ る。 こ の部 落 有林 は 四 三村 合 併 し 、 大 正 九
年 公有 林 野整 理統 一のさ い供 出 を行 な わ な か った 北 川内 旧村 の村 持 であ り、 現 在 ま で に他村 民 に
譲 渡 し た面積 お よび 陸 軍 省 に売 却 し た面 積 も 少 な く な か った。 し たが って 、官 民 有 区 内 の当 時 民
いた。 国有 林 の不 要 存 置 払 下 げ 面積 も考 慮 す べき であ ろう が、 いず れ に し て も、 官 民 有 区 分 の際
地 とさ れ、 官地 に没 収 さ れな か った面 積 は、 上 記 の村 有 林 お よび 部 落有 林 の合 計 より も 上 廻 って に おけ る民 地 の官 地 に対 す る優 位 は 間違 いな い。
の 一頭 を宮 崎 に止 め た。 こ れ が幕 府 の耳 に 入り 、 そ の馬 の引渡 し を命 ぜ ら れ た が 、他 の二頭 の み
伊 達 政 宗 が元 和 元年 支 倉 常 長 を ロー マに派 遣 し たさ い、 常長はァ ラビ ヤ馬 三頭 を持 ち帰 り 、 そ
を 差 し出 し 、宮 崎 の 一頭 は そ のま ま にし て ひ そ か に繁 殖 せし め た。 こ の目 的 に使 用 し て いた原 野
は 六 、〇〇〇 町 歩 と いわ れ 、村 民 の使 用 管 理 に委 ね ら れ て いた 。元 禄 時 代 、 世 は 平和 を た のし む
に至 り 、軍 馬 は不 用 と な り 、伊 達 藩 の買 上 価格 は引 き下 げ ら れ た ので、 原 野 は全 く各 部 落 の使 用
権 益 にま か せ ら れ て き た。 こ れ が官 民 有 区 分 のさ い民 地︱ 村 持 地 と し て認 めら れ たと いう 。
か かる村 有 林 野 は全 林 野 面積 の四二% 、 五 、六 四四 町 歩 を 占 め 、 大字 宮 崎 を 中 心 と し た全 農 家
の農 業 生産 を支 配 し、 本 村 内 の薪炭 材 給 源 と し て大 き な役 割 を 果 し て いる。
本村 の村 有 林 は、 現 在 、 大字 宮 崎 村 村 有 林 が九 八% を占 め てお り 、 残 り 二%五 三町 六、九〇 二
が旧 柳 沢村 の村 有 林 であ る。明 治 二二年 町 村制 施行 に よ って宮 崎村 、 北 川内 村 、 柳 沢村 が合 併 し
て、 現 在 の宮 崎 村 が成 立 し た ので あ る が、 こ のう ち 北川 内 村 は町村 制 施 行 に先 立 って部 落 有 林 野
を 部 落 員 の記 名 共有 林 野 に変 え て 、大 正 九 年 の部 落 有 財 産 統 一当 時 は す で に持 分 権 の売買 が行 な
わ れ て いた 。 柳 沢村 は旧 来 か ら 広原 村 ほ か三 カ村 原 野 組 合 に よ って、 広原 村 、加 美 石村 、 小野 田
村 と の共 有 林 野 が広 原 村 地籍 にあ った た め、 自 村地 籍 内 に あ った前 記 の林野 を部 落 有 林 野 統 一時 に統 一し た も ので あ る。
こ のよ う に 旧宮 崎 村 、 旧 北 川内 村 、旧 柳 沢村 三 カ村 そ れぞ れ独 自 の村 持 山 を 有 し 、使 用 収 益 の
って、 北 川内 、 柳沢 の村 民農 家 に と って は な んら の経 済 的 関 係 を 有 し な い。
入 会 関 係 は存 在 し な か ったた め 、現 在 の宮 崎 村村 有 林 は旧 宮 崎 村 の村 民 、農 家 だ け の村 有 林 で あ 18 長 野 県 西 筑摩 郡 日義 村
ツガ 、 シラ ベを 混 ず る林 分 で 土砂 崩 壊 のお そ れ あ る区 域 を ﹁留 山﹂ と よび 、 伐木 採 取 を厳 禁 せら
現在 の村 有 林 は、 大部 分 、 旧藩 時 代 の ﹁野 山 ﹂ と よば れ た自 由 立 入区 域 であ って、 一部 モ ミ、
ツ の八 木 は伐 採 を 禁 じ ら れ た が、 薪 材 と 、 野草 の採 取 を 許 さ れ た 入会 慣 行 地 であ った 。官 民 有 区
れ た区 域 で あ る。﹁ 野 山﹂ に お い ても 、 ヒ ノキ 、 サ ワ ラ、 ケ ヤ キ 、 モ ミ、 ツガ 、 カ ツ ラ、 カ ラ マ
分 に よ って民 有 に帰 し てか ら は 、部 落 有 地 に し て 入会 慣行 が続 け ら れ、 明 治 二九年 各 部 落 に原 野
組 合 規 約 を設 け 、柴 刈期 日 、放 牧 期 間 採 取 草 木 の厳 守 を 申 し 合 せ 、現 在 に お よん で いる 。
に対 し て は特 別 施 業 地 と 称 し部 落 の入会 慣行 を存 続 し 、原 野 組 合 規 約 に よ って薪 材 の採 取 と採 草
昭 和 七年 二月 二 六日 、部 落 有 林 野 を 統 一し 、林 業 経 営 を 行 な う こ と と な ったが 、 一部 の村 有 林 が行 な わ れ て いる 。
昭 和 一二年 旧御 料 林 を 払 い下 げ た字 神 谷 の三 二町 歩 の村 有 林 は 、 伐採 跡地 を 公有 林 野 官行 造 林
地 にし て提 供 し 、昭 和 二七年 度 末 二 六町 歩 を 国 にお いて造 林 完 了 し た 。 こ の外 南 宮 森 外 二筆 一三 町 一反 歩 の旧御 料 地 の払 下げ を う け村 有 林 に編 入 し た 。 20 兵 庫 県 宍 粟 郡 三方 村
いず れも 往 時 か ら部 落 民 が随 時 入林 し 、薪 炭 柴 草 お よび 用 材 の伐 採 を し 、何 ら の制 限 な く 、部
落 の耕 地 に近 いと こ ろ で は年 々火 入 れ を行 な い、 牛 馬 の飼料 並 に緑 肥 採 取 に つと め、 あ る いは焼
し 、 こ れら のた め 立木 地 の面 積 は漸 減 し 、林 地 の荒 廃 を みる に至 った 。
畑 等 をな し 、 さ ら に昔 時 より 牧 畜 の行 な わ れ た関 係 か ら 、 こ れ が放 牧 のた め に 広 大 な林 野 を使 用
そ こ で明 治 二七年 度 よ り村 は極 力 こ れ が整 理を 唱 導 し 、分 割 林 を 定 め、 そ の他 一部 の禁 伐 林 を
設 定 し 、雑 木 林 お よ び 柴草 地 と の区 画 を な し焼 畑 廃 止 と 山 林保 護 とを は か って き た が 、 た ま たま
日 露戦 争 に よ る木 材 価 格 の騰貴 は初 め て森 林 の貴 重 な こ とを村 民 に悟 ら し め、 自 然濫 伐 、火 入 れ を戒 し め る よ う に な って きた 。
く雑 木 の生 ず る に いたり 、 こ れを機 に さ ら に山 地 の開発 と村 基 本 財 産 の造成 を は かり 、 自 治体 の
明 治 四 一年森 林法 公布 さ れ て火 入 れ の禁 止 を みて 以来 、 ほ と んど 原野 状 態 に化 した 林地 に も 漸
基 礎 を強 固 な ら し め る た め に、 大 正 九年 、部 落 有 林 野 の統 一をす る こと に な った 。 林野 と な って いた 。
こ れ より さ き 明 治 三七 年 、 高 野 国有 林 は河 原 田部 落 洗井 真 学 ほ か九 六 名 に払 い下 げ ら れ部 落有
こ のう ち 既往 の造 林 地 は わず か に 二七 町 四 、四 一六 で、 村 に お いて天 然 ま た は 人 工 に よ って造 林
統 一後 の本 村 公 有 林 野中 、部 落 縁 故使 用 地 を除 く と村 直 営 の施 業 地 は八 四 六町 歩 余 とな るが 、
の叢 生地 であ る た め、 人 工更 新 に よ る ほ かな い状態 で あ った にも か か わ らず 、村 は教 育 費 、道 路
を 要 す る面 積 は約 八 二〇 町歩 に お よ ん で いた 。 し か も村 直 営 地 の林 況 の大 部 分 は雑 木 ま た は小 柴
こ と が不 可能 な状 態 であ った。 た ま た ま大 正 九 年 公有 林 官 行 造 林 法 が 公布 さ れ た の で、本 村 は率
修 繕 費等 のた め年 々多 額 の支 出 を要 し、 財 政 が 潤 沢 で なく 、 既成 造林 地 の撫 育 も完 全 に施 行 す る
先 官 行 造 林 実 施 の希 望 を申 し 出 、 まず 大字 福 野 東 横住 、 大字 河 原 田 字 カ ナ リ、 大 字 公 文 遊 谷 の三
カ所 に お い て 二七 五町 六 、三〇 一を 造 林 予定 地 と し て提 出 し た 。 そ の後 、 大阪 公有 林 野 官 行 造 林 署長︵ 同 署 は大 正 一三年 一二月 二〇 日廃 止 、山 崎 営 林 署 が継 承
て提 出 し た。
す る︶ が本 村 に出 張 し た際 、 大 字 河 原 田 お よび 大 字 公 文 に お いて さら に四 カ所 を 官 行 造 林 地 と し
以 上 の経 過 を たど り 大 正 一 一年 一〇 日 一日 、官 行 造 林 契 約 を締 結 し、 同 年 一二月 一五 日 、 竜 野
区 裁 判 所 安積 出 張 所 の受 付第 一八 一三号 を も って地 上権 設 定 の登 記 を お わ った のであ る。
かく て 土 地 台帳 面 積 八七 〇 町歩 のう ち、 四 五 四町 五 八 に官 行 造 林 が行 な わ れ る こと にな った 。 21 岡 山県 御 津 郡 円 城 村
の中 頃 、 そ れ ら を分 割 し てし ま った が 、南 部 の諸 部 落 は そ れを 長 く 共有 し て今 日 に至 った 。
も と山村 の共通 現 象 とし て こ の村 に も ひ ろ いサ ンノ︵ 共有 地︶ が あ った 。北 部 の村 々 では明 治
案 田、 円 城 、 上 田東 、 上田 西 の共有 地 は国 有 林 に 西隣 し、 大 字 上 田東 、 上 田西 、案 田に ま た が
り 面 積 五 七 三 ・四 二町 歩 であ る 。 こ の共有 地 は明治 二三年 に 四大 字 に よ って分 割 す る こ と を決 議
し た が、 河 原義 之 市 な る者 が 絶対 反 対 を と なえ 、 同 志 を つ の って共 有 のま ま おく こと にし た 。 そ
し て町 村 制 施行 と 同時 に区 有 林 と な し 、村 長 管 理 のも と に お い た。 そ し て区 有 林 は各 戸 自 由 に伐
る こ とを 許 し て いた が 、 こ の管 理 にあ た って い る 八人 の区 会 議員 は、 山 のあ れ る こ とを 恐 れ て昭
和 一四年 伐 採 計 画 を た て 、採 草 地 、保 安 林 、伐 採 禁 止地 域 を き め て利 益 のあ が る よう にし た 。 そ の結 果 五 〇 年 ∼ 六〇 年 の林 も で き 、利 益を 上げ る こ と に な った。
し かし 戦 時 中 は 、 搬出 に便 利 な道 路 付 近 は乱 伐 さ れ つく し てあ れ てし ま った。
今 ま で はず っと 天然 造 林 で あ った が 、明 治二 六年 から 杉 、桧 の人 工 造 林 も行 な わ れ るよ う に な った 。
な お 共有 林 のう ち 津 恵 田 は 、昭 和 二三年 開 拓 地 と指 定 さ れ 、国 有 地 払下 げ に準 じ 、主 と し て地 元民 の引 揚 者 によ って開 墾 せ ら れる に 至 った。
か く て 、 こ の村 有 林 は 、四 大 字 の人 々に と って今 日 薪 炭材 、 田畑 の草 肥 の供 給 地 と し て重 要 な 意 味 をも って いる 。
なく な い。 そ れ は行 き すぎ の是 正 と し て行 なわ れた も のであ るが 、 そ の山林 が部 落 と 特別 な関 係
以 上 の ほか 、 い った ん国 有 地 に編 入 せ ら れ て いた も のが申 請 によ って払 い下 げ ら れた も のも少
を持 つも の の みが先 ず 払 い下 げ ら れ た のであ る 。明 治 中 期 の こと であ る 。
今 回 の調 査 報 告 に は山 形 県 高崎 、福 島 県 荒 海 、高 知県 大川 筋 の三 カ所 が あげ ら れ て いる が 、高 崎 の外 は払 下げ の事情 が十 分 明 ら か で は な い。 9 山 形 県 北 村 山 郡高 崎 村
関 山 に おけ る村有 林 の成 立 に つい て みて み よう 。 部 落 周 辺 の林 野 は昔 か ら 百姓 持 山 と いわ れ 、
古 く か ら 主副 産 物 の自由 な利 用 の慣 習 が あ った と伝 え ら れ る が、 明 治 八年 、官 民 有 区 分 にお いて
国有 林 に編 入さ れ た。編 入当 時 の部 落 民 の動 き は明 ら か では な い が、 これ に対 す る大 きな 反響 は な か った よう であ る。
が、 入 会 慣行 の証 拠 が 不 充 分 で あ る とし て 一度 却 下 さ れ た。 翌 二六年 に絵 図 面 な ど の証 拠 を 整 え
明 治 二五年 に至 って、部 落 民 二二三 名 が村 長 大江 四郎 兵衛 を代 表 とし て下 戻 し の請 願 を 起 し た
て再 願 し 、明 治 三 一年 八月下 戻 し が許 可 さ れ、 翌月 九 月 に宮 城 大林 区 署 から 実地 引渡 しを 受 け た 。
時 の村 長 は岡 田久 兵 衛 で村 は いわば 仲 介 機関 と なり 関 山 区 有林 と し て下 戻 し さ れ た も のであ る。
明︵ 治 二〇年代︶ の林 政 問 題 が専 ら国 有 林 下 戻 し に終 始 し 、つ いに抜 本 的 な 解 決 策 と し て国 有 林 土
こ の下 戻 し の成 功 の原 因 は全 部 落 を挙 げ て の熱 心 な運 動 が実 を結 んだ も のと いえ よ う が 、 当 時
地 森 林 原 野 下 戻法︵ 明治三 二年 公布︶を みる に至 った と いう 時 代 的 な背 景 も 見 逃 し 得 な いで あ ろう 。
が 、仲 直 山 の産 土神 と そ の参 道 に残 る部 落 民 植 林 の跡 が 、運 動 を 成 功 に導 いた有 力 な 証 左 と いわ
関 山 地 内 の石崎 山 ほ か の元 国 有 林 は 、御 林 と 称 さ れ赤 松 の撫 育 に大 いに力 を 注 いだ と いわ れ る
れ る。 こ れら は村 人 が、 炭焼 き を終 え て 一本 、 ま た参 詣 し てま た 一本 と、 感 謝 の意 味 で お互 い に 何 ら の制 約 も 受 けず 自 ら植 えた も のと いわ れる 。
置 さ れ た 。 そ の後 区会 が区 有 林 を 管 理 し 、 山林 下 戻 申請 者 二 二三 名 の特 用 権 とし て、 公有 林 の組
こ の下 戻 し を 受 け た財 産 処 理 のた め明 治 三 二年区 会設 置 の申 請 を し 、翌 三 三年二 月 、区 会 が設
織 、規 約 を 作 って使 用 収 益 し た︵ 明 治 三 一年 下 戻 し 当時 か ら現 在 の地 上権 者 組 合 と ほぼ 同 じ よ う
な 組織 で あ った こと が当 時 の議 事 録 か ら知 る こ と が でき る︶ が 、当 時 はあ る程 度 自 由 勝 手 な利 用
も行 な わ れ、 製炭 を行 な った のは 主 と し て貧 農 階層 に多 か ったと いわ れ る。 と にか く区 会 の管 理
の下 に使 用 収 益 し てき た こ れ ら の林 野 は 、 大 正 六年 八月 、 公有 財 産 整 理内 規 に より 統 一が半 強制 的 に な さ れ、 村 有 林 に編 入 さ れ て今 日 に 至 って い る。
間 で使 用 貸 借 の契 約 を な し 、総 代 、 協 議 員 、会 計 な ど の役員 を 互選 し た。
組 織 が で き た のは下 戻 し直 後 の明 治 三 一年一一 月 で、 管 理 主体 で あ る部 落 と有 権 者 二 二三 名 の
林 野 の利 用 に当 って は、下 戻 林 野 を 三 地 帯 に 分 け 、次 のよ う な利 用 方 法 を定 め た 。
部 落 周 辺 の地 帯 を ﹁出戸 山野 ﹂ と 呼 び 、 秣 、小 柴 刈 取 り のか た わ ら主 と し て植 林 す ベき 土 地 と
し、 組 合 員 は平 等 の配 当 区 分 を受 け 、上 記 の目的 のた め随 意 の使 用 を認 め る が、 配当 を受 く べき 土 地 は原則 と し て古 来 の使 用地 をも ってす べし と定 め ら れ た。
次 の地 帯 を ﹁中 山 野 ﹂ と 呼び 、 も っぱ ら 植 林 地 と さ れ 、各 自 が 配当 をう け た区 域 を 二〇 な いし
も のと定 めた 。植 栽 樹 種 と し ては 、 スギ 、 カ ラ マツ、 ク リ の三 種 と す る 。植 栽 さ れ る種苗 は県 費
三 〇 分 し て、 そ の 一部 を 一年 の植 栽 地 と し 、在 来 の雑 木 を刈 り 取 って地 味 に適 した 樹種 を植 え る
養 成 のも のを無 償 交 付 を受 け る と か 、吉 野 より 種 子 を購 入 し て養 成 す る と いう よう な こ と も う た
って いる。 な お中 山 野 のう ち桂 沢 山 、崩 沢山 の 一部 は 明治 二七 年 五 月 の下 戻 し請 願 代 理 人 会 の決 議 によ り 、請 願 経 費 特別 出 金 者 に配 当 さ れ る も のと し た。
のう ち 、嶮 岨 あ る いは岩 石 山 で造 林 の不 適当 な と こ ろ は、 配 分 を し な い で雑 木 の成 育 を図 り 禁 伐
も ち ろ ん以 上 の使 用収 益権 は、 他 に売 買 、譲 与 、質 書 入 れを許 さ ぬ こ と にな って いる。 中 山 野
林 とし 、非 常 救済 のた め に備 え る こ と にし 、 ま た当 年 度 植 栽 地 と し て刈 払 いを行 な った後 一カ年
以 内 に植 林 し な い場 合 は他 の希 望者 に植 林 さ せる が 、団 体 費 で植 林 す る場 合 があ ると も規 定 し た。
薪炭 材 の供 給 は輪 伐区 を設 け、 年 々特 売 で各 自 の需 要 に 充 て 、 ま た条件 のよ い土質 のと こ ろ で は
県 境 地 帯 を 合 む奥 地 一帯 を ﹁奥 山野 ﹂ と呼 び 、 主 と し て 薪炭 材 の供給 と部 分林 の造 成地 と す る。
が 区 会 と契 約 を 結 ぶも のと す る。
部 分林 を造 成 し 、 団体 の収 益 地 と す べし と し た。 部 分 林 は雑 木 伐 採 跡 地 に限 って関 山 の住 民個 人
分 収 は売 却 金 ま た は立 木 のま ま いず れ でも よ いが、 歩 合 は条 項 に定 めず 、 契約 の時 そ の つど定
める も のと し た 。個 人 の部 分林 造 成 の希 望 が な いと き は団 体 でも よ いと し て いる 。 こ れら 三 つ の地 帯 のう ち、 堂木 沢山 、駒 木 根 山 、仲 直 山 、 女 滝 山等 の 一部 を 限 って部 落 の共 同 収益地と定めた。
大 正 六 年 、 区有 財 産 統 一によ り 所有 お よび 管 理 主体 は村 に帰 属 し 、関 山地 上権 者 組 合 が こ れを 運 営 す る こと にな った。
第 一に関 山 の区有 林 に対 し ては 旧来 の諸 権 利 を ほと ん ど認 め て いる こ と 、 す な わ ち出戸 山野 、
益権 のみ村 に移 す が 、特 売 を受 け る権利 は 旧来 通 り 関 山部 落 民 が保 持 す る こ と で あ る。 第 二に は
中 山 野 に おけ る 地 上権 、 共同 収 益 地 に お け る収 益 権 は そ のま ま維 持 さ れ 、奥 山野︵ 保 安 林︶ の収
一一〇 町 の造 林︵ 杉 、 扁柏 、 そ の他有 用樹 種︶ を 行 な い、村 に寄 附 さ せる 。 ま た観 音 寺 地 内 の名
観 音 寺 住 民 の負 担 に お いて村 有 地 に対 し 、施 業 案 の定 む る と こ ろ に より 、毎 年 二町 二反 ず つ合計
実 相副 わ ぬ山 林 二四 八 ・一六町 に つい て、統 一と同 時 に 一切 の権 利 を 村 に提 供 せ し め る。 ただ し
観 音 寺 地 内 村有 地 のう ち 、見 込 面 積 一三〇 町 に対 し て大 正 六年 九 月 より 五〇 カ年 間 部 落 民 に地 上 権 の設 定 を認 める と いう こ と であ る 。 村有保安林
った。
明 治 三 一年 関 山部 落 が下 戻 し を 受 け た林 野 のう ち 、 宮 城県 と の境 界 地 帯 を含 む奥 山 地 と 呼ば れ る地 域 で、 主 と し て部 落 民 の薪 炭 原 木 の供 給 と 部 分 林 の造成 に充 て るこ と を 目的 とす る林 野 で あ
地 上 権 設 定林 野
明 治 三 一年 の下 戻 し林 野 のう ち 、出 戸 山 野 、 中 山 野 を占 め る地 域 で、出 戸 山 野 は農 用林 的 な性 格 を も つも ので あり 、中 山 野 は植 林 地 と し て各 戸 に 分割 配 当 し た地 域 で あ る こ と は前 に の べた 。
中 山 野 の個 人 への分 野 は、一、二七 九 町 三 反 六 畝 のう ち 、嶮 岨 地 、 岩 石地 、植 林 不適 地等 六 四町 を 除 いた 一、 二一五 町歩 を 二二三 戸 に平等 に分 ち、一戸 当 り 五 町 四反 五畝 五 〇 歩 と し 、地 味 の良 否 、
交 通 の便 否等 を斟 酌 し て優劣 ニカ所 取 り 合 せて 一戸 分 とし て いる が 、 上 の 一戸 当 り 面積 は机 上 で
の概数 であ り、 実 際 的 に は お よ そ中 山 野 の土 地 の良 い部 分 三 町歩 、悪 い部 分 三 町 歩 、 林原 野 合 せ
て計 七 町 二反 歩 宛 て分割 さ れ て い る よう であ る 。 立木 の有 無 、 そ の繁 否 に より 価 格 を定 め て代 金 受 授 の際 に調 整 し 、各 自 の使 用 地 は抽 籤 に よ って定 め たも の であ る 。
組 合 への加 入 は、 以前 は転 入者 は部 落 に三 カ年 居 住 し て部 落 の義 務 を果 し 、入 会 金 五〇 〇 円 を
納 め 、 分家 の場 合 は 入会 金 三〇 〇 円 を 納 める こ と と さ れ たが 、一昨 年 の場 合 は 、転 入者 は五 、〇〇 〇 円 、 分家 三 、〇 〇〇 円納 め て半 口分 ず つ権 利 を与 え ら れた 。 12 福島 県 南 会津 郡 荒 海 村
の林 野 か ら建 築 材 、橋 梁 材 、 薪炭 材 、 萱草 そ の他 の副 産 物 を 採 取 し て き た。 し か る に明治 一 一年
藩 政 時 代 より 中 荒 井 、 川島 、関 本 、蕨 生 、 糸 沢 、 滝 ノ原 の各 部 落 が村 々 入会 の態様 に て 、附 近
地 租 改 正 の際 に 、民 有 地 たる 証拠 不 十 分 であ る と し て官 有 地 に編 入 さ れ て し ま った。
明 治 一六年 、 三島 県 令 より 民有 地 た る確 証 あ る も のは官 有 地 を 民有 地 に引 直 し方 出 願 す べし と
の通 達 が あ った ので 、証 拠 を 蒐集 の上具 申 した と こ ろ 、民 有 地 に帰 属 し た ので、 従前 の通 り 、各 部 落 の共 有 地 と し て使 用 収 益 し つ つあ った 。
大 正 九年 一二月 各 部 落 協議 の結 果 、特 殊 事情 あ る も の、ま たは 部 落付 近 の林 野 は個 人 に 分割 特 売 し 、 そ の他 は村 有 と し た。 23 高 知 県 幡 多 郡 大川 筋 村
立藪 、 御 郡 山 な ど と よば れ るも のが あ った 。 そ の後 これ ら のこ と ごと く が国 有 林 と な った の であ
旧 藩 時 代 に お いて 、本 村 の地 域 は 山内 侯 の所 領 であ って 、当 時 各 部落 に は御 留 山 、 明 所 山 、御
る が 、明 治 三 一年 か ら 四 一年 の間 に、部 落 ま た は村 へそ の三〇% が払 い下げ ら れ た。 そ の見 込 面 積 は 四七 五 町 歩 で 、全 林 野 面 積 の六% にあ た る。
あ る が、 そ れ ら のう ち村 有 地 と な った も のは岩 手県 土 淵 の 一、二三 三 町歩 が も っとも 広 いも の で
以 上 の外 、 不 要存 置林 の払 下 げ や 、農 地 改 革 によ る所 属 替 え、 国 有 林 野整 備臨 時 措 置 法 な ど が
あ ろう 。 他 では 払下 げ の条 件 にか な う も のは少 なく な か った が 、 そ れ が村有 化 し た例 は少 な い。
つま り開 拓 地 と し て、多 く は個 人所 有 に帰 し て いる。
か く て山 林 の村 有 化 は 、 入会 地 慣 行 を も と に所 有 権 を みと め ら れ たも のが多 く 、 し た が って今 も な お稼 地 的 な性 格 が つよ く育 成 林 業 への展開 は少 な い。 5 岩 手 県 上閉 伊 郡 土 淵 村
村 有 林 と し て昭 和 二六年 度 より 、 旧御 料 林 三〇 四町 五 反 の譲 渡 を受 け た︵ 二七年 完 済︶ ほ か、 国有 林 野 中 、農 政 改革 に よ る牧 野 解 放 で所属 替 と な ったも の、 八 四 二町 二反 が あ る 。 そ の管 理 お
よ び利 用 に つい ては 、 畜産 経 済 のな か で検 討 さ れ て い る。 さ ら に そ の後 、 二八 年 二月 に、 国 有林
八 九町 九 反︵ 栃 内 地 内︶ が買 い受 けと な って いる 。地 上産 物 と も 一七 三 万 円 であ る 。 こ れ より さ
き 、 二七年 の二月 、 国 有林 五 五〇 町 歩︵ 栃内 、 二ツ岩 地 内︶ を国 有 林 野 整 備 臨 時措 置法 に より 水 れら れず 、 そ の代 償 と な った のが前 記 のも の であ る。
源涵 養 林 造 林 、 村 の基本 財 産 造 成 、 同 薪炭 材 の需 給 調 整等 を 理由 と し て、 買 受 け申 請 し たが 、 容 22 高 知県 安 芸 郡 東 川 村
村有 林 は台 帳 面 積 三 七 町歩 あ る。 大 正 三年 黒瀬 より 買 い受 け 、大 正 六年 入 河 内 よ り買 い受 け 、
同 年村 長 よ り 六町 歩 買 い上げ 、昭 和 二六 年奈 比賀 私 有 地 一〇 町歩 買 い上げ 、 二七年 桃 カ谷 国 有 林 を 林 野整 備 で 一六町 歩 払下 げ に よ って成 立 し た も ので あ る。
部 落 有 林 は奈 比 賀 にあ り 、連 名 持 ち で、多 き は九 〇 名 、 少 な き は七 名 持 ち で計 四件 四 六町 歩 余
あ る 。 右 の外 に ﹁堰 持 ﹂ と いう 共有 山 が あ る 。 こ れ は柴 堰 と いう灌 漑 用 の堰 の修 理用 材 をと るた
め のも ので 、古 く から井 堰 持 ち とも いう 。 す で に持 分 を わ け て し ま った も のが多 いが 、 な お三 カ 所 のこ って いる。
六 民 有 林 の 成 立
1 共 有 林
け る こ と が でき る。 共 有林 と いう の は記 名持 ち 、 ま た連 名 持 ち と も よば れ、 一地 域 の土地 を 何 名
次 に 民有 林 の成 立 に つ いて見 て い こう 。今 日民 有 林 と いわ れ て いるも のは 共 有林 と私 有 林 に分
か で 共有 し て い るも ので あ る 。 そ れら の多 く は も と部 落 有 であ った も のだ が 、 そ れ を部 落 有 とし
な いで個 人 連 名 で登 記 し て いた も の は、村 有 林 統 一の場 合 にも 村有 林 に な ら な い でそ のま ま 、記 名 者 の権 利 が確 認 せ ら れ た ので あ る。
高 知 県 大 川 筋 はそ のよ い例 で あ る。 こ こ で は 、 旧村 所 有︵ 部 落 所 有︶ の山 林 を 早 く部 落 民 連 名
所 有 に きり かえ た。 そ れ は各 部 落 内 に世 帯 の転 出 、転 入が あ る と種 々複 雑 な 混 乱 を 生 じ た か ら で
あ る と いう 。 そ こ で部 落 民協 議 の上 、 部 落在 住 の有 権 者 の記 名有 林 にす る に至 った 。 そ し て実 質
的 には 共有 林 を 個 人有 と何 ら異 な ら な い形 に お き 、 そ の上 の売 買 も個 人 有 の山 林 の場 合 と同 様 に 分 割売 買 し て い るが 、 そ の際 不 動 産 の移 転 登記 は行 な わな い。
宮 城県 宮 崎 の場 合 も や や こ れ に似 る。 宮崎 村 は宮 崎 、柳 沢 、 北川 内 の三 村 が明 治二二 年 に合 併
し て、成 立 し たも の であ る が 、 そ のう ち 宮崎 の区 有 林 であ った も のは今 日村 有 林 と し て引 き つが
れ つ つ、宮 崎 区 の人 々が実 質 的 に利 用 し て いる こ と は前 述 の通 り であ る が、 北 川 内 で は こ の合 併
のと き 、 二三名 の記 名 共有 持 ち にし た。 これ は村 の貧 困 を林 野 の私有 化 に よ って解 決 し よう とし たも のと いわ れ て い る。
共 有 持 ち に し た当 時 は山奥 の林 木 は無 価 値 同 様 であ った が、 明 治 三 〇年 頃 か ら漸 次 価 値 を 生 じ 、
そ れ によ って天然 林 を担 保 にし て金 を借 り 、 漸 次 共 有解 体 の過程 を辿 る。
二 三 名 と いう のは 、明 治 二 二年 当時 の北 川 内 村 の全 戸 主 で あ った。 さ て こ の土地 の 一部 が明 治
三 二年 陸 軍 省 へ馬 の放 牧 地 とし て売 却 さ れ、 大 正 一二年 に は ま た買 い戻 さ れ て いる。 一方 二三名
持 ち は、 名義 的 に は明 治 四 四年 ま で つづ いた のであ る が 、 そ の年 借 金 の担 保 と し て 共有 林 の半 ば
を猪 股 た い にゆず った が、 大 正 二年 に は 二三 名 共 有 地 と し て買 い戻 さ れ て いる 。 ただ し猪 股 た い
も そ の仲 間 に入 って いた か ら 二 四名 共有 と いう こ と にな った 。猪 股 た い は西 川 北 で他 部 落 在 住 だ
が 、 こ の共有 権 を 確保 し た わけ であ る 。 そ し て 二 四名 の持 分 権 を み と め、 か つ そ の処 分 の自 由 さ
え も み と め た。 こ のこ と か ら 、 一つの持 分権 を分 家 など のあ る場 合 、 二 つあ る いは 三 つに分 け る
者 も で き 、表 面 は 二四名 で あ る が、 実際 には さ ら に多 く の人 々が 共有 権 を持 つに至 った ので あ る。
そ の保 証 金 一三 、〇〇〇 円 を七 十 七 銀行 よ り借 り 、残 り の金 は 買 戻 し林 野 の立木 を 担保 に福 井 の
こ のよ う な共 有 権 の解 体 は 、 さき の陸軍 用 地 の買 戻 し が 原 因 す る も の で、 買 戻 し 代 一三万 円 で、
金貸 業 者 飛 島 氏 から借 り 入 れ た。 と こ ろが そ の金 をS 氏 が 大 部 分個 人 で消 費 し た た め に代金 納 入
が お く れ てな かな か林 野 の払 い下 げ が行 な わ れず 、 さら にそ の穴 埋 め のた め に仙 台 の高 利貸 か ら
金 を借 り た が、 そ の借 用 人名 義 が共 有 者全 部 であ る こ と に共 有者 た ち は気 付 か な か った 。 そ し て 、
そ の借 金 を支 払 う た め に、 六 人 を除 いて他 の者 は そ の持 分 権 を 手 ば な さ ね ば な ら な か った。 当時
け で は事 足 らず 、 所持 田畑 を売 り はら った も のが少 なく な い。
持 分 権 は 一株 で 五 〇〇 円 で あ ったが 、借 金 は 三 、〇〇〇 円 に のぼ った から 、 持 分 権 を 手 ば な すだ
さ て大 正 一 一年 陸 軍 用 地 は正 式 に部 落 に払 い下 げ ら れ た が 、 そ のう ち 二〇 四 町九 四 は貸 主 であ った西 原 部 落 一六名 、東 北 パ ルプ 、宮 城物 産 に売 り 渡 さ れ た 。 そ のう ち東 北 パ ルプ は飛 島 組 の貸
金 を 肩替 り し た も ので あり 、 西 原 一六名 持 ち と宮 城物 産 はS 氏 への貸 金 の代償 で あ った。
そ の経 費 を つぐ な う た め に、 さ ら に 共有 者 一同 と し て借 金 し、 そ の支 払 い のた め に持 分 権 が売 ら
一方S 氏 の非 行 を せ め て北 川 内区 全 村 あげ てS 氏 に 対 す る裁 判 を おこ し た が 、敗 訴 に終 わり 、 れ て い った 。 そ れ を も っと も多 く買 い集 め た のがK 氏 であ った 。
村 以 外 の人 手 に わ た ったも のが 約 一五株 であ る。 さ て そ の 一株 を完 全 に持 って いる者 は大 平 に 二
か く てそ の最 初 二三 株 であ った も のが 、地 方 に のこ さ れ たも のは 三 割 の八 ・〇 三株 、 旧 北 川 内
名 、 北 川 内 に 三名 だ け で、 他 はK 氏 の 一 一株 、 そ し て残 り は 一株 を 何 人 か で持 って い る。
か く のご と く 一応 完 全 に 近 いほ ど 共有 制 を 解体 し て いる のであ る が 、 な お完 全 解 体 に はゆ かず 、 昭 和 三年 、記 名 共 有 全 員 に よ って施 業 森 林 組 合 が つく ら れ て運 営 さ れ 、昭 和 二七 年 に北 川内 森 林 組 合 と 組 織 を変 更 し た。
いて 土 地集 中 がな さ れ る のが普 通 で ある 。 岡 山県 円城 村 高 富 地 区 に お け る私 有 林 の 一部 は 、 や は
右 に見 ら れ る ごと く 、記 名 持 ち は そ れ が私有 林 同様 な所 有 変更 が行 な わ れ、 そ の解 体 過 程 に お
り も と国 有 林 であ った も のが払 い下 げ ら れ 共有 地 と し て い たが 、 大 正 一 一年 、 用 水 池 を つく る た
め に こ れ を売 り はら って経 費 を つく った が 、 そ のさ い 二三 名 に 平等 に 分割 売 り し た が 、 こ れ は記 名 持 ち と いう より そ のま ま個 人 持 ち にな った 。
記 名 共有 地成 立 の複 雑 を き わ め て い る の は静 岡県 富 士岡 であ る 。 旧 藩 時代 に おけ る山 林利 用 が
そ の利 用 価 値 が き わ め て大 き か った に も か か わら ず 、 イ ノ シ シ の多 い こと か ら私 有 地 と共 有 地 の
単 に薪 炭 材 採取 に限 らず 、 箱 根 竹 を きり 、 農 耕 用 と し て開 墾 し、 ま た 採 草 な ど に も利 用 す るな ど 、
も か か わ らず 、 個 人 の用 益権 が つよく みと め ら れ 、記 名 持 ち にな った も の であ ろう 。
境 に シ シ堤 や シ シ堀 を も う け た こと が 、個 人有 化 への途 を は ば んだ こ とは 大 き か った と思 う 。 に
な お こ こ に は明 治 維新 のさ い士族 に下 付 せら れ た林 野 を 、 士族 の没落 に より 、 有 志 に よ って買
いも と め た記 名 持 山 林 が あ る 。 こ れ は宮 城 県宮 崎 の陸 軍 用 地 払下 げ に よ る記 名 持 ち の例 と 甚だ 相 と か れず 、 そ れ に よ って個 々 の家 が 大 き く支 え ら れ て いる実 情 を 見 る。
似 る が 、前 者 が払 下 げ 不 正 に よ って私 有 化 への途 を た ど った のに対 し て 、 こ こ は未 だ 共有 形式 が
静 岡 県 富 士 岡村 の神 山 区 有 地 は 現在 三〇 〇 町 歩 て いど に減 少 し て いる が 、区 有 地 と ほ ぼ同性 格
を も ち、 現 在 は 共有 地︵ 一七 〇 人 持 ち と通 称 さ れ て いる︶ と な って いる 三 八 五町 を 含 める と 、 以 前 は 六 八 五町 余 の大 面積 に のぼ るも の であ った 。
区 有 地 は 二五 年 前 す でに 小字 最 寄 り ご と に使 用区 域 を 分 割 し 、管 理 は実 質 的 に小字 に移 さ れ て
い た。 一七〇 人持 ち の共 有 地 も 、昭 和 二七 年 から 同様 に 三小 字 に分 割 し 、 そ れ ぞ れ の小 字最 寄 り ごと
に 、改 正 森 林 法 に よ る森 林 組 合 を結 成 し、 そ れ によ る計 画 的 管 理 経営 を す べく 発 足 し て いる 。 区 有 林 、 共有 林 の位 置 に つい て示 す と、 個 人 農 用 地 に接 し 、部 落 に 近 い方 に区 有 地 が あ り 、 そ
の上方 に、 区 有地 と国 有 地 の間 に共有 地 が存 在 す る 。 区有 地 の下 部 は 開 墾地 が主 で、 植 林地 が点 在 し 、 上部 は植 林地 が 主体 を な し て いる 。
て い る。
共 有 地 の山 麓部 は植 林 地 で、 そ の上方 は採 草 地 、 さ ら に頂 に の ぼ れば 、 天然 生 の広 葉 樹 と な っ
区 有 林 は他 部 落 と 異 な って、 神 山 旧村 で は、 入 会 地 の 一部 を 公有 地 ま たは官 有 地 と しな い で、
戸 長 代 表 名 義 の共有 地 と し た ので、尨 大 な区 有 林 を も つこ と が で き た。
区 有 林 は区 長 が管 理 し 、 そ の下 に各 最寄 り か ら 一名 え ら ば れ る 山惣 代 によ って補佐 さ れ て い た。 理 経営 も こ の組 織 に よ って行 な わ れ る。
各 最 寄 り の中 は、 ほぼ ま た幾 つか の組 にわ か れ、 組 長 によ って統 轄 さ れ て いる が 、区 有 林 の管
が そ れ で あ って 、 こ れは明 治 か ら 、大 正 に かけ て畑 地 化 し、 個 人 に貸付 け さ れ たも の であ る 。
区 有 地 の利 用 は三 形 態 にな って いる。 一つは個 人開 墾 地 で、 最 も部 落 に近 い部 分 の数 町歩 の畑
第 二は個 人分 割 地 であ る 。 こ れ は各 戸 当 り 三反 の割 で分 割 し 、 各戸 の任 意 の利 用 にま か せ た 。 あ って、他 の四組 は 、組 の共 同利 用 の形 態 にと ど め ら れ て い る。
だ が 完 全 に戸 別 に分 割 し て別 々 の利 用 を行 な って いる のは、 高 内 の最寄 り で は中 組一三 戸 だ け で
組 織 さ れ て いる ので 、 そ の中 には 中富 農 、貧 農 、半 プ ロ等 が組 み合 せら れ て いる ので 、往 々 にし
つま り ど のよ う に利 用 す る かは 、 そ の組 の組 長 を 中 心 と し た常 会 でき め ら れ る 。組 は地 域 的 に
て各 戸 、 各 人 ごと に利 用 上 の意 見 が異 なる 。
第 三 の利 用 形 態 は 共有 地 に接 す る最 も高 い区 有 地 の部 分 で 、 こ れ は 、小 面 積 の採草 地 を残 し た 全 部 で最 寄 り 全 体 の共 同植 林 地 と な って いる 。
植 林 計 画 は最 寄 り 山惣 代 が責 任 者 と な って組 長 と協 議 の上 、面 積 、樹 種 を 決 定 し 、苗 木 代 造 林
人 夫賃 等 の経 費 は 各 戸 か ら徴 集 し、 植 林 、 刈払 い の労 役 は組長 を通 じ て、 各 組 から出 役 さ せ る。
な お区 有 林 への加 入 は、 部 落 に住 み つ いて三 年 を経 過 す れば 、希 望 に よ って 一、〇 〇 〇 円 程 度 の
加 入金 を 納 め る こ と に よ って仲 間 入 り が許 さ れ、 一戸 当 り 三反 歩 の割 当 を 受 け る こ とも でき る。 る。
ま た村 を 退 去 し て 五年 を経 過 す れ ば 、従 来 の諸 権 利 は自然 消 滅 し 、最 寄 り に 帰属 す る こ と にな 二子 旧村 の区 有 地 には 二種類 あ る。
そ の 一つは、 いわ ゆ る ﹁し し ぼり ﹂ よ り下 部 の民有 地 内 に存 在 す る 三 六名 の記 名 共有 の形 式 を
も つ、実 質 的 な 部 落 有 地 で あり 、他 の 一つは 、﹁し し ぼ り﹂ よ り 上部 の御 料 拝借 地 内 の部 落 利 用 地 であ る 。
た も の で、所 有 権 が御 料 と な っても 、利 用 権 は部 落 が管 理 し て いた わ け で あ る。
後 者 は本 来 入 会 地 であ った ので、 拝 借 地 と な った あ とも 、 実 質的 に部 落 有 の役 割 り を も って い
前 者 の部 落 有 地 は明 治 後期 約 二〇 町 程 度 に すぎ な か った が、 昭 和 六年 そ のな か から 一戸 当 り 三 反 を個 人 に所 有 権 ま で分 割 し た 。
当 時権 利 を も つ戸 数 は 三 六戸︵ こ れ は旧 戸 と よ ば れ る︶ であ った か ら 、約 半 分 が個 人 有 に な り 、 一〇 町 た らず が部 落 有 地 と し て のこ さ れ た。
そ の後 分家 な ど し て、 こ の部 落 に居 住 を定 めた ﹁新 戸 ﹂ に対 し て は、明 治 四〇 年 ご ろ、前 の分
にす ぎ な か った か ら 、部 落 を 退 去 す る と き は部 落= 区 に無 条 件 で返 還 し てゆ か な け れば な ら な い
割 に準 じ て 、利 用 権 のみを わ け あ た え た。 後 期 の分 割 に よ って得 た新戸 の利 用 権 は、 単 に利 用権 の であ る 。
現在 こ のよ う な ﹁しし ぼり ﹂ か ら下 の区 有 地 は七 、 八町 あ る のみ で、 全 部 植林 地 と な って い る。
拝 借 地 は拝 借 地組 合 に 入 って いる のは 、竈 、萩 蕪 、 二子 、 沼 田、 駒 門 、 中 山 、中 清 水 の七 部 落
で 、約 二 五 五町 であ った が 、 そ のう ち 山 頂 に 近 い方 七 九 町 は昭 和 一〇 年 当 時 御 料直 営 地 と し て返
であ る が 、後 者 を 甲 地 、前 者 を 乙地 と普 通 い いな ら さ れ て おり 、 甲 と 乙 の境 界 線 は直 営線 と称 さ
還 さ せ ら れ た。 そ の下部 の 一七七 町 は、 継続 拝借 地 と なり 、 昭 和 二 二年 整 理払 下 げ と な ったも の れ て いる 。
と こ ろで 甲地 の戸 別 分 割 さ れ た拝 借 地 は ほと んど 開 墾 さ れ て い る が、 未 分割 の共有 地 が 存在 し
て い る。 そ れ は区 有 地 の三 六 名 の記 名 共有 と同 じ よ う に 三 六 人持 ち と い われ 、 そ の人 た ち の共 同 借 受 地 と いう 形 式 に な って い る。
共有 林 の代 表 的 な も のは神 山 部 落 に お け る 三 八五 町 の 一七〇 人持 ち と長 尾 ト ンネ ル の下 方 、 山
頂 近 く に存 在 す る ﹁千 人講 ﹂ と い われ る 一八 八 人持 ち の約 四 〇 町 の山林 であ る。
に住 み つ いた渡 辺 統 忠 ら は 士族 授 産 、 殖産 興 業 を名 と し て、 こ れら の広 大 な 公有 地 を 私有 に払 い
神 山 共有 林 の由 来 は、明 治 維 新 、入 会 地 であ った も のが公 有 地 に編 入 さ れ た が、 当 時神 山部 落 下 げ て し ま った こと から は じ ま る。
し か し 彼等 は真 に殖 産 興 業 の意 志 なく 、 と い って 当時 の採 草 地 が主 であ った林 野 か ら直 ちに収
入 を 得 る こ と も で き な い状 態 であ った ので、 す ぐ 経 済 的 に ゆ きづ ま ってし ま った 。
そし て こ の村 を去 る に あた って 、 こ の林 野 を 売 り 払 って行 った のを 、 当 時 神 山村 は買 取 代 金 を 全 戸 数 で平 等負 担 し て所 有 す る に至 った も のであ った。
当 時 士 族 に払 い下 げ ら れ た林 野 は 、神 山 の共 有 に帰 し た 山林 のみな ら ず ﹁千 人講 ﹂ の共 有 林 、 大 阪 部 落 の区有 林 な ども す べ て こ の払 下 げ 地 から 流 れ出 て いる。
現 在 共有 地 と な って いる神 山 の 一七 〇 人持 ち の山 林 は、 そ の買 い受 け た当 時 は 一三 一人 が組 合
員 で あ った。 そ れは 買受 代 金 を 徴 収 す る関 係 で、 全 区 域 の住 民 を強 制 的 に組 合員 に す る こ とが で
きず 、株 を 買 いう る者 だ け に よ って組 合 が つくら れ たも の であ った から であ る 。 そ し て部 落 に住 む 者 は 組 合 へ加 入金 さ え だ せば 組 合 員 にな り う る権 利 はあ った 。
明 治 三 五 、 六年 頃 、新 加 入希 望 者 を 一株 二五円 の権 利 金 で仲 間 に 入 れ て 一七〇 人 に な った。
共有 地 は草 刈 場 と し て組 合員 が利 用 す る 以外 に竹 伐 り の権利 が現 金 収 入 と し ては 重要 で あ った。
当 時 ほ と ん ど の農 民 は 冬 の農 閑 期 にな れば 一二月 か ら三 月 にか け て竹 伐 り に でか け 、 そ の副 業 収
入 は 一冬 四〇 ∼ 五〇 円 で 、農 家 経 済 の上 では か く べか らざ るも ので あ った。
大 正 一〇 年 頃 こ の共有 林 内 に明 治一六 、 七年 に植 林 した 造 林 地約 一町 を 伐 採 し た が 、 そ の伐 採
の共有 林 が法 的 にも 実 質 的 に も 、 こ れを 契機 と し て 、部 落 有 的 性格 を ぬ ぐ いさ って確 立 さ れ た。
収 入 の分配 一人 当 り 三 六〇 円 に つい て、 旧組 合員 と新 組 合 員 と の間 に紛 争 を 生 じ 、 一七 〇 人 持 ち
千﹁ 人講 ﹂ の共有 林 は 、神 山部 落 のそ れ と 同 じ よ う に、 公有 林野 の払 下 げ を 受 け た 士 族 渡 辺
某 か ら 買 い受 け たも の であ った。 ただ し 、 こ れ は富 士岡 村 に包 含 さ れ た北 部 旧村 の人 々に よ って ﹁講 ﹂ 組織 に よ る共 有 と な った も ので あ る。 を 入 れ て、現 在 に い た って いる 。
こ の講 も現 在 一八 八人 にな って いる が、 最 初 は 一三 五人 持 ち であ った のが、 明 治末 年 新 加 入 者
に収 益 を配 当 す るだ け であ る 。
そ の利 用 は権 利 所 有者 の直 接 利 用 で はな く 、毎 年 の箱 根 竹 の伐採 権 を競 売 に付 し て 、 そ の講 中
大阪 区 有 林 の成 立 は ﹁明 治 維 新 の際 、 官有 林 を神 山村 士 族 渡 辺統 忠 が御 払 下 げ 相成 り た る に よ
り 、其 内 大阪 区 便 利 の場 所今 の丸 嶽 落 合 と称 す る カ所 約 五〇 町 歩 を買 取 り 、将 来 燃 料 採集 の場 所
に窮 し た り 、 こ れ が時 の村 役 人村 用掛 杉 山 新 七 、 山 惣代 杉 山 惣 平 、 杉 山 元次 郎 ⋮ ⋮ 必死 を 以 てこ
と な せ り 。 当時 大 阪 区 は 従前 に引 続 き たる 貧村 なり しを 以 て其 買 取 代金 五 二〇 円 其他 費用 支 払 い
れが 金 策 を つく し、 勝 又 甚平 外 三 三名 共有 持 ち と な し た るも のな り 。其 後 明 治 二 八年 に至 り 山 麓
草 生 の部 分 に植 林 を企 図 し、 杉 山新 七 特 志 の寄 付 を 以 て苗 木 代 を 調 達 し も っぱ ら村 人 足 を 以 て造
有
林
林 を なし 、 爾 後 手 入増 殖 を怠 ら ず ⋮⋮﹂
2 私
用度 の如 何 に よ って所有 権 の所 在 に差 異 を 生 じ た のであ る。
以 上 の べ来 った如 く 、 山林 に所 有 権 の確 立 し て く る過 程 は 複雑 を き わ め て いる が 、 一応 そ の利
こ のこ と に つい ても っと も典 型 的 な 私 有 林成 立 過程 を 示 す も のは茨 城 県 沢 山 の分付 山 で あ る。 す
で は山 村 に おけ る私有 林 は ど のよう にし て発 生 し 、 か つそ の権 利 が確 立 し て い った で あ ろう か。
でに前 述 し た通 り 、 百 姓 に誰 分誰 分 と 割 り 付 け る こ と から 起 った 名称 で、 田畑 の持高 に 応 じ て、
天和 三年 に割 り 付 け た も ので 、 こ れ は明治 に 入 って も そ のま ま そ の名 儀 人 の所 有 に な った 。 田 に 刈 り 入 れ る青 草 を 主 と し て供 給 す るも の であ った。
似 た性 質 のも の で、 中 国 地方 で は多 く 水 田 に採 草 地 が つい てお り 、 そ こ に はま た 多少 の樹 木 も た
岡 山県 円 城 村 の水 田 のす ぐ 上 に つづ く フキ ア ゲ と称 す る疎 林 の採 草 地 な ども こ の分 付 山 に よく
って い て、 そ れ は薪 とし て利 用 し た のであ る。 田 畑 の売 買 に あ た っては 、 こ の フキ アゲ の有 無 で 値 が大 変 ち が った ので あ る。
た山 であ った と いう 。 そ し て部 落 に接 近 し た所 にあ り 、所 有 の形 態 も 均 分的 で あ った。
長 野 県 日義 で も 、私 有 林 の大部 分 は 藩政 時 代 から の百 姓持 山 で、 独 占 的自 由採 取 を みと め ら れ
れを 所 有 す る 風 が 一般 に見 ら れ 、 藩 の制 度 とな って いた地 も多 い。 これ が農 民 に よ って山 林 の零
以 上三 地 に限 らず 、他 の村 々に も百 姓個 人持 ち の山 は 、 そ の初 め農 用 林 と し て耕 地 所 有 者 が こ
細 所 有 化 さ れ て いる大 き な原 因 であ ろう 。 そし て山 林利 用率 の低 い村 ま たは 国有 林 、 公有 林 の広 表1 民有林階層別所有者数︵ その 一︶
い村 で は 、個 人 持 ち の林 地 面積 が零 細 なま ま に ほぼ平 均 す る︵表1︶。 つま り 、 そ れ ほ ど の 土地 が自 己 所有 意 識 のも と にも っと も有 効 に使 用 せら れ て いた のであ る 。 し かし 一方 で は早 く から 山 林利 用率 の高 い村 があ った 。
山 稼 ぎ そ の他 製 炭 を渡 世 と す る村 々 で は比 較 的 広 い山林 の個 人 有 化 が 見 ら れ 、 か つ土地 集積 も 行 な わ れ てき た︵表 2︶。
三 重 県 五 郷村 は そ の代 表 的 な も ので あ る 。熊 野 林 業 地区 のな か にあ って、 山林 の私 有 化 は早 く
か ら進 んで いた 。 し か し調 査書 に よ って は そ の私 有 化 の過程 は分 ら な い。 た だ近 隣 の村 々 の状況
に 比較 し て類 推 す れ ば 、 そ のはじ めは農 用林 から 出 発 し た も ので あ ろう 。
こ の村 でも耕 地 を多 く 持 つ者 、 屋 敷 の広 い も の が山 林 を多 く 持 って いる と 報ぜ ら れ て いる 。 私
有 林 が農 用 林 的 性質 を持 って い る所 では 、 こ の現 象 は 一般 に見 ら れ る の であ る 。
と こ ろ が育成 林業 の発 達 に とも な い、 山林 に植 林 がす す む に つれ て次 第 に私有 林 化 し、 こ れが 明 治初 年 の官 民 有 区 分 のと き 民有 地 とし て確 認 せ ら れ たも の であ ろ う 。
こ の地 に限 ら ず 、 当時 山村 利 用 の進 ん で いた所 で は広 い私有 林 の確 認 がな さ れ た 。
つ いで個 人 に分 割 せら れ た ので あ るが 、 炭焼 き を渡 世 とす るも のは 、炭 竈 一基 分 を 基 準 に し て 一
高 知 県 東 川 村 は製 炭 事 業 の盛 ん な所 であ った が 、個 人有 林 は初 め 村持 ち と いう 形 で確認 せ ら れ、
わ れた 所 で あ る が、 や は り個 人有 に帰 し、 後 に は 山林 に仕 立 てら れ た 。 し か し地 上 の立木 や作 物
町 五反 を 山 一枚 と い い、 分割 の単 位 にな った と いう 。 ま た こ の地 は 切替 畑︵ 焼 畑︶ の盛 ん に行 な
は 価 値 あ る も のと考 え たが 、 そ の土地 に は価 値 を ほ と ん ど見 出 さず 、 大阪 の清 水 氏 が こ の地 で 土
地 を 集 めは じ め た と き、 米 や そ の他 の物 資 の購 入 の借 銭 のカ タ に山 地 を与 え て少 しも お し む と こ
ろ がな く 、 むし ろ ﹁洋 傘 と 山 と取 り換 え た﹂ と て山地 に 価値 を 発 見 し て話題 と な った ほど であ る。 った。 岩 手 県 土 淵 の例 を 見 ると 、次 のよう に し るさ れ て いる 。
し かし 山村 に お いて最 初 に土地 を集 中 し た の は、多 く の場 合 、藩 と 特 別 の関 係 を持 つ人 々 であ
林﹁ 野 所 有 の変 遷 を見 る と、 国有 林 の成 立 は 云う ま でも な く 、明 治 九 年 の官 民有 区 分 のさ い、
官 有 と し て編 入 さ れ たも ので、 こ れ ら は徳 川 の幕 藩 下 を通 じ て 、地 元 農 民 の入会 地 と し て、 放 牧
や採 算 に利 用 さ れて いた 。現 在 の私有 林 、 そ の所 有 の確 立 は 、 一部 徳 川 時 代 にも 始 ま る が 、明 治
初 年 の土 地 改革 で、従 来 使 用 し て いた も の のう ち 、 平場 、 山地 の部 落 を 問 わず 、 それ ぞ れ 里 山 を
排 他 的 に所 有 す る に至 った の であ る 。 そ の当 時 は、 こ の地 方 の郷 士 と し て、安 倍 の貞 任 の後裔 と
称 す る安 部 氏 の 二〇 〇 町 歩 を 除 い ては 、 大 山森 所 有 者 は存 在 し な か った よう であ る。 そ の後 、 山
森 の兼 併 が若 干 進 みは し たも のの、 こ れ は 山林 を喪 失 す る も のが出 た程 度 で、面 積 的 に はそ れ ほ ど の階 級 分 化 を 示 し て いな い。﹂
つま り安 倍 氏 のよ う な特 権 者 が広 大 な 山林 を所 有 し た の であ る 。 こ の こと は山 形県 東 小 国 でも
見 ら れ た 。 こ の村 の判 屋 に あ る A家 は農 地解 放 前 水 田 八町 、 畑 三町 、 山林 一六町 を所 有 す る村 内
有 数 の豪農 で あ る が、 藩 政時 代 こ の地 の番 所 詰 の役 人 と し て定住 し た も ので あ った。 宮 城県 宮 崎 の山林 地 主 古 内 、奥 山氏 は共 に仙 台 藩 士 であ った。 な 私有 林 を与 え ら れ た の であ る 。
ま た佐 賀 県 東 背 振 村 小 川内 部 落 の住 民 は 、 藩政 時 代 国 境 守 備 の役 割 を果 し たこ と に よ って広 大
同 様 のこ と は宮 崎 県 三 納村 清 水 兼 で 、も っと も 広 い私有 林︵ 二町 九 八︶ を持 つ某 家 が 、 藩政 時
代 大 名 の狩 り のと き お犬 係 り を勤 め た こと によ って受領 し た も のと いわ れ る 。
に の べた静 岡県 富 士岡 に見 る。 こ の山林 は渡 辺 家 の没 落 退転 に よ って、部 落 が買 い取 り記 名 持 共
か か る例 ば か り で なく 、 廃 藩 置県 に際 し て武 士 に対 し て 広大 な山 林 の下 付 せ ら れ た例 を 、 さ き
有 に し た が、 お そ ら く か か る事 象 は 当時 各 地 に見 ら れた と こ ろ で あ ろう 。
か く の如 く にし て封建 政治 を背 景 にし た 山林 集 中 は見 ら れ た ので あ る が、 そ れ よ り お く れ て、 貨 幣経 済 の山村 浸 透 にと も な う 土地 集 中 が お こ って く る。
高 知 県 東 川 に おけ る清 水産 業 の土地 集 中 は 、代 表 的 な そ の 一つ であ る 。最 初 仙 谷 鉱 山経 営 のた
表3 100町 歩 以 上所 有 者 数( 東 川)
めこ の地 に 入 った大 阪 の人清 水栄 次 郎 に よ って 土地
集 中 が 初 め ら れ る。 明 治 一九年 以 来 のこと であ る 。
鉱 山 に働 く も のは白 米 を 食 い、 現 金 のあり が たさ を 知 った 。 そ れ は 山村 民 にと って大 き な 魅力 であ り 、
て山 林 を 売 って 生活 の資 とし た。 こ のよ う に し て清
鉱 山 に働 かぬ 人 も 衣食 の生活 が華 美 に な った。 そし
水 氏 は こ の村 で約 二、〇〇 〇 町 歩 の山 林 を集 めた 。
清 水 氏 に つ いで 近隣 の安 芸 町 、 土 居 町 の富 商 金 貸
た ち が山 林 を 集 め は じ め る。 そし て こ の村 に 山林 一
〇 〇 町歩 以 上を 所 有 す る も の 一 一人 の多 き を数 え る
に至 った 。 こう し て私有 林 八 、七 五 二町歩 のう ち五 、
五 八 二町 歩 が村 外 へ流 出 し てし ま った ので あ る。
おり 、集 中 し た方 から 見 れ ば 地 主 お よび 在 郷 商 人 が
上表 に よ れば 、 奈 比賀 が も っと も 土地 が流 出 し て
主 な る も ので 、 そ のう ち四 人 ま で は金 貸 し であ る。
商 業 に従 う も のま た四 人 。 初 期資 本 主義 時 代 に は か
かる 階級 に貨 幣 は集 中 し 、 そ の貨 幣 が後 進 地 域 にま
かれ て土地 集 中 の成 果 を も た ら す の であ る 。
こ の村 では村 内 山 主 の最 大 な る も の七 五 町歩 所 有
が筆 頭 であ る。
民有 林 地 帯 に お い て旧 庄 屋 な ど の権 力 者 か、 ま た は商 業 資 本 家 た ち が 一つ の財 産 と し て山林 を
買 いあ つめ る風 は各 地 にあ り 、東 川 ほ ど でな く ても そ の現 象 は いた る所 に見 ら れ た。
静 岡 県富 士岡 でも 、 旧 名 主 武藤 三平 のう ちは 広 大 な 山林 を持 って いた が 、明 治 三七 、 八年 の頃
没 落 し 、 そ の山林 は御 殿 場 の米 穀商 が 一〇 町 余 、 深良 村 の小 林 氏 が七 ・三 町 を買 った。 ま た杉 山
佐 紋 治 は士族 渡 辺 の山 を村 民 買 いう け のと き、 そ の買 い得 な い人 々 の分 を す べて ひ き う け て 二〇
〇 町 歩 を 所 有 し た が 、明 治 から 大 正 へか け て マ ユの仲 買 を し て失 敗 し、 伊 豆 銀行 の抵 当 に とら れ
た 。萩 原 佐 平 治 は神 山 旧村 の組 頭 の家 で 、地 主 とし ても 小作 米 一三〇 俵 を と ってお り 、山 林 四 九
町 歩 を持 ち、 明 治 に 入 って は金 融 を こ と と し神 山 銀行 を つく った が 、事 業 に失 敗 し て昭 和 六年 に
破 産 し た。 そう し た 山林 は ま たま と ま って 人手 に わ た ってゆ く 。現 在 、 在 村 山 主 の大 な る も のは
神 山 の武 藤 作 太 郎 で、 も と名 主 であ り 、 鉄 砲 鍛冶 を や って いた 。明 治 維 新 以 後 、 山 林 経営 に力 を
そ そぎ 五 八町 余 を 持 って いる。 武 藤 氏 も 勤勉 と金 貸 し に よ って山林 を集 め て い った 。
町歩 で 、 も と ア マ、 コウ ゾ の仲 買 い、 立木 買 いな ど す る中 間 商 人 であ った 。 そ のほ か金 貸 質 屋 を
茨 城県 沢 山 で三 町 歩 以 上 の山林 所 有 者 は 八戸 であ る が 、 そ のも っと も 広 く所 有 する も のは 二〇
営 む者 な ど が山 林 を 集 め て い った が 、資 本 が小 さ いか ら 大 き な集 積 は な か った 。
民有 林 の多 い岡 山 県 円 城 にも 山林 集 中 は見 ら れた が 、東 川 のよう に甚 し く は な く、 か つ村外 へ
の流 出 は な か った。 こ れ はや は り 土地 集 中 のた め に投 下 さ れ た商 業 資 本 が 小 さ か った か ら であ る。
山 林 集 中 し た も のは旭 川 沿 い の部 落 に住 む薪 問 屋 た ちで 、 そ れも 二〇︱ 三 〇 町歩 程度 のも のを 最
高 と し、 旭 川 が輸 送 路 と し て利 用 せら れ る こ と が少 な く な って か ら集 中 現 象 は 止 ん だ 。
秋 田県 早 口 で は、 明 治年 間 よ り大 正 、 昭 和 、特 に農 業 恐 慌 期 の年 代 の負 債 に よ って町外 に流 出
し た 山 林 が多 く 、 こ れを集 め た のは鷹 巣 、 七 日 市等 の金 貸 し およ び 大 比良 鉱 山 であ った 。
宮崎 県 酒 谷 で も山 林 集 中 は や や見 ら れ て おり 、 五〇 町以 上 の山 林 を持 つも のに飫 肥 の林業 家 が あ り 、 そ の他 油 津 、飫 肥 の林 業家 、木 材 業 者 への流出 が あ る。
以 上 の諸 現象 を通 じ て い いう る こ と は、 国 有 林 、 公有 林 の広 い所 では 、私 有 林 集 中 は ほ と ん ど
見 ら れず 、 私有 林 の広 い所 でも 、明 治 よ り大 正 に かけ て村 の経 済 バ ラ ン スを こ わす よう な 事象 の
お こ って いな い限 り に お い ては 山林 集 中 は 必ず し も はげ し か ったと は いえ な い。
こ れら は 別表 の山林 所 有 別 面 積 に つ いて見 ても 明 ら かで あ る 。す なわ ち貨 幣 浸 透 が土 地 集 中 を
促 進 し たこ と に は間 違 い な い が、 た だ そ れだ け で異 常 な集 中 現 象 が おこ って く る わけ では な い。
と同 時 に山 林 の平 等 な利 用 が山 民 の経 済 生活 を安 定 せし め る挺 子 に な って いる こ と は、 宮 城 県
宮 崎 、 山形 県 高 崎 、高 知 県 大 川 筋 な ど を 見 て 一様 に い いう る こ と で あ る。 念 と特 色 を まず 印 象 づ け る 必要 か ら であ る 。
以 上 、村 の変 遷 や 土地 所 有 の状 況 に つい て資 料 の忠 実 な 引 用 を し た のは、 それ ぞ れ調 査 地 の概 では そ れ ら の土地 の上 に いか な る生 活 が成 立 し て いた で あろ う か 。
七 人 口 の変 遷
そ の土地 が若 さ を持 った村 であ る か 、老 いたる 村 であ る か、 ま た は経 済 的 に行 き づ ま って いる
か 否 か を 一番 端 的 に見 得 るも のは 人 口 の増 減 であ る 。 消費 が生 産 を オ ー バ ー す る よう な場 合 に は
人 口 は 一般 に減少 す る。 そ の反 対 の場 合 に は増 加 す る 。今 調 査 各 地 の人 口変 遷状 況 を 見 る に 、戦
前 に高 崎 、 沢 山 、 五郷 、三 方 、東 背 振 、三 納 を 除 い ては 一般 に増 加 し て いる 。特 に新 し く 開拓 さ
れ た長 万 部 、新 田開 墾 の盛 ん に見 ら れ た煙 山 、 東 小 国 、鉄 道 駅 が でき て商 業 集 落 の発 達 し て行 っ
た 早 口 、山 野 な ど は 人 口 の著 し い増加 を見 て い る。 す な わ ち 人 口を 増 加 せし め る条 件 と な った も
のは交 通 の発 達 にと も な う集 落 の膨張 と 、耕 地 面 積 拡 大 に よ る収 容 人 口量 の増 大 であ った 。
し か る に人 口減 少 の七 カ村 に つい て見 る に、 こ れら も 実 は昭 和 二〇 年 を境 に相 当 の膨 張 を見 せ
て いる 。 で は戦 前 の人 口減 少 は何 によ った も のであ ろう か 。高 崎 は奥 羽 線 開通 に よ って関 山街 道
の交通 量 が お ち て生 計 の道 を失 な ってさび れ た所 であ り 、東 背 振 は北 九 州 工業 地 帯 に近 く 、 周 囲
の生活 状 況 の向 上 が 、農 民 の離 村 を 刺 戟 し た た め であ ろ う 。 沢 山 の事 情 はや や こ れ に似 る 。 三 納
は 村内 に広 い国 有 林 を持 ち つ つ、 地 元 が こ れ に結 び つく こ と が な か った ため に 生産 の拡 大 が早 く
頭 う ち し た か ら であ ろう 。 そ の余 の五 郷 、 三方 、円 城 、東 川 は 共 に民 有 林 の多 い所 で あ る。 た だ
し 、 民有 林 の多 い西 日本 の山村 に お い ては 大正 か ら昭 和 にか け て の人 口減 少 は 一般 の現 象 であ っ
る︵表 4、 5︶ 。
口 の停 滞 は出 産 の減 少 と離 村 が 大 き な原 因 であ った 。 こ れ ら の現 象 は年 齢 階 級 別 人 口 にあ ら わ れ
たと 言 って い い。 生 産 力 の低 さ と 、消 費 生 活 の向 上 が 人 口増 加 に圧力 を加 え た た め であ って 、人
表 4 岡山県円城村年齢 階級別人 口
さら に人 口増 加 せ る町 村 の場 合 にも離 村 者 の多 か った こ と は 、昭 和 二〇年 の現 住 人 口増 加 に見 ら れ る が、 こ の増 加 は離 村 者 の帰 村 以外 に都 市 罹 災者 な ど の疎 開 も 多 か った た め で あ ろう 。 し か
し そ れら の人 々 のう ち、 村 でか か え き れな い分 は再び 都 会 へ出 て行 く 。 し か し そ う いう 村 はや は
り 戦前 人 口 の減 少 を 見 た。 五郷 、 三方 、東 背 振 、 三 納 で あ って、 こ れら の村 は早 く人 口が 飽和 状
人 口減少 の現 象 を見 せ て いる 。
つい て いな い東 背 振 、 三 納 では私 有 林 地 帯 と 同 様 な
国 有 林 が 広 大 な面 積 を 持 ち つつ地 元 と し っく り 結 び
の人 々 の生活 を支 え る力 にな って いる のが国 有 林 で、
す い ク ラ スは 零細 民 か ま た は没 落者 であ る 。 そ れ ら
さ え な って い る の であ る 。住 民 のも っと も離 村 し や
土地 所 有 の階 級 分 化 が住 民 を他 へは じ き 出 す動 力 に
零 細 民 の生活 を保 障 す る役 目 は果 さな い で、 む し ろ
の諸 現象 を通 じ て言 い得 る こ と は、 私 有 林 は 決 し て
態 にな ってお り 、 か つ村 の生産 力 上昇 がき わめ てに ぶ いも の で あ るこ と を物 語 って い る。 こ れ ら
表5 高知県東川村年齢階級別人 口
八 生 産 構 造 と そ の 発 展
1 林 業 村 と 農業 村
で は こ れら の村 で、 右 のよ う な 人 口を か かえ得 た産 業 の構 成 は いか な る も のであ ろう か 。 そ の
生産 高 の比 重 によ って 一応 こ れを 林業 村 と農 業 村 に分 け る こ と が でき る 。 し か し て林 業 村 と い い
得 る も のは、 古 く か ら林 産 物 採 取 を 主業 と し て住 み つ いた も のが多 く 、 田 山 、茂 庭 、沢 田、 五 郷 、
口、荒 海 など があ る︵表 6︶ 。 ただ し 土 淵 、 早 口 、荒 海 は いず れ も そ の天 然 林蓄 積 を伐 採 し つ つ林
東 川 、大 川筋 が こ れ で あり 、 明 治 以来 林 業 の開 発 によ って尨 大な 林産 物 を持 つに至 った 土 淵 、 早
業 を 主体 と す る経 営 に転 じ て い ったも の で、 人 工造 林 も 明 治末 以 来 著 しく 進 み つ つあ る が、 も と
も と は育 成 林 業 を 主 と し た所 で はな か った 。 こ の間 の事 情 を如 実 に物 語 る のは 土淵 で、 明 治 中 期
ま で は広 い原 野 を持 ち 、ま た クリ 林 を持 って おり クリ の実 取 り は女 の マチ で あ った。 と こ ろ が鉄
道 の開 通 にと も な い ク リ の木 が鉄 道 枕 木 と し て利 用 さ れ る に至 って 、 こ の地 の クリ林 も秋 田木 材
会 社 に よ って、明 治 三 六、 七年 頃 か ら買 付 け 伐 採 が さ れ はじ めた 。 こ のよう にし て木材 の価 値 を
生 じ た の であ る が 、大 正 四 年頃 で も な お林 業 産物 は農 産 物 の 一 一%に すぎ な か った 。 当時 ま で は
山間 部 落 の生計 は畜 産 経 済 の発 展 に よ って支 え ら れ て いた の であ る。 し か る に戦 後軍 隊 の壊 滅 に
業 村 表 6 林
よ って軍 馬 の需要 が な く な った こと と 、 木 材薪
と と な った。 こ のよ う な現 象 は 田山 にお いて も
炭 価 格 の高 騰 から 、尨 大 な山 林 資 源 にた よ る こ
幾 ら か見 ら れ る 。 こ こ も ま た馬 産 地 の 一つで あ
り 、昭 和 一四 年 当 時 の統 計 に よ れば 、 農業 生産
一九 ・三 万 円 、 林 業 二〇 ・七 万 円 、 畜産 二 ・四
ので あ る。 そ れが戦 後 に お いて は林産 が農 産 に
万 円 で、 農 業 と林 業 は そ の産 額 が伯 仲 し て いた
約 三倍 す る に至 って いる。 し かも そ の資 源 の大
半 が国 有 林 にま って いるも ので あ るこ と を 忘 れ
いる町 村 は必 ず し も林 業 の比 率 を 高 め て は いな
て は なら な い。 こ れ に対 し て農 耕 を 主 業 と し て
い。 む し ろ林 業 比率 は減 少 を来 たし て いる も の
も あ る。 部 分 林 の制 度 を持 つ酒 谷 村 にお いて さ
え次 のよう にな って いる。 すな わち 昭 和 一二年
を最 高 と し て、 以 後 は林 産 物 は農 産物 の半 ば に
達 し て いな い。林 業 の早 く発 達 し て︱︱ 特 に育
成 林 業 の盛 んな地 帯 で は 、今 次 の大 戦 を通 じ て
山林 の著 し い過 伐 を見 、縮 小 生 産 にお ち い って
表 7 農 業 村
(註) 内潟 ・宮 崎 の外 は昭 和27年 度 統 計 。 円 城 は換 金 化せ られ た ものの みの 集 計 。
表 8 酒谷村の生産額
いる のが 一般 の現 象 であ る 。
開拓 の進 ん で い った東 小国 、煙 山 な ど で も林 産 に よる 面 は少 な く 、東 小 国 は膨 大 な林 地 を持 ち
つ つ、 そ の林 業 生 産 を 主体 と す る ま で に耕 地 の零 細 化 現 象 は お こ って いな いし 、 早 く か ら換 金 化
さ れ る 生産 物 の最 大 のも のが米 で あ ったこ と が 、林 業 を 主 業 と す る方 向 づけ を お く ら せ て いるも
のと 思 う 。 なぜ な ら米 生産 が も っとも 安 定 し て有 利 な生 産 だ から で あ る 。す なわ ち東 小国 で は現
金 所得 の比率 が次 の よう にな って いる。 こ の金 額 は自 家 消 費 を 差 し 引 いたも の で、農 産 物 は そ の
半 ば を 自家 消費 に あ て た残 り が な お こ れ ほど であ る 。 ま た現 金 所得 は総 所 得 の七 五% を し め て い
る 。 円 城 に お いても 一覧 表 の金額 は自 家 消 費 を 差 し引 い たも ので 、 五 、八九 〇 万 円 は換 金 化 せ ら
れ る物 資 の総 額 であ る。高 崎 に お いて は生 産総 額 八 、五 八 五万 円 のう ち販 売 せ ら れ るも のは 五 、五
二四 万 円 で 、 そ のう ち農 産 物 一、五 六九 万 円 、 林 産物 二、五 五 〇 万 円 、養 蚕 五 八〇 万 円 、畜 産 一七 五 万円 、副 業 品 二五 〇 万 円 と な って い て、農 産 物 は林 産 物 に次 ぐ 重 要 な貨 幣 収 入 源 と な って いる。
かが わ れ る 。す な わ ち職業 人 口 一覧 表︵ 表9︶ に よ れば 、
と る も のと 思 わ れ る。 こ れは職 業 人 口 の構 成 によ って う
と さ な いも のと考 え る が 、今 後 次 第 に林 業 村 への方 向 を
均 二四〇 円 で あ る から 、 な お しば ら く は農 業 依存 度 を お
〇 〇 円 の収 入 に な ると 見 ら れ る に対 し、 国 有 林 労 賃 は平
上 で の貨 幣 収 入 であ り 、 タ バ コ耕 作 は 一人 一日 当 り約 三
う し た換 金 作 物 が生 計 を 大 き く支 え て おり 、 食 料 を得 た
た だ し こ の地 で は販 売農 産 物 の最 高 は タ バ コで、一 、五 〇 〇万 円 に のぼ って い る。 す な わ ち、 こ
東小国現金所得額
ロ 一
覧
表
表 9 職 業 別 人
こ の村 は農 耕 人 口に お いて 女子 の方 がは る か に多 く、 男 子 は林 業 人 口 と し て多 数 を し め て いる。
一般 に林 業 村 に お い て、 そ れ が用 材 林 業 地 であ る場 合 、 林 業 従 事者 は男 、 農 耕 従 事者 は女 が主 体
に な る のが普 通 であ る 。 早 口 、荒 海 、富 士 里 、 五郷 、 東 川 にこ の傾 向 を 見 、 な か ん ず く荒 海 、 五
生産 は行 きづ ま り 、 そ こ に 潜在 失 業 人 口を は み出 し つ つ、 そ れ が林 業 人 口 に転 化 し て い って い る
郷 、東 川 が最 も 顕 著 であ る 。 ま た高 崎 は こ のグ ループ に入 る も ので あ る。 す な わ ち 、 す で に農 耕
の であ る が 、 そ れ にも か か わ らず 林 業 労 賃 の低額 が そ の急 激 な転 化 を はば ん で いる 。 と の少 な い現 象 を 林業 人 口 の構 成 がも の がた って いる。
し か し 一般 に は、 農 村 と し て 立村 し た村 は 山林 の広 狭 い かん にか か わ らず 、 林業 へ指 向 す るこ
う ち宮 崎 のも の は大 正 七年 の古 い統 計 を あげ た が 、 そ れ によ れ ば こ の村 で は養 蚕 収 入 が農 耕 収 入
か か る場 合 、 そ の村 の農 産 物 の何 が大 き く換 金 化 さ れ て いる か を見 な け れば な ら な い。表 7 の
に つ いで いる。 し かも 農 耕収 入 は自 家 消 費 も 含 ま れ て い る から 、 当時 こ の村 にお け る換 金 産物 の に か わ る換 金 物 資 が 何 であ る か は統 計 不 備 のた め に明 ら か でな い。
第 一は繭 で あ ったと いう こ と に な る。 し か し今 日収 繭 量 は最 盛 時 の三分 の 一にお ち て いる。 こ れ
2 経 営 の発 展︱︱ 三 つ の型
次 に換 金 化 さ れる農 産 物 の主要 なも の が何 であ る かを お さ え てゆ く 必要 が あ る 。
各 村 の調 査 が 一様 で な い の で 、統 計 のと れ た も のの みを整 理 し て みる と 表 10 のよ う に なる 。
表10 農 産 物
表 10 によ れば 、米 生 産高 が全 住 民 の消 費 を ま か な ってあ ま り あ る内 潟 、土 淵 、 煙 山 、東 小 国 、
富 士 里 、 円 城 、東 背 振 など いわ ゆ る米 作 型 農 村 と 、食 料 不 足 を 換 金農 作 物 に よ って カバ ー す る朝
日 、 箒 根 、富 士岡 の多 角 経 営 型農 村 、林 業 にた よ る茂 庭 、 日義 、 五郷 、 三方 、 東 川 、 大 川筋 、酒 谷 の林 業 村 の三 つ のタイ プ に分 け ら れ る 。
そ のう ち 米作 に 主力 のお かれ る所 で は、東 北 日本 型 と西 南 日 本 型 の二 つに分 け ら れる 。前 者 は
水 田 の多 く が 一毛 作 田 で、 水 田 の利 用度 は 一年 一回 で あり 、他 の作物 に利 用 せ ら れ るこ と が少 な い。 し たが って経 営 は単 純 化 す る 。
こ れ に対 し て 西南 日本 で は 二毛作 田 が多 く 、 裏作 が可 能 にな る。 し た が って そ の面 か ら 土地 の
利 用 化 がす す む 。 こ の現 象 は特 に九 州 南 部 に お い て つよ く あら われ る 。 三納 、酒 谷 、 山 野 の農 作
物 作 付 面積 に そ れ があ ら わ れ て いる 。す な わ ち農 作 物 の中 に換 金 作物︱︱蔬 菜 工芸 作物 な ど の栽
培 面 積 が ふ え て く る。 特 に三 納村 で は そ の温 暖 な気 温 を利 用 し 、 促成 半 促 成蔬 菜 の栽 培 が か なり 高 度 に計 画 さ れ て い る︵表11参照︶ 。
ね ら って成 功 を お さ め つ つあ る 。
こ のよ う な計 画 が可 能 にな る のは 、交 通 の発達 にと も な い、 生 鮮 な ま ま 、 北九 州 、 京阪 神 、関 東 へお く り得 る こ と が可 能 にな った か ら で、 いわ ゆ る輸 送 園 芸 地 と し て の南 九 州 は早 生物 栽 培 を
米 産 農 村 のう ち広 い畑 地 を も あ わ せ持 つ円 城 、富 士 里 な ど に お い ては 、 畑地 の多 角経 営 が見 ら れ るが 、 円 城 の如 き は幕 末 から す で に タ バ コを つく って お り、 そ の他 ア イ 、 チ ャな ど の栽 培 が行
る所 だ が 、 こ こ は む し ろ畑作 か ら水 田 へのき り か え か ら、 自 給 食 料 と し て の雑 穀 が へり 、 む し ろ
な わ れ、 つ いで養 蚕 が盛 ん にな り 、養 蚕 に か わ って白 菜 が登 場 す る 。富 士 里も 多 角 化 せ ら れ て い
表11 三 納村 新 しい 作物 体 系―― 新 しい作 物 体 系 品 種 別 増産 計 画
単 純 化 し た か に 見 え る 。 こ の村 の明 治 一四 年
の 統 計 に よ れ ば 、米 は 一、四 五二 石 で 現 在 の 四
分 の 一に す ぎ な か っ た 。 そ し て 当 時 多 く 作 ら
ヒ エ︵ 九 四 一石︶ な ど の 雑 穀 で 、 そ れ ら の総
れ た のはァ ワ︵ 一 一五 石︶、 ソ バ︵ 三 四 一石︶、
が自 家 消費 に あ て ら れ た。 そし て換 金 化 せ ら
量 は米 生産 額 を は る か に上 回 り 、 し か も そ れ
れ る も のはァ イ︵ 二 、五 〇 〇 貫︶、 ナ タ ネ︵ 一 ︵ 二 五 石︶、 ア マ チ ャ︵二 、二〇 〇 貫︶、 ダ イ コ ン 一、五 〇 〇 束︶ な ど で あ っ た 。 と こ ろ が 、 そ
れ ら の雑 穀 や 工 芸作 物 を作 って いた畑 を水 田
そ の方 が 雑 穀 や ア イ を つ く る よ り も 有 利 だ っ
化 し て 米 産 を ふ や し 、 米 を 販 売 す る に 至 った 。
の作 物 の 量 を 見 る と 、 換 金 化 さ れ る も の は ほ
た の で あ る 。 す な わ ち こ の村 で は 今 、 米 以 外
ん の少 々 に す ぎ な い こ と を 発 見 す る 。
士里 の み に限 ら れ て は いな い。す で に の べた
そし てし かも 、 こ のよ う な現 象 は ひと り富
煙 山 に し ても 、 昭和 四年 、新 鹿妻 用 水 の開 通
表12 土 淵 村 耕 地 面積 の 変遷
耕地整理面積
( 註) 実 際 の水 田 化 は もっ と進 ん で い る。 山 口部 落 で は 9戸 に つい て 見 る と、下 記 の 如 くな って い る。
表13 田 山村 耕 地 面 積 の 変遷 大 正15年 を100と
した 田畑 指数
表14 土淵村農産物年度 別収穫高
に よ っ て 、 五 〇 六 町 歩 の 水 田 が 九 一七 町 歩 に ふ え 、
全 く 米 産 を 主 体 と す る 村 を つく り あ げ て い る 。 こ の
傾 向 は 土 淵 に つ い て も い え る 。 表 12 に つ い て 見 れ ば 、
畑面 積 は逆 に減 少 し て いる 。 こ れ は畑 が 田 にき り か
明 治 二〇 年 来 水 田面積 は 漸増 し て いる の であ る が 、
は も と 畑 地 の ひ ろ が った 山 麓 台 地 帯 に 一般 に 見 ら れ
え ら れ て ゆ き つ つあ る か ら で あ る 。 こ の よ う な 現 象
る と こ ろ で あ って 、 田 山 の よ う に 農 耕 技 術 の お く れ
て いる所 でも 、 土 淵 と同 様 な現 象 が見 ら れ る ので あ
る 。 そ し てそ れ にと も なう 作 物 の変 化 が 見 ら れ る 。
同 じ く 土 淵 の 統 計 に よ れ ば 、 表 14 の 如 く 大 正 四 年
に は 畑 作 物 が 多 く 、 米 の 二 、八 六 四 石 に 対 し て 米 以
外 の も の は ム ギ 、 ヒ エ、 ア ワ 、 ダ イ ズ 、 ソ バ を 合 し
て 四 、六 五 六 石 で あ り 、 こ の ほ か に 二 五 、三 〇 〇 貫 の
ジ ャガ イ モ が あ る 。 そ れ が 、 ヒ エを 除 い てはァ ワ 、
ダ イズ 、 ソ バな ど著 し く減 少 し て い る。 し か し こ こ
は な お 相 当 数 の 畑 が の こ さ れ て い る の で 、 そ の高 度
タ バ コ、 ソ サイ がふ え て いる。
利 用 がす す み、 オ オ ムギ が ふ え、 換 金 作物 と し て の
く 、畜 産 と 結 び つ いて経 営 を 発 展 さ せ て いる 。 水 田村 の農 業 を 主 体 と す る農 家 に お い て牛馬 の飼
な お米 作経 営 を 主体 とす る村 にお いて は、 水 田 の みに た よ る経 営 が も っと も高 次 のも ので は な
育 頭 数 の比 重 の大 き く な る のは 、経 営 面 積 の広 い東 北 で は 一町 歩 以 上 、経 営 面 積 の せま い西南 日 本 で は五 反 以 上 の経 営 者 で ある︵ 表15︶。
あ る。 これ は 藩政 時代 の軍 馬 と し て民間 に飼 育 を 奨 励 し た も の の伝 統 に よ る が 、 一般 農 家 は む し
ただ し畜産 のう ち馬 の増 減 は村 に よ って 一様 でな い。馬 の飼 育 の盛 ん な のは朝 日、 田 山 、 土淵 、 煙 山 、東 小 国 、宮 崎 、箒 根 、富 士 里 な ど東 北 日 本 と 、東 背 振 、 山 野 な ど の西南 日本 、特 に九 州 で
ろ肥 料 を と る た め の糞 畜 と し て 飼育 し た のであ る 。 そ の他 で は街 道 す じ の者 が駄 賃 付 に使 用 し た。
それ が 、明 治 以 来 さら に軍 用馬 と し て の需要 が ふ え て特 に増 加 が著 し く な った の であ る が 、戦 後 そ の 必要 が な く な って漸 次 牛 にき り か え て ゆき つつあ る所 が少 な く な い。 土 淵 、煙 山 、高 崎 、
宮 崎 、 沢 田 、富 士里 、 東背 振 、 山野 な ど は そ の傾 向 を持 つ。 し かし 長 万部 、 田 山、 東 小 国 、 箒根
な ど では 増 加 し て いる かま た は現 状維 持 であ る。 朝 日 、長 万 部 、内 潟 、 田 山 、東 小 国 な ど は 冬期
雪 の中 を 馬橇 を ひ か せ る た め に馬 が 絶対 必要 であ り 、 ま た林 業 労 働 にあ た って ト ラ ック のき か な
い所 で 運 材 に牛 馬 を使 用 す る 場 合 は 、収 入 が倍 化 す る か ら 、林 業 労 働 が のび て ゆけ ば 牛 馬 の利 用
も高 ま る わけ であ る 。 た だ し林 業 労 働 が盛 ん に な って ゆく 地 帯 であ って も 、 ト ラ ックが利 用 でき れ ば 牛 馬 に た よ る こと は少 な く な る︵表15︶。
箒 根 に馬 の多 いの は煙 草 耕作 と の関 係 が大 き い であ ろう 。煙 草 の温 床 を つく る に あた って醸熱 材 料 と し て の馬糞 は価 値 の高 いも ので あ る。
いず れ に せよ 、 水 田化 の高 ま ってゆ き つ つあ る村 々 にお いて は畜 産 が のび る 。 そ れ はま ず 農 耕
表15 畜
産
の
変
遷
北海 道 に は古 く か ら 乳牛 の飼 育 が盛 ん であ った が 、内 地 農 村 では 、特 殊 の地 帯 を 除 いて は 乳牛 の
用 と し て、 ま た 肉牛 と し て販 売 の目 的 を も って飼 育 せ ら れる 。 さ ら に進 ん で は酪 農 が のび て く る。
つあ る 。 し た が って水 田 化 に と も な って米 作 単 一化 が見 ら れ つ つも 、 一方 で は畜 産 の導 入 が 、農
飼育 は昭 和 に 入 ってか ら︱︱ 特 に戦 後 が多 い。 土 淵 、箒 根 、 沢 田 、富 士里 等 いず れも 漸増 を見 つ
に向 って いる と言 って い い。 こ の場 合 、山 地 は飼 料 採 取 ま た は放 牧 のた め に の み利 用 せ ら れ、 そ
業 経 営 を よ り合 理的 な 方 向 へ向 わ し め つ つあり 、 こ のよ う な経 営 では 次第 に林 業 と縁 のな い農 業
れ は むし ろ林地 の成 立 を こば む も ので あ る と言 って い い。 こ こ に 、 そう いう村 で は牧 野 の開 放 が
叫 ば れ る。 つま り 、農 業 経 営 の 一環 と し て の土地 利 用 拡 大 が要 求 せ ら れる と いう こ と は 、林 業 圧 迫 の形 を と ってく る も ので あ る。
れ に牧 野 の払 い下 げ を行 な った。 こ れら は も と国 有 林 の下 草 を勝 手 に 刈 って い たも の の半 ば で あ
し か し そう し た 中 に あ って 、群 馬 県 沢 田 で は昭 和 二七 年 、 牧 野農 業 協 同 組 合 を 組 織 せ し め て こ
る 。 大岩 に お いて は 二六 町歩 ほ ど で利 用 者 四 一名 、 大竹 は吾 嬬 山第 一牧野 農 協 、第 二牧 野農 協 に 分 れ、 約 七〇 町 歩 を 一 一〇 人 で利 用 し て いる。
そし て経 営 の小 さ いも のが 林業 労務 者 と し て働 い て いる に すぎ な い。 では 、多 角経 営 と いわ れる
第 二 の型︱︱ 多 角 経 営 型 農業 に つ いても 、 換 金 化 す ベき物 産 は主 と し て農 耕 の中 に求 め て いる 。
も の の内 容 は いか な る も の であ った か と いう に、 明 治 の終 り か ら昭 和 の初 めに か け て養 蚕 の とり
入 れ ら れ たこ と が 大 き か った。 宮崎 の如 き は 、大 正 七年 の統 計 で は農 産物 が 二 八 二、〇 〇 〇 円 に の収 益 を あげ て いた も のと思 わ れる 。
対 し て、 養 蚕 によ る収 入 は 一七 八 、 〇 〇 〇 円 と いう 高 い比率 を見 せ て おり 、 お そ ら く は米 作 以 上
養 蚕 は 一般 に は明 治 の末 頃 か ら 盛 ん に な ってく る 。村 に ま とま った金 の入 る よう にな ってき た
の って各 地 と も著 しく のび る。 そ れ が農 業 生産 を合 理 化 し 生活 を向 上 せし め る 。 し か し昭 和 の不
の は養 蚕 の力 が大 き い。 し かも養 蚕 は 山間 山 麓 にお いて まず 盛 ん にな った 。 そ し て大 正 の好 況 に
況 の た め にお と ろ え て く る。 中 には 土 淵 、沢 田 の如 く戦 後著 し く復 活 し てき た も のも あ る。
養 蚕 が村 の生活 を向 上 せ し めた 点 は 大 き い。 養 蚕 はそ の技 術 だ け で なく 販売 を 上手 に やら な け
れば なら な い。個 人 が仲 買 に買 いた た か れ な いた め に組 合 を 組織 し市 場 を つく り 、 共同 販 売 を 行
なう 。 こ のこ と が農 村 に生 産 共 同 組 織 を 漸次 お しす す め 、 共 同意 識 を つよ めて ゆ く 。養 蚕 が おと
つま り養 蚕 の盛 ん だ った村 で は産 業 組 合︱︱ 農 業 協 同 組 合 が発 達 し 、 そ の他 の生産 、出 荷 組 合 な
ろ え て後 も村 には こ の意 識 が 一つの企業 精 神 と し て の こり 、次 の共同 企 業 を よ び お こ し てゆ く 。
ど が よ く育 って い る。 こ のこ と は タ バ コ耕作 な ど に も見 ら れ るこ と で あ る 。
橘 な ど が 、企 業 精 神 に みち た合 理的 経 営 を も って前 者 に お い ては青 森 、後 者 に お い ては 大阪 、和
養 蚕 は蔬 菜 、 タ バ コ、果 樹 など に転 じ て く る 。長 野 県 にお け る リ ンゴ 、 山 口、 愛 媛 に おけ る柑
忘 れ て は いけ な い。 そ し て そ の傾 向 は今 回 調 査 せ る 山村 に お いて も見 ら れ る。 ただ し 沢 田 は 早 く
歌 山 な ど の先 進 地 に 肩 を な ら ベる に至 った のは 、穀菽 農 業 の次 に養 蚕 を持 った た め であ る こ と を
よ り養 蚕 に主 力 を おく 群 馬県 下 にあ り 、 昭 和 不 況 の後 も養 蚕 以外 の産 業 に きり かえ る こ と が少 な
く 、 マ ユ産 額 の減 少 は 、戦 時中 食 料 不 足 にと も な う食 料 作 物 の作 付 を 強要 せ ら れ た ため であ り 、
そ れ な く ば最 高 一八万 貫 の マユ産 額 が 一〇 万 貫 ま で減 少 す る こと は な か った で あ ろう 。 そ し てこ
こ では再 び養 蚕 が最 盛 時 ま で恢復 し てく る のだ が 、 そ の飼 育 技 術 は著 し く 進 ん で おり 、 か つ乳牛
を 導 入 し て養 蚕 と か みあ わ せた 経営 方 式 が取 り 入 れ ら れ は じ め て いる 。 こ れ は群 馬 県 養 蚕地 帯 に
表16 養 蚕
ひ ろ く見 ら れ る現 象 で あ って、 養 蚕 から他 の産 業 へき り か え る ので な く、 養 蚕 を守 り つ つ新 た に 酪農 方 式 を とり 入 れ てき た ので あ る 。
こ れ は 土淵 に つ い ても言 いう る。 つま り養 蚕 か ら タ バ コ、蔬 菜 作 に転 じ たも のも あ った が 、 一
方 では養 蚕 を復 活 さ せ、 そ れ に乳 牛 を 結 び つけ た経 営 も のび つ つあ る 。 し たが って沢 田 、 土 淵 な
では な い。 こう し た村 では農 業 経 営 の中 に林業 の取 り 入 れら れ る部 分 は少 な く 、 む しろ 山地 は採
ど に養 蚕 が昭 和 初 期 同 様 に復 活 し つ つあ るか に見 え て も、 決 し ても と の形 のま ま復 活 し てき た の
草 、放 牧 な ど い わゆ る 農業 経 営 の 一環 と し て利 用 せ ら れ て い る場 合 が多 い。
は牛 馬 一頭 に つ いて ほ ぼ 一町歩 を あ て る のを 通 常 と す る と いう が、 それ は 林業 経 営 よ りも さ ら に
畜産 の盛 ん な村 に お い ては 、 相当 広 面 積 の原 野採 草 地 が のこさ れ て いる 。東 北 で は原 野 採 草地
有 利 に山 地 を利 用 す る こと にな る 。 かり に用 材 林 にし て 、 五〇 年 で伐 採 す る と し て 一町 当 り 五 〇
〇 石 の蓄積 が あ る な らば 七 五 万 円 の金 を あげ るこ と に な る が、 こ れを 五 〇 年 で割 る と、 一年 一五 、
○ 〇 〇 円 程度 の粗 収 入 にな る。 これ に対 し て但 馬 牛 の登録 を持 つも の で生 後 六 カ月 た って お れば 、
牝 牛 で 六∼ 七 万 円 に は売 れ る。 し か も年 々 一頭 を生 産 す る こ と が で き る。 かり に半 分牡 が生 ま れ
た と し ても 年 平 均 四 万 円 に は な ろう 。 し た が って よ い牧 草 の茂 る所 で は 、牧 畜 は 林 業 よ り も有 利
で あり 、 か つ農業 経 営 の中 に こ れを 取 り 入 れ る な らば 、 そ れ自体 に よ って農 業 の生産 を高 め る こ
と が でき る 。 だ か ら畜 産 村 に お いて 牛馬 全 体 の数 の減 少 す る傾 向 は少 な い。 何 ら か の理由 で 一時 的 減 少 はあ ると し ても 、 ま た す ぐ ふ え てく る︵表 15 ・18参照︶。
さ て養 蚕 に か わ って農 業 経 営 に取 り 入 れ ら れ た換 金 作物 には 、 タ バ コ、 ナ タネ 、 ソ サ イ 、果 樹
な ど が あ り 、 ま た前 述 し た如 く 乳 牛 を取 り 入 れ た土 淵 、箒 根 、 沢 田 、富 士 里 の如 き も 、乳 牛 飼育
地 草 表17 採
一方 に確 保 し て い る。 こ れ は役 牛 に比 し て乳 牛 は 二倍
農 家 は水 田 の ほ か に畑地 も持 ち 、ま た相 当 の採 草 地 を
に のぼ る粗 飼 料 と、 そ のほ か に 相 当 の濃 厚 飼 料︱︱ 少
な く も畑 二反 分 内 外 の飼料 作 物 を 必要 とす る から で あ る。
海 、茂 庭 、沢 山、 箒 根 、 円 城 、酒 谷 、山 野 な ど に見 ら
さ て換 金 作 物 と し て のタ バ コは 、東 小 国 、 高 崎 、 荒
れ る 。 そ のう ち沢 山 、 箒 根 は水 戸 を 中 心 と し た 、 酒
谷 、 山 野 は 国 分 を 中 心 と し た 古 く か ら の 大 産 地 に近 ってき た も ので あ ろう 。
く 、 そ れ ぞ れ の タ バ コ栽 培 地帯 の 一部 と し て盛 ん にな
栽 培 さ れ た歴 史 を 持 ち、 栽 培 面積 は明 治 大正 時 代 の方
ま た高 崎 は 、関 山 タ バ コの名 のも と に江 戸 時 代 から
が ひ ろ か った ので あ る が、 現在 は反 収 の増 加 に よ って
全 収 量 は そ の当時 に お とら な い成績 を あげ て いる。 つ
ま り 、 こ こ で は中 途 養 蚕 への移 行 を見 な いで、 ず っと
一貫 し て タ バ コが つく ら れた わ け で あ る︵表 19参照︶ 。
タ バ コに つい で蔬 菜 が のび る 。 こ れ は交 通 の発 達 と
大 き な関 係 が あ る。朝 日 の蔬菜 、長 万 部 の種 ジ ャガ イ
物 の大 き な 産地 が存 在 し て いな いこ と が 、 のび なや み の原 因 に な って い るも のと 思 わ れ る。
ねば 数 量 の点 で市場 価 値 が低 く な る か ら 、 のび なや みが あ る のだ ろう 。 つま り調 査地 の付 近 に果
ま し い発 展 は 調 査地 の中 には 見 ら れ な い。 こ れ には 相 当 の年 月 を要 す る こと と 、 団地 栽 培 に俟 た
が あ る。多 く桑 畑 が転 換 利 用 さ れ 、 ま た あ たら し く 開 墾 し て作 付 け が見 ら れ る 。 し か し そ のめ ざ
果 樹 も 農 業経 営 に取 り 入 れら れ て のび て ゆく 。 東 北 に お いて は リ ンゴ 、 カ キ、 西南 で は ミ カ ン
こう し たも のを経 営 の中 に取 り 入 れ て いる農 家 では 、 林 業 に従 う も のは少 な いと 見 ら れ る 。
を 除 い ては いず れ も反 当 り 労 力 四〇 人役 以 上を 要 す る で あ ろう し、 たえ ざ る作 業 が あ る。 ゆえ に
体 と し て四 三町 五反 と いう 広 面積 の蔬菜 栽 培 が行 な わ れ て いる 。右 のう ち ジ ャガ イ モ、 ダ イ コ ン
コンな ど換 金作 物 と し て 一〇 町歩 以 上 が作 付 け さ れ て いる 。 ま た三 納 に いた って は促 成 も のを 主
モ、 田 山 のダ イ コン、 キ ャ ベ ツ、 沢 田 の蔬 菜 、富 士 里 のダ イ コ ン、 円 城 の ハク サ イ、 山 野 のダ イ
表18 畜 産 表
表19 高崎村煙 草耕作表
の栽 培 が 盛 ん に な った が、 今 ま た
東背 振 で は養 蚕 に か わ って ハゼ
お とろ え てき つ つあ る。
以 上 のほ か 、富 士岡 、 東 背 振 、
山 野 では チ ャ の栽 培 が見 ら れ る。
し か し こ れ ら の土地 も 大 産 地 か ら
は な れ て いる こ と に よ って目 ざ ま
し い発 達 は み て いな い。 し た が っ
て換 金 作 物 とし て のび て いる も の
は毎 年 つく り 、 ま た専 売 公社 と の
主要 なも の にな って おり 、資 金 を
契 約 に よ る タ バ コのよ う なも のが
久 しく ね かし てお か ねば なら ぬ茶 、
れ は 一つに は こ れ ら の村 、 特 に畑
果 樹 な ど は のび な や ん で いる。 そ
の多 い地 の経 営 の零 細 性 にも 関 係
のあ る こ と であ る。
が 、 か か る経 営 に お い ても集 約
化 がす す む ほ ど投 下 労 働 が 多 く な
り 、 か つ月 々平 均 化 す るこ と に よ って林 業 への結び つき が少 な く な る 。 ただ 、 沢 山 、箒 根 で は タ バ コの温床 用 と し て落 葉 の利 用 が大 き い。
第 三 の型︱︱ 林 業 村︵ 林 業 部落︶ の場 合 は、 それ が 古 く か ら用 材 薪 炭材 の採 取 を行 な って いた
田 な ど の畜産 、養 蚕 、交 通 にた よ って いた も のが、 社 会 経済 の変 動 か ら貨 幣 収 入 源 を他 に求 めな
茂 庭 、 日義 、 五郷 、三 方 、 東 川 、 大 川筋 、酒 谷 など のよ う な村 のほ か に、 田 山 、 土淵 、 高 崎 、 沢
け れば な ら な く な り 、 し かも そ こ に豊 富 な 山林 資 源 があ り 、外 部 と の交 通 事情 の改 善 、村 内 に お
け る林 道 の開 設 に俟 って急 速 に林 業 の のび た村 があ る。 前者 の場 合 の茂 庭 、 大 川筋 な ど古 く より
林 業 に依 存 し つ つ、 お く れ て交 通 条件 の改 善 せ ら れ た村 も 、林 地 の利 用 度 の増 加 は後 者 とあ まり
が盛 ん にな ってく る 。針 葉 樹 地 帯 では 用材 林 業 が発 達 す る 。 そう し て伐 採 を 主 と し た採 算 林 業 が
変 ら な い。 こ れ ら の村 は天 然 林 の伐採 か ら林 業 が はじ ま る 。 そ し て広 葉 樹 林 地 帯 で は 、 まず 製 炭
まず 成 立 し 、次 に育 成 林 業 が展 開 し てく る 。 し かし 育 成 林業 を成 立 せ し め る には 、多 角 経 営 農 業 を成 立 せ し め るよ り も さ ら に多 く の条 件 が 必要 であ った。
以 上、 経 営 に基 づ いて大 きく 三 つ の類 型 に分 け たけ れど も 、 一村 内 に お い ても部 落 の立地 条 件
に よ って こ の三 つ の型 は見 ら れ る。 ま た 類 型的 に は米 作 農村 、多 角 経 営 農 村 に属 し つ つ、林 業 村 的部 落 をも つも の に、 土淵 、東 小 国 、東 背 振 、 山野 など があ る 。
3 兼業 の位置
農 業 経 営 は、 そ れ自 体 の中 に生 産 の合 理化 を は か った多 角経 営 を助 長 さ せ てゆ く が 、 そ れら は
専 業 ま た は第 一種 兼業 程度 の農 家 の経 営 に お こ ってく る現象 で あ って、 経 営 の小 さ いも の は農 業
外 の職 業 を 兼 業 す る こ と に よ って生 活 を支 え る傾 向 を 強 く し て く る。 こ の場 合 、兼 業 せ ら れ る職
る 。 し かも 山 林 に依 存 す る度 合 い の つよ い村 ほ ど 、兼 業率 は高 く な る。 これ は 立地 条 件 か ら する
業 が何 であ るか と いう こ と が問 題 にな る が 、林 業 村 に お い ては林 業 労 務 に従 う も のが最 も多 く な
耕 地 面 積 の狭 小 な こ と が大 き な原 因 を な し て いる 。表 20 によ れば 、 田山 、 早 口、東 小国 、高 崎 、
宮 崎 、荒 海 、日 義 、 五 郷 、東 川 、大 川 筋 、 酒 谷 を あげ る こ と が でき る。長 万 部 は林 業 兼 業 と いう よ り も運 送 関係 の兼 業 が 大 き い。
兼 業 はま た 二 つ の型 に分 れ る。 農 閑期 に他 の職 業 に従 う も のと 、最 初 から 農 業外 の職 業 に従 い つ つ農 家 の家 族 と し て 一緒 に住 ん で いる も ので あ る。 工場 労働 者 や俸 給 生 活者 が そ れ で あ る。
と 、経 営 面積 の狭 小 か ら過 剰 稼 働 人 口を持 つ場 合 と が あ る 。前 者 の場 合 は農業 に従 事 す る男 女 の
農 閑 期 あ る いは農 業 余 暇 に おけ る 兼業 は 、事 業 そ れ自体 の労 力 配 置 が特 定 の月 に か た よ るも の
数 は ほ ぼ相等 し いが 、後 者 の場 合 に は農 業 に従 事 す る人 口は 女 の方 が多 く な り 、男 の労 力 は他 の
口、 高 崎 、荒 海 、 五郷 、東 川 な ど が あ る 。 そ し て林 業 労働 者 は男 が大 半 を し め る 。 ただ 茂 庭 、 三
職 業 、 多 く は 林業 労 働 中 に ふり む け ら れ る。 女 子 稼働 者 が男 子稼 働 者 を はる か に 上 回 る村 に は早
方 では 女 の稼 働 者 の少 なく な って いる のは なぜ であ ろ う か 。 こ れら の村 では林 業 の場 合 にも 女 の
働 き手 が 少 な く な って い るし 、職 業 人 口全 体 を 見 ても 、茂 庭 以 北 の村 々 では 女 の方 が は る か に少
な く な って いる。 こ れ はあ る いは統 計 のとり 方 に 、他 の地 方 と差 があ る か ら か も し れ な い。 な ぜ
な ら 、東 北 で は女 は実 によ く働 いて いる から 。建 設業 、 工業 も ま た男 の仕 事 で あ る 。
兼 業 別 戸数 表20専
商 業 、運 輸 通 信 業 、 サ ー ビ ス業 、 公務 自 由 業 、
俸 給 生活 者 、賃 労 働 者 は 明治 以来 のび てき た職 業
で、 こ れ が全 人 口 に対 す る 比率 の高 い村 ほ ど、 近
代 化 が す す ん で い る と言 って い い。 そ し て こ れ に
従 う も のは 、農 林 業 など から の過 剰 人 口 のは み出
し 、 お よび 村 の富 裕 戸 の離 農 が生 みだ し た も ので
あ る 。前 者 は多 く賃 労 働 の形 式 を と り 、後 者 は俸
は村︵ 町︶ 内 に鉄 道 駅 が あ る か、 鉱 山 、 工場 な ど
給 生 活 に 入 る も のが多 い。 俸 給 生 活者 の多 い場 合
があ り 市 街 地 を 持 って いる。 長 万 部︵ 駅 、 市 街
地︶、花 輪︵ 鉱 山 、駅︶、 煙 山︵ 駅 、市 街 地︶、 東
駅︵ 、市 街 地︶ な ど が そ れ で あり 、 そ こ に はま た
小 国︵ 駅 、 温 泉︶、 酒 谷︵ 日南 市 に接 す︶、 山 野
比較 的 多 く の工 業 お よ び商 業 人 口を見 出 す 。 つま
り 駅 の所 在 地 を 中 心 に し て新 し く発 達 し て く る市
街 地 は 、農 村 的 な 色 彩 のき わ め て う す いも の で、
地赤 倉 、 四万 を持 ち、 そ れ ら は村 一般 住 民 と は ほ
特 に商 業 人 口 の多 い東 小 国 と 沢 田 は 、 とも に温 泉
と ん ど 隔絶 し た状 態 で存 在 す る 。 ただ 工業 の方 は
て いる。 こ のよ う に 、村 自 体 の産 業 の多 角化 が進 む こと によ って集 落 の近 代 化 が見 ら れ て く る。
木 材 の製 材 を主 と し た も のが多 く︵ 煙 山 、 早 口、酒 谷︶、 林業 を発 展 せ し め る 一つ の挺 子 に な っ
と同 時 に、 市 街 地 を め ぐ る原 始 産 業 聚 落 の生産 お よび 生 活 の発 展 をう な がす 大 き な動 力 に な って
いる。 つま り そ う いう 村 で は原 始産 業自 体 の中 にあ る 自 己発 展的 な力 よ り も 、 原 始産 業 に外 の資 本 主義 的 な 衝撃 が原 始 産 業 を 発 展 せし め る力 に な って いる 。
で は商 業 、 工業 人 口 の少 な い、 か つ公 務 自 由業 な ど の少 な い村︵ 内 潟 、 土 淵、 高 崎 、 茂庭 、荒 海 、富 士 里 、 三方 、円 城 、 東 川 、 大 川筋 、東 背 振 、 三 納︶ は どう であ ろ う か 。 そ こ に は換 金 作物
の導 入 、 し た が って農 業 経 営 の進歩 に よ る近 代 化 を 辿 って いるも のと︵ 土 淵 、富 士里 、 円 城 、東
背 振 、 三納︶ 、 林 業 の発 展 に と も な って近 代 化 への道 を歩 む も の︵内 潟 、高 崎 、茂 庭 、荒 海 、 三 方 、東 川 、 大川 筋︶ に分 け る こ と が で き る。
つま り資 本 主義 的 発 展 への道 は 、︵一︶交 通 そ の他 農 林 業 以外 の産 業 の発 展 に とも な って、 そ
の集 落 の発 達 を 見 、 それ が村 内 諸 産 業 に大 き く 衝撃 を与 え てゆ く も のと 、︵二︶農 業 の自 己 発 展
に と も なう 近 代 化︵ むろ ん そ れ は都 市 の市 場 に つな が るも ので はあ る が︶ が さ れ るも の、︵三︶
と いう こ と に よ って生 ず る 現象 で あ る が、第 三 の場 合 に は、 さ ら に そ れ が民 間 資 本 によ る場 合 と
林 業 の発 展 にと も な う 近代 化 が見 ら れ る。 そ れ は いず れも 生 産物 が ど のよう に市 場 に結 び つく か
国 家 資 本 に よ る場 合︵ 国有 林 経 営︶ と 二 つの型 に分 類 で き る 。 そ し て こ の二 つの 近 代 化 への道
民︵ 間 資 本 に よ る か、 国家 資 本 に よ る か︶ が 、 そ れ ぞ れ の村 にお いて ど のよう にう け と ら れ て い
る か と いう こと が、 こ の調 査 の大 き な目 的 の 一つで あ り、 ま た ここ に何 ら か の結 論 を 出 し て ゆ か ねば な ら ぬ問 題 でも あ る 。
4 開 拓 地
さ て今 一つ村 の生産 を拡 充 し て い った も のに開 墾 があ る 。 つま り林 地 、原 野 か ら農 耕地 への切
り か え であ る。 これ は林 地 、原 野 より も 農 耕地 の方 が は る か に土地 生産 力 が高 く 、 し た が って そ
こ に 生産 を より 大 き く発 展 せ し め る力 を 持 つこ と に な る。 かく て農 業 の歴 史 は開 拓 の歴史 で あ る
と い っても いい の であ る 。 そ し て そ の中 には 北海 道 の朝 日、長 万部 な ど のよう に幕 末 の頃 か ら 入
が 、多 く は地 元 増 反 の形 式 を も って耕 地 は発 展 し て い った の であ る 。 こ こ に三 納 村 の耕 地 拡 大 の
植 開村 し た若 い村 も あ り 、同 じく 明 治 にな って村 内 に開 拓 部 落 を作 った東 小 国 の よう な例 も あ る 表 を かかげ てお こう 。
こう し た耕 地 の多 く は 、傾 斜 地 で は まず 畑 と し て 切 り ひ ら か れ、 のち 水 田化 し てゆ く 場 合 が多
い。 土 淵 、 煙山 、富 士里 な ど そ の例 が顕 著 であ る 。 そし てこ のよ う な耕 地 拡 充 は そ れ を 必然 的 な も のに さ せ て ゆ く。 村 の内部 的 な発 展 か、 ま た は
政 策 に基 づ く外 部 か ら の奨 励 な ど に よ る場 合 が あ る が 、敗 戦 に とも なう 過 剰 人 口 の新 し い故郷 と 、
食 料 問 題解 決 を 目ざ し て戦 後 政策 的 な色 彩 の つよ い開 拓 が す す めら れた 。 こ れ は政 府 の指 導 に基
づ くも のだ け に民 有 地 の開 拓 は き わ め て少 なく 、 そ の大半 が国 有 地 であ った 。 そ し て 入植 者数 は
い。 ま た開 拓地 と未 墾 地︵ 開 拓 予定 地︶ に つい て見 る に 、前 者 は 一、六 八七 町 歩 、 後 者 は 二、一〇
調 査 地 全部 で四 二五戸 に の ぼ って いる が、 広 大 な 山 地 を持 つ地 域 と し て そ の数 は 必ず しも 多 く な
納 村 耕 地 面 積 の変 移 表21三
六町 歩 に な る。 ただ し こ れ ら の大 半 は成 績 が 必 ず
し も あ が って おら ず 、地 元増 反 を除 い て入 植者 の
山野 で あ る が、 増 産 お よび 村 内 過 剰 人 口問 題解 決
多 い のは朝 日 、 田 山 、煙 山 、早 口、富 士里 、円 城 、
に大 きく 寄 与 し て いる と は思 え な い。 そ こに は 綿
う が 、今 一つ開 拓 地 は 既墾 地 より す べて立 地条 件
密 で精 確 な計 画 開 墾 のな か った こと も あ げ ら れ よ
のか が なけ れば な ら ぬ 。 し かし そ れ が十 分 に な い
が悪 いの であ って 、 そ の悪 条 件 を カ バー す る何 も
た め に、 ま た対策 が た て ら れ て いな いた め に 開拓
は お ろ そ か に せら れ て賃 労 働 に 日を 追 わ れ 、 や が
て開 拓 地 を す て て いる者 が少 なく な い。 これ に対
し て地 元 増 反 の場 合 は お お む ね成 功 し て いる 。 土
地 を ひら く資 本力 を持 ち 、 そ れ にた よ り つ つ耕 地
を ふ やし てゆ く こ と が農 業 を専 業 化 せし め 、 ひ い
て合 理化 への道 を歩 ま し め る。
ただ 円 城 の開 墾地 で私 の見 た所 では 、 入 植者 が
賃 労 働 に出 ず ひ た す ら開 墾 に力 を 注 ぎ 、 つ いで タ
バ コ耕 作 に のり出 し た も のが見 事 な 成 功 を お さ め
つ つあ る。 開 拓 地 は 最初 か ら あ る種 の企業 経 営 を ね ら わ な い限 り 、 既 墾農 家 に太 刀打 ち は でき な い。開 拓 地 に対 す る指 導 問題 は今 後 大 きく のこ さ れ て いる。 次 に各 地 の開 拓状 況 を か かげ よう 。
覧 一 地 墾 表22 開
九 単 位 生 産 力
新 し い民 法 によ る所 有 観 念 の変 化 と 、官 民区 分 に よる 山村 民 の生 産 基 盤 の縮 小 がも たら し た 生
活 の圧 迫 が 一つ の抵 抗 と なり 、 一方 では離 村 、他 方 では 盗伐 と なり 、 盗 伐防 止 にあ た った役 人 が しば しば 犠牲 にな った話 は各 地 でき き 、 ま た犠 牲 者 の墓 な ど も山 中 で見 か け た こ と があ る が 、 こ
の矛 盾 が特 に国有 林 を多 く 持 つ山 村 民 の文化 を 停 滞 さ せ た力 は大 き か った 。 つまり 、 新 し い政 策
は 山村 にと っては そ の利 益 を 享 受 せ し め る よう には でき て いなく て、 逆 に こ れ を圧 迫 す る形 を と った か ら であ る。
し かし 、 こ う し た 矛 盾 は何 ら か の形 で是 正 さ れ てゆ く 。 ま た是 正 せざ る を得 な い力 がま ず 内 部
﹂住︱ 民︱ から お こ って く る。 同 時 に ま た外 か らも お こ る 。前 者 は国 有 林 の下 戻 運動 とな り 、地 元
で あ る。 し か し そ の方 向 の定 ま って く る ま で の月 日 の長 さ が 大 きく 、 山 林 を 立 ち後 れさ せた 。
利 用 要 請 の運 動 と な ってあ らわ れ 、後 者 は交 通 の発 達 に と も な い山 地 利 用度 の増 大 し てく る こ と
る段 階 にあ る か を 一応 知 る こと が で き る 。 そし て以 上見 て き たと ころ によ れば 、 ほ と んど の山村
わ れ わ れは そ の土地 の生 産 構 造 と 展開 の過 程 を 見 てゆ く こ と に よ って、社 会 経 済 史 的 に いか な
が原 始 生 産 に と ど ま って おり 、 そ の原 始 生産 資 本 の中 か ら商 業 資 本 を 生 み出 す力 も きわ めて弱 い。
む し ろ外 来 導 入 の商 業 資 本 が土 地 集積 な ど を行 な い、 ま た木 炭 の生産 機 構 を支 配 し て いる 場 合 が
多 い。 まし て商 業資 本 が 工業 資 本 に転 じ て ゆ く高 次 の発 展 過程 は い よ い よも って 乏 しく なり 、 わ ず か に早 口 にお いて製 材 工場 の発達 が見 ら れ る程 度 であ る 。
ま た山 村 はそ れ ぞ れ 広大 な林 野 を 持 ち つ つ、 そ の高 度 利 用 は な に ほど も す す ん で いな い。 林 地
を 耕 地 にき り か え る こ と は高 度 利 用 の 一過程 であ るが 、 そ れ す ら現 在 の開 墾 経 営方 式 に よ れば 、
利 用 し 得 る 土 地 は わず か に 四 、 〇 〇 〇 町 歩 足 らず であ り 、開 墾計 画 が た てら れ て 一〇 年 近 く を 経
て い る にも か か わ らず 、開 墾 面 積 は そ の半 ば にも 達 せず 、 し か も そ れら の土 地 は いず れ も低 位 生
産 に釘 付 け せら れ 、農 業 生産 の みを も って し て は生 計 がた た ず 、賃 労 働 を 主 業 と す る経 営 のた め に 、開 墾 は いよ いよ お く れ つ つあ る と いう のが現 状 であ る 。
で は、 山 村 の多 く が な お資 本 主義 前期 の状 態 か ら ぬ け出 し得 な い第 一の条 件 のも のは何 で あ ろ
う か。 そ れ は土 地 自体 の持 つ生 産 力 の低 さ に よ る も のであ ろう 。 土地 の高 度 利 用 は 林地 より も牧
あ った。 そ れが資 本 主義 の発 展 にと も な い、 こ の立地 条 件 によ って 土地 に よ れば 水 田 よ り も畑 作
野 、牧 野 より も 畑 地 、畑 地 より も 水 田 と いう のが 、資 本 主義 前 期 に お け る 一般 の原 始 生産 方 式 で
が 、牧 野 より も 林 地 が有 利 で あ ると いう 現象 が あ ら わ れ た。特 にそ の感 を深 く す る のは 谷 間 ま た
は傾 斜 面 に立 地 す る部 落 で あ って、 そ こ では 土地 生産 力 がき わ め て低 く な る。
みで あ る。 ただ し 長 万部 の三 ・七 石 は果 し て こ のよう な生 産 を 見 て いる も のであ ろう か 。東 背 振
表 23 に よ れば 、 米 の反 当収 量 が全 国 平 均 の 二 ・ 一七 五石 に達 し て いる も のは長 万 部 、東 背 振 の
の平 坦部 は佐 賀 平 野 の東 部 に位 し、 い わゆ る佐 賀 段階 と呼 ば れ る全 国 で最 も高 位 な米 の生産 地 で
あ る 。 そ し てそ こは 山村 と は言 え な いも の であ る 。両 者 に つぐ 所 に 沢 田 、富 士里 があ り 、 いず れ
も平 均 二石 に達 し て いる 。 し か し沢 田 のう ち 、 山林 利 用 実 態 調 査 の対象 に な った山 麓 ま た は 山間
の部 落 に つ いて見 る に、折 田 の 一 ・五 七 石 を 最高 に し て 二石 に達 す る も のは な い。 ほと ん ど の部
の半 ば に も達 し て いな い。 こ れ は ただ 単 に農 業技 術 の後 進 性 の ため のみ で は な い。
落 が 渓谷 の底 に立 地 す る 大 川筋 で は 、平 均 一石 に も足 らな いあ り さ ま で あ る。 す な わち全 国 平 均
こ の 一覧 表 は 一村 全 体 の平均 収 量 をあ げ た も ので あ る か ら、 必ず し も 山地 部 落 の生 産 力 を う か
が う こ と に は なり 得 な いが 、 山 間 、中 間 、平 地 の三 カ所 に つ いて見 た箒 根 の例 を見 ると 、 山 間 の
遅 野 沢 と平 地 の金 沢 と の間 には反 当 り平 均 五 斗 の差 が つ いて おり 、 し か も 遅 野 沢 の方 が反 当 平均
労 働 は多 く か か って い るは ず で あ る 。 こ の地 に限 ら ず 、他 の村 々 に お い ても 山 間部 に お い て はこ
れと 同様 の現 象 が見 ら れ、 平 地部 に お いて は、 一応 そ の地 方 の平 均 生 産 力 に達 し て い る と解 せら
れ る。 す な わ ち 山間 渓 谷 に ほと ん ど 水 田 をも たな い宮 崎 県 三納 村 に お い ては 、 反 当 り 一 ・四 八石
を 生 産 し 、 こ れ は県 平 均 の 一 ・六〇 石 に は及 ば な いが 、 郡 平均 の 一 ・四 二石 を 上 廻 って い る。 も
し 陸 稲 の収 量 を も加 え て平 均 す る な らば 、宮 崎 県 は 一 ・四 六 石 、三 納 村 も 一 ・四 六 石 で同 等 であ り 、 児 湯 郡 の 一・二石 を は るか にし の いで いる の であ る 。
こ と はむづかし い。 が 、山 間 は平 地 の大体 三割 引 内 外 の減 収 と見 て差 し支 え な いよ う で あ る。
ゆ え に 一村 全体 の反 当 り 平 均 収 量 を も って 山間 に立 地 す る部 落 の水 田耕 作 の状況 を押 し は か る
米 に比 し て ムギ の生産 力 は さら にひ く く な る。 オ オ ムギ 、 ハダ カ ムギ 、 コムギ を通 じ て反 当 収
い る。 そ の最 高 は 箒根 村 、関 谷 の 一・九 石 で あ り 、最 低 は東 川村 古 井 の〇 ・四 五 石 で あ る 。 つま
量 の二石 に達 す る も のは な い。 但 し 箒 根 、沢 田 、東 背 振 で は全 国平 均 の 一・二五 六 石 を 上廻 って
に茎 が軟 弱 にな り 、麦 の黄 熟 期 にな る と 、 わ ず か の風 にも 吹 き た お れ て しま う の が大 き な原 因 で
り 山 間 にお いて は ムギ作 は コメ より そ の生産 力 が さら に低 く な る 。 こ れ は日 照 時 間 の不 足 のた め
表23 土
地
生
産
力
表25 大 川筋 反 当 生 産 力金 額 表24 マ ユ 反 当生 産高
昭和27年
あ る と いわ れ て い る。
ムギ に つぐ畑 作 物 と し て のダ イズ 、 アズ キ であ る が 、 こ れ
ら は長 万 部 の二 ・ 一石 およ び 一・八 石 を除 い ては 、反 当 り 一 石 以 内 であ る 。
に達 し てお り 、 ジ ャガ イ モ で は長 万 部 、 沢 田 が三 五 〇 貫 で 、
カ ン シ ョに つ いても 、沢 田、東 川村 黒瀬 、 酒 谷 が三 五〇 貫 他 は いず れ も こ れ より 低 い。
つま り 畑 作 に お いて も 、関 東 、東 北 お よび 北海 道 の台 地 地
帯 畑 作 に比 す れ ば 、 一般 に 生産 力 は低 いと いう こ と に な る。
し かし 主 と し て 台地 山 麓山 間 に立 地 す る養 蚕 に つい て見 る
の で、 そ こ に は全 国 平 均 を こ え る生 産 を あげ て いる も のが少
と 、調 査 山 村 は いず れ も他 の養 蚕 村 と ほぼ 同 一の条 件 にあ る
な く な い。 す な わち マユ の反 当 収 繭 量 のあ き ら か な も のを 見
る と 、表 24 のよう にな って いる 。全 国 でも っと も養 蚕技 術 の
す す ん だ長 野 県 伊 那 谷 に お いて反 当 収 量 一九 ・四 九〇 貫 で あ
り 、長 野 県 平 均 は一三・ 五 二一貫 で あ る が、 それ に比 し て荒
海 、 沢 田 、三 方 、 円 城 は いず れ も 上廻 って いる 。 こ こ に養 蚕 の山村 に のび て い った理 由 が あ る 。
いま 、深 い谷 間 に立 地 し て農 耕条 件 に も っとも めぐ ま れ な
い高 知 県 大 川筋 の反 当生 産 力 を 金額 に な お し て見 る と表 25 の数 字 にな る。 こ れ ら は いず れも 粗 収
入 であ る か ら 、米 など の場 合 は 純 益計 算 で は逆 に赤 字 に な るも のと 思 う が 、 マ ユが最 高 位 にあ る
のは 注 目 に 値 す る。 そし てこ こ で は 、養 蚕 が再 び のび よ う と し て いる の であ る 。
ま た 、 畑作 は個 々 の作 物 に つ い ては 生産 力 も 低 く 、 か つ粗 放 経 営 も 見 ら れ る が 、多 く は裏 表 の
あげ るこ と が少 な く な い。雪 の深 い東 小 国 のよ う な所 でさ え 、 畑 の利 用 率 は 一二七 ・九% 、高 崎
作 がき き 、 土地 利 用 率 が高 く な る か ら 、年 間 通 じ て の生 産 に は畑 作 が水 田 一毛作 を 上 廻 る収 益 を
で し た が って 一作 であ り 、粗 収 入 一五 、 〇 〇 〇 円 な のに対 し 、 畑 は ムギ、 タ バ コ、 ハク サ イ 、ダ
村 で 一四 三 ・四% に のぼ って い る の であ る が 、畑 作 の盛 んな 岡 山県 円 城 で は、 水 田 は多 く 一毛 作
イ ズ な ど を輪 作 し て反当 平均 二六 、〇〇 〇 円 を あげ て おり 、 水 田 一作 より も は るか に有 利 な経 営
と な って いる。 し か も養 蚕 が 山村 に お い てまず 取 り あげ ら れ ねば な ら な か った こと は、 よ り高 い
貨 幣 収 入 の最 初 のも の であ り 、 か つ大 き な需 要 を 持 つ国 際 商 品だ った か ら で あ る。 こ れ によ って
が国際 商 品 で あ る と いう こ と に よ って価 格 の安 定 が と り に く く、 か つ国際 関係 に よ って い ろ いろ
自 給 経営 を シ ステ ムと す る 封建 的 低 位 生産 の構 造 が う ち や ぶ ら れ てく る ので あ る が、 し かも そ れ
の制 限 を う け なけ れば な ら な か った か ら、 養 蚕 経 営 を中 心 に し て安 定 し た 生活 をう ち た てる ため
には非 常 な努 力 と賢 明 な対 策 が 必要 で あ った。 こ のこ と か ら 、見 通 し も つき ま た安 定 度 の高 い経 営 へき り か え てゆ く のは 必然 的 な 過 程 であ った と言 いう る。
し かし な が ら 、 そ れだ け で山村 の生産 条 件 が よく な り 、 か つ都 市 近 郊 あ る いは平 坦地 農 村 のよ
った。 地 形 的 に 、 ま た交 通 上 の不 利 な条 件 か ら 、耕 作 に動 力 を導 入 す る こと が困難 であ り、 ま た
う に高 い生産 高 と 合 理的 な 生産 手 段 を 持 って 、 そう いう 村 々 への肉 迫 をゆ るさ れ る こ と は少 なか
力 労 当
能 率 の高 い農 機 具を 入 れ るこ と が むず かし か った 。 こ のこ
と が 一定 の土地 に対 し て多 く の労 働 力 を 投 下 さ せ る こ と に
い てあげ て見 る と、 次 のよ う に な る︵表26︶。
な る 。 いま 、 一反 当 投 下 労力 のわ か って い るも の のみ に つ
わ ず か な例 し か あげ ら れな い ので 、 こ れを も って全 体 を
推 測 す る のは な お危 険 で あ る が、 こ れ を昭 和一一 年頃 の米
か なり 高 いと 言 わざ るを 得 な い。今 日 ま で私 個 人 の見聞 に
作 一反 当 投 入 労 力全 国 平 均 二 一 ・三 日 に 比 し て 、 いず れ も
よ れば 、 山 間 各 地 に お け る水 田 の反当 投 入労 力 は大 体 四 〇
日 か ら四 七 日 に のぼ って いる か ら、 こ こ に見 え る数 字 は 必
収 米〇 ・九 八石 に つ い て除 し て見 ると 、 一人 一日〇 ・〇 一八石 足 らず の生産 にな る 。
ま た高 知 県 大 川 筋 に つ い て見 る と 、 田畑 合 し て反 当 労 力 は五 五 人 内外 で あ る が、 こ れを 水 田反
斗 で、 岡 山県 興 除 村 の 一〇 分 の 一にも あ たら な い。
山 間 の水 田 も 一様 に 一 ・五 五 石収 穫 あ るも のと し て も、 名 号 では 一日 一人当 り生 産 力 は〇・ 二 二
町歩 で 、 コメ の生 産 高 は 六 六 一石 であ るか ら 、平 均 反 当 り 一 ・五 五 石 と いう こと に な る 。 かり に
一人当 り 二 ・九 斗 を 生産 し て いる こと に な る 。 こ れ を茂 庭 と 対 比 す れば 、 こ の村 は 水 田 四 二 ・五
反 当労 力 一二人 に足 ら な いと いう が、 そ れ で いて反 当 り 三 ・五 石 の収 穫 をあ げ て いる 。 一反 一日
ど の 一四人 に比 し てそ の差 の いか に甚 だ し いこ と か。 最 も 機 械 化 の進 ん で い る岡 山県 興除 村 で は
ず し も大 し てま ち が って いな いだ ろう 。 こ れ をも っと も 農 耕技 術 の進 んだ 北 海道 、奈 良 、 福 岡 な
表26 反
つまり 山 間 にお け る 水 田 の生 産 力 は、 一人当 り 一日 一升 八 合 な いし 二升 二合 程度 の低 位 生産 を
見 て いる の で あ って、茂 庭 と大 川 筋 は、 地 域的 に は相 隔 た るこ と 甚 だ遠 いの で ある が 、 峡 谷 の底
に 立地 す る山 村 の稲作 は 相 似 た 生産 性 を 持 つこ と を発 見 す る。 そ し て こ のよ う な峡 谷 集 落 は 、 田
山 、 土 淵 、早 口、 東 小 国 、高 崎 、茂 庭 、 荒 海 、 沢 田 、 日義 、 五 郷 、 三方 、円 城 、東 川 、 大 川筋 、
酒 谷 、 山 野 に見 出 さ れ ると ころ で あ って 、 か かる 土地 の稲 作 は全 く 経 営 を度 外 視 し たも の であ る
と 言 う こと が で き る 。 にも かか わ らず 、 こ のよう な農 耕 を つづ けな け れ ば な ら な いこ と は食 糧 を
自 給 す ると いう こ と が 生活 を 安 定 さ せ る 大 き な要 素 にな って いる から に ほか な ら ぬ 。 つまり 山 間
に お け る稲 作 を 中 心 と す る農 耕 は、全 く 企業 経 営 への道 を歩 む た め のも の でな く 、自 己 の生 活 を 最 低 の段 階 に お いて も な お安 定 せし めた いた め のも のであ る。
し か も農 耕 の ため に投 下 す る労 力 はき わ め て大 き い。 し たが って 人 々 が貨 幣 収 入 に 向 け得 る労
入 れ て し まう 。 そ のた め せ っか く養 蚕 を 村 に導 入 し ても 、 さら に高 度 な農 業 経 営 の誘 い水 に な っ
力 は き わ め て少 な いも のに な ってく る。 こ のこ と が 山間 聚 落 を いや お う な し に貧 困 の中 へお と し
て こ な い。 し た が って資本 の集 積 が困 難 であ り 、林 業 労 働 のよ う な賃 労 働 か、 ま たは製 炭 な ど の
山 林依 存 の経 営 形 態 が打 ち出 さ れ て く る のだ が、 こ の場 合 、 こ の労 力 は農 閑 期 の余 剰 労 力 が 利 用 せ ら れ るこ と が多 い。
こ こ に稲作 水 田農 業 、 多 角経 営 型農 業 と林 業村 にお け る農 業 のし める 位 置 お よび 目 的 は す っか
る 。 いま面 接 調 査 し た部 落 に おけ る 労働 、非 労 働 者 の割 合 を あげ て見 る と表 28 のよ う に な る。 す
り違 って い る の であ る 。 と同 時 に、林 業労 働 を 主と す る部 落 に お いて は、 労 働 人 口 の多 い ほど 貨 幣 収 入 は多 く な ってく
表27 労 力 配 分( 就 労 日数)
な わ ち、 東 小 国村 作 造 原 、箒 根 村 遅 野 沢 、
関谷 、 沢 田村 秋 鹿 、 三 納村 吉 田 、酒 谷 村 山
いる が 、吉 田 を除 い て は山 間 に あ る か ま た
間部 な ど は労 働 人 口 が五 九% 以 上 を し め て
は開 墾部 落 で あ る 。 そ し て多 く の労 力 を確
保 す る こと によ って 生計 を 維 持 し て いる の
で あ る。 元 来 山 林 労働 は重 労 働 な の であ る
が 、 そ れ にも か か わ ら ず 、労 賃 は必 ず し も
高 く な い。 そ れは 土 地 生産 力 の低 い こと 、
と と呼 応 し て い る。 いま農 業 労 賃 を 主 にし
従 って農 業 労 賃 が低 く 格付 け さ れ て い る こ
て各村 に お け る労 賃 を 見 る と表 29 のよ う に
二四 二円︵ 昭 二八年 一〇 月︶ に 比 し て相 当
な る 。 こ れ は全 国 農 村 賃 金 男 二九 三円 、 女
低 いと いわ な け れば なら な い。 つま り平 地
生産 を はば んで いる 。
う こと が いよ いよ資 本 蓄 積 、 ひ い て拡 大再
以 上 に労力 を投 入 し つ つ、 土 地 生産 力 のあ 大 川筋
が ら ぬ如 く 、 労賃 も安 い のであ る 。 そ う い
23.
表28 労
働
人
口
表29 労
賃( 一 般)
地 、 山 麓 、渓 口地 帯 に比 し て
そ の上 、農 地 経 営 面 積 が 平
せま い。 す な わ ち 山村 にお け
る個 別 農 業経 営 の主体 は五 反
な いし 一町歩 を経 営 す る ク ラ
ス にあ る が 、平 地 が広 く 水 田
率 の高 い土 淵 、煙 山 、 東 小 国
では 一町 な いし 二町 を 経 営 す
る ク ラ スを最 多 と し、 渓 谷 ま
た は 山間 部 落 を持 つ村 では 五
って いる 。東 小 国 、 沢 田 、 日
反 未 満経 営 が き わ め て多 く な
義 、 五郷 、東 川 、 大 筋 川 、酒
谷 、 山野 が そ れ であ る 。
な お長 万 部 は町 家 が余 暇 を
利 用 し て耕 作 す る も のが多 く 、
沢 田 も や や こ れに 似 る事 情 に
よ る 。富 士岡 に零 細 農 の多 い
のは 、演 習 場 の圧 迫 に よ って
表30 東背振民有原野其の他畦畔等草生 産地面積並に所 要採草面積
昭和2年 佐 賀営林署
一つ の原 因 と 見 ら れ る 。 さら
開 墾 の はば ま れ て いる こ と が
に九 州 に三 反未 満 の零 細 農 の
多 い の は裏 作 可能 の耕 地 が多
く 、利 用率 が高 く 、 し た が っ
て小 面 積 でも経 営 の成 立 しう
る率 が高 いた め でも あ る。 こ
う し た農家 は農 業 お よび 農 業
以 外 の日 傭 稼業 な ど で生 計 を
支 え て いる も のが多 い。
以 上 見 て来 た如 く 、山 間部
落 は土 地 生産 力 は低 く 、 反 当
投 下 労力 が 過大 で、 そ の ため
労 賃 が 安 く 、賃 労 働 に よ る収
入 が少 な い上 に経 営 面積 が低
いと いう こ と が産 業 の発 展 を
大 き く はば ん で いる 。
中 に 山林 を ひ ろく 持 つ者 も
あ る け れど 、 林 業 を 以 て独 立
表31 部落別平均経営面積 5.
土 淵( 土地 所 有)
11. 茂 庭( 水 田所 有 農 家)
12. 荒 海( 土 地 所 有 面 積 調 査)
川島関本 20戸
滝 ノ 原 20戸
羽 塩 20戸
13. 沢 山(1戸 当 り耕 地 面 積)
14. 箒 根( 耕 地 所 有1戸 平均)
表32 食
15. 沢 田( 耕 地 所有1戸 平 均)
糧
需
給
経 営 を可 能 な ら し め る た め に は少 な く も 三〇 町 歩 以 上を 必要 と す る が、 調 査 地 二七 カ所 のう ち、
そ う いう 家 は 一五 〇戸 に すぎ な い。 し か も こ の中 に は多 く の不在 地 主 を含 ん で いる 。 そ し て そ れ
ら不 在 地 主 は、 右 のよ う な 山村 の低 位 生産 性 に よ る た ち おく れに乗 じ 、多 く は高 利 ま た は商 業 資
本 に よ って、 山 林 を 集積 し て い ったも の で、 そ う し た こ と が、 さ ら に 山村 の生 産 向 上 を停 滞 せ し め て いる ので あ る。
そ し て 林業 労 働 にし たが う も のも 、多 く はそ の事 業量 が 一定 せず 、 し た が って作 業 が 不 安定 で
あり 、 そ のこ と が 生活 を お び や か す。 そ のた め少 し で も 生活 を 安 定 せ し め よう と し てわ ず かば か
り の土 地 を も耕 作 し よう と す る 。 山林 の零 細 経 営者 や低 賃 銀 労 働 者 にと って 、食 糧 を持 たな いこ
と は生 活 を いよ いよ不 安 にす る 。 そ のた め に低 位 生 産地 に多 く の労 力 を投 下 し 、 そ れ が正 規 な 林 業 経 営 の発 展 を は ば む にも かか わら ず食 糧 は不 足 し て いる︵表 32︶ 。
一〇 交 通 の 発 達 と 林 業
さ て平 地 、 山 麓 、渓 口 に立 地 す る集 落 が、 水 田 稲作 ま た は多 角 経 営 に進 み、 次 第 に農業 経 営 を 合 理 化 し 、 そ の故 に山 林 への依 存 を いよ い よ少 な く し て い った の に対 し て 、山 間 、 特 に 渓 谷 や 山
腹 に立地 し て農 業 生 産 力 の低 い集 落 が 、 一応 生 計 を た て 、生 活 を 安定 せ し む る に至 った直 接 のも
のが 交通 の発 達 であ った こ と は見 のが せ な い。 次 に 国有 林 地 帯 で は国家 の指 導 の大 き か った こ と を あ げ得 る 。 そ こ で まず 交 通 の発 達 に つ いて見 て ゆ こう 。
立 し た吉 野 、 熊 野 地 方 、 日 向飫 肥 地 方 、 木 曽 谷 を は じ め秋 田 能代 川流 域 など は 木 材 を 谷 に出 し 、
山村 が遠 い市 場 に結 び つく た め に古 く 大 き な役 割 を果 し た のは 水 で あ った。 民 間林 業 の早 く 成
川 を利 用 し て海 にお く り 、 そ こ から 船 で、 江戸 、大 阪 な ど の需 要 地 に送 る こと に よ って早 く栄 え
て き た の であ る。 そ のた め に は木 を 伐 り 、 シ ュラを 組 み、 ド バを つく り 、 ま た 木馬 を利 用 し、 イ
カダ を組 み、 いろ いろ の技 術 を 必 要 と し 、 そ れ ら の技 術 を持 た な い限 り は 用 材 の搬出 は不 可能 で
あ ったか ら 、 用 材林 業 は そう し た 伝統 を古 く より 持 つ地 域 に のみ発 達 し た ので あ る。 し かし 明 治
にな って都 市 の発 達 に とも な い、建 築 用 材 の需 要 の激増 す る に つれ て、 こ れ ら特 殊 地 帯 に供 給 を
仰 ぐ の みで な く 、 ひ ろく 用 材 林 を持 つ地 域 に対 し て も目 が むけ ら れ は じ め た の であ る 。 し か し前
述 の如 く用 材 林 業 には 伐採 搬 出 に特 別 の技 術 を 必要 と し、 そう し た 技術 を持 つ林 業 労 働者 が利 用
価 値 のあ る林 業 地 へ出 向 く よ う に な ってゆ く 。 し か し 山間 にあ って木材 の利 用 価 値 を 生 じ て来 た
と いう こ と は 、 ただ 単 に都 市 が発 達 し はじ めた と いう こ と と結 び つか な い。 こ の二 つのも のを結
び つけ た のが交 通 路 であ る。 川 が海 に至 るま でや や傾 斜 を持 って い て、 川 口に港 を持 た ぬ富 士 、
大 井 、 天竜 の諸 川 の流 域 に長 く用 材 林 業 の発 達 を 見 な か った のも 、 全 く 木材 輸 送 が不 便 だ った か
ら に ほ かな ら ぬ 。 こ れ が東 海 道線 の開 通 に よ って俄 然 天竜 林業 を成 立 せし め る 。 同様 のこ とは 智
頭 林 業 に つ い ても言 え る。 金 山 林 業 の成 立 も ま た奥 羽 線 の開通 に負 う と ころ が多 い。 すな わ ち産
地 と都 市 と が 鉄道 に よ って結 ば れ る と き 、初 め て木 材 は利 用価 値 、 ひ い て交 換価 値 を 生 じ てく る。
そ し て そ の町村 内 に 鉄道 駅を 持 つ所 では 、早 く伐 採 林 業 が す す み 、 そ れ にと も な って育 成 林 業 が 成 立 し つ つあ る。 早 口、東 小 国 、 富 士 岡 な ど が そ れだ 。
岡 山県 円 城 はも と 旭 川 を利 用 し て薪 炭 を 川舟 で岡 山 へおく って いた。 こ の地 方 は松 が多 か った
が 、松 は重 く て筏 に組 みに く か った こと か ら 、 こ れ を筏 で岡 山 に送 る こ と は少 な か った 。少 数 の
も のが送 ら れ る こと があ った が、 そ の た め に旭 川 のほ とり に竹 薮 を 仕 立 て て おき 、 竹 を筏 にそ え
てく く る こ と に よ って浮 力 を つけ る よう にし た と いう。 し か しそ う し た障 碍 がも と で、 岡 山 に 近
く 旭 川 が利 用出 来 る位 置 にあ り つ つ、 長 く 用 材 林業 は成 立 し なか った 。 し か し中 国 鉄 道 が 旭 川 の
で物 資 を出 し 、汽 車 送 り す る よ う に な った。 と 同 時 に松 の伐 採 が盛 ん にな って く る のであ る。
岸 にそ う て 開通 す る と、 村 人 は非 常 な苦 心 で福 渡 駅 ま で の車 道 を ひ ら き 、 そ こ ま で牛 馬 車 に積 ん
こ のよ う な便 宜 を得 ら れな い所 か 、 ま た は広 葉 樹 地帯 で は木 炭 製 造 が発 達 す る 。 田山 、 土 淵 、
高 崎 、 茂 庭 、 荒 海 、沢 田 、三 方 、 大 川筋 は いず れも 重 要 な 木炭 の産 地 とな ってお り 、 早 口、 東 小
る 。木 炭 は そ の容 積 重 量 を 小 さ くし て高 価 に売 る こと が でき る 。運 搬 、 取 扱 いに つ いて も用 材 よ
国 、東 川 は用 材 林 業 のほ か に木 炭 の大 き な産 出 が あ る。 広 面積 の広 葉 樹 林 を 持 って いる た め であ
り も手 軽 であ る 。 こ のこ と が、 やや 不便 な地 域 に お い ても製 炭 事 業 を 成 立 せ し め る 。
必要 であ った か ら 、山 口県 の滑 官林 地 域 で は、 交 通 の不便 が言 語 を 絶 し 、 か つこ れ と いう 換 金物
こ の調 査 には あ ら わ れ な い が、 い かな る 山間 に居 住 し て いて も貨 幣 は そ の生計 を た て る た め に
資 も な か った か ら 、雑 木 を や い て炭 を つくり 、 こ れを は るば る山 坂 こえ て海岸 の三 田尻 地 方 へ売
り に出 た と いう 。木 材 で運 ぶよ り も 、炭 に し た のが 最 も軽 く か つ交 換 価 値 も 大 き か ったと いう 。 こ のよ う に し て も貨 幣 は山 中 に浸 透 し て行 った。
し か し 鉄道 が都 市 と産 地 を 結 ぶ だ け で は、 な お 林業 は正 しく 発 達 し てこ な い。林 業 を 真 に 正 し く 発 達 せし め る も のは林 道 の開 設 で あ る 。山 地 はけ わ し く 山林 は広 い。 林 業 に 携 わ るも のは 、 労
働 そ のも のに 従 う た め に往 復 に多 く の時 間 を 要 す る 。 煙 山 で は森 林利 用組 合 に よ って国 有 林 か ら
年 々自 家 用 薪材 の払 下 げ を う け て いる が 、昭 和 二 八年 度 一人当 り 約 一間︵ 二〇 石︶ の割 当 を う け
た 。 立 木 取得 費 は 一、二〇 〇 円 で あ る から 決 し て高 いと は言 え な いが 、 そ の伐 採 地 点 が 南 昌 山 の
一番 奥 に あり 、国 有 林 の出 口ま で出 す の に 一カ月 以 上 か かり 、 日 当 を 含 め て計 算 す ると 一間 当り
いう か ら 、半 値 にあ た る 。煙 山 のよう に村 内 に駅 を持 つば か り で な く 、村 内 の七 割 ま で は平 坦地
六 、〇 〇 〇 円 以 上 に な る と いう 。 こ れ に対 す る薪 の市 価 は 一間 二、八〇 〇 な いし 三 、二〇 〇 円 だ と
で車 が自 由 に通 じ 、 山 も ま た き わ め て浅 い所 で さ え こ のあ り さ ま で あ る。
宮 崎県 三納 村 で は山 元 か ら約 一二㎞ の地 点 に 吹 山事 業 所 があ り 、 こ こ を中 心 に奥 地林 の伐 採 が
行 な わ れ 、 こ れ に平行 し て造林 計 画 が進 めら れ て いる 。 し た が って通 勤 は不 可 能 で、全 員 合宿 し
て仕 事 を し て いる 。 し か も作 業 は 宿 泊所 か ら 一里 な いし 一里半 は な れ た所 で行 な わ れ て いる。 作
業 時 間 は 八時間 で 、作 業 開 始 は七 時半 であ る から 、 五 時 か 五 時半 に おき て朝 食 を す ま し 、 七時 半
ま で には 現 地 へ行 って いなけ れば な ら な い。 そ し て夕方 五時 ま で働 く 。 時 には雨 天作 業 も行 な わ
れる 。 実 習 に来 た宮 崎 大 学 の学 生 は 三 日 で疲 労 し て山 を 下 って行 った と いう 。
同 村 内 の札 之 元担 当区 の作 業 場 は四㎞ 以 内 の所 にあ って通 勤 で き る と いう が 、 そ れ で も往 復 に
二時 間 は要 す る 。農 業 労 働 の場 合 に は こ のよう に往 復 に時 間 と労 力 を 消 費 す る こ と は少 な い。 し
かも 三 納 村 は 森 林軌 道 、林 道 など かな り完 備 し て い てな おこ のあ り さ ま であ る 。
かく 見 てく る と き 、山 林 の開発 は全 く林 道 の開 設 にま つと こ ろ が大 き いと 言 わ ねば な ら ぬ。 山 った と 言 って い い。
地 の民 が 久 し く住 居 の周 囲 の山 林 以外 に手 を つけ得 なか った のは 、林 道 の不 備 が 大 き な原 因 であ
国 有 林 では まず 山地 に軌 道 お よ び 人道 を つけ る こと か ら は じ め て、 林 業 を 経営 開始 し た。
朝 日 区 は奥 士別 営 林 署 森 林 軌道 士別 幹 線 三 〇 ・五 ㎞ を 中軸 に、 似 峡 本 線︵ 7㎞︶、咲 留 支 線︵ 七 ㎞︶、ぺ ンケ支 線︵ 九 ・五 ㎞︶ を出 し て事 業 を す す め て いる 。 内 潟 も明 治 四〇 年 頃 から 森 林鉄 道 を持 ったと いわ れ る 。
一日 に 二往復 を は こび 、 日 曜 日 を休 む から 一カ月 二五 日 の運 行 で四 月 か ら 一二月 ま で の間 に六 三 、
早 口で は 六 四 、 二一四m の森 林 鉄 道 を持 ち、 そ れ が各 支 流 の駅 に入 って いて利 用 さ れ、 旅客 も
〇 〇〇 人 の人 が は こば れ 、 ま た輸 送 貨 物 は杉 に換 算 し て 一五 、七 八 七 石 を運 ん で いる こと に な る
と いう 。 こ の鉄 道 が渓 谷 の奥 ま で 人 々 を送 り こ み、 ま た中 途 の緩傾 斜 面 に 人 を住 ま わ せ、奥 地 開
発 の動 脈 に な って い るこ と を知 る 。 こ のほ か、 国有 林 道 三 、四 四三 m、 民 有 林道 四 一、七 四 六 mが
山地 を縫 い、作 業 の能 率 を高 め さ せ て い る。
こ のよ う な現 象 は高 知県 東 川 に お い ても 見 ら れ る 。 こ の地 の国 有 林 は村 の最 北端 、 す な わ ち 一 番 山奥 に所 在 し、 こ の国有 林地 帯 か ら発 す る 伊 尾 木 川 が南 北 に細 長 い村 を 北 か ら南 へつら ぬ いて
渓 谷 を つくり 、安 芸 町 の東 で海 に 入 って いる 。 森 林鉄 道 は こ の谷 の最奥 の別 役 の付 近 から 、 川 口
の伊 尾木 ま で の間 に通 じ 、約 四 四㎞ 、 こ れが 交通 動 脈 とな って いて 、 こ の軌 道 の故 に こ の地 の林
業 の発 達 は あ った と言 って い いほ ど であ る。 こ の幹 線 か ら小 川 谷 へ 一五 、二三 四 m、 古井 へ三 、七 〇 〇 m の支 線 を出 し、 奥 地 開発 に大 きな 役 割 を 果 し て いる。
こ の点 、 三納 、 酒 谷 にも 森林 軌道 は あ る が、 そ れ ら は ほ と んど 国有 林内 に あり 、 ま た軌道 の途 中 に 山 間部 落 が な い た めに 早 口、東 川 の よう な利 用 は見 ら れ て いな い。 し か し な がら 酒 谷 な ど は
全長 二六 、八〇 一m︵九 本︶、幅 二 ・二 mから 三 ・三 mに お よ ぶ林 道 を も ち 、 そ れ が いず れ も村 を
東 西 に つら ぬ く県 道 に直 結 し て いる た め に、 山 地 の利 用 を甚 だ 便 利 に し て いる 。 そ し てこ こ が橘 いる ので あ る 。
南谿 の ﹃西遊 記 ﹄ に見 え た 山女 の住 んだ 地 か と思 わ れ るま でに 、 山奥 の森 林 開 発 は す す ん で き て
か く て 一般 に国 有 林 地帯 は林 道 が完 備 し 、林 業 経 営 がき わめ て 企業 的 に行 な われ 、 か つそ の林
道 が村 民 にも 利 用 さ れ て多 く の利 便 を 与 え て いる のであ る が 、 こ れ は民 間 林 業 地帯 と は著 しく 対
照的 で あ る と い い得 る 。吉 野熊 野 の民 間 林業 地 帯 で は、 森 林 軌道 の布 設 せら れ て いる所 はき わ め
ュラ や木 馬 道 が利 用 せ ら れ る。 そ し て い った ん木 馬 道 が で き る と 、 そ の付 近 の山 々 が み る みる 伐
て す く な い。 林道 も ま た車 の通 ず る も のは甚 だ 乏 し い。 こ こ で は極 度 に川 が利 用 せ ら れ、 ま た シ
り た お さ れ てゆ く 。 そ の道 が多 く は 共有 ま た は個 人 で つく ら れ る た め に、投 下 資 本 回収 を 効率 的
に木 を 出 そ う と す る よ う にな る 。 だ か ら 一本 の木馬 道 が ひ ら か れ ると 、 こ の道 を中 心 にし て周囲
な ら し め よ う と し 、ま た木馬 道 に近 い所 に山林 を持 つ地 主 も 、 そ の道 に ガ ンギ の敷 かれ て いる間
の山 々 が みる みる う ち に裸 にさ れて ゆ く のが民 間 林業 の 一つ の特 色 とも いえ る 。 そ の 上、 林道 開
設 に努 力 し た人 が 特権 を持 って、 そ の付 近 に支 配 勢 力 を築 き あげ て ゆく 。
こ れ が民 間 林 を と も す れば 過 伐 に おち いら せ る大 き な原 因 と いわ れ て いる。
が いず れ にも せよ 、 流 水 の利 用 で きな い山地 の奥 ま で山 林 開 発 のすす ん でき た のは林 道 、 特 に
車 の通 る道 のひ らけ てき た た め で あ って、特 にト ラ ック が木 材 搬出 に利 用 せら れる に いた って、 林 道 の利 用 価値 は著 しく 増 し てき た ので あ る。
かく て長 く 顧 み ら れな か った 山奥 の木 材 に価 値 を 生 ぜ し め た のは 、全 く道 の開 け た こ と に あ っ
た と言 って い い。企 業 的 林 業 の成 立 は全 く林 道 の整 備 に あ る と い って過言 で は な い。
一 一
農 家 の林 野 利 用
1 燃 料
山 林 は建 築 用 材 、 薪 炭材 な ど の採 取 を はじ め 、 ト チ、 ク ル ミ、 ク リ など 木 の実 の採 取 、 ワ サビ 、
シイ タ ケ 、 ナ メ コな ど栽 培 のた め に利 用 せら れ て き た歴 史 は古 い。 ま た山 野 は 放 牧地 と し て採 草
地 と し て利 用 せら れた 。 が 、 そ れら は少 数 の地 域 を除 い て は自給 程度 を出 な か った 。少 数 の地 域
と は 城下 町 、 ある いは 川下 の付 近 にあ る 地方 小都 市 へ薪 炭 を供 給 し た山 村 の こと で 、本 調 査 によ
れば 、 田山 、 煙 山 、茂 庭 、荒 海 、 円 城 、東 川 、大 川 筋 な ど が そ れ に あ た る。 ここ に は そ のよう な
換 貨 せ ら れ るも のを 除 いて 、ど の程 度 に自 給 資 材 を必 要 と し た か を検 討 し て見 た い。 調 査書 に よ れば 一戸 当 り の燃 料 の年 間 消費 量 は表 33 のよ う に な る。
ご くざ っと し た数 字 で あり 、 そ れぞ れ単 位 のとり 方 がち が う ので十 分 そ の数 量 を 比較 す る こと
は で き な い が、 大体 一戸 で消 費 す る 一年 間 の燃 料 は北 方 で 三 〇 石内 外 、 南 方 でそ の半 分 程 度 が標 あり 、 そ の乾 燥 用 に多 量 を要 す るた め で あ る 。
準 で はな い かと 思 う 。 ただ し箒 根 が非 常 に多 くな って いる のは 、 こ こ が タ バ コの盛 ん な栽 培 地 で
さ て こ れを 面積 に し て見 ると 、 一五年 生程 度 の薪 山 な らば ほ ぼ 一反 分 にな り 、 北方 の大 木 の多
表33 1戸 当 り燃 料 消 費 量
い地帯 な らば そ の半 ば にも 足 ら な い面 積
で こと 足 り よう 。 こ れ に部落 の戸 数 を か
け たも のが 、 一年 に要 す る薪 山 の面積 で 、
一五 年 で輪 転 す る な らば 一五 倍 す れば そ
の土地 の薪 山 のざ っと し た面 積 が出 てく
つ いて み ると 、 大体 五反 か ら 一町 歩 を 所
る。 第 1、 2 表 の民有 林 の階 層 別 所有 に
有 す る も のがも っと も多 く な って い る の
は 、 こ れ ら の山 が も と 薪 山 と し て の性 質
を多 分 に持 って い たこ と を 意 味 す る。 そ
し て こ のよう な山 が ほ ぼ平等 に 分割 せ ら
れて いた のも各 戸 の必要 と す る 薪炭 量 が
相 似 た も ので あ った から であ ろ う 。
当 り 一町 五反 以 上 の薪 山 を 必要 と す る に
ただ し前 記 の如 く 、概 算 によ れ ば 一戸
も か かわ らず 、 一般 民 家 の山 林 所 有 が 五
も と 、自 家 の必要 量 を自 家 山 から の みま
反 な いし 一町歩 程度 に集 中 し て いる のは 、
か なう も のと さ れ て いな か った こと を 意
味 す る 。 す な わ ち 必要 な 大半 を自 山 から 仰 ぎ つ つ、 な お不 足 す る部 分 を自 山 の背 後 に つづ く 入会 山 か ら 求 め る の が 一般 の 慣 習 で あ った 。
ト チ な ど の よ う な 木 は 一般 に 伐 る こ と は 禁 ぜ ら れ て お り 、 そ れ 以 外 の雑 木 は 何 を き って も い い の
そ れ に は ま た 一定 の約 束 が あ って 、 青 木 と か 留 木 と か よ ば れ る ス ギ 、 ヒ ノ キ 、 マ ツ 、 ケ ヤ キ 、
が な ら わ し で あ った 。 土 地 に よ っ て は ま た 、 小 作 、 被 官 な ど と よ ば れ る 土 地 を 持 た な い階 級 は 入
薪 に困 る よ う な こ と は な か った 。
会 山 へ自 由 に 入 れ な い規 約 の あ る 所 も 見 か け ら れ た が 、 そ れ は 表 向 き の こ と で 、 山 に 住 ん で い て
ど の意 味 も 感 じ て は い な か った 。﹁ 山 は にげ は し な い﹂ と い う の が そ の当 時 の 山 村 民 の気 持 で あ
そ し て 明 治 九 年 以 来 、 官 民 有 区 分 が行 な わ れ て き た の で あ る が 、 人 々 は そ の こ と に つ い て 何 ほ
り 、 民 有 にし て税 を と ら れる よ り も官 有 に し て自 由 に 薪 のと れ る方 がよ いと考 え て い た。
に ど う いう 影 響 を 与 え る か と い う こ と に つ い て 気 付 か な か った 。 そ し て 薪 の不 足 し た 部 分 は 入 会
し か し 新 し い民 法 が 、 土 地 を 持 つ も の に 地 上 一切 の所 有 権 が あ る と 規 定 し た こ と が 村 人 の 生 活
こ と に な っ て し ま っ て 、 両 者 の間 に は 厳 密 な 区 分 が で き た 。 薪 炭 材 を 慣 習 に 従 って 採 取 す る と い
山 で と れ る よ う に 考 え て い た の で あ る が 、 慣 習 に 従 っ て 入 会 山 の木 を 伐 る と 、 そ れ は 盗 伐 と い う
う 行 為 そ の も の に は 正 不 正 は な い は ず で あ る が 、 所 有 権 が 絶 対 な も の に な る と 、 自 己 の所 有 地 以
外 で 木 を 伐 る こ と は 罪 悪 に な る 。 し た が って 民 有 地 の少 な い所 ほ ど こ の罪 悪 は多 く 犯 さ れ る こ と
っ た 。 特 に 犯 罪 者 は 貧 農 階 級 で あ った 。
に な る 。 青 森 県 内 潟 は 民 有 林 の き わ め て 少 な い所 で あ った か ら 、 こ の よ う な 犯 罪 は 相 つ い で お こ
こ こ に 国 有 林 と 地 元 民 と の 調 節 が 考 え ら れ な け れ ば な ら な く な っ た 。 し か し 国 家 は そ の初 め 必
ず し も 温情 的 で な か った こ と は 、山 林 官 吏 に警官 同様 の服 装 を さ せ た こ と でも 分 る 。 山林 官 吏 が
帯 剣 し て山 を見 ま わり 盗 伐者 を捕 え る こと から 、新 し い日 本 の山林 行 政 は お こ った ので あ る。 こ の こと か ら 、山 間 に暦 日 な き のど かな 日 を 送 って いた人 々 は、 にわ か に そ の生産 の場 を せ ま
く せざ るを得 な く な ってき た。特 に そ の圧 迫 を つよ く う け た のは静 岡県 富 士岡 で あ ろう 。
ま た国 有 林解 放 を つよ く こば ん だ宮 崎 県 三納 、鹿 児島 県 山野 など が自 己 の行 政 区 内 に尨 大 な 山
林 を有 し な がら 、全 く 山 に背 を向 け て農 業 のみ に た よる 経 営 を う ち た て ねば な ら な か った のも 、 官 有区 分 の線 があ ま り に も つよく 打 ち 出 さ れ た た め であ ろう 。
こ う し た こ と もま た、 耕作 に た よ る経 営 と 山 林 に た よ る経 営 の間 に 一線 を 画 す るよ う に な って
く る 。 た だ 法 の適 用 は人 によ る こ と が多 く 、 そ れ に よ って大 した 摩 擦 も お こ さず 、 か つ旧 慣 の踏
襲 せら れ た 福島 県 茂 庭 、 宮 崎 県酒 谷 のよう な村 も あ った 。 が 一般 には 、 生産 力 も低 く 農 業 の経 営 面 積 の少 な い山村 に あ っては 、 官 民有 区 分 の与 え た 民衆 への圧 迫 は実 に大 き な も のが あ ったと いわ ねば なら な い。
2 採 草
次 に山村 民 に と って重 要 な 利 用価 値 を持 って いた のは採 草 地 であ る 。 こ れ は草 の成 長 量 と も大
き な関 係 が あ る が 、馬 一頭 に つ いて大 体 二町 歩 の採 草 地 を 必要 と す る と見 ら れ る。 田山 調 査 報 告書 に は 、家 畜 一頭 一カ年 必要 草 量 と し て次 のよう な数 量 を見 出 す。
飼料 用生草 二、七〇〇貫︵ 二七〇 日分︶ 堆肥 一、〇〇〇貫 肥料用厩肥 二、○○○貫 計 五、七〇〇貫 他に飼料 として大豆殻 八 一〇貫 採草量 一町歩当り 二、三五〇貫 一頭 二町歩
の植林 がす す ん で い って 、牛 馬 の頭数 は 五〇 〇 頭 に減 った と言 わ れ る。 現在 、国 有 林 採 草 地 三 四
そ し て 、同 村 は村 有 採 草 地 一、二〇 〇 町 歩 と 、国 有 と な って いる 慣行 採 草 地 一、八五 二町 余 を 持 ち、一 、五 〇 〇 頭 の牛 馬 を飼 う 畜 産村 であ った が、 明 治 四 三年 か ら施 業 案 実施 に と も なう 国 有 林
五ha 、放 牧 地 二五 七ha のう ち五 五 八ha を民間 に解 放 し 、 従 来所 有 の採 草 地 と 合 し て 一、七 〇〇 町
余 の採 草 地 を持 って いる 。 こ れ で七 五 〇頭 の牛 馬 を 飼 育 し て いる わ け であ る 。
た だ し す べて の村 々が こ の標 準 によ って いる わけ で はな い。 た と えば 平 地 では 敷草 に は ワ ラを
利 用 し 、 山間 で は落 葉 を利 用 す る こと も あ る 。 す る と採 草 面積 はず っと せま く な る 。 ま た畦 草 の
い所 も あ って、 一概 に採 草 放 牧 地 の面積 を 規定 す る こと は でき な いが、 耕 地 の肥料 を草 肥 ま た は
よ く のび る所 で はそ れも利 用 せら れる 。 同 時 に ま た牛 を 飼 う 地 帯 で は放 牧 が ほと ん ど行 な わ れな
堆 厩 肥 に依 存 し て いる所 では 、牛 馬 一頭 に つき少 な くと も 一町歩 内 外 の採 草 ま た は放 牧 地 を必 要
と し て いる 。 こ の こと は 牛馬 の頭 数︵ 表1 8︶と 原野 採 草 地︵ 表17︶ の面 積 を く ら べあ わ せ て 見 る よ く 分 る 。 ただ し 煙 山 、東 背 振 、 三 納 村 な ど で は こ の定 義 は あ て は ま ら な い。 こ れ ら の村 は農 耕
面 積 が ひ ろ く、 人 力 だ け で は農 業 経 営 が 困難 で あり 、 そ のた め に経 営 面 積 一町歩 以 上 のも のはど
う し て も牛 馬 を 持 た ざ る を え な い。 つま り 、労 力 補 給 のた め の畜産 の行 な わ れ て いる 地 域 で は 、 採 草 地 と牛 馬 と の比 例 を 出 す こ と は でき な く な る 。
し か し牛 馬 が糞 畜 と し て、 す な わ ち肥 料 の供 給 に あ た って いる場 合 に は、 牛 馬 と採 草地 に は自
であ る ほど自 然 条 件 に左 右 せ ら れ た経 営 が 見 ら れ る 。 そ こ で放 牧 地 を ひ ろ く持 つ畜産 経営 は 、 日
ら 比例 が出 てく る。 糞 畜 と し て の畜 産 は労 力 補給 のた め の畜 産 より さ ら に原 始 的 であ り 、原 始 的 本 では き わ め てプ リ ミ テ ィブ な も のだ と いう こと に な って く る。
こ の間 の事 情 を よく物 語 る も のに東 背 振 の例 が あ る 。 こ の地 の現在 国 有 林 とな って いる 土地 は も と 入会 採 草 地 であ った 。 麓 の村 々 が ここ に春先 か ら盆 ま で連 日採 草 に出 かけ たと いう 。長 さ五
尺 で、 三尺 な い し五 尺 の丸 を 一日 に 一〇 把 から 一二把刈 り とる のが 一人 ま え であ った と いう が 、
部 落 と部 落 の争 い の多 か った た め に、 入 会 地 に至 る道 は部 落 ごと に違 って い た。 そ し て 入会 地 の
も年 間 一〇 〇 日 に の ぼる 大 し たも のであ った が 、明 治 末 か ら国 家 は こ こ に徐 々 に植 林 を は じ め 、
争 い のた め に犠 牲者 を出 す ほ ど お互 いは 草 を求 め て い た の であ る 。 と同 時 に、採 草 に要 し た労 力
こ のよ う に採 草 地 を 奪 わ れ つ つ、 か つ て血 の雨 を ふ ら せ た ほど の争 い のあ った入 会 地 が 、大 し て
今 日 で は採 草 地 はわ ず か 一三 町 歩 を のこ す に すぎ な い ま で にな って 、今 は草 刈 り か ら解 放 さ れ た。
問 題 に なら な いま ま に消 滅 し て い った のは 、 一方 に金 肥 の流 入 が あ り 、草 肥 を 金 肥 に き り かえ 、
生 草 は飼 料 とし て の み使 用 し 、敷 草 に は ワ ラを用 い る こと によ って採 草 と いう 大 き な労 働 から 解
あ る昭 和 二年 の同村 の採 草 と 生草 所 要 の数 字 は 、興 味 ふ か いも のが あ る から ここ に か かげ て おく
放 さ れ つ つ、山 地 から は な れ た農 業 経 営 を いと な む に至 った の であ る。 ち ょう ど そ の中 間 過 程 に 表︵ 35︶ 。
表34 三納村採草落葉採取状況
表35 東背振村採草量
か く のご とく 採 草 量 は減 った と し ても 、牛 馬 の飼 料 そ のも の の量 は減 らな い のだ か ら 、牛 馬 の
料 は、茂 庭 で は大 家 畜 四 、三 八三 貫︵ こ れ は敷 草 を 含 む か︶、 中 家 畜 は 一、七 四 七 貫 であ り 、 日義
数 が減 ら な い限 り 、 飼料 と し て の生 草 も 一定 量 を確 保 しな け れ ば な ら な い。 家 畜 一頭 に要 す る飼
で は、 生草 一、二〇〇 貫 、 乾草 二四〇 貫 を 要 す る と いう。 乾 草 一貫 は 生草 五 貫 にあ た る か ら 、乾
は粗 飼 料 三 、〇 〇 〇 貫 のう ち 二 、五〇 〇 貫 が青 草 と いう か ら 、飼 料 と し て の生草 は各 地 とも 、 大体
草 二 四〇 貫 は生 草 一、二〇〇 貫 に なり 、 生 草 に し て合 計 二、四〇 〇 貫 を 要 す る こ と にな る。 三方 で
二、四 〇 〇貫 な い し三 、〇 〇 〇 貫 程度 。 そ れ くら い の生 草 な らば 、耕 作 面積 一町歩 内 外 の農 家 では
田 畑 の畦 畔 あ る いは 河 川 堤防 から でも そ の大半 を得 ら れ る 。 三納 村 は こ の提 防畦 畔 採 草 を 主 と し
て 八〇 〇 頭 に近 い牛馬 を養 って いる村 で あ る。 し か しそ れは か な り無 理 な経 営 で あ る こ と が訴 え ら れ て いる。
と って いる と見 ら れ る。 つま り 、畜 産 す ら が次 第 に 山地 依 存 から 遠 ざ か って ゆき 、農 業 が いよ い
水 田率 の高 い、 農 業経 営 を専 業 とし て いる煙 山 、東 背 振 な ど で も 、 みな こ れ に似 た 採草 方 法 を
よ専 業 化 し て ゆ く傾 向 を 持 って いる。 すな わち 農林 業 の分 化 を 見 てゆ き つ つあ る の であ る 。
そ れは 採 草 地 の生産 力 の低 さが 大 き く原 因 し て いる 。 た と えば 日義 にお いて 三 カ所 の放 牧 地 に
い土 地 利 用 率 だ と い い得 る。 原 野 のあ り あ ま って い る所 な ら ば とも かく 、 育 成 林業 の進 ん で い る
お い て下 のよ う な利 用 が見 ら れて お り 、 し かも 放 牧期 間 は五 〇 日 にす ぎ な い。 こ れ は い か にも低
こ の地 方 でこ のよ う に低 い利 用 率 では 、馬 が農 耕 ま たは林 業 に絶 対 必 要 でな い限 り 、牧 畜 より 林
業 に転 じ てゆ く で あ ろ う。 そ こ で日義 で は牧 野 牧 草 の改良 も計 画 せら れ て いる が 、 こ の地 で は 一
町 当 り の生 草 が 二、五 〇 〇 貫 であ り 、 決 し て多 いも ので は な く、 こ れを そ の 二倍 に高 め る こと が
正 平
沢
沢 原
五 二
一五三町
一二〇頭
一・二八町 一・八七
二八
要 請 せら れ て いる。 日義放牧地 面積 馬 一頭当面積
尻
砂 カ 瀬 九 七 五〇 一・九五
業 を 生 み出 し て ゆ く の であ る 。︱︱ こう し た放 牧地 、原 野 が山 間 にお いて次 第 に林 地 化 し て き つ
こ のよ う に 、山 地 はそ の粗放 な利 用 から 次 第 に集 約 的 な利 用 への道 を歩 み つつ、 そ こ に育 成 林
つあ る のは ひ とり 東 背 振 だ け で は な く 、 田山 、 土 淵 、東 小 国 、富 士 岡 、 三方 な ど にも 見 ら れ る傾 向 で あ る。
か く て台 地 、 山 麓 に お け る原 野 は 耕 地 と し て ひら かれ 、 土地 利 用 の高 度 化 が すす むと とも に農 と林 と は経 営 の上 にお いて も次 第 に分 化 し た形 を と ってく る 。
一 二 林 政 の 確 立
1 地 元 慣 行 権 の確 立
官 民 区 分 が 山村 民 に与 え た 生活 の圧 迫 、 そ れ に対 す る地 元 民 の反撥︱︱ 国 有 林 下 戻 運動 と地 元
利 用 要 請 、資 本 主義 経 済 の発 達 に とも なう 山 林 利 用 の増 大 、民 間 林 にお いて は商 業資 本 の流 入 に
と も なう 山 林集 積 の急 速 な発 展 と 山村 プ ロレタ リ ア ー ト の形 成 、 山 村住 民 の減 少 等 々 の矛 盾 を は
ら んだ 中 から 日本 の新 し い林 業政 策 は 生ま れ てく る 。 そ れ は大 きく 分 け て 二 つ の傾 向 を持 つ。 一
つは地 元 民 の生活 維 持 への寄 与 、今 一つは国 家 自 身 の林 業 経 営 の実 施 であ る 。
前 者 に は国有 林 解 放 、 す な わ ち 国有 林 の下 戻 し 、部 分林 、委 託 林 の設 定 、 立木 の払 下げ 、難 民
救 済 事 業 実 施 、官 行 造 林 事 業 な ど が あ り、 後 者 には施 業案 に よ る直 営 生産 、 そ れ にと も な う林 道
開 設 など があ る 。 そ し て それ ら の事業 を通 じ て山 村 民 を林 業 労 働 者 と し て吸収 す る。 ただ し か か
る積 極 的 な 政 策 は明 治 三 〇 年 以降 に お こ ってく る も ので あ って、 日 本全 体 か ら見 る と、 す でに資
た の であ る か ら 、 そ れ で なく てさ え き わ め て低 い生産 力 の上 に た つ山村 の立 ち お く れ は甚 し いも
本 主義 的 な 社会 体 勢 の 一応 でき 上 って いた こ ろ に林 業 の資 本 主 義 的 な 経 営 は そ の スタ ー トを き っ のが あ った と言 って い い。
つま り山 林 を 中 心 と す る 企業 経 営 は、 明治 三〇 年 当 時 に は吉 野熊 野 地 方 を 除 いて は そ の萌 芽 さ
え も 見 え な か ったと 言 って い い。 し かも 一方 では 山村 のこ の立 ち お く れ に乗 じ て、 民有 林 地 帯 で は 都 市資 本 家 た ち が山 林 を 無 代 同様 に買 い集 め てゆ く ので あ る。
国 有 林 経 営 は 、 か か る中 にあ って は計 画 的 な施 業 案 の実 施 に移 る。 そ う いう意 味 で国 有 林 の直 営 生産 事 業 は大 き な意 義 を持 って いる 。
き な 影響 を与 え る のは 、 国有 林 下 戻 し 、 委 託 林 設定 、部 分 林 設 定 であ り 、官 行 造 林 であ る 。
さ て し か し、 ここ では順 序 と し て国 有 林 の解 放 か ら見 てゆ き た い。 そ のう ち地 元 に も っとも 大
さ れ、 それ にと も なう 下 戻 運 動 が お こ って来 る の であ る が 、 そ の まえ 国 有林 の貸 与 請 願 が各 地 に
ま ず官 民区 分 の行 き す ぎ に 対 す る是 正 から 、 明 治 三 二年 四月 に国 有 土 地森 林 原 野 下 戻 法 が施 行
お こさ れて いる 。岩 手 県 田山 では明 治 一 一年 一二月 、岩 手 県 大 書 記 官 岡部 綱 紀 が内 務 卿伊 藤博 文
に 、﹁住 民 は 水陸 田 に稗 粟 の類 を 播種 す る の み で、 専 ら 周 囲 の山林 に 入り 、 薪 を 伐り 炭 を焼 き 、
陸 中 鹿角 郡 の諸 鉱 山 に販 売 し て日 常 の米穀 そ の他 の物 品 を購 入 し 生計 を いと な ん で来 、山 林 は昔
から 私 有林 同様 に利 用 し て いた のであ る から 、区 画 を定 め て 二〇 カ年 の年 期 で貸 与 さ せて いただ
き た い﹂ と願 い出 て いる 。 し か し こ れ は聞 き 届 け ら れず 、 立 木 払 下 げ は 聞 き届 け よう と 回 答 し て いる 。
そ の後 明 治 二五 、 六年 こ ろ、今 度 は下 戻 運 動 が おこ さ れ た が 、県 山 林 課 の役 人 に対 し て村 人 は
十 分 のこ とが 答 え ら れず 、下 戻 し は沙 汰 止 みに な ったと いわ れ る 。 そ の後 採 草 慣行 地 の貸 与 の申
請 が あり 、 こ の方 は 慣行 が み と めら れ約 六〇 〇 町 歩 が地 元 へ貸与 せ ら れ て いた が、 昭 和 二六年 に
五 五 八町 歩 を地 元 へ採 草 、 放 牧地 と し て開 放 せら れ た。 こ れ に対 し て 地 元 は さ ら に多 く の牧 野 開
と し て の利 用 を めざ す も の が多 く 、 そ れ は村 有 牧 野 が 一、一〇 〇 町 歩 も あ る が 、 そ の大 半 が 急 峻
放 を のぞ ん で いる が、 未 だ そ の実現 に は至 って いな い。 す な わ ち こ の村 では 国有 地 は採 草 地 牧 野
で 、 か つ痩 せて いる た め に牧 草 の育 ち の悪 い所 三 〇 〇 町歩 を植 林 し た た め、 あ ら た な牧 野 を 必 要 と し 、 そ れを 国 有 地 に も と め よう と し て いる ので あ る。
ま た こ の地 の委 託林 は 四 三四 町 歩 で利 用者 四五 二戸 に の ぼ って いる が、 こ れ は 共 用林 で は なく 、
末 木 技 条 、 枯 木 、 自家 用薪 炭 材 を 採 取 す る簡 易 委 託 林 であ る 。 そ し て地 元 民 の必 要 と す る薪 炭 材
を 三 分 の 一程 度 を 得 る に すぎ な い が、 こ の用 益 に対 し て国 有 林 の保 護 に あ た って いる 。
し た が 、委 託 林 の設定 に よ って慣 行 権 が みと め ら れ盗 伐 はき え た 。委 託 林 は普 通 委 託 林 五〇 七町
青 森 県 内 潟も 、 国 有 林成 立 に とも な って地 元 民 が燃 料 用 材 の補給 に苦 し み、 多 く の盗 伐者 を出
三︵ 〇 五名︶ を組 織 し 、家 庭 用 薪材 、間 伐 材 、官 行 造 林 地 薪 材 払 下げ に よ って燃 料 にあ て て いる 。
歩 、簡 易委 託林 二、九 三 一町 歩 で 、 そ れぞ れ普 通 委 託 林 組 合︵ 二九 九名︶ お よび 簡 易 委 託林 組 合
伐 し 、 若 い者 を犠 牲 者 にし て 入牢 さ せ る と いう よ う な事 件 もひ き お こ し た 。 し かも 当 時 村 は 貧 し
岩 手 県煙 山 で も、 国 有 林 設定 後 慣 行 権 の停 止 か ら 、地 元 民 が困 惑 し 、 つ いに部 落 民 共 謀 し て盗
は手 が出 せ ず 、盛 岡 そ の他 村外 の有 志 が買 い と ってし ま った。
く 不 要 存 置処 分 で 二〇 〇 町 歩 近 い採 草 地 が払 い下 げ ら れ た が 一町 歩 六〇 ∼九 〇 円 と いう の に村 民
委 託 林 が も う け ら れ森 林 保護 組 合 ので き た の は明 治 四 四年 で、 そ れか ら事 件 は なく な った。
秋 田県 早 口町 に お け る下 戻 状 況 は 公有 林 成 立 の項 に書 いた か ら こ こ には 避 け る と し て、 委 託 林
は 四 一四 町 歩 で関 係 部 落 九 、 戸数 三 八 一で あ る。 こ のほ か に部 分林 が三 町 余 あ る が こ れ は そ の面
積 が示 す ごと く 、村 の経 済 生 活 に大 き な影 響 を与 え る程度 のも ので は な い。
山 形県 東 小国 は下 戻 運 動 のや や成 功 し た所 であ る 。
す な わ ち 、明 治 三 八年 不 要存 置林 の売 林 規 則 が施 行 さ れ る や、 私有 林 一、四 六 八 町 お よび 私有
採 草 地 一、〇 六 八町 の大半 、 お よび 耕 地 の 一部 が こ の措 置 を 通 じ て 私有 化 し た。
を目 標 と し、 村 に対 し て は国 が三 〇% を とり 、学 校 に対 し て は 二〇% を と る 。昭 和 御 大 典 、 二六
部 分 林 と 委 託林 制 度 は明 治 三 二年 に制 定 せ ら れ た。部 分林 に つい て は伐 期齢 六〇 年 の現 金 分 収
〇〇 年 記 念 、 新 憲 法記 念 と し て、 学 校 と村 の基 本 財 産 の造 成 を 目的 と す るも の であ って 、面 積 は
四 一町 に すぎ な い。苗 木 の斡 旋 から 巡視 、手 入 れ 、指 導 によ って営 林 署 が企 業 参加 を行 な い、売 払 いも営 林 署 が こ れに 当 る こ と にな って いる 。
有 林 の保 護 に当 り 、 こ の組 合 に対 し て部 落 別 に委 託林 を設 定 し て、 さ な が ら部 落 有 林 のよ う に取
次 に自 給 薪 炭 原 木 の供 給 を目 的 とす る 委 託林 で あ る が、 こ の村 で は森 林 愛 護 組 合 を結 成 し 、国
扱 って いた 。 大正 九 年 、 払 下げ の様 式 を 全 国 的 に統 一し、 保 護 委 託組 合 を結 成 せし め て、 大 正 一
三 年 以来 、営 林 局 の算 定 し た地 元民 自 家 用 薪 必要 量 の半 分 を無 償 譲 与 と し 、残 り 半 分 を有 償 とし 、
委 託 林 に余 剰 が あ れば 、 さ ら に そ れ も有 償 で払 い下 げ る こ と にな って今 日 に お よ ん で いる 。 払下
げ の対 象 は保 護 委 託 組 合 であ る が 、 こ の組 合 は当 初 、記 名 の者 に限 ら ず 、農 業 、非 農 を とわ ず 、 開 放 的 に部 落 の大多 数 に参 加 を 許 し て いる 。
し かし 、明 治 か ら今 日 ま で、 委託 林面 積︵ 現 在 八五 五町︶ の拡 大 は ほと ん ど行 な わ れ て いな い
し 、部 落 に よ っては戸 数 が増 え て いる ので 、 一戸 当 り 二石 く ら いし か払 下 げ に な ら な い所 も あ る 。
山形 県 高 崎 村関 山 の村 有 林 成 立 に つ いて は さ き に書 いた 。 す な わ ち仲直 山 の産 土神 と そ の参道
に のこ る部 落 民 植 林 のあ と を有 力 な 証 拠 と し て 、 四 、六 六〇 町 余 に のぼ る山 林 の下 戻 し に成 功 す
る のであ るが 、 同時 に観 音 寺 の方 は 証 拠不 十 分 で不 許 可 に終 って いる。 し かし 古 く か ら観 音 寺 部
落 と隣 村 東郷 村 野 川 部 落 と の入 会 関 係 のあ った 山林 五 二五 町歩 が委 託 林 と し て利 用 さ れ 、観 音 寺
は 二 二五 戸 、 野 川 は 一三 二戸 が受 益者 と し て組 合 を組 織 し て利 用 し て いる。 こ のう ち製 炭 に従 事 し て いる も の は六 四戸 で、委 託 林 組 合 の内 部 に製 炭 者 組 合 を 組 織 し て いる 。 し か し そ の中 の 二三
戸 は 薪 の生産 をも 行 な って お り 、製 炭 者 組 合 の中 に さ ら に流 木 組 合 を つく って いる。 こ れは 薪 を
利 用 し て神 町 、楯 岡 方 面 に 出 す こ と か ら名 付 け ら れ た も ので 、組 合 員 は委 託林 を利 用 す る か わり に国 有 林 関係 の義 務 的 な労 働 を 一切 ひ きう け て出 役 す る 。
宮 城 県 宮 崎 の国 有 林 下 戻 運 動 に つ いて は さ き に のべ た。 そ し て こ こ で は尨 大 な村 有 林 お よび 私
こり 、 そ の国 有 林 が 点在 し て いる た め に、村 長 は管 理施 業 に差支 え あ り と し て昭 和 二六年 一月 一
有 林 を持 って いる が 、 そ の払 下 げ当 時 の状 況 から 、 払 い下げ ら れ な か った部 分 が 国有 林 と し て の
五 日 交換 分合 を願 い出 た 。 と こ ろ が地 元 農 民 八三 名 は こ れ に反 対 し た 。交 換 分 合 の対 象 と な る べ
き 国 有林 に は委 託 林 が広 く 含 ま れ て いて、 そ こ で製 炭 し て いるも のが 大勢 お り 、 そ の人 た ち はそ
れ によ って 生活 し て い る のだ が 、﹁も し村 有 林 に な る と、 山 が たち ま ち他 の部 落 の人 たち に 入 り
込 ま れ て伐 り と ら れ て しま う ﹂ と いう こ と を そ の理 由 と し て いる。 し かし 不利 に な る のは こ の 八
な わ ち組 合 加 入者 に限 ら れ て いる と いう こ と に問 題 があ る 。 し か し か か る慣 行 は き わ め て古 いも
三名 であ り 、 他 が有 利 と な れば そ の反対 の成 立 が むず かし く な る。 こ こ で考 え さ せ ら れ る の は、 国有 林 の利 用 が必 ず し も村 民 一般 で はな く 、 限 ら れ た少 数 者 、 す
ので あり 、 委 託林 の成 立 の多 く は古 い入 会権 の確 認 と いう 形 を と ってき て いる か ら 、 か か る問 題 の解 決 は容 易 で な い。
こ の地 にお け る簡 易 委 託 林 はそ の面 積 が、一 、二〇 六haに のぼり 、 ニカ所 に別 れ、 寒 風 沢簡 易 委託 林 組 合 と、 田 代 簡易 委 託 林 組 合 が利 用 し て いる 。
な お こ のほ か に 大森︵ 二九 名︶ と 北 川内︵ 二三 名︶ に保 護 組 合 があ る 。 委託 林 組 合 は国 有 林 野
法 の共 有 林 野 規 程 に基 づ い て いる も ので あり 、 保 護 組 合 は申 合組 合 であ る 。 か く て薪 炭 原 木 を 平等 に払 下 げ を う け て そ の採 取 にあ た って いる。 福 島 県 茂 庭 の国有 林下 戻 し は おく れる 。
大 正 一〇 年 に村 長 か ら不 要 存 置 林編 入 に関 す る請 願 が 提出 さ れ て い る。 こ れ に対 し て は不 要 存 置 に編 入な ら び に売 払 いは行 な わ れ な か った。 も っと も 大正 一四年 に設 定 の七 三七 町 歩 の委託 林 は 一部 こ の請 願 の趣 旨 に 照応 す るも のと見 る こ と が でき よう 。
国 有 林 の地 内 で比較 的 緩 傾 斜 地 であ り 、地 味 の肥 え た場 所 に つ いて はす でに貸 付 地 と し て農 地
に開 墾 さ れ て いた も のも あり 、あ る いは戦 後 の未 墾 地 開 拓計 画 に よ って開 拓 用地 に所 属 替 え さ れ た部 分 も あ る。
昭 和 二六年 度 ま でに農 地 所 属 替 えさ れた も の 一七 七 町 、 未 墾地 所 属 替 え さ れ た も の七 五 町 、 牧 野開 放 のた め所 属 替 え さ れ た も の七 八町〇 八 、合 計 三三 〇 町〇 八所 属 替 え と な って いる。
町 二で 、団 地 的 に は大面 積 で あ る。 こ の団地 は いず れも 村 域 の東 南 隅 にあ り 、 三 日尻 平 八三 町 二、
こ れ を村 側 の資 料 に よ って検 討 す る と 、 昭和 二六年 以前 に 取得 ず み の開 拓 用地 は 四団 地 二九 一
小 芦 平 一六九 町 三 、 増 沢 山 二九 町 七 、御 在 所 山九 町 であ る 。 こ の合 計 面 積 二九 一町 二は、 国 有 林 これ は 三 日尻 平 が民 有 地 を も含 む た め であ る と考 え ら れ る。
統計 にお け る農 地 所 属替 と未 墾地 所 属 替 の計二 五 二町 にく ら べる と 三九 町 二だ け 広 いこ と にな る 。
つぎ に昭和 二七 年 に国 有 林 よ り取 得 済 にな った も のは 一二団 地 一四 三町 であ る。 団地 のう ち で 小 さ く な って いる。
大 き いも のは 名号 部 落 より 奥 地 の長 原 五 〇 町 、 谷 地 小屋 三五 町 であ る 。大 体 に お いて団 地 面 積 は
〇 町 が そ の主要 な も の︶、 民 有 林 で 一五 町 であ る 。
な お今 後 に お い て開 拓 用 地 に取得 を計 画 さ れ て いる も のは 、国 有 林 で 一九 一町 五︵ 大 頭 山 一〇
みま た は 取得 ず み のも の四 三 四町 二、 未 取得 のも の二〇 六 町 五 で あ る。
以 上 の べた村 側 の資 料 を総 括 す る と、 開拓 計 画 用 地 合 計 は 六 四〇 町 七 と な り 、 す で に売 渡 しず
国 有 林 よ り所 属 替 え す み の採 草 地 は七 八町 〇 八 で 、 そ の団 地数 は九 団 地 であ って 、地 元 の牧 野 利 用 農 業 協 同組 合 の管 理 す る と こ ろ であ る。
採 草 は年 一回 で 、九 月 下 旬 よ り 一〇 月 中 旬 に刈 り取 り 、 束 ね て山 で 二週 間 干 し て、 持 ち か えり 、 牛 馬 に ふま せる 。 多 種 目 に わ た って いる 。 し か し大 部 分 は 畑地 で あ る。
国 有 林 の貸 付 地 は 六 四町 八六 であ る 。 そ の用 途 別 は 畑地 、植 樹 敷 、 水路 、電 柱 配 線 、 鉱 山 な ど
部 分 林 は明 治 一五年 に スギを 植 え た も のが 一町 六反 ほど と他 に五 反 ほど あ った が 、明 治 一五年
のも のは昭 和 一四 年 契 約済 に な った。 他 のも のは明 治 二四 年設 定 せ ら れ たが 、 スギ も植 えず 早 く
解 約 に な った。 現 在 設 定 せら れ て いる の は 一〇 町 歩 ほ ど で、 大 し て盛 ん と は言 え な い。
い。 委 託林 の生産 物 は半 分 無償 供 与 、残 り 半 分 は 地 元民 に特 売 と いう形 を と って いる 。 し た が っ
委託 林 は大 正 一四 年 に 七 三七 町 が設 定 せら れ た 。国 有 林 野 法 に基 づく も の で簡易 委 託 林 で はな
てあ る意 味 では 公有 林 的 な 性格 を持 って い ると 言 って いい。 そ し てそ れ ら は各 部 落 の近 く に存 在
し 、 も と も と部 落 有 林 的 な性 格 のも と に利用 せ ら れ て おり 、 払下 げ を希 望 し て いた ので ある 。
茨 城 県 沢 山 に お け る拝 借 地 に つ いて は さき に誌 し た 。 こ のよ う に後 に な って そ の権 利 を はぎ と ら れた も のも あ った。
栃 木 県 箒 根 に お け る国 有 林 下 戻 し は次 のごと く 小面 積 の土地 が 二〇 余年 に わ た って地 元 のも の に な って いる 。 昭 和 三 年 金 沢 、 一町 六七 、 不 要存 置売 払 いに よ る。 昭和 六 年 高 阿津 、〇 町〇 四、 不 要 存 置売 払 いに よる 。 昭和 一六年 関 谷 、 二一町 八 五、 不 要 存 置売 払 いに よ る。
昭 和 二三年 宇 都 野 、 二 二町 八七 、 未 墾 地 所属 替 え に よ る。 ほと ん ど が伐 跡 地 であ った 。
昭 和 二四 年 宇 都 野 、 一 一町 八 五 、未 墾 地 所 属替 え に よ る。 ほと ん ど が伐 跡 地 であ った 。
昭 和 二六年 金 沢 、 宇 都 野 、 四 三町 三 一、 牧 野 開放 地 と し て取 り 扱 った。
昭 和 二 六年 遅野 沢 、 一町 九 二、 従来 貸 付 地 であ った も のを農 地 と し て所 属 替 えを し た 。 計 一〇 三 町 五 一
こ こ で は山 林 利 用 の目的 より も 、 開 墾 地 あ る いは牧 野 と し て の利 用 目 的 が大 き か った。
同様 な傾 向 は群 馬 県 沢 田村 に お いても 見 ら れ る 。 す な わ ち、 山林 利 用 の慣 行 権 を 主張 す るも の
でな く 、 そ のは じ め は凶作 に よ る窮 民 の救 済 を 名 と し て開 墾 を 目 的 と し たも のであ った 。
つ い で行 な わ れ た明 治 四 五年 の払 下 げ にし ても 、地 元 の要 望 が強 く行 な わ れ たと いう よ り も役
人 の不 正行 為 に よ って行 な わ れて いる の であ る 。 そ れ ら の事 業 は報 告書 に次 のよう に見 え る 。
明 治 三 九年 一月 二 六日 に開 かれ た町 村 長 会 議 にお け る説 明 と し て、 国有 林 野 の開 墾 と 臨 時 市 町
村 土 木 工 事 に つ いて の説 明 が次 のご とく であ る 。 国 有 林 野開 墾 に関 す る件
凶歉 に対 す る善 後 策 の 一と し て窮 民 を使 役 し 、国 有 林 野 を 開 墾 せし め る に は窮 民 の救済 、 土地 生産 の増 進 上 洵 に当 を得 た る も のに し て 云 々︵以下略︶ 臨 時 市 町村 土木 工事 に関 す る件︵ 略︶
お よび 土 木事 業 等 を 興 し 救 済 事業 を行 な ったも ので 、国 有 林 開 墾 も窮 民救 済 費 を 以 て行 な わ れ た
す なわ ち 、 当時 、当 地 方 にお いて は農 村 が非 常 な 凶作 で あ って、 そ の対 策 と し て国 有 林 の開 墾
わけ であ る 。 こ の時 ど のく ら い の面 積 が開 墾 せら れ 、払 い下 げ ら れた か 、記 録 がな く 不明 で あ る
が、 村有 林 と し て は同 年 に 山 林 一二 五町 歩 余 、 原野 四反 弱 が払 い下げ ら れ て い る。 で不 正 が行 な わ れ て い る。
さら に明 治 四 五年 に至 って開 墾地 の払 下 げ が行 な わ れ て い るが 、 こ の時 は こ の払 下 げ に か ら ん
現在 、松 崎 漫 用 地 の名 を 以 て呼 ば れ て い るも ので 、明 治 四 五年 唐操 原 甲 三 六四 〇 番 、払 下 げ 面
積二一 四 町 七反 二畝 九歩 が こ れ で あ って、 これ は 当時 の東 京 大 林区 署 員 松 崎 某 なる 人物 が こ れ を
使 用 地 と し て払 い下 げ た も ので 、 こ の人 は これ によ って免 官 と な って いる︵ な おこ の不 正 は 、村
では村 民 に開 墾を す す め てこ れ を不 正 に払 い下 げ た と い って いる が真 相 は分 ら な い。 ま た払 い下
げ た後 そ の代 償 と し て収 賄 し た あ る いは免 官 後 代償 を求 め た とも 言 わ れ 、 いず れが 真 相 か 不明 で あ る︶。 なお 現在 は こ の土 地 は私 有 地 と な り全 部 林 地 であ る 。
さ て戦 前 に おけ る国有 林 の払 い下 げ は、 国有 林 の都 合 によ る も のと 、地 元 の要 望 に よ る も のと
があ る ので、 必 ず し も 現状 が い か よう にな って いる か は 、国有 林 と し て は全 部 顧 慮 す る 必要 はな
いが国 民 経 済 的 立場 か ら は主 要 であ る 。
戦 前 にお け る 国有 林 の払 下 げ 面積 を見 る に、 大 正 一 一年 以降 昭 和 九 年 ま で の払 下 げ 合 計 面積 は
三 〇 一町 歩 であ る が 、 こ れ に対 し村 と し て 払下 げ を 受 け たも のは 二九 三 町 歩 で、 大部 分 が村 に払 下 げ と な って い る。
そ し て村 有 と して 払下 げ を受 け た中 でも 、明 治 三九 年 度 以降 、 四 二〇 町歩 中 約 五〇 町 を存 置 不 し た も の の中 で最 も 規模 の大 き な も のは大 岩部 落 で あ る。
要 のも のと し て村 民 に売 り渡 し て い る。 国 有林 を払 い下 げ 、 こ れ を 開 墾 し て畑 と し 、 後 ま た 田 と 戦 後 の農 地改 革 と国 有 林 の売 却 こ の村 の農 地 解 放 面 積 は左 のご と く で あ る。 耕 地 一〇七町二
二四〇町
未 墾 地 六〇町 一 採 草 地
五 であ る 。
耕 地 のう ち地 主 のも って いた も ので解 放 さ れ たも の︵ こ の中 に は財 産 税 の物 納 を含 む︶ 二三 町
そ れ が ほと ん ど借 用 の形 式 を と って いる。 そし て大 野 原 の方 は そ こ が陸 軍 演 習場 に な った た め に
沢 田 にお いて は開 墾用 の土 地 は 一応 正式 に払 い下 げ ら れ て いる のであ る が 、静 岡県 富 士岡 で は、
正式 に はゆ る さ れず 、 一方 そ れな く し ては農 民 の生 活 が 貧困 に釘 づ け せら れ て し まう こ と から 、 にク ワ をう え て養 蚕 を行 な った の であ る。
陸 軍 当 局 のた び たび の叱 責 にも か かわ らず 、 そ の目 を のが れ て 一〇 〇 町 歩 余 の畑 を ひ ら き 、 こ こ
せば 払 い下 げ る と のこ と であ った が ﹁官 林 にな った と て土 地 を よ そ に持 って行 く こと は な い のだ
一方 二 子 山 を中 心 と す る借 地 は も と数 カ村 の入会 地 だ ったも の で、宮 民区 分 のとき 二〇 〇 両出 から ﹂ と て払 下 げ を願 わな か った と いう。
と こ ろ が官 地 と な って み る と、 利 用 の道 は とざ さ れて し ま った た め に、 こ の地 域 に関 係 す る七
カ村 は連 合 し て借 用 を請 願 し、 各村 に 山惣 代 を おき 、地 元 二子部 落 か ら大 惣 代 を 出 し て交 渉 お よ
び 管 理 にあ てた 。 そ し て明 治 二 二年官 有地 か ら御 料 地 にな る と御 料 地 拝 借 組 合 の名称 で 、御 料 地 管 理者 と貸 借 関 係 を 結 んだ 。
二 子部 落 で借 用 し た 土 地 は 一三 〇 町 歩 で、 そ の初 は採 草 地 と し て利 用 し 、部 落 で共 同管 理 、 共
同利 用 し て いた が、 開 墾 を 希 望 す る者 が多 く 、 甲地 乙地 に分 け 、 甲地 に は 分割 利 用 が みと め ら れ 、
主と し た ので あ る。 配 分 は 一町歩 一口、九 反歩 一口、 三反 歩 一口、計 二町 五反 を 一戸 に配 分 し た。
開 墾 、植 林 、採 草 に つい て分 割 せ ら れ た土 地 に対 し て は自 由 であ り 、 乙地 は植 林 を 禁 じ 、 採草 を
二子 は三 六戸 であ った から こ の面積 総 計 九 〇 町 歩 で、残 り が 共同 持 地 にな った わ け であ る。
そ し て甲 地 は次 第 に開 墾 せら れて い った が、 傾 斜 が急 な ので作 土 の流 亡 が 甚 し く 、 ソ バ、 アズ
キ な ど を 四、 五 年 つく る と 、 ま たも と の山 に か え し てゆ く 、 いわ ゆ る 切替 畑 と し て利 用 せら れた 。 し か も 二子 は貧 乏村 で農 業 も 小 さく 、 一年 の半 ば の食 料 し か 生産 で きず 、 年末 にな る と借 地 利 用
権 を カ タ に金 を借 り る も のがだ んだ んふ え た と いう 。 一方 、新 た に村 内 に住 む新 戸 に対 し ても 土
地 を割 り当 て ねば な ら ず 、 旧戸 一戸 から 三反 ず つを割 当 地 の中 か ら返 還 さ せ、新 戸 に新 しく 割 り が見 ら れ た。
当 て た 。 し か し権 利 の移 動 が よう や く はげ し く なり 、 一〇年 間 に 四 回も 転 々と 人 手 に わ たる 実 例
た のであ る が 、 き わ め てゆ が め ら れ た形 で用 益権 が所 有 権 化 し つつ今 日 に至 って いる ので あ る。
以 上 見 ら れ る ご と く、 富 士 岡 の国有 地 は林 地 利 用 よ りも 農 耕 用 と し て利 用 せら れる 面 が多 か っ
長 野 県富 士 里 の国 有 林 はも と信 濃 野 尻 七 カ村 の入会 山 で あ ったが 、 国有 林 に編 入 せら れ た も の で あ る。 し か し官 民 有 区 分 当 時 は な お従 来 の慣行 通 り薪 炭 採 取 や採 草 を自 由 に行 な って いた が、
そ の後 次 第 に禁 じ ら れ て、 不便 を 感ず る よう にな った 。 と こ ろ がこ こ で は村 里 に近 い部 分 が県 有
に移 管 せら れ て 、 そ れ が地 元 民 に対 し て委 託 林 と し て利 用 せら れ薪炭 に不 足 する こと は な く な っ
た。 し かし 昭和 二一年 こ れら の土地 は開 墾 地 指 定 を う け、 私 有 林 も ま た七 〇 町 歩 開 放 せ ら れ る こ と にな った た め再 び 薪 炭 の不 足 に な や む に い た って いる。
兵 庫 県 三方 の場 合 はひ ろ い村 有 地 を持 ってお り 、 そ の大 部 分 は牛 の放 牧 ま たは 採 草 のた め に利
か った 。 そ こ で焼 畑 を 禁 じ 山 林保 護 を は か ってき た 。 一方 、 明 治 三 七年 高 野 国 有 林 が河 原 田部 落
用 せら れ て いた も の で、年 々火 入 れ を行 な い、 あ る いは焼 畑 な ど行 な って い たか ら 立木 地 は少 な
の九 七 名 に払 い下 げ ら れ部 落 有 林 に な った。 大 正 八年 村 有 に移 転 す る に際 し て官行 造林 が行 なわ
れ るこ と に な った。 そ の面積 は 八 六 五町 歩 に のぼ って おり 、 国家 が積 極 的 に指 導 し た も のと し て 注 目 に価 す るも のがあ る 。
高 知県 大川 筋 もそ の尨 大 な 山林 は初 め国有 林 と し て村 人 の手 を は な れ た の であ る が 、地 元 の熱
心 な下 戻運 動 に よ って、明 治 三〇 年 以 来 漸次 払 い下 げ ら れ て、明 治 四〇 年 こ ろ ま で に は大 半 が村 民 のも のに な った の であ る 。
佐 賀 県 東 背 振 は国 有 林 の大半 が入 会採 草 地 で あ った にも か か わ らず 、 これ が 民有 に帰 す る こ と
が な か った。 こ れは 入会 権 争 い の激 し さ か ら 、地 元 へ所有 権 を移 転 す る こ と が困 難 だ ったた め か
と思 わ れ る。 そ し て部 分林 とし て民 間 と 共用 し て いる も の七 六町 歩 、 畑 お よび 採 草 地 と し て貸 し
付 け て い るも のが 三 二町 歩 、計 一〇 八町 歩 が民 間 に利 用 せ ら れ て い るわ け で あ る。 な お部 分 林 は 各部 落 に わ た って設定 せ ら れ て いる 。
旧 藩 時 代 以来 の慣行 権 が みと め ら れ る こと が、 土 地 土地 に よ って い かに 甚 し い差 異 があ った か
は以 上見 たと こ ろ で明 ら か であ る が 、慣 行 権 のよ く 生 か さ れ て藩 政 時 代 の制 度 が そ のま ま の形 で
う け つが れ て いる のが宮 崎 県酒 谷 で あ る 。 こ の地 の部 一山 は部 分 林 と し て成 立 し てく る 。
明 治 維新 後 、部 分林 に関 す る新 し い規 定 は明 治 一 一年 の部 分 林 仕 付 条例 で あ る。 これ によ って 官 林 内 挿 植 は 一切許 可 制 と な り 、部 分 林 台 帳 が調整 さ れ た。 そ の後 、明 治 三 二年 国 有 林 野 法 が施
行 さ れ、 同年 八月 に は国有 林 野部 分 林 野 規 則 が制 定 さ れ て、 部 分 林制 度 も 一応 整 った。 し か し旧
慣 に よる 造林 熱 は衰 え ず 、 そ のた め国 有 林 内 の漫植 あ と を た たず 、 国有 林 管 理 の上 から 各所 に小
て、 部 分林 設 定 区 を設 け て 、 こ の区 域 内 に の み部 分林 の設 定 を みる こ と と し た。 す な わ ち明 治 三
面積 の部 分林 の介 在 す るこ と は種 々 の障 碍 と な る ので 、特 殊 の地 方 民情 と部 分 林 整 理 の方 法 と し
七年 宮崎 県 告 示 を以 て、 要存 置国 有 林 中 、 最 も こ の慣行 のあ った 区 域 一六 、二三 六 町歩 を飮 肥 地
方 の部 分林 設 定 区 と決 定 し た が 、面 積 過 大 で民力 に適 応 しな いも のと し て明 治 四〇年 こ れ の改 定
を行 な い、 翌年 地 方 庁 の諒解 を得 て 三 、八 一四町 に面 積 を 縮 小 し た 。 こ れ に対 し地 方 民 が不 満 を
と な え 、 当初 の通 り部 分林 設 定 区 の みと め ら れ る こ とを 切望 し 、 一〇 余 年 間 の懸案 と な って いた
が 、 大正 九 年 に至 り 、 歴史 的 な特 殊 事 情 と地 方 の利 益 を 酌 量 し 、在 来 部 分 林 お よび 漫植 地 の多 数
存在 す る区 域 は こ れを包 含 す る こと と し 、部 分林 設 定 区 の区 域面 積 を 一 一、二九 九 町 と改 定 し た 。
現 在飫 肥 営 林 署 管 内 の設 定 区 面 積 九 、〇 二四ha のう ち 、最 大 の北郷 村 四 、六三 〇ha に つぎ 、 本村
は 一、八 八九ha 、 す な わ ち約 二割 を し め て いる。
部 分 林 は 、明 治 三 六年 以前 に設 定 せら れた在 来 部 分 林 、 明 治 三 七年 告 示 の部 分林 設定 区 内 に明
治 三 九 年 よ り大 正 四 年 ま でに設 定 さ れ た旧 設 定部 分林 、大 正 九年 告 示 の改 訂 部 分林 設定 区 内 に大
正 一四 年 以 後設 定 し た新 設 定部 分林 に分 け る こと が で き る。 そ の箇 所 は方 々 に分 散 し て お り 、 そ 一五年 設 定 のも ので あ る 。
の数 五 三カ 所 に のぼ って いる 。 そ し て樹 種 は ほと ん ど 杉 で あ る。 現在 、部 分 林 最 古 のも のは明 治 在 来 部 分 林 三 四 四二 ・二九ha 旧設定部分林 一 二〇二 ・八七 新設定部分林 一八 八四七 ・九 二 計 五三 一〇九三・〇八
こえ て いる 。
在 来 部 分 林 は三 分 の 一官 収 が大 部 分 であ る が 、 一〇 分 の五 が 二件 あ って面積 は前 者 を は るか に
て いる 。
旧 設 定部 分林 は四 官 六 民 、新 設 定 部 分 林 は 大部 分三 官 七 民 で、学 校 林 の場 合 、 二官 八民 にな っ
本 林 と な ってお り 、民 収 分 を村 と部 分 林 の仕 立 主 で あ る部 落 が半 々に 分収 す る こと にな って いる。
在 来 部 分林 は個 人 ま た は個 人 共同 で契 約 し 、 旧設 定 部 分 林 は 一件 で村 長 名 儀 で契 約 し 、村 の基
的 に は部 落 の部 分林 であ る 。
新 設 定 部 分林 は村 長 名 儀 であ る が 、趣 旨 は旧 慣 のあ る部 落 民 の利 益 を 目的 とし て いる ので実 質
部 分 林 に お いて問 題 と な る のは 、部 分林 権 、 いわ ゆ る部 分林 の ﹁株 ﹂ の移 動 で あ る。 造 林者 は
営 林 局長 の許 可 を う け な いで 、 そ の権 利 を処 分 す る こと は でき な いこ と にな って お り、 営 林 署 の
一見 し た 程度 で は とう て いそ の過 程 を 把 握 す る こ と は困 難 であ る 。 こ と に契 約者 が個 人 共 同 のも
台 帳 には 、部 分林 の権利 移 動 が記 載 さ れ て いる が 、在 来 部 分 林 のご と き は そ の移 動頻 繁 にし て、
の は、 そ の各個 人 が そ れぞ れ権 利 を ゆず り 、 ま た次 の権 利 者 から そ の次 の個 人 へと転 々移 動 する の で 、台 帳 には次 々に貼 紙 が重 ねら れ、 複 雑 なも のと な って い る。
そ し て そ の多 く は、飫 肥 、 油津 方 面 の木 材 業者 そ の他 商 人 、資 産家 の手 中 に渡 って い った。飫 肥 、油 津 方 面 の資 産 家 は部 分 林 で財 産 を作 ったと いわ れ て いる。
新 設 定 部 分 林 は 造林 組 合 規 約 にお いて規 定 をも う け 、 他村 民 への移 転 は厳 禁 の方 針 で のぞ ん で いる ので 、移 動 は 少 な いよう であ る 。
部 落 民 が何 株 所 有 す る か は知 り が た い点 が あ る。 多 く て 三 、 四株 と いう 程度 で 、在 来 部 分林 で
見 る よ う に、 一人 で 二〇 株 、三 〇 株 も所 有 す ると いう よ う な も のは な い から 、部 分 林 権 の移 動 は 新 設 部 分林 に つい て は問 題 と な って いな い。
株 の移 動 の動 機 はさ ま ざ ま で あ る が、病 気 療 養 費 、 そ の他 資 金 のほ し い場 合 、 あ る いは株 が高 値 で取 引 さ れ る と き、 等 々 であ る。
近 年 は 間 伐 が施 行 せ られ る よ う に な って収 入 が見 ら れ る の で、部 分林 に対 す る認識 が深 ま った。
2 林 木 払 下げ
し た歴 史 であ る 。
以 上 は地 元 慣 行用 益権 の確 認 であ り 、所 有 権 の確 立 であ って、 い ったん 失 な わ れ た も のを 恢復
こ のよう な 地 上 用 益権 は確 認 せら れ な か った け れ ども 、採 草 お よび 立木 処 分 によ る地 元 への協
力 も行 な わ れ た。 そ し て そ れ ら は過 去 にお け る慣 行 権 の延長 と し て の自 家 用 の薪炭 材 採 取 に代 る
払下 げ のみ で なく 、 稼 業 用 と し て払 い下げ ら れ るも のが実 に夥 し い数 字 に のぼ った 。 そ し て そ れ
ら は 北海 道 朝 日 の ごと く 慣行 権 の全 然 存在 し な か った所 では 、 そ のほ と んど が地 元民 以 外 に払 い
こ のう ち 用材 は、 地 元 に製材 所 を持 つ早 口以外 は 、村 外 の業 者 に流 れ る か ら、 地 元 を う る おす こ
下げ ら れ た ので あ る。 いま 立 木払 下 げ の数 字 のあ き ら か なも のを あげ て見 ると 表 36 のよ う に な る。
と は ほと んど な い。 つま り 地 元 に製 材 の企 業 経 営 の行 な わ れ て いな い悲 哀 で あり 、 山 村 の資 本 主
義 化 のた ち お く れ をし めす も ので あ る。 製 材 事 業 に は相 当 の資 本 を 必要 と し、 地 元 には そ の集 積 が見 ら れな い。
れば 行 な われ る も ので ほと んど資 本 を要 し な いし 、 か つ個 人 経 営 が可能 で あ る。 故 に山村 民 に と
こ れ に対 し て薪 炭 材 は、 北 海道 を除 い て は ほと ん ど地 元 に払 い下げ ら れ る。 製 炭 は炭 竈 さ え あ
って製 炭 はも っと も有 利 な 山 林対 象 の経 営 の 一つと し て とり あげ ら れ る 。国 有 林 の多 い村 々で民
営 製 炭 の ため に払 い下 げ ら れ て いる製 炭 原 木 は、 表 37 に 示 さ れ た ごと く で あ る 。 そ れは 民 有林 と
分 処 木 表36 立
対 比 す る と き 、面 積 か らく ら ベ てや
お ち いら な いよ う な計 画 のも と に行
や 比 率 が 低 いと見 ら れ る が、 過 伐 に
な わ れ て いる も ので 、民 有 林 経 営 は つあ る。
目 下 過 伐 に よ る縮 小 生産 が見 ら れ つ
さ て国 有 林 の薪炭 材 は き わ め て低
廉 な価 で払 い下げ ら れ て い る。 す な
わ ち茂 庭 では 一石 当 り 五〇 円 ∼ 一〇
〇 円 であ り 、 荒 海 で は昭 和 二五 年 五
二円 、 二六年 六 四 円 、 二七 年 七 一円
で あ った。 す な わ ち そ れ ら は私 有 林 のであ る。
を買 う より はは る か に安 く し て いる
ど のよう に国 有 林 のき わ め て広 い所
し か しな が ら 内 潟 、茂 庭 、沢 田な
で は薪 炭 材 のほ と ん ど を国 有 林 に た
の土地 で は そ の払 下げ だ け で は自 家
よ ら な け れば な ら な いが 、 そ れ以外
木 原 炭 表37 製
用 す ら十 分 に補 う こ と が で き な い。
け て 、薪 四〇 〇 ∼ 五 〇 〇本 を得 る が、一 年 に 一、〇
北海 道 朝 日 で は 一戸 当 り 立木 二〇 石 の払下 げ を う
〇 〇 本 は 必要 とす る ので 、 入植 地 の木 や 製 材 所 の屑
木 を買 って間 に あ わ せ て いる と いう 。
岩 手県 煙 山 で は山 林 が少 な いた め 、燃 料 の自 給 で
き る も のは 三分 の 一程 度 にすぎ な いが、 不 足 分 を 国
有 林 か ら補 って い るも のは 森林 保 護 組 合 員 二三三 人
に対 し て で あり 、 年 間 三 〇 〇 ∼ 四〇 〇 本 の林 木 では
決 し て十 分 で は なく 、 村 民 の大部 分 は他 村 から 薪 を
買 い、 ま た モミ ガ ラを 燃 料 に し て いる 。
谷 地 、 大野 、高 祖 な ど奥 地 の部 落 で 、 そ れ ら はも と
秋 田県 早 口で も、 燃 料 を 国有 林 に依 存 す る の は中
矢 櫃 鉱 山 に 鉱夫 と し ては たら いて いた のだ が、 同 鉱
山 が 廃 坑 に な った た め帰 農 し た も ので 、耕 地 を持 た
か かわ らず 国有 林 から 薪 炭 材 を ま か な って い る の は
ず 国有 林 に依 存 せざ るを 得 な か った ので あ る。 にも
所 でも 、面 接 調 査 四七 戸 中 、 国 有林 のみ に た よ って
半 数 にすぎ な い。福 島 県 茂 庭 のご と く国 有 林 の広 い
い る のは 二九 戸 で、 他 は全 部 ま た は 一部 を民 有 地 や開 拓 地 に仰 い で いる 。
ま た、 そ の山林 の大 半 が国 有 林 で あり つ つ国 有 林 に依 存 す る こと の少 な い宮 崎 県 三 納 では 、 二
八戸 の面接 調 査農 家 中 、 国 有 林 のみ に ソダ を依 存 す る も の 一二、薪 を 依存 す る も の 一三 であ って 、 そ の率 は低 い。
つま り 払 下げ に は大 き な 特 典 が あ り つ つ、 そ の恩 恵 に 浴 す るも の はす べて の人 で は なく 、 か つ 特 典 を う け るも のも十 分 と は言 い難 い実 情 に あ る。
以 上 のほ か、 国有 林 か ら払 い下げ ら れ て い るも のは 土地 に よ って い ろ いろ のも のがあ る 。
茨 城 県 沢 山 で は落 葉 、 生 草 の払 下げ が見 ら れる 。落 葉 の採 取 をゆ るさ れ た 山 は 一七 町 歩 に のぼ
り 、 一ha当 り八 〇束 を採 取 し て いる 。 こ れ は タ バ コの温床 の踏 込 材 料 にす る も ので、 八坪 に 一〇 〇 把 を 必要 と す る 。
こ のほ か国 有 林 か ら タ バ コ乾 燥 用 の薪 も仰 い で いる 。 た だ し こう し た農 家 は経 営 面 積 一町 歩 以 内 で 、 そう いう 意 味 で は国 有 林 は社 会 保 障的 な意 味 を持 って いる 。
五
落 葉 一六
タ バ コ栽 培 の盛 ん な箒 根 でも 落 葉 利 用 は盛 ん で あ る。 面 接農 家 六〇 戸 中 、 国有 林 に依 存 す るも のは次 のよう であ る 。 採 草 三
放 牧 四 製炭原木 一五 屋 根 茅 九 賃 労 働 一一 治水防風 一五
す な わ ち国 有 林 は 、 あ る意 味 で住 民 の生 活 に 密着 し て い ると 言 って い いの であ る 。特 に牧 野 採
草 地 の利 用 が最 も 重 点 を な し て いる と い われ る 。
野農 業 協 同 組 合 を 組 織 し て 四 二 五戸 のも のが利 用 し て いる のが 目 立 つ。 そ の ほ かに 立木 払 下 げ や
こ のよ う な こと は群 馬 県 沢 田 に お い ても言 いう る。 ここ では 二四〇 町 歩 の採 草 地 を 、 一二 の牧 賃 労働 が あ る。
静 岡県 富 士岡 にお け る官 林 の竹 の払 下げ も 、古 い慣 行 が そ のま まう け つが れ て いる 。古 く は部
落 ご と に毎 年 払 い下げ ら れ る区 域 が 一定 し 、個 々 の農 民 は そ こ か ら馬 一駄 に つい て代金 いく らと
し て採 取 し た の であ る が 、大 正 六年 、 武藤 作 太 郎 氏 に よ って御 料 林 保 護 組 合 が つく ら れ 、神 山 部
荷販 売 を行 なう こ と に し た が、 後 に組 合 は直 接 個 人 業 者︵ 竹 細 工製 造 者︶ に売 る よ う に な った。
落 で は 二区 を さ ら に 一二組 に分 け、 組 合 で採 取 し たも のを 町 屋 、高 内 、尾 尻 の社 に 渡 し 、社 は集
し か し こ の地 域 は 杉 の造林 が盛 ん にな り 、竹 の採 取 は著 し く 減 って き て い る。 佐 賀 県 東 背 振 で は次 のよ う なも の が払 い下 げ ら れ て い る。
竹
用
材
五九 三束
女 笹 四二〇〇束 葛 根 八〇〇㎏ 筍 七 六 〇㎏ 山 ハ ゼ 五六㎏
い った ん 奪 った地 元 権 益 を 地元 に か えす と と も に 、未 利 用 資 源 の開発 に漸 次 大 き な役 割 を果 し て
か く のご とく 林 地 の下 戻 し、 委 託 林 、部 分林 の設 定 、 官 行 造 林 、 生産 物 の払 下げ な ど を通 じ て くる。
3 国 有 林 直 営 の 展 開
一 月二二 八 日、 士 別御 料 地 、 雨 竜御 料 地 と し て、 御 料 局 札幌
次 に は国有 林野 が ど のよう に経営 せ ら れ て い った かを見 て ゆ こう 。 北 海 道 朝 日 の国有 林 は明 治 二七 年
支 庁 雨 竜 出張 所 で管 理さ れ るこ と に な った こ と から 出発 す る 。当 時 御 料 地 は 北海 道 の み で 二〇 〇
万 町 歩 あ った が 、 そ のう ち 一三 七 万 町歩 は開 拓 を目 的 と し て 北海 道 庁 に移 管 さ れ、 残 り の六 三 万
天塩 本 流 沿 い の士 別農 地 一、五 〇 〇 町歩 が不 要 地 と し て払 い下 げ ら れ た。 昭和 二 二年 四 月 には御
町 歩 がそ のま ま御 料 林 とし て のこ さ れ た 。朝 日 はそ の中 に含 ま れ て いた 。 大 正 一五 年 そ の中 か ら 料 林 が国 有 林 とし て農 林 省 の所 管 と な り 、 今 日 に至 って いる 。
二一、二 一三 町 歩 を国 有 林 に編 入 し 、保 護区 員 を お いて管 理 す
北海 道 長 万 部 では 、明 治 初 年 開 拓 民 のた め に 一人 当 り 五 町歩 ず つ無 償 払 下げ を行 な った が、 そ う し て民 有 地 とな った も の のほ か
る こ と に な った。 つ いで明 治 一九 年 二月 に いたり 、 山 林 規則 発 布 と とも に国有 林 に も施 行 を 行 な
う こ と に な った。 明 治 二五年 こ ろ国 有 林 境 界踏 査確 定 の上 、 仮施 業案 が実 施 せら れ る こ と に なり 、
三 一年 か ら簡 易 施 行案 が実 行 せ ら れ、 森 林検 査員 お よび 監 守 を長 万部 に駐 在 さ せ、林 産 物 の売 払
営林 署 に移 り 、 森 林経 営 は 理想 的 な 施 行 を行 な う こ と に な った 。 さ ら に大 正 六年 には森 林 調 査 の
検 査 、森 林 監 護 にあ た ら し め る こ と にな った 。明 治 四 二年 、 国有 林 は支 庁 管 轄 より 分離 し て函 館
結 果 に基 づ いて制 規 施 業案 を実 行 す る こと にな った 。 こ の こと か ら 薪材 の供 給 方 針 が急 変 し て地
元 民 に異 常 の衝 撃 を与 え た と いわ れ る が 、 一方 、 開 拓 可能 の土地 が解 放 せら れ る も のが明 治 四 二
年 以後 五 、 七 三 六町 歩 に の ぼり 、 国有 林 は 一五 、五 一六町 歩 に 減少 し た。
すな わ ち、 北 海道 に あ って は無 主無 従 の原 始 林 に次 第 に 所有 権 が確 立 せら れ て ゆく 形 を と り 、 そ こ に住 み つ いて来 る人 々 は林 業経 営 を目 的 と す る も のは ほ と んど なく 、農 業 を中 心 にし て定 住
を はじ め、 地 元 民 に と って は薪炭 材採 取 のた め に山 林 を利 用 す る の み であ って、住 民 の増 加 に と
も な い、 開 拓者 は森 林 伐 採 跡 地 に 定住 を はじ め、 開 拓 を行 な って い った 。 伐採 林 業 の進 展 によ る
た農 民 の定住 に よ る労 力 の提 供 が 伐採 林 業 を促 進 さ せて い った 。し かも そ の伐採 さ れ る用 材 は建
森 林 の後 退 が開拓 を可 能 なら し め 、 そ のあ と へ農 地 を 進 出 さ せ て い った の であ る 。 と同 時 に、 ま
そ れ ら林 業 労働 に よ る収 入 に支 え ら れ て開 拓 定 住 が進 ん で い った と も言 え る 。
築 用 のも のよ り も パ ルプ 用 材 が多 く 、 し た が って大 量 伐採 で あ った から 多 く の労 力 を 必 要 と し 、
こ れら に対 し て 、内 地 にお け る 国有 林 経 営 の発 展 は や や趣 き を異 にし て いる。
が 確 立 せら れ て き、 そ の ため に慣行 に よ って薪 炭 材 を 伐採 し て い たも のが 盗伐 と し て取 り 締 ま ら
す な わち 明治 初 年 の官 民 区 分 に よ って官 地 と 民 有地 が ま ず区 分 さ れ、 そ れ に とも な って所 有 権
れる こ と に なり 、 さら に政府 は そ の取 締 り を 厳 に し て 、官 民 の間 には け わ し い対 立 も 見 ら れ た の
であ る が 、明 治 三 二年 ﹁国有 林 特 別 経 営 事 業 ﹂計 画 が た てら れ、 ﹁無 立木 地 に造 林 を行 なう た め
の人 工 植栽 、天 然 生 育 、 砂防 植 栽 、苗 圃 およ び防 火線 の設 置 を 主 要 業務 ﹂ と す る造 林 事業 がす す
めら れ る こ と に なる と同 時 に 、今 ま で ただ単 に 財産 的 な意 味 し か持 た な か った山 林 の積 極 的 な直 接 経営 が行 な わ れ る に至 った ので あ る。
そ れ ま で民 間 林 業 地 に は造 林 を とも なう 企 業経 営︱︱ 育 成 林 業 が見 ら れ て い たが 、 国有 地 に お
け る全 般 的 な計 画経 営 は こ の事 業 計 画 を 契機 と し て進 展 し てゆ く ので あ る。 し か し 土地 に よ って
か か る直 営 事 業 に遅 速 が あ り 、 ま た立 地 条 件 の差 か ら経 営 方 法 にも 差 が あ った。 さ て こ こ で官 有 林 経 営 を主 と し た諸 制 度 の概 略 に つ いて見 て ゆ こう 。
明 治 四年 七月 に は官 林 制度 が制 定 さ れ た が、 これ に よ る と被 害 木 、支 障 木 等 や むを え ず 伐採 す
る 立木 は、 そ の材 積 を測 定 し 、 品等 を考 え 、適 当 な 価 格 を定 め て伐 採 さ せ、 ま た鉄 道 、 船 艦 、官
舎 、水 路 、 橋 梁 、 堤防 用 の木 材 は 、 民部 省 から 派 遣 され た官 吏 ま た は地 方 庁 の官 吏 が点 検 し て伐 採 さ せ る方 法 を と り 、積 極 的 伐 採 は行 な わ れ な か った。
明 治 七 年 に は内 務 省 に地 理寮 が お か れて 、森 林 の植 伐 に関 す る事 務 を 主管 し、 次第 に官 林 の管
理保 護 と利 用 を 併 行 させ る よ う に努 め てき た が 、維 新 後 、 官 林 に放 火 し たり 盗 伐 す る も のが多 く、
ま た 一方 、官 営 の建 築 土 木 工事 のた め 、植 栽 に対 し て伐 採 の方 が多 い実 情 に か ん が み て積 極 的 に
新 植 を 図 り 、 そ の資 金 の調 達 のた め 、青 森 、 秋 田 、 木曽 、飛 騨 、 高 知等 の六 カ所 の官 林 の老齢 樹
を伐 採 し て、 そ の売 払 代 金 を これ に あ て る など 、産 物 の売 払 は積 極 的 にな り 、明 治 一 一年 に産 物 売 払 規 定 の最初 のも ので あ る売 払 規則 が 公布 さ れ た。
う に な ったが 、 森 林 定額 三万 六千 円 に対 し て そ の他 に作 業 予 算額 が 四〇 万 円 に上 った た め 、 そ の
明 治 一五 年 五 月 に は内 務 省 に山 林 局 が お か れ 、官 庁斫 伐︵ 直 営 生産︶ が 組 織 的 に行 な わ れる よ
政策 よ ろ し から ず と さ れ 、 わず か三 カ年 でこ の制 度 は廃 止 さ れ 、経 費 は三 〇 万 円 程度 に削 減 さ れ
て再 度 保 護 第 一主 義 に傾 く こ と に な った。 し か し 、明 治 一九 年 の大 小林 区 署 設 定 に当 っては 、特 に国 庫 の定 額 費 の増 額 を 仰 が ず全 く森 林 収 入 を も って林 区 署 設 定 の経 費 に あ て た。
そ の後 、明 治 二 二年 に競 争 契 約 、 随 意 契約 、物 件 の売 買 に関 す る方 法 手 続 を 規 定 し て いる。
さ ら に翌 明 治 二三年 四月 に は、 勅 令 六 九 号 に よ って、 官 有 の森林 原 野 およ び そ の産 物 を 競 争 に 付 せず 随意 契 約 によ って売 り 払 う 場 合 を 規定 し て い る。
ま た明 治 三 八年 に は 、明 治一一 年 に 公 布 さ れ た産 物 売 払 規 則 が廃 止 さ れ て、 ﹁国有 林 野 産 物 売 払 規 則 ﹂ お よび そ の他 四規 則 が制 定 さ れた 。
の製 品処 分 量 も 著 し く増 加 し てき た の で、明 治 四〇 年 にな って こ の内 容 を 一部 改 正 し 、 そ の後 も
し か し な がら 丸 太 、杣 林 、 板 等 の官行斫 伐︵ 直 営 生 産︶ お よび 製 材 事 業 は年 々拡張 さ れ て、 そ
数 次 に わ た って多 少 の改 訂 を みた が 、 大 正 四年 に は、 これ ら の諸 種 の改 訂 を 一括 整 理 統 合 し て
﹁国 有 林 野 産物 売 払 規 則 ﹂ ﹁同手 続 ﹂ の 二 つの規程 を制 定 し たが 、 こ れ が 現 在 の規 則 およ び 手続 が昭 和 二五 年 五 月 二〇 日 に制 定 さ れ る ま で長 い間 つづ いて いる 。
る が、 直 営 製 品 の売 払 量 は明 治 三 八年 頃 か ら目 立 って多 く な り 、大 正 年 代 の中期 に お いて は大戦
こ の よう な売 払規 則 の変 遷 に従 って 、当 局 に おけ る 林産 物 の売 払 方 法 も 種 々移 り変 ってき て い
や関 東 大 震 災等 の影 響 を う け て数 量 金額 と も増 大 し 、 ま た 昭和 一八年 頃 から は第 二次 世 界 大 戦 の た め、数 量 が 上 昇 の 一途 を 辿 って いる のが目 立 って いる 。
国有 林経 営 の確 立 は明 治 末 から のこ と に属 す る。 そ れ は政 策 のし から し む る所 で あ って各 地 ほ
ぼ 一様 であ った と言 って い いが 、 そ の実 施 方 法 に はそ れ ぞ れ差 があ った 。
岩 手県 田 山 で具 体 的 な経 営 の行 な わ れ る に至 った のは 明治 四三 年 以 後 のこ と で 、青 森 大 林 区 署 で
経 営 案 を編 成 し 、漸 次 改 訂 を行 な い つ つ実 施 し、 昭和 八年 に は委 託 林 を 設 け 、今 日 に至 って いる 。
経 営 事 業 の直 接 施 行 は現 田山営 林署 が あ たり 、 そ の経 営区 は 一九 、 三 五 九ha に のぼ って いる 。 そ
の面 積 はす こぶ る 広 い ので あ る が、 久 し く 交通 不便 のた め に経 営 は き わ め て粗 放 であ り 、特 に奥
地 はブ ナを 主 と す る 天然 林 で 、全 く 手 の つか ぬま ま に今 日 に 至 って いる面 積 が多 い。 そ こ でブ ナ
を市 場 に提 供 す る と と も に 、樹 種 の更 新 を は か って 、 カ ラ マツを 主 と す る人 工造 林 地 に か え よ う と す る計 画 がす す めら れて いる 。
岩 手県 土淵 では 、 明治 初 年 、官 民 有 区 分 によ って 八 、七 〇〇 町歩 が国 有 林 に編 入 さ れ た が、 明
治 三 四年 ま で は何 ら の施 業 も行 な わ れ て いな い。 こ の年 、 牧 野経 営造 林 事 業 が計 画 実 施 せ ら れ る
こ と に な った が、 こ れ は 山間 部 落 の放 牧採 草 に 大 き な支 障 を き た す こ と に な った。 そ のた め地 元
民 の強 い反 対 があ り 、 国有 林 労 務 の出 役 を 拒 否 し よう と する 動 き も見 ら れ た が、 明 治 三 五年 、冷
害 に よ って現 金 収 入 の途 が な く なり 、 そ のた め に こ の事 業 にし た が わ ざ る を得 な く な り 、 ま た地
元 民 も漸 次 理 解 し て来 、 大正 二年 ま で に 二 二〇 町歩 の造 林 を 完成 す る に至 った。 し かし 樹種 の選
定 を誤 ま り 大 し た 成 績 を 上げ る こと が でき な いば かり か、 そ の後 は停 滞 し てし ま って いる 。 そ し
て天 然 更 新 す る 方 法 に き り か え て良 好 な成 績 を お さ め つ つあ る と いう 。 一方 、 明 治 三 四年 以後 植
林 せ ら れ たも のは 昭 和 一六年 か ら用 材 需 要 の逼 迫 か ら伐 採 が はじ め ら れ、 遠 野 営 林 署 の重 要 な直 営 事 業 と な る に い た った 。
こ の地 の人 工造 林 は か く の如 く そ の歴 史 が か な り古 いにも か かわ らず 、 必ず しも そ れが 成 功 し た と は言 い難 いも のが あ った 。
れ て いた。 そ の具体 的 な事 業 と し て は大 正 五年 か ら 一四年 にわ た る 一〇 年 間 に地 元 民 の林 産 物 利
岩 手県 煙 山 の最 初 の施 業案 実 施 は明 治 四 二年 であ って 、煙 山 の国有 林 は紫 波 経 営 区 の中 に含 ま
用 の増 加 に とも な う 需 給関 係 、 土砂 流 出 防 止 、 水源涵養 、放 牧 採草 地 整 理 を目 的 と し た 造 林 を行
な い、 大 正 九 年 よ り 一四年 ま で は畜 産 奨 励 のた め混 牧矮 林 作 業 を採 用 し 、大 正 一四 年 か ら 天然 更
新 法 を採 用 し、 昭 和 一五年 か ら は食 糧 増 産 を ねら う地 目 変 更 と 、戦 争 を 遂行 す る ため の大増 伐 を て い い。
行 な った 。 かく てこ の地 の国 有 林 直 営 事 業 は 地元 の民 生 と ふか い関 連 の上 に のび て行 った と言 っ
秋 田県 早 口 に おけ る 国有 林 は 、九 、八 六 一haで、町 の全 地 積 の七〇% に あ たり 、 早 口営 林署 が管
から 見 れ ば 、 伐採 林 業 が主 であ り 、特
理 し て いる 。 そ のう ち普 通 林地 は 八 、八八 三ha であ るが 、八 一年 生以 上 の森 林 は 九 三 七ha であ り 、 ま た 二〇年 以 下 のも のが 一、二 八八 h a を し め て いると こ ろ
に ここ 二〇 年 間 の伐 採 の甚 し か った こ とを 物 語 って いる。 過 伐 にお ち い って いる と見 ら れ る ので
あ るが 、育 成 林 業 の歴 史 も ま た東 北 で はも っと も 古 い。 人 工造 林 は早 く 明治 二 二年 に はじ めら れ
て おり 、特 に明 治 末 より 大 正初 期 に は年 々 一〇 〇ha 以 上 の人 工植 林 も見 ら れ た のであ る。 し か し
昭 和 三 年 以後 は 、天 然 林 の採 伐 を 主 と し て人 工造 林 は著 し く減 少 し た。 さ ら に昭 和 一七 年 から は
二 一年 から再 び 造 林 作 業 が計 画 さ れ 、年 間 一〇 〇 ∼ 一三〇haの植 栽 を行 な って伐 採 跡 地 の造 林 を
戦 争 の影 響 によ って皆 伐 作 業 を余 儀 な く さ れ、 植 伐 のバ ラ ン スがや ぶ れ てし ま った。 そ こ で昭 和
完 了 し た。次 いで昭 和 二七 年 か ら第 二次 造 林 計 画 が実 施 せ ら れ つ つあ る 。 一方 造 林 に 必要 な 育苗
事 業 も 昭和 一四年 以 来 、 大 野 岱 、岩 野目 に苗 圃 を 設 け て苗 の自 給 を はか って いる。 さ ら にま た 、 昭 和 一五 年 より 公有 林 約 一二九ha に対 し て官 行 造 林 を行 な い つ つあ る。
えず 民 間 林 業 を リ ー ドし てき た と言 って い い。 民 間 も ま た こ れ に応 じ て、造 林 熱 はき わめ て盛 ん
以 上 の実 績 に見 ら れ る ごと く 、 こ の町 の国 有 林 業 は 早 く より そ の本 格 的 な活 動 を開 始 し て、 た
で あ る。 も と よ り藩 政 時 代 以 来 の林 業 地 で あ る こと は 忘 れ て は なら な いが 。
山 形県 東 小 国 に おけ る 国有 林 事 業 の具体 的 な活 動 開 始 は明 治 三〇 年 から であ る 。当 時 は新 庄 営
林 署 に属 し て担 当 区 が お か れ た。 し かし 、 本当 に活溌 な活 動 に入 る のは大 正 一〇 年 に直 営 事 業 所
が お か れ て か ら で、 さ ら に昭 和 一〇 年 に向 町 に営 林 署 が お か れて か ら地 元 と の結 び つき は 密接 に
な る 。 し か し こ こ では や は り 伐採 林 業 が主 であ り 、 人 工造 林 地 は 林地 の 一四% 、 総 蓄積 の 二% に
す ぎ ず 、 スギ 、 カ ラ マツ、 アカ マツ 、 ヒ ノ キが 植栽 さ れ て い る。 これ に対 し て、 天 然 林 は ブ ナ を
に不 要 存 置林 を払 い下 げ た 代 金 を資 金 と し て はじ め た も ので 、年 々 一〇〇 町歩 ず つを 植 林 し た も
主 と し た広 葉 樹林 で、 所 々 に ヒバ 、 ネズ コ、 ヒ メ コマ ツ の野 生を 見 る 。 な お人 工造 林 も 大 正初 期
の であ る 。 な お こ の地 では 杉 の植栽 は 必ず しも 成 功 し て お らず 、 カ ラ マツな らば 成 績 が よ いと い わ れ て いる。
山 形 県 高崎 の国有 林 は 一、 六 二五 町歩 で あ る が、 委 託 林 五 二五 町 歩 で、 そ の他 制 限 地 があ り 、
を行 なう 部 分 が 三〇% に の ぼ って いる 。 こ の地 にあ っては 国有 林 の地 元 と の結 び つき は、 慣行 を
普 通 林 地 は九 〇〇 町歩 ほど であ る 。 こ こ で も植 林 は大 し て行 な わ れず 、 択 伐 を 主 と し た保 育 伐採
み と め た委 託 林設 置 が も っと も 大 き く 、直 営 事 業 は択 伐 が 主 で皆 伐 が少 な く 、壮 齢 林 を ひ ろ く 持 ち 、積 極 的 な経 営 と は言 い難 い。
民有 化 し たも のが 陸軍 用 地 に なり 、 そ れ が ま た払 い下 げ ら れ る な ど、 所有 権 に か な り大 きな 変 動
宮 城県 宮 崎 にお け る経 営 の積 極 的 活 動 は明 治 の終 り から であ る 。 こ の地 は村 有 林 が多 く 、 か つ
のあ った た め か、 国家 の経 営 が おく れた よ う で あ る。 先 ず積 極的 な活 動 と し ては 人 工植 栽 が明 治
四 四年 に お こ さ れる 。 スギ 、 カ ラ マツ、 アカ マツ が 主と し て植 え ら れ 、 ウ ルシ、 ク リ の植 付 け も
行 な わ れ て い る。 面積 に し て 二 六 八ha を こ え る も のであ るが 、昭 和 二年 以 後 は 天然 更 新 を主 眼 と
し た施 業 が行 な わ れ 、 人 工造 林 は減 少 し てく る 。 こ の こと は煙 山 な ど とも 共 通 す る 。 か く て 天然
更 新 は 伐採 面 積 の 八〇% に のぼ る に至 った。 こ の施 業 方 法 は今 日 も な お と ら れ て いる 。
福 島 県 茂 庭 に おけ る直営 事業 は さ ら に おく れ る 。素 材 の直 営 生産 は製 材 直 営 と とも に昭和 一〇
年 から であ った。 樹 種 はブ ナ が多 い。木 炭 も 年 々 二万 俵 に のぼ るも のが直 営 生産 せら れ て いる 。
三 九 年 、拝 借 山 を官 没 し て から 本格 的 な植 栽 が お こ ってく る のであ る。 そ し て国 有 林 の四 四 五 町
茨 城 県 沢 山 で の直 営 事 業 は 、 明治 三 二年 から 植栽 が は じ めら れた 。 そ れ は ごく わず か で、明 治
歩 の大半 は スギ 、 ヒ ノ キ、 アカ マ ツ の人 工林 にお お わ れ る に至 った 。 こ れ ら の国 有 林 の用 材 は 一
部 直 営 製 材 を や って いたけ れど も 、 ほ と ん ど は業 者 に売 り 渡 さ れ た。 そ れ ら の業 者 は昭 和 一六年
地 木 社 に統 合 せ ら れ た が、 終戦 と と も に解 散 し て石 塚 地区 一町 七カ 村 に 八〇 名 の業 者 が でき 、 沢
山 だ け でも 五 、 六軒 開 業 した と いわ れ る 。 し かし 現在 沢 山 で は 一軒 にな って いる 。 一方 昭 和 二六
年 から は営 林 署 の直 営 生 産 が 大 規模 に展 開 さ れ、 業者 への特 売 も立 木 一〇 万 円 、素 材 五 〇 万 円 と
生 じ て いる 。 ま た国 有 林 資 材 だ け で は原 木 の確 保 が十 分 で な く 、紀 州 か ら 杉 丸太 を 、秋 田 から 板
制 限 さ れる に至 った 。 こ のた め地 元 で は棟 木 な ど 立木 で自 由 に え ら ぶ こと が 困難 に なり 、 不 便 を
類 を買 い入 れて いる あり さま で、 こ の地 で は国 有 林 が地 元 に寄 与 す る こと が 少 な いば かり でな く 、 逆 に地 元 民 に不 便 を与 え てき た 歴 史 を持 って い る と言 って い い。
栃 木 県 箒 根 で は昭 和 三 年 以 来 、 不 要存 置売 払 い 、牧 野 開放 な ど に よ って 一〇 三 町歩 が地 元 に か
の 生産 を著 し く高 め る結 果 と な った 。 こ の治 山事 業 は戦 後 さ ら に発 展 し て箒 根治 山事 業 所 の設 置
え さ れ た ほ か 、昭 和 一三 年 か ら 砂防 事業 が お こさ れて 風水 害 に よ る被 害 が と り のぞ か れ、 農 耕 地
と な って大規 模 なも の に展 開 し 、国 有 林 事 業 から はな れ て き た 。し かし 水 源涵 養 林 は民 有 林 に多
く 国有 林 野内 に存 し て いな いた め に地 元 民 に若 干 の疑問 を抱 かし め て いる よ う で あ る。
所 ので き た の は昭 和 四年 であ った 。 さら に昭和 九年 に は 、ブ ナ材 利 用 開発 を 目的 とし て四 万簡 易
群馬 県 沢 田 に おけ る直 営 事業 の展 開 も おく れ た よ う で 、国 有 林 開 発 を 目的 と す る 四万 官行斫 伐
も す す め ら れ て い る が、 こ の歴史 も あ たら し いよ う で あ る。
製 材 所 が もう け ら れ、 最 近 は 四 、〇 〇 〇 石 内外 が 生産 せ ら れ て いる 。 ま た直 営 苗 圃 を 持 って造林
以 上 のも のが 二、四 一二ha に のぼ って い る から 、開 発 さ れ たも のは 全 面積 の半 ば であ り 、 こ れ ら
高 知県 東 川 に おけ る直 営 事 業 の発 展 も 明 ら か でな いが 、普 通 林 地 五 、二七 二haのう ち 、 六〇 年
のほ と ん ど は天 然 生 林 と 考 え ら れ︵四 九%︶、 人 工林 が 四 八% に のぼ って いる から 、 お そ ら く は伐
の初 め で あ ったら し く 、伊 尾 木 に貯 木 場 の でき た のが大 正 四 年 であ り 、常 時 貯 木 一万 石 、年 間 六
採 さ れ た後 に は直 ち に植林 が な さ れ たも のと考 え ら れ る。 特 に伐採 事業 の盛 ん にな った のは 大 正
万 石 を貯 木 す る と いわ れ る 。 そ し て森 林 軌道 の開 通 もま た同 じ こ ろ のこ と で はな か った で あ ろう
か 。 は じ め は む しろ 地 元 民 の製 炭 に利 用 せら れ た こ と が大 き か った よ う であ る。
高 知県 大 川 筋 村 は こ の幡 多 郡 の ほ ぼ中央 に位 し、 戦 時 中 よ り 郡下 に て 一、 二を 競 う 木炭 の生産
地 と し て有 名 で、 当 時 の村 農 業 会︵ 現 在 の村 農 業 協 同 組 合 の前 身︶ は 、 も っぱ ら そ の生産 並 び に
輸 送 の督 励 に従 事 し 、 薪炭 の生産 と輸 送 に 相当 の成 果 を 挙 げ て いた ので あ る。
当 時 国 有 林 に お い ては も ち ろ ん、 立 木処 分 に よ って民 間 の製 炭従 業 者 に原 木 の払下 げ を行 な い、
いわ ゆ る民 炭 の増産 に間接 的 に協 力 す る ほ か 、 いわ ゆ る ﹁民斫 ﹂ 事 業 に お い て民 林 よ り の素 材 生
産 に努 む る と とも に、 木炭 の生産 は直 営 事業 に そ の主力 を 傾 注 し た ので あ る。
し か し本 村 内 所在 国有 林 に お い て は戦 時中 は直 営 事 業 を行 な わず 、 立木 処 分 によ って地 元民 の
製 炭 資 材 を供 給 す る こ と に重 点 を 置 いて いた の であ る 。
終 戦 後 、 勝 間 川部 落 に始 め て官行 直 営 事 業 所 を 設 け 、素 材 の生産 およ び 製炭 を行 な ってき た が 、
素 材 生産 は昭 和 二五年 度 を以 て打 ち 切 り 、最 近 はも っぱ ら製 炭 事 業 の みを行 な って いる。
久 保 川 お よび 手 洗 川 は 、従 来 より 立 木処 分 に より 地 元 民 の稼 業 用 ま た は自家 用製 炭 資 材 の払下 げ を年 々行 な って いる 。
そ のう ち 、手 洗 川 お よび 勝 間 川 団 地 の国有 林 は も っぱ ら 村 内 へ、久 保 川 団 地 は村 内 は も ち ろ ん 村 外 にも払 下 げ が行 な わ れ て いる 。
国有 林 は久 保 川 、 勝 間 および 手洗 川 の三 団 地 を構 成 し、 中 村 営 林 署内 黒尊 経 営 区 に属 し 、 鵜 ノ 江 担 当 区 の部 内 に あ る。
従 来 カ シ、 シイ等 の常 緑 広 葉 樹 か ら成 る薪 炭 林 と 、 こ れ に ア カ マツ︵ モミ 、 ツ ガを 混 ず︶ を 上
よ って 、 ア カ マツ、 モミ 、 ツガ 等 は 用材 と し 、 カ シ、 シイ等 の薪炭 材 は地 元 民 の製 炭 資 材 に払下
木 とす る針 広混淆 林 と が そ の大部 分 を占 め て いた 。 こ れ を 立木 処 分 によ る払 下 げ や、 直 営 生産 に
四〇 年 生 に達 し て いる も のも 相 当 多 く 、 す で に間 伐 を行 な う べき時 期 に到 達 し て いる 。 し かし 戦
げ を行 な ってき た 。 跡地 は ヒ ノキ 、 スギ等 の造 林 樹 種 の人 工植 栽 林 とし 、今 日 す で に三 〇 な いし
競 合 し て いる 薪炭 材 を 製 炭資 材 と し て払 下げ を し て いる と ころ も あ る 。
時 中 の人 工造 林 地 の撫 育 手 遅 れ箇 所 も かな り 広 く 、現 在 こ の造 林地 内 の除 伐 未 了 のた め植 栽 木 と
木 炭 の渡河 搬出 は、 鉄 索︵ 延長 一四〇m︶ によ って行 な わ れ て いる 。
製 材所 の施 設 はな く 、 木炭 倉 庫 が勝 間 の河岸 に 置 か れ て いる 。 ま た勝 間 より 対岸 鵜 ノ江 ま で の
佐賀 県東 背 振 の国 有 林 はそ の初 め 入会 採 草 地 が 主 で あ ったこ と は さ き に の べた 。 そ れ が明 治 三
七 年 よ り大 正 初 め へか け て スギ 、 ヒノ キ の人 工造 林 地 と な って く る。 そ し て皆 伐 用 材 林 作 業 一本
の方 針 を と って展 開 し て き た のであ る 。 か く し て植 林 せら れた面 積 は実 に 一、一三 〇 町 歩 に のぼ った。 そ し て用 材 は ほ と ん ど立 木 処 分 せ ら れ て い る。 し かも こ れ ら の用 材 は村 外 業 者 の手 に わた
って いる から 、 地 元 民 は 入会 採 草 地 を 奪 わ れ 、 さ ら に国有 林 の利 益 にあ ず か る こ と も非 常 に少 な
いと言 って いい。 ただ国 有 林 が水 源涵 養 林 と し て役 立 ち、 薪炭 林 と し て 二、〇 〇 〇 石 程 度 が払 い
って名 目 は東 背 振 村 であ って も、 国 有 林 は村 民 お よび 村 政 と結 ば れ る こ と は少 な い。 こ の傾 向 は
下 げ ら れ 、 そ の他 林産 物 の払 下 げ が見 ら れ る 程度 に地 元 と 結び つ いて いる にす ぎ な く な った。 従 宮 崎県 三納 村 、鹿 児 島 県 山 野 町 に つい ても い いう る と こ ろ であ る。
ま わり は じ め た のは明治 一四年 か ら で、 三 納村 に は 二 一年 山 林 事務 官 が 入り 、 官 民 の境 界 を査 定
宮 崎 県 三 納 に お い ても官 民 区 分 の なさ れ た こ と は他 地 方 と同 じ で あ る が、 林 政 事務 官 が地 元 を
め地 元 民 の反 抗 が見 ら れ た が 、結 局 、 山 林 官 、 郡長 ら に と き ふ せら れ て官 林 への繰 入 れ を み と め
し た 。当 時 民 有 地 であ った も のが官 地 に編 入 せ ら れ た も の も少 な く な か った と い われ る 。 そ の た たと いう 。
のち 地 元 民 の国 有 林 払 下 げ 運動 が展 開 さ れた がほ と ん ど成 功 しな か った 。
国有 林 の直 営 に つい ても明 ら か で な いが 、 や は り明 治 三 二年 以降 実 施 せ ら れる に いた った と思 わ れ る。
以 上 、 報告書 に よ って直 営 生産 の展 開 に つい て見 た ので あ る が、直 営事 業 の展 開 は 明治 三 二年
に制 定 せら れ た林 野 法 に基 づ いた施 業 案 の実 施 には じ ま る も のであ るが 、 そ れ が 西南 日 本 に お い
て は主 とし て独 立 し た事 業 経 営 と し て展 開 し て行 った のに対 し て、 東 日 本 で は地 元 民 の生 活 や 生
産 に結 び つい て発 展 し て い った観 が ふ か い。 こ れ は東 日 本 が 山 林 に依 存 す る率 が高 く 、 西南 日本
では む し ろ農 業 経 営 の多 角 化 に よ る専 業 経 営度 合 を高 め て い ったこ と か ら 、山 林 への依 存 度 を漸
次 少 な く し て い った こと にも よ る か と思 う 。 そ し て東 背 振 、 三 納 、 山 野 に お い て は国 有 林直 営 の
発 展 が 、村 の 一般 経 済 と はか な り 縁遠 いも の にな って行 く過 程 を 発 見 す る ので あ る。
そう いう 土 地 で は 、直 営 事 業 に対 す る林 業 労 務 者 を提 供 す る こ と によ って 、国 有 林 と地 元 民 の 結び つき が見 ら れ る 程度 で あ る。
一三 国 有 林 経 営
1 直 営 事 業
国 有 林 を 中 心 に し て所 有 概 念 の明確 化 と、 そ れ にと も な う地 元 民 の林 地 に対 す る自 覚︱︱ 同 時
に地 元 民 と し て の権利 の主張 と掴得 、 さ ら に国 有 林 の施 業案 実 施 に よ る直 営 生産 の発 展 に つい て
は今 ま で 一通 り 見 て来 た ので あ る が、 そ れ で は直 営 の発 展 にと も な って、 地 元 民 は ど のよう に奪 わ れ、 あ る いは与 え ら れ てき た で あ ろう か。
そ れ に つ いて は、 ま ず 国 有林 で は ど の よう な経 営 が行 な われ てき た か を見 てゆ かねば な ら ぬ。
言 いか え る と 、 ど れ ほど の純 益 を あげ た かと いう こ と は、 ど れだ け そ の土地 から 収 奪 し た か と言
と にな る 。 し か し政 府 の所 有 地 は不 在 地 主 の所有 地 と等 しく 、 生産 に よ る純 益 は そ の土 地 か ら持
う こと にな る 。民 有 林 な ら ば あ る いは在 村 山 主 な らば 、 そ の粗 収 入 は 一応 は そ の土 地 に お ち た こ
ち去 ら れる も ので あ る。 そ の純 益 の明 ら か にさ れ て いるも のの み に つ いて見 る と表 3 8 のよ う に な
る。 収 入と な る も のは素 材 生産 、 立 木 処 分 、 木 炭 生 産 、 土地 貸料 、 種 苗 売 払 代 な ど を 含 ん で 、
支 出 で は伐採 、造 林 、管 理 、 土 木 、旅 費 、給 与 な ど が 主 た るも のであ る 。 そ れら の差 引 と し て 、
粗 収 入 の 二〇 な いし 七〇% にあ た る 純 益 を地 元 から 吸 収 し て いる の であ る 。 し か し こ れは 決 し て
表38 国 有 東 背
谷
日 義
日義宮 ノ越経営 区
円
経 営
振
(註) 昭 和26年 支 出は 林道835万
酒
林
城
円 を含 む
収
支
川 筋 大
内 潟
田 山
早 口
一様 に そう な って い
に見 ら れ る林 道 の開
る ので は な く東 背 振
設 のた め に八 三 五 万
円 が投 ぜ ら れ て い る
如 く 、平 年 の純 益 に
わ れ て いる 。 そ し て
数 倍 す る投 資 が行 な
か か る思 い切 った投
大尨 な 資 本 を持 つ国
資 の行 な わ れ る のが
も よく 、 しか も 林道
有 林 の特 色 と い って
の開 通 に よ って過 伐
現象 を お こさ な いこ
と が民 有 林 と著 し く
う のは国 有 林 は資 本
対 蹠的 で あ る。 と い
回 収 を 民 間 ほ ど急 が
な いし 、ま た投 資 も施 設 も思 い き ってな さ れ る。
そ の計 画 的 な 企 業精 神 が民 間 を 啓 蒙 し た こ と は大 き か った。 元 来 、 山 林 は吉 野熊 野 な ど の先進
地 を除 いて は 一つ の財 産 蓄 積 と 考 え ら れ 、多 く 不 時 の出費 に あ てら れた 。 す な わ ち 冠婚 葬 祭 と か
学 資 、 家 普 請 な ど の折 り の費 用 にあ てる と いう の が普通 で あ った。 そう いう考 え方 はず っと 後 ま
の山林 から 企 業経 営 の対 象 とし て の山林 経 営 への移 行 は 、 国有 林 の施 業 案 の進 展 に とも な って 一
で つづ いた。 学 校 林 や記 念 林 な ど も こ う し た性 質 のも ので あ る 。 そう し た 財産 蓄 積 の対 象 と し て
般 民間 にも 見 ら れ る よ う に な る。 し かも 、林 業 経 営 はそ の初 め 天然 林 の皆 伐 か ら は じ まり 、 伐採
った 。特 に東 北 地 方 では スギ の植 林 には いろ いろ の問 題 が あ った。 つま り 育 成 林業 の収 益 性 がう
跡 地 への人 工植 林 が計 画 実 施 せ ら れ て い った が 、 そ れ は必 ず し も全 国 的 に見 て成 功 と は い い難 か
た が わ れ た。 こ の問 題 は今 日 も なお 十 分 に明 ら か にさ れ て いる と は言 い難 い。 造林 は長 期 のも の
で あ り 、資 本 の長 期 投 入 と利 益 の 回収 の実 態 を き わ め るこ と は容 易 で な い。 こ のこ と か ら大 正 一
四年 以 降 、人 工造 林 よ り も 、間 伐 、 択 伐 な ど に よ って天 然 林 を も っとも 有 効 に更 新 し て ゆく 方 法
が と ら れ て く る。 こ れに よ れば 植 栽 や造 林 手 入 れ の尨大 な 経 費 を 必要 と しな く な る 。 そ し て間 伐 、
択 伐 の収 入 も あり 、 のこ さ れ た樹 木 の合 理 的 な成 長 も 考 え ら れ る 。 か か る生 産 方 式 が昭 和 初 期 か
ら 戦 争 の起 こ る頃 ま で盛 んで あ った 。 こ の方 法 は 一見 し ても っと も 合 理的 で費 用 のか か ら な い、
し かも 採算 のと れ る経 営 方 式 で あ る が 、 そ れ には いか な る奥 地 へも 自由 に ゆ け る林 道 の開設 が 必
要 であ り 、 ま た相 当 に広 い経 営 面積 が 必要 にな る 。 択 伐 や間 伐 した も ので 生産 諸 経 費 を 出 さ な け れば な ら な いか ら で あ る。
し かも戦 争 の拡 大 に とも な って山 林 の濫 伐 が お こる と 、 一部 を除 い ては こ の方 法 はと れ な く な
った。 そし て再 び 人 工 造林 を徹 底 的 に行 な わざ る を得 な く な った ので あ る が、 国 有 林経 営 のこ の 歴 史 的 な変 遷 は そ のま ま民 間 林 業 も 歩 ま ざ る を得 な い道 であ った 。
いわば 今 日ま で の日本 の林 業 経 営 は全 く試 行 錯 誤 的 な も ので あ って、 一つ矛 盾 の克 服 のた め に
次 の方 法 を 生 み、 そ の中 に 胚胎 し た矛 盾 の克 服 に次 の手 段 が 生 ま れ て き たと い ってよ い。
し か も こ のいず れ の段階 も 、経 営 の必 然的 な 展開 が そ れを 生 んだ も のでな か ったこ と は 、林 業
く て 、何 と なく 前 の方 法 が 間違 って い るよ う に考 え ら れ て次 の方 法 が 生 ま れ てき た と い って い い。
経 営 の収 益 性 と い い採 算 性 と い っても 、 それ を 正 しく 把 握 す る ほど の資 料 と 方 法 を 持 ち あ わ せ な
い かな る程 度 に行 な われ る こ と が も っとも 合 理 的 であ る か と いう 点 に つ いて も、 正 し く検 討 せ ら
し か も拡 大生 産 と い い縮 小 生産 と いう も 、 そ の限 界 点 を 容 易 に つか め な か ったし 、 ま た伐 採 が れ て いな い。
た だ 、国 有 林 が合 理的 な 企業 経 営 へ 一歩 ず つ歩 みよ り つ つ、 民 間 林業 経 営 に指 標 を 示 し た こ と は大 き か った。
では 国有 林 は ど れ ほど の蓄積 を持 ち 、 ど れ ほど の生産 を行 な ってき て いる か を見 る必 要 が あ る 。
表 39 は国有 林 の蓄 積 を 示 し た も ので あ る が、 そ の蓄 積 は 一見尨大 な量 に のぼ ってお り 、 用材 林
が圧 倒 的 に多 く 、茂 庭 の如 く 製 炭 の盛 ん な所 に お いて も 薪炭 林 面 積 は用 材林 面 積 の半 ば に足 ら な
い。 比 率 から い って大 川 筋 の四 〇% が も っと も高 く 、 他 は いず れも 五% 以下 に すぎ な いが 、 地 元
に は こ のわず か な面 積 が最 も 大 き な 救 い の手 とな って いる ので あ る。 さ てそ の蓄 積 状 況 を 具 体的 に見 て行 く と 決 し て 一様 で はな い。
煙 山 で は用 材 林 の蓄 積 は三 三 一石 平均 、 薪炭 林 は 一八三 石 で あ って、 樹 種 はブ ナ、 クリ 、 ミズ
積 蓄 林 有 豪39 国
ナ ラ な ど であ り 、蓄 積
は かな り高 い方 で あ る
と い って い い。 こ れ は
高 齢 林 の多 いた め で あ
る。
早 口 では 用材 林 八、
六四 七ha 中 一、 二齢 級
林 が 一、二八 八ha をか
ぞ え 四 、 五齢 級 は 二 八
五ha に すぎ な い。 これ
は 人 工造 林 地 の スギ が
ほ と ん ど伐 り つく さ れ
た こ と を意 味 す る も の
で 、 は な はだ し い過 伐
現 象 に おち 入 ってお り 、
今 日 で は山 奥 の天然 林
伐 採 へ手 が のび つ つあ
る 。 そ こ に はブ ナ を中
心 と す る 七齢 級 以 上 の
山林 が 六 、三 四 四ha 、 蓄 積 にし て四 〇〇 万石 近 いも のが あ る 。 こ こ に こ の地 の杉 を中 心 に し た経
営 が い ちじ るし く変 改 さ れ つ つあ る 。 ま た 薪炭 林 に つ いて みる に、 四五 六ha 中 一、 二、 三 齢 級 が
三 四 八ha で全 体 の七 二 ・五% にあ た り 七齢 級 以 上 は 二 ・五ha に すぎ な い。 し か も年 々伐 採 量 は 用
材 一万 石 に対 し 薪炭 材 は 一 ・八万 石 で著 し い過伐 現 象 だ と い って い い。
一、九 〇 九haで 人 工 造林 は全 体 の 二〇% 足 らず であ り 、 スギ が 主 で あ る が、 そ の蓄 積 は 一八〇 石
東 小 国 に おけ る 一町歩 あ たり の蓄積 は 二六 六石 と見 ら れ てお り、 人 工造 林 三 、二三 四ha天 然 林
程 度 と見 ら れ、 天然 林 よ り は は る かに低 位 に あり 、 必ず し も好 成績 と は いえ ず 、 し か も こ れ は過 伐 に のみ よ るも の では な い。 村︵ 有 林︶ と対 比 し て見 る と次 の如 く であ る 。
そ の実 情 を物 語 る も のに高 崎 の例 が あ る 。高 崎 に おけ る 齢級 別 町 当 蓄 積 を 国有 林 と 地 上 権 地
れ は国 有 林 が 大 面積 造 林 で、 手 入 れ不 十 分 そ の他 の理 由 が あげ ら れ て、
す な わ ち国 有 林 に お け る町 当 蓄 積 は 民 有林 に比 し て 一三% な いし 二七% と いう低 位 にあ る。 こ
も、 明 治 三 二年 以来 実 施 せら れた 人 工 造林 が、 大 正 一四 年 以来 天 然 造 林
民 有 地 は いず れ も小 面 積 の適 地 造 林 の結 果 に よ るも のと いわ れ る け れ ど
政 策 にき り か え ら れ た 理由 も 、実 は経 営 の杜 撰 な こと が 大 き く 、 スギ 、
ヒ ノ キ の植 林 そ のも のが間 違 って いた と は考 え ら れな い。 そ の上 で過 伐
現 象 を み て いる ので あ る から 、 山 林 荒 廃 の感 じ は深 い。
いい が、 これ は ほ と ん ど 天然 林 であ る 。 こ れ に対 し て 薪 炭 林 は 四 、七 九
茂 庭 にお け る蓄 積 は用 材 林 は 一町 当 り 三 六〇 石 で かな り高 いと い って
材 用
表40 荒 海1町 当蓄 積
七ha と いう 広 面積 を も ち つ
つ 一町 当 蓄積 は 一〇 八 石 で
甚 だ 低 い。 こ れ は 伐採 跡 地
お よび 一、 二齢級 地 を合 し
て 三 、六五 五haに のぼ って
いて著 し い過 伐 に お ち 入 っ
て いる た め であ る 。
国 有 林 の蓄 積 が 人 工 造林
く な い のは荒 海 にお いて も
地 以 外 に お い ても か んば し
見 ら れ る。 用 材 お よび 薪炭
材 は こ こ で は個 人 有 が 圧倒
的 な数 字 を示 し て いる 。
こ れ は民 間 林 の手 入 れ が
よ く行 き届 いて い ると いう
い所 に存 在 し て いる こと も
山 の土質 地 形 とも によ く な
つは 国有 林 の立地 条 件 が奥
関係 も あ るだ ろう が、 今 一 炭
材 薪
原 因 し て いる であ ろう 。
箒根 で は国 有 林 の 三 、四九 〇 町 歩 中 、 伐 採 跡地 お よび 一、 二齢級 地
が 二、七 五 四 町歩 に のぼ り、 実 に 八〇% 以 上 に達 し て い る の に対 し て、
五 齢級 以 上 は わず か に 一五 町歩 に すぎ な い。 全 く 老齢 林 を見 か ける こ
と が でき な いま で に伐 採 せら れ て いる。 そし てこ こ で も齢 級 別 蓄 積 を
見 る と断 然 民 間 が国 有 林 を おさ え て いる と い って い い。 し か し こ のよ
う な平 地村 に あ って は過 伐 現 象 は特 に民 間林 に甚 しく て、全 林 地 の平
均 一町 当 蓄積 が 三 三 六石 に対 し て、 民有 林 の平 均 一町 当 蓄積 は 一 一五
も っとも 盛 ん に植 林 せ ら れ、 昭 和 に 入 って は天 然 更 新 が 主 と な った こ と
り明 治 三 〇年 代 か ら国 営 植 林 が 開 始 さ れ 、明 治 末 から 大 正末 ま で の間 が
にh 達a し て いる。 そし てそ の齢 級別 面 積 は次 の如 く に な って いて 、 や は
向 を 見 せ て いる。 な お沢 田 は人 工造 林 も かな り す す ん で い て 三 、二 二九
に未 開 拓 の天 然 地 が存 在 す る こ と を意 味 す る も の で、早 口町 と相 似 た傾
ぎ な い。 ただ し九 齢 級 以 上 が約 二、〇 〇〇haに のぼ って いる のは、 奥 地
と ん ど半 ば に達 し てお り 、 七 、 八齢 級 に至 っては わ ず か に一 三三haに す
有林一一 、九 一 一h中 a、 一、 二齢 級 林面 積 が 、五 、二九 九ha で全 面 積 のほ
沢 田 に お い ても戦 時 中 お よび 戦 後 の伐 採 増 大 の甚 し か った こと は、 国
が 広 いも のと 考 え ら れる 。
石余 に すぎ な い。 た だ し こ れ は過 伐 ば かり で な く て伐 採 跡 地 の放棄 せ ら れ たま ま にな って いる の
箒根一町当齢級別蓄積 沢 田樹齢別 面積
は天 然 更 新 の面積 を見 れば 分 る こと であ る 。 し かも 最 近 著 し く伐 採 せ ら れ たこ と は 一齢 級 地 の天
然 更 新 地 が 三 、〇 四 五ha の広 面積 に のぼ って いる こ と で もう か が わ れる 。
富 士岡 にお いて も こ の現 象 は 同 様 で 、 三 三九ha の国有 林 中 、 一齢 級 地 は 一二九ha に のぼり 、 伐 採 跡 地 、 二齢 級 地 を加 え る と全 面 積 の半 ば に達 す る。 三 方村 に お いても 伐 採 跡 地 お よび 一、 二齢
∼三 齢 級 が 一〇 一haで 、他 は七 ∼ 八 齢級 に な って い る。 円 城 で も 六五 三ha の用材 林 中 伐 採 跡 地 お
級 地 は 八 一八ha で 、用 材 林 面 積 一、七 六 四 町歩 の約 半 分 に達 し 、 薪炭 林 に至 って は 一四 〇ha 中 一
二齢 級 地 は五 五 八ha で か なり の過 伐 が見 ら れ る 。 こ のこ と が 一町 当り の蓄 積 を 引 き下 げ 、用 材 林
よび 一、 二齢 級 が 三 一七ha で、全 林 地 の約 二分 の 一であ る 。 大川 筋 でも 用 材林 一、四三 三ha中 一、
で 二 五 二石 と いう数 字 を見 せ て いる が 、薪 炭 林 が 二 四五 石 と 比較 的 高 いの は民有 林 に依 存 す る製 炭 が盛 ん で、 国有 林 を対 象 とす る製炭 が 比較 的 少 な い た め であ る 。
以 上、 戦 時 中 に 甚 だ し い過 伐 を 見 た村 々に対 し て そ の影響 の比較 的 少 な か った のは富 士里 、 日 義 、東 川 、東 背 振 な ど で あ る。 そ のう ち 日義 の国 有 林 面 積 は 一、九 八 一ha で、村 総 面 積 の三 四%
にすぎ な い が、 そ の総 蓄 積 は 一、四 八五 、二一九 石 で 、村 の総 蓄 積 二、〇 一八 、二 二九 石 の七 三% に
当 る 。 す な わ ちき わ め て豊 富 な蓄 積 を 示 し 、 一町 当 り 七 六 四 ・四 石 に あ た って いる 。 こ のよう な
経 営 が いかな る力 によ って な さ れた も ので あ る か明 ら か でな いが 、早 く計 画 的 な企 業 経 営 の発 達 し た所 だ け に 、伐 採増 大 が極 力 いま し め ら れ た ので は な い かと 思 う。
富 土里 、東 川 、東 背 振 三カ 村 に つ いて は戦 時 伐 採 も かな り 強 く見 い出 さ れる のだ が、 東 背 振 は
明 治 末 年 以 来 の植 林 で伐 齢 期 に達 し た も のが少 なく 、 富 士 里 は奥 地 に林 道 を持 た な か った こと と
戦 後 伐採 跡 地 の大半 が開 拓 地 と な ったた め に 、 そ の数 字 の中 に表 わ れ てこ な か った こ と も、 一見 、
表41 国有林蓄積(樹齢別)
戦 時 伐 採 の影 響 が少 なく 見 え
る のであ ろう 。東 川 は 日義 と
か な 足 どり で行 な わ れて いた
同 じく 企 業 経 営 が かな り た し
こと を 忘 れ て は なら な い。
以 上 、各 地 の例 に つい て見
てゆ く と き 、国 有 林 は戦 時 お
よび 戦 後 の過 伐 現象 が き わ め
て深 刻 で あ る こと 、 し か し 日
義 、東 川 の如 く 企 業 経 営 の進
んだ 所 で は で き るだ け 過 伐 を
さ け て林 相 の維 持 に つと め、
輪 伐 計 画 を く ず さな か った こ
と に は今 後 の林 業経 営 の行 き
か た の 一つが し めさ れて いる 。
に地形 的 に も地 質 的 にも 不利
し か し な が ら国 有 林 は 一般
ては 林 相 も悪 く 、経 営 に不便
な 所 に存 在 し 、天 然 林 に お い
であ り 、人 工造 林 地 にお いて も植 栽 手 入 れ な ど が やや 粗放 に な が れ て、 民 間林 に 比 し て著 し い遜
色 を見 せ、 必ず しも 合 理 的 経営 が成 立し ては いな い。 し かし そ う いう地 帯 は、 用 益権 よ り所 有 権
の確 立︱ 人 工植 林 を主 体 と す る 経 営 の展開︱ 択 伐 、 間 伐 、 天然 更 新 に よ る 造 林︱ 戦時 過伐 と い
う 国 有 林 野成 立 より 国 営 生 産 への道 を 、政 策 通 り 一通 り歩 いて来 て いる と こ ろ であ って、 こ こ に い い。
新 た に人 工 造林 を 主体 とす る 経 営 を至 上 のも のと せざ る を得 な い事 態 に た ち至 って いる と言 って
し か も伐 採 増 大 に と も なう 山 間 集 落 人 口 の増 大 と そ の生活 の安 定 のた めに 伐採 、製 炭 な ど の直
こ のほ か に 立木 販 売 、 薪炭 材 払 下 げ が あ って そ の数 量 は倍 加 す る 。 そ し て富 士 里 の如 く年 々 一四 、
営 事業 を急 激 に縮 小 す る を得 ず 、 昭 和 二七年 度 の直 営 生産 量 は表 42 に示 す如 き数 字 を 示 し てお り 、
お ち いる こ と は な い であ ろ う し 、東 背 振 の如 く 、 年 々四 、〇 〇〇 石程 度 の立 木 処 分 を す る な らば 、
七 一〇 石内 外 を生 産 す る と し て 、現 状 の蓄積 を 基 盤 と し て成 長 率 を 加味 す る なら ば 、 縮 小 生産 に
輪 伐 五 〇年 と し ても や は り著 し い拡 大 生 産 にな って ゆ く が、東 川 のよう な生 産 量 では 必ず しも 拡
る。 し かも そ の傾 向 が薪 炭 林 にお いて特 に著 し い ので あ る 。山 形 県東 小 国 の大森 山 経 営区 の直 営
大 生 産 には な ら な い。 ま し て他 の国 有 林 にあ っては 、 目下 の と ころ 縮 小 生産 の色 彩 が 濃 い ので あ
の傾 向 と いう こ と は で き な い が、 昭和 六 、七 年 頃 四 〇 戸 を こ え て い た製炭 者 が七 戸 に減 った と い
生 産 に つ い ては 、 大 正 一〇 年 以来 の数 字 があ る ので か かげ て み る︵表43︶。こ れ を以 て直 ち に全 体
う こ と は三 三 戸 が そ の仕 事 を う ば わ れ て し ま ったと 言 って い い。 こ のよ う に原 木 の不 足 し てく る こ と が そ のま ま 山村 民 の生活 を 圧 迫 し て いる こ とを物 語 る 。
林 業 経 営 は他 の産 業 と同 じ く 経 営 自体 の中 に計 画 性 と 恒 常性 を持 ち、 たえ ず 一定 の事 業 量 が あ
表42 直
営
生
産
国(大森山直営) 小 表43 東
る よう にし な け れば な ら な い こ
とを 必 要 と す る 。国 有 林 経 営 は
そ のこと に つ いて 一応 計 画 的 と
いわ れ て いる ので あ る が、 そ れ
で いてな お 縮 小 生産 が見 ら れ る。
こ こ に国 有 林 生産 は そ れ自 体 の
つ つ恒 常 的 な 経 営 が 必要 に な っ
中 に社 会 保 障 的 な 意味 を も た せ
て く る。 戦 後 に お け る 国有 林 経
営 は そ の意 味 で新 し い計 画 がう
ち た て ら れ ねば な ら な い。
2 労 務
国 有 林 の直 営 生 産 事業 が計 画
的 で あり 合 理的 であ り 、 か つ恒
常 的 で あ る た め には経 営 に お け
る年 々 の労 働 配 置 の差 を で き る
だ け 少 な く す る よう に作 業 配 置 を行 な わ なけ れば な ら な い。 そ れ に よ って林 業 労 働 者 の生 活 は 安 定 す る。
いま 、 国 有林 の吸収 し て いる 労働 力 お よび 人 夫 賃 は 表 44 の如 く であ る 。 人頭 数 は臨 時 雇 を 含 む
も ので、 一年 に 三〇 〇 日働 く 者 も 一日働 くも のも 一人 と し て算 定 し、 そ の延 人数 を と って みる と 、
高 崎 、 荒 海 、富 士岡 の如 く 直 営 事 業 の規 模 の小 さ いと ころ では地 元 労 力 を 吸 収 す る量 はき わ め て
わず か にす ぎず 、 ま た労 賃 に よ って地 元 民 のう る おう と こ ろ も き わ め て少 な いが 、朝 日、 田山 、
早 口、 東 小 国 、東 川 、三 納 、 酒 谷 では 、 そ れ ぞ れ 一千 万 円 以 上 に のぼり 、 そ れ が住 民 の重 要 な 収
入 源 と な って いる こ と を知 る。 と く に林 業 労 働 者 を 主 と す る家 に と って は、 国有 林 の作 業 量 の 一
定 す る こと が 、 生活 を安 定 さ せる も っと も 重要 な要 素 であ る こ と を見 逃 し ては な ら な い。 し かも
国 有 林 面 積 の比率 の高 い村 ほど 国 有 林 労働 に依 存 す る住 民 が多 い のは表 の数 字 が 示 す通 り であ る。
か か る村 では 、作 業 量 を年 々 一定 さ せ る た め に作 業 種 と作 業 量 を か みあ わ せて賃 労 働 者 に常 雇
な わ ち造 林 と 伐採 に も っとも 多 く の労力 が あ てら れ てお り 、 そ れ が林 業 経 営 の骨 子 を なし て いる
的 性 格 をも た せ てゆ く こ と が 必要 であ る が 、作 業 種 と労 力 の配 置 は表 45 のよ う に な って いる。 す
こ と に気 付 く ので あ る が、 そ こに は っき り と造 林 に主 力 を お いて い るも のと 伐採 に 主力 を お い て
長万 部 、東 小 国 、 高 崎 、宮 崎 、富 士岡 、富 士 里 、 日義 、 三 方 、 三
いるも のと にわ け る こ と が でき る。 造 林 に主 力 を お く も のとし て
こ ろと し て、内 潟 、 田山 、 早 口、 沢 田 、円 城 、東 川 、 大川 筋 、酒 谷 、 山 野 な ど を あげ 得 る が 、全
納 があ り 、 伐採 を 主 と し て い るも のに朝 日 、五 郷 があ る 。 ま た両 者 一応 バラ ン ス のと れ て いる と
般 とし て造 林 に力 が大 き く 注 がれ る に至 って い る。 か く て 北海 道 朝 日 を 除 いて は東 北 日本 の伐採
表44国
有
林
労
働
者
表45 国
有
林
労
力
配
置
林 業 を 主 と し た地 帯 に も育 成 林業 が著 しく のび つつあ る が 、 こ れ に は は っき り し た 一つ の傾 向 を
ツ、 ト ド マツを中 心 とす るパ ルプ 用材 の植 栽 であ る 。 パ ルプ用 材 の尨大 な需 要 が 、戦 後 山 を 赤 裸
観 取 す るこ と が で き る。 そ の 一つは スギ 、 ヒ ノ キを 主 と す る建 築 用 材 の植栽 であ り 、他 は カ ラ マ
にす る と いわ れ た が、 今 日 こ れ に対 す る林 業 の新 し い対応 が生 ま れ つ つあ る 。 そ う し て パ ルプ 用
材 の供 給 を 主 と す る林 業 が戦 後 急 速 に のび つ つあ る こと を 見 逃 し て はな ら な い。 も と より パ ルプ
用 材 を 主 と す る林 業 は早 く 大 正 時 代 よ り中 部 地 方 の信駿 の山間 にブ ー ムを ま き お こ し た が、 そ れ
ら は全 く の伐採 林 業 で、 山 を き り あ ら し て は移 動 し て行 った 。 そ し てし かも 伐 り あ ら さ れ た山 々
に は未 だ次 の伐期 に達 す る木 が何 ほ ど も育 って いな い。 し か し パ ルプ 用 材 の需 要 は今 後 ま すま す
そ れ ほ ど つよ く 出 て お らず 、 か つ前 記 の如 く そ の需 要 への対応 策 も見 ら れ つ つあ る よ う であ る 。
増 大 す る であ ろ う し 、民 有 地 帯 では 山林 の過伐 はな お進 ん で いる が 、国 有 林 地帯 で は こ の傾 向 は
ま た こう し た こと が 、 人 工造 林 を 促 進 す る力 に も な って いる こ と を推 測 し得 る。
そう し て戦 後 の人 工造 林 は ほと んど針 葉 樹 に限 ら れ、 広 葉樹 は極 く わず か 、 ハゼ 、 ク ヌギ な ど い い︵ 表 46︶ 。
が行 な わ れ て い るに すぎ な い。 そ の意 味 で全 く用 材 林 業 へ大 き く きり かえ ら れ つ つあ る と い って
て いる と考 え ら れる 。
無 論 こ こ では 天然 更 新 に つい て の数 字 を と って い な いが 、 そ の面 積 も ま た相 当 の広 さ に のぼ っ
さ て こ れ ら の諸 条件 のも と に伐 採 林 業 が計 画 性 のあ る育 成林 業 に転 じ つ つあ り 、 そ れ に よ って でな く 、 山村 の後 進 性 を ぬぐ う大 きな 力 と な り は し な い かと考 え る 。
国 有林 林 業 雇傭 の恒 常性 が確 立 さ れ つ つあ る こ と は、 今 後 の山村 生活 に あ る安 定 を与 え るば か り
積 面 林 表46 造
3 労 賃 と 労 働 組 織
国 有 林 の計 画 経 営 に とも な
う 、 雇 傭 の恒 常 性 の確 立 と と
も に、 労賃 収 入 の増 大 安 定 は
ま た見 逃 す こ と が で き な い。
し て 一般 賃銀 に つ いて見 た の
さ き に労働 生産 性 の問 題 と
で あ る が、 一般 賃 銀 は多 く の
場 合 、そ の土 地 の土地 生産 力
って いる。
と労 働 生 産 力 に深 い関 係 を持
そ う し た中 にあ って 、国 有
林 労 賃 は そ の土 地 の 一般 労 賃
よ り は や や上 廻 って いる のを
表 47 に か かげ たが 、作 業 別 に
普 通 と す る。 一日 平均 賃 銀 は
表47 賃 銀
のを あげ て見 ると 業 種 お よび 地 域 によ って
よ って賃 銀 は違 ってお り 、 そ の明 らか な も
差 が あ る。 すな わち 伐木 、運 材 がも っと も
高 く 、育 苗 は安 い。 そ し て育 苗 、 雑 役 な ど
に は 女 の労 務 者 も あ る 。 こ れ ら の賃 銀 に対
し て民 間 一般 賃 銀 は 一割 な い し 二割 安 い の
が 一般 的 現 象 であ る が 、 民間 の場 合 は 昼食
夕 食 を つけ る こと が多 い。
し か も民 間 にお け る 雇傭 は出 入 り と か 子
方 と か よば れる 譜 代関 係 が多 く 、 雇 主 か ら
日常 特 別 の恩 顧 を う け て いる も の が多 い。
そ う で な い とき は、 労働 交 換 など によ って
作 業 を すす め て いた 。
そ れ に対 し て国有 林労 働 者 は か なり 近 代
化 さ れ た雇 傭 形 式 に 進 み つ つあ る。
で は な く、 林 業 労働 のう ち大 半 の作 業 は特
し か しも とも と そ のよ う に近 代 的 な も の
造材 、運 材 など は 、今 日 で は よ ほど 容 易 に
殊 なも の で 一般人 に は で き難 か った。 伐 木 、
な ってお り 、 と く に山 奥 ま で林 道 の通 じ て い ると こ ろ で は伐 採 の現 場 で ト ラ ック に つ むこ と が で
き るが 、 か つて は シ ュラを 組 み、 あ る いは木 馬 に のせ て は こび 、 あ る いは堰 を築 き クダ 流 し を行
な い、 これ を汽 車 に のせる ま で の間 の作 業 は 一般 の農 民 で は不 可 能 に等 し か った。 そ のた め杣 と
称 す る特 殊 労働 者 を 生 み、 し か も 伐採 に あ た っては 伐 木 よ り 土場 落 し ま で の 一連 の作 業 には 相 当
も のか ら伐 採 事 業 を請 負 って こと にあ た った。 こう し た杣 の親 方 を 庄 屋 と よ び 、 そ の発 生 は 吉 野
数 の人 頭 を要 す る ので、 そ う し た 人 々 に よ る労働 集 団 が形 成 せら れ 、 山 主 あ る い は山林 を買 った
れ る。 林 業 を 専 業 と す る も のにと って 、 こ れ は 必然 的 な 労 務組 織 で あ った。 た と えば 、長 野 県 日
熊 野地 方 であ った が 、今 回 の調 査 にも そ の残 存 が 日義 、 五郷 、東 川 など の林 業先 進 地 に な お見 ら
に支 払 わ れ る こと は少 な く 、 た い て い杣 頭 と か 人夫 頭 とか いわ れ る 、 いわゆ る庄 屋 に支 払 わ れ る。
義 な ど に つ いて見 る と 、前 記 のごと き 、作 業 種 別 の賃 銀 格 付 が あ る が、 賃 銀 そ のも のは 一人 一人
庄 屋 は こ れ を営 林 署 のき め た格 付 通 り に個 々に わ た す こと は 少 な い。事 業 主 が かり に 一〇 人 の仕
こ のよ う な場 合 、 一〇 人 の賃 銀 を う け と って実 人 員 に割 り 当 て るよ う に す る。 し たが って前 記 の
事 と し て請 負 わ し め た場 合 で も 、 そ の労 働 集 団 は 一〇 人以 上 で組 織 さ れ て いる こと は少 な く な い。
賃 銀 は 役所 か ら渡 す 賃 銀 であ って労 働 者 個 人 の手 取賃 金 で な い。 し か し こ の方 法 に よ って林業 労 働 者 は失 業 から 救 わ れ る。
か か る林 業 労働 集 団 は 一定 の土 地 に伐 採 事 業 がな く な る と 、他 の土 地 に移 動 し て そ の地 の作 業
に し た がう 。 か く て転 々 とし て林 地 を わ たり あ るく ので あ る 。岡 山 県 円 城 では 藩政 時 代 以 来 、 広
島 地 方 か ら そう いう林 業 労 働 者 が入 り 込 ん で き て いた 。高 知県 大川 筋 では今 も徳 島 地 方 から 二〇
人 も き て い ると いう 。同 様 に鹿 児 島 県 山野 町木 地 山 の林 業 労働 者 た ちも 広島 、熊 本 、高 知 など か
ら き て定 住 し た 人 々 であ った 。
や が て そう いう 技術 が各 地 元 に おち つ いて行 く 。他 処者 が そ こ に お ち ついた り︵長野県 日義︶、 ま た他 か ら き た林 業 労働 者 か ら技 術 を 学 んだ り し た こと か ら 、 土着 の者 が伐採 林 業 に し た がう の
で あ る が、 それ にも ま し て重 要 な 意 味 を 持 つ のは直 営 事 業 に お いて造 林 、 土 木 な ど の作 業 が新 た
に加 わ った こと であ る。 そ れら の作 業 は素 人 でも 可能 であ り 、地 元 民 も こ れ に参 加 す るこ と が で
き た の であ る。 そ のこ と はさ き に 上げ た 土淵 国 有 林 の明治 末 の植 林 事 業 でう か が わ れ る であ ろ う 。
そ し て造 林 事業 の盛 んな とこ ろほ ど地 元 の林 業 労 務者 を多 く持 って いる ので あ る。 植 林 熱 心 な秋
田県 早 口 では 四 七〇 の農 業 世 帯 中 、 六 一二人 の賃 労働 者 を出 し てお り 、 そ のう ち日 雇 が 四 一八人 に のぼ るが 、 こ のほ と ん どが 林 業 労 働 に し た が って いる と いう 。
し か も こ のよう な 労 働 は 地 元 民 のす べ てが し た が い得 る わけ のも ので はな い。 ま ず 山林 に接 し て住 み、 山林 に深 い関 係 に あ る 人 々 の間 に技術 は 習得 せら れる 。次 に は労 賃 が地 元 一般 労 賃 より
も 高額 であ る と いう 地 に お いて は、 こ れ にし た が うも のが 一種 特権 化 し てく る。
武藤 氏 が 一手 にひ き う け て い る が、 これ は 同 氏 の父 の時 代 か ら のこ と であ り 、 同氏 の父 は人 夫頭
静 岡県 富 士岡 村 神 山 では 武藤 泰造 氏 が国有 林 材 の払 下 げ を 一手 に ひき う け 、 ま た 人手 の供 給 も
スダ ケ の払 下 げ を 一手 に ひ きう け 、 こ れ を国 有 林 の人 夫 や自 己 の縁 者 に 分割 譲 渡 し て い る。 そ の
を つと め て い た。 同村 二子 でも 土 屋 唯雄 氏 が両 者 を にぎ ってい る。 土 屋 氏 は 七〇 町 歩 の区 域 の ス
他 、 土屋 氏 はカ ヤ俵 の集 荷 にも あ た って いる 。 こう し て 一つ の特 権 階 級 が 生 ま れ てく る 。
か か る例 は 岡 山県 円 城 にも 見 ら れ る 。 こ の地 で人夫 頭 を し て いる 人 は 古 く か ら国 有 林労 働 者 で あり 、 そ のこ と に よ って早 く 生 活 が安 定 し、 人 柄 も い い ので、 今 、親 方 と し て国 有 林労 務 を 一手
にひ き う け 、労 働 者 の提供 を し つ つ自 ら も 国有 林 に働 い て いる 。 そ し て労 賃 は 担 当区 か ら一括 し
て こ の人 が受 け とり 、 仲 間 のも のに配 って いる が 、 そう し た地 位 に つき 、生 活 が安 定 す る に つれ
て 、村 の名 志 と し て の地 位 を 欲 す る に至 り 、 同 地 の氏 神 の宮 座 株 を 買 い名 主 にな った 。宮 座 に列
し得 る家 は 四 八戸 に限 ら れ、 名 主 祭 り に参 加 す る ので あ る が、 いず れも中 世 以 来 の村 の旧家 で あ
る 。 し かし 没落 し た家 や死 に たえ た家 で は そ の株 が他 へゆず ら れ てゆ く ので あ る が、 人 夫 頭 の某
氏 は こ の株 を買 って名 主 と なり 、村 の主 立 の 一人 に のし あ が って き た。 のが 必然 的 に こ れ に参 加 す る こ と にな る 。
こ う し た特 権 化 は こ の労 力 需 要 に大 き な 限定 が あ る こと が原 因 し て い て、 そ の条 件 に かな う も
は人 夫 頭 ま た は親 方 に縁 故 のあ る も のと いう こ と に な る。 こ の間 の事情 を具 体 的 に調 査 し たも の
そ の第 一は さ き にも 述 べた ご と く林 地 に近 いと いう こと であ り 、第 二は壮 年 血気 のも の、 第 三
に三 納 村 の報 告 書 が あ る。 同書 に よ る と村 民 一般 は 国有 林 労 務 が 一部 の従 来 から の特 権者 に よ っ
て独 占 せら れ て いる こ とを 不 平 と し て いる こと であ る が 、 そ の住 所 別 の国有 林 労 力 構 成 を見 る と、 労 務者 の ほ と んど は 山 麓集 落 から 出 て いる ので あ る︵表48︶ 。
志戸 、湯 牟 田、 樫 野 な ど が平 坦地 集 落 で、 人員 にし て全 体 の三割 に 足 らな いも のが参 加 し てお り 、
す な わ ち九 流 水 地 区 の労 務 者 はす べ て山 麓集 落 の人 々 であ り 、札 之 元 の方 で も 、赤 目 、 永 野 、
七 割 余 は 山 麓集 落 の住 民 と いう こ と に なる 。 第 二に労 力 は育 苗 、植 林 な ど を除 い て伐採 作 業 は全 く の重 労 働 で あり 、相 当 の体 力 を持 って い
る の でな け れば こ れ に堪 え得 な い。 し たが って こ れ に従 事 す る も のは 、指 揮 者 ま た は 熟練 を要 す
る作 業 を 除 いて は青 壮 年 によ って独 占 せら れる 。表 49 が そ れを 示 し て いる。 すな わち 札之 元 で は
札之元担 当区
表48 三納村住所別労力構 成
九流水担 当区
四 〇歳 ま で のも の が三 五 人 で 七
四% に のぼ って おり 、 九 流 水地
に のぼ って いる 。特 に九 流 水 が
区 では 六〇 人中 五 一人 で 八五%
青 壮 年 者 の割 が高 く 、 か つ女 の
里 も は な れ た山 間 で宿 泊 を 必要
少 な い のは作 業 地 が集 落 か ら 四
と す る た め であ り 、 札 之 元 は事
務 所 よ り作 業 地 ま で約 一里 で通
勤 がで き る と いう こ と か ら軽 作
業 に女 の参 加 が多 い。九 流 水 担
当区 の事 業 表 は表 50 の示 す よう
で あ る。
夫 長 一、副 人夫 長 二 で、 人 夫長
九 流 水 に おけ る労 働 組織 は 人
の 一人 は 田 畑五 反 を持 ち、 副 人
つにす ぎ な いが 、 人夫 長 の方 は
夫 長 の 一人 も 田畑 四反 程 度 を 持
一五 年 も 勤 続 し た熟 練 者 で あ る。
表49 三納村年齢別性別労働力構成
そ し て担 当 区 か ら 示 さ れ た計 画 を 実 施 し 、 指揮 監
る が 、 そ れ ほど特 権化 し て いな いと いう 。 そ れ は
督 、人 夫 募 集 、 日 給決 定 の助 言 など を 行 な って い
就業 に対 す る競 争 がそ れほ ど はげ しく な い ため と
言 わ れ て いる が、 人 夫 長 のほ か に 巡視 と呼 ば れる
がこ れ に あ た って おり 、 こ の人 は 田 一町 二反 、 畑
役 目 が あ り 、九 流 水 で は経 験年 数 三〇 年 と いう 人
もま た上 層農 の 一人 で あ る と いわ れ る 。
七 反 を持 つ部 落 の上層 階 級 であ る 。 札之 元 の 巡視
第 三 の縁故 関 係 に よ る労 務 組 織 は 、今 回 の調 査
の国 有 林 関係 のも のに は静 岡 県 富 士 岡 の例 を見 、
民 有 林 関 係 で は高 知県 東 川 の清 水 産 業 の林 業 労 務
者 が あ る。 清 水 氏 と古 く か ら の縁 故 によ る 古井 部
落 の三 六人 と 奈 比 賀部 落 の七 人 に よ っ て 組 織 さ
れ 、間 伐 を主 と し て年 々 六 、〇 〇 〇 石 を 伐 り出 し
て おり 、 年 々 の作 業量 も 一定 し 生活 も 安 定 し て い
る 。 ただ し こ のよ う な例 は報 告 に は あら わ れ て い
な いが他 の国 有 林 にお いて も そ の存 在 が推 定 せら れる。
表50 三納村年間事業表 妻営林署 内九流水担 当区
さ ら に親 方 制 度 を維 持 さ せ る力 にな る も のは 、労 務 者 を 集 め る こ と を民 間 に 一任 す る か 、 ま た が 一般 に と ら れ て い ると ころ に あ る 。
は 古 く か ら のし き た り で 、事 業 を 民 間 請負 の形 式 にす る こと が多 く 、 し たが って賃 銀 の 一括 払 い
た旧 い形 式 を断 ちき ってゆ く も のと し て素 人 でも で き る植 林 、 地 ご し ら え 、下 刈 り な ど の作 業 量
そ れ ら は林 業 労 務 者 が 専業 的 で 、伐 採 作 業 を 主 と し た分 野 に特 に つよ く のこ って いる 。 そう し
の増 大 と賃 銀 の個 別 払 い は、 地 元 民 を極 く 自 然 な 形 式 で国 有 林 に結 び つけ る道 を辿 ら し め つ つあ る。 そし てこ のよう な契 機 と な る も のが組 合 組 織 であ る 。
組 合 は 国 有林 の地 元 利 用 に対 し て官 が こ れを 組 織 さ せ て いるも のが多 い。委 託 林 組 合 、 森 林 保
いる。 す なわ ち 板 橋労 務 協 力 会 、 落 合 労務 協 力 会 、 婦 人 落 合支 部 が こ れ で、 そ れ ぞ れ林 業 労 働 者
護 組 合 、 牧 野 農 業協 同組 合 な ど が そ れ で あ る が、 労 務関 係 で も長 野 富 士 里 では こ の組 織 が でき て
に よ って組 織 さ れ 、出 役 は内 部 の話 合 いで き め ら れ、 板 橋 協力 会 で は 一人 一〇 日 か ら 一八○ 日 ま
で出 役 が見 ら れる 。 こ の組 織 はあ たら し い雇傭 契 約 組 織 と し て林 業 労 働 者 の間 で考慮 す べき問 題 で あ ろう 。
ま た 、作 業 量 の 一定 す る こ と が 生活 を 安 定 せ し め る こ と はし ば しば 述 べたと こ ろだ が 、 民有 林
にあ って は 、 そ の バ ラ ン スが き わ め てや ぶ れ や す い。需 要 が大 き く な る と過 伐 にお ち いり や す い。
こ の現象 は大 正五 、 六 年 か ら 昭和 の初 めま で つづ いた林 業 景 気 と 、 そ のあ と の沈 滞 に特 に つよ く
あら わさ れ た 。民 間 林 の多 い関 西 地方 で は い かな る 山間 に も料 理 屋 が でき 、 人 が あ つま った 。 し
かし い ったん 伐 る べき木 がな く な る と 山間 はさ び れ た 。 近畿 二府 五 県 にお いて 、大 正 九 年 の国勢
調 査 から 昭 和 五年 の国 勢 調 査 ま で の 一〇 カ年 に人 口減 少 を見 た町 村 は 六〇% を こ え て いた が、 そ
のう ち 山村 と い われ る も のは少 数 の例 外 を 除 い て ほ と んど 著 し い減 少 の現 象 を 呈 し 、 そ の間 に廃 絶 し た 山間 部 落 も ま た少 な か らず 見 か け ら れ た 。
の って 山林 が過 度 に伐 ら れ つ つ、労 賃 も ま た 国有 林 の広 い東 北 、関 東 、南 九 州 に比 し て著 しく 高
か か る現 象 は今 次 の林 業 ブ ー ムにも 見 ら れ つ つあ る。 す な わ ち 民有 林 の多 い地 帯 で はブ ー ムに
て いる と こ ろも あ ると いう が 、 そ れら は 一時 的 現象 で、 そう いう 土 地 に お い て は や が て大 き な沈
く な って いる。 九 州 にお いて も民 有 林 業 の発達 し た と こ ろ で は山林 賃 銀 が 一、〇〇 〇 円 を突 破 し 滞 が 来 よ う と し て い る。
こ こ に林 業 経 営 は よ ほど確 固 た る計 画 経 営 が な さ れ な い限 り 、 一時的 な好 況 は より 悲 惨 な不 況 を はら ん で いる も ので、 それ が直 接 住 民 に徹 底 的 な 打撃 を与 え る。
4 製 炭
国 有 林直 営 の労 賃 が地 元 民 に与 え る意 義 と影 響 は右 のご と くき わ め て大 き い。
次 に国 有 林 が 地 元 と の結 び つき にお いて 、地 元 民 生活 安 定 に大 きく 寄 与 し て いる も のは製 炭 事
業 であ る 。 製炭 業 者 もも とも と は 伐採 林 業 労 務 者 と 同様 、特 殊 技 術 者 的 な存 在 で あり 、炭 焼 労 働
た製 炭 労 働 者 が 相 当数 存 在 し たが 、 そ の技 術 は伐 採 搬 出 ほど むず かし いも ので な く 、 一、 二回 の
者 た ち は転 々と し て雑 木 林 を 追 う て移 動 し た者 が多 く 、 岐 阜 、高 知 、 静 岡 、 熊本 な ど に は そう し
技 術 講 習 で体得 す る こ と が でき 、 か つわず か な資 本 が あ り 、林 地 があ れば 、経 営 は成 立 す るも の
表51 製 炭
であ る から 、雑 木 の多 い地 域 では早 く 製 炭 業 が発 達
し た。特 に東 北 の国 有 林 地 帯 では不 況 あ る いは 凶作
救 済 の対象 と し て製 炭 を 奨 励 し た か ら各 地 で伸 び た 。
製 炭数 量 の明 ら かな も のを 表 に し て見 ると 表 5l のよ
一戸 一戸 の独 立経 営 が可 能 であ り 、農 閑 期 が利 用 さ
う にな る 。 こ れ に は女 、 子供 も参 加 す る こと が でき 、
れ るか ら 一般 農 民 の参 加 も多 い。 そ し て収 入 も 林 業
労 賃 よ り は さ ら に よく な る 。
保 護組 合 ま た は委 託 林 組 合 を通 じ てな さ れ る場 合 が
と く に炭 材 の入 手 事情 は 、 国有 林 にあ っては 森林
多 く 、 そ れ が村 の生 産 お よび 生活 に大 き い影響 を与 え て いる 。
青 森 県 内 潟 で は、 も と は炭 材 は す べて旦 那 に た よ
め で、 旦 那 の中 間 搾 取 が 大 き く なり 、 そ れ に 耐 え か
り き って いた。 製炭 者 が自 己資 金 を 持 たな か った た
ね て、昭 和 一三 年茫 市 木炭 農 事 実 行 組 合 を つくり 、
は 一変 し民 生 は著 し く安 定 し た。
直 接炭 材 を国 有 林 から払 い下 げ る こと にな って事 情
群 馬 県 沢 田 で は部 落 ご と に製 炭 組 合 を 組織 し て お
が多 い。各 組 合 は国 有 林 から 炭 材 の払下 げ を う け て製 炭 に従 事 し、 昭 和 二七 年 の払 下 げ 高 は 二二、
り 、 組 合数 は九 、組 合 員 は全 部 で 一八 四名 に の ぼ って いる 。 ま た耕 地 の少 な い部 落 が 組 合員 の数
六 六七 石 であ った 。 一人 当 り の割 当 は 一二三 石 であ り 、炭 に し て 二五 〇 俵内 外 であ る 。 こ れ で
は製 炭 が十 分 生 業 と し て成 立 し が た いか ら、 そ の不 足 分 は 民有 林 か ら得 な け れば なら な い。
つき大 体 二俵 や け る こ と に な って いる か ら 、 一俵当 り の単 価 は 一五 ∼ 一六 円 であ る。
国 有 林 に おけ る炭 材 の払 下 げ は 岩 手県 田 山 で は石 当 り 三〇 ∼ 三 二円 にな って いる。 炭 は 一石 に
山形 県 高 崎 で は 一石 当 り 六〇 円 にな って お り 、高 知 県 大 川筋 で も 石当 り 六 〇 円 と いう。 ただ し
こ こで は歩 どま り が よ く て 一石 に つき 二俵半 や け る と いう 。 し た が って 一俵 当 り二 四 円 に な る。
兵庫 県 三方 で は山 のま ま払 い下 げ 、 一町歩 当 り 一三 、六〇 〇 円程 度 に な って いる 。 こ こ で は 一
町 歩 を 木炭 一枚 場 と よび 、 カ マ 一つで大 場 で五〇 〇 俵 、小 場 で三〇 〇 俵 やけ る。 かり に 五〇 〇 俵 や け る と し て 一俵 当 り の原木 は 二七 円 余 り にな る 。
俵 三 〇 円内 外 と いう のが 国有 林 払 下 げ 単 価 の通 念 と見 て い い。 し か し炭 材 が地 元 民 に十 分 にう る
田 山 のよ う に広 い未 開 発林 を持 つと こ ろ では炭 材 も甚 だ 安 い ので あ る が、 他 は大 体 平均 し て 一
おう と は限 ら な い。 山 形 県高 崎 村 観 音 寺 国 有 林 は 一戸 当 り の払 下 げ炭 材 は 六〇 石 にす ぎ な い。 し
た が って何 ら か の方 法 で不 足 分 を 入手 しな け れば な らず 、 そ れ らは 相 当高 いも のに つく 。
同 村 関 山 は 広 い村 有 林︵ 部 落有︶ を持 ち、 そ こ か ら炭 材 を無 代 で得 て製 炭 し て い るが 、実 際 は
非 常 に高 い原 木 代 を はら って いる 。 と いう のは 、炭 材 は村 民 に平 等 に無 償 で配 布 をう け るが 、製
炭者 はそ れ だ け で は仕 事 にな ら な いか ら、 非 製炭 者 のも のを 一株 に つき 三 、〇 〇 〇 円 な いし三 、五
〇 〇 円 で買 う 。 そう し たも のを集 め て 一名 分 の原 木 を と と のえ ると 、 石 当 り 一二〇 円 く ら いに つ
き 、 一俵 で 六〇 円 を 要 す る こ と に な る。 し た が って炭 材 の不 足 し つ つあ ると こ ろ では原 木 代 が つ
り あげ ら れ 、炭 の売 価 は 必ず し も そ の割 合 に あ が ら な い から 、収 入 が そ れだ け 減 ず る こ と に な る。 し か も こ の地 で は昭 和 二七年 度 に お い て三 二、 四 五〇 石 の炭 材 が供 給 せ ら れ つつな お こ のよう な 現 象 を 生 じ つ つあ る。
では 一戸 当 り の製炭 能 力 は ど う であ ろ う か 。岩 手県 田山 では 第 一種 兼 業 農 家 で三 五〇 俵 、 二種
兼 農 で七 〇 〇 俵 にな って いる。 ま た売 価 が 二五〇 円 見 当 であ る か ら 一戸 当 り の 粗 収 入 は 八七 、五 〇 〇 円 ∼ 一七 五 、〇 〇 〇 円 にな る 。
秋 田県 早 口町 では 面接 調 査 四七 戸 中 、 最低 一〇 〇 俵 、 最高 八〇 〇 俵を や い て いる か ら 、製 炭 に よ る収 入 が家 によ って 二〇 万 円 に達 す る も のも あ る。
いて おり 、炭 材 が安 く ても 全 生 産 に 大 き い制 限 が あ って、製 炭 の全 能 力 を あげ 得 な い状 態 にあ る 。
山形 県 高 崎 では 国有 林 に よ る製 炭者 は 一戸 平 均 三 一五 俵 、村 有 林 に よ る製 炭者 は 五〇 〇 俵 を や
群 馬 県 沢 田 では 昭和 二六年 一、 〇 〇 〇 俵 、二七 年 七 〇 〇 俵 、 二八年 四〇 〇 俵 と年 々減 少 し て いる 。
兵 庫 県 三 方 では年 々 一枚 場︵ 一町 歩︶ を や く のが基 準 に な って おり 、 し た が って 一戸 当 り 五 〇
こ こ で は七 五 〇 俵 を 生産 し て いる 。 そ し て 一俵当 り 二五〇 円 で あ る から 粗収 入 は 一八七 、五〇 〇
〇 俵内 外 の生産 に な る が、 高 知 県 大 川筋 で は、 や はり 一町歩 が 一年 の製炭 単 位 に な って おり つ つ、
田出 ノ川 一、〇 〇 〇 俵 、 手洗 川 一、八〇 〇 俵 、 川 登 一、一〇 〇 俵 と な って い て、 一二五 、〇 〇〇 円 か
円 程 度 にな る 。 た だ し そ れ は村 の調 査 資 料 であ り 、 面接 調 査 に よる と 一戸 当 り 、勝 間 川 五〇 〇 俵 、 ら 四五 〇 、〇 〇 〇 円 の粗 収 入 が見 ら れる わ け で あ る。
では 一人当 り の手 取 り が ど れ く ら いにな る かと いう に、 そ れは 条件 の差 に よ って甚 し く違 って
製 炭 口 町 早
く る。 秋 田 早 口で は製 炭 業 者 一八 〇 名 が け っし て 一様 な経 営 を し
て いな い。 そ し て経 営 いか ん によ って収 入 は そ れ ぞ れ違 う ので あ
る が、 他 の地区 も ま た こ の よう な 経 営 の差 を見 る こと が でき る と
思う 。 東 小 国 では 一俵 二五 〇 円 とし て、 生産 費 原 木 代 、 築 竈 代、
俵、 縄 代 な ど 差 し引 き 一俵 で 一五 〇 円 の純 益 が あり 、 一日平 均 六
∼七 俵を や き得 る か ら 、大 体 一日 一、 〇 〇 〇 円 の日当 にな る と いう 。
ただ しこ れに は多 く の疑 問 があ る。 こ こ に は 立木 の伐 倒 し 日数 、
集 材 炭 運 搬 の日数 が加 算 さ れ て いな いよ う だ か ら、 こ れら を加 え
て 生産 量 を労 働 日数 で割 れば 一日 当 り の製 炭 量 はも っと 低 く な る
はず であ るが 、 山村 に あ っては も っと も高 い 日当 にな る こ と が首 肯 で き る の であ る 。
山 形 県高 崎 では 、国 有 林 によ る製炭 の収 入 を見 る に三 一五 俵 の
原 木 代 九 、四〇 〇 円 、 築 窯 代 一五 、〇〇 〇 円 、 俵縄 代 四 、〇〇 〇 円 、
あ る から 一日 四 ∼ 五 俵程 度 にな る 。 三 一五 俵 を やく に は約 八〇 日
計 二八 、〇〇〇 円 、 一カ マ四〇 ∼ 五 〇 俵 、 一カ マ焼 上げ 一〇 日 で
を要 し、 炭 窯 築 造 、原 木 伐 採 、 炭 搬 出 の日数 を加 え て 一〇 〇 日 く
ら い にな る であ ろ う か 。炭 焼 中 にも こ れ ら の作 業 は でき る の であ
る か ら、 こ の程度 の見 込 み で い いか と 思 う 。 す る と三 一五 俵 の売
価 七 八 、一五 〇 円 か ら諸 経 費 二 八、四 〇 〇 円 を差 し引 き残 五 〇 、 三
五〇 円 を 得 る 。 こ れ を 一〇 〇 日 で割 れば 一日五 〇 〇 円 が 日当 に な る。
う か ら、 一日 平均 五 俵 な らば 、 五 五 〇 円 、 八 俵な ら ば 八 八〇 円 く ら い にな るが、一 人当 り 一、〇
高 知 県 東 川 では 国有 林 の直 営 製炭 にあ た って い るも のは 一俵 に つい て一一 ○ 円 の焼 き歩 を も ら 〇 〇 俵 を やく こと にな って いる から 、 手取 り 一〇 万 円 く ら いに な る。
民 有 林 を個 人 経 営 で焼 く場 合 には 、 大体 一カ マ平 均 六〇 〇 俵 であり 、 こ こ で は販 売 が 三五 〇 円
内 外 で あ る から 二 一万 円 の粗 収 入 にな る 。 こ れ に生 産 経 費 と し て築 窯 代 一五 、 〇 〇〇 円 、原 木 代
一、〇 〇 〇 ∼ 三 、〇 〇〇 俵 分 で五 ∼ 六 万 円 、 か り に 一、〇 〇 〇 俵 を五 万 円 と し て 六〇 〇 俵 分 三 万 円 、
そ の他 の諸 経 費 を 差 し 引 いても 一五 万 円 く ら い の手 取 り はあ る は ず で あ る が、 報 告書 では 生産 費
一俵 一二八円 とし て差 引 二 二二円 が手 取 り と な る と し て いる 。 そ し て 一日 五俵 を 生 産 す る と な れ ば 、 一、一 一〇 円 の日当 にな る。
円 、 差 引一三 四、 〇 〇 〇 円 が のこ る。 す な わ ち 一俵 一七 八円 の手 取 り に な り、 一人 平均 一五 五 日
大 川筋 で は 一戸 当 一七 五 、〇 〇 〇 円 の粗 収 入 に対 し 原 木 代 一八 、〇 〇 〇 円 、資 材 費 二三 、〇 〇 〇
く ら い製 炭 に し た が って いる か ら、 一日 平 均 四 ・八 俵 を焼 き、 日 当 は 八 五 四円 余 り にな る 。
一〇 〇 円 程度 であ り 、 林業 労 働 中 も っと も有 利 な も のであ る。 ここ に製 炭 が山 間 部 落 で は国有 林
以 上 や や収 支 計 算 の でき る も のに つい て見 た の であ る が、 自 営 の場 合 、製 炭 日当 は五 〇 〇 ∼ 一、
労 働 と と も に重 要 な事 業 に な って いる の であ る が 、製 炭 の場 合 は築 窯 原木 買 受 代 金 な ど の資 本 を
必 要 と す る た め に、 零 細 民 は こ れ に し た がう こ と が で き な い。 し た が って林 業 労 働 者 よ り は や や
って いる も のも少 なく な い。円 城 、 三方 、東 川 な ど そ れ で ある が 、 そ れ で も な お組 合 の み に集荷
上 層 の人 々が従 事 し て いる のが普 通 であ るが 、農 業 協 同 組 合 が資 金 を 貸 し付 け 、集 荷 販 売 にあ た
す る こ と は困 難 で、 中 間 商 人 か ら資 金 を借 り て準 備 し 、 そ の方 へ出荷 し て いる も のが多 い よう で、 三方 な ど では 七〇% ま で が商 人 の手 に わ た って い ると いわ れ る 。
そ し て ここ に も中 間 搾 取 が大 き く わだ か ま って い る のを見 か け る。 こ の ため 農協 組 合 の強 力 な
う に い って いな い のは 、農 協 を 構 成 す る 分 子 が い ろ いろ あ って 、製 炭 者 一色 と いう よ う な単 純 な
組 織 化 がぜ ひ と も 必要 に な ってく る ので あ る が 、 そ の点 必 ず し も委 託 林 組 合 や 森林 保護 組 合 のよ も ので な い こと に 問題 が あ る よう であ る 。
帯 に著 し く のび 、 そ れ が農 業 部 落 にお け る多 角 化 、 あ る いは 換金 作 物 の導 入 と 同 じ よ う な結 果 を
いず れ にも せよ製 炭 が小 資 本 で個 人 経 営 を可 能 な らし める と いう点 に お い て、雑 木林 の多 い地
ると いう 矛 盾 であ り 、 そ れ は す で に各 地 に見 ら れ つ つあ る現 象 であ る 。 か く てあ ら ゆ る意 味 に お
与 え た のであ るが 、農 業 経 営 のそ れと 著 し く 相違 す る こ と は生産 の増 大 が逆 に縮 小 生産 を招 来 す い て山 林経 営 の長 期 計 画 が 必至 の命 題 と な って いる のを感 ず る。
5 林 道
表 45を も う 一度 見 よう 。 そ の労力 配置 を見 ると 、 植林 素 材 生産 の ほ かに 土木 に多 く の労 力 が配
置 さ れ て い ると こ ろ が多 い。朝 日 、 田 山 、早 口、 東 小 国 、 沢 山 、東 川 、酒 谷 な ど で あ る。 そ のう
ち東 川 、 酒 谷 は 一応国 有 林 が最 奥 地 ま で開 発 さ れ て いる が 、他 は な お未 開発 地 域 を持 って いる 。
そう いう と こ ろで は未 開 発 地 区 開発 のた め の林 道 開 設 が 一つ の重 要 な 事 業 と な って いる。 こう し
て国 家 の事 業 は 国 の隅 々 ま で行 き わ た り 、人 間 の意 志 と行 為 のお よば な い世界 を なく しよ う と し
て いる。 人 間 の意 志 に よ って国 土 のす べて が整 備 せら れる と いう こ とは計 画 的 な運 営 を 完 成 し て の みで な く、 山 村 に 対 す る施 策 を 合 理 的 な ら し め る。
ゆ く と いう こと であ る 。 そ の意 味 で山 間 の隅 々 にま で道 の通 ず る こ と は林業 政 策 を確 立 せし め る
林道 お よび 軌 道 の開通 に と もな う 労 力 の軽 減 、物 資 運 搬 の変 化 な ど に つい て の調 査 が比 較 的少
な い の でそ の実 情 を 明 ら か に な し得 な いが 、 お そ らく 国 有 林直 営 が民 間 に与 え た功 績 の最 も 大 き
な も の の 一つで はな いか と 思 う。 そし てそ の点 の調 査 はさ ら に綿 密 に な さる べき も のと思 う 。 そ れは さ き に の べた。
な お こ の土木 事 業 の中 には治 山治 水 関 係 のも のも多 いと 思 う 。実 例 と し て は箒 根 の報 告 があ り 、
かく て国有 林 直 営 を 通 じ て 地元 にも たら し た も っと も大 き な 賜物 は 、 一林 業 の企業 経 営 の指 導
啓 蒙 、 林業 労 働 を通 じ て零 細 民 の生活 安 定 と 、 雇 傭関 係 改 善 にと も なう 封 建 的 な も の の払 拭 、 製
炭 を 通 じ て の貨 幣 流 入 の増 大 と中 産 階 級 の維 持 、林 道 お よび 軌道 開通 に よ る国 家 経済 への正 常 な
参 加 を あ げ得 る と思 う。 そし てそ れ ら は 一応 国有 林 な る が故 にな し 得 た も のであ ると いう こ と が で き る。
一四 民 有 林 経 営
1 公 有 林
国有 林 と同 時 に民 有 林 が いか に経 営 さ れて いる か を対 比 させ な いと、 国 有 林 のし め る 社会 経 済 的 意義 を明 ら か にす るこ と は で き な い。
今 回 の調 査 で民 有 林 の多 い村 は高 崎 、 宮 崎 、荒 海 、富 士岡 、 日義 、 五郷 、 三 方 、 円 城 、東 川 、 大 川筋 を あげ る こ と が でき る 。
こ のう ち高 崎 、宮 崎 、 荒 海 、 三方 は町 村 有 林 を ひ ろ く持 ち、 大 川筋 、富 士岡 、 宮 崎村 北 川内 は
記 名 持 ち共 有林 が あ る。 ま た 私 有林 中 、会 社 経 営 を行 な って い るも のは 、宮 崎 、 東 川 に各 一つあ り 、他 は多 く個 人持 ち に な る。
回 の戦 争 を 通 じ て 一般 に は い わゆ る 林業 ブ ー ムを ま き お こ し 、 山村 に多 く の貨 幣 をも たら し た が 、
民 有 林 はそ の社会 経 済 的 な 影 響 を も っとも う け や す く 、 そ れ に よ る不 安定 性 が つよ い。 特 に今
そ れ ら は多 く 縮 小 生産 の上 に立 つも の であ って、 そ の収 益 の行 方 が今 後 の山村 を いか にあ ら し め
る か と いう こと に な る のだ が、 林 業 のた め の再 投 資 額 は必 ず し も多 くな いよ う で 、面 接 調 査 にあ ら わ れ た数 字 で は ごく 些 細 な も のであ る。
一〇 三 、〇〇 〇 石 と推 定 さ れ て いる から、一 町歩 あ たり 一九 五 石程 度 で蓄積 量 は 低 い。 そ れ が年
ま ず 町村 有 林 の経 営 に つ いて見 てゆ く と 、長 万部 に は五 三 四 町歩 の町 有 林 があ り 、 そ の蓄 積 は
間 三 五 、〇 〇 〇 石 程 度 伐採 さ れ て いる 。 こ れ だ け の数 字 から す れば 明 ら か に縮 小 生産 に な り つ つ ある。
にな って いる。 薪 炭 林 は 一 一二町 歩 であ る 。植 林 は官 の指 導 によ って す す み、 スギ が 七八% を し
早 口で は 五 四三 町 歩 の町有 林 を持 つが、 用材 林 四五 町 余 であ り 、 う ち 一二五 町 歩 が官 行 造 林 地
め て いる 。林 業 収 入 は 二 二年 か ら 二七 年 にか け て 一、〇 〇 〇 万 円 あ り 、 こ れを 町 が 八〇% とり 部
落 が 二〇% わ け た。 す な わ ち 二〇 〇 万 円 が 部 落 民 をう る おし た ので あ る 。
同 町 の部 落 有 林 は 一、〇 七七 町 歩 あ る 。 そ れ が台 帳 面 積 では 三一 七町 歩 と な って いる 。昭 和 六
年 い った ん町 有 にな った も ので あ るが 、戦 後 縁故 部 落 へかえ す こ と に な って かえ さ れ た も ので あ
る 。 た だ し そ の代 償 と し て部 落 は町 へ学校 建 築 費 二〇 〇 万 円 を出 す こ と にな った 。経 営 の内 容 は
明 ら か で な い が 、李 岱 、岩 野 地、 仲 仕 田、 本郷 の四部 落 が こ れを使 用 し 、 一町 当 り の薪炭 材 蓄 積 は 七 三 石 で決 し て高 く な い。
李岱 、岩 野 目 で は部 落 代表 者 で組 織 さ れ た管 理機 関 が そ の部 落有 林 の経 営 にあ た って いる。 林
産物 の配 分形 態 は薪 炭 林 の場 合 、国 有 林 の委託 林 と同 じ 方 法 が と ら れ て おり 、 抽 せん に よ って各
人 が 山 割 り を な し、 自 家 採集 す る。 ただ し そ の採 集 量 全 体 が無 償 であ る 。部 落 有 林 の経 営 費 は、 固 定資 産 税 、 そ の他諸 経 費 は均 等 に部 落 に割 り 当 て ら れ る。
針 葉 樹 林 から の主 要間 伐 収 入 は配 分 金 と し て関 係 部 落 民 に 均等 に 配分 され る。 こ れ は李 岱 、 岩 野 目 では昭 和 二七 年 一戸 当 り 二万 円 で家計 を 助 け る力 が大 き い。
高 崎 は国 有林 に依 存 す る観 音寺 と 、村 有 林 に依 存 す る関 山 に分 れる が 、関 山 の持 つ村 有 林 は 四 、〇〇 〇 町余 で村 内 山 林 の六 八% を し め て いる 。 一町当
り の蓄 積 は 用材 が上 のよう であ り 、 薪炭 材 は 一九 五 石 に な って い て、 大体 全
国 平 均 に近 い。 ま た こ の山林 の恩 典 に浴 し得 る関 山部 落 の戸 数 は 二六〇 戸 で
あ る 。 し か し全 部 が これ に加 入 し て いる わけ では な く 、以 前 は居 住 三年 に し
て村 人 と し て み と め ら れた も のが 五〇 〇 円 を お さ め る と組 合 員 にな れ た が 、 現 在 転 入 者 は 五 、○
〇 〇 円 、 分家 は 三 、〇〇 〇 円 を お さ める と半 口 の権 利 が みと め ら れ る こ と にな って いる 。 そ の利
でも 社 会 保障 的 な役 割 を 果 し て いる。 病 気 、 冠 婚葬 祭 など の不 時 の出 費 のあ る時 は 地 上権 設 定 の
用 法 に つ いて は 共有 林 の成 立 に つ いてし るし た か ら こ こ で はは ぶ く こ と に す る が、 共有 林 は こ こ
いと いわ れ る。 積 極 的 に 生活 向 上 の ため に 山林 が利 用 せら れ る ま で に は至 って いな いが 、住 民 の
地 の山林 を伐 ってう り 、 そ の他 の場 合 にも 山林 の木 を 伐 る こ と に よ って家 屋 敷 を 手 ば な す者 はな 階級 分化 を お こ さな い大 切 な力 にな って いる 。
宮 崎 村 大 字 宮 崎 は 五 、六 四 四 町歩 と いう尨 大 な村 有 林 を も って いる 。も と牧 場 が 主 で宮 崎 部 落 の部 落有 だ ったも の、今 日 も実 質 的 に宮 崎 部 落 の利 用 す る と こ ろ と な って いる 。牧 場 で あ ったた
に至 った 。 一方 雑 木 林 を利 用 す る製 炭 も 見 ら れ 、大 正 七 年頃 二六〇 人 のも のが 九 八 、六六 六 俵 の
め に草 生地 が ひ ろ か った が 、大 正 一 一年 か ら官 行 造 林 、 県行 造林 が実 施 せら れ て漸 次 林 地 化 す る 木炭 を製 造 し て い た。
現 在 用材 三 、 〇 〇 〇 石 、 炭 材 一、三 五 六 棚、 薪 炭 材 五九 六棚 を払 い下 げ て いる が いず れも有 償 で 、
用 材 は間 伐 木 で石 当 り 七〇 〇 ∼ 一、五〇 〇 円 見 当 、 主伐 木 で 一、五 〇 〇 ∼ 二、五 〇 〇 円 見 当 で あ る 。
かり に 平 均 一、五〇 〇 円 と見 ても 三 、〇 〇 〇 石 で 四五 〇 万 円 と な り 、 こ の他 薪炭 材 の売 払 い代 金 が
一三 〇 万 円 ほ ど あり 、 計 五八〇 万 円 が部 落 の粗収 入 と な る。 そ の配 分 は ど のよ う に な さ れ て いる
か明 ら かで な いが 、大 字 宮 崎 は 八七 五戸 を数 え る か ら 、平 等 配 分 し た と し ても 六 、七 〇 〇 円 余 で 六〇 〇 町 歩 の山林 の年 間 所得 が 五 八〇 万 円 では低
すぎ る。 無 論 薪炭 材 は き わ めて低 廉 に払 い下
経 済 的 にう る お す力 は弱 い。 そ れ に も ま し て、 そ の経 営 は全 く 粗 放 そ のも のと い って い い。 五 、
げ ら れ、 そ れが木 炭 と し て より高 く換 金 さ れ ては いる ので あ る が、 そ の数 字 が明 ら かで な く 、 か
り に 一棚 を 六 石 と し て計 算 す れば 八 、〇 〇〇 石 ほ ど にな り 、炭 に し て 一六 、〇 〇 〇 俵 、金 に し て四
〇 〇 万 円 が こ のほ か に粗 収 入と し て農 民 の手 に わた って いる はず であ る 。 そ れ にし ても こ の地 の 村 有 林 の利 用度 は低 いと い って い い。
沢 田 は三 九 〇 町歩 の村 有 林 を 持 ち 、 主 と し て薪 炭 林 で年 々 一〇 町 歩 を 伐 り 三〇 万 円 を あげ て い る が 、 こ れも ま た 住 民 の経 済 的 な 支 え と し て は弱 いも ので あ る 。
日義 に お け る村 有林 は 二 、二七 六町 歩 で蓄 積 は 一町 当 り 約 二〇〇 石 で あり 、 年 々五 、七 二八 石平
均 伐 って いる が、 伐 齢 期 に達 し たも のな らば 一町 当 り 五 〇〇 石平 均 はあ る と 思 わ れ る か ら約 一 一
町 余 の伐 採 にな る。 し か る に こ の村 では 三 五 カ年 間 に三 四九 町 歩 を新 植 し 、 一三 五町 歩 を補 植 、 のよ う にう る お され て いる か は明 ら かに さ れ て いな い。
七 〇 九 町歩 を手 入 れ し て い て、 拡 大 生産 にな り つ つあ る と見 ら れる 。 そ し て そ の利 益 が村 民 に ど
三 方 の村 有 林 三 、五 八 四町 歩 は 次 のご と く利 用 せ ら れ て お り、 村 民 それ ぞ れ の目 的 にそ う て い
し て いる 。 用材 林 は七 、二〇 〇 石 を産 し 、木 炭 は七 万 俵余 り のう ち半 ば を し め て いる と見 ら れ る 。
る 。 そ し て採 草 地 から は 四〇 万貫 の草 を 生産 し 、村 需 要 量 の八九% を み たし 、 大 き な役 割 を はた
用材 、 薪炭 を 合 し ても 三 、五 〇 〇 万 円 の収 益 を あげ て いる と 見 ら れ、 村 有 伐 の傾 向 が強 い。
林 と し て は フ ルに利 用 せ ら れ て いる こ と を知 る。 そし て用材 に あ って は過
の四大 字 の共有 林 で あ った。 こ の公有 林 の施 業 要 領 許 可 申請 のな さ れ た の
円 城 の 公有 林 は 五 七 三 ・四 二町 歩 で 、 も と 上 田東 、 上 田 西 、円 城 、 案 田
は昭 和 一四 年九 月 で 、 爾来 年 々三 町 な いし 六町 歩 を 主 伐 し て いる が、 山 林
が粗 悪 で蓄 積 乏 し く 一町 当 り 一四 〇 石 より 二〇 〇 石 程度 のア カ マツ であ る 。
高 崎 村 関 山 、早 口、 日義 、 三方 の過 去 と現 在 を考 え て、 実 証 せら れ る よう に思 う 。
し か し 、村 有 林 はそ の経 営 いか ん に よ っては 山村 開 発 に大 き な役 割 を は たす も の であ る こ と は、
示 し て いな い。
以 上、 町村 有 林 は そ れ自 体 が 社会 保 障 的 な意 味 を も ち 、農 民 の転 落 を防 ぐ大 きな 力 に な って い るが 、 そ の経 営 は 必ず し も計 画 的 と は いえ ず 、 ま た積 極 的 でも な く 、 三方 を除 い ては高 い生産 を
公 有 林 は 人 工造 林 を行 な って いな い。
木 も茂 る ので薪 用 にあ て て いる 。 こ の土地 を配 当 地 と呼 ん で いる 。
をま た割 り 当 て て 、 一〇 年 間 に 三 回割 り かえ る 。草 は二カ 年 に 一度 ず つ刈 る こ と にし て いる が雑
反 程 度 を 三年 間 な いし 四年 間 各戸 に割 り当 て、 一〇 年間 に三 回転 回 さ せる と区 に返 し 、 別 の土地
一 ・四 八町 、 上 田 西 四三 ・六 二町 、 円 城五 二 ・五 五 町 、案 田 五〇 ・四 一町 で 、 こ れを 一戸 平均 ご
地 は七 三 町歩 であ り 、村 民 が直接 利 用 し て い る のは 二一〇 町 歩 の採 草 地 で あ る 。 こ れ は上 田東 五
いず れも 立木販 売 を な し、 そ の収 益 は 土木 そ の他 公 共関 係 の出 費 にあ て て いる 。 そ のよう な 施 業
三方村村有林
表52 五 郷 民 有 林 伐 採
2 私
有
林
民 有 林 はご く少 数 の山 林 所 有 者 を 除 いて は蓄 積
が乏 しく 経 済 的 な変 動 を う け やす い。 好 況 に のる
とき は伐 採 が 限度 を こ え 、不 況 の場 合 は資 源枯 渇
か ら生 産 の低 く な った 上 に林 産 物 の価 下 り が あ っ
て そ の打 撃 は深 刻 で あ る。
長 万 部 にお け る 民有 林 面 積 は 四、〇〇 〇 町歩 あ
まり であ る が、 昭和 二 一年 か ら 二 八年 ま でに 四 七
八町 歩 を 伐 って いる 。 こ れ に対 し て植 林 は 二五年
ま で に九 八町行 な われ た に すぎ な か った。 二六 年
か ら急 に のび て八年 間 で 三 二 四町 歩 に達 し たが 、
そ れ で も な お伐 採 の方 が勝 って いる 。
か か る傾 向 は各 地 に みら れ る と こ ろ であ って、
と く に昭 和 二五 年 の林 業 ブ ー ムは各 地 に そ の影 響 い て見 よ う 。
を与 え て いる。 民 有 林 経 営 の進 ん で いる村 々 に つ
表53 五郷 民有林分蓄積量
五郷 に おけ る最 近 一〇 カ年 の伐 採 は実 に 四〇
〇 町歩 に のぼり 、 そ れ は 四 五 万石 と いう尨 大 な
ごと く減 少 し て い って いる 。
数 字 で あ った︵表 52︶。 そ し て そ の蓄 積 は表 53 の
く、 五 齢 級 に至 って は 八 ・四 町 歩 に すぎ な い有
三方 に お いても 一齢 級 、 二齢級 が 圧倒 的 に多
様 で 一町当 り の蓄 積 も 一〇 〇 石 余 り と いう に至 表︵ 54︶。
って は全 く 伐 り つく し たと いう 感 を 深 く す る
大 川筋 は木炭 製 造 を 主と す る 村 で あ る か ら、
比較 的 幼 齢 林 でも 間 に あう わけ であ る が 、炭 材
を提 供 し て い ると 思 わ れ る広 葉 樹 林 の八 九% ま
つあ る こ と が察 せ ら れ る。 そし て林 業 を 主 業 と
で が 二齢 級 以 下 で す で に甚 し い縮 小 生 産 を見 つ
れ つ つあ る こ と は、 そ のこ と自 体 が村 人 の生 活
す る村 が かく の如 く縮 小 生産 を余 儀 なく さ せ ら
を おび や かし つつあ る と い って い い。
持 って いる のは酒 谷 で、 こ こ で は 二三年 から 二
戦 後 の私 有 林 経 営 に お いて拡 大 生 産 の傾 向 を
七年 ま で の五 カ年 に伐 採 し たも のが 一六 八 町歩 に対 し 、 植林 は 二八 二町歩 に のぼ って いる。
特 に民 有 林 が 一般 に縮 小 生産 にお ち い って い る現 象 は製 炭 と深 い関 係 があ る 。各 地 と も用 材 林
以 上 に薪 炭 林 の伐採 が盛 ん にな って いる が 、民 有 林 は初 め燃料 自 給 のた め に所 持 し たも ので 一般
に 薪炭 林 的 な性 格 を も って おり 、し たが って そ の面 積 が広 い のを普 通 とす る。 す な わ ち国 有 林 直
営 が用 材 林 業 に主 力 を お いて い る の に対 し て 、民 有 林 は薪 炭 生産 に重 点 を お い て いる︵表 56︶ 。も っと も国 有 林 中 にも高 崎 の如 く製 炭 材 払下 げ のみ行 な って い るも のも あり 、ま た茂 庭 のよう な製
炭 中 心 の国 有 林 も あ る 。 こ れ ら は いず れ も 広葉 樹 地 帯 で、 し かも 人 工造 林 によ って用 材 林 化 し て
いな いか ら で あ る が、 民間 林 が 薪炭 類 を 主 と し て いる のは 一つ には輪 廻 が早 い関係 にも よ る。 す
と づ く 用 材林 業 への きり かえ が 容易 で な い。
るも の のよ う で あ る。 そし てそ の不 安 定 性 は大 き く 、長 期 計 画 にも
が半 ば 農 業 に依 存 し つ つ、 薪 炭 林業 に重 点 を お い た経 営 に 従 って い
の林 地 を 持 つ地 主︵ 大 体 五 〇 町歩 以 上︶ を除 い て は、 そ のほ と んど
い ので ごく 大 ま か に見 た の であ るが 、用 材 林 業 を 成 立 せし め る だ け
以 上 、 民 間 林業 のこ ま か な経 営収 支 を明 ら か にす る こ と が で き な
ち いら せ る こと に な る 。
本 を 持 ち 、製 炭 を督 促 す る形 を と る こ と が いきお い山林 を 過伐 に お
そ の大半 が仲 買 人 の手 を 通 じ て販 売 さ れ る。 そ の場合 、仲 買 人 は資
な い小資 本 で は いき お い薪 炭 生産 に力 が そ そ がれ る 。 し か も そ れ は
な わ ち用 材 林 の半 分 の期 間 で伐 期 に達 す る か ら で あ る。 資 本 を な が く ね さ せ て おく こ と を許 さ れ
表54 三方民有林齢級面積
川筋私有林樹種齢級別面積 表55大
薪 別 面 積 表56用
を 主 と せざ るを 得
し か も交 換 経 済
つ山村 に おけ る経
な い経 済 構 造 を も
済 変 動 に とも な う
衝 撃 は 、平 野 地方
の農 村 と比 較 に な
のにな る。 そ し て
ら な い ほど 強 いも
そ の不 安定 性 が計
画 性 のと ぼ し い伐
林 業 か ら容 易 に ぬ
採 を 主 と し た掠 奪
け出せないところ
に 問題 があ る。
こ こ に林 業 の収
益 性 の研 究 を 通 し
て育 成 林 業 を 中 心
と し た 林業 の企業
経 営 への展開 を は か って行 か な け れば な ら な い ので あ る が、 そ の指導 性 は公 有 林 、 共有 林 経 営 の 中 から は な お十 分 みち び き 出 せ な い段 階 にあ る 。
国 有 林 経営 は、 そう し た 点 か らも っと 民 間 林業 と の接 触 を保 ち つ つ、啓 蒙 的 な活 動 を も併 せて ゆ かな け れば なら な いか と 思う 。
一五 山 村 を 安 定 せ し む る も の
1 入 村 者 ・離 村 者
山 の奥 ま で貨 幣 を 浸 透 さ せ て い った 。 ま た現 在 全 般 的 に見 て縮 小 生産 に お ち い って いる にし ても 、
いろ いろ の迂 余 曲折 は あ った が、 山林 の利 用 度 は明 治 初期 以来 著 しく 拡 大 し た 。 そ し てそ れが
戦 中 戦 後 を通 じ て、現 実 に は著 し い林業 生産 を あげ てき た 。 そ のこ と が山 村 民 を 一応 の安 定 にお いて いる 。 つま り 現実 的 に は景 気 が よ い ので あ る。 こ のこ と を端 的 にあ ら わ す のは人 の動 き と預 貯 金 であ る 。
ま ず 人 の動 き に つ い て見 て行 こう 。 表 57 に よ れば 、 比 較 的 平 坦 な所 に 立村 す る町 村 で は相 当 の
離 村 者 を見 か け るが︵ 東 背 振 、 三 納 、酒 谷︶、 渓 谷 に 立村 す るも の︵東 川 、 大 川筋︶ に は必 ず し も 多 く な い地 が あ る。
人 々 は そ の住 ん で いる地 に お い て生産 活動 の場 を見 つけ る こ と が で き な け れば 離村 し て ゆく 。
に お け る社 会 経 済 事情 の変 動 に よ って人 口 の増 減 をき たす 場 合 と 、村 外 に おけ る社 会経 済 事 情 の
逆 に働 き 口 が あ れば 人 は集 ま ってく る。 が そ れ ら に つい ては 大 き く 二 つ の動 因 が見 ら れ る 。村 内
変 動 が 、村 内 にお け る 生活 条 件 を相 対 的 にか え て いく こと によ って 人 口増 減 を き た す場 合 で あ る。
表57 離 村 者 入 村 者
前 者 のよう な事 情 に よ って人 口 の増 減 を 見 たも の の例 と し
て 山 形県 高 崎 があ る。奥 羽本 線 開 通 のた め に山 形県 と宮 城 県
を結 ぶ関 山峠 越 の県道 が さび れ 、 そ のた め に 一六 六戸 が明 治
四 二年 か ら大 正 一三年 にか け て 北海 道 へ移住 し て いる 。 こ の
村 は そ れ ま で交 通 上 の要 路 と し て、 宿 屋 、 荷 持 ち 、 そ の他 旅
人 相 手 の職 業 で暮 しを 立 て て いた も のが、 そ の生 活 手段 を変
改 せ ざ る を得 なく な り 、打 撃 をう け たも のが村 を 去 った ので ある。
村 内 に おけ る生 産 手 段 の変 改 ま た は発 展 を も た ら す も の
も 、本 来 は外 的 な 力 な ので あ る が、 そう し た変 動 の直 接 条 件
を村 内 に持 つと いう こ と に お い て、 対 外 的 な 影響 に よ るも の
と区 別 し得 る。 そ し て前 者 に類 す るも のを見 て行 けば 、ま ず
北海 道 朝 日が あ る 。 こ こ は明 治 末 期 に開 村 し た村 で あり 、 山
林 の開 発 、農 地 の開発 の盛 ん に行 な わ れ て いる 開 拓地 で、 労
田 、山 形 方 面 から 三〇 ∼ 四〇 人 の住 込 常 雇 を 入 れ て おり 、 ま
働 力 は大 き く 不 足 し て いる。 農 家 は人 手 不 足 の た め に、 秋
た営 林 署 は斫 伐 のた め に付 近 の村 々 の農 業 剰余 労 働 力 を吸 収
し 、秋 田 、青 森 から も か せぎ に来 て いる 。 そ のほ か村 へでき
た 澱粉 工場 へ留萠 方 面 か ら出 稼 ぎ に来 る者 が 一三 ∼ 二 六人 も
あり 、 八月 か ら 一一月 ま で ここ に働 いて かえ ると いう 。
そし て東 小 国 で は そ れ が自 然 増 加 の みに よ るも の でな く 、農 業 入植 によ る 増加 が多 い。
岩 手 県 煙 山 、 山形 県 東 小 国 、 群馬 県 沢 田村 大 岩 は開 田 に よ って人 口 の増 加 し た と こ ろ であ る 。
に よ る木 材 加 工業 の勃 興 を 中 心 と す る商 工業 の発 達 に よ り 、人 口雇 傭 機 会 に め ぐ ま れ た結 果 であ
秋 田県 早 口町 で は 一方 で人 口流 出 が行 な わ れ つ つ漸次 人 口増 加 を 見 て いる のは 、木 材 統 制 撤廃 る と いう 。
こう し て生産 条件 の改 変 に よ る人 口移 動 のほ か、 生産 力 の低 さ か ら生 活 が 圧 迫 さ れ て離 村 す る
例 は 山村 お よび単 作 地 帯 の農 村 には か つ て特 に多 く 見 ら れ た 。 そ の 一つと し て凶作 が あ る。 特 に
昭 和 九 年 の 凶作 は東 北 地方 に大 きな 生 活 圧迫 を加 え た が、青 森 県 内 潟 で は昭 和 一〇 年一一 八人 の
出 稼 者 を出 し、 男 は 樺 太方 面 へ渡 航 し て漁 夫 と し て働 き 、 女 は関 東 関 西 へ女 中 、 女 工 、娼 妓 とし
て 出 て行 った。 そし てそ の送 金 に よ って家計 を支 え た家 が多 か った 。国 有 林 でも これ に 対 し て手
を 打 ち 、 まず 薪 炭 材 の払下 げ 、救 急 事 業 によ って労 務 者 を 吸 収 す る な ど し て金 銭 収 入 を高 め 、 凶
た め に植林 、製 炭 な ど に力 を そ そ が し め て い るが 離村 情 況 は明 ら か でな い。
作 の被 害 を少 な から し め よ う と し た。 宮 城県 宮崎 な ど でも 凶作 対策 と し てま ず 働 く 仕 事 を与 え る
ふ れ たが 、 こ の現 象 は日義 、 五郷 な ど に は かな り つよ く出 て い る。 日義 の離 村 者 は表 57 に は一一
民 間 林 の多 い山 村 で、 山 林 の過伐 が村 民 の生業 をう ば い、 生産 を低 く し て いる こと は しば しば
九 人 と出 て いる が、 一時的 離 村 、す な わ ち農 閑期 出 稼 ぎ を 加 え る と 二一三 人 に達 し て いる。 そ の
五 歳 ま で の者 で、 中 小 農家 の子弟 や非 農 家 の子 弟 が多 い 。
う ちわ け は製 造 工業 九 〇 で、 そ のう ち女 六三 。 こ れ は岡 谷 、諏 訪 の製 糸 工場 に働 い て いる 。男 は 名 古 屋 方面 の工場 で働 く 。 一六歳 か二
次 に建 設業 が 六七 。 これ は 名 古 屋 へ出 て いる も の のほ か農 閑 期 郡 内 を稼 ぎ あ るく 大 工 達 が多 い。
次 に林 業労 務 者 五 六。 こ れは 四 月 か ら 一 一月 ま で の間 、郡 内 、 松本 、飯 田方 面 に出 る 。特 に林 業
労 務者 にこ のよ う に多 く の出稼 者 を持 つと いう こ と は 、 す で に民 間 林業 が大 きく 行 き づ ま り つ つ
って いる 。 す な わ ち長 野 県 全 体 の比率 に対 し て人数 も送 金 者 も は る かに高 い。
あ るこ と を物 語 る で あ ろう 。 そ し て そ の人 達 の送 金 に 大 き く依 存 し て いる こ と は次 の数 字 が物 語
な し得 な いが 、中 学 校 を 卒 業 し た 女 子 が ほと んど村 に と ど ま る こと な く 、多 く は各 地 の製 糸 紡織
か か る傾 向 は 五郷 に お い ても す で に よ く あ ら わ れて いる 。五 郷 で は出 稼者 全 体 の数 を 明 ら か に
工場 に女 工 と し て働 き に行 って いる 。次 の数 字 を 見 る と き 、林 業 ブ ー ム のあ った村 と は思 え な い
は 六人 他 に出 て いる だ け で あ る。 し た が って農 閑 期 の労働 も村 内 で消 化 で
女 一六名 は紡 績 工場 に は た らく 。 いず れ も 二 四歳 未 満 であ り 、 二五 歳 以 上
宮 崎 県 酒 谷 では 出 稼者 は 四 四名 であ り 、 う ち男 一八名 は炭 坑 に は た らき 、
こ れ に対 し て 、 な お拡 大 生産 の行 な わ れ て いる所 で は出 稼者 は少 な い。
出 稼 ぎ が みら れ る ので あ る。
すな わち 縮 小 生産 のお こ って いる 所 で は 、 す で に潜在 失業 者 の滔 々 た る
も のが村 の食 う 口を へらす か、 村 の貨 幣 経 済 へ寄 与 し て いる わ け であ る。
て いる よう に見 え る け れ ども 、 離村 者 出 稼 者 の数 は次 の通 り で 二〇 一人 の
他 から 転 入 し た も のが五 九 名 も あ る か ら 、山 林 作 業 な ど労 働 不 足を きた し
高 知 県 東 川 な ど に も 日義 に似 た傾 向 が見 ら れる 。 こ こ に は林 業 労 務 者 の
ほ ど若 い娘 達 に課 せ ら れ た家 への奉 仕 の重 さ が思 いや ら れ る ので あ る。
日義 出稼 者( 昭 和28年)
東 川村離村出稼 ぎ
き る だ け の 生 産 力 を も って
いる わ け であ る。高 知 県 大
川筋 でも 、通 年 出 稼ぎ も ほ
と ん ど なく 、 こと ご と く村
内 稼 働 に た り る だ け の労 務
が 確 保 で き る 。 し た が って
作 が 最 も重 要 な意 味 を 持 ち 、明 治 に 入 っても 米作 に長 く力 がそ そ が れ た 。 そ のう え 税制 が金 納 化
江 戸時 代 の農 村 は多 く は 貢 租 の対 象 と し て政治 的 に は考 え ら れ て お り 、貢 租 の主 体 と し て の米
次 に 、 村外 に お け る社 会 経済 事情 の変 動 に よ って人 口 の増 減 を き た す例 も 一応 検 討 し よ う 。
る かを う か が い得 ると 思 う 。
す な わ ち 、林 業 経 営 の恒 常性 に よ る生 産 の安定 が 、 いか に大 き く村 人 の生活 を安 定 せし め て い
い が、 こ れ ら は そ の生 活 の安定 か ら離 村 現 象 を 大 し て お こし て いな い ので は な い かと 思 わ れ る。
た は直 営 生産 の盛 ん な村︵ 田 山 、東 小 国 、茂 庭 、 沢 田︶ な ど の出 稼者 の数 字 を明 ら か にな し得 な
き おこ し てゆ く が 、拡 大 生 産 下 に あ る場 合 は むし ろ転 入者 を持 つに至 る 。 国有 林 を 広 く 持 つか ま
以 上 諸 例 で見 ら れ る如 く 、林 業 の縮 小 生産 現象 が あ ら わ れ る と直 ちに住 民 の離 村 出 稼 現象 を ひ
様 であ る 。
ね るも のは少 な いよう で、 こ の村 で は製 炭 業 者 が 年 々五〇 人内 外 他 から来 て製 炭 に従 って いる有
福 島 県 荒 海 な ど でも 屋 根 葺 き と し て関 東 平 野 へ出稼 ぎ に出 る者 も多 いが 、 こ れ は林 業 労務 を兼
村 の二、 三 男 も多 く は こ れ に吸 収 さ れ る と いう 。
五郷村女子新 卒の離村
別 反 作 小 表58 自
さ れ るに至 った変 動 か ら 、農 民
の多 く は土 地 を 手離 し て小 作
化 し 、地 主 の下 に あ え が ねば
な ら なく な った。特 に 水 田単
し く 、 か つ経 営 が地 主 の意 志
作 地 帯 で は生 産 の安 定 性 が 乏
に よ って支 配 さ れが ち にな る
た め 、自 ら の自 由 意 志 によ る
経営 が成 立 し難 く 、 社 会 的 な
変 動 が あ る と 、 そ の衝 撃 を う
の農 地解 放 以 前 の自 小 作 反 別
け る こ と が強 か った。 今 各 地
の分 明 な も のを あげ て見 る と
表 58 のよ う に な る。 内 潟 、 煙
山 、 高崎 、荒 海 、 沢 田、 東 背
振 、 三 納 、 山 野 な ど の水 田単
作 地 帯 にお いて 小作 地 率 が高
い。 そ し てそ れ ら の地 は か つ
て多 く の出 稼 者 を 出 し た 。米
酒谷村 三納村
表 動 移 口 表59 人
作 の みに よ る小 作 者 はと う て い農 業 のみ で は生 活 は う
のは地 主 と の つな がり に お いて失 な わ れ て い た。 こ の
ち た て難 か ったし 、 農 業経 営 を合 理化 す る自 主的 な も
った。 茨 城 県 沢 山 な ど は昭 和 九 年 一、二九 四 人 の離 村
こ と か ら金 銭 収 入を 農 業 以外 に求 め な け れば な ら な か
て いた所 であ る 。 現在 杜氏 と し て出 稼 ぐ も のは 四〇 名
者 を見 て い た。 岩 手県 煙 山 も杜 氏 の産 地 と し て知 ら れ
にす ぎ な いが 、 も と は夥 しく 出 し て いた 地帯 で あ る。
こう し た村 は本 質 的 に いえ ば 大 き な 潜在 失 業 人 口を か かえ て いた ので あ る が農 繁 期 と農 閑期 のバ ラ ンスが
と れ て いな いた め 、農 繁 期 には多 く の労 力 を 必要 とし 、
潜 在 失 業 人 口が 一見 失 業 者 に見 え な い。 そ し て そ のこ
と が農村 に 必要 以 上 の人 口を も か か え さ せ る。
こ のこ と か ら都 市 の景気 が よ く な る と そう し た 人 口
が都 市 に 向 って大 きく 流 れ 、都 市 が不 景 気 にな る と 母
村 に 向 って流 れ る傾 向 を持 って く る。 宮 崎 県 三納 村 に
表︵ 59︶ 。 す な わ ち昭 和初 期 の不 況 に は 転 出 者 を オ ー
お け る転 出 入 の数 字 が そ のこ と を よく物 語 ってく れ る
バ ー し 、昭 和 一二年 の日支 事 変 を 境 にし て転 出 が増 大
す る。 そ れ が戦 後 の都 市 生 活 の不安 定 か ら再 び 著 し い転 入増 大 を見 る が、 都 市復 興 、 ひ い て は都
市産 業 の回復 にと も な い、昭 和 二五 年 か ら転 出 が増 大 す る 。 か か る傾 向 は酒 谷村 に お い ても 見 ら
れ 、 ま た北 九 州 の 工業 地 帯 に近 い東 背振 村 で も見 ら れる 。 し か し な がら 、戦 後 に お いて は農 地解
放 に よ って農 業 経 営 が著 し く自 主 化 し計 画 化 さ れ 、土 地 生産 力 、労 働 生産 力 が高 ま り 、 そ のう え
土 地改 良 事 業 がす す ん で米 単 作 から 裏作 の可 能 に な った地 帯 が多 く 、三 納 村 の如 く蔬 菜 を中 心 に
し た多 角 経 営 へき り か え ら れ つ つあ る例 も見 ら れ 、月 別 労 作 業 のバ ラ ン スがと れる に至 って、 い
わ ゆ る農 閑 期 出 稼 者 を 出 す こ と が著 しく 減少 し 、戦 前 のよ う な 季節 出 稼 ぎ の傾 向 は農 村 に お い て
著 し く き え て き た。 佐 賀県 東 背 振 の昭 和 二七年 度 転 出 者 を 見 ても 、 六月 の農 繁 期 に半 減 し て いる
だ け で他 は ほ ぼ平 均 し て いる のは 、単 な る農 閑期 出稼 ぎ で はな く 、都 市 に向 って放 出 さ れ る村 の
余 剰 人 口だ と いう こ と にな る 。 そ のよう に離 村 し て行 くも のは は っき り 二 つ のク ラ スに わ か れ る。
上層 部 の家 の子弟 で学 校 に 入る も の、 サ ラリ ー マンと な る も の等 、 や や 上級 の職 業 に つく も のと 、
独 立経 営 を 不 可能 と す る 一町歩 耕作 以下 の零 細 農 の子弟 の賃 労 働 者 と し て放 出 さ れ るも ので あ る。
そ れら の多 く は男 は 工場 、 炭 坑 に 、 女 は繊 維 工場 に吸収 さ れ る。 た だ し そ れ ら離 村 者 の数 が戦 前
に 比 し て甚 し く に ぶ って いる の は都 市 の復 興 が十 分 で な いと いう ば かり で な く 、農 村 に お いて 、
り か え し つ つ発 展 し て い く 。
資 本 主義 経 済 は こ の よう な シー ソ ーゲ ー ムを繰
バ ラ ンスは ま たす ぐや ぶれ る 運命 を持 って いる 。
吸 収 さ れ る点 が大 き いか ら で あ る 。 し かし こ の
こ れら の子 弟 を か か え る余 力 を 農業 経 営 の合 理化 、 生産 力 の向 上、 地 方産 業 の発 展 など によ って 東背振転 出 (月別)
付 貸 金 貯 表60預
さ て以 上 見 て き た如 く 、
っても 、 こ の生活 を 安 定
山 村 にあ って も農 村 にあ
せし め る も っとも 大 き な
力 にな った のが生 産 の恒
常 性確 立 に あ る こと を 見
逃 し て は な ら な い。
2 預 貯 金
を見 よう 。 ただ し こ れ だ
預 貯 金 に つい ては 表 60
け の数 字 では 蓄積 の傾 向
さえ は っき り つか め な い。
は少な
郵 便 貯 金 も 銀行 貯 金 も 数
字 の明 ら か な も の
く 、 ま た有 価 証券 所 有 の
状 況 も は っき り し な い。
ま た貸 付 と あ る のは農 協 の貸 付 であ って 、他 の機 関 か ら の貸 付 は明 らか で な い。
が、 農 協 の中 に は預 金 が 一千 万 円 を こ え るも のが少 な く な い。 し かし 山林 に依 存 度 の高 い早 口、
高 崎 、荒 海 、 五郷 、 三方 、東 川 、 大 川筋 な ど のう ち三方 を 除 いて は預 金 が 多 いと は いえ な い。 ま
た国 有 林 の広 い田 山 、茂 庭 、沢 田な ど は そ の数 字 が つかめ な い ので国 有 林 が ど のよ う に資 本 蓄積
に蓄積 す る貨 幣 が乏 し いだ け で な く、 農 協 経 営 が弱 体 であ る場 合 が少 な くな い。 こ の場 合 、預 貯
に役 立 って いる かを つか む こ と は でき な いが 、農 協 の貯 金 が林 業 村 に お い て比 較的 低 いの は、単
金 は郵 便 局 ま た は銀 行 にな が れ る が 、 いず れ にし ても あ る程 度 の蓄積 が見 ら れ つ つあ る こ と は事
実 であ って 、農 村 の負 債 整 理 に苦 心 し た昭 和 初 期 に比 し て 、 わず か これ ほ ど の些細 な数 字 の中 に
購 読 や ラ ジ オ の聴 取 率 の上 に も あ ら わ れ て いる 。 山形 県 高 崎 村 で
に山村 民 の視 野 や 思 考 力 が 著 し く広 くな ってき て いる のは新 聞 の
和 初 期 のよう な 現 象 は そ れ ほ ど つよく あ ら わ れ て いな い。 と 同 時
わ れ て き はじ め て いる時 機 な の であ る が そ れ にも か か わら ず 、昭
昭 和 二七 年頃 に な る と こ の状 況 はき え て 、 む し ろ シ ェーレ のあ ら
料 不 足 にと も な う 食糧 のヤ ミ値 の高 騰 のも た ら し た好 況 も あ る が、
の合 理 化 に転 じ て き た こと も 大 き い原 因 の 一つであ り 、 さ ら に食
現 金 蓄積 が多 く 土地 買 入 れ に向 け ら れ た の に対 し て、戦 後 は経 営
良 進歩 、金 肥 使 用 の率 は著 し く高 く な って いる 。 そ れ は か つて の
も 過 去 の暗 さ か ら抜 け出 し て いる こ と を み と めざ るを得 な い。 こ う し た現 金 蓄 積 だ け で な く 、平 野 部 落 にお いて は農 機 具 の改
五郷新 聞ラジオ利用
は面 接 調 査 二九戸 中 二 八戸 が新 聞 を と ってお り 、 一九 戸 が ラジ オ を き いて い る。
長 野 県 日義 村 で は、 ラジ オ を き く も の 二 六九戸 で全 戸 数 の五 二 ・六% に あ た ってお り 、 そ れ は
て は四 八 五戸 で全 戸 数 の九 五% に あ た る。 い かに 広 く新 聞 が読 ま れ て いる か を知 る こ と が で き る。
長 野 県全 体 の六 四 ・四% よ り は低 いけ れど も 西筑 摩 郡 の四 九 ・五% よ り は高 い。 ま た新 聞 に至 っ
用 せら れ て いる。 ただ 大 井 谷 のよう な山 奥 の部 落 では 、利 用 率 が は な はだ 低 い けれ ど も 、新 聞 は
三 重 県 五郷 のよ う に山 村 で私 有 林 が多 く 、 縮 小 生産 に お ち いり つ つあ る地 でも 、 かな り高 く利
和 田、 寺 谷 な ど で は五 〇% 以 上 の購 読 率 を 見 せて いる 。 こ れ に つ いて は戦 前 の数 字 を 知 る由 も な い が、 おそ ら く倍 増 し て いる も のと思 わ れ る。
る が、 こ の中 に は電 気 のと も って いな い加茂 山 開 墾地 を含 ん で いる ので 、 こ の地 を 除 く と電 灯 の
岡 山県 円 城 の面 接 調 査 によ れば ラ ジ オ、新 聞 の利 用 は四 八戸 中 、 ラ ジ オ を持 つも の三 二戸 で あ
って いる が 、 そ のう ち戦 後 と り はじ め たと推 定 で き るも の は 二六 戸 に のぼ って いる 。 こ のこ と は
と も って いる所 で は 八〇% が ラ ジ オ を持 って いる こ と にな る。 ま た新 聞 の購 読 者 は三 五戸 に のぼ
ラ ジ オ に つ いても 同 様 のこ と が いえ る の であ って 、自 作 兼 小 作農 以 上 で な け れば ラジ オ は持 た な
か った と いう 。円 城 で は林 業 よ りも むし ろ農 業 に依 存 し て いる村 で あ る が 、戦 後 にお け る貨 幣 収 入 の増 大 と農 業 経 営 の確 立 が こ の結 果 を も た ら し た も のであ る 。
し た 効果 は大 き か った と い って い い の であ る が 、 そ れ が 一戸 一戸 で は ど ん な にな って いる か は面
し た が って 、農 村 に お い ても 山村 に お いて も 、戦 後 に おけ る 生 産 の伸 長 と経 営 の確 立 のも た ら 接 調 査 を検 討 し て みな け れば な ら な い。
一 六 国 有 林 と 地 元 民 の 生 活
1 朝 日 村 は明 治 の末 期 以 来 の開 拓村 で あ る が、 農 耕 の みで 生活 を維 持 し て いる家 は五 一戸 中 七 戸 にすぎ な い。
こ の七戸 は農 産 収 入 が 一五万 円 と いう のが あ る が 、他 は いず れも 二〇 万 円 以 上 であ る 。 ま た調
査 農 家 中 、 最高 の収 入を 持 つも のは五 三 万 円 で、 こ の家 は農 業 収 入 二〇 万 円 に対 し て賃 労収 入 が
三 三 万 円 に のぼ って いる。 こ れ は 三 人 の人 が働 き に出 て いる。 こ れ に つぐ 五 二万 円 は農 業 収 入 の
み で生計 を た て て いる 。 し か し前 述 の如 く 一般 に は農 業 によ って 生計 を た てる こ と は今 日 も な お
困 難 な状 態 にあ り 、農 業 外 収 入 のも っと も 大 き いも の が賃 労収 入 で あ り 、両 者 を そ れ ぞ れ合 計 し
し い。 そ し て こ の賃 労 収 入 のほ と ん ど が国 有 林関 係 のも の であ って、 こ の村 に おけ る 国有 林 の占
て 見 る と農 業 収 入五 、〇 九 三 千 円 であ り 、賃 労 収 入 は 四 、六 一九 ・八千 円 であ って 、 両者 ほ ぼ相 等
め る農 民 生 活 への寄 与 は実 に大 き い。 すな わち こ の村 で は賃 労 収 入 に よ って農 業 収 入 の不 足 を補
って い ると いう よ り も、 夏 は農業 、冬 は林 業 と 一年 間 の作 業 が ほ ぼ相半 ば す る こ と に よ って生 計
が う ち た てら れ て いる のであ るが 、賃 労収 入 で生 計 を た て て いる人 も 少 な く な い。 こう し て 、構 成 せら れ た収 入 に対 し て支 出 の最 も 大 き いも のは衣 料 であ り 、次 に副 食 物 であ る 。
ま た 民有 林 を持 たな いた め に燃 料 は いず れ も購 入を 余 儀 な く さ れ て いる が、年 間 二五 、〇 〇 〇 円
表61 朝
日
農
家
収
支
表62 長 万 部 農 家 収 支
を最 高 とす る が 、 大
であ る 。 こ れ ら の燃
体 一万 円 内 外 が通 常
料 と 、賃 労働 作 業 を
提 供 す る も のと し て
国 有 林 は重 大 な意 味
を持 って いる 。 し か
も収 支 の結 果 に つ い
て見 る に 、赤 字 と な って いる も のは収 入
の特 別 に少 な いも の
か、 ま た は 衣料 、 あ
る い は租 税 の比重 の
ら は次 年 度 に お いて
大 き いた め で、 そ れ
ので あ ろう から 、支
当然 訂 正 せら れる も
出 の絶対 額 が大 き い
た め に赤 字 と な って
いる のは 過 小経 営 農 家 の みと いう こと にな り 、 ほ と ん ど の農 家 が 一応安 定 し て いる と い い得 る。
そし て 収 入 の伸 縮 が賃 労 収 入 に か か って い ると い って い い、 こ の村 で は特 に国 有 林経 営 の恒常 性 が住 民 の生 活 を安 定 せし める 大 き な カギ にな って いる こ とを 知 る 。
今 五 一戸 の調 査農 家中 一二戸 を 抽 出 し て収 支 表 を かかげ て お く︵表61︶。
2 長 万部 は さき にも 見 て き た如 く 、 陸 上交 通 の中 継 地 と し て発 達 し て き た所 であ る 。 つ いで
漁 業 のす ば ら し い発 展 が見 ら れ、 ま た お と ろえ た。 こ のこ と は預 貯 金 の 一覧 表 に見 ら れる 如 く 、
三二 戸 であ る が 、収 支 の比 較 的 あ き ら か な 一九 戸 を 表 に し て見 る と表 62 のよ う に な る。 こ こで は
漁 協 の預 金 は き わ め て少 なく 、 大 き な貸 付 がな され て いる こ と でも わ か る 。 さ て面 接 調 査 農家 は
農 業 も 収 入 の みで 生計 を た て て いる家 は ほ と んど な く 、販 売 農 産 物 の数 量 も朝 日 ほ ど高 いも のは
な か った ため かと 思 わ れ る。 そし て多 く は賃 労 働 に たよ って いる のであ る が、 こ の地 に は山 林 の
見 か け ら れ な い。 こ こ で は早 く 交 通 関 係 の賃 労 働 が多 く 、最 初 か ら農 業 の専 業 を 目ざ すも のが 少
払 下 げが あり 、 し た が って 山林 地 主 が いて、D3 が 一 一八万 円 の収 入を あ げ て いる特 異 な例 は林 業
収 入 に よ るも のな ので あ る 。D3 を 除 いて 、他 の農 家 は 一〇 万円 より 四〇 万 円 の収 入 を持 ち、 そ
のう ち赤 字 農 家 に つ いて見 る と、A1 は中 学 生以 下 の子 供 が 六人 も いる こ とが 生 活 の大 き な負 担
にな って いる 。A2 は町 会議 員 、児 童 福 祉 委 員 な ど し て いる 富農 で、収 入 に つい ては ウ ソ が あ る
みと め ら れ な いと いう 。 す る と本 当 の赤 字 農家 はA1 のみと いう こ と に な る。
と見 ら れ 、実 際 は 黒 字農 家 のよう であ る 。B4 、B6 とも に記帳 に正 確 性 がな く 、 そ の信 頼 性 が
ど であ り 、国 有 林 への直 接 の結 び つき とし ては 燃料 の払 下 げ が大 き い。
賃 労働 の主 なも のは 冬場 の木材 運 搬 事 業 な ど で、 官 林 の伐 採 に従 って いるも のはA1 、A7 な
よ って違 って いる 。 いわ ゆ る北 海 道 型 と名 づ く ベき も のが あ る。 こ の こと は出 稼 ぎ に つ いて も い
つま り 北海 道 の農業 経 営 は夏 農 冬 賃労 の型 式 が 一般 であ り 、賃 労 働 の種 類 が そ の立村 の条 件 に
い得 る こ と で、 他 地方 で は季 節 出 稼 ぎ は 一般 に過 小 農 、 零細 農 に多 く 見 ら れ る ので ある が、長 万
部 で は 二〇 町 歩 耕作 し て いる農 家 も 出稼 ぎ 者 を出 し て いる 。冬 期 間 農 業 の営 め な いと いう こ と が
実 に 大 き く生 産 に制約 を与 え て いる こ と を知 る。 北 海 道 と し て は早 く ひ ら け貨 幣浸 透も 早 か った 両者 一応 共通 なた め で あ ろう 。
長 万部 が 、後 進 の開 拓村 と そ の収支 関係 に お いて大 し た 差 を見 て いな い のは 、前 述 の冬 の制 約 が
3 青 森 県 内 潟 も夏 農 冬 賃 労 型 の村 で あ る。 農 は水 田単 作 を主 とし て畑作 は少 な い。
農 家 戸 数 七 三 〇 に対 し て耕 地 は六 九 二町 歩 ほど であ る か ら 、 一戸 平 均 一町歩 に足 らな い。 し た
が って農 業 の みを 以 て し て は生 計 のた ち難 い こと は 言 う ま で も な いが 、 そ の不 足 が国有 林依 存 に よ って補 わ れ て いる 。
か って こ の村 で は盗 伐 がき わめ て多 く、 そ れ によ る 問題 のた え な か った所 で あ る が、 委 託林 制 度 がも う け ら れ て著 し く減 少 し て いる 。 し かし こ の地 で の委 託 林 に よる 製炭 原 木 払 下 げ は 一万 石程
の生 計 を 大 き く助 け て いるが 、 そ れ は昔 のおも かげ が な い。昭 和 一〇 年 当時 の労 働 者 延 べ人員 は
度 で、 そ れは炭 に し て 二万 俵余 り に し か なら な い。 そ の他 用 材 払 下 げ 、 国有 林 労 働 など が 地 元民
三 四、四七 四人 であ り 、賃 銀 は 三三 、八 四 四円 に のぼ って いた が、 現在 は 一二、九 四 三 人 で賃 銀 も
三 、七 六〇 、八 六三 円 にす ぎ な い。 か つて薄 市 の農家 は ほ と ん ど国 有林 労 働 に し たが って いた が 、
今 そ の華 々し さ は な い。 に も か か わ らず 、 国有 林労 働 に依 存 す る 農家 が多 い。 し か し 金銭 収 入 か
ら見 る と 二∼ 四万 円 のも のが多 く 、生 活 のた し に し て いる と いう 程度 で あ って、 こ こで は む し ろ
農 業 が中 心 であ る 。 昭 和 九年 のこ の雇 傭 は前 年度 の凶作 救 済 事 業 に よ る も のと思 われ る 。 内 潟 に も そ の傾 向 が 見 ら れ る 。
農 耕 中 心 の地 で は、 賃 銀 は農 業 日傭 賃 が基 準 に な って他 の賃 銀 も 規定 さ れ て いる 場 合 が多 い。
た ちは 主 と し て馬 を使 って木 材 運搬 に従 事 し て いる 。
な お 冬期 農 作 業 が不 能 にな る た め に、 中 農 の ク ラ スに属 す る 者 も林 業 労 働 に従 う 。 そ う いう 人
製炭 に従 事 し て い るも のも農 業 を 主 と す る者 が多 く 、 一戸 あ たり の製 炭 量 も 二五 〇 俵 内外 を中
心 にし て いて 一般 国 有 林 労 働 収 入 と 大 し て か わら ぬ程度 の収 益 をあ げ て いる にす ぎ な い。
し か し こ の地 でも 、 国 有 林経 営 が 旦那 依 存 の小 農 た ち を次 第 にき り は な し て木 炭 農 事 実行 組 合
を はじ め 、 小運 搬 組 合 、 家 庭 工業 柾 組 合 など を 組 織 せ し め て 、漸 次 封建 的 な村 落 内 の結 合 を あ た
ら し いも のに きり か え てゆ き つ つあ る功 績 は大 き い。 そ し て こ こ で は林 業 が 生産 の上 で は従 的 な
も のであ り つ つ、社 会 補 償 的 な 意 味 を 以 て 、村 人 のた めに 危急 時 に大 き な 役 割 を は た し た こと は 見 のが す こ と ので き な い点 であ ろ う 。
4 岩 手 県 田 山 も夏 農 冬 賃 労 の型 式 を と って い る。 そ の賃 労 働 は林 業 労 働 が 主 で、戦 前 は樺 太
って しま った ので あ る が 、そ れ でも な お 北海 道 、 長 野 方 面 に年 々六〇 ∼ 七 〇 人 出 てゆ く と いわ れ
満 州 方 面 へ冬 季 出稼 ぎ に行 く も のが年 々三〇 〇 人 に の ぼ って いた 。敗 戦 に よ って冬 の稼 場 を失 な
て いる。 さ て今 ま で出 て いたも のを 村 内 で 吸収 す る よう に な った のが国 有 林 事業 で あ り、 昭 和 二
七 年 に は一一 七 戸 、 延 べ三、四 五 一人 が林 業 賃 労働 に し た が って おり 、 昭和 二八年 度 に は 第 一種 兼 業 者 七 二、 第 二種 一二 二人 が林 業 労 働 に し た が って いる 。
し か し村 内 の余 剰労 力 だ け で は足 ら ず 、 常傭 者 に な ると 村外 の者 が多 いと いわ れる 。村 民 の国
有 林 労 働 に は木 炭 原 木 の払 下 げ を う け る。 部 落 民 は 造林 、下 刈 り など のた め に 一戸 五 ∼ 一〇 人 程
度 の義 務 的 な労 力 提 供 を し て いる 。 ただ そ の た め農 繁期 に出 役 し な け れ ば な ら な い のが村 民 に は
に低 廉 な労 力 提 供 とな って いる と いわ れる が、 報告 のほ か の箇 所 には農 業 労 働 の臨 時 雇 いは 食 事
負 担 にな って いる。 賃 銀 は 二〇 〇 円 か ら三 〇 〇 円 程度 支 払 わ れ て いる 。 ほ か の いか な る作 業 以 上
一戸 四 ∼ 五人 が賃 銀 な し に部 落 の仕事 と し て強 制 さ れ て いる 只川 部 落 に比 す れば 、農 民 の愚 痴 が
付 き の 二〇 〇 円︵昭和二八年︶と な って いる から 決 し て安 いわ け で はな く 、村 有 林 の場 合 は 一年 間
〇 円 を支 払 って 日当 約 四 〇〇 円前 後 の実 収 と な って いて 、国 有 林 の義 務 労働 よ り賃 銀 がよ い。 こ
半 ば 交 って いる か と思 う 。 た だ材 木 業 者 にや と わ れ て 国有 林 の立 木 伐 採 を す る と き は 、食 費 一四 の場 合 、 山 小 屋 に宿 泊 し て作 業 す る 。
国有 林 直 営 事 業 の 一般 労賃 も や はり 四 〇〇 円 の収 入 と な って いる 。他 地方 への出 稼 ぎ の場 合 、 旅 費 のほ か 日当 六〇 〇 円 ∼ 七〇 〇 円 にな る と いう 。
こ のよう な賃 労 収 入 が総 収 入 のど う いう位 置 を し め て いる か明 ら か で な い が、 農業 労賃 の低 さ か ら見 る と 、林 労収 入 は そ れ に 二倍 す るも ので あ り つ つなお多 く の問題 を含 ん で いる のは 、 む し
ろ農 業 生産 力 の低 さ を賃 労 働 収 入 に よ って カバ ー し よう とす る意 識 の つよ いた め と み て差 支 え あ
る ま い。 し かも直 営 生産 以 外 の材 木 、 運材 等 の雇 傭 労 働 が国 有 林直 営 よ りも 実 質 的 な賃 銀 は少 し
高 い が、 森 林 法︱︱ 施 業 案 に よ る伐 木 制限 のも と で 、し だ い にせ ば め ら れ てく る 事情 に あ る と い
う 。労 働 条件 改 善 を自 主 的 に たた か いと ろう とす る 主 体 的 条件 の形 成 は き わ め てお く れ て いる、
と いわ れる け れ ども 、 そ れは 、実 は農 業 生 産 力 の低 さ に基 づ く こ と が大 き く 、 そ のこ と の故 に林
業 労働 収 入 を 主体 と し て生計 がう ち た てら れ て いる ので は あ る ま い か。 そ う いう場 合 に は林 業 労
働 が生 活 向 上 の挺 子 にな って お り 、農 業 生 産 はむ し ろ そ れ を はば む も のを も って いる と 見 ても差
支 え な い。 ただ し こ れら の例 は 杉 沢 、只 川 な ど の山 間部 落 に つい て特 に い い得 る こと であ る 。
な お 田山村 が鉄 道 開 通 以 前 に いか に文 化 的 に おく れ 、 か つ生産 が停 滞 し て いた か は、 昭 和 九年
ので あ る。 そ れ が鉄 道 の開 通 によ って 、尨 大 な山 林資 源 は社 会 事 情 の影 響 に よ って高 価 を よ び 、
凶作 の惨 状 によ って もう かが わ れ る と こ ろ で、 そ れは 周囲 の村 に比 し て、特 に は な はだ し か った
と し て 五 、七 五〇 万 円 に のぼ る。 農 林 業 五 一七戸 に平 均 す れば 一戸 一 一万 余 円 に のぼ る。 昭 和 二
林 業 の著 し い活 気 を 呈 し 、林 業 生産 の著 し いも のが見 ら れ る 。年 産 二三万 俵 の炭 は 二五 〇 円 単 位
五年 度 の林 業 収 入 は 四 七 、二三 八 、〇 〇〇 円 と お さえ ら れ て いる が 、前 記 の製炭 のほ か に木 材 が あ
り 、林 労 収 入が あ る と す れば 、 こ の数 字 に倍 加 す るも のが 見 ら れ る であ ろう 。 こ れ に対 し て農 業
生産 は 一七 、七 三 四 、五 一〇 円 であ って林 業 生産 の半 ば にも 達 し て いな い。 にも か か わ らず 農 耕 に
投 ず る 日数 は 一戸 平 均 三反 と し て 二四 〇 日内 外 に の ぼ って いる と見 ら れ、 お そら く そ れ は林 労 日
達 し て いな いと いう こと の中 に 、 む し ろ問 題 が存 在 し て い ると 見 て 差支 え あ るま い。
数 を は る か に 上廻 る も ので あ ろう 。 す な わ ち 、多 く の労 力 を要 し つ つそ の生 産 は 林業 の半 ば にも
かか る林 業 村 に お いて住 民 生活 の進 歩 を は ば ん で いるも のは 社 会制 度 であ って、 古 い名 子 的 な
な農協 の発 達 を 阻止 し 、 製炭 木 材 販 売 など にお いて も中 間 搾 取 を 大 な ら し め て い る かと 思 う。
関 係 が そ のま ま でな い にし て も いろ い ろ の形 で も ち こ ま れ て いる こ とだ と思 う。 そ れ が ま た強 力
こう し た 古 い関 係 を た ちき って ゆく のに、 他 の村 々で は国 有 林直 営 が 大 き な役 割 を 果 し て いる
こ とが う か が わ れ る。 こ の地 で は逆 に義 務 夫 役 な ど と いう も のが あ って 、隷 属 意 識 を 地 元 民 に持
た せ て いる と す れば 、国 有 林経 営 も古 い習 慣 の上 に あ ぐ ら を か いて いる と いう こと にな る のだ が、
し かし村 有 林 が無 償 奉 仕 を も と め て いる の に対 し て 、国 有 林 が 一応 、農 業 日傭 賃 銀 程度 のも のを
支 払 って いる のは 一歩 前 進 であ り、 さら に国有 林経 営 を通 じ て生 産 の恒常 化 と組 合 組織 の発 達 が
う な が さ れ る なら ば 、新 し い生産 機 構 の確 立 が見 ら れ てゆ く の では な か ろう か。
5 岩 手 県 土淵 は田 山 と 相似 た性 格 を も って いる が 、 田山 に比 し て平 坦 部 の農業 経 営 の専 業 化 と 、 山間 部 落 の山 林依 存 度 の増 大 と 相 ま って 、 山間 部 落 ま で貨幣 浸 透 の行 き わ た った地 で あ る。
今 こ の村 は農 業依 存度 の高 い土淵 、 柏 崎 、 飯豊 の三 部 落︵ 三 〇 九戸︶ と山 林依 存度 の高 い山 口、 栃内︵ 二三 四 戸︶ に分 け る こ と が でき る と 思 う 。
よ る水 田 の増 大 、一方 、畑 作 地 帯 にお け る養 蚕 の発 達 、 さ ら に タ バ コ、蔬 菜 の栽 培 と多 角 経 営 に進
さ き に こ の村 が 馬産 、駄 賃 付 など によ って 生計 を た て て いた こ と は書 い た。 そ れ が 土地 改 良 に
ん で行 った こと を の べた が、 も と 山 間部 の部 落 は土 地 生産 力 も低 く、 生 活 の レ ベ ルは低 か った の
で あ る が、 交 通 の発 達 に とも な って、 木炭 の需 要 に こた え る 生産 が活 溌 にな り 、 つ いに米 作 収 入
と 匹敵 す る に至 った 。 し かも 米 は 自 給 さ れ るも のを 含 め て のこ と であ り 、木 炭 は そ のほと んど が
も のがあ る︵表 63︶ 。 そ こ に は専業 化 ま た は そ れ に近 い木 炭 製 造 者 が いる 。 そ れ は製 炭 用 山 林 の面
販 売 さ れる も ので あ る から 、 製炭 を 主業 と す る栃 内 、 山 口に おけ る貨 幣収 入 の増 大 は目 ざ ま し い
のみ に依 存 し 、 そ の面 積 は 狭 い。製 炭 も お そら く 小使 いか せぎ 程 度 のも のと思 わ れる 。 飯豊 も前
積 の割 合 か ら も推 定 さ れる︵ 表64︶ 。 す な わ ち各 部落 と も製 炭 業 者 は あ る が 、 土淵 、 柏 崎 は 民有 林
二部 落 と 相似 て い る。 これ ら の部 落 は あき ら か に農 業 の専 業 化 が 著 し く進 ん で いる こと を知 る 。
し かし 山 口、栃 内 で は、 山 林依 存 が き わ め て高 いこ と を知 り得 る 。特 に栃 内 にあ って 民有 林 も
国有 林 も そ の面 積 がも っと も 広 い。 かり に製炭 業 者 が同 じ よ う に炭 を や い たと す れ ば 、 一戸 当 り
表63 土淵 米 産 収入 を基 準 と して見 た 収 入
表64 土淵部落別製炭戸数
の金 銭粗 収 入 は 一七 万 円 に 近 い。栃 内 だ け でも製 炭 に よ る 一年 の収 入 は最 低 一、 九 七 五万 円 が 見
込 ま れ る 。実 数 は さら に多 いも のに な ろう 。 か く て こ こ に農 業 を 主 と す る部 落 と、 山 林依 存 を 主
と す る部 落 と は っきり 二 つ の型 が 示 さ れ て おり 、 あ る程 度 ま で林 業専 業 化 への傾 向 を う かが い得
る 。 そ し て そ の こ と に よ って山 間部 落 住 民 の生活 が安 定 し向 上 し てき て いる こ とを 知 る ので あ る。
い。 し か し 一方 こ の地 には 約 一八町 歩 の煙 山 綜 合 苗 畑 が あ り、 青 森 営 林 局直 営 のも の で、 こ こ に
6 岩 手県 煙 山 は調 査村 中 も っと も よく 水 田 のひ ら け た と こ ろ であ り 、 水 田農 村 とし て専 業 化 し てき た 。 し た が って こ こ では 国有 林 は地 元 に対 し て燃 料 補 給 程 度 の役割 を果 し て いる にす ぎ な
年 間 一八、〇 〇 〇 人 の延 人数 労 務 者 を吸 収 し て いる 。 ただ し こ こに働 く者 は煙 山 村 民 は わ ず か 二
割 にす ぎ ず 、隣 村 不 動 村 民 が 八 割 を し め て い る。 こ れ は苗 畑 所 在 地 が 煙 山 の部 落 より も 不 動村 に
めと 見 ら れ て いる 。 す な わ ちこ こ で は林 地 が農 地 化 す る こ と に よ って農 業 生産 の拡 大 が なさ れて
近 いこ と と 、今 一つは農 家 の人 口構 成 が小 さく 、 余 剰 労力 を はじ き 出 す力 を持 つこ と が少 な いた
い った も の で、林 業 は農 業 に対 し て対 立的 な形 を と って いる。
7 秋 田 県 早 口は 、農 耕 を主 と す る平 地 部 落 と、 林 業 に依 存 す る山 間 部 落 と に わ か れ る が、 そ
の収 入 構 成 を 見 る と︵表 65︶ 、山 奥 の大野 は林 業 労 働 収 入 が も っとも 大 き く 、 李 岱 で は農 産 収 入 、
つ いで林 産 収 入 が 大 き い。 岩 野 目 では営 業 収 入 が多 く な る 。 そ れだ け でな く 労 働 の機 会 や産 物 の
換 金 化 が比 較 的容 易 で あり 、各 項 目 の収 入 が バ ラ ンスが と れ て おり 、特 に営 業収 入 が多 い の は商
業 聚 落 的 性 格 を も って いる から と 考 え る が 、支 出 にお いて 林産 経 費 の多 い のは 山林 地 主 に よ る林
業 の企 業 経 営 が見 ら れ る。 つま り こ こ で は林 業 が農 業 と 同 じ よ う な形 式 で︵ 造 林 を中 心 とし た︶
営 ま れ はじ め て いる こ と を知 る。 李 岱 にお いて も農 業 およ び林 業 の企 業 経 営 の芽 生 が見 ら れ る が、
表65 早 口(収 支1 戸 平均)
大 野 で は採 算 を 度 外 視 し た農
業 経 営 が見 ら れ る。 す な わ ち
多 く の肥 料 代 を つか い つ つ、
し かも多 く の主食 費 を 要 し て
農 業 生産 は き わ め て少 な い。
いる 。
こ のこ と が 生活 を 圧 迫 し て
いる のが よ く分 る。 そし て林
業 労働 収 入 に よ って、 そ の不
合 理 な る も のを カ バ ーし て い
る のだ が 、 そ れ は他 の部 落 の
農 産 収 入 や営 業 収 入 より は る
か に低 いも のであ り 、 し た が って資 本 蓄 積 も 少 な い。 こ れ
の機 会 を多 く持 つこ と と林 産
ら を克 服 す るも の は林 業 労 働
に方 法 が な い。
収 入 を増 大 し てゆ く よ り ほ か
以 上 三部 落 は共 に国 有林 に
に も っと も接 触 の容 易 だ った所 か ら漸 次 、 企 業経 営 が成 立 し は じ め つ つあ る。
依 存 し て き たも の であ る が 、 こ の よう な 差 を 生 じ た のは地 理 的 条件 、 す な わ ち資 本 主義 的 な経 済
8 山形 県 東 小 国 は さ き に も の べた如 く 、 開拓︱︱ 水 田化 のす す ん だ と こ ろ であ り 、 し た が って
し て お り、 農 耕 以 外 の畜産 、養 蚕 、 林産 は、 合計 し ても 全 体 の 二 一・九% にす ぎ な いし 、畜 産 、
平 野 部 で は農 業 の専業 化率 が高 い。 一戸 平 均 所 得 部 門 を見 てゆ く と、 表 66 の如 く 稲作 が他 を圧 倒
養 蚕 も農 業 部 門 とし て見 る な らば 、農 業 以外 のも の、 すな わち 、林 産 は一三 ・六% と いう低 位 の
も のに な る。 し かも こ の地 に お け る林 野 率 は九 一%に の ぼ って いる ので ある から 、 こ の村 に おけ
る 山林 利 用 が い か に低 いか を物 語 って い る。 と いう こ と は農 業 の専 業 化 が そ れ ほど 進 ん で おり 、
煙 山 な ど と同 じ く 農 業 は林 業 と対 立 す る 形 式 を と って いる 。 こ のこ と は平 野 部 と 山 間部 の兼 業 率
に つ いて も見 ら れる︵ 表66B︶ 。 平 野 部 の明 神 は兼 業 率 が わず か に 二五% であ り 、 山 間部 の作 造 原
は九 〇% に な って いる 。農 業 のみ で は生 計 の たた な いた め であ り 、 か つ現 金 収 入 にお いて も明 神
に 比 し て 一般 に低 い のは 、 現金 収 入 の道 が林業 労働 に あ る た め であ ろう 。 賃 労 収 入 は各 自 の労 働
能 力 に よ って定 ま るも の であ り 、各 人 ほ ぼ相 似 たも のが あ り 、群 を ぬく も のの ある こと は少 な い。
し か し 、企 業 経 営 に よる 収 入 は 、労 力+ 資 本+ ア ル フ ァと な って、場 合 に よ って は高 額 な も のと
な る 。 両部 落 の収 入 には そ の性 格 が よく 表 わ れて いる 。 し かも作 造原 は新 しく 開 墾 さ れ た村 で あ
り 、 そ う し た部 落 ほど 山林 への依 存 度 が高 い。 そ れ は 土地 生 産 力 が より 低 い た め であ る 。 す な わ
ち 耕 地面 積 は平 均 一 一 ・七反 と いう か なり 広 いも ので あり つつ、専 業 化 への道 は 遠 い。 し た が っ
て製炭 を副 業 とす る が、 農 業 への投 入労 力 の大 な る た め か、 年 間平 均 二〇 〇 ∼ 二五 〇 俵 程度 に す ぎ な い。 し か し国 有 林 への賃 労 働 な ど が年 々 一定 し て いる た め に、 一応 生活 を 安 定 せ し め て いる
表66 東
小
国(所得) B 現金所得階層 A 所得部門
表67 前森 部落現金粗収入
が 、前 森 と よば れ る 山間 原 野 の部
落 で はさ ら に農 業 生産 力 が お ち、
畑 作 を 中 心 と し 、 そ れも 一町 歩 以
内 の経 営 面積 で 山林 への依存 が高
コを 現 金収 入 の主 な るも のと し て
く な る 。 そ し て も と は養 蚕 と タ バ
いた が 、今 は山 仕 事 の収 入 が き わ
め て高 い比 重 を し め て いる 。
い のは家 族 数 の少 な いた め で あ る 。
ただ し 4 の農 家 が賃 労 収 入 の低
こ の部 落 で は国 有 林 の治 水 工事
が 三 五〇 円 の賃 銀 で、 こ の部 落 で
は じ め ら れ て い る にも か か わ らず 、
こ れ に参 加 する も のは ほ と ん ど な
い。 こ こ で は炭 焼 な ら 一日千 円 近
く に なり 、 タ バ コ乾 燥 も 八〇 〇 円
を下 る こ と はな い。 そ れ を 棒 に ふ
って治 水 工事 に はで な いと いう が、
そ の理由 は農 業 生産 力 の低 さ 、食
料 の自 給 ので き な い こ と で、 山 麓平 地 にす ば ら し い米 産 地 を持 ち つ つ、 こ の山間 部 で は ヤ ミ米 一 升 一五 〇 円 の高 値 を よ ん で いる と いう 。
そし て治 水 工 事 は平 坦地 の食 料 のあ り あ ま る部 落 の人 々が参 加 し て進 めら れ て いる と いう 。
ら の賃 労 働 が年 間 通 じ て行 な わ れる も ので な く、 き わ めて 短 い期 間 に存 在 す る と いう こ と で あ る。
し かも な お高 賃 銀 を ね らう 山 間 部落 が も っとも 大 き な 貸 付金 のこげ つき を見 て いる のは、 そ れ こ こに 大 き な問 題 が はら ん で いる よう で ある 。
9 山形 県 高 崎 は し ば し ば の べて き た如 く 、観 音 寺 と関 山 の 二大字 に分 れ、 観 音 寺 は 国有 林 に
で あり 、国 有 林 と村有 林 の地 元 利 用 に関 す る も っとも 好 対 照 を な す 所 で あ る が、個 々 の農 家 に あ
依 存 し 、関 山 は村 有 林 に依 存 す る村 で、 し かも村 有 林 は国 有 林 の三 倍以 上 の面 積 を持 って いる の
ら わ れ た結 果 は国 有 林 の利 用度 の方 が高 い こと に な って いる︵表6 8︶ 。農 家 番 号 に よる と 18 ま で が
国 有林 地帯 で 、以 下 村 有 林 地帯 に な る。 国 有 林 地 にあ って は6 ま でが 山 間部 落 、村 有 林 にあ って
は 19 か ら 24 ま で が渓 谷 にあ り 、他 は大 体 平 地 にあ る 。 そ れ に よ って みる と 山林 への依 存 は 立 地条 面 積 の少 な いも のが山 林 依 存度 が高 い。
件 と 耕 地面 積 が大 きく 左 右 し て いる 。 す な わ ち山 間部 落 が も っとも 大 き く国 有 林 に依 存 し 、 耕 地
で あり 、 そ れは 米 の生産 に よ って支 え ら れ る ので は なく 、 タバ コに よ って
こ の地 では農 業 の専 業 を可 能 な ら し め るも のは水 田 経 営 面積 一町 歩 以 上
いる こと は 現 金収 入 の最 大 なも のが タ バ コ栽 培 に あ る こと によ って察 せ ら
れ る。 こ のタ バ コに対 比 す る金 銭 収 入 が 山間 で は林 業 関 係 の収 入 に な って
い る が、 現 金 所得 は 上 のよう に な って いて 二〇 万 円 か ら 二五 万 円 ま で の農
収 支
表68 高 崎
し 大体 平 均 が と れ て いて 、 一般 に農 家 の安定 が見 ら れ る。 そ し て国 有 林 地 帯 では 二種 兼 農 は ほと
家 が首 位 で あり 、 二種兼 業 農 家 は九 戸 中 一〇 ∼ 二〇 万 円 が六戸 を し め て平 地 より や や低 い。 し か ん ど 国有 林 に依 存 し て炭 を や いて いる 。
こ れ を民 有 林 に対 比 し て見 る と 、民 有 林 が農 家 経 営 に参 加 す る部 分 は き わ め て少 な い。 そ れ ほ
ど ま た利 用 が企 画 さ れて いな いと い っても い い。 ただ 、 こ こ では村 有 林 が村 人 にと って は財 産 と
し て、 冠 婚葬 祭 そ の他 不 時 の出 費 に大 き く役 立 って いる こと を 見 のが し て は なら な い。 つまり 農
し か し そ れ は山 間 ま た は 山 麓 の住 民 の場 合 であ って、 平 坦 地 では住 民 と国 有 林 の関係 は き わ め て
家 経営 そ のも のから す れ ば国 有 林 の方 がは る か に地 元 民 に つよ く結 び つ いて いる と い って いい。
う す いが、 村 有 林 の場 合 は平 坦部 の人 々も村 有 林 の権 利 の保 有 者 と し て山 林 に結 び つき、 そ の換 金 化 に よ る利 益 を 平 等 に う け て い る。
10 宮 城 県 宮 崎 は も と 広 い牧 場 を 持 って いた 。 そ れ が村 有林 と し て成 立し てく る 。 し た が って
村 全 面 積 の八 一%は 林野 に な って いる け れ ど も 、 北川 内 お よび 寒 風 沢 、越 後 原 を のぞ いて他 の部
落 は平 坦地 にあ り 、 耕 地 も七 五〇 町 歩 に のぼ る農 耕 と畜 産 を 中 心 に し た村 であ る 。 そ のこ と をも
っと も よく 物 語 るも のは賃 銀 であ る。 こ こ で は 二食 ま た は三 食 付 で 一日 一八〇 円 だ と いう 。 一般
に農 業 を中 心 と す る村 の賃 銀 は林 業 地 に比 し て低 い。 平 坦 部落 に お いて は米 の ヤ ミが あ る に し て
も 、木 材 業 者 や 木炭 販 売 業 者 のよう な資 本 と商 略 を持 たず 、農 業 生産 力 を 基 礎 に し た賃 銀 がう ち
た て ら れ て いる から で あ る。 と同 時 にこ の村 に お け る農 業 生産 力 を も推 定 でき る 。
そ し て こ の村 では 土地 生産 力 も 労 働 生産 力 も未 だ あ ま り高 く な いと い って い い。 一町 二反 を 耕
作 す る農 家 でさ え 、 父 の病 気 のた め に五 反 の土地 を手 ば な し 、農 地 解 放 で 八畝 ば か り の水 田 を手
に 入 れた も の の、家 畜 導 入 資 金 さ え頭 金 の不 足 で借 る こ と が で きず 、 一九 歳 に な る弟 を農 家 の下
は主 とし て炭焼 に 従 って貨 幣 を 手 に 入 れ て いる。 し かも 年 間製 炭 一戸 平 均 一〇 〇 ∼ 二〇 〇 俵 程度
男 と し て出 し て いる と いう 。 そ こ で 一町 内 外 以 下 の農 家 は勢 い山林 に依 存 せざ る を得 ず 、 そ れら に すぎ な い。
特 に 二∼ 三 反 程 度 を 耕作 す る よう な農 家 の山林 への依 存 度 は つよ く 、 そ の人 々 に よ って簡 易 委
託 林 保 護 組 合 を つく り 、国 有 林 か ら の払 下げ 原木 に よ って製 炭 に従 事 す る も のが多 いが 、 四月 と
七月 に国 有 林 の下 刈 り に出 役 の義 務︵ た だ し 日 当 二〇 〇 円 を 支 払 う︶ のあ る のを き ら って脱 退 し
た も のも あ った と いう が、戦 後 原 木 の不 足 から ま た加 入 し はじ め て いる と いう 。 そう いう 意味 で
国 有 林 は平 坦地 零 細 農 家 の社会 保 障 的 な意 味 を多 分 に持 って いる こ と を知 る 。 し かも 薪 炭 材 一棚
は 国 有林 の場 合 は五 尺 ×八 尺 × 二尺 で、 村 有 林 の五 尺 ×五 尺 × 二尺 に比 し て容 量 も 多 く 、 価 格 は
村有 林 よ り安 い と いう 有 利 な条 件 に あり つつ、 払下 げ 量 が少 な く 、十 分 に製 炭 能 力 を あ げ得 な い
状 態 に あ る 。だ か ら農 耕 地 を持 たず 製 炭 を主 と し て いる も のにと っては 、原 木 の少 な い こと は致
命 的 な 悩 み と い って い いが 、 国有 林 面 積 の せま いと いう こ と が そ の需 要 を み た し得 ず 、 不 足 分 を
村 有 林 よ り補 う と す れば 一棚 四 五〇 ∼ 八〇 〇 円 で、容 量 の少 な い上 にこ の価 格 で 、 さら に権 利所
有 者 が転 売 す る と き は 一、 二割高 く な る から 、 炭 一俵 に つ いて原 木 代 一〇 〇円 も か か る こと にな
か つ土 地 生産 力 が低 く 資 本 蓄積 の乏 し いた め に経 営改 良 が行 な わ れず 、 し た が って専 農 化 が す す
り 、 そ の利 益 は き わ め てう す いも のに な る。 つま り こ の村 の平 坦部 では零 細農 家 が比 較 的多 く 、
ま ず 、 し か も 山林 資 源 の欠 乏 のた め に林 業 生 産 を 挺 子 に し ても な お経 営 改 良 を行 な い得 な いと い う 悩 みを 持 って いる 。
こ れに対 し て山 間 部 落 に つ いて見 る と、 一戸 当 り耕 作 面 積 は平 坦部 と 大差 な いが 、 米 の反 当収 量 は平 坦部 の 二・ 二石 に対 し て 一・五 石 で平 均 七斗 も低 くな る。 し た が って山 林 への依 存 度 は相
当 つよ いも のに な る。 ここ で も住 民 は森 林保 護 組 合 を作 って民有 林 製 炭 原 木 の半 値 以下 で炭 材 の
払 下げ を う け て い るが 、 そ れ は五 ∼ 一〇棚 程度 に すぎ な い。 一〇 棚 と し て 一六 〇 俵内 外 の製 炭 し
か でき な い。 そ こ で勢 い民有 林 に た よら ざ る を得 な いが 、 こ こ で は民 有 林 は共 有 林 が 広 く 、 い わ
ゆ る記 名 持 ち にな って いて 、 大 き い権 利 を 持 つも のは払 下 げ 材 も多 く な る。 そ れら は炭 材 の不 足
す る も のに転 売 せら れ る が 、 そ れ は 一棚 あ たり 一、二〇 〇 ∼ 二、〇 〇 〇 円 の高 価 な も のであ る。 民
って しま う 。 そ れ が著 し く製 炭 農 家 の生活 を圧 迫 し て いる 。 一方 、森 林保 護 組 合員 は非 組 合 の加
有 林 一棚 で は 一〇 俵 ほ ど し か やけ な い。 す る と 一俵 二五 〇円 程 度 に売 った ので は手 どり はな く な 入 を極 力 排 し て いる 。
こ のよ う な 生産 停 滞 を き たし た 大 き な原 因 は三 つあ る 。 一つは山 間 部 落 で は 山林 の払 下 げ 運 動
のも多 く 、 生産 を いち じ るし く停 滞 さ せ た こと であ り 、 そ の 二は 牧 野 が 山林 へきり かえ ら れ て ゆ
に と もな う 幹 部 の不 正 か ら大 き な借 財 を背 負 わ ねば な らず 、 そ の整 理 のた め に 土地 を 手 ば な す も
く過 程 にお いて積 極 的 な計 画 の見 ら れ な か った こ と 、 そ の三 は牧 畜 に依 存 す る点 が大 き いにも か か わら ず 、馬 小作 の制 度 があ り 、他 は馬 より 牛 に き り かえ て畜 産 を有 利 な ら し め つ つあ る のに対
し、 自 ら の意 志 で牛 にき り か え る機 会 を持 つこ と が少 な い こと 、 で あ ると思 う 。
し かも 国有 林 が社 会保 障的 な役 割 を はた し つ つも 、面 積 の狭 小 な た め に十 分 の効果 を あげ て い な いと こ ろ に問 題 があ る 。 こ こ に村 有 林 共有 林 経 営 がも っと 合 理化 せら れな け れば な らな い のだ が、 未 だ そ の段 階 に たち いた って いな いよ う で あ る。
と し て 経 営 改 良 の行 な わ れ な か った の は 何 故 で あ ろ う か 。
一方 農 業 に お い て も こ の村 は 養 蚕 の き わ め て 盛 ん だ っ た に も か か わ ら ず 、 そ の貨 幣 収 入 を テ コ
11 福 島 県 茂 庭 は 国 有 林 へ の依 存 の も っと も 高 い村 の 一 つと 言 え る 。 村 総 面 積 の 九 八% ま で が
で 七 石 、 田 畑 で 三 石 に す ぎ な い。 そ の ほ か 大 麦 、 小
林 野 で あ り 、 さ ら に そ の九 三% が 国 有 林 で あ る 。 し か も 水 田 面 積 は き わ め て せ ま く 、 米 作 一戸 当 り 平 均 収 量 を 見 る と 、 名 号 で 一 ・八 石 、屶振
麦 、 ジ ャ ガ イ モ 、 サ ツ マイ モ、 ダ イ ズ が あ る が 、 換 金 に 仕 向 け ら れ る も の は少 な い 。
養 蚕 、 タ バ コな ど の産 業 は あ る が 、 そ れ も 必 ず し も 盛 ん と は 言 い難 い。
か く て そ の ほ と ん ど が 国 有 林 に 依 存 し て 生 活 し て い る︵ 表 69︶。 ま ず 燃 料 に つ い て み て も 、 調 査
も関 係 のふ か い名 号 に お いて収 入 が 二〇 万 円 に達 す るも の はな
高 崎 な ど より は かな り低 く な って い る。 そ し て国 有 林 にも っと
森 、岩 手 、 秋 田 、 山形 に比 し て やや 低 目 であ る た め に、 収 入 も
し か しな がら ここ で は林 労 未 分 であ り 、 か つ国 有 林 労賃 が青
が か なり 大 き な数 字 を 示 し てく る。
炭 業 が附 加 され 、屶振 で は製 炭 が主 と な り 、 田畑 で は農産 販 売
も大 き く 、 国 有林 労 働 に し たが う も のが ほ と ん ど で、 これ に製
そ のう ちも っと も 山奥 の名 号 は国有 林 に依 存 す る こと がも っと
林 産物 販 売収 入 が 、金 銭 収 入 の大半 を し め て いる の であ る が 、
から 仰 ぐ も のも 八 八% に の ぼ って いる。 そし て林 業 労働 収 入 と
戸 数 四 七 のう ち 三 七 戸 は 国 有 林 に 依 存 し て お り 、 七 八 ・七% に あ た っ て お り 、 製 炭 原 木 を 国 有 林
茂庭 収入階層
い。貧 し いな り にほ ぼ平 均 し て いる 。 賃 労働 が 主 に な って いる た め で あ ろう 。 ま た 田畑 に お いて
三〇 万 円 以 上収 入 あ る家 の 一戸 は俸 給 によ る収 入 が 、 二二五 、〇 〇 〇 円 に達 し てお り 、他 は林 産 物 販 売 が 、 二 二万 円 に のぼ って いる た め であ る 。
以 上 見 て来 た如 く、 こ の村 に お け る低 収 入 の主要 な原 因 は、 国 有林 に お け る低 賃 銀 が 大 き く作
れる 。 つま り 、 も っとも プ リ ミ テ ィブ な薪 炭 材 採 取 を 主 と し た林 業 が 存在 し て いる た め であ る と
用 し てお り 、 国有 林 の低 賃 銀 は 用材 林 業 を中 心 にし た育 成 林 業 の発 達 のお く れ て いる た めと 思 わ
思 う 。 こ こ では林 道 さ えも 中津 川 の流 域 に手 押 し の軌道 が見 ら れ る の み で未発 達 の状 態 にあ る 。 12 福 島 県 荒 海 は そ の八 六% を 林 野 と す る が、 し かも そ の大半 は村 有 林 にな って いる。 農 耕 と
製 炭 造 林 を主 業 と す る農 家 が多 い。 一戸 当 り耕 地 は水 田三 ・六反 、畑 四 ・七反 、計 八 ・三 反 で福
り 屋 根葺 を職 とし て関 東 平 野 へ出 稼 ぎ し た所 で あ る が、 今 日 で は 木炭 お よび 薪 の現 金収 入 が三 、
島 県 平 均 の 一〇 ・二反 より お よ そ 二反 も少 な い。 し たが って農 業 専 業 はな り た ち が た く 、早 く よ
で はタ バ コ、マ ユ、リ ンゴ を 合 し て 一、二〇〇 万円 に なり 、 農 業経 営 の多 角 化 が 見 ら れ つ つあ る が、
〇 〇 〇万 円 を こえ 、 農 業経 営収 入 の 一、五九 五万 円 の約 二倍 に のぼ って いる。 農業 経 営 収 入 の中
こ の程度 の収 入 で は農 業専 業 化 は むず かし い。 そ こ で林 業 にた よ る こ と が大 き い のだ が 、林 業 経
営 は必 ず し も成 功 し て いる と は いえ な い。東 北 の多 く の山 村 に見 ら れ る如 く炭 焼 を 主 と し 、 し か
も そ れが 過 伐 に お ち い って いる 。 ま た山 林 は個 人 所有 が あ るが 五 反未 満 のも のが六 〇% に も のぼ
り 、 い わゆ る 百姓 林 と し て所有 さ れ たも ので、他 は村 有 林 また は部落 有 林 と し て持 た れ て いた 。
そ れら の山 林 は積 極 的 な経 営 が行 な わ れ て おら ず 、遺 産 の居 喰 い の形 で 、 広葉 樹 を 伐 っては炭 を
や いてき て いた に すぎ な か った 。 し た が って林農 兼 業 で、 両 者 未 分 化 のま ま で、 今 日 に至 って い
る 。面 接 調 査 にお け る三 カ所 の上中 下 三 階 層 の労力 配 置 を見 ると 表 71 のよ う に な って いる。
す な わ ち家 族 員 は耕 地 面積 が少 な いほど 少 な い傾 向 に あ る が、 そ の いず れ の家 にも農 業 以 外 の く は こ の労 力 が 屋根 葺 の出 稼 ぎ に な って いたも の であ ろ う。
労 力 を 持 って いる 。 そ れが 他 の労 働 や職 業 に吸 収 せ ら れ る こと によ って経 営 は成 立 し て いる 。古
考 え ら れる 。 こ の食 料 費 は 主 と し て副 食 物 購 入 に あ て ら れ て いる と 思 わ れ る。 ち ょう ど そ れ を裏
上層 部 では食 料 購 入費 が 家計 費 の二〇% 以 内 に と ど ま って いる のは 、自 給 せ ら れ て いる た め と
付 け るよ う に 上層 農 家 にお け る 肥料 購 入費 が 大 き い。 そ し て中 層 以下 は多 少 とも 主 食 の購 入 を し
て いる こ と が う か が わ れる 。 そ れ ら が タ バ コ、 カ イ コ、 リ ンゴ お よび 林 業 収 入 によ って おぎ な わ
れ て いる わ け で あり 、 特 に林業 に た よ ると こ ろが多 い。 し かし な が ら 民有 林 に おけ る蓄 積 は決 し
て高 く な い。用 材 に つい て見 れば 、川 島 ・関本 の上層 部 の山 林反 当 り 五三 石 を 最高 と し 、同 じ土
地 の下 層部 の二 一石 を 最低 と し て いる。 薪 炭 林 で は 羽塩 上層 部 の 二〇 石 を最 高 と し 、 川島 ・関 本
上層 部 の 一 一 ・ 一石 を 最低 と し て い る。 平 均 し て 一五石 弱 で はな いか と思 わ れ る。村 有 林 は こ れ より も さ ら に低 いと見 ら れ る 。
のツ 植 栽 を行 な い、 村 四 、組 合 六 の割 合 で利 益 を分 配 す るこ と に な って おり 、 そ のよう な組 合 が
最 近 、村 有 林 に対 し ては 五名 以 上 で組 合 を作 って 一区 割 約 二町歩 の土地 を借 り 、 スギ 、 カ ラ マ
六〇 も で き て植 林 が す す み つ つある が、 し か し まだ そ れが 利 益 を 生 む ま で には長 い年 月 を要 す る 。
一方 こ の地 では 国有 林 の直 営 は微 々た る も ので、 地 元 民 が国 有 林 労 働 によ ってう け る賃 銀 は 一 年 間 一七 万 円 程度 に すぎ な い。
な お、 こ の村 の農 業 戸 数 は五 一六戸 で あり 、 林 業 戸数 は 八七 戸 を数 え 、 両者 合 し て六 〇 三戸 に
(収 支)
表69
茂 庭
294
入
林産販売
林業賃労 その他賃労委託林配当 そ の 他
一
161,000
藁
工 品 6,000
計
一
一
10,000
一
一
10,000
一
189,700 150,000
31,000
30,000
一
10,000
一
20,000
45,000
一
10,000
一
75,000
172,000
一
一
10,000
一
182,000
一
10,000
一
218,000
一
5,000
俸 給 225,000 議 員 5,000
344,000
110,000
165,000
15,000
一
一
一
一
40,000
一
一
5,000
一
102,600
50,000
一
一
5,000
一
120,300
5,500
一
157β00
一
166,900
10,000
5,500
69,000
4,500
10,000
99,000
一
一
5,000
220,000
50∫000
27,000
5,000
議
50,000
10,000
一
5,000
開拓 補助
一
54,000
一
5,500
一
一
69,000
一
5,000
一
一
一
5,000
一
一
5,000
36,000 161,000 一
}
一
180,000
100,000
15,000
44,800
6,400 一
84,000 2,949,200
1,744,150
員 6,000
122,500
355,500 152,400
3,000
94,900 74,000 112,300 244,000
29,000
5,000
30,000
5,000
一
264,000
5,000
一
131,000
5,000
一
122,200
5,000
一
277,000
434,000
一
18,000 一
!80,000
32,000
95,000
295一
六
国有 林 と地 元 民 の 生活
支 世帯番号
出
生 業 支 出
肥 料 林産経費 主 25
5,400
26
4,400
27
3,000
28
一
29
30
8,000
31
20,000
32
15,000
」 29,000
食 一
90,000
23,800
7,000
6,000
25,000
副 食
農産販売
3,000
10,000
一
!4,000
一
一
14,000
一
一
一
一
50,000
15,000
81,000
75,000
12,000
一
一
5,000
18,700
25,000
61,700
}
畜産販売
42,000
28,000 102,500
10,000
30,000
82,000
5,000
57,600
一
11,500 20,000 一
33
12,700
4,000
22,500
34
15,000
5,800
15,000
20,000
65,300
35
10,000
25,000
68,000
24,000
48,300
20,000
36
15,000
62,000
36,000
12,000
62,900
一
37
15,300
120,500
62,000
36,000
47,500
一
38
10,000
33,500
65,000
20,000
84,400
一
39
2,500
一
44,000
20,0GO
35,400
一
40
6,300
㎜
46β00
5,700
一
41
16,000
4,000
36,000
23,000
70,300
42
12,000
93,500
42,000
4,500
78,000
32,000
一
9,000
20,000
72,000
一
47,000
2,000
一
一
1,000 一
43
8,000
44
10,000
45
12,000
!6,000
90,000
11,000
一
46
10,000
25,000
55,000
48,000
一
47
16,000
50,000
24,000
52,800
一
351,700
935,000
計 醜
1,100
収 家 計 支 出
{
一
6,000
!,692,100 1
181,000
表70 荒
海
収
支
表71 荒 海1 戸 当 労 力 ・支 出
な る が、 農業 収 入約 四 、七〇 〇 万 円 を 除 す る と 一戸 当 り 七 八、三 〇 〇 円 余 に な って い て、 決 し て収
入 は高 く な い。 し かも 住 民 の生 活 の大 き な支 え にな ら ね ば な ら ぬ山 林 利 用 が き わ め て粗 放 で あ る こ と が観 取 さ れる 。
に つれ て農 業 が専 業 化 し て い った と いう よ う な傾 向 は少 な い。 む し ろ村 内 にお け る 土地 移 動 によ
12 茨 城 県 沢 山 は性 格 的 に見 れば岩 手県 煙 山 に似 て いる が 、 こ こ で は新 た に耕 地 のひ ら け行 く
る地 主化 が見 ら れ 、 そう し た階 級 は 雇 傭労 力 を 入 れ て農 地 の耕 作 にあ た ってお り農 専 業 であ る 。
米 を供 出 し得 るも のは き わ め て少 な く 、経 営面 積 は八 反 以下 が多 い。 そ こ で、 タ バ コ、 カイ コな
地 主階 級 に つぐ農 家 は タ バ コ栽 培 を 現金 収 入を 主 と し て いる も ので、 自 作 以下 のも の であ る 。
ど を とり いれ た経 営 を行 な って いる 。 し か し 八反 以 下 で は家族 労 力 のす ベ てを 消化 し き れず 、 都
市 に向 って 工業 労 働者 と し て余 剰 労 力 を出 し て いる。 こ れら は年 間 労 力 のあ ま って いるも の であ
り 、家 に とど ま った者 も季 節 的 にな お労力 の余 剰 が あり 、 そ れ が国 有 林 労 働 に吸収 さ れ て い る。
い のは農 業 生産 が 主 であ り 、 そ の生 産 力 が 労賃 を 左右 す るこ と が 大 き いから であ ろ う 。 こ こ では
日 当 は大 体 三 〇 〇 円 ま で で あ る。 平 坦 地 であ り 水戸 市 に近 い にも か か わ らず 林 業労 賃 の比較 的 低
農業 労 賃 は 一食 な いし 二食 付 で 一五 〇 円 にすぎ な い。し たが って 国有 林 労 賃 は 一般 に 比 し て高 い
と い い得 る の であ る。 ただ タ バ コ耕 作 者 にと って は乾 燥 用 の薪 を多 く 必要 とし 、 そ の払 下 げ を国 有 林 に向 って要 望 す る声 は つよ い。
沢 山村 赤 沢 に は前 記 専業 農 家︵ 地 主 ク ラ ス︶ 、第一兼 業 に つい で、 国有 林 労 働 によ る 金銭 収 入を
タ バ コ耕 作 ま た は養 蚕 にお き か え て いる 農 家 が あ る が、 国 有 林 面積 は 広 く な い ため 、 最 高 五 四 、
五 四 四 円 か ら 、最 低 三、〇〇 〇 円 足 らず の収 入 を 見 て いる。 生活 は必 ず し も ゆ た か では な い。特
に燃 料 に困 る も のが多 く、 そ の払 下げ が つよ く要 望 され て いる 。
でき な いよう な人 々 であ り 、国 有 林 は こ の人 々に と って は ﹁な た を も って自 分 の畑 のそば で杉 葉
こ のほ か に タ バ コも つく らず 、 国 有 林 労働 も で き な い零 細 農家 が あ る。 それ ら は農 業 も 十 分 に
を と って いた ら管 理人 に見 つか って なた を と り あげ ら れ た。 昔 は 杉枝 や落 葉 は自 由 だ った﹂ と い
る息 苦 し さか ら住 民 に対 し て社 会保 障 的 な意 味 を持 たず 、逆 に救 済 を 必要 と す る人 々 に圧 迫 を加
う 如 く つよ い拒 否 を見 せ て いる 。 そ し て ここ では いわ ゆ る独 立採 算性 が国 有 林 面積 の狭 さ か ら来 え て いる 。
14 栃 木 県 箒 根 は そ の二五% を林 野 と し、 う ち国 有 林 は 四 三% であ るか ら 、国 有 林 への経 済的
な依 存 度 は比 較的 低 い。同 時 に耕 地 面積 は広 くな る。 面 接 調 査 に よ る中 以 上 の農家 は いず れも 一
町歩 以 上を 耕 作 し てお り、 稼 働 人 口 の大半 は農 業 に従 事 し ており 、 わず か に関 谷 の下 層 農 家 に 一
と い い得 る。 こ れ はこ の地 が馬 乳 牛 を 飼 い、 タ バ コ栽 培 を 盛 ん に行 な って おり 、 そ れが多 く の労
戸 当り 二人 の農業 外 従 事 者 を見 て いる に すぎ な い。 す な わ ち専 業 化 の著 し く 進 んで いる地 で ある
ク ラ ス、 金沢 の上 ク ラ ス にすぎ な い。 し かも支 出 中 の営 農 費 が 金 沢 を 除 いて は下 層 農 家 と いえ ど
力 を 吸収 す る た め であ る 。 し か し総 所 得 に つ いて見 る と、 二〇 万 円 を こ え るも の は遅 野 沢 の上中
も 三 〇% 以 上 を こ え て いる のは 、 タ バ コ栽 培 およ び牛 飼 料 代 等 多 く の生産 費 を要 す る た め であ ろ
さ せる 。 か く て そ の収 支 を 見 る と 、 零細 農 の中 に赤 字 が な く て 、 上中 ク ラ ス に赤 字 を見 て いる の
う 。 た だ し 金 沢 は稲 作 を中 心 と す る水 田部 落 であ り 、耕 地 面 積 の狭 小 は そ のま ま営 農 費 を 少 な く は営 農 費 の負 担 の重 さ に よ るも の では な いか と思 わ れ る︵表 72︶。
かく の如 く 、農 専 業 化 せ ら れ た村 にお いて は林 業 は 自 ら農 業 か ら分 離 せら れる ので あ る が、 こ
表72 箒 根 農 業 経 営
の村 では タ バ コ耕 作 を 行 な う た め
に温 床 に 必要 な落 葉 と 乾 燥 に必要
な薪 を 山林 に仰 がざ るを得 ず 、 そ
の点 で林 業 と いう より も 山 林資 源
に結 び つ いて いる の であ る 。 ま た
馬 飼育 、 酪農 経 営 にお け る 生草 の
必要 か ら採 草 地 を 必要 と し てく る。
し た が って こ の地 に お け る農 家
と 山林 の結 び つき は、多 く の場 合 、
林業 経 営 と いう よ り も 農業 経 営 に
めに獲 得 す る と いう 形 式 を と って
必要 な林 野 生 産物 を農 業 経 営 のた
いる 。 そ し て山 林 を も た な い下 層
クラ スは燃 料 を購 入 し て いる。
同様 に下 層 ク ラ ス の飼 料 の不 足
は甚 だ しく 、 これ を林 野 にも と め
ざ る を得 な い状態 に あ る。 そし て
民有 林 が、個 人的 な交 渉 に より 、
か つそ の利 用 に つ いて いろ いろ の
ふ や す よう と の要望 がも っと も つよ い。 し か し国 有 林 は 用材 林 業 に向 ってす す み つ つあり 、農 林
条 件 の つく のに対 し 、国 有 林 は そ う し た点 が比 較的 繋 累 のな いこ と か ら 、国 有 林 の採 草 地 面積 を
業 の分 離 様 相 を 次第 に濃 く し て いる が 、 一方 、 民 有︵ 金 沢︶ で は昭 和 二六年 以来 、 シ ラ ハギ 、 ト
ゲ ナ シ ニセ ア カ シ ヤな ど豆 科 の飼 料 木 植林 に のり 出 し 、 林地 を牧 畜 に利 用 す る計 画 を す す め つ つ
あ る のは林 地 の新 し い利 用 方 法 と し て 一つ の示 唆 を 投 げ あ た え るも の であ る 。
を多 く持 つ部 落 には 漸次 発 達 し つつあ る 。 そ れ ら は面積 の上 か ら見 て林 業 の専 業 化 を促 す も の で
ただ し 全 般 と し ては スギ、 ヒ ノキ 、 ア カ マツ など の用 材育 成 林 業 が遅 野 沢 、関 谷 な ど の民有 林
は な いが、 農 業 経 営 の集 約 化 への資 本 投下 の役 割 を 果 す 日 が来 る であ ろう 。
面積 のき わ め て広 い村 で あ る。 平 坦 地 は耕 地 が ひら け 養 蚕 を中 心 とす る農業 経営 が見 ら れ るが 、
15 群 馬 県 沢 田 は 山林 が全 面 積 の八 八% を し め、 さら にそ の八七% を 国有 林 が し め る。 国 有 林 山間 部 落 は製 炭 を 主 と し て 生計 を た て て いる 。
二、木 挽 一、 勤 務 二と な って おり 、 山 林 への依 存 度 は低 い。 こ こ に は 一五 〇 町歩 の大 山林 地 主 が
調 査 地 の大 竹 部落 の調 査農 家 一五 戸 のう ち現 金 収 入源 養 蚕 一〇 、 コ ン ニャク 一、 山林 三 、 土 工
いる が、 そ の生 計 は 養 蚕 をも って た て て いる 。現 金 収 入 は最 高 三 〇 万 円 よ り 最低 八万 円 く ら いに な って いる。
大 岩 は 四万 川 の支 流 蛇野 川 の奥 にあ る集 落 で あ る が、 大 正 一四年 より 昭 和 一二年 ま で に 八 ・三
町歩 の開 墾 を 見 て、 三 八戸 が七 五 戸 にふ え た部 落 であ り 、農 業 を いと な み つつ林 業 労 働 、 製 炭 な
ど に よ って現 金 収 入 を得 て いる の であ る が 、製 炭 に よる 現 金収 入 の比 重 が も っと も 大 き い。 そし
て調 査 戸 数 一五 戸 のう ち製 炭 を主 と す る も の 一〇 、 林 業 労働 を 主 とす るも の 二、養 蚕 を 主 とす る
も の三戸 に な って おり 、現 金収 入 は各 戸 と も ほ ぼ 一〇 万 円 内 外 と いわ れ る。 し かし な が ら 三〇 町
め て少 な く 、製 炭 、林 業 労 働 を 主 と す る 二種 兼農 が多 いと考 え ら れ る 。 に も か か わら ず 木炭 の生
歩 を 七 五戸 で耕 作 し て いる ので あ る から 食 糧 は絶 対 不 足 し てお り 、 一種 兼 農 と目 さ れる家 は き わ
産 が年 間 二〇 〇 俵 程 度 のご く少 な いも の であ るこ と は 、 こ の地 へは 昭 和 二六年 ま では ト ラ ック が
な原 因 であ ろ う 。 こ のこと は秋 鹿部 落 と比 較 す る と き 、 は っき り と 差 が出 て く る。 秋 鹿 は 四万 川
入 ら ず 生産 物 運搬 にも 人 力 によ ら な け れば な ら な か った こ と が、 こ の低位 生産 に釘 付 け し た 大 き
たが って山 林 への依 存 が大 き い。 調 査
の部 落 で田 五 反 、 畑 八 ・八町 、 園 地 三 ・九 町 、計 一三 ・二町 で こ れを 二三戸 で所 有 し て いる か ら 、
渓 谷 にあ り 、 こ の谷 に は四 万 温泉 に至 る バ ス道 路 が通 じ て いて交 通 は便 利 で あ る。 秋 鹿 は 三 四戸 一戸 平 均 六反 ほ ど に な る。 も と よ り 主食 物 は不 足 す る 。 し
戸 数二一 戸 中 製炭 一〇 、養 蚕 五 、林 業 労 働 五 、 工夫 一と な って い て、 製炭 業者 が最 も多 い。 一戸
の製 炭 能 力 は 三〇 〇 俵以 上 に の ぼ ってお り、 現 金 収 入 も最 高 一九 万 円 よ り 最低 一〇 万 円 と な って
おり 、 同 じ 国 有林 に依 存 し つ つ大岩 より はず っと 収 入 が多 く な る。 養 蚕 も マ ユが反 当 り 一三 貫 目 で あり 、 一反 二万 円 の収 入 とな って いて 、 一応 全 国標 準 に 近 い。 ても 過 言 では な い。
かく て、 こ の村 の山 間 部 落 は 国有 林 の製 炭 原 木 供給 の如 何 が住 民 の生活 を 左右 し て いる と い っ
16 静 岡 県富 士 岡 に おけ る農 業経 営 の実 態 に つ い て見 る に、 高 内 部 落 で は下 層 農 家 二 ・三反 、
中 層 六 ・九 反 、 上層 一三 ・九 反 で、 二子 で は下 四 ・六反 、中 五 ・四 反 、 上 一五 反 とな ってお り、
両 部 落 調 査 農 家 三 二戸 中 一 一戸︵ 上 、中 ク ラ ス︶ は専 業 で あり 、 他 は 兼業 と な って い る。 そ し て 下 層 一三戸 中 八戸 は 二種兼 業 に な って いる 。
こ の地 は 共有 林 を持 って いる が、 そ れ す ら下 層 者 の持 つ権 利 は 上層 者 の三 分 の 一程度 に すぎ な
つく り 中 以 上 が タ バ コを つく り 養 蚕 を行 な って い る。 し た が って零 細 な兼 業 農 家 は兼 業 の故 に よ
い。 し たが って農 以外 の兼 業 に たよ ら な け れば な ら な い。 零 細 農 家 は そ のほと んど が食 用作 物 を り 低 い生産 に釘付 け せ ら れ て いる と い っても よ い。
兼 業 す る職 業 は農 業 日雇 が多 い。 二子 で は国 有 林 への出 役 も見 ら れ る が、 賃 銀 は 二〇 〇 円 程 度 で あ る。
ら青 森 ・秋 田 地方 に比 し て三 〇 ∼ 四〇% 安 い 。茂 庭 な ど と 同 じ く積 極 的 な 経 営 が行 な わ れ な いた
こ の地 で は国 有 地 の大半 は演 習 地 と し て村 民 生活 を 圧 迫 し て いる面 が つよ い。 国 有林 の労 銀 す め で あ ろう 。 と 同時 に 土地 生 産 力 も 低 い。
17 長 野県 富 士 里 は村 全 面積 の七〇% が山 林 であ り 、 さ ら に そ の七 五% が国 有 林 で あ る から 、
全 面 積 の五 〇% 以 上 が国 有 林 であ り 、林 地 の広 い村 で あ る が 、山 麓 の緩傾 斜 地 に 立村 し 、 畑 を 次
第 に水 田化 す る こ と に よ って専 農 化 し 、 山林 に対 し ては 燃料 と野 草 採 取 の ため に利 用 し て い る程
度 に すぎ な い。 し か も金 肥 の流行 か ら野 草 の需 要 も 著 し く 減少 し 、林 野 は 植林 ま た は開 拓 の対 象
地 と し て の み存 在 す る こ と に な った が、 最 近有 畜 農 業 の発 達 と 、有 機 質 肥 料 が 地力 保 持 のた め に
重要 な役 割 を 果 す と の考 え から 、 採 草 地 が再 び 問 題 にな り は じ め て いる。 特 に国有 林 と耕 地 の間
に介 在 し て い た採 草 地 が開 拓 地 に指 定 せ ら れ て か ら村 人 は に わ か に採 草 に当 惑 し は じ め て おり 、
そ れ が有 畜 農 業 の発 展 を はば も う と し て いる 。 一方 ま た 燃料 の不 足 も 生活 を 大 き く 圧迫 し は じ め
て いる。 こ のこ と か ら国 有 林 経 営 の積 極 的 な計 画 化 が地 元 民 の要 望 と し て お こり つ つあ る。
こ の場 合 、 国有 林 の直 営 に地 元 民 を賃 労働 者 と し て参 加 さ せ る ので な し に、 自 家 用 燃料 補 給 の
た め の原 木 払 下 げ が ま ず 問題 に な ってく る 。 そ う いう意 味 で の国 有 林 への結 び つき を も と め て い る。
18 長 野 県 日義 村 は中仙 道 に そう た古 い宿 場 の村 で あ り 、交 通 関係 の仕 事 に よ って生計 を た て
る も のが多 か った の であ る が 、中 央 線 の開 通 後 は 山林 に た よ る こと が 大 き く な った。 農家 の半 数
以 上 は五 反 以下 の零 細 農 であ り 、食 料 は自 給 な いし購 入 を 必要 とす る者 が多 い。 し た が って大半
の農 家 は兼 業 を 必要 と し て おり 、 そ の主 なも の は俸 給 生活 者 で 一二五 人 が 一、一五 一万 円 を 得 て
お り、 つ い で大 工職 で年 間 九 四 〇 万 円 の収 入 を あげ て いる 。 こ のほ か余 剰 労 力 は職 工 に な って都 た て て い る。
市 の工場 に吸 収 せら れ て おり 、 専 業農 家 は養 蚕 四 八三 万 円 、 畜産 二三七 万 円 を と り 入 れ て 生計 を
当 り の蓄 積 は 一八三 石 で国有 林︵ 七 四 六石︶ や 私有 林︵ 二五 七 石︶ よ り も は る か に低 い。 こ れ は
こ の村 に は 二、二七 七 町 歩 と いう 広 い村 有 林 があ り つ つそ の利用 は き わ め て粗 放 であ る 。 一町
施業 案 を持 ち つ つも 植 伐 の計 画 性 が乏 しく 、 著 し い過伐 と植 林 手 お く れ のた め と い わ れる 。 こ の
た め に今 日村 有 林 は 村 財政 に格 別 貢 献 し て いな い。 ただ 村 有 林 は 村 民 の燃料 供 給 林 と し て役割 を 果 し て い る。
育 成 林 経 営 のた め に 還元 さ れな か った た め で あ る。
村 有 林 が こ のよう に無 計画 な掠 奪 林 業 を 行 な った のは 、山 林 収 入が 一般 会計 に く り 入 れら れ て
理想 的 な 経 営 を行 なう こ とが でき ず 、不 時 の出 費 や 家計 の足 し に 三〇 年 内 外 で伐 ら れ る も のが多
私 有 林 は 四 五 三町 歩 に の ぼる が 一戸 一戸 の経 営 面積 が せ ま く 、輪 伐 期 五 〇 年 な ど と いう よう な
い。 こ のよ う に村 民 は村 有 林 あ る いは 私有 林 に た よ る こと が多 く 、国 有 林 と の関 係 は 少 な い。 た
だ 山 間 部 落 が国 有 林 労 働 に従 事 し て賃 銀 収 入 を得 て いる程 度 で あり 、 立 木販 売 も村 外 のも のが ほ
と んど 払下 げ を う け て い て、 国 有 林 は村 人 に と っては 二重 三重 の搾 取 にな って いる。 し かし 村有
土 地 生産 力 の低 い村 に著 し い安 定 を あ た え る で あ ろう こと は言 う ま でも な い。
林 の経 営 す ら 十 分 に行 な わ れ て いな いた め に国 有 林 に対 す る要 望 は少 な い。 林業 の計 画 的 経 営 が 、
民有 林 二、〇 四 四町 歩 のう ち 一、一一八町 歩 は村 外 地 主 の所 有 す る も の であ り、 こ れ に国 有 林 一、
19 三重 県 五 郷 は熊 野 林業 地 帯 に属 し 、 民 有林 経 営 で は代 表 的 な 箇所 に属 す る。 し か し な がら
一〇 九 町歩 を加 える と 、 山林 のう ち 二 、二 二七 町歩 の生産 木 材 が 生 みだ す収 益 の大半 は村 外 に持
ち 去 ら れる こ と に な る。 村内 地 主 の持 つ山 林 は わ ず か に九 二五 町歩 であ り 、 し かも そ れは村 民 に が三 〇 一戸 を数 え る ので ある 。
よ って少 しず つ所 有 せら れて いる に すぎ な い。 す な わ ち山 林 所 有 者 四 九 六戸 中 一町 歩 未 満 のも の
部 を農 地 で得 て、 金銭 収 入 は山 林 か ら得 る と いう のが こ の地 の生計 の た て方 であ る が 、 さら に見
一方 農 地 は 一戸 平 均 三 反 歩 であ り 、農 業 の専 業 経 営 は全 く不 可 能 であ る 。 し た が って食 料 の 一
て ゆ く と山 林 地 主 と 山林 を持 たな いも のと で は貨 幣 収 入 の構 造 が す っかり かわ って く る。 今 、 戸
ま た は木 材 仲 売 業者 た ち は林 産 収 入を 現 金収 入 の第 一位 と し 、 山林 を持 たな いも のは賃 労 働 収 入
別 調査 せら れ た四 一戸 の中 か ら そ の典 型的 なも のを 抽 出 し て見 る と表 74 の よう にな る 。山 林 地 主
を第 一位 と す る。 こ のほ か に俸 給 生活 者 の収 入 が あ る。 こ の場 合 は 山林 地 主 と賃 労働 者 の間 に は
実 に は っき り し た区 別 が つく 。前 者 の収 入 総額 を見 る と 一二 一万 円 に達 す るも のが あ る が 、後 者
の場 合 は 二 ・七 万 円 と いう 僅少 な も のを 見 かけ る 。 そ こ には 実 には っき り し た収 入 の階級 性 を み
と める こ と が で き る。 そ し て賃 労 働 に依 存 す る も のは そ の余 剰 労 働力 を ぐ ん ぐ ん都 市 に向 って は
表73 五
郷
表74 五 郷( 収入)
収
入
表75三
方
村
か し つつあ る 。 こ の村 に出 稼 ぎ者 の多 い のは こ のよ う な 事情 にもとづく も ので あ ろう 。 す な わち 、
こ こ では 林業 経 営 の専 業 化 と そ れ に 雇 わ れ る賃 労働 者 と は っきり 二 つ のグ ルー プ に わ か れる の で
あ る が、 こ の場 合 山林 は決 し て社 会保 障 的 な意 味 を 持 た な い。 む し ろ民 間 林 業 の場 合 は面積 が 比 こ のよう な不 安 定 性 が林 業 労 働 者 の生 活 を 圧迫 す る。
較 的 狭 小 な た め 、年 々 一定 の作業 量 が あ る わけ では な く 、時 々はま た過 伐 のあ と の空 白 があ る 。
両者 の生 活 のひ ら き は さら に大 き く な って ゆく 。 そし て地 元 で仕 事 を 見 付 け得 な い人 々 は県 外 へ林 業 労 働 を も と めて出 か け て ゆく 。
民有 林 の大 半 は村 有 林 で あ る。 村 有 林 は官 行 造 林 を中 心 と し た用 材 林 と薪 炭 林 に分 け ら れ る。
20 兵 庫 県 三 方 は林 野 率 九 六% 、 国 有林 は そ のう ち の三 七% 、 二、三 二四 町歩 を し め て いる 。
こ の村 の阿 舎 利 は 国有 林 に大 き く依 存 し て いる︵表7 5︶ 。 調 査農 家 一〇 戸 の所得 的 収 入 一、八七
四 、四 五 〇 円 のう ち、 国 有 林関 係 の製 炭 と賃 労 収 入 は 一、三 一二、〇 五 〇 円 で全体 の約 七〇% にあ
た る 。農 業 収 入 は 二〇% に し かあ たら な い。 か く て こ こ では全 く 山村 と い っても 過 言 で なく 、 ま
た 国有 林 事 業 に実 によ く 密着 し て い て 一〇戸 一様 に国 有 林 労 働 に し た が い、 ま た炭 を や いて い る。
そ の金 銭 収 入も 一〇 万 円 余 よ り三 三 万 円 余 ま で の間 で比 較 的 平均 し て おり 、 一〇 戸 の平均 収 入 は 二 二万円 余 で調 査 地 中 も っと も安 定 し た山村 と い い得 るだ ろ う 。
溝 谷 、小 原 は牛 の飼育 が盛 ん で、 耕 地 も 六反 内 外 に ほ ぼ 一定 し て い る。 ここ では 所得 的 収 入 一、
八 一四 、八七 二円中 国 有 林 関係 一、一七 九 、八〇 四 円 で六 五% にあ た る。 そ し て国有 林 へは製 炭 よ
り も賃 労 働 の比 率 の方 が 大 き く、 大体 製炭 の二倍 にあ た る 。 こ れ は製 炭 原 木 の払 下げ が阿 舎 利 の 如 く計 画 的 で なく 、 し た が って安 定 性 を 欠 く た め と いわ れ て いる 。
東 公 文 も ま た 国有 林 労 働 を 通 じ て国 有 林 に結 び つく が 、 そ の出 役 の日 は少 なく 、 む し ろ 畜産 収 入 が大 き く な る 。 が全 体 と し て金 銭 収 入 は前 二者 よ り低 い。 そ れは農 業 生産 力 が 前 二者 同様 に低 い にも かか わらず 、林 業 労 働 の機 会 の少 な い こと が そ う さ せ て い る。
21 岡 山県 円 城 は吉 備 高 原 の上 に あ り、 林 野 率 は 八 二% 、国 有 林 は さ ら に そ の 二 二% の七七 一
町 歩 であ る 。 山林 面 積 は 広 いが 、民 有 林 には ほ と ん ど 大木 はな い。 伐採 が すぎ た ため でも あ る が、
も と も と農 業 を 主 と した 村 で早 く より タ バ コ、 アイ な ど の換 金 作物 お よ び養 蚕 を 行 な い、貨 幣 浸
透 の早 か った村 であ る。 そ し て 山林 に依 存 す る こ と は 比較 的 少 な か った 。大 正一二 年 以来 の農 業
所 得︵ 表76︶を見 る と、 昭 和初 期 の不 景 気 が いか に つよ く こ の村 を 窮 迫 せ し め た か がよ く 分 る 。 そ し て戦争 によ る好 況 が こ の村 を た ち あ がら せ て いる 。
こ の村 に お け る調 査 農 家 四 八戸 の現 金 収 入 は 六 五〇 万 円 ほど であ る が︵表 77︶ 、 そ のう ち 山林 関
係 のも のは 一〇 八 ・七 万 円 で全 体 の 一五% ほど にし か すぎ な い。 そ のう え国 有 林 から の収 入 は労
賃 と し て の三〇 万 円 ほど であ る。 立木 払 下 げ も 地 元 の人 が買 う こと は少 な い。
ると い って い い。 一日 二五〇 円 で 、他 の地 方 に 比 し て決 し て高 く な い。 し か しな がら多 く の農 家
国有 林 労 賃 は大 体 村 の 一般 労 賃 と等 標 準 であ る 。村 の労 賃 は 農業 生産 力 に よ ってき め ら れ て い
は ほと ん ど食 料 を自 給 し て あ ま り を売 ってお り 、 一応 生活 が安 定 し て いる ので主 食購 入 を要 す る
農 家 が き わ め て少 な い の で、労 賃 を比 較 的 ひ く く し て い る。 そ の方 が村 内 に おけ る雇 傭関 係 を円
滑 にす る 。 ま た用 材 が少 な いた め に業 者 が 入 り 込 ん で来 て、 労働 者 に高 賃 銀 を は ら って労 賃 体 制 を こ わ す こ と が な いか ら 人 々は こ れ に甘 ん じ て いる。
現 金 総所 得 に つい て見 る と 、 最高 三 四 八 、 〇 〇 〇 円 か ら最 低 三 〇 、四 〇 〇 円 ま で で 、 こ の ひら き
表76 円 城(農業所得)
表77 円 城( 収 支) 48戸
は か な り はな はだ し く 、所 得 階 層 別 に見 てゆ く と 上表 のよ う に な り 、零 細 で あ る と いえ よう 。
円以 上 の所 得 者 のう ち 二戸 は山 林 を 売 ったも ので あ り、 一戸 は 俸 給 生活
す な わ ち、 五 万 円 か ら 一〇 万 円 ま で の所得 者 が も っとも 多 い。 三〇 万
者 を家 族 の中 に 二人持 って いる た め であ る 。 ま た 、 二〇 万 円 以 上 の所 得 者 は タ バ コ栽 培 、 製 炭 に よ る も のであ る。
学 のた め の学 費 から 来 た 赤字 、 さ ら に開 拓者 に 二戸 の赤 字 を 見 る 。 こ れ ら は いず れ も 黒字 に な る
こ のよう な低 収 入 で あ り つ つ赤 字 農 家 は 一 一戸 で 、 そ のう ち 二戸 は不 時 の出 費 、 一戸 は高 校 通
見 込 み のも の であ る が 、残 り の六戸 は零 細農 か ま た は土 地 を 持 た ざ る も の、 寡 婦 な ど で あ る。 そ
し て そ の人 た ち の生 活 を 黒字 に す る よう な 賃 労 働 は こ の村 に は少 な い。
が概 し て生 活 は安 定 し 、農 協 への預 金 は 三 、一〇 〇 万 円 ほど に な って い る。 主 食物 を購 入 し な いで す む と いう こ と が こ の安 定 を 見 せ て いる 大 き な原 因 であ る 。
に属 す るも のが 多 く 、 そ う し た家 であ ま った労 力 が ふり む け ら れ よ い小 遣 いと り と い って い る。
こ の地 の国 有 林 労 働者 は他 の地 方 の よう に零 細 農 家 のも のは少 な く 、部 落 内 の中 堅 ま た は上 層 開拓 地 の人 々 はこ の労働 に参 加 せ し め て いな い。 拓地 と し て解 放 し た こ と で あ る。
国 有 林 と村 と の つな が り は そ の直 営 事業 に労 働 者 を 吸 収 す る こ と と、 伐 採 跡 地 二〇 〇 町 歩 を 開
ら いえば 五 郷 の四倍 で あ る から 、 林 野 面積 に比 し て耕 地 のも っとも せま い村 だ と いう こと にな る 。
22 高 知 県 東 川 は 耕地 面 積 一五 一町歩 で 五郷 の九 七 町 歩 に つぐ狭 小 な 村 であ る が 、山 林 面積 か
表78 東 川 労賃所得 の総所得中に しめる比
し た が って林 業 で 生計 を た て て いる わ け だ が 、広 い民
有 林 の大 半 は不在 地 主 に し めら れ て おり 、村 人 は製 炭
お よび 賃 労 働 者 と し て の収 入 がも っと も 大 き い。
ら れ る が、 これ は資 料 の出 所 が ちが う た め に 生 じ た結
表 78 に よ れば 、 労賃 +製 炭 が総 所 得 を こ え る例 も見
果 で あ ると いわ れる 。 が いず れ にも せよ 、林 業 労 働 と
製 炭 に よ る収 入 が 五〇% を下 る も の はな い。 し た が っ
て 一般 住 民 は炭 を や き 林業 労 働 に し た が って 生計 を た
て て いる と言 っても 過 言 で は な い。 所 得 別 階 層 を見 て ゆ く と表 79 のよう にな る 。
村 全 体 に つい て見 る と き 一〇 万円 以 下 の収 入 農 家 が
も っと も多 く な る。次 に 一〇︱ 二〇 万 円 の農 家 で 二〇
万 以 上 は 五 五 六戸 中 三 八戸 に すぎ な い。 こ れら の多 く
から 平均 し て七 五 万 円 の所 得 にな る 。 こ れ に対 し て二
は 山林 地 主 で あ って、 最高 は 二人 で 一五 〇 万 円 であ る
〇 万 円 以下 の所 得 者 は山 林 労務 者 と製 炭 を行 な って い
る別 役 では収 入 の二〇 万 円 に達 す る も のは な い。 古 井 、
る も の であ って 、戸 別 調 査 によ れ ば 、国 有 林 に依 存 す
黒 瀬 に高 額所 得 者 のあ る のは 山 林 所有 者 が いる から で
表79 東 川(所得) B 戸別調査所得 別階層 A 所得別階層
あ る 。所 得 階 層 か ら見 れば 円 城 など より や や高 いわけ で
あ る が 、戸 別 調 査 三 六 戸 のう ち 一五 戸 は赤字 に な って い
る 。特 に別 役 は 一 一戸 のう ち九 戸 ま で が赤 字 で、 そ のう
ち病 気 に よ る も の四、 ミ ツ マタ不 作 に よ るも の 二 であ る 。
古 井 、 黒 瀬 は と も に三 戸 ず つ であ る が こ のよう な 赤字 は
主食 を 購 入 し な け れば な ら な いこ と か ら き て おり 、 家計 五 七 ・四 とな って いる 。
中 の エ ンゲ ル係数 は別 役 五 九 ・六、 古井 五七 ・八、 黒 瀬
労賃 は 一五 〇 円 よ り 四 五〇 円 ま で で、 運 材集 材 な ど い
ず れ も 三五 〇 円 以 上 に な って お り、 そ の上 国有 林 で は賞
って いる が 、民 有 林 労 働 の盛 ん な こ の地 では 、 民有 林 労
与 災害 手 当 があ り 、直 営販 売 所 を設 け て掛 売 り な ど行 な
賃 の方 が 一応 す ぐ れ て いる 。 し か し 雇傭 お よび 労 賃 の安
定 し て いる こ と な ど から 見 て国 有林 労働 の方 が有 利 であ
る。 にも か か わ らず 、 な お国 有 林 に依 存 す る部 落 に赤 字
農 家 の多 い のは 、自 給 度 が低 いた め で あ って 、 そう いう
所 で は賃 銀 の引 上げ を は か る以 外 に方 法 が な い。
林 野 の三 八% をも って、村 内 林 産 総 額 一四 、八〇 〇 万 円
し か も東 川 に お いて は国 有 林 は高 い生産 性 を持 ち村 内
の四 九% 、村 内 総 生 産 額 一六 、七 〇 〇 万 円 の四三% にあ た る 七 、二〇 〇 万 円 の生 産 を あげ て いる。
そ のう ち労 賃 と し て地 元 に支 払う 分 は三 、六 六〇 万 円 で、村 民総 所 得 九 、八三 〇 万 円 の三 七% 、 労 賃 所 得 六 、〇 一〇 万 円 に対 し て は 六 二% に あ た る。
か わら ず 、 二、七 三 〇 万 円 は村 外 に持 ち去 ら れ る 。 そ れ は地 代 お よび利 潤 と し て は地 元 に お と す
し た が って地 元 に おと さ れ る金 は民 有 林 に比 し て か な り高 率 な も のと いい得 る が、 そ れ に も か
労 賃 以 上 に高 率 で あ ると 言 って い い。 こ の ほ か に不在 山 主 に よ って持 ち 去 ら れ る 金 額 は 六、〇 九 〇 万 円 で、 合 し て 八 、八 二〇 万 円 が搾 取 せら れ て いる こ と にな る。
ただ 国有 林直 営 生産 を 通 じ て村 の制 度 や 雇 傭関 係 が改 めら れ てき た点 は大 き い。
23 高 知 県 大川 筋 は渓 谷 に 立地 し て いる こと に お いて東 川 と 相 似 る が 、東 川 が 用材 林 業 を主 と
し、 国 有林 と不 在 山 主 によ って 広大 な林 地 を 所有 さ れ尨 大 な利 潤 を持 ち 去 ら れる の に対 し て、 山
林 の大 半 が 私有 林 で あり 、 し か も村 内 の人 々に よ って 共有 の形 式 を と って お り、 薪炭 製 造 に主 力
を そそ いで 、 生産 せ ら れ た利 益 は自 ら のも の に帰 す る と いう 点 、 対蹠 的 と いえ る かと 思 う 。
二反 で、耕 地 を持 た な いも の四戸 に すぎ ず 、 一町 八反 を最 高 と し て比較 的 平 均 し て いる のを特 色
調 査 対 象 と せ ら れ た勝 間 川 、 田出 ノ川 、 手 洗 川 、 川 登部 落 の三 三 世帯 の農 家 の耕 地 平均 は七 ・ と する 。
そし て山 林稼 働 を主 と し て いる が 、 そ のう ち副 業 製 炭 に従 う も の四 二人 六 、五〇 〇 日 で 一人 平 均 一五 五 日 に あ た る。 山 林被 傭 は 一七 人 一、七 九 〇 日 で 一人 平均 一五 〇 日 。
製炭 原 木 は民 有 林 のも のを利 用 す る が、 勝 間 川 だ け は国 有 林 の払下 げ に よ って行 な って いる。
製炭 量 は 一戸 平 均 一、〇 〇 〇 俵 に のぼ り 、最 高 四 、〇 〇 〇 俵 に達 し て いるも のが 一戸 あ る 。製 炭
戸 数 は三 三戸 中 二三 戸 であ り 、総 量 二四、四 四〇 俵 に のぼ って いる。 が って い るも のが 四戸 。
炭 を や かな い者 のう ち、 国 有林 労務 に従 って いる も のが五 戸 あ る 。 ま た農 業 以 外 の職 業 に し た
る程 度 。
農 業 の生産 力 のき わ め て低 い こと は さ き にも 書 い た。換 金 で き るも のと し て は マ ユ、 ウ シが あ
て いる が、 こ れは 過 小 に見 つも ら れす ぎ て いる 。製 炭 二四 、四 四〇 俵 は仮 に 一俵 二〇 〇 円 に売 る
そ の収 支 に つい て見 て ゆ くと 、 収 入 合計 三五 七 万 円 、 一戸 平 均 一〇 ・八万 円 と いう こと にな っ と し て も 四 八 八 ・八万 円 に な る。
支 出 三 四九 万 円 。 そ のう ち副 食 費 、 衣 料 費 が 大 き な ウ エイ トを し め る。 な お赤字 農 家 は三 三 戸
中 一六戸 で、 赤 字 約 四 三万 円 と いう こと に な って い るが 、 こ れ は信 用 でき ず 、製 炭 外 収 入 二三 二 にな る。 し た が って差 引 三七 一万 円 の黒字 が出 る こ と にな る 。
万 円 は 一応 正 し いと し て 、木 炭 代 四 八八 ・八万 円 を加 え るな らば 、七 二〇 万 円 の収 入 が ある こと け だ し こ の方 が正 し い数 字 で はな い かと 思 わ れ る 。
か く て農 業 に投 ず る 労力 は約 二、〇 〇 〇 日 で あり 、 そ れに よ って得 ら れる 米 は約 一二〇 石 、 麦
三〇 石 、 両者 金 に し て 一 一〇 万 円 余 、 こ れに 畜産 一三万 円 、養 蚕 一万 円 を 加 え ても 一二四万 円 、
そ の他 畑 作 物 一〇 万 円 と見 ても 農 産 収 入 は 一三 四万 円 程 度 にな り 、 こ れを 二、〇 〇 〇 日 で除 す る
と農 業 に よ る一 日 の生産 力 は 六七 円 程 度 のき わ め て ひ く いも のに な る 。
いう こと に な る。 む ろ んこ れ は原 木 代 、 俵 代 、 縄代 な ど を含 めて のは な し であ る が 、同 様 に農 業
こ れ に対 し て製 炭 は 六 、五 〇 〇 日 にて 四 八 八 ・八万 円 と な る のだ か ら、 一日 七 五 二円 の生 産 と
つも な お食 料 生産 のた め に多 く の労 力 を さ い て いる のは 、食 料 を 持 つこ と に よ る生 活 の安定 が農
に よ る生産 六 七円 の中 に は肥 料 代 、農 具 代 も 合 ま れ て いる。 こ のよ う に低 い生産 に釘 付 け さ れ つ
民 に は魅 力 だ か ら で あ る。 し か も農 業 の専 業 化 せら れ て ゆ く過 程 に お いて は そ れ自 体 の中 に農 業
技 術 経 営 の改良 が す す ん で ゆく が 、林 業 を主 とす る経 営 に いた って は農 耕 は依 然 と し て そ こ に改 良 を生 まな い。 こ れ は兼 業 農 に共通 に見 ら れ る現 象 であ る 。
き て、 国 有 林 に比 し は な はだ しく 見 劣 り す る状 態 に た ち いた って いると いう 。 そ こ に大 きな 問 題
そ れだ け では な い。 民有 林 は五 〇 年 ま え国 有 林 から 払 い下 げ ら れ たも の であ る が 、山 はあ れて を は ら ん で いる よう であ る 。
れ る に いた って国 有 林 と の関 係 はう す ら ぎ 、 金肥 の流 入と と も に、 平 坦 部 落 は専 業 農 村 に転 じ て
24 佐 賀 県 東 背 振 は 現在 の国 有 林 を 採 草地 と し て利 用 し て いた も のであ るが 、 こ こ に造 林 せら き た の であ る。
も のは少 な いと いう 。 か く て国 有 林 は国 有 林 と し て独 自 の経 営 を な し 、村 内 にお け る異 国 的 な存
ま た 、払 い下 げ ら れた林 野 五 七三 町 歩 も 竹林 な ど の粗 悪 林 に な って払 い下 げ 当時 の目的 に そう 在 とな って いる 。
し か し な が ら 山間 部 落 では 山林 経 営 を 農 業 に取 り 入 れ た い た めに 山林 を ほ しが って お り 、平 坦
す る に つれ て、 山林 経 営 のお ろ そ か に な る の は現 在 の民有 林 地 を見 てう なづ か れ る こと で あ る 。
地 農 家 も 、草 に こま ら ぬ程 度 の林 野 を ほ しが って いる 。 し かし これ は希 望 で あり 、 農業 が専 業 化
な お今 日 、 国 有林 は地 元 民 に対 し て 燃料 を供 給 し て いる が 、 そ れす ら需 要 を十 分 み たす には 足 ら な い。
ぼ って いる が 、藩 政 時 代 の林 政 が尾 を ひき 、 山林 は村 人 に と っては ほ と ん ど利 用 せら れず 、農 業
25 宮 崎 県 三 納 は全 面積 の八二% が山 林 、 さ ら に そ の八 八% が 国有 林 地 で 六 、 〇 八 二町歩 に の
の共通 現象 と し て労 銀 が 国有 林 労 賃 に比 し て 一般 に低 い。 そし て国有 林 労 働 に従 がう も のは 山 麓
経 営 の改良 と離 村 に よ って生計 のバ ラ ンスを と って き た所 であ る。 そ う し た農 業 を 中 心 と し た村
部 落 の人 々が 大半 を し める 。 し か も そ の労 働 に従 う も のは 、三 ∼ 四 反 を耕 作 す る零 細 農 家 も あ る
が 一町 歩 以 上 の農 家 、す な わ ち村 の上層 に属 す る も のが半 ば を し め て いる のは 、国 有 林 労 賃 が農
家 にと って重要 な現 金 収 入に な る か ら であ ろう 。 か か る現 象 は農 業 を 主業 と す る東 小 国 、 円 城 な
ど にも 見 ら れた と こ ろ で あり 、 そ の他 の地 に お いて も 稼働 労 力 を多 く 持 つ農 家 が林 業 労 働者 を多 く出 し て いる 。 いる が 、 こ れは な お検 討 の余 地 が あ る 。
報 告 書 に は、本 質 的 に は造 林 労 働力 は零 細 貧 農 層 によ って供 給 さ れる と 断 定 し う る 、と の ベ て
な お事 業 所 労 働者 の賃 銀 は集 材 運材 で最 高 四 五 〇 円 よ り最 低 一〇 〇 円 ま であ り 、重 労 働 に属 す
る も の は大 体 三 〇〇 円以 上 にな ってお り 、 そ の賃 労 収 入 は 年間 最 高 一六三 、八 一二 円 から 最 低 六
六 、六 四 七 円 ま で 、 大体 一〇 万 円 内外 が基 準 に な って いる 。製 炭 夫 の場 合 はさ ら に高 く最 高 二 二
万 円 を こえ るも のが あ る 。造 材 夫 も 平均 一〇 万 円 余 にな って いる。 こ れ ら の賃 銀 が総 所 得 の中 で
し め る位 置 は他 の村 の場 合 と考 え あ わ せて も き わ め て高 いも のに ち が いな い。
し か し な がら 、 そ れ が農 業 生 産 の上 では専 業 化 を はば む 。 そ し て 生産 を低 位 にお く こ と にな る。
が 、事 業 量 が 一定 し て いる こと によ って労働 従 事 者 の生 活 は 一応 安 定 し、 か つ零 細農 家 をも 支 え る こ と に よ って社 会保 障 的 な意 味 を 持 つこ と が多 い であ ろ う 。
表80 酒 谷( 収 支)
す す む と とも に 、 山 麓 で は国 有 林 労 働 に し た がう こと に
こ のよう にし て こ の村 で は平 坦 部 で は農 業 の専 業 化 が
よ って生 活 の安 定 を見 つ つあ る農 家 が多 く な って いる。
か つて滔 々 とし て離 村 者 を出 し た村 が 、 年 々自然 増 加 程
報 告 書 の趣 旨 と や や ち が った見 解 を と って いる け れ ど、
生 活 が好 条 件 にな って来 た今 日、 村 にも な お そ れ ら 人 口
度 の人 数 を他 に おく り出 す に すぎ なく な った のは 、都 市
を かか え得 る余 裕 を 持 ってき た こ と を物 語 るも ので は あ る ま いか 。
都市 生活 に比 す れば 生 活 水 準 は低 いで あ ろう が 、 田舎
は 田舎 な り に著 しく 発 展 し て来 た こ と を見 のがし ては な ら な い。
あ ろう が 、 国有 林 が直 営 事 業 を持 つこ と に よ って地 元 民
ここ でも国 有 林 直 営 生 産 に よ る利 潤 の収 奪 が 大 き いで を う る お し て いる点 も 大 き い。
26 宮 崎 県酒 谷 は部 分 林 制 度 の古 い歴史 を持 つ地 であ
り 、 国 有林 と の結 び つき はき わ め て密 接 で あ る 。
林 経営 と国 有 林 賃 労 働 が こ れ であ る 。部 分 林 は主 と し て
こ こ では そ の結 び つき 方 が 二 つに な る。 すな わち部 分
谷( 村 の生 産 額) 表81酒
平 坦地 、 準 山 間 の人 々 に よ って経 営 せ ら れ て おり 、 それ
が大 き く 生計 の足 し に な って いる 。 ま た零 細 農 およ び 山
間 農 家 で は賃 労収 入 の半 ば を さ さ え る 。
が って国 有 林 払下 げ の要 望 が つ よ いが 国有 林 側 は部 分 林
早 く よ り育 成林 業 のす す んだ 所 だ け に林 地 利 用 、 し た
を拡 大 す るこ と に よ って こ れ に こた え よ う と し て いる 。
る。 植 林 によ って投 下 さ れ た資 本 の回収 せ ら れ る の は早
ただ し 部 分 林 に加 入 す るも の は多 く 中以 上 の農 家 であ
く て三 〇 年 で、 そ の間 資 本 を ね かせ た ま ま に し て お かな
く て はな ら な い。 そ のよう な投 資 に た え得 るも の でな け
れば 部 分 林 を 経営 す る こ と は でき な い。 し か も そ の よう
に し て植 林 し たも のも都 市 の木 材 業者 に 金融 の抵 当 とし
て わ たし たり 、伐 採 権 をう り はら った り す るも のも 少 な
く な い。 それ に も か か わら ず 、 農 業 生産 力 が低 く米 麦 の
ほ か に ナ タネ 、 タ バ コ の栽 培 が わ ず か に と り いれら れて
いる にす ぎ な いこ の村 に お い て林業 関 係 の収 入 が生 計 の 大 き な 支 え に な って い る。
いだ け に 、農 業 と林 業 不 可 分 の形 で存 在 し て いる が 、最
そし てこ こ で は農 業 の専 業 化 が まだ 十 分 に進 ん で いな
野( 木 地 山面 接 調 査) 表82 山
近伐 採 が かな り にぶ る と と
も に農 産 が のび は じ め てき
の改 良 が富 農 の間 に進 ん で
た︵表81︶。 こ こ に農 業 経 営
ゆ く の では な いか と思 わ れ
る 。昭 和 二 八年 度 の農 業 生
産 額 は 五 、二 一〇 万 円 であ
り 、 こ れを 耕地 面積 四三 九
町 歩 で割 る と 一町 当 一二万
・五 石 の生産 に あ た る。 こ
円 ほど にな る 。米 に し て 一
れ に はタ バ コ、 ナ タネ の収
のと思 われ る 。 こう し て合
益 が かな り ひび いて いる も
理 的 な専 業 化 が徐 々 に見 ら
れ る であ ろ う 。 し か し未 だ
農 業収 入 と 山林 収 入 を 合 し
ても 粗 収 入 が資 本 蓄 積 を 可
能 とす る農 家 は 、平 坦 地 上
層 部 にす ぎ な い。
ら れ た形 をと り 、明 治 に な って から は ほ と ん ど国 有 林 に編 入 せ ら れ た。 ここ に は 広 い水 田 があ り 、
27 鹿 児 島 県 山 野 は宮 崎 県 三 納 と 同 じ く鹿 児 島 藩 に属 し て いた た め に、 山林 への依 存 は拒 否 せ
山野 は交 通 上 の要 点 と し て、 商 業 集 落 を形 成 し、 山 林 に対 し て は背 を 向 け た ま ま今 日 に至 った 。
そ し て国 有 林 労 働 に従 う も のは、 多 く 他所 か ら や って来 て新 し い集 落 を 形 成 し た 木地 部 落 が こ れ
で あ る。 こ の部 落 の人 々は食 料 自 給 の ため に そ れぞ れ田 畑 を ひ ら いたが 、 そ の生産 力 は き わ め て
な農 法 も見 ら れる 。 そ し て農 耕 に投 下 す る 労力 は林 業 労 働 に投下 す る労 働 に 二倍 す る も のと思 わ
低 く 、耕 地 面 積 のひ ろ い のに か か わら ず 、 食料 の自 給 さ れる農 家 は少 なく 、 焼 畑 のよ う な原 始 的 れる が 、 生計 は労 賃 によ って支 え ら れ る部 分 が 大 き い。
こ のよう にし て、 こ の地 に おけ る国 有林 は よ そ者 の労 力 に よ って そ の経 営 が支 え ら れ、 一般 の 住 民 と の結 び つき はう す い。
た だ 、国 有 地 に は緩傾 斜 台 地 が ひ ろく 、 そ れ ら のう ち 一、六〇 九 町 歩 が開 拓地 と し て指 定 せら
れ、 そ こ に 一 一 一戸 の入 植 を見 て い る が、今 後 一七 六戸 ま では 殖 や す予 定 で、 こ の地 に お け る開
拓 は今 後 大 き く期 待 さ れる も のが あり 、 そ の入植 者 た ちも ま た 国有 林 労 務 者 と し て多 く の労 力 を 提供 し 、国 有 林 経 営 自 体 も活撥 化 し つつあ る 。
一七 結 び
山林 利 用 は封 建 制下 に お いて は三 つ の意 味 を も った。第 一は燃 料 、 用 材 自 給 のた め の利 用 であ
り 、第 二は農 業 経 営 の 一環 と し て の林 野 で、肥 飼 料 とし て草 や落 葉 を利 用 す る も ので あり 、第 三
は 生活 を う ち た てる た め薪 炭 用 材 を 伐 って売 る も の であ る 。 そ の第 一、第 二に属 す るも のは 林業
と は 言 い難 い。 林 業 と 言 う か ら に は山 林 を 対象 と し た経 営 が な く て は なら な い。
そ し て第 三 の生 計 を う ち た て る た め の山林 経 営 は、 多 く 山 間渓 谷 の集 落 にお いて こ れを 見 た 。
そ こ には耕 地 が少 なく 、食 糧 が不 足 し 、 最初 か ら自 給 体 制 に よ る 生計 はう ちた て が た か った。 そ
こ に は 必然 的 に交 換 を 必要 とす る経 済 体制 が あ った 。 それ は林 産 物 を 必要 と す る社 会 の拡 大 にと も な って無 限 に発 展 し てゆ く も のであ る 。
山 間 の集 落 に は、 ま た、 重要 な交 通 路 に 沿 って い る た めに旅 人 相手 や荷 物 運 搬 な ど を業 とす る
も のも少 なく な か った 。 そ う いう 社 会 でも 早 く か ら交 換 経 済 は成 立 し て い た の であ る。
一方 、林 野 の利 用者 た ち は、 林 野 を 惣有 の形 式 で利 用 し た 。 入会 地 と い わ れる も のが そ れ であ り 、 そ の林 野 を め ぐ る周 囲 の人 々 によ って利 用 せら れた 。
こ う し た 入会 地 のほ か に利 用 者 の比 較 的 は っき り し た山 が あ った。︵ 一︶領 主 の利 用 す る お立
山 、御 留 山 な ど と よば れ る山 林 はそ の 一つで あ った。︵ 二︶ そ のほ か砂 鉄 、銅 な ど の精 錬 用 の木
炭 を得 る た め の山 林 、︵ 三︶ 農 民 各 自 が薪 炭 、下 草 を 採 取 す る た め の百 姓 林 な ど が そ れ であ る。
そう し た諸 制 度 が明 治 維 新 にな って 一応 う ちや ぶら れ 、 まず 国 土 は官 地 と 民地 に 分 け ら れ てゆ
く 。 入会 地 のよ う に所 有 者 の は っき り し な いも のや 、領 主利 用 の山 林 は いず れ も官 林 と なり 、 営
業 用 の山 林 や 百姓 林 は民 有 林 と し て み と め ら れ た。 た だ し 、 こ れ ら は所 有 権 で あ って用 益 権 では
こ と にな る 。 古 い慣行 に従 う こ と が そ のまま 罪 悪 と な る 日 が来 て、 国 有 林 の広 い地 帯 で は盗 伐 と
な い。 所 有 権 の確 立 は用 益 権 を みと め な く な る。 そこ で用 益権 を行 使 し よ う と す る と盗 伐 と いう
名 付 け ら れ る 犯罪 が相 つい でお こ った。 政 府 は いよ いよ国 有 林 の管 理 を厳 に し た。 地 元 民 は そ の
た め用 益 権確 認 を得 よう と し 、 ま た 山林 下 戻 し の運 動 を お こ す に い た った 。
り だ す 。 こ れ は各 地 一様 に 実行 せ ら れ た の では な い。 広葉 樹 の多 い所 で は 、林 材 は炭 に やか れ る
政府 は こ れ に対 し て明 治 三 二年 か ら林 野 法 を施 行 し て施 業 案 によ る 国有 林 の積 極 的 な 経営 に の た め に伐 った後 も そ のま ま 広葉 樹 の天 然更 新 を ま つ。
ん で ゆ く 。 し かし 、 こ のよ う な育 成 林 業 は多 く の労 力 を投 下 し た だ け で 、全 般 的 には 必 ず し も成
積 極 的 な林 業 は用 材 林業 を 主 と し、 採 草地 であ った無 立木 地ヘ スギ 、 ヒ ノ キ など の植 栽 か ら進
功 と は言 い難 く、 昭和 の初 め に間 伐 、 択伐 な ど を 主と し た 天 然林 の更 新 育 成 に重 点 が お か れ てく
る 。 が単 な る皆 伐 では な く 、育 成 を 目 ざ し た も の であ る か ら多 く の労 力 を 必 要 と し 、年 々 一定 の
労力 を確 保 し な け れば な ら な い。 こう し て地 元民 と密 接 にむ すび つく に い たる 。
そ れま で の用材 林 業 は伐 採 が 主 で、 そ れ に は特 殊 技 術 を 必要 と し、 用 材 林業 の先 進 地 の人 々が
各 地 を あ る い て伐採 に あ た って いた 。 一つ の山 を き ってし ま う と そ こ に は仕 事 が な く な る から 、
また 別 の伐採 地 を求 め て行 かな け れば な らな い。 杣 庄 屋 の制 度 も そう し た放 浪 的 な労 働 団 体 の中
で維 持 さ れ た。 が造 林 土 木 な ど は地 元 民 も こ れ に参 加 す る こ とが でき る 。 こう し て国 有 林 で は直 営 造 林 事業 を中 心 に し て次第 に 地 元 の労 力 と結 び ついて く る 。
世 が進 むに つれ て山 林 の利 用 も 拡 大 す る 。交 通 の発 達 にと も な って、 車 馬 の利 用 が盛 ん に なり 、
は 山林 に た よ らざ る を 得 な く な る。 そ し てそ れ が国 有 林 であ る場 合 、過 去 の慣 行 権 の復 活 を政 府
古 い道 の徒 歩 によ る交 通 が おと ろえ る と 、 山間 の部 落 の住 民 は そ の地 をす てて他 に行 く か、 ま た
に のぞ む 。 そ れら の希 望 の正当 であ ると 認 め ら れ た も のは地 元 へ払 い下 げ ら れ る。 ま た用 益権 の
け て の でき ご と で 、 こう し て政 府 の行 き すぎ が 是 正 せ ら れ、 慣 行 権 が 確認 せ ら れ て行 った。 と 同
認 めら れ た と こ ろ で は、部 分林 、委 託 林 の制 度 が も う け ら れ る。 それ は明 治 末 か ら大 正 昭 和 へか
時 に盗 伐 はほ と ん ど み ら れな く な った 。盗 伐 は官 が 民業 を圧 迫 し慣 行 を 無視 し た所 に お こる 。
さ ら に明 治 末 か ら鉄 道 の開 通 、 荷馬 車 、 ト ラ ックな ど が出 現 し て都 市 と 燃料 、用 材 の供 給 地 と
直 結 し て来 、 経 済 圏 が拡 大 す る。 こ のこ と か ら用 材 薪炭 材 と も に需 要 が ふえ 、 か つ値 上り を 示 す 。 国 有 林 に お い ても 、 製炭 原 木 や立 木 を 払 い下 げ て地 元 のう る お いに し よう と す る が 、 立木 の購
入 には多 く の商 業 資 本 を 必要 と し、 結 局 、村 外 のも のがそ の利 益 を う け る こと にな る。 薪炭 材 は
地 元 民 が う け て製 炭 に従 事 す る 。 こう し て伐採 は す す ん でゆ く が 、間 も な くゆ き づ ま って し まう 。
村 から 町 への運送 路 は でき て いても 山地 の林 道 が ひ ら け て いな い ので 、集 落 周 辺 を 伐 って し まう
と 、も う そ れ か ら さ き の伐 採 は 不可 能 に近 い。 そ こ で森 林 軌 道 や 林道 が つけ ら れ てゆ く 。 こ の場
合 、大 資 本 を 有 す る国 家 直 営 事業 は 思 いき った資 本 投 下 を行 な う 。 林道 の開 設 に よ って奥 地 林 業
が す す むが 広 葉 樹地 帯 で は製 炭 が 主 に な り、 そう いう 土地 で は製 炭 原 木 を地 元 に払 い下 げ る こ と
を 主体 とす るた め に経 営 の積 極 性 を 欠 く 。 田山 、高 崎 、茂 庭 な ど は、 そ う いう意 味 で は たし か に
直 営 事 業 が 活 溌 で な い。 計 画 的 な直 営 生産 は 人 工造 林 地 帯 にお いて発 達 す る。
今 次 の戦 争 に よ って乱 伐 さ れた林 地 へは急 速 な 人 工 造 林 を 必要 と し、 各 地 一斉 に造 林 に多 く の
そ の時 、 地 元 民 が こ れ に参 加 し ても仕 事 を失 なう 機 会 は 少 な く なり 、 渡 り 歩 き によ る林 業 労 働 に
労 力 を投 下 す る経 営 が展 開 す る 。 こ れ と伐 採 事 業 と あ いま って事 業 量 が年 々 ほ ぼ 一定 し て く る。
次 第 に定 着 性 を持 た し め てく る 。 そ の上 、労 賃 の支 払 いが 一括 払 い から個 人 払 いに きり かえ ら れ
る に至 って親 方 制 度 を破 壊 し てゆ く 。親 方 制 度 は グ ルー プ の 一人 が経 済 的 な 実 権 を にぎ る こ と か ら生じてくる。
ま た 薪炭 材 の払 下 げ にも 地 元 民 に組 合 を組 織 せ し め 、組 合 に対 し て払 下げ を行 なう よう にな っ て から 、特 定 の親 方 の持 つ権利 は失 な わ れ、 生 産 面 に お け る親 方 制 度 は著 し く崩 壊 し てく る 。 こ
に見 ら れ る よう にな る 。 こ のこ と は林 業 労 働者 あ る いは製 炭 業 者 た ち の貨 幣 収 入 が ほ ぼ平均 し て
う し て国有 林 直 営 が山 村 の持 つ古 い人 的 諸 関係 を 改 め た こ と は大 き い。 そ し て恩 恵 の均霑 が次 第 き て いる こ と に よ って分 る ので あ る 。
同 時 に国 有 林 労 賃 が 一般 労 賃 の基 準 にな って ゆ く 。農 業 経 営 を 主 と す る 土地 に お い ては 一般 労 支払 者 が資 本 の小 さ い農 民 自 身 であ る場 合 、労 賃 は低 い のが よ い。
賃 は低 い。労 賃 は 土 地 生産 力 お よび 労 働 生 産力 に よ って規 定 され る か ら で あ る。 そ の上 、賃 銀 の
を 決定 す る力 の方 が 大 き く な る から であ る 。 さ ら に労 賃 支 払者 が製 材 業 者 で資 本 も 大 き く な る。
し か し民 有 林 の広 い地 帯 で は 、労 賃 は 民 有林 事業 の方 が 一般 に割高 に な る。 これ は需 要 が物 価
け れ ども 事 業 の恒 常性 も持 久 性 も 計 画 性 も な い。自 ら の買 った 山 を き ってし ま え ば 、 そ の山 で の
そ れ で よ いが、 定住 性 のも のなら ば 、 む し ろ 事業 量 の 一定 し た地 元 国有 林 で働 く こ と を 欲 す る。
事 業 は終 る。新 し い事業 地 は商 談 の成 立 し た所 と な る。 林 業労 働 者 が移 動 性 を 持 って いる のな ら
そ う し た場 合 、 土 地 を持 た な い者 、 零 細 農家 な ど も参 加 す るが 、 土地 を持 ったも ので も余 剰労 力
のあ る も のは こ れに参 加 す る。 国 有 事 業 が計 画 性 と恒 常 性 を 持 って いる から にほ かな ら ぬ 。民 有
林 を対 象 と す る林 業労 働 者 た ち は浮 動 性 が多 い。 日義 、五 郷 、東 川 な ど が そ のよ い例 であ る。 そ し てそ こ に は杣 庄 屋 制度 が つづ いて いる 。
こ のよう に国 有 林 は直 営 山林 の計 画 経 営 を 発 展 さ せ 、山 林 の生産 性 を高 め てき た 。
民有 林製 炭 地 は山 林 の著 し く荒 廃 し て い る のを 通 常 と し 、村 有 林 の広 い村 で そ の積 極 的 経営 の
行 な わ れ て いる のは ごく わず か で あ る。 こ れら に 比 し て国 有 林 は合 理的 な山 林 経 営 を 啓 蒙 す る も のと し て 大 き い役 割 を 果 し つ つあ る。
し か し な がら 、国 有 林 は地 元 か ら大 き な 利 潤 と地 代 を奪 い去 り つ つあ る 。 こ れ に対 し て交付 金
を かえ し て いる が そ れは 奪 う も のに比 し て ほん のわ ず か で 、村 財 政 の足 し に は な らな い。
こ のよ う な こ と から 国 有 林 の解 放 が さけ ば れ て いる 。 し か し こ の要 望 の中 に は計 画 性 が な い。
い から ⋮ ⋮ と いう よ うな 眼 前 の資 材 不 足 を緩 和 し よ う と す る た め のも の で、計 画 経 営 を行 な って
多 く の場 合 、薪 炭 材 に不 足 す る か ら ⋮ ⋮、 製 炭 原 木 に行 き づ ま って いる か ら ⋮ ⋮ 、採 草 地 が ほ し 今 日 の国有 林 直 営 以 上 の実 績 を あげ よう と す る も ので は な い。 長 さ せる だ け に終 る。
ここ に国有 林 解 放 はよ ほど綿 密 な計 画 を た て てこ れ を行 な わ な い限 り 、地 元民 の掠 奪 林 業 を 助
さ て過 去 の国 有 林 の積 極 的 な直 営 は用 材 林 業 を 目 ざ し て進 め ら れ てき た。 そ れ は 主 と し て建 築
の高 度 化 のた め に は家 畜 の導 入 が 必要 で あり 、 それ には多 く の粗 飼 料 を 必要 と す る。 そ れが 得 が
用 材︱ を︱ 目標 と し たも の であ り 、 そ のこ と の ため に牧 畜 を圧 迫 し たこ と は 大 き い。 し か し農 業経 営
たく て日本 の畜 産 は のび な や ん で いる。 こ こ に飼 料木 あ る い は牧 草 の栽 培 が林 野 に お い てす す め ら れ る べき であ る。
ま た パ ルプ 用材 のた め の林 業 も す す め ら れな け れ ば な ら な い。 あら たな る需 要 に こ たえ る た め 、
そ の集 約 化 に よ る収 益性 を勘 案 し た経 営 が発 達 し てゆ かな け れば な ら な い。 そ こ に
は いき お い林業 の専 業 化 が必 要 にな る 。 し かし 一戸 の家 で林 業 が専 業 化 す る た め に は少 な く も 三
林 業 経 営|
は不 可 能 に近 い。 そ こ で農 業 によ って食 料 を自 給 し 、 林業 ま た は林 業 労 働 によ って貨 幣 収 入 を得
〇 町 歩 を 必 要 と す る 。 が 一般 住 民 の林 地 所 有 は せ いぜ い四 、 五町 歩 どま り で あ り 、林 業 の専 業 化 よ う と す る。 そ う し た林 業 家 が多 い。
国 有 林 地 帯 では 、 そ う し た農 家 は林業 労 働 に従 う か製炭 を行 なう 。 食 料 の自 給 で き る地 帯 や 農
業 地 帯 で は、 林 業 労 働 は や や低 目 だ が 、 民有 林 地 帯 や 食 糧 不 足地 で は労 賃 が せり あげ ら れ る。 食
糧購 入 に多 く の貨 幣 を 必要 と す る から であ る 。 そ れ に も か か わら ず 、全 国 的 に農 家 収 入 を見 る と、 ほ ぼ 一〇 万円 か ら 二〇 万 円 の間 に集 中 し て
いる のは多 く の示 唆 を 与 え る 。 い かな る場 合 に も人 力 を そ の最 大 の エネ ルギ ー源 と す る生 産 にお
いて は 、所 得 的 な 収 入 は こ のあ たり を 限度 と す る のであ ろう 。 し た が って こ れを こ え るも のは 財
産 的収 入 を持 つも の か、 あ る いは商 取 引 によ る利 潤 を あげ る も ので あ る 。
こ の点 に お い て、 生産 面 に お いて は古 い人的 諸 関 係︱︱ いわ ゆ る封 建 的 な も のが こ わ さ れ てゆ
き つ つ販 売 面 あ る い は資 金面 に商 業 資 本 を 媒介 と す る親 方 制︱︱ に よ る搾 取 が見 ら れ る のであ る 。
こ れら の諸 関 係 を是 正 す る た め に は、 相 当 広面 積 を対 象 と し た林 業 の専 業 経 営 化 が 必要 にな っ
てく る。 そ し て そ の利 潤 が 地 元 に何 ら か の形 式 でか え さ れ るも のな らば 、 国 有 林 た る と民 有 林 た る とを 問 わ な い、 山村 文 化 の後進 性 は とり のぞ かれ る で あ ろう 。
な け れば な ら ぬ。 そ れ は経 営 の合 理化 に よ る採 算 性 が と ら れ る とき初 め て可 能 にな るこ と で 、経
要 は山 林経 営 の計 画 化 と集 約 化 に よ る地 方 性 の確 立 、 すな わ ち利 潤 の地 元 再 投 資 が 検 討 せ ら れ 営 の主体 は国 であ ろう と村 であ ろ う と か ま わ ぬ はず であ る 。 に応 じ得 るも の であ れば 目 的 は達 せ ら れ る 。
か く て林 業 の経 営 が地 元 民 の生 活 を安 定 し、 向 上 せし め る た め のも ので あり 、 か つ国 民 の需 要
あ
と が
き
林 野 庁 は、 昭 和 二七 ∼ 八年 に全 国 二七 町村 を え ら ん で国 有 林 の地 元 利 用 状 況 に関 す る調 査 を行
な った 。私 も そ の 一カ所 、岡 山県 御 津 郡 円 城村︵現、賀茂川町︶ の調 査 に参 加 す る こ と が で き た。 私 は 、 そ れま で民 俗 調 査 のた め山 村 を あ る く こ と は多 か った が 、経 済 的 な 調 査 を し た こ と はな
に住 ん で いる 人 た ち の かか え て いる問 題 がど れほ ど大 き いも の であ る か を教 えら れて 、 私 は そう
か った 。 し かし 、 山村 を 民俗 学 的 に の み見 る ので なく 、 社 会経 済的 な観 点 に立 って見 る と 、 そ こ
いう角 度 か ら も 山村 を 見 る よ う に な った。 私 が こ う し た角 度 で山村 を見 る機 会 を 作 って下 さ った
の は、 平 野勝 二氏 で あ った 。平 野 さ ん が大 阪 府 の農 地部 長 であ った と き 、農 地 解 放 後 の農 村 の再
編 成 に つい て協 力 し て ほ し いと 声 を か け ら れ て、 大阪 府 下 の農 村 を も う 一度 あ る いて みる機 会 を
に勤 め、 生鮮 野菜 の増 産 対 策 に奔走 し た こと が あ った 。 そう し たこ と が 縁 に な ったも のと 思 う け
持 った 。 そ のま え 、昭 和 二〇 年 に当 時 の知 事 であ った池 田清 氏 にす す め ら れ て しば ら く 大阪 府 庁 れ ど 、平 野 さ ん から も声 を かけ ら れ る こ と に な る。
そ の平 野 さ ん は 大阪 府 の農 地 部長 か ら 大阪 営 林 局長 にな り 、 さら に東 京営 林 局 長 にな った 。私 こと で あ る 。
は平 野 さ んを 通 し て 山村 問 題 とと り く む よ う に な ってく る 。国 有 林 の調 査 も平 野 さ んを 通 じ て の
さ て、 昭 和 二八年 は、 私 は病 気 のた め 入院 し た ので現 地 調 査 に は参 加 し な か った が、 そ の総 括
分 析 を 依 頼 さ れ た 。私 の受 け 持 った のは国 有 林 の歴 史変 遷 と 地元 住 民 と の関係 で あ った。
い ま から 二〇年 あ ま り前 のこ と で あ る が、 当 時 は 自 動車 が今 日 ほど 発 達 し て お らず 、 円 城村 の
調 査 にも 、 そ こ へゆ く ま で はバ スを利 用 し た が、村 内 は す べて徒 歩 で、 一つ 一つ の部 落 を あ る き
ま わ った。 そ れ は私 一人 だ け でな く 、 す べて の調 査 者 が そ う で あ っただ ろ う 。輸 送 機 関 とし て の ト ラ ックも 一般 乗 用車 も ほ と ん ど出 て来 な い。
車 道 と し て の林 道 を つく るこ と も まだ そ れ ほど 問 題 に な って お らず 、 林 道 と いえば 木 馬 道 が多
った吉 野 ・熊 野 地方 に は見 られ な か った 。 そ し て材 木 の輸 送 に は まだ 川 が多 く使 用 さ れ て おり 、
か った。 最 も進 んだ 輸 送 機 関 と し て は森 林 軌 道 が あ り 、 そ れ は国 有 林 地 帯 に多 く 、民 有 林 の広 か
陸 路 も 馬 車 や 牛車 の利 用 が ト ラ ック利 用 に お とら ぬ ほど多 く見 か けら れた 。
ま だ 山 地 に スギ は そ れ ほど多 く は植 え ら れ てお ら ず 、 伐採 林 業 時 代 であ った と い って い い。森
林 法 が施 行 さ れ た のは昭 和 二六 年 六月 で 、 そ れか ら スギ の造 林 が盛 ん にな る 。終 戦 当 時 は食 糧増
産 の可能 と 思 わ れ る と こ ろ は新 し く 開拓 し て、戦 災 に逢 う た者 、外 地 引 揚げ 者 を そ こ に収 容 し よ う
とし 、 昭 和 二〇 年 一 一月 に は緊 急 開拓 事 業 実 施 計 画 が 決定 さ れ 、五 カ年 間 に 一五 五万 町 歩 を 開拓 、
六 カ年 間 に 一〇 万 町 歩 を 干 拓 、 そ れ に とも な って入 植自 作 農 創 建 一〇 〇万 戸 を予 定 し た。 そ し て
し め た。 し か し 開 墾 は政 府 が計 画 し た よう に は進 ま ず 、 さ り と て未 墾 地 の利用 も で きず 、 戦 災復
未 墾 地 買 収 と 称 し て 一応 農 地 に 適 す る と見 ら れる 山 地 を政 府 が買 いあ げ 、 入植 者 に わけ て開 墾 せ
興 を 名 と し て 山林 は ど しど し 伐採 し て 、遠 から ず 日 本全 土 が 禿山 にな って し まう ので はな いか と
さえ 思 わ れ 、 どう し ても 造 林 を いそ が ねば な ら ず 、 昭和 二 五年 五 月 に造 林臨 時 措 置 法 が 公布 さ れ 、
のこ ろ か ら植 林 さ れ たも のが多 く 、 近 付 いて み る と、 ま だ 若 齢樹 が ほと んど であ る 。
そ れを機 会 に山 村 の人 々が育 成 林 業 に目 ざ め は じ め てく る。今 日全 国 各 地 に見 ら れ る スギ山 は そ
も ので 、 そ の頃 を 境 にし て忘 れ去 ら れ て いた 山村 問 題 が次 第 にと り あげ ら れ るよ う に な ってき た。
そ のよう に山 地 開 拓 か ら山 林 育 成 へ政 策 が 大 き くき り か え ら れ た こ ろ、 こ の調 査 は行 な わ れ た
そ し て私 た ち は、 昭 和 二九年 、平 野 さ んが東 京 営 林 局 長 を 退官 し た と き 、平 野 さ ん を中 心 にし て
林 業 金 融 調 査 会 を 組 織 し 、湯 川 元 威 氏 の斡 旋 に よ って林 野 庁 、農 林 中 央 金 庫 、農 林 漁業 金 融 公庫 、
ら 一五 カ年 間 、 昭 和 四 三年 ま で の間 に全 国 の農 山村 二〇 〇 カ所 あ ま り の調 査 を 行 な い、一三 〇 冊
全 国森 林組 合 連 合 会 な ど の援 助 を ま って、 山村 の経 済 生活 実 態 調 査 を行 なう こと にな る。 そ れ か
あ ま り の調 査 報 告書 を ま と め た。 そ の中 心 に な って調 査 活 動 を行 な った のは、 当 時東 京 農 業 大 学
助教 授 だ った高 松 圭 吉 氏 と そ の教 え子 たち で 、 そ のほ か に現 早 稲 田 大学 教 授 の外 木典 夫 、現 日本
常 民文 化 研 究 所 常 務 理 事 河岡 武 春 氏 ら であ った 。皆 若 か った ので 、未 熟 では あ った が 、 いず れも 熱 心 に 山村 問 題 にと り く んだ 。
本書 は そ う し た調 査 活 動 の緒 に な ったも ので 、私 に と っては 調 査研 究 活 動 の新 し い分野 への 一
つ の スタ ー ト であ った 。 な お本 書 は、 昭 和 三年 に林 野 庁 から ﹃国有 林 野 地 元 利用 状況 調 査 の総 括
分 析﹄ と題 し て、 島 田錦 蔵 博 士 の ﹁国 有 林経 営 の集 約 度 と 地 元経 済 ﹂、 稲 葉 泰 三氏 の ﹁国 有 林 野
地 元農 業 の展 開 と 国有 林 の役 割 ﹂ と いう論 文 と と も に、 一冊 に ま と め ら れ て公刊 せ ら れ た こと が
あ る。 し かし 官 庁内 で の出 版 物 で 一般 の人 た ち の眼 に はほ と ん ど ふ れ る こと が な か った。
今 読 み な おし て みる と 、山 村 も 最 近 ず いぶ ん か わ ってき て いる よ う に思 う け れど 、 こ こ に見 ら
れ る よう な 山村 のか か え て い る問 題 は何 一つ解 決 さ れ て いな い。 とく に近頃 や か ま し く言 われ て
い る過 疎 の問 題 にし ても 、昭 和 二七 、 八年当 時 、 す で に山村 の資 源 は か なり 枯 渇 し て おり 、 し か
も そ の復 活 は容 易 では な い ので、 山 村 民 の絶 大 な努 力 にも か か わ らず 、 一般 社 会 の経 済 的 な 進 展
に は追 い つ いてゆ け な いも のがあ った 。 本書 の中 で縮 小 生産 と書 いたも のが そ れ で あ る。 山村 は
広 い林 地 を 持 ち つつも 、経 済 的 に はた え ず ゆ れ動 い て いた 。 そ し て大 資 本 の土 地買 占 め の 一番 や
り や す い所 であ った 。だ から 国 有 林 ば か り で なく 、 大 き な 山林 地 主 も た く さ ん存 在 し た。 そ し て
ト ラ ックが 発達 し 、同 時 に林 道 の開 発 が進 む と、 奥 地 の原 始 林 がパ ルプ 材 と し て徹 底 的 に 伐採 さ れ る よう にな る 。 そ れ は木 材 の生産 量 を見 れば わ か る 。建 築 用 材 と 薪炭 材 の生 産 率 は 大 体 七対 三
ぐ ら い であ った と思 う が 、 プ ロパ ンガ スや石 油 コン ロな ど の発 達 で、 薪炭 材 の需 要 が 減 った た め
そ の生産 が 一割 以 内 に落 ち こ ん だ と思 って い ると 、 パ ルプ 材 の生産 が ぐ んぐ ん のび て 、 一時 は建
築 用 材 の生産 を こえ たこ と が あ る。 こう し て奥 山 に ま で資 源 は ほと ん ど なく な った 。 そ れ で も今
ま では まだ 山 に木 を 植 え よ う と す る人 も多 か った 。し かし 、 そ れ が育 って生 産 を あげ る ま で には
三 〇年 か か る。 資 源 の 一方 的 枯 渇 の ため に山 を下 ってゆ か ね ば な ら ぬ の は当 然 のこ と で あ った。
そう し た隙 を ねら って観 光 資 本 の土 地 買占 め が はじ ま った 。 そ の面 積 はす でに 一〇 万 ヘク ター ルを こえ る と いう 。 こ れ ら の土 地 は 自治 体 に と って は治 外 法権 的 な 土地 と し て存 在 す る こと にな
り 、 し かも そ の土 地 を軸 に し て村 が 動 か さ れ はじ める 。 そ う し て住 民 は自 主性 を失 な ってゆ く 。 そ し て そ れを 開 発 と 称 し て い る。 開 発 と は 、政 府 や 大資 本 家 が地 方 住 民 の自 主性 を う ば ってそ の 資本 系 列 の中 に組 み 入 れ、 隷 属 化 し て いく こ とな ので あ ろう か。
昭 和 四 〇年 五月 、 こう し た 問 題解 決 の ため に山村 振 興 法 が施行 さ れ 、 ま た山 村振 興調 査 会 がも
うけ ら れ て 山村 調 査 事 業 は今 日 ま で続 け ら れ 、 そ れ に よ って振 興 対策 も た てら れ つ つあ る が 、そ
れ でも な お 刀折 れ 矢 つき て山 を下 る 人び とが 相次 ぐ 。 も と より 、 町 に出 て ゆ けば 今 よ り は よ い生
活 が あ るだ ろう し、 一方 山村 自 体 も観 光 資 本 の開 発 に よ って、 今 よ り は よ い生活 が得 ら れ る か も な い。
知 れ な いが 、 そ れ ら は利 潤 の おこ ぼ れ に あず か る程度 で あ る。 そ れ では 山村 の問 題 解 決 には な ら
で あ った はず であ る 。 ど う す れば それ が得 ら れ る か。 そ の問 いに対 す る的確 な答 え は まだ 出 さ れ
そ れ ぞ れ の地 域 にそ れ ぞ れ主 体 性 のあ る社 会 をう ち たて て いく こ とが 、 そ こ に住 む人 た ち の夢
本
常
一
て いな いよう であ る 。本 書 は こ れ から の山村 問 題 を考 え て ゆ く 上 に若 干 の参 考 に な る の では な い かと思う。 昭和 四八年三月 一五日
宮
山村と国有林 宮本常 一 著作集 14
2002
一九七三年 六 月三 〇日 第 一刷発行 二 〇〇二年 一一月 二五 日 第五刷発行
4-624-92414-2 C0339
定 価︵ 本 体 三 二〇 〇 円十 税︶
著 者 宮 本 常 一
発行者 西 谷 能 英
東 京 都 文 京 区 小 石 川 三︱ 七︱ 二
発行所 株式会社 未 來 社 〒
Chiharu
Miyamoto (C)
ISBN
in i番 raisha.co.jp 一七 〇︱ 三︱ 八f 七o 三@ 八m五
︵ ㈱ スキ ルプ リネ ット ・富 士 製 本︶
振 替〇〇
電 話︵代 表︶〇 三︵三 八 一四︶五 五 二 一 miraisha.co.jp/ 営︵ 業 部︶〇四八︵四五 〇︶〇六八 一∼二
112 0002
宮 本 常 一 著 作 集(
第26巻 民
衆
の 知
市
の
第2期)
恵 を 訪 祭
と
ね 民
て 2800円
第27巻
都
俗3600円
第28巻
対
馬
漁
業
史3500円
第29巻
中
国
風
土
記3200円
第30巻 民 俗 の ふ る さ と 3200円 第31巻 旅 に ま な ぶ 2800円 第32巻
村 の 旧 家 と 村 落 組 織13800円
第33巻 村 の 旧 家 と 村 落 組 織 2 3800円 第34巻 吉
野
西 奥
島
民 俗 採
の
訪 録 5500円
第35巻
離
旅3200円
第36巻
越 前 石 徹 白 民 俗 誌 ・そ の 他3500円
第37巻
河 内 国 瀧 畑 左 近 熊 太 翁 旧 事 談3800円
第38巻 周 防大 島 を中心 と したる海の生 活誌 3800円 第39巻 大隅半島民俗採訪録・ 出束郡 八 雲片句浦民俗聞書 3800円 第40巻 周 防 大 島 民 俗 誌 3800円 第41巻
郷
第42巻
父
土 母
の の
記/自
歴
史3800円 伝
抄2800円
( 本体価)
宮本常 一著作 集( 第1期) 第1巻
民
第2巻
日
第3巻
風
俗 本
学 の
へ
中
土
央
の と
と
道2800円
地
文
方3200円 化2800円
第4巻
日 本 の 離 島
第1集3200円
第5巻
日 本 の 離 島
第2集3500円
第6巻 家 郷 の 訓 ・愛 情 は 子 供 と 共 に 3000円 第7巻
ふ る さ と の 生 活 ・日 本 の 村2800円
第8巻
日本 の子供 たち ・海 をひ らいた人び と2800円
第9巻
民 間 暦2800円
第10巻 忘 れ ら れ た 日 本 人 3200円 第!1巻
中
世
社
会
の
残
存3200円
第12巻 村 の 崩 壊 3200円 第13巻 民 衆 の 文 化 3500円 第14巻
山
第15巻
日
村
と
本
国
有
を
林3200円
思
う3500円
第16巻 屋 久 島 民 俗 誌 3200円 第17巻
宝 島 民 俗 誌 ・見 島 の 漁 村3200円
第18巻
旅
と
観
光3200円
第19巻 農 業 技 術 と 経 営 の 史 的 側 面 3200円 第20巻 海 の 民 2800円 第2!巻 庶 民 の 発 見 3200円 第22巻
産
業
第23巻
中 国
第24巻
食
史
山 地
生
三
民 俗
活
採
雑
篇3200円 訪
録3800円
考3200円
第25巻 村 里 を 行 く 2800円
宮本常 一著作集( 別集)
第1巻 と ろ し 大阪府泉北郡取石 村生活 誌 3500円 第2巻
民 話 と こ と わ ざ3200円
宮 本 常 一 著 日本 民 衆 史
1開
拓
の
歴
史2000円
2
山
に
生
き
る
人
び
と2000円
3
海
に
生
き
る
人
び
と2000円
4村
の
な
5町
の
な
6生
業
7甘
藷
宮本
常 一著
民
宮本
常 一著
瀬
宮本 川添
常一 登編
宮本
常 一著
戸
菅
り
た
ち2000円 ち2000円
歴
史2000円
の
歴
史2000円
* 学
内
本
た
の
具
日
り
の 海
の
提 の
海
研
洋
唱2800円 究32000円
民1500円
*
江
真
澄2400円
宮 本 常 一著 古 川 古 松 軒 /イ サ ベ ラ ・バ ー ド 2000円
(
税 別定 価)