現代 史 資 料
(Ⅰ)
ゾ ル ゲ 事 件
一
み す ず 書 房
ゾ ル ゲ を 中 心 と せ る 国 際 諜報 団 事 件 参 考 写 真(其 の一)
1. 首 魁 獨 逸 人 リ ヒア ルド ・ ゾ ルゲ
2. ...
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現代 史 資 料
(Ⅰ)
ゾ ル ゲ 事 件
一
み す ず 書 房
ゾ ル ゲ を 中 心 と せ る 国 際 諜報 団 事 件 参 考 写 真(其 の一)
1. 首 魁 獨 逸 人 リ ヒア ルド ・ ゾ ルゲ
2. 無 電 技 術 者 獨 逸 人 マ ツ ク ス .ゴ ツ ト フ リ ー ド ・フ リ ード リ ツ ヒ ・ク ラ ウ ゼ ン
3. 寫 眞 技 術 者 ク ロ ア チ ア 人 ブ ラ ン コ ・ド ・フ ー ケ リ ツ チ
4.東 京都麻 布区 永坂町ゾ ルゲ宅玄關
5. ク ラ ウ ゼ ンの衣裳 部 屋 に設 置 せ る無 電 室
(内務省警保局刊 「昭和 十七年中に於 ける外事警察の概況」 より)
ゾルゲを中心 とせ る国際諜報 団事件参考写真(其の二)
せ る ナ チ ス黨 員 手 帳
6.擬 装 のた め ゾ ルゲ の入 黨
7. 暗號亂 数表に使用 せる獨 逸統計 年鑑
發 信機
8.ク ラ ウ ゼ ンの使 用 せ る 無 電
眞接 寫器具
9 ブ ーケ リ ッ チ の使 用 せ る寫
(内務省 警保局 刊 「昭和十七年中に於け る外事警察 の概 況」よ り)
凡
例
一 本巻 に はゾ ルゲ事 件 関 係資 料 を 収 録 し た 。 本事 件 関 係 資 料 は全 三冊 と し て刊 行 の予 定 で あ る が 、 そ の第 一冊 をな す 本 書 に お いて は、 事 件 の概 要 及 びゾ ルゲ個 人 関 係 を 中 心 と し て いる 。
二 一般 的 に い って、 現 代 史資 料 は、 資 料 そ のも の が作 製 者 の観 点 を反 映 し て、 事 実 と判 断 の微妙 な ア マ ルガ ムを 成 し て い
る のが普 通 であ り、 か つ、場 合 に よ っては 、 資料 そ の も のが 、 政 治 的性 質 を 帯 び て現 実 に機 能 す る ことも あり 得 る 。 従 っ て、 そ の資 料 批 判 に は厳 密 か つ高 次 の注 意 力 が 要 求 さ れ よ う。
三 資 料 の収 録 にあ た っては 、 客観 的 な 事 実 の探 究 に有 益な も のを 含 み、 歴 史 学 的 資料 価 値 の観 点 か ら 、 よ り優 れた も のを
選 択 す る 、 と いう 立場 を 保 とう と 努 力 した 。 全 巻 を つう じ政 治 的 立 場 に よ って、 選 択 に偏 向 の 生ず る こと は 、編 集 者 のも っとも 惧 れ て いる 点 で あ る。
四 作 製 者 と 客観 的現 実 と の関 係 を 、個 々の資 料 に つ いて 、 明確 に理 解 す る こと が、 本 資料 利用 の た めに 、 重要 な前 提 であ る。 そ のた め 、 資料 形成 過 程 に つ いて 解説 を付 し た。
五 資 料 の テ キ ス トが 多 く の不 整 合 、 誤 字 、 誤植 を 含 んで いる場 合 があ る が 、 収録 にあ た っては 、明 白 な 誤 植 と 思 わ れ るも の を 訂 正す るに とど め 、 外 人名 表 記 の不 整 合 は 一々、 統 一を試 み て いな い。
六 調書 は通 常 、 謄 写版 印刷 に より 、 片 カ ナ で、 ほ とん ど 句読 点 がな く 、 か つ誤 字 も 少 な く な い。 これ は 平 が な と し、 句 読 を 加 え 、 明白 な 誤 字 は正 し た 。漢 字 は略 体 で統 一し た。 七 最 終巻 に お い て関 係 文 献解 題 を 付 す 予 定 であ る。 八 本 書 の資 料解 説 は 小尾 俊 人 が担 当 し た。
凡 例 資 料解 説
目
次
(一二) 使 用暗 号 の概 要
(一 一) 無 線 通信 施 設 概 要
(一〇 ) 非 諜 報機 関員 の容 疑 事 実
(九 ) 諜 報 機 関 に 依 る 政治 的 工作
(八) 諜 報 機 関 の資 金 関 係 竝 重要 押 収 物 件
(七 ) 諜 報 機 関 に対 す る モス コー本 部 の 主要 指 令
(六 ) 機 密 部 員 の地 位 と其 の活動
(五) 諜報 機 関 の組 織 及 連 絡
(四 ) コミ ン テ ル ン情 報 局 よ り 本機 関 設 立 の経 緯
(三) 国 際 共産 党 対 日諜 報 機 関 の本質 及 任 務
(二) 被 検 挙 者 の身 元、 罪 名 及 主 要 人物 の経 歴 其 他
(︱) 事 件 の概要
一 〇〇
九八
九三
八六
八一
八〇
七八
七七
三五
二八
二五
三
七
三
一
(一三) 諜報 機 関 と他 の組 織 と の関係 並 に諜 報 取 締 上 の参 考事 項
一 ゾ ルゲ を 中 心 と せ る 国 際 諜 報 団 事 件 ( 内務省警保局保安課)
(一四) 事件 の発 表 に対 す る 各 方 面 の反響
( 一)
≡
・ゾ ル ゲ の 手 記
一 三九
リ ヒ ァ ルド
一 四七
ニ
日 本 お よ び 申国 に おけ る私 の諜 報 グ ループ の概 要
一 五四
三七
コ ミ ンテ ル ンと ソヴ ィ エト共 産 党
一 五五
(二 )
第 一章
私 の活 動 分 野 と し て の極 東
・ 竺
. リ ヒ ァ ル ド ・ゾ ル ゲ の 手 記
第 二章
私 の諜 報 グ ルー プ と 一九 三〇 年 一月 か ら 一九 三 二年 十 二月 ま で の間 にお け る 中 国 で の活 動
一 一 O七
三
第 三章
日 本 に お け る 私 のグ ル・プ の諜 報 活動
一 編
第 四章
私 の モ スク ワ滞 在 中 に お け る 中央 当 局 と の直 接 の連 絡
第
第 一章
三三
五
四
予審 終 結 決定
予審 判 事訊 問調 書 ( 第 一回ー第四+五回)
検 事訊 問調 書 ( 第三+四回︱第四+七回)
吾五
四 八 七
三O 九
三三
二 編
第 二章
ド イ ツ共産 党 員 と し て の私 の経 歴
六
東 京 地裁 判 決 文
第
第 三章
七
彗二
五三七
大 審 院 上告 棄 却 決定 歴 史 の な か で の ﹁ゾ ル ゲ 事 件 ﹂
八 解説
資 料 解 説
一 ﹁ゾ ル ゲ を 中 心 と せ る 国 際 諜 報 団 事 件 ﹂
こ の テキ スト は、 内 務省 警 保 局 編 ﹁昭 和十 七年 中 に 於 け る 外事 警 察 の概 況﹂ (一九四三)の三 九 八︱ 五 一二 ペ ージ に 拠
る 。 戦前 の明 治 憲 法 に 根拠 を持 ついわ ゆ る 天 皇制 国 家 体 制 に お いて、 特 高 警 察 は 、 軍 に なら ん で、国 家 権 力 の実 質 を 構
成 し 、 天 皇制 国 家 達 成 のた め の重 要 な 一環 で あ る と同 時 に 国 家 の暴 力 と暗 黒 の側 面 を 代 表 し て い た。 特 高 の名 は、 ナ チ
こ の特 高警 察 を 主宰 す る も の が内 務 省 警 保 局 で あり 、 言 論 検 閲 を行 う図 書 課 、 特 高 (一課=左翼、二課=右翼、三課か内鮮課)
の ゲ シ ュタ ポ、 ソ ヴ ェト のゲ ー ペ ー ウ ー とな ら ん で、 世 界 に喧 伝 さ れ て いた。
を 管 掌 す る保 安課 、 外 人 関 係 を 監督 す る外 事 課 な ど の諸課 より 構 成 さ れ て い た。
いわ ゆ る ゾ ルゲ事 件 は、 はじ め特 高 一課 が 管 理 し た が、 ゾ ル ゲ の検挙 と とも に、 外 事 課 も これ に加 わ り、 特 高 警 察 と
︱三三 ページ)に は 、 ほ ぼ 同
し て の全 体 的 記録 は、 外 事 課 の年 次 報 告 の性 質 を も った、 厳 秘 扱 い の ﹁昭 和十 七年 中 に 於 け る外 事 警 察 の概 況﹂ のう ち
に 、留 め ら れ る こ と に な った の で あ る 。警 保 局 保 安 課 編 の ﹁特 高 月 報 ﹂昭 和 十 七 年 八 月 号 (六︱
文 のも のが ﹁国 際 共産 党 対 日諜 報 機 関 竝 之 に関 連 せる 治 安 維持 法 、 国 防 保 安 法 及 軍機 保 護 法 等違 反被 疑 事 件 取 調状 況 ﹂
と し て掲 載 され て いる が 、 そ れ に は本 文 ︹一 一︺ 以 下 が含 ま れ て いな い。 そ れ に は ﹁本 件 の内容 は軍 機 に関 す る部 分 あ
る を 以 て其 の取 扱 に就 て は厳 に注 意 を 要 す﹂ と注 意 書 き が 添 え ら れ て いる 。 ま た、 警 保 局 保 安課 編
一
﹁昭 和 十 七 年 中 に 於
け る社 会 運 動 の状 況 ﹂ に は、 簡 単 な 素 描 が あ る の み で、 内 務 省 側 か らみ た事 件 資料 と し て は、 質 量 と も に、 こ の外 事警
リ ヒ ア ル ド ・ゾ ル ゲ の 手 記
察 の記録 が代 表 す る も の と推 察 さ れ る。
二
本 文 テ キ ス ト は 、内 務 省 警 保 局 編 ﹁昭 和 十 七 年 中 に 於 け る 外 事 警 察 の 概 況 ﹂ の 五 ︱二︱ 五 三 五 ペ ー ジ に 拠 る 。
本 文 の最 初 に あ る 特 高 警 察 官 の 前 書 に よ れ ば ﹁左 に 掲 ぐ る は ゾ ル ゲ の 取 調 に 当 り 、本 人 に 作 製 せ し め た る 手 記 に し て 、
⋮ ⋮ そ の内 容 は 今 後 の 検 挙 取 締 上 熟 読 翫 味 す べ き も の あ り ﹂ と 書 か れ て い る が 、 お そ ら く 本 テ キ ス ト は 、 一九 四 ︱年 十
月 十 八 日 検 挙 さ れ た ゾ ル ゲ の 、 ほ ぼ そ の ︱週 間 後 二 十 七 日 月 曜 日 (毎 日 九 時 よ り 三 時 ま で ) よ り 開 始 さ れ た 司 法 警 察 官
に 対 す る 供 述 の 内 容 を 基 と し て 、 特 高 警 察 官 が 部 内 用 に サ ム ・ア ップ し 、 手 記 の 形 式 に 整 え た も の で は な い か と 想 像 さ
れ る 。 従 って 本 テ キ ス ト は 判 決 の さ い 証 拠 と し て 採 用 さ れ て い な い 。 真 に 手 記 と い う べ き も の は 本 書 に リ ヒ ア ル ド ・ゾ
ル ゲ の手記 二 と し て掲 載 さ れ て い るも の で、 ゾ ルゲ が検 事 に対 し、 自 ら タ イプ し て提 示 し たも の であ る こと は、 本 書 の 一 ︱七 ぺ ー ジ 下 段 に お け る 記 述 に よ っ て 知 る こ と が で き る 。
さ て 、 ︱般 に ﹁手 記 ﹂ と は 、 い か な る 性 質 を 有 す る も の で あ ろ う か 。 思 想 検 事 に 対 す る 戸 沢 重 雄 検 事 の 講 演 筆 記 ﹁思 想 犯 罪 の検 察 実 務 に つ い て﹂ ( 昭和九年 五月 ﹁思想研究資料﹂第十 二号所収)に よ れ ば 、
﹁此 手 記 と い ふ も の は大 変 重 宝 だ と い ふ の で好 評 を博 し て居 りま す 。手 記 と い ふも のを 東 京検 事 局 で始 め た 沿 革 を申 上げ ま す と充
分 に正 し く 利 用 し て行 け る の では な いか と思 ひま す か ら煩 を厭 はず 申 上 げ ま す と、 既 に学 聯 事 件 (一九二五年)当 時 か らや って居 っ
に な り ま す と そ こ の表 現 が拙 いと か、 是 は斯 う い ふ風 に表 現 し て貰 ひた い とか 、 我 々 の方 で は そ んな 言 葉 を使 ひ ま せ ぬ と いふ や う
た 向 も あ る か も知 れ ま せ ぬ が、 私 の知 って居 る範 囲 では 或 検 事 が 三 ・ 一五 事 件 (︱九二八年)の幹 部 を 取 調 べ、 さ て聴 取 書 作 製 の段
な 厄 介 な こ とを 言 ふ 、 そ ん な らお 前 一つ書 いて見 ろ と い ふ訳 で自 ら ﹁ノ ー ト﹂ を 作 ら せ 、 そ れ を聴 取 書 の作製 に便 した 。 又 彼 等 は
非 常 に 口 が堅 い の で、 そ れ を段 々軟 化 さ し て行 く 一つの手 段 と し て犯 罪 の構 成 要 件 た る 事実 に直 接 関 係 な いが参 考 とな る様 な 事 項
に就 て手 記 を 作製 さ せ て成 功 した 例 も あ り ま す 。其 様 な 各 種 の経 験 か ら他 の検 事 も 之 を 行 ふ様 に相 成 った の であ り ます 。 取 調 の準
備 、 聴 取 書作 製 の準 備 と し て手 記 を 利 用 す る に至 った の であ り ます 、 思 想 の推 移 な ど は 一応 こち ら で聞 く け れ ども 、 寧 ろ 本 人自 身
の手 を 以 て書 か せた 方 が実 感 が滲 み出 る 、 本 当 の気 持 が よく 分 る ので あ り ま し て、 細 か い理 論 的 活 動 等 は先 づ以 て手 記 せ しむ る に
で考 へて見 る と 手記 を作 ら せ てそ れ を聴 取 書 と い う形 式 に翻 訳 し ても 、 司 法 警 察官 や 検事 の聴 取 書 は 原則 と し て証 拠 にな ら ぬ 、手
適 す る の であ り ま す 。 所 が警 察 官 の方 でも 是 は 重 宝 なも の だ、 結 果 が 好 いと い ふや う な 訳 で ぼ つぼ つ真 似 る 者 が出 来 て来 た 、 そ れ
来 た の であ り ます 。 尚 ほ予 審 に行 って引 っく り 返 す 虞 あ る 場合 に は予 め重 要 な 点 を 手 記 に書 か せ て記 録 の 一部 にす る と い ふや う な
記 な らば 本 人 が 書 いた も の で あ る か ら書 証 とし て 立派 な証 拠 に な る と いふ の で、 聴 取 書 を節 約 し て手 記 で間 に合 せ る場 合 も 出 来 て
事 も あ る ので あ りま す 。﹂
と 述 べ ら れ て い る 。 本 テ キ ス ト の ﹁手 記 ﹂ は 、 司 法 警 察 官 の 聴 取 書 を 要 約 し て 、 手 記 の名 に お い て 記 録 に と ど め た 点
*
で、 き わめ て特 殊 な成 立 事 情 をも つも ので あ る ことも 、 同 時 に 理 解 で き る と思 う 。
* ゾ ルゲ事 件 の資 料 と し て、 第 一回 か ら 第 三十 三回 ま で の司 法 警察 官 の訊 問 調 書 が 本書 に収 録 され て いな いた め に、 こ
の時 期 のゾ ルゲ の供 述 は、 本 テ キ ストに よ って知 る より ほか な い。 そ し て、 こ れ に つづ く検 事 及び 予 審 判事 の訊 問 調 書
は、 諜 報 内容 に 重 点 が お かれ 、 か つ、 同 じ 内容 が何 度 も 訊 問 応答 さ れ る結 果 、 次 第 に味 気 な い表現 に な る のを 免 れず、
た め に、 初 期 の陳述 の矛 盾 や 多 面性 や 面白 さ が、 ず いぶ ん 減殺 され て い って いる。 現 実 のも つ複 雑 な事 実 連 関 が 、 検察
の ルー チ ン化 した 図 式 に よ って、 型 取 りさ れ てゆ き 、現 実 の復 原 と いう 見 地 から 見 れ ば 、 抽 象 化 が 著 し く な り 、 ま た
は 、 強 調点 が 一方 的 に誇 張 さ れ た りす る。 初 期 の取 調 に お いて は証 拠 保 全 が 目的 とさ れる ので、 全 体 行 動 の記 録 とし て
は、 事 実 に 一番 近 いわけ であ る 。 こ の手記 一 にお い ては 、 検挙 直 後 、 ゾ ルゲ が警 視 庁 通 訳 の無 能 さ に腹 を 立 て つ つも、
ま た警 察 官 の理 解 能 力 の貧 し さ を歎 き つつも 、 余 裕 に み ち ユー モラ スな 姿勢 で、 自 由 に応 答 し た も の の 片麟 が こ こに 示
さ れ て い る 。 未 整 理 で 多 彩 な 陳 述 の 点 で 他 の資 料 を 圧 し て お り 、 興 味 深 い も の で あ る 。 巷 間 の 出 版 物 に 見 ら れ る ﹁ゾ ル
﹁リ ヒ ア ル ト ・ゾ ル ゲ の 手 記 ﹂ 二
ゲ伝 説 ﹂ の源泉 を こ こに 見出 す こと も困 難 で はな い。
三
本 手 記 は 、 一九 四 一年 十 月 以 降 、 ゾ ル ゲ 自 身 が タ イ プ で 打 った 原 稿 (ド イ ッ語 )に 基 づ く も の で あ る 。 生 駒 佳 年 氏 に よ
る そ の 邦 訳 全 文 は 一九 四 二 年 二 月 、 司 法 省 刑 事 局 刊 ﹁ゾ ル ゲ 事 件 資 料 ﹂ 二 に 前 半 を 、 一九 四 二 年 四 月 司 法 省 刑 事 局 刊
﹁ゾ ル ゲ 事 件 資 料 ﹂ 三 に 後 半 が 印 刷 さ れ 、 政 府 の関 係 者 に 配 布 さ れ た 。 占 領 軍 G Ⅱ の 押 収 し た も の は 極 秘 と し て 配 布 番
号 ︱九 一で あ った 。 (戦 前 の 政 府 関 係 極 秘 文 書 は 配 布 番 号 が ナ ン バ ー リ ン グ で 打 た れ て お り 、 番 号 に よ っ て 配 布 先 が 判
明 す る こ と に な って い た 。) な お 、 こ れ に は 、 刑 事 局 の 手 に よ って 、 目 次 と 索 引 が 加 え ら れ て い た 。
生 駒 氏 の 訳 さ れ た 日 本 文 は 英 訳 さ れ て 、 一九 五 一年 八 月 の ア メ リ カ 下 院 非 米 委 聴 問 会 に お い て 、 証 拠 書 類 と し て 提 出
さ れ た 。 ゾ ル ゲ 事 件 担 当 検 事 で あ った 吉 河 光 貞 氏 が ︱九 四 九 年 二 月 十 九 日 、 極 東 米 軍 G Ⅱ の命 に よ って 提 出 し た 供 述 書 は 、 こ の手 記 の 成 立 事 情 を 詳 し く 述 べ て い る の で 、 左 に 全 文 を 引 用 す る 。 (英文 より の訳)
私 は 、 私 の良 心 に基 づ き、 私 は真 実 を 述 べ、 何 も のも 付加 せず 何 も のも 秘 匿 し な い こ と を確 言 いた しま す。 私 は す す ん で次 のご とく 供述 し ます 。
︱九 四 一年 一 月 私 は東 京 地 方裁 判 所 検 事 局 に勤 務 を命 じ られ ていた 検 事 で あ りま した 。 そ のと き、 私 の法的 資 格 に お い て、 当 時
東 京 拘置 所 に拘 禁 さ れ て おり ま した リ ヒ ア ルト ・ゾ ルゲ に関 し、検 事 の取 調 を行 う よ ら命 ぜら れ ま した 。 私 は取 調 を ︱九 四二年 五
月 ま で行 いま した 。ゾ ルゲ に関 す る私 の取 調 は、 東 京拘 置 所 の検事 取 調 室 に お い て 行 わ れ ました 。 取 調 の進 行 中 、 リ ヒア ルト ・ゾ
ルゲは 、 す す ん で私 に対 し、 彼 の諜 報 行 動 の全 体 の アウ ト ラ イ ンに関 す る記 述 を作 製 の上、 提 出 した いと提 議 しま した 、 こ の提 案
に よ って、 リ ヒア ル ト ・ゾ ルゲ は私 の目前 で検事 取 調 室 に お い て、 ド イ ツ語 でそ の 供述 を作 製 し ま した 。ゾ ルゲ が 供述 の作製 に用
いた タ イプ ライ タ ー は検 挙 前 、 彼 が 自 分 の家 で使 用 し て いた彼 の私 有 物 で し た が 、 証拠 と し て押 収 され た も の であ り ます 。 そ の供
の です 。 こ の供 述 の唯 一の原 本 はゾ ルゲ が 作 製 した の です が、 そ のわ け は この供 述 で、 上 海 で の彼 の行 動 に関 す る部 分 が充 分 で な
述 の 一章 また は ︱節 の タ イプ が終 る と、ゾ ルゲ は私 の前 で読 み 、 私 の いる前 で、 削 除 や追 加 や訂 正を した のち、 私 の方 へ手渡 した
か った の で、 ゾ ルゲ は 、 そ の部 分 に、 さ ら に 不 充 分 の箇 所 を書 き加 え て新 しく タ イプ しな お し 、私 に そ れを 提 出 いた し ま した 。 私
は、 原 本 の そ の部 分 を 入 れ か え ま した 。 本 供 述 書 に 付録 と し て つけ た 記 録 は 、 二 十 四 ペ ー ジ です が 、 これ は私 が原 本 か ら 削 除 した
部 分 であ って、 上 述 のよ う に、 ゾ ルゲ があ と でタ イプ し な お した 部 分 を 原 本 に さ し入 れ た か ら です。
こ の記 録 は 、 一九 四 一年 十 月 と十 一月 に 、東 京 拘 置 所 の検 事 取 調 室 で 、 ゾ ルゲが 私 の目 前 でま ず作 製 し、 訂 正 し、 そ し て私 に手
渡 した 供 述 の 一部 で あ り ます 。 こ の記 録 に はゾ ルゲ の署 名 があ り ま せ ん が 、 そ の わ け は、 こ の記録 がゾ ルゲ の供 述 の 一部 に 過 き な
いも の で、 リ ヒ ア ルト ・ゾ ルゲは 記 録 全 体 が 完成 した 際 、 最 後 に 署名 を 付 した の で、 供 述 の ︱部 であ る記 録 に 署 名 す る こ と を 彼
吉河光貞
は特 に望 ま な か った か ら です 。 上記 の記 録 は、 上 述 の日 よ り 一九 四九 年 二月 十 三日 ま で私 の所有 で した が 、 こ の日 よ り、 合衆 国軍
隊 、 極東 軍総 司 令 部 G Ⅱ の H L t. Col .Paul .Rush c 氏 に 対 し そ の希 望 に より 、 ひき渡 した も の であ り ま す。
ゾ ル ゲ 手 記 タ イ プ の 第 一次 原 稿 二 四 ぺ ー ジ 分 を 証 拠 と し て 提 出 す る こ と に つ い て の 記 述 で あ る が 、 さ ら に 、 ゾ ル ゲ 検
挙 直 後 の 手 記 及 び 訊 問 調 書 の 作 製 に つ い て 、 一九 五 一年 八 月 の ア メ リ カ 下 院 非 米 委 聴 問 会 に お け る 吉 河 光 貞 氏 の 証 言 に 聴 こう 。
的 に (Per so nal l y) 取 調 べら れ る ご とを 望 みま した 。 そ れ で午 后 三時 か ら夜 ま で、私 自身 で取 調 べを 行 な いま した 。 こう し てゾ ル
吉 河︱︱ 月曜 の朝 九 時 よ り 午 后 三 時 ま で、 私 の監 督 の下 に警 官 が取 調 を 行 いま した 。 だ がゾ ルゲ は ミ スタ ー ・吉 河 に よ うて個 人
ゲ は私 の問 いに 答 えた のです 。
警 官 は取 調 べの前 に私 と話 し合 い、 取 調 べ後 に 、彼 ら は取 調 の内 容 を 報告 し私 か ら指 令 を 受 け ま した 。
警 官 た ち がゾ ルゲ、 ク ラ ウゼ ン、 ヴ ー ケ リ ッチ ら の取 調 べを行 った さ い、 私 は 出 張 し て、 警 官 た ち の取 調 べ の仕 方 に 注 目 し ま し た。 取 調 べを 初 め る 前 に 、取 調 の ア ウ ト ラ イ ンを ゾ ルゲ に話 し ま した 。 私 はゾ ルゲ に、 取 調 べ で包 含 す る範 囲 の要 点 を 示 し ま した 。
ゾ ルゲ はま た そ の要 求 を提 示 しま した 。 ゾ ルゲ が要 点 を 提 示 した と き 、取 調 べに役 立 つ要 点 は受 け 入 れ た ので す。
私 のド イ ツ語 と英 語 は いづ れ も不 完 全 です 。私 は ド イ ツ語 英 語 を ブ ロー ク ンで話 しま す 。取 調 べ に は時 間 が か か り ま した が、 ゾ
こう し て、 我 々の聞 で、理 解 が困 難 にな った と き は、 い つ でも 、 紙 を 用 いま した 、 ソ ルゲ は紙 に書 い て説 明 し ま した 。
ルゲ は通 訳 を い れる こと を望 ま な か った の です 。 そ の理 由 を 彼 に 訊 ね ま した 、 彼 は通 訳 は話 を む つか しく す る か ら と申 しま した 。
私 た ち が取 調 の ア ウ ト ラ イ ンを決 めた とき 、 彼 は 紙 を と って、 紙 上 を か り て問 題 点 を 説 明 し ま した 。 彼 が 紙 に書 いた のを 読 み 、
そ れ で理 解 でき な いさ いに は彼 に質 問 しま した 。 そ う した さ い には 、 そ う いう 箇 所 に つ いて更 に詳 しく 説 明 す る の で した 。 数 日後
に ゾ ルゲ は、 私 の前 で、 我 々の話 し合 った こ とを タ イプ し まし た 。 彼 は ミ スプ リ ン トを 訂 正 し ま した 。 私 は 彼 の タ イプ した のを 、 辞 典 の助 け を か り て読 みま した 。
時 々、 タ イプ が綺 麗 でな か った り不 充 分 だ った りす る と、 彼 に打 ち直 す よ う に望 みま した 。汚 な か った り 不 充分 だ った り した と
三月 か 四 月 に な って取 調 は 完 了 し ま した 。
き 彼 は す す ん で打 直 しを 要 求 し ま した 。 こう し て、 タイ プ に よ る手 記 は進 行 した の で した 。
多 く の重要 な箇 所 で、 私 は ゾ ルゲ の特 別 な説 明 を受 け ま した 。 完 全 な説 明 の えら れ な か った 箇 所 も少 し はあ り ま した 。
取 調 べが終 了 した とき 、 ゾ ルゲ は 一枚 の紙 を とり 、 この取 調 べ は ミ スタ ー ・吉 河 に依 ってな さ れた む ねを タ イプ で打 ち、 自 ら署 名 しま し た。
そ れ か ら 正式 の通 事 (通 訳 ) が決 ま り ま した 。 東 京 外 国 語 学 校 の生駒 教 授 が そ れ です 。 生 駒 氏 は拘 置 所 に来 ら れ 、 ゾ ルゲ が タ イ プ に打 った 手 記 が事 実 彼 のも のに 相違 な い こ とを 確 認 し ま した 。
宣誓 の のち に 生駒 さ んが そ れ を 日 本語 に翻 訳 しま した 。 コピ イ 一部 が つく ら れ ま した 。 こ の コピイ に 生駒 教 授 と私 が 署 名 し ま し
司 法省 刑 事 局 は、 手 記 の翻 訳 を小 冊 子 で作 製 し ま した 。 ゾ ルゲ は 、 ド イ ツ大 使 館 を 中 心 とす る活 動 に つい て彼 自 ら 語 る と ころ を
た 。 そ し て翻 訳 と手 記 は証 拠 に 加 え ら れま した 。
公 的 記録 に 止 め るよ う 、 私 に要 求 し ま した 。 ゾ ルゲ は、 自 分 で物 語 を タ イプ す る こと を欲 し ま せん でした 。 タ イプ の手 記 が 完成 し
た のち、 翻 訳 も完 成 しま した 。私 は 生駒 教 授 に来 る こと を依 頼 し、 ゾ ルゲ の活動 の各 方 面 に わた って取 調 べ ま した 。 取調 の公 的 記
録 は約 三 八綴 よ り成 ってお り ます 。 各 綴 の最 後 に 生駒 教 授 が これ を ド イ ツ語 に翻 訳 し 、記 述 に異 論 が あ る か ど う かゾ ルゲ に訊 ね、
した 。
彼 が 正確 で あ る こ とを 見 出 した のち に、 そ れ ぞ れ に署 名 を 付 しま し た。 そ し て 生駒 教 授 と私 は 署 名 し、 つい で私 の書 記 が署 名 し ま
これ は 法律 に基 づく 正式 の訊 問 調書 であ り ます 。 (中 略 )
従 ってゾ ルゲ の内容 は 二 つの部 分 か ら成 って い ます 。 一つは タ イプ した 手 記 であ り、 他 は、 こ の訊 問 調書 です 。
他 に警 察 官 の大 橋 の作 製 し た 訊 問調 書 も あ り ます 。 彼 が 取 調 を行 う の に は時 聞 を要 し ま した 。 大 橋 の訊 問 調 書 は私 の記 憶 で は 四 月 か 五 月 頃 完 成 した と思 いま す 。 タ ブ ナ ー︱︱ そ れ は何 年 です か ? 吉 河︱︱ 一九 四 二 年 です 。 私 の訊 問 調書 は 一九 四 二年 六月 頃 完 成 し ま した 。
こ こ に 収 め ら れ た の は 、 生 駒 訳 の テ キ ス ト で は な く 、 ︱九 五 三 年 十 月 、 外 務 省 情 報 文 化 局 に よ る 省 内 資 料 と し て 印 刷
さ れ た も の 、 ま た 同 じ く 一九 五 三 年 十 一月 公 安 事 務 室 資 料 と し て 印 刷 さ れ た も の (この二 つはA5判九ポ二段組 一〇九 ページで同
じ紙型に基づくも のである) と 同 文 で あ る が 、 ド イ ッ 語 の 唯 ︱の 原 文 テ キ ス ト が 司 法 省 の 戦 災 で 亡 失 し て い る た め 、 原 文 か ら
の新 訳 と す る こと は 不 可能 であ る 。 司 法 省 訳 と の異 同 も本 書巻 末 に加 え ら れ て いる の で、 生 駒 訳 の G Ⅱ に よる 英 訳 を基
と し 生 駒 訳 日 本 文 を 参 考 と し て 、 戦 後 の 文 章 を も って 分 り や す く 書 き 直 さ れ た も の と 見 る の が 、 至 当 で は な か ろ う か 。 本 テ キ スト の み が新 カ ナ遣 いで あ る の は、 そ のた め で あ る。
手 記 の 内 容 に つ い て 、 予 審 判 事 第 五 回 訊 問 調 書 (本書 三三 一ページ) に お い て 、 ゾ ル ゲ は 次 の よ う に 述 べ て い る 。 一七問 ︱︱ 此 の手 記 は被告 人 が自 己 の意 思 によ り 全 部 記載 した も の に相 違 な いか ?
答 ︱︱ 書 く こと は検 事 の希 望 によ り 検事 の テ ー マに基 い て記 載 した も の であ り ま す が 、其 の内 容 は私 の意 思 に よ って何 ら の拘 束
此 の時記録 第 三冊手記 の内容を示す。
こ とを 御 諒 承願 い ます 。
を も 受 け ず に書 いた も の であ り ま す。 併 し之 を 書 く に あ た り 資 料 も な く 又 十 三 年 に も 亘 る長 い間 の事 項 です か ら頗 る困 難 で あ った
な お 訊 問 調 書 の 各 所 に つ い て 本 手 記 は 触 れ ら れ て い る が 、 ゾ ル ゲ は 、 こ れ が 証 拠 と し て 採 択 さ れ 、 起 訴 の材 料 と な る こ と は 、 書 く と き に は 知 ら な か った よ う で あ る 。 (三 三一 ペ ー ジ、 七 問 )
四 検 事 訊 問 調 書
検 事 訊 問 調 書 の正 文 は、 司 法 省 の戦 災 で焼 失 し たが 、 そ の写 しが 保 存 さ れ て お り、 戦 後 米占 領 軍 に よ っ て 没 収 さ れ
た。 一九 四 六年 よ り 四九 年 に いた る 尨 大 な ゾ ルゲ関 係 没 収 文書 は、 のち に ウ ィ ロー ビ ーよ り返 却 さ れた が 、 そ の 主要 な
も のを 選 ん で印 刷 に付 し た のが 、 警 察 庁 警備 部 編 ﹁ゾ ルゲ を 中 心 とす る国 際 諜 報 団 事 件 ﹂ (一九五七年 一月)で あ って、 本 訊問 調書 も 、 これ に 含 ま れ て い るも のと 同 文 で あ る。
訊問 調書 の第 一回 よ り第 三十 三 回 に及 ぶ分 は 、 司 法警 察 官 (大橋秀雄)に よ るも ので 、第 三一 四回 より 第 四 十 七 回 (一
九四二 ・二 ・一〇︱ 三 ・二七)が検 事 (吉 河光貞)に よ るも の であ る 。 前述 の通 り第 一回 よ り第 三十 三回 に及 ぶ 調 書 の 内 容 の 一部 は、 ゾ ルゲ の手 記 一 よ り知 る こ とが で き る。
吉 河 検事 に対 す る供 述 は、 一九 四 一年 十 月 二十 五 日 に始 ま る が、 当 初 に ゾ ルゲ と検 事 と の合 議 の結 果 、 諜 報 活動 の全
体 の アウ ト ライ ンを ゾ ルゲが 彼 自 ら タ イプ に よる 手 記 で 、 示す こ と と し、 そ の完 成 さ れた も のが 手 記 の二 であ る 。 ド イ
ツ大 使 館 を舞 台 とす る諜 報 の具 体 的活 動 に つい ては ロ述す る こと に し、 そ れ が、 こ の訊 問 調書 とな った わ け で あ る。 ゾ ル ゲ の手 記二 を総 論 と見 れ ば 、 本 調書 は各 論 と いえ る か も知 れな い。
五 予 審 判 事 訊 問 調 書
四 と 同 じ く写 し に基 づ く も ので、 資 料 は占 領 後 没収 さ れ、 のち ペ ン タ ゴ ンよ り戻 さ れ た 。警 察 庁 警 備 部 編 ﹁ゾ ルゲを 中 心と せ る 国際 諜 報 団 事 件 ﹂ に収 録 さ れた も のと 同 文 で あ る。
調 書 の内容 は、 三 一 一ペ ージ に 示 さ れ て いる 通 り 、 手 記二 、 司 法 警 察 官 及 び検 事 訊 問 調 書 の内容 を、 予 審 判 事 の 立場
か ら 訊 問 し 、 こ れ に 対 す る ゾ ルゲ の 応 答 を 記 載 し て い る 。
こ の 調 書 作 製 前 後 のゾ ル ゲ に 通 訳 と し て 接 し た 生 駒 佳 年 氏 の 回 想 は 、 当 時 の雰 囲 気 を 伝 え る 好 個 の 文 章 で あ ろ う 。 ( ﹁み 年 三 す 月 ず 号 ﹂ 、一 三 九 六 六 号 二)以 下 に そ の ︱節 を 引 く 。
彼 は 一般 に 日 本 の警 察 の取 調 べに 対 し て は批 判 的 であ った が、 吉 河 検 事 、 中 村 予審 判 事 、 高 田裁 判 長 の三氏 に対 し ては、 自 分 は
日本 のす ぐ れ た 三人 の検 察 官 司 法 官 に親 し く 接 し て、 そ の取 調 べぶ り を経 験 した が、 三人 三様 、 そ れ ぞ れ別 の意 味 でそ の人物 に敬
った と 記 憶す る から であ る。
服 した と 云 って いる が 、 これ は決 し て彼 の詔 辞 では な か った と思 う 。何 故 な ら ばそ れ は彼 の刑 が確 定 した の ち書 いた 手 記 の中 にあ
った と思 う。 本 来 な ら ば 検 事 の取 調 べと予 審 廷 で の訊問 は別 の通 事 を 用 いな け れば な ら な いの だ が、 そ の時 は他 に人 がな か った為
吉 河検 事 の取 調 べが 一応 終 る と彼 は予 審 廷 で訊 問 さ れ る こ とと な った 。 そ れ は太平 洋 戦 争 が始 った 翌年 の昭 和 十 七 年 夏 の こと だ
再 び私 が通 事 を 依頼 さ れ る仕 儀 とな った。 検 事 の取 調 べ のと き は、 日や 時 刻 は決 って お らず 、 私 た ち の都 合 で勝 手 に決 め る の で大
に あ る法 廷 に 出頭 し て 、朝 か ら夕 方 ま で 、全 身 に汗 特 に掖 の下 に冷 汗 を かき な が ら通 訳 をや った 。ゾ ルゲ は巣 鴨 か ら囚 人 用 の自 動
変 自 由 でよ か った が、 予 審 廷 とな る と 、 そ う は ゆ かな い。 これ は もう 正式 の裁 判 で あ る。 私 は毎 月 のよ う に酷 暑 を 冒 し て 、霞 ケ関
て、 度 々手 錠 を 止 め て く れ る よう に と私 を介 し て嘆 願 した が 、 これ は規 則 だ と いう ので聴 入 れ られ な か った 。 取 調 べも 検 事 の時 に
車 で予 審 廷 に送 ら れ てく るが 、 そ の途 中 は 一般 の囚 人 と 同様 網 傘 を か ぶり 、 手 錠 を か け ら れ る のだ が 、 こ れ には 彼 も 屈辱 感 を抱 い
比 し て選 ぶに厳 格 で、 私 と彼 は雑 談 は 愚 か、 私 語 さ え も 憚 か ら れ るよ う な 雰 囲気 であ った 。 日 本 文 の検 事 調 書 を 私 が 直 ぐ そ の場 で
ン マも な い文 章 が な が な が と続 いて 、 い つ果 て る べく も な い。 そ れを ぶ っつけ に ド イ ツ語 に訳 し て ド イ ツ人 に聞 か せ る ので あ る か
ド イ ツ語 に訳 し て被 告 に読 み 聞 か せ な け れ ば なら な い。 これ が 又大 変 な 難 物 で あ る。 何 分 にも 裁 判 所 独特 の文 体 で ピリ オ ー ドも コ
でな か った ら、 そ れ こ そ立 往 生 ば か り し て いな け れ ば な ら なか った で あ ろ う。 流 石 にゾ ルゲ は 今度 は冗 談 も 飛 ば さ ず 、神 妙 に独 訳
ら 、 掖 の下 か ら冷 汗 が 出 よ う と い う も の であ る。 検 事 の取 調 べ の内 容 を 大 体知 って いた から 、 何 と か辻 褄 を 合 わ せた も の の、 そ う
と想像 さ れ る。 し か し吉 河 さ ん の と き のよ う に私 と戦 争 の経 過 な ど話 し合 う こ と は でき な い。 又時 に は中 村 さ ん が気 に喰 わ ぬ推 論
さ れた 検 事調 書 を聞 い て、時 々違 った と ころ を指 摘 し て、 訂 正 さ せ た り 、 又時 に は抗 弁 した り し て いた が 、随 分退 屈 な こ と だろ う
った 。私 が間 に立 って何 と か取 倣 す の が常 だ が 、最 も効 果 があ った のは 矢張 当 時 の独 ソ戦 の模 様 を話 し てや る こ と で あ った 。 彼 は
を した り 、急 所 を突 く 質 問 を した り す る と、 時 には 憤然 と し て卓 を 叩 い て否認 し 、 そ のあ とは 何 を聞 い ても 返 事 も し な い こ とが あ
獄 中 に あ っても 常 に ソ連 の運 命 を気 づ か うてお り 、 一寸 した こ とに も神 経 を尖 らせ て、戦 争 の成 行 き に注 意 し て いた 。 彼 が逮 捕 さ
れ て か ら間 も なく 所 謂 ﹁大東 亜戦 争 ﹂な るも のが勃 発 した のだ が 、彼 は真 夜 中 獄 裡 で眠 ら れ ぬ 一夜 を 過 す う ち 、頭 上を 飛 ん で行 く
飛行 機 の爆 音 を数 え て、 これ は き っと戦 争 が始 る に相 違 な い と推 察 した が果 し て そ れが 事実 と な った と言 って いた 。予 審 は独 ソ戦
が スタ ー リ ング ラ ー ド攻防 戦 の真 最 中 の こ と であ った 。 彼 は特 に こ の戦 闘 を重 大 視 し、 万 一スタ ー リ ング ラー ド が 陥落 す れば 、 ソ
を払 って いた の であ る 。最 初 の間 は拘 置 所 で ラジ オ が聞 えた の で、彼 は 日本 語 は わか ら ぬ と自 称 し て いた も の の何 ら か凡 そ の事 は
連 四 十年 に渡 る共 産 国 家 の建 設 も 一朝 に し て水 泡 に 帰 し再 建 は不 可 能 であ る と判 断 し て いた ので 、 そ れ こそ こ の戦 闘 に最 大 の関 心
解 した ら し い。 し か し 後 に な る と、 どう いう理 由 か ラ ジ オを 止 め ら れた の で、 戦 況 の 一切 は彼 に は わか ら な く な った 。 彼 は焦 燥 に
う す れ ば機 嫌 を 直 し て素 直 に訊 問 に応 じ
耐 え な い。 そ こで 彼 は 訊 問 の途 中 、判 事 が 書記 に 調書 を 口述 し て いる 少 し の隙 に、 低 声 で私 に戦 況 を聞 いた も ので あ る。 私 も お お っぴ ら に答 え る のも 憚 ら れ た が、 何 とか こ れ亦声 を低 め て大 体 の こと を 話 し て や った 。 そ
た か ら であ る。 判 事 も 薄 々気 付 い て は いた が 、格 別咎 め だ ては し な か った 。 当 時 の こと を書 いた 彼 の手 記 の中 に ﹁親 切 な反 訳者 が
私 に スタ ー リ ング ラー ド攻 防 戦 の様 子 を 話 し て く れた ﹂ とあ る のが そ れ であ る。 ソ連 軍 の戦 況 が不 利 な こと を伝 え る と彼 はす っか
り情 気 返 って しま った が 、 や が て独 軍 の方 が 次第 に攻 撃 力 を 失 って 形勢 の逆 転 が顕 著 にな り 、 どう や ら 当 時 の ソ連 を象 徴 す る 名 を
る。
有 った こ の都 市 が 独軍 の手 中 に落 ち な い こと が判 ってく る と彼 は雀 躍 せ ん ばか り に喜 ん で、 そ の いか つ い顔 を綻 ぱ せ た も の で あ
さ き の吉 河 検 事 の取 調 べ の とき は 、 そ の内 容 は、 今 ま で新 聞 は おろ か 、噂 話 し にも 聞 いた こと の な い事 ば かり な 上 、 す べて想 像
も しな か った よ う な国 家 の重 大 機 密 に触 れ たも の で、 出 て く る人 物 も 、 当時 の首 相 であ った 近 衛 公 を初 め と し て今 を と き めく 顕 官
や 、 西 園 寺 公 一と い った 名 家 の人 々で、 謂 わ ば興 味 津 々た る も の であ った 。 し か し予 審 廷 では 特 に新 事 実 が現 わ れ る わ け で も な
の日 一日 で調 べた こ と は必 ず最 後 に ま とめ て首 尾 の整 った調 書 と して 、 も う 一度 そ れを 読 み 聞 か せ被 告 に署 名捺 印 さ せ る と い った
く 、 且 つ盛夏 の候 の こ と でも あ り 調 べる人 も 調 べら れ る人 も、 通 事 の私 も大 分 へこた れた も ので あ る。 殊 に検 事 の場合 と違 い、 そ
具 合 で、 時 に は 七時 八時 とな 。て 、永 い夏 の日 も と っぷ り暮 れ、 戸 外 は も う暗 闇 に な って いる こ と も稀 で はな か った 。
六 予 審 終 結 決 定 七 東 京 地 裁 判 決 文
八
大 審 院 上告 棄 却 決 定
資 料 源 に つ い ては 四 、 五 と性 質 を 同 じ く す る。 同 項 参 照 。
付 記 な お現 行 の刑 事 訴 訟 法 のも と で は廃 止 さ れ た ﹁予 審 ﹂制 度 に つ い て、 付 記 し た い。 以 下 、 團 藤 重光 ﹁刑 事 訴 訟 法 概 要 ﹂ (一九 四三年)に依 る 。
予 審 Ger i c ht l i hceVor unt ersu hc ung と は元 来 被 告 事 件 を 公判 に付 す べき か 否 か を決 す る ため 必 要 な事 項 を 取 調 べる こ と を 目
は捜 査手 続 の延 長 であ って 、手 続 構 造 の上 か ら い っても 、 む し ろ糺 問 主義 的 で当 事 者 訴訟 の色 彩 が弱 い。 さ れ ば、 そ れは屡 々捜 査
的 と す るも の であ る が 、併 せ て公 判 にお いて 取 調 べ難 し と思 料 す る 事 項 に つい ても 取 調 を為 す べ きも のと さ れ る。 そ れ は実 質 的 に
と 併 せ て前 手続 Vorverfahren と称 せ ら れ、 主 要 手 続 Haupt ver fahr en た る 公判 手 続 と対 立 せ し め ら れ る ので あ る。
しく 自 由 主義 的 な制 度 に 改 め ら れ た。
予 審 は フ ラ ン ス革命 の当 初 に おけ る 立 法 に は認 め ら れ てゐ ず 、革 命 の反 動 期 に革命 前 の糺 問 手 続 の 一部 を復 活 せ しめ た も の であ って、 元 来 はむ し ろ 反動 的 意 味 を も つも ので あ った が、 第 十 九 世紀 の過 程 にお いて そ れ は著 我 が現 行 法 にお け る 予審 も ま た こ の系 統 を 引 く も ので あ る。 ⋮
﹁予 審 判 事 ハ公判 ニ於 テ取 調 べ難 シト 思料 ス ル事 項 ニ付 亦 取 調 ヲ為 スベ シ﹂ と さ れ る結 果 、︱︱ 否 、実 は かか る規 定 のみ が原 因
で は な い と思 ふ︱︱ 予審 に おけ る取 調 は 予審 の元 来 の任 務 を 超 え て極 め て詳 細 に わ た って為 さ れ 、 事実 上 は む しろ予 審 中 心主 義 と
も い ふ べき 状 況 を 呈 す る に至 った。 のみ な らず 、 捜 査 中 に お け る取 調 と屡 々重複 す る結 果 、 審 理 は 遷延 し記 録 は尨大 と な る傾 向 を 誘 致 し、 裁 判 所 に と って も被 告 人 に と っても 面白 か ら ぬ事 態 に立 至 った の であ る 。 ⋮ ⋮
垂 水 判 事 に よ れ ば、 検 事 は索 材 を集 め 、予 審 判 事 は 法 律的 に こ れを 整 理 す る の であ って、 そ れ は分 業 であ って 重複 で はな い。 ⋮
一 ゾ ル ゲ を 中 心 と せ る 国 際 諜 報 団 事 件
( 内務省警保局保安課)
客 年 十 月 警 視 庁 に於 て検 挙取 調 申 の独 逸 フ ラ ン ク フ ルタ ー ・ツ ァ イ ト ゥ ング通 信 員 独 逸 人 リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ 一味 に関 す る外 諜 事 件
(一) 序
説
本 事 件 は ソ連 共産 党 中 央 委 員 会 機 密 部 員 、 独逸 人 リ ヒ ア ルド ・ゾ
ルゲ を 首 班 と し て我 国 に昭 和 八年 九 月 以 来 設置 せ ら れあ り たる 、 ソ
に根 柢 よ り 破 壊 殲 滅 し た る未 曾 有 の検 挙 事件 に し て、 之 れ に依 り ソ
連 共 産 党 (即 ち ソ連 邦 政 府 ) 及 コミ ン テ ル ン の対 日諜 報 機 関 を 一挙
本 機関 は 独逸 共 産 党 よ り ソ連 共産 党 に転 籍 し、 コミ ンテ ル ン情 報
に於 け る 帝 国 の企 図 を 秘 匿 し 、 我 国 土防 衛 に資 す る 処 あ り た り。
を 生 ぜし め 、 以 て大東 亜戦 争 開 始 直 前 に於 け る機 微 な る国 際 環 境 下
ヴ ェート 連 邦 及 コミ ンテ ルン (国 際 共 産 党 ) の対 日政 策 に 一大 蹉 跌
其 の活 動 の計 画 的 な る こと 、近 代 科 学 を利 用 せる こと 、巧 に其 の表
局 及 ソ連 共 産 党 機 密 部 の拡 大強 化 に辣 腕 を振 ひ、 昭 和 八年 九 月以 降
は 一応 取 調 を 終 り 、 五 月 十 七 日 一般 に公 表 せら れた る が、 本 事 件 は
に典 型 的 外 諜 事 件 にし て 且 つ其 の活 動 期 間 の長 期 に 亙 れ る こ と、 其
の組 織 し た るも の にし て、 米 国 共産 党 よ り選 抜 派 遣 せら れ た る宮 城
日 本 に常 住 す る独 逸 人 に し てナ チ ス党 員 た る、 リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ
面 を偽 装 し居 た る こと等 全 く スパ イ小 説 を 地 で行 け る の感 あ り、 実
の蒐 集 情 報 の広 汎 な る こ と 、其 の触 手 の国 家 中 枢部 に深 く 喰 ひ入 れ
与 徳 及ゾ ルゲ の支 那 駐 在 時 代 諜 報 機関 に採 用 せ る尾 崎 秀 実 を両 翼 と
る こ と等 は 未 だ 曾 て世界 スパ イ史 上 にも 其 の例 を見 ざ るも の と云 ふ べく 、 時 恰 も 帝 国 を 繞 る 国 際情 勢 極 め て微 妙 な り し 最 近十 ケ年 間 に
ー ド ・フ リー ド リ ッヒ ・ク ラ ウ ゼ ン、 写 真技 術 者 ク ロア チ ア人 ブ ラ
ン コ ・ド ・ブ ー ケ リ ツチ 、 中国 共 産 青 年 団 出 身 水 野 成 、 日本 共 産 党
し 、 赤軍 第 四本 営 派 遣 員 、 無 電 技 術者 独逸 人 マ ック ス ・ゴ ット フ リ
出 身 九 津 見 房 子 、 同 山 名 正実 、 同 田 口右 源 太 、 元 中国 共 産 党 日本 人
於 け る 軍事 、 政治 、 外 交 、 経 済 の各 般 に亙 り諜 知通 報 せ ら れ たる 我
を 検挙 し得 た る は、 帝 国 に とり て寔 に幸 甚 と云 ふ べく 、 又 検 挙 関係
諜 報 機 関 員 川 合 貞 吉 、 米国 共産 党 出 身 北 林 ト モ、 米 国 帰 り 英 訳 技
国 の被 害 は実 に甚 大 な るも のあ り 、唯 大東 亜戦 争 の開 始 に先 ち 、 之
係官 の功績 亦 大 な るも のあ り と 云 ふ べき なり 。
フ ィ ル ム、 或 は現 品 運 搬 の方法 に依 り、 ソ連 共 産 党 中 央 委員 会 に報
経 済 、 軍事 等 諸般 の機 密 を探 知 蒐 集 し 、 短波 無 電 又 は ライ カ 版 写真
﹁ソ連 邦擁 護 ﹂ を 主眼 と し て、 我 国 の国防 を害 す べき 政 治 、 外交 、
術 者 秋 山 幸 治 及 陸軍 伍長 小代 好 信 等 を 協 働 者 と し、 昭 和 九 年 以 降
左 に其 の概 要 を 記 述 す べし 。
一 事 件 の概 要
告 し 、 以 て ソ連 政 府 、 ソ連 赤軍 及 国際 共 産 党 に絶 大 な る 貢献 を為 し
居 た る も のな り。 本 機 関 の首 魁 リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ は独 逸 政 治 学 博 士 の学 位 を有 し、
依 て両 者 は 他機 関 員 の活 動 と相 俟 ち 最 も 豊 富 にし て適 確 な る情 報
得 ら れざ る 無 き地 歩 を占 む。
の偽 装 を 以 て朝 野 の名 士顕 官 と の交 遊 を 広 め 、 重要 な る情 報 にし て
満 鉄 高 級 囑 託 に転 じ 、兼 て支 那 研 究 室 を 主 宰 し 枢軸 派 的 革 新 政 治 家
託 を 命 ぜ ら れ 支 那事 変 処理 及国 民 再 組 織 問 題 等 に参 画 し た る が、 後
た る結 果 、 屈 指 の支 那通 た り、 第 一次 近 衛 内 閣 には請 は れ て内 閣 囑
し、 秘 か に中 国 共産 党 政 治 顧 問 団 及 コミ ン テ ル ン諜 報 団 に所 属 し居
当 の勢 威 あ り 、 尾 崎 秀実 は朝 日新 聞 特 派 員 とし て、 上海 に永 く駐 在
オ ット独 大 使 以 下 大 使 館 主 脳 の信 任 厚 く 、 大 使 館 内 に 席 を有 し て相
る内偵を加 へ昭和十六年九月二十八日、北林 トモ、同人夫芳 三郎 の
直 に右北林 の所在調査を開始し、特高 一課、外事課共同にて周到な
歳) の既 に帰国 し てスパイ活動 の容疑あるや の陳述あ りたるを以て
右伊藤律 の自供中米国共産党日本人部員某女 (北林 トモ、五十六
を決意 し漸次そ の犯行を自供す るに到れり。
めたるも警視庁 の峻烈 にして 一方温情ある取 調に対 し遂 に翻然転向
な るも のあり、検挙後数 ケ月 に亘るも犯行を自供 せず取調困難を極
歳、満鉄東京支社調査部 )は俊敏 にして共産主義に対 する信念堅固
準備委員会事件 の首魁、治安維持法違反被疑者 伊藤律 (当時 二十九
昭和十五年六月以降警視庁 に於 て検挙に着手 せる日本共産 党再建
及 被 検 挙 者 一覧 表
(二 ) 捜 査 の 端 緒 、 検 挙 の 経 過
を ソ連 邦 に齎 し た る も の に し て、 首 魁 ゾ ルゲ は ﹁最 早 日本 より 盗 む
にし て沖縄県人 の宮城与徳なる者夙 に日本 に帰来し てスパイ活動中
両名を和歌 山県粉河町 に於 て検挙追及 したる結果更 に米国共産党員
偽 装 の為 、 ナチ ス の党籍 を獲 得 し、 且 つ有 数 の東 洋 通 な る を以 て、
ス タ ー リ ンは自 国 防 衛 の為 に ﹁一戦 争 、 一戦 役 に勝 利 を 得 んが 為
べき 機 密 な し ﹂ と 豪 語 し居 れ り。
同人宅に張 込員 を附す る等 により続 々連累者 の検挙を続行、遂に検
なるやの事実判明 せるを以 て機 を失せず十月十 日同人を検挙 し、同
挙は組織 の核 心に及ぶを得 て十月十四日以降、尾崎秀実、リ ヒア ル
人宅 の捜索 の結果 及同入が自殺を企てんとせる事実等より重 大なる
し て除 奸 運 動 を 強 化 し つ つあ り。
ド ・ゾ ルゲ等 の検挙 に及 び爾後 宮城、尾崎等 の取調 の進捗 に伴 ひ次
に は相 当 の兵 力 を 必 要 と す る が、 戦 争 を 失 敗 せし む る に は数 人 に て
而 も ソ連 邦 は 我 国 に対 し斯 く の如 き 有 力 な る諜 報 網 を布 き、 以 て
表 (被検挙者 一覧表)記載 の如き経過 にて情を知れる者知 らざる者
間諜組織 の伏在を推定 せしむるも のあり、昼夜兼行同人を追及し且
或 は支 那 事 変 を 指 導 し或 は各 般 の対 日方 策 を講 じ つ つあ り た るも の
を合 し昭和十七年六月八日迄総計 三十 五名 の被検挙者 を出す に到り
の防 諜 教 訓 を 与 へ、 中 国 共 産軍 の ﹁鋤 奸 読 本 ﹂ も 亦 此 の言葉 を引 用
に し て斯 る機 関 を 長 年 月 に 亘 り我 国 に蟠 居 せ し め た る根 本 的 原 因 に
足 る。 即 ち 数 人 の探 偵 が我 等 の作 戦 計 画 を盗 ん で与 へれ ば良 い﹂ と
就 て は検 討 の要 大 な る も のあ り。
茲 に国際共産党系対日諜 報機関 の秘密組織を壊滅し て其 の全貌を明
な ら し む るを 得 たり 。
対 日諜報機関関係被検挙者 一覧表 共 の 一(諜報機関員十 七名)
五七
洋
裁
業
業
モ
年齢 職
ト
家
名 林
画
氏 北
洋
九、二八
検 挙 年 月 日 一六 、
一〇 、 一〇
四〇
〃
徳
一三
与
一〇 、
城
〃
一三
宮
職
一〇 、
無
〃
五三
員
一五
治 会
一〇 、
幸 五三
〃
一七
尾 水
野
秀
ド ・ゾ
・ ブ ケ リ
貞
備
一七 、 五 、 一六 起 訴
四四
ハバス 通 信 社 東 京 補 助 員
螢 光 複 写 板 製 造 業
〃
〃
一〇 、
一〇 、
一八
一八
一七 、 五 、 一六 起 訴
一七 、 五 、 一六 起 訴
一七 、 五 、 一六 起 訴
一七 、 五 、 一六 起 訴
三八
一〇 、 二 二
社
子
託
一〇 、
一八
ル
房 満
〃
一〇 、
九 四二
坂本 記 念 会 館 編纂 係
〃
山 見
嘱
実 三三
フ ラ ンク フ ルタ ー 紙 特 派 員
秋 津 鉄
成 四八
ア
崎
ゲ
ル
リ ・
ヒ
マ ッ ク ス ・ゴ ッ ト フ リ ー ド
コ ・ド
〃
一〇 、 二 九
ー
社
ッ チ
ラ ン
フ リ ド リ ッ ヒ ・ク ラ ウ ゼ ン ブ
員
〃
会
ー
四二
合 源 ウ
カ
吉
川
ラ
ロ
ブ
口 ナ ・ク
右
四〇
一九
太
田 ア
社
マ ツ ク ス ・ ク ラ ウ ゼ ン の 妻 一 一、
無
〃
四三
員
職 ン
会
ゼ
四 一
一七 、
ン
実
支那問題研究所北 京 支 社 員
三、 三 一
一五
正
四 一
満洲 日 々新聞社上 海 支 局 長
一二 、
名
雄
三三
〃
山
寿
雄
四
越
好
一、
船
村
〃
河
考
信 三四
会 業
社 医
員 〃
〃
六、
四 、
八
一 一
一六 、 一 一、 二二
釈放
釈放
好 開
一 一
一六 、 一 一、 二二
代 四五
一〇 、
一二
小 郎
〃
一〇 、
一六 、
北 岡 芳
林
芳
亀
賀
井
木
三
之
ー
生
ー
一 一、 二 二 釈放
一七 、 三 、 二 四 釈 放
鈴
安
其 の二 (非諜報機 関員十 八名)
太
無
〃
一〇 、 一 三
一六 、 一 一、 一九 釈 放
徳
六 一
東
〃
一〇 、 一八
田
郎 二六
国 際経 済 調 査 部 囑 託
〃
一〇 、 二 二
安
正 四四
支 那 研 究 室 事 務 員
〃
一〇 、 二 五
一六 、 一 一、 二 四 釈 放
雄 五〇
満 鉄東 京 支 社 事 務 員
〃
一 一、
一六 、 一 二 、 二 三釈 放
九、 二八
助 二 一
託
〃
一 一、 二 四
囑
主
〃
報
工
一 一、 二 四
閣 情
職
〃
一六 、
男 三二
内
三九
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場
職
五 う 三二
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本 ゆ 恵 四 一
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松 橋 美 雄
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高 峰 虎
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局
篠
〓
田 田
武 武
三 、 一六
一七 、 五 、 一六 起 訴
一五
一六
三 、
〃
三 、
一七 、
四三
〃
東京朝 日新聞社政治経済部長
郎
元 外 務 省、内 閣 囑 託
一七 、 五 、 一六 起 訴
都 新聞 社 陸軍 省詰 記者 一 三七
四
天
議
四 、
代
〃
前
士 四七
健
奉
駅
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鉄
四 、
満
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孝 三 五
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田 菊 西 犬 海
後
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憲
章 三三
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満 鉄 東 京支 社 調 査員
満 鉄奉 天 鉄 道 総 局員 〃
〃 四 、
四 、
一三
一 一
四、 二 八
雄 〃
義 東京朝日新聞社陸軍省詰記者
西 三六
一七 、 六 、 五 釈 放
帰 り同 年 末 又 々負 傷 し て 六、 七 ヶ月 入 院 す 。
中再 び出 征 、 同 年 冬 負 傷 し て 一ヶ月 入 院 の後戦 線 に
(4) 千 九 百 十 六年 、 伯 林 大学 経済 学 部 に入 学 、 在 学
格獲得。
(3 ) 千 九百 十 五年 除 隊 、 同 年 十 月高 等 学 校 卒 業 の資
清
被 検 挙 者 の 身 元 、 罪 名 及 主 要 人 物 の 経 歴 其 他
逸
員 た る医 師 及 看 護婦 の影 響 を受 け 、 マルク ス主義 の
復 校 す 、 之 よ り 先第 三 回 目 の負 傷 入 院 中 社会 民 主 党
(5 ) 千 九 百 十 八 年 一月 十 八 日、 兵 役 免 除 伯 林大 学 に
独 逸 政 治 学博 士 、独 逸 ナ チ ス党 員 、 蘇連 共産 党
諸 文 献 を 渉 猟 共 産 主義 を信 奉 す る に至 る 。
ア ップ ヘンギ ー ゲ ・ゾ チ ァー レ・パ ルタ イ ﹂ ( 独立社
(6) 千 九 百 十 八年 四月 頃 ハンブ ルグ 市 に於 て ﹁ウ ン
西 暦 千 八 百 九十 五年 十 月 四 日 生
支 部 独 逸 共 産 党 に発 展 的 解 消 を 行 ひ、 同党 ハンブ ル
立 社 会 党 は革 命 労働 者 聯 盟 等 と共 に、 コミ ンテ ル ン
(7) 千 九 百 十 九年 三 月 コミ ンテ ル ン創 立 さ る ゝや 独
ン ソ ン﹂事
国 防 保 安 法 、軍 機 保護 法 、 軍 用 資 源 秘密 保 護 法 、 治 安
グ 市 の 一地 区委 員 会 に所 属 活 動 す 。
会 党 ) に入 党 、 党 活 動 に従 ふ 。
(1) 千 八 百 九 十 五年 十 月 四 日 露 国 コー カ サ ス州 バ ク
(9) 千 九 百 二十 一年 、 ハンブ ルグ市 戦 時 統 制 組 合 に
ブ ルグ 大 学 に て政 治 学 博 士 の学位 を得 。
(8) 千 九 百 二十 年 伯 林 大 学 卒 業、 同 年 十 一月 、 ハン
維持法違反
リ ヒア ル ド ・ゾ ルゲ
﹁ラ ムゼ イ﹂﹁ヴ ィ ック ス﹂﹁ジ ョン ソ ン﹂又 は ﹁イ
中 央 委 員 会 機 密 部員
独 逸 フ ラ ン ク フ ルタ ー ・ツ ァイ ツ ング 特 派員
東 京 市 麻 布 区 永 坂 町 三 十 番地
独
(一) 諜 報 機 関 員
二
野
宮 磯
住所
(一) 国 籍
職業
罪名
経歴
ー に於 て石油 技 師 の子 と し て出 生 、 伯林 リ ヒタ フ ェ ルデ 学 校 小学 部 中学 部 卒 業 。 (2) 千 九 百十 四年 第 一次 世界 大 戦 に出 征 負 傷 。
勤 務 、 勤 続 約 一ヶ年 、同 年 末 より 約 一ヶ年 アー ヘン
政治 的 権 威 者 ブ ハー リ ン の秘 書 格 と し て、 ト ロ ツキ
コミ ンテ ル ン、 ス カ ンヂ ナ ビ ア委 員 とし て出 席兼 て
情 及 英 国 の党 情 調 査 に従 ふ 。千 九 百 二十 九 年 六 月 ソ
( 1 6 ) 千 九 百 二 十 九 年 春 英国 に派 遣 さ れ、 政 治 経 済 事
党を指導す。
同 年 九 月 再 び ス カ ンヂ ナ ビ ア地 方 に出 張 各 国 共 産
ン テ ル ン綱 領 起草 に参 加 す 。
ー、 ジ ノヴ ィ エフ、 カ ー メ ネ フ 一派 放 逐 活 動 及 コミ
市 カ ー ル 工業 専 門 学 校助 手 とな る。
坑 山 に於 て炭 坑夫 と し て労 働 し 兼 て党 活動 に従 事 す。
( 10 ) 千 九 百 二十 三年 よ り 同年 冬 迄 和 蘭 国 境 附近 石 炭
( 11 ) 千 九 百 二 十 四年 一月 フ ラ ン ク フ ルト 市 フラ ンク フ ル ト大 学 経 済 学 研 究室 助 手 兼 講 師 と な り 兼 て党 活
聯 共 産 党 中 央 委 員 会 機密 部員 と な り支 那 出 張 を 命 ぜ
動 に参 加 す 、 同年 九月 頃 同 市 に於 て非 合法 に独 逸 共
コミ ン テ ル ン派遣 員 、 ピ ヤ ト ニ ッキー 、 マ ヌイ ルス
産 党 大 会開 催 さ れ、 約 百 五十 名 の党 代表 と 共 に出 席 、
ッシ ェ・ マガ ジ ン社 特 派 員 とな る。
ら る。 同 年 九 月 偽 装 の必要 上伯 林 に赴 きゾ チ オ ロギ
( 17 ) 千 九 百 三 十年 一月 上海 に上 陸 、 在支 諜 報 機 関 を
キ ー、 ク ー シネ ン、 ロゾ フ スキ ー の接 待 員 に選 抜 さ
同 年 十 二 月 独逸 共 産 党 中 央 書 記 局 を 代表 し て コミ
れ ピ ヤ ト ニッキ ー よ り コミ ン テ ル ン入 り を勧 誘 さ る。
情 報 局 書記 局員 とな る。 同 月 ピ ヤト ニッキ ー、 マヌ
( 12 ) 千 九 百 二十 五年 一月 モ ス コー 着 、 コミ ン テ ル ン
民 委 員 、 赤軍 首 脳 、 ゲ ペ ウ首 脳 と 対 日活 動 に付 打 合
本 派 遣 決定 、 コミ ン テ ル ン首 脳 ソ聯 党 首 脳 、 外 務 人
成 功 を 祝 し 、 ソ聯 政 府 よ り 賞 讃 さ る 。同 年 四月 、 日
(18 ) 千 九 百 三 十 三年 一月 モ ス コー に 帰 り諜 報 活 動 の
組織す。
イ ル スキ ー、 ク ー シ ネ ン の推 薦 に よ り ソ聯 共 産 党 加
ン テ ル ンに 派 遣 さ る。
入申 請 、 同 年 三月 入 党 許 可 さ る、 モ ス コー地 区 コミ
を 行 ふ。同 年 五月 偽 装 の為 、 伯 林 に 行 き、 独逸 フ ラ
( 20 ) 千 九 百 三十 五年 七 月 モ ス コー に至 り 中間 報 告 を
関 を創 立 す。
(19 ) 千 九 百 三十 三年 九 月 六 日横 浜 上 陸 、 対 日諜 報 機
チ ス党 加 入 を申 込 む。
ム、 ハンデ ル スブ ラ ット 紙 日 本特 派 員 とな り 一方 ナ
ン ク フ ルタ ー ・ツ ァイ ツ ング紙 及 和 蘭 ア ム ステ ルダ
ンテ ル ン細 胞 に所 属 す 。
る。
( 13 ) 千 九 百 二十 六 年 春 コミ ンテ ル ン情 報 局 次 長 と な
( 14 ) 千 九 百 二十 七 年 二 月 コ ミ ンテ ル ン情 報 局 を代 表 し て スカ ンヂ ナ ビ ヤ地 方 即 ちデ ン マー ク、 ス エーデ ン、 ノ ー ル ウ エー等 を 歴訪 、 各 国 共 産 党 を 指導 す 。 ( 1 5 ) 千 九 百 二十 八 年 七 月 コミ ン テ ル ン第 六 回大 会 に
住所
(二) 本籍
罪名 経歴
行 ひ、九月二十六日再 び来朝。 戸主
(21) 千九百四十 一年十月十 八日当庁に検挙 さる。 東京市小石川区西原 町ニノ四〇
ず。
に派 遣 さ る ゝや 、 直 ち に東 亜同 文 書 院 学 生 中 西 功等
(4) 昭和 三年 十 二月 大 阪 朝 日新 聞 特 派 員 と し て上海
ヒ ア ルド ・ゾ ル ゲ を知 り 諜 報 機 関 の 一員 と な る。
ネ ス ・ス メド レー女 史 の紹 介 に て、 ジ ョン ソ ン事 リ
(5) 昭 和 五 年 五 月 米国 共 産 党 員 鬼 頭 銀 一及 米 人 アグ
合 ふ。
東京市 目黒区 上目黒 五ノニ四三〇
実
(マル ク ス、 レ ー ニン学 校 )副 院 長 、 王 学 文 等 と 知
秀
の グ ル ープ を 指 導 し、 中 国 共 産 党 員 揚 柳 青 馬 烈 学院
尾 崎
南満 洲鉄道株式会社調査部嘱託 支 那研究 室主事 オ ット ー又はイ ンベ スト事
ソ聯共産党中央委員会機密 部員 白川次郎事
同 年 夏 中 国 共 産 党 飛 行 集 会 監 査員 とな る、 同 年 秋 中
(6) 昭和 六年 初 中 国 共 産 党 資 金 醵 集 活 動 を開 始 す、
筆名
明治三十四年 五月 一日生
オ ット ー。
(9) 昭 和 十 年 夏 コミ ンテ ル ンに 正式 登 録 さ る 、 党名
と な る。
諜 報 機 関 に再 組 織 さ る、 同年 秋 東 京 朝 日 政 治 部 記者
(8 ) 昭 和 九 年 五 月 奈 良 公 園 に てゾ ル ゲ と再 会 、 対 日
京 及天 津 に密 行 、 ゾ ルゲ 及 ス メド レー と連 絡 す 。
(7 ) 昭和 七年 二月 大 阪 朝 日 本 社 詰 と な る、 同 年 末 北
国 共産 党 駐 滬 政 治 顧 問 団 の 一員 と な る 。
治安維持法、国防保安法、軍機保護 法、軍 用資源秘密 保護法違反 て出生、第 一高等学校を経 て東京帝国大学法学部政
(1) 明治 三十四年 五月 一日東京 市芝区伊 皿子町 に於 治学科 に入り。 (2) 大正十四年 三月同校卒業、引続き 一年間大学院 に学ぶ、在学 中新 人会及大森助教授 の影響を受 く。 同僚 清家敏住 の影響 を受け日本労働組合評議会関東
(3) 大 正十 五年 五月東京朝 日新聞社記者 として入社 出版労働組合東京支部朝日新聞オ ルグとなり実践 を
平 洋 問 題 調 査会 第 六 回会 議 日本 代 表 の 一員 と し て渡
(10 ) 昭 和 十 一年 夏 加 州 ヨ セミ テ に て開 催 さ れ た る太
米 す 、 以来 西園 寺 公 一に近 接 す 。 同年 末 近衛 公 に接
通じ て共産 主義 を信奉す。 昭和 二年十 一月頃大阪朝日新聞社 に転 じ三、 一五
(11 ) 昭 和 十 二年 一月 風 見 章 に接 近 す、 昭 和 研 究 会 に
近す。
とし て党活動 に若干 の寄与 を為 したるも入党 に至ら
事件 に遭遇、日本共産党員冬 野健夫 を通 じ党同情者
(三 ) 本籍
(12 ) 昭 和 十 三年 七 月内 閣 嘱 託 とな る 、 支 那 問題 の権
テ スト リ ー グ (絵 画 研 究 所 ) に 入所 、 フ ラ ンス革 命
米 せる 父 母 の許 に引 取 られ 、 ロ ス ア ンゼ ル ス、 ア ー
立 師範 学 校 本 科 二年 を 中 途 退 学 し 、 大 正九 年 曩 に渡
威 とし て又 国 民再 組織 問 題 の画 策 に用 ひら る 、同 月
に参加 せ る画 家 ド ー ミ エに 心 酔 し て無 政 府 主 義 思 想
入 る。
近 衛 公 のブ レー ンと し て朝 飯 会 (水 曜 会 ) 組 織 さ る
を 抱 懐 せ る も、 漸 次 共 産 主 義 に転換 す 。
(4) 昭 和 六 年 秋 、 ア メリ カ共 産 党 入 党 日本 人 部 に 所
本 人部 に加 入。
(3 ) 昭 和 四年 頃 プ ロ レタ リ ア芸 術会 及赤 色 救 援 会 日
業。
(2) 大 正十 五年 サ ンデ ー ゴ官 立美 術 校 を首 席 に て卒
る や 之 れ に参加 す 。同 月 頃 昭 和 塾 を 平 貞蔵 、 佐 々弘 雄 、 笠 信 太 郎 と 共 に立 案 創 立 し幹 事 兼 講 師 と な る。
閣 嘱 託 を辞 し満 鉄 嘱 託 とな る 、 傍 ら橘 僕 、 細 川嘉 六
(13 ) 昭和 十 四年 一月 第 一次 近 衛 内 閣 総 辞職 に よ り内
等 と 共 に支 那研 究 室 を興 し之 れを 主 宰 す。 (14 ) 昭和 十 五年 三月 上 海 に開 か れ た る支 那 抗 戦 力 測
属 す。
及 同 党 日 本 人 部 責 任者 矢 野 又 は武 田 某 よ り 日 本派 遣
(5) 昭 和 七 年 末 、 ア メリ カ共 産 党 指 導 者 独 系 米 人某
定会議に出席す。
の 日本 政 治 経 済 に及 ぼ す 影響 調 査会 議 ﹂ に出 席 す 、
(6) 昭 和 八年 五 月 、 日米 新 聞 ス ト ライ キ応 援 。
す。
竝 特 殊 任 務 に 服 す べき旨 を命 ぜ ら れ帰 国準 備 を開 始
(15 ) 昭和 十 六年 九 月 大 連 に於 て開 か れ た る ﹁新 情 勢
此 の間 支 那 問 題 に関 し多 数 の著 述 あ り、 翻 訳 書 中 白 川 次 郎 名 に依 る ﹁女 一人 大地 を行 く ﹂ (アグ ネ ス・ス
戸主与整弟
メ ド レ ー著 ) は 有 名 な り、 同 年 十 月 十 五日 検 挙 沖 縄 県 国 頭 郡 名 護 町 字 名護 一六 八
レ ス丸 に乗 船帰 朝 す 。 同 年 十 一月 下 旬 サ イ ンに より
同 年 十 月 二十 四 日 サ ンピ ト ロ港 よ り ブ エノ スァ イ
東 京 市 麻 布 区 竜 土 町 二八
岡井 方
徳
を組織す。
前 者 に同 じ
爾来 相 提 携 し てゾ ルゲ の両翼 と な る。
社 に 尾崎 秀 実 を 訪 ね ゾ ルゲ と 同 人 と の連 絡 を 斡 旋 し、
住所
与
上 野 美術 館 前 に て シ ェミ ット 事 リ ヒア ルド ・ゾ ルゲ
城
洋画家
宮
と 連 絡諜 報 機 関 の 一員 とな る 。報 告 英 訳 者 秋 山 幸 治 ジ ョー 又 は イ ンタ リ事
ソ聯 共 産 党 申 央委 員会 機 密 部 員
(1) 明治 三 十 六年 本 籍 地 の農 家 に於 て出 生、 沖 繩 県
(7 ) 昭 和 九 年 五月 、南 竜 一の偽 名 に て大 阪 朝 日 新 聞 罪名
明 治 三 十 六年 二月 十 日生
経歴
住所
(四 ) 国 籍
(8) 昭 和 十 一年 二 月 、 九津 見房 子 を諜 報 機 関 に組 織
グ の命 を 受 け 入 露 す 。 同年 十 二月 在 モ ス コー赤 軍 第
(6 ) 千 九 百 二十 八 年 コミ ンテ ル ン派 遣 員 独 人 ゲ オ ル
を組 織 す。
スタ ンチ ン ・ミ シ ンと 連 絡 、猶 太 系 米 人 ウ ィ リ ー ・
(7 ) 千 九 百 二十 九 年 一月 上 海着 バ ルト人 (? ) コン
と し て上 海 派遣 を命 ぜ ら る。
四 本 営 隊 長 ラ ト ビ ア人 ペ ルジ ンよ り諜 報 機 関 無 電係
す 、 同 年 三月 、 山 名 正実 を組 織 す。 同 年 秋 北 林 ト モ
(9 ) 昭 和 十 二年 春 安 田徳 太 郎 を組 織 す 。
右源太を組織す。
(10 ) 昭 和 十 四年 五 月 小代 好 信 を 組 織 す 、 同 年 末 田 口
レ ー マ ンを 首 脳 と す る諜 報 団 に所 属 す 。 同 年 七 月 レ
ー マ ンの指 令 に依 り ハルビ ンに 出 張 グ リ ュ ン ペ ル
(11 ) 昭 和 十 六年 十 月 十 日検 挙 さ る。
グ 。オ ット ー (バ ルト 人 ) の指 示 に従 ひ無 電機 を米
逸
独
(9) 千 九百 三十 一年 三月 レ ー マン の後 任 ア レ ック ス
無 電 機 設備 に 活動 す 。
(8) 干 九 百 三 十年 四月 広 東 に出 張 、広 東 、浦 塩 聞 の
国 副 領 事 リ リ スト ロ ム方 に据 付 く 。
東 京 市 麻 布 区広 尾 町 二番 地 螢 光 複 写 板製 造業 独 逸 共 産党 出 身 ソ聯赤 軍 第 四本 営 所 属 フ リ ッツ又 は イ ン ソ ップ 事
(ガ リ シ ャ人 ? ) の後 任 リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ に従 ふ、
の命 に よ り奉 天 に派 遣 さ れ 浦 塩 向無 電 発 信 を開 始 す 。
同年 十 二月 頃 ハ ルビ ン赤 軍 、 軍 管 区 司令 官 テ オ将 軍
欧 洲 各 国 を経 て米 国 に渡 り 同 年 十 一月 二 十 八 日横 浜
の命 に依 り東 京派 遣 を命 ぜ ら る、 偽 装 旅 券 を用 ひ て
(11 ) 千 九 百 三 十 五年 五月 赤 軍 第 四 本 営 隊 長 オ リ ッキ
無電学校入学。
リ ッ ヒと共 に モ ス コーに 帰 還 を命 ぜら る、 モ ス コー
( 10 ) 千 九 百 三 十 三年 八 月 独 人 シ ュー ル マン ・ ハイ ン
む。
この間 表 面 合 法 を 偽 装 す る 為自 動 自 転 車 販 売 業 を 営
治 安維 持 法 、 国 防 保 安 法 、 軍 機 保護 法 、軍 用 資 源 秘 密
(1 ) 千 八百 九 十 九 年 独 逸 フー ハ ム県 に て出 生、 八 年
保 護 法 及 無線 電信 法 違 反
西 暦 千 八 百 九 十 九年 二 月 二十 七 日生
マ ック ス ・ゴ ット フリ ー ド ・フ リ ード リ ッヒ ・ク ラ ウ ゼ ン
罪名
経歴
二年 修 了。
制 小学 校 卒 業 後 蹄 鉄 工と な り 其 の傍 ら夜 間 工業 学 校
に編 入 さ れ無 線 電 信 技 術 を 習得 す 。
(2 ) 千 九 百 十 八 年 世 界 大戦 に際 し第 五十 八通 信 大 隊
(3) 千 九 百 十 九 年 除 隊 再 び 蹄鉄 工 と な る。 (4 ) 千 九 百 二 十 一年 秋 ハ ンブ ル グ に て水 夫 とな る 。 (5) 千 九 百 二 十 七年 独逸 共 産 党 入 党 、 船 員 細 胞 所属 。
関 主任 リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ と連 絡 す 。
着 、 直 に上 京 翌 二 十 九 日 独逸 協 会 に於 て対 日諜 報 機
(6) 千 九 百 三十 一年 八月 帰 国 入 営 、 同 年 十 一月除 隊 。
る 、 即 ち 本 人 は週 刊 雑 誌 ビ ュー及 ユー ゴ ー スラ ビ ヤ
(7) 千 九 百 三十 二年 巴 里 に於 て ソ聯 諜 報 団 に 組織 さ
の日 刊 紙 ポ リ テ カ の通 信 員 に妻 エデ ット は体 操 教 師
(1 2) 千 九 百 三 十 六年 二月 無 電 機 の組 立 を 了 し 発信 開 始 、 偽 装 の為 初 め 複 写用 螢 光 青 写 真 複 写 器 製 造販 売
に偽装 し 。
ク ロア チ ア国 ザ グ レブ市
(13 ) 千 九 百 四十 一年 十 月 十 八 日検 挙 さ る。
報 活動 に従 事 す 。
報 の探 知 蒐 集 及 機 密 文 書 の複 写等 写 真 技 術 に依 る諜
(8 ) 千 九 百 三十 三年 二 月 十 一日 横浜 に 上陸 爾 来 諸 情
東京市牛込区左内町二二
独
逸
さ る。
(9) 千 九 百 四 十 一年 (昭 和十 六年 ) 十 月 十 八 日検 挙
住所
の両 回 上 海 に 伝書 使 と し て出 張 す 。
業 を 経 営 す 。 同年 (昭 和 十 一年 ) 及 千 九 百 三 十九 年
(六) 国 籍
ク ラウ ゼ ンの妻
東 京 市 麻 布 区 広 尾 町 二番 地
ソ聯 赤軍 第 四本 営 所属
前出
ア ン ナ ・ク ラウ ゼ ン
治安維持法違反
西 暦 千 八百 九 十 九 年 四 月 二日 生 罪名
(1) 千 八 百九 十 九 年 シ ベ リ ア、 ノヴ ォ ニ コラ エズ ク
(3) 千 九 百 十 八年 コ ルチ ャク政 権 に よ り 工場 を没 収
レ ニー ス と結 婚 。
(2 ) 千 九 百 十 六 年 券蘭 人製 革 工場 主 エド ワ ー ド ・ワ
養 女 と な る、 小 学 四年 に し て退 学 。
三歳 の時 ゲ オ ルギ ー ・ア ル ヒー ポ ー イ チ ・ポ ポ フ の
市 に て券 蘭 人 カ ー ル ・ エンベ ルグ の子 とし て出 生 、
経歴
住所
(五 ) 国 籍
ババ ス通 信 東 京 補 助員
無 線 電 信 法 を除 き 前 者 に同 じ 。
ジ ゴ ロ又 は イ ン ク ル事
ソ聯 共産 党 中 央 委 員 会 機 密 部 員
罪名
(1) 千 九 百 四年 ク ロア チ ア国 オ スイ イ エック市 に て
西暦千九百四年八月生
ブ ラ ン コ ・ド ・ブ ケリ ッチ
経歴
生 る、 父 は 陸 軍 中 佐。 (2) 千九 百 二十 二年 ザ グ レブ 大 学 建築 科 入学 。 (3 ) 千九 百 二十 四年 大 学 内 マル キ スト学 生倶 楽 部 加 入 、 労働 者 に対 す る啓 蒙 宣 伝 及 示 威運 動 等 に参 加 す 。 (4) 千九 百 二十 五年 ザ グ レブ 大 学 を中 途 退 学 。 (5 ) 千 九 百 二十 六 年 巴 里 大 学法 科 入学 、 千 九 百 二十 九 年 同大 学 卒 業 、 同 年 コンパ ニー ・ジ ネ ラ ル ・デ レ ク テ リ シ チ イに 就 職 。
住所
(七) 本籍
さ る ゝや支 那 各 地 を 転 々流 浪 す 。
に て生 計 を 立 つ。
(4) 千 九 百 二十 四 年 夫 に 死 別 、 派出 婦 又 は看 護 婦 等
に検挙され、東亜同文書院 は無期停学となる。
書院細胞 となる、 同年十 二月上海日本総領事館警察
に加 はり南京政府側 の動向調査を行 ふ。
(4) 昭和六年 五月米国共産党員鬼頭銀 一等 の諜報団
(5) 昭和八年八月上海公安局警察署に中国共産党員
と同居中検挙され総領事館警察 に引渡され、内地 に
と 上海 に於 て相 知 り同 棲 す 。
(5 ) 千 九 百 三十 年 六 、 七 月 頃 マ ック ス ・ク ラ ウ ゼ ン
(6 ) 千 九 百 三十 三 年 八 月 モ ス コー に夫 と共 に帰 還 す 。
年 十二月治安維持法違反被疑事件 に依り検挙され退
(7) 昭和十 一年五月上京東洋協会 に就職したるも同
世界情勢 及支那革命等 に関する宣伝資料を提供す。
る迄日本共産党再建運動中 の和田四三四を支援し、
(6) 昭和十年 四月 より昭和十 一年 五月大原 を辞職す
同年十二月在大阪大原社会問題研究所 に入所。
送還 さる。
挙。
北海道上川郡上川村字菊 水五〇 三 戸主聯成長男 東京市杉並区荻窪 三ノ四 一、明蘭荘内
として面識ある尾崎秀実 の勧誘 に応 じ対日諜報機関
に参加活動す。
職す、之 れより先同年夏上海在住当時諜報団 の 一員
中国共産青年団出身
裁判所検事局に於 て起訴猶予処分を受く諜報関係発
(8) 昭和十三年 二月治安維持法違反 に依り東京地方
岐阜県安 八郡川並村字平 六二七 戸 主
挙さる。
(10) 昭和十 六年 一月現職に従ひ、 同年十月十七日検
青年団 の依嘱 に依り年鑑編纂 に従事 す。
(9) 昭和十四年秋昭和研究会を辞 す、同時 に大日本
覚 せず、同年 六月諜報活動再開。
水
野
坂本記念会支那 百科辞典編輯員 成
(9) 千 九 百 四 十 一年 (昭 和 十 六 年 ) 十 一月 十 七 日検
報 活 動 に従 事 す 。
(8) 千 九 百 三 十 八年 八 月来 朝 、 ク ラ ウゼ ンに協 同諜
上海 に於 て活 動 す 。
(7 ) 千 九 百 三十 六 年 四 月赤 軍 第 四本 営 の指 示 に 従 ひ
(八) 本籍
明治 四十 三年十月二十九日生 昭和十 三年 二月治安維持法違 反にて起訴猶予
罪名 治安維持法及軍機保護法違反 前科
校長 の長男 として出生。
経 歴 (1) 明治四十三年、京都府与謝郡加悦町 に於て小学 (2) 昭和四年 在上海東 亜同文書院 に入学。 (3) 昭和 五年十月中国共産青年団に加 入し東 亜同文
東京市下谷区上野桜木町 一七、浜田楠治方
十 一月 中 国 共 産 党 王学 文等 と連 絡 し日 支 闘 争 同 盟 の
共 産 党 員 姜 の指 導 下 に、 水野 、 日高 等 と共 に諜 報活
住所
結 成 中 共 の宣 伝 ビ ラ撤 布 に動 員 さる 、 同 年 十 二 月末
前者 に同じ
動 員 とし て の訓練 を受 け 、 同 年 十 月 、 姜 よ り 尾 崎秀
小 山 ポ ー ラ ー方 の左翼 研 究 会 に加 入 、 同 年秋 、 中国
(6 ) 昭 和 六 年 夏 上 海 に帰 り中 共 と の連 絡 恢復 古 本屋
大日本再生製紙株式会社事務員 貞 吉
北 京 へ逃 走 。
合
日支闘争 同盟出身 川 罪名 安維持法違反 により懲役十 ヶ月執行猶予三年 の言渡
昭和 十 一年 六月二十 四日新京総領事館警察 署に於 て治
明治三十四年 九月十 八日生 前科
三年 三月卒業、卒業と同時に日本新聞社記者 とし て
じ、 上 京 尾 崎 と連 絡 、 同 年 末 北 京 徳 国 飯店 に於 て米
以 後 上海 に於 て活 動 す 。 同 年 七 月 、検 挙 の危 惧 を感
す 。 同年 四 月 上海 に帰 り 、 ゾ ルゲ に状 況 を報 告 し、
書 を 提 出 、 再度 満 洲探 訪 を命 ぜら れ 、 奉 天 に て活 動
(7) 昭和 七年 一月 上海 に帰 り 、 尾 崎 及ゾ ルゲ に報 告
動向其他を調査す。
十 月 末 よ り 七年 一月末 迄 北 京 及 奉 天 に於 て関 東 軍 の
ド ・ゾ ルゲ に面接 、 諜 報 団 の 一員 に 組 織 さ る 。 同年
卒業後 上京、中学校 に入学三年中途退学鉄材商見習
(1) 明治 三十 四年本籍地 に於 て出生、郷里 の小学校
を受く。
実 に引 渡 さ れ、 コミ ンテ ル ン諜 報 団 の首 魁 リ ヒア ル
経歴 を為し。
入社す。此間政友会院外団鉄 心会、青衿政社等 に関
(2) 大 正十 一年明治大学専門部法科 に入り、大正十
係 し護憲 三派運動 に参加す。 (3) 昭和 三年三月渡支、北京 に於 て燕 塵 社 (通信
に諜 報機 関 確 立 の為 に協 議 す 、 爾 後 天津 、 大 連 等 に
諜 報 活動 を開 始 す 。
(9) 昭和 十 年 三月 帰 朝 、 尾 崎 の命 に依 り 日本 に於 て
北 支 青 年 同 盟等 の活 動 に参 画 す 。
貴 ﹂ 事某 と の連 絡 切 断 す 。 同年 二 月 よ り 天津 に於 て
(8) 昭和 九年 一月 北 支 諜 報 団 上 部 連絡 者 中国 人 ﹁兄
於 て活動 す 。
人 ス メド レー、 尾 崎 、 中 国 人 等 と 会 同 、 北京 及 天 津
く。
社) に入社す。同年 七月帰朝、十 二月再 び北京 に行 (4) 昭和四年春、在北京 安倍 公館員副島竜起等と共 に在翼文献読書会を起す。 (5) 昭和 五年七月、南京 に行く。 同年八月上海に行き上海通報社 に入 る、同時 に主 筆 田中忠夫等と共に社会 主義研究会 に参加す。同年
(九 ) 本籍
(10 ) 昭和十 一年 一月新京総領事館に検挙 されたるも て懲役十 ヶ月 三年間執行猶予 の判決 を受 く、同年十
諜報活動発覚 せず、治安維持法 違反に依 り新京 に於 一月諜報団同志船越寿雄と共に天津 に於 て支那問題 研究所を設立す、同時に尾崎及宮城 と連絡北支 に於 て諜報活動 に従事す。 (11) 昭和十 三年九月支那問題研究所 を辞 し、大道特 務機関に所属す。 豊橋方面 の軍事工場 調査に従事す、爾 来日本に於 て
(12) 昭和十五年九月帰朝、 同年十 一月岐阜、名古屋、 諜報活動に従事す。 (13) 昭和十六年 七月大 日本再生製紙株式会社 に入社 同年 十月二十 一日検挙 さる。 岡山県真 庭郡勝 山町大字勝山六五 一番地 生方方
前者に同じ
共乙
住所 東 京市世田谷区 玉川奥沢町 二ノ六五九 工場事務員
昭和 四年 五月十 五日札幌控訴院に於 て治安維持法違 反
日本共産党出身
九 津 見 房子 罪名
明治 二十 三年十月十八日生 前科
経歴 (1) 明治四十年三月岡山高等女学校卒業、当時 既に
住所
(十) 本籍
に依 り懲役 四年。 社会主義者と交り京阪神 に於け る左翼婦人運動 の中
堅 を為 す 。
(2 ) 大 正 十 年 三 田 村 四郎 の内 縁 の妻 とな る 。
り、 労 働 争 議 、 示 威 運 動 等 のリ ー ダ ー とし て活 躍 す 。
(3 ) 大 正 十 二年 赤 欄会 に 入会 、 次 で労 働 総 同 盟 に 入
三 田 村 と共 に評 議 会 を 代 表 し て其 の指 導 を 行 ふ。
(4 ) 大 正 十 五年 、 浜松 に 有 名 な る楽 器 争 議 起 るや 、
(5) 昭 和 二 年 二 月十 日、 地 下 生 活 に 入 り 、 日 本 共産
党 幹 部 三 田村 四 郎 を助 く 。
方 オ ルガ ナ イ ザ ー と し て渡 道 す る や 、之 に従 ひ同 党
(6) 昭和 三年 一月 上旬 三 田村 の日 本 共産 党北 海 道 地
に 入 党 、党 北海 道 地 方 組 織 活 動 テー ゼ、 函 館 市 工場
細 胞 組織 準 備 会 テ ーゼ 等 の原紙 作 成 及札 幌 市 電 気 局
党 細胞 組 織 準 備 会 を組 織 し 活 動 す 。同 年 三月 十 五日 検 挙。
(7) 昭和 四年 五月 前 記 の処 罰 を 受 く。
(8 ) 昭 和 八年 出 所 爾 来東 京 市 に在 住 。
ル ン の為 の諜 報団 参 加 を 勧 誘 さ れ 之 れ に加 入 山 名 正
(9 ) 昭 和 十 一年 二 月宮 城 与 徳 より ソ聯 邦 及 コ ミ ンテ
実 、 田口 右 源 太等 を諜 報 団 に組 織 せし め た る外 、 左
翼 及 無 産 運 動情 勢 其 の他 諸 情 報 の入 手 に努 む。
(10 ) 昭和 十 六年 十 月 十 三 日 宮城 方 を訪 問 し て検 挙 さ る。
北海道虻田郡倶知安 町字出雲 七番地 戸主章造弟
満洲国四平省開原街 一八番地
罪名 前科 経歴
共乙
東亜澱粉合 名会社内 同会社員 日本共産党 出身
前者 に同じ
山
名
正 実
明治 三十 Ⅰ年十二月生
住所
経歴
面 の軍 備 、 動員 等 調 査 の為 旅 行 す 。
(9 ) 昭和 十 三年ゝ 月 宮 城 の命 に 依 り 、 日 本農 民 聯 盟
昭和十 四年十 二月満洲国奉 天市大和区大東興業
入手を図る。
常任主事に転じ、同聯盟及東方会虹時 政会等 の情報
(10 )
昭和十 六年 三月同国四平省、東 亜澱粉合名会社
取 締 役 とな る。 (11 )
共乙
明治一 二十 六年 七月ん 十 六日 生
東京市 四谷区坂町七十五番地 ロープ 原 料 商
日本共産党出身
(3 )
明治三十 六年北海道 に於 て新興地主 の三男とし
明治学院高等学部商 科在学中、大 正十四年四月
大 正十 五年三月同学院 二年終了と共に退学す。
太郎 の教育を受け共産主義を信奉す。
頃学内社会科学研究会に加 入、猪俣津南雄、野 呂栄
(2 )
て出 生 。
(1 )
反 に依 り 懲 役 三年 に処 せ ら る。
前科 昭和四年五月二十 Ⅰ日札幌控訴院に於て治安維持法違
罪名 前者 に同じ
田 口右 源 太
本籍 北海道網走郡網走町南七条東 二丁目 二番地 戸 主
懲役 五年 に処 せ ら る°
昭和 四年 三月札幌控訴院に於 て治安維持法違反 に依り
(十 一)
七 日検 挙 さ る。
大正十四年十 Ⅰ月、 日本農民組合北海道聯合会
員 と な り、 満 洲 国 情 報 を 探 知提 供 す、 同 年 十 一月 十
(1 )
尋常小学校卒業 書 記 とな る 。
産 党 に加 入 し 、北 海 道 地 方 オ ルガ ナイ ザ ー と な る。
(2 ) 昭和 二年 Ⅰ月 、 三田 村 四 郎 の推薦 に依 り日 本 共
(3 ) 昭 和 三年 、所 謂 三、 Ⅰ五事 件 に依 り検 挙 。 (4 ) 昭 和 四年 三 月前 記 の刑 を 受 く 。
昭和九年 Ⅰ月出獄、全日本農 民組合新潟県聯合 昭和十年十 Ⅰ月同組合北海道聯合会執行委員長
会書記となる°
(5 )
(6 ) と な る。
(7 ) 昭 和 十 Ⅰ年 三 月 、 九津 見 房 子 の推 薦 に 依 り 宮城
与 徳 に所 属 、 ソ聯 邦 及 コ ミ ンテ ル ンの為 の諜報 員 と な る。 同 年 四 月 全 日 本農 民 組 合 関 東 出 振 所 中央 委 員
昭和十 二年 七月宮城 の命を受け樺太 及北海道方
兼 書 記 とな り 、 地 位 を利 用 し て諜 報 活 動 を 行 ふ。 (8 )
籍
(十 二) 本籍
(4 )
昭和 二年 二月沼山松蔵 の推薦 に依 り、日本共産
党 に 入党 、 北 海 道 地 区 委 員 と な る 。 (5 ) 昭 和 三年 三 月 十 五 日検 挙 、 前 記 の通 り の刑 を受
昭和七年北海道 に於 て海産物商を営む傍 ら、全
け、昭和六年出叫 獄。 (6 )
国農民組 合北海道聯合会空知出張所書記を勤 む。 昭和 七年 四月小作争議指導申深川警察署 に検挙 昭和十年北海道又は樺太に於 て鰯漁業兼海産物
さ る 、 三十 日留 置 。
(7 )
(8 )
昭和十四年十二月上京、満洲国奉天所在大東興
運 輸 業 を 営 む。 (9 )
業 株 式 会 社 取 締役 と な り、 同 時 に山 名 正 実 の勧誘 を
株式会社博進社洋紙店事務員
住 所 東京市世 田谷区経堂町六〇〇
予備役陸軍伍長
好 信
昭和十年三月明治大学法学部卒業。
前者に同じ
ミキ事
代
(1 )
昭和十 一年 三月満洲派遣軍寺倉部隊大森隊 入営。
諜報員名
小 罪名
昭和十二年 七月八日支那事変発生と同時 に北京
明治 四十 三年十月十六日生 経歴
(2 )
内 蒙 、緩 遠 、 太 原 各 方 面 に転戦 す 、 同年 十 二月 二十
(3 )
六日原隊復帰。
(4 ) 昭和 十 三年 十 月 一日 任歩 兵 伍 長 、 同 日予 備 役 編
入、 臨 時 応 召 、 同 月 十 五 日編 成 改 正 に依 り朝 鮮 慶源
受 け 宮 城 与徳 に所 属 し、 ソ聯 及 コミ ン テ ル ンの為 の 諜 報 員 と な る、 爾 来 宇 垣二 成 支 持 のジ ャー ナ リ スト
昭和十 六年 七月 二十六日再度 臨時 召集 を受け、
高 崎 東 部 第 三十 八 部 隊 に 入隊 、 満 洲 国 錦 州 に駐 屯 、
(7 )
(6 ) 昭 和十 五年 一月 、 博 進 社 洋 紙 店 事務 員 に就 職 。
(5 ) 昭 和 十 四 年 三 月 九 日 召集 解 除 。
に移 駐 、 同 地 警 備 に 服 し 。
昭和十 五年五月同会社 用務 にて満洲国に出張す 昭和十六年 四月以後樺太、北海道方面の軍備状
同年 十 月 、 南 支 広東 附 近 増 城県 大 塘 尾 に移 駐 、 南 支
和 歌 山 県 那賀 郡粉 河 町本 町 一ノ 一、 七 四 二
日検 挙 。
(8 ) 昭 和 十 七 年 一月 三十 一日召 集 解 除 、 三月 二 十 六
者 菊 地 八郎 に接 近 、 之 れ を 宮 城 に紹 介 し、 相 共 に軍
同年 十月 二十 九 日検 挙 さ る。
戸主伝 三郎
基 第 二、 八〇 四 部隊 平島 隊 に属 す 。
況 等 の探知 に努 む、 同 年 八月 以 後 陸 軍 省 詰都 新 聞 記
(11 )
るや 、 同 国 の経 済 、軍 事 等 を調 査す 。
(10 )
ク ラ ブ ﹁時 政 会 ﹂ に出 入情 報 入 手 に努 む。
(十 三 ) 本 籍
状 探 知 に努 む 。
群馬県吾妻郡原町大字原町六三 一番地 長男
住居
前科
同 所
戸 主芳 三郎妻 米国共産党出身
無し
罪名 前者 に同じ
無職 北
林
ト
モ
明治十九年五月二十 五日生
経歴 (1) 明治三十四年三月福岡早良郡田隅村高等小学校 年裳+
熟 、 羊 哉 黙 豊 こ艶 罫 ザ 、
(2 ) 允 巴 ㌦ 弔 享 良皆 昏 こ ζ化 沐 穿 三射 D下 こ度 雅 誰
リ ア芸 術 会 に 入会 し、 ア メ リ カ共 産 党員 南 川某 の指
(3) 昭 和 六年 二 月、 ロ スア ン ゼ ル ス に於 てプ ロレ タ
導 を 受 け 、 同年 八月 中 旬 ア メ リ カ共 産 党 に加 入、 プ ロレタ リ ア芸術 会 の指 導 及 其 の会 計 責任 者 と し て活 動す。 (4) 昭 和 八年 五 月党 上部 と対 立 脱 退 す 。
七 四 、 L A洋 裁 学 院 片 田江 和 由 子 方 に勤 務 す。
(5) 昭 和 十 一年 十 二 月単 身 帰 朝 し 、 渋 谷 区穏 田 ニ ノ
昭 和 十 三年 四 月 アメ リ カ共 産 党 の同 志 に し て情 交
ン及 ソ聯 邦 の諜 報団 に参 加 し、 自 己 の勤 務 す る L A
関 係 あ り た る 、宮 城 与 徳 の勧 誘 に応 じ 、 コミ ンテ ル
バ バ ン チ スト教 会 信 者 等 に付 き 諸情 報 を調 査す 。
洋 裁 学 院 生徒 中 の出 征 遺 家 族 及 セブ ン スデ ー ア ド ・
幸
治
爾来和歌山地方、金沢地方、堺地方 の情 報入手宮城
(7 ) 昭 和 十 四 年 七 月 、 夫芳 三郎 帰 国 の為 郷 里 に帰 り
に報 告 す。
(8 ) 昭 和 十 六年 九 月 二 十 九 日検 挙 さ る。
秋 山
(十 四) 本籍 神奈川県横浜市中区寿町四ノ 一四九 戸主
東京市中野区本 町通 一の三〇
無し
住居
国防保安法、軍機保護法違反
無 職
前科
寿
雄
明治 二十三年八月十八日生 罪名
(省略 )米国加州高商卒業
岡山 県 阿 哲 郡 刑 部 町 字 小坂 部 一、 四〇 二
経歴 (十 五 ) 本 籍
船 越
中華民国北京内 一区崇文門内鮮 魚巷 四号
前科
治安維持法及軍機保護法違反
無し
住居
支那問題研究所北京支 所主事
罪名
早稲田大学申途退学 (以下略)
明治 三十五年 二月十九 日生
経歴
戸主熊吉弟
(十 六) 本籍 広島県藍品郡府中町大字府中 =二二番地 ノニ
満洲 日 々新聞上海支局長
住居 中華民国 上海長養路三八三番地 ノ七
前者 に同 じ
河 村
好
雄
明治四十四年十 月二十 七日生 罪名 東亜同文書院 中途退学 (以下略)
前科 無 し 経歴
医学博 士 (共乙)
住居 東京市赤坂区青山南町 一ノ四番地 開 業医師
し て検 挙 さ れた るも 処 分 な し
無 し、 但 し 昭 和 八年 八 月 十 七 日、 日本 共 産 党 同情 者 と
明 治 三十 一年 三月 二 十 八 日 生
安 田徳 太 郎
(十 七) 本籍 京都 市中京区河原町三条下る大黒町 四六
前科
(2) 大 正 四 年 三 月 同校 卒 業 。
(1) 明 治 四 十 四年 四月 京 都 府 立 第 二 申 学 入学 。
罪名 治安維持法、軍機保護法、国防保安法違反 経歴
(3) 大 正 五年 九 月第 三高 等 学 校 入学 。 (4) 大 正 九年 六月 同 校 卒 業 、 同 年 九 月京 都 帝 大 医学 部 に入学 。 (5 ) 大 正十 三年 六月 同 校 卒 業 、 同 年 九 月 同大 学 医凪 部 副 手拝 命 。
に 入学 。
(6 ) 大 正 十 四年 九 月 「内 科 学 一般 」研 究 の為 大 学 院
(7 ) 昭 和 三年 、 三 、 一五事 件 起 る や、 病 気 の為 釈 放 さ れ た る被 告 の往 診 に奔 走 す 。
(一) 本籍 住居
罪名
(8 ) 昭 和 四年 一月 、 プ ロ レタ リ ア科 学 研 究 所 会員 と
な る。 同 年 四、 三六 事 件 の時 も亦 同 じ。
博 士 と な る、 同 年 所 謂 二 月事 件 に依 り共 産 党 関係 者
(9 ) 昭 和 五年 二 月 「 副 腎 の実 験 的 研 究 」 に 依 り 医学
多 数 検 挙 さる ゝや 、病 気 釈 放 の被 疑 者 往 診 に奔走 す 、
同 年 十 一月 、 日 本 橋区 浜 町 三ノ 三更 正 診 療 所 に勤 務 。
や 、 幹 事 と な る、 同年 七月 三十 日 更 生 診 療 所 を辞 す 、
(10 ) 昭 和 六 年 六 月 「ソ ヴ ェー ト友 の会 」創 立 さ る ゝ
同 年 十 三月 現 住 所 に開 業 。
場 に於 て死 亡 す る や、 死 体 解 剖 に立会 す。
(11 ) 昭和 七年 十 一月 、 共 産 党 中 央委 員 岩 田義 道 留 置
(12 ) 昭和 八年 八月 十 七 日共 産 党 同情 者 と し て検 挙 さ
れた る も 聞 も な く釈 放 さ る。
テ ル ン の為 の諜 報 活 動 に参 加 す 。
橋
ゆ
う
(13 ) 昭和 十 二年 三 月、 宮 城 与 徳 の依 頼 に依 り コミ ン
(1 4) 昭 和 十 七 年 六 月 八 日検 挙 さ る。
(二) 非 諜 報 機 関 員
群馬県前橋市曲輪 町二 戸主清七長女
東京 市大森区 田園調布 三ノ五七八
高
明 治 四 十 四 年 八 月十 五 日 生
満 鉄東京支社調 査部勤務
治安維持法違反
(二) 本 籍 住居
罪名 住居
(三) 本籍
罪名 (四) 本籍 住居
罪名 (五) 本籍
美 恵
戸 主 正夫 二女
峯
明 治 四十 四年 十 三月 二 日 生
明
北 海 道札 幌 市南 六条 西 九 ノ 一、 ○ 一八 前 者 に同 じ 情 報 局 嘱 託 タ イ ピ スト
治安維持法違反 所 職
明 治 四十 四年 五 月 二 日 生
武 田 と し 子
東京市大森区北千束町三九四 戸主武妻 同 無
治安維持 法違反 兵庫県神戸市葺合区磯上通 四ノ 三 戸主初太郎長男 大阪市住吉区阪南町中三 の三四 工場主 虎 雄
住居
(六) 本籍
罪名 (七) 本籍
東京市板橋区豊 玉北町 三ノニ ノニ○ 同 右
戸主
田中 慎 次 郎
地
八
郎
明治三十三年 七月 二十 八日生
東京朝 日新聞政治経済部長
軍機保護法違反
静岡県富士郡鷹 岡町厚原 三九七
都新聞政治部記者
戸主
大 正元年 八月十九 日生
菊
住居 東京市渋谷区桜 ヶ丘町 五五機 山閣アパート内
右
代議士、注政府顧問
同
東京市四谷区南 町八十 八番地
罪 名 軍機保護法違反 (八) 本籍 住居
養
西
義
雄
健
犬
塚
満鉄東京支社調 査室調査員
東京市麻布区笄町 八十番地
広川恒 、坂田剛、小 田 一夫事
明 治 四 十 三年 二月 二十 四日 生
宮
広島県呉市亀山町 二十 二番地 戸 主和太郎長男
軍機保護法違反
篠
罪名 住居
(九) 本籍
明治二十九年七月二十九日生
一
明治 三十五年 二月十五日生 治安維持法及軍機保護法違反 東京市神田区駿河台 町三ノ九 三 国際問題 調査会総裁
国防保安法 及軍機保護法違反
明 治 三十 九 年 十 三月 十 日 生
西 園 寺 公
住居 東京市渋谷区千駄 ヶ谷町ニ ノ三八 西園寺 八郎方
罪名
罪名
治安維持法、軍用資源秘密保護法違反 清風寮内
京都市左京区北白川久保田町三二 戸主
住居 満 洲国奉 天市大和区白菊町
(十 ) 本籍
満鉄社員、鉄路総局勤務 後 藤
憲
章
明治 三十 二年 八月二十八日生
海 江 田久 孝
鹿児島県 日置郡 日置村日置 九〇 七番戸
軍機保護法違反
本籍
罪名 (十 一)
満鉄社員
兵庫県赤穂郡相 生町字相生
軍機保護 法違反
野
清 明 治 四 十 年 六 月 一日 生
磯
明 治 四十 一年 二 月 十 一日 生
住居 満 洲国奉 天市大和区葵町二 一番地
罪名 (十 二 ) 本籍
軍機保護法違反
朝 日新聞記者 (陸軍省詰主任)
住居 東 京市中野区 上高 田 一ノ四九番地
罪名
尚 北 林 芳 三 郎 、 岡井 安 正、 芳 賀 雄 、鈴 木亀 之 助 、 松 本 五男 、 武
田武 は省略す
三 国際 共 産 党 対 日諜 報 機 関
本
質
の本 質 及 任務 (一)
本 機 関 は 世界 赤 化 の総 参 諜 本 部 た る コミ ンテ ル ンの基 地 にし て、
世 界 共 産 主 義 者 の祖 国 た る ソヴ ェー ト聯 邦 の擁 護 の為 に、 コミ ン テ
ル ン の手 に依 り 、 日本 国 内 に設 置 せら れ 、 ソ聯 共 産 党 中 央 委 員 会 及
赤 軍 第 四本 営 に 直属 し て、 我 が日 本 帝 国 の政治 、 外 交 、 軍 事 及 経 済
等 の機 密 を探 知 し、 是 を ソ聯 邦 共産 党最 高 指 導 部 即 ち ソ聯 邦 政府 最
高 指 導 部 に提 報 し つ ゝあ り た る秘密 諜 報集 団 なり 。
本 事 件 の首 魁 リ ヒア ルド ・ゾ ルゲ は コミ ンテ ル ン第 六 回 大会 (昭
和 三年 八 月︱ 九 月 ) に出 席 し ﹁国 際 共 産 党綱 領 ﹂(コミ ン テ ル ン・テ
ー ゼ) の起草 に参 加 せ る者 な るが 、 同綱 領 第 五章 第 三項 に左 の如 き
﹁ソヴ ェー ト 同盟 はプ ロレ タ リ アー ト の真 の祖 国 であ り 、 そ の既
記 述 あ り。
であ る 。 そ れ は 国際 プ ロレタ リ アー ト に ソヴ ェー ト同 盟 に於 け る 社
得 権 の最 も堅 固 な足 場 であ り 、 そ し て其 の国際 的 解 放 の主 たる 要 因
て資 本 主 義 列 強 の攻 撃 から プ ロレタ リ ア独裁 の国 を擁 護 す る義 務 を
会 主 義 的 建 設 を 助け て こ れを 成 功 さ せ、 そ し てあ ら ゆ る手 段 を 用 ひ
課 し て ゐる 。
﹃世 界 の政 治 情 勢 は今 や プ ロ レタ リ ア独 裁 を 日程 に上 せた、 そ し
て世 界 政 治 のあ ら ゆ る事 件 は 不 可 避 的 に 一個 の中 心点 、 即 ち 万 国 の
先 進 労 働 者 のあ ら ゆ る ソヴ ェート 運 動 と 、植 民地 及 被 抑 圧 民 族 のあ
の指 令 を 与 へたる も のに し て、 ゾ ルゲ の供 述 に依 れ ば 、 此 の頃 より
国 の共 産 主 義 者 に ﹁あ ら ゆ る 手段 を 用 ひ て﹂ ソ聯 邦 を擁 護 す べ し と
即 ち 世 界 各 国 は ソ聯 邦圧 殺 を計 画 し つ ゝあ り と の規 定 を与 へ、 各
争 に集 中 さ れる ﹄ (レー ニン)﹂(以 下省 略 )
ころ の ロ シ ア、 ソ ヴ ェー ト共 和 国 に対 す る世 界 ブ ルジ ョアジ ー の闘
らゆ る 民 族 解 放 運 動 と を 執拗 に自 己 の周 囲 に結 集 させ ざ る を得 ぬと
し た。 労 働 運 動 は益 〓防 衛 に追 詰 め ら れま し た、 労 働 者 や被 圧 迫 民
義 及 急 進 国 家 主義 に対 す る防 衛 の問 題 が 益 〓重 要 性を 加 へて参 り ま
国 際 的 革 命 運動 にと って は反 革 命 、特 にフ ァ ッシズ ム国 民 社 会 主
時 的 に退 潮 (即 ち 衰 退 ) し つ ゝあ った の です 。
共 産 主 義 運 動 が敗 退 す る と共 に大 規 模 にし て急 激 な革 命 的 波動 は 一
更 に は支 那 に於 け る帝 国 主義 列 強 に対 す る 偉大 な闘 争 に於 て、 支 那
運 動 の波 が衰 退 し つ ゝあ る事 は明 白 な 事 で す。 蒋 介 石 、 南 京 政 府、
族 の革 命 的 攻 勢 は暫 く期 待 す る こ とが 出 来 ま せ ん で し た。 更 に列 強
革 命 的 労 働 運 動 の指 導 権 は コミ ンテ ル ン指導 部 よ り、 ソ聯 共 産 党 指 導 部 に移 行 し、 コミ ン テ ル ンと分 離 せ る秘 密 諜 報 機 関 の設置 は開 始
た。
相 互 間 や 之 等 列強 の ソ聯 に対 す る 帝 国 主 義戦 争 の 危険 が増 大 しま し
〓 に於 て も労 働 運 動 の防 衛 は 益 〓重大 な 任務 と なり ま した 。 他方
せ ら れ たる も の の如 し 。
凡 ゆ る 国際 問題 に於 て、 国 家 及 国 際 的威 力 と し て の ソ聯 の国 際 的 重
要するに本機 関は ソ聯 の社会主義建設を成功せしむる為 に、 ソ聯 の対外政策 の諸要求 を満 し、 ソ聯 に対する日本 及共 の同盟国 の政治
要 性 も 増加 し ま し た。 世 界 の総 て の列 強 は ソ聯 が経 済 的 政 治 的 に強
シズ ム及 国 民社 会 主義 に対 す る闘 争 を ば 、 其 の対 外 政 策 の標 語 と し
的、軍事的攻撃 を防衛 し、之 れに勝利す る為に政治、軍事及軍事 に
て、 仏 蘭 西 及 西班 牙 に対 す る政 策 に之 を実 現 し よ う と努 めた 時 、特
関係する経済事情等 に関す る諸情報 を探知蒐集 し、無線電信 に依り
も のなり。
に明 瞭 とな り ま し た 。
が出 来 な く な り ま し た。 此 の事 は ソ聯 が コミ ンテ ル ンと共 に フ ァ ッ
本 件 の首 魁ゾ ルゲ は始 め コミ ン テ ル ン情 報 局員 と し て重 きを 為 し、
力 とな る に従 ひ、 世 界 政 局 に於 て此 の社 会 主義 国 家 を 度 外 視 す る事
第 六回 大 会 以 後 ソ聯 共産 党 中 央委 員 会 に所 属 し て、本 任 務 に服 し た
夫 れ故 に革 命 的 労 働運 動 は期 せず し て、 其 の防 衛 及 生存 の為 の闘
或は写真又は現 品輪送 に依り てソ聯 に通報し、直接 にはソ聯社会主
るも のな る が 、 此 の事 を世 界 革 命 運 動 の重 心 の変 化即 ち コミ ン テ ル
同時 に客 観 的 な 世界 政局 の発 展 は益 〓強 く ソ聯 指 導 部 を 国 際 労 働運
争 の、 益 〓重 要 な 支柱 を ソ聯 の存 在 に認 め る に 至 った の です 。 之 と
義国家 の防衛 と発展 の為 に間接 には世界革 命 の現実 に寄与 し居 たる
ン指 導 部 を ソ聯 共 産 党 指導 部 が凌 駕 し た る事 に基 く も のと し て興 味
之 と共 に ソ聯 共産 党指 導 部 の意 義 は 増 大 し 、 又夫 れ と同 時 に ソ聯
動 の前 面 に押 し出 しま し た 。
あ る陳 述 を 行 へる が 其 の要 領 を摘 記 す る に次 の如 し 。
ンテ ル ン指 導 部 か ら社 会 主義 国 家 と し て の ソ聯 指 導部 に移 行 し た事
の政 治 的 及 軍 事的 な 世界 的 地 歩 の基 礎 と し て の、 ソ聯 に於 け る 社会
﹁客 観 的 に重 要 な 要 素 と し て は、 国 際 的 政 局 内 に於 て重点 が コミ
が挙 げ ら れま す 、 既 に西暦 一九 二 八年 乃 至 二九 年 に は急 激 な革 命 的
主 義 建設 の意 義 も 増 大 し た の です 。 何故 な ら ば フ ァ ッシズ ム及国 民 社 会 主義 に対 す る闘 争 に於 て、 ソ聯 が進 出 す れ ば フ ァ ッシ ョ及国 民 社 会 主義 の ソ聯 に対 す る 攻撃 の危険 が増 大 す る に相 違 な い と言 ふ事
之 等 の フ ァ ッシズ グや 国 民 社 会 主義 が ソ聯 に対 す る攻 撃 を 企 図 す
を労 働者 は明 瞭 に知 って居 た か ら です 。
る か否 か は、 一に懸 って社会 主義 国 家 の経 済 的 建 設 の成 果 の大 き さ 如 何 にあ った の です 。 従 って社 会 主 義 建 設 の実際 的 成果 如 何 は ソ聯 及 革 命 的 労 働 運動 に
(二 )
任
務
対 日諜 報 機 関 の任務 は若 干 の政 治 謀 略 活 動 の外 は、 主 と し て日 本
の対 ソ攻 撃 よ り の ソ聯 の防 衛 乃 至 は日 本 の対 ソ攻 撃 の阻 止 に役 立 つ
諜 報 の探 知 蒐 集 にあ り 、 今仮 り に そ の任 務 を 与 へた る者 を 標 準 と し
第 一は、 昭 和 八 年ゾ ルゲ の渡 日前 ソ聯 邦 主 脳 よ り与 へら れ た る 一
て之 を 二 つに分 類 す 。
般 的 、 形 式 的 任 務 及 昭 和 十年 ゾ ルゲ が報 告 の為 、約 二十 日問 モ ス コ
ー に滞 在 せる 際 上 部 よ り 具体 的 に詳 細 に与 へら れ た る任 務 に し て、
第 二 は対 日諜 報 機 関 設 置 後 、 日本 国 内 に発 生 した る 各般 の重 要 な る
諸 事 件 に基 き本 機 関 自 ら 自 己 に課 し た る任 務 な り 。
国 際 的 労 働 運 動 は従 来 にも増 し て、 ソ聯 に於 け る実 際 的 建 設 を ば
対 す る、 最 も重 要 な実 際 的 問 題 の 一つ とな り ま し た。
労 働 運 動 の益 ー重 要 な 使 命 と認 め ざ る を得 ま せ ん で し た。 ト ロ ツ キ
第 一、 昭 和 八年 及昭 和 十 年 に与 へら れ た る任 務
(2 ) 日本 陸 軍 及 空 軍 の増 強 虹編 成 の精 密 な る 観 察 、即 ち広 汎 な
問 題 を探 究 す る事 。
こ と、 之 れと 同時 に 日本 が ソ聯 に対 し戦 争 を計 画 せ る や否 や の
(1 ) 満 洲 事 変 後 に於 け る 日本 の対 ソ政 策 を 最 も 綿密 に観 測 す る
ー 主義 は実 践 的 に忘 却 さ れ て仕 舞 ひま し た 。之 は根 祇 を 失 った知 識 分 子 の議 論 の種 と な り 下 って 仕舞 ひ ま し た。 国 際 労 働 運 動 に対 す る 保 証 と し て、 聯邦 内 の社 会 主 義 を 益 ー急 速
る軍 事 情 報 を 探 知 す る事 、 満 洲 国 の軍 備 に就 ても 同時 に探 究 す
に建 設 す る こと が 必要 で あ る と言 ふ事 は、 愈 蓋広 く 承 認 さ れま し た 之 と同 時 に ソ聯 に対 す る 凡 ゆ る攻 撃 を防 衛 す る必 要 も 認 め ら れ た
(3 ) 日独 関 係 の探 究 、 当時 ソ聯 政 府 は既 に日 独 の接 近 を不 可 避
る事 。
と信 じ、 而 も 之 れは ソ聯 対策 の為 に行 は ると 確 信 し、 両 国 間 の
の です 。 所 謂 プ ロ レタ リ ア革 命 の為 に 、赤 軍 を他 国 に派 遣 す る と 言
人 々の恐 怖 の幻 影 と な り ま し た。 革 命 的 労 働 運 動 側 では ソ聯 共 産 党
関 係 探 究 を 命 じた り 。
ふ様 な 思 想 は、単 に国際 労働 運 動 の現 実 の発 展 に於 て、 何 も 知 ら ぬ
の重 大 使 命 は、 赤 軍 の派遣 に あ る の で はな く 、 国 際 的 革命 労 働 運 動
(5 ) 英 米 に対 す る 日 本 の政策 を精 細 に観 察 す る 事 、 此 の任 務 は
の任 務 の延 長 な り 。
(4 ) 日本 の対 支 政 策 に対 し絶 えず 諜 報 す る事 、 本件 は支 那 時 代
の最 も 確 実 な 宝 物 とも 云 ふ可 き 、 ソ聯 に対 し て既 に現 は れ始 め た 帝 国 主 義的 攻撃 を確 実 に防 衛 す る 為 、 ソ聯内 に社 会 主 義 経 済 を 出 来 る 丈 け速 か に建 設 す る こ と であ る と考 へた の です 。﹂
支 那事 変 勃 発 前 、 日本 が英 米 の後援 を得 て ソ聯 攻 撃 を 行 ふ可 能
断 し て、 一定 の結 論 を得 之 れ に意 見 を附 し て報 告 し居 たる も のな り。
に通 報 せる も のに あ らず 、 豊 富 適 確 な る資 料 を蒐 め、 之 れを綜 合 判
此 の綜合 判 断 の適 確 を 期 す る 為 、 ゾ ルゲ は猛 烈 な る日 本 研 究 を行
性 あ り た る為 重 要 視 せり と称 す 。 (6 ) 対 外 政 策 の進 路 を 決 定 す る 日本 軍 部 の実 際 的 役 割 を 観 察 す
文 献 の英 訳 を 始 め、 千 余 冊 に及 ぶ日 本研 究 の英 訳 書 又 は 同 人 自 ら の
ひた る も の の如く 、 同 人 宅 には 古 事 記 、 日 本書 紀 、 源 氏 物語 等 の古
研 究 の結果 に成 る、 精 密 な る各 種 統 計多 数 を蔵 しあ り 。 而 も 甚 だ屡
る事。
す る事 、 満 洲国 の経 済 的 特 に重 工業 的 発展 に関 し ても 亦 同 じ。
(R カ )
の成 果 は 既 に独逸 の 一流 新 聞 紙 フ ラ ンク フ ルタ ー、 一流 雑 誌 ゲ オポ
屡 日 本 各 地 を 巡遊 踏 査 し て、 我 国 の民情 、 風俗 、経 済 を 研 究 し、 其
(7) 日本 重 工業 特 に 日本 戦 時 経 済 の発 展 に関 し て継 続 的 に諜 報
第 二 、 共 後 の諸 事 件 よ り 生 じ た る任 務 (1) 二、 二 六事 件 と其 の内 政 上 に及 ぼ せ る諸 作 用 の探 究 。
リ テ ィ ーク (地政 学 )等 に ﹁L ・S﹂ の署 名 を 以 て登 載 せら れ、 又
ンク フ ルタ ー はゾ ル ゲ の寄 稿 に依 り 国際 的 名声 を高 め た る由 な り 。
浩 翰 な る 日 本 研究 の著 書 を 出 版 し、 著 述 家 と し ても名 声 高 く 、 フ ラ
伯 林 に於 て大島 大使 と リ ッペ ント ロ ップ
外 相 の聞 に 進捗 中 の秘 密 交 渉 を 、 ゾ ルゲ が逸 章 く諜 報 し、 ソ聯
(2) 日 独 の同盟 政 策
政 府 を驚 愕 せ し め た る以 来 、 重 要 任 務 とな る 。
官 等 の判 断 に徴 し、 或 は尾 崎 秀 実 の意 見 に 聴 き時 に宮 城 の意 見 を も
常 に そ の巧 妙 に密 着 し て、 信 頼 を 博 し居 れ る独 逸 大 使 及 同 陸 海 軍 武
然 し乍 ら ゾ ルゲ は諸 情 報 の綜 合 判 断 を 独 断 に て行 ふも の に非 ら ず 、
ペ リ ア北 辺 の危機 は去 り たり と し、 事 変 中 に 遂行 さ る る 日本 経
(3) 支 那事 変、 本 事 変 に依 り 日本 軍 の南 方 進 撃 に依 り 、 -応 シ
済 の包括 的 な戦 時 経 済 及 重 工業 へ の編 成替 、 即 ち 日本 の戦 時 経
訊 し 、 又時 に は尾 崎 の意 見 のみ を 採 択 し て報 告 す る等 、 慎 重 な る審
るも のあ り、 ゾ ルゲ の陳 述 に依 れば 昭和 十 一年 以来 ソ聯 邦 政 府 要 路
議 を 行 ひた り 。依 て其 の情 報 の迅 速 に し て適確 な る事 は驚 嘆 に価 す
済 化 に対 す る観 察 。
と な り た る も、 英 米 が果 し て 日本 に屈 服 す る や否 や に疑 問 あ り
は ラ ジ オを 以 て、屡 ー賞 讃 の辞 を 送 り 、 本 機 関 の意見 を尊 重 し て、
(4) 日本 の英 米 と の古 き 関 係 の崩 壊 、 事変 数 ヶ月 後 此事 は明 白
た る為 其 の観 察 。
之 れを例 へば、 か の 一見 唐 突 た る独 ソ戦 開始 に先 だ ち ゾ ルゲ は逸
対 策 を 講 じ つ Σあ る 旨 を明 言 し居 れ る由 な り 。
て注 意 を喚 起 す る等 、 本 情 報 の如 き は ソ聯 赤軍 及政 府 主 脳 部 を し て
早 く 独 逸 の対 ソ攻 撃 の緊 迫 し て、 そ の必 至 な る こ とを ソ聯 に予 告 し
務 の重 大 な る事 は説 明 を 要 せ ず 。
(5 ) 第 二 次 世界 大 戦 と独 ソ戦 に対 す る 日本 の態 度 探 究 、 此 の任
(6) 昭 和 十 六年 夏 の大 動 員 、 之 れ は (5) の任務 に従 属 す る部
が如 し。
痛 く 驚 愕 、 且 つ狂 喜 せ し め本 機 関 に対 し感 謝 と激 励 の辞 を 寄 せ た る
分 と 見 る べき も本 機 関 は数 ヶ月 間 、 之 れが探 究 に勢 力 を 集 中 せ り。 尚 本 機 関 の任務 は情 報 を豊 富 に蒐 集 し て、無 撰 択 に之 を モ ス コー
四
コミ ンテ ル ン情 報 局 よ り 本 機 関 設 立 の経 緯
る も のな る がゾ ルゲ は 、 ス エーデ ン、 デ ン マルク 及 ノ ー ルウ ェー各
共 産 党 組 織 遍 歴 の経 験 に鑑 み 、 一般 的 共産 党 指 導 を 兼 ね 行 ふ事 は精
細 、 広 汎 な る情 報活 動 遂 行 上 竝 秘 密 保 持 上 不便 あ り と為 し 、意 見 上
の紛 争 よ り分 離 し、 政 治 、経 済 等 の諜 報 活 動 に 従事 す る を得 たり 。
申 の結 果 、 千 九 百 二 十 九年 英 国 に派 遣 せら れ たる時 は厳 重 に党 内 部
併 し乍 ら コミ ン テ ル ン の 一般 機構 の 一員 と し て諜 報 活動 を行 ふ事 は
コミ ン テ ル ン情 報 局 時 代
本 機 関 の前 身 は国際 共産 党 情 報 局 にし て、 リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ は
テ ル ンよ り の分 離 を 上 申 し た る 結果 千九 百 二十 九 年 英 国 よ り モ ス コ
秘 密保 持 上尚 万 全 を 期 し難 し と認 め た るゾ ルゲ は諜 報機 関 の コミ ン
( 一)
ン情 報 局 次 長 た る極 め て枢 要 な る地 位 に 在 り て、 共 の発 展 に貢 献 し、
ー に帰 るや本 意 見 は採 択 さ れ、 ゾ ルゲ は コミ ン テ ル ンよ り 分離 し、
千 九 百 二十 五 年 よ り 千 九 百 二十 九 年 迄 同 部 に在 り 、 即 ち コミ ン テ ル
スカ ンヂ ナ ビ ア地 方 及 イ ギ リ スに於 け る情 報 活 動 を 基礎 に意 見 書 を
(ヤ チ エイ カ ) に し て コミ ン テ ル ン の隠 然 た る指 導 機 関 ) を脱 し、
ソ聯 共 産 党 コミ ンテ ルン細 胞 (コミ ンテ ル ン機 関 内 に存 在 す る細 胞
ソ聯 共 産 党 モ ス コー地 区 委 員 会 所 属 の名 目 を得 て、 何 れ の細胞 に も
め るも のな るが 右情 報 の任 務 に付 次 の如 く 供 述 せ り 。
所 属 せざ る 事 とな り、 一般 党 活 動 より 全 く 姿 を没 す る に至 り た り 。
提 出 し、 諜 報 機 関 の コミ ン テ ルン よ り の分 離 を 主 張 、之 を実 現 せ し
﹁情 報 部 の任 務 は コミ ン テ ル ンの種 々な 党 の状 態 に関 す る規 則 的
事 が益 〓必要 に なり 、 千 九 百 二十 七 年情 報 局員 ゾ ルゲ 等 の派遣 は開
諸 国 に派 遣 さ れ る情 報 局 の特 殊 の諜 報 者 に依 る、 直 接 の資 料 を得 る
の経過 に従 って従 来 報 告 とし て齎 ら さ れ た、 基 本 的 資 料 の外 に随 時
色 々な党 旅行 者 、 若 く は代 表 の時折 の報 告 であ り ま す ﹂。 然 る に 時
の新 聞 、雑 誌 等 か ら蒐 めら れた資 料 であ り、 更 に は之 等 の諸国 か ら
し て 、夫 々の党 代 表 か ら送 付 さ れ る資 料 であ り、 或 は 之 等 諸 国 か ら
是 であ り ます 。 情 報 部 の之 等 の報 告 の基 本 資 料 は コミ ン テ ル ンに対
ゾ ルゲ等 の供 述 に依 る 当時 の諜 報 グ ル ープ員 次 の如 し。
支那 を中 心 とす る 諸 資 本 主義 国 の動 向 を 調 査 せ り 。
織 し、 ﹁ 支 那 革 命 の擁 護 ﹂ 及 ﹂ソ聯 邦 防 衛 ﹂の 為 に中 国 国 民 党 政 府 及
北京 、 漢 口等 に米 、 独 、露 、波 、 中 、 日 等 各 国 人 に依 る諜 報 団 を 組
の名 義 を得 、 千 九 百 三 十年 一月渡 支 、 上 海 を 中 心 に、 南 京 、 広 東 、
択 さ る ゝや 、 先 づ伯 林 に赴 き ﹁ゾ チ オ ロギ ッシ ェマガ ジ ン﹂ 特 派 員
か む と企 て て意 見 具 申 し 千 九 百 二十 九 年 夏 、 ソ聯 首脳 に依 り之 亦 採
り の分 離 に成 功 す る や 、新 組 織 の第 一着 手 とし て全支 に諜 報 網 を 布
リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ は其 の上 申 に依 り諜 報機 関 の コミ ン テ ル ンよ
(二) 支 那 時 代
な報 告 を作 成 し、 之 等 の党 の特殊 問題 を取 扱 ひ、 諸 国 の特 殊 な労 働 運動 及各 国 の政 治 状 態 及経 済 状態 に就 て報 告 し、 其 の他 特 別 な場 合
始 さ れ た り と言 ふ但 し当 時 の情 報 局 派遣 員 は党 組 織 の線 に沿 ひ 、党
に は、 国 際 的 な規 模 の特 殊 問 題 に 就 て、 特 別 な 報 告 を 蒐 集 す る こ と
指 導 部 と協 議 し て其 の党 の 一般 的指 導 をも 行 ひ兼 て情 報 を 蒐集 し た
独 逸 人
波 蘭 人
バ ル ト人
米 国 婦 人
白 系 露 人
無
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在
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アグ ネ ス ・ス メド レー
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ワ イ ンガ ルト ・ゼ ペ ル 秀
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崎
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実
尾 一
電
上
技 上
海
ルゲ は ソ聯 首 脳 よ り、 其 の成 功 を 激賞 せ ら れ た り と言 ふ。
(三 ) 対 日 機 関 の 創 立
(1 ) 満 洲事 変 以 後 日 本 よ り 受 く る ソ聯 の脅 威 著 しく増 大 した る 師
ん で日 本 行 を希 望 し、 ソ聯 首 脳 の同 意 を 得 る や 、渡 日後 の安 全 性 獲
を 観 取 せ る ゾ ルゲ は、 昭 和 八 年 一月 モ ス コー に帰 任 する や 、 自 ら進
得 の為 及 諸 便 宜 を得 る為 、 各 般 の準 備 を 行 ひ た り 。
海
フ ルタ ー ・ツ ァイ ツ ング 紙 及 ア ム ステ ルダ ム ・ハンデ ル スブ ラ ット
即 ち 同 年 五 月 母 国伯 林 に赴 き 、 先 づ 偽 装 の目的 を 以 て、 フ ラ ンク
吉 〃
銀
〃
貞 成
〃
中 国 人 在
在
在
南
上
大
京
海
連
非 ざ る 友 人 に依 頼 し て
イ
妻
イ
中 国 人
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在
在
在
在
広
上
広
上
京
東
在 上 海 又 は北 京
在
北
海
東
海
絡 し、 東 京 に於 け る連 絡 方 法 を打 合 せ、 同 年 七月 中 旬 巴 里 に 赴 き、
別 個 に対 日諜 報 員 に任命 さ れ あ り た る独 逸 人 ベ ル ン ハルト 夫 妻 と連
商 人 、 独 逸 科学 協 会 、 出 淵 勝 次 、 白 鳥 敏 夫
ナ チ ス党 へ入 党 申 込 を 行 ひ (渡 日後 昭 和 九 年 許 可 通 知 あ り ) 同志 に
ン
紙 特 派員 と なり 、 次 で支 那 よ り 直 接帰 来 せ る如 く 履 歴 書 を 作 成 し て、
妻
駐 日独 逸 大 使 館 員 イ リ ス、 ボ ッシ ュ、 アー レ ン商 会 等 の在 日独 逸
ン
は既 に先 発 せり と て、東 京 に於 け る連 絡 方 法 の指 示 を 受 け 、 八月 一
ブ ー ケ リ ッチ
(2) 尚 伯 林滞 在 中、 モ ス コー無 電 学 校 卒 業 の無 電 技師 に し て、
等 に宛 て た る紹 介 状 を 入 手 せ り 。
ン
雄
雄 (尾崎 の後 任 )
合
の
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頭
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イ
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野
川
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村
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水 船 川 ワ ワ チ チ パ リ チ
口
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漢
対 日諜 報 員 と し て別 個 に任 命 を 受 け居 り た る 在
某
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入
海
友
上
の
在
イ
パ
独 逸 人
は対 日諜 報 員 と し て 一日本 人を 派 遣 す べし と の通 告 を 受 け、 バ ン ク
日 仏 国 発英 国 サ ザ ンプ ト ン より 出 航 、紐 育 に到 着 せ り 、 同地 に於 て
マ ック ス ・ク ラゥ ゼ ン
本 諜 報 グ ループ は中 国 共 産 党 に 対す る コミ ン テ ル ン の指導 に、 又
ー バ ー港 よ り乗 船 、 昭 和 八年 九 月 六 日横 浜 に 上陸 せ り。
ソ聯 邦 の諸列 強 対 策 に有 力 な る 基 礎資 料 を与 へた るも の の如 く 、 千 九 百 三 十 三年 後 任 パ ウ ルに 組 織 を引 渡 し、 モ ス コー に赴 き た る際 ゾ
の陳 述 を 綜 合 す る に 、各 国 共産 党 首 脳 に於 て秘 かに 党 員若 く は党 員
る ゾ ルゲ と の連 絡 者 は 明 確 に あ ら ざ るも 、 ブ ー ケリ ッチ宮 城 与 徳 等
以 上 ゾ ルゲ の下 部 組 織 と な る べき諜 報 員 の選 任 方 法 及各 国 に於 け
ゾ ルゲ が米 国 に於 て通 告 さ れ た る日 本 人諜 報 員 は宮 城 与 徳 な るが 、
動 に関 す る 諸 注意 を与 へ、 直 ち に諜 報 活 動 を開 始 せ し めた り 。
に相 違 な き 事 を 確 か む る や、 翌 日ブ ー ケリ ッチ と連 絡 し、 非 合 法 活
シ ュミ ット か ら来 た者 であ る ﹂ と名 を告 げず し て通 告 せ しめ 、 同 志
同 人 と の連 絡 は米 国 に於 け る打 合 通 り 、 同年 十 一月 ﹁ジ ャパ ン ・ア
候 補 者 中 よ り選 抜 せる も の の如 く 、従 ってゾ ルゲ と の連絡 者 も其 の 国 共 産 党 首 脳 又 は コミ ン テ ル ン の派 遣 員 なり と認 め ら る。
ド バ タイ ザ ー﹂紙 に
ら れ たし ﹂
﹁浮 世 絵 買度 し 、売 却 希 望 者 は、 アド バ タ イ ザ ー私 書 函 へ返 事 せ
宮 城 与 徳 の例 を 挙 ぐ れ ば 、同 人 は昭 和 七年 末 サ ン フ ラ ン シ ス コ在
と の趣 意 の英 文 広 告 を為 し、 宮 城 は其 の返 事 を 秋 山幸 治 を し て発 せ
住 の ア メ リ カ共 産 党 内 コミ ン テ ル ン派 遣 員
よ り白 人 の コミ ン テ ル ン派遣 員 に紹 介 さ れ
矢 野 又 は武 田 と称 す る男
宮 城 は米 国 に於 け る サ イ ンに従 ひ 、ベ ル ン ハルト に対 し 、﹁シ ュミ ッ
時 場 所 に於 て、先 づ ゾ ルゲ の レポ ー タ ー 、 ベ ル ン ハ ルト と連 絡 せ り 、
し め、 神 田 区 鎌 倉 河岸 一水社 前 に於 て、 連 絡 の約束 を行 ひ指 定 の日
を 受 け 爾来 帰 国準 備 に着 手 し、 昭 和 八 年 九 月 末 、 サ ンピ ド ロ港 より
﹁東 京 に行 け 、 任 務 は東 京 の連 絡 者 より 指 示 さ れ る べし ﹂ と の命
ぶ え のす あ いれ す号 に乗 船 同 年 十 月 二十 四日 頃 横 浜港 に 上陸 し た る
其 の指 定 に従 ひ て十 一月 下旬 、 ゾ ルゲ と宮城 と の連 絡 は無 事 終 了 せ
ク タ イを し て ゐ る が君 は 青 ネ ク タ イを 付 け て行 け ﹂ と の指 示 を 与 へ、
ュミ ット では な いが其 の人 は上 野 公 園 美 術 館前 に現 れ る、 彼 は黒 ネ
ト さ ん です か ﹂ と の質 問 を発 し た る に、 ベ ル ン ハ ルト は ﹁自 分 は シ
テ ル に投 宿 せり 。
(3 ) 昭和 八年 九 月横 浜 に上 陸 せ るゾ ルゲ は直 ち に 上京 、 山 王 ホ
も のな り 。
斯 く て 同年 十月 ウ ェント事 ベ ル ン ハル ト夫 妻 と伯林 に於 け る打 合
り。
対 日諜 報 機 関 は成 立 せ るも 、尚 日本 人 諜 報 員 を 獲 得 す る必要 あ り た
(4) 以 上 を以 て コミ ン テ ル ン選抜 の諜 報 員 と の連 絡 成 り 、 一応
の通 り 、帝 国 ホ テ ル ロビ ー に於 て連 絡 完 成 し 、直 ち に無 電 機 の組 立
ブ ー ケ リ ッチ に は同 年 十 一月 巴 里 に於 て指 定 さ れ た る通 り 、 本 郷
を 命 じ 、横 浜 市 本 牧 の ベ ルン ハル ト宅 に於 て発 信 を開 始 せ し め たり 。
る為 、 ゾ ルゲ は宮 城 に対 し、
名智 太郎 等 に働 き 掛 け た る も不 成 功 に終 れり 。 此 に於 てゾ ルゲ は上
と指 令 し、 宮 城 は之 れ に従 ひ て数 名 の人 物 、 例 へば 八幡 一郎 、 饒 平
子 を 物色 せ よ﹂
﹁社 会 的 に相 当 の地位 を有 し、 而 も 警 察 の注 意 を受 け ざ る左 翼 分
区 文 化 ア パ ー ト に電 話 し、 其 の居 住 を 確 め た る後 、 ベ ルン ハル トを 派遣して ﹁君 は ジ ョンサ ンを知 って居 り ます か ﹂
﹁知 って 知 り ま す ﹂ と の答 を 得 るや ﹁私 は シ ュミ ット では 無 いが、
と合 言 葉 を 以 て質 問 せ し め、 ブ ー ケリ ッチよ り
海 時 代 の諜 報 員 尾 崎秀 実 を対 日諜 報 機 関 に再 編 成 せ ん と し、 昭 和 九 年 四、 五 月 頃 、 宮城 を レポ ー タ ー と し当 時 上 海 よ り帰 朝 以 来 引 続 き 大 阪 朝 日 新 聞社 に あ り た る尾 崎 を 奈 良 公 園 に呼 出 し、 茲 にゾ ルゲ と 尾 崎 の上 海 当 時 の組織 復 活 し て今 日 に及 べり 。
五 諜 報 機 関 の組 織 及連 絡 織
本 機 関 は ソ聯 共産 党 中 央 委 員 会 機 密 部 の重 鎮 リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ
(一) 組
本 名 を 了知 せず 、 宮 城 は前 述 の如 く シ ュミ ット尾 崎 は ジ ョン ソ ンと
を 首 魁 と し、 三外 人 、 二日 本 人 を 正式 機 密 部 員 と し、 一外 人 、十 二
当 時 の宮 城 は尾 崎 に対 し ﹁南 竜 一﹂ の名刺 を 用 ひ両 人 共 ゾ ルゲ の
し てゾ ルゲ に接 し、 茲 にゾ ルゲ と ゾ ルゲ の股 肱 たる 尾 崎、 宮 城 の連
日 本 人 を協 働者 と し て組 織 し、 之 を 中 心 と し て そ の外 郭 に情 を知 ら
ざ る 広 汎 な る諜 報 網 を 獲 得 し た る事 は既 述 の如 く 又 次 図 の如 し。
絡組 織成 立 し て対 日諜 報 機 関 の中 核 を結 成 せり 。
川 合 貞 吉 、 水 野 成 、 小代 好 信 、 船 越 寿 雄 、 川村 好 雄
協 働 者 中 、 ゾ ルゲ の テ スト を経 て採 用 せら れた る者 は
等 に し て、 特 に 小 代 は履 歴書 を ソ聯 中 央 部 に提 出 しあ る事 判 明 せ り 。
尚 、 ク ラ ウゼ ン の前 任 者 、 ベ ル ン ハル ト (独逸 人 )及 グ ル テ ン ・
エデ ット (ク ロア チ ア人 )も 亦 本 機 関 に 所属 せ るも 、 何 れも 既 に早
シ ュタ イ ン (ユダ ヤ系 独 逸 人 ) の 二機 密 部員 及 ブ ー ケ リ ッチ の先妻
く本邦を退去せり。
(二) 中 央 に 対 す る 連 絡
無 電 に 依 る ソ聯 中 央 部 と の連 絡 は別 添 ﹁無 線 通 信 施 設 概 要 ﹂ に詳
述 せ り。 機 密 文 書 を 複 写 せ る写 真 フ ィル ムは 予 め無 電 に て連 絡 方 法
を 打 合 せ、 主 と し てク ラ ウ ゼ ンが 上 海 に 持 参 し、 上 海 バ ッブ リ ン
ルゲ 自 ら之 れ を香 港 の連 絡 員 に交 付 し 、或 は、 ア ン ナ ・ク ラウ ゼ ン
グ ・ウ ェル路 所 在書 籍店 女 支 配 人 等 の連 絡員 に交 付 せり 。 時 には ゾ
を し て行 は し め た る事 あ り 、但 し最 近 は東 京 に於 て、 ソ聯 大 使 館 付
ッチ ・ザ イ ツ ェフと 互 に本 名 を 名 乗 ら ず に相連 絡 し、 フ ィ ル ム等 の
領 事 、 ヴ ト ケウ ィ ッチ、 同 大 使 館 二等 書 記官 ビ ク ト ル ・セ ルゲ ウ ィ
は携 行 した フ ィ ル ムの内 容 は存 じ ま せ ん が、 ゾ ルゲ は 之 は独
其 の書店 は 左翼 の出 版 物 のみ を 販売 し て ゐ る様 でし た 。私
ま せ ん。
逸 大 使 館 で集 め た重 要 書 類 を 写 し た の だ と得 意 気 に私 に話 し
本 件 に付 ク ラウ ゼ ン の
交 付 、 諜 報 団費 用 の受 領 等 を 為 し居 た り 。 第 六 回 訊 問 調 書 は詳 述 し居 れ る を以 て次 に転 載 す 。
そ れか ら第 二 回 目 は 一九 三九 年 (昭和 十 四年 ) 六月 初 旬 頃
た のを 記 憶 し て居 り ま す。
に 上海 に行 って居 り ま す 。
答 私 が同 志 に連 絡 し て諜 報 の仕事 を な し た の は モ ス コー の指
一、 間 諜 報 団同 志 の連 絡 関 係 如 何
令 に 基 くゾ ル ゲ の依 頼 に由 る 事勿 論 です が、 従 来 迄 に或時 は
之 れも モ ス コー よ り の指 令 に基 い た の で あ り ま す 。 即 ち
﹁上 海 へ行 った ら 午後 五時 に パ レ ス ・ホ テ ルに行 き 一階 の カ
上海 に於 て、 或 時 は東 京 に於 て 同 志 と連 絡 を と った の であ り
フ ェー で或 男 に会 へ、 合 図 は君 は テー ブ ルの左 側 に緑 色 の包
ま す 、 以 下順 を追 って申 上 げ ま す 。 先 づ 上海 に於 け る同 志 と の連 絡 に就 て申 述 べま す れば 其 の
じく 左 側 に黄 色 の紙 に包 ん だ本 を 置 き 右 側 に 同 じ く手 袋 を 置
く 、 そ こ で は談 話 を 交 さ ず に互 に顔 を 見 知 れ 、
装 紙 に包 んだ 本 を 置 き右 側 に手 袋 を 置 け 、 そ し て其 の男 は同
更 に 同夜 八時 に仏 租界 の ラ フ ァ エ ット 街 、 Rue Laf ayet t e
﹁上海 バ ッブ リ ング ウ ェル路 (Bubbl i ngW el lRoa d)所 在 の書 籍 店 ヘフ ィル ムを 携 行 せ よ 、同 店 へ行 ったら そ この
第 一回 は 一九 三 六年 (昭 和 十 一年 ) 七 月中 旬 頃 モス コーか ら
婦 人 支配 人 に会 へ、 其 の時 の 問 答 は ﹁貴 女 は ル ー シ ー?
った ら良 い で せう ﹂ と尋 ね よ、 其 の男 は ﹁私 も 行 く か ら 一緒
で其 の男 に会 へ、 其 れか ら ﹁ジ ョッフ ル街 に行 く に は ど う行
に行 き ま せう ﹂ と答 へる 、 ﹁同道 し な がら フ ィ ル ム と 金 と を
さ ん では あ り ま せ ん か 、 ﹂ と尋 ね よ 、 ﹁そ う です ﹂ と答 へた
と言 ふ指 令 を 受 け た 事 を ゾ ルゲ か ら話 さ れ私 は彼 の命 令 通 り
ら 其 の フ ィ ル ムを 同婦 人 に渡 せ﹂
彼 が ライ カ 写真 機 で撮 影 しブ ー ケ リ ッチ宅 で現 像 し た フ ィ ル
男 は 四十 四、 五歳 位 の肩 巾 の広 い ロシ ヤ人 か、 バ ルト人 の様
て フ ィル ムを 渡 し 其 の男 か ら 六十 米 弗 を 受 取 り ま し た。 其 の
齣 一齣 は長 方形 ) を布 に包 み 税 関 の眼 を脱 れ る為 ズ ボ ン のポ
であ り ま し た。
交 換 せ よ 、﹂ と言 ふ内 容 が あ り ま し た。 私 は其 の通 り 実 行 し
ケ ット に 入 れ て同 月 下 旬 妻 と正 式 結 婚 手続 の目 的 を 兼 ね 上海
て待 ってま し たが 連 絡 を終 る と自 動 車 で直 ぐ 立去 り ま し た。
街 頭 で会 った時 に は彼 は 一人 で自 動 車 を 運転 し先 に到 着 し
ム十 八、 九 本 (一本 の フ ィ ル ム の長 さ は 一米 半 最 大 限 三 十 六
上 陸 の翌 日午 前 指 令 通 り 其 の書 店 の女支 配 人 に会 ひ其 の フ
勿論 共 の用 務 の外 は 言葉 は交 し ま せん 。
に参 り ま した 。
ィ ル ムを渡 し ま し た。 但 し 其 の女 支 配 人 の真 実 の名 前 は 解 り
国際 共 産党対 日諜報機 関及其諜報 網一 覧表
多 分 ゾ ルゲ の所 有 し て居 る ラ イ カ と ロボ ット の両 種 類 だ と思
ん で警 察 の眼 を 晦 ま し 上 海 に 上陸 し ま し た。 其 の フ ィ ル ムは
な 具 合 にし て細 長 い布 に 包 み其 の布 を ワイ シ ャツ の下 に巻 込
頁 余 の尨 大 なも の で之 は 歩 兵 が弾 丸 を ベ ル ト で腰 に付 け る様
の携 行 し た フ ィル ムは約 一千 百齣 位 で本 の頁 数 に す れ ば 一千
私 の指 令 を 帯 び ての 上海 行 は此 の 二回 だ け であ り ま す。 其
二十 日 迄 上 海 に行 き得 る や ホ テ ル及 び 会 ふ 方 法 知 ら せ よ 云
十 月 七 日 ﹁伝 書 使 の香 港 行 の件 は 取 消 、 フリ ッツ の妻 十 月
に決 定 し、 モ ス コー へそ の由 返 事 を しま す と
返 事 を し ま し た の でゾ ルゲ と相 談 し た 上彼 女 を上 海 に遣 る 事
だ か ら 安 全 と思 は れ る上 海 の連 絡 な ら試 し ても 良 い﹂ と言 ふ
を 受 取 り ま し た の で妻 に相 談 し ま し た処 彼 女 は ﹁番 港 は危 険
ゾ ルゲ も 一九 三 七 年 (昭和 十 三年 )(月 日不 詳 )独 逸 大使 館
ひ ます 。
リ ッツ の妻 を 待 つ﹂ と 言 ふ通 知 と前 後 し て同 志 に会 ふ時 の合
同 月 十 九 日 ﹁我 が方 の伝 書 使 十 月 十 八日 よ り 上海 に於 て フ
て
云﹂ と照 会 あ り 当 方 よ り 渡滬 の 日時 を 答 へてやり ます と続 い
図 に関 す る指 令 を も受 領 し ま し た。
の書 類 を 携 行 し た際 連 絡 の フ ィ ル ムを持 って行 きま した 。 当
と語 って居 りま し た。 其 の時 の モ ス コー連 絡 は香 港 であ った
ィ ルム 三、 四 十 本 (内 容 は存 じ ま せ ん) を 手 交 し ま し た。 彼
其 所 で彼 女 に此 の事 を 納得 さ せ予 て用 意 し て置 き ま し た フ
の女 は発 覚 を 脱 れる為 之 を細 長 い布 片 に包 み 乳 の真 下 に巻 附
様 です 。 彼 は今 年 中 今 一回 旅行 し た様 に思 ひま す が、 は っき
次 にグ ン テ ル ・シ ュタ イ ンも 一九 三 七年 (昭 和 十 二年 ) の
一三 五番 地 バ ルト 人、 スク レツ ー ル未 亡 人 方 (此 の 人 は関 係
け て十 一月 頃 (日は 忘 れ ま し た )上 海 に行 き 知 人 の ヘー グ街
あ り ま せん ) に 宿 泊 し た 上 モ ス コーよ り の指 令 に基 き或 日 の
始 め頃 フ ィル ムを 持 って上海 へ連絡 に行 った事 があ り ま す 。
儘 ゾ ルゲ に渡 し ま し た ので其 の内 容 は解 り ま せん 。私 に関 す
に由 る 連 絡 で相 手 の男 に会 った上 例 の フ ィ ル ムを 渡 す と共 に
午 後 五時 頃 パ レ ス ホ テ ルに行 って黄 色 の手 提 鞄 と白 手 袋 持 参
﹁九 月 下 旬 香港 に到 ら し め た とき も フ リ ッツ (私 ) の妻 同
ま した 。 之 は 勿論 ゾ ルゲ の承 認 を得 た も の で あり ま す 。余 は
私 は 其 の報酬 と し て彼 女 に資 金 の内 か ら 三 百米 弗 を 支 払 ひ
五、 六千 米 弗 を 受 領 し て帰京 し た の であ り ま す。
地 に向 け 出 発 し得 る 日時 及船 名 無 電 に て知 ら せ よ、 彼 女 を組
東 京 で の連 絡 は
よく 考 へた 上 でお 答 へ致 しま す 。
答 一九 三 八 年 (昭 和 十 三年 )九 月 九 日 モス コーか ら
二、 問 被 疑 者 の妻 ア ン ナの 上海 連 絡 如 何 。
る限 り上 海 で の連 絡 は 以 上 の通 り であ り ま す 。
其 の当 時 私 は暗 号 が解 り ま せ ん で し た から 、 受 信 暗 号 は其 の
り し た記 憶 はあ り ま せ ん 。
時 彼 は上 海 から 香 港 、 マ ニラ へ行 って各 地 の状 勢 を 視 察 す る
三 、問
織 の中 に入 る ゝ方 法 に関 す る貴 見 及 当 方 の伝 書 使 と の連 絡 場 所 を も 併 せ知 ら せ よ、 彼 女 は英 語 を 語 り 得 る や ﹂ と 言 ふ照 会
取 る為 、 又 エデ ット と は無 電 機 使 用 の為 であ り ま した 。
電機 の発 受 信 に使 用 す る のと、 情 報 を撮 影 現 像 し たも のを受
資 金 関 係 の協 議 等 の為 であ り 、 ブ ー ケ リ ッチ と は同 人 宅 を 無
ま す が、要 す る に ゾ ルゲ と の連 絡 は 英 文情 報 を受 取 る の と、
動 し た の で あ って、 頻 繁 な 来 往 であ り ま す か ら 一々申 上 兼 ね
答 東 京 に於 て 同志 と連 絡 し た のは 勿 論 ゾ ルゲ の指 揮 の下 に行
そ れ か ら私 達 同 志 会合 の際 に使 用 さ れ る合 図 と云 ふも の は
の説 明書 を附 し たも の であ り ま し た。
に 高 射砲 竝 に探 照 燈 の配 置 箇 所 を 数字 で書 き 込 み 別 に 十枚 位
百 五糎位 の大 き さ の東 京 の外 川 崎 及横 浜 を含 ん だも の で、之
を 手 交 し た事 があ り ま す 。 其 の地 図 と云 ふ のは 横 七 十 五糎 縦
旅 費 五百 弗 を受 取 った 日) 後 でお 話申 上 げ ます セ ルゲ に之 等
予 て約 束 し て置 いた十 月 十 日 夜 新 橋 の事 務 所 で (エデ ット の
別 にあ り ま せ ん が、 ゾ ルゲ が 私 に ﹁夜 家 の軒 燈 が 点 火 し てあ
合 に其 の日 を 指 定 し ま し た。 そ れ から 偶 然彼 の家 の訪 問 客 に
も度 々あ り ま す 。
其 の外 時 折 各 自 宅 に 一同 会合 し て飲 酒 しな がら 協 議 し た事
出 会 ふ時 でも 差 支 へあ る時 は遠 慮 な く 私 に席 を脱 し て呉 れ と
る時 は私 に訪 問 者 (情婦 ) が有 る のだ か ら家 に 入 ら な い で貰
を知 って居 ま した が、特 別 に連 絡 し て行 動 した 事 は あ り ま せ
言 った事 も 有 り ま す 。然 し 独逸 人 に会 った場 合 は そう 云 ふ事
ひ た い﹂ と話 し た 事 が あ り 、 又彼 は用 事 のあ る時 は大 概 の場
ん。 然 し彼 等 と は次 の様 な 事 が あ り ま し た。
と オ ット (尾 崎秀 実 ) と に は数 度 会 って我 々 の同 志 で あ る事
本 年 五月 (日 は 忘 れ ま し た )頃 と思 ひま す が 、 ゾ ルゲ が 上
を 要 求 した 事 が有 り ま せ ん。 ブ ー ケリ ッチ に会 ふ時 でも 予 め
日 本 人 は前 申 し ま し た通 り ゾ ルゲ宅 でジ ョウ (宮城 与 徳 )
海 旅 行 に先 だ ち 私 に ﹁ 帝 国 ホテ ルの ロビ ー に行 け ば (午後 六
電 話 で打 合 せた だ け であ り ます 。
次 に エデ ット と の場 合 にも 電 話 に依 った も の で、 私 の関 す
時 頃 ) オ ット が居 る か ら唯 彼 の前 を通 って呉 れ オ ット は 君 を 見 れ ば私 が上 海 に行 って 不 在 だ と いふ事 を 知 る合 図 に な る の
次 に本 年 十 月 七 日 夜私 が ゾ ルゲ の病 気 見 舞 に彼 の家 に居 て
ります。
って居 る者 が同 志 であ る ﹂ と云 ふ指 令 があ り 間 も なく 私 の中
二 枚 送 る、 其 れを 持 って帝 劇 に行 け、 さす れば そ の隣 席 に坐
せ よ 。 先 づ其 の方 法 とし て彼 か ら近 日中 に帝 国 劇 場 の入 場券
か ら ﹁今 後 東 京 の同志 か ら資 金 を 受取 る と共 に其 の男 と連絡
そ れか ら 、 一九 四〇 年 (昭 和 十 五年 ) 一月 中 旬 頃 モ ス コー
独 逸 大 使 館 か ら看 護 の為 め派 遣 さ れた ミ ス ・ベ ルガ ー (Miss
央 郵便 局私 書 函 五九 四号 に送達 さ れ た切 符 二 枚 を受 取 り ま し
る限 り に於 ては 別段 の合 図 はあ りま せん でし た。
Berg er)と二 階 で雑談 の時 ジ ョウ が訪 れま し た。 私 は階 下 に
た の で、 指 定 日 の二 月 下旬 の午 後 七年 頃 か ら私 は妻 を 連 れ て
だ﹂ と頼 ま れ て当 日 帝 国 ホ テ ルに行 き 、 玄 関 か ら 向 って 左側
於 て彼 に会 ひ 酒 を振 舞 ひ彼 の持 って来 た 地 図 と書 類 とを 受 取
の ロ ビ ー でオ ット を見 掛 け 話 を せず に其 の前 を通 った事 があ
り 、 之 を ゾ ルゲ に示 し其 の依 頼 に依 って之 を家 に持 って帰 り 、
月 頃 治 平 で会 合 し た節 ソル ゲは彼 に フ ィルムを 渡 し た そ う で
継続 し、 稀 に はブ ー ケリ ッチ に手 伝 って貰 った事 もあ り ま す、
あ り ま す (之 も 内容 は解 り ま せん ) 帝 劇 で連 絡 の後 私 は 病気
越 え て九 月 八 ・九 日頃 モ ス コー か ら ﹁九 月 二 十 日午 後 七時 銀
の座席 三十 二番 に外 国 人 が 居 ま し た が私 が席 に坐 って十 分 か
た 。 そ の男 の人 相 は丈 五 尺 六 寸位 、中 肉 眼 鏡 を 掛 け た 四 十歳
座松 坂 屋 の後 の ス ヱヒ ロで此 の前 会 った (帝劇 竝 宝 塚 ) 男 に
帝 劇 の 二階 (私 三十 一番 妻 三 十番 ) に行 く と果 し て其 の隣 り
位 の男 で あ り ま し た。 (此 の時 本 職 は 今年 春 帰 国 し た る ソ聯
会 へ﹂ と云 って来 ま し た か ら、 病 気 の方 も 大分 快 い の で同 月
悪 化 の傾 向 を 辿 り 医師 の勧 告 も あ り ま し た の五 月 か ら 八 月迄
大 使 館 付領 事 ヴ ト ケ ウ ィ ッチ の写 真 を 示 す )
二十 日午 後 七 時 に ス ヱ ヒ ロに行 き暫 く 待 ち ま し た が、 其 の男
十 五分 位 の後 、 其 の男 が 左 の手 を 以 て私 の右 手 に白 い ﹁ハ ン
此 の写真 の 人物 は今 御 話 申 上 げ た 男 の も の に相 違 あ り ま せ
が手 交 す る英 文 情 報 を打 電 し 且 つ受 信 す る 仕事 は依 然 と し て
ん。
に会 は な か った為 、 約 一週間 経 って から 無 電 で照会 し ま した
自 宅 で療 養 に努 め ま し た。 然 し其 の間 も 私 宅 を訪 ね てゾ ルゲ
同 年 四 月 十 五 日頃 に前 同 様 私 の私 書函 に宝 塚 劇 場 の切 符 二
た事 が判 り 、 同 日 午 後 七時 に ス ヱヒ ロ に行 き ま す と階 下 の座
所 、 九月 二十 日 は 間 違 ひ で モ ス コー の意 向 は 十 月 二十 日 だ っ
ケチ ﹂様 の布 に包 んだ 金 (約 五 千 円 ) を渡 し ま し たか ら 私 は
枚 を 送 って来 ま し た か ら、 其 れを受 取 り同 月 十 八日 午 後 六 時
無 言 で其 れ を受 取 る と彼 は 五 分位 の後 そ の席 か ら 立 去 り ま し
頃 妻 と共 に 宝塚 劇 場 階 下 に這 入 り ま す と果 し て帝 劇 の際 と同
が如 何 か)
(近 い内 に銀 座 の松 坂屋 の近 く の ス ヱヒ ロで会 ひ度 い と思 ふ
ムを 遣 り ま し た (内 容 は解 りま せん ) す る と其 の男 は英 語 で
ケ リ ッチか ら 予 ね て受 取 って居 た 三 十本 位 の現 像 し た フ ィ ル
ん だ 二千 米 弗 と邦貨 二 千 五百 円 を 右 手 で渡 し ま し た か らブ ー
し た 、 人相 は丈 五 尺 五 寸 位 丸面 肩 巾 の広 く 三 十 歳 位 の男 で あ
之 が 最 後 で あ り、 其 の後 は セ ルゲ と の み連 絡 す る 様 に な り ま
を 渡 し 、彼 等 か ら 五百 弗 を 受取 り ま し た。 そ の男 と の会 合 は
で約 一週間 後 同店 で そ の人 と連 絡 し、 私 から フ ィル ムニ 十本
車 で送 って他 日新 橋 太 田 牛 肉店 で会 ふ約 束 を し て別 れ 、 次 い
云 ふ人 を其 の夜 新 橋 の事 務 所 に伴 ひ そ れ から 麻 布 十番 迄 私 の
人 と連 絡 し て貰 ひ た い﹂ と 申渡 さ れま し た の で私 は セ ルゲ と
す る と彼 は ﹁此 の人 は セ ルゲ と云 ふ人 だ が 此 の次 か ら は此 の
と小 さ い声 で尋 ね ま す の で私 は持 病 と し て 心臓 病 の発 作 が
り ま す 。彼 が 査証 の話 や 貸 家広 告 の話 な どを し た 事 か ら推 し
席 に其 の男 が 一人 の外 国 人 と共 に待 って居 ま し た 。私 が着 席
あり 日比 谷 病 院 で診 察 を受 け て居 た際 です か ら彼 に私 は病 気
じ御 示 し の写 真 の 男 が私 の左 隣 席 に坐 って居 ま し た (私 が中
だ か ら ゾ ルゲ に会 っては 如何 か、 と勧 め ま し た所 、彼 は承 諾
て ソ聯 邦 大使 館 に居 る人 だ と思 ひ ま す。 (此 の時 本 職 は ソ聯
央 妻 右 ) そ し て私 に 百貨 店 の包 装 紙 と 思 は れ る緑 色 の紙 に包
し ま し た の で新 橋 の治平 で両 名 が会 ふ様 に斡旋 し ま し た。 五
御 座 いま せ ん。 其 の後 昨 年 中 に今 一度 太 田屋 で セ ルゲ と会 っ
此 の写 真 は私 が御 話 申 上 げ ま し た セル ゲ と名 乗 る 男 に 相違
フの 写 真 を提 示 す )
大 使 館 二等 書 記 官 ビ ク ト ル ・セ ルケ ニ ・ウ ィ ッチ ・ザ イ ツ ェ
ゲ はゾ ルゲ に 直 接金 を手 渡 し私 は 後 者 か ら 五百 米 弗 を 貰 ひま
者 を 知 って居 た と 云 ふ事 を 申 し て居 ま し た 。此 の 日 には セ ル
見 を 闘 はし た 様 で す が、 後 者 は既 に モ ス コー に在 る写 真 で前
相 違 あ り ま せん 。其 の時 ゾ ルゲ と セ ルゲ は 独 ソ戦 争 に就 て意
は 七月 頃 と申 し ま し た が、 日 誌 に依 る と 此 の 日 に会 った のに
日、 私 の家 で彼 か ら米 貨 一千 弗 邦 貨 四 千 五 百円 を 貰 ひ後 日 ゾ
た 様 に 思 ひ ます が其 の時 は 食 事 を し た丈 で あ り ま す 。 (此 の
ルゲ に千 弗 と 二 千 円 を渡 し ま した 。 十 月 十 日、 前 述 の通 り 私
した が、 彼 は ど の位 受 取 った かは 存 じ ま せ ん。 八月 二十 日 、
御 示 し の私 の 一九 四 一年 の日誌 中 に St r61/ 2 と 書 いて あ る
から 説 明 書付 の地 図 を 手 交 し、 彼 か ら エデ ット の旅 費 とし て
新 橋 事 務 所 で会 ひ ま し た が受 授 物 件 はあ り ま せん 。 九 月 十 八
も の は セル ゲ と連 絡 し た 日 の覚書 であ り ま す 。 即 ち S は セル
二 冊 を提 示 す )
ゲ trは 独逸 語 の ト レ フ ェン の略 で会 合 と い ふ意 味 で あ り 61/2
時 被 疑 者 宅 より 押 収 し た る 一九 四 一年 (昭 和 十 六 年 ) の日 記
は午 後 六時 半 を現 は し た も の であ り ま す 。 此 の 日記 と私 の記
は右 の通 り であ り ます 、 其 の後 セ ルゲ と十 一月 二十 日 に私 の
米 貨 五百 弗 を受 領 し ま した 。 本年 に な って の セ ルゲ と の交 渉
(三 )
諜 報 員 間 の連 絡
事 務 所 で連絡 す る事 に な って居 た 次第 であ りま す 。
憶 に よ って、 本 年 中 の連絡 を申 述 べま す れば 、本 年 二月 二 回 私 の家 で彼 に会 ひ 一回 目 に は フ ィル ムを (内 容 不 明 )渡 し彼 か ら 二千 円 を 貰 ひ、 二 回 目 に は同 じ く 二千 五百 円 を貰 った事 を 覚 え て居 ます が日 は 日記 に も な く忘 れ ま し た。
て、 尾 崎 及宮 城 は別 個 にゾ ルゲ と連 絡 し 、 尾崎 対 宮 城 は宮 城 を 尾 崎
ゾ ルゲ 、 尾 崎 、宮 城 の間 に は毎 週 定期 の連 絡 あ り 、 主 とし て東 京
し た が こ の時 は 何 も な か った と思 ひま す 。 五 月 二十 三 日、 私
の長 女 の画 の教 師 と し て出 入 せし む る事 に 依り 相 連 絡 す る事 と な れ
三月 こ の日 にも 一回 会 った様 です が別 に何 も交 換 は致 し ま
の事 務 所 で フ ィ ル ムを (内 容 解 り ま せん )渡 し彼 か ら米 貨 千
り。
せざ る 為 、 遂 に は連 絡 場 所 に窮 し 、 昭和 十 六年 度 以 後 ゾ ルゲ 方 に於
弗 と邦 貨 四 千 五 百 円貰 ひ其 の後 ゾ ルゲ に 此 の 中 か ら 八百 弗 と
尚 宮 城 は多 数 の諜 報 員 と連 絡 せ る が小 石 川 植 物 園 に於 て スケ ッチ
市 内 又 は 横 浜市 内 の高 級 料 亭 を 使 用 せる も 同 一場 所 を 二回 以 上使 用
二 千 弗 を 渡 し 残 金 は私 が保 管 しま し た 。 六 月 二十 七 日、 私 の
を 為 し 、 之 れ を見 物 す る如 く 装 へる 山名 と連 絡 会 談 す る等 種 々工夫
せ ん で した 。 四 月 二 十 五 日、 私 の家 で彼 か ら 二 千 三 百 六十 五
家 でゾ ルゲ か ら受 取 った陸 軍 の操 典 と若 干 の フ ィ ルムを 渡 し
を 凝 ら し居 た る 如 し。
円 を貰 って居 り ま す。 五月 五 日、 私 の新 橋 の事務 所 で会 ひ ま
ま し た 。 八 月 六 日、 前 述 ゾ ルゲ と 三 名新 橋 事 務 所 で会 った の
六
機 密 部 員 の地 位 と其 の活 動 リ ヒ ア ル ド ・ゾ ル ゲ
日本 渡 来 後 諸 諜 報 機 関員 の情 報 を 尾崎 及 宮 城 と 共 に 批 判検 討 し最
も 正確 と認 め ら る ゝ結 論 を 無 電 技 師 ベ ル ン ハル ト 又 は ク ラ ウ ゼ ン
(昭和 十年 以 後 ) を し て暗 号 に依 り発 信 報 告 せし め 、 或 はブ ウ ケ リ
(最 近 に於 ては在 京 ソ聯 大 使 館 員 に直接 手交 し た る こ と も あ り た
ッチ を し て機 密 文 書 、 図 画 類 の複 写 を行 は し め て 上 海 の連 絡 員 に
り) 自 ら 、 又 は ク ラ ウゼ ン其 の他 を し て手 交 せ し め つ ゝあ り た り。
( 一) 昭和 五 年 一月 ソ聯 共 産 党 中 央 委 員 会機 密 部 東 亜 方 面 首 班 と し て上
の外 、 他 方 に於 て そ の信 頼 を 獲 得 し居 れ る 独逸 大 使 館 より 情 報 を得
ゾ ルゲ自 身 は 一方 に於 て は自 己 の下部 組 織 よ り の諸 提 報 を徴 す る
つ ゝあ り た る が、 之 れを 例 記 せ ば 次 の如 し、 但 し之 等 の情 報 は他 の
海 に 赴 任 、支 那各 地 に欧 米 人 、 日 本 人 、支 那人 よ り成 る諜 報 機 関 を
諜 報 員 の情 報 と 共 に綜 合 し尾 崎 及 宮 城 と 共 に研 究 討 議 し正 確 な る結
組 織 指導 し、 支 那 及 日 本 を 含 め て支 那 を繞 る諸 資 本 主 義 国 の政 治 、
八年 九 月 六 日 ソ聯邦 首 脳 の命 令 を 受 け 日 本 に渡来 し た る後 は専 ら我
経 済 、 外交 、 軍 事 等 の機 密 を 探 知 蒐 集 し て ソ聯 政 府 に報 告 し、 昭 和
論 を 得 て ソ聯 中 央部 に報 告 し居 た るも のな り。
ン ・デ ィ ルク セ ンよ り ﹁独 逸 の国際 聯 盟 脱 退 は日 独 接 近 の第 一
(1) 昭 和 九年 頃 独 逸 が国 際 聯 盟 を脱 退 す る や駐 日 独 逸大 使 フ ォ
国 の政 治 、外 交 、経 済 及軍 事 等 の諸 機 密 を 探知 収 集 し之 れを ソ聯 邦 に通 報 す る 目的 を以 て前 記 被 疑 者 等 に依 る 諜報 機 関 を組 織 し ﹁ソ聯
況 、外 務 省 附 近 の海 軍 部 隊 に 依 る叛 乱 軍 包 囲 陣 形 と 共 の増 援 状
二 六事 件 の現 場 即 ち首 相 官 邸 、 新議 事 堂、 独 逸 大 使 館附 近 の状
件 に関 係 あ る ﹁粛 軍 に関 す る 意見 書 ﹂独 逸 語 訳 を 入 手 し、 二 ・
(3) 昭和 十 一年 二月 下 旬 同 大 使 館 シ ョー ル武 官 よ り 二 ・二 六事
てゐ な い﹂ と の情 報 入 手 。
民 地 化 す る考 へを持 って ゐる が 未 だ ソ聯 と事 を 起 す準 備 は出 来
(2) 昭 和 十 年 頃 に独 逸 大 使 館 オ ット武 官 より ﹁日 本 は北 支 を植
歩 な り ﹂ と の情 報 入手 。
邦 の擁 護 ﹂ を 主 眼 と し て之 を 指 導 せり 。中 華民 国 を本 拠 とし て活 動 せる 機 関 は満 洲 国内 に も諜 報 員 を 派 し て情 報探 知 に努 め た る が其 の 内容は、 イ、 中 華 民 国 及 中 国 共産 党 に関 す る諸 情 報 ロ、 満 洲事 変 前後 の 日本 の政 治 、 外 交 、 経済 及軍 事 情 報 ハ、 日 支 間 の諸 闘 争 に関 す る情 報
等 に し て、 以 上 の諸 諜 報 は ソ聯 邦 及 コミ ン テ ル ンの防 衛 と発 展 に対
況 、 叛 乱軍 撤 退要 求 の状 況 等 を 審 さ に視 察 す 。
ニ、 日 本 の対 支政 策
し顕 著 な る 貢 献 を為 し た り とゾ ルゲ は 自 負 し居 れ り。 此 の事 は コミ
使 よ り ﹁広 田内 閣 は日 ソ国 交 の好転 と支 那 問 題 の解 決 を期 待 し
(4) 昭 和 十 一年 三月 広 田内 閣 成 る や フ ォ ン ・デ ィル ク セ ン独大
ン テ ル ン第 七 回大 会 に於 て明 確 に表 現 せ ら れた る中 国 共 産 党 と中 国 国 民 党 の合 作 に依 る 武 力抗 日方 針 指 導 の基 礎 資料 を与 へた る事 を 意 味 す る も のに し て支 那事 変 の淵 源 を 為 す 重 大 意 義 を有 す るも のな り 。
(5) 同年 秋 日独 防 共 協 定 の接 衝 極 秘 裡 に進 行 中 、 前 記 独大 使 及
い ので独 逸 大 使 館 及 国 民 は憤 激 し て居 る﹂ と の情 報 入手 。
( 1 2) 同 月 中 旬 オ ット独 逸 大 使 より ﹁有 田 声 明 が期 待 に反 し て弱
戦 車 、 自 動 車 、 発 動機 等 の製 造 工場 及 製 造高 の詳 細 ﹂ 入手 。
オ ット武 官 より ﹁ベ ルリ ンで リ ッペ ント ロ ップ 外 相 と 大島 武 官
百 十 、 第 百 十 四 、 第 百 十 六各 師 団 の駐 屯 地 に 付 ﹂情 報 入手 。
(13 ) 同 年 三月 初 め 同大 使 館 陸 軍 武 官 よ り ﹁第 百 六、 第 百九 、 第
居 れ り ﹂ と の情 報 入手 。
と の間 に極 秘 裡 に ソ聯 を 目 標 と す る 日独 交 渉 が 行 は れ つ ゝあ
ュー ム製 造 工場 名 及 生産 高 、鉄 、銅 に関 す る調書 ﹂等 を 入手 。
外 相 は ヒ ット ラ ー の招 待 で訪 欧 し独 逸 に対 し非 公 式 の保障 を与
( 18 ) 昭 和 十 六年 三月 松 岡 外相 訪 欧 に就 てオ ット 大使 よ り ﹁松 岡
英 米 を目 的 とす るも の で ソ聯 は除 外 す る﹂ と の情 報 入 手 。
(17 ) 同 年 七月 下 旬 独逸 使 節 スタ ー マーよ り ﹁日 独伊 三国 同 盟 は
仏 国 に対 し て日 本 の要 求 を容 認 す る様 勧 告 した ﹂ と の情 報 入手 。
ら、 日本 が仏 印 に進駐 す る時 は独 逸 政 府 に報 告 も し 且 つ独 逸 は
﹁ 独 逸 が仏 国 に勝 利 を得 た際 仏 国 に領 土 の保 証 を与 へてあ る か
(16 ) 昭 和 十 五年 六 月中 旬 独大 使 館 員 テ イ ヒ及 マ ル ヒタ ー ラ よ り
ミ ニ
( 1 5 ) 同 年 春 同 大 使 館員 よ り ﹁日本 に於 け る人 造 石油 工場 名 、ア ル
る ﹂ と の情 報 入 手 。
政 府 を作 る事 には 反対 で寧 ろ蒋 政 権 と の直 接 和 平 を希 望 し て居
要 求 を度 々変 へた ので交 渉 は長 く 掛 ったが 外 務 省 と経 済 界 は汪
(14 ) 同 年 三月 下 旬 南 京 政 府成 立 に関 し独 大 使 館 よ り ﹁汪精 衛 が
る ﹂旨 、 又 オ ット武 官 よ り ﹁独 逸 は ソ聯 に対 す る日 独軍 事 協 定 締 結 を希 望 し たが 日 本 は ソ聯 と事 を起 す 事 を 避 け た の で防 共 協 定 と な る﹂ と の情 報 入 手 。 (6 ) 支那 事 変 勃 発 す る や昭 和 十 二年 七 月 中 旬 オ ット武 官 よ り ﹁日本 は蘆 溝 橋 事 件 を契 機 と し て北 支 問 題 を 一挙 に解 決 し北 支 を 日本 の支 配 下 に特 殊 地 域 と す る計 画 であ る﹂ と の情 報 入 手 。 (7 ) 昭 和 十 二年 十 二月 頃 前 記 独大 使 よ り ﹁日本 側 の事 変調 停 希 望 に依 り独 逸 は和 平 を斡 旋 し た が 日本 の支 那 に対 す る 要求 の増 大 と南 京 占 領 に よ り失 敗 した ﹂ と の情 報 入手 。 (8 ) 昭 和 十 三年 六 月 上 旬 同 大使 館 シ ョー ル武 官 よ り ﹁杉 山 及梅
を持 つであ らう ﹂ と の陸 軍 内 勢 力 変化 に関 す る情 報 入 手 。
津 が退 陣 し板 垣 、 東 条 等 の往年 の関東 軍 の 一派 が新 内 閣 に勢 力
(9 ) リ ュシ コフ大 将 越 境 事 件起 る や昭 和 十 三年 八月 下 旬 シ ョー ル武 官 及 某 独 逸 特 使 よ り ﹁独逸 特 使 と リ ュシ コフと の会見 報 告 書 内 容 及関 係 情 報 ﹂を 入 手 。
(19 ) 昭和 十 六年 初 め オ ット大 使 及独 特 別 使 節 よ り ﹁日 本 が ソ聯
へる事 を許 さ れ て居 る﹂ と の情 報 入 手 。
盟 締 結 は平 沼 、 海 軍 及 資 本 家 の反 対 で交 渉 は打 切 ら れた ﹂其 の
と戦 を開 く 可 能 性 有 りや 否 の調 査 の為 特 別 使 節 が 来 た のだ ﹂ と
(10 ) 昭 和 十 四 年 春 独 逸 大 使 館員 よ り ﹁独逸 か ら申 込 んだ 日 独 同
後 間 も なく 独 ソ不 可 侵 条 約 成 る や ﹁日独 交 渉 決 裂 の為 独 ソ不 可
の情 報 入手 。
(20 ) 同年 四月 中 旬 オ ット大使 よ り ﹁独 逸 は日 本 と ソ聯 の間 に非
侵 条 約 が成 立 し た のだ ﹂ と の情 報 入 手 。 (11 ) 昭和 十 五年 二月 中 旬 同 大 使 館陸 軍 武 官 マ ッキよ り ﹁飛 行機 、
常 の事態 が起 る と予 想 し て いた時 に 日 ソ中 立 条 約 が結 ば れ た の
﹁日本 は 独 逸 よ り軍 需 品 を 購 入 し独逸 へは ゴ ム、 石 油 等 を送 る、
(24) 同 月 独 逸経 済 代 表 ウ ォルタ ー ト ・フ ォス ・ス ピ ン ラー よ り
両 国 共 同 で日本 に 工場 を 設 置 す る ﹂等 の 日独 経 済交 渉 の内 容 入
で驚 いた﹂ と の情 報 入 手 。但 しゾ ルゲ は 松 岡訪 欧 に は 日本 は ソ 聯 と の条 約 締 結 の意 図 あ り と事 前 に ソ聯 政府 に打 電 しあ り た る 手。
(2 5) 同年 七月 初 旬 、御 前 会 議決 定 事 項 と し てオ ット大 使 及 ク レ
為 此 事 あ る は予 想 し居 た るも のな り 。
は英 国 と和 平 を 結 び ソ聯 と 戦 ふ為 最 後 の手 段 と し て ヘスを英 国
(21 ) 昭和 十 六年 五月 ヘス事 件起 る や独 大 使 館 よ り ﹁ヒ ット ラ ー
ソ聯 に対 し宣 戦 す る為 に 準備 す る﹂ と の情 報 入 手 。
チ ュマー武 官 よ り ﹁日 本 は南 進 政 策 を 強 行 す る が機 会 あり 次 第
(26 ) 同年 七月 中 に オ ット 大使 及陸 軍 武 官 其 の 他 よ り 、 ﹁日 本 軍
に 飛 ば せ た の であ る ﹂ と の情 報 入手 。 独 ソ不 可 侵条 約 に も不 拘 独 逸 の ソ聯 攻 撃 は 必 至 に し て近 迫 せ る事 を 知 る 。
は次 第 に低 下 し つ ゝあり ﹂ ﹁オ ット は 北方 の軍 事 問 題 に は 興 味
た時 は参 戦 しよ う と 云 って居 る ﹂ ﹁日本 軍 部 及 一般 の参 戦 気 分
を 有 せざ る 東 条陸 相 と は熱 心 な会 談 を し な か った ﹂ ﹁ 近 衛 は松
部 は独 逸 が モ ス コー 、 レ ニング ラ ード を陥 れ ヴ ォルガ 河 迄達 し
主 力 は モ ス コー方 面 で国 境 には 百 七 十 乃 至百 九 十 師 団 が集 結 す
岡 を追 出 し、 対 米 関 係 に 何 等 か の解 決 を 見 出 す 為 に辞 職 し て第
武 官 よ り ﹁独 逸 は 六月 二十 日頃 ソ聯 攻 撃 を全 面 的 に開 始 す る 、
る ﹂ 又 ク レチ ュマー大 佐 よ り ﹁独 ソ国 境 に は百 七 十 五 ヶ師団 が
(22) 同 月 二 十 日頃 独逸 よ り赴 任 途 上 の駐 泰 独逸 公使 館 シ ョー ル
集 結 し て い る﹂ と の情 報 入 手 。
三 次 内 閣 を作 った﹂ 等 の情 報 入 手 。
武官 は ﹁日本 軍 部 は 一、 二 ヶ月 後 に参 戦 す る﹂ と の情 報 を 、 又
令 あ り た る を以 て大 使 は 各 武 官 に命 じ努 力 中 ﹂ と の情 報 及 陸軍
民 を 独 逸側 に 立 た せ、 日 ソ戦 を 開 始 せ し む る様 指 導 せ よ と の命
従 って日本 は対 ソ戦 を 行 はず 南 方 に 於 て 米 英 に 戦 を 挑 む だ ろ
派 兵 が八 月 十 五 日以 後 に行 はれ た事 は冬 期 を控 へて遅 過 ぎ る 、
団 が満 洲 に 集 結 さ れ た之 れ は今 次 動 員 の約 三分 の 一であ る 此 の
断 を 得 たり 。 其 の 一を例 示 す れば ﹁動員 終 了期 に は約 三十 ヶ師
使 及陸 軍 武 官 室 よ り 諸情 報 を得 ﹁本 年 中 に対 ソ戦 無 し﹂ と の判
(27 ) 同 年 七月 より 八 月迄 の間 に於 て当 時 の大動 員 に付 オ ット大
オ ット大 使 より ﹁松 岡 外 相 は オ ット に対 し 日 ソ申 立 条 約 は あ っ
エネ ッカ ー海 軍 武官 よ り ﹁独 ソ開 戦 に際 し ては 日本 陸 海 軍 及 国
(23) 同 年 六 月 二十 二 日 オ ット大 使 及 ク レ チ ュマー 陸軍 武 官 竝 ヴ
ても 日 本 は 独 逸 側 に 立 ち近 く対 ソ攻 撃 を 開 始 す る と言 明 し た﹂
う﹂等なり。
(29 ) 同 年 八 月 初 旬 、 オ ット大 使 及 ク レチ ュマー武 官 より ﹁ク レ
油貯 蔵 量 は海 軍 二年 分 、陸軍 半 年 分 、民 間 半 年分 ﹂等 の情 報 入 手 。
(28 ) 同年 八月 頃 同 大 使 館員 、ブ ェネ ッカ及 テ イ ヒよ り ﹁日本 の石
と の情 報 を 得 たる も 更 に海 軍 武 官 ヴ ェネ ッカ ーよ り ﹁日本 は絶
く南 方 であ る、 而 も 日 本海 軍 は其 の点 明 確 であ る ﹂ と て 日本 海
対 に ソ聯 と戦 争 せず 、 何故 な ら 日本 の興 味 と利 益 は北 方 で はな
軍 部 内 の情 報 を も 入 手 し 、海 軍 武 官 の意 見 を 正 鵠 な り と判 断 す 。
同 盟 が無 効 と な ら ぬ様 日本 に要 求 し た が、 満 足 な 回 答 が得 ら れ
・
ず 、 豊 田 外 相 と オ ット の空 気 は 緊 張 し て い る﹂ と の情 報 入手 。
ッ ト フ リ ー ド
ッ ヒ ・ク ラ ウ ゼ ン
・ゴ
チ ュ マーは 日 本 の対 ソ参 戦 誘導 工 作 の為 満 洲 に旅 行 す る ﹂ と の
マ ッ ク ス
フ リ ー ド リ
今 年 中 は 対 ソ戦 を為 さ ざ る事 を 決 定 、 八 月 二十 二 日よ り 二十 五
であ る﹂ 又 其 の頃 ヴ ニネ ッカ海 軍 武 官 よ り ﹁日本 海 軍 及 政 府 は
の場 合 は浦 塩 方 面 でブ ラ ゴ ヱ方 面 に は三 ヶ師 団 が送 ら れ た のみ
強 す る 。九 月 初 に準 備 は終 る が ソ聯 攻 撃 の決 定 は し な い。攻 撃
に四 ヶ師団 が到 着 し たが 日 本 は満 洲、 朝 鮮 軍 を 三 十 ヶ師 団 に増
(32 ) 同 時頃 陸 軍 武 官 ク レ チ ュ マー よ り ﹁朝 鮮 に六 ヶ師 団 、満 洲
雑 貨 輸 出 商 を始 め 後 昭 和 十 二年 よ り は エム ・ク ラウ ゼ ン商 会 (資 本
本 邦渡 来 後 本 名 は偽 装 の目 的 を 以 て 日系 米 人 イ セリ ー と共 同 に て、
活 動 に就 き 叙述 を略 す 。
ゾ ルゲ と は 相識 の間 柄 な り し 模 様 な る も、 主 と し て無 電技 術 方 面 の
り 。 日本 渡 来前 は支 那 及満 洲 の諜 報機 関 に所 属 し活 動 し、 当 時 よ り
年 一月 以 降 暗 号 の組 立 竝 に解 読 ﹂ 等 の任 務 に従 事 し来 り た る も のな
れに関 す る ソ聯 大 使 館 及 在 上海 機 密 機 関 員 等 と の連 絡 ﹂ ﹁昭 和 十 三
機 の設 傭 ﹂ ﹁ 無 電 受 信 及発 信 に関 す る事 項 ﹂ ﹁ 機 関 の会 計 事 務 及 び 之
揮 に 従 ひ 昭和 十 年十 一月 以来 対 日諜 報 機 関 の 一員 と し て ﹁無 線 電 信
ソ聯赤 軍 第 四本 営 よ り 派 遣 さ れ た る無 電 技 師 に し て、 ゾ ルゲ の指
(二 )
情報入手。 (30 ) 同年 八月 下 旬 オ ット 大 使 よ り ﹁豊 田外 相 は オ ット に 日本 は ソ聯 に対 し中 立 条 約 厳 守 の保障 を与 へて いる と 語 った ﹂ と の情 報 入手 。 (31 ) 同 年 九 月 初 オ ット大 使 より ﹁独 逸 外 相 は 日本 が対 ソ開 戦 を
日 迄 の間 に 公式 決 定 を 見 た が ソ聯 に予 想 外 の崩 壊 が起 れば 之 れ
しな い と云 ふ通知 を受 け 落 胆 した ﹂ と の情 報 入手 。
は 変 更 さ れ る であ らう ﹂ ﹁日 本 は 十 月中 に仏 印 に為 し た と 同様
金 十 万 円 ) を設 立 し、 日 本 人 及独 逸 人 十 数 名 を 使用 し て相 当 大 規 模
芝 区 新 橋 鳥 森 ビ ル内 の同商 会 事 務 所 は、 ソ聯 大 使館 員 と の会 合 場 所
に 泰 国重 要 地 点 の占 拠 を開 始 し将 来 ボ ルネ オ 占 領 の準 備 を す
と し て又 中 央 郵 便 局 に設 け た る商 会 用 私 書函 は連 絡 用 と し て夫 々利
に複 写用 螢 光 板 及 青 写 真 複 写器 の製 造 販 売 を 営 み つ ゝあ り。 而 し て
(33 ) 同 月 中 旬 独 逸 大 使 館 よ り ﹁近 衛 師 団 が 出 発 準 備 を し て い る
用 し つ ゝあ り た り 。
る ﹂等 の情 報 入手 。
が南 方 に行 く ら し い ﹂ ﹁ 大 動 員 を し て関 東 軍 を編 成 し て 置 く の
牛 込 区 左 内 町 ア バ ス通 信 員 ユ ー ゴ ー ス ラ ビ ア 人 、 ブ ラ ン コ ・ド ・
ス 紙 通 信 員 独 逸 国 籍 猶 太 人 グ ン テ ル ・シ ュタ イ ン 方 二 階
麻 布 区 本 村 町 ニ ュー ス ・ ク ロ ニク ル 紙 フ ィ ナ ン シ ャ ル ・ ニ ュー
無 線 電 信 の受発 は 、
は政 治 、 経済 上 の困 難 があ り 部 内 に責 任 問 題 が起 き て い る﹂、 ヴ ェネ ッカ武 官 よ り ﹁日本 海 軍 は南 進 準備 を 完 了 し た が陸 軍 の
る 事 に決 定 し た﹂ と の情 報 入 手 。
準 備 欠除 及経 済 問 題 よ り 行 動 を 見 合 、 近衛 に対 米 交 渉 を や ら せ
(34) 同 年 十 月 初 旬 オ ット 大使 よ り ﹁独 逸 は 日 米交 渉 に依 り 三国
ブ ケリ ッチ方 二階
麻布区新 竜土町十 二番地被疑者前住居 二階
造 に関 し 日本 に て は 一分 間 一千発 を 発射 し得 る機 関 銃 を 製 作
(ハ) 昭 和 十 四年 、 十 五年 頃 打 電 ︹ 軍用資源秘密事項︺兵器製
中 な り 浜 松 所在 の タ イプ ラ イタ ー製 造 工場 に て は現 在 頗 る 大
目 黒 区 中 目 黒 ブ ケ リ ッチ 先 妻 、 元 丁 抹 人 、 エデ ット ・ブ ケ リ ッ
麻 布区広 尾町二番地被疑者住居 二階
日 立 製 作 所 に て戦 車 を製 造 し つ ゝあ る こと そ の搭 乗 人 員 装
な る 口径 を 有 す る機 関 銃 を製 造 し つ ゝあ り 。
(イ ) 夏 頃 打 電
備 大 き さ 等 を打 電 、 以 上 は何 れも 具 体 的数 字 を挙 げ通 報 せり 。
チ方 二階
等 に於 て行 ひ た るが 発 信 内容 中本 人 の記 憶 せる も の次 の如 し。 (1 ) 昭 和 十 四 年 度 に於 て漏泄 通 報 し た る事 項
︹ 軍 事 上 の秘 密 事 項 ︺ 日本 陸 軍 は 有 事 の際 ソ聯 軍 の後 方 に抜
(2 ) 昭 和 十 五 年 度 に於 て漏 泄 通 報 した る 事 項
け 出 で擾 乱攻 撃 す る 目的 を 以 て満 ソ国境 に隧 道 を 掘 鑿 中 な り、
(イ) 月 日 不 明 ︹ 軍事 上 の秘 密 事 項 ︺ 日 本陸 軍 は伊 太 利 ﹁フ ィ ア ット ﹂ 会社 よ り百 二十 機 の飛 行 機 を 購 入 し 大連 に荷 上 げ し
(ロ) 月 日 不明 ︹ 同 上 ︺ 主 と し て ト ー チ カ爆 破 用 に使 用す る攻
右 は 一九 四 一年 完 成 さ れん 。
(ロ) 月 日 不明 ︹ 同 上 ︺ 日 本 の飛 行 団 は 三箇 あ り て内 地 、 朝 鮮、
撃 用特 殊 装 置 の豆 戦 車 日本 陸 軍 に於 て発 明 さ れ最 大時 速 二十
て関 東 軍 に所 属 せし め た り。
台 湾 に各 一団 を 配 備 し各 団 下 に は 三箇 聯 隊 あ り、 満 洲 に於 て
(ハ) 月 日不 明 ︹ 同 上 ︺ 日本 陸 軍 師 団 が従 来 歩 兵 の外 に戦 車 隊
粁 (又 は 四十 粁 か) 自 動操 縦 舵 を有 し車 体 の前 部 に 強力 な る
其 の他 が別 個 に独 立 し居 り た るも 、 現 在 は歩 兵 を主 と し た る
爆 薬 を充 填 す 、 羽 田 (又 は芝 浦 か) に於 て試 験 し平 坦地 に て
附 の二種 あ り て何 れも 時 速 四 百 粁 以 上 な り。 重 爆 機 は空 冷 式
師 団 に ても戦 車 隊、 飛行 隊 、 機 関 銃 隊 其 の他 の機 械 化 部 隊 を
は新 京 、 奉 天 に飛 行 聯 隊 を 設 置 す 。陸 軍 飛 行 機 に関 し戦 闘 機
発 動 機 二基 を 備 へ時 速 四 百粁 、海 軍 飛 行 機 に関 し 九 四 式艦 上
包 含 す る様 編 成 替 す る に至 り たる 事 を 通報 し た る前 電 に関 聯
は時 速 五 百粁 余 頗 る 格 闘 性 に富 み ノ モ ン ハ ン戦 線 に性 能 を 発
爆 撃 機 は所 謂 急 降 下爆 撃 機 な り九 六式 戦 闘 機 は単葉 艦 上機 の
は成 績 良 好 な り 。
嚆 矢 な り 。 又 九 六 式艦 上戦 闘 機 、 九 六 式 艦 上 爆 撃機 、九 六式
し、 其 の後 に於 け る 日本 内 地 の軍 団編 成 替 に関 し其 の所 在地 、
揮 せ る優 秀 機 な り。 軽 爆 機 は 空 冷式 発動 機 付 竝 水 冷 式 発 動 機
艦 上 攻 撃 機 及 九 六式 陸 上攻 撃 機 等 あ り 。 之 等 は従 来 の海 軍 機
師 団 名 を 打電 せ り。
(ホ) 月 日 不 明 ︹同 上︺ 日本 の戦 闘法 は現 在 戦 闘 群 戦 法 を採 用
駐 屯 師 団 の名 称 、 所在 地 及 其 の数 。
(ニ) 月 日 不 明 ︹同 上︺ 満 洲 及 北 中南 支 那 に於 け る 日 本 陸軍 の
に比 し著 しく 流 線 型 を な す。 九 六式 陸 上 攻 撃 機 は渡 洋爆 撃 に 使 用 した る も の にし て 一九 三 八年 に そ の性 能 を喧 伝 せ ら れ た る ﹁そよ 風 ﹂ ﹁日本 号 ﹂ と同 型 に し て発 動 機 は 空冷 式 三 菱 製 金 星 九 百 馬 力 二 台 を備 へ時 速 約 三百 五十 粁 。
し、 如 何 な る 分 隊 も 軽機 関 銃隊 を使 用 、 同 機 を火 力 の中 心 と
に在 り﹂、 ﹁日 本 は支 那 事 変 の為 原 料購 入 の必要 上米 国 に大量
之 以 上 の行 動 に 出 でざ る場 合 に於 て のみ 原料 を供 給 せん と 主
﹁原 料 供 給 に関 す る 日米 交 渉 に関 し米 国 は 日本 が支 那 に於 て
張 せ り﹂、 ﹁米 国 は 日本 に対 し屑 鉄 の売 却 を停 止 し たる 為 漸 次
の金 塊 を 現 送 し た る が故 に其 の金 保有 量 は著 しく 減 少 せり ﹂、
揮 下 の狙撃 手 を有 す 。
す。 小 隊 は軽 機 三 ヶ分隊 と擲 弾 筒 一ヶ分 隊 よ り 成 り 、 小 隊 に
満洲 に於 ては在郷軍 人も亦新制歩兵操典 に基き訓練 せられ
両 国 関 係 切 迫 し つ ゝあ り ﹂ 、 ﹁日本 政 府 及軍 首 脳 部 の中 には 日
は軽 機 三挺 装 備 さ る 。 分隊 の入 員 十 五、 六名 に し て分 隊 長指
あり。
て太 平 洋 を 支 配 し居 る が故 に米 英 と親 善 関係 を結 ぶ方 、 遠 隔
独 伊 協 定 に反 対す るも のあ り 、 之 等 の者 は米 英 両 国 が共 同 し
﹁支 那 問 題 に関 す る 日米 会 談 は 不 成 功 に終 ら ん、 何 とな れ ば
地 にあ る 独 逸 と 親 善 を図 る より 利 益 大 な り と の見 解 を 持 す ﹂、
師 団 の移駐 先 を打 電 す 。
(ヘ) 月 日不 明 ︹ 同 上 ︺ 日本 陸軍 第 百 六、 百 八 、 百 九 、 百 十 四
(ト ) 月 日不 明 、 ﹁日 本 軍 の海 南 島 上陸 は仏 印 へ上 陸 す る 為 の
米 国 は支 那 に 於 け る 日本 の権 益 獲得 を承 認 せず 、 又 日 本 は支
準備 行 動 な り﹂、 ﹁日本 軍 の広 東 上 陸 は香 港 包 囲 の為 の準 備 行 動 な り﹂、 ﹁日本 軍 が香 港 を 攻撃 せ ば英 国 は香 港 を 守 る こと能
那 新 政 府 を樹 立 せん と欲 し 居 る が故 なり 。 然 し此 の点 解決 せ
(ヌ) 月 日不 明 、 日 本 国 民 は大 部 分 戦 争 を 鎌厭 す 、 之 は 食 料 不
ら る れ ば交 渉 の余 地 な し と せず ﹂。
は ず ﹂、 ﹁日本 軍 は バ イ ア ス厦 門 等 に上陸 せ ん ﹂。
為 、英 国政 府 と ビ ル マ ・ルー ト 閉 鎖問 題 に就 き交 渉 申 な る も 、
(チ ) 月 日不 明 、 日本 は重 慶 へ物 資 の輸 送 せら る ゝを 阻 止 す る
悉 す ﹂、 ﹁日 本 陸軍 は ソ聯 極 東 軍 が 凡 そ 五 百台 の高 級 爆撃 機 を
(ル) 月 日不 明 、 ﹁日本 は シ ベ リ ア に於 け る ソ聯 軍 の 兵 力 を 知
足 と支 那 事 変 の長期 化 に因 る。
ん 、 英 国 は 一時 ビ ル マ ・ル ート を 閉鎖 せ し も右 は 日本 への好
有 し居 る と の情 報 を 入手 しあ り ﹂。
英 国 は之 に応 ず る意 志 な き を 以 て該 交 渉 は円 満 妥 結 困 難 な ら
意 を 示 す に非 らず 、 閉 鎖 期 間 中多 大 の物 質 を 貯 蔵 し こ れを 一
(イ) 満 洲 国其 の他 に於 け る 日 本 陸軍
ンに 一乃 至 二個 師 団 、新 京 に 一乃 至 二個 師団 、 奉 天 に二 個 師
駐 屯 兵 カ ハイ ラ ルに 二個 師 団 、 チ チ ハ ルに 二個 師 団 、 ハルピ
電 月 日不 詳 な る も の
(3) 昭 和 十 三 年 よ り 同 十 六年 迄 に漏 泄通 報 し た る事 項 に し て打
達 す る性 能 を 有 す る新 兵 器 日本 陸 軍 に よ り発 明 さる 。
(ヲ) 十 月 頃 打 電 ︹同 上︺ 火 焔 が 野 砲 よ り放 射 さ れ約 三 百 米到
時 に重 慶 に輸 送 し 日本 飛 行 機 の爆 撃 に 因 る被 害 を少 か ら しむ る為 な り。 而 し て 一方 に於 て重 慶 地方 に於 て米 英 両 者 間 に ク レヂ ット 設定 交 渉 行 は れ つ ゝあ り 。右 成 立 せ ば 同 ル ー トを 再 開 す る 意 図 を有 す る も のな り 。
と円 価 安 定 を維 持 す る為 米 国 に大 量 の保 有準 備 金塊 を 現 送 せ
(リ) 月 日 不 明 、 ﹁日本 は ガ ソ リ ン、 屑 鉄 の原料 を購 入 す る 為
り ﹂、 ﹁日 本 は其 の原 料 を購 入 せ ざ れ ば戦 争 遂 行 不 可能 の状 勢
団 、朝 鮮 に在 る 師 団数 、樺 太 に半 個 師 団 、 千 葉 の戦 車聯 隊 は
千葉県下 の或 る会社 にて戦車製作 せられその量等 に関 し具体
春頃打電 ︹同上︺ 三菱名古屋航空機製作所は二箇 (若く
的数字を打電 せり。
け る各 種 飛 行 機 の総 生産 高 は年 産 三千 台 、 同 工場 の規 模 敷 地
は 三箇 ) の発 動 機 を有 す る 三菱 式 爆撃 機 を製 作 す 、 同 所 に於
(ハ )
一九 四 一年 七 月 満 洲 国 へ派 遣 せ ら れ た り、 満 洲 国 には 三 十 個 師団 駐 屯 しあ り 、 内 十 三 個 師 団 は東 部 国 境 に集 結 す 。
上 陸す る師 団 名 簿 、 漢 口攻略 に 当 る師 団 数 及 そ の名 称 、 ノ モ
(ロ ) 日本 陸 軍 の攻 撃 兵 力 、 広東 攻略 に当 れ る師 団 数 、 厦 門 に
及 工場 の面 積 、 工場 建 物 の数 、 愛 知 時 計 株 式 会社 は 三菱 と同
じ 型 の飛 行 機 を 製 作 す 。 同会 社 に於 け る 各 種 飛行 機 の年 産 高 、
ン ハ ンに派 遣 せ ら る ゝ満 洲 駐 屯 中 の師 団数 及 そ の名 称 。
同 工場 の規 模 敷 地 及 工場 面 積 、 工場 建 物 の数 、 日 本 デ ィー ゼ
(ハ) 支 那 に於 け る日 本 陸 軍 駐 屯 力 、 内蒙 古 カ ル ガ ン地 方 に 一
個 師団 、 北 京 、 天 津 方 面 の師 団 数 、 上海 方 面 に於 て中 国 紅 軍
ル会 社 は 三菱 第 九 型 より 同 九 九型 迄 の戦 車 を 製 作 す 。
(ホ ) 六 月 下 旬 乃 至 七月 上旬 打 電 ︹ 同 上︺ 日本 は 独 逸 の如 く 宣
及師団長名を列記す )
を含む)満洲北中南支 に於ける陸軍 の配備 (所在地、師団名
(ニ) 四 、 五 月 頃打 電 ︹ 軍 事 上 の秘 密 事 項 ︺ 日 本 (台 湾 、 朝 鮮
右 は 何 れ も具 体 的 の数 字 を 列挙 せ り。
と戦 闘 し つ ゝあ るは 二 個 又 は 三 個師 団 、 南 京 に は 二個 師 団 、
(イ) 春頃打電
漢 口附 近 に は 二個 師 団 、 南 昌 には 二 個 師団 、 広 東 の師 団 数 、 近衛 師 団 は中 支 へ派 遣 せら れあ り 。
昭和十六年度 に於 て漏泄通報したる事項
あ り、 前 者 の性 能 は重 量 十 四噸 装 備 戦 車 砲 一、機 関銃 二、乗 員
を最 高 潮 と す 、若 し其 の時 期 迄 に攻撃 なく ば当 分 小 康 を 保 つ
戦 布 告 を な す こ と無 く ソ聯 を 攻撃 せ ん、 時 期 は 八 月 下旬 頃 迄
︹ 同 上 ︺最 近 日 本 に於 け る戦 車 二九 四 式 戦 車 と 九 五 式 軽戦 車 と
(4 )
一乗 員 三 名、 時 速 四 十 粁 な り 。概 し て 日本 戦 車 時 速 力 は ソ聯
五 名時 速 三 五粁 、後 者 の性 能 は重 量 七 噸 装 備 戦 車 砲 一、 機 関銃
コーを 攻 略 す る迄 対 蘇 攻 撃 を 行 は ず但 し西 部 に於 け る ソ聯 軍
(ヘ) 自 六 月 至 十 月打 電 ︹ 国 家 機密 事 項 ︺ 日本 は 独 逸軍 が モ ス
こ と とな る べし 、注 意 せ よ。
き難 し。 装 甲 車 には 九 二式 重 装 甲 車 と九 四 式 軽 装 甲 車 と あ り、
が完 全 に潰 滅 せ ら れ 且 日本 軍 が ソ聯 極東 軍 の 二倍 の勢力 に達
の其 れ に比 し 遅 き も 装 甲 板 厚 く普 通 の対 戦 車 砲 を 以 てし て貫
九 四式 の性 能 は 重量 三噸 装 備 機 関 銃 一、 乗 員 二 名時 速 五十 粁 。
て独 逸 の ハイ ン ケ ル機 と同 様 八百 馬 力 の エンヂ ンを有 す 、 愛
あ り や否 や、 又戦 ふ と せば 其 の期 如何 と訊 ねた る も マ ック ス
ク セサ ー (松 岡 及豊 田両 外 相 )に日 本 は対 ソ戦 を 開 始 す る意 志
ア ンナ 、 オ ット独 大 使 は 何 回 と なく マ ック ス及 マック スサ
した る 場 合 は ソ聯 攻 撃 の計 画 を有 す 。
春頃打電 ︹ 軍用資 源秘密事項︺ 三菱名古屋航空機製作所
知 時 計 株 式 会 社 の従 業 員 約 三千 、 日 本 全 国 に於 け る民 間 諸 会
の従 業 員 約 一万 人 、製 作 飛 行 機 は九 五式 、 九 六式 、 九 七 式 に
(ロ )
社 の飛 行機 生産 能 力 約 一万 台 、 日 立製 作 所 、 日本 デ イゼ ル及
(ヌ ) 八月 頃 打 電 ︹ 国家 機 密 事 項 ︺ 独 大使 の 日本 外 相 への参戦
の態 度 に出 づ る揚 合 は断 乎 戦 争 に訴 へん ﹂
ア ン ナは 右件 を リ カ ルド、 リ ッペ ン ト ロ ップ独 外 相 に報 告 し
の支 那 事 変 海 軍本 年 度 米 作 不 況 予 想 と 政 府部 内 の意 見 不 一致
督 促 頻 繁 な り し に も拘 はら ず 、 日 本 が対 蘇 戦 を 遷 延 し 居 る は
サ ク セサ ー は直 接的 な る回 答 を 与 へず と ア ンナ は語 れり 。 又
た る に対 し リ カ ルド は満 足 せず と 日本 陸 軍 は ソ聯 に対 し戦 争
完了 の為 な り 。
に加 ふ る に陸 軍 の南 方進 出 と各 方 面 の 工作忙 殺 に因 る準 備 未
を希 望 す 、 然 共 近衛 は常 に 日蘇 戦 を 回 避 せん と試 み つ ゝあ り 。 日 本 海 軍 首 脳 部 は 対 蘇戦 に は賛 成 せず 南 方 進 出 を欲 す 、満
ら れた る第 二 次動 員 は 八月 六日 迄 には終 了 し、 第 一次 動 員 が
(ル ) 八月 打 電 ︹ 軍 事 上 の秘 密 事 項 ︺ 七 月 二 十 九 日 よ り開 始 せ
洲 国 よ り日 本 軍 部隊 多数 帰 還 せ り。 そ の内 には第 十 四 師団 も あ り 之 等 部 隊 は ソ聯 国境 よ り引 上 げ たる も の にし て尚多 数 部
約 四 十 万 を 召集 し た る後 を 受 け 約 五 十 万 人 を召 集 せん 。 今 次
隊 は 中 満 に移 駐 す。 此等 の部 隊 は満 鉄 に沿 ひ て兵 営内 に駐 屯 す 。 此 等 より 推 し て今 年 中 に は対 蘇 戦 な から ん 。 (ト )
ら れた る兵 士 を 小集 団 と し て現 在 諸 部 隊 に 分属 せ し め そ の 一
動 員 に は特 異 性あ り例 へば第 十 四 師 団 の如 き は新 た に動 員 せ
部 は冬 服 地 他 は夏 服 を支 給 せら れた り 。 主 要乗 船 港 は清 津 、
七月 上 旬 頃 打 電 ︹ 同 上 ︺ (日本 政 府 側 発 表 よ り 約 半 ヶ月
の郵 船 大 阪 商 船 等 大 会社 の傭 船 を以 て台 湾 よ り 輸 送 せ し兵 数
前 ) 近 き将 来 日 本 陸 軍 は仏 印 サ イ ゴ ン に上 陸 せ ん 、而 し て軍
羅 津 方 面 に向 ふ部 隊 は敦 賀 及新 潟 より そ の他 は 神 戸 及広 島 附
日米 関 係 の緊 迫 化 及 ソ蘭 印 行動 の可 能 性 と い ふ見 地 よ り南 支
及 新 潟 よ り出 発 し た り。 又 支 那 に送 ら れ た る軍 隊 の大 部 分 は
第 一、 第 十 四 師 団 中 大 陸 へ派 遣 せ ら れ た る増 強 部 隊 は敦 賀
近 の港 な り 。
約 二乃 至 三個 師 団 な り 。
七、 八月頃打電 ︹ 外交事項︺米国 の油槽船が日本近海 を
通 過 せ ん とす る を 日本 が 阻 止 せ ん とす る は独 逸 の使 嗾 に因 る
(チ )
八月頃打電 ︹ 国家機密事項︺﹁日本は当分独蘇戦 には介入
云 々。
に向 ひ つ ゝあ り と い ふ。 六 個師 団 は既 に朝 鮮 に到 着 せ る が之
(リ )
せ ざ るも 若 し ソ聯 にし て大 敗 を喫 す れ ば対 ソ戦 を 断 行 す 、之
は浦 塩 攻撃 を行 は ん が為 同 地 に 止 ま ら ん 。
る 増 強軍 到 着 し居 る が そ の準備 完 了 は 八月 二十 日 よ り 九 月 一
鮮 軍 を 三十 個 師 団 に増 強 す る意 向 な り と云 ふ。 日 毎 に 新 た な
満 洲 に は既 に四 個 師 団 の増 強 軍 到 着 せ り、 而 し て日本 は満
が為 に は予 め関 東 軍 の兵 力 を 増強 し て 万 一の場 合 に於 け る充
行 ひ 全体 主 義 的 の体 制 を 強 化 す ﹂ ﹁日本 の計 画 と し て は 南 方
日 の聞 な ら ん。
分 の準 備 を なす 、 日 本 は 独 逸 同様 個 人 生産 手 段 に国 家 管 理 を
進 出 は 北進 と相 竝 ん で起 り 得 べき事 態 に対 処 す る為 動 員 を行
マ ルタ独 逸 陸 軍 武 官 ク レチ ュマー より 本 国 への電 報 に依 れ
ひ万 全 の準 備 を なす にあ り ﹂ ﹁近 衛 内 閣 は対 米 交 渉 に 関 し て は 引続 き最 善 の努 力 を な す 、 然 れ共若 し米 国 に し て益 〓圧迫
ば現 在 迄 には 仮 令 準備 完 了す る とす る も 未 だ ソ聯 攻 撃 を 開 始
は 尚 ウ ォ ロシ ロ フ市 及 浦 塩 市 向 ひ の東 部 国 境 界 な り ﹂ ﹁ 客月
国 境 よ り引 上 げ大 連 奉 天 間 の新 築 兵 舎 に駐 屯 す 主 要 集 結 地 点
の 一箇 聯 隊 の如 く 少 数 兵 力 は本 国 に帰 還 し、 そ の他 の軍 隊 は
万 に達 せ り ﹂ ﹁ 本 年 は対 ソ戦 な し、 例 へば宇 都 宮 第 十 四 師 団
撃 をな す と せ ば 日 本 は増 強 軍 の大 部 を 派遣 し居 る浦 塩 附 近 の
中 に鉄 道 会 社 は チ チ ハルよ り ウ シ ュム ンの反 対 側 に位置 す る
せ ん とす る 決 定 を見 ず 。 又 マル タ の見 解 に 依 れ ば若 し対 蘇 攻
国 境 に 第 一攻撃 を開 始 せ ん。 ブ ラゴ ヴ ェシチ ェン スク に対 し
八月頃打電 ︹ 軍用資源秘密事項︺日本に於 ける石油貯蔵
て は新 た に僅 か 三個 師 団 を派 遣 した る に過 ぎ ず。 (ヲ )
べく命 ぜ ら れ た り。 右 は 日本 に於 て来 年 度 の対 ソ戦 を考 慮 し
ウ ープ に 至 る区 間 に極 秘 裡 に道 路及 鉄 道 連 絡 点 の建 設 を な す
機 関 銃 と 自 動砲 と の分 隊 より 成 る。 最 近 に於 て は九 六 式 機 関
(タ ) 月 日 不 明 ︹ 同 上︺ 日本 歩 兵 の装 備 中重 火 器 隊 と い ふ のは
少 す 、 本 年 中 に戦 争 な き を表 示 す るも のな り ﹂
占 領 を企 図 した る も軍 事 輸 送 を 取 扱 ふ人員 は現 在 五十 名 に減
間 内 に 三千 名 の訓 練 さ れ た る鉄 道 員 に命令 し て シ ベ リ ア鉄 道
ことな か らん ﹂ ﹁関 東 軍 に於 て は対 ソ攻 撃 準備 の最 初 の 一週
が対 ソ攻 撃 を な し 得 る と す るも 北 支 の兵 力 を 満 洲 に派 遣 す る
此 の地 点 を攻 撃 基 地 た ら し め ん が為 な り﹂ ﹁独 ソ戦 の為 日 本
量 は海 軍 八 百 万噸 、陸 軍 二百 万 噸 及 民 間 六 百 万噸 計 一千 六 百 万噸なり。 (ワ ) 八 、 九 月頃 打 電 ︹ 国 家 機 密 事項 ︺ 日米 交 渉 に関 し近 衛 公
は 日 米両 国 間 の懸 案 諸 問 題 を 討 議 す る 目的 に て ル ーズ ヴ ェル ト 米 国 大 統 領 と会 談 す る為 米 国 に赴 く 意 向 な り。 (カ )
十月上旬打電 ︹ 国家機密事 項︺日米会談 は最後的段階 に
し 且仏 印 に於 け る八 個 所 の海 軍 基 地 の建 設 を 行 は ざ れ ば会 談
達 せ り、 近 衛 の見 解 によ れば支 那 、仏 印 に於 け る 兵 力 を 減 少
は成 功 せず 。 十 月 中 旬 頃 迄 に ア メリ カ に し て、 妥 協 を 肯 ん ぜ
銃 使 用 せ ら る 。右 は チ ェッ コ軽 機 に 類 似 せ る所 あ るも 遙 か に
ッ チ
ざ れ ば日 本 は 同 国 を攻 撃 し更 に馬 来 諸 国 、 シ ンガ ポ ー ル、 ス
・ブ ー ケ リ
優 秀 に し て重 量僅 か 二 八瓩 な るを 以 て操 作 容 易 な り 。
ブ ラ ン コ ・ ド
限 り の情 報 蒐 集 ﹂ ﹁ソ ルゲ の レポ ー タ ー と し て の諸 連絡 ﹂ ﹁ 機密文書、
﹁仏 国 ババ ス通 信 社 東 京 駐 屯 補 助員 と し て の地 位 を 利 用 し蒐 め得 る
年 二 月 十 一日横 浜 に上 陸 し昭 和 八年 十 一月 以 来 ゾ ルゲ の指 揮 の 下 に
(女 ) を通 じ対 日諜 報 機 関 に 組 織 せ ら れ妻 エデ ィ ットと 共 に 昭和 八
仏 蘭 西 共産 党 関 係 よ り コミ ン テ ル ン 諜 報 機 関 員 バ ル ト 人 オ ルガ
(三 )
マト ラを 攻 撃 せ ん 。然 れ共 ボ ルネ オ攻 撃 は シ ンガ ポ ー ルと と マ ニラを 控 ふる が故 に断 念 せり 。 但 し斯 の如 き開 戦 は会 談 決 裂 の場 合 に のみ行 は る べ きも の にし て そ の真 意 は 同盟 条 約 あ る に も拘 ら ず独 逸 を無 視 し ても 同 会 談 の成功 に 全力 を尽 し居 る は 疑 な き 所 な り。 (ヨ ) 十 月 上旬 打 電 ︹ 軍 事 上 の秘 密事 項︺﹁日本 本 国 よ り 満 洲 国
へ の軍 隊 増 強 は各 種 の師 団 の守 備 隊 を 以 て之 に充 て、 最 近 二 ヶ月間 に約 四十 万 の新 兵 到 着 之 に因 り満 洲駐 屯 兵 は総 数 七 十
図 画 の複 写 装 置 設 備 及 複 写 活動 ﹂ ﹁ク ラウ ゼ ンの無 電 連 絡 の 補 助﹂ (四 )
尾崎秀 実
本 人 は昭 和 五年 末 米 国 共産 党 員 鬼 頭 銀 一及 米 国 人 アグ ネ ス ・ス メ
等 の任 務 を 遂 行 し来 り た る も の な る が、 就 中 自 己 所 有 写 真機 及組 織
ド レ ー女史 の紹 介 に より ジ ョン ソ ン事 、 リ ヒ ァルド ・ゾ ル ゲを 知 り
日本新聞記者 として集め得る限りの支那内部 の状勢
に於 て購 入 せる コンタ ック ス等 の写 真 機 に依 る複 写 活 動 は 昭和 十 一
日本 の対支政策 の現地 に於ける適用状況
年 よ り検 挙 に至 る迄 最 も 有 効 に利 用 せ ら れ た る模 様 な り 。本 人 の得
(1 )
其 の依 嘱 によ り ソ聯 邦 竝 コミ ン テ ル ン の為 に
(2 )
た る情 報 中 判 明 せ るも の次 の如 し 。 (1 ) 昭 和 十 六 年 五 月 下 旬米 国 通 信 記 者 ニ ュー マ ンが 米国 大 使 館
ソ聯 共 産 党 中 央機 密 部 に登 録 せら れざ り し も の の如 く 昭 和 九 年 晩春
等 の諜 報 を 行 ひ 以 て在支 日本 人 諜 報員 と し て重 きを 為 した る が 未 だ
筋 より 得 たる 松 岡外 相 の訪 欧 中 に海 軍 関 係 の日 本 政 府高 官 が 日 米 国交 調 整 を 開 始 せん とし グ ルー 米 大使 に提 示 を行 った が 其 の
本 人 は其 の経 歴 に明 か な る如 く 朝 日 新 聞記 者 と し て、 内 閣 嘱 託 と
ソ聯 に対 す る 忠誠 を認 め ら れ昭 和 十年 夏 正式 部 員 に採 用 せ ら れ た り。
大 阪 朝 日新 聞 記 者 時 代 対 日諜 報 機 関 再 組 織 さ る ゝや 其 の有 用 の材 と
内 容 は ﹁ア メ リ カ が東 亜 共 栄 圏 内 の日本 の指 導 的 地 位 を 承 認 し 、
同年 七月初旬京橋区銀 座七丁目電通内 ハバ ス通信社事務室
支 那 事 変 の調 停 を 行 は れた いと の要 請 で あ る ﹂ と の情 報 。 (2 )
し て、 満 鉄 嘱 託 と し て、 近 衛 公 乃 至 風 見 章 の所謂 ブ レ ー ン の 一人 と
に於 て ハバ ス通 信 特 派 員 ギ ラ ンと ア ンリ ー駐 日仏 大 使 と の談 話 中 当時 締結 せ ら れ た る 日仏 印 間 の条 約 に関 し ﹁日本 は仏 印 に 武
代議士汪政府顧 問犬養健、外務省及内閣嘱託西園寺公 一、東京朝
し て昭和 研 究 会 の役 員 と し て各 其 の地 位 を利 用 し
依 り解 決 す る筈 ﹂ と の情報 。
力 を行 使 す る事 な く 凡 て の問 題 は ヴ ィシ ー政 府 と の外交 交 渉 に
日新聞政治経済部長田中慎次郎、満鉄社員 宮西義雄、海江田久孝、 後藤憲章
等 よ り国 家 機 密 又 は 軍 事 諸 機密 を探 知 蒐 集 し、 又 自 ら 組織 せ る諜 報
が其 の前 夜 アメ リ カ ン倶 楽 部 に於 て在 京 米 人 の み に対 し極 秘 に
(3 ) 同年 十月 九 日米 国 人 通 信 記 者 ニ ュー マ ンよ り グ ル ー米 大 使
演 説 せ る 日米 国交 調 整 内 容 中 ﹁該 交 渉 は 円滑 に進 行 し居 ら ず ﹂
員 川合 貞 吉 、 水 野 成 、 或 は 之 に準 ず べき篠 塚 虎 雄 等 を 通 じ探 知 蒐 集
し た るも の の如 く 、第 一次近 衛 内閣 に於 て内 閣 嘱 託 に 登用 せ ら れ た
本 人 は 支 那通 と し て著 名 な る も、 政 治 評 論 家 と し て亦 一権 威 を 為
に し て之 れを本 人 の記 憶 に基 き記 述 せ しめ た る も の別 表 の如 し。
せ る政 治 、 経済 、 外 交 、 軍 事 各 般 に亙 る 諸機 密 は枚 挙 に遑 な き状 況
と の情 報 。 (4 ) 昭 和 十 五 年 七 月 三 日 よ り十 五 日 に至 る 間陸 軍 報 道部 より 招
待 さ れ、 日 ソ紛 争現 場 た る ノ モ ン ハン戦 場 を視 察 せ る を奇 貨 と
展 す る可 能 性 な し ﹂ ﹁日 本 軍 は国 境 を越 え て攻 撃 す べ か ら ず と
る は 、支 那事 変 勃 発 当 初 ﹁本事 変 は 必然 的 に長 期 化 し 、世 界 大 戦 に
し軍 報 道 部 員 等 の言動 を探 り ﹁本 事 件 は全 面 的 に日 ソ戦 争 に発
日本 政 府 よ り 指 令 せ ら れ あ り ﹂ と の情 報 。
の見 透 し を つけ て居 り其 の後 支 那事 変 の勃 発 に依 って之 を断 定 致 し
政 権 が存 在 し て居 る だけ であ り ます 。
ま した 。 そ う し て第 一次 世 界 大 戦 が ソ聯 を 生 ん だ如 く 第 二次 世 界 大
発 展 せ む﹂ と の予 言 を 為 し当 時 の政府 及 一般 の ﹁ 事 変 短 期 説 ﹂ を却
論 文 章 に 於 て ﹁英 米 帝 国 主義 ﹂ 及 ﹁中 国国 民 党 ﹂ の排 撃 を行 ひ以 て
戦 は其 の戦 争 に敗 れ或 は疲 弊 した 側 か ら始 め て多 く の社 会 主義 国 家
から 一九 三 五年頃 (昭 和 十 年頃 ) から第 二次 世 界 戦争 は将 に近 し と
輿 論 を ﹁ソ聯 邦 ﹂及 ﹁中 国 共産 党 ﹂ 攻 撃 に傾 く 事 を 防 止 し ソ聯 の政
然 し私 は欧 洲情 勢 や 支 那 を繞 る帝 国 主義 諸 国 家 の角 逐 等 国際 情 勢
策 た る ﹁帝 国 主義 国 家 相 互間 の戦 争 激 発 ﹂ に貢 献 せん と せ り。 又 国
そ う し て私 は此 の関 係 を経 過 的 に即 ち
を 生 み軈 て世界 革 命 を 成 就 す る に至 る も の と思 って居 りま し た。
け た る卓 見 に依 る と称 せら る。 従 って本人 は独 り 広 汎適 確 な る情 報
内 改 革 方 策 と し ては 支 那事 変 処 理 に絡 み て擡 頭 せ る東 亜 聯 盟 論 及東
を提 供 す る に 止 らず 、 宛 も親 独 的 革 新 政治 理 論 家 の如 く装 ひ つ ゝ言
亜 協 同 体 論 に便 乗 し、 内 閣嘱 託 たる 地 位 を利 用 し て独 自 の国 民 再 組 織 案 を 起 草 し (有 馬 案 の基 礎案 )第 二 次近 衛 内 閣 当 時 も依 嘱 を 受 け
外に立 つ べき であ り又 そ うす る であ ろ う。
(イ )
ソ聯 は飽 迄 平 和政 策 を 以 て此 の帝 国 主義 諸 国 家 の抗 争 の外
て各方 面 より 提 出 せ ら れた る再 組 織 案 を審 議 し、 独 自 の案 を起 草 し
(ロ)
義 国 家 と の抗 争 ) は深 刻 な 持 久戦 とな る で あ らう が 其 の結 果 は
日独伊対英米 の抗争 (帝国主義 の変型国家 と本来的帝国主
て之 れ を実 現 せん と せ るも 反 対 勢力 の為 失 敗 せ り。 本 人 の政 治 意 見
(ハ) 勝 ち残 った国 家 に於 ても 充分 疲 弊 し て居 り 且 つ ソ聯 の比 重
共 倒 れ と な るか 何 れ か の勝利 に 一応 帰 す る であら う が、 前 者 の
は 厳 に合 法 性 を 確保 す る必 要 上 種 々の偽 装 を凝 し て発 表 せ ら れた る
創 造 し、 之 れら 世界 新 秩 序 の枢軸 たら しめ ん と せ るも のに し て、 斯
の相 対的 な増 大 、強 大 国 家 の社会 主 義 国家 への転 換 を余 儀 なく
場 合 は 其 の敗 れた 側 に社 会 革 命 が起 る であ ら う 。
の如 き 日本新 体制 実 現 の暁 に は ソ聯 邦 首 脳 及中 国 共 産 党幹 部 の信 頼
る観 点 に立 って東 亜 に於 け る 日本 の立 場 を考 へま す る に、 日本
さ れ る 可能 性 が 多 いと云 ふ様 に観 測 し て居 り ま し た。而 し て斯
も 、 其 の真 意 は ﹁ソヴ ェー ト ロ シア及 中 国 共産 党 の覇 権 を握 れる 支
厚 き尾 崎 は其 の首 班 たり 得 べし と の妄 想 を 逞 う し居 た る も のな り 。
那 竝之 れ と提 携 し得 る 日本 の新 体制 の実 現 ﹂ を以 て東 亜 の新 秩 序 を
今 訊 問 調 書 中 よ り本 人 の所 謂 ﹁ 東 亜新 秩 序 観﹂を抜 萃 す れ ば次 の如 し。
と戦 ふ が而 も其 の戦 争 の過程 に於 て 一時 的 には軍 事 的 に成 功 の
は支 那事 変 を 中 心 に汎 ゆ る 角度 から 見 て例 へば日 本 が ソ聯 攻 撃
可能 性 あ り とす るも 、 軈 て国 内 の疲弊 行 詰 り を 生 じ て、 遂 に内
に出 よ うが 、 英米 協 調 に出 よ う が或 は 南進 政 策 を 強 行 し て英 米
の であ る こと に付 ては 只 今申 述 べた通 り であ り ます が、 斯 る転 換 は
部 に社 会 革命 の起 る 可能 性 が最 も多 く其 の時 期 も早 け れば 昭和
問 被疑者 が実現を意図する所謂﹁ 東 亜新秩序社会﹂に就 て述 べよ
歴 史 的 に見 ても 一時 に達 成 さ る べき も の では な く現 実 にも 一九 一七
十 七 年 上 半期 か下半 期 から 斯 る社 会 革 命 への第 一歩 であ る 日本
答
り、 此 の外 に は地 域的 に や ゝ自 立性 を 持 って居 る、 中 国 ソ ヴ ェート
年 以 来 ソ聯邦 が只 一つ の共 産 主 義 国家 と し て存 在 し て居 る のみ であ
ては 昭和 十 六 年 七 月頃 に於 てゾ ルゲ にも述 べて置 いた程 であ り
の転 換 が行 は れ て来 るも のと 思 って居 り私 は之 等 の見透 し に付
の中 朝 鮮 民族 に付 ては朝 鮮 を 民族 国家 と し て独 立さ せる か 日本
等 が当 然 考 へら れな け れ ば なら な い問 題 であ り ます が 、 私 は其
族 共 同 体 、 回教 民 族 共 同体 、 朝 鮮 民族 共 同 体 、満 洲 民 族 共 同体
の ﹁東 亜 新 秩序 社 会 ﹂ に於 ては 前 申述 べた諸 民族 の外 に蒙古 民
民族 共 同 体 の 一部 とし て存 せ しむ る か は朝 鮮 民族 の意 〓 其 の経
に於 て 日本 の国 内 の革 命 的勢 力 が非 常 に弱 いと云 ふ現 実 と斯 る 重要 な る日 本 の転換 は 日本 だ け で は行 ひ難 いし、 又 行 っても 安
ら決 定 さ る べき であ り、 満 洲 国 に於 ては 諸 民族 協 力 の新 し い共
済 的 自 立 性其 の他 其 の時期 に於 け る東 亜全 域 の種 々な る観 点 か
ま す。 私 の云 ふ所謂 ﹁東 亜新 秩序 社 会 ﹂ と 云 ふ のは 斯 る転 換 期
定 し な いと考 へる し、 又 英米 帝 国 主 義 国 と の敵 対 関係 の中 で日
産 社 会 と し て の舞 台 に置 き換 へて見 る と云 ふ様 な こと も意 図 し
本 が斯 の如 き転 換 を遂 げ る為 に は ソ聯 及資 本 主 義 機構 を離 脱 し
て居 りま した。
以 上申 述 べま し た と ころ が即 ち 秘 の意 図 す る所謂 ﹁東 亜 新 秩序 社
た る 日本 竝 に 中 国共 産 党 が 完 全 に そ の ヘゲ モ ニーを 握 って此 の
会 ﹂ の大 要 であ り ます が之 が世 界 革 命 の 一環 を な す べきも ので あ る
三 民族 の緊 密 な 提携 援 助 を 必 要 と し、 此 の三 民族 の緊密 な組 合 を中 核 と し て先 づ東 亜諸 民族 の民 族 共 同 体 の確 立 を 目指 す の で
こと は申 す 迄 も あ り ま せん。 而 も 此 の世界 資 本 主義 社 会 崩 壊 の過 程
の信 じ て疑 は な か った 所 であ り 、其 の時 機 に於 け る ソ聯 と 提携 援 助
あ り ます 。 而 し て私 は其 の場 合夫 等 の民族 国家 が直 ち に完 全 な
に付 て は幸 に し て私 が十余 年 来 ゾ ルゲ と の諜 報活 動 を通 じ て コミ ン
に於 て重 要 な る意 義 を 持 つ べき所 謂 東 亜新 秩 序社 会 の実 現 は 支那 事
過渡 的 には 日本 的 な 特 殊 性 を保 存 し た社 会 主 義 的 民族 共 同 体 で
テ ル ン乃 至 ソ聯邦 機 構 の有 力 なる 部 門 と密 接 に結 ひ付 い て居 る と 云
る共 産 主 義 国 家 た り得 るも のと は必 ず し も考 へて居 らず 其 の過
あ っても 差 支 な く、 兎 に角 日 ソ支 三民 族 国家 の緊 密 友好 な る提
ふ事実 に依 って容易 であ る と思 って居 り ま した し 、其 の場 合 に於 け
変 を契 機 と して其 の決 定的 な も の であ る と云 ふ こと は私 の最 初 か ら
携 に依 る東 亜 諸 民族 の解決 を条 件 とす る も の であ り ます 。 更 に
る支 那 と の提 携 に付 ても 充 分 な自 信 を持 って居 った の であ り ます 。
所謂 ﹁新 民 主 主義 ﹂国 家 であ っても 差 支 なく 、 又 日本 に於 ても
英 、米 、 仏 、 蘭等 か ら解 放 さ れ た印 度 、 ビ ル マ、 タ イ、 蘭 印 、
渡 的 形 態 と して は例 へば 支 那 に於 ては 孫文 主義 を徹 底 せ しめ た
仏印 、 フ ィリ ッピ ン等 の諸 民族 は各 〓 一個 の民 族 共 同体 と し て 先 に述 べた 日、 ソ、 支 三民族 共 同 体 と の政 治 的 、 経 済的 、 文 化 的提 携 に入 る のであ りま す が、 之 等 解 放 さ れ た諸 民 族共 同 体 が
く 、 過渡 的 には 其 の民 族 の独 立 と東 亜的 互助 聯 環 に最 も都 合 良
直 に共 産 主 義 国 家 を形 成 す る と 云 ふ こと は 必 ず しも 条件 で はな
き 政治 型態 を 一応自 ら採 択 し て差 支 へな い のであ り ます 。 尚 此
時
期
別
諜
表
報
要
旨
探 知収 集 先 竝 其 の 方 法
同 右
﹁五 ・ 一五事 件 以来 の諸 社 会 運動 団体 の動 向 に就 て﹂ 調 査 し 五 ・ 一 朝 日新 聞 記 者 の地 位 を 利 用 し 五事 件 の結 果 とし て軍 内 強 硬 派 の進 出 と 翼 団体 の擡 頭 顕 著 な り と て諸方 より 聞知 す 説明 す 。
昭和十年
﹁北鉄 譲 渡 交 渉 を繞 る事 情 ﹂ に付 調 査 し北 鉄譲 渡 に は種 々曲折 あ り た る が結 局 日 本 側 と し ては 満 洲国 内 に敵 国 の鉄道 あ る事 を好 ま ざ る が故 に交 渉 は妥 結 に 至 る べ し と の観 測 を 加 ふ。
情報 を 綜 合 し て判 断 せり
昭和九年六月頃
同 年 九月 頃
陸軍 パ ンフ レ ット ﹁ 広 義 国 防 の本 義 ﹂ の発 表 事情 に就 て調 査 し之 が 所 謂 陸 軍 の広 義 国防 の主 張 に し て軍 が政 治 、 経済 、 社 会 の各分 野 に 迄 発 言 せ ん とす る 用 意 な る旨 を 報 告 す。
ル
ゲ
報 告 先
ゾ
〃
ゲ
視 察 結 果 、 綜合 判 断
昭和 十 一年 一月 頃
昭 和 十 年 暮 よ り十 一年 一月 に 亙り 東 京 朝 日新 聞社 より 華 北情 勢 視 察 を 命 ぜ ら れ北 支 に旅 行 し各地 に於 て支 那側 有 力 者 殷 汝耕 (冀 東 ) 宋 哲 元 (冀 察 )朱 綬光 (山 西 )傅 作 義 , (綏遠 )韓 復榘 (山東 )等 ど 会 見 し ﹁支 那 側当 局 は日 本 の華 北進 出 を 猜疑 し つ ゝあ る事 ﹂ ﹁ 北 支 民 衆 の動向 は益 〓反 日 的 な る事 ﹂ 等 の事 情 及 之 によ り今 後 日本 の北 支 工作 は前 途 の困 難 を 予 想 せ ら る ゝ事 を察 知 し其 の旨報 告 す 。
ル
ゾ ルゲ に 口 頭 を 以 て報 告 し併 せ て 英文 の報 告 書提 出
月
ゾ
同
﹁相 沢 中 佐 の永 田 鉄 山 中将 刺 殺 事 件 ﹂ に関 し調 査 し軍 部 内 派 閥 闘争 の現 れ な る事 、 統制 派 の柱 石 な り し為 永 田中 将 が 狙 は れ たも のな る こと を 報告 す 。
〃
綜合報告
同 年 二、 三 月
﹁二 ・二 六事 件 ﹂ の発 端 よ り結 末 に 至 る迄 の概 要 を報 告 し、 ヱピ ソ 東朝社を中 心とする情報 ード を も 附加 す、 事 件 の性 質 に就 て は 一、 叛 乱 軍 は農 民主 義 的 色彩 強 く 農 村 恐慌 の影 響 を 強 く 観 取 せ ら る。 二、 農 村 出身 兵 士 と 接 触す る青 年 将 校 は反 重 臣 、反 金 融 資 本 家的 傾 向あり。 三 、 五 ・ 一五事 件 以 後 と同 様 益 〓右 翼 的 勢 力 進出 す る に至 ら む。 四 、対 外 政 策 特 に対 ソ政 策 は反 ソ的 と な る べし 。 等 を報 告 す 。
〃
﹁日 独防 共 協 定 ﹂ は 日独 の ソ聯 を 目標 と せる 軍事 同盟 的 性 質 的も の に 癸 展す る や否 や に 付特 に注 目 し て調 査 せり 。
東 朝 編輯 局 ニ ュー スを中 心 と し て入 手
﹁南 京 に於 け る 日支 交 渉 の経 過 ﹂に付 調 査 す 。 所 謂 広 田 三 原則 の実 現 を 目指 し政 府 は交 渉 を進 めた るも、 日本 側 の要 求 に は 共同 防 共 に附 帯 し て北 支 に防 共地 帯 の設 置情 報 の交 換 等 の含 ま れ あ る事 、 此 の交 渉 は各 地 に 頻 発 せ る排 斥 運動 を契 機 と し て行 は れ た るも 支 那 の民族 的 反 抗 意 外 に強 く 最 後 に綏遠 事 件 勃 発 し て交渉 は決 裂 に終 れり 。 と報告す。
昭 和 十 一年 秋
同
﹁宇 垣 組 閣 失 敗事 情 ﹂に就 き 調 査 し宇 垣 の起用 は財 界 、重 臣 層 一致 の 東 朝 社 ニ ュー ス中 心 に判 断 す 要 望 にし て軍 部 内 にも其 の支 持 者 あ り た る も軍 部 内 一部 に猛 烈 な る 反 対 起 り結 局 流 産 に終 れ り 、 反対気運 の因 は軍 縮 の崇 り と認 めら る 。
三 国 同盟 派 と の意 見 が政 治 上層 部 の意 見 に制 圧 さ れ遂 に実現 す る に 至 ら ざ り し事 情等 を報 告 す 。
白鳥、大島等 の同盟派 と国内上層部 との主張と の隔りは結局軍部及
昭和十二年 五月
東朝社内情報及綜合判断
〃
〃
〃
〃
〃
〃
東朝社情報其 の他を元とす
〃
〃
ツ人商 人 、 支 那 人商 人 、 新 聞
朝日新聞 上海支局を中 心に上 海香港 に於 て有力英米人ドイ
一般的情報を基礎に判断す
東朝 社 に集 る現 地 より の情 報 及政 府 関 係 の政 治 部 ニ ュー ス 等 を中 心に 探 知 す
同年 六月 頃
﹁近衛 内閣 の性 格 と其 の成 立 事 情 ﹂ に付 調 査 し同 内閣 の成 立 は 日本 の上層 部 の最 後 の切 り札 な り 、財 界 、 政 界 は元 よ り軍 部 も 亦 之 れ を 勧 迎 せ る事 情 にあ り、 民 間 は 近衛 に軍 を 押 へて の軍 民 一致 を期 待 し 軍 は 近衛 の声 望 地位及 そ の革 新 的 な る点 を 利 用 せ ん とす る も のなり と の情 報 及観 測 を 報 告 す 。
北 支 事 変 に関 し善 後 措 置 の為 政 府 は 日高 参 事 官 を し て南 京 政 府 に交 渉 せ しめ つ ゝあり と て其 の内 容 要 旨 を報 告 す 。
は必 然 な り と の意 思 を 述 ぶ 尚 ほ閣 内 に拡 大 不拡 大 の両意 見 併 立 せり と て其 の状 況 を報 告 す 。
錯綜す る列強 の利害関係より延い て完全なる世界戦争に拡大す る事
当 然 大 規 模 の日支 戦 争 に発 展 す べ し と観 測 し将 来 の見 透 し は支 那 に
東朝社内情報を基礎 とす
七
﹁蘆溝橋事件 ﹂は満洲事変政策以来継続せる北支事変 の発展にして
年
月
月
同
同
昭 和 十 二年 十 一 ﹁大 本 営設 置 事 情 ﹂ に就 き て調 査 し 、事 変 の拡 大発 展 に備 へ軍部 の 月末 恣 意 的 な動 き を 抑 へ軍 政 の 一致 を 計 ら ん とす る 政府 側 の意 図 を含 め て設 置 せ ら れ たり と 報告 す 。
昭和十三年 三月
﹁中南 支 旅 行 報 告 ﹂ を行 ふ昭 和 十 二年 十 二月 よ り十 三年 三 月 に掛 け て東 朝特 派 員 とし て渡 支 し上 海 及香 港 に滞 在 し て帰 国 す 其 の結 果 、 一、 上海 に於 け る 英米 人 は憤 激 し つ ゝあ り 、 英 人 は特 に甚 し きも 、
尚 日本 と蒋 と の妥 協 を 希 望 し つ ゝあ り。 希 望す 。
二二, ド イ ツ 商 人 ま 日 本 り 由呈 々 こ = 付 ー)准 茎 争 記 藝 ) つ ,
ら るo
、ら 鐸 芝
) 冬 吉 レ二
三 、支 那 人 商 入 は商 売 上 の考 慮 よ り 日本 人 を 信 用 せず 。 四 、支 那 人 二般 に抗 日 意 識 あ り て国共合作傾向 の自然的増加 を認 め 治 工伶 伏 呪, 。.
五、 上海 商 人 団 体 や大道市政府 に現 れたる日本側 の現 地に於 ける政
し o
六、 香 港 は対 支 援 助 の基 地 た る を以 て広 東 攻 略 は 聞 も なく 行 は る べ
記 者 (外支 人 ) よ り探 知 す 。
東 朝関係情報及現地事情 調査
等 を視 察 報 告 せり 。
昭和十三年 四月
﹁維新政府成立事情 ﹂に関 し調 査し・ 、 維 新政 府 を申 支 に作 る事 に 就 倦北 伎 犀 当 局 憾 仮附 陰 れ・し事 、 々中支 の軍 当局は熱 心に之 れを主 ﹁ 併、 張 し其 の為 に特 務 機 関 員 某 が飛 行 獺 に て東京 に要 求 を持 ち て飛来 せ り 等 の情 報 を 報 告 す 。
東朝関係及間も無 く内閣嘱託
と ゐ り揚 肉 寸
に基く
同年 五月 頃
﹁広 田 外 相 に代 り 字 埴 の登場 せ る事 情 ﹂ は 第 ﹁ 広 田 が支 那事 変 に対 し不 唇 畿 な り し事 第 二、 事 変 解 決 に英 米 と妥協 す べぎ含 み に で宇 垣 を 起 用 せ る事
h停垣 汐 ルi陣 ■会談﹂ の内容 は詳細不明なり しも交渉 の見 透しは
等 を 輻 生口す 。 ヌ則 す パ し と 断 じ . 翼 ¢ 祁 捜 と し て
. 匁 せり
︱、 匿 内 に宇 垣 反 対 意 向 存 在 せる 事 二、 国 内 輿論 は対 英 協 調 に反 対 な る事 等 を 挙 示 せりσ
昭和 十三年 六月
﹁板 墳 陸 相 ﹂ 登場 事 情 に付 調 査 し杉 山 、梅津 の統制派退揚 し皇道派 甑 色 彩 あ る 板 垣 の登場 を見 た る は対 支 政 策 に重 点 を 二層 置 き たる も の と観 測 さ る ゝ旨 報告 す 。
督 府 の ニ ュー ス等 基 礎 と す
首 相 官 邸 中 心 の 二 率ー ス即 ち
二般情報 及地什を 利用して探
月
七
新聞記)、内閣情報部朝鮮総
年
﹁張 鼓 峯事 件 ﹂ は支 那 事 変 下 最 初 の大 規 模 な る 日 ソ衝 突 事件 な り し を 似 て注 目 せ るも 政 府 軍 部 共 に戦争 回避 の意 向 あ る を 以 て日 ソ戦 に 迄 拡 大 す る虞 れ な き旨 報 告 す 。
同
年
同
夏頃より十二月 逡
迄 ︱郵 丘口す る を 得 た り 。
﹁涯 兆銘 工作 ﹂ は昭 和 十 三 年夏 頃 より 本 格 約 とな り 、中 心人 吻 は初 松 本 重 治 、 犬養 健 、 西園寺公 め 元 の南 京 政 府 亜 州 司 長 高 宗武 な り 日本 側 に ても 民間 有 志 の み なら [ 一等 涯 挑銃 工作関係. ) 其 の他 す醐 拠 渾郡 の者 も 僕 係 す 、 斯 く て結 局 近 衛 内 閣 お 手 盛 の運 動 とな り 、 の情報 大養 、杉 本 、 西匝 寺 等 が 之 れ に携 は る・ 事 とな れ り 、被 疑 者 は当 時 内 露嘱 臨 なり しを 似 てヌ値 人酌 にも 関 係) と親近なりし為詳密 に探知
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〃
昭 和 十 四年 一月
〃〃
昭和 十四 年 五月
﹁ 国 民再 組 織 問 題 ﹂ に付 き て は 次 の如 し。 即 ち 当時 近衛 内 閣 自 身 政 治 力 結 集 の必 要 を感 じ ﹁精 動 ﹂ の如 き も 其 の為 に作 ら れ た る も のな り 、 昭 和 十 三年 夏 久 原 の国 民 協 議 会 案 の提 示 あ り 、 政 党方 面 に は合 同 を 行 ひ て近 衛 を総 裁 た ら し めん と の運動 も 擡 頭 せ り 依 って近 衛 内 閣 に於 ても 輿 論 の要 望 に応 じ て政 治 力 結集 の方 法 を 考 慮 せ り, 正式 には 有 馬案 、末 次 案 の閣 議 に於 て議 せ ら る る等 の事 あ り た る も内 閣 総 辞 職 によ り 終末 を告 げ たり 、 被 疑 者 は 内 閣 嘱 託 な り し を り て 上案 の整 理 又 は準 備 に関 係 し詳 細 な る 情 報 を得 報告せり。
一、 政 治 と軍 事 と の僕 係依 然 と し て意 に任 せざ る事
﹁近衛内閣総辞職 の理由﹂は諸般 の情勢より 二、支那事変予期 に反し長期化したる事 三、親独、親英米に関し政治 上層部 の態度を決 し謙ぬ旋ゐ事 四、 国 民 再 組 織 の実 現 難 な り し事 等 を 探 知 し, 汪 兆銘 工作 の 一椴 落 を機 に退 陣 した る も のと勧 測報 告 せ り。 傾 向 あ る も既 に積 極 性 は 喪 失 し 居 れ り、 方 向 とし て支那 事 変 解 決 の
﹁平沼内 閣成立 ﹂に就 ては平沼は重臣中 に於 ては近衛と共 に革新的 為或は英 米との妥協を策するやも知 れず、又国内 に於ける言論抑圧 等 を強 化 す る に あ らず や と 観 測 さ る ゝも国 内 政 策 と し て思 ひ切 った 革 新 は 断 行 し難 し と認 め其 の旨 報 告 す 。
内閣嘱託たる地位を利用し探 知収集す
内閣嘱託 たる地位を利 用して 探知す
一般情報と綜合判断
満鉄、朝飯会、新聞情報等綜
地旅行者等より探知す
満 鉄 社 内 情報 、新 聞 情 報 、 現
汪兆銘 工作関係者其他 より入 手す
﹁ノ モ ン ハン事 件 ﹂ に就 て は政 府 側 に対 ソ戦 争 の決 意 なく 、 国 民 一 現地帰還者新聞記者等 より の 般 も 対 ソ戦 争 を 欲 せ ざ る事 情 を観 測 し且 つ戦 況 も 日本 側 の旗 色 悪 し 情報を基とす と の風 評 行 は れ つ ゝあ り と の報 告 を行 ふ。 ﹁汪 兆 銘 来 朝 ﹂ は 日本 側 と の諒 解 を 遂 げ る為 秘 か に来 り た る も のに し て近 衛 、 平 沼 等 の要 路 と会 見 せり 、 と 報 告 す 。
六 月
同 年
に 一般 的 話 合 が 東京 に於 て行 は れた り 英 国側 は 日本 の極 東 に於 け る
﹁日英会談﹂ に就ては日本側 の天津租界隔陥 断行 を口火と し日英間
﹁日独伊軍事同盟を繞 る欧洲問題﹂ に就 ては駐独大島大使 より軍事
メリ カ の通 商 条 約 破 棄 等 の牽 制 手 段 に依 り 不 調 に終 り た る等 の経 過 を報 告 す 。
地位支那 に対す る戦争 状態 を認 める等相当譲歩する所あ りたるも ア
同 年 六 月︱ 七 月
同 年 春 より 六 月
同 盟 に付 熱 心 な る申 越 あ り之 れ を中 心 に平 沼 内 閣 は数 十 回 に亙 る 会 合 〃 議 を続 け閣 内 に於 て海 軍 は慎 重 、 有 田は 懐 疑 的 な り と云 ふ が如 き 情 報 あ り 、其 の他 諸 情 報 を綜 合 し平 沼 自 身 上 層 部 の親 英 米 的 影 響 下 に
〃
〃
ゾ
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ル
ゲ
九
月
同 年
同
月
﹁貿 易 省 設 置 問 題 ﹂ は 野 村外 相 就 任 直 後 行 は れ た る外 務 省 官 僚 の反
﹁阿部 内 閣﹂ に就 ては 其 の成 立経 緯 よ り判 断 し前 内 閣 より 一層 弱 体 且 つ英 米 協 調 的 な る べし と判 断 す、 間 も無く欧洲戦争起り不介入声 明 と な り た るも 之 れ は要 す る に 一時的 日和 見 を表 明 し た る に過 き ず と報 告 す 。
あ りと 観 測 せ り 、民 間 には 枢 軸 派漸 次 擡 頭 す るや こ見 え た るも 独 ソ 不侵 略 条 約 の締 結 に依 り平 沼 内 閣 は 瓦解 せ り と報 告 す。
末
﹁阿部 内 閣 末 期 の政治 情 勢 ﹂ に関 し内 閣 の弱 体 と欧 洲 情 勢 の気遣 ひ の為 末 次 、 中 野 、 橋本 等 の東 建 聯 一派 久 原 派 の動 き議 会 内 親 軍派 の 動 き は活 溌 と な り 、遂 に内 閣 を 倒 潰 せ しめ た り、 此 に於 ては 軍 の圧 力 を明 白 に感 ぜ ら る、 併 し乍 ら 未 だ 軍 は政 治 の表 面 に乗 出 す に は 至 らず 徒 ら に日 本 の政治 の貧 困 を感 ぜ しむ 。 等 の諸 事 情 及 意 見 を報 告 す。
対運動 なるが之 れは要するに弱 い政治力 の上からの統制 に対する官 僚 の反 抗 な る 事 、 尚 此 の背 後 に軍部革新勢力 あるやを注意 せるも其 昭 和 十 五 年 一月
﹁米内内閣成 立﹂ に就 ては 阿部内閣 が軍の圧力 に依りて倒 れたる後登場したるも矢張り現伏維
の事実認 め難 しと報告 す。
昭和十 五年 一月
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上海視察其 の他 一般情報
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﹁汪 兆 銘 政 府 の南 京還 都 ﹂ に就 き ては 、 三 月末 上海 に出 張 し た る為 諸 事 情 を 調 査 し 日 本政 府 内 部 に於 ても 蒋 直接 交 渉 を 主 張 す る も のあ り と の事 実 等 を 知 り其 の旨 報 告 す 。
一般 情報 に 基く
満鉄 、朝飯会、新聞情報等綜 合
四 月
﹁日 泰 和親 条 約 ﹂ に就 て は、 日 本 の南 進 の足 場 が 一層 強化 さ れ た る 事 ビブ ン首 相 は親 日的 な る事 実 を 報告 す 。
持 と革 新 と の両 派 勢 力 の保 合 の 上 に 生 れた る 弱 体 内 閣 とな り て其 の 成 立事 情 及性 格 を 調 査 報 告 す 。
六 月
同 年
同 年 月
朝 飯会 、 満 鉄 其 の他
七
朝飯会、昭和 研究会政策部 会 其 の他
同 年
﹁近 衛 公 と新 政 治 体 制 ﹂ に就 き ては近 衛 内 閣 に対 す る 一般 の期 待 は 新 政 治 組織 、政 治 新 体 制 にあ り被 疑者 も亦 之 に関 心 を 持 ち内 閣 に対
﹁ 第 二次 近 衛 内 閣 成 立 ﹂ に就 ては 米内 内 閣 は欧 洲情 勢 の急 激 なる 発 展 と 軍部 を先 頭 とす る枢 軸 派 の勢 力 に押 さ れ て倒壊 し たも の なる を 以 て 同盟 締 結 は本 内 閣 の当 面 の課 題 なる べし 、 諸般 の事 情 は近 衛 の 再 登 場 の外 無 か り し 事 公 は軍 部 と の完 全 なる 諒解 を引 受 け の条 件 と し恰 も 軍 部 の政 治 的 介 入 を抑 止す るが 如 き世 評 あ り し が会 談 の結果 は極 め て お座 なり のも のな り し事 等 を 報 告 す 。
〃
し 意 見 の 一端 を 呈出 し来 り た るも 近 衛 公 は ﹁幕 府 的 形 態 ﹂ を断 じ て 避 く べし と の軽 井 沢声 明 に より 、 意 図 を明 か にさ れ た り、 此 の間 の 諸 事 情 は ゾ ルゲ の質 問 に 応 じ報 告 せ り 。 ﹁日 独 伊 軍 事 伺盟 に 就 て﹂、満 洲 で は ソ聯 勢 力 の増 大 のみ を懸 念 し、 満洲視察 三国 同 盟 に は 気乗 薄 な り り報 告 す 。
〃
〃
同年 九月 ︱ 十 月
満鉄其 の他
﹁小林商相 の蘭印交渉﹂ の使命 は石油獲得 にありとて其 の後 の数量 等を報告す。
昭 和十 五 年 秋
﹁日独伊経済協定問題﹂はドイツが戦争遂行 の必要物資を獲得する
〃
同
〃
〃
ゾ ルゲ
同
頃 よ り翌 年 春 に かけて
為 ソ聯 を 通 過 し 日 本 よ り物 資 を 得 ん とす る 目 的 を 以 て行 は れ、 ド イ ツよ り 代 表 派 遣 せ ち れ た り 、独 逸 の目 的 とす る も のは満 洲 大 豆等 の 外 錫 、 ゴ ム等 の南 方 資源 あ り、 之 に対 し英 国 及 び蘭 印 は 日本 を通 じ て ド イ ツ に之 等 の物 資 の渡 る事 を警 戒 し つゝあ り 。
満鉄、朝 飯会其他
年十 二月
昭 和 十 六年 一月
末
﹁泰 仏 印 停 戦 協 定 ﹂ は 日本 が此 の機 会 に南 方 への前 進 基地 を求 め ん とす る にあ り 、 泰 に恩 を売 り代 償 を求 め るか 、 仏 印 を 叩く かる 知 れ な い と観 測 せり 、 停 戦協 定成 立 す るも 何 等 か 秘 密条 約 あ る べし り推 測 し、 調 査 の結 果 之 れ 無 き 事判 明 せ り、 以 上 を 報 告 し 尚将 来 之 を切 っか け に何 等 か進 出 の 口実 を求 む る事 あ る べ きを 附 言 せり 。
満 鉄 、 朝 飯会 、 西 園 寺 等
同年 三月 ︱ 四月
又松岡等 の帰国後独 ソ戦 の見透 しに付西園寺 に訊 したるに ﹁緊張 を 告 せり。
示 せ るも 戦 争 に は なる ま い﹂ り の観 測 を下 し居 り た る を 以 て之 亦 報 ﹁日 ソ中 立 条 約 ﹂は日 独 の対 ソ同時 攻 撃 の危 険 を 一時 解消 せ し め た る も のり し て被 疑 者 等 は 大 いに欣 喜 せ り、 併 し独 ソ開 戦 に際 し 日本 は 果 し て中 立を 守 るや 否 や に疑 問 を抱 け り、 但 し条 約 成 立 当時 の空 気 は 日本 は却 って中 立 の新 し き 義 務 を 生 じ た り とす る 程 中 立 的空 気 強 烈 な る や に看 取 せり 、 但 し 結 局 其 の時 の情 勢 如 何 に依 り何 れ へも 転 換 す る も のと観 測 さ る ゝ旨 報 告 し 。 日 本 の対 ソ攻 撃 準 備 に関 し警 戒 方 協 議 せ り ° 松 岡 訪 欧 に対 し軍 は別 に ﹁山 下 奉 文 申将 を独 伊 に派 遣 ﹂ せり 被疑 者 は之 に対 し山 下 の使命 の方 が松 岡 の夫 れよ り遙 か に重 大 なり 、 日本
新聞社情報を基礎とす
﹁松 岡 外 相 訪 欧 の使 命 ﹂ は種 々取 沙 汰 さ れ、 之 れを 調 査 す る に、 近 衛 側 近 に て は大 し た 期待 を有 さ ざ る事 、 随 行 す る西 園 寺 も ﹁松 岡 が 欧 洲 の実 情 を 親 しく 見 て今後 の外 交 の手 を打 つに資 す る 丈 け で あ る﹂ り云 へるを 以 て其 の具 体的 成 果 に は大 し て期 待 を 有 せ ざ る事 判 明 、 其 の旨 報 告 せり 。
ρ
昭和十 六年 五月
昭和+ 五年 八月
べし 、 と 報 告 す 。
の戦争政策を決 定す るも のは政府 に あ ら ず し て軍 なる が故 に 注 目す 松 岡 は 就 任当 痔 新 人 起 用 のゼ スチ ュアを 用 ひた る に不拘 ﹁野村 大 将 を ア メリ カ大 使 L に任 じた り 、之 れ は野 村 は ル ー ズ ヴ ェ ル ト を 始 め フ メリ カ に知 人 多 し と の事情 に着 目 し た るも の にし て松 岡 の対 米 交
渉 に対す る期待 の強き事を察知 せ ら る と報 告 す 。 申 立態度 を決定 せる事を探 知報告す
﹁独 ソ粥 哉 後 の諸 青 勢 ︱を調 査 し 日 本政 府 は十 九 日 独 ソ戦 に対 す る
末
六月 二十 三日軍部は対英米関係 の悪化 と 独 ソ戦 に対 応 す る意 味 を 以 て ﹁南 北 に亙 る 広 汎 な る作 戦 計 画 者を 決定 せ り と の事 実 を 探 知 報 告
昭 和 十 六年 六 月
同
﹁七月 二 日 の御 前会 議 ﹂ は独 ソ戦 開 始 後 の急変 に備 ふ べく 前 記 軍 央 定 の南 北 統 一作 戦 を根 幹 と し て 失 走 せ ら れ た る も の な り 、 夫 芭 碁 ・ 頁 ふ と云 ふ箏 等 を 探匁 し 報告 す 。
な対米交渉は継続す るが大動員を行ひ南部仏 印及満洲国 に増兵を行
す 。
同 年 七月初
末
同 月
﹁動員 ﹂ は 七月 初 め より 日 本 全 国 に 亙 り て開 始 さ れ たる を 以 て之 に 謁 す る麿 鰻 ぱ町 の潭 乞 蒐 嚢 ぜり 、其 の中 に は風 見 章 の五 百 万動 員 説 あ り た り、 勘 員 敗 ぱ七 月 末 に 至 り大 体 百 万内 外 が真 相 近 き事 剤知、 馴 得 た り、 七月 末 織 田 信 太 郎 よ り 北 に 二 十 五万 、 南 に三 十 五 万、 日本 在 留 四十 万云 々を 聞 知 せり 。
半
同 年 八月
﹁対 ソ攻 撃 無 し と の情 報 ﹂ を得 たり 即 ち 日本 が対 ソ進 攻 を 開 始 せん と せぱ 遅 く も 八 月 終迄 に発 足 せ ざる べか ら ず然 る に ド イ ツ の村 ソ改 撃 は ス モ レ ン スク 地区 に於 て阻 まれ た る為 大 体 本 年 は中 止 に至 る 弥 の と観 測 せら れ た り、 其 の間 政 府 部 内 、軍 内 部 、籍 関 東 軍 等 の意向 と し て対 ソ匪 戦見 合 せ の情 報 を 得 た り 、斯ぐ て八月夫迄 にぱ大体蜘 の 確 実 な る 事 を燦 知 せり 、 但 し若 し ソ聯 が大 孜 を契 す る加 き 罫 あ ら ま 今 後 と 雄 も進 撃 を開 始 さ る ゝ危 険 あ 01 と附 言 しで 以 上 を 報 告 す 。
が 軍 よ り受 け た る 齢 送命 令 / 、 一北 支 よ り ≡ 子 靹 の 貨 車 を 掴 ﹁し た る
以 上 を 籍報 告 す 。
年 九 月
同
九 月初 大 連 に開 催 せら れた る ﹁新 情 勢 の 日本 の政 治 経 済 に 及 ぼす 影 響 設 査 L の会 議 なヅ ルゲ の要 求 に沿 ふ絶 好 の会 議 なり し を 以 て之 れ に仕 席 し新 京 、 奉 天 の支 社 及本 社 を経 て帰 京 した る が 其 の間 ﹁満 鉄 事 者 、/ 軍 よ り待 磯 を命 ぜ ら れ た る碕 鉄 人 員 は亟 め て革 少 の入員 致 弔 に 止 り た る事 ﹂、 ﹁満 鉄 増 強部 隊 は大 体 倍 (三五ー 四 十 万 )籍 と推 定
一般情報
西園寺其 の他
田中慎次郎
〃
〃
〃
ル
ゲ
ゾ ルゲ・ 皇
城
風見章、織田信太郎其 の他
〃
ゾ
満 鉄 、 朝 飯 会 、 西 園寺 其 の他
〃
西園寺公 一
満鉄本社員 後藤憲章、其 の他
同年 五月 より 七 月迄
同 年 八月 - 九 月
ぜ ら る S蓼 ㍉ 講両吠 噛 欧首9 建 投 酬旧の 股 近 の 伏 況 及 鵬 浦⋮へ建 設 予 定 籍 ﹁
ゴ北 満 の郎 隊 を南 溝 に 下籍 げ籍 で越 冬 せ し む る計 画 あ る 事 ﹂ 、 ﹁満 洲経 済 肩 勢 の悪 化 一 等 の諸肩 報 蚊 現 地 事 情 及 之 等 に 基 き 全 体 と し て対 ソ政 牽 鋼 き 事 は涼
定的 なレどの結論を得委細報 告す。
﹁日 米 交 捗 ﹁に 付 次 の如 く探 知 報 告 せり 。 喘 型 嵐る. 松 習 は政 府 が不 在 中 対 米 交渉 を開 始 せ る を見 て心 平 か 電ち ざ 倒 事 、 交 渉 開 姶 は籍 朝 日 の田 中 より 聞 知 せ る が 七 月 一 籍 一 日 の揖 前 会 講 に於 て も対 米 交 渉 の継 続 は中 心問 題 の 一っ なり し 事 等 尚対 米 夕 渉 誠 功 の可 能性 に就 て は見 込 薄 なる 事 等 を報 告 す ,
朝 飯 会 、 満 鉄 、其 他 、西 園 寺 、
田中 慎 次 郎 ?
﹁ヨ 米 芝 歩 の 条 牛 /ぱ 大 体 の 予 旧いぱ 付 き た り 、即 ち 日 本 側 と し て は 、 満 鉄 、 西 園 寺 公 ↓、 其 の他
聾 与 こ母 す る ア メ リ カ の 緯 旋 ( ア メ リ カ 側 と し て は 、 ︱日 本 の 三 匡
7別 刈 ■. 切 似鉦 独 玲動 類 系 か動 変 、 珠 に哉 争 還 行 賢 材 と し て の石 油 、 装 穿 η入手 、 ﹁動 卵 堅 劉 葬 央 に対 す る ア メ リ ヵ の援 助 ﹂、 ﹁南 方 資材
﹁ ﹁日籍 本 籍 の南 進 中 止 ﹂、 、
剛謁 か 向 O事 実 上 の離 脱 い 、籍 ﹁支 那 から 事 実 上 日本 は手 を引 く 事 し 、 と予 隙 b す、籍 , 之 等 副 付 き折 々西園 寺 に訊 し之 れを 確 め 得 たり 、 九 母粒 亙鶉 寺 よ レ対 米 申 入 書 の写 を提 示 さ る、 其 の内 容 を 瞥 貝 せる く籍 覧 ぐ ひ瞭 象 と大 垂 なく 太平 洋平 和協 定 の如 き着 想 に て /拝 せん之 幽 3 葬 狛 弐 ひ訴 乞籍 甑 る 郭 な り き 、印 ち 其 の概 要 は 、﹁日 米 間 に 太 平 洋 腎題 ヶ脆 ︱ 吊島 軽・ の帝 密 籍 [ 籍﹁日 本 題 商 条 陶 の 新 諦 結 二 日 支 関 係 の 謳 整 り ﹂
に関 す る事 項 ﹂﹁日本 の国 際 的 地 位 ﹂ 一 南 洋 の資源 に僕 す る事 準 等 な
西 園 寺 公 一其 の他
(太 平 洋 に於 け る 国 際 関 係 の特 殊 性 ー︱枢 軸 国 と の関 係 ) 以上報告す。
朝 飯 会 、満 鉄 、 其 の他
1十月
昭和十六年八月
﹁ヨ 衆 蓮歩 の親 恨 ︱に就 て は冶 め破 疑 者 等 は之 れ を 九 月末 と 測定 し、籍 胱 ζ届 昂糊 矧 ど の説 も あ甑 更 に最 後 に私 見 とし て ﹁ 年 内 一杯 待 たね ば な り ぬ﹂ ど の注 意 を 述 ぺた り G
年
八
七
月
同
年
察
﹁籍 二欠 丘 蔚 勾 銅 よ り第 三吹 への浜 換 事 憎 ﹂ は政 変 と は云 へ肉 罐 改 吉 獅・ 生 瓢 転 輸 豹剰 沼 、卯 旧、 近 衛 等 と感 情 的 に疎 隔 せ る、 松 岡 を匿 鰯 噂遭 放 し だろ 丈 け の事 な り、 之 に より 対 米交 渉 は 一段 力 を 入 れ て 見 る姿 勢 な る事 は確 実 なり と報 告 す 、
同
視 月
﹁アメ リ ヵ噛 暫 訟 宰 隆 毎 映通 過 問題 ﹂ に就 き報 告 す 即 ち 此頃 眺海 道 を衆 行 し人 心 の緊 張 を知 りゾ ル ゲ は此 の問 題 よ り 油 楮 船 の掌 搭 摯 洪 の姐 ぎ 事起 る にあ らず や と の危 限 を抱 き た るも 、 米 ソ 両国 を敵 とす る 事 は 取 ら ざ る を 以 て抗 議位 に て終 らん と の観 測 を報 告 す `
〃
〃
〃
ゲ
宮 城 、ソ ル
ゲ
籍ソ
'
昭 和 十 二年 、 十 三年 、 十 四 年 中
﹁金 の保有量 ﹂は戦争 の初期 に於 ては経済 的命脈 を保 つ為 に重大な る 意 義 を 有 す と認 め之 れを 調 査 し ﹁日 本政 府 の金 保 有 量 幾 何 ﹂﹁金 の 現 送幾 何 ﹂ を其 の都 度 報 告 す 。
鉄
諸情報〃
﹁貿易 関 係 に就 て﹂ は物 動 関 係 か ら見 た る十 五年 度 貿 易 のバ ラ ン ス 満 は 輸 入 二 十 二億 円見 当 、 輸 出 は十 四 、 五億 円 と報 告 す 。
〃
〃
昭和 十 五 年 中
水野成
支那事変 の日本農村 に及ぼせる変化及経済状態調査。
〃
視察旅行其 の他満鉄
織田信太郎等
〃
満
鉄
昭和 十 五年 夏
﹁戦争 と 日本 の農 村 ﹂ 満 鉄 調 査部 員 伊藤 律 の社 務 とし て の調 査 せ る 南 方 問 題 り共 に ﹁船 舶 保 有 量 調 査 ﹂ の必要 を生 じ、 一千 噸 以 上 の船 舶 は 七 百 万噸 位 なる を 以 て現 在 に於 ても 不 足 なる に依 り南 方進 出 の 場 合 は確 実 に 不足 す べし、 と の報 告 を行 ふ 。
プ リ ン ト 。
同 年 五、 六 月 頃
﹁日本 経 済 界 の動 向 ﹂ に就 て調 査 し其 の都 度 報 告 せる も 記憶 に残 り た る は ﹁大 阪 財 界 の緒 戦 に於 け る意 向 ﹂ ﹁ 四月危機説﹂等なり。
〃
昭和十六年初夏
昭和 十 二 年 夏 昭和 十 四 年 春
満鉄、水野成等
〃
昭和 十 五 年 夏
﹁米穀 不足 問 題 ﹂ は戦 時 下 の日 本 に於 て の大 問 題 と なれ り、依 て米 不 足 の原 因 を調 査 し之 が自 然 条件 に 基く も の にあ ら ず し て肥料 労 力 の不足 、農 村 への イ ンフ レ の浸 透 等 長期 戦 に内 在 す る も のな る事 を 明 か にし 報告 せ り 。
〃
〃
満 鉄十五年度業務計画 とし て被疑者 る之 れに関与 せる為之れを報告
宮西義雄
﹁昭和 十 六年 米 穀 需 給 予 想 ﹂ ﹁支 那満 洲 に於 け る イ ン フ レ ェシ ョン﹂ 満鉄其 の他
五、 十 六年
﹁紙 幣 発 行 高 ﹂ は昭 和 十 五年 十 一月頃 の予 想 と し て年末 に は 五十 億 に達 せ ん り報 告 す 。
〃
同年 秋 昭 和 十
昭和 十 五年 十 一 月頃
﹁石 油 貯 蔵 量 ﹂ に就 ては満 鉄 社 内 の ﹁新 情 勢 会議 ﹂ に於 て 日本 の現 下 の問 題 は或 る 注 味 に 於 て石 油 問 題 であ る と の提 示 存為 し た る に宮 西 より 日本 の現 有 量 の概要 を得 た る を以 て報 告 す 。
なし
す。
昭和 十六年 九月
英 米 の資 産 凍 結 に関 聯 し ﹁生絲 の輸 出 金 額 ﹂ を訊 ね た るを 以 て約 四 億 と報 告 す 。
大朝編輯局
ゾ ル ゲ又 は 宮城
〃
同月
満 洲 に在 る師 団 の配 置 、 師 団 長 名 、 守 備隊 の所在 地 等 に付 き 調 査 し て報 告 す 。
〃
昭和九年春︱秋
昭和十年春︱冬
年
夏
頃
昭和 十 一年 春 同 昭 和 十 三年 八 、 九月頃
昭和 十 二 年 秋
昭和 十 三 年 春
﹁世 界 各 国 の軍 の装 備編 成 ﹂等 に関 す る ノー ト を 入手 報 告 す 。
日本 の重要 なる軍需 工場 に関す る記録 列 車 砲 、 鉄 道 隊 等 に関 す る事 項 。
﹁支那満洲派遣部隊 ﹂名 を新聞社備付 の表 より写取り報告す﹂ 平綏線 一帯 が昭和十 一年頃北支駐屯軍 でなく関東軍 の駐屯に決 定せ る事 は 対 ソ作 戦 の場 合 此 の地 帯 が 有 力 な る戦 線 の 一翼 に立 つ事 を暗 示 す る旨 、 支 那 事 変 勃 発 後 張 河 口 に後 宮 兵 団 の司令部 出来 、 之れ が 南 下 せ る旨 を報 告 す 。
満洲より南 下せる機械化兵団なる事 及之等部隊 の 一部は後に太原 に
も台 漢 の南 に待 機 し 居 た る事 等 を報 告 す 。
海南島進攻を新聞従軍記者派遣 により て知り更 に此 の部隊 は何 ヶ月 ﹁在 支 部 隊 名 及所 在 ﹂ を 報 告 す 即 ち 、﹁南 支 に旅 行 し 在支 部 隊 の 所
東朝編輯局
同 人
同 人
篠塚 虎雄
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〃
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ル
ソ ルゲ
ゲ
宮城 を通 じ
城
ゾ ルゲ、 宮
〃
〃
〃
〃
ソ
朝現地特派員
東朝社内
現地視察其 の他水野成〃
満洲協和会に出席滞在中 に知り得たる在満部隊 の二三及所在地部隊
海江 田久孝
昭和 十 四 年 夏
昭和十 五年十月
﹁日 本 陸 軍 師 団新 編 成 表 ﹂即 ち 内 地 、 北支 、中 支 、 南 支 及 満 洲 国 に 駐 屯 せる 師 団 名 を和 文 タ イプ と せる も のを 入手 英 文 に訳 し提 出 。
在地 及師団長名を取纒む﹂﹁ 京都師団 の派遣先を調査せしむ 」﹁満鉄 上海事務所 に於 て開催せる支那抗戦力測定会議出席者 より聴取す﹂
昭 和 十 六年 三 、 四月頃
同 人 篠塚虎雄
一般 よ り探 知
同 年 五、 六 月 頃
前 表 を 訂 正 し 師 国長 名 を加 へ、 前 文 に陸 軍 の異 動 予 想 表 を 加 へた る も のを 入 手報 告 、其 他 支 那 事 変 以 後 師 団 の甲師 団 、 乙師 団 の区 別 は 撤 廃 さ れ伺 れ も 甲 師 団 と な り た る旨 を 説 明 報告 す 。
長名等。
同 年 七 月 末
﹁南部 仏 印進 駐 ﹂ に就 て報 告 す即 ち 、大 動 員 に依 り 南 方 へ仏印 、 南 綜合情報 部 西 貢地 方 に有 く も の と察 知 し進 駐 部 隊 は 二個 師 、 海 軍 部 隊 を加 へ 四 、 五 万 と推 定 報 告 す 。
月
水野成
八
京都師団応召者 の動静 。
年
同
鉄
満 鉄 満
﹁満 鉄 調 査 室資 料 月報 ﹂最 後 の二 、三 ヶ月 は政 治 情 勢 のみ を手 交 す 、 政 治情 勢 は被 疑 者 の執 筆 に係 り ソ聯 への報 告 を 意 識 し て執 筆 せり 。
ソ聯国境 の我軍 の兵力配 備状況 ﹂
昭和十五年 初︱ 十六年四月頃 昭和 十 四 年 秋
昭和十五年三月 ﹁支 那 抗戦 力 調査 ﹂関 係 文 書 中 ﹁支 那軍 政 状 況 報 告 ﹂、 ﹁上海 経 済 の 支 那 抗 戦体 制 中 に占 む る地 位 ﹂ 等 を 提 出 せ り 。
〃
〃
〃
〃
〃
﹁新 情 勢 の日 本政 治 経 済 に及 ぼ す 影 響 一と題 す る十 六 年 九 月 の大連 に於 け る会 議 に東 京 讃 査 室 よ り捉 出 せ る文 書 を 捉 出 す 。
〃
昭和十六年九月 頃
西園 寺 公 Ⅰ
新聞社等
〃
陸 軍 省 情 報 部 発 行 パ ン フ レ ット 。
犬養健
昭和九︱十 二年
﹁日 華 基本 条 約 草 案 ﹂を 入 手 し 之 れ を摘 録 提 供 す 、 之 れは 阿部 大使 と涯 と の間 に て 八月 に作 製 さ れ 、之 れ を 日本 に持 帰 り 最 後 の検 討 を 試 み つ Σあ り た るも の に し て後 に 発 表 さ れ た る条 約 文 の外 に秘 密 条 項 を 包 含 しあ り た り 。
発 行 者 より 寄 贈 さ れ た るも の 書 店 よ り購 入 のも の
帯 中支 三角 地 帯 の事 、 駐 兵 権 の事 、 撤兵 の原 則 等 を 規 定 し 、附 属 文 書 中 には 関 税 の事 も 記載 し あ り たり 。 右 は 後 に高 宗 武等 の香 港 に於 て暴 露 せ る も の と 同 Ⅰなり 。
約草 案及附属交換文書 の写、本文には近衛 三原則を始め北支特殊地
﹁日支 交換 文 書 ︻即 ち 圧 と日 本 側 と の間 に取 交 さ れた る 日 華 基 本条
昭和十五年九月 末又 ハ十月上旬
国内政治団 体表
昭 和 十 四 年
昭和十六年春
東 京 市近 郊 地 図 (参 謀 本 部 、 陸 地 測 量部 編 纂 二十 万 分 ノ Ⅰ) 二 、 三 枚 何 れも提 出 す 。
山 名 には
九津見 には
宇垣大将系政 治情報、北海道及樺太 の情勢、其
東方会、全農、東北地方及満洲国方面情勢、其
左翼及無産 政党系 の情勢、其 の他
して
田口 には
樺太 及軍内情勢
大阪、和歌山方面情勢、其 の他
宮 城与徳
北 林 には
(五 )
日本共産党出身 の九津見 房子、山名 正実、田 口右源 太
小代 には
橋 本 には
り昭和 八年十 一月以降 ソ聯共産党中央機密部 の 一員としてゾ ルゲに 所属、尾崎 と共 に対日諜報機関 の中核を為したり、本人 の組織 せる 諜報員 は
軍 の配備、装備、軍 器の性能、其 の他
の他
の他
米 国共産党出身 の北林 トモ
昭和七年末米国共産党 日本人部内 コミンテルン派遣員 の選抜 に依
米国帰朝者秋山幸治、陸軍伍長小代好信、陸軍中尉橋本隆司等 に
に依 り 情 報 を蒐 集 し、 尾 崎 の齎 す情 報 を も含 め て之 れを 整 理 し、 秋
合 場 所 に 臨 み或 は スケ ッチブ ック を携 へて諸 方 を 遍 歴 す る等 の方 法
業 の画家 等 の間 に交 際 を 広 め 、 或 は自 ら出 征 兵 士 、 帰 還兵 士等 の集
を 調 査 せ し め、 又 自 己 の出 身 県 た る沖 縄 県 人 、 ア メ リカ帰 朝 者 、 同
ア ワー ホー ム即 ち ﹁我 々 の母 国 ﹂ と呼 び て ソ聯 の為 に 一喜 一憂 す る
事 多 か り し が 三者 の関 係 は肉 身 の兄 弟 よ り も 緊密 に し て共 に ソ聯 を
特 に宮 城 と は頻 繁 に連 絡 し て 尾崎 の報 告 を も 同人 を通 じ て聴 取 す る
擢 み唇 歯 輔 車 の間 柄 を 為 す、 ゾ ルゲ は尾 崎 及 宮城 と 定期 連 絡 を 有 し、
を得 る に対 し之 れは 一般大 衆 の中 より 又 自 ら の踏 査 に依 り 諸 機 密 を
日
報
項
目
知
蒐 集
方
法
及 蒐
宮 城 の探 知 せる情 報 及収 集 せ る資 料 次表 の如 し。
探
集
先
宮城調査
宮成探査
提
は勿 論 、 互 に事 発覚 せ ば 生命 を 絶 ち て機 密 を守 る盟 約 を 為 し居 た り。
山 幸 治 を し て英 訳 せ し め、 首 魁 ゾ ルゲ に報 告 し つ ゝあ り たり 。 尾 崎 の政 治 及経 済 に甚 だ 通 暁 せ る に対 し 宮 城 は軍 事 研 究 家 篠塚 虎
月
雄 に学 び て軍 事 に精 通 し、 尾 崎 の上 層 部 よ り 統 一整 理 さ れ た る情 報
年 昭和九年月日不詳
尾 崎 秀 実 よ り聴 取 せ るも の及宮 城 の探 査 せ る も の
宮城探査
一、 一般 政 治 問 題
一、 一般 国 内 政 治 問 題
宮城調査
宮城探査
一、 各 月 一般 政 治 情勢 註 =報 告 は主 と し て談 話 に よ る
三月
一、 日本 軍 部 の対 ソ動 向
宮城調査
一、 日本 陸 軍 の対 ソ対 策 註 =定 期 異 動 そ の他 人 的 関 係 に注 意 し 対 ソ攻 撃 の可 否 を探 査 し たも の
〃 四月
一、 一般 政 治 間 題
宮城調査
宮城調査
〃 〃
一、 軍事 と技 術 (抜 書 )
尾 崎 秀 実 よ り 聴取 せ るも の及宮 城 の探 査 せる も の
陸軍軍事普 及部出版 より抜書
〃
〃
一、 一般 農 村 問 題
宮城調査
一、軍事 と技術 (抜書)
〃 〃
一、 一般 政 治 問 題
川 合 貞 吉 、宮 城 合 同 調 査
一、 国内 農 業 問 題
〃 〃
一、 日本 軍 部 の各 派勢 力
一、 一般 政 治 情 勢
昭和 十 年 一、 二月
〃
六月
川 合 貞 吉 と宮 城 の合 同 調 査
〃
一、 右 翼 団 体 調 査
陸 軍皇道派、統制派、宇垣派 の勢力調査及び系統図
〃
七月
〃 〃
〃
〃
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〃
〃
〃
〃
〃
十月
〃
〃
〃
九月
〃
八月
〃
一、 軍 部 の国体 明徴 論 (川 島 陸相 談 を含 む )
一、 国 内 一般情 勢
一、 美 濃 部博 士 の機 関 説 問 題
一、 岡 田 内 閣 の対 ソ方 針
一、 阪 神 地 方風 水害 の詳 報
一、 国 内 一般 政 治 情 勢
一、 国 内 右翼 各 派 勢 力 の検 討
一、 一般 国内 政 治 情 勢
尾 崎 秀 実 よ り 聴取 せ るも の及 宮 城 の探 査 し た るも の
宮城調査
尾 崎 秀 実 よ り 聴取 し たも の及宮 城 の探 査 せ るも の
宮城調査
宮城探査
宮城調査
宮城調査
川 合 貞 吉 と 宮城 の合 同 調 査
宮城調査
宮城探査
尾 崎 秀 実 よ り 聴 取 せ るも の及 宮 城 の探 査 せ るも の
宮 城 調査
一、 一般 政治 状 勢
宮城 調査
〃
一、 国 内 米 穀 問 題
宮城 調査
〃
一、 国 内 一般 情 勢
宮城調査
一、 一般 政 治 情 勢
尾 崎 秀実 よ り聴 取 せる も の及宮 城 の探 査 せる も の
宮 城調査
一、 ロ ンド ン海 軍縮 小 会 議 に就 いて
十 二 月
一、 軍 強 硬 派 の 擡 頭
宮城調査
十 一月
〃 一月
〃
一、 相 沢 中 佐 の永 田 鉄 山中 将 刺 殺 事 件
九 津 見 房 子 よ り聴 取 せ るも の及宮 城 の探 査 せる も の
〃
〃
〃
一、 ソ満 国 境 問 題
宮城探査
一、 一般 政 治 情 勢
昭 和 十 一年 〃
一、 二、 二 六事 件 の真 相
〃
〃
二 月
一、戒 厳 令 の公 布 と 東 京 市 の治安 状 況
〃
〃 〃
宮城意見
宮城探査
〃
〃 〃
一、広 田 内閣 成 立事 情
〃
〃
一、 二、 二 六事 件 の 一般 国 民 に及 ぼす 影 響 及 日 本政 治
一、 少 年 航 空 兵 に就 いて (第 一期 卒 業 生 に つ いてを 含 む )
〃 〃
一、 二、 二 六事 件 詳 報
一、 二、 二 六事 件 兵 士 の処分 に就 い て
久 津 見 房 子、 尾 崎 秀 実 よ り 聴 取 し た る も の及 宮 城 の探 知 せ るも の
宮城探査
に及ぼす影響
〃 〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
一月
一、 荷 洲 調東 軍 派遣 部 隊 に就 い て
一、 Ⅰ般 政 治情 勢
一、 二 、 二 六事 件 に伴 ふ陸 軍 の異 動
Ⅰ、 平 生 鉱 三郎 の文相 就 任
Ⅰ、 広 田 内 閣 の対 ソ政 策
〃
〃
乃
〃
四月
〃
〃
Ⅰ、 外 相 有 田 八郎 就任 の事 情
山名 正実 より聴取 せるも の及宮城 の調査せるもの
宮城探 査
宮城調 査 宮城意見 宮城調 査 尾崎秀実より聴取したるも の及宮 城 の調 査せるも の 宮城探 査 山名 正実 より聴取
一、 一般 政 治 情勢
昭 和 十 一年
〃 〃
一、 一般政 治情 勢
一、 北 海 道 、東 北 堆方 農 村 事 情 (米 作 事 情 を 含 む )
〃 〃
五月
〃
一、 第 Ⅰ師 団 の渡 満 に 就 いて
〃
一、 第 一次 第 二 次 武装 移 民 に就 い て
一、 相 沢 中 佐 の死 刑 の判 決 に つい て
〃
五月
〃
〃
〃
昭 和 十 一年
〃
〃
〃
〃
〃
〃
十月
〃
九月
〃
〃
六月
Ⅰ、 陸 軍 定 期 異 動 及 海 軍 大 異 動 評
一、 秋 田県 三菱 尾 去 沢 事 件
一、 二 、 二 六事 件 被 告 に対 す る軍 注 会 議 の巷 置 説 及 事
一、 一般 政 治 情 勢
Ⅰ、 陸 軍 に於 け る 満 洲大 移 民 計 画
〃
〃
十 Ⅰ月
一、 農 民 組 合 そ の他合 法 組 合 に対 す る当 局 の圧 迫
一、九州八幡製鉄所 に於 ける労働状態 一、 北 海 道 石 狩 平 野 に 於 け る陸 軍 大 演 習 に つ いて (今 次 演 習 は対 ソゼ ス チ ュアな ら ん ? を 含 む )
二月
一、 衆 議 院 に於 け る寺 内 対 浜 田 代議 士応 答
一、 二、 二 六事 件 背 後 関 係 者 に 対す る判 決 に つ い て
一、 日 ソ漁 業 条 約 に就 い て
一、 北 樺 太 石 油 問 題
〃
宮城探査 宮城探査 宮城調査 宮城探査 山名正実及宮城 の探査 宮城調査
宮城探 査 金城陽介より聴取 宮城調査
尾崎 秀実、山名正実、久津見房子より聴取 せ るもの及宮 城 の調 査せるも の 宮城探 査 宮城探 査 宮城 探査 宮城調 査 山名正実 より聴取 せるも の及宮城 の調査したるもの 宮城探査
〃
〃
十 二月
件関係者 に対す る東 京市民 の感情
〃
〃
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昭 和 十 二年
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〃
一、 米 内 中 将 の入閣 及人 物 評
一、 林 内 閣 の対 ソ政 策
一、 林 内 閣 の成 立事 情
一、 宇 垣 内 閣 流 産 の真 相
山 名 正実 よ り 聴取 せ るも の及宮 城 の探 査 し たる も の
宮城 調査 宮城調査 宮城調査及其 の意見
尾崎 秀 実 、 山 名 正実 よ り聴 取
山名 正実 よ り聴 取 せ るも の及 宮 城 の探 査 によ る も の
宮城調査
尾 崎 秀 実 よ り聴 取 せ る も の及 宮城 の探 査 し た るも の
一、 広 田内 閣 の総 辞 職 の原 因
〃
〃
一、 教 育 総 監 に寺 内大 将 就 任 す
二月
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〃
一、 中 村 陸 相 病 気辞 任 (?)と 杉 山大 将 の就任 に つ い て
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〃
〃
一、帝国在郷軍人会長鈴木荘六大将 の引退と井上大将
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〃
〃
〃
一、 宇 垣 大将 へ組 閣 の大命 下 る ﹁宇 垣大 将 に対す る国 民 の期 待 ﹂ ﹁ 軍 現 幹 部 派 は決 定 的 に宇 垣 内 閣 に 反 対 であ る﹂ 等 を 含 む
〃
〃
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〃
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三月
一、 林 内 閣 の国 体 明 徴 論
一、伊豆持越 金山火災事件 と社大代議士の取引
宮城調査
尾 崎秀 実 、 山 名 正実 より 聴 取 せ るも の及 宮 城 の調 査 し た るも の
一、 近 衛 内 閣 の成 立 ① 近衛 首 相 、 広 田外 相 の対 ソ政 策
一、林 内 閣 総 辞 職 の真相 (政 友 、 民政 党 と林 内 閣 不信 任 事 情 )
一、 神 風 号 の亜欧 連 絡 飛 行 に就 いて (神 風 号 は陸 軍 の九 六 型 な ら んを 含 む )
山 名 正実 、 時 政 会 、宮 城 の探知 し た るも のの綜 合
尾 崎 秀実 、 山 名 正実 より 聴 取 し た るも の
尾 崎 秀実 、 山 名 正実 より 聴 取 し た るも の
宮城探査
山 名 正実 、 久 津見 房 子 よ り聴 取 した るも の
山名正実及宮城 の探査 宮城調査 宮城調査 宮城調査
一、 乾岔 子 事 件 と関 東軍 の態 度
山名 正実、宮城 の合同探 査 尾崎秀実及山名 正実宮城 の合同調査 一、 北 支蘆 溝 橋 に於 て日支 軍 戦 闘 状態 に入 る
一、乾岔子事件 と軍本部 の不拡大方針
一、国鉄従業員 の増俸要求運動 一、総選挙と社会大衆党 の進出事情
山 名 正実 よ り 聴取 せ るも の及宮 城 の探査 し たる も の
〃
の就任
〃
五月
一、 陸 軍定 期 異 動 評 一 、 一般政 治 情 勢
〃
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〃
〃
一、 全 国 師 団 長会 議 に就 い て
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六月
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七月
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昭和十 二年 〃
"
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八月
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"
" 〃
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八月
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昭和 十二年
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十月
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"
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Ⅰ、 日支 事 変 の見 透 に つ い て (﹁ 国 内 動 員 及 び 出 征状 況 ﹂﹁政 府 は 不 拡大 方 針 を とる ﹂ を含 む)
一、 藍 溝 橋 事 件 の真相 に就 いて
Ⅰ、 藍 溝橋 事件 と日 本 の意図 ﹁北 支 三 省 の独立 計 画 ﹂ (﹁日本 国 内問 題 の深 刻 化 と藍 溝 橋事 件 の必 然 性 ﹂ を含む)
宮 城 私見
尾 崎 秀実 、 山 名 正 実、 久 津 見房 子 より 聴 取 し た るも の 及 宮 城 の探 知 した る も の
山 名 正実 (宇 垣 筋 )及 宮 城 の合 同 調査
新 聞 記 事 を 基礎 とす る 宮城 の私 見
篠 塚 虎雄 よ り聴 取 し た るも の及 宮城 の研 究
宮城探知
山 名 正実 及 宮城 の探 知
Ⅰ、戦 火 上海 方 面 に蔓 延 す る ( 大 山中 尉 、 斎 藤 水兵 射 撃 事件 )
一、 北支 方 面 の戦 闘経 過 (太 沽 占領 其 他 )
一、 海 軍 陸戦 隊 と 上海 市 街戦 に就 い て
山 名 正実 より 聴取 し た るも の及 宮 城 の調 査 した る も の
名 古 屋 に於 て巷 間 より 宮 城 の饗 知 し た るも の
一、海 軍 軽 爆 機 の優 秀 性 能 に就 い て (陸 海 空軍 の比 較 を含む)
Ⅰ、 日本 軍 三師 団 部 隊 上海 方 面 敵 前 上陸 に於 け る犠 牲
一、 防 空 法 の実 施 (内務 省 防 空 局 に就 いて)
Ⅰ、 二、 二 六事 件 関係 真 崎 大 将 無 罪 の判 決 (真崎 大 将 の謹慎 と軍 皇 道 派 の進 出 挫 折 す を含 む )
Ⅰ、国 民 精 神 総 動員 法 に就 い て
一、 臨時 議 会 と臨 時支 那 事 変 費 予 算 (二十 億 四 千 万円 事 変 費 可決 さ る)
一、 近 衛 首 相 の帝 国 政 府 の方 針声 明
橋 本隆 司 より 聴取
橋 本隆 司 よ り聴 取
官 報 より 収 録
山 名 正 実 よ り聴 取 、 宮城 の探 査
宮 城 の研 究
宮城調査
尾 崎秀 実 、 山 名 正実 よ り聴 取
巷 間 よ り宮 城 の探 査
新 聞記 事 及 宮城 の調査
Ⅰ、 通 州 事件 (支 那 保 安 隊 叛乱 に就 い て) 一、 北 支 方 面 の戦 闘 (張 家 口占 領 ) Ⅰ、 戦 区 中 支 方 面 に拡 大 上 海 方 面 の戦 闘
一、 北樺 太 国 境 附 近 の警 備 状 況 (上敷 香 の兵 営 に就 い て)
(日 本 軍・の戦 死 者 多 教 (眉 Ⅰ師 ))
Ⅰ、 軍 特 務機 関 の構 成 ﹁東 亜局 、欧 局 、米 局 、洋 局 ﹂及 ﹁ハルビ ンに於 け る 教 育実 情 ﹂ ﹁特 務機 関 の父 土 肥 原中 将 に就 いて ﹂
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十二月
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十 十 一 二月 月一
一、 政 府 の労 働 組 合 弾 圧
一、 政 府当 局 の左 翼 大 弾 圧
一、 末 次大 将 の内 相 就 任
一、 南 京陥 落 と帝 都 の奉祝 ﹁南 京 陥 落 と 一般 国 民 (国 民 は戦 争 終 結 近 しと 誤認 せ る如 し)﹂ 一、 米 砲 艦 パ ネ ー号 事 件 及 其真 相
二、 陸 海軍 大 本 営 設 置 さ る
一、 日 独 伊 防 共協 定 に就 い て
一、 支 那事 変 と日 本 対英 米 問 題 (ブ ラ ッセ ルに於 け る九 箇国 条 約 を 含 む )
一、 陸 軍 定 期 大 異 動 に就 いて
一、 満 洲 五 箇 年計 画 満 洲 重 工業︱︱ 鮎 川義 介 に経営 一任 さ る
一、 上 海 戦 線 大捷 と国 民 感情 (戦 勝 景 気 を 期 待 す るも の多 しを 含 む )
二、 第 百 師 団 以 下 の編 成 (全 国 的 大動 員 行 はる )
山 名 正実 、 宮 城 の調 査
山 名 正実 、 宮 城 の調 査
宮 城 私見
山 名 正実 、 宮 城 探 査
宮城私見
新 聞 記事 よ り
尾 崎 秀 実 、宮 城 調 査
山 名 正実 、 宮城 の探 査
宮城調査
宮城調査
宮城調査
山 名 正実 、 宮城 の探 査
〃
〃
昭 和 十 三年
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〃
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一月
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一、 王克 敏 の来 朝 と北 支 問 題
一、 軍 当 局松 井大 将 の意 見 一致 せず (南 京 占領 後 対 策 )
一、 独 政 府 を 仲 介 とす る日 支 和平 問 題 (政府 、 軍 本 部 対 出 先 軍 部 の関係 )
一、 陸 軍 と軍 需 工場 管 理
一、 近 衛 内 閣 は 対蒋 政 権 重 大 声明 す (帝 国 政 府 は爾 後
一、 杉 本 良 吉 、 岡 田嘉 子 の北 樺 太越 境 (両 人 の人物 評 )
一、 北支 開 発 問 題
山名聴取
山名聴取
尾 崎 、 山 名 よ り聴 取
宮城調査
私 見 、 ゾ ルゲ の依 頼 に依 り宮 城 探 査
山 名 正実 、 宮城 の探 査 及 私見
〃
〃
〃
五月
〃
宮城調査
宮城私見
命令を含む
①日本無産党、日本労働組合評議会に対 し結社禁 止
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一、 航 研 機 の 周 回 飛 行 に就 い て ( 一万 キ ロ、 ス ピ ー ド
一、 徐 州 陥 落 と 中支 戦 線
宮城私見
尾 埼 より 聴 取
〃
〃
〃
一、 杉 山 陸軍 大 臣 の辞 職 と 板 垣中 将 の陸相 就 任
記録 )
蒋 介石を相手と せず其他 )
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六月
〃
〃
〃
二、 南 支 方 面 戦闘 地 区 の拡 大 と海 南 島 問 題
一、 日本 の北 洋漁 業 査 証 問 題 に対 す る 態度
二、 板 垣 中将 の陸 相 就 任 (陸 軍 強 硬 派 の掩 頭 、 支 那事 変 の拡 大 )
宮城調査
尾 崎 、宮 城 の探 査
宮 城 、山 名 の調 査
宮 城 私見
〃
〃 〃
〃
〃
尾 崎 、 山名 より 聴 取
二、 関 東 方 面 豪 雨 と被 害
宮城調査
〃
二、 近 衛 内 閣 の改 造 ﹁外 相 宇 垣、 蔵 相 池 田 、 厚相木戸、 文相 荒 木 の就 任 と 人物 評 ﹂
山名より聴取
七月
二、 関 西 方 面 の豪 雨 と被 害 状 況
〃
グ
〃
"
山 名 よ り聴 取
尾 崎 、 山 名 より 聴 取
一、 リ ュシ コフ大 将 の越 境 問 題
尾 崎 、 ゾ ルゲ、 山 名 、 宮城 の調 査
〃
一、 張 鼓 峯 事 件 の勃 発 ﹁張 鼓 峯 方 面 は戦 場 と し て は狭 少 な る故 戦 争 の拡 大 はな か ら ん と の予 想 ﹂ ﹁衝 突 の 理 由 は国 境 線 の判 然 しな い事 及 び例 の軍 事予 算 問 題 と の関 聯 あ る も のな ら ん等 を含 む ﹂
尾 崎 よ り 聴取 、 宮 城 私見
〃
三、 リ ュシ コフ の日 本 側 への報 告 其 の他
宮城調査
二、 陸 軍 大 異 動 に就 て
一、 近 衛 内 閣 の対 ソ政 策 ﹁近衛 首 相 の対 ソ観 其 の他 を 含む﹂
北林 、 宮 城 調 査
〃
二、 阪神 地 方 の水 害 ﹁軍 需 工場 に与 へた る損 害 其 他 を 含 む﹂
〃
一、 第 二次 防 空 演 習 に つ いて ﹁東 、中 部 防 衛 司 令 部管 下 燈 火管 制 状 況 ﹂
〃
〃
八月
〃
一、 物資 不 足 、 物 価 騰 貴 、物 資 流 通 不 円滑⋮ の問 題 (関 西 方 面 に於 け る綿 業 問題 、 石 炭 、 木炭 、 鶏 卵 、 マッ チ、 砂糖 、酒 の問 題 を含 む)
二、 政府 の支 那 事 変 処 理 方策 に就 て
一、 張鼓 峰 事 件 の真 相 (羅 南 (第 十 九 師 )花 園 申 尉長 大 佐 等 に つい てを 含 む )
薪 聞記 事 に依 る宮 城 の私 見
宮城調査
尾 崎 よ り聴 取
山 名、 宮 城 の探 査
山 名、 宮 城 私見
宮 城 の研 究
二、 漢 口 作戦 ﹁陳 誠 (蒋 介石 直 轄 軍 )白崇 禧 (広 西 軍 ) と の対 戦 ﹂(第 百 一、 第 百 二六 、第 百 二 、第 百 四 師等
一、 張 鼓 峰 事 件 の見 透 に つい て (陸 軍 首 脳 部 の見 解 其 他を含む)
一、 近衛 内 閣 と対 政 党 問題
〃
〃
昭和十三年
〃
〃
〃
〃
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'
〃
〃
〃
〃
〃
〃
μ
〃
'
が参 加 せ るな ら ん等 を含 む )
宮城私見
小代 より 聴 取竝 宮 城 の探 査
宮城 調 査
宮城私見
一、 中 小商 工業 者 の失 業対 策 及 転業 問 題
十 一月
一、 有 田外 相 の親 任 (有 田人 物 評 )
北林 、 宮 城 の探 査
尾 崎 より 聴 取
十月
〃
一、 宇 垣外 相 の辞職 (近 衝 対 宇 垣 問題 を含 む)
宮城 私 見
〃
〃
〃
一、第 二次 東 部 防 空 訓練 に就 て (燈 火管 制 が主 であ る 等 を含 む )
〃
〃
一、 興 亜院 の開 設 と 柳 川中 将 (柳 川 中将 人 物 評 )
ゾ ル ゲ 、 宮 城 の探 査
宮 城 私見
〃
〃 〃
〃
一、 独 コ ン ド ル機 マ ニ ラ沖 に て 不 時 着 ﹁コ ン ド ル 機 不
一、 広 東 方面 治 安 問 題 に就 て
〃
〃
〃
一月
〃
〃
〃
〃
一、 平 沼 内 閣 の成 立 と新 内 閣 の性 格
一、 近 衛 内 閣 総辞 職 の原 因
一、 日 本 に於 け る 人 民戦 線 運 動 に 就 い て (大 内 、 脇村 、 美濃 部 の諸 教 授 及 び山 川 、 稲 村 、青 野 の思 想 傾向 )
一、 天津 英 仏 租 界 問題 と北 支 軍
一、 陸 軍 航 空 総監 部 の新 設 ﹁ 初 代 総 監 東 条 中将 ﹂﹁陸 軍 航 空 兵 力 の増加 及 び量 よ り質 への転 換 (支 那 事 変 の 経 験 よ り来 た るも の)﹂
一、 寺 内 大 将 北支 より 帰 還 (寺 内 大 将 の人物 評 )
宮 城 の研 究
尾 崎 、山 名 より 聴取
山 名、 九 津 見 よ り聴 取
河 合 貞 吉 よ り聴 取 及 宮城 の調 査
新 聞 発表 に よ る
尾 崎 、山 名 より 聴取 、宮 城 の探 知
宮 城 私見
〃
〃
昭和 十 三年 十 二 月
〃
〃
一、満 洲事 情 ﹁満 洲治 安 問 題 ﹂ ﹁北朝 鮮 (図們 )吉 林 間 鉄 路 に就 て﹂ ﹁北 部朝 鮮 水 害 に つ いて ﹂﹁延 吉 (間 島 省 ) の駐兵 に つ い て﹂﹁張 鼓 峰 問 題 に派 兵 さ れ た 予 備 役 兵は 撤 兵 し つゝ あ り ﹂﹁張 鼓 峰問 題 後 報 ﹂ ﹁公 主 嶺 守 備 隊 の戦 車 及 航 空機 に 就 て ﹂を 含 む 一、 日 本 軍 の南 支 作 戦 と戦 場 の拡 大 ﹁日支 事 変 収 拾 不 可 能 な ら ん の予 想 ﹂﹁第 四 師 、近 衛 師 、参加 せ るな ら ん﹂ を 含 む 一、 靖 国 神 社 臨時 大 祭 と日 支 事変 戦 死 傷 者 に就 て
〃
〃
〃
〃
時 着 原 因 ﹂ ﹁コ ンド ル機 の性 能 及 日 本 側 の コ ン ド ル 買 収 は決 定 的 な ら ん ﹂ を含 む
〃
昭 和 十 四年
山 名 よ り 聴取
尾 崎 よ り聴 取
〃汪
一、 社 大 東 方 会合 同 問 題 経 過 (日本 に於 け る人 民 戦 線 運 動 の方 向 転 換 及 び社 大 の フ ァ ッシ ョ化 を含 む )
注■ 兆 銘 、 曾 仲鳴 一派 と 日本 出先 軍 部
〃
二月
一、
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昭和十四年 〃 〃
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三月 〃 〃
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〃
三月
〃
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一、 満 洲 青 少年 義 勇 軍 に就 い て (内 ヶ原 訓 練 所 に於 け 〃 る訓 編 を 含 む )
一、 陸 軍 定 期 異 動
一、 上 海 テ ロ事 件 に就 い て
一、 山 東 南 部力 面 の新 作 戦 ﹁青島 方 面 敵 前 上 陸 ﹂﹁ 新四 軍 の進 撃 に打 撃 ﹂ を 含 む
一、 海 南 島 作 戦 に 就 い て
一、 近 衞 と 新党 問 題 ﹁所 謂 挙 国 新 党 ﹂﹁政 民 両 党 の新 党 に対 す る 白 眼 視 ﹂ を含 む
一、 平 沼 内 閣 と米 穀 問 題
〃 〃
一、 中 支 軍 、 支 那 軍 四 月攻 撃 反 撃 中 支 、 南 昌 、 漢 水 方 〃 面 新 作 戦 (第 一師 参 加 ) 一、 資 材 、 物資 不 足 に よ る中 小 商 工業 者 の危 機 及 び政 〃
一、 第 四 師 団 管 下 動 員 及 大 阪 方 面地 方 農 村 事 情 一、 関 西 枚 方 陸 軍 火 薬 庫 爆 発 一、 藤 田 少 佐 (航 研機 の テ スト パ イ ロ ット) 沙 洋鎮 方 面 に於 て戦 死 す 満 洲 よ り試 験 飛 行 を 行 へるも のな るも 支 那 軍 飛 行 場 に着 陸 惨 禍 を被 れり ﹂ と を 含 む
〃
〃
〃
取調中
尾 崎 よ り聴 取
尾 崎 、 山 名 よ り聴 取
宮城 の研 究
一、 民 政 党 と時 局便 乗 ﹁ 東 亜国 民 再 建 運 動 ﹂﹁ 大 陸国 策 山 名 よ り 聴 取 、宮 城 の調 査 を 中 相 と す る 革新 政 策 ﹂
〃
〃 〃
計 画 と の説 あ り ) 一、 新 南 群 島 に就 い て 一、 田辺 逓 相、 小磯 拓 相 就 任 ﹁平 沼 色 の強 化 と 国 内 問 題 ﹂﹁賃 銀 統 制 令 其 の他 ﹂
〃 〃
〃
一、 海 南 島 作 戦 (二 ケ師 な ら ん ) 一、 汪 精 衛 の声 明 と注 の動 向
一、 精 動 中 央 聯 盟 平 沼 内 閣 の反動 化
〃
〃 〃
〃
〃
取調 中 〃
〃
四月 〃
一、 総 動 員 法 を 繞 る軍 部 財 閥 の相剋 ﹁戦 時 体 制 の 強
府 の方針 (巷間政府資 本十 万円以下 の小資本を潰 す 〃 〃 〃
〃
〃
〃
〃 〃
一、 日米 問 題 と斎 藤 大 使 の死去 (親 独 、 新 英 米 派 、 軋 轢 の犠 牲 を含 む )
化 ﹂
〃
一、東 部 防 衛 管 下 の防 空 演 習 に就 て
〃
〃
〃
躍
〃
'
〃
〃
〃
〃
〃
〃
五月
〃
〃
〃
〃
六月
Ⅰ、 独 伊 軍 事 司 盟 成 立 と 日本 敗 符 の憲 窒 (日 本 政 治指
戦 参 加 以 後 板 頃塵 相 に よ って改 編 昭 和 十 四年 、若 干
導部 は同盟参加を危険視 逡巡す るを含 む) Ⅰ、鈴木政友会総栽 の病気引退 と久原房之助後任総裁 推薦及び政友鳩山、中島 派の分裂 に就 いて ﹁、元公主嶺戦車隊 の内容 (公主嶺戦車隊は北支山西 (ニケ中隊)東部 国境慶源部隊参加を含む) 一、 満 洲 西 部 ハイ ラ ル方 面 兵 力 に就 い て Ⅰ、 榔 弾筒 小 隊 に 就 いて
〃
〃
〃 〃
Ⅰ、 政 友 両 派 本 部 に抗 争 を 続 け警 視 庁 よ り 立退 を命 ぜ ら る (政 党 の没 落 と断 末 魔 の抗 争 を含 む )
〃
〃 〃
〃
一、 満 洲東 部 国境 東 寧 、 緩 券 河 、 東 寧 、 土 門子 慶 源 力 面 の兵 力 及 装 備 Ⅰ、満 洲東 部 国 境 東 寧 、 土 門 子 、 慶 源 方 面 に於 け る兵 員 訓 練情 況 Ⅰ、 北 支 山 西 原 大 原 攻 略 (昭 和 十 二 年 十 Ⅰ月 )長 谷 川 快 足 部隊 戦 闘詳 報 一、 ノ モ ン ハ ン日 ソ軍 衝 突 真 相 ﹁ノ モ ン ハン事 件 発 端 は 日本 軍 の外 蒙 航 空 陣 地 後 退 を 策 し た事 よ り 始 ま る ﹂ と ﹁日本 軍 の外 蒙 軍 を 問 題 視 し て み な い ﹂等 を
含む
〃
七月
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〃
〃
〃
〃
小代好信 より探知
〃
〃
取 調中
宮城探知
〃
〃
小代好信 より探知 宮城 の調査
宮城私見 宮城探知
小 代 好 信 、 宮城 の探 知
鵬甕叢
Ⅰ、 日本 政 府 欧 洲 情 勢 対 策 決 定 (独対 英 仏 悪 化 を含 む) Ⅰ、 天 津 英 仏 租 界 隔 絶 問 題 と北 支 軍
〃
﹁チ チ ハ ル Ⅰケ 緬 一﹁ハ ル ビ ン 、
Ⅰ、 東 京 方 面 防 空 演 習 に就 いて (防 火 演 習 を主 と す る も の であ るを 含 む ) Ⅰ、 貿 易 省 設 置 に 対 し 陸軍 側 の強 硬 態 度 及 び外 務 省 の 態度 Ⅰ、 満 蒙 国 境 に於 け る 日満 聯 合 攻 撃 ﹁軍 中 左 翼満 洲軍 は戦 意 な く 敗 走 せ り と ﹂
Ⅰ、 日英 天 津 問 題 交 渉 難 航 (東 京 に於 け る排 英 大 会 圧 迫 さる)
団 ﹂ (兵 数 不 明 ) ﹁ハイ ラ ル、 公 主嶺 航 空 隊 ﹂
新京方面兵力﹂﹁公主嶺機械 化聯隊 ﹂﹁満洲軍西部軍
(旧 式 タ ン ク ) あ り
一、 事 変 当 初 の ノ モ ン ハン戦 闘 に参 加 せ る 日本 軍 兵 力 (ハイ ラ ル航 空 隊 一ケ師 、 騎兵 ニ ケ聯 隊 機 械 化 部 隊
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〃
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七月
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〃 〃
昭 和 十 四年 〃
,
九月
ミ
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一、 陸 軍定 期 大 異 動 (朝 香 、 東 久 魎 両 宮 殿 下 大 将陞 進
西尾寿造中将大将進級其 の他) 二、 米 穀統 制 施行 と 農 村 の実情 ﹁東 京 大 阪 市 蚊 新 潟 、 石 川 県 堆 方 に於 け る買 漁 り 対 策 ﹂ ﹁地 主 対 小 作 人 関 係﹂
二、北支 河北平野 の大洪水 と天津 租界 の浸水実情 二、 日英 会 談 難 航 (北 京 天 津 問 題 ) 二、 ノ モ ン ハン に於 け る 目 ソ航 空 部隊 の戦 闘 、 戦 果 は
尾崎より聴取 宮城 の探査 宮城 の探知及私見 川合貞吉 より探知 宮城私見 宮城私見 宮城私見
一対 二と 思 わ れ る
一、 ノ モ ン ハン戦 果 に対 す る軍 情 報部 の宣伝 を国 民 は 信 頼 せ ず戦 果 に対 し て は悲 観 的 であ る
小代好信 蚊宮城 の探査 尾崎 より聴取、宮城 の私見 を含 む 宮城私見
小代好信蚊宮城 の探査
二、 三島 野 砲 中 隊 の全 滅 (八月 二 十 七 日大 砲 撃 戦 ) 二、 平 沼 内 閣 総 辞 職 に就 て 一、 日 ソ戦 戦 果 発 表 と 一般 国 民 感 清 (一般 ヨ 民 珊 に於
ては敗戦的空気濃厚) 二、 ノ モ ン ハン事 件 戦 果 に 於 け る 真相 と伝 へら れ るも
〃
三、 日 ソ停 戦 と 一般 市 民 の声
宮城 の探知 尾崎秀実より聴取及宮城 の探知
〃
〃
二、関東軍参謀長磯谷廉介中将帰還 の真相 (参謀本部
宮城 の私見
〃
〃
〃
の
〃
〃
宮城私見
宮城 の探知 尾崎秀実 より聴取
宮城 の調査
〃
二、 阿 部 内 閣 の成 立 ﹁予 期 せざ り し 阿部 大 将 への大 命 降 下 ﹂︱国 民 の新 内 閣 に対 す る期 待 (少 数 閣 僚 )は 強 力 門 匿 であ るL一阿 部 と荒 木 人 物評 (戦 場 の経 験 のな い将 軍 阿 部 対 荒 木 と の昭 和 十 年 頃群 馬 、 茨 城 に於 け る大 演 習 統 帥 に就 い て) 二、 大 日 本 航 空会 社 の創 立 ﹁大 日本 旅 客 航 空 株 式 会 杜 の解 消 ﹂ 一 , 日 本 に於 け る民 間 航 空 の現 状 ﹂
〃
三、 ノ モ ン ハ ン事 件 後 に於 け る国 民 の対 ソ感情 二、 貿 易 省 新 設 問 題 と外 務 省 の紛 糾 (サ ポ タ ー ジ ュ)
阿南惟幾中将就任等を含む)
二、 陸 軍 首 脳 部 の異 動 (教 育 総監 山 田 乙 三、 陸 軍 次 官
(課長事務官以下 の連襖総辞職)
の現 状維持的大勢順応政策を含 む)
陸軍 の報道によるも の及宮城 の私見 宮城私見
〃
〃
〃
〃
〃
十月
と の関係 ) 二、 ノ モ ン ハン事 件 日 ソ停 戦 現 地 交 渉 成 立 二、 野 村 新 外 相 就 任 と対 米 関 係 (自 主 性 な き 阿部 首相
〃
〃
〃
'
〃 〃
〃 〃 一、 大 毎 、 東 日 機 ニ ッ ポ ン 号 の 世 界 一周 完 成
宮 城 の推 定
一、 酒 井 新農 相 の農 村 政 策 宮城 探査 一、 満 洲東 部 国境 方 面 に於 け る戦 闘 訓 練 ( 武 器 、装 備 、 取 調 中 被 服 、 対寒 訓 練 (行 軍 )等 含 む)
更﹂﹁強制買入制度設置 の件 ﹂﹁農民地主 の対政府態
(ニッポ
〃
〃
十 一月 〃
①
第三乙種 の新 設
度﹂を含む 一、 兵 役 法 施 行 令 改 正
一、 北 支 新 民 会 運 動
一、 物 資 不 足 と物 価 対 策
一、 政 府 の 米 穀 対 策
﹁ 米 穀 強 制 買 入 と農 村 事 情 (地 主 の売 惜 み ) ﹂を含 む
中央物価委員会 と政府 の懇 談会 を含 む
① 王克敏 と北支 軍殊に多 田駿中将 の態度竝其 の人 物評
〃
〃
取調中
川 合 貞吉 よ り聴 取 せ るも の
(甲 種 と第 一乙種 は現 役 兵 、 第 二乙 種 は 第 一補 充 兵 、 第 三 乙 種第 二 補充 兵 を含 む ) 一、 阿 部 内 閣 の前 途 ﹁ 阿 部 首 相 の大 勢 順 応 策 ﹂﹁ 少 数 閣 尾 崎 秀実 よ り聴 取 した る も の及宮 城 の私 見 僚 制 の失 敗 ﹂ ﹁ 貿 易 省 新 設問 題 の処 理 ﹂﹁町 田 (民政 ) 総裁抱き込み失敗﹂﹁ 物 価 政 策 の破 綻 ﹂ ﹁国 民 の信 頼 を失す﹂等を含む 一、 陸 軍 定 期異 動 発令
宮 城 官報 よ り調 査
小 代 好信 よ り聴 取 宮 城 の調 査
〃 〃
〃
ン号 は 軽爆 の試 験 機 な ら ん を含 む ) 一、 ノ モ ン ハン事件 に於 て負 傷 帰 還 せる 兵 の話 一、 阿 部 内 閣 と 米穀 対 策 ﹁玄 米 価 格 石 四 拾 参 円 に 変
〃
〃
〃
〃
〃
十二月
〃
〃
〃 〃
〃
〃 〃
〃 〃
〃
〃
一、 日米 通 商 条 約 の廃 棄 と 日 米関 係 (日本 商 品 (絹 ) と農 村 関 係 を含 む ) 一、 第 四師 団 (大 阪 ) 管 下動 員 及大 阪附 近 農 村 事 情 一、 阿 部 内 閣 の総 辞 職 (物 価 対策 の失敗 、 闇 相 場 の横
一、米 内 内 閣 の成 立 事 情 (財 閥 の現 状維 持 政 策 支 持 ) 一、省 線 西成 線 (京 都 、 大 阪 間 ) ガ ソリ ンカ ー転 覆 発 火事 件 (百 八 十名 余 死 傷 ) と代 用 品 ブ レー キ
〃 一月
〃 二月
一、 関 西 に 於 け る 電 力 問 題
に依 る 阿部 内 閣 の不 信 任 事 情 を 含 む )
行と国 民生活 の不安、阿部首相 の対政党諒解運動等
〃
〃 昭 和 十 五年
〃 〃 〃
〃 〃
〃
〃 一、 日 泰 試 験 飛 行
一、 石 炭 増 産 問 題
一、 斎 藤 隆 夫代 議 士 (民 政 ) の議 会 演説 の取 消 問 題 〃
〃
〃
〃
〃
昭和十五年
〃
〃
〃
〃
三月
一、 新 国 民 政府 (南 京 ) 成 立 発 表 ﹁浙 江財 閥 の不参 加 〃 は瞭然﹂﹁ 支 那 民衆 は此 の様 な 政 府 は いく つ 出 来 て も 中 国 には影 響 し な い﹂等 を含 む
一、 増 税 問 題
一、 陸 軍 定 期 異 動
一、 石 炭増 産 計 画 竝 木 炭 統 制 問 題
一、斎藤隆 夫氏の議員除名 と関西(神戸)方面市民 の支 持
〃
〃
取調中
〃
〃
〃 (竜 風 号 )
〃
(軽 爆機 の試 験 及 対 英 ゼ スチ ュアー を含 む も のな ら
〃
四月
ん )
〃 〃
〃
一、 阿 部 大 将特 命 全 権 大 使 と し て南 京 に赴 任 一、 陸 軍 の軍 需 工業 利潤 統 制強 化 と そ の影 響 一、 米 穀 問 題 ( 持 越 米 の不 足 )
一、陸軍兵 器本部、航空 工廠創設発表 (新軍備 実行計
〃 〃
取調中 〃 〃
六 月
〃
一、 近 衛 枢 密 院 議 長 辞任 と新 体 制 運 動 一、 軍 部 の対 仏 印 対 策
一、 物 資 不 足 と配 給 制 (京 都 、 横 浜 、 名 古 屋 、神 戸 、 東 京 、 大 阪 ) 一、 日泰 航 空 路 (定 期 ) 開 設 (英 国 の援 蒋 問 題 に対 す る対 策 を含 む)
一、 陸 軍 異 動 発 表 (李 王 垠 殿 下 第 四 師 団 長 新補 其 の他 )
〃
〃 〃
新聞 の発 表によるも の
〃 〃 〃 〃
一、 神 奈 川 県 下 に於 け る 米穀 配 給 制 の実 情 一、 独 軍 の オ ラ ンダ ・ベ ルギ ー進 入 と欧 洲 動 乱 及 日 支
〃
〃
〃
〃
一、陸 軍 国防 体 制 強 化 ﹁国 土 防 備 特 に防 空 強 化 ﹂﹁ 外地 兵 備 の基 地 強 化 ﹂ 一、 在 郷軍 人 大会 ﹁国内 都 市 、 地 方 民 間 に於 け る軍 勢 力 の進 出 ﹂
〃 〃 〃 五月 〃
画︶
〃
〃
一、 満 洲 国 皇 帝 陛 下 の訪 日
〃
〃
〃 〃
事変 に及 ほす影響
〃
〃
〃
〃 〃
〃
〃
〃
一、 日 英 ビ ル マ援 蒋 ル ー ト の禁 絶 交 渉
﹁関 西 方 面 の節電 と 工場 生産 力 減 退 ﹂ を 含 む
一、有 田 外相 放 送 ﹁国 際 情 勢 と帝 国 の立場 ﹂ に就 い て 一、 電 力 問 題 ﹁渇 水 及 び石 炭 不 足 に よる 電 力 飢 饉 ﹂
〃
〃
〃
〃
〃 〃
七月 〃 〃 一、 米 穀 問 題 と 節 米 運 動
一、 米 内 内 閣 総 辞 職 の事情
〃 〃 〃 〃
〃
〃
〃
〃 一、 石 黒 農 相 の 就 任 と 農 村 問 題
一、 第 二次 近衛 内 閣 の成 立 と そ の変 貌
〃
〃
〃
一、 陸 軍 八 月 定 期 異 動
(梅 津 、 山 田 中 将 の大将 に進 級 )
響
一、 モ ロト フ外 務委 員 長 の演 説 と 日本 知 識 階 級 への反 (モ ロト フ演 説 の対 日 接 近 の示 唆 ) 一、 内 閣 情 報 部 の機 構 拡 充 ﹁新 部 長 伊 藤 述 史 ﹂﹁陸 海 軍
情報部 の包含 ﹂ 一、 各 派 政 党 の解 党 と そ の 行 方
(国 民 同盟 、 政 友 中 島 派 及 民 敬 党 解党 ) 一、 電 力 問 題 と 石炭 増産 問 題 (渇 水 と石 炭 不 足 によ る
電力飢饉及 工場生産力 の減 退を含 む)
一、松 岡 人事 と 日本 外 交 の方 向
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
八月
〃
〃
〃 〃
〃 〃
(石 黒 農 相 の人物 評 を含 む ) 一、 睦 軍 内 地 に四 軍 管 区 を創 設 (北 部 、東 部 、中 部 、 西 部 管 区 各 部 隊 名 は 師団 聯 隊 のカ ム フ ラー ジ ュと推 考 す る を含 む)
〃
〃
〃
〃
〃 〃
〃 〃
〃
〃
〃 〃 〃
九月
〃
一、 日 仏 印 軍 事 協 定 の 成 立
一、 新 駐 ソ大 使 建 川 中 将 (人 物評 等 ) 一、 陸 軍 兵 科 区 分 断 行 に就 て 一、 小 林 一三蘭 印 特 派 使 節 の使命 (石 油 百 四○ 万 噸 ? (従 来 輸 入 )を 二 百 万噸 と す る交 渉 を含 む)
一、 北 支 江 北 方 面 新 四 軍 討 伐 戦
一、 阿 部 大 使 の近 況
〃
〃
〃 〃 〃
〃
〃
運
〃 〃 〃
一、 仏 印 進 駐 軍 (海 路 )海 防 (陸 路 )諒 山 よ り 進 入
〃
〃
動 に 就 い て
〃
一 、
一、 新 体 制運
〃
〃
〃
〃
〃
十月
一、 日 、 独 、 伊 三 国条 約 に対 す る国 内 反 響
〃
十 一月
〃
〃
一、 陸 軍 定 期 大異 動 (蓮 沼蕃 中 将 の大 将 進 級 其 の他 )
一、 日 華 基 本 条 約 の成 立 (日華 秘 密 条 約 を含 む )
一、 南 支 軍 の 南 寧 撤 退 と 支 那 則 の デ マ
一、 阿 部 大 使 の 帰 朝
〃
〃
〃
〃
〃
昭 和十 五年 一、 仏 印派 遣 軍 主力 ハノ イ進 駐 ﹁北 方 約 二 ケ師 団 の兵 〃 力 な ら ん と の推 定 ﹂﹁サイ ゴ ン進 駐 可能 な る や の 予 測﹂ 一、南 支方 面 最 高 指 揮 官 安 藤 利 吉 中将 後 宮 淳 中 将 と更 〃
取 凋中
〃
〃
(諒 山 よ り進 入 せ る軍 は近 衛 師 団 な ら んを 含 む)
〃
〃 〃
迭
〃 十 二月
〃 〃 ﹁近 衛 内 閣 の官
聯盟批判及既成諸団体 の発展的解消 に就 いて) (ヒ ッ ト ラ ー の ビ シ ー (仏 ) 政 権
〃
〃
三月
一、 南 支 北 海 方 面 中 支 宜 昌 方 面新 作 戦 に就 い て 一、 戦 車 野 砲
一、 南 方 問 題 と 東 方 会 (九州 地 方 に於 け る東 方 会 の拡 大 強 化 に就 い てを 含 む )
〃
〃
宮城想定 小代 好 信 、 篠 塚 虎雄 よ り聴 取
宮城探査
北 林 ト モよ り 聴 取
宮城調査
〃
〃
〃
〃
一、 日本 国 内 経 済 の四 月 危 機説 に就 而 〃 一、 日 仏 印 東 京会 談 (日仏 東 京 会 談 の推 移 及 日本 現 地 〃
僚 化 ﹂ ﹁風 見 、 安 井 の退 閣事 情 ﹂ を含 む 一、 本 多 大 使 の帰 朝
(内 相 ) 柳 川 (法 相 ) の 親 任
(台 湾 、海 南 島 の 駐 兵 を 含 む ) 〃
〃
一、 平 沼
一、 上 海 方 面 陸 軍 最 高指 揮 官 沢 田茂 中 将 親 補 さ る 一、 国 民 生 活 の逼 迫 と 配給 関係
一、 仏 印 問 題 と 兵 員 輸 送
〃
〃
〃 〃
一月
〃
昭 和十 六 年 〃
〃
〃 〃
〃
〃
〃 〃 〃
一、 輿 亜 諸 団 体 の指 導 理 論
交渉委員 の意見対立) 〃 〃
一、 日 本 対 仏 印 問 題
一、 日 本 の仏 印 圧迫 (タ イ仏 印 停 戦 協 定 成 立 の経過 )
(石 原 莞 爾 中 将 の東 亜 共 栄
〃
〃
二月
一、 海 南 島 作 戦 に 就 い て (二 ケ 師 ) 一、 大 角 海 軍 大 将 南 支 で 遭 難
〃
〃
〃
〃 〃
の 圧 迫 を含 む ) 一、 大 阪 地 方 農 村 事 情
〃 〃
〃
〃
9
〃
〃
Ⅰ、松 岡洋 右 、 大島 大 使 の人物 評 一、 腎 村大 吏 の赴 任 と 日米 関 係
〃
〃
〃
〃
〃
五月
四月
〃
﹁ 山下奉文中将 の独伊訪問
〃
〃 〃
〃
〃 〃
内閣 の用閥化
〃
〃
Ⅰ、 松 岡 外相 訪 欧 一、 支 那事 変 を 饒 る 目米 関 係 一、 箋 軍 機甲 部 隊 創 設 さ る 一、 タ イ仏 印 紛 争調 停 問 題 ﹁カ ンボ チ ャ方 面 輸 入米 問 題 の関 聯 ﹂﹁日 本 対英 米 対 立問 題 ﹂を含 む 一、 窒軍 中 粥 定 期異 動 (町尻 中 将 (化戻 監 )土 把 原大 将 (航空 総 監 ) 山 下奉 文 中将 (補 軍 事 参議 官 ) 其 の他 ) 一、 小倉 正恒 (国務 大 臣 )豊 田中 将 (商 相 ) の親任 と
〃
〃
む)
(北 方 ) 方 面 の 新 陀 戦 ζ 就 い て
﹁ 大本営連絡会議内容 (南京政府再確認 の声明を含
む)
Ⅰ、 独 ソ戦 に対 す る 日本 国 内 の反 響 (日本 左 翼 運動 の 濱瀕を含む) 一、 国 内 政治 情 勢 (国内 政 治 、対 支 政 策 の行 詰 り を含
Ⅰ、 独 ソ戦 の見 透 し 等
む)
一、 対 仏 印問 題 (駐 兵権 、 駐 屯 地 及 び 食 糧 問 題 を含
一、 米 穀 問題 一、 近 衛 内閣 不 信 任 問 題
一、 宜 ヨ (ウ 支 ) ﹄ 東
Ⅰ、 日 本政 治 の現状 (大 政 翼賛 会 を 中 心 とす る各派 政 治 団 体 の藪 向 附 ︱ 政 治 思想 分 野 図 画 ) 一、 ド イ ツ の ソ聯 攻撃 警 告 ( 開 戦 後 に於 け る日 本軍 部 の動 向 予測 ) 一、 戦 車 に就 て (山 下奉 文 中将 の訪 独 と戦 車 の改良 に 就 いてを 含 む )
洋右 の日比谷公会堂 に於ける演説 の反響を含む)
一、 日 ソ中 立 条 約 凋印 と日 本 国 民大 衆 への反 響 (桧 岡
〃
六月 〃
〃 〃 〃
六月
〃
昭和十六年 〃
七月
二十 四 、 五 日
〃
〃
ρ
七月
" 〃 〃
宮 城想 定
宮 城探 査 小 代 好信 、 宮 城 調 査 尾 崎秀 実 、 田 口右 源 太 よ り聴 取 し た るも の及 宮 城 の研 究 小 代 好信 、 宮 城 調 査 宮 城 調 査 研究
宮城調査 尾 崎 秀実 、 田 口右源 太 より聴 取 した る も の及宮 城 の探 査 尾 崎 秀 実 よ り聴 取 宮城探査
尾 崎 秀実 よ り資 料 の提 供 及宮 城 の探 査 によ るも の
時 政 会 に て聴 取 及尾 崎 秀 実、 宮 城 の研究 せ るも の
小代 好 信 、篠 塚 虎雄 より 聴 取 し た るも の
石 原 莞 爾中 将 の作戦 談 より宮 城 が研 究 せ るも の 田 口右 源 太 より 聴取 せ るも の及宮 城 の研究
宮 城 巷 間 よ り探 知 せ る も の
尾崎 秀 実 よ り聴 取 及宮 城 の研 究 せ るも の
尾崎 秀 実 、 田 口右 源太 より 聴取 せ るも の及 宮 城 の意 見 宮城 調 査
宮 城 の調 査 研究 にな る も の 尾崎 秀 実 よ り聴 取
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
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〃
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〃
〃
〃
一、大阪方面動員状況及大阪方面地方農村状況
﹁
Ⅰ、 南 方 問 題 と 日本 の戦略 (タ イ進 駐 の見 透 し を含 む ) 一、 第 百 三師 団 の動 静 一、 第 十 四 師 団 、第 Ⅰ師 団 の動 員 状 況
Ⅰ、 七月 二 日御 前 会 議 に就 て (南京 統 Ⅰ戦 線 に就 て) 一、 支 那 に於 け る 日本 軍部 の 工作 (北 支 闘 錫 山、 南 支 李 宗 仁 、 白崇 禧 の買 収 問題 ) Ⅰ、 近 衛 第 三 次 内閣 の性格
〃
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八月
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九月
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Ⅰ、 藺 州 東 郭 刃 魔 問 題 (兵 力 、 装 篇 、 往 苞 也 ・ 量 束 ・
一、 日本 国 内 にお け る石油 問題
一、 兵 力 輸 送 関係 よ り 日 ソ開 戦 の有 無 一、 東 部 国 境異 常 な し (日本 の九 月 十 五 日攻 撃 に対 ず る 研究 ) 一、 京 都 地 方 Ⅰ般 情 勢 (第 十 六師 団 の動 向 、京 都 地 方 農村事情を含む) Ⅰ、 国 内 動 員 情勢
五日
四日
Ⅰ、 日米 交渉 の情 報 の訂 正
一、 日 米 交 渉
燃 料 、 被服 、 ガ ソ リ ンの問 題 を含 む)籍 一、 南 北 統 一戦 線 に於 け る軍 の動向 ﹁北 方問 題 ﹂﹁南 方 階旧 題﹂ 六日
一、 日 米 贋 題 の推 移
〃
一、 平 沼 国 務 相 狙撃 事 件 内容 Ⅰ、 日 ソ戦 有 無 に関 す る予 測
一、 日本 兵 の南 支福 州 撤 退事 情 一、 国 内 石 油貯 歳 量 調 査
ソ戦 の ﹂ を 含 む )
日 ソ戦 の見 透 し (参謀 本 部 及 陸軍 省 内 の予 汎 ﹁独
〃
〃
十月
〃
〃
〃
尾崎 秀 実 よ り聴 取 尾崎 秀 実 、 菊地 八郎 よ り聴 取
宮 城 の研究 宮城研究 宮 城 が静 岡 県 旅 行中 に探 知 せ るも の
小 代 好 信及 宮 城 の探知 せ るも の 矢 部 周、 田 口右 源太 より聴 取 及杉 山平 助 等 の流 言 よ り 宮 城 の研究 せ るも の 北 林 ト モより 聴 取 及宮 城 の探知 せ るも の 宮 城想 定 米 国 に て雑 誌 ﹁ラ イ フ﹂ に発 表 した る も のを 基礎 に し て宮城 の研 究 せる も の 菊 地 八郎 、 田 口右源 太 より 聴取 尾 崎秀 実 、 菊 地 八郎 、 田口右 源 太 よ り聴 取 及 宮城 の巷 間 よ り探 知 せ るも の 宮 城 の探 知 小 代 好 信、 宮 城 の探 知 尾 崎 秀実 、 菊 地 八郎 、 田口右 源 太 よ り聴 取 及 宮城 の研 究 水 野 成 より 聴 取 せ るも の及宮 城 の探 知 し た るも の
小 代好 信 、 宮 城 の調 査 せる も の及 菊 地 八郎 より 探知 し たる も の 尾 崎 秀実 より 聴取 及 宮 城 の研 究 によ る も の 小 代好 信 、 菊 地 八郎 より 聴取 せ るも の及宮 城 の研究 に よる も の 尾崎 秀実 、 菊 地 八郎 より聴 取 せ るも の及宮 城 の研究 に よるもの 尾崎 秀実 、 田 口右 源 太 (時 政会 より )探 知虹 宮 城 の意 見 尾 崎 秀 実及 宮 城 の合 作 蚊宮 城 の意見
年
月 七月
日
末
九年 十年
昭和 昭和
料 提 供
者
又
は 蒐 集
神 田、 九 段 下 兵書 々店 に て購 入
資 Ⅰ、 軍事 と技 術 (軍 入参 考 書 ) 月刊 七、 八 冊
自 ら調 査 作 製
Ⅰ、 二 ・二 六事 件 詳細 報 告
自 ら調 査 し作製 す
自 ら調 査 す
川 合貞 吉 より 入 手
Ⅰ、 日本 改 造 法 案 (北 一輝 ) ( 註 二 。二六 事件 後 焼 却 す ) 二、 目 本 右翼 団 体 系 図
九 段 下兵 書 々店 よ り購 入
昭和 十 一年 二 、 三
兵 教 艇 (? ) Ⅰ冊
三、 航空 兵 器 典 (旧 ) Ⅰ冊 、 工兵 操 典 (旧 ) Ⅰ冊 、戦 車
月
満 鉄 より 出 た る資 料 を 尾崎 より 入 手
先
一、東 部 国 境 に於 け る ソ聯 の軍配 備 状 況
自 己調 査 に依 る も の
自 ら調 査 記 述 す
二、 防 空演 習 に対 す る報 告 書 秋 田、 新 潟 、富 山、 石 旧 茨 城 ・ 蛎 牟 ・ 穽 罵 ・ 長 野 )等 を 記 ホ し た る も の 千 葉 、埼 玉、 山梨
自 己 の推 定 に基 き自 ら作 製 す
(
本 略 図 は前 記 報 告 書 に附 属 せる も の)
Ⅰ、東 京 時 事 資 料 月報 (何 れ も政 治 聞 題 に関 す るも のの み 訳す)
(註
第 Ⅰ線 第二線 第 二︼ 線
六月 一、 同
右
七月
右
﹁ 同 右
Ⅰ、 同
﹃ 同
九月
八月 十月
Ⅰ、東 京 時 事 資 料 月報 (政治 問 題 のみ英 訳 )
右
Ⅰ月
右
〃 〃 〃 〃
尾 崎 よ り 入手
赤 坂 区 一ツ木忠 愛 堂 に て購 入
一、 同
尾崎 より 入 手
三、 関 東 方 面坊 空 庫 地 略 図
した るも の)
二、 日本 塞 軍 諸 勢 力系 渕 (当時 の新 聞 、 巾央 公 論 ・ 改査 等 軍部 評 論 等 を 参考 と し て作 製 ) Ⅰ、 日本 諸 敗 党 の将裏 (当 専 の改 台 掬 転 奥胡 こ璽 昆 内言 頼 を失 ひ乍 ら 尚 旧勢 力 盛 返 し にあ へ籍 ぐ 改党 の康 阻 を記
昭和 十 二年
昭和 十 四年
昭 和 十 五年
二月
一、 九 六式 軽 機 関 銃用 法 (? ) Ⅰ冊
尾 崎 より 入 手
〃
一、東 京 時 事 資 料 月報 (政治 問 題 のみ英 訳 )
春 四月
〃
一、 同
右
七月
ゾ
提
ル
供
ゲ
ゲ
先
〃
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〃
〃
〃
〃
〃
〃
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〃
〃
ル
〃
〃
ゾ
〃
〃
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昭和 十 六年
八月 十月 十 二月
一、 同
右
約 二十 項 目
〃
二、 日支 条 約 附帯 条 件
〃
自 ら 調 査作 製 す
〃
二、全国米作主要農耕地地図 (米作問題説明図)
尾 崎 よ り 入手
一、 東 京 時 事資 料 月 報 ( 政 治 問 題 のみ英 訳 ) ﹂. 東 球 時 享資 料 月 輔 ( 政 治 問 題 のみ英 訳 )
赤 坂 区 一ツ木忠 愛 堂 に て購 入
Ⅰ冊
二、 瓦斯 防 護 教 範
六 本 木誠 志 堂 に て購 入
尾 崎 よ り入 手
一、 東 京 時 事資 料 月 報 ( 政 治 問 題 のみ英 訳 ) 二、 歩 兵 操 典 (新 )
尾 崎 より 入 手
三、 北 支 五省 に於 け る石炭 哩 歳 量 喋 癌伏 呪 調 (三井 三菱 其 他 軍 囑 託 の調査 せ るも の約 六 〇〇 頁 複 写 の上現 品 返 戻す ) 一月
一、東 京 時 事 資 料月 報 (政 治 問題 のみ英 訳 )
尾 崎 よ り入 手
二月
〃
神田区小川町書店 にて購 入
Ⅰ、 東 京 時 事 資 料月 報 ( 政 治 問 題 のみ英 訳 )
赤 坂 一ツ木忠 愛 堂 より 購 入
尾 崎 より 入 手
Ⅰ冊
〃
Ⅰ、 同
﹁ 同 右 右
三月 Ⅰ、作 戦 要 務 令
Ⅰ、 航 空 兵 操 典 (新 ) 一冊
尾 崎 よ り資 料 を 入手 自 ら 作製 す
二、 工兵 操 典
四冊
四月 三、 四 月中
二、 陸 軍 師 団 の新編 成 (所 謂 五十 個 師 団編 成 )
尾 崎 よ り入 手
〃
一、 東 京 時 事 資 料月 報 (政 治 問題 のみ英 訳 )
五月
七月
一、 東 京 時 事 資料 月 報 (政治 閾 題 、 経済 司 題 を筆 記 し内 政 治 問 題 のみ英 訳 )
〃
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二、新 状 勢 の目本 政 治 経済 に 及ぼ す 影響 調 査
一聯隊 前 兵 書 店 に て購 入
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〃
〃
九 月 三日
三、 陸軍 戦 車 隊 操典 (第 二部 ) Ⅰ冊
尾 崎 よ り資 料 を 入手 し自 ら作 製 才
六月
九月
二十 日頃
四 、現 代 日本 政 治璽 体 Ⅰ覧 叉 (大 敗 翼 寳会 を 中 心 と し て 精 神 右 翼団 体 右 翼 の系 統 を 記 す )
自 ら 調 査作 製 す 地図 は六 本木 誠 志 堂 に て購 入
〃
〃
一、防 空 基 地 (高射 砲 陣 地 )東 京 方 面 地図
十月 四 日
七
諜 報 機 関 に対 す る モ ス コー 本 部 の主 要 指 令
本 機 関 に対 す る モ ス コー本 部 の各 種指 令 は長 期 且各 般 の事 項 に亙
当 方 に於 ては 八月 一日 より 毎 時 の始 め
り 多 数 を 算 す る も本 項 に は逓 信 当 局傍 受 に係 る暗 号 指 令 を 解 読 し た
一九 三 八年 七 月十 三 日
るも の のみ を 列 記 す 。 1
一九 三 八年 九月 上旬
カ ナ リズ (註 ︱ ゾ ルゲ供 述 に依 れば 独 逸
十 五分 間貴 方 よ り 発 信 を聴 取 の姿 勢 にあ る べし 。 2
一九 四 〇年 三月 三 日
第 百 六 、第 百十 、 第 百 十 四 及 第 百十 六師
飛 行 機 製 造 工 場 の詳 細 非 常 に貴 重 な り、
又大 砲 製 造 工場 工廠 及 、 一九 三九 年 に於 け る実 生産 高 を 推 測 す る
一九 四 〇 年 五 月 二 日
団 の移 動 の位 置 闡 明 に努 め報 告 せ よ。
8
9
や。 一九 四〇 年 五月 二十 五 日
第 一任 務 に次 で必 要 な る第 二 の任 務
事 極 め て必 要 な り 。 大砲 生産 高 拡 充 の為 め 如 何 な る策 を講 じ あ り
10
即 ち是 非 共 我 々は日 本 軍 の編 成 替 に関 す る 文書 資 料 及情 報 を 必
左 の如 し
要 と す 。即 ち此 の編 成 替 は 如何 な る部 隊 より編 成 せり や。 其 等 は
の氏 名等 な り。 我 等 は 日 本 政府 の外 交 政 策 の動 向 に関 す る諸 問 題
如 何 な る部 隊 より 発 展 編 成 せ る も のな り や 。 其 等 の隊 号 及 司 令 官
日 本 軍 に第 百 六、 第 百 八 、第 百九 、 第 百
故 に之 等 の情 報 は事 前 に得 る 必要 あ り 事 後 に至 り て記 録 す る の み に ては 不 可な り 。 一九 四 〇年 七月 三日
日本 陸 軍 は新 に全 国 に亙 り予 備 兵 の総
十 四 等 の師 団 あ り や、 若 し実 在 す る と せ ば現 在 何 所 に移 駐 し居 れ りや。 一九 四〇 年 七月 十 四 日
等 報 告 せ よ。
日蘇 関 係 に対 す る 米国 の動 向 、 防 共
協 定 に関 す る有 田声 明 に対 す る駐 日独 逸 大 使 の所見 竝 日本 の行 動
一九 四〇 年 十 二月 十 九 日
ら る べし 。
動 員 を行 ひ つ つあ る様 であ る 、本 処置 の目 的 を 探知 し結 果 報 告 せ
1 2
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の詳 細 な る情 報 蒐 集 に留 意 す 。
秘 密 特 務 機 関 長 ) の特 使 が 日本 陸 軍 よ り 受領 す る文 書 の写 若 く は
11
該 特 使 が直 接 リ ュシ コフ と の会 見 に於 て受領 す る文 書 の写 を 獲 得
日本 軍 が漢 口作 戦 に当 面 せ る際 に於
て日 本 の対 外 諸国 と の外 交 方 針 の変 化 竝 日 本 の支那 に於 け る資 源
一九 三 八年 九 月 二十 一日
す る様 全 努 力 と 全 能 力 を 尽 せ獲 得 せ るも のは 直 に 送 れ 。 3
日 本 陸 海 軍 工廠 及 民間 工場 の大 砲 、 戦
今 後 東 京 の同志 か ら資 金 を 受 取 る と共 に其 の
日本 陸 軍 将 校 を グ ループ 員 と し て獲 得
日本 に於 け る兵 器 製 産能 力 に関 す る図
開 発 に関 す る情 報 を 入手 せ よ。 一九 三 九 年 二 月十 九 日
一九 四〇 年 一月
せ よ。
一九 三 九 年 四 月 十 三 日
表 入 手 に努 め ら れ度 し。
4
5
6
一九 四 〇年 二月 十 九 日
男 と連 絡 せ よ 。 7
車 、 飛 行 機 、 自動 車 、 機 関 銃 等 の兵 器 生 産能 力 を調 査 せよ 。
14
一九 四 〇年 暮
独 蘇戦 に関 す る 日本 の動 員 及 大 陸 へ
エム ・ク ラウ ゼ ン商 会 の利 益 金 中 の 一部 を諜 報
団 資 金 の 一部 に充 当 せ よ。 一九 四 一年 六月 二十 六 日
七 月 十 九 日 に余 の友 人 が貴 下 に我 々 の無 電 連
の派 兵 状 況 、 日本 の対 蘇 態度 、 日蘇 間 の接 衝 状 況 を 報 告 せよ 。 一九 四 一年 七 月
八
諜 報 機 関 の資 金 関 係
資
金
竝 重 要押 収物 件 (一)
本諜報団 の資 金は月額邦価約参千円程 度にして其 の支出 の概要は 左記 の通 りなり。
其 の送達方法は極め て周到 なる注意 の下に巧妙に行 はれ、当初は
菱、香港、上海等 の在京諸銀行扱 にて送付 せられて居 りたるが、我
蘇聯邦本部 より個人名義を以て米国 の銀行を経由し三井、 正金、 三
渠 あ り や。 日 本 に幾 何 の新戦 車隊 が建 設 せら れた る や。 十 八噸 戦
ウゼンが予め無電 により指示 せられたる方法 に基き或 は帝劇、東宝
国 の外国為替管 理 の強化 に伴 ひ昭和十五年頭 初頃 よりは資金係 クラ
神 戸 近 辺 に て は何 島 に石 油 貯蔵 所 及船
車 は幾 何 なり や 。 東 京 に防空 司令 部 は何 所 に在 り や 。又 其 の計 画
一九 四 一年 九 月 下 旬 頃
の上 に継 続 せら れ度 し結 果 通 報 せ よ。
日 よ り練 習 を 始 めら れ度 し 若 し 好結 果 な ら ば将 来 之 を実 際 の仕 事
絡 に関 し追 加 し て新 しく 条件 を与 へた其 の条 件 に従 って 九 月 二十
15
16
17
中 に係 る建 設 個 所 は何 所 な り や。 各 新 師 団 司 令 部 は 如何 な る部 隊
広汎なる組織 としては少額 に過ぎるが如く認 めらるるも彼等 一味 の
絡 して収受 し居 たり。尚月額参 千円程度 にては本諜報団 の如き有力
等 の劇場に於て或 は其 の自宅 に於て蘇聯邦在京大使館員と直接 に連
余 は 一九 四 〇年 及 一九 四 一年 に於 け る陸 軍 の編 成 替 竝 軍 備 の近
より 編 成 せら るる や 。
代 化 に関 す る 情 報 を得 た り。 就 ては 之 等製 産 高 拡 充 策 及 全 種 類 の
活動は何 れも共産 主義 に基く蘇聯邦防衛 の信念 に出 づるも のにして、
各団員 が月 々支給 せらる ゝ資金は諜報活動 の報酬 に非ずし て生活保
部 隊 の具 体 的 分 析 竝其 の規 模 分 明 に努 む べし 。
証を立前 とな し居りた るも のなり。
其 の収支はクラウゼンが六 ケ月又は 一年毎 に独文又 は英 文 の計算
書 を作成 してゾ ルゲ に提出し之 を写真 に縮写 して諜 報 フイ ルムと共
に蘇聯邦 に報告し居りたるものなり。 ク ラ ウ ゼ ン関 係
給料六〇〇円乃至 八〇〇円家賃 一七 五
一九 四〇年四月 より同年十二月迄 の 一ケ月間資金支出概算
円特 別手当 八〇円乃至二九〇 円
ル 医
療
給 料 六〇 円 乃 至 二〇 〇 円 特 別 手当 一〇 〇 円 乃至 四 三〇 円
(二) 重 要 押 収 物 件
ニ、
ロ、接
写 機 、 接 写 具 各 一組
ライ カー 一台 ) イ、 写 真 器 三台 (ロ ) ボ ット 二 台
現 象 用 具 、 焦 点 器 、 距離 計 、 露 出 計 、 フ イ ル ム、乾 板 三脚 等 写 真 用
ハ、 レ ンズ (望 遠 レ ンズ を含 む )三 個
乃 至 四 三〇 円
具 一揃 (以 上 は諜 報 資 料 を縮 写 し蘇 聯 邦 本 部 に 報告 の為 め携 帯 に便
(1) ゾ ルゲ 自 宅 よ り
二 五〇 円 乃 至 八 一五 円
給 料 一五 〇 円 乃 至 二 、〇 〇 〇 円
給 料 四〇 円 乃 至 四 五 〇 円特 別手 当 〇 円
ゲ
〇 円 乃 至 二 一八 円
へ、 ラ ヂ オ兼 蓄 音 器 (国 際 放 送 聴 取 ) ト、 英 文 情 報 竝 英
費
ィ ッ ト 関 係
ヴ ケ リ ッ チ 関 係
エデ
ゾ 員
使用す)
文図解七枚 ( 宮 城 及尾 崎 より 提 供 した る も の) チ、 手 帳 十 六 冊 (同
一、 四 六〇 円 乃至 五、 六 三 三円
な ら しむ る に 使用 す ) ホ 、タ イプ ラ イタ ー 一台 (諜 報 報 告 の 為 め
計
写真 竝 無 電 機 械 附 属 代
団
合
ヌ、 黒革 札 入在 中 米 弗 紙 幣 、 壱 千 七 百 八 十 二弗 (諜 報 団 の 資 金 )
志 と の連 絡 並資 金 関 係 等 を 記 載 し た る も の) リ、 邦 貨紙 幣 壱 千 円 、
ル、 ナチ ス党 員 手 帳 、 身 分 証 明 書 等 (自 己 の偽 装 用 に使 用 す ) ヲ 、
一九三二年版 ワ、 独 逸統 計 年 鑑 (一 暗号作成 九三五年版)二冊 (
発信 暗 号 の原 稿 (英 文 ) タ イプ せ る も の 二枚 ク ラウ ゼ ンを し て打 電 せんとしたるもの
ロ、 短波
の為 の乱 数 表 と し て当 時 一九 三 五年 版 を使 用 中 な り し も の)
イ 、短 波 無 電 発 信 器 一台
ニ、発 信 受 信 暗 号 記 載 便 箋 二 冊
ホ、 発 信
ハ、黒 皮 バ ンド付 鞄 内 にあ り たる 短 波 無電 発 受 信
(2 ) ク ラ ウ ゼ ン宅 よ り 無 電 受 信 機 一台
機 附 属 品 、 予 備 品 一揃
チ 、 日記 帳 一
活 動 資 金 ) (以 上 は 厳 重 施錠 し た る衣 類 入 大 型 ト ラ ンク の底 よ り 発
タ イプ せ るも の 一〇 枚 暗号 の原稿 (英文)(鉛 ) へ、 米 国 紙幣 八 百弗 (諜 報 筆書 き の も の 二枚
見 す ) ト、 独 逸 統 計 年 鑑 (一、 九 三 四年 版 一、 九 三)三 冊 五 年版 一、 九 三六 年 版
〇 冊 (同 志 と の連 絡 竝資 金 計算 等 記 入 ) リ、 マ ック ス・ク ラ ウ ゼ ン
商 会 会 計 簿 等 七 冊 (偽装 の為 め資 金 を 諜 報 団 よ り 支出 し 経 営 す ) ヌ、 タ イプ ラ イタ ー 一台
(3 ) ヴ ケ リ ッチ宅 より
イ、 写真 機 二 台 ロ、接 写機 一台
ハ、 レ ンズ (高 速 度 望 遠 レ ンズ を含 む ) 四個 ニ、 フ ィ ル ム、乾 板 等 写真 用 具 一式 (以 上 は諜 報資 料 急 速 蒐 集 竝 携 帯 を 便 な ら し む る為
九 諜報 機 関 に依 る政 治 的 工作
本 機 関 は其 の安 全 性 を 確 保 す る為 日本 共 産 党 は素 よ り共 の他 の 一
切 の左翼 組 織 に関 与 す る 事 竝 に 一切 の政 治 的 工作 への参 加 を 厳 禁 せ
の縮 写 に使 用 す ) ホ、 独逸 統 計 年 鑑 (一九 三 五 年版 ) へ、 日記 帳 五 冊 (同志 と の連 絡 竝 諜 報 蒐集 先 を 記 載 す ) ト 、電 気 蓄 音 器 ボ ッ
ら れ、 ゾ ルゲも 亦 厳 に こ の方 針 を機 関 員 に指 示 し居 た るも 唯 一の例
過 少評 価 を行 は し め ざ る様 積 極 的 に 工作 す る 事 ﹂是 なり 。 即 ち ソ聯
外 を 有 せ り。 夫 れ は ﹁ソ聯 の実 力 に対 す る日 本朝 野 の評 価 に関 し で
ク ス 一個 ベ ル ン ハル トが 短波 無 電 器 を其 の中 に備 へ付 け使 用 した る も のな る が無 電 器 は 後 に 取 り外 し ク ラ ウゼ ンと共 に 山中 湖 に赴 き 投 棄 し た る も のな り 。
の実 力 を 軽 視 し 之 れ に強 圧を 加 へん と す る が如 き傾 きを 有 す る 日本
の政 治 傾 向 に対 し 慎重 な る ソ聯 評 価 を 促 し 諸 問題 に対 し平 和 的 な る
解 決 に達 す る様 努 力 せ し む べく 勧 告 す る事 は諜 報 機 関 の安 全 を損 は
ざ る限 り 必 要 な り と し て許 容 せら れ た り。 此 の事 は諜 報員 全 般 の熊
度 なる も 時 に ゾ ルゲ及 尾 崎 は 其 の政 治 的 、 社 会 的 発 言 権 の強 大 な る
を 利 用 し 或 は独 逸 大 使 館 に対 し 或 は政 府 要 路 に対 し 、 又著 述 乃 至 講
演 に於 て日本 の鋭 鋒を 南 方 へ英 米 へ逸 ら し む べく 百 方 策動 せ り。
尾 崎 の諸 論文 が 一貫 し て真 の敵 は英 米 及 其 の手 先 な る蒋 の国 民 堂
な り と為 し 中国 共 産 党 及 其 の背 後勢 力 た る ソ聯 邦 に就 き て は唯 其 の
有 力 に し て将 来 性 あ る 事 を暗 示 的 に記 述 す る に止 め つ つあ る は其 の
明 証 な り 。殊 に昭 和 十 六年 夏 対 ソ参 戦 問題 急 を 告 ぐ る や ゾ ルゲ及 尾
崎 は 非常 に憂 慮 し て協 議 を重 ね、 尾 崎 の ﹁日本 の対 ソ積 極 的 平 和 工
の実 行 の可 否 に付 問合 せ を行 ひ た り。 即 ち 尾 崎 は自 己 の有 す る首 相
作 の為 に 工作 す る事 は 可 能 な り ﹂ と の建 言 を 入 れ ソ聯 政 府 に対 し其
側 近 に対 す る勢 力 を利 用 し断 乎 と し て対 ソ戦 に反対 し 日本 の膨 脹 政
策 を南 方 に振 り 向 く る 事 は 可能 な り と自 負 し居 た る も のな り 。
ゾ ルゲ等 は独 ソ戦 開 始 後 の極 め て緊 張 せ る情 勢 下 に於 て之 を 遂行 す
之 に対 し モ ス コー政 府 は ﹁其 の要 な し ﹂ と の回 答 を与 へた るも 、
通 り外 人 四名 (帰 国 せ る外 人 を除 く ) 日 本人 十 三名 計 十 七名 な る が
ゾ ルゲ を中 心 と す る諜 報 機 関員 に し て現在 迄 に検 挙 せ る者 前 記 の
一〇 非諜 報 機関 員 の容 疑 事実
所期 通 り遂 行 せり 。殊 に例 へば昭 和 十 六年 七月 乃 至 九 月 の間 日 本 の
る事 緊 急 な り と し モ ス コー の ﹁不 必 要 ﹂ の意 を ﹁禁 止 ﹂ と理 解 せず
対 ソ攻 撃 の危 険濃 化 す るや その危 険 性 の実 現 の可 能 、 そ の時 期等 に
れ居 り殊 に尾 崎 、 宮城 は そ の点 最 も 積 極 的 に し て軍事 ・外 交 ・政治
右 諜 報機 関 員 の周 囲 に は多 数 の情 を 知 ら ざ る非 諜 報 機 関員 組 織 せ ら
等 国 内各 般 の動 向 に通 暁 せる多 数 の ﹁友 人 を獲 得 す る ﹂事 に力 め 居
就 き 必 死 の諜 報 活動 を行 ふ 一面尾 崎 は 九 月初 旬 満 洲 へ出 張 し て対 ソ
り た る為 尾 崎 ・宮城 の利 用 せ る情 報 組 織 は官 吏 ・軍 人 ・新 聞 通 信記
攻 撃 な し と の断 定 を得 て帰 国 せ る際 の如 き は近 衛 首相 側 近 に向 ひ満 洲 国 の国内 情 勢 の社 会 的 、 経済 的 、 財 政 的事 情 の悪 化 を誇 大 に報 告
者 ・評 論 家 ・銀 行会 社 等 の情 報 調査 機 関 ・政 治 思 想 団 体等 に亙 り広
し て日 本 の対 ソ攻撃 の素 志 断 念 に努 めた る が如 し。
汎 を極 め居 り 、 上 は帝 国 の最 高 国 策 よ り 下 は 一局 地 の動 員 状 況 等 に
至 る迄 之 を偵 知 し得 る の情報 組 織 に成 功 し、 従 って モ ス コー本 部 の
指 令 に基 きゾ ルゲ より 一定事 項 の調 査 (例 へば日本 に於 け る 石 油 の
貯 蔵量 調 査) を 命 ぜ ら る るや常 人 に ては 不 可能 或 は 極 め て困 難 な る
調 査事 項 と雖 も 自 己 の平 素 苦 心培 養 維 持 し来 れ る情 報 網 を通 じ、 比
較 的 容 易 且 つ短 時 日 の間 に然 も 正確 な る調 査結 果 の報 告 をゾ ルゲ に
一方 殊 に尾 崎 に利用 せ ら れた る側 の情 報 網 中 の人 物 には相 当 知 名
為 し得 た るも のな り。
の士 も亦 あ り た る に不 拘 、或 は そ の支 那 問題 の権 威 と し て の専 門的
見 識或 は反 英 米 親 枢軸 を 装 へる 堂 々たる 論策 、 或 は 近 衛内 閣 の嘱 託
と し て近 衛 公 の側近 に出 入 せ る隠 れた る高 き政 治 的地 位 、 或 は 高級
嘱 託 と し て満 鉄 部門 に重 き を な し得 たる 地位 、 或 は嘗 ての名 声 噴 々
た る新 聞 記 者 と し て の地 位等 に眩 惑 せら れ、 其 他 友 人関 係 、 同 窓関
係 等 の事 情 の為 不 用 意 且 つ軽 卒 に枢要 な る国 家 機密 、 軍 事 機 密 、軍
右 の情 を知 ら ざ る多 数 の者 の中 国 防 保安 法 ・軍機 保 護 法 等違 反 の
用 資源 機 密 そ の他 の各 種 情 報 を 尾崎 に漏洩 す る に至 り たる も のな り。
回 当選 、 昭 和 七年 内閣 総 理大 臣 秘 書 官 、 昭和 十 五年 四 月阿 部 特 命
(イ ) 須 賀 中 将 、影 佐 少 将 、谷 萩 大 佐 と 共 に特 務 機
全 権 大 使随 員
関 ﹁梅 機 関 ﹂ 員 と し て汪 精衛 の新 支 那 建 設 工作 に関 与 中昭 和 十 四
2 容 疑事 実
年 十 二月 頃 ﹁日華 基本 条 約案 文 ﹂等 を 西 園寺 公一 に貸 与漏 泄 せり 。
英 国 ケ ンブ
リ ッヂ大 学 出 身自 昭 和 九年 十 一月 一日至 昭 和 十 一年 十 一月 十 七 日
四 月 一日阿 部信 行 大 将 特命 全権 大 使 とし て同 地 に特 派 せ ら るる
(ロ) 昭 和 十 五年 三月 三十 日 中華 民 国 国 民政 府 南 京 に成 立、 同 年
(一) 西 園 寺公 一 (正 五位 ) 1 主 た る経 歴
廉 に依 り警 視 庁 に於 て検 挙 し た る者 及 そ の容 疑 事 実 の概 略 左 の如 し。
外 務 省 嘱託 、自 昭 和 十 五年 八月 三 十 一日至 昭 和 十 六年 十 一月 五 日
や其 の随 員 とし て 又 日華 交 渉委 員 と し て条 約 交 渉 に関与 し 同年
外 務 省 嘱 託 、自 昭 和 十 六年 八月 十 四 日至 昭 和 十 六年 十 月 二 十 八 日
九月 頃 日華 基 本条 約 案 附属 議 定 書 案 、 附属 秘 密 協 定 案、 附 属 秘
密公 文 案 等 の各 全文 を 西 園 寺 及尾 崎 に提 示漏 泄 す 。
内 閣 嘱 託 尾崎 秀実 と昭 和 十 一年 七 月 渡米 し て太平 洋 会 議 に同伴 出
(イ) 昭和 十 四 年 十 二月 頃 軍 特 務機 関 員 、 犬養 健 よ
席 し た る当 時 よ り親 交 を 結 ぶに到 る。 2 容疑 事 実
学 卒業 後 朝 日新 聞 社 に 入 り爾 後 累進 し て東 京朝 日新 聞 政治 経 済 部
大 正十 五年東 京 商 科 大
長 と な る。
1 主 た る経 歴
案 及 其 の附 属 交 換 文 書 ﹂ の写 を 入 手 す るや 尾 崎 の求 めに応 じ て直
(三 ) 田中 慎 次 郎
ち に尾崎 に提 示 漏 泄 す 。
り 我 政府 と汪 精 衛 政 権 と の間 に交 換 せ ら れた る ﹁日華 基 本 条約 原
(ロ) 昭和 十 六 年 八 月 二十 五日頃 虎 の門 満 鉄 ビ ルに尾 崎 を訪 問 当
独 蘇 戦直 後 たる 昭 和十 六年 六 月 二 十 三 日開催 さ れた
る陸海 軍首 脳 部 会 議 の内 容 に就 き其 の翌 日 頃 朝 日新 聞 陸 軍 省詰 主
2 容疑 事 実
入社 当 時 よ り 尾崎 と親 交 あ り 。
と 打 合 せ た る事 実 、 政府 は軍 と の協 議 の結 果対 蘇 戦 は開 始 せ ざ
時 緊 張 しあ り た る 日蘇 関 係 に就 き関 東 軍 代表 に て上京 し て中 央
方 には有 時 即 応 の体制 確 立 の為動 員 ﹂ と の会議 内容 を探 知 し たる
任 記者 磯野 清 より ﹁当 面対 ソ戦 は 決 行 せ ず ﹂﹁ 南 部 仏 印 進 駐 ﹂﹁ 北
も の の報 告 を 受 け 六月 二十 五日 頃所 謂 ﹁南 北 統 一作 戦 の方 針 決
る 事 に決 定 せ る旨 を 漏泄 す 。 (ハ) 昭 和 十 六 年 九 月下 旬 京 橋 区木 挽 町 某 待 合 に於 て内 閣囑 託 と
す ﹂ とし て尾 崎 に之 を漏 泄 す 。
昭 和 七年 三月 早 稲 田大 学 政
し て直 接 参 画 且 つ自 ら所 持 しあ り たる ﹁対 米 申 入 書 ﹂ の草 案 を
1 主 た る経 歴
尾 崎 に提 示 閲 読 せし む。
(四 ) 磯 野 清
田 中慎 次郎 関 係 参 照
経 部 卒業 、 同 年 末 東 京朝 日新 聞 社 入社 、 首 相 官 邸詰 等 を 経 て現 在
(ニ) 其 の他 昭 和 十 六年 六月 十 九 日 に於 け る 政府 の対 独対 蘇 政 策
2 容疑 事 実
政 治 部 所 属陸 軍 省竝 企 画 院詰 とな り現 在 に到 る。 昭和 五年 以 来 衆議 院 議 員 四
に漏 泄 す 。 1 主 た る経 歴
決 定 に関 す る 会議 内容 及 同 年 七 月 二日 の御 前会 議 の内容 を尾 崎
(二) 犬 養 健
(五) 篠 塚 虎 雄
1 主 た る経 歴
昭 和 三年 三 月明 治 大 学経
済 学 部 卒 、 同 四 年 三月 法 学 部 中退 、 三省 堂 勤 務等 を経 て昭 和 十 六
参加す。
年 二月 以 降 大 阪 に於 て機 械 製 作業 経 営 、 学 生 時 代学 内 左 翼 運動 に
相 官邸竝 興 亜 院 担当 とな り 現 在 に到 る。
田 口右 源 太 の妻 時 子 の紹 介 に よ り 田 口及 宮城 と相 識
る に到 り 昭 和 十 六年 五月 頃 よ り 九月 中 旬 に至 る間 宮 城 及 田 口右 源
2 容 疑 事 実
太 の質 問 に応 じ陸 軍 省 詰 記者 と し て知 り得 た る従 軍 中 の見 聞 及帰
還兵 等 より知 れ る機 密 事 項 、 日支 和 平 交渉 の経 緯 、 日 蘇戦 有 無 に
関す る情 報 、 朝 鮮軍 の動 向 、 田 中少 将 の閻 錫 山 工作 、 仏印 進 駐 、
(イ ) 昭 和 三 年 頃 よ り共 産 主 義 を信 奉 、 昭 和 七年 五
山下 奉 文 中将 の関 東 軍 転 出事 情 (其 の他多 数 あ るも 省 略 )等 の軍
2 容 疑 事 実
器装 備 ﹂等 自 己 の調 査 せ る文 書を提 供 し、 又 松本 等 に対 し ﹁満 洲
昭 和 八年 三月 早稲 田大 学
月 頃 日本 共産 党 員 松本 慎 一の依 頼 に応 じ ﹁ 陸 海 軍 の常 備 編 成、 兵
1 主 た る経 歴
軍 の軍 備 状 況 ﹂ を報 告 す る 等 の活 動 を為 し以 て 日本 共 産 党 の為 に
(七 ) 宮 西 義雄
事 機密 を 田 口及 宮城 に漏 泄 す 。
専 門 部 卒 、新 聞 記 者 を 転 々し昭 和 十 四年 十 月満 鉄 入 社 、 昭和 十 六
す る 行 為 を為 し。
供 を求 め らる るや之 を承 諾 爾 来 宮城 与 徳 とも 相 連 絡 し て両 人 に対
(イ ) 早 大 在学 中 よ り左 翼 運動 に参 加 、 昭和 七年 十
昭 和 十 年 十 月 頃 尾崎 秀 実 の求 め に応 じ軍 事 に関 す る諸 知 識 の提
2 容 疑 事 実
年 六月 東 京 支 社 調 査室 に属 し現 在 に到 る。
し陸 海 軍軍 用 機 の種 類 性 能 、 各 兵 器 の種 類 構 造 性能 、軍 用 飛 行機 製 造 工場竝 其 の規模 製 造 能 力 、 軍用 飛 行 機 製 造現 況、 戦 車 及 軍 用
てず機 会 あ る毎 に啓蒙 運動 を 為 し居 り たる も の。
月唯 物 論 研 究会 に加 盟 、 同会 幹 事 等 に就 任 、現 在 も 共 産 主義 を棄
調 査 を依 頼 さ る る や陸 軍 、 海 軍、 民 間 の各貯 蔵 量 を 調 査 し そ の
(ロ) 昭 和 十 六年 八月 尾 崎 秀実 よ り 正確 な る 日本 の石 油貯 蔵 量 の
自動 車 の種 類 性 能 、支 那 事 変 に於 け る動 員 数 、 航 研機 の重 要 性 、
地竝 配 備 状 況 、 ノ モ ン ハン事 件 に於 け る 日蘇 両 軍 の戦 闘 方 法 、陸
軍用 資 源 秘 密 な る の事 実 を 知 り な がら 之 を探 知 蒐 集 し 以 て尾崎
最 近 に於 け る 陸 海軍 軍 用 機 の種 類 性能 、 飛 行 聯 隊 の数 及 其 の所 在
軍 の新 戦 闘 法 、 機械 化 兵団 の装 備 等 の研究 結 果 を 報 告 せ り。
に 右 資 料 を提 供 す 。
大 正 十 四年 京 大 理学 部 卒 、
(八 ) 後 藤憲 章
学 校教 授 を 経 て昭和 七年 満鉄 入社 、 昭 和 十 六年 三月 在 奉 天鉄 道 総
1 主 た る経 歴
る満 洲 の兵 備 、 軍 隊 生 活、 新 兵 器 等 を も尾 崎 に報 告 せ り。
右 の外 昭 和 十 一年 七 月予 備 工兵 少尉 と し て教育 召集 に知 り得 た
本 人 はゾ ルゲ に も報 告 さ れ蘇聯 邦 中 央 部 には スペ チ ャリ スト の
密 た る特 殊 輸 送 の状 況 ﹂ の概 要 を漏 洩 し、 同 年 九 月 十 四 ・五日頃
於 て尾 崎 秀実 其 他 調 査 室 関係 者 二十 余 名 に ﹁関 東 軍 の作 戦 上 の機
昭 和十 六年 九 月 十 日頃 満 鉄大 連 本 社 調 査 部会 議 室 に
局 調 査 課 に 入り 現 在 に到 る。
昭 和 十 一年 三月 明 治大 学
2 容疑 事 実
変 名 を以 て情 報 と 共 に通 知 せ ら れあ る も単 に軍事 通 と し て利 用 せ
1 主 た る経 歴
ら れ た る に 止 まり 諜 報 員 にあ らざ り し如 し。 (六 ) 菊 地 八 郎
法学 部 卒 業 後 都 新 聞社 に入 り 昭和 十 四年 十 月 陸 軍 省詰 とな り後 首
施 状 況 の詳 細 を 説 明 し以 て日 蘇 戦 の可 能 性 を満 洲 の現 地 に於 て判
奉 天 鉄 路 総 局 調査 課 長 室 に於 て尾 崎 の質 問 に応 じ、 右 特 殊輸 送 実
1 主 た る経 歴
昭 和 八 年 三 月明 治 大 学
定 せ ん と力 め 居 り た る尾 崎 に対 し情 を知 らず し て そ の重 要 な る判
(九 ) 海 江 田 久孝
定 資 料 を 与 ふ。
の支 那 研究 室 に入 り 、其 の秘 書 と なり 昭 和 十 五年 四 月以 降 満 鉄東
京 支 社 調 査 室資 料 係 事 務員 と なる 。
(イ) 女 子大 在 学中 より 左 翼運 動 に参 加 し後 明 峯等
と研 究 会 を持 ち、 昭 和 十 三年 十 一月 以 降 尾崎 の秘 書 と な り尾 崎 の
2 容 疑 事実
1 主 たる経 歴
(イ ) 昭 和 三年 三月
共産 主 義 理論 に傾 倒 し 尾崎 に対 し資 料 の整 理提 供 等 に従 事 す 。 (一二) 武 田 と し子
札幌 高 女 卒 、 タ イ ピ スト、 会社 員 等 を経 て 上京 現 在無 職 、 昭和 九
法 学 部 卒 、大 正 十 四年 五月 よ り 同 盟通 信 社 、満 洲 国 通 信 社、 興中 公 司 等 を経 て昭 和 十 四年 六月 満 鉄 入社 東 京支 社 調 査室 勤 務 、 昭和
年 十 月全 協 関 係 に て懲 役 二年 執猶 三年 の判 決 を 受 く 、其 の後転 向
高 等 小 学 校卒 業 後 明 治
す る と共 に 九津 見 の レポ ー ター と し て活 動 す。
せず 明峯 等 と研究 会 活 動 を続 く 、 九津 見 と共 に宮城 を明 峯 に紹 介
十 六年 九 月 奉 天 駅勤 務 に転 じ現 在 に到 る 。 満 鉄 東 京 支 社勤 務 中 軍 官 庁 方面 の機密 事 項 を 広 範 囲
に亙 り探 知 蒐 集 し そ の 一切 を挙 げ て之 を 尾崎 に提 報 し居 り た る も
2 容 疑 事 実
(一三) 北 林 芳 三郎 1 主 た る経 歴
大 正 九年 今 次 諜 報機 関 員 北林 ト モと結婚 同 棲 せる も
三十 二年 頃 渡 米 サ ンフ ラ ン シ ス コ、 ロ スア ンゼ ル ス等 に於 て白 人
の なる が其 の事 例 昭和 十 五年 秋満 洲 国 に於 け る 日本 軍 の配 備 状 況、
放。 (一四 ) 鈴 木 亀之 助
1 主 た る経 歴
郁文 館 中 学 五年 在 学
の点 あ り たる も取 調 の結 果 犯罪 成 立 の程 度 に至 ら ざる も のに付 釈
乍 ら之 を 容 認 帰国 後 に於 て も屡 〓宮城 与 徳 の来 訪 を 受 く る等 容 疑
のな るが 在 米中 に於 て妻 ト モが 左翼 運 動 に関 与 し居 る事 実 を 知 り
2 容 疑 事実
旬 帰 国。
の家 僕 、 コ ック、 庭 師 、 其 の他農 場 経営 等 転 々昭和 十 四年 七月 下 昭和 六年 十 一月 津 田 英
て其 の他 は 目下 取 調 中 。 1 主 た る経 歴
昭 和 十 六年 三月 頃 内地 、 外 地 を含 む全 日 本陸 軍 の配 備状 況 等 にし
(一〇 ) 明 峯 美 恵
学 塾 中 退 、昭 和 十 三 年 七 月駿 河 台 女学 院 卒 業 後 雑誌 社 等 を経 て昭
津 田英 学 塾 在学 時 代 左 翼 運動 に参 加 し更 に昭 和 七年
和 十 六年 四 月内 閣 情 報 局 タ イ ピ ス トと な り現 在 に 及 ぶ。 2 容 疑 事 実
全協 北 海 道 オ ルグ某 女 を 応援 検 挙 さ る、 昭和 十 二年 以降 も 同 志 と 研 究会 活 動 を続 く、 昭 和 十 五年 七月 よ り 前記 諜 報 機 関 員九 津 見 房
中 詐 欺 事件 に依 り 禁錮 十 ケ月 に処 せら れ爾 来 自 暴自 棄 と なり、 当
子 を通 じ て宮 城 と識 る に到 り 宮城 の依 頼 に応 じ て情 報 局 タ イ ピ ス
同 市 に於 て下船 す 。 爾来 昭和 八 年 春帰 国 に至 る迄 自動 車 ブ ロー カ
ペ ト ログ ラー ド等 を 転 々其 の後 船 夫 と なり、 ニ ュー ヨー ク に至 り
時 語 学 教 授 を受 け た る こ とあ る露 人 某 に随 行 ウ ラジ オ、 ハルビ ン、 昭和 六年 三月 東 京 女子
ト の地 位 に於 て知 り得 る諸 情 報 殊 に 当時 行 は れ居 り たる 近衛 内 閣
1 主 たる 経 歴
の対 米交 渉 内 容 の提 報 方 を 約 せ るも 未 遂 の間 に今 次 検 挙 を受 く 。 (一 一) 高 橋 ゆ う
大 学 高 等学 部 卒 業後 三省 堂 に入 り昭 和 十 三年 十 一月 以降 尾 崎 秀実
ー等 を な し て 生計 、 帰 国 後 に於 て も ブ ロー カ ー等 を 営 む 。 本 名 は常 に ア メリ カ 大使 館 、 ド イ ツ大 使 館 等 に出 入
す る 外 屡 々宮城 与 徳 方 を 訪 問 せ る事 実 あ り て行 動 容 疑 の点 あ り た
2 容 疑 事 実
(一五 ) 岡 井安 正
1 主 た る経 歴
第 三高 等 学 校 を経 て昭
る も 検 挙取 調 の結 果 今 次 事 件 に関 係 なき こと判 明 に付 釈 放 す 。
和 十 六 年 四 月東 大 経 済 学 部 入学 、 在 学 中
(一七) 松本 五男
1 主 たる経歴
小学校卒業後昭和 十六
昭和十 六年七月尾崎 の主宰する赤坂区溜池山王 ビル
年十 二月勉学 の目的 を以 て上京せるもの。 2 容疑事実
内 ﹁支那研究 室﹂事務員として就職 せるも のにして行動容疑 の点
1 主なる経歴
小学校卒業後職 工として
ありたるも取 調の結果今次事件に関係 なきこと判明に付即 日釈放。 (一八) 武田武
転 々し来 れるも のなるが昭和五年春頃札幌 一般労働組合員 として
活動中検挙同七年 二月札幌控訴院 に於 て懲役 二年執行猶予 四年 の
宮城 与 徳 の同 居 先 に して 宮 城 よ り共 産 主 義 的 啓 蒙 を
受 け つゝ あ り た る外 、 宮 城 与 徳 が諜 報 活 動 に使 用 せる 資 料等 を保
2 容 疑 事 実
今次諜報機関員九津見房子等と諮り宮城与徳 に対し
判決を受く。 2 容疑事実
管 し或 は当 時 岡井 が東 亜 研 究 所 よ り依 頼 さ れ ビ ル マ地 誌 の調 査等 を 為 し居 る の事 実 及該 調 査 が日 本 の南 方 進 出 の為 の準 備 調 査 な る
放。
明峯美恵を紹介す る等 の事実ありたる武 田とし子の夫にして本名
早 稲 田 大 学 法 科 卒業 後 大
亦行動容疑 の点あり たるも取調 の結果今次事件 に関係 なきに付釈
1 主 た る経 歴
べし と す る 旨等 宮 城 に語 り た る 事 実等 容 疑 の点 あ り た る も取 調 の
(一六 ) 芳 賀 雄
結 果 情 を知 ら ざ り し事 判 明 に付 釈 放 。
ナ大 学 に於 て二 ケ年 間 社 会 学 専 攻 コロ ンビ ア大 学 に於 て 一ケ年 間
正 十 三年 六 月渡 米 、 南 加 州 大 学 に於 て 一ケ年 間 政 治 学 専 攻 バ サデ
社 会 学 専 攻 後 昭和 五年 二月 帰 国 、 読売 新 聞社 記 者 、 香 港 日 本総 領 事 館 、 広 東 日 本総 領 事 館 嘱 託 等 を 経 て昭 和十 六年 春 頃 よ り 国 際経
在 米 当 時 宮 城 与 徳 と面識 あ り、 其 後 昭 和 十 六年 九 月
済 調 査 所 嘱託 と な る 。 2 容 疑 事実
中 旬 頃 日 比 谷 松本 楼 に於 て宮 城 与 徳 其 他 在米 当 時 の知 人 等 に依 り 開 催 さ れ た る吉 田碩 堂 画 伯 の帰 朝 歓 迎 会 に出 席 せる等 の関 係 あ り、 行動 容 疑 の点 あり 、 所 在 内 偵 中 同年 十 月 十 二 日宮 城 与 徳 方 を訪 問 せる に付検 挙 取 調 べ たる も 其 の結 果犯 罪 関 係 なき こと 判 明 に付 釈 放。
一 一 無 線 通 信施 設 概 要 ( 一) 機 器製 作 の経 緯 と 其 の概要
通 例 三球 式 と 称 せ ら る ゝ家 庭 用 放 送受 信 機 を 購 入 し て之 を短
波 受 信 に適 す る 如く 改 造 し、 又外 函 及高 声 機 を 取除 き載 頭 型 受 話 器 を 用 ひた り 。
使 用 波 長 は 送 信 三十 七乃 至 三十 九 米 、受 信 四十 五乃 至 四 十 八米
と の指 令 を 受 け た る も測 定 器 を 所 持 せ ず、 大 陸 に於 け る 経 験 に よ
と なく 使 用 に供 した り 。
り 工作 せり と 称 す 。組 立後 約 一週 間 にし て連 絡 に成 功 し 、 送 信波
右 送 受 信 機 は 手 提鞄 に納 め、 隠匿 (自 宅 二階 奥 の納 戸 内 の衣類
本 諜 報 団 の通 信 担 当 者 ﹁ク ラ ウ ゼ ン﹂ は ﹁モ ス コー ﹂ の指 令 に基 き
所 要 材 料 は 渡 来 に際 し携 行 せず 京 橋 区銀 座 ﹁マツダ ラ ンプ ﹂売
入大 型 ﹁ト ラ ン ク﹂ の底 )並 携 行 せる も のな るも 、 送 信 電 源 用変
長 の修 正を 命 ぜ ら れ (三十 八米 とす ) 爾来 格 別 の変 更 を 加 ふる こ
店 其 他 市 内 の ﹁ラジ オ ﹂業 者 よ り購 入 せる も 送信 用 電 鍵 の外 は受
圧 器 は形 状 、 重 量 携帯 に適 せず 、 各 発 信 箇所 に夫 々予 め 配 置 し之
昭 和 十 年 十 一月 渡 来 入京 し 主 班 ﹁ゾ ルゲ ﹂ よ り無 線 機 の製 作 を 命 ぜ
信 機 用 部 分 品 に して 入 手 容易 な り しも の なり 。
を 用 ひ た り。
ら れ た り。
又送 信 用 真 空 管 の外 は総 て国 産 品 を 用 ひ 送信 機 用 ﹁コイ ル﹂(同
本 名 住 所 (昭和 三年 八月 広 尾 町移
グ ン テ ル ・シ ュタ イ ン方
本 名 が送 受 信 操 作 を行 ひ た る場 所 は 、昭 和 十 三年 八月 迄
(二) 機 器 装 置 の状 況
調 線 輪 ) は既 製 に 依 ら ず京 橋 区 某 金 物 商 よ り自 動 車 用 銅 製 ﹁ガ ソ リ ン パイ プ ﹂ を購 入 し之 に加 工 せり 。
麻布区本村町
右 機 器 は 昭和 十 一年 二月 中 旬 組 立 を 了 し麻 布 区 本 村 町 ﹁グ ン テ ル ・シ ュタ イ ン﹂ 方 に於 て試 験 を 行 ひ運 用 を開 始 せ り。
麻 布 区 新 竜 土 町 一二 番 地
本名住所
ヴ ケ リ ッチ方
転)
機 器 の設 計 に関 し て は使 用 波 長 を指 示 せ ら れた る の外 細 目 の指 令 を 受 け ざ り し も の の如 く 本 名 が嘗 て 上海 、 奉 天 等 に於 て従 事 せ
牛 込 区 左 内 町 二二 番 地
爾 後 検 挙 に至 る 迄
麻 布 区 広 尾 町 二番 地
る 諜 報 通 信 と 同様 の技 術 的 条 件 なる旨 の ﹁ゾ ルゲ ﹂ の言 に依 り当
送信機
に し て之 等 を交 互 に使 用 し其 の内 ﹁エデ ィ ット﹂ 宅 に於 け る使 用
時 使 用 のも のに準 じ製 作 に当 り た り 。
回 数 量 最 も 少 な か り し と称 す 。
エデ ィ ット方
真 空管 、線 輪 等 を着 脱 容 易 な る如 く 装 着 し携 行 に便 な る如 く せ
右 箇所 は何 れも 木 造 二 階建 に し て階 上 の 一室 を之 に充 て たり 。
目 黒 区 上 目黒 四 ノ 二 一 一三
り 。 本 機 の電 気 回路 は添 附 図 第 一号 の通 り なり 。
菊 判 書 籍 大 の木 箱 の 一面 に ﹁べ ー ク ラ イ ト﹂ 板 を附 し て之 に
受信機
空 中 線 は 屋 外 よ り の望 見 を 避 け 、 長 さ 約 七 米 の錫 鍍 銅 撚 線 二条 を
聯 極 東 地 方 を 方向 指 示 せ る趣 な り 。
総 て蘇 聯側 よ り呼 出 を俟 って連 絡 し 、次 回 の連 絡 は其 の都 度 之
支 那 事 変 勃 発以 前 は通 信 量 比 較 的 少 か り しも の の如 く 通信 は
(2) 連 絡 日 時 の打 合
た る のみ なり 。
室 内 に 吊架 し て送 信 用 とし 、 受 信 用 と し て は約 一米 の線 条 を附 し
右 方 法 に依 れ ば機 器 の設 置 及通 信 準 備 に要 す る 時 間 は十 分 以 内 、
を予 告 す る の方法 を採 れり 。
(記 憶 に便 な る如 く 諺 言 ﹁朝起 き は 三文 の徳 ﹂ な り と称 す )
﹃Mor genstu nde ht a g ol di m﹄ Munde.
予 告 暗号 に は次 の如 き 独 文 を用 ふ
撤 収 は 五分 間 以 内 に行 ひ得 る も の と認 め ら れ る。 添 附 図 第 二号 は麻 布 区 広 尾 町 本名 宅 に於 け る 設 置 状 況 を 示 す
右文中 ﹃
(他 の二 箇所 も 大 差 な し) 本 名 等 が発 信 場 所 の選 定 に際 し て は、 イ、 市 街 地 なる こと (方 向 探知 を困 難 なら しむ る に有 効 な り)
字 を 以 て其 の週 日 を 表 は す 。
﹄ を 附 し た る 二十 一文 字 を 一週 間 に割 当 て三 文
ロ、 木 造 家 屋 なる こと (鉄 筋 其 他 金 属 工作 物 は電 波 発射 に不 利 あ り)
右 設 置 方 法 は 主 と し て 上海 在 留 当 時 教 示 せら れ 又経 験 せ る事 実
に留 意 せり 。
金
木
水
火
月
S
N
E
G
R
O
M
A
H
E
D
N
U
T
M
I
D
L
O
G
T
即ち
に 基く 点 多 き も のと 認 め ら る。
土
ハ、 二階 以 上 を 用 ひ得 る こ と (地 表 より の高 さ を大 に し電 波 発 射
(三) 通 信 連絡 の状 況
日
効 果 を大 なら しむ )
(1) 通 信 連 絡 先
なる も 東 京 よ り 二 千 粁以 内 と推 定 せら る 。
之 を 複 雑 化 す る 為予 定 日 の 日附 の数 を加 へ之 を 前 記 三文 字 の次
連 絡 時 刻 は ﹁グ リ ニッチ ﹂標 準 時 を 二 十 四時 制 に より 表 は し、
と し例 へば R N Oは 水 曜 日 を意 味 す る こと とす 。
本 通 信 の対 手 所在 地 点 は当 務 者 にも 之 を 知 ら し めず 全 く 不 明
の 一なる べ しと 推測 し居 るも の の如 し。
本 名 は 右所 在地 を浦 塩 、 ﹁ハバ ロ フ スク ﹂ ﹁コ ムソ モ ル スク ﹂
十 六日 に 相 当す る も の と せば
﹁火 曜 日 午後 三時 よ り連 絡 す べし ﹂ な る場 合 は火 曜 日 が
に配 列 し予 告 暗 号 と す 。 例
尚 当 事 者 間 に於 て は ﹁ヴ ィ ス バー デ ン﹂(独 逸 国 所 在 温 泉 の地 名 ) なる 隠 語 を 以 て 右所 在 地 を指 称 し居 れ り。 逓 信 省 探 知資 料 に依 れ ば昭 和 十 五 年 以前 は 上海 附 近 其 後 は蘇
な る を 以 て
﹁OUG
31 ﹂
六〇 回
一三、 一〇 三 語
二九 、 一七 九 語
﹁1数 字 ﹂ ﹁2文 字 ﹂
二 一回
AC
昭 和 十 五年
東京側
昭 和 十 六年
呼 出符 号 は
(3) 呼 出 符 号
﹁1数 字 ﹂ ﹁2文 字 ﹂
な る 五字 を 以 て構 成 し最 初 の二文 字 の外 は 常 に変 更 し追 究 を
XU
困 難 なら し む る の策 を 採 れり 。
蘇 聯側
云 ふ を得 べ し。
右 方 法 は少 く 共 一週 間 に 一回 以 上 連 絡 あ り た る こ と の反 証 と
加 へ其 の 一位 の数 を 三字 目 とす (十 位 は 捨 つ)
東 京 側 は当 日 の月 と 日 の数 を加 へた る も のに更 に ﹁2﹂ を
変 更 の方 法
支 那 事 変 勃 発 後 昭 和 十 三年 よ り は本 名 よ り ﹁モ ス コー ﹂本 部 に
四 、 五字 目 は ﹁Los angel es ﹂ なる 成 句 を用 ひ此 の句 の前 後
AE
を採 り
十 位 を 捨 て 4 とす
十 二 月 二 十 日 の場 合
より 数 へて前 項 の数 に相 当 す る 文 字 を採 り配 列 す 。
例
12+20+2 = 34
4 3 21
LOS A N G E L E S↓↑
1 2 34
an zi s co な る成 句 の首 尾 よ り前 同 様 二文 字 を求 む。
A C 4A E
十 二 月 二十 日 なら ば X U2 A C と なる 三 字 目 が O と なる 場
昭和 十 六年 春 以 後 は再 び 奇 数 日 及 日曜 日 と の取 極 め は之 を廃
尚本 名 が実 際 に通 信 を 行 ひ た る は概 ね 午 後 四 時 乃 至 七時 の間
蘇 聯 側 は月 と 日を 加 へた る数 の 一位 を 三字 目 と し Sanfr
に し て其 の継 続 時 間 四 時 間 に 亙 り た る も のあ り 空 中 状態 は 日没
六〇回
二 三、 一三九 語
に対 す る符 号 構 成 を潜 用 せ るも の に し て首 部 の二文 字 は 国 籍識
右 は国 際 電 気 通 信 条約 に規 定 す る 私 設実 験 局 (ア マチ ュア)
合 は 十 番 目 と し取 扱 ふ。
昭和 十 四年
発信 回数 及語 数 大 凡 左 の通 り な り 。
及 日出 前 後 最 も 良 好 なり と 称す 。
止 し日 を 定 め ざ る こ と と な れり 。
空 中 状 態 不 適 当 なる に因 るも の なり 。
午 後 三 時 よ り 午前 十 時 迄 の間 と し 昼 間 の大 部 分 を 除 き た る は
発 信 を 聴 守 (受 信 姿 勢 を 採 る の意 ) す べし ﹂
﹁当 方 に於 ては 八月 一日 より 毎 時 の始 め 十 五分 間 貴 方 よ り の
(昭 和 十 三 年 七 月 十 三 日受 信 )
の通 り 本 部 よ り 指 示 せ ら れ居 れり 。
京 時 刻 ) の間 に通 信 す る こ と と なり 、 更 に其 の時 刻 に付 ては 左
申 出 で て毎 奇 数 日 及毎 日曜 日 の午 後 三 時 よ り 翌午 前 十 時 迄 (東
右 暗 号 は通 信 文 中 に挿 入 せず 終 了 に際 し 送信 せ る も の なり 、
易 な り。
此 の場 合 次 に来 る 火 曜 日 な る こ と に定 め た る を 以 て解 読 は容
1
+1 63 /
1
別 符 号 に相 当 し A Cは嘗 て中 華 民 国 に於 て非 公 式 に用 ひら れ X M SG
当方受信状態良好
K
Uも 又同 国 割 当 のも のに属 す 。 (同 国 の正 式 表 示 は X G なり )
直 ち に送 信 せ よ
了解
の意
感度良
}
の如 く し続 い て通 信 を 行 ふ。右 交 換 用 語 は何 れも 公知 のも の な
{
即 ち 何 れも 中 華 民国 籍 ﹁ア マチ ュア﹂ を偽 称 せ るも の なり 。 尚 右 通 信 条 約 に 依 れ ば右 符 号 の 三字 目 は 国 内 の地 域 別 、 四 、 五
対 手符 号 (三 回 以 内 ) D Eな る語
と す べき も の な るも 本 通 信 に 在 り て は相 互 関 連 の察 知 を 恐 れ対
自所 符 号 (〃)
り。
L
無 線電 信 に依 る呼 出 は規 定 に よ り
字 目 は個 人 識 別 を 示す も の なり 。
F
D
東 京 側 U- U
昭和十六年七月二十五日より
X
手 呼 出符 号 を絶 対 に送 出 せず 。 注目 す べき 特 徴 なり と 云 ふ を得
蘇 聯 側
と 変 更 の指 令 を受 け た る が、 之 は此 の東京 側 の新 符 号 は仏 国 籍
べ し。
呼 出連 絡 所 要 時 間 は概 ね 十 分 以内 な り しも の の如 く 尚夏 季 空
陸 上 局 (殖 民地 及保 護 領 を包 含 す ) の構 成 なり 。
中 状 態 不 良 の場 合 の外 連 絡 不 能 に帰 し た る事 な し と称 す 。
XU ?
PS E
OK GA
SE
UR
}
(l ongers h o rt er の 二語 の外 用 ひた る事 な し と称 す )
の) 及 ﹁ア マチ ュア ﹂用 語 に し て通 常 語 を用 ふ る事 殆 無 し。
送 受 上使 用 せら る る 用 語 はQ 符 号 (合 法 通 信 に 用 ひ ら る ゝも
数 字 は零 を略 送 す る の外 は 正 規 ﹁モー ル ス﹂符 号 に依 れり 。
系 は弁 別 可 能 なり 。
が 区 切 り 文 字 を用 ふ るも の稀 にし て 又 他 の観 点 より も 本 邦 通 信
数 字 群 の通 信 は 本邦 通 信 系 に於 ても 多 く見 受 け ら るる 所 なる
文 字 を 冠 し 四数 字 と せ るも のあ り )
(ソ聯 側発 信 の も の に は最 終 語 に NR (number の略 ) の
み て連 送 し他 に文 字 を用 ふ る こ と な し。
通 信 文 は 五連 数 字 群 より 成 り 群 の区 切 り に は R なる 文 字 を挿
(5) 通信 の方法
右 変 更 は蘇 聯 側 系 統 に何 等 か の変 更 あ り し も の と推 定 せら る 。
P
AC III M SG S
の意
K
尚 本 名 が満 洲 、 中 支 方 面 従 事 当 時 用 ひた る呼 出 符 号 は 三文 字 よ り 成 り た る も の の如 し。
HR
A C II
東 京 側 よ り 呼掛 け の場 合 を例 示 す れば
(4 ) 呼出 の方法
VVV QRK ?
Vは調整用符号 {
回 答 を待 つ
自所 名 (二 三 回) 電報 あ り
貴所の受信状態如何 受 信 せ られ た し
R4
XU ?
を数 回 連 打 し受 信 に移 る (応 答 を 得 る迄 之 を繰 返 す )
VVV
蘇 聯 側 の応答 は
Q RK
第
一図
送
信
機
回
路
図
第 二 図
麻布区広尾町二番地所在 木造 二階 建
二階 平 面 図
可 能 なり 。
燈 配 線 を利 用 す る に何 等 支 障 なく 又配 電系 統 より 探 知 す る 事 不
本 団 無 線 通 信 の特 徴 を摘 記 す れ ば次 の如 し 。
右送 受 信 機 製 作 に要 した る 費用 は百 五 十 円 内 外 と 認 め ら る。
又微 少 音 の受 信 を 容 易 なら し む る目 的 に出 た る も のな り。
高 声 器 を載 頭 受話 器 に代 へた る は受 信 音 の戸 外 漏 洩 を避 け、
受 信 用 と し て は鋭 敏 なる 感 度 を有 す 。
な る配 列 と し ﹁ラジ オ ﹂用 と し て は申 級 のも のに属 す る も短 波
U Y- 二 四 B U Y- 四 七 B K X- 一二 A
本 機 は国 産 ﹁シ ー ク﹂製 品 に し て真 空 管 は
に実 施 し得 るも のな り 。
は同 調 線 輪 の改 作 を 以 て足 り若 干 の知 識 を 有 す る に於 て は容 易
通 例 三球 拭 と称 せ ら る る放 送 受 信 機 を 改造 せ る も の な る が右
機
高 圧 阻 止 用蓄 電 器 ほ屡 〓破 損 せ る も の の 如 く常 に予 備 品 を携
信 機
信
行 せり 。
受
イ、 呼 出 方 法 の変則
場 合 波 長 の延 長 或 は 短 縮 を 要 求す )
ホ、 屡 〓対手 方 波長 の変 更 を要 求 す 。 (混 信 に よ る通 信 困 難 の
ニ、 ﹁ア マチ ュア﹂ 用語 の使 用多 き に過 ぐ 。
所 なり 。)
ハ、 数 字 群 に 区 切 り文 字 Rを 挿 入 す 。 (ソ聯系 通信 に 多 く 見 る
あ ら ず 。 又 ﹁ア マチ ュア ﹂ に許 さ れざ る 通 信 を行 ふ。
ロ、 ﹁ア マチ ュア﹂を 偽 称 せる も使 用 波長 は 正規 割 当 のも のに
(6) 通 信 の特 徴
送
(四) 技術的考察 送 信 用 真 空管 は 米国 R C A社 製 (UX− 2 JO ﹂ 二箇 を並 列 と し之 に電 燈 線 よ り 変 圧 器 を 以 て 昇 圧 せ る 約 八 〇 ○ ﹁ヴ ォ ル
方向 探 知 に関 す る認 識
ト ﹂ の交 流 を 加 へ働 作 せし む 。真 空 管 用 高 圧 は通 例 整 流 し て直 流 とす るも の な るも 装 置 隠 匿 の便 宜 上省 略 せ り。
ロ、 都 市 市 街 地 に於 け る 方 向 探 知 は甚 困 難 に して最 良 の条
ノ 、 探知 機 関 に よ る傍 受 は免 れ ざ る べし。
本 名 は探 知 機 関 に対 し次 の如 き見 解 を持 せり 。
空 中 線 電 力 は約 二 十 ﹁ワ ット ﹂ と推 定 せ ら るる も 空 中 線 方式
べし。
件 を以 てす るも 数 粁 圏 内 な り と の判 断 の程 度 を出 でざ る
せ ず、 又傍 受 者 に其 の装 置 の軽 易 な る を推 知 せ し む るも の なり 。
右 方 法 に よ る電 波 は 交 流 特 有 の濁 音 を含 み明 快 な る通 信 に適
が発 射 能 率 に大 なる 犠 牲 を払 ひ秘匿 に 重点 を置 き た るも の なる
ニ、 探 知 対 策 と し て は
羅 す る外 な か る べき も 時 日 を要 す べ し。
ハ、電 波 発 射 点 の確 認 は 独逸 に於 け る如 く 受 信 機 を 以 て巡
を以 て発 射 効 果 は数 分 の 一に低 下 を免 れ ざ るも 、 本 波 長 に於 て は 昼間 一、 五〇 〇 粁 、 夜 間 四 千 粁 の範 囲 の電 信 通 信 に耐 ふ るも のと認 め ら る。 本 送信 機 に要 す る電 力 は約 百 ﹁ワ ット ﹂ なる を 以 て 一般 の電
送信場所 の移動 長 時間 の通信を避くる こと 波長 の変 更 戸 外に対す る顧慮 が肝要 なり
一二 (一) 暗 号 の種 類
使 用 暗 号 の概 要
本 暗 号 の種 類 は文 中 の文 字 を他 の文 字 又 は 数 字 を以 て表 現 す る
所 謂 ﹁サ イ フ ァー ﹂式 換 字 暗 号 に属 す。 (二) 暗 号 の構 成
︱︱ 83
本 暗 号 の基本 た る換 字 表 は 左 の如 し
︱ ︱ 98
︱ ︱ 93
C ︱ ︱ 80 D
︱︱ 85
G︱︱ 95 H
︱ ︱ 88 L
T ︱︱ 6
B︱ ︱ 87
O ︱ ︱ 2 P
X ︱ ︱ 81
F︱︱ 92
S︱ ︱0
A︱ ︱ 5
N︱ ︱ 7
W ︱︱ 91
E︱ ︱3
R︱ ︱4
J︱ ︱ 84 K
M ︱ ︱ 96
V︱︱ 99
1
Q︱ ︱ 89
I︱ ︱
U ︱ ︱82
Z︱ ︱ 86. (終 止 符 )︱ 90(
数 字 の前 )︱ 94 後には Y ︱ ︱ 97
右 の如 く 本 暗 号 は 文中 の文 字 (ア ル フ ァベ ット ) を数 字 を 以 て
表 現 し其 際 最 も頻 繁 に使 用 さ る ゝ、 A 、E 、R、S、T 、N 、O 、I、の
八文 字 は数 字 一字 を 以 て現 は し其 他 の使 用 度 数 の小 な る文 字 に対
し ては 数字 二字 を 使 用 し居 れり 。
元 来 英 語 文 中 に在 り ては 右 の A 、E 、R、S、T、N 、O 、I 、なる 文
字 は全 文 字 数 の七 〇 乃 至 七 三 ﹁パ ー セ ント ﹂ を占 め居 り、 之 に対
し て数 字 一字 を当 てた る は暗 号 使 用 者 に於 て暗 号 を容 易 なら しめ
且 つ暗 号 文組 立 を便 なら し めん が 為 な り。
蓋 し間 諜 使 用 の暗 号 は記 憶 に容 易 に し て暗号 表 等 を備 付 け の必
要 なき こと が要 件 に し て使 用 者 が暗 号 表等 を所 持 し て官憲 の家 宅 捜 索 等 の際 之 を発 見 せら る ゝ如 き 危 険 なか ら し む る こ と が最 も 重
独 逸 国統 計 年 鑑
︱ Sta tistisches Jahr buch fur das Deut sche Reich︱
然 し乍 ら文 中 の或 る 文 字 に対 して は数 字 一字 を 当 て或 る 文 字 に
最 初 通 信 文 を 作 成 し、 之 を前 記 の換 字 を 以 て数 字 暗 号 化 し更 に
を使 用 す 。
(現 在 一九 三 五 年 版 を 使 用 中 )
対 し て は数 字 二字 を 当 つる こと は使 用 上混 乱 を来 す 虞 あ る を 以 て
其 の各 数 字 に対 し て 此 の統 計 年 鑑 中 の任 意 の頁 (但 し発 信 の際 は
要 な る を以 て なり 。
本 暗 号 に於 ては 此 の混 乱 を避 く る為 一文 字 に対 し て数 字 二字 を 当
の I nt er nat ional eUber si c ht en と あ る青 色 の頁 の部 分 を 用 ふ る
前 部 の uber s i chter と あ る白 色 の頁 の部分 、受 信 の際 は 末 尾 の方
約 束 と な り居 れ り)、 の数 字 を加 算 す るも のな り 。 暗 号 数 字 は 常
つる際 に は 八〇 代 及 九 〇 代 の数 字 を使 用 し居 れり 。
之 を 技術 的 に解 読 す る事 を或 る 程 度 困 難 な ら し め ん とす る目 的 も
に 五 字組 に作 り て取 扱 ふ。
尚 斯 の如 く数 字 一字 又 は 二字 を 併 せ使 用 し居 る こ と は第 三者 が
又 文中 に於 て ﹁数 ﹂ を 現 は さ ん と す る際 に は 同 一数 字 を 二 字重
存 す るも の と認 め ら る 。
w
U S SR
9119393
0 2 2 7
s o o n
83 3 80935 4 3
d e c l a r e
な る文 を 暗 号 化 す る とす れ ば
“Japan wi l ls oon decl a re waron USSR. ”
作 成 の順 序 を 実 際的 に示 せ ば次 の通 り な り 。即 ち 今 仮 り に
複 し て使 用 し居 れ り。 例 へば 八 一〇 なる 数 字 を現 す に は 八 八 一 一○ ○ と す る な り。 而
J a p a n
o
し て 此 の際 之 が ﹁数 ﹂ な る こ とを 受 信 者 に知 ら し む る為 に其 の前
w a r
84585 5 7
i l l
後 に94なる 数 字 を挿 入す る こ と と なし 居 れり 。 従 って受 信 者 ほ前
82 0 0 4 90
n
後 に94な る 数 字 のあ る中 間 の数 字 は文 中 の ﹁数 ﹂ を現 す も の なる
2 7
と なる。
而 し て発 信 の際 は通 信 本 文 の最 初 に
org anizer , Uirector
915 4
こ と を直 に知 り 得 る な り 。 (三)乱 数 表 の使 用 本 暗 号 は前 述 の方 法 に依 り 作 成 し た る儘 の も のな る とき は 解 読
(Dal は 極 東 の意 。 其 他
l
7 0
n
の 場 合 も あ り 。)
a
1
7
3 5 93
又は
2
D
y
s o
は 極 め て容 易 に し て、 使 用 者 に於 て大 な る危 険 性 あ り 。
s a
終 り に ﹁ゾ ル ゲ ﹂ の諜 報 名 た る a m
4 5 96 0 5 97
R
I n
之 が為 乱 数 表 を 用 ひ て更 に之 を複 雑 化 し解 読 を 困 難 な ら し め居 れり。 乱 数 表 と し ては 独 逸 国 政 府 統 計 局発 行
を記 す 。 (受 信 の場 合 は之 と逆 に最 初 に R鋤ヨs翅 終 り に U碧。一を 附 す) 更 に 其 の後 の最 末 尾 に 五字 組 一箇 を 附 し 、 之 を 以 て電 信 の番 号 、 当 該通 信 暗号 の五字 組 の数 (何 れも 百 以 上 の時 は 百位 は省 略 し十 位 と 一位 の み を記 す )及 通 信 日 (五 字 を 越 え る と き は十 位 を 省 略 し て 一位 の み を記 す ) を 示 す こと と す (例 へば番 号 一二 五、 五 字 組 数 一二、 通 信 日 一六 日な る とき は ト。αお6な る 五字 組 を 末 尾 に附 す るな り ) 右 の設 例 文 の前 後 に ∪餌一 ・及 RpヨS昌 を 附 し 、 之 を数 字 に換 へ五字 組 に作 れ ば次 の如 く な る (末 尾 に電 報 番号 五字 組 数
Q●0トっbう刈ー
o QQQ窃Φωー
心りO蔭0ー
coωGQQoOー
㊤Oco心q︱
り①0αりー
りGoαらGQー
c oα窃刈りー
㊤1α県b⊃ー NαIN6ー
II㊤GQOI
及 通 信 日 を 示 す 五字 組 を附 す )
刈C◎NOOI
(発 信 人 の名 前 例 へば Roヨ吻亀 は 五字 組 の切 れ目 の工 合 に 依 り後 尾 を 省 略 す る事 あ り 。右 設 例 に於 ても 島 り60 総 刈と す べき を 最 後 の 7は 之 を 省略 し た り ) 之 に対 し て今 仮 り に統 計 年 鑑 の第 一六九 頁 を開 き縦 三行 目横 九 列 目 (左 よ り ) の三字 目 より の数 字 (常 に 当 該列 の 三字 目 より 始
﹃ 心 c ◎ O I ω 卜∂ - らo b⊃ 1 ① 1 ω 刈 α GQ 国 刈 蔭 蔭 ㊤ ③
む る約 束 と な り居 れ り )
1 窃 り N 恥 α QO 6 ゆ トδ I Q ◎ 蔭 0 N ㊤ Φ 卜O O◎ ω ① α N
O。刈 鱒 ﹃ 戯 - O 心ω⋮ ⋮ (添 付 写真 参 照 ) を 前 記 の暗 号 数 字 に各 弐加 算 す れ ば (数 字 一字 に 一字 を各 圭加 算 し 和 が 二桁 とな る とき は 常 に 一位 の みを 記 し 十 位 は之 を捨 て上 位
c◎ω$ QQ︱ 8 G。A窃l G oO零 りl -6 ωり︱ ωOB 刈1
の桁 に繰 上 げ 加 算 せざ る も のとす )
十 起o o01i cQ日 QoO︱ 1①1ω刈ー αQ ゆ鵯 蔭1 お ①-q-
α刈G ◎り癖︱ 卜⊃笛り刈鴫ー ⑩160①1 ①幽HOQσー 刈り器 N︱
OQ器 G◎0︱ りQQ漣 G QI り-鰹 卜∂1 刈CON8 - 畠 Oδ - 08 $ ー トコ臼 b⊃O
⊥T りト0昏㎝ω︱ 6りトQ] 0 01 戯O節㊤6ー 節C◎ω①α︱ 邸C O刈b⊃﹃︱ 蔭1Φ心ωー
(最 後 の 五 字 組 に は 加 算 せ ず )
刈㎝刈ωω1 αb⊃刈αドー ωH刈ω◎Ql り6α6α1 6刈刈①図︱ ω刈りりNI 鱒αIbσ①
とな る 。
而 し て 乱 数 表 と し て 統 計 年 鑑 の 何 れ の 行 、 何 れ の 列 の数 字 を 使
(左 よ り 数 へ て ) 及 頁 を 表 は す 数 字 を 此 の 順 序 に 並 べ
用 せる か を受 信 者 に知 ら しむ る為 に は縦 行 を 表 は す 数字 、横 列 を 表 はす 数 字
て 五 字 組 を 作 り 、 (専 行 を 表 は す 数 字 に は 初 の 二 桁 を 用 ひ 其 の 数
が 十 に 満 た ざ る 場 合 例 へ ば 三 の 如 き 場 合 は 0ωと し 、 横 列 を 表 は す
数 字 に は 次 の 一桁 を 用 ひ 、 頁 を 表 は す 数 字 に は 最 後 の 二 桁 を 用 ふ 。
頁 数 が 百 を 越 え る 場 合 に は 百 位 の数 は 之 を 省 略 し て 十 位 と ︱位
此 の場 合 百 位 の数 字 は 特 に書 か ざ るも 、 送 受信 者 双方 に於 て積
の 二桁 のみ とす 。
例 へ ば 右 の 設 例 の 場 合 に は 0ωり8 な る 五 字 組 と な る 。) 之 を 通 信
年 の経 験 上 自 ら 判 断 し 得 る な り 。
暗 号 の 冒 頭 に 記 し て 受 信 者 に 対 し 乱 数 表 の所 在 を 示 す も の な る が
此 の 儘 使 用 す れ ば 万 一官 憲 に 於 て通 信 の傍 受 其 他 に 依 り 其 の暗 号
通 信 文 を 入 手 せ ら れ た る場 合 、 之 を 以 て解 読 の手 が か り と さ る ゝ
虞 あ る を 以 て、 更 に之 に対 し て複 雑 化 の方 法 を 用 ひ居 れ り。
Hl H刈 O N α、 軽 同 幽 Q。 ◎。﹁ O 卜 。Φ α α、 H 蔭㊤ 蔭 ω1
°o ω 膳心 ①1 Φ 鱒 O α HI H μO 膳 軽、 H ω b。 Q。 Hl Q。 H O ◎。 α1 ωH口
刈Q。ω同㎝ー O笛卜∂OQ。ー Q。OH悼O- Q 。OαOO- Oωb。同O-
即 ち 五字 組 に せら る ゝも の の最 初 よ り四 番 目 (此 の乱 数表 の所
Oω卜。①①1 ° 。ω"O°。1 窃Hb◎ωH・ OQ 。①刈O、 HbQNO刈﹁
= 二七 一﹂中 最 初 の二桁 ﹁=
H HQ o刈 H
°o こ。 ﹃ O °o
㊤戯O刈O
刈 b a 悼 °○ °。
O ① 卜⊃ 0 刈
各 ー四番 目 の 五字 組 を 減 ず 。
︱
︱
右の 二
﹂が 縦 行 を 、次 の Ⅰ桁
解 読 方 法 先 づ 乱 数 表 の所 在 を 発 見 す る 為 冒 頭 の 五 字 組 よ り 前 後
(実 際 に 昭 和 十 五 年 三 月 三 日 に 受 信 せ る も の )
在 を 示す べき 五字 組 を 冒 頭 に置 き て之 より 数 ふ) の組 及末 尾 よ り
}
逆 に数 へて 四番 目 の組 の数 字 を 之 に加 算 し、 之 を 暗 号通 信 文 の冒 頭 に記 す るな り 。
OωO①O
て上 位 の桁 に繰 上 げ 加算 せ ざ るも の とす 。
{
の和 の Ⅰ位 の数字 の み を と り、 十 位 は 之 を捨
加 算 の方 法 は前 述 せ る と同 様 、 同 Ⅰ桁 の数字
右 の設 例 に依 り実 際 に示 せぱ 次 の如 し。
㊤ H① O Φ
+ O①α①肋 ° QO O N O
即 ち 之 を 冒頭 に附 し右 設 例 の通 信 文 を暗 号化 す れ ば次 の如 く な る°
﹁三 ﹂ が横 列 を 、最 後 の 二桁 ﹁七 一﹂ が頁 を表 はす 事 前 述 の通 り
c。8 8 ー ミ 。 。逡 ︱ 卜 ⊃8 謡 ー OH①8 1 ①自 8 i δ ° 。。 。卜 。︱ ♂ 刈ω。。・ ㎝ミ 臼 ︱ ω嵩 ◎OQo︱ ⑩①q①α1 ①刈刈ΦN︱ ω"⑩O卜o︱ boαお ①︱
なり 。 従 て乱 数 表 と し て使 用 せる ﹁数 字 ﹂ は ﹁独 逸 統 計年 鑑 ﹂(末
O ① ド N 刈 O り 心 心 N 蔭 ω 艀 卜⊃ O O ゆ 刈 癖 G Q H bδ 刈 卜o
◎° Qo 蔭 ﹃ H c o ω GQ H ① ω ① ① H O O Qo " 膳 日 蔭 b ◎ QQ 躯 ①
ω H ω 卜 ㎝ Go 躯 q H 刈 H °o ω H N ° o H H ㊤ 0 μ H O 継
上 か ら 一 一行 目 左 か ら 三列 目 の第 三字 目 よ り の数 字
尾 の H三。琶 巴 O"巴o Oげ醇臥。葺 。コ 膏色 の頁 の部 分 ) の七 一頁 の
受 信 の 場 合 は 凡 て 以 上 述 べ た る 暗 号 文 作 成 の場 合 の 逆 の 手 続 を 以 て解 読 す るも の なり 。 即 ち 先 づ 冒 頭 の 五 字 組 の 数 よ り 、 最 初 と 最 後 よ り 数 へて 各 圭 四
(但 し 青 色 の 部 分 を 用 ふ ) 行 及 列 を 発 見 し 、 暗 号 通 信 文 の
番 目 の 五字 組 の数 を 引 き去 り 、其 の結 果 に依 り 乱 数 表 に 用 ひ ら れ た る頁
な る こ と 判 明 す 。 (添 附 写 真 参 照 )
α ◎Q O Q° O b◎ O N 戯 同 刈 笛 O H Q。⋮ ⋮
◎o ◎Q Qo ㊤ ω N b◎ Φ QQ QQ cQ ω c ° O 同 O 僑 H O O ω 蔭 ① ω bo
刈 ① °。 H 軽 O 刈 α 心 ω ω 卜 ① ① H O ω Qo GQ 刈 H O ㊤ ω 鱒
(ア ル フ ァ
数 字 よ り 乱 数 表 の 当 該 数 字 を 減 じ て得 た る 数 字 を 文 字 ペ ット ) に置 き換 へる なり 。 (設 例 ) 受 信 暗 号 文
O蔭b◎卜o◎Qー 幽O"QQHー ↓Oq㊤01 0 0N﹃GQN- OOOOOI
①①bδ切"︱ 刈①邸Oα﹁ ◎ oωboO刈- 刈卜oboQ°Qo﹁ OO ωO b◎l
之 を 暗 号原 文 の数 字 より 減 じ た る 結 果 を換 字 表 に基 き ﹁ア ル フ ァベ ット ﹂ に置 き換 ふ れ ば次 の如 く 解 読 す る こ とを 得 る なり 。
313 45- 34517-18 31 2-811 95-
6625 7- 762 05-832 07- 72288- 003 0245 960-59790- 64976-2921 7RAMS A Y,T RYT OFIN 9 42 23 - 4678 1- 76596- 82732- 60660110 41-88 471-83316- 3661 5- 68741-8 32 82- 68 310- 9328 0- 561 27- 02929-D
解読文
EMER
ESU L TS.
DAL
Rams ay.Try t o i fdou n t i s dlocat i onsof
106 10 9 11 0 114 and 116 di vs(di vi s i ons)
atpr esent .W i r e me res ult s.Da i12297
(最 後 の 一二二 九 七 は電 報 番 号 一 二 、 五字 組 数 二九 発信 日 七 の 日 なる こと を 示 す )
を 以 て此 の暗号 通 信 文 を 入 手 す る も之 を技 術 的 に のみ 解読 す る事
即 ち 第 三 者 が無 電 に よ って送 受 信 中 之 を傍 受 し 又 は其 他 の方法
第 一に 本 暗号 は解 読 極 め て困 難 な り 。
(四) 本 暗 号 の特 性
3446- 62051- 11044- 1 328 1- 310 85-
は極 め て困難 な り。
AT ION SOF8
423 46- 061 12- 70944- 243 42- 90974-
T DIS LOC
41100- 6694 9-411 00- 99949- 41111-
り 、其 為 通 信 文 中 に反 復 の現 れ る事 が極 め て稀 な る事 な り。 即 ち
OU
10 6 10 9 11 31111- 1 7925- 41488- 02955- 14 943-
通 常 乱数 表 を使 用 す る も 其 が 限 ら れ た る短 き も のな れ ば、 多 数 の
4
A
ND
I PRE SENT
1 16
W IR
等 に記 載 し て所 持 し置 く の必要 なく 、 従 て発 見 さ れ る危 険 性 は 全
程 度 を有 す るも のな れ ば極 め て容 易 に暗 記 す る こ とを 得 之 を 紙 片
即 ち原 暗 号 表 (換 字 表 ) は極 め て簡 単 な る も のに し て普 通 の智 脳
第 二 の特 性 は家 宅 捜 査 等 を行 ふも 発 見 が極 め て困 難 な る事 な り 。
なり。
反 復 の現 れ る事 は殆 ん ど稀 と な り 、為 に解 読 は極 度 に困難 と な る
近 き数 字 を 乱数 表 と し て使 用 し居 れ る を 以 て、 解 読 の端 緒 と な る
得 るも のな る も 、 本暗 号 の如 く 統 計 年 鑑 を使 用 し て殆 ん ど無 限 に
通 信 を行 ふ中 に は 同 一文 字 の反 復 が 現 れ之 に依 り解 読 の鍵 を 掴 み
其 の最 大 の原 因 は乱 数 表 に前 記 ﹁独 逸 国 統 計 年 鑑 ﹂ を使 用 し居
312 72-7681 4-07543- 34661- 03 8 8 37-
II
00949- 4111 1- 44945- 783 94- 111 16O
788315- 92298- 801 26-86550- 032101 9932-83393- 22 68 3-838 91- 04106-
IVSA
69483- 19905- 68543- 03769- 09114D
63226- 83 708 - 51 231- 55501- 12 29734632- 53 98 9- 25241- 72018 39634- 30829- 36090- 883593- 12 297-
く 存 せ ざ る なり 。 乱 数 表 に使 用 した る ﹁独逸 国統 計 年 鑑 ﹂ は 普 通 の独逸 人 な れ ば 之 を所 持 し得 る も 、 其 れ の み を以 て し ては決 し て疑 惑 を 招 く が 如 き こ と はあ り 得 ず 。 従 て身 辺 に暗 号 文 等 を残 さ ず発 受 信 とも 直 に 焼 却 す る等 の警 戒 措 置 を不 断 に措 り 居 れ ば 家 宅捜 索 等 に依 り て暗
一 三 諜 報 機 関 と他 の組 織 と の関 係
並 に諜 報取 締 上 の参 考 事 項
﹁ゾ ル ゲ﹂ 一味 と 他 の諜 報 組 織 と の間 に は何 等 横 の交 渉 関 係 無 く、
と認 めら る るも 、 他 面 上海 に は何 等 か の組 織 現 存 す る も の と推 定 さ
莫 斯 科 中 央 本 部 に直 属 し、 こ れ と縦 の関 係 に於 て の み連 絡 す る の み
れ、 報 告 資 料 を 縮 写 し た る フ ィル ムは 常 に 上海 に於 て同 志 に手交 す
号 使 用 の事 実 を 暴露 す る が如 き こと は 殆 ん ど あ り得 ざる な り 。
る や う指 令 さ れ、 又 上海 に於 て同 志 より 資 金 の交付 を受 け 居 たる 事
斯 く の如 く 本 暗 号 は使 用 す る上 に於 て容 易 に し て発 見 さ る る危 険 性 少 な く 、 第 三者 に とり 解 読 困 難 にし て、 間 諜 使 用 暗 号 と し て
実 あ り、 又 ﹁イ ング リ ット ﹂ な るも の東 京 に 派 遣 さ れ た る こ とあ り 、
最 も高 級 のも の と認 め ら る 。
﹁スカ ンヂ ナ ビ ヤ﹂ 当 時 共 に活 動 し た る旧 知 の間柄 な る た め、 個 人
何等 か の特 命 を 帯 び て活 動 せ る も の の如 く 、 偶 〓 ﹁ ゾ ルゲ ﹂ と は在
的 に屡 〓 ﹁ゾ ルゲ ﹂を訪 れ、 資 金 の融 通 を受 く る等 のこ とあ り たる
も 、 其 の活 動 の内 容 等 は 一切 これ を秘 め て語 ら ず 、﹁ ゾ ルゲ﹂ 一派 と
連 絡 す る こと を絶 対 に避 け る や う指 令 さ れ居 た る趣 き に し て、 約 五
箇 月 程 滞 京 の後 欧 州 に退 去 し た る事 実 もあ り 、﹁ゾ ルゲ ﹂ 一派 の他 に
之 と類 似 の組 織 あ る に非 らず や と も思 料 さ れ、 中 央 本 部 に於 て は各
組 織 よ り の情報 を 比較 綜 合 し て、之 を取 捨 選 択 す る も のと認 め ら る
る こと は 大 に注 意 す べ きも のあ り 。
また 今 後 の外国 諜 報 活 動 取 締 上 以 て参 考 に資 す べき 諸 般 の事 項 を 示
以 上 の如 く に し て本 事 件 は 外諜 活動 の典 型 的 な る も のと 云 ふ べく 、
唆 せ り、 即 ち
第 一に共 産 主 義運 動 の取 締 に関 し 一歩 を 進 むる こと と な り たり 。
従 来 共 産 党 員或 は そ の主 義者 は 国体 を 変 革 し、 資本 主義 組 織 乃 至 私
と し て視 察 の対 象 と なす を 必要 と す る に至 れり 。
其 の目的 を達 成 せ ん とす る も のを 生ず る に至 れり 。 換 言 す れ ば左 翼
動 に の み専 念 し、 以 て共 産 主義 ソヴ ェー ト聯 邦 の擁 護 発 展 に貢 献 し
ひ 、 今 次事 件 に於 ては 一般 社会 運 動 に は全 く 関 与 せず 、専 ら諜 報 活
締 も 亦 此 処 に重 点 を置 き た る も のな り。 然 る に国 際 情 勢 の変 転 に伴
有 財 産 制 度 を否 認 せ ん とす る 運 動 を な す も の と し て観 念 し 従 って取
れず 、 必 ず や第 二第 三 の ﹁ゾ ルゲ ﹂ グ ループ の結 成 を 企図 す るも の
の とす れ ば、 尚更 現 下 の情 勢 は、 日 本 を そ の ま ゝ放 棄 す る と は思 は
こ と能 はず 、 又 一歩 を譲 り て彼 等 一派 の外対 日諜 報 組 織 な か り しも
と 同様 の組 織 が 我 が 国内 或 は隣 接 地 帯 内 に存 在 す るや は 、否 定 す る
るゾ ルゲ 一派 は 完 全 に我 検 察 陣 の芟除 す る所 と なり た る も 、更 に之
今 やさ しも 巧 妙 に組 織 せら れ、 十 年 の長 き に 亙り て暗 躍 を続 け た
其 の重要 さ を加 へつ ゝあ る な り。
分 子 は思 想 容 疑 者 とし て視 察 内 偵 の要 あ ると 共 に、 又 外国 諜 報 機 関
かく て外諜 取 締 は い よ〓
と観 念 せざ る べか らず 。
第 二 に、 諜 報 活 動 に は 、其 の自 国 人 を 使 用 せず 、寧 ろ其 の敵 対 関 係 に あ る国 人 或 は 我 が 国 と親 善 関 係 にあ る第 三国 人 を使 用 す る こ と な り。 此 の意 味 に於 て枢 軸 国人 並 第 三国 人 に も 厳 に 注意 を 要 す べし 。 第 三 に、 情 報 の蒐 集 は 合 法的 に行 は る る こと 従 って そ の 一味 は 言 動 を 慎 しみ 、 正 業 に従事 し 、 一般 の信 頼 を あ つめ、 そ の対 人 信 用 を 利 用 す る こと な り。 第 四 に、 活 動 の末 梢 は常 に 日本 人 が利 用 せ ら る ゝこ と従 って最 も 利 用 さ れ易 き 米国 或 は支 那 方 面 よ り の帰 国者 、 二世 邦 人 等 に 就 き て は 充 分 視察 を要 す る こ とな り 。 第 五 に、 米 国 及 び支 那 特 に日 米交 通 の杜 絶 せ る現 今 に於 て は、 上 海 は最 も危 険 な る諜 報 ル ー トな る こと な り。
ら る ゝ事 実 に鑑 み 、 今 後 の捜 査 は単 な る視 察 内 偵 等 を 以 て し て は こ
第 六 に、 小 型 無 電 機 、縮 写装 置 等 を 専 門 技 術 によ り 巧妙 に利 用 せ
の種 諜 報 組 織 の発 見 、謀 略 活動 の摘 発 は甚 だ 困難 に し て、 凡 ゆ る 科 学 的 捜 査陣 の強 化 を 要す る こ とな り 。 第 七 に、 一国 の諜 報 組 織 は決 し て単 一のも の にあ ら ず 、 そ の国 の 各 部 門 より 派 遣 せ ら る ゝこ とな り 。
一四
動
者
言
動
事 件 の発 表 に対 す る各 方 面 の反響
(一) 外 国 人 関係
言
こ れ に対 す る各 方 面 の反 響 左 の如 し 。
大
要
五 月 十 七 日 本事 件 の検 挙 概 要 に つき 、 司法 省 よ り発 表 あ り た る が、
の
発 表 前 夜 た る十 六 日午 後 九時 頃 ﹁オ ット﹂ 大 使 は 突 如 と し て空 自 動 車 を 麹 町 区 一番 町 二 番地 D ・ N ・B通 信 員 ﹁ア ル フ レ ット ・リ ュッケ ン ハウ ス﹂ 宅 に急 派 同記 者 は雇 傭 タ イ ピ スト 二名 を随 へ、 直 ち に 日比 谷 公 園 市 政 会 館 内 、 独逸 通 信 社 (D ・N ・B︱ 同 社支 局長 ルド ル フ ・ワイ ゼ は 目 下満 支 方 面 に出 張 中 ) に急 行 し 、夜 勤 の 同社 勤 務 邦 人 助 手 二 名 に向 ひ 西園 寺 公 一並 に犬 養健 は如 何 な る経 歴 の人 物 な るや に 就 き質 問 (之 に対 し前 者 は 西 園 寺 公 の孫 、 後 者 は 五 ・ 一五 当時 殺 さ れ た る 前 総 理 の息 子 な り と の程 度 の説 明 を 聴 取 した る 模様 ) 次 いで、 タ イ ピ ス トは書 類 の作 成 に取 り 掛 り 、 此 の間 ﹁オ ット ﹂大 使 よ り は電 話 に て ﹁未 だ か〓 ﹂ と督 促 を 受 く る 状 況 に て同 十 時 頃 ﹁リ 東 京 市麹 町 区永 田 町 一ノ 一四 ュ ッケ ン ハウ ス﹂ は 一旦大 使 邸 に到 り 、 大 使 ﹁コ ルト ﹂参 事 官 の 三名 に て約 十分 間協 議 をな した 独 逸大 使 館駐 日大 使 る 上 再 び D ・N ・B事 務 所 に逆 行 、 次 い で同 十 一時 頃 ﹁コ ルト﹂ 参 事 官 の秘 書 ﹁ノ イ ラ ー ト﹂ 二 オ イゲ ン ・オ ット 等 書 記官 は大 使 の許 より 書 類 を 持 参 ﹁リ ュッケ ン ハウ ス﹂ に手 渡 し約 十分 間位 に て帰 邸 した る が (警 視 庁 ) 同 書 記官 は午 前 二時 近 く 再 度 D ・N ・B事 務 所 に出 向 き相 当 部 厚 な 書類 を邦 人 助 手 に引 渡 し引 揚 げ た る が発 表 事 項 に就 き 本 国 宛 打 電 を な し た るも の と思 料 せら れ 、 翌十 七 日 は日 曜 な る 為 ﹁オ ッ ト ﹂大 使 は午 前 十 時 頃 ﹁コルト ﹂参 事 官 と共 に自 動 車 に て神 奈 川 県秋 谷 の別 荘 に赴 き 午後 六時 半 頃 帰 京 、同 夜 は更 に夫 人 同 伴 渋 谷 鉢 山 の ﹁シ ー メ ン ス シ ッケ ルト ﹂社 支 配 人 ﹁ベ ル ン ハルト ・モ ー ア﹂ 宅 を 訪 問 、 同 十 一時 帰 邸表 面何 等 特 異 事 情 を 認 め ざ る も ﹁オ ット﹂ 大 使 は 同 大使 館勤 務 自 国 人 に対 し ては ゾ ルゲ 事 件 に 関 し 一切 口 を出 さ ぬ様 、 内命 し た る趣 に し て邦 人 雇 運 転 手等 は ﹁ゾ ル ゲ ﹂が 大 使 館 出 入 当 時 本 名 の乗 用車 の手 入を 為 し てや った 際 は気 前 良 く 紙 幣 を 呉 れ た も の であ った等 と噂 し、 今 更 驚異 の目 を向 け つ ゝあ り 。
私 は 同 国 人 リ ヒ ア ルド ・ゾ ル ゲ等 が昨 年 十 月 十 八日 警 察 へ検 挙 せ ら れ た事 は大 体 承 知 し て居 り ま し た が共 産 党 員 た る 事 は発 表 せ ら る ゝ迄 知 り ま せん で した 誠 に驚 愕 し た次 第 です 。 私 は仕 事 の関 係 上 彼 と は 折 々面接 す る事 もあ り ま し た が其 の様 な所 は毫 も 看 取 出 来 な か った。 独 逸 大 使 ﹁オ ット ﹂氏 が 彼 と は行 動 を共 に した のも 無 理 は な い。 ﹁ ゾ ルゲ ﹂が 日本 の知 名 の士 と進 ん で交 際 を 求 め 大 使 に接 近 し た の も 今 に し て思 へば自 ら の行 動 を カ モ フラ ー ジ ュ為 す べき 手 段 で あ った のだ 此 の件 に関 し私 は 日本 人 が喜 ぶ より も 独逸 の ﹁ヒ ット ラ ー ﹂ が よ り 一層 喜 び 日 本 の警 察 東京市麻布区広尾町二 ト ラ ン スオ コ エア ン紙 当 局 の透 徹 した 慧 眼 に対 し感 謝 と驚 嘆 とを 惜 しま ぬ 事 を確 信 す る も の であ る。 私 は 通信 員 であ る 日本支局長 故 普 通 の事 な ら ば特 種 と し て早 速 本 社 へ打 電 致 す であ ら う が、 此 の問 題 に関 す る 限 り大 使 の許 可 フリ ッツ ・ゼ ル マイ ヤ な く し ては 何 事 も 言 ふ事 は出 来 な い。 (警 視 庁 ) 私 は 西 暦 一九 三 二年 ﹁オ ット﹂ が独 逸 国 民党 の党首 で あ った ﹁ヒ ット ラー ﹂ の為 め に オ ー スト リ ー のヴ ィ ン ナ近傍 に於 て共 産 党 と抗 争 し遂 に傷 を受 け現 在 でも 左 手 に此 の様 な傷 跡 が有 る (左 手 を 捲 る)。私 は 共 産 主義 打 倒 の精 神 力 を 常 に駆 り 立 てら れ る のは此 の傷 の御 蔭 と 云 っても よ い ﹁ ゾ ルゲ ﹂に対 し て も此 の傷 の事 を 教 へた様 に 覚 え て居 る。 ﹁ ゾ ルゲ ﹂は 頭 脳 の明 晰 な 人 間 であ る の に 洵 に 馬 鹿者 だ末 代 ま でも 国 賊 と し て残 る事 と 思 ふ。自 分 の国 の事 を 棚 に上 げ て斯 様 な事 を言 ふ の
も変 だが蘇聯大使 は妙 な気持 で居る事 と思ふ。
自 分 は ﹁ゾ ルゲ ﹂ と は個 人 的 にも 可 成 以 前 か ら知 って居 る が 今 般事 件 の発 表 と共 に常 人 と 変 って 居 る と驚 愕 し て居 る。 人 は 長 い間 に は何 等 か の機 会 に 一寸 した 不 用 意 の言 動 があ るも の であ る 。 殊 に ﹁ゾ ルゲ ﹂ の如 く大 酒家 であ る場 合 に於 ては常 人 であ った な ら ば泥 酔 の結 果 自 分 の正 体 に関 す る言 動 が多 少 な り と も な く て はな ら な い。 処 が ﹁ゾ ルゲ ﹂ に至 って は現 在 迄 に正 体 の片 鱗 す ら 窺 ふ に足 るも のを 全 然表 し た事 がな い。 特 に曾 つて は D ・N ・B東 京支 局 長 ル ド ル フ ・ワ イ ゼ の 不 在 中 其 の代 理 を 兼 ね た る事 あ り。 又 常 に大 使 邸 に出 入 し大 使 は 勿 論 他 の館 員 とも 深 交 若 しく は 面 識 を重 ね 其 の他 凡 ゆ る 在京 独 逸 人 有 力 者 間 に出 入 し て尚 今 日迄 自 己 の正体 を欺 瞞 なし終 え た事
私 の妻 ﹁ヱ ルシ ー ﹂ は ﹁マ ック ス ・ク ラウ ゼ ン﹂ の妻 と は親 友 と 云 ふ程 度 でな いが 近所 で あ る の で 一時 交 際 し た事 があ り ﹁ゾ ルゲ ﹂ に も何 時 か忘 れた が 面接 し た事 があ る。 今 度 検 挙 さ れ た理 由 が共 産 主 義 関 係 其 の他 であ る のを 初 め て知 り誠 に驚 ろ いた 次 第 だ 。私 は ﹁ク ラウ ゼ ン﹂ 及 ﹁ゾ ル ゲ ﹂が 検挙 さ れ た事 は以 前 聞 き 知 って 居 た が 、最 早 や彼 等 は追 放 処分 に な ったも のと 考 へて居 た。 何 時 か確 か な 日 は忘 れた が ﹁ゾ ルゲ ﹂博 士 が上 海 で死 ん だ と ジ ャパ ンタ イ ム ス紙 に出 て居 った の で 、 フラ ンク フ ル タ ー の ﹁ゾ ルゲ ﹂記 者 と思 った がゾ ルゲ違 ひ であ った のか 、現 在 迄 あ れ以 来 駐 日 独 逸 大使 館 へ度 々行 ったが 此 の件 に関 す る限 り 一度 も話 題 に 上 った事 は な い。斯 様 の重 大 不 祥 事 が 発覚 し た の であ る 故 今 後 日 本 の警 察 は独 逸 人 に就 き 一人 々 々身 許 調 査 、 素行 調 査 を致 す に違 いな いと思 ふ が如 何 。 亦 ﹁オ ット﹂大 使 にし た 処 で再 び斯 様 な責 任 問題 が起 ら ぬ様 取 締 に当 る ﹁マ イ ジ ンガ ー ﹂氏 を し て警 察 へ連 絡 を執 ら しむ る 様命 令 為 す と思 ふが 其 の事 に 就 い て何 か聞 い て居 る か ? 犬 養 、 西 園 寺 さ ん の如 き知 識 階 級 の人 達 が知 らず に利 用 さ れ て居 た とす る と未 だ 〓 其 の他 にも 国 際 共 産 党 の ルー トも 有 る かも 知 れ ぬ が、 兎 も角 独 逸 人 と し て 日本 の皆 さ ん に対 し 悪 人 輩 が検 挙 さ れ た事 に対 し祝 意 を 表 す る も ので あ る。
此 の度 発 表 せら れ た る国 際 諜 報 団 中 よ り 国 籍 を 同 じく す る処 の ﹁リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ﹂並 に ﹁マ ッ ク ス ・ク ラウ ゼ ン﹂等 を出 し た事 は日 本 に 対 し て誠 に申 訳 な い。 ま し て駐 日 ﹁オ ット﹂ 独 大 使 と は 一時 的 にせ よ親 交 の有 った如 く 一般 よ り見 ら る る が如 き 行 動 を大 使 が取 った事 に対 し て は ﹁オ ット ﹂ 氏 も相 当 責 任 を痛 感 し て居 り ま す 。 西 暦 一九 三 三年 「ヒ ット ラー」 が共 産 党 を 駆 逐 し て総 統 と な って以 来 、独 逸 国 内 は勿 論 在 外 独 逸 人 に対 し ても 相 当 思 想 的 吟 味 が加 へら れ て来 、 特 に 日、 独 、 伊 三国 防 共協 定 も存 す る故 、 伊 国 及 東 京 市 麻 布 区 東 鳥居 坂 町 一〇 日本 に於 て は厳 重 で あ った。 吾 々は大 使 館 に は取 締 の衝 に当 る ﹁フ ー バー ﹂氏 を 始 め ﹁マイ ヤー 独 逸 大 使 館 附書 記 官 フ ァ スト﹂ 氏 及 ﹁マイ ジ ンガ ー ﹂氏 が居 り 、 其 の方 面 の取 締 を 厳 重 にな し、 パ スポ ート の査証 の ハー エル・ノ イ ラ ート 場 合 等 特 に注 意 し て居 た ので安 心 し て居 た。 (警 視 庁 ) 上 述 の人達 は 遂 に彼 が敵 性 な る を 看做 す能 はず 慧 眼 な る 日本 の検 察 当 局 の不 眠 不 休 の 努 力 に 依 り 、検 挙致 さ れ し御 労 苦 に対 し て斉 し く深 甚 な る感 謝 と感 嘆 と を禁 じ得 な い処 であ る 。 ﹁オ ット ﹂大 使 は早 速 該 状 況 を 正式 に本 国 政 府 へ報 告 為 す であ ら う 。 日 、 独 、 伊 三 国防 共 協 定 の建 前 よ り し ても吾 々独 逸 人 は今 後 進 ん で検 察 当 局 に対 し、 容 疑 者 を発 見 せし 場 合 は 他国 な る と自 国 な る と を問 はず 協 力 検 挙 援 助 致 す 可 き事 を誓 ふも の であ る 。私 は 犬 養 、 西 園 寺等 の相 当社 会 的 有 識 者 より 事 件 の関 係 者 を出 した 事 を 日 本 の為 に悲 し むも の であ る。 該 事 件 が 日本 の対 蘇 関 係 を悪 化 せ しむ る 事 は な いと思 ふ。
東 京 市麻 布 区本 村 町 三五 薬 品貿 易 商 要 注 意 独 逸 人 ヨ ハネ ス ・ シ ュト イ ル ナ ーゲ ル
東 京 市〓 町区 丸 ノ内 二 ノ 一〇 仲 一四号 館 アグ フ ァ合 名 会 社 総 支 配 人 、 ナ チ党 京 浜 支 部 長 ハイ ンリ ッヒ・ロイ
混
ョ フ
ソ聯 大 使 館 参 事官 ジ ュ ー コ フ 同大 使 館 一等 書 記 官 ド ル ビ ン
ソ聯 邦 タ ッス通 信 員 キ セ リ
中国大使館参事官 孫湜
東 京 市赤 坂 区 榎 坂 町 五 フ ラ ンク フ ルタ ー ツ ァイ ト ウ ング通 信 員 独 逸 人 エリザ ベ ス・アベ ック ( 警視庁 )
は何 とし ても 偉 大 な 人間 だ と言 ふ外 は な い。 而 も 検 挙 せ らる る前 日迄 大 使 館 に在 て独 逸伯 林 電 報 (独 逸 情 報 ) の校 正 を担 当 し て居 た のだ か ら 全 く 驚 ろく 外 は な い。 彼 は 一九 三 五年 頃 前 ナ チ ス党 京 浜 支 部 長 の幹 旋 で入党 し た の で其 の経 緯 に就 て は承 知 し て居 な い が第 一次 欧 州 大 戦 当 時自 ら志 願 し て第 一線 に出 動 し て居 る し、 時折 私 等 の前 でも 腕 や 脚 を めく っ て創 口を 見 せた事 が あ る位 だ から 真 の ナ チ党 支 持者 と し て見 た のは 当 然 の事 であ った か も 知 れ ぬ。 只 今 日 にな って考 へて見 れ ば彼 は ナ チ党 員 であ り な がら 真 に ナ チ党 の生成 発 展 の為 め 事務 に 携 った事 がな い。 例 へば 在京 独 逸 人 の指 導 取 締 と 云 ふ様 な 事 の具 体 的 な言 動 を全 然 耳 にし た事 が な か った 。 亦 ﹁ク ラウ ゼ ン﹂は 何 と馬 鹿 な男 だ と思 ふ。 主 義 者 と し ての信 念 も な く 只命 ぜ ら る る ま ま に動 い て居 た だ け の事 だ。 私 は丁 度 検 挙 せ ら れ た昨 年 十 月 十 八日 其 の事 に就 いて大 使 か ら呼 ば れ検 挙 の事実 を知 った が、 よ も や 斯 様 な 内 容 を持 つも の だ と は考 へも 及 ば な か った。 何 れ に せ よ在 京 独 逸 人 中 か ら斯 る分 子 を 出 し た事 は ナチ党 支 部 長 と し て何 と も申 訳 な い事 です 。
両 名 は五 月 十 八 日午 後 六時 五十 分 頃 よ り 赤 坂 区 山 王 下料 亭 末 広 に於 て北樺 太 石油 会 社 員 高 毛 礼 茂 の招 待 に よ り 囲碁 会 に出 席 し席 上 雑 談 す る のみ に て本 事 件 に は努 め て触 れ ざ る態 度 を持 し居 た る も 、 高 毛 礼 よ り ﹁ゾ ルゲ ﹂ の検 挙 問 題 を 話 し か け ら る ゝに及 び始 め て 口を開 き、 ﹁本 事 件 が モ ス コー、 コミ ン テ ル ン. の関 係 す る 如 く発 表 さ れ居 る も 、其 は ヒ ット ラi i親 親衛 衛隊 隊特 特 別 警 察 隊 の第 五列 が計 画 的 にな した る も のに し て モ ス コー の関 知 した る も の に非 ざ る﹂ 旨 洩 せり 。
ゾ ルゲ 事 件 を 駐 日 独 逸 大 使 が知 ら ぬ筈 はな い。 知 って居 て今 迄 黙 って ゐた とす れ ば 、同 大 使 は反 ヒ ット ラ ー分 子 に 相 違 な く 、之 に よ って ヒ ット ラー 政府 部 内 に 二 つの相 反 す る勢 力 のあ る こ とを 証 拠 立 てた 訳 であ る 。 日本 政 府 が如 何 な る態 度 に出 る か 今後 刮 目す べ き問 題 であ る 。 蘇 聯 邦 政 府 は固 よ り 大 使 館 でも 此 の事 件 に は直 接 関 係 者 を 出 し て ゐ な い。
今 回 検挙 さ れ た 一味 の中 心 分 子 の中 に 枢 軸国 人 が 二名 も 居 る のに は 驚 き ま し た。 ま た起 訴 さ れ た 日本 人 の中 に現 在 南 京 政 府 の顧 問 であ る 犬養 先 生 の名 が挙 げ ら れ て居 る の には 全 く 驚 き ま し た。 犬 養先 生 は元 参 謀 本 部 の支 那 課 長 であ った影 佐 少 将 の斡 旋 で南 京政 府 顧 問 に就 任 し中 華 民 国 のた め に相 当 尽 し て呉 れた 人 です が 不 幸 今 回 は尾 崎 を余 り に信 用 し過 ぎ た為 機 密 を 漏 ら し た の で せ う 。本 当 に お気 の毒 です 。
本 事 件 の記 事 が新 聞 紙 上 に発 表 さ れ る や予 期 し て ゐた こと で は あ る が ﹁ゾ ルゲ ﹂ と 同 一新 聞 であ る だ け に迷 惑 と嫌 な気 持 が し た 。然 し 日独 間 の ため には大 慶 至極 の こ と であ る 此 の事 件 は独 逸 側 は寧 ろ 日本 の官 憲 に対 し 感 謝す べ き であ る。 自 分 は 一九 三 五年 以 来 ﹁ゾ ルゲ ﹂ を知 った が彼 が共 産 党 員 で あ る こ と は 一寸 も 知 ら な か った。 そ れ に彼 は 大 酒家 で何 時 も ブ ラブ ラし てゐ た が寄 稿 す る 記事 は非 常 に優 秀 な も ので あ って自 分 が日 本 へ来 る と き本 社 か ら渡 日 した な ら ば 直 ぐ ﹁ゾ ル ゲ ﹂ を訪 ね よ と云 は れた 位 で社 で は彼 を信 用 し て ゐた 。彼 が オ ット大 使 と親 密 で あ った こ と は在 日 独逸 人 は殆 ん ど知 って ゐる の で大 使 は き っと困 って ゐる に相 違 な い。 然 し それ は オ ット ば かり
(二) 右 翼 方 面
言
動
者 動
の
大
要
で なく 館 員 共 通 の こと で は な いだ ろう か 。 日本 官 憲 に よ り検 挙 さ れ た の で マイ ヂ ンガ ー は オ ット 大 使 よ り 困 却 し てゐ る度 合 が大 き い の で独逸 大 使 館内 で射 殺 さ れた とか 言 ふ様 な噂 が あ った が今 に し て思 へば そ れは デ マに 過 ぎ な か った と思 ふ。
言
大日本生産党仙台支部長 内 外 人 より な る不 逞 国 際 ス パイ 団 が大 東 亜戦 直 前 に検 挙 さ れ た こ と は不 幸 中 の幸 で あ る。 須 藤 陸 雄 犬 養 、 西 園 寺 等 の外 に近衛 有 馬 が中 心 であ った と聞 く が 結局 自 由 主 義 個 人 主 義 の温床 に育 った結 (宮 城) 果 と思 ふ。
東亜連盟石巻同志会 長 私 は 尾 崎 の著 作 を以 前 か ら 読 ん で相 当啓 蒙 さ れ た が思 想 的 に疑 は し い点 があ った 。検 挙 さ れ て成 亀 山 養 治 程 と 思 は れ る 。 西園 寺 犬 養 等 が 手 先 に な って居 たや う だ が、 中 央 上層 部 の人 は 、割 合 此 の方 面 に (宮 城 ) 対 し 無 関 心 のや う だ 。不 用 意 に話 した と し て も責 任 は免 れな い。
日本 の国 に は上 層 部 に共 産 主 義 も あ れ ば、 自 由 主 義 思 想 抱 持 者 も 沢 山居 る か ら 国際 諜 報 団 に利 用 さ れ る の だ。 今 回 検 挙 さ れた 首 魁 が有 識 者 であ り 、 どん な 材料 を提 供 し た か吾 々 には皆 目 解 らな いこ と で あ る が 一説 に よ れば 、 犬養 等 は支 那 へ経 済 使 節 とし て行 った が支 那 で は彼 が帰 国 し て大 手 を振 って歩 け るや う で は日 本 も終 り だ と 云 って彼 に対 す る批 判 は囂 々た る も の が あ った さ う だ 。何 れ に し て も今 後 吾 々は前 線 将 兵 に対 し ても 国 内 の人 民 戦 線 派 一掃 に 万全 を期 さ ねば な ら ぬ と考へてゐ ゐ る。
国 際 諜 報 団 検 挙 に よ り 、其 の根 源 が コミ ン テ ル ン の活 動 にあ る こ と は時 局 下 思想 問 題 を 一芯 再険 討 す る必 要 が あ ら う と 思 ふ。 其 の首 魁 に最 近 の支 那通 と し て 又評 論 家 とし て天 下 に令 名 を 博 し て 居 た尾 崎 秀 実 が 加 は って居 る事 に は全 く 驚 か ざ る を得 な い。 翼賛道場主退役陸軍少佐 は アヂ ア問 題 講 座 や中 央 公 論 等 に多 く の論 説 を書 き識 者 に愛 読 さ れ て居 った 。彼 の主 張 す る 東 坂 西 隆 策 彼 (長 野) 亜協 同 体 論 を 思 ひ起 す時 、 協 同 体 論 に大 日 本帝 国 の中 心 と言 った も のが 更 に織 り込 ま れて 居 ら な かっ た 事 実 に 鑑 み彼 が如 何 に赤 化 し て居 った か と 言 ふ こ とを 疑 は ざ る を得 な い。 将 来 の国 民 思想 善 導 は 中 々困難 な こ と で、 日本 主 義 に対 す る 一 の体 系 を 生 み 出 し コミ ンテ ル ンの侵 入 の余 地 無 か ら らし しむむ る るこ こと とを を今 今回回 ののス スパ パイ イ団 団検 検挙挙 に によ よっって て痛 痛切 切に に感 感 じ じた た。 。
大 日本 生産党松本支部 長 水谷 水 谷 道 泰 (長 野 )
臼
田 道 治 東方会 の中野総 裁はこの事あるを察知し、近衛 の極左 に対 し、中野 は極右 で行 くと近衛陣営 に対 (長 野) 抗 した の であ る が、 尾 崎 は 近 衛 政 治 の相談 役 で現 在 の統 制 経 済 も彼 の計 画 に よ るも の で近 衛 理 論
大 日本生産党長野県支部長 一億 一心 全 国 民 が翼 賛 し奉 る機 構 にな って来 た と き 斯 う し た諜 報 団 に 日本 人 が入 って居 る こ と は 大 島 芳 男 実 に遺 憾 に堪 へな い。 而も 犬 養 西 園 寺 等 のあ る こと は 国際 的 に相 当影 響 す る こ ど と思 ふ。 (長 野) 此 の際 国 民 の納 得 の行 く やう な充 分 なる 制 裁 を加 へて貰 ひ 度 い。 東方 会 員
支
部
深
堀
旧 立 憲 養 正会
長
修 (長
豊
思 ふ°
は尾 崎 の理 論 であ る と 言 って も過 言 では な い十 二 月 八 日 以後 の挙 国 体 制 は東 条 勾 閣 の厳 然 た る 日 本の方針で近衛も 、 Ⅰ連 の 章 任 があ る と言 ふ べき だ O この 影 響 は巴 股 国 民 に与 へ 雇影 響 よ り も攻 界 上層 剖 に. , 号 へた 司 の の方 力大 き いの で此 を 契 機 と して 所 講 親 英 米 派 の 策 動 を Ⅰ掃す べ きで あ ると
我 々立 態養 正会 が永 牢 唱 へて来 た 主張 を攻 府 が深 用 し て置 け ば 此 んな 事 牛 は山 木然 に坊 止 出 央 た と
思 ふ。共産 主義運動は今 は下層部よサも上 層部にある から注意を要ず るど 我々が 云っ て居た先先
平 比 の不 詳事 件 の惹 起 を見 た 。 これ は取 諦 当 局 に幾 分 油 断ん があ った と思 ふo 養 正 会 の覗﹁ 体 虫 の加 く 野 ) 全部事 件関係者は全部死刑 に処す べきである。
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今度 の検 挙 を見 て上 層 階 級 者 と親 英 米 的 な 又 親蘇 的 な思 想 を 持 った連 中 が多 い と云 ふ こと が ハッ キリ し た彼 等 上屑 部 の連 中 がそ ん な思 想 を 持 一 .て居 る から 不 知 不 講 の間 に課 報 経 に引掛 る のであ
尾 崎 宮 城 に 至 って は大 和 民 族 で は無 い。 斯 か る も のは 一律 に死 刑 だ 。
韮 ■ } ) ) ーワ 霊竃 拝 ワー﹂ あ 、く
例 へ至 己 が意 識 を 有 せず とも 国 家 機 密 に属 す る も のを軽 々しく 言 った こ と は断 じ て許 す 可 ら ざ る
戻 跨 の 血 を 受 け つ い だ 者 が 置 か も 桂 相 の 垣 位 を 有 す る 犬 養 、 塵 園 寺 等 に 蟄 ,' 、て は 最 も 不 都 合 だ c
国家 の総 力 を 挙 げ て喰 ふか 喰 は れ る か の瀬 戸 際 に立 って居 る今 日斯 る売 国 的 行 為 を為 す も の があ る と は全 く 予 期 しな か った 。外 国 人 がや る のは お 互 に至 国 の存 立 間 題 だ が 別 問 題 と し て筍 も 大 和
西 園 寺 犬 養 が 左 翼 で引張 ら れ て居 る と云 ふ こと は 聞 い て居 た が ス パ イ関 係 と は思 は なか った 。然 し新 聞 で見 た 丈 では なく あ の裏 に は相 当 込 入 った も の があ る と思 ふ。 風見 章 等 が代 議 士 に推 薦 さ れ な が ら辞 退 した のも 之 に 僕係 があ り 又 改 組 前 の翼賛 会 の左 翼 事 件 も 之 に連 な り が有 る隊 に調 い て居 た し、 内 容 的 には単 な る課 報 団 で はな く 左 翼 醜 な も のを 持 って ゐる 、 西 園寺 公 Ⅰが引 か ゝる の だ か ら右 翼 の連 中 も こ れ に引 樹 って ゐ るか も 匁 れ な いc
に決 一 、て ゐ る c こ ん な こ と は よ く な い こ と で あ る ,
今 回 の検 挙 に就 て最 も 不審 に思 って居 る こと は 犬 養健 のこ と であ る。 彼 は こ んな 事 件 に か か って居 る に拘 ら ず 立 候 補 し て知 ら ぬ顔 し て当 選 し てゐ る。 そ の点 に つ い て 樹 風 見 章 は男 ら し い。 尤 も風 見 は全 責 任 を負 って居 る ので風 見 が 口を 割 れば 意 外 の こと に な る。 川 ) 兎 に角 今 度 の事 件 の関 係 者 は 上層 部 に相 当 居 る であ ら う が、 其 の処 分 は必 ず 極軽 微 な処 分 を す る
コミ ンテ ル ン は我 国 々民思 想 を諜 蝕 動 揺 国 内 態 勢 の亀 裂 を策 し つ 玉あ った の で幾 度 か当 局 の弾 圧 を受 け 更 に匡 内 に 海 瀕 と し て薫 一 、た 日本 主 験 思 想 運藪 に ょ り表 面其 の影 を 没 す る に至 った が、 彼 、て鍵 下 に蕊 動 を績 け つ ゝあ る の であ る 、 北海 国民道場企画部長、旭 川新 等 は人 民 戦 線 に依 一 聞記者 奈 良 沢 重 郎 比 の秋 に当 り、 国 瞭 諜報 団事 件 の険 挙 を 見 る に至 り彼 等 は思 想 畳 乱 に止 ま ら ず 、阻 識 掬 に スペ イ (北 海 道 ) 団 を以 て皇 国 を 侵 蝕 し つ ﹂あ った事 実 が 暴 露 さ れ た 。彼 等 の手 先 と し て利 用 さ れ て居 た邦 人 中 に 知名 の士 が居 る こと は 誠 に遺 憾 であ る と同 時 に知 識階 級 に対 す る示 唆 であ る 、 そ れを 知 識 階 級 が知 った振 りす る独 善 と自 己 満 足 に 陥 る 場合 の多 い こ と に原 因 す る 。
国防懇話会理事
島
﹂ノ 本 八
良 通
(石
中
山
俳 藤
元昭楠 塾
大
、 r熊
元皇道義盟
大 日本生産党員
村
動
田
敬
孫
持 って居た昭和研究会 の中 には常任幹事 として外交部文化部 政治経済部門 に籍を置 き而 も其 の実
既 に 僕 等 愛 国 陣営 で は尾 崎 秀 実 は スパ イ であ る と し て警 戒 し て居 た。 大 政 翼 賛 会 の発足 し た当 時 近 篠 首 相 の右 腕 と 云 は れ た有 馬 頼 寧 は 左翼 人 物 の傀 儡 であ り 、 又 左翼 イデ オ ロギ ー を 持 って 居 る の で大政 翼 賛 会 事 務 総 長 の追 出 し運 動 を や った。 更 に近衛 首 相 の片 腕 と云 はれ た 後藤 隆 之 助 の
三 裁 よ く 皇 道 と か 日本 精 神 と かを 唱 へて ゐ る が実 情 は 皆 仮 装 で マ ルク ス主義 か こち こち であ る。 新 聞 では 西園 寺 、 犬 養 だけ が表 面 に出 てゐ る が之 を見 ても 上 層部 の連 中 が充 分 自 己 の反省 す る余 地 が あ る (僕 併 者 は厳 罰 に処 す べ き だ。
(宮
城)
七
城)
八
者
動
の
大
要
売 国奴 的人 物 は此 の際 全 部 死 刑 に処 す べき で あ る。 殊 に犬 養 の如 き前 に も思 想 問 題 を 起 し た る こ と あ り改 悛 の情 な きも の であ る 。 充分 責 任 を と る べ き であ る 。
沼和 八年 来 暗 躍 の スパ イ団 が検 挙 さ れ た が、 此 の際 国 家 機 密 を 取扱 ふ国 民 上 層 部 有 識者 が他 人 に 口外 す る こ と の善 悪 は解 ってゐ る筈 だ宜 しく 厳 罰 に処 す べき であ る。
言
権 を 握 って居 た の が今 度 の ス パ イ の張 本 人支 那 共 産 党 関 係 者 た る 尾崎 であ った。 夫 れ だ か ら良 く 元内外更始倶楽部 長 考 へて貝 る と 今 回発 表 せ ら れた 程 度 のも ので は な い。 近 衛 内 閣 当時 の国 家 方 針 国 内 政治 組 織 の内 若 狭 勝 次 容 国 内 政治 家 並軍 首 脳 部 イデ オ ロギ ー 及行 動 一切 筒 抜 け に な って居 た こ と は想 像 せら る る 。 スパ (埼 玉) イ 尾 崎 は 三 上卓 の持 って居 る 皇 道 翼賛 青 年 連 盟 にも 籍 を 置 い てあ った。 三 上 卓 は我 々の や った全 国 日本 主義 青 牢 会 議 結 成 の時 入 れ て呉 れ と申 込 があ った が其 の時 三上 卓 には スパ イ ら し い尾 埼 秀 実 が つ い て居 る と居 ふ見 方 か ら 加 盟 ぜ し め な か った。 近衛 さ ん の片 腕 た る 後 藤 隆之 助 の持 って居 た昭 和 研 究会 は国 内 一流 の政 治 家 と 国 内 の共 産 主 義 者 が ﹁グ ル ﹂に な っ て居 て是 で研 究 し たも のを 新 日 本 の行 方 であ る と云 って大政 翼賛 会 が採 用 し て居 た 。大 政 翼 賛 会 が赤 いと 云 は れ た原 因 も 此 処 にあ った (三 ) 郷 軍 方 面
言 在郷軍人 岩 崎
文
日本 人 の知 識 階 級 の人 士 が 介 在 し て居 た と は更 に驚 い た、 皇 軍 將兵 の第 一線 に於 け る 活動 を考 へ
警 察 の 大 き な 功 績 で あ る が、 今 回 の諜 報 団 検 挙 発 表 は 心 あ る者 を し て実 に唖 然 た ら し む る も の で あ る 第 三次 近衛 内 閣当 時 に於 け る 日米 交 渉 を 始 め 其 の他 の情 報 が先 づ以 て ス パイ さ れ て ゐ た事 は 松 宗 一 容 易 に判 断 し 得 る処 であ る。 (長 野 ) 幸 にも 当 局 の労 苦 に よ り検 挙 せら れ、 あ の雄渾 な る大 東 亜戦 の大 作 戦 が絶 対 秘 密 裡 に行 は れ てゐ る こ と は国 家 のた め 慶 賀 に 堪 へな い。 彼 等 が 何 れ も共 産 党 員 であ る こと を 国 民 は知 ら ね ばな らな い。
(宮
石巻 連 合 分 会 長 退 役 少 佐
柴 田郡大河原町 郷軍分会長 森
陸 軍中 尉 近
小樽市
在郷軍人会連合副分会長 陸 軍 少 尉 杉 江
退役陸軍大佐 河 野 義
退役海 軍中佐 青 山 (愛
(埼
(宮
猛
雄
某 知)
洗 馬)
者
城)
太 郎
(群
玉)
分会長陸軍中尉 金 久 保 金 次
動 木
村
前橋市郷軍連合分会 長 予備陸 軍大佐 渡 辺
(四 ) 左翼 方 面
言 仙台市 共甲
る時 日本 人 の血 の流 れ て居 る者 な ら斯 か る行 動 は 出来 な い筈 だ。 大 東 亜 開 戦 前 に検 挙 せ ら れ た の が不 幸 中 の幸 と云 は ね ば な ら な い。
今回発表を見 たる国際諜報 団 の検挙 こそ我国未曾有 の大事件 である近衛内 閣が倒 れたと云 ふこと
ぶ べ き こと と思 ふ。
も本 事 件 に因 るも のだ と 聞 いて居 た 。 其 処 で現 在 の 日本 と し て 一番 注 意 せ な け れ ばな ら ぬ問 題 は此 の申 に 独 逸 人 二 人も 居 る と云 ふ こと であ る。 即 ち 国 民 は盟 邦 独 伊 ど讃 へて居 る が決 し て油 断 は出 来 な い。 然 も国 家 の枢 機 に携 は る上 層 部 階 級 こそ 一般 国 民 より も 寧 ろ 防 諜 に 目 醒 め ね ばな らな い。 聞く 処 に依 る と昨 年 の本 事 件 検挙 当時 独 逸 大 使 館 付 武 官 の 一人 が自 殺 し た と云 ふ こ とも 本 件 に関 係 が あ ったも の でな いか と考 へら れる 。 兎 に角 今 度 の大 東 亜 戦 争 直 前 に於 て本事 件 を検 挙 し た こ とは警 察 当 局 の労 を多 と し邦 家 のた め喜
一国 の総理然も当時国民 の絶対的信頼を有 した近衛が斯く の如くでは政府 の要路 者に対 しては如
何 な る 程 度 に信頼 を し て よ いか疑 はざ るを得 な い。
ふ が速 に其 の真 相 の全 貌 を 発表 し て国 民 の前 に何 等 か の方法 で陳 謝 す べき だ 。
近衛も当然引致され て居 ると思 ふが之は恐らく対外的 な影響 を考慮 して発 表を差控 へて居 ると思 戦 果 は 到 底 望 ま れ な か った。
若 し大東亜戦争開 始前 に於 て該事件が検挙せられてゐなか ったとしたら緒戦 の世界戦史上燦たる
上層 部 指 導 階 級 に属 す る 知 名 の士 が 居 る こと は唖 然 た るも のが あ る 。 仮令 不用 意 と は云 へ重 大 な る 国家 の安危 を支 配 す る機 密 を洩 し た る も のな る が故 に 断 乎 た る法 の 制 裁 を加 へ国 民 の自 粛 を 促 す べき だ 。 か ゝる事 件 は国 民 の上 層 部 に対 す る信 用 低 下を 思 ふ とき 寧 ろ 発 表 し な い方 が良 か った と思 ふ 。
こ とだ 。
動
の
大
要
西 園 寺 家 では 由 緒 あ る重 臣 と し て此 度 の様 な事 件 に関 係 し た の で は何 と し ても 上御 一人 に申 訳 な い と 云 ふ の で西 園 寺 公無 き今 日西 園 寺 家 を 潰 す こと が当 然 だ と云 ふ の で目 下協 議 し て居 る と云 ふ
言
国 際 スパ イ団 検 挙 を 新 聞 で見 た が今 日 の状 勢 下 に於 て コミ ンテ ル ン の指令 下 に内 外 入 によ る 組 織 網 を以 て共 産 主 義 運 動 を や る も の があ る と云 ふ こと は考 へら れ るが 、 尾 崎宮 城 等 の如 く 外 国 諜報 活 動 を な し た ど云 ふ こと は意 外 であ り又 遺 憾 な にと であ る。 斯 か る売 国 奴的 機 密 漏 洩 は ソ聯 を利 す る よ り英 米 資 本 主 義 を利 す る結 果 にな る と思 ふ。
仙台市
雄
司法 省 発 表 記 事 に依 り 此 の重 大 時 局 下 に コミ ンテ ル ンの指 令 下 に躍 った 国際 スパ イ団 の検 挙 のあ った こ と を知 った。 国 家 のた め 遺憾 に堪 へな い。 大 東 亜 戦 直 前 検 挙 さ れ た こ と は何 より だ 。 開 戦 佐 々 木 更 三 直 前 私 は暫 く身 柄 拘 束 を受 け た が、 あ のや う な重 大 事 件 があ った のだ か ら 止 む を得 な い と思 ふ。 ( 宮 城) 今 後 イ ンテ リ階 級 上層 部 の反 省 が必 要 であ ろ う。
征
共甲
島
者
前 近 衛 内 閣 が 優 柔 不 断 で強行 政 策 を遂 行 し得 な か った原 因 は彼 等 関 係 者 の策動 に基因 し て居 る の だ と思 は れ る。 か ﹂る策 動 に乗 ぜら る ﹂が 如 き政 界 上層 部 其 他 知 識 層 の動 静 は国 民 と し て厳 重 に監視 す べき だ と 思 ふ。
言
動
の
概
要
上 層 部 の無自 覚 はさ る こと な が ら 此 の検 挙 は国 民 全 般 に 対 す る 一大 警 鐘 を 与 へた こ と と思 ふ。 官 善 次 僚 役 人 の指導 だ け で は駄 目 であ る 。 国 民 の熱 意 なく し て何事 も為 し得 な い。 本 件 の検 挙 に よ り当 (石 川 ) 局 の警 戒 は 益 厳 重 を 極 む る こ と とな ら う 。
村 秀 雄 (兵 庫 )
国 際 諜 報 団 の検 挙 に就 て は相 当 のデ マがあ った様 だ 。申 で も此 の検 挙 を 種 に し て近衛 勢 力 の覆 滅 的 画 策 であ る 等 と云 ふも のが あ った。 こ れ は平 沼 勢 力 と の対 立若 しく は新 内 閣 と の経 緯 を標 榜し た悪 質 な る造 言 に過 き ぬと 思 ふが、 最 近 風 見 章 が家 宅 捜 索 を さ れ た と の説 が あ り 、 一応 想 像 出 来 ぬ こ とも な い。 田 穰 吉 今 次 の選 挙 に彼 が推 薦 を 辞退 し た り 又 は犬 養 健 が推 薦 洩 れ にな った のも 此 の様 な 関係 か ら だ と思 ( 兵 庫 ) ふ。 此 の事 件 の中 心 人 物 は 風 見 で も 尾崎 でも な く 未 発 表 の様 であ る が オ ット 独 逸大 使 の秘 書 官 だ と の 事 であ る。 襲 に来 朝 した 経 済使 節 ウ ォル タ ー ドは 戦 争 の為 帰 れず 今 猶 在 留 申 の様 で あ る が彼 は蘭 印 か ら本 邦 に引 揚 げ た 自 国 民 を 蘭印 の識 定 と共 に逸 章 く蘭 印 へ移 住 さ す べく執 拗 に主 張 し て居 る 様 であ る が兎 に角 独 逸 大 使 館 は スパ イ の根 源 とな ってゐ る 。 とす れば 、 日 本 は自 主独 往 のみ であ る。
今 の共 産 主 義 者 と云 ふも のは時 局 が時 局 であ る から 表 面 は 完 全 に転 向 し た如 く 装 って居 る が、 そ れ は真 実 では な い。時 局 柄共 産 主義 に対 す る圧 迫 が大 き いか ら表 面 に は出 な い が内 心 不満 は持 っ て居 る。 今 度 の事 件 も 不 知 の中 に外 国 に洩 ら した と 思 ふ 。 あ ん な に新 聞 に出 す こと はあ るま い と思 ふ新 聞 に出 た こ と に よ って寧 ろ 一般 民 は 非 難 す る では な い か。 即 ち 時 局 柄斯 様 な墓 件 があ った のに取 締 当 局 は何 を し て居 た かと 云 ふ批 難 だ 。
山 崎
内
無乙
共乙
田
共乙 野
共甲
動
(五) 政 界 人方 面
言
軍 官 民 防諜 に努 め て居 る今 日 諜 報 団 のあ った こ とは 寒 心 に堪 へな い。 殊 に国家 機 密 を 取 扱 ふ 上 層
県会 議 員 清
士
最
士 山
野
源 (宮
(長
(兵
助 城)
部 の者 が 不 注意 に も他 人 に 口外 す る こ と は遺 憾 であ る 。 ス パイ 団 に 対 し て は重 刑 を 以 て処断 す べ き であ る 。 今後 盟 邦 国 と雖 も 油断 は出 来 ぬ。 こ の事件 に よ り て考 ふ る に思 想 的 に上 層 部 に対 立 があ り統 一を 欠 い て居 た の で はな いか と思 ふ。
思 ふ。
今 回 検 挙 せら れる 国 際諜 報 団 に就 て我 々と し ては考 へさ せ ら れ たる 事 が多 々あ る。 そ れは 結 局 我 我 は何 事 も 話 は 出 来 な いと云 ふ こ と にな る 。 今 回 の事 実 に つ い て巷 間 政 府 の不 用 意 、 不 注 意 を 云 々し て ゐ るが 、 そ れ は皮 相 の観 察 で近衛 公 と し ても 全 く 不 可 抗 力 で あ った と思 ふ。 近 衛 公 を攻 撃 す る者 は尾 崎 の如 き者 を余 り に信 用 し 過 ぎ た 結 果 で近 衛 公 の不 徳 の致 す処 であ る と云 ふ が 、 尾崎 の如 き 企 画 性 、組織性 に富み且 つ支那問題 に 付 卓 越 し た見 識 を持 って ゐ る彼 を 近 衛 公 が重 要 視 し た こ とは 当時 の為政 者 と し て当 然 で あ る。 然 し近 衛 公 と し ても 結局 国 防 保 安 法 に依 り 処新 さ れ る こ と であ ら う が私 と し て は非 常 に気 の毒 だ と
事 件 の連 累者 は 二 三百 名 も あ る と 謂 ふ こと であ る が、 戦 時 下 にも 尚斯 る思 想 抱 持 者 が 日 本 人 の中 にあ ろ う と は夢 に も思 わ れな か った 。 そ れ だけ に国 民 に 対 す ・ る反 響 は大 きか った 此 の事 件 に依 っ て国 民 は スパ イ防 止 の重 要 性 を 痛 切 に感 じ た こ と と思 ふ。兎 に角大東亜開戦前 に之を検 挙したこ と は 国家 のた め喜 ぶ べ き こ と であ り 、 内 務 司法 両 省 の努 力 を 感 謝 す る 。
ある。
尾 崎 秀 実 は 近衛 の秘 書 であ り 、 これ を推 薦 し た の は風 見 章 であ る と 云 ふ こ とだ 。 兎 に 角 尾 崎 は首 相を始め西園寺公 一、犬養健其 の他を偽妄手段 を以 て秘密 を漏洩 さ せ長 期 間 に亙 って馬 脚 を露 は さ な か った と ころ は巧 み なも の であ る 。 近 衛 公 も 飼 犬 に手 を噛 ま れ、 首 相 と し て再 び 立 つこ と が出 来 な く な った こ と はお 気 の毒 な こ と で
大 戦 完 遂 す べき の秋 、 国 政 を預 るも の が斯 る 失 態 を や る こ と は厳 に慎 し む べき だ。 政 府 は 国 民 に 対 し防 諜 々々と 騒 ぐ反 面 斯 る事 態 を 生 じた と 云 ふ こ と は甚 だ遺 憾 であ る 。責 任 者 は死 刑 を 以 て処 城 ) 断 す べ き であ る 。
野)
庫)
犬 養 、 西 園 寺 両 名 も起 訴 さ れ て居 るが これ等 も 犯意 が有 る訳 で無 く 全 く国 政 に忠 実 な余 り 不 用 意 に為 さ れ た こと で あ る。 執 行 猶 予 の恩 典 に浴 す る こ と とな ら う が気 の毒 の至 り であ る。 兎 角 今 回 の事 件 は政 府 の組 織 と か機 構 等 に就 て何 等 欠 陥 怠 慢 があ った 訳 でな く全 く 不 可 抗 力 で有 った と云 へる が 今 後 我 々は 此 の事 件 を 契 機 ど し で言動 に充分注意 し再び斯 る不祥事を繰返さざる や う 充 分 注 意 の要 が あ る。 最 後 に私 が 不 可解 に 思 ふ こ と は此 の事 件 発 表 が予 審 に附 せざ る 以前 に 為 さ れた こと で、 政府 の意 図 が何 処 にあ るか解 ら な い。
と が大 きな 災 とな ってゐ る 様 に考 へら れ る。 又 一 面上層為政 者は兎角理論を好み何等其
の裏面 を
日本 人 の人 を 軽 信 す る 欠 点 か ら発 し て ゐ るも の で殊 に枢 軸 国 人 と な る と自 国 人 以 上 に信 用 す る こ
見 ず に信 用 す る通 有 性 を 持 って居 る が 注 意 し な け れ ばな ら な い。
三 秘 密 の漏 洩 を した のは 西 園寺 、 犬 養 、 風 見 等 近 衛 陣 営 の人達 ばかり で声楽家 の関屋敏子が自殺 し 馬 ) た のも之 に関 係 があ った た め で あ る。
知)
常 吉
(群
上 政
(愛
崎
士 河 上 丈太 郎
丸 山辨 三郎
(宮
柴 田郡大河原町 翼賛壮年団員 大 泉 徳 次 郎
議
元代 議 士
代
議
代 議 代
業
中
動
(六) 其 の他 の方面 言 農
出征軍人未 亡人 栖
松
姫路商 工会議所 会 頭 溝
関 西学院教授 県市会議員
神戸商 業大学 々長 丸
島
広 (長
(兵
者 言
動
の
大
要
馬 今 回 の事件 が 上層 の者 よ り出 た と云 ふ こ とは 実 に残 念 だ 。 そ れ によ っても 下層 民 の少 し の流 言 等 野 ) を取 締 る よ り も 上層 部 の国 家 機 密 漏 洩 を 取 締 る こと が 最 も 必 要 な こと で は な い か と思 ふ。
尾 崎 の如 く 苟 も自 己 の地 位 を利 用 し以 て売国的行為を為すが如き者 に国家 の重要人物が不用意 に 兼 人 せ よ 乗 ぜ ら れ た こと は其 の不認 識 も 甚 だ しき も の で国 家 は断 乎 た る処 置 を な し 国 民 の不 安 を 一掃 庫 ) す べき で あ る 。 国 民 に盛 ん に防 諜 を呼 び かけ 而 も 国 家 の要人 が こ れ に乗 ぜら れる と は軽 卒 も甚 だ し い。今後政府 は宜敷外交官等 の人選 にも 考 慮 す べき も のと 思 ふ 。
(兵
国 防 保 安 法 が 何 故 出 来 た か を考 へた時 にも 判 る様 に国 家 の上 層部 即 ち尠 く とも 国 政 に参 与 す る者 の人 選 は 厳 選 に 、 厳 選 を 重 ね ね ば なら な い。 此 の点 近 衛 さ ん は、 さ う し た こ と に余 り 気 に掛 け る 速 雄 人 でな か った 。 か く て斯 う し た 左翼 人 物 に活 動 の余 地 を与 へる隙 が あ った と云 ふ こと にも な る 。 庫 ) 又 友 邦 と か 盟 邦 と か 言 って 日本 人 は直 ぐ 有 頂 点 にな り 易 いが こ れも 考 へも の で友 邦 人 と 雖 も祖 国 を異 に し た 民族 で あ る と 云 ふ こ と に気 を付 け ね ばな ら な い。
全国何十万 の遺族 の人達 がどな たも同じ気持 であ の新 聞 の報 道 を 涙 で読 ん だ こ と と思 ひ ます 。 新 聞 の記事 では唯単に国家 の機密 を漏洩 した と云 ふだ け で内容 の詳 細 に は触 れ て居 り ま せん が 種 々 共 産 党 の魔 手 に 躍 って居 た と言 ふ こ と であ る以 上 銃 後 か ら 皇 軍 に弾 丸 を 放 って居 たと 云 ふ こと は 名 敬 子 事 実 で而 も そ れ が 昭 和 八年 頃 か ら続 い て居 た と云 ふ こと で、 お 互 に遺 家 族 の身 と し ては 主 人達 の (長 野 ) 戦死が之等陰 謀者達 の為 め困負け戦を余儀 な く さ れ 、 其 の為 め に戦 死を し た の で はな いか と も 思 は れ 、 殊 に戦 死 し た者 は愚 痴を 言 ふだ け で済 み ま す が現 に出 征 さ れ て居 る兵 隊 さ ん や 其 の家族 方 の気 持 は 如 何 程 か と そ れ を お察 し申 上 げ て居 る次 第 です 。
部
沢
谷
盟 邦 独 逸 国 民 が主 謀 者 とな り 、 コミ ン テ ル ン組 織 の 下 に活 動 を 為 し て居 った と 云 ふ こ と は、 之 が 検 挙 究 明 に当 った当 局 の苦 心も 並 々な ら ぬ こ と を思 は せる 。 西 園 寺 、 犬養 等 が関 係 し て ゐ た様 だ が 別段 悪意 が な か った と し ても 国 家 意識 が稀 薄 であ った為 であ る 。 デ モ ク ラ シー 思想 の 一あ ら は れ と見 て然 る べき であ ら う 。
今度 の事件 の大体 の輪廓 は既 に大分前 に文部省 の会合等 で聞 いて ゐ た。 今 尚 国 家 の指 導 的 地位 に あ る 人 々が 不 逞 分 子 の乗 ず る隙 を与 へて居 るや う に思 は れ る 。勿 論 昔 の様 な マル ク ス主 義 の思 想 善 市 を 持 った も のは あ る ま いが、 自 由 主義 的 な 考 の人 々は 相 当 あ る だ ら う と思 は れる 。 現 に 一部 の学 庫 ) 者 の中 に は 今 でも 昔 の マ ルク ス主義 流 の言 辞 を 以 て講 義 を す る人 が あり 、 従 って其 の人 の思想 そ のも のま でが 清算 さ れ て居 な い疑 を持 た れ る人 があ る 。 此 の点 か ら考 へても 今 後 国 家 の指 導 的 地 位 にあ る 人 々の思 想 革 新 が急 務 だ と 思 ふ。 (兵
(北海 道 )
北海道農会 長 代 議 士 安 孫 子 孝 次
本事 件 に は大 分 知 名 の士 が 加 って居 る様 であ る が、 外 国 人 と 見 れ ば 話 す こ と にも 注 意 す る が、 日
北大 総長
今
七
金沢商 工会議所
日本鋳鋼重役
裕 本 人 であ れ ば、 こ れが 外 国 人 の手 先 と な って居 る か ど う か を最 初 から 判 別 し得 る も の は恐 ら く な (北 海 道 ) い と 思 ふ 。
殊 に交 際 が 持 続 す れ ばす る程 胸 襟 を 披 瀝 す る や う に な る の は人 情 であ り 、 これ が為 め不 知 不 識 の 間 に利 用 さ れ た も のと 思 ふ。
尾崎秀実 の如 き近衛公 の新体制 の声明書 を書 いたも ので今 日から考 へて見 れば近衛公 の政策 は全
部 赤 であ る と 一般 に云 って居 った のは 当 る か も知 れ ぬ 。 川 ) 世 間 は良 く 知 って居 った と云 は ね ば な ら ぬ。 近 衛 公 も之 で再 び立 つ事 は 出来 ぬ こ と にな った 。
政 吉 (石
野
尾崎 は勿論朝日新聞は国家に対 し如何 なる申訳 をするか昔から朝 日 の社風 及思想的風格 が極端 な
る自 由 主 義 であ り 、 英 米 依 存 な り し こ と も公 知 の事 実 であ る。 こ れ が為 め 一時 は 自 由 主 義 者 の巣 窟 と称 せら れ吉 野 作 造 事 件 を起 し 二 ・二 六事 件 には 軍 の襲撃 を 小 西 芳 太郎 受 け、 又 今 尾 崎 事 件 を 起 し た る こと も同 社 の性 格 そ の儘 の現 は れ で あ る。 (大 阪 ) 東 条 内 閣 組 閣 前 後 に於 て日 米絶 対 に戦 は ず と暗 示 せる も 同 社 であ った。 今 に し て思 へば 国 防 保 安 法 其 他 の法 令 が英 米 的 存 在 の締 出 し に如 何 に役 立 った かを 思 ふ と 同時 に 今 次 の発 表 が下 層 部 一般 国 民 に も 大 な る反 省 を 与 へた も のと 確信 す る。
二 リ ヒ ア ル ド ・ゾ ル ゲ の 手 記
(一)
左 に掲 ぐ る は ゾ ルゲ の取 調 に当 り 、 本 人 に作 製 せ し め たる 手 記 に し て独 逸大 使 館関 係 コミ ン テ ル ン及 日 本 に 派遣 さ れ た経 緯 、 支 那時 代 、 諜 報 活動 関係 、 連 絡 方 法 、 其 の他 六 項 目 に 亙 り、 其 の内 容 は 今 後 の検 挙 取 締 上熟 読 翫 味 す べき も のあ り 。
一、 独 逸 大 使 館 の組 織
(一) 独 逸 大 使 館関 係
部
翻 訳 者 、 郵 便 、 伝書 使 、 会 計 、 自 動 車 及 ガ ソ リ ン、 館 内 警 戒
済
部
及夜 警 、建 築 、修 繕、用 度 品 購 入 、掃 除 監督 其 他 庶 務 に従 事 す 。
﹁オ ット ﹂大 使 の下 に ﹁テ ィヒ﹂ を 長 と し 日 独間 の経 済 関
5 経
調達 等 。 部
係 、 在 日独 逸 商 人 等 よ り の報 告 、 独 逸 よ り 送 金 な き時 の資 金
号
一般 組 織 と離 れ大 使直 属 に て大 きな 組 織 な る も 各 武 官 及
6 暗
﹁ゲ シ ュタ ポ ﹂ は 別 個 の暗 号部 を有 す 。
大 使 及 一般 と は別 個 の独 立 の部 門 に て 本 国 に直 属 ﹁マイジ
7 ﹁ゲ シ ュタ ポ ﹂ 部
使
一般 組 織 部 、 経済 部 及暗 号 部 を指 揮 監督 し監 督 外 にあ る ﹁ゲ
﹁オ ット﹂ 大使 は大 使 館 内 の政 治 部 、 宣 伝 情 報 部 、 文化 部 、
9 大
為す。
尚 各 武 宮 と も ﹁オ ット﹂ 大 使 と 常 に政 治 問題 等 に て会 議 を
催す。
陸 、 海 、 空 軍 武官 の特 別 会 議 あ り ﹁ヴ ェネ カ ー ﹂海 軍 武 官 主
何 れも 独 立 し大 使 とも 関 係 な く 本 国 に直 属 す 。 大 使 館 内 に
空 軍 武 官 (グ ロー ナ)
海 軍 武 官 (ヴ ェネ カ ー )
8 陸 軍 武 官 (ク レチ ュマー )
ンガ ー﹂ を 長 と し 日本 警 察 と の連 絡 ﹁ナ チ ス﹂党 支 部 及 在 日
部
駐 日 独 逸大 使 館 の組 織 は大 体 次 頁 の表 の通 り であ る。
治
独 逸 人 を 監 視 す 。尚 ﹁オ ット﹂ 大 使 と連 絡 す。
1 政
之 を 説 明 す れ ば 左 の如 し。
﹁オ ット ﹂大 使 を 中 心 に ﹁コルト ﹂﹁マル ヒ タ ー ラ﹂及秘 書 等 を 以 て政 治 、 外 交 関 係 を 掌 る 。 2 宣 伝 情 報 部 ﹁オ ット﹂ 大 使 の下 に ﹁ミ ルバ ッ ハ﹂を 長 と し宣伝 情 報 の
化
受 信 及新 聞 情 報 竝 対 日 宜 伝 等 を 掌 る 。
﹁オ ット ﹂大 使 の下 に ﹁シ ュル ツ ェ﹂ を長 と し対 日 文 化関
3 文
係 及 学 校 竝 教 師等 の監 督 に当 る。 4 一般 組 織 部 ﹁オ ット ﹂ 大使 の下 に ﹁メ ン ネ ー﹂を長 と し ﹁タ イ ピ スト ﹂ 、
各 駐 日 各領 事 館 を指 揮 監 督 し 尚 ﹁ヒ ット ラ ー﹂ の代 表 と し
シ ュタ ポ ﹂ 部、 陸 軍 武 官 、海 軍 武官 、 空 軍 武 官 と 連 絡 す 。
各 入 が 入 手 せ る情 報 及毎 日 の出来 事 を報 告 し研 究 す 。 主要
出席者
る。
態 度 、 日 本 の内 政 上 の問 題等 な り。
議 事 は 、 日本 の独逸 に対 す る 態度 、 日本 の諸 外 国 に対 す る
大 使 、 コルト、 各 武 官 、 各 部 長
て ﹁ナ チ ス﹂党 支 部 を支 配 す 。
連 絡 会 議 は毎朝 大使 室 に於 て 一時 間 乃 至 一時 間 半 位 開 催 さ
10 連 絡 会 議
二 、駐 日 独逸 大 使 館 の情 報 蒐 集 方 法
時 は 独逸 側 から 日 本 に情 報 を寄 越 せと 云 ふ権 利 を持 って居 る
例 へば ﹁オ ット ﹂大 使 は 日本 の外 務 大 臣或 は各 国 大 使 と連
と同 じ階 級 の人間 と 連絡 を とり そ れか ら 情報 を得 る の であ る 。
す る 。即 ち両 国 間 に於 て情 報 を交 換 す る と云 ふ事 が為 さ れ て
す れ ば独 逸 も 亦 日 本 側 に 独逸 の軍 用 飛 行 機 を見 せ る事 を拒 絶
例 へば 日本 が独 逸 側 に 日 本 の軍 用 飛 行 機 を見 せ な か った と
の であ る。
絡 を 保 ち 次 の者 は外 務 次 官 及 各 国 の次 の階級 の者 と連 絡 を す
居 る の であ る 。
1 大 使 館 員 が日 本 の外務 省 と か或 は他 の大 公 使 館 に居 る自 分
る の であ る 。陸 海 軍 部 官 に し ても 同様 に 日本 の陸 海 軍 や 、参
たか ら 独 逸 のも の を見 せ て貰 った のであ り、 若 し日本 が何 も
謀 本部 の連 中 と連 絡 を 保 ち 又 他 国 の武 官 とも 連 絡 し而 し て其
見 せ て居 な か った な らば 山 下 中 将 は何 も 見 る事 は 出来 な か っ
は日 本 が 日 本 に於 け る独 逸 側 の人 に或 程 度 のも のを 見 せ て居
例 へば大 使 が外 務 大 臣 か ら 聞 いた情 報 を次 の者 に命 じ て外
例 へば 山 下 中 将 が 独逸 で種 々のも のを見 せ て貰 った 、 そ れ
務 省 の連 絡 を と って居 る人 に同 じ 話 を質 問 さ せ或 は そ れ 以 下
た であ ら う 。
の人達 と話 す 事 に よ り情 報 を得 る ので あ る。
の人 達 に も 同 じ事 を き か せ る の であ る 。其 の場 合 或 る人 は 外
﹁与 へて か ら得 る ﹂ と云 ふ方針 に あ る の であ る 。
政 策 と か経 済 的 方 面 と か 軍事 的 方 面 に 於 て も 両 国 は 先 ず
か も し れ ぬ。 そ れを 集 め て情報 を得 る の であ る 。
務 大 臣 以上 の事 を 話 す か も 知 れ な いし或 る人 は 全 然 話 さ な い
す る時 は、 そ の方 法 内 容 を 独逸 側 に知 ら せ なく ては な ら ぬ。
合若 し 日本 が独 逸 の敵 と し て居 る国 と何 等 か の交 渉 で も開 始
例 へば 日 独 間 に於 け る条 約 と か協 定 と か が結 ば れ て居 る場
し其 の席 で話 す 事 に依 り情 報 を得 る の であ る 。
そ の事 は独 逸 側 に と っても 同 じ事 であ る。
2 同 時 に日 本 の知 名 人 士 を招 待 し て晩 餐 会 と か お 茶 の会 を催
の人 達 から 政 府 の内 幕 を探 り出 す の であ る 。
そ れ で私 (ゾ ルゲ ) が検 挙 前 駐 日 独逸 大 使 館 に働 い て居 た
的 のも の であ る。
の は伯 林 に於 て日 本 大使 館 が独 逸 側 か ら 得 て居 る情 報 の交 換
結 局東 京 に於 て独 逸 大 使 館 が得 て居 る日 本 の情 報 と 云 ふも
又 日 本 政府 の方 針 に反 対 意 見 を持 つ人 達 と も連 絡 を保 ち其
3 又 そ れば か り で なく 三井 、 三 菱 、 住 友 の様 な大 財 閥 、 実 業 家 と も 交際 し 日本 の経 済 的 の情 報 を 得 る ので あ る。 4 若 し 日本 の政 府 の人 達 或 は速 絡 を 保 つ人達 が独 逸 側 の質 問 に回 答 を与 へな い時 は駐 日 独 逸 大 使 館 か ら伯 林 に電 報 を 打 っ
る情 報 より 遙 か に少 いも の であ り 、 又寧 ろ 日本 は 口を緘 し て
当 時 日本 側 が 独逸 に与 へる情 報 は 伯 林 で 独逸 側 が大 島 に与 へ
に居 る 日本 外 交 官 に何 も 与 へる な ﹂ と 云 って や る の であ る。
語 ら な いと 云 ふ方 針 で居 た。 そ の為 に独 逸 側 と し ては 非 常 な
て ﹁我 々に は 日 本 か ら何 等 の情 報 を与 へて呉 れ な いか ら 伯林
そ れ は若 し大 島 大 使 が 伯 林 で 独逸 側 の情 報 を 沢 山得 て居 る
不 満 を 抱 いて居 た の で あ った。 5 又 新 聞 記 者 に於 て も同 じ事 が云 へる ので あ る。 独 逸 に於 け る 日本 の新 聞 記 者 は或 程 度迄 詳 細 に亙 って知 ら さ れ 又或 程 度
宣伝 と云 ふも のは 第 五列 の目的 を持 って居 る も のであ る と云 へ る の であ る。
を 用 ひら れ て居 る 。
に送 ら れ る政 策 は絶 対 に秘 密 を厳 守 さ る べ きも ので 総 べて暗 号
伯 林 の ﹁リ ッベ ン ト ロ ップ ﹂外 相 から 駐 日 独逸 大使 ﹁オ ット ﹂
四 、 独 逸 大 使 館 の暗 号
記 者 は 非 常 に僅 少 の も の し か与 へら れず 又 新 聞 記者 と し て見
其 の暗 号 を 訳す る の は定 め ら れた数 人 に依 って或 る 一部 分 宛
迄 深 く 見 る事 を許 さ れ て居 た。 併 し日 本 に於 け る 独 逸 の新 聞
得 る範 囲 は非 常 に 少 な か った。 其 為 独 逸 新 聞 記 者 は 非常 に不
は 虚 偽 の宣伝 を し て 日本 の国 民 を し てそ れ を信 ぜ し め て日 本 を
而 し て独 逸 の第 五列 の日 本 で 活動 す る 目的 は事 実 を 宣 伝 し或
伝 活動 を為 すも の であ る事 は 知 ら れ て居 る。
所 謂 第 五列 と 云 ふも のは 各 国 で 行 は れ て居 るも の であ って 宣
送 ら れ て来 る命 令 、 方 針 、考 と 云 ふも の であ る が そ れ を実 際 に
其 故 に独 逸 大 使 館 で最 も秘 密 なも のは 何 か と 云 ふ と本 国 から
であ る。
の と各〓 ー別 にさ れ て居 る。 而 し て其 の暗 号 は時 々変 へら れる の
る べきも の、 或 は 単 な る秘 密 事 項 そ れか ら そ れ 程秘 密 でな いも
いの で全 文 を 知 る と 云 ふ事 は出 来 な い。 其 の暗 号 は 厳 秘 に付 さ
は大 使 一人 のみ であ る。 而 し て解 読 す る 人 も 一部 分 し か知 ら な
な り或 は 政 策 と な って現 は れ る ので あ る 。 そ れ を知 っで居 る の
が解 読 さ れ而 し て全部 纒 めた も のが 実際 の命 令 とな り 或 は考 と
満 を持 って居 た ので あ る 。 6 以 上 に依 って判 る 如 く 独逸 大 使 館 に於 て は非 合 法 の方 法 を 以 て情 報 を 蒐 集 す る 必 要 は な い訳 で あ る。
し て対 蘇 戦 争 に引 入 れ る と云 ふ事 が 主 で あ った。
知 って居 る の は大 使 のみ であ る 。
三、 第 五列 の活 動 に就 い て
同 時 に英 国 の第 五列 が 日本 で活 動 し た のは 日本 を し て対 独 戦
(二) コミ ン テ ル ン関 係
争 を開 始 せ し め る と云 ふ事 を 主 と し て や って居 た の に相 違 な い。 其 の目的 貫 遂 の為 に は独 逸 か ら 日 本 の外務 省 に送 ら れ て来 る
れ て居 る 様 な 二 、 三 の人 間 が街 に於 て 口頭 を 以 て宣 伝 す る と云
事 も 第 五 列的 目的 が多 分 に含 ま れ て居 る も ので あ る。 よく 云 は
即 ち情 報 局 が各 国 共 産 党 よ り 蒐集 す る情 報 も 或 は組 織 局 、 宣
さ れる ので あ る。
連 絡 は総 べて書 記 局 が 莫 斯 科 に居 る各 国 共 産 党 代 表 を 通 じ て為
﹁コ ミ ンテ ル ン﹂ の組 織 は 別 紙 の通 り であ り 各 国 共 産党 と の
一、 ﹁コミ ン テ ル ン﹂ の組 織
ふ事 は 何 等 の役 に 立 つも の で はな い。 一番有 効 な方 法 は新 聞 で
伝 煽 動 局 よ り各 国 共産 党 に対 す る 命令 も 総 べ て ﹁コ ミ ン テ ル
ら れ て来 る も の で あ る。 又独 逸 側 情 報 とし て新 聞 に発 表 さ れ る
電 報 と か情 報 と か 云 ふも のは 総 べて第 五 列的 の 目的 を 持 って送
あ る。 其 為 に第 五 列 は新 聞を 最 も 利 用 し て居 る ので あ る。 故 に
ン ﹂書 記 局 が各 国共 産 党 代 表 を 通 じ て各 国 共 産 党 中 央 委 員 会 と で あ る。
かま へて勝 手 に あち こち へ変 へる の で なく 適 材適 所 が党 の方 針
て判 然 と厳 格 に分 割 さ れ て居 る 。 即 ち情 報 の仕 事 と党 の仕事
1 我 々が為 し て来 た様 な情 報 活 動 と党 の活動 と は既 に党 に於
五、 情 報 活 動 と党 活 動 と の別 及 日本 共 産 党 に 就 て
連 絡 が とら れ る のであ る。 而 し て其 の連絡 は其 の国 の共 産 党 が 非 合 法 の時 は勿 論 秘 密 の方 法 に依 り連 絡 さ れ る の であ る が 共産
と は区 別 さ れ て居 る ので あ る。
党 が合 法 的存 在 の場 合 でも 公 然 と 連 絡 す れ ば其 の国 の官 憲 に依 り 検 閲 さ れる の で重 要 事 項 は普 通 の方 法 に依 らず 秘 密 の方 法 が
﹁コミ ン テ ル ン﹂ の創 立 は 政 治 的 の理 由 に 依 る の であ って総
宣伝 煽 動 活 動 を す る と 云 ふ困 難 と戦 は ね ば な ら ぬ。 従 って最
は党 の種 々な る苦難 と戦 は ね ばな ら ぬ。 即 ち組 織 を作 る とか
其 の理 由 は 非 常 に簡 単 で即 ち 党 の仕 事 に 携 は って居 る人 間
とら れ る ので あ る。
べ て の人 が知 って居 り 、 創 立 の事情 に秘密 の事 はな い の であ る
も神 経 を集 中 す る事 を 必要 とす る情 報 活動 を為 す と同 時 に党
二、 ﹁コミ ン テ ル ン﹂創 立当 時 の事 情
か ら 其 の事情 は第 一回 大 会 の時 の書 類 を読 め ば分 る の であ る 。
議 等 は 発 表 さ れ て居 る の でそ れ を読 め ば分 る の であ る 。 唯 組織
に政 治 的 或 は党 の仕 事 を す る 必要 はな いも の であ る 。
例 へば兵 隊 と云 ふも のは戦 争 をす れ ば よ い の であ る 。絶 対
専 念 す る事 が出 来 な いか ら両 者 は分 け ら れ て居 る の であ る。
又党 の活 動 に携 は る者 は絶 対 的 に情 報 活 動 と 云 ふ様 な事 に
の仕 事 も す る と云 ふ事 は 不 可能 で あ る。
政 策 等 に関 す る 限 り発 表 さ れな いと 思 ふが共 の内 容 に つ い ては
之 れは 当 時 公 表 さ れ て居 り ﹁テ ーゼ ﹂ のみ な らず 総 べ て の決
三 、 第 六回 大 会 可 決 の ﹁テー ゼ ﹂
記 憶 し て居 な い。
に蔭 の人 と な った の であ る 。
闘 争 は 絶対 に しな い で単 に 真直 ぐ に本 当 の情 報 を 得 る と 云 ふ
め て深 く そ れ を研 究 し て行 く と 云 ふ事 が出 来 な いか ら 、体 の
を得 る 事 は出 来 な い、 即 ち 一つ の情 報 を総 ゆ る角 度 か ら な が
ば体 を も ってす る闘 争 を し て居 て は其 の目 的物 の完全 な情 報
2 又情 報 活 動 をす る者 と政 治 的 活 動 と の別 が あ る 。何 故 なら
而 し て そ の問 題 は 世界 革 命 を実 施 す る と 云 ふ 非常 に複 雑 な 国
此 の事情 に就 て は既 に申 上 げ た 通 り で仕 事 の性 質 が秘 密 の故
四、 ﹁ゾ ルゲ ﹂ が蔭 の人 と な った 理由
際 政 策 を実 施 す る為 なさ れ た も の であ って単 に勢 力争 ひ の様 な
事 に のみ専 念 す るも のが あ る。 そ れ が自 分 達 な ので あ る 。
か ら 抜 け て絶 対 的 に情 報 活 動 に這 入 った過 程 を 示 し た書 類 を
3 自 分 は 検 事 に対 し て西 暦 一九 二 九年 に自 分 が宣 伝 組 織活 動
優 秀 な 人 を奪 ひ合 ふ様 な生 やさ し いも の で はな い。 又 人 の問 題 にな ると 適材 適 所 と 云 ふ事 であ る 。 そ れ は或 る入
﹁タ イプ ﹂ し てあ る から そ れを 読 ん で貰 へば 分 るが そ の党活
は 党 の政 策 に は能 力 があ る が 国際 的 政 策 と か軍 事 の問題 に は能 力 のな い人 が あ る。 又 其 の反 対 の人 もあ る。 単 に優 秀 な 人 を つ
であ る。
そ れ は既 に莫 斯 科 中 央 部 に於 て絶 対 的 に分 割 さ れ て居 る も の
動 と情 報 活 動 と分 割 さ れ て居 る と 云 ふ事 は 絶 対 的 の事 で あ る。
度 東 京 に来 て 三 日間 ﹁帝 国 ホ テ ル﹂ に滞 在 し た事 が あ り 其 の時
其 の時 言 ひ忘 れ た事 は私 は 支 那 に居 る時 秘 密 の仕 事 でな く 一
い。
何 処 か へ情 報 活 動 の為 行 け と 云 は れ た時 戯 談 に東 京 へで も行 こ
日 本 に対 す る印 象 は非 常 によ か った ので支 那 から 莫 斯 科 に 帰 り
日 本 に 於 け る党 活 動 は ﹁コミ ン テ ル ン﹂ の組 織 及 宜 伝 煽 動
う か と 云 った が数 日 後 戯 談 も時 に は真 実 性 が あ る と て 日本 に行
4 日本 に於 け る党 組 織 活動 の指 導
局 に よ り指 導 さ れ て居 る。 そ れ 以 外 如何 な る本 部 も 日 本 の党
く 様 に な った の であ る。
七 、 莫斯 科 に於 て指 示 さ れた る ﹁ゾ ル ゲ ﹂ の日 本 に 於 け る任 務
活 動 には 関 係 が な い のであ る。 赤 軍 第 四本 部 も 赤 軍 司令 部 も蘇 聯 邦 共 産 党 莫 斯 科 本 部 も 外
1 日本 派 遣 に関 す る 会 合
て私 が 日 本 に来 て か ら行 ふ べき 義務 に就 て話 さ れ た の であ る 。
私 が 日本 に出 発 す る前 莫 斯 科 に於 て行 は れ た会 合 は主 とし
務 人 民 委 員 部 も 日本 共産 党 に は何 等 の関 係 が な い。 嘗 つ て 日本 共 産 党 を 指導 し た者 は ﹁ク ージ ネ ン﹂ であ った
﹁チ ー フ﹂ は ﹁クー ジ ネ ン﹂ であ る と想 像 す る 事 が 出来 る が
の通 り であ った 。
而 し て其 の日本 に於 け る私 の義務 即 ち私 が為 す べき 任務 は次
かも 知 れ ぬ。 然 し そ れ は時 々変 るも の で あ る 。 極 東 問 題 の
自 分 が ﹁コミ ン テ ル ン﹂ に居 た頃 最 初 の極東 指 導 者 は ﹁ボ イ ジ ン スキ ー ﹂ で あ って後 に ﹁クー ジ ネ ン﹂ に 変 っ た が或 は
﹁マヌ イ ル ス キー ﹂ ﹁ピ ヤ ト ニッキ ー﹂ 及 ﹁ロゾ フ スキ ー﹂の
た時 ﹁コミ ン テ ル ン﹂本 部 よ り派 遣 さ れ て来 た ﹁ク ー ジ ネ ン﹂
九 二 四年 独 逸 ﹁フ ラ ン ク フ ルト ﹂市 で独 逸 共 産 党 大 会 が あ っ
﹁ク ー ジ ネ ン ﹂等 と知 合 と な った のは既 に述 べた 様 に西暦 一
其 の点 を注 意 せ よと 云 ふ ので あ る。 同 時 に出 来得 れ ば満 洲 国
は よ り 以 上大 規 模 の軍 事 工業 を 発達 さ せ な け れ ばな ら ぬ か ら
若 し 日 本 が蘇 聯 邦 に対 し て戦 を開 始 し様 とす るな ら ば 日 本
ら ぬ。 そ れ で其 の発 展 経 路 を よく 注 意 せ よ と 云 ふ事 であ った 。
い の で日 本 と し ては今 後 益 〓重 工業 を 発達 せ し め なけ れ ばな
持 つ事 であ った 。其 当時 日本 の重 工業 は あ ま り発 達 し て居 な
第 一番 の私 の任務 は 主 と し て経 済 的 方 面 竝 重 工業 に関 心 を
2 経済 的 関係
四 名 を 自 分 が責 任 を持 って独 逸 官憲 か ら完 全 に守 って友 人 と
﹁マ ヌイ ル スキ ー ﹂ が多 分 な って居 る か も 知 れ ぬ 。 自 分 が
な った ので あ り後 ﹁コミ ン テ ル ン﹂ では情 報 局 に居 た の で極
の重 工業 も 注 意 し て見 よ と命 ぜ ら れ た が併 し満 洲 は其 の仕 事
3 内 政 問 題
範 囲 か ら はづ れ て居 た ので出 来 るだ け や る事 に し た。
東 の組織 問題 等 に就 て は知 ら な い ので あ る。
之 れ は既 に申 上 げ た通 り で其 他 詳 し い事 は現 在 記憶 し て居 な
六 、 日 本 へ派 遣 さ れ た事 情
であ り 而 し て軍 が政 治 上 の実 権 を 握 って来 た。 日本 は独 伊 両
た。 而 し て日 本 の政 策 は対 蘇 戦 準 備 であ りそ の行 動 は 反蘇 的
は満 洲 事 変 後 に於 て満 洲 国 を作 り対 蘇 戦 の場 合 の足 場 を 作 っ
当 時 蘇聯 邦 に於 け る 日本 の内 政 上 の 一般 的 意 見 と 云 ふも の
の発 展 を 見 る 事 が 私 の 一つの任 務 であ った 。
ど の程 度 迄 軍 が内 政 に指 導 権 を 有 し て居 る か、 そ の様 な内 政
ム﹂ に向 って進 む か、 又 議 会 政 治 を 如 何 にし て破壊 す る か、
内 政 問 題 に就 て は 日本 が如 何 な る程 度 迄 軍事 的 ﹁フ ァシズ
政 策 の発 展 を 注 視 す る と 云 ふ事 であ った 。 第 四 には 日本 と英
では見 て居 た の であ る 。 第 三 の興 味 のあ る問 題 は日 本 の支 那
国 が協 力 し て蘇 聯 を撃 つ と云 ふ事 を確 か に考 へて居 る と蘇 聯
聯 を 攻撃 す る上 に於 て日 本 を も 独逸 の陣 営 に参 加 せ しめ て両
であ った 。 そ れ は ﹁ヒ ット ラー ﹂ は確 か に 日本 に接 近 し て蘇
第 二 の重 要 な点 は 日独 両 国 関 係 を よ く 注 意 し て見 る と 云 ふ事
外 交 政 策 に対 す る私 の第 一の任 務 は 対 蘇関 係 を注 意 す る事 。
見 方 は日 本 は 必 ず蘇 聯 と開 戦 を す る と 云 ふ事 で あ った。
問 題 であ る 。 其 当時 一般 的 の意 見 と云 ふも のは 日本 が支 那 問
に対 抗 し て来 る か 如 何 か と 云 ふ事 が非 常 に興 味 を持 って居 た
題 に全 力 を そ ゝぐ か或 は独 逸 と協 力 し て蘇 聯 攻 撃 を 開 始 す る
米 両 国 関 係 を 注 視 す る事 即 ち 日本 が英 米 両 国 と協 力 し て蘇 聯
議 会 政 治 と 云 ふも のに し て軍 そ のも の がか く れた 独裁 主義 を
か の問 題 を 重 要視 し て居 た が私 は 日本 に来 て か ら研 究 の結 果 、
国 にあ る様 な ﹁フ ァシズ ム﹂ に は進 ん で行 か な いで あ ろ う が、
とる であ ろ う と 云 ふ様 な意 見 が多 か った の であ る 。
私 等 ほん の僅 か の者 だ け が、 日 本 は支 那 の方 に全 力 を そそ ぐ
軍 が内 政 に非 常 な力 を有 し て居 る と云 ふ事 は 日 本 の内 政 を反
を行 は う と し た事 実 の上 から し て間 違 って居 な か った と云 ふ
其 の様 な蘇 聯 の見 方 と 云 ふも のは 荒 木 大 将 が軍 の独 裁 政 治
であ ら う と 云 ふ意 見 を 持 った の であ った 。 5 軍 事 問題
事 が 証 明 さ れ るも の であ る 。 又 同 時 に 内政 を研 究 す る 事 に関 係 し て軍 と大 実 業 家 と の関 係 を 注 意 し て見 る事 も 私 の義 務 で
一つで明 ら か であ る 如 く 単 に軍 の機 密 を 探 ぐ る と云 ふ事 が 主
軍 事 に関 す る私 の任 務 は 既 に警 視 庁 が発 見 し た私 の電 報 の
策 を 推 測 す る と 云 ふ事 であ った 。 軍 の動 き を見 て外 交 政 策 を
眼 目 的 でな く 、 軍 の動向 を探 知 す る事 に依 って日 本 の外 交 政
あ った。 同 時 に若 い青 年 将 校 の動 向 を見 、 又其 の青 年 将 校 の
と 云 ふ事 を研 究 す る 事 が 義務 であ った。
動 向 が ど の程 度 迄 共 産 主 義 的 即 ち革 命 的 色 彩 を 帯 び て居 る か
4 外 交 政 策
た の であ る 。
推 測 せ よと 云 ふ事 は私 が莫 斯 科 か ら 受 け た重 要 な指 令 であ っ
満 洲事 変 後 に於 け る日 本 軍 の動 向 即ち 今 後 の発 展 及蘇 聯 と
外 交 政 策 に関 し ては 日本 が 果 し て蘇 聯 と戦 争 を 開 始 す る か
戦 ふ為 に日本 が駐 満 部 隊 を 増 援 す る か或 は如 何 なる 武 器 を使
或 は他 の方 法 に出 る か と 云 ふ事 に非 常 に興 味 を持 って居 た。
ン﹂ 書 記 局 でも 、外 務 人 民 委 員 部 及 赤 軍 に於 ても 、 一般 的 の
蘇 聯 邦 に於 ては 蘇聯 邦 共 産 党 中 央 委 員 会 でも 、 ﹁コ ミ ン テ ル
に対 抗 す る事 に表 は れ る かを 研 究 す る 指 令 を受 け て居 た の で
に果 し て今 後 日 本 の軍 の動 き が支 那 に対 し て表 は れ る か蘇 聯
用 す る か 又如 何 様 な再 編 成 を行 ふか、 と 云 ふ事 を 見 る と 同時
が 知 って居 る だけ で無 電 技 術 者 と 雖 も暗 号 は絶 対 に教 へて は な
而 し て之 れ は前 にも申 上 げ た通 り ﹁情 報 グ ルー プ ﹂ の長 の み
る 様 指 示 さ れ た ので あ る。
和 十 年 ) 七 月莫 斯 科 へ行 った とき 爾後 は 一九 三 五年 版 を使 用 す
﹁ス メド レー ﹂ に就 て は既 に申 上 げ た 様 に自 分 が上 海 で知 合
とな り 獲 得 し更 に ﹁コミ ンテ ル ン﹂ 本 部 に推薦 し て登 録 せら れ
係
九 、 ﹁スメ ド レ ー﹂ 及 尾崎 を ﹁コミ ン テ ル ン﹂本 部 に推 薦 せ る関
特 別 の場 合 であ った の であ る。
人 を して暗 号 の組 立 及解 読 を為 さ しめ て居 た の で之 れ は例 外 の
の為 特 に莫 斯 科 中 央 部 の許 可 を 受 け て ﹁ク ラ ウ ゼ ン﹂ に教 へ同
ら ぬ重 大 な秘 密 であ る 。 然 し私 は既 に申 上 げ た 様 に 仕事 が多 忙
ある。
其 他 日本 の社 会 問 題 思 想 問 題 に関 し ては何 等 の指 令 も 受 け
6 其 他 の関 係
破 壊 さ れ て居 る事 を 話 さ れ た が特 別 の命 令 は なく 、
な か った 。 日本 に於 け る左 翼 運 動 は警 察 の弾 圧 も加 へら れ て しば 〓
却 って私 は絶 対 に 左狸 運 動 にか ゝり合 って はな ら ぬ と云 は れ た。
館 と関 係 を 持 つな と命 令 を受 け て居 り ま し た。
駐 日蘇 聯 邦 大 使 館 に つ い ては 何 も 聞 か さ れな か った が大 使
蘇 聯 邦 各機 関 に は何 れも 暗 号 局 が あ り各 自 の暗 号 を 持 って居
の であ る 。
に仕 事 を し た 結果 ﹁コミ ンテ ル ン﹂ 本 部 に推 薦 し て登 録 さ れ た
尾 崎 も 自 分 が支 那 で獲 得 し日 本 に来 て再 び連 絡 を依 復 し 一緒
た の であ り 同 人 が 米 国共 産 党 に関 係 が あ る か如 何 か は知 ら ぬ 。
る。 即 ち政 府 の外 務 人 民 委 員 部 や赤 軍 や或 は秘 密 の仕事 を し て
而 し て二 名 共私 が推 薦 し た の であ る が、 之 れ に は 二名 の保 証
八、 暗 号 に就 て
も暗 号 局 を 持 って居 る の であ る。
居 る赤 軍 第 四 本 部 や ﹁コミ ンテ ル ン﹂や 蘇 聯 邦 共 産 党 等 は何 れ
而 し て私 が支 那 や 日 本 に派 遣 さ れ る時 に は赤 軍 第 四 本 営 の男
斯科 に居 る誰 れ かが な って呉 れ た の であ る。
人 が必 要 で 一名 は私 であ り他 の 一名 は 私 の報 告 や推 薦 に依 り莫
持 って居 た 。 而 し て如 何 な る 国 際 会 議 で も片 山 は名 誉 議 長 と 云
片 山潜 は ﹁コミ ン テ ル ン﹂ に於 て名誉 会 長 と云 ふ様 な地位 を
一〇 、 在 莫 斯 科 の日本 共産 党 昌 に就 て
が私 の ﹁ホ テ ル﹂ に 来 て教 へて呉 れ た が そ れは 一日間 で あ った。
英 文支 那年 鑑
何 れも ﹁サ イ フ ァー ﹂式 暗 号 で
独 逸 年 鑑
った の であ る 。片 山 は死 後 、 確 か ﹁レ ッド スク エヤ﹂ に葬 ら れ
ふ様 な も のに選 ば れ て居 た が政治 的 の力 と 云 ふ も の は何 も な か
日本 に於 て は を 使 用 す る様 指 示 さ れた 。
支 那 に於 て は
日本 に於 て は最 初 は 一九 三 二年 版 を使 ひ其 後 一九 三 五年 (昭
は相 当 重要 な地 位 を得 、 或 者 は あ まり 重要 でな い地位 に居 る 。
他 の日本 人 に就 いて はよ く知 ら ぬが其 の人 の型 に依 って或 者
場 所 であ る 。
た と思 ふ、 其 処 は ﹁レ ー ニン﹂始 め党 の偉 い人 が葬 ら れ て居 る
相当 す る か と云 ふ事 は非 常 にむ ず か し いが個 人的 の意見 を述 べ
いの であ る。 ﹁ク ラウ ゼ ン﹂ 及 ﹁ ブ ケ リ ッチ﹂が如 何 な る階 級 に
由 に操縦 し各 種 の情 報 を 入 手 し て居 た事 は少 しも 不思 議 では な
ら中 将相 当 の自 分 の方 が 地位 は上 で あ り自 分 が ﹁オ ット﹂ を自
﹁ク ラ ウゼ ン﹂
中佐位
れば
少佐位
莫 斯科 に て中 央部 よ り右 両名 が上 海 の私 の ﹁グ ループ ﹂ に
1 ﹁ア レク ス﹂ ﹁ゼ ペ ル﹂ (無電 技 術 者 )
科 より 派遣 さ れた者 と最 初 に連 絡 した 状況 は次 の通 り であ る。
支 那 に於 て組 織 し た ﹁ 諜 報 グ ル ープ ﹂ の ﹁メ ンバ ー﹂ 中莫 斯
一、 支 那 に於 け る ﹁メ ンバー ﹂ と の連 絡
(三) 支 那 関 係
に相 当 す るか も 知 れ ぬ。
﹁ヴ ケリ ッチ ﹂
然 し私 は 日本 人 で蘇聯 邦 共 産 党 員 にな った人 は知 ら な い。 又私 が情 報 局 に居 た当 時 、情 報 局 には 日本 人 は 一人 も 居 な か った 。 私 の意 見 と す れ ば日本 共 産 党 は ﹁コミ ン テ ル ン﹂ で片 山 が重要 な地 位 を得 て居 た外 は あ まり よ い地位 を 得 た者 はな いと思 ふ。 又極 東 共 産 大学 が出 来 た事 は知 って居 るが其 の内 容 や或 は日
い。
本 から 如 何 な る人 達 が 学校 に来 て居 た か と云 ふ事 は全 然知 ら な
一 一、 ﹁ゾ ルゲ ﹂ の階 級
事 は我 々 の様 に秘 密諜 報 活 動 に従 事 し て居 る者 にとっ ては不 必
た事 があ り知 って居 る人 間 であ った 。
派 遣 さ れ る と云 ふ事 を知 ら さ れ た が両 名 は以 前 巴 里 で面 会 し
自分 は蘇 聯 邦 に於 て如 何 な る地 位 、階 級 に相 当す る かと 云 ふ
はす と す れば 自 分 は次 の如 く 云 ひ得 る 。 即ち 自 分 が支 那 に於 て
ス﹂ は ﹁マ ルセー ユ﹂港 か ら同 じ船 に乗 り支 那 に来 ま した 。
而 し て ﹁ゼ ペ ル﹂ は ﹁ハンブ ル ク﹂港 より 、私 と ﹁ア レク
要 であ り 又判 明 し て居 ら な い。 然 し之 れ を軍 人 の階 級 で云 ひ表
活 動 し て居 た当 時 莫斯 科 中 央 部 よ り派 遣 さ れ て自 分 の ﹁グ ルー
って居 る 時 上海 に居 た ﹁ア レク ス﹂夫 妻 が官 憲 と事 件 を 起 し
而 し て 一九 三〇年 一月 上 海 に到 着 し ま し たが 私 が広 東 に行
プ ﹂ に居 り後 に其 の ﹁グ ループ ﹂ の指 導 を譲 った ﹁パ ウ ル﹂ は
と も赤 軍 少将 位 の地位 にあ った も の と云 ふ事 が出 来 る 。
を 通 じ て莫 斯科 中 央 部 よ り ﹁パウ ル﹂ 及 ﹁ジ ョン﹂ の両 名 が
一九 三〇 年夏 、 私 が広 東 から 上海 に帰 って から ﹁ゼ ペ ル﹂
2 ﹁パ ウ ル﹂(赤 軍 大 佐 ) ﹁ジ ヨン﹂
支 那 を退 去 し、 私 は香港 の船 の中 で同 人 と連 絡 した。
赤 軍 大 佐 であ った 。 そ れ故 、﹁パウ ル﹂の上 に居 た自 分 は少 な く
其 の後 日本 に来 る 時 或 は日 本 に来 てか ら後 にそ の地 位 は 一階 級位 上 った と思 ふか ら 日本 に於 け る自 分 の地 位 は赤 軍中 将 位 に 相 当す るも の と考 へて居 る 。 そ れ で例 へて見 れば ﹁オ ット﹂大 使 は独逸 陸 軍 少 将 であ る か
上 海 の私 の ﹁グ ループ ﹂ に来 て居 る事 を通 知 さ れ まし た。 而
﹁ミ ー シ ャ﹂︱︱ 自動 車 ﹁モータ ー ﹂等 の技 術者
三 、支 那 に於 て使 用 せる暗 号
特派員
﹁ス メド レ ー﹂︱︱ 独 逸 、 フラ ンク フ ルト ・ツ ァイ ツ ング紙
﹁パウ ル﹂﹁パ レ スホ テ ル﹂投 宿
し て電 報 には
﹁ジ ョン﹂﹁ホ テ ル フラ ン ス﹂投 宿
フ ァー﹂ 式 で 五字 数 字 に換 へて使 用 し て居 り ま した 。 此 の ﹁サ
支那 に於 て私 の ﹁グ ループ ﹂ が使 用 した電 文 は英 語 を ﹁サ イ
イ フ ァー ﹂ の方法 は ﹁グ ループ ﹂ の長 であ る私 だ け が知 って居
とあ った の で私 は 各 ﹁ホ テ ル﹂ に行 き投 宿 し て居 る事 を 確 め
名 と連 絡 致 し ま し た。
そ れ は英 文支 那 年 鑑 と支 那 関 税 統計 出 版 物 を使 用 しま し た が
り 、後 に ﹁パ ウ ル﹂ に引 継 いだ ので あ り ます 。
た る後 電話 で打 合 せ て約 束 の時 間 に ﹁ホ テ ル﹂ を訪 問 し て両
其 時 両 名 は各 所 持 し て居 た 旅券 に書 いてあ る 名 前 で投 宿 し
其 の方法 は日本 に於 け る のと同 様 で唯 符 号 が違 ふだ け であ りま
て居 た の であ りま す が そ れは現 在 忘 れ て居 りま す 。
す が現 在 は其 の方 法 は 記憶 し て居 り ま せ ん。
3 ﹁ミ ー シ ャ﹂ 同人 は 白 系露 人 で既 に 上海 に居 り ﹁ク ラウ ゼ ン﹂ と共 に働
1 英 文 支 那年 鑑 (C hi naYearBook )、 西 暦 一九 二 九年 莫 斯
科中 央 部 よ り支 那 に派遣 さ れる際 、 赤 軍第 四本 部 の男 より 私
い て居 た無 電係 であ り ﹁レ スト ラ ン﹂ か何 処 か で連 絡 し たと 思 ひます 。
同人 は莫 斯科 よ り派 遣 さ れ たも のでな く 当時 上 海 に居 た有
英 文支 那 年 鑑 (C hi naYearBook)と云 ふ のは支 那 の上海
ある。
支 那年 鑑 を使 用 す る 様指 示 さ れた事 情 は既 に御 話 し た通 り で
が支 那 に於 て無 電 通 信連 絡 に使 用す る ﹁サ イ フ ァー ﹂ に英 文
名 な婦 人記 者 で私 は伯 林 の ﹁ゾ チオ ロギ ッシ ェ﹂雑 誌社 より
4 ﹁スメ ド レ ー女 史 ﹂
送 って来 た紹 介 状 を持 って仏 租 界 にあ った彼 女 の家 を 訪 問 し
で毎 年 一回 発 行 さ れ其 の内 容 は日 本 で発 行 さ れ て居 る J apan
YearBook と 大体 同 様 で使 用 した も の は 西 暦 一九 二九年 版
知 合 とな り其 後 ﹁グ ループ ﹂ に獲 得 した も の であ り ます 。
ル
ル﹂︱︱ 絹 類 商 人
ル﹂︱︱ 独逸 罐 詰 類 輸 入商
ゲ ﹂︱︱ 独逸 ﹁ゾ チ オ ロギ ッシェ﹂ 雑誌 社 特 派員
(Chi na Cus t oms St at i s t i c alpubl i cat i on)斯様にして私
2 支 那 関税 統 計 出版 物
し て居 る ので自 由 に購 入す る事 の出 来 る も の であ る。
か或 は 一九 三〇 年版 であ った と思 ふ。
二 、支 那 に於 け る ﹁メ ン バー ﹂ の職 業
ペ
同 年 鑑 は上 海 の書 籍 店 は勿 論 、 支 那 の都 会 の書 籍 店 で販売
﹁ゾ
ウ
支 那 に於 け る ﹁メ ン バー ﹂ は何 れ も合 法 的 の職 業 を持 って居
﹁ゼ
り ま した 。
﹁パ
の で西 暦 一九 三〇 年 末頃 莫 斯 科中 央 部 と電 報 で打 合 せた結 果
は支 那 年 鑑 を使 用 し て居 た が同年 鑑 には 数字 の部 分 が少 な い
土台 とな る べ きも のが あ る の では な い。
よ り自 分 の意 見 を 自 信 を持 って言 へた ので あ る。 何等 そ こ に
判断 し て鋭 い強 硬 な 意見 を得 た が自 分 の日本 に対 す る研 究 に
女 は役 に立 た な い の で私 は ﹁グ ループ ﹂ には女 を 使 は な か っ
動 に は全 然 駄 目 で私 は 女 か らよ い情 報 を 得 た事 は 一度 も な い。
女 と言 ふも のは 政治 的 な 或 は色 々な 知識 がな いか ら情 報 活
2 情 報 活動 と女
﹁ 支 那 関 税 統計 出 版 物 ﹂(Chi naCust omsSt at i s t i calPub l i ca t i on) を 西 暦 一九 三 一年 初 め頃 より 使用 致 しま し た。
一九 二九年 末頃 発 行 さ れ たも ので あ った と 思 ひ ます 。而 し て
た 。 上流 夫 人等 と交 際 し ても 彼 女等 は夫 の言 って居 る事 が分
同 書 も 何時 出 版 さ れ たも のを使 用 した か忘 れま し た が西 暦
之 れも 支那 に於 て普通 に販 売 さ れ て居 る のみ なら ず莫 斯 科 で
世 界 を通 じ て女 は 情報 活 動 には役 にた た な いと 思 って居 る 。
ら な いか ら 駄目 であ る。 之 は日本 の女 のみ なら ず 外国 の女 も
も毎 年 購 入 し て居 る ので私 から は莫 斯 科 に 送 りま せん で した 。
一、 諜報 活動 に就 て の 一般 的 所見
(四) 諜報 活動 に 対す る 所 見
に過 ぎ な い。 又 ﹁スメド レー﹂ は 教育 も あ り頭 も よか った の
例 へば 支 那 に於 て使 った女 は其 の夫 の支 那 人 と共 に働 いた
で新 聞 記 者 と し ては よ い が人 妻 と し ては 価値 がな く例 へば男
本 当 の利 口 な ﹁ス パイ ﹂ は軍 や 政 治 上 の秘 密 や機 密 な書 類
1 諜 報 活 動 に従事 す る者 の心構 へ
を手 に 入 れる と言 ふ事 に のみ努 め る も の でな く 又確 実 な情 報
又情 報 活 動 に人 妻 と親 しく し て利 用 す ると言 ふ事 は其 の夫
と同 じ様 な 女 であ った のであ る 。
がや きも ち を焼 く の で却 って其 の仕事 を打 ち壊 す も ので あ る。
を得 る事 に努 め て居 ても 入手 し得 る も の では な い。
な情 報 でも 拾 ひ集 め てそ れを自 分 で判断 す る の であ る。
で なけ れ ば駄 目 で ある 。
要 す る に情報 活 動 を す る の は男 で知 識 があ り頭 のよ いも の
即 ち ﹁ス パイ ﹂ の方 法 は広 い意 味 の各 種 の情報竝 に断 片的
其 の為 には例 へば 日本 に於 ては 歴 史 や国 民 性 を研 究 し政 治 、
国 か ら来 て居 る人 とも 交際 し て行 か な け れ ば本 当 の確 か な情
の各 自 の仕 事 に携 は る人 々に交 際 、 交渉 を持 ち 同時 に世 界 各
海 軍関 係 や経 済関 係 があ って、 天 皇 を取 巻 い て居 る。 其 の中
あ ま り 沢 山 の金 を使 ふ事 は そ れ から 発覚 す る事 があ る 。要
程 度 は私 が使 った だ け で十 分 であ った 。
而 し て 日本 に於 て活 動 を す る にも金 は必 要 であ った が其 の
情 報 活動 に金 は 絶対 に必 要 で あ る。
3 情 報活 動 と資 金
報 は得 ら れ るも ので はな い。
す る に我 々の ﹁グ ループ ﹂ は思 想 的 にし っか り 結 び つ い て居
て今 日本 は、 天皇 を中 心 と し てそ の周 囲 に政 界 や陸 軍 関 係 や
社 会 、経 済 、 文 化等 が如 何 であ る かを知 ら ねば な ら ぬ。 而 し
自 分 は広 い範囲 の人 と交際 し てそ れか ら得 て来 た も のよ り
た か ら金 は あ まり 必 要 と しな か った の であ る。
二、 日本 に於 け る活動 上注 意 せ る事 項
外 国人 殊 に欧 米 人 が日 本 に於 て ﹁スパ イ﹂ と し て働 く に は
1 表 面 合法 的 職 業 を持 つ注 意
如 何 に す れ ばよ いか と言 ふ事 を 特 定 し て申 上 げ る事 は 困難 で
秘 密 無電 連 絡 と言 ふ事 は探 知機 等 に依 っては発 見 す る事 は
4 情 報 活 動 と無 電
難 か し い ので近 距 離 の通 信 連 絡 に は無 電 が 一番 よ い方法 であ
あ るが私 の研 究 の結 果 を 申 上げ れば 次 の通 り であ る。
莫 斯 科 に於 て は特 に外国 に派 遣 す る間 諜 を教 育 養 成す る学
外 国 通 信 員 は いろ〓
要 であ る 。 私 は合 法 的 の仕 事 と し て新 聞 記者 を して居 る が、
﹁スパ イ﹂ は表 面 に於 て合法 的 の仕事 を持 つ事 は絶 対 に必
る と思 ふ。
校 と か機 関 はあ り ま せん 。
﹁スパイ ﹂活 動 を す る に は大 き な商 人 にな る のが 一番 よ い方
か ら注 意 さ れ る の で、 私 自 身 の考 へでは 日 本 及 支 那 に 於 て
5 諜 報 員 の養成
唯 間 諜 と し て外 国 で活動 の出 来 る性 格 、 知 識、 技 能 或 は経
又莫 斯 科 の無電 学 校 は赤 軍 の無 電 技術 者 を 養成 す るも ので
な 情 報 を得 る のに好 都 合 であ る が官 憲
験 等 を 有す る人 を 選抜 し て派 遣す る の であ る。
は最 初 か ら商 人 にな る様 な事 なく 又 商 人 と な っても、 大 きな
商 人 とな る 可能 性 が尠 な い、 そ れ で大 体 商人 はあ ま り利 口 で
法 であ る と思 ふ。 其 の理 由 は情 報 活 動 を す る様 な利 口 な人 間
す る 丈 であ りま す。
な い主 とし て馬 鹿 な人間 が多 いか ら表 面 商人 とな って大 きな
そ の中 僅 か の卒業 生を 秘密 情 報 活 動 の無 電 技 術者 と し て提 供
6 ﹁スパ イ ﹂ の方法
商売 を し て居 れ ば官憲 か ら注 目 さ れ たり ﹁スパ イ﹂ た る事 が
であ れ ば各 階 級 の人 とも 自 由 に交 際 す る事 も可 能 であ る。 其
前 に申 上 げ た様 に間 諜 の養 成 所 と言 ふ様 な も のは無 い ので
他 に日 本 に 於 て は人種 が違 ふ ので情 報 活 動 は非 常 に困難 であ
又商 人 は 其 の商 売 を通 じ て種 々な情 報 を 入手 し得 る 、大 商 人
に 応 じ て行 動 を と る べき で あ る。 そ れ は情 勢 は国 に依 って違
る が其 の為 に よ い情報 活 動 には よ い有 能 な 日本 人 の助 手 が是
発 覚 す る事 は困 難 であ る と言 ふ の が其 の 一つの理 由 で あ る。
ふ のであ る か ら、 其 の情勢 に応 じ て行動 を と る と 言 ふ 事 が
非 必 要 であ る、 私 の活 動 も 日 本 人 の尾 崎 や宮 城 が居 な か うた
あ る か ら従 って基本 的 手 口 と言 ふ様 な も の は絶対 に無 く 、各
﹁スパ イ﹂ にと って 一番重 要 な 条件 であ る 、 即ち ﹁スパ イ ﹂
自 が其 の場 合 々 々に応 じ て行 動 を 探 る べ き であ る、 即 ち情 勢
と し て重 要 な事 は自 分 の現 在 派 遣 さ れ た国 の情勢 を 知 る為 、
て其 の有能 な日 本 人助 手 を 獲得 す る事 は 非常 に困 難 な事 であ
な ら ば斯 程 の成 功 を収 め る 事 は出 来 な か った の であ る 。而 し
る が其点 蘇 聯 邦 は共 産 主 義 に依 り 日本 人 を思 想 的 に獲 得 す る
其 の国 と言 ふも のを 完 全 に研 究 し て其 の研 究 の結 果 に従 って
の意 見 とし て話 し得 る 全部 であ る 。
自 分自 身 の行動 を慎 ん で行 く 事 であ る、 そ の位 が私 の 一般 的
事 が出 来 る の で 一番 よ い条 件 を備 へて居 る 。
ホ テ ル で偶然 会 った事 があ り ます 。
た がそ れ き り私 よ り遠 ざ か り 現 在 は満 洲辺 に居 る 相 で帝 国
ば将 来 米 国 に呼 ん でよ い生活 を さ せる と言 ふ事 を保 証 し たり
ロ、 私 の家 に来 る洗 濯 屋 及 女 中 (ア マ) が常 に警 官 から 質
イ、最 初 有富 光 門 が私 を注 視 して 居 た事
(三) 私 が 警察 か ら注 目 さ れる と言 ふ 危 険 を感 じ た事 は
他 国 の場 合 では 金 力 と か或 は地 位 を 与 へる と 言 ふ の は例 へ
英 国 が其 の日 本 人 に よ い情 報 を 与 へてそ の日本 人を 日本 側 に 於 て重 要視 さ れ る と言 ふ様 な方 法 に依 り獲 得 す る の であ る 。
ハ、 帝 国 ホ テ ルで も警 官 が常 に私 を 見 て居 た事
問 さ れ て居 た事
ニ、 独 逸 大使 館 の 日本 人 翻 訳 者 が警 官 か ら何 を し て居 る か
2 官 憲 に対 す る 注 意 私 が日 本 に於 て 注意 し た事 を 憶 ひ出 す 様 に申 上 げ る と次 の
っぽ く取 扱 は れ て居 た 事 に気 が付 い た事 があ る 。
ヘ、私 が支 那 に旅 行 した 留守 中 に私 の家 が捜 索 さ れ鞄 が荒
視 し て居 た事
ホ、私 の行 く ﹁レ ス ト ラ ン﹂等 でも 私 服 警 官 又は憲 兵 が監
と聞 か れた事
様 で あ り ます 。 (一) 私 が 日本 へ来 て数 ヶ月 は特 別 の活 動 を しな か った 。 そ れ は新 し く外 国 か ら来 た自 分 は 如何 な る人 間 であ る かと 言 ふ事 を 注 目 さ れ て居 る と信 じた か ら で あ る。
私 が 日本 へ来 て間 も な く独 逸 大 使 館 で時 事 新 報 記 者 ﹁有
(二 ) 其 の事 例 と し て は
富 光 門 ﹂ と知 合 と なり 、 同 人 は 非常 に自 分 に接 近 し て来 て、
の外 国 人 に対 す る警 察 の処 置 であ る と考 へて居 る 。
然 し 以 上 の様 な 事 は 特 に私 を疑 って為 さ れる の でな く 総 べ て
其 の為 私 は行 動 を 出来 る 丈 け明 か に し て居 た 。即 ち独 逸 大
私 を目 黒 ホ テ ル に世話 を し て そ こに宿 泊 せ し めた 。 其 の後
と言 ふ事 を 一寸 漏 し た事 も あ る の で其 の支 配 人 を し て私 の
同 ホ テ ル の支 配 人 が私 に 曾 て 日本 軍 の間 諜 を した事 が あ る
も わ ざ〓
使 館 や帝 国 ホ テ ル に行 く に も公 然 と し て出 掛 け 本 牧 へ行 って
ラ ン﹂ の燐 寸 を 持 ち 帰 る様 に し て居 た 。 而 し て私 は長 く 旅 行
チ ャブ 屋 の燐 寸 を持 ち 帰 り 、 食事 に行 く ﹁レ ス ト
行 動 を 監 視 さ せ た も の と思 ふ。 又有 富 は或時 露 西亜 語 の出 来 る以 前 左 翼運 動 を し た人 を 連 れ て来 て私 の友 人 に さ せ様
れ ても 良 い様 に し て 居 た。 独 逸 大 使 館 でも 館員 や外 国 人 の家
が捜 索 さ れる 事 は知 って居 る の で私 の品 物 を快 く預 って呉 れ
す る時 は重 要 な も のは 独逸 大 使 館 に預 け て行 き 、家 を捜 索 さ
私 の考 へでは有 富 に多 分 警 視 庁 の指 令 で 独逸 大使 館 に出
﹁留 守 中 お 前 の家 は掃 除 (ク リ ー ニング ア ップ ) さ れ たか ﹂
ま し た。 嘗 つて 旅行 か ら 帰 って 来 た 時 ﹁オ ット ﹂大 使 か ら
と し、 そ の男 は私 に露 西 亜 語 で話 し 掛 け ま し た が私 は何 も
入 し て独逸 人関 係 を調 査 し て居 た の では な いか と思 ひ ます 。
分 ら な い顔 を し て居 た事 も あ り ま し た 。
其 後 私 が 麻布 区永 田 町 に移 転 す る 時 彼 は 手 伝 ひ に来 ま し
(女中 ) は年 寄 で通 勤 のも のを使 って居 り ま した が そ れ は私
氏 に 預 け て置 い た と返 事 を し た 事 も あ り ま す 。 又 私 は ア マ
と聞 か れ私 は勿 論 掃除 さ れ た が大 切 な も のは ﹁ヴ ェネ カ ー ﹂
最 も 情 報 を得 やす い の は新 聞 記者 であ る。 秘 密 に関 す る
密 を 話 さ な け れ ば な ら ぬ の であ る 。
与 へる、 而 し て日本 は如 何 か と聞 け ば其 相 手 は或 程 度 の秘
例 へば其 人 達 か ら情 報 を 得 る時 、 当方 よ り独 逸 の情 報 を
の であ る 。
事 でも新 聞記 者 は話 し て呉 れる の で容易 に情 報 を 得 ら れ る
の家 に夜 間 来 る客 を女 中 に分 ら せ な い為 でも あ り ま し た。 3 活 動 上 の着 眼 点 蚊 に苦 心
日本 に於 て情 報 蒐 集 を為 す 上 に於 て私 が 一番難 か し い の
イ 軍 事 情 報 の蒐 集
た な ら ば陸 海 軍 部 内 に関 係 を つけ て そ れ よ り情 報 を と る よ
った。 若 し私 が 駐 日 独 逸 大 使 館 を利 用 す る事 が 出 来 な か っ
例 へば日 本 が 仏印 に進 駐 す る時 独 逸 が 如何 思 ふ か と言 ふ
で換 言 す れ ば情 報 即 ち政 治 であ る 。
難 であ る。 何 故 な ら ば情 報 と は政 治 を や る 上 に是 非 共 必 要
其 の国 の政 治 情 報 を絶 対 に外 部 に 出 さ な いと言 ふ事 は 困
ロ、 政 治 情 報 の漏 洩 に就 て
り 外仕 様 が無 い の であ るが そ れは非 常 に困 難 な 仕 事 であ る 。
は陸 軍 の軍 事 情 報 であ った 。 次 に は海 軍 の情 報 が難 か し か
陸 海 軍 部 内 に関 係 を 付 け る のは 日本 人 を 通 じ て陸 海 軍軍 人
ばな ら ぬ。 そ こで 一つの情 報 ﹁即 ち 日本 は仏 印 に進 駐 す る
事 を 知 り た け れ ば独 逸 大 使 等 に対 し て其 の事 を話 さな け れ
ら し い﹂、 と言 ふ事 が出 来 る。 若 しそ れ を知 ら さ な い 為 に
に関係 を つけ る の であ る が 、 私 が試 し た なら 或 は 出 来 た か
日本 に於 て最 も 弱 い方 面 は内 政 、 外 交 問 題 であ る 。 此 の
も知 れ な い が兎 に角 難 し い事 であ る 。
る と言 ふ事 は 不 注意 だ け の軽 口か ら のみ得 る と思 ふ のは 非
言 はな け れ ば 結 局 独逸 の意 見 は得 ら れな い、 故 に情 報 を得
常 な 誤 り であ る 。
二 つは、 軍 事 関 係 に 比 較 し て非常 に やさ しく そ の内 政 、 外
が あ る 。而 し て内 政 に関 し て情報 を得 れ ば そ の事 から 陸 海
交 は秘 密 を守 る べき 事 でも寧 ろ明 け放 し にさ れ て居 る 傾 向
策 と 言 ふも のは内 政 か ら引 離 す事 は 出来 な いか ら であ る 。
の であ る。
噂 を 集 め る と 其 の後 に起 る何 事 か を 前 以 て知 る事 が出 来 る
日 本 では 何 か あ る時 は必 ず 其 前 に 噂 があ る。 そ れ で其 の
ハ、 ﹁噂 ﹂に 就 て
其 の様 な内 政 情 報 は 寧 ろ 上 層階 級 の者 よ り得 る 事 が 出来 る 。
の事 も 知 って居 た が其 後 日 本 国内 に 日独 間 の交 渉 の噂 が拡
例 へば 防共 協 定 の交 渉 中 自 分 は独 逸 大 使 館 より 事 前 に そ
軍 の 一般 的 の動 き は想 像 す る 事 が出 来 る。 そ れ は陸 海 軍 政
議 論 を し て行 け ば其 の人 達 は 如何 し ても 返 事 を し な け れ ば
が った の で自 分 は其 の噂 の中 に飛 び込 ん でそ れ を調 べ て自
若 し当 方 よ り高 度 の政 治 問題 を上 層 階 級 の人 々に 話 し掛 け
な ら ぬ。 知 ら ぬ とは 言 ひ得 な いも の であ る 。
又 独 逸 大 使 館 と参 謀 本 部 と何 か 密 接 な関 係 を持 ち 始 め た
分 の知 って居 る 防 共協 定 交 渉 の噂 を 掴 む事 が出 来 た。
る。
其 の事 に 関 係 の無 い人 に は其 の秘密 を話 し て はな ら な いの であ
慎 しむ べき は 口 で、 例 へ如 何 に 親密 な信 用 を し て居 る 人 でも
(五) 諜 報 員 の連 絡方 法及 ゾ ル ゲ の知 人
と言 ふ噂 があ れ ば其 の噂 を 集 め て そ れを掘 下 げ て行 け ば必 ず 何 か 軍 事的 の交 渉 が行 は れ て居 る 事 を知 る事 が出 来 る の
で あ る 。兎 に角 日本 人 は他 国 の人間 と 比較 し て噂 好 き で あ
日時 、場 所 、 方 法 等 を 定 め 双方 に知 ら せ而 し て連 絡 をす る の で
他 の者 か ら指 示 さ れ た方 法 も あ り ます が、 兎 に 角 予 め、 連 絡 の
し た 方 法 は次 の通 り であ る が、 其 の方 法 は私 が 考 へた方 法 も 、
私 が 欧洲 、 米 国 、 支 那 及 日本 等 に於 て未 知 の者 と最 初 に連 絡
一、 未 知 の者 と最 初 に連 絡 せ る方 法
る ので 日本 に於 て情 報 を 蒐 集 す る事 は容 易 であ る とも 言 へ
日本 に 於 て は何 かあ る時 は 必 ず其 の前 に噂 が拡 がる も の
で あ る。
る ので あ る。 自 分 の経 験 では 日 本 人 は 自分 に関 係 のな い秘
あ り ま す。
或 る特 定 の場 所 で、 特 定 の時 間 に 指 示 さ れ た通 り の容 貌 、
一番 簡 単 な 方 法
(1 )
他
は 日本 人 のみ で なく 支 那 人 も 同 様 で あ る。 の
密 の事 で も知 り たが り 又 其 の噂 を振 り撒 く 癖 があ る 。 之 れ
三、其
て居 る言 葉 を取 交 す の であ り ま す 。
即 ち其 の言葉 は、 ﹁私 は貴 方 が 上海 に着 いた のを 聞 き ま し
服 装 等 の人 間 を見 出 し て、 其 の人 の処 に行 き、 既 に約 束 さ れ
た 。 私 の名前 は何 々です 。 私 は何 某 か ら宜 敷 しく と 云 ふ言 伝
信 用 し て居 るも の でも 注意 し な け れ ばな ら ぬ実 例
逸 が秘 密 に 防 共 協 定 の交 渉 が行 は れ て居 る 時蘇 聯 邦 側 で は大 島
独 逸 から 特 使 ﹁ハー ク ﹂ が 日本 に来 た 時 彼 は私 に対 し て ﹁独
武 官 ﹁リ ッペ ント ロ ップ ﹂外 相 ﹁カ ナリ ズ ﹂特 務 機 関 長 の各 家
った 時 は其 人も 亦 ﹁私 の名 前 は何 々です 。 私 も 貴 方 に 何某 か
ら 宜敷 しく と い ふ言 伝 を持 って居 り ます ﹂ と 答 へる 。
を 持 って来 ま し た。﹂ 其 の会 った人 が私 の連 絡 す べ き 人 で あ
お 互 の名 前 は 事 前 に 了解 済 の も の であ り 、場 所 は ﹁ホ テ ル﹂
庭 を 監 視 し て写 真迄 撮 影 し た の で爾 後 は ﹁ハー ク ﹂ が 三人 の間
た﹂ と言 ふ事 を 話 し た。
或 は 料 理店 等 を使 用 す る。
を 飛 び 廻 って交 渉 を続 け た が蘇 聯 側 も そ こ迄 は気 が付 かな か っ
蘇 聯 邦 側 が大 島 や ﹁リ ッペ ント ロ ップ ﹂ 及 ﹁カ ナリ ズ ﹂ を注
相 手 の人 間 を確 かめ る ので あ る。
(2 ) 稍 〓混 入 った 方 法 は、 前 記 の方 法 に 付加 へ ても っと其 の
意 し た のは前 に も申 上 げ た通 り 私 が 蘇聯 邦 に報 告 した か ら で あ
例 へば、 ﹁貴 方 は ﹁オ ット﹂夫 人 を 知 って居 り ます か﹂ と聞
る 。 そ の私 に話 し た の で私 は 早速 蘇 聯 邦 に対 し て ﹁ハー ク﹂ は
監 視 さ れ た と思 ふ。
斯 様 な人 間 であ る と言 ふ事 を報 告 し た の で其 後 は ﹁ハー ク ﹂ も
マー ーオ オッ ット ト夫 夫人 人﹂ ﹂と と名 名前 前を を付 付け けて て答 答 へ へな なけ けれ れば ばな なら らぬ ぬ。 。 マ
く は ﹁ ﹁ヘ ヘル ルマ マー ーオ オッ ット ト夫 夫人 人を を知 知 っ って て居 居ま ます す﹂ ﹂と と答 答 へ へる 。 くと と相 相手 手は る。 其の の場 場合 合私 私が が ﹁ ﹁オ オッ ット ト夫 夫人 人﹂ ﹂と と云 云 っ った たの のに に対 対し し相 相手 手は は ﹁ ﹁ヘ ヘル ル 其
られ れて て居 居た たも もの ので であ ある 。 ら る。
( 5) 私 (5 ) 或 或は は、 、﹁ ﹁ 私は は之 之れ れか から ら何 何々 々の の店 店へ へ何 何を を買 買ひ ひに に行 行か かな なけ けれ れ
ばな り ま せ ん 。 ﹂と云 ふ と、 相 手 は ﹁ 私 も何 々の店 へ何 を 買 買ひ ひ ば な り ま せ ん 。 ﹂ と 云 ふ と 、 相 手 は ﹁ 私 も 何 々 の 店 へ 何 を に行 か ね ば な り ま せ ん﹂ と 答 へる 、 其 の場 合 其 其の の店 店は は隣 隣り り合 合 に 行 か ね ば な り ま せ ん ﹂ と 答 へ る 、 其 の 場 合 って て居 居る る店 店で で事 事前 前に に打 打合 合さ され れて て居 居る るの ので であ ある る。 。 っ
( 6) ) 又 又、 、或 或る る絵 画館 館の 話を して て、 、﹁ ﹁私 私は は何 何某 某の 絵が が好 好き きで です す﹂ ﹂ (6 絵画 の話 をし の絵
更 更に に混 混入 入 っ った た方 方法 法は は名 名前 前の の綴 綴り りを を使 使用 用す する る、 、即 即ち ち、 、貴 貴方 方は は Ra am m と と云 云ふ ふ名 名の の人 人を を知 知 っ って て居 居る るか か﹂ ﹂と と問 問ふ ふと と相 相 手 手は は、 、其 其 R の名 は Say で終 って居 る で せう ﹂ と答 へる 即 ち両 方 の 名 は S a y で 終 っ て 居 る で せ う ﹂ と 答 へ る 即 ち 両 方合 合せ せて て ﹁R Ra a m a ﹁ ms s ay y﹂ ﹂と と云 云ふ ふ私 私の の名 名前 前に にな なる るの ので であ あり りま ます す。 。
る。 。 る
其 其の の場 場合 合其 其の の画 画家 家 の の名 名前 前は は事 事前 前に に通 通告 告さ され れて て居 居る るも もの ので であ あ
( (3 3) ) 共 共 の の他 他の の方 方法 法 特 相 相手 手 の の人 人間 間に に会 会 っ った た。 。時 時私 私は は ﹁ ﹁ 特別 別の の煙 煙草 草を を貴 貴方 方に に持 持 っ って て
り 三 つ目 (左 右 何 れ れか )の の席 に坐 した た者 者が が自 自分 分の の連 連絡 絡す する る者 り 三 つ 目 ( 左 右 何 か) 席に 坐し 者 とし した た事 事も もあ あり りま ます す。 。 と
絡 を し た事 も あ り ま す 。 絡 を し た 事 も あ り ま す 。 ( (8 8) ) 又 又、 、劇 劇場 場の の切 切符 符を を買 買ひ ひ、 、自 自分 分 の の左 左右 右何 何れ れか か、 、或 或は は自 自分 分よ よ
ー ード ド﹂ ﹂の の名 名を を全 全部 部云 云は はな ない いで でお おく くと と、 、相 相手 手は は ﹁ ﹁何 何 々 々の のレ レコ コー ー ド ドを を探 探す す手 手伝 伝を を致 致し しま ませ せう う﹂ ﹂と とレ レコ コー ード ドの の名 名全 全部 部を を云 云ひ ひ、 、連 連
(7 ) 或 る ﹁レ コード ﹂店 で連 絡 を し た時 ﹁貴 方 は これ〓 の の ( 7 ) 或 る ﹁ レ コ ー ド ﹂ 店 で 連 絡 を し た 時 ﹁ 貴 方 は こ れ 〓 レコ コー ード ドを 探す すの のを を手 手伝 伝 っ って て呉 呉れ れま ませ せん ﹂と と聞 聞く く時 ﹁レ レコ コ レ を探 んか か﹂ 時 ﹁
と と云 云ふ ふと と相 相手 手は は ﹁ ﹁私 私は は何 何某 某の の絵 絵が が好 好き きで です す﹂ ﹂と と答 答 へ へる る。 。
そ そう うす する ると と相 相手 手も も引 引ち ちぎ ぎら られ れた た他 他の の半 半分 分を を持 持 っ って て居 居り り二 二つ つ合 合
又 又他 他の の方 方法 法は は変 変な な風 風に に引 引ち ちぎ ぎら られ れた た名 名刺 刺を を出 出し して て見 見せ せる る。 。
せて て、 、連 連絡 絡す する る相 相手 手が が間 間違 違い いな ない い事 事を を確 確か かめ めま ます す。 。又 又或 或る る場 場 せ 合 は、 、私 私が が第 第 一 一一 一二 二二 二三 三五 五号 号の の一 一弗 弗札 札を を見 見せ せる ると と、 、相 相手 手は は第 第 合は 一一 一二二 二三 三六 六号 号の の 一 一弗 弗札 札を を見 見せ せそ その の人 人間 間が が相 相違 違な ない い事 事を を確 確か か 一 二
来 ま し た 。何 故 な ら ば貴 方 は こ の煙 草 し か 吸 は な い と云 ふ事 来 ま し た 。 何 故 な ら ば 貴 方 は こ の 煙 草 し か 吸 は な い と 云 ふ 事 を を聞 聞き きま まし した たか から ら、 、何 何卒 卒お おの のみ み下 下さ さい い﹂ ﹂と と 一 一本 本出 出す すと と、 、相 相手 手
(9 9) ) 百 貨店 店の の特 特定 定の の売 売場 場に に行 行き き、 私が が ﹁ ﹁ハ ハン ンケ ケチ チ﹂ ﹂を を買 ( 百貨 、私 買 っ った た
めた た事 事も もあ あり りま まし した た。 。 め
の人間 も ﹁貴 方 の好 き な煙 草 を 持 って来 ま し た。 ど うぞ 一 一本 本 の 人 間 も ﹁ 貴 方 の 好 き な 煙 草 を 持 っ て 来 ま し た 。 ど う ぞ おの のみ み下 下さ さい い﹂ ﹂と と 一 一本 本出 出し しま ます す。 。そ それ れで で連 連絡 絡が が付 付い いた たの ので であ あ お
( (10 10 ) ) ﹁ ﹁レ レス スト トラ ラン ン﹂ ﹂ へ へ行 行き き、 、特 特別 別の の料 料理 理を を註 註文 文し した た時 時、 、相 相手 手 も亦 亦、 、他 他の の特 特別 別の の料 料理 理を を註 註文 文し し、 、両 両方 方が 其の の料 料理 理に つい いて て話 話 も が其 につ
(11 ) 又 、 ﹁レ ス ト ラ ン﹂ で型 の変 った ﹁バ イプ ﹂を 持 ち、 相手 ( 11 ) 又 、 ﹁ レ ス ト ラ ン ﹂ で 型 の 変 っ た ﹁ パ イ プ ﹂ を 持 ち 、 相 手 の男 男は は大 大き きな な葉 葉巻 巻を を持 持ち ち両 両方 方が が気 気が が付 付い いた た時 時 一 一緒 緒に にそ それ れに に、 、 の
を始 始め めそ それ れで で連 連絡 絡を をつ つけ けた た事 事も もあ あり りま ます す。 。 を
時相 相手 手 の の者 者は は靴 靴下 下を を買 買ひ ひそ それ れで で連 連絡 絡を をし した た事 事も もあ あり りま ます す。 。 時
りま ます す。 。 り (4 4) ) 他 他の の方 方法 法は は本 本を を持 持 っ って て居 居て て、 、相 相手 手に に対 対し し ﹁ ﹁私 私は は此 此の の本 本を を ( 非 非常 常に に面 面白 白く く読 読み みま まし した た。 。此 此の の本 本の の中 中で で 一 一番 番面 面白 白い い事 事は は何 何々 々 頁に にあ あり りま ます ﹂と と云 云ふ ふと と相 相手 手は 、﹁ ﹁私 私は は何 何の 頁 す﹂ は、 の頁 頁 の の分 分 が が 一 一番 番面 面 白い いと と思 思ひ ひま まし した た。 。﹂ ﹂と と答 答 へ へる る。 。其 其の の揚 場合 合頁 頁数 数は は事 事前 前 に に定 定め め 白
火 を 付 け て吸 ひ始 め そ れを 連 絡 の合 図 と し た事 も あ り ます 。
れ る のを避 け た為 であ る。 其 の以 前 に も 、﹁スカ ンヂ ナ ビ ヤ﹂か
のは 、自 分 の本 当 の旅券 に、 蘇聯 邦 に入 った と 云 ふ事 が 記 入 さ
渡 さ れた ので あ る から 、 ﹁コミ ン テ ル ン﹂に於 て、特 別 な 偽 造 旅
た が、 其 の旅 券 は何 れも 自 分 が作 った の では なく 、連 絡 者 か ら
ら莫 斯 科 に帰 った 時 も ﹁スカ ンヂ ナビ ヤ ﹂ の偽造 旅券 を 使 用 し
(1 2) 又 、﹁レ スト ラ ン﹂で新 聞 を 読 み相 手 が来 た時 特 別 変 な 方
(13 ) 其 他連 絡 の際 所持 す る包 紙 の色 、 手 袋 の色 、 ネ ク タ イ の
券 の係 が あ る か如 何 かは知 らな い。
法 で畳 み連 絡 し た事 も あ り ます 。
色 、 ﹁パ イプ ﹂、﹁シガ ー ﹂等 の持 ち方 等 を連 絡 の合 図 と した事
支 那 から 西 比利 亜 経 由 で帰 った時 であ る 。
は 一九 二 四年 末 最 初 に独 逸 から 莫 斯 科 に行 った 時 と 一九 三三年
尤 も 自分 は莫 斯 科 に入 る時 二回 本 当 の旅 券 を 使 った。 が それ
もあ り ます 。
聞 広告 を し て、連 絡 を 打 合 せ た事 もあ りま す 。
米 国 で自 分 が受 取 った旅 券 は 新 し いも の でな く 、古 い誰 か の
(14 ) 連 絡 す る場 所 、 日時 等 が事 前 に打 合 せら れな い時 は、 新
又、 相 手 の滞 在 し て居 る ﹁ホテ ル﹂及 名 前 が判 って居 る時
て居 な い。 細 か い価 値 のな いも のを集 め て時 聞 を無 駄 にし て居
だ け でよ か った。 而 し て蘇 聯 邦 領事 館 へ行 って査 証 を受 け る の
自 分 は 巴 里 で、 ﹁チ エッ コ﹂、 波 蘭 、蘇 聯 邦 三 ヶ国 の査 証 を 得 る
而 し て、 既 に ﹁オ ー スト リ ヤ﹂迄 行 く 査証 は済 ん であ った の で
リ ヤ﹂ で名 前 は今 忘 れ て仕 舞 った が長 い難 かし い名前 であ った 。
旅 券 で、 写真 と容 貌 は自 分 のも の であ った。 国 籍 は ﹁オ ー スト
電話 を掛 け て確 か め て訪 問 し た事 もあ りま す 。 二、 防諜 に 就 て
る の では な いか と思 ふ。
は 蘇 聯 に 入国 す る 時 も、 出 国 の時 も普 通 の旅 行 者 と し て 一般 に
現 在 日本 の警 察 は余 り細 か い事 を集 め過 ぎ て大 き なも のを見
兎 に角 現 在 日本 でや って居 る防 諜 の方 法 は間 違 って居 る と思
﹁スパ イ ﹂ に対 す る 最 良 の対 策 は、 何事 も秘 密 に し て ﹁スパ
ふ。
其 の偽 造 旅 券 で 欧洲 に行 く 為船 会 社 で乗 船 切符 を買 ふ時 自分
った ので あ る。
行 は れ る通 り の手 続 をす る の であ って、 特 に特 別 の便 宜 がな か
変 へる の が 一番 であ る。 そう す れ ば ﹁スパイ ﹂ は、 遂 には つか
は 、其 の旅 券 の名前 が難 か しか った の で忘 れ て仕舞 ひ懐 中 か ら
イ﹂ を防 ぐ の では なく ﹁スパ イ﹂ が知 らう と す る事 を どん く
れ て其 の事 を知 ら うと す る 努力 を やめ て仕舞 ふも の であ る。
で洋服 を作 ったが 、其 の時 は本当 の名前 を 使 ひ 、帰 途 同 じ洋 服
旅券 を出 し て見 て、 切符 を 買 った事 があ った 。 又、 行 く 時 紐育
党 連 絡者 よ り偽 造 旅 券 を交 付 さ れ、 そ れ を利 用 し て莫 斯 科 に入
て居 り今 度 貴 方 の名 前 は違 ふ が私 達 は名 前 を調 べる事 は な いと
屋 に寄 り、 偽 造 パ スポ ー ト の名 前 で註文 し た の で洋服 屋 が覚 え
西暦 一九 三五年 日本 より 米 国 経由 蘇 聯 邦 に行 った時 、 紐 育 の
三、 偽 造 旅 券 に 就 て
り 、 帰途 は和 蘭 でそ れ を破 棄 し た が自 分 が偽造 旅券 を 使 用 し た
は難 か し い問 題 であ る 。 又、 米 国 が何 事 も 非 常 に ﹁ルーズ ﹂ で
之 れは 自 分 と し ては 特 に研 究 した 事 が な いか ら具 体 的 に云 ふ事
間 諜 に就 ては英 国 が 一番 発 達 し て居 る と云 は れ て居 る。 併 し、
此 の点 英 国 は寧 ろ厳 重 で旅 券 検 査 が う るさ く 、欧 洲 に於 け る
っても 別 に不 思 議 に思 はな いから であ る。
云 って洋 服 を 作 って呉 れ た。 それ は米 国 で は、 ど ん な名 前 を 使
問 し て通 信 を送 って居 た 。彼 女 は、 日 本 に関 す る 著 書 と重 慶
約 三年 間 重慶 に居 り、 非常 に勇 敢 な 婦 人 記者 で戦 線 各地 を訪
紙 の特 派 員 とな った が、 西 暦 一九 三 七年 よ り 一九 三 九年 頃 迄
新 聞 記 者 と な り西 暦 一九 三 七年 以 来 独逸 ﹁フ ラ ン ク フ ルト ﹂
が検 挙 せら る ゝ頃 は非 常 な重 病 であ った。 彼 女 は 約 十年 位 前
人 であ る 。父 親 は既 に 死亡 し、 母 親 は東 京 に居 住 し 、昨 年 私
る当 時 書 いた も のであ るが 重 慶 及 日本 の何 れ に も事 故 を 起 し
政 府 に関 す る 著書 があ る。其 の重 慶 に関 す る著 書 は重慶 に居
た く な いの で両 方 に良 い様 に 書 いて あ る が 一〇〇 % 親 日 の本
あ る と 云 ふ例 と し て、 自分 が米 国 か ら 欧洲 に向 って乗船 し た時
而 し て、 出帆 間 際 に検 査 員 が来 て そ れを 発 見 さ れ船 から 下 さ れ
でな い事 は確 実 であ る。 し か し私 は彼 女 が絶 対 的 の排 日家 で
出 国 税 を支 払 はず 受 取 の ﹁スタ ンプ ﹂ を貰 ふ事 を 忘 れて居 た。
相 に な った の で、私 は、 五十 弗 を握 ら せ る と其儘 見逃 し て呉 れ
あ る と は思 はな い。 私 は日 本 へ来 て から 彼 女 と職 業 上 の関 係
で知 合 と な り 、﹁フ ラ ンク フ ル ト﹂紙 で は私 が政 治経 済 方 面 を
た 。斯 様 に米 国 は非 常 に融 通 のき く 国 であ る。
た の で彼 女 は多 分 東 京 に居 る様 に命 ぜ ら れ、 今 後 は 政治 、 経
担 当 し、彼 女 は文 化 的 方面 を担 当 し て居 た が、 私 が検 挙 さ れ
四 、 日本 税 関 の取 締 に つ いて 日本 税 関 の外 国 人 取扱 は其 の役 人 に よ り寛 大 な 者 と厳 重 な 者
済 問 題 にも首 を突 込 まな く て はな ら ぬと思 ふ。 尚 品 行 は良 い
とあ る が概 し て云 ふ と米 国 か ら横 浜 に上 陸 す る時 は寛 大 で支 那 から 来 る (神 戸 、 長 崎 )時 は厳 重 であ った 。 そ れ は上 海 か ら来
女 であ る。
2 ﹁ク ラウ ス ・レ ンツ﹂ に就 て
る者 は密 輸 入 等 が あ る から であ る と思 ふ。 特 に 所持 金 に つ いて はや かま し いが特 に身 体 検 査 や、 洋 服 や ﹁ポ ケ ット﹂ を 調 べ る
て来 る電信 を受 信 す る 仕事 を し て居 た 。 D N B通 信 社 の男 で
彼 は 、毎 夜 独 逸 大 使 館内 で、 伯 林 のD N B本 社 から送 信 し
あ る。 其 の電 信 は公 式 の宣伝 情 報 であ る が毎 夜 間 働 か な け れ
事 は な く、 自 分 か ら 出 し て 見 せる の であ り、 日 本 か ら出 国 す る
ばな ら ぬ ので、 相 当 過 激 な仕 事 であ る が、 平 素 か ら 変 った人
時 は身 の廻 り を検 査 す る事 は なく 持 物 も寛 大 であ る か ら、 秘 密 な 小 さ なも の等 を 隠 し て置 く 事 は極 め て容 易 で絶対 に発 見 さ れ
輯 の為 朝 の六 時頃 大 使 館 へ行 く時 は既 に 仕 事 を終 へて帰 って
昨 年 私 が検 挙 さ れる 前私 が働 い て居 た大 使 館 情 報 の整 理 編
間 であ り頭 が変 に な って居 た ので はな いか と も思 はれ た 。
る事 は な い と確 信 し て居 た。 五 、知 人 関 係
彼 女 は瑞 西 か ら 日本 に来 て居 た 商人 の娘 で日 本 生 れ の瑞 西
1 ﹁リリ イ ・ア ベ ック﹂ に就 て
に編 輯 す る仕 事 を し て居 た の であ る が彼 と は直 接 の関係 はな
居 た 。私 は、 其 の DN B情 報 や 、 大使 館 に来 る 情 報 を宣 伝 用
彼 の収 入 は酒 と煙 草 に費 さ れ て居 り 、 一年 に 一回 位 日本 へ
れ で私 は彼 が如 何 な る政 治 的 意 見 を 持 って居 た か 知 ら ぬ。
生 活 を し て居 り 、 公然 と意 見 を発 表 す る人 では な か った。 そ
婦 人記 考 ﹁オ ー ルゼ ン﹂ と関 係 が あ った ら し い。
し く話 は した け れ共 特 別 の友 人 で は なく 同 時 に私 の好 か な い
来 る事 があ り 、 一ヶ月 位滞 在 し て帰 って居 た。 私 は彼 と は親
く 、 勿 論 親 し く交 際 した事 も な い の で詳 し い事 は知 ら ぬ 。 3 ﹁ブ ライ マー ﹂ に就 て ﹁ブ ライ マー ﹂ は東 京 で肉 屋 を し て居 た独 逸 人 で、 ﹁ク ラ
兎 に角 彼 は非 常 に変 った人 間 であ った為 凡 ゆ る 噂 があ った 。
ウ ゼ ン﹂ と は 仲 が好 か った が直 接 に 会 った 事 は な く 、 勿 論 ﹁ナ チ ス﹂党 員 でも な い。
重 慶 政府 と の関 係 は非 常 に多 く の支那 人 を知 って居 た が、
行 した 事 があ る が本 当 の親 蘇 的 の人 間 か 如何 かは 分 ら ぬ。
蒋 介 石 の為 働 い て居 たか 如何 か は知 ら ぬ 。
蘇 聯邦 と の関 係 は彼 が 二、 三 回 新 聞記 者 と し て蘇聯 邦 に旅
ら れ其 の結 果 を領 事 館 に 報 告 し た と云 ふ事 を聞 いた 。
﹁ク ラ ウ ゼ ン﹂ よ り彼 が水 に這 入 って、 多 分 心 臓麻 痺 で死
彼 は金 持 では な か った が 生活 は よく 、 一度 結 婚 し て後 離婚
る。 彼 は 又白 系 露 人 とも 随 分知 合 って居 た 。
彼 は支 那 の ﹁ギ ャング ﹂ とさ へ深 い知 合 であ った人間 であ
亡 し た事 と横 浜 の独 逸領 事 館 よ り荷 物 の保管 竝 処 分 方 を命 ぜ
し た事 があ る と 云 ふ事 は聞 いた が、 同 入 とは何 等 関 係 がな か
兎 に角 彼 が 如何 云 ふ人 間 で何 処 の為 に 働 い て居 たか と 云 ふ
った の で、 其 他 の事 は知 ら ぬ。 4 ﹁ウ ォル フガ ング ・ゾ ルゲ ﹂ に就 て
色 な噂 を ぶち ま け て歩 いた 人間 で あ る。 彼 は背 の低 い太 った
人 間 で、 私 は彼 に会 ふ時 は酒 を飲 み過 き る な と忠 告 し て居 た 。
事 は分 ら な か った が、 人 か ら噂 さ れる 事 の好 き な人 間 で、色
夜 は 二時 前 に は寝 た事 が な いと 云 ふ男 で多 分 彼 は酒 を 飲 み 過
彼 は私 が 一九 三〇 年 上海 に 行 った時 そ の以 前 よ り支 那 に来
彼 は 約 十 五年 間 独 逸 最 大 の新 聞 ﹁ベ ルリ ナ ・ロ カ ル ・ア ン
ぎ て心臓 病 で死 んだ も のと思 ふ。
て居 た 新 聞記 者 で私 は最 初 哈 爾 賓 で彼 と会 ひ ま した 。
ツ ァイガ ー﹂( 政 治 新 聞 でな く 、政 治 問 題 に興 味 を持 た な い市
日本 人 が ﹁コミ ンテ ル ン﹂本 部 員 に為 る のに ど の様 な 取扱 ひ
そ し て其 の人 の属 す る国 に依 って其 の寛 厳 に差 があ る ので あ る。
要 であ り そし て相 当 厳 重 な身 許 調 査 が行 は れ る のを 通例 とす る 。
一、 ﹁コミ ン テ ル ン﹂ 本 部 員 に な る の に は党員 二名 以 上 の推 薦 が必
(六 ) 暗 号其 の他
民 の為 の新 聞 ) の記 者 で、 非常 に利 口な 男 で あ る が、 支 那 を 好 み本 国 へも 何 れ の国 へも 行 く事 を好 まな い、支 那 化 した 人 間 であ った。
事 を書 く のが上 手 で 又、 同 時 に満 洲通 でも あ った 。
支 那 当 局 と非 常 に好 い関 係 を 持 って居 た為 、 支那 国 内 の記
彼 は 友 人 と言 ふも のも あ ま り持 た ず 、寧 ろ引 込 み 思案 的 な
ら な いが ﹁尾 崎 ﹂ を ﹁コミ ンテ ル ン﹂本 部 員 に 推薦 し た の は事
を す る のか自 分 は 日本 共産 党 と全 く 関係 を持 たな か った の で知
即ち 一通 一通 の電 文 に其 の都度 使 用 す る 頁 や行 数 を 表 示 す る
字 を使 用 した 。
の数 字 を第 二号 の最 初 の数 字 に使 用 す る と言 ふ遣 方 であ る。
と 云 ふ様 な 事 は せず に第 一号 の発 信 に使 用 し た最 後 の数 字 の次
時 に は相 互 に協 定 し て本 の記 載順 の逆を 使 用 し た こ とも あ る 。
実 であ って其 の推 薦 人 は私 一人 であ った。 併 し乍 ら ﹁コミ ン テ
人 が ﹁コ ミ ンテ ルン﹂ の本 部員 と し て正 式 に承 認 さ れた か ど う
に此 の数字 を 加 へる のが通 例 であ る が其 の加 へ方 は 個 々の数 字
発 信 す る と き に は原則 と し て暗 号表 に よ って数 字 化 さ れ た原 文
ル ン﹂ 本部 か ら之 に対 す る何 等 の回 答 に も接 しな か った ので同
かは 判 然 と し な いが 私 の想 像 で は ﹁コミ ンテ ル ン﹂ の本 部 員 と
で計 算 し て十位 が出 た 時 も 一位 の数 字 のみ の価 を 利 用 す る ので
し て登 録 さ れ て居 る こ と と思 ふ 。 二 、 ﹁スカ ンヂ ナビ ヤ ﹂ に私 が 派遣 さ れ て居 た時 に は無 電 及 暗号
又 時 には之 と同 じ様 に原 文 の語 の個 々の数 字 に約 束 さ れた数
あ る。
﹁モス コー ﹂ の本 部 に報 告 す る事 項 は凡 て書 面 に認 め 勿 論秘
は 全 く使 用 しな か った。
な方 法 で原 文 を訳 出 す る の であ る。 此 等 の事 は 凡 て最 初 に協 定
を得 る方 法 も 使 用 し た。 受 信 の電 文 を解 読 す る時 に は此 の反対
し た約 束 に依 る の であ って之等 の事 を間 違 ひ無く 実 施 す る 為 に
字 を 乗 じ て得 た数 字 の第 一位 の数 字 のみ を 並 べ て第 二次 の数字
之 を文 書 に し て交換 す ると 云 ふ様 な事 は 全 く なく す べ て 口頭 に
密 な る事 項 は其 の国 の郵 便 では 検 閲 を受 け る の で凡 て伝 書 使 を
を 使 用 し て電 報 で報 告 し た。 暗 号 は 日本 で私 達 の使 用 し たも の
支 那 で は ﹁グ ループ ﹂ に無 電 の技 師 が附 属 し て居 た ので暗 号
依 って伝達 す る のを 常 とす る の であ る。
使 用 し た。
と方 式 は同 じ であ った が時 々本 部 の指 示 で変 更 し た為 め ど の様
オ ブ ・チ ャイ ナ﹂ を 使用 し た。
の欄 が非 常 に少 な か った の で後 に は ﹁フ ォー レ ン ・ト レード ・
使 用 し た の は最 初 は ﹁英 文 支 那 年 鑑 ﹂ で あ ったが 其 の本 は数 字
三、 私 が支 那 で電信 の暗 号 の組 立 及 び解 読 の為 に乱数 表 の代 り に
号 に さ れた 電 文を 発 信 暗 号文 即 ち 第 二次的 な数 字 暗 号 にす る方
字 を得 る方 法 と し て年 鑑 を使 用 し た ので既 に第 一次 的 に数 字 暗
で加 算 又は 乗 じ て得 た数 字 に 直す の であ る 。 此 の約 束 さ れ た数
し て発 信 す る時 に は之 に あ る約 束 さ れた数 字を 約 束 さ れ た方 法
て数 字 の文章 に直 した も のを更 に秘 密 を保 持 す る た め に電 報 と
さ れ てあ る の であ ってそ し て送 る べき原 文 を其 の暗 号表 に基 い
字 で表 現 す る か と云 ふ事 は其 の ﹁グ ループ ﹂ の首 領 のみ が知 ら
此 の電信 に使 用 す る暗 号 の ﹁ア ル フ ァベ ット﹂ を 如何 な る数
な暗 号 であ った か記 憶 がな い。 日本 で は 二回変 更 し た。 支 那 では 暗 号 の組 立 又 は 解読 に使 用 し た乱数 表 の代 り の書 籍
此 の使 用 方 法 に就 いて申 上 げ る と 一番 最 初 に使 用す る頁 の数
は独 逸 年 鑑 に 相違 な い゜
字 を相 互 に相 手 方 と協 定 し て其 の後 は本 の記 載 の順 を追 って数
は ﹁モ ス コー ﹂ の許 可 を得 て其 の凡 てを教 へて暗 号 の組 立 て解
は 日本 で ﹁ク ラ ウゼ ン﹂ に対 し最 初 は 此 の原 則 に依 った が後 に
法 は無 電技 師 其 他 首 領 以外 の も の にも 教 へら れる の であ る 。私
た が、 其 の後 外 国通 信 員 とし て外 務 省 等 で屡 -面談 の機 会 を得
問 し た が ﹁ヴ ケ リ ッチ﹂ は最 初 は疑 って居 て中 々打 解 け な か っ
日 本 に来 て ﹁ヴ ケ リ ッチ﹂ の住居 を探 し出 し連 絡 の為 に之 を訪
受 け た が古 い事 な の で記 憶 し て居 な い。 私 は Ⅰ九 三 三年 九 月 に
、ま
る。
或は
7 り0 1 6 0U OO PO OO FD 噌 ⊥ Oδ Qu 2 00 ハ 0
醒
支 那 で使 用 した 暗 号 の場 合 には 此 の様 なも のを使 用 し た事 も あ
之 は乱 数 表 を使 用 せず に唯 約束 し た数 字 を 乗 ず る丈 け で足 り
の如 き で あ る。
7 2 4 6 2 ワ臼 FO 2 0 ー ウ臼 9臼 9μウ珂 A-
﹁二﹂ か ら ﹁九 ﹂ ま で の数 字 の同 じ も のを乗 ず る の であ る° 例
の数 字 を 得 る こと があ る と申 し た が其 の場 合 は お 互 の 約 束 で
暗 号 の事 で先 日原 文 の数 字 に約 束 さ れ た数 字 を乗 じ て発 信 用
六 、電 報 数 字
た ので段 々同 志 であ る と言 ふ事 が は っき り と諒 解 が出 来 た 。
読 を為 さ し め た ので あ る。
あ る が此 の女 は 確 か 一九 三 七 年 か 一九 三 八年 に上 海 か ら来 て数
四 、 ﹁オ リ ガ﹂ と 云 ふ ﹁ス エーデ ン﹂ 人 に就 い ては 先 に申 上げ て
ヶ月 間 帝 国 ﹁ホ テ ル﹂ に宿 泊 して居 た年 齢 は四 十 歳位 に為 ると 思 ふ が現 在 は 何 処 に居 る か解 ら ぬ。 五、 一九 三 三年 に 私 が 日本 に 来 る 事 が確 定 し た 時 に 種 々準 備 の 為 の会 合 が開 か れ た事 に就 いて は前 に申 上 げ た が 其 の 会 議 は ︼ W鐙αqぎ(ベ ルジ ン)と 言 ふ者 が多 く指 導 し て居 た 。そ し て之 等 の 会 議 で討 議 さ れ た結 果 私 に与 へら れ た日 本 に来 て から の使 命 は
(2 ) 日本 の外 交政 策
(1 ) 日本 の経 済状 態
(3) 日本 の内 政 (4) 日 本 の軍 事 行 動 等 を蒐 集 報 告 す る事 であ った 。 そし て ﹁モ ス コi ﹂ を出 発 す る
私 は永 年 日本 に於 て秘 密 な仕 事 を続 け て居 った が日 本官 憲 の
(外 人 を 指 称す ) 正当 な 職業 を持 って居 り其 の方 面 で社 会 的 な
前 に ﹁モ ス ロ! ﹂ に於 け る本 部 の指 導 者 格 の者 か ら 日本 に は既
地 位 と 信用 とを 持 って居 た から だ と思 ふ。 恐 ら く私 達 だけ では
が、 其 の理由 と し て挙 げ る な ら ば私 及 び私 達 の ﹁グ ループ ﹂ が
居 住 し て居 る 。 此 の者 に先 づ 連 絡す る が よく 併 し其 の場 合 に は
無 く 何 れ の国 から 派 遣 さ れ た諜 報 団体 の ﹁メ ン バー ﹂も 其 の全
為 に発 見 さ れな か った のは 私 と し ても 不 思議 な位 に 思 って居 る
よく 注 意 し て ﹁ヴ ケ リ ッチ﹂ の周 囲 に怪 し いと 思 ふ様 な 者 が居
に 同志 が先 行 し て居 るQ 其 の者 は ﹁ユーゴ ス ラビ ヤ﹂人 で ﹁ヴ
たな ら ば 連 絡 は中 止 し て暫 く状 況 を 見 る べき で あ る。
部 が表 面 上 の職業 (例 之 新 聞記 者 、 宣 教 師 、会 社 員 等 ) を持 っ
ケ リ ッチ﹂ と言 ふ者 で東 京 の大 き な外 人 專 門 の ﹁ア パ ー ト﹂ に
と言 ふ様 な注 意 を 受 け尚 連 絡 の際 に 使 用 す べ き言 葉 等 の指 令 も
て る と思 ふ。 警 察 官憲 の私 達 に対 す る関 心 も 極 め て微 温 的 な も の であ って私 の居 宅 に私 服 の警察 官 と思 は れ る も の が来 て雇 人 に何 か聞 い て行 く程 度 のも の で外出 の際 尾 行 せら れ た と云 ふ様 な事 は 一度 も な か った。 私 は 私達 の秘 密 な 仕事 が私 達 外 人 の方 面 か ら発 覚 す る な ど と は 一度 も 考 へた事 は無 く 安 心 し て居 た が 私 達 の仕 事 に 使 用 し た 日本 人 か ら発 覚 す る 事 が あ る かも 知 れ な いと云 ふ心 配 は多 分 にあ った 。 果 せ る かな 両 名 が検 挙 せら れ て
1 9 1 19 9 29 6 4
6 8 2 9 1
2 2 2 0 3
2 928 0 57 0 3 0
9 8 5 9 0
2 7 0 4 5
8 5 68 6 68 6 4 1
48
2
3 3 4 5 0 2 7 9 7 2
5 0 3 2 2
8 3 0 3 1
4 4 4 6 8 6 1 4 3 7
8
8
3 2 0 4
3 78 1 3 2 4 9 8
1 9 2 0 1
1 9 1 1 9
0 1 0 7 3 9 2 9 6 4
4 2 7 6 9
6 8 2 9 1 28 2 0 3
2 9 2 8 0
7 62 1 0 5 7 0 3 0
2 8
2
0
3
0
6 1 0 4 6 6 6 6 5
8
6 4 9 4 4 9 3 0 8 5 9 2 9 2
58 3 3 9 3 5 9 7 5
1 8 5 1 1
8
1 9 9 7 9
4 0 7 1 4 0 8 2 78
2 9 28
98 4 6 1 6 3 7 38 1 6
1 9 1 1 9
0 4 5 1 1
8 3 0 3 1
L C
98
8
2 4
IW I L
2
7
92
7 9
9 2
2
5
P
S E
6 66 6 5
6
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RH
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A
3 5 97 5
A
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ND
08 2 7 8
S U
ON Y
T
ど の様 な ﹁グ ルー プ ﹂ が結 成 さ れ て ど の様 な活 動 を し て居 た か
の厳禁 す る処 であ った か ら で其 の為 に私 が支那 を退 去 後 支那 に
之 は勿 論 之 と 何 等 か の方 法 で連 絡 を取 ると 言 ふ様 な事 は本部
と の間 に は何 の連 絡 も 無 か った の であ る。
﹁グ ループ ﹂と上 海 に現 存 す ると 思 は れ る同 じ様 な ﹁グ ルー プ﹂
七 、私 が日 本 に参 り ま し て今 回検 挙 さ れ た諜 報 団 を組 織 後 に私 の
五 字 に す る為 に無 駄 数 字 0を 3つ 加 ふ
M
9 6 000
N EX
L
9 6 0 0 0
結 局 私 達 が 検 挙 さ れ る に至 った のであ る。 グ ループ と し ては 他
8 2 4 9 8
L
2 7 0 4 5
8 3 03 1 6 14 3 7
3 7 8 1 3
6 6 6 6 5
7 38 1 6
国 人を 加 入 せ しめ な いの が 一番 安 全 な の であ る が、 夫 れ では 其
2 7 9 7 2
1 9 2 0 1
8 6 1 0 4 4 2 7 6 9
1 1
1
A
の国 の国情 を諜 知 蒐 集 す る のに不 便 があ る為 め加 入 さ せた の で あ るが 、 之 等 の者 に対 す る ﹁デ スト ﹂ は相 当厳 重 に実 施 さ れ る のが普 通 であ る 。 次 に暗 号構 成 の例 を示 し て見 ま せ う。
換字 27 0 4 5 乱 数 (+) 68 6 4 1
3 3 4 5 0
3 5 9 7 5
信︺
5 9 2 9 2
5 0 3 2 2
5 8 3 3 9 8 3 2 0 4
︹ 発
(原 文 ) Iwi l lcal lon yourheus e nextsun day at6pm
4 9 3 0 8
2 7 8
5
6 4 9 4 08
5
8
5 9 0
4 0 7 1 4 4 8 9 8 2
98
7 38
1 6 4 6 1 6 3 1 9 9 7 9
9 6 0 0 0 ↓ 無駄 数 字 1 8
1 0 4
私 が 支那 に永 年 滞 在 し て支 那 通 の通 信記 者 と し て本 国 で有 名
私 は分 ら な いと申 上 げ る よ り外 な い。 であ る。
い事 は勿 論 、彼 が そ の接触 人 物 と の関 係 か ら種 々 の風評 をさ れ
重 ね て申 上 げ る が彼 と私 の ﹁グ ループ ﹂ と が何 等 の関 係 の無
であ った ﹁ウ ォル フガ ング ・ゾ ルゲ ﹂ と交 際 のあ った のは私 の
た事 があ っても決 し て諜者 で はな いと 思 ふ。 瑞 西 人 ﹁リ リ ー ・
ア ベ ック﹂ (女) は私 と 同 じ様 に独 逸 の ﹁フ ラ ンク フ ルト ﹂の極
﹁グ ループ ﹂ の仕 事 と何 の関 係 も 無 く、 私 の知 って居 る範 囲 内 では彼 は諜 者 では無 か った と思 ふ 。
東 通 信 員 であ って私 は 日本 に、 彼 女 は 上海 に駐 在 を命 ぜら れ て
は無 い の であ る。 私 が ﹁グ ループ ﹂ の仕事 の関 係 で上海 へ数 回
以 上申 述 べた 外 に 上海 に私 の ﹁グ ル ープ ﹂ と連 絡 のあ ったも の
た事 があ るが 、彼 女 も 又 善 良 な通 信 員 であ って諜 者 では な い。
居 た ので あ る。 彼 女 は仕 事 の為 二、 三年 前 に ﹁重 慶 ﹂ に旅 行 し
彼 の蒐 集 し た情 報 、其 の情 報 を得 るた め に接 触 し た各 方 面 の 人物 関 係 、 絶 間無 き支 那 各 地 への旅 行 等 は 何 れ も彼 が本 来 の業 務 であ る通 信員 と し て の原 稿 を書 く 為 であ った と思 ふ。 一つは 読 者 の興味 を そ そ る事 を中 心 と し て記事 を書 く 為 に 其 の材 料 の
て読 者 に真 実 を伝 へる 事 を自 己 の任務 とす ると 言 ふ や う なや り
真 偽 は大 し て気 に 止 め ぬ遣 り方 と、 一つは材 料 を 厳 重 に選 択 し
と の連 絡 のあ る事 を意 味 す る の では無 い。 私達 は其 の都度 本 部
のは事 実 であ る が、 之 は 上海 に常置 さ れた る 他 の ﹁グ ルー プ ﹂
旅 行 を し又 ﹁ク ラ ウゼ ン﹂﹁ア ン ナ﹂等 を旅 行 せし め た事 のあ る
に属 す るも の であ って、彼 の書 く 記 事 は 凡 て興 味 中 心 で単 な る
方 が あ る の であ る が 、﹁ウ ォル フガ ング ・ゾ ルゲ ﹂ は 其 の 前 者
で指 示 さ れ て夫 れ に依 って実 行 し た の であ る 、 此 の事 に就 いて
から 連 絡 の場 所 、 日時 、連 絡 の方法 、 連 絡 す べき事 項 等 を 電報
は ﹁ク ラ ウ ゼ ン﹂ の方 か良 く知 って居 る筈 で あ る。
噂 話 の様 な 記 事 が多 か った の であ る 。
日本 海 軍 は ﹁ワ シ ン ト ン﹂条 約 に反 し て制限 さ れた 以 上 の
例之
巨 艦 を建 造 中 で あ る と言 ふ様 な通 信 が そ れ であ って之 は確 実 な資 料 に依 った も ので は無 く 単 な る風 評 に基 い て書 い た の であ る が其 の為 に彼 は 日本 当 局 か ら 注意 を 受 け た事 があ る。 彼 は ﹁ロシ ヤ﹂ 語 を良 く 話 し た が之 は ﹁ハル ビ ン﹂ に度 々行 って居 た から だ と思 ふ。 彼 は 又 独逸 語 で満 洲 事 変 に関 す る本 を 書 いて独 逸 語 で出版 し た が之 は
日本 に や って来 て日本 の各 方 面 に知 り合 ひが あ った様
評 判 が良 く 後 に英 語 に翻 訳 さ れ て英 国 で出版 さ れ た と思 ふ 。彼 は 又屡
三 リ ヒ ア ル ド ・ゾ ル ゲ の 手 記
( 二)
一章
リ ヒ ア ル ド
第
・ゾ
ル ゲ
の 手 記
( 第
一編 )
日 本 お よ び中 国 に お け る 私 の 諜報 グ ル ー プ の 概 要
一、 一九 二 五 年 か ら 一九 二 九 年 ま で の コ ミ ン テ ル ンと諜 報 部
諜 報 部 の長 にな れ る者 は、 諜 報 勤 務 に長 年 の経 験 を も った 党 員 に
る期 間 部 長 の地 位 にあ った 者 は み なそ う であ った 。部 長 の下 に は事
限 ら れ て い た。 クー シネ ンに し ても 、 ま たそ の他 の者 に し ても 、 或
務 局 が あ って、 事 務 総 長 が お り 、 そ こ で各 国 に関 す る 事務 を統 轄 す
る のだ が、 事 務 は ヨー ロ ッパ、 イ ギ リ ス連 邦 、 北 ア メ リカ 、南 ア メ
い った地 域 別 に 大 別 さ れ て い た。 各 地 域 は さ ら に細 分 さ れ て、 ヨー
リ カ、 東 アジ ア (そ の中 に は西 南 太平 洋 の各 国 お よ び党 を含 む ) と
ロ ッパ の場 合 だ と、 ド イ ツ語 の諸 国 お よ び党 ラ テ ン語 系 の諸 国 お よ
び党 (フ ラ ン ス、 イ タ リ ー、ス ペ イ ン)、スカ ンデ ィナヴ ィ ア諸 国 お
よ び党 、 バ ルカ ン諸 国 お よ び党 と い った 工合 に分 類 さ れ て いた 。東
班 に報 告 員 が 一人 しか いな い場 合 は、 一人 でそ の事 務 を見 て いた 。
な お ほ か に 一班 があ って、 右以 外 の地 域 の党 を 一括 取 扱 って いた 。
ア ジ ア の場 合 は 、 中 国、 日本 、 朝 鮮 、 オ ラ ンダ領 東 イ ンド に分 た れ 、
治 上 の具体 的 な指 導 方 針 の基 礎 を つく りあ げ る 三大 部 門 の 一つで、
コミ ンテ ル ン諜 報 部 と いう の は、 国 際 共 産 党 に 対 す る 組織 上、 政
一九 二 五年 の初 め に はも う 既 に 存 在 し て いた。 時 が た つに従 い、 こ
し か し、 多 く の場 合 、 いく つか の小 党 を 国語 別 に 一纒 め に し て 一人
の報 告員 が担 当 す る のが 例 であ った 。重 要 な 国 際 問 題 に つ い ては、
大 き な党 を担 当 す る場 合 は 一人 も しく は それ 以 上 の報 告 員 が いた 。
正 規 の報 告 員 の中 か ら或 る者 が 特 に指 名 さ れ て こ れに 当 り 、直 接 諜
れ を拡 大 し て でき るだ け 大 規 模 な も の とす る必 要 が お こり 、 私 は積
(イ ) 諜報 部 の 任務
報 部 長 な り 事務 総 長 な り から 指 揮 を う け た。 報 告 はす べ て事務 局 に
極 的 に これ を 手伝 う仕 事 に従 事 し た。
党 の特 殊 な問 題 を取 扱 い、 一国 の労 働 運 動 の状 況や 各 国 の政 治 的 、
諜 報 部 の任 務 は、 国 際 共 産 党 に関 し て各 種 の定 期 報 告 を 作 成 し 、
極 秘 およ び 機密 の報 告 に つい て は、特 別 に事 務 局 がそ の処 理 に当 っ
の会 議 でま ず批 判 を行 った上 で、 部長 へ提 出 す る仕 組 にな って いた 。
し た 報 告 の基 礎材 料 は、 党 代 表 か ら コミ ン テ ル ンに送 ってく る資 料 、
た。 騒 擾 事 件 、大 スト ラ イ キ、 また は 中 国 に お け る パ ル チザ ン戦 闘
提 出 さ れた 。重 要 な報 告 は、 報 告 員 や事 務 局 員 な ど から 成 る 小範 囲
各 国 の新 聞 、 雑誌 、 書 籍 、 そ れ に旅 行 者 や党 代 表 か ら随 時 も たら さ
な に か特 別 な 場 合 に は、 ソヴ ィ エト共 産 党 の代表 者 がや ってき て
と い った よ うな 事 柄 は この部 類 に入 る ので あ った。
経 済 的 状 態 に つ いて報 告 し、 ま た時 に よ っては国 際 的 な重 要 性 を も
れる 報 告 な どで あ った。
った 特 殊 の問 題 に つい て特 別 の報 告 を 作 成 す る こと であ った。 こう
(口) 諜 報 部 の組 織
(八) 諜 報 部 員 によ る 直接 の諜 報 活 動
に ふえ て行 った 。
議 や そ の他国 際 的 な 性 質 を 帯 びた会 合 が行 わ れ る と、 そ の数 は さ ら
諜 報 部 報 告員 の数 は増 加 し て約 三 十 名 に も な った。 そ し て、 国 際 会
研 究 す る た め赤 軍 側 から 出 席 す る とと も あ った。 時 がた つに つれ 、
秘 密会 に出席 し た。 ま た時 には 、 パ ルチザ ン運 動 関 係 の軍 事問 題 を
の地位 、政 治 経 済 状 態 を調 べ て、 情 報 を も た らす よう に と の こと で
ギ リ スに 渡 って、 一九 二九 年 にお け る イ ギ リ スの労 働 運 動 、 共産 党
か な か思 う よ う に行 か な か った。 そ の中 に指 令 が き て、 帰 国 前 に イ
何 分 に も 党 の問 題 が多 岐 で、 そ のた め政 治 経 済 方 面 の諜 報 活動 は な
ンやデ ン マー ク でや った と 同 じ よ う な方 法 で仕 事 を し た 。 し か し、
って いた問 題 に当 る ため であ った 。 ノ ルウ ェー でも 、 私 は ス エーデ
をう け て いた が 、 こ の事 は私 の性 分 と も合 致 し、 お蔭 で スカ ンデ ィ
あ った 。 私 は 、党 内 の抗 争 に は決 し て関 係 し て はな ら な いと の指 令
ナヴ ィ ア諸 国 の場 合 よ りも ず っと よ く政 治 経 済 方 面 の諜 報 活 動 に 従
だ ん だ ん時 が経 過 し てく る と、 前 に 集 め た 基礎 的 な資 料 では 不 十
直 接 の情 報 で こ れを 補 足 しな け れ ば な ら な く な った。 コミ ン テ ル ン
モ ス ク ワ に帰 る と、 私 は諜 報 部 に対 し定 例 の報 告 を 出 し た のは 勿
事 す る こと が で き た。
分 とな り 、間 断 なく 各 国 で活 動 し て いる諜 報 部員 か らも た らさ れる
て援 助 す る のが長 い間 の慣 行 であ った 。 そ し て、 そ の仕 事 の範 囲 は
本 部 の組織 部 で は、 各 地 の党 に特 別 派 遣 員 を 送 って組 織 問 題 に つい
広 めら れ て、諜 報 活 動 も そ の中 に含 ま れ る よ う に な った。 こ の方 針
に関 連 し てう まく ゆ か な か った点 を 率 直 に 分析 し て、 そ れを 報 告 し
た。 ま た、 私 は いろ いろ と根 本 的 な 提 案 も 試 み た 。す な わち 、 基 本
論 だ が 、 そ のほ か に 、私 の情 報 蒐 集 旅 行 や 訪問 国 に おけ る私 の調 査
れら 諸 国 に お け る共 産 党 の間 題 、 経 済 上 、政 治 上 の問題 、 重 要 軍 事
的 か つ全 般 的 な 諜報 計 画 は、 各 地 共 産 党 の支 配 権 を めぐ って の内 部
のも と に 、 一九 二 七年 私 は ス カ ンデ ィ ナヴ ィア諸 国 に派 遣 さ れ、 こ
問 題 等 に つ い て諜 報 活 動 をす る こ と にな った 。 私 は まず デ ン マー ク
さ れ た党 問 題 の解 決 のた め に は、 必 要 に 応 じ特 別 使節 を派 遣 す べき
こと、 ただ し、 そ のよ う な 使 節 は、 経 済 、 国 内 行 政 、外 交 政 策 の問
抗 争 から 引 離 し て、 そ の外 に置 く べき こと 、純 粋 に内 国 的 な 、 局 限
題 に つき、 ま た、 必 要 の場 合 広義 の軍 事 問 題 に つき 、 基本 的 な諜 報
で仕事 を 始 め た 。 そ し て、 指 令 に従 って党 の首 脳部 と並 ん で積 極 的
組 織 を 訪 ね て ま わ った。 時 間 の許 す かぎ り 、 デ ン マー ク の政 治 経 済
な 指 導 者 の地位 に就 き 、各 種 の会 合 や会 議 に 出 席 し 、 国 内 の主 な党
問 題 に つ い て諜 報活 動 も行 い、 私 の観 察 や 見 解 に つ いて 党 代表 者 と
いう ふ う に仕 事 を 分 離 す る こと が諜 報 活 動 の秘 密 保 持 上 絶対 に 必要
ので き る者 でな け れば な ら な いこ と、 な どを 提 案 し た 。私 は、 こう
な所 以 を指 摘 し た。 さ ら に 私 は、 外 国 に おけ る 諜 報 に従 事 す る者 は
活動 に 専 心従 事 しな いま でも 、少 く とも そ れ に大 いに 力 を注 ぐ こ と
でも 、 同 じよ う に各 種 の問 題 を研 究 し た。 一九 二 八年 、 私 は第 二 回
従 来 よ りも 一層 は っき り と コミ ンテ ル ン組 織 か ら 全 面的 に引 離 す こ
意 見 も 戦 わし 、 モ ス クワ に対 す る私 の報 告 の中 には 彼 ら の意見 も含
コミ ンテ ル ン世 界会 議 の政 治 委 員 会 に参 加 し、 そ の後再 び スカ ンデ
め た。 そ れか ら 、私 はデ ン マー クを 去 って ス エー デ ンに行 き、 そ こ
ィナヴ ィアに 行 った 。 そ の時 は 主 と し て ノ ル ウ ェー の共 産 党内 に起
と が秘 密 保 持 上 必 要 で あ る旨 の提 案 を 行 った 。 そ の後 、私 の任 務 の
う 方 針 のも と に計 画 さ れた も の であ る が、 協 議 の結 果 、 こ の分 離 方
スカ ンデ ィナヴ ィア諸 国 や イ ギ リ スで諜 報 活 動 を した と き 、私 が
人物 や、 コミ ン テ ル ンと 私 と の関 係 も 完 全 に 一変 し た の であ った 。
は 、 は っき り と根 本 的 な 変 化 が 認 め ら れ た。 同 時 に、 私 の接 触 す る
す な わ ち 中 国 への旅 行 の機 構 と、 私 に 課 せ ら れ た任 務 の範 囲 の上 に
日 本 にお け る私 の 工作 の技 術 面 に関 す る 打 合 せ を行 った。 かく し て、
そ の後 二、 三度 私 は いわ ゆ る 「第 四 本 部 」 を 訪 ね て 、中 国 、 つ い で
二 人 の者 が出 席 し て、 私 の諜 報 活 動 の政 治 的 な 面 に つ いて協 議 し た。
も のであ った。 或 る会 合 に は、 ソヴ ィ エト連 邦 外 務 人 民 委 員 部 か ら
の打 合 せ は、 主 と し て将 来 に お け る私 の活 動 の技 術 的 な面 に 関す る
赤 軍 の諜 報 機 関 であ る 第 四 本 部 の連 中 も含 ま れ て いた 。 こ の連 中 と
上 に或 る 変 化 が現 わ れ た が、 そ れが 果 し て ど の程 度 私 の提 案 に影 響
と った組 織 部 と の連 絡 方 法 は単 純 なも の であ った 、 モ スク ワ へ通 信
コミ ン テ ル ンか ら分 離 さ れ た結 果 、 私 に 課 せ ら れ た任 務 の性 質 に は
ィ エト 共産 党 お よ びそ の中 央 委 員会 の代 表 だけ でな く 、 赤 軍 お よ び
を 送 る場 合 、 各 地 の党 を通 じ た り、 ベ ル リ ン の綜合 連 絡局 を通 じ た
は っき り し た変 化 が認 め ら れ た 。 私 は、 申 国 お よ び日 本 の共産 党 と
針 は従 来 よ り も 一層 明 白 とな った 。会 合 出 席 者 の顔 触 中 に は 、 ソ ヴ
り し た。 ま た 、 た ま に は同 じ経 路 で電 信 を 送 った こ と もあ った。 た
は 一切 の交 渉 を 禁 ぜら れ 、勝 手 に会 う こ とは 勿 論 、彼 らを 援 助 す る
さ れ たも の であ った か は不 明 であ る 。 し か し、 そ の次 の私 の旅 行 、
い て い の場 合 、私 自 身 ベ ルリ ン に出 向 い て報 告 を送 る手 配 を す る の
置 い て、 そ の情報 を集 め る こ と であ った 。 そ し て、 第 三次 的 な 目的
った。 第 二 次 的 な 目 的 と し て は、 国 の経 済、 特 に戦 時 経 済 に 重 点 を
私 の諜 報 活 動 の主 た る 目的 は政 治 情 勢 を評 価 し判 断 す る こ と であ
こ と も許 さ れな か った 。
が 常 であ った 。言 い換 え るな ら 、 私 は 全 然 独自 の通 信 方 法 と いう も のを 持 た な か った の であ る。
二、 一九 二九 年 か ら 一九 四 一年 に いた る 諜 報 活 動 の根 本 的 変 化
し た も の に限 ら れ て いた 。 私 は こ う し た情 報 を 時 折申 国 か ら送 った
特 に 重 要 なも の に限 り、 し か も党 筋 か ら得 たも ので な く、 偶 然 入手
と し ては 、軍 事 情 報 を集 め る こと であ った。 党 問 題 に 関 す る情 報 は
一九 二 九年 夏 の末 、 私 が スカ ンデ ィナ ヴ ィ アお よ び イ ギ リ ス から
が、 日本 に つい ては 全 然 そ のよ う な諜 報 活 動 を 行 わ な か った。
(イ ) コミ ン テ ル ン 本部 と無 関 係 にな る
々 の家 で諜 報 事 務 に従 事 し た。 職務 上 以 外 に は コミ ン テ ル ン の同 志
帰 る と 、私 と コミ ンテ ル ンの関 係 は絶 た れ 、私 は ホ テ ル の自 室 や 方
と も接 触 せず 、 た だ 私 の仕 事 に直 接 関 係 のあ る 二 三 の枢 要 の地位 に
組 織 上 私 が モ スク ワ と ど んな 関 係 に あ る か と いう 点 に つ いて は、
か った
(ロ) 私 と モス ク ワ に お ける 機 関 と の関 係 は 一向 に判 然 と し て い な
ミ ン テ ル ン員 お よ び そ の他 の共 産 主 義 機 関 と協 議 し た 。 も とも と こ
私 は何 ら の説 明 を 与 え ら れ な か った。 従 って、 私 は 一体 どん な 機 関
あ る者 と会 う だけ であ った 。 私 は、 私 の中 国 行 き に関 し て数 名 の コ
の旅 行 は 、私 の諜 報 活 動 を 他 の活 動 か ら 切 離 し て秘 密 裡 に行 う と い
は コミ ン テ ル ン本 部 の系 統 に属 す る の か、 い わゆ る 第 四 本 部 の 一員
つい て尋 ね て みる こ とを し な か った。 そ う いう わ け で 、 今 日 な お私
に属 し て いる の か不 明 であ った 。 ま た、 私 の方 から も 敢 てこ の点 に
(ニ) 諜 報 活 動 に 変 更 が あ った 理 由
手 続 の上 で第 四 本 部 に つな が って いた わ け であ る。
要 す る に、 私 は 報告 の内 容 の 上 で は ソヴ ィ エト共 産 党 に つな が り、
人 民委 員 部 な ど の諸 機 関 でも報 告 を見 る こと が で き た に違 いな い。
一 国際 情 勢 の変 化 に伴 い、 重 心 が コミ ン テ ル ンか ら ソ ヴ ィ エト
り であ る 。
一九 二 九年 以後 私 の諜 報 活 動 の性質 に変 更 があ った 理 由 は 次 の通
な の か、 そ れ と も 他 の機 関 、 た と えば ソヴ ィ エト 連邦 外 務 人 民 委 員 部 、 ま たは ソヴ ィ エト共 産 党 中 央 委 員 会 に属 す る のか判 って いな い 始 末 であ る 。 しか し 、私 に与 え ら れ た任 務 お よ び指令 の性質 か ら判 断 し て、 次 に 述 べ る よ う な は っき り した 結 論 を引 出 す こ と が で きる 。
共産 党 お よ び ソヴ ィ エト連 邦自 体 に移 って行 った こと。
二 私 自 身 の才 能 が、単 に党 の政 治 問 題 処 理 を 目的 と し た諜 報 活
(ハ) 私は ソヴ ィ エト 共 産 党 中 央 委 員 会 に属 し て いた ら し い 私 が いろ い ろ と考 え てみ た 結 果 得 た 結論 は こ う であ った。 私 の提
つ まり 、 私 は、 各 地 の党 や 労 働 運 動 に関 す る情 報 を 求 め る コミ ン
出 し た情 報 が、 ソヴ ィ エト共 産 党 中 央委 員 会 へ行 った のか 、事 務 局
報 機 関 へ行 った の か の点 に つ い ては私 は何 も 知 ら な いが 、党 の最 高
テ ル ン より も 、広 汎 な経 済 、 政 治 、 軍事 上 の諜 報 を求 め る ソヴ ィ エ
る程 度 軍 事諜 報 に も適 し て い た こと 。
部 、 従 って ソヴ ィ エト政 府 の最高 部 で使 用 さ れ た こと は 確 か で あ る、
こう した 考 慮 が あ った上 に、 私 は 一九 二 五年 以 来 ソヴ ィ エト共 産
ト共 産 党 幹 部 の緊 急 の必 要 を満 足 さ せ る のに適 し て い た の であ る。
動 より も 、 経 済 、政 治 の広 い分 野 にお け る 活動 に適 し、 ま た或
と い う の であ った。 以 下 に私 は 私 のや った諜 報 活 動 の性 質 に つ いて
へ行 った の か、 そ れ とも 中 央 委 員 会 に よ って特 に設 置 さ れた或 る諜
述 べ てみ よ う 。
よう に 命 ぜ ら れ た の であ った。 私 は指 令 を うけ る と、 技 術助 手 (無
線 技 師 ) 一人 、 日本 人 協 力 者 一人 、 そ れ に有 能 な 外 人 助 手 一人 を要
党 員 であ うた と こ ろ から 、 上 述 のよ う な 広 汎 な諜 報 活 動 に従 事 す る
求 した 。 そ し て、 ク ラ ウ ゼ ン、 宮 城 、 ヴ ケ リ ッチを あ てが わ れ た。
手 続 面 な い し組 織 面 か ら 言 って、 私 の報 告 は 第 四 本 部 と し て知 ら
(た と えば 、 無 線 連 絡 、 無線 技 師 な ど) お よび そ の他 の援助 は こ の
な お 、 出先 で 必要 に応 じ 他 の者 を 雇 う こ と を認 め ら れ た 。
れ て いる特 殊 機 関 に送 ら れ た 。私 の任務 遂 行 に必 要 な 技 術 上 の援 助
をも った任 務 を 命 じ た こ と も あ った が、 重 点 は つね に党 首 脳 部 に と
日本 に おけ る私 の諜 報 グ ループ の メ ン バー と モ スク ワ当 局 と の関
ープ の立場
三、 モ スク ワ当 局 に対 す る私 の諜 報 グ ル
第 四本 部 から 与 え ら れた 。 時 とす る と第 四本 部 は私 に 軍事 的 な性 質
って 必要 な 政 治 情 報 に 置 か れ て い た。 し た が って、私 の モ スク ワ当 局 と の関 係 は次 のよ う な こ と にな る。 報 告 はす べ て第 四本 部 へ行 っ た。 第 四本 部 から ソヴ ィ エト共 産 党 首 脳 部 へ送 ら れ、 コ ミ ンテ ル ン に と り価 値 のあ る 諜 報 は そ ち ら へ送 ら れ た。 な お 、 ソ連 陸 軍 、 外 務
が ど んな 立 場 に た つか を説 明 す る こと は す こ ぶ る困 難 であ る 。
位 に つ い て はほ と ん ど 明確 に さ れる こ とが な か った の で、 め いめ い
係 は まち まち であ った。 組 織 の上 か ら も 、事 務 の上 から も 彼 ら の地
る。
世 界 の共 産 党 の全 部︱︱ 党 員 の全 部 では な い︱︱ の集 合体 な の であ
と いうも の はな か った。 と いう のは 、 コミ ンテ ル ンは 党 で はな く て、
置 い て いな け れ ば な ら な か った 。 コミ ンテ ル ンに は個 人 の メ ンバ ー
以 上 を要 約 す る と こう いう こ と にな る︱︱
(イ) 私 の 地 位
技 術 面 と若 干 の諜 報 活 動 に つ い ては赤 軍 の第 四本 部 にも属 し て い た。
私 は 一九 二 五年 以来 ソ ヴ ィ エト共 産 党 の党 員 であ ったか ら 私 の地
前 にも 述 べた よ う に、 コミ ン テ ル ンと私 の関 係 は単 に 間接 的 なも の
ト共 産 党 中 央 委 員 会 と の間 に関 係 を も って い た。 な お 、私 の仕 事 の
活 動 を し よ う と、 私 は党 の指 導 と指令 に 従 わ ね ばな ら な か った。 私
私 は、 日 本 に お け る スパ イ団 の長 と し て直 接 、 か つ専 ら ソ ヴ ィ エ
と 党 の間 の関係 は、 私 が 日本 に いて も党 の会 費 はき ち ん き ち ん と納
にす ぎな か った 。
位 はお のず か ら明 か であ った 。 党 員 だ と い う こ と に よ って、 私 は党
め て いた こと で よく 判 る だろ う 。 私 は 日 本 に いても 中 国 に い ても、
ク ラ ウゼ ンは モ スク ワ無 線 学 校 の所 属 員 で、 赤 軍 第 四本 部 に選 ば
(口) ク ラ ウ ゼ ン の地位
の指 令 と 監 督 に服 さな け れば な ら な い立場 にあ った。 ど こ でど ん な
私 の仕事 に つ いて は ソヴ ィ エト共 産 党 と そ の中 央 委 員 会 に 対 し責 任
れ て私 の仕 事 を手 伝 う こ と にな った者 で あ る。 モ スク ワ当 局 と彼 の
を 負 った のであ った。 同 時 に 、 日 本 に お け る スパ イ団 の長 と し て、 技 術 的 観 点 から は赤 軍 、 す な わち 第 四 本 部 に対 し て責 任 を 負 った。
であ る。 彼 が ソヴ ィ エト共 産 党 の党 員 で あ った か どう か に つ いて は
関 係 は、無 線学 校 お よ び第 四 本 部 と の関 係 から 派 生 的 に 生 じ たも の
ド イ ツ共 産 党 の党 員 で、 モス ク ワに 送 ら れ て赤 軍 に従 属す る無 線 学
私 も 確 か な こと は知 ら な い。 私 に 判 って い る こ とは 、彼 が古 く か ら
そ し て、 中 央委 員 会 と私 の間 の通 信 の技 術 面 を取 扱 い、 そ の他私 の
私 が申 国 お よ び 日本 で仕 事 を 始 め る よ う にな ってか ら の私 と コミ
ぶ つか った技 術 上 の問 題 を 解 決 し て く れ た の は第 四 本 部 で あ った。
ン テ ル ン本 部 と の関 係 は全 く 間 接 的 な も の とな った 。 そ の関 係 を 分
テ ル ンに は 個人 の メ ンバ ーと いう も のは な いか ら であ る。 彼 はま た 、
れ た と い った。 彼 は コミ ン テ ル ンの メ ンバ ー で はな か った。 コミ ン
コミ ン テ ル ン本 部 で働 い た こと も な か った。 彼 が コ ミ ンテ ル ンと の
校 に入 った こと だ け であ る。 彼 は第 四本 部 に選 ばれ て中国 に派 遣 さ
九年 ま で ず っと私 が同 本 部 のた め に 尽 し て き た こと 、二 本 部 の首 脳
解 し てみ る と、 次 の 三 つ の要 素 に 帰着 す る の であ った 。一 過 去 に お
者 個 人 と私 の聞 に は友 人 関 係 が あ った こ と、 お よ び 三私 の送 った情
いう こと か ら 生ず る 一種 の思想 的 な繋 がり く ら い のも の であ った 。
間 にも って いる繋 がり と 言 え ば、 か つ て ドイ ツ共産 党 員 であ った と
け る コミ ン テ ル ン本 部 と私 の関 係 、 す な わち 一九 二 五 年 か ら 一九 二
報 の或 る も の は中 央 委 員 会 か ら コミ ンテ ル ン本 部 に 達 し、 本 部 で利
(ハ) ヴ ケ リ ッ チ の地 位
用 し て いた ら し い こと 。 し か し、 一九 二九 年 私 と本 部 と の関 係 が 絶 た れ てか ら は、 私 は コミ ンテ ル ンの 一員 でな い こと を い つも 念 頭 に
す なわ ち 、 ソ ヴ ィ エト共 産 党 、 コミ ン テ ル ン、 赤 軍 第 四本 部 の いず
ヴ ケリ ッ チ と モ ス ク ワ当 局 と の間 に は直 接 の関 係 は全 く な か った 。
本 部 に対 す る尾 崎 の地 位 は 、 ヴ ケ リ ッチ とも 宮 城 とも多 少 異 って
(ホ ) 尾 崎 の 地 位
モ スク ワ に登 録 さ れ、 か つ承 認 さ れ た者 であ る ゜ し か し、 本 部 に 登
った の で はな く 、 私 の個 人 的 な推 薦 に よ って完 全 な メ ンバ ー と し て
録 さ れ、 承 認 さ れ て いる と いう観 点 から す れば 、 彼 の地 位 は実 際 上
いた 。彼 は モ スク ワ の機 関 か ら 派遣 さ れ て私 のも と に働 く よ う にな
よ う に彼 に命 じ た当 事 者 は モ ス クワ で あ った。 と い う の は、 私 の ス
れ と も無 関 係 で あ った。 彼 と モス ク ワと の間 の接 触 はす ベ で間 接 的
パ イ ・グ ループ に参 加 す るよ う に命 ぜ ら れ た と いう こと は 、 と り も
ン、 ソ ヴ ィ エト共 産 党 中 央委 員 会 、 赤 軍 の 一部 局 の いず れ かに よ っ
ヴ ケ リ ッチ や宮 城 の地 位 と 同 一であ った。 要 す る に 彼 は コミ ン テ ル
な も ので あ った。 し か し、 フ ラ ン スを去 って 私 の た め に仕 事 を す る
な お さず グ ループ の要 員 と し て彼 が モ スク ワ か ら認 めら れ た こと を
て登録 さ れ承 認 さ れ た 広 義 の コミ ンテ ル ン所 属員 な の であ った 。
意 味 す る か ら であ る。 尤 も 、 モ スク ワ のど ん な機 関 から そ う 命 ぜ ら れ た の か は私 も 知 ら な い。 な お、 彼 は フ ラ ン ス共 産 党 の党 員 だ った
(ヘ) ベ ルン ハルト に つい て の説明
尤 も 、 そ の機 関 が コミ ンテ ル ン本 部 、 ソヴ ィ エト共 産 党 中 央 委 員 会 、
ス ク ワ の或 る機 関 に協 力 者 と し て登 録 さ れ 、 か つ承 認 さ れ て いる 。
と こ ろか ら コ ミ ン テ ル ン と関係 を も つに至 ったも の であ る 。彼 は モ
大 掴 み に言 って、 ヴ ケ リ ッチ は か つて フ ラ ンス共 産 党 員 であ った
右 に述 べた者 はす べ て私 の ス パイ 団 の団 員 と考 え ら れる 連 中 だ が、
以 上 を 要 約 す る と こ う いう こ と に なる︱︱
け ら れた 者 であ る 。
学 ん だ 。 そ し て、 ク ラ ウ ゼ ンと 同様 に赤 軍 第 四本 部 の指令 で私 に附
ク ラウ ゼ ンと 同 じ よ う に ド イ ツ共 産 党 員 で 、 モ スク ワ の無 線 学校 に
五年 ま で私 と 一緒 に働 いた。 彼 の地 位 は ク ラウ ゼ ンと同 一であ った。
ベ ル ン ハル ト は私 の最 初 の無 線 技 術 員 で、 一九 三 三年 から 一九 三
と思 う。 要 す る に、彼 の地 位 に つ い て は次 のよ う に要 約 す る こと が
赤 軍 第 四 本 部 のど れ であ る か は こ の場 合 大 し た 問題 で は な い。
で き る。
(ニ) 宮 城 の地 位
いず れ も そ の占 め た地 位 の関 係 で、 一つ乃 至 一つ以 上 の モ スク ワ の
ソヴ ィ エト 共産 党 員 と し て直 接 の責 任 を負 い、 モ ス クワ と直 接 に関
宮 城 の地 位 は ヴ ケ リ ッチ の場 合 と同 一であ る 。彼 も ま た共 産 党 員
係 のあ る 立 場 に あ った。 そ し て、 私 だ け が わ れわ れ の活動 に つい て
ら のと は違 って いた。 つま り 、 私 だ け が グ ループ の長 と し て、 ま た
重 要 機 関 に 私 のグ ループ の 一員 とし て登 録 さ れ 、 か つ承 認 さ れ て い
機 関 と 直 接 も し く は間 接 の関 係 を有 し た者 であ った 。 私 の地 位 は彼
る 者 であ る 。 そ し て、 彼 の場 合 も 、 そ の機 関 が コ ミ ンテ ル ン、 ソヴ
全 責 任 を負 わ さ れ て い た。 クラ ウ ゼ ンとベ ル ン ハルト は無 線 学 校 の
(ア メリ カ ) で 、私 の活 動 に参 加 す る よう に モ スク ワ か ら指 令 さ れ
ィ エト共 産 党 本 部 、 赤 軍 第 四 本 部 の ど れ で あ ろ う と、 そ れは 全 く ど
関 係 で赤 軍第 四本 部 と の間 に繋 り を も つも の であ る か ら、 彼 ら は他
た 者 で、 や は り コ ミ ンテ ル ンに属 し、 そ し て同 じ よ う に モ スク ワ の
う で も い い問 題 な ので あ った。
ー と し て認 め な い関係 上、 彼 ら と コミ ンテ ル ン の関 係 は極 め て不 明
を 正確 に捕 捉 す る こと は 困難 であ る 。 コミ ンテ ル ン は個 人 を メ ンバ
以 上 に述 ぺる よ う な 理 由 で 、 ヴ ケ リ ッチ、 宮 城 お よび 尾 崎 の地 位
な お、 補 足 的 に 左 の説 明 を つけ加 え た い︱ ︱
ク ワ当 局 と の関 係 は 一種 特別 な性 質 のも の であ った 。
の者 と切 離 し て考 え て い い連 中 であ る。 グ ループ の他 の連 中 と モ ス
こ の女 性 も 私 のグ ループ の 一員 で はな か った。 し か し、 ち ょう ど
(チ ) ヴ ケ リ ッ チ の前 妻 イ ーデ ィ ス に つ いて
関 心 であ った。
な い こ と であ った 。彼 女 は政 治 的 な 事 柄 に つ いて は完 全 に無 知 、 無
も の でも な く 、 況 ん や 共産 党 員 にな る のを期 待 す るな ど想 像 も つか
であ った 。 彼 女 に、 グ ループ の 一員 にな る こと を期 待 でき る わ け の
よ うな 個 人 的 な 援 助 を彼 女 が ク ラウ ゼ ンに与 え る こ とく ら いの も の
の世 界 的 組 織 体 であ って、他 の 一切 の集 団 組 織 と 同 じ よ う に そ の構
そ れ は当 って いな い。 そ れは 、 沢 山 な数 の党 が集 ま って で き た 一つ
日本 で は尾 崎 の友 人 お よ び補 佐 員 と し て知 ら れ て い た。 私 自 身 と し
水 野 は 、 私 の中 国 グ ループ の支 持 員 と も いう べ き者 であ った が、
(リ) 水 野 に つい て
主 義 に転 向 さ せ る望 みは 全然 な か った。
ア ンナ ・ク ラウ ゼ ン夫 入 が ク ラ ウ ゼ ン に対 し てし た と同 じ よう な 役
瞭 なも の とな ら ざ る を得 な い。 コミ ン テ ル ンは、 世 界 組 織 と し て の
成 分 子 (こ の場 合 は個 々 の共 産 党 ) と の間 に特 殊 な 関 係 を も つも の
て は 一度 だ け或 る料 理 店 で彼 と会 った こと が あ る。 日本 では 彼 は 一
割 を、 は じめ ヴ ケリ ッチ に対 し て務 め た ので あ った。 ヴ ケ リ ッチ と
であ る。
度 も 直 接 に 私 に情 報 を提 供 し た こと は な か った。 しか し 、私 の了 解
機 能 の上 でも 、 ま た実 際 活 動 の 上 でも 、 個 入 を そ の メ ン バ ーと し て
(卜 ) アン ナ ・ク ラ ウ ゼ ン 夫 人 に つ い て
す る と ころ では彼 は尾 崎 を助 け て いた 。
認 め な い。 認 め る のは そ の直 属 の機 関 で働 く 者 だ け で、 そ れ 以外 の
ア ン ナ ・ク ラウ ゼ ンは ク ラ ウ ゼ ン の妻 であ った 。私 は彼 女 の結 婚
(ヌ) 川 合 に つ い て
別 れ て か ら は、 彼 女 は ク ラウ ゼ ンのや る無 線 の仕 事 に自 分 の家 を 提
前 、 つま り 上海 時 代 か ら知 って い た。 彼 女 は 、 妻 と し て ク ラ ウ ゼ ン
川 合 は、 中 国 に おけ る 私 の諜 報 グ ル ープ の補 助員 と し て、 直 接 私
供 し て わ れ わ れを 援 助 し た。 彼 女 はグ ループ に対 し て こう した程 度
を 助 け た 限 り に お いて は、 私 のグ ル ープ と 関係 が あ った わけ だが 、
と 関 係 が あ った。 日本 では 、宮 城 と尾 崎 が 数 回 に わ た って私 と協 議
者 は ど んな 意 味 でも メ ンバ ー で はな か った。 コミ ン テ ル ンは 、世 界
グ ル ープ の 一員 では な か った。 彼 女 が 夫 に与 え た援 助 と言 え ば、 夫
し た 上 、彼 を わ れ われ の組織 に 入 れ て働 か せ る こと に し た。 しか し 、
の限 ら れ た援 助 を 与 え た が、 政 治 に は 興味 が な か った。 彼 女 を共 産
の仕 事 の ため に 家 庭 を提 供 し、 夫 に代 ってグ ループ の た め に重 要 な
う に聞 違 って考 え ら れ が ち で あ る が、 科 学 的 に見 、 正 確 に判 断 し て
用 を 帯 び て上海 へ旅行 を す る、 と い った こと であ った 。 わ れ われ が
結 局 の と こ ろ わ れ われ の仕事 に は ほ と ん ど役 に た た な か った 。 私 自
的 規 模 の組 織 体 であ る と ころ か ら、 往 々に し て世 界 的 規 模 の党 の よ
彼 女 に期 待 でき る こと と し て は、 普 通 一般 に妻 が夫 に対 し て与 え る
或 る困 難 な事 情 に あ った せ い であ ろ う 。
を 通 じ て受取 った 。彼 が満 足 な成 績 を あ げ な か った の は、 個 人 的 に
身 は直 接 彼 から 何 一つ資料 を受 取 った こ とは な く、 み な尾 崎 と 宮 城
ル ンが ど の程 度 入手 し、 か つ利 用 し た か は私 に は判 って いな い。 コ
報 事 項 の上 で直 接 の関 係 はな か った 。私 の送 った情 報 を 、 コ ミ ンテ
属 的 な 関 係 に あ る も のと見 な け れば な ら な い。 コミ ン テ ル ンと は諜
係 があ った わ け で あ る が、 そ れは 右 に述 べた本 質 的 な 性 格 に対 し従
ミ ン テ ル ンと は関 接 の関 係 はあ った が、 そ れ は私 のグ ルー プ の所 属
(ル ) 小 代 に つい て 小 代 も 私 のグ ループ の 一員 では な か った ゜ し か し、 宮 城 の友 人 と し ては 間接 に グ ループ を援 助 し、 わ れ わ れ の役 に た った 。 私 は 、 彼
接 な関 係 を保 つ こと に な った゜
非 常 に い い印 象 を得 た。 宮 城 は 、私 の 承諾 を得 た上 で彼 と 極 め て密
変 り はな い の であ る 。
私 のグ ループ が本 来 中 央 委 員 会 の機 関 であ る と いう 事 実 に は何 ら の
よう に な った の は、 多 分 コミ ン テ ル ンの仲 介 に よ る も ので あ ろ う が、
いう だ け の こ と であ った。 こう し た連 中 が私 のグ ルー プ に 所属 す る
員 のう ち 二、 三 の者 が か つ て いず れ か の国 の共 産 党 々員 であ った と
(オ ) ギ ュン タ ー ・シ ュタ イ ン に つ いて
右 に 掲 げ た概 要 に対 す る 補 足
の人物 を見 た い と思 って、 一度 か 二度 料 理 店 で会 ってみ た 。 そ し て
シ ュタ イ ンは、 私 の グ ル ープ の仕 事 と は極 め て積 極 的 な 関係 を も
の見 解 を述 べ た。 そ し て、 そ の見 解 の裏 付 と な る直 接 の証 拠 は何 も
私 は右 概 要 の中 で、 日 本 に お け る私 のグ ルー プ の性格 に関 す る私
ープ の同 調 者 とも 言 う べき者 で あ った。 私 は、 彼 の日本 滞 在期 間 中
な い こ と は、 す でに 私 が述 べ た通 り であ る 。 し か し、 私 は自 分 が 親
って い た。 彼 の思 想 傾 向 お よ び 個 人的 性 格 か ら見 て、 彼 は 私 の グ ル
グ ループ の 一員 に し ても い いか と モ スク ワに 照 会 し た が許 可 し て来
し く経 験 した と ころ を 基礎 と し て言 って いる の で あ って、 そ れに は
﹁⋮ ⋮と 確 信 す る ﹂ と い った よう な 陳 述 は取 上 げ る わけ にゆ か な い
聞 違 はな いと 確 信 し て い る。 そ れ で も 、 も し 「⋮⋮ と 信 ず る ﹂、
な か った 。
四 、 日本 に おけ る諜 報 グ ルー プ の性 格 の
と いう こと であ れ ば、 わ れ わ れは 私 が す で に述 べ た よう な 事 実 だ け
を 基 礎 と し て考 え る よ り ほ か はな い こと に な る。 そ う な る と 、 は っ
概要 私 の観 る と こ ろ では 、 私 の諜 報 グ ループ は ソヴ ィ エト 共 産 党 中 央
き り 言 え る こ と は唯 以 下 の よう な こと だ け だ と いう こと に な る 。 す
お よ び組 織 上赤 軍 諜 報 機 関︱︱ つま り、 い わゆ る 第 四本 部 ︱︱ に直
な わ ち、 三九 二九 年 十 一月 以降 、私 の諜 報 グ ルー プ と私 と は技 術 上
技 術 面 お よ び組 織 面 で赤 軍 の いわ ゆ る第 四 本 部 と 関 係 を も って い た
属 す る 一部 であ った と いう こ と にな る 。 も し 、最 後 的 な 結 論 は こ の
ー プ の本 質 的 な性 格 であ る。 しか し 、 も う 三つ顕 著 な特 徴 と し ては 、
こ と であ る 。 グ ル ープ は 、第 四本 部 から も 指 令 を う け て或 る限 ら れ
狭 い見 解 を 基 礎 と す べ きも の であ り 、 そ し て議 論 の余 地 のな い事 実
委 員 会 に所 属 す る 三特 別 機 関 と 考 え る べき も の であ る。 これ が グ ル
た 任 務 に従 事 し た の で、 一定 の諜 報 事 項 に つい て は赤 軍 と の問 に関
私 の グ ル ープ は第 四本 部 に所 属 す る 特 別 機 関 であ った と見 な け れ ば
だけ から 引 出 す べき も のだ とす るな ら ば 、 中 国 お よ び 日本 に おけ る
産 主 義 の達 成 を め ざす た ゆ みな き歩 み の中 に あ って、 も ろ も ろ の民
エト連邦 を つく ろ う と いう の であ る 。 この統 一合 同 計 画 は 、 世界 共
ミ ン テ ル ン指 導 層 に よ って こう した 綜 合調 整 が行 わ れな か った ら、
った 単純 な も の でな く し て、 は る か に遠 大 なも の であ る 。 も し 、 コ
ン テ ル ン の世界 政 策 は、 単 に 各 部 門 の相異 な る計 画 の寄 せ集 め と い
族 お よ び 人種 が演 ず べ き役 割 を 指 示 す る も の であ る。 従 って、 コミ
コミ ン テ ル ンと ソ ヴ ィ
な ら な い こと に な る。
第 二章 エト 共 産 党
各 部 門 が つく り だす と こ ろ のも のは、 単 に雑 多 な 、 均 衡 のと れ な い、
画 も な け れ ば、 均 一化 を 計 る決 定的 な要 素 も な く な って し ま う だ ろ
社 会 的 、 人 種 的 寄 木 細 工 に過 ぎ な く な る だ ろ う。 ま た 、 国 際 的 な企 日本 に おけ る私 の諜 報 グ ルー プ は、 ソ ヴ ィ エト共 産 党 に 属 す る 三
こ れ と関 連 し て注 目 し な け れ ばな ら な い こと が あ る 。 そ れ は、 コ
う。
一、 コ ミ ン テ ル ン と ソ ヴ ィ エ ト 共 産 党
い て いる の であ って、 金 銭 や個 人 的 な利 益 の た め に働 い て いる の で
ミ ンテ ル ンの計 画 は 固定 的 なも の でな く し て、 事態 の発 展 過 程 に 応
機 関 であ った。 グ ルー プ 員 は す べて共 産 主義 の目 的 推 進 のた め に働
は な い こ とを 率 直 に 認 め て いた ゜ こ の よ うな 事 情 のも と で は、 ソ ヴ
両 者 の役 割 と い った も のが 、今 回 の事 件 に対 し非 常 に 重要 な意 味 を
かく し て、 コミ ン テ ル ン の性 格 は、 事 態 の大 き な発 展 があ った後 に
こ と のな い共 産 主 義社 会 機 構 自 体 の進 化 に も 比 す べき も の であ る。
じ て変 るも のだ と いう 事 実 で あ る。 そ れ は、 絶 間 な く進 行 し てや む
も つこ とに な る の であ る 。
は変 化 す るも のと 見 な け れ ばな らな い。 た と え ば、 今 日 コミ ン テ ル
ィ エト共 産 党 と コミ ン テ ル ン の関 係 、 世 界 共 産 主 義 運 動 に お け る右
(イ ) ソ ヴ ィ エト 共産 党 と コ ミン テル ン の形 式 上 お よび 理 論 上 の関
世 界 を 単 一の共産 主義 社 会 に統 合 し てし ま う こ と であ る。 つま り 、
ミ ン テ ル ンが企 て て い る こ と は、 世 界 共 産 主義 のた め に活 動 し、 全
ソヴ ィ エト 共 産党 部 門も そ の申 の 三つ であ る 。 世界 的 組 織 と し て コ
であ る 。 そ れ は、 箇 々の党 を代 表 す る 幾 多 の部 門 か ら成 って い て、
コミ ン テ ル ンは党 で は なく て、 各 国 共 産 党 を 網羅 す る世 界 的 組 織
る こと は、 各 国 に おけ る 共 産党 の政 権 獲 得 闘 争 に関 し各 部 門 を積 極
共産 主義 運 動 の今 の段 階 で コミ ン テ ル ンが直 接 の大 眼 目 と し て い
主 義 社 会 建 設 の参 謀本 部 にな るだ ろ う 。
中 の社 会 主 義 国家 の経 済 参 謀 本 部 と い った も の にな り 、 次 い で共産
様 相 を は っき り 示 し てく る に違 いな い。 将来 コミ ンテ ル ンは、 世 界
基 盤 と した 社会 主 義 の確 立 を目 的 とす る 組織 体 に む か って移 行 す る
ンは階 級 闘 争 を 目的 と し て い る組 織 体 だ が 、 そ の う ち に必 ず 国 家 を
生産 手 段 の私 有 、 階 級 的 搾 取 お よ び 圧 迫 、人 種 的 暴 虐 を 排 し て、 一
的 に指 尊 す る こ と であ る 。 形式 的 にも 理 論 的 にも 、 コミ ン テ ル ンは
係
切 の 国家 を 単 一の基 本 計 画 のも と に結 合 し て、 世 界 的 規 模 の ソヴ ィ
脳 髄︱ ︱ つまり 参 謀 本 部 ︱︱ であ って、 世界 共産 主義 の今 の発 展 段 階 に お け る 目的 達 成 を め ざ す 各 部 門 の活動 を指 導 す る の がそ の役 目
る こと を 認 め ら れ て い な い。 一切 の援 助 と支 援 はす べ て コミ ン テ ル
ンが 行 う 。尤 も 、 コミ ンテ ル ンは ソ ヴ ィ エト共 産 党 も 含 め て各共 産
お け る国 際 経 済 情 況 を 基 礎 と し 、 或 る特 定国 で総 罷 業 が成 功 す る か
各 部 門 に採 択 さ せ る の であ る 。 一例 を あ げ るな ら、 資 本 主 義 世界 に
結 果 を基 礎 と し て必要 か つ実 行 可能 な 目 的 を 定 め 、 これ を容 赦 な く
ら、 そ れ らを 使 う こと は許 さ れ な い。 赤 軍 お よ び そ の他 の武 装 隊 は
は な らな い の であ る 。赤 軍 やそ の他 の武 装 隊 は 党 の機 関 で は な い か
の よ う な援 助 は 、 党 が 党 と し て と る こ と の でき る手 段 以外 に 亘 って
し 、 そ の場 合 は党 代 表 の全 員 一致 の承 認 が 必 要 であ る 。 そ し て、 そ
党 に 対 し、 間 接 の援 助 を 与 え る よ う に要 求 す る こと が でき る 。 た だ
ど う か の判 断 を 下 す のは コミ ンテ ル ンの役 目 であ る 。 ま た 、 客観 情
国 家 、 す な わち ソヴ ィ エト連 邦 に属 す るも の であ って、 ソ ヴ ィ エト
で あ る。 実 際 の仕 箏 と し ては 、 世 界 の政 治経 済 情 勢 を 分 析 し、 そ の
勢 が暴 力 革 命 に適 しな い と見 れ ば 反 乱 を思 い 止 ら せ る が、 資 本 主義
った場 合 、 党 は食 糧 や資 金 、 ま たは 顧 問 や補 佐員 と し て特 に訓 練 さ
共 産 党 に属 す る も ので は な い の であ る 。 コミ ン テ ル ンから 求 めが あ
れ、 も し く は特 に そう し た資 格 を 具 え た 党員 を、 援 助 を 必 要 と す る
に深 刻 な危 機 の徴 候 が 見 え る 場合 は盛 ん に反 乱 を 煽 り た てる のも コ
闘 争 を 強 化 し、 一国 の共 産 運 動 に宣 伝 資 料 や 資 金 を は じ め、 必 要 と
部 門 へ送 る よ う な こ とを す る 。 し か し、 各 国 に おけ る党 の政 権獲 得
ミ ンテ ル ン の役 目 であ る 。 コミ ンテ ル ンは、 ま た 、 一国 の政 治 経 済
あ れ ば 政治 、 宣伝 、 組 織 の各 顧 問 も 供 給 し て、 箇 々の党 を 援 助 す る
本 原則 は さ て おき 、 コミ ン テ ル ンは党 を構 成 分 子 と す る 世界 組 織 で
闘 争 に赤 軍 が本 式 に参 加 す る よ う な こと は絶 対 にな い。 共産 主義 革
あ って、 国 家 お よ びそ の軍 隊 を構 成 分 子 とす る世 界 組 織 で は な い の
命 を 仕 遂 げ る こ と が でき る のは 労 働階 級 だけ だ と いう 共産 主 義 の基
る よ う な場 合 は特 に そう であ った 。 も う 一つ、 コミ ンテ ル ン の仕事
で、 直 接 の軍 事 援 助 を 与 え る こと は で き な い の であ る 。理 論 的 に見
った 。 他 の党 です で に十 分 な 経 験 を つん だ熟 練 者 が顧 問 にな ってく
と し て は、 モス ク ワ に中 層 お よ び 下層 の党 幹 部 の た め の特 殊 学 校 や
の であ る。 こ う し た援 助 はき わ め て大 切 であ り、 ま た効 果 的 でも あ
訓 練 所 を設 け て各 部 門 を 援 助 す る よ う な こ とも す る の であ る 。
れ ば 、勿 論 例 外 の場 合 も あ った 。 た と え ば、 白 系 ロ シ ア人 が反 革 命
ト ロ ッキー 派 の要 求 は、 コミ ン テ ル ン の方針 お よ び現 実 にま った く
形 式 上 から 言 う と 、 ソヴ ィ エト 共産 党 は コミ ンテ ル ン の 一部 門 で
反 す るも の であ った。
ィ エト連 邦 を し て諸 外国 に おけ る革 命 に 武 力 干渉 を さ せ よ う とし た
い。 各 党 相 互 の間 に は直 接 の接 触 を認 め ら れ て いな いが 、 そ れ は ソ
を行 って、 外 蒙 が 作 戦 の基 地 に な った こ とが あ った 。 し か し、 ソヴ
ヴ ィ エト共 産 党 の場 合 も 同様 であ る。 各 部 門 が お 互 いに 通信 す る場
要 す る に、 理 論 上 ソヴ ィ エト 共産 党 は コミ ンテ ル ン の指揮 下 にあ
あ って、 こ の点 ほ か の部 門 と異 な る と こ ろは な い。 コミ ン テ ル ンの
合 はす べ て国 際 機 関 、 つま り コミ ンテ ル ン幹 部 機 関 を通 じ て行 わ れ
る も ので、 そ の点 ほ か の ど の共産 党 と何 ら変 る と ころ な く、 ま た コ
意 思 に対 し て は平 身 低頭 す る点 も、 ほ か の共 産 党 と 少 し も変 り が な
る。 ま た ソヴ ィ エト共 産 党 は世 界 中 の ど の党 に対 し て も援 助 を 与 え
ほ か の共 産 党 の援 助 を 与 え る 場 合 は 必 ら ず コミ ンテ ル ンを 通 じ て行
ミ ン テ ル ン の他 の部 門 と の間 には 直 接 も し く は特 別 の関 係 が な く、
でも あ る の で、 そ の も って い る財 源 も かな り な も の であ る。 し
共 産 党 であ り 、 ま た ソヴ ィ エト連 邦 で支 配 的 な勢 力 をも つ政 党
二 ソヴ ィ エト 共 産 党 は、 世 界 中 でも ず ば ぬ け て著 名 か つ大 き な
たが って、 コミ ン テ ル ンに対 す る醵 金 額 も多 額 に 上 り、 ほ か の
う も の で あ る、 と言 う こと が でき よ う。 た だ、 こ こ で特 に注 目 に価 す る の は、 中 国 共 産 党 に対 す る ソ ヴ ィ エト共 産 党 の援 助 が き わ め て
ヴ ィ エト連 邦 と いう強 大 な後 楯 があ る の で、技 術 、 組 織 、 行 政 、
政 治 の各 分 野 に お け る コミ ンテ ル ンのあ ら ゆ る 必要 も ソヴ ィ エ
共 産 党 はと う て い足 許 に も寄 り つく こと が でき な い 。何 し ろ ソ
ト共 産 党 が充 た し てや って いる有 様 であ る 。 そ れ に、 ど ん な武
強 力 な も の だ った こ と であ る 。 す な わ ち、 中 共 に対 し ては 特 別 な軍
ー ラ ンド お よ び バ ル カ ン諸 国 な ど の場 合 は、 そ れぞ れ の国 の党 を援
装 組 織 から も 妨 害 さ れ る 心配 が なく 、 自 由 に ソ連 邦 内 で活 動 で
事顧 問 団 が派 遣 さ れ た の であ った 。 ほ か の国 、 た とえ ば ド イ ツ、 ポ
エト共 産 党 員 が派 遣 さ れた に 止 ま って いる 。
助 す る た め、 一般 党 員 の数 と は 比較 に な ら な いく ら い少 数 の ソヴ ィ
き る こ とも ソヴ ィ エト 共 産党 の大 き な強 味 であ る 。
って、 ソ ヴ ィ エト共 産 党 が コミ ンテ ルン と の関 係 を持 続 す る か
界 中 の ど の共 産 党 よ り も 一番 も って こ い の立 場 に あ る。 し たが
ん で お り、 いろ いろ な 民 族、 人種 の団 体 と接 触 を 保 つに は、 世
三 ソヴ ィ エト共 産 党 は 、 百 五 十 か ら の民 族 お よび 人 種 を抱 え こ
(ロ) ソ ヴ ィ エト 共 産 党 幹 部 と コミ ン テ ル ン本 部 の間 に お け る 実 際 活 動 上 の関 係
と 、 そ の 理論 の実 際 上 の適 用 ぶり と の間 に は著 る し い不 一致 が 見 ら
近 年 、 コミ ンテ ル ンと ソヴ ィ エト 共産 党 の間 の関 係 に関 す る 理 論
れ る よ う に な り、 現 在 で は党 幹 部 の方 が コミ ンテ ルン幹 部 よ り も は る か に 重 き を な し て い る。 党 幹部 、 つまり ソヴ ィ エト共 産 党 中 央 委
ル ン の活 動 に参 加 す るも のと 見 な け れ ばな ら な い。
ぎ り、 そ の多 彩 な 人 種 的 背景 を使 って きわ め て活 発 に コミ ンテ
四 ソヴ ィ エト共 産 党 は 歴史 が古 い の で、 き わめ て有 能 練 達 な指
員 会 は 、 国際 共 産 主義 運 動 な ら び に ソヴ ィ エト連 邦 政 府 で決 定 的 な 要 素 と な って い る。 こう した 権 力 の地位 に のし 上 ってき た のが は っ
ィ エト連 邦 の建 設 に つき 大 いに 功労 のあ った連 申 であ る か ら、
で、 そ の経 験 は ロシ ア革 命前 に遡 り、 しか も 革 命 中 お よ び ソヴ
そ の声 望 は大 し たも ので あ る 。国 際 的 な会 議 や 集 会 の席 上 で彼
導 者 た ち を有 し て いる 。 彼 ら は いず れも 国 際 労 働運 動 の古 強 者
一 コミ ン テ ル ンの所 在 地 が モス ク ワ であ る た め、 党 幹 部 と コミ
ら が行 う発 言 は、 他 の共産 党 の代 表 の主 張 や 声 明 と は較 べも の
き り認 め ら れ る よ う に な った のは 一九 二 八年 、 二九 年 ご ろ の こと だ
ン テ ル ンの間 で は容 易 に密 接 な連 絡 を と る こと が で きる 。 広 く
に な ら な いほ ど の重 味 を も つの であ る。 こう し た会 議 に、 スタ
が 、 そ れ は次 の よ う な事 由 に よる も の であ る 。
え れ ば、 モ スク ワ で右 の よう な 緊密 関 係 が 生 ず る こ と は容 易 に
ー リ ンの よう な 古 く か ら の レー ニ ン主 義 者 でも現 わ れ よ うも の
各 地 に散 在 し て い る他 の各 国 共 産 党 と の連 絡 の困 難 な こと を 考
肯 け る こと で あ る。
初 期 以 来 有 力 な 地位 を占 め、 何 か重 要 問 題 に つ い て議 論 が起 っ
こう した要 素 の た め に、 ソヴ ィ エト共 産 党 は コミ ンテ ル ンの
しま う のを 、 私 自身 目 撃 し て は うき り憶 え て いる 。
なら 、 ただ そ れ だ け で ロシ ア以 外 の党 の代 表 た ち が威 圧 さ れ て
ミ ン テ ル ン内 に お け る ソ ヴ ィ エト共 産 党 の地 位 を評 価 す る に あ
客 観 的 要素 は、 コミ ンテ ル ンを評 価 す る に あ た っても 、 ま た コ
も こ の点 を認 めな い わけ に は ゆ か な い の であ る。 以 上 の 二 つ の
く 独 力 で世界 の強 国 と し て の地位 を築 きあ げ た も ので 、 各国 と
五 ソヴ ィ エト連 邦 に おけ る 社 会 主 義 の確 立 。 ソ ヴ ィ エト共 産 党
た っても 極 め て大 切 な点 で あ る。
さ れ た ので あ った。 況 ん や レ ー ニ ンや スタ ー リ ンか ら意 見 が 出
は 、 共産 主義 社 会 実 現 への 一歩 と し て、 国 内 に現 実 に国 家 社 会
ても 、 ソヴ ィ エト共 産 党 の意 見 が い つも 最 後的 結 論 と し て承 認
た場 合 は勿 論 の こと で あ った 。 こ う した 傾 向 は 過 去十 年 乃 至 十
ィ エト 共産 党 がそ の使 命 を︱ ︱ 特 に経 済 の分 野 で︱︱ 達 成 し て
一のも のであ った。 今 度 の独 ソ戦 で 、 わ れ わ れ はは じ め てソ ヴ
いた こ とを 十 分 に 知 る こと が で き た。 実 際 ドイ ツ の指 導 者 たち
主 義 を 確 立 す る使 命 を負 わさ れ た コミ ンテ ル ンの部 門 と し て唯
め往 々に し て各 国 に お け る党 幹 部 の質 と、 そ のも って いる経 験
でさ え、 ソ連 の経 済 能 力 を過 少 に評 価 し て いた こと を認 めざ る
五年 の間 に ます ま す 強 く な ってき て い る。 そ れは 、各 国 共産 党
が大 き く 変 動 し、低 下 す る こと に な り、 そ の結 果 は、 ソ ヴ ィ エ
の中 心人 物 が 内 部 的抗 争 や迫 害 の た め に痛 め つけ ら れ、 そ の た
ト共 産 党 の首 脳 部 が ま す ま す積 極 的 に コミ ン テ ル ン活動 方針 の
てら れ得 るも のか どう か と いう こ と は、 レ ー ニン 一派 と ト ロツ
を得 な か った よう な わ け で あ る。 一国 だ け で国 家社 会 主義 が 企
キー 一派 の間 の理 論 闘 争 の対 象 とな った 問 題 で あ った が、 こ こ
問 題 に関 与 せざ る を得 な いよ う な情 勢 を つく り 出 し た のであ っ
ソヴ ィ エト共 産 党 が コ ミ ンテ ル ンの中 で支 配 的 な勢 力 をも っ
た。
数年 間 に おけ る現 実 の実験 で 問題 は解 決 した わ け であ る。 ソ連
ば ら し い功 績 であ る ば か り で なく 、 国 際 共 産 主 義 運動 に と って
に お け る国 家 社 会 主 義 の確 立 は、 ひ とり ソヴ ィ エト共 産 党 のす
かわ ら ず 、 ソ連 に お け る社 会 主義 の確 立 が 大 成 功 であ った こ と、
こう し た成 果 を あ げ た 結果 、 国際 労 働 運 動 に対 す る影 響 力 を 増
も絶 大 な重 要 性 を も つも ので あ る。 ソヴ ィ エト 共産 党 幹 部 は、
一に は、 反 動 勢 力 が あ り、 ま た い ろ いろ な 困難 が あ った にも か
つま り 、 ソヴ ィ エト 共産 党 は、 コミ ン テ ル ン の指 令 に よ る社 会
て い る理 由 と し て 、 な お 二 つの こ とを あ げ る こ と が で き る。 第
主 義 国 家 建 設 の大事 業 を首 尾 よく 成 し とげ た こと 、第 二 に は、
や、 世 界 の労 働者 は、 コミ ン テ ル ン の幹 部 より も ソヴ ィ エト共
大 し、 そ のた め コミ ンテ ル ンの影 が 薄 れ る こと に な った。 いま
産 党 の幹 部連 の方 を よ ほ どよ く知 って い るく ら い であ る 。
国 際 的 局 面 の進 展 に対 す る重 点 の置 き 所 が 変 った こと、 つま り 、
国 家 と し て の役 割 を演 ず る ため ソヴ ィ エト連 邦 が採 った よう な
六 国際 的 局面 に おけ る 重 点 の移 行 。 第 二 の客 観 的要 素 は、 国 際
政 治 的 、 国 家 的 、革 命 的 な 労 働 運 動 か ら 、 国際 社 会 で社 会 主 義
政 策 へと、 完 全 に重 点 の移 行 を 見 た こと で あ る。 ソ連 はま った
指 導 力 へと移 行 し た こと であ った。 一九 二八 年 か ら 一九 二九 年
国 家 と し て の役 割 を 演 ず る た め ソ ヴ ィ エト連 邦 が 示 し た よう な
的 局 面 に おけ る 重 点 が 、 コミ ンテ ル ン の指導 力 か ら、 社 会 主 義
のと な って そ の前 面 に進 出 し 、 ソヴ ィ エト共 産 党 首 脳 者 が演 ず
響 も あ って、 ソ連 の指 導 力 は 国際 労 働 運 動 よ り も っと有 力 なも
考 え た のも こ のた め で あ った。 同 時 に、 世 界 の客観 的 情 勢 の影
イ エト連 邦 をも ってそ の自 衛 お よ び生 存 のた め の闘 争 の支 柱 と
動 は専 ら防 禦 態 勢 を と る 立場 に後 退 を 余 儀 な く さ れ、 労 働 者 や
家 主 義 に対 す る 防衛 の問題 を考 え ざる を 得 な く な った 。労 働 運
す ます 反 革 命 勢 力 、 特 に フ ァシズ ム、 国 家社 会 主義 お よ び超 国
力 の程 度 如 何 に か か る の であ った。 そ こで、 こ の経 済 力 が ソ連
の挙 に出 る か ど う か は、 ソ連 が 社 会 主義 国 家 と し て築 いた 経済
果 にな る と 思 うた。 フ ァシ ス トや 国家 社 会 主 義 者 ら が ソ連 攻 撃
こ と は、 必 ず こ う し た諸 勢 力 の反 ソ攻 勢 の脅 威 を 増 大 さ せ る結
フ ァシズ ムや国 家 社 会 主 義 の諸 勢 力 と の闘 争 に お い て前 進 す る
る 役割 は ます ます そ の重 要 さ を 加 え 、 ソ連 の国 際 的 、 軍事 的 、
ご ろ に は、 も う 過 激 な革 命 の波 が衰 え か か ってゆ く のが は っき
被 圧 迫 人 種 がや った 初期 の革 命 攻 勢 な ど はも は や問 題 外 と な っ
お よ び革 命 的 労 働 運 動 に と って現 実 に 差 し迫 った大 問 題 と な り、
り と認 め ら れた 。 急 速 か つ大 規 模 な革 命 は し ば し姿 を ひそ め、
て し ま った。 そ れ ど ころ では な い。 列 強 間 に お け る戦 争勃 発 の
い よ いよ ソヴ ィ エト連 邦 の育 成 こそ は 国 際労 働 運 動 に課 せら れ
政 治 的地 位 の基 盤 と し て確 立 さ れ た ロシ ア の社 会 主 義 のも つ重
危 険 、 も しく は 列 強 が ロ シア に む か って帝 国 主 義的 戦 争 を 集 中
た 重 大 使命 だ と い う ふう に考 え ら れ る よ う に な った 。 実 際 的 な
要 性 は いよ いよ大 きな も のと な った。 労 働 者 たち は 、 ロ シ アが
し てく る か も し れ な い と い った危 険 が 増 大 す る よ う に な った。
る中 国 共 産 党 の大 闘 争 が 演 ぜ ら れ て い た。 国 際 革命 運動 は、 ま
こ う し た理 由 で、 労 働 運 動 と し て は ど う し ても 適 当 な防 禦 態 勢
中 国 で は蒋 介 石 、 南 京政 府 お よ び帝 国 主 義 的 な 世界 権 力 に対 す
を 整 える こ とが 焦 眉 の重 要 問題 と な った。
ぶ空 論 と し てさ げす ま れ、 ソ連 に社 会 主義 機 構 の社 会 を 建 設 し
目 的 のた め に は、 ト ロ ッキ ー主 義 は 忘 れ 去 ら れ て、 知 識 人 の弄
て こそ は じ め て国 際 労 働 運 動 の安 全 は保 障 さ れ る のだ 、 と いう
同 時 に、 ソヴ ィ エト連 邦 が国 家 と し て、 ま た 世界 勢 力 と し て、 国 際 問 題 に関 し て演 じ た事 柄 は重 要 性 を 加 え る よ う に な り、 そ
な いと いう考 え が起 ってき た 。他 国 のプ ロ レタ リ ア革 命 に赤 軍
ロシ アを 目 ざ し て行 わ れ るあ ら ゆ る 攻 撃 は こ れ を防 が ね ば な ら
の事 は 、 ソヴ ィ エト連 邦 お よ び コミ ン テ ル ンが 、 そ の外 交 政 策
が参 加 す る かも し れな いと い った考 え は、 た だ 国際 労 働運 動 の
考 え 方 が ま す ます 一般 的 な 通 念 と な ってき た。 そ れ と同時 に 、
の礎 石 と し て フ ァ シズ ムと 国家 社 会 主 義 に対 す る反 対 を決 定 し、
実 体 を知 らな い者 の妄想 に す ぎ なく な った。 国 際 労 働 運動 自 体
の政 治 力 お よ び 経済 力 が伸 び る に つ れ、 世 界 の列強 も国 際 政 治
フ ラ ンスお よ び スペ イ ンに む か って こ の決定 を実 行 し よう と し
と し ても 、 ソヴ ィ エト 共産 党 の最 高 の使 命 は 赤 軍 を国 外 に派 遣
の中 に こ の社 会 主 義 国家 の存 在 を認 め ざ るを 得 な く な った。 こ
た とき に 明 か と な った。 革 命 的 労 働 運動 が、 一も 二も な く ソヴ
連 邦 を護 る こ と の でき る よ う な社 会 主 義 経 済 を 大 至 急 に築 き あ
に対 抗 し て、 国 際 労 働 者 の最 も 実質 的 な資 産 であ る ソヴ ィ エト
す る こ と で はな く し て、 す で に そ の兆 の見 え る 帝 国 主 義的 侵 略
私 は 、 こう だ と断 言 で き る わけ では な いが、 私 の印 象 で は、 ど う も
そ れ に関 連 した 政府 の 仕事 に従 う こ とを 大 いに希 望 し たも の であ る。
の経 営 に かか る 仕 事 に 従事 す る より も 、 コミ ンテ ルン関 係 の仕 事 や
にな った 労 働 者 も多 勢 い た。 従来 こう し た連 中 は、 ソヴ ィ エト連 邦
のす ば ら し い成 功 に 眩 惑 さ れ 、 そ の結 果 コミ ン テ ル ンと そ の活 動 の
が 行 わ れ て いる よ う で あ る。 す な わ ち 、彼 ら は ソ ヴ ィ エト社 会 主 義
一部 少 数 の共 産 主 義者 の間 に は 一つ の新 し い、 誤 った政 治 上 の見 解
げ る こ と であ った。
かく し て、 コミ ン テ ル ンを遙 か に凌 ぐ 勢 力 と な った ソ ヴ ィ エト共
(ハ) 以 上 の要 約
産 党 は、 い ま で は共 産 主 義 労 働運 動 の事 実 上 の指 導 者 と し て の機 能
価 値 を過 少 に評 価 し 、 そ れ を如 何 にも 時 代 お く れ のも の で でも あ る
建 設 が現 実 に大 進 展 を 遂 げ た こ と の重 大 性 を 示 す も の であ り 、 ま た
を果 す よ う に な り、 こ の事 は ソ連 お よ び コミ ンテ ルン の指 導者 間 の
間 接 に国 際 労 働 運 動 の上 で ソヴ ィ エト共 産 党幹 部 が極 め て重 要 な 立
つい て こう し た誤 った 政治 的 見 解 が行 わ れ て いる こと は、 実 は ソ連
度 だ った が、 時 の経 過 に つれ だ ん だ ん頻 繁 に ソ連 指 導者 の助言 を求
場 に あ る こ とを 物 語 る も の で あ る。
か の よう に 考 え て いる ら し い の であ る。 しか し 、 共産 主 義 の見 方 に
め る よ う にな り 、 今 日 では そ う し た協 議 は ほと ん ど日 常 事務 の よ う
い ま ソヴ ィ エト共 産 党 は非 常 に大 きな 役 割 を 演 じ て いる が、 それ
極 め て 独 立的 で、 偶 に 箇 々 の問 題 に つ い て党 と協 議 す るく ら い の程
に考 え ら れ て い る。 コミ ン テ ル ン幹 部 は、 か つ てジ ノヴ ィ エフが そ
は勿 論 永 久的 なも の でも な け れ ば 不変 なも の でも な い。 と い う の は、
仕 事 の 上 の関 係 にも は っき り 現 わ れ てい る。 も と は コミ ン テ ル ンは
の首 脳 者 であ った時 の よう に 、 ソヴ ィ エト共 産 党 を 真 向 か ら無 視 し
一時 的 な現 象 と見 な け れ ば なら な い。 と 言 って も、 現 在 の情 況 か ら
て 、国 際労 働 運 動 の進 路 を 決 定 す る よ う な真 似 はも はや 今 日 では と
見 て今 後 十 年 の間 に そ の優 位 に ひ びが 入 るよ う な こ と はあ る ま い。
或 る 一つ、 も しく はそ れ 以 上 の共 産 党 が 権 力 を 掌 握 し て社 会 主 義 建
や ス ロー ガ ンと そ の軌 を 一にす る よ う に な った。 現 に、 フ ァシズ ム、
とも か く も、 ソヴ ィ エト共 産 党 と ソヴ ィ エト社 会 主 義 建 設 の進 展 と
う て い で きな い。 コミ ン テ ル ンが ソヴ ィ エト共 産 党 の優 位 を 認 め た
帝 国 主義 戦 争 お よ び スペ イ ン、 ド イ ツ、 イタ リ ー に おけ る国 内 反 動
は、 私 のグ ループ の活 動 に至 大 の影 響 を 与 え た 。 わ れ わ れ の活 動 を
から であ る。 し た が って、 いま の ソヴ ィ エト共 産 党 の支 配 的 優 位 は
に 対 す る ス ロー ガ ンが そう であ った 。私 は 、 こ の よ う に コミ ン テ ル
評 価 す る に あ た っても 、 結 局 右 に述 べた 指 導力 の移 行 の点 を 切 離 し
設 の事 業 に着 手す れ ば、 局 面 の重 点 は 又 も や移 行 す る かも し れ な い
ンま た は これ と 類 似 の組 織 か ら ソ ヴ ィ エト政 府 の機 関 に 移 さ れ、 ま
こと に よ って、 両 者 の指 導 陣 は単 一のも の と な り、 こ れ を 反 映 し
た は ソヴ ィ エト 経済 関 係 の仕 事 に回 さ れた 者 を多 勢 知 って い る。 な
て は考 える こと が で き な いの であ る。
て 、革 命 運 動 で の対 外 政 策 や ス ロー ガ ンは ます ます ソ連 の対 外 政 策
お 、 外 国 か ら の亡命 者 で最 近 ソ ヴ ィ エト経 済 の建 設 に従 事 す る よう
当 局 ﹂ と いう 言葉 を使 った 。私 は考 え る と こ ろが あ って、 あ の言 葉
が コミ ンテ ル ン内 の機 関 を さ す のか、 そ れと も モ スクワ に存 在 す る
或 る重 要 機 関 を さ す のか の点 に つい て説 明 し な か った 。私 が前 の各
二、 私 の態度 お よ び 活動 の変 化 革 命 労 働運 動 の重 点 が コミ ン テ ル ンの指 導 力 か ら ソヴ ィ エト 共産
節 で述 べ た よう な 、私 の活 動 分 野 の変 化 だ と か、 共 産 主 義指 導 力 の
る こと はあ の場合 で き る事 では な か った 。吉 河検 事 の詳 細 な取 調 が
移 行 と い った よう な やや こし い事 を、 通 訳 を通 じ て警 察官 に説 明 す
ィ エト共 産 党 へ移 さ れ た こ とな どは、 た だそ の現 れ の片 鱗 に す ぎ な
行 わ れ た とき 、 私 は モス ク ワに おけ る私 の直属 上層 部 が変 った こ と
の上 に も は っき り と認 め ら れた 。 私 が、 コミ ン テ ル ン組 織 か ら ソ ヴ
い。 し か し、 こう した変 動 が あ った か ら と い って、 わ れわ れ (つま
に つ いて、 そ の込 み 入 った 詳 細 を、 や っと のこ と でど う に か説 明 す
党 の指導 力 へと移 行 し た こ とは 上 述 の通 りだ が 、 こ の事 は 私 の活 動
り 、 私 と私 の グ ル ープ員 ) は共 産 主義 の ため の革命 的 活 動 を や め て
ン組 織 が私 の言 う ﹁モス ク ワ当 局 ﹂ であ り 、 一九 二九年 以後 は私 に
る こと が で き た。 そ し て、 私 は こ こ で 一九 二九 年 以 前 は コミ ンテ ル
対 す る命 令 系 統 は 一般 世 界 情勢 の変 化 に 即応 し て根 本的 な変 化 を 見
し ま った わけ では な い。 ただ 、 わ れ わ れ はわ れ わ れ の共 産 主義 活 動
重 要 な領 域 、 す な わ ち ソ ヴ ィ エト連 邦 の繁 栄 増 進 を目 ざし て の活 動
こ のよ うな 複 雑 し た事 情 の 一切を 説 明 し よ う と した ら、 取 調 は長 び
た こと を説 明 し た わけ であ る 。も し私 が警 察 官 に よる初 期 の取 調 で、
の分 野 を、 コミ ン テ ル ン下 に お け る党 活 動 の領域 から 、 他 の等 しく
へと移 動 さ せた ま で の話 であ った 。 ソヴ ィ エト連 邦 の繁 栄 と いう中
き 、混 乱 を 来 た し た こ とは 必定 であ る 。
に は 、 ソ連 の経 済 的、 政 治 的 建設 、 ソ連 外 交政 策 上 の要 請 、外 部 か ら す る政 治 的 、 軍事 的 侵 略 に 対 す る防 衛 、 と い った諸 問 題 が含 ま れ
の有 力 者 た ち と会 って いた こ と に つ いて は、 次 のよ う に説 明 す る こ
ア ト ニッキー 、 マヌ イ ル スキ ー、 ク ー シネ ンと い った コミ ン テ ル ン
と が で きる 。 この連 中 は 私 の古 く か ら の同 僚 であ り 、 ま た旧 友 で も
私 が、 コミ ンテ ル ンか ら モ スク ワ の他 の機 関 に転 じ た のち も 、 ピ
る新 し い任 務 に 就 いた の であ った 。 こう した活 動 は、 共 産 主義 理 想
あ った。 共 産 主義 運 動 に つ いて は、 彼 ら は私 の先 生 であ って、私 の
て いた。 も っと 端的 に言 う な ら 、私 の活 動 方 針 の変 化 に 伴 い、 私 は
の表 現 手 段 とし て重要 か つ共 通 的 なも の であ って、 そ の点 は個 々 の
人物 を保 証 し 、 ま た私 が ソ ヴ ィ エト 共産 党 中 央 委 員 会 の仕 事 に従 事
ソ連 外交 政 策 の推 進 と外 部 か ら の攻撃 に対 す る ソ連 の防 衛 を強 化 す
で あ る。
共 産 党 のた め に す る コミ ン テ ル ンの活 動 と何 等 変 ると ころ が な い の
す る際 私 を 保 証 し てく れ た 人 々であ って、 私 が 入 党 す る とき に は保
て い る と ころ から 、 私 が コミ ンテ ル ンを去 った のち も い ろ いろ な 問
証人 にな ってく れ た。 革命 運 動 に つ いて広 い、 国 際 的 な経 験 を も っ 取 調 の は じめ に あ たり 、 私 に権 限 を 附 与 し指 令 を 発 し た機 関 は何
題 に つ いて助 言 を 与 え てく れ た (因 み に、 私 が コミ ンテ ル ンを去 っ
三 、 ﹁モ ス ク ワ 当 局 ﹂ と いう 言 葉 の説 明
か と訊 か れ て、 私 はわ ざ と 概括 的 な 、 そ し て漠 然 と し た ﹁モ スクワ
た の ち会 った のは彼 ら だけ であ る ) 。 な お 、彼 ら は コミ ン テ ル ン の 有 力者 であ った ば か り でな く 、 ソヴ ィ エト共 産 党 中 央 委 員 会 の メ ン バ ー でも あ った 。中 国 およ び 日 本 に おけ る 私 の広 範 囲 に わ た る スパ イ活 動 は 一種 の全 く 新 し い企 て であ った が、 こ の三 人 の旧 友 は特 別
第 三 章 私 の活 動 分 野 と し て の極 東
って、 私 にた いす る指 令 や要 求 は常 に そ こか ら発 せら れ た。 した が
だ け であ る 。赤 軍第 四 本 部 は私 に対 し命令 権 をも つ唯 一の機 関 であ
私 が知 って いる かき り では、 こ の種 の試 み で最 初 に 成功 し た のは私
成 功 し た のは 、私 が最 初 であ り 、 ま た唯 一の人 間 だ った か ら であ る 。
ては特 に そう であ った。 と いう の は、 こう し た広 汎 な 使命 の達 成 に
東 へ行 ってみ る か、 に つ いて私 の意 向 を尋 ね ら れ た 。 そ し て、 私 は
働 いて私 の経 験 を同 方 面 で生 かす か、 それ とも も し事 情 が許 せば極
ー ロ ッパ へ戻 って、 私 の経 験 を必 要 と し てい る新 し い連 中 のた め に
活 動 へ転 じ た こ と と併 行 し て、 ほ かに も 変化 が お こ った。 私 は 、 ヨ
在 のソヴ ィ エト 共産 党 お よび赤 軍 第 四 本 部 の た めに す る 広汎 な 諜報
私 の仕 事 の性質 の変 化 、 つま り コミ ンテ ル ン のた め の活 動 か ら現
○ 極東 へゆ く こと にな った経 緯
って、 私 が コミ ンテ ル ンの所属 員 や そ の他 の者 と会 っても 、 それ は
いに喜 ん だ 。
自分 の活 動 舞 台 と し て極 東 を択 んだ 。 モ スク ワ当 局 は私 の決 定 を大
の興 味 を も ってこ れを 見 て いた 。 そ し て、 日本 で の私 の活 動 に つ い
全 く非 公 式 な も ので、 私 が 彼 ら か ら受 け た のは友 人 と し て の助 言 で
たか?
それ は、 一口 に 言 って以 下 のよ うな 考 慮 に出 るも の であ っ
私 はな ぜ右 の よ うな 選 択 を行 い、 そ し て そ の選 択 は な ぜ承 認 さ れ
あ って、 指 示 な いし命 令 で は な か った 。 四、 以 上 の要約
って興 味 のあ る活 動 舞 台 は ヨー ロ ッパと アメ リ カ の 一部 に限 ら れ て
た。 一九 二 〇年 代 前 ま で は、 革 命 的労 働 運 動 お よ び ソ連 の政 策 に と
いた。 極 東 へは大 し た注 意 は向 け られ て いな か った 。 中国 革 命 の勃
は、 共 産 主 義運 動 に おけ る 重点 の移 行 を物 語 るも の であ る。 わ れ わ れ は、 わ れ わ れ の仕 事 を通 じ て、 直 接 ソヴ ィ エト 連邦 将 来 の繁栄 に
こ の新 し い地域 に向 け る よ う に はな った が、 そ れ でも 経験 を つん だ
発 と とも に、 コミ ンテ ル ンお よ び ソヴ ィ エト連 邦 は 次第 に そ の眼 を
前 に 述 べた よ う に、 日 本 に おけ る 私 と私 のグ ループ 所 属 員 の活 動
貢 献 し (果 し て ど の程 度 に 貢献 し た かは、 い ま こ こに判 定 を 下 す 必
を も って いた 。中 国 革 命 、 そ し て そ の後 に お こ った 日本 の満 洲 に対
有 能 の士 は 、多 か れ少 か れす べ て ヨ ー ロ ッパ お よび ア メリ カ に興味
要 はな い)、 ま た間 接 に は 世界 革 命 のた め に貢 献 し た 。少 く と も、 わ れ われ は そ う信 じ て いる。 こ の意 味 に お い て、 わ れ わ れは ソヴ ィ
じ て いた 政 治的 観 測 者 は 、 ほ ん の少 しし か いな か った 。 況 し て、 極
す る動 き が 、大 き な影 響 力 を も つ世 界 的 な重 要 事 件 であ る こ とを感
エト連 邦 のた め だけ でな く、 共 産 主 義 世界 革 命 のた め にも 働 いた わ け であ る。
東 の事 態 に全 面 的 に 打 ち こ ん でゆ こう と いう決 心 の つく 者 は極 め て 僅 か し か いな か った。 私 が こ の仕 事 を 引 受 け よ う と決 心 した の は、 一つに は私 の気質 にも 合 う よ う に思 え た か ら であ り 、 一つに は東 洋 の新 し い、 そ し てひ ど く複 雑 な 事 情 に 心 を惹 か れ た か ら でも あ った。 私 が少 数 の 一団 の者 と考 え た こと は以 下 のよ う な こと であ った︱ ︱
の新 し い分 野 で行 わ れ る に違 いな いこ と、 外 部 と の摩 擦 お よ び攻 撃
革 命 的 労 働 運 動 お よ び ソ連 外 交 政策 の上 の大 変 化 が き っと今 に 極 東
の可 能 性 に 関 連 し て、 ソヴ ィ エト連 邦 が直 面 す る自 己 の安 全 保持 の
第 四 章 私 の 諜 報 グ ル ー プ と 一九 三 〇 年
一月 か ら 一九 三 二 年 十 二 月 ま で
の間 に お け る 中 国 で の 活 動
のは アグ ネ ス ・スメド レー だ け で、 彼 女 に つい ては 私 は ヨー ロ ッパ
(イ ) 中国 グ ル ー プ の 組織
に いた と きか ら 聞 いて知 って いた。 私 は、 上海 にお け る私 の グ ル ー
問題 は、 極 東 の演 ず る新 し い役割 に合 せ て検 討 し、 変 更 しな け れ ば
根 本 的 な 変化 をも たら す か も し れな い こと。 こ の考 え の正 し か った
プ の設 置 、 そし て特 に中 国 人協 力 者 の選 定 に つい て彼 女 の助力 を 求
い っし ょに中 国 にや って き た。 中国 在 住 の者 で私 が当 て にし て い た
こと は 、過 去 数 箇 月 の間 の出 来 事 では っき り証 明 さ れた 。当 時 そ れ
め た。 私 は、 ス メド レ ー の知 り合 い の中 国 人 に で き るだ け多 勢 会 っ
私 は、 赤 軍 第 四 本部 から 転 出 を命 ぜら れ た 二人 の外 国人 協 力 者 と
は私 の抱 い て いた 一般的 な 考 え︱︱ 言 わ ば臆 測︱︱ にす ぎ な か った
なら な い こと 、 そ し て最 後 に 、極 東 の事 態 は 必然 的 に ヨー ロ ッパ の
が、 私 は 自分 の活 動 場 面 を東 アジ ア に移 す に足 る だけ のり っぱ な理
ょに働 こう と いう こ の連 中 と 親密 にな ろう と思 って大 いに努 め た。
てみ た。 そ し て、 左翼 運 動 のた め に進 ん で外 国 人 に協 力 し 、 い っし
強 国 お よ び アメ リ カ に甚 大 な反 響 を 巻 き お こし、 現 在 の勢 力 均 衡 に
由 のあ る考 え だ と 思 った。 かく し て 、私 は 一時 に 二 つ の変 更 を 断 行
私 は非 常 に有 能 な 男 を 一人 見 つけ て、 私 の通 訳 と し て採 用 す る こ と
し た。 一つは 、 コミ ンテ ル ンの活 動 か ら ソヴ ィ エト 連邦 の ため に す る 活動 へ変 った こと で、 こ れ は私 個 人 に と って非 常 に重 要 な こ と で
でき る よ うに な った。 二、 三 箇 月交 際 した のち 、私 の目 的 のあ ら ま
しを語 り、 い っし ょに 仕事 を す る よ う に求 め た 。 そ し て、 彼 の親 戚
に し た 。私 は彼 とだ ん だ ん懇 意 に な って、 腹 蔵 な く話 をす る こ と が
や 知 人 の中 に適 当 な者 があ れば 、 そ れを 紹介 し てく れ る よ う に頼 ん
あ った (と同 時 に、 それ は共 産 主 義 運動 に お け る重 点 の移 行 を 示 す
の舞 台 を 大 きく 変 更 し た こと であ った。 私 は使 命 を 与 え ら れ て、 一
だ 。私 は こ の中 国 人 を 王 (ワ ン) と呼 ぶ こ とに し、 な お彼 の妻 も 二
も の であ った ) 。 も う 一つは、 ヨー ロ ッパ か ら極 東 へと、 私 の 活 動
九 二 九年 の 一月 であ った か 二月 であ った か に中 国 に行 き、 そ こ で新
番 目 の成 員 と し て私 のグ ループ に加 え た。 私 が二 、 三箇 月 広 東 に滞
し い、 しか も広 汎な ス パイ 活動 に着 手 し た のであ った 。
在 す る こと に し たと き、 王 は同 地 に いる そ の知 人 の名前 を 教 え て く
よ び日 本 入 に伝 わ った こと は確 か であ る 。 こ の よう に し て私 は尾崎
よ う に再 三頼 ん だ よう に 思 う。 スメド レー は、 私 の依頼 に つ い て知
に会 った のであ るが 、 紹介 し た のは ス メド レ ーだ った と思 う 。 そ の
人 の中 国 人 に相 談 し、 そ の結 果 私 の希 望 は上 海 の然 る べき 中 国 人 お
た私 も 次 第 に親 しく な って、 首 尾 よ く 彼 女 を協 力 者 に 入 れ る こと が
も言 った よ う に、 こう し た事 はも う か な り前 の事 な ので私 の記 憶 も
後 私 は ス メド レ ー と い っし ょに彼 女 の家 で度 々尾崎 に会 った。 前 に
れた 。 そ し て、 私 は そ の中 から 、 広東 生 れ の者 で私 の仕 事 に 非常 に
でき た 。重 い結 核 を 病 ん で い た彼 女 の夫も 、 のち に わ れ わ れ のグ ル
よく 向 く 一人 の女 性 を見 つけ た。 彼 女 は ス メド レー と仲 が よく 、 ま
ー プ に加 わ った 。 こ の広 東 女 性 を通 じ て知 る よう に な った男 で、私 が 姜 (チ ャン) と呼 ぶ者 も 広 東 に お け る私 の協 力者 とな った。広 東
った と思 う 。私 が 最 初 に 尾崎 と料 理店 で会 った のか、 そ れ とも スメ
そう 正 確 では な いが 、 尾 崎 と の第 一回 の会 見 は確 か に 上述 の通 り だ
様 の手 段 を用 いた。 私 はま ず スメ ド レ ー の友 人中 から 人 を物 色 し、
私 は 、 私 の諜 報 グ ルー プ に外 国 人 協 力者 を獲 得 す る に つい ても 同
と直 接 の関係 をも つこ とは わ ざ と避 け た ので あ った 。
は 一人 も いな か った。 私 は 、本 部 から の指 令 に従 って、 中 国 共産 党
か ら資 料 や情 報 を齎 し、 われ わ れ は そ れら に つい て検 討 し た 。 そ し
ただ 例外 的 にほ か のメ ンバ ーと も 仕事 を した 。 王 は い ろ いろ な 方面
し てみ よ う と思 う 。私 は、 上 海 では主 に 王と い っし ょに仕 事 を し、
私 は、 私 と直 接交 渉 のあ った 極 く少 数 の中国 人だ け に つ いて論 述
(口) 情 報 蒐 集 のため に私 の使 った 中国 人
本 人 と知 り合 い にな り た い と いう 私 の希 望 を 充 たす こ とが でき た。
ド レー の家 で会 った のか は今 記 憶 し て い な い。 し か し、 いず れ に せ
女性 は私 と彼 の間 の連 絡 に 当 った 。 上海 に帰 る と、 私 は王 と 広東 女
ス メド レー に紹 介 を 頼 ん で こ れ に接 近 し、 本 人 と直 接 交渉 す る こ と
て、 も っと 正確 な 説明 や報 告 を 必要 とす る よ う な場 合 は、 王 と 二人
性 チ ュイ の知 人 の中 か ら適 当 な 者 を選 ん で、 私 の協 力 者 の大 増員 を
の でき る 時期 が来 る のを 待 って いた 。 こ のよ うに し て外 国人 協 力 者
で その情 報 や資料 を供 給 した 者 に直 接 会 って話 を し て みた 。情 報 の
よ、 鬼頭 が私 に尾 崎 と会 う よう に求 め た と いう 事実 は、 どう し ても
を獲 得 した が、 そ の数 は 三 人 に 止 め た。 こ の三人 はグ ループ の ほん
蒐集 に つい て命 令 し た り依 頼 し た りす る場 合 はす べ て王 を通 じ、 例
行 った。 中 国 に お け る私 のグ ループ の中 国 人 成員 は、 こ のよ う に し
と う の成 員 で は なく 、 補 助 者 ま た は支 援 者 で あ った。 私 が 上海 で最
外 の場 合 の ほか は 箇 々の諜 報 者 に直 接 会 って私 の命 令 を 説明 す るよ
いだす こ とが で き な い。 尾 崎 と会 見 した こと に よ って私 は適 当 な日
初 に こし ら え た友 人 は 尾 崎 であ った 。 そし て、 彼 を 通 じ て他 の 日本
う な こ と は しな か った。 しか し 、 王 が同 席 し て い る場 合 は 上海 以 外
思 いだ せ な い。 だ いだ い私 が 鬼 頭 と親 密 にし て いた と いう事 実 を思
人 とも 関 係 を つけ た。 いま は っきり した こと は言 え な いが 、私 は ど
か ら来 た諜 報者 にも 会 った 。時 が た つに つれ、 各 諜 報者 は問 題 によ
て集 め ら れた の であ った 。 こ の連 中 はす べ て人 民 革 命 運動 のシ ンパ
う も ス メド レー の紹 介 では じ め て尾 崎 に会 った よう に思 う。 そ の前
で、 そ の中 に は中 国 共 産 党 と の間 に接 触 のあ った者 も いた が 、党 員
に、 私 は 確 か に スメド レー に対 し、 適 当 な 日本 人 を 紹 介 し てく れる
せ ず、 あ ら ゆ る問 題 を取 扱 わ せ た 。 わ れ わ れ は た い て い夜 お そ く会
に し た。 北 京 、 漢 口、 広 東 な ど の諜 報 者 の場 合 は そう した 分 担 を さ
で会 った゜ 中 国 人 は 日本 人 を敵 視 し て い た の で、中 国 人 の料 理 店 に
の通 り に移 し て、 た い て い南 京 路 の カ フ ェーか 大 き な ホ テ ルの食 堂
日本 人 が働 く よ う にな ってか ら は、 会 見 の場 所 を 共 同租 界 の目 抜 き
と も 二週 間 の間 隔 を お いて会 う よ う に心 がけ た 。 尾崎 の代 り に他 の
って そ れぞ れ特 別 な 興 味 と技 能 を も って いる こ とが 判 った の で、 上
う こ と に し、 天 候 が 許 す か ぎ り雑 踏 し て いる街 頭 を 用 いた 。 わ れ わ
ゆく の はな るだ け 避 け る よ う に し た。 一旦き め た会 見 の日取 は厳 格
った。 ま た、 あ ま り 頻繁 に は会 わな いよ う に し た いと思 って、 少 く
れ は ま た個 人 の家 、 た と え ば 王 の家 や、 私 が 出 入 り のし や す い外 国
に守 って、 電 話 や 郵 便 を使 わ な い です む よう に し た。 急 に大 事 な 用
会 う の は た い て い夜 だ った の で、 送 り迎 え には た いて い自 動 車 を 使
人 の家 でも 会 った 。 一箇 所 で屡 〓会 う と 目 に つき や す いの で 、随 時
海 で の仕事 は大 体 各 人 の得 意 と す る と ころ に従 って分 担 さ せる こと
場 所 を変 え る よ う に して いた。 そ し て、 私 の家 を 会 合 の場所 に使 う
外 国 人 の補 佐 員 を 同 伴 し な か った。 私 は パウ ルを 日本 人 に紹 介 した
そ れ でも 方 針 は 厳 守 し た。 日本 人 と会 う と き は私 一人 だけ で会 い、
が 、 そ れは 私 が 上海 を去 る に つ い て いろ いろ と連 絡 上 の手 配 を す る
件 が起 って どう し た ら い いか途 方 にく れ た こと も何 度 かあ ったが 、
な ら な い こ と が多 か った 。 し か し、 当 時 の上 海 では そ う いう こ とを
必 要 が あ った か ら で あ る。 わ れ わ れは 会 って も書 い たも の のや り と
こ と は でき る だ け 避 け る よ う に し た。 こ う した や り 方 で仕事 を す る
し ても 大 し て危 険 を 伴 う わ け でも なく 、 従 って それ は 不 可能 な事 で
と、 何 か或 る仕 事 を 始 め る前 に まず 王 と会 って打 合 せを し な け れ ば
は な か った。
私 は 、 日本 人 メ ンバ ー と会 う と きは 料 理 店 、 カ フ ェー ま た は ス メ
家 を 使 った こと も度 々あ った。 会 見 は き わ め て頻 繁 に行 われ 、 打 合
外 国 人 メ ンバ ー と会 う と き は、 た い て いそ の家 に行 ったが 、 私 の
(二) 外 国 人 メ ン バ ー と の 会見
であ った 。
り を せず 、 た だ 口頭 で連 絡 した 。 川合 の報 告 書 は例 外 に属 す る も の
ド レー の家 を 用 いた 。第 一次 上 海 事 変 の ころ 日本 人 が 上海 の街 を あ
せは 普 通 電 話 に よ った。 後 には メ ンバ ー の知 人 の家 を使 った こと も
法
(ハ) 日本 人 メ ン バ ー に よる 情 報 蒐 菓 の方 法 お よ び 彼ら と の 連絡 方
ち こち 歩 く のは 危 険 だ った の で、 私 は 日本 人 区 域 と の境 界 に あ る ガ
あ った 。 時 に は料 理 店 で夜 食 を と った り 、 バ ー やダ ンス ・ホー ルで
迎 し 、 日本 人区 域 へはめ った に ゆ か な か った。 集 め た資 料 や作 成 し
ーヂ ン ・ブ リ ッジ で待 ち合 せ た 上、 自 動 車 に 乗 せた り 、 私自 身 が護
た 文 書 は わ れ わ れ の家 に隠 し てお いた 。私 は、 モス ク ワ へ報 告 し た
会 った り し た こ と もあ った。 誰 でも フ ラ ン ス租 界 で会 う のを 一番歓
ど行 かな か った。 尤 も例 外 的 に 一度 か 二度 虹 口 の カ フ ユー で尾 崎 に
は、 日 本警 察 に探 知 さ れ る のを 避 け る た め 、 日本 人 区 域 へは ほ とん
会 った こと は あ った。 しか し、 何 と い って も スメ ド レ ー の家 で会 う
後 は資 料 は 破 棄す る な り返 却 す る な り し た が、 そ れ でも わ れ わ れ の
衛 し た り し て会 見 の場 所 へ つれ て い って、 彼 ら の安全 を計 った。 私
のが 一番気 楽 だ った の で、 尾 崎 や 川 合 も度 々そ こ へつ れ て い った。
わ れ わ れ の よう な仕 事 に従 事 す る 者 に と って比 較 的 安 全 であ った 。
手 許 には い つも 大 量 の書 類 が あ った 。 日本 と違 って、 当 時 の上海 は
せず 判断 を 下す こ とも でき る よ う に な った。
中 国通 と な って、 いろ いろ な問 題 に つ いて報 告 も 出 せは、 時 機 を 失
自 分 の見 聞 を広 め、 ま た 中国 に関 す る書 籍 も 読 ん だ 結 果 は、 一応 の
一 外
国
人
(へ) 私 の中国 グ ル ープ に属 して い た 老
わ れ わ れ は、 非 常 に重 要 な 書 類 は 友 人 に頼 ん で大 切 に保 存 し ても ら った が、 そ れ が ど んな 種 類 の書 類 で あ る か は知 ら さな か った 。 た だ
私 は皆 に知 ら れ る よう にな り 、 ま た ず いぶ ん頼 ま れ事 も した 。交 際
ま な情 報 を手 に入 れた 。 社 交界 の中 心 は ド イ ッ総 領 事 館 であ った 。
な か った が、 私 は す ぐ さ ま ド イ ツ人 の社 交 界 に 入り こ ん で、 さ ま ざ
り だ し て で き る だけ 多 く の事 実 や 資料 を集 め た。 上海 には 大 使館 は
私 は、 成 員 のも たら す 情 報 では満 足 で きな か った の で、自 か ら乗
遣 さ れ た の であ るが 、 仕事 は お 互 に独 立 し てや って いた 。彼 は
に 帰 ら ね ば な らな く な った 。私 は 、彼 の政 治 的 協 力 者 と し て派
の警 察 か ら行 動 を 監 視 さ れ る よ う に な り、 家 族 同 伴 ヨー ロ ッパ
こ と で あ った。 しか し、 上 海 に き て約 半 年 も す ると 、 共 同租 界
立場 か ら赤 軍 第 四 本 部 と の連絡 に当 り、 また 軍 事 問 題 を取 扱 う
し ょに中 国 にや ってき た 。彼 の任 務 は、 技 術 上 お よ び組 織 上 の
﹁ア レ ッ ク ス﹂ ア レ ック スは赤 軍 第 四本 部 の指 令 で私 と い っ
の相 手 は ド イ ツ人 の商 人 、 軍事 教 官 、学 者 に 亘 って い たが 、 中 で も
役 と 考 え ら れ る べ き者 であ った 。彼 が 上海 を 去 った のち は、 私
私 の年 長 者 であ り 、 モ ス ク ワと直 接 に通 信 し て いた の で私 の 上
(ホ ) 私自 身 が 行 った 情 報 蒐 集
機 密 書 類 だ と い う こ とだ け を 告 げ て保 存 を依 頼 した の であ った 。
私 に と って最 も 大 切 だ った のは南 京政 府 に派 遣 さ れ て いた ド イ ツ軍
が技 術 上 お よ び組 織 上 の任 務 、軍 事 問 題 、 グ ル ープ に 対 す る 全
事 顧 問団 で あ った。 私 は、 団 員 中 か ら、 南 京 で軍 事 問 題 のみ な ら ず 政 治 問 題 でも活 躍 し て い る者 を 択 ん で交 際 し た 。先 任 軍 事 顧 問 で後
面 的 な 指揮 に当 った。
﹁ゼ ー バ ー・ ワイ ン ガ ル テ ン ﹂ ワ イ ンガ ル テ ンは私 のグ ルー
に 総 領事 に な った フ ォ ン ・グ リ ー バ ー大 佐 は そ の 一人 であ った。 軍
って いた。 モス ク ワ無 線 学 校卒 業 生 で、 本 部 の指 令 で私 と い っ
プ の無 線操 作 を担 当 し、 私 が モ ス クワ に帰 った のち も 上 海 に 残
事 顧 問 た ち は屡 ー私 を南 京 に招 き 、 ま た私 を訪 ね て 上海 へも や って き た 。私 は 、 ま た彼 ら と い っし ょに 嘉 興 や 杭州 へも行 った。 私 は 彼
女 を私 の グ ループ の直 接 の メ ンバ ー と し て使 ったが 、 彼 女 の働
聞 フラ ンク フ ル タ ー・ ツ ァイ ト ング の通 信 員 であ った 。 私 は彷
﹁ア グ ネ ス ・ス メド レ ー﹂ 彼 女 は ア メ リ カ人 で、 ド イ ツ の新
し ょに働 く こと に な った者 であ る。
ら か ら、 南 京 政 府 の内 部 事 情 、 軍 閥 征討 の計 画、 経 済 お よ び政 治 政 策 に つ い て いろ いろ の情 報 を 得 、 ま た 一九 三 二年 の 上海 事 変 の際 は 、
も ら った 。 私 は欧 亜航 空 公 司 の ド イ ツ人 飛 行 士 た ち と も懇 意 にな っ
き ぶ り は全 く 申 分 な か った 。彼 女 は私 が モ スク ワ へ去 った のち
日 本 軍 の作 戦計 画 や兵 力 の実 数 な ど に つ い て的 確 な情 報 を提 供 し て
へ旅 行 し て中国 の各 方 面 の事 情 を 研 究 し た 。 こ の よ う に し て絶 え ず
て、 中 国 奥 地 の状 況 を知 る こ と が でき た 。 ま た 、何 度 か自 らも 奥 地
も 上 海 に留 ま って い た。 ﹁ジ ョー ン ﹂ 彼 は、 一九 三 一年 赤 軍 第 四 本 部 の指令 で 上海 へ 派 遣 さ れ て私 のも と で働 い た。 時 折 私 の代 理 と し て連 絡 任 務 に 当 った こと も あ った が、 暗 号 と写 真 が そ の主 な仕 事 であ った。 彼 は ポ ー ラ ンド 入 で、 か つ てポ ー ラ ンド 共 産党 員 であ った。
ープ に移 さ れ た が 、私 は彼 の有 能 な こと を知 って い た の で、 一
九 三 五年 モ ス クワ で 彼 を 日本 へや るよ う に提 議 し た。
三 私 の 中国 グ ル ー プ に属 す る 中 國 人 メ ン バ ー
﹁王﹂ 王 に つ いて は既 に述 べた 。 本 名 は何 と い う の か私 は 知
らな い。 だ が 、 と に かく 私 のグ ルー プ の 主要 メ ンバ ー であ った 。
後 に私 は 彼 女 を南 京 へや って単 独 で働 か せ た が、 南 京 政 府 外 交
﹁王夫 人﹂ 彼 女 は 上海 で わ れ わ れ の ため に 実 によ く活 躍 し た。
であ る 。 軍事 専 門 家 で、 私 の上 海 滞 在 中 は 主 と し て軍 事 問 題 を
﹁パ ウ ル ﹂ 彼 は赤 軍 第 四本 部 から 私 の後 任者 に指 名 さ れ た者
取 扱 って いた 。私 が去 った のち は グ ルー プ の長 と な った。
﹁チ ュイ 夫 人 ﹂ 彼 女 は広 東 で私 のグ ルー プ に 入 った。 後 には
部 に就 職 し て、 同 地 か ら経 済 上 の事 項 や 軍事 資 料 をも た ら した 。
そ の夫 も 上 海 で私 のた め に働 い て、 華南 の問題 を取 扱 い、 ま た
﹁ミ ッシ ャ﹂ も しく は ﹁ミ ッシ ン ﹂彼 は白 系 ロシ ア人 で、 私 の先任 者 ( 後 に述 べ る ク ラ ウ ゼ ン の上 役 ) に無 線 技 術 員 と し て
広 東 と上 海 の間 の連 絡 に当 った 。
は シ ンと の関 係 に は 及 ばな か った 。 シ ンを つ れ て来 た のは 王 で
き た 。 後 に私 は漢 口 に有 能 な 連 絡 者 を見 つけ たが 、 彼 と の関 係
﹁シ ン ﹂ 彼 は つね に南 京 に い て、 同地 か ら政 治 情 報 を 送 って
南 京 へや って、南 京 上海 間 の連 絡 に当 ら せ た。
﹁リー ﹂ 彼 は パ イ と王 の紹 介 で仲 間 に 入 った。 後 に私 は彼 を
絡 事 務 に当 った。
﹁パ イ ﹂ 彼 は王 の知 人 であ った 。 王 を援 け て上 海 にお け る連
の軍 事 、 経済 上 の情 報 を 送 ってよ こし た 。
﹁姜 ﹂ 彼 は広 東 人 で、 い つも 広 東 に いた。 彼 は規 則 的 に華 南
雇 わ れた 者 であ る 。彼 は広 東 と上 海 で私 のも と で働 いた。
﹁ハン ブ ル グ ﹂ と呼 ば れ る ド イ ツ婦 人 。 こ の婦 人 は そ の家 を
二 外 国 人支 援 者
わ れ わ れ に使 わ せ、 ま た連 絡 の仕 事 を し た り 、書 類 の保 管 を し たりした。 若 い アメ リ カ 人新 聞 記 者 の ﹁ジ ェー コブ ﹂彼 は主 に外 国 人 筋
ア メ リ カ領 事 館 の若 い事 務 員 。彼 は経 済 お よ び政 治 情 報 を も
か ら 政 治 情 報 を 集 め てき た。
﹁ク ラウ ゼ ン﹂ ク ラウ ゼ ンは私 よ りも 先 に 上海 に行 って いて 、
た ら し た が、 いま そ の名 を 思 い出 せな い゜
﹁ジ ム﹂ と呼 ば れる 上 役 のた め に無 線 の仕 事 に従 事 し て いた 。
は多 勢 の知 人 が あ って、 そ の知 人 たち も 進 ん でわ れ わ れ に情 報
以 上 の者 は勿 論 いず れ も 第 一線 の メ ンバ ー であ るが 、 彼 ら に
あ った 。
無 線 技 師 とし て の彼 に会 った 。彼 は相 当 期 間 広 東 で私 のも と で
を提 供 し た。 し か し、 彼 ら の名前 は も はや 思 い出 せな い。
彼 は モス ク ワ の赤 軍 第 四 本 部 に属 し て い た。 私 は初 め て上 海 で
働 い た が、 第 一線 の メ ンバ ー では な か った。 そ の後 満 州 のグ ル
よ り は む し ろ学 者 と い った印 象 を得 た。 日 本 では料 理店 で 一度
海 で ス メド レー の紹 介 で会 った のが 最 初 であ った。 わ れ わ れ の
て私 に紹 介 した 者 であ る が、 一回 か 二 回 会 った き り で私 と の関
﹁山 上 ﹂ 山 上 は 、 尾崎 が 上海 を出 発 す る と き彼 の後 任 者 と し
会 った。
間 に結 ば れ た 関係 は、 事 務 的 にも 私 的 に も 全 く申 分 の な いも の
係 は絶 え た。 し か し、 ど う し て そん な に早 く 別 れ た のか、 今 は
﹁尾 崎 ﹂ 尾 崎 は私 の最 も 大 事 な 仕 事 仲 間 で あ った。 彼 と は 上
四 私 のグ ル ー プ の 日本 人 メ ン バ ー
で あ った。 彼 のも た らす 情 報 は き わめ て的確 で 、 日本 筋 か ら得
思 い出 せな い。 山 上 は私 を船 越 に紹 介 した 。
を去 った が、 そ れ は私 の活 動 に と っては 大変 な損 失 であ った。
彼 と 連 絡 を と る措 置 を講 じ た の であ った 。彼 は 一九 三 二年 上 海
はな か った 。 ま た 尾崎 ほ ど に は情 報 を も って来 な か った。
と彼 の関 係 は、 初 め か ら尾 崎 と の関 係 のよ う に積 極 的 なも の で
ウ ル に紹 介 し た が、 彼 は そ の後 パウ ルと い っし ょに働 い た。 私
を 去 る と き ま で つづ い た。 去 る に臨 ん で私 は彼 を私 の後 任 者 パ
﹁船 越 ﹂ 船越 と は頻 繁 に会 った。 彼 と 私 の関係 は、 私 が 中 国
た も の の中 で 一番 よ か った の で、 私 は す ぐ さ ま彼 と親 し い友 人
彼 と中 国 共 産 党 の聞 には 明 か に密 接 な関 係 があ ったが 、 当 時 私
鬼 頭 に つい て の説 明
関 係 を 結 ん だ 。 だ か ら こ そ、 私 は 日 本 に 到着 す る や否 や、 ま ず
は そ れ に つい て ほ と ん ど知 ると ころ が な か った︱︱ いや 、事 実
﹁川 合 ﹂ 川 合 を 私 のと ころ に つれ て き て わ れ わ れ に紹 介 した
こ こ に断 言 す る 。 スメ ド レー や尾 崎 か ら 彼 に つ いて何 度 か話 を
く 、 ま た私 と い っし ょに仕 事 を し た も ので も な い こ と を、 私 は
鬼 頭 は 私 のグ ループ の メ ンバ ー でも な
何 も 知 ら な か った の であ る。
の は 尾崎 であ った。 当 時 川 合 は 実 に活 動 的 で、 ま た大 いに 働 き
は聞 接 の連 絡 が あ って、 誰 か信 用 でき る 日 本 人 を手 に 入 れ た い
記 憶 が な い。私 の推 測 で は、 ス メド レー と鬼 頭 の間 に直 接 ま た
た が って い た。 私 の ため に 二回 ほ ど満 州 に行 って情 報 を 集 め た
た だ、 外 国 語 が話 せな か った ので 、尾 崎 が去 った のち は 私 と の
と いう 私 の希 望 を 、 スメ ド レ ー から 鬼 頭 に 伝 え た の で はな い か
った 。 ほ か の連 中 の こ と は記 憶 し て いて も、 彼 に つい ては 全 く
接 触 に大 い に困 難 を感 じ た。 私 は 、 上海 で川 合 が私 を 彼 の知 人
と思 う 。 も し鬼 頭 が私 の グ ル ープ の メ ンバ ー だ った ら、 私 が尾
聞 いた こと はあ る が、 彼 と私 の聞 に は 全 然個 人的 な接 触 はな か
川村 の と こ ろ へつ れ て行 った こと を憶 え て い る が、 そ の時 以 外
が 、華 北 の情 況 に つ い ては 常 に連 絡 を も って い た よう であ る 。
に は私 は川 村 に は会 ってお ら ず 、 彼 と の聞 に は個 人 的 な関 係 は
はず であ る 。取 調 のは じ め にも 述 べた よ う に 、私 は スメ ド レ ー
崎 に会 う の に何 も スメ ド レー に紹 介 し ても ら う 必要 は な か った
の紹 介 で尾 崎 に会 った の であ って、 彼 女 以 外 の者 の紹 介 に よ る
て いな い。 ﹁水野 ﹂ 私 を水 野 に紹 介 した のは尾 崎 であ る。 し か し、 私 が
も の で はな か った と信 じ て い る。 それ ば か り で なく 、 も し鬼 頭
全然 生 じな か った 。 私 は 川 合 に も スメ ド レー にも 北 京 では 会 っ
彼 に会 った の は数 回 にす ぎ な い。 私 は彼 か ら政 治 スパ イ と いう
た多 勢 の者 を 欲 し い とは 思 って いな か った から であ る。 そ れに 、
を た だ 一人 欲 し いと思 って いた の であ って、 五人 、 六 人 と い っ
た だ ろ う。 と いう のは、 私 は有 能 で信 用 ので き る日 本 人協 力 者
が 私 の仕事 仲 間 だ った ら、 私 は 尾崎 に会 お う な ど と考 え な か っ
の命 令 お よ び私 自 身 の経 験 の結 果 に背 かね ば な ら な い理 由 はな か っ
当 局 へも そ の こと を進 言 した ので あ った 。 私 は諜 報 活動 に専 心 従 事
国 の党 と 切離 す べき も の だ と いう のが私 の考 え であ って、 モ スク ワ
ナヴ ィア諸 国 や イギ リ スで の私 の経験 か ら言 って も、 諜 報 活動 は各
と し ても 中国 共 産 党 の機 能 に参 加 す る権 限 はな か った。 スカ ンデ ィ
た。私 が 日本 で仕事 をす る よ う に な ってか ら は、 こ の点 は中 国 に い
す るた め コミ ンテ ル ンを去 った 者 で ある 。 何 も殊 更 上 海 で モ スク ワ
たと き 以 上 にや か ま しく す る こ と に した 。 の みな ら ず、 私 は日 本 共
と こ ろ であ った。 尾 崎 が中 国 共 産 党 と密 接 な関 係 に あ る こ とが 、 も し私 に判 って いた ら 、私 は彼 とあ ん な に緊 密 な間 柄 にな る の
産 党 に関 係 し ては な らな いと いう 指 令 を モ スク ワか ら受 取 って いた。
鬼 頭 のよ う な有 名 な人 間 を相 手 にす る こと は モ ス クワ の禁 ず る
こと だ ろ う。
を 躊 躇 し た に違 いな い。 そ し て、多 分 尾 崎 を 使 う考 えを 捨 てた
(ト ) 中 国 共産 党 と の関 係
中国 で の私 の任務 は 二種類 に分 つ こと が で きる 。 第 一は、 モ スク
ワ出 発 に際 し て与 えら れ た任 務 であ り 、第 二 は、 極東 に おけ る情 勢
(チ ) 中国 て の私 の任 務
さ れ て いた し、 ま た そ う し た接 触 を 必要 とす る よ う な任 務 も負 わさ
の変 化 に伴 って起 った 新 し い任 務 で、 こ の方 は私自 ら取 上 げ て研 究
私 は、 中 国 共 産 党 と は直 接 に 接 触 しな いよ う に モス ク ワか ら厳 命
れ て いな か った 。私 は中 共 に関 す る情 報 を 蒐集 し て モ ス クワ に送 っ
したも の であ る 。
の中 国 人 や ス メド レーが こ の種 の情 報 を 入 手 し た こと も あ った。 私
三 中 国 に おけ る各 派 閥 の社 会的 、 政 治 的 分析 、 な ら び に そ の軍
二 南 京政 府 の軍 事 力 の研究 。
一 次 第 に強 化 さ れ つ つあ った南 京 政 府 の社会 的 、 政 治 的 分析 。
モ スクワ で与 え ら れた任 務 は次 の通 り であ った 。
た ことも あ るが 、 そ の種 の情報 は ただ 時 折 入 手 し たも のに す ぎず 、
が コミ ン テ ル ンと無 関 係 と な り、 専 ら ソヴ ィ エト共産 党 と赤 軍 第 四
ま た 入手 手 段 も直 接 公 然 たる も の であ った 。時 に は、 グ ループ 関 係
本 部 のた め に働 く よう に な って から は、 ほ か の共 産 党 と関 係 す る こ
事力。
四 南 京 政 府 の内政 お よ び社 会政 策 の研 究 。
とを 禁 ぜ ら れ て いた ので あ って、 私 は こ の こ とを ここ に更 め て確 言 す るも ので あ る。 私 のよ う な場 合 、 特 に ほ か の共 産党 と接 触 し てな
五 各 国 、 特 に 日本 お よ び ソ連 に対 す る南 京 政 府 の外交 政 策 の研
政 策 の研究 。
六 南 京 政 府 お よ び各 派 閥 に対 す る ア メリ カ、 イギ リ ス、 日本 の
究。
ら な い こと は、 モス クワ の絶 え ず 強 調 し て いた 点 であ る。 中 国 共産 党 に関 す る情 報 の蒐 集 に は コミ ンテ ル ン の特 別 のグ ループ が 当 り 、 ま た 一と頃 は中 共 軍 に つ いても 或 るグ ループ が 報 告 に当 って いた 。 私 は こう し た問 題 に つ い ては報 告 の権限 が なく 、 ま た私 のグ ルー プ
七 中 国 に おけ る 列国 軍 事 力 の研究 。 八 治 外 法 権 お よ び租 界 問 題 の研 究 。
一 モ スク ワ から 命 ぜら れ た 任務
われ わ れ が諜 報 活動 に よ
って確 か め た い と思 うた事 は いろ いろあ るが 、 そ の中 には、
a、 南 京政 府 の社 会 的 、政 治 的 分 析
た政 府 の社 会 的 基 盤 に起 り つ つあ った変 化 は ほ ん と う に どう
入 民 のど ん な階 級 が 積極 的 に南 京政 府 を 支 持 し て いる か 、 ま
九 中 国 農 工業 の発 達 と労 働 者 お よ び農 民 の状 況 に関 す る研 究 。 以 上 が モス クワ か ら与 え ら れ た私 の任 務 であ った。
いう 性質 のも のか 、 と いう 問 題 が あ った。 当時 、中 国 の大衆
次 に、 私 は モ スク ワ当 局 の暗黙 の了 解 のも と に、 自 ら以 下 の問 題 を取 上げ て、極 東 にお け る事 態 の推 移 に も意 を 配 った 。
︱︱ 労働 者 と農 民︱︱ は南 京 政府 に対 し黙 々と し て従 う か、
に私 は日 本 問題 全体 に つ いて興 味 を も つよう に な った。 中 国 に
報 を集 め た。 一九 三〇 年 の後期 と 一九 三 二年 の 六、 七 月 ご ろ
し た り、 或 いは そ の他 の方 法 で自 ら調 べた り し て、 適 切 な情
ループ の メ ンバー と話 合 った り 、 あ らゆ る 方面 の人 々に 接触
モ スク ワ に報 告 し なけ れ ば な ら な か った 。私 は、 主 に私 の グ
た そ の態 度 はど う いう ふう に変 化 し つ つあ った かを 研 究 し て
の重 要 な各 階 級 が南 京 政 府 に対 し て どう いう態 度 を 執 り、 ま
構 が 拡大 す るに つれ て官 吏 にな った者 も あ った。 私 は 、 人民
って いた。 知 識 層 の態 度 はま ち ま ちだ ったが、 政 府 の官庁 機
片 密 輸業 者 、 大 実業 家連 は次 第 に政 府 に好 感 を持 つよ う に な
こ れに対 し、 上 海 の銀 行 家 、 浙 江財 閥 、 大 地 主、 暴 力 団 、 阿
それ と も反 抗 的 に 出 る か の、 いず れ か の態 度 を執 って いた。
一 ド イ ツ の新 し い経 済 活 動 の観 察 (特 に、 ます ます増 強 さ れ つ つあ った ドイ ツ軍 事 顧 問 団 に関 連 し て)。 二 中 国 にお け る ア メリ カ の発展 状 況 の観察 (特 に上海 に おけ る ア メ リ カ の新 し い投 資 に関 連 し て ) 。 三 満 洲 に対 す る 日本 の新 政 策 と そ の対 ソ影 響 。 四 上海 事 変 で日本 の意 図 し て い る目 的 と 日本 軍 の配備 に関 す る 精 密 な観 察 。 五 南 京 政 府 と 日本 の間 の関 係 の悪 化 に 関 す る観 察 。
い る間 に 問題 の根 底 ま で究 める こと は で きな か ったが 、 それ で
と に そ れぞ れ 一回 ず つ大 部 の報 告 を、 ま た数 回 に わた って補
中 国 に対 す る 日本 の新 し い政 策 は強 く私 の注 意 を惹 き 、 つ い
た った 。 モ スク ワ本 部 は私 の択 ん だ 研究 項 目 を 容 れ、 これ に つ
も 私 が中 国 で研 究 した こと は、 後 に日本 で活 動 す る と き の役 に
南 京 政府 の軍 事 力 を 調 べ る には 、政 府
足 的 な 小報 告 を 、 モ スク ワ へ送 った。
司令 官 の異 動 、要 塞 や部 隊 の兵 器 の変 更 、軍 隊 訓 練 方法 の変
た 改編 に つ い てあ ら ゆる 情 報 を集 めね ば な ら な か った 。 ま た、
が 維持 し て いる いろ いろ な 師団 や、 ド イ ツ人軍 事 顧 問 が行 っ
b、南 京 政 府 の軍事 力
い て満 足 の意 を表 した 。 (リ ) 中国 で の私 の 任務 に つい て の説 明
一つは モ ス クワ か ら命 ぜら れ た任 務 であ り、 も う 一つは私 が 自 ら択
私 は こ こ で私 の二種 類 の諜 報 活 動 に つ いて説 明 し てみ よ う と思 う。
ん だ研 究 課 題 であ る。
化 な ど に つい ても 常 に 注意 し て いな け れ ば なら な か った。 わ
報 告す る こと も あ ま りな か った。 仲 間 の中 国 人 が 資 料 を集 め
私 は絶 えず 南 京政 府 の外交 政 策 に つ
た が、 私 が ど ん な報 告 を し た か詳 し い こと は思 い出 せ な い。
った のは 、 ソ連 、 日 本 、 イ ギ リ スお よ び アメ リ カ に対 す る南
いて情 報 を集 め る よう に命 ぜ ら れ て いた 。私 が最 も 関 心 をも
e、 南 京 政 府 の外 交 政 策
れ わ れ は漸 を 追 って、 最 新 の兵 器 で装備 さ れた いわ ゆ る蒋 介
軍隊 な ど に つ い て完 全 な情 報 をま と めあ げ た。 そし て、 主 要
石 軍 、南 京 政 府 側 に つい て い る軍 隊 、向 背 が怪 し ま れ て い る
部 隊 に つい て近 代 兵 器 の状 況 、 改 編 の状 況 な ど の関係 を 概 括
と は明 か で、実 際 的 な 見 地 か ら見 て、 こ の政 策 は目 的 を達 し
て い た。 英米 依 存 政 策 を と れ ば、 ソ連 に対 し、 ま た 後 で は 日
京 政 府 の態度 で あ った。 政府 が英 米 依 存政 策 を と って いた こ
可能 に近 か った 。私 は主 に私 のグ ループ の申 国 人 メ ンバ ーか
の考 え であ った。 私 は 、 こ の問 題 に つ いて中 国 人 メ ンバ ーや
本 に対 し 、強 硬 態 度 で臨 む こ とが でき る と いう のが南 京 政 府
的 に突 き止 め る こと が で き た。 し か し、 状 況 は つね に変 化 し
ら こう した 情 報 を集 め たが 、 ドイ ツ人軍 事 顧 問 や武 器 翰 入 商
ド イ ツお よ び ア メ リカ の領 事 館 から資 料 を 集 め た 。 一九 三 二
て いる の で、 そ の時 々の 正確 な 状 況 を掴 む こと は ほ と ん ど不
から も 重 要 な情 報 を集 めね ば な ら な か った 。 私 の研 究
の主 な 対 象 は広 東 派 、 広 西 派 、馮 玉祥 、 そ の他 の軍 閥 で、 そ
を 観察 し た。 イ ギ リ スお よ び ア メリ カ は躍起 と な って南 京政
年 の上海 事 変 中 、 私 は非 常 な 興 味 を も って こ の英米 依 存 政 策
c、 南 京 政府 に反 対 す る派 閥 の社 会 的 、 政 治 的 分析
の中 の初 め の 二派 に つい て は特 に徹 底 的 に調 べる こ とが でき
こ の問題 に つ い て
府 の抗 日 を援 助 し た。
も 私 の任 務 であ った。 イギ リ スは香 港 を 根拠 地 と し て広東 派
の反蒋 派 に対 す る 処置 振 りは ど う であ るか の点 を調 べ る こと
は前 項 に述 べ た通 り であ る が、 そ のほ かに 、 英 米 お よ び日 本
f 、 イギ リ スお よ び ア メリ カ の対 中国 政 策
た。 こ の場 合 で も、 調 査 の重 点 は こ れら の軍 閥 の基 礎 を な す 社 会 的 要 素 を明 確 にす る こ と に置 かれ て いた。 外 国 銀行 も関
人 の広 東 銀行 家 と広 西 富 豪 で あ った。 こ の問題 に つ い てグ ル
お よ び広 西 派 と の接 近 工作 を計 り、 日本 はあ ら ゆ る手 段 を 用
係 し て は いた が 、舞 台 裏 で重 要 な役 割 を 演 じ て いた の は中 国
ープ が 得 た資 料 は た い て い私 自 ら集 めた も のであ る。私 が華
い て華 北 の有 力 者 を 味方 に引 入 れ よ う と努 力 し つ つも 、 ま だ
わ れ わ れ は、 中国 に おけ る各
け れ ば な ら なか った。 上海 事 件 が勃 発 す ると 、各 国 は直 ち に
国 駐 屯 軍 や艦 隊 の状況 、 特 に そ の変動 に綿 密 な 注意 を 払 わ な
g、 中 国 に お け る外 国 の軍 事 力
そ の方 面 に進 出 す ると ころ ま で は行 って いな か った。
こし た。 こ の問 題 を調 べ る の には 、
南 を去 った のち は 、仲 間 の者 が 随 時 補足 的 な 報 告 を 送 って よ
d 、南 京 政 府 の内 政 お よ び社 会 政 策
南 京 政 府 が労 働 者 や農 民 の利 益 のた め に公 布 し た各 種 法 律 の 理 論 的 根 拠 と 実 施振 り を検 討 し て み る必 要 が あ った。 し か し、 政 府 は こう し た事 項 に はあ ま り 関 心 をも って いな か った ので、
細 に観 察 し な け れ ばな ら な か った。 私 は資 料 の大 部 分 を ド イ
要 と な り、 各 国軍 事 力 の配 備 状 況 に つい ては以 前 より 一層 詳
そ の軍 事 力 を大 いに増 強 し、 この方 面 の私 の仕 事 は非 常 に 重
これ ら の兵 器 廠 の生産 能 力 を 正 確 に測 定 す る こと が でき た 。
いて図 表 、 統 計 報告 、 そ の他 の正確 な書 類 を 入手 し た ので、
兵 器廠 の改 良 が 行 わ れ て いた 。私 は南 京 と漢 口 の兵 器 廠 に つ
繊 維 工業 が大 いに発 展 し、 二 、 三 の兵 器 廠 が 新設 さ れ、 古 い
の間 に こ の問 題 に つ いて会 議 が 開 か れ た。 判事 フ ェッセ ンデ
の威 信 にか か わ る内 政 問 題 であ り、 ま たし ば し ば列 国 代 表 と
の 上 に重 要 な 役割 を演 じ た。 南 京 政府 に と っては 、 そ れ は国
中 国農 業 は私 自身 が択 んだ 調 査項 目 でも あ り、 そ の後 も 引
手 に 入 れ た。
う し た事 に つ い ては ド イ ツ人 飛 行 士 と接 触 し て重 要 な情 報 を
訓 練 方法 な ど に つ いて も調 査 しな け れ ばな ら な か った が、 こ
いろ いろ な資 料 を 入 手 し た。 私 は 、 中国 の航 空路 、飛 行 士 の
な お、 私 のグ ループ の中 国 人 か ら も、 ま たド イ ツ人 かろ も、
ンを 団 長 と す る、 いわゆ る フ ェッ セ ンデ ン使 節 団 が派 遣 さ れ
当 時 、 こ の問題 は外 交 政 策
ツ軍 事 教 官 か ら 入手 し た。
て、 上海 租 界 に関 す る妥 協 案 を 作 成 し よう とす る と、 問 題 は
て いた の で、 いろ い ろ と適 切 な資 料 を 沢 山 に集 め る こと が で
続 き長 い間 研 究 し た。 私 は 、農 業 問 題 には特 別 の興 味 を も っ
h、 中 国 にお け る治 外 法 権 の問 題
爆 発 状 態 を呈 した 。 使節 団 は或 る 成 案 を得 たが 、 私 は ド イ ツ
私 が中 国 で任務 に就 いた のち に起 った事 態 と関 連 し て私 が自
二 私 が択 んだ 研 究 課題
き た。
お よ び ア メリ カ側 か ら公 表 さ れ る ず っと前 にそ の内 容 を 知 っ た。 ア メ リカ は南 京 政 府 に大 いに好 意 を寄 せ て いた の で、 治 外法 権 問 題 の解 決 に努 力 し て いた 。 イギ リ スは し ぶ し ぶ ア メ
ら 択 ん だ項 目 のう ち、 最 も 重 要 な も のを ここ に列 挙 し 、 説明 を
リ カ に従 って いる ふ うが あ った 。 ソ連 とし ては、 治 外 法 権 を 享 受 し て いる 国 々と南 京 政 府 と の関 係 が こ の問題 の た め に大
ツ軍事 顧 問 団 に つい て の観察
a、 ド イ ツ の経 済 活動 と ます ま す顕 著 な 役割 を演 じ て いた ド イ
加 え よ う と思 う 。
てみ て、 ドイ ツが非 常 な 勢 いで活 動 し て いる の に驚 いた。 そ
南 京 政 府 は農 業 上 の危 機 を 克
き な影 響 を う け て いる点 だ け に つ いて興 味 を感 じ て いた 。
服 す る ため 幾 つか の計 画 を 実 施中 であ った が 、私 の任 務 は そ
こで私 は こ の問 題 を 取 り あ げ て詳 細 に 調 べ る こと に し た。 モ
i 、中 国 にお け る農 工業 の発 達
の結 果 を報 告 す る こと であ った 。政 府 の農 業 政 策 は主 とし て
私 は中 国 に おけ る 任務 に就 い
富 農 や大 地 主 の利 益 を計 る こと で あ ったが 、 ど れ 一つ成 功 し
ド イ ツ の軍 事顧 問 たち と親密 にす る よ う に私 に勧 め て き た。
スク ワ当 局 は 、 私 が ド イ ツ の経済 活 動 を 調 査す る のを承 認 し、
当時 ド イ ツは 中 国 で大 した政 治 上 の威 信 をも って いな か った
ては いな か った。
て報 告 す る こと に な って いた 。私 の調 査 に よる と、 申 国 では
j 、私 は また 工業 の発 達 状 況 、 特 に軍 需 工業 の育 成 計 画 に つい
ば お のず か ら極 東 に お け る地 歩 を獲 得 す る こと が で き る と信
た いて いの ド イ ッ外交 官 連 は、 強 硬 な対 中 国 政 策 を遂 行 す れ
当 時 ド イ ツは 日本 な ぞ に は ほ と ん ど注意 を払 って いな か った 。
対 す る 影響 力 に物 を 言 わ せ て これ を 増大 し よう と努 め て いた。
が、 本 国 に おけ る 強 固 な経 済 的 基 礎 と南 京 政 府 の軍 事 政 策 に
対 し て共 同 動 作 を と るも のと は思 わな か った が、 それ で も両
知 り ぬ いて いた ので、 中 国 と ド イ ツ が蒙 古 や ト ル キ スタ ンに
事 と な った こ とは 言 う ま でも な い。 ソ連 は、 蒋 介 石 のこ と は
な 対中 国 政 策 が 、 ソ連 に と って経 済 上 、 政治 上 の重大 な関 心
外 交官 な ど の間 に共 通 した 目的 であ った。 ド イ ツ のこ の よう
大 いに 成 功 を収 め た と信 じ て いる。 私 は い つで も ド イ ツ人 か
に こ の問題 に つ いて観 察 し情 報 を集 める 任務 を買 って出 て、
ら 正確 な情 報 を 入 手す る こと が で き た。 そ れ と いう のも、 私
国 の関係 に は十 分 な注 意 を 払 う 必要 が あ った。 私 は、 自発 的
政 策 は 極 く少 数 の支 持 者 を得 て いる に過 き なか った 。今 日 で
は 多勢 の ド イ ツ人 と交 際 し、最 も有 力 な 軍事 顧 問 た ち と親 密
じ て いた。 こ う した 考 え方 は 日華 事 変 の初 期 でも 依然 と し て
す ら 、 た い て い のド イ ツ人 は 日本 よ り も中 国 に 対 し て好 意 を
な 間柄 に あ った か ら であ る。
優 勢 を占 め、 少 数 の ナチ指 導 者 た ち に よ って唱 え ら れ た親 日
も って いる。 特 に ド イ ツ の経 済 界 は 日本 よ りも 中 国 の将 来 に
中国 に おけ る アメ リ
カ の活 動 は、 主 と し て 上海 に お け る投 資 、 ラ ジ オ放 送 お よ び
b、 中国 に おけ る アメ リ カ の新 し い活 動
望 み を嘱 し て いる 。言 い換 える な ら、 ド イ ッは伝 統 的 に中 国 に対 し 同情 的 態 度 を と って いる ば か り でな く 、自 分 の経 済 上
し て、 外 交 的 に も活 動 し て いた。 ア メ リカ は、 極 東 にお け る
航 空事 業 に対 す る投 資 であ って、 こ れを 組織 的 に指 導 し て い
の必要 を充 たす 意 味 で 中国 に期待 を かけ て いる のであ る。 で
優勢 な国 家 と し て イギ リ スに取 って代 る こ と に なる だ ろ う。
あ る か ら、 多 く のド イ ツ人 は中 独協 調 の希 望 を捨 て なか った。
図 し たも の であ った。 最 近 日 本 の と った 対 中 国政 策 のた め に、
当時 す で に そ の兆 が現 われ て い て、 極 東 に おけ る イギ リ スの
メリ カ はま た 、治 外 法 権 問題 や 上海 に お け る停 戦 聞 題 に関 連
ド イ ツ の こ の希 望 が挫 折 した と は言 えな いが 、当 分 の間 希望
活 動 は早 く も後 退 し はじ め て いた。 か く し て、 ソヴ ィ エト連
た のは ア メリ カ 人実 業 家 と 上海 領 事 館 の商務 官 であ った 。 ア
実 現 が でき な く な った こと は確 か であ る 。 当時 ド イ ツ側 活動
邦 と し て は、 ど う し ても アメ リ カと の外交 関 係 に考 慮 を払 わ
当時 中国 にお け る ド イ ツ の経 済的 お よ び軍 事 的活 動 は、 そ う
の目 的 は 、 中国 陸 軍 の組 織 を支 配 す る こと で あ った。 す な わ
し た協 調 に 関 す る条 約 締 結 への出 発 点 を 築 き あ げ る こと を意
ち、 中 国 陸 軍 に 軍 需物 資 を 供 給 し 、 しま いに は軍 需 工場 網 を
この複 雑 な 問題 に つい ては、 主 に ス メド レ ー と ア メリ カ領
ね ば な ら な い立 場 に 立 って いた 。
事 館 の若 い館 員 か ら資 料 を得 た が、 ス メド レー の情 報 は たま
つく って間 接 に 国防 企 業 に従 事 す る こ と であ った。 同 時 に 、
った 。 こう した 事 が 中国 駐 在 のド イ ツ人 軍 事 顧 問、 実 業 家 、
ド イ ツは中 国 を ド イ ツ航 空 機 産業 の実 験 場 にす る つもり であ
さ か不規 則 に齎 ら さ れ た も の であ った 。 一九 三 一年 の秋 に起 った満 州
性 格 そのも のま でが 一変 し てし ま った。 中 国 は、 ソ連 と 同 じ
よ う に 、 日本 の新 し い行 動 を新 し い目 で、 し かも 必 然的 に新
し い危 惧 の念 を も って、 眺 め る よう にな った。 私 が 、 こう し
c、 満 州 に対 す る 日本 の新 政 策
獲得 す る と、 日 本 は東 亜 でま す ます 活 発 な役 割 を演 じ てみ よ
事 変 で、 極 東 にお け る 日本 の地 位 は 一変 した 。満 州 の支 配 を
私 は こう し た事 柄 を 個 々の問 題 とし て調査 し て
す で に そう いう方 針 を 決 め た。 私 は 日本 研 究 に着 手 し た、 そ
い と考 え ざ る を得 な いよ う に なり 、 ま だ 上海 に いる内 から 、
い たが 、 日本 問題 は どう し ても 一体 と し て取 扱 わ ね ばな ら な
f 、 日本 問 題
た新 しい問 題 に対 し深 い注意 を払 った こ と は言 う ま でも な い。
う と いう 気 にな った。 何 しろ 、満 州 を 征 服 し た こと であ る か
意 が強 め ら れ る よ う にな った の は見 易 い道 理 であ った 。満 州
し て、 日本 の歴 史 や 外 交政 策 に通 暁 し た い と考 え た 。
ら、 そう した役 割 を強 力 か つ独 占 的 に行 お う とす る 日 本 の決
に附 し勝 ち であ った広大 な 辺境 地 方 で直 接 日 本 と 相対 す る こ
三 日本 人 メン バ ー の任 務
事 変 の直 接 の影 響 と し て、 ソ連 は これ ま で国 防 上 と かく 等 閑
と とな った。 言 い換 え る な ら、 ソ連 に と って容 易 な ら ざ る新
メ ンバ ー から 大 いに援 助 を受 け た こと は言 う ま で も な い、 特 に
私 が 自分 で択 ん だ 調 査項 目 の研 究 を行 う に つ いて は、 日 本 人
尾 崎 、 川合 、 船 越 は、 私 が上 記 のb、 c、 d お よ び eの各項 に
事 態 が起 った の であ った。 満 州 の事 は ハル ピ ン のグ ループ の
つ い ては私 とし ても 厳重 に見 守 ら ざ る を得 な か った。
任 務 で、 私 の任 務 では な か った も のの、 こ の東 亜 の新 事 態 に
な お さず 日 本 の外 交 政 策 が 新 し い方 向 を と った こ とを 物語 る
に 当 って、 大 切 な情 報 の供 給 者 と な った。各 人 に どう いう 仕事
上 海事 変 、 日 華 の衝 突 、 全 般 的 な 日本 の進 出 問題 な どを 調 べ る
彼 ら は、 私 が 日本 の新 対 満 政 策 、同 政 策 の ソ連 に及 ぼす影 響 、
述 べた事 項 を 研 究 す る に当 って大 い に私 を援 け る こ と とな った。
も の であ った 。 も ち ろん 、 当時 わ れ われ に は、 そ れが た だ 一
を あ て が った か は 、今 とな っては どう し て も思 い出 せな い。 し
一九 三 二年 上海 に戦 闘 が起 った こ と は、 と り も
箇 の偶 発 的 な 衝突 事 件 にす ぎ な い のか 、 それ とも 満 州獲 得 に
か し、 概 括 的 に言 って、 上 記 の b、 c、 d お よ び eに 関係 し た
d 、 上海 事 変
れな のか 、 ど うも よく 判 ら な か った。 ま た、 日本 は北 進 し て
仕事 であ った こと は確 か であ る。 尾 崎 は こ う し た諸 問 題 に つい
次 い で申 国 を征 服 し よう と し て 日本 が 企 て て い る努 力 の現 わ
シ ベ リ アに向 おう と し て いる の か、 そ れ と も南 下 し て中 国 に
て言 わば 私 の先 生 で、 そ の取 扱 った 分 野 は広 汎 にわ た って い た。
彼 は、 過 去数 年 聞 にお け る 日本 の対 満政 策 と そ の将 釆に おけ る
計 画 に つ いて説 明 し てく れ た。 私 は彼 に、 北 満 お よ び シ ベ リ ア
満 州 事変 お よび 上海 事 変 の勃 発 に よ って、 日
征 め 入 ろ う と し て いる のか も判 ら なか った。
華 間 の問題 は新 た な様 相 を呈 す る こと にな った 。両 国 の関 係
国 境 地 帯 に対 す る 日本 の計 画 に つ い て報 告 を 提 出 し、 将 来 日 本
e、 日 華 の衝 突
が 不 可 避的 に悪 化 し て い った のは も と より だ が、 両 国 関 係 の
おけ る 日本 の政 治 的 、 経済 的 目 標 、 そ の他 の事 柄 に つい て報 告
動 に つ いて い ろ いろ適 切 な知 識 を与 え てく れ た の も彼 であ った。
し た。 彼 は ま た華 北 に お け る 日本 の政 策 に つ い ても いろ いろ の
が中 国 お よび シベ リ ア に対 し侵略 の意 図 を も って い るか ど う か
せる と とも に軍 事情 報 を集 め さ せ た。 尾 崎 は ま た 上海 事 変 と こ
資 料 を も た ら し たよ う に 思 う。 しか し、 上海 事 変中 彼 が情 報 や
は満 州 に おけ る日 本 軍 の作 戦 状 況 、中 国 のゲ リ ラ戦 術 、 満 州 に
れ に 関 す る 日本 の方 針 に つい て極 め て有 益 な 情 報 を も たら した。
資 料 の蒐 集 の上 で ど の程 度 の活 動 を し た か は、 今 は は っき り 思
川 合 は満 州 と華 北 か らあ ら ゆ る種 類 の情 報 を も た ら した 。彼
私 は彼 に次 の よう な 問 題 を出 した 。 そ れ は、 上海 の戦 闘 で日本
い出 せな い。 川 合 は 尾 崎 を通 じ て情 報 を提 出 した 。従 って、 私
を判 断 す る ため の資 料 を集 め る よ う に頼 ん だ 。 ま た彼 と相談 の
は真 に 何 を目 的 と し て いる か、 上 海 お よ び そ の復 興 に つい て日
上 、 川合 を 満 州 と華 北 に 二回 派遣 し て、 これ ら の問 題 を 調 べさ
本 は 何 を意 図 し て いる か、 上海 にお け る イギ リ スお よ び ア メリ
の受 取 った情 報 のう ち果 し て どれ だ け が川 合 か ら来 たも の であ
と思 って、 あ ら ゆ る方 法 で自 か ら戦 闘区 域 を視 察 し た。 こ んな
事 目 的 と 日本 軍 の戦 闘 能力 お よ び作 戦 に つい て情 報 を集 め た い
び作 戦 に つ いても 説 明 を求 め た。 私 は、 上海 にお け る 日本 の軍
思う。
対 満政 策 に関 す る 一般 的 な問 題 にす ぎ なか った の で はな いか と
末 を告 げ て いた ので、 彼 がも た ら し た情 報 は 日本 の対 華 お よ び
いな い。 上海 事 変 は 全般 的 な 平 和取 極 、 す な わ ち停 戦 協 定 で終
船 越 か ら どん な 種類 の情 報 を受 取 ったか は最 早何 も 記憶 し て
ったか は 、実 際 のと ころ私 には 判 って いな い。
カ の権 益 に つ いて日 本 は ど う しよ う と いう のか と いう事 であ っ
事 が で き た のも 上海 が 極 め て特異 な都 市 だ から で あ った。 な お、
た。 そし て 、私 は、 上 海 に お け る日 本 の軍 事 目 的 、戦 闘 力 およ
私 は ド イ ツ人 軍 事 教 官 か ら 日本 軍 の作戦 に つい て各種 の情 報 を
ら とど ん な話 を 交 わ し た かほ と ん ど何 も 憶 え てい な い。
水 野、 川 村 、 山 上 と は極 め て稀 に し か会 って いな い ので 、彼
は忘 れ て し ま った が 、私 は日 本 の歴史 や政 治 に つ いて 一般 的 な
部 か ら派 遣 さ れ て、 ア レ ック スと私 が 着 く少 し前 に 上海 に着 い
上 海 に来 るま で何 も聞 いた こ と がな か った。 ジ ムは赤 軍第 四本
別 名 を レ ー マン ・グ ループ と も 云 ったが 、私 は こ れに つ いて は
上海 で最 初 に 仕事 を し たグ ループ はジ ム ・グ ルー プ であ った。
一 ﹁ジ ム ﹂も しく は ﹁レ ー マン ﹂ グ ル ープ
(ヌ) 中 国 にお け る 他 のグ ルー プ
入 手 し た。
およ び 上海 事 変 に照 ら し 日本 は将 来 果 し て どん な態 度 に出 る だ
私 は 、過 去 にお け る 日本 の対 華政 策 に つ い て、 ま た満 州 事変
ろう か と い った予 想 に つ いて、 尾 崎 か ら話 を 聞 いて大 い に得 る
概 念 を得 る こ とが で き た。 殊 に満 州 事 変 の前 後 に起 った 日 本 の
た 。 上海 と中国 の他 の部 分 お よ び モ ス クワ の間 に無 線通 信 の施
と ころ があ った。 こう し た問 題 に つ いて尾 崎 と交 し た話 の詳細
た。 ま た、 一九 三 一年 から 三 二年 に かけ て の日本 超 国 家 主義 運
国 内 政 治 上 の変 化 に つ いて は、 尾崎 は実 に詳 細 に説 明 し てく れ
ワ へ送 って く れ た。 モ スク ワか ら 私 に送 ってく る 金も こ の経路
で送 られ て き た。 ハルピ ン ・グ ループ と の間 に 連絡 が でき た の
私 の手紙 や書 類 を こ のグ ループ に送 る と、 そ こか ら更 に モ スク
は、 次 のよ う な方 法 に よ る の であ った。 ま ず ハルピ ンか ら グ ル
を獲 得 す る こと が でき た ら、 そ れを モ スク ワ へ送 る こと にな っ て いた、 要す る に、 彼 の任務 は主 と し て技 術 的 、準 備 的 、 試 験
ープ の誰 か が 上海 にや って き て 「郵便 ポ スト 式通 信 ﹂方 法 の技
設 をす る のが そ の任務 で あ った。 そ して、 も し任務 の傍 ら情 報
で に上 海 モ スク ワ間 に無 線 の連 絡 を つけ終 り、 他 の地 方 と の連
的 な性 質 のも の であ った。私 が 上海 に着 いた とき には 、彼 はす
グ ル ープ か ら代 る代 る人 を出 し て両 地 間 を 旅 行 さ せ、 郵 便 屋 の
術 的 な打 合 せ を行 った 。 そ のあ と で、 ハル ピ ンと 上海 の双 方 の
役 を務 め さ せ た の であ った。 ク ラウ ゼ ンは何 度 か私 の ため に郵
絡 施 設 に取 り か か って いた 。 し か し、 広東 と の連 絡 施 設 は どう
た。 ま た 白系 ロシ ア人 ミ ッ シ ャ (又 の名 は ミ ッシ ン) を 上海 で
ルピ ンに書 類 を運 んだ のは、 た しか 一九 三三年 の春 の こ とだ っ
便 屋 の役 を つと め てく れ た。 な お 、私 自 身 が 郵 便 屋 にな って ハ
も うま く ゆ か な か った ら し い。 ジ ムは ク ラ ウ ゼ ンを部 下 に雇 っ
雇 った 。 そ の後 、 ジ ムは彼 が設 け た 上海 の無 線 局 を アレ ック ス
い た。 ク ラウ ゼ ンは わ れ わ れ のグ ルー プ に は短 期 間 し か いな か
を見 てや った。 彼 は私 のた め に広東 で働 き、 のち に は 上海 で働
長 と し て の彼 に会 って いる。 私 は ミ ッシ ャが死 ぬま で彼 の面 倒
校 の校 長 に な った のは 憶 え て いる。 私 は モ スク ワ で無 線 学 校 々
彼 に 会 った こと は な いよ う に思 う。 テオ と グ レ ム ベ ルグ は 一九
技 術 者 のア ーサ ー に つい て は聞 いた こ とは あ る が、 ハルピ ンで
又 の名 を テ オと いう フ ロ ーリ ッ ヒにも ハルピ ンで会 った。 無 線
彼 を 訪 ね た とき に 会 った。 前 に 上海 で働 いた こ と のあ る男 で、
上 海 で始 め て会 った 。 そ の次 に は ハル ピ ンで書 類 を 渡 す ため に
ハルピ ン ・グ ルー プ の長 、 オ ット ・グ レ ムベ ルグ には 、私 は
た と思 う。
と私 に引 渡 し て、 モス クワ に帰 る準 備 を し た。 彼 が い つ上海 を
った。 私 は 一九 三 一年 モ スク ワか ら の指 令 で彼 を ハルピ ン のグ
立 った か は憶 え て いな いが、 モス クワ に着 い た のち彼 が無 線 学
ル ープ へ遣 った。 か く し て、 ジ ム ・レー マン ・グ ループ は 自 然
三 二年 に ハル ピ ンを 引揚 げ た。私 は 一九 三 三年 に ロ シ アで彼 ら
海 で仕事 を し て いた。 これ も赤 軍 第 四 本部 から 派 遣 さ れ たも の
一九 三 一年 に は フ ロー リ ッヒ ・フ ェルト マン ・グ ループ も 上
三 上 海 の フ ロー リ ッ ヒ ・フ ェル ト マン ・グ ル ープ
ポ スト的 なも ので あ って、 仕 事 の内 容 上 の関係 は全 然 な か った 。
った ので はな い。 ハル ピ ン ・グ ループ と私 の関 係 は純 粋 に郵 便
に会 った が、 そ れ は偶 然 会 った ま で の こと で、 仕 事 の関 係 で会
消 滅 とな った。
仕事 を や って いる 中 に 、次 に私 と の間 に交 渉 が あ る よう にな
二 ハル ピ ン ・グ ルー プ
ったグ ループ は ハルビ ンのグ ループ で あ った 。 これも 赤 軍 第 四 本 部 か ら の派 遣 に かか る も の で、 そ の任務 は満 州 の軍 事 情 報 の 蒐 集 だ った が、 傍 ら 政 治情 報 も 集 め て いた。 ハルピ ン ・グ ルー プ は私 のた め に郵 便 ポ スト の役 を し てく れ た。 モ スク ワあ て の
連 絡 の方 法 を も って いた ので、 わ れわ れ の無 線 局 を使 う よう な
る情 報 を 集 め る こと であ った 。 彼 ら 自身 モ スク ワ と の間 に無 線
で あ って、 そ の任 務 は中 共 軍 と連 絡 す る こ と と、 中 共 軍 に 関 す
び組 織 上 のあ ら ゆ る援 助 を与 え、 モ スク ワ と中 国 の間 の機密 資
た め の家 を 見 つけ 、 中 国 にお け る非 合 法 活 動 に対 し 技 術 上 お よ
三 者 間 の財 政 面 の連 絡 に 当 り 、会 合 場 所 や 組 織 班 お よ び中 共 の
って い た。 なお 、 こ の最 後 の点 に関 連 し、 組 織 班員 に指 令 を 発
料 の交 換 に携 わ り 、 そ し て、 政 治 班 員 の安 全 に つい て責 任 を 負
し 、 そ の行 動 に制 限 を 加 え る な ど の権 限 も も って いた。
こ と はな か った 。 グ ループ の長 は フ ロー リ ッヒ、 又 の名 を テ オ
技 術 者 で陸 軍中 佐 であ った 。 も う 一人 のグ ル ープ の メ ンバ ー が
テ ル ン時 代 に 一緒 に働 いた こと のあ る ゲ ル ハル ト と、 一、 二 の
政 治 班 は、 私 が ド イ ツに いた と き か ら の知 人 で、私 の コミ ン
と い って ソ ヴ ィ エト陸 軍 の少 将 であ った。 フ ェルト マ ンは無 線
いた が、 誰 だ ったか は 知 らな い。彼 ら は使 命 を 果 す こと が で き
補 助 員 と で構 成 さ れ て いた 。 そ の補 助員 に は私 は会 った こと が
な く て、 一九 三 一年 に上 海 を 去 った 。私 と彼 ら の間 には 仕 事 上 の関 係 は な く、 た だ偶 然 会 った だ け であ った。 上海 も 結 局 は狭
の 上 では 全然 無 関 係 であ った 。 ゲ ル ハルト の任 務 ︱ ︱ つま り政
な い。 ゲ ル ハルト と は偶 然 上 海 で 会 って旧 交 を温 め た が 、 仕事
治 班 の任 務︱ ︱ は コミ ンテ ル ン の総 会 で決 定 した 中 国 共産 党 に
い町 で、 こ のよ う に し て偶 然 人 に出 く わ す のは避 け 難 い こ と で
関 す る政 治 方 針 の代 言 者 を 勤 め る こと であ った。 政 治 班 は ま た、
あ った 。 私 は モ スク ワ か ら彼 と連 絡 せ よと の指令 は受 け て いな か った。 彼 ら に は彼 ら の使命 が あ って、 わ れ われ と の間 に は何
た。 そ し て、報 告 は組 織 班 を 通 じ て モ スク ワ に送 ら れた 。 私 の
国 の労 働 運 動 に 関す る 一切 の社 会 的 問 題 に つい て報 告 を 提 出 し
中 共 と コミ ン テ ル ン の間 の情 報 交 換 の仲介 者 の役 を つと め 、中
も 正式 な関 係 はな か った 。
私 は 一九 三 一年 に 偶 然 のこ と で 上海 の コミ ン テ ル ン ・グ ルー
四 上 海 の コミ ン テ ル ン ・グ ル ープ
プ の連 中 に会 った 。 グ ループ は政 治 班 と組 織 班 に分 れ、 組 織 班
った。 ノ ウ レ ン ス の逮 捕 と とも に 、 上 海 に お け るゲ ル ハルト の
無 線 施設 や そ の他 の連 絡 方 法 を 通 じ て送 ら れ る こ と は全 く な か
地 位 は危 険 とな り 、 一九 三 一年 モ スク ワに 帰 る こ と とな った 。
は、 逮 捕 され てか ら有 名 に な った ノ ウ レ ン スと 二、 三名 の補 助
ノ ウ レ ン スの後 釜 に 坐 った。 組 織 班 は さま ざ ま な任 務 をも って
員 で構 成 され て いた 。後 に カ ー ル ・レ ッセが 上海 に や って き て、
私 がゲ ル ハルト に会 った の は全 部 を 通 じ て 三 回 にす き な か った。
め て知 った の は、 彼 が 逮捕 さ れ た とき であ った。 彼 の逮 捕 は上
ノ ウ レン スが 上 海 で秘密 工作 に従 事 し て いた こ とを 私 が は じ
五 ノウ レ ン ス事 件
いた が、 主 た る 任 務 は コミ ンテ ル ン、 中 国 共 産党 お よ び 上海 コ ミ ンテ ル ン ・グ ル ープ の政 治 班 と の連 絡 維 持 であ った。 連 絡 と
海 在住 の外 国 人 の間 で大 き な セン セ ー シ ョンを呼 び お こ した 。
いう中 に は、 一 人 事 々務 、 す な わ ち モス ク ワ と中 国 共産 党 と の
った。 な お 、組 織 班 は それ 以 外 に 、 モ スク ワ、 中 共 、 政 治 班 の
間 の人 の往来 、 二 文 書 や 手 紙 の送達 、 三無 線 通 信 の三種 類 があ
を逮 捕 し た の であ った が、 彼 ら の告 白 に よ って ノ ウ レ ン ス の存
身 柄 は同 政府 に 引渡 さ れ た。 はじ め 南 京政 府 は中 国 共 産 党 幹部
逮捕 は、 南 京 政 府 の要 求 に基 き上 海 共 同 租 界警 察 の手 で行 われ 、
は 全く 没 交 渉 であ った 。中 国 共 産 党 とは 、私 は個 人 的 に 親 密 な
通 り、 わ れ われ は偶 に し か会 わな か った 。 そ し て、 仕 事 の上 で
て旧交 を温 め ても 何 も 不思 議 な こ と はな か った。 前 にも 述 べた
で は こ れを 全 然 不 問 に付 し た。 な お 私 は 、私 のグ ループ と ゲ ル
で、 ゲ ル ハルト と の関 係 に つい て モ スク ワ へ報 告 した が 、 本部
った。 私 はゲ ル ハルト と会 う こ とさ え 禁 ぜ ら れ て い た。 私 は後
ハル ト のグ ルー プ と で は そ の任 務 が異 って い て、 両 者 は絶 対 に
関 係 に入 る立 場 に は なく 、 それ は モ スク ワ の禁 ず る と ころ であ
れ た。 ノウ レ ン スは、 自 分 は スイ ス人 だ と主 張 し たが 、 スイ ス
か ら は 大 変 な秘 密 書 類 が発 見 さ れ て、 有力 な証 拠 と し て押 収 さ
混 同 さ れ るよ う な こ と が なか った こと を こ こ に確 言 す る。
った の であ った 。 ノ ウ レン ス とそ の家 族 は自 宅 で逮 捕 さ れ 、家
当 局 は強 く これ を否 定 した 。 彼 は長 期 刑 に処 せ ら れた が 、 まも
在 とそ の活動 が判 り、 おま け に ノウ レ ン スと党 の会 合 場 所 も判
な く ソ連 の干渉 に よ り国 外 へ退 去 を 命 ぜ ら れ た。 六 各種 のグ ル ープ と 私 の関 係 に つい て の説 明
ン ・グ ループ と関 係 が あ った 以 外 は、 ど のグ ルー プ とも 没 交 渉
私 のグ ループ は、 単 に事務 的 に ジ ム ・グ ループ お よ び ハルピ
で あ った。 私 が 上海 へ行 った のは ジ ム の後 任 と し て であ った か
ワと私 の間 の連 絡 のた め に 郵 便 ポ スト の役 を つと め て く れ た が、
ら 、彼 と は当 然 交 渉 が あ った 。 ハ ルピ ン ・グ ルー プ は、 モ スク
ェルト マ ン ・グ ループ のメ ンバ ー と 一緒 に飲 みに 出 かけ た り、
そ れ以 外 に は お互 に 何 の関係 も な か った。 私 は、 時 折 テ オ ・フ
一般 的 な問 題 に つ い て論 議 し た り した こと は あ った が、 仕 事 の 上 の関 係 は全 く な か った 。彼 ら と私 と では 、 仕 事 の性 質 が全 然 違 って い た。 のみ な ら ず 、 モ スク ワ の指令 で お互 の任 務 を こ っ ち ゃにす る こ とを 禁 ぜ ら れ て いた。 ゲ ル ハルト と の関 係 も 同 様 で あ った。 彼 とは 、 一九 二 一年 い っし ょに ド イ ツ共 産 主 義 運 動 に 加 わ ったと き か ら の友 人 で、 二人 が モ スク ワに いた頃 はよ く お 互 に往 き来 した も のであ った。 従 って、 偶 然 上海 で落 ち あ っ
リ ヒ ア ルド
第 一章
・ゾ ル ゲ の 手 記
第 二編
日本 におけ る私 のグ ループ の諜 報 活 動
一、 日本 におけ る私 のグ ループ が諜 報 活
え て いる問 題 な ら何 でも 一緒 に な って討 議 し た。 であ る か ら、 尾 崎
に限 ら ず宮 城 や ヴ ケ リ ッチ に し ても 集 め られ る 限 り の政 治 お よ び経
の軍 事情 報 を持 って来 な け れ ば な ら な か った 。 私 は、 仕事 の分 担 に
済 情 報 を持 って 来 なけ れば な ら な か った し、 尾 崎 も集 め ら れ る限 り
わ ざ と 柔軟 性 を持 た せ て、 でき る だけ 広 い範 囲 か ら情 報 を集 め た い
と 思 った。 宮 城 の場 合 を例 に と る なら 、 私 は宮 城 が政 治 経 済 問 題 に
没頭 し過 ぎ て軍 事 情 報 の こと を忘 れな い よう に さ せ る ことが 肝 心 で
あ った 。各 成 員 は分 担 の諜 報 任 務 に専 念 す る のが 原則 であ るが 、 私
は 必要 に応 じ こ の原 則 に 変 更 を加 え る権 利 を 留 保 し て い た。 勿 論 こ
更 を加 え た こ とも あ った。
う し た変 更 はな る べく行 わ な い よう に し て いた が 、 そ れ でも 時折 変
(イ ) 任 務 の分 担 と資 料 の選 択
て或 る特 殊 の問 題 に 当 る よ う に さ せた 。 そ う し た実 例 を 今 こ こに幾
何 か特 別 な 場 合 に は 、私 は各 人 の分 担 に か か わ りな く 、 全 員 挙 っ
動 上用 い た方 法
情 報 お よ び諜 報 の蒐 集 を どう いう ふ う に 分担 す るか の問題 は 、私
った 。 ク ラ ウ ゼ ンは純 粋 に 技 術 的 な任 務 で 手 一杯 だ った ので 、実 際
のグ ループ を構 成 し て い る成 員 の関係 で、 或 る程 度 お のず か ら決 ま
ゆ る情 報 を集 め るよ う に指 示 し、 かく し て得 た情 報 を 基 に し て私 は
一九 三六 年 二 ・二 六事 件 が起 る と、 私 は 全員 に全 力 を あ げ てあ ら
つか挙 げ て み る こ とに し よ う。
主 に 政 治 、経 済関 係 の情 報 を 蒐集 し た。 宮 城 は経 済 お よ び軍 事 上 の
て、 初 め の数 週聞 は 日本 陸 軍 の第 一次動 員 計画 に注 意 を 集 中 す る よ
自 分 の判 断 を 下 し た。 一九 三 七 年 、 日華 事 変 が起 ると 、 全員 に命 じ
問 題 とし て情 報 や諜 報 の蒐 集 に 携 わ る こ と は で きな か った。 尾崎 は
資料 を集 め、 ま た 日本 語 で書 いた 一切 の文 書 の翻 訳 に 当 った 。 ヴ ケ
う にさ せた 。 ノ モ ン ハ ンの戦 闘 が 起 る と、 私 は各 人 に命 じ て 、蒙 古
リ ッチ は主 に外 国 通 信 員 と フ ラ ン ス人 か ら情 報 を 集 め 、 ま た 写真 な ど の技 術 的 な 仕 事 に も 従 事 し た。 私 自 身 は外 国 人 、特 に ド イ ツ人 か
国 境 方 面 に 対 す る 日本 の増 援 計 画 を 探 る こと に専 念 さ せ て、 こ の衝
日本 の政治 的 態 度 に関 し てあ ら ゆ る詳 細 な情 報 を 集 め 、私 は当 時 日
を求 め た。 ドイ ツ のソ連 攻 撃 が 始 ま る と、 全 員 は こ の戦 争 に対 す る
突 事 件 が ど の程 度 に拡 大 す るも ので あ る か に つ い て判定 を下 す 材 料
か知 ら なか った 。 し か し、 そ れ と同 時 に 、 彼 ら の 一人 が私 の と ころ
私 が話 し て聞 か せ た 事 と、 彼 ら に私 が 当 てが った特 殊 の任 務 だ け し
本 が 始 め て いた大 動 員 の範 囲 と 方向 ( 北 か南 か ) を 詳 し く観 察 し た。
一般 的 に言 って、 グ ループ の成 員 は、 わ れ わ れ の仕 事 に つ い ては 、
ら情 報 を蒐 集 した 。
にや ってく る と 、私 は彼 が 興 味 を も って いる問 題 や彼 が 重 要 だ と 考
将 来 の動 向 に対 し注 意 を 払 わ せ た。
に指 示 し て、 当 時 緊 迫 し た情 勢 の下 に行 わ れ て いた 日米 会 談 と そ の
日本 と ソ連 の間 に は戦争 は起 ら な い と いう 確 信 を得 る と、 私 は全 員
いよ う な と き であ った 。
ら れ る よう な とき や 、至 急 或 る問 題 に つ いて報 告 しな け れ ば な ら な
モ スク ワ が或 る特 殊 な 問題 に つい て特 別 な 興味 を も って い ると 考 え
矛盾 し た情 報 が 報 告 さ れ て いる場 合 は、 も っと 正確 な報 告 を 出 す よ
な いと い う場 合 に は、 そ の こと を話 し て聞 か せ、 或 る問 題 に つい て
喚起 し た。 ま た、 これ これ の問 題 は わ れ われ の仕 事 と し て は大 切 で
値 や 正確 の度 合 を 吟 味 し た り し た。 私 の無 線報 告 や そ の他 の報 告 が、
のた め に は他 の情 報 と の間 に関 連 をも た せた り 、 ま た そ の情 報 の価
に よ る私 の報 告 の材 料 と し て各 種 の情 報 を 使用 し た の であ って、 そ
形 では モ スク ワ へ送 らな か った のであ る。 私 は 、無 線 そ の他 の方法
し た 。 言 い換 え るな ら 、私 は協 力 者 か ら 入 手 し た情 報 を そ のま ま の
でな く 、 入手 し た情 報 を ど う い う 工合 に 使 った ら い い か の判 定 も 下
う に命 じ た り、 事 件 のほ ん と う の原 因 を 究 明 さ せた り し た。
必 ず しも 協 力 者 のも た ら し た報 告 の文 句通 り に な って いな い のは、
私 は、 モ スク ワ への報 告 中 に入 れ る べき情 報 を ただ 選 択 す る だけ
私 は また 、 私 の手 許 に集 った 情 報 な り 、私 自 身 が入 手 した 情 報 な
こ の た め であ る 。 と い って、 私 は 気 ま ぐ れ半 分 に そう いう こ と を し
す る と 感 じ た問 題 が あ ると 、 そ れ を択 り だ し て仲 間 の連 中 の注 意 を
り の中 で、 ど の部 分 は無 線 で モ スク ワに 報 告 す べき か、 ど の部 分 は
た ので はな い。 入手 し た情 報 に 十 分 な検 討 を加 え、 き わ め て良 心的
私 は、 私 の諜 報 員 や私 の集 め た情 報 の中 で、 これ は特 に注 意 を 要
ど の部 分 は全 然 報 告 の必要 が な い か、 と い った こ とを 決 定 し た 。
に そ れを 使 用 した のであ った。
も っと詳 し い文書 の形 に し て、 後 で伝書 使 に托 し て報 告 す べき か、
情 報 や 諜 報 を私 が ど う い う ふう に 使 った か に つい て は、 原 則 と し
話 す とす れ ば、 仕 事 の仕 方 に つい ては っき り し た方 針 を 授 け る と か、
し た報 告 に つ い て、仲 間 の者 に話 す よ う な こ と は滅 多 に し な か った。
間 違 った情 報 の蒐 集 を避 け ると か す る 必要 のあ った 場 合 だ け で あ っ
私 が自 分 で入 手 し た情 報 およ び資 料 や、 グ ループ の成 員 が も た ら
う いう 修 正 を加 え て い たか を 知 ってい た (勿 論 、 い ろ い ろな ニ ュー
た。 尤 も 、 全 般的 な政 治 情 勢 の関 係 で 、私 が自 分 で入 手 した情 報 や
て協 力 者 た ち に 明 か さ な か った 。 た だ 、暗 号文 を 取 扱 って いた ク ラ
スや 重 要 な政 治 問 題 を、 も っと 正 確 に吟 味 し、 解 釈 した いと思 って
グ ル ープ の成 員 が獲 得 し た情 報 を協 力者 の連 中 に知 ら し てお いた方
ウ ゼ ンだ け は 、私 が何 を モ スク ワに 報告 し 、 ま た私 の得 た情 報 に ど
尾 崎 に相 談 し た こと は時 々あ った )。 文 書 に な った報 告 は 、 そ の性
が い い と考 え て、 そ う し た こ とも あ った 。
要 す る に、 私 は、 仕 事 の分 担 、情 報 の選 択 、 モ スク ワに対 す る報
にし た いと思 って誰 か (た い て い の場 合 は宮 城 ) に追 加 的 ま た は補
告 の作 成 に は み ず か ら当 った の であ った。
質 の如 何 に か か わ らず す べ て秘密 に し て お い た。 報 告 を 完 全 な も の
か った 。私 は次 回 の報 告 の材 料 と し て、 しば し ば 尾 崎 や 宮城 に軍 事
(ロ) 私 の諜 報 グ ル ー プ が 連 絡機 関 を通 じ て と った国 際 的連 絡
足 的 な 情報 を集 め さ せ た こ とは あ った が、 それ 以 上 の こと は さ せな
上 そ の他 の情 報 を 文 書 に 認 め て報 告 さ せ た こと が あ った が、 そ れ は
ク ワ から こ こ へ の伝 書 使 連 絡 は、 ほと ん ど例 外 な し に全 く 技 術的 な
関 とも 人 的 に は接 触 しな か った 。 ここ か ら モ ス クワ へ、 また は モ ス
技 術 的 な方 法 で連 絡 し た だけ で、 日本 の内 外 を 問 わず 他 のど ん な機
復 さ せ る こ と であ った。 つま り、 伝 書 使 を 通 じ て申 央 当 局 と の間 に
わ れわ れ の従 事 し た国 際的 連 絡 は専 ら モ スク ワ と の間 に文 書 を 往
る のか判 らな か った。 われ わ れ の会 った連 中 は、 多 く は 比較 的 若 い
連 に よ って外 国 に 設 け ら れ て いる公 式 ま た は非 公 式 の機 関 の中 にあ
た い て い の場 合、 彼 ら の本 部 が モスク ワ にあ る のか、 そ れ とも ソ
れ た連 中 であ った。
文書 (私 の諜 報 グ ル ープ の文 書 な ど は こ れ に属 す る) の送 達 を托 さ
得 た場 合 だ け に 限 ら れ て い た。 尤 も、 伝 書 使 に最 近 モ スク ワに 行 っ
事 の上 の秘 密 事項 に つい て話 が でき る のは、 予 め モ スク ワ の同 意 を
で 、 そ れ以 上 何 も 語 ら ず、 何 一つ報告 を交 換 す るわ け でも な い。 仕
で あ る。 それ で彼 ら の仕 事 は 終 り 、 一般 的 な話 を ち ょ っと交 す だけ
し た包 みを 渡 し 、 引換 え に モ スク ワか ら送 ってき た包 みを 受取 る の
火 を つけ な い でそ れ を手 に持 って いる。 こち ら か ら の伝 書使 (そ の
理店 に 入り 、 太 く長 く黒 っぽ い マ ニラ葉 巻 を ポ ケ ット か ら取 りだ し、
は次 の通 り であ った。 モ スク ワ か ら来 た伝 書 使 は 三時少 し過 き に 料
せ て決 めた 。 た と え ば、 香港 の或 る料 理店 で面 会 した と き の取 決 め
標識 、 合 図 の言 葉 、 お 互 を確 認 す る ため の 一連 の文 句 を無 線 で打 合
る の であ った。 伝 書 使 と わ れ われ が お 互 を知 らな い場合 は、 特 別 な
連 絡 の場 所 、 日取 、 面 会方 法 に関す る条 件 な ど す べて無 線 で打 合 せ
う であ った。 彼 ら と の連 絡 は、 モ スク ワ と打 合 せ た 上 で行 わ れ た。
た こ とが あ るか ど うか を 尋 ね、 も し そう だ と いう こ と であ った ら、
場 合私 自 身 であ った ) は こ の合図 を見 て、 料理 店 の帳 場 の方 へ行 き、
連 中 で、 概 し てち ゃん と した 政治 上 そ の他 の訓 練 を経 て いる者 の よ
同 地 の模 様 を 訊 き、 旧 友 の こと を尋 ね るく ら い のこ とは 差支 な い。
ポ ケ ット か ら如 何 に も 人 目 に つき や す い よ うな形 状 の パ イプ を取 り
も のであ った 。私 のグ ル ープ か ら 派遣 さ れた 伝 書 使 は、 予 め 打 合 せ
何 回 か会 った こと のあ る伝 書 使 に 会 った場 合 な ど に は、 ソヴ ィ エト
てあ る と こ ろに 従 って モ スク ワか ら の伝 書 使 と落 合 い、 入 念 に 包装
連 邦 の概 況 や友 人 の こと な どを 尋 ね る よ うな ことも す る。 しか し、
ク ワ の伝書 使 は自 分 の葉 巻 に火 を つけ る。 そ の後 で私 は パイ プ に 火
を つけ る 。 そ うす る と、 モ スク ワ の伝書 使 は料 理 店 を出 る。 そ し て、
だ し、 そ れ に火 を つけ よ う とし て つけ そ こね る 。 これを 見 て、 モ ス
私 も出 てゆ っく り と彼 の後 を つけ 、 面 会場 所 に な って いる或 る公 園
前 に 述 べた よ う に、 仕 事 のこ と、 そ の内 容 、 組 織 のこ と に つ いて は
モ スク ワ から 派 遣 さ れ た伝 書 使 に は わ れわ れ を命 令 す る権 限 はな
に ゆ く。 彼 の方 か ら まず 口を 切 って ﹁ご 機 嫌 よ う゜ 私 は カ ッチ ャで
極 め て特 別 な場 合 以 外 に は触 れ る こ とを し な い。
った。 わ れ われ は 、彼 ら の名 前 も知 ら なけ れ ば 、 モ スク ワな り外 国
い。 彼 ら の 一人 を 除 いて、 あ と は全部 わ れ わ れ の知 ら な い連 中 であ
のあ とは 、 す べ て計 画 通 り に事 が 運 ば れ る。
す ﹂ と言 う と、私 は ﹁ご機 嫌 よ う。 私 はグ スタ フ です ﹂ と言 う。 そ
第 二 の例 と し て は、 上海 の 一コー ヒー店 でや った や り方 が あ る。
な り に お け る彼 ら の地 位 も 知 ら な か った。 わ れ わ れ の印 象 では、 長
わ ち、 ソヴ ィ エト連 邦 の公 け の逓 送 文 書 と、 いわゆ る非 公式 の逓 送
期 間 に わ た って度 々会 った連 中 は 「専 門 の」 伝 書 使 であ った。 す な
っぽ け な 日本 料 理 店 でや った方 法 が あ る 。 遅 れ て入 って来 た方 の伝
第 三 の例 と し ては、 外 国 人 な ど絶 対 に来 な い よう な東 京 のご く ち
み を も ち、 も う 一人 は赤 い包 みを も つ の であ った。
そ れ は、 小 さ い包 み を 使 うて合 図 す る ので あ って、 一人 は黄 色 い包
次 の連 絡 は 一九 三 四年 の五 月 ご ろ上 海 で行 わ れ た。 こ のと き の伝
場 合 に 備 え て上 海 に お け る彼 の私書 函 番 号 を教 え てく れ た。
換 した 。彼 か ら 受 取 った包 の中 は大 部 分 金 であ った。 彼 は、 必 要 の
日光見 物 に出 か け る こ と を打 合 せ、 同 地 でお 互 に渡 す べき も のを 交
合 言葉 は予 め モ スク ワ で手配 し たも の であ った。 そ の合 言 葉 が 何 で
な か った が、 別 に 尋 ね ても み な か った。 ホ テ ルで初 め て会 う とき の
書 使 が何 か 日本 特 有 の品 を注 文 す る 。 こ れ を切 っか け に、 私 の派遣
﹁パ ウ ル﹂ も き ま って こ れを 注 文 す る と言 う 。 す る と、 モスク ワ の
あ った か は今 は憶 え て いな い が、 架 空 の人物 の名 前 だ った よう に思
カ ンデ ィナヴ ィア人 と見 て取 った。 ど こで何 を し て いる男 だ か判 ら
伝 書 使 は、 自 分 は友 達 の ﹁ジ ミー ﹂ か ら こ の料 理 のこ とを 聞 いた と
う。
書 使 は英 語 を し ゃ べ って、 いか にも 利 口ぶ って い たが 、私 は彼 を ス
答 え る。 打 合 せ てあ った合 言 葉 を す っか り言 ってし ま う と、 いよ い
し た男 が話 を 始 め、 料 理 は甘 いか と 尋 ね、 そ し て 、自 分 の 友達 の
よ資 料 の伝 達 に つ い て話す こ と にな る のであ る。
の訪 問 を 受 け、 そ こ でそ の後 の打 合 せ が行 われ た。
そ の次 に 上海 で行 わ れ た連 絡 には 、私 は ベ ル ン ハルト の妻 を 派遣
次 の連 絡 に はペ ル ン ハ ルト自 身 出 かけ た。 これも 上 海 で行 わ れ、
同 じ伝 書 使 が 頻繁 に会 ら場 合 は 、彼 ら の間 で次 回 の連 絡 を打 合 せ
何 し ろ 一九 三 三年 か ら 一九 四 一年 ま で の間 の こ と であ る から 、 モ
時 は 一九 三 四年 の秋 で、 予 め 無 線 で打 合 せ てお いたも の であ った。
ス ・ホ テ ルに呼 ば れた 。 そ し て、 翌 日 の同 じ 時刻 ご ろ自 室 に或 る女
スク ワ の伝 書 使 と私 のグ ルー プ の派 遣 員 の間 に行 わ れた 連絡 の回 数 、
私 の記 憶 では、 標 識 に は い ろ いろ な色 の包 み を 用 い、 合 言葉 と し て
し た。 彼 女 は、 か ね て の打 合 せ に従 い、定 め ら れ た 日 の 午前 パ レ
そ の 日附 な ど と う て い正確 に述 べ る こと は で き な い。 た だ私 の記 憶
る。 し かし 、 不意 に変 更 の必 要 が起 った場 合 は、 そ の旨 を モ スク ワ
し て いる分 を 以 下 に記 す こ と にす る。
に知 ら せ る。
最 初 の連 絡 は 一九 三 三年 の末 か 一九 三 四 年 の初 め に東 京 で行 われ
私 に手 紙 を よ こ し た。 そ し て、 定 め た 日 に私 が帝 国 ホテ ルに行 く と
絡 先 と し て上海 か らや ってき た。 彼 は大 使館 へ電 話 す る と とも に、
って来 た 伝書 使 は私 の知 ら な い男 で、 私 の名前 と ド イ ツ大 使 館 を 連
次 に は、 私 み ず か ら直 接 モ スク ワ へ書 類 を運 んだ 。 そ れ は、 前 に
な買 物 を す る仕 事 も 引受 け た。
な お、 彼 女 は伝 書 使 の役 をす るほ か に、 われ わ れ のた め に い ろ いろ
こ の時 ベ ル ン ハルト 夫妻 は年 内 に モ スク ワに 帰 る こ とに な って いた 。
ベ ル ン ハルト の妻 は 一九 三 五年 の初 め にも う 一度 上 海 へ行 った。
は人 の名 前 二 つを 用 いた よう に 思 う。
玄 関 番 が 待 ち う け て い て、 私 を彼 の と ころ へ案 内 す るよ う に手 配 を
も 述 べた よ うに 、 一九 三 五年、 報 告 のた め私 が モスク ワ へ行 った と
た。 面 会 は、 私 の出 発 前 に モ スク ワ で打合 せ て お い たも のだが 、 や
し てお いた と書 い てき た。 連 絡 は計 画 通 り行 われ た 。 そ し て、 翌 日
き の こと であ った 。 元来 大 勢 の伝書 使 を 使 って運 ぶ べき 物 を、 伝 書
へや って来 たも の らし か った。 連 絡場 所 は無 線 で連 絡 して あ った。
料 も い っし ょに携 行 し た。 相 手 の伝 書 使 は空 路 重 慶 か ら 連絡 地 香 港
と し て、私 自 身 マ ニラお よ び香 港 へ旅 行 し、 モ スク ワ へ送 る べ き資
お 互 の目 じ る し に葉 巻 と パ イプ を 使 った が、 この事 は 前 に述 べ た通
使 に よ らず し て私自 身 が長 途 の旅行 をや って運 ぶ の は いけ な い事 に
私 は モ スク ワに着 く と、 これ ま で伝 書 使 を通 じ て送 ってお いた報 告
り であ る 。
な って いた のだ が、 私 は書 類 を写 真 に撮 って無 事 に運 び お う せ た。
を纒 め あげ 、 ま た 口頭 で詳 細 な 報告 を行 った 。
った か、 一九 四 ○年 の事 だ った か は憶 え て いな い。 一九 三 九年 に ク
私 は 上海 へ伝 書 使 を 送 る の をや め た が、 そ れ が 一九 三 九年 の事 だ
ラウ ゼ ン夫 人 か ク ラウ ゼ ン自 身 を 一度 く ら い上 海 に派 遣 した こと が
一九 三 五年 九 月 二 十 六 日私 は東 京 へ帰 ってき た が、 一九 三 六年 の
あ った かも し れ な い。 と も かく も 、 日本 へ帰 還 す る際 の取 締 が ひ ど
春 に 上海 へ伝 書 使 葬 送 った。 ク ラウ ゼ ンが 同 地 か ら妻 を つれ て来 な け れ ば な ら なか った ので、 私 は彼 を伝 書 使 とし て派 遣 した よ う に思
く厳 重 にな って、 上 海 と の伝 書 使 連絡 は次 第 に 難 しく な った。 私 は 、
う 。連 絡 に つい ては前 も って無 線 で打 合 せ た。 一九 三六 年 八 月、 私 は資 料 を届 け るた め に 北平 へ行 った 。 こ の時
のソヴ ィ エト 共産 党 書 記 局 で働 い て いた が 、 こ の時 は第 四本 部 に 属
は確 か であ る。 或 はそ れ 以上 だ った かも しれ な い。 或 る時彼 が病 気
彼 が伝 書 使 に会 った か は知 らな いが、 三回 を 下 らな か った こ と だけ
連 絡 の技 術的 な 方 面 は ク ラ ウゼ ンに委 せた 。 一九 四 ○ 年 中 に何 回
ろ困 難 は あ った が、遂 に東 京 で連 絡方 法 が でき あ が った 。
東 京 で連 絡 は で き な いも のか と研 究 し て みた 。 モ スク ワ側 で いろ い
し て いた 。彼 は こ の連 絡 で仕 事 に関 連 し た あ ら ゆ る問題 ︱ ︱つま り 、
(一九 三○ 年 の上海 の ﹁ア レ ック ス﹂ と は別 人) で、 も と モス ク ワ
会 った のは普 通 の伝書 使 でな く 、モ スク ワ時 代 の旧 友 「ア レ ック ス﹂
組 織 上 およ び政 治 上 の問 題︱ ︱に つ いて私 と相 談 す る こ と にな って
有 の料 理 を 注文 す る こと であ った 。 一九 四 一年 中 に は頻 繁 に 連絡 が
だ った の で、私 自 身新 橋 駅附 近 の小 さ な料 理 店 に出 かけ て行 って伝
行 われ た 。独 ソ戦 が勃 発 し て六 週 間 か 八週 間 す る と、 われ わ れ は伝
いた。 われ わ れ は前 も って無 線 で打 合 せ て、定 め た 日に北 平 の天 壇
嬢 ﹂ が 、 日本 に おけ る私 の活 動 グ ルー プ に加 わ る こと に な って いた。
書 使 に対 し特 に頻 繁 に資 料 を 渡 した。 一度 は 私 自身 伝 書 使 に会 うた
書使 と会 った こ と があ る 。 こ の時 の連絡 方 法 は前 に述 べた よ う な や
かく し て、私 は ク ラウ ゼ ン、 ク ラウ ゼ ン夫 人 、 ギ ュンタ ー ・シ ュタ
り方 であ った。 す な わ ち 、相 手 を 確 認 し合 うた め の合 図 は、 日 本特
イ ン、 そ し て彼 の女 友 達 と い った数 名 の者 を伝 書 使 と し て使 う こと
め に、 ク ラウ ゼ ンの家 で行 われ た連 絡 に顔 を 出 し た こ とも あ った。
そ の ころ、 ギ ュンタ ー ・シ ュタ イ ンと そ の友 人 ﹁ガ ンテ ンバ イ ン
が でき た 。 一九 三七年 の初 か ら 一九 三 八年 の夏 に か け て、 私 は こ の
一人 は 背 の高 い、 逞 し そ うな 青 年 で、 も う 一人 の後 で来 た 方 は、 も
東 京 への連 絡 には 二 人 の違 った 伝書 使 がや って きた よ う に思 う。
で会 う こと と し、 そ の通 り実 行 し た。
ま でに 二 、 三回 派 遣 し た。 一九 三 八年 末 に は ドイ ツ大 使 館 の伝書 使
連 中 を 代 る代 る 上海 へ派遣 し て書 類 を運 ば せ た。 一九 三八 年 に は夏
方 の男 だ と い って、 取 調 の際 警 察 官 か ら私 に示 さ れ た写 真 が、 果 し
っと年 が若 く 、華 奢 な つく り であ った。 し かし 、背 の高 い、 逞 し い
た指 令 は 偶 に し か受取 ら なか った。 し かも 、 そ う した 指令 は極 め て
(八) グ ル ープ の成 員 相 互間 の連絡
れ は全 く 孤立 的 な 存 在 であ った 。
われ の持 って いた 唯 一の連 絡 手 段 であ った。 それ を除 け ば 、 わ れ わ
こう し て特 に委 任 さ れ た伝 書 使 を 使 ってす る国 際的 連 絡 が 、 わ れ
つい ては も っと詳 細 に報 告 せよ と 言 って来 る よ う な こ とは あ った。
言 ってよ こす のは 極 め て稀 であ った。 た だ 、時 々こ れ これ の問 題 に
し て興 味 な い が、 これ これ の情 報 は非 常 に重 要 だ、 と い った こ とを
ワ の考 え な ども 偶 に し か知 らし て来 な か った 。 こ れ これ の情 報 は大
簡 単 な 文 句 で書 い てあ った。 われ わ れ が送 った 情報 に対 す る モ スク
て同 一人 か ど う かは 私 に は判 定 でき な か った 。 私 の会 った 男 は眼 鏡
の家 で会 った男 に 幾 ら か似 た と ころ があ った が 、同 一人 だ と断 定 す
を か け てい な か った 。私 に示 され た第 二 の男 の写真 は、 ク ラウ ゼ ン
るだ け の自 信 は な か った。 私 が最 後 に会 った 伝書 使 は、 ど う見 ても 、 国 か ら国 へと旅 行 し て ま わる 典 型的 な本 職 の伝書 使 であ った。 だ が、 私 は こ うし た 事 に つい ては 質 問 を しな い こと に し て いた 。私 は、 独 ソ戦 に つい てち ょ っと話 を交 し ただ け で彼 と別 れた 。
た と思 う 。会 い に行 った のは ク ラ ウ ゼ ンだ った の で、 日取 は憶 え て
私 が逮 捕 さ れ る前 、 最 後 の連 絡 が行 わ れ た の は多 分 十 月初 旬 だ っ
は 、 わ れ われ の送 った 資 料 は 次第 に減 って い った。 と い う のは 、仕
な い し三 十巻 の フ ィル ムが溜 る の であ った。 欧 州 戦 争 が 始 ってか ら
三個 月 な いし 四個 月 と いう 長 い間 何 も 送 ら な い で いる と、 二十 五巻
ィ ル ムであ った 。 フ ィ ルムは 固 く巻 い て、 でき る だけ 小 さ く し た。
ワ へ送 った資 料 は、 ライ カ若 しく は 同 種 の写 真 機 で撮 った夥 し い フ
技 術 的 な面 に つ い て述 べる と、 わ れ わ れ が伝 書 使 を通 じ て モ スク
て いる 限 り で は、 次 の連絡 は十 一月 に 行 わ れ るは ず に な って いた 。
が集 め た情 報 で、 宮 城 か ら提 出 さ れ た ま ま の形 であ った。 私 の知 っ
要 があ った 。 二人 とも ド イ ツ人 ク ラブ に属 し て いた こ と、 ク ラウ ゼ
見 であ る よ う に見 せか け て、 裏 面 の目的 を疑 われ な いよ う にす る 必
せ るも の ではな い。 そ こで、 二人 の会 見 がち ゃん と した 当 り前 の会
私 が ク ラウ ゼ ンと頻 繁 に会 って いる こと な ど、 そう 長 い間 隠 しお う
守 る こ と は、 も と より い つで も容 易 な わ け で はな か った。 た とえ ば、
し な か った 。 この原 則 は 私 の立案 にか か るも の だが 、 これを 厳 重 に
主要 成 員 相 互間 に は連 絡 が なく 、 か り に あ っても 極 く 稀 に し か連 絡
如何 にも 偶 然 の面 会 であ る よ う に見 せか け なけ れば な ら な か った 。
に は慎 重 な 注 意 を払 った 。連 絡 場 所 は な る べく 一度 ごと に変 え て、
のは私 だけ であ った。 連 絡 の度 数 は でき る だ け少 く し、 し かも それ
よ う に な って いた。 私 の諜報 グ ループ の主要 成 員 と直 接 に連 絡 す る
グ ループ の成員 相 互間 の連 絡 に関 す る原則 は、 理 論 上 ざ っと次 の
事 の結 果 を無 線 で報 告 す る方 が次 第 に多 く な ったか ら で あ る 。特 に、
いな い。 そ の時 伝 書 使 に渡 し たも の には 写真 はな か った。 主 に 宮 城
独 ソ戦 勃 発 後 は 、長 文 の報 告 や かさ ば った書 類 を な る だ け減 ら し て、
ンはか つ てオ ー ト バイ と 自動 車 の商売 をや って いた こ と、 そし て 一
九 三八年 私 が オ ー トバ イ の事 故 で重傷 を負 った と き実 によ く 面倒 見
専 ら要 点 を無 線 で報 告 し た。 モ スク ワか ら の伝書 使 がも た ら し た も のは 主 に金 で、 文 書 に 認 め
てき た 。 ま た、 私 を 訪 ね てき て い る他 の ド イ ツ人訪 問客 に出 く わす
だ 。 私 の召使 が い る とき でも 、 ク ラ ウ ゼ ン はし ば し ば私 の家 に訪 ね
てく れ た こと な ど のた め 、 二 人 は頻 繁 に会 っても疑 わ れな い です ん
ギ ュンタ ー ・シ ュタ イ ンと そ の女 友 達 は、 そ の東 京 滞 在 中 ク ラウ
も な った 。
を 厳守 す る こ と は難 し いば か り でな く 、 ま た時 間 を 浪 費 す る こ と に
に 交際 す る よう にな る のは避 け られ な い こと であ った 。前 述 の原 則
絡 を さ せら れ た が、 彼 は 自 分 の家 で会 わず 、 料 理 店 で会 った。
よ う な こと も あ った 。 わ れ わ れ は、 お互 の家 に直 接 電 話 も かけ た 。
以 上 のほ か に、 私 は尾 崎 お よ び宮 城 と個 別 的 な 接 触 を保 って いた 。
ゼ ンと 私 と だけ しか 接 触 し な か った。 ク ラウ ゼ ンは シ ュタ イ ン の家
ては 、私 は ド イ ツ新 聞 通 信員 と し て フ ラ ンス の通 信 社 アヴ ァ スの支
一九 三 九 年 か ら 四〇 年 ま で の間 、彼 ら と会 う とき は た いて い料 理 店
電 話 が 盗 み聴 き され て いた か も し れ な い とし ても 、 そ ん な こ とは 構
局 とも 或 る程 度 の連 絡 を 保 って いる が、 そ れ は敵 国 の通 信 員 や ド イ
で会 った 。 宮 城 が ヴ ケ リ ッチ の家 を訪 問 し た り、 そ こで 私 に会 った
か った 。 ま た、 彼 は私 が 不 在 のと き や病 気 の とき 宮 城 や尾 崎 と の連
ツ に対 し友 好 的 でな い国 の通 信員 と の関 係 を 全 然 絶 や さ な いよ う に
りす る こ とは滅 多 に な か った 。 連 絡場 所 に使 う料 理 店 は、 こ れ ま で
を 仕事 に使 って いた 。 シ ュタ イ ンは ヴ ケ リ ッチと は 直接 の接 触 は な
す るた め だ と い う ふ う に時 折 話 し て いた。 し かし 、 連絡 の度 数 や 方
わ な か った。
法 は 秘 密 に し て お い た。
一度 も 行 った こと の な い料 理 店 か 、 さ も なけ れ ば偶 にし か行 った こ
ヴ ケ リ ッチ と私 の関 係 は秘 密 に し て お いた 。 ド イ ツ大 使 にた いし
私 は 、 も と よく ヴ ケ リ ッチ の家 に行 って、 仕 事 の上 の事 を相 談 し
は滅 多 に西 洋 料 理店 に は行 か なか った 。 も し行 く とす れ ば 尾崎 と行
一度 ご と に新 し い料 理 店 を見 つけ る のは全 く容 易 で はな か った。 私
く と き であ った 。帝 国 ホテ ル は避 け る こ と に し て いた 。 あ そこ で は
と のな い料 理 店 に す る よ う 心掛 け た が 、 だ ん だ ん時 が た ってく る と、
て、 私 に 会 った り、 写 真 に撮 る た め の資 料 を ヴ ケ リ ッチ に 渡 し た
監 視 さ れ る懸 念 が あ った か ら であ る 。
てき た 。 宮城 も そ の家 を 知 って い て、 仕事 の関 係 で何 度 か や って き
り、 ヴ ケ リ ッチ と後 の打 合 せ を した り し た 。 ヴ ケ リ ッチ が再婚 し て
た も の であ った 。 そ し て、 ク ラウ ゼ ンも よ く仕 事 を し に そ こ へや っ
か ら は、 私 は彼 の家 にゆ く のを や め た。 彼 は公 衆 電 話 で予 め打 合 せ
と に し た。 こ の ころ か ら、 外 国 人 が 日 本料 理 店 で 日本 人 と 二人 き り
一九 四 〇年 、 四 一年 ご ろ か らは 、 尾 崎 や宮 城 と は私 の家 で会 う こ
で い る と注 意 を 惹く よ う にな った 。現 に尾 崎 や 宮 城 が、 私 は誰 か と
そし て 、 ク ラ ウ ゼ ンが 彼 の家 に備 付 け てく れた 無 線 機械 を返 す ため に 、 ク ラ ウ ゼ ンの家 を 何 度 か訪 れ た こ とも あ る 。 ヴ ケリ ッチ の前 妻
る よ う にな った ので、 私 は人 の出 入 り す る場 所 は 避 け た方 が賢 明 だ
人 に訊 かれ た り 、 は て は彼 ら 自 身何 を し て い る者 か と訊 か れ た りす
た 上 、私 の家 に や ってき た 。 彼 は ク ラ ウ ゼ ンと直 接 連絡 し て い た。
も 同 じ 目的 で し ば しば ク ラウ ゼ ンの家 を訪 問 し て いる。 私 も 一時 は
と考 え た 。 そ こ で、 私 は夜 暗 く な ってか ら私 の家 で会 う こと に し た。
頻 繁 に 同家 に行 った も のだ が、 こ こ 二、 三 年 は滅 多 に行 った こ とが な い。時 が経 過 す る に つれ、 グ ループ の中 の二、 三 の外 国 人 が お 互
であ った 。前 に も述 べた よ う に 、 一九 三 三年 末 頃 ベ ル ン ハル ト夫 妻
が 日本 に 着 いた が、 ベ ル ン ハルト は私 のた め に無 線技 師 を勤 め るた
な 警 戒 を す る こ と は、 わ れわ れ の非 合 法 活 動 にと り 極 め て大 事 な 事
め にや ってき た も の であ る。 彼 は横 浜 の自 分 の家 に 無 線局 を設 け 、
こ の ころ か ら、 ヴ ケ リ ッチも何 度 か私 を訊 ね 、 ク ラウ ゼ ンは、 尾 崎
て、 ク ラウ ゼ ンは、 自 然 何 度 か 尾崎 や宮 城 に会 った こと が あ る わけ
第 二局 を 東 京 のヴ ケ リ ッチ の家 に設 け た。 し かし 、 技 術的 に言 って、
や 宮 城 が 、私 の家 に居 合 せ て いる と き に し ばし ば や って き た。 従 っ
であ る 。 な お、 或 は私 が 間 違 って いる かも しれ な いが 、 ヴ ケ リ ッチ
局 を 探 知 さ れ る の を防 ぐ こ とが で き な か った の で、 す っか り狼 狽 し
の方 は、 私 の家 でも 、 ま た ほ か の所 でも 、 一度 も 尾 崎 に は会 って い
てし ま った。 ク ラ ウゼ ンが 日本 に到 着 す る と 、 様 子 は 一変 し た。 仕
に送 る こと が で き た だけ であ った。 そ れ ば か り でな く 、彼 は 二 つの
て いた 。時 が経 過 す る に従 い宮 城 と尾 崎 が、 仕 事 上交 際 す る よう に
事 に 対す る彼 の能 力 と 熱 意 は実 に無 限 であ った 。 ベ ルン ハル トが い
彼 の仕 事 は甚 だ不 満 足 なも の で、私 は極 め て短 い通 信 を、 し かも 偶
な る の は、 避 け難 いこ と であ った 。 そ こで私 は、 彼 らが 、 尤 も な 口
た ころ は、 通 信 文 を私 が 暗 号 に組 ま なく て はな ら な いの で、 ず いぶ
な いよ う に思 う。 とも か く も 、宮 城 と ヴ ケ リ ッチ に つ いて は、 私 は
実 を設 け て、 尾 崎 の家 で会 う の を認 め る こと に し た。
ほ か の者 に連 絡 さ せな い で、 私 だけ が会 う 方 針 を厳 守 す る こ と にし
ク ルー プ の下 部 の成 員 と は、 二人 の者 以 外 に は全 然 会 った こと が
の許 可 を得 て彼 に暗 号 を 教 え、 暗 号 に組 む 仕 事 を や ら せ た。 元 来 暗
ん 時 間 を と ら れ たも のだ った が、 ク ラ ウゼ ンが 着 く と私 は モス ク ワ
号 事 務 に は グ ループ の長 だ け が当 る建 前 だ が 、 ク ラウ ゼ ンは人 物 が
な い。 一人 は水 野 で、彼 と は尾 崎 と い っし ょに料 理 店 で会 った 。 い
確 か な ので、 難 なく モ ス クワ の許 可 が得 ら れ た ので あ った。
ま 一人 は小 代 で、 彼 と は 一、 二度 会 った 。 尾崎 や宮 城 が下 部 の成 員 と ど ん な連 絡 方 法 を と って い る かと いう こ と ま で私 が監 督 でき る わ
無 線 局 を設 け た。 或 る 時 な ど、 四 つの異 な った 地 点 か ら送 信 す る こ
クラ ウ ゼ ンは、 無 線 連 絡 の万 全 を期 す るた め、 で き る だ け多 数 の
と が で き た。 不 断 でも 、 た いて い少 く とも 三 つ の地 点 か ら送 信 し て
と こ ろを 信 頼 す る よ り ほ か に途 はな か った。 時 折 彼 ら の連 絡 方法 を 尋 ね て、 特 に慎 重 に や る よう に注 意 を与 え る だけ であ った 。
け の も の で はな か った。 私 は彼 ら が そ の経験 と才 能 に基 づ い て行 う
(二) 中 央 当 局 と の無線 連絡
で は、 ク ラ ウゼ ンは私 の家 に も局 を 設 け てみ た が、 成 績 が 思 わし く
ュタ イ ンが東 京 に いた間 は、 彼 の家 も 無 線 に 用 い ら れ た。 私 の記憶
な か った の で、 どう し て も こ れを 使 う よ り ほ か に方 法 がな いと き だ
いた 。 ク ラ ウゼ ン の家 、 ヴ ケ リ ッチ の前 妻 の家 が そ れ であ った 。 シ
てお く こと にす る。
け 使 う こ と にし た 。 無線 に対 す る監 視 は 早晩 一層 厳 重 にな る も のと
私 自 身 は無 線 に つい て は何 も 知 ら な い。 こ の問 題 に つ いて は ク ラ
中 央 当 局 と の間 に絶 えず 満 足 な 無 線連 絡 が と れ る こ とは 、 わ れ わ
思 った の で、 わ れ わ れ は 監 視 を逃 れ、 ま た は こ れを 惑 わす た めに で
ウ ゼ ンが 詳 しく 陳 述 し て いる の で、私 は 以下 の概 括 的 な説 明 に 止 め
い つも よ く こ れを 整 備 し てお く こ と、 そ し て探知 さ れ な い よ う周 到
れ の仕 事 に と って最 も 大 切 な 事 な ので、 無 線 の連 絡 を つけ る こ と、
の報 告 な どが あ った (尤 も こ の報 告 と いう のは 単 な る情 報 に過 ぎ な
い て、私 の個 人 的 な見 解 を報 告 し た。 そ し て、 日 本 と ソ連 の間 に存
き る だけ 頻 繁 に 局 の所 在 を変 えた 。 ク ラウ ゼ ンは無 線 機 械 を 小 さ く
す る 戦争 の危 険 に つ い て可 成 り の長 文 の報 告 を ほ と ん ど規 則 的 に送
って いる期 間 中 に おけ る 日本 の内 政 お よ び外 交 政策 の 一般 状 況 に つ
困 った の は、 日 本 では いい資 材 がな か な か 見 つか ら な い こ と であ っ
り 、 そ れ に は 日華 事 変 や そ の他 の日本 の軍 事 行 動 に関 す る詳 細 な報
い場 合 が多 か った )。 私 は、 伝 書 使 便 が あ るご と に、 右 報 告 が 取 扱
た。 のみ な らず 、無 線 資 材 を 、 特 に外 国 人 が 買 う と な る と、 甚 だ 人
す る よう に し ば し ば骨 を折 った 。 そ れ は 、操 作 場 所 へ運 ぶ とき 目 だ
目 を 惹 き 易 い ので あ る。 そ こ で、 ク ラウ ゼ ンは 必要 な資 材 を 上海 で
た な いよ う に し 、 ま た容 易 に隠 せる よ う にす る ため であ った 。 た だ
買 った。 私 は、 彼 が 上海 か ら自 分 で持 ち 帰 った のを 記 憶 し て いる 。
の増 加 、 陸軍 の機 械 化 な どに つ いて も報 告 し た。 そ れか ら 、 私 の諜
報 グ ルー プ の組 織 に つい ても ほ とん ど毎 回報 告 した 。 ま た 、 時 に は
告 も 附 け 加 え た 。 ま た、 日本 の戦争 準 備状 況 、 航 空 機 の状 況 、師 団
て い たが 、 一時 上海 に も そう し た連 絡 局 の設 置 を試 み た こ とが あ っ
た ら い いか 、 と い った特 別 な 問 題 も 取 扱 った。 な お、 た い て いの場
ヴ ケ リ ッチ や、 ク ラ ウ ゼ ン の地 位 を 合 理的 な も の にす る に は ど う し
無 線 の連 絡 地 点 は ウ ラ ジ オ スト ックも し く は そ の附 近 と推 定 さ れ
た。 それ は モ スク ワ への中 継 局 とし て使 お う と い う の であ って、 中
の家 で写 真 に し た も の であ る 。 私 は 伝 書使 が出 発 す る直 前 に報 告 を
合 、 私 は 、 ち ょう ど そ の ころ に終 った期 間 の会 計 報 告 も 出 し た。
書 いた 。時 に は ヴ ケ リ ッチと ク ラウ ゼ ンに各 自 が 関 係 し て いる問 題
三 の例 外 の場 合 を除 い て、 上 海 と の連 絡 は不 成 績 だ った。 モ スク ワ
国 と の間 に別 箇 の連 絡 を と る た め のも の では な か った。 し か し、 二、
織 お よ び活 動 問 題 に関 し モ スク ワか ら わ れ わ れ に発 す る指 令 な ど を
に つ いて そ れぞ れ報 告 を 書 か せた こ と もあ った。
日本 の軍 事刊 行 物 も 含 め て、 獲得 し た書 類 や資 料 は す ぐ さ ま写 真
伝 え るた め に使 用 さ れ た。
伝 書使 が運 ん だ包 み の大 き さ は 可成 り まち まち であ った 。前 にも
か ら の指 令 で、 ハバ ロ フ スク と直 接 の連 絡 を と ろ う と した こ とが あ
ク ラウ ゼ ンは、 極 く 少 し の例 外 の場 合 を除 い て、 い つも 中 央 当 局
言 った よ う に、 フ ィル ムが し ば し ば 三十 巻 き にも達 し 、 そ れ は 一枚
った 。 ま た 、或 る も の は私 の家 でも撮 った が、 大 部 分 は ヴ ケ リ ッチ
と見 事 に連 絡 を と る こ と が で き た。
ず つの 写真 に算 え なお す と優 に 千枚 にも な るも の であ った。 しか し 、
に 撮 った 。 そ の中 の或 る も のは私 自 身 直 接 ド イ ツ大 使 館 で写 真 に撮
(ホ) モ スク ワ と の伝 書 使 連絡
時 に は僅 か 十 五巻 き と いう こと もあ った。 五、 六 週間 の間 隔 で伝 書
った が、 ク ラウ ゼ ンは傍 受 さ れ る倶 れ が あ る と 言 って こ れを や め た 。
伝 書 使 連 絡 の こと に つ いて は、 す でに 詳 し く書 い た。 わ れ わ れ が、
使 便 が出 る よ う な場 合 に は、 そ れ よ りも も っと少 い ことも あ った 。
無 線 連 絡 は 、緊 急 の情 報 、 組 織 問 題 に 関 す る中 央 当 局 への報 告、 組
は ド イ ツ大 使 館 か ら 入手 し、 ま た は 尾 崎 と宮 城 か ら提 出 さ れ た経 済、
最 近 、 す な わ ち 一九 四 一年 に は 、入 手 した 情 報 の中 でも最 も 重 要 な
不 規 則 な 間 隔 を お いて伝 書 使 に托 し て モ スク ワ に送 った 文 書 の中 に
政 治 、 軍 事 に関 す る書 類 、 こう した 諸 問 題 に関 す る尾 崎 お よ び宮 城
も のや 、 最 も 急 を要 す る報 告 だけ を 送 った 。 モ スク ワか ら 送 ってき
行 う べき こと 。
た伝 書 使 便 の内 容 は 、伝 書 使 に つ い て記 述 し た箇 所 です でに述 べた
わた って最 も重 要 な任 務 であ って、 こ れ こ そ私 が 日 本 に派 遣 さ
れ た 目 的 のす べて だ と言 って大 し て間 違 って は いな いと思 う。
これ は 、 私 と私 の グ ループ に 与 え ら れ た任 務 申 でも 、長 年 に
一九 三 五年 、 ク ラ ウ ゼ ンと 私 は 第 四本 部 の オ リ ッキ ー 将軍 に出
通 り であ る 。 或 る 例 外 の場 合 を 除 い て、 資料 は す べ て写 真 に撮 って送 った。 焼
発 の挨拶 を し に行 った が 、 そ の時将 軍 はし き り に わ れ わ れ の使
命 の重要 性 を力 説 した 。 これ に 成功 す れば 、 ソ連 は 日本 と の戦
てお いた 。私 が ド イ ツ大使 館 で困難 な条 件 のも と に撮 った 写真 は往 往 に し て不満 足 なも のだ った が、 あ の場 合 あ れ で いい とす る より ほ
れ は モ スク ワ当 局 各 方 面 の大 き な関 心事 な の であ った。 こ こ で
争 を 避 け る こ とが でき る か も し れな い と いう 意 味 に お い て、 そ
付 け た場 合 は っきり 読 め る よ う に し てお く ため 、 フ ィ ル ムは現 像 し
か は な か った。 フ ィル ムが溜 る と、 われ わ れ は そ れ を私 の家 や ク ラ
わ れ わ れ が念 頭 に置 い てお か ね ば な らな い のは 、 日本 に対 す る
ウ ゼ ンの家 に隠 し た。 或 る 時 は ヴ ケ リ ッチ の家 に も 隠 し た こ とも あ った。 ド イ ツ大 使 館 には資 料 や書 類 だけ を 置 い て、 フ ィル ム は置 か
の対 外 政 策 の上 で執 った態 度 と そ の演 じ た顕 著 な役 割 を見 て、
ソ連 の猜 疑 心 であ る 。 す な わ ち、 満 州 事 変 以 後 日本 軍 部 が 日本
が いく ら 反 対 の説 を立 て ても モス ク ワ当 局 は ど うも 十 分 に は わ
よ う にな った 。 そ の猜 疑 心 た るや 非 常 に 強 いも の であ って、 私
な か った。
か ってく れ な か った。 ノ モン ハン の戦 闘 中 や、 一九 四 一年 の夏
ソ連 は 日本 が 対 ソ攻撃 を計 画 し て いる と いう深 い猜 疑 心を も つ
に指 示 さ れた 一般的 任務 と 一九 三 五年 に授 け ら れ た相 当 具 体 的 か つ
グ ル ープ の任 務 は 二 つに分 つこ とが でき る 。第 一は、 一九 三 三年
日本 軍 の大 動 員 が 行 わ れ た こ ろ な ど特 にそ う で あ った。
二、 日 本 にお け る私 の諜 報 グ ルー プ の任 務
詳 細 な 任 務 であ る。 第 二 は、 私 の 日本 滞 在 中 に起 った い ろ いろ な 事
す る と いう 主 要 使 命 のほ か に、 日本 の対 ソ政 策 に関 係 のあ る あ
あ と で モス ク ワか ら 、 重要 か つ必 要 な 任 務 であ る と し て承 認 し てき
ら ゆ る対 外 政 策 を観 察 す る任 務 も 負 わ さ れ て い た。 し か し、 モ
件 を見 て、 私 み ず か ら買 って出 た 任 務 であ る 。 こ の第 二 の任 務 は 、
一九 三 三 年 に指 示さ れ た 任 務 お よび 一九 三 五 年に 授 け ら れ た
わ れ われ は 、 日 本 が対 ソ攻 撃 を 考 え てい る か どう か を 明 か に
た。 (イ )
スク ワは 漁 業 問題 や樺 太 問 題 な どよ り、 満 州 ・シ ベ リ ア間 の国
し て いた 。
境 問 題 や 蒙 古 ・満 州間 の国 境 問 題 の方 に も っと大 き な 関 心 を示
詳細な任務 これ は大 体 次 のよ う なも の であ る 。
二 ソ連 に対 し て向 け ら れ る可 能 性 のあ る 日本 の陸 軍 お よ び航 空
一 満 州 事変 以後 に おけ る 日本 の対 ソ政 策 の詳 細 を 観 察 し、 日本 が ソ連 攻 撃 を計 画 し て い るか どう か の問 題 に つ き綿 密 な 研究 を
部 隊 の改編 と増 強 に つい て 正確 な観 察 を行 う こと。
本 軍 を急 送 す る こ と は可 能 な事 だ か ら であ った 。
と いう の は、 中 国 の占 領 堆域 か ら ソヴ ィ エト国 境 に む か って日
も ち ろ ん、 一九 三 三年 の申頃 や 一九 三 五年 の夏 に、 当時 徐 う
加 え る も の とし て両 国 の関係 を詳 細 に研 究 す る こと 。
三 ヒ ット ラ ー の政権 獲 得 後 日本 と ドイ ッの関 係 は当 然 緊 密 化 を
こ の任務 は前 項 の一 と関 連 す る も の であ るが 、 日本 軍 部 は そ の膨 大 な予 算 要 求 を正 当 化 す るた め ソ連 を そ の主 な敵 であ る と
軍 事 諜 報 を獲 得 す る 必要 があ った 。従 って、 私 の諜 報 活 動 は満
に友好 的 にな って行 って いた 日本 と ド イ ツ の関 係 が 果 し て ど の
し て いた ので、 こ の任務 を遂 行 す る に は極 め て広範 囲 にわ た る
ソ連 に対 し戦 争 が 計 画 さ れ て いる こと を示 唆 す る あ ら ゆ る措置 、
州 国 にお け る 日本 軍 の増 強 たけ を 問 題 とす るも ので なく し て、
しか し、 モ ス クワ は両 国 間 に接 近が 行 わ れ て い る こ とを確 信 し、
程 度 に ま で発 展 す る も のか を予 言 す るに は時 期 はま だ早 過 ぎ た 。
し か も そ れ は主 とし て ソ連 を 目標 とす る も の であ る と信 じ て い
特 に陸 軍 の編 成替 え の問 題、 に関 心 を寄 せ た。 そ し て、 日本 陸
た 。 ソ連 とし ては、 日本 と ド イ ツ の対 外政 策 は ソ連 を 目標 とす
こ の特 別 な 任 務 は、 私 の主 な仕 事 の 一つと し て私 に 課 せ ら れ
の仕 事 の重 要 な 一部 であ った こと は言 う ま でも な い。 日本 の軍
た も のであ る が 、 そ れ は モ スク ワ当 局 が 、中 国 にお け る私 の仕
軍 の機 械化 と自 動 車 部隊 化 に深 い注 意 を払 う こと が、 わ れわ れ
数 は ソ連 の師 団 数 に ほ ぼ 匹敵 す る よ う にな り 、機 械 化 は ノ モ ン
事 振 り を見 て、 私 は き っと日本 にお け る ド イ ツ側 上 層 部 と の間
るも のだ と いう濃 厚 な疑 いを も って いた だけ に、 一九 四 一年 日
ハン事 件以 来 非 常 な勢 で進 めら れ た 。 こう し た躍 進 振 り は、多
にし っか りし た 関係 を築 き あ げ る こ とが で き る と思 った か ら で
部 が 大 増強 計 画 と大 編 成替 えを 遂 行 し た こ とは 一般 の驚 きと し
数 の軍 指導 者 の公 言 と併 せ考 え る と 、確 か に ソ連 を目 標 とす る
あ った 。 もち ろ ん、 こう し た 問 題 を詳 し く 調 べる こ と ので き る
と、全 く 意 外 の感 に打 た れ た の であ った 。
も の のよ う に思 われ 、私 も これ に 大 き な関 心 を も った の であ っ
所 と い って ドイ ツ大 使 館 以 外 に場 所 はな く、 私 は当 然 同大 使 館
本 が国 家 の生 涯 に おけ る大 転換 を行 って米 英 に対 し 戦端 を開 く
た 。 も ち ろ ん、 満 州 で行 わ れ て いる 戦争 準 備 を絶 えず 日本 か ら
た と ころ で あ って、 し か も そ れ は中 国 だけ でな く、 ソ連 を も 目
監 視 し て い る なん て でき る事 では な い の で、私 の観 察 はた だ折
内 に し っかり し た足 場 を築 く も の と考 え ら れ て いた 。
標 とす る も の だと 考 え ら れ て いた 。兵 力 は三倍 に増 加 し、 師団
にふ れ て の偶 然 のも のにす ぎ な か った。 し か し、 満 州 国 に或 る
四 日本 の対 華 政 策 に つい て絶 え ず情 報 を獲 得 す る こと。
ても い いだ ろう 。 この任 務 は 一九 三七 年 の夏 に は途 方 もな く 広
こ れ は、 私 が 中国 でや った諜 報 およ び 調査 活 動 の続 き と考 え
秘 密 機 関 が設 け ら れ てい て、 そ れ が こ の問 題 を直 接 取 扱 って い
と も か くも 私 は こ の問 題 に注 意 を払 う こ とに し た。 私 は 申国 に
汎 な も のに発 展 し た が、 私 が そ れを 引 受 け た当 時 、 そ の よう な
るも のや ら、 いな いも の や ら、 何 と も判 断 が つき かね た ので、
お け る日本 の兵 力 に 絶 えず 目 を 配 って いな け れ ば なら な か った。
こ とに な ろ うな ど と考 えた 者 は 一人 も いな か った。 モ スク ワ は、
つ唯 一の、 真 の仮 想 敵 国 と考 え て いた か ら であ る 。 一九 三三年
に は、 将来 日本 海 軍 が そ の政 治 勢 力 を増 し、 ま た戦 時 経 済 上 必
導者 たち は帝 政 ロシ アお よ び ソヴ ィ エト連 邦 を も って 日本 のも
だ ろ う し、 また そ の対 華 政 策 か ら将 来 日本 は ソ連 以 外 の各 国 と
日 本 の対 華 政 策 が 判 れ ば、 或 る程 度 日本 の対 ソ意 図 も 判 明す る
ど ん な関 係 にた つか と いう こと も容 易 に推断 で きる だ ろ う と考
え て いな か った の で、 も し決 定的 な力 を も った陸 軍 の勢 力 が引
要 な物 資 (石油 、 ゴ ム、金 属 ) を南 方 に求 め る も の とは 誰 も考
続 き 増 大す るな ら ば 、 そ の鋒 先 は ソ連 に向 け ら れ るも のと モ ス
え た に過 ぎ な か った。
ク ワが 考 え た のは 当然 であ った 。従 って こ こに掲 げ た 任務 は非
五 日本 の対 イギ リ スお よ び対 ア メ リカ 政策 を 注 視 す る こ と。 この任 務 は特 に重 要 であ った。 と いう のは、 日 華 事変 が始 ま
常 に 重 要 な も の であ った。
達 の程 度 如 何 に よ って決 ま る と ころ が 大 き い の で、 モ スク ワが
日本 陸 軍 が効 果 的 な カ を発 揮 でき る か どう か は、 重 工業 の発
拡 張 の問題 に留 意 す る こ と。
七 日本 の重 工業 に関 し て絶 え ず情 報 を 獲得 し、 特 に 戦時 経 済 の
る時 ま で、 モ スク ワは 日 本 が イギ リ スと ア メ リ カの支 援 のも と に ソ連 に立 ち向 ってく る 可能 性 があ る と信 じ て いた か ら であ る 。 列 強 が い っし ょにな って対 ソ封 じ 込 め戦 争 を す る と いう 考 え方 は決 し てあ っさ り 片 づ け て しま う こと の でき る も の で はな い、 と いう のが モス ク ワ の見 解 であ った。 六 日本 の対 外 政 策 決 定 上真 に日本 軍 部 によ って演 ぜら れ て いる
一九 三 一年 ま で平 時 的 基礎 の上 に 立 つ軽 工業 の発 展 に精 力 を傾
倒 し て き て いる の であ る 。軽 工業 か ら重 工業 への転 換 に つ いて
この問 題 に 関 心 を示 し た のは当 然 の事 であ る。 ま し て、 日本 は
動 向 、特 に青 年 将 校 一派 に綿 密 な 注意 を払 い、 そ し て、 政治 上
は、 ソ連 自 身 が実 際 に 困難 を経 験 し た こ とな ので、 日本 が この
役 割 を注視 し、 対 内 政策 に影 響 を 及 ぼす 惧 れ のあ る陸 軍 部内 の
の各 分野 に わた る 国 内政 策 上 の 一般 的 動 向 を見 守 る こと 。
問題 を どう解 決 す る か は ソ連 とし ても大 い に興味 が あ るわ け で あ る。
モ スク ワ が こ の任務 を課 し た のは、 日本 の諸 政 策 、 特 に対 外 政 策 の上 で指 導 的 な役 割 を 演 じ て いる の は日本 の軍 部 であ る こ
こ の任 務 の中 に は、 満州 国 にお け る経 済 の発 展、 特 にそ の重
工業 に つ いて の 一般 的 な観 察 も 含 ま れ て いた が、 東 京 に い てこ
と を熟 知 し て いた か ら であ る 。 一九 三 一年 以来 、 ソ連 当 局者 は 日 本 陸軍 の勢 力 が大 い に増 大 し た のを よ く知 って いた 。 そし て、
うし た 問 題 に絶 えず綿 密 な観 察 を加 え る こと は不 可 能 で、 これ
に つ い ては私 は ただ 二 、 三 の情 報 を集 める こと が でき た だ け で
そ の後 の数 年 間、 彼 らは 日本 の指 導 的 政治 家 た ち に対 す る軍 部 の影響 力 がま す ます 大 き く な る か どう か の点 に 関 心 を持 た ざ る
あ った 。
(ロ) 日 本で 私が み つ から 択 ん だ 任務
を得 なか った 。 こ の問 題 は モ スク ワに と って実 に 切実 な意 義 を 有 す るも の であ った。 と いう の は、 過去 数 十 年 間 日本 軍 部 の指
いろ いろ と政 治 上 の事 件 が 発 生 す る に従 って 生 じた 重 要 な任 務 は 左 の通 り であ る 。 ( 私 は年 代 順 に従 って述 べる こと に しよ う ) 一 一九 三六年 に起 った いわ ゆ る 二 ・二六 事件 と そ の内政 に 及 ぼ
か ら ば か り でな く、 広 く 政治 的 、 社 会 的 な見 地 か ら も こ の事 件
に 関 心 を示 し た 。 そ し て、 そ の後 に引 続 いて起 っては解 消 し 、
鎮 圧 さ れ た内 部的 危 機 に注 意 を払 った こと は、 言 う ま でも な い。
内 政 上 の影 響 を調 査 す る こ と は特 殊 な任 務 と考 え ら れ る べき も
は実 に 重大 であ って、 まず 事 件 そ のも の を調 査 し 、次 い で そ の
た と ころ に該 当 す る も のであ る。 し か し、 二 ・二 六 事件 の意 義
これ は モ スク ワか ら 与 え ら れた 任 務 と し て前 節 イ の六 に述 べ
って、 こ れ は疑 問 の余 地 のな い事 だ った ので、 モ スク ワか ら私
あ り、 も っと端 的 に 言 う なら ソ連 を敵 とし て結 ば れた も ので あ
が明 か とな った゜ 当 時両 国 は ソ連 を対 象 とし て結 ば れた も ので
で きる だ け緊 密 な 政 治 上 お よ び軍 事 上 の同 盟 を 求 め て いる こと
も強 力 な 日本 の軍 部 指 導者 も 、 単 に 両 国 の政 治 的接 近 に止 ら ず
い わゆ る防 共 協 定 に 関 す る最 初 の会 議 で、 ドイ ツ の支 配 階 級
二 日 独 同 盟
の であ った。 二月 二 十 六 日 に なる 大 分前 から 国 内情 勢 緊 迫 の兆
し た影 響 。
し は ま す ます 濃 厚 の度 を加 え ては いた が、 事 件 の ﹁爆 発 ﹂ と、
第 一次 近 衛 内 閣 の も と で起 って解 消 した 内 部 的危 機 も 大 規 模 な
構 成 を 理 解 す る の に役 立 った か し れな い。 広 田 内 閣、 林 内 閣、
力 に関 す る 記 録 や秘 密 文 書 な どよ り、 ど れく ら い日本 の内 部的
露 さ れ た社 会 的 緊張 と 内部 的 危 機 を 研究 す る こ とは 、単 な る兵
要 が あ った 。 こ の事件 に対 し 鋭 い検 討 を加 え、 專件 に よ って暴
じ て私 が つね に最 も注 意 を払 った のは 、 こ の問 題 であ った。 そ
し、 そ の間 国 際情 勢 も いろ いろ と変 化 し た が、 在 日 全 期間 を 通
た か ら、 なお さ ら の事 であ った 。交 渉 は いろ い ろな 段 階 を経 過
く るだ け でな く 、 ほ ん と う の同 盟 を締 結 し よ う と いう ので あ っ
ま し て、 そ の交渉 た るや 、 いま で は周 知 のよ う に防 共 協定 を つ
は 、私 の仕 事 の中 でも 最 も 重要 なも の とな ら ざ るを得 な か った 。
早 く か ら嗅 ぎ つけ て いた の で、両 国 の関係 を観 察 す る 私 の任 務
に与 え ら れ た課 題 、 す な わち 日独関 係 に関 す る 研究 は ま ったく
調 査 を 行 う 上 で好 箇 の資料 と な った 。 二 ・二 六事 件 は、 日 華事
し て、 同 盟 交渉 中 ドイ ツと 日本 が果 し てど の程 度 に強 い反 ソ態
特 に そ の辿 った 特異 な経 過 と は、 外 国 お よ び外 国 人 に と ってた
変 が 起 った た めす っかり そ れ に覆 いか く さ れ て し ま った が、 こ
度 を示 す か と いう こ とは 、 た し かに モ スク ワ の大 き な関 心 事 で
し か に大 きな 驚 き で あ った。 とは言 え、 事 件 は 如何 にも 日本的
の事 実 は わ れ わ れが 日本 の対 外 政 策 と内部 構 成 を 理 解 す る 上 に
あ った 。 そ し て、 一九 四 一年 夏 独 ソ戦 が始 ま ってか ら は、 日 本
ッペ ント ロ ップ 外相 の間 に秘 密 交 渉 が 行 わ れ て いる と いう噂 を
こ の上 も な い参 考 と な った。 こう いう わけ で、 わ れ わ れ の諜 報
新 し い様 相 を 呈 す る に至 った 。私 は、 ベ ルリ ンで大 島 大使 と リ
グ ルー プ が 二 ・二六 事件 を特 別 な 任 務 の対 象 とし て択 ん だ のは
が そ も そも ド イ ツと同 盟 交 渉 を始 め た ころ の初 め の態 度 に似 つ
な特 性 を具 え た も ので あ って、 そ の原 因 は特 に 探 究 し てみ る 必
当 然 な事 であ った 。 モ スク ワ当 局 と し ても 、 単 に軍 事 的 な 見 地
中 に起 った 最 大 の任 務 の 一つで あ った。 そし て、 私 の諜 報 グ ル
事 で あ った。 この課 題 に対 す る 解答 を見 出 す こと は、 私 の在 日
か わ し い よう な実 際 行 動 に出 る か ど う か、 モ スク ワ の最 大 関 心
対 象 であ った中 国 の情勢 も 一変 し た 。 かく し て、事 変 は われ わ
す っか り 変 った。 そし て、 か つ て数 年 間 に わた って私 の仕 事 の
以 上 述 べた と ころ とは別 に、 ソ連 の対 華 政 策 も事 変 のた め に
に つ い て容 易 に いろ いろ と観 察 を 下 す こ とが でき た。
に 転換 す る こ とは 不 可 能 だ か ら であ る 。
いる間 は 日本 の膨 脹 政 策 が 急 に、 も しく は容 易 に 、方 向 を 北 方
事 変 は中 国 に 局 限 さ れ て いた 。 と いう のは 、 事 変 が進 行 し て
ワ も 全く 新 し い問 題 と取 組 まね ばな ら な くな った 。
に起 った新 事 態 のた め に イギ リ ス、 ア メ リカ のみ な らず モ ス ク
こう し た事 は従来 列 国 が不 可 能 と考 え て いた 事 であ り、 日華 間
立 脚 点 は 一変 し 、 日本 は中 国 で独占 権 を獲 得 す る こ と にな った。
度 が強 まり 、対 日緩 和 政策 を捨 て て ア メリ カ の外 交方 針 に従 わ
見 せ て いた が、 ヨー ロ ッパ戦 争 勃 発 後 は特 に ア メ リカ依 存 の程
対 し緩 和 政策 を とり 、 む し ろ 日本 の対華 政 策 を 是 認す る傾 向 を
は不 明 であ った。 イギ リ スの行 き方 は、 周 知 のよ う に、 日本 に
服す るか、 そ れ とも 双 方間 の危 機 が 起 る よ う にな る か の点 だ け
変 化 が 認 め ら れた 。 た だ イ ギ リ ス、 アメ リ カが 日本 の政 策 に屈
であ った。 日華 事 変 が 起 って数 箇 月 も た つとも う明 瞭 に情 勢 の
の間 の関係 に重 大 危 機 が起 る か の いず れ か であ る こと は明 らか
ス、 ア メリ カ が完 全 に日本 に屈 服 す る か、 それ とも 日本 と両 国
日華 事 変 を全 面 的 戦 争 と し て遂 行 す れ ば、 そ の結 果 は イギ リ
四 長 年 にわ た る 日本 と英 米 両 国 と の間 の関 係 の崩 壊
れ に対 し特 別 な課 題 を 齎 し た の であ った。
ープ は こ の点 に つ いて輝 か し い成 果 を収 めた の であ った。 三 一九 三 七年 に起 った 日 華事 変 日華 事 変 も ま た予 期 し なか った事 件 で、 こ のた め わ れわ れ は
日華 事 変 はま た 経 済的 な観 点 か ら も わ れわ れ に と って非 常 に
ざ る を得 な く な った。 日華 事変 と 日独 同 盟政 策 に加 え て、 日本
特 に重 要 な任 務 を 帯 び る こ と にな った。 こ の事 変 で 日華 関 係 の
転 換 が行 わ れた のは こ の事 変 期 間 中 の事 だ った から であ る° 日
重 要 であ った 。 と いう の は、 日本 の戦 時 経 済 計 画 と重 工業 への
の関 係 は遂 に崩 れ て しま った 。 イ ギ リ スは か つ て 日本 の同 盟 国
が南 方進 出 政 策 を と る にお よ ん で、 日本 と イギ リ ス、 ア メリ カ
で あ り、 ア メリ カも か つ ては こ の同 盟 に 好 意を も って いた が、
本 の戦 時 経 済 への移 行 を観 察 す る こと は モ スク ワか ら 与 え ら れ
会 を 与 え ら れた の であ った。
た 任務 の 一つだ った が、 われ わ れ は事 変 によ って そ の絶 好 の機
最後 に 日華 事 変 は、 日本 が戦 争 を起 す とき に用 いる や り方 や
日華 事 変 は そ の発 端 か ら右 の よう な 可能 性 を 孕 ん で い た の で、
注 意 ぶ か い外 交観 察 者 た ち は いず れも 日本 、 イギ リ ス、 ア メ リ
いま や 両 国 は 日本 の敵 と な った。
好 の機会 で あ った 。 事変 は、 日本 の装 備 増 強 、 陸 軍 の再 編 成 に
カ 三国 間 に お け る関 係 の変 化 に異 常 な関 心 を示 し た 。私 が こ の
日 本 海軍 の増 強 ぶり 、編 成 ぶり な どを詳 しく 調 べる た め には 絶
対 し実 験 場 を 提 供 し た よう な も のであ った か ら、 こ れら の諸 点
事 態 の進 展 が こ れを 証 明 し て いる 。
問 題 の研 究 に従 事 し た こと が間 違 で な か った こと は、 そ の後 の
た って極 め て重 要 な問 題 だ った の で、 別 箇 の任 務 と し て考 え て
も し れな いが、 何 し ろ私 の諜 報 グ ルー プ に と って は数 ヵ月 にわ
掴 む こ と が で き さ えす れ ば、 日本 が ソ連 と の戦 争 を欲 し て い る
も い いも の であ った 。動 員 の規 模 と方 向 (北 か南 か ) を 正確 に
こ の問 題 に関 連 し て私 が 従事 し た任 務 の性 質 と意 義 に つい て
か ど う か は っき り す る ので あ った。 動 員 が 大 規 模 で あ り、 ま た
五 第 二 次 世界 大 戦 およ び独 ソ戦 に対 す る 日本 の態 度
は 今 更説 明す る ま でも あ るま い。 過去 二箇 年 間 半 日本 を戦 争 に
判 って き た。 こ れ によ って、 わ れ わ れ は五 の中 で述 べた疑 問 に
心 配 し た が、 そ れ は主 に ソ連 を 狙 ったも の でな いこ と が次 第 に
対 し 遂 に解 答 を 与 え る こと が で きた 。 つま り 、 あ の夏 ま た は秋
或 る程 度 の増 援 部 隊 が 北 方 に送 ら れ た の で、 わ れ わ れ は初 め は
スを 主 た る 目標 と し て 日本 と の間 に 同盟 を結 ぼ う とし た 。 一九
引 入 れ よ う と し て ド イ ツが 試 み てき た努 力 を 思 えば 、 そ の重要
四 〇 年 に は、 イ ギ リ ス と ア メリ カ に対 抗 す る こ とを 目 的 と し た
に 日 本 が ソ連 攻 撃 の挙 に出 る よ う な こ と はな い、 言 い換 え る な
性 はお のず か ら明 か であ る。戦 争 勃発 の直 前 、 ド イ ツは イ ギ リ
条 約 に首 尾 よく 日本 を し て署 名 さ せ る こ と が で きた 。 一九 四 一
でき た の で あ った。
こ の結 論 に達 し た のち にわ れ わ れ が直 面 し た問 題 は、 日本 と
ら 、 少 く と も翌 年 春 ま で は攻 撃 は起 ら な い、 と断 定 す る こ と が
ア メリ カ の間 に起 った 重 大危 機 であ った。 危 機 は 遂 に 十 二 月 に
う とし た 。 こう い うわ け で、 第 二次大 戦 に対 す る 日本 の態 度 は モ ス ク ワに と って大 きな 関 心 事 であ り 、 ま た独 ソ戦 勃 発 後 に お
戦 争 を も た ら し た が、 われ わ れ は僅 か に初 期 の段 階 を 研 究 す る
年 に は、 あ ら ゆ る手 段 を 講 じ て日本 を唆 し て ソ連 と戦 争 さ せ よ
け る 日本 の立場 に ソ連 が重 大 な 利 害 関係 を感 じ た の は言 う ま で
(ハ) 特 殊 任務 に関 す る モ スク ワ の指 令
も な い こと であ った。 日本 に お け る私 の重 大 使 命 ︱ ︱ つま り 日
長 年 日 本 に滞 在 し て いた 間 に、私 は イ、 に掲 げ た 任務 のほ か に幾
こと が で き た だけ であ った 。 わ れ わ れ は不 幸 に し て使 命達 成 の
度 く ら い直 接 な関 連 をも つも の はな か った。 以 上述 べ てき た と
多 の指 令 を モ スク ワ か ら受 取 った 。 た い て いは 無 線 で送 ら れ て き た
機 会 を奪 わ れ た の であ った 。
ころ に よ り、 私 の諜 報 グ ルー プ が こ の問 題 に特 殊 の関 心 を も ち、
が 、偶 に は伝 書 使 便 で送 ら れ てき た こ とも あ った 。 指令 は 一般 的 な
ソ間 にお け る戦 争 か平 和 か の問 題︱︱ に と って、 右 に述 べた 二
ど う し て も使 命 を達 成 し よ う と 思 った こ と が解 る と思 う 。 と に
も のも あ れ ば、 極 め て特 殊 な も の も あ った 。 一般 的 な も のと し て は、
つ の世 界 的 政 治 事 件 (第 二次 大 戦 と独 ソ戦 ) に 対 す る 日本 の態
か く、 わ れ わ れは 一九 四 一年 十 月 ま で こ の任 務 に従 事 し な け れ
ま た往 々に し てあ らゆ る警 戒 措置 を講 ぜ よ と指 令 し てき た も の な ど
諜 報活 動 を活 発 に せ よ とか 、 も っと いい情 報 の供 給 源 を求 め よ と か、
ば な ら な か った。 六 一九 四 一年 夏 の大 動 員 こ の問 題 に つ い て の任 務 は 、 右 の五 の 一部 と見 る べき も の か
と は な か った。 少 く とも そう し た任 務 に関 し て報 告 し た 記憶 は な い。
択 ん だ 任務 の範 囲 外 に わた って、 新 し い任 務 を命 じ てく るよ う な こ
た こと が あ った。 し かし 、 モ スク ワが当 て が い、 ま た は私 が自 分 で
と ア メ リカ の間 で了 解成 立 の可 能 性 が あ る か ど う か の問 合 せを う け
ら れ た こと も あ った 。 た と え ば、 或 る 時 な ど私 は ソ連 に関 し て日本
た も のな ど が あ った 。時 と し て、 政 治 的 な 問題 に つ い て指 令 が 発 せ
な 新 型 戦 車 を 製 作 し て いる か と い った 事 を 確 か め る よ う に命 じ てき
そ の場 所 はど こか 、 日本 陸 軍 で は どん な 新 型 航空 機 を採 用 し 、 どん
があ った 。 特 殊 な も のと し て は、 或 る 師 団 が実 際 存在 し て い る か、
は でき な か った。
な わ ち、 一九 三六 年 ま では これ と いう 価 値 のあ る 成績 を あげ る こ と
た 実 際 の仕 事 の成 績 に つ い ても 同 じ批 判 が当 ては ま る ので あ る。 す
た 。 私 は、 私 の 日本 滞 在 の初期 に つい て批 判 を 加 え た が 、私 の や っ
いろ いろ と研 究 し、 実 際 活 動 を準 備 し た期 間 と見 る べき も の で あ っ
秋 ご ろ で あ った。 そ れま で の期 間 は、 わ れ わ れが 日 本 の事情 を知 り 、
な組 織 と な って機 能 の発 揮 が で き る よ う にな った のは 一九 三 六年 の
期 間 モス ク ワを訪 問 し て帰 ってき た のち の こ と で、 グ ルー プ が強 力
動 が 本 格 的 に 始 ま った の は、 一九 三 五年 の夏 か ら秋 に か け て私 が短
ま し てわ れ わ れ外 国 人 に はも っと長 い時 間 が 必要 であ った 。諜 報 活
三 、 日 本 に お け る 私 の 諜 報 グ ル ープ の直 接 の
成 員 が利 用 す る こ と の でき た情 報 の出 所
私 は、 こ の問 題 を 詳述 す る に先 立 って、 ま ず概 括 的 な説 明 を 試 み
概 括 的説 明
私 の諜 報 グ ループ の も って いる 政 治 的 素質 と政 治 意 識 とは 、 モ スク ワか ら 全面 的 に信 頼 され て いた 。 私 のグ ループ に課 せら れ た 任務 の
一般 的 な 説 明
全 貌 はイ 、 お よ び ロ、 に述 べた 通 り であ る 。 (二)
私 は 右 に述 べた任 務 が どう いう ふ う に遂 行 さ れ たか に つ いて少 し
く 知 らね ば な ら な か った。 関 係 の各 問題 を よく 呑 み こ む こと は 、初
中 のわ れ わ れ 外国 人 は、 わ れわ れ の使命 の対 象 とな る 問 題 を ま ず よ
動 を す るた め の土 台 を築 か ね ばな ら な か った。 そ れ に、 グ ルー プ の
あ った 。 す な わ ち、 わ れ わ れ は諜 報 グ ループ を 組 織 し 、 積 極 的 な活
取 組 ん で いろ いろ準 備 を す る に は、 そ のく ら い の時 間 は かか る ので
を 遂 行 す る ど ころ の話 で は なか った 。特 に解 り にく い 日本 の事 情 と
こ の点 に つ い て私 が無 精 を し て いた わ け でも な い。 せ っかく 情 報 の
私 は成 員 の活 動 や努 力 に対 し無 関 心 だ った わけ でも な け れ ば、 ま た
プ の成 員 によ って利 用 さ れ た情 報 の出 所 を知 ら な いか ら と い って、
た だ出 所 の 一般的 な性 質 を知 って いる だ け であ る。 し か し 、 グ ルー
の 一人 一人 の名 前 や 、 そ の人 物 に つ い ては あ ま り知 る と ころ が な く、
も特 に大 切 な も のや 、役 に 立 ったも のだ け で、 そ れも 出 所 に 当 る者
所 を全 部知 って いる わ け で はな い。 私 が 知 って いる の は、 そ の中 で
私 は 、 グ ループ 直 属 の成員 た ち が利 用 す る こと の で き た情 報 の出
た い。
め は ほ とん ど 不可 能 に近 か った 。 宮 城 で さ え、 外 国 生 活 が か な り長
一九 三 三年 秋 か ら 一九 三 五年 春 ま で の期 間 は、 まだ な か な か任 務
く 述 べ てみ よ う と 思 う。
か った た め 日 本 の問 題 を把 握 す る ま で に は相 当 の時 間 が か か ったが 、
供給 源 を培 養 し ても 、 私 の仕事 の性 質 上、 た い て いは す ぐ に枯 渇 し
は 、 近衛 が首 相 をや めた 後 も 引 続 き そ のグ ル ープ か ら情 報 を得 て い
ら し、 ま た ごく 稀 に は政 治 上 お よ び軍 事 上 の情 報 も も た ら し た。 彼
い。 これ は な か な か判 定 が 難 し か った。 尾 崎 と 一番 親 し か った の は
て し ま う の であ って、 長 期間 に わ た って試 験 ず み のも ので な け れ ば、
風 見 で は な い か と私 は思 って いた。 或 は犬 養 だ った か も し れな い。
った。 グ ループ の中 で 一番 情 報 を与 え た の は誰 だ か 、私 に は判 らな
も ので なけ れば 、 大 し て知 る値 打 は な い と考 え て いた 。原 則 と し て、
し か し、 これ は飽 く ま でも 漠 然 た る私 の印 象 であ って、 別 に尾 崎 が
た が、 そ の度 数 は減 り 、 そ の内 容 も つね に必 ず し も 正確 で はな く な
私 は何 人 が情 報 の供 給 源 であ る か と いう点 に は重 き を 置 か な いこ と
そ のよ う な こ とを 言 って いた ので は な い こ とを 私 は 強 調 し た い。 と
って、 私 は仲 間 の者 のも って いる情 報 の源 も 右 のよ う な試 験 を経 た
に し て い た。 私 は わざ とそ う し た の で あ って、 そ う し て お け ば、 か
私 は ほ ん と う に価 値 のあ る、 有 用 な情 報 の源 と は認 め な か った。 従
り に 私 が そ の人 に つ い て尋 問 を う け る よ うな こ とが あ って も 、本 人
どう か す る と親 密 で はな く な る よ う に見 え る こ とも あ った 。尾 崎 は
も か く も 、尾 崎 は こ の 二人 と最 も 親 し か った よう であ る 。 し か し、
非 常 に自 主性 の強 い男 で、 い つで も 彼 ら と調 子 が 合 う と いう わけ に
に 迷 惑 の か か る よ うな 事 を知 ら ず、 従 って そ の よう な 事 を 答 え な い
ゆ か なか った。 従 って、 見解 が 相違 し た り、 気 持 が も つれ た り し て、
です む の で あ る。 これ は、 非 合 法 活動 で は 一つの伝 統 的 な 原 則 と な って いる 。
彼 ら と の交 遊 関 係 に影 が さす よ う な ことも あ った 。
情 報 は、 具 体 的 な 政 治報 告 と し て纒 った も ので は なく 、 一般 的 な 政
(イ ) 尾 崎 が も って いた 情 報 の源
治 上 の意 見 や考 え、 時 とし て はた だ 近 衛 公 の気 持 を伝 えた だ け のも
尾 崎 が も って いた最 も 重 要 な 情 報 の源 は近 衛 公 爵 を 取 巻 く 一群 の
た かも 知 れな いが 、私 が 時折 聞 い て憶 え て いる のは こう し た名 前 で
の であ った 。 そ う い う わけ で情 報 は具 体 的 では な か った が 、 日 本政
どう か 、 そ の 辺 のこ と は私 に は判 ら な い。 会 見 の結 果 も た ら さ れ た
あ った。 尾 崎 と私 と は この連 中 を指 し て近 衛 グ ループ と称 し て いた 。
府 の政 策 の奥 深 く覗 き こ む こ とが でき た 点 では、 ど んな に詳 細 な資
尾 崎 は 時 々直 接 近衛 公 に会 って いた 。尤 も単 独 に会 って いた のか
そ し て、 モス ク ワ へ の報 告 の中 で は、 私 は こ の連 中 を ﹁近 衛 側 近 ﹂
料 の山 に も ま さ る こ と数 倍 で、 極 め て貴 重 な も の であ った 。特 に 、
人 々であ った 。 そ れ は 一種 のブ レー ン ・ト ラ スト で、 そ の中 に は 風
と呼 ん で いた 。 内 政 お よ び外 政 に関 す る尾 崎 の情 報 の大 部 分 が 、 も
一九 四 一年 尾崎 が近 衛 公 と会 った と き の報 告 は非 常 に重 要 な も のと
見 、 西 園 寺 、 犬養 、後 藤 お よ び尾 崎 自 身 が いた 。 ほ か にも も っと い
し尾 崎 自 身 の豊 富 な 知 識 と妥 当 な判 断 から 出 てき た も の で な い とす
り 、 外 交 面 の衝 突 を 避 け よ う とし て如 何 に苦 心 し て いた かを 如 実 に
し て私 の記憶 に残 って い る。 それ は 、 近衛 公 が 日輩 問 題 の解 決 を計
示 す も の であ った 。 第 三次 近 衛 内 閣 の対 ソ政 策 お よ び対 英 米 政 策 を
って いた 。 近 衛 グ ルー プ か ら出 た情 報 は、 近衛 内 閣 の内 政 方 針 、 内 政 お よ び外 政 上 の政 策形 成 に影 響 を 及 ぼし て いる諸 勢 力 お よ び立 案
れ ば、 そ れ は こ のグ ループ か ら出 てき た も のに違 いな い、 と私 は思
中 の諸 計 画 に関 す る も ので あ った。 尾 崎 は時 とし て 経済 情 報 を も た
では な か った。 し か し、 こう し た 尾 崎 ・近 衛 会 見 はそ う 滅 多 に は行
知 ら せ てく れ る点 で、 どん な 大 量 の政治 的 文 書 の羅 列 も 及 ぶ と ころ
軍 将 校 か ら得 た 一般 的 な軍 事 的 お よ び 政 治的 情 報 を 含 ん で いた の は、
尾 崎 の軍 事 情報 の出 所
問 題 に つ い て注 意 を払 う よ う に特 に頼 ん だ。
私 は こ こで特 に強 調 し て おく が 、 私 は こう し た情 報 の出 所 に つ い
鉄 か ら得 た も のと 信 じ て い る。
事情 報 は大 し て手 に 入 れ な か った が 、 そ れ で も僅 かな が ら 一部 は満
獲 得 し た り 、 時 に は純 粋 に軍 事 的 な 資 料 を 入手 し た り し た。 私 は軍
れ の仕 事 に も利 用 す る こ とが でき た 。 時 に は政 治 的 、 経 済 的 文 書 を
に政 治 的 、 経 済的 情 報 を 手 に入 れ る こ とが で き、 そ の 一部 はわ れ わ
南 満 州 鉄 道 株式 会 社
聞 で 働 いて いた 時 代 の同 僚 ら し か った 。 彼 は そ の連 中 か ら多 く の情
崎 は 日本 人 記 者 の間 に知 人 が多 か った 。 そ の大 部 分 は、 彼 が 朝 日新
尾 崎 の新 聞 と の つな が り
源 と いう も のは 持 って いな か った よ う であ る 。
こ と は確 か であ る が 、 いず れ に し ても 、 尾 崎 は 一定 し た軍 事 情 報 の
に思 われ る 。 も ち ろ ん、 尾 崎 の方 でも彼 ら か ら情 報 を 得 よ う とし た
尾 崎 は中 国 通 な の で将校 た ち の方 から 彼 の意 見 を求 め たも の のよ う
せ いぜ い 一つか 二 つく ら い のも のだ った よ う に思 う 。 私 の印 象 で は、
尾 崎 が 出 し た報 告 の中 で、 現 役 の日 本陸
われ な か った。
て は、 漠 とし た 一般 的 な事 以 外 に は決 し て尋 ね な いこ と に し て いた 。
ほ ど軍 事 に関 した 政 治情 報 を得 て き た こ とも あ った。 彼 は内 閣 情 報
報 を得 た が、 内 容 は主 に 政 治的 なも の であ った 。尤 も、 二度 か四 度
尾 崎 は 満 鉄 の仕事 を し て いた 関 係 上 、 多分
た い て い の場 合、 尾 崎 が こ の情 報 は価 値 が あ る と か、 こ の情 報 は平
に思 う。 こ うし た 筋 か ら得 た情 報 は主 と し て日 々 の政 治 情 報 に関 し
局 と も連 絡 があ り 、 そ の前 に は外 務 省 情 報 部 とも連 絡 が あ ったよ う
か つ て著 名 の新 聞 人 だ った だけ に、 尾
凡 な 情 報 だ と か、 ま た は この情 報 は大 し て役 にた た な い、 と いう よ うな こ とを 言 って く れ れ ば、 私 の用 はそ れ で 十 分足 り る の であ った。
尾 崎自 身 に つ い て
た も ので、 根 本 政 策 に関 す る も のは極 め て稀 であ った 。
知 識 は該 博 、 判 断 は確 か で、 彼 自 身 稀 に 見 る情 報 の供 給 源 であ った。
は想 う。 少 く とも 彼 が私 に 提出 し た経 済 上お よ び政 治 上 の報 告 の或 るも の は、 彼 が 満 鉄 を通 じ て得 た情 報 を基 礎 と して 、 同会 社 のた め
そ のた め、 彼 と話 をし た り 、 議 論 を し た りす る と非 常 に得 る と こ ろ
尾 崎 は毎 月 満 鉄 に 経 済 上 お よ び政 治 上 の報 告 を 出 し て いた、 と私
に作 成 し た報 告 の 一部 であ った こと だ け は確 か ら し い。
が あ った 。私 は、 或 る問 題 な い し将 来 の情勢 に関 す る彼 の個 人 的 意
尾 崎 は り っぱ な教 育 を 受 け た 人 物 で あ った。
不在 に な る と少 か らず 不 便 を 感 じ は し た が、 彼 の旅 行 から得 る と こ
尾 崎 が満 鉄 のた め にや った旅 行 は非 常 に役 にた った 。 私 は、 彼 が
った 。 問 題 が非 常 に難 し か った り、 あ ま り に も 日本 特 有 のも のだ っ
た り し て、 自 分 の判断 に完 全 な自 信 が も てな いよ う な揚 合 は、 私 は
見 を 、 極 め て貴 重 な情 報 と し て モス ク ワ へ送 った こ とも しば し ば あ
彼 の判 断 にた よ った 。私 の仕 事 の根 本 にふ れ る 最後 的 な重 大 決 定 を
ろ は 極 め て大 き か った。 彼 は多 く の要 人 と連 絡 があ り 、 鋭 い観 察力
って 帰 って き た。 彼 は満 鉄 の依 頼 で満 州 へ 一度 、中 国 へ数 回 行 った
を も って いた の で、 い つも わ れ わ れ の仕 事 に と って貴 重 な情 報 を持
が 、 そ の都 度 わ れ わ れ の仕 事 のた め に或 る種 の政 治 的 およ び軍 事 的
が非 常 に大 き か った 。
の直 接 な 供給 源 と考 え ら る べき 人物 であ った 。私 は彼 に負 う と ころ
わ け で、 尾崎 は私 の仕 事 にな く て はな ら な い人物 であ り 、 また情 報
下 す にあ た って彼 に相談 した ことも 二度 や 三度 はあ った 。 そう いう
が、 こ れに つ いても 詳 し い情 報 を よ こ した。
興 亜院 設 置 問題 で宇 垣 と近 衛 の間 で関 係 の緊 張 を見 た こと があ った
ても洩 れな く情 報 を よ こした 。宇 垣 の外務 大 臣 在任 中 、対 華 政 策 と
こと が でき た。 同 時 に、 宇 垣 の組 閣 計 画 に対 す る強 硬 な反 対 に つ い
時 に は樺 太 に ついて も詳 細 な情 報 を よ こし た。 情報 は主 に 軍事 に関
尾 崎 は 、私 の諜 報 グ ループ の仕 事 を す るた め に 二人 な い し三 人 の
て いた 水野 であ った。 水 野 と は料 理店 で 一度会 った 。私 が記 憶 し て
す るも ので、 北 海道 守 備 区 域 内 にお け る動 員 の模様 、 同 地 方 の完 全
訳︱ を指 す ) とも 古 く から 連 絡 があ って、 こ の男 は北 海 道 、 そ し て
いる か ぎ り では、 そ の とき の話 題 は農 村 問 題 であ った。 次 に、 川合
に平 静 な状 況 、 樺太 へ派 遣 さ れ る個 々 の部 隊 、 北海 道 お よ び樺 太 に
宮 城 は北海 道 から来 た男 (注、 田 口右源 太 ︱ タ グ チ ・ウ ゲ ンタ音
も 尾 崎 の補 助 員 と考 えら る べき者 で あ った 。尤 も 、 前 にも 言 ったよ
の同 じ 筋 か ら、 北方 に おけ る物 資 供 給 の困 難 に つい て の経 済 情 報 や、
おけ る飛 行場 の建 設 な どに 関 す るも のであ った 。 どう か す る と、 こ
補 助 員 を使 って いた。 そ の 一人 は、 私 が か つ て中国 に いた とき 知 っ
る専 門家 を 挙 げ な けれ ば な らな い (注 、 篠原 虎 雄 ︱ シノ ハラ ・ト ラ
う に、 彼 は尾 崎 の食 客 と言 った方 が適 当 か も し れな い。 最 後 に、 或
オ 音訳 − を 指 す ) 。 彼 は尾崎 の古 い友 人 で、私 が 日本 に着 く と 間 も
宮 城 の話 によ る と、 こ の男 は彼 の旧友 で、 長 い こ と左翼 的 傾 向 の
な ども 伝 えら れ て き た。
は 凡 そ縁 遠 い人物 であ った。 は じ め軍 事 専門 家 とば か り思 って いた
持 主 だ った と の こと であ る 。 し かし、 私 の聞 いた と ころ に よ ると、
軍 事 的 お よ び政 治的 理 由 に よ り北 方 の旅 行 が 禁 止 され た と いう 報道
ら、 あ に計 ら んや 金 稼 ぎ の ﹁専 門家 ﹂ であ った。 宮城 は、尾 崎 のこ
な く私 の仕 事 に加 わ ってき た者 だ が、 われ わ れ が期待 した と こ ろと
う し た補 助 員 た ち と或程 度 の関係 をも ってい た。
いる らし く、 少 く と も私 は そ う いう ふ う に解 し て いた 。確 か に彼 は
彼 は と っく の昔 に政 治 活 動 か ら手 を引 い て、 今 で は実業 に専 念 し て
北海 道 で漁業 関 係 の仕 事 に従 事 し て いるら し か った 。
(ロ) 宮 城 の情報 の出 所 宮城 が古 く か ら連 絡 を保 って いた のは 、宇 垣 大 将 の秘 書 を し て い
人 は明 か に極 右 的人 物 であ った (注、 佐 野 正彦 ︱ サ ノ ・マサ ヒ コ音
た旧 友 (注 、矢 部周 ︱ ヤ ベ ・シ ュー音 訳︱ を 指 す ) で、 彼 と は頻 繁
ので、 主 に日本 政 界 の動 き に関 す るも のであ った 。 また 、時 に は日
訳︱ を 指 すも の と思 われ る ) 。 日本 の極 右 団 体 に関 す る 宮 城 の情 報
て いた 。 そ のう ち の 一人 か 二人 とは特 に親 し か った よ う であ る 。 一
ソ関係 や 日本 の対 華 政策 に関 す る も のも あ った が 、何 と言 っても 宇
は主 とし て彼 から出 たも のであ った 。 そし て、 恐ら く は国 内 の緊迫
宮 城 は ま た数 名 の新 聞 記 者 と の間 に も古 く か ら連 絡 が あ る と言 っ
垣 内閣 問 題 に関 す るも の が 一番多 か った 。 そ し て、宇 垣 が近衛 内 閣
し た情 勢 や経 済 上 の困 難 に関 す る情 報 も出 所 は彼 だ ったら し い。 も
に 会 って いた も の らし い。 こ の秘 書 の情 報 は多 く は内 政 に関 す るも
の外務 大 臣 に な ってか ら は、 彼 は いろ いろ と多 く の情 報 を提 供 す る
が本 職 の記 者 な のか 、 そ れ とも 臨時 に記 者 と し て雇 わ れ て いた者 な
わ れ る) は軍 部 との間 に或 る種 の連 絡 をも ってい るら し か った 。彼
う 一人 の記者 (菊 地 八郎 ︱ キ ク チ ・ ハチ ロウ音 訳︱ を指 す も の と思
て は私 は何 も知 ら な い。 彼 は ただ 二、 三 の知 人 を訪 ね る の だと 言 っ
宮 城 は よく 大阪 へ旅 行 し た が、 大阪 にあ る彼 の連 絡 の相 手 に つい
て いた 。
も大 量 の酒 を 飲 ま ね ばな ら な い ので やり き れ な い とよく 私 に こぼ し
て いた。時 に は神戸 ま で足 を の ぱ して、 同 地 で師 団 の動 員 状 況 や動
のか は不 明 であ る。 そ し て、 彼 も ま た政治 的 には右 傾 的 な考 え の持
じ では、 宮 城 は別 段 彼 に情 報 の供 給 を求 め てい る ので はな く、 翻 訳
主 で あ った 。
者 お よ び 一般的 な 仕 事 の手 伝 人 と し て彼 を遇 し て いた よう であ る。
員 の取 消 な どを 探 ぐ った 。
が、 私 の感 じ で は そ の連中 は永 続性 のあ る情 報 の源 で もな け れ ば、
彼 は何 度 か秋 山 の話 を し た。 そ し て、 こ のア メ リカ帰 り の旧友 と交
宮 城 がも って いた 純 軍事 情 報 の供 給 者 のう ち では、 私 は 小代 を か
ま た規 則 的 な情 報 の源 でも な か った よう であ る。 彼 ら は 一時 の知 り
友 に つい て私 が懸 念 を挿 む と、 宮城 は い つもき ま ってあ れは信 頼 で
マ ・コウ ジ音 訳︱ を 指 す) と会 って いた よ う であ る 。私 がう け た感
合 いで あ って、 ほ ん とう の仲 間 で はな か った と思 う。
き る男 だ と強 く 断定 す る のであ った 。
最 近 では、 宮 城 は よく ア メ リ カ 帰 り の 旧 友 ( 秋 山 幸治 ︱ ア キ ヤ
私 が ほん とう の協 力 者 だ と思 った の は小 代 だけ であ った。 満州 か
宮 城 に はま た 一時 の知 り合 いが多 勢 あ って、 恐 らく彼 ら から も時
な り よく 知 って いた 。 そ の ほ かに も、 宮 城 は現 役 を去 った ば か り の
ら小 代 が帰 って く る と、宮 城 は彼 と親 密 な 関 係 を結 ん だ。 そ こで、
折 情 報 を得 て いた の であ ろ う が、 ど れも 規 則的 も しく は永 続 的 な情
者 や、 兵 隊 に とられ る こと にな って いる者 の名前 を 時 々あ げ て いた
った ことが あ る 。私 の得 た印 象 では、 東 京 お よ び宇 都 宮 の師 団 の動
報 の供 給 源 と は考 え ら れな い。 宮 城 は尾 崎 の情 報 を翻 訳 し、 尾 崎 の
私 も彼 とも っと近 づ き にな り た いと思 って、 一度 か二度 料 理 店 で会
員 に関 す る情 報 は 小代 から出 たも ので あ った 。 ま た東 京 お よ び宇 都
な関 係 に あ った 。
報 告 を 一つ 一つ私 に伝 達 し てい た関 係 で、 尾 崎 と は近 年 極 め て親 密
宮 城 が、 尾 崎 の補佐 員 の川合 、 水 野 や、 いわ ゆ る ﹁専 門家 ﹂な ど
宮 両 師 団 の か つ て の兵 員 か ら 成 る混 成 部隊 の編 成 に ついて 二、 三 の
と接 触 を保 って いた こ とは 前 にも 述 べた通 り で あ る。 従 って、 こ の
報 告 が 出 て いたが 、 そ れも そ のも とは 小代 であ った。 小 代 は宮 城 に 対 し 、 シベ リ ア国境 地 帯 に いる軍 隊 の生活 条 件 や活 動 状 況 に つ いて
連中 もま た 時 々宮 城 の情 報 の出 所 とな った と見 な け れ ばな らな い。
ヴ ケ リ ッチ の任 務 は 二 つあ った。 一つは技 術 面 の仕 事 であ り、 も
(ハ) ヴ ケ リ ッチ の情報 の出 所
私 は尾 崎 に対 す る と同様 に水野 と も個 人的 に親 し く し て いた。
いろ いろな 情 報 を 供給 した 。 そ し て、 日本 陸 軍 の新 し い大 砲 や戦 車
宮 城 は東 京 の街頭 、 料 理 店 、酒 場 でも軍 事 情 報 を拾 って いた よう
に つい ても断 片 的 な情 報 を 提 供 し て いた も の と私 は思 って いる。
で あ る。 彼 は、 そ のた めあ ら ゆ る種 類 の酒 場 に出 入 り しな け れ ばな ら な か った よ う であ る 。彼 は、 ち ょ っと し た情 報 を手 に入 れ る のに
彼 の情 報 の出 所 で 一番 重要 だ った の は同 盟通 信 社 であ った 。彼 は
う 一つは情 報 の蒐 集 であ った。
ヴ ケ リ ッチ は、 アヴ ァ ス通 信社 の通 信員 と し て日 本軍 部 の許可 の
ま た フラ ン ス大使 館 の陸軍 武 官 と も数 回 会 って い るが、 こ の筋 か ら
な いし基 礎 的 な情 報 には、 われ わ れ は興 味 を感 じ た 。 ヴ ケ リ ッチ は
も と に ノ モン ハ ン へ旅 行 す る こと が で きた 。 そ し て、 そ の機 会 に わ
得 た情 報 に は大 し て重 要 な も のは な か った 。
れ わ れ のた め に情 報 を 集 め た とと は言 う ま でもな い。
仕事 の関 係 で毎 日そ こ へ行 って いた の で、容 易 に各 種 の情 報 を見 つ
こ とも でき た。 こ こか ら得 た情 報 は純 粋 に政 治 的 な も の で、或 るも
情 報 も あ った。 また 同 盟 そ のも のの内 部 に おけ る政 治的 暗 流 を知 る
け出 す こと が で き、 そ の中 には 発表 され た情 報 も あ れ ば、 未 発 表 の
の は単 に政 治 的 な 雰囲 気 を 伝 え るだ け のも の であ った。 従 って、 原
て い たが、 そ の中 に は大 いに興 味 のあ る も のも あ った。 た いて い は
外交 政 策 に関 す る も の で、 一例 を あ げ る と、 一九 四 一年 に グ ル ー大
最 近 では彼 は外 国 新 聞記 者 、特 に ア メリ カ人 か ら多 く の情 報 を得
か ら得 た大 量 の情 報 に対 す る補 足 の意味 で大 切 でも あ り 、 ま た興味
則 とし て重要 な 情 報 は得 られ な か った が、 私 のグ ループ が ほ か の筋
う であ った 。
も あ った。 第 二次大 戦 に対す る同 盟社 内 の空 気 や独 ソ戦 が勃 発 し た
(二) ギ ュン タ ー ・シ ュタ イ ン の情報 の出 所
であ った。 彼 は最近 ア メリ カ人 記 者 と大 い に近 づ き にな って いた よ
特 に そ の感 じ が深 か った 。同 盟 は 決 し て親 独的 では な く、 そ のと っ
使 のや った演 説 な ど は彼 のも たら し た情 報 のう ち で最 も重 要 なも の
た 態度 は大 多数 の日本 人 の感 情 を 伝 え るも のであ った 。
シ ュタ イ ン は 一九 三六年 か ら 一九 三 八年 の初 め ま で東京 に いた。
当 時 に おけ る 彼 ら の気 分 に つい てヴ ケ リ ッチ が報 告 を し た とき な ど、
ヴ ケ リ ッチ は、 同 盟 で は周 知 の ニ ュー スだ が検 閲 の結 果 一般 に は
しか し、 実 際 上 は積 極 的 に わ れわ れ に協 力 し てく れ た 。
シ ュタ イ ンは デ ィル ク セ ン大 使 と親 しか った。 同 大 使 と は モ スク
彼 は シ ンパ では あ った が、 私 のグ ループ の実際 の成 員 で はな か った。
ワ以 来 の知 り 合 い であ り、 大 使 か ら 聡 明 で重 要 な人 物 と し て見 ら れ
これ によ って 日本 にお け る政情 の動 向 を 探 る こ とが で き、 政府 の態 度 を知 る こと が でき た 。彼 はま た アヴ ァス支 局 内 の フラ ン ス人 と話
て いた 。 それ に も まし て、 わ れわ れ の仕 事 に と って貴 重 だ った の は、
発 表 さ れ て いな いも のも よく 手 に 入 れ る こと が でき た 。 われ わ れ は
って、 彼 は フラ ンス の降 服後 にお け る彼 の フラ ンス人知 人 の ドイ ツ
を し て、 いろ い ろ と断 片 的 な ニ ュー スを手 に 入 れ て いた 。 これ に よ
に対 す る 一般的 な政 治的 態 度 や 日本 の対 イ ンド ・シナ お よ び対南 方
ー ・サ ンソ ム (注、 氏 名原 文 のま ま) とは特 に親密 な間 柄 であ った 。
の間 に連 絡 が あ った こと であ る 。彼 は イ ギ リ ス 大 使館 の有 名 な サ
同 大 使館 から は主 とし て 一般 的 な外 交 政策 に関 す る情 報 を 入手 す る
彼 が イ ギ リ ス の或 る新 聞 を代 表 し て い たと こうか ら イ ギ リ ス大使 と
アヴ ァス支局 は フ ラ ン ス大 使 館 と連 絡 が あ り、 ヴ ケ リ ッチ自 身 も
情 報 と いう よ り は、 む し ろ大 体 の雰囲 気 を知 る材 料 に す ぎな か った 。
こと が でき た 。 そし て、 時 々大 使や 海 軍 武官 と会談 す る機 会 もあ っ
政策 に対 す る態 度 を知 る ことが でき た。 し か し、 これ と ても 確実 な
時 折 これ と 接触 し て いた の で、彼 が同 大 使館 から 得 た 一般 的 な情 報
た。 シ ュタ イ ンは ま た外 国 人 記者 全 部 、特 に イギ リ スと ア メリ カ の
べる情 報 の供給 者 た ち は法 に触 れ る こと を恐 れ て何 一つ情報 を
され て い った こ とに あ った 。 事変 が始 ま ってか ら は、 以 下 に述
最後 に、 私 の所 信 を 附 け加 えて お き た い。 それ は、 以 下 に私
記者 と極 め て親 密 だ った の で、彼 らか ら い ろ いろ と面 白 い情 報 を得
が接 触 した 相 手 の名 前 が出 てく る が、 誰 一人 とし て私 の ほん と
に減 って い った。
流 を嗅 ぎだ す こと が でき た。 彼 は ま た日本 の経 済情 況を 極 め て真 面
う の使命 、 す な わ ち私 の仕 事 の性質 に つ いて は全 く 何 も知 ら な
寄 越 さ なく な った。 彼 ら の情報 の持 ち 合 せ そ のも のも また急 激
目 に研 究 し 、 り っぱ な 本を 書 いて い た ので、 彼 自身 貴 重 な情 報 の供
か った こと であ る。 そ の人 た ち は、私 はた だ著 名 の新 聞記 者 だ
て いた。 最後 に、 彼 は 同盟 通 信 とも 緊 密 な関 係 を も って いた の で、
給 源 であ った 。彼 の研 究 に よ って、 とれ ま であ ま り解 って いな か っ
ヴ ケ リ ッチと 同 じよ う に同 盟 を通 じ て、 一般 的 な政 治 的 雰 囲気 や 暗
た幾 多 の経済 上 の事 実 が明 か にさ れた 。彼 の専 門 分 野 は 日本 の外 国
とば か り思 って いた の であ った 。
般 情勢 に つい て いろ いろ と話 を 聴 いた 。 し か し、彼 ら は経 済 の
(二) ド イ ツ人 実業 家 お よ び技 師 私 が 日本 に着 いた当 座 は、 実業 家 や 技師 たち か ら経 済 上 の 一
貿 易 と財 政 問題 であ った。 (ホ ) 私自 身 の情 報 の出 所 説
私自 身 の情 報 の出所 とし て最 も 重要 な ドイ ツ大 使 館 に つい て
( ) 一 概
そ の競 争 相 手 に私 から 話 が伝 わ る のを 恐 れ て、 詳 し い こ とは 何
全 般 に わた って 万遍 な く観 察 し て いた わ け で はな い ので、 そ の
も知 ら な いと いうふ う に言 う のであ った。 一般 的 に言 って、私
は、 別 のと ころ で詳 しく 述 べる つも り で ある 。
がも って いた ほ か の情 報 の出 所 は全 く第 二次 的 なも の であ った 、
はむ し ろ技 師 と話 をす る方 が好 き だ った。実 業 家 ほど気 が小 さ
るも のに限 ら れ、 し か も極 め て 一般 的 な も の であ った。 そ し て、
と私 は断 言 でき る と思 う 。私 が右 に 挙 げ た 二 つ の筋 以 外 にも っ
提 供 し てく れ る情 報 は た だ彼 ら が従 事 し て い る狭 い分 野 に関 す
て いた筋 から 出 た情 報 は、 比較 的 に重要 だ と いう だけ のこ と で
く も な く、 そ の上少 く と も自 分 た ち の専 門 の とと に つい て は知
ドイ ツ大 使 館 内 にあ った私 の情 報 の出 所 、 お よ び私 の諜 報 グ
あ った。 こう し た筋 から 情報 を得 よ う と し て私 が骨 を 折 った の
識 を も って いた 。 一九 三 八年 から後 は、 私 は もう 実業 家 や 技 師
ループ に直 属 す る 成員 がも って いた 情報 の出 所 に較 べる と、 私
は、 私 が 日本 に着 い た当 座 だけ にす ぎ な か った。 一九 三 八年 も
っと経 済 上 の箇 々 の問 題︱︱ 特 に国防 関 係 の問題 ︱︱ に つい て
たち を相 手 に し なか った。 ド イ ツ大 使 館 に勧 め て、従 来 より も
研究 を 行 う よう に仕 向 け た 。 そし て、 大 使 館 に集 ま った関 係 資
つ役 立 って おら ず 、も はや私 は それ を捨 て て顧 み な か った。 私 は、 前 に情 報 の供 給源 が枯 渇す る と いう こ とを 言 った が、 そ の
料 を使 って、 私 は陸 軍 武 官 と私 自 身 のため に報告 を 作 成 した 。
しく は 一九 三九 年 か ら後 は、 こ れら の筋 は私 の諜 報 活 動 に何 一
原 因 は 日華事 変 に関連 し て日本 の防 諜 関係 の法 律 が絶 えず強 化
会 社 の代 表 者 カ ー ル バ ウ ム氏 も 利 用 し て い た。 とう した 連 中 は、
の ﹁グ ー デ ン ・ホフ マ ン﹂精 製 所 と も 懇意 に し、 或 る化 学 薬 品
あ った。 し かし 、 前 に も 言 った よう に、 こう し た情 報 は 一九 三
ツ﹂ 工場 を建 設 す る と いう話 に つい て 二、 三 聞 き 込 ん だ こ とが
の ﹁ミ ュー ラ ー ﹂か ら 、 ド イ ツの 一重 工業 会 社 が 満 州 で ﹁ワ ル
終 った。 私 は ド イ ツ大 使 館 の綴 込 で こ の事 を 知 った 。私 は 上述
彼 が ド イ ツ か ら 日本 へ飛 ば し て き た ユン カー 機 に乗 って 日本 か
ヨー ロ ッパ戦 争 が勃 発 す る前 に 日本 を 去 った も の と思 う 。 と も
八年 か ら だん だ ん 手 に 入 ら なく なり 、 一九 三 九年 に はぷ っつり
私 は情 報 を得 る のに、 も はや 実 業家 や技 師 た ちを た よ り に は し
か く も 、 も う長 い こ と私 は彼 ら に会 って い な い。 私 は、 初 め の
絶 え て し ま った 。 そ し て、 そ の結 果 、 私 が陸 軍武 官 ﹁マツ キ﹂
な か った 。 そ れ ま で は、 私 は 主 に ド イ ツ機 械 会 社 (DM AG )
二 人 か ら は 日本 の製 鋼 業 の状 況 に つい て い ろ いろ の話 を聴 き 、
フお よ び ユ ンカ ー機 の購 入 に 関 す る交 渉 は 後 に な って不 成 立 に
後 の 一人 か ら は 日本 の化 学 工業 に つい て少 し く 聴 いた 。私 は ま
のた め に作 成 す る 報告 は、 す べ て ド イ ツ大 使 館 で 入手 でき る資
ら満 州 へ往 復 した こと が あ った。 尤 も 、 大 型 の フ ォ ッケ ・ウ ル
た 日 本 が ド イ ツ か ら合 成 燃料 油 の製 造 に関 す る特 許 を いく つか
ド イ ツ人 実 業 家 や技 師 た ち と は、 た い て いド イ ツ人 ク ラブ や
料 を基 礎 とす る より ほ か は な か った。
の技 師 ﹁ミ ュー ラー ﹂ と親 しく し て いた 、 ま た、 そ の競 争 相 手
った 。尤 も、 後 に な って ドイ ツ大 使 館 の書 類 の中 で それ を 見 つ
購 入 し た と い う話 を 聞 いた が 、 そ の詳 細 は知 る こと が で き な か
た関 係 上 、 時 々東 京 のド イ ツ人 商 業 会 議 所 の会合 に も招 待 さ れ
大 使 館 の リ セプ シ ョンな ど で会 った が 、 ド イ ツ新 聞 の記 者 だ っ
た。 記 者 であ る 私 が 、 日本 に い る ド イ ツ商 人 の当 面 し て いる 一
け た 。私 は し ばし ば ハイ ンケ ル製 作 会 社 の組 立 作 業 の担任 技 師
た ﹁ハー グ ﹂氏 と 日本 に や って き た者 であ った 。私 は 両人 か ら、
般 的 な問 題 を 研 究 す る のは当 り前 の こ と であ り、 ま た こう し た
と も会 った。 彼 は 、 日本 飛行 機 工業 会 社 と の用 務 で、前 に述 べ
名古 屋 に お け る ド イ ツ航 空機 用 発動 機 の製 造 に関 す る 一般 的 な
って い た。 私 はご く 少数 の実 業 家 と個 人 的 に附 き合 って いた が 、
そ れ は私 の諜 報 活 動 と は全 く 無 関 係 であ った 。家 族 の人 とし て
会 合 で私 が彼 ら と取 り 交 し た会 話 は、 自 然 経 済問 題 が中 心 にな
の彼 ら に会 って いた ので あ って、 そ の席 に は婦 人 や ほか の客 も
情 報 を幾 つか得 た。 一九 三 八年 か ら後 は、 私 は これ ら組 立作 業
使 館 の空 軍 武 官 室 の綴 込 の中 で、 日本 の航 空 機 会社 が 上記 の発
居 合 せ て いた 。
技 師 の誰 とも 会 って いな い。 し かし 、 後 に な って私 は ド イ ツ大
動 機 を製 造 し 、 ま た ド イ ツ飛 行 機 を 購 入 し て いた こと に つい て
個 人 的 な 友 人 関 係 に つい て私 の書 い た 控 え の 中 に は ﹁モー
ル﹂ や ﹁カウ マ ン﹂ の名 がよ く 出 て く る が、 彼 ら は私 の非 常 に
か ら直 接 日本 へ飛 ん で き た こ と があ った が 、 そ の と き もち ろ ん 私 は操 縦 士 に 飛 行 の模 様 や 日本 にお け る 計 画 な ど を尋 ねた 。 私
懇 意 にし て いた 実業 家 で、 二人 とも 家 庭的 に親 切 に し てく れ る
も っと詳 し い情 報 を見 つけ た。 ド イ ツ の飛 行 機 が何 機 か ド イ ツ
は 、 操 縦 士 の 一人 バ ロ ン ・フ ォ ン ・ガ ブ レ ン ツと い っし ょに、
ので、 私 は 二人 の家 に ゆ く の が楽 し み であ った 。彼 ら の家 族 は
であ った 。大 体 私 は申 国 に いる ド イ ツ人 実 業 家 を あ ま り好 か な
好 き だ った。 彼 は、 私 が 好 感 を も って い た数 少 い者 の中 の 一人
は 一年 ばか り 前 に会 うた のが 最 後 だ った。 私 は個 人 的 に も彼 が
別 の箇所 で述 べ て いる よ う な理 由 で私 は ナ チ党 に加 わ って い
東 京 の ナ チ党
か った 。彼 ら は私 に と って不 愉快 の種 であ った 。
ド イ ツ大 使 館 員 の家 族 と交 際 し て いた が 、 そ の こと は私 の諜 報
日
活動 と関 係 があ る ど ころ か、 む し ろ そ の反 対 で あ った。 と いう の は、 私 が こう し た社 交的 な附 き 合 いを し た の は、 一つ には 東 京 に お け る私 の行 動 が 合法 的 であ る よう に 見 せ か け る た め の偽 装 を 強 化 し よ う と思 ってし た こと であ り、 一つに は個 人 とし て
ツに 関す る い ろ い ろた 断 片 的 な政 治 情 報 を 得 て いた。 た と え ば、
ドイ ツが広 汎 な戦 争 準 備 を 進 め て いた こ と、 ソ連 と 友好 関 係 を
た の で、党 お よ び党 員 と は し ば し ば接 触 があ り 、 彼 ら か ら ド イ
結 ん で は いた も の の世 界大 戦 が始 ま る と ナ チ党 の内部 で大 いに
の彼 ら に好 感 を も って い た か ら であ った 。 中国 、 特 に上 海 に ゆ
公 使 ﹁フ ィ ッ シ ャi ﹂ と親 密 にな り 、 彼 と の間 に い ろ い ろ政 治
反 ソ感情 が高 ま って いた こと な ど を聞 い て知 って いた。 そ の時
く と、 私 は 必 ら ず 同地 の ド イ ツ外 交 機 関 を訪 ね た。 私 は ドイ ツ
(註 、 原 文 のま ま) の権 益 に つ いて 詳 し い倍 報 をたく さん 提 供
上 の話 を 交 し た 。私 は、 日本 の対 華 政 策 や 中国 に おけ る ドイ ツ
の関 係 は必 らず 断 絶 す る と いう見 解 を と って いた 。 ナ チ党 員 の
日本 に対 す る 態 度 は 分 れ て い た。 Ⅰ部 の者 は ド イ ツ と 日本 の緊
以来 私 は、 独 ソ協 定 が 結 ば れ て い る にも かか わ ら ず、 早 晩 両 国
密 な協 力 を 特 に歓 迎 し て は いな か った。 彼 ら は、 日本 と結 ん で
し た 。 そ れ ば か り で な く、 ﹁フ ィ ッ シ ャi﹂ と私 と は中 国 の歴
私 は 、 中国 に い る ド イ ッ の実業 家 連 と親 し か った 。 上海 に行
も経 済 上 何 一つ利 益 を得 る わ け で はな いと し、 或 る連 中 な ど は
史 や 古代 中国 の美 術 に つ いて 共通 の趣 味 を も って いた。
いて話 し 合 った。 私 は、 ク ラウ ゼ ンが名 前 を 挙 げ て いた ヴ ォイ
く と、 いつ で も 二、 三 の者 と 経済 情 勢 や ド イ ツ の貿 易状 態 に つ
の成 員 で はな か った が 、政 府 の役 人 とし てな か な か い ろ い ろ の
てく る と、 み な私 に会 いに き た。 ヴ ォイ ト は 私 の諜 報 グ ループ
立 って揺 い でき て いる 。 た し か 一九 三 八年 初 め の こと だ った と
りそ う だ と いう 一種 の不 安 を感 じ てき て いて、 必勝 の確 信 は 目
う な意 見 を 持 って いた 。最 近 で は、 ナチ 党 も戦 争 が長 期 にわ た
ー氏 で さ え、 一九 三 九 年 の日 独同 盟 交 渉 が 決裂 し た の ち同 じ よ
ト博 士 に も会 った。彼 は年 に 二度 く ら い東 京 に や って く る の で、
事 を知 って いた ので、 私 は好 ん で彼 と接 触 を 保 った。 そ し て、
思 う が 、 ﹁ト ハチ ニフ ス キ ー﹂ 将 軍 が排 除 さ れ る少 し前 ま で は、
ップ 外 相 の腹 心 で 、前 にも 私 が Ⅰ言 し た こと のあ る シ ュタ ー マ
彼 か ら聞 いた 事 を い く つか私 の諜 報 活 動 に も 利用 し た。 モス ク
東 京 に いる ナ チ連 は、 ソヴ ィ エト 連 邦 が今 にも 内 郵 杓 に調裏 す
申国 と緊 密 に結 び つく 方 が いい と公 言 し て いた。 リ ッベ ンド ロ
ワ に対 す る 私 の無線 報 告 の申 では 、 私 は彼 お よ び中 国 に いる ド
東 京 で も会 った 。 大 体 中 国 に いる ド イ ツ人 実 業 家 は東 京 にや っ
イ ツ葡 人 た ち を ﹁コ ン メル ナ ント 一と乎 ん で いた。 ヴ ォイ トと
そ し て、 こ の事 に 関 連 し て ﹁ト ハチ ェフ スキ ー ﹂ と ロ ンド ンに
る のを 心 ひ そ か に待 ち 設 け て いた か の よう な 口 ぶり であ った。
ギ リ ス人 や ア メリ カ人 と接 近 し て いた。
そ の ころ 既 に オ ラ ンダ人 は は っき り と ド イ ツ人 か ら離 れ て 、 イ
一九 三 八年 には 以 上 の情 報 の供 給 源 は断 ち切 ら れ てし ま った 。
日 本 に いた ド イ ツ人 記 者 と 私 の間 の仕 事 の 上 の関 係 は、 言 う
(五) 日本 に いた ド イ ツ人 新 聞 記 者
い た陸 軍 武 官 ﹁プ ト ナ﹂ の名 が挙 げ られ て いた 。 こ の考 え は党 員 の間 に広 く行 わ れ て いた も の で あ る が、 これ を 宜伝 し た張 本
ま でも な く 極 め て密 接 であ った 。 私 は 、 D N B社 の ﹁ワイ ゼ ﹂
人 は ド イ ツ から 帰 って く る ナ チ の連 中 であ った 。私 は また 彼 ら か ら、 ド イ ツ の反 革 命 運動 家 連 が ﹁プ ト ナ﹂ と連 絡 し て おり 、
や ﹁カ ロー ﹂ 、 ド イ ッチ ェ・ア ルゲ マイ ネ ・ツ ァイ ト ング 紙 の
で あ った。 私 は ア ム ス テ ルダ ム ・ハンデ ル スブ ラ ット に通 信 を
て し ま った け れ ど も 、 こ れ も私 の情 報 の出所 と 考 え る べき も の
東 京 の オ ラ ンダ 人 社 会 と 私 の関 係 は 一九 三 九年 の初 め に切 れ
事 や 政 治情 勢 に つい て意 見 も 交換 し、 各 種 の問 題 に つ いて議 論
ろ ん新 聞 記 者 同 志 の こと であ る から 、 わ れ わ れ はあ らゆ る 出来
いう こと は 、誰 一人 とし て全 く 何 も 感 づ い て い なか った 。 も ち
しか し 、私 が何 であ り 、 ほん とう に ど ん な活 動 をし て いる か と
ス オ ツ ェア ン通 信 社 の ﹁ゼ ル マイヤ ー ﹂ と し ば し ば会 って いた。
﹁シ ュル ツ﹂、 ドイ ツ経済 通 信 社 の ﹁マグ ヌ ス﹂ 、 そ れ にト ラ ン
﹁プ ト ナ﹂ は ﹁ト ハチ ェフ スキ ー﹂ と連 絡 し て いる と いう 話 を 聞 い た。
送 って い た の で、 自 然 オ ラ ンダ 人外 交 官 筋 や 実 業家 筋 と接 触 が
ん にく さ し た も のであ った 。 私 は ほ か の記 者 連 中 か ら な か な か
も た た か わ し、 ま た新 聞 記 者 の癖 で政 治 関 係 の事 だ と何 でも 盛
(四) 東 京 の オ ラ ンダ 人 社会
あ り 、 こ う した 方 面 か ら、 蘭領 東 印 度 に対 す る 日本 の経 済 的 進
とを 強 調 し た い。 こ の点 に つい て は、 私 は非 常 に厳 重 か つ細 心
ツ大 使館 か ら得 た秘 密 諜 報 は絶 対 に記 者 連 に は伝 え な か った こ
の消 息通 と見 ら れ て いた 。 彼 ら は こ れ と いう ニ ュー スも情 報 も
出 を食 い止 めよ う と す る オ ラ ンダ 側 の抵 抗 の模 様 に つい て情 報
多 く の情 報 を 得 た 。 オ ラ ンダ の銀 行 筋 か ら は 、 日本 と オ ラ ンダ
な 注 意 を払 って い た。 私 は ほ か の記 者 た ちか ら 、単 に著 名 ド イ
を 得 て い た。 ま た 、 オ ラ ンダ お よ び イギ リ ス、 そ し て後 に は ア
の間 の貿 易 に 関 し て箇 々の資 料 を 入 手 す る こ と が で き、 ま た 日
の であ った 。 し か し、 私 は 日本 人 協 力 者 か ら得 た情 報 や、 ド イ
本 の外 国 貿 易 の状 況 や財 政 およ び経 済状 況 に つい ても 或 る 程 度
ツ人 記者 と し てだ け でな く 、 必要 の場 合 は い つ でも援 助 の手 を
提 供 す る こと が で きず 、 む し ろ 一方 的 に私 に ニ ュー スを求 め る
の情 報 を 得 て いた。 と こ ろ が、 ド イ ツが ヨー ロ ッパ に対 し て と
﹁ワイ ゼ﹂ が休 暇 で帰 国 す る と言 え ば、 私 は 彼 に代 って D N B
さ し の べて や る親 切 な 友 人 と し て尊 敬 を う け て いた。 た と えば 、
メ リ カも 加 わ って 、 これ ら諸 国 が い っし ょに な って オ ラ ンダ 領
った 政 策 の結 果 、 ド イ ツ と イギ リ スや フラ ン スの間 の関係 が悪
に対 す る 日 本 の経 済的 侵 略 を防 ごう と す る努 力 の模 様 に つ い て
化 し 、 ま た オ ラ ンダ と の関 係 も 或 る程 度 悪 化 す るよ う に な り、
場 合 に は、 そ れ を教 え てや った り し た。 わ れ わ れ は事 務所 で会
問 題 が 起 って いる の に ほ か の記 者 が そ れ を知 って いな いよ う な
の仕 事 を見 て や り、 ど う し ても 電 報 し な け れ ば な らな いよ う な
った の で、 私 自身 が そう した 事 を す る 必要 はな か った のであ る。
シ ュタ イ ンと ヴ ケ リ ッチ が い て、 彼 ら か ら情 報 を 得 る 立場 にあ
外 国 人 通 信 員 に つい て は無 関 心 だ った。 ち ゃん とギ ュンタ ー ・
知 ら な い。 呑 気 な無 邪気 な男 と私 は思 って い た。 い った い私 は
と思 わ れ て い た。 私 が新 聞 の仕事 のほ か に多 く の事 を し なけ れ
を見 てく れ た。 私 は いさ さ か 面倒 く さ が り屋 で、 贅 沢 な 記者 だ
や ﹁ワ イゼ ﹂ が拾 ってく る政 界 噂 話 に 依 存 し た。 ﹁ワイ ゼ ﹂ は
や め て しま って、 専 ら シ ュタ イ ンや ヴ ケ リ ッチ のも た ら す情 報
な か った 。 後 に な る と全 然 興 味 が な か った の で、 こ の関係 さ え
当座 だけ の こ とで、 し かも 通 り 一遍 の接 触 を保 って いた にす ぎ
同 じ理 由 で、 私 が 同盟 と関 係 を 保 って いた の は 日本 に着 いた
七 同 盟 通 信 社 お よ び 日本 人 記 者
う だ け でなく 、 い っし ょに食 事 もす れ ば、 お互 の家 を訪 ねも し た。 そ のか わ り、 私 が同 盟 通 信社 や 日本 政 府 の情 報 局 に行 き た
ば な ら な い こと な ど、 むろ ん 彼 ら と し て知 る よし も な か った。
皮 肉 屋 で噂 話 が非 常 に好 きだ った 。 と言 って、 私 は悪 い意味 で
が ら な いで い る のを 知 った 場 合 な ど、 彼 らが ち ゃん と私 の面 倒
った。
私 は 、私 の諜 報 グ ルー プ に属 し て い る以 外 の日 本 人 と は、 こ
る。
言 って いる ので は なく 、 諧 謔 的 な意 味 で そう 言 って いる のであ
こう し た わ け で、 ド イ ツ人 記 者 と私 の関 係 は友 好 的 な も のであ
六 外 国 人 通 信 員
私 は 彼 ら か ら仲 間 はず れ に さ れ て い た。 彼 らと 私 の関 係 は型 通
の数 年 来 な る だけ 会 わな いよ う に し て き て いる 。 そ れ ま で は、
外 国 人通 信員 連 は反 独 的 で、私 を ナ チ の記 者 と見 て いた の で、
り の事 務的 な も の にす ぎ ず 、 そ れ も 一九 三九 年 には概 ね 断絶 し
田、 熊 崎 、 森 を昼 食 に招 いた こと は あ った が、 そ れ も何 か特 別
って いた。 近 年 にな っても 、 ジ ャパ ン ・ア ドヴ ァタ イ ザ ー の村
の場 合 で、 し かも 、 た い て いは他 のド イ ツ人 と い っし ょに呼 ん
ド イ ツ人 通 信員 と い っし ょに朝 日 、 日 々、 同 盟 の記者 連 と交 わ
の上 で いく ら か交 渉 があ った が 、 ヨー ロ ッパ の政 情 は 次 第 に緊
だ。 私 は自 分 の任 務 の 一部 とし て招 待 し た の であ って、 日本 人
﹁コ ック ス﹂ や ア メ リカ 人 の ﹁モー リ ン﹂、 ﹁ト ー マ ス﹂ と仕 事
迫 し 、 お まけ に ﹁コ ック ス﹂ は 死 に、 ﹁モー リ ン﹂、 ﹁ト ー マ ス﹂
と の関 係 をす っかり 絶 ってし ま った よう な 印 象 を 与 え な いの が
てし ま った 。 一九 三 八年 以 前 に は 、 ロイ タ ー通 信 社 の 代 表 者
は日本 を去 った の で、 外 国 人通 信 員 と私 と の個 人 的 な 関係 は事
に置 か な か った。 と いう のは 、 そう しな い と彼 ら か ら面 白 い情
目的 であ った 。私 は、 隠 れ た 諜報 的 な狙 い と い った も の を念 頭
報 を 得 ら れ な い こ とを よ く 承 知 し て いた か ら であ る。 村 田が 後
る外 国 人通 信 員 は ほ とん ど 一人 も いな い。 私 は ﹁レ ッド マ ン﹂ は嫌 いだ った の で、 い つも 彼 を避 け る よう に し て い た。 ﹁コ ッ
実 上 な く な って しま った 。最 近 東 京 に は私 が 個 人 的 に知 って い
ク ス﹂ に つい て言 わ れ て いる スパ イ活 動 に関 し て は、 私 は何 も
報 を も た ら し てく れ た が、 後 に はた だ 金 儲 け だ け に興 味 を も っ
た。 彼 は以 前 は 中 野 や東 方 会 に つ い てと も かく も何 が しか の情
で実 業 方 面 に転 じ た のち で も、 私 は彼 に対 し て同 じ態 度 を と っ
た。
てく れ た こ とが あ った 。 そ の後 一度 か 二度 大 使 館 の宴 会 でも 会 っ
った 。 い ま の東 郷 外務 大臣 はず っと以 前 一回私 の会 見 申 込 に 応 じ
会 見 記 を 書 く た め に 会 った こ とも あ った 。 ま た 、当 時 馬 奈 木 大
う にな り 、 度 々面会 し た。 そ し て、 日 独 同 盟締 結後 私 の新 聞 に
私 は、 オ ット ー お よ び ﹁マツ キ﹂ を 通 じ て大 島 将 軍 を知 る よ
解 を も つ必要 が あ る、 と いう のが私 の信念 であ った 。 言 い換 え る な
わ れわ れ の使 命 に少 し でも 関 係 のあ る 問題 に つい て はす べ て深 い理
日本 に お け る わ れ わ れ の諜 報 目的 を首 尾 よく 達 成 しよ う と思 え ば、
(イ ) 緒
四 、 日本 に おけ る 私 の調 査
よび ソ連 か ら帰 国 し た とき 行 わ れ た のが 最 後 であ った 。
にす き な か った。 私 が 出席 し た会 見 は、 松 岡 外務 大臣 が ド イ ツ お
私 も そ う し た会 見 に何 度 か 出 た が、 それ は 単 に形 式 的 な新 聞 会 見
外務 大 臣 が新 任 す ると 外 国 人記 者 会 見 を 行 う慣 例 に な って い て、 省
て い た。 軍
陸 軍 省 新 聞 班 と私 の関 係 や、 オ ット ー 少 将 や ﹁マツ キ﹂ 大 佐
八 陸
の紹 介 で会 った 陸軍 将校 た ち と私 の関 係 も、 右 に述 べ た と ころ と変 り はな か った 。 近年 は こう した 人 々と は ほ と ん ど関 係 が な
佐 、 山 県 、 西 郷 両 少 佐 、 いま の武 藤 少 将 、 そ れ に名 前 は忘 れた
ら、 単 に指令 を受 取 って、 これ を 仲 間 の者 に伝 え、 そし て モ スク ワ
言
が そ の ほ か にも 何 人 か の将 校 た ち と知 り 合 いに な った。 陸 軍 省
べきも の では な い、 と いう のが 私 の考 え で あ った 。 外 国 で活動 す る
当 局 に報 告 を送 る と い った 技 術 面 お よ び組 織 面 の仕 事 だ け に没頭 す
か った と言 っても 差 支 な い。
新 聞 班 の当 時 の斎 藤 大 佐 と は 以前 にも 会 った こと が あ った が、
な考 え方 を す る こと は で きな か った 。 私 は平 索 か ら、 こう し た地 位
諜 報 グ ル ープ の長 と し て、 私 は自 分 の責任 に つい て そ のよ う な安 易
彼 は度 々私 を ほ か のド イ ツ人記 者 と い っし ょに 招待 し てく れ た。
あ った。 彼 の後 任 者 の秋 山 と は あ ま り交 渉 が な か った が、 宇 都
私 も ド イ ツ人 記 者 仲 間 の 一人 と し て何 度 か彼 を 招待 し た こ と が
努 め る べ きだ 、 と思 って い た。 情 報 の蒐 集 も そ れ自 体 大 切 な事 に は
に あ る者 は単 に 情報 を集 め る だけ で満 足 す べき も の でな く 、 自 分 の
以 上 の人 々の ほ か に、 私 は白 鳥 大 使 が ま だ病 気 にな る 前 に 一度
相 違 な い が、 情 報 を吟 味 し、 政 治 を 全 体的 に捉 え て これ を 評価 す る
仕 事 に関 係 のあ る 問 題 に つい て はす べ て徹 底 し た理 解 を も つよ う に
彼 を訪 ね て会 見 し た こ とが あ った 、 そ の と き、 私 は でき る だ け長
ら授 け ら れた 任 務 を軽 く見 て はな らな いが 、任 務 の遂 行 中 に起 って
能 力 こ そ は最 も 大 切 だ 、 と私 は信 じ て いた 。 私 は ま た、 モス ク ワか
宮 大 佐 と は何 度 か会 い、 上海 でも 一、 二度 彼 を 訪 ね た こと が あ
居 を し て彼 と話 を し た。 私 は、 政 治 家 で政 党 の領 袖 であ った 中野
った 。最 後 に会 った のは 一九 四 一年 の春 であ った 。
にも し ば し ば会 った。 ま た 小 林 海 軍 大将 に も宴 会 の席 で何度 か会
った だ ろ う。 も し、 私 に 確 か な判 断 力 と該 博 な 知識 が欠 け て いる と
誤 って判 断 し て い た と した ら 、 私 は 日本 人 協 力 者 の物笑 いの的 とな
え ず 徹 底 的 に分 析 し、 研 究 す る こと を 必要 とす るも の であ っ ﹂ た。 も し 私 が与 え ら れ た問 題 に つ いて これを 評 価 す る能 力 を 欠 き、 事 態 を
と 思 って いた 。 この事 は、 そ の当 然 の帰結 と し て、 日本 の問 題 を絶
に発 見 し、 報 告 す る こと も決 し て重 要 さ に お いて劣 るも の では な い
く る新 し い仕事 、新 し い問題 、 新 し い事 態 を 、 モ スク ワ が気 づ く 前
解 し よ う と努 め る場 合 、 当 然 わ れ わ れ の仕 事 を 大 いに 容易 な らし め 、
ば な ら な いの で、 こ の方 法 は 、 わ れ わ れ が 一国 の基 本 的 な問 題 を 理
政 治 、 思 想 お よ び 文化 の各 分 野 にわ た る基 本 的 問 題 を 分 析 し な け れ
主 義 的 観 点 に 立 って研 究 す る に は、 ど う し て も経 済 、 歴 史 、社 会 、
点 に立 ってあ ら ゆ る問 題 と取 っ組 ん でみ た も のであ る こ とを 附 言 し
た予 備 的 な 研 究 と 修練 を積 む に つ い ては、 す べて マル ク ス主 義 の観
って、 日本 に つ い て幾 つか の も のを 書 いて いた。 な お私 は 、 こう し
す で に中 国 に いた 時 か ら、 日本 に関 す る 一般 的 な概 念 を得 た いと 思
て おき た い。読 者 の人 々に は異 論 が あ る か も し れな いが 、 マルク ス
た る 地位 を占 め る こ と は、 と う て い で きな か った だ ろ う。
思 わ れ て い た とし た ら 、私 は ド イ ツ大 使 館 で占 め て いた よう な 確 固
日本 で仕 事 をす る に つ い て、 私 が身 に つけ て いた教 養 的 背 景 は、
(ロ) 私 の研 究 の基礎
れ て いた こと を 挙 げ な け れ ばな らな い。
あ ま りに も 多 く の仕 事 に忙 殺 され て、 そ のた め時 間 の不 足 に悩 ま さ
事 、 ド イ ツ大 使 館 の仕事 、 私 の調 査 研 究 、 そ し て私 の秘 密 活 動 と 、
こ の失 敗 に つ いて 言 訳 ら し い言 訳 を す る と す れ ば、 私 は新 聞 の仕
あ った 。
た 。 畢竟 、 私 の 日本 語 の力 が 不完 全 な た め に こ の破滅 を招 い た の で
の研 究 の成績 を 眺 め てみ ると 、得 点 は驚 く ば か り の マイナ スであ っ
で も 私 は感 興 を覚 える )、古 代政 治 史 、 ま た 古 代 の社 会 お よ び 経 済
る 源 氏 物 語 の翻 訳 な どが あ った 。私 は、 日本 の古 代 史 (そ れ に は今
ド イ ツ語 訳 、 平家 物 語 の英 訳 、 世 界的 に輝 かし い文 学 上 の傑 作 であ
家 の間 でも 珍 重 さ れ て い る本 であ る )、古 事 記 の 英 訳 本 、 万葉 集 の
良 のも の な どを 集 め た。 た と え ば、 日 本 書紀 の英 訳 本 (これ は 蒐集
外 国 人 の著 書 のう ち で最 良 のも の、 基 礎 的 な 日本 の作 品 の翻 訳 で最
書 か れ た本 の外 国 語 版 で手 に 入 る かき り のも の全 部 、 日本 に関 す る
に 関 す る も のであ った 。 これ だ け の蔵 書 にす る に は、 私 は 日本 語 で
れ は 警察 に と って は相 当 頭 痛 の種 だ った らし い。 本 の大 部 分 は 日本
私 が逮 捕 さ れ た と き、 家 に は 八 百冊 か ら千 冊 の本 が あ った が、 こ
(ハ) 私 の 日本 研 究
の秋 、 こ の方 法 を用 いて 日本 問 題 の詳 し い研 究 に乗 り だし た 。
ド イ ツの大 学 で得 られ る も のと較 べて少 しも 遜 色 のな い も の であ っ
か つは か ど ら せ る こと に な る、 と私 は信 じ て いる 。 私 は 一九 三三年
た 。私 は ヨー ロ ッパ の経 済 、歴 史、 政 治 に通 じ 、 ま た、 ま る 三年 を
の歴 史 を大 い に勉 強 し た。 私 は神 功 皇 后 時 代、 倭 寇 時 代 、 秀吉 時代
は、 上 述 のよ う な理 由 に よ るも の であ った。 し か し、 数年 た って私
中 国 で過 ご し て、過 去 お よ び現 代 の中 国 史 や、 そ の経 済 お よ び 文化
を詳 細 に研 究 し て 、 当時 私 が書 い て いた か な り大 部 な 、 上 代 か ら の
私 が 、 上 陸第 一歩 と とも に 日本 間 題 の徹底 的 な研 究 に邁 進 した の
を 研 究 し、 か つそ の政 治 に つい て広 汎 な調 査 を 行 って い た。 そ し て、
昔 の 日本 を 研 究 し て いる外 国 人 は 多 勢 いる の で、 そ う 無 暗 と 資 料 を
り っぱ な 翻 訳 が た く さ ん で き て い て、 私 の研 究 に非 常 に役 立 った。
日本 の膨 脹 史 の資 料 に し て いた 。 日本 の昔 の経 済 や 政 治 に 関 し て は、
た 。 私 は 、 こう し た問 題 に興 味 を も った ド イ ツ人 仲 間 と或 る程 度 の
た が 、 そ の取 り あ げ た問 題 は い つも た いて い昔 の日 本 の歴 史 であ っ
の図 書 な ど を利 用 した 。 協 会 は し ば し ば学 術 的 な 会 合 や講 演 を催 し
イ ツ大 使 個 人 の蔵 書 、 科 学 上 の文献 に富 んだ 東 京 の東 亜 ド イ ッ協 会
私 は ま た、 自 分 の蔵 書 の ほ か に、 東 京 のド イ ツ大 使 館 の図 書、 ド
私 の家 に は 、 そう した 原 稿 が ず いぶ ん た くさ ん あ った 。私 は また 、
漁 り まわ る 必 要 は な か った 。 そ し て、 私 は普 通 の外 国 人 の場 合 よ り
何 種 類 か の雑誌 か ら抜 萃 した も のを定 期 的 に訳 さ せ て いた。 私 が 、
も 、 遙 か に た く さ ん の資 料 を 手 に入 れ る こと が で き た と思 って いる 。
詳 しく 研 究 し 、 次 いで小 工業 、 大 工業 、 そ し て最 後 に重 工業 へと移
日 本 の本 や雑 誌 に現 われ た 農地 問 題関 係 の資 料 を 詳 し く研 究 す る こ
日 本 に着 いて暫 く す る と 、 私 は各 種 の 日本 の歴 史 を 翻訳 さ せ た。
って い った 。 尤 も、 近 年 は法 律 で厳 重 な 秘密 の幕 が張 りめ ぐ ら さ れ
と が でき た のは、 こう し た 方 法 を と った ため であ った 。
接 触 を 保 って意 見 の交 換 を し て いた。
た の で、 研 究 も思 う よう な 成 果 を あ げ る こと が でき ず 、 か つ危機 と
(二) そ の 他 の研 究 方 法
以 上 を 出 発 点 と し て研 究 に乗 りだ し てみ る と、 現 代 日本 の経 済 や
さ えな った 。 私 は、 も ち ろ ん日 本 の農 民 、労 働 者 お よ び小 市 民 の社
政 治 の問 題 を 把握 す る こ と は訳 も な い事 であ った。 私 は農 地 問 題 を
会 的 地 位 も 研 究 し た が、 初 め の聞 はそ う いう こ とも 可 能 であ った。
れ ば な ら な い。 面 会 は 、 単 に情 報 を交 換 した り 、簡 単 な討 議 を 行 っ
では な か った。 ま ず 第 一に 、尾 崎 や宮 城 と の面 会 の こと を挙 げ な け
二 ・二六 事 件 、 そ れ に議 会 派 と 極 右 派 の間 の幾 多 の内 政 上 の紛 争 は、
た り す る だけ のも ので は な か った。 或 る具 体 的 な 問題 に つい て論 じ
私 の日本 研 究 は、 本 や 雑 誌 に現 わ れた 資 料 だ け を 基 礎 と し たも の
私 にす ば ら し い研 究 材 料 を 提 供 し てく れ た。 一時 的 な 政 治 上 の事 件
いて話 が も ち上 る こと も あ れ ば、 話 題 は 転 じ て 日本 の歴 史 や 社 会 お
て いる う ち に、 外 国︱︱ た と え ば中 国︱︱ に お け る同 様 な 問 題 に つ
私 は でき る だ け純 粋 に日 本 の資 料 を使 う こと と し、 経 済 雑誌 や政 府
な ど は 、 日本 の昔 の歴 史 を よ く知 って いる者 に は、 特 高 外事 係 が想
官 庁 の発 表 な どを 用 いた 。 日 本 に おけ る穀 物 の不 足 や 一九 三 六年 の
像 す る 以 上 に よく 分 った 。 日 本 の昔 の歴 史 に照 らし 合 わ せ て み る と、
人 の おか げ で、 私 は 国家 を支 配 し て いる 日本 陸 軍 の独 特 な地 位 や、
味 に お い て貴 重 な も ので あ った 、 私 の友 人 で あ り仲 間 であ る この 二
つい て尾 崎 が も ってい た知 識 は極 め て該博 で、 彼 と の面 会 は こ の意
を評 価 す る こと が で きる の であ った。
法 律 的 に説 明 の つき にく い元 老 、 す な わ ち天 皇 に対 す る 助言 者 の性
よ び政 治 情 勢 に 及 ぶ こ と もあ った 。 日 本 や外 国 の歴 史 およ び 政 治 に
私 は、 日 本 の文 化 や 芸 術 の発 達 にも 興 味 を も った 。 そ し て、 奈 良 、
格 と い った も のを は っき り理 解 す る こと が で き た。 中 世 に お け る倭
現 代 の日本 の外 交 政 策 も 容 易 に 理解 す る こ とが でき た 。 す な わ ち、
京都 、 徳 川 の各 時 代 や 、 中 国 の各 流 派 の影 響 や 、 明 治 以後 の近 代 的
昔 の歴 史 の知 識 が あ れ ば 、 日本 の外 交 政 策 問 題 も 立 ち ど こ ろ に これ
努 力 の時代 に つい て研 究 し た 。
お かげ で、 箇 々 の事 実 や歴 史 上 の類 似 の事 件 に関 す る知 識 を 得 る と
影 響 に つ いて教 え て く れ た のも 彼 ら であ った 。 し か し、 私 は彼 ら の
寇 の演 じ た 支配 的 役割 と、 そ の豊 臣 時 代 お よ び徳 川時 代 に及 ぼ し た
す 気 に な った。
は ヨー ロ ッパ、 ア メ リ カお よ び ア ジ ア の歴 史 を も う 一遍 勉強 しな お
で、 この 人 と の会 話 や 議 論 には 新鮮 な興 味 が湧 いた 。 そ の結果 、 私
ろ︱︱ つま り 一九 三 八年 、 三 九年 ご ろ︱︱ にも 日 本 の旅 行 は割 合 に
察 から 制限 を うけ て、 旅 行 は ま った く不 可 能 に陥 った が、 初 め の こ
に役 立 った か も し れな い こと を 言 わ な け れ ばな ら な い。後 で は、 警
た 二 ・二六 事 件 や 農地 問 題 の場 合 な どが そ う であ った。 こ の二 問 題
簡 単 に でき た の で、 私 は頻 繁 に 旅 行 に出 かけ た。 単 な る 見物 をす る
最後 に私 は、 自 分 のや った無 数 の旅 行が ど のく ら い私 の東 亜 研 究
に つ い て彼 ら が し ば し ば与 え てく れ た 助言 と評 価 と は、 き わめ て意
た め で な く、 主 要 都 市 や 主 要 地 方 を視 察 す るた め であ った。 し か し、
いう よ り も 、 む し ろ研 究 課 題 の概 念 を 全 体的 に把 握 し、 これ を概 括
義 深 いも の であ った 。 さ ら に、 も し宮 城 が いな か った ら、 私 は今 の
諜 報 が 目的 で は なく 、 土 地 と 人 民 を知 る のが 目 的 で、 歴 史 と経 済 を
的 に理 解 す る こと が で き た の であ った 、私 が特 に掘 り下 げ て研 究 し
わ れわ れ は し ば し ば展 覧 会 場 や 美 術 館 で面会 し た。 そし て、 諜 報 や
程 度 に 日本 の美 術 を 理解 す る こ と は とう て い でき な か った と思 う 。
潟 か ら そ の西 方 地 域 を 旅 行 し 、 ま た頻 繁 に奈 良 と京 都 を 訪 れ、 紀 伊
った ので あ る。 かく し て、私 は 日本 海 沿岸 地 方 の旅 行 を企 て て、 新
半 島 を 丹 念 に見 て廻 った 。 神 戸 、大 阪 、 瀬 戸 内 海 、 四 国 を 経 て、 九
研 究す る に当 ってそ の基 礎 と な る私 の直 感 力 を 大 い に養 いた い と思
私 は 、 日 本 が 当 面 し て いる重 要 問 題 と取 っ組 ん で 、 これ を掘 り 下
州 の沿 岸 を廻 り、 鹿 児 島 へも 行 った 。 日曜 に は、 東 京 か ら熱 海 の 西
政 治 に 関 す る議 論 を そ っち のけ にし て、 日本 や中 国 の芸 術 に つ い て
げ て みた いと 思 って最 善 を つく し た 。 尾崎 お よ び宮 城 と の面 会 は 、
ま で の間 で よく ハイ キ ング を や った も の であ る 。 ハイ キ ング の目 的
語 りあ う こ とも 珍 ら し い事 で は な か った 。
オ ット ー大 使 お よ び 二、 三 の館 員 とも し ば し ば会 った が、 そ れ は
は、 各 地 そ れ ぞ れ の時 期 にお け る 稲作 の状 況 を視 察 す る た め であ っ
私 の研 究 の大 切 な 一面 を なす も の であ った 。
政 治 問 題 に つ い て自 分 を教 育 す るた め のも の であ った。 私 は彼 ら と
た。 視 察 の結 果 は、 フ ラ ン ク フ ルタ ー ・ツ ァイ ト ング や ゲ オポ リ テ
ィク に寄 稿 す る と き の役 に立 った 。
当面 の問 題 に っ いて論 じ あ った が、 全 般 的 な 政 治 状 況 を観 察 し て結 論 を引 き出 す の にも 、過 去 の事 象 と比 較 し て みる のに も、 た い へん
そ れは 、 大 き な危 険 を冒 す こと に な る と思 ったか ら であ る。 唯 一の
例 外 とし ては 、或 る 目的 のた め に 奈 良 で尾 崎 に会 った こと があ る が、
旅 行 に は、諜 報 グ ループ の メ ン バー は決 し て つれ てゆ か な か った。
会 った の は ほん の暫 く の間 であ った 。
役 に た った。 オ ット ー 大 使 は俊 敏 、 有 能 な 現 実 外 交 家 で あ り、 そ の
解 釈 す る人 であ った 。私 は彼 ら と の話 から 、 私 の研究 に有 益 な 示 唆
(ホ ) 私 の調査 の実 際 的 な 価 値
部 下 の マル ヒタ ー ラー は 歴史 や 文 学 に根 拠 を 置 いて現 代 の出 来 事 を
この人 は ヨー ロ ッパ政 情 に通 暁 し、 す ばら し い背 景 を も った人 な の
を 受 け た こと が 少 く な か った 。 最 近 は コルト 公使 と よく 会 った が、
な って いな か った こ と だけ は 確 か で あ る。 し か し、 私 の調 査 は 中 国
とし た ら 、多 分 私 は学 者 にな って いた だ ろ う︱︱ 少 く と も 諜 報員 に
も し 私 が 平和 な社 会 状 態 と、 平 和 な 政治 的 環 境 の も と に生 き て いた
た 視 察 を 行 う ことを 、 単 な る 目 的 のた め の手段 と は考 えな か った 。
あ った 。 こ の事 は 日本 お よ び中 国 で特 に そ う であ った 。 私 は そ う し
行 った 先 々で そ の土 地 の事 を知 る のは私 の希 望 であ り 、 楽 し み で
った重 要 問 題 や 重 要 事 態 を認 識 し な か った り 、 研究 し な か った り し
私 は モ スク ワ当 局 か ら 完全 な信 任 を う け て いた 。 そ し て、 新 し く 起
か ど う か に つ い て 一般 的 な判 定 を 下 す こと が で き た。 こ の点 では 、
私 は ま た、 新 し い問 題 が発 生 し た場 合 、 そ れ が ソ連 に と って重 要
に違 い な い。
る こと が で き なか った と し た ら、 重 大 な 叱 責 を う け る こ と にな った
な事 で あ った。 も し 私 が 信頼 で き る諜 報 と 間違 った諜 報 を 篩 い分 け
解 す る こと が絶 対 に必 要 だ と 考 え て い た。 こう し た 調 査 を し て い た
反 対 に、 私 の行 った 国 、 す な わ ち 日本 の問 題 を でき る だ け 完全 に 理
治 上 、 軍 事 上 の事態 に関 し て独 自 の判断 を 下す こ とが でき た。 私 が
を求 め て これ を 正 確 に 伝 え る こ とが でき た だけ でな く 、 経 済 上、 政
最 後 に、 私 は こう し た調 査 を し て いた お かげ で、 単 に 必 要 な情 報
た。
った 。 この節 の初 め に言 った よ う に、 私 は他 人 のた め に 集 め た情 報
お よ び 日本 に おけ る私 の主 た る 仕事 に と って極 め て大 切 な も ので あ
ので、 私 は ソ連 外 交 の立 揚 か ら見 、 ま た広 く 政 治 的 お よ び 歴史 的 な
送 った 無 線 通 信 や報 告 の中 に は基 本 的 な資 料 だけ でな く 、 個 々の情
いて は、 私 が 中 国 に いた時 代 から ず っと モ スク ワ の尊 敬 を う け て い
観 点 に 立 って見 て、 或 る問 題 な り事 件 な り が重 要 であ る か ど う か を
た と い う の で批 判 さ れ た こと は 一度 も な か った、 私 の下 す 判 断 に つ
決 定 す る こと が でき た 。 た と え ば、 日本 と ソ連 の間 に 辺境 の紛 争 事
を 伝達 す る単 な る郵 便 函 の役 目 に終 始 し よ う と は思 って いな か った。
件 が いく つか 起 って も、 私 は そん な も のは 大 し た 害 は 及 ぼ さ な い と
つも は っき り し た物 の言 い方 を し た 。自 分 のも って いる 意見 な り、
政 治 的 分 析 な り が 正 し く、 そ し て必 要 だ と思 った時 に は 、 少 し も躊
報 か ら導 き 出 し た分 析 を包 含 した も のが たく さ んあ った 。 私 は、 い
件 、 特 に 一九 三 七年 夏 の事 件 は、 中 国 全 土 を 巻 き こむ大 戦 争 の前 奏
を奨 励 し てく れ た。 そ し て、 一般 情勢 に対 す る 私 の判断 力 お よ び評
躇 せず にそ れ を モ スク ワ に伝 えた ゜ ま た、 モス ク ワも そ うす る こ と
見 て と って、 心 配 し な か った。 し かし 、 相 次 い で起 った 日華 間 の事
曲 だと 思 った 。私 は、 明治 お よ び明 治 以 後 に 重 点 を置 い て 日本 の歴
価 力 を 高 く評 価 し て い る こと を度 々そ れ とな く 私 に 知 ら せ て きた 。
史 を 研 究 し て いた お か げ で、 こ の問 題 に つ い て気 迷 い を し たり 、 考 え の混 乱 を起 し た り し な い です ん だ 。
と思 う のは間 違 であ る。 私 は 自 か ら厳 密 な節 に か け た 上、 これ な ら
私 が 集 め た資 料 は、 何 も か も い っさ い が っさ い モ スク ワ へ送 った
批 判 の余 地 は な い と思 う確 かな も のだけ を 送 った 。 そ のた め に は、
私 は ま た、 こう し た調 査 を し て いた た め 、 情報 や噂 が ど こま で ほ
噂 や 推 測 が 混 って い る点 で ヨー ロ ッパ の場 合 よ り も ひ ど い の で、 こ
ず い ぶん 余 計 な労 力 も費 さ ね ば な ら な か った 。 政 治 お よ び軍 事 情 勢
ん とう で あ る か を評 価 す る こ とが でき た 。 特 に 極東 で は諜 報 の中 に . う し た 判 断力 を具 え て いる こ と は私 の秘 密 活 動 に と って極 め て大 切
め て得 ら れる も ので あ る。
件 であ って、 ま じ め な 、 そ し て綿 密 な調 査 を 行 う こと に よ って は じ
た りす る能 力 は 、諜 報 活動 を ほ ん と う に価 値 あ る も のに す る前 提 条
し、 或 る問 題 に つ い てそ れ を全 般 的 に評 価 した り 、 そ の全 貌 を伝 え
の分 析 に つ い ても こ のや り方 は同 じ であ った 。 こう し て資 料 を選 択
私 は い つ でも 迅速 と決 断 と勇 気 と知 謀 をも って私 の任務 を遂 行 した 。
伸 び てゆ く のに 邪魔 に な る よう な こと は な か った 。 必要 が起 れ ば、
調 査 研 究 に 従 事 し て い た から と い って、 私 が 諜 報 の専 門家 と し て
査研 究 を し て いた か ら こ そ で き る事 だ った のであ る。
い う ふ う に考 え る べき も の では な か った 。 そう し た 報告 は、 わ れ わ
問 題 に つい て も同 様 であ った 。 日本 で起 った 或 る 問題 を評 価 し 、 ま
ば し ば であ った。 重 要 問 題 の分析 に関 す る最 後 的 な 用語 上 の表 現 の
とは 一度 も な い。 宮 城 の判 断 、特 に尾 崎 の判 断 にた よ った こ と はし
私 は 日 本 に関 す る問 題 な ら 何 で も解 答 が でき る な ど と自 惚 れた こ
れ の諜 報 活 動 の単 な る 一面 にす ぎ ず 、 ま し て主要 な部 分 で はな か っ
た は これ を文 章 に書 き 表 わ す場 合 、 私 は し ば し ば 尾崎 か宮 城 と 話 を
わ れ わ れ の仕 事 は 、 無線 で報 告 を出 し てし ま え ば そ れ で終 った と
た 。 私 は 不規 則 な間 隔 を置 い て、 大 量 の逓送 物 を モス ク ワ へ送 った
し て み た。 私 の判 断 が 間違 って いる 場 合 、特 に そ れ が ソ連 の政 策 に
って いた 。私 は、 報 告 期 間 中 の内 政 お よ び国 際 政 局 や 軍 事 問 題 に つ
引 く 事 件 で、 回復 で き な い程 度 に 日 本 を弱 め な い では お かな いだ ろ
た。 た と えば 、 日華 事 変 に つ い ては 、 私 は最 初 から これ は大 変 に長
重 大 な関 係 が あ る場 合 な ど、 私 は 尾 崎 に自 由 に訂 正 さ せる よ う に し
が 、 そ の中 に は書 類 そ の他 の資 料 だ け で な く、 私 が書 いた 報告 も 入
い て、 た いて い欠 か さず 報 告 を 書 いた 。 そ れ は、 そ の前 に 報告 を出 し た 時 以 後 に お け る重 要 な 情 勢 の発 展 を要 約 し、 分 析 し た も ので あ
と 広 い知 識 が なけ れ ば とう て い企 て ら れ るも の では な い。 ベ ル リ ン
し て努 力 し たも の であ った 。 こう し た苦 心 の報 告 は 、徹 底 的 な 研 究
箇 月間 の 一般 情 勢 に つ い て正 確 か つ客 観 的 な概 観 図 を描 き出 そう と
検 討 し た 上、 責 任 あ る 意見 と し て これ を モ スク ワ当 局 へ送 る こ と に
な いと の説 を 唱 えた 。 以 上 二 つの場 合 とも 、 私 は自 分 の考 え を よ く
と も に、 一九 四 三年 夏 の大動 員 は ソ連 を 主 た る対 象 とし た も ので は
本 が ソ連 に対 し て戦 争 を 挑 む考 え はも って いな いと の見 解 を 執 る と
う 、 と予 言 し、 また ノ モ ン ハン事 件 の とき に は、 私 は断 固 とし て日
や ワ シ ント ンと違 って、 モス ク ワは 中 国や 日 本 の こと を よく 知 って
し た が、 そ のと き 宮城 の判 断 にも 或 る程 度 傾 聴 す べき も のが あ った
って、 山 なす 情 報 や 調 査 の結 果 を基 礎 と し て、 新 し い事 態 や過 去 数
いる の で、 容 易 な こと で は ご ま化 さ れ はし な い。 極 東 問 題 に関 し て
った。
(へ) 私 の日本 研 究 と合 法 の偽 装
が、 尾 崎 の判 断 に 至 って は、 私 は最 も高 く こ れを 評 価 し た も の であ
か つ組 織 立 った 報 告 を、 数 ヵ月 の間 隔 で送 ってく る よう に私 に求 め
し たが 、 同 時 に そ れ は私 の非 合 法活 動 をか く す 偽装 と し て絶 対 に 必
私 の日 本 研究 は、 私 の諜 報 活動 に対 し実 際 上 非常 に大 きな 貢 献 を
ソ連 の も つ知 識 の程度 は 、 ア メ リ カ政 府 や ド イ ツ政 府 の場 合 よ り 遙
て いた。 私 は 、 モ スク ワ当 局 の要 求 す る 比較 的 高 い標 準 を 首 尾 よく
か に高 く、 モ ス ク ワは し っか り した 根 拠 に 立 ち、 周 到 に計 画 さ れ、
充 た し て いた 、 と 言 う こと が でき る と 思 う。 そ し て、 そ れ は 私 が調
つま り詳 細 な調 査 を し て いな か ったら︱ ︱大使 館 員 は誰 一人 と し て
的 な消 息 に通 じ、 中 国 に つ い て該博 な知 識 を 有 し 、 日本 に つい て詳
慨 さ え し て いた。 私 が大 使 館 に 地 位 を得 た のは 、 主 と し て私 が 一般
ど は、 む し ろ 私 が 大使 館 内 で影 響 力 を も つこ と に反 対 で、 これ を憤
位 は、 館 員 と の友 人 関係 だ け で得 られ た も の で はな い。 或 る 館員 な
う て い獲 得 す る こ とが でき な か っただ ろ う 。大 使 館 に おけ る 私 の地
ツ大使 館 や ド イ ツ人 記 者 の間 で占 め て いた よ う な確 固 たる 地 位 は と
要 な も の であ った。 も し 私 が 日 本 の研 究 を し て いな か った ら、 ド イ
大 使 館 内 で高 級 の官 吏 とし て の地 位 に就 かな いか と言 ってき た 。 私
響 を 与 え た 。 記者 と し て の私 の能 力 を認 めた ド イ ツ外務 省 は、 私 に
一般 に認 め ら れ て いる こ と は、 大 使館 に おけ る私 の地位 に も い い影
に と っても き わ め て大 切 な事 であ った。 こ の よう に し て私 の才 能 が
ド イ ツ有 力 紙 の最 優秀 通 信 員 とし て の評判 は、 自 然 私 の諜 報 活動
務 省 も、 そ し て教 養 のあ る ド イ ツ人 が 誰 でも み な そう 考 え て いた。
た 。 これ は単 に私 一個 の考 え で は な い。 ドイ ツ大 使 館 も、 ド イ ツ外
ゆ く も ので 、記 事 の内容 か ら言 って他 のど の新 聞 より も 抜 ん でて い
フ ラ ンク フル タ ー ・ツ ァイ ト ング は、 ドイ ツ新 聞 界 の最 高 水 準 を
はそ れ を断 った が、 大 使 館 内 に お け る私 の声 望 は ま す ます 上 った 。
し い研 究 を し て い た か ら であ った 。 こ う した 知 識 が な か った ら︱ ︱
私 と問 題 を討 議 し た り、 機 密 事 項 に つ い て私 の意見 を求 めた り は し
ゲ オ ポ リ テ ィクは 、 でき る だけ 早 い時 期 に 日本 に関 す る 本 を書 け と
記事 の注 文 を うけ た 。 そ し て、 フ ラ ン ク フ ルタ ー ・ツ ァイ ト ング と
言 って私 に 迫 って き た。 私 は原 稿 を 三 百 ペ ー ジ ほ ど書 き 了 え て いた
新 聞記 者 と し て の評判 のた め、 私 は ド イ ツ の新 聞 雑 誌 か ら無数 の
た 。 私 が 広 範 囲 に わ た って旅 行 を し、 長 年 の間 研 究 に従 事 し た結 果
が、 逮 捕 と とも に こ の著 述 の計 画 は 瓦解 し てし ま った 。私 がゲ オポ
な か った だ ろ う。 私 に相 談 す れ ば 、 問 題 の解決 に何 か役 にた つも の
得 た よ う な中 国 お よ び日 本 に 関す る造 詣 は 、彼 ら は 一人 とし て持 ち
リ テ ィ クに書 いて い た随 筆 は か な り長 いも の で、 いろ い ろな 題 目 に
があ る こと を知 って いれ ば こそ 、 彼 ら は私 の意 見 を求 め た ので あ っ
合 せ て いな か った 。 一九 二 四年 以 来 私 が 共 産 主 義 運動 に関 係 した た
家 と し ての評 判 を と って いた 。
わた ってい た が、 私 は これ に よ って ド イ ツ読 者 層 の間 で記 者 兼 文 筆
私 の調 査 研 究 は、 私 が新 聞 記 者 と し て の地 位 を 獲 得 す る 上 に も極
た だ 日本 に おけ る 私 の調 査研 究 が 、 モ スク ワの た め にす る 私 の諜 報
私 は、 自 分 の こと を 自慢 し よう な どと は 毛頭 思 って いな い 。私 は
いな か った。
め て大 切 な も ので あ った。 も しそ う し た背 景 が な か った ら、 あ まり
め に得 た よ うな 一般 的 な政 治 上 の訓 練 も 、 彼 ら の多 く は持 ち 合 せ て
高 く も な い駈 け 出 し の ド イ ツ人 記 者 の水 準 を 抜 く こと も難 し か った
と であ る。 も し 私 が 調査 研 究 も せ ず 、教 養 的 背 景 も も ってな か った
とし た ら 、私 は秘 密 使 命 を 遂 行す る こ とも でき ず 、 ま た ド イ ツ大 使
活 動 に絶 対 に 必要 で あ った こ とを 証 明 し て み よう と思 った だけ の こ
館 や ド イ ツ新 聞界 に食 い入 る こと も できな か った こと と思 う。 の み
と思 う 。 そ う し た背 景 のた め に、 ド イ ツ で は私 は 日 本 に い る通 信 員
ー ・ツ ァイ ト ングは 、 私 の書 く記 事 のた め に同紙 の国 際 的 声 価 が高
中 の第 一人者 と認 め られ て いた。 私 が働 い て い た フ ラ ン ク フ ル タ
ま った と 言 って、 し ば し ば私 に讃 辞 を 呈 し てく れ た ほ ど であ った 。
ば、 モ スク ワ諜 報 学 校 の試 験 に合 格 した こ と でも な か った 。 そ れ は 、
った だ ろ う。 そ れ に つけ ても 、 一番 役 に 立 った のは才 能 でも な け れ
な ら ず、 七年 間 も 無 事 に日 本 で仕 事 を す る こ とは と う て い で きな か
尾崎 、 ヴ ケリ ッチ お よ び私 は、 何 年 か の間 こ の態 度 をと ってき た。
懸 案 の平 和的 解 決 に努 力 す る よ う に勧 め た の であ った 。
に む か って、 ソ連 の国 力 を 過少 評 価 す る よう な こと を せず 、 日 ソ間
す る よ う に教 え よ う とし た の で あ った。 われ わ れ は個 人 お よ び団 体
極 的 に対 ソ平 和 政 策 を と ら せ る よ う にす る自 信 が あ る と言 う の で、
そ し て、 尾 崎 は う ま く 上述 の制 限 を 超 え て彼 の仲 間 に働 き かけ 、積
と ころ が、 一九 四 一年 にな って対 ソ開 戦 論 の声 が高 く な って きた 。
私 が 日本 に関 す る 基 本的 な 研究 を 試 み 、 日 本 に つい て知 識 を 得 て い た こ と であ った 。 五 、 私 のグ ループ の政 治 活 動
従 って、 私 のグ ルー プ お よ び私 は どん な 個 人 お よ び団 体 に対 し て
機 能 に 従事 す る こ と は、 モス ク ワか ら固 く禁 じ られ て いた 。
が 、 これ に 対 す る モ スク ワ の返 事 は否 定 的 であ った 。 と い って、 真
仲 間 の者 が 積 極的 に 行動 す る余 地 が あ る こと を述 べた も の であ った
私 の発 し た照 会 は 極 め て概括 的 なも の で、 尾崎 や私 やグ ルー プ の
政 策 の鋒 先 を 南 方 へ転 じ さ せ て み せる 自 信 が あ る と い う の であ った 。
は近 衛 グ ル ープ の中 で強 硬 に 日 ソ開 戦 反 対論 を唱 え て、 日 本 の膨 脹
も 、 いさ さ か な り とも 政 治 的 な 働 き かけ をし ては な ら な い こ と にな
向 か らそ う し た行 動 を禁 止 す る わ け でも なく 、 ただ 不 必 要 だ と言 っ
私 は モ スク ワに 向 って 一つの照 会 を発 した 。 尾 崎 に言 わ せ る と、 彼
説
って い た。 わ れわ れ は 忠 実 に これ を守 ったが 、 ただ例 外 が 一つあ っ
て きた 。 一九 四 一年 独 ソ戦 の勃 発 以後 事 態 は い よ いよ 緊 迫 を 示 し て
(イ ) 概
た。 す なわ ち 、 ソ連 の国 力 に対 す る人 々の考 え 方 に対 し て は、 われ
き た 。 そ こで私 は、 モス ク ワ の回 答 を 必ず し も 明 確 な 禁 止 と解 さな
私 は 諜報 以 外 の活 動 、 す な わ ち 政治 的 性 質 を も った 宣 伝 や組 織的
わ れ は積 極 的 に働 き かけ た の であ った 。 こう し た例 外 の場 合 に つ い
く と も 、私 の権 限 内 の行 為 と し てそ れ は差 支 な い事 だ と 考 え た。 私
と い う ふう に解 釈 し た 。
て何 も 定 め て いな い 一般 的 な 制 限 とい うも の に は、 た と え違 反 す ま
従 って、 私 は 尾 崎 が 近衛 グ ループ の中 で積 極 的 な行 動 に で る のを
い とし ても 、 そ れ は甚 だ 無 理 であ る 。 と いう の は、 も し 尾 崎 や 私自
た とし た ら 、 わ れ わ れ はた ち ま ち 危険 な立 場 に陥 ってし ま った こ と
制 限 しな か った 。 ま た、 私 自 身 も ド イ ツ人 に対 し て働 き かけ る こと
は ﹁不 必要 ﹂ と いう 言 葉 の意味 に幅 を も た せ て、 そ れ は わ れ わ れ が
だろ う 。 ソ連 国力 の評 価 の問 題 に 関 連 し て、 わ れ われ のグ ルー プ が
を躊 躇 しな か った 。 と い う のは 、 そう いう 行動 を し ても 、 私 が過 去
上 に述 べ た よ うな 活 動 に 加 わ る こ とを 明 確 に禁 止 す る も の で は な い、
特 別 な 立 場 を と った のは 、 こ のた め で あ った。 し か し 、 そ う だ から
数 年 来 と ってき た態 度 に は何 ら変 更 を も た ら す も ので は な い から で
の国 力 を く さ し て、 こ れを 低 く 見 る 当時 一般 の考 え方 に 賛 成 し て い
と い って、 わ れわ れは ソ連 のた め にす る宣 伝 に従事 し た の で はな い。
身 が助 言 者 ︱ ︱政 治 問題 の専 門 家 で老練 な助 言 者 ︱ ︱ とし て、 ソ連
各 方 面 の個 人 や、 社 会 の各 層 に む か って、 ソ連 の国力 を慎 重 に評 価
て、 南 方 に こそ 日 本 の発 展 を阻 止 しよ う と し て いる 真 の敵 は いる の
て いた ゜ これ以 外 に何 か ほ か の方 法 を と って いた か ど うか は 知 ら な
あ った 。 私 のグ ループ と私 が企 てた 行動 は、 政 治 活 動 に関 し モ スク
いが 、 ソ連 の国 力 に対 す る 皮相 な見 方 や 敵 を 軽 んず る 一般 的 な 傾 向
尾崎 は、 こう いう 論法 で 一九 四 一年 の緊迫 状 態 を緩 和 し よ う と し
う こ とを す れ ば、 わ れ わ れ の本 来 の大 き な使 命 を危 険 に陥 れ る こと
だ。
に な る か ら で あ る。 私 は こ の点 を 特 に 十 分強 調 し て おき た い。 わ れ
に 対 し て は、 私 と同 じ よ う に折 を見 て反 対 し て いた も の と思 う。 彼
ワか ら課 せ ら れ て いた 上述 の制 限 の範 囲 内 で行 われ た ゜ 仲 間 の者 は
わ れ が や った 事 は絶 対 に宣 伝 活 動 では な か った のだ。
ラ ー の誤 算 を指 摘 し て い た に違 いな い。
は 人 と話 をす る と き、 ノ モ ン ハンの教 訓 や 、 独 ソ戦 に おけ る ヒ ット
誰 一人 と し て こ の限 度 を超 え た行 動 に は 出 な か った 。 も し 、 そ う い
わ れ わ れ が モ スク ワ に照 会 を 発 し て否 定的 な返 事 を も ら った 経緯
(ロ) 尾 崎 の行 動
ヴ ケリ ッチ は アヴ ァス通 信 社 の代表 者 とし て、 外 国 通信 員 の ため
に行 わ れ る新 聞 記 者 会 見 に出席 し 、同 盟 通 信 社 や 毎 日新 聞 と接 触 し
(ハ) ヴ ケ リ ッチ の行 動
て いた が 、彼 も ま た或 る程 度 上 述 の活 動 に従 事 す る こと が で き た。
は 上 述 の通 り だ が、 私 は た だそ の経 緯 が あ って初 め て、 尾 崎 の企 て
つく し た のち に彼 の知 人 に対 す る積 極 的 な働 き か け に着 手 し て いる 。
そ し て ソ連 の国 力 を過 少 評 価 す る 者 が あ る と、 それ と 議論 を闘 わ し、
を 知 った に す ぎ な い 。私 の知 って いる 限 り で は、 尾 崎 は私 と討 議 を
ソ連 は 日 本 と戦 う考 え はも って いな い。 か り に 日本 が シ ベ リ アに
ソ連 と の間 に平 和 的 諒 解 を 増 進 さ せ よ う と し て努 め て いた も のと思
彼 の用 い た論 法 は ざ っと こう であ った ︱ ︱
侵 入 し ても 、 ソ連 は た だ防 禦 す るだ け であ る 。 日本 が ソ連 を 攻 撃 す
の間 に 交 し た話 を どう いう ふ う に利 用 し たも のだ ろ う か と、 私 に意
う 。 彼 は 、 自分 が フ ラ ン スに 送 った無 線 通 信 や 、 同 盟 通 信 の連 中 と
見 を 求 め た こと も度 々あ った 。 そ う い う時 に は、 た いて い私 は慎 重
は そ のよ う な戦 争 を し ても 、 東 部 シベ リ アな いし そ の西 方 で獲 得 す
に 行 動 す る よ う に言 ってや った が、 彼 と し て折 角 と る こと の で き る
る とす れ ば 、 そ れ は近 視 眼 的 な 誤 った 行 動 であ る 。 な ぜな ら、 日 本
る こ れ と いう 政 治 上 お よ び 経済 上 の利 益 は何 一つな い か ら であ る 。
の対 日政 策 が次 第 に硬 化 し て き て い る の で、 日 本 は ソ連 と の間 に接
恐 らく ア メ リカ お よ び イ ギ リ スは 日本 が そう し た戦 争 の渦 中 に陥 る
近 を 計 る 必要 があ る とも 言 って いた よ う であ る 。彼 は ま た ド イ ツが
モ ン ハン事 件 を う まく 利 用 し て いる よ う であ った 。 ま た、 ア メ リ カ
ソ連 を破 れ ば 、 日 本 は指 一本 挙 げ な い でも 、 シベ リ ア は 日本 の懐 に
冷 酷 に も ソ連 と の協 定 を 破 った こと を取 りあ げ て、 ソ連 に不 意 討 を
手 段 が あ る 場合 、 それ に水 を さ す よ う な こ とは し な か った。 彼 は ノ
こ ろ がり こ むか も し れ な いの だ。 も し 日 本 が 中 国 以外 の地 に更 に進
食 らわ せ た こと は、 ナ チ スが そ の条 約 上 の義 務 に つ いて、 い か に利
の を歓 迎 す る だ ろ う。 そ し て、 日 本 が 石 油 と 鉄 を使 い果 し て しま っ
出 し た い と いう の であ れ ば、 南 方 こそ は 進 出 の価値 あ る地 域 であ る。
た後 で、 機 会 を捉 え て 日本 を討 つだろ う 。 と ころ で、 も し ド イ ツが
南 方 には 日 本 の戦 時 経済 に なく て はな らな い緊 急物 資 があ る。 そし
ヴ ケリ ッチ のと った こ の態 度 は、 期 せ ず し て彼 が アヴ ァ ス通 信 員
には 反 対 す る空 気 を こし ら え て い た。
日 ソ中 立 条 約 の存 在 を指 摘 し て、 少 く とも 日 本 に よ る同 条 約 の廃 棄
点 を 強 く 印象 づ け よ う と し て いた よ う で あ る。 最 後 に、 彼 は 絶 え ず 、
己 的 か つ勝 手 な態 度 を と るも の であ る か を示 す も の であ る 、 と いう
て いる ) 。 ソ ヴ ィ エト連 邦 は 帝政 ロシ ア と 違 って、 国家 構 成 の 点 か
今 無類 の外 交 家 であ って 、彼 は い ま だ に全 ド イ ツ国 民 の尊 敬 を う け
世界 大 戦 が最 も 明 白 に これ を証 明 し て いる (ビ ス マ ルク は確 か に 古
し て反 対 した 。 ビ ス マルク の この考 えが 正 し か った こ と は、 第 一次
言 って、 少 し でも ロ シ アと の戦 争 に な る惧 れ のあ る 行動 に は断 固 と
な い。 ま た近 い将 来 に侵 略 国 家 に な る考 えも も って いな け れ ば、 ま
た そ の能 力 も な い。 ソ連 は た だ 自 か ら を衛 る こと に 関 心 をも って い
ら 見 て も 、 ま た歴 史 的 発 展 の経 過 の 工合 か ら見 ても 、侵 略 国 家 で は
る だけ であ る ゜ し か し なが ら 、 ド イ ツま た は 日本 か ら攻 撃 をう け た
とし て当 然 と ら な け れ ば な らな い立 場 と完 全 に 一致 す るも の であ っ
拗 な宣 伝 に 対 抗 す る こと を意 図 し たも の でも あ った。 第 二次 大 戦 勃
場 合 、 ソ連 が 政治 的 も しく は軍 事 的 に た ち まち 崩 壊 す る と考 え る の
た。 と同 時 に 、 日 本 を対 ソ戦 に引 き入 れよ う と し て いた ド イ ツ の執
に関 す る仕 事 に従 事 し な け れ ば な ら な か った 関 係 上 、 ベ ルリ ンと東
発 以 来 、 私 は 毎 日 ド イ ツ大使 館 で宜 伝 材 料 や 宜 伝 に 関 す る意 見 具 申
って いな い証 拠 に は、 ソ連 は 自 分 の戦 時 経 済 に欠 く こと の でき な い
品 目︱ ︱ そ の中 に は極 東 か ら シベ リ ア鉄 道 で運 ん でき た物 資 も 含 ま
は 、 こ の上も なく 愚 か な こと であ る。 ソ連 が ド イ ツと戦 争 を し た が
れ て いる︱ ︱ を ド イ ツ に供 給 す る こと を約 束 し て いる のを見 ても 分
京 大 使 館 の双 方 で宣 伝 活 動 が 行 わ れ て い た こ とを 私 は よ く知 って い
私 が知 って い るか き り では 、 以 上 が ヴ ケ リ ッチ の活動 状 況 であ る。
る の であ る 。
る。
な い こと だ が、 共 産 主 義 のた め に 宜 伝 を行 って いた も の でも な い。
し た。 私 の思 い切 った物 の言 い方 は 有 名 で あ った。 そし て、 誰 も私
私 は同 胞 の ナチ スに対 し 、 少 し も躊 躇 せ ず に こう し た 意 見 を披 歴
彼 は ソ連 の た め に宜 伝 を 行 って いた も の でも な く 、 ま た 言 う ま でも
(ニ) 私自 身 の 活勧
の こ の意 見 に 反 駁 を加 え る者 はな か った 。
連 が や って い る準 備 は 、 シベ リ ア に お い てさ え全 く防 禦 的 な も の で
べる こと にす る。 それ 以 外 では 、 私 は ド イ ツ在 留 民 、 ナ チ党員 お よ
私 が ド イ ツ大 使 館 員 の間 に這 入 って 行 った 工作 に つ い ては後 に述
あ る。 ソ連 は日 本 の第 一の敵 だ と いう 議 論 は 、 歴史 的 根 拠 を 欠 いた
日本 が ソ連 の攻 撃 を 恐 れ な け れ ば なら な い理由 は 一つも な い。 ソ
私 が 同胞 のド イ ツ人 に むか って述 べた意 見 は ざ っと次 の通 り であ
外 国 の宣伝 であ って、 列強 は この長 年 に わ た る 日 ソ間 の敵 対 心 のた
私 は、 日本 人 の知 人 に対 し て は次 のよ う な 調 子 で語 った 。
った。
び日 本 人 の友 人 と、 上述 の制 限 の範 囲 内 で ソ ヴ ィ エト問 題 に つ い て
ビ ス マル クは 、英 仏 ブ ロ ック に対 抗 し よ う とす る ド イ ツ の基 本 政
め に利 益 を得 て いる 。 日本 陸 軍 は、 外 国 宣 伝 家 の言 う こと を取 上 げ
論 じた 。
策 を遂 行 す る た め に は、 ロシ ア に対 し 平 和 政策 を と る必 要 が あ る と
て、 こ の恐 る べき怪 物 ソ連 に対 抗 す る た め年 々ます ま す膨 大 な予 算 を 要 求 し て いる。 しか し 、 日 本 に と って の ほん とう の目標 は北 方 で な く し て、 中 国 と南 方 な のだ。 ソ連 の軍 備 は 純 粋 に防 禦 的 なも の で
ゼ ンは こう し た活 動 に は従 事 し て い な か った 。
私 の モ スク ワ滞 在 中 に お け る
中 央 当 局 と の直 接 の連 絡
り であ る 。 私 は赤 軍 第 四本 部 と の間 の伝 書 使 便 と無 線 通信 に依 存 し
私 が日 本 か ら モ スク ワ に対 し てと った連 絡 の方 法 は既 に述 べた 通
第 二章
ハ ン事件 の示 す 通 り であ る 。
あ る 。 と言 っても 、 決 し て これ を見 縊 ってな ら な い こ と は、 ノ モ ン
私 は ま た、 一九 一八︱ ︱ 二 一年 の シ ベ リ ア出 兵 が 失 敗 であ って、
た が、 中 国 か ら も 日本 か らも 右 二種 以 外 の連 絡 方 法 は 用 いず、 ま た
一九 二九 年 の冬 以前 、 私 が モス ク ワに い た間 に仕 事 の上 で連 絡 を
第 四本 部 以 外 の モ スク ワ機 関 と は 連絡 し な か った。
と った の は、 た だ コミ ンテ ル ンの諸機 関 だけ であ った 。 そ し て、 党
こと を時 折 指 摘 し た。 私 が フ ラ ンク フ ルタ ー ・ツ ァイ ト ング に送 っ た 報 道 や 、 そ の ほ か の ド イ ツ の新 聞雑 誌 に書 い た記 事 は、 思 慮 あ る
員 と し て は、 た だ そ う し た機 関 の細胞 を通 じ て連 絡 す る だ け であ っ
日 本 の威 望 を高 め る ど こ ろか 、 か え って 日本 に不 利 益 を も た ら し た
であ った が、 こ の こ とは 、 私 が ほ か の ド イ ッ人 新 聞 記 者 と は違 った
日 本 人消 息通 の意 見 であ る と し て 、 こ う した 見 解 を 反映 さ せ たも の
た。
一、 一九 二九 年 冬 にお け る直 接 の連 絡
ミ ンテ ル ン と私 の関係 は終 末 を告 げ た 。 これ と時 を 同 じ ゅう し て、
一九 二九 年 の冬 私 は コミ ンテ ル ンを 去 った の で、 仕 事 の上 での コ
意 見 を も って い て、 日 ソ間 に お け る戦 争 の可 能 性 を 極 め て小 さく 見 て いる こと を明 確 にす る こと と な った。 私 は ま た 、 ド イ ツ が こ の点 に つ いて楽 観 す る のは 禁 物 だ と も述 べ た。 も ち ろ ん 、 私 は本 国 に い
な 言 い廻 し を用 い た こ とは 言 う ま でも な い。
党 員 とし て の私 と 党細 胞 の連 絡 も な く な った。 そ の後 、 任 務 上 の連
る ナ チ の読 者 の こ とも 考 えて、 ここ で言 って いる よ り はも っと慎 重
私 の考 え が 正 し か った こと は、 時 が証 明 し てく れ た。 と言 って、
び私 と党 と の関係 は 同委 員 会 の管 轄 下 に 置 か れ る こ と にな った。 私
ィ エト共 産 党 中 央 執 行委 員 会 諜 報 部 の 一員 と な り、 私 の党員 証 お よ
は党 員 と し て今 で も右 諜 報 部 に 責 任 を負 って お り、 モ スク ワ に帰 る
絡 はす べ て赤 軍 第 四 本部 を通 じ て行 わ れ る こと にな った 。 私 は ソ ヴ
わ れ わ れ の 行動 で はな い。 そ れ は客 観 的 情 勢 に よ る も のであ った 。
私 は そ の後 の事 態 の発 展 が わ れ わ れ の と った 行 動 の結 果 だ と言 お う
最 後 に、 私 のグ ルー プ お よ び私 自 身 の政 治 行 動 は先 に述 べ た制 限
に関 係 を も つ者 が 外国 に旅 行 す る と き は、 い つも 同 部 に報 告 しな け
度 ご とに 同 部 に出 頭 す る義 務 が あ る。 この諜 報 部 を 通 じ て党 と の間
と し て いる の で は な い。 日 本 を し て南 進 政 策 を と ら し め たも のは 、
の範 囲内 に 止 め られ 、 か つ私 自身 の責 任 のも と に遂 行 さ れ たも の で
れ ばな ら な いこ と にな って いる 。 そ の後 、 私 の任務 上 の連 絡 先 は第
あ って、 モ スク ワ の要 求 に 基 づ いて遂 行 さ れ た も ので は な い こと を 強 調 し て置 き た い。 ま た 、 私 の知 って い る限 り では、 宮 城 と ク ラウ
広 汎 な 政 治 諜 報 活 動 に関 す る私 の意 見 を ピ ア ト ニッキ ー か ら聞 い て
私 と第 四 本 部 と の関係 の主 なも の であ った 。 べ ルデ ィ ンは予 てか ら
ン﹂ 大 将 お よ び そ の次 席 者 ﹁ダ ヴ ィノ フ﹂ 少 将 に会 った が、 これ が
四 本部 だ け に限 られ て いた。 私 は、 か な り頻 繁 に部 長 の ﹁ベ ルデ ィ
治 課 お よ び暗 号 課 を 訪 ね て最 後 の打 合 せを 行 った。 第 四本 部 に は 無
私 は、 中 国 に む か って出 発 す るに 先 立 ち、 第 四 本 部 の東 方 課、 政
滑 に ソヴ ィ エト の首 脳 者 に送 ら れた 。
官 憲 の間 の緊密 な 関係 の おか げ で、 私 の出 す 重 要 報 告 は急 速 か つ円
特 に そ の感 を 深 く し た。 第 四 本 部 の職 員 の性 格 、 本 部 首 脳 者 と主 要
線学 校 があ る こ とも知 って いた が、 私 は無 線 技師 を伴 って中 国 に 行
いて、 これ に賛 意 を 表 し て いた ので、 話 は順 調 に 進 ん だ。 同 時 に彼 は、 第 四 本 部 の至 急 必要 とす る軍 事 諜 報 を 、 私 に取 って欲 し い と言
ワ イ ンガ ルテ ン﹂ と言 った 。 私 は、 モ スク ワ に滞 在 中 も、 ま た そ の
いた ので、 無 線 学 校 は 訪 ね な か った。 無 線 技 師 の名 は ﹁ゾ ー ベ ル ・
後 も 、 平常 の事 務 に つ い ては 第 四 本部 に対 し何 の責 任 も負 って いな
く こと に な って お り、 そ の技 師 と は ベ ル リ ン で落 合 う こと に な って
二 九年 、 興 味 の中 心 は 中 国 に あ った。 私 は 、 ヨー ロ ッパ よ り むし ろ
か った。 私 は第 四本 部 の正 規 の職員 で はな か った 。 私 の職 務 上 の連
って、 し き り にそ の こと を力 説 し た。 私 は 軍 事専 門 家 を中 国 へ同 伴
ア ジ ア に行 き た いと考 え て い た。 か く て、 私 は中 国 に派 遣 され る こ
絡 お よ び党 員 と し て の連 絡 は 、 本部 の特 定 の個 人 お よ び党 の中 央 委
し て行 って、 私 の報 告 の正 確 を期 す る こ と に話 合 いを つけ た。 一九
と とな った。
員 会 と の間 に限 ら れ て いた 。 私 は出 発 に際 し てピ ア ト ニッキ ー、 マ
ヌ イ ル スキ ー お よ び ク ー シネ ンと会 ったが 、 そ れ は全 く 個 人 お よ び
に つい て直 接 指 導 を う け た。 ベ ルデ ィン大 将 は、 私 の政 治 的 お よ び
友 人 とし て会 った も の であ った 。
私 は第 四本 部 東 方 課 の連 中 か ら、 私 は中 国 行 き に伴 う軍 事 的 な 面
経済 的 使 命 の詳 細 に つ いて 、 ほ か の部 門 と協 議 し て いた。 彼 は軍 事
を 訪 ねた が、 二 人 とも 心 か ら私 を歓 迎 し てく れた 。 二人 は 、私 が中
私 は中 国 か ら 帰 ってく る と、 第 四 本 部長 ベ ルデ ィンと新 し い次 長
二 、 一九 三 三 年 の モ ス ク ワ 訪 問
委 員 部 お よ び中 央 委 員 会 の最 高 首 脳 者 と会 った と言 って いた。 ベ ル デ ィ ンは党 運 動 を 通 じ て長年 来 これ ら の首 脳 者 を 皆 よく 知 って い て、
の首 脳 者 と電 話 で連 絡 し て いた の を知 って いる 。 第 四 本部 の首 脳 者
国 でや った 仕 事 に満 足 の意 を 表 し 、 な お将 来 の私 の仕 事 に つい て詳
彼 ら と は懇 意 な 間 柄 に あ った。 私 は、 彼 が中 央委 員会 の要 人 や 軍 部
は す べ て党 員 であ る こと を 必要 と し た関 係 上 、 彼 が 党指 導 者 と個 人
た仕 事 を 当 てが わ れ る でも な か った 。時 々何 か の問 題 に つ いて討 議
細 を打 合 せた いと言 った。 私 は机 を 当 て が わ れ る わけ でも なく 、 ま
す る た め事 務 所 に呼 ば れ る ことも あ った が 、 た い て いは ベ ルヂ ィ ン、
人的 に親 密 な 関 係 が な か った な ら、 第 四本 部 は そ の機能 を 果す こと が でき な か った だろ う 。 ま た そ う し た関 係 が存 在 し て いた か ら こそ、
も しく は次 長 が 私 の ホ テ ルにや ってく る か 、 さも なく ば 彼 ら の家 に
的 に親 し い関 係 にあ った こと は 言 う ま でも な い。 も し 、 こう し た個
でき た の であ った。 私 は外 国 か ら情 報 や報 告 を送 り はじ め てか ら、
第 四本 部 は党 首 脳 部 と 私 を繋 ぐ 環 と し て、 円満 に機 能 を 果 す こと が
も 私 は、 私 のや った仕 事 に つ いて褒 め られ た 。 ス モリ ア ン スキ ー は、
員 会 に報 告 し、 こ れ で必 要 な党 の手 続 を い っさ い終 った が、 こ こ で
伝 ってく れた 。 こ の ころ私 は委 員 会 で旧 友 の ア レ ック スに 会 った。
中 央 委 員 会 の ラデ ックは ベ ルデ ィン の承 諾 を得 て、 私 の準 備 を 手
の であ った 。
で、 こう し た準 備 的 段 階 を経 る こ と は どう し ても 必要 だ と見 て いた
一旦私 を モ ス ク ワに帰 ら せ て、 そ の上 で私 の将来 の活 動 に つ いて最
党 内 に お け る私 の評 判 が 非常 に いい と語 った 。 彼 は 私 の モ スク ワ滞
ラデ ック、 ア レ ック スお よ び私 は、 日 本 お よ び東 亜 に関 す る 一般的
私 を 招 く ので あ った。 私 は党 員 だ った の で、 す ぐ に 党 中央 委 員 会 に
在 中 二 三度 私 を 訪 ね てく れ て 、私 の新 し い使 命 の準 備 を手 伝 ってく
な政 治 上 およ び経 済 上 の問題 を長 時 間 にわ た って討 議 し た 。 ラデ ッ
は、 日 本 にお け る 活動 を極 め て困 難 か つ重 要 なも の と考 え てい た の
れ た 。彼 は、 私 の 日本 行 き に つ いて ひ どく 熱 心 で、 いろ い ろ と そ の
後 的 な決 定 を 行 う 、 と いう の が彼 ら の計 画 で あ った。 モ ス クワ当 局
重 要 性 に つい て語 った 。 彼 に は 私 に命 令 す る権 限 は な か った。 し か
ク は私 の旅 行 に 深 い興 味 を示 し た。 私 は 中 国 か ら帰 った ば か り のと
私 の帰 国 を報 告 し た。 そ し て 、 か つて 一九 二九 年 に 私 の仕 事 を監 督
し 、満 州 事 変 以 来 日 ソ間 に懸 案 と な って いた 諸 問 題 に つい て、 お互
ので、 われ わ れ の話 合 い は非 常 に有 益 で面 白 か った 。 ラデ ックも ア
こ ろ であ り、 ま た 彼 は 申国 政 治 問 題 の専門 家 と し て認 め ら れ て い た
し て いた ス モリ ア ン ス キ ー (通 称 ) に も再 び会 った 。 私 は或 る小 委
に話 合 った。 彼 は 、多 く の党 員 と同 じよ う に 、 日本 の対 ソ攻 撃 を 心
レ ック スも 私 に 命 令 す る 立場 に はな か った が、 い ろ いろ な 考 え を述
配 し て いた 。 だ が、 ス モ リ ア ン スキ ー と の こう し た 話 合 い は、 私 は、
べ てく れ た 。 私 は 、東 京 に い た こと のあ る外 務 人 民 委 員 部 の部 員 二
か し、 私 に は彼 ら の名 前 も、 ま た どん な 仕 事 を し て いる のか も分 っ
中 国 に お け る私 の活 動 に つ いて、 ベ ルデ ィンに 対 す る報 告 を終 った
て いな い。 そ し て 、 わ れ われ の会 話 は た だ 一般 的 な 情 報 の交 換 に限
人 に会 って、 いろ いろ と東 京 の様 子 を 詳 し く聞 く こ とが でき た。 し
談 半 分 に 、 日本 で何 か 仕 事 が でき る か も知 れな いと 言 った ら、 ベ ル
ら れ て いた 。 私 は ま た、 ベ ルデ ィ ン の許 し を得 て旧 友 ピ アト ニッキ
った 。 そ し て、 再 び外 国 で活 動 す る よう に と の話 で あ った。 私 は 冗
デ ィ ンは直 ぐ に は何 も 答 え な か った。 と ころ が 、数 週 間 た ってか ら、
ー、 マヌ イ ル スキ ー お よ び ク ー シネ ンに会 った。 彼 ら は、 中 国 で の
が 、 モ スク ワ に長 く 留 ま って い た い と いう 私 の希 望 は 容 れ ら れな か
彼 は 非常 に熱 心 に こ の話 を取 り あげ た。 彼 は 、 党 中 央委 員 会 の指 導
私 の活 動 の模 様 を ベ ルデ ィ ンか ら聞 い て、 ﹁自 分 た ち の 子分 に つ い
て大 いに 誇 り ﹂ を感 じ て いた 。 わ れ わ れ の話 は 一般 的 な政 治 問 題 に
いる と言 って、 私 に直 ぐ さ ま準 備 に取 りか か る よ う に勧 め た。 東 方 課 で は、 軍 首 脳 部 と協 議 の上再 び私 に軍 事 的 使 命 を与 え る こ とに 決
た。 ベ ルデ ィ ンか ら私 の日 本 に お け る計 画 に つ いて 聞 い て い た ピ ア
も 触 れ た が 、 そ れ は純 粋 に個 人 と し て、 ま た 友 人 と し て の話 であ っ
者 た ち も彼 と同 じ よう に 、私 が 日本 で活 動 す る こと に興 味 を も って
め た らし か った 。 ベ ルデ ィ ンは党 の最 高 指 導 者 た ち に諮 った のち 、
ト ニ ッキ ー は、 私 が い ろ いろ な 困難 に ぶ つか るか も知 れ な い と いう
私 の政 治 的 使 命 の概略 を 伝 え てく れ た。 私 に 日 本 の状 況を 十 分 に観 察 さ せ、 ま た 工作 の可能 性 を直 接 に探 究 さ せ、 そ し て 必要 があ れ ば
ので、 ひ どく 心 配 し て いた が、 私 が張 切 って いる の を見 て喜 ん でく
う 言 って き た。 ク ー シ ネ ンは 私 のと こ ろ へ 一度 だ け や って きた 。 ピ
る こと は 厳重 に禁 ぜ られ、 マ ヌイ ル スキ ー から 電話 で き っぱ り と そ
ア ト ニ ッキ ー は病 気 で モ ス ク ワに は いな か った 。 私 は会 議 に出 席 し
れ た。
の訪 問 とな った。 訪 問 は短時 間 だ った が、 そ の間 に 私 の党 関係 の問
私 は 中 央委 員 会 を訪 問 し て報 告 を 行 った が、 結 局 そ れ が私 の暇 乞
たか った が、 機 密 保 持 の必 要 上私 の出 席 は許 さ れ な か った。 私 の旅 行 は短 か った 。 わ ず か十 四 日聞 であ った 。私 は第 四本 部 の
題 は 解 決 さ れ、 私 の報 告 は 承 認 さ れ た。 ス モリ ア ン スキ ー が友 人 と
三 、 一九 三 五 年 の私 の モ ス ク ワ へ の 旅
った。 そ し て、 日本 で の経 験 や 、 同 国 に お け る将 来 の活 動 の有 望 で
新 し い部 長 ﹂ウ リ ツキ ー﹂ や 、 そ の下 で 働 いて いた ア レ ック ス に会
って いた 。滞 在 中 に お け る 私 の社 交 的 な 面 は極 度 に 制限 さ れ て い た。
し て私 を 訪 ね てく れ た。 彼 は元 の中 央委 員 会 の地 位 か ら は す で に去
しか し 、 ク ラ ウ ゼ ン とは 度 々会 って、 日 本 で い っし ょに や る仕 事 の
あ る こ とな ど を 報 告 し た 。私 は、 で きる こと な ら ﹁ゼ ー バ ー﹂ も し
線 技 師 と し て つれ て 行 き た い と所 望 した 。 私 は、 必要 があ れば ド イ
こと を話 合 った。 私 は飛 行 機 で モ スク ワ を立 った。
く は ﹁ク ラ ウ ゼ ン﹂ のよ う な、 私 が中 国 時 代 か ら知 って い た者 を 無
ツ大 使 と の間 に ど ん な関 係 を も と う と 全 く私 の自 由 にし て欲 し いと
そし て、 ほ か の機 関 と の連 絡 に は第 四本 部 が当 ってく れ た 。 一九 二
九 年 以 後 、私 は ほ か の機 関 と は全 く無 関 係 とな った 。も ち ろん 、 外
全 般 的 に言 って、 私 が 仕 事 の上 で連 絡 し た のは 第 四 本部 であ り、
直 接 な 構 成員 と し て認 め てく れる よ う に頼 ん だ。 ウ リ ツ キ ーは 、 こ
つ いて、 第 四本 部 が 赤 軍 の最 高 首 脳 部 や 党 中 央委 員 会 の政 治 局 の局
国 に お け る私 の仕 事 に関係 のあ る 一般 政 治 上 お よ び軍 事 上 の問 題 に
た。 ま た、 ウ リ ツキ ー に話 し て、 中 央 当 局 が 尾崎 を私 のグ ル ープ の
う し た私 の要 求 も 、 そ の他 私 の出 した 重 要 な 提案 もす べ て承 認 し て
頼 ん だ。 私 は ド イ ツ大 使 館 を仕 事 の中 心 に し た い と思 った の であ っ
く れた 。 彼 は 、 私 に つね に慎 重 な 態 度 を と って、 決 し て事 を 急 い で
間 違 いな い と こ ろだ と思 う 。新 部 長 は前 任 者 のベ ルデ ィ ンと同 じよ
本 か ら送 った情 報 や 資 料 を 、第 四本 部 が ほか へ配 付 し て い た こ と は
と の間 に 連絡 が あ った か どう か は知 らな い)。 私 が 部長 に あ て て 日
首 脳 部 に 相 談 し た も の ら し か った 。 少 く と も、 私 の人 物 や 私 の出 し
う に党 指 導 者 た ち と親 密 な間 柄 にあ った 。 彼 は党 の古 参 で、 レー ニ
員 た ち と 協議 し た こ と は疑 い のな い と こ ろ であ る (外務 人 民 委 員 部
た資 料 お よび 報 告 を綿 密 に調 べた こと は 確 か であ る。 彼 は 、 私 が 極
ン、 スタ ー リ ンお よび ヴ ォ ロシ ロフ は彼 の古 い友 人 だ と いう こと を
ルデ ィ ンも 同 じ よ う に、 私 の日 本 帰 任 の手 筈 を決 め る に つ いて は 党
め て難 し い地 位 に就 く も の であ る こと を痛 感 し、 非 常 に 親 切 に し て
自慢 に し て い た。
は な らな いと 戒 め て く れ た。 私 のう け た 印象 で は、 ウ リ ツ キー も ベ
く れた 。 第 四 本 部 で私 が会 った のは 無 線学 校 の ジ ムと ク ラ ウゼ ン、
ミ ン テ ル ン国際 会 議 が始 ま った と ころ だ った が、 私 が これ に出 席 す
そ れ に暗 号 課 と東 方 課 の代 表 者 た ち だ け で あ った。 当時 ち ょう ど コ
四 、 私 は な ぜ第 四 本 部 に属す る よう に
いた全 般的 な情 報 を 供 給 す る こと は でき な か った。
タ ス通 信 は合 法 的 な 新 聞 情報 だ け を取 扱 う の であ る か ら、 他 国 の
に従 事 す る タ ス通 信 員 と し て は、 そ う し た規 則 に従 わ ざ る を得 な い
検 閲 規 則 の制 約 を受 け る面 が 極 め て大 き い の であ る。合 法的 な仕 事
の であ る 。
な った か
が浮 か ん でく る に違 い な い。 そ し て、 同時 に な ぜ私 は直 接 ソヴ ィ エ
コミ ン テ ル ンの諜 報 活 動 に つ い ては既 に詳 しく 述 べた 。 そ の主 要
私 の手 記 の始 め の部 分 や 、 いま 述 べた 所 を読 む と、 当 然 こ の疑 問
ト共 産 党 中 央 委 員会 に属 せ し めら れ な か った か と い う疑 問 が起 って
ル ンは 全 般的 な内 外 の政 治 報 告 や 秘 密情 報 の蒐 集 はや ら な い。 外 務
人 民 委 員 部 が在 外 ソ ヴ ィ エト大 使 館 か ら受 け る報 告 も 、 外交 的 な角
目 標 は 社 会 問 題 、国 際 労 働 運 動 お よ び共 産 党 運 動 であ る 。 コミ ンテ
度 だ け か ら見 たも の であ る か ら完 全 と は言 い難 い。 取扱 って い る問
く る に違 いな い。
央 委 員 会 に は国 内 情 報 機 関 が あ る だ け で、 国 際情 報 機 関 はな い。 中
題 が 片 寄 って い る ば か り でな く、 情 報 の出 所 (大 使 館情 報 部 門 ) そ
第 二 の疑 問 に対 す る答 は至 って簡 単 で あ る 。 ソ ヴ ィ エト共 産 党 中
央 委 員 会 は 、 ソヴ ィ エト政 府 に属 す る 他 の機 関 が集 め た情 報 に 全 面
情 報 を集 め る が、 そ れ は 主 に防 諜 、 反 ソ団 体 お よ び 外国 に おけ る思
的 に依 存 し て、 そ れ に よ り仕 事 の重 複 を 避 け よ う と いう 考 えな の で
想 傾向 の監 察 に関 す るも の であ った。
のも のも ま た片 寄 ったも の であ る 。多 く の場 合 、 孤 立的 な ソヴ ィ エ
わ た って 、国 際 的 な性 質 を も った 政 治 上、 経 済 上 お よ び軍 事 上 の情
第 四本 部 は、 軍 事諜 報 だ け を専 門 とす る 狭 い範 囲 の諜 報 機 関 だ と
ト大 使 館 は 広範 囲 に わ た る秘 密 情 報 に対 す る大 きな 需 要 を充 たす こ
報 を集 め て い た。 タ ス通 信 社 、 コミ ンテ ル ン、 外 務 人 民 委 員部 、 ゲ
考 え る の は当 らな い。 そ れ は ま た ド イ ツ の防 衛 機 関 と同 一に見 る べ
あ る。 事 実 、 党 中 央委 員 会 に は独 自 の国 際 情報 部 門 を設 け る考 え は
ー ・ペ ー ・ウ ー お よ び赤 軍 第 四 本 部 が そ れ であ った 。 も ち ろ ん、 こ
き も の でも な い。 一例 を あ げ るな ら 、 ド イ ツ国家 防 衛 局 の よう に 防
全 然 な か った 。 政府 の各 機 関 が集 め た 情報 は 広汎 な種 類 に わた って
のほ か に も同 様 な性 質 の仕 事 に 従事 し て い る機 関 が あ った が、 そ れ
諜 事 務 に従 事 す るよ う な こ と はな い。 そ れ は 、 か な り広 い範 囲 に わ
ゲ ー ・ぺ ー ・ウ ー の諜 報 活 動 も ま た片 寄 った も ので あ った。 秘 密
ら は特 殊 な事 項 を取 扱 う 専 門 機 関 で あ った。 す な わ ち 、全 般的 も し
とが で き な い の であ る。
く は政 治 的 な 機 関 では な く、 ま た ソ ヴ ィ エト の最 高 指導 者 た ち が最
た って活 動 し、 絶 え ず優 秀 な職 員 を 補 充 採 用 し、 か つ高 度 の技 術 的
い る の で、 そ れ で十 分 用 が足 り る と いう 考 え な の で あ った。
も重 視 す る秘 密 資 料 や 情 報 を 集 め る機 関 で はな か った 。
って い る活 動 面 の 一部 に過 ぎ な い の であ って、 一般 的 な 軍 事 問 題 、
水準 を 具 えた 諜 報機 関 で あ る。 純 粋 な 軍事 諜 報 は、 そ のた くさ ん持
ソヴ ィ エト連 邦 の内 部 で は、 五 つ の政府 機 関 が か なり 広 い範 囲 に
の で、 そ のた め 最 高 首 脳 者 た ち に と ってま す ま す 必要 と な ってき て
右 に挙 げた 五 つ の政 府諜 報 機 関 は、 どち らか と 言 え ば片 寄 ったも
諜 報 班 、 スパ イ団 な ど か ら齋 ら さ れ る報 告 が集 ま って いる。 同 部 で
に は、 在 外 大 使 館 の陸 軍 武官 、軍 事 委 員 会 、 戦 時 経済 委 員 会 、 秘 密
軍 事 行政 お よ び軍 事 経 済 問 題 に関 す る諜 報 を 集 め て いる 。第 四本 部
よ るも の であ る こと を挙 げ なけ れ ば な ら な い。 当 時 の第 四 本 部 長 で
最 後 に、 私 が第 四 本部 に移 さ れ た のは、 一部 以 下 のよ う な理 由 に
事 実 であ った 。
コ ミ ンテ ル ン時 代 か ら私 を知 って いた 。 私 が イ ギ リ スか ら帰 ってき
て、 従 来 の私 の コミ ン テ ル ン活 動 に つ い てピ アト ニッキ ーと 話 合 っ
あ り 、 ま た ピ ア ト ニ ッキ ー の親 友 であ った ベ ルデ ィ ン大 将 は 、 私 の
た と き、 私 は自 分 の活 動範 囲 を拡 げ た い希 望 だ が 、私 が コミ ン テ ル
は 外 国 の軍 政 府 、 純 粋 な 軍 事 問 題 お よ び戦 時 経 済 に関 す る合 法 的 も
同部 に は政 治 課 が あ って、 這 入 って く る情 報 を り っぱ な報 告 に纒 め
し く は半 合 法 的 な 資 料 を た く さ ん に取 扱 い、 研 究 し て いる 。最 後 に、
あ げ 、 ま た要 約 し て軍 と党 の指 導 者 た ち に見 せ る。
った 。 ピ ア ト ニ ッキ ーは こ の事 を ベ ルデ ィンに 話 し た。 ベ ルデ ィ ン
の考 え で は、 そ れ は 第 四本 部 を 通 じ て行 え ば り っぱ に実 現 でき る こ
ンに 止 ま って い る かぎ り は そ の実 現 は不 可 能 だ 、 と言 った こ とが あ
と だ、 と いう ので あ った。 それ か ら数 日 た って、 べ ルデ ィ ンは私 を
で あ る か ら、 ソヴ ィ エト の軍事 最 高 司 令 部 が 至 急 に秘 密情 報 を必
報 に対 す る 需要 は ます ます 大 き く な って ゆ く の で、 これ に応 ず る に
呼 ん で、 ア ジ アに お け る全 般 的 な 諜 報 活 動 問題 に つ い て私 と 詳細 に
要 と す る場 合 、 こ れを 第 四 本 部 に 求 め る の は当 然 な こと であ る 。情
こ の機 関 は、 そ のも って い る技 術 的 水準 の高 い こ と、 ま た そ の目的
は 、集 め得 る かき り の最 優 秀 者 を そ の職 員 に当 て る必 要 が あ った。
勢 に 上 って いる。 赤 軍 では 、 ソヴ ィ エト 政府 や党 の機 関 な ど と 違 っ
し合 って き て お り、 古 く か ら の党 員 で革 命 後陸 軍 に参 加 した 者 は多
って いた だけ でな く 、 私 のド イ ツ時 代 にお け る 彼 の 二 三 の協 力 者 か
ピ アト ニッキ ーを 通 じ、 ま た私 の コミ ン テ ル ン活 動 を通 じ て私 を知
私 を 本部 に引 き入 れ よ う と し た の であ った 。 つま り ベ ルデ ィ ンは、
ラ ンク フ ルト に訪 ね て、政 治 、 経 済 お よ び 軍事 問 題 に つ い て話 を し、
で第 四本 部 の部 員 を 大勢 知 って いた 。 彼 ら は、 私 を ラ イ ン地 方 や フ
て、 職 員 の更 迭 は そ う頻 繁 には 行 わ れ て来 な か った。 それ に 、 いわ
ら の報 告 を通 じ ても 知 って いた のであ った 。
討 議 し た の であ った 。 そ う した 事 のほ か に、 私 はず っと 古 く ド イ ツ
ゆる 粛 清 も 、 ほ か の機 関 の場 合 と違 って 、古 い党 員 か ら成 る 中 心部
以 上 で、 私 が 一九 二九 年 に 第 四 本部 に移 さ れ た 理由 を尽 した も の
の重 大 な点 で、 恐 らく 他 に類 を見 な いも の であ る。
に は及 ば な か った。 陸 軍 の首 脳 部 と レー ニン、 スタ ーリ ン、 モ ロト
と思う。
党 指 導者 と赤 軍 と は、 ソヴ ィ エト 連邦 の建 設 当 初 か ら 緊 密 に協 力
フを 結 んで いた緊 密 な個 人的 な 繋 が り は、 長期 に わ た って変 ら ぬ強
に つ い て の追 加 説 明
五、 第 四 本 部 と私 のグ ループ の間 の通 信
いも の であ った。 か く し て、 ソ連 の政 治指 導者 た ちが 、 ま す ま す 必 要 の度 を加 え て いた政 治 上 の秘 密 諜 報 の仕 事 に、 第 四本 部 を 当 ら せ る こ と にし た 理由 が容 易 に肯 け る ので あ る 。尤 も 、 ほ か の大 き な諜 報 機 関 も そ れ ぞ れ そ の活 動 の改 善 に 努 め て い た こ とは 否 定 でき な い
は私 に 対 し て 発 せ ら れ た第 四 本 部 の指 令 に使 われ て いた各 種 の署 名
こ の問 題 に つい て は既 に ほ か の箇 所 で詳 しく 述 べた の で、 こ こで
は、 最 高 政 治 指 導 者 た ち が こ の問 題 な ら び に私 の報 告 に 深 い興 味 を
力 の 上報 告 を す る よ う に と の激 励 の無線 電 報 を 受 取 った 。 こ のこ と
た ) に つい て私 か ら 詳 細 な報 告 を 送 った のに対 し、 今 後 と も 一層 努
も って いた こと を物 語 るも の であ った 。外 交 上 の情 勢 (これ は私 の
に つ い て述 べて み よ う。 指 令 に は 「部 長 」、 「ダ ル﹂お よ び ﹁ 組織者﹂ な ど の署 名 が用 い てあ った 。 これ に は以 下 に述 へる よ う な意 味 があ
組 織上 の問 題 を 取 扱 った も の であ った 。 記 念 日 の祝 賀 メ ッセー ジ の
あ って、 こ の種 の指 令 は私 の仕 事 に重 大 な 関 係 のあ る政 治 上お よ び
本 に お け る私 の仕 事 の範 囲外 であ る問 題 を 取 扱 っても 差 支 な い こと
案 を 具 申 す る よ う に と の こと であ った。 す な わ ち、 厳 密 に言 って日
ると 言 って き た。 つま り 、 私 は外 交 問 題 に つ いて も自 由 に意 見 や 提
報 告 書 や 長 い意 見 書 は、 い つも最 高 政 治 指 導 層 か ら 歓迎 を うけ て い
本 来 の任 務 か ら多 少 か け離 れた も のであ った) に 関 し て私 の送 った
場 合 にも 、 個 人 的 な親 し み の感 じ を 強 く出 す た め にや は り 右 と 同 じ
った 。 す な わ ち、 第 四 本部 長 み ず か ら出 す 指 令 に は 部長 と署 名 し て
署 名 が 使 ってあ った 。
ノ モ ン ハン事 件 の と き、 私 は ソヴ ィ エト の宜 伝 が 不 十 分 だ と い う
に な った わけ であ る 。
意 見 を モス ク ワ へ言 ってや った 。 当 局 か ら の返 事 に よる と 、私 の意
偉 い人 か ら 来る通 信 文 は特 に間 接 法 を使 って第 三人 称 で書 い て あ
ト の最 高 首 脳 部 にそ の源 を 発 す るも の であ る と推 定 す る こ とが でき
った 。 ま た、 わ れ われ に 送 ら れ てく る感 謝 の電 報 は つね に ソヴ ィ エ
た 。 と い う の は、 第 四 本 部 長 は 、 上局 か ら これ これ の報 告 また は 資
報 告 に つ いて も同 様 であ った 。 私 の報 告 は軍 首 脳 部 お よ び党 指 導 者
と にな った と の こと であ った 。 ソヴ ィ エト連 邦 の問 題 に関 す る私 の
わ れ わ れ に対 し 満 足 の意 を表 明 す る 例 に な って い た か ら であ る 。 わ
に情報 を送 る よ う私 に希 望 し た と の こと であ った 。
た ち の間 に非 常 な興 味 を 呼 び起 し、 彼 ら は私 に感 謝 す る と とも に更
見 は上 局 に提 出 さ れ、 事 態 の改 善 を計 る た め適 当 な 措 置 を講 ず る こ
れ わ れ は 一九 三 六 年 以来 こ う し た祝 賀 も し く は感 謝 の メ ッセー ジ を
料 は価 値 があ る とか 、 重 要 で あ る と か と話 が あ った時 に は じめ て、
た くさ ん受 取 った が 、 ど れも 皆 部 長 名 儀 の発 信 と な って いた こと を 特 記 しな け れ ば な ら な い。 われ わ れ が受 取 った無 線 電 報 や 書 信 に記
た 。 ダ ルと は ロシ ア語 で極東 の意 味 であ る 。 そ の後 、 す な わ ち 一九
初 め の数 年 間 は、 比較 的 重 要 でな い通 信 に は ダ ルと署 名 し てあ っ
四○ 年 の初 め ご ろ か 、或 い は そ の少 し後 ご ろ に は、 こ の語 の代 り に
し てあ った 署 名 は こ の三種 に限 られ て いた 。 も し、 そう でな か った ら、 わ れ わ れ は 失望 し、 心 の平 静 を 保 て な か った だ ろ う 。
は、 む ろん 部 長 も そ れ を知 って いる に は違 い な いが 、 部 長 か ら出 た
組 織者 と いう 語 が 用 い ら れた 。 指 令 に組 織 者 と署 名 さ れ て いる揚 合
の でな く し て、 東 方課 か ら出 た も ので あ る こ とを 意 味 し た。 私 は、
ソヴ ィ エト指 導 者 の命 令 に 基 づ い て、 部 長 から わ れ わ れ に発 せ ら
三 の例 を挙 げ て み よう 。
特 に重 要 だ と 思 う電 報 や報 告 は部 長 に宛 て た゜ す な わ ち、 現 地 に お
れ た 通 信 は 、感 謝 の メ ッセー ジ 以外 に も ま だ多 数 あ った 。 以 下 に 二
防 共協 定 に関 す る秘 密 交渉 (そ れ に つい て は ほ か の 個 所 で 述 べ
け る わ れ わ れ の活 動 に と って特 に重 要 な組 織 上 の問 題 や、 重 要 な 政
きを 異 にし て いた。 私 は仕 様 のな い生徒 で、 学 校 の規則 は守 らず 、
異 様 な 特 徴 が あ って、 私 は 私 の兄弟 姉 妹 同 様 一般 の子 供 と は や や趣
は言 わず も が な、 歴 史 、 文 学 、哲 学 、 政 治 学 では 、 私 は級 の誰 よ り
頑 固 で、 我儘 で、 そ し て滅 多 に口 を き か な い少 年 だ った。 運 動 競 技
治 上 、 軍 事 上 の問 題 に つ い て報告 す る場 合 には 、 そ のよ う に した 。 時 に よ って、 私 は宛 名 のと ころ に ﹁厳 秘 ﹂ と いう語 を附 し て、 重 要
も 遙 か に抜 ん で て い た が、 ほ か の課 目 で は普 通 以 下 で あ った。 私 は
通 信 で あ る こ と を 一層 明 確 に し た。 こう す る と 、 内容 が非 常 に 重 要 な も ので あ る こ とを 示 す こと に な り、 部 長 の方 で も そ の つも り で こ
な り、 お ま け に 、解 ら な いな が ら も 歴史 哲 学 や カ ント と 取 っ組 ん だ。
ク、 ダ ンテと 言 った よ うな 難 かし いも の に非 常 な興 味 を も つよ う に
十 五歳 と いう若 さ で、 ゲ ー テ、 シ ラー、 レ ッシ ング 、 ク ロプ スト ッ
ド イ ッ共 産 党 員 と し て の
れ を 取扱 う の であ った 。 第 三章 私 の経 歴
び ビ ス マル ク時 代 で あ った。 ドイ ツ の時 事 問 題 に つ いて は普 通 の大
歴 史 の中 で 一番 好 き だ った のは フラ ンス革 命 、 ナポ レオ ン戦 争 お よ
な か った と し ても 、 私 は こ の戦 争 だ け でり っぱ に 共産 主 義 者 にな っ
刻 な影 響 を与 え た 。 か りに ほ か の い ろ いろ な 要素 か ら は影 響 を う け
一九 一四年 か ら 一九 一八年 に わ た る世 界 大 戦 は 、私 の全 生涯 に深
銘 の国 家 主義 者 およ び帝 国 主義 者 で、 少 年 の ころ 一八 七○︱ 七 一年
祖 父 の考 え と は ま る で 正反 対 だ った ことも 知 って いた 。父 は 正真 正
労 働 運 動 に 尽 し て い た こと を知 って いた。 そし て、 私 の父 の考 えは
究 し て いた 。学 校 で は ﹁総 理 大 臣 ﹂ と呼 ば れ て いた 。私 は、 祖 父 が
人 よ り も よ く知 って いた 。 私 は 長年 に わ た って政 治 情勢 を詳 細 に研
た も の と思 う 。 戦 争 が 始 ま った と き私 は わ ず か 十 八歳 半 で、 ベ ルリ
の戦 争 に よ って ド イ ツ帝 国 が 建設 さ れ た と きに 受 け た印 象 は生 涯 振
共 産 主 義 者 に な った理 由
ン のリ ヒタ ー フ ェルダ ー区 の高等 学 校 の生 徒 であ った 。
の こと を い つも念 頭 に置 い て いた 。私 の兄 は極 左 に 走 った 。私 は、
り 落 す こと が で きな か った 。彼 は外 国 で築 いた 財 産 や、 社 会 的 地 位
○
私 は戦 争 の勃 発 ま で、富 裕 な ブ ルジ ョア階 級 に 見 ら れ る比 較 的 穏
彼 が ニー チ ェや ステ ィル ナー に根 ざ し た強 い無 政府 的傾 向 をも って
(イ ) 私 の少 年 期 と 学 校 時 代
か な少 年 時 代 を 送 った 。 わ れ わ れ の家 庭 に は 経済 上 の心 配 と いう も
った ので、 労 働 者 とは つね に接 触 があ った が 、学 生 と し て は何 も は
っき り し た政 治 的 な 立 場 は 執 って い なか った 。 私 は た だ政 治 知 識 を
いた こと を憶 え て い る。 私 は 長 い間 労 働 者 仲 間 の体 育協 会 の 一員 だ
得 る のが楽 し み であ った 。私 に は、 これ と い って は っき り と自 分 の
のは な か った。 しか し 、私 に は、 多 少 一般 の者 と違 った と ころ が あ
ンの普 通 のブ ルジ ョア家 庭 と は いろ いろ な 点 で非 常 に違 って いた 。
き た者 で あ る こ とを 強 く意 識 し て い た。 わ れ わ れ の家 庭 は、 ベ ルリ
態 度 を決 め る考 えも な く、 ま た そう す る 能 力 も な か った 。
った。 私 は南 コー カ サ スの 生 れ で、 ごく 幼 い ころ ベ ル リ ンに や って
ゾ ルゲ 一家 が 一風 変 った家 庭 であ った た め 、私 の少 年 時 代 に は 一種
或 る 夏休 み の こ と であ った 。私 は ス エーデ ン へ旅 行 し て、 最 後 の
(口) 第 一次世 界 大戦
い った い こ の新 し い侵 略 戦 争 の根 底 に横 た わ る動 機 は何 だ ろ う か、
戦 いが果 し て何 を 意 味す る かを 知 って い る のだ ろ う か?
ド イ ツを席 捲 し よう と 思 った こ と だ ろう !
う!
の訓 練 をう け た のち 、 ベ ルギ ー に送 られ て イ ーゼ ル河 畔 の大 戦 闘 に
た )。私 は開 戦 直 後 ベ ルリ ン郊 外 の練 兵 場 で不 十 分 き わ ま る 六週 間
ほ か の家 族 の者 にも 相 談 し な か った (父 は 一九 一 一年 に 死 ん で い
だ さ れ た 一般 的 な 興 奮 であ った。 私 は先 輩 に も 、 母 に も、 ま た そ の
か った 生活 か ら解 放 さ れ た いと い う願 望 、 そ し て戦 争 のた め に醸 し
ら解 放 さ れ、 そし て十 八 歳 の少年 に と って全 く 無 意 味 と し か思 え な
さ せ た か と言 え ぱ、 それ は 新 し い経 験 を 得 た いと いう熱 意 、 学 課 か
な り 陸 軍 を志 願 し て兵 役 に就 いた 。何 が私 を 駆 って こう し た決 心を
に 一人 だ け ほ ん と う の左 翼 主 義 者 が いた 。彼 は ハンブ ルグ か ら来 た
労 働 組 合 に 属 し て いて、 大 多 数 は 社 会 民 主 々義 派 であ った 。 そ の中
兵 隊 は多 く は 中年 の者 で、 労 働 者 や 手 工業 者 であ った 。 ほ と ん ど皆
く 、 むろ ん そ の拠 って来 た る深 遠 な意 味 を知 って いる でも な か った。
知 らな か った 。 誰 一人 と し て、 戦 争 の真 の目的 を知 って いる で は な
誰 一人 と し て、 何 のた め に われ われ は こん な努 力 を し て いる のかも
人 と し て こ う した も のを 併 合 し、 占 領 した いと は思 って いな か った 。
を 獲得 し た い と思 って いる のだ ろ う か ?
い る のだ ろう か?
と私 は考 え てみ た 。 誰 が この地 域 と鉱 山 と 工業 を新 た に欲 しが って
人 は、 こう し た 過 去 の
船 を つか ま え て ド イ ツ へ帰 って き た。 第 一次 世 界 大 戦 が勃 発 し た の
ま た 、 フ ラ ン スや そ の他 の国 の軍 隊 は何 度 こ こ へや って き て
で あ った。 私 は学 校 に届 出 も せ ず、 ま た卒 業 試 験 も う け ず に、 い き
参 加 し た。 こ の期 聞 は ﹁教 室 か ら戦 場 へ﹂ ま た は ﹁学 校 の椅 子 か ら
こ の血 な まぐ さ い激戦 は戦 友 や私 の 心 に、 最 初 の、 そ し て最 も 深
か った 。 私 は彼 と親 し い友 だ ち に な った。 彼 は 、 ハンブ ルグ で の彼
老 石 工 で、 自 分 の政 治 的 信 念 は 固 く秘 し て誰 にも 明 か そ う と は しな
無 邪 気 な私 の戦 友 は誰 一
誰 が、 人 命 を 犠 牲 に して ま でも こう し た 目 的物
屠殺 台 へ﹂ の蒔 代 とも いう べき も のであ った 。
刻 な、 心理 的 不 安 を 捲 き起 し た。 戦 闘 と 冒 険 に対 す る熱 望 は最 早 十
中 に 死 ん だ 。 そ し て、 そ のす ぐ後 に私 も 初 め て の負傷 を し た。
った 最 初 の平 和 主 義 者 であ った 。彼 は 一九 一五 年 の初 め戦 闘 に従 事
戦 争 が始 ま る と間 も な く 、私 は わ れ われ 一般 の兵 が将 校 と は全 く
の生 活 や 、 迫 害、 失 業 の経 験 な どを語 ってく れ た 。 彼 は 、私 の出 会
私 は自 分 のも って いる 歴史 の知 識 を 引 っぱ り だ し て、 いろ いろ と
分 に満 た さ れ た。 そ し て、 そ の後 に来 たも のは 、数 ヵ月 に わ た る沈
思 い に耽 った。 そ し て、 私 は数 百 年 ︱ ︱ いや 、数 千年 ︱︱ の歴 史 を
る こと は滅 多 に な か った 。 将校 は将 校 だけ で い っし ょに な って いた 。
別個 の生活 を し て いる のに気 づ い た。 任 務 以 外 で将 校 た ち と接 触 す
黙 と沈 思 の空 白 であ った 。
も った こ の戦 場 で、 ヨー ロ ッパ の無 数 の戦 争 の 一つに従 事 し て戦 っ
私 は 、彼 ら に深 い親 しみ の念 を も つこ と はと う て い で き なか った 。 私 の前 に、 ド イ ツ兵 は
る戦 争 の如 何 にも 無 意味 な こと を思 った !
私 は傷 の手 当 を うけ る た め に ド イ ツ に帰 ってき た 。国 内 で は、 も
て いる の に気 が つ いた 。 私 は、 この幾 度 とな く 繰 返 し て戦 わ れ て い
フ ラ ンス に侵 入 し よ う と し て、 何 度 こ の ベ ルギ ー で戦 った こと だ ろ
私 は病 後 の静 養 期 間 を利 用 し て卒 業 試 験 の準 備 を す る こ と に し、
し た 帝国 主義 目標 が しき りに 唱 え ら れ て い た。
て ヨー ロ ッパ か ら戦 争 と いう も の を なく し て しま お う と い う、 徹 底
逆 に、 唯 物 主 義 的 な 戦 争 目 的 が勢 力 を得 て、 ド イ ツ の覇 権 を確 立 し
軍 国 の高 い理想 は次 第 に蔭 の方 に 姿 を ひ そ め て行 って いた 。 そ し て、
神 は も は や なく な って いた 。戦 時 の暴 利 行 為 と闇 取 引 が初 ま って、
す る こ とも でき な け れ ば、 新 し い何 ら か の寄 与 をす る こと も で き ず、
き た の であ った 。 私 は、 ド イ ツ が世 界 に む か って新 し い思 想 を 提 供
酷 と なり 、 残 忍 と な った 。 つ ま り、 反 動 と帝 国 主義 が 頭 を も た げ て
感 じ は じ め て いる 者 も あ った。 そ し て、 そ の結 果内 外 の諸 政 策 は 苛
ま らな か った 。政 治的 指 導 者 た ち の中 に は既 に戦 争 に つ い て不 安 を
代 表 す る 、 無 知 に し て傲 慢 な こ の連 中 のや って い る こ とが 厭 や で た
運 命 か ら遁 れ よ う と努 め て い た。 私 は 、 いわ ゆ る ﹁ド イ ツ精 神 ﹂ を
た が、 しき り と ド イ ツ の精 神 的 優 越 論 に力 瘤 を 入れ て、 何 と か そ の
ブ ルジ ョア に属 す る私 の親 戚 、 金 持 の友 だ ち な ど があ って 、 私 は社
ベ ルリ ン大 学 医 学 部 に 入 学 し て 二 三 の講 義 に出 席 し た 。私 は ド イ ツ
ま た イギ リ スや フ ラ ン スに し ても ド イ ツお よ び そ の他 の世 界 の国 々
う 普 通 の生活 水 準 を保 つ こと さ え 難 しく な って いた 。 生活 は、 不 平
に帰 って か らあ まり 愉 快 でも な く、 何 を した も のか と 途方 に く れた 。
に貢 献 す る能 力 のな い こと を確 信 す るに 至 った 。精 神 主 義 や 高 い理
た。 ブ ル ジ ョア階級 は 次第 にプ ロレタ リ ア ー ト の地 位 に転 落 して い
私 は 政治 活 動 や 政 治 の動 向 を熱 心 に 研究 し て い たが 、 そ う し た こ と
想 に関 す る どん な く どく ど し い議 論 も 、私 の確 信 を 揺 が す こと は で
会 の各 層 に わた ってそ の経 済 状 態 を か な り よ く観 察 す る こと が で き
は 戦争 の た め にす っか り 意 味 を 失 って し ま った 。 私 は 静養 期 間 の終
等 と 闇相 場 と い う 二 つ のも のに 支配 さ れ て い て、 金 さ え あ れ ば何 で
了 を待 たず 、 再 び服 役 を 志 願 し た 。隊 に戻 って みる と 、元 の戦 友 は
いる国 民 が 鼓 吹 す る精 神 主 義 や 理 想 主 義 の主 張 は本 気 に取 り あ げ る
き な か った 。 そ の時 以来 、 私 は人 種 の如 何 を間 わず 、 戦 争 を 行 って
も 闇 で買 え た。 貧 乏人 は憤 慨 し て いた 。戦 争 初 期 の感 激 と犠 牲的 精
少 しし か残 って いな か った 。
気 が しな か った 。
私 は東 部 戦 線 に送 ら れ た 。大 攻 勢 を や って戦 果 を 挙 げ て いた の で、 或 る程 度 倦 怠 を まぎ らす こと が で き た が、 暇 さ えあ る と、 誰 でも み
も や早 速 第 一線 の服務 を志 願 し た。 故 国 の泥 沼 の中 に深 く は ま り込
私 の不 満 は第 一回 の静 養期 の後 より も 更 に 大 き か った。 私 は ま た
む よ りも 、 異 国 の地 で戦 う方 が よ ほ どま し だ と思 った。
いた にも か か わ らず 戦 争 は い つ終 る とも 見 えず 、 或 いは永 久 に続 く
部 隊 の空 気 は 全 般的 に前 より ず っと 陰 欝 に な って いた 。 し か し、
な 平 和 を夢 み た。 わ れ われ は既 に ロ シア の中 心部 に 深 く 入 り こん で
の では な いか と 心配 す る者 も 出 て来 る始 末 で あ った 。
て、 激 し い政治 的 変 革 以 外 に、 われ わ れ を こ の苦 境 か ら救 いだす 途
政 治 問 題 や 戦 争 終 結 の問 題 に興 味 を 示 す 者 が多 くな って いた 。 そ し
は な い、 と いう考 え が次 第 に 起 って い た 。私 は ド イ ツ の急 進 政 治 団
し て、 ド イ ツ の占 領 地 域 と な った ロシ ア を通 って帰 国 し て み る と、 国 内 の情 勢 は緊 迫 して いた 。私 は戦 友 の家 族 を 通 じ て、 あ ら ゆる 階
私 は 一九 一六 年 の初 め 、 二度 目 の負 傷 を した 。 長 い因難 な旅 行 を
級 の 人 々を知 った 。 そ の中 に は、 普 通 の労 働 者 の家 族 、 中 産 階 級 の
方 法 に つ い ては ま だ何 も 分 って いな か った 。 わ れわ れ は ド イ ツお よ
の解 決 であ り 、国 際 的 規 模 に立 った永 久 的解 決 であ るが 、 そ の達 成
も 明 白 であ った。 わ れ われ にと って大 切 な の は広 い範 囲 に わ た って
義 的 野 望 を 遂 げ る自 由 を認 め るだ け の こと で あ る こ と は、 あ ま り に
では な か った 。 た だ武 器 を 棄 てる だ け では、 ド イ ツ の敵 側 に 帝 国 主
争 を終 らす た め に は ど ん な手 段 を執 る こと も辞 さ な い よう な 卑 怯 者
的 な問 題 のよ う に思 え た。 われ わ れ は 、戦 争 の継 続 を 恐 れ た り 、戦
に は、 現 在 の戦 争 を 終 ら す こ と よ りも 、 こ の問 題 の方 がず っと根 本
こ と が でき るか 、 と いう のが遙 か に大 き な 問 題 であ った。 われ わ れ
ロ ッパ に おけ る自 己 破 壊 と 、果 て しな い戦 争 の繰返 し の原 因 を除 く
って も、 終 戦 の こ とは 大 し た問 題 で はな か った 。 ど う し た ら、 ヨー
直 り 次第 そ の解 答︱︱ も し く は 一連 の解 答︱︱ を見 出 し てみ よう と
ず解 答 が見 出 せ るに 違 いな い、 と いう 気 持 に な った。 そし て、 傷 が
国 主 義 戦 争 に関 す る 根本 問 題 を 深 く 掘 り 下 げ て研 究 す るな ら 、 必 ら
た時 代 の活 動 に つ いて 聞 いた。 私 は、 前 線 に いた と き考 え て いた帝
話 を聞 く こ とが でき た 。 ま た、 は じめ て レー ニンと彼 が ス イ スに い
運 動 、 各 政 党 お よ び党派 、 国際 間 に おけ る革 命 運 動 の詳 細 に つ いて
関 係 のあ る こと を知 った 。私 は始 め て彼 らか ら ド イ ツ にお け る革 命
父 は 医師 だ った 。 ま も な く私 は 二人 が 急 進 的 な社 会 民 主 派 と緊 密 な
た 。私 は病 院 で、 教 養 が あ って頭 の い い看 護 婦 と そ の父 に会 った 。
私 は野 戦 病 院 で数 個 月 の間慎 重 な手 当 をう け な け れ ば な らな か っ
を身 に受 け、 そ のう ち の二 つの た め に私 の骨 が 砕 け た 。
は 三 度 目 の負 傷 を した 。 今 度 は重 傷 だ った。 私 は 一時 に多 数 の弾 片
いよ 最後 の決 心 をす る 時 機 は既 に熟 し て いた 。 ち ょう どそ の時 、私
であ った 。 私 は 、 自分 の慣 わ し と し て た だ こう し た議 論 を静 かに 聴
び そ の他 の国 々に お け る左 翼 運 動 と は 、 ま だ ま だあ ま り に も か け離
決 心 し た。 私 は す でに革 命 労 働 運 動 の使 徒 に な った つも り で いた 。
体 と連 絡 のあ った 二入 の兵 士 に 会 った ゜ そ の う ち の 一人 は 、 よく ロ
れ て いた 。
野 戦 病 院 にお け る私 の静 養 期 間 は、 また 別 な 意味 で も有 益 だ った 。
心も な か った 。 し か し、 長 い間 の形 勢 観 望 的 な 態度 を捨 て て、 いよ
国 家 主義 お よ び帝 国 主 義 の政 治 団体 は無 数 の宣 伝 印 刷 物 を 前 線 に
私 は哲 学 の勉 強 を 始 め て 、 カ ント や シ ョーペ ン ハウ エ ルを 徹 底 的 に
き 、 質 問 を す る だ け であ った 。 私 に は ま だ何 の確信 も、 知 識 も 、 決
送 り 込 ん で、 猛 烈 な宣 伝 に つと め て いた 。 こ れ に刺 戟 さ れ て、 わ れ
ー ザ ・ルク セ ンブ ルグ や カー ル ・リ ーブ ク ネ ヒ トに つ いて 語 った。
わ れ は 活発 な議 論 を展 開 し た。 こう し た諸 団 体 は、 ド イ ツが 恒 久的
研 究 し、 歴 史 や 美 術 史 と 取組 み、 また 経 済問 題 にも 興 味 を も った 。
し か し、 彼 ら と の会 話 の中 に あ っても 、 また 私 自 身 の思索 の中 にあ
な優 越 の地 位 を確 立 す るた め 他 国 に む か ってな す べき 要 請 の 一つ 一
当 な文 献 を提 供 し てく れ た 。私 の傷 は 重 傷 だ った た め、 治 療 を う け
る度 ご と に感 じ る 痛 み は非 常 なも の であ った 。 そ れ にも か か わ ら ず、
看 護 婦 と そ の父 は 、 私 が学 びた い と思 うあ ら ゆ る分 野 にわ た って適
私 は こ の数 年 来 か つて見 た こ と のな い愉 快 さ を感 じ た。 私 の研 究意
っを詳 説 し、 ド イ ツ の広 汎 な 戦 争 目的 を説 明 し て、 兵 士 の士気 を鼓
と は全 く相 反 し て いた 。 前 線 お よ び ド イ ツ国 内 にお け る 左 翼 急進 分
舞 し よ う と し て いた 。 し か し 、 実際 の結 果 は彼 ら の期 待 し た と こ ろ
子 に関 す る かき り 、 そう し た努 力 は火 に ガ ソ リ ンを 注 ぐ よ う な も の
戦 が 無 意 味 であ り、 た だ徒 ら にす べ てを 荒 廃 に帰 せ し め る も の であ
こ の時︱︱ す な わ ち、 一九 一七年 の夏 か ら冬 に か け て︱︱ 私 は大
変 化 を 究 明 し て、 私 の興 味 を満 足 さ せ る こと に した 。
お よ び ヨー ロ ッパ に 影響 を与 え て いた 社 会 的 、 経 済的 お よ び政 治 的
て、 政 治 学 と 経済 学 の研 究 に専 念 す る こと に し た 。 そ し て、 ド イ ツ
始 め 、 傍 ら野戦 病 院 に通 って治 療 をう け た。 私 は 医学 の勉 強 を棄 て
傷 が大 分 直 った と き、 私 は ま だ軍 人 だ った が 、再 び大 学 の勉 強 を
った も の であ る 。
欲 ︱︱ 私 は 今 も って時 々そ の意 欲 に駆 られ る︱︱ は この時 代 に 始 ま
ら の理 論 的 、 哲学 的 、経 済 的 教 義 に対 し て挑 戦 し た人 々︱ ︱を 研究
当 り次 第 読 み あ さ った 。私 は また マル ク ス、 エンゲ ル スの敵︱ ︱彼
た ヘーゲ ル の哲 学 を読 ん だ。 私 は エンゲ ル ス、 次 い で マル ク スを 手
礎 に 力 を 入 れ た。 私 はギ リ シ ャ哲 学 や、 マル ク ス主 義 に 影響 を与 え
私 は ベ ルリ ン大 学 で こ の思 想 を 詳 し く 研究 し、 特 にそ の理論 的基
将 来 の戦 争 の経済 的 お よ び政 治 的 原 因 を取 り除 こう と努 め て いた 。
ロギ ーは 、 国 内革 命 と い う手 段 によ って、 この現 在 の戦 争 な ら び に
め の戦 いが 履 開 さ れ て い た。 こ の最 も難 しく 、 果 敢 で高 貴 な イ デ オ
ロギ ー は、 た だ革 命 労 働 運 動 のみ に よ って支 持 さ れ 、 そ の擁 護 の た
ロシ ア革 命 の勃 発 は、 私 に国 際 労 働 運 動 の執 る べ き道 を 示 し て く
し、 ドイ ツそ の他 世 界 各 国 にお け る労 働運 動 史 の研 究 に没頭 した。
れ た。 私 は 理論 的 お よ び思 想 的 に運動 を 支持 す る の で はな く 、 み ず
こ の数 カ月 間 に私 は マル ク ス の基 礎知 識 を得 、 実 践 的 思 弁 方 法 の基
した 。 私 は 無 数 のプ ロ レタ リ ア と共 に、 飢 餓 と 不 断 の食 糧不 足 を体
か ら現 実 に そ の 一部 とな る こと を 決 心 し た。 それ 以 来 、 私 は自 分 の
る こと を 痛 感 す る に 至 った。 す で に数 百 万 の者 が 両方 の側 で死 ん で
験 し てそ の事 を感 じ た 。資 本 主 義 は そ の構 成 要 素︱︱ 無 政 府 主 義 と
個 人 的 な 問 題 や物 質 的 な 問 題 に つ いて結 論 を下 す に 当 っても こ の方
本を会得した。
悪 徳 商 人︱ ︱ に分 解 し た。 私 は、 強 固 不 滅 の政 治機 構 を も つと称 せ
針 に徹 した 。 いま や第 三年 を迎 え よう と し て いる第 二次 世 界 大 戦 、
いる 。 そ し て、 今 後 更 に 果 し て幾 百万 の者 が 同 じ 運命 を た ど る か は
られ て いた ド イ ツ帝 国 の没落 を見 た。 ド イ ツ の支 配 階 級 は こう した
誰 にも 予 想 が つか な か った 。 ド イ ツが自 負 し て いた 経 済機 構 は崩 壊
事 態 に直 面 し てた だ絶 望 の あ ま り頭 を う ち 震 わ す ば か り で、 道 徳 的
った と の確 信 を強 め て いる。 私 は過 去 二十 五 年 間、 特 に昨 年 中 に 私
の身 の 上 に起 った あ ら ゆ る事 を考 え てみ て、 そ のよ う に断 言 す る こ
特 に独 ソ戦 を 見 る に つけ て も、 私 は 二十 五年 前 の私 の決 定 が 正 しか
と が で き る の であ る 。
に も政 治 的 にも 分 裂 し てし ま った。 文 化 的 にも 思 想 的 に も 、国 民 は
リ ック教 に走 った 。 軍 部 お よ び封 建 的 支 配 階 級 も 、 ブ ルジ ョア階 級
た だ徒 ら に過 去 の伝 承 を語 り、 また は 反 ユダ ヤ 主義 か ロー マ ・カ ト
も、 何 一つと し て国 家 の進 路 を 示 し、 全 面的 破 滅 か ら国 を 救 う 方途
(ハ) 一九 一八年 から 一九 二 四年 末 に 至 るド イ ツ の革 命 的労 働運 動
一九 一八年 一月 除 隊 にな る と 、 私 は キ ー ル大 学 に 入 学 し た が、 ま
に お け る 私 の閲 歴
を考 え だす こ と は でき な か った 。 ド イ ツ の敵 側 にし ても 同様 で あ っ た 。敵 側 の出 し た政 治 的 要 求 は 、 将 来 た だ武 力 をも ってす る以 外 に 解決 の方 法 のな いも の であ った 。 唯 一の新 鮮 に し て効 果 的 な イデ オ
スパ ルタ ク ス騒 擾 事 件 は鎮 圧 さ れ た。 わ れ わ れ は停 車 場 で停 止 を 命
は時 す で に遅 く 、 手 の下 し よ うも な か った 。激 し い流 血 沙 汰 の のち
った 。 武 器 を も って い た者 で引渡 し を拒 ん だ者 は 射 殺 さ れ た。 私 は
ぜ ら れ、 武 器 の捜 査 を う け た が、 運 よく も 私 の武 器 は発 見 さ れな か
さ か 一年 内 に そ こで ド イ ツ革 命 が起 ろ う な ど と は思 わな か った。 私
ク ス の 一団 に加 入 し な か った のは 、 た だ キ ー ルで そ の団 体 と連 絡 を
は キー ル で、 革 命団 体 の独 立 社 会 民 主党 に加 入 した 。 私 が スパ ルタ
と る こと が で き な か った と いう だ け の理由 に よ るも の であ った 。 私
働 運動 の歴 史 や 、革 命 運動 と反 革 命 運 動 の違 い、 そ の他 の こ とを 教
た党 の組 織 内 では 、私 は自 分 の住 む地 域 の訓 練 班 の長 と な って、 労
そ の年 の末 、 私 は 党 ハンブ ルグ地 方 組 織指 導 部 の訓 練 班 長 に 任命 さ
そ の書 記 と な り 、私 の居 住 地 域 にお け る 党 の 一般 事 務 に従 事 し た 。
ハンブ ルグ に 行 く と、 私 は そ こ でも社 会 主義 学 生 団 を 組 織 し て、
年 の初 め 、 私 は ハンブ ル グ に行 って医 師 試 験 を う け る準 備 を し た 。
れた 。 そ れ は と う て い凱 旋 と称 し得 る も の で はな か った 。 一九 一九
え た。 も ち ろ ん、 私 は 学 生 の友 人 を 入党 さ せる な ど 、 いろ い ろ と細
同 志 と い っし ょに数 日間 停 車 場 内 に 留置 さ れ た のち 、 キー ルに送 ら
か い事 に も気 を配 った 。
の革 命 団 体 と同 じ く 、 自動 的 に ド イ ツ共 産 党 に合 流 し た。 一九 二 〇
れ た。 そ の後 ま も な く わ れ われ の党 派 は、 スパ ル タ ク ス団 や そ の他
は 入党 す ると 、 ま ず社 会 主 義 学 生 団 の仕事 に 従事 し た。 私 は 二三 人
私 は、 水兵 や 港 湾 労 働 者 のグ ループ に む か って社 会 主 義 に関 す る
の学 生 と い っし ょに そ の団 体 を組 織 し、 後 に そ の団 長 と な った 。 ま
秘 密講 義 を し て い た。 従 って、 私 は反 乱 水 兵 に よ って惹 き 起 さ れ た
ンブ ル グ共 産 主 義 新 聞 の顧 問 も勤 め た。 或 る 日、 私 は有 名 な 社 会 主
義 者 シ ャイデ マン の訪 問 を受 け た。 私 は彼 から 、 アド ル フ ・ゾ ルゲ
年 中 、 私 は党 ハンブ ルグ支 部 の訓 練 班 長 と し て働 いた。 同 時 に 、 ハ
の子孫 と し て彼 の運 動 に 参 加 す る気 はな い かと 訊 か れ た が、 む ろん
キー ル軍 港 の革 命 にも 貢 献 した わ け であ る。 私 は今 でも そ う し た講
先 不 明 の所 へつれ て 行 か れ た。 行 ってみ る と、 そ こは 水 兵 の地 下 兵
私 は 頭 か ら断 わ った。
義 の 一つを憶 え て い る。 或 る 朝 早 く 、私 は呼 び出 され て こ っそ り 行
営 で、 私 は ド アを締 め 切 って秘 密 の講 義 を 行 う よ う に頼 まれ た 。
よう に命 ぜ ら れ た。 私 は ハンブ ルグ の情 況 に つ い て報 告 し た。 す る
革 命 の直 後 、 私 が党 でや った仕 事 は 、 無数 の 入党 申 込 を処 理 し、
と、 ア ー ヒ ェン地 方 で党 の ため に いろ いろ 積極 的 な活 動 を 行 う よ う
つも り でそ の準 備 を し て いる と 、 ベ ル リ ンの中 央 委員 会 に出 頭 す る
れ ば な ら な か った 。
に頼 ま れた 。 この地 方 は労 働 者 の勢 力 が強 く、 特 に カ ト リ ッ ク労 働
次 で私 は ア ー ヒ ェン高 等 学 校 の教 職 に就 き、 奥 地 の方 に移 動 す る
そ の年 の暮 、 私 は 二三 の同 志 と党 の用 で ベ ルリ ンに 行 き、 同 地 の
団 が極 め て有 力 で あ った。 ア ー ヒ ェンに 着 く と間 も なく 、 私 は 党 の
宣 伝 お よ び教 育 活 動 を 行 う こと であ った 。 私 は ま た、 当 時 す で に大
本 部 で 働 い た。 ノ ス ケお よ び ﹂シ ャイデ マン﹂ の率 いる 党派 と革 命
都 市 指 導 部 員 を 命 ぜ ら れ、 訓 練 問 題 を 取 扱 う こと にな って いた 。 同
き な勢 力 とな って いた社 会 主 義 学 生 団 の仕 事 に も 大 いに関 係 しな け
に対 抗 した 。党 は援 助 を 必 要 と し た が、 私 が ベ ル リ ン に着 いた と き
運 動 の間 に激 し い戦 いが 起 り 、 ノ スケ の側 に は陸 軍 が 加 担 し て革 命
た。
は失 敗 であ った 。早 速 見 破 られ て、炭 坑 を逐 われ 、 国 外 に 追放 さ れ
そう こう し て いる間 に、 私 は アー ヒ ェンの各 炭 坑 です っか り知 ら
私 は オ ラ ンダ の炭 坑 地 方 でも 同 じ よ う な活 動 を 試 み た が、 そ の方
の会 合 に招 待 さ れ 、 ハンブ ルグ でや った と 同 じ よ う に同 地 の共 産 主
れ て しま って、 も う と う て い仕 事 を 見 つけ る こ と は でき な く な った。
時 に、 私 は坑 夫 の間 で活 発 な宣 伝 に従 事 し た 。 や が て、 私 は ケ ル ン
義 新 聞 の手 伝 を す る よ う に頼 ま れた 。 或 る 時 、ゾ リ ンゲ ンの共 産 主
の ラ イ ンラ ン ド地 方指 導部 と連 絡 を つけ た 。 そ し て、 し ば し ば彼 ら
って二 箇 月間 そ の新 聞 の編 築 に当 った こ とも あ った 。 ま た 、 ラ イ ン
義 新 聞 の編 集 者 が 刑務 所 に 入 って いた 間 、 私 は学 校 の休 暇 中 彼 に代
側 の行 政 が施 行 さ れ て いた )。
戦 争 が終 った ば か り で、 ラ イ ン ラ ンド は軍 事 占 領 下 にあ って、 連 合
ア ー ヒ ェンお よ び占 領 地 域 を立 去 ら ざ る を得 な か った (当 時 は ま だ
当 局 か ら は、 連 合側 軍 政 府 に引 渡 す と 言 って威 か さ れる の で、 私 は
にも 何 度 か 出 席 し た。
私 は ベ ルリ ンに行 って、私 の将来 の党 活 動 に つ いて中 央 委 員 会 に
ラ ンド地 方 代 表 とし て、 中央 委 員 会 の拡 張 お よ び指 導 に関 す る会 議
しか し、 アー ヒ ェンに おけ る党 の政 治 活 動 を続 け、 しか も 高 等 学
い と思 った ので、 それ を 断 わ った 。友 人 た ち は、 私 に フラ ンク フ ル
校 の助 教 授 の職 に 留 ま って い る こと は 、私 と し ても ちろ ん 不 可能 な
ト大 学 社 会学 部 の助 手 にな り 、 同時 に個 人 教 授 を し ては ど うか と言
てく れ た が、 私 はも っと実 際 上 の経 験 を積 み、 同 時 に学 問 も修 め た
私 は党 と相 談 の のち 、坑 夫 の間 で積 極 的 に 活動 す る こ と に した 。
ってく れ た。 こ の案 は党 指 導 部 に よ って承 認 さ れ る と と も に、 私 は
相 談 し た 、委 員 会 は 、 党 指導 部 内 の有 給 の地 位 に 就 か な いか と言 っ
そ し て、 アー ヒ ェン の炭 坑 地 区 で働 い て私 の生活 費 を こ し らえ る こ
フ ラ ン ク フ ルト の党 組 織 内 に あ って積 極 的 に活 動 す る よ う に求 め ら
事 であ った。 一九 二 二年 の暮 近 く 、 私 は激 し い政 治 論 争 を 行 った た
と に し た。 私 は 共 産 主義 者 で あ る こ とを 感 づ か れ ず に、 ア ー ヒ ェン
め学 校 を逐 わ れ た 。
近 く の炭 坑 で未 経 験労 働 者 と し て雇 われ た 。 仕事 は つらく 、 そ れ に
フ ラ ンク フル ト では 、 私 は党 の市 指 導 部 の 一員 を 命 ぜ ら れ、 過 去
れ た。
に お け る と同 様 に、 訓 練 事 項 を受 持 ち、 共 産 主 義新 聞 の顧 問 を 勤 め
し か し、 私 は 決 し て後 悔 しな か った 。 坑夫 と し て の経 験 は 、 戦場 で 得 た経 験 に劣 ら ず 貴 重 な も の であ った 。私 の新 し い仕 事 は、 党 に と
ラ ンク フ ルト当 局 に はあ ま り よ く名 を知 られ て いな か った ため に 、
た 。 そ の後 ま も なく ド イ ツ では 共産 主 義 が 非 合 法 と な った。 私 は フ
戦 線 で重 傷 を 負 った こと があ る の で、 仕 事 に はず い ぶ ん難 儀 した 。
っても ま た有 意 義 で あ った。
の秘密 文 書 と党 員 の登 録 に 関 す る事 務 を取 扱 い、 ベ ルリ ンの中 央委
大 いに党 のた め に働 い て貴 重 な 貢献 をす る こ とが で き た。 私 は 一切
坑 夫 た ち の間 でや った私 の工作 は、 た ち ま ち幾 多 の好 結 果 を も た ら し た。 私 は 、 最 初 に 雇 わ れ た炭 坑 で共 産 主 義者 の グ ル ープ を 作 っ
員 会 と フ ラ ンク フル ト の党組 織 と の間 の秘 密 連絡 の維 持 に当 った 。
て 、 そ れ を発 展 さ せた のち、 ア ー ヒ ェン附 近 の次 の炭 坑 に移 った 。 そ し て、 同 じ年 のう ち に も う 一度 炭 坑 を 変 え た。
る 必要 はな か った 。 こう いう ふ う に資 金 や資 料 を 隠 匿 して 置 いた の
室 の石 炭 箱 に入 れ て大学 の私 の研 究 室 や 社 会 科 学 図 書 館 に匿 し た。
党 資 金 と宜 伝 資料 と は私 の許 に送 られ てき た 。 私 は 大 き な包 み を教
ワ へ行 く こ と は でき な か った。 し か し、 私 に コミ ン テ ル ン諜 報 部 創
諜 報 関 係 の幾 つか の会 議 に 出席 す る こ と にな って いた ので、 モス ク
に彼 ら か ら頼 ま れ た が 、 フラ ンク フ ル ト大会 が 済 み次 第 組 織 およ び
に際 し、 私 はそ の年 モ ス クワ の コミ ンテ ル ン本 部 に行 って働 く よ う
設 の 仕事 を さ せ よ うと いう コ ミ ンテ ル ン代 表 の提 案 は 、 ベ ルリ ンの
私 の ほ かに も 党 員 が 二 三名 同 じ所 で働 い て いた ので 、発 覚 を 心配 す
で、 党 指 導 部 では 必 要 の場 合 い つで も そ れを 出 し て使 う こと が で き
ワに む か って出 発 し、 一九 二 五 年 三月仕 事 に着 手 した 。 同 時 に、 ピ
ア ト ニ ッキ ーは 私 の党 籍 を ド イ ツ共産 党 か ら ソヴ ィ エト共産 党 に移
党 指 導 者 た ち の容 認 す る と ころ と な り、 一九 二四 年 の暮私 は モ スク
した。
た。 共 産 主 義 が禁 止 さ れ て いた に も か か わ らず 、 フ ラ ン ク フ ルト に
った。 私 は党 の指 令 に基 い て絶 え ず そ れ と秘 密 に連 絡 を と ってい た 。
た。 三方 ザ ク セ ン では 武 力 蜂起 に よ って労 働 者 の共 和 国 が でき あ が
と す る モ スク ワ の マル ク ス ・ エンゲ ル ス調査 研 究 所 の代 表 団 に会 っ
筆 を欄 く に先 立 ち、 私 は 三九 二 三年 著 名 の学 者 リ ャザ ノ フを団 長
お け る党 活 動 が少 しも 衰 え る様 子 が な か った の は、 こ のた め で あ っ
私 は特 別 の使 命 を 帯 び て、 しば し ば ザ ク セ ンを訪 れ、 党 か ら フ ラ ン
て、 研究 所 のた め に資 料 を集 め て いた 。 三行 は 、 マ ルク スの生 存 中
た こと に つ いて =言 しな け れ ば な ら な い。代 蓑 団 は ド イ ツを 旅 行 し
ク フ ルト の わ れ われ に送 ら れ て く る大 切 な政 治 上 お よ び組 織 上 の報
第 一イ ンタ ー ナ シ ョナ ル の書 記 を 勤 め て いた ア ド ル フ ・ゾ ルゲ の政
告 や指 令 を 伝達 し た。 一九 二 四年 フ ラ ンク フ ル ト ・ア ム ・マイ ンで共 産 党 大 会 が 催 さ れ
放 そ うと しな か った。
る と 、 ソ ヴ ィ エト共 産 党 員 は コミ ン テ ル ン代 表 と し て それ に参 加 す
最 後 に 私 は、 文筆 家 と し て の私 の閲 歴 が単 に新 聞 雑 誌 のた め の共
モ スク ワ の研 究 所 入り を 求 め た が 、 ド イ ツ の党 指 導 者 た ち は私 を手
偉 い代 表 た ち の身 の安 全 を 計 り 、 宿 舎 の世話 を し、 彼 らが 安 心 し て
産 主 義 的 記 事 を書 く こ と だけ に限 ら れ てい な か った こ とを 附 言 し な
治 的 遺 稿 に つ いて私 に情 報 の提 供 を 求 め た 。 リ ャザ ノ フ は私 に こ の
仕 事 が で き る よ う に取 計 ら った 。 当時 ド イ ッ共 産 党 は政 治 上 の重 大
る た め 、 不 正 入国 を し てや ってき た 。 私 は指 導 部 か ら択 ばれ て、 こ
な 困 難 に直 面 し て い た の で、 コミ ン テ ル ンは わ れ われ のも と に 四 人
ンブ ルグ ﹂ と 題 す る パ ン フレ ットを 書 いた。 そ れ は、 ロー ザ ・ルク
け れ ば な ら な い。 一九 二 二年 、 私 は ﹁ 資 本 の蓄 積 と ロ︱ザ ・ルク セ
の人 た ち の身 辺 を保 護 す る役 を 言 付 か った。 会 期 中 、 私 は こう し た
の者 、 す な わ ち ピ ア ト ニ ッキ ー、 マヌイ ル スキ ー、 ク ー シ ネ ンお よ
セ ンブ ルグ の理 論 を批 判 し、 そ の理 論 的 研究 を行 ったも のだ った が 、
び ロゾ フ スキ ー を送 って よ こし た 。私 は 大会 代 表 の 一人 と し て の責 任 を 果 た す だ け で な く、 こ の容 易 な ら ぬ 使命 を果 し て、 関 係 者 三同
私 の こ の難 し い問 題 の扱 い方 は確 か に拙 劣 で未 熟 き わ ま るも の であ
った 。 私 は、 こ の パ ン フ レ ット が全 部 ナ チ ス のた め に焼 き払 われ て、
に満 足 を 与 え た 。 言 う ま でも な く 、 コミ ンテ ル ン代 表 たち と私 の関 係 は極 め て親 密 で、 日 に 日 に 一層 懇 意 に な って い った。 会 議 の終 了
今 は 一冊 も 残 って いな け れ ば い い と思 って いる 。 モ スク ワ に滞 在 中 に は ﹁ヴ ェル サ イ ユ平 和 条約 の経 済 条 項 ﹂ を 著 し 、 ま た 一九 二 七年 に は ﹁ド イ ツ帝 国 主 義 ﹂ を著 し た。 これ らは 相 当 な 著述 だ った と私 は思 って いる 。 二 つと も ド イ ツで広 く 読 ま れ 、 ロ シア語 に も翻 訳 さ
一九 二 四年 か ら 一九 二 五 年 の間 に私 が モス ク ワに 移 さ れ て、 ソヴ
れた。
ィ エト共 産 党 に転 ず る と と も に 、 ド イ ツ共 産 党 のた め に す る私 の活 動 は終 った。 す な わ ち 、私 が ド イ ツ共 産 党 と関 係 し て いた の は、 二 九 一八年 か ら 一九 二四 年 ま で の間 だ け に限 ら れ て いた。
四
検事 訊問 調書 ( 第三十四回︱第四十 七回)
翻訳人訊問調書 安孫子
理兵衛
答
問
然 ら ばリ ヒア ル ド ・ゾ ルゲ に対 す る治 安 維 持法 違 反 並 国防 保
左様 であ り ま す。
貴 下 は独 逸 語 の翻 訳 が出来 る か。
ー手 記 の翻 訳 を命 ず るが 如何 。 諒 承 致 し ま し た。
安孫 子
其 の手 記 が 出来 次 第 順 次翻 訳す る 事 に致 し ます 。
人
理 兵衛
安 法 違 反被 疑 事 件 に就 き被 疑 者 が作 成 す る 独文 タ イプ ライ タ
間
答
訳
右 読聞 け た る に相 違な き 旨 申立 て署 名 捺印 した り 。
翻
前同日
リヒアルド .ゾ ルゲに対する治安維持法違反並国防保安法違反被疑 て検事吉 河光貞は裁判所書記間宮崇 立会 の上右翻訳人 に対し訊問す
事件に付昭和十 六年十二月 二十六日東京刑事地方裁判所検事 局に於
東京刑事地方裁判所検事局
崇
光 貞
る こと左 の如 し。
宮
河
事 吉
年
検
生 駒 佳
裁判所書記 間
人
氏名、年齢、職業 、住居、本籍 及出生地は如何。
翻訳人訊問調書
訳
問
二間
答
一問
職業 は
年齢は
氏名 は
東 京 府 北 多 摩郡 国 分 寺 町大 字 国 分 寺 二、 四 一九
東 京 外 国 語学 校 教 授
当 四十 三年
生駒 佳 年
貴下は
住居は
氏 名 、年 齢 、 職 業 、 住居 、 本 籍 及出 生地 は 如何 。
裁 判 所 書 記 山 田信 夫 立 会 の上右 翻 訳 人 に対 し訊 問 す る こ と左 の如 し。
事 件 に付 昭 和 十 七年 一月 二十 二 日東 京拘 置 所 に於 て検 事 吉 河 光貞 は
リ ヒア ル ド .ゾ ルゲ に対 す る治 安 維持 法 違 反 並 国防 保 安 法 違反 被 疑
翻
氏名は 安孫子理兵衛 年齢 は 当四十八年
一八号 室
東 京市 牛 込 区 新 小 川町 ニ ノ 一0
職業 は 外務省大臣官房文書課嘱託 住居 は
貴下は
江 戸 川 アパ ート 六
答
問
リ ヒ ア ルド .ゾ ルゲ
存 じ ま せ ぬ。
と 申す 者 を 知 って居 る か。 答
然 らば 貴 下 は リ ヒア ル ド ・ゾ ルゲ と斯 様 な関 係 は な いか。
御 読 聞 け の様 な関 係 は 何 も あ り ま せ ぬ。
此 の時 検 事 は 刑事 訴 訟 法 第 百 八十 六条 を 読 聞け たり 。
間
答
リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ と 申す 者 を知 って居 る か 。 答 存 じ ま せ ぬ。 三 問 然 ら は貴 下 は リ ヒア ル ド ・ゾ ルゲ と 斯 様 な関 係 は な い か。 此 の時 検 事 は刑 事 訴 訟 法 第 百 八十 六条 を 読聞 け たり 。 答 御 読 聞 け の様 な関 係 は 何 も あ り ま せ ぬ。 四間 貴 下 は独 逸 語 の翻 訳 が出 来 る か 。 答 左様 であ り ま す 。
裁 判 所 書 記間 宮 崇 立 会 の上右 通 事 に対 し訊 問 す る こ と左 の如 し。
問 氏 名 、年 齢 、 職業 、 住 居 、 本籍 及出 生 地 は 如何 。
年 齢 は 当 四十 三年
答 氏 名 は 生 駒 佳年
職 業 は 東 京 外 国 語学 校 教 授
住 居 は 東 京 府 北多 摩郡 国 分寺 町大 字 国 分寺 二、 四 一九 問 貴 下 は
リ ヒア ルド ・ゾ ルゲ
と申 す者 を知 って居 る か。 答 存 じ ま せ ぬ。
問 貴 下 は独 逸 語 の通 訳 が出 来 る か。
答 御 読聞 け の様 な 関係 は何 も あ り ま せ ぬ。
此 の時 検事 は刑 事 訴 訟法 第 百 八十 六条 を 読 聞 け た り。
安 法 違 反 被疑 事 件 に付 被 疑者 が作 成 す る独 文 タ イプ ラ イタ ー
五 問 然 らば リ ヒア ルド ・ゾ ルゲ に対 す る 治 安維 持 法 違 反並 国 防 保
駒
年
問 然 ら ば貴 下 は リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ と斯 様 な 関係 はな いか。
生
佳
手 記 の翻 訳 を命 ず る が如 何 。
人
其 の手 記 が出 来 次 第順 次翻 訳 す る事 に致 し ます 。
答 諒 承致 し まし た 。
訳
問 然 ら ば リ ヒア ルド ・ゾ ルゲ に対 す る治 安 維持 法 違 反 並 に国 防
答 左 様 であ り ます 。
翻
右読 聞 け た る に相 違 なき 旨 申 立署 名 捺 印 し た り。
山
田
信
夫
答 諒 承 致 し ま した 。
通
事
事
生
吉
右 読 聞 け た る に相 違 な き旨 申 立 て署 名捺 印 し た り。
於 東京 拘 置 所
前同 日
検
東 京 刑 事 地 方裁 判 所 検事 局
河
駒
光
佳
貞
年
保 安法 違 反 被 疑 事件 に つ き被疑 者 訊 問 の通 訳 を命 ず る が如 何 。
前 同日 於 東 京拘 置 所
裁 判 所書 記
貞
年
光
佳
河
駒
吉
検
生
事
東 京刑 事 地 方 裁 判 所検 事 局
通事訊問調書
リ ヒア ルド 。ゾ ルゲ に対 す る 治安 継持 法 違 反並 国 防 保 安法 違 反 被 疑 事 件 に付 昭 和 十 七年 一月 二十 四 日東 京 拘 置 所 に於 て検 事吉 河光 貞 は
裁判所書記
間
宮
崇
二問 然 ら ば被 疑 者 が 独大 使 館 に接近 す るに 至 った経 緯 如何 。
答 私 は曩 に西 暦 一九 三 二年 (昭和 七年 ) 末 頃 支那 から モ ス コウ
に引 揚 げ 次 に は愈 〓日本 に渡 って諜報 活 動 を 遂行 す る こ とに な りま
第 三 十 四回 訊 問 調 書
した 時、 私 が在 支 当 時 上海 の独逸 総 領 事 館 や南 京 政 府 顧 問 の独 逸 将
リ ヒア ル ド ・ゾ ルゲ
被
者
右 者 に対 す る治 安 維持 法 違 反 並 国防 保 安 法 違 反被 疑 事 件 に付 昭和 十
疑
七 年 二 月十 日東 京 拘置 所 に於 て検事 吉 河光 貞 は 裁判 所 書 記 山 田信 夫
日本 で諜 報 活 動 を 遂行 す るに は先 づ第 一に 在東 京 の独 大 使館 を利 用
し よう と計 画 致 し た のであ りま す 。其 処 で私 は モ ス コウ中央 部 に此
校 達 を 自分 の諜 報 活 動 に利 用 し て相 当 な成 功 を 収 め た体 験 を想 起 し 、
一問 被 疑 者 が 駐 日独 逸 大 使 館 に接 近 し て同 大 使館 関 係 者 達 か ら信
立 会 の上前 回 に 引 続 き右 被 疑 者 に対 し訊 問 す る こと左 の如 し 。
日 本 に於 け る 私 の今次 諜 報 活 動 の為 の基 礎 とな った こ と であ り ま し
よ く接 近 し て同 大 使館 関 係 者 達 か ら絶 大 な 信 任 左得 た と云 ふ こと は、
答 私 が駐 日 独逸 大 使 館 (以 下独 大 使 館 と 略 称致 し ます ) に首 尾
で 日本 に 渡 来 し た の であ り ます 。
係 者 等 に 宛 てた紹 介 状 を貰 って同 年 七 月頃 仏蘭 西 を出 発 し米 国 経由
等 の諸 名 士 達 と 面接 し て知 合 ひ と なり 、 之等 の人 々か ら 独大 使 館 関
か ら独 逸 の伯 林 や ミ ュン ヘン其 の他 に 出掛 け独 逸 ジ ャー ナ リズ ム界
分 の此 の計 画 を 実現 す る準 備 の為 に西 暦 一九 三 三年 五 月頃 モ ス コウ
の計 画 を打 明 け 其 の諒解 か 得 て置 き ま した 。 そ し て私 は 主 と し て自
て、 私 は此 の基礎 の 上 に立 って こ そ始 め て自 分 の諜 報 活 動 を遂 行 す
任 を得 た経 緯 如何 。
る こ と が出 来 た の であ り ま す か ら、 特 に此 の点 を冒 頭 に申 上 げ て置
のを 知 り 之 と 同時 に若 し自 分 が同 大 使館 に接 近 し て信 任 を得 る様 に
し た。 其 の頃 私 は同 大 使 館 に は色 々な資 料 が多 数 に集 め ら れ て居 る
き ます 。 モ ス コウ中 央 部 に於 き ま し ても 私 が斯 くも 独 大使 館 の中 枢
の事 とし て非常 に驚 嘆 し て居 る様 な 次 第 で あ り ます 。
な れ ば之 と同 時 に 日本 人 に 対 し ても 信 用 を増 す こ とと な り、 万 一自
し て から 三 日 の後 独 大使 館 に出 頭 し て新 来 朝 者 と し て申 告 を 致 し ま
即 ち 私 は 日本 に渡 来 す る や予 て計 画 し て居 り まし た通 り意 識 的 に 独
分 に疑 惑 が 生 じ た様 な 場合 でも 同 大 使館 が自 分 の為 に防 壁 と な って
斯 様 な次 第 で私 は西 暦 一九 三 三年 (昭和 八年 ) 九 月 六 日 日本 に 到着
大 使 館 に接 近 し乍 ら 其 の主 な る関 係 者 の殆 ん ど総 べ てと知 合 ひ、之
深 く 喰 込 む で之 を私 の諜 報活 動 に利 用 し 得 た と 云 ふ こと を前 代 未 聞
等 の人 々か ら信 任 を受 け然 かも 斯 様 な信 任 を 受 け乍 ら 一私 人 と し て
ば な ら ぬ と云 ふ こと を前 よ り も 一層 痛 切 に 感 じ た の であ り ます 。 偖
し て行 く為 に は是 非 とも 此 の独大 使 館 と緊 密 な接 触 を 保 って行 かね
其 の当 時 私 が独逸 か ら貰 って来 た紹 介状 に就 て申 上 げ れ ば次 の通 り
呉 れる で あ らう と思 ひま し た の で、 今後 私 は 日本 で諜 報 活 動 を遂 行
半 は私 が独 大 使 館 に接 近 す る に 至 った 経 緯 と し、 後 半 は 其 の後 私 が
で す。
同大 使 館 の中 枢 に這 入 り込 み 非 常 に高 い道徳 的 な地 位 を 獲得 し之 を
益 〓同 大 使 館関 係 者 と知 合 ひ之 等 の人 々か ら絶 大 な 信 任 を獲 得 し た
私 の諜 報 に利 用 し た の であ り ま す が、 之 を 大 体前 半 と後 半 に 分 け前
事 情 とし て申 上 げ度 い と思 ひ ます 。
省 に訪 ね て逢 ひ前 述 の紹 介状 を渡 し、 共 処 で同 部 長 か ら多 数 の
尚私 は天 羽 情報 部 長 には 初 め て独 大 使 館 に出 頭 し た 翌 日頃 外 務
日本 人 や外 国 人 の新 聞 記 者 に紹 介 し て貰 った のみ な ら ず其 の後
第 一、 ハウ ス ホー フ ァー ハウ ス ホー フ ァー は独 逸 国防 軍 の陸 軍 少 将 で第 一次 欧 州大 戦 前
外務 大 臣 リ ッベ ント ロ ップ の補助 者 とし て活動 し て居 り 、 確 か
独 大 使 館 の非 公式 な武 官 であ った こと が あ り、 ミ ュン ヘン大 学
西 暦 一九 三 六 年 (昭 和 十 一年 )終 頃 リ ッベ ント ロ ップ の特 使 と
ァー の子 息 ハウ スホ ー フ ァー も有 名 な政 治 家 であ りま し て独逸
﹁日本 ﹂ と題 す る 日本関 係 の著 書 も あ り ます 。 私 は ミ ュン ヘン
な って 日本 に来 朝 しま し た ので、 其 の時私 は父 ハウ スホ ー フ ァ
も色 々と旅 行 等 で便 宜 を 供 与 し て貰 ひま し た。 尚 ハウ スホ ー フ
に ハウ ス ホー フ ァーを 訪 ね て知 合 とな り 当時 の独 大使 フ ォレ チ
ー と の従 来 よ り の関 係 か ら 此 の子 息 とも親 しく 逢 ふ こと が出 来
で ﹁地 政 学 ﹂ (ゲ オポ リ テ ィー ク) と軍 事 科 学 の教 授 を 致 し 著
ュ宛 の紹 介状 を貰 った の です が、 日本 に渡来 し て見 る と 同大 使
述 家 とし ても著 名 な人 物 で あ り ま し て ﹁太平 洋 の 地 政学 ﹂及
は生 憎 独逸 本 国 に召 還 さ れ て不 在 であ り ま し た の で私 は 此 の紹
た ので あり ま す。
使 館 に出頭 す る と同 大使 館 で は私 に向 って 日本 の外務 省 に誰 か
に宛 てた紹 介 状 を 書 い て貰 ひ ま した 。私 が 日本 に 渡来 し て独 大
日 本 の外 務 省 の所 謂 スポ ー ク ス マン即 ち情 報 部 長 で あ る天 羽 氏
同 大 使 を訪 ね て簡 易 に面会 し、 同 大使 の斡 旋 で同 館員 か ら当 時
てた 紹介 状 を貰 ひ まし た ので独 逸 から 日本 へ渡 来 の途 中華 府 に
ま し た の で私 は承 諾 し 日本 に行 ってか ら寄 稿 す る こと を約 束 し
で私 に雑 誌 ﹁ゲ オ ポ リ テ ィー ク﹂ の執 筆者 にな って呉 れ と申 し
を訪 ね て知 合 と な り まし た 。其 の時 同 氏 は私 の来 訪 を大 変 喜 ん
て居 り まし た ので私 は西 暦 一九 三三 年 ( 昭 和 八 年 )伯 林 に同 氏
執筆 寄 稿 した支 那 関 係 の諸 論 説 を 読 ん で既 に私 の名 を よく 知 っ
ー ク) の有 名 な編 輯 者 で あ り、 私 が 在支 当 時 に伯 林 の諸 雑 誌 に
フ ォーヴ ィンヶ ルは独 逸 の月刊 雑 誌 ﹁地 政学 ﹂ (ゲ オ ポ リ テ ィ
第 二、 フ ォー ヴ ィ ンケ ル
介 状 を ば其 の儘 代 理 大使 を勤 め て居 た エルド マン ス ・ド ルフ に 手 渡 し ま し た。
知 合 は居 ら ぬ か無 け れ ば紹 介 し て遣 ら う か と申 出 でま し た。 然
た の であ り ま す。 そし て私 は同 氏 か ら 独大 使 館 宛 の 一般 的 な紹
又 私 は ハウ スホ ー フ ァー か ら米 国 華 府 駐 在 の 日本 大 使 出淵 に宛
し私 は其 の時既 に只 今 申 し た天 羽 氏 宛 の紹 介 状 を 持 って居 り ま
介状 を 始 め 同大 使 館 員 であ る 参 事 官 ク ノ ル
し た ので 些 か得 意 気 に 左様 な必 要 はあ り ま せ ぬ、 自 分 は既 に駐 米 出 淵大 使 か ら紹 介 状 を貰 って来 て居 り ます 、 と答 へま した と
ク ノ ルは私 と同 年 輩 で エッツ ド ル フは私 よ り 年若 であ り ま す が
に宛 てた紹 介 状 を 貰 った の であ り ま す。
書 記官 エ ッツ ド ルフ
新 来 朝者 た る私 を ば 信任 す る様 に な った の です 。斯 様 な方 法 も
ころ 同大 使 館 側 では 私 の顔 が意 外 に広 いの で大 変驚 く と共 に、
独 大 使 館関 係 者 か ら 信任 を得 る 一つ の手 段 であ った の です 。
両 名 共 私 同 様 曾 て 独逸 国 防 軍 の兵 士 で あ った こ と があ り ま す の
筆 を致 し て居 た こと が あ り私 と は在 支 当 時 か ら 互 に新 聞 記 者 と
ツ エー ラは 唯 今 申 上 げ た 「テ ー グ リ ッ へ ・ル ンド シ ャウ 」 の主
ま し た 。私 は在 支 当 時 既 に独 逸 ジ ャー ナリ ズ ム界 に相 当 自 分 の
(昭和 八年 ) 十 二月 政 権 を 獲 得 し た ナ チ の為 廃 刊 さ れた 仕 舞 ひ
ら多 少 反 ナチ の色 彩 を帯 び て居 り まし た 為 、 其 の後 一九 三 三年
は 有 名 な伯 林 一流 の新 聞 社 であ り ま し た が 保守 主 義 的 な 立 場 か
新 聞 ﹁テー グ リ ッ ヘ ・ル ンド シ ャウ ﹂社 は 私 の 日本 渡 来 当 時 に
の で 互 に懐 旧 談 も 出 て親 密 と な り ま し た。 同 氏 は 其 の頃 日独 交
ラ も私 同様 第 一次 欧 州大 戦 に は独 逸 国 防 軍 の軍 人 で あ り ま し た
し て支 那 か ら帰 って来 た のだ と丈 け申 し て置 き ま し た 。 ツ ェー
す 。 其 の時 私 は同 氏 に向 って自 分 が モ ス コウ か ら来 た こと は隠
ら独 逸 に出 掛 け た 際 伯林 に 同氏 を 訪 ね て面 識 を得 た の で あ りま
し て名 を知 合 って居 た間 柄 で あ り まし た の で、 私 は モ ス コウ か
で私 と は 互 に気 が合 ひ初 対 面 後間 も な く親 密 に な りま し た 。
名 を売 って居 り ま し た の で伯 林 の同 社 を訪 ね 日本 から の私 の寄
り ま し た の で私 は 同 氏 か ら オ ット中 佐 宛 の紹 介 状 を貰 った の で
換 武 官 とし て名 古 屋 に駐 在 し て居 た陸 軍 中 佐 オ ット と親 交 があ
第 三、 テー グ リ ッ ヘ ・ル ンド シ ャウ 社 (日 刊評 論 )
稿 を申 出 で ま し た と こ ろ、 同 社 では 非常 に喜 ん で直 ぐ 契 約 を し
す 。 其 の紹 介 状 に は 凡 ゆ る点 に於 て即 ち 政 治的 に も個 人 的 にも
不 安 な 国情 であ り、 特 に遠 く 海 外 に居 る 独逸 人 は殊 更 に猜 疑 の
て呉 れ ま し た。 其 の際 私 は 同 社 か ら 独大 使 館 宛 の 一般 的 な紹 介
眼 を 以 て見 合 って居 る様 な状 態 であ り ま し た か ら、 ツ ェー ラ の
では 前 述 の様 に ヒ ット ラ ー が政 権 を 獲得 し た直 後 であ り極 め て
丈 であ りま し た が 、 此 の紹 介 状 は当 時 同 社 が 相 当 有 名 な新 聞 社
斯 様 な 紹 介状 は私 が オ ット中 佐 から 信 任 を得 る為 に は極 め て必
私 を 信 頼 し て呉 れ と 云 ふ趣 旨 が 書 かれ てあ り ま し た。 当 時 独 逸
であ った の で相 当 権威 の あ る も の であ り 私 の為 に は相 当 有 効 な
状 を貰 って来 た の です 。 共 の紹 介 状 に は私 の新 聞 記 者 と し て の
紹 介 状 であ り ま した 。
要 な も の であ った のです 。 そし て ツ ェー ラの 此 の紹 介 状 は私 が
活 動 を ば後 援 し て貰 ひた いと 云 ふ趣 旨 の こ とが 書 か れ てあ った
私 が 日本 に 渡 来 し た 当 時 は独 逸 の政 情 も 極 め て不 安 定 な状 態 で
以 上 申 上 げ た も の が独 大 使 館 や 其 の関係 者 に宛 てら れ た 公式 の
った 最 初 の機 縁 と な りま した 。
紹介 状 で あ り ま し たが 斯 様 に 紹 介状 が良 か った か ら で も あ り、
後 に 独 大使 と な った オ ット と親 交 を 結 び其 の信 任 を得 る様 に な
方 で は前 述 の様 に ナ チ に接 近 し た雑 誌 ﹁ゲ オポ リ テ ィー ク﹂ 関
な状 況 であ り ま し た ので、 私 は予 め慎 重 に考 慮 の上意 識 的 に 一
係 か ら紹 介 を貰 ふ と 同時 に他 方 で は、 ナ チに反 対 の立 場 に在 っ
又私 が其 の頃 日本 に来 朝 し た 一流 の独 逸 新 聞 記 者 でも あ り ま し
海 外 在 住 の独 逸 人 中 に は ナ チ ストも 居 れ ば 反 ナチ スト も居 る様
た此 の ﹁テー グ リ ッ へ ・ル ンド シ ャウ﹂ 社 と も連 絡 し て其 の紹
た為 私 は同 大 使 館 関 係 者 か ら 非常 な歓 迎 を 受 け た ので あ り ます 。
元来 独逸 の新 聞 記 者 には 色 々あ り ま すが 一般 的 に申 し て其 の社
介 状 を 貰 って来 た様 な 次第 で あり ま す 。 第 四、 ツ ェー ラ
て特 に高 級 な 記 者 が あ り、 之 等 の記 者 は 大抵 五 十歳 近 く にな り
之 等 独 逸 の新 聞 記 者 中 に は各 個 人 の社 会 的 信 用 や 声望 等 に依 っ
会 的 地 位 は米 国 や 日本 の新 聞記 者 達 よ りも 高 い ので あ り ま し て、
オ ットは 立 派 な人 格 者 で其 の後 西 暦 一九 三四 年 (昭 和 九年 ) 大
る 種 々な 独逸 人 を ば私 に紹 介 し て寄越 す様 にな りま し た 。
利 に吹 聴 し て呉 れ た の み な らず 、 其 の後 独逸 か ら 日本 に渡来 す
マ
佐 に 進級 し て独 大 使 館 附 陸 軍 武官 とな り其 の夫 人 ル
ポ ーデ ウ イ ック
及長 男
ヘ
ます と著 名 な 著述 家 と か政 治 家 に な る ので あ り ます 。 私 も 在 支 当 時 は 未 だ 一流 の新 聞 記 者 では あ り ま せ ぬ で し た が在 支 時 代 の
て居 た のであ りま す 。 斯様 な 訳 で私 は独 大 使 館 に 接 近 し 先 づ前
経 歴 を 経 て日本 に渡 来 し て から は 斯様 な高 級 な新 聞 記 者 と な っ
を伴 って名 古 屋 か ら 上京 し、 省 線 渋 谷 駅附 近 の永 井 住 宅 に住 み
其 の後 更 に 少 将 に昇 進 致 し まし た 。 私 は オ ット が 上京 し てか ら
述 の参 事 官 エ ルド マン ス ・ド ル フと親 密 に な り次 で前 述 の
其 の家 庭 や 独 大使 館 に オ ットを 訪 ね た り 一緒 に旅 行 し た り し て
が 、 斯様 に親 交 を 結 ぶに 至 った事 情 の 一つは私 が 曾 て独逸 の 一
書 記 官 エ ッツド ル フ
も 私 を 信 任 し て互 に親 交 を結 ぶ様 にな り ま し た 。 そ れ で私 は 西
兵 士 と し て第 一次 欧 州 大戦 に参 加 し負 傷 し た 経 歴 を持 って居 り
と親 交 を結 び続 い て既 述 の
暦二 九 三 三年 (昭和 八年 ) の暮 前 述 のテ ー グ リ ッ ヘ ・ル ンド シ
オ ット も亦 当 時 青 年 将 校 と し て 此 の大 戦 に参 加 し た経 歴 を持 っ
オ ット のみ な らず 其 の家 族 とも 益 〓親交 を結 ぶ様 にな り ま し た
ャウ宛 に 日本 に関 す る政 治 的 論 説 を寄 稿 し た と こ ろ、 夫 れ が 独
て居 た から でも あ る と思 ひ ます 。
陸 軍 武 官 オ ット
逸 本 国 で大 層 好 評 を 博 し ま し た為 大 使 館 で前 述 の
私 は オ ット武 官 と親 交 を結 ぶ裡 次 第 に オ ット武 官 の私 的 な 政 治
的 協 働 者 と な り ま し た が オ ット武 官 は フ ォ ン ・デ ィル ク セ ン大
ル
が之 を聞 知 し て私 を 砂 な か ら ず信 任 す る 様 にな った の です 。
使 と も 極 め て親 密 で し た の で私 と 同 大使 と の関 係 が頗 る 良 好 と
ノ
ク ノ ル は独 大 使 館 に於 て政 治 的 識 見 では 第 一人者 で あ り ま した
な って行 き ま し た。
ク
か ら私 は 同 氏 か ら大 い に政 治 的 に啓 発 さ れ ま し た。
其 の間 西 暦 一九 三四 年 (昭 和 九年 ) 独逸 海 軍 大 佐 、 ヴ ェネ ッカ
斯 く し て エッ ツド ル フや ク ノ ルは 西 暦 一九 三 四年 (昭 和 九 年 ) 春 頃 日 本 に来 朝 し た新 任 大 使
は オ ット武 官 を 通 し て知 合 と なり ま し た 。 ヴ ェネ ッカ武 官 は武
が 独大 使 館 附 海 軍 武 官 と し て 日本 に渡 来 し て参 り ま し た の で私
に対 し て私 を ば極 力 推 薦 し て呉 れ ま し た。 更 に エル ド マ ン ス ・
入 肌 の高 潔 な 人格 者 で あり ま す が着 任 早 々の こ と と て政 治 的方
フ ォ ン ・デ ィ ルク セン
ド ル フは 同年 独 逸 に 帰 還 し てか ら独 逸 外 務 省 等 で私 のこ と を有
面 に は不 案 内 であ り ま し た為 私 か ら啓 発 を 受 け て居 た の み な ら
の概 要 を 申 上 げ る こと に致 し ます 。
と知 合 にな り 之 等 の人 々か ら信 任 を受 け る様 にな り ま し た が以 下 其
ウ ー ラ ッ ハは 独逸 外 務 大 臣 リ ッベ ント ロ ップ と親 交 が あ り他 面
第 一、 ウ ー ラ ッ ハ侯 爵
ず 、 私 同 様 独 身 者 であ り ま し た の で私 達 二人 は屡 〓熱 海 等 に旅 行 し て遊 んだ こと も あ り大 い に意 気 投 合 の間 柄 と な り ま した 。
り ま し た 。 其 の時 ウ ー ラ ッ ハは私 が 日本 で は先 任 の独 逸新 聞 記
ハウ スホ ー フ ァー や フ ォーヴ ィンケ ルと も懇 意 な 人 物 で 西暦 一
ヴ ェネ ッカ武 官 は 其 の後武 官 の儘 段 々昇 進 し て中将 に な り ま し
ル
九 三四 年 (昭和 九年 ) 新 聞 記 者 とし て日本 に来 朝 し た こと が あ
ョ
た。
シ
又 西 暦 一九 三 六年 (昭 和 十 一年 ) 一月 に は 独逸 陸 軍 少 佐 、
り ま した の で私 と は 一層 親 交 を 結 ぶ様 に な り ま し た。
ベ ルギ ー の西 部戦 線 で私 と 一緒 に同 じ 戦 闘 に 従事 し た こ と が判
西 暦 一九 一四年 一兵 士 と し て第 一次 世 界 大戦 に参 加 し、 然 か も
し ま した 。 私 は オ ット か ら新 着 の シ ョル武官 を紹 介 さ れ武 官 も
た が 其 の後 又同 一九 三 七 年 (昭和 十 二年 ) 末 頃 に 日 本 に来 朝 し
ウ ー ラ ッ ハは西 暦 一九 三 六年 (昭和 十 一年 ) に 一旦 帰 国 し ま し
か ら 私 の諸 論 説 等 を 読 ん で居 り 私 を尊 敬 し て呉 れ て居 り ま し た。
ひ次 第 に 親 交 を結 ぶ様 に なり ま し た。 ウ ー ラ ッ ハの方 で は 以前
ま し た が 極 め て平 民 的 な 人 物 で私 と は初 対 面 以 来 頗 る 気持 が合
ウー ラ ッ ハは独 大 使 館 で は門 閥 の故 に非 常 に重 要 視 さ れ て居 り
た為 私 はウ ー ラ ッ ハと直 に交 際 す る 様 に な った の であ り ま す 。
其 の裡 西暦 一九 三 八年 (昭 和 十 三 年 ) フ ォ ン ・デ ィル ク セ ン大
ま し た 。其 の時 同 氏 は 矢 張 り新 聞記 者 であ り まし た が 既 に独 逸
者 でし た ので エッツ ド ルフか ら 私 宛 の紹 介 状 を持 って参 り ま し
使 は 独 逸 に 召還 を命 ぜ ら れ て帰 国 し ま し た ので 翌同 一九 三 九 年
外務 省 と は極 め て密 接 な 関係 を持 って居 た の であ り ま す。 処 が
が渡 日し て参 り オ ット武 官 の補 佐 官 とな り 其 の後 昇 進 し て中 佐
(昭 和 十 四年 ) オ ット武 官 が軍 籍 を 退 いて駐 日独 大 使 に任 命 さ
にな り 同 一九 三 九年 ( 昭 和 十 四 年 ) 初 頃 迄 日本 に滞 在 し て帰 国
れ ま し た 。斯 く し て私 と オ ット と の間 は更 に親 交 を 深 める に至
の顧 問 と し て 三度 日本 に 渡来 し て参 り同 年 三 月 頃迄 滞 在 し て居
西暦 一九 三九 年 (昭 和 十 四年 ) 一月 頃 ウ ー ラ ッ ハは 独逸 外 務 省
り ま し た。 同 氏 は独逸 本 国 や独 大 使 館 内 で私 の為大 いに宜 伝 し
った ので あ り ま す。
て呉 れ た許 り でな く 独逸 か ら の 日本 へ来 朝 す る 多数 の独 逸 人 を
フ ォ ン ・デ ィ ルク セ ンは独 逸 に帰 国後 も 独逸 外 務 省 方 面 等 で私 の こ とを有 利 に吹 聴 し て呉 れた のみ な ら ず独 逸 か ら 日本 に 渡 来
シ ュミ ーデ ンは 西 暦 一九 三 七年 (昭 和 十 二年 ) 日本 に渡 来 し た
第 二、 シ ュミ ーデ ン
ば 私 に紹 介 し て寄 越 し ま し た。
す る 多数 の独逸 人 を私 に紹 介 し て寄 越 し ま し た。 三問 次 に被 疑 者 が其 の後 益 〓独 大 使 館 関係 者 と知 合 にな り 之 等 の 人 々か ら 信 任 を獲 得 し た事 情 如 何 。 答 私 は其 の後 愈 〓多 数 の否 殆 ん ど総 て の主 な る独 大 使 館 関係 者
た の で私 は シ ュミーデ ンと知 合 にな った ので あ り ます 。
フ、 エルド マ ン スド ルフや 、 ク ノ ル等 の私 宛 の紹 介 状 を 持 参 し
独 逸 外 務 省 の特 使 です が其 の時 同 氏 は ウ ー ラ ッ ハ、 エ ッツ ド ル
れ て来 る こ と に な って居 り ま し た の で前 後 二回 に 亘 り斯 様 な附
逸 国防 軍 首 脳 部 の諸 機 関 か ら 一名 宛 の将 校 が附 添 と し て派 遣 さ
か ら 日本 へ伝 書 使 (クー リ エ) が派 遣 さ れ る時 に は必 ず 之 に独
に 逢 へと命 ぜ ら れて 参 り、 私 に対 し て独 逸 に関 す る 諸問 題 を説
即 ち之 等 の将 校 はト ー マス将 軍 か ら 日本 へ行 った ら 必 ず ゾ ルゲ
明報 告 し たり 私 と日 本 の空 軍 力 や 日本 の戦 時 工業 の規 模 其 の他
添 将 校 に私 宛 の特 別 使 命 を 託 し て来 た こ とが あ り ま し た。
し た が、 二人 は互 に招 待 し た り 独逸 の対 外 政 策 や 独 逸 は 何故 日
日本 軍 に関 す る種 々な 問題 に就 て の観 察 や 批 判 を 論 議 し て居 た
シ ュミー デ ンは 日独 国 交 に 関 す る 一般 的 な使 命 を 帯 び て来 た の
本 に興 味 を持 って居 る か と 云 ふ 様 な種 々な 問 題 に就 て議 論 を闘
で私 は諜 報 活 動 上彼 か ら特 別 な 利 益 は得 る こと が出 来 ま せん で
は せ ま し た結 果 、 私 は彼 か ら 世界 情 勢 一般 に就 て勘 な か ら ぬ啓
の であ りま す 。
斯 様 な 次 第 で私 は独逸 国防 軍 方 面 から も 亦 非 常 な 信 任 を受 け る
発 を受 け ま した 。 第 三 、 ト ー マ ス将 軍
キ
立 場 にな り ま し た の で西 暦 一九 三 九 年 ( 昭 和十 四年 ) 夏 頃 独 大
ッ
ト ー マ スは独 逸 の陸 軍 少 将 で 独逸 国 防 軍 最 高 司 令 部 に直 属 す る
マ
使 館 武 官 であ った オ ット の後 任 とし て陸軍 大 佐
が 日本 に来 朝 し まし た 時 、 同大 佐 は 独逸 陸 軍 首 脳 部 か ら渡 日 し
て居 り他 の部 署 に転 任 し て居 る も の と思 ひ ます 。 西暦 一九 三 五
独 逸 陸 軍 参 謀 本 部 の経 済 部 長 で あ り ます が現 在 は 中 将 に昇 進 し
年 (昭 和 十 年 ) 頃 か ら私 は独 大 使 オ ット の政 治 的協 働者 と し て
であ り ます 。 斯 様 な 事 情 か ら マ ッキ大 佐 は着 任 以 来 大 いに私 を
た ら ゾ ルゲ を信 頼 し て良 い と云 ふ趣 旨 の こ とを 云 はれ て来 た の
て呉 れ た り、 又 は同 大 佐 の後 任 と な った陸 軍 大 佐
信 任 し 先程 簡 単 に申 上げ た 様 な 伝書 使 附 添 将 校 を ば私 に紹 介 し
後 に詳 し く 申 上 げ る 様 に 日本 其 の他 に関 す る 各種 の論 説 を研 究
た も のだ と 申添 へて ト ー マ ス経 済 部 長 の許 に送 付 致 しま し た 。
執 筆 し 、 オ ット大 使 は之 を自 分 の協 働 者 ゾ ルゲ が執 筆 し て呉 れ
ト ー マス経 済 部長 は之 等 の論 説 を 読 ん で私 の存在 を知 る と共 に
た こと は あ り ま せ ん でし たが 同 将軍 の知 遇 を受 け る こと と な り
て来 た の で す。 斯 様 な 次 第 で私 は ト ー マ ス将 軍 と は 一回 も 逢 っ
使 に 向 って私 に各 種 の問 題 を 研 究執 筆 さ せ て 送付 せ よ と要 求 し
か ら マ ッキ 大佐 同様 ゾ ルゲを 信 頼 し ても良 い と云 は れ て来 て居
大 佐 の後 任 とし て 日本 に参 り ま した が、 矢張 り 独逸 陸 軍 首 脳 部
又 ク レ チ マー大 佐 は 西 暦 一九 四〇 年 (昭 和 十 五年 )冬 頃 マ ッキ
少 将 に昇 進 し て居 り ま す 。
を私 に紹 介 し て呉 れ た ので あ り ます 。 因 み に マ ッキ大 佐 は後 に
ク レ チ マー
ま し た。
其 の論 説 の内容 に非 常 な興 味 を 懐 き 其 の後 何 回 と なく オ ット大
そ し て ト ー マ ス経 済 部 長 は後 に詳 しく 申 上 げ る様 に 独 逸外 務 省
り ま し た の で、 私 は 同大 佐 とも 忽 ち 親 交 を結 ぶ こ とが 出 来 た の で あ り ます 。
リ ッツ マ ンは海 軍 大 佐 で ヴ ェネ ッカ海 軍 武 官 が 一時帰 国 中 即 ち
第 四、 リ ッツ マ ン
西暦 一九 三 八年 (昭 和 十 三年 )終 頃 から 同 一九 四 〇年 (昭 和 十
ィ
ヒ
テ ィ ヒは 西暦 一九 三 六年 (昭和 十 一年 ) から 独 大 使 館 経 済課 主
第 八、 テ
で自 然 と同 氏 に知 合 と な った の であ り ま す 。
任 とし て在 勤 し て居 る参 事 官 で、 私 は矢 張 前 者 同 様 同 大 使館 内
宣伝 課主 任 を致 し て居 る参 事 官 であ り ま す が、 同氏 は渡 日 の際
ミ ルバ ッ ハは西 暦 一九 三 六年 (昭 和 十 一年 ) か ら独 大 使 館 情 報
第 九、 ミ ル バ ッ ハ
エッツ ド ルフか ら 私 宛 の紹 介 状 を持 参 しま し た ので知 合 とな っ
五年 ) 終頃 迄 の間 、 独 大 使 館附 海 軍武 官 とし て在 勤 し て居 り ま し た 。私 は ヴ ェネ ッカ の推 薦 で知 合 と な りま し た 。 因 み に リ ッ
た ので あ り ます 。
ツ マンは 其 の後帰 国 し て から 海 軍 少 将 に昇 進 し て居 る筈 です 。
館 参 事官 と し て コルト 参 事 官 の政 治 方 面 の協 働 者 と し て在 勤 し
マル ヒタ ー ラ ー は西 暦 一九 三 八年 (昭 和 十 三 年 )頃 か ら独 大 使
第 十 、 マ ル ヒタ ー ラ ー
て居 り 、 私 は同 大 使 館 内 で自 然 と知 合 に なり ま し た 。
リ ュ ッテ ・ノイ ラ ー ト は西 暦 一九 三 九年 (昭 和 十 四 年 ) 初頃 日
第 十 一、 リ ュッテ ・ノ イ ラ ー ト
り ます 。 私 は 同大 使 館内 で同 氏 と顔 を 合 は せ て居 る裡 に知 合 と
、 ネー メ ッツ
な り まし た 。
独 大 使 館 附 上 席 空 軍武 官 と し て 日本 に 来 朝 し、 現 在 に及 ん で居
グ ロウ ナ ウ は空 軍 大 佐 で西 暦 一九 三 九年 (昭 和 十 四 年 ) 初 頃 、
第 五、 グ ロウ ナ ウ
第六
本 に来 朝 し た 独大 使 館 書 記 官 で コルト参 事 官 の補 助 者 と云 ふ格
ネ ー メ ッツは 空軍 中佐 で西 暦 一九 三 七年 ( 昭 和 十 二年 ) 以 来 独 大 使 館 次 席 空 軍武 官 と し て在 勤 し て居 り 、前 者 同様 私 は同 氏 と
の人 物 であ り 、渡 日 の時 エ ッツ ド ル フか ら、 私 宛 の紹 介状 を貰
コ ルト は独 外 務 省 で外務 大 臣 リ ッベ ン ト ロ ップ と密 接 な関 係 を
込 む様 に な った の であ り ま す 。
私 人 で あ り乍 ら極 め て高 い道 徳 的 な地 位 を 獲 得 し共 の中 枢 に這 入 り
知 合 と な り、 之 等 の人 々か ら信 任 を 受 け て同 大使 館 内 で は単 な る 一
以 上申 上 げ た様 な 訳 で私 は 独大 使 館 の殆 ん ど全 部 の主 な る関 係 者 と
って来 ま し た の で知 合 とな った の であ り ます 。
自 然 に知 合 とな り ま し た。 私 の諜 報 活 動 の情 報 出所 と し て同 氏 は 上席 空 軍 武 官 グ ロウ ナ ウ より も 深 い関 係 が あ り ま し た。
持 って活 動 し て居 た 人物 で あ り ます が、 西 暦 一九 四 一年 ( 昭和
四 問 被 疑 者 が支 那 滞 在 当 時 諸論 説 を執 筆 した 顛 末 如何 。
第 七、 エー リ ッヒ ・ コルト
十 六年 ) 初 頃 独 大 使 館参 事 官兼 全 権 公使 と し て 日本 に 来朝 し ま
答 私 は在 支 当 時 努 め て支 那 事情 を研 究 し、 在 伯 林 の社 会 学 雑 誌
し た 。其 の時 コル トは エッツ ド ルフ及 ウ ー ラ ッ ハの私 宛 の紹 介 状 を持 って参 り ま した の で知 合 に な った の で あ り ます 。
し て相 当 多量 の原 稿 を同 社 に送 付 し て居 た ので あ り ます 。
問 題 特 に 農 業 経 済問 題 に関 す る著 述 を 出 版 す る事 と な り其 の準 備 と
雑 誌社 は 別 に出 版 書 店 を経 営 し て居 り ま し た の で、 私 は支 那 の経 済
や 農 業雑 誌 に支 那 関 係 の諸 論 説 を 執 筆 寄稿 し て居 り まし た 。 社 会 学
又 は美 術 哲 学 歴 史 其 の他 の多 方面 に 亘 って多 少 の識 見 を述 べた り し
経 済 及軍 事 等 の広 汎 な 諸 問 題 に 亘 って極 め て鋭 い意 見 を 吐 い た り、
位 も 欲 し が ら ず、 又 利 益 を 追 及 す る と 云 ふ訳 でも な く 、 時 に は政 治
然 も、 オ ット大 使 を 始 め 他 の館員 一同 に は私 が望 も 欲 し が らず 、 地
居 た様 で あ り ます 。
者 が な か った のに拘 ら ず、 私 丈 け は時 々之 等 の書 籍 を持 ち帰 って読
両 雑誌 と も民 主 主義 的 で自 由 主 義的 な 色彩 が強 く 、 何 れか と申 せ ば
ん で居 り まし た為 、 オ ット大 使 夫 妻 は、 前 大 使 フ ォ ン ・デ ィル ク セ
て居 り ま し た の で、 尠 な か ら ず 人間 的 な 魅 力 を与 へて居 た様 に思 ひ
処 が社 会学 雑 誌 の編 輯 に は 二、 三 名 の ユダ ヤ 人 が関 与 し て居 り ま し
ンと同 様 一層 私 に興 味 を懐 き斯 様 な 教 養 の問 題 か ら も私 と愈 〓親 交
稽 〓左 翼 的 な傾 向 があ りま し た が 、 私 の執 筆 態 度 は飽 く 迄 自 分 を合
た ので、 西暦 一九 三 三年 (昭 和 八年 ) 一月 ナ チ が政 権 を 獲 得 す る や
を結 ぶ様 にな った ので あ り ます 。
て参 り ま した が 、 同 館員 等 の内 に は誰 一人 とし て之 を読 ま う とす る
忽 ち弾 圧 さ れ て仕 舞 ひ、 其 の後 間 も な く農 業 雑 誌 も 弾 圧 さ れ て解 消
更 に私 が割 合話 術 に巧 み で、 例 へば 内 蒙古 の旅行 談 等 を 如 実 に興 味
ま す。 従 来 独 大 使 館 に は独逸 本 国 か ら色 々な 学問 的 書籍 が送 付 さ れ
しました。
であ り ま す 。
私 が在 支 当 時 之 等 の 二雑 誌 に執 筆寄 稿 し て居 た こ と は、 独 逸本 国 の
は な い か と思 いま す。
深 く 話 し て居 た こと も、 独 大 使 館 員 達 か ら親 し ま れた 原 因 の 一つで
法 化 し 共 産 主義 的 な立 場 は 之 を 隠蔽 し て現 は さ ぬ様 に努 め て居 た の
ジ ャー ナ リ ズ ム界 に相 当 知 ら れ て居 た こと で あ り ます 。
そ し て私 は在 留 独逸 人仲 間 か らも 実 際 は さ ほ ど でも な か った の です
五 問 独大 使 館 関 係 者 達 は 果 し て被 疑 者 を 如 何 な る 入物 と考 へて居 た のか 。
当 な人 気 を得 て居 り ま し た。
れ ば面 白 いと 云 ふ定 評 迄 生 じま し た ので、 私 は之 等 独 逸 人達 に も相
って教 養 を持 って居 る 人物 の様 に 見 ら れ、 彼 等 の間 には 私 と話 をす
ま し た結 果 、 フ ォン ・デ ィ ル ク セ ンや オ ットを 始 め 同館 員 総 て は よ
又 私 が 、 独大 使 館 関 係 者 達 か ら信 任 を得 る様 にな った理 由 の 一つは、
が、 私 が独逸 人 に は稀 れ な位 哲 学 や 芸 術 及歴 史 其 の他 の諸 部門 に 亘
も や 私 が 共産 主 義 者 であ る と は 少 し も気 付 か なか った こと と思 ひ ま
答 独 大 使 館 で私 が完 全 に自 分 を合 法 的 に偽 装 し 、私 が理 論 実 践
す。
に於 き ま し て は支 那 事 変 発 生 以 来支 那 問 題 が特 に重 要 と な った の に
私 が割 合 に支 那事 情 に精 通 し て居 た か ら で も あり ま し た 。 同大 使 館
に 於 て真 の国 際 共 産 主 義 者 であ る と 云 ふ こ と は絶 対 に隠 蔽 し て居 り
オ ット 大 使等 は、 私 を ば極 め て稀 れ な革 新 的 意 見 を 持 った 人物 で あ
拘 ら ず 一人 も権 威 者 が居 ら ず 、 フ ォ ン ・デ ィル ク セ ンや オ ット は此
り 、 ナ チ ズ ム信 奉 者 でも な く さ れ ば と申 し て共 産 主 義 者 で も なく 、 所 謂 党 派 な る も の から は全 く 孤 立 し て居 る 一風 変 った 人 物 と思 って
斯 様 な 次 第 で、 西 暦 一九 三 七年 (昭 和 十 二年 ) 七 月 支那 事 変 が勃 発
せ ん でし た 。
の問 題 に精 通 し て居 ら ず 他 の館 員 中 にも 然 る べき者 が殆 ん ど居 り ま
私 は 内 心飛 ん でも な い こ とだ と思 ひ ま した ので 、 早速 当 時 武 官 で
向 って其 の支 部 長 にな って呉 れ と申 出 た の です 。
とな った時 が あ り ます 。 其 の時 同支 部 で、 あ る 在 留 独逸 人 達 は私 に
な り給 へ、 左様 す れ ば ナチ に 一人 の理 性 あ る指 導 者 が増 す こと にな
ィル ク セ ン大 使 に話 し て相 談 し た 上 二 人 で、 私 に向 ひ君 が支 部 長 に
る から 、 と云 は れ た こ と があ りま し た 。 此 の話 は単 な る 挿 話 です が、
あ った オ ット の許 に相 談 に行 き ま した と ころ 、 オ ット は フ ォン ・デ
あ りま し た 。之 が為 、 私 の支 那 問 題 に関 す る識 見 が同 大 使 館 内 で相
私 が特 異 な存 在 とし て如 何 に オ ット や フ ォ ン ・デ ィルク セ ンに好 か
し た時 、 同 大 使 館 関係 者 一同 に は此 の事 件 が青 天 の霹 靂 であ り 、 唯
当 重 要 視 され 高 く 評 価 さ れ る様 に な った の は当 然 な 事 で あ り ま し た。
れ て居 た か を示 す も の です 。要 す る に私 は オ ット 大使 を始 め其 の他
一人 其 の原 因 や 将来 の見 透 し等 に就 て皆 目 見 当 が着 か ぬ様 な状 態 で
ン ・デ ィ ルク セ ンが広 田外 相 か ら、 又 オ ット武 官 が 日本 の陸 軍 参 謀
此 の事 件勃 発 当 時 の事 を 一例 と し て申 上 げ れ ば、 同大 使 館 では フ ォ
の大使 館 員 達 か らは フ ラ ンク フル タ ー新 聞 の 一風変 った 一流 記 者 と
事
生
駒
佳
年
者 Ri char d Sorg e
思 は れ、 是 迄 申 上げ た 様 な 私 の個 人 的 な 特 徴 、教 養 及無 慾 な 性 格 か
疑
本 部 か ら 、 夫 々多 少 の情 報 判 断 を聞 い て参 り 、此 の事 変 は支 那 の国
被
民 党 が 微 力 であ る か ら、 極 め て短 期 間 に解 決 す る で あ ら う と云 ふ楽
通
ら 異常 な信 任 を 得 て居 た 訳 であ り ます 。
然 し私 は之 に反 対 し国 民党 は左 様 に 微 力 な存 在 で は なく 相 当 強 力 な
観 説 を 唱 へて居 り ま し た 。
も の であ るか ら 、 此 の事 変 は 必ず や 長 期 戦 に な る であ ら う と云 ふ意
夫
右通 事を介 し読聞けたるに相違なき旨申立署名拇印したり。
田 信
見 を 述 べた ので あ り ます 。 フ ォン ・デ ィ ルク セ ンや オ ット は、 其 の
於 東京拘置所
山
河
貞
前同日
者
事 吉
裁判所書記
東京刑事地方裁判所検事局
検
疑
光
時 私 の意 見 を ば採 用 し ま せん で した が 客観 的 な事 態 が私 の意 見 通 り 進 行 致 し ま し た ので、 遂 い に は私 の意 見 が 正 当 で あ った事 を承 認 せ ざ るを 得 な く な り 、益 〓私 の識 見 を 尊 重 す る 様 に な った の であ り ま
オ ット 大 使 は私 が形 式 的 に は ナ チ党 員 に な って居 る こ と は克 く 存
被
第 三十五回訊問調書
す。
じ て居 り ま し た が 、私 自 身 の人 生 観 な り思 想的 立場 が正 真 正銘 の ナ
リヒア ルド ・ゾルゲ
右者に対する治 安維持法違反並国防保安法違反被疑事件に付、昭和
チ ズ ムだ と は決 し て考 へて居 な か った 筈 であ り ま す 。今 思 ひ出 し ま し たが 之 には 斯 様 な挿 話 が あ り まし た 。 西 暦 一九 三 四年 (昭 和 九 年 ) 頃 、 日 本 の ナ チ支 部 長 が帰 国 し た為 、 同 支部 に は支 部 長 が 一時 欠 員
十 七年 二月 二十 四 日東 京拘 置 所 に於 て、 検 事 吉 河 光貞 は裁 判 所 書 記
二間 然 ら ば 、被 疑 者 が オ ット の政 治 的協 力者 と な った 事情 如 何。
時 か ら、 オ ット と親 交 を結 び其 の家 庭 の友 と 云 ふ意 味 で オ ット の顧
答 私 は前 に も述 べた通 り、 オ ット が 独 大使 館 附 武 官 であ った当
し。
山 田信 夫 立 会 の上 前 回 に引 続 き右 被 疑 者 に 対 し 訊 問 す る こ と左 の如
問 とな りま し た が 、 西暦 一九 三六 年 (昭 和 十 一年 )頃 か ら は、 勿論
公式 で はあ り ま せん が 、判 然 と同 大 使 館 内 に 於 け る オ ット武 官 の顧
一問 被 疑 者 が 独 大 使 館 の公 の業 務 に関 与 し た 顛 末 如何 。
問 と な り、 其 の政 治 的 協 働 者 と な り、 其 の頃 から 同大 使 館 内 に特 別
答 私 が西 暦 一九 三三年 (昭和 八年 ) 日本 へ向 って出 発 す る前 モ ス コウ中 央 部 に対 し 自 分 の日本 に於 け る諜 報 活 動 の為 に は独 大 使 館
ン ・デ ィ ルク セ ンも 私 と オ ット と の斯 様 な 関 係 を 良 く存 じ て居 り ま
し た ので、 自 分 から も 時 々私 を呼 ん で相 談 相 手 とす る様 に な り まし
な 一室 を与 へられ る 様 に な り ま し た。 そし て当 時 大使 で あ った フ ォ
か ら 一旦 モ ス コウ に帰 還 し た 時、 モ ス コウ中 央 部 に対 し て私 と 独大
た。
に接 近 し て之 を利 用 す る 事 に就 て予 め諒 解 を得 て置 いた 事 は前 に申
使 館 と の之 迄 の関 係 を報 告 し 尚 一層 深 く 同大 使 館 内 に喰 入 って諜報
ってか ら も私 は相 変 らず オ ット の私的 顧 問 と し て政 治 的 な 協 働 者 に
其 の後 前述 の通 り西 暦 一九 三九年 (昭和 十 四年 ) オ ットが 大 使 と な
上 げ た通 り で あ り ます が 、 私 は更 に同 一九 三 五年 (昭 和 十年 ) 日本
活 動 を 遂行 す る事 に付 改 め て諒 解 を 求 め ま し た処 、 同 中 央 部 では私
は極 め て重 要 な事 で あり まし た 。
な って居 り ま し た が、 是 は後 に申 上 げ る様 に私 の諜 報 活 動 に と って
の申出 を大 層喜 ん で賛 成 し て呉 れた のみ な ら ず、 私 に対 し今 後 も 出
あり ます 。 斯 様 な 次第 で私 は自 分 の諜 報 活 動 の為 、益 〓独 大 使 館 に
次 に其 の顛 末 を 申 上 げ る事 に致 し ます が 、 之 を
広 東 等 に 旅 行 し 次 に 同 一九 三九 年 (昭 和 十 四年 ) と 同 一九 四 一年
八 年 (昭 和 十 三年 ) に は独 大 使 館 の伝 書 使 と な って マ ニラ及 香 港 、
国 に旅 行 し た 事 が あ り、 其 の後 オ ット 大 使 が希 望 し た の で同 一九 三
答 私 は 西 暦 一九 三四 年 (昭 和 九年 ) オ ット武 官 に随 行 し て満州
三問 次 は 被 疑者 が 独大 使 館 の公 の伝 書 使等 に な った 顛 末 如 何 。
来 得 る 限 り 同 大使 館 の中 枢 に這 入 り 込 む 様 に と激 励 し て呉 れた ので
入 り込 み其 の公 の業 務 に も 関与 し乍 ら 之 を 自 分 の諜 報 活 動 に利 用 し
一、 オ ット の政 治 的 協 力 者 と な った事 情
た の であ り ま す 。
二、 独大 使 館 の公 の伝 書 使等 に な った顛 末
其 の内 香 港 旅 行 丈 け は之 を私 の秘 密 な 諜 報 活 動 上 の連 絡 に利 用 し た
後 の場 合 は オ ット 大 使 か ら特 別 な 政 治 的 使命 を 託 さ れ て行 き まし た 。
(昭 和 十 六年 ) 春 にも 前 同様 伝 書 使 とし て上 海 に 旅 行 し ま し たが 、
四 、雑 誌 ゲ オポ リ テ ィー ク ヘ寄 稿 し た事 情
三、諸論 説を研究執筆した次第 五、独大使 館員就任 の勧告を拒絶した事情
の であ りま す が、 以 下其 の顛 末 を申 上 げ れば 次 の通 り で あ り ます 。
丁度 西暦 一九 三 八 年 (昭 和 十 三年 ) 四、 五月 頃 の事 で あ り ます が 、
六、独大使館情報宣伝課 の業務 に従事 した顛末 の各 項 に 分 け て 申 上 げ度 い と思 ひま す 。
私 の諜 報 グ ル ープ では 、 伝 送物 が大 分 溜 り ま し た の で、 私 は之 を香
﹁満 州 国 に関 す る論 説 ﹂
港 に持 って行 き度 い と思 って居 り まし た。
イ 満 州 国旅 行 の 一般 的 な 印 象
ロ 満 州 国 建設 の為 の軍 事 及 政治 経 済 に亘 る 日本 人 の努 力 等 で
を 執筆 致 し ま し たが 、 共 の内容 は
港 に 行 き 度 いと申 出 まし た 処 、 同大 使 か ら夫 れ では 大使 館 の伝 書 使
も の であ り ま し た 。
あ り まし て、之 に は秘 密 な 部分 を含 ん で居 ら ず 全 く合 法 的 な
其 処 で私 は独 大 使 館 に出 掛 け て オ ット大 使 に会 ひ、新 聞 の用 件 で香
て早 速 承 諾 し 、同 大 使 館 から其 の伝 書 使 の証 明書 を 貰 ひ、 謂 は ば 二
に な って行 って呉 れ ぬ か と 云は れ ま し た の で、 私 は 之 れ 幸 ひ と思 っ
重 の伝 書使 と し て双 方 の伝 送 物 を 携 へて先 づ マ ニラ へ参 り 、 同 地 で
ルゲ が執 筆 し た も のだ と申 添 へて前 述 の独 逸 陸 軍 参 謀 本 部 経済
私 は此 の論 説 を オ ット に渡 し た処 オ ット は之 を自 分 の協 働 者 ゾ
三 次 に私 は西 暦 一九 三 六年 (昭 和 十 一年 )所 謂 二 ・二六 事件 の
部 長 ト ー マス将 軍 に 送 った の であ り ま す 。
は 独 大 使 館 の伝送 丈 けを 済 ま せ て香港 に渡 り、 同 地 で独 大 使 館 の伝 送 を 果 す と 共 に、 予 め 日本 出 発 前 ラジ オ で モ ス コウ 〓央 部 と 打 合 せ て置 いた 通 り 其 の伝 書使 に会 って秘 密 の伝送 物 を授 受 した の であ り
﹁二 ・二六 事 件 に 関す る論 説 ﹂
を研 究 執 筆 し ま し た が 、其 の内 容 は、
後、
イ 私 自 身 が 反 乱 軍 の占拠 し た地 域 内 を歩 き廻 って得 た 色 々な
お蔭 で、 日本 は 勿 論 マ ニラや香 港 でも 米 国 や 英 国 の官 憲 か ら検 査 を
ま す 。 私 は斯 様 に 独 大使 館 の伝 書 使 た る 証 明書 を持 って居 り ま し た
て行 った 秘 密 な 伝 送 物 は文 書 、 報 告 書 簡 等 を 写真 に撮 影 し た フ ィ ル
ロ 日本 軍 の政 治 的 背景 と し て真 崎 将 軍 や 荒木 将 軍 の政 治 工作
見 聞 や印 象 、
受 け ず に無 事 に済 ま す事 が 出来 た の であ りま す が、 其 の時 私 が 携 へ
ムで、 之 は全 部 自 分 の腹 に巻 附 け て持 って行 った の で あ り ます 。 四問 次 に被 疑 者 が 独大 使 館 で諸 論 説 を 研 究執 筆 し た次 第 如 何 。
ハ 反 乱軍 の標 語 や 要 求 及 各 種 の怪 文 書
等 を記 載 し更 に之 に附 随 し て秘 密 な部 分 とし て
を 始 め 日本 の農 業 問 題 及 国 家主 義 諸 団 体 、
た こと も あ り、 又 オ ットか ら頼 ま れ た こ とも あ り ま す が、 之 等 意 見
題 に就 て互 に意 見 を 交 換 し た り議 論 を闘 はせ て居 る 内私 自 か ら申 出
等 を 出来 る丈 け 沢 山 蒐 集 し て収録 し たも の であ り ます 。
答 私 は オ ット の私 的顧 問 と し て オ ットは 日 本其 の他 の各 種 な 問
交 換 や議 論 の内 容 を 取 纒 め て 整 理 研究 し オ ット の為 に 色 々な論 説 を
私 は 之 を オ ット大 使 に渡 し 、 同大 使 は前 同 様 此 の論 説 を ばト ー
を 持 ち 前 に申 上げ た 通 り オ ット大 使 を通 じ て私 に対 し更 に多 く
三 トー マ ス将軍 は之 等 二回 に亘 る私 の論 説 を 読 ん で非 常 に興 味
マス将 軍 の許 に送 った の であ り ま す 。
執 筆 し た の であ り ます 。
行 し て満 州 国 の視 察 旅 行 に参 り ま し た の で、 其 の時見 聞 した 資
一 私 は前 述 の通 り 西 暦 一九 三 四年 (昭 和 九 年 ) オ ット武 官 に随
料 に よ って
其 処 で、 オ ット大 使 は私 と相 談 の上 ト ー マス将 軍 に対 し 現 在 ゾ
の論 説 を 執 筆 し て送 る様 に と要 求 し て参 り ま し た。
の で、 其 の時 の視 察 や 印 象 を基 礎 とし て翌 同 一九 三 七年 (昭 和
﹁内蒙 古 に関 す る論 説 ﹂
十 二年 ) に、
イ 内蒙古 の印象
其 の内 容 は 、
を 執 筆 し ま し た。
を 研究 執筆 し て居 る から完 成 し た ら送 る と回 答 致 し ま し た。 斯
﹁日本 の農 業 問 題 に関 す る論 説 ﹂
ルゲ は約 二月 の予 定 で
業 問 題 に関 す る著 者 の英 訳 本 や独 大 使 館 で独 訳 さ せ た色 々な 統
様 な 次第 で、 私 は西 暦 一九 三 七年 (昭 和 十 二年 ) 那須 博 士 の農
ハ 喇 嘛 教
ロ 内蒙古 の政治 経済状態
ニ 内蒙古 の土地所有関係
計 及 年 鑑 又 は農 林 省 の年 報 経 済雑 誌 ダ イ ヤ モ ンドや エ コノ ミ ス ト 等 を 資料 に使 って 此 の論 説 を 執筆 し ま した が 、 其 の内容 は
ホ 内蒙古 に於ける支那移住民役割
等 の各 項 に亘 る も ので あ り、 外 に秘 密 な 部分 と し て、
ヘ 日本 人 の内蒙 古 侵 入 と之 に 因 って 生 ず る諸 問 題
イ 土 地 所 有 の関 係 、 例 へば、
ト 軍事上其 の他各種 の重要使命を帯びた日本人 の内蒙古に於
地 主 対 小作 関 係
ロ 農民 の生活状態
チ 日本 人 によ る 内 蒙古 王族 の支 配
ける動静
ハ 農民諸団体の要求 ホ 農民 の負債
等 に 及 ぶ も の であ り ま し て、 此 の論 説 も オ ット大 使 を経 てト ー
リ 日本人 の内蒙古に於ける前哨的地位
ニ 農村仲買人 の機能
る か を記 述 した も ので、 之 に は別 に秘 密 な 部 分 は なく 全 部 合 法
等 の諸 項 目 に亘 って日本 の農 民 が、 如 何 に 悲惨 な生 活 状 態 に在
マス将軍 に送 った の であ り ま す 。
五月 頃 オ ット大 使 の依 頼 で、 独 大 使館 の伝 書 使 とな り 約 六週 間
五 之 に続 いて私 は前 述 の通 り西 暦 一九 三八年 (昭和 十 三年 ) 四 、
的 な も の で した 。
て読 み 、 一層 興 味 を懐 く と共 に 私 を信 任 し、 今 後 も 益 〓同 様 な
﹁日支 紛 争 下 の香 港 に関 す る 論 説 ﹂
即 ち其 の 一つ は、
を基 礎 とし て同年 中 に次 の 二 つ の論 説 を執 筆 しま し た 。
マ ニラ及 香 港 、 広東 に旅 行 し ま し た ので其 の時 得 た 視察 や資 料
ト ー マ ス将 軍 は、 前 同 様 オ ット 大使 か ら此 の論 説 の送 付 を受 け
研 究 執筆 を続 け る様 に と要 求 し て来 た ので あ り ます 。 四 斯 様 な 訳 で、 其 の後 私 は 西 暦 一九 三 六年 (昭 和 十 一年 ) 九 月 頃 伯 杯か 又 は ライ プ チ ッ ヒの大 学 で 、支 那 講 座 の教 授 を し て居 た ヘン ニ ィシ ュと 一緒 に内 蒙 古 方 面 に 私的 な旅 行 を 致 し ま し た
で、 其 の内 容 は 、 イ 香 港 に関 す る 政 治経 済 及 若 干 軍 事 に も 亘 る 一般 的 叙 述
ロ 支 那 戦 争 下 に 於 て 日本 は其 の経 済特 に 工業 を ば 戦 時 化 し て
軍 需 に応 じさ せ る努 力 を如 何 に遂 行 し つ つあ るか 、
鉄 、 飛 行 機 、 自動 車 等 の生 産 額 に 関す る秘 密 な 部 分 が含 ま れ 〓
の各 書 庫 か ら 出 し て貰 った秘 密 な 資料 を使 って執 筆 し た 日本 の
と 云 ふ諸 点 を 論述 し たも の で、 其 の内 に は経 済 課 や 空 軍 武官 室
等 の各 項 を 記述 し たも の であ り ま す が 、ロ の部 分 に は独逸 が
居 た の であ り ま す 。
ロ 蒋 介 石 政 府 に対 す る資 材 供 給 地 と し て の香 港
蒋 政 府 に 装 甲 自動 車 、 戦 車 や 機 関銃 、 鉄 帽 子 等 を 供 給 し て居
工業 問 題 を執 筆 し て呉 れ と要 求 し て居 る こ とを 聞 き ま し た の で、
軍 武 官 か ら ト ー マ ス将 軍 が 、 私 に 対 し て今 度 は特 に日 本 の戦 時
七 更 に私 は 同年 夏 頃 前 述 の様 に 日 本 に派 遣 さ れ て来 た マッキ陸
た と云 ふ 様 な多 少 公表 を 憚 る 細 か い部 分 が 包 含 さ れ て居 り ま した。 又 其 の二 っは、 ﹁日支 紛 争 下 の西 南 支 那 即 ち 広東 に関 す る論 説 ﹂
之 を 果 す こと に な り まし た 。
を 記 載 し た も の で、 其 の内 にも 矢 張広 東 の防 軍 施 設 、 其 の他 若
業 に関 す る 一般的 な知 識 を 養 って居 た こ と があ りま し た が、 同
人 や 技 師 等 に 頼 み、 色 々な 事 を 口頭 で報 告 し て貰 ひ 、 日本 の 工
六 年 (昭 和 十 一、 十 二年 ) 頃 独 大 使館 を中 心 にし て在 留 独逸 商
偖 其 の資料 に関 す る こ と であ り ま す が、 私 は西 暦 一九 三 五、 三
干 の軍 事 問 題 に関 し て若 干 公表 を憚 る部 分 が 包 含 さ れ て居 り ま
一九 三七 年 (昭和 十 二年 ) 頃 か ら日本 官 憲 の取 締 が 厳 重 に な っ
日本 に対 す る西 南 支 那 の政 治 的 経 済 的 及 軍 事 的準 備
で 、 其 の内 容 は、
し た。
た 為 、 之 等 の商 人 や技 師 達 が 大 変 恐 れ て話 を し な く な り ま し た
結 果 、 今度 は マ ッキ武 官 に 頼 み 同武 官 の手 を 経 て正 式 に之 等 の
私 は之 等 の論 説 も 例 の通 り オ ット大 使 を 介 し てト ー マス将 軍 に
六 次 に私 は西 暦 一九 三九 年 (昭 和 十 四 年 ) 自 分 で独大 使 館 で独
商 人 や 技 師達 か ら資 料 を 提 供 し て貰 ひ ま した 。 そ し て私 は同 年
送 った の であ り ま す 。
逸 語 に翻 訳 し た 経 済雑 誌 、 ダ イ ヤ モン ド、 東 洋 経済 、 エ コノ ミ
た。
を 執 筆 し 、 之 を オ ット大 使 を通 じ て、 ト ー マ ス将 軍 に送 りま し
将 軍 に送 って貰 った のであ りま す 。
を研 究 執 筆 し、 之 を マ ッキ武 官 に渡 し て、 同武 官 から トー マ ス
﹁日本 の戦 時 工業 問題 に関 す る論 説 ﹂
晩秋 、 約 三週 間 掛 って、
其 の内 容 は 日 本 の工業 問 題 を中 心 とし て、
イ 先 づ 英 米 か ら封 鎖 さ れた 日 本 は 果 し て如 何 な る 程 度 迄持 ち
其 の内 容 は、
﹁支 那 戦 争 下 の日本 経 済 に関 す る論 説 ﹂
ス ト及 び ア ドヴ ァー タ イザ ー等 の合 法 的 な 資料 を蒐 集 し て、
イ 支 那戦 争 下 に於 け る 日本 経済 の 一般 的 説 明
本 は之 等 原 料獲 得 の意 図 を拗 棄 す る か 、 又 は自 ら進 ん で其 の
ム錫 米等 の主要 原 料 に は英 米 や 蘭印 に 依存 し て居 る結 果 、 日
堪 へる 事 が 出来 る か と 云 ふ点 に就 て、 此 の場 合 日本 は石 油 ゴ
あ って、 日本 が 支 那 を相 手 に戦 争 し て居 る な ら ば此 の程 度
て は居 るが 、 独 逸 の夫 れ に比 較 す れば遜 色 を免 れ ぬ状 態 で
究 であ り、 之 等 の各 部 門 の生 産 額 は 従来 よ りも 相 当 増 大 し
ー ム、 人 造 石油 、製 鉄 、 製 鋼 の各 部 門 に就 い て個 別 的 な 研
る 日本 の戦 時 工 業 中、 飛 行 機 、 自動 車、 戦 車 、 ア ル ミ ニ ュ
の生産 額 で十 分 であ ら う と 云 ふ こ とを 概 説 し、 進 ん で各 部
に 日本 の資 本 家 が 自 ら 進 ん で南 方 よ り獲 得 し よう と せず 英 米
門 に関 す る個 別 的 な 生 産状 態 を論 述 した の であ り ます が、
封 鎖 を破 らね ば な ら な く な る で あ らう と云 ふ要 旨 を述 べ、 特
の手 を 通 じ て入 手 す る と 云 ふ安 易 な 途 を 選 ん で居 る点 を ば強
之 等 の内 容 中 現 在 私 が 記憶 し て居 る こ とを 申 上 げ れ ば次 の
調 し、 ロ 次 に 過 去 七 十 年 間 に 亘 る英 米依 存 の経 済 の為 日本 の戦 時 工
らず 、 空 軍 武 官 ネ ー メ ッツ から も 不 十分 な資 料 を 得 た のみ
通 り であ り ます 。 即 ち 飛 行 機 に就 て は、 マ ッキ 武 官 のみ な
で、 之 に依 って 三菱 、 川 崎 、 中島 、 愛 知 時 計 等 の各 工場 の
九 三 七年 (昭 和 十 二年 ) 以 降 、 二年 間 に於 け る 日本 の戦 時 工 業 の変 化 と発 展 を 記 述 し 、特 に其 の発 展 中 に於 て製 鉄 及製 鋼
生産 能 力 を 示 し ま し た が、 特 に 之 等 の性能 が悪 い点 を 指 摘
生 産 能 力 を記 述 し、 自 動 車 に就 ては 日産 や豊 田 の各 工 場 の
業 の発 展 は頗 る 薄 弱 で あ る こ と を論 評 し、 之 に続 い て西暦 一
や、 自 動 車 並 飛 行 機 の製 造業 の発 展 が注 目 す べき であ る所 以
し、 戦 車 に就 ては大 森 や 新 潟 の某 工場 の 生産 能 力 を示 し て
を 、例 へば製 鉄 の年 産 額 や 豊 田及 日 産 等 の各 工場 の自 動 車 生 産 額其 の他 の計 数 を 引 用 し て論 述 し た の で あ り、 之 等 の計 数
造 石油 に就 て は独 大 使 館経 済 部 や 空 軍 武 官 室 に相 当 詳 細 な
之 等 の生 産 状 態 が 悪 いこ と を強 調 し 、 ア ルミ ニ ュー ム及 人
資料 が あ り ま し た の で、 之 を利 用 し、 孰 れも非 常 な増 産 が
的 な 部 分 は現 在 覚 え て居 り ま せん が 、 全部 秘 密 なも の であ り
行 は れ て居 る点 を 述 べ、製 鉄 に就 て は年 産 六 百 万 屯 な る数
ました。
官 が 独 逸 に 帰 る直 前 に なり 、 同 武 官 を 通 し て ト ー マス将 軍 か
ハ 最後 に私 は西 暦 一九 四 〇 年 (昭 和 十 五年 )夏 頃 、 マ ッキ武
字 を 示 し た のみ な らず 、 其 の貯 蔵 量 は 一年 半 乃 至 二年 間 は
大 丈 夫 で あ る こと を指 摘 し、製 鋼 に就 て は最 近 ベ ッセ マー
ら頼 ま れ、 更 に
法 な る直 接 製 鋼作 業 が行 は れ て居 り 、年 産 二、 三百 万 屯 の
﹁日本 の戦 時 工業 問 題 に 関 す る論 説 ﹂ を執 筆 し て マ ッキ武 官 に渡 し ト ー マ ス将 軍 に届 け て貰 ひ ま し
状 態 であ る と云 ふ こと を述 べ た。
た。
ので あ り ます 。 勿 論 之 等 の計 数 は全 部 秘 密 な も の であ り ま し
た 。 其 の資料 は全 部 マ ッキ武 官 に集 め て貰 った も の であ り ま
西 暦 一九 三 八年 及 翌 三九 年 (昭 和 十 三年 及翌 十 四年 ) に亘
す が 、 其 の内 容 は
以 上申 上げ た 諸 部分 中 自 動 車 及 飛 行 機、 戦 車 に関 す る 名 称 と 計 数 の資 料 は マッキ武 官 が其 の手 帳 に書 き 留 め て置 いた のを 直 接 教 へて貰 ひ ま し た の で、 其 時 私 は自 分 の灰 色 の手 帳 に書 止 め て置 いた も の で あ り ます が 、 此 の手帳 は自 宅 に残 し て置
ゲ オ ポ リ テ ィー ク に寄 稿 し て居 た の であ り ます 。
此時 検 事 は被 疑 者 宅 よ り押 収 し たる 灰 色手 帳 一冊 (昭 和 十 七 年
五問 被 疑 者 が先 程 申 し た 灰色 の手 帳 一冊 と は是 か 。
押 第 五 三号 の 三四 ) を 示 し た り 。
答 左 様 であ り ま す 。御 示 し の手 帳 は 私 が先 程 申 し たも の であ り ます。
きま し た ので今 度 の事 件 で押 収 さ れ て仕 舞 ひ ま し た。 従 って、
上げ て居 り ま す か ら御 参 照 願 ひま す 。
只 今 申 上 げ た 此 の手 帳 の記 載 事 項 に就 ては警 察 官 に詳 し く 申
答 私 が 独 逸 の雑誌 ゲ オ ポ リ テ ィー ク に諸論 説 を寄 稿 し た こと は、
六 間 次 に被 疑 者 が 雑誌 ゲ オ ポ リ テ ィー ク へ投 稿 し た事 情 如何 。
丈 取 纒 め て其 の都度 モ ス コウ中 央 部 に送 った の であ り ま す が、
上 げ た通 り、 之 と 関係 が あ る こ と であ る と 同時 に此 の思 想 が最 近 ナ
直 接 独 大 使 館 の公 の業務 に関 与 し た こと で はあ りま せ ぬが 、 只今 申
以 上申 上 げ た 私 の諸 論 説 の資 料 は敦 れ も 必要 と思 はれ る部 分
論 説 自 体 は 同中 央 部 に於 き ま し ても 必要 が あ りま せん の で送
独 逸 の有 名 な 地 理学 者 ラ ッツ ェル等 に依 って創 設 され た 地 理学 に於
元 来 ゲ オポ リ テ ィー ク な る思 想 は、 内容 的 に は今 から 百 年 も 以前 に
チ に対 し て相 当 な影 響 を与 へて居 り ま す ので、 私 自 身 を 合 法化 し独
来 得 る 限 り更 に詳 細 な 資 料 を 蒐集 し て之 を モス コウ 中 央部 に
け る 一傾 向 とし て存 在 し て来 たも の であ り ま す が、 其 の後 ス カ ン
り ま せん でし た 。
送 り ま し た。
ら であ りま す 。
又 マッキ 武官 を通 じ て、 ト ー マ ス将 軍 か ら頼 ま れ ま し た前 記
デ ィナヴ ィ ヤ のチ ェー レ ン に依 って ゲ オポ リ テ ィー クと命 名 さ れ、
逸 政 府 筋 や 独 大 使 館 方 面 か ら信 任 を 得 る に は頗 る好 都 合 であ った か
の二 つ の論 説 の資 料 は極 め て重要 な資 料 であ り ま し た ので、
第 一次 世 界 大戦 直 後 頃 から 独 逸等 で広 く 研 究 さ れ 始 め た のであ り ま
そし て之 等 の論 説中 特 に 二 .二六事 件 に関 す る 資 料 は特 に 必
独 大使 館 で之 を 使 用 し た際 、 秘 密 に全 部 写 真 に撮 影 し て其 の
す。
要 であ り ま し た か ら、 別 に私 の諜 報 グ ループ を 総 動 員 し て出
都 度 モ ス コウ中 央 部 に送 った のであ りま し て、要 す る に私 と
其 の思 想 は ナ チ に強 い影 響 を 及 ぼ し、 同 党 員 の間 に は之 を研 究 す る
ク の指 導 的理 論 家 で雑 誌 ゲ オポ リ テ ィー クを 創 刊 し た 人物 であ り、
も のが 続 出 し て流 行 とな った ので あ り ます 。
前 に 申 上 げ た ハウ ス ホ ー フ ァー は現 在 独 逸 に於 け る ゲ オポ リ テ ィー
を 収 め た訳 であ り、 更 に只 今 申 上 げ た 日本 の戦 時 工業 問 題 に
私 が 此 の雑誌 に寄 稿 し た論 説 を 申 上 げ れ ば、
し て之 等 の論 説 を 研 究 執筆 す る こ と に依 り 独 逸側 の信 任 を獲
関 す る最 後 の 二 つ の論 説 を除 き、 他 の諸 論 説 は其 の都 度 秘 密
得 す る と同 時 に貴 重 な 資料 を諜 報 す る と云 ふ 一石 二鳥 の効 果
な部 分 や公 表 を 憚 る 部 分 を削 除 し て改 作 し 、 之 を前 述 の雑 誌
﹁変 革 途 上 の満 州 国 ﹂
一 西 暦 一九 三 五 年 六 月号 所 載
二 同 一九 三六 年 五 月 号 所載 ﹁東 京 に於 け る 軍 隊 の叛 乱 ﹂ 三 同 一九 三七 年 一月 号 乃 至 三 月号 連 載 ﹁日本 農 業 問 題 ﹂ 四 同 一九 三 七年 五 月 号 所 載 ﹁内 蒙 古 に於 け る状 態 に就 て﹂
﹁日支 紛 争 下 の香 港 ﹂
五 同 一九 三 八年 七 月 号 所 載
六 同 一九 三 八年 八月 号 所載 ﹁日支 紛 争 下 の西 南 支 那 ﹂ 七 同 一九 三 九年 二月 号 及 三 月 号連 載 ﹁支 那 戦 争 下 の 日本 経 済 ﹂ 八 同 一九 三九 年 八月 九 月特 別 号 所 載
ハウ ス ホー フ ァー のゲ オポ リ テ ィー ク が、 共 産 主前 義 の立場 か ら視 れ
ば 、 科学 と し て無 価 値 な も の で あ る こ と は勿論 のこ と であ り ま す が 、
私 は 自 分 の共 産 主 義 信 奉 の思想 的 立場 は全 く 之 を隠 し て合 法 的 に 偽
装 し た 態度 で 此 の雑 誌 に執 筆 寄 稿 し て居 た の であ り ま す。
斯 様 な 訳 で、 前 述 の諸 論 説 中 に は共 産 主 義 的 な 立場 は現 は れ て居 ら
ぬ筈 であ り ます が、 唯 ﹁内 蒙 古 の状 態 に就 て﹂ と題 す る論 説 中 に は 、
喇 嘛 教 に 対 す る ソ聯 の政 策 が 正 当 で あ る と云 ふ こと を多 少 暗 示 し た 箇 所 が あ った と思 ひま す 。
勿 論 、 私 は之 等 の諸 論 説 の中 で 、故 ら に共 産 主 義 に 反対 す る様 な 態 度 は採 り ま せん で し た。
又 私 は単 な る誌 外 の寄 稿 家 と し て投稿 し て居 た の であ り ま し て、 ゲ
﹁ 東 京 に於 け る 軍 隊 の叛 乱 ﹂ と題 す る 論 説 に就 て次 の様 な挿 話 があ
オポ リ テ ィー クな る 立場 を採 った 訳 では あ り ま せ ぬ。 然 し 前 述 の
モ ス コウ の親 友 カ ー ル ・ラデ ックが 之 を読 み真 逆 之 が 私 の論 説 だ と
り ま した 。 即 ち 私 が此 の論 説 を 雑誌 ゲ オ ポ リ テ ィー ク に寄稿 し た時 、
匿 名 で寄 稿 致 し ま し た 。
し た も の で、 敦 れ も 私 の姓 名 の頭 文 字 丈 を と った エル . エス と云 ふ
ー の第 七十 回 誕 生 記 念号 と し て発 刊 され た特 別号 の為 特 に執 筆 寄 稿
究 執 筆 し た論 説 を 改作 し た も の であ り ます が 、 八 は ハウ ス ホ ー フ ァ
之 等 の諸 論 説 の内一 乃 至 七 は先 程 申 上 げ た 通 り 、私 が独 大 使 館 で研
で あ りま す 。
頼 ん だ次 第 であ り ま し た。
は私 の執 筆 であ る か ら、 以後 絶 対 に プ ラウ ダ等 に転 載 せぬ 様 厳重 に
ラ ンク フ ルタ ー ・ツ ァイ ツ ング に載 せら れ る エル ・エス名 義 の論 説
ク ラ ウ ゼ ン に頼 ん で モ ス コウ中 央 部 に 打 電 し ゲ オポ リ テ ィー クや フ
私 と は別 な意 味 で吃 驚 し て居 り まし た 。 私 は之 は大 変 だ と思 ひ早速
舞 ひ ま し た。 オ ットも 同 大使 館 員 から 此 の新 聞 記事 を翻 訳 し て貰 ひ、
た の であ り ます 。 私 は 独大 使 館 で此 のプ ラ ウ ダ を読 み大 変驚 いて仕
を ソ聯 共 産 党 機 関 紙プ ラ ウダ に大 々的 に転載 し、 大 い に之 を 賞讃 し
は気 が附 かず 、 其 の中 に書 か れた ﹁日 本 軍部 の性 格 ﹂ に関 す る部 分
そ れ は独 逸 に於 け る私 の過 去 の経 歴 が、 自 分 の本 名 を明 か に出 す に
﹁日本 の膨 脹 ﹂
は有 利 で な か った か ら で あ り ます 。
私 の家 に持 って居 り ま し た ので、 警 察 官 の私 に 対 す る取 調 に立 会 し
私 は私 の諸 論 説 が 掲 載 さ れ て居 る前 述 の雑 誌 ゲ オポ リ テ ィー クを ば
し た が第 一に は私 に は自 分 の秘 密 な諜 報 活動 が残 り ます の で、 若 し
中 央 部 では 寧 ろ 私 が 同館 員 にな る こ とを 歓 迎 し た であ らう と思 ひ ま
し た か と申 せば 、 夫 れ は次 の様 な 理由 か ら で あ りま し た 。 モ ス コウ
る こ と が出 来 な く な る か ら で あ り まし た 。
同 館 員 にな れば 大 層 多忙 に な って、 此 の諜 報 活 動 を支 障 な く 遂 行す
て居 る警 察 吏 に頼 ん で今 回之 等 の雑 誌 を 自 宅 か ら 此 処 に取 寄 せ て置 き ま し た の で提 出 致 し ま す 。 此時 検 事 は被 疑 者 提 出 に係 る雑 誌 ゲ オポ リ テ ィー ク 西暦 一九 三 五年 六月 号 、 同 一九 三 六年 五月 号 、 同 一九 三 七年 一月号 乃 至 三
って から 官 吏 を 登 用 す る場 合 其 の経 歴 や 身 元 の調 査 が 厳 重 に な り、
そ し て第 二 には 独 逸 の外 務 省 は他 の独 逸 の官 庁 と同 様 に ナチ スに な
身 分証 明 書 を 綿 密 に 追 及 調 査す る こ とに な って居 り まし た ので 、若
月 号 、 同 一九 三 七年 五 月号 、 同 一九 三八 年 七 月 号 、 同 一九 三 八 年 八月 号 、 同 一九 三 九年 二月 号 及 三 月 号、 同 一九 三九 年 八 、 九
し、 私 が 同 館 員 に な る こ と を承 諾 す れ ば 、私 は身 分 証 明 書 を提 出 せ
し、 其 の上 自 分 の過 去 の経 歴 を 検 討 さ れ て、 私 の正 体 が 発覚 す る虞
ね ば なら ぬ訳 で、 夫 れ に は 此 の身 分 証 明書 を改 竄 せね ば な り ま せ ん
月 特 別 号 各 一冊 を領 置 し た り。
答 オ ット 大使 は 西暦 一九 三九 年 (昭 和 十 四年 )頃 か ら私 に対 し
七 間 被 疑 者 が独 大 使 館 員 就 任 の勧告 を拒 絶 し た事 情 如 何 。
が あ った か ら で あ り まし た 。
答 独大 使 館 情 報 宜 伝 課 の公 の業務 に関 与 し た 顛 末 は先 程 申 上げ
八 問 被 疑 者 が独 大 使 館 情 報 宣 伝 課 の業 務 に従 事 し た 顛 末如 何 。
た通 り 、私 は西 暦 三九 三 九 年 (昭 和十 四年 ) 十 月 第 二次 欧州 戦 乱 勃
て屡 〓独 大 使 館員 に な って呉 れ と勧 告 し ま し た が 、私 は之 を 拒 絶 し
す る と今度 は 独逸 外 務 省 か ら オ ット大 使 を 介 し て私 に向 ひ、 同 大使
発 後 独大 使 館 情 報 宣 伝 課 で情報 関係 の業 務 を 取 扱 ふ こと に な り、 以
て仕 舞 ひま し た 。
るか ら 同館 員 にな れ と要 求 し て参 り ま し た。
館 内 の情 報 や新 聞 関 係 の活 動 を 統 轄 す る或 る相 当 高 級 な 地 位 を 与 へ
であ り、 第 二 に は之 等 の情 報 中 公 表 し て支 障 のな い も の は 日本 の諸
後毎 日午 前 六時 か ら同 十 時 頃迄 の間 同 課 に出 勤 し て 働 き ま し た0
新 聞 や在 留 独 逸 人 の為 に取 纒 め る こ と であ り ま し た。
然 し 私 は 此 の要 求 を も 謝 絶 致 し ま し た の で、 オ ット大 使 は到 頭 憤 慨
十 月第 二欧 州 戦 乱 が 勃 発 さ れ 、 以来 同大 使 館 に輻 輳 し て 来る各 種 の
そし て斯 様 な 業 務 は 、私 の秘 密 な諜 報 活 動 に と って極 め て重 要 な 意
を選 定 し て之 を 上 級 館員 が 直 に見 る こ と が出 来 る 様 に準 備 す る こと
情 報 を 同大 使 館 情 報 宜 伝 課 で整 理 す る仕 事 に従 事 す る こと を約 束 し
義 を持 って居 た こと は申 す迄 も な い こと で、私 は之 を自 分 の諜 報 に
其 の業 務 の内 容 は 、 第 一に は伯 林 から の各 種情 報 中 よ り重 要 なも の
た の で あ り ます が 、 決 し て 正 式 な同 館 員 とな った 訳 で は なく 、 矢 張
利 用 し た訳 で あり ます 。
し て 仕舞 ひ ま した 。 其 処 で私 は前 に 申 上げ た オ ット大 使 の私 的 な政
一私 人 とし て の立 場 は保 って居 た の であ り ます 。
治的 協 働者 と し て の役 割 は 今 後 も引 続 き遣 る こ と とし 、 尚其 の 上同
何 故 私 が独 大 使 館 の正 式 な館 員 即 ち独 逸 の外 交 官 に な る こ とを 拒 絶
加 之 、 私 は斯 様 な業 務 に従 事 す る 様 に な って か ら自 分 の特 別 室 で 一
疑
者
Ri chard sorge
年
生
駒 佳
事
層 自 由 に独大 使 館 の色 々な 秘 密 書 類 を ば見 る こ と が出 来 る様 に な っ た の であ り ま す。 被
通
山
と申 す 者 を 知 って居 る か。 答 存 じ ま せ ぬ。
此時 検 事 は刑 事 訴訟 法 第 百 八十 六 条 を 読 聞 け た り。
三 問 然 ら ば、 貴 下 は リ ヒア ルド ・ゾ ルゲ と 斯 様 な関 係 はな いか 。
答 御 読 聞 け の様 な関 係 は何 も あ り ま せぬ 。
答 左 様 であ り ま す。
四問 貴 下 は独 逸 語 の翻 訳 が出 来 る か。
五問 然 らば リ ヒ ア ルド ・ゾ ル ゲ に対 す る治 安 維持 法 違 反 並 国 防 保
貞
夫
﹁変 革 途 上 の満 州 国 ﹂
ス ・ エル名 義 の諸 論 説 、
田 信
安 法 違 反 被 疑 事件 に付 左 記 独 逸 語 雑 誌 ゲ オ ポ リ テ ィー ク 所 載 の エ
河 光
一 西 暦 一九 三 五年 六 月号
佳
二 同 一九 三 六年 五月 号
生 駒
事 吉 人
年
右通 事を介 し読聞けた るに相違なき旨 申立署名拇印したり。 前 同日 於東京拘置所
検 翻
訳
裁判所書記
東京刑事地方裁判所検事局
翻訳人訊問調書
﹁東 京 に於 け る軍 隊 の叛 乱 ﹂
﹁日 本農 業 問題 ﹂
三 一九 三 七年 一月号 乃 至 三 月 号
リ ヒア ルド ・ゾ ルゲ に対 す る 治安 維 持 法 違 反 並 国 防 保安 法 違 反 被 疑
は裁 判 所 書 記 山 田 信 夫 立会 の上右 翻 訳 人 に対 し 訊 問 す る こ と左 の如
当 四 十 三年
﹁ 支 那 戦 争 下 の日 本 経済 ﹂
七 同 一九 三九 年 二月 号 及 三 月号
﹁日支 紛 争 下 の西 南 支那 ﹂
六 同 一九 三 八年 八月 号
﹁日 支紛 争 下 の香 港 ﹂
五 同 一九 三 八年 七月 号
﹁内 蒙古 に於 け る状 態 に関 し て ﹂
四 同 一九 三 七年 五月 号
事 件 に付 、 昭 和 十 七 年 二 月 二 十 四 日東 京 拘 置 所 に 於 て検 事 吉 河光 貞
し。
東 京 外 国 語学 校 教 授
生駒佳年
年齢 は
東京 府 北 多 摩 郡 国 分 寺 町 大 字 国 分寺 二、 四 一九
答 氏 名 は
一問 氏 名 、 年 齢 、 職 業 、 住 居、 本 籍 及 出 生 地 は 如何
職業 は
リ ヒア ル ド ・ゾ ルゲ
住居は 二問 貴 下 は 、
八 同 一九 三 九年 八、 九 月特 別 号 ﹁日本 の膨 脹 ﹂
駒
佳
年
一 デ ィル ク セ ン大使
一、 独大 使
セ ン大使 の前 任 者 であ ったゾ ルフ駐 日独 大 使 は 日独 両 国 を ば 文
ら し め る と 云 う使 命 を 帯 び て居 た の であ り ま す。 即 ちデ ィルク
交 が あ り ま し た の で、 ソ聯 に対 抗 し て日 独 両 国 を ば 一層 親 密 な
の各 翻 訳 を命 ず る が如 何 。
生
て来 た ソ聯 通 の人物 であ り ま し て予 てか ら 当 時 の広 田外 相 と親 人
デ ィル ク セ ン大使 は ソ聯 駐 在 の独 大 使 から 駐 日 独大 使 に転 任 し
訳
答 諒 承 致 し まし た 。 翻 右 読 聞 け た る に 相 違 な き旨 申 立 署 名 捺 印 し た り。
化 的 に相 提 携 せし め ん と す る使 命 を 帯 び て居 た の であ り ま す が、
同前 日
於東京拘置所 山
田 信
夫
通 の政 策 を と る と 云 ふ 立場 から 、 日 独 両国 の軍 事 的 に も 経 済的
デ ィ ルク セ ン大 使 は 更 に進 ん で 日本 と独 逸 と が ソ聯 に対 し て共
裁判所書記
に も密 接 な 提 携 の実 現 を企 図 す る と 云 ふ こ と が其 の使命 であ っ
東京刑事地方裁判所 検事局 貞
二 オ ット大 使
た の であ り ま す 。
河 光
リ ヒアルド .ゾ ルゲ
吉
者
事
検 疑
オ ット大 使 の 一般 的 な使 命 は 前 任 者 デ ィ ルク セ ンよ り更 に 一歩
被
第 三十六回訊問 調書 右者に対す る治安維持法違反並国防保安法違反被疑事件に付 、昭和
った の であ り ま す。 そ し て其 の同 盟 実現 の意 向 は 最初 は直 接 に
進 め て日 独両 国 間 に経 済 的 並 軍 事的 な同 盟 を 実現 す る こ と であ
は英 国 に 対 し次 で聞 接 には 米 国 に対 し て と云 う意 味 で英 米 両 国
十七年 二月 二十六日東京拘置所 に於 て、検事吉 河光貞 は裁判所書記
に対 し て企 図 さ れ た の であ り ま す が、 後 に独 ソ戦 が勃 発 し た前
山田信夫立会 の上前回に引続 き右被疑者に対 し訊問す ること左 の如
一問 被 疑 者 の独大 使 館 関 係 の所 謂 情報 出 所如 何 。
ば 日本 軍 部 方 面 で実 現 す る と 云 ふ使 命 を 持 って居 た の であ り ま
オ ット が武 官 であ った 当 時 に は彼 はデ ィ ル ク セ ン大 使 の使 命 を
一 オ ット陸 軍 武 官
二、 陸 海空 軍 武官
るも のと な った の であ り ま す 。
後 から は 一変 し てデ ィル ク セ ン時代 の旧 に戻 り 専 ら ソ聯 に対 す
し。 答 私 が 自 分 の秘 密 な諜 報 活 動 を 遂 行 す る為 独 大 使 館 内 で情 報 や 資 料 を 入 手 し た所 謂 情 報 出 所 (ソ ー ス) を 申 上 げ る こ とに 致 し ます が 、 之 等 の情 報 出 所 に就 ては 若 干 其 の使 命 等 を 説 明 し て私 が之 等 の 情報 出 所 か ら、 抑 〓如 何 な る情 報 や資 料 を入 手 し た か と 云 ふ こ とを 示唆 し て置 く こ と に致 し ま す 。 第 一、 独 大 使 館 員 等
す が 、 勿 論 其 の外 に 他 の武 官 同様 日本 陸 軍 の軍 事 か ら は 調 査研
ミ ル バ ッ ハや マ ルヒ タ ー ラ ーは 時 々例 へば、 日本 の ソ聯 に対 す る
五、 ミ ル バ ッ ハ及 マ ル ヒタ ー ラ ー各 参 事官
人 交 友 関係 と接 触 し て色 々な 意 見 を交 換 し、 例 へば 内 閣更 迭 の裏
態 度 如 何 と 云 ふ様 な種 々な 任 務 を授 け ら れ て活 動 し て居 り、 日本
面 事 情 や 理由 と 云 ふ様 な特 別 な 課題 に就 て 二 三 の報 告 書 を執 筆 復
シ ョル陸 軍 武 官
究 す る こ とを 其 の使 命 とし て 居 り ま し た。
シ ョル武 官 は 最 初 は オ ット武 官 の補 助 者 であ り ま し た が、 後 に
命 し て居 り ま した 。
二
オ ット が大 使 と な って か ら其 の後 任 武 官 マ ッキ が 日本 に来 朝 す
独大 使 館 に は書 庫 が 設 置 さ れ て居 り、 同 大 使 館 か ら発 す る総 て の
六 、 独 大使 館書 庫 (ア ル キ ー プ)
る 迄 の間 武 官 代 理 を 勤 め て居 た 訳 で 、 シ ョル武 官 の使 命 は オ ッ
であ り ま し た 。
であ り ま し て、之 等 の文 書 の内 容 を 少 し 詳 し く説 明 申 上 げ れ ば、
書 類 の控 や 同 大 使 館 に送 致 さ れ る凡 ゆ る 書類 が 保管 さ れ て居 る の
ト 武官 よ り も更 に詳 細 に 日本 陸 軍 の軍 事力 を調 査 研 究 す る こと
其 の外 陸 軍 武 官 マ ッキ、 同 ク レチ マー、 海 軍 武 官 ヴ ェネ ッカ、
独 大 使 館 の独逸 政 府 に対 せ る 一般 的 な報 告 文 書 を始 め支 那 、 仏 領
同 リ ッツ マン、 空 軍 武 官 グ ロナ ウ、 同 ネ ー メ ッツは 、夫 々所 管 の陸 軍 海 軍 又 は 空 軍 方 面 に於 て 日本 軍 の軍 事 力 を ば 詳細 に調 査
印 度 支 那 、 マ ニラ及米 国 の独 逸 駐 在 官憲 か ら送 られ て来 る 日 本 に
関 す る各 種 報告 、 時 に は独 逸 政 府 や 日本 在 留 独 逸 人 か ら来 る 定期
研 究 す る と 云 ふ使 命 を持 って居 た の であ り ま す。 三、 コルト参 事 官
て管 理 し て居 り ま す の で、 予 め 大 使 の諒 解 を得 て置 け ば何 時 でも
て此 の書 庫 は極 め て下 級 な地 位 に在 る 同 館員 が、 大 使 の命 を 承 け
大 使 から 云 は れ た と申 し て直 に所 要 の書 類 を引 出 し て貰 ふ こ とが
的 な 通 報 や 、独 逸 政 府 に発 信 し た 電 文 の控 等 で あ り ま した 。 そ し
等 を執 筆 し て居 り ま し た が 、其 の外 独 大 使 館 の若 い館 員 等 と密 接
出 来 た訳 であ り ま す 。
コ ルト の任 務 は オ ット 大使 の夫 れ と同 様 であ り ま し て 、 コ ルトは
な連 絡 を保 つと共 に日 本 の外務 省 とも 緊 密 に 接 触 し て居 た様 であ
同 大 使 に直 接 接 近 し て活 動 し て居 り種 々な 電 報 や政 治報 告 の原 稿
り ま す。
ク セ ン の許 可 を得 て此 の書 庫 を ば自 由 に利 用出 来 る様 にな り ま し
私 は西 暦 一九 三 六年 (昭 和 十 一年 ) 頃 当 時 の大 使 フ ォン ・デ ィ ル
た。 又其 の後 オ ット が大 使 に な ってか ら も其 の許 可 を 受 け て引続
四 、 テ ィ ヒ参 事 官
き之 を利 用 し て居 た ので あ り ます 。
テ ィ ヒは主 と し て 日独 通 商 関係 を 処理 し各 種 通 商 条 約 を取 扱 った り 日本 に於 け る独 逸 の種 々な商 館 を援 助 統 制 す る と共 に、 独本 国
身 が リ ッベ ント ロ ップ 外 務 大 臣 に宛 て た報 告 や 、 電 文 の控 を始 め、
尚 大 使 自 身 も 別 に 極秘 の書 庫 を 備 へて居 り、 其 の書 庫 には大 使 自
か ら 日本 に輸 入 さ れる 物 品 の関税 等 の問 題 を 処 理 す る こと を任 務 と し て居 り ま し た が其 の外 、 独 ソ戦 勃 発 前 に は 日本 政府 の援 助 を 受 け て各 種資 材 を独 逸 に輸 入 す る と 云 ふ使 命 を 持 って居 り ま した 。
時 に は個 人的 に 必要 な 文 書 と か、 大 使 が 日本 の外務 大臣 と会 談 し
一、 伝 書 使 (クー リ エ)
第 二、 独 逸 本 国 よ り の使 者
又 独大 使 館 経 済 課 に も 別 な書 庫 があ り、 テ ィヒ参 事 官 が之 を管 理
あ り ます 。
し た が、 時 々 オ ット 大 使 か ら其 の 一部 を 出 し て見 せ て貰 った の で
か ら更 に米 国 や支 那 等 にも 出 掛 け て居 り ま し たが 、 独 ソ戦 勃 発 と
た。 そ し て之 等 の伝 書 使 は在 東 京 の独大 使 館 を 中 心 にし て、 其 処
は 二週 間 に 一回 と な り更 に独 ソ戦 直 前 に は毎 週 一回 程 にな り ま し
九 三 八 年 (昭 和 十 三年 )迄 は毎 月 一回位 で あ り ま した が 、 其 の後
独 逸 本 国 の外務 省 か ら独 大 使 館 に 派遣 さ れ て来 る伝 書 使 は 西暦 一
た 内容 の覚 書 等 が 納 め ら れ て 居 り ま した 。 此 の書 庫 は、 勿 論 大 使
し て居 り まし た 。 其 の書庫 に納 め ら れ て居 た書 類 は 、独 逸 政 府 に
上又 は政 治 上 の重要 書 類 の みな ら ず 、多 数 の宣 伝 文 書 を 携 行 し て
共 に全 く 中 絶 さ れ て仕 舞 ひ まし た 。 之等 の伝 書 使 な る も のは軍 事
自 身 の み が開 閉 出 来 る も ので私 に は絶 対 に出 し 入 れ出 来 ま せ ぬ で
まし て、 私 は 時 々 テ ィ ヒに対 し て是 々 の文 書 や資 料 を 出 し て呉 れ
宛 て た 日本 の経 済情 報 の控 や、 テ ィヒ自 身 が 蒐 め た 資料 等 で あ り
る情 報 を 知 って居 るも のが 居 り ま し た の で、 私 は之 等 の伝 書使 と
の政 策 に 関 し て多 少 知 識 を 持 って 居 る も の や、 稀 には ソ聯 に関 す
に過 き ませ ん でし た が、 其 の中 に は 四、 五名 位 主 とし て独 逸将 来
上 席 の武 官 が之 を管 理 し て居 り ま し た 。之 等 の書 庫 に は日 本 の軍
も 接 近 し 種 々な情 報 を 聴 取 し て居 た のであ り ます 。
参 り ま した 。 そ し て之 等 の伝 書 使 の大 部 分 は 一般 に単 な る 鞄持 ち
事 に関 す る報 告 の控 や資 料 等 が納 め ら れ て居 り ま し た ので、 私 は
と 申出 で て欲 し いも のを出 し て貰 って居 り まし た 。
夫 々上 席 武 官 の許 可 を得 て、 之 等 の文 書 を 取 出 し て居 り ま し た。
更 に独 大 使 館 の陸 海 空 各 武 官 も夫 々特 別 な書 庫 を 持 って居 り、 各
陸 軍 武 官 室 の書 庫 は 、 オ ット や シ ョルが 武 官 であ った頃 は割 合 に
し て居 た の であ り ま す 。尚 海 軍 武 官 ヴ ェネ ッカ の書 庫 か ら は、 日
入 れ が出 来 な く な り ま し た の で、 其 の都 度 一々理由 を述 べて持 出
等 であ り ま す 。
ミ ュー ラー
フ ェル ス テ ル
ク ライ ベ ル
ヒ ルシ ュベ ルゲ ル
現 在 私 が 之等 の伝 書 使 で其 の名 を 記憶 し て居 る も のを 申 上 げ れ ば、
本 海 軍 の軍 政 方 面 に関 す る資 料 丈 を 供 出 し た に過 ぎ ま せず 、 純 技
自 由 に文 書 を 取 出 す こ とが 出 来 ま し た が其 の後 は 段 々自由 な出 し
術 方 面 の資 料 は供 出 し ま せ ん で し た。 又 空 軍 武官 の書 庫 か ら は 日
書 使 護 衛 の為 の単 な る附 添 将 校 で はな く 、 独 逸 国防 軍 首 脳 部 、 詳
に は 必ず 一名 の独逸 将校 が附 添 って参 り ま す が 、之 等 の将 校 は伝
前 に も申 上 げ た 通 り 、 独逸 外務 省 か ら派 遣 され て来 朝す る伝 書 使
二、 伝 書 使 附 添 の独 逸 将 校
が、 夫 れ は専 ら 口頭 で聴 取 し た丈 け で、之 を報 告 書 にし た 文 書等
は空 軍 武 官 か ら は、 時 々日本 の飛 行 場 視察 の印象 を聴 取 し まし た
本 の飛 行 機 製 造 工業 に関 す る資 料 のみ を 供 出 し て居 り ま し た。 私
は見 せ て貰 は な か った の であ り ま す 。
海 軍 、 空 軍 の各 参 謀 本 部等 か ら、 交 る交 る特 殊 な 任務 を与 え られ
言 す れ ば独 逸 国 防 軍 最高 指 導 部 を 始 め 、 之 に直 属 し て居 る陸 軍 、
三 、特
ダ 使
ン
ニー ダ ー マイ ヤ ー陸 軍 大 佐
遣 さ れ て来 た 特 使 は 相当 あ り まし た が 敦 れ も、 極 秘 裡 に 活動 し て
独 逸 本 国 か ら各種 の重 要 条 件 に 就 て特 別 な使 命 を 帯 び て 日本 に派
ク海 軍 大 佐
て派 遣 さ れ て来 た の であ り ま す が、 之 等 の将 校 中 では、 空 軍 将 校
各 将 校 も来 朝 した こ とが あ り 、海 軍 将 校 も 派 遣 さ れ て来 た こ と が
私 は独 大 使 館 で之 等 の特 使 が来 朝 す る 毎 に 之 を把 握 し、 出来 得 る
居 り、 後 日 にな って 公表 さ れた も のは 極 め て僅 か であ り ま し た 。
が 一番 多 く 次 に陸 軍 の歩 兵 科 将校 が 二回 位 で又 砲 兵科 、 戦 車 科 の
あ り ま し た。
て居 り まし た 。 今其 の特 使 を 申 上 げ れ ば次 の通 り であ り ま す 。
限 り其 の使 命 の内 容 や 日本 側 と の交 渉 経 過等 に就 て情 報 を 蒐 集 し
之 等 の将 校 は 日本 に来 朝 す る と、 敦 れも 独 大 使 館 武 官 か ら 日本 の 陸海 軍 参 謀 本 部 に紹 介 さ れ、 夫 々専 門 兵 科 に関 す る講 演 を す る と
ハー ク (西 暦 一九 三 六年 、 昭 和 十 一年 )
ては果 し て如 何 な る程 度 迄 独 逸 と協 力 し よ う とす る のか と 云 ふ様
ス海 軍 大 将 と密 接 な関 係 があ り 、 大 島 駐 独 日本 大 使 とも親 交 の
司 令 部 に直 属 し て居 る秘 密 諜 報 機 関 独 逸防 衛 部 の長 、 カナ リ ー
ハー クは 独 逸 の航 空 会 社 ヘン シ ェルの社 員 で、 独 逸 国防 軍 最 高
な 事項 を調 査 し て居 た ので あ り ま す。 従 って、 之 等 の将 校 は又 私
ッベ ント ロ ップ の両者 か ら派 遣 され て来 朝 し ま した 。 ハー ク の
あ る人 物 であ り ま し て、 日独 防 共 協定 の交 渉 中 、大 島 大 使 や リ
一
同時 に、 日本 側 か ら 、 各 当該 兵 科 関 係 に関 す る情 報 を聴 取 し て居 り ま し た 。特 に之 等 の将 校 の中 二 、 三 名 の者 は政 治 方 面 に就 て も
の秘 密 諜 報 活 動 上 極 め て重 要 な情 報 出 所 であ り ま し た 。
関 心 を持 って居 り 、 独 逸 の対 ソ戦 遂 行 と云 ふ観 点 か ら 、 日本 に於
然 も 之 等 の将 校 は殆 ん ど全 部 独 逸 本 国 を出 発 す る時 、 既 に 申 上 げ
進 さ せ る こ と であ り ま し た。
使命 は独 大 使 館 外 に在 って、 日独 防 共協 定成 立 の機 運 を醸 成 促
命 を 受 け て 日本 に派 遣 さ れ飛 行機 で印 度 を経 て来 朝 した 人 物 で
前 述 の独 逸 防 衛 部 長 カ ナリ ー スかち 特 にリ シ ュコフ事 件 調 査 の
民 名 不 詳 の陸 軍 大佐 (西暦 一九 三 八 年 、昭 和 十 三 年 冬 )
リ ッツ マ ンや フラ ンク フ ル ター新 聞 社其 の他 よ り私 宛 の紹 介状 を 二
た 、 エッツ ド ルフ、 デ ィ ルク セ ン、 マ ッキ、 ヴ ェネ ッカ 、 シ ョル、
貰 って参 り、 内 に は前 に申 上 げ た 通 り ト ー マ ス将 軍 か ら特 に私 に
之 等 の将 校 と知 合 に な る こ とが 出 来 た 訳 で あ り ます が 、 彼 等 は皆
あ り 、独 逸 に於 け る ソ聯 通 で露 西 亜 語 を 使 う陸 軍 大 佐 であ り ま
会 へと命 ぜ ら れ て来 たも のも 居 り ま し た の で、 私 は極 め て容 易 に
其 の本 名 を 打 開 け る ことを 好 ま な か った為 、 其 の大 部 分 の名 は存
同 十 五年 の二回 )
スタ ー マー (西 暦 一九 三九 年 及同 一九 四〇 年 、 昭 和 十 四 年 及
した。 三
じ ま せ ぬ。 其 の内 西暦 一九 三八 年 (昭 和 十 三年 ) 以 来 偶 然 私 が 名
シ ェッフ ァー空 軍 大 佐
を聴 い て覚 え て居 る 人物 を 申 上 げ れ ば 、 次 の通 り であ り ま す 。
其 の使命 は 日独 軍 事 同 盟 締 結 の交渉 に際 し て オ ット 大 使 を援 け
て 此 の戦 争 に対 し て如 何 な る程 度 迄 参 加 し得 る か と 云 ふ こ とを
令 部 か ら 日本 へ派 遣 さ れ て参 り ま した 。 其 の使命 は 日本 は果 し
聯 通 の権 威 者 であ り ま す が、 独 ソ戦 勃 発 直 前 独逸 国 防 軍 最 高 司
ニーダ ー マイ ヤー は 独逸 国 防 軍 の陸 軍 大 佐 で、 独 逸 に於 け る ソ
和 十 六年 一月 )
る と云 ふ 使命 を帯 び て居 り ま し た 。然 し彼 の努 力 も 平 沼 内 閣 に
る 人 物 で、 同大 臣 か ら個 人 的 に 派 遣 さ れ て来 た の であ り ます が、
ス タ ー マー は独 逸 外 務 大 臣 リ ッベ ント ロ ップ の片 腕 と も 云 は れ
依 って水 泡 に 帰 し て仕 舞 ひま した 。
に際 し てデ ィル ク セ ンか ら私 宛 の紹 介 状 を 貰 って参 り まし た の
調 査す る こ と であ り ま す が、 ニーダ ー マイ ヤー 大佐 は独 逸 出 発
で、 私 は容 易 に同 大 佐 と知合 ふ こと が出 来 た ので あ り ます 。
四 ヘル フ ェリ ッ ヒ (西 暦 一九 三 九年 、 昭 和十 四年 ) ヘル フ ェリ ッ ヒは独 逸 政 府 の経 済 顧 問 と 云 ふ高 級 な 地 位 に あ る
の盤 谷駐 在 武 官 とし て派 遣 さ れ る こ と とな り ま し た の で、 赴 任
シ ョルの人 物 に就 ては前 述 致 し まし た が 、彼 は 独逸 か ら タ イ国
九 シ ョル (西 暦 一九 四 一年 、 昭 和 十 六年 )
勿 論 其 の内 容 は極 秘 に さ れ て居 た の であ り ま す 。
ウ ォル タ ー トは 公 然 日 独経 済 交 渉 の為 来 朝 し た の であ り ま す が
八 ウ ォ ルタ ー ト (西 暦 一九 四 一年 、 昭 和 十 六 年 )
人 物 で、共 の使 命 は 日本 の財 閥 方 面 に働 き掛 け て 日独 軍事 同 盟
と 云 ふ経 済 交 渉 を す る こと であ りま し た 。
締 結 を 促 進 す る と 共 に蘭 印 の物 資 を 日 本 を通 し て、 独 逸 に送 る
五 フ ォ ン ・ケ ステ リ ング (西 暦 一九 三 九年 、 昭 和 十 四 年 ) ケ ス テリ ング は十 二年 間 も ソ聯 駐 在 独 逸 大使 館 附 の武 官 を 勤 め
り ま す 。 其 の来 朝 の使 命 は独 逸 の対 ソ戦 遂 行 に対 し て、 日 本 は
ョルは独 大 使 館 に立 寄 り 独 ソ戦 に関 す る極 く 秘 密 な指 命 を ば特
の途 中 シベ リ ヤ経 由 で日 本 に 立寄 った の であ り ます 。其 の際 シ
て居 た ソ聯通 の陸 軍 中 将 であ り ま し て、 オ ット大 使 の旧 友 であ
であ り ま し た 。
如 何 な る 程 度 迄 独 逸 に協 力 し得 るか と云 ふ こと を調 査 す る こと
答
二間
せよ と云 ふ使 命 を オ ット大 使 に 携 行 し て来 た の であ り ま す 。
か、 独 逸 と協 力 し て対 ソ戦 に参 加 出来 る の か と 云 ふ こ とを 調 査
重 な情 報 や資 料 を蒐 集 し た 訳 であ り まし て、 私 の此 の独 大 使 館 内 に
し て自 分自 か ら諜 報 活 動 の先 頭 に立 って独 大 使 館 を 中 心 に各 種 の貴
の報告 を取 纒 め る のが 普通 一般 の遣 り方 であ り ま す が、 私 は之 に反
元来 諜 報 機 関 の長 た る 者 は自 分 自 か ら積 極 的 な情 報 や資 料 の
被 疑者 の独 大 使 館 内 に 於 け る諜 報 方 法 如 何 。
年 末 より 同 十 六年 初 )
蒐 集 を せ ず、 専 ら自 分 の成 員 に対 し て指 命 を 発 し て色 々な諜 報 活 動
に 口頭 で オ ット大 使 に伝 達 し た のであ り ます 。
ウ ー ラ ッ ハは 公式 に は 日独 外 務 省 間 で新 聞協 定 を 結 ぷ と云 ふ 使
を 遂 行 さ せ、 斯 く し て集 め ら れ る各 種 の情 報 を ぱ 綜 合判 断 し て 一定
六 ウ ー ラ ッ ハ ( 西 暦 一九 四 〇 年 よ り 同 一九 四 一年 初 、 昭 和 十 五
与 へら れ 日本 は果 し て シ ンガ ポ ー ルを 攻撃 す る こ とが 出 来 る の
命 を持 って居 り ま し たが 、 裏 面 では 独 逸 政府 か ら秘 密 な 使 命 を
七 リ ッタ ー ・フ ォン ・ ニー ダ ー マイ ヤ ー (西 暦 一九 四 一年 、 昭
よ り 大 き な情 報 を聞 出 す と云 ふ方 法 を用 ひ た の であ り ま し た 。 そ し
さ な情 報 を提 供 す ると 云 ふ 方法 、 換 言 す れば 小 さ な情 報 を 餌 にし て
資 料 の研 究 等 の方 法 を使 ひ、 次 に はよ り大 き な情 報 を得 ん が為 に小
即 ち、 其 の諜 報 方 法 と し て は先 づ最 も 簡 単 な 方 法 と し て議 論 、 相 談 、
た の であ り ます 。
な諜 報 を致 し た か と申 せぱ 、 夫 れ は極 め て簡 単 な 方法 に過 き な か っ
に遂 行 さ れ た の であ り ま す 。夫 れ で は私 が 抑 〓如何 な る方 法 で斯 様
於 け る諜 報 活 動 は 既 に 申 上 げ た通 り殆 ん ど完 全 に近 い合 法 偽 装 の下
居 る情 報 を 持 ち出 し て話 を 致 し ま す と、 先 方 は之 に 釣 ら れ て更 に秘
移 って行 く 様 な場 合 に、 私 の方 か ら 此 の問 題 に就 て少 し許 り知 って
大 使 其 の他 の館 員 と対 談 中 、 一般 的 な問 題 か ら次 第 に 秘密 な問 題 に
之 を 入手 し た こ と もあ り まし た 。
や 武 官 に頼 ま れ て諸 論 説 を 研 究執 筆 し た際 、 資 料 を提 供 し て貰 って
に 確 実 な情 報 を 知 らせ て呉 れ る こ とが あ り 、前 に申 上げ た 様 に大 使
し い とか若 く は間 違 って居 る と か申 し て、 色 々と議 論 をし て居 る 裡
自 分 の判 断 や意 見 を 申 述 べます と相 手 の方 で は、 君 の 云 ふ こ とは 正
日 本 で問 題 にな って居 る 色 々な事 件 や 問 題 に就 て私 の方 か ら進 ん で
て独 大 使 館 に於 け る私 の諜 報 活 動 を統 制 し、 且私 自 身 を権 威 あ ら し
て 入 手 し た之 等 の情 報 や 資 料 を 保 存 す る技 術 とし ては 記憶 し た り、
め る為 同 大 使 館 側 にも私 が他 か ら入 手 し て居 る情 報 を 少 し は 分与 す
五年 (昭 和 十 年 ) モ ス コウ に 一旦 帰 還 し た時 モス コウ中 央 部 に向 っ
ば次 の通 り であ り ます 。 私 は オ ット の政 治的 協 働 者 とし て独 大使 館
る と 云 ふ こ とに 就 て諒 解 を得 て置 いた のであ り ます 。 そ れ で如何 な
密 な問 題 全 部 を 吐 出 し て仕 舞 ふ こと が あ り ま し た。 私 は西 暦 一九 三
内 では極 め て高 い道 徳 的 地 位 を 持 って居 り ま した ので 自分 の方 から
る場 合 に如 何 な る 情報 を分 与 す べき か と 云 ふ こ と に対 す る 判断 は全
った の であ り ます が、 以 上 申 上 げ た諸 点 に就 て少 し 詳 し く説 明す れ
何 も働 き掛 け な い のに拘 らず 、 同 大 使 や 武 官 等 か ら積 極 的 に種 々な
部 私 に 一任 さ れ た 訳 であ りま す が 、其 の時 分 与 す る 情 報 は出 来 得 る
紙 片 や 手 帳 に録 取 し た り、 又 は写 真 に撮 影す る と云 ふ様 な 方 法 を採
た の で、 私 は少 し も労 せ ず し て情 報 を 聴 取 す る こ と が出 来 ま し た 。
問 題 に就 て色 々と話 し掛 け ら れ たり 、 又 は相 談 を持 ち掛 け られ ま し
へる か、﹂ と 云 ふ様 に情 報 を持 って来 て相 談 を 持 ち掛 け ら れ た こ と
取 って置 く 外 は あ り ま せ ん でし た 。 他 の大使 館 員 から 見 せ て貰 ふ資
は 行 き ま せ ん の で、 其 の場 で暗 記 し て仕 舞 ふ か、 又 は簡 単 な 覚書 を
大 使 か ら其 の室 で直接 見 せ ら れ る秘 密 な 文書 は私 の室 に持 帰 る訳 に
私 が 自分 勝 手 に斯 様 な 方 法 を用 ひた ので は あ り ま せ ぬ。
も あ り ま し た 。尚 又大 使 等 が 重 要 な電 報 か報 告 文 書 を 起草 す る場 合
料 は、 大 抵 私 の室 に持 帰 って写 真 に撮 影 し た り、 覚 書 を 取 る こと が
限 り最 小 限 度 に す る と 云 ふ こ とも 約 束 さ れ て居 た の であ り ま し て、
に 、 予 め其 の原 稿 を 私 に見 せ て呉 れ之 は如 何 か何 か 意 見 は無 い か君
出 来 ま し た。殊 に難 か し い文 書 や 資料 を 見 せ ら れ て即 座 に 回答 が出
又色 々困 難 な問 題 が あ る と、 先 方 か ら ﹁我 々は 現在 斯 う云 ふ こ とを
の意 見 の様 に変 へるな ら如 何 に 変 へる のか と云 ふ風 に 意見 を求 め ら
来 な い様 な 場 合 に は、 ゆ っく り 見 せ て貰 ひ た い と申 し て借 受 け、 之
聞 知 し て居 る のだ が君 は 聞 いて は居 ら ぬ か、 君 は之 に就 て如 何 に考
が出 来 た の であ り ま す。 私 は又 時 に は大 使 や 武 官 等 に 伺 って、 現 に
れ ま し た の で、 私 は極 め て重 要 な電 報 や報 告 文 書 迄 も諜 知 す る こ と
し た り し て居 り ま し た 。 又斯 様 な 機 会 が な か った報 告 文 書 等 に 就 て
を私 の室 に持 帰 って覚 書 を取 った り、 特 に重要 な も の は写 真 に撮 彩
料を私 の家 に 一旦 持 帰 って撮 影 す る とき に は右 ロボ ット又 は 私 所 有
な秘 所 有 の写 真 機 ロボ ット を使 用 し まし た が同 大 使 館 か ら文 書 や資
Ri chard Sorg e
年
者
のラ イ カを 使 用 し て居 り 又時 に はヴ ケリ ッチ に渡 し て撮 影 し て貰 っ
疑
は、 夫 れが 書 庫 に 納 ま る の を待 って後 にゆ っく り借 出 し、 写 真 に撮
被
た こと もあ り まし た 。
佳
生
駒
事
影 致 し まし た 。 然 か も 斯様 な 写真 は、 敢 て私 の室 丈 に限 らず 急 ぐ 場 合 に は館 内 の何 処 で も空 いた場 所 を 使 って居 り ま し た が館 員 が 最 近
通
右通 事 を介 し読 聞 け た る に相 違 な き旨 申 立 署 名拇 印 し たり 。
は段 々増 加 し て来 ま し た の で空 いた 場 所 が 少 く な り、 私 が 写 真 を 撮 影 し て居 る 場 所 に 不 意 に他 の館 員 が這 入 って来 る危 険 が愈 々多 く た
前同 日
事
裁 判 所書 記
吉
山
河
田
光
信
貞
夫
東 京 刑 事 地方 裁 判 所 検 事 局
於東京拘置所
って写 真 の撮 影 は真 に 危険 な仕 事 とな った ので あ り ます 。 又 館 員 等 か ら見 せら れ た 文書 や資 料 の中 で如 何 し ても 写真 に撮 影 し度 い と思
検
う にも 拘 ら ず 、 容易 に借 り ら れ ぬ様 な も のが あ る時 に は、 口実 を 設
か と思 ふか ら、 他 人 の居 ら ぬ他 の室 に 行 って見 度 い と思 ふが 如何 か
第 三 十 七回 訊 問 調 書
リ ヒア ル ド ・ゾ ルゲ
者
右者 に 対す る治 安 維 持 法 違 反 並 国防 保安 法 違 反 被 疑事 件 に付 、 昭 和
被
十七 年 三 月 四 日東 京 拘 置 所 に於 て、検 事 吉 河光 貞 は裁 判 所書 記 山 田
疑
け て自 分 が 斯 様 な文 書 等 を 見 て居 る こと を 他人 か ら見 られ る と 如 何
と云 ふ様 な こと を申 し て 一寸 借 受 け る こと もあ り まし た 。 然 し 第 二次 欧 州大 戦 が勃 発 し てか ら 独大 使 館 でも 、 主 とし て無 電 に
の電 文 等 を特 に 証拠 の為 写 真 に撮 影 せず 唯 其 の内 容 丈 を 無 電 で報 告
く な った ので あ り ま す が、 モス コウ中 央 部 に於 き ま し て は私 が 之 等
依 る 短 い報 告 のみ を出 す 様 にな り ま し た ので、 写真 撮 影 の必 要 が た
し ても 之 を 私 が 自分 勝 手 に創 作 した も の とは思 は ず、 私 を絶 対 に信
被疑 者 の独 大 使 館 に於 け る諜 報 活 動 の具 体 的 内 容 如何 。
信夫 立会 の 上前 回 に引 続 き 右 被 疑 者 に対 し訊 問 す る こと 左 の如 し。
も ので あ り ま し て、 其 の量 は 私 の諜 報 グ ループ 全 体 の諜 報 活 動 の大
私 の独 大 使 館 に於 け る諜 報 活動 は極 め て広 範 囲 且 長期 に 亘 る
略六 割 を占 め る も の であ り 、 其 の価 値 は私 が独 大 使 館 か ら相 当 確 実
一問
っく り 之 を 読 ん で居 る余 裕 が なく な り 、寧 ろ簡 単 で手 取 り早 いも の
な資 料 を 入 手 し て居 た関 係 上 、 更 に 夫 れ以 上 のも のが 出来 た と思 ふ
答
を欲 す る様 に な り ま し た の で私 とし ても 写 真 を撮 影 す る こ とが 、 一
ス コウ中 央 部 でも 非常 に多 忙 にな って長 い文書 や複 雑 な報 告 書 はゆ
層 少 な く な った 訳 で あ り ます 。
の であ り ま す 。 そ し て私 の此 の諜 報 活動 の具 体 的 内 容 を 細大 漏 なく
用 し て呉 れ て居 た ので あ り ます 。 加 之 、 独 ソ戦 が勃 発 し て か ら は モ
私 が 独 大 使 館 で写真 を撮 影 す る とき は小 型 で脚 の要 ら ぬ取 扱 に便 利
詳 細 に申 上 げ る こと は、 非 常 な 日時 を要 す る こ と であ り ま す か ら、 私 が 現 在 比 較的 判 然 と記 憶 し て居 る 主 要 な事 件 に就 て の私 の諜 報 活 動 丈 を 選 び 出 し て 申 上 げ る こ と に致 し ま す。 即 ち其 の主要 な事 件 と し ては 、 次 の如 き も の を挙 げ る こ とが 出来 ま す。
攻撃 の意 図 と其 の準 備 。
第 十 二、 同 一九 四 一年 (昭 和 十 六年 )初 頭 に於 け る独 逸 の ﹁ 対 ソ﹂
ソ ﹂戦 に参 加 せし め ん とし た努 力 。
第 十 三、 同 一九 四 一年 ( 昭 和 十 六年 ) 六 月 以 後 独逸 が 日本 を ﹁ 対
使 節 の来 朝 。
第 十 四、 同 一九 四 一年 (昭 和 十 六年 ) 初 頭 に 於 け る ウ ォ ルター ト
デ ィルク セ ン大 使 来 朝 の使 命 に 関す る諜 報 の顛 末 如 何 。
二問
第 十 五 、 同 一九 四 一年 (昭 和 十 六年 ) に於 け る 日 米交 渉 。
第 二、 同 一九 三 六年 (昭 和 十 一年 ) に於 け る所 謂 二 ・二六 事件 。
ル ク セ ン大 使 来朝 の使 命 。
第 一、 西 暦 一九 三四 年 (昭 和 九年 )前 半 期 に於 け る フ ォ ン ・デ ィ
第 三、 同 一九 三 六年 (昭和 十 一年 ) に於 け る 日独 防 共 協 定 締 結 。
答
と した のに 対 し て 今度 は此 の単 調 に陥 って居 た日 独 関 係 を ば 、 一般
朝 した 使 命 は 、前 大 使 ゾ ル フが 日 独 関 係 を文 化 的 に 緊 密 な ら し め様
西 暦 一九 三 四年 一月 頃 デ ィ ルク セン が独 大 使 と し て 日本 に来
然 ら ば西 暦 一九 三 四年 (昭和 九 年 ) 前 半 期 に於 け る フ ォン ・
第 四 、 同 一九 三 七年 (昭 和 十 二年 ) よ り 同 一九 三 八年 (昭 和 十 三 年 ) に亘 る 独 逸 に 依 る 日支 間 の平 和 斡 旋 交 渉 。 第 五、 同 一九 三 七年 (昭和 十 二年 ) より 最 近 に 至 る 迄 の 日本 の軍
的 政 治 的 に愈 〓益 〓緊 密 に提 携 さ せよ う と し た の であ り ま す。
し て偶 然 の こと で は なく 、 寧 ろ 独 逸 政府 と し て計 画 的 に遣 った こ と
デ ィル ク セ ン大 使 が 日本 来 朝 前 ソ聯 駐 在 の独 大 使 であ った こと は決
事情報。
第 七、 同 一九 三九年 (昭 和 十 四年 ) に於 け る日 独 同 盟 問題 の提 起
抗 し て 日独 両 国 で提携 せ し め様 と策 し て居 た のであ りま す 。 即 ち 日
で あ り、 ソ聯 の事 情 に通 じ たデ ィル ク セ ン大使 を し て此 の ソ聯 に対
第 六、 同 一九 三 八年 (昭 和 十 三年 ) に於 け るリ シ ュコ フ事 件 。
と 平沼 内閣 の動 揺 。
戦 に対 す る態 度 。
第 八、 同 一九 三九 年 (昭 和 十 四年 ) に於 け る 日本 の第 二 次欧 州 大
此 の事 実 を 日 独 両 国協 力 の基 調 とし て、独 逸 は日 本 と の 関係 を 緊 密
し た が、 独 逸 も 之 に次 で 同年 十 月 国 際 連 盟 か ら脱 退 し ま した ので 、
本 は西 暦 一九 三 三年 (昭和 八年 ) 三 月 、先 に国 際 連 盟 か ら 脱 退 し ま
年 ) に 亘 る 日独 間 の太 平 洋 に於 け る独 逸 補 助 巡 洋 艦 に 対 す る物
第 九、 同 一九 三九 年 (昭 和 十 四年 ) よ り同 一九 四 〇 年 ( 昭和十 五
に す る こ と に依 って ヴ ェルサ イ ユ平 和 条 約 を 打 破 す る 一助 にし よう
し よう と し て居 た の であ り ま す 。 そ し て独 逸 の政 略 は日 本 と反 共 戦
採 る と 共 に、 他 面 国 際 連 盟 を脱 退 し て ヴ ェル サイ ユ平和 条 約 を 破 棄
とし た の であ り ます 。 詰 り独 逸 は当 時 ソ聯 打 倒 と 云 ふ積 極 的 政 策 を
資 補 給 交渉 。 第 十 、 同 一九 四〇 年 (昭 和 十 五年 ) に於 け る 日独 伊 三 国 同 盟締 結 。 第 十 一、 同 一九 四〇 年 (昭 和 十 五 年 ) か ら 同 一九 四 一年 (昭 和 十 六 年 ) に 至 る 迄 の松 岡外 務 大 臣 と独大 使 オ ット と の関 係 。
て其 の頃 デ ィ ルク セ ン大 使 は、 独 大使 館 で私 に向 って申 し た と こ ろ
田 外務 大 臣 の支 援 を得 て其 の使命 を達 成 し よう と し た の であ り ま し
臣 に 就 任 し て居 り ま し た の でデ ィ ルク セ ン大 使 は 大変 之 を 喜 ん で広
居 り デ ィ ルク セン大 使 が 日本 に来 朝 し た時 には 広 田 は 日本 の外務 大
モス コウ駐 剳時 代 に広 田 駐 ソ日本 大 使 と 非常 に親 密 な関 係 を持 って
棄 す る こと を強 要 し よう と し た の であ り ます 。 デ ィルク セン大 使 は
れ る代 り に、 ヴ ェルサ イ ユ平 和条 約 の負 担 を軽 減 す る か 又 は之 を 破
線 を結 成 し て其 の指 導 者 と な り英 国 や 仏 国 を し て此 の事 実 を承 認 さ
ク セ ン大 使 や オ ット及 ヴ ェネ ッカ両 武 官 等 に対 し て自 分 は社 会 問 題
為 す と ころ を知 ら ず と 云 った状 態 で あ りま し た 。其 処 で私 はデ ィル
答
件 に関 す る諜 報 の顛 末 如 何。
三問
を 作成 し之 を 伝送 に託 し て発 送 致 しま し た。
に依 って モ ス コウ中 央 部 に通 報 す る と 共 に、 最 後 に は詳 細 な 報告 書
ネ ッカ両 武 官 か ら聴 取 し、 之 を要 約 し てベ ル ン ハルト に命 じ ラジ オ
私 は其 の間 以 上 の事 情 を ば逐 次 デ ィ ルク セ ン大使 や オ ット及 ヴ ェ
ま した と ころ、 当 時 の同 氏 は現 在 の同 氏 と は違 って居 り非 常 に懐 疑
郷 氏 に逢 ひ、其 の意 向 を 打診 す る為 デ ィ ルク セン大 使 の意 見 を述 べ
であ りま し た 。其 の頃 私 は外 務 省 で現 在 は外 務 大 臣 と な って居 る 東
セ ン大 使 の此 の努力 は、 日 本 の外務 省 方 面 で余 り奏 効 し な か った様
と を標 榜 し て居 る こと を強 調 して居 る の であ り ます 。 然 し デ ィル ク
唱 へて居 る の に対 応 し て、 独 逸 も 亦欧 州 に於 て新 秩 序 を 建 設 す る こ
み な ら ず 、日 本 の外 務 省 の天 羽 情 報 部長 等 が東 亜新 秩 序 なる も の を
政 策 に 於 て は 日本 と共 通 の政 策 を 採 る も の であ る こと を強 調 し た の
りす る こと に依 り、 凡 ゆる機 会 を利 用 し て独 逸 は 反 ソ政 策 及 反 連 盟
ふ こ とが 認 識 さ れ る様 に な り、 デ ィ ルク セ ン大 使 や オ ット武 官 は 益
独大 使 館 では私 の意 見 や 考 へ方 が他 の館員 等 より も 優 れ て居 る と云
手 し て居 り事 件 全 般 に関 し て多 方 面な 識 見 を持 って居 り ま し た結 果 、
居 り ま し た の で、私 は尾 崎 や 宮 城 から 極 め て多 方 面 に亘 る情 報 を入
私 の諜報 グ ル ープ に於 て も亦 勿 論 此 の事 件 に 関 す る資 料 を 蒐集 し て
の文 書 を 入手 す る便利 を持 って居 り ま し た。
本 の軍 部 方 面 から 各 種 のパ ンフ レ ット 、 リ ー フ レ ット 又は 怪 文 書等
山 の資 料 を 蒐 め る こ とに な った ので あ り ます 。 特 に オ ット武 官 は 日
ま し た の で、 同大 使 館 でも 此 の方 面 に 注意 を喚 起 し出 来 得 る限 り 沢
を 研 究 し て居 る か ら と申 して 此 の事 件 の社会 的 方 面 を繰 返 し強 調 し
所 謂 二 ・二六事 件 が突 発 し た当 時 独 大 使 館 は大 体 に於 て茫 然
次 に 西暦 一九 三 六年 (昭 和 十 一年 ) に於 け る所 謂 二 ・二 六事
に依 り ます と 、 同大 使 は日 本 人 の有 力 者 と会 談 を 交 へた り雑 談 した
的 な態 度 を 示 し 、少 しも 熱意 を表 さな か った の であ り ます 。 又其 の
りま す 。
此 の事 件 に関 す る論 説 を 研究 執 筆 し た こ とは 前 に 申 上げ た通 り であ
私 は 独大 使 館 が此 の事件 に関 し て蒐 め た資 料 や独 逸 政 府 に送 った報
益 私 を 信 任 し て私 に接 近 す る様 にな った の であ り ます 。 尚 私 が後 に
ま し た が、 海 軍軍 令部 や 海 軍 省 方 面 に働 き 掛 け て居 たヴ ェネ ッカ海
告 書 等 を閲 覧 す る こと が出 来 ま し た の で、 其 の報 告 書 等 は全 部 写 真
当 時 オ ット武 官 は デ ィ ルク セ ン大 使 の命 を 受 け て日本 の陸 軍 参謀 本
軍 武官 の努 力 は 海 軍側 が非 常 に消 極的 な態 度 を 採 って居 り ま し た の
部 や陸 軍 省 方 面 に働 き掛 け て居 り 、 此 の方 面 では相 当 成 功 し て居 り
で殆 ど奏 効 しな か った様 であ り ま し た。
真 を 撮 影 す る様 に な った のは、 恰 度 此 の頃 か ら の事 であ り ま した 。
に撮 影 し て モ ス コウ中 央 部 に伝 送 致 しま し た。 私 が 独 大使 館 内 で写
入手 しま し た が 、其 の内 容 は海 軍 側 と陸 軍 側 と が此 の事 件 の為 相 当
尚 私 は此 の事 件 に関 し てヴ ェネ ッカ武 官 か ら 日本 の海 軍 側 の情 報 を
コウ中 央 部 にと って は特 に重要 な も の であ り ま し たか ら 、 此 の情 報
緊 張 し た状 態 に在 った と 云 ふ こと にあ りま し て 、斯 様 な 情報 は モス
も 同中 央 部 に通 報 し て置 い た ので あ り ます 。
モス コウ 中 央部 で は独 大 使館 側 の報 告 書 の内 容 が真 実 であ る か否 か
四問
と云 ふ こと よ りも 、 独 逸 の責 任 あ る 当路 者 が 此 の事 件 に対 し て如 何 に 判 断 し 、 且如 何 に対 処 せん と し て居 る か と 云 ふ こ とを重 要 視 し て
日 独 防 共協 定 締 結 に関 す る私 の諜 報 活動 は、 日 本 が果 し て如
次 に 西 暦 一九 三六 年 (昭 和十 一年 ) に於 け る日 独 防共 協 定 締
居 た 訳 であ りま し て、事 件 の真 相 に関 す る報 告 は 、寧 ろ私 の諜 報 グ
結 に関 す る諜 報 の顛 末如 何 。 答
ルー プ が別 に報 告 す べき こと であ った ので あ り ます 。 斯様 な 訳 で、
何 な る程 度 迄 独 逸 の同 盟 国 とし て独 逸 にと って有 利 な り や と 云 ふ点
私 はデ ィル ク セ ン大使 の 此 の事 件 に対 す る見 解 のみ な らず 日本 政府
の で私 が早速 訪 問 致 しま す と、 オ ット武 官 は今 日本 の陸 軍参 謀 本 部
を 主 眼 と し たも ので あ りま し た 。
で聞 い て来 た と こ ろ に依 る と 独逸 では 大 島 大使 と リ ッベ ント ロ ップ
当 局 が 如何 に し て此 の危機 を切 抜 け よ う とす る のか と 云 ふ問 題 に対
相 な観 察 を下 し て居 り同 事 件 は 日 本 軍 部 の無 智 から 起 き た も ので あ
と の間 で カ ナリ ー ス海 軍 大 将 を介 し て何 か協 議 が行 は れ て居 る様 子
す る 同大 使 の判 断 も モ ス コウ中 央 部 に報 告 し、 又 オ ット武 官 がデ ィ
り 小 さ な社 会 的 改 革 と 云 ふ様 な 政 治 的 指 導方 法 を実 施 す る こ と に依
で あ るが 、 此 の事 は自 分 も デ ィ ルク セ ン大 使 も全 く知 ら な いの であ
し て独 大 使 館 に参 り 、私 に向 って 同武 官 室 に来 て呉 れ と 申 し ま した
って容 易 に解決 出 来 るも の と判 断 し て居 りま し た。 又 オ ット武 官 の
西 暦 一九 三 六 年 ( 昭 和 十 一年 ) 三、 四 月頃 オ ット武 官 が 非常 に昂 奮
報 告 書 はデ ィル ク セ ン大 使 より も 少 し 調察 力 のあ る観 察 を 下 し て居
る。 此 の協 議 は何 か重 大 な こと で或 は 両 国 の同 盟 に関 す る交 渉 であ
ル ク セ ン大 使 の為 に献 策 し た之 等 の問 題 に関 す る報 告 も同 様 に報 告
り 、 此 の事 件 は 日 本軍 の無 智 と云 ふ が 如 きも の に因 る のでな く 、農
いと思 ふ。 就 て は自 分 は 独 逸陸 軍 の暗 号 電 報 を 打 ち度 い と思 ふ の で
る か も知 ら ぬか ら 独逸 の陸 軍参 謀 本 部 に問 合 は せ て通 知 し て貰 ひ た
致 し た の であ り ま す。 即 ちデ ィ ルク セ ン大 使 は 此 の事 件 に対 し て皮
民 の悲惨 な社 会 的 状 態 と 日本 軍 が近 年 非 常 に政 治 化 さ れ て居 る こと
是 非手 伝 って貰 ひ度 い。 然 し此 の事 は誰 にも 云 は ぬ と誓 約 し て貰 ひ
に 因 る も の であ り 、斯 様 な日 本 軍 の政治 化 は全 く 不 可 な こと で、 斯 様 に 日本 軍 が政 治 化 し て居 た の では仲 々 一朝 一夕 に は 此 の禍 根 を 除
自 宅 で其 の暗 号 電報 の組 立 を 手 伝 った の であ り ま す が、 オ ット 武官
が 独 大使 館 の他 の館 員 に此 の暗 号 電 報 の組 立 を頼 まな か った の は、
度 いと申 し ま し た の で、 私 は オ ット武 官 の申 出 を承 諾 し て同武 官 の
事柄 が絶 対 に秘密 を要 す るか ら で あ り まし た 。
去 す る こと が困 難 であ る と 云 ふ判 断 を 懐 き 、最 後 に日 本政 府 は此 の
あ ら う が 、若 し左 様 な る と之 が為 日 本 軍 の予 算 は相 当 削減 さ れざ る
事 件 に依 って起 さ れた 事態 を収 拾 す る 為 大規 模 な内 政改 革 を遣 る で
を 得 な いで あ らう と云 ふ予 測 を述 べ て居 り ま し た。
大 使 に此 の事 を告 げ た ので あ り ます 。 処 が デ ィル ク セ ン大使 は オ ッ
ま せん でし た。 之 が 為 オ ット武 官 は大変 煩悶 し て遂 に デ ィル ク セ ン
せ の暗 号 電報 を発 信 致 し ま し たけ れ ども 、伯 林 か ら は何 の回答 も 来
斯 様 な次 第 で、 オ ット武 官 は独 逸 陸軍 参 謀 本 部 に対 し て右 問 合 は
ハー ク来 朝 の使 命 は 日 本 の政 府 当 局 が 此 の同 盟成 立 に対 し て果 し て
割 って話 し始 め た の であ り ま す 。
情 は現 に日 本 の陸軍 参 謀 本 部 か ら聞 い て居 る と申 した ので漸 く 口を
ん で絶 対 に何 事 も 云 はう と し ま せ ぬ で した が、 オ ット武官 が其 の事
の で オ ット武官 が代 って会見 致 しま し た が ハー クは 最 初 か ら 口を緘
は大 体 詳 し い こと は電 報 では 云 へぬ。 オ ット武 官 自身 が 日本 の参 謀
其 の結 果 、 独 逸 陸 軍参 謀 本 部 か ら 漸 く 回答 が参 り ま し た。 其 の内 容
は せ の暗 号 電 報 を 発 信致 し まし た 。
の外 務 省 方 面 で夫 れ程 迄 も 日 本 と緊 密 な 関 係 を結 ん で良 いだら う か
在 リ ッベ ント ロ ップ が未 だ 独逸 の外 務 大 臣 に な って居 ら ぬ為 、 独 逸
て ハー ク の話 に依 れ ば 此 の 同盟 条 約 成 立 に対 す る 独 逸側 の難 点 は 現
に と前 置 き し乍 ら オ ット武 官 に色 々と打 明け た の であ り ます 。 そ し
は此 の交 渉 が ソ聯 側 に知 れ る と困 る か ら と申 し絶 対 に秘 密 にす る様
何 処 迄 日 本 の軍 部 と歩 調 を合 せ て行 く か と云 ふ問 題 や、 日 本 が 其 の
ト武 官 に向 って、 今 一度 陸 軍 の暗 号 を 使 用 し て問 合 は せ て見 た ら良
本 部 に行 って詳 細 を 問合 は せ よ と云 ふ こと であ り ま し た。
と云 ふ反 対 が起 き る か も知 れ ぬと 云 ふ こ と であ り ま した 。
か らう 。 然 し 其 の問 合 は せは ゾ ルゲ以 外 に は絶 対 に見 せ ぬ様 に し て
其 処 で オ ット武 官 が 日本 の参 謀 本 部 か ら聴 取 し て来 た内 容 詳 細 は 私
其 の裡 、 同 年 夏 頃デ ィル ク セ ン大 使 が独 逸 か ら戻 って参 り オ ット武
うか と 云 ふ問 題 を内 偵 す る こ と でも あ った の であ り ます が、 ハー ク
も 聞 き ま し た が今 覚 え て居 り ま せ ぬ。然 し其 の大 要 は 日独 両 国 間 で
官 に対 し て独 逸 の官 辺 では 全 然此 の交 渉 を知 って居 ら ぬ 。唯 日本 の
軍 事 方 面 に於 て如 何 な る程 度 迄 独逸 の強 固 な 同 盟 国 た り得 る であ ら
政 治 的軍 事 的 な同 盟 を締 結 す る為 目 下会 談 を し て居 る のであ るが 、
君 とゾ ルゲ 二人丈 で遣 って貰 ひた いと 云 ふ意 味 の ことを 申 し た ので
其 の間 に政 治 家 を 介 入 さ せ て却 って妨 げ ら れ な い様 に絶 対 に外 部 に
た の であ り ます 。
駐 独大 使 館 で左 様 な風 聞 があ ると 云 ふ こ とを 聞 いた に過 ぎ ぬと話 し
あ り ます 。 其 処 で オ ット武 官 は 又私 に手 伝 を頼 ん で再 び伯 林 に問 合
は知 ら さ な いの で 日本 の外務 省 も知 ら な いし独 逸 の外務 省 でも 関 知
であ り ま す が 、借 夫 れ が 愈 〓表 面 に 現 は れ て見 る と当 初 の政 治的 軍
軈 て、 其 の頃 此 の交渉 は 日独 両 国 政府 の方 に移 さ れ て続 行 さ れ た の
し て居 な い のであ る と云 ふ こと であ り ま し た。 因 み に、 未 だ其 の頃 リ ッベ ント ロ ップ は外 務 大 臣 に は な って居 ら ず ナ チ の幹 部 に 過 ぎな
事 的 同 盟 と 云 ふ強 力 な も の で はな く 、反 コミ ン テ ル ン協 定 と云 ふ薄
か った の です 。恰 度 其 の当 時前 に申 上 げ た ハー ク が独 逸 か ら 日本 に 派遣 さ れ て来 朝 し た の であ りま す 。 ハー クは リ ッベ ント ロ ップ と カ
様 な強 力 な 同 盟条 約 を 締 結 す る こ とを欲 し なか った か ら であ り ま せ
弱 なも ので あ り ま した 。是 は恐 ら く 日本 政 府 当 局 が 、当 時 独逸 と 左
う。
ナ リ ー スか ら の使 命 を帯 び て参 り 、 日 独間 の同 盟 成 立 の為 其 の連絡
ハー クが来 朝 した 時 、 生憎 デ ィル ク セ ン大 使 が帰 独 中 で あ りま し た
機 関 とし て活 動 す る為 で あ り ま し た。
な る 程 度持 って居 るか と 云 ふ事 項 に就 て の非 常 に詳 細 な報 告 書 を見
尚 其 の間 私 は オ ット武官 から 当 時 日 本 が対 ソ戦 に対 す る武 力 を 如何
セ ンセー シ ョナ ルな 通 報 であ ったと 思 います 。
の何 人 も知 ら ぬ こ と であ り ま し たか ら 、 同中 央 部 に と っても 極 め て
し たが 、 当時 斯 様 な 交 渉 が あ る こと は 極 少数 の関 係 者 以外 に は世界
ら 最 後 迄 此 の交 渉 の経 過 を逐 一無 電 で モ ス コウ中 央 部 に報 告 致 し ま
私 は曩 に 申 上げ た様 に オ ット武 官 と 一緒 に暗 号 電 報 を 作成 し た時 か
は防 共 協 定 の如 きも のと な った の であ る。 第 二に 防共 協 定 夫 れ 自 体
決 定 的 な行 動 に出 る 事 が 不可 能 であ り 、之 が為 日 独同 盟 締 結 の交渉
其 の要 旨 は 第 一に 日本 政府 内 部 の分 裂 の為 日本 は 現在 一致 団 結 し て
デ ィル ク セ ン大 使 の右報 告 の詳 細 な 内容 は現 在 覚 え て居 り ま せ ん が、
べら れ て居 り ま し た。
る こ とは 以 上 の様 な 理 由 か ら時 期 尚 早 で あ る と云 ふ意 味 の こと が 述
る も のと思 料 す る。 当 面 日 独 が軍 事 同 盟 を締 結 し て ソ聯 と戦 争 を す
た。
が無 意 味 な も の であ る為 、此 の協 定 は却 って日 本 政府 部 内 や 諸 政治
五問
団 体 方 面 に於 て寧 ろ 反感 を買 った 様 な状 態 であ る が、 斯 様 な 状態 は
中 央 部 に送 りま し た。
十 三 年 ) に亘 る 独逸 に依 る日 支間 の平 和 幹 旋交 渉 に関 す る諜 報 の顛
せ て貰 ひ、 又デ ィ ルク セ ン大 使 か ら も 日本 の有 力者 達 が此 の協 定 に
オ ット武 官 の右 報 告書 の内 容 は 、 先 づ第 一に 満 州 に於 け る 日 本軍 の
次 第 に改 善 さ れ て行 く であ ら う と 云 ふ趣 旨 の事 が書 か れ てあ り ま し
兵 力 を 調 査 し た も の であ り、 其 の数 は現 在 よく 覚 え て居 り ま せぬ が
末 如何 。
せ て貰 った の で、 敦 れ も之 を 写 真 に撮 影 し て フ ィ ル ムを ば モ ス コウ
慥 か 八 、 九 師団 でな か った か と思 ひま す 。次 に第 二 に ソ満 国 境 を 調
軍参 謀 本 部 の馬奈 木 大 佐 が オ ット武 官 の許 に参 り、 独 逸 は 日支 間 の
答
対 し て 如何 な る見 解 を懐 いて居 る か と云 ふ事項 に就 て の報 告 書 を見
査 し たも の であ り 、夫 れは オ ット武 官 自 身 が飛 行機 に乗 って其 の国
武 装 も 現 在 は 不充 分 な も のであ るか ら 日 本 は独 逸 の積 極 的 な 同 盟 国
あ り、 今 後 尚多 数 の兵 力 が 是 か ら養 成 さ れ ね ばな ら ぬ 。 又日 本 軍 の
も 常 備 十 六 箇師 団 程 度 で、 広汎 な 戦 争 に は到 底 堪 へら れ な いも ので
さ れ て居 り ま し た が、 更 に進 ん で日 本軍 全体 に就 て日 本 国内 の兵力
要 塞 其 の他 の軍事 上 の施 設 も出 来 て居 な いと云 ふ趣 旨 のこ と が指摘
分 な準 備 が 出来 て居 ら ぬか ら 、更 に兵 力 を増 強 す る必 要 が あ る、 又
載 し たも の であ り ま し て、 満 州 の日本 軍 には未 だ対 ソ戦 に対 す る十
介 さ せる こと が出 来 る 。就 て は駐 支 独大 使 に於 て 、 日支 双 方 の意 嚮
るが 、 一種 の ポ ス トボ ック スとし て の役 割 な ら駐 支 独 大 使 を し て媒
ヒ ット ラー自 身 が日 支 間 の仲 裁 に積 極的 に乗 出 す こと は不 可 能 で あ
しま した 。 す る と独 逸 政府 か ら の返 電 が参 りま し た が、 其 の内容 は
ルク セ ン大使 に報 告 す る と 同時 に、 他 方 で は之 を 独 逸政 府 に伝 達 致
を申 した ので あり ま す 。其 処 で オ ット武 官 は右 申 出 を 一方 では デ ィ
夫 れ は ヒ ット ラー自 身 が 出 馬 し て貰 はね ば なら ぬ と云 ふ意 味 の こと
仲裁 を し て呉 れる意 思 は な いか、 但 し若 し仲 裁 し て呉 れ る に し ても
西 暦 一九 三 七年 (昭 和 十 二年 ) 終 頃 と思 ひ ます が 、 日本 の陸
次 に西 暦 一九 三七 年 (昭和 十 二年 ) よ り同 一九 三 八年 (昭 和
境 地 帯 を 一巡 し て来 た時 の視 察 に 基 い て日 本軍 の国 境 警 備状 況 を記
と し て戦争 をす る こと は 不 可能 であ り 、尚 数 年 間 の準 備 を必 要 とす
に伝 へた と こ ろ蒋 介 石 は 承諾 し た。 然 し和 平 商議 は無 条 件 でな け れ
ラ ウ ト マ ンか ら 独 大使 館 に報 告 が来 て、 日 本側 の申 出 の趣 を 蒋 介 石
本側 に和 平 商 議 の用 意 が あ る こと を通 告 致 しま し た が、 間 も な く ト
そ し て独 逸 政 府 は 早速 駐支 大 使 ト ラウ ト マ ンを経 て蒋 介 石 に対 し 日
こ と であ りま した 。
日本 側 は果 し て如 何 な る 回答 を され る のか知 ら せ て貰 ひ度 いと 云 ふ
本 の和 平 条 件 も 知 ら せ て貰 ひ度 いが 、 独逸 政 府 の此 の提 案 に対 し て
を 聴取 し て之 を 双 方 に 伝 へて仲 立を さ せた いと思 ふ が、 其 の外 に 日
べて居 た の であ り ま す が、 オ ット武官 は之 に反 対 し て居 た の です 。
武 官 か ら 日 本 陸軍 参 謀 本 部 側 の意 見 を聞 きま した 時 、 そ ん な こ と で
駄 目 だ と 申 し て断 念 し て仕 舞 った の であ りま した 。私 は最 初 オ ット
介 石 の方 では到 底 承 諾 せ ぬ様 な 状態 に陥 り、 ト ラウ ト マ ンも之 では
要 求 は 段 々と過 大 な も のに な って行 く と屡 〓苦 情 を述 べ て居 り 、蒋
過 大 な も のと な って参 り ま し た の で、 デ ィルク セ ン大 使 は日 本側 の
日 本 軍 に攻 略 さ れ て仕 舞 ひ ま し た結 果 、 日 本 側 の要 求 は次 第 次 第 に
日 本側 の勝 利 に終 り 、 次 で西 暦 一九 三 七年 (昭 和 十 三 年 )南 京 迄 も
て貰 ひ た いと 云 ふ こ とを 申出 て居 り ま した 。然 る に其 の間 上 海戦 が
処 が事 実 は矢 張 り私 の意 見 通 りに な って仕 舞 ひま した 。
は済 ま ぬ、 後 で必ず 段 々と大 き な も のに な る だら う と 云 ふ意 見 を 述
私 は以 上 申 上 げ た経 緯 をば 直 接 デ ィ ルク セ ン大 使 が オ ット武 官 か ら
ば な ら ぬ が、 日本 側 の要求 が果 し て如 何 な る点 に在 る の かを 聞 か せ
斯 様 な 次第 で オ ット武 官 が 日 本 の陸 軍 参 謀 本 部 に 蒋 介石 の 回答 を 問
聴 取 し、 最 後 にデ ィ ルク セ ン大 使 が 西 暦 一九 三 八年 (昭 和 十 三年 )
て貰 ひ度 いと云 ふ こ と であ った と申 し て来 た ので あ り ます 。
る も の で はな い、 唯 北 支 及 上 海 に於 け る政 治 的 再 編 成 を要 求 す る程
一、 二月 頃 独 逸 政 府 に送 った報 告 を 見 せ て貰 って読 み、 其 の都 度 要
合 は せ ま す と、 同 参 謀 本 部 の返 事 は 日本 は特 に過 大 な要 求 を提 出 す
度 に 止 ま る であ らう と の こと であ り ま し た。 同 参 謀 本部 の斯 様 な意
写真 に撮 影 し て同 中 央 部 に伝 送 致 しま し た が 、 ソ聯 側 が此 の交 渉 に
対 し て最 も関 心 を 持 つ点 と し て私 が通 報 し た要 点 は第 一には 日本 が
旨 を ラヂ オ で モ ス コウ中 央 部 に通 報 しデ ィ ルク セ ン大 使 の右報 告 は
蒋 介 石 と 和平 を締 結 し て北 方 即 ち ソ聯 に向 は う と し て居 た こと 、第
嚮 が蒋 介 石 に取 次 が れま す と 蒋 介 石 の方 で は、 成 程 夫 れ は表 面 上 は
であ り ま す 。斯 様 な次 第 で、 デ ィ ル ク セ ン大 使 が蒋 介 石 の右 の様 な
か ら、 も っと公 式 な 責 任 のあ る 保障 が欲 し い と の回 答 を寄 越 し た の
二に は 日支 双方 が果 し て如 何 な る要 求 を 提 出 す る か、 之 に依 って日
結 構 だ が 、 日 本 の陸 軍 参 謀 本 部 単 独 の意 見 であ っては頼 り に な ら ぬ
回 答 を 広 田外 相 に伝 へま した と ころ 、 日本 政 府 部 内 では 未 だ 和平 条
支 両 国 の国 力 を 推 定 す る こと が出 来 る こと 、 第 三 に は此 の交渉 が 失
Ri chard Sorg e
年
生
佳
者
駒
事
敗 し た 結 果支 那 事 変 が非 常 に 長期 化 す る見 透 し が 付 いた こ と であ り
疑
件 に関 し て判 然 と した 意 見 が 決 ま って居 らず 、 是 か ら 会 議 を開 催 し
被
ました。
通
セン大 使 に向 って 、孰 れ に し ても 日 本 の要 求 は過 大 な も の では な い のであ ら う と云 ふ様 な 意見 を洩 し て居 た ので あ り ま す。 之 に対 し て
て決 定 す る も の の様 に 思 は れ まし た が 、 広 田 外相 と し ては デ ィ ルク
デ ィル ク セ ン大 使 と し て は今 少 し 具 体 的 な形 で日 本 側 の要 求 を 示 し
前同日
ープ が遂 行 し た 軍事 情 報 に関 す る 諜 報活 動 に就 て、 簡 単 乍 ら 一言説
次 に軍 事 情 報 蒐 集 に関 す る訊 問 が 出 ま し た の で、 〓 で私 の諜 報 グ ル
山
田 光
信 貞
夫
軍 の軍 事 上 の諸 計 画 や 政策 を始 め、 日 本 軍 部 の政 府 部 内 に於 け る 政
果 し て支 那 に向 ふ か ソ聯 に向 ふか 、 或 は南 に向 ふ か と云 ふ様 な 日 本
私 の諜 報 グ ル ープ で は 、只 今 申 上 げ た 様 な 政治 的 立 場 か ら 日 本 軍 が
明致 し て置 き ま す 。
右 通 事 を介 し 読聞 け た る に相 違 な き 旨 申 立 署 名 拇 印 し た り。
於 東 京拘 置 所
裁判 所 書 記 河
東 京 刑 事 地 方 裁 判 所 検事 局
吉
編成 、 及兵 力 の配 置 、 動員 、要 塞 其 の他 の諸施 設 の新 規 増 加 、 戦 車 、
数 の増 加 又 は飛 行 機 の改善 増 加 、 飛 行 基 地 の新 設 、拡 充 日本 陸 軍 の
治 的 役 割 や 空 軍 を 含 む 日 本 陸軍 の強 化 即 ち 日 本 陸軍 の機 械 化 、 師 団
事
検 第三十八回訊問調書 者
大 砲 其 の他 の最 新 鋭 兵 器 等 に 就 て諜 報 し よう と 努 力 を致 しま した 。
疑
そ し て之 等 の諜 報 は 、 日 本軍 が果 し て ソ聯 に対 す る戦 争 を企 図 し て
被
右 者 に 対 す る治 安 維 持 法 違 反 並 国 防 保安 法 違 反 被 疑 事 件 に付 、 昭 和
居 る か 、 又 は其 の準 備 を 進 め て居 る か と云 ふ点 に 重点 を集 中 しま し
リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ
十 七 年 三 月 七 日 東京 拘 置 所 に於 て検 事吉 河光 貞 は裁 判 所 書 記 山 田 信
た が 、 満州 に於 け る 日本 の兵 力 如何 は、 特 に此 の点 に関 し て重 要 な
次 に 西 暦 一九 三 七年 (昭 和 十 二年 ) よ り最 近 に至 る迄 の日 本
一問
夫 立 会 の上前 回 に引 続 き右 被 疑 者 に対 し 訊 問 す る こ と左 の如 し 。
は西 暦 一九 三 七 、 八年 (昭 和 十 二、 三年 ) 頃 から ソ聯 軍 と 同様 な編
私 の諜 報 グ ループ の活 動 に依 って判 明 し た と ころ に依 れ ば、 日本 軍
意 義 を 持 って居 た の であ り ま す 。
私 は 日 本 の軍 事 情 報 に関 す る諜 報 活 動 を致 し ま し た が、 夫 れ
の軍 事 情 報 に 関 す る諜 報 の顛 末 如 何 。 答
は単 に斯 様 な 軍 事情 報 夫 れ自 体 を目 標 に し て之 を 蒐集 し た訳 で はな
日本 の対 外 政 策 に重 点 を 置 いて 軍事 情 報 を蒐 集 せ よ と云 ふ趣 旨 の命
(昭 和 十 五年 ) 三 月 モ ス コウ 中 央部 か ら私 の諜 報 グ ルー プ に対 し て
訳 であ り ま す 。
が対 ソ戦 に対 し て如 何 な る 意図 を持 って居 る か を 示 す も の であ った
は 、 ソ聯 に と っては 極 め て重要 な こ と であ り 、 其 の こ と自 体 日 本軍
日本 軍 が斯 様 に ソ聯 軍 に対 抗 す る編 成 替 を 遂行 し て居 る と云 ふ事実
様 であ りま す 。
令 が 来 て居 り ま す が 、此 の命 令 は 只 今申 し た私 の立 場 を 明 白 に物 語
斯 様 な 点 に関 連 し て 日本 の海軍 の政 治 的 態 度 も 亦 極 め て重 要 な 意義
成 替 を 遂 行 し 、 此 の編 成 替 は私 が 検 挙 さ れ た直 前 迄 続 け ら れ て居 た
るも の であ り 、 此 の命 令 が発 せ られ た 以 前 に於 き ま し ても 、 私 は矢
を 持 って居 り ま し た の で、 私 は 日本 海 軍 に関 す る 政治 的 情 報 は努 め
く 、 日 本 の対 外 政策 如何 と 云 ふ政 治 的 問 題 に重 点 を置 いて、 此 の立
張 り 同 様 な 立 場 を採 って居 た こ とは 申 す 迄 も あ り ま せ ぬ。
場 か ら軍 事 情 報 を 諜 報 し た の で あ り ま し て、 後 に 西暦 一九 四〇 年
私 は特 に此 の点 を 冒頭 に申 上げ て置 き ま す 。
の で、 此 の方 面 の問 題 に就 ては 私 とし て も諜 報 は致 し て居 な いの で
とは 違 って ソ聯側 に於 き ま し ても 大 し た関 心を 持 っては居 な か った
て 之 を 蒐集 致 し ま し たが 、 日本 海 軍 の技 術 的 な 諸 問題 は陸 軍 の場 合
第 十 一、 日本 軍 の損 害
第 十 、軍 需 品 補 給
第 九 、支 那 に於 け る 個 々 の戦 闘 方 法
第 八、 兵 員 補 充
第 七 、 支 那 派 遣軍
第 十 二、 日本 軍 の飛 行 機
あ り ます 。 と 申 す 訳 は ソ聯 が今 後 日 本 と 開戦 す る場 合 には 其 の戦争
第 十 三、 日 本軍 の機 械 化
に は海 戦 と云 ふ も のが殆 ん どな く 、 陸戦 が主 な るも の であ る か ら で あ り ま した 。 偖 、 是 か ら独 大 使 館 に於 け る私 の日本 軍 の軍 事 情 報 に
第 十 四 、 将 校 の教 育
関 す る諜 報 活 動 に就 て申 上 げ る 訳 で あ り ま す が、 西暦 一九 三 七年 ( 昭 和十 二年 ) 支 那 事 変 勃 発 か ら 独大 使 館 では 日 本 軍 の現 状 を調 査
会 合 し ﹁支 那 事 変 に関 す る 日 本軍 ﹂ と 云 ふ事 項 の調 査 研 究 に着 手 し
私 は勿 論 月 々之 等 の報 告 書 を見 る こ とが 出来 ま した が、 其 の内容 は
であ り ま した 。
は、 之 に関 す る 詳 細 な調 査研 究 がさ れ て報 告 書 が作 成 発送 さ れた の
の諸 項 に亘 って居 り、 其 の外 支 那 で特 に重 要 な戦 闘 が 行 は れ た時 に
た の であ り ま す。
非 常 に価 値 あ るも の であ り ま し た の で、 其 の都 度 之 等 の報 告 書 を 写
第 十 五 、 日 本 の戦 時 経 済
そ し て其 の目的 は、 日 本 軍 の現 状 を出 来 得 る限 り適 確 に認 識 す る と
研 究 し よ う と云 ふ こと に な り ま し た が、 愈 〓支 那事 変 が勃 発 す るや
云 ふ こと で 、 オ ット大 使 や シ ョル武官 の手 に依 り 非 常 に豊 富 な資 料
り ま す。
真 に 撮影 し て、 其 の フ ィ ル ムは モス コウ中 央 部 に伝 送 致 した ので あ
オ ット大 使 を中 心 に シ ョル武官 と私 の 三名 が 集 ま り毎 月 日 を定 め て
が蒐 集 さ れ 、月 々決 ま って報 告 書 が作 成 され て伝 書使 に依 り 独逸 に
二、 増強 の状 態
一、動 員 状 況
そ し て斯 様 な調 査 研 究 を 継続 し て居 る 裡 に 、 日本 軍 全 般 の状 態 な る
通 報 さ れた の であ り ます 。
第 一、動 員 計 画 と其 の実 施
三 、 師 団数 と其 の番 号
も のが 愈 〓明瞭 に判 って参 り ま し た が、 就 中 日 本軍 の
第 二 、新 な る動 員 編 成
四 、 日 本 軍 の配 置
其 の報 告 書 の内 容 は極 め て広 汎 に亘 る も の で其 の内 主 なる も のを申
第 三 、衛 成 地
五 、 日 本 陸軍 参 謀 本 部 の作 戦 用 兵 の 一般 的 方 法
上げれば、
第四、装備
等 の諸 点 が 明 白 に判 って参 り ま し た。 加 之
第五、特殊部隊 第 六、 満 州 国 に於 け る軍 の配 置
六、 日本 軍 の再編 成
の であ りま し た が 、其 の後 は 寧 ろ宮 城や 尾 崎 の軍 事 情報 の方 が独 大
諜 報 グ ルー プ の宮城 や尾 崎 が蒐集 し て来 た軍 事 情 報 よ り も 貴重 な も
ソ聯 軍 に対 抗 し て西 暦 Ⅰ九 三 八年 (昭 和 十 三年 )頃 か ら 三箇 連 隊 で
例 へば前 述 の通 り 従来 は 四箇 連 隊 で 一箇 師 団 を編 成 し て居 た のが 、
す。 斯 様 な 次 第 で あ り ま し た から 、 私 は最 初 の聞 は宮 城 が 蒐集 し て
来 た色 々な 軍 事情 報 の中 で多 少 と も 疑問 に思 は れた り 不 確 定 と考 へ
使 館 の夫 れ よ り も価 値 の多 いも のと な った様 に思 はれ る のであ り ま
であ り ます 。
ト又 は シ ョル に告 げ て 其 の真 否 を 確 め た 訳 であ り、 オ ットや シ ョル
ら れ た も のは 、 之 を 独 大使 館 内 の前 述 の調 査研 究 会 に持 出 し て オ ッ
一師団 を編 成 す る と 云 ふ様 な こ と が行 は れ 始 め た こと も判 明 した の
そ し て此 の調 査 研 究会 は、 西 暦 Ⅰ九 四 〇年 ( 昭和十五年)夏頃迄活
報 等 は同 大 使 館 の調 査 に侯 つこと が 出来 ず 、専 ら 私 の諜 報 グ ループ
西暦 Ⅰ九 四 一年 ( 昭 和 十 六年 ) 七 月 以降 の日本 軍 大 動 員 に 関 す る情
は私 か ら斯 様 な 情 報 を 聞 く と東 西 奔 走 し て探索 し 、其 の真 否 を確 め
発 に続 け られ 、 其 の間 オ ット大 使 自 身 は特 に 日本 陸 軍 の軍 政 方 面 に
に関 す る事 項 を 自 極簡 単 に報 告 し て居 た に過 ぎ ま せ ん で した 。
に よ って諜 報 した ので あ りま す 。
関 す る報 告 を 致 し て居 り ま し た が、 最 も熱 心 に此 の調 査 研 究 に従 事
又 ク レ チ マー 武 官 も 日本 陸 軍 の軍 政 方 面 に 関す る調 査 研 究 に は多 少
借次 に私 は 独 大 使館 調 査研 究 会 で入 手 し た個 々の軍 事情 報 の具 体 的
て参 り私 に 知 ら せ て呉 れま し た の で、私 は之 に よ り宮 城 の軍事 情 報
関 与 し て居 り 空 軍武 官 グ ロナ ウと ネ ー メ ッツ は別 に毎 月 日 本陸 軍 の
な内 容 を説 明 申 上 げ 度 いと思 いま す が 、現 在私 の手 許 には 全然 資 料
蒐 集 活 動 を 巧 く 統制 す る事 が出 来 た ので あ り ます 。
支 那 に於 け る 作 戦用 兵 を報 告 し、 時 々日本 の飛 行 機 工業 に関 す る報
があ りま せ ぬ ので、 専 ら私 の記 憶 を 辿 って前 に申 上 げ た第 一乃 至 第
し て居 た シ ョル武 官 が 帰 独 し ま し た の で、 次第 に 不活 発 とな り ま し
告 も 之 に附 加 し て居 り ま し た。 加 之 オ ットと シ ョルとは 上 海 に 、 ク
然 ら ば 日本 軍 の動員 計 画 と其 の実 施 に関 す る情 報 の内容 如何
然 し、 後 に自 る と独 大 使 館 の右 調 査 研究 が 不活 発 にな り ま し た の で籍
レ チ マーは南 京 に 、 マ ッキ は漢 口 にと夫 々現 地 視 察 に赴 いて各 詳 細
二間
十 五 の各 項 に 付 、 夫 々其 の要 旨 を 申 上 げ る事 に致 しま す 。
ッキは 日 本 陸 軍 に於 け る各 種 の変 化 即 ち 軍 の増 強 新 派 遣 軍 や軍 政 等
な報 告 を 作 成 した ので あ り ま し て、 私 は 以 上申 上げ た 各 報 告 書 を 亦
日本 軍 の動 員 計 画 と其 の実 施 に関 す る情 報 は何 時 何 々師団 が
た。 尤 も其 の後 マ ッキ 武官 等 が シ ョルに 代 った の であ りま す が 、 マ
殆 ん ど規 則 的 に 各当 事者 か ら見 せ て貰 ひ之 を 写真 に撮 影 し て モ ス コ
答
ウ中 央 部 に 伝 送 し ま し た のみ な ら ず 、 ヴ ェネ ッ カ 海 軍 武 官 か ら は
った か 、之 等 の兵 隊 は 如何 な る兵 舎 に収 容 さ れ た か、 と 云 ふ様 な諸
動員 さ れ て大 陸 の何 処 へ派 遣 さ れた か 、 又 其 の動 員 には 何 日間 位 掛
点 に 関 す る時 々の情 報 で あ り ま し た。
日本 海 軍 の軍 政 方 面 に関 す る報 告 を 見 せ て貰 って 居 た の で あ り ま
斯 様 な 動員 が東 京 で行 は れ れ ば、 独 大 使 館 の武 官 は直 接 之 を観 察 し
す。
三九 年 (昭 和 十 四年 ) 及同 一九 四 C 年 (昭和 十 五年 ) 頃 迄 は 、 私 の
独 大 使 館 に於 け る 以 上 申 上げ た様 な日 本 の軍事 情 報 蒐 集 は 西 暦 一九
駐 在 の独 逸 領 事 館 か ら 之 等 の動員 に関 す る報 告 が集 め ら れ ま し た。
現 地 に 出張 し て観 察 し て来 た こと も あ り更 に 日本 、 満 州 、支 那 各 地
る か、 第 二 には 各 郷 土 の師 団長 の氏 名 、 第 三 に は例 へば第 一師 団 は
一には 例 へば 京都 は何 師 団 と云 ふが 如 く郷 土 の師 団 が第 何 師 団 に当
二十 箇 師 団 が 衛戍 し て居 る の であ り ま す が 、之 等 の衛 戍 地 に就 て第
日本 軍 の衛 戍 地 に関 す る情 報 と し て は、 日 本 内 地 及 朝 鮮 には
例 へば 西暦 一九 三九 年 (昭 和 十 四 年 ) に第 一師 団 が動 員 され た 時 に
支那 に派 遣 さ れ て居 る 如何 な る師 団 の人 員 及資 材 を補 充 し て居 るか
答
は 独 大使 館 の武 官 が直 接 之 を 目撃 し て居 り 市民 の熱 狂 的 な歓 送振 り
の補 充関 係 如 何 を 調 査 研 究 し た の であ り ま す 。
と 云 ふ が如 き、 内 地 衛戍 師団 の、 外 地 駐 屯 師 団 に対 す る人 員 及 資 材
て来 る 訳 であ りま す が、 時 に は 又 オ ットや シ ョル等 が大 阪 其 の他 の
等 も 具 体的 に報 告 さ れた 訳 で、 何 か 少 し 大規 模 な動 員 が実 施 さ れ れ
答 日本 軍 の装 備 に関 す る情 報 は 一箇 師 団 が曾 て は 四箇 連 隊 の歩
五問 次 に日 本 軍 の装備 に関 す る情 報 の内 容 如何 。
ば 、 順 を追 って次 々と之 に関 す る報 告 が続 け ら れ て居 りま し た 。 要 す る に支 那 事 変 勃 発 以 来 西 暦 一九 四〇 年 (昭 和 十 五 年 ) 夏 迄 に は、
兵 と砲 兵 一箇 連 隊 其 の他 工兵 大 隊 等 を 備 へて居 た の であ りま す が 、
総 計 約 四 十 箇 師団 の 日本 軍 が動 員 さ れ て居 り ま し た が、 此 の数 字 は 極 く 大 雑 把 な も の で あ り ま した 。
之 に更 に戦 車 隊 や 重 砲 隊 が 配属 さ れ て は居 ら ぬか と 云 ふ様 な日 本 軍
の外 に 重砲 を持 って居 り 、時 に は数 台 の戦 車 や戦 車 連 隊 さ へ持 ち 又
の機 甲化 状 態 を調 査 研 究 し た も の であ り ま す 。 即 ち或 る師 団 は 野 砲
砲 兵 隊 自 体 が強 化 され て居 る のみ なら ず 、 機 関 銃 は非 常 に増 強 され
答 最 近 に於 け る 日本 軍 の動 員 編 成 は 、独 逸 国 防 軍 の夫 れ を模 倣
三 問 次 に 日 本軍 の新 たな る編 成 に関 す る情 報 の内 容 如 何 。
し て極 め て複 雑 な も の にな って居 る の であ りま す 。
で、 口径 七乃 至 七 ・ 五 糎 のも の であ った の が其 の後 一〇糎 も あ る 大
て居 る の であ りま す 。 又対 戦 車 砲 を備 へて居 た り 、従 来 は軽 野 戦 砲
口 径 砲 が増 強 さ れ て来 た こと も判 明 し た の であ り ま す。
一旦解 消 さ れ て仕 舞 ひ、 其 の後 又 復 活 編 成 さ れ ま し た。 又当 初 には 第 百 一、 第 百 二と か 第 二 百 一、 第 二百 二 とか と 云 ふ様 な各 師 団 が編
六 問 次 に 日本 軍 の特殊 部 隊 に関 す る情 報 内 容 如 何 。
従 来 存 在 し て居 た第 八、 第 十 三、第 十 五 、第 十 七 の各 師 団 の如 き は
一乃 至 第 二十 九 の各 師団 が、 編 成 され る に 至 り 、遂 に は 三十 代 の師
成 さ れ て居 り ま し た が、 後 には 之 を 改 め て実数 主 義 を 採 用 し 第 二 十
即 ち 戦車 連 隊 、同 旅 団 、 同 師 団 が編 成 さ れ て居 る こ と 、重 砲 連 隊 の
て居 り ま し た。
答 日本 軍 の特 殊 部 隊 に 関 す る情 報 中 には 次 の如 き も の が含 ま れ
か ら九 迄 全 部 揃 って居 る か否 か は判 り ま せ ぬ でし た。
組 織 は 従前 は 四箇 連 隊 に過 ぎ な か った の が更 に数 個連 隊 増 設 さ れ て
団 迄 も 出 来 、 五 十代 の師 団 も編 成 され ま し た が 、 四十 代 の師 団 は 一
兎 に角 第 四 十 二、第 四 十 三 と 云 ふ が如 き 師 団 が 存 在 し て居 り 、 最後
居 り 、 満 州国 丈 で も 三、 四 箇連 隊 派遣 さ れ て居 る こと 、 又従 来 は千
葉 に 一箇連 隊 し か な か った 鉄道 連 隊 も増 設 さ れ 支 那 や満 州国 に は夫
に私 が検 挙 さ れた 直 前 に は全 部 で五 十 乃 至 六 十 箇 師団 存 在 し て居 た
次 に 日 本 軍 の衛 戍 地 に関 す る情 報 の内容 如何 。
の で あ り ます 。 四問
こ と等 も含 ま れ て居 り ま し た 。
尚 前 に は中 隊 組 織 であ った輜 重 隊 や衛 生隊 が大 隊 組 織 に増 強 さ れ た
が 、 果 し て夫 れ が 実現 さ れた か 否 か は知 り ま せ ぬ。
も の の編 成 が実 現 され 、進 ん で は飛 行 師 団 の組 織迄 計 画 さ れま し た
る師 団 では 特 に 敵 前 上 陸 を 其 の任 務 に課 せら れ て居 り 飛行 連 隊 な る
工兵 大 隊 組 織 が増 強 さ れ て 工兵 連 隊 に な って居 る こ と等 を 始 め、 或
夫 五 箇 連隊 宛 も派 遣 さ れ て居 る こ と騎 兵 連 隊 も増 設 さ れ て居 る こ と、
る と 云 ふ判 断 を 下 し て居 た の で あ りま す 。
日本 に於 け る最強 の軍 隊 で は な い、 寧 ろ朝 鮮 軍 の方 が遙 に精 鋭 であ
六 年 ) に ク レチ マー武 官 が出 掛 け て視 察 し た報 告 で は関 東 軍 は最 早
鋭 な軍 隊 であ る と認 め た の であ り ま す が 、 西暦 一九 四 一年 (昭 和 十
三五 年 三 六年 三 七年 と満 州 国 を 視 察 し た 結果 関 東 軍 は 日本 で最 も精
其 の国 境 防 備状 態 を視 察 し て報 告 し て居 り 、 オ ット自 身 も 西 暦 一九
独 大 使 館 附 武官 は其 の在 勤 中 少 く と も 一、 二 回 は満 州 に赴 い て特 に
八問 次 に 日本 の支 那 派 遣 軍 に関 す る情 報 の内 容 如何 。
戦 闘 の経 過 に は 詳細 に 地 図 に記 入 し て調 査 研 究 し て居 りま した 。
答 独 大 使 館 では 月 々 の会 合 で日 本 の支 那 派 遣 軍 の駐屯 状 態 や 各
七 問 次 に満 州 国 に於 け る軍 の配 置 に関 す る情 報 の内 容 如何 。
申 す迄 も あ りま せん が 、 関 東軍 は彼 の ノ モン ハン事 件 で、其 の政 治
の仏 印 進 駐 前頃 に 亘 って は、 日 本 軍 は 北 支 に 八箇 師 団 中 支 に 十 二箇
即 ち 西 暦 一九 三 九年 (昭 和 十 四 年 )か ら 同 一九 四〇 年 (昭 和 十 五 年 )
答 満 州 国 に は関 東 軍 の外 に 満 州国 軍 な るも のが 存 在 す る こと は
的 勢 力 を 減 少 し ま し た が、 是 迄 日 本 で色 々な政 治 的 役 割 を 演 じ て居
師 団 南 支 に十 箇 師 団派 遣 さ れ て居 り ま した 。
り ま す の で度 々報 告 に現 はれ て参 り ま し た 。
査検 討 され 後 に は 台湾 及海 南 島 に於 け る 日 本 軍 の集 結 状 況 、 近衛 師
関 東 軍 の増強 特 に其 の首 脳 部 の構 成 如何 が対 ソ戦 に 対 す る 日 本軍 の
団 が参 加 し た仏 印 北部 進 駐 の経 過 が 研 究 さ れ た の であ りま す 。 尚支
又 各 戦 闘 の経過 は軍 事 的 観 点 か ら詳 細 に 研 究 さ れ 上海 敵 前 上 陸 、南
要 塞 設 備 も 問 題 と な って居 り ま し た。
那 に於 け る 日 本 軍 の飛 行 基 地 とし ては 上 海南 京 漢 口蕪 湖 、 紹 興 、広
京 攻 略 、 徐 州戦 、漢 口攻 略 戦 、 バイ ヤ ス湾敵 前 上陸 、 と云 ふ様 に 調
関 東 軍 は 西 暦 一九 四〇 年 (昭 和 十 五 年 ) の大動 員 迄 は僅 々十 四 箇 師
は関 東 軍 の師 団 数 と其 の後 に於 け る増 強 状 態 であ り 、 又 ソ満 国 境 の
団 位 に過 ぎ ず 、 之等 の師 団 は全 部 は覚 え て居 り ま せ ぬ が、 第 一第 二
ま し たし 、 宜 昌 作 戦 に は 三十 代 の番 号 を 持 った 日本 の師 団 が 参加 し
東 徐 州 附 近 天 津 、 北京 及 北 京 漢 口間 に 二三箇 所 あ る こ とも 判 明致 し
動 向 の目 安 にな る 訳 で あ り ます が 、独 大 使 館 の報告 が 重要 視 し た の
第 四 第 八 第 十 二 第 十 四第 二 十 一等 々であ り 其 の外 一箇 乃 至 二箇 の騎
た こ とも 明 か に さ れ た の であ り ま す 。
兵 旅 団 と 一箇 乃至 二 箇 の戦 車 旅 団 や 約 百 台 の飛 行 機 が あ り、 要 塞 も 初 は東 部 国 境 に あ った の が ノ モ ン ハン事 件 後 に は ノ モ ン ハ ンや ハイ
九 問 次 に日 本軍 の兵 員 補 充 に関 す る情 報 の内 容 如 何 。
さ れ た こと で別 に大 し た事 柄 では あ り ま せ ぬ で した 。
答 日 本 軍 の兵員 捕 充 と し ては 極 く 少部 隊 が 日本 か ら 現 地 へ派 遣
ラ ル方面 に も建 設 され ま し た 。 然 る に其 の後 漸 次 増 強 され て 二 十 五箇 乃 至 三 十 箇 師団 と な り殆 ん ど 倍 に増 加 し た の であ りま す 。
の汽 船 が軍 に徴 用 さ れ て居 る状 態 であ り ま し た が之 以 上 に重 要 な情
で は殆 ん ど調 弁 さ れ て居 な か った ので あ り ま す。 之 が為 日 本 の多 数
次 に日 本 軍 の支 那 に於 け る個 々の戦 闘 方 法 に 関す る情 報 の内
次 に 日本 軍 の損 害 に関 す る情 報 の内 容 如何 。
日本 軍 の支 那 に於 け る損 害 と し て日 本 軍 当 局側 の公 表 を 基 礎
とし て調 査 し時 には 戦 線 か ら 送還 さ れ て来 る遺 骨 の数字 を計 算 致 し
答
一 二問
報 は あ り ま せ ん でし た 。
一 〇問
日本 軍 の支 那 に於 け る 個 々 の戦 闘 方 法 と し ては戦 略 的 に個 々
容 如何 。 答 の戦 闘 を観 察 研 究す る こと であ り ま し て 、 其 の主 な るも のを 申 上 げ れぱ 北 支 に於 け る戦 闘 は 第 -次 欧 州 大戦 に於 け る タ ン ネ ンベ ック
た の であ り ま す。
一
其 の結 果最 近 迄 の日 本 軍 の戦 死 は約 十 一万 であ り ま す が 此 の損 害 に
尤 も 上海 戦 に於 て岐 阜 と名 古 屋 の両 師 団 が大 き な 損 害 を蒙 った こ と、
あ った のであ り ます 。
関 す る 日 本側 の発 表 と支 那 側 の発 表 と の間 には 非 常 に大 き な差 違 が
包 囲 戦 を 企 図 し た も の で其 の着 想 は陳 腐 で不 成 功 に終 って仕 舞
徐 州 会 戦 は 包 囲磯 滅 戦 を企 図 した も ので其 の作 戦 は単 純 で矢
ひ ま し た。 二 張 不 成功 に終 って仕 舞 ひ ま した 。
真 実 の様 であ り ま した 。
上 海敵 前 上陸 は 日本 軍 の支 那 に於 け る 作戦 中 最 も 卓 越 した も の の 一つで あ り ま し て其 の作 戦 の着 想 が特 に優 秀 であ りま し た 。
答
一 三問
三
即 ち 第 一に は支 那 軍 が頑 強 に 守 備 し て居 る 正面 から 攻 撃 す る と
後 重 慶 爆 撃 に際 し て は優 れ た爆 撃 機 が現 は れ た こ と海 軍 側 の飛 行機
撃 機 、戦 闘機 、偵 察 機 の各 ζに就 て 調査 致 しま し た が 、欧 州 の水 準
広 東攻 略 も矢 張 り日 本 軍 の優 秀 な作 戦 の -つであ りま し て バ
は陸 軍 側 の 夫 れ よ りも 優 れ て居 る こと等 が判 明 した ので あ り ま す。
と 、 第 二 に は其 の結 果 日 本 軍 は 上 陸後 直 に蘇 州 を 経 て南 京 攻 略
イ ヤ ス湾 に敵前 上 陸 を敢 行 し た 日本 軍 は三 方 面 に分 れ て北 進 し、
は評 価 さ れ て居 り ま せ ん で した 。
又 日 本 軍 の飛 行 機 の爆 弾 命 中 率 は 独 逸側 か ら は次 の理 由 で余 り高 く
程 度 のも ので あ り特 に優 秀 な も のは あ り ま せ ん で した 。 然 る に其 の
左 翼 が先 づ 西転 し て香 港 と の連 絡 を 断 ち 次 で 申 央 が 西転 し て広
で投 下 し て居 た か ら であ り ま す 。
然 る に 西 暦 一九 四〇 年 及 翌 四 一年 (昭和 十 五年 及 翌 十 六 年 ) に な る
即 ち 其 の飛 行機 の照 準 器 や 降 下 器 が 優秀 な も の では な く 又氷 平 飛 行
と 日 本 軍 の飛 行 機 は機 体 か ら 何迄 非 常 に向 上 され て参 り ま し た が、
三 方 面 か ら 分進 し て広 東 に進 撃 し 忽 ち 之 を攻 略 した 点 は特 に注
日本 軍 の軍 需 品 は大 部 分 は 日 本 内地 か ら補 給 され て居 り現 地
次 に 日本 軍 の軍 需 品 補 給 に 関 す る情 報 の内 容 如 何 。
目 す べき 作戦 で あ りま し た。
東 を 衝 き 、最 後 に は遙 に北 上 した 右 翼 が 西転 し て広 東 に進 ん で
へと 向 って行 く こ と が可 能 であ った こと であ り ます 。
西暦 一九 三九 年 (昭 和 十 四年 )迄 の日 本 軍 の飛行 機 の型 を 爆
次 に 日本 軍 の飛 行機 に 関す る情 報 の内 容 如 何 。
共 に更 に支 那 軍 の手 薄 な 側 面 であ る 杭 州湾 か ら 上陸 進 攻 し た こ
四
答
一一 問
夫 れ でも 独 逸 か ら 来 た 飛 行家 は 日本 軍 の飛 行 機 は独 逸 の メ ッサ ー シ ん で し た。
過 ぎ て其 の反 面 に 、冷 静 に理 智 的 に判断 す る点 が欠 け て居 る ので は
独大 使 館 武 官 側 で は 日本 軍 の将 校 は 戦 闘 に 立 って突 撃 す る精 神 が強
兎 に角 西 暦 一九 四 一年 (昭 和 十 六年 ) 当 時 に於 け る 日 本 の飛 行 機 生
な い か と云 ふ印象 を持 って居 り ま した 。
ュミ ットや 英 国 の ス ピ ット フ ァイ ヤ に劣 る と申 し て居 り ま し た 。
一 四 問 次 に日 本 軍 の機 械 化 に 関 す る情 報 の内 容 如 何 。
産 額 は 一箇 年 六 千 台 と 踏 ま れ て居 た の であ りま す 。
独 逸 の夫 れ に做 って改 造 す る こと を 進 言 さ れ た結 果 、 十 八屯 の標 準
聞 く と ころ に依 れ ば山 下 奉 文 将 軍 が 独逸 か ら帰 朝 し 日本 の戦 車 には
べ て劣 勢 であ る こと が 証 明 さ れ た の であ り ま す 。
ま した 。 特 に ノ モ ン ハン事 件 に於 て は日 本 の戦 車 が ソ聯 の夫 れ に比
法 で あ り ます 。
即 ち サ ンド ・ボ ック スと は予 め模 型 を造 って作 戦 方法 を研 究 す る 方
法 を 輸 入 し之 を実 施 し て居 る 様 で あ り ま し た。
最 近 日 本軍 で は独 逸 国 防 軍 のサ ンド ・ボ ック ス (砂 箱 ) な る教 育 方
と評 し て居 た こと があ り ま した 。
い戦 車 に向 って突 撃 し た のを 目 撃 し た が之 は余 り に猪 突 精神 過 ぎ る
曾 て シ ョル武 官 が京 都 で演 習 を 見 て参 り将 校 が剣 を 抜 い て小隊 を率
型 戦車 が 計 画 さ れ ま し た が果 し て其 の後 此 の計 画 が実 現 され た か 否
答 日 本 軍 の戦 車 は支 那 事 変 を 通 じ て其 の発達 が頗 る緩 慢 であ り
か は 不明 であ り まし た 。
立法 、 第 二に 貯 蓄奨 励 、第 三 に軍 需 品 の生 産等 に 亘り 毎 月 報 告 書 が
答 日本 の戦 時経 済 に関 す る調 査 研 究 は第 一に戦 時 に於 け る各 種
一 六問 次 に日 本 の戦 時経 済 に関 す る情 報 の内容 如何 。
十 粁 以内 の中 戦 車 と 大 戦 車 が あ り 、中 戦 車 は九 屯 種 々な種 類 が あ り
従 来 日本 軍 に は 二人 乗 り の豆戦 車 、時 速 約 五 十 粁 の軽 戦 車 、時 速 二
共 の中 に は仏 国 の戦 車 を模 倣 し た も のも あ りま し た が廃 止 さ れ た も
た。
作 成 され て居 り 其 の中 に は米 穀 問 題 や食 糧 問題 も含 ま れ て居 り ま し
之 等 の資 料 は 最初 の間 は ば ら ばら な も ので あ り ま し た が若 し 之 を 纒
の と思 は れま す 。 重 戦 車 は 二十 屯 であ り ま し た 。 右 の軽 戦 車 は速 力
Ri chard Sorg e
年
者
が あり ます が 歩 兵 銃 の弾丸 が貫 通 す るも の で ノ モ ン ハンで は軽 戦 車
疑
める と す れ ば 実 に尨 大 な資 料 とな る 訳 で あ り ます 。
被
が ソ聯 の機 関 銃 弾 で貫 通 さ れ た様 な 有 様 であ り 、 中 及重 の各 戦 車 は 速 力 が 遅 い欠 点 が あ り ま し た。 其 の外 日 本 軍 で は歩 兵 の輸 送 に使 用
佳
生
駒
事
右通 事 を介 し読 聞 け た る に相 違 な き 旨 申 立 署名 拇 印 した り 。
通
前同日、
す る装 甲 自動 車 や大 砲 牽 引 車 等 も 設 備 さ れ 要 す る に 、戦 車 と歩 調 を 合 は せ て全 軍 が行 動 出 来 る様 に之 を 装 甲 自動 車化 す る こ と が実 現 さ
一 五問 次 に 日本 軍 将 校 の教 育 に関 す る情 報 の内 容 如 何 。
東 京刑 事 地 方 裁 判 所検 事 局
於 東 京拘 置 所
れ つ つあ った のであ り ます 。
答 日 本軍 将 校 の教 育 に 関 し ては何 等 注 目 す べ き情 報 は あ り ま せ
事
裁判 所 書 記 吉
七 河
ヨ 光
信 貞
夫
粗明 し ま ) た の で、 司参 謀 本 離 かろ 独 大 庚 館肘 武 官 に対 ) て之 を 通
て訊 司 き 礼 た結 果 ソ聯 内 の事 憎⋮ に就 (色 々な事 を知 って居 る 二と か
険
ン ユ コフを訊 習上 す る為 待 別 な随 者 を派 遣 ) て呉 れ と 申 し送 σ ま した
知 } て来 た の であ C ま す 、 其 処 C司 武 官 ぱ 独逸 本 コ 政 府 に甘 電 し リ
の費 、独 挽一 か ら特 債匹 が ヨ 本 に派 遣 さ れワ ン ェ コフか ら独 逸 の利 窒コ弱
第 三 十 九回 訊 苛 調 書
係事 項 を ぱ聴 取 す る こと に な った の であ , ま す .
﹂ ビア ル ぽ ・ノ ルゲ
右者 こ対 ず る冶 安 誰 痔 法違 反 並 国 防 保 安 法 違反 被 疑 事 件 に付 瑠 和 十
此 の独 逸 か ら の特 使 が 未 だ ヨ 本 に来 朝 しな い前 の 二と であ り ま す か
被疑 者
七年 Ⅰ 二月 八 ヨ東 京 拘 置 所 に於 て険 事 吉 何 光 貞 ぱ裁 判 所 書 記 七 ヨ 信 夫
ヨ本 側 の博 校 赫リ ン ユ コフか ら色 々な事 項 を 聴 取 し て之 を ン ヨル践
立 会 の上 前 回 く 引続 き 右被 疑 者 く対 )訊 苛 す る 二 と左 の如 2 .
官 に 知 ら せ て奇 越 しま した ので 、私 は更 に司 武 官 か ら其 の角 容 を 聞
次 に西 暦二 九 三 八年 (沼和 十 三年 ) こ於 ナ る リ ン ユ コフ事 件
. 知ン て Ⅰ 二、 四司﹁ にⅠ 旦0 之 を モ ス コク台 γ央 郭 に﹄ 引雷騨 報 出コ 致 しま した )
一司
西 暦二 九 三 八年 (沼 和 十 三年と ) ソ聯 のゲ ー ・ペ ー ・ブ : の=Ⅰ
ζ関 す る喋 報 の甑 末 如 何 ⊃ 答
⇒
↓
スタ : リ ソ並 ソ聯 共 産 党事 央 委 員 会 に引 対ず る⋮ 批雛
ワ ン 缶コフ当 身 の反 共 童主 義 約 腺 度
即 ら 其 の内 容 ま、
く 逮浦 さ れ ま した . 調 東 軍 で彼 を訊 笥 し て見 る と 彼 ま ソ聯 の政 治 及
等大 将 ) ン ユコフが ソ碕 国 境 を越 え て庸 州 ヨ に 亡A叩し (参 9調 宙伽 卓
軍事 { 翼 し て非 常 に豊 富 な知 識 を矯 っで屠 9黙 か もヨ ら進 ん で述 べ
ヨ
の勢力 が険 烈 で 且不 平 が 鯵積 し て居 る から . 若 し ヨ本 軍 が 一度
ン. ∼) ヤ に於 け る ソ聯 の赤 軍 の内 情 と し (司 軍 雫 に ぱ反 対 派
る と 云 ふ懸 変 であ つ ま し た⊃
立 って攻撃 す れ ば ソ聯 つ赤 軍 は Ⅰ朝 に し て騎 壊 ず る であ ら う と
私 と ン てぱ リ ン 臨コ フが亡 命 し た のぱ彼 醜 ソ聯 の眼 度 や 待遇 に対 し て不衛 を一 隈 いた の み な・ づず 、 ンベ リ ヤ で何 か不 正 な 所 為 を敢 て ン て
ンベ リ ヤ に於 げ る 赤 軍 の配 置 や軍 用 無 電 音 号
云 ふ , ン 隅コ フの意 見 四
腎 り折 柄 ゲ : ・ぺ ; ・ウ ー 内 の粛 正 工伶 β得 な 礼 て居 た為 彼 自 穿 も 滴 発 さ れ る虞 かあ ったか ら 費あ る と思 ひ ま した が、 ンベ ) ヤ く於 け
た赤 軍 の弱 点 を捉 へて、 ヨ 独 双 方 が ソ聯 て対 ) て軍事 行 動 を採 る危
等 であ り ま す が之 く私 の見 解 と ン てワ ン 亀コフ の報 告 中 に搬 凋 さ れ
険 性 が あ る こと を嚇 加 した ので あ 9 ます .
る彼 の友 人達 の㌍ に ぱ所 謂 反 対 派 のグ ル! プ が存 在 し (居 り ま レ た
傍 す る蜘 反 対 派 だ と主 振 ) た の で あ らう と推 察 し て居 り ま し た. 斯
の侍 使 ぱ前 途 の独 逸 坊 衛 部 の露 語 に 巧 み な堕 軍 大 佐 で 司 部長 カ ナ)
其 の裡 、 独 歯 の博 庚 か裏 朝 ) て宜陵 ﹂ ン ユコフ髪 訊 習. ) ま ) た か此
ので彼 も亦 満 用 コ に亡 命 し てか ら 、曝 に其 の亡 命 理・ ヨを政 冶 約 置漂
様 な 次 第 で私 ぱ裏 切 者 の言動 ぱ何 尋 も映 ま り切 った こと な の 怖 ﹂持 に
ー ス提 督 か ら 直腰 派 遣 さ れ たも の であ り 、私 ま此 の待 優 と 独大 債 館
彼 くぱ 興上 床を持 た な か った ので あ り ます . 処 が リ ン ユ コフぱ現 地 か ら東 京 に送 ら れ ヨ 本 の堕 軍 参 謀 本部 に依 っ
貰 ひ之 を通 読 し 其 の中特 に 重要 と思 はれ る部 分 の半 分 位 を 写 真 に 撮
タ ー の報 告 書 を 作 成 し ま し た の で、 私 は之 を シ ョル武 官 か ら 見 せ て
此 の特 使 は リ シ ュ コフ訊 問 の結 果 を纒 め て数 百頁 に 亘 る タ イプ ライ
内 で数 回 逢 って居 り ま す が 名 は知 りま せん でし た。
があ り オ ット大 使 を通 じ ては 極 く 概括 的 な提 案 が為 さ れ た の であ り
政 府 に齎 ら さ れ た の であ り ま す が 、大 島 大 使 を 通 じ ては詳 細 な申 出
は 独 逸側 か ら大 島 駐 独 大 使 及 オ ット大 使 の両 者 を通 じ て二重 に日 本
答
提 起 と平 沼内 閣 の動 揺 に関 す る諜 報 の顛 末 如 何 。
中 央 部 に伝 送 した の であ り ま す 。
ます。
西暦 一九 三九 年 (昭 和十 四年 ) に於 け る 日独 同盟 締 結 の提 起
影 し て、 フ ィル ムを ば 西 暦 一九 三九 年 (昭 和 十 四年 )初 頃 モ ス コウ
あ った の み なら ず 当 時 の日本 に は他 国 と 戦争 を す る丈 の準 備 が未 だ
し た。 其 の根 本 的 な政 治 的 理 由 は 当 時 の平 沼 内 閣 が結 局 寄 合 世帯 で
出. 釆て居 なか った か ら で あ りま す が 、 此 の交 渉 に現 は れた難 点 は独
然 し此 の交 渉 は徒 に長 引 き極 め て悲観 す べき状 態 に陥 って仕舞 ひ ま
は只 今 申 し た特 使 の報 告 書 が出 来 上 った 時 モ ス コウ中 央 部 に 対 し て
逸 の提 案 内 容 が 頗 る曖 昧 であ った こと であ り ま す。 即 ち 其 の提案 内
因 み に モ ス コウ中 央 部 で は前 に 申 上 げ た通 り私 が度 々リ シ ュコ フに
無 電 で斯 様 な 報 告 書 が 入用 か否 かを 問 合 せ た の であ りま す 。 す る と
関 す る報 告 を打 電 し た にも 拘 ら ず 之 に 関 心 を示 さな か った ので、 私
同 中 央 部 か ら は 判 明 し た こと は詳 細 に 知 ら せ よ と 云 ふ指 令 が参 り ま
一国 の敵 国 とな った も のであ る こと と云 ふ漠 然 た るも の であ り ま し
こと 、第 二 に其 の同 盟 の対 象 た る べき 外 国 は 日 独両 国 の内 敦 れ か の
た。
容 は 之 冷. 要 約 す れ ば第 一に 日独 両 国 は 政 治的 軍 事 的 同 盟 を 締 結 す る
って居 り乍 ら 、私 の方 から 決 って涌 報 し て居 た の で別 に 何 と も指 示
前 の防 共協 定 の際 には ソ聯 を対 象 とす るも ので あ り ま した が 今 度 は
し た ので 此 の報 告 書 の フ ィ ル ムを ぱ伝 送 し た訳 であ り ま し た 。
し て来 な か った の では な いか と思 ひ ます 。
対 象 が 確定 さ れず 、 英 国 を も其 の対 象 に包 ん で居 た訳 であ り ま す 。
恐 ら く モ ス コウ中 央 部 と し て は リ シ ュコフ の陳 述 に は相 当 関 心は 持
明 の様 な 重 要 で な いも の は捨 て、 重 要 な部 分 丈 を フ ィル ムに し て モ
って参 り対 象 た る べき 敵 国 は ソ聯 よ り も寧 ろ英 国 に 向 け ら れ る こ と
そ し て交渉 が進 展 す る に従 って漸 く独 逸 側 の提 案 の真 意 が明 瞭 とな
私 は 前述 の特 使 の報 告 書 申 リ シ ュコ フ自 身 の政 治的 立場 に関 す る声
ス コウ 中央 部 に伝 送 し た の であ り ま す が其 の内 容 は 、 シベ リ ヤ に於
の であ り ま す。 当 時 ヒ ット ラー と し て は オ ー スト リ ヤ 問題 は解 決 さ
が 判 り ま し た結 果 、 遂 に 平沼 内 閣も 其 の態 度 を 決 し兼 ね る に至 った
け る反 対 派 の活 動 、 シベ リ ヤ に於 け る 赤 軍 関 係 の諸 情 報 や 、 ウ ク ラ イ ナ に於 け る赤 軍 情報 等 であ り ま した が、 其 の内 シベ リ ヤ に於 け る
れ た が チ ェッ コ ・ス ロヴ ァキ ヤ とポ ー ラ ン ドは 尚未 解 決 の状 態 に 在
赤 軍 関係 の情 報 は実 に 詳 細 を極 め たも の で外蒙 を含 め て シ ベ リ ヤに
り 、 之 を解 決 す る 為 に は 如何 し ても 英 仏 と 一戦 を避 け る こと が 出来
ぬ 。英 仏 と戦 ふな ら 今 こそ絶 好 の時 期 であ り之 を延 ば せば 夫 れ 丈英
は大 略 二十 五箇 師 団 の赤 軍 が存 在 し て居 る と し て、 之 等 の各 師 団 に
次 に西 暦 一九 三九 年 (昭 和 十 四年 ) に於 け る 日独 同 盟 問題 の
付 夫 々駐 屯 地 及 編 成 装 備等 を詳 述 した も ので あ り ま し た。 二間
仏 側 に戦 備 が充 実 し て益 〓戦 争 は 困難 に な る と考 へて居 た様 に思 は
と が判 明 致 しま し た 結 果 、 独逸 と の条 約 締結 を実 現 し たも のと 思 は
然 る に ソ聯 は 私 の報 告 に依 って日 独交 渉 が英 国 に向 ふも ので あ る こ
れ る の であ り ま す 。 私 が以 上申 上 げ た 様 な 日独 交 渉 の経 過 を ぱ数 箇
れ る の であ り ま す。
り ま す。
斯 様 な 次 第 で 独逸 と し て は日 本 政 府 に 此 の同 盟 締 結 を 提 起 し た と き
三問
って之 を モ ス コウ 中 央部 に通 報 致 した こと は 申 す迄 も な い こと で あ
が 含 ま れ て居 た の です 。 即 ち 独 逸 と し て は其 の頃 早 く も ソ聯 と 極秘
州 大戦 に対 す る態 度 に関 す る諜 報 の顛 末 如何 。
月 に亘 って オ ット や シ ュタ ー マーか ら 聴 取 し、 其 の都 度 ラヂ オ に依
裡 に 交渉 を開 始 し て居 た の であ り ま し て オ ット は私 に対 し て此 の交
現 に対 英戦 を企 図 し て居 た ので あ り ま し て、 此 の交 渉 が 進 む に従 っ
渉 は 或 は 単 な る 中 立 条約 に 止ま らず 、 独 ソ間 の軍事 同盟 に迄 発 展 す
は最 早 日 本 が積 極 的 に戦 争 に参 加 す る で あ ら う と云 ふ様 な 空 虚 な期
答
て漸 次 其 の 鋒先 を 英 国 に向 け て行 った事 情 の裏 面 には 更 に 別 の暗 示
る か も 知 れ ぬ と 云 ふ こ とを 暗 示 し て居 り ま し た。 然 か も 平 沼 内 閣 が
九年 (昭 和 十 四 年 ) 九 月初 旬 に勃 発 し た 第 二次 欧 州 大 戦 に対 す る 日
待 は掛 け な く な った の で あ りま す 。 寧 ろ独大 使 館 側 で は西 暦 一九 三
独 大 使 館 側 では平 沼 内 閣 の後 継 内 閣 で あ る阿 部 内 閣 に 対 し て
次 に西 暦 一九 三 九年 (昭 和 十 四 年 ) に於 け る 日本 の第 二 次欧
独 逸 側 の提案 に対 し て態 度 を決 し兼 ね 、 一回 又 一回 と徒 に逃 げ 口 上 を 申 し て交 渉 を遷 延 さ せ た こと は 独逸 側 を非 常 に不 愉 快 に さ せ た訳
告 書 を見 せ て貰 ひ全 部 其 の内容 を偵 知 す る こと が出 来 た の み なら ず
本 の国 民 各 層 や各 集 団 の態 度 如 何 と云 ふ問題 の 調査 を 開 始 し た 訳 で、
斯 様 な 調 査 に従 事 し た オ ット 、 マル ヒタ ー ラ ー、 マ ッキ 、 リ ッツ マ
であ り ま す 。 恰度 其 の当 時 シ ュタ ー マー が 、 リ ッベ ント ロ ップ の特
ン等 か ら も 各種 の情 報 を 聴 取 す る こと が出 来 ま した ので 、其 の間 私
使 と し て来 朝 し有 田外 務 大 臣 等 と屡 〓会 談 し て此 の交 渉 成 立 を 援 助
れ る の であ り ま す 。 ソ聯側 と し て は此 の日 独 同 盟 締結 の交 渉 は極 め
態 度 を 採 った 平 沼 内 閣 に鉄 槌を 喰 は せた 様 な も ので は な いか と思 は
は ラヂ オ に依 って何 回 と な く之 を モ ス コウ中 央 部 に通 報 致 しま した 。
日本 側 各 方 面 の有 力 者 と会 見 し て談 話 を 交 へた り オ ット大 使 自 ら 政
て重 大 な 意 義 を 持 って居 り ま し た、 と申 す 訳 は ソ聯 は当 事 既 に独 逸
即 ち 斯様 な 調 査 の内 容 は 独 逸 側 に と って は頗 る 不 利 な も の であ り 僅
し ま し た が之 も其 の効 果 があ り ま せん で し た。 其 の裡 独 逸 が 西 暦 一
と前 述 の秘 密 交 渉 を 致 し て居 り ま し た の で日 本 と防 共 協 定 を 締 結 し
作 成 し て、 之 を 独 逸 政 府 に発送 し た の であ り ま す が 、私 は之 等 の報
た 独逸 が今 度 は日 本 と 如 何 な る交 渉 を し て居 るか と 云 ふ こ と は是 非
に陸 軍 の 一部 と民 間 の中 野 正剛 が指 導 す る団 体 を始 め 小林 提 督 、 末
府 当 局者 と会 談 した 内容 を 基礎 と し て数 十 回 に亘 る詳 細 な 報 告 書 を
と も知 って置 か ね ば な ら ぬ 事 で あ り ま し て、 若 しも 此 の日独 交 渉 が
と云 ふ意 思 は な く 、陸 海 軍 の大 部 分 と国 民 の大 多数 は独 ソ友 交 条 約
次 提 督 、大 島 将 軍 、 白 鳥 氏 等 以 外 は敦 れも 積 極 的 に戦 争 に参 加 す る
九 三九 年 (昭 和 十 四年 ) 八月 ソ聯 と不 可 侵 条約 で も なく 軍 事 同 盟 で
ソ聯 に対 す る 軍 事 同 盟 丈 で あ る とす れ ば ソ聯 とし ては独 逸 を全 幅 的
も な い 一種 の友 交 条 約 を締 結 す る に至 った のは或 る意 味 で は曖 昧 な
に信 用 し て居 り ま せ ん の で 独逸 の秘 密 交 渉 を 打 切 った であ りま せう 。
勢 力 が強 大 であ る証 左 であ る と 見 徹 し て居 り ま し た。 斯 様 な 次第 で
は 独 大使 館 も非 常 な憤 激 を 懐 き 、 此 の事 件 に は英 国 の日 本 に 於 け る
に 西暦 一九 四〇 年 (昭 和 十 五 年 ) 一月 惹 起 し た浅 間 丸 事 件 に対 し て
陣 営 に投 ず る の で はな いか と 云 ふ不 安 に 捉 は れ た の であ り ま す 。 殊
を 挙 げ る のに成 功 しま し た の で独 大 使 館 で は 日本 政 府 が直 接 英 米 の
な か った時 期 があ りま し た。 其 の間 日 本 で は 親英 米 派 が反 独 の気 勢
然 か も 独 逸 が ポ ー ラ ンドを 席 巻 し た 後 暫 く 独逸 が何 等 の成 果 も 収 め
あります。
な る も の に対 し て非 常 に 悪 い印 象 を懐 いて居 る こ と が判 明 し た ので
た が 倦之 等 の汽 船 の修 理 や 石油 其 の他 の貨 物 積 込 を 如何 にす るか が
側 の主 張 が 貫徹 し て之 等 の汽 船 は 日 本側 に引 渡 さ ぬ こと と な り ま し
ま し た の で先 づ 此 の問 題 に就 て協 議 が行 はれ ま し た 。 此 の場 合 独 逸
逸 の補 助 巡 洋艦 三隻 に対 す る 補 給用 に使 用 し度 い と云 ふ 希 望 が あ り
あ り ま す が 、独 逸 側 で は之 等 汽 船 を ば当 時 太 平 洋 で活 躍 し て居 た独
日 本 側 と し て は之 等 の独 逸 船 の内若 干 を買 入 れ 度 いと 申出 で た の で
さ れ た ので あ り ます 。
其 処 で独 大 使 館 附 海 軍 武 官 と 日 本海 軍 軍 令 部 等 と の間 に協 議 が開 始
の で、之 を 如何 に処 分 す る か と 云 ふ こ とが 当 面 の問題 と な り まし た 。
当 時 独逸 は 日本 に多数 の貨 物 汽 船 其 の他 の汽 船 を持 って居 り ま し た
本 大使 館 附 海 軍 武 官 遠 藤 氏 と の間 で協 議 され ま し た 。 そ し て此 の協
問題 と な った の であ り ま す。 之 等 の汽 船 全 部 を 動 か す とす れ ば 一万
議 は 日本 で は果 し て南 洋 に於 け る基 地 を 独 逸 軍 艦 に提 供す る用 意 が
此 の当時 の情 勢 は独 逸 側 には 何 れ も不 快 な も の許 り で独 逸 側 と し て
ので あ り ます 。 そ し て第 二次 近衛 内閣 が成 立 し てか ら は斯 様 な親 独
あ る か と 云 ふ問 題 に逢 着 し て、 非常 な困 難 に陥 り 長 引 いて仕 舞 ひ ま
は殊 更 日本 の不 信 な 態 度 に痛 く 憤 慨 し て居 た の であ り ま す 。
傾 向 が決 定 的 と な りま し た 。 ソ聯 側 と し て は私 の通 報 に依 って以 上
し たが結 局 此 の基 地 提 供 は実 現 さ れ ぬ こと と な った ので あ り ます 。
の協 議 は先 づ東 京 で行 は れ次 で伯 林 でも 独 逸 の海 軍軍 令部 と駐 独 日
申 上 げ た 様 な 日本 の態 度 を 知 り ソ聯 が 独 逸 と友 交 関 係 があ る ので 日
斯 く し て独 逸 の汽 船 二、 三隻 は 日本 で石 油 食 糧 ビ ー ル等 を積 込 ん で
屯 の石油 其 の他 相 当多 量 な物 資 が必 要 な訳 であ り ま し た。 此 の問 題
本 と し ては積 極 的 に独 逸 を 援 助 す る 様 な こと は し な いであ ら う 。 今
然 し 斯様 な空 気 も 独 逸 が 軈 てベ ルギ ー 、 オ ラ ンダ 次 で仏 国 に 於 け る
後 独 逸 が若 し 日本 を対 ソ戦 に 駆 立 て様 と し て も斯 様 な 日 本 の空気 で
出帆 し 日本 側 艦 船 から 今 何 処 に英 艦 が居 る と云 ふ こと を通 知 し て貰
軍 事 的成 功 を収 め た為 漸 次 解 消 し て寧 ろ親 独 的 な傾 向 を 生 じ 始 め た
は 日 本 は到 底動 か ぬ であ らう と 云 ふ 見 解 を採 って居 た も の と思 ひま
ふ様 な色 々な援 助 を受 け て南 太平 洋 に乗 出 し、 独 逸 の補 助 巡洋 艦 に
又 他 の独 逸 汽 船 数 隻 は 護 護等 を積 込 み英 国 の封 鎖線 を突 破 し ア フ リ
会 ひ物 資 を補 給 す る と 共 に罹 病 者 を 移 乗 さ せ て来 た のであ り ます 。
次 に 西暦 一九 三 九 年 (昭 和 十 四年 ) よ り同 一九 四 〇 年 (昭 和
す。 四間
カ喜 望峰 を迂 廻 し て独 逸 に帰 還 致 し ま し た。
又斯 様 な協 議 の間 に 別 の問題 であ り ま す が 日 本側 か ら独 逸 に対 し て
十 五年 ) に 亘 る独 逸 補 助 巡 洋 艦 に対 す る 物資 供 給 問 題 で協 議 に 関 す
西 暦 一九 三九 年 (昭 和 十 四年 ) 九月 一日第 二次 欧 州 大 戦勃 発
る諜 報 の顛 末 如何 。 答
護 謨 、 錫 、 亜 鉛 等 を供 給 す る相 談 が 成 立 し 日独 合 弁 の会 社 迄 設 立 さ
国 に対 し ても 発 動 す る こと と さ れま した が 、条 文 上果 し て如何 な る
此 の同 盟 条 約 では 最初 か ら ソ聯 ほ独 ソ友交 条約 の為 に除 外 さ れ居 り、
場 合 に此 の同 盟 が積 極的 に発 動 す る か と 云 ふ 問題 に関 し て、近 衛 首
主 と し て英 国 が 対象 と さ れ米 国 が 独 逸 に対 し て参 戦 した 場 合 に は米
で援 助 し た か に関 心を 持 って居 り ま し た の で私 は独 大 使 館 で当 初 此
な条 件 を 希 望 し た の に対 し て日 本側 は寧 ろ稽 ζ漠 然 た る条 件 を希 望
相 及 松 岡 外 相 と オ ット大 使 と の間 に協 議 が繰 返 され 、 独逸 側 は狭 義
れ た ので あ り ます 。
の協 議 に当 った海 軍 武 官 リ ッ ツ マ ン及 後 に代 った 同 ヴ ェネ ッカか ら
ソ聯 側 とし て は 日本 が独 逸 を 如 何 なる程 度 迄 そ し て又 如 何 な る方 法
其 の都 度 詳 細 を 聴 取 し 、 協議 発 展 の段 階 毎 に ラヂ オ で之 を モ ス コウ
し結 局 攻 撃 と 云 ふ点 で 一致 し た ので あ り ます が、 何 れ の国 が攻 撃 し
た のか の決定 権 は各 盟 約 国 に委 ね ら れ た の であ り ま す。 而 し て独 逸
中 央 部 に報 告 致 し ま し た 。
政 府 は 此 の同盟 締 結 に際 し 日 本 の東 亜 共 栄 圏 な る も のを承 認 致 しま
次 に西 暦 一九 四 〇年 ( 昭 和 十 五年 ) に於 け る 日独 伊 三国 同 盟
五問
し た が 只 仏印 と蘭 印 に対 し て は或 る種 の道 義 的権 利 を持 って居 り ま
締 結 に関 す る諜 報 の顛 末 如何 。 日 独 伊 三国 同盟 締 結 は 西 暦 一九 四〇 年 (昭 和 十 五 年 ) 七 月第
し て積 極 外 交 に 乗 出 さ う と し独 逸 と の同 盟 締 結 を期 待 し た の であ ら
勝 を博 し た直 後 の こと であ り ま し て、 日本 と し ては戦 勝独 逸 と提 携
か を 予 め 独 逸 に通 告 す る義 務 が 負 は さ れ て居 り ま し た 。
た の であ り ま す 。 只仏 印 に対 し て のみ は 日本 が如 何 な る 行動 を採 る
でも な く 、 又斯 様 な問 題 が日 独 両 国 の間 で協 議 され た 訳 で も な か っ
た 訳 であ りま す が 、 日本 側 が其 の道 義 的権 利 な るも のを 承 認 し た 訳
し た ゜即 ち独 逸 は仏 印 に 就 て は其 の本 国 た る 仏国 と現 に休 戦 条 約 を
答
う と思 は れ ます 。
私 は 以 上 申 上げ た様 な 畏 い交 渉 経過 を ば オ ット大 使 や シ ュタ ー マー
二次 近 衛 内 閣 が 松 岡氏 を外 務 大 臣 にし た時 か ら始 ま る の であ り ま す 。
松 岡 外 相 の右 申 出 と前 後 し て独 逸 側 か ら は大 島 駐 独大 使 や オ ット大
特 使 か ら 聴 取 し、 又独 逸 政 府 か ら シ ュタ ー マー に送 ら れ て来 た電 報
し た の で斯 様 な 客 観的 事 実 に基 いた 或 る種 の道 義 的 権 利 を 持 って居
使 を介 し て、 日 本 と の 同盟 締 結 の正 式 な 申 込 が あ り ま し た が、 松 岡
結 ん で居 り、 蘭 印 に就 ては現 に其 の本 国 オ ラ ンダを 占 領 し て居 り ま
外 相 は此 の申 込 に対 し て可 成 明 瞭 に応 諾 す る と 云 ふ回 答 を し た ので
の指 令 も見 せ て貰 ひ遂 一之 を モ ス コウ中 央 部 に ラジ オ で報 告 し、 最
松 岡 外相 は 独大 使 オ ット に対 し て目 本 は独 逸 と同 盟 を 締 結 す る こ と
あ り ま す 。 次 で シ ュタ ー マーが 独 逸 か ら特 使 と し て来 朝 し オ ット大
ソ聯 と し て は此 の同 盟 が ソ聯 に向 け ら れ た も ので あ る か否 か が最 も
後 に は報 告 書 を 作 成 し て伝送 致 し た の であ り ま す。
が 出来 れ ば結 構 であ る と の意 向 を話 し ま し た。 是 は 独 逸 が 仏 国 で大
使 と 一緒 に な って松 岡外 相 と の交 渉 を導 いて行 き ま し た。
仕舞 った の であ り ま す 。
重 大 なも の であ り ま し た が、 此 の問 題 は 前述 の様 に真 に解 決 さ れ て
斯 様 な訳 で同盟 条 約 は最 早 提 示 され た案 と大 し た変 更 な し に僅 々三、
ま せ ん でし た 。
四 週 間 の交 渉 で 日独 双 方 に受 諾 さ れ文 句 の修 正等 が 残 さ れ た に過 き
被
通
疑
者
生 駒
Ri chard Sorge
佳 年
事
右 通 事 を介 し読 聞 け た る に相 違 な き 旨 申 立 署 名撫 印 した り 。 前同日
山 河
田 信 夫
東京烈事地方裁判所検事 局
於東京拘置所
吉
光 貞
事
裁 判所書記 検 第四十回訊問 調書 者
る留 守 中 を ぱ 色 々政治 的 に利 用 され る 虞 の あ る こ とも よ く 承知 し て
居 りま した が 、 夫 れ に も拘 ら ず オ ット大使 と 二人 で敢 て此 の外遊 実
現 に努 力 し た訳 であ りま す 。松 岡 は オ ット に対 し て、 未 だ色 々政 務
が 残 って居 る か ら、 之 を 片 付 け た な ら ば外 遊 出 来 る で あ ら う と申 し 、
オ ット は 此 の外 遊 を ぱ 是 非 と も ヒ ット ラー 及 リ ッペ ント ロ ップ の正
式 な 招 待 と 云 ふ 公式 な も の にし よ う と 申 し共 の尽 力 を 約束 し た の で あります。
元 来 独逸 は 三国 同 盟 締 結 直 後 の日本 の態 度 に稽 ミ失望 を感 じ て居 た
の であ り ま す 。 と 申 す訳 は独 逸 とし て は 日本 が此 の同 盟 に依 って英
信 夫 立 会 の上 前 回 に 引続 き右 被 疑 者 に対 し訊 問 す る こ と左 の如 し 。
十 七年 三月 九 日 東 京 拘置 所 に於 て、 検 事 吉 河 光 貞 は裁 判所 書 記 山 田
右 者 に対 す る 治 安 維 持法 違 反 並 国 防 保 安 法違 反 被 疑事 件 に付 、 昭 和
る と 独逸 が 仏印 よ り獲 得 す る資 材 が夫 れ丈 少 く な って仕舞 ふ 訳 で独
し た の で、 今度 日本 が仏 印 を 大 東 亜 共栄 圏 に引 入れ 之 に介 入 し て来
仏 印 か ら は 護 謨其 の他 の資 材 を 独 逸 に 輸 入す る こ と にな って居 り ま
仏 国 と休 戦 条 約 を 結 ん だ際 、 仏 国 が 植 民 地 を領 有 す る こと は 承認 し
と し た こ と に過 き ま せ ん で し た。 然 か も 仏 印 に関 し て は独 逸 が襲 に
ころ 、 日本 が遂 行 し た こと は唯 仏 印 を ば大 東 亜 共栄 圏 に引 入 れ よ う
米 に対 し も っと強 硬 な 態 度 を採 る であ らう と期 待 し て居 り ま した と
次 に 西 暦 一九 四〇 年 (昭 和 十 五年 ) 九 月 日 独 伊 三国 同 盟 締 結
リ ヒ ア ル ド ・ゾ ル ゲ
一問
疑
直 後 よ り 同 一九 四 一年 (昭 和 十 六年 )七 月 松 岡 外相 の辞 職 に至 る 迄 の
被
間 に 於 け る 松 岡外 相 と オ ット大 使 と の関 係 に関 す る諜 報 の顯 末 如何 。
挨拶 を交 は し ま し た時 、 リ ッベ ント ロ ップ 外 相 は 松 岡 外 相 を独 逸 に
さ れ た 直後 松 岡外 相 と リ ッベ ント ロ ップ外 相 と が無 線 電 話 に依 って
く 迄 支 那 に対 す る も のであ り決 し て仏 印 の南 部 に迄 進 駐 し よ う とし
す 。 即 ち 日本 は 仏 印 の北 部 に の み進 駐 す る の であ って其 の目 的 は 飽
松 岡 は此 の問 題 に対 し て オ ット に形 式 的 な約 諾 を与 へた の であ り ま
来 ぬ こと であ り ま した 。
て大 東 亜 共 栄 圏 を 認 め て居 る以 上 正面 か ら抗 議 す る こと は絶 対 に出
逸 と し て は 此 の点 を心 配 した ので あ り ます 。 然 し独 逸 が 日本 に対 し
招待 し ま し た の で、 松 岡 外 相 は大 層 喜 び オ ット大 使 も 亦喜 ん で夫 れ
たり 仏 印 に対 す る仏 国 の主 権 を 侵 さ う とす る も ので は な い 。 従 って
西暦 一九 四 〇 年 (昭 和 十 五年 ) 九月 、 日 独 伊 三 国 同 盟 が締 結
で は 二 人 で独 逸 に行 かう では な いか と云 ふ相 談 が纒 ま り 、互 に 此 の
若 し 独 仏間 に条 約 があ れ ば 勿論 日 本 は之 を尊 重 す る と 云 ふ趣 旨 の こ
答
には 自 分 の外遊 を喜 ぱ ぬも のが あ る の み な らず 、 自 分 が 外 遊 し て居
訪 独 の実 現 に努 力 す る こ と とな り まし た 。 松 岡 外相 は時 の近 衛 内 閣
って居 た のは 次 の二 点 であ り ま し た。 即 ち 夫 れ は 、
条 約 が済 む迄 延 期 さ れ た ので あ り ます 。 私 にと って重 大 な意 義 を 持
あ り ま し た。 之 が為 松 岡外 相 と オ ット大 使 と の外 遊 は タ イ仏 印 仲 裁
後 廻 し に延 ば し て仕 舞 ひタ イ と仏 印 と の国 境 紛 争 調 停 と 云 ふ こ と で
次 に松 岡外 相 が打 った手 は 直 接 英国 に は向 はな い で此 の問題 は先 づ
完 全 に 日 本 の勝 利 に帰 した ので あ り ます 。
拘 ら ず 、 日本 は却 って仏 印 に 向 った と 云 ふ こ と にな り 此 の外交 戦 は
問 題 であ った訳 で独 逸 とし ては 日 本 が英 国 に向 ふ こと を 望 ん だ のに
し て片 付 け ね ば な ら ぬ政 務 が残 って居 る と 申 し た のは 此 の仏 印進 駐
とを 公 式 に約 束 し た の であ り ま す 。松 岡 外 相 が前 に オ ット大 使 に対
国 と 戦 争 を す る様 な言 説 を 述 べ て大 いに対 英 戦 を 煽 って居 た の であ
起 用 さ れ て独逸 に派 遣 され ま し た が独 逸 に在 っても 日本 は今 にも 英
考 へて居 り ま し た 。大 島 将 軍 は其 の裡松 岡 外 相 に依 って駐 独大 使 に
主 張 し て居 り ま し た が オ ット大 使 は 之 は 仲 々容 易 な こと では な いと
島 将 軍 であ り ま し て彼 は 日本 は早 晩 英国 と戦 端 を開 か ね ば な ら ぬ と
た訳 であ り ま す 。 そ し て之 等 の人 物 中 最 も 極端 な打 倒 英 国 論者 は大
は な く オ ット大 使 其 の他 が遣 って居 る こと を ば苦 々し い目 で見 て居
談 し て居 り ま した 、 時 の首 相 近 衛 公 も 副 総 理平 沼 男 も 之 を 知 ら ぬ 筈
を始 め大 島 将 軍 、 白 鳥 氏 、 小林 提 督 、 末 次 提督 や 中野 正剛 氏 等 と 会
団 体 と密 接 な連 絡 を 採 り 其 の勢 力 を 強 大 にし よ う と活 躍 し松 岡 外 相
へて居 り ま し た の で、 独 大使 館 を し て日 本 軍 部 や政 府 に対 し シ ンガ
逸 が之 と 同時 に英 本 土 に 上陸 作 戦 を 敢 行 す る こと が出 来 るも のと考
地 中 海 と 大 西洋 に於 け る英 国 の勢 力 を削 減 す る こと が出 来 る訳 で独
り ま す 。 此 の頃 独 逸 側 では 日 本 が立 って シ ンガ ポ ー ルを攻 撃 す れ ば
展 を し て行 く か 。
第 一には 三 国 同 盟 締結 後 の 日独 両 国 関 係 が 果 し て実 際 に如 何 な る 発
少 な く な って来 た こ と。
第 二 には 日 本 の眼 が次 第 に南 方 に 注 が れ北 方 に対 し ては 漸 次関 心 が
長等 が集 って日 本 軍 に 依 る シ ンガポ ー ル攻 略 の作 戦 計 画 を 論 議 研 究
海 軍武 官 、 ク レ チ マー 陸軍 武 官 、 グ ロナ ウ 空 軍武 官 、 テ ィヒ経 済 課
で独大 使 館 で は約 一週間 に 亘 って毎 日毎 日 オ ット大 使 、 ヴ ェネ ッカ
告 致 し ま し た。
し た の であ り 私 は 此 の会 合 に は出 席 し ま せ ん で し た が其 の資 料 は全
ポ ー ル攻 撃 を開 始 さ せる様 に 宣伝 さ せた の であ り ます 。 斯 様 な 次 第
其 の間 独 逸側 も拱 手 傍 観 し て居 た 訳 で はあ り ま せん 。 独 大 使館 と し
部之 を読 ま せ て貰 って知 る こ とが 出 来 ま し た。 要 す る に其 の研 究 の
であ り ま し て斯 様 な 立場 から 以 上 申 上 げ た 日 独両 国 関 係 は 極 め て重
ては 日 本 を ば英 国 に向 って駆 り 立 て る こ と に非 常 な 努 力 を 注 いだ の
大 なも の であ り ま し た の で私 は随 時 共 の経 緯 を モ ス コウ中 央 部 に 報
であ り ま す。 即 ち オ ット大 使 は 先 づ松 岡外 相 に働 き 掛 け ま し た と こ
こ とが 可 能 であ る が夫 れ には 奇 襲 攻撃 を敢 行 す る こと が先 決 条 件 で
結 論 は シ ンガ ポ ー ルは マレ ー半 島 の方 か ら攻 撃 す れ ば之 を攻 略 す る
り まし て、独 逸 側 と し ては 其 の間大 西 洋 方 面 を 攻勢 に出 て英 国 の勢
あ り 、 此 の攻 略 には 少 く と も 三 ヵ月 は必 要 であ ら う と 云 ふ こ と でああ
ろ 松 岡外 相 は夫 れに は 未 だ 日 本政 府 部 内 に反 対 が あ り今 日打 倒 英 国
明 を し た の であ りま す 。
を 主張 す る団 体 の勢 力 は 尚 微弱 で あ る から 時 期 尚 早 であ る と 云 ふ説
其 処 で オ ット大 使 は 日 本 に於 て打 倒 英 国 の積 極 的行 動 を主 張 す る 諸
力 を 引 付 け る こと に依 って間 接 に 日本 を 援 助 す る と 云 ふ こ と であ り
こ とは判 って居 り ま し た が其 の交 渉 の内 容 は 主 と し て経 済 的 で暫 定
独 大 使 館 側 で は松 岡 外 相 が モ ス コウ で ソ聯 側 と何等 か の交 渉 を す る
的 な も の であ らう と考 へて居 た の であ り ま し て 、真 逆 日 ソ中 立 条 約
ま し た。 独 大使 館 の武 官 等 は此 の研 究 の資 料 や 結論 を携 へて日 本 の
然 予 想 し て居 な か った こと であ る、 只 独 逸 と し て は日 本 が ソ聯 と の
参 謀 本 部 や 軍 令 部 に出 掛 け 盛 ん に シ ンガ ポ ー ル攻撃 の宣 伝 に努 め た
三時 的 な 摩 擦 を 解 消 す る為 何 か交 渉 す る で あ ら う と考 へて居 た に過
ット 大使 が独 逸 か ら 帰 った時 私 が直 接 之 を 尋 ね た と こ ろ同 大 使 は 全
私 は 独 大 使 館側 の 以 上 の様 な 宣 伝 活 動 を 見 て当 時 の独 逸 の状 態 は 日
ぎず 、独 逸 にと っては斯 様 な 日 ソ中 立条 約 は決 し て幸 福 な も ので は
が 締 結 さ れ様 とは 夢 に も期 待 し て居 な か った のであ り ます 。 其後 オ
本 の対 英 戦 を是 非 と も 必要 とす る程 度 のも のだ と 云 ふ印 象 を 受 け た
な い と明 瞭 に申 し て居 り ま した 。
の であ り ま す が、 日本 側 から は 唯 微 笑 のみ を 以 て迎 へら れ何 等 の回
の であ り ま す。 後 日 にな って明 ら か に な った こ と であ り ま す が、 独
答 も 得 る こと が 出来 ま せ ん でし た 。
逸 は 当時 既 に ソ聯 と 一戦 す る 決 意 を し て居 り之 が為 に 英 国 を し て 一
に向 って今 後或 は独 ソ関 係 が 悪 化 す る か も知 れ ぬと 云 ふこ とを 語 っ
た の であ り ま す が 、松 岡 外 相 の方 で は 日本 が ソ聯 と 何 等 か の交 渉 を
又 オ ット大 使 の話 に依 れ ば松 岡 外 相 の訪 独 中 ヒ ット ラー も松 岡外 相
す る こと を 漏 し た の み で中 立 条 約 締結 と 云 ふ様 な 重 大 な政 治 的 交 渉
し て居 た の であ り ま し た 。其 の後 西 暦 一九 四 三年 (昭 和十 六年 ) 四 月 先 づ オ ット大 使 が、 次 で二 三 日 遅 れ て松 岡 外 相 が 独 逸訪 問 に出 発
を す る こと は 云 は な か ったと の こと であ りま す 。斯 様 な次 第 で独 逸
時 で も余 裕 を与 へては な ら ぬ と 云 ふ 立場 か ら日 本 の対 英参 戦 を熱 望
致 し ま し た。 勿 論 松 岡 外 相 は ヒ ット ラ ー及 リ ッベ ント ロ ップ の公 式
の様 な 確 定 的 な条 約 を 締 結 す る こと は絶 対 に希 望 し て居 な か った訳
な 招 待 を受 け て出 掛 け た ので あ り ます 。 然 か も 独 逸 側 が松 岡 外相 の
であ り ま す 。 以 上 申上 げ た様 な 次 第 で 独逸 側 と し ては 最初 に期 待 し
ふ程 度 の交 渉 を す る こ とを期 待 し て居 た の であ り ま し て、 中 立 条 約
逸 の味方 に し て仕 舞 ひ独 逸 の政 策 に歩 調を 合 せ る様 な 気持 を懐 か せ
た と ころ と は次 の 三点 に於 て全 く 其 の予 想 を 裏 切 ら れ て仕 舞 った の
側 と し ては 飽 く迄 日本 が ソ聯 と の間 に存 在 す る緊張 を解 消 す ると 云
る こと、 第 二 には 松 岡 外 相 を し て シ ンガポ ー ル攻 撃 の決意 を持 た せ
来 訪 に対 し て期 待 し た こ とは 次 の三点 で あ り ま した 。 即 ち第 三に は
る こと、 第 三 には 独 ソ関 係 が若 し険 悪 化 した 場 合 に は 日本 を し て独
であ り ま す 。即 ち 夫 れ は第 一に は 松 岡外 相 が日 本 政府 の指 令 に依 っ
松 岡 外相 に対 し て非 常 に 大 掛 り な歓 待 を し て同 外 相 を し て完 全 に独
逸 の味方 と し て立 た せる こと で あ り ま し て、 之 等 の こと は当 時 独 大
った こと 、第 二 に は松 岡 外 相 が 独逸 側 の希 望 し な い様 な進 ん だ 条約
を ソ聯 と 締 結 し た こ と、 第 三 に は松 岡 外 相 が 外 遊 か ら帰 朝 す る と意
て独 逸 に 対 し て何 等 拘 束 さ れ る義 務 を負 った り 又 は言 質 を 与 へな か
外 にも 其 の地 位 が非 常 に 薄 弱化 し て居 り独 逸 側 に は極 め て不 利 な情
使 館 内 で は暗 黙 の裡 に当 然 視 さ れ て居 た こ と であ り ま し て、 伯 林 で
り ま せ ん が 、婉 曲 な表 現 で ヒ ット ラ _や リ ッベ ント ロ ップ か ら右 の
松 岡 外相 が ヒ ット ラー や リ ッベ ント ロ ップ と会 談 し た時 露 骨 では あ
三 点 を 松 岡 外 相 に 理解 さ せ る様 に話 さ れ た の であ り ま す。
勢 が 現 出 し た こと で あ りま した 。 加之 、 松 岡外 相 や オ ット大 使 が 西暦 一九 四 一年 (昭 和 十 六年 ) 四月 帰 って驚 いた こ と に は曩 の シ ンガ ポ ー ル攻 撃 は跡 形 も な く 立消 え と
検
疑
事
者
吉
河
光
貞
右 者 に対 す る治 安 維 持 法違 反 並 国 防 保 安 法違 反 被 疑 事 件 に付 昭 和 十
被
第 四 十 三回訊 問 調 書
七 年 三月 十 一日東 京 拘 置 所 に於 て検 事 吉 河 光 貞 は裁 判 所 書 記 山 田 信
リ ヒア ル ド ・ゾ ルゲ
た と ころ 、 近 衛 首 相 は あ れ は オ ット大 使 一人 が 遊 ん で居 る こ とだ と
頃 尾 崎 が 近 衛 首相 に シ ンガポ ー ル は如 何 な った のです か と 質 ね ま し
三問 次 に 西暦 一九 四 一年 (昭 和 十 六年 ) 初 に於 け る 独逸 の対 ソ攻
夫 立 会 の上前 回 に引 続 き 右 被疑 者 に対 し訊 問 す る こと 左 の如 し。
な り、 既 に 日 米交 渉 が開 始 され て居 た こと であ りま し た 。恰 度 此 の
答 へら れ た と の こと で あ り ま し た。 松 岡 外相 は帰 朝 後 右 の様 な 情勢
岡 外 相 自 身 斯 様 な 時 に は自 分 で結 んだ 条 約 を ば自 ら破 棄 す る 迄 一肌
内 閣 は日 本 には 有 り 得 な いこ と であ る と 云 ふ 意味 の こ と であ り 、 松
こ とを 聞 き ま し た の で其 の時 既 に独 ソ関 係 が悪 化 し た と 云 ふ印 象 を
係 を 結 び過 き て仕 舞 った ので 、独 逸 側 で は之 を 喜 ん で居 ら ぬ と云 ふ
使 の 口か ら 日本 は ソ聯 と中 立条 約 を締 結 し て余 り に 深 く ソ聯 と の関
使 が 相前 後 し て独 逸 か ら 日 本 に帰 った後 、 前 述 の様 に私 は オ ット大
答 西暦 一九 四 一年 (昭 和 十 六年 ) 四 月 下 旬 松 岡 外相 と オ ット大
撃 の意 図 と其 の準 備 に関 す る諜 報 の顛 末 如 何 。
を前 に し乍 ら オ ット大 使 に 繰返 し誓 約 し た こと は若 し独 逸 が ソ聯 と 開 戦 す れ ば日 本 は ソ聯 と の中 立 条 約 を 直 に破 棄 す る であ ら う 。 愈 〓
脱 ぐ と さ へ申 し て居 た ので あ り ます 。
受 け た の であ り ます 。
独 ソ戦 が開 始 さ れ た 暁 独逸 側 に立 って参 戦 す る こと を回 避 す る 様 な
以 上申 上 げ た様 な 情 勢 が ソ聯 側 に と って如 何 に 重大 なも の であ る か
と の指 令 が参 り ま し た が、 其 の指 令 は詳 細 な も ので地 図 に依 って具
す る 為 の措 置 を採 らね ば な ら ぬ と 云 ふ こ とを 日 本側 の軍 部 に伝 へよ
聯 側 では 西 部国 境 に軍 隊 を 集 結 し て居 る の で独 逸 と し ては之 に対 抗
之 と 同時 に独 逸 政 府 か ら 独 大使 館 の陸 軍 武 官 ク レチ マー に対 し て ソ
ふ こと を伝 へて居 りま し た。
さ せ ら れ た部 隊 もあ り 又 東 部 国境 に は独 逸 の要 塞 も 完 成 さ れ たと 云
で あ り ま す が、 之 等 の軍 隊 の中 に は仏 国 や 仏 国 の海 岸 地 方 から 移 駐
其 の後独 逸 か ら 日本 に来 朝 し た種 々な伝 書 使 や 附 添将 校 等 は交 々東
Richard sorge
は特 に之 を強 調 す る迄 も な いこ と であ り ま し て 、私 は逐 次 之 等 の情
者
部 国 境 に最 近 頻 々と独 逸 の兵 力 が集 結 さ れ て居 る報 告 を齎 ら した の 疑
報 を ラジ オ及 報 告 書 に依 って モ ス コウ 中 央部 に通 報 致 し て居 り ま し
被
年
生
駒 佳
事
た。
通
田 信 夫
右 通 事 を 介 し 読 聞 け た る に相 違 な き 旨 申 立 署 名拇 印 した り 。
於東京拘置所
前 同日
裁判所書 記 山
東京刑事地方裁判所検事局
と は全 く 無 関 係 に 事 が決 せら れ る の であ る と 云 ふ こ と であ り ま し た 。
あ る。 開 戦 か否 か は専 ら ヒ ット ラー の意 思 如何 に懸 る も の で ソ聯 側
求 を 承認 さ せ る こ とに な る か も知 れ な いが 其 の要求 の内容 は不 明 で
逸 と し て は或 は斯 様 な 軍 隊 の圧 力 に依 って ソ聯 を 圧 迫 し 独逸 側 の要
か 不 明 で あ る が独 逸 側 には 非 常 な大 規 模 な準 備 が完 了 し て居 る 、独
チ マー と話 し た時 聞 い た と ころ では 独 ソ間 は果 し て開 戦 迄 行 く か否
体 的 に ソ聯 赤 軍 の集 結 状 況 を 示 し て居 り ま し た。 私 が 其 の当時 ク レ
聯 政 権 も倒 れ る であ ら う 。 そ し て冬 に なれ ば シベ リ ヤ鉄道 は開 通 さ
か ら 後 に宣 戦 を 布 告 す る 段取 り であ る。 二箇 月 間 で赤 軍 は崩 壊 し ソ
す る こ と が出 来 る。 開 戦 に は最 後 通 牒 は出 さ ず 先 づ戦 闘 を開 始 し て
ら れる 。 是 丈 の兵 力 を 以 てす れ ば 一挙 に ソ聯 赤 軍 を 突 破 し て捕 虜 に
力 は モ ス コウ と レー ニング ラ ー ドに向 け ら れ後 に ウ ク ライ ナに向 け
甲化 さ れ た師 団 であ る 。 独逸 軍 の攻 撃 は 全 線 に 亘 って行 は れ 其 の主
十 個集 中 さ れ て居 り 之 等 の師 団 は総 て戦 車 を 持 って居 るか 、 又 は機
尚 対 ソ戦 と共 に エジ プ ト其 の他 に対 す る 手筈 も 整 って居 る 。 自 分 は
れ 日本 と の連 絡 が 付 く訳 であ る。
デ ィル ク セ ン の私 宛 の紹 介 状 を 持 参 し ま し た の で会 談 し て見 る と、
あ る か ら と 云 ふ こ と であ り ま し た。 シ ョル中 佐 の此 の独 ソ開 戦 に 関
是 か ら盤 谷 に赴 任 す る が秋 に な った ら 君 も 盤 谷 に来 な いか 、 仕 事 が
其 の裡 同年 五月 頃 前 に申 上 げ た ニー ダ ー マイ ヤ特 使 が来 朝 し て参 り
の 三点 であ る 。 即 ち第 一は欧 州 の穀 倉 ウ ク ライ ナ を占 領 す る こ と、
独 ソ開 戦 は既 定 の事実 と な って居 る が 独 逸 の目 的 と す る と こ ろは 次
す る情 報 は総 て的 中 し て居 り ま し た。 唯 開戦 の時 期 が 六月 二十 一日
を聴 取 す る こと が 出来 た の であ り ま す 。
第 二は 独 逸 の労 働 力 不 足 を 補 ふ為 少 く と も百 万 乃 至 二百 万 の捕 虜 を
私 は同 年 四 月 下旬 か ら独 ソ開 戦 迄 絶 え ず ラ ジ オ に依 って以 上 の各 種
と な り 一日 遅 れ た に過 ぎ ま せ ん でし た 。 オ ット大 使 は シ ョル中 佐 か
と の戦 争 が済 ん で から 後 再 び ソ聯 と戦 争 を独 逸 国 民 に強 ひ る こ と は
情 報 を ば モ ス コウ中 央 部 に通 報 し 之等 の情 報 は特 に 真 剣 な も のだ と
ら受 け た 秘 密 の指 令 を ば極 力 秘 匿 し て居 り私 に も漏 さず 其 の頃 シベ
不 可 であ る と考 へて居 る のであ る と云 ふ こと であ り ま し た。 更 に 同
得 て之 を農 業 及 工業 方 面 に使 用 す る こ と、 第 三 に独 逸 の東 辺 に存 在
月 中 に矢 張 り前 に申 上 げ た シ ョル陸 軍 中 佐 が 来 朝 し ま し た。 シ ョル
云 ふ警 告 を附 し て同 中 央 部 の注 意 を喚 起 し た の であ り ます が、 独 ソ
す る 危険 を根 底 か ら除 去 す る こと若 し此 の機 会 を 措 ては他 に機 会 を
中 佐 は オ ット大 使 に向 って判 然 と独 ソは 愈 ζ開 戦 す るか ら 之 に対 す
開 戦 後 モ ス コウ 中 央 部 か ら私 に対 し て貴 下 の労 を感 謝 す る と 云 ふ ラ
リ ヤ鉄 道 で帰 国 す る独 逸 人 に対 し ても 何 等 の警 告 を与 へな か った程
る措 置 を 採 れ と 極 秘 に伝 へた の であ り ま す が私 にも 色 々詳 細 な 話 を
ジ オ が送 ら れ て参 り ま し た 。
であ り ます が 、 私 は前 述 の通 り シ ョル中 佐 自身 か ら此 の貴 重 な情 報
し て呉 れ た ので あ り 、其 の要 旨 は独 ソ戦 は来 る 六月 二十 日 に 開 始 さ
二問 次 に 西 暦 一九 四 一年 (昭 和 十 六年 ) 六 月 以 後 独逸 が 日本 を 対
斯 様 な こ と は滅多 に な い こ と であ り ま す 。
ま し た 。換 言 す れ ば ヒ ット ラー と し て は ソ聯 と戦 ふ な ら今 だ。 英 国
れ る予 定 で二 、 三 日 延期 さ れる こ とが あ る か も知 れ ぬ が開 戦 の準 備
求 め る こ と が出 来 ぬと 、 ヒ ット ラ ー は考 へて居 る と 云 ふ こ と であ り
は 既 に完 了 し て居 る。 東 部 国 境 に は独 逸 軍 の師 団 が 百 七 十 乃 至 百九
て居 り ま し た が、 夫 れ は オ ット大 使 が松 岡 外 相 か ら 聞 い た内 容 と は
細 に 申 上 げ る様 に矢 張 り 其 の内容 は 二個 の重 要 な決 議 事 項 か ら 成 っ
多 少相 違 し て居 る のみ な らず 、 尾 崎 自 身 は寧 ろ前 述 の第 二 の点 に該
答 西 暦 一九 四 一年 (昭 和 十 六年 ) 六 月 二 十 一日頃 愈 〓独 ソ戦 が
ソ戦 に参 加 せ し め ん と し た努 力 に関 す る諜 報 の顛 末 如 何 。
勃 発 しま し た が 其 の直 後 であ る同 月 二 十 三 日頃 オ ット大 使 は 松 岡 外
は尾 崎 の報 告 の方 が 正確 を得 て居 り ま し た 。 即 ち私 と し て は此 の御
当 す る部 分 に重 点 を置 いて居 り御 前 会 議 の内容 に関 す る情 報 とし て
前 会 議 に依 って日 本 は北 方 に対 し ては 準 備丈 け を し て積 極 的 に対 ソ
独 逸 政府 の意 磨 を 伝 達 致 した の であ り ます 。 然 かも 此 の時 オ ット大
攻 撃 は遣 ら ず 、 寧 ろ北 方 の安 全 を 期 す る と 云 ふ措 置 を 講 じ 南 方 即 ち
相 を訪 問 し て 日本 は果 し て此 の戦 争 に参 戦 す る意 思 が あ る か と云 ふ
使 が受 け た印 象 で は松 岡 外 相 を始 め陸 海 軍 は暫 く 形 勢 を観 望 し よ う
斯 く し て 同年 七月 二日 の
会 議 の内 容 に関 す る情 報 とし ては 、 オ ット大 使 から 聴 取 し た 分 と尾
さ れ た と云 ふ印象 を受 け て居 り ま し た 。 斯様 な次 第 で私 は 此 の御 前
仏 印 方 面 に対 し ては積 極 的 な 軍 事 行 動 を 開始 す る と云 ふ こと に決 定
天 皇 陛 下御 親 裁 の御 前 会 議 が 開催 さ れ た
と 云 ふ状 態 であ り ま し た 。
った後 松 岡外 相 か ら聞 いた ので あ り ます 。 松 岡 外 相 が オ ット大 使 に
の で あ り ます が オ ット大 使 は 此 の会 議 の内 容 を ば其 の後 一週間 位 経
崎 か ら 報 告 を受 け た分 とを 共 に モ ス コウ中 央 部 に ラジ オ で通 報 致 し
であ りま し た 。
を 日 本軍 部 等 に宣 伝 さ せ、 モ ス コウ は 二箇 月 以 内 に陥 落 さ せ る であ
武 官 ク レチ マー に命 令 が参 り 独 ソ戦 に於 け る 独 逸 側 の未曾 有 の戦 果
展 開 し始 め た のであ り ます 。 即 ち 先 づ独 逸 本 国 政 府 か ら 独大 使 館 附
日本 をし て対 ソ戦 に参 加 さ せ る為 益 〓組 織 的 に積 極 的 な 政治 工作 を
ふ注 意 を 附 加 し て置 い た の であ り ま す。 斯 様 な 訳 で独 大使 館 側 で は
ま し たが 、 之 に は特 に尾 崎 か ら の報 告 が情 報 と し て正 確 で あ る と云
話 し た内 容 は 二 つの重 要 な 決議 事 項 であ りま し て、 夫 れ は 第 一は日 本 は 北 方 に対 し て は軍 備 を 拡 充 し て近 隣 か ら ボ ル シ ェヴ ヰ ズ ムを放 逐 す る 為 凡 ゆ る準 備 を なす こ と
然 かも オ ット大 使 は 之等 の決議 事 項 中 の第 一の点 を最 も重 要 視 し之
ら う と伝 へた り 六週 間 後 には ソ聯 軍 全 部 を殲 滅 し た ので今 後 戦 争 に
第 二 は 日本 は南 方 に対 し ては 積 極的 進 出 を継 続 す る こと 。
を ば 日 本 は 北 方即 ち満 州 に軍 備 を 充 実 し て近隣 即 ち 、 シベ リ ヤか ら
スト ックを 攻 撃 す る か と云 ふ計 画 さ へ立案 し た の であ りま し て、 オ
共 産 主義 を 放 逐 す る為 凡 ゆ る準 備 、 即 ち 軍 事 上 の動 員 を実 施 す る こ
ット大 使 と ク レチ マー武 官 は日 本 の軍 首 脳 部 、 東 条 陸 軍 大 臣 を 始 め
そ し て ク レ チ マー 武 官等 は 日本 軍 が如 何 に し て シベ リ ヤや ウ ラヂ オ
と 判 断 し て居 た の であ り ま す 。
杉 山 陸 軍参 謀 総 長 、 及 土 肥 原 将 軍等 を招 待 し て極 力 日本 側 の参 戦 を
堪 へ得 る ソ聯 軍 は 僅 々六 十 箇師 団 し か残 って居 ら ぬ と伝 へま し た 。
私 は 此 の御 前 会 議 の内容 は 只今 申 上げ た様 に オ ット 大使 か ら聴 取 致
勧 め まし た が、 松 岡 外相 や 日本 軍 部 側 では オ ット大 使 等 に対 し 日 本
と であ る と解 釈 し 此 の動 員 は取 り も 直 さ ず対 ソ戦 の開 始 であ る と考
し ま し た が夫 れと 同 時 に 尾崎 か ら も報 告 を 受 け て居 り 、謂 は ば両 方
へ、 第 二 の点 に は余 り重 点 を 置 か ず 日 本 の対 ソ戦 参 加 は 必 至 で あ る
面 か ら情 報 を 入手 し た の で あ り ます 。 然 し 尾崎 か ら の報 告 は後 に詳
又 ク レチ マー武 官 の方 では ソ聯 の極東 軍 の大 多 数 が シ ベ リ ヤか ら 引
か った の で、 同 大使 は 可成 苦 し い立 場 に陥 入 って居 た様 であ り ます 。
ット大 使 を 督 促 し て居 り ま し た が、 日 本 が 容易 に対 ソ戦 に参 加 しな
其 の間 伯 林 か ら は オ ット大 使 に対 し て何 回 とな く電 報 が参 り始 終 オ
の で益 〓日 本 参 戦 の意 見 を固 め て居 りま し た。
り ま す が、 オ ット大 使 等 は 日 本 が 愈 〓大 規 模 な 動 員 を 開 始 し ま し た
対 し 日 本 は 本年 中 は参 戦 しな い であ ら う と 云 ふ意 見 を 持 った の であ
参 戦 す る で あ ら う と 云 ふ意 見 を 懐 き ヴ ェネ ッカ武 官 と私 とは 之 に反
斯様 な次 第 で オ ット大 使 と ク レチ マー武 官 と は日 本 は 二 箇月 以内 に
進 出 し た時 に は日 本 は参 戦 す る と言 明 し て居 た ので あ り ます 。
ま し た。 そ し て独 逸 軍 が モ ス コウを 占 領 し少 く と も ボ ルガ 河 の線 迄
箇月 以 内 に は完 了 す る 見 込 であ る か ら と 云 ふ様 な こと を 申 し て居 り
軍 は 一般的 に は未 だ動 員 を 完 了 し て居 ら ぬ か ら待 って貰 い度 い、 二
独 逸 か ら送 ら れ て来 る各 種 の情報 が孰 れも 日 本参 戦 の為 の宣 伝 材 料
尚 私 は 当時 独大 使 館 情 報 宣 伝 課 で 仕 事 を致 し て居 り ま し た の で日 々
知 り ま せん で し た。
に関 し て何 か 或 る重 大 な協 議 が 行 は れ て居 る と云 ふ程 度 のこ と しか
会 議 の内 容 を 知 ら ず オ ット大 使 も ク レチ マー武 官 も 唯 日 本 軍 の動 員
崎 か ら具 体 的 な報 告 を 入手 し て居 り ま し たが 、 独 大使 館 側 では 此 の
に 関 す る最 後 的 な 決 定 を 見 た会 議 に就 て は私 は 後 に 申 上 げ た様 に尾
同 年 八 月 下旬 頃 開 催 され た日 本 軍 首脳 部 と関 東 軍 代 表 者 と の対 ソ戦
り ま した 。
を棄 てず 日 本 は 九 月 一日頃 には 参 戦 す る と 云 ふ考 へを 持 ち続 け て居
日本 参 戦 の希 望 を 棄 てる に 至 り ま した が 、 ク レチ マー武 官 は 尚 希望
其 の後 同 年 七月 中 旬 突然 松 岡外 相 が辞 職 し た ので遂 に オ ット大 使 も
印 象 附 け ら れ て居 たと 申 し て喜 ん で居 り まし た 。
であ り ま し た 。然 し オ ット大 使 は 松 岡 外相 が此 の文 書 を読 ん で大 変
私 は以 上 申 上 げ た様 な顛 末 を ば 逐 一モ ス コウ中 央 部 に ラジ オ で通 報
抜 か れ て 西部 戦 線 に送 ら れ て居 り現 に独 逸 側 で得 た ソ聯 軍 の捕 虜 の
す る と共 に 最初 か ら 日本 は参 戦 し な いで あ らう と云 ふ こと を報 告 し
て居 た かを 知 り ま し た 。
か ら之 と は反 対 な情 報 を 入 手 し て居 り ま し た の で ク レチ マー武 官 の
で あ る のを 見 て、 独 逸 側 が如 何 に日 本 を し て参 戦 せ し め様 と 努 力 し
宣 伝 を 否 定 し た 様 な こ とも あ りま し た 。 更 に オ ット大 使 は松 岡 外 相
た の であ り ま す が、 同 中 央 部 では初 の間 は私 の此 の報告 に対 し て懐
中 に は シベ リ ヤ の斯 く斯 く の部 隊 に 所 属 し て居 る と述 べ て居 る も の
が 独 ソ戦 参 加 を肯 じな い のは 日 本 が シベ リ ヤ か ら の空 襲 を 怖 れ て居
の報 告 を信 用 す る様 に な り 、其 の頃 此 の報 告 に対 し て特 に感 謝 の電
疑 的 な態 度 を採 って居 り ま し た 。然 し九 月 以 後 にな り ま す と全 く 私
も あ る と云 ふ こと を 宣伝 し た の であ りま す が 、 日 本 軍部 は他 の方 面
る か ら だ と考 へ、 空 軍 武 官 ネ ー メ ッ ツに命 じ て ソ聯 側 に は 日本 を空
三問 次 に西 暦 一九 四 一年 (昭 和 十 六年 )初 に於 け る ウ ォ ルタ ー ト
報 を送 って参 った の であ り ます 。
爆 出来 る様 な 新 鋭 の飛 行 機 は僅 か 五十 機 位 し かな いか ら 左様 な危 険 が絶 対 に存 在 し な いと 云 ふ趣 旨 の文 書 を 研 究 執 筆 さ せ、 之 を松 岡 外
使 節 来 朝 に関 す る諜 報 の顛 末 如 何 。
相 に手 交 し た こと が あ り私 も ネ ー メ ッツか ら 此 の文書 を借 り て読 み ま し た が 一見 余 り に芝 居 気 が多 い の で効 果 は 皆無 だ ら う と思 った 程
答 西 暦 一九 四 一年 (昭 和 十 六年 ) 初頃 独 逸 政 府 か ら 日 本 に 派遣
れ て居 た のであ り ます 。 即 ち 日 本側 で は経 済 的 方 面 の希 望 を纒 め て
節 の来 朝 自 体 は公 表 さ れ て居 り ま し た が其 の交 渉 の内容 は秘 密 に さ
交 渉 を 為 さう と す る こと に在 った の であ り 、前 に 申 上げ た様 に同 使
四 問 次 に 西暦 一九 四 一年 (昭 和 十 六年 ) に於 け る 日 米交 渉 に関 す
り 最後 に は詳 細 な報 告 書 を 作 成 し て伝 送 致 し た の であ り ま す。
私 は 此 の交 渉 の経 過 中 随時 ラジ オ で モ ス コウ中 央 部 に其 の情 報 を 送
斯 様 な情 報 は ソ聯 にと っても 極 め て重 要 な も の であ り ま し た の で、
が あ り ま し た。
る独 逸 の権 益 の保 障 、輸 出 品 の代 金 支払 等 。
護 謨 一箇 年 六 万 屯 、大 豆鯨 油 、 各 種 鉱 物 の輸 入其 の他 支 那 に於 け
独 逸 と新 し い経 済 的 条 約 を 締 結 し 度 いと 云 ふ こ とを 独 逸 政 府 に 申 込
さ れた ウ ォ ルタ ー ト使 節 の使 命 は専 ら 経済 的 のも の で日 独 間 の経 済
ん で居 り 、 独逸 側 で も亦 経 済 的 要 求 を 持 って居 り ま し た の で茲 に 日
る諜 報 の顛 末 如何 。
は ウ ォ ルタ ー ト使 節 や 独 大 使 館経 済 課 長 テ イ ヒ等 より 此 の交 渉 の内
当 局 を 始 め 三井 及 三菱 等 の実 業 家 と の間 で 行 は れ たも の であ り 、 私
此 の交 渉 は ウ ォ ルタ ー ト使 節 と 日本 の外 務 省 、商 工省 、大 蔵 省 、 各
開始 さ れ て居 り ま し た 。 そ し て当 面 独 逸 が知 り 度 か った こ と は此 の
通 り 形勢 は全 く 一変 し て居 り 、既 に同 月 中 旬 か ら 日本 の対 米 交 渉 が
松 岡 外 相 と オ ット 大 使 が 同年 四月 下 旬 外 遊 か ら帰 る と前 に申 上 げ た
追 って 申上 げ る こと に 致 し ます 。
外 相 時 代 か ら 次 に豊 田外 相 時 代 へと 移 って行 った の で私 も 其 の順 を
答 西 暦 三九 四 一年 (昭 和 十 六 年 ) に於 け る日 米 交 渉 は先 づ松 岡
独経 済 交 渉 が開 始 さ れ る こと と な った の であ り ま す が 、其 の交 渉 半
容 を聴 取 す る こ と に依 りま し て日 本 が果 し て独 逸 から 何 を 欲 し て居
交渉 が 如何 な る程 度 のも のか 、 三国 同盟 の立 場 か ら如 何 な る程 度 に
で 独 ソ戦 が勃 発 し た為 条 約 は 締結 さ れな か った の であ り ま す。
と の 一班 が判 明 し た の であ り ま す 。 日本 側 の要 求 は次 の如 く 三 大 別
オ ット大使 に 次 の様 な釈 明 を 与 へた の であ りま す 。 即 ち 松 岡外 相 は
進 ん で居 る も の か と 云 ふ こ とで あ り ま し た。 之 に対 し て松岡 外 相 は
る の か と 云 ふ こ と及 独 逸 が 又 日 本 か ら何 を 欲 し て居 る のか と 云 ふこ
にす る こ と が出 来 ま し た。 即 ち
まら な い ので あ って先 決 条 件 と な って居 る訳 であ る。 其 の二箇 の要
ては 二 箇 の要 求 を提 出 し て居 り之 等 の要 求 が貫 徹 さ れ ね ば交 渉 は纒
日 米 交 渉 は 三国 同 盟 を破 棄 す る も ので は な い、 少 く と も 日本 側 とし
第 一は 戦 時 経済 に 必要 な既 成 器 材 類 、例 へば機 械 、 戦 車 、 潜 水 艦 の 装 備 に 必要 な諸 器 材 、高 射 砲 等 。
得 る こと 、例 へば自 動 車 等 を 大 量 生 産 す る為 の設 計 、 計 画 等 。
第 二 は 戦時 に 必要 な物 資 を 大 量 生 産 す る為 に独 逸 から 各 種 の援 助 を
って居 り、 同 大使 の方 か ら松 岡 外 相 に対 し て、 聞 く と ころ に依 れ ば
す が、 オ ット大使 と し て は松 岡 外 相 の斯 様 な言 明 に対 し ては疑 を持
が商 船 護 送 制 度 を実 施 せ ぬ と云 ふ こと で あ る と言 明 し た ので あ り ま
求 とは 第 一は米 国 が対 独 参 戦 を せ ぬ と 云 ふ こ と であ り 、 第 二 は米 国
であ り ま し た。
行 機 等 の諸 特 許 。
第 三 は 戦 時 経 済 上重 要 な特 許 を 譲 受 く る こ と、 例 へば人 造 石 油 、 飛
又 独 逸 側 の要 求 は全 貌 は判 りま せん で し た が其 の 一部 とし て 、
此 の日 米交 渉 と関 連 し て私 は 西暦 一九 四 一年 (昭 和 十 六 年 ) 四 月末
で あ り ま し た。
如何 か と質 し た と ころ 、 松 岡 外 相 は 左様 な こ と はな いと否 定 し た の
日 本 は米 国 に対 し て支 那 と の仲 裁 を依 頼 し て居 ると の こと で あ る が
上海 か ら帰 るや オ ット 大使 に之 を報 告 す る と 共 に此 の情 報 は 特 に ソ
局 失 敗 す る の では な いか と 云 ふ印 象 を 受 け た の であ りま す 。
て居 た の であ り ま す 。私 は斯 様 な 情 報 を 得 ま し た の で日 米 交 渉 は結
相 が之 を 強 行 し よ う とす れ ば猛 烈 な反 対 に逢 着 す る であ ら う と 申 し
其 の後 松 岡外 相 が独 逸 の為 に提 出 し た前 述 の様 な要 求 が結 局 同 外相
で通 報致 し て置 い た の であ り ま す。
失 脚 の 一原 因 にな った の であ り ま し て、 斯 様 な 要求 を提 出 し た同 外
聯 に も重 要 なも の であ り ま し た の で、 早 速 モ ス コウ中 央 部 に ラジ オ
交 渉 が開 始 さ れ て居 る と 云 ふ こ とが新 聞 紙 上 に発 表 され る と 共 に 、
相 は 遂 に対 米交 渉 の邪 魔 物 と な って仕 舞 った訳 であ り ま す 。 オ ット
か ら 翌 五 月 に 亘 って オ ット大 使 か ら政 治 的 使 命 を受 け て上海 に旅 行
日 本 側 は 日 支 間 の和 平 を ば米 国 に依頼 し た と 云 ふ風 説 が立 ち 、 本多
大 使 が松 岡 外相 の失 脚 に就 て想 像 し た と こ ろ で は米 国 側 は 三国 同 盟
し た こと が あ り ま し た。 即 ちオ ット大使 は外 遊 から 帰 ると 突 然 日米
駐 支 大 使 が 米 国 に依 る対 支 和 平 仲 裁 に 反 対意 見 を具 申す る 為 、 日 本
を 締 結 し た松 岡外 相 を ば 交 渉対 手 に は出 来 ぬ と云 ふ立 場 を採 って居
が オ ット大 使 は豊 田外 相 とは 密 接 な関 係 が あ り ま せん でし た ので余
に帰 朝 し た と云 ふ こと が 伝 へら れ た の であ り ま す。
り詳 細 な こと は 云 はず 同 大 使 に は頗 る 不利 であ り ま し た 。豊 田外 相
其 の時 オ ット大使 と し て は何 処 か ら斯 様 な風 説 が出 た の か、 又 支 那
て此 の風 説 の出所 に就 ては 日米 交 渉 が此 の日 支 和平 仲 裁 問 題 を取 上
は矢 張 り 日 米交 渉 を続 行 しま し た が オ ット大 使 は同 外 相 と会 談 し た
と の こと であ り ま し た。 松 岡 外相 に代 って豊 田外 相 が 登場 し ま し た
げ て居 る に違 ひな い。 之 が 取 り も直 さず 斯 様 な 風 説 の根 源 な の であ
こ と か ら考 察 し て、豊 田外 相 に於 ては 松 岡前 外 相 が提 出 し た と 云 ふ
り 、 松 岡 外 相対 手 で は交 渉 に 応 じ ら れ ぬ と云 ひ出 し た ので は な いか
る と 考察 し ま し た が対 支 日 本 人 の態度 如何 に就 ては 現 地 に行 って見
前 述 の要 求 を ば 持 出 し て は居 ら ぬら し い。場 合 に依 っては 三国 同 盟
に於 け る 日 本 人各 層 は 此 の和 平 仲 裁 説 に対 し て果 し て如何 な る態 度
ね ば 判 り ま せん で し た の で、 特 に私 に向 って独 大 使 館 の伝 書使 と な
や気 分 を持 って居 るか と 云 ふ こ と を問 題 に し た ので あ り ます 。 そし
り 上 海 に行 って此 の問 題 を 調 査 し で来 て呉 れ と依 頼 し た ので あ り ま
を 破棄 し ても よ い と考 へて居 る の で はな いか と 思 って居 り 、 之 が オ
と の連 絡 を採 って貰 ひ日 本 総 領 事 、 外務 省関 係 者 二、 三 の実 業家 、
あ つた や う で益 〓心配 で堪 ま ら なか った 様 子 で あ り ま した 。
と 簡単 に答 へた 丈 け で オ ット大 使 と し ては 頗 る釈 然 た らざ る も のが
て豊 田外 相 に質 し た と ころ に依 る と、 同 外 相 は 三国 同盟 は存 続 す る
ット 大使 の 心配 の種 であ り ま し た。 そ し て オ ット 大使 が此 の点 に就
す。
陸 海 軍 現 地 首脳 部 特 に特 務 機 関 で旧知 の間 柄 であ る 宇 都 宮 大 佐 を歴
最後 に私 が同 年 十 月 十 八 日検 挙 され た直 前 頃 に は オ ット大 使 は 次 の
斯 様 な次 第 で私 は 上海 に赴 き 先 づ 独 逸 総 領事 館 を訪 ね て日 本 人各 層
れも 此 の和 平 仲裁 に は絶 対 反 対 であ り ま し て若 し近 衛 首 相 や 松 岡外
訪 し て色 々と意 見 を聴 き ま し た と ころ 、 其 の九十 パ ー セ ン ト迄 は敦
様 な見 解 を 懐 い て居 り ま し た。 即 ち 若 し 此 の際 米 国 が日 本 に対 し て
通
被
疑
年
生
Ri char d sorg e
佳
者
駒
事
右 通 事 を 介 し て読 聞け たる に相違 な き旨 申 立 署 名 撫印 し たり 。
或 る程 度 の譲 歩 を し た な ら ば 日本 は欣 然 之 に応 じ て 三国 同 盟 は 公 式 に は 破棄 され ず と も有 名無 実 に化 す る の では な か ら うか 、 近衛 首 相 前同 日 於東京拘置所
と豊 田外 相 と は 三国 同 盟 を犠 牲 にし ても 此 の交 渉 を纒 め 度 いと 熱 望 し て居 る の であ る。現 在唯 一の希 望 は米 国 が 日 本 の真 剣 さ を理 解 し
吉
山
河
田
光
信
貞
夫
東 京刑 事 地 方 裁 判 所 検 事 局
事
裁 判所 書 記
な い程 馬 鹿 であ る こと で あ る。 若 し左 様 な れ ば茲 に 日米 戦 争 が 勃 発
検
者
す る であ らう と云 ふ こと で あ り ま し た。
疑
リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ
答 私 は既 に 西暦 一九 三 六 年 (昭 和十 三年 ) 頃 か ら 独 大使 館 に於
一問 被 疑者 の独大 使 館 に於 け る積 極 的 な 政 治 工作 の顛 末 如 何 。
夫 立 会 の上 前 回 に引 続 き右 被 疑 者 に対 し訊 問 す る こと 左 の如 し。
七年 三 月 十 三 日東 京 拘 置 所 に 於 て検 事 吉 河 光 貞 は裁 判 所 書 記 山 田信
右 者 に対 す る治 安 維 持 法違 反 並国 防 保 安 法 違 反被 疑 事 件 に付 昭和 十
被
第 四 十 二 回訊 問 調 書
日米 交 渉 の経 過 は ソ聯 側 に と っても 次 の三 点 か ら極 め て重 大 な 意 義 を持 って居 りま した 。 即 ち 夫 れ は 第 一は、 若 し 日 支 関係 が 日米 交 渉 に よ って改 善 さ れ た場 合 には 日 本 は兵 力 等 に余 裕 を 持 つ こと にな る が夫 れ は ソ聯 に と って警 戒 す べ き こ と であ る 。 第 二 は、 若 し 日米 交 渉 が成 功 す れ ば 日米 両 国 は友 交 関 係 を 結 び相 協 同 し て反 ソ的 な 政 策 を採 る危 険 があ る こ とで あ る 。
ソ聯 の影 響 下 にあ る 勢 力 が 日米 交 渉 の成 功 に 依 り 果 し て如 何 な る
第 三 は、 ソ聯 の在 支 勢 力 即 ち赤 化 地 区 は 申 す 迄 も な く重 慶 政 権 内 で
申 上 げ た様 な独 大 使 館 側 か ら の色 々な情 報 を ば 私 自 ら直 接 オ ット大
や 宮 城 か らも 各 種 の情 報 を 蒐集 し て貰 ひま した が 、 之 と 同時 に先 程
象 で あ り ま し た の で私 は後 に 申 上げ る通 り 私 の諜 報 グ ループ の尾 崎
斯 様 な訳 で日 米 交渉 の内容 や此 の進 展 は ソ聯 側 に と って も興 味 の対
と 云 ふ こと であ り ま し た。
見 を 開 陳 し 得 る機 会 が ある のだ が 如 何 し よ うか と云 ふ意 味 の相 談 を
が対 ソ戦 に参 加 す る か否 か と云 ふ当 面 の重 大 問 題 に就 ても 尾崎 の意
る近 衛 側 近 者 の間 で は尾 崎 の意見 が相 当 重 きを 置 か れ て居 り、 日 本
年 ) 六 月 独 ソ戦 が勃 発 した 直 後 尾崎 が私 に対 し て尾 崎 が連 絡 し て居
へか ら 致 し た こ と で あ り ま し た 。 処 が西 暦 一九 四 一年 (昭 和 十 六
は モ ス コウ中 央 部 か ら の指 令 に依 ったも の では な く専 ら私 一個 の考
と云 ふ問 題 に関 し て積 極 的 な 政治 工作 を 遂 行 し て参 り ま し た が、 之
て私 の意 見 が重 要 視 され ま し た の で、 独 逸 の ソ聯 に対 す る対 外 政 策
使 や 在 上海 の 日本 人 等 より 聴取 し て蒐 集 し、 逐 次 之 を ラジ オ に よ っ
影 響 を受 け る か 不 明 であ る。
て モ ス コウ中 央部 に通 報 し た ので あ り ます 。
ふ意 味 の問 合 せを 致 し ま し た と こ ろ、 同 中 央 部 か ら は別 に否 定 はさ
政治 工作 を遂 行 す る 可 能 性 が あ る の だ が之 を 遣 って も 宜 し い か と云
る政 治 工作 を 遣 る か と 云 ふ こと は 云は ず 唯 私 達 に は 日本 で積 極 的 な
致 し ま し た の で、 私 は其 の時 始 め て モ ス コウ中 央 部 に対 し て 如何 な
解 さ せる 様 に 努 め た り、 独 逸 が若 し ソ聯 と平 和 的 開係 を 維持 す るな
び英 国 と戦 ふの み な らず ソ聯 と戦 ふこ と が如 何 に危 険 で あ る か を理
一次 世 界 大 戦 で完 全 に立 証 され て居 る で はな いか と 申 し 、独 逸 が再
し て は決 し て東 西 に 二個 の戦 線 を 持 って は な ら ぬと 申 し た が之 は第
定 致 し た ので あ り ま し て、 其 の政 治 工作 の目的 は第 一に は ソ聯 の防
象 は 専 ら戦 争 と 云 ふ観 点 か ら 見 た 日 独両 国 の ソ聯 に対 す る政 策 に限
同様 な 工作 を遣 って貰 った ので あ り ます 。 然 し 私 達 の政 治 工作 の対
専 ら 私 丈 の意 見 に依 って斯 様 な 政 治 工作 を続 け 、 又尾 崎 にも 其 の時
た の であ ら う と 考 へま し た が、 特 に禁 止 さ れ な か った のを 幸 に し て
工作 を 非 公 式 に 遂 行 す る こ と は其 の統 制 が 困難 な の で希 望 し な か っ
ます 。 其 処 で私 は 恐 らく モ ス コウ中 央 部 と し て は私 達 が斯 様 な 政 治
聯 で製 作 し た も 同様 で はな いか と 云 ふ様 な独 ソ両 軍 の曾 ての友 交 関
部 に於 て独 逸 将校 の手 に よ り研 究 さ れ た も の であ るか ら 、謂 は ば ソ
其 処 で秘 か に此 の試 験 に従 事 し て居 り 、特 に砲 と飛 行 機 とは ソ聯 軍
武器 の試 験 を す る こと が出 来 な い ので有 能 な将 校 が ソ聯 に派 遣 さ れ
ルサ イ ユ条 約 で独 逸 の軍 備 は禁 止 され た 為 、 独逸 陸 軍 で は自 国 で新
結 ぶ こと に よ って大 いな る 利 益 を得 た で はな いか と 申 し て、 更 にベ
を説 いた り、 或 は ヒ ット ラー 以前 の独 逸 の陸軍 は ソ聯 と友 交 関 係 を
は 日 本 に就 て も全 く 同 様 であ る と 申 し て、 日 独 ソの平 和 関 係 の利 益
ら ば 独 逸 は ソ聯 か ら経 済 的 利 益 を得 る こ とが 出 来 る で は な いか 、 之
衛 で あ り、 第 二 には 凡 そ戦 争 な る も の は人 類 の無 智愚 昧 か ら 生ず る
係 を 話 し た の であ り ます 。 然 か も 独 大使 館 武 官 達 は斯 様 な歴 史 的 事
れ ま せ ん で し たが 、 左様 な 必要 は な い と云 ふ 回 答 を受 け た の であ り
も の で あ る と 云 ふ立 場 か ら 斯 様 な戦 争 を ば防 止 し よ う と し た こ と、
で前 述 の様 な親 ソ的 な意 見 を 怪 し ま ず に述 べる には好 都 合 であ った 訳 です 。
情 を ば 敦 れ も 良く 知 悉 し て居 り ま し た の で、 私 とし ても 同大 使 館 内
しま す 。 私 は 前 に 申 上 げ た通 り西 暦 一九 三 六年 (昭和 十 一年 ) 日 独
又 私 は 日本 に関 し ては 其 の歴史 的 研 究 の立 場 か ら 日本 の膨 脹 政 策 は
是 で あ りま し た。
防 共 協 定 が 締 結 さ れ た 頃 か ら、 日独 両 国 の対 ソ戦 勃発 の危 険 性 が 増
古来 か ら北 方 即 ち ソ聯 の方 に は向 はず 、 寧 ろ 朝 鮮 を経 て支 那 大 陸 に
先 づ私 の独 大 使 館 に於 け る政 治 工作 に就 て簡 単 に 申 上 げ る こ と に致
大 し て参 り ま し た の で斯 様 な 政 治 工作 を 開始 し た の であ り ま す が 、
に過 き ぬ と云 ふ こと も 説 明致 し ま し たが 、対 手 の 人 々は誰 も 日 本 歴
史 を知 りま せん ので私 の 云 ふ こと を 傾 聴 し て居 り ま した 。 特 に 独 ソ
向 って居 る。 日 ソ の敵 対 関係 は無 教 育 な 人 民層 に のみ存 在 し て居 る
私 は之 等 の人 々と談 話 す る 際 終 始 ソ聯 は多 く の人 達 が 信 じ て居 る よ
は日 本 は独 逸 の味方 と な って対 ソ戦 に は参 加 しな い であ ら う。 夫 れ
戦 が勃 発 し てか ら は 独逸 が 日本 を ば 参戦 さ せ様 と努 め ま した ので私
マッキ 、 ク レ チ マーや ヴ ェネ ッカ等 であ り ま し た。
り も 遙 に強 力 であ る 。 従 って独逸 も 日本 も ソ聯 に戦 端 を 展 か ぬ こ と
其 の相 手 は 主 と し て独 大 使 フ ォ ン ・デ ィ ル ク セ ンや オ ット又 は 武 官
が得 策 で あ る と云 ふ こと を 力 説 し て居 り 、 曾 て ビ ス マ ル クは独 逸 と
日本 人 と し ては 独逸 は 一箇 年 半 の間 ソ聯 か ら穀 物 や 石 油 を 提 供 し て
逸 が ソ聯 に対 し て戦 争 を開 始 した 理 由 を ば理 解 し て居 な い ので あ る。
対 ア メリ カ関 係 の方 を ば 独 ソ戦 よ り も重 要 視 し て居 る のみ な らず 独
は 実 際 的 にも 歴 史 的 に も 左様 に考 へら れる こ とで あ り日 本 とし て は
武 官 に対 し て斯 様 な 同盟 が成 立 しな い様 に 次 の様 な こ とを 申 し て色
な 同 盟 に は絶 対 反 対 であ り ま し た の で、 デ ィル ク セ ン大 使 や オ ット
ト ロ ップ と の間 丈 で極 秘 に進 め ら れ て居 りま し た が 、私 は勿 論 斯 様
政 治 同 盟 と な って居 り 、然 か も其 の交 渉 は 大 島 駐 独大 使 と リ ッベ ン
答 日独 防 共 協 定 の当初 の形 は ソ聯 に 対 す る 日 独 の明 確 な軍 事 的
な いと ころ で あ る と申 した の であ り ます 。
戦 争 をす る様 な こと は 自 分 の知 人 で あ る日 本 人達 には到 底理 解 し得
す。 第 二 に は日 本 は 当 時 有 名 な 二 ・二 六事 件 の直 後 で あ る か ら内 政
為 、 当 時 の ロシ ヤと 結 ば う と し た伝 統 的 な政 策 を 指 し た の であ りま
と は既 に申 上 げ た 様 に 独逸 と し て は英 国 と仏 国 の包 囲 に対 抗 せ ん が
立場 か ら説 き 出 し て ビ ス マ ルク の政 策 を 想 起 さ せ ま し た 。其 の政 策
色 と働 き 掛 け た の で あ り ます 。 即 ち 夫 れ は 第 一に は 一般 的 歴 史 的 な
貰 った の に今 更 何 の理 由 で対 ソ戦 を 開 始 し た の か と思 って居 り 、特
私 の斯 様 な政 治 工作 は 何 等 か 直接 の効 果 を 挙 げ た と は 思 ひ ま せ ぬ が
に ソ聯 と は不 可 侵条 約 を結 ん で置 き な が ら 其 の直 後 に之 を破 棄 し て
独 大 使 館 内 に於 て は 日独 が提 携 し て対 ソ戦 を遂 行 す る と 云 ふ問題 に
から 、 独 逸 と し て は斯 様 な日 本 と 軍 事 同 盟 を締 結 す る こと は危 険 で
問 題 が 紛糾 し て居 り軍 自 体 の内部 も信 用 出 来 ぬ状 態 に 置 か れ て居 る
あ る と云 ふ趣 旨 で あ り ま し た。 第 三に は 日 独両 国 の ソ聯 観 は 誤 って
就 て楽 観 的 な 意 見 が 生 じ な か った と云 ふ程 度 の効 果 は収 める こと が
も知 れ ま せ ぬ が独 大 使 館 内 に 於 け る私 の政 治 工作 の主 な るも のを 列
ふ様 な 日独 両 国 の見 解 は是 迄 二十 年 間 も 存 在 し て来 て居 る が、 夫 れ
居 る。 ソ聯 政 府 は 崩 壊 の 一歩 手 前 に在 り 赤 軍 は 全 く無 力 であ る と云
出 来 た と思 ふ ので あ り ま す。 次 に私 は是 迄 の供 述 と多 少 重 複 す る か
挙 し て簡単 に之 を 説 明 し度 いと 思 いま す 。
一九 三 八年 (昭 和 十 三 年 ) のリ シ ュコフ事 件
一九 三 九年 (昭 和 十 四年 ) の ノ モ ン ハン事 件
効 果 も な か った 様 であ り ま し た。
当 って居 り 其 の妥 結 を熱 望 し て居 りま し た為 、私 の働 き掛 け は何 の
って居 た の であ り ま す がデ ィル ク セ ン大 使 は自 身 で此 の交 渉 の衝 に
対 し て は深 い印 象 を与 へた様 で此 の交 渉 に は若 干 懐 疑 的 な 立 場 を採
云 ふ こ と であ り ま し た。 私 の斯 様 な 政 治 的働 き掛 け は オ ット武 官 に
あ って、 之 は 国家 的 政 策 と云 ふよ り も 個 入的 野 心的 な 政 策 で あ る と
ト ロ ップ が 各自 の功 績 を 収 め ん が 為 に 冒険 的 政 策 を 弄 し て居 る の で
した 。 第 四 に は此 の 日独 軍 事 同 盟 締結 の交 渉 は大 島 大 使 や リ ッベ ン
は ソ聯 の現 実 か ら見 て全 く 誤 って居 る の であ ると 云 ふ意 味 で あ りま
即ち夫れは
第 二、 同
一九 三九年 (昭 和 十 四年 ) の日 独 軍 事 同 盟 の提 案 と平
第 一、 西 暦 一九 三 六年 (昭 和 十 一年 ) の 日独 防 共 協 定 締 結
第 三、同
第 四、 同
一九 四 一年 (昭和 十 六年 ) の独 ソ戦 勃 発
沼 内 閣 の動 揺
第 五 、同
二問 然 ら ば西 暦 一九 三 六 年 (昭 和十 一年 ) の 日独 防 共 協定 締結 当
で あ り ま し た。
時 に於 け る政 治 工作 の内 容 如何 。
り ま し た 。尚 私 は之 に加 へて伯 林 が 日 本 の政 策 に対 し て全 く誤 った
的 な 利 益 を 引 出 し得 る様 な条 約 な ら 締 結 す る であ ら う が 独逸 の御 先
考 へを懐 い て居 る こ とも 指 摘 し ま し た 。 オ ット大 使 と し て は 一般 的
棒 を 勤 め る 様 な条 約 に は絶 対 に賛 成 し な い であ らう と 云 ふ こと であ
答 日本 側 で は リ シ ュ コフ事 件 を捉 へて独 大 使 館 方 面 に 対 し ソ聯
三 問 次 に 西暦 一九 三八 年 (昭 和 十 三年 ) の リ シ ュコフ事 件 当時 に
が 将 に 崩 壊 せ ん と し て居 る か の様 な 印象 を与 へる宣 伝 を 開 始 し た の
では な いか と思 ひ ます 。
に は斯 様 な私 の意 見 に対 し て賛 成 の意 を表 は さ ざる を 得 な か った の
於 け る 政治 的 工作 の内 容 如 何 。
であ り ま す 。斯 様 な訳 で私 は オ ット武官 や ボ ル ツ ェ及 マ ッキ武 官等
五 問 次 に 西暦 一九 三 九年 (昭和 十 四年 ) の ノ モ ン ハン事 件 当 時 に
に対 しリ シ ュコ フな る人 物 が大 し た 人物 で は なく 、 寧 ろ 当 に な ら ぬ 人 物 であ る か ら斯 様 な人 物 の言 を 其 の儘 信 用 し て ソ聯 の内情 を判 断
於 け る政 治 工作 の内 容 如 何 。
答 私 と し て は最 初 日 本 の同 盟通 信 社 から ソ聯 側 の報 道 を 入手 し、
す る こと は 極 め て危 険 であ る。曾 てナ チ スが政 権 を 獲 得 し た 当 時 に は 多 数 の独 逸 人 が 国 外 に亡 命 し て居 り 之 等 の亡 命 者 達 は種 々様 々な
ので 、 ノ モ ン ハ ン事 件 の真 実 の戦 況 は次 の様 な も ので あ った と思 っ
て居 り ま す 。即 ち最 初 は赤 軍 の勢 力 も微 弱 で其 の装 備 即 ち飛 行 機 や
後 に は宮 城 や 独 大 使 館附 武 官 マ ッキ か らも 多 少 の情 報 を聞 き ま し た
リ シ ュ コフ の言 は全 く之 と同 様 な も ので あ る と 云 ふ趣 旨 の こと を説
の地 点 で戦 闘 が起 ると は 全 く予 想 し て居 な か った ので あ り ま す。 処
戦 車 も 少 く 一流 の軍 隊 で はな か った訳 で赤 軍 側 とし て は斯 様 な僻 遠
反 ナ チ的 書 物 を執 筆 し て居 た の で、 之 等 の書 物 を読 む と明 日 にも ナ
いた ので あ り ま す。
チ スが 倒 れ る様 な印 象 を 受 け た の であ る が 、実 際 は左 様 でな か った 。
四 問 次 に 西 暦 一九 三九 年 (昭 和 十 四年 ) の 日独 軍 事 同 盟 の提 案 と
出 来 る筈 はな い。 又 此 の 同盟 は ひ ょ っと す る と英 国 に向 け ら れ る危
た の であ る か ら 、平 沼内 閣 に於 て は到 底 此 の同 盟 を締 結 す る こと が
る が其 の前 内 閣 で あ る近 衛 内 閣 さ へも 斯 様 な 同 盟 を実 現 し得 な か っ
私 が申 し た 内 容 は平 沼 首 相 は成 程 徹 底的 な反 ボ ルシ ェヴ ィー キ であ
申 し て斯 様 な 同盟 が締 結 さ れぬ 様 に 政 治的 工作 を致 しま し た 。 即 ち
て オ ット大 使 に対 し 又 一部 は マ ッキ武 官 に対 し て も次 の様 な こと を
答 私 は原 則 的 に 日独 軍 事 同 盟 に は反 対 であ り ま し た の で主 と し
一に は 日本 側 が発 表 し た戦 果 は全 く偽 り であ る 。 ソ聯 の飛 行機 千台
し て積 極 的 な政 治 工作 を致 し ま し た。 私 は オ ット大 使 等 に向 って第
斯 様 な訳 で私 と し ては 此 のノ モ ン ハ ン事 件 の時 には大 いに之 を 利 用
勢 を 採 ら ざ る を得 な か った の であ り ま す 。
す 。然 か も其 の間 日 本 側 の空軍 は ソ聯 空 軍 に 圧 倒 さ れ て常 に防 禦 態
に 至 って漸 く停 戦 とな り 、 日本 軍 は危 く全 滅 を 免 か れ た の であ り ま
所 の師団 本 部 を 蹂 躪 し、 日 本軍 に対 し て完 全 な 包 囲 態勢 を展 開 す る
に 向 って押 寄 せ遂 に日 本 軍 の重 砲 陣地 を奪 ひ尚 其 の後 に在 った数 箇
と 増 援 さ れ数 百 台 の戦 車 が 三 十 粁 に 亘 る 正面 を ば 一挙 に 日本 軍 陣 地
が 愈 〓戦 闘 が開 始 され ま し た ので赤 軍 は西 部 シベ リ ヤ方 面 か ら続 々
険 が あ る のだ か ら平 沼 内 閣 の性 格 か ら 見 て此 の内 閣 に対 し 斯 様 な 同
平 沼 内 閣 の動 揺 当時 に於 け る政 治 工作 の内容 如 何 。
盟 締 結 を 提 案 す る こと自 体 が笑 止 の沙 汰 であ る 。 日本 とし て は直 接
こと は全 く偽 り であ る と申 し 、 第 二 に は リ シ ュ コフ等 に 依 って誇 大
信 ぜ ら れ ぬ こ と であ る 。 日 本 の参 謀 本 部 が何 と宣 伝 し よ う と斯 様 な
を 撃墜 し た等 と 云 ふ こ とは 自 分 の兵 士 と し て の体 験 か ら見 て も全 く
ソ聯 に対 し て冬 期戦 と 云 ふ困 難 な 事 業 を遂 行 せ ね ば なら ぬと 云 ふ 理
米 と非 常 な 緊張 状 態 に在 る の で之 を犠 牲 に し て独 逸 の御 先 棒 と な り
は 今 更 金 の掛 る戦 争 は遣 る筈 がな いと 云 ふ こ と であ り 、第 二 に は英
来 の様 な 赤 軍 に抵抗 力 な し と 云う 誤 った 見 解 を棄 て 此 の事 件 を 研 究
側 とし ては ノ モ ン ハン事 件 を も っと徹 底 的 に 研究 す べ き であ って従
の日 本 の 工業 力 か ら見 て不 可 能 な こと で あ る と語 り、 第 三 には 独 逸
夫 れ に は 四百 台 乃 至 五百 台 の戦 車 を 必 要 とす る が斯 様 な こと は現 在
歴 史 研 究 の立 場 から 見 て古 来 日本 は何 時 でも 朝 鮮 を 渡 って支 那 大 陸
聯 と戦 ふ意 志 の な い こ とが 判 る と 云 ふ こ と であ り 、 第 五 に は日 本 の
他 の大 部 分 は支 那 と南 方 へ派 遣 さ れ て居 る。 之 を 見 て も 日本 に は ソ
あ り 、第 四 に は 日本 の大動 員 の内 で ほん の 一部 分 丈 が満 州 に送 ら れ
の為 に数 十 万 と云 ふ犠 牲 を払 ふ 必要 はな い では な いか と 云 ふ趣 旨 で
謨 、 錫 等 を 獲 得 しよ う と し て居 る の であ る か ら、 今 さ ら ヒ ット ラー
は 日本 現 下 の経 済的 興 味 は南 方 に向 け ら れ て居 り 日本 は南 方 か ら 護
す る こと に よ り之 を独 逸 軍 の教 訓 と せね ば な ら ぬ と話 し た の であ り
に進 出 し よ う と し て居 り 未 だ 曾 て シ ベ リ ヤ等 に 進 出 し よ う と した こ
由 は自 分 と し ても理 解 出来 ぬ こ と であ る と 云 ふ意 味 であ り、 第 三 に
ます。
に吹 聴 さ れ た赤 軍 の軍 事 力 の薄 弱 な ど は全 く 出 鱈 目 であ った こ と が
然 し独 逸 側 と し て は恐 らく 私 の以 上 の様 な言 葉 を信 用 せず リ シ ュ コ
いて居 た事 実 があ る では な いか と 云 ふ意 味 であ り ま し た 。
と は無 か った の であ る。 既 に 秀吉 は今 日 の様 な 大 東 亜 な る構 想 を 描
暴 露 さ れ た。 若 し日 本 軍 が 此 の地 点 か ら赤 軍 を駆 逐 しよ う と す れ ば
フ等 の言 を 信 用 して来 た の で はな い かと 思 は れ ま す 。
ぬ様 に努 力 し た ので あ り ます 。 私 の宣 伝 を要 約す れ ば第 一には 独 逸
都 合 よ く 抂 げ て宣伝 し独 逸 側 には 日 本 が参 戦 す る と 云 ふ希 望 を 持 さ
れ ば私 は 尾 崎 や 宮城 か ら色 々な情 報 を 入 手 し ま し た の で之 を自 分 で
官 に向 って次 の様 な こと を 申 し て政 治 的 工作 を 致 し ま し た。 換 言 す
べ ては 如何 か と申 し、 尾崎 の政 治 工作 の内 容 を ば 大 体打 合 せ て尾 崎
と此 の問題 に就 い て議 論 を し た 上 そ れな ら 斯 う 云 ふ 論拠 で意 見 を 述
味 の申 出 を致 し ま し た ので 、 其 の頃 私 は屡 〓尾 崎 と私 宅 で会 ひ色 々
就 て の自 分 の意 見 を述 べる 機 会 が あ る の だ が如 何 し よ う か と云 ふ意
が重 き を 置 か れ て居 り、 日 本 が ソ聯 と戦 争 す る か 否 か と 云 ふ問 題 に
し て居 る 仲間 即 ち近 衛 公 側 近 グ ルー プ の間 では 予 てか ら 自 分 の意 見
答 前 に申 上 げ た様 に独 ソ戦勃 発 後尾 崎 が私 に対 し て自 分 が連 絡
治 的 工作 を 遂 行 さ せ た顛 末 如 何 。
疑 者 が 尾 崎 と 相談 の 上同 人 を し て所 謂近 衛 公 側 近 グ ルー プ に対 し政
七 問 次 に西 暦 一九 四 一年 (昭 和 十 六年 ) 六月 下 旬 独 ソ戦 勃発 後 被
六問 次 に 西暦 一九 四 一年 (昭 和 十 六 年 ) の独 ソ戦 勃 発 当 時 に 於 け
答 独 ソ戦 勃 発当 時 前 に申 上 げ た 通 り 独逸 側 は極 力 日本 を ば参 戦
る政 治 工作 の内容 如 何 。
さ せ様 と努 め ま し た ので私 は伯 林 の独 逸 政 府 側 が 日 本 は絶 対 に参 戦
側 では 大 いに ソ聯 を 破 った と宣 伝 し て居 る が若 し独 逸 が完 全 な 勝 利
し な いと 云 ふ悲 観的 な感 を起 さ せ る様 に オ ット 大使 や ク レチ マー武
を得 る と した ら 日本 は欲 す るも のを 貰 へる訳 であ る から 日 本 と し て
対 し て積 極 的 な 危 険 は絶 対 に来 るも の で はな いと 云 ふ こと、 第 二 に
即 ち其 の内 容 を 要 約 し て申 し 上 げ れ ば第 一に は ソ聯 側 か ら は 日本 に
に 実 行 し て貰 った の で あ り ます 。
一問 被 疑 者 が 最 近被 疑者 の諜 報 ﹁グ ルー プ ﹂ の各 成 員 よ り入 手 し
し。
田 信 夫 立会 の 上、 前 回 に引 続 き 右被 疑 者 に対 し訊 問 す る こと 左 の如
獲 得 せ ね ば な ら ぬ の では な いか と 云 ふ こと で あ りま し た。 尾崎 自身
ふ因 難 な 事 業 を 遂 行 す る よ り も 南 方 に進 出 し て錫 や 護 謨等 の資 源 を
利 害 関 係 は北 方 では な く 南 方 で あ る。 日本 は シ ベリ ヤ で冬 期 戦 と 云
先 ず 尾崎 が私 に提 供 し て呉 れ た主 要 な 情 報 を 申 上 げ れ ば、
私 が 記憶 し て居 るも のを 特 に選 ん で申 上げ る こと に致 し ま す。
申 上げ た通 り であ り ま す が、 其 の内 比 較 的 主要 な情 報 と思 は れ現 在
が同 人 等 から 入 手 し た之 等 の情 報 の全 般 に 就 ては既 に概 略 警 察 官 に
ー プ ﹂ の成 員 は申 す 迄 も な く 日本 入 た る尾 崎 と 宮城 で あ り ます 。 私
答 最 近 に於 て私 に 主要 な情 報 を 提 供 し て呉 れ た私 の諜 報 ﹁グ ル
た る主 要 な情 報 如 何 。
と し ても予 て か ら此 の際 日 本 が ソ聯 と戦 争 をす る等 と云 ふ こと は 狂
であ る と 云 ふ こ と、 第 三 には 日 本 本来 の政治 的 経 済 的 な必 然 と其 の
は ソ聯 は寧 ろ防 禦 す る 立 場 であ る が 此 の防 禦 戦 に於 て は非 常 に強 力
気 の沙 汰 で独 逸 側 の宣 伝 に 乗 ぜ ら れ て対 ソ戦 を 開 始 す る等 と 云 ふ こ
第 三、 ﹁独 ソ﹂戦 勃 発 に対 す る 日 本 の態 度
第 一、 日 支 和 平 交渉 と平 和 条 約 の締 結
Ri char d Sor ge
第 四 、 日 本軍 の大動 員 第 五、 日 米交 渉 であ りま し た 。
信
夫
第 三 、 日 本軍 の大 動 員
第 二、 日 本 の仏 印 に対 す る関 係
年
者
第 二、 松 岡 外相 の訪 欧 の使 命 疑
と は非 常 に不 幸 な こと で あ る と 云 ふ意 見 を 懐 い て居 た こと は申 す 迄
被
佳
生
駒
事
も な い こと であ り ま す。
通
右 通 事 を 介 し 読 聞 け た る に相 違 なき 旨 申 立 署 名 揖 印 し た り。 前同日
田
貞
第 一、 日 本 軍 の師団 編 成 表
次 に宮 城 が私 に 提 供 し て呉 れ た注 目 す べき情 報 を申 上げ れ ば 、
山
光
東 京 刑 事 地方 裁 判 所 検 事 局
於東京拘置所
裁 判 所書 記
河
第 五 、 山 下将 軍 の帰 朝 後 の動 向
第 四 、 樺 太 よ り の報 告
吉
リ ヒア ル ド ・ゾ ルゲ
事
検 第 四十 三 回 訊問 調 書 者
二問 然 ら ば 日支 和 平 交 渉 と 平 和 条約 に関 す る尾 崎 の提 報 内 容 如 何 。
等 であ り ま し た 。
疑
右 者 に対 す る治 案 維 持法 違 反 並 国 防 保 安 法 違反 被疑 事 件 に付 、 昭 和
被
十 七年 三 月 十 七 日 東 京 拘置 所 に於 て、 検 事 吉 河 光貞 は裁 判 所 書 記 山
尾 崎 は 既 に 西暦 一九 三九 年 (昭 和 十 四年 )秋 頃 か ら翌 一九 四 〇 年 十
ま した 。
内 容 のも ので あ った のか 、 之 を 窺知 す る こ と さ へ極 め て困難 で あ り
之 を 私 に提 供 し て呉 れま し た ので 此 の英 訳文 は読 ん だ ので あ り ます 。
然 し 其 の後 宮 城 が尾 崎 の宅 に出 掛 け て此 の覚 書 の内 容 を 英 訳 し て
云 ふ 覚 書 な る も の は見 ま せん で し た。
説 明 し て呉 れ まし た が 其 の時 私 は唯 今 申 上げ た 尾 崎 が 持 って居 る と
表 し た も の と殆 ん ど同様 で あ る と申 し 、 一通 り 其 の内容 を ば 口頭 で
時 私 が 尾 崎 と会 った場 所 は何 処 か の料理 店 であ った と思 ひま す が 、
一月 頃 迄 に 亘 って 、此 の交 渉 が 一段 階 か ら 次 の段 階 へと進 展 す る毎
私 は 尾 崎 か ら 此 の内 約 の報 告 を受 け る や、 其 の時 支 那 側 の委 員 が香
答 日本 政 府 と汪 兆 銘 を 首 班 とす る南 京 政 府 と の和 平 交 渉 は非 常
に又 約 定 の内 容 が変 更 さ れ る に従 って、 逐 次之 を報 告 し て呉 れ た の
港 で発 表 し た 内容 自 体 は未 だ読 ん で居 り ま せ ん でし た が 尾崎 の言 葉
を紙 に書 取 って持 って居 る が、 夫 れは支 那側 の委 員 が今 度 香 港 で発
であ り ま す 。 そ し て私 が、 尾 崎 か ら 入 手 し た情 報 に依 り ます と 、 此
を 信 用 し 、早 速 ﹁ラ ジ オ﹂ で ﹁モ ス コウ ﹂中 央 部 に対 し て尾 崎 が報
尾 崎 は私 に向 ひ自 分 は何 処 か で此 の内約 を ば見 せ て貰 ひ、 其 の内 容
の交 渉 は西 暦 一九 三 九年 (昭 和 十 四 年 ) 十 二月 三 十 日 一旦最 終 の内
告 す る と ころ に依 れ ば尾 崎 は 此 の内約 を見 て居 るが 夫 れ は支 那 側 の
に 長期 に 亘 って行 は れ、 殆 ん ど 一年 以上 の年 月 を 要 し ま し た為 、 局
約 に到 達 した と ころ 、翌 一九 四 〇 年 (昭 和 十 五年 ) 一月 下 旬 此 の交
委 員 が香 港 で発 表 し たも の と殆 ん ど同 一のも の であ る と通報 し た の
外 者 に と って は此 の交 渉 が 果 し て如 何 な る経 過 を 辿 り 、 又 如何 な る
の内 容 をば 、 暴 露 し て仕 舞 ひ ま し たが 、 恰 度 此 の頃尾 崎 は私 に此 の
渉 に関 与 し て居 た支 那側 の 二名 の委 員 が 、 香 港 に 逃 亡 し て此 の内 約
修 正追 加 的 事 項 が取 扱 は れ 同年 十月 三十 日遂 に最 後 の妥 結 に到 達 し、
し た のであ り ます が 、 如 何 な る理 由 か更 に其 の後 交 渉 が続 け ら れ て、
又 西暦 一九 四 〇 年 (昭 和 十 五年 ) 十 一月 条約 が 正式 に公 表 さ れ る前
之 を モ ス コウ中 央 部 に 伝 送 し て置 き ま し た。
た 訳 であ り まし て、 私 は 其 の頃 之 に関 す る 詳 細 な報 告 書 を 作 成 し て、
て呉 れ たも のと 殆 ん ど 同 一の も の であ る こと を 確認 す る こ とが 出来
であ りま す 。 其 の後 私 は同 年 二月 頃 独 大使 館 に送 ら れ て来 た ﹁チ ャ
翌 十 一月 三十 日 日本 政 府 か ら共 の条 約 の 一部 分 丈 が新 聞 紙 上 に公 表
に尾 崎 が私 に前 述 の修 正追 加 事 項 を報 告 し て呉 れ た時 の こと を申 上
内 約 の内 容 に関 す る 重要 な報 告 を し て呉 れた の であ り ま す。
さ れ る に至 った の であ り ま す 。恰 度 此 の公 表 が 行 は れ た 前 であ る同
イ ニーズ ・ウ ィ ー クリ ー ﹂ を入 手 し之 に 掲 載 さ れ てあ った 支 那 側委
月 中 に 尾崎 は私 に此 の修 正 追加 事 項 に関 す る稍 〓重 要 な 報告 を し て
げ ま す と、 其 の時 私 が 尾 崎 と逢 った場 所 は確 か私 宅 であ り 尾 崎 は 口
員 発 表 の内 約 内 容 な る も のを読 み其 の内 容 は 尾 崎 が前 に私 に報 告 し
呉 れ た の であ り ま す 。
現 在 私 が記 憶 し て居 る も のを申 上 げ れ ば、
頭 で其 の修 正追 加 事 項 を話 し て呉 れた の であ り ます が、 其 の内 容 で
内約 を基 礎 と し て正 式 な交 渉 を始 め、 同 年 八月 下 旬 一応交 渉 が妥 結
只 今 申 上 げ た様 に西 暦 一九 四 〇 年 (昭和 十 五年 ) 一月 頃 尾崎 が私 に
其 の後 、 同 年 七 月 阿 部 全 権 大使 が南 京 に派 遣 され て汪 兆銘 等 と此 の
前 述 の内 約 の内容 を報 告 し て呉 れ た 時 の こと を申 上 げ ま す と 、 其 の
し て内 蒙 古 と北 支 等 と修 正 し て居 り 、
蒙 古 、北 支 、 及 黄 河 流 域等 が指 定 さ れ て居 た のを 、黄 河流 域 を 削 除
第 二 に は、 日 本 軍 が 永 久 に 駐 屯す る特 殊 地 域 と し て前 の内 約 に は内
第 一に は、 日 本 軍 の撤 兵 の時 期 な る も の が新 に 追 加 さ れ て居 り、
様 に 指 定 さ れ 、 又海 南 島 は 永 久 に 日本 軍 の根 拠 地 と し て使 用 され
他 支 那 に於 け る 二、 三 の海 岸 地 域 即 ち 上 海 其 の他 の海 岸 地 方 も 同
定 さ れ た丈 で地 理 上明 確 に は確 定 さ れ て居 り ま せ ん で し た。 其 の
古 ﹂ と ﹁北支 那 ﹂ が指 定 さ れ て居 り ま し たが 、 唯 漠然 と斯 様 に指
こと等 であ り ま した 。 偖 此 の条 約 は色 々の形 式 に 分 か れ其 の実 際 の
居 た。
日 本側 四十 九 パ ー セ ン ト支 那 側 五 十 一パ ー セ ント と新 に規 定 さ れ て
定 され た事 項 に は南 京 政 府 に申 達 す る様 に約 定 さ れ て居 り ま し た。
に 就 ては 、 日支 共 同委 員 会 が 設置 さ れ両 者 か ら 委 員 が出 さ れ て決
く 様 に 仕組 ま れ て居 りま し た 。 そ し て経 済 問 題 其 の他 の特 殊 問 題
導 者 や 顧 問 が這 入 り込 み、 事 実 上 日本 人 が南 京 政 府 を指 導 し て行
れ て居 り ま し た が、 実 際 上 は南 京政 府 の凡 ゆ る 部 面 に 日本 入 の指
政 治的 な約 定 と し ては 、 一応 支 那 の独 立 し た 宗 主権 が承 認 さ
る こと が 約定 さ れ て居 り ま した 。
内 容 全般 は実 に浩澣 な も の であ り 、発 表 さ れ ぬ秘 密 な約 定 も含 ま れ
第二
第 三 に は、 日 本 合 弁事 業 投 資 額 の比 率 と し て、内 蒙 古及 北 支 では 日
て 居 り ま し た が、 前 の内約 と後 の修 正追 加 的 条 項 に 亘 って強 く 私 の
又 支 那 に於 け る 日本 の大 使 館員 其 の他 の官 庁 は強 化拡 充 さ れ て支
本 側 五十 一パ ー セ ン ト支 那側 四十 九 パ ー セ ント、 其 の他 の地 域 で は
印 象 に残 り現 在 も 記 憶 し て居 る主 要 なも のを 自 分 で取 纒 め て申 上げ
或 る種 の事 業 に 就 ては 日支 双 方 の投資 額 の割 合 が前 述 の様 に定 め
石 炭 、 水 力 等 の各 種 事 業 に就 て日 支 の合 弁 事 業 が規 定 さ れ て居 り、
経 済 的 な 約定 と し て は、 日 支 の各 種 合 弁 事 業 が 取 扱 は れ 、鉄 、
那 に於 け る 日 本 の支 配 を 確 保 す る様 に決 定 され て居 り ま し た。
れ て居 り 、其 の内 特 に私 が 興 味 を 感 じ た こ と は其 の表 現 方法 で あ
ら れ 、特 に若 干 の事 業 に就 て は具 体 的 な 投 下資 本額 迄 決 定 さ れ て
第三
れ ば 次 の通 り であ り ま す 。
り ま し た 。即 ち 日本 軍 は 永 久 に支 那 か ら撤 退 す る意 志 がな い のに
居 り ま し た。 又 支 那 に於 け る運 輸 交 通 一般 に於 け る決 定 権 も 日 本
第 一 軍 事的 な約 定 と し ては 、支 那 に於 け る日 本 軍 の駐 屯 が規 定 さ
﹁支 那 に 於 け る平 和 と秩 序 が回 復 さ れ て か ら 二年 後 に﹂ と 云 ふ言
之 を 露 骨 に 云 ふ こと が出 来 な い の で極 め て婉 曲 な表 現 方 法 を 用 ひ
現 だ と思 ひ ま した 。
でも 之 を 解 釈 す る こと が出 来 る訳 であ り 此 の用 語 は大 層 面 白 い表
復 な る問 題 は夫 れ 自 体 極 め て漠 然 と し た曖 昧 な 問題 で 、如 何 様 に
渉 の経 過 を時 々 ﹁ラジ オ ﹂ に 依 って速 報 し、 内約 及其 の後 の修 正 追
論 の こと で あ り ま し て、 其 の間私 は モ ス コウ中 央 部 に対 し、 此 の交
政 策 に 関 心 を持 つ ﹁ソ聯 ﹂ 側 に と って、 重 要 な も のであ る こと は 勿
情 報 は 、 以 上申 上 げ た通 り で あ り ます が、 之等 の情 報 が 日本 の対 支
日 支 和 平交 渉 及 其 の条 約 内容 に就 て、 私 が尾 崎 か ら提 供 し て貰 った
人 の手中 に確 保 さ れ る様 に約 定 さ れ て居 り ま し た。
次 に 如何 な る場 合 に於 ても 日本 軍 が撤 退 しな いと 云 ふ地 域 即 ち永
葉 が使 は れ て居 り ま し た 。支 那 の様 な 処 では ﹁平 和 と秩 序 ﹂ の回
久 駐 屯地 域 が規 定 さ れ て居 り ま し た。 其 の 地 域 と し て は ﹁内 蒙
加 事 項 に就 ては 、先 程 申 上げ た 様 に通 報 し て居 りま した 。
次に松岡外相 の訪欧 の使命 に関 する尾崎 の提報内容 如何。
で は なか ら う か 、従 って無 条 件 で斯様 な申 立 条 約 を 結 ぶ こ と は不 可
四問
オ﹂ に依 って之 を モ ス コウ中 央 部 に速 報 し ま し た。
﹁ソ聯 ﹂ 側 にと って極 め て重 要 な も ので あ り ま した の で私 は ﹁ラジ
能 であ る と 観 測 し て居 た訳 であ り ま す 。以 上 申 上 げ た 様 な 情 報 は
に出発する直前、私は尾崎から同外相 の使命 に関す る情報を入手致
答 西暦 一九四 一年 (昭和十六年)三月初旬松岡外相が訪欧の途
三問
しました。
内 容 如何 。
与 へら れ た 使命 は 、先 づ独 逸 及 伊 太 利 訪 問 に 際 し て は、 日 本 の行 動
と が 決 定 さ れ た の であ りま す 。 而 し て、 松 岡外 相 が、 日本 政 府 か ら
政 府 部 内 で色 々と協 議 が行 は れ た結 果 遂 に松 岡 外 相 を 訪 欧 さ せる こ
訪 欧 に賛 成 し て、 之 が実 現 を 支 持 す る と 云 ふ状 態 であ りま した ので 、
御 前会 議 前 に於 け る 尾崎 の時 局 観 測 は 、 近衛 首相 と其 の周 囲 の軍 人
前 会 議 の内 容 に関 す る情 報 であ りま し た 。
会 議 に関 す る尾 崎 の情 報 の中 で特 に興 味 が あ った重 大 な情 報 は 、御
催 さ れ、 遂 に同 年 七 月 二 日 の御 前 会 議 が 開催 さ れ ま し た。 之 等 の諸
同 月 二十 三 日陸 海 軍 首 脳 部会 議 及 首 相 と陸海 軍首 脳 部 と の会 議 が開
年 (昭和 十 六年 ) 六 月 十 九 日 日本 政 府 と軍 首 脳 部 と の会 議 が 、次 で
答 独 ソ戦 勃 発 に対 す る日 本 の態 度 を 決定 す る為 、 西 暦 一九 四 一
次 に ﹁独 ソ﹂戦 勃 発 に対 す る 日 本 の態 度 に関 す る尾崎 の提 報
即 ち、 当 時 日 本 政府 部 内 に は、 色 々な 潮 流 が存 在 し て居 り 、 或 る 一
を 拘 束 す る様 な如 何 な る条 約 に も 署 名 し て は な ら ぬ し、 又 如 何 な る
派 は松 岡 外 相 の訪 欧 に反 対 し て之 を 阻 止 し様 と し、 又 或 る 一派 は右
言 質 を も 与 へて は な ら ぬ と云 ふ、 越 え て は な ら ぬ限 界 が与 へら れ唯
す る強 い傾 向 が 看 取 さ れ る が 、其 の大 勢 は 形 勢 観望 に傾 い て居 り 、
の戦 争 を望 ん で居 な い。唯 陸 軍 部 内 には 、 此 の戦 争 に参 加 し よう と
文官 閣僚 中 独 り 松 岡 外 相 丈 が自 ら締 結 した 日 ソ中 立 条約 を 破棄 し て
以 外 の閣僚 達 は、 ソ聯 と の戦 争 を欲 し て居 な い、 又海 軍部 内 でも 此
と であ り ま した 。 次 に ﹁ソ聯 ﹂ 訪 問 に際 し ては 、之 と は反 対 に ﹁日
も 良 いと考 へて居 る唯 一の人物 であ る と の こと で あ り ま し た。 そ し
独 伊 に於 て個 人 と し て欧 州 情 勢 を 視 察 し 、 独伊 側 の 日本 に対 す る 希
ソ﹂ 間 の国交 を改 善 す る 様 な 交 渉 な ら ば之 に応 じ ても 良 いし 、条 約
て、 尾崎 は前 述 の 六月 十 九 日 の会 議 や同 月 二十 三 日 の諸会 議 は予 備
望 を 聞 いて来 る 様 に、 然 し如 何 な る義 務 も負 う ては な ら ぬ と 云 ふ こ
に 署 名 し て も よ いと云 ふ許 容 が 与 へら れ た の であ り ま す 。
的 な も の で、 何 等 の決 定 にも 到 達 しな か った も の であ り、 専 ら 七 月
二 日 の御 前 会 議 の為 の準 備 と し て開 備 され た も の だ と観 測 し て居 り 、
ころ は、 松 岡外 相 に依 り 精 々 ﹁日 ソ ﹂両 国 が或 る点 で歩 み寄 る こ と、 特 に経済 問 題 で互 に諒 解 に達 す る こと位 の程 度 であ った ので あ り ま
な態 度 で熟 慮 し て居 る 証 拠 で あ って、 之 は 注 目 す べき こ と であ る と
斯 様 に度 々予 備 的 な会 議 を重 ね て居 る のは 、 日 本政 府 が極 め て慎 重
そ し て日 本 政府 側 が、 松 岡 外 相 の ﹁ソ聯 ﹂訪 問 に対 し て期 待 した と
し て、中 立条 約 が生 ま れ て来 よ う と は夢 にも 思 はな か った こと であ
報 告 し て呉 れま した 。 然 し 六月 二十 三日 の陸 海 軍首 脳部 会 議 に就 て、
り ま す 。換 言す れ ば日 本 側 では 、 若 し ﹁ソ聯 ﹂ と広 汎 な 中 立 条約 を 締 結 し よ う す れ ば、 恐 ら く ソ聯 は 色 々な承 諾 し難 い条 約 を持 出す の
の裡 前 述 の様 な 同 人 の報 告 を 得 まし た ので 、私 は之 を採 用 した 訳 で
を モス コウ中 央 部 に は通 報 せず 尾 崎 の報 告 を俟 って居 り ま し た。 其
と の こ と であ り ま し た 。然 し、 私 は此 の情 報 を ば直 に信 用 せず 、 之
と を同 時 に遂 行 す る と 云 ふ、 所 謂 南 北 統 一作 戦 な る も の を決 定 した
し て は、 南 方 即 ち 仏印 に対 す る作 戦 と、 北 方 即 ち ソ聯 に対 す る作 戦
報 告 し て来 て居 り ま し た が、 夫 れ に依 りま すさと 、 此 の会 議 で は軍 と
其 の後 一週 間 位 経 ってか ら宮 城 よ り 、私 に対 し て多 少 違 った こ とを
進 出 と云 ふ点 に 主 た る重 点 を置 き、 対 ソ戦 争 参 加 と云 ふ点 に就 ては 、
斯 様 な 訳 で此 の御 前会 議 の内 容 に関 す る 尾崎 の報 告 は、 日 本 の南 方
進 駐 す る と云 ふ計 画 を 決 定 し て居 た の であ り ま す 。
此 の御 前 会 議 の直 後 であ る 七月 五、 六 日 には 、 同 月末 に仏 印 西 貢 迄
る 訳 であ り ま し た。 尾 崎 の報 告 に依 れ ば、 日本 軍 首 脳部 で は、 既 に
ま ず 、直 に積 極 的 行 動 に は出 な い と云 ふ態 度 を採 る と云 ふ こ と にな
モス コウ 中 央 部 に ラ ジ オ で速 報 した 次 第 で あ り ます 。
待 機 観 望 的 な も のと し て居 り 、 私 も 此 の情 報 を 正確 だと 信 じ 、之 を
五問 次に日本軍 の大動員に関する尾崎 の提報内容如何。
あ り ます 。 七 月 二日 の御 前 会 議 の内 容 に就 ては 、夫 れ から 五、 六 月 位 経 った後 尾 崎 が私 宅 に 来 て 口頭 で私 に報 告 し て呉 れ ま し た が、 其
答 前 述 の御 前 会 議 後 であ る 西暦 一九 四 一年 七 月 下 旬 開始 さ れ た
の様 な意 見 が果 し て正 当 であ る か否 か と云 ふ こと であ り ま し た。 即
日 本 軍 の大 動 員 に就 て、 私 が 最 も関 心 を懐 い た こと は 、独 逸 側 の次
の情 報 出 所 は近 衛 公側 近 のグ ループ か ら では な か った か と思 ひま す 。
第 一は 、 日本 は 凡ゆ る国 際 間 の変 化 に 即応 し得 る態 勢 と 準 備 を整
私 と し ては 寧 ろ 大 局論 と し て、 如 何 程 の兵 力 が満 州 に向 ひ 、 そ し て
た細 目 に 亘 る報 告 は、 私 に は始 ん ど価 値 のな い こと であ り ま し て、
よ う と努 め た の であ り ま す 。斯 く し て、 尾 崎 が 私 に持 って来 て呉 れ
と 云 ふも の であ り ま し て 、私 は尾 崎 に 依 って 極力 其 の実 相 を 諜報 し
止 す る筈 は な い、 夫 れ は 必ず や ソ聯 に向 って進 ん で行 くも の であ る
ち 其 の意 見 と は 、既 に日 本 軍 の動員 が開 始 さ れた 以 上 は、 其 の儘 停
尾 崎 の報 告 に依 れ ば此 の会 議 の決議 事 項 は 三別 され て居 り 、 即 ち 、
へね ば な ら ぬ と云 ふ こ と。 第 二 は、 若 し国 際 間 に 於 け る情 勢 が変 化 せ ぬ場 合 には 日 本 は 日 ソ 中 立 条 約 を 確 守 す る こと 。
之 に関 す る 諸 般 の準 備 を整 へる こ と。
第 三 は、 日 本 は 南 方膨 脹 政策 を ば絶 対 的 に 遂 行 す る こと、 而 し て
であ りま した が 、私 と し て は右 の第 一項 と 第 二 項 と は 日本 の対 ソ政
方 即 ち 満 州 に 対 す る動 員 と、 南 方 即 ち 仏 印 に対 す る進 駐 と し て現 は
容 を 実 践 的 に 解 釈 す る と、 七月 以 降 に 行 は れ た 日本 の大 動 員 は 、 北
全 体 を ば 二 つ の項 目 と し て記 憶 致 し て居 り ま し た。 そ し て、 此 の内
した が 、 之 を綜 合 し て申 上 げ れ ば 、先 づ 此 の動 員 は 相 当広 汎 な大 動
斯 様 な 大動 員 に関 す る情 報 を ば 少 し宛 区 切 って、 私 に持 って参 り ま
を ば宮 城 が 私 に 提報 し て呉 れる こと に な って居 り ま した 。 尾崎 は、
情 報 に は、 尾 崎 に 期待 し た の であ り ま す 。動 員 に関 す る詳 細 な報 告
同 地 では 、 対 ソ攻 撃 に対 し て如 何 程 迄準 備 が進 捗 し て居 る か と云 ふ
れ ま し た が 、然 かも 、 ソ聯 に対 し ては当 面 満 州 に動 員 を 実 施 し て、
員 であ る と の こと であ り、 七 月 末 当時 に は約 百 万 噸 の商 船 が 徴 用
策 と し て寧 ろ 之 を 一つの項 に纒 め る のが 適 当 と 思 ひ便 宜 上 右 の内 容
凡 ゆ る 事態 に即 応 し得 る 様 に準 備 す る が、 夫 れ は 飽 迄準 備 以 上 に進
ふ こと で あ り ます か ら、 若 し 日 本軍 が年 内 に真 に対 ソ攻 撃 を 決 行 し
よう とす る な ら ば、 少 く とも 八 月 十 五 日 迄 に は、 動 員 を 完 了 し て居
於 け る冬 期 作 戦 は、 可 能 か も知 れ ま せ ぬが 、 夫 れ は 非 常 な困 難 を伴
なけ れ ば なら ぬか ら で あ り ま し た。
さ れ て準 備 さ れ て居 り、 然 かも 三 つ の大 き な段 階 に分 れ て行 は れ、
達 し 、第 一回 は 約 四 十 万 、第 二 回 は約 五十 万 、 第 三 回 は約 四十 万 で
凡 そ 八月 十 五日 には 完 了 す る予 定 であ り、 其 の総数 は約 百 三 十 万 に
あ った と思 い ます 。 尾 崎 が信 じ た と こ ろ に依 りま す と 、 此 の大 動 員
て行 は れ た、 日 本 軍 首 脳 部 と、 関 東 軍 代 表 将 校 と の会 議 で は、 遂 に
本 年 中 は ソ聯 に対 し て戦 争 を せ ぬ と 云 ふ こ と が決 定 さ れ た の で あ り
更 に尾 崎 は私 に対 し て、 八月 二十 日 か ら 同 月 二 十 三 日 迄 の間 に亘 っ
ま す 。 然 か も 関東 軍 の方 が ソ聯 と戦 ふ こ と に反 対 す る と云 ふ態 度 を
は 日 本 の軍 部 単 独 の決 意 に因 る も の で、 近 衛 首 相 も 之 を 見 て頗 る驚
囲 即 ち 如 何 な る程 度 の兵 力 を 動 員 す る か と 云 ふ問 題 は、 軍 が 独 自 に
採 って居 た と 云 ふ、 貴 重 な情 報 を 齎 ら し て呉 れ た の であ り ます 。
か れた と の こと で あ り ま した 。 即 ち 日 本 の軍 部 で は、 此 の動 員 の範
や 此 の大 動 員 を 実 行 し た の であ り ます が、 私 及尾 崎 や モ ス コウ中 央
決 定 す べき 問 題 で あ る と 云 ふ見 解 を 採 って、前 述 の御 前 会 議 が 終 る
尾 崎 は之 を 極 力 探 知 し て報 告 し て呉 れ ま し たが 、 其 の報 告 に依 れ ば、
し て何 処 へ派 遣 さ れ る か と 云 ふ こ と であ り ま し た 。
次 に私 達 の問 題 に な った こ と は、 斯 く も 大 規 模 に動 員 さ れ た兵 が 果
は非 常 な 不安 に捉 は れ た の であ り ま す 。
は 斯 様 な 大動 員 か ら対 ソ戦 が決 行 さ れ る の で は な か らう か と、 一時
呉 れ ま し た。 即 ち 共 の消 極 的 な情 報 と し て は、 満 州 に於 ては第 一に、
斯 様 な訳 で尾 崎 は 満 州 か ら帰 還 し、 頗 る興 味 あ る報 告 を持 って来 て
な段 取 を 打 合 は せ て置 いた の であ り ます 。
なら 、 至 急 に 夫 れ を宮 城 に電 報 で知 ら せ、 宮 城 か ら私 に知 ら せ る様
其 の上 若 し 尾崎 が満 州 で対 ソ戦勃 発 の危 機 が迫 って居 る 様で あ った
団 が 満 州 に到 着 し て居 るか 、 を諜 報 す る様 に と云 ふ使 命 を 与 へ、 尚
は 如何 な る程 度 迄進 捗 し て居 る か 、 第 二 に は、 日 本 軍 の如何 な る師
は 尾崎 の出 発 に際 し、 同 人 に第 一に は、 満 州 に於 け る 日本 軍 の軍 備
此 の動 員 兵 力 の 三分 の 一が 、 北方 即 ち満 州 に派 遣 さ れ る と 云 ふ観 測
列車 の運輸 数 が段 々と減 少 し て来 た 。第 二 に、 派 遣 さ れ た 日本 軍 に
其 の後 同 年 九 月 尾 崎 が 、満 州 に旅 行 す る こ とに な り ま し た の で、 私
であ り ま し た が、 後 に は更 に 減 少 し て、 約 十 五箇 師 団 三 十 万 の兵 が
部 で は、 日本 の軍 部 が 斯 様 な 大 規 模 な動 員 を 単 独 で決 行 し 、後 か ら
満 州 に派 遣 さ れ大 部 分 の兵 力 は 、 支 那大 陸 と南 方 即 ち 仏 印 方 面 に 派
対 す る 補給 が困 難 と な って居 る 。 第 三 に、 前 線 に在 った 日本 軍 を満
之 を既 成 事 実 と し て政 府 に承 認 さ せ る の で は な か らう か 、 そ し て或
遣 さ れ る こと が 判明 致 し ま した の で、私 達 は是 で幾 何 か安 堵 す る こ
ら、 今 年 中 に は愈 〓対 ソ戦 はな いと 云 ふ こと が判 明 した と云 ふ こと
であ り ま した 。 然 し 其 の積 極 的 な 情 報 と し ては、 満 州 に於 ては 第 一
州 南 部 及 中 央 部 に集 結 し て越 冬 の準 備 を さ せ て居 る。 以 上 の諸 点 か
に、 鉄 道 の戦 略線 が計 画 さ れ て居 る 、然 か も其 の方 向 が直 接 北 方 に
と が出 来 た の であ り ま す。 加 之 其 の後 此 の動員 は、 八月 十 五 日 には
月 十 五 日 の当 日が 過 ぎ ても 尚動 員 が継 続 さ れ て居 り ま し た の で、 私
完 了 す る予 定 であ った に も拘 らず 、 実 際 に は次 第 に緩 慢 にな り、 八
達 は益 〓安 心 す る 様 に な った の であ り ます 。 と 云 ふ のは 成程 北 方 に
と 云 ふ とと であ 0 ま ﹂ た⊃
判 ら ぬ が大 体 の印 象 と し て は、 既 に其 の危機 ぱ 過 ぎ去 って仕 鐸 った
埼 が構 鉄 の人 々と話 し た と 二 ろ で ぱ. 彼 等 は戦 争 が あ る か な いか は
数 な確 b る こ と が出 来 な か った と 云 ふ こ と であ σ ま し た. そ し く尾
が注 意 )た こと ば新 鋭 の戦 車 と重 砲 とが . 到 着 し て居 る、 然 し其 の
角; ぐ暑 る と云 ふ点 で私 の注 奮 を喚 起 ン ま )た ︾ 欠 `し 第 二 ζ電 崎
を 取 上 げ て居 る こ と で、 私 麟 も ヨ分 で整 理 し (記 憶 し て居 る と ・ スろ を
そ し て. 此 の. 甲入書 の内 容 中 、 持 に重 要 なも の ば、 太 平 洋 平 和笥 題
汲 ぱ る べき ㎜ 司題 が 規定 き れ て居 た と の こと であ σま ず ⊃
ケ る条 約 の形 式 を具 へたも の でぱ な く、 各 条 質 に は夫 ミヨ 米 粥 で取
章 でな な く 、条 項 を追 って書 か れ て ぱ居 た が、 所 謂 巌 密 な 意 象 に於
と米 翌 側 に 提案 し た の であ 9 ま ン て . 申 入書 其 のも の ぱ書 流 レ の文
以 上 羊 上げ たも の が尾 埼 が 私 に報 出コし て呉 れ た 清報 の大要 であ り ま
に 仏 印共 司防 衛 協 定 恭 成 立 し 、 ヨ 本軍 の仏 印 西 貫進 駐 越仔 ば れた 為 .
答 西暦 一九 国 一年 (珊 和 十 六年 ) 七月 下 旬 、 ヨ 本 と 仏印 と の珊
六葡 次 にヨ米交夢に封ずる尾埼 の提報内容如何、
報 し た こ と ぱ・ 甲ず 迄 も な い 二と であ つ まず っ
第 三 ぱ、 ヨ本 は西 南 太 平離 、 主 と し (、 蘭 印 か ろ原 料 を 得 る こと
示 し て居 る,
於 てぱ 、 ヨ 本 ぱ玖 州 に射 ) て野 心 を 示 さ ぎ る用 意 ある こと を倍︻
第 二は 、 肚界 戦 争 に於 ケ る ヨ 本 の立 陽 を 取汲 ひ、 或 る清 勢 の下 に
依 って締 結 ず る余 地 が残 さ れ て居 る、
締 結 の提案 を 記載 し て屠 るが 、 太 平 挙 上 の平 和 条 約 を 他 の形 に
第 一は 、 一般約 に太 平 単 平 租 を 改 扱 ひ、 ヨ米 両 罫 珊 く不 可 侵 条約
申 上 げ れ ば、
米 國 側 を し て其 の対 ヨ 線 慶 を 極 め て反動 約 な う しめ 、 従来 の対 ヨ空
す が、 私 が之 等 の随 旧報 を逐 次 ラ ジ オ に依 って、 モ ス コツ中 央 部 に速
D ま し た ) 当群 尾 埼 が私 ζ報 告 し て具 れ た構 報 に依 れ ば 、 ヨ本 政 府
気 な る も の を 一変 し、 遂 に窪 米 ヨ本 資 産 の庚 結 を公 布 せ し め る に至
ま した . 米 国側 が断 様 に反 動 化 )た為 、 近 衛 首 相 は松 岡 外 相 を辞 職
第 五 ぱ、 極 東 に於 サ る 米 ヨ の権 益 を取 上 げ 、 夫 れ を 如何 に し て保
の用 意 あ る こ とを 音 示 し て居 る.
を指 簡 し て屠 るが 、 一方 屯支 及 南 支 の或 る 地方 か ら ヨ本 軍・ 徹愚
第 四 は 、支 那 よ , の徹 兵 認 題 を 全部 留 県 )た 上 、支 那苛 題 の解 失
の 必要 あ る こ とを 指 庸 し て居 る)
き せ、 司 外相 を し て粥 始 さ せた ヨ 米交 渉 を ば新 に豊 ヨ外 相 を し て継
護 す る か を指 商 し て居 る .
甜 も 米 国 の此 の懸 度 変 更 にぱ 煩 る 奮 外 で驚 い て居 た と の 二と であ ,
続 き せる こと と な った の であ ゆ ま す . 其 の後 に於 ケ る ヨ米 交 渉 の経
の であ つ ま し た ⊃
緯 の詳 細 ぱ、現 在 記慮 ン て屠 り ま せ ぬが . 其 の中 で侍 ζ私 の印象 に
其 の陵 尾 埼 か、 私 に報 告 し て呉 れ た情 報 を 要 約 し て.経 過 杓 に申 上
第 六 は、 交 顔 の形 式 約 手続 を含 む で居 る ⊃
告 ) て呉 れ たヨ 本 政府 の対 米 ㌍入 書 に掲 す る情 報 であ り ま した 、
げ れ ば、
残 って居 る のば 、 司年 九 月 二十 五ヨ 須 尾 埼 が私 宅 に来 て、 コ顔 で報
と で あ り、 其 の申 入書 ぱ ヨ本 政 府 が 対 米 交渉 のプ ログ ラ ムを 立 て様
尾 埼 の報 告 に依 れば . 司 人 ま 此 の対 米 却 入 書 な る も の を見 た と の ・ ス
非 常 に 不満 足 であ る 。
第 一に は、 日本 政 府 部 内 に於 ては、 米 国 側 の冷 淡 な態 度 に対 し て
第 二 には 、 愈 ヒ日米 交 渉 決 裂 の危 機 が 迫 った原 因 は、 支 那 か ら の
に軍 部 は 、 之 に対 し て絶 対 反 対 の態 度 を 堅持 し て居 る。
日 本 軍 の撤兵 問 題 であ り、 米 国 側 は 飽 迄之 を要 求 し、 日 本 側特
第 三 に は、 日 本 政 府 は 米 国政 府 に対 し て、 其 の解答 に Ⅰ定 の 日即 ち十 月 十 五日 を 指 定 し た 。 夫 れ迄 に米 国 側 か ら満 足 な解 答 が得 ら れな い場 合 に は 、 日 米戦 争 は避 け 得 ら れ な いで あ らう 。 第 四 に は、 従 前 より も 形 勢 が幾 何 か良 く な った 様 で あ る現 在 、 幾
前同日
被
通
疑
年
生
力甘冨 己 ωoN σ q①
佳
者
駒
事
右 通 事 を介 し て読 聞 け た る に相 違 な き 旨 申 立 署 名掴 印 した り 。
於 東京 拘 置 所
裁判所書記
山
田
光
信
貞
夫
東 京 刑 事 地 方 裁 判 所 検事 局
河
リ ヒア ル ド ・ゾ ルゲ
吉
者
事
検
第 四十 四 回 訊 問 調書
疑
右 者 に対 す る治 安 維 持法 違 反 並 国 防 保 安 法違 反 被 疑 事 件 に付 、 昭 和
被
十 七年 三月 二十 日 東 京拘 置 所 に於 て、 検 事吉 河光 貞 は裁 判 所 書 記 山
何 か の望 があ る。 日 本 政府 部 内 で は、 若 し 日 本 軍 が支 那 か ら撤 兵 す る と す れ ば、 何 処 か ら 何 の程 度 の撤 兵 を す る こと が 出来 る
田 信 夫 立会 の上 、 前 回 に 引 続 き右 被 疑 者 に対 し 訊問 す る こ と左 の如 し。
か と 云 ふ問題 に就 て、 議 論 し て居 る ので、 全 く 絶 望 では な いが、
Ⅰ問
大 体 は望 が な い、僅 に 一縷 の望 があ る丈 であ る。 と云 ふ こと であ り ま し て、 要 す る に尾 崎 の報 告 は初 め て、 十 月 終 頃
西 暦 Ⅰ九 四〇 年 (昭 和 一五 年 ) 末頃 か、 翌 四 一年 (昭 和 十 六
次 に 西暦 Ⅰ九 四 Ⅰ年 (昭 和 十 六年 ) 五月 当 時 の日本 軍 師 団 編
に は 日米 戦 争 が 不 可 避 で あ る と 云 ふ消 極 的 な情 報 であ り、 其 の後 少
成 表 に関 す る宮 城 の提 報 内 容 如 何 °
の他 の首 脳 部 、 駐 屯 地等 に就 て出 来 る 限 り 詳細 な報 告 を せよ と の指
年 ) 初 頃 、 モ ス コウ中 央 部 か ら、 日 本 軍 の師団 数 師 団 番 号 師 団 長其
答
し修 正さ れ て尚若 干 の希 望 があ る と云 ふ、多 少 楽観 的 な情 報 にな り
若 し 日米 間 に戦 争 が 起 る と す れ ば、 年 末 頃 に 起 る で あ ら う と 云 ふ情
ま し たが 、 最 後 の十 月初 旬 前 後 に は又 極 め て消 極的 な情 報 とな り 、
報 と な った の であ り ま す 。 そ し て尾 崎 は其 の頃 既 に 近衛 内 閣 が、 日
せ て見 ま した が、 新 し い こと は 判 り ま せん で し た。 其 処 で私 は宮 城
と尾 崎 に其 の調 査方 を依 頼 す る と共 に、 私 自 身 も 独 大使 館 陸 軍 武 官
令 が参 り ま し た ので、 私 は先 づ 最 初 に 独 大 使 館陸 軍 武 官 室 で問 合 は
私 は 以上 申 上 げ た 様 な 尾 崎 の情 報 を ば、 逐 次 モ ス コウ 中央 部 に ラジ
いま す が 、資 料 や情 報 を集 め て参 り、 尾 崎 は 恐 ら く満 鉄等 か ら と思
室 か ら若 干 の資 料 を 入手 し、 宮 城 は多 分 小 代 や新 聞 記 者 等 か らと 思
米 交 渉 の停 頓 で重 大 な危 機 に直 面 す る に自 った こと を 伝 へて居 り ま
オ で 速報 し、 逼 迫 緊 張 し た 日 米交 渉 の経 過 と内 容 を 、 ソ聯 側 に知 ら
し た°
せ た こと は 申す 迄 も な い こと で あ り ます 。
れ に依 る と 、 日 本軍 で は、 既 に五 十 箇 師 団 の編 成 が完 了 し て居 る こ
集 され た資 料 や情 報 に依 って、 大 体 の Ⅰ覧 表 を作 成 し ま し た が、 夫
成 は 、宮 城 が担 当 し た の であ り ま す 。斯 様 な次 第 で、 先 づ 宮 城 が 蒐
本 軍 の師 団 二覧 表 の作 成 を 企 てた ので あ り ま し て、 此 の表 至 体 の作
ひ ま す が、 同 様 に資 料 や 情 報 を 蒐 め て来 て 三名 が互 に協 力 し て、 日
成 途 上 のも ので あ る か、 若 し編 成 途 上 も ので あ る とす れ ば 、来 る べ
尚 此 の表 に 記載 さ れた 師 団 が 、 果 し て完 全 なも の であ る か、 又 は編
師 団 の み が記 載 さ れた の であ り ます 。
戦 車 連 隊 、 又 は 飛 行連 隊 と 云 ふ も の は全 然 記 載 さ れ ず 、極 く 普 通 の
と で あ りま した 。 そ し て此 の Ⅰ覧 表 に は、 特 殊 部隊 例 へば砲 兵 連 隊 、
此 の Ⅰ覧 表 の具 体 的 な 内容 に就 ては 、 現 在 外 国人 で あ る私 には 記 憶
に判 定 し 難 い こと であ り ま した 。
が あ り ま せ ぬか ら 日 本 人 で あ る宮 城 や 、 尾 崎 の供 述 を御 参 照 願 ひ度
き 動 員 で補 充 さ れ る べ き も の で ある か と 云 ふ問 題 は、 私 達 には容 易
成 し た の であ り ま す が 、 出来 上 った 一覧 表 は、 西 暦 二九 四 一年 (昭
いと思 ひ ます 。
と が判 明 し ま し た 。 そ し て此 の表 を 基 礎 と し て、 尚 情 報 や 資 料 を 探
和 十 六年 ) 五、 六月 当 時 を 現 在 と し た も の であ り ま し て、 私 は早 速
日 本 の仏印 に対 す る 関 係 に 関 し て、 宮 城 が 私 に報 告 し て呉 れ
次 に日 本 の仏 印 に対 す る関 係 に関 す る 宮 城 の提報 内 容 如 何 。
知 し、 師 団 長 や 駐 屯 地 等 の誤 を訂 正 し て行 き 、 次 第 に 完 全 な 表を 完
之 を 写真 に撮 影 し て、 モ ス コウ 申央 部 に伝 達 致 しま した 。 斯 様 に 作
答
た 情 報 は断 片 的 なも の であ り ま し た が、 其 の主 な る も の の要 旨 を申
二間
上 げ れ ば 次 の通 り であ りま し た 。
のも のは 作 成 し得 な か った の であ り ま す が 、 モ ス コウ申 央 部 も 之 で 満 足 し た と 見 え 、其 の後 の問 合 せは 来 な か った ので あ り ます 。
第 一 西 暦 一九 四〇 年 (昭 和 十 五 年 ) 末頃 の情 報 に依 れ ば 、 仏 印 北
成 し た表 は、 私 達 諜 報 グ ル ープ とし ては最 善 のも の であ り 、 之 以 上
の衛 戌 地 が 存在 す る にも 拘 らず 、 満 州 にも 同 一の 師団 が駐 屯 し て居
た仏 印 北 辺 の重要 地 点 は、 ハイ ホ ン及 ハノイ並 ハイ ホ ン から 支 那
部 に 進 駐 し た 日本 軍 の兵 力 は 、 三 箇 師団 で あ る。 日本 軍 が占 領 し
借 此 の 一覧 表作 成 の際 、 非 常 に困難 だ った こと は、 日本 に或 る師 団
る 場 合 に 、 之 を加 算 し て 二箇 師 団 とす るか 、 否 か と 云 ふ こ と であ り
へ通 ず る鉄 道 二線 等 であ る 。 日本 軍 の空 軍 部 隊 は 、漸 次 増 発 さ れ
ま した 。 又 此 の Ⅰ覧表 の中 で、 特 に目 立 った こと は第 四 十乃 至 第 四 十 九師 団 迄 は 実 在 し て居 ら ぬ の に、 第 五十 乃 至 第 五 十 九 師 団 迄 は実
次 に、 仏 印 では 日 本 人 と 仏国 人 と の関 係 が面 白 く 行 って居 ら
日 本 が 仏 印 に対 し て持 つ経 済 的関 心 の現 は れと し て、 西 暦 Ⅰ
に、 経 済 交 渉特 に 西貢 米 に関 す る交 渉 が 開 始 さ れ て居 り、 日 本 側
九 四 Ⅰ年 (昭 和十 六年 ) 一月 頃 松 岡 外 相 と 、 仏印 政 府 当 局 と の間
第三
ぬ と のこ と であ り ま した 。
第二
つ つあ る と の こと であ り ま し た。
し て何 を意 味 す る の か、 後 か ら 之 を 編 成補 填 す る の か、 或 は 、 又 単
在 し て居 る と云 ふ こと で あ り ま し て、 斯 様 に欠 け て居 る 師 団 は 、 果
な る仮 装 に過 ぎな い のか 、 之 を 判定 す る こ と が頗 る困 難 であ り ま し た 。更 に 内地 に在 る近 衛 師 団 が 六 箇 連 隊 を有 し て居 りま す の で、 実 際 の兵 力 は 二箇 師 団 に該 当 す る訳 であ り 、尚 仏印 に も近 衛 師 団 が 行 って居 る ので、 之 を如 何 に計 算 す る か と 云 ふこ と が極 め て困 難 な こ
は 約 九 十 万屯 の西 貢 米 を要 求 し て居 る が、 船 舶 不 足 で其 の輸 送 に
と し て、 之 等 の情 報 の多 く は自 分 の判 断 の資 料 と し て使 用 す る に 止
数 は沢 山 あ り ま し た が、 現 在 余 り記憶 し て居 りま せ ぬ。 要 す る に私
め、 其 の中 比 較 的 重要 な も の の みを 他 の情 報 と共 に、 モ ス コウ 中 央
困 難 が あ る と の こ と であ り ま し た が、 此 の交 渉 が 実 際 如何 様 に な った か は 判 り ま せ ん で した 。
部 に ラジ オ で通 報 し た 訳 であ り ます が、 之 等 の情 報 の内 現 在 私 が 記
憶 し て居 るも のを 申 上 げ れ ば、 次 の通 り であ り ま す。
西 暦 Ⅰ九 四 Ⅰ年 (昭 和 十 六年 ) 五月 頃 の情 報 とし て 、 日本 軍
は 仏 印 西 貢 を占 領 す る意 図 を 持 って居 り、 之 が為 に は三 箇 師団 の
第四
第 一 宮 城 は動 員 さ れ た 兵 の年 齢 に着 眼 し て之 を 調 査 し ま した 結 果 、
又 支 那 か ら 帰 還 し て余 り期 間 を 経 過 し て居 ら ぬ兵 が、 再 召 集
更 に学 生 の召 集 が 非 常 に 多数 で あ り、 召 集 を 免 除 さ れ た者 の
宮 城 は動 員 さ れた 兵 の服 装 に着 目 し て調 査 し た 結果 、 或 る兵
は冬 服 を着 て居 り、 北 方 即 ち 満 州 方 面 へ又或 る兵 は夏 服 を着 て居
第四
と 云 ふ こ とも 通 報 し て呉 れ ま し た 。
話 で は動 員 は大 部 隊 と せ ず 、 小部 隊 に分 け ら れ て輸 送 さ れ て居 る
第三
さ れ た の が非 常 に多 いこ と も報 告 し て呉 れま し た 。
第二
し た。
之 等 の兵 が 二 十 五歳 乃 自 三 十歳 の兵 であ る こと を報 告 し て呉 れ ま
兵 力 が 予 定 さ れ て居 る と の こと で あ り ま し た。 又 西 暦 Ⅰ九 四 一年 (昭 和 十 六年 ) 七月 頃 の情 報 と し て、 仏印
南 部 に進 駐 す る 日本 軍 は、 広 東 及 海 南 島 に集 結 し て居 る 部 隊 が使
第五
用 さ れ る 模様 で あ る。 若 し日 本 軍 が タ イ国 に進 駐 す る と す れ ば 、 勿 論 夫 れ 丈 の兵 力 で は足 り な い、 最 小限 度 三十 万 の兵 力 が 必要 で あ る が 、 目 下 のと こ ろ タ イ国 に進 駐 す る や う な兆 候 はな い、 若 し 此 の進 駐 が行 はれ る と す れ ば、 年 末 に決 行 さ れ る であ ら う と の こ
西 暦 Ⅰ九 四 一年 (昭和 十 六年 ) 七 月 頃 の情 報 に依 れ ば、 日 本
と であ り ま した 。 第六
り 、南 方 へ又 は支 那 方 面 へ派 遣 さ れ て行 く こ とを 探 知 し て参 り ま
は仏 印 南 部 に 、 各種 の根 拠 地 即 ち 陸 軍 、 及 飛行 機 、 海 軍 の各 根 拠
宮 城 は 又西 暦 一九 四 Ⅰ年 (昭 和 十 六年 ) 七、 八月 頃 時 々宇 都
地 を 建 設 す る こと を 計 画 中 で あ る と の こ と であ り ま し た が、 其 の
第五
した 。
西 暦 Ⅰ九 四 一年 (昭和 十 六年 ) 八月 初 頃 の情 報 に依 る と、 仏
後 何 れ丈 け 完 成 さ れた か 不 明 で あ り ま し た。
宮 へ出 掛 け て、同 地 の第 十 四師 団 に入営 中 の小 代 を 訪 ね 、 同 入 か
第七
印 南 部 に進 駐 した 日 本 軍 は、 兵 数 三万 五千 乃 至 四 万 で、 三箇 師 団
は予 備 兵 を 召 集 し て之 を 大 陸 に 派 遣 す る準 備 を し て居 る 。 其 の行
ら 色 々細 か い情 報 を聴 取 し て参 り ま し た 。 即 ち夫 れは 此 の師 団 で
次 に 日本 軍 の大 動 員 に関 す る宮 城 の情 報 内容 如何 。
位 で あ る と の こと であ り ま し た。 三問
先 は 恐 ら く満 州 であ らう と云 ふ こと や、 宇 都 宮 附 近 の何 処 か に は
新 歩 兵 連 隊 が 設 け ら れ て居 り 、 又 宇 都宮 附 近 に は歩 兵 や 戦車 の練
西 暦 Ⅰ九 四 Ⅰ年 (昭和 十 六年 ) 七月 下 旬 以降 の日 本 軍 の大 動
員 に関 す る宮 城 の情報 は 、例 へば東 京 に於 け る動 員 は、 前 後 三 回 に
兵 場 が 数 箇 所 建設 さ れ た と 云 ふ情 報 等 であ り ま し た。
答
分 か れ て行 は れ た と 云 ふ様 な具 体 的 で細 部 に 亘 る情 報 であ り 、 其 の
第六
次 に動 員 さ れ た兵 を派 遺 す る 輸 送路 は 三箇 所 あ り 、新 潟 と敦
る と云 ふ こと も 報告 し て来 ま した Q
賀 は満 州 への輸 送路 で あ る が、 芝 浦 は南 方 か支 那 大 陸 か 不 明 で あ
そし て宮 城 が 日本 各 地 を 探 索 し て調 査 した 結 果 の確 信 に依 り
の で、国 境 から 余 り 遠 く な い処 に バ ラ ック建 の兵 舎 が設 け ら れ 、 又
屯 さ せ て居 り、 之 等 の兵 は北 海 道 の旭 川 第 七 師団 か ら派 遣 され た も
次 に山 下 将 軍 帰 朝 後 の動 向 に関 す る 宮 城 の提 報 内 容 如 何 。
二 三箇 所 の飛 行 場 も 建 設 さ れ て居 る と の こと であ り ま し た。
宮 城 は 西 暦 Ⅰ九 四 一年 (昭 和 十 六年 ) 七月 、 独 逸 か ら帰 朝 し
た 山下 将 軍 の其 の後 の役 割 如 何 を 観 察 す れ ば 、 日本 今 後 の政 治 的 発
答
五問
大 部 分 は 内地 に残 留 し て居 り 、徐 々に南 方 又 は 支 那 へ派遣 さ れ る
展 如何 を判 定 す る こと が 出来 る と申 し て、 頗 る熱 心 に山 下 将 軍 の帰
ま す と 、 動員 さ れ た兵 の内 満 州 へ派 遣 さ れ た の は極 く 小 部 隊 で、
第七
の であ る と の こと であ りま した 。
仕 舞 ひま した 。 恐 らく 夫 れは 隠 れ身 であ った の で せう 、 宮 城 は之 に
処 が山 下 将 軍 は 帰 朝後 間 もな く 在 満 州 の或 る特 殊 な地 位 に送 ら れ て
朝 後 に於 け る 動 向 を 調 査致 し ま した 。
れ に依 り ます と今 年 中 は対 ソ戦 に は な るま い、 自 分 も 近 々内 地 に
小代 が満 州 に派 遣 さ れ 宮 城 に簡 単 な 通 信 を 寄 越 し ま し た。 夫
帰 還 す る こ と にな る か も知 れ ぬ と 云 ふ楽 観 的 な も のであ り 、尚 宮
関 し て山 下 将軍 が参 謀 本 部 と か関 東 軍 の様 な重 要 な 部 署 に就 かず 、
第八
城 が報 告 し て貝 れた と ころ に依 りま す と、 満 州 に 派 遣 さ れ た兵 の
割 は決 し て重 要 な も の で はな い、親 独的 傾 向 の強 い山 下 将 軍 は、同 将
満 州 国 防 衛 本 部 司 令官 と 云 ふ様 な 地 位 に就 いた のを 見 ても 、 其 の役
更 に宮 城 が何 処 か ら 入手 し て来 た情 報 か 判 り ま せ ん で した が、
Ⅰ少部 分 は東 京 に帰 さ れ て来 て居 る と の こ と であ り ま し た 。
ソ満 国 境 地 方 に居 た 日 本 兵 が 、南 満 地 方 に移 動 せ し め ら れ た と云
第九
国。 訂 巳 ω自 σ q①
山
河
田
光
信
貞
夫
年
生
佳
者
駒
事
った の で、 左 還 さ れ た の であ ら う と 云 ふ情 報 を報 告 し て呉 れ ま し た。
疑
軍 程 親 独 的 傾向 が強 く な い当 時 の東条 陸 相 と の間 が 余 り 面 白 く な か
被
う報 告 も あ り ま した 。 尚 同年 八月 初 頃 私 、 尾 崎 、宮 城 の 三名 が時 々私 宅 に集 って 此 の大 動
通
右 通 事 を介 し読 聞 け た る に相 違 な き旨 申 立 署 名 栂 印 し た り。
員 に 関 し議 論 し た こと が あ り ま し た が、 其 の時 宮 城 は 非常 に強 い 口 調 で、 決 し て対 ソ戦 に は な ら ぬ と云 ふ意 見 を 述 べ て居 た こ とを 覚 え
於 東 京拘 置 所
前同日
次 に樺 太 よ り の報 告 に関 す る宮 城 の提 報 内容 如何 。
て居 り ます 。
吉
最 近 宮 城 の北海 道 の友 人 が、 二回 位 樺 太 方面 の情 報 を 宮 城 に
事
答
四間
検
裁判所書記
東 京 刑 事 地 方 裁 判 所検 事 局
日 ソ両国 間 に認 め ら れ て居 る にも 拘 ら ず 、 日 本 側 は 此 の条 約 に反 し
第 四 十 五回 訊 問 調書
通 報 し て来 ま した 。 之 等 の報 告 に依 り ま す と 現 在 ポ ー ツ マ ス条 約 は
て、 樺 太 に大 部 隊 で はあ りま せ ぬが 、 一連隊 乃 至 一旅 団 位 の兵 を駐
者
印度 は離 反 せ ん と し て居 り 、 シ ンガポ ー ルは 日 本 に攻 略 さ れ、 オー
次 第 二次 世 界 大 戦 に於 て、 カ ナダ は経 済 的 に は米 国 の属 領 と変 じ、
スト ラリ ア も亦 日 本 が之 を 攻撃 す る と否 とを 問 は ず既 に英 国 のも の
リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ
では 無 く な って居 り、 英 国 は其 の植 民地 の殆 ん ど総 てを 喪 失 し て居
疑
右 者 に対 す る治 安 維 持 法 違 反 並 国 防 保安 法 違 反 被 疑 事 件 に付 、 昭和
る の であ り ま し て、 既 に英 帝 国 の資 本 主 義 体 制 は全 く 崩 壊 し て居 り、
被
十 七 年 三 月 二 十 四 日東 京 拘 置 所 に於 て、 検 事吉 河光 貞 は裁 判 所 書 記
な い の であ り ま す 。然 ら ば何 故 英 帝 国 は 崩壊 し た と 云 ふ のか 、 少 し
山 田 信 夫 立会 の上、 前 回 に続 き 右 被 疑 者 に対 し訊 問 す る こと 左 の如
当 面 の世界 情 勢 に対 す る 被 疑 者 の認 識 如何 。
恐 ら く 英 国 と し ては今 次 大 戦 後 には最 早 再 び支 那 へ来 る こと も 出来
一問
し。
英 国 は曾 て は資 本 主 義体 制 を擁 し 工業 国 と し て出 発 し、 遂 には 世 界
く 其 の原 因 を 述 べれ ば次 の通 り であ り ま す 。
的 な強 国 とな った ので あ り ます が、 然 か も英 国 は此 の 工業 国 と し て
元 来 政 治情 勢 の予 見 な るも のは 、 極 め て困 難 な こ と であ りま
し た。 凡 そ経 験 あ る 政 治 家 な る も の は、 斯 様 な 予 見 な る も の は遣 ら
答
ぬも の であ り ます 。
米 国 及 独 逸 が英 国 の地位 を奪 ひ、 英 国 は 工業 国 と し て発 展 す べき 先
三 四流 に転 落 し て仕 舞 った の であ りま す 。 即 ち 工業 国 と し て は今 や
端 を折 ら れ て仕 舞 ひ、 工業 国 か ら 一転 し て金 利 国 又 は 植民 地 に依 る
徹 底 的 な 発 展 を 完 成 せ ず、 既 に三 四十 年 前 よ り 工業 国 と し ては 寧 ろ
りま す 。 先 づ 此 の点 を 冒頭 に申 上 げ て置 きま す 。 偖 第 二次 世 界 大 戦
斯 様 な次 第 で私 と し ても御 訊 ね の様 な現 下 の世 界 情勢 が 将来 如何 に
が勃 発 し た こ とは 既 定 の事 実 で あ り ま し て何 も 予 言 では あ り ま せ ぬ。
発 展 す べき も のか を、 〓 に予 見 す る こ と は頗 る 至 難 な こ と な の であ
然 し此 の第 二次 世 界 大戦 に 関連 し て、 先 づ 第 一に確 実 に断 言 出 来 る
英 国 上層 の支 配 階 級 は、 曾 ては積 極的 な活 動 や 指 導 を 展開 致 しま し
寄 生 虫的 存 在 と化 した ので あ り ます 。
総 括 し て申 上 げ れ ば現 在 の英 国 は 、資 本 主 義 の立 場 か ら も帝 国 主 義
た が 、 近来 は全 く 弱 体 化 し 且 旧弊 と な り、 微 か にポ ンプ の様 に植 民
こ と は、 英 帝 国 の崩 壊 で あ り ま し て寧 ろ英 帝 国 は既 に 崩 壊 し て居 る
の立 場 か ら も、 又 軍 事 的 な 立場 か ら も凡 ゆ る点 に於 て存 在 価 値 を 喪
と 云 って憚 ら ぬ の であ り ま す 。
断定 出 来 る こ と であ り、 其 の崩 壊 こそ は今 次 の第 二次 世 界 大戦 で独
失 し 、最 近 に於 て は最 早 世 界 に対 し て何 等 新 し いも のを寄 与 し得 な
で身 動 き が出 来 ぬ とは 正 に今 日 の老英 帝 国 の憐 む べき 姿 で あ り ます 。
逸 が勝 利 を得 る と か、 或 は 又 日 本 に大 地 震 が在 る とか と云 ふ 様 な、
い存 在 と な って居 る の であ り ま す 。
地 か ら利 潤 を吸 収 搾 取 す る 無 能 な存 在 と な って仕 舞 ひま し た 。脂 肪
他 の出来 事 を全 く 度 外 視 し た 不動 の事 実 な の であ り ま す 。
然 し斯 様 な こと を申 上げ たか ら と 云 って、 夫 れ は共 産 主義 の立場 か
此 の英 帝 国 の崩 壊 は 、夙 に第 一次 世 界 大 戦 当 時 其 の徴 候 を呈 し始 め
英 国資 本 主義 は過 去 に於 ては帝 国 主義 と相 俟 って驚 く 可 き 発 展 を遂
た ので あ り ま し て、 共 産 主 義 の立 場 か ら観 れ ば此 の こ とは 現 実 的 に
げ た ので あ り ます が、 夫 れ は既 に過 去 の事実 と化 し、 今 や 英 国 は 今
否 其 の反 対 に英 国 とし ては自 己 の崩 壊 を 知 ら ず 、 今 後 も 益〓 死者 狂
棄 て て降 伏 す る と云 ふ訳 では あ り ま せ ぬ。
ら客 観 的 な こと を 申 上 げ た点 で あ り ま し て、 英 国 が 明 日 に も武 器 を と であ り ます 。
の であ り ま し て、 米国 は到 底 之 を 征 服 す る と 云 ふ こ と は不 可 能 な こ
力 を 保有 し て居 る の であ り ま す 。歴 史 的 に観 ても 米 国 は 未 だ其 の役
と 云 ふ こ と が出 来 る の であ り ま し て、 米 国 民 は未 だ 余 り に も若 く 底
割 を終 了 し て は居 り ま せん の で、政 治 的 に も経 済 的 にも 軍 事的 に も
米 国 の資 本 主 義 は 今 日非 常 な活 気 を 帯 び て居 り 、発 達 の最 中 に在 る
る時 に は大 し て抵 抗 は 致 しま せ ぬが、 愈〓 其 の本 国 が攻 略 さ れ る様
米 国 を徹 底的 に敗 北 さ せる こと は不 可 能 な こ と であ りま す 。
ひ の戦 を継 続 す る であ り ま せう 。英 国 人 は各 地 の植 民 地 が 攻 略 さ れ
な 土壇 場 に な れ ば、 恐 ら く獰 猛 極 ま る抵 抗 を 敢 てす る でせ う 。私 は
西 南 太平 洋 を 占 領 し た 日 本 を ば其 処 か ら駆 逐 す る こ とは 全 く 不 可能
若 干 英国 人 な るも のを 知 って居 り ま す が彼 等 は斯 様 な 国 民 な ので あ
な こと で あ り ます 。
り ます 。
振 り を 示 し て居 る のも 之 が為 であ り ま す 。
斯 く し て 日米 間 に今 後 尚 ゲ リ ラ戦 が飛 行 機 及 潜 水 艦 等 に 依 って遂 行
り 、米 国 と し ても 日 本 を 徹 底的 に敗 る こ と は出 来 な い こと で、 既 に
然 ら ば崩 壊 し た英 帝 国 の遺 産 を 相続 す べき も の は誰 か、〓 に日 本、
さ れ る で あ り ま せう が 、 斯 様 な 戦争 は決 し て 此 の戦 争 の終 局的 な勝
理 論 的 に観 れ ば現 在 の日 米戦 争 は見 透 の つか ぬ程 永 続 す る も ので あ
独 逸 、米 国 の 三候 補 者 が挙 げ ら れる 訳 であ り ます 。 共 産 主 義 者 と し
負 を決 定 す るも の で はな い の であ り ま す。
今 日 英国 が其 の本 国 防 衛 や ス エズ運 河 の防 禦 に於 て可 成 猛 烈 な抵 抗
て は之 等 の三 国 は 、敦 れ も帝 国 主 義 的 資 本 主義 国 家 であ り 、 無 暗 矢
せ ぬ、 其 の理 由 と し て は 二 つあ る の であ り ま し て即 ち、
然 し 夫 れ か と申 し て日 米 戦 争 が 今後 百年 も継 続 す る とは 考 へら れ ま
で共 産 主 義 の立 場 か ら 、 之等 の諸 国 を如 何 に見 る か と 云 ふ こ と に就
繞って戦 って居 る の であ り まし て、 必 ず や 米 国 と し て は 日本 と 妥
第 一に は 、 日米 両 国 は両 国 丈 で戦 って居 る ので は なく 英 国 の遺 産 を
れも 有 難 く な い国 な の で あ りま す が 、 以 下 米 国、 独 逸 、 日 本 の順 序
て申 上げ る こと に 致 し ま す 。米 国 が今 日 真 に 意 図 し て居 る と ころ は
鱈 に戦 争 許 り遣 って居 て激 し過 ぎ る 国 家 で あ り、 相 続 人 と し ては敦
独 逸 や 日本 と戦 争 を す る こ と で はな く 、 専 ら 英 国 の遺産 を相 続 す る
第 二 には 、 米 国 が 日本 と妥 協 せざ る を 得 な く な る のは米 国 の内 政 問
協 せざ るを得 な く な る であ りま せう 。
産 を承 継 し て居 る 政 策 や 、現 在 英 国 に代 って オー スト ラ リ ヤを 日 本
題 た る社 会 不 安 に 在 る の で あ りま し て、 米 国 と し て 一歩 誤 れ ば社
こと で あ りま し て、 米 国 が カ ナダ に対 し ては 既 に 経済 的 に英 国 の遺
の攻撃 か ら救 は ん とし て居 る 政 策、 支 那 に於 け る 英 国 の地 盤 と勢 力
然 か も共 産 主 義 者 が 観 た 歴史 に依 れ ば、 資 本 主義 国 家 な る も の に於
会 革 命 が勃 発 す る 危 険 が あ る か ら であ り ま す 。
図 し て居 る か は容 易 に判 る こと で あ り ます 。
ては 国 内革 命 か、 敵 国 と の妥 協 か と 云 ふ岐 路 に 立 つや 必 ず 其 の支 配
を 其 の儘 受 継 し よう と し て居 る政 策 等 を観 れ ば米 国 が果 し て何 を意
然 かも 現 下 の日 米戦 争 は軍 事 的 に も 経 済的 に も結 局 結 末 の つか ぬ も
革 命 は不 可 避 的 な も の で あ りま す 。
国 民 大 衆 を 裏 切 る こと に な る訳 です が 、 夫 れ に も拘 らず 米 国 の社 会
と妥 協 す る こと と な る で あ りま せう 。 そ し て米 国 の支 配 階 級 は其 の
其 の 一例 であ り ま す。 米 国 と し ては 愈〓 と な れ ど全 力 を 挙 げ て日本
ロシ ヤ の支 配 階 級 が国 内 革 命 の危 機 を前 に し て日 本 と 妥協 し た のも
階 級 は敵 国 と の妥 協 を択 ぶも の であ り ま し て、 彼 の日 露戦 争 当時 旧
あります。
る訳 で あ り ます が、 夫 れ でも ナ チ ス独 逸 に は 不 可能 な事 が あ る の で
の重要 な資 源 を 獲 得 し 、 モ ス コウ に傀儡 政 権 を樹 立 す る こ とが出来
倉 た る ウ ク ラ イ ナを も 占 領す る であ りま せ う 。斯 く し て独 逸 は ソ聯
即 ち 独逸 は カ フ ガ スと モ ス コウを 占 領 す る とす れ ば、 次 で世 界 の穀
か の如 く軍 事 的 にも政 治 的 にも 没 落 す る で あ り ま せう 。
成 功 し な か った な ら ば 、 本年 末 には 独 逸 は恰 か も山 頂 から 顛落 す る
こ と であ りま す 。
即 ち 夫 れ は独 逸 が欧 州 を 支配 す る こ と であ り ま す。
此 の事 実 は曾 て ナ ポ レ オ ンが 企 図 し て失 敗 した こと で あ り ます が 、
米 国 資 本 主 義 は 金 融 並 工業 方 面 に於 て殆 ん ど 発 達 の絶 頂 に達 し、更
私 は 以上 の様 に 申 し ま し ても 決 し て米 国 民 の力 量 を過 少評 価 し度 く
今 日 の ナチ ス独 逸 に は往 時 の ナポ レオ ン以 下 の力 し か な い の であ り
成 程 独逸 は軍 事 的 には暫 く の間 欧州 を抑 圧 す る こ と が出 来 ま せう が 、
は な いの であ り ま す 。
ます 。 と 申 し ま す の は ナ ポ レ オ ンは少 なく とも 仏 国 大革 命 以 来 の軍
に今 次 世 界 大戦 に 於 て 此 の発 達 が 一層 強 化 さ れ た の であ り ま す が 、
米 国 民 は現 在 の安 逸 な 生 活 か ら追 出 さ れた と き に は、 之 から 立 上 っ
事 、 経 済 、 政 治 、 文化 の諸 領 域 に亘 る 一の理 想 を 欧 州 に齋 し た の で
其 の反 面 に於 ては 斯様 な発 達 に対 応 し て階級 対 立 も亦 深 刻 化 した の
て 一の 立派 な国 民 にな り 得 る 可 能性 が あ るも のと 信 じ て居 り ます 。
あ りま し て、 此 の事 実 は現 在 欧 州各 国 特 に独 逸 に さ へも所 謂 ナ ポ レ
には 欧 州 を 経済 的 に再 組 織 し て之 を 繁 栄 さ せる こ と は到 底 不 可 能 な
目 下 米国 が 全力 を 挙 げ て日 本 を 攻撃 出 来 な い のは 、 其 の国 内 の社 会
オ ン法 典 が若 干 残 存 し て居 る のを 見 ても明 か な こ と であ り ま す。
如 何 に し て欧州 の飢 を 救 済 す る こ と が出 来 る であ り ま せ う か、 独 逸
的 矛 盾 に起 因 し て居 る の であ り ます 。
然 る に ナ チ ス独 逸 は、 新 し い理 想 を 一つし か持 って居 な いの であ り 、
で あ り ま し て、 今 日 世 界資 本 主義 国 家 の内 で階 級対 立 が最 も 激 化 し
次 に 独逸 の運 命 に就 て考 察 し て見 ま す と、 頗 る困 難 では あ り ます が
て居 る の は此 の米 国 と日 本 な の であ りま す 。
大 体 次 の 二箇 の見 透 を 想 定 す る こ と が出 来 ま す 。
に過 ぎ な い ので あ り ます 。
然 かも 其 の理念 た るや 凡 ゆ る方 面 に於 て権 力 を 強 化 す る と 云 ふ こ と
即 ち ナ チ ス独逸 は、 之 を ナポ レ オ ンに 比較 す ると 科 学 的 に も文 化 的
即ち、
油 田 と政 治 的 中 心地 であ る モ ス コウ を占 領 す る こと が出 来 れ ば、
第 一は、 独 逸 が本 年 中 に ソ聯 に対 し て大 勝 利 を 得 て、 カ フガ スの大
にも 何 等新 な る寄 与 を し て居 ら ぬの で あ りま す 。 ナチ ス独 逸 は精 神
的 には 全 く 貧 困 を極 め て居 り 、 其 の政 策 は米 国 の ニグ ロ程 度 に は効
暫 時 の間 は欧 州 の覇 者 とし て存 続 す る であ り ま せう 。 第 二は 、 若 し 独逸 が本 年 中 に ソ聯 に対 し て斯 様 な 勝 利 を得 る こ と に
な 活動 を展 開 し、 成 功 を 収 め る こと で せう 。 勿 論 米 国 か ら 飛 行機 又
ぬが 、 恐 ら く 日本 は政 治 的 にも 経 済 的 に も各 種 の地 域 に 亘 って活 発
へる で せ う 。是 は検 事 殿 の前 で何 も追 随 を申 上げ る 訳 では あ り ま せ
今 日 の日 本 は 如何 な る点 か ら考 察 し ても 不 敗 の地 歩 を 確 保 し た と 云
日 本 は 以 上申 述 べた 三国 の中 で最 も 恵 ま れ た国 と見 ね ば な り ま せ ぬ。
次 に日本 の将 来 に就 て考 究 す る こと に致 しま す 。
も 失 敗 を 免 れ な いも の と 云 は ね ばな り ま せ ぬ 。
以 上 の如 く 考察 し て来 ます と ナ チ ス独逸 の企 図 は、 長 短 執 れ に し て
つ欧 州 諸 国 民 を ば統 一す る こと は 全 く 不可 能 な こ と であ り ま す 。
であ り ま し て、 ナ チ ス独 逸 は多 種多 様 な洗 練 さ れた 文 化 的潮 流 を持
果 があ る か も知 れ ま せ ぬ が、 古 い伝統 を持 つ欧 州 人 には殆 ん ど無 力
功 を収 め て行 く でせ う が 、後 に は結 局 英 国 と 全 く同 様 な 搾 取 と 抑 圧
せ う。
従 って 日本 は何 処 へ行 って も 人 民 か ら真 に歓 迎 さ れ る こ と はな い で
東 亜 に於 ても 日 本 は 此 の支 那 に於 け る と同 様 な こ と を繰 返 す でせ う 、
帝 国 主義 国 家 と し て斯 様 な こと を遣 って居 るか ら で あ り ます 。
す が 、 一つと し て成 功 し た も の はな い の であ り ま す 。夫 れ は日 本 が
一例 を挙 げ ます と日 本 は 現 在 支 那 に於 て種 々な こと を遣 って居 りま
ら 東方 のプ ロシ ャと 呼 ん で参 った位 であ り ま す 。
あ り ま せ う。 欧 州 では 軍 国 主義 的 で帝 国 主 義 的 な 此 の 日本 を ば 昔 か
に解 放 さ せて遣 る こ と が出 来 な い許 り でな く 、寧 ろ 之 を欲 しな い で
を 真 に解 放 さ せ る こと は 出来 ま せ ぬ。 日 本 と し ては印 度 や 支 那 を 真
を得 な い訳 であ り、 人 民 の生 活水 準 を向 上 さ せた り 進 ん で は諸 民 族
を繰 返 す に違 ひあ り ま せ ぬ。
尤 も最 初 の間 は 日 本 と し ても 為 す べき 仕事 が 沢山 あ り然 かも 一応 成
例 へば支 那 の農 業 問題 に し ても 、 日 本 は 自 分自 身 の農 業 問 題 を解 決
は 潜 水艦 等 に依 る色 々な 妨 害 を 蒙 る こと は免 れ得 な いと ころ で あ り、
に は 米国 の 日本 に対 す る 攻 撃 は 愈〓 熾 烈 の度 を加 へる か も知 れ ま せ
逸 の如 き悲 し む べ き運 命 には 際 会 し な いで せ う。 本 年 末 又 は 明年 辺
う か、 又労 働 者 の待遇 問 題 に し ても 、 日本 は今 日 尚 悲 惨 な 紡績 労 働
出 来 な い の に如 何 し て支 那 の農 業 問 題 を解 決 す る こ と が出 来 る で せ
日 本 と し て も努 力 を必 要 とす る こと は 当然 であ りま す が 、 米 国 や 独
ぬが 、夫 れ にも 拘 らず 日 本 は 心 理的 に も物 質 的 にも 依 然勝 利 者 と し
者 の待 遇 す ら之 を 解 決 し得 な い状 態 な の であ り ます 。
て残 る も の と思 は れま す 。 然 し 乍 ら 日本 は其 の反 面 に於 て、結 局 自己 の使 命 を 解 決 す る こ と が
国 民的 な そ し て社 会 的 な利 益 な るも のを 人 民 に は 齎 ら さ な い で せ
勿 論 日本 は東 亜 の諸地 域 に技 術 的 な 進 歩 を齎 らす で せう が 、 決 し て
う。
出 来 な い の であ り ま す 。
曾 て英国 が 犯 し た と同 様 な 罪 過 を犯 さ ざ るを 得 な い ので あ り ます 。
に 費消 さ れ決 し て人 民 の利益 と はな らな いも のと思 ひま す 。
例 へば南 方 に 於 け る米 の増 収 に し ても 、之 は 日本 の軍 事 並 工業 方 面
日 本 は資 本 主義 国 家 と し て帝 国 主義 的 立場 に立 って居 り ま す の で、
亜 細 亜 は其 の覇 者 と し て英 国 に 代 って 日本 を迎 へた に過 ぎ ま せ ぬ。
日 本 は何 か と 云 へば精 神 精 神 と矢 釜 し く申 し ます が 、 精神 の昂 揚 丈
目 本 が 亜 細 亜 の盟 主 と な っても 亜 細 亜 人 の 生活 は 決 し て改 善 さ れ る も ので はあ りま せ ぬ。 日 本 は 此 の収 穫 を ば 挙 げ て戦 争 に消 耗 せざ る
では 人 民 の利 益 と幸 福 を 増 進 す る こ と は出 来 な い ので あ り ま し て、
ソ聯 が 最初 の 一撃 で瓦 解 す る で あ ら う と 云 ふ独 逸 軍 の期 待 は見 事 に
何 故 と申 せ ば 此 の冬 季 戦 の間 に 独逸 軍 の攻 撃 精 神 は喪 失 し て仕 舞 ひ、
の間 に是 迄 の失敗 を 回復 す る こ と が出 来た か ら で あ りま す 。
裏 切 ら れ て仕 舞 った のであ りま し て、 ソ聯 は之 に反 し て此 の冬 季 戦
彼等 に は現 実 の物 質 的 な 利 益 を与 へね ば な ら ぬ の であ り ます 。 そし て 日本 は軈 て各 土 着 の金 貸 や資 本家 と妥 協 し、 彼等 と結 合 す る
た こ と は絶 対 に否 定 し得 な いと こ ろ であ り 、 ソ聯 の経 済 的 文 化 的 其
然 し敦 れ に し ても 今 次 の独 ソ戦 争 が ソ聯 にと って非 常 な不 幸 であ っ
に違 ひ あ り ま せ ぬ。 最後 に ソ聯 と今 次 世 界 大 戦 と の関 係 に就 て考 察 す る こと に致 し ます 。
牲 が 大 で あ り ま せ う とも 依 然 社会 主義 国 家 と し て此 の大 戦 後 も存 続
の他 凡 ゆ る事 業 は 破 壊 さ れ て仕 舞 ひま した 。 ソ聯 と し て は再 び最 初
ソ聯 が 今次 の対 独 戦 に依 って決 定 的 に敗 北 す る と か崩 壊 す る と か と
し て行 く に違 ひあ り ま せ ぬ。
か ら と 云 ふ程 で はな く と も 、少 く とも 中 途 か ら 今 迄 と は違 った方 法
十 年 来 各 地 に 工業 中 心地 を建 設 し て居 り ま す の で極 め て強 靱 な抵 抗
そ し て戦 後 に於 け る ソ聯 の動 向 と し ては、 戦 後 の経 営 の重点 を ば欧
云 ふ こと は 全 然考 へら れ ぬ問 題 であ り ま す 。
力 を保 有 し て居 る 訳 で、 ソ聯 国 家 が崩 壊 す る と 云 ふ が 如 き こ と は考
州 や 小 亜 細 亜 に置 き つ つ戦 争 に因 る 荒廃 の復 興 や 、 対 欧 州問 題 の解
で遣 り 直 さ ね ばな ら な い ので あ り ま し て、 ソ聯 にと って は何 と し て
へら れ ぬ と ころ であ り ま す 。独 逸 は開 戦 前 ソ聯 は 崩壊 す る であ らう
決 に忙 殺 さ れ ざ る を得 なく なり 遠 く離 れ た シ ベ リ ヤ方 面 に 於 ては、
ソ聯 に と って最 悪 な事 態 を 想 像 す れ ば 、夫 れ は ソ聯 が モ ス コウ 及 レ
と 云 ふ謬 見 を 懐 き 、 ソ聯 を 不意 に攻 撃 し た の であ り ま す が、 ソ聯 の
積 極 的 な 政 治 的 活 動 を展 開 せず 専 ら経 済 的 活動 を遂 行 し て行 く に 過
ー ニング ラ ー ド を喪 失 し、軈 てボ ルガ 河 の流 域 附 近 迄 退 却 す る こと
国 民 は少 しも 動 揺 を 示 さ な か った の であ り ま し て、国 民 の ソ聯 政 府
ぎ な いも の と思 は れ ます 。
の困難 を ば克 服 せ ね ばな ら ぬの で あ りま す が 、 ソ聯 は 如何 に其 の犠
に対 す る要 望 は何 故 も っと 早 く か ら対 独 戦 備 を 充 実 し て置 か な か っ
斯 く て ソ聯 にと っては 日本 と の関 係 が 重 大 な問 題 と な りま す ので 、
も 此 の犠 牲 は最 大 の痛 恨 事 で あ り ま し て、 将 来 幾 多 の饑 餓 や 其 の他
た の か と云 ふ こと に尽 き る ので あ り ます 。 即 ち ソ聯 共 産党 の政 策 が
であ り ま し て、独 逸 と し て は カ フ ガ スは 到 底之 を攻 略 出 来 な い こと
正 し か った こ とは 今 日 程 適 確 に 立 証 さ れ た こ とは な か った の であ り
調 と す るも の と考 へら れ る の であ りま す 。
出 来 得 る限 り日 本 と の友 好 関係 を保 持 し て行 く こと を其 の政 策 の基
と思 はれ ま す 。 ソ聯 は御 承 知 の通 り 国 土 が尨 大 で あ り、 然 か も 過 去
ます 。
者 Ri chard Sorg e
是 は何 も 私 が ソ聯 の為 の宣伝 を し て居 る 訳 で は あ り ま せ ぬ、 論 理 的
疑
思 って居 りま せ ぬ。
私 個 人 と し て は ソ聯 に只 今 申 上 げ た様 な最 悪 な 事 態 が 発 生 す る と は
被
必然 の帰 結 に外 な ら ぬ ので あ り ます 。
す。
否 寧 ろ ソ聯 と し ては ナチ ス独逸 を撃 退 す る であ ら う と 思 って居 りま
事
生
駒
佳
年
実 は 、 国際 労 働 者 階 級 に対 し て極 め て重 大 な 影 響 を与 へる も の で
あ り ま し て 、英 仏 米 諸 国 の資 本 主義 に と っては ナ チ スの此 の戦 争
通 右 通 事 を 介 し 読 聞 け た る に相 違 な き 旨 申 立署 名拇 印 した り 。
田
信 貞
夫
彼 等 は 此 の戦 争 が齎 し た巨 大 な犠 牲 と罪 過 を 体 験 す る こと に依 り 、
第 二 に は、 今 次 世 界 大 戦 が国 際 労 働 者 階 級 に 与 へる影 響 であ りま す 。
起 さ せ る であ りま せう 。
を 昂 め る と共 に、 彼 等 を し て各資 本 主 義 国 家 と の革 命 的 闘 争 に蹶
に対 抗 し得 た と云 ふ 事 実 は 、 ソ聯 に対 す る 国 際労 働 者 階 級 の信 頼
機 械 は真 に恐 る べき も の であ り ま す が、 ソ聯 のみ は 独 り 立派 に之
於 東 京 拘置 所
前同日
裁 判 所書 記 山 光
東 京 刑事 地方 裁 判 所 検 事 局
河
事
吉
検
斯 く し て私 は将 来 社 会 革命 が 遂 行 せ ら る べ き地 域 とし て次 の二大 地
即 ち社 会 主 義 国 家 創 造 の必 要 を自 覚 す る に至 る であ り ま せ う。
現 代 資 本 主 義 体 制 の矛 盾 と不 合 理 に覚 醒 し 、新 な る よ り良 き 社会 、
右 者 に対 す る治 安 維持 法 違 反 並 国 防 保 安 法 違 反 被疑 事 件 に付 、 昭 和
域 を 考 へて居 る の であ り ま す 。 即 ち 夫 れ は第 一に は 欧 州 であ り第 二
者 リ ヒア ルド ・ゾ ルゲ
十 七 年 三月 二十 六 日東 京 拘 置 所 に於 て、 検 事 吉 河光 貞 は裁 判 所 書 記
に は米 国 であ り ま し て、 之 等 の地域 に於 て は今 日 程 社 会変 革 に近 づ
疑
山 田信 夫 立 会 の上 、前 回 に引 続 き右 被 疑 者 に 対 し 訊 問 す る こ と左 の
き つつあ る時 は、 今 迄 に無 か った と 云 は ね ばな り ま せぬ 。
被
第 四 十 六回 訊 問 調 書
一問 次 に世 界 革 命 の将来 に関 す る被 疑 者 の認識 如何 。
先 づ 欧 州 に 於 け る重 大 な変 化 は 、 直 接革 命 運 動 を 遂 行 す べき 労働 者
如 し。
答 先 づ ソ聯 に於 ては 唯今 申 上げ た ソ聯 戦 後 の動 向 と関 連 し て、
べ き国 民 主 義運 動 と が相 合 体 し て広 汎 な革 命 を起 す であ り ま せ う 。
過 ぐ る 第 一次 世界 大戦 の際 に は独 り労 働者 階 級 の み が戦 争 の犠 牲 に
階 級 と 、 ナ チ スの抑 圧 と支配 に対 抗 し て民 族 的 な解 放 運 動 を展 開 す
醒 め て立 ち 上 った の であ りま し て、労 働者 階 級 の革 命 運 動 と 、 民族
ソ聯 に於 ては 依然 一国 社 会 主 義 が存 続 し て行 く で あ り ま せ う。 勿 論
再 建 の活 動 が開 始 さ れ る で せ う 。世 界 革 命 の 一環 た る ソ聯 に於 け る
経 済 的 な 活 動 は 非 常 に弱 化 さ れ る こ と があ る でせ う が 、再 び経 済 的
革 命 の最 も 重 要 な る 問 題 は 、国 家 社 会 主 義 の建 設 に 外 な ら ぬ の であ
な か った現 象 で あ り 、 恐 らく 従 前 よ り も 遙 か に強 力 な革命 運 動 が 展
的 な国 民 解 放 運 動 と が合 体 す る と云 ふ こと は従 来 の欧 州 には 存 在 し
開 さ れ る こと であ り ま せ う。 殊 に其 の先頭 に 立 つも の は仏 国 の労 働
り ます 。
重 要 な意 義 を持 つも の であ り 、
ゆ る方 面 か ら 支 援 す る であ り ま せう 。 若 し 独逸 が本 年 末 迄 に ソ聯 に
者 階 級 であ り 、 彼 等 は ナ チ スに対 す る反 抗 か ら 此 の革 命 運 動 を ば 凡
然 か も ソ聯 に於 け る 社 会 主義 建 設 は、 国 際 革 命 運 動 に対 し て極 め て
此 の世 界 大 戦 に於 て ナ チ ス独 逸 の戦 争 機 械 に対 抗 し 得 た と 云 ふ事
第 一に は 、 ソ聯 が従 来 遂 行 し て来 た社 会 主 義 の政 治 的 経 済 的 建 設 が 、
早 く到 来 す る で せう 。 勿 論時 期 は之 を予 言 す る こと は出 来 ま せ ぬが 、
対 し て徹 底 的 な勝 利 を 得 な か った と した な ら ば 、 此 の革 命 は非 常 に
って来 る で せ う。
緊 張 が 激化 す れ ばす る程 米 国 か ら攻 撃 を受 け る 危 険 と機 会 が少 く な
は な ら なく な って居 る ので あ りま す 。 日 本 と し て は米 国 内 の社 会 的
運動 は相 当 活 発 に展 開 さ れ て居 る の であ りま す が 、騰 て農 民 階 級 と
次 に米 国 に於 ては 、 日 米戦 争 下 の今 日 既 に労 働 争 議 が勃 発 し、 労 働
と化 す る であ りま せう 。
州 に 於 け る社 会 革 命 の力 は愈 く増 大 し欧 州 は之 等 社 会 革命 家 の巣 窟
総 括 的 に申 上 げ れ ば 今次 第 二次 世 界 大 戦 中 及 其 の戦 後 に 亘 って、 欧
チ スは 凡 ゆ る 恐怖 手 段 を使 用 し、 此 の運 動 を強 圧 す る であ り ま せ う 。
革 命 運 動 の過程 は緩 慢 とな ら ざ る を 得 な いであ り ま せう 。 恐 ら く ナ
共 産 主 義 の 立場 に立 つ以 上 日 本 も 亦資 本 主 義 国 家 と し て、此 の社 会
り 、 次 第 に全 世界 が社 会 革命 の舞 台 と化 す る に 自 る であ りま せう 。
ず 印 度 や支 那 を含 む亜 細 亜 に も影 響 を 及 ぼさ ず に は居 ら ぬも の であ
は ね ば な ら ぬ の であ り ま す 。然 し欧 米 に於 け る社 会 革 命 運 動 は 、 必
る社 会 革 命 運 動 に対 比 す れ ば、 自 ら其 の重 要 性 が余 程 低 いも のと 云
に 於 け る ブ ルジ ョア民 主 主 義的 な国 民 解 放 運 動 は 、之 を欧 州 に於 け
ジ ョア 民主 主 義 革 命 が遂 行 さ れ ね ばな ら ぬ の で あ りま し て、 亜 細 亜
元来 共 産 主 義 者 の立 場 か ら 申 せ ぱ、 プ ロ レタ リ ヤ革 命 の前 に は ブ ル
細 亜及 印 度 に於 け る革 命 運 動 を 抑 圧 す る こと が出 来 る であ り ま せ う。
斯 く の如 く 欧 州及 米 国 の 二大 地域 が 、今 後 到 来 す べき社 会 革 命 の舞
ソ聯 に勝 利 を得 る こ とが 出 来 ぬ ナ チ スの勢 力 は 忽 ち低 落 し始 め る こ
都 市 小市 民 層 とが 之 の運動 に参 加 す る に至 る で あ り ま せ う。 然 らば
革 命 の例 外 と な る こ と は絶 対 に 不 可能 な こ と であ り ま し て、 永 い将
と は 必然 であ りま す から 、 遂 に は 独逸 の労 働 者 階 級迄 も 此 の革 命 に
何時 米 国 に革 命 が 到 来 す る か之 は予 言 出 来 ぬ こと で あ り ます が、 米
来 に於 ては 目 本 に於 ても 矢 張 り社 会 革 命 が遂 行 さ れ ざ る を得 な い の
の影 が薄 く な る で あ りま せう 。 加 之 日 本 は戦 争 の勝 利 者 とし て、亜
国 の資 本主 義 は極 め て高 度 な発 達 を遂 げ て居 り ま す ので 、 必ず や早
であ り ま す 。 然 か も 日本 に於 ては 、 ブ ルジ ョア民 主 主 義 革命 の前 夜
台 とな り ま す ので、 亜細 亜 及 印 度 方 面 は社 会 革 命 の舞 台 と し て は其
晩 之 に対 す る強 烈 な 反 動 が 到来 す る で せ う。 若 し米 国 が 今 目 の如 く
に立 つ農 民 階 級 の問題 と、 プ ロレタ リ ヤ革 命 を 遂 行 す べき労 働者 階
協 力 す る に至 る であ りま せう 。 又 若 し独 逸 が ソ聯 に対 し て成 功 し、
対 日 戦 争 に敗 北 を重 ね て行 く と す れ ば 、革 命 の機 運 は 愈 ζ増 大 す る
経 済 的 に暫 時 でも 其 の命 脈 を 保 つ こと が出 来 る場 合 に は 、特 に 此 の
で あ り ま せ う 。之 に反 し て米 国 が 今後 尚 資 本 主 義 の高 度 化 に 成功 す
行 さ れる であ り ま せ う。
のブ ルジ ョア民 主 主 義革 命 と、 プ ロ レタ リ ヤ革 命 とが 相 合 一し て遂
要 之 歴 史 を 緬 け ば 明 か な 如 く、 第 Ⅰ次 世 界大 戦 当 時 欧 米 に 於 ては労
級 の問 題 とが 相半 し て存 在 し て居 り ま す ので、 恐 ら く 到 来革 命 は此
な い と ころ であ り ま す。 彼 の第 一次 世 界 大戦 当 時 には 、 米 国 労 働者
働者 の生活 問 題 が共 の日 其 の 日 の逼 迫 した 問題 と な り、 鼓 に革 命 運
る な ら ば 、 革 命 の速 度 は極 め て緩 慢 と な り困 難 なも のと な る で せ う。
階 級 は多 種 多 様 な 人種 や国 民 に分 か れ て居 り ま した が 、 今 日彼 等 は
敦 れ にし ても 米国 に は近 く 社 会 問 題 の論議 が激 化 す る こと は 間違 ひ
皆 一様 な 米 国 人 と化 し て居 り 、 人 種本 来 の別 の如 き は 重 大 な 問 題 と
の第 一次 世界 大 戦 が初 期 と し て齎 ら し たも のを 完 成 せ ん と し て居 る
動 の勃 興 を見 る に自 った の であ り ます が、 今 や 第 二 次 世界 大 戦 は此
スパ イと は 全 く 其 の趣 を 異 に し て居 る の であ りま す 。 英 米諸 国 の所
の敵 とし て日 本 に渡 来 し た の では あ り ま せ ぬ。 又 私 達 は 一般 の所 謂
も の でも あ り ま せ ぬ 。従 って私 を 始 め私 のグ ループ は 、 決 し て日本
争 や、 武 力 的 衝 突 を 欲 す る も の でも な く 、 又 日本 を 侵 略 せ ん と す る
し、 之 に向 って攻 撃 を加 へんと す る も のであ り ます が 、 私達 は 斯様
謂 スパ イな る も のは 日本 の政 治 上 、 経済 上、 軍 事 上 の弱 点 を探 り出
ので あ り ま し て、 今 こそ 世界 革 命 の時 機 近 迫 せり と 云 は ざ るを 得 な
然 ら ば被 疑 者 の今 次 諜報 活動 の目 的 如 何 。
い の であ り ま す 。
私 を 始 め私 のグ ルー プ の直 接 成 員 尾 崎 、 宮 城 、 ク ラ ウ ゼ ン、
な意 図 か ら 日本 に於 け る情 報 を蒐 集 した ので は あ り ま せ ぬ。 西 暦 Ⅰ
答
二間
ヴ ケ リ ッチ達 が持 って居 た 今次 諜 報 活 動 の目 的 には 、積 極的 側 面 と
九 三 五年 モス コウ で私 と ク ラ ウ ゼ ンが 赤 軍 第 四 本部 長 ウ リ ッキi 将
ソ聯 と 日本 と の間 の戦争 が 回避 さ れる 様 に力 を尽 し て貰 ひ度 いと 云
軍 に訣 別 を 致 し ま し た際 、私 達 は 同将 軍 か ら 霜 達 の活 動 に依 って、
ふ指 令 を与 へら れた の であ り ます 。 又 私 は日 本 に於 て諜 報 活 動 に従
立 って ソ聯 の政 策 決 定 を容 易 な ら し め ん が為 、 ソ聯 共 産党 指 導 部 に 対 し絶 えず 日本 に於 け る 諸 般 の情 報 を蒐 集 通 報 し て参 り ま し た が、
消 極 的 側 面 と があ る ので あ り ま す。 私 達 は敦 れ も 共産 主義 の立 場 に
其 の 目的 の積 極 的 側 面 は 、 ソ聯 社 会 主 義 国 家 を 擁 護 せ ん と し た こ と
事 中 、 終 始 此 の見 地 を堅 持 し て参 り ま し た の で、 遂 に は モ ス コウ申
に日 本 軍 側 の停 戦 協 定 に応 じた 如 き 、 或 は 日 ソ間 の満 州 に於 け る平
で あ り 、消 極 的 側 面 は、 ソ聯 を し て凡 ゆ る反 ソ的 な 政 治 上 の発 展 又
和 を 維 持 せ ん が為 ソ聯 が北 満 州 鉄 道 を 日本 に譲 渡 し た 如 き 、或 は松
央 部 から 私 が 日 本側 か ら の戦 争 の危 険 を ぱ過 少 に評 価 し た と 云 ふ批
し て ソ聯 の指 導 部 た る ソ聯 共産 党 を支 持 し、 コミ ンテ ル ンの標 榜 す
岡 外 相 訪 欧 の際 ソ聯 側 が私 の情 報 に依 り直 に日 ソ中 立 条 約 の締 結 に
難 を 受 け た 程 で あ り ま し た。 又 ソ聯側 に於 き ま し ても 多 年 に 亘 って
る世 界 革 命 の綱 領 を 支持 す る こ と は申 す 迄 も な いこ と であ り ま す 。
応 じ た 如 き 、各 種 の事 例 に 徴 し て明白 な こと であ り ま す 。
は軍 事 上 の攻 撃 を 回 避 せ し め る こ と に依 り ソ聯 を 防衛 せ ん と し た こ
然 か も此 の世 界 革 命 の達 成 に と って、 ソ聯 に 於 け る社 会 主 義 建 設 が
勿 論 私 は私 達 の活 動 のみ に 依 って日 ソ間 の平 和 関 係 が維 持 さ れた と
と であ りま す 。 私 達 が共 産 主義 の立 場 に立 って ソ聯社 会 主 義 国 家 を
如何 に重 要 な 意 義 と 役割 を持 つも の であ る か は今 更 申 上げ る 迄 も な
は 思 ひま せ ぬ が、 少 く と も 之 に協 力 寄 与 した こと は事 実 であ り ま し
は、 彼 の ノ モ ン ハン事 件 に於 て ソ聯軍 が有 利 な情 勢 に 在 り乍 ら、 直
い こと であ り 、仮 に ソ聯 社 会 主 義 国 家 が他 国 の攻 撃 に依 って崩 壊 す
日 本 と の軋 礫 や衝 突 を回 避 せん と す る態 度 を採 って参 り ま し た こ と
る と し たな ら ば 、 世 界革 命 な るも のは 理 論 的 に は遠 き将 来 の問 題 と
て、 此 の点 こ そ私 達 が Ⅰ般 の所 謂 スパ イな る も のと其 の思 想 的 な 立
擁 護 防 衛 す る こと に 依 り 、 世界 革 命 に対 し て聞 接 の寄 写貢 献 を為 し
し て残 る でせ う が、 実 際 的 には 殆 ん ど 不 可能 な こ と にな って仕 舞 ふ
脚点 を異 にす る所 以 な ので あり ま す 。 特 に 私 は検 挙 され る前 晩 モ ス
て来 た こ と は既 に 申 上 げ た通 り であ り ま す が 、 私 達 が 共産 主 義 者 と
の であ り ま す 。 し か も ソ聯 自 ら は決 し て他 国 特 に 日本 と の政 治的 紛
貞
夫
右通事を介し読聞 けた るに相違なき旨申立署名揖印 したり。
田 信
コウ 中 央部 に発 信 す る 心 算 で執 筆 した 電 文 原 稿 の中 で 、我 々の日 本
事 吉
リ ヒア ルド ・ゾ ルゲ
河 光
前同日
モ ス コウ に帰 ら せ る か、 或 は 独逸 に行 か せ て呉 れ と 云 ふ意 味 の こ と
東京刑事地方裁判所検事局
於東京拘置所
者
裁判所書記
検
疑
第 四十七回訊問調書
被
山
に於 け る任 務 は終 った 、 日 ソ間 の戦 争 は避 け ら れ た、 何 う か我 々を
を書 いて居 り ま す 。 之 は 先 程 申 し た私 達 の目 的 の 一班 を 明瞭 に物 語
被 疑 者 は 日 本 に於 て探 知 収 集 し モ ス コウ 申 央部 に通 報 した 種
って居 るも の であ り ま す。 三問 種 な情 報 並 資 料 が 、 敦 れ も 日本 国 家 の秘 密 に 属 す る事 項 であ る こと を知 って居 た のか 。
十 七年 三月 二十 七日 東 京拘 置所 に於 て、 検 事 吉 河 光貞 は裁 判 所 書 記
右 者 に対 す る 治 安維 持 法 違 反 並 国 防保 安 法 違 反 被 疑 事 件 に付 、 昭 和
集 し た 種 々な情 報 並 資 料 が、 敦 れ も 日 本 国 家 の直 接 軍 事 上 の秘 密 で
山 田 信 夫 立会 の上 、 前 回 に 引続 き右 被 疑 者 に対 し 訊問 す る こ と左 の
左⋮ 様で あ り ま す。 私 は私 を 始 め 私 のグ ループ が 日本 で探 知 収
あ り 、 或 は 軍事 上 の資 源 関 係 の秘 密 で あ り 、或 は 日本 国 家 が 其 の国
一問
如し。
答
防 上 外 国 に対 し て秘 密 に し て置 く こと を 必要 とす る外 交 、 財 政 、経
を示したり。
此 の時 検 事 は昭 和 十 七 年 押第 五 三号 の第 一号 第 二号 第 六号 第 七号
箇 並 共 の在 中 品 に関 す る 説 明 如何 。
先 般 当 拘 置 所 で押 収 し た被 疑 者 所 有 の黒 革 製 小 型 ト ラ ンク Ⅰ
済 其 の他 に関 す る重 要 な 国 務 上 の事 項 で あ る こ とも 予 め 十 分 に 承知 し て居 り ま し た。
答
然 し 私 と し ては先 程 申 上 げ た 私 達 の目的 を達 成 す る為 には 日 本 国家 の法 律 を 犯 し て、 之 等 の秘 密 事 項 を 探知 収 集 せ ざ るを 得 な か った の
す。
題 を ば 之等 の法 律 より も 当 然 重 し と せ ざ る を得 な か った ので あ り ま
は直 接 関 係 のな い私 有物 を 入 れ て持 歩 き 、 主 と し て独 大 使 館 内 に時
を始 め 、資 料 や 報 告 書 を 撮 影 し た フ ィル ム、資 金 其 の他 諜 報 活 動 と
れ た品 であ り、 爾 来 私 は 此 のト ラ ンク に私 の諜 報 関係 の秘 密 な 資 料
御 示 し の黒 革 製 小 型 ト ラ ンク は、 私 が 五年 程 前 に銀 座 で買 入
であ り ま し て、 私 と し ては 共 産主 義 の立 場 から 日 ソ間 の平 和 な る問
特 に 独 ソ戦 勃 発 後 に於 き ま し ては 、私 は斯 様 な 立 場 か ら 益 く日本 国
う と し て自 分 で壊 し たも の であ り 決 し て他 人 が壊 し たも の では あ り
前 に私 が此 の鍵 を Ⅰ寸紛 失 し た時 無 理 に 此 のト ラ ンクを 押 し 開 け よ
に は ク ラ ウ ゼ ン宅 に Ⅰ、 二 回位 預 け て置 く の に使 用 し て居 り ま し た 。
空 爵 傍。H店 ωo品 o 年
者
此 の ト ラ ン ク の鍵 は御 覧 の通 り破 損 し て居 り ま す が、 夫 れは 三年 位 疑
家 の法律 を犯 し、 各 種 の秘 密 を探 知 収 集 す る こ と が多 く な って参 り
被
佳
生
駒
事
ました。
通
け て置 き ま し た が、 其 の後 も時 々出 掛 け て此 のト ラ ンク の在 中 品 を
内 のヴ 呂ネ ッカ海 軍 武 官 事務 所 に持 参 し、 同 所 の女秘 書 に頼 ん で預
私 は 西暦 Ⅰ九 四 一年 (昭 和十 六年 ) 夏 頃 、 此 のト ラ ンク を独 大 使 館
ま せ ぬ。
の書 類 と Ⅰ緒 に 提 出 致 し ま した と ころ 不用 であ ると 云 は れ て返
林 の ナ チ ス新 聞 団 体 であ る独 逸 新 聞国 家 連 盟 に加 入 し た 時 、他
此 の文 書 は 私 が 日本 渡 来 後 西 暦 一九 三 七年 (昭 和 十 二年 )在 伯
行
西 暦 一九 三 七年 二月 十 九 日 独 逸 ト ルガ ウ郡 シ ルダ ヴ 新 教 々区 発
書
戻 さ れた も ので あ り 、私 が アー リ ャ ン民 族 の血 統 であ る こ とを
出 し 入 れ し て居 た ので あ り ます 。
証 明 す る た め の文 書 であ りま す 。
御 示 し の小 型 金 庫 は 私 の所有 物 で、 私 の諜 報 グ ルー プ の資 金 や自 分 個 人 の金 等 を 一緒 にし て入 れ る の に使 って居 り ま し た 。此 の小 型 金
私 の母 方 の親 類 グ ス タ フ ・アド ル フ 。ミ ュー ラ・ の結 婚 証 明
庫 に 入 れ てあ った 日 本 紙 幣 七千 四百 三十 円 は私 の諜 報 グ ル!プ の資 金 と、 私 個 人 の金 とを Ⅰ緒 に混 ぜ たも の であ り ま す 。私 が自 宅 に持
西 暦 二九 三 六年 十 二月 三 十 日 独逸 ウ エ ッテ ィ ン ・ザ ー レ聖 ニ コ
書
引 口
が 、 日本 紙 幣 は此 の弗 紙 幣 を 両替 し たも のや 、 私 個 人 の金 が混 って
ライ 教 区発 行
って居 た米 貨 弗 紙 幣 は モ ス コウ 申央 部 か ら送 られ た 資 金 で あ りま す
居 る筈 であ り ま す 。
の洗 礼 証 明書
私 の母方 の祖 父 ヨ ハネ ・ア ント ア ネ ッテ ・ア マリ エ 。ワ ル タ
此 の文 書 も前 同様 の文 書 であ り ます 。 日
又 写真 機 ロボ ットは私 が 三年 程 前 にヴ ケリ ッチに頼 ん で 一箇 約 五百
ンに遣 る と云 ふ約 束 を し た儘 渡 さず 、 私 が 自 宅 等 で使 って居 た の で
円 出 し て 二箇 買 入 れ て貰 った内 の 二箇 であ り 、 他 の 一箇 は ク ラウ ゼ
ライ 教 区発 行
西 暦 一九 三 七年 二月 二十 六 日独 逸 ウ エ ッテ ィ ン ・ザ ー レ聖 ニ コ
郭 発〃 ぽ
西 暦 一九 四 一年 四 月 十 日 独 逸国 家 社 会 主 義 労働 党 外 国 課 日 本支
冬 季 救済 事 業 に対 す る 残 金請 求 書
此 の文 書 も前 同様 の文 書 であ り ま す。
西 暦 一九 三 七年 二月 十 二日 独逸 マ ン ス フ ェル ト教 区発 行
前 述 のグ スタ フ ・ア ド ル フ ・ミ ュー ラ ー の出 生 並洗 礼 証 明 書
此 の文 書 も前 同様 の文 書 であ り ま す◎
あ り ま す 。 此 のト ラ ンク に入 れ て置 いた ロボ ット の方 は 、私 が主 と
画
国
し て 独大 使 館 で秘 密 に資 料 を撮 影 す る の に使 って居 た の であ りま す 。 独 文 タ イプ ライ タ ー 原 稿 二括 は私 が西 暦 一九 四 〇年 (昭 和 十 五年 ) 五 月頃 上海 旅 行 か ら帰 った時 作 成 し た フ ラ ン ク フ ルタ ー新 聞 への報 告 の写 で あ り、 内 容 は 当時 の国 際 都 市 上海 の事 情 を 叙 述 し た合 法 的 な も の であ りま す 。 次 に御 示 し の独 逸 文 書 十 通 は 、敦 れ も合 法 的 な 書類 で各 其 の内 容 を 簡 単 に説 明 申 上げ れば 次 の通 り であ り ます 。 、 ﹁ 臥凹 の﹂ 阻父 の兄 弟 ゲ オ ルグ ・ウ ィ ル ヘル ム ・ゾ ルゲ の皓 婚 証 羽
報
残 金 三 百 三十 五円 の請 求書 六 通
西暦 一九 一九 年 八 月 八 日 ハンブ ルグ 大 学 発 行
私 が 同大 学 で国 家 学 に 関す る ド ク ト ル号 を 獲 た時 に授 与 され た
次 に御 示 し の日本 語 の文 書 七 通 に 就 て簡 単 に説 明 致 せ ば次 の通 り で
証 書 であ り ま す。
あ り ます 。
第 二 百 一予 備 歩 兵 聯 隊 共 済 組 合 の通 報 西 暦 一九 三 六年 十 一月 発 行
此 の紹 介 状 は 私 が フラ ンク フル タ ー新 聞 日 本特 派 員 と し て、其
紹介状
一 昭 和 十 一年 八月 二十 二日 附 外 務 省情 報 部 発 行 の沿 道 諸 官憲 宛
此 の通 報 は第 一次 欧 州 大 戦 当時 私 が所 属 し て居 た 部隊 の共 済 組 合 が 、 此 の大 戦 を 記 念 し て発 行 し た も の であ り 、 独大 使 館 の シ
の頃 北 平 で開 催 さ れ た外 国 新 聞 記 者 会議 に出 席 の為 旅 行 した時
ョル武 官 が 既 に 申 上 げ た通 り、 私 と 一緒 に 此 の部 隊 に 所 属 し て 出 征 した こと があ りま した の で特 に 独逸 か ら私 に持 って来 て呉
に貰 った も の で、其 の時 私 は モ ス コウ 中 央部 の伝 書 使 とな って
れた も の であ り ま す 。
に会 って、 各 種 の政 治問 題 等 を協 議 し て別 れ 夫 れ から 翌 九 月 内
連 絡 に来 て居 た、 赤 軍第 四本 部 勤 務 の旧 友 自称 ア レ ック と秘密
七 私 の支 那 よ り の帰 還滞 在 申 告 書 西 暦 一九 三 三年 六月 三 日付 独 逸 シ ャル ロ ッテ ンブ ルグ 警 察 署 宛
蒙 古 の旅 行 に出 掛 け た ので あ り ま す。
此 の文 書 は私 が 西 暦 一九 三 三年 (昭 和 八年 )支 那 か ら モ ス コウ に帰 還 した 後 独逸 に赴 いた時 提 出 した 文書 であ り ます 。
夜 遅 く 同盟 通 信 社 か ら 帰 宅 す る私 が度 々警 察 吏 に 不審 訊 問 を受
此 の証 明 書 は恐 ら く 二 ・二 六事 件 後 東 京 市 内 の警 戒 が厳 重 で、
二 西暦 一九 三 六年 四 月 六 日附 独 逸 大 使 館 発 行 の身 分証 明 書
け た為 、独 大 使 館 で特 に 発 行 し て呉 れた も のと 思 ひ ま す。
西暦 一九 一九 年 六 月 十 一日独 逸 伯 林 シ ェー ネ ベ ルク のプ ロ シ ア
八 私 の国 籍 証 明 書
警視総監発行
三 昭 和 十 三年 一月 二十 四 日 附 外務 省 情 報 部 発 行 の沿道 諸官 憲宛
此 の文 書 は私 が ハ ンブ ルグ 大 学 で国 家学 のド ク ト ル号 獲 得 の試 験 に 応 ず る為 に 必要 だ った私 の身 分 証 明 書 で あ り ます 。
此 の紹 介状 は既 に申 上げ た 通 り 私 は独 大 使 館 の伝 書使 と し て香
紹介状
港 方 面 へ旅 行 し た時 貰 った も の で あ り ます 。
九 私 の京 浜 独 逸 人会 会員 証 西 暦 一九 三 七年 一月 一日 京 浜 独 逸 人 会 長 発 行
五 昭 和 十 一年 八月 二十 二 日附 天 羽 外 務 省情 報 部 長 発 行 の在 大連
此 の証 明書 は一 の紹 介 状 と 同様 な時 に貰 った も ので あ り ます 。
四 昭 和 十 一年 八月 十 四日 附 陸 軍 省 新 聞 班発 行 の身 許 証 明 書
此 の会 は ナ チ の組 織 で は な く 一般 社 交 と 科 学 研 究 の為 の団 体 で あ り、 日 本 人 も多 数 会 員 と し て参 加 し て居 り ま し て既 に申 述 べ た通 り相 当 有 能 な 図書 を 蔵 し て居 る の であ り ま す 。 10 私 の ド クト ル号 証 書
此 の紹 介状 も前同様一 で申上げた旅行 の際貰 ったも のでありま
米内山民政署長宛紹介状
固定 モー タ ー並 船 舶 用 モー タ ー
軍 用 特 殊自 動 車
戦
車
す。
索引車
農 耕 用 並索 引 車 用 モ ータ ー
此 の紹介状 も矢張 り前同様一 で申上げた旅行 の際貰 ったも ので
六 前同在奉天宇佐美総領事宛紹介状
自動 自転 車 及 自 動 三 輪 車
飛行 機
飛 行機 用 モー タ ー
あ ります。 七 昭和十五年 十月 二十 三日附外務省発行 の在支那独逸国大使館 情報部員同大使館特 別外交伝書使証明書
る論 説 の研 究執 筆 を頼 ま れた 際 、 其 の資 料 と し て同 武 官 か ら 此 の文
上 げた 通 り独 大使 館 で マ ッキ陸 軍 武 官 か ら、 日本 の戦 時 工業 に関 す
書 を 入 手 し た の であ り ま し て、 其 の 内容 中 に は既 に申 上 げ た 灰色 の
等 に亘 る各 資 料 が 含 ま れ て居 る の であ り ま す。 私 は同 年 夏 頃 前 に申
独 逸 自 動車 倶楽 部 手 帳 (前 同 号 の三 四 ) に私 が書 い て置 いた事 項 も
此 の証明書 は私 が独大使館 の伝書使 として在上海 のフィッシ ャ
軍 武 官事 務 所 に預 け て置 いた のは、 若 し も私 宅 に火 災 が 起 った り、
私 が先 程 の ト ラ ンク に只 今 申 上 げ た様 な金 品 を 入 れ てヴ ェネ ッカ海
含 ま れ て居 る の で あ り ます 。
ー総 領事の許 に行 った際貰 ったも のであります。
或 は 私 が旅 行 でも せね ば な ら な く な った時 、 若 し も 之 等 の品 を私 宅
三 問 次 に 此 の文 書 に覚 えが あ る か 。
此 の時 検 事 は前 同 号 の七 十 二 を 示 し た り。
に乱 雑 に放 置 し て置 く と 急 に取 纒 め る の に困 り ま す ので自 分 の身 辺
答 御 示 し の文 書 は 矢 張 り 独大 使 館 の文 書 であ り ま し て其 の内 容
の 必要 な品 と し て特 に集 め て割 合 に安 全 な 場 所 に保 管 し て置 く 為 で ありました。
は 西 暦 一九 三 七年 (昭 和 十 二年 ) 度 の日 本 に 於 け る人 造 石 油 製 造 工
二 問 此 の文 書 に覚 えが あ る か 。 此 の時 検 事 は 昭 和十 七年 押 第 五三 号 の七 十 一を 示 し た り。
場 のリ スト であ り 、 其 の 工場 中 に は計 画 中 の工場 も含 まれ て居 る の であ り ま し て、 夫 々
答 御 示 し の文 書 は独 大 使 館 の文 書 であ り ま し て其 の内 容 は 西 暦 一九 四〇 年 (昭 和 十 五年 )度 の 日本 に於 け る各 種 自 動 車 及 モー タ ー
乗用自動車
利用 パテント
所 在地
会 社名
貨 物 自 動 車 及 戦 車其 の他 軍 用 特 殊 自 動 車用 の モー ター
生産 額 予 想
の 生産 関 係 を 記 載 し た も のであ り、
貨物自動車
材 料 の種 類
付 し た文 書 であ り、 西 暦 一九 三 一年 ( 昭 和 六 年 ) よ り 同 一九 三 五年
一般 的 な 研 究資 料 と し て此 の文 書 を 入手 した の であ り ます 。
私 は西 暦 一九 三 七年 (昭 和 十 二年 )独 大 使 館 の経 済課 長 テ イ ヒ より
な 報 告 であ り ます 。
(昭 和 十年 )迄 の 日本 に於 け る製 鉄 並 製 鉄 業 の発 展 に関 す る統 計 的
で マッキ 武官 か ら頼 ま れ 、 矢 張 り 日本 の戦 時 経 済 に 関 す る論 説 を 研
私 は 西暦 一九 三九 年 (昭 和 十 四 年 )秋 頃 前 に申 上 げ た 様 に独 大 使 館
七問 次 に 此 の文 書 に覚 えが あ る か 。
等 が 挙 げ ら れ て居 りま す 。
究 執 筆 し た時 、 其 の資 料 とし て同 武官 か ら此 の文 書 を 入手 し た の で
答 御 示 し の文 書 も神 戸 の独 逸 領事 館 で作 成 し て独 大使 館 に送 付
此 時 検 事 は前 同号 の 七十 六 を 示 し た り。
あります。 四 問 次 に 此 の文 書 に覚 えが あ る か。
し て来 た も ので、 西暦 一九 三 六 年 ( 昭 和 十 一年 ) 度 の日本 に於 け る
此 の時 検 事 は前 同 号 の七 十 三 を 示 し た り。 答 御 示 し の文 書 は第 一頁 が欠 如 し て居 り ます が 、 神 戸 の独逸 総
工場 名
し て、夫 々
所 在地
製 鉄 工場 並製 鋼 工場 の主 な る も のの リ ストを 記 載 し た も の であ り ま
等 が、 大 阪 日日 新 聞 社 の主催 で 日本 の戦 時 経 済 其 の他 に就 て致 し ま
営 業 の種 類
西 暦 一九 三 七年 (昭 和 十 二年 ) に独 逸 か ら帰 朝 した 日 本 の高 島 少 佐
し た講 演 であ りま した 。
領 事 館 で作 成 さ れ独 大 使 館 に送 ら れ て来 た文 書 であ り 、其 の内 容 は
此 の文書 が如 何 し て私 の手 に 入 った か現 在 記 憶 があ り ま せ ぬ。
等 が挙 げ ら れ て居 る の であ り ま す 。
資 本額
此 の時 検 事 は前 同 号 の七 十 四 を 示 し た り。
五 問 次 に此 の文 書 に覚 え が あ る か。
私 は 此 の文書 を ば西 暦 一九 三 七年 (昭 和 十 二年 )前 述 の経 済 課 長 テ
八問 被 疑 者 は 以 上示 した 各 文書 を ば執 れも 写 真 に撮 影 し て モス コ
イ ヒ より 一般的 な研 究 資 料 と し て入手 し た の であ り ま す。
答 御 示 し の文 書 は 独 大 使 館 の 文 書 で 西 暦 一九 三 五年 (昭 和 十
の であ り ま す。
年 )度 の材 料 を 基 礎 と した 日 本 に 於け る鉄 鋼 供 給 状 態 を記 載 し たも
ウ中 央 部 に伝 送 し た のか 。
写 真 に撮 影 し其 の フ ィル ムを ば モ ス コウ中 央 部 に伝 送 し ま し た。
の他 の各 資 料 は孰 れも 入 手 し た都 度 私 自 身 又 は ヴ ケリ ッチ に頼 ん で、
要 であ り ま せ ん の で モ ス コウ 中 央部 に は伝 送 し て居 り ま せ ん が、 其
答 先 程 御 示 し の各 文 書 の中高 島 少 佐 等 の講 演 に 関 す る資 料 は 重
私 は 此 の文 書 を 西 暦 一九 三 七年 (昭和 十 二年 ) オ ット 武官 自 身 か ら 一般 的 な 研究 資 料 と し て入 手 し た の であ りま す 。
此 の時 検 事 は前 同 号 の七 十 五 を 示 し た り。
六 問 次 に此 の文 書 に覚 え が あ る か。
答 御 示 し の文 書 は 神 戸 の独逸 総 領 事 館 で作 成 し て独大 使 館 に送
被 通
疑 生
駒 佳
年
者 Ri chardSorg e 事
人
竹
事 吉
山
此 の時 検 事 は刑 事 訴 訟 法 第 百 八十 六条 所 定 の事 項 を 読聞 け たり 。
答 御 読 聞 け の様 な関 係 は 何 も あ り ま せ ぬ。
四問 貴 下 は 独逸 語 の翻 訳 が 出 来 ま す か。 答 左 様 で あ り ます 。
五問 然 ら ば リ ヒア ル ド ・ゾ ルゲ に対 す る治 安 維 持 法 違反 並 国 防 保
安 法 違 反 被 疑事 件 に付 、 左 記 独 逸 文書 の翻 訳 を 命 ず る が 如何 。
七 六各 号 を 示 し た り 。
此 の時 検 事 は昭 和 十 七 年 押 第 五三号 の七 一、 七 二、 七 四 、 七 五、
竹
雄
人
道
訳
山
翻
夫
答 諒 承 致 し ま し た 。
貞 雄
夫
田 信
山 道
信
貞
河 光
右通事 を介 し読聞けたるに相違 なき旨申立署名拇印したり。 前同日 於東京拘置所
検
裁判所書記
東京刑事地方裁 判所検事局
翻訳人訊問調書 訳
田
光
第 八 高 等 学校 教 授
四 十年
検
東 京 刑 事 地 方裁 判 所 検 事 局
右読 聞 け た る に相違 な き旨 申 立 署 名 捺 印 し た り。
翻
山
河
前同 日
裁判所書記
吉
リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ に対 す る 治 安 維持 法違 反 並 国 防 保 安 法違 反 被 疑
事
事 件 に 付 、 昭和 十 七年 四月 二日 東 京 刑 事地 方 裁 判 所 検 事 局 に於 て、 検 事 吉 河 光 貞 は裁 判所 書 記 山 田信 夫 立 会 の上、 右 翻 訳 人 に 対 し訊 問 す る こ と左 の如 し 。
年齢は
東 京市 渋 谷区 代 々木 大 山 町 一〇 七九
竹 山道 雄
職業 は
答 氏 名 は
一問 氏 名 、 年 齢 、職 業 、住 居 、 本 籍 及 出 生 地 は 如 何
住居は
リ ヒア ル ド ・ゾ ルゲ
二 問 貴 下 は
と申 す 者 を 知 って居 ら れ るか 。 答 全 く存 じま せ ぬ。 三問 然 ら ば 貴 下 は リ ヒア ルド ・ゾ ルゲ と斯 様 な関 係 はな いか 。
五
予 審判 事訊問 調書 ( 第 一回︱第 四十 五回)
一 回
調 第 二
書
内
容
公訴事実に対する陳述
第
と し て迎 へら れ様 と し た か
(10 ) 独 逸 共 産 党員 と し て同 党 の為 め 活動 し た概 要
し て祖 父 の遺 稿 等 を 提 出 し た顛 末
(11 ) モス コウ の マ ル ク ス エンゲ ル ス研究 所 長 リ ャザ ノ フと 連 絡
回
コミ ン テ ル ン の 本 質 及 使 命
(12 ) (13 ) 独 逸 共 産 党 を 離脱 し て ソ聯 共 産 党 に 加 入 し た事 情
四
(14 )
活動
(1) 大 正 十 四年 (一九 二 五年 ) 以 降 コ ミ ンテ ル ン内 部 に 於け る
(2) (3) 昭 和 二年 (一九 二七 年 ) コミ ンテ ル ンか ら 情 報 指 導
の共 産 党 と連 繋 し つ つ党 の情 報 及 各種 政 治 、 経 済 、 軍 事 問題 等
員 と し て ス カ ンヂ ナ ビ ヤ地 方 及 英 国 に 派 遣 さ れ、 そ れ等 の諸国
歴
(3) 職 業 経歴
の諜 報 活 動 を した 点
(4 )(5) 右 に 付 て コミ ンテ ル ンに報 告 し た 事項 方 法
(8) (9) 情 報 部 の任 務
(7) 組織部 及宣伝部 の任務
(6) 当 時 の コミ ンテ ル ン の組織
(1) 共 産 主義 を信 奉 す る に至 った のは何 時 頃 か らか
三 回
(7) 以 下信 奉 す る に至 った 経 緯
(6) 共 産 主義 を信 奉 し て居 る か
(4) (5) 家庭 の状 況
(2) 学
(1) 刑 罰 を 受 け た こと が あ る か
回
第
第 (2 ) 思 想 の推 移
(10 ) (11 ) 情 報 部 の組 織
支 那 に派 遣 さ れ て諜 報 活 動 に 従事 し昭 和 八年 (一九 三 三年 ) 九
(1) 昭 和 五年 (一九 三 〇 年 ) 一月 モ ス コウ中 央 部 の指 令 に従 ひ、
五 回
共 産 党 関 係諜 報 機 関 か ら 分 離 す る要 あ る こ とを 具 申 し た顛 末
(13) (14) モ ス コウ帰 還 後 諜 報機 関 を コミ ンテ ル ン の情 報 部 各
(3) (4) 祖 父 ア ド ルフ ・ゾ ルゲ の事 績 を 如 何 し て知 った か
一九 一八年 頃 キ ー ル市 で独 立 社 会 民 主 党 に 加 入 し て
(12) スカ ンヂ ナ ビ ヤ及 英 国 か ら 帰 った時 期
第
(5 ) 父 の思 想 的 傾 向 は (6 )(7) 活 躍 し た顛 末 一九 一九年 九月 独 逸 共 産 党 が結 成 さ れ る や 同年 十 二月 ハ ン
ブ ルグ市 で同 党 に 加 入 し た か
(8)
(9 ) 当 時 社 会 民 主 々義 者 シ ャイデ マ ンか ら 同 主義 の為 め に同 志
月 モス コウ 中 央部 の指 令 で日 本 に 渡来 し引 続 諜 報 活 動 を し た点
就て
(2 ) コミ ン テ ル ン本部 から 分 離 した事 情 に付 て の手 記 の記載 に
(3 ) (4 )(5) モ ス コウ の 一定 機 関 と の不 明 瞭 な る組 織 的 結 合 関 係 に付 て の手 記 の記 載 に就 て (6) (7 ) モ ス コウ中 央 部 な る用 語 の説 明 に付 て の手 記 の 記 載 に就 て
記 載 に就 て
(8)︱ (16 ) コミ ンテ ル ンと ソ聯 共産 党 と の関 係 に 付 て の手 記 の
一九 二 九年 以 後 に於 け る自 己 の 諜 報 活動 の ソ聯 共 産
(17) 手 記 は 如 何 な る状 態 で作 ら れた か (18) (19 )
党 中 央 委 員 会 と の蓋然 的 結合 関 係 に付 て の手 記 の記 載 に就 て
六
回
手 記 は 何 故 に記 載 し た か
は 其 の他 の機 関 にも 第 四 本 部 か ら更 に送 ら れ る様 にな る と 云 う
(22 ) 被 告 人 の情 報 が ソ聯 共産 党 最 高 指 導 部 、 コミ ン テ ル ン、 或
る な る手 記 の記 載 に就 て
(21 ) 被 告 人 の情 報 報 告 は技術 的 、 組 織 的 には 第 四 本 部 に送 られ
(20 ) ソ聯 共 産 党 の最高 指 導 部 は、 ソ聯 政 府 の最高 指 導 部 か
第
(1) ソ聯 共産 党 最高 首 脳 部 と、 ソ聯 政 府最 高 首 脳 部 と の関 係 に 付 て の前 回 の供 述 への附 加 陳 述 (2) (3) ソ聯 共産 党 指 導 部 と、 コミ ン テ ル ン指 導 部 と の 間 の 関 係 の実 際 的 構 成 に付 て の手 記 の記 載 に 就 て (4) ソ聯 内 の社 会 主義 建 設 に付 て の手 記 の記 載 に就 て
(5) 国際 的重点 の移動 に付て の手記 の記載 に就て
コミ ンテ ル ンと ソ聯 共 産党 と の関 係 の総 括 に付 て の手 記 の
記 載 に就 て
(6)
コミ ンテ ル ンと ソ聯 共 産 党 と の関 係 中 私 の活 動 と 重 心 の移
回
コミ ンテ ル ンと ソ聯 共 産 党 と の総 括 な る 手 記 の記載
(1) 昭 和 五年 (一九 三 〇 年 ) 一月 モ ス コウ中 央 部 の指 令 で支 那
七
て の手 記 の記 載 に就 て
(12 ) 中 間 的 注 意 事 項 と し て の新 し い活 動 分 野 と し て の東 亜 に付
(11) 情 報 活 動 変 更 の根 拠 に付 て の手 記 の記載 に就 て
に就 て
(8 ) ︱ (10)
動 な る手 記 の記 載 に就 て
(7)
第
に渡 来 し た 点
(2 ) 支 那 渡来 を 定 め た人 は
ー 又 は普 通 の家 で数 回準 備 委 員 会 が開 か れ た点
(3 ) 支 那 渡来 に 付 て モ ス コウ で ニ ュー ユー ロ ップ ホ テ ル の ロビ
(4 ) 支 那 渡 来 の目 的 が支 那 に於 て政 治 的方 面 の諜 報 活 動 を す る こと な る点
(5 ) 支 那 に於 け る使 命 の手 記 の記 載 に就 で
(6) モ ス コウ か ら上 海 迄 の経 路 (7) 同 行者
(8) (9) 旅 券 、 表 面 の職 業 を何 と した か
(10 ) (11 ) 支 那 で居 住 し た 所
(12 ) 支 那 に渡 来 後 の活 動
第
第
(13) 以 下
八 回
支 那 に於 け る グ ループ の直 接 的 成 員 に就 て
(7) (8 ) 南 京 政 府 の内 治 政 策及 社 会 政 策
(9) (1 0) 南 京政 府 の対 外 政 策
マ ッ ク ス ・ク ラ ウ ゼ ン と の 関 係
(15 )(16) 支 那 に於 け る治 外 法 権 及 居留 地
(13) (14 ) 支 那 に於 け る 列 強 の軍 事 的 勢 力
(11) (12 ) 英 国及 米 国 の対 支 政 策
アグ ネ ス ・スメ ド レー と の関 係
(1) 支 那 に於 け る諜 報 グ ルー プ のア レ ック ス と被 告 人 と の地 位 (2 )
(17) (18) 支 那 の農 工業 の発 展 及労 働者 及農 民 の状態
(3 ) (4 )︱ (6 ) 尾 崎 秀 実 と の 関 係
(19) (20) 被 告 人自 身 の選 んだ 研 究 題 目
(27) (28 ) 南 京政 府 と日 本 並 に 日本 と英 米 と の 対 立関 係 の 尖 鋭
(25) (26 ) 上 海事 変 に於 け る日 本 の目標 と 日本 軍 配 置 の状 況
(23) (24 ) 日 本 の新 し き対 満 政 策 及 其 の ソ聯 に及 ぼ す影 響
国 人 の上 海 に 於 け る新 投 資
(21) (22 ) 支 那 に於 け る 米 国 の 益 〓増 大 し つ つあ る 役 割 特 に 米
独 逸 人 の経 済 的 活動 及 激 増 し つ つあ る独 逸 人 軍 事 顧 問 の活 動
(7)︱ (9) 鬼 頭 と の関 係 に就て (10) (11 ) 支 那 の共 産 党 と の関 係 (12) 支 那 に於 け る諜 報 グ ルー プ の組 織 な る手 記 の記 載 に就 て (13) (14 ) 支 那 人 成 員 か ら 情 報 を蒐 集 し た方 法 (15) (16 ) 日本 人 成 員 によ る 情報 蒐 集 の 方 法 及 日 本 人 成員 と の
連絡方法 (17) 外 国 人成 員 と の知 合 な る 手 記 の記 載 に就 て
(29) (30 ) 日 本 人 成員 の諜 報 活 動 の内容
化
(20 ) (21 ) 情 報 蒐 集 のた め 南 京 、 杭 州、 天津 旅 行 の事 実
(18 ) (19 ) 被 告 人 自 身 の情 報 蒐集 の模 様
(22 ) 支 那 に於 け る 諜 報 活 動 の任 務 の内 モ ス コウか ら 課 せ ら れた
(37 )
マ ッ ク ス ・ク ラ ウ ゼ ン は 上 海 で 情 報 の 蒐 集 を し た か
マ ック ス ・ク ラ ウ ゼ ンも ハルピ ンと の間 を往 復 し て連 絡 員
ア ン ナ ・ク ラウ ゼ ンは 支 那 で活 動 し た か
の役 目 を 果 し た 点
(36)
(34) (35 ) ﹁ 支 那 に於 け る 他 のグ ループ ﹂ な る 手 記 の記 載 に就 て
(33 )
(32) 情 報を モ ス コウ に送 った 方 法
充 的 の資 料 及情 報 を受 取 った 点
関 す る資 料 を 蒐集 し、 且独 逸 人 か ら も 日本 人 の戦 闘 方 法 に付 補
(31) 上 海 事変 当 時 自 ら戦 場 を 視 察 し て歩 き本 年 の作 戦其 の他 に
諜報題目 (23 ) モ ス コウ の暗 黙 の同 意 の下 に選 択 し た諜 報 題 目
回
(2 4) 尾 崎 等 日 本 人 成 員 に対 し て自 分 の名 前 を 何 と 申 し た か
九
(1) (2 ) 支 那 に於 け る 活動 中 モ ス コウか ら 与 へら れ た任 務 南 京 政 府 の社 会 的 政 治 的 分 析 (3 )(4 ) 南 京 政 府 の軍 事 的 勢 力
(5)(6) 南京政府 と対 立する集団及派閥 の社会的政治的分析
第
(38) 昭 和 七 年 、 一九 三 二年 末 支 那 の諜 報 活動 の指 導 を後 任 者 の (9 )
(8 )
一九 二五 年 以降 ソ聯 共 産 党 の党 員 か
﹁成 員 の モ ス コウ中 央 部 と の関 係 ﹂ な る手 記 の記 載 に付 て
(10 ) ︱ (12) ソ聯 共 産 党 の指 導 命 令 に報 じ て居 る か
(13 ) モ ス コウ中 央 部 と の関 係 に於 け る被 告 人 自身 の地 位 は
回
パ ウ ル に譲 り モ ス コウ に帰 還 した か
(14 )︱ (17) 外 国 に在 れ ば自 国 の共 産 党 員 な ら ざ る こ と、 被 告 人
十 (1) (2) 支 那 か ら モ ス コウ に帰 国 後 の状 況
ヴ ケリ ッチ と の連 絡
マ ッ ク ス ・ ク ラ ウ ゼ ン の モ ス コウ 中 央 部 に 対 す る 地
「ヴ ケリ ッチ、宮 城、 尾 崎 の地 位 に付 ての補 足 的 説 明 」 な る手 記 の記 載 に就 て
(14 )
(10)︱ (13) 尾 崎 秀 実 の モ ス コウ中 央 部 に対 す る地 位
(8) (9) 宮 城 与 徳 の モ ス コウ中 央 部 に対 す る地 位
(5 ) ︱ (7) ヴ ケリ ッチ の モ ス コウ中 央 部 に対 す る地 位
位
(1 )︱ (4 )
第十 二回
は特 例 に より 党 員資 格 を失 は な い の では な いか
(3)︱ (5) 日 本 に渡 来 す る こ とに な った事 情 、 伯 林 で講 じ た合 法 的 渡 来 の方 法
(10 )
(6)︱ (9) 日 本 に渡 来 の際 の同 行 者 及 他 の者 と の連 絡
(11) ﹁日 本 渡 来 迄 の状 況 ﹂ に付 警 察 官 に述 べた事 実 に付 て (12) ﹁ 支 那 か ら モ ス ロウ に帰 国 滞 在 し 日 本 に 来 る様 にな った点 ﹂ に付 て の手 記 の記 載 に就 て (13 ) 日本 渡 来 後 の諜 報 団 組 織 の模様 第 十 一回 (1) ﹁日本 に於 け る諜 報 グ ルー プ の構 成 ﹂ な る供 述 に 付 て
(16 ) (17 )
ア ンナ ・クラ ウ ゼ ン の地 位
ベ ル ン ・ ハルト の地 位
ギ ュンタ ー ・シ ュタイ ンは協 力 者 か
(15 )
(3 )
エデ ィ ッ ト の 地 位
(2) 宮 城 と連 絡 の際 の挨 拶 の方 法 等
(18 ) (19 )
(30)
ギ ュ ン タ ー ・シ ュタ イ ン の地 位
﹁連 絡 員 に依 る諜 報 グ ル ープ の国 際 的 連 絡 ﹂ に 付 て の手 記
資 料 の選 択 ﹂ な る 手 記 の記 載 に就 て
(28) (29) ﹁日 本 に於 け る諜 報 活 動 の技 術 的 方 面 の仕 事 の分 担 と
(26 ) (27 )
(24) (2 5) 小 代好 信 の地 位
(22 ) (23 ) 川 合 貞 吉 の地 位
(20 )(21) 水 野 成 の地位
ア ン ナ ・ ク ラ ウ ゼ ン 、 エデ ィ ッ ト ・イ ン グ リ ット ・オ リ ガ
も 協力 し た か
(4 )
(5) ﹁ギ ュ ンタ ー ・シ ュタ イ ン等 の諜 報 団 に於 け る関 係 ﹂ な る供 述 に付 て
﹁日 本 に 於 け る諜 報 グ ループ の性 格 ﹂ な る手 記 の記 載 に就
(6 ) 小 代 好 信 、 水 野 成 、 川合 貞 吉 は宮 城 及 尾 崎 の協 力 者 にな っ たか
て
(7)
﹁ 成 員 相 互間 の個 人 的 連 絡 ﹂ に 付 て の手 記 の記 載 に就 て
(13 ) (14 ) 右 翼 及 暴 力 団 の強 圧 に付 て
(11 ) (12 ) 陸 軍 パ ン フ レ ッ ト 問 題 に 付 て
(9) (10 ) 岡 田内 閣 の組織 に関 す る 情 報
(7 )(8) 斎 藤 内 閣 の辞 職 に関 す る 情報
(31) ﹁中 央 部 と のラ ジ オ連 絡 ﹂ な る 手 記 の記 載 に就 て
の記載に就 て (32) ﹁モ ス コウ と の郵 便 連 絡 ﹂ な る 手 記 の記 載 に就 て
(1) 尾崎 と奈 良 で連 絡 す る 前 、宮 城 か ら得 た 情報
第 十 五回
(33) (34) (35 ) 駐 日 独逸 大 使 館 よ り信 任 を得 た 経緯
(3 ) (4 )
(2) 尾崎 か ら最 初 に得 た 情 報
(36) 独 逸 大 使館 に接 近 す る に至 った 経 緯
(37) 独逸 大使館関係者 から信任を獲得した事情
集
「国 防 の本 義 と 其 の強化 の提 唱 」 なる パ ン フ レ ット
(14)︱ (22) 北鉄 譲 渡 交 渉 に於 け る 我 政 府 の意 向 に付 て の情 報 蒐
情報蒐集
(11)︱ (13) 前 独大 使 フ ォン ・デ ィ ルク セ ン来 朝 の使 命 に付 て の
(10) 独 逸 の国際 聯 盟 脱 退 と日 独 の接 近 に付 て の情 報
に付
(7)︱ (9)
に付 い て の情 報
(5) (6 ) 五 ・ 一五事 件 以 後 に 於 け る 国 内 革 新 勢 力 進 出 の 状 況
五 ・ 一五 事 件 に 付 て
(38) 独 逸 大 使 館 関 係者 は被 告 人 を 如 何 な る 人物 と考 へて居 たか (39) (40 ) (41 ) 独逸 大 使 館 の公 の業 務 にも 関 与 し た か其 の事 項 (42) 同 大 使 館員 に就 任 方 の勧 告 を 受 け た か (43) (44) 雑 誌 ゲ オ ポ リ テ ィー ク に度 々寄 稿 した か 、 そ れ も 独 大 使 館 の仕 事 に関 係 が あ った か
第十 三回 (1 ) ︱ (4 ) 日 本 に於 け る諜 報 グ ループ の任 務 (5 ) モ ス コウか ら 与 へら れ た 課 題 及被 告 人 の選 択 した 課 題 (6) (7) モ ス コウ か ら 特 に 課 さ れ た特 殊 の活 動 指 令
(27 ) ︱ (29) 相 沢 中 佐事 件 の性 質 に付 て の情 報 蒐 集 等
(23)︱ (26) 尾 崎 の北 支 旅 行 と其 の報告
(8 ) グ ル ープ の成 員 は 誰 々か (9) (10 ) 直 接 成 員 の情 報 出 所
第 十 六回 (1 )︱ (8 )
(2 ) 尾 崎 の活 動
(1 )︱ (10 ) 二 ・二 六 事 件
第十 七回
二 ・二 六 事 件
(11) (12) 独 大 使 館 内 に於 け る諜 報 方 法
(1)(2) 与 へら れた 課 題 及 選 択 し た課 題 に付 情 報 を 蒐集 し モ
第十 四回 ス コウ中 央 部 に報 告 した のか (3 ) 日本 に於 け る活 動 の年 代順 の題 目 の列 挙 (4) (5 ) (6 ) 二 ・二 六事 件 以 前 に於 け る活 動
(3 ) 宮 城 の活 動
(26) 国 民 再組 織 問 題
(21)− (25) 張 鼓峰 事 件
(14 )− (17 ) 日英 会 談
(1)− (13 ) ノ モ ン ハン事 件
第 二 十 回
(27 ) 昭 和十 四年 一月 成 立 の平沼 内 閣 の成 立 事情 並 性格
(4 ) ヴ ケリ ッチ の活 動 (11 ) 広 田内 閣 に関 す る諜 報 活 動
(13) 林 内 閣 に 関 す る諜 報 活 動
(18 )− (23 ) 独 側 の日 独 同 盟 締結 の提 起 と交 渉 経 過
(12 ) 宇 垣 大 将 の組 閣 失敗 に関 す る諜 報 活動
(14)− (17 ) 日 独 の接 近 と防 共 協 定 に関 す る諜 報活 動
(25 ) 阿 部 内 閣 の成 立 事 情
る我 政 府 の態 度
(24 ) 昭 和十 四年 春 − 同 年 九 月頃 迄 に於 け る ヨー ロ ッパ情 勢 を 続
(18) 昭 和 十 一年 秋 頃 尾 崎 か ら入 った 南 京 に於 け る 日支 交 渉 の情 報
(26 ) − (31) 我 国 の第 三次 欧 州 大 戦 に対 す る 態度
(19)− (2 1) 第 一次 近 衛 内 閣 の成 立 事 情 及 性質 に関 す る諜 報 活 動 (22)− (24 ) 宮 城 か ら得 た乾 盆 子 島 事 件 の情 報
(32)− (34) 昭 和 十 四年 よ り十 五年 に亘 る 独逸 巡 洋 艦 に対 す る物
(25 )− (27 ) 日支 事 変 の原 因 及 見 透 に関 す る諜 報 活 動 第 十 八 回
資供給問題
(35) (36 ) 貿易 省 設 置 問 題 の経 過 並性 格
(37)− (41) 米 内内 閣 の成 立 事 情 及 性 質
交 渉 に 関 す る諜 報 活 動
(1)− (3 ) 昭 和十 二年 終 頃 以 来 の独 逸 に依 る 日支 間 の和 平斡 旋
(4) (5 ) 大本 営 設 置 事 情 に 関 す る諜 報 活動
(1)− (9) 補 足
日英 会 談 、 ピゴ ット の策 謀 等
ノ モン ハン事件
(1) 日 華 基 本 条約 成 立 迄 の国 民 政府 樹 立 工作 の経 過
第 二十 二回
(16)− (19 ) 政 治 新 体 制 問 題
(14 )(15) 日 独 伊軍 事 同 盟 締 結 問 題 に付 て の尾 崎 か ら の情 報
(10)− (13 ) 〃
第 二十 一回
(43)− (48 ) 日 独伊 三国 同 盟 締 結
(42) 第 二次 近 衛 内閣 成 立 の事 情
月 )後 の情 報 報 告 等 に付 て
(6 ) − (11 ) 尾 崎 の支 那 旅 行 (昭和 十 二年 十 二月 − 十 三 年 二、 三
(12 ) (13 ) 支 那 の維 新 政 府 成 立 事 情 に 関 す る情 報
等 の情 報
(14 ) − (18) 広 田外相 辞 職宇 垣 外 相 就 任 、 宇 垣 .ク レー ギ ー会 談
( 附石原将軍問題)
(19 )− (21 ) 板 垣陸 相 就 任 事 情 の情 報 第 十 九 回 (1) − (13) 同
(14)− (20 ) リ シ ュコ フ事 件
(2) (3) 松 岡外 相 と駐 日 独 大 使 オ ット と の関 係
三は裁判所書記倉林寅二立会 の上、右通事に対 して訊問する こと左
和十七年 六月二十 四日東京刑事地方裁判所に於 て、予審判事中村光
年齢 は 当四十三年
職業 は 東京外国語学校教授
住居 は 東 京府北多摩郡国分寺町大字国分寺 二千四百十九番
之を了承したる旨答 へたり。
倉 林
光
寅
駒 佳
三
二
年
生
中 村
事
裁判所書記
通
予 審判 事
本件被告事件 に付被告人 の訊問に際 し通訳を命じたるに通事 は、
予審判事は通事 に対 し、
認 め虚偽 の通訳の罰を告げ宣誓を為 さしめたり。
の規定に該当するものなりや否を取調 べ、之 に該当 せざることを
予審判事は刑事訴訟法第 二百三十六条第 二百 二十八条第二百 一条
地
答 氏名 は 生駒佳年
一問 氏名、年齢、職業 及住居 は如何
の如し。
(4) (5) 昭 和十 六年 始 に於 け る 独逸 の対 ソ攻 撃 の意 図 と 其 の 準備 (6 )− (8) 日独 経 済 協 定締 結 (9 )− (11 ) 泰 仏 印 停 戦 協定 (12 )(13) 松 岡 外 相 訪欧 の使 命
伊 軍 事 同 盟 の関 係 に 付 ての各 方 面 の見 解
(14 ) (15) 日 ソ中 立 条約 締 結 に関 す る国 内 動 向 及 同条 約 と 日 独
(主 と し て尾 崎 ) 日米 交 渉 を 続 る 近衛 首 相 と松 岡 外
(16 )(17) 日 仏 印 通 商条 約 の内 容 と我 国 の食 糧 問 題
(1)− (4 )
第 二 十 三回
相 と の意 思 の疎 隔
年
(ヴ ケリ ッチ か ら) 我 国 の農 業 問 題 と 其 の内 政 及 対 外 政 策
(宮城 か ら) 我 国 の政 治 情勢 の 一般 的 推 移
に及 ぼす 影 響
(5 )
(6) (7)
佳
訊
問
調 書
東京刑事地方裁判所
右読聞けたる処無相違旨申立署名捺印 したり。 )
(8) 尾 崎 か ら 入 手 し た資 料 (雑 誌 、 報 告書 類 等 )
駒
リ ヒアルド ・ゾ ルゲ
(9) 宮 城 か ら 入手 し た資 料 (〃
生
人
同日於同庁作之
事
被
右 の者に対 する治安維持法違反、国防保安法違反、軍機保護法違反
告
(10) それ ら の資 料 を モ ス コウ中 央 部 に 送 った か (11) 宮 城 の報 告 し た情 報 の内 容
通
(12) (13 ) 従 来 の訊 問 事 実 に関 す る 総括 的 訊 問 通事訊問調書
被 告 人 リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ に対 す る治 安 維 持法 違 反 、 国 防 保 安 法違 反 、 軍 機 保 護 法違 反 並 に軍 用 資 源 秘 密 保護 法違 反 被 告 事 件 に付 、昭
の如 し 。
寅 二 立会 の上、 通 事 生 駒 佳 年 を介 し右 被 告 人 に 対 し 訊 問す る こ と左
日 東 京刑 事 地 方 裁 判 所 に 於 て、 予 審 判 事 中 村 光 三 は裁 判 所 書 記 倉 林
並 に 軍 用資 源 秘 密 保 護 法 違 反被 告 事 件 に付 、 昭 和 十 七 年 六 月 二十 四
尾 崎 、宮 城 、 ヴ ケ リ ッチ等 か ら報 告 を受 け た と 云 ふ も の の内 二、 三
併 し 其 の中 に秘 密 の情 報 も 大 分 入 って居 る こと は間 違 あ りま せん 。
す。
又尾 崎 や 宮 城 が 同 人等 の意 見 と し て報 告 した も のが あ る の であ り ま
著 作 家 兼新 聞記 者
当四十七年
ので 、 モ ス コウ中 央 部 に報 告 し て な い分 が 大 分 あ る と思 ひま す 。
尤 も 其 の内 私 から は其 の情 報 を選 択 し て モ ス コウ中 央 部 に報 告 し た
こと は間 違 あ りま せん 。
私 の記憶 し な い の があ り ま す が 、其 の他 のも のは私 が報 告 を 受 け た
年齢 は
モ ス コウ中 央 部 に報 告 し た の は其 の内 半 分位 で はな いか と 思 ひ ます 。
リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ
職業 は 東 京 市麻 布 区 永 坂 町 三 十 番地
答 氏 名 は
一問 氏 名 、 年 齢 、 職 業 、 住居 、 本 籍 及 出 生 地 は 如何
住居 は
私 が自 身 集 めた情 報 と 云 ふ の は漠 然 と し て居 ます が、 お 読 聞 け の通
り の情 報 を 集 め た ので あ り ま し て、 其 の内特 に重 要 な も のは モ ス コ
独 逸 国 ベ ルリ ン 露 国 コー カ サ ス州 バ クー附 近
本籍 は 出生地は
コミ ンテ ル ンと ソ聯 共 産 党 及 赤 軍 第 四本 部 と の関 係 は私 が検 事 に差
ウ中 央 部 に報 告 し て居 りま す 。
年
Ri char d sorge
佳
生
駒
人
二問 被 告 人 に 対 し 、検 事 よ り 治 安 維持 法 違 反 、国 防 保 安 法 違反 、軍
告
事
機 保 護 法 違 反 並 に軍 用資 源 秘 密 保 護 法 違 反被 告 事 件 と し て、 斯 様 な
被
出 し た手 記 に 記載 し た通 り であ り ま す 。
通
事 実 に付 予 審 請求 が あ った が此 の事件 に付 何 か陳 べる こと が あ る か。 此 の時 予 審 請求 書 記載 の公 訴 事 実 を 通 事 を介 し読 聞 け た り 。
右 通 事 を 介 し読 聞 け た る 処相 違 な き旨 申 立 て署 名拇 印 した り 。
答 私 が学 校 を何 時 出 た とか 、 祖 父 が 如何 であ った か と 云 ふ様 な こ と に付 細 い処 に不 正確 な こと が あ り ます が、 それ は 取 立 て て問 題
同 日 於 同庁 作 之
倉
村
林
光
寅
三
二
東 京 刑 事 地 方 裁判 所
にす る 程 の こと で はあ り ま せん 。 只第 一に驚 い た のは 、私 は コミ ン
中
テ ル ンと は 一九 二九 年 に絶 縁 し て居 る の であ り ま す のに コミ ンテ ル
裁判所書記
リ ヒ ア ル ド ・ゾ ルゲ
予 審 判 事
人
ン の為 の活 動 だ と云 はれ て居 る 点 であ り ます 。 検 事 に も 申 上げ てあ
第 二回訊 問 調 書
告
右 の者 に対 す る治 安 維持 法 違 反 、 国 防 保 安 法違 反 、 軍 機 保護 法 違 反
被
る 様 に 私 は コミ ン テ ル ンを 離 脱 し赤 軍 第 四本 部 の為 に 活動 し た の で あ り ま す。 第 二 は 、今 読 聞 け ら れ た 事 実 は 全部 秘 密 のも のを 探知 収 集 し た と云 ふ 様 に な って居 り ま す が 、中 に は既 に 新 聞 等 に出 て居 た も のも あ り 、
立 会 の上 、通 事 生 駒 佳 年 を 介 し前 回 に引 き続 き 右被 告 人 に対 し訊 問
京 刑 事 地 方裁 判 所 に於 て、 予 審 判事 申 村 光 三 は裁 判 所書 記 倉 林 寅 二
並 に軍 用資 源 秘 密 保 護 法 違 反被 告 事 件 に付 、 昭 和 十 七年 七月 七日 東
二四 年 の終 り か ら モ ス コウに参 り コミ ンテ ル ンの 一員 と し て活 動 す
年 に亘 り フ ラ ンク フル ト大 学社 会 学 教 室 の助 手 兼講 師 を致 し、 一九
ー ヘン附 近 及 オ ラ ンダ に於 て炭 坑坑 夫 を致 し 、 一九 二 三年 か ら 二 四
カ ー ル高 等 工業 学 校 の助 手 を致 し 、 一九 二 二年 か ら 二 三年 に亘 り ア
戦 が勃 発 し た の で、 一九 一四年 一兵 卒 と し て戦 線 に参 り、 一九 一五
三九 〇 二年 に入 学 し予 科 四 年 を 了 り、 高 等 部 に 在学 中第 一次 世 界 大
ー ペ ル レア ー ル シ ュー レ に入学 し ま し た。
妻 子 は あ り ま せ ん。
存 命 し て居 る だけ であ り ま す 。
私 は 七 人 兄 弟 で あ りま す が其 の内 二人 は戦 死 し 、 只今 男 一女 二人 が
十 七 歳 で只 今伯 林 に住 ん で居 り ま す 。
油 の技 師 を し て居 りま した が 、 一九〇 七年 に 死 亡 し ま し た。 母 は 七
答 私 方 は何 代 も前 から 学 者 の家 柄 で父 は 学 校 を出 て バ ク ーで 石
四 問 家 庭 の状 況 は。
け て来 た 次 第 で あ り ます 。
迄 は コミ ン テ ル ンの為 、 其 の後 は赤 軍 第 四本 部 の為 め諜 報 活 動 を 続
る様 にな り 、 共 の後 は著 述 家 或 は 新 聞記 者 と云 ふ こと で 一九 二九 年
す る こと左 の如 し。 一問 刑 罰 を受 け た こ とが あ る か 。 答 あ り ま せ ん。 二 問 学 歴 は。 答 私 は西 暦 一八九 五 年 十月 四 日 コー カ サ ス州 バ クー附 近 で生 れ 、
年 戦 傷 を受 け た の で帰 還 し て卒 業 試 験 を 受 け 、 それ か ら伯 林 大 学 医
五 問 家 庭 の状 況 に付 司 法 警 察 官 に対 し、 斯 様 に述 べて居 る が此 の
一八九 八年 家 族 と共 に 伯 林市 に移 住 し、 同 市 リ ヒテ ル フ ェルデ の オ
の で あ り ます 。
学 部 に入 学 しま し た 。尤 も 之 は負 傷 兵 とし て入 院 し な がら 通 学 し た
通 り 間違 な いか。
ー ル大 学 に転 校 し、 同 様 国家 学 を学 びま した 。 そ れ か ら 一九 一九年
学 部 に転 じ ま した 。 そし て 一九 一八年 兵 役 免 除 に な り ま し た の で キ
バ クー か ら伯 林 に移 住 し た のは 生 れ て から 三 年 後 で あ りま し た 。其
答 父 の 死 亡 し た のは 御 読 聞 け の通 り 一九 一一年 であ り ま し た 。
問 調書 第 五問 答 を 通 事 を 介 し読 聞 け た り 。
此 の時 リ ヒア ル ド ・ゾ ルゲ に 対 す る司 法 警 察 官 の第 四回 被 疑 者 訊
そ し て 一九 一六 年 再 度出 征 致 し ま した が 、復 た 負傷 し た の で更 に 帰
に ハ ンブ ルグ 大 学 に転校 し 、国 家 学 及 経 済学 を学 ん だ上 一九 二 〇年
の他 は御 読 聞 け の通 り に 相 違 あ り ま せ ん。
還 し た上 前 同 様 入 院 の傍 ら右 大 学 医学 部 に通学 し、 一九 一七 年 国 家
国 家 学 ド ク ト ル の称 号 を得 ま し た。
七 問 被 告 人 が共 産 主 義 を 信 奉 す る に至 った 経 緯 は。
答 左様 です 。
六 問 被 告 人 は共 産 主 義 を 信 奉 し て居 る か。
答 一九 二〇年 か ら ハ ンブ ルグ の全 国 組合 中 央 本 部 に於 て科 学 に
三問 職 業 経 歴 は 。
関 す る方 面 の助 手 を 致 し、 一九 二 一年 か ら 二 二年 に亘 り アー ヘンの
答 私 は 第 一次 世界 大 戦 に 於 て戦 乱 の悲 惨 な こ とを 自 ら 体験 致 し、
の様 な悲 惨 事 を除 去 す る も のだ と 云 ふ こ とが 判 って之 を信 奉 す る に
自 分 自身 で も経 済 的 歴 史 的 な 研 究 を致 しま し た結 果 、 共産 主 義 は此
答 其 の通 り間 違 あ り ま せん 。
被
告
Ri chard sorge
年
人
佳
生
駒
事
之 は私 自 身 書 いた も の です か ら 其 の記 載 の通 り で あ り ます 。
通
林
寅
二
右 通 事 を 介 し読 聞け た る処 相 違 な き旨 申 立 て署 名拇 印 し た り。
至 った の で あ り ます 。
倉
三
祖 父 アド ル フ ・ゾ ルゲ は カー ル ・マ ルク スの書 記 であ り ま し た の で、
裁判所書記
光
同 日 於 同 庁作 之
東 京刑 事 地 方 裁 判 所
村
リ ヒア ルド ・ゾ ルゲ
中
人
予 審 判 事
そ れ を追 想 す る様 な こと も あ り ま し た が それ は 大 し た影 響 で はあ り ま せ ん で し た。 第 一次 世 界 大 戦 に 於 ては 今 申 し た様 に自 ら 悲 惨 な こ と を体 験 す る と 共 に 、左 翼 の兵 士 や 、病 院 で は看 護 婦 、 医 師 等 か ら も 左翼 的 な啓 蒙
告
右 の者 に対 す る治 安 維 持 法 違反 、国 防 保 安 法 違 反 、軍 機 保 護 法 違反
被
並 に軍 用資 源秘 密 保 護 法 違 反被 告事 件 に付 、 昭 和 十 七年 七月 八日 東
第 三回 訊 問 調 書
京 刑 事地 方 裁 判 所 に於 て、予 審 判 事 中 村 光 三 は 裁判 所 書 記 森 田京 治
を受 け た の みな ら ず 、 ソ聯 に於 ては社 会 主 義 国 家 が建 設 さ れ つ つあ
る の も見 ま した の で、 此 の様 な 事 情 か ら 私 は 共 産主 義 を信 奉 す る 様
政 治 的 、 経 済 的 の危機 を も目 撃 し、 独 逸 帝 国 の政 治 的 機 構 の崩 壊 す
立 会 の上 通 事 生駒 佳 年 を 介 し 、前 回 に引 続 き 右 被 告 人 に対 し訊 問 す
る ことを 目 撃 致 し ま し た のみ な らず 、 西 欧 諸 国 に大 戦 後 襲 って来 た
にな った の であ り ます 。 私 が其 の様 に 共 産 主義 を信 奉 す る に 至 った
る こと 左 の如 し。
一問 被 告 人 が共 産 主 義 を信 奉 す る様 にな った のは何 時 頃 か ら であ
経 緯 の精 し い こと は手 記 に記 載 した 通 り であ り ま す 。
った か 。
八 問 其 の手 記 と 云 ふ の は之 か。 此 の時 記 録 第 三冊 被 告 人 の手 記 を 示 した り 。
二 問 第 一次 世 界 大戦 勃 発 当 時 から 、 共 の様 に共 産 主 義 を 信 奉 す る
答 西暦 一九 一八年 か ら で あ り ま し た。
答 左 様 であ り ま す 。 此 の内 一九 四 丁 か ら 二 一 一丁 迄 が 私 の共産 主義 者 にな った 経 緯 で
様 に な った当 時 迄 の被 告 人 の思 想 の推 移 を 、 手記 に記 載 し た 様 な順
あ りま す 。 九 問 それ で は被 告 人 が共 産 主 義 者 に な った経 緯 の詳 細 は 此 の通 り
序 で も う 一度 述 べ て見 よ 。
林 市 リ ヒ テ ル フ ェルデ の高 等 程 度 の学 校 に通 って居 ま し た 。在 学 中
答 第 一次 世界 大戦 が勃 発 した 当 時 私 は十 八歳 六 箇 月 で、 未 だ伯
であ った のか 。 此 の時 通 事 を介 し被 告 人 に対 し 右手 記 一九 四 丁 乃 至 二 一二丁 の記 載を読聞けたり。
験 を し た いと 云 ふ希 望 、 母 校 か ら 全 く無 意 識 、 無 目 的 に思 は れ た 十
世 界 大 戦 に は志 願 を し て出 征 し た ので す。 其 の理 由 は 全 く新 し い体
ら れ て居 り ま し た 。
研 究 致 し て居 った の で、 之 が 為学 校 で は総 理 大 臣 と云 ふ綽 名 を付 け
又 独 逸 の時 事 問 題 を良 く 知 って居 り 多年 に 亘 って政 治 上 の出来 事 を
歴 史 では フラ ン ス革命 反 ナポ レオ ン戦 争 ビ ス マ ルク時 代 を愛 好 し、
頭 地 を 抜 いて居 りま した 。
は歴 史 、哲 学 、文 学 、 政 治 等 の諸学 科 や運 動 競 技 に於 て学 友 か ら 一
て早 く も醜 い闘 争 を 始 め ま し た の で、 寧 ろ 単純 な戦 友 の所 に行 く の
其 の様 に更 に 志願 し て出 征 した も う 一つ の理由 は 、戦 争 の獲 物 に付
征 を 志 願 しま し た 。 そし て露 西 亜 の戦 線 に出 た の であ りま す 。
私 は此 の様 な 事 か ら気 持 が良 く な か った ので傷 が治 って から 再 度 出
廻 さ れ る と 云 ふ様 な有 様 であ った か ら で あ りま す 。
財 産 が有 り 又 は適 当 な援 護 者 が あ る者 は、 戦 場 に於 ても 楽 な勤 務 に
働 者 は金 が無 いの で物 を 買 ふ 事 も出 来 ず 、 非 常 に困 って居 る事 や、
事 実 は それ と違 って金 の有 る者 はあ らゆ る 物 を 闇 で買 ひ ます が、 労
それ は 元来 独 逸 人 は平 等 に 困苦 を共 にす る と言 は れ て居 りま した が 、
が気 持 が良 か った か ら で あ り ま し た。
八 歳 の青年 の全 生活 か ら解 放 され た いと 言 ふ希 望 や、 更 に又 其 の当 時 戦 争 に対 す る非 常 な興 奮 と 一般 的 な熱 狂 、之 等 が私 に突 然 出 征 の
た前 線 で独 逸 の過 激 な政 治 団 体 と連 絡 のあ る 二 人 の兵 士 に会 ひ ま し
東 部 戦 線 では 二回戦 傷 を負 ひ ま した 。 第 二回 の負 傷 後 志 願 し て赴 い
た 。共 の中 の 一人 が ロー ザ ・ルク セ ンブ ルグ や カ ー ル ・リ -ブ クネ
決 心 を さ せ た ので あ りま し た。
ヒト の話 を し て呉 れま し た 。
開 戦 後 六 週 間 伯林 郊 外 の練 兵 場 で兵 士 と し て の教 育 を 受 け 、 ベ ルギ ー に送 られ イ ザ ー ル河畔 の大 激 戦 に参 加 し ま し た。 此 の大 激 戦 で多
そ し て 如何 にす れ ば欧 州 に 於け る戦 争 の絶 え ざ る反 復 と、 欧 州 の無
意 味 な 自 己 破壊 の原 因 を 除去 し得 る か と云 ふ事 に付 て話 を致 しま し
し ま し た。
た 。然 る に私 は 三度 目 に然 も非 常 な重 傷 を蒙 り ま し た 。
数 の死 傷 者 を 出 し 、私 は戦 友 達 と共 に 極 め て深 刻 な精 神 的 動 揺 を起
が共 に戦 って居 る のだ と考 へま した 。
数 百年 否 数 千 年 来 の古 い戦 場 で、 又 し ても 数 多 い欧州 の戦 争 を 自 分
第 一回 は右 大 腿 部 、 第 二回 は右 膝 と右 大 腿 部 と に傷 を受 け た の であ
目 の負 傷 に 依 って 入院 し た病 院 を 退院 し た後 兵 役 免 除 に な り ま し た。
り ま した が 、 三 回 目 は大 腿 部 を 三 発 も撃 た れ た の であ り ま し た。
野 戦 病 院 に居 た際 私 は非 常 に教 養 のあ る 聡明 な 看 護 婦 と 其 の父 の医
単 純 な兵 士 であ る 私 の戦 友 に は誰 一人 領 土 の合 併 と か、 占 領 と か の
只 ハンブ ルグ の老 石 積 工 が 左翼 思 想 を 持 って居 り 私 が最 初 に会 った
師 に会 ひ、 此 の二 人 か ら独 逸 に於 け る革 命 運 動 の状 態 や 、 結成 さ れ
私 は 一九 一 六年 に戦 功 に依 り 二 等鉄 十 字 章 を 賜 りま し た が、 右 三回
反戦 主義 者 であ りま した 。
せ ぬ で し た。
私 は負 傷 者 と し て独 逸 に 帰 還 し て 二 つ の桝 で量 ら れ る事 を知 り ま し
た各 種 の党 派 や 、 団 体革 命 運 動 に於 け る国 際 的 な 現 象 に 関 し て詳 し
欲 望 を持 って居 る 者 も な く 誰 一人 此 の戦 争 の本 当 の 目的 をも 知 りま
た。
い話 を 聞 き ま し た。
エンゲ ル ス の反対 者 も研 究 しま し た 。私 は独 逸 及 国 際 的 な 労働 運 動
之 と同 時 に私 は 理論 的 哲 学 的 及 経 済 的 の敵 手 であ る 限 り マ ルク スと
史 も非 常 に研 究 し ま し た。
レー ニンの事 も 彼 か ら初 め て聞 いた の であ り ま し た。 そ し て私 は当 時 革 命的 労 働運 動 の使 徒 た る事 を感 じ た の であ り ま し
私 が当 時 読 ん だ 書物 を挙 げ て見 ま す と 、 へー ゲ ル及 カ ント の哲学
た。 其 処 で私 は野 戦 病 院 時 代 を利 用 し て哲 学 の研 究 に着 手 し、 カ ン トや
マ ルク スの資 本論
エ ンゲ ル ス の反 デ ュリ ング 論
ゾ ンバ ル ト の経 済 学
ヒ ル フ ァデ ング の 金融 資 本 論
シ ョー ペ ン ハウ エルを 徹 底 的 に 研究 し経 済 問 題 に も興 味 を感 じ初 め
兵 士 と し て野 戦 病 院 で手 当 を受 け な が ら勉 強 を初 め て医 学 は拠 棄 し、
メ ー リ ング の独 逸労 働運 動 史
ました。
な り ま し た。
社 会 的 、 経 済 的 、 政 治的 関 心 に相 応 した 国家 学 と 経 済学 に向 ふ事 に
曾 てあ れ 程 迄 に 讃嘆 さ れ た独 逸 の経 済 秩 序 も 全 く 破壊 され 、 私 自身
で せう 。
を獲 得 し ま し た。
私 は 此 の数 箇 月 間 に マルク スの知 識 と実 践的 な物 の考 へ方 の基 礎 と
あ り ま し た。
や マ ルク ス主 義 の理 論的 反 対 者 であ る シ ュタ ム ハン マー の著 書 等 で
ロー ザ ・ル ク セ ンブ ルグ の肋 貫本 蓄 積 論
も 他 の大 多数 の無 産 階 級 と同 様 、 飢 餓 と 不断 の栄 養 不 良 に依 って身
露 西 亜 に於 け る 革命 の勃 発 は国 際 的 労 働 運動 の履 む べき 実 際的 な道
フ ェルク リ ッシ の独 逸 に於 け る 戦時 経済 学
を 以 って此 の崩 壊 を 体 験 しま した 。
程 を私 に示 し て呉 れ 、私 は革 命 的 労 働 運動 に単 に理 論 的 思 想的 に許
私 は 一九 一七 年 の夏 と 冬 大戦 の無 意 味 な 荒 廃 的影 響 を余 す 処 な く 認
資 本 主 義 は 其 の箇 々の成 分 即 ち 無 政府 状 態 と、 好 商 の跳 梁 蹟唇 と に
り で なく 、 組 織 的 に加 は ら う と決 心 致 し た の であ りま す 。
ラ ッサ ー ル の小 冊 子
分 解 し ま し た。 私 は金 剛 不 壊 と 称 せ ら れ た当 時 独 逸 帝 国 の政治 的 機
以 上 が要 す る に私 が 共産 主 義 者 にな った過 程 の概 略 であ り ます 。
識 しました。
構 が崩 壊 す る のを見 ま し た。
既 に敵 味 方 共 数 百 万 人 の人 間 が 戦 死 し 、更 に数 百 万 が それ に加 は る
私 は 此 の思 想 特 に其 の理 論 的 基 礎 の研 究 の為 伯 林 大 学 在 学 中 の時 聞
三問 被 告 人 は 祖 父 アド ルフ ・ゾ ルゲ の事 績 を何 う し て知 った か。
祖 父 は カ ー ル ・マ ルク スの私 設 の書 記 で はな く 第 一イ ンタ ー ナ シ ョ
答 家 庭 で長 兄 か ら 聞 き ま した 。
を 費 し ま し た 。古 代 ギ リ シ ヤ哲 学 の外 、私 は マ ルク ス主 義 の階 梯 と し て の ヘー ゲ ルを研 究 し、 同 時 に エンゲ ル スを読 み 、次 で マ ルク ス に移 る べく私 の手 の届 く限 り 殆 ん ど 凡 ゆ るも のを 読 み ま し た。
知 り ま した 。
私 は祖 父 の事 績 を 後 に は 独 文 の マル ク ス ・ゾ ルゲ 書 簡集 に依 っても
ナ ル の書 記 であ った ので あ り ます 。
年 十 二月 ハ ンブ ルグ 市 に 於 て同 党 に加 入 し た か 。
八 間 被 告 人 は西 暦 一九 一九 年 九 月 独 逸 共産 党 が結 成 せら る る や同
囲 に於 け る指 導 者 とし て活 動 し た の であ り ま し た。
り 、 そ れ と同 時 に ハンブ ルグ 市 内 に於 て地方 組 織 指 導 部 の広 汎 な範
ルや ニィチ ェを 崇 拝 し 、 ク ロポ ト キ ン流 の個 人 主義 的 無 政 府 主 義 者
事 に付 て ご たご た 致 し て居 り、 私 は 十 二月 に な って独 逸 共 産 党 に加
然 し誰 が独 逸 社 会 民 主党 に残 る か、 誰 が 独 逸 共産 党 に入 るか と 云 ふ
ます。
労 働 党 の中 で左 翼 の者 を 糾合 し て独 逸 共 産 党 が 結成 さ れ た の であ り
答 其 の通 り であ り ま す。
祖 父 は何 時 死 ん だ か 判然 知 り ま せ ぬ が多 分 一八 七 〇年 代 に ア メ リ カ で 死 んだ 事 と思 ひ ま す 。 其 の様 に 祖 父 の話 を し て呉 れ た長 兄 の思 想 的傾 向 は。
であ りま した 。
入 した ので あ り ま し た。
答 長 兄 は 技 師 であ り ま し て既 に死 亡 しま し た が同 人 は ス チ ル ネ
四間
五問 被 告 人 の父 の思 想的 傾 向 は。
の為 に 同志 と し て迎 へら れ様 と し た のか 。
九問 当 時 被 告 人 は社 会 民 主 主 義 者 シ ャイ デ マンか ら 社会 民主 主 義
父 は 独 逸 の国 家 主 義 者 で断 乎 た る 帝国 主義 者 であ り ま した 。
六間 被 告 人 は 西 暦 一九 一八年 頃 キー ル市 に 於 て独 立社 会 民 主 党 に
それ では被 告 人 が其 の後 独 逸 共産 党 員 と し て同 党 の為 活 動 し た概 要 を 述 べよ。
一〇 問
私 は其 の要 求 を断 りま した 。
マル ク スや祖 父 ア ド ルフ ・ゾ ルゲ の思 想 とも 異 って居 り ま し た の で
答 左 様 です 。然 し私 は社 会 民 主 主義 の政 策 は偽 物 であ り ます し、
答
加 入 し て活 躍 し た か 。 答 左様 で あ り ま す。 そ れは 最 左 翼 の労 働 党 であ り ま す 。 七 間 其 の顛 末 は 。 答 其 の詳 細 は手 記 に記 載 した 通 り であ り ま す が、 要 す る に 一九 一八 年 に キー ルで社 会 主 義 的 学 生 団 の組 織建 設 の仕 事 に携 り 、 自 分
其 の年 の暮 に伯林 に 赴 き党 の運 動 を 援 助 し よ う と し ま した が 、 間 に
即 ち それ は党 の宣 伝 活 動 であ り ま す 。
進 行 中 に於 て も そ れ を致 しま した 。
独 逸 革 命 勃 発直 前 キ ー ル港 に於 て水 夫 及 労 働者 の為 数 回 講 演 し革命
を 引 受 け ま し た。
此 処 でも 党 の為 訓 練 宣 伝 の仕 事 に携 り 、特 に鉱 山 労 働 者 の間 で そ れ
り ま した 。
ア ー ヘン で高等 学 校 の助 手 を し な が ら同 地 の都 市 指 導 部 の 一員 とな
に ハンブ ルグ に於 け る活 動 は 今 申 し た通 り であ り ま し て、 そ れか ら
答 それ も詳 し い事 は手 記 に 記 載 し た通 り であ り ま す が 、要 す る
合 ひま せ ぬ でし た 。其 の翌 一九 一九年 に は ハ ンブ ルグ に於 て同 党 の
非 常 に 短 い期 間 であ り ま す が ゾ ー リ ンゲ ンの共 産 主 義新 聞 の主 筆 と
の住 居 附 近 の同党 組 織 に参 加 し て居 り ま し た 。
為 活 動 し ま し た。 其 の仕 事 の主 要 な る も の は主 義 上 の教 育宣 伝 であ
答 一九 二 五年 一月 其 の交 渉 が 初 め ら れ、 同 年 四 月 独 逸 共 産 党 を
離 脱 し て ソ聯 共産 党 に加 入 した の であ り ます 。
し て の仕 事 も 致 しま した 。其 の様 な共 産 主 義 運動 を し た為 学 校 を 免 職 に な った の で、 私 自身 も炭 坑 の坑 夫 にな り 其 の炭坑 に於 て坑 夫 の
三問 其 の事情 は。
答 今 申 した フ ラ ンク フ ルト に於 け る独 逸 共 産党 の大 会 に参 り ま
間 に党 の組 織 を 企 て、 尚 アー ヘン附 近 で広 範 囲 に亘 り党 の組 織 の仕 事 に従 事 し ま した 。
コ ミ ンテ ル ンの代 表 者 等 を 非常 に満 足 さ せる 事 が出 来 ま した ので 、
し た。
其 の代 表 者 等 か ら 私 に対 し コ ミ ンテ ル ンに来 て働 か な いか と云 ふ事
其 の間 に は毎 月 の如 く オ ラ ンダ に行 き炭 坑 地 方 で同様 党 の組 織 活 動
に な り、 勿 論 コミ ンテ ル ン本 部 か ら独 逸 共産 党 に対 し て正 式 に懇 望
に従 事 し ま し た。 そ れ か ら フラ ン ク フ ル トに 於 て 同様 訓 練 宣 伝 の活 動 を 致 し ま し た。
さ れ ま した 結 果 、 私 は モ ス コウ に行 き コミ ンテ ル ン本 部 で働 く 事 に
際 的 の活 動 を しな け れ ば な ら な い の であ り ま し て、 其 の仕 事 を し な
二九 二 四年 フラ ン ク フ ルト で共 産 党 の大 会 が 行 は れ た際 私 は其 の代
く な れ ば党 員 た る資 格 を 失 ふ の であ り ま す 。
表 者 に 選 ば れ ま し た。
私 は 其 の会 議 に参 加 し た の みな ら ず其 の様 に非 合 法 な も の であ り ま
即 ち 長期 に 亘 って外 国 に行 く様 な場 合 に は実 際 的 な 仕事 が出 来 な く
当 時 共 産党 運 動 は禁 止 さ れ て居 り ま し た の で其 の大 会 は 勿論 非合 法
し た為 、 其 大 会 に コミ ンテ ル ン本 部 か ら 派遣 さ れ て来 た コミ ン テ ル
な り ま す ので、 其 の国 の共 産党 の 一員 た る資 格 が なく な る の であ り
一体 独 逸 共 産 党 員 であ り ま し た が共 産 党 員 た る 者 は其 の組 織 内 で 実
ンの代 表 者 た る ピ ヤ ト ニッキー 、 マヌイ ル スキ ー、 ク ージ ネ ン、 ロ
ます。
な り ま し た。
ゾ フ スキー 、 等 の生命 の安 全 保 護 や 狭 義 の招 待 等 の仕 事 を す る 事 を
今 申 した様 に私 は 仕事 の関 係 上 モ ス コウ の コミ ン テ ル ン本 部 で働 く
のも ので あ り ま し た。
二問 被 告 人 は モ ス コウ の マ ルク ス ・エンゲ ル ス研 究 所 長 リ ャザ ノ
命 ぜ られ て それ に従 事 し ま し た。
事 にな った ので 、独 逸 共 産 党 を離 脱 し て ソ聯 共 産 党 に 加入 す る事 に
一 四 問 コミ ン テ ル ン の本質 及 使 命 は 。
な った の であ り ま す。
ブ と連 絡 し て祖 父 アド ル フ ・ゾ ルゲ の遺 稿 等 を提 供 し た事 があ る か 。 答 左 様 です 、 同 研究 所 の為 マル ク ス ・ エンゲ ル ス及 そ れ に関 係 し た 人 の資 料 蒐 集 の為 、 一九 二 三年 リ ャザ ノ フが参 り ま し た ので、
ます。
之 に参 加 し て居 る各 国 の共 産 党 の代表 者 か ら成 立 って居 る の であ り
答 第 一に コミ ンテ ル ンは 党 では なく 世 界 的 の機 関 であ り ま し て、
三問 其 の後 被 告 人 は 独 逸 共産 党 を離 脱 し て ソ聯 共 産 党 に 加 入 し た
復 の二 、 三 の手 紙 を同 入 に提 供 致 し ま し た。
そ し て其 の使命 は社 会 主 義 共 産 主義 的 社 会 秩 序 の発 展 の為 、 各 国 共
伯 林 と フラ ンク フ ル ト で会 って同 人 に対 し マル ク スとゾ ルゲ と の往
のか。
各 国 の共 産党 は 公式 に は例 え ば 独逸 共産 党 と記 し、 括 弧 し て共 産 主
産 党 の活 動 を 結 集 す る事 に あ る の であ り ま す 。
義 的 イ ンタ ー ナ シ ョナ ル の支 部 と記 す の であ りま す か ら 勿 論各 国 の 共 産 党 は コミ ン テ ル ン の支部 で あ り ます 。 社 会 主 義 的 共 産 主 義 的 社 会 秩 序 と申 し ます の は如 何 な る階 級 を も認
東京刑事地方裁判所
裁判所書記
森
村
田
光
京
三
治
人
中
告
予 審 判 事
被
右 の者 に対 す る 治安 維持 法 違 反 、 国 防 保 安法 違 反 、 軍 機 保 護 法違 反
第 四回 訊 問 調 書
並 に軍 用 資 源 秘密 保 護 法 違 反 被 告 事件 に付 、 昭 和 十 七年 七 月 十 四 日
リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ
生産 手 段 の私 有 に付 ても 大 工業 大資 本 の私 有 を禁 止 す る の であ り ま
も のを 計 画 的 に組 織 化 し 、帝 国 主義 的 戦 争 を 認 め な い ので あ り ま す。
二 立会 の上 通 事 生駒 佳 年 を 介 し、 前 回 に引 続 き右 被 告 人 に 対 し訊 問
東 京 刑 事 地 方 裁 判所 に於 て、 予 審 判事 中村 光 三 は裁 判 所 書 記倉 林 寅
め ず、民族 の圧 迫 を も 認 め な い社 会 秩序 で あ りま し て、即 ち 社会 其 の
す。
一間 大 正十 四 年 即 ち 西暦 一九 二 五年 以 降 コミ ンテ ル ン内 部 に 於 け
す る こ と左 の如 し 。
斯 様 に し て全 世界 を徐 々に斯 様 な 社 会 秩序 に 発展 せ し む る事 を 目 的 と し て居 る ので あ り ます 。
ま す 。 又 プ ロ レタ リ ア ー ト の独 裁 と 言 ふ 過 程 を取 る事 は目 的 で はな
暴 力革 命 で なく 斯 様 な 重 大 な 変 革 を 来 さ し む る事 が出 来 る の であ り
必ず しも 暴 力 革 命 に依 る事 を要 せず 、 勿 論 暴 力叢 命 で も よく 、 或 は
党 か ら 材 料 を採 り、 定 期 的 又 は 不定 期 的 に コミ ン テ ル ン の為 め其 の
は 独逸 、 オ ー スト リ ヤ、 スカ ンヂ ナ ビ ヤ、 英 国 等 ヨー ロ ッパ の共 産
し て の活 動 は第 二に 、 各種 の資 料 に関 す る仕 事 であ り ま し て、 そ れ
入 って 、 コミ ンテ ル ン の情 報 局員 と し て活 動 し ま し た 、情 報 局 員 と
答 私 は ソ聯 共 産 党 モ ス コウ地 区 コミ ンテ ル ン本 部 の組 織 の中 に
る被 告 人 の活 動 は。
そ し て斯 様 な 社 会 秩 序 に発 展 せ し む るに は 、 各 国 の既成 の統 治 組 織
く 、戦 略 的 の手 段 であ りま し て、 斯様 な 過 程 を取 る事 が、 社 会 主 義
制 度 を 必 然 的 に重 大 な る変 革 を せ し むる 事 に な る の であ りま す が 、
的 、 共産 主義 的 、社 会 秩 序 を 樹 立 す る 可 能 性 のあ る 三つの手 段 だ と
九 二四 年 に 開 か れ た コミ ン テ ル ン第 五 回大 会 に於 て決 定 さ れ た組 織
し、 コミ ン テ ル ン の拡 大 会 議 にも 出 席 し ま し た。 それ 等 は 其 の前 一
た。 当 時 行 は れ た コミ ン テ ル ン の大会 や 、 委 員 会 等 の会 議 に も出 席
ェル サイ ユ平 和条 約 の及 ぼ す 経済 的 影 響 に関 す る 研 究 を も 致 し ま し
報 告 を 作 成 す る仕 事 であ り ま し て 、其 の他 時 々右 各 国 の労 働 運 動 に
Ri cha rd Sorg e 年
人
し て居 る ので あ りま し て、 必 ず し も プ ロ レタ リ ア ー ト の独 裁 の過 程
告
関 す る 材 料 を も採 って報 告 を 作 り ま し た、 そ し て特 に例 外 と し て ヴ 被
佳
生
駒
事
を取 ら ね ばな ら ぬと 云 ふ事 は な い の であ り ま す 。
通
右通 事 を介 し読 聞 け たる 処 相違 な き旨 申 立 署 名 拇 印 し た り。 同 日 於 同庁 作 之
す る協 議 や 、 党 内 のト ロツ キ ー問 題 に関 す る協 議 等 であ り ま し た 。
問題 、即 ち街 頭 組 織 よ り 工場 組 織 に変 更 し た こと に付 其 の実 行 に 関
に 当時 報 告 し た こと を よ く覚 え て居 りま す 。
北 方 に於 て特 に高 か った ので あ り ます 。 之 等 の事 項 は コミ ンテ ルン
居 り ま し た。 併 し ス カ ンヂ ナ ビ ヤ に於 ては 一面 結核 に よ る死 亡 率 が
答 情 報 部 、 組 織 部 、 宣伝 部 が主 な るも の で、 其 の外 財 政 部 等 と
二問 昭 和 二年 一九 二 七年 コミ ン テ ル ンか ら情 報 指 導 員 と し て スカ
云 ふ も の もあ りま す が 、積 極的 に活 動 す る のは 始 め に述 べた情 報 部
六 問 当 時 に於 け る コミ ンテ ル ンの組 織 は 。
答 コミ ンテ ルン の情 報 指導 員 と 云 ふ名 前 は正 確 であ り ま せ ん、
と組 織 部 と宣 伝 部 であ り ま す 。
ンヂ ナ ビ ヤ地 方 及英 国 に派 遣 され たか 。
ビ ヤと 英 国 と に派 遣 され た の であ り ま す。
私 は コ ミ ンテ ル ンの情 報 部 及組 織 部 の特 別 代 表 者 と し て スカ ンヂ ナ
三問 被 告 人 は 其 の様 に 派遣 さ れ之 等 諸 国 の共 産 党 と連 繋 し つ つ右
答 組 織 部 は先 程 述 べた街 頭 細 胞 か ら 工場 細 胞 に変 更 す る と 云 ふ
七 問 組 織 部 及 宣 伝 部 の任 務 は。
各 共 産 党 関 係 の情 報 を 初 め之 等 諸 国 に於 け る 各種 政 治 、 経済 、軍 事
共 産 党 と連 繋 し つつ致 した の であ り ま す。 第 二 の任 務 は 各 国 の共 産
告 を す る こと が第 一の任 務 であ り ま し て、 勿論 そ れ は それ 等 各 国 の
答 左様 です が そ れ は各 国 の党 の組 織 的 及 政 治 的 状 態 に関 す る 報
り ます 。
的 と し た出 版 や 、 各 国 共 産 主義 者 の養 成 教 育 に関 し評 議 す る の であ
有 効 に 宜伝 を 為 し得 るか と 云 ふ こ と に付 、 左 翼 文 献 の宣 伝 教 育 を 目
云 ふ点 に 付意 見 を与 へる こと を 任務 と致 し、 宣 伝 部 は如 何 にす れ ば
様 に、 各 国 の共産 党 を 如 何 にす れ ば 最 も巧 に経 済 上 獲得 出来 る か と
党 と 社会 民主 党 と の影 響 力 及勢 力 を 比較 研 究 す る こと 、第 三 に は各
以 上 は今 から 十 三 年 位 前 迄 の状 況 であ り ま す 。
問 題 等 の諜 報 活動 に従 事 し た か。
国 の経済 、 政 治 的 性 格 を 持 った個 々の出 来 事 を 研 究 す る こと であ り
八問 当 時 に 於 け る コミ ンテ ル ン情 報 部 の任務 は。
答 第 一は 、各 国共 産 党 の組 織 的 、 政治 的 に見 た る現 状 に 関 す る
ました。
答 自 ら 又は 腹 心 の者 を 伯林 に派 遣 し、 同 地 で コミ ン テ ル ン の伝
四 問 そ れ等 に付 て は どん な 方 法 で コミ ンテ ル ンに報 告 し た か。
の労 働 組 織 に 関 す る報 告 で、 第 三は 、 各国 に於 け る個 々 の重 要 な る
平 常 よ り の報 告 であ り ま す。 第 二 は、 共産 党 以外 の労 働 党 及 其 の他
り ま し た。 私 は炭 坑地 方 を旅 行 し て経 済 的危 機 の大 な る こ とを知 り
答 特 に 印象 に 残 って居 りま す のは 英 国 の経済 的 危 機 の問 題 であ
に も 致 す こ と があ る の であ り ま す。
る ので あ り ます が、 コミ ン テ ル ンの世 界 大 会 或 は拡 大 会 議 等 の為 め
そ れ等 は第 一に コミ ンテ ル ン の機 関 の為 め に其 の様 な情 報 を収 集 す
政 治 的 、 経 済 的 問 題 に関 す る報 告 であ り ます 。
ま し た。 之 に反 し て スカ ンヂ ナ ビ ヤ地 方 に於 け る炭 坑 地 方 の模様 は 、
九 問 被 告 人 は コミ ンテ ル ン情 報 部 の当 時 の任 務 に付 手 記 に斯 様 に
五問 コミ ン テ ル ンに 当時 被 告 人 の報 告 し た 主 な る 事 項 は。
書 使 と連 絡 し て手 紙 で報 告 し て居 り ま し た。
生活 水準 も 非 常 に高 く 、英 国 に於 け るも のと 顕 著 な る対 照 を 為 し て
記 載 し た では な いか 。
外 申 上 げ た い こと は、 其 の頃 何 時 の間 に か東 方 部 と 云 ふも のが出 来
し た の であ り ま す 。其 の他 は お 読 聞 け の通 り であ り ま す 。併 し其 の
答 一九 二九年 五月 終 り か 六月 始 頃 と記憶 し ます 。
一二 問 ス カ ンヂ ナ ビ ヤ及 英 国 か ら モ ス コウ に帰 った の は何 時 か 。
は其 の後 如 何 な った か存 じま せん 。
て居 り、 秘 密 な 事 項 を 独 自 な立 場 か ら 処 理 し て居 り ま した が 、 そ れ
此 の時 記 録 第 三 冊 第 三 丁 十 行 目 乃 至 二 十 二行 目 を通 事 を介 し読 聞 け た り。 答 其 の通 り の事 実 に相 違 あ り ま せん 。 一 〇問 当 時 の情 報 部 の組 織 は。
答 私 は 英国 か ら帰 った後 斯 う 云 ふ こと を ピ ア ト ニ ッキー に対 し
一 三問 モ ス コウ に帰 還 後被 告 人 は コミ ンテ ル ンに対 し 、自 己 従 来 の
答 情報 部 は第 一群 ヨー ロ ッパ、 第 二群 ア メ リ カ、 第 三 群 英 国 、
申 し ま し た。 それ は自 分 の好 き であ り 且 つ能 力 の あ る諜 報 活 動 は 、
諜 報 活 動 の経 験 に 鑑 み 、広 汎 な る政 治 、 経 済 、 軍事 問 題 に関 す る諜
共 の下 に書 記 局 が あ って全 部 の事務 を統 括 し、 書 記 一人 と 其 の下 に
党 に束 縛 さ れた 狭 い範 囲 に於 て は不 可 能 であ る と申 し た の であ り ま
第 四 群東 方 の 四 つに 分 れ て居 り 、 各 群 は 更 に 言 語 の系 統 に よ って例
数 人 の書 記 と が居 り、 各 国 に相 応 す る各 課 があ り ま し て、 各 国 の共
す 。 そ れ は ピ ア ト ニッキ ー に会 って、 之 か ら 自 分 は コミ ンテ ル ン の
報 機 関 は、 組 織 的 に も之 を コミ ンテ ル ン情報 部 の各 共 産 党 関 係諜 報
産 党 か ら報 告 され る 情 報 は 総 て書 記 局 に集 ま り各 課 に分 け て研 究 を
中 に在 って活 動 が出 来 る か 如何 か を尋 ねた 際 話 し た のであ り ます 。
へば ヨー ロ ッパ は独 逸 、 ロー マ ン、 スカ ンヂ ナ ビ ヤ、 バ ル カ ン等 の
致 し 、 又 口頭 で報 告 を す る 者 が あ る場 合 に は責 任者 が 集 まり 、 小 さ
其 の理 由 は ピ ア ト ニッキ ー に対 し、 私 は 今 迄 通 り の党 に関 す る情 報
機 関 よ り分 離 す べき 必 要 あ る旨 を具 申 した か 。
な会 議 を開 い て居 り まし た 。 精 し いこ と は手 記 に記 載 した 通 り であ
活 動 と云 ふ様 な 狭 い範 囲 の活 動 に止 ま る か 、 それ と も も っと広 い諜
如 く 区 分 さ れ て居 り 、 東 方 のみ は 別 の取 扱 を受 け て居 り ます 、情 報
ります。
報 活 動 を す るか と 云 ふ 問題 であ りま し た 。 即 ち スカ ンヂ ナ ビ ヤ或 は
部 の部 長 は国 際 的 経 験 を 有 す る最 古 参 の党 員 で なけ れば な り ま せん 。
二問 其 の点 に関 す る手 記 の記 載 は之 か。
云 ふ問 題 に付 相 談 し た のであ り まし た 。
ソ聯 邦 に移 り 、 ソ聯 邦 の為 め に党 を離 れ 広 汎 な諜 報 活 動 を す る か と
英 国 に於 ても 、 小 さ な党 の為 め の情 報 であ り ま し た が 、漸 次 重 心 が
此 の時 前 同 第 三 丁 二十 三行 目 乃 至 第 四 丁 末 行 目 を 通 事 を 介 し読 聞 けたり。
以 上 を総 括 し て尚申 上げ ます れ ば 、 私 は 当時 ピ ア ト ニッキ ー と度 々
答 赤軍 代 表 者 が会 議 に参 加 し た と 云 ふ こと は 、 パ ルチ ザ ンに経
に赤 軍 代表 者 が会 議 に参 加 す る訳 では あ り ま せん 。 手 記 に赤 軍 の代
験 のあ った 極 く少 数 の者 が稀 に参 加 し た だけ であ り ま し て、 一般的
会 って意 見 の交 換 を致 し ま し た。 其 の要 点 は 三 点 で あ り ま し て、 第
一は、 自 分 の素質 、趣 味 、嗜 好 が党 内 の内 紛 等 に は興 味 が なく 寧 ろ
表 者 と 云 ふ 文字 を使 ひ ま し たが 、 それ は 正 式 の赤 軍 の代 表 者 と云 ふ 意 味 で はな く 、 パ ルチ ザ ン戦 に参 加 した 古 い党 員 と 云 ふ意 味 で使 用
ル ンの内 部 に 於 て 実行 す る こ と は出 来 な い、 第 二 は 、 一九 二八年 コ
政 治 的 、 経 済的 、軍 事 的 諜 報 活 動 が 好 き で あ る、 そ れ に は コミ ン テ
被
第 五 回 訊問 調書
裁判所書記
倉
村
林
光
寅
三
二
リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ
申
出口 入
予 審 判 事
東 京 刑 事 地 方 裁判 所
云 ふ期待 が 裏 切 ら れ、 寧 ろ帝 国 主義 フ ァシ ズ ムの擡 頭 の問 題 を 注意
ミ ンテ ル ンの世 界 大 会 に於 て明 日 に も 世界 革 命 が実 現 す る だ ろ う と
し な け れ ば な ら な くな った、 第 三 は 、 ソ聯 に於 て は世 界 革 命 よ り は
斯様 な私 の意 見 に対 し、 ピ ア ト ニッ キー は成 程 君 は党 内 に在 って 仕
あ り ま す。
一問 被 告 人 は昭 和 五 年 西暦 一九 三〇 年 一月 モ ス コー中 央 部 の指 令
す る こと 左 の如 し。
二立会 の上通 事 生駒 佳 年 を 介 し 、前 回 に引 続 き右 被 告 人 に対 し訊 問
東 京刑 事 地 方 裁 判 所 に 於 て 、予 審 判 事 中 村 光 三 は裁 判所 書 記 倉 林 寅
並 に軍 用 資 源 秘 密 保護 法違 反 被 告 事 件 に付 、 昭和 十 七年 七 月 十 五日
事 を す る に は向 か な い、 世 界 革 命 が 間 近 に迫 った と云 ふ のも 幻 想 で、
に従 ひ、 支 那 に派 遣 さ れ て諜 報 活動 に従 事 し、 昭 和 八年 西暦 一九 三
右 の者 に対 す る 治 安維 持 法 違反 、国 防 保 安 法 違反 、 軍機 保 護 法 違 反
それ も 君 と 同感 だ 。 ソ聯 を 保 護 しな け れ ば な ら な い と云 ふ こと も 君
三年 九 月 モ ス コウ中 央 部 の指 令 に 基 き我 国 に渡 来 し 、 爾来 引 続 き諜
一国 社会 主義 を標 傍 し て 、国 内 に於 て五箇 年 計 画 を 立 て国 内 の建 設
と 同 感 で あ る か ら 、 さ う 云 ふ方 向 に向 って行 った ら よ か ら う と答 へ
を 大 使命 と す る様 に な った、 之 が先 程 申 し た ソ聯 への重 心 の移 動 で
た の であ り ま す 。 之 が 私 の コミ ン テ ル ンか ら離 れ る こと に な った原
報 活 動 に 従事 し て居 た か 。
し ま し た。 それ は何 れ も モ ス コウ中 央 部 の指 令 と の御訊 ね です が、
一九 三 三年 九 月 二十 六 日 日本 に到 着 し て爾 来 引続 き諜 報 活 動 に従 事
答 左様 です 、 一九 三 〇年 一月支 那 に到 着 し て諜 報 活動 に従 事 し、
因 で あ り ま し た。
処 か ら帰 った後 、 コミ ンテ ル ンか ら離 れ る様 にな った こと に付手 記
正 確 に 云 へば赤 軍 第 四 本 部 の指 令 であ り ま し た。
一 四問 被 告 人 が ス カ ンヂ ナビ ヤ及英 国 に派 遣 さ れ た当 時 の活 動 及 其
此 の時 前 同第 五 丁初 行 目 乃 至 第 七 丁 末行 目 を通 事 を 介 し 読 聞 け た
に斯 様 に記 載 し てあ る で はな いか 。
が、 中 央 の部 分 が稽 〓正確 を 欠 い て居 り ます 。 即 ち 私 は 主 と し て赤
答 お 読聞 け の内 最 初 の部 分 と最 後 の部 分 は其 の通 り で あ り ます
読 聞 け た り。
此 の時 記録 第 三冊 第 八丁 初 行 目 乃 至第 九 丁十 四 行 目 を 通 事 を介 し
二問 被 告 人 は コミ ン テ ル ン本 部 か ら分 離 し た事 情 に付 手 記 に斯 様
Ri char d Sorg e 年
人
に記 載 し て居 る が如 何 。 告
り。
被
佳
生
駒
事
答 其 の通 り の事 実 に相 違 あ り ま せ ん。
通
右 通 事 を 介 し読 聞け た る処 相 違 な き 旨申 立 て署 名 栂 印 した り 。 同 日 於 同 庁作 之
げ た いこ と は、 前 回 述 べた様 に ピ ア ト ニッキ ー と、 コミ ン テ ル ンを
の許 し た範 囲 内 に 於 て連 絡 し たも の であ り ます 。 尚 附 け 加 へて申 上
軍 第 四本 部 と 連 絡 し た の であ り ま し て 、其 の他 の部 分 と は第 四本 部
こと で憲 兵 に引 渡 さ れ例 の レ ッド マンも憲 兵 に引 渡 さ れ た と 云 ふ こ
官 や 、検 事 が未 知 の人 で 、明 白 に第 四 本 部 に属 す る こ とを打 明 け れ
の様 な策 略 を と った か と 云 ふ こ とを お話 し致 し ます と 、最 初 の警 察
と を 聞 い て居 た か ら であ り ます 。 第 二 の理 由 は 、警 視 庁 の外事 課 は
ば憲 兵 に引 渡 さ れ る と思 った か ら であ り ます 。 前 に英 国 人 が同 様 な
私 の云 ふ こ と に理 解 力 を持 た ぬ と考 へた ので、 コミ ンテ ル ンと ソ聯
離 脱 す る 話 を し た後 、私 は コミ ン テ ル ンか ら 正式 に コミ ン テ ル ンの 仕 事 を し な いで よ いと の書 類 によ る通 知 を も受 けた の であ り ま す 。
と、 ソ聯 共 産 党 と の関係 を理 解 し て呉 れ な か ら う と思 った か ら であ
り ます 。 第 三は 、昨 年 十 二月 検 事 が訊 問 を開 始 した 時 には 、未 だ軍
と か何 処 と か 、具 体 的 な こ と であ り ま せ ん で し たが 、 一般的 の私 の
事 機 関 に私 が 属 す る こ と を信 用 し て呉 れ な か ったか ら であ り ます 。
私 は ピ ア ト ニッキ ー の紹 介 で第 四 本 部 のベ ルジ ン将 軍 に会 ひ、支 那
と し て の第 四 本部 が政 治 的 の諜 報 活動 に ど れ程 関 心 を 持 って居 る か
活 動 に付 話 し ま し た。 第 一回 のベ ルジ ンと の会 談 の内容 は軍 事 機 関
と 云 ふ こと で あ り ま した 。 ベ ルジ ンは ピ ア ト ニ ッキー か ら私 が政 治
て居 りま す 。 そ れ は 此 の 一七七 丁 の記 載 や 一八 五丁 の記 載等 であ り
答 公 式 に 取消 し たも の では あ り ま せ ん が実 際 的 に徐 々に取 消 し
政 治 的 方 面 の諜 報 活 動 を す る こと に付 同意 し て居 り ま し た 。手 記 に
ます 。
五問 それ では其 の点 に付 手 記 の何 れ の部 分 を 取 消 し て居 る の か。
も 書 いて あ る通 り其 の後 復 た 相談 の結 果 支 那 に行 く こと に な り ま し
六問 被 告 人 は モ ス コウ中 央 部 な る用 語 を手 記 に於 て斯 様 に説 明 し
此 の時被 告 人 は前 同 一七 七 丁 、 一八 五 丁 の記 載 を指 示 し たり 。
的 方 面 に於 け る諜 報 活 動 に興味 を有 す る こ とを 聞 知 し て居 り、 私 が
た ので あ り ます 。 手 記 に コミ ンテ ル ンか ら の分 離 は 、私 に与 へられ
て居 る では な いか。
た 任 務 の変更 に よ って明 瞭 に な り ま し た と記 載 し た 以 下 の部 分 は金 く 其 の通 り であ り ます 。
此 の時 前 同 三 八 丁初 行 目 乃 至 四 〇 丁十 二行 目 を 通事 を介 し読 聞 け
答 ピ アト ニッキ ー、 マヌイ ル スキ ー、 クー ジ ネ ン等 が ソ聯 共産
たり 。
三 問 モ ス コウ の 一定機 関 と の不 明 瞭 な る 組 織 的 結合 関 係 と し て被
党 中 央 委 員会 に対 し て、 私 の新 し い活 動 に付 保 証 し て呉 れた と云 ふ
告 人 は 手記 に斯 様 な 記 載 を し て居 る で はな いか 。
答 其 の部 分 は 事 実 と違 って居 りま す 、 私 は赤 軍第 四本 部 に属 し
の は其 の通 り であ り ます が、 それ は ソ聯 共 産 党 中 央委 員 会 に対 し て
此 の時 前 同 第 九 丁 十 五 行 目乃 至 末 行 目 を 通 事 を 介 し て読 聞 け たり
の み保 証 し て呉 れ た の で はな く 、 他 の何 れ に対 し て も保 証 し た の で
あ り ます 。 尚 ﹁ 更 に今 述 べ まし た 人 々は︱ ︱ そ し て私 は其 の後 も之
て居 た こ とを 明 瞭 に自 覚 し て居 り ま した 。
答 此 の手 記 は後 の手 記 に於 て取 消 し て居 り ま す 。之 は警 察 官 及
等 の人 々と だ け会 ひ ま した が︱ ︱ コミ ンテ ル ン の指導 的 成員 であ る
四 問 そ れ で は手 記 に何 故 其 の様 な記 載 を した のか 。
検 事 に対 す る自 分 の策 略 か ら斯 様 に記 載 した の であ り ま す。 何 故 共
許 り でな く ソ聯共 産 党 中 央 委 員 会 の成 員 な ので す ﹂ と記 載 し た の は
す ﹂ と其 の手記 に記 載 し てあ る では な いか。
を も 否 認 し統 一的 な計 画 を 以 て汎 ゆ る国 々を 総 括 せ ん とす る も の で
処 は 不 正確 であ り ます 。 即 ち コミ ンテ ル ンは凡 ゆ る 国 々の共 産 党 の
目 的 本質 に付 て は前 回 申 上 げ た通 り であ りま し て、 共 処 に記 載 した
答 其 の通 り記 載 し た こと は間 違 あ り ま せん が 、 コミ ンテ ルン の
不 正確 で事 実 は 中 央委 員 会 の成 員 でな い者 も あ り 、 或 は コミ ンテ ル
方 が よ か った の であ り ま す 。 以 上 の外 は お読 聞 け の通 り全 部 相 違 あ
世 界 組 織 では なく 、 各 国 共 産 党 の代表 者 か ら成 って居 る機 関 であ り
ン の成 員 の候補 者 で あ る者 も あ り ます 。 そ れ故 此 の部 分 は削 除 し た
七問 何故 其 の様 に 正確 で な い記 載 を し た のか 。
り ま せん 。
ます 。 又 コミ ン テ ル ンは支 部 即 ち諸 国 の個 々の党 か ち構 成 さ れ て居
る の では なく 、 各 国 の共 産党 の代 表 者 か ら成 立 って居 る機 関 であ り
答 最初 手 記 を 書 いた 時 は 検 事 の諒 解 を得 る為 め に記 載 した の で、
ま し て、 各 国 の共 産 党 が 共 産 主義 的運 動 を致 す ので 、 コミ ンテ ル ン
如 き 勧告 を与 ふ る こ とは あ る ので あ り ます 。 コミ ン テ ル ンの勧 告 な
へる暇 も な か った の で不 正 確 な表 現 にな って仕 舞 った ので あ りま す 。
り決 議 な り は、 各 国 の共 産 党 が それ に従 った 決 議 を し な い限 り 一片
そ れ が 起 訴 の材料 に な る こ と は後 にな って判 った のと 、当 時 よく 考
り。
の紙 に過 き ま せん 。 コミ ンテ ル ンが世 界 組 織 とし て世 界 共 産 主 義 の
は 自 ら其 の運 動 を す る こと は出 来 ず各 国 の共 産 党 を 通 じ て の み該 運
答 此 の章 は 不 正 確 で認 め る訳 には 行 き ま せ ん。 之 も時 聞 がな か
建 設 即 ち 全 世界 を 一個 の共 産 主義 社 会 に結 集 せん と す る綱 領 を持 っ
動 を 致 す の であ り ます 。 例 へば コミ ンテ ル ンは ス ト ライ キ を起 さ せ
った のと 、警 察 官 や検 事 に対 す る策 略 と、 自 分 の知 識 がな か った 為
て居 る と か 、其 の企 図 す る処 は 世 界 ソヴ ェット聯 邦 を 組織 す る こ と
八問 被 告 人 は コミ ン テ ル ンと、 ソ聯 共 産党 と の関 係 に付 手 記 に斯
め と で斯 様 な記 載 を し て仕 舞 った ので あ り ます 。
だ と か、 生 産 手 段 の私 有 を否 認 し如 何 な る階 級 によ る搾 取 や弾 圧 も
様 に記 載 し てあ る では な いか 。
九問 併 し之 に よ る と ﹁コミ ン テ ル ンは 凡 ゆ る国 々の共 産 党 の世 界
否 認 し 、 民族 及 人 種 によ る 弾 圧 を も否 認 し、 統 一的 な 計画 に従 って
暴 動 を指 揮 す る こ とは あ り ま せ ん が 只、 今 が其 の時 期 であ る と云 ふ
組 織 ︱︱ 党 で はあ り ま せん ︱︱ であ り ま す 、 そ し て コミ ン テ ル ンは
此 の時 前 同 二 三丁 初 行 目 乃 至 二 七 丁 末 行 目 を通 事 を介 し読 聞 け た
支 部 即 ち諸 国 の個 々の党 か ら構 成 さ れ て居 り ます 、 ソ聯 共 産党 も亦
コミ ンテ ル ンの目 的 本質 と し て述 べた 通 り で あ り ま し て、 各 国 の共
産 党 の活 動 を 横 に 結 集 す る こ と に於 て コミ ンテ ル ンは成 立 って居 り 、
凡 ゆ る国 々を総 括 せん と す る も の であ る と か云 ふ点 に付 て は、 前 回
ん と す る綱 領 を持 って居 り ます 、 即 ち其 の企 図 す る処 は 世界 ソヴ ェ
各 国 共 産 党 の活動 は 、要 す る に搾 取 も な く他 の民 族 の圧 迫 も な い社
コ ミ ンテ ル ンの多 数 の支 部 の 一つ です 、 世界 組 織 と し て コミ ン テ ル
ット 聯 邦 を組 織 す る こ と であ り ま し て 、 生産 手 段 の私 有 を否 認 し、
会 を 建 設 す る こ と を 目的 に し て居 る のであ り ま し て、 其 の実 現 の方
ンは 世 界 共産 主義 の建 設 即 ち 全 世 界 を 一個 の共 産 主 義 社 会 に 結集 せ
如 何 な る階 級 に よ る搾 取 や 弾 圧 も否 認 し 、 又民 族 及 人 種 に よ る 弾圧
を 述 べま す な ら ば、 其 の実 現 の方法 はプ ロレ タ リ ア ー ト の独裁 、 戦
一四 問 尚 其 の手 記 に は ﹁そ し て他 の共 産 党 と同 様 コミ ン テ ル ン の指
の であ り ま す 。
コミ ン テ ル ン の組 織 の 一部 にな って居 り ます と記 載 す べき であ った
答 それ も ソ聯 共産 党 は他 の各 国 の共 産党 と同 様 に代 表 者 を 通 じ 、
術 の統 一、 人 民 戦 線 の三 つが あ る と考 へます 。 私有 財 産 の否 定 も原
導 に服 し て居 り ま す ﹂ と 記載 し てあ る では な いか。
法 は 夫 々 の事 情 又 は必 要 によ り変 化 が あ ら う と思 ひま す 。 私 の私 見
であ りま す 。
則 的 のも の では な く 、大 工業 と か大 資 本 とか の私有 を禁 止 す るも の
に於 て、 コミ ン テ ル ンの指 導 に服 す る のであ り ます 。
答 此 の点 も コミ ン テ ル ン の決 議 は党 の決 議 と し て為 さ れ た範 囲
一五 問 手 記 の此 の点 は如 何 か 。
一 〇問 尚 手 記 に は ﹁此 の統 一的 集 中 的 計 画 は、 共 産 主 義社 会 内 に於 け る諸 国 及 諸 民 族 に対 し 、 世界 共 産 主 義 社 会 の絶 え ざ る発 展 中 に於
け ず に書 いたも の であ り ま す 。
も ので あ り ます が、 其 の内 容 は私 の意 思 によ って何 等 の拘 束 をも 受
答 書 く こ と は検 事 の希 望 に よ り検 事 の テ ー マに 基 いて記 載 した
此 の時 記録 第 三冊 手 記 の内 容 を 示 す。
違 な い のか 。
一 七問 此 の手記 は被 告 人 が自 己 の意思 に より 全 部 記 載 し た も のに相
の他 は共 の通 り 相違 あ り ま せん 。
答 之 も コミ ン テ ル ン の指 導 は代 表 者 を通 じ て であ りま し て、其
此 の時前 同 二 七 丁十 七行 目 乃 至 末 行 目 を通 事 を介 し読 聞 け た り。
一 六問 尚 手 記 の此 の部 分 は如 何 。
ん。
日 主 張 す る 訳 に は行 き ま せん 。 其 の他 は 全部 其 の通 り 相違 あ り ま せ
答 其 の内 、 外蒙 等 に関 す る事 情 は 明 か で はあ り ま せん か ら 、今
たり。
此 の時 前 同 二 六 丁 二行 目 乃 至 二七 丁 十 六行 目 を通 事 を 介 し 読 聞 け
け る其 の地 位 を 指 示 す る も のです が、 此 の計 画 こそ は コ ミ ンテ ル ン の世 界 綱 領 を し て、 コミ ンテ ル ンの箇 々の支 部 の異 な った綱 領 の単 な る 綜 合 よ り も 遙 か に大 な る も の た ら しめ て居 る の で す﹂ と記 載 し てあ る では な いか 。 答 左 様 です 、併 し 此 の部 分 は検 事 か ら特 定 の問題 を提 供 さ れ て そ れ に答 へた も ので あ り ます か ら此 処 では 無 意 味 で あ る と思 ひま す 。 一一 問 尚 手 記 に は ﹁形 式 的 且 つ理 論 的 に見 れ ば コ ミ ンテ ル ンは世 界 共 産 主義 の発 展中 に於 け る、 只 今 述 べた段 階 的 目 標 を実 現 し よ う とす る種 々の支 部 の活 動 の為 め の頭 脳 、 換 言 す れば 参 謀 本 部 です ﹂
答 左様 で す、 併 し之 も比 喩 が適 切 であ り ま せ ん で し た。 経 済 的
と記 載 し てあ る で は な い か。
政 治 的 の事 項 に軍 の言 葉 を 使 ふ のも 不適 当 で あ り ま し た。 一 二問 手記 の 此 の部 分 は如 何 か 。 此 の時前 同 二 五 丁初 行 目 乃 至 二十 七 行 目 を通 事 を介 し読 聞 け た り 。
一 三問 尚 手 記 に は ﹁形 式 上 ソ聯 共 産党 は 他 の総 て の支 部 と同 様 に コ
併 し之 を書 く に当 り 資 料 も なく 又十 三年 にも 亘 る 長 い間 の事 項 です
答 其 の部 分 は其 の通 り 聞 違 あ り ま せ ん。
ミ ン テ ル ン の支 部 です ﹂ と記 載 し てあ る で はな いか 。
か ら頗 る困 難 であ った こと を御 諒 承 願 ひ ます 。 一 八 問 被 告 人 は 一九 二九 年 以 後 に於 け る自 己 の諜 報 活 動 の ソ聯 共産
二〇問 ソ聯 共 産 党 の最高 指 導 部 は、 ソ聯 政 府 の最 高指 導 部 であ るか 。
答 ソ聯 は 一国 一党 であ り ます から 、 人 的 に ソ聯 政 府 の首 脳 者 が 、
ソ聯 共 産 党 の指 導 的 人物 だ と申 し た方 が 正 し いと思 ひ ます 。
二一 問 手 記 に は被 告 人 の情 報 報 告 は技 術 的 、組 織 的 に は所 謂 第 四本
党 中 央 委 員 会 と の蓋 然 的結 合 関 係 に付 、 手 記 に斯 様 な 記 載 を し た か 。 此 の時 前 同 一〇 丁 の記 載 を 通 事 を 介 し 読 聞け た り。
部 に通 達 され る と 記 載 し て あ る が此 の点 は 如何 か。
て居 る と 思 ひ ま す 。 其 の指 導 者 は私 の信 ず る処 に よ る と スタ ー リ ン、
り ま す 。 併 し私 の想 像 す る 処 で は其 の 一部 が ソ聯 邦 の指 導者 に渡 っ
せん が 、 第 四 本 部 が其 の材 料 を如 何 扱 った かは 私 の存 じ な い処 であ
の機 関 に も第 四本 部 か ら 更 に送 ら れ る様 に記 載 し た の か。
る情 報 が 、 ソ聯共 産 党 最 高 指 導 部 に も、 コミ ンテ ル ンに も 、或 は他
二二 問 そ れ では何 故 今 訊 ね た様 に被 告 人 は被 告 人 の諜 報 活動 に於 け
処 は第 四 本 部 だ け であ り ま した 。
を第 四 本 部 に 報告 し た の であ り ま し た 。 私 が連 絡 し又 は連 絡 し得 る
答 そ れ は 技術 的 、組 織 的 に と云 ふ の では なく 、 私 の情報 の全部
答 左 様 です 、併 し そ れ も 一部 は 正 しく あ り ま す が 正 確 で な い処
モ ロ ト フ、 ウ ォ ロ シ ロ フ の三 人 と思 ひ ます 。 其 の三 入 に は ソ聯 の政
があ り ま す 。 私 は 全 部 の材料 を第 四本 部 に送 った こと は 間違 あ り ま
策 に 重 大 な 資 料 が 廻 って居 る と思 ひ ます 。 其 の他 の重 要 な らざ るも
部 に送 ら れ る のです 。 其 の資 料 は コミ ン テ ル ンに と って重 要 な 限 り
一 九問 手 記 に は ﹁其 の資 料 は第 四 本 部 か ら 更 に ソ聯 共 産 党 最 高 指 導
テ ル ンは私 の政 治 的 情 報 に対 し て興 味 を 持 って居 り ま せん でし た 。
般的 な こ とを 記 載 し てカ モ フラ ー ジ ュし た のであ りま した 。 コミ ン
に す る こ とを 欲 せず 、 其 の為 め斯 様 に し て曖昧 に致 し漠 然 と 極 く 一
こと を書 い た の であ り ま す 。 そ れを 書 く 当 時私 は身 分 の所 属 を 明 瞭
答 此 の箇 所 は私 が想 像 で書 いた も の で はな く 計 画的 に間 違 った
は コ ミ ンテ ル ンに送 ら れ る こ と にな り ま す 。或 は 又更 に他 の機 関 、
の或 は 軍 事 的 な も のは第 四本 部 に留 ま った も のと思 ひ ます 。
例 へば ソ聯 軍 若 く は 外 務 人 民委 員 部 の如 き機 関 にも 送 ら れ ます ﹂ と 記 載 し てあ る では な いか。
の記 載 を した の であ り ま し て、 手 記 の其 の後 の部 分 に斯 様 に 、其 の
私 は故 意 に其 処 に書 いて あ る様 に想 像 した も のに依 って、 此 の部 分
後 の私 の職 務 上 の連 絡 は、 第 四本 部 と の関 係 に尽 きる の です と記 載
答 私 の想 像 によ れ ば ソ聯 共産 党 中 央 委 員 会 や 、 外務 人 民委 員 部 は関 係 はな く 今 申 し た ソ聯 邦 の三人 の指 導 者 、 或 は 其 の周 囲 の数 入
被
告
人
Ri cha rdSorge
此 の時被 告 人 は前 同 一七 八 丁 一七 七 丁中 の該 当 部 分 を指 示 した り 。
ります。
コミ ン テ ル ンと の職 務 上 の関 係 は絶 え ま し たと 記 載 し て居 る の であ
し、 又 一九 二 九年 冬 私 が コミ ン テ ル ン機 関 か ら離 脱 致 し ま し た の で
った だ け だ ら う と思 ひ ます 。 右 三 人 に対 し 手交 さ れ る のも 公 式 のも
若 く は 其 の友 人 二、 三 人 の眼 に触 れ た だ け で精 々二十 入 位 の眼 に留
ので は な く個 人的 に第 四本 部 の部 長 が 持参 し て見 せ たも のだ ら う と 想像 し て居 り ます 。 ソ聯 では 面 倒 な法 律 があ って、 其 の様 な資 料 は 誰 に でも 見 せる と云 ふ こと は出 来 な い の であ り ま す 。
通
事
生
駒
佳
年
裁判所書記
倉
林
寅 三
二
ンの中 では実 際 の仕 事 を し ては な ら ぬ と云 ふ こと が原 則 に な って居
りま す 。 之 だ け を附 け 加 へて申 述 べさ せ て戴 き ま す 。
二問 被 告 人 は ソ聯 共 産 党 指 導部 と コミ ンテ ル ン指導 部 と の間 の関
て ソ聯 内 に於 け る社 会 主 義 建 設 、 国際 的 重 点 の移 動 を 挙 げ て居 る が
係 の実 際 的 構 成 に付 て手 記 に斯 様 に 記載 し、 尚 其 の発 展 の原因 と し
此 の時 記 録 第 三 冊 二 八丁 初 行 目 乃 至 二 九 丁末 行 及 三 一丁 十 二行 目
此 の記 載 事 項 は 如 何 か 。
並 に 三 二丁 七 行 目 の記載 を通 事 を 介 し読 聞け た り。
光
人
村
告
中
被
予 審 判 事
右 通 事 を 介 し読 聞 け たる 処 相 違 な き旨 申 立 て署 名 拇 印 し た り。 同日於同庁作之 東 京 刑 事 地方 裁 判所
第 六回 訊 問 調書
答 其 の通 り の事 実 に相 違 あ り ま せん 、 そ れ は ソ聯 共 産 党 の影 響
力 が大 き い と云 ふ 心算 で書 い たも の であ り ます 。
リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ 右 の者 に対 す る 治安 維 持 法 違 反 、 国 防保 安 法 違 反 、 軍 機 保 護法 違 反
三問 尚 其 の点 に関 し 斯様 に記 載 し て居 る が 此 の事 項 は 如 何
此 の時 前 同 三〇 丁 初 行 目乃 至 三 一丁 十 一行目 を通 事 を 介 し読 聞 け
並 に軍 用 資 源 秘 密 保護 法 違 反 被 告 事 件 に付 、昭 和 十 七 年 七 月 十 八 日
たり。
東 京 刑 事 地 方 裁 判 所 に於 て、 予 審 判 事 中 村光 三 は裁 判 所 書 記倉 林 寅
答 そ れも 其 の通 り 間違 あ り ま せ ん。
たり。
此 の時 前 同 三 一丁 十 三 行 目 乃至 三 二丁 六 行 目 を通 事 を介 し 読 聞 け
此 の事 項 は如 何 。
四 問 ソ聯 内 に於 け る 社会 主義 建 設 に付 ては斯 様 に記 載 し て居 る が
二立 会 の上 、 通 事 生 駒 佳年 を介 し、 前 回 に引 続 き右 被 告 人 に対 し 訊
一問 前 回 の陳 述 に付 て何 か述 べる こと が あ る か。
問 す る こと 左 の如 し 。
答 前 回 申 上 げ た中 で 一、 二申 上 げ た いこ と があ り ま す 。 そ れ は
の関 係 に付 そ れ が 人的 に同 一であ る と 云 ふ趣 旨 の申 立 を しま し た が、
前 回 お訊 ね を 受 け た際 、私 は ソ聯 共 産 党 首 脳部 と ソ聯 政 府 首 脳 部 と
答 其 の通 り に間 違 あ り ま せ ん。
五問 国 際 的 重 点 の移 動 に付 て は斯 様 に記 載 し て居 る が此 の事 項 は
そ れ は例 へば 目 下 スタ ー リ ン、 モ ロト フ、 ウ ォ ロシ ロフ の三 人 が 同
此 の時 前 同 三 二丁 八行 目 乃 至 三 四 丁 二十 二行 目 を通 事 を介 し読 聞
如何。
けたり。
一であ るだ け で、 そ れ 以外 の者 は同 一では あ り ま せ ん し、 カ リ ー ニ
又 そ れ が同 一だ と 云 ふ こと が偶 然 で はあ り ま せ ん 。 が 必要 的 だ と 云
演 じ て居 り ま せ ん。 之 は 別 段 規則 の 上 でさ う だ と 云 ふ訳 で はな く 、
答 それ も 其 の通 り相 違 あ り ま せ ん。
ンは ソ聯 政 府 の首 脳者 で はあ りま す が 、 ソ聯共 産 党 では 何 等 の役 も
ふ訳 で もあ り ま せ ん 。 尚 ソ聯 政 府 に於 て仕 事 を す る者 は コミ ンテ ル
六問 尚 被 告 人 は コミ ン テ ル ンと ソ聯 共 産党 と の関 係 の総 括 と し て
に と っては 、 と 云 ふ 部分 は削 除 した いと 思 ひ ます 。 第 三 は 、私 達 は
に移 した に過 き な いと記 載 しま し た が それ は他 の同 様 に重 要 な 分野
党 の活 動 か ら 他 の同 様 に重 要 な 分 野 、 即 ち ソ聯 の発 展 の為 め の活動
単 に共 産 主 義 の為 め の活 動 分 野 を 共産 主義 イ ンタ ー ナ シ ョナ ルの各
此 の時 前 同 三四 丁 二十 三 行 目 乃 至 三 六 丁末 行 目 を 通 事 を介 し読 聞
斯 様 に記 載 し て居 る が此 の事項 は 如何 か。
け た り。
他 は其 の記 載 の通 り 違 ひ あ り ま せ ん。
と あ る処 を 遙 か に 重 要 な 分野 と訂 正 した いと思 ひ ます 。 第 四 は 上 に
尚 附 け加 え て申 上 げ た い のは、 私 が 一九 二九年 コミ ンテ ル ンから 離
答 此 の中 に は只 今 矛 盾 し た 記 載 が あ る こ とを 気 附 き ま し た、 そ
脱 し た の は 一般 的 な 共産 主義 の信 念 を 裏 切 った 訳 で はあ り ま せん 。
而 も曖 昧 な記 載 であ り ま す か ら削 除 し た方 が よ いと思 ひ ます 。 其 の
は、 第 一に其 の当 時 即 ち 私 が ロシ ヤ に居 り ま し た時 労 働 運 動 に於 て
と であ り ま す 。尚 誤 解 を 避 け る 為 め補 正 し て置 き た い と思 ひま す の
も っと重 要 な方 面 で活 動 す る 考 へで ソ聯 に移 った ので あ り ます 。
述 べた処 に よれ ば 、 以 下 は共 の前 に書 い てあ る所 と違 ふ所 は な く、
コ ミ ンテ ル ンよ り社 会 主 義 建 設 の方 が 重 大問 題 に な った こと であ り
八 問 尚 被 告 人 は コミ ン テ ル ンと ソ聯 共 産 党 と の総 括 と し て手 記 に
れ は コミ ンテ ル ンと ソ聯 共 産 党 とが 同 一物 であ るが 如 く に 記 載 し な
ま す 。 第 二は ソ聯 共産 党 は何 れ の他 の党 と の間 に も同 一性 は 絶 対 に
が ら 、 一方 に は ソ 聯 の社 会 主義 建 設 が重 要 に な った と書 い てあ る こ
あ り ま せ ん、 第 三 は コミ ン テ ル ンと ソ聯 共 産 党 とも 亦 同 一性 のな い
斯 様 な 記載 を し て居 るが 此 の事 項 は如 何 か。
此 の時 前 同 四 〇 丁 十 三 行 目 乃 至末 行 目 を 通 事 を 介 し読 聞 け たり 。
こ と であ り ます 。 右 誤解 を 生 ぜ し めな い限 り に 於 て お読 聞 け の事 項 は全 部 相 違 あ り ま せ ん 。
る 各 国家 の 破壊 の様 に誤 解 さ れ る 虞 れ が あり ま す か ら 、 そ れ は社 会
答 其 処 に世 界 革 命 と云 ふ 記 載 を致 し ま し た が、 それ は暴 力 に よ
主 義 的 共産 主義 的 社 会 秩 序 の発 展 と訂 正 し た い と思 ひま す 。 又此 処
七 問 尚 コミ ン テ ル ンと ソ聯 共 産 党 と の関係 中 ﹁私 の活 動 と重 心 の
此 の時前 回 三 七 丁 の記 載 を通 事 を 介 し 読 聞 け た り。
移 動 ﹂ と し て斯様 な記 載 を し て居 る が 此 の事 項 は如 何 。
削 除 した いと思 ひ ます 。
に も 私 のグ ループ の成 員 と記 載 し ま し た が、 之 も 前 と 同様 な理 由 で
九 問 それ で は其 処 に記 載 し てあ る其 の他 の部 分 は 如 何 か。
答 其 処 に は訂 正 し た い所 が あ り ま す 。第 一は私 が コミ ン テ ル ン 機 関 から ソ聯 共 産 党 の為 め の直 接 の活 動 に移 行 し た と記 載 し まし た
に と っては と、 記 載 し ま した が 私 自身 以 外 の成 員 に は私 は 此 の こと
の活 動 は、 又、 同 時 に 共 産 主義 世 界 革 命 の為 め の活 動 を意 味 し て居
促 進 と云 ふ 点 で間 接 の寄 与 と な って居 り ます 。 此 の限 り に於 て私 達
一 〇問 此処 に は此 の ソ聯 建 設 に対 す る寄 与 は 同 時 に亦 、世 界 革 命 の
答 其 の他 は其 の通 り相 違 あ り ま せ ん。
が 、 ソ聯 共 産 党 の為 め の活 動 に移 行 し た ので は なく 、 ソ聯 邦 の為 め
を告 げ てあ り ま せ ん の で彼 等 の こ とは彼 等 自身 が申 す べき で、 此 処
の直 接 の活動 に移 行 し た の であ り ます 。 第 二 は私 自 身 及 私 の各 成員
で は私 自身 の こ と だけ を 云 へば よ か った ので私 のグ ループ の各 成 員
る と 記 載 し て あ る が、 其 の世 界革 命 とあ る文 字 の代 り に 社会 主義 的
答 左様 で あ り ます 。
共 産 主義 的 社 会 秩 序 の発 展 と 記載 す れ ば其 の通 り であ る と 云 ふ のか。
二問 被 告 人 は情 報 活 動 変 更 の根拠 と し て斯 様 に記 載 し て居 る が此 の事 項 は 如 何 。
同 日 於同 庁 作 之
東 京 刑 事 地 方裁 判 所
第 七 回 訊 問 調書
予 審 判 事
裁 判 所書 記
中
倉
村
林
光
寅
三
二
リ ヒア ル ド ・ソ ルゲ
右 の者 に対 す る治 安 維 持 法 違反 、 国 防 保 安 法 違反 、軍 機 保 護 法 違 反
人
並 に軍 用 資 源 秘 密 保 護法 違 反 被 告 事 件 に 付 、 昭 和 十 七年 七月 二十 三
告
答 ソ聯 共 産 党 最 高 指 導 部 と あ る の は、 ソ聯 最 高指 導 部 と す べき
日 東 京 刑事 地 方 裁 判 所 に於 て予審 判 事 中 村 光 三 は 、裁 判 所 書 記 倉 林
被
であ り ま し た か ら其 の様 に訂 正 した いと思 ひ ます 。 提 供 し て貰 ひた
寅 二立 会 の上通 事 生 駒 佳 年 を介 し、 前 回 に引 続 き 右被 告 人 に対 し訊
此 の時前 同 一 一丁 の記 載 を 通 事 を 介 し読 聞け た り。
いと要 請 し ま した と 云 ふ 処 に は、 第 四本 部 に要 請 しま し た と挿 入 さ
問 す る こ と左 の如 し 。
一問 被 告 人 は昭 和 五年 西 暦 一九 三〇 年 一月 、 モ ス コウ中 央 部 の指
一九 二 五年 以 来 云 々と 云 ふ こと は此 の場 合 不 必 要 であ り ま し た、 其
令 に従 ひ支 那 に渡 来 した か 。
せ て戴 き た いと思 ひ ます 。
の後 の部 分 は私 の日 本 に 於 け る諜 報 活 動 に関 す る も ので あ り ま す。
答 左様 です 。 一九 二九 年 に出 発 し て 一九 三 〇年 一月 上海 に到 着
右訂 正 を除 く 以 外 は 其 の記 載 の通 り相 違 あ りま せん 。 三問 被 告 人 は中 間 的 注意 事 項 と し て の新 し い活 動 分野 と し て の東
部 の指 令 であ り ま した 。
致 し ま し た。 併 し そ れは モ ス コウ 中央 部 の指 令 では な く赤 軍 第 四本
此 の時 前 同 四 二丁 及 四 三 丁 の記 載 を通 事 を介 し読 聞 け た り 。
亜 に付 、 斯 様 の記 載 を し て居 る が 此 の事 項 は如 何 。
二問 被告 人 が支 那 に渡 来 す る こと は何 時 誰 が 定 め た のか。
答 そ れ は 一九 二九年 十 月 の終 り か十 一月 頃 、 モ ス コウ で決 定 さ
答 其 処 で は 一、 二小 さ な 訂 正 を さ せ て戴 き た いと 思 ひま す 。 そ
れ た のであ り ます 。 前 回 述 べた様 に ベ ルジ ンと 私 の 一般 的 の活 動 に
れ は最 初 の方 に ソ聯 共 産 党 及 赤軍 第 四本 部 の為 め とあ り ま す のは ソ 聯 邦 の為 め と訂 正 し、 最 後 の支 那 に渡 り同 地 に於 てと 云 ふ所 に、 ソ
付 、話 を致 し支 那 に行 く こと を希 望 し た 結 果 、 ベ ルジ ン自 身 が それ
か。
ップ ホ テ ルの ロビ ー、 又 は、 普 通 の家 で数 回準 備 委 員 会 が開 か れ た
三 問 被 告 人 が支 那 に渡来 す る に付 ては 、 モ ス コウ で ニュー ユー ロ
を 決 定 し た ので あ り ます 。 Ri char d Sorge 年
人
聯邦 の為 め に と挿 入 さ せ て戴 き た いと思 ふ の であ りま す 。 其 の他 は
告
佳
生
駒
事
お読 聞 け の通 り に相 違 あ りま せん 。 被 通
右 通事 を介 し読 聞 け た る 処 相違 な き旨 申 立 て署 名 拇 印 した り 。
った 位 であ り ます 。 ピ ア ト ニ ッキー も 私 の知 人 と し て個 人 的 に会 っ
他 の普 通 の家 でも ベ ルジ ンと話 を した の であ り ま し て、 それ は 準備
答 其 の ホ テ ルに は私 が住 ん で居 り ま し た ので 其 の家 でも 、 其 の
ルグ か ら乗 船 し て居 り、 其 の二人 と 一緒 に参 った の で あ りま した。
軍 第 四 本 部 で働 い て居 た 無 電技 師 ワイ ンガ ルト は 、其 の船 に ハンブ
イ ユか 又 は他 の場 所 であ った か同 船 し て参 り ま し た、 そ れか ら 、赤
マル セイ ユ迄 は同 人 と 一緒 で はあ りま せん で し た が、 同 人 が マル セ
た ので、 私 は其 の雑 誌 に論 文 を出 し、 後 に それ を纒 め て書 物 にし て
ま し た。 そ れ はゾ チ オ ロジ カ ル ・マガジ ンと 云 ふ雑 誌 を出 版 し て居
答 独 逸 の農 業 及 穀物 新 聞 と、 或 る出 版 会 社 と 契約 を結 ん で参 り
九 問 表 面 の職業 は 如何 云 ふ こと に し た のか 。
受 け て参 り ま した 。
答 そ れ は合 法 的 に、 独 逸 か ら著 述 家 と云 ふ 名 目 で 正式 の名 前 で
八 問 支 那 に渡 来 す る 旅券 は。
委 員 会 と云 ふ 様 な も ので はな く 、 ベ ルジ ン の外 、 他 の若 干 名 が加 わ
て話 を 致 し ま し た 。 クー ジ ネ ン等 も 同 様 であ り ます 。 四 問 一体、 被 告 人 が支 那 に渡 来 す る 目 的 は、 前 回 述 べ た様 に支那 に於 て政治 的 方 面 の諜 報 活 動 を す る 為 め であ った の か。 答 其 の通 り であ り ます 。
関 係 、支 那 に於 け る各 政 治 団 体 相 互 間 の関 係等 に関 す る諜 報 活 動 で
それ は 支 那 と ソ聯 と の間 の政 治 問 題 、 其 の他 諸 列強 の支 那 に対 す る
あ り ま し て、 私 の支 那 に参 り ま し た使 命 に付 て は手 記 に詳 しく 書 い
出版 し よう と した の であ り ま し た。 併 し 、 そ れ等 は何 れ も ナ チ スが
支 那 に於 ては 何 処 に居 住 し たか 。
た 通 り であ り ます 。
︱ 〇 問
政 権 を 取 った後 は存 在 し て居 り ま せ ん。
此 の時 記 録 第 三 冊 の手 記 を 示 す 。
五 問 被 告 人 の支 那 に於 け る 使 命 は 此 の手 記 の何 れ の記 載 か 。
ん、 そ れか ら ワイ ・ エム ・シー ・エー に居 り、 後 に は ニヒ ッキ ャビ
答 最 初 は ホ テ ルに居 り ま し た が、 其 のホ テ ルの名 前 は覚 え ま せ
ト ー ル ・ビ ル に個 人 的 に 室 を借 り て住 ん で居 り ま し た。
答 此 の 六 二頁 か ら 六 三 頁 に掛 け概 括 的 に記 載 し六 四 頁 以 下 に、
六 問 モ ス コウか ら 上海 に参 った 経 路 は 。
答 矢 張 り 正式 の リ ヒ ア ル ド ・ゾ ルゲ と申 し て居 り ま し た 。 只、
一一 問 名前 は何 と 申 し て居 たか 。
更 に そ れを 細 かく 記 載 し て居 り ま す 。
答 一九 二九 年 十 一月 伯 林 に 行 き 、 そ れ か ら パ リ、 マル セイ ユを
注意 し て戴 き た い のは、 当 時 、 上 海 に ウ ォ ル フガ ング ・ゾ ルゲ と 云
経 て 日本 の汽 船 で ス エズ 、 コロ ンボ 、 香港 を通 って 一九 三 〇年 一月 上海 に到 着 し ま した 。
あ り ま し た が昨 年 上 海 で死 亡 し ま した 。
ふ新 聞 記 者 が私 と は別 に居 た こ と であ り ま す。 そ れは 私 とも知 合 で
答 私 は支 那 に於 け る諜 報 グ ルー プ の、 政 治 部 の指 導 者 と し て参
七問 同 行 者 があ った か 。
始 め は支 那 の歴 史 と経 済 を 研究 致 し ま した が 、諜 報 グ ル ープ
った ので あ り ます が、 技 術 部 及軍 事 部 の指 導 者 と し て ア レ ック スが
答
一 二 問 被 告 人 の支 那 に渡 来 後 の活 動 は 、
参 り ま し た。 同 人 は 古 く か ら赤 軍 第 四本 部 で働 い て居 た 者 で、 私 は
一 五問 ス メド レ ー の紹 介 で、 最 初 獲 得 し た支 那 人 は ワ ン夫 妻 であ っ
答 ア メリ カ の新 聞 記 者 で あ り ま した 。
が 一九 三〇 年 度 か秋 頃 、 上 海 を 去 って ヨー ロ ッパ に帰 り ま し た の で、 たか。
の組 織 的 な 方 面 は 、始 め ア レ ック スが引 受 け て居 り ま し た が、 同 人
ア レ ッ ク スが残 し た部 分 の組 織 を私 が 致 さ な け れ ば なら な く な り ま
同 人 等 の手 に よ り獲 得 し た支 那 人 は チ ュイ夫 妻 、 チ ャ ン、 パ
一 六問
答 左 様 で し た。
ア レ ック スが、 上 海 に居 た当 時 の私 のグ ループ の成 員 は 、 ワイ ンガ
した。
ルト 一名 ゼ ッパ ー ト、 其 の後 に ク ラ ウ ゼ ンが入 って参 り 、 そ れ か ら
︱ 七問 尾崎 等 の手 で獲 得 し た 日本 人 は、 川合 貞 吉 、 水 野 成 、 山 上 正
答 左様 であ りま し た 。
イ、 リ ー 、 シ ィ ン等 であ った か 。
居 り ま し た、 私 にな ってか ら は、 アグ ネ ス ・スメ ド レー と 云 ふ ア メ
答 左 様 であ り ま し た 。
義 、 船 越 寿雄 等 であ ったか 。
ミ シ ン、 又 は ミ ッシ ャー と云 ふ白 系 露 人 も、 成 員 にな って手伝 って
リ カ 人 の 左翼 分 子 で、 独 逸 の フ ラ ン ク フ ル タ ー ・ツ ァイ ツ ング紙 の
一 八問 支 那 に於 け る被 告 人 のグ ルー プ の直 接 的 成 員 に付 て の手 記 の
支 那 特 派 員 を し て居 る者 を獲 得 し、 同 人 の手 を経 て支 那 人 方面 、 欧 米 人方 面 、 日本 人 方 面 等 に手 を 延 ば し て成 員 を 獲 得 し ま し た。 支 那
け た り。
被
告
Ri c har d Sorg e
年
人
此 の時 、 前 同 五 四 丁初 行 目 乃 至 五九 丁 二十 行 目 を 通 事 を介 し読 聞
記載 は、 此 の様 にな って居 る が此 の記 載 の通 り に間 違 な いか 。
ら そ れを 御 参 照願 ひ ます 。 欧 米 人 では ヤー コップ と、 名 前 を 知 ら な
答 其 の通 り相 違 あ り ま せん 。
か った の であ り ま す が、 思 ひ出 し て 手 記 の中 に書 い て置 き ま し た か
人 は、 名 前 が覚 え にく く 歳 月 を 経 て居 る ので 、其 の名 前 が 判 り に く
い米 国領 事 館員 で あ る人 と、 独 逸 人 で ハ ンブ ルグ と云 ふ 人 を獲 得 し ま し た。
佳
生
駒
事
右 通 事 を介 し読 聞 け た る処 相 違 な き 旨申 立署 名 拇 印 し た り 。
通
そ れ は パ ウ ルと ジ ョ ンと であ り ま し た 。
同 日 於 同 庁作 之
其 の外 、 私 の直 接 の成 員 と し て、 モ ス コウ か ら 二名 送 ら れ ま し た、
日 本 では アグ ネ ス ・ス メド レー の仲 介 で尾 崎 と知 合 にな り 、 其 の他
村
林
光
寅
三
二
東 京 刑 事 地 方裁 判 所
倉
は 尾 崎 の手 を 経 て知 合 に な った ので あ り ます 、 其 の詳 し いこ とも 手
中
リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ
裁判所書記
人
予 審 判 事
告
一 三問 ハ ンブ ル グ は何 を 表 面 の職 業 と し て居 た か 。
被
第 八回 訊 問 調 書
記 に 書 いた 通 り で あ り ます 。
答 よく 知 り ま せん 。 一四 問 ヤ ー コ ップ は 、
右 の者 に対 す る 治 安 維 持 法違 反 、 国 防 保 安 法 違反 、 軍 機 保 護 法 違反
し ま し た。 彼 女 は正 式 の共産 党 員 で はあ り ま せ ん で した が左 翼的 思
の完 全 な諒 解 の下 に、 手 記 にも 記 載 し てあ る通 り 私 達 の仲 間 に獲 得
答 彼 女 は私 より 先 に支 那 に来 て新 聞 記 者 を し て居 り 、 私 は彼 女
した 。
想 の持 主 であ り、 非 常 に 評判 の高 い女 流 記 者 で著 書 も出 し て居 り ま
日東 京 刑 事 地 方 裁 判 所 に於 て、 予 審 判 事 中 村光 三 は裁 判 所 書 記 倉 林 寅 二立 会 の上 、 通 事 生 駒佳 年 を介 し前 回 に 引 続 き右 被 告 人 に対 し 訊
並 に軍 用 資 源 秘密 保 護 法 違 反 被 告事 件 に付 、 昭 和 十 七 年 七 月 二十 四
問 す る こと 左 の如 し。
で は フ ラ ンク フ ルト紙 の紹 介 で同 人 と会 ふ こ とに な った のであ り ま
私 は ヨー ロ ッパ に居 る 時 か ら彼 女 の名 前 を 知 って居 り ま し たが 上 海
レ ッ ク スは古 参 であ り第 四 本 部 の仕 事 を永 く し て来 まし た ので私 の
に は彼 と私 の地位 は等 し い訳 であ り ま し た が、 実 際 から 云 ふと、 ア
処 か の料 理 屋 で始 め て会 った の であ った と思 ひ ます 。 其 の時 期 は、
も判 然 覚 え ま せ ん が、 フラ ン ス租界 の スメ ド レ ー の宅 か 、或 は、 何
ア グ ネ ス ・ス メド レー か ら紹 介 さ れ て 知合 に なり ま した 。 其 の場 所
答 時期 は判 然 覚 え ま せん が 、 一九 三〇 年 の終 頃 か と思 ひ ます 。
四 問 尾崎 秀 実 と は如 何 な る知 合 か。
し た。
一問 支 那 に 於 け る被 告 人 の諜 報 グ ル ープ の ア レ ック スと、 被 告 人
答 ア レ ック スの任 務 は、 赤 軍 第 四 本 部 と の連 絡 の技 術 及 組 織 上
と の地 位 は。
の指 揮 を行 ひ、 又 、軍 事 問題 を 処理 す る こと であ り ま し て、 私 は彼
上 位 であ り ま し た 。彼 が 上海 を去 った 後 に は私 は、 技 術 的 及 組織 的
或 は 一九 三 一年 に な って か ら であ った か も知 れ ま せ ん。
の政 治 的 協 力者 と し て派 遣 さ れ て来 た の であ り ます 。 それ 故 形 式的
の事務 や 、軍 事 問題 を も引 受 け 、 又 、 グ ループ の総 指 揮 権 を 一手 に
目的 とす る 話 は 非常 に慎 重 な態 度 を 執 り、 其 の後 会 って居 る 内 、徐
答 そ れ は覚 えま せん が、 多 分 個 人 的 な 話 を し た こ とと 思 ひ ま す。
六 問 尾 崎 と会 った 時 ど ん な話 を し たか 。
いた の で ス メ ド レー が 尾崎 を紹 介 し て呉 れ た の であ りま す 。
自 分 に知 識 を 与 へて呉 れ る 日本 人 を 紹 介 し て呉 れ な いか と頼 ん で置
答 私 は ス メド レー に対 し て、 支 那 に対 す る日 本 の政 策 に関 し、
五問 尾 崎 と会 ふ 目的 は何 であ った か 。
二 問 マ ック ス ・ク ラ ウ ゼ ン とは ど ん な知 合 か。
収 め る こ と にな り ま し た 。
答 マッ ク ス ・ク ラ ウ ゼ ンは、 私 よ り前 に支 那 に来 て居 り、 土 地 の事 情 も よく 知 って居 り 、 ジ ムと 云 ふ上 役 の下 で働 いて居 りま し た 。 私 と ア レ ック ス のグ ループ に ジ ムが モ ス コウ に 召還 され た 後 、 必 要
ラジ オ技 師 と し て働 いて貰 ひ、 自 分 達 の為 め広 東 で働 い て貰 った こ
徐 に話 し た の であ り ま し た 。
に よ って マ ック ス ・ク ラ ウ ゼ ンを 使 ってよ いと提 供 し て呉 れ た ので、
と もあ り ます 。 一九 三 一年 か 三 二年 に モ ス コウ の命 令 で、 同 人 は満
七 問 鬼 頭 と 云 ふを 知 って居 る か。
答 会 った こと はあ りま せ んが 、 名前 だけ は 誰 か ら か 聞 いて居 り
州 国 に参 り ま し た。 三 問 ア グ ネ ス ・ス メド レー と は如 何 な る 関 係 か。
ま した 。 併 し 、 其 の名 前 も 忘 れ て居 り ま し た が警 察 官 か ら 訊問 さ れ
に記 載 し てあ る が、 此 の事 実 は 如何 か 。
三問 支 那 に於 け る 被 告 人 の諜 報 グ ループ の組織 に付 、 手 記 に 斯 様
り。
此 の時 前 同 四 五 丁 三行 目 乃 至 四 七 丁 末行 目 を通 事 を 介 し読 聞 け た
た 際漸 く 思 ひ起 し た の であ り ま し た 。多 分 、 それ は ス メド レー か尾 崎 か ら 名 前 を 聞 いた の であ った と思 ひ ます 。
答 私 は彼 等 と、 諸 問題 に付 て論 議 を し 、 自 分 が知 り た い事 項 を
一 三問 被 告 人 は 、支 那 人成 員 から どん な 風 に情 報 を蒐 集 した か 。
答 其 の通 り 相違 あ り ま せ ん。
八 問 被 告 人 は鬼 頭 の こと に 付 、手 記 に斯 様 に記 載 し て居 る が此 の
此 の時 、 記録 第 三 冊 五九 丁 二十 一行 目 乃 至 六〇 丁 二十 一行 目 を 、
事 実 は 如 何 か。
通 事 を 介 し読 聞 け た り。
し て、或 る特 定 な問 題 に、 持 前 の関 心 と才 能 を 持 つこ と が判 って来
とも時 々は会 って居 り ま し た 。各 協 力 者 が情 報 又 は資 料 の蒐 集 に 関
た の で、 上海 で は、 大 体 各 人 の専 門 事 項 を 定 め て担 任 さ せ、 又 、 北
彼 等 に伝 へて調 べ て貰 ひま し た。 主 と し て王 と会 ひ 、其 の他 の成 員
こと を躊 躇 し、 断 念 した で あ ら う と書 い て置 き ま し た が 、私 は そ れ
答 其 の通 り 相違 あ り ま せ ん。 只 、 尾崎 が支 那 の共 産 党 と密 接 な
を 知 った ら 、 断 然彼 と の関 係 に入 る こと を し な か ったら う と思 ひま
し て呉 れ ま し た 。彼 等 と の会 合 の場 所 は、 上 海 に 於 て は街 頭 でも 行
京 、 広 東 、漢 口等 で働 く 協 力 者 は、 同 地 で色 々な情 報 や 資 料 を 蒐 集
関 係 を 持 って居 る こと を知 って居 たら ば 、 私 は 彼 と 深 い関 係 に入 る
す の で、 さう 記 載 し た 方 が 正 し か った の であ り ま す 。
け た り。
此 の時 、 前 同 四 八 丁初 行 目 乃 至 四 九 丁 十行 目 を、 通 事 を 介 し読 聞
か。
一 四問 其 の点 に付 、 手 記 に斯 様 に 記 載 し て あ るが 、 此 の事 実 は如 何
人 の成 員 の家 を そ れ に使 ひ ま した 。
ひ、 其 の他料 理 屋 や 、 私 宅 で行 ひ ま し た。 スメ ド レー や ヨー ロ ッパ
九 問 鬼頭 は 、 モ ス コウ か ら交 渉 を 持 つ こと を禁 じ ら れ る様 な 有 名 な共 産 党 員 であ った の か。 答 私 は スメ ド レ ー から 鬼 頭 に付 て 、 一般 的 に非 常 に有 名 な 左翼
被 告 人 等 は支 那 の共 産 党 と は関 係 が な か った の か。
思 想 家 であ る と 聞 いて居 た の であ り ま す 。 一 〇 問
答 其 の通 り 相 違 あ り ま せ ん。
答 全 然 関 係 あ り ま せ ん。 そ れは 関 係 す る こ と を モ ス コウか ら 固 く 禁 ぜ ら れ て居 り ま し た。
あ り ます か ら、 主 と し て、 大 き な料 理 屋 や ス メド レー の宅 等 で、 致
答 日本 人 と の連 絡 は 、 街頭 で す る こ と は日 本 人 に と って危 険 で
法は。
︱ 五 問 日本 人 成 員 に よ る情 報 蒐 集 の方 法 や 、 日本 人成 員 と の連 絡 方
一一 問 支 那 共 産 党 と の関 係 に付 、 手 記 に斯 様 に記 載 し てあ る が 、 此 の事 実 は如 何 か。 此 の時 前 同 六〇 丁 二十 二行 目 乃 至 六 一丁末 行 目 を 通 事 を介 し読 聞 けたり。 答 其 の通 り 相違 あ り ま せ ん。
て自 動 車 に乗 せ、 会 合 の場 所 に連 れ て行 き ま し た 。只 、 例 外 とし て
し ま し た。 会 合 す る 時 に も用 心 の為 め、 ガ ーデ ンブ リ ッヂ で待 合 せ 聞 け たり 。
此 の時 、 前 同 五 ↓丁 二 十 四 行 目 乃至 五 三丁 末 行 目 を通 事 を 介 し読
二〇 問 それ では 、被 告 人 は情 報 蒐 集 の為 め南 京 杭 州 へも 旅行 し た の
答 其 の通 り 相 違 あ り ま せ ん。
り ます 。 尾 崎 と会 ふ のが大 部 分 で、 其 の他 の日 本 人成 員 では 、 川 合
一、 二回 尾 崎 と 、 虹 口 の カ フ ェーや ダ ン ス ホー ルで会 った こと が あ
と三 回 か 五 回 、 水野 と 一、 二回 、 船 越 と 三 、 四 回、 山 上 と 一回位 会
答 左様 で す。
か。
った だけ で、 会 った 回数 も よ く覚 え ま せん が、 二週間 目 か 三週 間 目 に会 って居 り ま し た 。会 ふ時 は、 私 が単 独 で そ れ等 の日 本 人 に 面 会
しま し た。
答 諸 般 の事 情 を 見 聞 す る 為 め 、北 京 、 天 津 其 の他 各 地 を 旅 行 致
二 一 問 天津 へは如 何 。
対 す る 仕 事 は 、私 の方 から 問 題 を提 供 し て 、 そ れ に付 て報 告 を求 め
二 二問 被 告 人 の支 那 に 於 け る諜 報 活 動 の任 務 の内 、 モス コウ か ら 課
し、 時 々は ス メド レー が 一緒 であ り ま し た 。 そ れ等 の日 本 人 成 員 に
て居 り ま し た。 会 ふ こ とは 予 め 、次 の会 合 を 約 束 す る 様 に し て居 り
せら れ た諜 報 題 目 は 。
答 大 体 を 申 し ま す と、 支 那 と ソ聯 と の関係 、 列 強 の支 那 に対 す
ま し た。 報 告 は常 に 口頭 で受 け ま し た。 言 葉 は英 語 、 独 逸語 に支 那 語 をも 時 々混 合 し て漸 く 用 を 弁 じ て居 り ま した 。
る立 場 、 列 強 間 の関係 、政 治 的 諸 団 体 間 の関 係 等 であ り ま す が詳 し
く申 しま す と 、 手記 に記 載 し た通 り 、
一、 強 化 し つ つあ る南 京 政 府 の社 会 的 及 政 治 的 分析 。
此 の時 前 同 四 九 丁 十 一行 目乃 至 五〇 丁 末 行 目 を通 事 を介 し読 聞 け
一 六問 其 の点 に付 、 手 記 に斯 様 に記 載 し て居 る が 此 の事 実 は如 何 か。
たり 。
二、 南 京政 府 の軍 事 的 勢 力 。
七、 支 那 に 於 け る列 強 の軍 事 的勢 力 。
す る政 策 。
六、 米 国 、 英 国 及 日 本 の南 京 政 府 並 に他 の各 種 の集 団 及派 閥 に対
五 、南 京 政 府 の列 強 、特 に 日本 及 ソ聯 に対 す る外 交 政 策 。
四 、南 京 政 府 の内 治 政策 及社 会 政 策 。
に之 等 の集 団 及 派 閥 の軍 事 的 勢 力 。
三 、支 那 に於 け る各 種 の集 団及 派 閥 の、 社 会的 及政 治 的 分 析 、 並
答 其 の通 り 相違 あ り ま せ ん。 一 七問 外 国 人 成 員 と の会 合 は斯 様 であ った のか。 此 の時 前 同 五 一丁 初 行 目 乃 至 二十 三 行 目 を通 事 を介 し読 聞 け た り。 答 其 の通 り であ りま す 。 一 八問 被 告 人自 身 の情 報 蒐 集 の模 様 は 。 答 私 自 身 は、 主 と し て 外国 人特 に 独逸 人 の仲 間 か ら情 報 を蒐 集
他 独 逸 人 商 人 等 か ら で あ り ます 。
八、 治 外 法 権 及居 留 地 の問 題 。
致 しま し た。 当 時 の、 南 京 政 府 の独逸 人顧 問 、 独 逸 総領 事 館員 其 の
一 九問 其 の点 に付 、 手 記 に斯 様 に記 載 し てあ る が此 の事 実 は 如何 か。
九 、 支 那 の農 業 及 工業 的 発 展 、 又 、労 働 者 及 農 民 の状態 に関 す る 研究。
右 通 事 を 介 し読 聞 け た る処 相 違 な き旨 申立 て署 名 揖 印 し た り。
中
倉
村
林
光
寅
三
二
東 京 刑 事 地 方裁 判 所
同 日於 同 庁 作 之
裁判所書記
等 で あ り ま した 。
予 審 判 事
其 の他 極 東 に於 け る政 治 的 情 勢 の進 展 に 伴 ひ 、被 告 人 が モ ス
第 九 回 訊問 調 書
リ ヒ ア ル ド ・ゾ ルゲ
人
一 三間
そ れは 手 記 に記 載 し た通 り。
告
日 東京 刑 事 地 方 裁 判 所 に於 て、予 審 判 事 中 村 光 三 は裁 判 所 書 記 倉 林
並 に軍 用 資 源 秘 密 保護 法違 反 被 告 事 件 に付 、 昭和 十 七年 七月 二十 五
右 の者 に対 す る 治 安 維持 法違 反 、 国 防 保安 法違 反 、 軍 機 保 護 法違 反
被
コウ の暗 黙 の同 意 の下 に 選択 し た諜 報 題 目 は 。 答 一、 独 逸 の新 し い経 済 的 活動 及特 に益 ヒ増 員 し つ つあ る独 逸 軍 事 顧 問 に対 す る観 察 。 二 、支 那 に於 け る 米 国 の益 ヒ増 大 し つつあ る 役 割 、特 に米 国 人 の
寅 二 立会 の上、 通 事 生 駒 佳年 を介 し、 前 回 に引続 き右 被 告 人 に対 し
上海 に於 け る新 投 資 に 関 す る観 察 。 三 、 日本 の対 満 新 政 策 及共 のソ聯 に 及 ぼす 影 響 。
答
被 告人 の支 那 に於 け る諜 報活 動 中 、 モス コウ か ら与 へら れ た
そ れに付 ては、 南 京 政 府 が 基 礎 を為 すカ に付 て研 究 しま し た。
任 務 に 付 て訊 ね る が、 先 づ 南 京 政府 の社 会 的 政 治 的 分 析 に付 て は。
Ⅰ問
訊 問 す る こと 左 の如 し。
四 、 上海 事 変 に於 け る 日本 の目 標 と 、 上海 事 変 に於 け る 日 本 軍配 置 に 対 す る 正 し い観 察 。 五 、南 京 政府 と 日本 の対 立 関 係 の尖 鋭化 に対 す る観 察 、 並 に 日本 と 米 英 と の対 立関 係 の尖 鋭 化 に 対 す る観 察 。 等 であ り まし た 。
背 後 に於 ける 政 治 的 、 経済 的 、社 会 的 な 力 を 研究 す る こ と であ り ま
南 京 政 府 は新 し い政 府 で、 其 の 正体 がよ く 判 ら な か った の で、 其 の
尾 崎 等 日 本 人 成 員 に対 し て、 被 告 人 は 自 分 の名前 を 何 と 申 し
二四問
し た 。 そ れを 研 究 し た 結果 、南 京 政 府 は 大 資 本 主義 的 、封 建 主 義 的
て居 た か 。
な 力 、特 に、 漸 江 財 閥 、 上 海 財界 のも の が周 囲 に集 り 地方 に於 て は
勿 論 本 当 の名 前 は 申 し ま せ ん。 ジ ョン ソ ンと か ヨー ハ ンと か
大 地 主 、高 利 貸 、 大 商 人 等 が 南京 政 府 を支 持 し て居 り ま し た。 Ⅰ般
答
ロ ビ ン ソ ンと か、 何 と か 申 し た と思 ひ ます が、 只今 判 然 覚 え ま せ ん、
の談 話 、 文 献 等 に よ り 、又 は、 支 那 人 の成 員 等 か ら の情 報 、 外国 人
之 等 の情 報 を 蒐 集 し た方 法 は色 々 であ り ま す が、 例 へば 、 或 る 人 と
民 衆 は 一部 は反 対 の 立場 を とり 、 Ⅰ部 は全 然 無 関 心 であ り ま し た。 国ざゲ9﹃ユ ωoN σ qo 年
生
佳
人
駒
事
へた か 如 何 か覚 え ま せ ん。 告
尤 も 、 後 に な って は本 名 を 尾 崎 に は教 へま し たが 、 支 那 に居 る時 教
通
被
二問 其 の点 に付 、 手 記 には 斯様 に 記載 し てあ る が、 此 の事実 は如
の報 告 、 内 地 旅 行等 に よ った も の であ り ま し た。 そし て、 之等 の情
を遂 げ 、非 常 に封 建 的 傾向 が あ る こ と であ り ま し た 。
西 資 本 家 、 阿 片 商 人等 が入 り込 ん で、 経 済 的方 面 に於 て独 自 な発 展
馮玉祥 は純 然 たる 軍 人 で あ る こ と、 広 東 広 西 派 は 、広 東 銀 行家 、広
之 等 の情 報 は、 自 分 が 支那 人成 員 と共 に 、数 週間 に亘 り南 支 那 広 東
報 は 時 々纒 め て モ ス コウ に報 告 致 し ま し た 。
何か。
七 問 南 京政 府 の内 治 政 策 及 社会 政 策 に付 て は。
答 其 の通 り 相 違 あ り ま せ ん。
此 の時 前 同第 六 六丁 四 行 目 乃 至 二 十行 目 を 通 事 を介 し読 聞 け た り 。
か。
六問 其 の点 に 付 、手 記 に は斯 様 に 記載 し てあ る が、 此 事 実 は如 何
モ ス コウ に報 告 致 しま し た 。
広西 方 面 を徒 歩 旅 行 致 し資 料 を集 め ま した 。 そ し て之 等 の情 報 も 、
読 聞 け た り。
此 の時 記録 第 三冊 第 六四 丁 八 行 目 乃 至 六 五丁 九 行 目 を 通 事 を介 し
答 其 の通 り相 違 あ り ま せ ん 。 三 問 南 京 政 府 の軍 事 的 勢 力 に付 て は。 答 私 は支 那 人 成 員 や南 京政 府 の独 逸 人 軍 事 顧 問 、独 逸 人 の武 器
と 、従 来 、用 に供 し得 な か った師 団 、 部 隊 等 が 近 代化 さ れ装 備 が よ
輸 入 商 人 と か に南 京 政 府 の軍 事 上 の事 情 を 聞 き ま し た。 そ れに よ る
結 果 を簡 単 に申 しま す と、南 京政 府 は、 資 本 主義 的 封建 的 諸 勢 力 の
が 徐 々に作 ら れ ま した の で、 それ等 を研 究 し た の であ り ま す。 其 の
答 之 は南 京 政 府 の農 業 、 工業 、 労 働 政 策 等 に対 し 、 色 々の法 令
之 等 の情 報 も 、 モ ス コウ に報 告 し ま し た 。
発 展 に は関 心 を 持 って居 り ま し た が、 労 働 者 と か農 民 と か の問 題 に
く な り、 蒋 介 石 政 府 に対 し忠 誠 を誓 ふ様 な 傾 向 が認 め ら れ まし た 。
四 問 其 の点 に付 ては 手記 に斯 様 に記 載 し てあ る が 、此 の事 実 は 如
対 し て は、 極 め て僅 か な 関 心 し か持 た ぬ こ とが 判 り ま し た 。
之 等 の情 報 は、 それ 等 に 関 し た法 令 や南 京 政 府 の其 の時 々に講 じ た
何 か。
処置 に対 す る研 究 を し た り 、支 那 人 成 員 の報 告等 を得 て知 り得 た の
此 の時 前 同 第 六 五 丁 十行 目 乃 至 第 六 六 丁 三 行 目を 通 事 を 介 し 読 聞 け た り。
で 、之 等 の情 報 も 当 時 モ ス コウ に報 告 致 し まし た 。
答 其 の通 り 相違 あ り ま せ ん。 五問 南 京 政 府 と対 立 す る集 団 及 派 閥 の社 会 的 、 政 治 的 分 析 に付 て
九 問 南 京 政 府 の対 外政 策 に付 ては 。
答 其 の通 り相 違 あ りま せん 。
此 の時 前 同 第 六 六 丁 二十 一行 目 乃 至 末 行 を 通事 を介 し読 聞 け た り 。
何か。
八問 其 の点 に 付 、手 記 に は斯 様 に 記 載 し てあ る が、 此 の事 実 は 如
答 南 京 政 府 に対 し て は、 之 に 対 立 す る広 東 、 広 西 派 や馮 玉祥 、
は。
閻 錫 山 等 の派 閥 があ り、 時 々戦 争 を も し て居 る有 様 で、 頗 る重 要 な 問 題 であ り ま し た か ら、 それ に 付 て研 究 し た訳 であ り ま す。 其 の結 果 は 一口 に は 云 ひに く い ので あ り ます が、 最 も 注 目 す べ き こと は 、
答 そ れ に付 て は殆 ん ど云 ふ程 のこ と もあ り ま せん が 、私 は 、 モ ス コウか ら 南 京 政 府 の対 外 政 策 を 絶 えず 追 求 せ よ と命 令 され て居 り
答 其 の通 り相 違 あ り ま せ ん。
か ら、 私 の得 た 情 報 も大 し た も の では あ り ま せ ん。 併 し、 上 海 事 変
し たが 、 列強 の支 那 に於 け る軍 事 的 勢 力 は僅 か な も の であ り ま した
答 之 に付 て は絶 えず 監 視 す る様 モ ス コウ から 命 ぜ ら れ て居 り ま
一三 問 支 那 に於 け る列 強 の軍 事 的 勢力 に付 て は。
二年 当 時 の こと で あ り ま し て、 一九 三 二年 の上海 事 変 当 時 に は、 英
は寧 ろ 緊張 し た状 態 に在 り まし た 。 そ れ は 、 一九 三〇 年 から 一九 三
が起 った後 は列 強 が兵 力 を 増 し ま し た。 之 等 の情報 は 、主 と し て独
ま し た。 南 京 政 府 は 、 当時 英米 と は親 善 関 係 に 在 り 、 日 本 及 ソ聯 と
米 が南 京 政 府 を扶 け 日 本 と の関係 を 激化 せ し め よ う とす る状 態 であ
ま し た。
一 四 問 其 の点 に付 て、 手 記 に斯 様 に記 載 し てあ る が此 の事 実 は如 何
逸 人 の軍 事 顧 問 か ら 得 た も ので あ り ま し て之 も モ ス コウ に報 告 致 し
か。
り ま し た 。 ソ 聯 と友 好 的 な傾 向 にな った のは其 の後 の こ と であ り ま
之 等 の情 報 は 、新 聞等 に公 表 さ れた も のも あ り ま す が、 其 の他 は支
此 の時 前 同第 六 八丁 初 行 目 乃 至 十 行 目 を通 事 を介 し読 聞 け た り。
す。
那 人 成 員 、 独 米 の領 事 館 員 、 独 逸 人 の南 京政 府 軍 事 顧 問 等 か ら 入 手
広 西 派 と 気脈 を通 ず る為 め に策 動 し て居 り ま し た 。之 等 の情 報 も 今
み な ら ず 凡 ゆ る派 閥 と の接 近 を 図 り、 特 に香 港 を 根 拠 と し た広 東 及
答 之 は 今 申 上 げ た通 り であ り ま し て、 英米 両 国 は蒋 介 石 政 府 の
か。
一 六問 其 の点 に付 手 記 に は斯 様 に記 載 し てあ る が 、此 の事 実 は 如何
た。
は 主 と し て ア メリ カ人 か ら 入手 し 、 此 の情 報 も モス コウ に送 り ま し
れ ま し た。 米 国 は其 の緩 和 に好 意 を寄 せ て居 り まし た 。 之等 の情 報
で、 其 の存 否 に付 、 論 議 し て居 り 、後 に な って其 の妥 協 案 が 発表 さ
でし た が 、治 外 法 権 の問 題 は英 国 と支 那 と の フェ ッセ ンデ ン委 員会
答 居 留 地 問 題 は特 殊 な 問題 で、研 究 の重 要 な 必 要 も あ り ま せ ん
一五問 支 那 に 於 け る治 外 法 権 及 居 留 地 の問題 に付 ては 。
答 其 の通 り相 違 あ り ま せん 。
し た のであ り ま し て、 其 の情 報 も モ ス コウ に報 告 致 し ま した 。 一 〇 問 其 の点 に付 、 手 記 には 斯様 に 記載 し てあ る が、 此 の事 実 は 如 何か。 此 の時 前 同第 六 七 丁初 行 目 乃 至 十 七 行 目 を 通 事 を 介 し読 聞 け た り。 答 其 の通 り相 違 あ り ま せ ん 。
述 べた 処 と同 様 で、 大 体 支 那 人 成員 や米 国 領 事 館 員 か ら 得 て居 り 、
此 の時 前 同 第 六 八 丁十 一行 目 乃 至 末 行 目 を通 事 を 介 し読 聞 け た り。
二問 英 国 及 米 国 の対 支 政 策 に付 て は。
それ等 の情 報 は同 様 モス コウ に報 告 致 し ま し た。
一 七 問 支 那 の農 工業 の発展 及労 働 者 及 農 民 の状 態 に関 す る問 題 に 付
答 其 の通 り相 違 あ り ま せん 。
一 二問 此 の点 に付 、 手 記 に は 斯様 に 記載 し てあ る が、 此 の事実 は 如
此 の時 前 同 第 六七 丁 十 八 行 目乃 至末 行 目 を 通 事 を 介 し読 聞 け た り。
何 か。
答 農 業 に付 て申 し ます と 、当 時 支 那 の農 業 は 危 機 に 逢着 し て居
て は。
り ま し た が、 其 の対 策 は極 め て不 十 分 で あ り ま し た。 工業 と 申 し て
答 其 の通 り相 違 あ り ま せん 。
二一 問 支 那 に於 け る 米 国 の益〓 増 大 し つ つあ る役 割 、 特 に米 国 人 の
他 上海 に列 国 の若 干 の大 工 業 を見 る だけ で した 。 之 等 の情 報 は、 支
に対 比 し て益〓 盛 ん に な り ま し た。
的 、経 済 的 活 動 の発 展 が 非常 に眼 に付 き ま し た 。之 は 日支 間 の紛 争
答 之 は非 常 に 簡 単 で あ り ま し て、 ア メリ カ の 上海 に於 け る 政 治
上海 に 於け る新 投 資 に付 ては 。
那 人 成 員 や 独 逸 商 人 か ら得 て 、時 々モ ス コウに報 告 し ま した 。
ウに も報 告 し ま した 。
之等 の資 料 は、 ア メ リカ 人 の知 人 や スメ ド レー 等 か ら入 手 し モス コ
も支 那 に於 ては 、僅 か に軍 需 品 を 製 造 す る 工場 が あ る許 り で、 其 の
此 の時 前 同 第 六 九 丁初 行 目 乃 至 末 行 目 を 通事 を介 し読 聞 け た り 。
答 満 州 事 変 が起 った 後 、 日 本 と ソ聯 と は直 接 接 触 す る こ と にな
二三問 日本 の新 し き 対 満 政 策 及其 の ソ聯 に及 ぼ す 影響 に付 て は。
答 其 の通 り相 違 あ り ま せん 。
此 の時 前 同 第 七 二丁 八 行 目 乃 至末 行 目 を 通事 を 介 し読 聞 け た り 。
二二 問 其 の点 に付 、 手 記 に斯 様 に記 載 し てあ る が 此 の事 実 は如 何 か 。
一 八問 其 の点 に付 、手 記 に斯 様 に記 載 し てあ る が 此 の事 実 は 如 何 か 。
答 其 の通 り であ り ます 。 一 九問 次 に被 告 人 の諜 報 活 動 中被 告 人自 身 が選 ん だ研 究 題 目 の内 、 独 逸 人 の経 済 的 活 動 及 激 増 し つ つあ る 独逸 人軍 事 顧 問 の活 動 に付 て
答 当 時 、 独 逸 は支 那 に対 し大 き な興 味 を持 って居 り ま し た。 そ
は。
に報 告 し ま し た。 即 ち、 ソ聯 は従 来 な か った様 な 強 大 な 軍国 日 本 を
り ま し た為 め 、私 は上 海 か ら 知 り得 る限 り情 報 を 蒐集 し て モ ス コウ
隣 国 に持 つ こと に な った の で、 ソ聯 に と って重 要 であ った か ら であ
し て世 界 政 策 の 一端 と し て 、東 亜 に於 ても 支 那 で政治 的 、 経 済 的 に
し てや ら う と の考 へは毛 頭 あ り ま せん でし た 。 独逸 の南 京 政 府 に 於
根 を 張 ら う と の意 図 を 持 って居 り ま し た。 当時 独 逸 は、 日本 と共 同
りま す 。
得 た り 致 し 、 モ ス コウ に報 告 した ので あ り ま す。
之 等 の情報 は 、支 那 人 成 員 から 得 た り 日 本 人 成員 に質 問 し て報 告 を
二四 問 其 の点 に付 、 手 記 に 斯 様 に記 載 し て あ る が此 の事 実 は 如 何 か 。
って居 り ま し た 。 之 等 の情 報 は 、 独逸 人 軍 事 顧 問 から 得 ま し た の で そ れ等 の情 報 も モ
此 の時 前 同 第 七 三 丁 初 行 目 乃 至十 八行 目 を通 事 を介 し読 聞 け た り。
け る 勢 力 は軍 事 顧 問 の み な らず 、 政 治 経 済 の方 面 に も相 当 の力 を 持
ス コウ に当 時 報 告 し ま し た。
答 上海 事 変 は満 州 事 変 の後 に 日本 が如 何 な る 方向 に進 む か に付 、
二五問 上海 事 変 に於 け る 日本 の目 標 と日 本 軍 配 置 の状 況 に付 て は。
答 其 の通 り相 違 あ り ま せ ん 。
二〇問 其 の点 に付 、 手 記 に斯 様 に記 載 し て あ る が、 此 の事 実 は 如 何 か。 此 の時 前 同 第 七〇 丁 初 行 目 乃 至第 七 二 丁 七行 目 を 通 事 を 介 し読 聞 けたり。
得 て、 之 等 も モ ス コウ に報 告 致 しま し た 。
那 人 成員 や 日本 人 の新 し い成員 か ら も情 報 を得 、 支 那 側 の情 報 を も
身 が 目 撃 す る機 会 を得 ま し た の で、 第 一に私 自 身 が目 撃 し 、 又 、支
も意 を安 ん ず る に足 るも のが あ り ま し た。 日本 軍 の戦 闘 方 法 を私 自
の が、 上 海 事変 に よ って 日本 の進 む方 向 が 示 さ れ た の で、 私 と し て
即 ち 、 一直 線 に シベ リ ヤ に向 ふか 、 或 は支 那 に向 ふか 不 明 で あ った
ら 、最 近 数 年 間 の日 本 の対 満 政 策 、 及 其 の将来 に付 て の説 明 を 聞 き 、
広 い範 囲 で、 之 等 の諸 問題 に関 す る教 示 を 受 け ま し た。 私 は 尾 崎 か
崎 や 時 に、 川 合 に 対 し与 へた の で あり ま した 。 私 は、 尾 崎 から 最 も
日本 の発 展 に関 す る 一般 的 問 題 等 であ り ま し て、 そ れ等 の課 題 は尾
本 の新 し い満 州 政策 、其 の ソ聯 に及 ぼ す 影響 、 上 海 事 変 、 日支 対 立 、
図 を持 って居 るか を 探索 す る こ と であ り ま し た。 そ し て、 そ れ は 日
答 概 括 的 に申 し ま す と、 日 本 が、支 那 及 ソ聯 に対 し如 何 な る意
又、 日本 が北 満 シベ リ ヤ国 境 に対 し て、 如 何 な る計 画 を持 って居 る
二六問 其 の点 に付 、 手 記 に 斯 様 に 記載 し てあ る が此 の事 実 は 如何 か。 此 の時 前 同 第 七 三 丁 十 九行 目乃 至 七四 丁 七 行 目 を通 事 を介 し読 聞
か と 云 ふ こ と に関 す る情 報 の提 供 を も 求 め ま し た。 日 本 が支 那 に対
をも 提 出 し て、其 の情 報 蒐 集 を 頼 み ま し た。 私 は尾 崎 と 相談 の 上、
し、 又 は、 シベ リ ヤ に対 し、 侵 略 的 要望 を持 って居 る か 否 か の問 題
之 等 の問 題 の調査 と軍 事 的 情 報 蒐集 の為 め に、 川 合 を 二 回 、満 州 国
答 其 の通 り 相 違 あ り ま せ ん。
けたり。
ては 。
二七問 南 京 政 府 と 日 本 並 に、 日本 と英 米 と の対 立関 係 の尖 鋭 化 に付
本 の上海 に於 け る英 米 の権 益 に対 す る考 へ方 如 何 等 に付 、問 題 を 提
政 治 的 目 的 、 上海 及 其 の立 直 し に 関 し て 日本 が 持 って居 る 目標 、 日
及 北 支 に派 遣 し ま し た。 其 の外 、私 は尾 崎 から 上 海事 変 と之 に関 連
ので、 日本 と英 米 と が 対 立 す る こ と にな る のも当 然 であ りま した 。
出 し 尚 私 は 上海 に於 け る 日 本 の軍 事 的 目 標 、 日 本 軍 の戦 闘 力 及 作 戦
答 支 那 は 満 州 事変 に よ って満 州 を失 った ので 、 日本 に好 意 を 持
之 等 の情 報 は、 直 接 に は独 逸 人 の軍事 顧 問 か ら、 間 接 に は 、 ア メリ
に付 て 、尾 崎 に説 明 を 求 め ま し た。 軍 事目 標 に関 し て は、 最初 呉淞
は只 今 覚 え ま せ ん。 私 は尾 崎 に対 し 、 上海 事 変 に於 け る 日本 の真 の
カ 人 、特 に スメ ド レー か ら 得 て、 そ れ等 は何 れも モス コウ に報 告 し
を占 領 し て、 其 処 を 日 本 が 軍事 的 拠 点 に す る と 云 ふ様 な こと であ っ
す る 日 本 の政 策 に付 て、 有 益 な情 報 を聞 きま した 。併 し 、其 の内 容
ま し た。
た と思 ひま す 。 併 し 、 そ れ は停 戦 協 定 が 出来 て、其 の目 標 は抛 棄 さ
つ筈 は あ り ま せん 。其 処 で、 上海 に 事 変 が 起 り 、 此 の関 係 を 激 化 し
二 八問 日支 の対 立 に付 て、手 記 に は斯 様 に記 載 し てあ る が 、 此 の事
た 訳 であ りま す 。 他 方 、南 京 政 府 は英 米 と の関係 を 親 密 に し ま し た
実 は如 何 か 。
尾崎 か ら は日 本 の過去 の対 支 政 策 に付 て、 又、 満 州 事 変 、 上海 事 変
こと が出 来 ま せん でし た 。
れ ま し た。 日本 軍 の戦 闘力 及作 戦 に付 ては 、尾 崎 に は説 明 を与 へる
答 其 の通 り 相 違 あ り ま せ ん。
此 の時 前 同 第 七 四 丁 八行 目乃 至 十 七行 目 を 通 事 を 介 し読 聞け た り。
二九問 日 本 人 成 員 の諜 報 活 動 の内 容 は。
に基 いて期 待 さ れ る 日 本 の新 政 策 に付 て、 知 識 を 授 け ら れ ま し た が
そ れ等 は主 に南支 那 の兵 士 であ り ま し た 。
の者 が多 く あ り ま し た が、 元 気 が あ り 、軍 紀 は整 って居 り ま し た。
に眼 に付 いた のは 、兵 士 が非 常 に若 く 、 手榴 弾 等 を 持 って居 る だけ
答 上 海 に ラジ オ の発 信 所 を 持 って居 り 、 ラ ジ オ で報 告 し 、重 要
之 等 の問 題 に関 す る 話 の詳 し い こと は覚 えま せ ん。 尾 崎 は 、満 州 事
な も のと広 汎 な も の、 並 に時 間 の余 裕 のあ る も のは、 写 真 フ ィ ル ム
変 の起 る 前 後 の、 日 本 の国 内政 治 の変 遷 を詳 しく 話 し 、 一九 三 一年
川 合 は、 満 州 に於 け る日 本 軍 の作 戦 、支 那 軍 の ゲ リ ラ戦 術 、 満州 に
に報 告 書 を 収 め て伝書 使 に持 た せ て遣 り ま し た。 ラ ジ オは ロ シヤ語
た情 報 を モス コウに ど ん な風 に送 った か 。
於 け る日 本 の政 治 的 経 済 的 目的 に付 て、 報 告 し て呉 れ ま し た 、併 し
を 用 ゐ ま し た が、 報告 書 は英 語 及 独 逸 語 を用 ゐま し た。
三二 問 其 の様 に 、被 告 人 の支 那 に 於け る諜 報 グ ルー プ に於 て蒐 集 し
其 の詳 し い内 容 は 覚 え ま せ ん、 川 合 は之 等 の情 報 を尾 崎 を通 じ て私
三三 問 マ ック ス ・クラ ウ ゼ ンは上 海 に於 て自 ら 、情 報 の蒐 集 を も し
か ら 一九 三 二年 に亘 る急 進 国 家 主 義運 動 に付 て、 私 に 十 分 な知 識 を
に渡 し た ので、 何 処迄 が川 合 の真 の情 報 か 、私 に は判 りま せん でし
たか。
与 へて呉 れ ま し た 。
た。
の会 談 の内 容 は殆 ん ど記 憶 し ま せん 。
記 載 し てあ るが 此 の事 実 は如 何 か。
三四問 被 告 人 は、 支 那 に 於 け る他 の グ ルー プ に付 て、 手 記 に 斯様 に
師 と し て働 いた だ け で あ りま した 。
答 致 しま せん 、同 人 と ワ イ ンガ ルト 及 ミ ッシ ャー は 、 ラ ジ オ技
船 越 の情 報 は如 何 な る も ので あ った か今 覚 えま せん が 、 日 本 の満 州
三〇問 其 の点 に付 被 告 人 は手 記 に斯 様 に 記載 し た が、 此 の事 実 は 如
此 の時 前 同 第 七 八 丁初 行 目 乃 至 第 八 四 丁 末行 目を 通 事 を 介 し読 聞
政 策 、対 支 政策 の 一般 的 な 問 題 であ った と思 ひ ます 。 水 野 及 山 上 と
此 の時 、 前 同 第 七 五丁 初 行 目 乃 至第 七 七 丁 末行 目 を、 通 事 を介 し
何 か。
け た り。
答 八〇 丁 の終 り に 、彼 等 の活 動 任 務 が 全 く固 有 の も の で云 々と
て断 言 す る訳 には 行 き ま せ ん、 其 の他 は 、 お読 聞 け の通 り相 違 あ り
記載 し ま し たが 、 それ は私 が聞 知 し た も のであ りま す か ら 、私 と し
答 其 の通 り相 違 あ り ま せ ん 。
読 聞 け た り。
三一 問 それ では 、被 告 人 は 上海 事 変 当 時 自 ら 上 海 の戦 場 を視 察 し て
ま せ ん。
歩 き 、上 海 に於 け る 日 本 の軍 事 的 目 標 、 日 本 軍 の戦 闘 力 及作 戦 に関 す る資 料 を 蒐 集 し、 且 つ独逸 の軍 事 教 官 か ら も 、 日本 入 の戦 闘 方 法
三五 問 そ れ では 、被 告 人 自 身 も 一九 三 二年 春 、 手紙 を渡 す 為 、 ハル
答 左 様 であ り ます 。
ピ ンに赴 いた こと が あ る のか 。
に付 、 補 充 的 な資 料 及 情 報 を 受 取 った か 。 答 左 様 其 の通 り で あ りま す 。 私 は 支 那軍 の陣 地 も 視 察 し 、 日 本 の陸 戦 隊 も 見 ま し た し、 日本 の飛 行場 も見 ま し た。 支 那 軍 に 付 て特
訊 問 す る こと 左 の如 し。
林 寅 二 立 会 の上通 事 生 駒 佳年 を介 し、 前 回 に引続 き 右被 告 人 に対 し
答 其 の記 載 は 全 部間 違 って居 り ま す 。
六 答 を 、通 事 を介 し読 聞 け た り。
此 の時 、 被 疑 者 リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ に対 す る第 八回 訊 問 調書 第 六
官 に対 し斯 様 に述 べ て居 る が此 の事 実 は如 何 。
一問 支 那 か ら モ ス コウ に帰 国 後 の状 況 に付 て、被 告 人 は司 法 警 察
三 六問 マツ ク ス ・ク ラウ ゼ ンも 、 幾 度 か ハルピ ンと の間 に往 復 し て
答 左 様 であ り ま す 。
連 絡員 の役 目 を 果 し た のか。
三七 問 ア ン ナ ・ク ラウ ゼ ンも 支 那 で何 か活 動 し た か。
同 人 は 上海 では 、 ク ラ ウ ゼ ンの正 妻 では あ り ま せ ん で した 。
答 其 の様 な こと は あ り ま せん 。
三八問 被 告 人 は 昭 和 七年 (一九 三 二年 )末 、支 那 に於 け る諜 報 グ ル
コウ ホ テ ル に泊 り、赤 軍第 四本 部 の最 高 首 脳 者 ベ ルジ ン将 軍 に会 ひ、
答 一九 三 三年 一月 、私 は モス コウに 帰 り 、早 速 ノー ヴ ァや モ ス
二問 そ れ では 被告 人 が、 支 那 か ら モ ス コウ に帰 国 後 の状 況 は。
ベ ルジ ン及其 の代 理 者 に対 し 、支 那 に於 け る 活動 の報 告 を 行 ひま し
答 其 の通 り であ り ます 。
ープ の指 導 を 、 後 任者 た る パ ウ ルに譲 って モ ス コウ に帰 還 し た か 。
私 は 二年 の予 定 で支 那 に来 た の であ り ま し た が、 使 命 が大 き く 、 二
が、 職 務 上会 見 を し た のは 、 今 申 し た様 に ベ ルジ ンと 共 の代理 者 だ
を 許 さ れ ま し た。 毎 晩 働 いた と 云 ふ のは そ れに 付 てで あ り ます 。 私
に 於 け る農 業 問 題 に関 す る 著 述 を完 成 した いと答 へま し た処 、 それ
た 。其 の時 、 私 は何 か 希望 す る こ と はな いか と 聞 か れ た の で、 支 那 Ri char d Sorg e 年
人
年 で終 ら なか った ので 、 一年 延 ば し て 一九 三 二年 十 二月 、 上 海 を 出
告
佳
生
駒
事
発 し、 翌 年 一月 、 モ ス コウ に帰 った の であ り ます 。 被 通
倉
林
寅
二
に基 き 我 国 に渡 来 し た か。
三問 被 告 人 は 、昭 和 九 年 西 暦 一九 三 三年 、 モ ス コウ中 央 部 の指 令
のも の であ り ま し た。
け で、 ピ アト ニッキ ー其 の他 、 今 読 聞 け ら れ た者 と会 った のは私 的
裁判所書記
三
へ行 って貰 は な け れ ば な ら ぬ、 何 れ を希 望 す る か と申 し ま し た。 私
と云 ふ約 束 を し た が 、残 念 な がら 其 の約束 は聞 か れな い、 復 た外 国
答 同 年 四 月 末頃 、 ベ ルジ ンが 私 を呼 び寄 せ、 著 述 を 完 成 さ せ る
四問 日 本 へ来 る こと に な った事 情 は 。
答 私 は 同 年 九 月 、右 第 四 本 部 の指令 に 基 き 日本 に 参 り ま し た。
光
リ ヒア ルド ・ゾ ルゲ
村
人
中
告
予 審 判 事
右 通 事 を介 し、読 聞 け た る処 相 違 な き 旨 申 立 て署 名拇 印 した り 。 同 日於 同 庁 作 之 東 京 刑 事 地 方裁 判 所
第 十 回 訊 問 調書 被
並 に軍 用 資 源 秘 密 保 護 法違 反 被 告 事 件 に付 、 昭 和 十 七年 七 月 二十 八
右 の者 に対 す る治 安 維 持 法 違反 、国 防 保 安 法 違反 、 軍機 保 護 法 違 反
日 、東 京 刑 事 地 方 裁 判 所 に 於 て、 予 審 判 事 中 村 光 三 は裁 判 所 書 記 倉
にし て終 り 、 二週 間 程 後 、 ベ ルジ ンが 、 又 、私 を 呼 び お 前 が 、東 京
と 答 へ冗談 半 分 に東 京 だ って悪 く な いと答 へま した 。第 一回 は斯 様
は、 何 れ は ア ジ ヤ の内 であ り ま す が 、其 の内 、 三 つあ り 北支 、満 州 、
スホ ー ハー から 、 出淵 駐 米 大 使 宛 のも の、 ツ ェー ラ ー某 か ら 、 独逸
あ り ます 。 紹 介状 は 、各 新 聞 社 か ら 在 京 独逸 大 使 館 宛 のも の、 ハウ
イ ツ ング及 、 オ ラ ンダ の ハンデ ル スブ ラ ッと の通 信員 にな った ので
ま し た、 新 聞 は 、 テ ー ク リ ッ へ ・ル ンド シ ャウ と、 ベ ルゼ ン ・ツ ァ
本 に於 け る人 士 に 対 す る紹 介 状 、 第 三 は 、 正当 の旅 券 の獲得 で あ り
大使 館 附 武 官 オ ッと宛 のも の等 で あ り ま した 。
はウ ォロ シ ロ フや スタ ー リ ンも 入 って居 た と思 ひ ます 。 そし てベ ル
旅券 は著 述 家 と云 ふ名 目 で 、全 く 合 法 的 に 得 た のであ りま す 。
を や って見 よ う と の話 に吾 々は興 味 を持 った、 其 の吾 々と 云 ふ中 に
しく 話 を し よ う で は な いか と申 し ま し た。 其 の後 、 ベ ルジ ンや其 の
ジ ンに 、就 ては次 回 に、 如 何 云 ふ 形式 、 如 何 云 ふ方 法 で、 や る か詳
六問 伯 林 に於 て、 ナ チ スの党 員 にな った か。
と 自 分 の協 力 者 が合 法 的 に 日 本 に渡 来 す る こ と の可 能 な り や否 や、
な り ま した 。
員 に な る手 続 を 致 し ま し た 。 そ し て、 東 京 に来 てか ら始 め て党 員 に
は あ り ま せ ん が、 党 員 で あ る と有 利 であ り ま す か ら、 伯 林 に 於 て党
答 新 聞 記 者 と し て は、 ナ チ ス の党 員 にな る こと が 絶 対 に 必要 で
代 理 者 と何 回 も会 見 しま し た 。 そ し て、 次 の四 つ の点 を 確 か め る為
第 二 は 、 日本 人 と の連 絡 及 外 国 人 と の連 絡 が果 し て可 能 な り や否 や、
め 、 試 み に東 京 に行 く と云 ふ こと に 定 り ま し た。 其 の第 一は 、 自分
第 三 は 、 ラ ジ オ其 の他 に よ る 技術 的 連 絡 の可 能 性 、 第 四 が 、将 来 に
七問 ナ チ ス の党員 に な る に は、 身 元 調 査 が あ る の か。
た 。 それ は 、第 一が、 外 人 の協 力者 を 一人 与 へる こと 、 之 が即 ち、
こと に話 が纒 り、 ベ ルジ ンか ら 次 の三 つの確 約 を 得 て日 本 に来 ま し
な り ま した の で、紹 介 者 が確 か り し て居 れ ば、 深 い調 査 は 要 ら な い
ぬ か と 云 ふ人 のあ る のを待 って居 り、 其 の紹介 者 の保 証 で、 党員 に
ナ チ スの党 員 にな る に は、 紹 介 者 が 要 り ま す の で、 私 は 党員 に なら
り ま し た。
答 あ り ま す 。併 し、 私 は最 も 有 利 な証 明書 だけ を 見 せた のであ
於 け る 日本 の対 ソ政 策 に関 す る諜 報 を蒐 集 す る可 能 性 で あ り ま し た。
ヴ ケリ ッチ に当 り ます 。 第 二 が 、 日 本 の協 力 者 も 与 へる こと、 之 が
の で あ り ます 。
以 上 、 四 つ の点 を 二年 間 、 或 は 、 そ れ以 内 に研 究 し て答 へる と 云 ふ
ン ハルト後 に マ ック ス ・ク ラウ ゼ ンに当 り ます 。 其 の様 な確 約 を得
即 ち 、宮 城 に当 りま す 。 第 三 は 、 ラ ジ オ技 師 を 与 へる 、 之 が 、 ベ ル
八問 日本 に 渡来 し た際 、 同 行 者 があ った か 。
ニ ュー ヨー ク で、 一人 の男 と会 ひ、 シカ ゴ で 又 一人 の男 に会 って、
答 ア メリ カで 名前 を知 らな い 二人 の男 と連 絡 しま した 。 そ れは
九問 渡 来 の途 中 、 他 の者 と連 絡 が あ った か。
答 誰 も 居 りま せ ん で し た。
て伯 林 に赴 き 、合 法 的 渡 来 の方法 を講 じ、 米 国 を 経 由 し て日本 に渡 来 した ので あ り ます 。
答 そ れ は 、外 国 に対 し疑 わ れ な い地 位 を 獲 得 した のであ り ます 。
五問 伯林 に 赴 い て如 何 様 に合 法 的渡 来 の方 法 を 講 じ た か 。
それ を 具 体的 に申 し ます と 、 第 一は 、新 聞 と の連 絡 で 、第 二 は、 日
宮 城 と の連 絡 の問 題 に付 話 を し た の であ り ま す 。 宮 城 と は、 東 京 上
な問 題 に付 、 研究 せ よ と私 に命 じ 、細 か い問 題 に付 ては 、私 か ら の
後 には 、 日 本 が ソ聯 に対 し如 何 云 ふ政 策 を とる か と 云 ふ 一つの大 き
ルジ ンと は 、始 め細 か い問題 に付 、 色 々話 した ので あ り ます が、 最
報 告 によ って順 次 問題 にす る と 云 ふ こと、 即 ち、 日 本 に 於 け る諜 報
野 公 園 で会 ふ こと 、其 の会 ふ方 法 は 、私 が、 浮 世 絵 が 欲 し いと云 ふ
公 園 で会 ふと 云 ふ こ と で あ り ま した 。
活 動 が可 能 で あ る と 云 ふ こ とが 判 ってか ら 、細 か い問 題 に付 て は論
広 告 を 新 聞 に 出 し 、宮 城 がそ れ を売 る と云 ふ新 聞 広 告 を出 し 、 上野
一 〇問 ヴ ケリ ッチ と会 ふ こ と に付 、 パ リ の旅 館 で、 一人 の連 絡員 に
じ よ う と 云 ふ こ と であ りま し た 。
と であ った か忘 れま した 。
際 の挨 拶 を モ ス コウ で聞 いて居 り ま した が 、其 の挨 拶 は如 何 様 な こ
に東 京 に行 って居 り 、大 き な ア パ ー ト に居 る と 云 ふ こ と、 及 連 絡 の
を受 け て居 た の で、 パ リ で は致 しま せん 、 ヴ ケ リ ッチは 、 私 よ り先
ヴ ケリ ッチ の居 所 を 確 かめ て呉 れ た のであ り ます 。 そ れ か ら米 国 に
本 郷 の文 化 アパ ー ト で連 絡 し まし た 。其 の時 には 、 ベ ル ン ハ ルト が
国 ホ テ ル で同 人 と連 絡 し、 東 京 に来 て居 た ヴ ケリ ッチと 、其 の後 、
談 しま し た が、 其 の後 にベ ル ン ハ ルト が東 京 に参 り ま し た ので、 帝
務 省 に参 り、 出 淵 大 使 の紹介 状 に よ って、 天 羽 情 報 部長 に会 って会
答 私 は東 京 に到 着 後 、独 逸 大使 館 に参 り到 着 の申告 を致 し、 外
一 三 問 日本 渡 来 後 、諜 報 団体 を組 織 し た模 様 は。
会 った こ とが あ る か 。
二問 日本 渡 来 迄 の状 況 に付 、司 法 警 察 官 に 、斯 様 に述 べて居 る で
答 パ リに 泊 り ま し た が、 ヴ ケリ ッチ と の連 絡 は、 モ ス コウ で話
は な いか 。
於 け る 連 絡 に 基 いて、 ジ ャパ ン ・アド バ タ イザ ー に浮 世 絵 買 入 れ度
し と の広 告 を出 し、 宮 城 が浮 世 絵 を 売 り度 し と の広 告 を 出 した ので、
此 の時 、 被 疑 者 リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ に対 す る第 九回 訊 問 調 書 第 一 問答 を 、通 事 を介 し読 聞 け た り。
上野 公 園 の美 術 館 で私 は宮 城 と連 絡 しま し た 。 そ れ は同 年 暮 頃 の こ
浮 世 絵 の店 ヘヴ ケ リ ッチ が行 き、 宮 城 と連 絡 し会 ふ 日取 を 極 め て、
と であ り ます 。 それ か ら其 の翌 一九 三 四 年 、 宮城 の斡 旋 で、 奈 良 公
答 ヴ ケ リ ッチ の こと は モ ス コウ で聞 いた 様 に 思 った の です が、
園 で尾 崎 と連 絡 しま し た 。 そ れ は、 少 し暑 い時 で あ り ま し たか ら 六
お 読 聞 け に よ り其 の点 が 如何 も判 然 致 しま せん 。其 の他 は お読 聞 け の通 り で あ り ます 。
月頃 かも 知 れ ま せん 、其 の後 、 一九 三 五 年 に な り 、私 は ベ ル ン ハル
へ帰 り た いと 申 し て遣 った処 、 モ ス コウ から 同 年 五 月直 ぐ来 い と申
一 二問 支 那 か ら帰 った後 、 モ ス コウ に滞 在 し、 日 本 へ来 る 様 に な っ
し て来 た の で モ ス コウ に参 り まし た 。私 は 同年 六月 、 米 国 経由 で参
トよ り も っと よ い無 電 技 師 が 欲 し いし報 告 も し た いか ら、 モス コウ
読 聞 け たり 。
り ま した が 、 ベ ル ン ハルト は、 同 年 五月 シベ リ ヤ経 由 で モ ス コウ に
た 点 に 付 、手 記 に斯 様 に記 載 し て居 る が 、此 の事 実 は如 何 か 。
答 其 の通 り相 違 あ りま せん 。 只 、 此処 に は試 み にや る と 云 ふ こ
此 の時 記録 第 三冊 一八○ 丁 初 行 目 乃 至 一八 二丁 末 行 を 通 事 を介 し
とを 、 よ く表 は し て居 りま せん が そ れ を強 調 した いと 思 ひ ま す。 べ
帰 った の で あ りま す 。 私 は 同年 九月 東 京 に帰 り ま し た が、 ク ラ ウゼ
居 る 処 も あ り ます ので 、 そ れ を 引 用 す る こ と は避 け た いと 思 ひま す。
し た。
そ し て、 最 初 に会 った党 員 は ウ ェント即 ち 、 ベ ル ン ハルト であ り ま
であ り ま す 。
前 に 申 し ま し た様 に私 は、 横 浜 に 上 陸 し 直 ち に 上京 し て独 逸 大使 館
Ri chard Sorge 年
人
ンが 、同 年 十 一月 か 十 二月 頃 、新 し い無 電 技 師 と し て東 京 に参 った
告
に到 り 到 着 の申 告 を致 し、 外 務 省 に参 り 天 羽情 報部 長 と会 談 した の 被 佳
生
駒
事
ので あ り ます 。
通
同 人 は、 私 よ り後 に来 て横 浜 に居 を 定 め て居 り、 表 面 、 商店 の代 理
倉
林
光
寅
三
二
絡 し ま し た。
私 は 、 一九 三三 年 十 月 か 十 一月 頃 、 帝国 ホ テ ルで ウ ェン ト夫 妻 と連
店 を し て居 りま した 。 裁判所書記 村
右 通 事 を 介 し 、読 聞 け たる 処 相 違 な き 旨申 立 て署 名 拇 印 し た り 。 同日於同庁作之 東京刑事地方裁判所
中
の時 間 を要 し、 そ れ か らも 簡 単 な通 信 を す る だけ であ り ま し た。 私
設 け て秘 密 の仕 事 を始 め ま した が、 モ ス コウ と連 絡 す る 迄 に は相 当
何 時 日 本 へ着 く か と云 ふ こと も 判 って居 た の であ り ま す 。 同 人 と連
ウ ェント と は、 伯 林 で会 ひ帝 国 ホテ ルで会 ふ約 束 を 致 し 、同 人 が、
予 審 判 事 第 十 一回 訊 問 調 書
右 の者 に対 す る 治 安維 持 法 違 反 、 国 防 保 安法 違 反 、 軍 機 保 護 法 違 反
は前 回 も申 した 様 に、 一九 三 五年 モ ス コウ か ら 報告 の為 め帰 国 せ よ
絡 し た後 、同 人 は無 電 を 、其 の横 浜 の自 宅 と、 ヴ ケリ ッチ の家 と に
並 に軍 用資 源秘 密 保護 法 違 反 被 告 事 件 に 付、 昭 和十 七年 七月 二十 九
と 云 は れ て モ ス コウ に帰 り、 ウ ェン ト の後 任者 が欲 し い と申 し 、 ク
人
日 東 京 刑 事 地 方 裁 判所 に於 て、 予 審 判 事 中村 光 三 は裁 判 所 書 記倉 林
告
寅 二立 会 の上 、 通 事 生駒 佳 年 を介 し 前 回 に 引続 き右 被 告 人 に対 し 訊
ラ ウゼ ンが 参 る こと にな った の であ り ます 。 ヴ ケ リ ッチ は ウ ェント
被
問 す る こ と 左 の如 し。
た の で、 翌 日 私 が 文化 ア パ ー ト に出 向 いて 合言 葉 を使 ひ、 同 人 と連
を し て電 話 で其 の居 所 を探 さ せ、 文 化 アパ ー ト に居 る こと を 確 認 し
リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ
一問 被 告 人 は 、 日本 に於 け る 諜 報 グ ループ の構 成 の状 況 に付 、 司
問 の答 中 、 記 録 二四 四 丁表 十行 目 乃 至 二四 八丁 表 五 行 目 を 、通 事
り 、同 人 を文 化 ア パ ー トか ら 他 の住 居 に移 転 さ せま し た 。
も 困 って気 の毒 な 状 態 であ り ま し た ので、 私 は物 質 の面 倒 を見 て遣
其 の当 時 の模 様 は 、 お読 聞 け の如く 同 人 が病 気 でも あ り、 物 質 的 に
絡 す る こ とが 出 来 た ので あ り ます 。
法 警 察 官 に対 し 斯 様 に述 べて居 る が、 此 の事 実 は 如 何 。
を介 し読 聞 け た り 。
此 の時 、 被 疑 者 リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ に対 す る 第 十 回訊 問 調 書 第 一
答 其 の中 に は、 正確 な処 も あ り 、 半 ば 正 確 な処 もあ り 、 誤 って
合 雷 葉 は 、 如何 云 ふ の であ った か 忘 れ ま し た 。
其 の時 に は、 ヴ ケリ ッチ の先 妻 エデ ィ ット が居 った と思 ひ ます 。
社 日本 特 派 員 な るギ ュンタ ー ・シ ェタ イ ンも 協 力 し た か。
三問 其 の他 被 告 人 の諜 報 グ ループ に 、 フ ィナ ンシ ャル ・ ニ ュー ス
る と 云 ふ こと も 約束 し た と思 ひま す 。
四 問 クラ ウ ゼ ンの妻 ア ンナ、 ヴ ケリ ッチ の先 妻 エデ ィ ット や 、 又
か 如 何 か 、私 は疑 問 に致 し て居 り ま す。
答 協 力 し て呉 れま した が 、 そ れ は其 のグ ルー プ の成 員 と 云 へる
宮 城 とは 前 回 申 し た様 に、 私 が新 聞 広 告 を出 し、 宮 城 も 新 聞 広告 を
様 に思 ひま す 。
出 しま し て、私 は其 の新 聞 社 へ、 宮 城 の返 事 の手 紙 を 取 り に行 った
如 何 云 ふ関 係 か ら其 の様 な こ と にな った のか よ く覚 え ま せ んが 、 始
イ ング リ ット或 は オ リ ガ と云 ふ様 な者 も協 力 した か。
手 紙 を 出 す こ と に した の では な か った か と思 ひま す 。 何 れ に し て も
で 、 そ れ が新 聞 広 告 には 姓 名 在社 と し た の で、 互 に新 聞社 を通 じ て
に付 、 被 告 人 は 司 法警 察 官 に対 し斯 様 に 述 べて居 る が、 此 の事 実 は
及 イ ング リ ット、或 は オ リ ガ の被 告 人 の諜 報 グ ループ に於 け る 関係
五問 ギ ュンタ ー ・シ ュタ イ ン、 ア ンナ ・クラ ウ ゼ ン、 エデ ィ ット
答 そ れ 等 は協 力 者 とは 云 へま せ ん。
め の両 者 の新 聞 広 告 は 、 ア メ リ カ に於 て他 の人 を 介 し て の連 絡 であ
それ か ら ヴ ケ リ ッチ が介 在 し て、浮 世 絵 の店 か何 処 か で宮 城 と会 っ
此 の時 、 前 回 二四 九 丁 裏 十 二行 乃 至 二 五 五丁 裏 一行 を、 通 事 を 介
如何 。
り ま し た為 め、 二人 が 東京 に居 る と 云 ふ こ とを知 ら せ る程 度 のも の
て、私 と宮 城 と が上 野 の美 術 館 で会 ふ様 に連 絡 し、 其 の結 果宮 城 と
答 其 の通 り相 違 あ り ま せん 。
し読 聞 け た り。
連 絡 す る こと が 出来 た の であ りま す 。 尾 崎 とは 一九 三 四年 六 月頃 、 前 回 申 した 様 に宮 城 の仲 介 で奈 良 に 於
六問 宮 城 の友 人小 代 好 信 及 水 野 成 、 川合 貞 吉 が、 被 告 人 の日本 に
て連 絡 した の であ り ま す。 ク ラ ウ ゼ ンを 日 本 へ連 れ て来 る に付 ては 、 赤 軍第 四本 部 の ウ リ ッキ
於 け る右 諜 報 グ ルー プ の宮 城 及 尾 崎 の協 力 者 に な った か 。
逸 人 倶 楽 部 で、 偶 然 に ク ラ ウ ゼ ンに会 って連 絡 が 出来 た ので あ り ま
七 問 日本 に於 け る 被告 人 の諜 報 グ ルー プ の性 格 に付 て、 手 記 に斯
け で 間接 の協 力 者 とも 云 ふ こと は出 来 ま せん 。
水野 と川 合 は、 尾 崎 の友 人 と 云 ふ関 係 で、 グ ループ と関 係 が あ る だ
答 小 代 は 宮 城 の友 人 で間 接 協 力 者 であ り ま し た。
ー将 軍 とも 会 って其 の許 諾 を得 、 ク ラ ウ ゼ ン にも 会 って東 京 に於 け
した 。
様 に記 載 し て あ る が此 の事 実 は 如何 か。
る連 絡 方 法 を も 話 し ま し た、 併 し、 一九 三 五年 十 二月 頃 、東 京 の独
二問 宮 城 と連 絡 す る 場合 に は、 宮 城 か ら 貴 方 は マ ック スさ ん です
聞けたり。
此 の時 、 記 録第 三 冊 二○ 丁 初 行 乃 至 二 一丁 末 行 を 、通 事 を介 し読
か と 聞 か れ る こ と にな って居 た か 。 答 それ は忘 れ ま した が 、 或 は 左様 で あ った かも し れま せ ん 。 其 の様 な こと はあ り得 る こ と で、其 の外 私 は黒 いネ ク タ イを し て居
う と考 へ、 二○ 丁 の様 な 記 載 を し た の であ り ま す か ら 今 で は之 を主
か ら見 て高 い地位 の成 員 と認 め られ な け れば 、 彼 等 が 失 望 す る だ ら
意 味 で書 いた も の で あ り、 尚 一つ は、 此 グ ル ープ の成 員 が モ ス コウ
其 の理 由 は 二 つあ り ま し て 一つは 、 検 事 及警 察 官 に 対 す る政 策 的 の
ル ープ の指 導 者 と し て赤 軍 即 ち第 四本 部 に対 し責 任 を負 って居 りま
あ り ます 、 之 と同 時 に私 は、技 術 的関 係 に於 て日 本 に於 け る諜 報 グ
付 て は、 此 の ソ聯 共産 党 及 其 の中 央委 員 会 に対 し責 任 を 負 ふ義 務 が
斯 く し て私 は 、既 に支 那 に於 け る と 同様 、 日本 に於 け る 私 の仕 事 に
実 に よ って全 く 明瞭 であ り ます 。
と し て党 員 費 を支 払 ひ、 又、 私 の計算 に於 て送 金 し て居 た と 云 ふ事
と の関 係 は 、 私 が 此 の 日本 に於 ても 亦 、規 則 的 に ソ聯 共産 党 の党 員
張 す る こ と は出 来 ま せん 。
答 之 は 、前 に も申 しま した 様 に其 の儘 認 め る訳 に は行 き ま せん 、
二 一丁 の追 加 の方 は 、前 のも の の追 加 と し て書 いた も のです か ら 正 確 で はあ り ま せん が 、前 のも の よ り は よく な って居 り ます 。
と、 記 載 し て居 る で は な い か。
す ﹂。
答 そ れ は事 実 に合 って居 り ま せ ん 、 モス コウに 帰 れ ば、 党 及 仲
八問 被 告 人 の、 日 本 に於 け る 諜 報 グ ル ープ の成 員 の モ ス コウ中 央 部 と の関 係 に付 、 手 記 に斯 様 に記 載 し てあ る が 此 の事 実 は如 何 。
徳 的 のも の で、 且 つ ソ聯 の土 を踏 んだ 時 に限 る のであ り ます 。 私 は
間 に対 し て、 自分 の行 状 に付貴 任 を負 は ねば な り ま せ ん が、 之 は 道
答 此 の部 分 の記 載 も 、今 申 し たと 同 じ 理由 か ら書 い たも の であ
此 の時 、 前 同 一二 丁初 行 乃至 一九 丁 末 行 を 示 し た り。
りま す か ら 、 此 の点 に付 ても 改 め て申 上 げ る方 が よ い と思 ひま す 。
て居 る の であ りま す 。更 に 私 が、 モス コウに 帰 って党 員 にな る に は、
前 に も 申 上 げ た様 に、 党 に 関 す る書 類 を 引 渡 し て党 と は関 係 を絶 っ
は ね ば な ら な い の で、永 年 中断 す る とそ れ が多 額 に 上 る の で、時 々
中断 し た場 合 には 、 更 に党 員 に な った 時 、 纒 め て中 断 中 の党 費 を払
の問 題 も 、新 し い党 員 は 入党 の時 か ら党 費 を払 へば よ い の です が 、
試 験 を受 け許 され た 上 でな け れ ば其 の資 格 は獲 得 出 来 ま せん 、党 費
九 問 そ れ では 順 次 訊 ね る が 、被 告 人 は西 暦 一九 二 五年 以降 ソ聯 共 産 党 の党 員 であ る こ とは 間 違 な いか。 答 間 違 あ り ま せ ん。 一〇 問 それ では ソ聯 共産 党 の命 令 監 督 に報 じ て居 る のか。 答 私 の致 し て居 る 仕 事 に付 て は さう では あ り ま せ ん が、 党 員 と
のも の であ り ま し た。
も私 が支 那 及 日 本 に 於 て仕 事 を す る様 に な って か らは 、 全 く間 接 的
一 二問 尚 、 手 記 には 、 ﹁コ ミ ンテ ル ン本 部 と 私 と の関 係 は 、少 く と
聯 共 産 党 員 では あ り ま せ ん。
此 の間 接 的 関 係 は次 の如 きも のか ら成 立 って居 り ま す。
に支 払 って居 た の であ り ま す。
二問 併 し 、被 告 人 は今 示 した 部 分 の手 記 に、 「 即 ち私 が 如何 な る
し ては 其 の通 り であ り ます 。
仕 事 を しよ う と も 、 又如 何 なる 場 所 で仕事 を し よ う とも 、 私 は 党 の
即 ち、 そ れ は 私 が西 暦 一九 二五年 か ら同 一九 二九 年迄 の間 、 コミ ン
ソ聯 党 員 は ソ聯 に 居 る限 り に於 て であ り ま し て、 外国 に在 っては ソ
指 揮 命 令 に 対 し て責 任 を負 ふ義 務 があ り ま す 、 此 の ソ聯 共 産 党 と私
と 、 及 コミ ンテ ルン本 部 の種 々な指 導 的 成 員 と の個 人的 な知 合 関 係
テ ル ン本 部 に於 て、 不 断 の協 働 を為 し たと 云 ふ過去 の関 係 があ る こ
中 央 部 と の関 係 に於 け る被 告 人 自身 の地 位 は。
一 三問 そ れ で は日 本 に 於 け る諜 報 グ ループ の成員 と し て、 モス コウ
せ ん、 と云 ふ訳 は 、 コミ ンテ ル ンに は個 人 的 な成 員 な るも のが な い
私 は コミ ン テ ル ンの成 員 で はな いと 云 ふ こと に留 意 され ね ば な り ま
す 。 併 し、 一九 二九 年 、 本 来 の コミ ンテ ル ン本 部 か ら分 離 し て 以来 、
テ ル ン本 部 も亦 、私 の情 報 活 動 を利 用 し た であ ら う と 云 ふ こと等 で
共 産 党 中 央委 員 会 を 通 し て コミ ンテ ル ン本 部 にも 廻 付 さ れ 、 コミ ン
成 員 は総 て党 員 では あ り ま せ ん、 従 って、 私 は ソ聯 共 産 党 に対 し て
私 は私 の諜 報 団 の成 員 中唯 一の ソ聯 共 産 党 の党 員 で あ り ます 。 他 の
地位 に在 った の であ り ま す 。
て任 ぜ ら れ て、 派遣 さ れ て居 たも の で、第 四本 部 内 に於 ても特 別 な
私 は、 赤 軍 第 四 本部 か ら日 本 に於 け る諜 報 団 の独 立 した 指 導者 と し
た指 導 者 であ り ま し た。
答 私 の地 位 を申 上げ ま す と 、私 は 日本 に於 け る 諜報 団 の独 立 し
か ら です 。 コミ ン テ ル ンは党 では な く て 、世 界 の総 て の共 産党 ︱ 総
も 道 徳 的 な責 任 を負 はな け れ ば な り ま せん 、 併 し 、強 調 し なけ れ ば
や 交 友 関係 が あ る こ と、 更 に 又 、私 の情 報 の 一部 分 が 、 恐 らく ソ聯
て の党 員 では あ り ま せ ん︱ の集 合 体 であ る か ら です ﹂。
ル ン本 部 の成 員 と 、 個 人的 な知 合 関 係 や 交 友 関係 等 か らす るも のを 、
コミ ンテ ル ンと間 接 的 関係 と 云 ふ言 葉 を 使 用 し ま し た が、 コミ ン テ
例 へば 、 高官 が 自分 に命 令 を しよ う と し て も、 直 接 命 令 す る こ と は
令 を 受 取 る義 務 は な い の であ り ま す 。
私 は第 四 本部 か ら の み指 令 を受 取 り 、他 の如 何 な る 処 か ら も指 令 命
てで あ り ます 。
な ら な いの は、 ソ聯 共 産党 員 の資 格 は、 ソ聯 邦 に居 住 す る限 り に 於
コミ ンテ ル ンと の間 接 的関 係 と 云 ふ のは よ く な い表 現 であ りま した 。
スタ ー リ ン自 身 が私 に命 令 す る場 合 も 同様 であ り ます 。
出 来 ず 、 第 四 本 部 を経 なけ れ ば な り ま せ ん 。
答 其 の点 に 付 ても 正確 で な い処 が三 点 あ り ま す 。其 の 一つは 、
と記 載 し てあ る では な いか。
ミ ンテ ル ンにも 廻 付 さ れ 、 コ ミ ンテ ル ン本 部 も 私 の情 報 活 動 を 利 用
次 は、 私 の情 報 の 一部 分 が 恐 ら く ソ聯 共 産 党 中 央委 員会 を通 し て コ
の監 督 下 に も な い の で、 私 の知 り得 る処 で はあ り ま せ ん 。
一 四問 諜 報活 動 の如 き、 外 国 に於 て す る こ と の必 要 な る場 合 に は、
私 の諜 報 が 、 第 四本 部 に於 て如 何 様 に用 ひ ら れ るか と 云 ふ 点 は、 私
仮 に 、 外 国 に居 住 す る場 合 と 錐 も自 国 の共 産 党 員 た る資 格 を失 ふ の
コミ ンテ ル ンに廻 付 さ れ な か った と 云 ふ こと が 保 証 出来 る か と云 は れ た の で別 段 証 明 す べき 材 料 も な いの で其 の様 に 記 載 し た の であ り
は 変 では な いか。
し た で あ らう と記 載 した 恐 ら く と 云 ふ処 は、 警 察 官 か ら 、 そ れ で は
ま す が 、其 の部 分 は全 然 否定 致 し ます 。
け れ ば な ら な い の であ り ま す 。
答 党 員 は外 国 に永 く 居 住 す る場 合 に は、 其 の外 国 の党 に属 さ な
次 は、 コミ ンテ ル ンは 世界 の総 て の共 産 党 の集合 体 だ と記 載 した の も 、間 違 で之 迄 申 した 様 に世 界 の共 産 党 の代 表者 か ら成 立 って居 る ので あ り ます 。
一 五 問 そ れ で は被 告 人 の云 ふ様 に、 コミ ンテ ル ンは 各 国 共産 党 の代
予 審 判 事
裁判所書記
中
倉
村
林
光
寅
三
二
第 十 二回 訊 問 調 書
右 の者 に対 す る治 安 維 持 法 違 反 、 国 防保 安 法 違 反 、 軍機 保護 法 違 反
リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ
人
並 に 軍 用資 源 秘 密 保 護 法 違 反被 告 事 件 に付 、 昭 和 十 七年 八月 四 日東
告
資 格 を失 はな い の であ り ま す 。
京 刑 事 地 方 裁 判所 に於 て、 予 審 判事 中村 光 三 は、 裁 判 所書 記 倉 林 寅
被
表 者 の機 関 な らば 、 其 の代 表 者 は モス コウ に集 って居 り 、各 自 国 の 党 員 た る資 格 を失 ふ こと に な る で は な い か。 答 其 の代 表 者 は 一年 若 く は事 情 によ り 半 年 で交替 し ます し、 帰
一 六問 其 の様 に 、 コ ミ ンテ ルン に於 け る 各 国共 産 党 代 表 者 の資 格 に
る時 ソ聯 を 出 れば 、 元 の国 の党 員 にも な り 、特 例 で自 国 の党 員 たる
特 例 があ る な ら 、 外 国 に於 け る活 動 の多 い諜 報 活 動 に従 事 す る 党 員
二立 会 の上 、通 事 生 駒 佳 年 を 介 し 、前 回 に引 続 き 右被 告 人 に対 し訊 問 す る こと 左 の如 し。
一問 被 告 人 の日 本 に於 け る諜 報 グ ループ の成 員 の、 モ ス コウ中 央
答 私 が モ ス コウ に帰 れ ば、 ソ聯 共産 党 員 と し て元 の地 位 を 獲 得
の如 き は、 特 例 に よ り 党員 た る資 格 を失 は な い ので は な いか 。
す る のも 其 の特 例 で あ り ます 。 詳 しく 申 し ま す と 、自 国 を去 る 時 、
答 ク ラ ウ ゼ ンは 、 私 の願 に よ り赤 軍 第 四 本 部 か ら私 に与 へら れ た も の であ り ます 。
部 に対 す る地 位 の内 、 先 づ 、 マ ック ス ・ク ラウ ゼ ンの地 位 に付 ては 。
同 人 は、 私 よ り前 に第 四 本 部 に居 って仕 事 を し て居 り ま した が 、 何
其 の党 の中 央委 員会 に対 し 一定 の形 式手 続 を執 れ ば、 又 、 元 の地 位
の点 に 関 し手 記 に少 し触 れ て置 き ま し た 。
去 った 場 合 に は 、凡 ゆ る権 利 の留 保 を失 ふ の であ り ま す 。 私 は、 其
時 か ら第 四 本 部 の仕 事 を し て居 た か私 は 知 り ま せ ん。 第 四本 部 と の
を 獲 得 す る権 利 を留 保 さ れ る の であ り ま す が、 其 の手 続 を せず し て
一 七問 其 の手 記 の記 載 は何 処 か 。
て居 る と私 は考 へて居 る の であ り ま す 。 ク ラウ ゼ ンが、 モス コウ の
二問 被 告 人 は、 同 人 が 独 逸 共産 党 の古 い党 員 と し て モ ス コウ に送
ま した 。
ら思 想 的 に 共産 主義 思 想 の確 信 を 持 って居 た こ と はよ く 判 って居 り
於 て、 正式 の共 産党 員 であ ったか 如 何 か は知 り ま せん が 、 併 し な が
意 味 し か持 たな か った ので あ り ます 。 嘗 て同 人 が 、独 逸 又は ソ聯 に
中央 部 と関 係 があ る と す れ ば、 第 四 本 部 を 通 じ てで、 只 そ れ だ け の
関係 は同 人 が無 電 学 校 を出 て居 り、 其 の無 電学 校 は第 四本 部 に属 し
年
生
Ri chard sorge 佳
人
駒
事
答 此 の 一七 七丁 の終 り の方 と 、 一八○ 丁 の後 半 であ り ま す 。 此
告
の時 、被 告 人 は前 同 手 記 一七 七 丁 及 一八○ 丁 の該 当 部 分 を 、指 示 し たり。 被 通
右通 事 を介 し読 聞 け た る 処 、相 違 なき 旨 申 立 て署 名揖 印 し たり 。 同 日於 同 庁 作 之 東 京 刑 事 地方 裁 判 所
の では な いか 。
ら れ、 赤 軍 の影響 下 に 在 る無 電 学 校 に 入 れ ら れ た こ とを 知 って居 た
で、 そ れ は 、検 事 も警 察 官 も 各機 関 の間 に於 け る 関係 を 、当 時 明 瞭
に引 渡 され る こと を免 れ様 と考 へ、 又 、 一つは 、 政策 的 の理 由 か ら
にし て居 な か った か ら自 分 等 の地 位 を明 瞭 にす る こと を避 け た の で
五問 ヴ ケ リ ッチ の地 位 は 。
あ り ま す。 其 の他 の点 は お 読 聞 け の通 り 相 違 あ り ま せ ん。
答 彼 が 、 独 逸 共産 党 の党 員 とし て モ ス コウ に送 ら れ たか 、 革 命
一つ では あ ら う と思 ひ ます が、 其 の何 れ であ るか 私 に は 判 然判 り ま
そ れ 以 外 に モ ス コウ とは 何 等 の関 係 も持 って居 り ま せ ん 。
ります。
答 ヴ ケ リ ッチ は、 第 四 本 部 の部 長 か ら私 に与 へら れ た も の であ
的 労 働 団 体 の 一員 と し て送 ら れた か 、何 れ に し て も其 の 二 つ の内 の
せん でし た。
答 私 の知 って居 る限 り 、 彼 は コミ ンテ ル ンの内 部 で働 いた こ と
三 問 コミ ンテ ル ンと の関 係 は 。
スラ ブ系 統 の か知 り ま せ ん が 、共 産 党 員 に近 い関 係 を持 って居 り ま し た。
彼 は共 産 党 員 では な か った と思 ひ ます が フ ラ ン スか オ ー スト リ ヤか
六問 其 の点 に付 、 手 記 に斯 様 に記 載 し てあ る が 、此 の事 実 は 如 何
は あ り ま せ ん 。従 って、 個 人 と し て同 人 は コミ ンテ ル ンと は何 の関
四 問 同 人 の地 位 に 付 て、手 記 に は斯 様 に記 載 し て居 る が 、 此 の事
か。 此 の時 、 前 同 一四 丁 十九 行 乃 至 一五 丁 十 三行 を、 通 事 を 介 し読
係 も な い訳 であ り ます 。
実 は如 何 か。
一つ は、 独 逸 共 産 党 の党員 と し て モ ス コウ に送 ら れ と あ り ます が、
七問 ヴ ケリ ッチ は 手 記 に書 い てあ る様 に 、 モ ス コウ の中 央 機 関 中
其 の理 由 は、 先 程 ク ラウ ゼ ンに付 て述 べた と 同様 であ り ます 。
之 と異 る手 記 の記 載 は 正 し く あ り ま せん 。
答 之 に付 ても 、 只 今 の陳 述 の方 が正 し いも のであ り ます か ら 、
聞 け た り。
此 の時 、 記 録 第 三 冊 一八 丁初 行 乃 至 十 八行 を 、 通 事 を介 し読 聞 け たり 。
其 処 は独 逸 共 産 党 の党 員 、若 く は革 命 的 労 働 団 体 の 一員 と し て と附
答 其 の中 で 二 つ申 上げ た い こ と があ り ま す 。
加 し て頂 け ば 結 構 で す 。
る限 り 、 第 四 本 部 に於 て協 働 者 と し て考 へら れ て居 る も のと思 って
答 彼 が 、 私 の諜 報 団 の協 働 者 と し て第 四本 部 から 与 へら れ て居
の或 る機 関 に 協 働者 と し て登 録 さ れ 、 又 、承 認 さ れ て居 る のか 。
斯 様 に書 いた か と申 し ます と、 前 に も 申 上 げ た通 り検 事 や 警 察 官 か
八問 宮 城与 徳 の地 位 は。
居ります。
と最 後 に記 載 し ま し た が、 之 は、 削 除 し て 欲 し いと思 ひ ます 。 何 故
次 に、 彼 と コミ ン テ ル ンと の間 に、 単 に 観 念 上 の関 係 の み が存 す る
ら、 私 共 の成 員 が高 い地 位 を 占 め て居 な か った と 聞 い た ら失 望 落 胆
答 宮 城 も、 第 四 本 部 か ら 私 の協 働 者 と し て私 に 与 へら れ た も の
す る だ ら う と 聞 いて居 りま した か ら 、 私 と私 の団 体 員 が 憲 兵 に 引渡 さ れ は せ ぬ か と 心配 し、 政 治 的 で あ る と 云 ふ こ とを 灰 め か し て憲 兵
れ て居 り ま す 。
であ り ます か ら、 同 人 も モ ス コウ に於 て、 私 の協 働者 と し て登 録 さ 答
一一 問
コミ ンテ ル ンと の関 係 は。 全然 あ り ま せ ん。
一 二問
手記 に は、 彼 は広義 に於 ては コミ ンテ ル ン の成 員 です と記 載
宮 城 は 屡 〓私 に語 って居 り ま し た が、 同 人 は 北 米 合衆 国 の共 産 党 員
て居 な いと 云 ふ こ と を聞 いた ら 、 失望 落 胆 す るだ ら う と検 察 官 から
之 も矢 張 り 尾 崎 が 、 モ ス コウ に於 て何 等 か の高 い地 位 に就 い
し て居 る で は な い か。
聞 いた の で其 の様 に記 載 し た ので あ り ます 。
答
だ と云 ふ こと であ り ま し た の で、 私 も 左 様 に 信 じ て居 り ま し た。
で した 。
併 し 、 同 人 も 米国 を去 る と同 時 に、 同 国 の共産 党 員 で はあ り ま せん
日 本 共 産党 への入 党 は、 私 の諜 報 団 の活 動 の性 質 上、 断 然 彼 に禁 止
尾崎 の、地 位 に関 す る手 記 の此 の記 載 は如 何 。
最初 か ら十 六 丁四 行 中 程 迄 は其 の通 り であ り ます 、爾 余 の部
一 四問
其 の理 由 は前 と同 じ であ り ま す 。
分 は 取 消 し た い と思 ひま す 。
答
けたり。
此 の時 、 前 同 一五丁 二十 六行 乃 至 一六丁 九 行 を 、通 事 を介 し読 聞
一 三問
た 後 にも 、 此 の記 載 に満 足 した由 で あ り ます 。
彼 は 、 個 人 は コミ ンテ ル ン の成 員 と はな り 得 な いと 云 ふ こ とを 聞 い
宮 城 の地 位 に付 て の此 の部 分 の手 記 の記 載 は 如 何 。
し ま し た。 九問
此 の手 記 の場 合 も 、 ヴ ケ リ ッチ の場 合 と同 様 、 今 述 べた こ と
此 の時 、 前 同 一四 丁 一五 行乃 至 二十 五行 を 、 通 事 を介 し読 聞 け た り。 答
を真 実 と し、 之 に反 し 又 は不 調 和 な部 分 の手 記 の記載 は 、取 消 した
尾崎 秀 実 の地 位 は 。
此 の時 、前 同 一七 丁 四行 乃 至 末 行 を 、通 事 を介 し 読 聞 け た り 。
に斯 様 に 記 載 し てあ る が、 此 の事 実 は如 何 。
ヴ ケ リ ッチ、 宮 城 、 尾崎 の地 位 に付 、 補 足 的説 明 と し て手 記
尾 崎 は 、私 自身 が私 の支 那 及 日 本 に 於 け る 活動 に引 入 れ たも
い と思 ひま す 。 一 〇 問 答
答
の で あ り ます 。 併 し な が ら、 一九 三 五年 、 尾崎 の希 望 に より 、 自 分 の協 働 者 と し て
た が 、 支那 の共 産 党 の人 々 と接 近 し て居 た と云 ふ印象 を 受 け て居 り
尾崎 と 共産 党 と の関 係 は 、 自 分 の考 へは何 れ の共 産党 員 で も な か っ
ます。
其 の点 に於 て、 第 四 本 部 に私 の諜 報 団 の 一員 と し て登 録 さ れ て居 り
一般 に モ ス コウ と 申 し て居 り ま し た。 此 の三 人 は之 に付 、 別 に 詳 し
対 し て は私 が 第 四 本 部 か ら来 た と云 ふ こと は強 調 した こと は な く、
尚 、 ヴ ケリ ッチ 、 宮城 、 尾 崎 の地 位 に付 申 上げ ます と 、 此 の三 人 に
云 ふ点 と 、 個 人的 成 員 を認 めな いと 云 ふ 点 であ りま す 。 此 の機 会 に
し いと云 ふ こと は 出 来 ま せ ん。 正 し いと す る の は世 界 的 党 でな いと
此 の 一部 は 、 正 し い所 が あ り ま す が 、全 体 と し ては 今 日 は 正
モ ス コウ か ら承 認 を 得 ま し た 。
ます。
其 の点 に 関 す る手 記 の此 の記 載 は 如何 。
此 の時 、 前 同 Ⅰ八 丁 Ⅰ四行 乃 至 二十 二行 を 、通 事 を介 し読 聞 け た
Ⅰ 九問
りo
く 聞 き も しま せん でし た。
か と 云 ふ こ とを 話 し て置 き ま せ ん で した 。
殊 に尾 崎 に対 し ては 、 モ ス コウ の如 何 な る 機 関 に彼 の名 を 申 告 した
答
婚 後 、 金銭 上 困難 を し て居 た ので 、私 の諜 報 団 体 の金 の中 か ら援 助
ク ラウ ゼ ンに住 居 を 提 供 し た 点 に付 ては 、 彼 女 は ヴ ケ リ ッチ と の離
其 の通 り であ り ます 。
右 三入 と は異 り 、 ク ラウ ゼ ンは詳 し い事 情 を 知 って居 り ま した 、 之 は支 那 以来 活 動 を 続 け て居 た か ら であ り ま す 。
水 野成 の地 位 は。
元来 水野 は、 私 の団 体 と は何 等 の関 係 がな く 、 ロバ、 尾崎 を通
其 の点 に 関 す る手 記 の此 の記 載 は 如 何 。
其 の通 り であ り ま す 。
け た り。
此 の時 、 前 同 一八 丁 二十 三行 乃 至 Ⅰ九 丁 初行 を、 通 事 を 介 し読 聞
三問
し て間 接 の関係 があ った に過 き ま せん 。
答
二〇問
尚 、私 が 此処 で強 調 した い のは、 私 の諜 報 団 の成 員 は如 何 な る国 の
ペ ル ン ハル ト の地 位 に 付 、手 記 に斯 様 に記 載 し て居 る が 、 此
を し て居 た関 係 上、 住 居 を 提 供 し た のであ りま す 。
ヨ問
共 産党 員 で も な い と云 ふ こと であ り ます °
の事 実 は 如何 。
ク ラウ ゼ ンの地 位 と全 く 同 Ⅰであ り ます 。
此 の時 、前 同 Ⅰ六 丁十 行 乃 至 十 六 行 を 、 通事 を介 し読 聞 け た り 。 答
答
彼 も 亦 と云 ふ 字 を削 れ ば、 其 の通 り 相 違 あ り ま せ ん。 ア ン ナ ・ク ラウ ゼ ンの地 位 は。
川合 貞 吉 の地 位 は 。
宍問
ア ン ナ ・ク ラウ ゼ ンは マ ック ス ・ク ラウ ゼ ンの妻 であ り 、 同
て居 り 、 尾崎 に金 の都 合 を し て 呉 れ と申 し、 後 に 宮城 と も関 係 が出
あ り 、 日本 に於 て は何 等 関 係 も あ り ま せ ん でし た が 、彼 は貧 乏 を し
答
答
三一 問
為 め 二、 三 回 利 用 し た こ と が あ る だけ で、 別 に私 の諜 報 団 の中 に 地
川合 は、 支 那 では私 の団 体 の Ⅰ種 の協 力者 であ り、 援 助 者 で
て、 マ ック ス ・ク ラウ ゼ ンの援 け を 籍 り て、彼 女 を自 分 等 の活 動 の
人 の妻 とし て、 私 は マ ック ス ・ク ラ ウゼ ンに対 す る忠 誠 を当 て にし
位 を持 って居 った 訳 では あ り ま せ ん 。
来 た の であ り ま す 。
其 の点 に付 、 手 記 に斯 様 に書 い てあ るが 、 此 の事 実 に付 ては
;問
か ら入 手 し て居 り ま す。
成 員 とは申 せ ま せ ん が、 同 人 か ら の情 報 のあ った限 り 尾 崎 又 は宮 城
彼 の齎 ら し た情 報 は、余 り大 し た も の では あ り ま せ ん で した 。
此 の時 、 前 同 Ⅰ九 丁 二 行 乃 至十 二行 を 、 通 事 を 介 し読 聞 け た り 。
其 の点 に関 す る手 記 の、 此 の記 載 は 如 何 。
其 の通 り相 違 あ り ま せん 。
二二 間 ア ン ナ ・ク ラウ ゼ ンと全 く同 様 であ り ま す 。
ヴ ケリ ッチ の先妻 エデ ィ ット の地 位 は。
此 の時 、 前 同 一八 丁 初 行 乃 至 十 三行 を、 通 事 を 介 し 読 聞 け た り。
如何 。
答 Ⅰ 八問 答
答
直 接 援 助 し た と 云 ふ、 直 接 の 二字 を 削除 し た い と思 ひま す 。
彼 は 宮 城 の友 人 と し て又 、 助 手 と し て 、私 達 の諜 報 団 の、 間
小 代 好 信 の地位 は。
其 の他 は其 の通 り で あ り ま す。
答
昌 四間
其 の点 に関 す る手 記 の、 此 の記 載 は如 何 。
接 の成 員 で あ り ま し た 。 量問
答 春問
左様 で あ り ます 。
次 に、 連 絡 員 に依 る 被 告 人 の、諜 報 グ ルー プ の国 際 的 連 絡 に
此 の時 、 前 同 九 一丁 五 行 乃 自 Ⅰ〇 〇 丁 十 行 を 、通 事 を介 し読 聞 け
付 、 手 記 に斯 様 に記 載 し てあ る が 、 此 の事 実 は 如 何 。
其 の通 り であ り ま す。
たり。 答
三間
は聞 違 があ る かも 知 れ ま せ ん 。
併 し 、伝 書 使 の落 合 った場 所 は十 分 記 憶 し て居 りま せ んか ら 、 或
ギ ュンテ ル ・シ ュタ イ ン の地位 は。
其 の通 り であ り ます 。
冒 三問
答
中 央部 と の、 ラ ジ オ連 絡 に 関 す る手 記 の此 の記載 は 如何 。
其 の通 り 相違 あ り ま せん 。
読聞けたり。
此 の時 、 前 同 一〇 〇 丁十 Ⅰ行 乃 至 一〇 四 丁七 行 を 、 通 事 を介 し 、
被 告 人 の、諜 報 グ ループ の成 員 相 互 聞 の、 個 人 的 連 絡 に 関 す
同 人 は唯 、 同 情 者 と し ての協 力 者 であ り ま した 。
此 の時 、前 同 Ⅰ九 丁 十 三 行 乃 至 二 十行 を 、通 事 を 介 し 読 聞 け た り。 答
答
美問
る手 記 の此 の記 載 は 如 何 。
其 の点 に関 す る 手 記 の、此 の記 載 は如 何 。
其 の通 り であ り ます 。
此 の時 、 一九 丁 二十 Ⅰ行 乃 至末 行 を、 通 事 を 介 し読 聞 け た り。
宅間
答
只 、疑 を避 け る為 め 同 情 的 成 員 と あ る のを 、 同 情 者 と致 し た い と思
此 の時 、前 同 一〇 四 丁 八行 乃 自 一〇 六 丁末 行 を 、 通事 を介 し読 聞 け たり 。
ひま す 。
答
其 の通 り の事 実 に相 違 あ り ま せん。
一 天間
日本 に於 け る被 告 人 の 、情 報 グ ル ープ の諜 報 活動 の技 術 的 方
面 に付 、訊 ね る の であ るが 、先 づ仕 事 の分 担 と 資 料 の選 択 に付 、 手
モ ス コウ と の郵 便 連 絡 に付 て の手 記 の、 此 の記載 は如 何 。
の で此 の点 に付 て は、 ク ラウ ゼ ンに お訊 ね下 さ れ ば よ く判 る と思 い
只 、 附 け 加 へて置 き た い のは 、私 は技 術 方 面 の こと は 全然 知 ら な い
ます。
此 の時 前同 一〇 七 丁 初 行 乃 自 一〇 八丁 末 行 を 、通 事 を介 し読 聞 け
塁問
たり。
そ れ では 総 括 し て云 ふ と、 仕 事 の分 担 、到 来 し た資 料 の選 択 、
全 く 其 の通 り で あ り ます 。
此 の時 、 前 同 八六 丁 七 行 乃 自 九 一丁四 行 を 、 通 事 を介 し読 聞 け た
記 に斯 様 に記 載 し て居 るが 、 此 の事 実 は如 何 。
りo 答
答
莞問
モ ス コウ へ送 る べき 通 報 、 及報 告 の内 容 を 作 成 す る こ と は被 告 人 の
一箇 所 訂 正 す れ ば其 の他 は聞 違 あ り ま せ ん。
仕 事 であ った のか 。
共 の 一箇 所 と云 ふ のは 、 そ れ は 一〇 八丁 十 二行 目 か ら 十 三行 目 に掛
世 間 を よ く 見 て来 て 正確 な 判 断 力 を有 し 、金 銭 、 地 位 、 名 誉
駐 日 独 逸 大 使館 関係 者 は、 被 告 人 を 如何 な る人 物 と 考 へて居
相 違 あ り ま せ ん。
り相 違 な い か。 答 三八 間
け 、 Ⅰ九 四 Ⅰ年 中 は と あ り ます が 、之 は 一九 三 九年 の九月 以 来 と御 訂 正 を願 ひ ます 。 た か。 答
之 は 、欧 州 戦 争 勃 発 と 関 連 す る も の であ りま す 。
等 の要 求 を しな い処 の優 れ た新 聞 記 者 で、政 治 的其 の他 Ⅰ般 的 に教
尚 、附 け 加 へて申 上 げ た いの は、 此 の郵 便 の極 め て大 部 分 は軍 事 に
公 式 の同 大使 館 の仕 事 に携 った こと はあ りま せん が 、 そ れ に
被 告 人 は駐 日独 逸 大 使 館 の公 の業 務 にも 関与 し た か。
関 す る書 物 の外 は 、 独逸 大 使 館 か ら出 た 材 料 と 私自 身 の報 告 であ り
四〇 間
そ れ は検 事 に述 べて居 る 処 に よ る と。
協 力 し た こ とは あ り ます 。
答
三九問
養 のあ る 人 物 と 考 へて居 た こ とと 思 って居 り ます 。
そ れ に付 ては 非 常 に 詳 し く検 事 に申 した 通 り で あ り ます 。
被 告 人 が 駐 日 独 逸 大 使館 か ら信 任 を得 た 経緯 は。
ま し た。 胃 西問 答
そ れ で、 先 づ 検事 に斯 様 に述 べ て居 る が 、 此 の事 実 は如 何 。
此 の時 、 被 疑 者 リ ヒア ルド ・ゾ ルゲ に対 す る 第 三 十 四回 訊 問 調 書
尋問
三、 諸 論 説 を 研 究執 筆 し た こ と。
二、 同 大 使 館 の公 の伝 書 使 等 にな った こ と。
一、 オ ット の政 治 的協 力 者 とな った こと。
其 の通 り 間違 あ り ま せ ん。
答
そ れ 等 の 点 に付 ても 、 検 事 に其 の顛 末 を 詳 し く 述 べて居 る が
其 の通 り で あ り ます 。
等 であ る様 であ る が そ れ は如 何 。
四 、同 大 使 館 情 報 宜伝 課 の業 務 に 従 事 し た こ と。
次 に、 独 逸 大 使 館 に接 近 す る に至 った 経 緯 は斯 様 であ った の
第 Ⅰ問 答 を 、 通 事 を 介 し読 聞 け たり 。 答 三六 間
此 の時 、 前 同 調 書 第 二問 答 を 通 事 を 介 し読 聞 け た り。
か。
日 本 に到 着 後 、 三 日 とあ り ます のは 、到 着後 暫 く 経 ってか ら
四一 問
答
其 の事 実 は 如何 か 。
被 告 人 は、 同 大 使 館 員 に就 任方 の勧 告 を 受 け た こと があ る の
検 事 に述 べた通 り間 違 あ り ま せ ん 。
と 云 ふ方 が 正 しく あ り ま し た。
答
其 の他 は間 違 御 座 いま せ ん 。 其 の後 益 ζ独 逸大 使 館 関 係 者 と知 合 に な り、 之 等 の人 々か ら
か。
四二 間
署問
マ ス将 軍 、 リ ッ ツ マ ン、 グ ロウ ナ ウ、 ネ ー メ ッ ツ、 エーリ ッピ コル
御 座 いま す 。
そ れは 、 第 二次 世 界 大 戦 の勃 発 当 時 、 又 は其 の前 であ り ま し て、 伯
答
信 任 を獲 得 した 事 情 と し て 、 ウ ー ラ ッ ハ侯爵 、 シ ュミーデ ン ・ト ー
ト、 テイ ヒ、 ミ ル バ ッ ハ、 マル ヒ ター ラー、 リ ュッデ ノイ ラ ート等 と の関 係 に付 、検 事・ に詳 しく 述 べ て居 る が 、 そ れも 検 事 に 述 べた通
林 の独 逸 外 務 省 から オ ット を介 し て其 の様 な 勧告 を受 け た の であ り 一問 答
日 本 に於 け る、 被 告 人 の諜報 グ ループ の任 務 は 。
一九 三 五年 に相 談 の為 め モ ス コウ に参 りま し た時 、赤 軍 第 四
人 は、 ウ ク ライ ナで軍 隊 の統 率 を し て居 た 人 で官 吏 で はあ り ま せん
で した 。 従 って、私 の グ ループ に対 す る 任務 も、 ア カデ ミ カ ルな箇
本 部 の部 長 は 、 既 に ベ ルジ ンでは な く ウ リ ッキ ー に変 って居 り 、 同
条 書 に し た様 な も のを 課 し た訳 では あ り ま せ ん 。何 が、 モ ス コウ で、
左様 で あ りま す 。 そ れも 、 駐 日 独 逸 大使 館 の仕 事 に関 係 があ った の か。
被 告 人 は雑 誌 ゲ オポ リ テ ィー ク に度 々寄 稿 し た か。
ました。
答
四三問
左様 です °
ので あ り ま し て、 時 々発 展 し て行 く 事 態 に応 じ て、 問題 を選 択 し て
興 味 を持 た れ る か と云 ふ こと を、 想 起 さ せる 様 な 風 に任 務 を課 した
答
四四間
其 の理 由 に 三 つあ り ま し て、 第 一は 、其 の論 文 を 同 大 使 館 に与 へ、
幻言ゴ碧 ユ ωo﹁σqΦ
究 の為 め 、 二 ・二 六事 件 を 研 究 す る と 云 ふ こ と では あ り ま せ ん で し
活動 す る 自由 が与 へられ て 居 り ま し た。 Ⅰ例 を 申 し ま す と 、 二 ・二
人
に非 常 な 感銘 を与 へて居 りま した 。 第 三 は、 独 逸 の軍籍 部 と 外務 省 が
同 大 使 館 は そ れ を剰 用 し て居 り ま し た 。第 二 は、 之 によ り 同大 使 館
告
た。 即 ち 、支 那 に於 け る諜 報 活動 に 比 し、 問 題 の自 由選 択 の余 地 が
六事 件 を契 機 と した 日 本 の内 政 の研 究 であ りま し て、 日本 の内 政 研
被
年
佳
生
駒
事
自 分 に 注 意 を払 ふ様 に な った こと であ り ま す 。
通
三
二
本 の外 交 政 策 を 明瞭 に す る為 め に課 した のだ か ら、 諒 解 し て呉 れと
は第 四本 部 か ら軍 事 問 題 に 関 す る要 求 を お 前 に 課 し た が、 そ れは 日
解 読 さ れた 暗 号 電 報 の中 に斯 様 なも のが あ った 筈 であ り ます 。 そ れ
であ る と申 し ま し た 。 そ れ に付 て は、 多 分 Ⅰ九 三九 年 だ と 思 ひ ま す、
興 味 が な く 、 日 本 の外 交 政 策 を 判 然 さ せ る意 味 に於 て興 味 を起 す の
次 に軍 事 問 題 であ り ま す が 、 ウ リ ッキ i将 軍 は純 軍 事 問 題 は 大 し た
光
寅
広 汎 であ った 訳 であ り ます 。
村
林
右 通 事 を 介 し 読 聞 け た る処 、相 違 なき 旨 申 立 て署 名撫 印 した り 。
倉
リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ
申
人
裁判所書記
告
予 審 判 事
同日於同庁作之 東 京刑 事 地方 裁 判 所
被
第 十 三回 訊 問 調 書
次 に ウ リ ッキ ーが 、 私 及 ク ラ ウ ゼ ンと別 れ る 際 斯様 な こ とを 申 しま
ひま す 。
した 。 色 々お前 達 の任 務 に 付 、話 を し た が、 結 局 、唯 Ⅰ使 命 は、 お
の謝 罪 を し て. 釆 て居 り ま す 。 私 は此 の電 報 を 其 の証拠 に し た い と思
東 京刑 事 地方 裁 判 所 に於 て予 審 判事 中村 光 三は 、 裁 判 所 書 記倉 林 寅
前達 の情 報 に より 日 ソ聞 の開 戦 を 避 け る と 云 ふ こと であ る、 換 言 す
右 の者 に対 す る 治 安 維持 法 違 反 、 国 防 保 安 法 違 反 、 軍﹁ 機 保 護法 違 反
二 立会 の 上、 通 事 生 駒 佳 年 を 介 し 、前 回 に引 続 き右 被 告 入 に 対 し 訊
並 に軍 用 資 源 秘 密 保 護 法 違 反 被 告 事件 に付 、 昭 和 十 七 年 八月 六 日 、
問 す る こ と左 の如 し 。
答
六間 モ ス コウ か ら特 に 課 さ れ た特 殊 の活 動指 令 があ った のか。
答 其 の通 り相 違 あ り ま せ ん。
こ と だ と ウ リ ッキ ー が、 私 と ク ラ ウゼ ンと に対 し強 調 し た の であ り
り ま せん 。
れ ば 、日 本 と軍事 上 の紛 争 を 回 避 す る可 能 性 を ソ聯 に与 へる と云 ふ
ます。
其 の指 令 は、 箇 々 の出来 事 に付 細 か いこ とを 指 令 し た ので、 私 のグ
以 上 は 極 め て大 切 な事 柄 であ り ま す が共 の他 詳 し い こ と は手 記 に 記
した 。
自 由 な る行 動 を と ると 云 ふ こと を 承認 し て貰 ひた いと申 し て参 り ま
会 って、 そ れ は可 能 であ る と の返 事 を 致 し、 但 し独 逸 大 使 館 に於 て
云 ふ こと を 云 は れ て来 た ので あ り ま した 。 Ⅰ九 三 五年 ウ リ ッキー に
答 尾 崎 、 宮 城 、 ヴ ケ リ ッ チ 、 暫 く の 間 ギ ュ ン テ ル ・ シ ュタ イ ン、
で あ った か。
八 間 要 す るに 、被 告 人 の 日本 に 於 け る諜 報 グ ルー プ の成員 は誰 々
答 其 の通 り であ り ま す 。
此 の時 、 前 同 Ⅰ二三 丁初 行 乃 至 末 行 を 、通 事 を介 し 読 聞 け た り。
七間
ループ に対 す る使 命 に含 ま れ た事 項 であ り ま し た。
時 々指 令 が参 りま した が 、 そ れ は新 し い課題 と云 ふ訳 で はあ
か ら 、 日本 に於 て諜 報 活動 が可 能 であ る か 如何 かを 研 究 し て来 いと
尚 、最 初 に述 べな け れ ば な らな か った 注 意 す べき事 項 は、 ベ ルジ ン
載 した通 り で あ り ます 。
技 師 と し て マ ッ ク ス ・ク ラ ウ ゼ ン で あ り 、 同 人 等 は 私 の 直 接 の協 力
共 の点 に付 、 手記 に斯 様 に記 載 し てあ る が、 此 の事実 は如 何 。
モ ス コウ か ら与 へら れ るも のと 、 日本 に滞 在 中 発 生 し た種 々の事 件
二間 手 記 に よ る と、 日 本 に 於 け る被 告 人 の諜 報 グ ループ の任 務 は 、
者 であ り ま し た が 、
も あ り ま し た。
指 導 者 であ り ま し た、 第 二 に、 私 は 同時 に独 立 した情 報 の蒐 集 者 で
私 は第 一に技術 的 、組 織 的 、 内 容 的 な意 味 に於 け る 此 のグ ル ープ の
に基 き、 被 告 人 至 身 の選 択 し た任 務 と の二 つあ った のか 。 答 其 の通 り で あ り ます 。 三問 其 の内 、 モ ス コウ か ら与 へら れ た 任務 は 。 答 手 記 に A の 一か ら 七迄 書 いてあ る のが そ れ であ りま す 。
答 尾 崎 に付 て申 し ます が 、 彼 の所 謂 近 衛 グ ルー プ 、満 鉄 、 新 聞
九問 それ等直接成員 の情報出所は。
記 者 の知 人 、 個 々 の人 々及 彼 自 身 であ り ま し た。
答 そ れ は B と云 ふ章 、 下 に 一か ら 六に 亘 って詳 細 に書 い て居 り
宮 城 の主 な情 報 出 所 は 小 代 で あ りま す 、 そ の他 、所 謂 北海 道 の人 、
四間 被告人 の選択した諜報課題 は。 ます。
其 の他 、単・ に秘 書 と呼 ん で居 た 人 二、 三 人 の新 聞記 者 、時 々水野 か ら であ り ま し た。
五 問 そ れ で は、 モ ス コウ か ら与 へられ た諜 報 課題 、 及 被 告 人 の選
ヴ ケリ ッチ の情 報 出 所 は 、 同盟 通 信 社 、 ア バ ス通 信 社 、 外 国 の新 聞
択 した諜 報 課題 は斯 様 であ った のか 。
し読 聞 け た り 。
此 の時 、 記録 第 三冊 一 一〇 丁十 行 乃 至 一二二 丁末 行 を、 通 事 を 介
答
第 二 問 答 を 、通 事 を 介 し読 聞 け た り。
点 を 除 け ば其 の通 り であ り ます 。
被
通
告
幻ざげ費 山 ωo話 o
年
人
佳
生
駒
事
文 体 が ス パ イ等 と新 聞 記 者 的 文 体 に な って居 り ます が 、其 の
ンは 、英 国 大 使 館 関係 者 、外 国 新 聞 記 者 か ら で あ り ま した 。
記 者 、時 々仏 国 大 使 館 関係 者 か ら得 て居 り 、 ギ ュンテ ル ・シ ュタ ノ
私 自 身 の情 報 出 所 の、最 も優 れ た而 も 唯 Ⅰの情 報 出 所 は、 独 逸 大伸 館 で あ り ま した 。 其 の他 、広 汎 に亘 る 知 人友 人 であ り まし た が 、ナ は極 め て情 報 価 値 の低 い実 際 的 には 無 価 値 の様 なも の であ り ま し か
林
光
寅
三
二
同 日於 同 庁 作 之
村
右 通 事 を介 し 読 聞 け た る処 、 相 違 な き 旨申 立 て署 名 撫 印 し た り。
東 京刑 事 地 方裁 判 所
倉
が、 示 唆 を 受 け た り議 論 の種 を 提 供 し て呉 れ た程 度 であ り ま す。
そ れ では其 の点 に付 、 手 記 に斯 様 に記 載 し てあ る が 、 此 の涌
中
人
裁 判所書記
告
リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ
右 の者 に対 す る治 安維 持 法 違 反 、 国防 保 安 法 違 反 、 軍機 保 護 法 違 反
被
第 十 四 回訊 問 調 書
予 審 判 事
以 上 の点 に付 、 詳 し いこ と は手 記 に記 載 し た通 り であ り ま す 。 δ問
此 の時 、前 回 Ⅰ二四 丁 初 行 乃 自 一四 九 丁末 行 を 、通 事 を介 し読 聞
り相 違 な い か。
独 逸 大使 館 内 に於 け る 諜 報 方 法 は 。
其 の通 り相 違 あ り ま せん 。
け たり 。 答 一一 問
先 に 申 上 げ た い の は、 独 逸 大使 館 内 に於 け る 私 の活 動 は全 く
並 に軍 用 資 源秘 密 保 護 法 違 反被 告 事 件 に付 、 昭 和 十 七年 八月 七日 、
答
合 法 的 な も ので、 凡 ゆ る人 々は私 に情 報 を提 供 し て呉 れ ま し た。 加
二立 会 の上 、通 事 生駒 佳 年 を 介 し 、前 回 に引 続 き右 被 告 人 に対 し訊 問 す る こと 左 の如 し。
東 京 刑 事 地 方裁 判 所 に於 て予 審 判 事中 村 光 三 は、裁 判 所書 記 倉 林 寅
一間
何 な る情 報 も秘 密 に盗 ん だ も ので はな く 、 其 の筋 か ら合 法 的 に見 せ
前 回 、私 は独 逸 大 使 館 内 に於 て、 公式 の地 位 を 持 た ぬ と申 上げ ま L
モ ス コウ 中 央部 か ら与 へら れ た も の Ⅰ乃 至 七 、 至 ら選 択 し た 一乃 至
て呉 れ た も のであ りま す 。
た が 、第 二次 世 界 大 戦 の勃 発 以来 、独 逸 大 使 と の間 に契 約 を結 び、
六 の諜 報 課題 が あ った と述 べた が 、 そ れ で はそ れ等 に付 情 報 を 蒐 集
日 本 に於 け る被 告 人 の諜 報 グ ル!プ の任 務 と し て、 被 告 人 は
て居 り ま し た。 そ の契 約 は 非 公式 のも の では あ り ます が、 私 は オ ッ
外 部 に対 し ては 公 式 で は あ り ま せ んが 、 同 大使 館内 に於 て仕 事 を し
其 の点 に付 、 検事 に斯 様 に申 し て居 る が 此 の事 実 は 如 何 。
ます 。
答
左 様 であ り ま す 。極 く 一般 的 な範 囲内 に於 て其 の通 り で あ り
し 、 モ ス コウ中 央 部 に報 告 し た の か。
] 昌 問
ト 大 使 と の間 に契 約 書 を作 成 し て居 り ま し た 。
此 の時 、 被 疑者 リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ に対 す る第 三 十 六 回訊 問 調書
二問 そ れ では 、 モ ス コウ か ら与 へら れ た 任務 と し て記 載 し た、 一、 満 州 事 変 以 後 に於 け る 日本 の対 ソ政 策 を 、最 も綿 密 に観 察 す る こ と、 之 と同 時 に、特 に 日本 が ソ聯 に対 し て戦 争 を計 画 せる や否 や の問 題 を探 究 し て観 察 す る こ と。 二 、右 一の任 務 と関 連 し 、 ソ聯 に向 け ら れ る可 能 性 が あ る 日本 陸 軍 、 及 空 軍 の増 強 並 再 編 成 の正 確 な観 察 。 三、 ヒ ット ラー政 権 、獲 得 後 必 然 的 に緊 密 を加 へる に相 違 な い処
六、 西 暦 一九 四 一年 に於 け る大 動 員
答 左様 であ りま した 。 尤 も モ ス コウ か ら与 へら れ た任 務 の内 、
等 に付 て、左 様 であ った の か。
二 に対 す る結 果 は大 し たも の では な く 、 七 の結 果 も 薄弱 で あ り ま し た。
の題 目 を 述 べ て見 よ。
三問 日 本 に於 け る、 被 告 人 の諜 報 グ ループ の活 動 を 、 年 代順 に其
古 い時 代 から の こと で あり ま す か ら 、 細 かく 年 代 順 に申 上 げ
る こ と は難 しう 御 座 いま す が 、次 の順 序 で申 上 げ さ せ て戴 け ば 結構
答
だ と思 ひ ます 。 そ れ は、
の、 日 独 関 係 を探 究 す る こ と。 四、 日本 の対 支 政 策 に関 し て絶 えず 諜 報 す る こと 。
絶 え ず観 察 す る こと 、更 に軍 内 部 に於 け る 各種 の内 政 上 の潮 流
第 四 、 独逸 の日支 聞 の仲 裁
第 三 、 日支 事 変
第 二 、 日独 の接 近 と防 共 協 定
第 一、 二 ・二 六事 件
五、 英 米 に対 す る 日 本 の対 外政 策 を 、 詳 細 に観 察 す る こ と。
特 に 少壮 将 校 団 のそ れ を 精密 に観 察 す る こと 、 最後 に 日本 の各
第 五 、 日支 事 変 の激 化
六、 日本 の対 外 政 策 の進 路 を決 定 す る 、 日 本 軍 部 の実 際 的 役 割 を
種 政 治 圏 内 に於 け る 、 一般的 な内 政 上 の傾 向 を 綿密 に追 求 す る
げ た いと思 ひ ます 。 之 が 題 目 と し て思 ひ出 し得 る全 部 であ り ま す 。
で あ り ま し て、第 九 の条 項 の下 に、 日本 の大動 員 と云 ふ こと を 申 上
第 十 、 日 本 と英 米
第 九 、 独 ソ戦 下 の日 本
第 八、 第 二 次 世 界 大 戦 に於 け る日 本
第 七 、 日 独 同 盟 の締 結
第 六 、 日独 同 盟締 結 前 に於 け る 、 平 沼 内 閣 の交 渉 の不 成 立
こと 。 七 、 日 本 の重 工業 、 特 に 又 、 日本 戦 時 経 済 の発 展 に関 し て継 続 的 に諜 報 す る こ と 。 及 、 被 告 人 の選 択 し た諜 報 課 題 。 一、 西 暦 一九 三 六年 二月 二十 六 日 の、 所 謂 二 ・二六事 件 と其 の内
二、 日独 の同 盟 政 策
政 上 に及 ぼし た 諸作 用
三、西暦 一九三七年以降 の支那事変
四 問 二 ・二 六事 件 以 前 に於 け る活 動 は。
答 一九 三 三年 か ら 一九 三 五年 迄 の間 は 、本 来 の活 動 は出 来 ず 、
四 、 日 本 の英 米 と の古 き関 係 の崩 壊 五、 第 二次 世 界大 戦 と、 独 ソ戦 に対 す る 日本 の態 度
点 に付 ては 、手 記 の何 処 かに 其 のこ と を記 載 し て置 き ま し た。
一九 三 六年 にな って始 め て本腰 に仕 事 を 始 め た ので あ り ます 。 其 の
試 み にや った程 度 であ り ま す 。 一九 三 五年 暮 に モ ス コウ か ら帰 り 、
した 。
で は、 一般 に申 し て居 りま し た ので 岡 田内 閣 の出現 は意 外 であ り ま
は れ る の では な い か と云 ふ こと で あ り ま した 。 之 は当 時 外 国 人 仲間
そ れ は荒 木 大 将 、真 崎 大 将 と 云 ふ様 な人 が、 一種 の独裁 者 と し て現
九問 岡 田内 閣 の組 織 に関 し どん な情 報 を得 た か。
答 送 った と思 ひ ます 。
八問 其 の情報 は モ ス コウに 送 った か。
五問 其 の手記 の記載 は何処か。 此 の時 、 記録 第 三冊 を示 す 。 答 此 の 一二 四 丁十 八行 目 以 下 で あ り ます 。
答 岡 田内 閣 の出現 は今 申 し た様 に 非 常 に意 外 であ り ま し て、 之
六問 二 ・二六 事 件 以前 に於 ても 。
斎藤内閣辞職
か ら得 た情 報 であ り ま し て、私 は其 の様 に 其 の内容 の出 現 が 意 外 で
て居 て海 軍 が支 持 し て居 る と 云 ふ情 報 を 得 ま し た。 之 も 独逸 大 使 館
あ り 、 右 翼 の希 望 に反 し 、頗 る資 本 主 義 的 色彩 の濃 い内 閣 だ と 云 ふ
は 元 老西 園 寺 公 が 大 き な役 割 を演 じ て居 り 、大 資 本 家 が背 景 に な っ
独逸 の国際連盟脱退と日独の接近
様 に モ ス コウ へ報 告 し た と記 憶 しま す 。
岡 田内閣組織
右翼及暴力団弾圧
陸軍 パ ンフレ ット問題
相沢中佐事件
答 其 の 頃 の こ と で あ り ま し た 。
一 0問 そ れ等 は 昭 和 九年 西暦 一九 三 四 年 七 月 のこ と であ った か。
北鉄交渉
相 沢事件 に現 はれたる日本陸軍 の危機
た の で はな か った か と思 ひま す 。
答 そ れ は よく 覚 えま せ ん が、 多 分 オ ット武官 か、 尾 崎 か ら聞 い
二問 陸 軍 パ ンフ レ ット問 題 と は何 か。
等 に関 し諜 報 活動 を致 し た の では な いか。
日本 の対 ソ対支問題
答 其 の様 な事 実 は知 って居 り ま す が、 細 か い こと は よ く覚 え て
一二問 そ れ は 斯 様 な こ と で あ っ た の か 。
大使 館 に於 て フ ォン ・デ ィ ルク セ ン大 使 や 、 オ ット武 官 か ら 得 た情
程 度 のも ので はな く 、私 の研 究 の結 果 と意 見 とを モ ス コウ に報 告 し
答 其 の様 な こと で あ った と思 ひま す 、併 し、 そ れ は情 報 と云 ふ
五問 の答 の内 、 三 記載 の事 項 を、通 事 を介 し読 聞 け た り 。
此 の時 、 被 疑 者 リ ヒア ルド ・ゾ ルゲ に対 す る第 十 二回 訊 問 調書 第
居 りま せん 。 七問 斎 藤 内 閣 の辞職 に 関 し、 どん な 情報 を得 た か。
報 であ り ます が、 斎 藤 内 閣 が辞 職 した 後 には 、軍 人 の内 閣 が 成 立す
た の であ り ま し た。
答 当 時 、 私 は 日 本 人 に親 し い人 が な か った の で、 主 と し て独 逸
るだ ら う と 一般 に見 られ て居 る と 云 ふ こと であ り ま した 。 そ し て、
答 それ は 殆 ど覚 え ま せ ん。
一三 問 右 翼 及 暴力 団 の弾 圧 に付 ては。
一 四問 尾 崎 の情 報 と し て昭 和 十 年 頃 、右 翼 団 体 及 暴 力 団 に大 弾 圧 が あ ったと 云 ふ こと を知 った の では な いか 。 答 多 分 左様 であ った と思 ひま す、 当 時 それ に付 て多 く の裁 判 が
通
事 生 駒 佳 年
被 告 人 Richar d Sorge
行 は れ て居 た こ とを 知 って居 り ます 、 併 し、 其 の裁 判 や検 挙 の詳 し い こと は知 り ま せ ん でし た 。
同 日於 同 庁 作 之
裁判所書記 倉 林 寅 二
右 通 事 を 介 し て読 聞け た る処 、 相違 な き旨 申 立 て署 名 拇 印 し た り。
東京刑事地方裁判所
告
て呉 れま した 。 当時 、 宮 城 自 身 が 未 だ 日本 に帰 った 許 り で、 日本 の
答 情 報 と申 す よ り も、 宮 城 は 新 聞雑 誌 にあ った こと を私 に話 し
情 勢 を よ く 知 って居 り ま せん でし た 。
関 す る問 題 に付 、興 味 のあ る も のを拾 って話 し て呉 れ ま し た。
同 人 の話 し て呉 れ た内 容 はよ く 覚 え ま せ ん が、 日 本 の政 治 、 経 済 に
答 そ れ は如 何 も、 よ く 覚 え て居 り ま せ ん。
二問 尾 崎 と連 絡 した 後 、 同 人 か ら最 初 得 た 情 報 は。
三 問 五 ・ 一五事 件 と 云 ふ の を知 って居 るか 。
答 そ れ は 一九 三 一、 二年 の こ と で、 私 の日本 に来 る前 の こと と
な ら ば、 陸 海 軍 の軍 人 及 一般私 人 か ら成 る 一団 が、 犬 養 首 相 に対 し
思 ひ ます 、 多 分 そ れ は犬 養 首 相 に関 係 し た事 件 と思 ひま す が 、 そ れ
﹁話 せば 判 る ﹂ と 云 ふ言 葉 を よ く 覚 え て居 り ま す 。 之 は 、尾 崎 等 か
危 害 を加 へた こと であ り ま し て、 其 の当 時 犬 養 首 相 が 申 し た と 云 ふ
ら聞 いた と 云 ふ よ り は、 寧 ろ 日 本年 鑑 等 を見 て知 った のであ った と
答 私 は、 日本 に参 り ま し て か ら 日本 の 一般 的情 勢 を尾 崎 か ら話
四 問 尾崎 か ら も其 の様 な こと を 聞 いた か。
思 ひま す 。
人
予 審 判 事 中 村 光 三 第十 五回訊問調書 被
東 京刑 事 地 方 裁 判 所 に於 て予審 判 事 中 村 光 三 は 、裁 判 所 書 記 倉 林 寅
並 に軍 用 資 源 秘 密 保護 法違 反 被 告 事 件 に付 、 昭和 十 七年 八月 八 日 、
標榜 し、 神 兵 隊 の様 な も の が現 は れた こと 、併 し、 そ れ 等 の革 新 勢
答 左 様 です 、 右翼団 体 が進 出 し、 昭 和維 新 等 と云 ふ様 な革 新 を
況 に付 、情 報 を得 た か 。
五 問 尾 崎 か ら、 五 ・ 一五事 件 以 後 に於 け る国 内 革 新 勢 力進 出 の状
し て貰 った の で、 尾 崎 か ら 聞 いた こ とも あ った こと と思 ひま す 。
リ ヒ ア ル ド ・ゾ ル ゲ
二立 会 の上 、 通 事 生 駒佳 年 を介 し、 前 回 に 引続 き右 被 告 人 に対 し訊
力 の内 部 は分 裂 し て居 た と 云 ふ こ とを 聞 き ま し た。
右 の者 に対 す る治 安 維 持 法違 反 、国 防 保 安 注違 反 、軍 機 保 護 注 違 反
問 す る こ と左 の如 し。
之 等 は、 尾 崎 か ら も 聞 き ま し た し 、 日本 年 鑑 や古 い雑 誌 等 を 読 ん で
一問 奈 良 に於 て尾崎 秀 実 と連 絡 す る 以前 、宮 城 与 徳 か ら得 た情 報 が あ った か。
知 った の であ り ま す。
一一 問 被 告 人 は 、 駐 日前 独 逸 大 使 フ ォ ン ・デ ィル ク セ ン来 朝 の使 命
彼 は ロシ ヤか ら 赴 任 し た の で、 同 地 に於 け る経 験 を 基 礎 に し 、 日独
答 私 は彼 自 身 か ら そ れ に付 聞 き ま し た、 一般 的 に申 し ます と、
一 二問 其 の〓 末 は。
答 左 様 であ り ま す 。
に関 す る情 報 を 蒐 集 し た か。
答 い いえ 、斯 様 な歴 史 的 の事 柄 は 、 モ ス コウに は 報告 し て居 り
六問 そ れ 等 に付 ても モ ス コウ中 央 部 に報 告 し たか 。
ま せ ん。
フ レ ットを 見 た か 。
七 問 前 回 訊 ね た 、 ﹁ 国 防 の本 義 と其 の強 化 の提 唱 ﹂ と 題 す る パ ン
と 思 ひま す 。
的 に も政 治 的 にも 接 近 さ せ よ う とし た ので あ り ま し た。
のゾ ル フ が日 独 間 の文 化 的 接 近 を や ら う と し た と ころ を 、彼 は個 人
の接 近或 は同 盟 を 策 さ う とす る のが 彼 の使命 で あ り ま した 。前 任 者
併 し、 其 の翻 訳 は 独逸 大 使 館 で見 た ので あ り ま した 。
一三 問 そ れ では 此 の通 り の事 実 に相 違 な いか。
其 の点 に付 ては 、 検事 に詳 しく 述 べた 通 り であ りま す 。
答 そ れ は陸 軍 省 か ら多 数 に出 し た も の です から 、 私 も 見 て居 る
のか 。
此 の時 、 被疑 者 リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ に対 す る第 三 十 七 回訊 問 調 書
八 問 陸軍 省 の出 し た と 云 ふ パ ン フ レ ット自 体 は、 誰 から 入 手 し た
答 オ ット武 官 から 貰 った ので あ り ま した 。
答 其 の通 り 相 違 あ り ま せ ん。
第 二問 答 を 、 通 事 を介 し読 聞 け たり 。
一四 問 北 満 州鉄 道 譲 渡 交 渉 に於 け る我 政 府 の意 向 に 付 ても、 情 報 を
答 宮 城 も持 参 し て、 私 に見 せ る と 云 ふ こ とも あ り得 た こと であ
九 問 尾 崎 か宮 城 か 、 か ら入 手 しな か った か 。
り ま す が よく 覚 えま せ ん 。 私 は オ ット武 官 か ら 貰 った と思 って居 り
蒐 集 し たか 。
であ り ま す 。
情 報 を 集 め る 必 要 は なく 、 日 本 政 府 の意向 を知 る必 要 も な か った の
答 そ れ は ソ聯 当 局 の方 が詳 し い こと を知 って居 る の で、私 共 が
ます。 一〇 問 独 逸 の国 際 連 盟 脱 退 と 日 独 の接 近 に付 て は どん な情 報 を蒐 集 したか。
一五 問 其 の点 に 付 ても 、尾 崎 や 宮 城 が情 報 を集 め て来 た の では な い
答 其 の事 柄 は ヨー ロ ッパ に於 け る問 題 であ り ま す為 め 、当 地 で 情 報 を集 め る こ と は出 来 ま せ ん でし た が 、只 、 独 逸 が 国際 連 盟 を脱
あ るか 。
一 六問 其 の交渉 が 、今 に も決 裂 す る と 云 ふ様 な情 勢 が 見 え た こ とが
答 只 今 、特 別 の情 報 を得 た か 如何 か覚 え ま せん 。
か。
ま し た が、 只 今 の外 相東 郷 氏 に外 務 省 で面会 し 、 此 の問 題 に関 し 聞
セ ン大 使 の話 等 か ら確 か め る こ と が出 来 ま し た 。 尚 、 只今 思 ひ出 し
退 し た為 に、 其 の外 交 政 策 が 日本 に接 近 す る と 云 ふ こと はデ ィル ク
き質 しま し た が 、 同 氏 は余 り材 料 を 与 へて呉 れ ま せ ん で し た。
答 最 初 の、 尾崎 の助 け を 借 り た と 云 ふ点 は其 の通 り であ り ます 、
次 の交 渉 は 纒 ま る と 、尾 崎 が 申 し た こ と も其 の通 り であ り ま す が、
答 何 時 でも 左様 な情 勢 であ り ま し た。 一 七問 其 の様 な時 尾 崎 は、 之 は 東 洋 式 の遣 方 で、 必 ず 好 結果 裡 に交
半 ば 致 し て居 り実 際 に は 、 独逸 側 の見 方 は 其 の交 渉 の不 成 立 に 終 る
記 載 は其 の通 り で あ り ます 、 二 の独 逸 側 の見方 と 云 ふ処 は、真 偽相
る通 り であ り ます 。 私 と尾 崎 と宮 城 の、 三 人 の意 見 の内 、 一に あ る
情 報 を集 め て ソ聯 に送 る理 由 も な か った こ と は、 其 処 に も書 いてあ
一八 問 尾 崎 か ら、 満 州国 日系 官 吏 の 一部 、 及出 先 軍 部 等 の間 には ソ
答 それ は 尾崎 許 り で なく 誰 も 彼 も 申 し て居 り ま し た。
渉 が纒 まる と 申 し た か。
聯 が満 州 国 内 で、 北鉄 を維 持 し て行 く こ とは種 々の困 難 を伴 ふも の
の であ り ま し た。
私 の意 見 の点 は、 此 の交 渉 は成 立 しま し て も、 長 期 の平 和 を意 味 す
こ と、 そ し て絶 え ず 、両 国 間 に紛 糾 を 失 は な い こ とを 希 望 し て居 た
る こ と は、 日 本 の ソ聯 攻 撃 の 口火 とす る に 都合 が よ い とす る も の等
る も の で はな い、何 故 な ら ば、 日 本 の軍 部 は両 国 間 の長 期 に 亘 る平
であ り 、 結 局 、之 を 手放 さ なけ れ ばな ら な い時 期 が来 る だら う か ら 、
もあ る が、 一般 に は満 州 国 内 に敵 国 の鉄 道 が存 す る と 云 ふ こ とは 、
る と思 ひ ます 。
和 と 云 ふ こと に、興 味 を 持 って居 な いか ら であ る と 云 ふ こと に尽 き
日満 側 とし ては交 渉 を急 ぐ べき で はな いと す る も の、 乃 至 北 鉄 が あ
る とす る と云 ふ様 な情 報 が 入 った か。
何 時 か。
二一 問 被 告 人 が 、其 の問 題 に関 す る意 見 を モ ス コウ に報 告 し た のは
徒 ら に紛 擾 の因 を為 す のみ であ る から 、 交 渉 を成 立 せ し む べき であ
答 私 は 、 尾崎 か ら聞 い たか 、 街 頭 で聞 いた か よく 覚 えま せん が 、 其 の内 で、 一つ聞 いて居 る こ と があ り ま す 。 そ れ は、 何 れ ロシ ヤか
月 十 六 日 であ る が 、其 の交 渉 中 は 、 尾崎 や 宮 城 か らそ れ に関 す る情
二 二問 其 の交渉 が妥 結 し、 両 国 間 に 調印 を了 した のは 、 昭和 十 年 三
答 一九 三 四年 の終 頃 と記 憶 し ま す。
ま した 。
ら取 って仕 舞 へば よ いの だ か ら交 渉 の必要 は な いと云 ふ こと であ り
一 九問 尾 崎 か ら其 の様 な情 報 と共 に、 日 本 は北 鉄 譲 渡 交 渉 中 は ソ聯
報 が、 度 々入 って居 た の で はな いか 。
答 今 も 申 し た様 に、 此 の点 に関 し て情 報 と 云 ふ程 のも の は得 て
を攻 撃 は しな いだ ら う と の観 測 を 聞 いた こと が あ る か。
居 り ま せん が 、其 の交 渉 継 続 中 は 、時 々同 人 等 と意 見 の交 換 は致 し
答 左 様 な こと を 聞 い た と思 ひま す 。
て居 り まし た 。
二 三問 尾 崎 が 昭和 十 年 暮 か ら 昭 和 十 一年 一月 に掛 け て 、北 支 方 面 に
二 〇問 被 告 人 は 、北 鉄 交 渉 の点 に関 す る諜 報活 動 と し て、 司 法警 察
参 った こと が あ る か。
官 に対 し斯 様 に述 べて居 る では な いか 。 此 の時 、被 疑 者 リ ヒア ル ド ・ゾ ルゲ に対 す る第 十 三 回 訊 問 調書 中 、
答 彼 は 度 々旅 行 し て居 り ま す が多 分其 の頃 参 った ので あ った と
記 録 二 九 六 丁裏 八行 乃 至 二九 八 丁 裏 十行 の記 載 を 、 通 事 を介 し読 聞 け たり 。
り ま し て、 其 の様 に軍 隊 が政 治 運 動 の門 戸 を開 いた 為 め に 相 沢 中佐
の政 治 化 に反 対 し 枢 要 な地 位 に在 った為 め 、犠 牲 にな った も のであ
は 、革 命 的 な 考 へか らあ の様 な こと を 致 し 、永 田将 軍 は 其 の犠 牲 に
る と思 ひ ま し た。 其 の様 な こと は 、荒 木 将 軍等 のパ ン フレ ットを読
思 ひま す。 そ れは 北 支 と限 定 し た 訳 で は なく 、 支 那 に参 った の であ
答 尾崎 は新 聞 の為 め に 支 那 へ参 り ま し た の で、 私 は 同 人 に対 し
ん だ り、 陸 軍 部 内 の情 勢 を 聞 い た り し て判 断 致 し た の であ り ま す が、
な ったも のだ と 思 ひ ます 。 永 田将 軍 は 陸 軍部 内 に於 ても 、其 の軍 隊
何 か 面 白 い こと かあ った ら調 べ て来 る様 に と 一般 的 な 命 令 を し た だ
った と 思 ひ ます 。
け であ り ま し た の で、 同 人 がど ん な情 報 を持 って来 た か覚 え ま せ ん。
ット武 宮 、 其 の他新 聞記 者 等 の話 によ った も の であ り ま し た 。私 は
そ れ等 の材 料 は 其 の様 な文 書 や 、 或 は 尾 崎 、宮 城 等 か ら の情 報 、 オ
二四問 其 の結 果 、 尾 崎 か ら 何 か情 報 を得 た か。
二五問 支那 の大 官 殷 汝 耕 、 宋 哲 元等 と会 見 し たと の報 告 は な か った
と 云 ふ弁 論 の新 聞 記 事 を も読 み、 非 常 に 興味 を感 じま した 。
モ ス コウ か ら帰 った 後 、相 沢中 佐 の事 件 の法 廷 で酒 井 中 佐 の述 べた
か。
二八問 被 告 人 は そ の事 件 の本 質 に付 、 如 何 な る結 論 を 得 た か 。
答 あ った かも 知 れま せん が よ く覚 え ま せ ん。
と、 支 那 の戦 線 の動 向 は益 〓反 日 的 であ る こと等 か ら、 今後 の日本
二六問 尾崎 か ら、 支 那 側 の当 局 が 日 本 の進 出 に対 し猜 疑 し て居 る こ
こと であ り 、私 に と って重 要 な こと で も なく 、 諜 報 と 云 ふ程 のも の
答 其 の様 な話 はあ り ま した が 、 そ れ は誰 にも 判 って居 る自 明 の
中 佐 の、 弁 論 の記 事 を読 ん で、 相 沢 中 佐 の様 な 思 想 を 抱 いて居 る者
的 な も のを 性 格 と し て居 る者 のあ る と 云 ふ こ と であ り ま し た。 酒 井
が 内蔵 し て居 り 、 政 治的 活 動 を 要 求 す る 人 の 一部 には 革 命的 、 テ ロ
た のであ りま す が 、 当時 の結 論 と し て日 本 の軍 部 内 には 重大 な危 機
答 私 は、 本 当 のこ と は其 の後 の二 ・二 六事 件 に よ って よく 判 っ
で は あ り ま せ ん で し た。
の北 支 工作 は前 途 の困 難 が 、 予 想 さ れ る と云 ふ様 な 報 告 が あ ったか 。
二七問 相 沢 中 佐 の、 陸 軍 省 軍務 局 長 陸 軍 少 将 永 田鉄 山 刺殺 事 件 の性
は同 中 佐 のみ では な く、 他 に同 志 が 沢 山居 る と私 は 判 断 致 し ま した 。
答 最 初 、 私 は其 の事 件 に対 し非 常 に慎 重 な態 度 を と り ま し た、
か。
二九 問 其 の事 件 の情 報 に付 、 モ ス コウ 中 央部 に如 何 な る 報告 を した
質 に 関 し、 情 報 を 蒐 集 し た か。 答 其 の事 件 は、 私 が モ ス コウ に行 って居 り ま し た頃 起 った の で あ り ま す が 、私 は 一九 三 五年 九 月 日本 に帰 ってか ら 其 の問 題 に付 、 尾 崎 や宮 城 等 と会 って色 々話 を致 しま し た。
し て、 大 き な報 告 は 二 ・二六事 件 が起 ってか ら 、致 し た の であ り ま す。
そ れ は 、 確信 を持 った判 断 を 下 す こ と が出 来 な か った か ら であ り ま
実 は相 沢 事 件後 、 二 ・二六 事件 迄 は、 マ ック ス ・ク ラ ウゼ ンが参 り
一派 が 文書 に よ って宣 伝 を し た結 果 、 軍 隊 が 政 治 化 さ れ 、其 の様 に 軍 の最 高首 脳部 が軍 の政 治 化 を 図 った結 果 は 、 そ れ が 下層 に及 ん で、
其 の事 件 は要 す る に、 日 本 の軍 部 に於 け る 荒 木 将軍 、真 崎 将 軍 等 の
下 層 に於 て は 上部 の考 へと 違 った形 を 現 す こと に な る の は当 然 であ
尚 此 の際 申 上げ て置 きた い のは 、 二 ・二 六事 件 が 起 る迄 、私 は本 当
ってか ら 、 日本 の陸 軍 の危 機 と 云 ふ こ と を報 告 した ので あ り ます 。
ても ラジ オ に よ って も付 き ま せん でし た。 そ れ 故 二 ・二 六事 件 が起
ま し ても 、未 だ モ ス コウと の連 絡 が手 紙 によ っても 、伝 書 使 に よ っ
各 成 員 は 出 来 る だけ 事 件 の周 辺 に 居 て見 聞 し た こと を詳 細 に記 憶 し
る材 料 の蒐 集 で あ り ま し た。 一般 的 な活 動 の計 画 と致 し ま し て は、
吾 々のグ ルー プ の活 動 は、 毎 日 の出 来 事 の観 察 と 共 の時 々に現 は れ
し て居 り ま し た。
生
駒
佳
年
利 用 致 し ま した 。
日独 逸 大 使 デ ィ ル ク セ ン始 め同 館 員 の見 聞 し た色 々の事 項 を集 め て
て、 それ を 自 分 に 伝 へる と 云 ふ こと で あ りま し た。 之 を 実地 見 分 に
事
人 Ri c ha r d Sorge
よ る資 料 と申 し て置 き ます 。 そ れ を 補足 す る意 味 に於 て、私 は、 駐 告
の諜 報 活動 と 云 ふも のが 技 術 的 に も 内容 的 に も出 来 な か った のであ
被
ります。
通
答 そ れ は、 情 報 を集 め る迄 も なく 事 件 の全 貌 が公 然 と 判 って居
二 問 公 然 の事 実 だ と 云 ふ の は。
林
光
寅
三
二
て大使 館 に参 る こ とが 出来 ま し た。 そ れ 等 は 、私 が目 撃 した こと で、
私 は 大使 館 に行 かう と し た 際首 相 官 邸 前 が閉 鎖 さ れ て居 り、 暫 く 経
り 、 飛行 機 か ら撒 かれ た 伝 単 に至 る迄 皆 知 って居 り ま し た。 第 一、 倉
村
右 通 事 を介 し読 聞 け た る 処 、相 違 な き旨 申 立 て署 名 揖 印 し た り。 同 日 於 同庁 作 之 東 京 刑 事 地 方 裁判 所 裁 判 所書 記
中
此 の朝 既 に 此 の事 件 の全 貌 が 、東 京 市 内 に知 れ 渡 って居 た の であ り
予 審 判 事
叛 乱 軍 が占 拠 し て居 た 市 内 の小区 域 、 例 へば 山 王 ホ テ ルの前 等 では 、
ま す 。 そ れ か ら叛 乱 軍 が 興 津 に 行 き 、元 老 西 園 寺 公 を 襲 ひ、 湯 河 原
通 行 人 に向 って彼 等 の行 動 を起 し た趣 旨 を演 説 し て 居 り ま し た。 自
人
右 の者 に 対 す る治 安維 持 法 違 反 、 国 防 保 安法 違 反 、 軍 機 保 護 法 違反
分 は そ れ を 聞 き ま せん で した が 、 ヴ ケ リ ッチや 宮 城 が それ を 聞 い て
告
並 に軍 用 資 源 秘密 保護 法 違 反 被 告 事 件 に 付 、昭 和 十 七年 八 月 十 日 、
参 り ま し た 。 そ れ から 反 対 側 の動 作 も よく 知 れ て居 り ま し た 。叛 乱
被
東 京 刑 事 地 方 裁 判 所 に於 て予 審 判 事 中 村 光 三 は、 裁 判 所 書 記 倉 林寅
軍 を 包 囲 し た軍 隊 は、 帝 国 ホ テ ル の方 か ら 日 比谷 公 園 の方 に徐 々に
第 十 六回 訊 問 調 書
二立 会 の上 、 通事 生 駒佳 年 を介 し、 前 回 に引 統 き右 被 告 人 に対 し訊
で牧 野 伯 を襲 った と云 ふ こと も数 時間 に し て既 に判 って居 り ま した 。
問 す る こ と左 の如 し。
た事 実 であ りま した 。 尚 、海 軍 が、 艦 隊 の 一部 を動 員 し て、 一編 隊
包 囲 圏 を 圧 縮 し 、 日 比 谷 公園 に大 砲 を 据 ゑ た と 云 ふ こ とも 知 れ渡 っ
リ ヒア ル ド ・ゾ ルゲ
答 前 以 て申 上 げ た いこ と は、 二 ・二六 事 件 は公 然 の事 実 であ り
が芝 浦 に 参 り タ ンク等 を 上陸 さ せ、 外務 省 附 近 に陣 地 を 構 築 し た と
一問 所 謂 二 ・二 六 事件 に関 す る被 告 人 の、諜 報 グ ループ の活 動 は 。
ま し た の で、 私 は 独 逸大 使 館 に居 りま し た関 係 か ら、 自 ら 之 を 目撃
隊 の指 揮 者 が 、叛 乱 軍 と行 った 交渉 の内容 であ り ま し た 。
私 共 の知 ら な か った こ とで秘 密 に情 報 を得 る必 要 のあ った も の は、
云 ふ こと も知 れ渡 って居 り ま し た 。
で 、 そ れ は凡 ゆ る も のは 、天 皇 のも のだ と見 る の であ り ま す か ら 、
味 であ りま し た 。第 二 は、 凡 ゆる 所 有 を 天皇 に奉 還 す る と 云 ふ こ と
元老 西 園 寺 公 、 牧 野 伯等 、 天 皇 側 近 者 、 政党 等 を除 去 しろ と云 ふ意
と の間 の暗 雲 を 除去 せ よ と 云 ふ こと であ り ま し た。 暗 雲 と は 、議 会 、
に と って非 常 に興 味 のあ る問 題 であ り ま し た 。要 す る に、 彼等 の目
換 言 す れ ば、 資 本 主義 の排 除 を 意 味 す る ので あ り ま し て、 之 は自 分
海 軍 と陸 軍 と の交 渉 と、 其 の内容 及 鎮 定 の為 め包 囲 態勢 を と った部
三 問 そ れ で は其 の事 件 に付 てど ん な情 報 を得 た か 。
的 は政 治 的 、 社 会的 のも の であ った と 云 ふ こと であ りま す 。 此 の事
答 各 成 員 の齎 し た 情 報 は、 私 自 身 の得 た情 報 と殆 ど 同様 で、 只 少 し宛 違 った 処 があ る だ け であ り ま し た。 ヴ ケリ ッチと宮 城 は、 山
と 農業 と の緊 張 が、 此 の危 機 を招 いた のだ と 思 ひ ま した 。
は資 本 主 義 が強 大 に な り ま し て、 此 の強 大 にな り つつあ る資 本 主義
日 本 の軍 部 内 に於 て は 兵 士 は主 と し て農 家 の子弟 で あ り、 下 級 将校
件 の原 因 は、 日 本 は 未 だ封 建 的 な 色 々の束 縛 を受 け て居 り、 一方 に
其 処 に集 った 情 報 を 聞 い て参 り ま し た。
は 田舎 か ら出 た 中産 階 級 の も の で、 農 業 の危 機 を感 じ て居 り 、陸 軍
王 ホテ ル附 近 で見 聞 した 事 実 を持 って参 り、 尾 崎 は 一般 的 な情 報 を
情 報 の内 容 の、 一々に付 て は思 ひ出 せま せ ん 、只 、 漠 然 と其 の全 体
齋 した の であ り ま し た。 ヴ ケリ ッチ は特 に連 合 通 信 社 に居 り ま し て、
に 付 、 記憶 し て居 る だけ であ り ま す 。
は 此 の伝 声 管 の役 目 を 致 し た も の であ り ま す 。
は れ て居 る に 過 ぎ ま せ ん で した が 、 此 の事 件 に於 て、 陸 軍 が 此 の革
あ り ま し た 。併 し、 其 の諸 潮 流 は 、 只 、民 間 諸 団 体 の動 き に 一部 現
あ る 問 題 で あ り ま し た。 其 の 二は 、 此 の危 機 を 克 服 す る為 め、 政 府
に と っても 興 味 のあ る こ と であ り 、 又 、 モ ス コウ に と っても興 味 の
共 の 一つは、 此 の事 件 に よ って現 はれ た 日 本 の陸 軍 の危 機 は 、 自 分
今 、次 の 二点 を 附 加 し て申 上げ ま す 。
答 そ れは 、 今 迄申 し ま し た処 を 総 括 し た も の であ り ま し た 。 只
五問 此 の事 件 に付 、 モ ス コウ中 央 部 に対 し如 何 な る報 告 を し た か。
四 問 そ れ で は其 の結 果 、 該 事 件 の本 質 を如 何 様 に判 断 し た のか 。 答 大 体次 の様 に総 括 し て申 上 げ る こ と が出 来 ま す 。
新 的革 命的 潮 流 の主 流 を 買 って出 た と 云 ふ こ と であ り ま し た 。其 の
が陸 軍 の弾 圧 の下 に国 内 の社 会 的 革 新 を遂 行 す る か或 は 、 永続 的 な
陸 軍 は 、 そ の以前 数 年 間 、 革 新 的革 命 的 の諸 潮 流 の集 中 す る場 所 で
にも 翼 が あ り 、例 へば相 沢 中 佐 の如 き は其 の 一翼 であ り 、 又他 の 一
事 件 に直 接参 加 し た の は其 の 一部 であ り ま し た が、 陸 軍 に は其 の他
ふ こ とは を か し い言 葉 であ り ます が、 ト ロ ツキ ー の永 遠 の革命 と 云
膨 脹 政 策 を と る か と 云 ふ こ と であ り ま し た。 永 続 的 の膨 脹 政策 と 云
ふ言 葉 を 真 似 た 訳 で あ り ます 。 処 が 、 日本 は其 の後 に な って此 の後
翼 には 、 荒 木 、真 崎 両 将 軍 の如 き 合 法 的 な温 和 な立 場 の革新 主義 者
叛 乱 軍 の提 出 し た問 題 を、 彼 等 の言葉 に よ って 二 つに 分 け て考 へる
の方 法 を と った のであ りま す が 、私 は其 の場 合 、 日 本 が支 那 に向 ふ
があ りま した 。 民間 に は其 の他 に も 色 々の潮 流 があ りま し た。
こ とが 出 来 ま し た。 其 の 一つ は政 治 的 な事 柄 で、 そ れは 天 皇 と国 民
か或 は ロ シヤ に向 ふ か と云 ふ こと も 、 右事 件 の当 時 研 究 を 致 し て モ ス コウ に報 告致 し ま し た。 私 は 日 本 の支 那 に向 ふ こ とは神 功 皇后 以 来 の伝統 で あ り ます か ら、 多 分 支 那 に向 ふ だ ろ う と云 ふ可能 性 を、 モ ス コウ に報 告 した と 記憶 し ます 。 六問 そ れ等 の報 告 は 如 何 な る方 法 で致 した か 。 答 之 は、 稽 〓広 汎 な 報 告書 を作 り、 伝 書 使 に託 し て モ ス コウ に
裁 判 所書 記
倉
村
林
光
寅
三
二
リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ
中
人
予 審 判 事
告
第 十 七回 訊 問 調 書
被
右 の者 に 対 す る治 安維 持 法 違 反 、 国 防 保安 法 違 反 、 軍 機 保護 法 違 反
並 に 軍 用資 源 秘 密 保 護 法 違 反被 告 事 件 に付 、 昭 和 十 七年 八月 十 一日 、
報 告 致 し ま した 。 尤 も 、 当時 ク ラ ウ ゼ ンも 来 て居 り 、無 電 の装 置 も
二立 会 の上 、通 事 生駒 佳 年 を 介 し 、前 回 に引 続 き 右被 告 人 に対 し訊
東 京 刑 事 地 方 裁 判 所 に於 て予 審 判 事 中 村光 三 は、 裁 判 所書 記 倉 林 寅
問 す る こ と左 の如 し 。
し てあ り ま し た が、 其 の能 率 が 私 に よ く判 ら な か った ので 、殊 に暗
一問 被 告 入 が 所 謂 二 ・二 六事 件 に関 し、 独逸 の雑 誌 ゲ オポ リ チ ー
号 の仕事 は私 が自 身 で致 し て居 った為 め 、 モ ス コウ に対 し幾 ら か は 無 電 で も報 告 し ま し た が、 大 し た こと では あ り ま せ ん で した 。
ク に送 った論 文 は 、 西 暦 一九 三 六年 同 雑 誌 五月 号 に エル エスと 云 ふ
答 左様 です 。 フ ラ ン ク フ ルタ ー と ア ルゲ マイネ ・ ハンデ ル スブ
七問 被 告 人 は、 此 の事 件 に関 し論 文 を も 執 筆 し た か。
に於 け る軍 隊 の叛 乱 と題 し、 一、 二 ・二 六事 件 見 聞 記 、 二 、 二 ・二
署 名 で執 筆 し てあ る論 文 で、 昭 和 十 七年 押 第 五 三号 の九 の通 り東 京
六事 件 の意 義 と 云 ふ見 出 を 附 け た 記事 で あ った か。
ラ ット と に記 事 を送 り、 ゲ オポ リ チー クに も論 文 を送 りま し た 、之 等 は自 分 の合 法 化 の為 め であ り ま す。
答 左様 で あ り ます 。
此 の時 、 被 疑 者 尾 崎秀 実 に対 す る第 十 二回 訊 問 調書 の第 五問 答 を 、
二 問 二 ・二 六事 件 に関 す る尾 崎 秀 実 の諜 報 活 動 は斯 様 であ った か 。
八問 此 の事 件 に付 て の諜 報 活 動 に付 ては 、 司 法警 察 官 に対 し第 十 三回 訊 問 調 書 中 に詳 しく 述 べて居 り、 検 事 に対 し て主 と し て独 逸 大
生
駒
佳
年
人 Ri chard Sor o ge 事
四 問 ヴ ケ リ ッチ の其 の事 件 に関 す る 活 動 は。
て居 り ます が、 其 の他 は覚 え て居 り ま せん 。
答 其 の事 件 に関 す る 民衆 の感 情 と云 ふ こと で あ った こ とは 覚 え
国 民 に及 ぼ す影 響 、 及 日 本 政 治 に及 ぼす 影 響 と 云 ふ事 項 であ った か 。
三問 同 事 件 に関 す る宮 城 の諜 報 活 動 は要 す る に、 其 の事 件 の 一般
答 詳 細 は 覚 え ま せ ん が、 其 の通 り で あ った と思 ひま す 。
通 事 を介 し読 聞 け た り 。
使 館 に 於 け る 活動 と し て、 其 の事 件 に 関 し第 三十 七回 訊 問 調 書 に詳 し く 述 べて居 る が 、其 の事 実 は 如 何 か 。
告
答 警 察 官や 検 事 に対 し述 べた 通 り に相 違 あ り ま せん 。 被 通
右 通 事 を 介 し読 聞 け た る処 、相 違 なき 旨 申 立 て署 名 拇 印 した り 。 同日於同庁作之 東 京刑 事 地 方 裁 判 所
答 其 の事 件 の 一般 の説 明 で あ り ま し た。 五 問 其 の事 件 の内 政 上 に 及 ぼす 影 響 に付 ては 如 何。 答 そ れ は覚 えま せん 。 六 問 其 の事 件 は 、 昭 和 十 一年 二月 二十 六日 に発 生 し た の か。 答 左 様 です 。 七問 其 の事 件 に 関 す る情 報 を集 め た り、 モ ス コウ に報 告 し た りし た の は何 時 か。
二問 被告 人 は広 田内 閣 に 関 す る諜 報 活 動 と し て、司 法 警 察 官 に斯
ます。
様 に述 べ て居 る が 、此 の事 実 は 如何 。
此 の時 、前 同調 書 、 二九 二 丁表 四行 目 乃 至 二 九 四 丁裏 一行 目 の記
答 略 〓其 の通 り であ り ま す 。
載 を 、 通 事 を 介 し読 聞け たり 。
一 二問 尚 、宇 垣 大 将 の組 閣 失敗 に関 す る諜 報 活 動 に付 て述 べ た此 の 事 実 は 如何 。
此 の時 、前 同 調 書 、 二 九 四 丁裏 二行 目 乃 至 二九 五 丁裏 三行 目 の記
答 日時 は よく 覚 え ま せ ん が、 事 件 直 後 の こと で あ り ます 。 出 来 る だけ 早 く 情 報 を 集 め て報 告 致 し ま した 。
載 を、 通 事 を 介 し 読 聞 け たり 。
答 モ ス コウに は 、既 に判 って居 る 様 な 事柄 で し た か ら報 告 は致
し ま せん でし た が 、其 の他 は其 の通 り に相 違 あ り ま せ ん。
答 無 論 集 めま し た。
八 問 其 の事 件 後 の、 兵 士 の処 分 に付 ても 情勢 を 集 め た か。
そ れ は兵 士 は兵 営 に帰 さ れ 、監 禁 さ れ、 外 出 を 許 さ れ ま せ ん で した 。
此 の時 、 前 同 調 書 中 二 九 五丁 裏 四 行 目 乃 至 二九 六丁 裏 五行 目 の記
一 三問 林 内 閣 に関 す る諜 報 活 動 は、 斯 様 な こ と で あ った か。
載 を 、通 事 を介 し読 聞 け たり 。
し た の は 一人 だ け で、他 は悉 く 捕 縛 さ れ軍 法会 議 に附 さ れま した 。
指 導 者 た る将 校 達 は 皆 自 殺 す る も の と期 待 し て居 り ま し た が、 自 殺
其 の後 右 軍 隊 は満 州 に派 遣 さ れ ま した 。 そ れ等 の情 報 は私 自 身 も集
答 其 の中 には 私 の申 し た こ とも あ り ま す が、 私 の申 し た こ とを
誤解 し た為 め 混 乱 を来 た し た点 が あ る と思 ひ ます 。 併 し 、私 は林 内
め ま した が 、 恐 ら く宮 城 や 尾 崎 も 集 め た ので あ った と思 ひま す 。 九 問 そ れ は モ ス コウ中 央 部 に報 告 し た か 。
閣 に付 て どん な情 報 を集 め たか 共 の点 に付 て は、 よく 覚 え て居 りま せ ん。
答 簡 単 に 報告 し ま した 。 一 〇問 被 告 人 は 二 ・二 六事 件 後 の粛 軍 に 付 、 司法 警 察 官 に斯 様 に述
一四 問 日 独 の接 近 と、 防 共 協 定 に 関 す る被 告 人 のグ ループ の諜 報 活
崎 、 宮 城 は 最 初 は 全然 此 の問 題 に は 関係 あ りま せ ん で し た。
関 す る情 報 は 、私 の独 逸 大 使 館 に於 け る活 動 に基 い て居 りま す 。 尾
答 それ に 付 ては 、詳 しく 検 事 に申 上げ た通 り であ り ます 。 之 に
動 は。
べ て居 るが 此 の事 実 は如 何 か。 此 の時 、被 疑者 リ ヒア ルド ・ゾ ルゲ に対 す る第 十 三回 訊 問 調 書 中 、 記 録 二八 九 丁表 七 行 目乃 至 二九 〇 丁 裏 二行 目 の記載 を 、通 事 を 介 し読 聞 け た り 。 答 之 は 非 常 に文 章 が慶 昧 であ りま す が、 意 味 は其 の通 り であ り
一 五問 そ れ等 は 、 此 の通 り の事 実 で あ った か。
答 当 時 南 京 と の間 に、 一般 的 な交 渉 が 進 め ら れ 、主 と し て経 済
が 入 った か。
上 の接 近 に付 て交 渉 が行 はれ た こと を知 って居 り ま す が尾 崎 から 如
此 の時 、被 疑 者 リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ に対 す る第 三十 七 回 訊 問 調書 第 四 問 答 を 、通 事 を介 し読 聞 け た り 。
何 云 ふ報 告 を 受 け た か覚 え て居 りま せ ん。
逸 大使 館 に於 て情 報 を集 め ま し た。 其 の内 容 は、 当 時 未 だ 、 軍 と議
答 左 様 です 、 此 の場 合 も 私 は宮 城 や尾 崎 の協 力 を 得 、 又 自身 独
質 に関 し如 何 な る諜 報 活 動 を した か 。
一 九問 昭 和 十 二年 六 月成 立 した 第 一次 近衛 内 閣 の成 立 事情 及其 の性
答 其 の通 り相 違 あ りま せ ん 。 一 六問 尾 崎 か ら は 、其 の点 に付 ﹁此 の防共 協 定 は、 独 逸 と 結 ん で ソ
ロ ップ と交 渉 に 当 って居 る白 鳥 、 大 島 等 に よ って之 を軍 事 同 盟 に発
聯 を撃 た う と す る 軍部 、 及 外 務 省 の 一部 少数 派、 及 独 逸 リ ッベ ント
と 云 ふ が如 き イ デ オ ロギ ー的 な実 体 のな いも のに な った の は、 日 本
展 せ し む べき 含 みを 持 って居 る こ と、 それ にも拘 ら ず遂 に防 共 協 定
も 二 ・二 六事 件 以 後 行 は れ て居 らず 、 此 の様 な重 大 な 時期 に 組閣 さ
会 と の関 係 が 円 滑 に行 か ず紛 糾 し て居 た時 で あり 、 尚 内 政 上 の改 革
れ た の であ り ま し て、 そ れ は近 衛 公 其 の人 と 云 ふ点 に重 大 性 を持 っ
政 府 の上 層 部 は 其 処迄 行 く こ とを 希 望 し て居 な い為 め に其 の意 見 に 制 せ ら れ た為 め であ る ﹂ と の情 報 を報 告 さ れ た か 。
て居 る と 云 ふ こ とで あ り ま し た。 其 の時 明 か であ り まし た のは 、 日
本 が 内政 上、 外 交 上 一種 の袋 小路 に入 って居 る状 態 であ り ま し た が 、
答 左 様 です 、 其 の通 り相 違 あ り ま せん 。 一 七問 其 の防 共 協 定 の締 結 さ れ た のは 昭 和 十 一年 十 一月 二十 五 日 で
ま せん が 、斯 様 な情 報 を 得 て居 り ます 。 そ れ は近 衛 公 が組 閣 す る に
近 衛 公 が何 と か し て之 を 外 に出 さう と し て居 る こ と であ り ま し た 。
当 っては 近衛 公 自 身 が権 力 の実 権 を握 り、 軍 が之 に従 属 す る と云 ふ
当 時 尾崎 か ら か、 独 逸 大 使 館 か ら か、 其 の何 れ で あ った か よく 覚 え
答 多 分 同 年 四、 五月 頃 か ら其 の協 定 の締 結 さ れ る迄 続 け ま した
こ とを 前 提 と し て組 閣 を 引受 け た と 云 ふ こ と であ り ます 。
あ る が、 被 告 人 の諜 報 グ ループ に於 て情 報 を 蒐集 し モ ス コウに 報 告
が 、 モ ス コウ に は最 初 の内 だ け 報告 し 、後 にな っては其 の様 な 協 定
二 〇問 そ れ に関 す る報 告 を モ ス コウ中 央 部 に致 し た か。
し た のは何 時 か。
しま せん でし た 。
が 締 結 さ れ る だ らう と云 ふ こと が判 って来 た の で モ ス コウ に は報 告
こ とを 報 告 し た と思 って居 り ま す 。
答 細 か いこ と は只 今 記 憶 し て居 り ま せ ん が、 大 体今 述 べた 様 な
二一 問 尾 崎 か ら の其 の点 に関 す る情 報 は、 斯 様 な 内 容 で あ った か。
オ ットが 最初 得 た報 告 が何 時 であ った か、 其 の詳 し い日 時 は覚 え ま せん 。
の内イ 乃至 二 の記 載 を通 事 を介 し読 聞 け た り。
此 の時 、 被 疑 者 尾崎 秀 実 に対 す る 第 十 三 回訊 問 調 書 中第 三問 の答
尾 崎 か ら の右 情 報 は 、私 の手 に達 し て入 り 、余 り価 値 があ り ま せ ん
一 八問 昭 和 十 一年 秋 頃 尾崎 か ら南 京 に於 け る 日支 交 渉 に付 て の情 報
で し た。
答 其 の通 り相 違 あ り ま せ ん。 二二問 其 の頃 、宮 城 か ら乾 盆 子島 事 件 に付 て情 報 を 得 た か。 答 そ れ に付 て は、 宮 城 か ら も報 告 を受 け て居 る か も知 れ ま せ ん が 、私 は新 聞 記 者 と し て日 本 の発 表 を聞 い て居 り ま す の で、 宮 城 か
行 す る 場 合 に は 、何 等 政 府 と 相談 す る こ とな し に之 を実 行 す る 例 で
あ った が 、 此 の場 合 も 矢 張 り 左様 で あ った と云 ふ こと であ り ま し た
へた 処 で あ り ます 。 宮 城 と も 同 様 であ り ま す 。
之 等 は 、私 が独 逸 大 使 館 の人 と話 を した り 尾 崎 と話 を した り し て考
ま し た の で、 此 の事 変 が 短期 間 に終 る こと は なく 非 常 に 長 期戦 に な
て居 た こ と と は反 対 に 、私 と尾 崎 とは 新 し い支 那 を よく 知 って居 り
る だ ら う と云 ふ見 透 を付 け て居 り ま した 。
事 変 の見 透 に付 ては 、 大多 数 の外 人 や 日 本 の各 指 導 者 が 公 然 と申 し
し ま せ ん で した 。
二六問 そ れ等 の点 に 付 モ ス コウ中 央 部 に報 告 し た か。
の方 が事 実 を詳 しく 知 って居 り ま す ので、 私 か ら は モ ス コウ に報 告
二 三問 此 の事 件 は 、 昭 和十 二年 六月 十 九 日 か ら発 生 し たも ので 我 政
ら の報 告 が 如何 様 であ った か 覚 え て居 り ま せ ん。 此 の事 件 は、 ソ聯
府 の発 表 は同 年 七 月初 の様 であ る が 、 政府 の発 表 前 宮 城 か ら何 等 か
答 細 か い こ とは覚 え ま せ ん が、 大 体 今述 べた 様 な 意 味 のこ とを 報 告 致 し まし た 。
三七 問 尾 崎 か ら は其 の点 に関 し我 方 の不拡 大 方 針 に付 、閣 内 に意 見
答 そ れ は よく 覚 えま せん 。
の情 報 を得 た の では な いか 。
二四 問 宮 城 か ら我 軍 の不拡 大 方 針 に関 す る情 報 を得 た の では な か っ
同 日 於 同庁 作 之
被
通
告
生
駒
佳
年
人 Ri chard Sorg e
事
右 通 事 を 介 し読 聞 け た る処 、 相違 な き旨 申 立 て署 名拇 印 した り 。
ん。
答 其 の様 な こ と があ った か も知 れ ま せん が 、 只 今思 ひ出 せま せ
の対 立 があ る と の情 報 が入 った か 。
答 今 よ く覚 え て居 りま せん が 、或 は左 様 であ った か も知 れ ま せ
た か。
ん 、拡 大 し な か らう と云 ふ こと は 、当 時 誰 も が思 って居 た こ と であ りました。 二五問 昭 和 十 二年 七 月 勃 発 し た 日支 事 変 の原 因 、 及 共 の見 透 に付 て
答 其 の原 因 に付 て申 し ま す と、 第 一に、 二 ・二 六事 件 の際 にも
の諜 報 活 動 は 。
村
林
光
寅
三
二
申 上 げ た様 に、 日本 が 内 政 上 の袋 小 路 か ら脱 出 し て北 支 に膨 脹 し よ
倉
東 京 刑 事 地 方裁 判 所
申
リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ
裁判所書記
人
予 審 判 事
告
う と し て居 る と 云 ふ こ と、 第 二 に、 ず っと以 前 一九 三 二年 か ら 一九
被
第 十 八 回訊 問 調書
三 五年 に 亘 って、 日 本 の軍 部 は満 州 国 をも の にし た ので、 北 支 を も 経 済 的 、 政 治 的 に勢 力 範 囲 と し よう と 企 てて居 り、 之 が 此 の事件 に よ って現 はれ た も の であ る こ と、第 三 は 日本 の軍 部 が 膨脹 政 策 を 実
衛 公 が軍 の決 定 に対 し 今 迄 よ り も強 力 に牽制 す る目 的 で設 置 さ れ た
そし て其 の時 、 私 の知 り得 た大 本 営 設 置 の事 情 は、 要 す る に首 相 近
も のだ と云 ふ こと であ り ま した 。 即 ち 大本 営 に天 皇 陛 下御 自 身 出 御
で し た。
二立 会 の上 、通 事 生駒 佳 年 を 介 し 前 回 に 引続 き右 被 告 人 に対 し訊 問
東 京 刑 事 地 方裁 判 所 に於 て、 予 審 判 事 中 村光 三 は裁 判 所 書 記 倉林 寅
に な り決 定 を為 され る 為 、軍 人 以 外 の人 々も参 加 す る の で軍 事 上 の
右 の者 に対 す る治 安維 持 法 違 反 、 国防 保安 法 違 反 、 軍 機 保 護 法違 反 、
す る こと 左 の如 し 。
った と思 ひま す 。
活 動 に対 し軍 人 以 外 の人 が積 極 的 に容 喙 出 来 る こ と に な った ので あ
並 に軍 用 資 源秘 密 保護 法 違 反 被 告 事件 に付 、 昭 和 十 七 年 八 月 十 三 日
一問 昭 和 十 二 年 終 り頃 以来 の、 独 逸 に依 る 日支 間 の和 平 幹 旋 交渉
答 報 告 した と 思 ひ ます が、 如 何 云 ふ内容 の こ とを 報告 し た か只
五 問 共 の点 に関 し モ ス コウ中 央 部 に報 告 し た か。
に関 す る 諜 報活 動 は。 答 其 の点 は検 事 に詳 しく 申 上 げ た通 り であ りま す 。 そし てそ れ は 昭 和十 二年 十 二月 頃 か ら昭 和 十 三年 一月 に掛 け て の こと で あり ま した。
六問 尾 崎 秀 実 が 昭 和 十 二年 十 二月 頃 か ら 翌年 二、 三 月頃 迄支 那 を
今 記 憶 しま せん 。
八問 そ れ では 尾 崎 か ら それ に付 て何 か報 告 があ った か 。
ま し た。
答 興 味 あ る 事 実 が あ った ら それ を集 め て自 分 に報 告 せ よ と申 し
七問 其 の際 被 告 人 は尾 崎 に対 し情報 蒐集 を頼 んだ か 。
記者 と し て の職 業 上参 った の であ った と 思 ひ ます 。
答 あ り まし た 、併 し そ れ は私 が 遣 った の で はな く 多 分彼 の新 聞
旅 行 した こ とが あ った か。
二問 それ は 此 の通 り の事 実 に相 違 な いか 。 此 の時 、被 疑 者 リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ に対 す る第 三 十 七 回 訊 問 調書 中 第 五問 答 を 通 事 を介 し読 聞 け たり 。 答 其 の通 り 相 違 あ り ま せ ん。 三 問 其 の 点 に関 し ては 尾 崎 、 宮 城 、 ヴ ケ リ ッチ等 の成 員 か ら は情 報 を得 な か った のか 。 答 始 の内 は何 も 聞 い て居 り ま せ ん で し た が、 独 逸 に依 る其 の日 支 和 平交 渉 の噂 が広 ま ってか ら 後 は、 同 人等 か らも 報 告 が あ った と
答 私 は当 時 香 港 に参 り、 同 地 で尾崎 に会 ひ、 南 支 那問 題 に関 し
て意 見 の交 換 を 致 し ま し た。 そ れは 一般的 に 日支事 変 に於 け る南 支
思 ひま す が其 の内 容 は覚 えま せん 。 四問 昭 和 十 二年 十 一月 頃 に 於 け る大 本 営 設 置 事 情 に関 す る諜 報 活
那特 に香 港 の役 割 に付 て 二人 で話 を し た の で上 海 方 面 の話 は少 な か
と蒋 介 石 と の連 絡 を絶 たな い のか と 不思 議 に思 ひま し た。 尾 崎 が 帰
った と覚 え ます 。 吾 々二 人 は 日本 が 何故 も っと早 く 南 支 に於 て香 港
動は。
を 持 って居 る か と 云 ふ こ とを 尋 ね ま し た 。多 分 尾 崎 と宮 城 か ら も何
京 後 私 に報 告 し た こと は細 か い こと を覚 え て居 り ま せ ん。
答 そ れ に付 て は、 私 が主 と し て独 逸 大使 館 で之 は如 何 云 ふ意 味
等 か の報 告 を齎 ら し た と思 ひま す が 、 ヴ ケ リ ッチ は持 って来 ま せ ん
此 の時 被 疑 者尾 崎 秀 実 に対 す る 第 十 三 回訊 問 調 書 中 第 六 間 の答 の
九 問 尾 崎 は 帰京 後 被 告 人 に対 し 斯様 な情 報 の報 告 を し た か 。
内 イ 、 ロ 、 ハ の記載 事 実 を通 事 を 介 し読 聞け た り。
一 三問 尾 崎 か ら維 新 政府 を作 る こ と に対 し て は北 支 軍 当 局 は反 対 で
あ った が、 中 支 軍 当 局 は之 を熱 心 に主 張 し 、特 務 機 関 の誰 か が飛 行
と って興 味 のな い問 題 で あ り ま し たか ら よ く覚 え て居 り ま せ ん 、 そ
答 其 の様 な 話 が あ った こ と はあ った と思 ひ ます が、 それ は私 に
機 で東 京 に其 の要 求 の為 め参 った と云 ふ 様 な話 がな か った か 。
って興 味 のな い事 柄 であ り ま した 。ハ に付 て は只 今 も 申 し た 通 り私
一 四問 昭 和 十 三年 五月 外 務 大臣 広 田弘 毅 が辞 職 し、 宇 垣 一成 大 将 が
れ 故 モ ス コウ にも 報 告 し て居 な いこ と と思 ひ ま す。
答 イ と ロ に付 ては聞 い た覚 えは あ り ま せ ん。 そ れ等 は 自 分 に と
であ りま し て、尾 崎 か ら話 があ り まし た が そ れ は情 報 と云 ふ程 のも
答 宇 垣 は ク レ ーギ ー と 仲 が好 か った から会 見 し た こ と と思 ひま
報 を得 た か。
一 六間 其 の後 宇 垣 外 相 が ク レーギ ー大 使 と会 談 し た こ とに 付 ても情
答 其 の様 な 情 報 も あ った こ と と思 ひま す 。
さ れ た と の情 報 を 受 け な か った か。
一 五 問 支 那 事 変 解 決 の為 め に英 米 と の妥協 の含 み で宇 垣 外 相 が起 用
も情 報 を集 めた と 思 ひ ま す が其 の細 か い こと は覚 え ま せん 。
た と 云 ふ事 情 か ら外 相 の更 迭 があ った も のだ と思 ひ ます 。 之 に 付 て
変 の激 化 を欲 しな か った こと、 之 に反 し近衛 首相 は寧 ろ之 を 準 備 し
答 広 田外 相 は 日支 事 変 を何 等 か の方 法 で解 決 さ せ た い とし 、事
其 の後 任 と し て就 任 し た 事情 に関 し情 報 を 集 め た か。
も 尾 崎 も 日 本 が 南 支 に進 出 し な い こと に 付 て、 不思 議 にし て居 た程
の で はな く 同 人 の見解 に過 ぎな いも のと 思 は れ ます 。 尚 尾 崎 か ら は当 時 、
一、 上 海 香 港 方 面 に於 け る英 米 人 の意向 、英 人 は特 に憤 慨 し つ つ
一 〇問
あ るも 日 本 と蒋 と の妥 協 を 望 ん で居 る こ と。
終 結 を 望 ん で居 る こ と。
一一 、 独 逸 商 人 の意 向 、 そ れは 日 本 の遣 方 に迷 惑 を 感 じ つ つ事 変 の
三 、 支 那 人 商 人 の意 向 、 抗 日 意 識 か ら で は なく 商 売 上 の考 慮 か ら 日本 人 を 信用 し て居 な い こと 。 四 、 支 那 人 一般 の抗 日意 識 、 之 は国 共 合 作 傾 向 の自 然 的 増加 等 に 付 て の情 報 の報 告 があ った か 。 答 そ れ は よく 覚 えま せん が其 の様 な報 告 が あ った こと はあ った と 思 ひま す 。併 し之 は特 に新 し いこ と で はな く 私 も 既 に支 那 に於 て
一 七問 尾 崎 か ら右 外 相 の更 迭 は広 田外 相 が支 那 事変 に 不活 発 であ っ
対 英 妥協 に反 対 であ る こ と等 であ ると 云 ふ意 味 の話 が あ った か。
其 の理由 は閣 内 に宇 垣 反対 の意 向 が存 在 し て居 る こ と、 国 内 輿 論 は
と云 ふ こと 、及 宇 垣 ク レー ギ ー会 談 の見 透 に付 そ れ は失 敗 であ ら う 。
た こと 、事 変 解 決 の為 め 英 米 と の妥 協 の含 み で宇垣 外 相 を 起 用 し た
す 、 そ れ に付 ても 情 報 を得 た と思 ひ ます が其 の内容 も覚 えま せん 。
一一 問 其 の様 な情 報 も モ ス コウ中 央部 に報 告 し た か。
聞 い て居 た 処 であ り ま した 。
答 そ れ は余 り 一般 的 であ り ま し た か ち報 告 致 し ま せ ん。
答 そ れ は致 しま せん 。
一 二問 支那 の維 新 政 府 成 立 事情 に付 ても 情 報 を集 め た か。
答 其 の様 な話 もあ った と思 ひ ま す が細 か い こと は覚 え ま せん 。 一 八問 右 外 相 更 迭 の事 情 は モス コウ に報 告 し た か。 答 報 告 し た と思 ひ ます が 只 今 詳 し いこ と は覚 え て居 り ま せ ん。 一 九問 昭 和 十 三年 六月 板 垣 征 四郎 が陸 相 に就 任 した 事情 に付 ても 情 報 を 集 めた か 。 答 集 め ま し た 。
東 京刑 事 地 方 裁 判所
第 十 九 回 訊 問 調書
裁判所書記
倉
村
林
光
寅
三
二
リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ
人
中
告
予 審 判 事
被
な か った 為 め 、 其 の後 任 と し て板 垣 陸相 が就 任 し た の であ り ま す 。
答 それ は 支 那事 変 の拡 大 激 化 す る に付 、杉 山 陸 相 が それ を欲 し
二立 会 の上 通 事 生 駒佳 年 を 介 し、 前 回 に引 続 き 右 被 告 人 に対 し訊 問
東 京 刑 事 地 方 裁 判 所 に於 て、 予 審 判 事中 村 光 三 は裁 判 所書 記倉 林 寅
並 に軍 用 資 源 秘密 保 護 法 違 反 被 告 事件 に付 、 昭 和 十 七年 八 月十 八 日
右 の者 に対 す る 治安 維持 法 違 反 、 国 防 保安 法 違 反 、 軍 機 保護 法 違 反
陸 軍 の内 部 に は支 那 事変 に対 し 二 つ の流 が あ り 、其 の 一つは 、支 那
一問 昭 和 十 三 年 六 月杉 山 陸 相 が退 き 、板 垣陸 相 が就 任 し た事 情 等
す る こ と左 の如 し 。
二〇問 其 の結 果 は。
事 変 を 早 く 清 算 す る こと を欲 し、 奥 地 に進 む こと を欲 し な いも の、
答 当時 陸 軍 武 官 であ った オ ット及 其 の助手 シ ョ ルか ら聞 き ま し
に関 す る情 報 は独 逸 大 使 館関 係 者 の誰 か ら 入手 し たか 。
他 の 一派 は、 政 治 的 にも軍 事 的 にも 事 変 の拡 大 を欲 す る も の であ り ま し て 、此 の後 の方 の勢 力 が優 勢 にな り 板 垣 陸 相 が就 任 し た の であ
た。
り ま す 。此 の際 特 に強 調 し た い のは、 事 変 の拡 大 激化 は近 衛 首 相 も 板 垣 陸 相 と共 に之 を 欲 し て居 た と 云 ふ こ と であ り ま す 。
二問 何 処 で聞 いた か 。
人
Ri chard Sorge 年
ます 。 それ 故 其 の時 同 人 か ら も其 の話 を 聞 いた かも 知 れ ま せ ん 。
て居 り ます の で、 シ ョルが毎 日 の如 く病 院 を訪 問 し て呉 れ た と思 ひ
答 オ ットは 当時 旅 行 し て居 り 見 舞 の電 報 を 貰 った こと を記 憶 し
四問 其 の病 院 でも 其 の様 な情 報 を 聞 いた こと があ った か 。
し て居 り ま し た。
答 あり ます 。 オー ト バ イ で怪 我 を し て築 地 の聖 路 加 病 院 に 入院
三問 其 の頃 被 告 人 は 病気 で入 院 し て居 た こと があ る か 。
答 同 大 使 館 であ り ま す 。
之 等 は私 が各 種 多 様 な 方 面 か ら の情 報 資 料 によ って作 った判 断 であ り ま し て、 其 の情 報 は 私 が独 逸 大 使 館 共 の他新 聞 記者 関 係 か ら聞 知 し、 尾 崎 や 宮 城 か らも 報告 を受 け た と考 え て居 り ます 。 二一 問 其 の点 の情 報 も モ ス コウ中 央 部 に報 告 し た か。
告
佳
生
駒
事
答 報 告 致 しま し た 、 併 し其 の内 容 はよ く覚 え て居 り ま せん 。 被 通
右 通 事 を介 し読 聞 け た る処 相 違 な き旨 申 立 て署 名 拇 印 した り 。 同 日於 同 庁 作 之
一二 問 当 時 被 告 人 は モ ス コウ に対 し ﹁屡 〓病 院 に フ ィ ック スを訪 れ
ん。
答 其 の更 迭 の直 後 と思 いま す が判 然 し た こ とは 覚 え て居 り ま せ
モ ス コウ に対 し其 の様 な情 報 を 送 った のは何 時 か。
と 申 し ま し た。 シ ョルは よ く 記憶 し ま せ ん が マ ルタ と申 し送 った様
た マ ルタ の語 る と ころ に よ れば 日 本陸 軍 部内 に は杉 山 及 梅 津 が軈 て
答 オ ット は陸 軍 武官 当 時 で も其 の後 大 使 に な ってか ら も ア ン ナ
五 問 モ ス コウ に報 告 す る際 オ ットや シ ョルを 何 と 申 し 送 った か。
に 思 ひ ます 。
退 陣 し板 垣 及 東 条 が 之 に 代 る こ と にな る べく 石 原 も亦 参 謀 本 部 の要
職 に就 く を 得 べ し、 さ う す れ ば往 年 の関 東 軍 一派 が新 政 府 に対 し威
海 軍 武 官 ベ ネ カ ー は パ ウ ラ ーと 申 し 送 り ま し た。
答 発 信 人 と し て当時 は ラザ イ とし 其 の後 に な って イ ン ソ ンと申
か。
力 を持 つであ ら う と 云 ふ 風 説 が流 布 さ れ て居 る﹂ と 云 ふ報 告 を した
六 問 被 告 人自 身 は何 と申 した か 。
しま した 。 尤 も報 告 文 の中 に自 分 を 呼 ぶ 場合 に は フ ィ ック スと 申 し
答 そ れ は よく 覚 え ま せ ん が其 の様 な電 報 が解読 さ れ て居 ます れ
ま し た。 七 問 駐 日 独 逸 大 使 館附 陸 軍武 官 ク レ チ ュ マー を マ ルタ と称 した の
一 三問 モ ス コウ に情 報 の報 告 をす る際 使 った 名 前等 に付 司 法 警 察 官
ば其 の通 り に私 が報 告 し た こ と に間 違 ひあ り ま せん 。
に対 し斯 様 に述 べ て居 るが 此 の事 実 は如 何 。
答 同 人 は 一九 四 〇年 に来 任 し た の であ り ま す。 同 人 に対 し ても
で はな いか 。
其 の前 任 マ ッキに 対 し ても 、陸 軍 武 官 は何 時 も マ ルタ と呼 ん で居 り
此 の時 、記 録 四 二 五丁 表 六 行 乃 至 四 三 三丁 表 二行 の記載 を通 事 を
一 五問 そ れ では 此 の通 り の事 実 に聞 違 ひな いか 。
答 其 の点 に付 ては検 事 に詳 しく 述 べ てあ る通 り であ り ま す 。
一 四問 リ ュシ ュ コフ事 件 に関 す る諜 報 活 動 は 。
と か 申 し てあ る処 は 事 実 ではあ りま せ ん。
いか と思 ふ も のが あ った と か、 ソ聯 共 産 党 監察 局 に宛 て て報 告 し た
デ ィレ ク タ ー名義 の指 令 中 に ソ聯 共 産 党 政治 局 か ら来 た も ので は な
たも の で其 の他 の共 産 党 の機 関 と は何 等 関 係 があ り ま せん 。 そ れ故
違 あ り ま せん 。デ ィ レク タ ーは 赤 軍 第 四 本部 の長 を 表 は す のに使 っ
答 デ ィ レク タ ー に関 す る 説 明 の点 を除 く 以 外 は 全 部其 の通 り相
介 し読 聞 け た り。
ま し た。 八問 杉 山 陸 相 か ら板 垣 陸 相 に替ち た こ と に付 て の情 報 に は、 杉 山 、
答 そ う 云 ふ話 があ り ま し た 。
梅 津 等 が退 任 し板 垣 、東 条 が之 に替 る と云 ふ情 報 が あ った の か。
九 問 石 原 将軍 に付 ても それ に 関 連 し て何 か 情 報 を 得 た か 。 答 石原 将 軍 は表 に立 た ず 裏 面 で画 策 し て居 ると 云 ふ話 が あ った と 思 いま す 。 一 〇問 其 の様 な情 報 も モ ス コウ に報 告 した のか。 答 詳 し いこ と は覚 えま せん が確 か に其 の様 な報 告 を した と思 っ て居 りま す 。 一一 問 其 の陸 相 更 迭 は 同 年 六 月 三 日行 は れ た の であ った か被 告 人 が
此 の時 、 被 疑 者 リ ヒ ア ル ド ・ゾ ルゲ に対 す る第 三 十 九 回訊 問 調書 第 一問答 を通 事 を介 し読 聞 け た り 。
答 其 の事 件 に 付 ては主 と し て独 逸 大 使 館 か ら情 報 を 得 た ので あ
二一 問 張 鼓 峯 事 件 に 関 す る諜 報 活 動 は 。
ふ こ と を同 大 使 館 に於 て日 本 に尋 ねた と云 ふ こと を聞 き ま した 。 そ
り ます 。 私 は其 の事 件 は如 何 云 ふ目 的 で如 何云 ふ意 味 であ る か と 云
れ は詳 しく 申 しま す と独逸 大使 館 附 武 官 が 日 本 の軍 部 に対 し尋 ね た
答 其 の通 り相 違 あ り ま せん 。 一 六問 カ ナ リ ス提 督 の特 使 が 日 本 に来 て リ ュシ ュコフを 訊 問 す る と
ま いと 云 ふ こ と であ り ま し た。 尾 崎 や 宮 城 か ら も其 の点 に付 て情報
ので あ り ます が其 の結 果 は 極く 偶 発 的 な 事 件 で拡 大 す る こ と はあ る
云 ふ こ と は誰 か ら聞 いた か 。 答 大使 館附 武 官 助 手 の シ ョルか ら で あ り ます 。 一 七問 モ ス コウ か ら申 し て来 た の では な いか。
一 八問 リ シ ュコ フが満 州 国 に入 った のは 昭 和 十 三年 六月 十 三 日 で我
か ら の問 に答 へて申 し て来 た の であ り ま す 。
私 は 独逸 大 使 館 で知 り 得 た情 報 を モス コウに 当時 報 告 し ま した 。
いか と の憂 慮 を生 じ て居 り ま し た 。
が ら ソ聯 が飛 行 機 を 用 いた ので 日本 側 で は事 件 が拡 大 す る の で はな
国 と も之 を 戦 争 に導 く 意 思 は な いと云 ふ こと が 判 り ま し た。 然 しな
を 聞 いて居 り ます が要 す る に 此 の事 件 は拡 大 す る こ と は なく 日 ソ両
が陸 軍 省 が其 の事 件 を 発 表 した のは 同年 七 月 一日 の様 であ る が 、被
答 左様 で はあ り ま せん 。 モ ス コウ で は今 読 聞 け ら れ た通 り の私
告 人 が其 の事 件 に 関 し情 報 を入 手 し 且 つ モス コウに報 告 し た の は何
二二問 其 の様 な情 報 を集 め たり 報 告 し た のは何 時 か。
の発 表 前 にも 致 し た こと が あ った かも 知 れ ま せ ん け れ ど多 分 な か っ
答 主 と し て其 の事件 が発 表 にな ってか ら後 で あ りま す が 或 は其
時 頃 であ った か。
思 ひ ま す。 私 が其 の訊 問 の書 類 を 見 せ て貰 った の は同 年 暮 頃 であ り
た こと と思 い ます 。
答 特使 は 同年 十 月 か 十 一月 頃 東 京 に参 り数 週 間 滞 在 し て居 た と
ま し た が其 の写真 の フィ ル ムを モス コウ に 送 った の は其 の翌 年 一月
二三問 其 の事 件 は昭 和 十 三年 七月 の こ と であ った か 。
し 不 拡 大方 針 を執 る と云 ふ こと で あ ったか 。
二五問 要 す る に同 人 等 の情 報 も我 政 府 及 軍 部 に於 て は其 の事 件 に関
ら情 報 を得 て来 た か其 の点 は判 り ま せ ん でし た 。
一般 的 な気 持 を 伝 へて来 た の であ った と 思 ひ ま す が同 人 等 が 何 処 か
答 尾 崎 は 日本 政 府 の意 向 を 伝 へて参 り 宮城 は其 の事 件 に対 す る
二四問 尾 崎 や 宮 城 は 何 処 か ら そ れ に関 し 情 報 を得 て来 た のか 。
答 左様 で あ り ま し た。
頃 であ り ま し た。 尤 も 小 さ い報 告 は其 の前 に も無 電 で致 し て居 り ま し た。 一 九問 モ ス コウ か ら其 の特 使 の報 告 書 を 入手 す る様 に被 告 人 に指 令 して 来 た の は 昭 和 十 三年 九月 頃 で はな か った か。 答 其 の頃 であ った と思 いま す 。
答 同 入 か らは 極 く 一般 的 な 街 頭 に於 け る話 等 を聞 い た程 度 であ
二〇 間 其 の事 件 に関 し尾 崎 や宮 城 から も情 報 を得 た か。
り ま し た。
答 左様 であ り ま した 。 二 人共 其 の様 に申 し て来 ま し た。 二 六問 昭 和 十 三年 度 頃 か ら 同年 十 二月 頃 迄 の間 、 所 謂 国 民再 組 織 問
に反 対 す る 反 動派 の主張 す る政 治 を 強化 し よ う とす る も ので あ り、
そし て 一般 的 な見 方 とし ては 近衛 首 相 は 一時身 を 退 く だけ で復 た適
りま し た 。
外 交 上 は英 国 と の 破滅 を 避 け よ う と す る も の であ ると 云 ふ こ と が判
答 それ に付 て は非 常 に沢 山 な 各 種各 層 の人 か ら話 を 聞 い て居 り
当 な 時 に現 は れ る の で平 沼 は 其 の間 だけ 引 受 け た 中間 内 閣 だ と云 ふ
題 の経 過 に 付 ても諜 報 活 動 を致 した か 。
尾 崎 や 宮 城 か ら も 勿論 話 を 聞 き中 野 正剛 か らも 聞 い て居 りま す が、
私 が 此 の様 に判 断 す るに 付 ては尾 崎 、 宮 城 及 独逸 大 使 館 等 か ら情 報
こと で あ り ま した 。
多 な党 が あ って闘争 を事 と し て居 た の でそ れ を脱 却 し て独 特 な 国 民
を得 そ れ に影 響 さ れ て居 る か と思 ひま す 。
其 の問 題 は核 心 を掴 む こ と が出 来 ま せん でし た が要 す る に それ 迄 雑
運 動 に し よ う と 云 ふ試 み では な いか と思 ひ ま し た。 要 す る に単 一の
私 は近 衛 の退 場 、 平沼 の登 場 及 平 沼 内 閣 の性 格 に付 ては 時 々 モ ス コ
Ri char d Sorg e
年
生
佳
人
駒
事
党 を作 る と 云 ふ の が問 題 であ った と 思 ひ ま し た が それ に 関 し て動 い
告
ウ に対 し情 報 を 送 り ま し た が其 の詳 し い内容 は覚 えま せ ん 。
通
被
て居 た 久 原等 と 云 ふ人 物 を よ く知 って居 た の で私 は そ れ は 成功 し な いの で はな いか と思 って居 り ま し た。 此 の問 題 に関 す る情 報 は モ ス コウに 送 った か如 何 か よく 覚 え ま せ ん
林
寅
三
二
右通 事 を介 し読 聞 け た る処 相 違 な き 旨 申 立 て署 名 拇 印 し た り 。
倉
光
同 日於 同 庁 作 之
裁判所書記
村
が 多 分 送 ら な か った ので は な いか と思 ひ ま す 。
に付 て の諜 報 活 動 は 。
東 京 刑事 地方 裁 判 所
中
第 二 十回 訊 問 調 書
人
予 審 判 事
二七問 昭 和 十 四 年 一月 に成 立 し た平 沼 内 閣 の成立 事 情 並 に其 の性格
答 先 づ近 衛 内 閣 の退 場 の理 由 は第 一に支 那 事 変 が急 速 に片 附 か な いと の見 透 を付 け た こ と、 第 二 に は内 政 上 の国 民 再組 織 問 題 を 一 度身 を退 いた後 に考 へ直 し て見 よ う と 云 ふ為 め であ り 、 尚其 の他 近 衛 内 閣 に対 し て は極 右 の人 々が 反対 気 勢 を 揚 げ て居 り そ れ等 の理 由
リ ヒア ルド ・ゾ ルゲ
右 の者 に 対す る治 安 維 持 法違 反 、国 防 保 安 法 違反 、軍 機 保 護 法 違 反
告
並 に 軍 用資 源 秘 密 保 護 法 違反 被 告 事 件 に付 、 昭和 十 七年 八月 十 九 日
被
と、 又 外 交 上 に 於 ても ヨー ロ ッパ の錯 雑 し た 問題 に対 し徒 らに 遷 延
とす る処 は近 衛 首 相 が 彼 等 の欲 す る様 な 内 政 上 の革 新 を行 はな い こ
の 一部等 に は当 時 独 逸 と手 を 握 れ と 云 ふ議 論 が擡 頭 し て居 り ま し た。
日 を 曠 う し て居 る と 云 ふ様 に申 し て、 極右 の例 へば中 野 正 剛 、陸 軍
二立会 の 上通 事 生 駒 佳年 を介 し、 前 回 に 引続 き右 被 告 人 に対 し訊 問
東 京刑 事 地 方 裁 判 所 に於 て、予 審 判 恵 中 村 光 三 は裁 判 所 書 記 倉 林寅
平 沼 内 閣 は 一方 に於 ては 極 端 な極 右 の連 中 を 押 へ付 け 一方 で は政 党
二問 其 の事 件 は 五月 十 一日 に起 り同 年 九 月 十 五日 停 戦 協 定 が 成 立
か ら現 地 に 増 強 さ れ る可 能 性 は あ る と 云 ふ様 な こ とを 電 報 で報 告 し
した 様 で あ る が被 告 人 の諜 報 団 に於 て情 報 を集 め モ ス コウ に報 告 し
す る こ と左 の如 し 。
答 其 の事 件 に付 私 は独 逸 大 使 館 に尋 ね 日 本 の真 意 を確 か めま し
た の は何 時 か 。
ま し た。
た。 同 大 使 館 に対 し 日本 軍 部 が答 へた回 答 に よ る と 日本 の軍 部 は判
一間 昭 和 十 四年 五 月 に起 った ノ モン ハン事件 に 関す る諜 報 活 動 は 。
然 し た回 答 を 避 け る 風 で あ った が、 要 す る に 其 の事 件 か ら戦 争 を 生
三問 尾 崎 や 宮城 か ら戦 況 に付 て の報 告 も あ った か。
ス コウ に報 告 し た のであ り ま した 。
答 其 の事件 経 過 中 情 報 を 蒐 集 し て居 り、 共 の間 数 回 に 亘 って モ
の では な いか と 云 ふ印 象 を受 け ま した 。 尾 崎 や 宮 城 か ら も同 様 日本
ぜ しむ る 意 思 は な いが、 稍 〓大 掛 り な 国 境 紛争 の解 決 を図 って居 る
軍 部 も 政 府 も 大 き な戦 争 は し な い ら し い、 ロハタ ンク と か飛 行 機 とか
な 一般 的 な 戦 勝 の話 等 があ りま し た。 事 件 が済 ん だ後 、 宮 城 か ら 帰
答 特 に戦 況 と し て の報 告 では あ り ま せ ん が 、新 聞 に出 て居 た様
し て来 ま し た 。
を使 った の で、稍 〓其 処 に疑 ひ が生 じ て来 た と 云 ふ様 な情 報 を 齎 ら
私 が主 とし て調 査 し ま し た の は 日本 の新 鋭 の軍 隊 が 内地 か ら輸 送 さ
て居 るよ り 遙 か に 困難 で あ った と 云 ふ様 な こと であ り ま し た。
還 兵 士 等 の感 想 の報 告 があ りま し た。 それ に よ る と戦 闘 は伝 へら れ
答 其 の点 に付 ては尾 崎 や、 宮 城 か ら 別段 の報 告 はあ り ま せん で
四問 我 軍 隊 の兵 員 装備 等 に関 し ても 報 告 が あ った か。
れる か 如 何 か と去 ふ 点 であ り ま し た。 之 は多 数 の軍隊 が現 地 に送 ら
し た が、 ヴ ケリ ッチ は 、新 聞記 者 と し て現 地 に参 り ま し た の で、 同
れる 様 な ら ば戦 争 に な り は し な い か と思 った か ら で其 の為 め其 の方
云 ふ様 な 特 殊 の部 隊 が輸 送 さ れ た こと はあ り ま した が 大 部隊 が輸 送
面 の調 査 に 全 力 を 注 いだ のであ り ます 、 其 の結 果 重 砲 と か戦 車 と か
人 が見 聞 し た若 干 の重 砲 、貨 物 自 動 車 等 の話 や 飛行 揚 の 二、 三を 訪
ま し た の で別 に秘 密 の情 報 を得 て来 た と 云 ふ訳 で はあ り ま せん で し
さ れ た こ と はな く 単 に 満 州 及北 支 方 面 か ら現 地 に軍 隊 の増強 さ れ る
た。
せ ん 、尤 もヴ ケリ ッチ は 軍 の膳 立 によ く 外 人新 聞記 者 と し て旅 行 し
と は思 ひ ま せ ん で し た。 それ は ヨー ロ ッパ及 東 亜 に 於 け る情 勢 が そ
五 問 被 告 人 は ヴ ケリ ッチ に対 し 日本 の招待 で行 く の であ る か ら、
問 し た話 等 を同 人 か ら 聞 き ま し た。 併 し兵 員 の数 等 に付 て は聞 き ま
れを 許 さな か った か ら であ り ま す 。併 し モ ス コウ では 却 って其 の事
日本 の都 合 のよ い所 を見 せ ら れ る と思 ふ ので行 かな い方 が よ いの だ
こ と が可 能 であ った こと が 判 り ま し た。 最 初 は直 ぐ 其 の事件 が妥 協
件 か ら戦 争 に な る の では な いか と の虞 れを 抱 い て居 り ま し た。 モス
が 、余 り疑 はれ る 様 な行 動 は却 ってと ら な い様 に と申 した か 。
出 来 る と考 へて居 ま した が 、案 外 長 く続 いたけ れど 併 し 戦争 に な る
コウ 中 央 部 に 対 し ては其 の事件 の経 過 中 数 回 に 亘 って報 告 致 し ま し
答 よく 覚 えま せん が其 の様 な こと も あ った かも 知 れま せん 。
た。 共 の内 容 の詳 し い こと は覚 え ま せ ん が大 体 今 申 し た様 に大 部 隊 が内 地 か ら輸 送 さ れな い の で戦 争 にな る とは 信 じ な いが北 支 や満 州
六問 ヴ ケ リ ッチに 対 し て は特 に其 の事 件 に 付 ての 調 査 の命 令 はし
一 二問 宮 城 与徳 か ら ノ モン ハン事 件 の戦 闘 に参 加 し た 日 本軍 の兵 力
ん で した 。
答 宮 城 は 一般 的 な報 告 を 致 し た だけ で、 詳 し い報 告 は致 し ま せ
に付 て の報 告 が あ った の で はな いか 。
一 三問 宮城 は 同年 七月 頃 被 告 人 に対 し ノ モン ハン戦闘 に参 加 せ る日
答 特 別 な指 令 は与 へま せん が 、 只彼 が見 聞 し た処 を 報告 す る様
な か った か。
に申 し て置 き ま し た 。
答 先 程 申 し た重 砲、 貨 物 自 動 車 、 飛 行場 等 の話 や 其 の他 前 線 は
一、 ハイ ラ ル約 一箇 師 団
本 軍 の兵 力 に付 。
七問 ヴ ケ リ ッチは ど ん な報 告 を し たか 。
大 分 向 ふ の方 で其 処 迄 は行 け な か った と か 、 砲 声 は聞 い たが 空 中戦
二 、 チ チ ハル約 一箇 師 団
騎 兵 二 箇連 隊 、 航 空 隊 、 旧 式 戦車 隊
って来 た話 等 であ り ま し た 。
三 、 ハ ルビ ン、 新 京 方 面 駐 屯 兵 の出 動
の如 きも のは 見 な か った と 云 ふ こ とや 、 ソ聯 兵 の捕 虜 の何 人 か に会
八問 其 の事件 の解 決 の見 透 或 は 現 地 に於 け る我 軍 の意 向 等 に 付 て
四 、 公主 嶺 航 空 隊 及 戦 車 隊
し な いと 云 ふ説 、 及 日 本軍 が東 部 国 境 よ り 増派 し第 二次 総 攻 撃 を開
と 云 ふ こ と、 同 年 八 月 頃 ソ聯戦 車 隊 が逆 襲 し 日 本 軍 の総 攻 撃 が 成功
五 、満 州 国 軍 西 部 軍団 等 の兵 力 なら んも のを 含 む
の話 はな か った か 。
ふ こと を 申 し て居 り ま し た が、 軍 の意 見 は 聞 いて来 ま せ ん でし た。
始 し た と云 ふ説 、 日 ソ空 軍 の戦 闘 戦 果 は 一対 一と思 惟 す る ノ モ ン ハ
答 ヴ ケリ ッチ の意見 と し て、 其 の事 件 か ら戦 争 は生 じな いと 云
て居 る と の報 告 は な か った か。
九 問 日 本 軍 は政 府 の方 針 と し て国 境 を 越 え ては な ら ぬ と指 令 さ れ
ン戦 果 に関 す る軍 情 報 部 の宜 伝 を 国 民 は 信頼 せ ず戦 果 に対 し て悲 観
日 ソ戦 戦 果 の発 表 に対 す る国 民 の感 情 に 付 一般 国 民間 に於 ては敗 戦
的 観 測 を し て居 る 、 三島 野 砲 兵 中 隊 の全 滅 と 云 ふ こ と に付 同年 九月 、
答 それ は覚 え て居 り ま せ ん。 一〇 問 ハイ ラ ルで特 務 機 関 長 秦 大 佐 の招 待 を受 け 其 の席 上陸 軍 の将
ひ ま す 。然 しな が ら 彼 の齎 ら し た報 告 は 私 に と って無 意 義 のも ので
答 宮 城 が其 の様 な 報 告 を し た と 云 ふ こ とは其 の通 り であ る と 思
るが 如 何 。
航 空 機 、 タ ンク、 野 砲 の性 能 と 云 ふ こ と に付 報 告 し た様 に述 べ て居
と し て伝 へら れ る も の と し日 ソ の戦 闘 は量 と質 、 日 本 軍 の立後 れ、
的 空 気 濃 厚 を 含 む と 云 ふ様 な こと 、 及 ノ モ ン ハ ン事 件 の戦 果 の真 相
校 から あ った と 云 ふ話 に付 て の報 告 は な か った か 。 答 さう 云 ふ こ とも あ った か も知 れ ま せ んが 今 覚 え て居 り ま せん 。 一 一 問 其 の将 校 が 此 の事件 は 独逸 と親 善 関 係 を 結 ぷ為 め の 日本 の 一 つの手 段 だ と話 し た と 云 ふ様 な報 告 があ った か 。 答 そ れ は思 ひ出 せま せ ん 、併 し当 時 独 逸 は ソ聯 に接 近 しよ う と し て居 た の であ り ま し た 。独 逸 は当 時 平 沼 内 閣 に対 し 日本 の真 の敵 は ソ聯 に非 ず し て英 国 だ と説 明 す る に努 め て居 り ま し た。
加 し た か 否 か判 り ま せ ん の でそ れ だ け の報 告 であ れば 私 に と って は
た と 申 し ま し て も、 そ れが 如 何 な る 師団 で あ り 且 つそ れ が 戦 闘 に参
あ り ま した 、例 へば ハイ ラ ルに 一箇 師 団 チ チ ハルに 一箇 師 団 駐 屯 し
いた り 其 の他 尾 崎 や 宮 城 か ら も情 報 を得 て居 り ま し た。 併 し尾 崎 等
外 国 新 聞 記者 の中 で盈 ん に議 論 が 行 は れ て居 り ま し た の でそ れ を 聞
は欲 しな か った の で あ り ます 。 之 に 関 す る情 報 は独逸 大 使 館 の外 、
何 の役 に も 立 た な い の であ り まし た 。 そ れ は皆 噂 に過 ぎ な いも ので
から は 此 の点 に関 し何 の報 告 も殆 ど受 け て居 り ま せん 。
一 五問 英国 側 は日 本 の極 東 に 於け る特 殊 地 位 、支 那 に対 す る戦 争 状
か ら 如何 な る話 が あ った か 其 の点 は今 思 ひ出 せ ま せ ん。 ヴ ケリ ッチ
の か如 何 な る数 参 加 し た か何 の隊 であ る か と云 ふ様 な こと が明 か で
答 英 国 は或 る程 度 の妥 協 はす る意 向 であ り ま し た が、 原 則 的 に
態 を認 め る等 相 当 譲 歩 す る 処 が あ った と の情 報 を 入手 し な か った か 。
あ り ま し た。 尚 タ ンク が参 加 した と 申 し ま し ても 如 何 な る 性能 のも
な け れ ば役 には 立 た ず 、 又 軍 団 と 云 ふ のも 日本 にも 満 州 国 に も あ り
一 六 問 尾 崎 か ら 右 の様 な英 国 側 の譲 歩 に 関 す る報 告 があ った ので は
其 処迄 譲 歩 す る と云 ふ こと で はあ り ま せん でし た 。
ま せ ん し、 騎 兵 二箇 連 隊 が 参 加 し た と宮 城 が申 しま し ても 、独 逸 大 使 館 に於 け る調 査 に よ ると 騎 兵 は 二箇 師 団 参 加 した ので あ り ます か
一 八問 平 沼 内 閣 当 時 に於 け る独 逸 側 の日 独 同 盟締 結 の提 起 と其 の交
答 詳 し い こ とは 覚 え ま せ ん が報 告 は 致 しま し た 。
一 七問 右 日英 会 談 に関 す る 情 報 も モ ス コウ に報 告 し た か。
は尾 崎 か ら 其 の様 な報 告 が あ った か も知 れ ま せん 。
ば其 の様 な報 告 は な か った と思 ひ ま す が、 北 支 に付 てだ け なら ば或
答 それ は よ く思 ひ出 せま せん が支 那 の全 体 に亘 って のこ とな ら
な いか 。
ら、 宮 城 が 共 の様 な 報 告 を 致 し ま し ても結 局 私 の役 に は 立 た な か っ た ので あ り ます 。 一 四問 昭 和 十 四年 六月 から 七月 に亘 って行 は れ た 日英 会 談 に関 す る 諜 報 活 動 は。 答 そ れ に付 ては 独 逸 大使 館 に資 料 が沢 山 あ り ま し た の で、 それ を 聞 いて居 り ます 。 処 が 日 本 側 は政 府 と軍 部 とが 意 見 を 異 にし 政 府
渉 経 過 に関 す る 諜報 活 動 は。
側 は寧 ろ妥 協 に傾 い て居 り ま し た が 、軍 部 は天 津 を 論 絶 し て居 り ま し た の で絶 対 に妥 協 せず 特 に 武藤 将 軍 が妥 協 には 絶 対 反 対 であ り ま
答 そ れ は 検事 に詳 しく 申 述 べた 通 り で あ り ます 。
し た。 其 の為 め 結 局交 渉 は不 成 功 に終 り英 国 大 使 館 前 でデ モが行 は れ る様 な 結 果 に な り ま し た。
に 付 て英 国 を し て之 を 承 認 さ せる こと に あ った の であ り ま す が 、英
答 其 の通 り相 違 あ り ま せ ん 。尚 附 け 加 へて申 上 げ た いの は之 等
二問 答 を通 事 を介 し読 聞 け た り。
此 の時被 疑 者 リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ に対 す る第 三 十 九 回訊 問調 書 第
一 九問 それ で は 此 の通 り の事 実 に 相 違 な いか。
国 側 は昔 な が ら の対 支 共 同 政 策 を固 執 し或 る程 度 の妥 協 は 止 む を得
の情 報 は シ ュタ ー マー 及 オ ット が自 発 的 に 私 に知 ら せ て呉 れた も の
て居 り ま し た。 例 へば銀 問 題 、 関 税 問題 、抗 日団 体 に対 す る 措置 等
日 本 と し ては英 国 を し て新 し い日 本 の支 那 政 策 に奉 仕 さ せ よう と し
な いと し ま した が、 原 則 的 に新 し い日 本 の対 支 政策 に奉 仕 す る こ と
であ り ま す。
な こと が書 いてあ りま し た 。
き ま し た 。 そ れ は誰 か ら か 覚 え ま せ ん が、 中 外 商 業新 報 に は其 の様
問 題 に関 し決 心 が出 来 な い かと の原則 的 な理 由 を説 明 し て呉 れ ま し
を 有 せ ず 、 日本 の態 度 も 極 め る こと か出 来 な か った の で、兎 に角 時
如 何 す る か と 云 ふ こ と に なり ま し た が 、 近衛 は未 だ当 時 出 馬 の決 意
答 そ れ は平 沼 内 閣 が 独 ソ条約 の締 結 に よ って退 場 し 、其 の後 を
二五問 昭和 十 四年 九 月 阿 部 内 閣 の成 立 し た事 情 に関 す る諜 報 活 動 は。
た 。 宮 城 は 主 と し て巷 間 の噂 や 一般 の人 々の気 持 を 伝 へ漸 次 輿論 が
答 得 て居 り ます 。 尾 崎 から は 主 と し て平 沼 内 閣 が 如 何 し て此 の
二〇問 其 の問 題 に関 し尾 崎 や宮 城 か ら も情 報 を 得 た か 。
平 沼 内 閣 を軽 蔑 す る に至 うたと 云 ふ様 な こと を伝 へて呉 れ ま し た。
仕 方 が な か った の であ り ま す 。 当時 ヨー ロ ッパに於 てはポ ー ラ ンド
期 の来 る 迄待 た う と 云 ふ こと で全 然 何 も し な い内 閣 が 登 場 す る よ り
の戦 が 済 ん で冬 迄 は無 風 状 態 であ る こと が判 って居 た ので 日本 も そ
併 し 同 人等 が伝 へて呉 れ た詳 し い内容 は 只今 思 ひ出 せ ま せん 。
れ迄 待 機 の状 態 に 在 うた の であ り ま す 。
二一 問 尾崎 か ら は此 の問 題 に関 し 閣内 に於 て海 軍 は 慎 重 、 有 田 は懐 疑 的 であ る こ と、 平 沼 首 相 自身 は 上層 部 の親 英 米 的 影響 下 に在 る と
之 に関 す る情 報 は 尾崎 か ら も宮 城 か ら も 聞 き 独逸 大 使 館 や 新 聞 記 者
モ ス コウ に報 告 し ま し た。
等 か らも 聞 き ま し た。 そ し て私 はそ れ に 関 す る自 分 の意 見 を 纒 め て
答 其 の様 に申 し て来 た と思 ひま す 。
云 ふ様 に申 し た か。
れら れ て居 た か 。
答 そ れ に付 ても私 は検 事 に詳 しく 申 上 げ てあ る通 り であ り ま す 。
二六問 我 国 の第 二次 欧 州 大戦 に対 す る態 度 に 関 す る諜 報 活 動 は。
二 二問 共 の様 な 尾 崎 や宮 城 の話 も モ ス コウ に報 告 し た 内容 に採 り 入
答 そ れ は 覚 え て 居 り ま せ ん。
此 の時 前 同 調書 第 三問 答 を 通 事 を 介 し読 聞け たり 。
二七問 そ れ では 此 の通 り か。
答 其 の通 り相 違 あ り ま せ ん 。 私 は モ ス コウ に対 し其 の点 に関 す
答 得 て居 り ま せ ん 。
二三 問 ヴ ケ リ ッチ から は 其 の問 題 に関 し て情 報 を 得 た か 。
二四 問 同 年 春 頃 か ら同 年 九 月 頃 迄 の間 に於 け る ヨー ロ ッパ 情 勢 を緯
二八問 尾 崎 、宮 城 、 ヴ ケ リ ッチ等 も其 の問 題 に関 し て情報 を集 め て
た と云 ふ様 に 私 の報告 が有 力 であ った か 如何 か は判 りま せん 。
る報 告 を 致 し ま し た が、 私 の報 告 に よ って ソ聯 が 日本 の態 度 を知 っ
ー ロ ッパ情 報 を続 って の情 勢 も 或 は 尾崎 か ら得 て居 る かも 知 れ ま せ
答 当 時 は平 沼 内 閣 が主 題 であ り ま し た か ら 、 そ れ に関 連 し て ヨ
る 我 政府 の態度 に付 、 其 の他 尾 崎 や宮 城 か ら得 た情 報 があ る か 。
であ った か よく 覚 え ま せ ん が 、 日本 の政 府 が ヨー ロ ッパ に於 て戦 争
ん が 、宮 城 か ら は得 な か った と 思 ひ ま す。 尤 も宮 城 尾 崎 の何 れ か ら
な情 報 を幾 ら宛 か持 って参 り ま し た。 それ は例 へば 日本 人 や 外 国 人
答 彼 等 も私 が独 逸 大 使 館 に 於 て得 た 一般 的 な 情 報 に対 し補 足 的
来 た か。
の勃 発 す る こと を 希 望 し て 居 る と 云 ふ ことを 聞 きま した 。 日 本 の財 界 人 は ヨー ロ ッパに 戦 争 の起 った のを 見 て神 風 だ と申 し た こ とも 聞
の 一部 の声 と か意 見 とか 云 ふ様 な も の であ りま し た 。
であ った が要 す る に弱 い政 治 力 の 上 か ら の統 制 に対 す る官 僚 の反 対
三六問 尾崎 か ら野 村 外 相 就 任 直 後 に行 はれ た 外務 省 官 僚 の反 対 運動
な い か。
注意 し た が それ は見 出 せ な か った と 云 ふ こ と等 の話 があ った ので は
であ る と云 ふ こと 、尚 此 の背 後 に軍 部 革 新 勢 力 の後 押 し が あ るか と
二九問 尾崎 か ら は日 本 政 府 の欧 州戦 争 不 介 入 の声 明 に関 し何 か 情 報 を得たか。 答 其 の声 明 の意 味 に付 ては 彼等 が屡 〓私 に話 し て居 り ます 。 日 本 は日支 事変 解 決 を 第 二の使 命 と し 、欧 州 問 題 は 第 二義 的 のも の で
答 無 論 其 の様 な こと に付 て話 があ り ま し た 。併 し之 は私 個 人 に
と って興 味 あ る問 題 で あ り ま し た か ら私 が問 題 と し て取 り上 げ た の
あ ると 申 し た様 に覚 え ます 。 三〇問 其 の声 明 は要 す る に 一時 的 日 和 見 を表 向 に した に過 ぎ な いと
であ り ま し た が、 モス コウ に は報 告 致 しま せん でし た 。
活動は。
三七問 昭 和十 五年 一月 米 内 内 閣 の成 立事 情 及 其 の性質 に付 て の諜 報
云 ふ様 な こと を 尾崎 が報 告 し て来 た か 。 答 勿 論 そ れ は自 明 の理 で あ り ます が 其 の様 に申 し て参 りま し た 。 三一 問 其 の声 明 に関 し ても モ ス コウ に報 告 した か 。
答 阿 部 内閣 は各 層 の不満 足 を買 って退 場 し ま し た ので、 米 内 内
閣 は 過 渡 的 な解 決 と し て登 場 した も のであ りま す 。 それ故 本来 な ら
答 多 分 報 告 し た と思 ひ ます 。 三 二問 昭 和 十 四年 か ら 昭和 十 五年 に 亘 る 独逸 巡洋 艦 に対 す る物 資 供
ば期待 を掛 け ら れ な い の であ り ま す が 、 そ れ にも 拘 ら ず 米 内内 閣 は
本人 の 一部 に は米 内 内 閣 が長 期 に亘 って存 立 し 重大 な こ とを 行 ふ で
を掛 け た の であ り ま し た。 併 し、 それ も結 局失 望 に終 り ま し た 。 日
海 軍 と協 同 し内 政 上 に も外 交 上 にも 何 か す る の で はな いか と の期 待
給 問題 に付 て の日 独 間 の交 渉 に関 す る諜 報 活 動 は 。 答 そ れ に付 ても検 事 に申 上げ た通 り であ り ま す。
あ ら う と信 頼 を 掛 け て居 たも のも あ り ま し た が、 私 自 身 は 左様 で は
三三問 そ れ で は其 の顯 末 は斯 様 であ った のか 。 此 の時 前 同 調書 第 四問 答 を 通 事 を 介 し読 聞け た り。
なく 欧 州 戦 争 の推 移 に 応 ず る過 渡 的 な 内 閣 であ る と思 ひま し た 。
答 其 の通 り であ り ま す 。 三 四問 其 の点 に関 し て は尾 崎 、宮 城 、 ヴ ケ リ ッチ等 か ら は情 報 を得
之 に関 する 意 見 は 独 逸 大使 館 、尾 崎 、 宮 城 、新 聞記 者 の知 人 等 か ら
得 て居 りま し て、私 は モ ス コウ に対 し 阿部 内閣 退 場 及 米 内 内 閣 成 立
の事 情 に付 、 自 分 の意 見 を報 告 し た と覚 え て居 り ます 。
答 それ は得 て居 り ま せん 。
な か った のか 。
三五問 昭 和 十 四年 九 月 貿 易 省 設 置 問 題 の経 過 並 性 質 に付 ての諜 報 活
内 閣 であ る と 云 ふ様 な話 が あ った か。
した が 、之 は現 状 維 持 と革 新 の両 派 勢 力 の保 ち合 の 上 に生 れ た 弱 体
三八 問 尾 崎 か ら は 阿 部 内 閣 が軍 の圧 力 に よ って倒 れ米 内 内 閣 が 登 場
答 それ は 尾 崎 か ら私 に話 があ った か も知 れ ま せん が 私 に は興 味
動は。
のな い問 題 でし た か ら覚 え て居 り ま せん 。
答 其 の様 な こと を 申 し た か と思 ひま す 。
四 三問 日 独 伊 三国 同 盟 締 結 に関 す る 諜報 活 動 は。
四四問 そ れ で は其 の顛 末 は 此 の通 り か。
答 そ れ に付 て も検 事 に申 述 べ て居 り ます 。
の 不安 、阿 部 首 相 の対 政党 諒 解 運 動 の拙 策 等 が退 場 の理 由 であ り 、
三九 問 宮 城 は阿 部 内 閣 は物 価 対 策 の失 敗 、 闇 相 場 の横 行 、 国 民 生 活
米 内内 閣 は財 閥 の現 状 維持 政 策 の支 持 を 受 け て居 る と 云 ふ様 な こと
答 其 の通 り相 違 あ り ま せん 。
此 の時 前 同 調書 第 五問 答 を 通 事 を介 し読 聞 け た り 。
答 さう 云 ふ こと が あ った と思 ひ ます 。
を申 し て来 た か。
答 私 は 主 とし て独逸 大 使 館 か ら 情 報 を得 、 尾 崎 や 宮 城 と も そ れ
四五 問 そ れ に関 し て尾崎 や宮 城 か ら情 報 を 得 た か。
に関 し話 を交 し た と思 ひま す が 、彼 等 か ら は余 り 寄 与 は受 け て居 り ま せん 。
答 報 告 し て参 り ませ ん 。
四〇 問 ヴ ケ リ ッチ は其 の点 に付 何 か報 告 し て来 た か。
四一 問 尾 崎 や 宮 城 の其 の様 な話 も 被 告 人 が 其 の問 題 に関 す る 意 見 を
程 度 に顧 慮 し たか 其 の点 は覚 え ま せ ん。
四七問 尾崎 は其 の旅 行 か ら 帰 った後 被 告 人 に対 し 其 の条 約 に関 す る
せん 。
答 旅 行 に は行 って居 りま し た が満 州 か支 那 か そ れ は よく 覚 えま
四六問 其 の同 盟締 結 の頃 尾 崎 は満 州 国 に旅 行 し て居 た か 。
四二問 昭和 十 五年 七 月 第 二 次 近衛 内 閣 成 立 の事 情 に関 す る諜 報 活 動
答 私 はそ れを 顧 慮 し て 自分 の意 見 を 拵 へた と思 ひ ます が 、 ど の
纒 め る材 料 に な った か 。
は。
答 共 の様 な報 告 を 受 け た と思 ひ ます 、 其 の内 容 は よく 覚 えま せ
満 州 方 面 に於 け る反 響 等 に付 同年 十 月 頃 報 告 し た ので は な いか 。
んが 大 体満 州 国 の人 は満 足 し て居 った が関 東 軍 は 不満 であ った と 云
答 之 は第 一に 欧 州 に於 け る情 勢 の変 化 、 即 ち独 逸 が非 常 に 成 功 を収 め ま し た の で日 本 の現 状 維持 勢 力 の下 に 在 った米 内 内 閣 は 其 の
ふ の であ った か と思 ひま す 。
Ri chard Sorge
四 八問 満 州 で は ソ聯 勢 力 の増 大 の み が懸 念 され て居 り右 同 盟 には 気
人
職 に留 ま る こ と が出 来 な く な り、 独 逸 と手 を握 ら う とす る人 々が 表
告
乗 り 薄 であ った と 云 ふ話 も あ った か 。
被
面 に押 し出 さ れ て来 た ので あ り ます 。 之 は外交 上 のこ と であ り ま す
答 そ れ は思 ひ出 せま せん 。
が 内政 的 に も近 衛 は 国 民 再組 織 の問 題 を 実 践 に移 す べき時 期 が 到 来 し 、 そ れ は行 はな け れ ば 何 か起 り さ うだ と云 ふ様 な こ と か ら斯 様 な 時 代 の変 化 に よ って近 衛 が 登 場 し た も の であ り ま す。
生 駒
右通事を介 し読聞けたる処相違なき旨申立て署名栂印したり。
佳 年
事 同日於同庁作之
通
ら 聞 き ま し た 上、 私 は そ れ を纒 め て自 分 の意見 を作 り モス コウ に報
之 に関 す る情 報 は主 とし て独逸 大 使 館 、 尾 崎 、宮 城 及 新 聞 関 係 者 か
告 を送 り ま した 。
東京刑事地方裁判所
被
村
光
林 寅 三
二 た と思 ひま す 。
ん が其 の様 な こと に付 、 調 べ て欲 し いと の希 望 を 述 べた こと はあ っ
思 ひま す 。 其 の他 の点 は 一々の条項 に付 今 正確 に は覚 え て居 りま せ
倉
戦 を敢 行 す る 意 思 は な く、 一般 国 民 も 亦対 ソ戦 を 欲 し て居 な い と 云
二 問 其 の第 一に 対 し て は尾 崎 から 日 本 は 不拡 大 方 針 で全 面的 対 ソ
中
リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ
予審 判事 人
裁判所書記
告
第 二十 一回訊問調書 右 の者 に対 す る 治 安維 持 法 違 反 、 国 防 保 安 法違 反 、 軍 機 保 護 法違 反
ま す。
答 細 か い こと は覚 え ま せ ん が全 面 的 に見 て さう であ った と思 ひ
ふ様 な情 報 を 最 初 の頃 齋 ら し た か。
東 京 刑 事 地 方 裁 判 所 に於 て、 予 審 判 事 中 村光 三 は裁 判 所 書 記 倉 林寅
三 問 然 るに 尾 崎 は停 戦 協 定 成 立 の数 日前 関 東 軍 が 満 蒙 国境 に大 部
並 に軍 用 資 源 秘 密 保護 法 違 反 被 告 事 件 に付 昭和 十 七年 八 月 二十 二 日
二 立会 の 上、 通 事 生 駒 佳年 を介 し前 回 に引 続 き右 被 告 人 に対 し 訊 問
答 関 東 軍 の内 部 か ら其 処 に軍 隊 が 送 ら れ た と云 ふ こと は 尾崎 か
隊 を集 結 し た と の情 報 を 齎 ら し た か。
一問 前 回 訊 問 し た 点 に付 一、 二補 足 し て訊 ね る が、 先 づ 被 告 人 は
す る こ と左 の如 し 。
に と って重 要 な こと は 日本 か ら軍 隊 が 派遣 さ れ た か如 何 か と 云 ふ こ
ら 聞 いた と思 ひ ます が 大 部隊 が集 結 した と 云 ふ点 は覚 え ま せん 。私
第 一、 日 本 側 の計画
ノ モン ハン事件 に付 尾 崎 や宮 城 に対 し 、
と で関 東 軍 だけ では 到 底 大 き な戦 争 に はな ら な い と思 って居 り ま し
四 問 第 二 の問 題 に付 ては宮 城 か ら確 実 では な いが 日本 は新 し い部
た。
第 二、 此 の事 件 に付 日本 軍 は如 何 な る部 隊 が如 何 なる 数 派 遣 さ れ
第 三、 此 の事 件 に対 す る国 民 の感 情 。
隊 は送 ら な い、 併 し 空 軍 は増 援 し た、 其 の他 の部隊 は主 と し て関 東
る か、 特 に 新 し く 召集 さ れ た部 隊 が送 ら れ た か。
第 四 、 日 ソ両 国 は各 ζ勝 った と宣 伝 し た こと に対 す る 反 響 。
軍 よ り送 ら れ 一部 は 奉 天 、 ハルビ ン、 チ チ ハル、東 部国 境 の ムー タ
が あ る し、 東 京 附 近 の部 隊 が 召集 さ れ て送 ら れ た 。北 支 か ら来 た の
新 部隊 と し て は此 の事 件 勃 発前 に国 境 に送 ら れ て居 た約 二箇 師 団 半
ン ヤ ン駐 屯 部 隊 か ら送 ら れ、 何 程 か の部 隊 が 北支 か ら も送 られ た 。
第 五、 事 件 が 解 決 に近 附 い た時 、 又 は解 決 し た後 戦 場 か ら 帰 還 し た兵 士 の此 の事 件 に対 す る感 想 。
こ と。
第 六 、 此 の事 件 の経 験 か ら日 本 軍 が 如何 な る改 革 を す る か と 云 ふ
来 な か った が 、各 師 団 から 一箇 連 隊位 の歩 兵 が派 遣 さ れ た 。主 力 部
部 隊 で、 関 東 軍 か ら は歩 兵 部 隊 で編 成 さ れ た師 団 と し て は送 ら れ て
は 主 と し て機 械 化 部 隊 で東 部 国 境 か ら送 られ た も のも 一部 は機 械 化
答 第 二 の点 に付 て は 日本 の内 地 か ら現 地 に送 ら れた 部 隊 を知 り
等 に付 情 報 を 集 め る様 に指 令 し たか 。
た い と云 ふ程 度 の指令 を致 し ま した が 細 か い指 令 は しな か った様 に
隊 は既 に現 地 に駐 屯 し て居 た約 二箇 師 団 の歩 兵 と半 箇 師 団 の騎 兵 で
同 人 が情 報 を持 って来 た ので は あ り ま せ ん。 其 の他 は お読 聞 け の通
す る と 云 ふ こ と であ り ま し た 。宮 城 に は私 が其 の こと を話 し た の で
八問 ヴ ケ リ ッチ の現 場 視 察 に関 す る報 告 に付 、被 告 人 は斯 様 に述
り であ り ます 。
あ った と 云 ふ様 な 情 報 を齎 ら し た か。 答 詳 し い こ とは覚 え ま せ ん が さう 云 ふ 噂 を宮 城 は沢 山 持 って参 り ま し た。 併 し私 に と って そ れ は余 り 価 値 のな いも の であ り ま し た 。
べた が 此 の点 は 如何 か。
れ に疑 惑 を持 ち事 件 の終 局 に 近附 いて か ら は寧 ろ 国 民 の不快 の念 が
た と 云 ふ様 な こ とを 聞 き国 民 は最 初 は非 常 に驚 いて 居 た が、 軈 てそ
に角 同 人等 か ら最 初 日 本軍 の捷 報 、 例 へば 数 千 台 の飛行 機 を撃 墜 し
云 ふ現 地 では 其 の事 件 を新 聞 社 の宣 伝 以 上 の真 剣 な 重 大 な戦 と し て
見 て来 いと 申 し た の であ り ま した 。 ヴ ケ リ ッチが 秦 大 佐 か ら得 た と
て来 い と云 ふ こと で は なく 、 砲 兵 と機 甲 部 隊 と空 軍 と の状 況 を よ く
答 ヴ ケ リ ッチ に対 し て私 が命 じ ま し た の は戦 車 と 重 砲 を よ く見
を 通 事 を 介 し読 聞け た り。
此 の時 前 同 調書 中 、 三 二七 丁表 七行 乃 至 三 二八 丁 表 十 一行 の記 載
昂 ま り 一般 に意 気 沮喪 し た様 な 風 であ り ま し た。 之 は 私 自 身 の受 け
答 之 は宮 城 、 尾 崎 の何 れ か ら であ った か よ く覚 え ま せ んが 、 兎
五 問 第 三 に付 ては ど ん な情 報 を得 たか 。
た 感想 で あ り ます が尾 崎 や 宮 城 の話 か ら或 る点 迄 影 響 を受 け て居 る
日本 の砲 兵 よ り 重砲 を多 く 持 って居 る 、 同時 に後 方 に非 常 に多 数 の
か も知 れ ま せん 。
答 之 に付 て は主 と し て 同盤 通 信 等 か ら 情 報 を得 ま し た が、 日 本
ト ラ ックが 動 いて居 た のを 見 たと 申 し た の は其 の通 り で あ り ます が、
ソ聯 軍 は日 本 が新 聞 に発 表 し て居 る よ り遙 か に優 秀 で ソ聯 の砲 兵 は
は 盛 ん に 宣伝 を し て居 り ま し た が 、 そ れ は拙 劣 であ った と思 ひま し
っと 正確 に後 方 の資 材 兵員 を見 て増 強 か 補 充 か と 云 ふ こ とな し に 其
ヴ ケ リ ッチは 日 本軍 が増 強 さ れた と か 如何 と か云 ふ こと よ り は、 も
居 る と 云 ふ点 は 覚 え ま せ ん。
た 。 ソ聯 か ら は宜 伝 ニ ュー スが ほ ん の時 々来 た に 過 き ま せ ん で し た
六 問 第 四 に付 ては 如 何
第 五、 第 六に 付 被告 人 は斯 様 に述 べ て居 る が 此 の事 実 は如 何
此 の時 被 疑 者 リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ に対 す る 第 十 四 回訊 問 調書 中 、
か。
す。 ソ聯 の宣 伝 が 拙 いと 云 ふ こ と は聞 知 の事 実 で ヴ ケ リ ッチ とは 屡
虜 に会 った が政 治 的 に訓 練 さ れ て居 な か った と 云 ふ のは共 の通 り で
の動 き を観 察 し て報 告 し て呉 れ た の であ り ま す 。現 地 で ソ聯 軍 の捕
。七 問
記 録 三 二 六 丁表 初 行 乃 至 三 二七 丁表 六行 の記 載 を 通 事 を 介 し読 聞 け
九問 ヴ ケリ ッチ は其 の現 地 報 告 の際 に も ソ聯 の宣 伝 に 付 て の報 告
リ ッチ の現 地 報 告 に 基 く も の で はあ り ま せ ん。
其 の点 に付 モ ス コウ に 報告 し た の は事 実 であ り ま す が、 それ は ヴ ケ
屡 そ れ に付 て議 論 を 致 し ま し た。
常 に驚 いた と 云 ふ点 迄 は其 の通 り であ り ま す が 、 其 の後 の点 は覚 え
答 第 五 の内 日本 の兵 隊 が ソ聯 の戦 車 並 に火 焔 放 射機 の威力 に非
た り。
ま せ ん 。第 六 の内 、 独 逸 の軍 備 を採 り入 れ ると 云 ふ の は そ れを 研 究
を し た様 に述 べ て居 る が 如 何 。
ま せ ん が、 持 って来 た と し て も それ は 政 治 的 に見 て 正 しく な いも の
し て居 る の であ り ま す。
え て居 る のは 寧 ろ 其 の外 の機 会 に何 回 も同 人 と 其 の点 に付 議 論 を 致
次 近 衛 内 閣 に於 て其 の同 盟 締 結 に至 る 迄 の間 、 尾 崎 か ら種 々 の情 報
一 四 問 日 独 伊軍 事 同盟 締 結 問 題 に関 し ては 、米 内 内 閣 当 時 か ら第 二
な こ とを 申 し て来 た ので あ った か と思 ひま す 。
であ り ます 。 或 は ヴ ケ リ ッチ が英 人 新 聞 記者 達 の意 見 と し て其 の様
一 〇問 昭 和 十 四年 六 月 か ら 七月 に亘 って行 は れ た 日英 会 談 に関 し て
答 そ れ は其 の時 に も 一緒 に報 告 した かも 知 れ ま せ ん が、 私 の覚
も ヴ ケリ ッチ か ら報 告 を受 け た か。
報 は持 って来 て居 り ま し た。
答 其 の間 に極 右 派 が 三国 同 盟 を希 望 し て居 ると 云 ふこ と位 の情
を得 た か。
記 者 の間 に 於 け る反 英 デ モに関 連 した 英 人 の気 持 等 を 私 に話 し て呉
一 五問 尾崎 は其 の点 に付 斯 様 に 述 べて居 るが 如 何 。
答 同 人 は 同盟 通 信 の中 の事 務 所 で働 い て居 り ま し た の で、 英 人
れ ま し た が問 題 に付 て の報 告 は 致 し ま せ ん で し た。
此 の時 被 疑 者 尾 崎 秀 実 に対 す る第 十 六回 訊 問 調 書 中 、 一問 答 及 四
答 無 論 報 告 が あ り ま し た。
たか。
謂 政治 新 体 制 に対 す る 公爵 近衛 文 麿 の意 向 に 付 尾崎 か ら報 告 が あ っ
一 六問 次 に新 し い問 題 に付 て訊 ね るが 昭 和 十 五年 七月 頃 に於 け る 所
答 其 の通 り 相 違 あ り ま せ ん 。
問 答 を通 事 を介 し読 聞 け た り 。
一一 問 駐 日英 国 大 使 館 附 武 官 ピゴ ット の策 謀 と我 国 の対 英 政 策 の推 移 に付 ヴ ケ リ ッチ か ら報 告 があ った の では な いか 。 答 ピ ゴ ット は非 常 な 親 日 家 で日英 両 国 を 何 とか し て諒解 に達 せ し め よ う と努 力 し て居 た こと を知 って居 り ます 。 併 しそ れ は ヴ ケ リ ッチ か ら の報 告 であ った か 如 何 か よ く覚 え ま せ ん。 対 英 政策 の推 移 に 付 てヴ ケ リ ッチ か ら報 告 を 受 け た こと はあ り ま せ ん。 一二 問 ピゴ ットは 過去 数 年 間 に亘 って日 本 政 府 筋 及軍 部 に働 き掛 け
変 って行 った と 云 ふ こ とを 記 憶 し て居 り ます が詳 し い こと は覚 え て
併 し そ れ は第 一に 問 題 が曖 昧 であ り 、第 二 に時 間 の経 過 と 共 に漸 次
て来 た 男 で チ ェン バ レ ン内 閣 の閣 員 中 に も 彼 の後 援 者 があ り 、 日 本
日 本 を し て対 ソ戦 に駆 り 立 て よう と し、 密 か に 活 澄 な活 動 を 展 開 し
の対 ソ開 戦 の暁 は 日本 に援 助 せん と す る 一派 も存 在 し て居 た のか 。
一 七問 被 告 人 は尾 崎 に対 し 其 の頃 近 衛 は政 治 新 体 制 に付 如何 云 ふ考
居 り ま せん 。
へを持 って居 るか 、 或 は 如 何 云 ふ具 体 的 な 形 を と る も の か と云 ふ様
答 そ れ は其 の通 り であ り ま した 。 一 三問 天 津 租 界 問 題 は 要 す る に ピ ゴ ット の画 策 も 失 敗 に 帰 し、 日本
一八 問 それ に対 し 尾 崎 は斯 様 に報 告 し た と 述 べて居 る が如 何 。
答 其 の通 り の情 報 を求 め ま し た。
な こ と に付 情 報 を 求 め た か 。
と云 ふ意 味 の報 告 が ヴ ケ リ ッチ か ら あ った か。
特 に軍 部 の反 英 感情 の現 れ で 日本 の将 来 の動 き を 窺 ふ こと が出 来 る
答 ヴ ケ リ ッチ が さ う云 ふ報 告 を 持 って来 た か 如何 か今 よく 覚 え
た いと の意 思 があ る こと が 明 か とな った の であ り ま す が、 其 の首 班
声 明 及 平 沼 内 閣 の声 明 に よ って、 日 本 が 支 那 に 於 て新 政 府 を 樹 立 し
答 西 暦 一九 三 八年 (昭和 十 三年 ) 終 頃 か ら の近 衛 内閣 の数 次 の
通 事 を 介 し読 聞 け た り 。
は最 初 か ら汪 兆 銘 と 云 ふ こと に致 し同 人 を重 慶 か ら分 離 さ せる 計 画
此 の時 前 同 調 書 中 、 四 四 九丁 裏 四 行 乃 至 四 五三 丁 表 八行 の記 載 を
答 其 の通 り に相 違 あ り ま せ ん 。
告
人
Richard Sorge
は此 の問 題 に付 日 本 人 成員 の み な らず 独 逸 大 使 館関 係 か らも 情 報 を
本 人 が期 待 し て居 たよ り も交 渉 が長 延 き 且 つ因 難 であ り ま し た。 私
呉 れ と頼 ん で置 き ま し た 。処 が此 の問 題 は徐 々に発 展致 し ま し て日
で あ り ま し た が、 私 は 協 力者 達 に対 し よく 此 の問題 に付 て注 意 し て
を 日本 が致 しま し た 。 此 の問 題 は新 聞 等 に も 発 表 さ れ た公 然 の問 題
一 九問 そ れ は モ ス コウ に報 告 し た か。
被
年
生 駒
佳
事
答 始 め報 告 し よ う と 思 った の です が、 問 題 が 漠然 と な った の で 報 告 は し ま せ ん で し た。
通
林 寅
三
二
頃 注 兆銘 が来 朝 し た時 にも直 ぐ に其 の こ と は市 中 に 判 って仕 舞 ひ独
り新 聞 に も書 き 立 て て居 り ま し た。 一九 三 九年 ( 昭和十四年)四月
あ り ま し て、 そ れ は秘 密 で は あ り ま し た が実 際 に は 誰 で も知 って居
得 ま し た。 併 し此 の問 題 は 日本 政 府 の特 徴 を 為 す所 謂 公然 の秘 密 で
村 光
右通事 を介 し読聞けたる処相違 なき旨申立署名掴印 したり。 同日於 同庁作之 東京刑事地方裁判所 中
右 の者 に対 する治安維持法違反、国防保安法違反、軍機保護法違反
り まし た 。 私 に と って重 要 な こ とは 此 の公 表 され た も のが真 物 か偽
は完 全 な も ので は あ り ま せん が 九 十 パ ー セ ント迄 完 成 し た も のであ
た 二人 か ら支 那 及 英 米 の新 聞 紙 に 公表 さ れま した 。 其 の条 約 の草 案
所 謂 基本 条 約 の草 案 が出 来 ま し た が そ れ が支 那 側 の交 渉 委 員 であ っ
銘 が 北京 へ行 った り上 海 に行 った り致 しま した 後 、 一九 三九 年 暮 に
逸 大 使 館 に於 ても 知 って居 り ま し た。 其 の後 色 々な交 渉 があ り 汪 兆
裁判所書記 倉 予 審判 事 第二十二回訊問 調書 告 人
並 に軍用資源秘密保護法違反被告事件に付、昭和十 七年 八月 二十 五
物 かと 云 ふ こと で あ り ま した の で独 逸 大使 館 や尾 崎 か ら そ れ に関 す
被
日東京刑事 地方裁判所 に於 て予審判事中村光 三は裁判所書記倉林寅
る情 報 を得 ま し た が独 逸 大 使 館 が駐 支 独逸 大 使 館 か ら得 た情 報 に よ
リ ヒ ア ル ド ・ゾ ル ゲ
二立会 の上通事 生駒佳年 を介 し前回 に引続き右被告人 に対 し訊問す
し た。 其 の様 に 公表 さ れ たも のは条 約 の主 要 な部 分 であ り ま し た が、
る とそ れ は 真物 だ と云 ふ こと であ り 、尾 崎 か らも 同 様 な情 報 を得 ま
尚 欠 け た 処 があ った の で其 の後 、 日支 双 方 の委 員 が其 の欠 け た処 を
一問 昭和十三年度頃 から昭和十 五年十月頃日華基本条約成立迄 の 間、汪兆銘を首班とする中華 民国国民政府樹立工作 の経過 に関する
る こと左 の如し。
諜報活動 は。
六問 昭 和十 五年 十 二月 頃 か ら 昭和 十 六年 春 頃迄 の間 、 日独 経 済 協
答 其 の通 り相 違 あ り ま せ ん 。
の様 に数 箇 月 を 要 し て完 成 し た条 約 の補 足 変 更 し た 内容 を も尾 崎 が
補 ふ為 め に交 渉 を続 け そ れ に数 箇月 を要 し て漸 く 完 成 し ま し た。 其
持 って来 て呉 れ 尚 独 逸 大 使館 か ら も其 の 一部 を 聞 き ま し た。 此 の条
日 本 側 が汪 兆銘 と意 見 の 一致 を 見 た 時 に 、即 ち汪 政 権 は 成 立 し た も
であ り ま す 。
七問 そ れ で は其 の問 題 に 関 す る諜 報 の顛 末 は 斯様 で あ った のか 。
重 大性 を持 って居 り ま せん 。
し之 は 独 ソ戦 の勃 発 に よ って中 止 さ れ た交 渉 であ り ま す か ら大 し た
答 致 しま した 。 之 に 付 ても検 事 に申 上 げ た通 り であ り ます 。 併
定 締 結 の問題 に関 し ても 諜 報 活 動 を し たか 。
の であ り ま し て、 其 の様 に意 見 の 一致 を見 た事 項 に付 、 阿 部 大使 等
約 は広 汎 な 箇 々 の箇条 を含 ん だ条 約 とな って其 の後 に発 表 され た の
が汪 兆 銘 側 と交 渉 を重 ね て正 式 の条 約 を締 結 し た の であ り ま す 。
足 的 に尾 崎 、 宮 城 、 ヴ ケ リ ッチ、 独 逸 大使 館等 か ら材 料 を 得 其 の外
答 そ れ は 全 部新 聞等 に公 表 され て居 た のであ り ま す が 、 私 は補
報活動は。
九 問 昭 和 十 六 年 一月 三 十 一日成 立 した泰 仏 印 停 戦 協 定 に 関 す る諜
答 そ れは 私 が 一人で致 し 、同人 等 か ら は情 報 を得 ま せん で し た 。
八問 そ れ に付 ては尾 崎 や ヴ ケ リ ッチ にも情 報 を集 め さ せた か 。
答 其 の通 り 相 違 あ り ま せ ん 。
此 の時 前 同 調 書 三 問 答 を通 事 を介 し読 聞 け た り 。
此 の問 題 に 関 し て は時 々モ ス コウ に報 告 致 し ま した が、 詳 し い こ と は 覚 え て居 り ま せ ん。
答 そ れ は検 事 に申 上 げ た通 り であ りま す 。
二問 松 岡 外相 と駐 日 独 逸 大 使 オ ット と の関 係 に関 す る諜 報 活動 は。
三 問 そ れ で は此 の通 り の事 実 であ った か。
答 を通 事 を介 し読 聞 け た り 。
此 の時 被 疑 者 リ ヒ ア ル ド ・ゾ ルゲ に対 す る 第 四 十 回 訊問 調書 一問
私 は其 の条 約 の調 印 の際 新 聞 記 者 とし て他 の新 聞 記 者 と 一緒 に 列席
であ り ま す が、 結 局 秘 密 協 定 は な いと 云 ふ こ とが 判 り ま し た。
し尾 崎 、 宮 城 、 ヴ ケ リ ッチ等 にも其 の点 に関 し材 料 を 集 め さ せ た の
しま し た 。 私 は其 の条 約 に秘 密 協 定 が な い か と云 ふ こと を 疑 問 に致
答 其 の通 り 相 違 あ り ま せ ん 。 四問 昭 和 十 六 年 始 に於 け る独 逸 の対 ソ攻 撃 の意 図 と其 の準 備 に 関 す る諜 報 活 動 は 。
尾崎 等 か ら どん な こと を 知 ら せ て来 た の であ った か そ れ は覚 えま せ
答 そ れ も検 事 に申 上げ た 通 り で あ り ま す。 併 し之 は日 本 には関 係 な く 独 逸 に関 す る事 柄 であ り ま す 。
一 〇 問 尾 崎 か ら は 秘密 協 定 は な いが 併 し 将来 何 か特 別 の問 題 が両 国
ん。
云 ふ様 な 報 告 が あ った か。
の何 れか に加 へら れ る可 能 性 があ る か ら 注 意 し なけ れ ばな ら な いと
五 問 そ れ で は其 の点 に付 、 検 事 に斯 様 に述 べ て居 る が 此 の通 り相
此 の時 被 疑 者 リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ に対 す る 第 四 十 一回訊 問 調 書 一
違 な いか 。
問 答 を通 事 を介 し読 聞 け た り 。
歓 迎 さ れ て居 り 只軍 部 に於 ても 歓 迎 は さ れ て居 り ま し た が 、軍 の 一
日 ソ中 立 条約 は 独逸 に は喜 ば れ ま せ ん で し た が、 日 本 に於 て は大 体
答 そ れ に付 て も致 しま した 。
二問 ヴ ケ リ ッチ の持 って来 た そ れ に関 す る情 報 は全 然 記 憶 し な い
答 其 の様 な こと も 多 分 あ った と思 ひま す 。
か。
日 ソ中 立 条 約 と 日独 伊 軍事 同 盟 と の関 係 に付 ては 各 方 面 に於 て 一般
居 り 親英 派 も喜 びま せ んで し た。
部 例 へば 荒 木大 将 の 一派 の如 き は そ れを 喜 ばず 反 対 の立場 を と って
云 ふ話 を 致 した ので あ った か其 の内 容 は覚 え ま せ ん。
答 同 人 はそ れ に 関 し度 々私 に材 料 を持 って参 り ま し た が、 如 何
一二問 松 岡 外相 訪 欧 の使 命 に付 ては 他 の成 員 か ら も情 報 を 得 た か 。
に 其 の両条 約 は何 の関 係 も な く 矛 盾 もな い と云 ふ意 見 だ と 云 ふ こ と
其 の点 に関 し て も検 事 に詳 しく 申 上 げ た通 り であ り ます 。
そ れ等 の情 報 の内宮 城 は荒 木 に関 す る重 大 な情 報 を 持 って参 り 、独
と云 ふ情 報 も得 ま した 。
であ り ま し て、 只 一部 には 三国 同 盟 の方 が 優 先 す る と 云 ふ説 があ る
答 尾 崎 は 私 が 独逸 大 使 館 で知 り 得 た 二 、 三 の点 を確 証 し て呉 れ
一三問 そ れ で は其 の点 に関 し尾 崎 か ら得 た情 報 及 そ れを モ ス コウ に
逸 大使 館 から は 一般 的 な情 報 を得 、 日 ソ条 約 に対 す る独 逸 人 の感 情
ま した 。
報 告 し た顛 末 は 此 の通 り であ った のか 。
な情 報 を 得 、 尾 崎 か ら も 一般 的 の情 報 を得 ま し た 。
及 日本 に於 て それ が 如何 扱 は れ るか と云 ふ こと を見 て居 る と云 ふ様
問 答 を 通事 を介 し読 聞 け た り 。
此 の時 被 疑 者 リ ヒ ア ル ド ・ゾ ルゲ に対 す る第 四 十 三回 訊 問 調書 三
之 等 の情 報 を 綜 合 し て モ ス コウ に報 告 致 し ま し た が其 の内 容 は 覚 え
中 立条 約 と日 独 伊軍 事 同盟 の関 係 に 付 て の各 方 面 の見 解 に 関 し斯 様
一 五問 尾 崎 か ら は 日 ソ中立 条 約 成 立 に伴 ふ国 内動 向 に関 し、 及 日 ソ
ま せん 。
答 此 の点 に付 て は次 の三 点 を 申 上 げ た いと思 ひま す 。 第 一は尾
き ま せ ん 。第 二 は検 事 には 色 々詳 し く申 上げ てあ り ま す が ソ聯 に関
な報 告 が あ った か 。
崎 の情 報 は私 が既 に独 逸 大使 館 に於 て知 り得 た こと を確 証 し た に過
ソ聯 に対 し て は広 い行 動 の自 由 を与 へら れ た と云 ふ こと を 聞 いた の
す る問 題 であ り ま し て、 私 は 尾 崎 か ら松 岡 外 相 は 独 伊 に対 す る よ り
此 の時 被 疑 者 尾 崎 秀 実 に対 す る第 二十 二 回訊 問 調書中 、 記 録 七 一
八丁 表 十 一行 乃至 七 二〇 丁 裏 四 行 の記載 を通 事 を介 し読 聞け た り。
で あ り ま す。 第 三は 第 一と 関連 す る 事柄 で即 ち尾 崎 か ら の情報 は独 立 し て価 値 のあ るも の では な いと 云 ふ こ と であ り ま す。
一 四問 昭 和 十 六 年 四 、 五 月頃 日 ソ中 立 条 約 締 結 に関 す る国 内 動 向 及
り まし た 。
と思 ひま す 。併 し之 は情 報 では な く尾 崎 の個 人 的 な 情勢 の判 断 であ
答 箇 々 の こと は よく 覚 えま せ ん が 、其 の様 な 報 告 が あ った こ と
同 条 約 と日 独 伊軍 事 同 盟 の関 係 に付 て の各 方 面 の見 解 に付 ても 諜 報
一 六問 昭 和 十 六年 中 、 日仏 印通 商条 約 の内 容 と我 国 の食 糧 問 題 に関
以 上 三点 と矛 盾 し な い其 の他 の事 実 は其 の通 り に 相違 あ り ま せ ん。
活 動 を 致 した か。
す る諜 報 活動 は。 答 そ れ に付 ては 宮 城 と ヴ ケ リ ッチか ら情 報 を得 た ので あ り ま す が 、 そ れ は日 本 の食糧 間題 に付 て であ り ま し て、 日 仏 印通 商 条 約 は 其 の様 な 条 約 が 成 立 し た と云 ふ こと を モ ス コウ に報 告 し た だ け で、 其 の内 容 は モ ス コウ に は何 の興 味 も な か った の で報告 し ま せ ん で し た 。 日 本 の食 糧 問 題 は私 自 身 興 味 のあ る問 題 であ り ま し た か ら、 宮 城 とヴ ケ リ ッチ に対 し日 本 が 仏 印 か ら何 程 の米 を買 入 れ る こ とを 必 要 と し て居 る か と 云 ふ点 を 尋 ね た の であ り ま し た 、 そ れ に対 し宮 城 が 二 、 三 の こ とを 話 し て呉 れ ま した が 正確 な量 は判 り ま せん でし た 、 ヴ ケ リ ッチ は右 条 約 に関 す る フ ラ ン ス人 の気 持 を私 に話 し て呉 れ た こ と を覚 え て居 り ま す 。 一 七問 ヴ ケ リ ッチか ら も 日仏 印 通 商 条 約 の内 容 は日 本 が仏 印 か ら買 受 け る米 の量 及其 の代 金 の決 済 を約 定 し たも の で日 本 の食 糧 問 題 は 将 来 南 方 に 依存 す る こと にな ら う と 云 ふ様 に報 告 が あ った の では な
答 日本 が仏 印 の北部 に進 駐 し た時 と 南部 に進 駐 し た時 と 状 況 も
いか 。
違 って居 り ます の で、 色 々の話 を ヴ ケリ ッチ か ら も受 け て居 り ま す
中
倉
村
林
光
寅
三
二
人
予 審 判 事
告
裁 判 所書 記
被
第 二 十 三回 訊 問 調 書
リ ヒ ア ル ド ・ゾ ルゲ
右 の者 に対 す る 治 安 維持 法 違 反 、 国 防 保 安法 違 反 、 軍 機保 護 法違 反
並 に軍 用 資 源 秘 密 保護 法 違 反 被 告 事件 に付 、 昭 和 十 七年 八月 二十 六
日東 京 刑 事 地 方 裁 判所 に於 て予 審 判事 中 村光 三 は裁 判 所書 記 倉 林 寅
二立 会 の上 通事 生駒 佳 年 を 介 し前 回 に引 続 き 右被 告 人 に対 し訊 問 す る こ と左 の如 し 。
一問 昭 和 十 六年 四、 五月 頃 日 米交 渉 を続 る 近衛 総 理 大 臣 と 松 岡 外
答 致 し ま し た。
務 大 臣 と の意 思 の疎 隔 と 云 ふ こと に関 し ても諜 報活 動 を した か 。
そ れ は主 と し て独 逸 大使 館 か ら情 報 を 得 ま し た の で、 其 の情 報 の詳
し いこ と は覚 え ま せ ん が 、 一般 的 な事 柄 に付 独 逸 大 使 か ら私 は 日米
よ う と の意 見 を持 って居 り、 近 衛 総理 其 の他 の人 々は そ れ は余 りに
交 渉 に関 し松 岡 外相 は 日独 伊 三 国 同 盟 の範 囲 内 に於 て米 国 と交 渉 し
窮 屈 な考 へ方 だ と思 は れ て居 た と 云 ふ話 を聞 きま し た 。
得 た と思 って居 り ま す 。 同年 四月 頃 尾 崎 か ら情 報 を得 た こと は覚 え
答 最初 の頃 は如 何 であ った か覚 えま せん が後 にな っては情 報 を
か ら其 の様 な 報 告 が あ った こ とと 思 ひ ま す が其 の内 容 は 只今 覚 え て
Ri cha rdSorge 年
生
佳
人
駒
事
居 り ま せん 。 告
二問 尾崎 秀 実 か ら も其 の点 に 関 し何 か情 報 を 得 た か。 被
ま せ ん が、 松 岡 外 相 不 在 中 に 日米 交 渉 が 始 め ら れ た の で松 岡 外相 は
通
右 通 事 を介 し読 聞 け た る 処相 違 なき 旨 申 立 て署 名拇 印 した り 。
不満 であ った と云 ふ様 な こ とは 誰 にも判 って居 り まし た ので、 尾 崎
か ら も共 の様 な話 は あ った と思 ひま す 。 そ れ で私 は松 岡 外相 は結 局
同 日於 同 庁 作 之 東 京 刑 事地 方 裁 判 所
辞 職 す る だ ら う と想 像 し て居 り ま し た。
並に我政府 の米穀増産 計画に対する農民 の意向 、我国 に於ける中小
七問 同 人は我国農業問題殊 に北海道及東北地方に於ける米作状 況
答 それ等 の点に付 ても宮城は大きな情報 は持 って来ませんでし
商 工業者 の失業対策及転業問題 に関 しても情報 を齋ら したか。
たが細 かい個 々の問題を沢山持 って参 りました。特 に天候 による米
三 問 松 岡 外 相 は日 ソ中 立条 約 日独 伊 軍 事 同 盟 の 二 つの結 び 付 き に
衛 内閣 の首 脳 者 は 対米 協 調 の立 場 か ら 松 岡 を差 し置 い て其 の交 渉 を
作 の被害、東北に於け る農民 の困難な状 況、中小商 工業者転業 の困
よ って強 硬 に 且 つ高 飛 車 に交 渉 を開 始 しよ う と思 って居 た のに 、近
し た の で はな か った か 。
開 始 し た の で松 岡 が 非常 に不 満 であ る と 云 ふ様 な情 報 を 尾 崎 が齋 ら
あ ったこと等や、米作及其 の被害 の状 況等を申 して参りました。
難 な状況や農民が米を供出 しな いで手許 に持 って居る状況 の顕著 で
尚 尾 崎 は 其 の日 米交 渉 の見 透 に付 ても 日 本 は其 の交 渉 を成 立 さ せた
した。
併 し、米作 の状 況其 の被害 の程度等は政府 が発表したものでありま
答 無 論 尾 崎 か ら も さ う云 ふ情 報 を 齎 ら し た の であ り ま し た。
って居 る の だと 云 ふ こと も申 し て参 り ま し た 。
八問 尾崎からは昭和十年頃軍事に関す る調査書、軍事知識 ノート
い と思 って居 る が 、其 の成 立 す る か 否 か は ア メ リ カ の態度 如 何 に懸
四 問 其 の様 な昭 和 十 六年 四 、 五月頃 に於 け る 日米交 渉 に関 す る情
二冊 動に関する各政党 の動向
昭和十五年 二月頃第六十八議会 を通 じて現はれたる既成政党解消運
報 も モ ス コウ中 央 部 に報 告 し た か 。
ました。
同年度頃支那事変発生後 の日本農村 の経済状態 と題す る各報告書 一
答 細 か い 一つ 一つ の報 告 に付 て は覚 えま せん が無 論 報 告 は致 し
五 問 其 の外 ヴ ケ リ ッチか ら は 我国 の農 業 問 題 と其 の内政 及 対 外 政
通
昭和十五年 三月頃満鉄社内極秘刊行物 ﹁支那 抗戦力 ﹂調査関係書類
策 に 及 ぼ す影 響 に付 ても 情 報 を得 た か。 答 私 は 日 本 の農 業 問 題 が日 支 事 変 に 如何 な る影 響 を 及 ぼ す か と
同年 秋頃同社大阪出張所刊 行昭和十 六年度米穀 需給予想表 一通
数通
同年 から昭和十六年四月頃迄 の間十数回 に亘り同社内極秘刊行物時
ふ程 のも ので は なく 、 日 本 の農 業 問 題 食 糧 問 題 等 に関 し 一般 的 な話 が あ り 、尚 日本 に於 て合 法 的 に 発 行 さ れ て居 る 英 字新 聞 の そ れに 関
事資料月報 と題する報告書 十数通
云 ふ こと に付 興 味 を 持 って居 り ま し た が ヴケ リ ッチ か ら は情 報 と 云
す る 記事 の 切抜 を 二、 三持 って来 て呉 れた こと を記 憶 し て居 り ま す。
を蒐集入手 せしめたか。 答 最初 の軍事知識 ノートは尾崎 が持 って来たか宮城 が持 って来
たかよく覚えませんが確 かにそれは持 って参りました。
六 問 宮 城 与 徳 か ら も 我 国 の政 治 情 勢 の 一般 的推 移 に付 色 々 の報 告 が あ った の か。 答 小 さ い問 題 を 度 々報 告 し て参 り ま し た。
ま し た が合 法 的 な 記 事 を 載 せ た の であ り ま す 。
尾 崎 の友 人 が書 いた も の であ り ま し た が其 の内 容 は専 門 的 で はあ り
モ ス コウ か らそ れ を伝 書 使 で送 って貰 って も遅 れ て仕 舞 ひ 回顧 的 で
け れ ど モ ス コウ には報 告 致 しま せん でし た。 時 事 資 料 月 報 に付 て は
其 の中 には 日本 や ソ聯 其 の他 の諸 国 の軍 事力 の 比較 が載 って居 り ま
の本 は尾 崎 又 は宮 城 を し て其 の概 要 を翻 訳ぜ しめ ま し たけ れ ど、 之
前 途 予 想 の資 料 と し て役 立 たな いと 申 し て来 ま した の で入手 した 其
は自 分 の興 味 の為 め に聞 き取 った も ので あ り ま した 。
し た がそ れ 等 も 総 て合 法 的 な資 料 に基 い て記載 さ れ たも の であ り ま した。
も モ ス コウ に送 附 す る こと も中 止 しま し た 。
の価 値 はな いと 云 ふ こと で あ った の で、 其 の後 は之 を 蒐 集 す る こと
のあ る人 か も知 れ な いが 内容 は周 知 の こ と であ って秘 密 資 料 とし て
編 を 抜萃 せ し め、
国 陸 軍 の新 兵 器 に対 す る我 陸 軍 将 校 の意 見 其 の他 に 関 す る記 事 十 数
市 内 に於 て購 入 の軍 事 と技 術 と題 す る 月 刊雑 誌 に掲 載 さ れ た 欧 州各
九 問 宮 城 から も 昭 和 九年 七月 頃 か ら昭 和 十 一年 春 頃 迄 の間 、 東京
な った こ と であ り ま す 。
此 の入手 し た 一冊 か 二冊 か を 見 本 と し て モ ス コウに 送 り ま し た が、
次 の第 六 十 八議 会 を 通 じ て現 は れ た る既 成 政 党 解 消 運 動 に 関 す る各
昭 和 十年 末 頃 か ら昭 和 十 六年 四 月頃 迄 の間 航 空 兵操 典 、 工兵 操 典 、
ス コウに於 ては経 済 的 政 治 的 研究 の如 き文 書 には価 値 を置 か ぬ様 に
政 党 の動向 と 云 ふ報 告 書 はそ れ を貰 った か如 何 かよ く 覚 え ま せ ん が、
尚 附 け加 へて申 上げ た い のは 西 暦 一九 三九 年 欧 州戦 争 の勃 発 後 は モ
私 は 尾崎 か ら其 の内 容 に 関 し話 を 聞 いた と思 って居 り ます 。
モ ス コウ か ら そ れ に対 す る 返事 が参 り、 之 を 書 いた 人 は確 か に造 詣
次 の支 那 事 変 発 生 後 の日 本農 村 の経 済 状 態 と 云 ふ報 告 書 は其 の本 の
答 其 の通 り相 違 御 座 いま せ ん 。
戦 車 兵 操典 等 と題 す る我 陸 軍関 係 書 籍 十 数 冊 を 入 手 せ し めた か 。
前 の方 の分 は合 法 的 に出 版 さ れ売 行 き の多 い自 由 に購 入 出 来 る 雑誌
在 る こ と は尾 崎 か ら 話 し て呉 れ ま した が、 本 其 の物 は貰 はな か った と覚 えま す 。 併 し宮 城 が其 の本 の目 次 と 其 の中 の 一、 二章 を 英 語 に
が、 日本 人 な ら自 由 に入 手 出 来 る も の であ り ま した 。 併 し宮 城 の手
で あ り ま した 。
か ら入 手 し た のは十 数 冊 より は 少 な か った の では な か った か と思 い
後 の方 の分 は 特 定 の本 屋 で売 って居 り 外 国 人 で は如 何 か 判 り ま せ ん
次 の支 那抗 戦 力 調 査関 係 の文 書 も 尾 崎 か ら其 の様 な 文 書 のあ る話 は
ます 。
コウ には 送 り ま せ ん で し た。
聞 き ま し た が 、本 其 の物 は 知 り ま せ ん。
翻 訳 し て呉 れ ま し た が そ れも 問 題 が 専門 的 であ り ま した か ら 、 モ ス
尾 崎 か ら は支 那 の抗 戦 力 其 の物 に付 て の話 があ り ま し た。
一 〇問 そ れ等 の資 料 は モ ス コウ中 央 部 に送 った か 。
ら将来 送 る 必要 は な いと 云 ふ返 事 が参 り 、後 のも のは 何 処 で で も買
答 送 り ま した 。 処 が 最 初 の雑 誌 軍 事 と 技術 の方 は興 味 が な いか
次 の昭 和十 六年 度 米 穀 需 給 予 想表 は 日本 農 村 の経 済状 態 と云 ふ のと 同 じ も のであ った か如 何 か 私 は 日本 語 が判 らな い ので其 の点 は判 然 覚 え ま せ ん が、 宮 城 が標 題 と 一、 二章 を 英 語 に翻 訳 し て呉 れ ま し た
情 報 とし て作成 報 告 し た るも の とあ る欄 を順 次 通 事 を 介 し読 聞け た
持 法違 反 等 被 告 事 件 記録 二 二 七 丁乃 至 二七 五 丁 表 二行 中 の年 月 日 及
此 の時 、 被 告 人 宮城 与 徳 に対 す る 昭 和 十 七年 予 第 一二四 号 治 安 維
如 何。
集 し 被告 人等 に報 告 し た 情報 の内容 は斯 様 であ った と述 べ て居 る が
二問 宮 城 は昭 和 九 年 中 か ら 昭 和十 六年 五月 頃 迄 の間 に於 て探 知 蒐
と の返 事 が 参 り ま し た。
へる合 法 的 な も の で はあ るが 参 考 に な る か ら将 来 も 続 け て送 る様 に
ふ パ ン フ レ ット を繞 る我 軍 部 方 面 の意 図 に付 ても 尾 崎 と話 を致 しま
第 二 に尾 崎 の関 係 であ り ます が、 国防 の本義 と其 の強 化 の提 唱 と云
私 に其 の様 な 材 料 を得 さ せ た のであ り ます 。
於 て其 の様 な報 告 を 受 け る地 位 に在 った ので 、其 の様 な 私 の地位 が
方 面 か ら情 報 を蒐 集 した と 云 ふ こ と であ り ま す が 、私 は同 大 使 館 に
答 先 づ第 一に私 が 独 逸 大使 館 に於 け る 地 位 を利 用 し て同 大使 館
部 分 迄 の記載 を通 事 を 介 し 読 聞 け た り。
頭 及 イ 乃 至 ホ 及 ﹁等 の事 項 に 付各 種 の情 報 を 蒐 集 せ し め ﹂ とあ る
した がそ れ は情 報 と云 ふ程 のも ので はあ り ま せん 。相 沢事 件 、 大 本
が 宮 城自 身 が そ れ等 の項 目 に付 諜 報 活 動 に携 は った も の であ ら う と
第 一は驚 嘆 す べき詳 密 な 申 立 て非 常 に沢 山 な 項 目 を 挙 げ て居 りま す
泰 仏印 停 戦 協 定 に付 て も尾 崎 と意 見 の交 換 を致 しま した が 、 そ れ は
通 り であ り ます 。
張 鼓 峯事 件 、 ノ モ ン ハン事 件 、新 体 制 問 題 等 に付 て は前 に申 上 げ た
営 設 置 事 情 等 に付 ても 同 様 の こと が 云 ひ得 られ る と思 ひ ます 。
思 ひ ます 。
答 そ れ に付 て は次 の三 点 を 申 上げ た い と思 ひま す 。
り。
第 二 は そ れ等 の項 目 に付 、宮 城 が私 と話 を し た こと は多 分 あ る と思
パ ンフ レ ット 等 の資 料 を 得 た 点 に付 て は本 日申 述 べた通 り であ りま す。
協 定 後 に於 て致 し た の で情 報 と云 ふ程 のも の で はあ り ま せ ん。
第 三 は其 処 に挙 げ てあ る事 柄 は情 報 と し て重 要 性 のあ るも のも あ り
ひ ます 。
之 を 度 外 視 し た新 聞記 事 或 は単 な る噂 若 く は宮 城 自 身 の判 断 と 云 ふ
はあ り ま す が そ れ は情 報 と云 ふ程 のも の では あ り ま せ ん 。
第 三 に宮 城 の関 係 で は同 人 と 一般 的 の政 治 情 勢 に付 て話 を し た こ と
ノ モン ハン事 件 に関 す る宮 城 の活 動 は前 に申 上 げ た通 り で之 は後 に
様 な も のも あ って、情 報 と し て の価 値 のな いも のも 含 まれ て居 る と
三問 以 上 訊 ね た処 を綜 合 す る と 要 す る に被 告 人 の日 本 に於 け る諜
云 ふ こと を 強 調 し た い と思 ひま す 。
った こと が判 りま した 。
な って其 の情 報 が間 違 って居 り同 人 が単 な る 噂 を持 って来 た の であ
宮 城 と は其 処 に挙 げ ら れ た他 の ソ満 国 境 に於 け る 日 ソ間 の紛 争 事 件
報 団 に於 て蒐 集 し た情 報 及 資 料 は 斯様 な事 柄 に関 す る も のを含 ん で 居 った か 。
農業 問 題 で宮 城 が 色 々私 に伝 へて居 り ま す が、 そ れ は皆 政 府 の発 行
に 関 し ても 話 を し て居 る と覚 えま す 。 二 の内一 の 冒頭 及 イ 乃 至 ヲ 及 末尾 、 三 の冒 頭 及 イ 乃 至ヘ 、 四 の冒
此 の時 被 告 人 に対 す る 予 審請 求 書 記 載 の公 訴 事 実 中 、第 二 の 一の
ット の天津 事 件 に関 す る こと は既 に申 上 げ た 通 り であ り ます 。
同 人 が ノ モ ン ハ ンに公 式 の旅 行 を し て其 の報 告 を 致 し た こ と、 ピゴ
に関 す る情 報 を得 た こと は あ り ま せ ん。
第 四 に ヴ ケ リ ッチ か ら日 本 の農 業 問 題 と其 の内 外政 策 に及 ぼす 影 響
宮 城 か ら の本 の入 手 の問 題 は 本 日申 述 べた 通 り であ り ます 。
中 小 商 工業 者 の失 業 転 業 問 題 に付 て も同 様 であ り ま す。
した 合 法的 な も の に基 く も ので あ り ま した 。
三 日本 は蒋 介 石 と の和平 に未 練 を持 ち つ つ汪 と交 渉 中 と の尾 崎
二 青島 会 談 当 時 の北 支 政 権 と汪 政 権 と の関係 。
八︱一 〇 汪 の来 朝 と行 動 等 。
七 汪 の上海 乗 込 。
四 ︱ 六 近 衛 声 明 。
三 近衛 声 明 と汪 の通 電 。
一 二 尾 崎 か ら の情 報 。
一 三 一 四 汪 と上 海 財 閥 と の関係 。
の情 報 。
云 ふ程 のも の は得 て居 り ま せ ん が、 単 に話 を し た程 度 であ り ま す 。
一 五 日本 の経 済 政 策 と 汪 の経済 的 要 求 。
泰 仏 印停 戦 協 定 は周 知 の こと であ り ま した か ら 、之 に付 ても 情 報 と
日 仏印 通 商 条 約 に関 す る ヴ ケ リ ッチ と の話 に付 て も前 に申 上 げ た 通
一 六 一 七 承 認 後 間 のな い頃 に於 け る汪 政 権 の将 来 の発 展 性 に付 て
倉
村
林
光
寅
三
二
一 四︱ 一 七 宮 城 か ら の情 報 。 (独 ソ戦 に対 す る 態 度 、 山 下中 将 の 問
一 〇︱ 一 三 山 下 奉 文 中 将 一行 の訪 独 使 節 に 関 す る問 題 。
一 ︱ 九 七 月 の御 前 会 議 。
第 二十 六 回
二 〇︱ 二 六 六月 下 旬 の政府 軍 部首 脳 の会 議 。
一 七︱ 一 九 開 戦 直 後 の政府 軍部 の独 ソ戦 の将来 に対 す る 見 透 。
一 六 モ ス コウ中 央 部 への通 報 。
二︱一 五 六月 十 九 日 の政 府 軍部 の会 議 。
六︱ 一 〇 開 戦 前 の日 本 の態 度 等 。 (大 島 大使 の報 告 等 )
一 ︱ 五 昭和 十 六年 六 月 二 十 一日独 ソ開 戦 以後 の日本 の態 度 。
第 二十 五回
一 八︱ 二 七 日華 基 本 条 約 。
の情 報 。
り で あ り ます 。 其 の 他 は其 の通 り 相 違 あ り ま せ ん 。
Ri chard Sorge 年
人
佳
生
駒
事
一 三 問 そ れ等 の事 項 に 関 す る モ ス コウに対 す る報 告 又 は資 料 の送 附
告
の点 に付 て は之 迄 述 べた 通 り 間違 な い か。 答 間 違 あ りま せ ん 。 被 通
裁判所書記
中
)
予 審 判 事
右 通 事 を介 し読 聞 け た る処 相 違 な き 旨 申 立 て署 名拇 印 した り 。
東 京 刑 事 地方 裁 判 所
同 日於 同 庁 作 之
第二十 四回 (
国 民政 府 樹 立 工作 。 十三年夏頃 より昭和十五年十月頃 日泰 基 本 条約 成 立迄 の間
対 ソ問 題 に付 て の近 衛 首 相 の意 向 。
題等) σ0ー ㊨ 同 年 七 、 八月 の大動 員 に関 し、 及 之 に 関連 し て日 本 の対
九 月 の尾 崎 の満 州旅 行 。
ソ戦 勃 発 の見 透等 。
㊨ー 6診
㈱- Oq
㈱1㈱ 第 三 十 一回
ヴ ケ リ ッチか ら の ﹁〃﹂。
ヴ ケ リ ッチか ら の ﹁松 岡外 相 渡 欧 不 在 中 の日 米交 渉 に関
〃 ﹁豊 田外 相 就 任 と ツ ツイ ラ号 爆 撃 事 件 と関 連 し ての 日
〃 ﹁松 岡 外相 帰 朝 後 の日 米交 渉 に関 す る 情 報 ﹂。
す る 情 報 ﹂。
①ー⑩
⑱
ω1 ⑯
〃 ﹁独 ソ戦 に対 す る 日本 の態度 と之 に対 す る 米 国 の措 置 ﹂ 。
⑰
〃 ﹁ア ンリ i 仏大 使 の我 南 進 に付 て の 活 動 に 関 す る 情
満 州 旅 行 後 の尾 崎 の報 告 。
⑲- ㈱
一 -囲
第 二 十 七回
⑬1 ㈱
米 交 渉 の成 行 に関 す る情 報 ﹂。
三
昭 和 十 六 年 七 、 八 月頃 の我 軍 の大 動 員 。
三
よ り の情 報 )
以 上 の点 に付 て のヴ ケリ ッチ の供 述 に対 す る陳 述 と 本部
日本 の軍 事 に 関 す る諜 報 活 動 の詳細 。
近 衛 メ ッ セー ジ、 日 米 交 渉 に 付 て の 双方 の主 張 。
資 産 凍 結 を含 む 全面 的 対 日経 済 封 鎖 。
ω1⑤
尾 崎 、 宮 城 よ り の ﹁陸 軍 の師 団 編 成 及 駐 屯 地等 に関 す る
尾 崎 よ り の ﹁在満 州 の 日本 部 隊 の配 置 1。
支 那 に派 遣 さ れ た 日本 軍 の各 師 団 名 及其 の駐 屯 地 。
日 本軍 の新 た なる 編 成 。
日 本 軍 の動 員 計 画 と其 の実 施。
ω1ω
第 三十二回
への報 告 。
㈱
報 ﹂。
十 六年 八月 下 旬 の陸 軍首 脳 部 と 関 東 軍 将 校 と の会 議 。 (尾 崎
参 謀 本 部 の独 ソ戦 に対 す る 見 透 。 ( 宮 城 より の情 報 )
第 三次 近 衛 内 閣 の性 格 。
㈱
三
日本 軍 部 の意 向 等 。 ( 欧 州戦 局 と関 連 し て対 ソ戦 に関 し)
圓
三
国
日米 交 渉 。
函ー ⑳ 第 二 十 八回
口
一ー三
⑤
一ー国
⑥1 ω
⑥ー⑨
因ー飼
日 米交 渉 の日本 案 、 所 謂 対 米 申 入書 。
⑫ー ⑫Φ
第 二十 九 回
函1㈹
若 杉 公 使 の帰 任 と交 渉 の前 途 等 。
三覧 表 ﹂。
日本 軍 の装 備 、特 殊 部隊 、 飛行 機 及機 械 化 に 関 す る被 告 人 自
身 の独 大 使 館 に於 け る活 動 。 第三十四回
⑳
第 三十三 二回
㈲1㈲ 第三十回
﹁ 新 情 勢 の日本 経 済 に及 ぼ す影 響 ﹂ な る調 査 書 。
﹁ 戦 時 下 の 日本 農 業 ﹂ な る 調 査書 。
⑧ω⑤
宮 城 か ら の ﹁日米 交 渉 に関 す る情 報 1。
ω②ω⑤
⑥ー㈱
①︱⑦ 小代好信 を介 して宮城より得 たる情報 、満州国公主嶺 に 駐屯す る長谷川機械化部隊 の編成及改編 。 ⑧ 満州国東部国境方面及北鮮慶源地方 に駐屯する陸軍 の訓練実 施 の状 況。 ⑨ 同じく部隊数、兵員数 、装備。 ⑩ 海拉爾 に駐屯する陸軍 の編成状況。
⑩︱ ⑮ 石油 の貯 蔵 量 。 第三十七回
① ② ⋮ モ ス コウ中 央 部 に対 す る情 報 送 付 の方 法 。
③︱ ⑥ ⋮ 写真 使 用 の状 況 。
⑦︱ ⑨ ⋮ 無 電 利 用 の状 況 。
⑪⋮ 13、6 、3 の報 告 。
⑩⋮ 12、10 、12 の報 告 。
我 官 庁 に於 て傍 受 し た る無 電 に付 て。
備。
⑫⋮ 13、8 、23 無 電 能 力 及 部 分 品 に関 す る問 合 せ 。
問合 せ。
⑬ ⋮ 13 、9 、5 リ シ ュ コフと の意 見 に関 す る 文 書 を受 領 せよ と の
⑰ 樺 太に於 ける陸軍部隊 の駐屯配置 の状況。
⑪︱ ⑮ 陸軍 の対 ソ編成 甲、乙師団及甲師団附属機械化部隊 の装 ⑯
⑱︱21 田 2口 2右 源太を介して宮城 よりの情報、北海 道に於 ける 飛行場等 の設備。
⑮ ⋮ 同 女 の香 港 派 遣 取消 及上 海 派 遣 の指 令 。
⑭ ⋮ 13、9、5 ク ラウ ゼ ンの妻 の香 港 派 遣 の指 令 。
①︱ ③ 日本軍 の大動員。
⑯ ⋮ 13、9、2 1 無 電 作 業 状 態 及 無 電 部 分 品 に関 す る間 合 せ 。
第三十五回 ④︱ ⑦ 小代を介し て宮 城 の情報。
⑰ ⋮ 13、9、2 1 漢 口作 戦 と 日本 外 交 方針 の変 化 に関 す る 情報 を 入
件。
諜 報 網 に陸 軍 将 校 を 獲得 せ よ と の指 令 。
⑥ ⋮ 15、2、19 被告 人 よ り の情 報 。 (軍 事 に 関 す る書 物 の 購 入 の
① ︱ ⑤ ⋮ 15、2、19 (二 口) ダ ルよ り の指 令 。
第 三十 八 回
22 ⋮ 14、11 、25 連 絡 に関 す る 指令 。
21 ⋮ 14 、9、1 阿 部 内 閣 の性 格等 に付 て の報 告 。
⑳ ⋮ 14、9、1 独大 使 館 の利 用 に関 す る指 令 。
⑱ ⑲⋮ 14、4、13
手 せよ と の指 令 。
⑧ 宮城 の情報。 ⑩⑪⑬︱⑮ 満州国東部国境 に於ける日本軍の対 ソ作戦計画 の内 容等。 ⑫⑬︱⑮ 満州国東部国境駐屯 の関東軍 の配備並対 ソ戦に対 する 企図変 更 の情 況。 ①︱ ⑤ 宮城 より の十六年 十月頃 に於け る東京市及其 の附近 の防
第三十六回 空高射砲陣地 の位置等。 ⑥︱ ⑨ 独大使館附武官 マッキより入手 の貨物 自動車等 の生産 工 場、 生産類等。
⑧ ⋮ 15、2 、19 〃 (独逸 軍 艦 に対 す る 石 油 の補 給 )
〃 ( 陸 軍 の在 支 駐 屯 状 況 及満 ソ国 境 の兵 力 状 況 )
オ ット 大使 と土 肥 原 、 岡 村 の会 談 等 。
〃 第 四〇 号 に 対 す る陳 述 。
対 ソ戦 に関 す る 日 本 の態 度 。
第 二次 動 員 と 山 下将 軍 の使 命 。
①ー ω
第三十九回
ωー αの
宮 城 の報 告 に よ る満 州 の部 隊 及 近 衛師 団 の四 箇 連 隊 が 南
軍 首 脳 と 関 東 軍 の人 々と の会 議 、 近衛 内 閣 の危 機 。
⑮ー⑳
デ ィ レク タ ー より の祝 電 。
兵 器 生 産 能 力 の図 表 の入 手 と被 告 人 の灰 色 の手 帳 の関
⑨⋮ 15、2、19 ⑩ー ⑫ ⋮ 係。
百 六師 団 等 の駐 屯 地 等 探知 方 の指 令 。
⑬ ⋮ 15、3、3 任の ⑯ ⑱ ⋮ 15 、3 、3
⑳1 ㈱
ダ ルよ り の指 令 。
⑨
⑱
ωー ⑧
第 四十 回
㈱ー ㈱
二、 三 の小動 員 、 オ ットが 東条 陸 相 に北 方 作戦 に関 心を
戦 争情 勢 其 の他 一般 情 勢 に 対す る情 報 。
第 三次 動 員 、 日本 の米 国 に対 す る提 案 、 尾 崎 の対 米問 題
対 ソ戦 に 関 す る見 透 、 日 米 交渉 等 。
前 同 号 の証 拠 品 に対 す る 陳 述 。
尾 崎 が満 州 か ら帰 って の報 告 。
所在地。
方 に送 ら れた 、 第 二次 動 員 の兵 士 の年 齢 、樺 太 に在 る 兵舎 の
〃
デ ィ レク タ ー より の 祝 電 。 (メーデ ー記 念 日 に 際
被告 人 よ り の報 告 。 (独 逸 の ヨー ロ ッパ に 於 け る
⑯1 ⑬⋮ 15 、3 、7 ⑲⋮ 15、3、7
⑳ ⋮ 15、3、25
戦争計画)
⑳⋮ 15、5 、4
ダ ルよ り の指 令 。
予 備 兵 の総 動 員 の目 的 を 探 知 し 報告 せ よ と の指 令 。
し健 勝 を 祈 る ) ⑳ ⋮ 15、7、14 ⑳ ㈱⋮ 15、5 、2
⑲︱ ㈱
起 さ せよ う と努 力 し て居 る点 、 南方 進 出 に要 す る 兵 力 と現 に
毎 時 の始 十 五分 間 聴 取 の姿勢 に あ る べ しと の指
プリ ッ ハ コ ン マサ ンと の連 絡 不可 能 云 々。
令。
㈱㈱ ⋮ 15 、7 、13
⑳⋮ 15 、11 、29
高 射 砲 陣地 等 の地 図 と共 に宮 城 が ク ラウ ゼ ンに手 交 した
前 同 押 号 の第 一六 三号 の証 拠品 に対 す る 陳 述 。
仏 印 に 駐 屯 す る兵 力 、 日 米交 渉 。
㈱ー ㈲
第 二十 四 回 訊 問調 書
ゾ ルゲ自 身 の書 いた報 告 の原 稿 。
三 七 、 三 八 の証 拠 品 に対 す る陳 述 。
も の。
㈲ー ㈱
独 ソ戦 に関 連 し 日本 政 府 が ソ聯 に如 何 な る決 意 を
無電 連 絡 方 法 に関 す る 指令 。
有 せ し や 等 を報 告 せ よ と の指 令 。
㈱⋮ 16 、6 、27
⑳ ㈹⋮ 16 、7 頃
ヂ ゴ ロの先 妻 の濠 州 行 旅 費 云 々 の指 令 。 マ ック ス ・ク ラ ウ ゼ ン の証拠 品 ( 昭 和 十 七年 押 第 三 九
㈱⋮ 16 、8 頃 ㈱1 ㈱⋮
日本 軍 の動 員 と 浦塩 に対 す る 日本 の攻 撃
二 号 ) 中 三 六及 四〇 に対 す る 陳 述 。
被
告
人
国 民 が それ に対 し ど ん な意 向 であ る か と 云 ふ こと に付 ても尾 崎 か ら
四問 近 衛 声 明 の あ った昭 和 十 三年 十 二月 頃 か ら後 に 日本 の軍 部 及
答 それ も彼 が意 見 を持 って参 り ま し た。 其 の内 容 は判 然 覚 えま
報 告 があ った か 。
リ ヒア ル ド ・ゾ ルゲ
並 に軍 用 資 源 秘 密 保 護 法違 反 被 告 事 件 に付 、 昭 和 十 七年 八 月 二十 九
の声 明 に対 し て満 足 せず特 に軍 部 の 一部 は 非常 に懐 疑 的 であ り ま し
せ ん が当 時 の国 民 及軍 部 の態 度 は 区 々で はあ り ま し た が大 部 分 は共
右 の者 に対 す る治 安 維 持 法 違 反 、国 防 保 安 法 違 反 、 軍機 保 護 法 違 反
日 東京 刑 事 地 方 裁 判 所 に於 て予 審 判 事中 村光 三 は裁 判 所 書 記倉 林 寅
五問 国 民 及 軍 部 の大 部 分 が満 足 せず 軍 部 の 一部 が非 常 に 懐疑 的 で
た様 に申 し て来 た と 覚 え ます 。
二 立会 の上 、通 事 生 駒 佳 年 を 介 し前 回 に引 続 き 右 被 告 人 に対 し訊 問
一問 昭和 十 三年 度 頃 か ら 昭 和十 五年 十 月 頃 日 華 基 本条 約 成 立 迄 の
す る こ と左 の如 し 。
あ った理 由 を 如 何様 に申 し た か。
も し合 った の であ り ま す が 、其 の 一々の詳 し いこ と は覚 えま せ ん 。
答 其 の問 題 に付 ては尾 崎 か らも 色 々な 報 告 も あ り議 論 も 致 し 話
六 問 尾 崎 は其 の声 明 に於 け る無 賠 償 、 非 併 合 の理 想 的 声 明 に対 し
だ と 思 って居 た為 め であ った と思 ひ ます 。
に解 決 す る に は汪 兆 銘 相 手 では な く蒋 介 石 と の交 渉 でな け れば 駄 目
て居 り ま せ ん 。私 の信 ず る所 では 日本 の国 民 一般 は支 那 事 変 を 急 速
答 尾 崎 が それ に付 如 何 云 ふ意 見 を持 って来 た か そ れ は 只今 覚 え
間 汪 兆 銘 を首 班 とす る中 華 民 国 国 民政 府 樹 立 の 工作 に関 し尾 崎 秀 実
二問 汪 兆 銘 の重慶 脱 出以 前 の時 期 に於 て尾崎 か ら現 在 日 本 政府 と
か ら は ど んな 情 報 を得 た か。
重 慶 に居 る注 兆 銘 と の間 に和 平 に関 す る 工作 が密 か に進 め られ つ つ
七 問 汪 兆銘 の上 海 乗 込 の以前 の時 期 に於 て、汪 兆銘 が近 く ハノイ
答 彼 が さ う 云 ふ こ とを 話 し た か如 何 か思 ひ出 せ ま せ ん。
軍 部 及 国 民 が不 満 だ と 申 し て来 た の では な か った か。
と であ りま す が 、尾 崎 か ら も無 論 それ に付 、話 もあ り議 論 や報 告 も
った か 。
か ら 上海 に乗 込 ん で来 る こと にな って居 る と 云 ふ報 告 が尾 崎 か ら あ
答 其 の こと は東 京 に於 ても 上 海 に於 ても 一般 に 云は れ て居 た こ
あ る と云 ふ報 告 が あ った か。
し合 った の であ り ま し た。
答 さ う云 ふ こと に な る だ らう と云 ふ こと は話 し合 ひま し た。 併
三問 昭 和 十 三 年 十 二 月頃 近 衛 首 相 の更 生新 支那 と の国 交 調 整 に 関
し そ れ に関 し尾 崎 か ら特 別 な報 告 は 受 け て居 り ま せ ん。
八 問 昭 和 十 四 年 に汪 兆銘 が 上京 した と 前 回述 べ た が其 の時期 は 四
答 そ れ に付 ても話 があ った こ とと 思 ひ ます 。 近 衛 首 相 の声 明 と
す る声 明 と汪 兆 銘 の通 電 に関 し ても 尾 崎 か ら何 か報 告 があ った か 。
注 兆銘 の通 電 と は連 絡 があ るも の で、 之 は相 談 の下 に為 さ れ た も の
月頃 であ った のか 。
答 或 は間 違 って居 る か も知 れ ま せ ん が私 は四 月 頃 と 思 って居 り
だ と 云 ふ こ と であ った と思 ひま す 。 併 し之 は尾 崎 の みな ら ず誰 も が 其 の様 に思 って居 た こと であ りま す 。
一 三問 昭和 十 五年 春 頃 尾 崎 か ら汪 兆 銘 と 上海 財 閥 と の関係 に付 何 か
大 使 館 か ら 聞 い て知 って居 り ま す。
話 が あ った か 。
ます 。
答 汪 兆 銘 は 上京 し て主 と し て近 衛 公 と会 談 し ま し た。 平 沼 首 相
九 問 汪 兆 銘 の上京 後 の行 動 に付 尾 崎 か ら報 告 が あ った か。
せん 。
答 そ れ も何 か 話 を 聞 いた と思 ひ ます が 其 の内容 は覚 え て居 り ま
一 四 問 汪 兆 銘 が上 海 財 閥 の支 持 を 得 た と か 得 な いと か 云 ふ点 に 付 て
と会 談 した か 如 何 か知 り ま せ んが 多 分 平 沼首 相 と も共 の他 の人 と も
一に和 平 問 題 、 第 二に新 政 府 樹 立 の問 題 に付 て話 を し た こ とと 思 ひ
会 はな か った も のだ ら う と思 ひま す 。 汪 兆銘 は近 衛 公 と の会談 で第
は如 何 か。
答 多 分 其 の点 に 付 尾崎 か ら話 を 聞 いた と思 ひ ます 。 それ は 汪 兆
ます 。 其 の様 な 情 報 は 独逸 大 使 館 か らも 得 た ので あ り ます が尾 崎 か
銘 が 上海 財 閥 に援 助 を 求 め た け れ ど、 其 の援 助 を得 ら れな か った と
ら も得 て居 り ま す 。 一 〇問 汪 兆 銘 の其 の来 京 の前 又 は後 、 同 人 の代理 の者 が来 朝 した こ
乏 し く 又陳 公博 と周 仏 海 の間 に勢 力 の対 立 関 係 が あ り 、同 政 権 には
一 七問 同政 権 に は若 い有 能 な 士 の参 加 がな く 従 って将 来 の発 展 性 に
答 そ れ もあ った と思 ひ ま す が詳 し い こと は覚 え ま せ ん。
崎 か ら話 があ った か 。
一 六問 国 民 政 府 承 認 後 間 も な い頃 汪 政 権 の将来 の発 展 性 等 に 付 き尾
答 そ れ は覚 えま せん 。
か ら何 か話 があ った か 。
一 五 問 其 の頃 日本 の経 済政 策 と汪 兆 銘 の経 済的 要 求 と に関 し て尾崎
云 ふ こと で あ った と思 ひ ま す。
答 それ は 聞 き ま せ ん で した 。
とを 尾 崎 か ら 聞 か な か った か。
一一 問 所 謂 青 島 会談 の行 は れ た当 時 北 支 政 権 と 汪 兆銘 政権 と の関 係
答 私 は 青 島 会 談 と 云 ふ のは知 り ま せん が汪 が 青島 に行 った こと
に付 尾 崎 か ら 何 か 話 が あ った か 。
を聞 い て居 り ま し た 。併 し そ れ が会 談 の為 め か如 何 か知 りま せん 。
銘 は其 の頃 天 津 に も 参 り ま し た。 其 の頃 尾 崎 か ら 北支 政 権 と汪 兆 銘
不統 一が存 在 す る と云 ふ様 に尾 崎 が話 し た ので は な か った か。
北 支 政 権 の問 題 は 天 津 で論 ぜ ら れた の では な いか と思 ひ ます 。 汪 兆
政 権 と の問 題 に付 ても 話 が あ った と思 ひ ます が 今 其 の 内容 を 覚 え て
述 べた が其 の草 案 に付 、支 那 側 の交 渉委 員 たり し者 が新 聞 紙 に公 表
一 八問 被 告 人 は前 に 一九 三 九年 暮 、 日 華 基 本条 約 の草 案 が 出来 た と
味 のな い事 柄 であ り ま し た 。
権 の発 展性 の な い こ とは 明 か で あ り ま し て、 自 分 に と って それ は 興
答 其 の様 に話 さ れ た こと であ った と 思 ひ ます 。 併 し其 の様 な政
居 り ま せ ん。 一 二 問 昭 和 十 五年 春 頃 尾崎 か ら 日本 は蒋 介 石 と の和平 に未 練 を 持 ち つ つ汪 兆銘 と交 渉 を し て居 る と 云 ふ様 な 話 があ った か 。
望 は私 が勾 引 され る 迄 日 本 は持 ち続 け て居 り 、 一九 四 一年 松 岡 外 相
答 其 の様 な話 も 或 は 聞 いた か と思 ひま す 。蒋 介 石 と の和 平 の希
訪 欧 の際 に も松 岡 外 相 は蒋 介 石 と連 絡 しよ う と し た こ とを 私 は 独 逸
答 尾 崎 か ら は其 の条 約 の内 容 に 付 一般 的 な政 治 的 、 軍 事 的 、経
書 の様 な概 括 的 なも の であ った と覚 え ます 。 そし てそ れ に付 ては 其
それ は 日 本語 で書 いた 六 、 七枚 の も の で其 の条 約 の内容 を纒 め た 筋
れ て持 って来 て呉 れ たも のだ と 思 ひ ます 。
済 的 問 題 に 関す る話 があ り ま し た が 詳 し いこ と は聞 き ま せ ん で し た 。
の後 に宮 城 が そ れを 英 語 に 翻 訳 し て持 って参 った と思 ひ ます 。
し たと 云 ふ以 前 に 尾崎 か ら情 報 を得 て居 た ので は な か った か。
一 九問 支 那側 の委 員 たり し者 が新 聞紙 に公 表 した と云 ふ のは何 時 か。
其 の後 又其 の条 約 締 結 に関 し 正 式交 渉 が行 は れた の でそ れ に付 ても
時 々尾 崎 か ら報 告 があ りま し た 。 そ し て其 の条 約 の成 文 が 公表 さ れ
答 多 分同 年 暮 であ った と 覚 え ます 。香 港 の支 那 字 新 聞 に 公表 し た のであ り ます 。
ど尾 崎 か ら日 支 両 国委 員 の間 に意 見 の 一致 し た も の に付 、 又 其 の内
た 時 よ り 以前 の こ と であ り ま す が、 其 の時 期 を よ く覚 え ま せ んけ れ
答 そ れ は私 には よ く 判 り ま せ ん が多 分 蒋 介 石 派 の者 が始 め か ら
二〇問 支 那側 の委 員 たり し者 が 新 聞紙 に公 表 した 理 由 は 。
も のを 持 って来 た のであ った かも 知 れ ま せ ん が、 左 様 でな く 前 の時
容 を報 告 し て呉 れ ま し た 。其 の時 尾 崎 が 日 本語 で書 いた 六 、 七枚 の
に文 書 を 待 って来 た の であ ったな ら 其 の時 は単 に尾 崎 が 口頭 で其 の
さ う 云 ふ意 図 で其 の条 約 の交 渉 に関 与 し、 其 の内 容 を知 った も の で
内 容 を 私 に報告 し て呉 れ た の であ った こと と思 ひま す 。
す か ら 、 汪 兆銘 は 日本 と斯 様 な 条約 を締 結 し よう と し て居 る と暴 露 し た も の であ ら う と思 ひ ます 。
之 に付 ても 同様 宮 城 が英 語 で書 いた報 告 書 を私 に持 って来 て呉 れ た
と思 ひ ま す が 、宮 城 は此 の問 題 に付 て自 ら の活 動 を し て居 り ま せ ん
二一 問 其 の 日華 基 本 条 約 締結 及其 の条 約 の内 容 に 関 し尾 崎 か ら どん
の で、其 の内容 は尾 崎 か ら聞 い て書 いて来 たも の であ った こ と と思
な 報 告 が あ った か 。 答 私 は 支 那 人 の委 員 が暴 露 した 其 の条約 の草 案 の内 容 を 其 の翌
ひま す 。
答 内 約 と云 ふ言 葉 は 使 ひ ま せ ん。 英 語 で協 約或 は時 に は暫 定 的
二 二問 其 の草 案 と 云 ふ のは 尾崎 が内 約 と申 し て居 った の で は な い か。
バタ イ ザ ー で も香 港 で支 那 側 の委 員 た り し者 が其 の草 案 の内容 を暴 露 し た が そ れ は捏 造 し たも の であ る と 云 ふ記 事 を 見 て居 り ま し た。
年 一月号 のチ ャイ ナ ・ウ ィー クリ ー で読 み、 其 の前 ジ ャパ ン ・ア ド
右 チ ャイ ナ ・ウ ィー ク リ ー の記事 を見 る前 であ り ま し た が 尾崎 か ら 其 の草 案 の内 容 に付 て話 が あ り ま し た。 私 は尾 崎 か ら 其 の条 約 の内
二三問 共 の草 案 及 其 の後 、 日支 両 国 委 員 間 に意 見 の 一致 を 見 た と 云
協 約 と 云 ふ言 葉 を 用 ひ て居 り ま し た。
見 の纒 った も の であ った か其 の点 を 判 然 覚 え ま せ ん が 、多 分 右 草 案
の約 定 を 発 表 さ れ な い形 式 で致 す と 云 ふ様 な こ とを 内容 にす るも の
関 す る こと 。第 三 に 日支 合 弁 に 関 す る こ とを 規 定 し 、第 四 に軍 事 上
答 それ は第 一に 日本 軍 の撤 退 に関 す る こ と。 第 二に特 殊 地域 に
ふ其 の条 約 の内 容 は ど ん なも の であ った か。
容 に付 て文 書 で報 告 を受 け た こ と が 一度 あ り ま す ので 、 そ れ は其 の
の時 であ った と思 ひ ます 。 多 分 尾 崎 に対 し ては其 の条 約 の草 案 が手
草 案 の時 であ った か 共 の後 の交 渉 によ って日 支 両国 の委 員 の間 に意
に入 った ら 持 って来 る様 に頼 ん で置 いた ので 、尾 崎 が それ を 手 に 入
先 づ 草案 の方 で申 しま す と日 本 は平 和 状 態 到 来 後 二年 間駐 兵 す る こ
で あ り ま し た。
述 べ て居 る が此 の事 実 は如 何 か 。
二六問 其 の条 約 に関 す る 尾 崎 か ら の情 報 に付 被告 人 は検 事 に斯 様 に
云 ふ のは 、尾 崎 が朝 飯 会 と 申 し て居 た 人達 と同 じ で あ り ます 。
答 大 体 に於 て其 の通 り であ り ま す が 二、 三申 上 げ た いと思 ひま
第 二問 答 を通 事 を介 し読 聞 け た り 。
此 の時 被疑 者 リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ に対 す る第 四 十 三 回訊 問調 書 中
と 、 北支 蒙 彊 を防 共 特 殊 地 域 とし て日 本軍 隊 を駐 屯 せし む る こ と、
屯 せし む る と 云 ふ こ と で、 之 に付 ては 何時 迄 と云 ふ期 限 は あ り ま せ
す。
上 海 地 方 、 揚 子 江流 域 、南 支 特 に福 建 、海 南 島 等 に陸 海 軍 部 隊 を駐
ん でし た 。 其 の他 は経 済 上 の特 殊 地 域 の問 題 、 日本 人顧 問 の問 題 、
事 に調 べ て貰 って其 の通 り に申 上 げ た の であ り ます 。 第 二に 内約 と
其 の第 一は年 月 の点 であ り ます が之 は私 が よ く覚 え な か った ので検
日 本 人 の居 住 の自 由 の問 題 、 各 国 の特 殊権 益 の撤 廃 之 に は 日本 を も
の であ り ま す 。
含 む の であ り ま す 。其 の他 満 州 国 承 認 等 の事 項 を も規 定 し てあ った
し モ ス コウ へ報 告 し た 内容 は、 単 に漠 然 と自 分 が尾 崎 か ら得 た も の
ふの が私 の今 申 した草 案 に当 るも の であ り ま す。 第 三 には 内約 に関
は支 那 に於 て発 表 さ れ た も の と大 体 同 じ だ と報 告 し ただ け であ り ま
云 ふ言 葉 は私 は使 ひ ま せ ん で した 。 併 し 共 処 に書 い てあ る 内約 と 云
流 域 を 除 外 し てあ り 日 本軍 の撤 兵 の時 期 に 関 し て も曖 昧 にな って居
す。
其 の後 に日 支 両 国 委員 間 に意 見 の 一致 を 見 た 条約 の内 容 も殆 ど右 草
り ま した 。 其 の点 に付 或 る箇 所 では 平 和克 復 後 二年 間 とあ り 、 他 の
案 の内 容 と 同 一で あ り ま し た が日 本 軍 隊 の駐 屯 す る地 域 か ら揚 子 江
箇 所 に は平 和 及 治 安 の回 復 し た後 とあ り 、 他 の箇 所 に は南 京 政 府 が
に申 し たも の では あ り ま せ ん。
黄 河流 域 と書 い てあ り ます の は、 何 か の間 違 で揚 子 江 流 域 と 云 ふ こ
次 に此 の情 報 が ソ聯 に と って重 要 であ る か ら と云 ふ こと は私 が検 事
と であ った の であ り ます 。
平 和 及 秩 序 を 維 持 し得 る こ と が証 明 さ れ た時 と 云 ふ様 にな って居 り
二四 問 そ れ では 其 の草 案 の方 も其 の後 のも のも何 れ も 日本 と支 那 と
尚 其 の条 約 の交 渉中 に尾 崎 等 か ら得 た 情報 は モ ス コウに 送 った も の
ま し た。 併 し草 案 と 根 本 的 な変 化 はな か った のであ り ます 。
の間 に於 け る 日 本 軍 隊 及艦 船 の駐 屯 駐 留 等 に 関す る約 定 を 含 む も の
答 間 違 あ り ま せ ん。 其 の報 告 は 汪 兆銘 が ハノ イ に行 ってか ら後 、
モ ス コウ中 央 部 に報 告 し た こ と は間 違 な いか 。
二七問 そ れ では 其 の点 に関 し ても 今読 聞け 又 は被 告 人 の述 べた通 り
其 の他 の点 は お 読 聞 け の通 り相 違 あ り ま せ ん 。
は 極 め て僅 か であ り ま し た 。
で あ った のか 。 答 一般 的 に其 の様 な 約 定 を含 ん だ も の であ り ま し た 。
答 私 は尾 崎 に対 し或 は 何 処 か ら入 手 し た かと 聞 いた か も知 れま
二五問 尾 崎 は其 の様 な 情 報資 料 を誰 か ら得 た と云 ふ こと であ った か。
せん が 、 尾崎 は 一般 的 に近 衛 側 近者 と答 へた の であ った と思 ひま す 。 そ れ 以 上誰 か ら と特 に聞 き は し な か ったと 思 ひ ます 。 近 衛 側 近 者 と
告
Ri chard Sor ge 年
生
佳
人 駒
事
全 部 で四回 位 モス コウ に送 った ので あ ったと記 憶 しま す 。 被
り ます 。
併 し自 分 達 は自 分等 の当 然 や る べき こと と し てそ れ を致 した ので あ
三 問 モス コウ中 央 部 か ら オ ルガ ナイ ザ ー の名 を 以 て ﹁独 ソ戦 に関
連 し 日本 政府 は我 国 に対 し如 何 なる 決意 を せ しや通 報 せ ら れた し 。 ﹂
通 右 通 事 を介 し読 聞 け た る処 相違 な き旨 申 立 て署 名 拇 印 し た り。
村
林 光
寅 三
二
と 云 ふ の は赤 軍 第 四本 部 の首 脳部 では な く其 の下 位 の地 位 の者 を 云
答 来 て居 る か も知 れま せ ん が よく 覚 え ま せん 。 オ ルガ ナ イザ ー
ので は な い か。
又 ﹁我 国 境 への軍隊 移 駐 に 関 し通 報 相 成 り た し。﹂ と の指 令 が 来 た
東 京 刑 事地 方 裁 判 所
同 日於 同 庁 作 之
倉
京 刑 事 地 方裁 判 所 に於 て予 審 判 事 中 村光 三 は裁 判 所書 記 倉 林 寅 二立
並 に軍 用資 源 秘 密 保 護法 違 反 被 告 事 件 に付 、 昭 和 十 七年 九 月 一日東
五問 そ れ で は独 ソ戦 勃 発 以 後 に於 け る日 本 の態 度 に関 す る被 告 人
て重 要 性 を感 じ て居 な か った ので あ り まし た 。
て居 り ま す の で既 に私 共 が活 動 を始 め て居 り ま し た ので そ れ に対 し
答 そ れ では 私 も見 た かも 知 れ ま せん 。併 し開 戦 後 一週間 も過 き
何。
四 問 同 年 六 月 二十 七 日其 の様 な電 報 を傍 受 し て居 る のであ るが 如
ふ ので あ りま す 。
中
リ ヒア ル ド ・ゾ ルゲ
裁判所書記
人
予 審 判 事
告
第 二十 五回 訊 問 調書 被
会 の上 、通 事 生駒 佳 年 を介 し前 回 に引続 き右 被 告 人 に対 し訊 問 す る
右 の者 に対 す る治 安 維持 法 違 反 、 国防 保 安 法 違 反 、軍 機 保 護 法違 反
こ と左 の如 し 。
等 の諜 報 活動 の内 容 は 。
答 私 の独 逸 大 使 館 に於 け る 諜報 活 動 に付 ては検 事 に申 上 げ た通
一問 昭 和 十 六年 六月 二 十 一日独 ソ戦勃 発 以後 の日 本 の態 度 に関 す
り であ り ま す。
し ま した が 、最 も重 要 な も のは 御前 会 議 の報 告 で あ りま し た 。御 前
私 は尾 崎 や 宮城 とも 屡 〓会 見 し其 の問 題 に付 て話 を 聞 き議 論 を も致
答 それ に付 て は先 づ第 一に新 聞 に現 は れ た所 を 基 礎 に し て考 察
る被 告 人 等 の諜 報 活 動 は 。
を加 へた り 議 論 を し たり 致 し、 第 二は 独 逸 大使 館 の中 で そ れ に関 す
った こ とを知 ら せ て呉 れ ま し たが 、 そ れ等 の会 議 の内 容 は 決 定的 で
会 議 より 以前 に も 日本 の態 度 に付 宮 城 か ら そ れに 付 色 々な 会 議 のあ
る色 々の情報 を聞 き、 第 三 に は尾 崎 等 日 本 の友 人 に対 し ても それ に 付 最 大 の注 意 を払 ふ様 頼 み ま し た。
之 に関 す る諜 報 活 動 は 極 め て重 大 で あ りま し た か ら極 く 正 確 な も の
な か った ので余 り注 意 を 払 ひ ま せ ん でし た。
二問 モ ス コウ中 央部 か らそ れ に付 指 令 が あ った か。 答 特 に命 令 を受 け た 覚 はあ り ま せん が 或 は指 令 が あ った かも 知 れ ま せ ん。
を残 し 他 は全 然 手 を 付 け な い様 に致 し ま し た。
答 左様 です 。 そ れ に付 て日 本 の政 府 は 相談 し たら し いが そ れは
答 第 一は 独 逸 大使 か ら私 は 松 岡外 相 が 日 本 は独 ソ戦 に 方 り独 逸
尾 崎 に は独 ソ戦 の始 って から会 った の で其 の開 戦 前 其 の様 な報 告 は
こと であ り ま した 。 其 の情 報 は 独逸 大 使 館 か ら得 た の であ り ます 。
決 定 的 な も の では な く形 勢 を 観 望 し よう と云 ふ こと に極 った と 云 ふ
側 に 立 って参 戦 す る と 云 ったと 云 ふ ことを 聞 き ま し た。第 二 は独 逸
六問 独 ソ戦 開 始 以前 の日本 の態度 に付 どん な情 報 を得 た か 。
大 使館 附 武 官 ク レチ ュマー から 日本 の参 謀 本 部 の情 報 によ っても 日
一一 問 独 ソ開 戦直 後 尾 崎 か ら其 の開 戦 の事前 に日 本政 府 が会 議 を 開
聞 か な か った 様 に覚 えま す が併 し判 然 と は記 憶 し て居 り ま せん 。
答 其 の点 も確 実 には申 上げ られ ま せ ん が尾 崎 か ら 日本 に於 ては
き 其 の態 度 を 決定 し た と云 ふ報 告 があ った か。
本 は独 逸 側 に立 って参 戦 す る と 云 ふ こ とを 聞 き ま し た。 併 し之 に対 し 独逸 大 使 館 の海 軍武 官 ベネ カー は そ れを 否 定 し て居 り ま し た。 七 問 独 逸 が日 本 に対 し参 戦 を懲 懸 し たと 云 ふ こ と に付 ても情 報 を 得 た か。
る様 努 力 せよ と同 大 使 に申 し て来 たと 云 ふ こ とを 聞 き ま し た。 併 し
を致 した のだ と云 ふ こと であ り ま し た。 共 の軍 部 の人 々が集 って相
め は政 府 等 の人 々が 集 って相 談 を 致 し次 で軍 部 の人 々が集 って相 談
れ た の であ った と思 ひま す 。併 し それ は会 議 と云 ふ こと では な く 始
形 勢 を 観 望 し よ う と云 ふ こと にな った と 云 ふ こと を自 分 に伝 へて呉
大 島 大 使 が ど の程 度 に 日本 政 府 に働 き掛 け た か それ は聞 い て居 り ま
った か判 然 覚 えま せ ん。
談 し た の は独 ソ開戦 の当 日 であ った か其 の 一日前 であ った か後 であ
答 それ も独 逸 大 使 か ら独逸 は凡 ゆ る 手段 を尽 し 日 本 を参 戦 さ せ
せん 。
談 を致 した ので次 の軍 部 の人 々の集 り と申 し た のは 陸軍 の軍 人 の集
の人 々の集 り と 云 ふ時 に は政 府 の人 々と 二、 三 の軍 入 と が集 って相
答 さう で あ った こと と 思 いま す 。今 申 し まし た 始 め の政 府 要 路
云 ふ話 では な か った か。
一 二 問 其 の様 に我 政 府 及 軍 部 で相 談 した と 云 ふ の は六 月十 九 日 だ と
八 問 其 の点 に関 し尾 崎 や 宮 城 か ら も情 報 を 得 た か 。 答 尾 崎 がら 大島 大 使 が独 ソ戦 は避 け 難 いか ら日 本 は 独逸 側 に参 戦 す べ き だ と報 告 し て来 たと 云 ふ こ とを 聞 き ま した 。 併 し独 逸 から
聞 か なか った と思 ひま す 。
り であ り ま す。
参 戦 を懲 源 さ れ た と云 ふ こと は よく 覚 えま せ ん が多 分 尾崎 等 か らは
き だ と政 府 に報 告 し て来 た と 云 ふ こと を尾 崎 か ら聞 いた のは 何 時 か。
一 四問 日本 は日 独伊 軍 事 同 盟 及 日 ソ中 立 条約 双方 を 厳 守 し て独 ソ両
答 単 に戦 争 の経 過 を見 る と云 ふ こと であ った様 に思 ひ ます 。
云 ふ こと に し たと 云 ふ話 であ った か。
一 三問 其 の 六月 十 九 日頃 の相 談 の際 は何 故 日 本 は形 勢 を 観 望す る と
九 問 大島 大 使 か ら独 ソ戦 は避 け 難 いか ら日 本 は 独逸 側 に参 戦 す べ
答 よく 覚 えま せ ん が独 ソ戦 開 始 の 二、 三 日 前 であ ったと 思 ひ ま
一 〇問 日本 政 府 は 右 大島 大 使 の報 告 に基 き対 策 を協 議 し たか否 か に
す。
付 ても情 報 を得 た か 。
透 に付 誰 が斯 う云 った と か彼 が斯 う 云 った と か云 ふ噂 の程 度 の話 を
持 って来 ま し た。 併 し そ れ は情 報 と 云 ふ程 度 のも ので はあ り ま せ ん。
いと云 ふ様 に申 し て来 た と思 ひま す が そ れ は判 然覚 え ま せん 。
尾 崎 か らは 政府 部 内 に 於 ては之 に対 し慎 軍 な予 測 を し て居 る者 が多
答 そ れは 知 り ま せ ん。
国 に対 し申 立 を 維持 す る と云 ふ こと で はな か った か。
一 五問 尾 崎 か らは 大島 大 使 か ら独 逸 が ソ聯 に対 し戦 端 を 開 く と の報
一 八問 尾 崎 か ら は被 告 人 に対 し 日本 の上 層部 の意 向 では政 府 も軍 部
告 が あ った の で日本 の政 府 及 軍 部 の首 脳 部 の間 に独 ソ開 戦 の場合 に
政権 の崩 壊 迄 行 く であ らう と 云 ふ見 透 が圧 倒的 であ る。併 し若 い連
も ソ聯 が急 速 に 敗 北を 喫 す る だ らう 、 更 に之 に引 続 い て スタ ーリ ン
中 の間 では 必 ず し も ソ聯 は急 速 に崩 壊 す る と は見 て居 な い と 云ふ様
於 け る 日 本 の と る べき態 度 に付 協 議 が行 は れ、 当 面中 立 を 厳 守 し 形
答 其 の様 な意 味 の報 告 を得 て居 る と思 ひま す 。併 し私 はそ れ に
勢 を観 望 す る方 針 を決 定 し た と の報 告 があ った ので はな いか 。
付 ては 独逸 大 使 館 か ら も同 様 な 情報 を得 て居 り ま し た の で尾 崎 か ら
な報 告 があ った の では な いか。
一 九 問 尾 崎 は其 の様 に 被告 人 に報 告 し た と述 べ て居 る が如 何 。
答 それ は如 何 も思 ひ出 せ ま せん 。
は独 逸 大 使館 か ら情 報 を得 た後 に其 の報 告 を受 け た 為 め と思 ひ ま す が、 独 逸大 使 館 から の情 報 であ った と 云 ふ こ と の方 が尾 崎 から の報 告 と云 ふよ り私 の頭 に強 く 残 って居 り ま す 。
答 私 は 如何 も覚 え て居 り ま せん 。
二〇問 同 年 六 月 下旬 頃 我 国 の態 度 決 定 に 関 し更 に独 ソ開 戦 直 後 に会
尚 此 の形勢 観 望 と云 ふ 日本 の態 度 は直 ち に新 聞 記 事 に其 の傾 向 が現
答 ど んな 人 が集 った のか よ く知 り ま せ ん が 日本 の政府 及陸 海 軍
議 が開 か れた と 云 ふ こと に付 尾 崎 等 か ら情 報 を得 た か 。
が葉 って会 議 した のだ らう と 思 ひ ます 。 其 の会 議 の こと に付 尾 崎 或
はれ て居 り ま し た。
は独逸 大 使 館 から情 報 を得 ま し た。
一 六問 駐 日独 逸 大 使 オ ット が 凡ゆ る 手 段 を尽 し て日 本 を参 戦 さ せ る
避け 難 いから 日 本 は独 ソ戦 が勃 発 し たら 独 逸側 に参 戦 す べ きだ と 申
様 努 力 せよ と 本国 か ら云 は れ て居 た こと 、大 島 大 使 が 独 ソ戦 勃 発 は
二一 問 其 の会 議 では如 何 なる こと が決 定 さ れ た と云 ふ こと であ った か。
し て来 たと 云 ふ ことや 、 日 本 に於 て はそ れ に対 し如 何 云 ふ態 度 を と
答 独 逸 大 使 オ ット や大 島 大使 の こと に 付 て は何 も 申 し て遣 りま
る か と 云 ふ こ とに付 モ ス コウ中 央 部 に報 告 し た か。
にな った と云 ふ こと であ り ま し た が、 此 の場 合 には 少 し積 極 的 に な
答 此 の場 合 も 前 と同 様 独 ソ戦 に対 し 形勢 を観 望 す る と 云 ふ こと
り兎 に角 戦 争 の準 備 だけ はし て置 く と 云ふ こと に決 定 し た と 云 ふ報
せ ん が 只 日本 は 差当 り 形勢 を 観望 す る と云 ふ ことを モ ス コウ中 央 部
一 七問 同年 六月 下旬 頃 即 ち 独 ソ開戦 直 後 に我 政府 及軍 部 の独 ソ戦 の
に ラジ オ で報 告 し ま し た。
的 な決 定 的 なも の でな い と云 ふ こと であ り ま す 。私 に と って重 要 な
告 であ り まし た 。 併 し此 の際 申 上げ て置 き た いのは 此 の決 定 は終 局
答 宮城 か らは 直 接 軍部 か ら出 た情 報 で はあ り ま せ ん が軍 部 の見
将来 に対 す る見 透 に付 尾崎 や 宮 城 か ら情 報 を 得 た か。
リ ヒア ル ド .ゾ ルゲ
右 の者 に対 す る治 安 維 持 法 違反 、国 防 保 安法 違 反 、 軍 機 保護 法 違 反
のは決 定 的 な こ とで あ り ま し て其 の他 の こ とは寧 ろ煩 はし か った の で あ り ます 。
並 に軍 用 資 源 秘密 保 護 法 違 反被 告 事 件 に付 、 昭 和十 七年 九 月 二 日東
京 刑 事地 方 裁 判 所 に於 て予 審 判 事 申村 光 三は 裁 判所 書 記 倉 林 寅 二 立
会 の上 、通 事 生 駒 佳年 を介 し前 回 に引 続 き右 被 告 人 に 対 し訊 問 す る
答 同 月 二十 三日 頃 であ った と記 憶 し ます 。
二二問 其 の会 議 は何時 開 か れ たと 云 ふ こ と であ った か。
二 三問 其 の会 議 の際 我 国 に於 ては南 部 仏印 に軍 隊 を 進駐 す る と云 ふ
答 重 要 国策 か如 何 か私 に は判 り ま せ ん が其 の前 に決 定 され た こ
策 に関 し ても諜 報 活 動 を 致 し た か。
一問 被告 人 は昭 和 十 六年 七月 御 前 会議 に於 て決 定 さ れ た我 重 要 国
こ と左 の如 し。
答 其 の様 な報 告 もあ った 様 に思 ひま す。
こと に 決 定 し た と云 ふ報告 が あ った か 。
二 四問 それ は 我陸 海 軍 の首 脳 部会 議 だと 云 ふ 話 で はな か った か。
と が其 の御 前会 議 に於 て 一定 の形 に於 て表 は され た も の であ り ます 。
答 私 は陸 海 軍 首 脳 部 及政 府 の 当路 者 の会 談 であ った 様 に聞 い て 居ります。
そ れ に関 し て私 共 は諜 報 活動 を致 し ま し た。
生
駒
佳
年
入 Ri c hard sorge 事
林
寅
三
二
ます。
具 体 的 に 申 し ます と仏印 問 題 及 独 ソ戦 の問 題 が議 せら れ た の であ り
答 それ は外 交 政 策 的発 展 に於 て議 せ られ た のであ り ま す。
った か。
五 問 其 の会議 に於 ては 如何 な る こと が議 せ られ た と 云 ふ こと であ
が会 議 を 致 し そ れ には 枢 密院 議 長 も 参 列 し た と聞 き ま し た。
答 それ は、 天 皇 陛 下 の御 前 に於 て政府 の当 路 者 及 陸海 軍 首 脳者
四 問 其 の会 議 の構 成 は。
答 左 様 であ った と思 ひます 。
三 問 それ は同 月 二日 であ った かる
それ に付 ては新 聞 紙 が報 道 し て居 り ま し た。
答 同 年 七 月始 頃 であ り ます 。
二問 其 の御前 会 議 の開 か れ た のは 何時 か。
二五問 此 の点 の情 報 に 付 ても モス コウに報 告 し た か。 答 之 は 致 し ま せ ん。 二 六問 尾 崎 は 以 上 の様 な情 報 を何 処 か ら得 た と 云 ふ こと であ った か。
告
答 別 に尾 崎 か ら は何 も 申 し ま せ ん でし た か ら前 同 様 近衛 側 近 者 から であ った と 思 ひ ます 。
通
被
倉
光
右 通 事 を 介 し読 聞 け たる 処 相違 な き旨 申 立 て署 名 揖 印 し たり 。 同 日 於 同 庁作 之 東 京 刑 事 地方 裁 判 所 裁 判所 書 記
村
人
中
告
予 審 判 事 第 二 十 六回 訊 問 調 書 被
れ た内 容 は 南 方 への膨 脹 政 策 に 重 点 が置 かれ て居 り北 方 政 策 に対 し
第 三 には 尾 崎 か ら の情 報 であ り ます が尾 崎 は 其 の会 議 に於 て決 定 さ
ては 大 体新 聞 に書 いてあ る処 と 同 じ意 味 だと 云 ふ こと を自 分 に伝 へ
答 それ は 前 回申 上げ た様 に同 年 六 月 十九 日 や 二十 三 日 の会 議 は
六 問 其 の会 議 に 於 ては ど んな こ とが 決 定 さ れ た の か。
勿 論 右 御前 会 議迄 の間 に 日本 の政 府 及陸 海 軍 首 脳 部 に於 て相 談 し暫
し な が ら最 後 の決 定 は見 合 せ る。 それ は 国 際 関係 の進 展 を待 つ ので
て呉 れま し た。
あ る と 云 ふ こと で、 例 へば 仏印 進 駐 に関 す る英 米 の反 響 、 独 ソ戦 の
定 的 に定 め ら れ た方 策 が其 の御 前 会議 に於 て承 認 さ れ た ので あ り ま
て居 り ま し た。
進展 等 の状 況 を待 つ こと にす る と 云ふ こと で即 ち それ 迄 最後 の決 定
最 後 に 私自 身 が其 の様 に 独 逸大 使 館 や新 聞 記 者 或 は協 力 者 か ら得 た
先 づ第 一に新 聞 紙 の報 道 であ り ます が之 は情 報 局 か ら提 供 さ れ た材
を暫 く見 合 せ て置 く と 云 ふ こと であ った と 思 ひ ます 。
す。
料 に基 い たも の であ り ま す か ら各 新 聞 によ って少 し宛 の違 ひは あ り
そ し て此 の御 前会 議 の内 容 に付 ては 之 を如 何 に解 釈 す る か と 云 ふ こ
こ とは 確 定的 な事 実 であ る 。北 方 に関 し ては 兎 に 角動 員 はす る が併
ま し ても大 体 同 様 で、 日 本 は従 来 の南 進 政 策 を 続 行す る こ と、 北 方
情 報 を 綜 合 し て判 断 し た処 によ り ます と 日本 の仏 印南 部 に進 駐 す る
に対 し ては 可能 な る 凡 ゆ る発 展 に対 し準 備 を整 へて置 く と云 ふ こと
と が困 難 な 問 題 で あ った の であ り ま す 。
其 の決 議 され た 内 容 は其 の決 議 を 見 た 訳 であ り ま せ ん から 正 確 に は
が決 定 され た と 云 ふ こと であ り ま し た 。第 二 に独 逸 大 使 館 の情 報 特
に関 し ては検 事 に斯 様 に述 べ て居 る で は な い か。
七 問 共 の点 に関 す る独 逸 大使 館 及尾 崎 秀 実 か ら の情 報 及 共 の報 告
判 り ま せ ん で し た が私 の得 た情 報 の出 所 によ って少 し宛 そ れ が違 っ
に私 が オ ット大 使 か ら聞 いた 処 に よ る と同 大 使 は松 岡 外相 に呼 ぱれ
此 の時 被 疑 者 リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ に対 す る第 四 十 一回 訊 問 調 書 中 、
同外 相 か ら其 の御 前 会 議 に於 て 日本 は南 方 に対 し ては新 聞 に報 ず る 通 り従 来 の南 進 政 策 を 続 行 す る と 云 ふ こ と、 北 方 に対 し て は万 一可
では な く其 の会 議 後 暫 く し てとす べ き であ り ま し た。
記 録 九 三 四 丁表 初 行 乃 至 九 三 七 丁裏 二行 を通 事 を介 し読 聞 け た り 。
其 の他 は共 の通 り相 違 あ り ま せ ん。
能 な る事 態 に即 応 し ボ ル シ エヴ ィキ の危 険 に対 し て対 抗 と云 ふ言 葉
る と云 ふ こ とを 決 定 し た と申 し何 れ かと 云 ふ と北 方 に重 点 が 置 か れ
答 一週 間 後 に オ ット大 使 が松 岡 外 相 か ら聞 いた と云 ふ のは 正 確
て居 る様 であ り ま し た 。
八問 其 の点 に 関す る尾 崎 か ら の情 報 及 其 の報 告 に関 し ては検 事 に
か或 は撃 破 と云 ふ 言葉 か を使 って それ を 致 す為 め 万端 の準 備 を 整 へ
私 は それ を 聞 いて松 岡外 相 は独 逸 大使 を喜 ば せ る様 な こと を話 し た
斯 様 に述 べ て居 る で は な い か。
行 を 通 事 を介 し読 聞 けた り 。
此 の時 前 同 調書 中 、 記 録 九 九 五 丁 の二表 十 二行 乃 至 九 九 七 丁裏 八
ので実 際 と は違 ふ の で はな い かと 云 ふ感 を抱 きま した 。 此 の点 に付 ては 検 事 に 詳 し く申 上 げ ま し た から それ を御 参 照 願 ひ た い と思 ひます 。
せ ん でし た 。
一一 問 尾崎 か ら は我 陸 軍 部 内 に 於 ては独 ソ開 戦 に 伴 ひ と る べき 態 度
答 会議 の五、 六月 後 と云 ふ のは 五 、 六 日後 の間違 で あ り ます 。 其 の他 は 全部 其 の通 り相 違 あ り ま せ ん。
決 定 に付 、 帰 朝 の途 に在 る同 中 将 の意 見 に期 待 し て居 る か ら 、帰 朝
し 同 中 将 の意 見 を 独 逸 に有 利 に採 用す る の では な いか 、 而 も山 下中
独 逸 大 使館 に於 て は同 中 将 の帰 朝 後 日 本 の政 府 及 軍 部 が 対 ソ戦 に関
に 於 て非常 な期 待 を持 って居 た こと で あ り ます 。
同 中将 一行 に関 し て は寧 ろ 其 の帰 朝 後 に於 け る行 動 に 付 独 逸 大使 館
した。
れ ば 日 本 に於 て も其 の研 究 の結 果 を採 用 し た いと 云 ふ こと であ り ま
併 し 山 下中 将 一行 は独 逸 軍 の技 術 的 方 面 の研 究 に行 った ので出 来 得
特 に注 目 を 要 す る と か、 独 ソ戦 に 関す る 日本 の戦 争 政 策 を決 定 す る
兵 器 の研 究 に あ る か ら山 下 中 将 一行 の帰 朝 後 に於 け る 兵 器 の改 良 は
命 は松 岡 外 相 のそ れ より も 遙 か に 重大 で其 の使 命 は 欧 州 戦 の実 況 と
一二 問 尾 崎 は宮 城 を通 じ 又 は直 接 被告 人 に対 し山 下 中 将 の訪 独 の使
ら話 を 受 け て居 り ま せ ん。
日本 の軍 部 が 期待 を持 って居 た か如 何 か と 云 ふ こと に 付 ては尾 崎 か
動 静 に対 し て期待 を持 って居 り ま し た のは独 逸 大 使 館 であ り ま し て、
る の は当 然 だ と 云 ふ意 見 を私 に述 べま し た。 併 し同 中 将 の帰朝 後 の
た も の であ る から 同 中将 の帰 朝 後 の意 見 は軍 部 に於 て重 き を 置 か れ
いが軍 部 に対 し ては 寧 ろ影 響 力 は少 な く 、山 下申 将 は陸 軍 が 派遣 し
答 尾 崎 から は松 岡外 相 の意 見 は政府 で は重 きを 為 す か も知 れ な
の で はな か った のか 。
後 の同 中 将 の動 静 に は警 戒 を 要 す る も の があ る と云 ふ報 告 が あ った
九 問 其 の点 に関 し宮 城 か らも情 報 を得 た か。 答 宮 城 は そ れ に付 、 大 した 話 は持 って来 ま せん でし た。 一 〇問 山下 奉 文 陸 軍 中 将 の率 ゐる 独逸 派 遣 軍 事 使 節 の使 命 に関 し て も諜 報 活動 を し た か。
将 が陸 軍大 臣 にな る の では な い か と の希 望 を 抱 い て居 り ま し た。
答 諜 報 活 動 は致 しま せん 。
要 す る に 山 下中 将 は帰 朝 後 何 を や る か 又 日本 は山 下 中 将 と 一緒 に何
又 政 治 的 に見 ても其 の情 報 は間 違 って居 る と思 ひま す 。
も の は政 府 では な く し て陸 軍 であ る か ら 山 下 の使 命 の方 が 遙 か に重
尾 崎 は日 本 の陸 軍 の み が戦 争 政 策 を 決定 す る と 云 ふ様 な こと を 私 に
大 であ る と報 告 し た と述 べ て居 る が 如 何 。
将 の 一挙 一動 に注 意 す る様 に依頼 し て置 き ま し たが 、 同 人等 か ら そ
申 した こと は あ り ま せ ん。
を や る か と 云 ふ こ と が興 味 あ る問 題 であ り ま し た 。之 に 関す る情 報
れ に 関 し て持 って来 る話 も 大体 独逸 大 使 館 に於 て得 た も の と同 じ こ
山 下 中 将 の使 命 に付 ても 兵 器 の研 究 で あ る こ と は彼 の報 告 を待 つ迄
は 独 逸 大使 館 か ら得 た の であ り ま す が私 は尾 崎 や 宮 城 に対 し て も独
と で別 段新 し い こ と はあ り ま せ ん で し た。
答 私 は 其 の情 報 は思 ひ出 せま せん 。
此 の こと は 同中 将 の帰 朝 前 か ら色 々な 話 を 得 た ので あ り ます が同 申
も な く 明 か で私 は既 に其 の点 に付 ても独 逸 大 使 館 で情 報 を得 て居 っ
逸 側 が 山 下中 将 に対 し右 の様 な期 待 を抱 い て居 る こと を 話 し 山 下中
将 は 帰 朝後 満 州 の方 へ行 って独逸 大 使 の期 待 す る 様 な 結 果 は生 じま
た ので あ り ます 。 そ れ故 尾崎 か ら何 か話 が あ った か も知 れ ま せん が それ は 思 ひ出 せな
答
荒 木大 将 の申 した と 云 ふ こと に付 ては或 は モ ス コウ へ報 告 し
コウ に報告 し た か。
た かも 知 れ ま せん 。
併 し 其 の他 の独逸 が如 何 と か山 下 中 将 云 々と か財 界 の こと と か 云 ふ
い の であ り ます 。
様 な こ とは 申 し て遣 りま せ ん。
山 下 中 将 帰 朝 後 の期待 に関 す る情 報 は モ ス コウ中 央部 に報 告
一 三 問
報を集めたか。
一 八問 独 ソ開 戦後 対 ソ問 題 に付 て の近衛 総 理 大 臣 の意 向 に付 ても情
し た か。 答 よ く覚 え ま せ んが 報 告 し た と 思 って居 り ま す 。 一 四問 独 ソ開 戦 の直 後 の頃 宮 城 は 日本 政 府 は独 ソ戦 に関 し独 逸 が ソ
即 ち 近 衛 首 相 に と って当 時 大 切 な のは第 一が支 那 問題 、第 二 が米 国
意 向 であ る か と 云 ふ こ と に付 ては知 って居 りま し た 。
答 情報 を 集 め た と云 ふ の では あ り ま せ ん が近 衛 首 相 が如 何 云 ふ
地域 を軍 政 下 に、 重 要 な ら ざ る地 域 を自 治 制 下 に 置 いた後 、 ソ聯 よ
聯軍 の掃 滅 を期 し ソ聯 国 内 に 親 独政 権 の樹 立 を 欲 し て其 の重 要 なる
り撤 兵 す るや も 計 られ な いと 云 ふ様 に見 て居 る と の報 告 を し た か。
の で戦 争 を し な い と云 ふ こと を よ く知 って居 り ま し た。
と の問 題 であ り ま し て其 の他 の こと は近 衛 に と って大 切 で な か った
一 九問 そ れ に関 し尾 崎 や 宮 城 か ら何 か報 告 があ った か。
答 そ れは よく 覚 え ま せ ん が さ う 云 ふ情 報 を 持 って来 た か も知 れ ま せ ん 。併 し私 は 馬 鹿 馬 鹿 し い情 報 と し て それ を 却 け ま し た。
ました。
答 宮城 か ら は何 の話 も あ り ま せ ん で した が 尾崎 か ら は話 があ り
独逸 が ソ聯 に対 し て何 を や ら う と し て居 る かと 云 ふ こと は宮 城 より
今 述 べま し た様 な 細 か い こと を 尾崎 が申 し た の であ った か、 私 が尾
も私 の方 が よく 知 って居 り ま し た。 一 五問 宮 城 は尚 山 下 奉 文 中 将 の率 いる独 逸 派 遣 軍 事使 節 の帰 朝 後 日
二 〇問 尾崎 か ら近 衛 首 相 は 米 英 又 は ソ聯 の何 れ か と戦 端 を開 始 せざ
崎 に 色 々聞 いて私 が考 へた ので あ った か よく覚 え ま せ ん。
本 は其 の態 度 を 決 定 す る模 様 だ と の情 報 も 齎 ら し た か。 答 それ は 如 何 も 思 ひ出 せ ま せ ん。
るを 得 な い場 合 に は ソ聯 嫌 ひで あ る か ら寧 ろ対 ソ戦 を選 ぷ であ らう
一 六問 尚 宮 城 は当 時 米 国 と の関係 を考 査 す る財 界 方面 に於 て は消 極 的 政 策 を支 持 し て居 る が荒 木大 将 其 の他 北 進 政 策 を支 持 す る分 子 は
と云 ふ様 な報 告 があ った か 。
答 私 は其 の様 な 情 報 は得 て居 り ま せん でし た。
断 乎 ソ聯 を 攻 撃 す べし と主 張 し て居 る と云 ふ様 な情 報 を齎 ら した か 。 答 財 界 方 面 の意向 に付 て は覚 え ま せん が荒 木 大将 其 の他 の主 張
いた こと はあ りま せん でし た 。
其 の こと は起 訴 状 を 読 聞 け ら れ て始 め て知 った ので其 の以 前 には 聞
近 衛 首 相 の意 向 に 関 す る情 報 は モ ス コウ に報 告 し たか 。
に付 て は誰 か が荒 木 大 将 に会 見 し て話 を 聞 き 其 の結果 を其 の様 に宮
二一 問
城 が持 って来 た ので あ り ま し た。 一 七問 独 ソ開 戦 に関 す る 日本 の態 度 に付 て の宮 城 か ら の情 報 は モ ス
答 確 かな こと は覚 え ま せ ん が他 の こ とと 一緒 に報 告 し た かも 知
こと で、私 も それ を 見 せ て貰 ひ ま した が其 の内容 は子 供 じ み たも の
チ ュマー は其 の計 画 を 立 てて 日本 の参 謀 本 部 に 持 って行 った と云 ふ
で私 自身 は 三十 箇 師 団 では 十 分 で な い と考 え て居 り ま し た。
れ ま せ ん。
宮 城 は満 州 に は 二十 五 箇 師 団居 り其 の内 十 四 、 五 箇 師団 が新 に派 遣
其 の問 題 に 関 す る話 を し た り報 告 を し た り し た の は昭 和 十 六
二二 問
て諜 報 と云 ふ程 のも の で はあ り ま せ ん で し た。 尾 崎 は 主 と し て動 員
さ れ た も のだ と申 し て来 ま し た が 宮城 の齎 らし た のは大 雑 把 な も の
年 六月 下 旬 頃 で あ った か。
す。
一宛 が満 州 と支 那 及南 方 と内 地 と に居 る様 に 申 し た の であ った か と
され た全 体 の数 に付 て情 報 を 持 って参 り彼 の意 見 で は其 の約 三分 の
答 そ れ は よ く 覚 え ま せ ん が そ れよ り 後 では な か った と か思 ひま
二三問 同 年 七 、 八 月 頃 行 は れ た我 軍 の大 動 員 に付 ても情 報 を集 め た
八 月中 旬 乃 至 下 旬 迄 に戦 端 を 開 始 し な い場 合 に は冬 に な り 、 本年 中
如 何 か と 云 ふ こ とを 知 る こと が 出来 る こ と、 第 二は 一定 の時 期 即 ち
そ れ は第 一に其 の大 動 員 から 日 本 が対 ソ戦 を 開 始 す る 意 図 が あ る か
れ た の であ り ま し た。
員 の数 や 兵 士 の年 齢 等 市 民 の見 聞 し得 る事 柄 を見 聞 し て報 告 し て呉
東 京 に於 け る動 員 の状 況 に付 て は宮 城 が 主 と し て街 頭 で見 聞 し た動
こ と と思 って居 り ま し た。
私 自 身 は 内 地 に 五 十 万満 州 に 二十 万 支 那 及南 方 に 三十 万 派 遣 さ れ た
思 ひ ます が 詳 し いこ と は覚 え ま せん 。
か。
は 対 ソ戦 は 不可 能 にな る の で其 の動員 の速 度 と 云 ふ こ とを 注意 し て
二 四問 尾 崎 か ら は北 方 二十 万 南 方 三十 五 万内 地 四 十 万 或 は 四十 五万
答 其 の点 に付 ては 特 に 最初 に申 上げ た い こと が あ り ます 。
に其 の動 員 数 、第 二 に東 京 に於 け る動 員 の状 況 、第 三 に動 員 さ れ た
見 る こと に致 した ので あ り ます 。 そ し て此 の大 動員 に 関 し て は第 一
の兵力 が配 備 さ れ た と 云 ふ様 に報 告 し て来 た ので はな か った のか。
団 で其 の内 以 前 か ら駐 屯 し て居 た のは 十 二 、 三箇 師 団 であ る か ら増
二七 間 其 の大 動 員 に基 き 日本 の ソ聯 に対 す る態 度 に付 どん な判 断 を
ます。
其 の内容 は今 覚 えま せ ん が解 読 され た 電報 に 二 、 三あ る こと と思 ひ
答 報 告 し ま し た。
二六 問 其 の大 動 員 に関 し て は モ ス コウ中 央 部 に報 告 し た か。
答 同 年 七、 八月 頃 大 動員 の行 はれ た 当時 で あ り ま した 。
二五 問 其 の様 な情 報 を集 め た の は何 時 か 。
答 或 は 左様 であ った かも 知 れま せん 。
者 の 一部 分 のみ が満 州 に送 ら れ 他 の 一部 は南 方 と支 那 に送 ら れ た が 、 大 部 分 は 内 地 に残 留 し て居 る と云 ふ こと を知 り ま し た。 此 の問 題 に 関す る情 報 は独 逸 大 使 館 及 宮 城 と尾 崎 と か ら得 た も の で ありました。 其 の動員 数 は約 百 万 であ った と思 ひま す 。
派 さ れ た の は十 七 、 八箇 師 団 と云 ふ こと で 、同 大 使 館 では 三 十 箇 師
独 逸 大 使 館 か ら得 た情 報 によ り ま す と満 州 に駐 屯 す る のは 三 十箇 師
団 あ れ ば日 本 が ソ聯 を攻 撃 す る に十 分 だ と の意 見 で、 陸 軍 武 官 ク レ
私 は共 の動 員 の速 度 や比 較 的 満 州 に派遣 さ れ たも の の少 な い
し た か。 答 こと か ら同 年 中 は 日 本 は ソ聯 に対 す る 戦 端 を開 く こと はな か らう と
の話 を 私 に 致 し てか ら暫 く 後 であ り ま し た。
れ に し ても 今 申 し た様 に 独 逸大 使 館 附 武 官 ク レチ ュマー が其 の会 議
答 そ れ は ク レチ ュマーか ら 東 京 に於 け る陸 軍 首 脳 部 と関 東 軍 の
三一 問 其 の軍 部 の会 議 の構 成 に付 て話 が あ った か。
将 校 二、 三 名 の会 議 だ と聞 き ま し た 。
の結 論 を得 ま し た。 此 の確 実 な 結 論 を得 ま し た の は同 年 八 月 末 頃 で あ り ま した 。
そ れ故 後 に尾 崎 に そ れを 確 かめ た 処 尾崎 も其 の通 り だ と申 し て居 り
見 を確 かめ るに 足 る 情報 が 入 り ま し た。
三二 問 尾 崎 か ら其 の様 な報 告 を受 け た の は同 年 八月 下 旬頃 で あ った
て居 りま し た。
東 京 の陸 軍 首 脳 部 と云 ふ のは 陸 軍 大 臣 と参 謀 本 部 だ ら う と私 は考 へ
ま し た。
二八 問 其 の様 に 結 論 す る に当 っても 亦 何 か情 報 を得 た か。
そ れ は例 へば 満 州 に於 け る 日本 の 二、 三 の部 隊 は北 方 から 南 方 に移
答 それ に 付 ては 私 が判 断 を致 しま し た ので後 か ら は此 の私 の意
駐 し た と云 ふ こと や 尚 独逸 大使 館 の不 安 が日 毎 に増 大 し た こ と、特
か。
遣 さ れ た部 隊 も あ る が、 現 に大 連 を 経 由 し て続 々北 上 中 の部 隊 が多
二九問 同年 七 、 八月 頃 尾 崎 は 其 の頃 行 は れ た大 動 員 によ り 南 方 に派
員 に 賛成 し た我 政 府 上 層 部 に於 て は対 ソ戦 を 逡 巡す る気 配 を 示 す と
三五問 尾崎 か ら は独 ソ戦 線 が ス モレ ンス ク地 区 で膠 着 し た為 め大 動
答 報 告 は ラ ジ オ で致 しま し た が其 の内 容 は覚 え て居 り ま せ ん。
三四問 そ れ に付 ても モス コウ に報 告 した か 。
答 私 の宅 で あ った と記 憶 しま す 。
三三 問 其 の報告 は 尾崎 か ら何 処 で受 け た か 。
答 さ う かも知 れ ま せ ん が よく 覚 えま せ ん。
に ク レ チ ュ マー は 日本 の軍 部 で開 催 さ れ た会 議 の結 果 に付 て日 本 の
た の だ らう と申 し て居 た事 な ど であ り ます 。
軍 部 が言 葉 を濁 し て居 た こと か ら 日本 は 戦 争 を し な いと の決 定 を し
それ に 付 ては 尾 崎 も 後 に な って此 の日 本 の軍 部 の会 議 で同 年 中 は対
数 あ る か ら、 我 軍 部 は独 ソ戦 に基 く ソ聯 内 部 の崩 壊 を待 たず し て対
共 に 、陸 軍 部 内 に も ソ聯 の敗 戦 崩 壊 に疑 念 を抱 く者 を 生 じ、 殊 に参
ソ戦 は 行 は な い こと に決 定 した と云 ふ情 報 を齎 ら し ま し た。
ソ攻撃 に出 つ る意 図 であ る ので は な い か と云 ふ様 な 報 告 を し な か っ
ら れ た満 鉄 従 業 員 に 対 し殆 ど徴 用 がな く冬 を数 箇 月 後 に控 へて居 る
謀 本 部 及 海 軍 は 自 重 論 と見 ら れ る のみ な ら ず関 東 軍 か ら待 機 を命 ぜ
か ら、 対 ソ戦 開 始 は 同年 中 は極 め て疑 問 とす べ き情 勢 だ と 云 ふ報 告
答 或 は さ う 云 ふ報告 も あ った かも 知 れま せ ん 。
た か。
三〇 問 尾 崎 が軍 部 の会議 で 同年 中 は対 ソ戦 は 行 は な い こ と に決 定 し
が同 年 八月 中 旬 頃 に あ った の で はな いか 。
答 最 後 の関 東 軍 が満 鉄 に与 へた命 令 が実 行 さ れ な か った と云 ふ
た と の報 告 を した のは 何時 か。 答 私 は其 の会 議 が 何時 開 か れ た のか 其 の日時 は知 りま せん が何
ス コウ 、 ヴ ォル ガ の線 迄 独 逸 が到 達 しな い内 は 日本 は ソ聯 を 攻 撃 し
私 は ス モ レ ン スク の こと は 聞 いた こ と はな く レー ニング ラ ー ド、 モ
こ と は尾 崎 か ら 聞 き ま し たが 其 の他 の こと は聞 きま せん で し た。
会 の上 、通 事 生 駒 佳 年 を 介 し前 回 に引 続 き 右被 告 人 に対 し 訊 問 す る
京 刑 事 地 方裁 判 所 に於 て予 審 判事 中村 光 三は 裁 判 所書 記 倉 林 寅 二立
並 に軍 用資 源 秘 密 保 護 法 違 反被 告 事件 に付 、 昭 和 十 七年 九月 五 日東
な いと 云 ふ こと を ク レチ ュマー か ら聞 い て居 り ま し た 。
一問 昭 和 十 六 年 九 月頃 尾 崎 秀 実 が満 州 旅行 か ら帰 った 後 同 人 か ら
こと 左 の如 し。
に対 す る 関 東 軍 の命 令 の実 行 さ れ な か った と 云 ふ こ とは 其 の旅 行 前
記 録 一〇 〇 三丁 裏 九 行 乃 至 一〇 〇 五丁 裏 三行 を通 事 を介 し 読 聞 け
此 の時被 疑 者 リ ヒ ア ル ド ・ゾ ルゲ に対 す る 第 四 十 三 回訊 問 調 書 申
二問 そ れ で は此 の通 り であ った か。
の詳 し い こ とは検 事 に述 べた通 り であ り ます 。
を行 はな いと 云 ふ こ と を確 かめ る 程度 の報 告 を し て呉 れ ま し た。 そ
答 それ は 既 に私 の知 って居 た 事柄 、 即 ち 日本 は 同 年 中 は対 ソ戦
ど ん な報 告 を 受 け た か。
三六問 同 年 九 月 尾 崎 は満 州 に旅 行 した 由 であ る が尾 崎 から の右満 鉄
答 そ れ は其 の旅 行 か ら帰 った後 聞 いた ので あ り ま した 。
に聞 いた の であ った か 。
三七問 尾崎 は何 用 で満 州 に旅 行 し た のであ った か。 答 満鉄 の命 令 で派 遣 さ れた の であ り ます 。 三八問 其 の際 被 告 人 は尾 崎 に対 し何 か頼 ん だ か。 答 十分 注 意 を し て特 に 動員 事 実 に付 大 切 な こと が あ った ら よく
る の であ りま し て私 は そ れを そ れ 程 度 重要 視 し た訳 では あ り ま せん 。
さ れ て居 た様 に述 べま し た、 が実 は 総 て の鉄 道 は北 の方 に向 いて居
たり。
Richard Sorge
見 て来 る様 に、 若 し 途中 で戦 争 が勃 発 す る 様 な こと があ った ら 直 ぐ
生 駒 佳
答 私 は其 の報 告 に戦 略 線 と云 ふ こと を 申 し てあ り そ れ を重 要 視 人
年
事
次 に尾 崎 は 新 鋭 の戦 車 及 重 砲 が 到 着 し た と 云 ひ まし た が 其 の数 も種
告
宮 城 に電 報 を 打 てと 申 し て置 きま した 。 被
類 も 云 ふ こと が出 来 ま せ ん でし た 。
通
右 通 事 を 介 し読 聞け た る処 相違 な き旨 申 立 て署 名 拇 印 し た り 。
光
寅
三
二
居 た 考 へを尾 崎 の報 告 に よ って確認 さ れ た と云 ふ こと を モス コウ に
尚 最 後 に モ ス コウ に報 告 した 点 で あ り ます が それ は私 が既 に有 し て
そ れ故 報 告 と し て は不 十 分 な も ので あ り ま した 。
同 日 於 同 庁作 之
東京刑事地方裁判所 林
った か。
三問 尾 崎 は如 何 な る 方 面 か ら其 の様 な情 報 を得 た と云 ふ こと であ
報 告 し た の であ り ま し た 。其 の他 は お読 聞 け の通 り であ り ま す 。
村
リ ヒ ア ル ド ・ゾ ル ゲ
裁判所書記 倉
人
予 審判 事 中
告
第二十七回訊問調書 被
右 の者 に対する治安維持法違反、国防保安法違反、軍機保護法違反
答 満 鉄 関係 の色 々な 人 々か ら 聞 いて来 たと 云 ふ こと で あり ま し た。 四問 尾 崎 か ら は 日本 の対 ソ戦 準 備 及 其 の中 止 の状 況 、 満 州 の鉄 道 建 設 の状 況 、 満 州 の国 内 情勢 等 に関 し て報 告 があ った訳 か。 答 尾 崎 は 先 程 お読 聞 け の所 に現 はれ て居 る程 度 の こ とを 私 に 報 告 し て呉 れま し た 。 五 問 其 の時 尾 崎 か ら は 同年 七 月 の大 動 員 の始 ま る直 前 関 東 軍 か ら 満 鉄 に対 し 一日何 万噸 宛 何 十 日 間 の軍 関係 輸 送 の準 備 命 令 が あ り 、 満 鉄 で は車 輌 力 動 員 し て之 に備 へた と か関 東 軍 か ち満 鉄 に対 し数 千 名 の従 業 者 を 徴 用 す る か ち其 の用 意 を せよ と の命 令 があ った が僅 か し か 徴 用 さ れ て居 な い と か云 ふ様 な報 告 を致 し た か。 答 従 業 員 の こと に付 ては尾 崎 か ら話 を 聞 いた こと を覚 え て居 り ます。
した。
答 私 の持 って居 る地 図 に より 私 が 質問 を致 し尾 崎 か ら 話 を し た
七 問 そ れ に付 尾 崎 は 地 図 に基 い て被 告 人 に 話 を し た のか 。
の であ り ま し た 。
八問 其 の際 尾 崎 か ら満 州 に 於 け る軍 事 に付 ても 斯 様 な解 説 的 な 報 告 があ った か。
此 の時 被 疑 者 尾 崎 秀 実 に対 す る第 二十 三 回 訊問 調書 申 、 記 録 七 六
〇 丁表 初 行 乃 至 裏 十 行 の記 載 を通 事 を 介 し読 聞 け たり 。
答 一 に付 ても 尾崎 が さ う 云 ふ風 に 申 し た かも 知 れま せん が そ れ は覚 え て居 り ま せ ん。
私 は尾 崎 が 師団 の番号 も数 も 編 成 も知 ら な か った と 云 ふ こ とを 覚 え て居 り ます 。
二 の様 な話 も 尾 崎 が致 し た かも 知 れ ま せん が 、今 思 ひ出 せま せん。
私 の考 へで は七 十 万位 と 云 ふ の は多 過 ぎ る様 に思 ひま す 。
て呉 れ た か も知 れ ま せん がそ れ は覚 え て居 り ま せん 。
車 輌 の進 備 を せ よ と 云 ふ様 な 輸 送 の こと に関 し ても 或 は尾 崎 が話 し
なく 、 又 同 じ問 題 が明 年 起 る 可 能 性 が あ る と申 し た のであ り ま した 。
尾 崎 は明 年 同 じ 問題 が起 る と覚 悟 し な け れ ば な ら ぬと 申 し た ので は
九 問 其 の際 尾 崎 から 車 輌 を北 支 よ り満 州 に送 ら れ た話 があ り 其 の
六 問 満 州 の鉄 道 建 設 の状 況 に 付 ては尾 崎 か ら新 規 計 画 の中 に は チ ャ ム スカ又 は其 の附 近 か ら 西北 部 国 境 の鴎 浦 に 到 る間 の建 設 計 画 が
際 被 告 人 か ら兵 の移 動 は な か った かと反 間 し た か。
申 、 記 録 九 九 七 丁裏 十 一行 乃 至 一〇〇 三 丁裏 八行 の記 載 を通 事 を
此 の時 、 被 疑者 リ ヒア ルド ・ゾ ルゲ に 対 す る第 四十 三 回 訊 問 調書
は 如 何 か。
ら報 告 さ れ た内 容 に付 、 被 告 人 は検 事 に斯 様 に述 べ て居 る が此 の点
一 〇問 昭 和 十 六年 七 、 八月 頃 行 は れ た我 軍 の大 動 員 に 関 し、 尾 崎 か
答 それ は覚 え て居 り ま せん 。
立 てら れ て居 り、 従 来 は東 部 国 境 に鉄 道 が集 中 さ れ て居 た が 此 の新 し い計 画 に よ り鴎 浦 が新 し い攻 撃 開始 の拠 点 と な る可 能 性 が あ る と 申したか。 答 鉄 道 建 設 計 画 に付 ては鴎 浦 が終 点 にな る と云 ふ こと を 尾崎 か ら 聞 き ま し た が、 新 し い攻 撃 の拠 点 と な る と は聞 き ま せ ん。 東 部 国 境 は地 図 を見 ても 明 かな 如 く 、鉄 道 網 が発 達 し て居 る の であ り ます が西 部 と北 部 には 之 が な い の で其 の こ とを 尾 崎 が話 し た ので あ り ま
介 し読 聞 け た り 。 た か。
だ か ら 日本 軍 の対 ソ攻撃 は中 止 の外 は な いと 云 ふ様 な報 告 を 齎 ら し
答 其 の様 な こ とを 宮 城 が申 し て来 た か も知 れ ま せ ん が、 其 の内
答 陳 述 の仕 方 が少 し拙 く あ り ま し た が、 尾 崎 か ら の報告 の内 容 は概 略 共の 様な も のであ りま し た 。
に申 し て来 ても そ れは 私 にと って無 意 味 のも ので あ り ま し た。
容 は私 自 身 日本 は 独逸 が レー ニング ラ ード 、 モ ス コウ、 ヴ ォルガ の
私 は 独逸 大使 オ ット が土 肥 原 将 軍 と 会 った時 、 日本 が参 戦 す る か如
線 迄 出 た ら参 戦 す ると 聞 い て居 り ま し た の で、 宮城 が今 お 訊 ね の様
此 の時 被 疑者 リ ヒア ル ド ・ゾ ルゲ に対 す る第 四十 四 回 訊 問 調書中 、
何 か を尋 ね た処 、 同 将 軍 は 今年 中 は参 戦 しな い、 そ れ は準 備 が未 だ
一一 問 其 の大動 員 に関 す る宮 城 の齎 ら し た情 報 の内 容 に付 、 斯様 に
三 問 答 を 通事 を 介 し読 聞 け たり 。
検 事 に述 べ て居 る が此 の内 容 は 如 何 か 。
答 其 の通 り相 違 あ り ま せん 。 一 二問 前 回被 告 人 は昭 和 十 六年 八 月 下旬 頃 行 は れた 我 陸 軍 首 脳部 と
て来 た情 報 は都 新 聞 記 者 か ら聞 い た と云 ふ こと を起 訴 状 に よ って私
は知 り ま し たが 、 其 の様 なも の より 土 肥 原 将 軍 の話 の方 が比 較 に な
出来 て居 な い か らだ と 申 し た ことを 記 憶 し て居 り ます 。 宮 城 が持 っ
いた と述 べ たが 、 ク レチ ュマー は其 の内 容 を 知 ら な か った の で被 告
関 東 軍将 校 と の会 議 の内 容 を 独逸 大使 館 附 武 官 ク レ チ ュマー か ら聞
ら ぬ程 価 値 のあ る も の であ り ま し た 。 オ ット が同 将 軍 か ら聞 いた と
云 ふ こと を 私 が知 った の は同 年 八月 下 旬 頃 で あ り ま し た。
一五 問 日本 軍 は 同 年 九 月 十 六 日北 支 、 南 支 に於 け る新 作 戦 を 発表 し
答 尾 崎 が稍〓 詳 し い内容 を私 に話 し て呉 れ た ので あ り ます 。
人 は其 の具 体 的 な 情 報 を 尾 崎 か ら得 た の で はな か った か。
具 体 的 に申 し ま す と ク レチ ュマー に対 し ては 日 本側 が曖 昧 な こと し
たか。
答 さ う だ と思 ひま す が今 思 ひ出 せ ま せ ん。
か知 ら せ て呉 れ な か った の で、 日 本 へ来 て間 の な い同 人 は そ れ を 如
一六問 処 が其 の後 日本 軍 の行 動 が不 明 にな った と 云 ふ の で それ に 関
何 解 釈 し てよ いか 判 らず 、私 に対 し ても 漠然 と し た こ とし か話 し て 呉 れ ま せ ん で し た が 、尾 崎 は其 の会議 で 日本 は対 ソ戦 は同年 中 に は
し宮 城 か ら情 報 を 得 た こと があ るか 。
は 日本 の対 ソ戦 の可能 性 が消 滅 した こと を暗 示 し、 第 二に南 方 へ兵
そ れ に対 し 当時 私 共 は此 の声 明 を斯 様 に解 釈 し て居 り ま し た 。第 一
答 其 の様 に 私 か ら尋 ね た と思 ひま す 。
や ら な いと 云 ふ こ と に決 定 され た と 云 ふ ことを 知 ら せ て呉 れ た ので
一 三 問 宮城 与 徳 は同 年 九 月 頃対 ソ戦 に関 す る見 透 に関 し日 本 の陸 軍
ありました。
参 謀 本 部 の見 解 を知 ら せ て来 た こと が あ る か。
併 し此 の こ とを 宮 城 が申 し て来 た ので あ った か如 何 か 其 の点 は覚 え
す。
力 を 輸送 す る こ とを 隠 蔽 す る為 め のも の であ る と思 った の であ り ま
一 四 問 宮 城 は当時 参 謀本 部 に於 て は独 ソ戦 に 付 独 逸 軍 の レー ニング
答 あ った かも 知 れ ま せ ん が そ れ は覚 えま せん 。
ラ ー ド攻 略 は可 能 であ る が 、 モ ス コウ 侵 入 は其 の見 込 な し と の見 解
倉
村
林
光
寅
三
二
東 京 刑 事 地 方 裁判 所
同 日於 同 庁 作 之
中
一 七問 当 時 宮 城 は被 告 人 に対 し 日本 軍 部 は 独逸 軍 が キ エフ占 領 と 共
ません。
に 迅速 な 欧 露 追 撃 を す る と の報 を 入手 し て、 対 ソ問 題 に関 し緊 張 を
裁 判 所書 記
リ ヒア ルド ・ゾ ルゲ
予 審 判 事
告
第 二十 八回 訊 問 調書
被
は知 りま せん が キ エフ占 領 に関 す る お訊 ね の様 な こと を宮 城 が或 は
答 キ エフ占領 と 共 に 迅速 な欧 露 追 撃 を 独逸 軍 がす る と云 ふ情 報
会 の上 、通 事 生駒 佳 年 を 介 し前 回 に引 続 き右 被 告 人 に対 し訊 問 す る
京 刑 事 地 方裁 判 所 に於 て予 審判 事 中村 光 三 は裁 判 所書 記 倉 林 寅 二立
並 に軍 用資 源 秘 密 保 護 法 違 反被 告 事 件 に付 、 昭 和 十 七年 九 月 八日 東
右 の者 に対 す る治 安 維 持 法 違反 、国 防 保 安 法 違 反 、軍 機 保 護 法 違 反
人
示 し 、国 民 の間 には 日 本 軍 が ソ聯 に対 し て冬 期 作戦 を起 す と の予 測 を す る 者 が あ る け れ ど も 日本 軍 部 の相 当 の人 の言 に よ れば 、 日 本軍 最高 幹 部 の意 向 は現 状 を 傍 観 す る と 云 ふ こ とだ と 云 ふ情 報 を齎 ら し
私 に話 した かも知 れ ま せ ん。
こと 左 の如 し。
た の では な か った か 。
此 の問 題 の み では な く 、前 に読 聞 け ら れ まし た 宮城 か ら私 に情 報 と
一問 昭 和 十 六年 春 頃 か ら行 は れ た 日米 交 渉 に関 す る諜 報 活 動 は 。
答 之 に 付 て は少 し前 に其 の前 半 のお話 を 申 上 げ ま し た。
し て齎 ら し たも の の内容 に付 て も、 総 て同 様 であ り ます が宮 城 は価
之 に付 、 前 以 て申 上げ て置 き た い のは此 の会 談 其 のも のが決 し て秘
値 のあ る も のも な いも のも無 差 別 に私 に話 し て居 り ます の で、 之 に 付 て も価 値 のあ る 情 報 と し て で は なく 単 に話 を し た こと があ った の
が書 い てあ り 、 日本 の新 聞 に も 書 いてあ りま し た し 、 グ ルー大 使 が
日本 で内 密 の活 動 を し て居 る こと も知 れ て居 りま し た 。 又 日本 に於
密 で はな い と云 ふ こと であ り ま す 。 そ れ は米 国 の新 聞 にも其 のこ と
け る各 種 の団 体例 へば中 野 正 剛 を 中 心 と し た東 方 会 等 が そ れ に関 し
で は な いか と思 ひま す 。
一 八問 同 年 八 月被 告 人 は 日本 の対 ソ攻 撃 は同年 中 は な いと 云 ふ こと
併 し只 今 は宮 城 の其 の時 の話 を覚 え て居 り ま せん 。
を 知 った と 云 ふ こと で あ った が、 宮 城 か ら も 其 の点 に関 し情 報 が あ
て反 対 運 動 を致 し て居 り ま し た の でさ う 云 ふ こ と から 此 の交 渉 の こ
人
Ri cha rdSorge 年
送 ら れ て居 り ます 。
し た ので 、 長文 の電 報 を 打 って居 り ます が そ れ等 は 全 部検 閲 なし に
殊 に米 国 に よ る 日支 間 の仲 裁 に付 詳 しく 報 告 せよ と 云 は れ て居 り ま
新 聞 社 か ら そ れ に付 て詳 細 の こと を報 告 せよ と の指 令 を受 け て居 り 、
と が 判 って居 た の であ り ま す 。 そ れ か ら私 自 身 も フラ ンク フ ルタ ー
った こ とは 間 違 な いか。 答 宮 城 が対 ソ戦 に は な ら ぬ と大 動 員 に関 し て同 人自 身 の意 見 を
告
佳
生
駒
事
述 べて居 り ま し た こと は先 程 お読 聞 け の通 り であ り ます 。 被 通
右 通 事 を介 し読 聞 け た る 処相 違 な き旨 申 立 て署 名拇 印 し た り。
得 て居 り 、尚 其 の他 日本 の情 報 局 か ら 出 て居 た色 々な 情 報 を も 入 手
の会 談 の内容 を も話 し て呉 れ まし た 。最 後 に は専 ら尾 崎 から情 報 を
会 談 の内 容 を話 し て呉 れ、 其 の後 外 相 の更 迭 し て から は 豊 田 外相 と
最 初 の情 報 は独 逸 大 使 館 か ら得 ま し た。 オ ット大 使 は 松 岡 外相 と の
の会 談 の始 ま る前 か らと 思 ひま す が其 の点 はよ く 覚 え ま せ ん が、 兎
ち支 那 を将 来 如 何 にす る か と云 ふ こと であ りま した 。 ア メリ カ は其
此 の会 談 で核 心を 為 す 一番 重 要 な 問題 は支 那 問 題 であ り ま し て、 即
す 。之 が最 初 の情 報 であ り ま す。
渉 は其 の前 提 と し て三 国同 盟 に は決 し て触 れ な い 、又 護 送 制 度 を 実
攻 撃 と認 め る と 言 明 し ま し た。 松 岡 外 相 は更 に オ ット に対 し 日 米 交
メリ カ が商 船 を 軍艦 で護 送 す る護 送 制 度 を 実施 す れ ば直 ち に それ を
遵 守 し て行 く と約 しま した 。 尚 松 岡 外相 は オ ット大 使 に対 し 若 し ア
交 渉 は 日 独伊 三国 同 盟 の範 囲 内 に 於 て行 ひ其 の条 約 の条 文 を 厳格 に
こと を 話 し て呉 れ ま し た。 それ は 松 岡外 相 は オ ット大 使 に対 し 日 米
し て其 の後 オ ット は松 岡 外 相 と の会 談 の内 容 に付 私 に対 し次 の様 な
使 は 一体 此 の序 幕 は ど ん な こと があ った のか と私 に聞 き まし た 。 そ
こと で あ り ま し た の で、 松 岡 よ り 二 日許 り早 く 帰 って来 た オ ット大
変 へて居 り ま し た 。之 は松 岡 外 相 に と っても独 逸 に と っても 重 大 な
答 松 岡 外相 が欧 州 か ら帰 り ま す と 、 日米 交 渉 は全 然 其 の容 貌 を
本 人筋 の有 力 者 の意 見 を 確 か め る為 め であ り ま し た。 其 の為 め 支 那
し た 。 そ れ は支 那 に於 け る 日 本 と支 那 と ア メリ カ の関 係 に付 て の日
大使 館 の依 頼 によ り 其 の間 の事情 を調 査 す る為 め 支那 に旅 行 致 しま
る が 如 き は思 ひも 寄 らな い こと であ りま した 。 私 は同 年 五月 頃 独 逸
に付 非 常 な差 異 があ る の であ り ま す か ら、 全 般 的 な意 見 の 一致 を 見
にと っても何 れも 部 分 的 な 問 題 で あ り ま し たが 、 両者 の間 に此 の点
た 。 併 し此 の 日米 交 渉 に と って支 那 問 題 は ア メリ カ に と っても 日 本
多大 使 の帰 朝 を 如 何 説 明 し てよ いか非 常 に困 惑 し た様 子 であ り ま し
題 の為 め東 京 に帰 って参 り ま し た。 松 岡 外 相 は 独 逸側 に対 し 此 の本
於 け る 日本 人 であ り 、 例 へば 本多 大 使 の如 きは 態 々支 那 か ら其 の問
を書 き 立 て て居 り ま した 。 そ れ を聞 い て第 一に反 対 し た のは 支 那 に
日支 間 の仲 裁 と云 ふ こと を 大 き な餌 と し て宣 伝 し 日本 の新 聞 も それ
渉 を し て居 る か と云 ふ こと は判 り ま せ ん で した が 、 ア メ リ カ は此 の
に角 其 の会 談 の行 は れ てか ら は屡〓 日本 に対 し 蒋 介 石 と の仲 裁 を 申
施 す れ ば直 ち に そ れ を 攻撃 と認 め ると 云 ふ こと を文 書 で ア メリ カに
出 で て居 り ま し た。 併 しな が ら其 の点 に関 し ては ア メリ カ と 日本 の
手 交 す べき こと を オ ット に言 明 しま し た 。 松 岡 は以 上 によ って独 逸
に於 ては海 軍 の某 中 将 、陸 軍 の特 務 機 関 宇 都宮 大 佐、 日本 公 使 の某
し ま し た 。 そ れ か ら 日本 の政 府 及 陸 海 軍 に 関 す る重 大 な それ に 付 て
政 府 の不 安 を 除 去 し よ う と し た訳 であ り ま す が 、 ど の程 度 迄 其 の約
や実 業 家 及 多 数 の新 聞 記者 等 に会 ひ まし た が 、其 の結 果 は在 支 日 本
立 場 は 非常 に違 って居 り ま し た。 ア メ リ カ が松 岡 や野 村 と どん な 交
束 が実 行 さ れ た か独 逸 政 府 にも 私 にも 判 って居 り ま せん 。 此 の情 報
人間 の決 定 的 な意 見 は ア メリ カ に よ る如 何 な る仲 裁 の試 み に対 し て
の情 報 を 、私 は 同年 五 月 に支 那 に旅 行 し た際 同地 で入 手 しま し た 。
は自 分 が策 略 を 用 ひた の で も なく 独 逸 大 使 館 に於 け る地 位 を 利 用 し
も反 対 であ り 、 若 し 日 本政 府 が其 の交渉 に応 ず る様 な こと が あ れ ば、
二問 独 逸大 使 館 か ら得 た情 報 の内 容 は 。
た訳 でも な く 独 逸大 使 自身 が自 発 的 に私 に 話 し て呉 れた の であ り ま
を も 受 け ず に之 を独 逸 政 府 に送 り ま し た。 私 自 身 の考 へる 処 で は松
ト大使 に対 し暗 号 電 報 で報 告 し た 処 、 同大 使 か ら は 一字 一句 の訂 正
も そ れが 判 り ま し た 。私 は右 の様 に支 那 で 確 か め ま した 意 見 は オ ッ
あ り 、 其 の支 持 を受 け て居 た こと は 本多 大 使 に対 す る態 度 か ら 見 て
い る思 想 影 響 を受 け て居 り、 日 本 に於 け る反 英 米 的 勢 力 とも連 繋 が
非 常 に大 き な 反対 運動 が起 るだ ろ う 、 在支 日本 人 は関 東 軍 の持 って
独逸 大 使 館 や 尾崎 、宮 城 及 新 聞 記 者 、 一般 の友 人 の話 等 か ら得 たも
事 実 の分 析 、 判 断 、 価値 、批 評 と云 ふ べき も の であ り ま す 。 之等 は
ふ様 な こ と であ り ま し た。 併 し之 等 は情 報 と 云 ふ べき も ので は なく
と内 政 問 題 とし て平 沼 の擡 頭 によ って反 動 的 勢 力 が増 加 さ れ た と云
只 日米 交 渉 を 可 能 に す る為 め松 岡 外 相 が 閣 外 に出 され た と 云 ふ こ と
答 第 三 次 近 衛 内 閣 は大 体 第 二次 近衛 内閣 と同 一であ り ます が、
の であ り ま す。
様 な軍 部 出 身 の大 臣 が出 ま し ても それ は大 企 業 の代 表 者 た り し も の
岡 外 相 自身 も 此 の ア メリ カ によ る 仲裁 に対 す る反 対 を 支 持 し て居 た
等 であ りま し て、 ア メリ カ と南 方 問 題 の為 め に起 用 され た も のだ と
答 それ 等 の経歴 に付 て は新 聞 に 出 て居 た処 であ り ま す が 、其 の
在 し た事 実 を綜 合 し て得 た 一つ の判 断 で あ り ます 。
云 ふ こ とは 一般 に判 って居 りま し た 。勿 論 何 れも ア メリ カと協 調 し
五問 海 軍 出 身 の豊 田外 相 、 左 近 司 商 相 の就 任 の意 義 に付 ては如 何 。
松 岡 外相 が退 き豊 田外 相 が 就 任 し てか ら は、 独 逸 側 では 日米 交 渉
て行 く 方 向 に 進 む も のだ と信 じ て居 り ま し た。 之 等 も 独 逸大 使 館 で
のだ と 思 ひ ます 。 そ れが 為 め に 松 岡 外相 の失 脚 し た こと は 日米 交 渉
を 成就 さ せ な い様 な 努 力 を し た ので あ り ます が、 オ ット大使 か ら聞
を続 行 す る前 提 であ った の であ り ま す。 之 等 は情 報 では なく 既 に存
く所 に よ る と豊 田外 相 は 独 逸 側 に対 し極 め て冷 淡 な態 度 を と り 三国
Ri chard Sorge
年
人
得 た情 報 、 特 に ベ ネ カ ー か ら聞 いた 処 で直 ぐ判 明 致 し ま し た が、 尾
告
同盟 に対 し ても 冷 淡 で豊 田 外 相自 身 の仄 め かす 所 によ る と 三国 同 盟
被
崎 か らも 同 様 な こと を申 し て来 た こと と記 憶 し て居 り ま す。
こと であ り ま す 。 処 が 豊 田 外 相 の 此 の努 力 も 日 本 の南 部 仏印 進 駐 に
佳
生
駒
事
を犠 牲 に し ても 日 米 交 渉 を妥 結 に導 き た い と云 ふ 態度 で あ った と の
通
林
寅
二
右 通 事 を介 し読 聞 け た る 処 相違 な き旨 申 立 て署 名拇 印 し た り。
よ って ア メリ カが 此 の日米 交 渉 を 中 絶 し、 経済 断 交 を行 ふ様 にな っ
倉
三
同 日 於 同庁 作 之
裁判所書記
光
リ ヒ ア ル ド ・ゾ ルゲ
村
告
人
中
て仕 舞 った の であ り ま し た 。
東 京 刑 事 地方 裁 判 所
被
第 二十 九 回 訊問 調 書
予 審 判 事
三問 被 告 人 は 日米 交 渉 に関 す る諜 報 の顛 末 に付 検 事 に斯 様 に述 べ て居 る が 、 此 の事 実 は如 何 。 此 の時 被 疑 者 リ ヒ ア ル ド ・ゾ ルゲ に対 す る第 四十 一回 訊 問 調 書 中、 四 問 答 を通 事 を介 し読 聞 け たり 。 答 其 の通 り相 違 あ り ま せ ん。 四問 第 三次 近衛 内 閣 の性 格 に付 て の諜 報 活 動 は。
一問 昭和 十 六年 七 月 二十 六 日 米 、英 、蘭 印 、 濠 州 諸 国 の行 った資
こ と左 の如 し。
会 の 上、 通 事 生 駒 佳 年 を 介 し前 回 に引 続 き右 被 告 人 に対 し訊 問 す る
京刑 事 地方 裁 判 所 に於 て予 審判 事 中村 光 三 は裁 判 所 書 記倉 林 寅 二立
並 に軍 用資 源 秘 密 保 護 法 違 反被 告 事 件 に付 、 昭 和 十 七 年 九 月 九 日東
右 の者 に対 す る治 安 維 持 法 違反 、 国防 保 安 法 違 反 、 軍 機 保護 法違 反
で私 は大 いに あ る と返 事 を した こと を覚 え て居 り ま す 。
見 に賛 成 し 斯様 な解 釈 は ソ聯 に 対 し て利 害 関 係 があ る か と尋 ね た の
た り致 し て居 る次 第 であ り ます 。 当時 尾崎 は私 に対 し 斯 く の如 き意
致 し尾 崎 の意 見 が私 に影 響 を 与 へた り私 の意 見 が尾 崎 に 影響 を 与 へ
私 は尾 崎 や 宮 城 と も斯 様 な こ と に付屡〓 議 論 を した り 語 り合 った り
り ま し た。
二問 そ れ に 関 し 尾崎 が被 告 人 に 話 し た内 容 は どん な こと であ った
答 日米 交 渉 の見 透 に付 ては彼 は最 初 は必 ず し も 悲観 的 で はあ り
か。
りま す から そ れ に関 し て の諜 報 活 動 と 云 ふ こと は致 し ま せ ん が、 宮
た。 尾 崎 は 一般的 な こ と に付 色 々私 に申 し た の であ り ま す が そ れを
ま せん でし た が、 時 が経 つ に従 って悲 観 的 の こ とを 申 し て居 り まし
答 それ は ロ ンド ンや ワ シ ント ンの電 報 に よ って判 った こ と であ
産 凍 結 を含 む全 面 的 対 日 経 済封 鎖 に関 す る諜 報 活 動 は 。
から 之 は 日 本 の意 外 とす る処 で日 本 に 於 ては全 然 之 を 予 測 し て居 な
城 か尾 崎 か の何 れ か ら であ った かよ く覚 え ま せ ん が其 の 二人 の誰 か
が 日 本 に と って加 った の で対 ソ戦 の蓋 然 性 が減 少 した も のだ と当 時
であ り ま し た が、 之 に付 ては 南 方 問題 蘭 印 及 ア メ リ カに 対 す る 困難
と 云 ふ様 な こ とで あ り ま し た。
ては如 何 し ても 南 方 に武 力 進 出 を し て之 を 獲得 し なけ れ ばな ら な い
で之 迄 其 の様 な も のを 日 本 に供 給 し て居 た こと を 止 め れ ば日 本 と し
ミ ニュー ム等 が南 方 に在 る ので如 何 し ても ア メリ カ が政 治 的 に無智
具 体 的 に 申 し ます と、 日 本 が 世界 の強 国 たる の地 位 を維 持 し益 〓之
考 え ま し た。 元 来 日 本 が ア メリ カ に屈 服 す る か之 に抵 抗 す る か と 云
三問 尾 崎 は当 時 被 告 人 に対 し国 民 一般 は 日 本 の指 導 者 によ り 唱 へ
か った と 云 ふ ことを 聞 き ま し た 。
ふ こと は之 を 日本 が選 ぶ の では な く寧 ろ ア メ リ カ によ って左右 さ れ
ら れ て来 た聖 戦 の貫徹 を信 じ切 って居 り 従 って対 米妥 協 には 反 対 の
こと を 日 本 が熟 慮 し た結 果 日 本 は 石油 、 ゴ ム、 米 、銅 、鉄 鉱 、 ア ル
る のだ と考 へまし た 。 即 ち アメ リ カ人 の賢 明 であ る か 愚昧 であ る か
動 向 を示 し て居 る こと、 三国 同 盟 派 の意向 が大 衆 的 な支 持 を 得 て居
を強 大 な ら し めん とす る に は何 が 必要 で それ は何 処 に在 る か と云 ふ
と 云 ふ こと に左 右 せ られ る のであ り ま し た。 日 米 交渉 は 前 に も申 し
此 の様 に経 済 封 鎖 を され ま す と 日 本 は ア メリ カ に屈 伏 す るか 之 に抵
ま し た様 に ア メ リ カ の要 求 が 過大 で あ って ア メ リ カ人 の政治 上 の無
る こ と、 陸 海 軍 特 に 海軍 は当 面 の段 階 に 於 て寧 ろ戦 争 の時機 と し て
抗 す る か何 れ かを 選 ばな け れ ば な ら な い立 場 に立 至 った こと は 明白
って戦 端 を 開 く よ り 外 に 途 は な く 、之 は無 論 ア メリ カ と の戦 争 にな
智 の為 め其 の成 立 の見 込 は な か った の で結 局 日 本 とし ては南 方 に向
答 尾 崎 が 其 の様 な こ とを 私 に 申 し た か如 何 か よく 覚 え ま せ ん が
は最 上 の条 件 に立 って居 る と 云 ふ様 な こ とを述 べた か。
る の であ り ま す か ら従 って対 ソ戦 の蓋 然 性 が減 少 し て参 った の であ
そ れ等 の事 柄 は 正 し いも の であ り ま す か ら 尾崎 が私 に対 し 確 か に話
八 問 其 の当 時 に於 け る 日米 双方 の主 張 は 。
ました。
あ り ま し て其 の点 に於 て双 方 の立場 が根 本 的 に相 違 し て居 り ま し た。
のに対 し 日本 は所 謂 新 秩 序 を アメ リ カ に対 し て承 認 せ よ と 云 ふ の で
要 求 を 承認 す る外 日 本 に対 し支 那 事 変 以 前 の状 態 に 回復 せ よ と云 ふ
答 一般 的 に申 し ま す と ア メリ カ は支 那 に 於 け る 日本 の 一、 二 の
し て呉 れ た のだ ら う と思 ひ ます 。 四 問 尾 崎 は 其 の様 な意 見 を ど の方 面 か ら得 た知 識 によ って纒 め た と 云 ふ こ と であ った か 。
に話 し て呉 れ た も のだ と思 ひ ま し た。
りま し た。
其 の他 の細 か いこ と は噂 には 色 々あ り ま し たが 漠 然 と し た も の であ
答 それ に 付 ては別 段 の話 は致 し ま せ ん が 尾崎 が研 究 の結 果 を私
五問 其 の様 な 対 日経 済 封 鎖 後 に於 け る 日 本 の動 向 に付 て は モ ス コ
答 或 は 尾 崎 か ら申 し て来 たか も知 れ ま せん が それ は情 報 と 云 ふ
九 問 尾 崎 か ら そ れ に付 て何 か詳 し い話 が あ った の では な いか。
ウ中 央 部 に報 告 した か。 答 詳 し い こと は覚 え て居 りま せ んが 報 告 し た と思 って居 り ま す 。
程 のも の では あ り ま せ ん で し た。
六問 同 年 八 月 二十 八 日近 衛 総 理 大 臣 か ら 米 国大 統 領 ルーズ ヴ ェル ト に発 せら れ た 所 謂 近衛 メ ッ セー ジ の内 容 其 の他 に関 す る諜 報 活 動
カ は支 那 か ら の全面 的 撤 兵 を 要 求 す る に対 し 一、 二 の地 点 か ら の撤
答 第 一は 日 本 の支 那 から の撤 兵 であ り ます が 日本 に 対 し ア メ リ
二 〇問 尾 崎 か ら 申 し て来 た内 容 は ど ん な も のであ った か 。
て行 き た いと 云 ふ目 的 で送 ら れ たも のだ と 云 ふ こと を 云 は れ て居 り
の経 済 上 の要 求 に 応 ず る様 ア メリ カ から 圧力 を加 へて貰 ひた いと 云
兵 は認 め る が 他 は肯 ん じ な い と云 ふ こと 、第 二 は 日本 は 蘭 印 が 日 本
答 それ は普 通 に近 衛 が停 頓 し て居 る 日 米 交渉 を何 と か し て進 め
は。
其 の内 容 に関 し ても多 数 の噂 があ り ま し た が 其 の真 相 は判 りま せん
と 云 ひ ま し た。 私 は 近 衛 が ルー ズ ヴ ェル ト と直 接 会 って交 渉 す る と
ジ は近 衛 が何 と か 日米 交 渉 を打 開 し た いと 云 ふ為 め に送 ったも の だ
答 特 別 の情 報 はあ り ま せ ん でし たが 尾 崎 も矢 張 り共 の メ ッセ ー
承 認 す る こ と と云 ふ こと で之 に付 て は ア メリ カ は 日本 に対 し 三 国 同
盟 の無 力 化 即 ち ア メリ カ が独 逸 に対 し 自由 行動 を とる こと を 日本 が
部 仏 印 から の撤 兵 の要 求 を し て居 る こと 、第 四 は ア メリ カ は 三国 同
本 が自 由 にや る様 に と 云 ふ こと、 第 三 は ア メリ カ が 目本 に対 す る南
ふ の に対 し ア メリ カ は そ れ は ア メリ カ の関知 し た処 では な いか ら 日
で し た。 それ 故 諜 報 活 動 と 云 ふ こ と は致 し ま せん でし た。
云 ふ噂 があ った ので其 のこ とを 尾 崎 に 尋 ね た 処尾 崎 は或 はさ う 云 ふ
て日本 が ア メ リカ の自 由行 動 を保 障 す れ ば よ いと申 し て来 て居 る と
盟 を 破殿 しな け れ ば いけ な いと申 し て来 た と か、 或 は実 際 問 題 と し
七問 それ に 付 て尾崎 か ら何 か情 報 を得 な か った か 。
こと があ る かも 知 れ ぬと真 面 目 に考 へて居 り ま し た 。 そ し て東 京 や
か色 々な噂 があ り ま し た 。第 五 は ア メ リ カは支 那 に於 け る汪 政 権 を
ア メリ カ の新 聞記 者 が ル ーズ ヴ ェルト が ホ ノ ル ル で近衛 と会 談 す る と 頻 り に 申 し て居 り ま し た が尾 崎 も無 論 其 の こ とも 私 に 申 し て参 り
答 それ は 思 ひ出 せ ま せ ん。
一 四問 其 の様 な近 衛 メ ッセ ージ の送 ら れ た こ と及 其 の頃 に於 け る 日
否 認 し蒋 政権 を承 認 せ よ と要 求 し て居 る こと、 第 六は 日 本 が 経 済 関 係 の回復 即 ち 日本 の需 要 を 満 たす こと を ア メ リ カ に於 て保 障 す る様
米 双 方 の主 張 に 関 し ては モ ス コウ中 央 部 に報告 し た か。
答 今 思 ひ 出 せ ま せ ん が多 分 報 告 し た と 思 って居 り ま す 。
に と要 求 せ る に対 し ア メリ カ は多 額 の借 款 を 日本 に提 供 す る用 意 が
一 五問 日米 交 渉 に関 す る 日 本 案 、所 謂対 米 申 入 書 に付 ては誰 か ら情
あ る と申 し て居 る こと 、 第 七 は英 米 は 日本 に対 し太 平 洋 に 於 け る海 運 を 一手 に引 受 け て呉 れ る様 誘惑 的 な申 出 を し て居 る と 云 ふ様 な こ
報 が 入 った か。
答 そ れ は尾 崎 から であ り ま す 。
と で あ り ま し た。 之 等 は何 れも 判 然 し た要 求 と 云 ふ様 な も の では な く 人 々 の意 見 の様 な も ので そ れ等 が 多 少 の相違 を 以 て東 京 市 内 に流
一一 問 尾 崎 は其 の頃 に於 け る 日米 双 方 の主 張 は斯 様 であ った と述 べ
れま し た。 そ れ は詳 細 な こと を定 め たも の では な く 極 め て 一般 的 な
日本 の ア メ リ カに 対 す る提 案 を見 て来 た と申 し其 の こと を話 し て呉
答 同 年 九 月 頃 と 思 ひ ます が尾 崎 は私 方 に参 り 日米 交 渉 に 関 す る
一 六 問 そ れ に付 て の諜 報活 動 に付 て述 べ よ。
そ れ を被 告 人 に 話 し た様 に述 べ て居 る が 如 何 。
を尾 崎 か らも 申 し て来 た ので あ り ま し た。
布 され て居 り ま し て其 の何 れ の点 か よ く覚 え ま せ ん が其 の内 の 一部
此 の時 被 疑 者 尾 崎 秀 実 に対 す る 訊 問 調書 中 記 録 第 三冊 七 七 八 丁 裏
はな く 交 渉 の 下地 を為 す 外 廓 を記 載 し たも の であ った の であ りま す 。
交 渉 の輪 廓 を 述 べた も ので 箇 々の条 件 と か約 束 と か云 ふ様 なも の で
其 の内容 に付 て は私 が電 報 で モ ス コウ中 央 部 に報 告 し て居 り ま す の
でそ れ を御 参 照 願 ひ た い と思 ひま す 。 そ れ に記 載 した 通 り に間 違 な
答 詳 し い こと は覚 え ま せ ん が多 分 尾 崎 が さ う 云 ふ話 を し て呉 れ
九 行 乃 至 七 七 九 丁裏 十 行 を 通 事 を 介 し読 聞 け た り 。
い ので あ り ます 。 尚 此 の点 に 付 ては検 事 にも 詳 しく 申 上 げ てあ る通 り で あ り ます 。
た ら う と思 ひ ます 。
答 今 覚 え ま せ ん が彼 は屡 〓色 々な 機会 に 共 の見 透 に付 意 見 を 述
一 二問 当 時 尾 崎 は 其 の日 米交 渉 の見 透 に付 ても 話 し た か 。
此 の時 被 疑 者 リ ヒア ルド ・ゾ ルゲ に対 す る第 四 十 三回 訊 問 調書 中
一 七問 そ れ で は検 事 に 対 し斯 様 に述 べ て居 る が此 の通 り に 相違 な い
第 六 問 答 の内記 録 一〇 〇 六 丁 裏 四 行 以 下 の記 載 を 通事 を 介 し読 聞
か。
れ な いと 云 ふ位 楽 観 的 であ り ま し た が漸 次 悲 観 的 にな り ま し た。 九
けたり。
べ て居 り ます か ら矢 張 り 其 の頃 話 し て呉 れ たも のと 思 ひ ま す。
月 十 月頃 に な り ます と全 然 悲 観 的 であ り ま し た が今 お 訊 ね の頃 は未
同 人 の見 透 は先 程 申 し た通 り 最 初 は或 は或 る結 果 に到 達 す る か も知
だ 其 の程 度 迄 に は至 って居 り ま せん で し た。
答 其 の通 り相 違 あ り ま せ ん 。併 し私 は 此 の日 本側 の提 案 が何 処
か ら出 たも の か、 即 ち 外務 省 で作 ったも のか 近衛 側 近 者 の作 った も
一 三問 其 の当 時 も 尾 崎 は 既 に其 の交 渉 の成 果 は 期待 し難 い と被 告 人 に申 し た の では な か った か。
渉 の 基 準 を 確 め た も のか 、 又其 の提 案 を ア メリ カ に手 交 さ れ た か如
の か 、或 は野 村 大 使 が ワ シ ント ンで ア メ リカ に 提出 し た 一般 的 な 交
二三 問 そ れ では 被 告 人 は右 日本 の提 案 は 何 処 で字 句 の修 正 等 を す る
招 集 され た委 員 会 に於 て審 議 され 又 は 近 衛 首相 の如 き非 官僚 的 な 人
答 私 は そ れ は今 申 し た少 数 閣 僚 の会 議 か或 は外 務 省 の其 の時 に
も のだ と思 った か 。
一 八 問 尾 崎 から は 其 の提 案 の内 容 を近 衛 側 近 者 から 見 せ て貰 った と
何 か 、其 の点 は 私 には判 り ま せ ん で し た。
は側 近 者 に於 て修 正 し た儘 直 ち に公 式 のも の とす る か何 れ に し ても
答 私 は 其 の提 案 が其 の儘 の形 のも のか終 局 的 な も のか 如 何 か は
一 九問 そ れ では 其 の提案 は結 局 如 何 様 に取 扱 は れる も のと 思 った か。
以 上尋 ね て は な ら ぬ と云 ふ こと を知 って居 た の で右 日 本側 の提 案 が
崎 の信頼 す べき人 物 であ る と 云 ふ こ とを 知 って居 り 何 処迄 尋 ね そ れ
に送 ら れ るも の だ ろう と思 って居 り ま し た。 私 は尾 崎 に対 し て は尾
以 上 の様 な 三 つの内 の 一つ の手 続 を経 て 公式 な も の とし て ア メリ カ
の話 があ った の では な いか 。
知 り ま せ ん で し た が多 分 字 句 の修 正位 で公 式 的 なも の とな り ア メリ
を 尋 ね な か った のであ り ま し た 。
近 衛 側 近 者 か ら見 せ て貰 ったも の だ と云 った 以 上 は そ れ以 上 の こと
答 そ れ は尾 崎 か ら確 か にあ り ま し た。
カ に送 ら れ るも の だ と考 へて居 り ま し た。
二四 問 被 告 人 が モ ス コウ中 央 部 に報 告 し た 処 に よ る と ﹁オ ットは 米
二〇問 日 本 に 於 ては其 の様 な重 要 国 策 に関 す る事 項 を如 何 な る所 で 審 議 さ れ て居 た か 。
に 日米 交 渉 に於 て取 扱 は る べ き 一般 的 問 題 のみ を 記 載 さ れ て あ った
国 向 け申 入 書 を 見 た 、該 書 類 は具 体 的 な 申 入 事 項 を含 ん で居 らず 単
も の であ る。 第 一点 は 一般 的 に太 平 洋 平 和 を 取扱 ひ 日米 両 国 間 に 一
答 近 衛 内 閣 に は 一般 の閣 僚 の外 少 数 閣 僚 の会 議 が あ り そ れ は近
れ て居 り特 に 重要 な 国策 に付 て は大 本 営 でも 審 議 さ れ て居 り ま し た。
の形 式 に よ って締 結 す る余 地 が残 し てあ る 。第 二点 に は世 界 戦 争 に
種 の不 可 侵 条 約 締 結 の提 案 を記 し てあ る が太 平 洋 上 の平 和条 約 を 他
衛 首 相 自身 、 外務 大 臣 、陸 海 軍 大 臣 、 内 閣 書 記 官 長等 を 以 て組 織 さ
二一 問 そ れ で は当 時 政 府 大 本 営 連 絡 会 議 のあ った こと を知 って居 る
て関 心を 示 さざ る 用 意 あ る こ と を暗 示 し 、 第 三 点 に は 日本 は 西 南 太
於 け る日 本 の立場 を取 扱 ひ或 る情 勢 の下 に於 て は 日本 は欧 州 に対 し
か。 答 そ れ は知 り ま せん でし た 。 二 二問 そ れ で は尾 崎 が被 告 人 に 報告 し た 日 本側 の提 案 の内 容 は 何 処 で審 議 さ れ其 の様 な提 案 に関 す る 文 書 は何 処 で作 成 さ れ る も のだ と
居 る が 一方 中 支 及 南 支 の或 る 地方 か ら 日本 軍 撤 退 の用 意 あ る こと を
には 支 那 よ り の撤 兵 問 題 を金 部 保 留 の上 支 那 問 題 の解 決 を 指 摘 し て
答 其 の内 容 は少 数 閣 僚 の会議 で審 議 さ れる も のだ と思 って居 り
に し て保護 す る か を指 摘 し 、 第 六 点 に は条 約 の形 式 を 含 ん で居 る も
暗 示 し、 第 五点 には 極 東 に於 け る米 国 の権 益 を と り 上 げ そ れ を如 何
平 洋 主 とし て蘭印 か ら原 料 を得 る の必 要 あ る こ とを 指 摘 し 、第 四点
ま し た。 其 の提 案 に関 す る 文 書 は 一般 的 に は外 務 省 で作 成す るも の
思 って居 た か。
だ と思 って居 りま し た。
の であ る。 オ ットは 今 日迄 の処 で は米 国 側 は 日 本 の提議 を寧 ろ軽 く
二 九問 それ に付 て尾崎 か ら何 か情 報 を得 た か。
為 め に帰 うて来 た と 云 ふ こと は 聞 い て居 り ま し た。
答 若 杉 公 使 の ア メリ カ帰 任 に より 日 米 交 渉 が最 後 の段 階 に入 っ
取 扱 って居 り 又 日本 側 の近衛 が ルー ズヴ ェルト と会 談す る の用 意 あ り と の仄 かし に対 し ても 米 国 側 は軽 くあ しら って居 る こと を指 摘 し
答 第 六 の点 は 尾崎 が最 後 の点 は よ く 覚 え て居 な いが余 り重 要 で
の撤 兵 をす る ことを 議 す る こと を 軍 部 も承 諾 を与 へた と云 ふ こと を
尾 崎 か ら も其 の話 はあ り ま し た。 尾 崎 は尚 日本 は 支那 か ら或 る程 度
た と 云 ふ こ と は在 京 新 聞 記者 其 の他 一般 に云 は れ て居 り ま し た の で
な い形 式 的 な こ とを 記 載 し た も の だ と申 し まし た の で其 の こと を申
未 だ決 定 し て いな いと 云 ふ こと であ り ま し た 。
報 告 しま し た 。併 し 何 処 か ら ど れ だけ の 撤兵 を す る か と 云 ふ こ とは
て居 る﹂ と云 ふ 様に な って居 る様 であ る が 如 何 。
し て遣 った の であ り ま す。 最 後 の ア メ リ カ が軽 く あ し ら って居 る と
て遣 った こと も間 違 なく 其 の他 の点 は お 訊 ね の通 り であ り ます 。
云 ふ点 は其 の日 本側 の提 案 と は 別 の事 柄 で あ り ます が其 の様 に 申 し
こと に より 米 国 と妥 協 し よ う と し て交 渉 の前 途 に 希望 を掛 け て居 る
三〇 問 尾 崎 から は 我 政府 は中 南 支 及南 部 仏 印 よ り の撤 兵 を承 認 す る
三一 問 尾崎 は被 告 人 に対 し対 米 交 渉 は目 下 急 転 回 を し て居 る。 そ れ
ありました。
が 不成 立 に な れば 平 和 の見 込 が非 常 に少 い と云 ふ こと を申 し た ので
答 其 の様 な こと は尾 崎 か ら聞 い て居 り ま せん 。 尾崎 は其 の交 渉
か。
な し と し て之 に付 諒 解 を 遂 げ て居 る と 云 ふ報 告 があ った ので は な い
一方 軍 部 と の間 に は交 渉 不 成 立 の場 合 に は 軍事 行動 に出 づ るも 止 む
二 五問 尾崎 は右 日 本 側 の提案 は 日本 の政 府 大 本 営 連絡 会 議 に附 す る 準 備 の為 め作 成 さ れ た も の だ と は云 はな か った か。 答 さう 云 ふ こと は申 し ま せ ん で し た。 申 し た と す れ ば其 の電 報 に云 って遣 ってあ る筈 であ り ま す 。 二六問 被 告 人 が尾 崎 か ら右 日 本 側 の提 案 に 関す る報 告 を受 け た のは
答 詳 し い こ とは 覚 え ま せ ん が同 年 九 月 頃 であ った こと は間 違 あ
何時か。
り ま せん 。
て米 国 と の具 体 的 な妥 協 案 を 持 って居 る と観 測 さ れ る 。妥 協 案 と云
って も判 る。 若 杉 は懸 案 の支那 問 題 や 日本 の南 進 中 止 の問 題 等 に付
ふ の は 日本 が譲 歩 し て中 南 支 よ り及 南 部 仏 印 よ り撤 兵 す る こ とを 承
は 若 杉 公使 が 急遽 帰 国 し政 府 及 軍 部 と話 合 った上 帰 任 し た こと に よ
答 当 時 全権 で は なく 大 使 館 参 事 官 か 公使 か であ り ま し た若 杉 氏
認す る内 容 のも のと察 せ ら れる 。 之 に 付 ては妥 協 不成 立 に終 れ ば陸
二七 問 ア メ リ カ に行 って居 た若 杉 全 権 公 使 が其 の 日米 交 渉 の途 中 に
が東 京 に帰 って 一、 二週 間 滞 在 の後 ア メリ カ に帰 った こ とを 知 って
海軍 と も 一致 し て軍 事行 動 に出 る決 意 の下 に話 合 が出 来 て居 るも の
於 て 日本 に帰 って来 た か。
二 八問 其 の こ と に関 し 何 か情 報 を 得 たか 。
と観 察 せ ら れ ると 云 ふ こと や、 米 国 の態 度 は 日 本 の緊 張 に引 き 換 へ
居 りま す 。 そ れ は同 年 九月 頃 であ った と思 ひ ます 。
答 一般 的 に若 杉 氏 が ア メ リカ と の交渉 に付 日本 政 府 と相 談 す る
何 と な く余 裕 が見 え 交 渉 の妥 結 を望 ん で居 る こと は勿 論 な るも 交 渉
云 ふ報 告 を し な か ったか 。
三六問 其 の様 に期 限 を付 せら れ て居 る為 め それ に よ って南 進 軍 事 行
答 それ は覚 え ま せん 。
の観 測 で は交 渉 の前 途 に 困難 を認 め なが ら も 条件 の提 示 に より 交 渉
動 開 始 の時 期 が推 定 され る と云 ふ 処 か ら十 月 或 は年 末 開 戦 不 可 避 の
の条 件 熱 意 に於 て日 本 側 と は懸 隔 があ る 。 之 に対 し 日本 側 は 政 府 側
の将 来 に相 当 の希 望 を 持 ち得 る も の と し て居 る 如 く観 察 さ れ る と云
答 軍 が 期 限 を付 し た と云 ふ こと は彼 は話 しま せん 。 只十 月 或 は
話 を し た ので は な か ったか 。
答 さう 云 ふ詳 し い こと は覚 えま せん が 一般的 な尾 崎 の それ に関
ふ様 な ことを 報 告 し た と 述 べて居 る が如 何 。
年
Ri chard Sor g e
佳
人
三七 問 其 の様 な 十 月或 は年 末 に開 戦 不 可避 だ と云 ふ こと も モ ス コウ
告
年 末 と 云 ふ時 期 を申 し た の であ り ま し た。
被
駒
生
す る意 見 を聞 いた こと は覚 え て居 りま す 。
中央 部 に報 告 し た か。 答 した と 思 ひ ます 。
通
事
三二 問 若 杉 公 使 帰 任 と 日米 交 渉 の前 途 に関 し ても 当時 モ ス コウ中 央 部 に報 告 し た か。 答 特 に若 杉 に関 し てだ け の報 告 は致 し ま せん が 一般 的 な報 告 は 致 し た と記 憶 しま す 。 三 三問 先 程 読 聞け た検 事 の訊 問 調書 に よ る と尾 崎 から の報 告 で は始
林
寅
三
二
同 日於 同 庁 作 之
倉
光
右 通 事 を 介 し読 聞 け た る処 相 違 な き旨 申 立 て署 名 拇 印 し た り。
裁判所書記
村
め は十 月 終 頃 に は 日米 戦 争 が不 可 避 であ る と の情 報 であ り 其 の後 十
東 京 刑事 地 方 裁 判 所
中
並 に軍 用 資 源 秘密 保 護 法 違 反 被 告事 件 に付 、 昭 和 十 七年 九月 十 二日
右 の者 に対 す る治 安 維 持 法 違反 、 国防 保 安 法 違 反 、軍 機 保 護 法 違反
リ ヒ ア ルド ・ゾ ル ゲ
三四 問 尾 崎 は 何 に よ って其 の様 に判 断 し た と 云 ふ こと であ った か。
東 京 刑 事 地 方 裁判 所 に於 て予 審 判事 中 村 光 三 は裁 判 所書 記 倉 林 寅 二
人
答 私 は 彼 が日 米 交渉 の経 過 に よ って其 の様 に 判断 し た も の だと
告
思 って居 り ま す 。 彼 は又 ア メリ カ の経 済 対 策 から も 其 の様 に判 断 し
る こと 左 の如 し。
立 会 の上 、 通 事 生 駒佳 年 を介 し 前 回 に 引続 き右 被 告 人 に 対 し訊 問 す
被
第 三十 回 訊 問 調書
予 審 判 事
月 初 旬 前 後 に は若 し 日米 間 に戦 争 が起 る と す れ ば年 末 頃 であ ら う と
答 其 の通 り で あ り ます が尾 崎 は 其 の戦 争 が 必ず 起 る と申 し た訳
云 ふ情 報 であ った と 云 ふ こ と であ った が其 の通 り間 違 な いか 。
で はな く ア メリ カ の態 度 に よ って其 の戦 争 が 不 可避 であ らう と 申 し た の であ り ま し た 。之 は秘 密 の情 報 では な く尾 崎 の判 断 であ り ま し
た こと と思 ひ ます 。
た。
三五問 尾崎 は我 政 府 が軍 部 から 日 米交 渉 に期 限 を 付 せら れ て居 る と
六間
昭 和 十 六年 六月 頃 満 鉄 東 京 支 社 調 査 室 調 査員 の伊 藤 律 か ら 尾
一問 か。
日米 交 渉 に関 し ては 尾崎 の報 告 の外 宮 城 か ら も報 告 があ った
宮 城 が情 報 を持 って来 た と 云 ふ こと は 今 思 ひ 出 せ ま せ ん。
同年 八 月頃 日米 交 渉 は何 等 日本 側 に有 利 に 展開 せず 依 然 とし
尾 崎 其 の他 の者 か ら得 た も のと 同 じ も のの繰 り返 し に過 ぎ ま せ ん で
或 はさ う 云 ふ報 告 もあ った か も知 れ ま せん 。 併 し そ れ は既 に
し た。 宮 城 は 尾 崎 が私 の所 に報 告 し て呉 れ た こ と に付 更 に 尾崎 が宮
答
ふ様 な こ とを宮 城 が報 告 し た の では な か った か。
州 の返 還 、 日 本 の三国 同 盟 か ら の脱 退等 を 日本 に 要 求 し て居 る と云
て九 箇 国 条 約 を米 国 が固 執 し て日本 軍 の全 支 より の無 条件 撤 兵 、 満
七間
答
崎 秀 実 を し て伊 藤 作 成 に係 る戦 時 下 の日 本農 業 と題 す る調 査 書 二通
誰 の書 いた も ので あ る か誰 か ら 入 手 し た も の であ るか 知 り ま
を 入 手 せし め た か 。 答
其 の内容 は。
って︱ 釆た こと があ りま し た 。
せ ん で し た が、 尾 崎 が 日 本 の農 業 に関 す る数 枚 のパ ン フ レ ットを 持
二間
と 思 ひ ま す が そ れ が ど んな 内 容 のも のであ ったか 記 憶 致 し ま せ ん。
城 に同 じ こ とを 話 す と そ れ を宮 城 が 纒 め て英 語 に し て私 に 反 覆 し て
そ れ は多 分 宮 城 が 其 の内 容 の目 録 の様 な も のを作 って呉 れ た
同 年 九月 頃 尾 崎 を し て同 調査 室 か ら同 調 査 室 の作成 に係 る新
答
三問
持 って来 る場 合 が 多 か った の で、 内 容 は襲 に尾 崎 の齎 ら し た も の と
情 勢 の日 本 政治 経済 に 及 ぼす 影 響 と 題 す る 調 査書 を 入 手 せし め た か。 其 の標 題 は 今始 め て聞 く も の で それ に関 し て は少 し も 覚 え て
同 じ も のであ った の であ り ます 。
答
八問
が許 容 せら る る に於 て は中 南 支 よ り 日本 軍 を 撒 退 し 且 つ三国 同 盟 よ
見 の 一致 を見 、 北 支 に 於 け る 日本 の特 殊 地位 の承 認 、 海 南 島 の確保
たる 近衛 総 理 大 臣 と 東 条 陸軍 、 及川 海 軍 両 大 臣 と の間 に完 全 な る意
尚 宮 城 は其 の頃 米 国 の右 の様 な 要求 に対 し 日本 の政 治 指導 部
かも 知 れま せん 。
そ れは 尾 崎 が 私 の所 に持 って参 り私 か ら宮 城 に渡 し て目 録 を
そ れ で は右 二 つ の調 査書 は被 告 人 の手 許 に は 入 ら な か った の
居 りま せん が 、 或 は前 と 同様 宮 城 が 其 の内容 の目録 を作 って呉 れ た
四間
答
か。
答
そ れは よ く覚 え ま せ ん が、 其 の情 報 は疑 は し いと思 ひ ます 。
り脱 退 す る も 敢 て辞 せ ざ る態 度 だ と 云 ふ様 な 報 告 を 齎 ら し たか 。
何 故 な ら ぱ 、 日本 が支 那 に 於 け る特 殊 地 位 の承 認 及 海南 島 の確 保 だ
所 に持 って来 た か、 其 の点 は 判 然覚 え ま せ ん。 併 し 私 は 日 本文 で書
作 ら せ た か、 尾 崎 が 直 接 宮 城 に 渡 し て宮 城 が其 の目 録 を作 って私 の
いたも の です か ら 見 ても仕 方 がな い ので私 は見 な か った の であ ら う
尚 宮 城 は 日本 は 七月 の全 国臨 時 大 動 員 以 来 台湾 、海 南 島 、 仏
領 印 度 支 那 に相 当 多 数 の兵 力 を集 中 し、 南 方 問題 を有 利 に展 開 せん
九問
の条 件 では支 那 に於 け る日 本 人 が其 の儘 納 ま る筈 は あ り ま せん 。
け を日 米 交 渉 の条 件 とす る こと は少 な過 ぎ る と思 ひ ま す。 それ だ け
之 は モ ス コウ に報 告 す る 心算 は なか った ので報 告 せず 其 の為
之 等 の資 料 に付 ては モ ス コウ中 央 部 に報 告 し た か。
と 思 ひ ま す。 五問 答
め私 も 忘 れ て仕 舞 った の であ り ま す 。
と企 図 し て居 り米 国 方 面 に於 て は 日本 軍 が 仏領 印 度 支 那 、 泰 国境 を
府 が予 期 し て居 た時 期 に付 ての報 告 が あ った か。
三問
私 は よく 知 り ま せ ん が或 は私 に尾崎 が申 し た のと 同 じ時 期 を
宮 城 か らは 同年 十月 頃 日米 交 渉 に関 す る米 国 の回 答 を 日本 政
経 てビ ル マに侵 入 し 陸 軍 は 北 よ り海 軍 は南 方 よ り シ ンガポ ー ルを 攻 答
宮 城 も 申 し た の であ った か も知 れ ま せん 。
略 す る 一方 、 陸 海 軍 協 同 し てボ ルネ オを 攻 略 す る だ ら う と の予 想 を 為 す模 様 であ るが 泰 国 に対 す る英 国 勢 力 の圧 迫 並 比島 蘭 領 印 度 等 の
最初 日本 政 府 は何時 米 国 の回 答 が 来 る も の だ と期 待 し て居 た
一 四間
そ れ は よ く覚 えま せ ん が当 時 私 は 日本 の政 治 首 脳 部 では 所 謂
こと を 期待 し之 を希 望 し て居 た と思 ひま す が 其 の日時 は覚 え ま せ ん。
近 衛 メ ッ セー ジ に対 し て ルー ズ ヴ ェル トが 出来 る だけ 早 く 回 答 す る
答
武備 強 化 兵 員 増 強 等 は日 本 の南 進 政 策 を 困 難 な ら し め て居 ると 云 ふ
そ れ は思 ひ出 せま せ ん 。併 し宮 城 は当 時 日 本 が か なり の大 部
と云 ふ こと で あ った か。
答
様 な ことを 共 の頃 報 告 し て来 た か 。
隊 を台 湾 及 海 南 島 に集 結 し て居 る と 云 ふ こ とを 自 分 に話 し て呉 れ ま し た 。其 の他 の点 は情 報 で は なく 宮 城 が誰 か 他 の人 々の意 見 判 断 を
我 政府 が最 後 に期 待 し た米 国 の回 答 の時 期 は。
そし て此 の点 に関 す る宮 城 の報 告 が如 何 であ った か は思 ひ出 せま せ
一 五問
纒 め てそ れ を私 に伝 へて呉 れ た の で はな いか と 思 ひ ます が其 の為 め
一体 宮 城 は どん な 風 に被 告 人 に報 告 し て居 た の か。
ん。
乙問
私 が忘 れ て仕 舞 ったも の であ ら う と思 ひま す 。
日 は よ く覚 え ま せん が 同年 十 月頃 と思 ひま す。 三 六間
同 人 は英 語 で書 いた も のを持 って参 りま す ので私 が さ っとそ
を期 待 し て居 た が其 の後 に至 っては同 年 十 月 七 、 八 日頃 に は回 答 が
答
れ に 目 を通 し其 の内 重 要 だ と 思 は れ る事 柄 に付 て質 問 す る と彼 が説
それ も 遺憾 な が ら思 ひ出 せま せ ん。
其 の頃 宮城 か ら 日本 政 府 は 其 の様 に期 待 し て居 る が其 の回 答
は 日本 の期 待 に反 し て考 慮 の余 地 な し と 云 ふ こ と であ ら う と予 想 さ
;問
答
にあ った の では な いか。
宮 城 か ら は 日本 政 府 は 最初 九 月末 日迄 に 米 国 の回答 あ る こと
明 し て呉 れ る の が例 であ り ま し た が単 に宮 城 が 口頭 で英 語 で説 明 す
答
る だ け の こと もあ り まし た 。 田 口右 源 太 、 菊 地 八 郎等 か ら入 手 し た話 だ と申 し て今 訊 ね た
来 るも のと 期待 し て重 大 視 し て居 る と 云 ふ報 告 が 同年 十 月極 く 始 頃
=間
私 は さ う云 ふ名 前 は 知 り ま せ ん で し た。 宮 城 が私 にさ う 云 ふ
様 な事 柄 を宮 城 が齋 ら し た ので は な か った か。 答
名前 を申 し た こと はあ り ま せ ん で し た。
れ る。 米 国 は 日本 に対 し実 質 上 英 米 陣 に参 加 し て独 逸 攻撃 に出 つ る
北 海 道 の人 か ら聞 いた と申 し て其 の様 な話 を被 告 人 に伝 へた
か決 定 し兼 ね る状 況 であ る と云 ふ様 な報 告 があ ったか 。
米 国 に対 す る 無条 件 服従 か同 国 と の戦 争 か 二者 何 れ の途 を選 ぶ べき
三問
此 の問 題 に関 し てで は なく 一般 に北 海 道 の人 と 云 ふ こ とを 宮
こ と、 及 支 那 から の無 条 件 撤 兵 を 要 求す る の であ ら う し 日本 政 府 は
答
ので は な い か。
城 が申 し て居 りま し た 。併 し私 は其 の名 前 は知 り ま せ ん でし た 。
答
日本 が ア メリ カ と戦 争 を す る か 屈 服 す る か の岐 路 に 立 って居
る と 云 ふ こ とは 宮 城 が話 の序 に私 に 同 人 至身 の考 へと し て話 し て呉 れ ま した が 、 日 本 が英 米 陣 に参 加 し て独 逸 攻撃 に出 つ る こと と 云 ふ
天問
で あ らう 。
過 は 日本 の期待 に反 し米 国 の回 答 は多 分考 慮 の余 地 な し と 云 ふ の
る の で政 府 の面 子 を保 ち南 方 問 題 を 有 利 に解 決 す る様 米 国 政府 に
二 、 日本 政 府 は 内 外 の情 勢 に於 て国 内 事 情 が重 大 問 題 を 提 出 し て居
被 告 人 は 其 の頃 病 気 で臥 床 し て居 た か 。
ので政 府 の高 官 中 最 高 軍部 財 界 及 其 の交 渉 を楽 観 し て居 た 知識 層
要 請 し た らし いが 、今 日迄 の交 渉 の経 過 は 日本 の期 待 に 反 す る も
と の戦 争 か であ る。
て現 状 を 打 破 す る か は疑 問 であ る 。即 ち 日本 は 無 条 件服 従 か米 国
四 、 日 本 政府 は進 む べき か退 く べき か決 し兼 ね て居 な が ら如 何 にし
求 す る 。 そ れ か ら 日本 軍 の支 那 か ら無 条 件 撤 退 。
英 米 陣 への参 加 、之 は米 国 が 日本 が独 逸 攻 撃 に参 加 す る こ とを 要
三 、 米 国 の意 向 は 日本 の要請 し た面 子 も 無 視 し た も のら しく 実 質 上
の間 に驚 愕 の念 が起 ったら し い。
宮 城 が情 報 を齎 ら し た と云 ふ お 訊 ね の十 月 始 頃 私 は 病 気 で寝
様 な情 報 は宮 城 が 私 に話 し て呉 れた こと は な いと思 ひ ます 。
答
其 の当 時 宮 城 は 日米 交 渉 に関 す る 英 文 で記載 し た情 報 を 被 告
て居 りま し た。 一九 問
宮 城 は始 終 英 文 の報告 書 を私 の所 に持 って参 り ま し た の で其
人 に寄 越 し た こと が あ る か。 答
の時 に持 って来 た と思 ひ ます が、 特 に それ が 日 米交 渉 に関 す るも の で あ った か如 何 か覚 え て居 り ま せん 。 マ ック ス ・ク ラウ ゼ ンが被 告 人 方 に来 て居 た際 同人 の手 を 介
開 く か 又 は戦 争 を避 け て米 国 に屈 服 す る か を予 定 す る こと は出 来
五、 日 本 政 府 の最 高 官 が三 国 同 盟 の 立場 に帰 って米 国 に対 し戦 端 を
二O 問
二人 共私 の枕 頭 に居 った の で宮 城 が そ れ を ク ラ ウゼ ン の手 を
答
答
其 の報告 書 は ク ラ ウ ゼ ン が私 に渡 し て呉 れ ても 其 の内 容 が不
と 云 ふ様 な こと を 骨 子 と し たも の の様 に述 べて居 る が如 何 。
な い。
し て日米 交 渉 に関 す る宮 城 の報告 書 を受 取 った の では な か った か。
通 じ て私 に寄 越 す と 云 ふ こ と は変 であ り ま す が、 或 は宮 城 が先 に 帰 る の で ク ラウ ゼ ンに話 し て帰 った 様 な こと でも あ った のか も知 れ ま せん 。
で忘 れ て仕 舞 った か 、何 れ か であ った も の と思 ひま す が私 は そ れを
った か或 は私 が 発 熱 し て居 て そ れを 理 解 す る こと が出 来 な か った の
記 憶 し て居 り ま せ ん。
確 実 であ り 不 明 瞭 で あ り ま し た為 め 、 私 が何 等 の注 意 を も 払 は な か
宮 城 の其 の報 告 書 の内 容 は。
る と期 待 し て居 たが 今 日 迄 遅 延 し た。 余 の研 究 又 は 聞 いた説 に よ
一、 最 初 日 本 政 府 は対 米 交 渉 に関 す る 米 国 の回答 を九 月 迄 に得 ら れ
れ ば ルー ズ ヴ ェル ト大 統領 は 十 月 七 、 八 日 には 回 答 す る も の と政
三問
三問
府 は 予 期 し て居 る。 そ し て日 本政 府 の指 導 部 は 共 の回答 を頗 る重
が如 何 。
宮 城 は 共 の様 な報 告 を 被 告 人 に し た様 に述 べ て居 る の であ る 大 視 し て居 る が外 交 情 勢 に 通 暁 し た或 る人 の言 によ れ ば交 渉 の経
答
宮 城 が其 の様 に申 す な ら ば其 の通 り であ る と 思 ひ ま す が私 は
日米交 渉 に関 し て はヴ ケリ ッチ か ら も情 報 が入 った か 。
そ れを 記 憶 し て居 な いの であ り ま す 。 Ⅰ 三問
し て居 る こと を ヴ ケ リ ッチ が秘 に匁 ら せ て呉 れた も のであ りま し て
れ た こと であ りま す か ら私 か らは モ ス コウ中 央部 に報 告 は 致 し ま せ
其 の内 容 は東 京 の各国 大 使 館 は固 よ り ソ聯 其 の他 の各国 に も宣 伝 さ
ん で し た 。尤 も ソ聯 大 使 館 が其 の演 説 の内 容 を知 って居 た であ ら う
と 云 ふ こと は独 逸 大 使 館 で そ れを 知 って居 た の で私 が其 の様 に 想 像
左 様 で す 。併 し其 の内 私 が 今 記 憶 し て居 る の はヴ ケリ ッチ が
し て居 る 次第 であ りま す 。
答 同 盟 通 信 社 内 で アメ リ カ の同 僚 新 聞 記 者 か ら 聞 い た 日米 交 渉 に 関 す
確 実 な こと は覚 えま せん が多 分 ア メ リ カ の新 聞記 者 ニ ュー マ
ヴ ケ リ ッチ が其 の話 を 聞 いた のは誰 から と 云 ふ こと であ った
同年 九月 の終 か十 月 の始 で あ った かも 知 れ ま せ ん。
た のは 何 時 か 。
其 の様 に ヴ ケ リ ッチ が グ ルー大 使 の演 説 に付 て報 告 し て呉 れ
る ア メ リ カ人 の感情 と グ ルー大 使 の活 動 に 付 て の 二点 に付 同 人 が報
其 の内 容 は ど ん な も の であ ったか 。
一 三問
二 四間
告 し て来 た こと であ り ます 。
答 二 六問
ア メ リ カ人 の感情 に関 し て は ア メリ カ 人 の少 数 の者 が不 安 を
感 じ て居 る と 云 ふ こと であ り ま し た 。 そ れ は ア メ リカ 人 特 に ルー ズ
答
ヴ ェルト が 日本 に於 け る情 勢 と 日本 人 の気 持 とを 理 解 し て居 な い の
答
か。
ンか ら であ った と覚 え ます 。
で は な いか と云 ふ点 であ った のであ りま す 。 グ ルー大 使 の活 動 の点 に付 ては同 大 使 が ア メリ カ 人倶 楽 部 に於 て ア
二 七間
大 使 は自 分 は天 皇 側 近 の高 官 に斯 う 云 ふ手 紙 を 遣 った と 申 し て其 の
書 簡 の内容 と同 Ⅰだ と 前 提 し 、 日本 軍 部 は 日 本政 府 の し た約 束 に 何
議員 に送 った書 簡 の内 容 に付 説 明 し同 大 使 の日本 に対 す る 態 度 は右
ッ セー ジ に関 連 し て 一場 の演 説 を 試 みグ ルー大 使 が日 本 の某貴 族院
ヴ ケリ ッチ のグ ルー大 使 の演 説 に 関 す る 報 告 の 内 容 は 、 ﹁グ
多 分 さう と 思 ひます 。
ニ ュー マ ンは 二晶ー ヨ ーク ・ ヘラ ルド ・トリ ビ ュー ンの 日本
メリ カ 人 に演 説 した こと に付 てであ りま す が 、 之 は 同大 使 が聞 接 に
通 信 員 か。 答
は 日本 人 及各 国 大 使 館 にも 知 ら せ る ことを 欲 し て致 し た も の で後 に 私 も 其 の演 説 の内 容 を見 た の であ り ます が ヴ ケ リ ッチ は 其 の演 説 を
内 容 を説 明 し た と云 ふ こと で、私 は今 其 の内 容 を 詳 し く覚 え て居 り
等 の拘 束 を も感 ず る も ので は な い。 其 の為 め 自 分 は従 来 幾 多 の外 務
ルー駐 日米 国 大 使 は 米 国 人倶 楽 部 に於 け る 米国 人会 合 の席 上 近衛 メ
ま せ ん が そ れ は要 す る に近 衛 首相 や 天皇 側 近 者 に対 し て警 告 的 のも
大 臣 の下 に屡 ζ苦 い経 験 を 嘗 め て来 た が、 其 の 一例 を挙 げ れ ば 昭 和
二 八間
の で日 本 の軍 部 に の み従 って行 っては いけ な い、 軍 部 に 従 って行 け
聞 い た ア メリ カ 人 か ら話 を聞 い て私 に知 ら せ て呉 れま し た。 グ ルー
ば破 滅 にな る のだ と 云 ふ意 味 の こと を書 いたも の であ った 様 に記 憶
十 二 年 七 月自 分 が駐 日英 国 代 理大 使 に勧 告 し同 代 理大 使 を し て藍 溝
が 其 の演 説 で述 べ た こ とと し てヴ ケ リ ッチ の申 す 処 に よ る と グ ルー
し ま す。 併 し 之 は 日 本 側 の秘 密 で はな く ア メリ カ 人 が意 識 的 に 宣 伝
し ても 何 か 清 報 を得 さ せ た か)
一習・ ブ ケリ ヅチ を し て松 岡 外 相 陵 玖 不 在巾 く於 げ る ヨ 米交 慶 に封
答
騰 事 件 の肱 大坊 止 を趣 雪 とず る 蒋 介 石 の緊急 提 案 を 山 本 外務 次官 に
二司
それ ば覚 え て居 り ま せ ん.
ぱ 何 等 既 走 方針 を変 更 す る 二と な く従 コてヨ本 政 府 も 右 提案 に対 す
提 出 せし め た処 、 司 次 宮 ぱ 之 に 賛意 を表 し て居 たに 陶 ら ず ヨ本 軍 郎
る 何 等 の可答 を も為 さぎ 9 しも のに し で、斯 か る現 伏 の下 に 於 ては
ニ ュー マ ソから 司 人 が 駐 ヨ米 国 大 健 館 参 事官 ド ー マソ等 か ら 入 手 し
ブ ケ リ ンチ は ニ ェー マ ソか ら珊 いた 話 だ と 臥 甲し て色 々な 話 を
米 翌 ニ ュー ヨ⋮ ク ・ヘラ ルド ・トリ ビ ュー ソ紙 のヨ 本涌で 信員
ヨ 本 政 府 の約 束 ぱ姐 何 な る内 現 ζよ り為 さ る る ζも ぜ よ﹁ 乙を 信 頼 ず
答
た清 報 だ と 云 ふ のを ブ ケ ワ ッチ が齎 ら し た てと はな か った のか .
の如 く グ ル ーが ヨ 本 政府 の誓 約 を 唇 煩 ン 碍 ず と 潅言 明ず る ζ至 って
る こ と不 可能 な , )噌 と途 べ た が. と 二: マン の意 見 と し て ぱ 斯 ミ
し て屠 た ので ニ ェ: マソか う 珊 いた こ と と思 ひます が待 肘 な 陵 報 を
私 に 致 し ま した ) グ ケリ ッチ は ニ ュー マソと 司 二建 物 の中 で仕 事 を
ヵずナ葦 工 のQ鎚 っ 年
生
佳
人
駒
事
二 匹ー マ ソが ド⋮ マソか ら聞 'た 話 と し て松 凋 外 椙 獲 玖 不 庄
ウ 豊 ヨ商 相 が ヨ米 交 渉 に 菊 し て働 い て居 た と 云 ふ話 を ヴ ケリ ッチ か
三司
齎 ら した 二と ぱ覚 え (居 りま せん Q
ぱ ヨ米 交 渉 も 妥 結 の希 望 醇 な いも のだ ら う 、 と 云 ふ こ と であ った と
告
慨 略 ぱ其 の様 な こと で あ った と記 憶 しま す .
云 ふ様 な 二 とで あ った か ⊃ 答 被 通
寅
二
約 を 米調 の有 利 に解 釈 適 用 し 米 翼 が対 英 暖 助 の為 め 参 戦ず る も右 条
う と し之 が為 め支 那 奥 地 か ら Ⅰ部 散 兵 を為 し 且 つヨ 独伊 ≡ヨ 司 盟 条
豊 ヨ商 椙 は、 米 国 の仲裁 に よ ,支 那 事 変 の妥 協 杓 解 映 を し よ
そ れ は覚 え て属[ りません)
ら 珊 か な か った か⊃ 答
林
三
巫閉 倉
光
右 醤 事 を 介 し 読 珊 ケ た る 処相 違 なき コ ヨ申 立 て署 名 撮 印 し た9 ⊃
東 京刑 事地 方 裁 判 所
司 ヨ於 司 庁 伶 之
裁 粗 所書 記
村
並 ζ軍 肘 資 源 秘 欝 深 甕 法趣 反被 告 事 件 く侵 、 君 租 十 七年 九 月 十 五ヨ
ヨ商 相 ぱ 米 ヨ に対 し石 井 ラ ソ ン ソグ協 定 を復 活 し、 ヨ 本・ の極 東 に於ん
五苛
答
く来 た の でぱ な いか⊃
二 とを 示 し た と 員 ふ様 な て とを . ヴ ケ リ ッチ が ニ ュー マ /か ら珊 い
約 第 三条 を発 動 し ヨー 巨 ッパ戦 を 太平 律 に波 及 せ) め ざ る用 意 あ る
㌍
ワ ニア ルド ・ゾ ルゲ
予 審 判 事
出コ 人
第Ⅰ 二十 一可訊 習ん 調書 被
東 京 刑事 地 方 裁 判 所 に 於 く予審 判 事㌍ 付 光 三ぱ 裁 判 所ぎ 記 倉 休 黄 二
右 の者 に対 す る 治 安 維 博 医違 反 、調 防 保 安 法 違 反 、 軍機 保 護 医 違 反
立 会 の上. 通 事 生 駒 筐年 を介 し前 画 に引 暁 き 右 被告 人 に対 し訊 習・ す
け る待 殊 権 益 を 承認 す る こと 、 蔚 州国 を承 認 す る 二と .東 亜 其 の他
尚 ブ ケ ワ ンチ ぱ 二 臥ー マソが ド ー マ ソか う廻阿た 譜 と し て、 豊
さ う 云 ふ こと な聞 いて居 9 ま ぜ ん)
る こ と左 の如 ) ⊃
に於 て日 本 に 対 し 凡 ゆ る経 済 的 便 宜 を与 ふ る こ と を要 求 し、 太 平洋 情 勢 の全 国 的 緊 張緩 和 の為 め 日米 会 談 の交 渉 を提 案 し た と云 ふ様 な 話 を 被 告 人 に 伝 へな か った か。
答 私 の考 へか ら申 し ます と、 ヴ ケリ ッチ は私 の諜 報 団 の諜 報 活
め に 日本 に参 った も ので はな いか 。
動 をす る為 め に来 た ので あ り ます が新 聞 記 者 を致 し て居 り ま し た為
致 し て居 り ま し た新 聞 記 者 の方 は却 って 五月 蝿 い程 であ りま した が 、
め之 を私 と比 較 し て申 し ま す と私 は此 の諜 報活 動 の為 め に参 り 表 面
せん 。
て呉 れ た と 云 ひ得 る の であ り ます 。
ヴ ケ リ ッチ は何 時 の間 に か新 聞記 者 が本 職 の様 に な り諜 報 活 動 を し
答 先 程 も 申 し た様 に豊 田商 相 の話 と 云 ふ こと は私 は全 然知 り ま
六問 尚 ヴ ケリ ッチ は 日本 の右 の様 な 提 案 に対 し ド ー マ ンは 日 本 側
一 〇問 それ で は其 の様 に被 告 人 に報 告 し て来 る のは総 て被 告 人 の諜
の右 提 案 は 未 だ 公式 の も の にあ ら ず 日 本 の真 意 も 図 り難 いか ら米 国 側 は慎 重 な 態 度 を持 し て居 る が、 之 を 契機 と し特 に ワ シ ント ン駐 剤
答 ヴ ケ リ ッチ は同 人 の持 って来 る情 報 は私 の諜 報 活 動 に 利 用 せ
報 団 に 於 け る諜 報 活 動 に利 用 せ ら る る考 へから であ った のか 。
べた と 云 ふ話 を し な か った か。
野 村 大 使 の努 力 に よ り 公 式 の日米 交 渉 に発 展 す る 可能 性 があ る と述
した 。
ら る る こと も あ る と 云 ふ こと を知 って報 告 を 持 って来 た の であ り ま
二問 同年 五 月下 旬 頃 ヴ ケリ ッチ は、 前 同 様 ニ ュー マ ンが ドー マン
答 之 に付 ても 私 は 何 も 聞 い て居 りま せん 。
こと を 聞 い て其 の頃 被 告 人 に 話 し た様 に述 べ て居 る が 如何 。
答 さ う 云 ふ こ と があ うた と思 ひ ます が 、 其 の内容 が如 何 様 な こ
か被 告 人 に話 し た こ と があ る か 。
か ら得 た情 報 と し て松 岡 外 相 の帰 朝 後 に於 け る 日 米交 渉 に関 し て何
七問 昭 和 十 六年 五月 中旬 頃 ヴ ケ リ ッチ は ニ ュー マ ンか ら其 の様 な
答 私 は遺 憾 な が ら そ れを 覚 え て居 り ま せ ん。 八問 ヴ ケ リ ッチは 被 告 人 等 の諜 報 団 の為 め にな る こと と思 って其 の様 な情 報 を 得 たも の であ ら う か。
と であ った か今 思 ひ出 せま せん 。
一二 問 松 岡 外相 の帰 朝 を 契 機 と し て日米 交 渉 に関 す る米 国 の態 度 が
答 それ は 答 へる のに非 常 に困 難 なお 訊 ね であ り ま す が ヴ ケ リ ッ チは 同 人 の周 囲 の話 は総 て の こと を私 に報 告 し て参 り ま し た。 私 が
て来 る も のが私 の諜 報 活 動 に有 益 で あ る か どう か に付 ては或 る程 度
ま し た 。 ヴ ケ リ ッチ は新 聞 記 者 を致 し て居 りま し た の で私 に報 告 し
岡 外 相 を 除 い て貰 ひ た い と云 ふ風 であ り ま した の で、 ヴ ケ リ ッチ は
外 相 に対 し ては交 渉 の相 手 とし ては 承認 しな いと 云 ふ態 度 を とり 松
ア メリ カ人 が 一般 に松 岡 外 相 の帰 朝 後 猜 疑 の目 を 以 て見 て居 り 松 岡
答 ア メリ カ の態 度 が 硬 化 し た と 云 ひ得 るか 如 何 か判 りま せ んが 、
表 面 硬 化 し た と 云 ふ様 な 話 が其 の際 ヴ ケ リ ッチ か らあ った か。
迄 の関 心 を持 って参 った の であ り ま し た。
其 の ことを 私 に話 し ま し た。
に利 用 す る か と云 ふ こと は ヴ ケ リ ッチ は白 紙 で持 って来 た の であ り
ヴ ケ リ ッチ の其 の様 に報告 し て来 た も のを 自 分 の諜報 活 動 に如 何 様
九 問 併 し ヴ ケ リ ッチは 被 告 人等 の諜 報 団 に於 て諜 報 活 動 をす る為
一三 問 米 国 が日 本 側 に対 し ど んな 要 求 を す る様 にな った と か 云 ふ 点
イ ラ号 事 件 に付 ては 日本 側 は之 を 平 和 裡 に解 決 す る だ らう と 云 ふ こ
て居 り ア メリ カ外 交 の勝 利 だ と申 し て居 る と 云 ふ こ と、 第 二 の ツ ツ
一 八問 ツ ツイ ラ号 爆 撃 事 件 の為 め 米国 大 使 グ ル ー の態 度 は極 め て強
覚 え て居 り ま せ ん。
と を ヴ ケ リ ッチ が私 に申 し て参 り ま し た が、 其 の他 の細 か い こと は
に付 ても ヴ ケリ ッチ か ら話 があ った か 。
去 ら しめ た いと ア メリ カ人 が云 って居 る と申 し て来 た の であ り ま し
硬 とな り 、 右事 件 に対 す る厳 重 な る抗 議 と共 に諸 般 の要求 を提 出 し
答 さ う 云 ふ こと は覚 え ま せ ん。 ヴ ケリ ッチ は只 松 岡 を し て職 を
一 四問 米 国 は 日 本 側 に対 し支 那 事 変 解 決 仲介 の条 件 と し て日 本 軍隊
た る に対 し日 本 側 の態 度 は極 め て譲 歩 的 で あ った と云 ふ こと を ヴ ケ
た。
の支 那 本 土 より の全 面 的 撤 兵 、涯 政 権 の否 認 、 将来 太平 洋 に於 て日
リ ッチが 申 し た の で はな か った か 。
答 そ れ に付 ても ヴ ケリ ッチ か ら何 か 話 が あ った と思 ひま す が、
に付 て の情 報 が あ った か 。
た情 報 とし て、 独 ソ戦 に対 す る日 本 の態 度 と米 国 の之 に対 す る措 置
一 九問 同 月 中旬 頃 ヴ ケ リ ッチは 前 同様 ニ ュー マンが ドー マ ンか ら得
答 それ も思 ひ出 せ ま せん 。
本 が現 在 以 上 の積 極 的 行 動 を と ら ざ る こ と等 を 要求 す る に至 った が、 右 は松 岡 外 相 を 失 脚 せし め ん と す る外 交 的 謀 略 であ る と ヴ ケ リ ッチ
答 そ れ は思 ひ出 せま せん 。
が云 はな か った か 。
一 五問 ヴ ケ リ ッチ は当 時 米 国 大 使 館筋 に於 け る 日米 交 渉 の開 始 の観
其 の内 容 は忘 れ ま した 。
二〇 問 浦 塩 、 南 方問 題 特 に仏 印 或 は シ ンガ ポ ー ル等 に関 す る話 はな
答 そ れ は覚 え て居 り ま せ ん。
測 に 付何 か話 し た か。
一 六 問 米 国 大 使 館 筋 では 右 交 渉 は近 く実 質 的 諒 解 に到 達 し 正 式 に開
か った か 。
二一 問 米 国 は ソ聯 が独 逸 に対 し徹 底 的 抵 抗 を継 続 す る限 り 深 き 関 心
答 ど う も思 ひ出 せ ま せ ん。 それ に付 て も色 々の話 は 聞 き ま した 。
始 せら る る に至 る べ し と観 測 し て居 る と 、前 同 様 ニ ュー マ ンが ド ー マ ンか ら聞 いた 情 報 と し て被 告 人 に話 した ので は な か った か 。
を有 し斯 か る場 合 日 本 が 北 進 す る こと は米 国 は之 を 黙 視 し得 ざ る も、
答 矢張 り之 も思 ひ出 せま せ ん 。 一 七問 同年 七月 中 旬 頃 ヴ ケリ ッチ か ら前 同様 ニュー マンが ド ー マ ン
日 本 の進 出 を 黙 認 す る に 至 る べく 、 又 南 方 に 付 て は 日本 が仏 印 に 進
若 し ソ聯 が独 逸 に対 す る抵 抗 を停 止 し た場 合 は 米 国 は浦 塩 に対 す る
駐 す るも 右 は或 る 程度 仏 国 側 の諒 解 の下 に行 は る る こ と であ ら う か
か ら得 た 情 報 と し て、 第 三次 近 衛 内 閣 の成 立 に伴 ふ豊 田外 相 就任 と
ツ ツ イ ラ号 爆 撃 事 件 に 関連 し 日米 交 渉 の成行 き に付 何 か話 が な か っ
之 と前 後 し て日 本 海軍 航 空部 隊 が重 慶 爆 撃 に際 し惹 起 し た米 国 砲 艦
を 喚起 し得 な い であ ら う し、 米 国 が対 日 強 硬 手 段 を とり 得 る 場 合 は
ら ルーズ ヴ ェル トは 之 を 直接 の動 機 と し て対 日開 戦 の為 め 米 国 輿 論 答 第 一の豊 田 外相 就 任 に付 ては ア メリ カ側 は非 常 に之 を歓 迎 し
た か。
日 本 の攻 撃 が直 接 シ ンガ ポ ー ル に向 け ら れ る時 だ と 言 明 し た と云 ふ
れ に付 ては 起 訴 状 に よ り始 め て私 は 知 った のであ り ます 。
保 全 の確 約 を破 殿 す る も ので は な い。 従 って若 し 日本 が仏 印 に対 し
二六 問 右 高 官 は 日 本 は泰 仏 印 停 戦 協 定 締 結 に際 し与 へた 仏 印 の領 土
答 そ れ に付 ても ヴ ケリ ッチ が 何 か私 に話 し て呉 れ た と思 ひ ます
こと を 、 ヴ ケ リ ッチが 被 告 人 に話 し た の で はな いか 。
イ政 府 と の外交 交 渉 に よ り問 題 を解 決 す る こと と な る べ し と言 明 し
何 等 か の要 求 を 有 す る も のとす れば 、 日 本 は加 藤 大 使 を通 じ ヴ ィ シ
た と ヴ ケ リ ッチ は云 はな か った か。
が 、 私 は ド ー マ ンの云 ふ こと に は価 値 を置 き ま せん の で只今 ヴ ケ リ
二二問 ど う し てド ー マ ンの 云 ふ こと に価 値 を置 かな い のか 。
ッチ が話 し た内 容 を覚 え て居 り ま せ ん 。
申 す 処 を 信 ず る 価 値 は な か った のであ りま す 。
等 に付 ては 英 米 両 国 の政 府 の間 で決 定 され て居 り 、今 更 ド ー マン の
る の では な く 単 に 宜伝 を行 って居 る こと 、第 三 に は仏 印 、 泰 、蘭 印
ン で欲 す る こと を知 って居 る筈 はな く 、 第 二 に ド ー マン は事 実 を 語
交 渉 及 独 ソ戦 に対 す る 日 本 の態度 と之 に対 す る米 国 の態 度 に関 し て
二七問 ヴ ケリ ッチ は其 の こと に 関 し て も亦 、 松 岡 外 相 帰朝 後 の 日米
仕 舞 った こと と思 は れま す 。
日 本 の右 高 官 の フ ラ ン スに対 す る拙 劣 な る機 智 と し て直ぐ に忘 れ て
仮 り に ヴ ケ リ ッチ が私 に其 の様 な報 告 を した と 致 し ま し ても 、 私 は
今 申 し た様 に私 は其 の こと を起 訴状 で始 め て知 った のであ り ます 。
答 其 の点 に付 ては ヴ ケリ ッチ か ら何 事 の情 報 も得 て居 り ま せん 。
二三問 同 月 中旬 頃 ア バ ス遇信 社 員 、 ロベ ー ル ・ギ ラ ンか ら 同 人 が駐
答 それ は先 づ第 一に ド ー マンは 大使 館 の 一員 であ って ワ シ ント
が被 告 人 に語 った こ とが あ る か 。
日 仏 国 大 使 、 ア ル セー ヌ ・ア ンリ ーか ら入 手 し た情 報 を ヴ ケ リ ッチ
と思 って それ を す っか り忘 れ て仕 舞 った こと と思 ひ ます 。
答 ヴ ケリ ッチ が私 に報 告 した と し ま し ても 私 は 余 り 重要 で な い
も 先 程 訊 ね た様 な 事実 を被 告 人 に 語 った と述 べ て居 る が 、 如何 。
った か も知 れま せ ん が思 ひ出 せ ま せん 。
二八問 それ で は本 日訊 ね たヴ ケリ ッチ の齎 ら した 話 は モ ス コウ中 央
答 そ れ はギ ラ ンが ヴ ケリ ッチ の上 役 であ り ま す か ら何 か話 があ
二四 問 ア ンリー 大 使 は 七 月 二 日 の御 前 会 議 によ り 決 定 せ ら れ た 日本
部 に報 告 した か 。
来 た話 に付 ても 同 様 であ り ます 。
同 日於 同庁 作 之
被
告
年
Ri c har d Sorg e
佳
人
駒
生
右 通 事 を介 し読 聞 け た る処 相 違 な き 旨 申 立 て署 名 揖 印 した り 。
通
事
答 報 告 致 し ま せ ん。 前 回 お訊 ね のヴ ケ リ ッチ が私 の所 に持 って
の重 要 国 策 に基 き 日本 が南 進 す る か と 云 ふ こ とを 心 配 し て居 る と 云 ふ話 は な か った か。 答 覚 え て居 り ま せ ん。 二 五問 其 の様 に ア ンリ ー は心 配 し て陛 下側 近 の某 高 官 に付 日 本 の仏
ッチ は 話 さ な か った か。
印 に 対 す る 態 度 を 確 か め た と申 し、 右 高官 の言 明 し た事 項 を ヴ ケ リ
答 私 は其 の様 な 出来 事 も其 の高 官 の言 明 の内 容 も 知 り ま せ ん 、
東 京 刑 事 地方 裁 判 所 裁 判所 書 記
告
倉
林 村
寅 光
政 治的 軍 事的 方 面 に関 心 を持 ち 之 を知 らう と し て居 り ま し た。 そ れ 二
どう 云 ふ方 針 で進 む か と 云 ふ こと に興 味 を 持 って居 た の であ り ま す 。
を 詳 し く 申 し ます と、 其 の軍 事情 報 と申 しま し ても 日本 が外 交 的 に
私 は 以 上 三 つの観 点 か ら 独逸 大使 館 か ら の情 報 を 重要 な るも のと し
三
て居 た の であ り ます 。 之 に付 ては 一九 三五 年 私 が モ ス コウ に参 り ま
申
人
し た時 、 中 央 部 か ら軍 事 に関 す る情 報 は独 逸 側 の資 料 に重 点 を置 け
予 審 判 事 第 三 十 二回 訊 問 調 書 被 リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ
東 京 刑 事 地 方裁 判 所 に於 て予 審 判 事 中 村光 三 は裁 判 所 書 記 倉 林寅 二
並 に軍 用 資 源 秘 密 保護 法 違 反 被 告 事 件 に付 、昭 和 十 七年 九 月 十 七 日
人的 のも の であ り 又疑 問 もあ ったか ら であ り ます 。
に関 係 し て居 な か った ので、 同 人 等 の齎 らす 軍 部 に関 す る情 報 は個
は余 り重 要 な 価 値 を 認 め ま せ ん で した 。 そ れ は両 名 共 直 接 陸 海 軍 部
さ う 云 ふ様 な 事 情 であ り ます か ら、 尾 崎 や 宮 城 の齎 らす 情 報 に 付 て
と 云 は れ て来 た 様 な 次第 であ り ま した 。
立 会 の上 、 通 事 生駒 佳 年 を介 し前 回 に 引続 き右 被 告 人 に対 し 訊問 す
二問 それ で は被 告 入 は自 ら 独 逸 大使 館 に於 て、 又 宮 城 や 尾崎 等 の
右 の者 に対 す る 治 安維 持 法 違 反 、 国 防 保安 法 違 反 、 軍 機 保 護 法違 反
一問 之 迄 述 べた 以外 に被 告 人 の諜 報 団 に於 ては、 日本 の軍 事 に関
る こ と左 の如 し 。
手 に於 て其 の他 の方 面 よ り軍 事 に関 す る情 報 を 蒐 集 し 之 を モ ス コウ
中 央 部 に 報 告 し た こ と は間 違 な いか。
す る情 報 に付 ても諜 報 活 動 を した か 。 答 致 し ま し た。 それ に付 ては私 は主 と し て独 逸 大 使館 か ら情 報
三問 被 告 人 が 昭 和十 二年 以 来 為 し た軍 事 に関 す る諜 報活 動 の詳 細
答 それ は間 違 あ り ま せ ん。
は。
を 得 ま し た の で、 そ れ以 外 の尾 崎 、宮 城 か ら の情 報 は 第 二義 的 のも の であ り ま し た。 何 故 私 が独 逸 大使 館 か ら其 の情 報 を 主 と し て集 め
答 それ は検 事 に対 し て申 上 げ た通 り であ りま す 。
た かと 云 ふ こと は 、次 の 三 つ の理由 に よ る の であ り ま し た 。第 一は、 独 逸 大 使 館 に於 け る資 料 は独 逸 側 か ら見 て公 式 のも ので あ り ま し た。
て居 る が 此 の事 実 は如 何 か。
四問 検 事 に対 し先 づ 被 告 人 は 斯様 に 一般 的 な こと を そ れ に付 述 べ
居 る頭 脳 明晰 で知 識 の豊 富 な ソ聯 に於 ても其 の名 を 知 ら れ て居 る武
第 二は 、 独 逸大 使 館 に於 け る 資 料 は 独逸 の参 謀 本 部 か ら派 遣 さ れ て
官 が 蒐集 し作 成 す る も の であ り ま す か ら其 の資 料 は 確 実 な も の であ
答 私 が其 処 に記 載 さ れ た様 な こ とを 申 上 げ た こ と は間 違 あ り ま
一問 答 を 通事 を介 し読 聞 け た り。
此 の時 被 疑者 リ ヒ ア ル ド ・ゾ ルゲ に対 す る 第 三 十 八 回訊 問 調 書 中
と は 同 じ 方 面 であ り ま した 。 即 ち両 国 共機 関 銃 、 飛 行機 、 タ ンク と
せん が 、全 般 的 に誇 張 が 行 は れ て居 り ま す 。例 へば宮 城 の集 め て来
り ま し た 。第 三 は、 独 逸 が興 味 を持 つ こと と ソ聯 の興 味 を持 つこ と
云 ふ様 な も の の設 計 図 等 の技 術 的 方 面 に付 ては 余 り興 味 を持 たず 、
は宮 城 の集 め て来 た情 報 全 部 の疑 は し いも の に付 て真 偽 を 確 か め た
使 館 内 の調 査 研 究会 に持 出 し て真 偽 を確 か め た とあ り ま す が 、 そ れ
た情 報 の内 で疑 問 に思 は れ るも の不 確実 と考 へら れた も のを 独逸 大
五問 日本 軍 の動員 計 画 と其 の実 施 に関 す る情 報 の内容 は。
であ り ま す 。
そ れ等 の点 を 申 上 げ ます れば 其 の他 は お読 聞 け の通 り に間 違 な い の
六問 日本 軍 の新 な る編 成 に関 す る情 報 の内 容 は 。
あります。
答 其 の詳 し い点 は只 今 忘 れ て居 り ます が検 事 に申 上 げ た通 り で
た。 次 に日 本軍 の全 般 の状 態 が明 瞭 に判 った と云 ふ点 も 誇張 さ れ て
の では な く単 に其 の内 二、 三 のも のに付 真 偽 を 験 した ので あ り ま し
居 り ま す 。 そ れ も全 般 の状 態 が判 った の で はな く 二、 三 の点 を知 る
七問 日本 軍 の新 な る 編成 に関 す る情 報 の内容 に付 ては 検 事 に斯 様
答 其 の点 も 検事 に申 上 げ てあ り ます 。
て十 五 箇 条 を挙 げ て居 りま す が それ は其 の様 な 問 題 を 設 定 し た の で
に述 べ て居 る が 如何 。
こ とが 出 来 た のみ であ りま す 。 次 に報 告 書 の内 容 の主 な る も の と し
あ り ま した が其 の全 部 が明 か にな った の で はな く 時 々そ れ に対 す る
答 第 八 、第 十 三、 第 十 五、第 十 七 の各 師 団 が 一旦 解 消 さ れ て又
此 の時 前 同 調書 中 三問 答 を 通 事 を 介 し読 聞 け たり 。
七 、第 十 八 の各 師 団 が 廃 止 さ れ支 那 事 変 後 に そ れ が復 活 さ れ た と 云
復 活 編 成 さ れ た と 云 ふ点 は宇 垣 陸 相 の時 代 に第 十 三、第 十 五、 第 十
の他 の諸 施設 の新 設 増 加 と云 ふ様 な こと があ り ま す が そ れ等 も大 し
回 答 が 得 ら れ た に過 き ま せん でし た 。次 に飛 行 基 地 の新 設 、要 塞 其
た 役割 を演 じ て居 るも の では あ り ま せ ん。 次 に独 逸 大使 館 に於 け る
ふ こ と の間違 であ ら う と思 ひま す 。 其 の他 はお 読 聞 け の通 り相 違 あ
資 料 は 如何 云 ふ も のか ら得 ら れ た か と云 ふ こ と が其 処 に は述 べてあ
答 同 人 等 が そ れ に付 て私 に話 し た こと は確 か であ り ま す。 宮 城
りま せん 。
自 身 の資 料 であ る か尾 崎 の資 料 であ る か 如何 か其 の点 は 判 然 区別 す
り ま せ ん の で其 の点 を 申 し ま す と そ れ は合 法 的 な 新 聞雑 誌 の記 事 、
る こ と は出来 ま せ ん で し た が主 と し て宮 城 か ら私 に対 し 口頭 又 は文
八問 此 の点 に 関 し て は宮 城 や 尾 崎 か ら も情 報 を得 た のか 。
で作 ら れ た も の の外 は あ り ま せ ん で し た。 報 告 は独 逸 大 使 館附 武 官
さ れ た も の であ りま し て、 日 本 の文 書 に よ るも の はな く 全 部 独逸 側
書 を 以 て時 々報 告 し て参 りま した 。 そ し て其 の報 告 の際 は時 々そ れ
旅 行者 の報 告 、 独 逸 領 事 の出 張 旅行 等 の報 告 、 他 国 の大使 館附 武 官
が 独逸 参 謀 本 部 の為 め 批 判 的 に作 り 上げ た も の であ り ま し て其 処 に
等 の各 師 団 の駐 屯地 等 の報 告 を も 致 し ま し た。
と 交換 す る報 告 、 日本 の将 校 か ら 口頭 で聞 き取 った こと 等 か ら構 成
価 値 が あ った の であ り ます 。
其 の様 な 点 に付 て は今 申 し ま し た様 に独 逸 大 使 館 か ら も情 報 を得 て
の方 に多 く の価 値 を認 め て居 た次 第 であ り まし た 。
居 り 宮 城 等 か ら も情 報 を得 ま し た ので私 と し ては 独 逸大 使 館 の情 報
シ ョル及 オ ット から 協 力 す る様 に 云 はれ て見 せ ら れ た も の で シ ョル の如 き は私 の眼 を 通 し た も ので なけ れば 独 逸 参 謀 本部 に送 らな い様
最 後 に之 等 の資 料 は 策 略 、陰 謀、 暴 力 等 を 用 い て得 た も の で はな く
な有 様 であ り ま し た 。
の配置に関する情報 、日本 の支那派遣軍に関す る情報 の内容 とし て
九問 日本軍の衛戌地、駐屯地等 に関する情報 及満州国 に於ける軍
一問 昭 和 十 四年 度 頃 尾 崎 秀 実 や 宮城 与 徳 か ら支 那 に 派遣 さ れ た 日
る こと 左 の如 し。
立 会 の上 、通 事 生 駒 佳 年 を 介 し前 回 に引 続 き 右 被告 人 に対 し訊 問 す
そ れ は尾 崎 が満 鉄 の仕事 の為 め旅 行 し た ので あ った と思 ひま す 。
答 其 の様 な こ とが あ った と思 ひま す 。
二問 其 の頃尾 崎 が中 支 方 面 に視 察 旅行 を し た こと が あ った か。
ま せ ん。
答 さ う 云 ふ こ とが あ った と思 ひ ます が今 其 の内容 を覚 え て居 り
本 軍 の各 師 団名 及其 の駐 屯 地 等 に関す る情 報 を齋 した か。
被告人は検事に斯様 に述 べて居 るが此 の点は如何。 此 の時前同調書中 四問答、七問答及八問答 を通事 を介 し読聞けた り。 答 それ等 は私 が独逸大使館に於 て得 た情報 であります が日本 の 内地及朝鮮 に於ける師団 の衛成地 は年鑑 にも出 て居ります ので別 に
三問 尾崎 が其 の旅 行 か ら帰 った 後宮 城 と相 談 の上 、 在支 日本 軍 各
情報 を得 た訳 ではありません。宜昌作戦 に三十台 の番号 の師団 が参 加 したと云 ふことは覚えませんが其 の他 は日本軍 の駐 屯地等 に関す
生 駒
佳
年
は大 きな 戦 争 と か 作戦 と か に付 ては時 々地 図 を持 って来 て説 明 致 し
答 宮 城 から は 地 図 や略 図 の様 な も のを度 々受 取 り ま し た。 同 人
告 人 に提 出 し た ので は な か った か 。
師 団 及 其 の駐 屯 地 を記 載 した 一覧 表 を作 成 の上 、 それ を宮 城 か ら被
事
人R i chard o S rg e
る情報、満州国 に於け る軍 の配置に関す る情報、日本 の支 那派遣軍 告
に関す る情報 の各内容等お読聞け の通 りであります 。 被 通
ま し た の で 、 お訊 ね のも のが 其 の何 れ の時 のも の であ った か私 には
林
寅
三
二
レビ ュー誌 所 載 の、 在 支 日 本軍 師団 名 及 其 の駐 屯 地 記 載 の地 図 を 入
四 問 尾 崎 は其 の旅 行 の際 、 ア メリ カ系 チ ャイ ナ ・ウ ィー ク リ ー ・
よく 判 り ま せん 。
倉
光
右通事を介し読 聞けたる処相違 なき旨申立 て署名拇印 したり。 東京刑事地方裁判所
同 日於同庁作之 裁 判所書記
村 人
告 せ しめ 、 帰 京後 之等 の資 料 及 現 地 視 察 の結 果 等 を綜 合 し て其 の 一
手 し、 それ に帰 途 水野 成 に命 じ、 京 都 第 十 六 師 団 の派 遣 先 を 調 査報
中 告
予審 判事 第 三十 三回訊問調書 被
覧 表 を 作 り 、宮 城 が そ れ を被 告 人 に提 出 し た ので は な か った か。
尾 崎 や宮 城 が其 の様 に 作 成 し て私 に提 出 した と申 し て居 れ ば其 の通
相 談 し て作 成 し た と か 云 ふ総 て の経 過 は私 に は判 り ま せ ん で した が 、
答 京 都 に於 て尾 崎 が水 野 に命 じ て調 査 さ せ た と か尾 崎 と宮 城 が
リ ヒアルド ・ゾ ルゲ 並 に軍用資源秘密保護法違 反被告事件 に付、昭和十七年九月十九 日
右 の者 に対する治安維持 法違反 、国防保安法違反、軍機保護法違反 東京刑事地方裁判所 に於 て予審判事中村光 三は裁判所書記倉林寅二
り であ る と 思 ひ ます 。 併 し、 お 訊 ね の様 に チ ャイ ナ・ウ ィー ク リ ー ・
会 大 会 に出 席 し た こ とが あ る か 。
六 問 昭 和 十 五年 十 月 頃 、 尾 崎 は満 州 国 新 京 に於 て開 催 さ れ た協 和
七 問 其 の際 も被 告 人 は尾 崎 に対 し 諜 報 活動 を頼 ん だ か。
思 って居 り ます 。
答 あ り ま し た。 それ も 私 は 同 人 が満 鉄 から 派 遣 さ れ た も のだ と
レ ビ ュー に掲 載 さ れ てあ った も のを 基 礎 に し て、 尾 崎 や 宮 城 が作 成
其 の内容 を覚 え て居 な い の であ り ま す 。支 那 に於 け る資 料 は 私 が集
し た も ので あ り ます 為 め、 私 は 全 然無 価 値 の も の と思 った の で、今 、
め る よ り寧 ろ支 那 に居 る ソ聯 の人 々 の手 に よ る方 が確 か であ り ま し
八問 そ れ では 其 の旅 行 か ら帰 った 後 、 何等 か の情 報 の報 告 が あ っ
あ る こ と はよ く 見 て来 る様 に と頼 み ま し た。
答 私 は 其 の時 に は限 らず 、 何 時 も 尾崎 が 旅行 す る時 には 興 味 の
寧 ろ私 が 叱 責 せら れ た で あ り ま せう 。 其 の尾 崎 や宮 城 の報 告 に は尾
て、 私 が 其 の様 な支 那 に於 て得 た材 料 に基 き モ ス コウ に報 告 す れ ば 、
崎 が其 の視 察 旅 行 で得 た 処 の も のも 綜 合 さ れ て居 る と し ま し ても 、
た か。
五問 尾 崎 は チ ャイ ナ ・ウ ィー クリ ー ・レビ ュー所 載 の、 在 支 日 本
答 如 何 も そ れ は疑 はし い ので あ り ます 。
九 問 其 の時 尾 崎 は 軍 に 関す る情 報 を 齎 し た か。
ま せ ん。
答 あ った と思 ひま す が、 如 何 云 ふ報 告 であ った か今 覚 え て居 り
尾 崎 や 宮 城 の軍 事 に 関 す る情 報 は極 く 僅 か であ り ま し た か ら 、私 と
軍 の師 団 及 其 の所 在 地 記 入 の地 図 を 基本 と し て、 之 に現 地 視 察 の結
し て は余 り 価 値 を 認 め な か った のであ りま す 。
果 等 を 綜 合 し、 帰 国 後 全 支 に派 遣 さ れ て居 る 日本 軍 の各 師 団 名 及其
一 〇問 其 の時 帰 京 後 尾 崎 は被 告 人 に対 し、 満 州 国 に駐 屯 す る部 隊 に
答 そ れ は覚 え ま せ ん。 師 団 長 の名前 や何 部 隊 は何 処 に駐 屯 す る
付 、 何 部 隊 が何 処 に居 る か と云 ふ様 な こ と を調 べ て来 て、被 告 人 に
か と云 ふ こと は 、新 聞 を よく 注 意 し て居 れ ば判 る こ と であ り ま し た。
の駐 屯地 を 一覧 表 に作 成 し、 之 が ゾ ルゲ に提 出 し て置 いた 、 尚 此 の
答 私 は尾 崎 の申 す こ とを 否 定 は致 し ま せ ん。 尾 崎 が 其 の様 に申
二問 尾 崎 は右 大 会 出 席 者 其 の他 か ら 聞 いた結 果 、 ハルピ ン附 近 の
報 告 し た ので は な か ったか 。
し て居 れ ば其 の通 り と思 ひま す が 、 先程 も申 し ま し た様 に 其 の表 が
て居 る が如 何 。
主 と し て チ ャイ ナ ・ウ ィー クリ ー ・レビ ュー を基 礎 にし て作 成 さ れ
し て居 る こと 、 石原 莞 爾 将 軍 が 第 十 六 師団 を率 い て北満 に派 遣 さ れ
孫 呉 に 横 山部 隊 、東 満 の北 安 に後 宮部 隊 、 臨 江 に土 肥 原 部 隊 が駐 屯
旅 行 の帰 途 京 都 で水 野 に会 ひ、 京都 師 団 の派 遣 先 を も聞 いた と 述 べ
た も のな ら ば、 私 は其 の価 値 を認 め な か った のであ りま す 。 併 し 、
て来 る こと等 を探 知 し得 た の で、 帰来 後 之 を被 告 人 に報 告 し た と述
尾 崎 と し ては私 が チ ャイ ナ ・ウ ィー クリ ー ・レビ ュー の記 載 の如 き も のに価 値 を認 め な い と 云 ふ こ とは 知 ら ず に 、其 の様 に報 告 し て来
べ て居 る が如 何 。
答 さ う 云 ふ報 告 は私 は覚 え て居 り ま せ ん。 併 し 、 尾 崎 が其 の様
た も ので 、 同 人 と し て は、 勿 論 私 の諜報 団 の為 め の諜 報 活 動 とし て 其 の様 な こと を 致 し た も の と思 って居 り ま す 。
答 そ れ は よく 覚 えま せん が 、駐 屯 し て居 る国 が 、 或 は 師 団 の番
一 五問 始 め のも のと後 の も の とは どん な 所 が異 って居 た のか 。
現 地 に行 け ば 現 地 の兵 士 に聞 い ても 地 方 新 聞 を見 て も直 ち に判 る こ
一 六問 師団 の番 号 が後 のも のに 於 て、 百 の数 字 を 被 ら せた も の が減
号 から 始 め のも のに書 い て な か った ので は な か った か と思 ひ ます 。
に申 し て居 る な ら そ れ は其 の通 りだ と 思 ひま す が 、其 の様 な 事 柄 は
と で、 情 報 と し て の価 値 を認 め ら れな い様 な も ので あ り ます 。 それ
った こと と 思 ひます 。尾 崎 と し て は矢 張 り 私 の諜 報 団 の為 め に、 其
故 私 とし ては 、其 の様 な無 価 値 のも のは 報 告 を受 け て も忘 れ て仕 舞
答 そ れ は よく 覚 えま せん 。
少 し て 一か ら続 く 番 号 の師 団数 が増 加 し て居 た の では な か った か。
一 七問 其 の第 一回 の表 を 尾 崎 が持 って来 た時 、 同 人 か ら 甲師 団 、 乙
の様 な 情報 を 得 てそ れ を私 に報 告 した 心 算 で居 る と思 ひ ます が、 其 の様 な 大会 に 出席 し た者 か ら得 た 情 報 等 の如 き は 、尾 崎 が特 別 に諜
のを持 って参 りま した 。 其 の内容 は 、師 団 長 の名 前 と 確 か ら し く思
一 九問 被 告 人 は 日 本 軍 の師 団 編 成 表 に 関 す る昭 和 十 六年 五月 当 時 の
に行 は れ て居 た こと だ と思 ひ ます 。
答 そ れ は思 ひ出 せま せ ん が 、 さう 云 ふ こと は そ れ よ り大 分 以 前
従来 の甲師 団 的 のも のに な った と 云 ふ報 告 は な か った か。
一 八 問 其 の区 別 が廃 され て、 全師 団 が新 式 装 備 を 加 へら れ、 何 れも
答 そ れ は思 ひ出 せま せん 。
師 団 に付 て の話 があ った か 。
三問 昭和 十 六年 五月 頃 、 尾 崎 や 宮 城 か ら我 陸 軍 の師 団 編 成 、 及駐
報 活 動 を し た も のと は 云 ひ得 な い と思 ひま す 。
屯 地 等 に関 す る 一覧 表 を 被 告 人 に提 出 し た こと が あ る か。 答 そ れ は持 って参 り ま し た 。
は れ る其 の師 団 の名 を 示 す 数 字 と 、 其 の所 在 の場 所 であ り ま し た が、
宮 城 の提 報 内 容 と し て、斯 様 に検 事 に述 べ て居 る で は な い か。
最 初 は 尾崎 が持 って参 り 、 次 に 宮 城 が そ れ に より よく 秩 序 づ け た も
其 の所 在 の場 所 は 細 か い駐 屯 の各 地 を記 載 し たも の では な く 、内 地 、
此 の時 被 疑 者 リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ に 対 す る第 四十 四回 訊 問 調 書 中
の表 の基 礎 にな った 資料 は満 鉄 か ら尾 崎 が 得 て来 た も の であ り ま す 。
答 それ に付 ては 三 つの 点を 申 上げ た いと 思 ひ ます 。 第 一は 、 其
一問 答 を 、 通 事 を 介 し読 聞 け た り。
満 州 、 支 那 等 と記 載 し 、支 那 に付 て は或 は北 支 、 中支 、南 支 と 云 ふ
は な か った か と思 ひま す が 、其 の内 四十 台 のも のか 五 十 台 の も の が
第 二 は、 私 は モ ス コウ に そ れ を送 る時 之 は 公 式 のも の で な い から 、
様 に記 載 し てあ った か と思 ひ ます 。 其 の師 団 数 は 、 六十 箇 師 団 位 で
で はな か った かと 思 ひ ます 。
欠 け て居 り ま し た 。 其 の 一覧 表 は何 れも 手 で書 いた 四 、 五枚 の も の
正 し い か如 何 か保 証 の限 り でな い、 独 逸 大使 館 に於 ても 之 を 確 認す
そ れ は モ ス コウ が満 足 し た か 如何 か私 には 判 ら な か った の であ りま
は、 モ ス コウ 中央 部 も満 足 した と 見 え た と 云 ふ こ とで あ り ます が、
る こと が 出来 な か った と、 云 ふ 注 意 書 を添 へて遣 り ま し た 。第 三 に
一 三問 第 一回 に持 参 し た も の は誰 が書 いた も ので あ った か。 答 尾 崎 が 書 いた も の だ と思 ひま した 。 そ れ は英 文 であ り ま し た 。 一 四問 二回 目 の表 は 誰 が書 いたも の であ った か 。 答 宮 城 であ った と思 ひま す 。 そ れ も英 文 であ り ま し た 。
す 。 其 の他 の点 は全 部 お読 聞 け の通 り 相違 あ り ま せん 。 二〇問 そ れ で は昭 和 十 四年 度 頃 、 及 昭和 十 五年 十 月 頃 、 尾 崎等 か ら
ま し た。 其 処 に書 い てあ る事 柄 は非 常 に 危 険 であ りま し て、 価 値 の な いも の であ り ま す 。
生
駒
Ri char d
佳
年
Sorge
飛行 機 と機 械 化 に 関 す る情 報 も総 て独 逸 大 使館 の資 料 であ り ま し て、
事
人
報 告 のあ った 日本 軍 の支 那 に在 る 師 団名 及 駐 屯 地 の 一覧 表 及満 州 国
告
私 が蒐 集 し たも の では あ り ま せん 。
答 そ れ は何 れも 報 告 致 し ま せ ん。
通
被
に 駐 屯 す る部 隊 の配 備 状 況 等 は 、 モ ス コウ中 央 部 に報 告 し た か 。
二一 問 日本 軍 の装 備 、 特殊 部 隊 、飛 行 機 及 機 械 化 に関 し 、 被告 人自
村
林
光
寅
三
二
右 通 事 を介 し読 聞 け た る 処相 違 な き旨 申 立 て署 名拇 印 した り 。
倉
る が、 此 の事 実 は 如 何 か。
東 京刑 事 地 方 裁 判 所
中
第 三十 四 回 訊問 調書
裁判 所 書 記
身 の独 逸 大 使 館 に於 け る諜 報活 動 に付 て は、 検 事 に 斯様 に 述 べて居
此 の時 被 疑 者 リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ に対 す る第 三 十 八 回訊 問 調 書 中 五問 答 、 六 問 答 、 一三問 答 及 一四問 答 を 通 事 を 介 し 、読 聞け たり 。 答 先 づ 日 本 軍 の装 備 と、特 殊 部 隊 の点 に 付 て申 し ます と、之 等 総 て の こと は前 回 申 上 げ た独 逸 大 使 館 に於 て研 究 し た論 文 で論 ぜら れ
強 され た とか 、 タ ンク が ど れ だけ 増 強 さ れ た と 云 ふ答 で は なく し て、
並 に軍 用 資 源 秘 密 保 護 法違 反 被 告 事 件 に付 、 昭 和 十 七年 九 月 二十 二
右 の者 に 対す る治 安 維 持 法 違 反 、 国防 保 安 法 違 反 、 軍機 保護 法 違 反
リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ
如 何 様 に 機 関 銃 は増 強 さ れ、 戦 車 隊 は 増 強 さ れ る か 、 と云 ふ問 題 を
日 東京 刑 事 地 方 裁 判 所 に於 て予審 判 事 中 村 光 三 は 、 裁 判所 書 記 倉 林
人
提 出 し てあ る の み であ り ま す 。 そ れ故 、 例 へば、戦 車 に付 て の答 を 申
寅 二 立会 の 上、 通 事 生 駒 佳年 を介 し、 前 回 に引 続 き 右被 告 人 に対 し
告
し ま す と、 独 逸 に於 て は戦 車 師 団 が あ る が、 日本 に於 ては 戦 車 連 隊
被
を作 る と 云 ふ こ とが 判 り 、 又 重 砲 に関 し て は全 然 不 明 であ り ま し た。
一問 昭 和 十 四 年 五 月頃 か ら同 年 秋 頃 迄 の間 、宮 城与 徳 は小 代 好 信
訊 問す る こ と左 の如 し 。
を介 し て軍 事 に関 す る情 報 を集 め、 それ を 齎 し た こと があ った か 。
な 意 味 に用 ひ る か と 云 ふ こ と であ り ま し た 。 そ し て そ れ は、 日 本 が
持 って居 た のは 、 日本 が飛 行 機 を本 来 の武 器 と し て使 ふ か第 二義 的
た か。
昭 和 十 三 年秋 頃 に於 け る同 部 隊 の改 編 の状 況 等 に関 す る も ので あ っ
二問 其 の情 報 は満 州 国 公 主 嶺 に 駐 屯 す る長 谷川 機 械 化 部 隊 の編 成、
答 多 分 あ った こと と思 ひ ます が詳 し い こと は覚 えま せん 。
独 立 し た 武 器 と し て で は なく 、 補 助 的 な 武 器 と し て使 ふ こ とが 判 り
子 供 でも 知 って居 る こと であ り ま し て、 飛 行 機 に 関 し 独逸 の関 心を
の は鉄 道 保 護 連 隊 で鉄 道 連隊 と は違 ひ ます 。 飛 行 連 隊 のあ る こと は
鉄 道 連 隊 が支 那 や 満 州 に あ る と 云 ふ の も間 違 で、 支 那 や 満 州 に あ る
た こ と で、 私 が 確 か め た こ と で はあ り ま せん 。機 関 銃 が ど れだ け 増
予 審 判 事
同 日於 同 庁 作 之
S
し て有 名 であ りま し た 。
六問 宮 城 から は 同 部 隊 に於 け る装 甲 車 及 戦車 、機 関 銃 等 に付 て報
答 そ れ も多 分 あ ったと 思 ひます 。 併 し、 其 の編 成 及 改 編 と 云 ふ こと が 、含 ま れ て居 た か如 何 か よ く覚 え て居 り ま せん が 、 一般 的 に
告 はあ った のか 。
答 報 告 は受 け ま し た が 、 そ れ は詳 し い こと で はな く 、 一般 的 の
同 部隊 に 関す る報 告 であ り ま し た。 三問 昭 和 十 四年 五月 頃 に於 け る満 州国 綏 芬 河、 琿 春 、 土 門 子 、東
漠然 と し た こ と であ り ま し た。
至 二十 屯位 であ る。 重 機 関 銃 の性 能 は優 秀 であ る が 、軽 機 は普 通 の
寧 、牡 丹 江、 佳 木 斯 等 東 部 国境 方 面 及 北 鮮 慶 源 方 面 に 駐 屯 す る我 陸
も ので効 果 が薄 い と 云 ふ様 に 、 宮 城 が報 告 し た の では な か った か。
七問 装 甲 車 は自 動 車 に装 甲 し た も の で、 六 輛 タ イ ヤ であ り 、 時 速
答 訓 練 実 施 状 況 に 付 ての報 告 は受 け ま した 。 併 し 、 そ れ が 今 お
軍 の部 隊 数 、 部 隊 の兵 員数 及之 等 諸 地 方 に於 け る 訓 練 実 施 状 況 に 関
訊 ね の地 方 に於 け るも の であ った か 如何 か は よく 覚 え ま せん 。 部 隊
答 装 甲 自 動 車 は 最 初 か ら装 甲 自 動 車 と し て、 特 別 な構 造 を有 す
六十 粁 位 であ る。 戦 車 は公 主 嶺 に於 ては 中 戦 車 が 主力 で、 十 八屯 乃
数 、 部 隊 の兵 員 数 に付 ては 正 確 な数 で は なく 、 極 く 概 略 の見積 り の
る も の で、 自 動 車 に 装 甲 し た も の と 云 ふ如 き も のは あ り ま せ ん。 日
す る情 報 をも 含 ん で居 たか 。
れ等 が今 お訊 ね の地 方 であ る か如 何 か は よく 覚 えま せん が 、 ソ聯 と
様 な数 を報 告 し 、 装 備 に付 て も極 く 一般 的 の報 告 であ り ま し た。 そ
る と申 し ても それ だ け で は漠 然 と し て居 り 、 意 味 を為 し ま せ ん。 要
の当 時 は中 戦 車 と は 申 し て居 り ま せ ん で し た。 重 機 関銃 が優 秀 であ
本 に於 ては 十 八屯 乃 至 二 十 屯 位 の戦 車 は 、 重 戦 車 と 云 って居 り、 其
り まし た。
す る に其 の様 な こと は 軍事 上 の情 報 と し て、 報 告 を受 け た とす れば
満 州 国 及 朝 鮮 の、 各 国 境附 近 に駐 屯 す る 日本 陸 軍 に関 す る も の であ
四 問 長 谷 川 機 械化 部 隊 の こと に付 ては 宮 城 か ら どん な 報告 が あ っ
当時 一笑 に附 し た であ ら う と 思 ふ様 なも の もあ る 次 第 で あ り ま し て、
八問 満 州 国 東 部 国 境 方 面 及 北鮮 慶 源 方 面 に駐 屯 す る我 陸軍 の訓練
私 は宮 城 か ら其 の様 な 報 告 を 受 け た か如 何 か覚 え て居 り ま せ ん。
実 施 の状 況 に付 て は どん な 報 告 で あ った か。
答 そ れは 甚 だ 正 確 でな いも の で 、例 へば、 タ ン ク の正 確 な 型 と
た のか 。
か大 き さ とか 、 速 度 、 装 備 等 を 正 確 に報 告 し て来 な か った ので 、私
答 細 か い こ とは 覚 え ま せ ん が 、 小代 が其 の地 方 に勤 務 し て体 験
は 宮 城 の申 し て来 た こ とを 只 今 記憶 し て居 り ま せ ん。 五 問 長 谷 川 部 隊 の隊 長 は 、 如 何 な る階 級 であ る と云 ふ こと で あ っ
し た処 を宮 城 が、 私 に 対 し話 し て呉 れ、 零 下 二十 度 の寒 さ に耐 寒 行
九問 其 の地 方 に駐 屯 す る 我 陸軍 の部 隊 数 、 部 隊 の兵 員数 、装 備 等
ます 。
軍 を し た と云 ふ様 な こと を 、手 に取 る様 に話 し た のを記 憶 し て居 り
居 り ま せ ん 、私 は長 谷 川部 隊 は連 隊 であ った か旅 団 であ った か 、 よ
答 私 は宮 城 から 或 は報 告 を受 け た か も知 れ ま せ んが 、 今 覚 え て
たか。
く 知 り ま せん。 兎 に角 公 主 嶺 は 満 州 に 於 け る 機械 化 部 隊 の演 習地 と
如何 云 ふ人 物 か会 って見 よ う と思 って、宮 城 に紹 介 し て貰 って会 っ
知 れ ま せん 。 そ れ は個 人的 に紹 介 を受 け て居 た方 が便 宜 だ と思 ひ、
って来 た後 であ り ま した 。
た ので あ り ます 、 共 の時期 は よく 覚 えま せ ん が、 小 代 が 満 州 か ら帰
答 そ れ は思 ひ出 せ ま せん 。
に関 す る 報告 の内 容 は。
一 〇問 其 の頃 、満 州 国 海 拉 爾 方 面 に駐 屯 す る我 陸 軍 部 隊 の編 成 状 況
答 左 様 です 、其 の点 に付 て は前 に ノ モ ン ハ ン事 件 に対 す る お 訊
に付 ては 、 宮 城 か ら前 に訊 ね た様 な報 告 が あ った のか。
答 私 は与 へま せん が 、宮 城 か ら は時 々遣 って居 た様 であ り ま す。
一 五問 被 告 人 は小 代 に対 し て金 を与 へた こと が あ る か。
一 六問 昭和 十 四年 夏 頃 宮 城 は 、橋 本 隆 司 から 樺 太 に於 け る我 陸 軍 部
ね の際 、 申 上 げ た通 り で あ り ます 。 二問 其 の頃 宮 城 か ら 、我 陸 軍 の対 ソ編 成 即 ち 甲 師団 、 対 支 編 成 即
隊 の駐 屯配 置 の状 況 を 聴 取 せし め て、 其 の情 報 を齎 ら し たか 。
こ と で、 共 の駐 屯 地 は日 ソ国 境地 方 の様 に聞 き ま し た が、 其 の名 前
答 そ れ は旭 川 師 団 か ら樺 太 に分 遣 隊 を 駐 屯 せ し め て居 る と 云 ふ
一 七問 其 の内 容 は。
答 左様 で あり ま す 。
ち 乙師 団 の区 別 に よ る 、新 編 成 計 画 の内 容 、其 の実 施 の状 況 特 に甲 師 団 附 属 機 械 化 部 隊 の装備 等 に付 、 報 告 が あ った か 。 答 宮 城 か ら其 の頃 漠然 と し た 一般 的 な 意 見 の報告 が あ り ま した 。
ま し た が、 装 備 の細 か い点 に付 て の話 は 覚 え ま せ ん。
そ れ に よ る と甲 師 団 、 乙 師 団 の編 成 の計 画 があ る と云 ふ こと であ り
は覚 えま せ ん 。其 の駐 屯 の正 確 な数 も判 りま せん で し た。 或 時 は 一
一 八問 昭 和 十 六年 六月 頃 、 宮 城 は 田 口右 源 太 を 介 し て、北 海 道 厚 岸
云 ひ 一定 致 し ま せ ん で し た。
箇 連 隊 と云 ひ、或 時 は そ れ より 少 いと 云 ひ、 或 時 は そ れ よ り多 いと
一 二 問 甲師 団 乙師 団 と云 ふ のは 如 何 。 答 甲 師 団 と云 ふ のは 四 箇 連 隊 の外 、重 砲 兵 、 騎 兵 其 の他 の特 科
り ま す 。 そ れ は 日本 の年 鑑 によ っても 明 か であ り ます 。 処 が 、其 の
の情 報 を 齎 し た か 。
方 面 其 の他 に 於 け る我 陸 海 軍 飛 行 場 設備 の状 況 を 調 査 せし め て、 其
隊 を 含 ん だ も ので、 乙師 団 と云 ふ のは 四箇 連 隊 から 成 った も のであ
編 成 は 其 の後 改 編 さ れま し たが 、 そ れ は 独逸 や ソ聯 と同 様 に従 来 の
の人 から の情 報 と し て飛 行 場 に付 て の話 を持 って参 り ま し た。 それ
答 何 時 であ った か時 期 は判 然 覚 え ま せ ん が、 時 々宮 城 は北 海 道
四 箇 連 隊 を 三箇 連 隊 に改 め、 更 に 甲 乙 の区 別 を撤 廃 した こと で あ り
一 三問 宮 城 が齎 し た以 上 の様 な 報 告 は 、皆 小代 を介 し て調 査 し たも
ました。
は旭 川 とか 、 其 の他 大 き な都 会 等 誰 で も飛 行 場 のあ り さ う だ と思 ふ
付 て は宮 城 か ら 聞 い て居 り ま せん 。
ん。 飛 行 場 に付 ては其 の設 備 が大 切 な のであ りま す が 、 私 は そ れ に
様 な所 に関 す る も のであ り まし た が 、 詳 し い こ と は覚 え て居 り ま せ
の であ った のか。 答 私 は さ う だ と思 ひま す 。 一 四問 被告 人 は小 代 に会 った こと が あ る か。 答 一度 東 京 の或 る料 理 店 で会 ひ ま し た。 或 は 二度 で あ った かも
一九 問 宮 城 は其 の点 に 関 し、 北 海 道地 方 の地 図 に航 空 基 地 、 重要 港 湾 等 を 記 入 し て、被 告 人 に説 明 し た の では な か った か。 答 宮 城 は、 時 々地 図 に 飛 行 基 地 を 記 入 し た り等 し て持 って来 ま し た の で、 左様 で あ った かも 知 れま せん 。 併 し 、港 湾 の方 は 覚 え で
る 。
四 稚 内 は樺 太 への最 短距 離 で、 此 処 か ら樺 太 国 境 方面 に兵 員 を
輸送 す る に十 四、 五時 間 を 要す 。
五 樺 太 の航 空 基 地 は 、 上敷 香 の兵 営 附 近 に在 り と 云 は る るも 、
居 り ま せん 。
最 近 完 成 の模 様 であ る、 港 湾 は 大 泊以 外 は冬 季 使 用 は 不 可能 と
的 確 な地 点 は判 明 し な い、内 路 恵 須 取 間 に陸 路 (自動 車 路 ) は、
さ れ て居 る。
二〇 問 宮 城 は其 の点 に 関 し、 斯 様 に陳 述 し て居 る が 如 何。
通 事 を介 し読 聞 け た り 。
此 の時 、 被疑 者 宮城 与 徳 に対 す る第 十 七 回 訊 問 調書 中、 四問 答 を
し た と 云 ふ こ とも 覚 え ま せん け れ ど、 宮 城 が其 の様 に 申 せば其 の通
付 ても同 様 で、 宮 城 が 説 明 を 記 し た も のを 地 図 に貼 って 、私 に寄 越
え て居 り ま す が 、 其 の内 容 は覚 え て居 り ま せん 。 重 要 港湾 や樺 太 に
こ とは 距 離 を見 れ ば直 ぐ 判 る こと で あ り ます から 、 別 段秘 密 の こ と
ても明 か であ り ま す。 第 二 に、 稚 内 か ら国 境 迄 何 時 間 とか 云 ふ様 な
又、 それ 等 の港 湾 は 一般 に知 ら れ て居 る こと で、 旅 行 案 内 等 に よ っ
あ らう と思 ひ ま す が、 私 は第 一に、其 の報 告 を覚 え て居 り ま せ ん。
の内 か ら 適 当 に 選 択す る だ らう と思 って、 私 に そ れ を齎 した も の で
答 宮 城 は私 が其 の様 な事 項 に関 し て関 心 を持 ち価 値 があ れ ば 其
と 云 ふ様 な こと を 調査 し て、被 告 人 に それ を 報告 し て来 た のか 。
り であ ら う と思 ひ ます 。 但 し、 宮 城 が 其 の様 に持 って来 た と致 し ま
で はあ り ま せん 、 第 三 に 、 そ れ には 小 樽 か ら沿 海 州 に兵 員 を 輸送 す
答 私 は宮 城 が 地 図 に 基 き 、飛 行 基 地 に 付 て説 明 を し た ことを 覚
し て も、 推 測 が 加 わ って居 り、 私 に と って其 の情報 は価 値 のな いも
る と云 ふ様 に、 想 像 や推 測 が多 い の であ り ます 。 第 四 には 、 起 重機
の で あ り ま し た、 要 す る に そ れ は、 諜 報 活 動 とし て私 が無 価 値 で あ った と申 す 次 第 であ り ます 。
が 三台 に増 し た と 云 ふ様 な こ とは 、寧 ろ私 に と って滑 稽 な こと であ
り 、 又第 五 に は、 室 蘭 等 が要 塞 地 帯 であ る こと も 公 に さ れ て居 る こ
二一 問 そ れ で は今 も読 聞 け た 通 り 、 宮 城 は 田 口右 源 太 を 介 し て、 一 北 海 道 函 館 、室 蘭 、 釧 路 、根 室 は海 軍 関 係 の重 要 な る 港 な り。
と であ りま し て、 要 す る に宮 城 が私 に対 し 其 の様 な報 告 を 致 した と
た も の であ り ま す か ら 、私 は そ れを 覚 え て居 な い の であ り ます 。 価
致 し ま し ても 、 私 に と って そ れ は諜 報 活 動 の価 値 を 認 め ら れな か っ
値 のあ るも のな ら ば、 必 ず 私 が よく 覚 え て居 る筈 であ り ま す 。 そ れ
此 処 に海 軍 の製鉄 所 あ り 、 砲 の製 造 が行 はれ るも の であ ら う。 三 小 樽 は 石炭 の集 散 地 で、 其 の埠 頭 に は 従 来起 重機 一台 の装 置
故 、右 の様 な 点 に 付 て は モ ス コウに も 報告 し てあ り ま せ ん。
二 室 蘭 は石 炭 の輸 出 港 に し て、 夕 張 炭 は此 処 に 集 散 せ ら れ 又、
の不 足 から 女 の従 業員 が多 く な って居 る点 が従 来 と違 って居 る、
二 二問 右 北 海道 樺 太 の港 湾 等 に 関 す る も の以外 の、 本 日訊 ねた 宮 城
が あ った が 、 日支 事 変 後 三台 に拡 大 さ れ て居 る 、 作業 に 労働 者
此 処 は沿 海 州 方 面 に兵 員 糧 秣 の輸 送 を す る 基 地 と し て重 要 であ
答 皆 報 告 致 しま せん 。 告
人
Ri chard Sorge
年
生 駒
佳
事
の齎 し た報 告 は、 モ ス コウ 中央 部 に報 告 し た か。
被
通
林
歳 か 、 そ れ は よく 知 り ま せ ん が、 年 長 者 は 三 十歳 迄 の も の であ る と
云 ふ こと で あ り ま した 、 独 逸 大使 館 で注 意 を払 った の は、 其 の動 員
一部 は満 州 に 派遣 さ れ、 満 州 には新 に派 遣 され た も のを 合 せ て約 三
され た 軍 隊 が何 処 へ派 遣 さ れ る か と 云 ふ点 であ り ま し た が 、 そ れ は
十 箇 師 団 が駐 屯 す る こ と とな り 、殆 ど以 前 のも の の倍 に な った訳 で
二
か と云 ふ こと な の であ りま した ので 、独 逸 大 使 館 では武 官 や其 の他
ばな ら な いと 云 ふ こ と であ り ま し た 。詰 り そ れは それ 迄 に 何 か起 る
あ り ま した 。 其 の動 員 は遅 く とも 八 月 中旬 か初 旬 には 完 了 し なけ れ
寅
満 州 の事 情 に通 じ て居 る者 を 合 せ て、特 別 会 議 を 開 き ま し た。 そ れ
右通 事 を介 し読 聞 け た る処 、相 違 なき 旨 申 立 て署 名拇 印 した り 。
東京刑事 地方裁判所
同 日 於 同庁 作 之
裁判所書記 倉 三
戦 は 空 軍 の活 動 は可 能 であ る が、 厳寒 に於 け る歩 兵 部 隊 の行動 は 不
には 私 も 出 席 致 し ま し た が、 其 の結論 と し て は満 州 に於 け る冬 季 作
光
可 能 であ る と 云 ふ こと であ りま した 。 そ れ に付 て は諸 種 の文献 を も
中 村
リ ヒ ア ル ド ・ゾ ルゲ
人
予 審判 事 第三十五回訊問 調書 告
した 。
参 照 し、 一九 〇 五年 日露 戦 争 に於 け る奉 天会 戦 の文 献 を も 参考 し ま
被
右の者 に対す る治安維持法違反、国防保安法違反 、軍機保護法違反
大 使 館 附 武 官 は そ れ に対 し、 態 々満 州 に視 察 に行 く 為 め 日 本 の参 謀
並に軍用資源秘密保護法違反被告事件 に付、昭和十七年 九月 二十三 日東京刑事地方裁判所 に於 て予審判事中村光三は、裁判所書記倉林
は之 を 楽 観 的 に観 察 し 、 日本 が独 逸 側 に 立 って ソ聯 と戦 争 を 始 め る
本 部 に許 可 を 願 出 で た 処 、 そ れ が不 許 可 に な った の で独 逸 大使 館 で
も の と思 ひ オ ット 大使 も ク レチ ュマー武 官 も其 の様 に確 信 し て居 り
寅二立会 の上、通事生駒佳年を介 し前回 に引続き、右被 告人に対 し 一問 日 本軍 の大 動 員 に関 す る被 告 人自 身 の諜 報 活 動 は 。
訊問する こと左の如 し。
ま し た。 処 が 八 月 下 旬 に至 り其 の視 察 の許 可 が 下 りま した 、 独 逸 大
使 館 で は其 の外 在満 の独逸 各 官 庁 に情 報 の報 告 を依 頼 し てあ り ま し
答 一九 四 一年 夏 の 日本 軍 の大 動 員 に付 て は、 独 逸 大 使 館 か ら若 干 の資 料 を得 ま し た。
た が、 其 の報 告 に よ る と満 州 に於 け る兵 員 の派 遣 、 及 其 の輸送 は緩
った の で、 それ を 聞 いて独 逸 大 使 館 では予 想 が外 れた こ とに驚 いて
慢 に行 は れ て居 る 。其 の原 因 は食 料 及 石炭 の問 題 だ と云 ふ こと で あ
二問 其 の情 報 の内 容 は。 答 其 の第 一は共 の大 動 員 の大 き さ であ りま す が、 そ れ は約 百 万
居 り ま した 。 又 、 独逸 大 使 館 では 支 那 か ら の報 告 によ って、 日本 の
が何 回 か に 分 け て施 行 され る と云 ふ こと を聞 き ま した 。 そ れ か ら年 齢 に付 ても 二 、 三 の こ とを 聞 き ま し た。 年 少 の方 は 二十 歳 か 二 十 一
軍 隊 が 相当 数 支 那 に送 ら れた と 云 ふ こ と を知 り、 此 の報 告 も 大 使館
二問 答 を 通 事 を介 し読 聞 け た り 。
八問 宮 城 は、尚 其 の後 の動 員 情 勢 及 そ れ と合 せ て、防 空 演 習 や 日本
答 其 の通 り で あ りま す 。
三問 日本 軍 の動 員 計 画 と 其 の実 施 に関 す る情 報 の内容 と し て、 被
軍 の行 動 、 日 米問 題 等 に関 し斯 様 な 報告 を し た と述 べ て居 る が如 何 。
を し て 不安 な ら し め ま し た 。
告 人 は検 事 に対 し斯 様 に述 べて居 る で はな いか 。
此 の時 、被 疑 者 宮 城 与 徳 に対 す る第 十 四 回訊 問 調 書 中 、 一問 答 を 通 事 を 介 し 読聞 け た り。
此 の時 被 疑 者 リ ヒ ア ル ド ・ゾ ルゲ に対 す る第 三 十 八 回 訊問 調 書 中 、 二問 答 を 通 事 を 介 し 読 聞 け たり 。
四問 宮城与徳 は、昭和十六年 七月下旬頃 から同年九月下旬頃迄 の
受 け た こと を よく 記 憶 し て居 り ます 。
付 て は、 関 心 を持 って居 り ま し た ので、 そ れ に付 て宮 城 か ら報 告 を
思 ひま す 。私 は其 の内 、 九 月 動員 のこ と と十 四 師 団 の帰 還 の こ とに
答 宮 城 が 其 の様 に 云 へば、 私 に 対 し其 の様 に報告 し た も の かと
間 に小代好信を介し て、同年 七月中旬以降九月 二十日頃迄 に亘る我
九 問 そ れ等 日本 軍 の動員 に 関す る情 報 は、 モ ス コウ中 央 部 に報 告
答 其 の通 り に相 違 あ り ま せ ん 。
陸軍 の動員実施 の状況、殊 に召集兵員 の年齢其 の他動員 の具体的実
関 東 軍 の配 備 、 並 に対 ソ戦 に対 す る企 図 変 更 の状 況 等 を調 査し て、
三問 宮 城 は 同年 九 月 頃 、 菊 池 八郎 を介 し て満 州 国 東部 国 境 駐 屯 の
答 それ も 思 ひ出 せ ま せん 。
し た の で はな か った か 。
ン、耐 寒 油 等 の補 給 状 況等 を小 代 を 介 し て調 査 し て、 其 の情報 を齎
二問 其 の作 戦 計 画 の内容 、 及 之 に伴 ふ 燃 料 、被 服 、 糧 秣 、 ガ ソリ
答 秘 は そ れは 思 ひ出 せ ま せ ん。
対 ソ作 戦 計 画 の内 容 等 に 付 ても情 報 を齎 し た か 。
一 〇 問 宮 城 は昭 和 十 六年 夏 頃 、満 州 国 東 部 国境 に於 け る、 日 本 軍 の
と は 、記 憶 し て居 り ま せ ん 。
に報 告 致 し ま し た。 併 し 、 其 の内 容 を如 何 様 に総 括 し た かと 云 ふ こ
答 私 は其 の内 の 一部 を自 分 の判 断 に よ って総 括 し て、 モ ス コウ
し た か。
施状況等 に関す る情報を集 めて、之 を被告人に齎 したか。 答 小 代 が現 地 に 派 遣 さ れ る迄 の間 、 さ う 云 ふ こと があ り ま し た 。 併 し、 小 代 が現 地 に 派 遣 さ れ た の は何 時 であ った か よく 覚 えま せん 。 五問 其 の報 告 の内容 は。 答 それ は 非 常 に 細 か い事 柄 が沢 山 あ り ま し た が、 そ れを 思 ひ出 せま せん 。 六問 当 時 宮 城 は 小代 を介 し て得 た情 報 と し て、 動 員 派 遣 さ れ た 第 十四 師 団 及 第 百 三 師 団 の、 各 一部 内 地 帰 還 の状 況 に付 ても 報 告 を 齎 し た か。 答 十 四 師 団 に 付 ては其 の通 り であ り ま す が 、 百 三師 団 と 云 ふ 師 団 の番 号 は 思 ひ出 せ ま せ ん。 併 し 、 宮 城 か ら動 員 さ れ たも の の 一部 が内 地 に帰 還 し た 、 と 云 ふ報 告 は 聞 い て覚 え て居 りま す 。
此 の時 、被 疑 者宮 城 与 徳 に対 す る 第 十 二 回訊 問 調 書 中 、 一問 答 及
七問 宮 城 は 其 の点 に関 し斯 様 に述 べ て居 る が如 何 。
答 そ れも 覚 え て居 り ま せ ん。
其 の情 報 を齎 し た か 。
一 三問 宮 城 は 右 二 点 に関 し、 斯 様 に述 べ て居 る が如 何 。 此 の時 、 被 疑 者 宮 城与 徳 に対 す る第 十 五回 訊 問 調書 中 、 二問 答 を 通 事 を介 し読 聞 け た り 。 答 そ れ は思 ひ出 せ ま せ ん が、 其 の様 な報 告 を 聞 いた と し ても 、
東京刑事地方裁判所
同日於 同庁作之
光
林 寅
三
二
村
リ ヒ ア ル ド ・ゾ ル ゲ
人
中
裁判所書 記 倉
告
予 審判事
第三十六回訊問 調書
被
右 の者 に対す る治安維持法違反 、国防保安法違 反、軍機保護法違反
そ れ は黒 河 を 東 部 国 境 と し て居 る こと 、東 部 国 境 に は従 来 三 、 四 箇 師 団 あ った のに 、 五 箇師 団 増 加 し ても 九 箇師 団 で、 兵 員 は 十 一万位
並に軍用資源秘密保護法違 反被告事件 に付、昭和十 七年九月 二十五
林寅 二立会 の上、通事生駒佳年 を介し前回に引続 き、右被告人に対
日、東京刑事地方裁判所に於 て予審判事中村光三は、裁判所書記倉
の は疑 問 であ り ます 、其 の様 に沢 山 の矛盾 を 含 ん で居 りま す 。
し訊問す ること左 の如し。
ハル に居 た の です か ら、 そ れ が十 九 師 団 の命 令 系 統 に属 す る と 云 ふ
一 四問 併 し 、 宮城 は其 の様 に被 告 人 に報 告 し た と述 べ る の であ る か
一問 昭和十六年十月頃 宮城与徳 は、東京市及其の附近 に於ける防
と思 ひま す のに 三 十 万 と 云 ふ の は疑 問 であ り 、第 二十 三師 団 は チ チ
ら 、 其 の内容 に矛 盾 があ ったと し ても 、 其 の様 な 報 告 を 被告 人 に し
人R
事
生
駒 佳
年
i chard Sorge
答 そ れ は 覚 え て居 り ま せん 。
二問 其 の高 射砲 陣 地 は、 何 箇 所 位 あ る と云 ふ報 告 であ った か。
る こ とは 申 す 迄 も あ り ま せ ん。
あ り まし た が 、併 し 、 そ れ は調 べ て歩 か なけ れ ば判 らな い事 柄 であ
尤 も それ 等 の場 所 は 一般 市 民 でも 目 撃 出来 る様 な公 園 内 の設 備等 で
他 の場 所 は 思 ひ出 せま せ ん。
位 置 に付 て覚 え て居 る の は明 治 神 宮 外 苑 と宮 城 外 苑 とだ け で、 其 の
宮 城 は其 の頃 地 図 に其 の位 置 を 記 入 し て参 り ま し た が、 私 は今 其 の
其 の中 に高 射 砲 陣 地 の こと 等も あ りま し た。
答 宮 城 は防 空 関 係 の諸 種 の事 柄 を 調 べ て私 に報 告 致 しま した 。
空高射砲陣地 の位置を視察 調査して、其 の情 報を齎 したか。
答 そ れ は 左様 で あ った かも 知 れ ま せ ん、 そ れは 、 或 は 文書 で は
た こ とは事 実 では な い か。
な く 口頭 で宮 城 が報 告 し た の で、 其 の様 に矛 盾 のあ る 事 柄 であ った 為 め 、 私 が忘 れ て仕 舞 ったも のか と思 ひ ます 。 一 五問 其 の点 に関 し て は モス コウ に報 告 し た か。 答 其 の様 な報 告 も 私 個 人 に と って参 考 にな る こと も あ り ま し た
告
が 、 モ ス コウ に は極 く 正 確 な こと だ け報 告 し た の で、 そ れ に付 て は 報 告 致 し ま せ ん。 被
通
右 通 事 を介 し読 聞 け た る処 、相 違 な き旨 申 立 て署 名拇 印 し た り。
四 問 宮 城 は其 の点 に関 し、 斯 様 に述 べて居 る が如 何 。
答 十 月 の始 頃 であ り まし た か、 日 は覚 え ま せん 。
し て来た のは何時 か。
三問 其 の様な高射砲陣地を地図に記入し て、被告人 に宮城が報告
モ ス コウ中 央 部 に報 告 し ま し た。
其 の内興 味 のあ る 二、 三 の事 項 に付 、 私 は 他 の事 柄 と関 連 し て之 を
れ 、 と同 人 か ら依 頼 さ れ た の で、 それ を 作 って遣 り ま し た。 そし て
種 の資 料 を与 へら れ、 そ れ を整 理 し て独 逸 に送 る報 告 書 を 作 って呉
中 、 記 録 第 七 七 五 丁表 二行 乃 至 七 七 八 丁裏 十 一行 の記 載 を 通事 を
此 の時 、 被疑 者 リ ヒア ルド ・ゾ ルゲ に 対す る第 三十 五回 訊 問 調書
七問 被 告 人 は 共 の点 に 関 し、 検 事 に斯 様 に 述 べ て居 る では な いか。
年 か ら 一九 三 八年 以 前 のも の で はな か った か と 思 ひ ます 。
此 の時、被疑者宮城与徳に対する第 十八回訊問調書中、五問答 を 併 し 、 そ れ は同 年 に於 け る 日本 の それ 等 の計数 で は なく 、 一九 三 七 通事を介 し読聞けたり。
私 は 山 王神 社 の附 近 等 を よ く歩 き ます の で、 其 処 に 在 る の が私 に見
介 し読 聞 け た り 。
答 其 処 にあ る計 数 は 、秘 密 のも の では な く 、私 個 人 の考 へを書
え た のであ りま し た。 五 問 其 の情 報 は、 モ ス コウ 中 央 部 に報 告 し た か。
本 に居 る 個 人商 店 や会 社 に勤 め て居 る 独逸 商 人 や技 師 等 が 、 独逸 大
い たも の であ り 、更 に私 が観 測 し た 材料 と な った諸 種 の資 料 は、 日
使 館 附 武 官 に提 供 し たも の であ り 、之 等 の資 料 は各 種 各様 のも の で
答 報 告 致 し ま し た 。
伝 書 使 に は ク ラ ウ ゼ ンの手 から 渡 し た のであ り ます が、 同 人 が何 時
そ れ は、 其 の地 図 其 のも のを伝 書 使 に託 し て送 った の であ り ます 。
あ り ます 。
は 一九 三 五年 のも の、 自 動 車 は 一九 三 七 、 八年 か 一九 三 八 、 九年 か
例 へば、 鉄 に付 ては 一九 三四 年 から 三 五年 に於 け る も の、 人造 石 油
何 処 で渡 し た か私 に は判 り ま せ ん 。
何 様 に使 用 され る か 私 は知 り ま せ ん が、 多 分 モ ス コウ の防 空 関 係 の
飛 行 機 等 、 及 其 の各 発動 機 の生 産 工場 名 、 及 生産 額 等 を記 載 した 文
車 、 戦 車 、 軍 用特 殊 自 動 車 、 牽 引 車 、 自 動自 転 車 、 自 動 三 輪 車 等 、
附 武 官 マ ッキー か ら 、同 年 度 の我 国 に 於 け る 乗用 自 動 車 、 貨 物 自 動
答 左様 であ り ます 。
此 の時 、 昭和 十 七年 押 第 五 三 号 の第 三 四号 を 示 す 。
た と 云 ふ 手 帳 は之 か。
八 問 今読 聞け た中 にあ る そ れ 等 の計 数 を、 被 告 人 が記 載 し て置 い
其 の他 の点 は お読 聞 け の通 り 相違 あ り ま せ ん。
のも のが 材 料 に な って居 る の であ り ま す 。
そ れ は モ ス コウ の赤 軍 第 四 本部 に送 った の であ り ま し て、 そ れ が如
役 所 等 で使 は れ る も の だ ら う と思 ひま し た 。
書 を 入 手 し 、 之 を モ ス コウ中 央 部 に報 告 した か 。
九 問 そ れ で は、 其 の手 帳 の其 の点 に関 す る 記 載 の内容 に付 ては 、
六 問 被 告 人 は 昭 和 十 五年 度 頃 駐 日独 逸 大 使 館 内 に於 て、 同 大 使 館
答 私 は マ ッキ ー が独 逸 へ帰 る 前頃 、 同人 か ら それ 等 に 関 す る諸
警 察 官 に斯 様 に 述 べて居 る が此 の通 り 間 違 な いか。
ど れ を報 告 し た の であ った か、 そ れは 今 覚 え ま せ ん。
せ し め て、 其 の情 報 を受 取 った か。
於 て 、同 調 査 員 宮 西 義 雄 か ら当 時 に於 け る我 国 の石 油 貯 蔵 量 を 聴取
一 〇問 被 告 人 は同 年 八 月 頃 、尾 崎 秀 実 を し て満 鉄 東 京 支 社 調 査 室 に
其 の他 は お読 聞 け の通 り 全 部相 違 あ り ま せん 。
中 、 記 録 第 四 八〇 丁裏 八行 、 乃 至 四 八 九 丁表 八行 の記 載 を 通 事 を
此 の時 、 被 疑者 リ ヒア ルド ・ゾ ルゲ に 対す る第 二十 四回 訊 問 調 書
介 し 読 聞 け た り。
一万 五千 であ り ます 。
答 日産 揮 発 油 貨 物 自動 車 の次 に、 K とあ る のは能 率 で其 の数 は
尾崎 は満 鉄 から 其 の材料 を得 た こ とは 判 って居 り ま し たが 、私 は満
答 尾 崎 から 其 の報告 を受 け ま した 。
鉄 の誰 か ら尾 崎 が 聴 いた か そ れは 知 り ま せん で し た。
次 の Pと あ る の は生 産 額 であ り ま す。 其 の以 下 の分 も概 ね始 に書 い てあ る の が能 率 、 後 に書 い てあ る の が
一一 問 共 の報 告 の内容 は。
つ続 いて書 い てあ る ので あ り ます 。
戦車 の① の内 一〇 噸 とあ る 下 に あ る の は 二 二 で はな く 、疑 問 符 が 二
は そ れ が落 ち て居 り ます 。
其 の次 の昨 年 度 と 云 ふ前 に は フ ォー ド と書 い てあ り ま す が 、其 処 に
ので す が 、其 の意 味 は不 明 であ り ます 。
一 四問 そ れ は モス コウ中 央 部 に報 告 した か。
た か と 思 ひ ます 。
答 尾崎 は 口頭 で報 告 し 、宮 城 が英 語 で書 い て来 た の では な か っ
一 三問 尾 崎 か ら は文 書 で報 告 が あ った か。
答 よ く 覚 え ま せ ん が左 様 であ った かも 知 れま せ ん 。
一二 問 海 軍 は 八 百 万屯 乃 至 千 百 万 屯 と 、 云 ふ の では な か った か。
万屯 と、 云 ふ こと で は な か った か と思 ひ ます 。
答 よ く 覚 え ま せ ん が、 民 間 二百 万屯 、陸 軍 二百 万 屯 、海 軍 八百
生 産 額 であ り ます 。
モー タ ー ベ ンジ ン三 輪車 と あ る第 四項 の内 の、 ⑤ 川崎 八〇 〇 ︱ 一〇
答 同人 等 の齋 し た 材料 を其 の儘 であ った か如 何 か よく 覚 え ま せ
貨物 自 動車 の ③ の内 に古 い とあ る のは、 絶 対 と云 ふ字 が 書 いて あ る
⑩ の準 備 と 云 ふ のは修 繕 の意 味 であ り ま す 。
ん が 、私 は何 れに し ても そ れ に付 て、 モ ス コウ中 央 部 に ラジ オ で報
〇 とあ る のは 八〇 〇 ︱ 一〇 〇 〇 の間 違 であ り ま す 。
五、 飛 行 機 三 〇〇 〇 ︱三 八〇 〇 〇 とあ る のは、 三〇 〇 〇 ︱三 八 〇〇
一 五 問 其 の情 報 を得 て モ ス コウ に報 告 し た の は何 時 か 。
Ri chard Sorg e
告 し ま し た。
生 駒
年
人
佳
事
の間 違 であ り ます 。
被
告
六 、 小 艇 モー タ ー及 既 設 モー タ ーと あ る 既設 と云 ふ の は、 据 附 の意
通
答 一九 四 一年 八 月 で あ り まし た 。
其 処 に は 、 モ ス コウ に報 告 した と のみ あ り ます が、 私 は 其 の内 、興
味 であ り ま す 。
味 あ る も のの み を選 択 し て報 告 し た の であ り ま し た 。 併 し、 其 の内
併 し 、私 の考 へが原 文書 の内 容 と 一致 し て居 る場 合 に、 写 真 に撮 っ
伝 書 使 に よ って送 りま し た 。
倉 村 光
林 寅 三
二
三 問 共 の写 真 使 用 の状 況 は。
せ ん で し た。
た と 云 ふ こと は、 私 の仕事 に と って余 り 大 き な役 割 を持 って居 り ま
右 通 事 を 介 し読 聞 け た る処 、 相違 な き旨 申 立 て署 名 拇 印 し た り。
東京刑事地方裁判所
同 日 於 同 庁作 之
裁判所書記 中
あ った も の を使 ったり 、 独逸 大 使 館 か ら買 って貰 った り しま した 。
が 不 可能 に な った の で、支 那 か ら取 寄 せた り 、 或 は そ れ迄 に貯 へて
答 材 料 は以 前 は何 処 でも 日本 で買 へま し た が、 後 にな ってそ れ
予 審 判事 第三十七回訊問調書
リ ヒ ア ル ド ・ゾ ル ゲ
人
写 真 機 は私 が持 って居 った も のを使 ひ、 撮 影 は 私 と ヴ ケ リ ッチが 致
告
右 の者に対 する治安維持法違反、国防 保安法違反、軍機保護法違反 、
四問 其 の点 に付 被 告 人 は、 司 法警 察 官 に対 し 斯様 に 述 べ て居 る が
しました。
被
並 に軍用資源秘密保護法違反被告事件に付、昭和十 七年九月 二十六
此 の時 、被 疑 者 リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ に対 す る 第十 九 回 訊 問 調書 中 、
如何。
日、東京刑事地方裁判所 に於 て予審判事中村光 三は、裁判所書記倉 し訊問す ること左 の如 し。
林寅 二立会 の上、通事 生駒佳年 を介し、前回に引続 き右被告人に対
一問答 を通 事 を 介 し 読 聞 け た り。
が之 迄 申 上 げ た こと と矛 盾 し な い限 り に於 て、 其 の通 り であ り ま す 。
答 宮 城 と尾 崎 及 満 鉄 の資 料 に付 て申 し て居 り ます が、 それ は私
一問 被 告 人 の諜 報団 に於 て モ ス コウ に情報 等 を報 告 す る 方 法 は 、 之 迄 申 し た処 に よ る と 、無 電 及 写 真 及 文 書 等 で あ った と云 ふ こと で
五問 ア ンナ ・ク ラ ウ ゼ ンが 上海 に フ ィル ムを 持 って行 った のは何
ります。
其 処 に は 一般 的 に漠 然 と述 べて あ り ます が 、 其 の他 は其 の通 り であ
あ った が、 其 の通 り か 。
大 き く分 け て云 ひま す と 、無 電 と写 真 及 文 書 の伝書 使 に よ る送 達 の
答 一九 三 八年 頃 と思 ひま す が よく 覚 えま せん 。
時 か。
二 つであ り まし た 。 二問 そ れ等 を 使 用 す る に付 て 、標 準 があ った か 。
って来 た こと を 一度 記 憶 し て居 り ます が、 或 は そ れ が 二度 であ った
私 は彼 女 に フ ィ ル ムを 持 た せ て遣 り、 彼 女 が私 の諜 報 団 の金 を受 取
答 別 に極 った 標準 は あ り ま せん でし た が 、大 体 急 を要 す る も の は無 電 で送 り、 急 を要 し な いも の と、 要 点 を抜 萃 し て送 る こ と の出
かも 知 れ ま せ ん。
来 な いも の、 例 へば 、書 籍 の様 なも のは 伝書 使 に よ って送 り 、 尚 私 の考 へと原 文 書 の内 容 と が 一致 し て居 る場 合 に は 、 写真 に撮 影 し て
報団 体 り活 動 資 金 、 合 計 約 二万 二干 弗 を受 取 っ(来 た ので は な か っ
で 、 二度 共 唐⋮ 報 資 料 を 巌 影 し た フ ィ ル ム数 十 本 を 渡 ノ 、被 告 人 の諜
六苛 そ れ ま、 班 和 十 二年 十 月頁 及瑠 租 十 三年 十 一、 二 月頁 り 二可
答
九笥 其 の暗 号 ぱ 如 阿様 に組 立 (る Dか ,
ら司 人 に其 の組 立 も解 涜 も 全 部 や らせ る様 に な 0 まし た コ
ンク ス ・ク ラ クゼ ソに其 り方 法 を 教 へて手 伝 ぱ せ噂 二九 二 三七﹄ 牛貢 か
併 し、 原 理 とレ (は置 文 を先 づ 数 字 に喚 へ、 そ れを 複 雑 化 す る為新 め、
ぜ ん り でよ く 覚 え (居 9 ま せん ⊃
それ ば 非常 に 面樹 であ り . 私 な大 分 前 か ら それ に 弱 際致 ン ま
たか,
の通 り聞 違 な いと思 ひま す 。
9 ます )
准 も 気 り尉 か な ハ様 な本 か ら数 字 を と って、 そ れ に加 算 ず る りであ
答 よく 思 ひ出 せま せ ん が 、 ア ンナ が其 の様 に 申 し て居 れ ば、 其
金額 岱少 し多 ハ様 ζ 思 ひ ま す 越、 或 ぱ支 那 弗 であ った の か と思 ひま
;司 之 か ら 、我 官 庁 ζ於 (膀 受 し た無 電 ζ付 (頃 次 訊 ね る か、 沼
ず, 七葡 無 電 連 絡 の技 術担 当 者 は、 冶 め ペ ル ソ ハルト で、 一九 三 六 年
和十 二年 十 月 十 二日 質 、被 告 人 か ら断 様 な報 告 を した か.
破 告 慕 件 の記瞭 第 一冊 中 のし 四 〇 五 丁 り認 載 を通 事を 介 し読 聞げ
此 り痔 . 被 告 人 マ ンク ス ・ク ラウ ゼ ソに対 す る治 安 雛 博法 違 反 等 、
以後 ぱ マ ンク ス ・ク ラツ ぜ ソで あ った の か.
た σ⊃
左様 であ 9 ま ず ⊃
八笥 其 り無 電 くぱ暗 号 を輿 用 し た か⊃
答
答
答 左様 です 。
ラ ム ゼ ー と 云 ふ の は 私 の こ と で 、 そ れ は ダ ル宛 に 送 ( .た も り で 、 ダ
其 の様 な報 告 を致 ノま し た .
私 は 一九 三 三年 日 本 に参 る時 、 モ ス コウ で赤 軍 第 四 本部 の暗 号 部 の
グ スタ フ と云 ふ りぱ ギ ニソタ : ・ン 匹タ イ ソを地 旧ノ た り であ り ます ,
ル と ぱ ダ ル ニオ ス ト ッ ク リ 略 猛旧で 極 山 果と 云 ふ意 朱 であ 9 ます ⊃
ナ ソ ソ Aは 英 国大 使 館 尉 り商 務 官 でb り まず 。
男 か ら 、 日本 に於 て使 用 す る 暗号 の使 用 法 を教 へられ て参 り ま し た。
計年 鑑 三九 三 三年 版 を 用 ひ て、暗 号 の 一群 は 五字 宛 の数 字 にす るも
=笥 署 和 十 三年 六 月 三 日、 斯 隊 な 報告 を ン た か,
之 は 、英 語 の電 文 の文 字 を 数 字 に換 へるも の で、 それ に は独 逸 国 統
の であ りま した が 、 一九 三 五年 モ ス コウ に参 った時 、赤 軍 第 四本 部
此 の時 、前 同記 録 中 四〇 六 丁 の記 載 を、 通 事 を 介 し読 聞け た り。
の暗 号 部 か ら、 其 の後 は右 年 鑑 の 一九 三 五 年版 を使 用 す る様 に申 さ れ て来 まし た 。
答
部 私 が致 し (唐 9 ま し た が、 其 の隆 私 の比 事 が非 常 に忙 しく な った
ま ず ので 、発 送 す るも の の暗 号 の組 立 も受 信 し た管 号 の解読 も 、全
三問 昭和 十 三年 八月 二十 三日 、 ダ ルか ら被 告 人 に宛 て (、 無 電 能
ン ヨル でタ ガ キ とあ る りぱ 板 垣 の こと であ つま す ⊃
ブ ィク スと 云 ふ り ぱ私 、 マルタ と 云 ふ の 意当 侍 の独挽︱ 大 使 館皿刑武 官 、
其 の通 σ報 告 ノま し た)
暗 号 ぱ諜 報 動 の長 でな ♂ れ ば窺 る こと 邸出︱ 来 な い こと に な っ(居 9
ので、 モス コウ中 央 部 り承認 を縁 (、 一九 三六年 三 、 四 月貢 か ら マ
金 を 受 取 って来 た の であ り ま し た 。
ア ン ナ ・ク ラ ウ ゼ ンは此 の時 上 海 に 行 き 、伝 書 使 に フ ィ ル ムを渡 し、
此 の時 、 前 同 記 録 中 、 四〇 七 丁 の記 載 を 通 事 を 介 し読 聞 け た り。
力 及 部 分 品 に 関 す る斯 様 な問 合 せ があ った か 。
一 六間 同年 九 月 二十 一日 、 無電 作 業 状 態 及 無 電 部 分 品 に関 し、 斯 様
読 聞 け た り。
此 の時 、前 同 記 録 中 、 四 一〇 丁 及 四 ニ ニ丁 の記 載 を 、通 事 を介 し
な 問合 せ が あ った か。
答 思 ひ出 せま せ ん が 、来 た こ と と思 ひま す 。
係 あ り ま せん で し た。
答 其 の通 り の問 合 せ があ り ま し た。
そ れは 技 術 的 の こと で す か ら、 ク ラ ウゼ ンが 致 し て居 って私 に は 関
一 三問 同年 九 月 五 日、 前 同 様 ダ ルか ら、 カ ナリ ズ の特 使 か ら リ シ ュ
電 気 版 電 流 と 云 ふ のは直 流 であ り ま す 。
一 七間 同 日漢 口作 戦 と、 日 本 外交 方 針 の変 化 に 関 す る情 報 を 入 手 す
之 も技 術 的 のも の で、 ク ラ ウ ゼ ン の担 当 す べき も ので あ り ま し た。
る様 、斯 様 な 指 令 が 参 った か 。
コフと の会 見 に 於 て、受 領 す る文 書 の写 を 獲得 せ よ と斯 様 な指 令 が
此 の時 、 前 同 記 録 中 、 四 一二丁 の記 載 を 、 通事 を介 し読 聞 け た り。
来たか。 此 の時 、前 同 記 録 中 、 四〇 九 丁 の記 載 を通 事 を介 し読 聞 け た り 。
いと思 ひま す 。
答 そ れは 思 ひ出 せ ま せ ん が、 来 た こと は 其 の通 り来 た に違 ひ な
天問 昭 和 十 四年 四月 十 三 日、 諜 報 網 に陸 軍 将 校 を獲 得 す べき旨 斯
を 訊 問 し 作 った文 書 を入 手 せ よ、 と云 ふ こと であ り ます の で、 私 は 其 の様 な指 令 を 受 け 、 其 の文書 の写 を シ ョル から 入 手 し て写真 に撮
答 そ れ は カ ナ リ ズ の特 使 が、 日本 陸 軍 の許 し を得 て リ シ ュ コフ
一 四間 ク ラウ ゼ ン の妻 の香 港 派 遣 に付 、 斯 様 な指 令 が同 日参 った か。
影 し て モ ス コウ に送 り ま し た 。
参 り ま し た。
答 其 の通 り の指令 を受 け ま した 。
此 の時 、 前 同 記 録 中 、 四 一七 丁 の記 載 を通 事 を介 し読 聞 け た り 。
令 が参 った か。
二〇問 昭 和 十 四年 九 月 三日 、 独逸 大 使 館 等 の利 用等 に関 し斯 様 な 指
答 そ れ は覚 えま せ ん。
死問 尚 、同 日或 は同 年 九 月 一日頃 、同 様 な 指 令 が参 った か。
答
を 介 し読 聞 け た り。
此 の時 、前 同記 録 中 、 四 九 〇 丁 裏 二 行乃 至 十 一行 の記 載 を、 通 事
様 な 指 令 が参 った か。
此 の時 、 前 同記 録 中 、 四〇 八丁 の記 載 を 通 事 を介 し読 聞 け たり 。 答 左 様 です 。 其 の様 な指 令 が参 り ま し たが 、 如 何 な る 理 由 であ った か覚 え ま せ ん が 、 同 人 は 香港 に 行 か な い こと に な った の で、 其 の旨報 告 しま し た。 荒間 ク ラウ ゼ ン の妻 の香 港 派 遣 取 消 、 及 上 海 派 遣 に付 て、 斯 様 な
此 の時 、前 同 記 録 中 、 四 = 二丁 及 四 一四 丁 の記 載 を 通 事 を 介 し読
問 合 せ が参 った か 。
参 り ま し た。
聞けたり。 答
同 日 阿部 内 閣 の性 格 等 に 関 し 、斯 様 な報 告 を 被 告 人 か ら致 し
多 分 それ は 、第 四本 部 の首 領 が 知 った時 に 、参 ったも のと 思 ひ まナ 。 三問 たか。 此 の時 、 前 同 記 録 中 、 四 一五 丁 及 四 一六 丁 の記 載 を 、 通事 を介 し
始 め の分 は 其 の通 り で あ り ます が、 次 の分 は電 文 が よ く判 ら
読 聞 け たり 。 答
同 年 十 一月 二 十 五 日 、連 絡 に関 し斯 様 な 指 令 が参 った か。
な い様 です け れ ど 、 出 し た こ と は其 の通 り に 聞違 あ り ま せ ん。 三一 問
参 り ま し た。 之 は映 画 館 内 で マック ス ・ク ラ ウ ゼ ンと 、 伝 書
此 の時 、前 同 記録 中 、 五 五 五丁 の記 載 を 、通 事 を介 し読 聞 け た り 。 答
被
告 事
人
生
駒
佳
年
幻帥 oげ費 鳥 o ooN σ q①
使 と連 絡 す る場 合 の打 合 に 関 す る も のであ りま す 。
通
裁判所書記
人
中
倉
村
林
光
寅
三
二
右 通 事 を 介 し読 聞 け た る処 、 相 違 な き 旨 申 立 て署 名撫 印 し たり 。 同 日於 同庁 作 之 東京刑事地方裁判所
告
予 審 判 事 第 三十 八回 訊 問 調 書 被
リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ
林寅 二 立会 の上 、 通 事 生駒 佳 年 を介 し 、 前 回 に引 続 き右 被 告 人 に対
三問
昭 和 十 五年 二月 十 九 日 に、 ダ ルか ら 斯様 な指 令 が来 た か。
し訊 問 す る こと左 の如 し 。
此 の時 、 被 告 人 マック ス ・ク ラ ウゼ ン に対 す る 治安 維 持 法 違 反 等 、
特 に 之 に付 て活 動 し た と云 ふ訳 で は あ り ま せん が 、 そ れ迄 や
そ れ に対 し てど ん な活 動 を した か 。
左様 です 。 其 の様 な指 令 を受 取 り ま し た 。
被 告 事 件 記 録 第 一冊 中 、 四 二 二 丁 の記 載 を 通事 を介 し読 聞 け たり 。 答
答
二間
って居 た 活動 を続 け て居 た の であ り ま し た。
同 日 斯 様 な指 令 をも ダ ル かち 受取 った か。
其 の問 題 に 関 す る自 分 の意 見 を 、 モ ス コウ中 央 部 に送 り ま し
それ に対 し ては ど ん な活 動 を した か 。
其 の様 な 指 令 を受 取 り ま し た。
此 の時 、 前 同 記 録 中 、 四 二 三 丁 の記 載 を 通 事 を 介 し読 聞け た り。
三間
答
答
四問
其 の点 に関 し 、被 告 人 は司 法 警 察 官 に対 し 、斯 様 に述 べ て居
たが 、 其 の内 容 は今 覚 え て居 りま せん 。 五問
此 の時 、被 疑 者 リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ に対 す る 第 二十 三 回訊 問 調 書
る で は な い か。
同 日被 告 人 か ら ダ ル に宛 て斯 様 な報 告 を し た か。
よく 覚 え ま せ ん が、 其 の様 な こと であ った と思 ひま す 。
中 、 一四問 答 を 通 事 を 介 し読 聞け たり 。 答
被告 事 件 記 録 第 一冊 中 、 四 一九 丁 の記 載 を 、 通 事 を介 し読 聞 け た
此 の時 、被 告 人 マ ック ス ・クラ ウ ゼ ンに対 す る 治 安維 持 法 違 反 等 、
六間
並 に軍 用 資 源 秘 密 保 護 法違 反 被 告 事 件 に付 、 昭 和 十 七年 九月 二十 八
りo
右 の者 に対 す る治 安 維 持 法違 反 、 国防 保安 法 違 反 、 軍 機 保 護 法違 反 、
日、 東 京 刑 事 地 方 裁判 所 に於 て予 審 判 事 中 村 光 三 は 、裁 判 所 書 記 倉
其 の通 り赤 軍 第 四本 部 に報告 し ま し た 。其 の中 にあ る ミキ と 九問
答
告 人 か ら斯 様 な報 告 を し た か 。
一部 と第 二部 とあ った の に対 し 、 そ れ は興 味 がな いと 云 ふ様 に申 し
此 の時 、 前 同 記 録 中 、 四 二 一丁 の記 載 を 、 通事 を介 し読 聞 け た り 。
同 日 、独 逸 軍 艦 に対 す る 石油 等 の補 給 に関 す る問 題 に付 、 被
云 ふ のは 小 代 、 ジ ョー とあ る の は宮 城 を 指 す ので あ り ます 。 之 は 前
な も の であ った か只 今 よく 覚 え ま せ ん 。
に 申 上 げ た軍 事 に関 す る書 物 を 送 った 処 、 モ ス コウ から 其 の本 の第
答
大 使 館 附 海 軍 武 官 と あ り ます が、 原 文 は ボ ット ルメ ンと書 いた ので
ルとあ る のは 独 逸 海 軍 、 グ リ ー ンとあ る のは 日本 、其 の訳 文 に 独 逸
其 の様 な 報 告 を し た こと を覚 え て居 り ます 。 ホ ワ イ トボ ット
て来 た の で、 そ れ に対 し て私 か ら申 送 ったも の であ り ま し た 。 モ ス コウ か らは 興 味 が な いと 共 に 、合 法 的 に購 入 出 来 る と 申 し て来 た の
あ りま し た 。 其 の報 告 に付 て は前 に お 訊 ね を受 け た際 、 申 上 げ た通
被 告 人 は 此 の点 に関 し、 司 法 警 察 官 に 斯 様 に 述 べ て居 る では
では な か った か と 思 ひ ます 。 七間
最 初 に訊 ね た、 同 目、 ダ ルか ら被 告 人 に対 し て参 った 、兵 器
述 べた灰 色 の手 帳 に書 い てあ る様 な、 内 容 の報 告 を し た の であ った
生 産 能 力 に 関す る図 表 の入 手 に 関 す る指 令 に対 し て、 被告 人 は前 回
一 〇問
り であ り ま す。
此 の時 、被 疑 者 リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ に対 す る 、第 二十 四回 訊 問 調
な いか。
書 中 、 二 間 の答 の部 分 を通 事 を 介 し 読 聞 け た り。 合 法 的 に購 入 し 得 な いも のだ か ら 、在 日 ソ聯 合 法 機 関 に 購 入
か。
答
方 を命 じ た ら よ か らう と供 述 し た 点 は 、 矛盾 があ り ま す ので 何 か の
左 様 では あ り ま せ ん。 先 程 も 申 し ま し た様 に、 其 の指 令 に対
し て は格 別 な 活動 は せず 、従 来 通 り の活 動 を し て居 りま し た ので 、
答
分 に関 す る 電 文 は 、第 二部 は購 入 が合 法 的 に 出 来 な いと 云 ふ附 近 に、
灰 色 の手 帳 に書 い てあ り ます のは 、 そ れ よ りず っと後 にな って偶 然
聞 違 と思 ひま す 。 其 の他 は お読 聞 け の通 り 相違 あ り ま せ ん。 其 の部
何 か落 ち た 所 が あ る か 、間 違 があ った かし て居 る も のと思 は れ、 其
マ ッキか ら そ れ を聞 知 す る こと が 出来 た の であ りま し た 。
私 は其 の様 に 述 べた こ と は覚 え て居 り ま せ ん。
併 し、 此 の様 に述 べて居 る では な いか 。
書 中 、 三問 答 の内 、最 初 より 四 八0 丁裏 七行 迄 の記 載 を 、通 事 を
此 の時 、 被 疑者 リ ヒア ルド ・ゾ ルゲ に対 す る 、第 二十 四 回 訊 問調
三問
答
では な いか。
併 し、 被 告 人 は 司 法 警察 官 に対 し、 其 の指令 に よ り右 灰 色 の
=問
尚 、 同 日陸 軍 の在 支 駐 屯 状 況 、 及 満 ソ国境 の兵 力 状 況 に関 し 、
八間
の意 味 が よ く 判 り ま せ ん 。
斯 様 な 報告 を し た か。
手 帳 に あ る様 な内 容 を 調 査 し て、 モ ス コウ に報 告 し た と述 べ て居 る
此 の時 、被 告 人 マ ック ス ・ク ラウ ゼ ンに対 す る治 安 維 持 法違 反 等 、
其 の通 り報 告 し ま し た。
被 告 事件 記 録 第 三冊 中 、 四 二〇 丁 の記 載 を、 通 事 を 介 し読 聞 け た りo 答
併 し、 其 の電 文 に は 誤脱 が あ る様 であ り ま す が 、其 の原 文 は 如 何 様
其 処 には 、 其 の命 令 と灰 色 の手 帳 に 記 載 し たも の とが直 接 関
介 し読 聞 け た り 。 答 係 があ る様 に供 述 し てあ り ま す が、 それ は 間 違 で 只今 も 申 した 通 り 、
天間
被 告 人 は 司 法 警 察官 に 対 し 、 三 月 三 日 の命 令 に対 し て も 、 三
月 七 日 の命 令 に対 し ても 、 独 逸 大 使 館 陸 軍 武官 室 及、 宮 城 から得 た
情 報 を 、 モ ス コウ に報 告 し た と述 べ て居 る では な いか。
私 は警 察 官 に対 し ても 、 決 定 的 に 報 告 し た と答 へた訳 では な
く 、 多 分 それ に 関 し ても 独 逸 大 使 館 附 陸 軍 武官 室 及、 宮 城 に資 料 が
答
の手帳 に 記載 し たも の が、 其 の命 令 に直 接 関 係 のあ る も ので はあ り
私 は其 の命 令 に対 し ては 単 に 三般 的 な活 動 を し た だ け で、 其 の灰 色
被 告 人 は同 年 三 月 七 日 、 ダ ルに宛 て て此 の様 な 報 告 を し た か。
其 の様 な報 告 を致 し ま し た 。独 逸 の ヨー ロ ッパ に於 け る戦 争
の は リ ッベ ント ロ ップ を 指 した も ので あ り ます 。
の時 は 独 逸 か ら帰 任 し た べ ネカ ー を 指 し た も の で、 リ カ ルド と 云 ふ
計 画 に関 す る報 告 で、 パ ウ ラと は 独逸 大 使 館 附 海 軍武 官 で、 特 に其
答
此 の時 、 前 同 記 録 中 、 五 五 七 丁 の記 載 を 、通 事 を介 し読 聞 け た り 。
一 九 問
へた の であ り ま し た 。 私 は今 でも 其 の様 に思 って居 り ま す。
あ る か如 何 かを 訊 ね 、 そ れ が あ った ら報 告 し た の であ った ら う と答
次 にデ ィ レク タ ー か ら同年 三 月 三 日 、斯 様 な祝 電 が 来 た か。
ません。 ;問 此 の時 、被 疑 者 マ ック ス ・ク ラウ ゼ ンに対 す る治 安 維持 法違 反 等 、
それ は 二月 末 日 の赤 軍 記 念 日 に関 す る祝 電 で、 そ れが 後 れ て
被 告 事 件 記 録 第 一冊中 、 四 二 四丁 の記 載 を通 事 を介 し読 聞 け た り。 答
同 日 、 デ ィ レ クタ ︱ よ り斯 様 な第 百 六師 団 等 の、 駐 屯 地 探 知
其 の様 に 参 った ので あ り ま し た。 茜問 ・ 万等 の命 令 が参 った か。
此 の時 、前 同記 録 申 、 五 五九 丁 の記載 を 、通 事 を介 し 読 聞 け た り。
同年 三 月 二十 五 日、 ダ ルか ら 斯様 な指 令 を受 け た か。
答
二 〇問
よく 覚 えま せん が 、多 分受 取 った こ とと 思 ひます 。
其 の点 に 関 し ては、 尚 同 月 七 日 、斯 様 な指 令 も 参 った か 。
そ れ は覚 え て居 り ま せん 。
を合 せ てす る様 に、 と の指 令 が参 った こ とは あ り ます が、 斯 う 云 ふ
其 の内 容 は よ く思 ひ出 せま せん 。 政 治 上 の活動 と 、軍 事 上 の活 動 と
それ も 其 の通 り に 受 取 った こ とは 確 か であ る と思 ひま す が 、
そ れ に対 す る 報 告 は 。
此 の時 、 前 同 記 録 中 、 四 二 五 丁 の記 載 を 、通 事 を介 し読 聞 け た り 。 答 玉問 答 一 六間
同年 五 月 四 日、 デ ィレ クタ ー か ら 、貴 殿 及 貴 殿 の 一団 に対 し、
形 の命 令 のも のであ った こ とは 思 ひ出 せ ま せ ん 。 三問
三問
答
同 年 七 月 十 四 日、 日 本 陸軍 は 、新 に全 国 に 亘り 予 備 兵 の総動
其 の通 り参 り ま し た。
メー デ ︱国 際 記 念 日を 祝 ふ貴 殿 の健 勝 と、 仕 事 の成 功 を 祈 る と 云 ふ
其 の電 報 も よ く 覚 え て居 りま せん が 、多 分 あ った こと と 思 ひ
祝 電 が来 た か 。
そ れも よく 覚 えま せ ん が 、私 の考 へでは 報 告 し な か った ので
そ れ に対 す る報 告 は 。
此 の時 、前 同 記録 中 、 五 五 八丁 の記 載 を 、通 事 を介 し 読 聞 け た り。 答 ます。 ;問 答
は な いか と思 ひ ます 。
員 を 行 ひ つ つあ る由 なり 云 々の 目的 を確 知 し 、 結 果 を通 報 せ ら れた し 、 と の指 令 がダ ル から 来 た か。
其 の通 り だ らう と答 へた のであ り ま し て、 お 訊 ね の様 な供 述 を私 が
小 さ い動 員 で あり ま した の で、 大 動 員 のな いと 云 ふ こ とを 報 告 し ま
四号 電 に より 、 フリ ツ は コ ン マサ ント と の連 絡 不 可 能 な る こと を想
二七 問 同 年 十 一月 二十 九 日 、 ダ ルから 被 告 人 に宛 て、 当 方 の第 三 十
を 、司 法 警 察 官 に 述 べて居 る こ と と思 ひま す 。
致 し た の で はあ り ま せ ん 。多 分 、 ク ラ ウ ゼ ンが さ う 云 ふ内 容 の こと
し た。
起 せ り、 と の電 報 が 来 た か 。
答 そ れも 受 取 り ま し た 。 其 の当 時 は 大動 員 で は なく 、 部 分 的 の
二三 問 同 年 五月 二日 頃 、 斯 様 な 指 令 が ダ ルか ら参 った か。
二四 問 其 の点 に 関 し 、被 告 人 は司 法 警 察 官 に対 し、 斯 様 に 述 べ て居
答 其 の電 報 は 全 く思 ひ出 せ ま せ ん 。
ク ラ ウゼ ンが間 違 って ク ラ ウゼ ン の名 前 で送 った の で、 コ ン マサ ン
私 は コン マサ ント と会 って話 を 聞 いた報 告 を、 モス コウに 送 る際 、
云 ふ のは 、 支 那 に 居 る独 逸 人 の経 済 関 係 の人 を指 す の であ り ま す が、
此 の時 、 前 同 記 録 中 、 五 六〇 丁 の記 載 を、 通 事 を 介 し 読 聞 け たり 。 答 フリ ツと 云 ふ の は、 マ ック ス ・ク ラウ ゼ ン、 コ ン マサ ント と
る で は な い か。
トと 連 絡 す る の は不 可 能 であ る と 、其 の様 に申 し て来 た の であ りま
二 五 問 同年 七 月 十 三 日 、デ ィレ ク ター か ら 被告 人 に宛 て、 八 月 一日
答 私 は さ う 云 ふ供 述 を した 覚 え は あ り ま せ ん。
独 ソ戦 に関 連 し 日 本政 府 が我 国 に対 し 、 如 何 な る決 意 を せし や通 報
二八 問 昭 和 十 六年 六 月 二十 七 日、 オ ルガ ナイ ザ ー か ら被 告 人 に 対 し、
であ り ます 。
し た 。併 し、 それ は 一九 四 〇年 で はな く 、 一九 三 八年 に参 った電 報
よ り 毎 時 の始 十 五分 間 、 貴 方 よ り 聴 取 の姿 勢 に あ る べ し と の指 令 が
せ ら れ たし 、 又 、我 国 境 への軍 隊 移 駐 に 関 し、 通 報 相 成 たし と の指
中 、 五問 答 を 、 通 事 を 介 し読 聞 け た り。
此 の時 、被 疑 者 リ ヒア ルド ・ゾ ルゲ に 対 す る第 二十 五回 訊 問 調 書
来たか。
令 が 参 った か 。
す べき こと であ り ま し た が 、 ク ラ ウ ゼ ンは其 の実 験 は致 さ な か った
答 そ れ は参 り ま した 。 之 は純 技 術 的 の こ と で、 ク ラウ ゼ ンの致
二六 問 被 告 人 は其 の点 に 付 ても 、 ク ラ ウ ゼ ンが 命 令通 り に実 験 した
指 令 が参 った こと が あ る か。
二九 問 昭 和 十 六年 七 月 頃 、 デ ィ レク タ ー から無 電 連 絡 方 法 に関 し て、
べき 、赤 軍 第 四本 部 内 の係 であ り ま す。
オ ルガ ナイザ ーは 、 ダ ルと 同 じ で 、即 ち 極 東 課 と か極東 部 と か申 す
答 受取 り ま し た。 それ に 付 ては 既 に前 に述 べた通 り であ り ます 。
が よく 行 かず 、 共 の実 験 を続 け る のは 吾 々 の秘 密 無 電 が、 日 本 側 に
答 多 分 さ う 云 ふ こと があ ったと 思 ひ ま す が覚 え て居 り ま せ ん。
様 に 私 は 記 憶 し て居 り ます 。
いか 。
三〇問 七 月 十 九 日 に、 予 の友 人 が貴 下 に吾 々の無 電 連 絡 に対 し、 追
発 覚 す る虞 れ があ る ので 止 め た、 と司 法 警 察官 に述 べ て居 る では な
答 私 は其 の事 実 は判 ら な いか ら 、 ク ラ ウ ゼ ンが 云 って居 れ ば、
習 を 始 め ら れ た し 。巧 く 行 け ば将 来 之 を 実 験 の為 め に のみ継 続 され
加 し て新 し き 条件 を与 へる。 此 の条 件 に従 って、 九 月 二十 日 より 練
て述 べ たも の で、 次 に は独 逸 大 使 オ ットが 、私 に話 し て呉 れ た報 告
と、 浦 塩 に対 す る 日本 の攻 撃 の可 能 の計 画 と 、不 可 能 の計 画 と に付
帰 って、 私 に知 ら せ て 呉 れ た こ とを 報 告 し た も の で、 日本 軍 の動 員
で、 それ は 土 肥原 、岡 村 両 将 軍 と、 同 大使 が話 を し た こと 並 に 、 日
た い。 と 云 ふ趣 旨 のも の であ った か° さ う 云 ふ電 報 が来 た とす れ ば 、 そ れ は ク ラ ウ ゼ ンが 直 接 受 理
は そ れ に対 し 不平 を 云 って居 る こと 、 同年 中 に 日本 が参 戦 す る希 望
本 の外 務 省 は樺 太 に対 す る会 談 の計 画 を持 って居 る こ と、 独逸 大 使
答 し た こと と 思 ひま す 。併 し 、私 は ク ラ ウ ゼ ンが新 し い無 電 の約 束 を
の であ り ま す。
を 同 大 使 が 持 って居 た が、 それ を 拠棄 し た こ と等 が 記 載 さ れ て居 る
実 験 し た が巧 く 行 かな か った と か 、或 は非 実 用 的 であ る と か申 し た
同年 八 月頃 デ ィレ ク ター から 、 ヂ ゴ ロの先 妻 の濠 州 行 旅 費 と
こ とを 記 憶 し て居 り ます 。 三問
其 の様 な報 告 を ク ラ ウゼ ンが し て、 モ ス コウ中 央 部 に宛 て発
三五 問
通
被
告
空 。ず胃 告 ωo﹁ σ Q。
年
生
佳
人
駒
事
Ⅰ九 四 Ⅰ年 九月 頃 と思 ひま す が 、或 は同 年 八 月 終 で あ った か
東京刑事地方裁判所
同 日於 同 庁作 之
倉
村
林
光
寅
三
二
リ ヒ ア ル ド ・ゾ ルゲ
申
人
裁判所書記
告
其 の第 一丁 は 、如 何 な る内 容 か 。
日、 東 京 刑 事 地 方裁 判 所 に於 て予 審 判 事 中 村光 三 は、 裁 判 所 書記 倉
並 に軍 用 資 源 秘 密保 護 法 違 反 被 告 事 件 に 付、 昭 和 十 七 年 九 月 二十 九
右 の者 に 対 す る 治 安維 持 法 違 反 、 国 防 保 安法 違 反 、 軍 機 保護 法違 反 、
被
第 三十 九 回 訊 問 調書
予 審 判 事
右 通 事 を 介 し読 聞 け たる 処 、 相違 な き旨 申 立 て署 名 掴印 し た り。
も 知 れま せん 。
答
し て 五百 米 弗 渡 す と 云 ふ こと、 及 此 れ に附 加 し て、貴 下 の此 の前 の
マ ック ス ・クラ ウ ゼ ンの申 す 処 に よる と 、之 が其 の受 信 の控
そう 云 ふ こと が あ り ま し た。
送 せ しめ た のは何 時 か。
答
情 報 を 感 謝 す と 、 申 し て来 た こと があ る か。
三問
此 の時 、 被 告 人 マ ック ス 。ク ラ ウゼ ンに対 す る治 安 維 持 法 違 反 等 、
であ る様 であ る が 如 何 。
之を知るか。
ク ラ ウゼ ン の筆跡 で す か ら左 様 であ ら う と思 ひ ます 。
被 告 事 件 の証拠 品 中 、 昭和 十 七年 押 第 三 九 二 号 の第 三 六号 を 示 す ° 答 [ 二三 問
最 後 の二 枚 は 、情 報 を私 が 口 で申 し て、 マ ック ス ・ク ラウ ゼ
此 の時 、 前 同 押 号 の第 四 〇号 を示 す 。 答
ンに書 取 ら せた も の、其 の他 は私 がタ イ プ ライ タ ー で打 った情 報 で 、 モス コウ 中 央 部 に ラ ジ オ で報 告 す る為 め 、 マ ック ス 。ク ラ ウゼ ンに
之 は 最 初 の方 は、 独 逸 大 使 館 附 武 官 が満 州 及朝 鮮 の旅 行 か ら
渡 し たも の であ り ま す。
答
竺四間
し訊 問 す る こ と左 の如 し 。
林 寅 二立 会 の上 、 通事 生駒 佳 年 を介 し、 前 回 に引 続 き 右被 告 人 に対
る で あ ら う。 又満 州 へ派 遣 さ れ る部 隊 は、 若 し 来 春 の情 勢 が対 ソ攻
い時 は 、此 の対 ソ戦 問 題 は次 の時 期 迄 決 定 的 に放 置 さ れ る こ と と な
とな る であ ら う 。 イ ンベ ス ト が軍 部 よ り知 り得 た こと に よ れ ば、 次
撃 の可能 性 を 示す と見 られ た 場合 は 、満 州 に於 て越 冬 せ し め る こ と
の二状 態 の 下 に戦 闘 を 開 始 す る 。即 ち、 第 一は 関 東 軍 の兵 力 が シ ベ
前 回 に引 続 き 此 の報 告 に 付 て訊 ね る が、 先 づ 其 の第 二丁 は ど
リ ヤ赤軍 よ りも 三倍 の強 力 を 得 た時 。第 二 は シ ベリ ヤ軍 の階 級 に内
一問
此 の時 、 被 告 人 マ ック ス ・ク ラ ウ ゼ ン に対 す る 治 安 維持 法違 反 等 、
ん な報 告 であ ったか 。
被告 事 件 の証 拠 晶 、 昭 和 十 七 年 押 第 三 九 二号 の第 四〇 号 を 示 す 。
政 的 崩壊 の明 瞭 な る徴 候 が見 え た時 。 と云 ふ様 な こと で あ った様 に
であ った か ら、 其 の様 に報告 し た の であ り ま す 。 イ ンペ スト とは 、
左様 であ りま す 。 尾崎 か ら の報 告 によ れ ば 、其 の通 り の事 実
前 に も申 し た様 に尾 崎 を指 し た の であ り ま す 。
答
報 告 し た の か。
之 に は尾 崎 の齋 した 二 つの 報告 を含 ん で居 りま す 、 第 一は、
答
八 月 二十 日 か ら 二十 三 日に 亘 って行 は れ た軍 首 脳 部 と、 関 東軍 の人
極 的 行 動 を本 年 中 は と ら な い と云 ふ こと に決 定 し た、 と云 ふ こと 。
人 と の会 議 に於 て、 独 ソ戦 が 此 の儘 の経 過 を 辿 るな らば 、 日本 は積
第 二 は尾 崎 の印 象 に よ る と 、近 衛 内 閣 は危 機 に瀕 し て居 る と 云 ふ こ
五問
イ ンベ ストを 満 州 に 派 遣 し た 。 イ ンベ ス トは 同 月 十 三 日 に帰 還 す る 。
尚 、 右 報 告 に は現 地 に於 け る情 勢 調 査 の為 め 、 ヴ ィ ック スは
と を内 容 とす るも の であ り ま す 。
と申 し送 った か。
軍 首 脳 部 と関 東 軍 の人 々と の会 議 に於 て、 同 年中 は 日本 が対
ソ戦 開 始 を中 止 した 旨 決 定 し た 、 と 云 ふ点 に付 ては 婁 に訊 ね た が、
二間
参 った のであ り ま し た。
満 州 の用事 で出 張 し、 そし て私 の為 め にも 活 動 す る こと を約 束 し て
報 告 に は其 の様 に書 き ま し た が、 前 に も申 し た様 に尾 崎 は 、
左様 であ りま す 。
答
其 の報 告 は何 時 モス コウ に送 った か。
六間
でな け れ ば 月 の書 き間 違 であ った か と思 ひま す 。
迄 に 云 々と あ り ます の で、或 は 八 月 か と思 ふ の であ り ます が、 それ
そ れは よく 覚 えま せ ん が、 其 の報 告 の中 程 に も、 八月 十 五日
の報 告 は 同年 九 月 に送 った も の では な か った の か。
尾 崎 が今 月 十 五日 に 帰 還す る と報 告 し て居 る 処 を見 る と、 共
二九 四 一年 八 月 の最 後 の日 か 、或 は九 月 の極 く 最 初 であ り ま
其 の点 に関 す る報 告 が之 に 該 当 す る のか。 答 三問 答
答
した。 そ れ で は其 の会 議 の内 容 と し て、同 年 は対 ソ戦 を 開 始 し な い
こと を決 定 し た、 併 し 、 尚 次 の様 な保 留 を し た。 即 ち 、 独 ソ戦 の戦
四間
況 が 全 く予 期 せ ざ る何 等 か の進 展 を 示 し、 シ ベリ ヤ地 方 に甚 大 な る
は、 前 線 か ら後 方 陣 地 に引 揚 げ た とあ る が、 其 の情 報 は何 時 入 手 し
七間
其 の報 告 には 、 尾 崎 が満 州 に増 援 部 隊 と し て派 遣 さ れ た部 隊
い。若 し 、斯 く の如 き戦 況 の進 展 が 、 遅 く と も 八月 十 五 日 に起 き な
影 響 を 生 じ た る場 合 に は、 右 決 議 は対 ソ開 戦 に変 更 さ れる か判 らな
た の か。
し た も の で、 之 は 同 年 八 月 二日 か ら十 日 頃 迄 の間 に送 ったも のと思
電報 で送 ら れ る の であ り ま し た 。
ひ ま す 。元 来 此 の様 な報 告 は、 私 が書 い てか ら 二、 三 日 過 き てか ら
第 二次 動 員 に付 ては 、其 の報 告 に ど ん な こ とを 述 べ て居 る か。
それ は尾 崎 が満 州 に 出 発 の前 同人 か ら聞 いた の であ り ま す が 、
第 二次 動 員 の人員 は約 五十 万 であ ら う 、特 科 隊 は小 隊 が 日 本
答 尾 崎 は何 処 か ら其 の情 報 を得 た か そ れ は知 り ま せ ん。 多 分 、 宮 城 か
答
三問
北 に 行 く も の は敦 賀 、新 潟 其 の他 は神 戸 、 広 島 か ら乗 船 す る 。 米 国
を 出 発 し て北 に行 く も のは 冬 服 、南 に行 く も のは 夏 服 を支 給 さ れた 、
近衛 内 閣 の危 機 と云 ふ点 に 付 ては 、 尾崎 は 、近 衛 内 閣 は米 国
ら で も 聞 い たも のだ ら う と思 ひ ます 。
と の交 渉 の結 果 再 度 危 機 に直 面 し て居 る。 近 衛 は 米国 と妥 協 す る こ
と の摩 擦 を考 へて南 支 に も 派遣 さ れ る と 云 ふ こと で あ る と云 ふ様 な
八間
の事 件 を惹 き 起 す こと に な る 。 ア ンナ より リ カ ルド宛 に当 方 よ り電
と に決 意 し た。 若 し 失 敗 し た時 は失 脚 し 、 又 若 し成 功 し ても 内 政 上
三問
意 味 のこ と を述 べ た の であ り ま す。
山下 将 軍 の使 命 に 付 ては。
し て居 たリ カ ルド か ら、 非 常 に落 胆 した 返 事 が ア ン ナ に来 た と報 告
報 し た如 き 悲 観 的 な 電 報 を送 った の に対 し 、 日本 が対 ソ攻 撃 を 熱望
そ れ は山 下 将 軍 が防 衛 司 令 部 か何 かよ く判 ら な い が、 満 州 に
派遣 さ れ た が、 其 の理由 は判 然 し な いが 、 第 一に山 下 は東 京 でオ ッ
答
ト や大 島 と密 接 な 関 係 が あ り、 対 ソ参 戦 を 主張 し て居 る から だ と 云
し た のか。
若 し 成 功 し て も、 内 政 上 の事 件 を 惹 き 起 す こと に な る と 云 ふ
れ に対 抗 す る 為 め だ と 云 ふ の であ りま す が 、結 局 山 下 の使 命 の明瞭
左 様 であ り ま す 。
答
な性 質 は確 か める こと は出 来 な い と云 ふ こと、 之 に附 加 し て独逸 側
九問
それ は多 数 の人 が反 対 し て居 た か ら であ り ます 。
ふ こ と、 第 二は 、梅 津将 軍 は平 和 論 者 で、 近衛 に従 順 であ る が 、 そ
当 方 よ り電 報 した る が 如 き 悲観 的 な 電 報 と 云 ふ の は如 何 。
の は如 何 云 ふ意 味 であ った か 。 答 一 〇 問
居 る の であ り ま す 。
は 日本 を参 戦 さ せる様 積 極 的 努 力 を し て居 る、 と 云 ふ こ とを 述 べて
此 の報 告 が 、今 お示 し の報 告 中 三番 早 く モ ス コウ に送 った も の の様
それ は 前 に ア ンナ、 即 ち 独逸 大 使 がリ カ ルド即 ち リ ッベ ント
ロ ップ に宛 て た電 報 の内 容 を 、 オ ット大 使 か ら聞 い て それ を モ ス コ
に思 ひ ます 。
答
ウに 私 から報 告 し てあ り ま し た ので、 そ れを 指 し て申 し た の で あり
一 四間
第 九 丁 のも の であ り ま す 。
其 の次 は如 何 。
其 の次 は前 回 述 べた 第 一丁 と 思 ひ ます 。
其 の次 に送 った の は どれ か。
ます 。 前 回 申 し ま し た 土肥 原 及 岡 村 の両 将 軍 と オ ット大 使 が話 を し
答
董問
答
た 結 果 、 オ ット は 日本 が戦 争 を 始 め な い と 云 ふ こ とを 知 り 、 之 を リ
之 は 同年 度 の第 二回 目 の動 員 、 及 山 下将 軍 の使 命 に付 て報 告
次 に其 の第 八 丁 は如 何 。
ッベ ント ロ ップ に電 報 し た ので あ り ま し た。
答
一一 問
で、豊 田 と オ ット が会 談 し た処 、 オ ット の其 の会談 か ら得 た印 象 で
を と る か如 何 か 、 と 云 ふ こと は オ ットに と って重 大 であ り ま し た の
は、 豊 田 は松 岡 と は違 った態 度 で、 未 だ 対 ソ戦 開 始 の意 図 は 持 って
其 の報 告 の内 容 は 。
居 な い、 と云 ふ こと を認 め た と オ ットが 話 し て呉 れ た の で、 其 の旨
之 は 独逸 大 使 館 附 海 軍 武官 ベ ネ カ ー に対 し て、 日本 海 軍 の当
て南 進 政 策 の必 要 に迫 ら れ て居 り、 必要 があ れ ば 両 方 に進 攻 す る準
局 の申 し た所 に よ ると 、 日 本 の対 ソ戦 の可 能 性 は な く な った、 そし
答
一 六間
備 を し て居 る。 陸 軍 は 其 の決定 事 項 に は絶 対 的 に不 満 であ り 、特 に
き問
報 告 し た の であ り ます 。
同 年 八月 中 旬頃 と思 ひ ます 。 詳 し く申 せ ぱ、 十 五日 か ら 二 +
其 の報 告 を 送 った のは何 時 か。
青 年 将 校 は さ う であ る が 、併 し、 陸 軍 とし ても海 軍 並 に政 府 の意 向
答
日頃 迄 の間 であ った と思 ひ ます 。
を無 視 し て迄 も 、 戦 争 を開 始す る こ と は出 来 な から う 。海 軍 のも の
三問
答
一 三問
答
量問
尾 崎 が未 だ満 州 か ら帰 らな い ので 、北 方 の こ とは新 し いこ と
其 の報告 の内容 は 。
第 三丁 のも のと思 ひ ます 。
興 の欠 ま o
た と思 は れ ま す 。
其 の次 が先 程 お訊 ね の尾 崎 か ら 得 た軍 事 に関 す る情 報 であ っ
其 の次 の報 告 は 。
の語 る処 で は、 右 の決 議 は 未 だ 公式 のも の では な いが 、 八月 二十 二
其 の報 告 に は尚 外 務省 の坂 本 が 、 ア ンナ の右 腕 であ る者 に殆
答
日 か ら 二十 五 日迄 には 公 式 決 定 を 見 る であ らう と云 ふ こと だ と、 述
左 様 です 。 ペ ネ カ ー が 日本 の海 軍 の人 か ら聞 い た処 を 、私 に
そ れ で は、 其 の情 報 は ペ ネ カ ー か ら得 たも の であ った のか °
べた のであ りま し た 。 ぜ問 答
天間
教 へて呉 れ た の であ り ま す。
ど そ れ と同 じ意 味 の こと を 語 った ことも 述 べ て居 る の では な いか 。
三次 動 員 の兵 士 の年 齢 は 二十 七 歳 か ら 三 十 二歳 迄 であ る、 近衛 師 団
が判 ら な いが 、宮 城 の報 告 で は満 州 か ら 部隊 が南 方 に送 ら れ た 、笙
の 四箇 連 隊 が南 方 に 派遣 さ れ た、 樺 太 に 駐屯 す る旅 団 の兵 舎 は敷 香
左 様 です 。 外務 省 の坂 本 局 長 が ア ンナ 即 ち オ ット大 使 の右 腕
であ る公 使 、 コ ルトに 対 し 、 日 本 は独 逸 が希 望 す る 様 に北 方 に進 出
に 在 る 、 と 云 ふ様 な こ と であ り ま す 。
答
ト か ら聞 い た の で、 其 の こ とを 其 の報 告 に も述 ぺて置 い た の であ り
其 の次 の報 告 は 。
同 年 九 月 十 五日 の直 後 で あ った と思 ひま す。
其 の報圧口を 送 った のは何 時 か。
左様 であ り ます 。
そ れ では此 の報 告 の内 容 は 宮 城 か ら得 たも の であ った か。
す る こと は 、 中 止 し た、 と 云 ふ意 味 の話 を し た ことを コル ト及 オ ッ
二六間
答
孟問
答
ます。 尚 、 其 の報 告 に は ア ンナ が松 岡 の後 任 と会 談 し た と述 べ、 其
二四問
一 九問
左様 です。 オ ット が松 岡 の後任 、豊 田 と会 見 し た こと を も 報
の会 談 の内 容 を も 述 べ て居 る では な いか 。 答
告 し ま し た 。之 は豊 ヨが 訟 岡 の ソ聯 に冠 し てと った懇 隻 と司 じ立 場
れ な い と云 ふ様 な事 項 であ りま す 。次 は 、第 四 丁 の分 であ り ま す が、
そ れ は尾 崎 が知 り得 た所 に よ る と、満 鉄 当局 は北 部 国 境 か ら南 満 へ
其 の次 は ど れ であ ったか 思 ひ出 す こと が困 難 であ り ます が、
の軍 隊 輸 送 の為 め 、多 数 の車 輔 を 提 供 す る様 軍 から 命 ぜ ら れ た と述
答 此 の五 丁 か ら第 十 丁 の 三行 目 に 至 り 、更 に第 四丁 に戻 り 、更 に第 十
べ、 次 に 日米 交 渉 に 関す る こ とを 述 べ て置 き ま し た。 尾 崎 の云 ふ所
に よ る と、 交 渉 不 成 立 の場 合 、 日本 海 軍 は十 月初 旬 に は積 極 的 行動
丁 二 行 目 か ら其 の裏 の終 迄 に至 る 一連 のも の であ った 様 に 思 は れ ま
其 の内 容 は 。
を 起 す だ ら う と 云 ふ こ と であ った の で、其 の こ とを 述 べ、 尚 自 分 は
兵 力 が 居 る こと に な って居 る。 小 部 隊 例 え ば 、第 十 四師 団 の如 き 一
の動 員 に よ って約 四十 万 の兵 力 が満 州 に 送 ら れ 、満 州 に は七 十 万 の
が連 隊 か師 団 か を知 り得 るだ け であ る と 云 ふ こと を述 べ、 次 に各 種
官 の名 前 を 冠 せら れ て居 る だ け で、 司 令 官 の階 級 に よ って其 の部 隊
た 。若 し ア メ リ カ が九 月 下 旬 か 十 月中 旬 迄 の間 に妥 協 的 態度 を 示 さ
及 陸 軍︱ の根拠 地 の建 設 を 拠 棄 す る こと、 と云 ふ様 な こと で あ り まし
カ と妥 協 す る こ と、 仏 印 か ら兵 員 を減 ず る こと 、 仏印 に於 け る海 軍
得 る と 楽観 し て居 る。 其 の基 礎 と な るも のは 、 支 那 に 関 し て ア メリ
条 約 の形 式 で は なく とも 、 何 と か し て ア メリ カと の妥 協 を成 立 さ せ
得 た 処 で は、 日米 交 渉 は 大 詰 に 入 った。 近 衛 は ア メリ カ と確 平 たる
次 は 十 丁 の二行 目 以下 であ り ま す が 、 尾崎 が満 州 か ら 帰 って知 り
し て居 る 様 に と申 し て遣 りま し た 。
そ れ は確 実 では な いが さ う云 ふ情 勢 が 起 る か も知 れ な いか ら 、 覚悟
先 づ 第 三に 、第 五 丁 の始 から 終 迄 、 及第 十 丁 の第 一行 目 迄 の
す。 二 七間 答 点 に於 き ま し ては 、 尾 崎 が満 州 か ら帰 って報 告 し た 内容 を述 べ て居 りま す 。
部 の部 隊 が 日 本 に帰 還 した 。 他 の部 隊 は 北 部国 境 か ら大 連 及 奉 天 の
な か った ら 、 日本 は断 然 積 極 行 動 を と る 、併 し、 其 の前 に近 衛 と海
其 処 に は関 東 軍 に於 け る師 団 名 は 一つも 知 り得 な い、 各 師 団 は 司令
間 に新 に建 築 さ れ た兵 舎 に越 冬 の為 め 交 替 し た 。之 は新 に到 着 した
軍 は 独 逸 を無 視 し ても ア メリ カ と妥 協 す る様 に努 力 す る であ ら う と
云 ふ様 な事 項 を 述 べ た の であ り ま し た。
る東 部 国境 に集 結 し て居 る。 満 鉄 当 局 は チ チ ハルか ら オ ウプ に至 る 新 線 建 設 の命 令 を 受 け、 将 来 北 部 国 境 のオ ウプ が重 大 な役 割 を 演 ず
べ て置 いた の であ り ま す 。
そ し て 、其 の最 後 には 、 独 逸大 使 オ ット から 自 分 が 聞 いた こ とを 述
部 隊 であ る 。 主力 部 隊 は今 尚 ウ ォシ ロ フ及 ウ ラ ヂ オ スト ック に対 す
るに 至 る で あ らう 。 独 ソ戦 の進 展 が之 を 許 す な ら ば、 来 年 の三 月 頃
二八 間
そ れ で は尾 崎 が満 州 か ら帰 った報 告 に は 、 オ ウプ が重 大 な 役
割 を演 ず る に至 る であ ろ う と 云 ふ こ と に付 、其 の報 告 に は具 体 的 に
に ソ聯 に対 す る 日本 の戦 争 が起 さ れる かも 知 れ な い。 北 支 から 約 三 千 台 の自動 車 類 が満 州 に送 ら れ た、 其 の内 ︺千 台 は婁 に満 州 から 北
は何 と書 い た か。
若 し将 来 日 本 が対 ソ戦 を開 始 す る こと が あ り とす れば 、 其 の
支 に 送 ら れ た も の であ る。 満 鉄 当 局 は 三 千 名 の経 験 あ る鉄 道 員 を軍
答
に提 供 す べき 旨 の命 令 を 受 け た が 、 此 の命 令 は後 に 五十 人 に 減 少 し た、 尾 崎 の受 け た印 象 で は、 日 本 のソ聯 に対 す る積 極 行 動 は 考 へら
被 告 人 は第 二十 七 回 の当 職 の訊 問 に対 し 鴎浦 が終 点 にな る と
攻撃 の拠 点 とな る であ ら う と記 載 し た の であ り ます 。 二九 問 云 ふ こ と は尾 崎 か ら 聞 いた が 、新 し い攻 撃 の拠 点 に な る と は聞 か な か った と 述 べた で はな いか 。
第 四十 回訊 問 調 書
予 審 判 事
裁判所書記
中
倉
村
林
光
寅
三
二
人
右 の者 に対 す る治 安 維 持 法違 反 、国 防 保 安 法 違 反 、 軍機 保 護 法 違 反 、
リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ
並 に 軍用 資 源 秘 密 保 護 法 違反 被 告 事 件 に付 、 昭 和 十 七年 九 月 三十 日
告
尾崎 の申 し た こ とを 詳 し く 記 憶 も せず 、 又、 対 ソ戦 が 開 始 さ れ る様
東 京 刑事 地 方 裁 判 所 に於 て、予 審 判 事 中 村 光 三 は 、 裁 判所 書 記 倉 林
被
な場 合 に は と云 ふ様 な お 訊 ね も な か った の で、 単 純 に さう 云 ふ話 は
其 の様 に申 しま し た 。 併 し 、之 は前 の こ と であ り ま す か ら、
聞 か な か った と申 上 げ た の であ り ます が、 此 の報 告 に今 申 し た様 に
答
書 いてあ り ま す か ら 、 尾崎 か ら は其 の様 な報 告 があ った こ と と思 ひ
訊 問 す る こ と左 の如 し 。 一問
寅 二 立会 の 上、 通 事 生 駒 佳年 を介 し、 前 回 に 引 続 き右 被 告 人 に対 し
其 の報 告 は、 以 上 一連 のも の を 一度 に書 いた のか 。
四 丁等 の報 告 の次 に送 った の は どれ であ った か。
此 の時 、被 告 人 マ ック ス ・ク ラウ ゼ ンに対 す る治 安 維持 法 違 反 等
前 回 に続 い て此 の証 拠 品 に付 て訊 ね る が、 先 づ 此 の五 丁 十 丁
私 は 三度 に書 い て、 マ ック ス ・ク ラウ ゼ ンに渡 しま し た。 併
ます。 舜問 答
し ク ラウ ゼ ンが技 術 的 に モス コウ に対 し 、何 回 に報 告 した か それ は 私 に は判 り ま せん 。
其 の次 に述 べる も のが果 し て前 回 お 訊 ね の最 後 のも の の後 に
被 告事 件 の証 拠 品 、 昭 和 十 七年 押 第 三九 二号 の第 四 〇号 を 示 す 。 答
来 る も の か、 或 は 其 の前 に 送 った も の か、 実 は 自 分 に も確 信 があ り
其 の報 告 を し た のは 何時 か 。 尾崎 が満 州 か ら 帰 った直 後 であ り まし た 。
ま せん 。 そ れ は昭 和 十 六 年 九 月中 旬 か 下旬 かに 書 いた も の と思 は れ
答
尾崎 は同 年 九 月 十 九 日 、 帰京 し た と云 ふ こと であ る が如 何 。
三問
っ 三問
其 の報 告 の内 容 は。
之 は最 近 数 週 聞 に於 け る事 件 の総 括 であ り ま し て、別 に新 し
い こと はあ り ま せん 。 即 ち 、 日本 の対 ソ戦 に 関 す る こ と、 之 は 対 ソ
答
二問
る此 の第 六 丁 であ り ます 。
幻ざぴ費 畠 ωo婦 σ q。 年
生
佳
人
駒
事
さう 致 し ま す と、 同 月 二十 日か 二十 一日頃 で は な か った かと
告
答 思 ひま す。
被 通
右通 事 を介 し読 聞 け た る 処 、相 違 な き旨 申 立 て署 名 揖印 し た り。
す。 そ し て、 其 処 に は オ ット大 使 と豊 田 外相 と の会 談 の こと を書 き、
次 に ベ ネ カ! か ら得 た報 告 をも 述 べ、最 後 に ヴ ケ リ ッチ の先 妻 が濠
戦 は な い と云 ふ こと の報 告 で、 次 は日 米交 渉 の経 過 を 述 べ て居 り ま
東 京 刑事 地方 裁 判 所
同 日於 同 庁 作 之
三問
居 る 。 ア ンナ は昨 日、 マ ックの後 任 者 を 訪 問 し 、次 の如 き通 報 を 受
が、第 二線 と し て東 京 に 於 てグ ル︱大 使 と 豊 田 と の間 でも 行 は れ て
五問
経済 圏 と云 ふ のは 経 済 の領 域 の意 味 であ り ます 。 共 の他 は お訊 ね の
ラ ア ンナ の慎 重 な 判 断 に よ れ ば、 日 本 が 攻 撃 を開 始 す る最 近 迄 の可
け た 。 即 ち、 有 名 な る 近衛 のル ーズ ヴ ェル トに 対 す る書 翰 は、 単 に
通 り であ り ます 。
能 性 は、 確 実 に少 く と も冬 季 の終 迄 は去 った も の で、 此 の事 実 には
州 に移 住す る こ と、 それ に付 て金 を与 へた こと等 を記 載 した も ので
何 等 の疑 も 挿 む こと は 出来 な い。 日本 が将 来 攻撃 を開 始 す る のは 、
婁 に 松 岡 に よ って決 裂 に導 か れ、 又近 衛 内 閣 が改 組 さ れ マ ックを 押
あります。
貴 国 が大 部 隊 の兵 を シベ リ ヤ か ら撤 兵 し 、 シベ リ ヤ に於 て内 政 上 の
に過 き な か った。 ル ︱ズ ヴ ェルト は交 渉 再 開 の用 意 あ り と回 答 し、
出 し た 後 に 、決 裂 し て仕 舞 った交 渉 を再 開 す る こと を要 請 し たも の
尚、 そ れ に続 い て交 渉 は主 と し て ワ シ ント ンで行 はれ て居 る
紛擾 が起 き た時 であ る 。其 の間 に於 て余 り に も早 急 に大 動 員 を 決 定
其 の日 本 の対 ソ戦 に関 す る報 告 に 於 ては 、吾 々と マルタ パ ウ
し た こと に対 す る 責 任 問題 に付 て、 日本 陸 軍 部 内 に於 て激 論 が起 っ
た。 ア ンナ は単 に交 渉 の内 容 は 、何 等 枢 軸 国 を 害 す る如 き内 容 は含
目 下 交 渉 が行 は れ て居 る 。 交 渉 の内 容 は ア ン ナに は与 へら れな か っ
ま れ て居 な いと の み知 ら さ れ た 。 併 し、 ア ンナは 右 に 関 し疑 を 抱 い
た。 そ れ は大 部 隊 の関 東軍 を編 成 し て置 く こと は 、経 済 的 及 政 治 的
左様 で あ り ます 。
て居 る、 マック の後 任 者 は 短 期 間 の内 に シ ベリ ヤ鉄 道 を再 開 す ると
答
の ホ ワイ ト側 の期 待 が、 日 本 側 か ら す れ ば大 き な 聞違 で あ った と思
に種 々の困 難 を生 ず る から であ る 。 と述 べ た か。
日米 交 渉 に 関 し て は先 づ、 日本 の各 種 の関係 筋 及 ア ンナよ り
るに 至 って居 る と云 ふ こと を 指摘 し て、 対 米 交 渉 再開 に付 て或 種 の
四間
弁 解 を 漏 ら し た。 日本 が シベ リ ヤ鉄 道 を近 き将 来 に再 開 す る こ と の
はざ る を得 ざ る事 実 から し て、 今 や 日本 は完 全 に全 世界 か ら孤 立 す
於 て支 那問 題 に対 し或 種 の修 正 を 為 す こと 、及 日本 は 仏 印 よ り向 ふ
とも 何 等 か の諒 解 に到 達 する も の と思 は れ る。交 渉 は 日米 両 国 間 に
に は進 出 せず 、 且 2 三国 同 盟 を 破殿 す る旨 の保 障 を含 ん で居 る。 米
希 望 を 失 った ので、 日本 は 米 国 と何 等 か の諒解 に到 達 せ ん と努 力 す
知 り得 た処 に よれ ば 、 日 米交 渉 は進 展 を示 し、 少 く と も 一時 的 なり
国 は 日 本 に対 し、 全 経 済 圏 に 於 け る大 な る経 済 的 報 酬 を提 供 す る申
て最 初 行 は れ て そ れ が決 裂 し た 、 と 云 ふ意 味 であ り ます が、 其 の他
松 岡 に よ って決 裂 に 導 か れ た と云 ふ の では な く、 松 岡 によ っ
は お 訊 ね の通 り の事 実 であ り ます 。 マ ック の後 任 と 云 ふ のは 、 松 岡
答
る こ とを余 儀 な く さ れた も の であ る とも 述 べ た か。
過 ぎ 、何 等 か の諒 解 に到 達 す る か も知 れ な いと 云 ふ の であ り ます 。
外 相 の後 任豊 田外 相 を指 し た ので あ りま す 。
何 等 か の諒 解 に到 達 する も のと思 は る る と云 ふ のは意 味 が強
支 那 問 題 に対 し或 種 の修 正 を為 す こ と と云 ふ の では なく 、 日 米 両 国
答
出 を し て居 る と述 べた か。
間 に存 す る 支 那 問 題 に 関 す る難 点 を 回 避 す る と 云 ふ の であ り ま す 。
六間
ベネ カ︱ か ら得 た情 報 とし ては、 日本 海 軍 は 南 方 に対 す る行
三国 同 盟 を 破 殿 す る と 云 ふ点 も 之 は忘 却 す る と 云 ふ こ と であ り ま す。
動 を起 す 完 全 な る準 備 を し た が、 赤 軍 の独逸 軍 に対 す る意 外 に強 ヵ な抵 抗 と、 日 本 陸 軍 の準 備 の欠 除 と、 更 に日 本 の極 め て困 難 な る経
て見 る こと に決 定 し た。 若 し 該 交 渉 が 不成 立 に終 った 時 、 日本 は行
済 状 態 か ら し て、行 動 開 始 を見 合 せ、 近 衛 を し て対 米 交 渉 を や ら せ
動 を起 す こと は非 常 に危 険 であ る と知 り つ つも 、南 方 に何 等 か の行
=問
第 三 回 目 の動 員 に付 ては 、 其 の 一部 は九 月 中 旬 終 了 し た こ と
見 とを 述 べた ので あ り ます 。
は既 に打 電 し た が、 其 の後 の第 三 回動 員 は、 九 月 末 に 開始 さ れ た、
五歳 より 三 十 五歳 迄 の予 備 兵 を 召 集 し た の み で、 大 し て多 数 の人 員
第 三 回動 員 は昨 年 末 及 本 年 始 支 那 か ら帰 還 し た者 が 主 で、年 齢 二十
動 を起 さな く ては な ら な い の であ ると 述 べた か。
を 編 成 せず 、現 在南 方 駐 屯 中 の旧 部 隊 に編 入 さ れた も の であ る と述
一部 は既 に 夏 服 を用 意 し て南 方 に 出 発 し た。 該 召 集 に 於 ては新 部 隊
七 間 そ れ等 の報 告 は モス コウ 中 央部 に対 し 、 昭和 十 六年 九 月 中 旬
べた か。
で は な か った。 東 京 に 於 て以 前 百 一師 団 所 属 の者 が召 集 さ れ 、其 の
か 同 月 下旬 に 送 った と云 ふ のか 。
答 其 の通 り であ り ま す 。
答 其 の通 り であ り ます 。
八間 之 等 の報告 の内 、吾 々と か 日本 の各 種 の関 係 筋 と か述 べて居
答 左様 であ った と思 ひま す 。
;間 日米 交 渉 に関 す る 日 本 の ア メ リ カ に対 す る提 案 の箇 条 書 と 云
答
を 云 ひ 、 日本 の各 種 の関 係 筋 と 云 ふ文 字 は使 はず 、 各 種 の情 報 の出
内 容 であ ったか 。
ふ のは、 襲 に当 職 の第 二 十 九回 訊 問 の際 訊 ね た 所謂 、 対 米 申 入 書 の
宮 城 であ ったと 思 ひま す 。
る のは 、 如何 な る意 味 か。
三問 其 の情 報 は誰 から 得 た の であ った か。
答 吾 々と 云 ふ のは私 、 尾 崎 、 宮 城 、 ヴ ケ リ ッチ 等 グ ループ の者
所 か ら と云 ふ文 字 を 使 った ので 、 そ れ は尾 崎 、宮 城 の 二人 は 固 よ り 其 の者 等 が交 際 し て居 る新 聞 記 者 、 独 逸 大 使 館 の通 訳 官 、 又 は東 京
し て申 し た の であ り ます 。
三問 そ し て右 報 告 に は、 尾 崎 は 今 日迄 の処 で は、 米 国 側 は 日 本 の
答 左様 であ り ます 。
と同 様 か。
三四 間 す る と 其 の訊 問 の際 、 当 職 の訊 ね たも の が此 の報 告 書 の内容
答 左 様 であ り ま す。
九 問 其 の次 に報 告 し た の は ど れ か。
提 議 を 寧 ろ軽 く取 扱 って居 り、 又 日本 側 の近 衛 が ルー ズ ヴ ェルト と
ク ラブ 、 帝 国 ホ テ ル等 で会 って政 治 上 の話 を し た日 本 人 の総 てを指
δ問 其 の報 告 の内 容 は 。
答 それ は 此 の七 丁 の も の であ りま す 。
って居 る こと を指 摘 し て居 る。 右 の事 実 に関 し 、 三般 の情 勢 は 陸海
会 談 す る の用 意 あ り、 と灰 かし た に対 し ても 、 米 国側 は軽 くあ しら
最 初 に、第 三 回 目 の 日本 軍 の動 員 に付 て簡 単 に述 べ、 次 に尾
答
軍 が 近 衛 に対 し、 日米 交 渉 の時 間 を制 限 し た こと に よ って寧 ろ緊 張
崎 が 入手 し た 日本 の ア メリ カ に対 す る提 案 の箇 条 書 に付 て述 べ、 最 後 に 尾崎 の対 米 問 題 戦 争情 勢 、其 の他 三般 情 勢 に 対 す る情 勢 と、 意
を 示 し て居 る 。近 衞 の側 近 者 から 尾崎 が知 り得 た 処 では 、右 の制 限
二〇 問
其 の内容 は。
それ に は第 一に 二、 三 の 一寸 し た動 員 に関 す る報 告 を記 載 し、
せ よ う と努 力 し て居 る と 云 ふ こと 、 第 三 に 尾崎 の報 告 とし て若 し、
第 二 に は独 逸 大 使 オ ット が東 条 陸 相 に対 し、 北 方 作 戦 に 関 心 を起 さ
答
何 等 の成 果 を得 ら れな い時 は 、海 軍 は南 方 に対 し て行動 を起 す であ
は 十 月 末 を以 て切 れ る も ので あ る。 又其 の制 限期 間 中 に該 交 渉 に付
ら う 。海 軍 筋 か ら尾 崎 が知 り得 た こと は、 制 限 さ れ た時 日 は非 常 に
日本 が南 方 に 進 出 す る に は 三十 万 の兵 を要 す る。 併 し 、 現 在 仏印 に
る ア メリ カ の主 要 な条 件 は日 本 軍 の中 支 及南 支 よ り の撤 兵 と 云 ふ こ
は 四万 の兵 が行 って居 る だけ であ る こと 、第 四 に は日 米 交 渉 に於 け
と であ るが 、交 渉 は未 だ、 非 公 式 だ が 公式 の交 渉 が開 始 さ れ る可 能
短時 間 であ り 、 若 し 十 月 の第 一週 中 に米 国 から 満 足 す べき 回答 が来
其 の通 り に記 載 し ま し た。
性 はあ る、交 渉 成 立 の見 込 は 極 め て少 いと 云 ふ こと 、 と 云 ふ 四 つの
答 尾 崎 は 海 軍 の誰 か ら其 の最 後 の様 な 情 報 を得 た、 と 云 ふ こ と
な い時 は、 海 軍 は行 動 を起 す と の こと であ ると 述 べた か。
一 六問
事 柄 を 報 告 し た の であ りま す 。
れた 、 北方 に は何 等 事 態 の進 展 は な いと云 ふ こと であ りま した 。
東 京 及 大 阪 の師 団 か ら 小部 隊 が補 充 部 隊 と し て南 方 に派 遣 さ
動 員 に 関 す る報 告 の詳 細 は。
そ れは 私 は知 り ま せ ん。
二一 問
二二問
答
尚 、 其 の報 告 に 於 ては 尾崎 は海 軍 首 脳 部 も 亦 、政 府 も共 に事
で あ った か。 答 一 七 問
足 な る回 答 を 与 へな い時 に は、 十 月 中 に は 海 軍 及政 府 共 に行 動 を 起
を起 す こ とを 希 望 し て居 な いが、 若 し米 国 が 日 本 の提 議 に対 し て満
す こと を 余 儀 な く さ れ る であ らう 、 と確 信 し て居 る。 其 の意 味 は 此
答
之 は定 期 的 の こ と であ り ます から 特 別 な情 報 に よら ず し て、
宮 城 は誰 から 其 の情 報 を 入手 し た の か。
宮 城 であ り ま す 。
そ れ は誰 か ら得 た情 報 か 。
処 二、 三 週間 が 日本 が石 油 を 得 る為 め に南 進 を開 始 す る か 否 か の新
二 三問
答
オ ット大 使 の努 力 に対 す る情 報 は 、 誰 か ら得 た の か。
私 は其 の時 病気 であ り ま し た が、 其 の時 同 大 使 自 身 が私 を訪
日本 が若 し南 進 の行 動 を起 す とし ても 、今 年 末 に は難 し い で
日本 が南 進 行 動 を起 す こと は、 恐 ら く 今年 末迄 に はな い であ
あ ら う と 云 ふ こ とも 其 の報 告 に含 ん で居 た か 。
二五 問
れ て、 其 の時 私 に話 し て呉 れ ま し た。
答
二四問
宮 城 は そ れを 知 り得 た こと であ ら う と思 ひま す 。
答
し い危 機 が 、頂 点 に近 附 く であ ら う と さ れ て居 る。 北 方 に関 し ては
二 、 三週 間 と云 ふ のは 数 週 間 と 云 ふ文 字 を 使 った の であ り ま
何 等 の話 も な いと述 べた か。 答
同年 九 月 の終 か、 或 は 同 年 十 月 の始 頃 であ り ま し た 。詳 しく
そ れ等 の報 告 は 何 時 モ ス コウ中 央 部 に送 った のか 。
す が、 其 の他 は其 の通 り であ り ま す 。 一 八問 答
其 の次 は 鉛 筆書 の第 十 一丁及 第 十 二丁 のも の であ り ます 。
其 の次 に送 った情 報 は 。
申 す と 三 十 日 か 一日 二日 と云 ふ処 であ り ま し た。
答
一 九問
よく 判 りま せん が 、後 に私 に渡 す 為 め 、 ク ラ ウ ゼ ンに宮 城 が
渡 し た も の で はな いか と思 ひ ます 。
答
そ れ は誰 から 得 た 情 報 か。 三三問
答
地図 は其 の通 り であ り ます が、 報 告 書 は 左 様 ではあ り ま せん 。 之 は如 何 。
之 は私 が書 い たも の で、場 合 に よ っては モ ス コウ中 央 部 に送
此 の時 、 昭 和 十 七 年 押 第 五 三号 の第 三七 号 、 及 第 三 八号 を 示 す 。
三四問
答
ク ラウ ゼ ンに渡 し た の では な い か。
其 の地 図 と共 に伝 書 使 に託 し て、 モ ス コウ 中 央部 に送 る為 め
そ れ は尾 崎 が 聞 いた と だ け し か書 い てな い ので 、 誰 か ら聞 い
ら う と申 し て遣 り ま し た 。 二六 問 答
其 の報 告 にあ る其 の他 の部 分 の尾崎 か ら の情 報 は 同 人 が何 処
た のか そ れ は判 り ま せん 。 二七問
日米 交 渉 に 関 す る今 申 し た以 外 の部 分 も 尾 崎 が何 処 から 聞 い
か ら 入 手 し たも の か。 答
ら う と思 って準 備 し たも の であ り ます 。 そ れを 書 いた のは、 同 年 十
た の か判 り ま せ ん が、 南 方 進 出 に要 す る 兵 力及 仏印 に現 に進 駐 し て 居 る兵 力 に関 す る 点 は、 尾 崎 が軍 部 か ら 得 た情 報 であ りま した け れ
月 十 五 、 六 日頃 と思 ひま す が 、書 いて か ら モ ス コウ に 報告 す る心 算
同年 十 月 七 日 か ら十 日 の間 であ ったと思 ひ ます 。
其 の報 告 を モ ス コウ中 央 部 へ送 った のは何 時 か。
内 容 に変 更 を加 へよ う と思 って、 其 の 日 の内 に ク ラウ ゼ ンか ら取 戻
で 一度 ク ラウ ゼ ンに渡 し ま し た け れ ど、 近 衞 内 閣 が総 辞 職 し た の で
ど、 そ れ は何 処 の軍 部 であ る か私 に は判 りま せん 。
答
二八問
し て私 の手 許 に在 ったも の であ り ます 。
少 し前 、 多 分 九 月 末 で は な い か と思 ふ頃 、私 が書 い て モス コウ に報
三 七号 の方 は 何時 であ った かよ く 覚 え ま せ ん が、 三 八 号 のも のよ り
進 み過 ぎ は し な いか と申 し て、 私 方 に持 って参 った の であ り ま し た。
そ れは 、 三 八号 の方 であ り ま し て、十 七 日 の晩 ク ラウ ゼ ンが 、之 は
之 を知 る か 。
内 容 は宮 城 の書 いた も ので あ り ます が、 私 に は思 ひ出 せ ま せ
此 の時 、 前 同 押 号 の第 一六 三号 を示 す 。
二九問
答
ん。 或 は私 の病 気 中 に宮 城 が ク ラウ ゼ ンに渡 し たも ので は な いか と 思 ひま す 。
て居 た か或 は 屑 籠 に 捨 て てあ った かし た も のを 、警 察 官 が押 収 し て
告 し よう と 思 った も の の内 、 不 用 の部 分 を 切 り取 って机 の下 に落 ち
来 たも の で、 そ れ は 日米 交 渉 に関 す る オ ット大 使 の態 度 を 書 いた も
それ は 高 射 砲 陣 地 の位 置 を記 入 し た地 図 と 共 に 、宮 城 が ク ラ
ので あ りま す が 、 そ れ は モ ス コウ に は報 告 し な か ったも の であ り ま
三〇 問
私 は そ れ を よく 覚 えま せん 。
ウ ゼ ンに渡 し たも の で はな か った か。
ク ラ ウ ゼ ンは其 の地 図 と 共 に 、被 告 人 方 で宮 城 から受 取 った
答
若 し アメ リ カか ら 今 月十 五 日、 或 は十 六 日迄 に満 足 な 回 答 が
一旦 ク ラ ウゼ ンに渡 し た第 三八 号 の内 容 は如 何 。
三一 問
答
三五 問
す。
そ れ は何 の為 め に宮 城 か ら ク ラ ウ ゼ ンに 渡 し た の か。
そ れ なら 其 の通 り 間違 な い こ と と思 ひ ま す。
と 述 べ て居 る が如 何 。 答 三二問
う。 それ は今 月 乃 至来 月 と云 ふ如 き 近 き将 来 に於 け る 米 国 と の開戦
得 られ な い場 合 に は、 内 閣 は総 辞 職す る か或 は改 組 せら る る であ ら
に於 て、 予 審判 事 中 村 光 三 は裁 判所 書 記倉 林寅 二立会 の上 、 右証 人
和十 七年 十 二月十 九 日東 京 市 渋 谷区 千 駄 ケ谷 二丁 目 三百 八 十 五番 地
反 、軍 機 保護 法 違 反 、並 軍 用資 源 秘 密 保護 法 違 反被 告 事 件 に付 、 昭
被告 人 リ ヒア ルド ・ゾ ルゲ に対 す る 治安 維 持 法違 反 、 国防 保 安 法違
に対 し 訊問 す る こと左 の如 し。
を意 味 す るも の であ る。 親米 派 はグ ルー大 使 が何 か解 決策 を 発 見す
利 を占 め た ら極 東 に於 け る利 益 は、 全 部 日本 のみ に帰 す る。 若 し 、
答
一問
る こと に唯 一の期 待 を懸 け て居 る。 ソ聯 に関 し ては独 逸 が ソ聯 に勝
独逸 が勝 利 を得 な い時 は、 日本 は春 迄 機会 を 待 た ね ばな ら ぬ であ ら
処 遙 か に重 大 であ る 。定 期 の入営 は今 度 は余 程 大規 模 のも のであ ら
住居は
職業 は
年齢 は
氏名 は
東 京市 渋 谷 区 千駄 ケ谷 二 丁目 三 百 八十 五 番地
無
当 六 十 三年
松 岡洋 右
氏名 、 年 齢 、職 業 及住 居 は 如 何 。
う 。何 れ にし ても 対米 問 題 南 方問 題 の方 が、 北 方対 ソ問 題 よ り今 の
う と 云 ふ こと を述 べ、 金 を 五百 弗受 取 った ことを 述 べた後 、 吾 々は
職
今 や出 来 る こと なら 独逸 又 は ソ聯 に帰 りた い、 最 早 此処 に居 ても無
を取 調 べ、 之 に該 当 せ ざ る こと を認 め偽 証 の罰 を告 げ 宜 誓 を為 さ
予 審 判 事 は刑 事 訴 訟法 第 二百 一条 の規定 に該 当 す るも のな りや 否
人
幻回 oげ舞 鮎 ωo超 o 年
証人 は リ ヒア ルド ・ゾ ルゲ を知 って居 る か。 全然 存 じ ま せ ん。
西園 寺 公 三と はど ん な関 係 か 。
同人 の父 八郎 さん は毛 利 公 の出 で、 私 共 は毛 利藩 の者 であ り
ます 関 係 か ら、 西園 寺 公 一と も親 し く し て居 り、 私 が外 務 大 臣 当時
答
三問
答
二間
し め た り。
益 であ る、 それ は困 難 な こと で はあ る が、絶 対 に不 可能 では な い と
告
佳
生
駒
事
そ れ では 、重 ね て訊 ね る が、其 の報告 は モス コウ申 央 部 に は
思 ふ 、 そ れ に対 し返 事 を 呉 れ、 と要 求 した の であり ま す。 棄問
送 りま せん で し た。
送 らな か った のか 。 答
被 通
に は、 外交 の こと を勉 強 す る が よ いと申 し て、同 人 を外 務 省 嘱 託 に
倉
村
林
洋
光
寅
右
三
二
答
四間
為 め 、同 人 を連 れ て参 りま し た。
致 し、 私 が 昭和 十 六年 三月 、 ヨー ロッパ へ参 り ま し た際 に も見 学 の 裁 判 所書 記
中
岡
注 兆 銘 工作 は、未 だ南 京 の陥 落 す る前 か ら 、私 は満 鉄 総 裁 当
た こと があ る か。
所 謂 涯 兆銘 工作 に付 、 西園 寺 が活 動 し て居 る際 同 人 を激 励 し
予 審 判 事
松
証
人
右 通 事 を介 し読 聞 け た る処 、相 違 な き旨 申 立 て署 名 撫 印 し たり 。
東 京 刑 事地 方 裁 判 所
同 日於 同 庁作 之
証 人 訊問 調 書
様 な 次第 であ り ま し て、犬 養 や 西園 寺 等 は ず っと 後 にな って右 西 、
展 し た為 め、 陸軍 に協 力 し て貰 ひ 、次 で近衛 公 にも秘 密 を 打明 け た
時 西 義顕 、 伊 藤義 男 等 に命 じ て始 め ま した も の で、 其 の後 そ れ が進
た り聞 か せ たり 致 しま せん 。西 園 寺 は固 より秘 書 官 と錐 も同 様 であ
之 を取 扱 ふ者 に是 非見 せな け れ ばな ら な いも の以外 は 、絶 対 に見 せ
参 考 の為 め に申 しま す が、 外交 官 は非 常 に機 密事 項 を 重 要視 致 し 、
あ り ま した 。
り ます 。 そ れ故 私 の語 らな いこ とは動 作 によ って之 を察 す ると 云 ふ
伊 藤等 連 絡 の仲間 に入 った の であ り まし た 。
位 のも の であ った こと と思 ひ ます 。
西 園寺 に対 し 、狂 兆 銘 工作 は自 分 が始 め た も のだ か ら、 大 い
五問
︱ 〇問
そ ん な こと はあ り ま せん 。私 は帰 り に ソ聯 に寄 って交渉 す る
昭和 十 六年 四月 、 証 人 が日 ソ中 立 条 約 を締 結 し て帰 朝 し た の
そ ん な訳 では あり ま せ ん で した 。
で、 独逸 大 使 オ ット がそ れ に対 し 何 か尋 ね た様 な こと はな か った か。
と云 ふ こ とは 、 ヒ ット ラー にも ム ッソリ ニにも 話 しま し た ので オ ッ
答
昭和 十 四年 六 月頃 、 狂 兆銘 が来 朝 した 際、 証 人 は 日支 双方 の
に や れ と激 励 し た の では な か った か。 答 六間
あ り ま した 。
トが 心配 す る訳 はあ り ま せん 。尤 も 、 私 は独 逸 に於 て は当時 大 島 大
若 い者 を招 い て激励 し た こと があ った か。
其 の時 に は支 那 側 か ら周 仏海 、梅 思 平 、高 宗 武、 日本 側 か ら
答 七間
使 に も其 の こと に付 何 も 云 はな か った ので、 大島 か ら問 合 せ があ り
証 人 の帰 朝 後 、 日米 交渉 が開 始 さ れ て居 た の で、 オ ットが そ
ま し た。
答
そに 付 て は オ ット か ら問 合 せが あ り まし た 。
れ に関 し何 か申 した こ と があ った か。
=問
た か。 最 後 の二 人及 松 本 は よく 覚 え ま せん が 、其 の他 は其 の通 り で
松 本 重治 、 犬 養健 、西 園 寺 公 一、 西 、伊 藤 及矢 野 、 門松 等 が 出席 し
答
証 人 は 昭和 十 六年 三月 出 発 し て渡 欧 し 、同 年 四月 二十 二 日帰
あ り ま し た。 八間
其 の頃 証 人 は オ ット に対 し、 日米 交 渉 は 三国 同 盟 を 破殿 す る
も ので はな い。 独 ソが開 戦 す れ ば、 日 本 は独 逸 側 に参 戦 す る と申 し
三問
左様 であ り ま した 。
京 し た の であ った か。 答
云 って、 日本 が直 ち に同 盟 条約 によ って参 戦 の義 務 を負 っては居 り
参戦 を防 ぐ のが大 き な目 的 であ りま し た が、 独 ソ が開戦 し たか ら と
共 の様 な こと は申 し ま せ ん。 元来 日独 伊 三国 同 盟 は、 米 国 の
たか。
語 った通 り 、予 て 日独 伊 三国 同 盟 調印 の際 、 リ ッベ ント ロ ップ及 チ
ま せ ん。 又、 日 ソ中 立 条約 も独 ソ開戦 によ って破 殿 せら るる も の で
答
其 の渡 欧 の使 命 に 付 西園 寺 に 何 か話 し た こ とが あ った か。
ヤ ノ が電 話 で祝 辞 を 述 べ、是 非来 て戴 き た いと申 し た の で、 私 は事
別 に あ りま せ ん。其 の渡 欧 の使 命 に 付 て は当時 新 聞 記 者 にも
情 が許 した ら行 か う と申 し て置 き ま した の で、其 の機 会 に参 った の
も あ り ま せん 。併 し、 日本 外 交 の枢 軸 は 三国 同 盟 が 、其 の根幹 を為
答
九問
であ りま し て、 要 す る に外交 の相 手 を 知 り た いと 云 ふ こと が目 的 で
す も の であ り ま し て、之 と両 立 せ ざ るが 如 き状 況 が 生 じた 場合 には 、 答
左様 な ことは あ りま せん 。但 し、何 か断 片的 な話 の誤 伝 で あ
あ った か。
り ま せう 。
日 ソ中 立条 約 は之 を守 る こと が出 来 なく な る の であ り ます 。換 言 す れ ば、 日 独 伊 三国 同 盟 に背 い て迄 、 日 ソ中立 条 約 を締 結 す る趣 旨 で
それ はあ りま し た。 併 し 、松 本 は拒 みま し た し、 西園 寺 も 気
西 園寺 を オー スト ラリ ヤ公使 に、松 本 重 治 を米 国 大使 に、 各
一 八 問
答
な か った こと は、 スタ ー リ ンや モ ロト フも よく 承 知 し て居 る筈 であ
昭 和 十 六年 六月半 過 頃 、 証 人 は外 務大 臣 官 邸 にあ った茶 話 会
就 任す る様申 し た こと があ った か。
一 三 問
り ます 。
の散 会 後 、 別室 で大橋 次 官 、斎 藤 顧 問 等 と話 を し て居 た 際 、 西園 寺
岡
洋
三
二
石
松
寅
人
光
証
林
が進 まな い様 で、 其 の内 に沙 汰 止 み にな りま し た 。
村
そ れ は記 憶 があ り ま せん 、私 とし て云 兼 ね な い こと であ り ま
東 京刑 事 地 方裁 判 所
右 読 聞 け た る処 、無 相 違 旨申 立 署 名捺 印 した り。
が挨 拶 に来 た時 、 大橋 か ら独 逸 は最 近 ソ聯 を撃 つであ ら う か と申 す
倉
同 日於 同所 作 之
中
リ ヒ ア ル ド ・ゾ ルゲ
と 、証 人 は 大丈 夫 だ よ 、 そん な こと があ った ら此 の首 を 遣 る よ、 と
予 審 判 事
裁判所書記
告
第 四十 一回訊 問 調 書
被
人
申 した か 。 答
其数 日後 、 独 ソ が開 戦 し た の で、 西園 寺 か ら見 当 が外 れま し
し た。 併 し 、そ れ は わ ざ と嘘 を申 した の であ り ます 。 一 四 問
た ね、 と 云 はれ 、 ああ 云 って置 いた のさ、 と 申 し た か。 其 の様 な こと があ った かも 知 れ ま せん が 、記 憶 し ま せ ん。
右 の者 に対す る治 安維 持 法 違 反 、国 防 保安 法 違 反 、軍 機 保護 法 違 反 、
答
並 に軍 用 資源 秘 密 保護 法 違 反被 告 事 件 に付 、 昭 和十 七 年 十 一月 二十
四 日東 京 刑事 地 方裁 判 所 に於 て、 予 審判 事 中 村光 三 は裁判 所 書 記倉
昭 和 十 六年 七 月 二 日、 御前 会 議 に 於 て、 重 要国 策 問題 が審 議
そ れ は新 聞 にも発 表 し た通 り其 の通 り であ り ます 。
し訊 問 す る こと左 の如 し。
林 寅 二立会 の上 、通 事 生 駒佳 年 を介 し、 前 回 に引 続 き 右被 告 人 に対
一 五 問
証 人 は 一週 間位 の後 其 の内 容 を オ ット大 使 に告 げ た か。
知 って居 り ます 、 そ れ は スイ スの新 聞 記者 を し て居 た婦 人 で
被 告 人 は ガ ンテ ン ・ヴ ァイ ンと 云ふ者 を知 って居 るか 。
其 の当 時 オ ット 及伊 太 利 、 ソ聯 の各大 使 に、夫 々通告 した こ
決 定 さ れ た か。 答
答
一 六問
答
一問
あ り ま した。
オ ット に告 げ た内 容 は 、第 一日 本 は北 方 に対 し ては軍 備 を 拡
二問
一 七問
と はあ り ます が、 内容 は申 上 げ る訳 に は参 り ま せ ん。
充 し て、 近隣 から ボ ル シ ェヴ ィズ ムを 放 逐す る為 め準 備 を為 す こと 、
同 人も 被 告 人 の諜 報団 に関係 があ った か。
第 二日 本 は 、南 方 に対 し ては 積 極的 進 出 を継 続 す る こ とと 云 ふ ので
答
それ は支 那 に在 住す る独逸 人 で、 元 は商 人 であ りま し た が、
最 近 は独 逸 国 に雇 傭 さ れ て居 り ま し た。 併 し、 それ は領 事 館 であ る
同 人 は ギ ュンター ・シ ュタ イ ンの友 人 で あ りま し た の で、 同
人 の為 め に働 いた のであ り ま す が、 間接 に は吾 々の諜 報団 の為 め に
答
仕 事 を致 し た ので あ り ま した 。 九問
イ ンソ イ ン テリ イ ンベ スト等 の変 名 を 使 ふ こ とは 、 西暦 一九
左様 であ り ま し た。
其 の様 な 指 令を 伝 達 し て来 た のは ソ聯 大使 館 員 の セ ルゲ であ ったか 。
二問
答
四 一年 三 、 四月 頃 、 モ ス コウ中 央 部 から指 令 さ れ た の であ った か。
一 〇 問
商 人 を指 し て コン マサ ントと申 した のであ り ま す。
必 ず しも 同 人 とは 限 らず 、 同 人及 其 の他支 那 に在 住す る独 逸
モ ス コウ中 央 部 に 送 った電 報 の中 に出 て来 る コン マサ ント と
云 ふ のは同 人 を 指 し たも のか。
あ り ま し た。 併 し 、其 の用向 は覚 え ま せん け れ ど、 多分 私 自
答
同 人 は西 暦 一九 三 八年 頃 日本 を去 ったか 。
其 の後 同 人 は 、其 の翌 一九 三九年 頃 、横 浜 に寄 港 し た こ とが
左様 であ り ま し た。
か如 何 か よく 知 り ま せん が 、多 分 さ う で はな いだ らう と思 ひま し た。
答
三問
四問
同 人 は其 の時 香港 に居 た ギ ュンタ ー ・シ ュタ イ ンと 結婚 す る
あ った か 。 答
横 浜 に 同人 が寄港 し た際 、被 告 人 は ヴ ケリ ッチを 同 人 に会 は
為 め、 同地 に行 く 途 中横 浜 に寄港 し た ので あ りま し た。 五問
答
せ た こと が あ った か 。
そ れ はよ く覚 えま せん が、 電 報 で其 の様 な指 令 が来 た の では
一 二 問
な か った か と思 ひます 。
答
其 の際 被告 人 自 身 も同 人 に会 った の ではな いか。
指 令 を受 取 った の では な か ったか 。
左様 では な く、 マ ック ス ・ク ラウ ゼ ンが セ ルゲ に会 って其 の
左 様 でし た。 外務 省 の何 か の宴 会 が ニ ューグ ラ ンド で開 か れ
身 同 人 と話 し たく な か った から で あ った と思 ひま す 。
答
六問
た際 、偶 然 に会 ひ ま した 、併 し、 其 の時 には同 席 し て 一寸 挨拶 し た
或 は左 様 であ った かも 知 れ ま せ ん。
さ う云 ふ こと があ った かも 知 れ ま せん が 、 よく 覚 え て居 り ま
マ ック ス ・ク ラ ウゼ ンは、 ハルピ ンに居 たデ オ将 軍 か ら 二万
一 三問
答
米 弗 を被 告 人 に渡 す様 持 って来 た こ とが あ る か。
だ け であ り ま し た。 七問
ヴ ケリ ッチ に対 し ては、 ギ ュンタ ー ・シ ュタ イ ン の住 所 を 聞
く ことを 頼 ん だ の で はな か った か 。
答
せ ん。 何 れ に し ても、 それ は大 分 古 いこ と で、今 から 十 一、 二年前
私 はギ ュンタ ー ・シ ュタ イ ンと連 絡 す る こ とを 禁 ぜ られ て居
の こと では な か った か と思 ひます 。
答
は他 の新 聞 記 者 か ら 聞 い て判 って居 っても 会 は な か った位 であ り ま
り 、 一九 三九 年 の夏 、 香港 に参 った時 にも 、 同人 が香港 に居 る こと
を した と 述 べ て居 る が如 何 。
マ ック ス ・ク ラ ウ ゼ ンは、 日 ソ漁業 問 題 に関 し、 斯様 な 報告
一 四問 ド ク ト ル ・フ ォイ ク トと 云 ふ の は誰 か 。
す から 、其 の様 な 用件 では な か った と思 ひま す。 八問
此 の時 、 前 同 調 書 中 、 二五問 答 を 通 事 を 介 し読 聞け た り。
一 九 問 独 ソ戦 開 始 の二 、 三箇 月 前 、 即 ち 昭和 十 六年 三 、 四 月頃 、被
答 そ れも よく 覚 え て居 り ま せ ん。
答 自 分 は そ れを よく 覚 え て居 り ま せ ん。 私 は日 ソ漁 業 条約 は鮭
告 人 は多 数 の独 逸 人 か ら報 告 を 受 け 、 独逸 と ソ聯 と の戦 争 の 不 可避
調 書 中 、 五 間 の答 の内 、H 、 口 の記 載 を通 事 を介 し読 聞 け た り 。
此 の時 、 被 告 人 マ ック ス ・ク ラ ウ ゼ ンに 対 す る予 審 第 十 三 回 訊 問
に 関す るも の で、 鯨 に付 ては な か った様 に思 ひま す 。 そ れ は ク ラ ウ
と 云 ふ様 なも の があ った か 。
攻 撃 を 開始 す る であ ら う、 既 に大 軍 が満 州 国 境 に増 派 さ れ て居 る 、
モ ス コウ 中 央部 に送 ったも の の中 に 来 る べき解 氷 期 に 日本 軍 は ソ聯
国 境近 く に集 結 し て居 る と の情 報 も モス コウ に送 った か。
旅 行 か ら帰 った時 齎 し た 独逸 軍 隊 は ソ聯 攻 撃準 備 の為 め 、 ソ聯 と の
二〇問 同 月 四 、 五月 頃 、 独 逸 大使 館 附 陸 軍 武 官 シ ョル中 佐 が、 独 逸
ゼ ンが何 か と混 同 し た ので は な い か と思 ひま す 。 な る こ とを 予 見 し 、度 々 モ ス コウ に 宛 てて其 の こ とを 報 告 し た か。 董問 昭 和 十 四年 末 か其 の翌 昭 和 十 五年 始 頃 、 尾崎 の齎 し た情 報 中 、 答 それ は 致 し ま し た。
答 欧 州 戦 争 の後 であ り 、 ノ モ ン ハン事 件 の後 であ る と す れ ば、
に軍 隊 が集 結 し た と 云 ふ こ と は覚 え て居 り ま せ ん。
答 独 ソ戦 に付 ては シ ョルから 色 々聞 い て居 り ます が 、 国境 近 く
三問 シ ョルか ら西 部 戦 線 に 於 て行 動 し て居 た 飛 行編 隊 が現 在 は ソ
全 然 其 の様 な こと は な か った と 思 ひ ます 。
聯 国 境 に 送 ら れ て居 る と云 ふ情 報 をも 得 て之 を モ ス コウ に送 った の
答 其 の こ と は シ ョルか ら も聞 い て居 り ま せ ん し、 モス コウ に も
一 六間 昭和 十 五年 夏 頃 、 モ ス コウ に送 った 情 報中 、 日本 陸 軍 は ソ満
送 り ま せ ん。 併 し 、 独逸 空 軍 の こと に 付 ては他 の こ とを 聞 い てそ れ
国境 の地 下 を潜 る ト ン ネ ルを 築 造 し て居 り 、 之 は 昭和 十 六年 に 完 成
答
を モ ス コウに 報 告 し て あ りま す 。 其 の こと に付 て は既 に 申 上 げ てあ
では な か った か。
併 し、 其 の ト ンネ ルが何 時 完 成 す る か と 云 ふ こ とは 申 し て遣 り ま せ
る通 り であ り ま す 。
の 見 込 であ る と 云 ふ様 な も の が あ った か。
ん で した 。 尤 も 、 そ れ は確 定 し た事 実 とし て では な く 、其 の様 な 噂
之 は宮 城 か ら得 た情 報 で、 そ れ を モ ス コウ に送 ってあ り ます 。
一 七間 日支 事 変 の進 展 と、 日支 の和 平 交 渉 に関 す る 経 過 に付 ては 、
が あ る と申 し て遣 った 次 第 であ り ま す 。
撃 す る で あ らう と云 ふ情 報 を モ ス コウ中 央 部 に 送 った か。
ル カ ン諸 国 を占 領 した 。 独逸 軍 は左 翼 戦 線 に 於 て最 も強 く ソ聯 を 攻
一 三問 同年 六月 始 頃 、 独 逸 軍 は ソ聯 に対 し 行 動 を 起 す準 備 を し て バ
此 の時 、 前 同 調 書中 、 三三問 答 を 通 事 を 介 し読 聞 け たり 。
斯 様 な情 報 を モ ス コウ中 央 部 に 送 った か。
答 私 はさ う 云 ふ報 告 を覚 え て居 り ま せん 。
す 。例 へば左 翼 戦 線等 と 云 ふ言 葉 は 用 ひま し た が其 の他 は大 分不 正
答 其 の中 に は 其 の通 り であ る所 も あ り ます が大 分 違 って居 り ま
確 であ り ます 。
天間 日 本 の対 英 米 政 策 の推 移 に 関 し 、 モ ス コウ中 央 部 に斯 様 な情 報 を 送 った か 。
ノ モ ン ハン事 件 に関 し ては 該 事 件 に付 ては満 州 駐 屯 軍 が 之 に 二六間
日 独経 済 協 定 に付 ては 尾 崎 か ら斯 様 な報 告 があ った か。
此 の時 、前 同 調書 中 四問 答 を 通 事 を介 し読 聞 け た り 。
一 三問 参 加 し た 。 使 用 さ れ た飛 行 機 は共 の性 能 に於 てソ聯 極 東 軍 の飛 行 機 答
始 す る か ら 比較 的 効果 が 上 ら な いが 日 本 兵 は 敵 を近 く迄 引 寄 せ て攻
か に 優 れ て居 た 。 ソ聯 の飛行 士 は敵 を 発 見 す る と遠 方 か ら射 撃 を 開
と に付 ても そ れ に付 ては 余 り興 味 を 持 って居 り ま せ ん で し た。
も 私 は 独 逸側 と直 接 関 係 が あ り ま し た の で、 尾崎 の話 し て呉 れ る こ
り に付 て話 を聞 いた か如 何 か よ く覚 え て居 り ま せ ん が、 何 れに し て
私 も其 処 に尾 崎 の申 し て居 る通 り其 の協 定 の経 過 な り内 容 な
と同 じ 程 度 の優 秀 さ を持 った も の であ るが 共 の乗 組 員 は 日本 軍 が 遙
撃 を 開 始 す る か ら非 常 に効 果 が大 き いと 云 ふ様 な情 報 を モス コウ に
それ は覚 え て居 り ま せ ん。 之を知るか。
此 の時 、 被告 人 マ ック ス ・ク ラウ ゼ ンに対 す る治 安 維 持 法違 反 等
二 八間
答
央部 に送 った か。
意 義 に付 ては 嚢 に訊 ね た が被 告 人 は そ れに 関 す る情 報 も モス コウ 中
第 三次 近 衛 内 閣 の性格 或 は豊 田外 相 、 左近 司 商 相 等 の就 任 の
三七問
ク ラウ ゼ ンは私 共 が色 々其 の事 件 に 付 話 し た り議 論 した り し
送 った か 。 答
た こと と 報告 と を混 同 し て居 る の では な いで せう か。 私 は お 訊 ね の
泰 仏 印 問 題 並 蘭 印 問 題 に 関 し ては モ ス コウ中 央 部 に 斯 様 な情
様 な 電報 を打 った覚 え はあ り ま せん 。 二四 問 報 を送 った か。
す。
私 は知 り ま せ ん が之 は ク ラウ ゼ ンが暗 号 の仕 事 を す る時 に使
被 告 事 件 の証拠 物 昭 和 十 七年 押 第 三 九 二号 の三 五号 の 二、 二 を 示
さ う 云 ふ電 報 を 送 った 覚 えは あ り ま せ ん。
答
った も の であ ら う と思 ひ ます 。
泰 仏印 停 戦 協 定 を緯 る我 国 の両 国 に対 す る意 図 に付 尾 崎 秀 実
此 の時 、前 同 調 書 申 二 五問 答 を通 事 を介 し読 聞 け たり 。 答 霊問
は 斯 様 な こと を被 告 人 に報 告 し たと 述 べ て居 る が如 何 。
二九問
せた も のか 。
マック ス ・ク ラ ウ ゼ ンの解 読 し た 処 に よ る と其 の内 容 は斯 様
此 の時 、 被 告 人 尾崎 秀 実 に対 す る 予 審 第 十 二 回 訊問 調書 中 八、 九
な も の であ る由 であ るが 之 は被 告 人 が命 じ て モス コウ 中 央部 に送 ら
私 は 尾崎 が今 お読 聞 け の内 の 一部 を 確 か に私 に話 し て呉 れ た
問 答 を 通 事 を 介 し読 聞 け た り。
此 の時 、前 同 証 拠 物 中 に存 す る解 読 文 (英 文 ) を 示 す 。
答
こと を覚 え て居 り ます 。 併 し 今 お 読 聞 け の処 は漠 然 と な って居 り ま
答
進 政 策 を 続 け て行 く で あ らう と 云 ふ こ とを 尾 崎 が 話 し た こ と であ り
要 求 を 提 出 し て居 な いと 云 ふ こ と、 それ に も 拘 ら ず 日本 は将 来 も 南
電 報 の原 稿 に あ る も の であ り ま す。
報 告 し た 分 は前 に お訊 ね があ り ま し た私 のタ イ プ ラ イ タ ー で打 った
其 の他 は皆 私 か ら モス コウに報 告 し たも の であ り ま す 。 モ ス コウ に
最 初 の鉛 筆 書 き の分 は モ ス コウ から 来 た も の であ り ます が 、
す が私 が 判 然 思 ひ 出 し得 る こ と は第 三に日 本 は 其 の 調停 の際 秘 密 の
ます。
三〇問 マッ ク ス ・ク ラ ウ ゼ ンは斯 様 にそ れ を解 読 し た と云 ふ こと で
五 日東 京 刑 事 地 方 裁判 所 に於 て予 審 判 事 中 村 光 三は 裁判 所 書 記 倉 林
問 す る こ と左 の如 し 。
寅 二立 会 の上 、 通事 生 駒佳 年 を介 し前 回 に 引 続 き右 被 告 人 に対 し 訊
此 の時 、前 同押 号 の 四 一号 を 示 す 。
あ る が如 何 。
答 ク ラウ ゼ ンの筆 跡 です か ら多 分其 の通 り間 違 な いと 思 ひ ます 。
答 そ れは 宮 城 から の報 告 であ り ます 。 そし て此 の中 に は独 ソ間
此 の時 、 昭 和 十 七 年 押第 五 三号 の 三九 号 を 示 す 。
一問 之 を知 る か。
よ から う と警 察 官 に申 した のは 矛 盾 であ った と述 べた が 、 此 の電 報
の危 機 に対 処 す る 日本 の態 度 及 独 ソ戦 勃 発 後 に於 け る 日本 政 府 の態
三一 問 此 の電 報 に付 て は前 に訊 ね た 際 合法 機 関 に購 入 方 を 命 じ た ら
に は貴 殿 の合 法 機 関 に命 じ 購 入 せ し む べ き なり 。 之 最 良 の試 案 な る
度 に付 て記 載 し てあ り ます が、 其 の出 所 は 書 いてあ りま せ ん。 又 日
此 の時 、 被 告 人 マ ック ス ・ク ラ ウ ゼ ンに対 す る治 安 維 持 法 違 反 等
告
人
Ri cha rd Sorg e 年
確 報 を 得 て 一九 四 一年 六月 十 九 日会 議 を開 き 独逸 及 ソ聯 に対 す る 日
二問 其 の中 に は 日本 政 府 及 軍 部 の高 官 は独 逸 の ソ聯 攻 撃 に関 す る
軍 と の会 見 記 が書 い てあ り ます 。
け る態 度 に付 て、 例 へば 宇 垣 、荒 木 等 に関 し 書 い てあ り次 に荒 木 将
云 ふ こと は書 い てあ り ま せ ん 。 次 に独 ソ戦 に対 す る 日 本 の各層 に於
書 い てあ り ます がそ れ は 如何 な る人 が何 処 から 得 た 情報 であ る か と
ソ戦 の目 標 に付 ても 書 いてあ りま す 。 日 本政 府 該 当 者 の得 た情 報 が
本 陸 軍 が 仏印 に派 兵 さ れた こ とに 付 ても書 いてあ り 、 次 に 独逸 の対
べし と あ る様 であ る が 如 何 。
被 告 事 件 記 録 第 一冊 中 一 一九 丁 の記 載 を 通 事 を介 し読 聞 け た り 。 答 左 様 です 。第 二部 の方 は そち ら で買 へる な ら合 法 機 関 を し て 買 は せ て見 た ら よ か ら う と申 し て遣 った の であ りま した 。 合 法機 関
被
佳
生
駒
事
と は駐 日 ソ聯大 使 館 を指 し て申 した の であ り ます 。
通
本 の政 策 を 決定 し た。 日本 政 府 は 独 伊 と の三 国同 盟 条 約 を 守 る と 共
倉
林
寅
二
駐 独 日本 大 使 大 島 中 将 は 日本 政 府 に対 し屡 〓抗 議 的 電 報 を 送 った が
た 。 独逸 は今 日 迄 の処 日 本 に対 し未 だ何 等 の提 案 を も 為 し て居 な い。
に ソ聯 と の中 立 条 約 を 厳 守 し 而 し て中 立 を維 持 す べ き こと を 決 定 し 裁 判 所書 記
三
右 通 事 を 介 し 読 聞 け た る処 、相 違 な き旨 申 立 て署 名拇 印 し たり 。 同 日於 同 庁 作 之 東 京 刑事 地 方 裁 判 所
光
六月 二十 三 日 に 日 本政 府 は陸 海 軍 首 脳 部 会 議 及 首 相 、 外相 、陸 相 、
政 府 は其 の都度 之 を笑 殺 し去 った。
村
リ ヒ ア ルド ・ゾ ルゲ
中
人
予 審 判 事
告
右 の者 に対 す る 治 安 維 持 法違 反 、 国防 保 安 法 違 反 、軍 機 保 護 法 違 反
の如 く であ る 。軍 部 は将 来 の国 際 情 勢 の変 転 に 応 じ南 北 一体 作 戦 を
海 相 の会 議 を開 いた。 陸 海 軍 首 脳 部 会 議 に於 て決 定 さ れ た事 項 は次
被
第 四 十 二回 訊 問 調書
並 に軍 用 資 源 秘密 保 護 法 違 反 被 告 事件 に 付 、昭 和 十 七 年 十 一月 二十
日本 の決 心 の時 期 に 関 し 日本 は 山下 奉 文 中 将 の率 いる 独逸 への軍 事
専 門 家 は多 く ソ聯 は 三 箇 月 以 内 に敗 退 す るも のと 信 じ て居 る。
り 撤 兵 す る や も 図 ら れ ず 、戦 況 に関 す る 日本 軍 部 の見 透 と し て軍 事
く であ ら う 。 独逸 は重 要 な ら ざ る 地 域 を自 治 政 下 に置 いた 後 ソ聯 よ
逸 は ソ聯 内 に親 独 政 権 の樹 立 を 欲 し 重要 な る占 領 地 域 を 軍 政 下 に置
日本 政 府 官 辺 の得 た 情 報 では 独 逸 は ソ聯軍 の掃 滅 を期 し て居 る 。 独
と な った。
採 る べく 決 定 し た。 政 府 の首 脳 部会 議 は近 衛 首 相 の欠 席 の為 め 延期
す る の であ る と 同中 将 は語 った と 云 ふ様 な記 載 があ る か 。
五万 の兵 が進 駐 し て居 るが 作 戦 準 備 の完遂 に今 後 猶 相 当 の時間 を要
事 行 動 を 為 す に は 三十 万 の兵 力 を 要 す る と し て居 る。 現 在 仏印 に 四、
石原 中 将 の意 見 に よ れ ば シ ンガポ ー ル占領 と 同 じく 泰 国 内 に於 て軍
け る こ とを 希 望 し て居 る。
政 府 及軍 部 首 脳 部 は 交 渉 の余 地 を残 す が 為 め に如 何 な る戦 争 を も 避
部 も軍 部 も南 方 攻 撃 は 今年 末 に開 始 と其 の意 向 を変 へた。
に 十 月 末 が最 適 で又 最 も 危 険 な時 期 であ る と述 べた が政 府 最 高 首 脳
六 問 之 に は日 本 の南 進軍 事 行 動 開 始 の時 期 に関 し私 は前 の報 告 中
七 問 之 は被 告 人 から モ ス コウ中 央 部 に報 告 す る情 報 で は な か った
答 其 の様 な こ と が記 載 し てあ り ます 。
使 節 の帰 還 後 其 の態度 を決 す る であ ら う 。 日 本 は ア メリ カ に対 し 益
か。
益 融 和 的 態 度 を とら ざ るを 得 な い。 日本 各 層 に於 け る指 導 的 人物 の 意 見 では ア メリ カ と の関 係 を 考 慮 し て居 る 財 界 方 面 では消 極 政 策 を
八問 併 し 其 の末 尾 に御 壮 健 と 御 自 愛 と を祈 る オ ット等 と記 載 し て
あ りま す 。
答 左 様 で はな く 尾 崎 が宮 城 を通 じ て私 に 報告 し て呉 れ たも の で
支 持 し つ つあ る 。 北 進 政 策 を支 持 し て居 る 分 子 は今 や ソ聯 を攻 撃 す べし とし て居 る と 云 ふ 様 な記 載 があ る か。 答 其 の様 な記 載 であ りま す 。
答 左様 で はあ りま せん 。 宮 城 か ら私 に対 す る 報 告 であ り ます 。
三 問 之 は被 告 人 か ら モ ス コウ に報 告 す る も ので は な か った のか 。
答 一九 四 一年 六 月 二 十 日 、 二十 一日、 二十 三 日 頃 のこ と に関 し
す る挨 拶 であ り ま す 。
は 尾 崎 が宮 城 を 通 じ て報 告 さ せ た の であ り ま す か ら尾 崎 から 私 に対
ー と書 く べき を オ ット と書 き 誤 ったも の であ ら う と思 ひま す 。 そ れ
答 宮 城 は何 時 も 尾 崎 を オ ット ー と呼 ん で居 り ま した の でオ ット
あ る では な いか 。
て であ り ま す か ら 私 の報 告 を得 た の は同 月 二十 五 日 頃 の こ と であ り
九問 其 の報告 を受 け た のは 何 時 か 。
四問 そ れ は何 時 頃 宮 城 から 報 告 を受 け た の か。
五問 之 は如 何 。
此 の時 、前 同 押 号 の四 四 号 を 示す 。
一 〇問 之 は 如何 。
答 よ く 覚 え ま せ ん が同 年 九 月 末 か十 月 始 頃 であ った と思 ひま す 。
ま し た。
此 の時 、 前 同 押 号 の四 五号 を 示す 。 答 之 は 尾崎 が 日米 関 係 及 日 本 の南 方 膨 脹 政 策 に関 す る情 報 を宮 城 に話 し 宮 城 が私 の為 め に英 語 に翻 訳 し て呉 れ たも の であ り ます 。
答 之 は 日本 軍 の動 員 及防 空 演 習 に関 す る 宮城 の報 告 であ り ま す。
此 の時 、 前 同 押号 の 四 三号 を 示 す 。
した 表 であ り ます 。 そ し てそ れ は翼 賛 会 の出 来 る前 の状 況 を宮 城 が
答 之 も宮 城 が私 に 齎 し た思 想 、 政 治 其 の他 諸団 体 を漠 然 と分 類
書 いた も の で あ り ま す 。
之 に は九 月 二 十 日 か ら 二十 三 日 と書 いてあ り ま す の で そ れ か ら 、
一一 問 之 に は九 月 十 七 日 から 二 十 日迄 の間 に陸 軍 は 第 三 回 目 の大 動
二 、 三 日 後 に私 の手 に入 った ので あ る か と思 ひま す 。
一 四 問 之 は 如 何 。
答 之 は前 に申 上 げ た尾 崎 が持 って参 った満 鉄 か ら の資 料 の内 の
此 の時 、 前 同 押号 の 四〇 号 を示 す 。
員 を 終 了 し た様 子 であ る。 応 召者 は第 一補 充 兵 及 未 教 育 兵 の 二十 五
て居 る。 今 次 応 召 者 は 国 内防 衛 部 隊 とし て国 内 に残 留 す る筈 であ る 。
歳 から 三十 二歳 の者 であ る。 応 召 者 は東 京 の各 聯 隊 に於 て教 育 さ れ
一 五問 之 は如 何 。
小 冊 子 に付 て私 が其 の内容 を宮 城 に翻 訳 し て貰 ったも の であ り ま す 。
此 の時 、前 同押 号 の四 一号 を 示 す 。
高 崎 の第 十 四 師 団 管 轄 の歩 兵 十 五聯 隊 は満 州 か ら 帰 還 し九 月 十 五日
答 之 は宮 城 が持 って参 った 日本 の労 働 問 題 に 関す る統 計 等 を 集
に 原 隊 に 帰 還 した 。 日 本軍 の行動 は 九月 十 六日 の北支 及南 支 に於 け る新 作 戦 の発 表 以 来 不 明 とな った 。 日本 軍 部 に於 ては 独軍 の キ エフ
めた 資 料 であ り ます 。 其 の内 容 は 公式 の統 計 であ り ま す。
占 領 と共 に独 軍 の迅 速 な る 欧 露 進撃 の報 を 入手 し て以来 対 ソ問 題 に 関 し て論 議 さ れた 結 果 国 民 は 日本 が ソ聯 に対 し て冬期 作 戦 を 起 す と
︱ 六問 之 は如 何 。
と思 ひま す が そ れ は ラジ オ で モ ス コウ か ら来 た も のか、 或 は他 の人
答 之 は ク ラ ウ ゼ ンの筆 跡 であ り ます から 同 人 が手 に 入 れた も の
此 の時 、前 同押 号 の三 六 号 を 示 す 。
の説 が話 題 と な って居 る。 日本 軍 部 の相 当 の地 位 にあ る 人 の言 に よ
あ る 。 九月 二十 日前 後 に ソ満 国境 に於 て 日 ソ両 軍 の小部 隊間 に衝 突
から の情 報 であ った か如 何 か 、其 の点 は 私 には よ く判 り ま せん 。
れ ば 目本 軍 最 高 幹 部 の意 向 は現 状 を傍 観 す る こ と にあ り と の とと で
が起 き たが 両 軍 共 に 司令 部 の命 令 に より 短 時間 の戦 闘 の後 、 撤 退 し
令部 は何 処 に在 る か 、 又其 の計 画 中 に係 る 建設 箇 所 は何 処 か 、 各新
の新 戦 車 隊 が建 設 せら れ た か 、十 八噸 戦 車 は幾 何 か、 東 京 の防 空 司
一 七問 之 に は神 戸 近 辺 では 石 油貯 蔵 所 及 船 渠 が あ る か、 日本 に幾 何
現 在 で は平 穏 であ る 等 と記 載 し てあ る か。 答 其 の通 り であ り ます 。
此 の時 、前 同押 号 の 四 二号 を 示 す 。
三問 之 は如 何 。
師 団 司 令 部 は如 何 な る 部隊 か ら編 成 せら れ る か と 云 ふ様 な記 載 が あ
意 味 であ り ます が其 の他 はお 訊 ね の通 り であ り ま す 。
答 最 後 の処 は如 何 な る新 し い師 団 司 令 部 が 設 け ら れ た か と云 ふ
るか。
答 之 は宮 城 が私 に持 って参 り ま し た 日本 軍 部 内 に於 け る派 閥 の こと を書 い た表 であ り ま す 。 併 し そ れ は宮 城 が 自 身 作成 し たも の か 他 の雑 誌 か ら でも 、 抜 萃 し た も の か其 の点 は私 に は 判 り ま せ ん。 三問 之 は 如何 。
一 八問 そ れ なら そ れは モ ス コウ 中 央部 か ら被 告 人 の諜 報 団 に来 た 指
ス コウ に報 告 し た ので は な か ったか 。
様 に独 逸 大 使 館 附 武官 等 か ら我 軍 の兵 器 等 に付 て調 べ た上 そ れ を モ
答 私 は そ れ に対 し 特 殊 な 調 査 を致 し ま せん 。 独 逸 大使 館 にそ れ
告 事 件 記録 第 一冊 中 三九 七 丁 及 五 五〇 丁 の記 載 を 示 す 。
此 の時被 告 人 マ ック ス ・ク ラウ ゼ ンに対 す る治 安 維 持法 違 反等 被
令 を ク ラ ウ ゼ ンが解 読 し た も の で はな いか 。 答 多 分 左 様 で あ りま せう 。 一 九問 之 は 如 何 。 此 の時前 同押 号 の 四八 号 を 示 す 。 答 之 は私 の収 支 に関 す る覚 書 であ り ます 。
し て モ ス コウ に報 告 し た こと は あ る かも 知 れ ま せん 。
の であ り ま す 。 尤 も私 は徐 々に そ れ に関 す る知 識 を 得 てそ れ を総 括
に 関 す る資 料 のあ る かな いか を知 って居 りま した が そ れ は な か った
此 の時 前 同 押 号 の四 六 号 及 四 七 号を 示 す 。
二〇問 之 は如 何 。
答 之 は ラ イ カ で撮 った フ ィ ル ムであ り ま す が 内容 は 小 さ い の で
此 の時被 告 人 マ ック ス ・ク ラウ ゼ ンに対 す る予 審 第 十 七 回訊 問 調
居 る と述 べ て居 る が如 何 。
五年 中 に モス コウ 中 央部 に送 った 軍 事情 報中 斯 様 なも のを 記 憶 し て
二四 問 マッ ク ス ・ク ラ ウ ゼ ンは 昭 和 十 三年 中 及 昭和 十 四年 、 昭 和 十
よく 判 りま せん 。 三問 其 の各 撮 影 し た も の は之 であ る 様 であ る が如 何 。 此 の時前 同押 収 品 の写 真 を 示 す 。
動 車 の日本 に対 す る輸 出 の見 込 に 付 ての書 類 を 直 ぐ 返 さな け れ ば な
ラウ ゼ ンが申 し て居 り ま す 。例 へば南 昌 に駐 屯 す る 師団 の如 き がそ
答 昭和 十 三年 の分 に 付 ても私 の知 って居 る よ り 以 上 の こ とを ク
書 中 二問答 、 四問 答 及 六問 答 を 通 事 を介 し読 聞 け た り 。
ら な か った か、 或 は 写 真 機 、 フ ィ ル ムの試 験 の為 めか に 、其 の様 に
答 四 六 は 如何 な るも の か私 は 存 じ ま せ ん 。 四 七 の方 は独 逸 の自
撮 影 し て置 い たも の であ る と 思 ひ ます が今 其 の何 れ であ る か判 りま
って居 りま した の で電報 で知 ら せ た こと は あ り ま せ ん。 夏 門
れ であ りま した 。 朝 鮮 の師 団 に付 ては 年 鑑 等 に も書 い てあ り よ く判
であ り 、 又 ク ラウ ゼ ンは麻 布 で動 員 を 見 た と あ り ます が 其 の様 な こ
時 は占 領 した こと は なく 港 湾 から と 云 ふ が 如 き非 常 に不 正 確 な こと
も其 の
せ ん。 三問 マ ック ス ・ク ラウ ゼ ンの述 べ る処 に よる と 我陸 軍 の編 成 替 等
とを モス コウ に報 告 した こ とは あ り ま せ ん。
に関 す る諜 報 内 容 は斯 様 であ った と云 ふ こと であ る が如 何 。 此 の時 被告 人 マ ック ス ・ク ラ ウゼ ンに対 す る予 審 第 十 回 訊 問 調 書
昭 和 十 四年 の分 に付 ても 全 体 と し て は何 も 申 上 げ ら れ ま せ ん が、 例
へば伊 太利 から 百 二 十 台 の飛 行 機 を 買 入 れ た と あ り ます け れ ど 、 そ
中 一八問 の答 の内一 乃 至四 の記 載 を 通事 を介 し読 聞 け た り 。 答 ク ラ ウ ゼ ンは暗 号 の仕 事 に よ って得 た知 識 を 混 同 し て色 々な
れ は 百 二十 台 と云 ふ 数 も な く 日本 が伊 太 利 と そ れ を買 入 れ る交 渉 を
し て居 ただ け でそ れ を報 告 し た の であ り ま し た。
混 乱 を来 し て居 るも の と思 は れ ます 。 私 に はそ れ は よ く判 りま せ ん。 二三問 被 告 人 は モ ス コウ中 央 部 から の斯 様 な指 令 に基 き既 に訊 ね た
ル と関 係 のあ る のは 一九 三 六年 日独 経 済 協 定 の際 活 躍 し た ハー ク で
陸 海 軍 にも 関 係 が な く ハイ ンケ ル とも 関 係 は あ り ま せ ん。 ハイ ンケ
る と思 ひま す 。 一例 を申 す と カ ウ マ ンとあ り ま す が そ れ は 一私 人 で
昭 和 十 五 年 の分 に 付 て も 矢張 り不 正確 で大 分 混同 し て居 る事 柄 が あ
云 ふ こ と は出 て居 り ま せ ん で した 。
駐 屯 地 の名 前 の出 た の は宇 都 宮 、 京 都 、大 阪 だけ で共 の他 は何 処 と
表 は電 報 を 打 つ際見 せ ま し た が、 さ 程 重要 で はあ り ま せ ん でし た。
尾 崎 の作 った表 が其 の電 報 を 打 つ際 役 立 った と云 ふ のは間 違 で其 の
十 三 箇 師 団 が東 部 国 境 に居 る と云 ふ こと は私 は知 り ま せ ん でし た。
の であ ら う と思 は れ ます がそ れ は 公 然 の も の であ り ま す 。
大 使 館 附 武 官 シ ョル等 が 伊 太利 大 使 館 附 武 官 と情 報 の交 換 を し たも
と云 ふ こ とは あ り ま せ ん 。伊 太利 大 使 館 から の情 報 と 云 ふ の は独 逸
支 那 か ら 進 駐 し た の で 日本 郵 船 、 大 阪 商 船 等 の船 で海 上輸 送 を した
密 接 な関 係 を 保 って協 力 し て居 た と云 ふ こと を強 調 した いと思 ひ ま
軍 第 四本 部 の本 部 長 と し て ウ ォロ シ ロフ、 スタ ー リ ン及 モ ロト フと
避 け た いと云 ふ こと に あ ったも の であ り ま す 。私 は ウ リ ッキ ー が赤
げ た通 り ウ リ ッキー の声 明 に よる も の で結 局 ソ聯 と 日本 と の衝 突 を
と を申 し た か今 覚 え ま せ ん が、 そ れ は要 す る に前 に判 事 さん に 申 上
答 それ に 付 ては前 に検 事 にも 申 上 げ ま し た が検 事 に如 何様 な こ
二 六問 要 す る に被 告 人 の日 本 に於 け る諜 報 活 動 の目 的 は 如 何 。
あ り ます 。 日本 で は従 来 飛 行 機 は ハイ ンケ ルや ユンカ ー スから 一、 二 台 の モデ ルを輸 入 し研 究 し て居 り そ れ等 は 秘密 の こと で はあ り ま
ク ラ ウ ゼ ンは 無 電 に 関 す る技 術 的 な事 項 を 担 任 し て居 り ま し た の で
す。
せ ん で した 。 次 に 仏印 に 船 で行 った とあ り ま す が 其 の当 時 に は陸 路
政 治 、 軍 事 等 の事 項 に は関 係 さ せま せん でし た か ら、 同 人 が 其 の様
二七 問 そ れを 強 調 し た いと云 ふ訳 は 。
答 ウ リ ッキ ー が今 申 し た様 に声 明 し た のは同 人 が個 人 とし て の
な 情 報 を よ く 知 って居 る筈 があ りま せん の でお訊 ね の事 柄 は全 く 不
フ等 と協 力 し其 の者 等 の希 望 と し ても そ れ を 申 し た の だ と思 って居
希 望 の みを 述 べた も ので は なく ス ター リ ン、 ウ ォ ロシ ロフ、 モ ロト
正確 な も の で私 と し て は そ れを 認 め る訳 に は 行 き ま せ ん。 二五問 マ ック ス ・ク ラ ウ ゼ ンは 昭 和 十 六年 中 モ ス コウ中 央 部 に送 っ
る か ら であ り ま す 。
た 日本 陸 海 軍 に 関 す る情 報 中 斯 様 な も のを 記憶 し て居 る と述 べ て居
二 八問 其 の点 に 付被 告 人 は検 事 に 斯 様 に述 べて居 る が如 何 。
二問 答 を 通 事 を 介 し読 聞 け たり 。
此 の時 被 疑 者 リ ヒア ル ド ・ゾ ルゲ に 対 す る第 四十 六回 訊 問 調書 中
此 の時 被 告 人 マ ック ス ・ク ラ ウゼ ンに対 す る予 審 第 十 八回 訊 問 調
る が如 何 。
書 中 一問 の答 の内一 乃 至 七 の記 載 を 通 事 を 介 し読 聞 け た り。
訳 に は行 きま せん が 、 其 の他 はお 読 聞 け の通 り相 違 あ りま せん 。
答 世 界 革 命 と私 共 の活 動 とを 関 連 せ し め ら れ て居 る点 は認 め る
答 そ れも 甚 だ 不 正 確 で あ り色 々な 事 項 が 混 同 さ れ て居 る様 であ
二九問 被 告 人 の諜報 団 は 日本 の政 治 、 外 交 、 軍事 、経 済 其 の他 諸般
り ます 。 例 へば 千 葉戦 車 隊 と あ りま す がそ れ は鉄 道 連 隊 で あ りま す 。
師 団位 に な る だ らう と 聞 いた ので其 の旨 打 電 した の であ り ま し た。
満 州 に 三十 箇 師 団 駐 屯 し て居 る と云 ふ のは 大 使館 附 武 官 か ら三 十 箇
の情 報 資 料 を 蒐集 し て之 を モ ス コウ中 央 部 に報 告 す る こと を 任 務 と
こ とを 罰 し て居 り ま し ても 、 実際 上 は社 会 組 織 の上 か ら秘 密 が保 た
三一 問
のも の であ った の であ りま す 。
何 人 かが 決 定す る の で、 私 が知 り ま し た秘 密 と申 し ても そ れ は間 接
か の決 定 を す る と 云 ひま し ても 一人 で決 定 す る の でな く其 の周 囲 の
れな い様 に な って居 る と 云 ふ こと であ り ます 。 例 へば 近衞 首 相 が何
そ れ は 其 の通 り間 違 あ り ま せん 。 併 し そ れ は ソ聯 と 日本 と の
し之 迄 述 べた 様 な 活動 を し て来 たも の であ る こと は間 違 な い か。 答
す。
平 和 を 維 持 し其 の衝 突 を避 け た い と云 ふ観 点 か ら致 し た の であ り ま
私 共 が 日 本 へ来 る時 に は ソ聯 は 独 逸 と戦 ふ よ り は寧 ろ 日本 と の間 が
日 か ら軍 用 資 源 秘 密 保 護 法 、 昭和 十 六年 五月 十 日か ら 国防 保安 法 が
私 は 最後 の国 防 保 安 法 の こと に 付 大体 の こ とを 聞 き 重 大 な情
昭 和 十 二年 十 月 十 日 か ら軍 機 保 護 法 、 昭 和 十 四 年 六 月 二十 六
危 険 な 状 態 であ り ま し た。 どう ぞ 其 の点 を御 注意 願 ひ た い と思 ひま
答
各 施 行 さ れ た が其 の こ とを 知 って居 た か 。
せん でし た 。
報 は 禁 止 さ れ た ことを 知 りま した が 、其 の他 の法 律 に付 ては知 り ま
ソ聯 と の平 和 を 維持 し 且 つ衝 突 を 避 け た いか ら と の観 点 から
だ と致 し ても 被 告 人 の諜 報 団 に於 て蒐 集 せん と す る我 国 の政 治 、 外
三〇 問
す。
交 、 軍 事 、 経 済等 に関 す る事 項 の内 に は 我政 治 上、 外 交 上 、 軍 事 上
併 し 日本 に於 ても 軍 事 上 の秘 密 及 軍 用 資 源 の秘 密 を 探 知 蒐 集
し外 国 に 通 報す る が如 き行 為 は 処罰 し て居 ると 云 ふ こと は知 って居 たか。
三二問
日本 に於 て政 治 上 、 外交 上或 は軍 事 上 、 国防 上若 く は軍 用 資
或 は 国防 上、 軍 用 資 源 関 係 等 か ら見 て外 国 に対 し ては秘 密 に しな け
答
れ ば なら ぬも のも あ った で は な い か。
て居 り ま し た が具 体 的 に個 々 の如 何 な る行 為 が それ等 の秘 密 に当 る
一般 的 に そ れ等 の事 項 に付 処罰 さ れる 規 定 のあ る こ とは 知 っ
か と云 ふ こと は よ く判 りま せん でし た。
答
三三 問
源 の上 で外 国 に対 し秘 密 に し なけ れば な ら な いも の があ る こ とは 勿
ど の程度 の秘 密 を 探 知 蒐 集 す る こと が罰 せら れ るか と 云 ふ こ と は各
論 で それ を 探 知 し た だ け で も各 国 が処 罰 し て居 る の であ り ま し て、
知 った と云 ふ こと で あ る が、 被 告 人 は 如何 な るも のを 重要 な情 報 だ
国 防 保安 法 施 行 に より 重 大 な情 報 が禁 止 され た と 云 ふ こ とを
せ ら れる のか 其 の法 律 を私 はよ く 知 り ま せん の で よく 判 りま せん が 、
国 に よ って違 ひま す の で 日本 に於 て法 律 上 如 何 な る こ とを す れば 罰
私 が 蒐 集 し た情 報 に付 て申 し ま す と政 治 的 の情 報 の内例 へば
と思 った か 。
前 に申 上 げ た 独 ソ戦 勃 発 後 の御 前 会 議 の決定 に関 し、 之 を 如 何 に解
答
何 れ に し ても 私 共 の諜 報 団 の仕 事 は其 の様 な 法 律 のあ る か な い かを
し た様 な任 務 に付 て の仕事 を致 さ なけ れ ばな ら な い訳 であ り ま した 。
日 米会 談 に関 す るも の であ りま す が 之 は 重大 な情 報 を 得 る迄 に 至 ら
釈 す る か と云 ふ こと が 重大 な情 報 の 一であ った と思 ひま す 。 次 に は
問 は ず 、 ソ聯 と の平 和 を 維 持 し衝 突 を 避 け る為 め に課 せら れ た 今 申
って居 る の であ り ま す 。 そ れ か ら次 には 日 本 の法 律 で は秘 密 を 犯 す
尚 附 加 し て申 し ま す と 日本 の法 律 は広 く も狭 く も解 釈 出 来 る様 に な
な い内 に私 が検 挙 され て仕 舞 ひ ま し た 。私 は自 分 の蒐 集 した 情 報 中 第 二 に 重要 であ った と思 ふ のは松 岡外 相 が訪 欧 の際 携 へて行 った 権 限 に 関 す る も の であ った と思 ひ ます 。 次 は陸 軍 首 脳部 と関 東 軍 将 校
被
人
申
村
光
三
リ ヒ ア ル ド ・ゾ ルゲ
予 審 判 事
告
第 四十 三回 訊 問 調 書
並 に軍 用 資 源 秘 密 保 護 法違 反 被 告 事 件 に付 昭 和 十 七 年 十 一月 二十 七
右 の者 に対 す る治 安 維 持 法違 反 、 国 防 保 安 法 違 反 、軍 機 保 護 法 違 反
日東 京刑 事 地 方 裁 判 所 に於 て予 審 判 事 中 村 光 三は裁 判 所書 記倉 林 寅
と の会 議 に於 て本 年 申 は開 戦 し な いと の決 定 を した と 云 ふ こと で之
の情 報 だ と 思 ひ、 之 が第 三 に重 要 な情 報 であ ったと 思 って居 り ます 。
は 或 は 軍・ 事 上 の情 報 と お考 へに な る か も知 れま せん が 、私 は政 治 上
宮 城 与徳 は昭 和 十 四年 中 に於 て斯 様 な軍 事 情 報 を 被 告 人 に告
二立 会 の上 、通 事 生駒 佳 年 を 介 し前 回 に引 続 き右 被 告 人 に 対 し訊 問
答
私 に は よく 思 ひ出 せま せん が 宮 城 が其 の様 に申 し て居 れ ば左
答 の内日 乃 至凶 、因 及 一四、 一五問 答 を通 事 を介 し読 聞 け た り。
此 の時 被 告 入 宮 城与 徳 に対 す る予 審 第 十 五 回訊 問 調 書 中 = 問 の
げ たと 述 べて居 る が如 何 。
一問
只 今 私 が御 前 会 議 と申 し た のは 七 月 二日 の御 前 会 議 を指 し て申 し た
尾 崎 の齎 し た日 米 交 渉 に関 す る 日 本案 の内 容 の如 きは 如 何 。
す る こと 左 の如 し。
冒 西問
そ れ は日 米 交 渉 の 一段階 であ り ます の で非常 に興 味 を そ そ る
の であ り ます 。
答
も の では あ り ま し た が決 定 的 に至 って居 り ま せ ん の で そ れ程 重 要 な も のと は 思 ひま せ ん で し た。
様 であ り ま し た こ と と思 ひま す 。尤 も其 の頃 機 械 化 部 隊 は存 在 し な
其 の様 な 内容 は政 府 大 本 営 連 絡 懇 談会 、所 謂 連 絡 会 議 に附 せ
前 に 申 上 げ た通 り であ り ま す 。 兵員 の訓 練 に付 酷 寒 の際致 し た と云
ら れ る様 な も の で我国 に於 て は重 要 な 国 務 に 関 す る機 密 事 項 であ る
量問
私 は 尾崎 か ら其 の出 所 は 聞 か な か った の でそ れ は知 り ま せ ん
か った様 に思 ひ ます し 朝 鮮 の師 団 の こと に付 ては 矛 盾 のあ る こ とを
答
こと は知 ら な か った か。
林
寅
二
同 年 五月 頃 に於 け る 日本 陸 軍 の対 ソ編 成 及対 支 編 成 に よる 甲
私 は 甲師 団 が対 ソ編 成 、 乙 師団 が対 支 編 成 と 云 ふ のは 間違 っ
て居 り満 州 に も 甲 乙 双方 の師 団 があ った も のと思 って居 り 宮 城 の共
答
此 の時 前 同 調 書 中 一七 問答 を通 事 を 介 し読 聞 け た り。
如何 。
乙師 団 の編 成 に 関 し ては斯 様 な情 報 を 告 げ た と 宮城 は申 し て居 る が
二間
ふ こと を 小代 か ら の報 告 と し て宮 城 が話 し て呉 れ た こと は覚 え て居
男8﹃碧血 ωo吋σqo 年
人
でし た の で私 と し ては 主 観 的 に申 し ます と そ れ程 重 要 な も のと は思
告
り ま す。 被
佳
生
駒
事
ひ ま せ ん で した 。
通
倉
右 通 事 を 介 し読 聞 け た る 処相 違 なき 旨 申 立 て署 名 揖 印 した り 。 同 日於 同 庁 作 之
裁判所書記
東 京刑 事 地 方 裁 判 所
原 油 は艦 船 戦 車等 の運 輸 に使 ひ 又原 油 から ベ ンジ ンを作 って
航 空 用 にも 使 ひ 工場 工廠 等 の燃 料 に も使 ふも のと 思 って居 り ま し た。
答
要 す る に私 は尾 崎 の報 告 し た の は原 油 であ って、 そ れ か ら艦 船 用 も
の情 報 は矛 盾 があ る と思 ひ ま す。 のみ な らず 当 時 は 過 去 に於 て其 の 様 な 区 別 が あ った のを 其 の区 別 を除 去 す る と云 ふ こ と であ った と思
った か も知 れ ま せ ん が私 は其 の様 に 矛盾 があ って価 値 がな いも ので
被 告 人 の諜 報 団 に 於 ては何 程 の経 費 を 要 し た か 。
ニ年 二万 米 弗 の支 出 を許 され 最 大 限 二箇 月 二千 米 弗 の支 出 は
被 告 人 等 諜 報 団 の成員 は 其 の内 何 程 位 使 った か 。
其 の金 は赤 軍 第 四 本 部 から来 る も の だ と思 って居 り ま す。
許 さ れ て居 り 最 近 には そ れ を も っと倹 約 し ろ と 云 は れ て居 りま し た 。
答
六問
航空 用 に も何 に でも 使 へる こと に な る と考 へて居 た ので あ り ます 。
ふ の であ り ます 。 宮 城 が其 の様 に報 告 し た と申 し て居 れ ば 左様 であ
す から 記憶 し て居 ら な い の かも 知 れま せん 。 昭 和 十 六年 九 月頃 宮 城 から 斯 様 な 情報 の報 告 があ った か。
其 の点 に付 て は前 の訊 問 の際 同 じ こと を訊 ねら れ た時 お 答 へ
此 の時 前 同 調書 中 一九問 の答 の内 ω 、 ㊨ を通 事 を 介 し 読 聞 け た
三問
りo 答
る こと の報 告 を 受 け た 記憶 は あ り ます が、 満 州 に関 す る色 々の話 は
尾 崎 は定 期 に は与 へま せん で し た が旅 行 す る 時 其 の他 に時 々数 百 円
ヴ ケリ ッチ に は 四 百円 、 宮 城 に は月 三 、 四 百 円宛 与 へて居 り ま し た 。
私 自 身 が 月 六百 円 から 八百 円 位 宛 、 ク ラウ ゼ ンが月 六 百 円 宛 、
記 憶 し ま せ ん。 そ れは 其 の点 に付 宮 城 か ら話 は 聞 いた か も知 れま せ
そ れ等 は 最 初 か ら変 ら な い金 額 であ り ま す。 其 の他 ク ラウ ゼ ンに は
宛 与 へて居 り ま し た 。
答
七間
ん が それ に関 す る 報告 書 は貰 は な か った か、 或 は貰 っても よく 見 な
し た通 り であ り ま し て 、私 は宮 城 から 東 京 に 於 て知 った動 員 に関 す
か った か で はな か った かと 思 ひ ま す。 其 の内 容 が矛 盾 と 不 明瞭 なも
ゼ ンには 無 電 機 の修繕 費 等 は別 に与 へて居 り ま し た。
家 賃 月 百 七 十 円 、 ヴ ケ リ ッチ に は同 じ く 五 十 円 を払 って遣 り クラ ウ
其 の手帳 は之 か。
押 収 さ れ て居 る手 帳 に記 載 し てあ り ます 。
それ は 何 に 記帳 し た か。
時 々は 記 け ま し た が記 け な い こと もあ り ま し た。
それ 等 の収 支 は記 帳 し てあ る か 。
の であ る こ とは 前 のお 訊 ね の際 申 上げ た通 り であ り ま す。 殊 に満 州
答
九問
答
八間
に於 け る事 柄 を 宮 城 が 如 何 に し て調 査 し た のか 私 に は そ れ が判 り ま
尾 崎 から 昭 和 十 六 年 八 月頃 聞 いた と云 ふ我 国 の石油 貯 蔵 量 に
せん。 四間
軽 油 と か重 油 と か云 ふ区 別 は 聞 き ま せ ん でし た。 私 は 其 の石
付 ては、 其 の石 油 の内 訳 に 付 て の数量 に付 て は聞 かな か った か 。 答
一〇 問
二間
其 の内容 は警 察 官 に説 明 し た通 り間 違 な いか 。
左 様 です 。
此 の時 昭 和 十 七年 押 第 五三 号 の三 〇号 を示 す 。
油 の種別 に付 て特 に聞 かな か った ので そ れ は原 油 と考 へて居 り ま し
答
た。 尾 崎 か ら の其 の石 油 貯 蔵 量 の報 告 に は陸 海 軍 のも のも あ った の であ る が そ れ は如 何 な る 用 途 に使 は れ るも のと 思 った か。
五問
答
問 違 あ り ま せ ん。 被 通
告
人 事
駒
佳
年
即ぽゲ霞 伍 ωo中 σ Qo 生
答
之 は 諜報 団 の金 の支 出 の覚 書 で団員 に与 へた金 等 を 記 載 し其
の取 った金 、 ∬ は ク ラ ウゼ ン、 皿 は ヴ ケ リ ッチに与 へた金 であ り ま
の総 額 や 負 債 に付 ても 記 載 し た ので あ り ます 。 其 の記 載 の内 1 は私
し てW 1 の付 いた の は ク ラウ ゼ ン、 2 は ヴ ケ リ ッチ、 3 は ヴ ケ リ ッ
チ の先 妻 エデ ィ ット の各 家 賃 であ り ます 。 0 と云 ふ のは 尾 崎 に与 へ
林
寅
二
と 思 は れ る金 の記 載 が あ り ます が 一月 の分 に は宮 城 の下 に書 い てあ
た金 、 其 の下 は宮 城 に与 へた金 で其 の下 に は ミ キ即 ち 小 代 に 与 へた 倉
る のは ミ キ であ ったか 如 何 か そ れ は思 ひ出 せま せ ん 。
右通 事 を介 し読 聞 け た る 処相 違 な き旨 申 立 て署 名 担 印 し た り。 同 日於 同 庁作 之 東京刑事地方裁判所 裁 判 所書 記 三
私 は昨年 十 月 十 八 日 土曜 日 の朝 逮 捕 さ れ た の で あり ま す が 宮
尾崎 や宮 城 と最 後 に連 絡 し た の は何 時 か。
光
四間
あ り ま し た 。私 の逮 捕 され る 二 、 三 日前 即 ち 火 曜 日 に 尾崎 と
其 の後 は同 人 等 と 連絡 す る約 束 は な か った か。
城 と は それ より 十 日位 前 、尾 崎 とは 十 四 日 位前 に連 絡 致 しま し た 。
答
三問
村
人
申
告
予 審 判 事 第 四 十 四 回 訊 問 調書 被
リ ヒア ルド ・ゾ ルゲ 右 の者 に対 す る治 安 維 持 法 違反 、 国防 保 安 法 違 反 、 軍 機 保 護 法 遣 反
答
木 曜 日に 宮 城 と連 絡 す る約 束 であ り ま し た が会 ふ こと が出 来 な か っ
並 に軍 用資 源 秘密 保 護 法 違 反 被 告 事件 に 付 、 昭 和十 七年 十 二月 二十 八 日東 京 刑 事 地 方 裁 判 所 に於 て予 審 判 事 中村 光 三 は裁 判所 書 記 倉 林
尾 崎 とは 夕 方 満 鉄 の料理 店 ア ジ ア で会 ふ 約束 で あ った の で其
如 何 し て連 絡 出 来 な か った か 。
寅 二立 会 の上 、 通 事 生 駒 佳年 を介 し前 回 に 引続 き右 被 告 人 に対 し 訊
六間
それ から被 告 人 は如 何 した か。
私 方 に来 る約 束 であ り ま し た が之 も 参 り ま せ ん で し た。
処 へ参 り ま した が 尾 崎 が来 な か った の であ り ま す 。 宮 城 は木 曜 日 に
答
五問
た の であ り ま す 。
前 に 示 し た被 告 人 の会 計 の控 だ と 云 ふ此 の書 面 は何 時 頃 のも
問 す る こと 左 の如 し 。 一問 のか 。
之 に は負 債 の こ と が書 い てあ り ま す 。 二九 三九 年 には 金 が 来
此 の時 昭 和 十 七年 押 第 五 三号 の 四 八号 を 示 す 。 答
た ので其 の時 にも 其 の儘 待 って居 りま し た。
何 時 も 其 の様 に連 絡 出来 な い時 に は 二、 三日 待 って居 り まし
尾 崎 や 宮 城 が 逮捕 さ れ た の では な いか と は 思 は な か った か。
答
思 ひ ます 。 そ し て そ れは 同 年 一月 か ら 三箇 月 のも の であ る と思 ひ ま
木 曜 日 に は宮 城 が来 な か った ので 不安 に な り金 曜 日に は 尚 心
な いで 借 金 を し た こ と があ りま す か ら多 分 其 の年 のも の であ った と
す。 之 は会 計 の下 書 き であ り ま す。
答
其 の内容 は。
七間
二間
配 にな り ま し た 。 其 の日 は約 束 に よ って ク ラ ウ ゼ ンも ヴ ケ リ ッチ も 答
通 常 の スパ イ活 動 な ら相 手 国 の弱 点 を 探 って通 報 す る の です
を 害 す る こと のあ る こ とは判 って居 た か。
か ら 日本 に と って不利 益 に な る と思 ひま す が 、私 の致 しま した のは
私 方 に参 り ま し た の で、 ヴ ケリ ッチに 翌 日電 話 で満 鉄 及 現 代 日本 と 云 ふ雑 誌 社 を 通 じ て尾崎 と連 絡 す る様 に頼 ん で置 いた のであ りま し
そ れ と反 対 で之 迄 申 し た通 り 目 ソ間 の平 和 の為 め に活 動 した ので あ
り ます から 、 日 本 の不利 益 に な ると は 思 ひ ま せ ん で し た。
前 に 訊 ね た様 に被 告 人 は モス コウ に宛 て帰国 し た い と申 し て
た。 八問
一三 問
先 づ 形式 的 の こ と に付 て 三、 二申 上げ た いと 思 ひま す 。 そ れ
此 の時 予 審 判 事 は 本 件 嫌疑 の原 由 を 告 知 し た り。
被告 人 が 本件 に付 嫌 疑 を 受 け た 原 由 を告 げ る が何 か弁 解 す る
遣 る 筈 であ った と のこ と であ るが 、 そ れ は其 の様 に被 告 人 等 の身 辺
別 に 危 険 を感 じ た か ら と云 ふ訳 では な く 日本 に於 け る任 務 が
こ とが あ る か。
答
の危 険 を感 じ た為 め で は な か った か 。
答
は 第 一に自 分 の齢 は十 月 で四 十 七 才 に な った こと、 第 二に 私 の国 籍
完 了 し た か ら モ ス コー 又 は ヨー ロ ッパ で 仕事 を し た い と思 った か ら
こと を聞 け ば或 は私 の国 籍 を奪 ふ かも 知 れな い ので果 し て独 逸 人 で
で あ り ます が、 前 に独 逸 人 であ る と申 しま し た が現 在 ナ チ スが此 の
あ る と 云 ふ こと が出 来 る か 如何 か判 り ま せん 。 ソ聯 の国 籍 を得 る こ
であ り ま す 。其 の任 務 と云 ふ のは 日 本 が愈 ζソ聯 と戦 争 を し な いと
九問
と を要 求 す る権 利 があ る か 如何 かも 、 私 は 其 の点 に関 す る ソ聯 の法
云 ふ こと を確 か め た から であ り ま す。
且 つ其 の衝 突 を避 け た い と云 ふ 観 点 か ら であ った と述 べた が 、 其 の
律 を知 り ま せん の で判 り ま せん 。
被 告 人 は被 告 人 等 の諜報 活 動 は 日本 と ソ聯 と の平 和 を維 持 し
活 動 の当時 被 告 人等 が其 の様 に 考 へて活 動 し ても 其 の活 動 し た 結果
次 に 三般 的 の こと に 付 て で あ り ます が 、 先 づ起 訴状 に は私 共 の諜報
ます 。 ヴ ケリ ッチ の関係 し た処 は国 家 の秘 密 でも なく 重 要 な 情 報 で
活 動 と国 家 の秘 密 に付 て よく 考 究 せず 簡 単 に断 定 し て居 る様 に思 ひ
ので は な いと 云 ふ こ とは 知 って居 た か。 ソ聯 が 日本 と戦 争 を す る様 な場 合 に はお 訊 ね の様 な こと に な
が 必 ず しも 予 期 の如 く 日 ソ問 の平 和 を維 持 す る こと に のみ役 立 つも
答
る こと も あ る と思 ひ ます が、 私 は ソ聯 は 日本 と戦 争 を す る こと は な
も あ りま せん 。 同 盟通 信 で も外 人 記 者 でも皆 よ く知 って居 る事 柄 を
同 人 は 齋 し た ので あ り ま し た。 同 じ こと が宮 城 に付 ても 申 上 げ ら れ
い と思 って居 り ま し た 。
ま す 。 宮 城 も新 し い重 要 な 情 報 を 齎 す こと は出 来 な か った の であ り
併 し 日 本 で対 ソ戦 を開 始 す ると 云 ふ時 に は ソ聯 も之 に応 戦 す
が国 家 の秘 密 かと 云 ふ こと は疑 問 であ り ま す 。 尾 崎 は朝 飯会 か ら聞
の で私 の場 合 は独 逸 大 使 館 か ら得 た の であ り ま す が そ れ も ど の点 迄
ま す 。 真 の意 味 の政 治 情 報 は 尾 崎 と 、場 合 に よ っては 私 と が得 たも
二〇 問
其 の様 な 可能 性 はあ りま す が、 其 の必然 性 があ る訳 では あ り
る こ とに な る で は な いか。 答
要す る に被 告 人 等 の諜 報 活動 は 日本 の国 防 上 、 軍 事 上 の利 益
ません。 =問
の秘 密 のも の等 を得 た こ とは あ り ま せ ん 。其 の他 は宮 城 や 時 々尾崎
の齎 し た 世 間 の噂 や想 像 等 があ った の であ り ま す。
宮 城 が街 頭 で見 聞 し た 様 な も の で参 謀 本 部 内 に於 け る情 報 の如 き 真
軍 用 資 源 に 付 ても起 訴 さ れ て居 り ま す が そ れ は両 者 共 些 細 な も ので
い て来 た と云 ふ の で朝 飯 会 は国 家 の機 関 では あ り ま せ ん の で朝 飯会
の外 に東 京 に 沢 山 あ った こと であ りま せう 。 又 尾崎 が重 要 な 国 家 の
の知 って居 る様 な こと は国 家 の秘 密 では な く 同様 な会 は其 の朝 飯 会
秘 密 であ ると 思 って持 って来 ても それ が 果 し て政府 に於 て極 め て重
決 し て重 要 な も の ではあ りま せ ん。
事
生
駒
佳
年
人 Ri c har d Sorge
要 な も のか 如 何 か自 分 に は判 り ま せん 。 要 す る に 尾崎 の齎 し た情 報
告
私 と コミ ン テ ル ンと は直 接 にも 間 接 に も 関係 あ り ま せ ん。
通
被
も 大 本 の秘 密 では な く秘 密 の場 所 から 既 に離 れ て居 た情 報 であ り ま す 。 私 の入 手 し た 情 報 が ど の程 度 に法 に触 れ る か判 り ま せ ん が、 私
林
寅
三
二
右 通 事 を 介 し読 聞け た る処 相 違 な き 旨 申 立 て署 名 拇 印 し た り。
が独 逸 大 使 館 か ら得 た情 報 は既 に他 の国 の機 関 が知 って居 た事 柄 で
倉
光
決 し て秘 密 な も の では な く 、 又其 の情 報 は私 が 罰 せ ら れ る様 な手 段
裁判所書記
村
同 日於 同 庁作 之
東京刑事地方裁判所
中
情 報 が重 要 であ る か 如 何 か は私 の主 観 的 な見 方 であ り ま し て客 観 的
並 に軍 用 資 源秘 密 保護 法 違 反 被 告 事件 に付 、 昭 和 十 七年 十 二月 五 日
右 の者 に 対 す る治 安 維 持 法 違 反 、 国 防 保 安法 違 反 、 軍 機 保 護 法違 反
被
第 四 十 五回 訊 問 調書
予 審 判 事
を 以 て得 た も の では な く 、大 使 館 から 自 発 的 に 与 へら れ たも の であ り ます 。 日本 の政 府 か ら 独逸 大 使 館 に与 へた 情 報 は時 に は大 使 館 以 外 に も伝 へら れ る こと を認 識 し て与 へら れた に違 ひ な いと思 ひま す 。 日本 側 から 出 た も の でな く 独逸 側 から 出 た情 報 は 日本 に於 て それ に
に法 律 上 か ら見 て重 要 であ る か 如何 か と 云 ふ こ とは 私 に は判 ら な い
東 京 刑 事 地 方裁 判 所 に於 て予 審 判 事 中 村光 三 は裁 判 所 書 記 倉 林寅 二
対 し何 も 命 令 す る 様 な 形式 を持 ったも の では あ り ま せ ん。 又純 政 治
の で あ り ます 。
立 会 の上 、 通 事 生 駒佳 年 を介 し前 回 に 引続 き右 被 告 人 に対 し 訊問 す
此 の時 昭 和 十 七年 押 第 五 三号 の三 四 号 を 示 す。
リ ヒ ア ル ド ・ゾ ルゲ
次 に 軍事 情 報 は根 本 から 間 違 った も のが多 く 寧 ろ間 違 った と 云 ふ よ
人
り は価 値 のな い も の が多 か った ので あ り ま し て、 本 当 の意 味 の秘 密
一問 此 の手帳 に 記載 し た自 動 車 等 生 産 額等 に付 て は曩 に 訊 ね た が
る こ と左 の如 し 。
告
のも の は な か った と思 ひま す 。私 が得 た情 報 中 価 値 が あ った のは独
答 あ り ま す 。 そ れ に 一九 四 〇 年 の夏 頃独 逸 大 使 館 附 武 官 マ ッキ
そ れ に関 す る資 料 は 此 の外 にも あ った か 。
逸 参 謀 本 部 の者 が伯 林 で作 った支 那 事 変 の上 海 附 近 に於 け る 日支 双
し た が併 し之 は価 値 はあ った が 秘 密 のも の で はあ り ま せん でし た。
方 の戦 闘 方 法 を研 究 し た も の であ り ま し た。 之 は モス コウ に 送 り ま
日 本 側 か ら得 た軍 事 情 報 中 価 値 のあ った も の は少 く 、 強 ひ て云 へば
き ま した 。
が 日本 から 帰 国 す る直 前 私 に対 し其 の こと を 書 いた資 料 を お い て行
って居 る と考 へる方 が 正 し い であ ら う 。 更 に 全経 済 が次 第 に薄 弱 化
画経 済 が生 産 を 妨 害 す る様 な傾 向 を 示 し て居 る為 め評 価 価 値 は 下廻
り は寧 ろ高 過 ぎ るも のが全 部 であ る。 のみ な ら ず過 度 な官 僚 的 な 計
し て行 く と云 ふ事 実 は従 来 講 ぜら れ た 緊 急措 置 を更 に 一層 講 ぜ ね ば
二問 其 の資 料 と 云 ふ の は之 か。 此 の時 前 同 押 号 の七 一号 を 示す 。
な ら ぬ こ とを 考 慮 に 入 れ なけ れば な ら ぬ か ら、 概 観 が更 に 附加 的 に
一、 乗 用 自 動 車
の資 料 で次 の事 を 取 扱 ふと記 載 し て、
又 基準 的 に益 〓成績 が低 下 す ると 云 ふ 意味 を冒 頭 に記 載 し 、次 に 此
答 左 様 であ り ます 。 三問 そ れ では之 は駐 日独 逸 大 使 館 の文書 な の か。 答 左 様 であ り ます 。 四 問 そ れ を マ ッキ が被 告 人 に渡 し た意 味 は。
め よ と申 し て同 人自 身 の持 って居 た其 の資 料 を私 に 寄 越 し た の であ
マ ッキ は 帰国 す る こ と にな った ので私 に対 し お前 が之 を 研究 し て纒
の で私 は そ れ を先 程 お示 し の灰 色 の手帳 に書 取 った の であ り ます が、
七、 農 業 用 及 牽引 車 用 モー ター
六、 固 定 モー タ ー 並船 舶 用 モー タ ー
五、 軍 用 特 殊 自動 車
四、 戦 車
三、 貨 物 自 動 車
二、 貨 物 自 動 車 、戦 車 及 其 の他 の軍 用特 殊 自 動 車 用 の モー タ ー
りました。
答 マッキ は其 の直 前 私 に 対 し 自動 車 の生 産 額 等 を教 へて呉 れ た
五 問 そ れ で は マ ッキ から 其 の様 に渡 さ れ た其 の資 料 に は何 が書 い
八、 牽 引 車
一〇 、 飛 行 機 用 モー タ ー
九 、 自 動 自 転 車 及自 動 三輪 車
一 一、 飛 行 機
答 灰 色 の手 帳 に書 い てあ る こ と と同 様 な 日本 に 於 け る 発動 機 及
てあ る のか 。
自 動 車 工 業 に関 す る調 査 を 記 載 し て あ り ます 。 尤 も そ れ に は灰 色 の
と記 載 し それ に続 け て次 に各 方 面 に 於 け る最 も 重 要 な 工場 名 及 生 産
手 帳 に 書 いて な い そ れ に関 す る 説 明 が記 載 し てあ り ま す 。
額 を挙 げ る。 実 際 の生 産額 と生 産 能 力 と が非 常 に差 のあ る場 合 に は
六 問 其 の内 容 を詳 述 せよ 。 答 先 づ そ れ に は次 の表 は 一つ の評 価 に過 ぎ な い と云 ふ のは 公式
ら大 部 分 挙 げ な い。 日本 の各 領 域 に於 け る生 産 品 に 付次 の注 意 を 予
生 産 能 力 を 挙 げ る 。次 に型 に付 ては 短 か い此 の表 では重 要 で な い か
イ、 一般 モー タ ー
め書 い て置 く と 記載 し、
の統計 が支 那 事 変 勃 発 以 来 発 表 さ れ な いか ら であ る 。併 し な が ら此
に検 査 し た も のであ る から であ る 。大 体 実 状 に即 し て居 る が数 パ ー
の表 は多 く は信 頼 す べ き若 干 の報告 を基 礎 に し て作 り 、更 に批 判 的
セ ント の差 はあ る かも 知 れ な い。此 処 に挙 げ た数 字 は皆 低 過 ぎ る よ
は 殆 ど使 用 に堪 へな い。
命 であ る 。第 一回修 理 後 の手 入 が 全 く な い為 め第 一回 の修 理後
之 には 飛 行機 用 のも のも 入 れ て居 り そ れ は使 用 には 堪 へる が 短
均年 齢 は判 然 判 った 機械 工 でも そ れ より 高 く は な い。 斯 かる 悲 観 す
均年 齢 は優 良 工場 に於 てさ へ二十 二歳 乃 至 二十 三 歳 であ る。 其 の平
機 械 と か技 術 に付 て は何 も知 ら な い。 徒 弟 は 非 常 に悪 い、 工員 の平
べき状 態 に在 るが 部 分的 に 工員 養 成 所 の徒 弟 の訓練 に よ り改 善 の傾
迄 の処 全 く 需 要 を 充 た す に足 ら な い。 又 個 々 の労 働者 及従 業 員 の能
向 は認 め ら れ る (日 産 、 三菱 、 愛 知 時 計 等 )。 併 し な が ら そ れ は今
ロ、 特殊 自動 車 特 に 六輪 の貨 物 自 動車
理 の仕 方 が悪 い から 非 常 に悪 く な る。
何 等 の比較 に も な ら ぬ し、 生 産 額 を直 接 推 測 す る基 礎 に は な ら な い
二、 三人 が 独 逸 のそ れ の 一人 に匹 敵 す る 。 工員 の数 だ け では従 って
率 は独 逸 の基 準 に 比 し遙 か に下 位 であ る 。 日本 の労 働 者 又 は 従 業員
之 は 比較 的 良 く 寿 命 は 中 等度 であ る。 矢 張 り 最初 の修理 後 は修
ハ、普 通 の貨 物 自 動 車 及 乗 用 車
が解 決 さ れな い から であ る。 更 に手 入 も 悪 い。
之 は劣 等 で非 常 に短命 であ る。 之 は優 秀 な 特 殊 材料 の使 用 問 題
で なく 当 にな ら な い。少 し でも 非 難 の余 地 のな い修 理 の能 力 と
其 の組 立 は 中 等度 か ら良 と云 ふ処 迄 行 って居 る が組 立 が徹 底 的
本 国 産 と し て重要 と 云 ふ より も寧 ろ 興味 があ る の に過 ぎ な い。 其 の
約 三 万 台 )。 ダ ット サ ン (日 産 ) 及 太 田 の如 き小 型 の 自動 車 は 純 日
於 て組 立 てら れ る フ ォー ドと シボ レー に よ り充 た さ れ て居 た (年 額
頭 に 支 那事 変 以前 に於 け る日 本 の乗 用自 動 車 の需 要 は 大 部分 日本 に
と説 明 し右 一、 二 の事 項 の みに 付 第 一乗 用自 動 車 と題 し て、共 の冒
云 ふも のは 存 在 し な い場 合 が多 い。 注 意 し て日本 外 務 省 の或 る
二、 飛 行 機
官 吏 が 秘 密 に知 ら せ て呉 れた 処 によ る と (証人 が存 在 し て居 る )、
ード 及 シボ レー は未 だ 能 率 の高 い限 り徴 用 され軍 用 に供 す る為 め支
最高 生産 高 は年 額 約 五千 台 であ る 。支 那 事 変 開 始 以来 米 国製 の フ ォ
那 に 送 ら れ て居 る。 之 等 の自 動車 は 短時 間 の中 に 破 壊 し用 を 為 さな
一九 三 九年 八 月 か ら九 月 に掛 け て世 界 一周 を し た全 日本 号 も 実
く な って居 る。 其 の余 の生産 は殆 ど全 部 軍 用 に 供 せ ら れ て居 る 。 一
は ロー ベ ルト ・ボ ッシ ュの附 属 品 を使 用 し て居 る と云 ふ こと で あ る 。 日本 の飛 行 機 工業 に 於 け る 自称 能 力 は此 の特 殊 な 場 合 に
の後 尚 七千 台 を 製 作 し て居 る が、 一九 四 〇年 の始 以来 之 も 生 産 が中
九 三九 年 以 来 シボ レー の組 立 は全 然 停 止 に な って居 り フ ォー ドも 其
於 ても決 し て反 証 には な ら な い。 ホ、 装 備 と附 属 品
イ ダ ット サ ン小 型
型
力
一 〇〇 〇〇台
能
中
生
産
止
高
止 に な って居 る。 後 に 残 った も の は残 余 の生産 品 であ る、 と 説 明 し
一、 二 の特 例 を 除 き中 等 度 以 下 であ る 。 機 械 的 な 仕 上 は中 等 度
産
か ら良 の程 度 であ る 。材 料 の選 択 は 不 十 分 であ り規 格 の統 一も
工場 名
其 の次 に、
一、 日
不 十 分 で寿 命 が 短 く手 入 も全 然 駄 目 であ る 。 と記 載 し 、 次 で熟練 工 と熟 練 し た技 師 は 工場 が 飛 躍 的 に拡 大 さ れ多 く の 工場 が建 設 さ れ た為 め人 員 が不 足 し て居 る。 大 多 数 の労 働 者 は
二、 豊
田
1︱ 2
㈲ 日産 2一 1 ω 1 開始した許り
軍 用 約 五〇〇台
一四 、 日 本 発 動 機
︺三、 神
軍用
五〇〇
二〇〇
三〇〇〇
二九 、大 阪 機 器 製 作 所
一八 、大
三七 、 田
阪
申
機
機
械
械
二六 、 大 阪 鉄 工 所
一五、 大 阪 発 動 機
各種 デ ィーゼ ル
各種 大 き さ の
鋼
二〇〇〇
二〇8
軍用
五〇〇
き 〇︱
二〇 、 大 阪 機 器 工作 所
総 計
約
倉
工
廠 二三 、 満 州自 動 車 奉 天
二 二、 小
二 一、 神 戸 発 動 機
三五〇〇ー 四五〇〇
生 産 高 六8 〇 台 き〇 〇
ベ ン ジ ン及 デ ィー ゼ ル 一︱ 一 閏一 ﹄汎吻司
新 建設
一〇〇〇
製
2L
同
戸
L 二〇〇〇
㈲豊 田米国模造品 三〇〇
甲
六 五〇〇
崎
三、川
軍用乗用車
田 1 ﹁ 2 三 三 二〇〇
五〇〇
四 、 自 動 車 工業 五、太 2
﹂
五〇〇〇
セフ チ ー モ
約
ー タ ︱ ス
小
型
六 、
計
デ ィー ゼ ル
ベ ンジ ン 吾ー δ〇 馬力
型
次 に第 二貨 物 自 動車 、戦 車 及軍 用 特 殊 自 動 車 用 モー タ ー と題 し 工 場 名 一、 自 動 車 工 業
七問
計 約 お〇〇
一嵐〇〇〇ー 一六〇〇〇
一九 三 九年 或 は 一九 四 〇 年 に 云 々と記 載 し てあ る では な いか。
さう は 思 ひま せ ん。
其 の資 料 に は 二九 四〇 年 と記 載 し てあ る が 、其 の頃 の日 本 の
そ れ等 の生 産 額 を 調 べた も のか。
と 云 ふ こと が書 い てあ る の であ り ます 。
約 一〇〇 〇
約 δ8
ペ ンジ ン及デ ィーゼ ル
二、川 崎 ド ッ ク
四︱ 六気 筒
約 っ お〇
同
答
立
八間
三 、陸 軍 運 輸 部 (工廠 ) デ ィー ゼ ル 六気 筒
約 三〇 〇〇
四、 日
各 種 デ ィ:ゼ ル
貝
五、 池
一九 四 〇年 に記 載 し たも の です か ら其 の年 の分 では な く そ れ
より 前 のも のだ と思 ひ ます 。
答
九問
約 三〇〇 約 三〇〇
同
約 二〇〇
汽動 車 デ ィ︱ ゼ ル
同
約 δ〇
約
り ます 。
い いえ其 の様 な こと は致 し ま せ ん。
之 は写 真 に写 し て フ ィ ル ムを モ ス コー申 央 部 に送 った の か。
六気 筒
検 事 に対 し ては そ れ等 を送 った様 に述 べ て居 る で はな いか 。
﹁ ー
六〇︱ 三 〇〇 馬力
答
検 事 が 誤 解 し た か 或 は私 が間 違 へて申 上げ た か の何 れ か であ
六 、 所 謂 デ ィ︱ ゼ ル
デ ィーゼル
約 δ〇
答
一 〇問
阪
約 三〇〇〇
島
同
川
七、石
五〇 崎
ベ ン ジ ン、 デ ィ ー ゼ ル L T及 汽 動 車 用
四気 筒
菱
同
八、伊 藤 鉄 工 所
大
同 岡
九、赤 坂 鉄 工 所 二〇 、 片 一 一、 川 一二 、 三
一一 問 其 の文 書 を手 に入 れ た 事 情 は検 事 に申 し て居 る 通 り間 違 な い か。 答 間 違 な い と思 ひま す 。 一二 問 前 に 日本 の石 油 貯蔵 量 を訊 ね た が其 の石 油 に は 原 油 のみ なら
答 私 は 原 油 だ と 思 って居 り そ れ から 色 々 の石 油 に精 製 し て直 ぐ
ず航 空 用揮 発 油 及 重 油 等 を 含 ん で居 る も ので はな か った か 。
一 三問 本 日 の訊 問 に 対 し被 告 人 の陳 述 し た 処 も 亦 、被 告 人 の本 件 嫌
使 用 出 来 るも のだ と 思 って居 り ま した 。
疑 を 受 け た 原 因 と な る も のであ る が、 何 か弁解 す る こ と があ る か。 答 今 日 お 訊 ね を受 け ま し た資 料 及 石 油 の問題 は何 れも 個 人 的 な 推 測 に過 ぎ な いと 云 ふ こ と を申 上 げ て置 き ます 。 尚 附 け 加 へて申 上 げ ます が、 私 は 私 の送 った情 報 を如 何 モ ス コー の 第 四 本 部 で取 扱 ふ か に付 て 二度 お 訊 ね を受 け 一度 は少 数 の者 の間 で 相 談 し て云 々と申 上げ 、 一度 は 自 分 は知 ら な い と申 上 げ ま し た 。 そ れは 一見 矛盾 し た答 の様 であ り ま す が 、決 し て左 様 では な く前 者 は 私 が第 四本 部 に居 った の で個 人的 に知 って居 った こと に 付申 上 げ、
被
告
事
生
駒
佳
年
人 Ri cha rd Sorge
後者 は 公式 の答 と し ては 知 ら な いと 云 ふ こ と が正 し いか ら申 上げ た のであ りま し た 。
通
裁判所書記
倉
林
寅
二
右 通 事 を 介 し 読 聞 け た る処 相 違 な き旨 申 立 て署 名拇 印 した り 。 同 日 於 同 庁作 之 東京刑事地方裁判所
予 審 判事
中
村 光
三
六 予 審終 結 決 定
本 籍 独 逸 国 伯 林市 住 居 東 京 市 麻 布区 永 坂 町 三十 番 地
一九 一七年 )伯 林 市 内 の野戦 病院 に後 送 せら れ て療 養 中 右 医 学 部 に
志 願 出 征 し、 東 部 戦 線 に 於 て前 後 二回 の戦 傷 を負 ひ大 正 六年 (西 暦
を免 除 せら る る に 及 び ﹁キ ー ル﹂ 大学 に転 じ、 翌 年 ﹁ハンブ ルグ ﹂
通 学 し 次 で国 家 学 部 に転 じ 、 大 正 七年 (西 暦 一九 一八年 )遂 に兵 役
同 大学 を卒 業 す る と 共 に同 大 学 に於 て国 家 学 ﹁ド ク ト ル﹂ の学 位 を
大 学 に転 校 し て国家 学 及経 済 学 を 修 め 大 正 九年 (西 暦 一九 二〇 年 )
得 た る後 、同 市 全 国 組 合 中 央 本部 助 手 、 ﹁アー ヘン﹂市 ﹁カ ー ル﹂高
等 工業 学 校 助 手 、 炭 坑 坑 夫 、 ﹁フラ ンク フルト ﹂ 大学 社 会 学 教 室 助
手 兼 講 師 等 に転 々就 職 し居 り た る も の な る が、前 記 屡次 の出 征 中 戦
著作 家 兼 新 聞 記 者
は野 戦 病 院 に於 て看 護 婦 及 医 師 等 よ り 左翼 的 啓 蒙 を 受 く る に及 び、
乱 の惨 禍 を体 験 す る と共 に或 は戦 場 に於 て兵 卒 左 翼 分 子 と交 遊 し或
曾 て ﹁カー ル ・マ ルク ス﹂ が ﹁第 一イ ンタ ー ナ シ ョナ ル﹂ を創 立 し
リ ヒ アル ド ・ゾ ルゲ
右 の者 に対 す る治 安 維 持 法違 反 、国 防 保 安 法 違 反 、 軍機 保 護 法 違 反
当 四十 七 年
並 に 軍 用資 源 秘 密 保 護 法 違 反 被告 事 件 に付 、 予 審 を 遂 げ終 結 決 定 を
被 告 人 は 父 が 旧 露国 ﹁コー カ サ ス﹂ 州 ﹁バ クー ﹂附 近 に於 て石 油 技
大 正 八 年 (西 暦 一九 一九 年 ) 九 月独 逸 共 産 党 の結 成 せ ら る るや 同 年
り 、其 の頃 ﹁キ ー ル﹂ 市 に於 て独 立社 会 民 主党 に 加 入 し て活 躍 し 、
結果 、大 正 七年 (西 暦 一九 一八年 ) 頃 より 共産 主義 を信 奉 す る に 至
る政 治 的 経 済 的 危機 特 に敗 戦 独 逸 に於 け る 社会 的 混 乱 を 目 賭 し た る
つ つ各 種 の左 翼 文 献 を渉 猟 繕 読 し、 且 つ右 大 戦 後 西 欧 諸 国 を襲 ひ た
た る当 時 共 の書 記 た り し祖 父 ﹁ア ド ル フ ・ゾ ル ゲ ﹂ の事 跡 を追 想 し 文
為 す こ と左 の如 し。 主
本 件 を東 京 刑事 地 方 裁 判 所 の公 判 に付 す 。
師 を 為 し居 り た る頃 、 明治 二十 八年 (西 暦 一八 九 五年 ) 十 月 四 日 同
し居 り た る 間 、大 正十 二年 (西 暦 二九 二 三年 ) 国 際 共産 主義 運 動 の
十 二月 ﹁ハンブ ル グ ﹂市 に於 て同党 に加 入 し諸 般 の同党 活 動 に従 事
由
地 に生 れ、 幼 時 他 の家 族 と 共 に独 逸 国 伯 林 市 に移 住 し、 同 市 ﹁リ ヒ
理
テル フ ェルデ ﹂ 区 の高 等 実 科学 校 (﹁オ ー ベ ル ・レ ア ル・シ ュー レ﹂)
﹁マル ク ス、 エンゲ ル ス﹂ 研 究 所 長 ﹁リ ャザ ノ フ﹂ と 連 絡 し同 人 に
前 記 祖父 ﹁ア ド ル フ ・ゾ ル ゲ﹂ の遺 稿 等 を提 供 し たる こ とあ り 、次
歴 史 的 資 料 蒐 集 の 目的 を 以 て独 逸 に 潜入 し来 れる 在 ﹁モ ス コウ ﹂ の
で大 正十 三 年 (西 暦 一九 二 四年 ) ﹁フ ラ ン ク フル ト ﹂市 に 於 て 非合
に在 学 中 第 一次 世 界 大 戦勃 発 す る や大 正 三年 (西 暦 一九 一四年 ) 一
於 て戦 傷 を 蒙 り て帰 還 し 療 養 の傍 学 業 を 続 け 右 学 校 を卒 業 す る と共
兵卒 と し て志 願 出 征 し 、 翌 大 正 四年 (西 暦 一九 一五年 ) 西部 戦 線 に
に 伯 林 大学 医 学 部 に入 学 し た る も大 正 五年 (西 暦 一九 一六年 ) 再 度
法 に開 催 せら れ た る 独 逸共 産 党 大 会 に出 席 し ﹁コミ ンテ ル ン﹂ 本 部 よ り其 の代 表 とし て同大 会 に派 遣 せら れ た る ﹁ソ聯 ﹂ 共産 党 員 ﹁ピ ア ト ニ ッキー ﹂ 及 ﹁マヌイ ル スキ ー﹂﹁クー ジ ネ ン﹂﹁ロゾ フ スキ ー﹂ 等 の警 護 接 待 係 に選 任 せ ら れ て右 代 表 等 の知 遇 を得 る に 至 り た るが 、 同 代 表 等 の嘱 望 に依 り大 正 十 四 年 (西 暦 一九 二 五年 ) 四月 独 逸 共 産 党 よ り ﹁コミ ンテ ル ン﹂本 部 に於 け る組 織 並 に情 報 問 題 協 議 の使 命 を 受 け て ﹁モ ス コウ﹂ に派 遣 せら る る に 及 び、 同 党 を 離 脱 し て ﹁ソ 聯 ﹂ 共 産 党 に 加 入 し 、同 党 の 活 動 に 参 加 す る と 共 に ﹁コミ ン テ ル ン﹂ 本 部情 報 局 員 と な り該 情 報 局 の拡 充 に協 力 し たる が 、 昭 和 二年 (西 暦 一九 二 七年 ) ﹁コミ ン テ ル ン﹂本 部 よ り情 報 指 導 員 と し て ﹁ス カ ンヂ ナ ビ ヤ﹂ 地 方 及 英 国 に 派遣 せ ら れ之 等 諸 国 の共産 党 と連 繋 し つ つ右 各 共産 党 関 係 の情 報 を 始 め 之等 諸 国 に於 け る各 種 政 治 経済 軍 事 問 題 の諜 報 活 動 に暗 躍 し、昭 和 四 年 (西 暦 一九 二 九年 )五月 頃 ﹁モ ス コウ ﹂ に 帰 還 す る や ﹁コミ ンテ ル ン﹂ 本 部 に対 し自 己 従 来 の諜 報 活 動 の経 験 に鑑 み広 汎 なる 政 治 経 済 軍 事問 題 に関 す る諜 報 機構 は組 織 的 に は之 を ﹁コミ ンテ ル ン﹂ 本 部 情 報局 の各 共 産 党 関 係 諜報 機 構 よ り裁 然 分離 す べき 要 あ る 旨 具 申 す る と こ ろあ り 、 鵬 て自 らも ﹁コ ミ ンテ ル ン﹂ 本 部 よ り離 脱 し て ﹁ソ聯 ﹂共 産 党 中 央 委員 会 機 密 部 の 一員 とな り た る も のな る と こ ろ、 ﹁コミ ン テ ル ン﹂ は 世 界 ﹁プ ロレ タ リ ア ー ト﹂ の独 裁 に 依 る世 界 共産 主 義 社 会 の実 現 を標 榜 し、 世 界
ット社 会 主義 共和 国 聯 邦 (略 称 ﹁ソ聯 ﹂)赤 軍 の諜 報 機 関 た る 第 四
本 部 の指揮 統 制 の下 に支 那 次 で我 国 に於 て夫 々独 自 の諜 報活 動 を展
開 し 我 国 の軍 事 、 外 交 、 財 政 、政 治 、経 済 其 の他 に 関 す る諸 般 の情
報 を蒐 集 し、 之 を 赤 軍 第 四 本 部 及 同本 部 を 通 じ て之 と密 接 な る連 関
を有 し ﹁コミ ンテ ル ン﹂ の実 質 的 指 導 権 を 掌握 せ る ﹁ソ聯 ﹂ 共 産 党
中 央委 員 会 並 に ﹁コミ ン テ ル ン﹂本 部 (以 下 右 各機 関 を ﹁モ ス コウ ﹂
申 央部 と汎 称 す ) に 通 報漏 泄 し て ﹁コミ ン テ ル ン﹂ の目 的 達 成 に協 力 せ ん こ とを 企 画 し 、
第 一、 昭 和 五年 (西 暦 一九 三〇 年 ) 一月 ﹁モ ス コウ ﹂中 央 部 の指 令
に従 ひ表 面 独 逸 ﹁ ソ チ オ ロジ カ ル・マガ ジ ン﹂誌 支 那 特 派 員 と し て
イ ンガ ルト ﹂ を伴 ひ て上 海 に渡 来 し た る が、 同 本 部 と の技 術 的 連
赤 軍 第 四 本 部 員 ﹁ア レ ック ス﹂ と 共 に 同 本部 員 なる 無 電 技 師 ﹁ワ
て ﹁モ ス コウ ﹂ に帰 還 し た る後 は自 ら 在 支 諜 報 活 動全 般 の主 宰 者
絡 並 に軍 事 諜 報 を 担 当 し た る右 ﹁ア レ ック ス﹂ が 在支 約 半 歳 に し
と な り、 同 本 部 よ り 派遣 せ ら れた る同 本 部 員 ﹁ジ ョ ン﹂ 及 ﹁パウ
ス ・ク ラ ウ ゼ ン﹂ 及 ﹁ミ ッョ ヤー﹂ と 連 絡 し て同 人等 を 協 力 者 と
ル ﹂ を迎 へ且予 てよ り 上海 に 滞 在 し 居 り た る 同 本 部 員 ﹁マ ック
為 す と共 に 独 逸 ﹁フラ ンク フルタ ー 。ツ ァイ ッ ング﹂ 紙 支 那 特 派
員 な る米 人 左 翼 分子 ﹁ア グ ネ ス ・ス メド レー ﹂ を協 力 者 とし て獲
得 し 、 次 で同 女 の紹 介 に依 り 独 逸 婦 人 ﹁ハンブ ルグ ﹂ 及 米 国新 聞
﹁プ ロ レタ リ アー ト ﹂ の独 裁 を通 じ て共 産 主 義社 会 の実 現 を 目 的 と
妻 及大 阪 朝 日新 聞 上 海 特 派員 な る 日本 人 共 産 主義 者 尾 崎 秀 実 を 各
得 、 又右 ﹁スメ ド レ ー﹂ の紹 介 に依 り支 那 人 左 翼 分子 ﹁ワ ン﹂ 夫
記 者 ﹁ヤー コップ ﹂等 の外 人 左 翼 分 子 と連 絡 し て同 人 等 の協 力 を
す る 結社 な る こ と を知 悉 しな が ら 、当 時 既 に世 界 政 局 に 於 け る東 亜
協 力 者 に獲 得 し 、更 に 同人 等 の斡 旋 に依 り夫 々 ﹁チ ュイ﹂ 夫妻 、
革 命 の 一環 と し て我 国 に 於 ては 国体 を変 革 し私 有 財 産制 度 を否 認 し
将 来 の発 展 に着 目 し之 を 自 己 の新 活 動 分 野 とし て選 択 し 、 ソ ヴ ィ エ
﹁チ ャ ン﹂、 ﹁パイ ﹂、 ﹁リ ー ﹂ 、 ﹁シ ィ ン﹂ 等 の支 那 人 左翼 分 子 並 に
指 導 統 制 の任 に当 り 、同 月 末 頃 曩 に巴 里 に於 け る連 絡 員 の指 示 に
す る こと を 目 的 とす る在 日諜 報 団 体 を 組 織 し て自 ら 右 諜 報 団 体 の
て米 国 に於 け る 連 絡 員 と の打 合 に依 り 英 字新 聞 ﹁ジ ャパ ン ・ア ド
川合 貞 吉 、 水 野 成 、 山 上 正義 、 船 越 寿 雄 等 の日 本 人 共産 主義 者 を
ヴ ァタ イザ ー﹂ 紙 上 に ﹁浮 世絵 買 入 れ度 し ﹂ な る広 告 を掲 載 し て
従 ひ我 国 に 渡 米 し 居 り た る仏 国 ﹁アヴ ァス﹂通 信 員 ﹁ブ ラ ン コ ・
広 東 、 天 津 、 北 京 等 支 那 各 地 及満 州 国 に 亘り 広 汎 な る諜 報活 動 を
其 の頃 我 国 に渡 米 し 居 り た る米 国 共 産 党 員 宮城 与 徳 と の連 絡 を 図
順 次 協 力 者 に加 へて自 ら 在支 諜 報 活 動 を 指 導 し 、 昭 和 七年 ( 西暦
展開 し たる が、 其 の間前 記 日本 人協 力 者 と共 に我 国 の南 京政 府 及
り同 市 下 谷 区 上 野 公 園所 在 の東 京 府 美 術 館 に於 て同 人 と連 絡 を 結
﹁ア パ ー ト﹂ に 訪 ね て同 人 と の連 絡 を 遂 げ 、更 に同 年 十 二月 頃 予
其 の他 の集 団 並 に派 閥 に 対 す る方 策 を始 め我 国 の支 那 に於 け る軍
び 、越 え て昭 和 九 年 (西 暦 一九 三 四年 ) 六 月頃 宮 城 与 徳 の斡 旋 に
ド ・ヴ ケリ ッチ ﹂ を 其 の 止宿 先 な る同 市 本 郷 区 元 町 所 在 の 文 化
事 的 勢 力 及 対 満新 政 策並 に右 新 政 策 の ﹁ソ聯 ﹂ に及 ぼす 影響 、 上
依 り奈 良 市 所 在 の奈 良 公園 に於 て既 に上 海 よ り大 阪 朝 日新 聞 社 に
一九 三 二年 ) 末 右 指導 を後 任者 た る前 記 ﹁パ ウ ル﹂ に譲 り て ﹁モ
海 事 変 に於 け る 我 国 の政 治 的 目標 と我 軍 の配 置 状 況 及 戦 闘力 並 に
帰 任 し 一時 連 絡 中 絶 し居 り た る前 記 尾 崎 秀 実 と の連 絡 に成 功 し 、
ス コウ ﹂ に帰 還 す る に至 る 迄 の間 、 上海 を本 拠 とし て南 京 、漢 口、
作 戦 方 針 、 我 国 と南 京 政 府 間 の対 立関 係 の激 化 等 諸 般 の情報 を蒐
昭和 十 年 (西 暦 一九 三 五年 ) 五月 同 人 を ﹁モ ス コウ ﹂ に帰 還 せし
集 し、 就 中 自 ら南 京 政府 顧 問 の独 逸 人 将 校 其 の他 に接 近 し て上海
む る と共 に同 年 六 月 自 ら ﹁モ ス コウ﹂ に帰 還 し て赤 軍 第 四 本 部 と
ルト ﹂ が無 電 技 術 拙 劣 に し て 且諜 報 活 動 を 恐怖 し居 り たる に 因 り
第 二、 次 で昭 和 八年 (西 暦 一九 三 三年 ) 九 月 ﹁モス コウ ﹂ 中 央 部 の
同 人等 を 執 れも 前 記 諜報 団体 員 と し て獲 得 し た る が、 ﹁ベ ル ン ハ
指令 に基 き我 国 に渡 米 し 、 表面 独逸 ﹁テ ー グ リ ッ ヘ ・ル ンド シ ャ
ラ ウ ゼ ン﹂ を右 団 体 員 に 迎 へ、 同 年 十 一月我 国 に渡 米 した る同 人
協 議 の上 、 当 時 ﹁モ ス コウ ﹂ に滞 在 中 な り し前 記 ﹁マ ック ス ・ク
事 変 に於 け る我 国 の戦 闘 方 法及 其 の実 力 等 各 種 の情 報 を 蒐集 し之
ウ ﹂紙 又 は同 国 ﹁フ ラ ン ク フ ルタ ー ・ツ ァイ ツ ング ﹂ 紙 の各 日 本
を無 電 又 は伝 書 使 に依 り て モ ス コウ中 央 部 に伝 達 し 、
特 派 員 と し て在 留 し 、東 京 市麻 布 区 永 坂 町 三 十 番 地 に寓 居 を構 へ
﹁ベ ル ン ハル ト﹂ に 代 り て無 電 発 受 信 機 の組 立操 作 及 同 団 体 の資
と東 京 市 麹 町 区 所 在 の独 逸 人倶 楽 部 に 於 て連 絡 し、 同 人 を し て
金 保 管並 に会 計 事 務 等 を 担 当 せ し め、 昭 和 十 一年 (西 暦 一九 三 六
た る が、 同 年 九 月 頃 予 て伯 林 に於 け る打 合 に基 き同 市 麹 町区 、所
ハルト ﹂ と連 絡 し て同 人 と 共 に ﹁モ ス コウ ﹂中 央 部 に 通 報漏 泄 す
ンタ ー ・シ ュタ イ ン﹂ を協 力者 と し て獲 得 し右 団体 員 相 互 の連 絡
年 ) に は ﹁フ ィ ナ ン シ ャ ル ・ニ ュー ス﹂ 社 日 本特 派 員 なる ﹁ギ ュ
在 の帝 国 ﹁ホ テ ル﹂ に於 て赤 軍 第 四 本 部員 な る無 電 技 師 ﹁ベ ル ン
る た め 、東 京 を本 拠 とし て我国 の国 家 機 密 、 軍 事 上 の秘 密 、並 に
等 に従 事 せ しめ 、 次 で宮 城 与 徳 の友 人 小 代好 信 及前 記 上 海 滞 在 当
軍 用資 源秘 密 に係 る情 報 、 其 の他軍 事 、 外 交 、 財 政 、 経 済等 に関 す る各 種 情 報 を 探 知 収集 し 且之 を ﹁モ ス コウ ﹂中 央 部 に通 報 漏 泄
昭和十四年 ( 西暦 一九三九年) 六月 二十六日軍 用資源秘密保護法
年 (西暦 一九 三七年)十月十日軍機保護法改 正施行 せられ、次 で
たらしめたる等、逐次右諜報団体 の陣容 を整備充実し、昭和十二
時 の協力者水野成並に川合貞吉等 を尾崎秀実及宮城与徳 の協力者
せた る 方法 に従 ひ同 中 央 部 の伝 書使 に託 し て同 中 央部 に伝 送 し来
之 が ﹁フイ ル ム﹂ を 予 め 無電 に依 り て ﹁モ ス コウ ﹂中 央 部 と打 合
し て作 成 し た る報 告 書 等 を ﹁ヴ ケ リ ッチ﹂ 等 と 共 に 写真 に撮 影 し
央 部 に速 報 せ しめ 又 は 右情 報 、 資 料 自 体 及 自 ら之 等 情 報 を 基 礎 と
﹁クラ ウ ゼ ン﹂ を し て暗 号 を使 用 し無 電 に 依 り て ﹁モス コウ ﹂ 中
れ る も の な る が、
施行 せら れたる後も依然右諜報団体 の指導者 として同諜報団体 の
の聞 尾 崎 秀 実 及宮 城与 徳 ﹁ク ラ ウゼ ン﹂ ﹁ヴ ケ リ ッチ ﹂ と 共 に
一、 前 記諜 報 団 体 結 成 後 昭 和 十 六年 ( 西 暦 一九 四 一年 ) 五月 上旬 迄
指揮統制 に任じ来 たると共に、右諜報団体結成以来 尾崎秀実及宮 城与徳 ﹁クラウゼン﹂﹁ヴケリ ッチ﹂等 と東京市内等 の料理店及
家及技師、独逸 各新 聞代表者 ﹁ナチス﹂支部、和蘭 外交官並 に銀
ニ 我 国対 支 政 策 の動 向
ハ ﹁ヒ ット ラ ー ﹂ の政 権 獲得 後 に於 け る 日独 親 善 関係 の展 開
ロ 満 州事 変 以後 に於 け る 我 陸 、海 、空 軍 の増強 並 に再 編 成
聯 ﹂ に対 す る戦 闘 計 画 の有 無
イ 満 州 事変 以 後 に於 け る我 国 の ﹁対 ソ ﹂政 策 特 に我 国 の ﹁ソ
い ﹁モ ス コウ ﹂中 央 部 より の指令 に基 く 諜 報 課 題 と し て
前記自宅其 の他 に於 て会合連 絡し諜報活動全般 の指揮に当 り つつ 同人等 と共同し て前記諜報団体 の目的を達成 せんが為、自 ら駐 日 独逸大使館 に接近し て漸次其 の信任を博すると共に前記独逸新聞
行筋 、英米等外国人新 聞記者 、新聞連合通信社、後 の同盟通信社
ホ 我 国 対英 米 政策 の推 移
特派員 たるの地位を利 用し同大使館を始め我国在留 の独逸 人実業
等諸方面 より軍事外交政治経済其 の他 に関す る各種情 報資料 を蒐
同 軍 部 内 に於 け る各 種 政 治 的潮 流 特 に少 壮 将 校 団 の政 治 的 潮
ヘ 我 国 対 外政 策 の進 路 を 決 定 す べき我 軍 部 の実 際 的役 割 更 に
集 し、尾崎秀実をし て公爵近衛 文麿側近者、南満州鉄道株式会社 (以下満鉄 と略称す)東 京支社調査室、朝日新聞記者等各方面 よ
ト 我 国 重 工業 特 に戦 時 経 済 の発 展 状 態
流 及 我 国 各 種 政治 圏 に於 け る 一般 的政 治 傾 向
り、宮城与徳をし て友人知 己なる新聞記者其 の他 の交遊関係 より、 信支社、英米等外国人新 聞記者 、駐 日仏国大使 館 等 よ り、﹁ギ ュ
等 の事 項 に 付
﹁ヴケリ ッチ﹂をして前記同盟通信社及在京仏国 ﹁アヴ ァス﹂通 ンター ・シ ュタイ ン﹂をして駐 日英国大使館及英米等外国人新聞
して
ろ 又 自 ら ﹁モ ス コウ ﹂中 央 部 の為 選 択 し た る独 自 の諜報 課 題 と
ロ 日独 防 共 協 定 締 結 と 日独 同 盟 政 策 の帰趨
イ 所 謂 二 ・二六事 件 と其 の内 政 上 に 及 ぼ し た る諸 影 響
於ける政治 経済軍事等 の諸問題を研究す ると共 に之 が知識 経験を
記者等 より夫 々前記各種情報資料 を蒐集 せしめ、或は自ら日本に
し、其 の結果を 一定 の情報 に取纒 めて ﹁ベルン ハルト﹂、後 に は
有 する尾崎秀実 の協力を得 て諸情報 の評価又 は諸情勢 の観 測を為
ハ 支那事変 の進展 ニ 我国対英米 の既存関係 の崩壊 等 の事項に付 各種 の情 報を蒐集 し特 に
ロ 昭和十年 三月頃 ﹁北鉄﹂譲渡交渉 に付 ての我政府 の意 向
化 の提唱 ﹂と題する ﹁パ ンフレ ット﹂を繞 る軍部方向 の
ハ 同年 九月頃陸軍省情 報部発行 の ﹁国防 の本義 と其 の強
ニ 昭和十 一年 一月頃 北支要人及北支 一般 民衆 の反 日動向
意向
より
(A) 自ら前記独逸大使館 に於け る地位を利用 し同大使館方面 イ 前駐日独逸大使 ﹁フォン・デ ィルクセン﹂来朝 の使命
ヘ 同年 二、三月頃帝都叛乱事件 (所謂 ﹁二 ・二六事件﹂)
山刺殺事件 の性質
ホ 同年 一月頃 相沢中佐 の陸軍省軍務 局長陸軍少将永田鉄
ロ 所謂 二 ・二六事件 ハ 日独防 共協定締結
の経過及該事件 の性質
ト 同年秋頃 日独防共協定締結 を繞 る日独軍事 同盟 工作
ニ 独逸に依 る日支間 の和平斡旋交渉 ホ 所謂 ﹁リシ ュコフ﹂事件
チ 同年秋頃南京 に於ける日支交渉 の経過
の交渉経過
ヘ 平 沼内閣当時 に於ける独逸側 の日独同盟締結の提起 と其
ヌ 同年 七月盧溝橋に於ける日支両軍衝突事件 の経過
の性質
リ 昭和十 二年 五月頃所謂第 一次近衛内閣 の成 立事情及其
チ 日独間 の太平洋 に於 ける独艦物資補給交渉
ル 同年十 一月大本営設置事情
ト 我国 の第 二次欧州大戦 に対す る態度 リ 日独伊 三国同盟締結
ヲ 昭和十三年 二、三月頃上海及香港方面に於け る在支欧
米 人の支那事変に関 する意向、支那人 一般 の対日動向及
ヌ 松岡外相と駐 日独逸大使 ﹁オ ット﹂との関係 ル 独逸 の ﹁対 ソ﹂攻撃 の意図と其の準備
我国 の現地政治 工作 の状況
ワ 同年四月頃中華民国維新政府成立事情
等 の事項に付諸般 の情報 を蒐集し (B) 尾崎秀実をして
カ 同年 五月頃陸軍大将宇垣 一成 の外務大臣就 任の意義
タ 同年 七月張鼓峯事件に関す る我政府及軍部 の不拡大方
ヨ 同年 六月頃陸軍中将板垣征 四郎 の陸軍大 臣就任 の意義
一 右朝飯会 、内閣、﹁満鉄﹂、朝 日新聞東京大阪両本社其 の 他各方面 より
針
イ 昭和 九年 六月頃所謂五 ・一五事件以来 の国内革新勢力 の進出状況
過
レ 同年 夏より同年十 二月迄 の間所謂国民再組織問題 の経 ソ 昭和十四年 一月平沼内閣 の成立事情 及其 の性格 ツ 同年 五月 より同年九月迄 の間所謂 ﹁ノ モン ハン﹂事件 に対す る我政府及軍部 の方針並関東軍 の動向 ネ 同年 六月より同年七月迄 の間日英会談 の経過 ナ 同年春頃より同年九月迄 の間欧州情勢を繞る日独軍事 同盟締結 に関する我政府 の態度 る我政府 の態度
ラ 同年九月阿部 内閣の成立事情及第 二次欧州戦争 に対す
ケ 同年三月外務大臣松岡洋右渡欧 の使命
同条約と日独伊軍事同盟と の関係に付 ての各方面 の見解
ワ 同年四、五月頃 日ソ中立条約締結 に関す る国内動向 及
コ 同年 四、五月頃 日米交渉を綾 る近衛総理大臣と松 岡外
務大臣と の意 見の疎隔
等 に関する諸情報 を蒐集 せしめ
知識 ノート)、前記水野成よ り昭和十 五年 二月頃 同 人 に命
二 篠塚虎雄 より昭和十年頃軍事に関する調査書 二冊 (軍事
じ調査執筆 せしめたる ﹁第六十 八議会を通じ て現はれたる
態 ﹂と題す る報告書 一通並 に ﹁満鉄﹂東京支社調査室より
一通 、同年夏前同様 ﹁支 那事変発生後 の日本農 村の経済状
既成政党解消運動 に関する各政党 の動向﹂と題する報告書
ウ 昭和十五年 一月米内内閣 の成立事情 及其 の性格
昭和十 五年 三月頃同社内極秘刊行物支那抗戦力調査関係文
ム 同年九月貿易省設置問題 の経過及其 の性質 ヰ 同年 七月第 二次近衛内閣の成 立事情及同内閣に依る日
十数回に亘り同社内極秘刊行物 ﹁時事資料月報﹂と題する
需給予想表 ﹂ 一通、同年始頃より昭和十 六年四月頃迄 の間
書数通、同年秋頃 同社大阪出張所刊行 ﹁昭和十 六年度米穀
ノ 昭和十三年夏頃より昭和十 五年十 一月日華基本条約成
報告書十数通を夫 々入手 せしめ
独軍事同盟締結 の可能 性
の経過
三 我国 の対 支政策 の動向及支那事変 の進展
二 満州事変以後 に於け る我陸軍及空軍 の増強並 に再編成
﹁ソ聯 ﹂に対する戦闘計 画
一 満州事変 以後 に於ける我国 の ﹁対 ソ﹂政策特 に我国 の
被告人 の指 示に基く
旬迄 の間東京市 内等 に於 て
(C) 宮城与徳 をして昭和 八年十二月頃より昭和十六年五月上
立迄 の間江兆銘 を首班 とす る中華民国国民政府樹立 工作 オ 昭和十五年 七月頃所謂政治新体制に関する公爵近衛文 麿 の意向 ク 同年十月頃 日独軍事同盟締結 の満州方 面に於ける反響 ヤ 同年 十二月 より昭和十六年春迄の間 日独経済協定締結 の経過及其 の内容 マ 昭和十 六年 一月泰仏印停戦協定 を繞 る我国 の両国 に対 す る意図
四 我国 の対 英米政策 の推移、特に我国対英米 の既存関係 の崩壊 五 我 国 の対外政策 の進路を決定す べき我軍部 の実際的役
戦 要 務 令 其 の他 の我 陸 軍 関 係 書 籍 十 数 冊 を 入手 せ しめ
﹁ヴ ケ リ ッチ﹂ を し て昭 和 八年 (西 暦 一九 三 三年 ) 九 月
下旬 よ り昭 和 十 六 年 (西 暦 一九 四 一年 ) 二 月頃 迄 の間 東 京 市
(D)
より
イ 二 ・二六事 件 と之 に対 す る 我 国海 軍 の態 度
内 其 の他 に於 て駐 日 仏 国大 使 館 及 外 人 新 聞記 者 其 の他 の方 面
ロ 我 国 の農 業 問 題 と 其 の内 政 並 に対 外 政策 に 及 ぼす 影響
割更 に同軍部内 に於ける各種 の政治 的潮流特 に少壮将校 六 所謂 二 ・二六事件と其 の内政上に及ぼしたる諸影響
ハ ﹁ノ モ ン ハン﹂事 件 の推 移
団の政治的傾向
なる各諜報課題 に基き諸般の情報 を収集 せしめ宮城与徳自
七 我国重 工業特 に我国戦時 経済 の発展状態
ニ 我 国 の ﹁対 ソ ﹂政 策 を繞 る駐 日英 国 大 使 館 附武 官 ﹁ピゴ
ホ 泰 仏 印 停 戦 協 定 成 立 の経 過
ット ﹂中 佐 の策 謀 と我 国 対英 政 策 の推 移
ら選択 したる 八 我国政治情勢 の 一般的推移
等 の事 項 に付 各種 の情 報 を蒐 集 せし め
ヘ 日仏 印 通 商 条 約 の内 容 と我 国 食 糧 問 題
九 乾盆子事件、張鼓峯事件及 ﹁ノ モン ハン﹂事件等 ﹁ソ﹂ 満国境 に於ける日 ﹁ソ﹂間 の紛争状況並 に之等諸事件に
二 我国 に於け る中小商 工業者 の失業対策及転業問題
況並に我政府 の米穀増産計画に対す る農民 の意向
い ﹁ヴ ケリ ッチ ﹂ を し て東 京 市 内等 に於 て
り乍 ら 、 外 国 に通 報す る 目的 を 以 て
上 、我 国 防 上 の利 益 を害 す べ き用 途 に供 せ ら る る虞 あ る こと を知
二 、尾 崎 秀 実 、 宮 城 与徳 、 ﹁ク ラ ウ ゼ ン﹂、﹁ヴ ケ リ ッチ﹂等 と 共 謀 の
之 を無 電 等 に依 り ﹁モ ス コウ ﹂中 央 部 に 伝 送 し
敦 れも 其 の都 度 前 記 の如 き方 法 に依 り ﹁ク ラウ ゼ ン﹂ 等 を し て
対する我軍部 の態度、樺太に於ける我陸軍部隊駐屯配置 の状況
等 に関す る諸般 の情報を収集 せしめ
ク ・ ヘラ ル ド ・ト リ ビ ュー ン﹂紙 の 日 本 通 信 員 ﹁ジ ョー ゼ
イ 昭 和 十 六年 (西 暦 一九 四 一年 ) 五月 中 旬 米 国 ﹁ニ ュー ヨー
一〇 我国農業問題殊に北海道 及東北各地方 に於ける米作状
一 二 昭和九年七月頃より昭和十 一年頃迄 の間東京市 内に於 て購入 せる ﹁軍事と技術 ﹂と題す る月刊雑誌中より欧州
閣 に関 係 あ る海 軍 筋 の者 が米 国 の仲 裁 に 依 り支 那 事 変 の妥協
マン﹂ よ り入 手 し た る情 報 と し て、 松 岡 外 相 の渡 欧 不 在 中 内
フ ・ ニ ュー マ ン﹂ よ り 、 同 人 が駐 日米 国 大 使館 参 事 官 ﹁ドー
各国陸軍 の新 兵器に対す る日本陸軍少壮将校 の意見其 の 他 に関す る記事数十篇 を抜萃 せしめ 一 三 昭和十年 末頃 より昭和十 六年四月頃迄の間 小代好信等 を介し我陸軍 の歩兵操典其 の他各種操典類 (新旧)及作
的 解 決 を為 さ んと し 之 が為 支 那 奥 地 より 一部 撤 兵 を為 し 且 日
﹁ツ ツイ ラ﹂ 号 を爆 撃 し た る こと に関 し米 国 大 使 ﹁グ ルー ﹂
に伴 ふ豊 田外 相 就 任 は 日米 交 渉 の前 途 に 希望 を持 た し むる も
の態 度 は 極 め て強 硬 に し て右 事 件 に対 す る厳 重 な る抗 議 と共
のな る旨 並 に 日本 海 軍 航 空 部 隊 が 重慶 爆 撃 に 際 し 米 国 砲 艦
に 諸般 の要 求 を提 出 した る が之 に対 す る 日本 側 の態度 は極 め
独伊 三国 同 盟 条 約 を 米 国 の有 利 に解 釈 適 用 し 米 国 が対 英 援 助
平 洋 に波 及 せし め ざ る用 意 あ る こ とを 示 す と 共 に 米国 に対 し
の為 参 戦 す る も 右 条 約第 三条 を発 動 し ﹁ヨー ロ ッパ ﹂戦 を太
石 井 ﹁ラ ン シ ング ﹂協 定 を 復 活 し日 本 の東 亜 に於 け る特 殊 権
て譲 歩 的 な り し旨 聴 取 せ し め
前 会 議 に依 り決 定 せら れ た る 日本 の重 要 国 策 に 基 き 、 日本 が
より 入 手 し た る情 報 と し て ﹁ア ンリ ー ﹂大 使 は七 月 二日 の御
よ り 、 同人 が駐 日 ﹁フ ラ ン ス﹂大 使 ﹁ア ル セー ヌ・ア ンリ ー﹂
ニ 同 月中 旬 前 記 ﹁アヴ ァス﹂通 信 社 員 ﹁ロベー ル ・ギ ラ ン﹂
益 を 承 認 す る こと並 に満 州 国 を 承 認 す る こと及 東 亜 其 の他 に 於 て日 本 に対 し凡 ゆ る経 済 的 便 宜 を 与 ふ る こ と を要 求 し太 平
に対 し、 前 記 参 事 官 ﹁ド ー マ ン﹂ は 日本 側 の右 申 出 は 未 だ公
南 進 す る と せ ぱ自 己 に交 渉 あ る べき に拘 ら ず 何 等 の交 渉 なき
洋情 勢 の全 面 的 緊 張 緩 和 の為 日 米会 談 の開 催 方 を 申 出 でた る
る態 度 を持 し居 れ る が之 を 契 機 と し特 に ﹁ワ シ ント ン﹂駐 剤
を憂 慮 し、 日本 の某 高 官 に就 き 日本 の仏 印 に対 す る態 度 を 確
式 のも の に非 ず 日 本 の真 意 も 測 り難 きを 以 て米 国 側 は慎 重 な
め た る に右 高 官 は 日 本 は泰 仏 印 停 戦 協 定 締 結 に際 し与 へた る
仏 印 の領 土保 全 の確 約 を 破 棄 す るも の に非 ず 、従 って若 し日
野 村 大 使 の努 力 に 依 り て公 式 の 日米 交 渉 に 発 展 す る可 能 性 あ
本 が仏 印 に対 し 何等 か の要 求 を 有 す る も の と せば 、 日本 は加
り と述 べた る旨 聴 取 せし め
マ ン﹂等 より 入 手 し た る 情 報 と し て 、松 岡 外 相 は ﹁ベ ルリ
ホ 同 月中 旬 前 記 ﹁ニ ェー マン﹂ よ り、同 人 が 前 記 ﹁ド ー マン﹂
ロ 同年 七 月 上旬 前 記 ﹁ニ ュー マ ン﹂ よ り 、同 人 が前 記 ﹁ドー
よ り入 手 した る情報 と し て、 米 国 は ﹁ソ聯 ﹂ が独 逸 に対 し 徹
藤 大 使 力 通 じ ﹁ヴ ィシ イ﹂ 政 府 と の外交 々渉 に依 り 問題 を解
介 の条 件 と し て日本 側 に対 し 日本 軍 隊 の支 那 本 土 よ り の全 面
底 的 抵 抗 を為 す限 り 浦 塩 に対 し 深 き関 心を 有 す る も のに し て、
ン﹂ に赴 き独 逸 側 と会 談 し た る為 米 国 は 同 外 相 を好 まず 同 外
的 撤 兵 、 汪政 権 の否 認 、 将 来 太 平洋 に 於 て 日本 が現 在 以 上 に
決 す る こと と な る べし と言 明 し た る旨 聴 取 せし め
積 極的 行 動 を採 ら ざ る こと等 を要 求 し居 れ る が日 米 交渉 は近
従 って斯 る場 合 日本 が北 進 せ ん か米 国 は之 を 黙視 し得 ざ るも 、
相 の失 脚 す る こと を期 待 し居 る旨 並 に米 国 は支 那 事 変 解 決 仲
く 実 質 的 諒 解 に到 達 し 正 式 に之 が開 始 を 見 る に至 る べし と観
は浦 塩 に対 す る 日 本 の進 出 を 黙 認 す る に至 る べく 、 又 南方 問
若 し ﹂ソ聯 ﹂ が独 逸 に対 す る抵 抗 を 停 止 し た る場 合 には 米 国
ハ 同 月 中 旬 前 記 ﹁ニ ュー マ ン﹂ 等 よ り 、 同 人等 が前 記 ﹁ドー
題 に付 ては 日 本 が 仏印 に進 駐 す る も右 は或 る程 度 仏 国 側 の諒
測 し居 る旨 聴 取 せし め
マ ン﹂等 よ り入 手 し た る情 報 と し て、近 衛 第 三次 内 閣 の成 立
解 の下 に 行 は る る こ と とな る べき を 以 て、 ﹁ル ーズ ヴ ェルト ﹂
一 昭和十 六年 六月頃山名正実等を介 し北海道及樺太 に於ける
ろ 宮城与徳を して東京市内其 の他 に於 て 重要港湾等 に付
は 之 を 直 接動 機 と し て対 日 開 戦 の為 米国 輿 論 を 喚 起 し 得 ざ る べく 、 米 国 が対 日強 硬 手 段 を 採 り 得 る場 合 は、 日本 の攻 撃 が
なり
イ 北海道函館、室蘭、釧路、根室は海軍関係 の重要 なる港
同地 に海軍側 の製鉄所あり て砲 の製造行 はるる模様なり
ロ 室蘭は石炭 の輸出港 にして夕張炭此処に集散 せらる、又
しめ
直 接 シ ンガ ポ ー ルに向 けら る る時 な り と 言 明 し た る旨 聴 取 せ
ヘ 同 年 十 月 初 旬 前 記 ﹁ニ ュー マ ン﹂ より 、 同 人 が 入手 し た る
る米 国 人 会 合 の席 上 近 衛 ﹁メ ッ セー ジ﹂ に関 連 し て 一場 の演
情 報 と し て、 駐 日 米 国 大使 ﹁グ ル ー﹂ は 米 国 人倶 楽 部 に於 け
増設 せられ且労働者不足 の為女子従業員増加 したり、同港
一台 の設置ある のみなりしが支那事変 勃発以後之 が三台に
は沿海州方面 への兵員並 に糧秣輸送 の基地となる重要地点
ハ 小樽は石炭 の集散地 にして小樽埠頭 には従来石炭起重機
の内 容 に付 説 明 し 、 同 大使 の日本 に対 す る態 度 は 右書 翰 の内
なり
説 を 試 み、 グ ルー 大 使 が 日本 の某 貴 族 院 議 員 に 送 り た る書 翰
容 と同 一な る旨 前 提 した る後 、同 大 使 は 日本 軍 部 は 日 本政 府
ニ 稚内 は樺太 への最短地点 にして同地より樺 太国境方面 へ
の為 し た る約 束 に何 等 の拘 束 を も感 ず るも の に非 ず 、 其 の為 自分 は従 来 幾 多 の外 務 大 臣 の下 に屡 〓苦 い経 験 を 嘗 め 来 れ る
の兵員輸送 には十四、五時間 を要す
路 恵須取間 に最近自動車道路 完成す べき模様なり、樺 太の
ホ 樺 太の上敷香 に兵営あり、其 の附近 に航空基地あり、内
が 、其 の 一例 を 挙 ぐ れ は 昭 和 十 二年 七月 自 分 は駐 日英 国 代理 大使 に勧 告 し同 代 理 大 使 を し て蘆 溝 橋 事 件 の拡 大 防 止 を 主 旨
我陸海軍飛行場設備 の状 況を調査 せしめ
二 同月頃田口右源 太を介 して北海道方面厚岸其 の他 に於ける
と の情報を探知 せしめ
港湾中大 泊以外 は冬期使用不可能なり
と す る蒋 介 石 の緊 急 提 案 を 山 本 外 務 次官 に提 出 せ しめ た ると ころ 同 外務 次 官 は之 に賛 意 を 表 し居 り た る に拘 ら ず 日本 軍 部 は何 等 既 定 方 針 を変 更 す る こと なく 、 従 って日 本政 府 も 右 提 案 に対 す る 何 等 の回 答 を も為 さ ざ り しも のに し て、斯 る現 状
三 同月下旬頃田口右 源太等 より我軍 部 に於 ては独 逸 の ﹁ソ
の下 に於 て は 日本 政 府 の約 束 は如 何 な る内 閣 に 依 り為 さ る る
ュー マ ン﹂ の意 見 とし ては斯 く の如 く ﹁グ ルー ﹂ が 日本 政 府
に せ よ之 を 信 頼 す る こと 不 可能 な り と 述 べ た る が 前 記 ﹁ニ
き独逸及 ﹁ソ聯﹂に対す る日本 の態度 に付協議 した る結果、日
聯 ﹂攻撃開始に関する予報 を得 て六月十九日主脳部会議を開
本 は独伊 との三国同盟条約 を守 ると共 に ﹁ソ聯 ﹂との中立条
の誓 約 を信 頼 し得 ず と迄 言 明す る に至 り ては 、 日 米交 渉 も最 早 妥 結 の希 望 な き も の と謂 はざ る べか ら ざ る旨 聴 取 せ しめ
し て其 の重 要 な る地 域 を 軍 政 下 に 、 又重 要 な ら ざる 地 域 を 自
﹁ソ聯 ﹂ 軍 の掃 滅 を期 し ﹁ソ聯 ﹂ 国 内 に親 独 政 権 の樹 立 を 欲
無 に就 て の見透 し と し て、 日 本 政 府 は 独 ソ戦 に 関 し 独 逸 が
は 既 に決 定 的 のも のと な れ り、 一方 日米 交 渉 は何 等 日本 側 に
状 態 に陥 り た る と南 方 問 題緊 迫 の為 日本 の北 方 攻撃 企 図 中 止
戦 の成果 に繋 る状 況 な り し が 八 月 に至 り ﹁独 ソ﹂戦 線 の膠 著
来 の大動 員 と共 に着 々進 め ら れ、 右 攻 撃 は 欧 露 に於 け る独 ソ
約 を も 厳 守 し中 立 を維 持 す る方 針 を 決 定 し た る旨 聴 取 せし め
治 制 下 に置 き た る後 ﹂ソ聯 ﹂ よ り撤 兵 す るや も 測 ら れ ず と の
有 利 に展 開 せず 、 米 国 は 依然 と し て九 箇 国条 約 を固 執 し日 本
北 一体 統 一作 戦 に於 け る日 本 軍 の対 ソ攻 撃 準 備 は 同年 七月 以
情 報 を得 、山 下 奉 文 中 将 の率 ゆ る 独逸 派 遣 軍 事 使 節 の帰 還後
り の脱 退 等 を 日 本 に要 求 す る に対 し 、 日 本政 治 指 導 部 た る 近
軍 の全 支 より の無 条件 撤 退 、 満 州 の返 還 、 日本 の三 国 同 盟 よ
七 同 年 十 月 初頃 田 口右 源 太 等 を 介 し 日本 軍 の動 向 に 関 し、 南
其 の態 度 を 決 定 す る 模様 に し て、 米 国 と の関 係 を 考慮 す る財
四 同 月 下 旬 頃 田 口 右源 太 を介 し、 日 本 の ﹁対 ソ﹂戦 開 始 の有
界 方 面 に於 て は消 極 的 政 策 を支 持 し居 れ ども 荒 木 大 将 其 の他
三国 同 盟 よ り脱 退 す るも 敢 て辞 せざ る態 度 な り、 又 日 本 は 七
の確 保 が 許 容 せ ら る る に於 ては 中 南支 よ り 日本 軍 を撤 退 し 且
衛 総 理 大 臣 と東 条 陸 軍 、 及 川 海 軍 両 大臣 と の間 に完 全 な る意
五 同 年 九 月 頃 菊 池 八郎 よ り ﹁ソ満 ﹂国 境 に於 け る戦 争 有 無 の
月 の全 国臨 時 大 動 員 以 来 台 湾 、海 南 島 、 仏 領 印 度 支 那 に相 当
北 進 政策 を支 持 す る分 子 は 断 乎 ﹁ソ聯 ﹂を 攻 撃 す べし と主 張
見 透 し に関 し 日本 陸 軍 参 謀 本部 に於 て は ﹁独 ソ﹂戦 に付 独 逸
見 の 一致 を 見 、北 支 に於 け る 日 本 の特 殊 地 位 の承 認 及 海南 島
軍 の ﹁レ ニ ング ラー ド ﹂攻 略 は可 能 な るも ﹁モ ス コウ ﹂侵 入
多 数 の兵力 を集 中 し南 方 問 題 を有 利 に展 開 せん と 企 図 し居 り、
し 居 る旨 調 査 せ し め
は其 の見 込 なし と の見解 な れ ば 日本 軍 の ﹁ 対 ソ﹂攻 撃 は中 止
米 国 方 面 に於 て は 日本 軍 が仏領 印 度 支 那 、 泰 国 境 を経 て ﹁ビ
冬 期 作 戦 を 起 す と の予 測 を 為 す 者 あ れ ど も 日本 軍 部 の相 当 の
題 に関 し緊 張 を示 し、 国 民 の間 に は 日本 軍 が ﹁ソ聯 ﹂ に対 し
迅 速 な る 欧 露 進撃 を開 始 す と の報 を 入 手 し て以来 ﹁対 ソ﹂ 問
動 不 明 と な れ り 、 日本 軍 部 は独 逸 軍 が ﹁キ エ フ﹂ 占 領 と共 に
本 軍 は九 月 十 六 日北 支 南 支 に於 け る新 作 戦 の発表 以 来 其 の行
日本 政 府 は九 月 末 日迄 に米 国 の回 答 あ る ことを 期 待 し 居 り た
八 同年 十 月 六日 頃 田 口右 源 太等 を 介 し 、 日米 交 渉 に関 し最初
本 の南 進 政 策 を 困 難 な ら し め居 る状 況 な る旨 調 査 せ し め
勢 力 の圧 迫 並 に比 島 、蘭 領 印 度 等 の武 備 強化 兵員 増 強 等 は 日
略 す る な ら ん と の予 想 を 為 す模 様 な れ ども 泰 国 に対 す る英 国
ガ ポ ー ル﹂ を攻 略 す る 一方 陸海 軍 共 同 し て ﹁ボ ルネ オ ﹂を 攻
ル マ﹂ に進 入 し、 陸 軍 は 北 方 よ り海 軍 は南 方 よ り 共 に ﹁シ ン
の外 な し と の情 報 を 聴 取 せ し め
地 位 に在 る 人 の言 に依 れば 日 本 軍 最高 幹 部 の意 向 は現 状 を傍
る に交 渉 は 今 日迄 遅 延 し たり 、 日 本政 府 指 導 部 は米 国 大統 領
六 同 年 九 月 中 旬頃 右 菊池 八郎 よ り、 日 本 軍 の行動 と し て、 日
観 する に 在 り と謂 ふ と の情 報 を 聴 取 せ し め
九 日会 議 を 開 き ﹁独 ソ﹂戦 開 始 に伴 ひ採 る ぺき態 度 決 定 に付
に 於 ては事 前 に独 逸 の ﹁ソ聯 ﹂攻 撃 開 始 の確報 を得 て 六月 十
予 め協 議 し我 国 と し ては 日 独伊 三国 軍 事 同 盟 条 約 及 日 ソ中 立
ニ 同 月 下旬 頃 前 記 朝 飯 会 に 於 け る出 席 者 等 よ り 我政 府 及軍 部
し ﹁考 慮 の余 地 な し ﹂ と言 ふ に在 りと 予 想 せ ら る 、 米 国 は 日
ル ーズ ヴ ェルト が十 月 七、 八 日頃 に は其 の回 答 を 為 す も の と
本 に 対 し実 質 上英 米 陣 に参 加 し て独 逸 攻 撃 に 出 つ る こと 及支
条 約 双方 を 厳 守 し ﹁独 ソ﹂ 両国 に対 し中 立 を 維 持 す る方 針 を
期 待 し其 の回 答 を 重大 視 し居 れ ども 右 回 答 は 日 本 の期 待 に反
那 よ り の無 条 件 撤 兵 を要 求 す べく 日本 政 府 は 米 国 に 対 す る無
ホ 同 月下 旬 頃 前 記 朝 飯会 に於 け る出 席 者 の談 話 等 を綜 合 し て
決 定 し た る事 実 あ る 旨聴 取 せ し め
し兼 ぬ る状 況 な る旨 調査 せ しめ
条 件 服 従 か同 国 と の戦 争 か 二者 何 れ の途 を 選 ぶ べき か を決 定
す る意 向 な る も 米英 若 は ﹁ソ聯 ﹂ の執 れ か と戦 端 を 開 始 せざ
近 衛 首 相 は支 那 事 変 の解 決 に専 念 し ﹁対 ソ﹂戦 を回 避 せ ん と
イ 昭 和 十 六年 六月 二十 一日 ﹁独 ソ﹂ 戦 の勃 発 し た る後 同 年 下
る を 得 ざ る 場 合 に は ﹁ソ聯 ﹂嫌 ひな る等 よ り寧 ろ ﹁対 ソ﹂戦
は 尾 崎 秀 実 を し て東 京 市 内 其 の他 に於 て
旬 頃 前 記 朝 飯会 の出 席 者 牛 場 友 彦 、 松 本 重 治等 よ り駐 独 大 島
を 選 ぶに 至 る べき旨 調 査 せし め
ヘ 同 年 七 、 八 月頃 満 鉄 東 京 支 社 調 査 室其 の他 各 方 面 よ り 聴取
大 使 は 我 国 も 独逸 に呼 応 し て ﹁ソ聯 ﹂ 攻 撃 に 起 つ べし と の意 見 を 政 府 に 寄 せ来 り 、駐 日独 逸 大 使 オ ットも 亦 同様 の意 見 を
し た る と こ ろを 綜 合 し て其 の頃 行 はれ た る大 動 員 に依 り 南方
中 の部隊 多 数 あ る に より 我 軍部 は ﹁独 ソ ﹂戦 に基 く ﹁ソ聯 ﹂
に 派 遣 せ ら れ た る部 隊 あ るも現 に 大連 港 を経 由 し て続 々北 上
内部 の崩 壊 を 待 た ず し て ﹁対 ソ ﹂攻 撃 に出 つ る 意 図 な る べ き
我 外務 省筋 に申 入 れた る も 我 政府 は中 立 政 策 を 堅 持 し 戦 局 の
ロ 同 月 下旬 頃 前 記 朝 飯 会 に 於 け る出 席 者 西 園 寺 公 一、 牛 場 友
旨調査せしめ
前 途 を 観 望 す る の態 度 に出 で居 る旨 聴 取 せし め
は ﹁独 ソ﹂ 戦 の将 来 に付孰 れ も独 逸 が圧 倒 的 に 而 も 短期 間 内
近 代 的 装 備 並 戦 術 の権 威 に し て独 伊 両 国 訪 問 の帰 途 に在 る陸
陸 軍 部 内 に於 ては ﹁独 ソ﹂開 戦 に伴 ひ採 る べき 態 度決 定 に付
重 論 と見 ら る る のみ な らず 関 東 軍 の命令 に よ り待 機 せ しめ ら
敗 戦 崩 壊 に 疑 念 を懐 くも のを 生 じ殊 に参 謀 本部 及 海 軍 側 は 自
ソ ﹂戦 を 逡 巡 す る気 配 を示 す と共 に陸 軍 部 内 に も ﹁ソ聯 ﹂ の
し た る為 め 大 動 員 に 賛成 し た る我 政 府 上 層 部 に 於 て は ﹁対
各 方 面 より ﹁独 ソ﹂戦 線 が ﹁ス モレ ン ス ク﹂地 区 に於 て膠 著
ト 同 年 八月 中 旬 頃 前 記 朝 飯会 ﹁満 鉄 ﹂ 東 京 支 社 調 査 室其 の他
彦 等 の談 話 並 満 鉄 東 京 支社 調 査 室等 よ り我 政 府 及 軍 部 に 於 て
に勝 利 を得 る と共 に 延 い て ﹁ソ聯 ﹂現 政 権 の崩 壊 を来 す べし と の見 透 が 極 め て多 数 な る旨 調 査 せ しめ
軍 中 将 山 下 奉 文 の意 見 に期 待 し居 る によ り 帰朝 後 の同 中 将 の
れた る ﹁ 満 鉄 ﹂従 業 員 に対 し ては 殆 ん ど徴 用 なく 且冬 季 を数
ハ 同 月 下 旬 頃 ﹁満鉄 ﹂東 京 支 社 調 査 室 及 新 聞記 者 方面 よ り我
動 静 に は警 戒 を 要 す べき も の あ る旨 聴 取 せし め
箇 月後 に控 へ居 るを 以 て ﹁対 ソ ﹂戦 開 始 は同 年 中 は極 め て疑
時 に 自 ら ﹁ルーズ ヴ ェルト ﹂大 統 領 と会 談 し 交 渉 を 妥 結 に導
二次 近 衛 内 閣 の総 辞 職 及第 三次 近 衛 内 閣 の成 立 は 日米 交 渉 に
他 各 方 面 より 聴 取 し た る と ころ を綜 合 し て同 月 中 旬 の所 謂 第
チ 同 年 七月 中 旬 頃 前 記 朝 飯会 、 ﹁ 満 鉄 ﹂東 京 支 社 調 査 室 其 の
得 に付 米 国 に於 て斡 旋 の労 を採 る べ き こ と等 な る に対 し、 米
と、 日米 貿 易 を 正 常 状 態 に 回復 す る こ と及 我 国 の南 方 資 源 獲
り声 明 せ ら れた る 支 那 事変 処理 方 策 を 米 国 に 於 て支 持 す る こ
を得 て解 決 せん と す る も該 事 変 発 生 以 来 屡 次 に 亘 り我 政 府 よ
け る 日米 双方 の主 張 は 日 本側 に於 て は支 那 事 変 を米 国 の協 力
か ん と し て該 ﹁メ ッセー ヂ ﹂ を発 し たる も のに し て当 時 に於
付 き近 衛 総 理 大 臣 と 意 思 の疏 通 を欠 き た る松 岡 外 務大 臣 を閣
問 と す べ き情 勢 とな り た る 旨聴 取 せ し め
と し て近 衛 総 理 大 臣 は 日米 交 渉 に全 力 を 傾 倒 す る に 至 る べく
外 に去 らし む る 内 閣改 造 の性 質 を 帯 ぶ るも のに し て之 を契 機
原 則 的 撤 兵 、 我 国 の日独 伊 三国 軍 事 同 盟 よ り の離 脱 或 は米 独
在支 権 益 及 蒋 介 石 政 府 の我 国 に依 る確 認 、 在 支 日本 軍 部 隊 の
国 側 に於 て は我 国 に依 る支 那市 場 独 占 の排 除 、 米英 等 諸 国 の
対 米 強 硬 を 予 想 す る も のあ るも 豊 田外 務 大 臣 は 其 の外交 的 手
又 は南 部 仏 印 よ り の撤 兵等 に し て両 者 間 の右 主張 に は根 本 的
戦 争 の場 合 に於 け る 中 立厳 守 並 に我 国 の南方 武 力 進 出 の中 止
世 上 軍 部 出 身 の豊 田 外務 大 臣 及 左 近 司 商 工大 臣 の就 任 を見 て
腕 を 期 待 さ れ 登場 し た るも の 又左 近 司 中 将 は 一財 界 人 に 過 ぎ
相 違 あ る為 交 渉 の成 果 は期 待 し 難 き 状 態 に あ る旨 調 査 せし め
ず し て孰 れ も 対 米 協 調 派 と 見 る べきも の な る旨 調 査 せし め リ 同 月 下旬 頃 ﹁満 鉄 ﹂東 京 支 社 経 済 関 係 調 査 員 其 の他 よ り聴
に入 り た る も のの如 く我 政 府 は 中 南支 及南 部 仏 印 よ り の撤 兵
国 中 の若 杉 全 権 公 使 の米 国 帰 任 に依 り 日 米交 渉 は最 後 的 段 階
を 承 認 す る こと に依 り米 国 と妥 協 せ ん と し交 渉 の前 途 に希 望
ル 同 年 九 月 下 旬 頃 西 園寺 公 一、 ﹁満 鉄 ﹂ 関係 者 其 の 他 よ り 帰
の予 期 せざ り し と ころ に し て為 に我 国 は米 英 に 屈 服 す る か 又
取 し た る と こ ろを 綜 合 し て同 月 二十 六 日米 、 英 、 蘭 印 、 濠州
は敢 然 起 って此 の制 縛 を 打 破 し南 方 資 源 を 獲 得 す る か の関頭
を 懸 け 居 る も 一方 軍 部 と の間 に は 該交 渉 不成 立 の場 合 軍 事 行
諸 国 の行 ひ た る資 産 凍 結 を含 む全 面 的 対 日 経 済 封 鎖 は我 政府
に立 つ に至 り た る も 結局 、後 者 の方 策 を 採 り 南 方 に武 力 進 出
動 に出 つ る も 已 む な し と し て之 に付 き 了解 を 遂 げ 居 る旨 聴取 せ しめ
を 行 はざ る を 得 ざ る に至 る べ き旨 調 査 せし め
他 よ り 聴 取 し た る と ころを 綜 合 し て同 月 二 十 八 日近 衛 総 理 大
ヌ 同 年 八 月 下旬 頃 西 園寺 公 一、 ﹁満 鉄 ﹂ 東 京 支 社 調 査 員 其 の
予 備 海 軍大 佐等 よ り我 政 府 は軍 部 よ り 日米 交 渉 に 期限 を付 せ
ら れ 居 り て該 期 限 に依 り南 進 軍 事 行 動 開 始 時期 を推 定 し得 る
ヲ 同 年 八 月頃 西園 寺 公 一、 ﹁ 満 鉄 ﹂東 京 支 社 調 査 室 勤 務 酒 井
謂 近 衛 ﹁メ ッセー ヂ ﹂ の内 容 其 の他 に 関 し 同総 理 大 臣 は 日米
と ころ 該時 期 は九 月 或 は 十 月 と推 測 せら る る旨 聴取 せ し め、
臣 よ り 米国 大 統 領 ﹁ル ーズ ヴ ェル ト﹂ に 対 し発 せ ら れ た る所
交 渉 の再出 発 を決 意 し 日米 双 方 の主 張 を 明確 な ら し む ると 同
同年 末迄 と観 測 せら るる 旨 調 査 せ し め
次 で同年 十 月 上旬 諸 般 の情 報 に 基 き自 ら之 を 訂 正し 該 時 期 は
て其 の内容を調査せしめ同月末頃前記自宅 に於 て尾崎秀実より
方 に於 て尾崎秀実をして西園寺公 一の所持 せる該文書を 一読 し
し て之 を前記 の如く無電に依り ﹁モスコウ﹂中央部に報告 せし
以 て国家機密 を探知 したる上孰れも其 の都度 ﹁クラウゼ ン﹂を
之が報告を受 け
作 成 に係 る ﹁戦 時 下 の日本 農 業 ﹂ と題 す る 調 査報 告 書 一通 を 、
ワ 同 年 六月 頃 ﹁満 鉄 ﹂東 京支 社 調査 室 調 査 員 伊 藤 律 よ り同 人
次 で同 年 九 月 頃 同 調 査室 よ り同 調 査 室 作 成 に係 る ﹂新 情 勢 の
めて外国 に漏泄 し
四、尾崎秀実 及宮城与徳 ﹂クラウゼ ン﹂﹁ヴ ケリ ッチ﹂と共 謀 の上
日本 政 治 経 済 に 及 ぼ す影 響 ﹂ と題 す る 調 査報 告 書 一通 を 入 手 せし め 夫 々同 人等 よ り之 が提 報 を 受 け 以 て我 国 の外 交 、 財政 、 経 済 、 其 の他 に関 す る情 報 を 探 知 収 集 し た る上 、 其 の都 度前
り乍ら
外国 に通報漏泄する目的 を以 て孰れも軍事上 の秘密な ることを知
い 宮城与徳をして東京市内其 の他に於 て
記 の如 き方 法 に依 り ﹁ク ラウ ゼ ン﹂等 を し て之 を 無 電等 に依 り ﹁モ ス コウ﹂ 中 央 部 に通 報 せ し む ると 共 に ﹁ヴ ケ リ ッチ﹂ を し て写 真 に撮 影 せし め て其 の フ ィル ムを 同 中 央 部 に伝 送 し
成並に昭和十 三年 (西暦 一九三八年)秋頃 に於ける之 が改編
を介し曩 に満州国公主嶺に駐屯 したる長谷川機械化部隊 の編
状況 、昭和十 四年 (西暦 一九三九年)五月頃に於ける満州国
イ 昭和十四年 (西暦 一九三九年) 五月頃陸軍下士官小代好信
目的を以 て
綏芬河、琿春、土門子、東寧 、牡丹江、佳木斯等東部国境方
三 、尾 崎 秀 実 及 宮 城 与 徳 ﹁クラ ウ ゼ ン﹂ と共 謀 の上 外国 に漏 泄 す る
せら れ た る我 国 重 要 国策 が我 国 防 上 外 国 に 対 し秘 匿 す る こ とを
一 昭 和 十 六 年 (西 暦 一九 四 一年 ) 七 月 二日御 前会 議 に於 て決 定
要 す る 重 要 な る国 務 に係 る機 密 事 項 な る こと を知 り乍 ら 、 其 の
同月当時に於ける我陸軍 の ﹁対 ソ﹂編成 即ち甲師団、対支編
の状況、満州国海拉爾方面 に駐屯 の我陸軍部隊 の編成状況、
成即ち乙師団 の区分 に依 る新編成計画 の内容並 に共 の実施 の
面に駐屯する日本軍 の部隊数、部隊 の兵員数 及其 の編成装備
て其 の内 容 を調 査 し其 の数 日 後 前記 自 宅 に於 て尾 崎 秀 実 よ り直
状況特に甲師団附属 の機械化部隊 の装備其 の他を調査せしめ
頃 尾 崎秀 実 を し て東 京 市 内 に 於 て西 園 寺公 一等 より 聴 取 せし め
の報 告 を 受 け
接 之 が報 告 を受 く ると 共 に重 ね て同 人 より 宮 城 与 徳 を介 し て其
二 日米 交 渉 に関 す る 日 本案 ( 所 謂 ﹁対 米 申 入 書 ﹂) が 政 府 大 本
当時の日本軍戦車隊編成等 の情況並 に戦車 の型及性能等を調
査し翌七月下旬頃同人等 を介 し、同月中旬以降 の我陸軍 の全
ロ 昭和 十六年 (西暦 一九四 一年) 六月頃右小代好信等を介 し
の如 き機 密 事項 を記 載 し た る文 書 な る こと を知 り乍 ら 同 年 九 月
国的動員実施 の状況殊 に召集兵員 の数第十四師団管 下に於け
営 連 絡 懇 談 会 (所 謂連 絡 会 議 ) に付 す る 為準 備 せ ら れ たる 前 記
二十 四 日 頃 同市 京 橋 区 木 挽 町 七 丁 目 七 番 地 の七桑 名 こ と木 村 定
月頃水野成を介し第 十六師団管下 に於ける召集兵輸送状況を
る召集兵 の年 齢其 の他動員 の具体的実施状況等 を、又同年 八
公 一より昭和十四年十二月三十日日華両国間に妥結 を見 たる
ロ 昭和十 五年 一月頃神田区駿 河台西園寺公爵邸に於 て西園寺
含 む所謂 ﹁内約﹂ の内容 を記載したる文書 を借受け前記自宅
領地域 に於ける日本軍 の撤退等軍事 に関する外国 との約定を
中華民国 に於ける日本軍隊 の駐屯、日本艦船部隊 の駐留及占
の ﹁対 ソ﹂作戦計画 の内容 及之に伴ふ燃料 、被服、糧秣、ガ
ハ 同年 夏頃右 小代好信 を介 し満州国東部国境 に於ける日本軍
に於 て之を別紙に手 写せしめ
各調査 せしめ
ソリ ン、耐寒油等 の補給状況等を調査せしめ
より同年 八月三十 一日日華両国交 渉委員問 に於 て妥結を見た
ハ 同年秋頃四谷区南町 八十 八番地健 こと犬養健方 に於 て同人
る前同旨 の軍事 に関す る外国と の約定を含 む日本国中華民国
に付関東軍代表参謀将校等が同軍 の意見を携 へて東上し参 謀
間基本関係 に関す る条約案 及其の附属書案 の内容を記載 した
ニ 同年 八月頃 田口右源太等より其 の頃 ﹁日ソ﹂戦開始 の可否 本部 に対 し対 ソ戦を開始す可からず との意見を具申したる旨
部隊 の配備状況を聴取して孫呉 に横山部隊、北安に後宮部隊、
席 したる際同大会出席者其 の他 より満州国 に駐屯 する我陸軍
ニ 同年十月満州国新 京に於 て開催 せられた る協和会 大会 に出
せしめ
る文書 を借受け前記 ﹁満鉄 ﹂東京支社 に於 て之を別紙に手 写
調査 せしめ ホ 同年九月頃菊地八郎 より満州国東部国境方面駐屯 の関東軍 の配備及行動並に対 ソ戦 に関する企図変更状 況等 を聴取 せし
師団第 四連隊其 の他同市内及其 の附近十九箇所 に於ける防空
ヘ 同年 十月頃 自ら探 査す る等 の方法に依り東京市赤坂区近衛
臨 江に土肥原部隊 の各駐屯 する事実 を調査 せしめ
め
高射砲陣地 の位置等を調査 せしめ
たる際 ﹁アメリカ﹂系 ﹁チ ャイナ ・ウ ィクリー ・レヴ ュー﹂
編成及中華民国並に満州国 に駐屯す る部隊 の配備状 況に関す
資料を基礎 とし之に宮城 の探知 せる事項等を綜合 し我陸軍 の
駐屯地等 に関す る資料及情報を入手 し宮城与徳と共に右情報
調査室勤務調査員海江田久孝其 の他 より我陸軍 の師 団編成 及
ホ 昭和十六年五月頃前記 ﹁満鉄﹂東京支社調査室等 に於 て同
誌所載 の在支 日本軍師団名及其 の駐屯地記 入の地図等を入手
イ 昭和十四年夏頃満鉄社命 に依り中支方面に視察旅行を為 し
ろ 尾崎秀実 をして
すると共に帰途京都 に於 て水野成を介し京都第十 六師団 の派
ヘ 同年 六月下旬頃 ﹁ 満鉄 ﹂東京支社内 アジ アに於 て朝 日新聞
る 一覧表を作成し 視察調査 の結果を綜合 して在支日本軍各師団 及其 の駐屯地等
東京本社政治経済部長田中慎次郎 より同月二十三日頃開催 の
遣先を調査し帰京後宮城与徳 と共に之等資料 及現地 に於ける 外国に駐屯す る我陸軍部隊号及部隊 の配備状 況を調 査せし め
ト
二
尾 崎 秀 実 を し て昭 和 十 六年 (西 暦 一九 四 一年 ) 八 月頃 満 鉄東
京支 社 調査 室 に於 て同 調 査員 宮 西 義 雄 よ り 当時 に於 け る我 国 航
我 陸 海 軍首 脳 部 会 議 に於 て当面 直 に ﹁対 ソ﹂ 戦 を 行 は ず 、南
空 用 揮 発油 、 重 油 、 原 油 等 の石油 貯 蔵 量 が陸 軍 二百 万屯 、海 軍
八百 万 屯 乃 至 千百 万 屯 民 間 二百 万 屯 な る事 実 を 聴 取 せ し め
部 仏 印 に 進 駐 す、 北 方 に対 し ては 有事 の場 合 に即 応 し得 る様
昭 和 十 六年 七 月 下 旬 ﹁満 鉄 ﹂東 京 支 社 に於 て三井 物 産 船 舶
ン﹂を し て無 電 に依 り之 を ﹁モス コウ ﹂中 央部 に通 報 せ し むる と
以 て軍 用 資 源 秘密 を探 知 し孰 れも 其 の都度 前 記 の如 く ﹁ク ラウ ゼ
兵 力 増 強 を 行 ふ 旨 決 定 せ ら れ た る事 実 を 聴 取 せ し め
部 東 京 事 務 所 長 代 理 織 田 信 太郎 よ り同 月 中 行 は れ た る動 員 に
た る 等諸 般 の活 動 を 為 し以 て ﹁コミ ンテ ル ン﹂ の目的 遂行 の為 にす
同 中 央部 に伝 送 し て外 国 に漏 泄 し
共 に ﹁ヴ ケリ ッチ﹂ と 共 に之 を写 真 に撮 影 し 其 の ﹁フ ィル ム﹂ を
依 り北 方 二十 五万 、 南 方 三 十 五 万、 内 地 四十 万 の兵 力配 備 せ ら れ た る事 実 を 聴 取 せ しめ 同年 八 月 下旬 満 鉄 東 京 支 社 内 ﹁ア ジ ア ﹂ に於 て西 園 寺 公 一
る 行 為 を為 し た るも の に し て被 告 人 の前 記 第 二 の二 、 三 の各 国 防 保
右 の事 実 は 之 を 公判 に付 す る に足 る べき 犯罪 の嫌 疑 あ り て被告 人 の
用 資 源 秘 密 保護 法違 反 の各 所 為 は 犯意 継 続 に係 る も のと す 。
安 法 違 反 、前 記 第 二 の 四 の各 軍 機保 護 法 違 反 、 前 記 第 二 の五 の各 軍
其 の都 度 前 記 自 宅 等 に 於 て宮 城 与 徳 又は 尾 崎 秀実 よ り 口頭 若 は文
所 為 は治 安 維 持 法 第 一条 後 段 第 十 条 国 防保 安 法第 八条 第 四 条 第 二 項
チ
よ り 其 の頃 我 陸 軍 首 脳 部 と 関東 軍 代表 者 等 と の会 議 開 催 せ ら れ た る結 果 同年 中 は ﹁対 ソ﹂ 戦 開 始 を中 止す る旨 決 定 せら れ
書 に依 り之 が報 告 を 受 け 以 て右 各 軍 事 上 の秘 密 を 探 知収 集 し た る
軍 機 保 護 法 第 六 条 第 一項 第 四条 第 二項 軍用 資 源 秘 密 保 護 法 第 十 五条
た る事 実 を 聴取 せ し め
モ ス コウ中 央 部 に通 報 せし む る と 共 に ﹁ヴ ケ リ ッチ﹂ を し て写真
上 其 の都 度 夫 々前 記 の如 く ﹁クラ ウ ゼ ン﹂を し て之 を無 電 に依 り
光
三
五 十 五条 第 十 条 を 適 用 す べき も の と思 料 す る を 以 て刑 事 訴 訟 法第 三
村
第 一項 第 十 二条 第 二項 第 一項 刑 法 第 六 十 条 第 五十 四条 第 一項 前 段第
中
に 撮 影 せし め て其 の フィ ル ムを 同 中 央部 に伝 送 し て軍 事 上 の秘 密
百 十 二条 に依 り主 文 の如 く 決 定 す。
東京刑事地方裁判所
昭 和 十 七年 十 二月 十 五 日
予 審 判 事
を 外 国 に 漏泄 し 五、 尾 崎 秀 実 、 宮 城 与徳 、 ﹁ク ラ ウ ゼ ン﹂ 及 ﹂ヴ ケ リ ッチ﹂と共 謀 の 上 外 国 に 漏泄 す る 目的 を以 て孰 れ も 軍用 資 源 秘 密 な る こ とを 知 り
自 己 単 独 に て昭 和 十 五年 (西 暦 一九 四 〇年 )夏 頃 在 京 駐 日 独
乍ら 一
に於 け る貨 物 自 動 車 、戦 車 、 航 空 機 及 其 の発 動 機 の生 産 工場 名
逸 大 使 館 内 に 於 て同大 使 館 附 武 官 ﹁マ ッキ ﹂ よ り同 年 頃 の我 国
及 生 産額 等 を記 載 した る 文 書 及情 報 を 入 手 し
七 東 京地裁判 決文
判 籍 東京都麻布区永坂町三十番地
独
決
国 居
逸
住 リヒアルド ・ゾルゲ
著作家兼新 聞記者 当 四十九年
理
由
被 告 人 は甞 て ﹁カ ー ル ・マ ルク ス﹂ が ﹁第 一イ ンタ ー ナ シ ョナ ル﹂
の孫 にし て、西 暦 一八九 五年 (明治 二 十 八年 ) 十 月 四日 旧 露 国 ﹁コ
を 創 設 し た る当 時 其 の書 記 と し て活 動 した る ﹁ア ド ル フ ・ゾ ルゲ ﹂
ー カ サ ス﹂ 州 ﹁バク ー ﹂附 近 に生 ま れ た る が、 間 も なく 予 てよ り 石
ド ・ゾ ルゲ ﹂ が帰 国 す る こと と な り た る為 他 の家 族 と共 に独 逸 国 伯
油 技 師 と し て独 逸 よ り 同 地方 に派 遣 せ られ 居 り た る 父 ﹁リ ヒ ア ル
林 市 に移 住 し、 同 市 ﹁リ ヒ テ ル フ ェルデ ﹂区 の高 等 実 科 学 校 (﹁オ
ー ベ ル ・レア ー ル ・シ ュー レ﹂) 高 等部 に在 学 中 偶 〓第 一次 欧 州 大
戦 勃 発 す る や西 暦 一九 一四年 (大 正 三 年 ) 一兵卒 と し て志 願 出 征 し、
る も、 西 暦 一九 一六年 ( 大 正 五年 ) 再 度 志 願 出征 し 、東 部 戦 線 に於
の傍 学 業 を 続 け 右学 校 を卒 業 す る と共 に 伯 林 大学 医 学 部 に入 学 し た
翌 一九 一五年 (大 正 四年 ) 西 部 戦 線 に於 て戦 傷 を被 り て帰 還 し 療 養
て前後 二 回 の戦 傷 を 負 ひ、 翌 一九 一七年 (大 正 六 年 )伯 林 市 内 の野
右 の者 に対する治安維持法違反、国防 保安法違反、軍機 保護法 違反 並 に軍用資源秘密保護法違反被告事件に付 、当裁判所は検事中村登
戦 病 院 に 後送 せ ら れ て療 養 中 右 医学 部 に通 学 し次 で国 家 学 部 に転 じ、
音 夫、同平松勇各関与 の上審理を遂げ、左 の如く判決を為す。
西 暦 一九 一八 年 ( 大 正 七年 ) 兵 役 を 免 除 せ ら る る に及 び ﹁キ ー ル﹂
文
被告人を死刑 に処す。
を修 め 、西 暦 一九 二〇 年 (大 正九 年 ) 右 大 学 を 卒 業 す る と共 に同 大
大 学 に転 じ 翌 年 更 に ﹁ハ ンブ ルグ ﹂ 大 学 に 転校 し て国 家 学 及 経 済 学
主 左記押収物件 は執 れも之を没収す。
学 に 於 て国 家 学 ﹁ド ク ト ル﹂ の学 位 を得 、 其 の後 、 同 市 全国 組 合 中
イ 英文情報原稿 二通 (昭和十七年押第 五三号 の三七及三八)
央 本 部 助手 、 ﹁ア ー ヘ ン﹂市 ﹁カー ル﹂高 等 工業 学 校 助 手 、炭 坑 坑
員 と し て の仕 事 を も 為 し 来 り た るも のな るが 、前 記屡 次 の出 征 中 戦
尚 其 の間 西 暦 一九 二 二年 (大 正 十 一年 )頃 以来 は著 述 家 及 新 聞 情報
夫 、 ﹁フ ラ ン ク フ ルト ﹂大 学 社 会 学 教 室 助手 兼 講 師 等 に転 々就 職 し 、
米国紙幣 一千七百八十二弗、但 二十弗紙幣八十五枚 、十弗紙幣
の附属物件 (同押号 の八九乃至 一〇九)
写真機三箇 (同押号 の四、 八七及八八)並に接写機 一組其 の他
ロ 英 文情 報文書 七通 (同押号 の三九乃至四五) ハ ニ
乱 の惨 禍 を体 験 し て深 刻 な る精 神 的打 撃 を被 る と共 に 或 は戦 場 に於
二枚、 五弗紙幣十枚及 一弗紙幣十 二枚 (同押号 の五〇) 訴訟費用 は全部被告 人の負担 とす。
翼 的 啓 蒙 を 受 く るに 及 び漸 次革 命 的 労 働 運 動 等 に対 す る関 心 を深 め 、
て兵 卒 左 翼 分 子 と 接 触 し或 は野 戦 病 院 に於 て看 護 婦 及 医 師 等 よ り 左
せ られ 、 之 等 諸 国 の共 産 党 と連 繋 し つ つ共産 主義 運 動 乃 至 労 働 問 題
部 及 組 織 部 の特 別 代表 と し て ﹁ス カ ンヂ ナビ ヤ﹂地 方 及 英 国 に派 遣
其 の他 右 各 共 産 党 を綾 る各 種 問 題 に関 す る 諜 報活 動 に暗 躍 し た る が、
局 の各 共産 党 関 係 諜 報 機 構 よ り 分離 し政 治 、経 済 、 軍 事 問 題等 に関
自 己 の祖 父 た る前 記 ﹁ア ド ル フ ・ゾ ルゲ ﹂ の 事 績 を 追 想 し 且 当 時
す る 広 汎 な る諜 報 活 動 に従 事 せし め ら れ度 き旨 具 申 し て其 の承認 を
﹁コミ ンテ ル ン﹂ 本 部 に対 し 将来 自 己 を ﹁コミ ン テ ル ン﹂ 本部 情 報
戦 独 逸 に於 け る社 会 的 混 乱 を 目 賭 し た る 結果 、 西 暦 一九 一八年 (大
得 、軈 て ﹁コミ ンテ ル ン﹂ 本 部 よ り離 脱 し た るも のな る と ころ 、当
西 暦 一九 二九 年 (昭 和 四 年 ) 五 、 六月 頃 ﹁モス コウ ﹂ に帰 還す る や
正 七年 )頃 よ り共 産 主 義 を信 奉 す る に 至 り 、 其 の頃 ﹁キ ー ル﹂市 に
﹁ロ シヤ ﹂ に勃 発 し た る革 命 運 動 を 想 望 し つ つ各 種 の左 翼 文 献 を 渉
於 て独 立 社会 民主 党 に加 入 活 動 し、次 で西 暦 一九 一九年 (大 正 八年 )
き諜 報 活 動 の分 野 と し て選 択 し、 ﹁コミ ンテ ル ン﹂が世 界 ﹁プ ロレ タ
時 既 に世 界政 局 に於 け る東 亜 将 来 の重 要性 に着 目 し之 を 自 己 の新 し
猟 緬 読 し而 も右 大 戦 後 西 欧 諸 国 を 襲 ひた る政 治 的 経 済 的 危 機 特 に 敗
て之 に加 入 し爾 来 同 党 の為 諸般 の活 動 に従 事 し居 り た る が、 其 の間
十 月 頃 独 逸 共産 党 の結 成 を見 るや 同 年 十 二月 ﹁ハンブ ルグ ﹂ 市 に於
リ アー ト﹂ の独 裁 に依 る世 界 共 産 主 義 社会 の実 現 を 標 榜 し其 の世界
す る結 社 な る ことを 知 悉 し乍 ら、 ﹁ソヴ ィ エット ﹂社 会 主 義 共 和 国
西 暦 一九 二三年 (大 正 十 二年 ) ﹁マル ク ス﹂、﹁エンゲ ル ス﹂等 に関 す
連 邦 (略 称 ﹁ソ聯 ﹂)赤 軍 の諜 報 機 関 た る第 四本 部 の 指 揮 統 制 の 下
﹁プ ロ レタ リ ア ート ﹂ の独裁 を通 じ て共 産 主 義社 会 の実 現 を目 的 と
祖 父 ﹁ア ド ル フ ・ゾ ル ゲ ﹂ の遺 稿 等 を 提 供 し た る ことあ り 、 更 に 翌
革 命 の 一環 と し て我 国 に於 ては 国 体 を 変革 し私 有 財 産 制 度 を 否 認 し
年 ﹁フラ ンク フ ル ト ・ア ム ・ マイ ン﹂ 市 に於 て密 に開 催 せら れ た る
に東 亜を 中 心 と す る 独 自 の諜 報 活 動 を 展 開 し 、殊 に我 国 の政 治 、 外
ク ス﹂・﹁エンゲ ル ス﹂ 研 究 所 長 ﹁リ ャザ ノ フ﹂ と連 絡 し同 人 に 前 記
独 逸 共産 党 大会 に出 席 し、 ﹁コミ ンテ ル ン﹂ 本 部 よ り其 の 代 表 と し
を前 記 赤 軍 第 四 本部 を通 じ て ソ聯 政 府 及 之 と 密接 な る有 機 的 連 関 を
交 、 財 政 、 経 済 、軍 事其 の他 に関 す る諸 般 の情 報 を探 知 蒐 集 し、 之
る資 料 蒐 集 の目 的 を 以 て独逸 に 潜入 し来 れ る在 ﹁モ ス コウ﹂、 ﹁マル
﹁マヌイ ル スキ ー﹂、 ﹁ク ージ ネ ン﹂ 及 ﹁ロゾ フ スキ ー﹂ 等 の警 護 接
有 す る ﹁ソ聯 ﹂ 共 産 党 中 央委 員 会 並 に ﹁コミ ン テ ル ン﹂本 部 (以 下
て同大 会 に派 遣 せ ら れ た る ﹁ソ聯 ﹂ 共 産党 員 ﹁ピ ア ト ニッキ ー ﹂、
待 係 に選 任 せ ら れ て右 代 表 等 の知 遇 を 得 る に 至 り た る が、 同 代 表 等
日本 に対 す る ﹁ソ聯 ﹂ の地 位 を安 固 な ら し む る と 共 に延 い て ﹁コミ
ンテ ル ン﹂ の目 的 遂 行 に協 力 せ ん と の意 図 の下 に
之 等 機 関 を ﹁モ ス コウ ﹂中 央部 と汎 称 す ) に通 報 漏 泄 し て東 亜 殊 に
る に及 び同 党 を離 脱 し て ﹁ソ聯 ﹂共 産 党 に加 入 し其 の活 動 に 参 加 す
表 面 独 逸 ﹁ゾ チ オ ロジ カ ル ・ マガ ジ ン﹂誌 等 の支 那 特 派 員 と し て
第 一、 昭 和 五 年 ( 西 暦 一九 三〇 年 ) 一月 赤 軍 第 四本 部 の指 令 に従 ひ
の嘱 望 に因 り同 年 末頃 独 逸 共 産 党 より ﹁コミ ンテ ル ン﹂本 部 に於 け
る と共 に ﹁コミ ンテ ル ン﹂本 部 情 報 局 員 と な り て該 情 報 局 の拡 充 に
る 組 織 並 に情報 問 題協 議 の使 命 を 受 け て ﹁モ ス コウ ﹂ に派 遣 せ ら る
協 力 し、 西 暦 一九 二 七年 (昭 和 二年 )﹁コ ミ ンテ ル ン﹂本 部 よ り情 報
事 諜 報 部 門 を 担 当 し た る前 記 ﹁ア レ ック ス﹂ が 在支 約 半 歳 に し て
同 人 等 を 協 力 者 と 為 し た る が、 右 第 四本 部 と の技 術 的 連 絡 並 に軍
る同 本 部 員 ﹁マ ック ス ・クラ ウ ゼ ン﹂ 及 ﹁ミ ッシ ャー ﹂ と連 絡 し
ンガ ル ト﹂ を 伴 ひ て上海 に渡 来 し、 予 てよ り 同 地 に滞 在 し居 り た
右 第 四本 部 員 ﹁ア レ ック ス﹂ と共 に同 本 部 員 な る無 電 技 師 ﹁ワイ
て上 海事 変 に於 け る我 国 の軍事 的 目標 、 戦 闘 力 及戦 闘方 法 等 に関
報 告 せし め 、或 は自 ら 南 京 政 府 顧 問 の独 逸 人 将 校 其 の他 に接 近 し
り て満 州 方 面 に派 遣 し該 地 方 に 於 け る政 治 並 に軍 事 状 況等 を調 査
努 め た る 外 尚 尾崎 秀実 等 と協 議 の上前 記 川 合 貞 吉 を 前 後 二 回 に 亘
我 国 と南 京 政府 及米 英 と の対 立 関係 の激 化 等 諸 般 の情 報 の蒐 集 に
す 影 響 、 上海 事 変 に於 け る我 国 の政治 的 目標 と我 軍 の配 置 状 況 、
す る 各種 の情 報 資 料 を 蒐 集 し 、之 等 を 無 電 又 は 伝 書 使 に 依 り て
同 地 を 退 去 した る 後 は被 告 人自 ら主 宰 者 とし て諜 報 活 動 全 般 を 指 導 し 、其 の後 右 本 部 よ り新 に派 遣 せら れ た る 同 本部 員 ﹁ジ ョ ン﹂
第 二 、次 で昭 和 八年 (西 暦 一九 三 三年 ) 九 月 赤 軍第 四本 部 の指 令 に
﹁モ ス コウ ﹂中 央 部 に伝 達 し
ー ・ツ ァイ ツウ ング ﹂紙 の支 那 特 派 員 な る 米 人 左翼 分 子 ﹁アグ ネ
及 ﹁パ ウ ル﹂ を協 力者 と し て迎 ふ ると 共 に独 逸 ﹁フラ ンク フ ルタ
ステ ルダ ム ・ ハンデ ル スブ ラ ット﹂ 紙 の各 日 本特 派 員 とし て在 留
ス ・ス メ ド レー ﹂ を協 力 者 たら しめ 、 次 で同 女 の紹 介 に依 り 独 逸
し、 東 京 市 (但 、 昭 和十 八年 七月 一日 以 降東 京 都 の新 設 に 因 り廃
ル ント シ ャウ﹂ 紙 、 同 国 ﹁ベ ル ゼ ン ・クー リ エ﹂紙 及 和 蘭 ﹁ア ム
分 子 の協 力 を得 た る外 、 同 様 石 ﹁ス メド レー ﹂ の紹 介 に依 り支 那
止 せ ら る) 麻 布 区 永 坂 町 三十 番 地 に寓 居 を構 へた る が、 同 年 十 月
基 き 伯林 経 由 に て単 身我 国 に渡 来 し、 表 面 独逸 ﹁テ ー ク リ ッ ヘ ・
人 左 翼 分子 ﹁ワ ン﹂ 夫 妻 及 大 阪朝 日新 聞 上海 特 派 員 な る 日本 人共
婦 人 ﹁ハンブ ルグ ﹂ 及米 国 新 聞 記 者 ﹁ヤ ー コ ップ ﹂ 等 の外 人 左 翼
及 尾 崎 秀実 等 の斡 旋 に 依 り 夫 々 ﹁チ ュイ﹂ 夫 妻 、 ﹁チ ャ ン﹂、 ﹁パ
産 主義 者 尾崎 秀実 を 各 協 力 者 と し て参 加 せ し め、 更 に 右 ﹁ワ ン﹂
帰 還 す る に至 る迄 の間 、 上海 を本 拠 と し て南 京 、 杭州 、 漢 口、 広
自 己 の地 位 を 後 任者 た る前 記 ﹁パ ウ ル﹂ に 譲 り て ﹁モ ス コウ ﹂ に
へて自 ら在 支 諜 報 活 動 を指 導 し、 昭 和 七 年 (西 暦 一九 三 二年 ) 末
成 、 山 上正 義 、 船 越 寿雄 等 の日本 人 共 産 主 義 者 を 順 次 協 力者 に加
備 に 着 手 し 、次 で同 月 末 頃 曩 に仏 国 巴 里 より 表 面 ﹁ユー ゴ ー スラ
漏 泄 す る こと を目 的 とす る 在 日諜 報 団 体 を 組 織 し て諜 報活 動 の準
す る 各 種情 報 資 料 を 探 知 収 集 し 且之 を ﹁モ ス コウ﹂ 中 央部 に通 報
秘 密 に係 る諸 情 報 、 其 の他 軍事 、 外交 、政 治 、 財 政 、 経 済等 に関
為 東 京 を 本 拠 と し て我 国 の国 家 機 密 、軍 事 上 の秘 密 並 に 軍用 資 源
と連 絡 協 議 し 〓 に 同 人 と共 に ﹁モ ス コウ ﹂中 央 部 に通 報 漏泄 す る
-ホ テ ル﹂ に於 て赤軍 第 四本 部 員 な る 無 電技 師 ﹁ベ ル ン ハル ト﹂
頃 予 て伯 林 に於 て為 し置 き た る打 合 に 基 き 同市 麹 町 区 所 在 の帝 国
東 、 開 封 、西 安 、北 京 等 支 那 各 地 及 遠 く満 州国 に 亘 り て広 汎 な る
ヴ ィ ヤ﹂ 日刊 新 聞 ﹁ポ リ テイ カ ﹂ の 日本 特 派 員 と し て我 国 に渡 来
イ ﹂、 ﹁リ ー﹂、 ﹁シ イ ン﹂ 等 の支 那 人左 翼 分 子 並 に川合 貞 吉 、 水 野
の南 京 政府 及 其 の他 の集 団 並 に派 閥 に 対 す る方 策 を始 め、 我 国 の
し密 に 連絡 を待 ち 居 りた る 共産 主 義 者 ﹁ブ ラ ン コ ・ド ・ヴ ケ リ ッ
諜 報 活 動 を展 開 し た る が、 其 の間 前 記 日 本 人協 力 者 等 と共 に我 国
支 那 に於 け る軍 事 的 勢 力 対 満 新 政 策 及 右 新 政策 の ﹁ソ聯 ﹂ に及 ぼ
ド ヴ ァタ イ ザ ー ﹂紙 上 に ﹁浮 世 絵 買 入 れ度 し ﹂ な る広 告 を 掲 載 し
連 絡 員 と の間 に為 し置 き たる 打 合 に従 ひ英 字 新 聞 ﹁ジ ャパ ン ・ア
訪 ね て同 人 と の連 絡 を 遂 げ 、 更 に同年 十 二月 頃 予 て米 国 に 於 け る
チ﹂ を 其 の止宿 先 な る同 市 本 郷 区 元 町 所 在 の文 化 ﹁ア パ ー ト﹂ に
て送 付 を 受 け た る資 金 の 一部 )、 斯 く て昭 和 十 二 年 (西 暦 一九 三
諜 報 活 動 を 展 開 し (因 に 、本 件 昭 和 十 七年 押 第 五 三号 の 五〇 の米
﹁モス コウ ﹂中 央部 よ り所 要 資 金 の送 付 を受 け つ つ漸 次 活 発 な る
た らし む る 等逐 次 右 諜 報 団 体 の陣容 を 整備 充 実 す る と 共 に 他 面
七年 ) 十 月 十 日軍 機 保 護 法 改 正法律 施 行 せ ら れ、 次 で昭 和 十 四年
国 紙 幣 千 七 百 八 十 二弗 は昭 和 十 四年 即 ち 西暦 一九 三九 年 以 降 に於
同 人 は 其 の後 昭 和 十 八年 八月 二日 東 京拘 置 所 に於 て病 死 し た り )
(西 暦 一九 三 九年 ) 六月 二十 六 日軍 用 資 源 秘 密 保 護 法 の施 行 を見
て其 の頃 我 国 に渡 来 し居 り た る 元 米国 共産 党 員 宮 城 与 徳 (因 に、
と の連絡 を 図 り結 局 同 市 下 谷 区 上 野 公 園 所在 東 京 府 美 術 館 に於 て
告 人 の自 宅其 の他 に於 て随時 会 合 連 絡 し各 種 指 令等 を与 ふ る と共
た る 以後 に於 ても 依 然 右 諜 報 団 体 の指 導 者 と し て其 の諜報 活 動 全
に 、前 記 諜 報 団 体 の目 的 を達 成 せ ん が為 尾 崎 秀 実 を し て公 爵 近 衛
般 の指揮 統 制 に任 じ来 り た る も のに し て右 団 体 結 成 以 来 尾崎 秀実 、
せ し め、 自 ら右 団 体 の指 導 統制 の 任 に当 り来 り た る が 、 ﹁ベ ル ン
文麿 側 近 者 、南 満 州 鉄 道 株式 会 社 (略 称 ﹁満 鉄 ﹂)東 京 支 社 調 査 室
同 人 と連 絡 を結 び、 越 え て昭 和 九年 (西暦 一九 三四 年 ) 六 月頃 宮
ハ ルト﹂ の無 電 技 術 拙劣 な り し為 昭和 十 年 (西 暦 一九 三 五年 ) 五
城 与徳 の斡 旋 に依 り 奈 良 市 奈 良 公 園内 に於 て当 時 既 に上海 よ り大
月 同 人を ﹁モス コウ﹂ に 帰 還 せ し む る と共 に情 勢報 告 等 の為 同 年
及朝 日新 聞 記 者 等 各 方 面 よ り、 宮 城 与 徳 を し て前 記 小 代 好 信 等 二 、
阪 朝 日新 聞 社 詰 とな り て帰 国 し連 絡 申 絶 し居 り た る 前 記 尾崎 秀実
六月 自 ら も 亦 ﹁モ ス コウ ﹂ に帰 還 し、 赤 軍第 四 本部 長 ﹁ウ リ ッキ
三 の友 人 及 新 聞 記 者 其 の他 の交 遊 関 係 より 、﹁ヴ ケ リ ッチ﹂を し て
ュンタ ー ・シ ュタ イ ン﹂ 等 と相 諮 り東 京 市 内 の料 理 店 又 は前 記 被
ー ﹂ と協 議 の上 、 当 時 ﹁モ ス コウ ﹂ に滞 在 中 な り し前 記 ﹁マ ック
新 聞 連 合 通 信 社 即 ち後 の 同盟 通 信 社 及 在 京 仏 国 ﹁ア ヴ ァス﹂ 通 信
宮 城 与徳 及 ﹁ク ラ ウ ゼ ン﹂、﹁ヴ ケ リ ッチ﹂等 同 団 体 員 並 に前 記 ﹁ ギ
ス ・ク ラ ウ ゼ ン﹂ を 新 に 右 団体 員 に迎 ふ る こ とと し 、 同年 九 月 再
と の連 絡 の回 復 に成 功 し 、 同 人等 を し て前 記 諜 報団 体 に順 次 参 加
び我 国 に帰 来 し た る 後 同年 十 一月頃 東 京 市 麹 町 区 平 河 町所 在 の独
﹁ギ ュンタ ー ・シ ュタ イ ン﹂を し て駐 日 英 国 大使 館 及 英 米 等 外 国
支 社 、英 米 等 外 国 人新 聞記 者 其 の他 駐 日 仏 国 大 使 館 等 よ り 、 又
ン ハル ト﹂ に代 り 無 電発 受 信 機 の組 立 及 操 作 等 に関 す る技 術 的 担
逸 人 倶 楽 部 に於 て右 ﹁ク ラウ ゼ ン﹂ と連 絡 し、 同 人 を し て ﹁ベ ル
日独 逸 大 使 館 に接 近 し国 民 社 会 主 義 独逸 労 働 党 (略 称 ﹁ナ チ ス﹂)
の他 に関 す る各 種 情 報 資 料 を 蒐 集 提 供 せ し む る外 尚 被 告 人 自 ら駐
ィナ ンシ ャ ル ・ ニ ュー ス﹂誌 の 日本 特 派 員 な る ﹁ギ ュンタ ー ・シ
に も 入党 し て漸 次 其 の信 任 を博 す る と共 に同 大 使 館 を始 め我 国 在
人 新 聞 記 者 よ り 、 夫 々我 国 等 の軍 事 、 外交 、政 治 、 財 政 、 経 済其
ュタ イ ン﹂ を 協 力者 と し て獲 得 し、 次 で宮城 与 徳 の友 人 小 代好 信
留 の独 逸 人 実 業 家 及 技師 、独 逸 各 新 聞 代 表者 、在 京 ﹁ナ チ ス﹂ 党
当 者 たら し め 、更 に 昭和 十 一年 (西 暦 一九 三 六年 ) に は英 国 ﹁フ
を 始 め 前 記 水野 成 、 川 合 貞 吉 等 を 右宮 城 与 徳 及 尾 崎 秀 実 の協 力 者
員 、 和 蘭 外交 官 並 に銀 行 筋 、 英 米 等 外 国 人新 聞 記 者 其 の他 前 記 同 盟 通 信 社 等 諸 方 面 よ り前 掲 各 種 の情 報 資 料 を 蒐 集 し、 或 は自 ら 日 本 に於 け る 政 治 、 経 済 、軍 事 等 の諸 問 題 を 研究 す る と共 に之 か智 識 経 験 を 有 す る 尾 崎 秀実 の協 力 を 得 て諸 情 報 の評価 又 は諸 情 勢 の
(ホ)
我 国対 英 米 政 策 の推 移
我 国対 支 政 策 の動 向
我 国対 外 政 策 の進 路 を 決 定 す べき我 軍 部 の実践 的 役 割 更 に 同軍 部 内 に於 け る 各種 の政 治 的 潮 流 特 に少 壮将 校 団 の政
(ニ)
(へ)
(ト)
治 的 傾 向 及 我 国 各 種 政 治 圏 に於 け る 一般 的 政 治 傾向
等 の事 項 に付
︵ハ)
(ロ)
(イ)
我 国対 英 米 の既 存 関 係 の崩 壊
支 那事 変 の進 展
日 独防 共 協 定 締 結 と 日 独 同盟 政 策 の帰 趨
所 謂 二 ・二 六事 件 と 其 の内政 上 に及 ぼ した る 諸影 響
又 自 ら ﹁モ ス コウ ﹂中 央 部 の為 選 択 し た る独 自 の諜 報 課 題 とし て
我 国 重 工業 特 に戦 時 経済 の発 展 状 況
ル ン ハル ト﹂、 後 に は ﹁ク ラ ウ ゼ ン﹂を し て暗 号 を使 用 し無 電 に依
観 測 を 為 し、 之 等 の結果 を 一定 の情 報 に取 纒 め た る 上初 に は ﹁ベ
り て ﹁モス コウ ﹂ 中 央部 に速 報 せ しめ 、 或 は 独逸 大 使 館 方 面 より (ろ)
七) 及 ﹁ライ カ ﹂ 用 接 写機 (同 押 号 ノ 一〇 六 )等 を使 用 せ し め て
使 用 し又 は ﹁ヴ ケリ ッチ ﹂ を し て ﹁ラ イ カ﹂ 写真 機 (同押 号 ノ八
(ニ)
る報 告 書 等 を 自 ら ﹁ロボ ット ﹂写 真 機 (前 同押 号 ノ 四及 八 八) を
入 手 した る 情 報資 料 又 は之 等 情 報 を 基 礎 とし て被告 人 の作 成 した
之 を 写 真 に撮 影 す る と共 に右 ﹁ヴ ケリ ッチ﹂ を し て同 人所 持 の写
等 の事 項 に 付
夫 々各 種 の情 報 を蒐 集 し、 特 に
真 機 を 用 ひ て爾 余 の資料 、報 告 書 等 を 撮 影 せし め 、 之等 ﹁フ ィル
部 の伝 書 使 に託 し て同 中 央 部 に伝 送 し来 れる も のな る が、 就 中
(I) 被 告 人 自 ら前 記 独 逸 大 使 館 方 面 よ り
ム﹂を 予 め 無 電 に 依 り打 合 は せ た る方 法 に従 ひ ﹁モ ス コウ ﹂中 央
一、前 記 諜 報 団 体 結 成 後 昭 和十 六年 (西 暦 一九 四 一年 ) 五 月十 日
﹁モ ス コウ﹂ 申 央 部 よ り の指 令 に基 く 諜 報 課 題 と し て
(ホ)
(ニ )
(ハ)
(イ ) ㈲
所 謂 リ シ ュコ フ事 件
独 逸 に 依 る 日支 間 和 平 斡 旋 の 企図
日 独防 共協 定 締 結
前 駐 日 独逸 大 使 ﹁フ ォ ン ・デ ィル ク セン﹂ 来 朝 の使 命 所 謂 二 ・二六事 件
迄 の間 尾 崎 秀 実 其 の他 の諜 報 団 体 員 等 と共 に東 京市 内等 に於 て
満 州 事 変 以 後 に 於 け る我 国 の ﹁対 ソ﹂ 政 策 特 に 我 国 の ﹁ソ聯 ﹂ に対 す る戦 争 計 画 の有 無
(い)
各 方面 よ り
︵イ)
︵ヘ)
第 二次 欧 州大 戦 に対 す る我 国 の態度
平 沼 内 閣当 時 に於 け る独 逸 側 の日独 同 盟 締 結 の申 入 と其 の交 渉 経 過 満 州 事 変 以 後 に於 け る 我陸 軍 及 空 軍 の増強 並 に再 編 制 ﹁ヒ ット ラ ー﹂ の政 権 獲得 後 に於 け る日 独 親 善関 係 の展 (ト)
(ロ) 開
) ︵ハ
(ヌ )
( リ)
(チ)
松 岡 外 相 と駐 日独 逸 大 使 ﹁オ ット ﹂ と の関 係
日独 経 済 協定 締 結
日独 伊 三 国軍 事 同盟 の締 結
日独 間 の太平 洋 に於 け る独 逸 軍 艦 に対 す る物 資 補 給 交 渉 ( リ)
(チ)
同 年 秋 頃 南 京 に於 け る 日支 交 渉 の経 過
(ル)
同 年 十 一月 大 本 営 設置 に関 す る 事 情
同 年 七月 藍 溝 橋 に於 け る 日支 両 軍 衝 突事 件 の経 過
昭 和 十 三 年 (西暦 一九 三 八年 ) 二、 三 月頃 上海 及 香 港 方 面 に於 け る 在 支 欧 米 人 の支 那 事 変 に関 す る意 向 、 支 那
同 年 六月 頃 陸 軍中 将 板 垣 征 四郎 の陸軍 大 臣 就 任 事 情
同 年 五月 頃 陸 軍大 将 宇 垣 一成 の外 務 大臣 就 任 の意 義
同 年 四月 頃 中 華 民 国 維新 政 府 の成 立事 情
(ヲ)
(ヌ )
昭 和 十 二年 (西暦 一九 三 七 年 ) 五 月頃 所 謂 第 一次 近 衛 内 閣 の成 立 事 情 及其 の性 格
(ル) (ヲ) 独 逸 の対 ソ攻 撃 の意 図 と其 の準備 等 の事 項 に 付 諸般 の情 報 を 蒐 集 し
(カ)
(ワ )
同 年 七 月 所 謂 張鼓 峯 事 件 に対 す る 我政 府 及軍 部 の方 針
人 一般 の対 日 動 向 及我 国 の現 地 政 治 工作 の状 況
(ヨ)
同 年 夏 頃 よ り 同年 十 二月 頃 迄 の間 所 謂 国 民再 組 織 問 題
公 爵 近衛 文麿 側 近 者 を 中 心 とす る所 謂朝 飯 会 を 始 め 内 閣 、 ﹁満 鉄 ﹂ 其 の他 朝 日新 聞 記 者 等 各 方 面 よ り
(Ⅱ) 尾 崎 秀 実 を し て ︵一)
(タ)
以 来 の国 内革 新 勢 力 の進 出 状 況
昭 和 九年 ( 西 暦 一九 三 四 年 ) 六 月頃 所 謂 五 ・ 一五事 件
(レ)
(イ)
(ロ) 昭 和 十年 ( 西 暦 一九 三 五年 ) 三 月頃 北 満 州 鉄 道 (所 謂 ﹁北 鉄 ﹂)譲 渡 交 渉 に付 て の我 政 府 の意向
昭 和 十 四 年 (西暦 一九 三九 年 ) 一月平 沼内 閣 の成 立 事 情 及 其 の性 格
同 年 六月 よ り 同年 七 月迄 の間 日 英 会談 の経 過
(ハ)
の経 過
同年 九 月 頃 陸 軍 省 情 報 部 発 行 の ﹁国 防 の本 義 と其 の強 化 の提 唱 ﹂ と題 す る ﹁パ ン フ レ ット ﹂を 縷 る軍 部 の意向
(ソ)
同 年 春 頃 よ り 同年 九 月迄 の間 欧 州 情勢 を続 る 日独 軍 事
及 之 に対 す る政 界 、 財 界 方 面 の批判 的態 度 昭和 十 一年 (西 暦 一九 三 六年 ) 一月頃 北 支 要 人 及 北支 一般 民衆 の反 日的 動 向
(ネ)
同 年 五月 よ り 同年 九 月迄 の間 所 謂 ﹁ノ モ ン ハン﹂事 件 に対 す る我 政 府 及軍 部 の方 針 並 に関 東軍 の動 向
(ニ)
同年 一月頃 相 沢 中 佐 の陸 軍 省軍 務 局長 陸 軍 少 将 永 田鉄 山 刺殺 事 件 の性 質
(ツ)
) (ホ
(ナ)
同 年 九 月 貿 易 省 設置 問題 の経 過 及 其 の性 質
同内 閣 の態 度
同 年 九 月 阿 部 内 閣 の成 立 事 情 及 今 次欧 州戦 争 に対 す る
同盟 締 結 に関 す る我 政 府 の態 度 (ラ) 影響 同 年 秋 頃 日 独防 共 協 定 締 結 を 縷 る 日 独軍 事 同 盟 工作
(ム)
(へ) 同年 二 、 三月 頃 所 謂 二 ・二六事 件 の経 過 及 該 事 件 の性 質 並 に 其 の国 内 政 治 及 対 外 政 策 殊 に対 ソ聯 政 策 に及 ぼ す
(ト)
(ニ)
﹁支那事変発生後 の日本農村 の経済状態﹂ と題する報告書
の動向 ﹂と題す る報告書 及同年夏頃同様同人 の執筆 に係 る
) 昭 和 十 五年 (西 暦 一九 四 〇年 ) 一月米 内 内 閣 の成 立事 (ウ 情 及其 の性 格
各 一通 を、同年三月頃 ﹁満鉄 ﹂上海事務所開催 の支 那抗戦
京支社調査室より同年秋頃同社大阪出張所刊行 の ﹁昭和十
那政治経済 に関する調査報告書 二、 三通、更 に ﹁満鉄 ﹂東
力測定会議 に於 て配布せられたる同社内秘密刊行物 なる支
昭 和 十 三 年 (西 暦 一九 三 八年 ) 夏 頃 よ り 昭 和 十 五 年
〇年 )初頃 より昭和十 六年 (西暦 一九四 一年)三、四月頃
六年度米穀需給 予 想 表﹂ 一通 及 昭和 十五年 (西 暦 一九四
(西 暦 一九 四 〇年 )十 一月 日華 基 本 条 約 成 立迄 の闇 荘 兆
独 軍 事 同 盟 締 結 の可能 性
同 年 七月 第 二次 近衛 内閣 の成 立 事 情 及 同 内 閣 に依 る 日
(ヰ)
(ノ)
昭和 十 五年 (西 暦 一九 四 〇年 ) 七月 頃 所 謂 政 治新 体制
銘 を首 班 と す る中 華 民国 国 民 政 府 樹 立 工作 の経 過 (オ )
等 の諸問題 に関する調査報告書約十部を夫 々入手せしめ
月報 ﹂と題す る我国 の政治 、貿易、農村、金融、経済統制
迄 の間十 回位 に亘り同社内極秘刊行物 なる ﹁東京時事資料
昭和 十 六年 (西 暦 一九 四 一年 ) 一月 泰 仏 印 停戦 協 定 を
同年 十 月頃 日独 軍 事 同 盟 締 結 の満 州 方 面 に於 け る反 響
問 題 に関 す る公 爵 近 衛 文麿 の意向
㈹
友人其 の他 の方 面より 被告人 の指示に基く
支那事変 の進展と我 国対支政策 の動向
満州事変以後 に於ける我陸軍 及空軍 の増強並に再編制
満州事変以後 に於け る我国 の対 ソ政策特 に我国 の ﹁ソ 聯﹂に対 する戦争計画 の有無 (ロ)
我国 の対英米政 策の推移、特 に我国対英米 の既存関係 の崩壊
(へ) 所謂 二 ・二六事件と其 の内政上に及ぼしたる諸影響
の政治的傾向
(ホ) 我国対 外政策 の進路を決定す べき我軍部 の実践的役割 更に同軍部内 に於ける各種の政治的潮流特に少壮将校団
(ニ)
(ハ)
(イ)
︵一)
(Ⅲ) 宮城与徳を して
(ク)
同年 三 月外 務 大 臣 松 岡 洋 右 渡 欧 の使 命
続 る我 国 の右 両 国 に対 す る意 図 (マ)
同年 四 、 五月 頃 日米 交 渉 を 綾 る 近衛 総 理 大 臣 と松 岡 外
同年 四、 五月 頃 日 ソ中 立 条 約締 結 に関 す る我 国 内 動向 及 同 条 約 と日 独 伊 軍事 同 盟 と の関 係 に付 て の各方 面 の見 解
(ケ)
(フ)
務 大 臣 と の意 見 の疎 隔 等 に 関 す る諸 情 報 を 蒐 集 せ しめ 昭 和 十 年 (西 暦 一九 三 五年 ) 頃 軍 事 研 究 家 篠塚 虎雄 よ り 同 人 に依 頼 し て執 筆 せ し め た る軍 事 に 関 す る 調 査書 (軍 事 知 識 ノ ート ) 二冊 、 前 記 水 野 成 よ り 昭 和 十 五年 (西 暦 一九 四 〇年 ) 二月 頃 同 人 に命 じ 調 査執 筆 せ し め た る ﹁第 六 十 八 議 会 を通 じ て現 は れ た る既 成 政 党 解 消 運 動 に関 す る各 政 党
Ⅳ
等 の事項 に付
ト の
ロ
イ
﹁ノ モンハン﹂事件 の推移
我国 の農業問題 と其 の内政及対外政策 に及ぼす影響
ニ ・二六事件と之に対す る我国海軍 の態度
我国重 工業特 に戦時経済の発 展状況
イ 我国政治情勢 の 一般的推移
更 に宮城与徳自ら の選択 したる
ニ 我国 の対 ソ政策 を規 る駐日英 国 大 使 館附 武 官 ﹁ピ ゴ ッ ト﹂中佐 の策謀と我国対英政策 の推移 ㈱
日仏印通商条約 の内容 と我国食糧問題
泰仏印停戦協定成立 の経過
乾盆子事件、張鼓峯 事件及 ﹁ノ モンハン﹂事件等 ソ満 国境 に於 ける日ソ聞 の紛争状況並に之 等諸事件 に対する
ヘ
ロ 我軍部 の態度、樺太に於ける我陸軍部隊駐屯配置 の概況
其 の都 度 之 等 情 報 資 料 ( 前 同押 号 の 四 一乃 至 四 三 は 其 の 一部 )
等 の事項 に付各種 の情報 を蒐集 せしめ
09 北海道及樺太に於ける軍要港湾等 に関する施設 及其 の 軍事的利用価値
﹁モ ス コウ﹂ 中 央 部 に 通報 伝 達 し
を適 宜 整 備 統 合 の上 之 を前 記 の如 く 無 電 又 は 伝 書 使 に 依 り て
我国 に於け る中小商 工業者 の失業対策及転業問題
状況並 に我政府 の米穀増産計画 に対する農 民の意向
我国 の農業問題殊 に北海道及東北各地方 に於け る米作
ニ ホ
を 知 り 乍 ら 外 国 に通 報 す る目 的 を 以 て、敦 れも 東 京 市 内 等 に
(1) 我 国防 上 の利 益 を害 す べき 用 途 に 供 せら る る虞 あ る こと
﹁ク ラ ウ ゼ ン﹂ 、﹁ヴ ケ リ ッチ﹂、尾 崎 秀 実 及宮 城 与 徳 と共 謀 の上
二 、昭 和 十 六年 五 月十 日 国防 保 安 法 の施 行 せ ら れ た る以 降 に於 て
ニ イ 昭和九年 (西 暦 一九 三四年)七 月頃 よ り昭 和 十 一年
於て
等 の事項 に付夫 々諸般 の情報を蒐集 せしめ (西暦 一九三六年 )春頃迄 の間東京市内に於 て購入 したる
昭和 十 六年 (西 暦 一九 四 一年 ) 五 月中 旬 頃 米 国 ﹁二 畠
﹁ヴ ケ リ ッチ ﹂ を し て
﹁軍事と技術﹂と題 する月刊雑誌中より ﹁ソ聯 ﹂其 の他欧 米各国陸軍 の新 兵器 に対す る我陸軍将校 の意見其 の他 に関
い
ー ヨー ク ・ヘラ ルド ・トリ ビ ュー ン﹂紙 の 日 本 通 信 員
﹁ジ 。ー ゼ フ 。 ニ ュー マ ン﹂ より 同 人 が駐 日米 国 大 使 館
イ
参 事官 ﹁ド ー マ ン﹂ よ り入 手 し た る情 報 と し て、 松 岡 外
昭和十年 (西暦 一九 三五年)末頃より昭和十 六年 (西暦
する記事十数篇を抜葦 せしめ 一九四 一年) 四月頃迄 の間 宮城自 ら又 は前記小代好信を介
相 の渡 欧 不在 中 内 閣 に関 係 あ る 某海 軍 筋 の者 より 米 国 の
ロ
し我陸軍 の歩兵操 典其の他各種操典類 (新旧共)及作戦要
那 奥 地 よ り -部 撤 兵 を 為 し 且 日独 伊 三国 軍 事 同 盟条 約 を
仲裁 に依 り支 那 事 変 の妥 協 的 解 決 を為 さ ん と し之 が 為支
務令等我陸軍関係書籍十冊余を入手せしめ ﹁ヴ ケリ ッチ﹂ を し て駐 日仏 国 大 使 館 及 在 京 外 人 新 聞 記 者 其 の他 の方 面 よ り
米 国 の有 利 に解 釈 適 用 し米 国 が 対英 援 助 の為 参 戦 す る も
﹁ド ー マン﹂ 又 は駐 日米 国 大 使 ﹁グ ルー ﹂ よ り 入手 し た
ハ 同 年 七 月 中旬 前 記 ﹁二 ュー マン﹂ 及 ﹁エー ピ ー ﹂通 信
る情 報 と し て、 近衛 第 三次 内 閣 の成 立 に 伴 ふ豊 田外 相 の
社 日本 通 信 員 ﹁マ ック ス ・ヒ ル﹂ 等 よ り 同 人 等 が 前 記
就 任 は 日米 交 渉 の前 途 に希 望 を 抱 か しむ る も の な り し が、
右 条 約 第 三条 の発 動 を 避 け ﹁ヨー ロ ッパ ﹂戦 を太 平 洋 に
石 井 ﹁ラ ンシ ング﹂ 協 定 を 復 活 し東 亜 に於 け る 日本 の特
波 及 せし め ざ る 用意 あ る こ とを 示 す と 共 に 、 米国 に対 し
殊 権 益 を 容認 し 且満 州 国 を 承 認 す る こと 及東 亜其 の他 に
其 の直 後 日本 海 軍航 空 部 隊 が重 慶 爆 撃 に 際 し 米 国 砲 艦
る 抗議 と共 に諸 般 の要 求 を提 出 し た る と こ ろ、 之 に 対 す
ー ﹂ の態 度 は極 め て強 硬 に し て、 右 事 件 に対 す る 厳 重 な
﹁ツ ッ イ ラ﹂ 号 を 爆 撃 し た る こ と に関 し米 国 大使 ﹁グ ル
於 て 日本 に対 し凡 ゆ る経 済 的 便 宜 を 与 ふ る こと を要 求 し、
あ り た るも 、 日本 側 の右申 出 は未 だ公 式 のも のに 非 ず 日
る 日本 側 の態 度 は極 め て譲 歩 的 な り し旨 聴 取 せ しめ
太 平洋 情 報 の 全 面的 緊 張 緩 和 の為 日 米 会 談 開 催方 の申 出
し居 れ る が、 之 を 契 機 と し特 に ワ シ ント ン駐 剤 野 村 大使
帰 朝 に因 り て表 面 的 には 硬化 し 、支 那 事 変 解 決 仲 介 の条
を期 待 し居 り、 日米 交 渉 に 対 す る米 国 の態 度 は 同 外 相 の
林 に赴 き 独逸 側 と会 談 した る 松 岡外 相 を 好 まず 其 の失 脚
﹁ド ー マン﹂等 よ り入 手 し た る情 報 と し て米 国 は 襲 に 伯
ロ 同 年 六、 七 月 頃 前 記 ﹁ニ ュー マ ン﹂ よ り 同 入 が 前 記
を 破 棄 す る も のに非 ず、 従 って若 し 日 本 が 仏印 に対 し何
仏 印 停 戦 協定 締 結 に際 し与 へた る仏 印 の領 土保 全 の確 約
仏 印 に 対 す る 態度 如 何 を確 め た る に、 右 高 官 は 日本 は泰
ず 何 等 の交 渉 な き を憂 慮 し、 日本 側 某高 官 に就 き 日本 の
き 若 し 日 本 が南 進 す る と せ ば自 己 に交渉 あ る べ き に拘 ら
同 月 二 日 の御 前 会 議 に於 て決 定 せら れ た る重 要 国 策 に基
ンリ ー ﹂ よ り 入手 し た る情 報 とし て、﹁ア ンリ ー﹂大 使 は
ル ・ギ ラ ン﹂ よ り同 人 が駐 日仏 国 大 使 ﹁ア ルセ ー ヌ ・ア
ニ 同 月中 旬 前 記 ﹁アヴ ァス﹂ 通 信 社 日本 通 信 員 ﹁ロベ ー
本 側 の真 意 も 測 り 難 き を 以 て米国 側 は慎 重 な る 態 度 を持
の努 力 に依 り て公 式 の日 米交 渉 に発 展 す る可 能 性 あ る旨
件 と し て 日本 側 に対 し 日 本軍 隊 の支 那 本 土 より の全 面 的
聴 取 せし め
撒 退 、涯 政 権 の否 認 及 将 来 日 本 が 太平 洋 に於 て現 在 以 上
等 か の要 求 を 為 す も のと せ ば 日本 は 駐 仏 加藤 大 使 を 通 じ
マ ン﹂ より 入 手 し た る情 報 と し て、 米 国 は北 方 問 題 に付
ホ 同 月 中 旬 頃 前 記 ﹁ニ ュー マン﹂ よ り 同 人 が前 記 ﹁ド ー
な る べ し と言 明 し た る旨 聴 取 せ しめ
ヴ ィ シ イ政 府 と の外 交 交 渉 に依 り 問 題 を解 決す る こ と と
に積 極 的行 動 を採 ら ざ る こと 等 を要 求 す る に至 れ る が 、
し て、 同 国 大 使 館 筋 に於 ては 日米 交 渉 は近 く 実 質 的 諒解
右 は同 外 相 を失 脚 せし め ん と す る米 国 側 の外 交 的 謀 略 に
に到 達 し 正式 に之 が開 始 を 見 る に 至 る べ し と観 測 し 居 る 旨聴取せしめ
て は ﹁ソ聯 ﹂ が 独 逸 に 対 し徹 底的 抵 抗 を為 す 限 り 之 に深
斯 る現 状 の下 に於 ては 日 本政 府 の約 束 は 如 何 な る内 閣 に
約 束 に全 幅 の信 頼 を措 き難 し と迄 言 明 す る に 至 り て は日
と の趣 旨 を 述 べた る が 、斯 く の如 く グ ルー が 日本 政 府 の
米 交 渉 も 最早 妥 結 の望 勘 な き も のと 謂 は ざ る べ から ざ る
依 り為 さ るる に せよ 之 のみ を信 頼 す る こと は 不可 能 な り
若 し ﹁ソ聯 ﹂ が独 逸 に 対 す る抵 抗 を 停 止 した る場 合 に は
旨聴取せしめ
き関 心 を有 す るも のに し て従 て斯 る場 合 日 本 が浦 塩 に対
米 国 は浦 塩 に対 す る 日 本 の進 出 を黙 認 す る に至 る べく、
し行 動 を 起 さん か米 国 と し ては之 を 黙 視 し得 ざ る べき も、
又 南 方 問 題 に 付 ては 日 本 が仏 印 に進 駐 す る も 右 は或 程 度
ろ 宮 城与 徳 を し て
よ り北 海 道 方 面 厚 岸 其 の他 に陸 海 軍 飛 行 場 の設 備 あ る旨
イ 昭和 十 六年 (西 暦 一九 四 一年 ) 六月 頃 友 人 田 口右 源 太
仏 国 側 の諒 解 の下 に 行 は る る こと と な る べき を 以 て ﹁ル ー ズ ヴ ェルト ﹂ は 之 を直 接 動 機 と し て対 日 開戦 の為 米 国
﹁ソ聯 ﹂ 攻 撃 開 始 に関 す る予 報 を 得 て六月 十 九 日主 脳 部
ロ 同 月 下 旬 頃 田 口右源 太等 よ り我 軍 部 に 於 て は 独 逸 の
聴取 せしめ
輿 論 を喚 起 す るを 得 ざ る べく 、 米 国 が 対 日強 硬 手 段 を 採 り 得 る場 合 は 日本 の攻 撃 が直 接 ﹁シ ンガ ポ ー ル﹂ に向 け ら る る時 な る旨 聴 取 せ し め
し たる 結 果 、 日 本 は独 伊 と の三 国 同 盟条 約 を 守 る と 共 に
会 議 を 開 き 独 ソ開戦 に伴 ひ採 る べき 日 本 の態 度 に付 協 議
ヘ 同 年 十 月 初 旬 前 記 ﹁ニ ュー マ ン﹂ よ り 駐 日 米 国 大 使 ﹁グ ル ー ﹂ は米 国 人 倶 楽 部 に 於 け る米 国 人 会 合 の席 上 近
決 定 し た る事 実 あ る旨 聴 取 せし め
﹁ソ聯 ﹂ と の中 立条 約 を も 厳 守 し中 立 を維 持 す る 方 針 を
衛 ﹁メ ッ セーヂ ﹂ に関 連 し て 一場 の演 説 を 試 み尚 其 の際 曩 に 同大 使 が日 本 の某 貴 族院 議 員 に送 りた る書 翰 の内容 に 言 及 し 、自 分 は 日本 軍 部 が 政 府 の為 し た る外 国 と の約
大 使 を し て蘆 溝 橋 事 件 の拡 大 防 止を 主 旨 と す る蒋 介 石 の
昭 和 十 二年 七月 自 分 は駐 日英 国 代 理 大 使 に勧 告 し 同代 理
ら ざ る地 域 を自 治 制 下 に 置 き た る後 ﹁ソ聯 ﹂ よ り撤 兵 せ
政 権 を樹 立 し て其 の重 要 な る地 域 を軍 政 下 に、 又 重 要 な
付 独 逸 が ﹁ソ聯 ﹂軍 の掃 滅 を 期 し 、 ﹁ソ聯 ﹂国 内 に 親 独
束 に 何等 の拘 束 を も 感 ぜ ざ る為 従来 幾 多 の外 務 大 臣 の下
緊 急 提 案 を 山 本 外 務 次 官 に提 出 せ しめ た る と ころ 、同 外
ん と の情 報 を 得 た る旨 並 に米 国 と の関 係 を考 慮 す る我 財
国 の ﹁ソ聯 ﹂ に対 す る態 度 等 に 関 し 、我 政 府 は独 ソ戦 に
務 次 官 は 之 に賛 意 を表 し居 り た る に拘 ら ず 日本 軍 部 に於
界 方 面 に於 ては 日 本 の対 ソ関 係 に付 消 極 的政 策 を支 持 し
ハ 同 月 下 旬 頃 田 口右 源 太 より 、 独 ソ戦 局 の見 透 し並 に我
て何 等 既 定 方 針 を変 更 す る こ とな か り し 為政 府 も 亦 遂 に
居 る も、 荒 木 大 将 其 の他 所 謂 北 進 政 策 を支 持 す る分 子 は
に屡 〓苦 き 経 験 を 嘗 め 来れ る が、 其 の 一例 を 挙 ぐ れ ば 、
右 提 案 に対 す る何 等 の回 答 を も 為 さ ざ り し も の に し て、
断 乎 ﹁ソ聯 ﹂ を攻 撃 す べ しと の 主張 を 為 し居 る旨 各聴 取
は 日本 軍 が仏印 、 泰 国境 を 経 て ﹁ビ ル マ﹂ に進 入 し、 陸
ル﹂を 攻撃 す る 一方陸 海 軍 共 同 し て ﹁ボ ルネ オ﹂ を攻 略
軍 は北 方 よ り、 海 軍 は南 方 よ り相 呼 応 し て ﹁シ ンガポ ー
す るな ら ん と の予 想 を為 し居 る模 様 な る旨 調 査 せし め
同 年 九 月頃 都 新 聞 記者 菊 池 八郎 よ り、 日 ソ戦 有 無 の見
せしめ
透 し に関 し 、我 陸 軍 参謀 本 部 に 於 ては独 ソ戦 に付 独 逸軍
政 府指 導 部 は米 国 大 統領 ﹁ルー ズ ヴ ェル ト﹂ が遅 く も 十
ト 同 月 六 日頃 前 記 田口右 源 太 よ り 、日 米交 渉 に関 し我 国
ニ
の ﹁レ ニング ラ ー ド﹂攻 略 は可能 な るも ﹁モ ス コウ﹂進
は 尾崎 秀 実 を し て
余 地 な し ﹂ と謂 ふ に在 り と予 想 せら る る旨 聴 取 せ しめ
重 大 視 し居 るも 、 右回 答 は 日本 側 の期待 に反 し ﹁考 慮 の
月 七 、 八 日頃 に は其 の回答 を為 す も の と期待 し該 回 答 を
撃 は其 の見 込 な し と の見 解 な れば 、 日本 軍 の対 ソ攻 撃 は
同 月 下 旬頃 菊 地 八郎 よ り、 日本 軍 が九 月 十 六 日北 支 及
中 止 の外 な き旨 聴 取 せし め ホ
り た る こ とに 関連 し、我軍 部 に於 ては 独逸 軍 が ﹁キ エフ﹂
南 支 に於 て為 し た る新 作戦 の発 表 以 来其 の行 動 不明 とな
一 独 ソ戦 並 に対 ソ問 題 に関 し
勃 発 し た る後 同 月 下旬 頃 前記 朝 飯 会 の出 席 者 西 園寺 公 一、
イ 昭和 十 六年 (西 暦 一九 四 一年 ) 六月 二十 二 日独 ソ戦 の
為 す 向 あ る も、 日 本 軍部 の相 当 の地 位 に在 る者 の言 に依
呼 応 し て ﹁ソ聯 ﹂攻 撃 に起 つ べし と の意 見 を政 府 に 寄 せ
前途 を 観 望 す る の態度 に出 で居 る旨 聴 収 せ し め
省 筋 に申 入 れ た るも 、 我政 府 は中 立 政 策 を堅 持 し戦 局 の
来 り、 駐 日独 逸 大 使 ﹁オ ット﹂ も亦 同 様 の意 見 を 我 外務
牛 場 友 彦 、松 本 重 治等 より駐 独大 島 大使 は我 国 も独 逸 に
同 年 十 月 初 頃米 国 雑 誌 ﹁ラ イ フ﹂ の所 説 其 の他 前 記 菊
情 報 を聴 取 せ しめ
れ ば 日本 軍最 高 幹 部 の意 向 は現 状 を傍 観 す る に在 り と の
軍 が ﹁ソ聯 ﹂ に対 し冬 季 作 戦 の挙 に出 づ べし と の予測 を
以来 対 ソ問 題 に関 し緊 張 を 示 し、 一部 国 民 の間 に は 日本
占 領 と共 に迅 速 な る欧 露 進撃 を開 始 せ ん と の報 を 入手 し
ヘ
地 八郎 よ り聴 取 し た る と ころ を綜 合 し て、 我 国 は 同年 七
我 政府 及 軍 部 に於 ては 独 ソ 戦局 の将 来 に付独 逸 が 急速 且
場 友彦 等 の談 話 並 に ﹁ 満 鉄 ﹂東 京支 社 調 査室 方 面等 よ り
展 開 せん と企 図 し居 るも 、 泰 国 に対 す る英 国 勢 力 の圧迫
圧 倒的 な る勝 利 を得 ると 共 に延 いて ﹁ソ聯 ﹂現 政 権 の崩
ロ 同 月 下 旬頃 前 記 朝 飯会 に於 け る出 席 者 西園 寺 公 一、牛
並 に ﹁フ ィリ ッピ ン﹂及 蘭 領 印度 等 の武 備強 化 、 兵 員 増
しめ
壊 を 来 す べ しと の観 測 を 為す 向 極 め て多 数 な る旨 調 査 せ
月 の全国 臨 時 大動 員 以来 台 湾 、海 南 島 及 仏 領 印 度 支 那
強 等 は我 南進 政 策 の遂行 を 因難 な ら し め居 る状 況 に在 り 、
(仏 印 )等 に相 当多 数 の兵 力 を集 結 し南方 問 題 を 有利 に
而 し て南 方 に対 す る 日本 軍 の行 動 に関 し米 国 方 面 に於 て
ハ
ニ
ホ
国 訪 問 の帰途 に在 る陸 軍 中 将 山 下奉 文 の意見 に期 待 し居
べき態 度 決 定 に付 近代 的 装備 、 戦 術 の権 威 にし て独 伊 両
者 情 報 と し て、 我 陸軍 部 内 に於 て は独 ソ開戦 に伴 ひ採 る
同 月 下旬 頃 ﹁満 鉄 ﹂東 京 支社 調査 室 方面 より 、 新聞 記
に対 し ては其 の後殆 ん ど徴用 なく 且 厳冬 季 を 数 箇月 後 に
関東 軍 の命令 に依 り待 機 せし め ら れた る ﹁満 鉄 ﹂従 業 員
殊 に参 謀 本 部 及海 軍 側 は自 重 論 と見 ら る る のみ な らず 、
﹁ソ聯 ﹂ の敗 戦 崩 壊 の見 透 し に付 疑 念 を抱 く 者 を 生 じ、
於 ては対 ソ戦 を 逡巡 す る気 配 を 示 す と共 に 陸軍 部 内 に も
中 旬頃 に於 け る所 謂 第 二次 近 衛 内 閣 の総 辞職 及第 三 次 近
室 其 の他 各 方 面 よ り聴 取 し た る と ころ を綜 合 し て、 同 月
イ 同年 七月 中 旬 過頃 前 記 朝飯 会 、 ﹁ 満鉄﹂東京支 社 調 査
ニ 日米 交 渉 の問 題 を繞 り
問 視 す べき情 勢 と な り たる旨 聴 取 せし め
控 へ居 る を以 て、同 年 中 に 於 け る対 ソ戦 開 始 は 極 め て疑
る旨 聴取 せ しめ 同 月 下旬 頃 前 記朝 飯 会 に於 け る出 席 者等 より 我 軍部 に
て六 月十 九 日頃 独 ソ戦 勃 発 に伴 ひ採 る べき態 度 決定 の為
於 ては 事 前 に独 逸 の ﹁ソ聯 ﹂ 攻撃 開 始 に関 す る報告 を 得
予 め政 府 と協議 し、 我 国 と し ては 独 ソ両 国 に対 し中 立 を
同 月 下旬 頃 前 記朝 飯 会 に於 け る出 席者 の談 話等 を綜 合
衛 内閣 の成 立 は 日米交 渉 に付 近衛 総 理 大 臣 と意 志 の疏 通
維 持 す る 方針 を 決 定 し た る事 実 あ る旨 聴 取 せ しめ
し て、近 衛 首 相 は 目下 支 那 事変 の解 決 に専 念 し 居 り て対
を 欠 き た る松 岡外 務 大臣 を閣 外 に去 ら しむ る内 閣 改 造 の
の豊 田外務 大 臣 及 左近 司 商 工大 臣 の就 任 を見 て対 米 強 硬
性質 を 帯 ぶ るも のに し て、 之 を契 機 とし て近 衛 総理 大 臣
外 交 を 予 想す る向 あ るも 、豊 田外 務 大 臣 は其 の外交 的 手
ソ戦 の如 き は之 を 回避 せ んと す る意 向 な るも 、 独 ソ戦 に
同年 七、 八月頃 ﹁満 鉄 ﹂東 京 支 社 調査 室 其 の他 各 方 面
腕 を期 待 さ れ て登 場 し た るも の 又左 近 司商 工大 臣 に至 り
は 日米 交 渉 に全 力 を傾 倒 す る に至 る べく、 世 上 軍部 出 身
より 聴取 し た ると ころを 綜 合 し て、 其 の頃 行 はれ た る大
て は全 く の 一財界 人 に過 ぎ ず し て、孰 れも 対 米協 調 派 と
付将 来 ﹁ソ聯 ﹂ が急 速 に敗 退 す る に於 て は軍部 の方 針 に
動 員 に依 り 南方 に派 遣 せら れ た る部隊 あ るも 、現 に大連
見 る べき も のな る旨 調 査 せし め
従 ひ ﹁ソ聯 ﹂ 攻撃 に同 意 す る に至 る べき旨 調 査 せ しめ
港 を経 由 し て続 々北 上中 の部 隊 あ る に より 我軍 部 に於 て
其 の後 同 年 八月 中 旬頃 ﹁満 鉄 ﹂東 京 支 社 調査 室 其 の他
封鎖 は我 政府 の予 期 せ ざり し と こ ろに し て、 為 に今 や 我
蘭 印及 濠 州 諸国 の敢行 し たる資 産 凍 結 を含 む全 面 的対 日
聴 取 し た ると こ ろを 綜 合 し て、 同 月 二十 六 日、 米 、英 、
ロ 同 月 下旬 頃 ﹁ 満 鉄 ﹂東 京 支 社 調 査室 其 の他各 方 面 よ り
各 方 面 より 其 の頃 独 ソ戦 線 が ﹁ス モレ ン ス ク﹂ 地 区 に於
撃 に 出 づ る意 図 な る べき 旨 調 査 せ しめ
は独 ソ戦 に基 く ﹁ソ聯 ﹂ 内 部 の崩 壊 を待 た ず し て対 ソ攻
ヘ
ト
て膠 著 した る為 曩 に大動 員 に賛成 し たる我 政 府 上 層部 に
るも 、 我 政府 に於 ては未 だ 何 等 の対 策 を も 立 て得 ざ る状
南 方 資 源 を獲 得 す る か二者 何 れか の関 頭 に立 つに至 り た
国 は米 英 に屈 服 す る か又 は敢 然 起 って此 の制縛 を 打 破 し
よ り の撤 兵等 に し て、両 者 間 の右 主 張 に は根 本 的相 違 あ
中 立 の厳 守 並 に我 国 の対南 方 武 力 進 出 の中 止 及南 部 仏 印
伊 三 国軍 事 同 盟 よ り の離 脱或 は米 独戦 争 の場 合 に於 け る
る 為交 渉 の成 果 は期 待 し難 き状 況 に在 る旨 調 査 せ しめ
り 曩 に帰 朝 中 な り し若 杉 全権 公 使 の米 国 帰 任 に因 り日米
ホ 同年 九 月 下 旬頃 西 園 寺公 一、 ﹁満鉄 ﹂関 係者 其 の 他 よ
態 な る旨 調 査 せ しめ
雄其 の他 よ り当 時 に於 け る我 国 石 油貯 蔵 量 が 陸軍 二百 万
ハ 同 年 八月頃 ﹁満 鉄 ﹂東 京 支 社 調 査 室勤 務 調 査員 宮 西 義
交 渉 は目 下 急 転回 を 為 し つ つあ る も の の如 く 、我 政 府 は
国 と の妥 協 を期 待 し交渉 の前 途 に希 望 を 懸 け居 る模 様 な
中 南支 及 南 部 仏印 より の撤 兵 を 承 認 す る こと に依 り て米
る も 、 一方 軍部 に対 し て は該 交渉 不成 立 の場合 軍 事 行動
屯 、 海 軍 八 百 万屯 乃 至 千 百万 屯 、 民間 二百 万屯 な る旨 聴
に 出 づ るも 已 む な しと し て之 に付 了解 を 与 へ居 る旨 聴取
取 せ しめ
他各 方 面 よ り聴 取 した る と こ ろを 綜合 し て、 同月 二十 八
ニ 同月 下 旬 頃 西 園寺 公 一、 ﹁ 満 鉄 ﹂ 東京 支 社 調 査 員 其 の
せしめ
ヘ 同年 八、 九 月頃 西 園春 公 一、 ﹁ 満 鉄 ﹂ 東 京支 社 調 査 室
日近 衛 総 理 大 臣 よ り米 国 大統 領 ﹁ルー ズヴ ェルト﹂ に対
関 し、 同 総理 大 臣 は 日米 交 渉 の再出 発 を 決意 し、 日米 双
て、我 政 府 は軍 部 より 日米 交 渉 に期 限 を 付 せら れ居 り て
勤 務 酒 井 予 備海 軍 大 佐等 より 聴取 し たる と ころを 綜 合 し
し発 せら れ た る所 謂 近衛 ﹁メ ッセー ヂ ﹂ の内容 其 の他 に
ト﹂ 大 統 領 と会 談 し交 渉 を 妥 結 に導 かん と し て該 ﹁メ ッ
ころ、 該 時 期 は九 月 或 は十 月 と推 測 せら る る旨 調 査 せ し
該 期 限 に 依 り南 進 軍事 行 動 開 始 の時 期 を推 知 し得 べき と
方 の主 張 を 明確 なら し む る と 共 に 自 ら ﹁ルーズ ヴ ェル
セーヂ ﹂ を発 し たる も の にし て、当 時 に於 け る日 米 双方
持 す る こと、 日米貿 易 を 正常 状態 に回 復 せ し むる こと及
字的 根 拠 に依 り具 体的 に解 明 し た る ﹁ 事 変 下 の農村 問 題 ﹂
同人 の作 成 に係 る支 那 事 変 下 に於 け る 我国 農 村 の状 況 を数
三 同 年 夏 頃 ﹁ 満 鉄 ﹂東 京支 社 調 査室 勤 務 調 査員 伊 藤律 より
め (但 、其 の後 同年 十月 上 旬 頃尾 崎 は 諸般 の情 勢 に 基 き
の主 張 は 、 日本 側 に於 ては支 那 事変 を 米 国 の協 力 を得 て
我 国 の南 方資 源 獲得 に付 米 国 に於 て斡 旋 の労 を 執 る べき
と題 す る 調査 報 告書 一通 、 次 で同 年 九 月頃 右 調 査 室 よ り同
該 時 期 を 同年 末 迄 と訂 正 し たり )
こ と等 な る に対 し、米 国 側 に於 ては 我 国 に依 る支那 市 場
調査 室 の作成 に係 る我 国 鉄 鋼業 其 の他 各種 工業 部門 に於 け
解 決 せん とす るも該 事 変 発 生 以来 屡 次 に 亘 り我 政府 よ り
独 占 の排 除 、 米 英等 諸 国 の在支 権 益 及 蒋介 石 政 府 の我 国
声 明 せら れ た る右事 変 処 理 に 関 す る方 策 を米 国 に於 て支
に依 る 確認 、 在 支 日本 軍 部隊 の原 則 的撤 退 、 我 国 の 日独
を 作 成 し之 を前 記 の如 く無 電 等 に 依 り て ﹁モ ス コウ﹂中 央 部
四 四及 四 五 は其 の 一部 ) を 適 宜 整備 統 合 の上自 ら 電文 原 稿 等
は収 集 し、 且其 の都 度 之 等情 報 資 料 ( 前 同 押 号 の 三九 、 四〇 、
以 て我 国 の外交 、 財 政 、経 済 其 の他 に関 す る情 報 を探 知 し又
査 ﹂ と題 す る同 社 内 極秘 刊 行 物 一通 を 夫 々入手 せし め
を調 査 指 摘 せ る ﹁新情 勢 の 日本 政治 経 済 に 及 ぼ す 影 響 調
る最 近 の情勢 殊 に労 働 力 の不 足 に因 る生 産力 低 下 の傾 向 等
於 て尾 崎 よ り之 が報 告 を 受 け
るも のな る こと を調 査 せし め、 其 の後 間 も な く前 記 自 宅 に
今 次 欧 州戦 争 と日独 伊 三 国軍 事 同 盟 と の関 係 其 の他 に関 す
を 一読 の上 、 其 の内 容 が米 国 の斡旋 に依 る 支 那事 変 の解決 、
違 反被 告 事 件 の証 拠 物 な る昭 和 十 七年 押 第 七 四 一号 の 一)
申 入書 (西 園 寺 公 一に対 す る国 防 保安 法 違 反 並軍 機 保 護法
る事 務 等 に鞅 掌 し居 り たる 西 園寺 公 一の所 持 せる右 ﹁対 米
に於 て尾崎 秀 実 を し て当 時 内 閣囑 託 と し て 日米交 渉 に関 す
し て右一 の事 項 を前 記 の如 く無 電 に 依 り ﹁モ ス コウ﹂ 中 央部
以 て右 各国 家 機 密 を探 知 した る上 、 其 の頃 ﹁ク ラウ ゼ ン﹂ を
に通 報伝 達 し (前 同押 号 の三 七及 三八 は 上記 原 稿 の 一部 なる も 未 だ送 信 す る に 至 ら ざり し も の) (Ⅱ) 外 国 に漏泄 す る目 的 を 以 て
三、 之 よ り先 前 記 の如 く 昭 和 十 二年 (西暦 一九 三 七年 ) 十 月 十 日
に通報 せ しめ て外国 に漏 泄 し
に於 て決 定 せ ら れ た る我 国重 要 国 策 が我 国 防 上 外国 に対 し
一 昭和 十 六 年 ( 西 暦 一九 四 一年 ) 七 月 二 日開 催 の御 前 会 議
秘 匿 す る こと を要 す る重 要 な る国 務 に係 る機 密事 項 な る こ
漏 泄 す る目 的 を 以 て敦 れ も軍 事 上 の秘 密 な る こ とを 知 り乍 ら
ン﹂、 ﹁ヴ ケ リ ッチ﹂、 尾 崎秀 実 及 宮城 与 徳 と 共謀 の 上 、 外国 に
い 宮 城 与徳 を し て東 京 市 内 其 の他 に於 て
軍機 保 護 法改 正法 律 の施 行 せら れ た る 以 降 に 於 て ﹁ク ラウ ゼ
寺 公 一等 より 聴 取 せ しめ て其 の内 容 が 我 国 の対 南 方進 出 政
とを 知 り乍 ら、 其 の頃 尾 崎 秀 実 を し て東 京 市内 に於 て西 園
策 、 独 ソ戦 に対 し執 る べき中 立 政策 等 に関 す るも のな る こ と を 調査 せ しめ 、数 日後 前 記自 宅 に於 て尾崎 よ り之 が報 告
国 防 上 外国 に対 し 秘匿 す る こと を要 す る 重 要 な る国務 に係
準 備 せら れ た るも のな る と ころ 、該 文 書 の内容 が前 同様 我
し て我 政 府 大本 営 連 絡 懇 談会 (所 謂連 絡 会 議 ) に付 す る 為
二 所謂 ﹁対 米申 入書 ﹂ は 日 米交 渉 に関 す る日 本 側協 定 案 と
海 拉爾 方 面 に駐 屯 の我 陸 軍部 隊 数 、 更 に 同月 当 時 に於 け る
方 面 に駐 屯す る我 軍隊 の部 隊 数 及其 の編 制 の状 況 、満 州 国
綏 芬河 、 琿春 、 土 門 子、 東 寧 、牡 丹 江 、 佳木 斯 等東 部 国 境
る新 配 備 状 況等 を 始 め 、 昭和 十 四年 五月 頃 に於 け る 満 州国
部 隊 の編 制装 備 並 に 昭 和十 三年 秋頃 に於 け る之 が改 編 に因
好 信 を介 し、 曩 に満 州 国 公主 嶺 に駐 屯 した る長 谷 川 機 械 化
イ 昭 和 十 四年 (西暦 一九 三 九年 ) 五 月頃 、 陸 軍 下 士官 小 代
る機 密 事 項 な る こ とを 知 り 乍 ら、 同 年 九月 二十 四 日頃 同 市
我 陸 軍 の対 ソ編 制 即 ち甲 師 団、 対 支 編制 即 ち 乙師団 の区 分
を受 け
京 橋 区木 挽 町 七 丁 目 七番 地 の七待 合 ﹁桑 名 ﹂ こ と木村 定 方
に依る新編 制計画 の内容並に其 の実施 の状況特 に甲師団附
査 に係る同市内 の 一箇所をも加 へたる合計十九箇所 の地点
高射砲陣地 の位置等を調査せしめたる上、尚之 に自ら の調
イ 昭和十 四年 (西暦 一九 三九年)夏頃 同人が ﹁満鉄﹂社命
ろ 尾崎秀実を して
の上之 に説明書を添附 せしめ
を其 の頃別に同市内 の書店より購入せしめたる地図に記入
属 の機械 化部隊 の装備其 の他を調査せしめ ロ 昭和十六年 (西暦 一九四 一年 )六月頃、右小代好信等を 介し、当時に於け る我軍戦車隊 の編制状況特 に軍事極秘資 ハ 同年七月下旬頃、小代好信等を介し、同月申旬以降 の我
﹁チ ャイナ ・ウ ィクリー ・レヴ ィユー﹂誌所載 の在支日本
に依 りて中支方面に視察旅行を為したる際 ﹁アメリカ﹂系
材たる戦車 の機構、性能其 の他を調査せしめ 陸 軍 の全国的動員実施 の状況特 に第十 四師団管下に於ける
ニ 同年夏頃 、右小代好信等を介し満州国東部国境に駐屯す
地 に於ける視察 調査の結果等を綜合の上在支 日本軍 各師団
査せしめ、帰京後宮城与徳 の手 に依り之等資料 及尾崎 の現
帰途京都 に於て水野成 を介 し、京都第十 六師団 の動静を調
軍師団名及其 の駐屯地記 入の地図等を入手 せしむると共に
召集派遣部隊 の被 服の種類、其 の行動 乃至任務其 の他動員
る日本軍隊 の部隊 数及其 の兵員数並に同方面 に於け る我軍
及其 の駐屯地等外国に駐屯する我陸軍部隊 の配備状況等に
の具体的実施状況等を調査 せしめ
の対 ソ作戦 計画 の内容及之 に伴ふ我陣地 の設備更 に燃料、
関する図表等を作成せしめ
ロ 昭和十五年 ( 西暦 一九 四〇年) 一月頃東京市神田区駿河
被服、糧秣、﹁ガソリ ン﹂、耐寒油等 の補給状況等を調査 せ ホ 同年八月頃、田口右源太等より其 の頃 日ソ戦開始 の可否
台 なる当時 の西園寺公爵邸 に於 て西園寺公 一より昭和十四
しめ に付関東 軍代表参謀将校等が同軍 の意向 を体 して上京し、
る日本軍隊 の駐屯 及之が占領地域 よりの其 の撤退等軍事 に
年十 二月三十日日華両国間 に妥結を見たる中華民国に於け
関す る外国との約定を含 む所謂 ﹁内約 ﹂の内容を略記した
たる結果 同年中 は対 ソ攻撃を為 さざることに決定したる旨
る文書を借受け しめたる上、其 の頃同市目黒区上目黒 五丁
参 謀本部 に対 し対 ソ戦を開始す べからず との意見を具申 し 聴取 せしめて我国防又は作戦に関する計画 の内容を調査せ
ハ 昭和十 五年秋頃同市四谷区南 町八十 八番地犬養健方 に於
写 せしめ
目 二千四百三十 五番地な る尾崎 の自宅 に於 て之を別紙 に手
しめ ヘ 同年九月頃菊池八郎等より満州国東部国境方面駐屯 の我 ト 同年十月頃実地探査等 の方法 に依り東京市赤 坂区近衛師
て当時日華新条約締結 に関する日本側交渉委員 の 一員 とし
軍隊 の対 ソ攻撃企図変更 に伴 ふ移動状況等を聴取 せしめ 団第四連隊其 の他同市内及其 の附近十 八箇所 に於ける防空
の内 容 を 調 査 せし め
ト 同 年 七 月 下 旬頃 ﹁ 満 鉄 ﹂東 京 支 社 内 に 於 て 三井 物 産 株 式
て該交渉 に関与 し来れる同人より同年 八月 三十 一日日華両 国交渉委員間 に妥結を見 たる中華民国 に於け る日本艦船部
た る動 員 に依 り 内地 に 四十 万 の兵 力 が 増強 配 備 せら れ たる
会 社 船 舶 部東 京 事 務 所 長 代 理 織 田 信太 郎 よ り同 月 中 行 は れ
外 特 に北 方 に 二十 五万 、 南 方 に三 十 五 万 の各 兵 員 が 派 遣 せ
隊 の駐留其 の他前同旨 の軍 事に関 する外国 との約定を含 む
ら れ 居 る 旨 聴取 せ し め て支 那 事 変 に際 し派 遣 せ らる る 我陸
日本国中華 民国間基本関係に関する条約案及其 の附属書案 の各内容 の記載 しある文書を借受 けしめたる上、其 の頃同
軍 部 隊 の人 数 を 調 査 せ し め
市内 ﹁ 満鉄 ﹂東京支社 に於 て之 を別紙 に抜萃 せしめ
て西 園 寺 公 一よ り其 の頃 開 催 せら れ た る 我陸 軍 首 脳 部 と関
チ 同 年 八 月 下 旬 頃 ﹁満 鉄 ﹂東 京 支 社 内 前 記 ﹁ア ジ ア﹂ に於
二 同年 十月頃尾崎 が満州国新京に於て開催 せられたる協和 会 全国大会 に出席 したる際、同大会出席者其 の他より満州
東 軍 代 表 者 等 と の会 議 の結 果 同 年 中 は対 ソ戦 を 開 始 せざ る
国 に駐屯す る我陸軍部隊 の配備状況を聴取 せしめて孫 呉に 横 山部隊、北安 に後宮部隊、臨 江に土肥原部隊 の各駐屯す
こ と に決 定 し た る事 実 あ る旨 聴 取 せ し め て我 国 防 又 は作 戦
ると共に其 の頃宮城与徳をして右資料を基礎 として之に同
り我陸軍 の師団編制及駐屯地等 に関す る資料を入手 せしむ
東 京支社内 調査室 に於 て同調査室勤務調査員海江田久孝 よ
無 電 に依 り ﹁モ ス コウ ﹂中 央 部 に通 報 せ し め或 は之 が資 料 自 体
各 事 項 に付 ては 其 の都 度 前 記 の如 く ﹁クラ ウ ゼ ン﹂ を し て之 を
知 し又 は収 集 し た る 上 、尚 い のイ ハ ト 及 ろ のイ ロ ハ ホ ヘ 記載 の
若 は文 書 に依 り て之 が報 告 を 受 け 、 以 て右 各 軍 事 上 の秘密 を探
孰 れも 其 の頃 前 記自 宅 等 に於 て宮 城与 徳 又 は尾 崎 秀 実 よ り 口頭
に関 す る 計 画 の内 容 を 調 査 せし め
る事 実を調査せしめ
人 の自ら探知 したる事項等を綜合 して我陸軍 の編制並に中
ホ 昭和十 六年 (西暦 一九四 一年 )五、 六月頃前記 ﹁ 満鉄 ﹂
華民国、満州国等外国 に駐屯する軍隊 の配備状況に関する
を 、若 は ﹁ヴ ケ リ ッチ ﹂ を し て之 を 写 真 に 撮 影 せ し め た る其 の
﹁フ ィル ム﹂ を 、 夫 々同中 央 部 に伝 送 せし め 、該 軍 事 上 の秘 密
一覧表を作成せしめ
四 、 其 の間 昭 和 十 四年 (西 暦 一九 三九 年 ) 六 月 二 十 六 日前 記 の如
を 外国 に漏 泄 し
三日頃開催 の我陸海軍首脳部会議に於 て、一 当面直に対 ソ
ラウ ゼ ン﹂及 ﹁ヴ ケ リ ッチ ﹂ と共 謀 の上 、外 国 に漏 泄 す る 目的
く軍 用 資 源 秘 密 保護 法 の施 行 をも 見 るに 至 り た る が、 更 に ﹁ク
て朝日新 聞東京本社政治経済部 長田中慎次郎 より同月 二十
ヘ 同年六月下旬頃 ﹁満鉄﹂東京支社内食 堂 ﹁アジア﹂に於
の場合に即応し得 る様兵力 の増強を行 ふ旨内定 せられたる
を 以 て軍 用 資 源 秘 密 若 は軍 事 上 の秘 密 な る ことを 知 り 乍 ら 、 昭
戦を行はず、二 南部仏印 に進駐す、三 北方 に対 しては有事 事実あるを聴取 せしめて我国防作戦に関する方針又は計画
昭 和 十 三 、 四年 頃 当 時 に於 け る我 国 の貨 物 自 動 車 、 戦 車 、 装甲
に於 て 同 大使 館 附 陸 軍 武 官 ﹁マ ッキ ﹂ よ りイ 軍 用 資 源秘 密 た る
和 十 五年 ( 西 暦 一九 四〇 年 ) 夏頃 被 告 人自 ら在 京 独 逸 大使 館 内
(昭 和 五年 ) 一月判 示第 一記 載 の如 く 上海 に渡 来 し 、 次 で又西
ン﹂ の性 質 を知 悉 し乍 ら判 示 の如 き 意図 の下 に西 暦 一九 三〇 年
之 を 自 己 の新 し き諜 報 活 動 の分野 と し て選 択 し 右 ﹁コミ ンテ ル
被 告 人 が 当時 既 に世 界 政 局 に於 け る東 亜 将 来 の重 要 性 に着 目 し
し殊 に我 国 に 於 て判 示 ﹁ベ ル ン ハルト ﹂ と共 に判 示 の如 き事 項
暦 一九 三 三年 (昭和 八年 ) 九 月 判 示 第 二記 載 の如 く 我 国 に渡 来
車 及 航 空機 の 重要 生 産 工場 (後記 ロ 記 載 の軍 需 品 工場 を除 く) 又 は 全 国 に於 け る各 生 産 額 ロ 殊 に戦 車 に付 ては 軍 事 上 の秘 密 に
一、 被 告 人 の当 公廷 に於 け る 供 述 の 一部
を 目 的 と す る在 日諜 報 団 体 を 組織 し た る点 は
属 す る陸 軍 大 臣 所 管 の特 別 軍 需品 工場 に於 け る 生 産 額等 を も記 載 し た る文 書 資 料 (昭 和十 七年 押 第 五三 号 の七 一) を 入手 し、
一、 本 件 記録 第 三冊 編 綴 の
以 て軍 用 資 源 秘 密 及 軍 事 上 の秘密 を収 集 し たる 上 、 其 の頃 自 ら 之 を写 真 に撮 影 し其 の ﹁フ ィ ル ム﹂ を ﹁モ ス コウ ﹂中 央 部 に伝
性 格 ﹂ と題 す る 被 告 人 の手 記 (右 記 録 第 三 冊第 二丁 以 下 、
イ ﹁支 那 及 日本 に於 け る私 の諜 報 ﹁グ ループ ﹂ の ﹁一般 的
右 記 録 第 四 冊 編 綴 の訳 文 第 千 二 百 十 四 丁 以下 ) 中 ﹁西 暦 一
送 せ しめ て外 国 に漏 泄 し た る等 諸 般 の活動 を 為 し、 就 中 前 記諜
及 軍 用 資 源秘 密 其 の他 各 種 の情 報 を 探 知 し 又 は収 榮 し て之 が 一
な る章 下 に於 け る 記載
九 二九 年 よ り 同 一九 四 一年 に至 る諜 報 活動 の根 本 的 変 更 ﹂
報 団 体 の指 導 者 た る 任務 に従 事 し国 家 機 密 を 始 め軍 事 上 の秘 密
部 を 外 国 に漏 泄 し、 以 て コミ ンテ ル ンの 目的 遂 行 の為 に す る行
る総 括 的 解 説 ﹂ な る章 下 に於 け る 記載
ロ 右 手 記 中 ﹁日本 に於 け る諜 報 ﹁グ ループ ﹂ の性 格 に関 す
為 を 為 し た る も のに し て、 前 記 第 二 の一一のⅠ の各 情 報 の探 知 又 は 収集 と 同 Ⅱ の二 の国 家 機密 の探 知 及 同 Ⅱ の一 の国家 機 密 の漏
下 ) 中 ﹁﹁コミ ンテ ル ン﹂ と ﹁ソ聯 ﹂共 産 党 ﹂﹁私 の活動 と
手 記 (前 同第 二十 二丁 以 下 、 前 記 訳文 第 千 三 百 三 十 二 丁 以
ハ ﹁﹁コミ ンテ ル ン﹂ と ﹁ソ聯 ﹂共 産 党 ﹂ と題 す る 同 人 の
事 上 の秘 密 の漏 泄 の各 所 為 は夫 々犯 意 継 続 に係 る も のな り。
の探知 と同 い のイ ハ ト 同 ろ のイ ロ バ ホ ヘ 及 第 二 の四 のロ の各 軍
泄 並 に 第 二 の三 のい のロ ニ ホ ヘ 同 ろ のニ ト チ の各 軍 事 上 の秘 密
証 拠 を按 ず る に
二 ﹁私 の新 し い活 動 分野 と し て の東 亜 ﹂ と題 す る被 告 人 の
重 心 の移 動 ﹂﹁﹁モ ス コウ ﹂ 中 央部 な る用 語 に対 す る説 明 ﹂
手 記 (前 同 第 四 十 一丁 以 下 、前 記 訳 文 第 千 三 百 四十 七 丁以
並 に ﹁総 括 ﹂な る各 章 下 に於 け る記 載
の部 分 は被 告 人 の当 公廷 に於 け る供 述 に依 り之 を 認 め ﹁コミ ン
下 ) の ﹁中 間 的 注 意 事項 ﹂ な る章 下 に於 け る 記載
判 示冒 頭 より 被 告 人 が西 暦 一九 二九 年 (昭 和 四年 ) 五、 六月 頃
テ ル ン﹂ が 判 示 の如 き 目的 を 有 す る 結 社 な る こ と は裁 判 所 に顕
判 示 の如 き経 過 に因 り ﹁コ ミ ンテ ル ン﹂ 本 部 よ り離 脱 し た る迄
著 な る事 実 に し て
﹁第 一、 日 本 に於 け る私 の諜 報 ﹁グ ループ ﹂ の諜 報 活 動 の
技 術 的 方 面 ﹂ な る章 下 に於 け る 記載 並 に ﹁日本 に 於 け る諜
冊 第 八 十 五丁 以 下 、前 記 訳 文 第 千 三 百 八十 二 丁 以 下 )中
訳 文 第 千 四百 五 十 三 丁 以 下 )中 ﹁西 暦 ﹁九 二 九年 冬 に於 け
報 ﹁グ ルー プ ﹂ の直 接 成 員 の情 報 出 所 ﹂ と題 す る被 告 人 の
絡 ﹁ と題 す る被 告 人 の手記 ( 前 同 第 百 七 十 六 丁 以 下 、前 記
る直 接 連 絡 ﹂ 及 ﹁西暦 一九 三 三年 の ﹁モ ス コウ ﹂滞 在 ﹂ な
ホ ﹁私 の ﹁モ ス コウ﹂ 滞 在 中 に 於 け る 中 央 部 と の直 接 連
る 各 章 下 に 於 け る記 載
一九 四 一年 に至 る 諜報 活 動 の根 本 的 変 更 ﹂ ﹁日本 に 於 け る
ハ 曩 に引 用 した る 被告 人 の手 記 の ﹁西 暦 一九 二 九年 より 同
下 ) の記 載
手 記 (前 同 第 百 二十 五 丁 以下 、 前 記 訳 文 第 干 四 百十 四 丁以
を綜合 し
諜 報 ﹁グ ループ ﹂ の性 格 に関 す る 総括 的 解 説 ﹂ ﹁﹁コミ ンテ
判 示 第 一の事 実 ( 但 、 右 認 定 中 に含 ま る る部 分 を除 く ) は 一、被 告 人 の当 公 廷 に於 け る 供 述
第 二十 三乃 至 第 二 十 八 問答 並 に第 三十 一問 答 の各 供述 記 載
コウ ﹂中 央部 な る用 語 に対 す る説 明 ﹂ 並 に ﹁ 総 括 ﹂ な る各
ル ン﹂ と ﹁ソ聯 ﹂共 産 党 ﹂ ﹁私 の活動 と重 心 の移 動 ﹂ ﹁﹁モ ス
一、被 告 人 に対 す る 予 審 第 九 回 訊問 調書 中 第 十 三 及 第 十 四 問答 、
一、 記 録 第 三 冊 編 綴 の ﹁西暦 一九 三〇 年 一月 よ り 同 一九 三 二年
章 下 に於 け る記 載
く諜 報 課 題 と し て判 示 一の い のイ 乃 至 ト 記載 の各 事 項 に付 、 又
す る被 告 人 の手 記 (右 記録 第 三冊 第 四十 四丁 以 下 、前 記 訳 文
十 二月 迄 の支 那 に於 け る私 の諜 報 ﹁グ ルー プ ﹂ と活 動 ﹂ と題
自 ら ﹁モ ス コウ﹂ 中 央部 の為 選 択 した る独 自 の諜 報 課 題 と し て
京 市内 等 に於 て各 方 面 よ り ﹁モ ス コウ﹂ 中 央部 よ り の指 令 に基
項 目 下 に於 け る記 載 並 に ﹁支 那 に 於 け る私 の任 務 の内容 に 関
判 示同 ろ のイ 乃 至 ニ記 載 の各 事 項 に 付 夫 々各種 の情 報 を 蒐 集 し
一、 被告 人 が判 示 の期 間 尾 崎秀 実 其 の他 の諜 報 団体 員 等 と共 に東
す る説 明 ﹂及 ﹁支 那 に於 て私 の選 べる研 究 課 題 ﹂ な る各 章 下
第 千 三 百 五 十 丁 以 下 )中 ﹁八、 支 那 に於 け る私 の任 務 ﹂ な る
に於 け る記 載 一、 前 記イ 及ハ に引 用 し たる 被 告 人 の各手 記 中 の記 載
の各 事 項 に付 諸般 の情 報 を蒐 集 した る 顛末 に関 す る
特 に被 告 人 自 ら 独逸 大 使 館 方 面 よ り判 示 一の Ⅰ のイ 乃 至 ヲ記 載
イ 被告 人 の当 公 廷 に於 け る 供 述
を綜合し
一、 冒頭 記 載 の諸 事 実 に関 す る
判 示 第 二 の事 実 (但 、曩 の認 定 中 に含 ま る る部 分 を除 く ) は
に於 け る大 動 員 ﹂ に関 す る部 分 を除 く)
前 記 訳 文 第 千 四 百 一丁以 下 ) の記載 ( 但 、﹁ 西 暦 一九 四 一年 夏
任 務 ﹂ と題 す る 被告 人 の手 記 (右 記 録 第 三冊 第 百 九 丁 以 下 、
ロ 記 録 第 三冊 編 綴 の ﹁日本 に於 け る私 の諜 報 ﹁グ ループ ﹂ の
イ 被 告 人 の当 公 廷 に於 け る 供 述 の 一部 ロ 記 録 第 三 冊 編 綴 の ﹁日本 に於 け る私 の ﹁グ ループ ﹂ の諜 報 活 動 の技術 的 方 面 ﹂ と題 す る被 告 人 の手 記 (右 記 録 第 三
一、被告 人が判示 の期間尾崎秀 実をして東京市内等に於 て判示各 方 面より判示 一のⅡ一 のイ乃 至フ記載 の各事項に関 する諸情報 並 に判示同ニ記載 の各文書資料 を蒐集入手 せしめたる顛末 に関 する イ 被告人 の当公廷に於ける供述 の 一部
六回被疑者 訊問調書第三問答中記録第 四百四十九丁裏 四行
目乃至第四百五十 三丁表 八行目 の各供述記載
の他 の方面より被告人 の指示に基く判 示 一のⅡ一 のイ乃至ト記
一、被告人が判 示の期間宮城与徳をして東京市内等 に於て友人其
項 に付夫 々諸般 の情報 を蒐集 せしめ又判示同ニ のイ及ロ記載の
載 の各事項及宮城自 らの選択 したる判示同イ乃至 ホ記載 の各事
雑誌及書籍を入手せしめ或 は其 の記事を抜萃 せしめ たる顛末に
ロ 被告人 に対する予審第十 四回訊問調書中第三乃至第 五問答 同予審第十八回訊問 調書中第 一乃至第三問答
同第 八回被告人訊問調書中第 一乃至第十三問答
同第 七回被告人訊問調書中第三及第 四問答
同第 六回被告人訊問調書中 第三及第 八問答
予審 第五回被告人訊問調書中第三及第 六問答
被告事件に於 ける
ハ 当時被告 人としての亡宮城与徳 に対す る治安維持法違反等
の各供述記載
予審第三十 四回訊回調書中第十六及第十 七問答
ロ 被告人に対 する予審第十四回訊問調書中第 一問答 の 一部同
イ 被告人 の当 公廷 に於け る供述 の 一部
関 する
同予審第二十 一回訊問調書中第十六及第十 七問答 の各供述記載 ハ 尾崎秀実に対 する治安維持法違反等被告事件 に於け る 予審第八回被告 人訊問 調書中第 五及第六問答、第 八乃至第十 四問答、第十 六、第十 八及第 二十問答 予審第九回被告人訊問調書中第 一及第 三問答、第 五乃至第八 問答 、第十 一乃至第十 五問答、第十八及第十九問答 第七乃至第十 一問答
予 審第十 回被告人訊問調書中第 一問答、第 三乃至第五問答及
八及第九問答
予審第十 一回被告人訊問調書中第 一、第 三、第 五及第六、第 予審第十 二回被告人訊問調書中第 一、第 三、第八乃至第十 五
同第 九回被告人訊問調書中第 一乃至第六問答
同第十 回被告人訊問調書中第 一乃至第 二十 一問答
及第十七問答 予 審第二十 一回被告人訊問調書中第五問答
同第十 一回被告人訊問調書中第 一及第 二問答
並 に第 四十 二、第四十四及第 四十 六問答
同第十 四回被告人訊問調書中第十九乃至第二十 五問答 の 一部
予 審第 二十 二回被告人訊問調書中第 一及第 二問答、第三問答 の 一部、第 四乃至第 六問答 第 二十 五回被疑者訊問調書中第六及第十 二問答 の各 一部第十
同第 十六回被告人訊問調書中第二十 一問答
ロ 被告 人に対する予審第 三十回訊問調書中第二十三乃至第 二
イ 被告 人の当公廷 に於ける供述 の 一部
に於て判示 二の (I)ろのイ乃至ト記載 の各種 の情報を探知し
一、被告入 が昭和十六年 五月十 日以降宮城与徳 を介 し東京市内等
第 八問答 の各供述記載
の 一部並 に第五問答の一、三、四、五 、第 六問答 の 一部及
第十 五回被疑者訊問調書中第 一問答 の一 二の部分及第 二問答
予審第十 一回被告人訊問調書中第 一問答 の供述記載
第 一回 公判調書申同被告 人の供述記載
ける
ハ ﹁ブラ ンコ・ド ・ヴケリ ッチ﹂に対する前記被告事件 に於
第十 二、第十 三、第十七及第 二十 一問答 の各供述記載
十 八問答並 に被告人に対す る予審第三十 一回訊問調書中第 二、
第十 一回被疑者訊問調書中第三問答 第二十三回被疑者訊問調書中第四及第九問答並 に第三十八問
第 二十 二回被疑者訊問調書 中第八及第十 八問答 答六 の部分 第二十 四回被疑者訊問調書第三問答中六 の部分 第二十五回被疑者訊問調書第 一問答中七一 五、一 七及二 二、同調書 第 二問答中 一 七、一 八、二 九及三一並に同調書第 三間答中九の各部 分 の夫 々の供述記載 一、被告人が判 示の期間 ﹁ヴ ケリッチ﹂をして東京市内等に於て 判示各方 面より判示 一の (IV)イ乃至 ヘ記載 の各事項に付 各種
たる〓末 に関す る
の情報 を蒐集 せしめたる〓末に関する ロ 予審第 二十 一回被告人訊問調書中第十 一乃至第十三問答 の
イ 被告 人の当公廷 に於ける供述 の 一部
イ 被告 人の当公廷 に於ける供述 供述記載 ( 但 、第十 一問答 は其 の 一部)
同予審第四十 二回訊問調書中第 一乃至第十 一問答
同予審第三十四回訊問調書中第十八乃至第二十問答
二問答 の 一部
ロ 被告人 に対する予審第 三十回訊問調書中第十 七乃至第 二十
予審第 八回被告人訊問調書 中第二及第 三問答
被告事件 に於ける
ハ ﹁ブ ランコ ・ド ・ヴ ケリッチ﹂に対す る治安維持法違 反等
同第九回被告人訊問調書中第 一乃至第四問答
の各供述記載
崎 より聴取 したる以外 のも のに関 する部分)第三十二及第
予審第十三回被告 人訊問調書中第六及第 七問答 の各 一部 (尾
ける
ハ 当時被告人としての亡宮城与徳に対する前記被告事件に於
同第十回被告人訊問調書中第 一乃至第六問答 の各供述記載 一、被告人が昭和十六年 五月十 日以降 ヴケリ ッチを介 し東京市内 したる〓末に関する
等 に於 て判示二 の (I) いのイ乃至ヘ記載 の各種 の情報を探知
三十三問答 の南方問題に関す る部分 (但、尾崎より聴取 し たる分を除く)第三十六及第 三十 七問答、第三十九乃 至第
同第十三回被告人訊問調書中第 一乃至第三問答、第五及第十 問答
同第十七回被告 人訊問調書中第五乃至第九問答
同第十五回被告人訊問調書中第 一乃至第十 二問答
同第十四回被告人訊問調書中第 一乃至第 七問答
同第十 四回被告人訊問調書中第 八乃至第十問答 の各 一部 (田
同第 十八回被告人訊問調書中第 一乃至第 四問答
四十 一問答 口右源太 より聴取したるものに関す る部分)並に第十 九乃
第二十五回被疑者訊問調書中第 四問答 の 一部
第 二十 三回被疑者訊問調書中第十 七、第 二十 一及二十 二問答
同第 二十 六回被告人訊問調書中第十 四及第十 五問答
同第 二十二回被告人訊問調書中第 三問答 の 一部
同第 二十回被告人訊問調書中第 一問答 の 一部
至第 二十 五問答 の各 一部 (航空基地に関する部分) 五及第四十七問答
右予審訊問調書中第十 三乃至第十七問答、第 四十 三、第 四十 第十 六回被疑者訊問調書第 一問答中南方問題に関す る部分 (但、尾崎 より聴取 したる分を除く) の各供述記載
の各供述記載
一、被告人が昭和 十六年 五月十 日以降尾崎秀実を介 し東京市内等 に於 て判示二のIのはの一イ乃至ト及同は のニイ乃 至ヘ記載 の
同人に対す る予審請求書第三の二の一 のイ乃至ト、ニ のイ乃
ける予審第十 四回被告人訊問調書中第 四十 一問答 の供述記載
ニ 当時被告人 とし ての亡宮城与徳 に対す る前記被 告事件 に於
至ホ及三 の各事実 の記載
各種 の情報 を探知 し並 に同は の三記載の資料 を収集 したる〓末 に関する イ 被告 人の当公廷 に於ける供述の 一部 ロ 被告 人に対する予審第二十五回訊問調書中第十 一乃至第十
一、本件押収物 として存在する英文情報文書七通 (昭和十 七年押 七及三八) の各記載
第 五三号 の三九乃至四五)並 に英文情報原稿二通 (同押号 の三
三問答 同予審第 二十九回訊問調書中第 六乃 至第十 一問答
事件 に於ける
ロ ﹁マックス ・クラウゼ ン﹂ に対する治安維持法違反等被告
イ 被告人 の当公廷に於ける供述 の 一部
て ﹁モスコウ﹂中央部 に通報伝達したる点に関す る
一、以上各種 の情 報資料 を整備統合 の上判示 の如 く無電等 に依り
同予審第三十六回訊問調書中第十乃 至第十 三問答 同予審第四十回訊問調書中第 三十 四及第 三十 五問答 同予審第四十 二回訊問調書中第十 四問答 の各供述記載 予審第十 二回被告人訊問調書中第十 七問答
ハ 尾崎秀実 に対する前記被告事件 に於け る
同第十回被告 人訊問 調書中第十三及第十八問答
予審第七回被告人訊 問調書中第十 七問答
同第 五回被告人訊問調書中第三問答及第九乃至第十 四問答
同第 四回被告人訊問調書中第十九問答
予審第 一回被告人訊問調書中第十 五問答
至三
一、右御前会議に付せられたる事項を ﹁クラウゼ ン﹂を して無電
在及其 の記載
即ち所謂 ﹁対米申 入書﹂(昭和十 七年押第七四 一号の 一)の存
ホ 右被告事件に於 て押収 に係 る ﹁協定案 ﹂と題す る文書 一通
の各供述記載
証人富 田健治 に対する予審第 二回訊問調書中第 一問答
十 五乃至第十七問答、第十九乃至第 二十二問答
同第 六回被告人訊問調書中第 一乃至第 六問答、第十問答、第
同第十三回被告人訊問調書中第十六問答 及第十 七問答 の一乃 同第十四回被告 人訊問調書中第七問答 同第十 五回被告人訊問調書第 二問答中第 一、第 二及第 三の四 六七九一一の各部分 同第 十六回被告人訊問調書中第三及第五問答 の各供述記載 の一 及二記載 の各国
に依り ﹁モス コウ﹂中央部 に通報 せしめたる点 に関する
家機密を判示 の如く探知 したる〓末 に関する
一、被告 人が尾崎秀実 を介 し判示 二のⅡ イ 被告人 の当公廷に於け る供述
イ 被告人 の当公廷 に於け る供述
ロ ﹁マックス ・クラウゼ ン﹂に対する前記被告事件に於ける
一、被告人が宮城与徳 及尾崎秀実を介し東 京市内等 に於 て判示三
記載
予審第十六回被告人訊問調書中第七乃至第十 六問答 の各供述
) ↑
ロ 被告人に対する予審第 二十九回訊問調書中第 十五及第十 六 問答 、第十 八乃至第 二十 四問答及第二十六問答 の各供述記載 予審 第十六回被告 人訊問調書中第 一乃至第四問答 及第 六乃至
ハ 尾崎秀実 に対す る前記被告事件 に於ける 第 八問答
の い のイ乃至ト及判示ろ のイ 乃至チ記載 の各軍事上 の秘密 に属 する情報資料を探知し又は収集 したる顛末 に関する
同第十九回被告 人訊問調書中第 六乃至第 八問答 同第二十六回被告 人訊問 調書中第 八乃至第十 一問答
同第 十五回被告人訊問調書中第十 一問答 の二 、三、第十六及
予審第十三回被告 人訊問調書中第 二十九乃至第 三十 一問答
ける
ロ 当時被告人とし ての亡宮城与徳 に対する前記被告事件に於
イ 被告人 の当公廷に於ける供述 の 一部
答
第二十三回被疑者 訊問調書中第 一問答及第十八乃至第 二十問 の各 供述記載 告事件 に於け る
ニ 西 園寺公 一に対す る国防保安法違反並に軍機保護法違反被
第十七問答 同第十六回被告 人訊問調書中第 十九問答 の四、七乃 至一 〇及第 二十問答並 に第三十 八及第三十九問答 第 十六回被疑者訊問調書中第 一問答 (但、﹁北 方問 題 ﹂中 の ①乃 至④に関する部分) 第 十八回被疑者訊問調書中第 五問答 第 三十回被疑者訊問調書中第 二問答 の各供述記載 同 人に対する予審請求書第 四事実 の記載 ハ 尾崎秀実 に対する前 記被告事件 に於ける
の各供述記載
ホ 西園寺公 一に対する前記被告事件 に於け る
部隊駐留 に関する点を除 く)
予審第三回被告人訊問調書中第 一乃至第十三問答 (但、艦船
同第四回被告人訊問調書中第十 五乃至第十八問答並に第 二十 〓及第 二十 二問答 の各供述記載
予審第 二回被告人訊問調書中第 七及第十問答
ヘ 犬養健 に対す る軍機保護法違 反被告事件 に於ける
問答
同第 三回被告人訊問調書中第 一乃至第三問答 及第 五乃至第八
同第四回被告人訊問調書中第 二十 一問答
予審第十 一回被告人訊問調書中第十 一乃至第十 四問答 同第十九回被告人訊問調書中第 一乃至第五問答及第九問答
の各供述記載
第三回被告人訊問調書中第 一乃至第 三問答 の各供述記載
ト 田中慎次郎に対す る軍機保護 法違反被告事件に於ける予審
同第二十回被告 人訊問調書第 一問答中記録第千三百二十四丁 裏 一行目以下並 に第 二乃至第四問答
する軍機保護法違反被疑事件 の第 五回被疑者訊問調書謄本第
判所検事 局裁判所書記越 田忠 夫 の作成 に係 る海江田久孝 に対
チ 尾崎秀実に対す る前記被告事 件記録編綴 の東京刑事地方裁
同第二十六回被告 人訊問調書中第十三問答 第 二十四回被疑者訊問調書中第 七問答及第十八乃至第二十問
二問答中右被告事件記録第千 五百五十三丁裏 一行 目乃 至第千
答 の各供述 記載
ヌ 当時被告人としての亡宮城与徳に対 する前記被告事件に於
照)
十 七年押第 五三号 の六三九) の記載 (但、添附 の照会書写参
リ 本件 に於 て押収 に係る陸軍省兵務局長 の回答書壱通 (昭和
五百七十 一丁裏 七行目 の供述記載
同人に対す る予審請求書第三の四の一乃至九 の事実 の記載 ニ 当時被告人 とし ての亡宮城与徳 に対する前記被告事件 に於 ける 第十 八回被疑者訊問調書中第 一問答 第 二十七回被疑者訊問調書中第 二問答 第 三十回被疑者訊問調書中第 三問答
て押 収 物 と し て存 在 す る陸 軍 省 兵務 局 長 及 海 軍 省 軍 務 局長 の
﹁ヴ ケリ ッチ﹂に資料 の撮影を依頼したる点)
各 回答 書 (孰 れ も 照会 書 共 )中 昭和 十 七年 押 第 三 四 三 号 の 一
け る予審第十四回被告 人訊問調書第七問答中記録第千二十 一
ホ ﹁ブ ラン コ・ド ・ヴケリ ッチ﹂に対 する前記被告事件に於
入手 の上、之を判示 の如 き方法 に依り て ﹁モスコウ﹂中央部 に
戦車其 の他 の軍用資材 の生産額等 を記載 したる判示文書資料を
陸軍武官 ﹁マッキ﹂より昭和十 三、四年頃当時 に於け る我国 の
一、更 に被告人が昭和十五年夏頃判示四記載 の如 く独逸大使館附
丁裏八行目乃至第千二十 二丁裏 二行目 の供述記載
一二 及 一 一三 の各 一、 二 及同 押 号 の 一 一四 に於 け る 夫 々の照 会 事 項 に対 す る各 回 答 の記載 ( 但 、 右 押 号 の 一 一三 の二 の記 載 中 ﹁内 約 ﹂ に関 す る部 分 を除 く)
同 押 号 の 一 一六 に 於 け る 照会 事 項 第 一、 第 二 、第 三 、第 五、
伝 送したる〓末 に関する
同 押 号 の 一 一五 に於 け る 第 三照 会 事 項 に対 す る 回 答 の記 載
第 九 、第 十 、第 十 四、 第 十 六、 第 十 七 、 第 二 十 、第 二十 三、
答 (但、第六問答 は其 の 一部)
ロ 被告人に対する予審第 三十六回訊問調書中第 六乃至第九問
イ 被告人 の当公廷に於 ける供述 の 一部
第 四 十 六及 第 五十 六に 対 す る 夫 々 の回答 の記 載 一、右 軍 事 上 の秘 密 に係 る 情 報資 料 中 判 示 摘 録 の部 分 を判 示 の如 き方 法 に依 り て ﹁モス コウ ﹂中 央 部 に通 報 し た る 点 に関 す る イ 被 告 人 の当 公 廷 に於 け る供 述 の 一部
第 二十四回被疑者訊問調書中第 一問答
同予審第 四十五回訊問調書中第 一乃至第八問答
第三十五回被疑者訊問調書第四問答中記録第七百七十五丁表
ロ 第 四 十 三 回被 疑 者 訊 問 調 書 中 第 二 問 答
の各 供述 記載
第 四 十 四 回被 疑 者 訊 問 調 書 中 第 一問答
二行目以下及第 五問答
第 四十七回被疑者訊問調書中第 二及第 八問答
﹁マ ック ス ・ク ラウ ゼ ン﹂ に対 す る前 記被 告 事 件 に於 け る 第 六 回 公判 調書 中 の同 人 の供 述 記 載 の 一部
ハ
の各供述記載
記載
共)(同押号 の六三八)に於け る照会事項に対 す る回 答 の
陸 軍省兵務局長及海軍省軍務 局長の共同回答書 (但、照会書
関係資料文書壱通 (同押号 の七 一) の各記載
灰色手帳壱冊 (昭和十 七年押第 五三号 の三四)及独逸大使 館
ハ 本件 に於 て押収に係 る
予 審第 十 八 回被 告 人訊 問 調 書 中 第 一問 答 の一 、 二 、 七 、第 二 問 答 、 第 三問 答 の三 、 第 五 及第 六問 答 同 第 十 九 回被 告 人 訊 問 調 書 中第 七 、第 八 及第 十 四問 答 第 二十 六 回被 疑 者 訊 問 調 書 中 第 九 問答 の各 供 述 記載
者 訊 問 調 書 中第 二 及第 三問 答 の 供 述 記 載 の 各 一部 (孰 れ も
ニ 当 時 被 告 人 と し て の亡 宮 城 与 徳 に対 す る前 掲 第 三 十 回 被 疑
(Ⅱ) の二 の国家機密 を探知 したる点に於 て国防保安法第四条第 一
たる点 に於 て国防保安法 第 八条 刑 法 第六十条 に、判 示 第二 の二の
項第 一条第三号第 一号刑法第 六十条 に、判示同 (Ⅱ) の一 の国家機
当す る外尚特に判示第 二の二の (I)の各情報を探知し又は収集 し
る る虞 あ る こ と又 は 国 家 機密 、軍 事 上 の秘 密 乃 至 軍 用資 源 秘 密
密を外国 に漏泄したる点に於 て国防保安法第四条第 二項第 一条第 一
に被 告 人 が判 示 の如 く 我 国防 上 の利 益 を害 す べき 用途 に供 せ ら
な る こ とを 夫 々知 り乍 ら孰 れも 外 国 に通 報 又 は 漏泄 す る 目的 を
一、 以 上各 証 拠 を 綜 合 す る こと に依 り明 かな る 判 示 共謀 の事 実 並
以 て判 示 各 情 報 資 料 を探 知 し 又 は収 集 した る も のな る事 実
項に、軍用資源秘密 を外国 に漏泄する為之 を探知 し、収集し又は漏
二年法律第七十 二号を以 って改正せられ たる軍機 保護法第 六条第 一
とを目的 とす る団体 の指導者 たる任務 に従事したる点 に於 て昭和十
号刑法第 六十条に、軍事 上 の秘密 を探知し、収集し又は漏泄す るこ
其 の他 の附 属物 件 (同 押 号 の八 九 乃 至 一〇 九 )
泄する ことを目的 とす る団体 の指導者 たる任務 に従事したる点 に於
写真機三箇 ( 前 同押 号 の 四、 八七 及 八 八) 並 に接 写機 一組
一、 本 件 に於 て押 収 に係 る
幣 二枚 、 五弗 紙 幣 十 枚 及 一弗 紙 幣 十 二枚 (同 押 号 の 五〇 ) の
米 国 紙幣 一千 七 百 八十 二弗 、 但 、 二 十 弗 紙幣 八 十 五枚 、 十 弗 紙
て軍用資 源秘密保護法第十 五条第 一項に、判示第 二の三 のいのロニ
治 安 維 持 法 第 一条 後 段 の目的 遂 行 罪 に、 私 有 財産 制 度 を否 認 す る こ
律 第 五十 四号 を 以 て改 正 せ ら れ 同年 五月 十 五 日よ り 施 行 せ ら れ た る
る 結社 の目的 遂 行 の為 にす る 行 為 を為 し た る点 に於 て昭 和 十 六年 法
法 律 に 照 す に、 被 告 人 の判 示 所 為 は 国 体 を変 革 す る こと を 目 的 と す
は同施行規則 同条同項第 二号 ハ号 丁、判示同 ろのト の事項 は同施行
ヘ の事項は同施行規則同条同項第二号 ハ号丙、判示同い のニの事項
判示同 いのホ の事項 は同施行規則同条同項第 二号 イ号、判示同い の
示同い のニ の事 項は同施行規則同条同項第二号イ号 及 ハ号甲及戊、
第 二の三のい のロ の事 項は同施行規則第 一条第 一項第 八号 ロ号、判
軍機保護法施行規則 (陸軍施行規則 と略称す)第 一条 (因 に、判示
ホ及ヘ、同ろのニト及チ の各軍事 上 の秘密 を探知したる点 に於 て前
各存在
とを 目 的 とす る 結 社 の目的 遂 行 の為 にす る 行 為 を為 し た る点 に於 て
規則同条同項第 二号 ハ号甲、判示同ろのチ の事項は同施行規則同条
記改正に係 る軍機保護法第 二条第 二項第 一項第 一条昭和十 四年陸軍
同 法 第 十 条 の目 的 遂行 罪 に (因 に、 被 告 人 の上記 所 為 中 昭 和 十 六 年
同項第 二号 イ号)刑法第六十条に、判示第 二の三 のいのイハ及ト、
を綜 合 し て夫 々之 を 認 め 、 各 犯 意 継続 の点 は被 告 人 等 が判 示 の
五月 十 四 日 迄 の分 は敦 れ も右 改 正 に係 る治 安 維持 法 施 行 前 の犯 行 な
同ろのイロハホ及ヘ、判示第 二の四のロ の各軍事 上 の秘密 を外国 に
省令第 五十九号を以 て改正せられた る昭和十二年 同省令第 四十 三号
れ ど も 、之 と同 改 正法 施 行 の後 に為 さ れ た る 爾余 の所 為 と は夫 々包
漏泄 したる点 に於 て上記改正に係 る軍機保護 法第 四条第 二項第 一条、
如 く短 期 間 内 に各 同 種 の行 為 を 反 覆累 行 し た る事 跡 に徴 し 明 か
括 一罪 の関係 に在 るを 以 って、 右 改 正法 附 則 第 二項 の規 定 を俟 つ迄
な る を以 て、 判 示 事 実 は 総 て其 の証 明 十 分 な り。
も な く各 其 の所 為 の全 部 に付 同改 正法 を適 用 す べき も のと す )各 該
号軍機保護法施行規則 (海軍施行規則 と略称す)第 一条 (但、右海
軍省令第 二十 二号を以て改 正せられた る昭和十二年 同省令第 二十 八
ず孰れも前記改正に係る陸軍施行規則第 一条第二条 及昭和十 五年海
尚後記 の如く連続犯なるにより其 の犯行 の時期 の前後に亘るを問 は
したる罪 と軍用資源秘密を漏泄 したる罪並 に右結社 に関する各罪と
任務に従事したる各 二箇 の罪及判示第 二の四の軍事上 の秘密を漏泄
記結社 の目的遂行 の為 にする行為を為 し又は前記団体 の指導者 たる
の各軍事上 の秘密の漏泄 とは夫 々連続したる同種 の行為にして、前
結局最も重しと認むる国家機密漏泄 の罪に関する前記法条所定 の刑
のなるを以 て、刑法第五十四条第 一項前段第五十五条第十条 に依り
に従ひ其 の所定刑中死刑を選択処断す べく、主文第 二項掲記 の押 収
共 の余 の判示各罪 とは夫 々 一箇 の行為 にし て数箇 の罪名 に触るるも
為時法たる右改 正前 の規定を適用 す)(因 に、判 示 第 二の三 のい の
物件中イ の全部 とロ の 一部 (昭和十七年押第 五三号 の三七、三八、
軍施行規則に付 ては其 の後昭和十八年 同省令第 三十 五号 に因り更に
イ の事項は陸軍施行規則第 一条第 一項第二号 ハ号甲、乙及丁、第三
関係条項 の改正ありたるも之 が為何等刑 の変更 を生ぜざ るを以 て行
号 イ号、判示同 いのハ の事項 は同施行規則同条同項第二号 ハ号乙、
三九、四〇、四四及四五)とは孰れも判示第 二の二の (I)の犯罪 丙及丁、判 示同 いのト の事項は同施行規則同条同項第四号 ホ号、判 示同ろ のイ 及ホ の各事項は孰れも同施行規則同条同項第二号 ハ号 丁、 行為より、又ロ の其 の余 の部分 (同押号 の四 一、四二及四三)は判 示第二の 一の犯罪行為より夫 々生じたる物、ハ は右判示第 二の 一乃
至四の犯罪行為 に供し又は供 せんとしたる物、二 は判示第 二の二乃
判 示同 ろのロ の事項は同施行規則同条同項第 二号 二号 、判示同 ろの
至四の犯罪行為に供せんとした る物又は夫れ等犯罪行為 の報 酬とし
用 は刑事訴訟法第 二百 三十七条第 一項 に則 り被告人をして其 の全部
ハ の事項は同施行規則 同条同項第 二号 ニ号海軍施行規則第 一条第 一
を負担 せしむ べきものとす。仍 て主文 の如く判決を為 す。
正印
て得 たる物 にし て、敦 れも犯人以外 の者 に属 せざるを以 て、右イハ
昭和十八年九月 二十九日東 京刑事地方裁判所第九部
勝印
項第 一号 六、判示同ろ のヘ の事 項は陸 軍施行規則第 一条第 一項第 二
田
及ニ の各物件に付ては国防保安法第十 五条第 一項及第 二項 各前段、
口
号 イ号海 軍施行規則第 一条第 一項第 一号一、判 示第 二の四 のロ の事
樋
文 彦印
項は陸軍施行規則第 一条第 一項第九号 ハ号第 二条第 二号)刑法第 六
三号昭和十 四年陸軍海軍省令第 三号軍用資源秘密保護法施行規則第
事
裁判長判事 高
田
九条第 一項第三号第二項 を各適用し併せて之 を没収す べく、訴訟費
二条第 三条同施行規則別表第 一号イ同別表第 二号及第三号刑法第 六
判
満
ロ の物件に付ては右国防保安法第十五条第 一項前段 の外尚刑法第十
十条 に夫 々該当すると ころ、判示第 二の二の (Ⅰ)の各情報 の探知 又は収集 と同 (Ⅱ)の二 の国家機密 の探知及同 (Ⅱ) の一の国家機
事
十条に、判 示第 二の四 のイ の軍 用資源秘密を外国 に漏泄したる点 に
密 の漏泄並 に判示第 二の三のいのロニホヘ同 ろのニトチ の各軍事上
判
於 て軍用資源秘密保護 法第十 二条第 二項第 一項 第二条第 一号乃至第
の秘密 の探 知と同 いのイハト同ろ のイロハホヘ及判示第二 の四のロ
八
大 審院 上告棄却 決 定
定
書
昭和十 八年れ第 一〇八〇号 決 国籍 独逸 住居 東 京都麻布区永坂町三十番地 リヒアルド ・ゾ ルゲ
著作家兼新聞記者 当五十年 右国防保安法違反軍機保護法違反軍用資源秘密保護法違 反並治安維 に於 て言渡したる判決 に対し被告人は上告 を為 し上告趣意書 の提出
持法違 反被告事件 に付昭和十 八年九月二十 九日東京刑事地方裁判所 ありたるも法定期間内 に本院に到達 せざりしも のなるを以て刑事訴 の如し。
事
宮 内
宮 城
也 実 聡太郎
達
訟法第四百二十 七条 に依り検事平野利 の意見を聴き決定すること左 本件上告は之 を棄却す。 大審院第 一刑事部
昭和十九年 一月 二十日
事
岸 判
裁判長判事 判
判
事 寺
事
島
十 川
判
一
寛之助
祐
解 説
次
歴 史 のな かで の ﹁ ゾ ルゲ 事 件 ﹂
目 1 ﹁ゾ ルゲ事件﹂はどうして形成されたか 2 日本における ﹁ゾルゲ事件﹂ 4 ソヴ ェトにおける ﹁ゾ ルゲ事件﹂
3 ドイツにおける ﹁ ゾ ルグ事件﹂
﹁ゾ ル ゲ 事 件 ﹂ は ど う し て 形 成 さ れ た か
5 ゾ ルゲ事件と冷戦
1
記緑 二四四
米 委 の証 言 で次 の よ う に の べ て いる 。(ペ ージ 以 下
)
ド イ ツ のナ チ 体 制 の た め に現 実 の諜 報 活動 を し て いる ので は な い か と我
ソ ルゲ が 実 際 は ド イ ツ の スパ イ で 、 日 本 の共 産 党 員 を 使 って は い る が、
我 は疑 っ て いま し た 。 こ れ が第 一です 。
た の で はな いか と い う 疑 い です 。
次 は 、ゾ ルゲ が ベ ルリ ンと モス ク ワ の両 方 に仕 えた ダ ブ ル ・スパ イ だ っ
い う こ と でし た 。 し た が って、 我 々は 、 先 入 見 を も たな いで ゾ ルゲ を取
第 三 に は、 彼 は 、 ナ チ を装 う 、 モ ス クワ の スパ イ だ った ので は な い か と
調 べた ので す 。
我 々は、 非 常 に 慎 重 な 態度 で臨 み ま し た 。
ゼ ンの言 う よ う に 第 四 部 の ス パ イだ った の か 、 ま た はブ ーケ リ ッチ の言
別 の問 題 が あ り ま し た 。ソ ル ゲが モ スク ワ の スパ イ だ とし た ら 、 ク ラ ウ
う よ う な コミ ン テ ル ンの スパ イ だ った のか 、 と い う こ とが 分 ら な か った の です 。
第 二次 大 戦 前 夜 の異 常 な 緊 張 を は ら む 一九 四 一年 春、 特 高 警 察 は
ンタ ー ﹂ に属 す る、 と な って いる 。 取 調 に 当 った大 橋 秀 雄 警 部 補 の
談 話 に よれ ば 、 ゾ ルゲ を赤 軍 第 四 部 の所 属 とす れ ば、 国 防 保 安 法 に
司 法 警 察 官 によ るゾ ルゲ調 書 によ れ ば 、ゾ ルゲ は ﹁モ ス コー ・セ
な い、 精 密 さ、 完 壁 さ を 誇 ってい た。 そ れ は大 日 本 帝 国 の研 ぎ澄 ま
る の で、 十 月 十 八 日 に検 挙 さ れた ゾ ルゲ は 翌年 二月 十 七 日 ま で に取
抵 触 す る のみ で、 こ の場 合 、 拘 留 期 限 は 四 ケ月 以 内 と定 め ら れ てい
国 民 に向 け ら れ た レー ダ ー と し て、 生起 す る いか な る 事態 を も逃 さ
さ れ た神 経 と し て、 心 理的 ・物 理 的 暴 力 を 公 認 さ れ た国 家 理 性 の触
か れ た。 北 林 ト モか ら 宮城 与 徳 へ、 さら に宮 城 の自 殺未 遂 は、 果 然 、
角 と も い え るも のだ った 。 伊藤 律 の陳 述 に よ って本 事件 の緒 口 は解
ー﹂ とす れ ば 、 治安 維 持 法 の規 定 す る 結社 コミ ンテ ル ンを 含 む ので、
同法 適 用 によ って、 拘 留 期 限 を 六 ケ月 ま で 延長 で きる 。 従 って、 取
調 を 終 らせ 、 送 局 せ ね ば な ら な い。 し か る に、 ﹁モス コー ・セ ンタ
れ な い ﹁事 件 が ピ ンピ ン生 き てい る ﹂ と感 じた 。ゾ ルゲ の検 挙 前 後
調 を 充 分 に す る た め、 治 安 維 持 法 違 反容 疑 の線 で拘 留 す る こと に 検
事 態 の重 大 性 の意 識 を 関係 者 に与 え た。 現 場 の特 高 は、 彼 ら に知 ら
に お け る検 察 側 の態 度 を当 時 の思 想 検 事 だ った 吉 河 光貞 氏 は、 米 非
事 と の合 意 が存 在 し た、 と い われ る 。 そ し て、 調 書 記 載 にあ た って、 ゾ ルゲ も こ れ を諒 承 し た。 ゾ ルゲ が 、 こ の曖 昧 な表 現 を 許 し た こと
とは 世 界観 国 家 に お い て は期 待 不 可能 で あ り、 そ の点 で、 ナ チ第 三
帝 国 や ソヴ ェト と異 な って いな い。 も し、 日本 国 家 が 極東 の台 風 の
中 心 た る こ とを 欲 せ ず 、戦 争 を拒 否 し、 そ こに 軍 の政 治 支 配 がな か
﹁ゾ ルゲ事 件 ﹂も ま た 、 あ り え な か った であ ろ う 。
った と す るな らば 、 国 家 の閉 鎖 性 を表 現 す る 上 記 立法 も存 在 せ ず 、
は、 彼 の言葉 に よ れ ば ﹁赤 軍 第 四 部 と す れ ば、 憲 兵 隊 に引 渡 さ れ 、 一発 ズ ド ンとや ら れ る こと を 恐 れ た ﹂ た め で あ る、 と い う 。(ゾ ル
にす ぎ な い。 た だ 、 裸 の物 力 の対 抗 か、 イ ンギ ンな る社 交 的 非 社 交
争 と い い、 外 交 と い い、 スパ イ と い い、 国 家間 の関 係 の仕 方 の違 い
る現 代 国 家 の死 の闘 争 に お け る 一接 点 か ら 生 ま れ た も の であ る 。 戦
﹁ゾ ルゲ事 件 ﹂ は 、第 一次 大 戦 後 の世 界 の矛盾 を反 映 し、 激 化 す
ゲ は法 律 条 文 に案 外 弱 か った 。) 一見 、 何 とも 不 可 解 な 外 人 に 対 す る治 安 維 持 法 適 用 の問 題 は こ こに起 因 す る の であ る 。 こう し て ﹁事 件 ﹂ は ﹁犯 罪 ﹂ と し て、 し だ いに 堅 め ら れ、 性 格 を 明 ら か に し てゆ く 。 予 審 終 結 に あ た って、 ゾ ルゲ は モ スク ワ の赤 軍 第 四部 の ため の諜
性 の発 揮 か 、 あ る いは政 治 の裏 街 道 を ゆ く 諜報 行 為 であ るか は 、 現
治安維持法 ( 大正十四年施行、昭和三年 ・十六年三月十日改正)
る ﹁現 代 国 家 ﹂ ( 複数)と いう 生物 体 が、 他 者 に対 し て身 構 え る と き、
象 面 の相 違 に過 ぎ な いの であ って、 いか に し て 生 き残 る かを 苦 悶 す
報 行 為 が、
国防保安法 ( 昭和十六年五月十日施行) 軍機保護法 ( 明治三十二年施行、昭和十二年 ・十六年改正)
に違 反 す る こと を理 由 と し て、 公 判 に付 さ れ る こと にな り、 ま た 最
れた 。 ゾ ルゲ 自 身 か ら い え ば、 こ の営為 は、 手 記 でも い って いる通
﹁ゾ ルゲ 事 件 ﹂ は戦 争 下 日本 にお い て 一つ の犯 罪 と し て、 理解 さ
必然 的 に浸 出 す る行 動 形態 で あ る点 では 、 同 じ こと であ る。
終 判決 も、 こ の点 で変 らな い。 法 律 の該当 項 目 は、 ほ と ん ど昭 和 十
一次 大 戦 の体験 か ら 生 まれ た ﹁地 球 上 か ら戦 争 を 絶 滅 し た い﹂ と い
り、﹁平 和 のた め の努 力 ﹂であ った 。 そ し て、 こ の努 力 は ゾ ルゲ の第
軍用資源秘密保護法 ( 昭和十四年施行)
二 年 以降 改 正追 加 さ れ たも の であ る 。 昭和 十 二年 は政 治 的 には 大 き な 意味 を持 つ。 日本 が戦 争 国 家 の メカ ニズ ムの作 動 のは げ し さ を 増
でな く現 実 の 一部 ﹂ にな る こと か ら 生ず る悲 劇 的 結 末 を 内含 す る も
の でも あ った、 と い え る。 ゾ ルゲ事 件 は歪 曲 さ れ 、 冷戦 キ ャ ンペ ー
う 若 き 日 の理 想 主義 の撓 ま な い表 明 であ った し、し かも な お 、﹁ 観念
の政治 的 性 格 が忠 実 に法 体 系 に 反映 し、 こ う し た改 正法律 と な って
ンに 用 いら れ た。 し か し、 真 実 の記 録 は、 かか る 皮 相 な政 治 屋 の思
し てい った の は、こ の年 に始 ま る か ら で あ る。 い わ ば ﹁国 家 総 動員 ﹂
現 わ れ た の であ る。 ゾ ルゲ に対 し て は、 法 律 施 行 前 の行 為 も ﹁ 施行
)とされ る。近代国家 の罪刑法定主義を尊重貫徹す る こ
を含 む こ とを 示 し て いる で あ ろう 。
惑 を超 え た、 は るか 厳 粛 な も の、 人 類 の未 来 へ の 一つのヴ ィジ ョン
って ⋮ ⋮各 其 の所 為 の全 部 に 付 同改 正法 を 適 用 す べ き も の と す ﹂
の後 に為 され た る爾 余 の所為 と は、 夫 々包 轄 一罪 の関係 に在 る を以
(
ペ ー ジ 上段
判決文五二 一
2
日 本 に お け る ﹁ゾ ル ゲ 事 件 ﹂
ゆ る 国 際諜 報 団 事 件 は こ のほ ど 主 要 関係 者 に対 す る 取 調 べ 一段 落 を告 げ 本 日 そ の中 心分 子 た る
グ社 日本 特 派 員
( 住 所 )東 京 市 麻 布 区 永 坂 町 三十 番 地 、 フ ラ ン ク フ ルタ ー ・ツ ア イ ッ ン
リ ヒ ア ル ト ・ゾ ル ゲ ( 四 七 )
城
与
徳 ( 四 〇 )
ブ ラ ン コ ・ド ・ヴ ー ケ リ ッ チ ( 四 八 )
( 住所)東京市牛込 区左内町二十二番地、アバ ス通信社通信補助員
( 本籍)沖縄県国頭 郡名護町大字名護百七十 五番地
宮
( 住所)東京市麻布 区竜土町二十八番地岡井安 正方、画家
( 本籍)東京市 小石川区西原町二丁目四十番地
崎
秀
実 ( 四 二 )
( 住所)同市 目黒 区上目黒五丁目二千四百三十 五番地、元満鉄嘱託
尾
って東 京 刑 事 地 方 裁判 所 に予 審 請 求 の手 続 を執 り た り
等 五 名 に対 し国 防 保 安 法 、 治 安 維持 法 、軍 機 保 護 法 各 違 反 等 の罪 名 をも
マ ッ ク ス ・ク ラ ウ ゼ ン ( 四四)
( 住所)東京市麻布区広尾町二番地、青写真複写機製造業
洪 水 を 招 いた 。 尾崎 が そ の 一員 であ った 朝 飯 会 の人 々は、 声 を 潜 め
本諜 報 団 は コミ ン テ ル ン本 部 よ り 赤色 諜 報 組織 を確 立す べき 旨 の指 令 を
コ ミ ンテ ル ンより 同 様 の指令 を 受 け来 朝 策 動 中 な り し ブ ラ ン コ ・ド ・ヴ
受 け 昭 和 八年 秋 我 国 に派 遣 せ ら れ た る リ ヒ ア ル ト ・ゾ ルゲ が 、 当 時 既 に
ラウ ゼ ン等 を そ の中 心分 子 に獲 得 加 入 せし め 、 そ の機 構 を強 化確 立 した
ー ケ リ ッチ等 を 糾 合 結 成 し 爾 後 順 次 宮城 与 徳 、 尾 崎 秀 実 、 マ ック ス ・ク
昭和十 六年十月以降東京刑事地方裁判所検事局において警視庁 の探知に
︻司法 省 十六 日午 後 五 時発 表︼
の他 の方 法 に よ り これ を 提報 し い た るも のな る が 、 主 要中 心分 子 の略 歴
よ り 、 我 国情 に関 す る 秘 密事 項 を含 む多 数 の情 報 を 入 手 し 、通 信 連 絡 そ
し 結 成 以来 検 挙 に至 る ま で 長年 月 に亙 り、 合 法 を 擬 装 し 巧妙 な る手 段 に
る 内 外 人 共産 主 義 者 よ り 成 る 秘密 諜 報 団 体 にし て十 数 名 の 内外 人 を使 用
基き同庁を指揮 して鋭意捜査中な りしリ ヒア ルト ・ソ ルゲ等に係る いは
次 の通 り であ る 。
秀 実 の検 事 訊 問 が済 み 、証 拠 堅 め が成 った あ と で あ る。 そ の全 文 は
か った 。 そ れ は 、検 挙 の翌 年 二九 四 二年 六 月 十 六 日、 ゾ ルゲや 尾 崎
一般 の人 民 は 、 つき の司法 省 の発 表 ま で、 何 ら知 ら さ れ る こ と がな
て、 ﹁検 事 ﹂ か ら の呼 出 の有 無 を 確 か め 合 う ほ ど だ った と い わ れる 。
は、 日 本 の支 配 層 に電 撃 の よう に伝 わ った 。 そ れ は、 尨 大 な 流 言 の
配 上 層 部 は流 言 蜚語 に戦 慄 す る。 一九 四 一年 十 月ゾ ルゲ ら検 挙 の報
対 す る 言 論検 閲 の強 化 を意 味 す る 。 人 民 は ツ ンボ桟 敷 に置 かれ 、 支
戦 争 への驀 進 で あ った。 これ は必 然 的 に 、 国 家行 動 及 び そ の批 評 に
二 ・二 六事 件 の現 実 的 結 論 とし ては 、 日本 国 家 の右 翼 化 であ り、
さ れ た のは、 こう し た背 景 にも と ず く 。
機 を な し て い る。 ﹁不 穏 文 書 臨 時 取 締 法 ﹂ が 三 六年 六 月 十 一日 公 布
お か れ た 。 二 ・二 六事 件 を 誘 引 し た 相 沢事 件 は ﹁怪 文 書 ﹂ が直 接 契
と いう軍 の宣 伝 に よ って日 本 社 会 は 一種 の集 団 ノ イ ローゼ の状 況 に
の空前 の流 行 を見 る よう に な った 。 いわ ゆ る ﹁一九 三六 年 の危 機 ﹂
二 ・二 六事 件 の年 、 一九 三 六年 頃 よ り、 日本 は 流 言 蜚 語 と怪 文 書
一
および諜報団体 の活動概 況左の如し 主要 中 心人 物 の略 歴
通信 補 助 員 とな り た る も の (ハ) 宮城 与 徳
沖 縄県 立師 範 学 校 本 科 を 中 途 退学 後 、 絵 画 研 究 のた め米 国 に渡 り 加 州
て 生 計 を営 み いた る が 、 そ の間 共産 主義 を 信 奉 す る に 至 り 、昭 和 六 年
サ ンデ イ ゴ 官 立美 術 学 校 を 卒 業 し 、爾 来 同 州 羅 府 等 に お い て画 家 とし
旧露 国 コー カ サ ス州 バ ク ーに お い て出 生 し たる 独 逸 国 人 に し て、 ベ ル
ミ ンテ ル ン本 部 の た め活 動 す べき旨 の指 令 を受 け 昭 和 八 年 十 月帰 朝 し
米 国 共産 党 に 加入 し左 翼 文 化 運動 に従 事 中 、 同 党 上 部 よ り帰 国 し て コ
(イ ) リ ヒ ア ルト ・ゾ ルゲ
リ ン所 在 の高 等 学 校 在 学 中 、 第 一次 欧 州 大 戦 に際 し 一兵 士 と し て志 願
たるもの
出 征 し 、 そ の後 ハンブ ルグ 大 学 を卒 業 し国 家 学 博 士 の称 号 を付 与 せ ら れ た る が 、 そ の間 共 産 主 義 を 信頼 す る に至 り、 独 逸 共 産 党 の結 成 を 見 る や 間 も なく こ れに 加 入 し 、 大 正十 四年 一月 同 党 代 表 と し て コミ ン テ
る のち 朝 日 新 聞社 に 入社 した る が 、 在学 当 時 よ り共 産 主 義 を信 奉 し昭
大 正 十 四 年 三 月東 京 帝 国 大 学 法学 部 政治 学 科 を 卒 業 し 大 学 院 に学 び た
(ニ) 尾 崎 秀 実
方 そ の他 に お い て諜 報 活 動 に従 事 し 、 昭 和 五年 本 部 の指 令 に よ り 上海
ル ン本 部 に 派遣 せら れ直 に 同 本 部 の情 報 局員 とな り スカ ンヂ ナ ビ ヤ地
に 渡 り て 在支 諜 報 団 を 組 織 し、 尾 崎 秀 実 そ の他 内 外 人 共 産 主 義 者. を協
い て密 に 左 翼 作家 及 び中 国 共 産 党 員 そ の他 多 数 の内 外 人 共 産 主義 者 と
親 交 を 重 ね 漸 次 そ の間 に重 き を 加 へ同 地 の 左翼 活 動 を 指 導 援助 中 、 昭
和 三 年 十 一月 同新 聞 社 特 派 員 と し て 上海 に派 遣 せら る る や 、 同地 に お
な る諜 報 活 動 を展 開 し、 諸 般 の情報 を 入手 提 報 した る が 、 モ ス コウ に
和 五 年 ゾ ルゲ と相 識 り直 に同 人 の主 宰 す る 在支 諜 報 団 に 加 入 し 、 そ の
力 者 に 獲 得 し 、 上海 を本 拠 とし て支 邦 全 土 お よ び満 州 等 にわ た り 広 汎
一時 帰 還 後 さ ら に 昭和 八年 九 月 本 部 の指 令 に基 き表 面 独 逸 新 聞 テ ー グ
有 力 な る 一員 と な り諸 般 の事 項 に 関 し 活 〓 な る諜 報 活 動 を 遂行 し、 昭
た る た め、 世 上 そ の権 威 者 と し て遇 せら れ、 昭 和 十 三年 七月 同 新 聞 社
に至 り た るも のに し て 、 上 海在 勤 当 時 支 那 問 題 に 関 し 研究 調 査 を 重 ね
連 絡 一時 中 断 し た る も 昭和 九年 六 月 宮 城 与 徳 を介 し再 び連 絡 を 生 ず る
和 七年 大 阪 本 社 詰 に転 じ た るた め 後 任 者 を 推薦 し て帰 朝 し ゾ ルゲ と の
リ ッ へ ・ル ンド シ ャ ウ社 の記 者 とし て米 国 を経 由 し て来 朝 し そ の後 フ ラ ン ク フ ルタ ー ・ツ ア イ ツ ング 社 の特 派 員 と な り た るも の (ロ) ブ ラ ン コ ・ド ・ヴ ー ケ リ ッチ
ユーゴ ー ス ラビ ア 国 ザ グ レ ブ市 所 在 の高 等 学校 、美 術 専 門 学 校 お よ び
旧墺 匈 国 オ スイ エツク市 に お い て出 生 し た る ク ロア チ ア国 人 に し て旧
マ ック ス ・ク ラウ ゼ ン
を 辞 し た る の ち満 鉄 嘱 託 とな り い た るも の
ユト ラ ンド島 にお い て出 生 し た る 独逸 国 人に し て同 地 の 国民 学 校 卒 業
独 逸 国晋 魯 西 州 シ ユレ ス ウ ィ ッ ヒ ・ホ ル シタ イ ン県 フズ ム郡 ノ ル ト シ
(ホ)
対 す る 宜伝 およ び 煽 動 活 動 等 に従 事 し た る こと あ り 、 深刻 な る経 済 恐
ブ市 在 住 当 時 よ り 共 産 主 義 を信 奉 し左 翼 学 生 運 動 お よ び 工場 労 働 者 に
高 等 工業 学 校 等 に 学 び た る の ち パ リ大 学 法 科 を 卒 業 し た るが 、 ザ グ レ
慌 の た め パ リに お い て失 業 中昭 和 七年 春 ごろ 国 際諜 報 活動 に従 事 す べ
一欧 州 大戦 に応 召 出 征 し そ の間 通 信 技 術 を 習 得 し 除 隊後 職 工、 採 炭 夫 、
後 、 鍛 冶 工 とな り労 働 に 従 事 す る傍 ら夜 間 職 業 補習 学 校 に通 学 中 、 第
感 化 院看 守 、船 員 等 を 転 々す る中 、 共 産 主 義 を 信 奉 す る に至 り 昭 和 二
き 旨慫 慂 せ らる る や 、 これ を承 諾 し在 パリ コ ミ ンテ ル ン連絡 員 を 介 し
二 月週 刊 雑 誌 ヴ ユウ 社 の特 派員 と し て来 朝 し 、 そ の の ち ア バ ス通 信 社
本 部 よ り我 国 に お い て諜 報 活動 をな す べき 旨 の指 令 を 受 け、 昭 和 八年
年 夏 独 逸 共 産 党 に加 入 、 そ の後 同 党 上 部 の慫慂 に よリ コミ ンテ ル ン本 部 の統 率 下 に あ る国 際 諜 報 活 動 に 従 事 す る こ と と なり 、 本 部 の指 令 を 受 け 昭 和 四 年 四 月 ご ろ モ ス コウを 経 由 し て 上 海 に潜 行 し、 専 ら 通信 事 務 を 担 当 し 、 諸 般 の諜 報 活 動 に従 事 し 当 時 モ ス コウ に帰 還 し た る の ち 昭 和 十 年 十 一月 さ ら に我 国 にお い てゾ ルゲ の指 導 下 に国 際 諜 報活 動 を な す べき 旨 本部 よ り指 令 せら れ雑 貨 輸出 商 と し て来 朝 し 、 そ の の ち邦 人 従 業 員 二十 数 名 を 使 用 し て青 写真 複 写機 製 造 業 を な し い た るも の
本諜 報団 の活 動 状 況 昭 和 八年 九 月 、 ゾ ルゲ は 前 記 の 如 く コミ ン テ ル ン本 部 の指 令 を受 け 来 朝 す る や直 ち に東 京 にお い て赤色 諜 報組 織 の結 成 に着 手 し 、当 時 既 に同 様 の指 令 を 受 け 来 朝 し い た る ヴ ー ケ リ ッチ等 と連 絡 し て そ の結 成 を遂 げ 自 ら 主宰 者 とな り た る が 、間 もな く 同 年 十 二 月 か ね て在 米 コミ ン テ ル ン本 部 連 絡 員 よ り 指 示 せ ら れ い た る連 絡 方 法 に 従 ひそ の こ ろ既 に同 様 の指 示 を 受 け 、 帰 朝 し い た る宮 城 と の連 絡 を 遂 げ た り 、 尋 で在 支 諜 報 団 当 時 熱 心 な る 協 力者 と し て其 手 腕 を 高 く 評 価 し て い た る尾 崎 と の連 絡 回 復 を 企 図 し 漸 く昭 和 九 年 六月 宮 城 の斡 旋 に よ り尾 崎 と会 し 再 び 同 人 を諜 報 団 に 加 入 せ し む る こ と に成 功 し た り 更 に 昭和 十 年 七月 モ ス コウ に お い て ﹁コミ ン テ ル ン第 七 回 世界 大会 ﹂ の開 催 せ ら れた る に際 し 同 地 に お い て本 部 に対 し 予 て優 秀 な る通 信 連 絡 員 と し て囑 目 し いた る ク ラ ウ ゼ ン の派 遣 方 を 要 請 し 、 同年 末 同 人 が 本 部 の指 令 を 受 け て来 朝 す る や こ れを 諜 報 団 に 参 加 せ し め て こ こに 中 心 主 脳部 の陣 容 を 一段 と 強 化 し た り
当り、団体員 の指揮統制に任 じ、諜報項目を判断決定 し諜報団におい
て探知収集 したる情報 および資料を綜合整理して 一定 の情報に取纒め、
その提報を命ずる等 諸般 の活動を統轄したるほか、自 らもまた各種の
日各国外交機関、内外通信機関および外人新聞記者方面等より主とし
情報 および資料を蒐集 しヴーケリッチは通信記者 たる地位を利用し駐
て我国 の外交に関する諸情報 を探知しゾ ルゲに提報する と共に、団体
員 の連絡場所等にその住居を提供し且各種資料お よび報告文書等 の撮 影複写を担当し
し、尾崎 の蒐集 に係 る諸情報 と共にこれを取纒 め英訳し てゾ ルゲに提供
宮城は主として諜報補助者を使用して各般 の情報およ び資料を探知収集
て熱心なる協力者 とし てゾ ルゲ の絶対的信頼 の下にその社会的地位およ
する等 の任務 に従事したる ほか諜 報補 助者 の発見獲得に努め尾崎 は極め
び広汎なる交際範囲を利用し、諸般の情報およ び資料を多数 入手し てこ
れを提供す ると共 に絶えずゾ ルゲの相談 に応じ内外の重要諸問題に つき
自己の見解 およ び判断を披歴 して同人を補佐したる等諜報団 にお いてゾ
クラウゼ ンはそ の習得 せる技術 により主 として本部 との間 の通信連絡
ルゲと相並 ぶ重要役割を果 し
一味が探知収集したる事項中 には我国情に関する各所 の秘密事項を包
事務等を担当 したる傍ら会計事務 に従事 しいたるも のにして、その間 含 しをれり
公
健 ( 四 七 )
二( 四 七)
な ほ本事件 の捜 査進捗 に伴う、東京刑事 地方裁判所検事局に於ては秘密
事項を漏洩したる廉 をも って
養
西 園 寺
衆議院議員 犬
にお いて開催せられたる太平洋問題調査会 の会議 にたまたま同行したる
を それぞれ検挙しその取調を進め いたるが、西園寺は昭和十 一年夏米国
爾 後 内 外 人 十 数 名 を 漸 次獲 得 し て其 規 模 を 拡 大 し 鋭 意諜 報 活 動 を遂 行 し
ゾ ルゲ はそ の主 宰 者 兼指 導 者 と し て コミ ン テ ル ン本部 と の連 絡 の衝 に
来 り た る が本 諜 報 団 に お い て
等 の事 情 よ り 尾崎 と相 識 り親 交 を重 ね る う ち 同 人 の支 那 問題 に関 す る 造
る に 至 り たる こと 等 の ため 同 人 に 利 用 せら れ 外 国 に漏 泄 せ ら る る の情 を
詣 に 眩惑 せら れ た る と 、其 言 動 等 よ り同 人 を 憂 国有 為 の士 な り と誤 信 す
の殆 ど総 て が知 識層 に属 す る も の であ った こと
る秘 密 事 項 であ った こと
(三 ) 太諜 報 団 が 入 手提 報 した 事項 は相 当 多 数 に 上 り既 ね 我 国 情 に関 す
て、 或 は 画 家 と し て相 当 安固 の社 会 的 地位 を 占 め 、長 年 月 に 亙 り巧 に
(四 ) 本諜 報 団 の中 心 人物 が或 は 新 聞 記者 と して 、或 は商 会 経 営者 とし
そ の手 段 極 め て巧 妙 であ った ため 、 そ の間 いさ さ か も相 手 方 の疑惑 を
合 法 を 擬 装 し政 界 上 層 部 等 に接 近 し て 各部 の情 報 を 入手 提 報 し な が ら 、
犬 養 ま た尾 崎 を 支 那 問題 の権 威 者 と し て高 く 評 価 し常 に そ の意見 を徴
知 ら ず し て 二、 三 の秘密 事 項 を 同 人 に漏 泄 し
し つ つあ り た るた め 、 同 人 の乗 ず る と ころ な り 、 外 国 に漏 泄 せ ら る る
か か る不 逞 団 体 の蠢 動 を 許 し た こ と は、 仮令 一味 の擬 装 が極 め て巧 妙 で
思想 の防 遏 に苦 心 し て来 た の であ る が 、 そ の間 に お い て長 期 間 に わ た り
等 であ る 、 支那 事 変 発 生 以来 、 朝 野 協 力 し て防 諜 措置 の万 全 を 期 し詭 激
ら、 か な り詳 密 に 事 態 を把 握 し て い た も の のご とく 認 め ら れ る こ と
(六 ) 相 手 方が 不 用 意 に漏 した 片 言隻 語 そ の他 区 々た る情 報 に よ り てす
努めていたこと
国 に対 す る諸 般 の情 勢 を 詳 細 に 調査 研 究 し 豊富 な る 予 備 知識 を 持 つに
(五) 内 外 の重要 問 題 に対 す る判 断 の謬 り な き こ とを 期 す る ため 常 に 我
招 か な か った こと
の情 を 知 らず し て同 様 秘密 事 項 を 漏 洩 し た る嫌 疑 いづ れも 十 分 と な り た るを 以 て 、本 日国 防 保 安法 違 反 、 軍機 保 護 法 違 反 等 の罪 名 の下 に東 京 刑 事 地 方裁 判 所 に予審 請 求 の手 続 を執 りた り
司 法内 務 両 当 局談 国 際諜 報 団 事 件 に つい ては 、捜 査当 局 の不 眠 不休 の努 力 の結 果 や う や く そ の全貌 を 明 白 な ら し め、 不 逞 組 織 を根 柢 よ り 覆滅 す る こと を得 た ので あ る が 、大 東 亜 戦 争 の開 始 に先 だ ち 、 こ れを 検 挙 す る こ とを 得 た に つ い
あ った と は い へ、 ま こ と に遺 憾 に存 ず る 次 第 であ る、 最 近 に おけ る 日 本
て は真 に関 係 当 局 の労 を多 とし な け れ ばな ら な い
み、 秘 密 漏洩 の根 源 と 経 緯 と を糾 明 す る こ と に極 力 努 め た結 果 や う や
尾崎 の真 の意 図 を全 然 探 知 し て いな か った ため とは い へそ の結 果 か ら
な擬 装 に 眩惑 せ ら れた た め不 用 意 の間 に秘 密 事 項 を漏 洩 し た こと は、
また 、 西園 寺 公 一、 犬 養健 の如 き 相 当知 名 の人 士 が尾 崎 の極 め て 巧妙
行 に出 た こ と は、 そ の情真 に憎 む べき も の と思 料 せ ら れる ので あ る
にお いて な ほ尾 崎 等 の左翼 分 子 が 依 然 そ の信 念 を捨 てず か か る売 国 的 所
精 神 の昂 揚 と屡 次 の検 挙 とに よ り 共産 主 義 運 動 が殆 ど屏 息 し た情 勢 の下
検 挙 着 手 以来 捜 査 当 局 に お い て は事 犯 の重 大 性 と時 局 の緊 迫 化 と に鑑
た か ら、 本 日中 心分 子 等 に対 し 予審 請 求 の手 続 を執 る に 至 った の であ
く こ のほ ど検 挙 も 一段 落 を告 げ 、 大 略 所期 の 目的 を 達 す る こ とが 出来
る が、 爾 余 の下部 組 織 の者 等 に つ い ても 近 く そ れぞ れ 起 訴 を見 る予 定 であ る 本 件 に お い て留 意 を 要 す る事 項 は多 々あ る であ ら う が 、 そ のう ち 特 に注
見 てま こと に残 念 に 思 ふ次 第 であ る
一層 強 化 し そ の徹 底 を 図 る と共 に関 係 各 庁 と の連 繋 を 一段 と緊 密 な ら し
当 局 と して は 、今 次 事 犯 の経 験 に鑑 み 、 こ の種 不 逞 分 子 に対 す る 取締 を
(一) 本 諜 報 団 は 共産 党 員 お よ び共産 主義 者 た る 内外 人 を も って構 成 せ
目 す べき諸 点 を 挙 げ れ ば
ら れ 、周 到 な る 計 画 の下 に広 汎 な る活 動 を 長 期 間 に亙 り 遂 行 し て いた
め そ の未 然防 止 に万 全 を 期す る所 存 で あ る が、 こ の際秘 密 事 項 取扱 い の
こと (二) 尾 崎 秀 実 、 宮城 与 徳 を 始 め 本諜 報 団 に 関 係 のあ った 十 数 名 の邦 人
衝に当る者 にお いてはもちろん、上層部そ の他の有識層の各位 にお いて、 軽 々に国際的秘密事項 に関する論議 をなし不識 の間 に秘密事項を察知せ なほ本件検挙 の報 一部 に伝 へられるや揣摩臆測 に基く流言浮説が行は
られるが如き ことなきやう格段の自粛自戒を切望 してやまない
れたるやに仄聞するが、かかることは国内的にもはたまた国際的にも ら、 この点 についても十分 の戒慎を望んでやまない次第である
好ましくな い種 々の影響を生ずるおそれすくなしとしないのであ るか
こ の発表 文 は吉 河光 貞 検 事 によ って起 草 さ れ た も の であ る が、 当 時 の司 法 省 の秘 書 課 も 詳細 に わた ら ぬ よう と の意 見 で、 き わ め て概 括 的 な も のに な った由 であ る。 こ の発表 文 がゾ ルゲ の赤 軍 第 四部 の 所 属 であ る事 実 に反 し て、 コミ ン テ ル ン本 部 の指 令 に基 づ いた謀 略
るが、 これ は、 事実 に
組 織 と述 べて い る こと は、 戦 時 中 の日 本政 府 が ソ連 に対 す る 政治 的 考 慮 に よる と いう所 論
例 え ば、 竹 崎 羊 之 助 (﹁ 二 つの祖 国 ﹂ 序 文 )もあ
反 す る よ う で あ る。 当 時 の治 安 維 持 法 に よ り、 こ の場 合 に犯 罪 と さ れる た め に は、 ﹁ 国 体 ヲ変 革 スル コト ヲ 目的 ト シ テ⋮ ⋮結 社 ノ目的 遂 行 ノ為 ニス ル行 為 ヲ為 シタ ル者 ﹂ ( 第一 条)でな け れ ばな ら ず 、そ の
こ の発表 ののち 、 敗戦 ま で日 本国 民 がゾ ルゲ事 件 に つ いて ふた た
び聞 く こと はな か った。 ゾ ルゲ の刑 死 し た の は 一九 四 四年 十 一月 七
一九 四 五年 十 月 八 日、 占 領 軍 司令 部 指 令 に よ って、 政 治犯 が釈 放
日、 ロ シ ア革 命 記 念 日 であ った が、 そ の発 表 は行 われ な か った 。
さ れ た が、 ゾ ルゲ事 件 の生 残 り であ る、 マ ック ス ・ク ラ ウゼ ン、 九
一九 四 五年 十 月 二 十四 日 号 は、 読 売報 知 の報 道 にも とづ きゾ ルゲ諜
津 見 房子 も こ のう ち に含 ま れ て い た。英 文紙 ﹁ニ ッポ ン ・タ イ ム ス﹂
報事 件 の概 要 を つたえ た 。 こ れを 端 緒 と し て、 マッカ ー サー 司令 部
の関 心 がゾ ルゲ事 件 生 存 者 に向 け られ る 。最 初 は、政 治 犯 出 獄者 た
ち を 保護 す る のが 目的 で、 ク ラ ウ ゼ ン の所在 を 探 索 し た が、 彼 は行
方 を絶 ち、 ソヴ ェト へ入 国 し た も の と想像 さ れた 。 これ より のち、
てゆ く。 冷 戦 の看 板材 料 とし ての価 値 を 感得 し はじ め た から であ る。
ゾ ルゲ事 件 関 係者 に対 す る 司令 部 の態 度 は、 保 護 か ら看 視 にか わ っ
二
であ った。 警 察 と 軍 と の対 立 は、 有 名 な ゴ ー ・スト ップ 事 件 (一九
す る 特高 係 憲 兵 とに分 れ てお り、 左翼 に つい て は特高 警 察 の独 壇場
日 本 の政 治 警 察 は、 内 務 省 の管 轄 す る特高 警 察 と、陸 軍 省 の管轄
軍 や ソ連 を そう いう 結社 と見 る こと は 不可 能 であ る か ら であ る。 治
三 三年 ) よ り、 一般 に も明 ら か に な って来 て いた 。 二 ・二 六事 件 の
テ ル ンに つ い ては いえ た が、 赤
安 維持 法違 反 で予 審 請 求 をす るた め に、 法 律 技術 的 に、 赤 軍 や ソ連
勃 発 と と も に、 日本 の内 政 上 も っとも 重要 な こ の事件 に は、 軍 の 一
結 社 と いう の は 日本 共 産党 と コミ
が、 コミ ンテ ル ンの名 で代 表 され た のであ って、 当時 の司 法 部 の法
そ れ は、 軍 の内 政 関与 の増 大 に見 合 う と ころ の、 憲 兵 隊 の特 高 に た
の北 一輝 や西 田 税 も、 代 々木刑 場 で銃 殺 さ れ る結 果 と な って終 った。
部 が加 わ って いる た め憲 兵 隊 の管 理 下 に入 り、 民 間 側関 係 者 とし て
運 用 の実 態 を知 る のに 興味 あ る点 であ る。 治 安 維持 法 の第 一条 は、 司 法 部 への国 家 主 義 の浸潤 に よ って、 刑法 の可 罰 的 方向 への類推 解 釈 が、 圧 倒的 に是 認 さ れ て お り、 時 の勢 い と し ては 異 と され な か っ た。
いす る優 位 を 目 指 す 挑戦 と し て理 解 さ れた 。 いら い、 憲 兵 隊 ︱ 軍 法
に置 かれ た こと は興 味 深 い こ と であ る。
軍 が、 そ の諜 報 内 容 に つい て何 も のも知 ら さ れず 、 ツ ンボ サ ジ キ
ゾ ルゲ への目 付 役 を 一使 命 と し て い た の で、 こ の点 か ら、 憲 兵 とも
密 な 連 絡 を と って いた。 後 に説 く よう に、 は じ め マイ ジ ンガ ー は、
盟 に よる 反 共 活 動 す な わ ち スパ イ取 締 な ど で、 日 本 の特 高 憲 兵 と緊
こ れ が、 日 本 に お け る ユダ ヤ人 や 反 ナ チ分 子 の取締 、 さ ら に 三国 同
ー バー 大 尉 、 のち に札 付 き の悪 党 と い われ る マイ ジ ンガ ー に代 った 。
さ き に東 京 の ド イ ツ大 使 館 には ゲ シ ュタ ポ が 付設 さ れ、 は じめ フ
息 さ せ た の であ る 。
と は な か ったろ う 、 と いわ れ る。 す で に、 日 本 で の任 務 終 了 を 感 じ
す る な ら ば、 お そ ら く 、 ﹁ ゾ ルゲ事 件 ﹂ が こ のよ う に形 成 さ れ る こ
率 で、 慎 重 審 議 を 重 ね、 か つ、 政 治 的 配 慮 を も って時 日を 要 した と
結 果 とし て、 ド イ ツ大 使 の強 硬 な 抗 議 を 受 け た 。 ふ つう の官 僚的 能
容 を 知 ら ず 、 そ の重大 性 を意 識 せ ず に 、 承認 を与 えた 。 だ が 思 わ ぬ
許 可 を 求 め た。 大 臣 は、 留 任 決 定 で大機 嫌 で あ った の で、 あ ま り内
(赤 線 を ひ いた と こ ろ を読 む のが 好 き で あ った と いう )ゾ ルゲ検 挙 の
た 。 検事 局 では、 大 臣 に対 し 宮 城 ・尾崎 の供 述 要 旨 に赤線 を ひ き、
つづ く東 条 内 閣 にお い て、岩 村 通 世 司 法 大 臣 は 逸 早 く留 任 が決 定 し
一九 四 一年 十 月 、 近衛 内 閣 は、 日米 交 渉 の不 成 立 に よ って倒 れ、
三
会 議 の線 と、 従 来 の特高 警 察 ︱ 思 想 検 事 の線 と の強 い対 抗関 係 が政 府 機 構 内 に形 成 さ れ、 そ れ が相 倹 って、 事 件 を 欲 す る ブ ルー タ ルな 官僚 本能 を い よ い よ狩 り 立 て て、 治 安 維 持 法 の拡 大 解 釈 に よ る 人民
話 合 った こ とが あ った か と 想像 さ れ る。 マイジ ンガ ー 自身 の、 ゾ ル
た ゾ ルゲ は、 数 日後 に は 日本 本 土 を離 れ、 海 上 を 上海 へ直 行 、 上 海
戦 線 検 挙 や宗 教 運 動 検 挙 は 、 国 民 を ま す ます 、 厳 し い拘 束 下 に 、逼
ゲ への疑 惑 はす ぐ消 え てし ま い、 む し ろゾ ル ゲ への信 頼 さ え 生 ま れ
ド イ ツ に お け る ﹁ゾ ル ゲ 事 件 ﹂
総 監 、 外 務 大臣 、 内務 次 官 、 大 蔵 次 官 、 東 京 都 知事 、参 謀 総 長 、 軍
総 理 大 臣 に掛 合 い、 強 硬 な抗 議 を提 出 した 。 ゾ ルゲ と の会 見 が 要 求
( ゾ あル った ゲと のり いー わベ れる で)は 事 件 を 日本 警 察 の作 為 とし て激 怒 し、直 ち に東 条
ゾ ルゲ 検 挙 の報 を き いた ド イ ツ大 使 オ ッ ト及 び オ ット夫 人 ヘル マ
一
務 局 長 ら七 人 が 集 ま り 、席 上、 司 法 省 側 か ら、 事 件 のあ ら す じ が説
3
よ り 空 路 ベ ルリ ン へ向 う 予 定 であ った か ら であ る 。
る と いう 喜 劇 的 状 況 が 生 じ た。 司 法省 船 津 宏 検 事 が、 憲 兵 隊 を 担 当 す る陸 軍 省 軍 務 局 に招 致 さ れ 、 ﹁ ゾ ルゲ が臭 か った の で、 軍 が内 偵 を す す め て い た の だ が、 とう と う 地 方 (軍 以 外 を指 す 、 軍 隊 用 語 ) に し てや ら れ た ﹂ と言 わ れ、 船 津 氏 は、 憤 然 と し て同 僚 に語 った と いわ れ る 。ゾ ルゲ検 挙 後 、 政 府
明 さ れ た 。 だ が そ れ は、 あま り に概 略 にす き て、役 立 たず 、 発 議 が
さ れ た。 東 条 英 機 ↓岩 村 通世 (司法 大 臣 ) ↓ 松阪 広 政 (検 事 総 長 )
部 内 では 問 題 の重要 性 に か ん が み取 調 経 過 の説 明会 が開 か れ、 警 視
あ って 二 三回 で終 り を告 げ た。
の線 で、 そ の会 見 は 一週 間 後 の 二十 五日 と決 め ら れた 。
オ ットが 祖 国 へ帰 れば 、 き っと殺 さ れ た ろ う と思 いま す 。彼 は 祖 国 へは
我 々は 日 本 の対 米 計 画 に 関 し、 情 報 を 欲 す る こ とが 切実 だ った。 す で に
⋮ ⋮ゾ ルゲ の情 報 は、 我 々に ます ま す 重 要性 を も っ て来 た。 一九 四 二 年 、
り偽 瞞 な ど あ りえ な いと 考 え られ て いた の で、 私 は そ の と き安 心 し た 。
﹁とく に ゾ ルゲが フ ォ ン ・リ トゲ ンに 送 る情 報 の有 益 さ は保 証 ず み で あ
ー レ ン ベ ル ク は そ の 回 想 録 で述 べ て い る 。 (ー ジ以 下)
一七 八ペ
一九 四 一年 六 月 か ら 、 外 国 諜 報 部 門 の 長 に 任 ぜ ら れ て い た 。) シ ェ
許 へ も た ら さ れ た 。 (シ ェー レ ン ベ ル ク は 、 ナ チ の ソ ヴ ェト 攻 撃 後 、
あ った 。 こ の 報 告 は 、 フ ォ ン ・リ ト ゲ ンよ り シ ェー レ ン ベ ル ク の 手
ツ通 信 社 ) の総 裁 フ ォ ン ・ リ ト ゲ ン へ の私 信 の形 式 に お け る 報 告 で
は ﹁ゲ オ ポ リ テ ィ ー ク ﹂ の寄 稿 者 と し て、 間 接 に は 、 D N B (ド イ
正 式 に は フ ラ ン ク フ ル タ ー ・ ツ ァ イ ト ゥ ン グ の特 派 員 と し て 、 ま た
てゾ ル ゲ の 報 告 が 大 き く 評 価 さ れ て い た こ と は 事 実 で あ る 。 そ れ は 、
て い な い 。 だ が 、 ナ チ の 対 外 諜 報 部 門 に お い て は 、 極 東 の情 報 と し
さ て 、 ゾ ル ゲ は 公 式 に は ド イ ツ 大 使 館 と の関 連 に つ い て し か 触 れ
オ ット は 生涯 最 大 の 幻滅 感 を 味 わ わ さ れた 。
て い る と お り 個 人 的 に も 、 仕 事 の 上 で も 、 最 も 深 い 関 係 に あ った 。
オ ッ ト と ゾ ル ゲ と の 関 係 に つ い て は 、 ゾ ル ゲ の 叙 述 が 明 白 に 示 し
二
行 った と いう ニ ュー スを 聞 き ま し た。
こ れ は充 分 に信 じ ら れな いが、 オ ット の死 後、 ヘル マ夫 人 は ソヴ ェト へ
帰 らず 、 北 京 へ行 き 、 中 国 に滞 在 しま し た 。
)
非米委 当 時 の状 況 に つい て吉 河光 貞 氏 は次 のよ う に語 って いる。 (証 言二 四 一ぺ ージ
私 た ち は大 いに 当 惑 し ま し た。 取 調 の継続 中 だ った か ら です 。 幸 い な こ とに 、 一週 間 た ってゾ ルゲ は 自 白 し ま した 。 彼 の自 白 後 、 私 は 、 ゾ ルゲ に対 し て、﹁大 使 が 君 に会 いた が って い る。 君 は 彼 に 会 い ま す か ?﹂ と申 しま し た 。 ゾ ルゲ は最 初 、 自 分 は オ ット と は会 いた く な い と答 え ま し た。 ゾ ルゲ は申 し ま した 。 ﹁政 治 上 の意 見 こ そ違 え、 わ れ わ れ は個 入 的 に は 良 き 友 人 であ った ﹂ と 。私 は申 しま し た 、﹁私 が君 の立 場 な ら ば 、私 は 会 う だ ろ う。 こう いう 状 況 に 立 った 日本 人 は、 会 っ て最 後 の訣 別 の言 葉 を 告 げ る だろ う 。﹂ ゾ ルゲ ﹁そう な ら ば 、 私も オ ット に 会 う こ と とし よ う ﹂ 私 は そ の件 を 司 法 大 臣 に報 告 しま し た 。 オ ット大 使 、 マル ヒタ ー 、 スタ ー マー 、 ほ かが ゾ ルゲ に会 い にや っ て参 り ま した 。 短 か い 会見 のさ いご に 、ゾ ルゲ は オ ット に申 し ま し た 、﹁これ があ な た に 会 う 最後 の機 会 でし ょう﹂ と。 オ ット は仰 天 し て、 顔 色 を変 え ま した 。 会 見 を 終 り 、オ ット は他 の部屋 へ移 り ま し た 。オ ット は申 し ま し た。 ﹁本 件 に関 し ては 、 我 々は も う何 も 云 う べき こ と はな い。 た だ取 調 べを な る べく 早 く済 ま せ、 そ の結果 を我 々に 知 ら せ て欲 し い﹂ と申 しま し た 。
そ し て 、ゾ ルゲ の手 記 の第 一章 の コピ イを つく り 、 司法 大 臣 を 通 じ て こ れ を ド イ ツ大 使 館 へ送 り ま し た。 オ ット大 使 は完 全 に リ ヒ ヤ ル ト ・ソ ルゲ に欺 さ れ てい た の です 。
た訳 であ り ます が、 其 の時分 与 す る 情 報 は出 来 得 る 限 り最 少 限 度 に す る
何 な る 情 報 を分 与 す べき か と 云う こと に対 す る 判 断 は 全部 私 に 一任 さ れ
と い う こと も 約束 さ れ てい た の であ り ま し て、 私 が 自 分 勝手 に斯 様 な 方
ゾ ル ゲ は三 国 同 盟 は︱︱ 軍 事 的意 義 に お い て︱︱ ドイ ツ に と って実 際的
法 を用 いた の で はあ り ま せ ぬ。
価 値 は大 し て存 在 し な い こ とを 予報 し て いた 。対 ソ戦 勃 発後 、ソ ルゲ は
いだ ろ う と警 告 し て い た。 こ の条 約自 身 我 々に と って、 寝 耳 に水 の出 来
だ が 、 ゾ ル ゲ は ベ ル リ ン か ら 疑 惑 を 持 た れ な か った わ け で は な い 。
三
我 々に対 し、 日 本 は ど んな こと が 起ろ う とも 、 日 ソ中 立 条 約 を破 棄 し な
事 だ った の であ る が 。 ソ ルゲ は 、 日本 陸 軍 は今 後 六 ケ月 を支 えう る 石 油 そ の他 の燃 料 を所 有 し てお り 、海 軍 と空 軍 は 、 そ れを 上 廻 る大 量 を 持 って いる こと を報 告 し た 。
を か き 立 て た が 、 特 に 共 産 党 員 と し て の 絶 対 的 証 拠 も な く 、 か つ、
ゾ ル ゲ の 政 治 的 前 歴 は 、 ハイ ド リ ッ ヒ、 シ ェー レ ン ベ ル ク ら の疑 惑
こ の点 か らゾ ル ゲは 、 間 も なく まず 中国 か ら、 終 極的 に は日 ソ戦 に至 る べき ︱︱ 我 々の希 望 す る よ う な︱︱ ア ジ ア内 陸 で の地 上作 戦 は 、 太平 洋
体 像 は 、 い さ さ か 複 雑 な も の で あ った 。 検 討 の す え 、﹁た と え 、ゾ ル
の 関 係 も 示 さ れ て お り 、 ゲ シ ュ タ ポ の書 類 か ら 示 さ れ る ゾ ル ゲ の 全
二 三 ︱ 二 八 年 間 の 、 国 家 主 義 者 や 、 極 右 サ ー ク ル、 ま た ナ チ 党 員 と
にお け る海 上作 戦 に転 換 さ れ る で あろ う こと を 、結 論 と し て示 し た 。﹂
ゾ ル ゲ が 送 った フ ォ ン ・リ ト ゲ ンあ て の私 信 は 、 フ ォ ン ・ リ ト ゲ
ゲ が ソ ヴ ェ ト と の 接 触 が あ る に し て も 、 我 々は ド イ ツ の 利 益 を 守 る
ンの極東 に関 す る判 断 の拠 り 所 であ り 、 ま た、 ゾ ルゲ な し では 、何 事 も な し 得 な か った 。 フ ォ ン ・リ ト ゲ ンは ゾ ル ゲ に 対 し 信 頼 が 厚 か
た め に 、 彼 の 豊 か な 知 識 を 役 立 て ね ば な ら ぬ ﹂ (フォ ン ・リ ト ゲ ン)
ル ク が 責 任 を 持 つ が 、 そ れ は 、 ゾ ル ゲ の ソ ヴ ェト 、 中 国 、 日 本 に つ
﹁ゾ ル ゲ に つ い て 、 ナ チ 党 側 か ら の攻 撃 に 対 し て は 、 シ ェー レ ン ベ
った と 信 じ ら れ る 。 そ し て 、﹁い つ い か な る と き で も 、ゾ ル ゲ は ド イ
い て の報告 の うち に 、機 密 材 料 が 包含 され る こと を条 件 と し て であ
ツ 秘 密 機 関 を 偽 瞞 し よ う と し た こ と は な い﹂ と シ ェー レ ン ベ ル ク は
ド イ ツ 側 と の 情 報 交 換 に つ い て 、 ゾ ル ゲ は す で に モ ス ク ワ の 諒 解
述 べ て いる。
る ﹂ (フォ ン ・リ ト ゲ ン と シ ェー レンベ ルク と の結 論 ) ﹁ゾ ル ゲ を 厳 重 な
軍 法 会 議 に か け ら れ そ う に な った の を 救 う た め に 、 ハイ ド リ ッ ヒ の
ン と し て知 ら れ た マ イ ジ ン ガ ー が 、 ワ ル シ ャ ワ の 残 虐 行 為 に よ っ て
こ こ で 、 一九 四 一年 春 、 ハ イ ド リ ッ ヒ 輩 下 の殺 し 屋 の ナ ン バ ー ワ
こ と に な った 。
討 を 経 ね ば な ら な い 、 と い う 留 保 で、 賛 成 ﹂ (ハイ ド リ ッ ヒ) と い う
監 視 下 に お く こ と 、 彼 の情 報 は 正 常 の ル ー ト を 通 さ ず に 、 特 別 な 検
を え て い る が 、 三 十 六 回 検 事 調 書 の ゾ ル ゲ の 叙 述 に よ れ ば 、 次 の通 り であ る。
私 は西 暦 一九 三 五年 モス コウ に 一旦帰 還 し た時 、 モ ス コウ中 央 部 に向 っ て 独 大使 館 に於 け る私 の諜 報 活 動を 統 制 し 、 且 つ私 自 身 を権 威 あ ら し め る 為 、同 大 使 館 側 にも 、 私 が 他 か ら入 手 し て居 る情 報 を 少 し は分 与 す る と 云 う こ とに 就 て諒 解 を 得 て お いた ので あ り ます 。 如何 な る場 合 に、 如
計 い で、 東 京 大使 館 付 のグ シ ュタポ 代 表 と し て転 任 す る こ と にな っ た。 シ ェー レ ンペ ル クは 彼 にゾ ル ゲ の件 に つい て調 査 を依 頼 し た 。 マイ ジ ンガ ー が、 徹 底 的 な 調 査を 行 った と こ ろ によ れ ば、 ゾ ルゲ に
(い人物
好まし )であ り、 日 本政 府 と の関 係 も非 常 に良 い と の こ と で
対 し て大 変 好 意的 で あ って、 ド イ ツ大 使 館 で は、 明 ら か に pe rs ona grata
あ った 。
マイ ジ ンガ ーに つい て、 内務 省 警 保 局 ﹁昭和 十 七 年 中 に於 け る外
った こ と が 明 瞭
に な
っ た 。 オ ッ ト はp
物) と宣告 さ れ てし ま った 。
好 ましか ersona non grata ( らざる人
﹁ヒム ラ ー との長 い、 あ ま り 愉快 でな い話 合 い で、 私 は 、 わ れわ れ ド イ
ム ラー が どう 決 着 を つけ る か は 分 らな か った 。 一方 で彼 は 私 を庇 いた い
ツ諜 報機 関 が ゾ ルゲ と協 力 し て い た こ とを 弁 明 せね ば な ら な か った 。 ヒ
と欲 し 乍 ら も、 他 方 で は、 こ の 一件 の てん ま つを ヒ ト ラー に 知 ら せる こ
﹁ヒト ラ ー と ヒ ムラ ー と の間 で交 わさ れ た 秘密 の談 話 のう ち で 。 こ の事
と を 、彼 の見 解 と し て必 要 と も感 じ て いた か ら であ る ﹂
件 に関 し、 ヒト ラ ー は、 ド イ ツ諜 報 機 関 が非 難 さ る べき 何 ら の理 由 は な
し た るも の の如 く 、容 疑 者 に 対 し て は機 会 あ る毎 に本 国帰 還 を 命 じ 、或
段 を弄 し て 内 偵 を続 け 、 大使 館 内 に反 ナ チ ス及 び態 度 不 明者 名 簿 を 作製
来 、 我 が 憲 兵 竝 に当 省 と 連 絡 し、 自 国 人 の反 ナ チ ス行 動 に つき 凡 ゆ る手
﹁大 使 館 警察 主任 マイ ジ ンガ ー親 衛 隊 大佐 は客 年 赴 任 ( 十 六年 四 月 ) 以
秘密 の指 示 を 受 け たけ れ ども 、 そ れ以 上 何 も のも 発 見 さ れ ず 、大 使 に 対
は大 使 の地 位 か ら召 還 さ れ た 。 マイジ ンガ ー は、 さ ら に証 拠 を 探 す よ う
た客 観 的 見 解 を と って いた こと はオ ット に と っ ては 幸 であ った。 オ ット
な ら ぬ、 と いう見 解 を も って い た。 ヒト ラ ー が こ の事 件 に つ いて こう し
る 人間 が、 極 秘 の政 治 情 報 を洩 らす ほ ど 、信 頼 や 友 情 に対 し て許 し て は
念 を軽 減 す る こ と は でき な か った。 ヒト ラ ー は、 オ ット の如 き 地 位 にあ
事 警 察 の概 況 ﹂(三一七 )の記述 を見 れ ば、 次 の通 り であ る。 頁
は 独逸 国 籍 を 剥奪 す る の挙 に 出 づ る等 相 当辣 腕 を振 ひ、在 留 独 逸 人 に は
し 、 そ れ以 上 の 処置 は とら れ な か った 。﹂ (シ ェー レ ンベ ルク ﹁回 想 録﹂)
い こ とを 認 め た 。 だが 、 ヒ ムラ ーは 、 オ ット に対 す る ヒト ラ ー の深 い疑
名 の独 逸 国 籍 を剥 奪 し、 更 に 五 月 二十 二 日東 京 市 世 田 谷区 下 馬 一丁 目 三
﹁シ ェー レ ンベ ル グが 我 々に 与 える ナチ スの画 像 は 、 そ の敵 対 者 に よ る
195 6) の資 料 価値 に つ いて 、 ア ラ ン・バ ロ ック は そ の序 文 で 言 って いる 。
* シ ェー レ ンベ ル ク の﹁回 想 録﹂( TheSchell en berg M emoirs ,London,
ツ に帰 る こ とな く 、北 京 に移 り住 ん だ ので あ る。
オ ット は、 一九 四 二年 に ドイ ツ大 使 の地位 を失 な った 。 祖 国 ドイ
蛇 蝎 の如 く 恐 れ ら れ居 た る が 、 一月 二日 付 を以 て本 邦 在留 猶 太 人 一 一六
五 八番 地 居 住 独逸 人技 師 ハイ ンツ ・ベ ル ハ ルト ・ミ ュル レル及 び五 月 五 日東 京 都 芝 区 白 金 三光 町 四 七 八番 地 居 住 独逸 人弁 護 士 ド ク ト ル、 ク ルト ベ ッケ ル両 名 を反 ナ チ スの 故 を 以 て独 逸 国籍 を 剥 奪 せ り 。﹂ 云 々。
四
人 や政 治 家 に よ る も の でも な く、 ま さ に ナ チ ス の 一員 で あ った人 に よ っ
も の で はな く 、 パ ー ペ ンや シャ ハト のよ う な そ の不 満 を強 調 した が る軍
ベ ル ク に 報 告 し た 。 ひ き つ づ く 調 査 に よ っ て、 オ ット も ﹁ま った く
て 観察 さ れ たも の であ る 。 この点 が 、 一つの歴 史 的 証 拠 と し て こ の書 の
ゾ ル ゲ が 検 挙 さ れ る や 、 マイ ジ ン ガ ー は 直 ち に そ れ を シ ェー レ ン
の 軽 率 ﹂ と は い え 、 ゾ ル ゲ を 助 力 し 、 し か も 親 し い 友 人 の 一人 で あ
価値 であ る 。 この時 代 の既刊 の回 想 録 を書 いた 誰 でも が 、 この書 の著者
ソ ヴ ェ ト に お け る いゾ ル ゲ 事 件 ﹂
こと を直 接 に 経験 した 人 間 は いな か った から で あ る。﹂
ほ ど、 知 る た め に好 適 の地位 に いた 人間 は いな い し、 権 力 の申 核 で起 る
4
︱
一九 四 一年 十 月 ゾ ルゲ検 挙 の のち、 ソヴ ェト側 で の公式 反 響 は、 そ の数 日 後 モ スク ワ放送 が、 ヴ ー ケリ ッチ の検 挙 を報 じ た 一件 に と ど ま る。 い到 底 な にか いえた 筋 合 いの も の では な か ろ う ﹂ と当 時 の 日本 の検察 関 係 者 の 一人 は語 って いる 。 二 ゾ ルゲ は検 挙 さ れ た後 、 取 調 に応 ず る 発 言ま で の 一週 間 、 烈 し い
ゾ ル ゲ以 前 に全 部 自 白 し た こ とです 。 例 え ば ク ラ ウゼ ンが 自 ら赤 軍 第 四
事 実 にお く こと が でき ま す。 第 三 の理 由 は、 ゾ ルゲ 以 外 の 全 メ ン バー が
部 に属 し て い る旨 の自 白 や、 さ ら に、 ブ ラ ン コ ・ド ・ヴ ー ケ リ ッチ が フ
これ は フ ラ ン スでは 非 常 に有 名 な ニ ュー ス代 理業 の 一つです 。
ラ ンス共 産 党員 だ った こと, 日 本 で は ア バ ス通 信 の特 派 員 だ った こと。
モリ ス氏︱︱ いく つの理 由 を い ま ま でに 挙 げ ら れま し た か?
吉 河 氏 ︱︱ 三 つ です 。 私 はゾ ルゲ に向 か っ て、証 拠 物 件 の 発見 と他 の構
成 員 の自 白 を語 り ま し た。 ゾ ルゲ が、 一九 三 三年 に 日 本 に来 て以 来 、 な
す べき あ ら ゆ る任務 を ほ と んど完 成 し た こと に、 多 く の安堵 感 を 持 って
私 は ソ ルゲ の自 白 の後 に発 見 し た こ とで す が、 ゾ ルゲ検 挙 の 一週間 前 、
い た こ とは 、私 の信 念 です 。 これ が第 四 の理由 です 。
った ので す 。﹁最 近 日本 入 た ち と の連 絡 が 切 れ たよ う に思 わ れ る 。 そ の
ゾ ルゲ とク ラ ウゼ ンと ド ・ブ ー ケ リ ッチが ゾ ル ゲ の家 に集 ま り、 語 り 合
理 由 を 知 り た い。 我 々が 日本 で し よう とし た諜 報 の仕 事 は 丁度 立 派 に完
った 。 ド イ ツが ソヴ ェト の攻 撃を 試 み た の で、 我 々は 日本 を 去 り ド イ ツ
成 し た と ころ だ 。 日本 が 、 この重 大 な 時 機 に当 って採 る行 動 を 我 々は識
意 味 で安 心感 を楽 し ん で いま し たが 、 日本 で の重要 な 仕 事 を 完成 し 、 彼
これ は そ の時 の会 話 だ った の です 。 ゾ ルゲ及 び そ の グ ルー プ は、 あ る
で モ スク ワ のた め の諜 報 の仕事 を さ せ て 欲 し いと 思 う﹂ と。
ら の使 命 を 成 功裡 に終 った こ とを 感 じ て い た のです 。
昂 奮 で、 ほ とん ど 一晩 も 眠 ら な か った、 と い われ る。 彼 が 自白 を な す に いた った経 過 に つい て、吉 河光 貞検 事 は、 次 の如 く 証 言 し て い
発 見 さ れ た証 拠 物 件 のう ち に は 点台 の無 線送 信 機 が あ り、 な お 、乱 数 表
受 け た さ い の、 自 己 の果 しう べき役 割 に期 待 し た か の ご とく であ っ
し、 日 本 の運 命 的 危機 に お い て、 日 ソ の政治 的 関 係 が著 しく変 化 を
い﹂ と申 出 た。 恐 ら く、 日米開 戦 後 の第 二次 世 界 大戦 の推 移 を 見通
でき るだ け 早 く調 べ て貰 いた い。 早く こ の こと の決 着 を つけ て欲 し
ゾ ル ゲ は自白 の覚 悟 を決 め てか ら は、 吉 河 検事 に 対 し、 い 事件を
九 五 一年 八月 二 十 日 ア メ リ カ 上院 治 安委 征 言 る 。 (一 い太 平 洋 問題 調 査 会 ﹂ (I P R) 五 〇 〇 ペー ジ ))
モリ ス︱︱ 一週 間 後 、彼 は な ぜ 自白 した の です か 。 吉 河 ︱︱ 彼 の自 白 に は 四 つ の理 由 が考 え ら れ ます 。 第 一に は、 多 く の証
とし て使 わ れた ド イ ツ統 計 年鑑 、 暗 号 文 、及 び原 稿 もあ り ま し た。 第 二
拠 物 件 が関 係 者 の検 挙 と同 時 に 発見 され た こ と です 。 ク ラ ウゼ ンの家 で
の 理由 は こ の構 成 員 の検挙 に つ い て、特 に 全 構 成員 が 一時 に逮 捕 さ れ た
った 。彼 はゾ ルゲ の知 己 であ り 、 か つてプ ロフ ィ ンテ ル ン書 記 長 で
た 。 と く に 一九 四 -年 独 ソ戦 開 始後 、 ロゾ フ ス キ ーが 外務 次 官 にな
は 、章 く も 一九 四六年 四 月 十 七 日開 か れ た対 日理 事 会 にお け る総 司
ゲ の救 出 に努 力 す る こ とを 信 じ て いた 、 と い われ る。 ゾ ルゲ は ﹁日
あ ろ う、 即 ち 日本 は フ ォー ムに お い てま た サブ スタ ン スに於 て民 主
け る 民 主 主義 国 家 に於 ても こ の程 度 の成 績 を 誇 り得 る も の は少 い で
ー ・ア ンド ・オ ネ ス ト ・ エレク シ ョ ンな り と 謂 う べく、 西 欧 にお い
選 挙 の状 況 を 説 明 し て ホイ ット ニー代 将 は 、 い今次 選 挙 は 正 に フリ
令 部 の ソヴ ェト代 表 に 対 す る態 度 に表 わ れ る 。 日本 の追 放 令 及 び総
本 の敗戦 は明 白 ﹂ と いう 見 通 し を係 官 に語 り、 日 本 の最 後 に お い て、
主 義 を 表 示 せ る も の と い い得 る﹂と述 べ てか ら 、﹁し か も自 由 に せら
あ った 。 ゾ ルゲ はそ の報 を 獄 中 で聞 き、 彼 が必 ず や 手 を打 ってゾ ル
は結 局 、 空 し い希望 に と どま った が 、 か つて 上海 の ヌ ー ラ ン事 件 の
れ た 国 民 は 日本 を今 日 の悲 運 に導 い た極 端 な る 右 翼 に も走 る こ とな
自 分 を 必 要 と す る と き が来 る、 と いう 信 念 を語 った りも し た 。 そ れ
さ い、 国 民 政府 に対 す る ソ連 の干 渉 に よ って、 ヌ ー ラ ンが 国 外退 去
た 朝海 浩 一郎 氏 は傍 聴 者 とし て次 のよう な 感 想 を 述 べ て い る。 ﹁理
のいず れ か であ ると 断 じ得 る ﹂ と論 じた 。終 戦 連 絡 事 務 局 長 であ っ
理 解 せ ざ る者 か 或 は 又 プ レジ ュデ ィ スのた め 盲 目 に せ られ て居 る か
く 、 さ れ ば と い って極 端 な る 左翼 に も雷 同 せ ず 、両 者 いず れも 排 撃
し て い る。 か か る明 白 な る事 態 を 見 ざ る者 はデ モク ラ シ ー の真 義 を
ゾ ルゲ事 件 と冷 戦
を 命 ぜら れ た -つの前 例 は、 ゾ ルゲ 手 記 ( ペ 一七〇 ージ) に示 さ れ てい る が、 こ の こ と は彼 の心裡 に 止 め ら れ て いた こと で あ ろう 。
5
一
指 し た であ ろ う 露 骨 な イ ンシ ニ エー シ ョンに驚 い て思 わず ソ連 代表
を 審議 す る と予 想 し てお った 日本 側 傍 聴 人 は 、 こ の米 側 の ソ連 を 目
事 会 に於 ては 四 国 が 相 当友 好 的 雰 囲 気 の下 に 外交 的 辞 令 を 用 い て事
表 す る資 本 主 義 的西 方 と、 ソ ヴ ェト の代表 す る共 産 主 義 的 東 方 と が、
席 を見 て息 を 呑 んだ 次 第 で あ る。﹂( 郎 昭和 い 報 二告 十書 一 年 集録 八﹂ 月( 、 そ 朝の 海一 浩 )一)そし て、
冷 戦 と は、 イ デ オ ロギ ー聞 の闘 争 であ り、 そ れ は、 ア メ リカ の代
世 界 征 覇 を 争 って、 地 球 の スタデ ィ ア ムで相 互 に闘 争 す る戦 いな の
こ の委 員 会 に お い ては 世界 の外交 関 係 を 如 実 に反 映 し つ つ、 対 日管
一九 四 六年 一月 四 日 、総 司令 部 に より 公 職 追放 令 が公 布 され 、 特
二
ロー ビ ー と の暗 闘 を背 景 に お い て、 ゾ ルゲ事 件 の再 評 価 が は じ ま る。
のホ イ ット ニー にし てし か り、 そ の対 抗 的 派 閥 と さ れ る G 2 のウ ィ
理 を め ぐ って意 見 の対 立 を ぜ ん じ鮮 明 にし てゆ く こ と とな る。 G S
であ る。 (モレー) そ れ は、 一九 一七 年 十 一月 七 日、 地 上 にお け る ソ ヴ ェト国 家 の生 誕 と 同時 に始 まる 。第 二次 大 戦 後 の ﹁冷 戦 ﹂ は、 一 九 四 五年 春 、解 放 さ れ たポ ー ラ ンド 臨 時政 府 の構 成 を め ぐる東 西 の く いち が いを いと ぐ ち と し、 -九 四 六 年 三 月 五 日 チ ャー チ ルに よ る フ ル ト ンで の ﹁鉄 の カ ー テ ン﹂ 演 説 で本 番 に 入 る の であ る 。
日本 占 領後 、 日本 管 理 を め ぐる 米 ソの角 逐 の調 子 、 異 常 な違 和 感
前 資 料 は ほ と ん ど焼 却 さ れ る か、 ま た は 深 く秘 匿 され て、 人 の触 れ
己 の追 放 理由 を提 示 す る こ と にな る ので、 この時 期 にお いて は、 戦
が 解 体 さ れ る 。 思想 警 察 関 係 者 に と って、 ゾ ル ゲ事 件 の資 料 は、 自
追 放 さ れ る こと に な った。 一九 四 七 年 十 二 月 に は、 内 務 省 そ のも の
高 警 察 関 係 者 で、ゾ ルゲ事 件 の処 理 に主要 な役 割 を演 じた 者 も 公 職
の法 律 的資 料 を求 め ら れ、 調 書 の写 し 及 び現 存 ゾ ルゲ 手 記 の 一部 に
吉 河 は こ のと き、 ウ ィ ロービ ー の同伴 し た法 律 専 門家 よ り、 事 件
て いた と き で あ る。
ま さ に朝 鮮 事 変 勃 発 の前 夜 、 占領 政 策 は大 きな 転 換期 に さ し かか っ
ウ ィ ロー ビ ー、 吉 河 の会 見 の行 わ れ た の は、 一九 四九 年 春 であ り 、
河 を呼 べと指 令 した が 、 そ れ に は G S の諒 解 を 必要 と し た。 そ し て
に述 べ て いる 。
タブ ナ ー委 員 よ り、 吉 河 光 貞 氏 と の関係 に つい て問 われ 、次 のよう
五 一 のち に、 米 非米 委 の聴 問 会 (八一九・二 )に お い て 、 ウ ィ ロ ー ピ ー は 、 二
九、資 料 解 説 Ⅷ頁
・二 ・ 一
る と ころ と な ら な か った。
つ い て語 り 、 そ れ に つい て供 述 書 を 提 出 し て い る 。 ( 一九
四九
連 合 軍 司令 部 は、 占 領 の当 初 にお い て司 法省 刑 事 局 刊 ﹁ゾ ルゲ 事
に全文 収録
)
資料 解説)を 入 手 し、 民 間 情 報 局 (C I S)のデ イヴ ィ 件 資 料 ﹂ Ⅰ Ⅱ (Ⅷ 頁参照
四 六 年 の初頭 であ った 。 G 2 の ウ ィ ロー ビ ー が関 心を 持 ち 、 ゾ ルゲ
ス大 佐 は そ れ を 基 と し て報 告 書 を ワ シ ン ト ンに送 った。 それ は 一九
事 件 関 係 者 の監視 を は じ め た のも 、 一九 四 六年 で あ る。 一九 四 七 年
タ ブ ナ ー︱︱ ウ ィ ロービ ー将 軍 、 あ なた は吉 河 光 貞 と お知 り合 いな ので
十 二 月 十 五 日 に は、 司 令 部 の定 期 報 告書 と し て ﹁ゾ ルゲ ・スパ イ ・ リ ング︱ ︱ 極東 に お け る国 際 諜 報 の ケー ス ・スタデ ィ﹂ が ワ シ ント
すか?
あ つく 、 そ の推 挽 を受 けた とも 云 わ れ る が、 第 二次 吉 田 内 閣 の法 務
った 。 吉 河光 貞 は、 す で に東 京 地 検 の渉 外部 長 と し て G HQ の信頼
ゾ ルゲ事 件 に つい て反 対 訊 問 を進 め よう とし て、 ウ エ ッブ 裁 判 長 、
スド ル フ証 人 がゾ ルゲ 問 題 に触 れ、 大 島 担 当 のカ ニンガ ム弁 護 人 が、
大 使 大 島浩 の弁 護 段 階 に入 って いた。 こ の とき 、 喚 問 さ れ た ペ テ ル
これ よ り さ き、 一九 四 八年 一月 、 極東 国 際 軍 事 裁判 は 、駐 ド イ ツ
三
喜 ぶ も の です 。
当 委 員 会 に彼 の出 席 をえ 、 一般 的 な 前提 に つい て彼 の証 言 を え た こ とを
は 政 府 の仕 事 に長 い間 従 っ てお り 、 優 れ た 日本 の法 律 家 で あ り ま し て、
ウ ィ ロー ビ ー︱︱ そ の通 り 。 数 年間 ず っと つづ い てそ う で あ り ます 。 彼
ンに 送 ら れた 。 ア メ リ カ陸 軍 の諜 報 研究 の教 材 用 と し て配 布 さ れ る こと を 、 目的 と した も の であ る。 G 2 は、 事 件 の資 料 源 を探 る努 力 を つづ け て いた。 そ の関 係 者 た ちを 探 索 し た が 、 容 易 に見 出 さ れ な か った 。 そ れ ら は追 放 該 当 者 で あ る こと が 明白 な の で、 日本 政 府 の関係 者 が、 官 僚 の職 業 的 習 性 の た め に敢 え て、 語 ろ う とす る者 がな か った か ら で あ る。 しか し 、 つ
総 裁 殖 田 俊吉 の就 任 と とも に、 一九 四 八年 十 一月 三十 日 よ り特 審 局
いに 彼 ら はゾ ルゲ担 当 の検 事 が、 特 審 局 長吉 河光 貞 であ る こと を 知
長 に抜 擢 さ れ、 司 令 部 の G S の監 督 下 にあ った の であ る。 G 2 が吉
って、 引 用 し よ う。
ワ シリ エフ ソ連 側 検 事 と の間 で論戦 が交 わ さ れ る。 そ の状 況 を、 極 三 六 四 ・三六 五 号 一五 東国際軍事裁判速記録 (四 )に よ 八 ・ 一・二 八︱ 二九
せ ん。 ゾ ルゲ が ど こか の国 で、 あ る いは ソビ エ ット の ス パイ で あ った
と いう こ とは 決 定 さ れ て お り ま せん 。 そ し て 弁護 人 は こう いう こと は
し か し こ れ だけ は、 は っき り さ せ て お かな け れば な り ま せ ん 。
口に でき な いと 思 い ます 。
わ せる と いう こと を阻 止す る こと は で き ま せ ん。 も しそ れが わ れ わ れ
私 は わ れ わ れ が こ こ に代 表 し てお る わ れ わ れ の国 々に対 し て、 何 か 言
裁 判 長 証 人 ペ テ ル スド ル フを 喚 問 し てく だ さ い 。 (中 略 )
の国 を 侮 辱 す る こ と であ ったな ら ば 、 そ れ は許 す こ とは で き ま せ ん が 、
ワ シ リ エフ検 察 官
か り に わ れ わ れ の国 々 に対 し て不 利 な こと を 言う と いう こ とを 、 わ れ
さ て、 私 が こ れ か ら証 明 せん とす る こと は 、 こ の
証 人 がす で に モ ス コー に お い て証 言 し てお り ま す よ う に 、彼 の情 報 は
カ ニ ンガ ム弁 護 入
ゾ ルゲ か ら出 て いた のだ と い う こ とを 言 っ てお り ま す が 、私 は裁 判 長
いず れ か に対 し て不 利 であ った に し ても 、 そ れが わ れ わ れ の審 理 に関
係 あ る場 合 は、 そ れ を 阻 止 す る こ と は でき ま せん 。 但 し侮 辱 は許 さ れ
わ れ は 阻 止 す る こ と は でき な いの で あ り ます 。 か り に わ れ わ れ の国 の
ぬ の であ り ま す 。
が 私 に機 会 を 与 え て下 さ る な ら ば、 ソ ル ゲ は こ の証 人 が そ の情 報 を も
え ら れ た出 所 であ り 、 そ し て オ ット大 使 は ゾ ルゲ に対 し て、 ドイ ツか
ワ シリ エフ検 察 官
ら って い たそ の情 報 の出 所 で あ り、 ま た同 時 に オ ット 大使 が情 報 を 与
ら来 た電 報 の内 容 ま で 見 せ て お った ほど の人 間 で あ り 、 し かも 同 人 か
さ れ て おり ま す 。 で 、 あ り ます から 、 弁 護 側 は 、 こ の男 が ロ シア あ る
聞 か ら の抜萃 を 提 出 し よ う と い たし ま し た 。 し か し こ れ は法 廷 で 却 下
私 は 、 弁護 側 が こ のゾ ルゲ に関 す る裁 判 、 日 本 新
ら助 言 ま で 聴 取 し て い た 人間 であ る 。 す な わ ち ゾ ル ゲ は歴 史 の上 で最 も 悪 名 高 き ロ シ アの スパ イ の 一人 であ る と いう こ と を は っきり さ せ た
あ りま す 。
私 は決 し て 、 ソ連 に 対 し て純 粋 な る侮 辱 を 与 え る つ
お った の であ り ま し て 、 こ れ に は三 箇 国 の運命 が かか っ てお った の で
使 館 か ら出 し てお った と こ ろ の情 報 と いう も の は、 三箇 国 が 依 存 し て
も り で はな い ので あ り ま し て 、 こ のリ ヒ ア ルト ・ゾ ル ゲ が ド イ ツの 大
カ ニン ガ ム弁 護 人
す。
い は そ の他 の国 の スパ イ で あ る と いう 嫌 疑 を も って いな い の であ り ま
い ので あ り ます 。
⋮ ⋮あ な た が正 確 な る 資 料 を受 け 取 ってお った と
ペ テ ル スド ル フ証 人 に対 し て、 カ ニンガ ム弁 護 人
ころ のリ ヒ ヤ ルト ・ソ ル ゲ と いう 男 が 、 ロ シア の スパ イ であ る と い う
そ れ 以 上 言 わな い でく だ さ い 。
こ とを 発 見 し た のは い つであ り ま し た か 。 裁 判 長
私 は こ の質 問 に 対 し て 、 そ の形 式 並 びに そ の質 問
の本 質 に お い て 、異 議 を 申 し立 てま す 。 この質 問 の本 質 にお いて は 、
ワ シ リ エフ検 察 官
カ ニンガ ム弁 護 人
裁 判 長
これ は決 し て漠 然 た る言 明 では な い ので あ り ます 。
そ れ を 確 立 で きな け れば 、 言 わ な い で下 さ い。
こ れは 審 理 に 何 ら 関係 の な いも ので あ り 、 ま た 、宜 誓 口供 書 のわ く 外
そ れ は あ な た は事 実 の陳 述 と し て 言 う権 利 が な いも の であ り
ます 。 あ な た は 決 し て そ れを 立 証 す る こと は で きな いで し ょう 。
裁 判 長
い い加 減 な 言 明 で はな い の であ り ま す 。
に出 る も ので あ り ます 。 今 こ の質 問 に 用 い ら れ ま し た形 式 は 、 この 法 廷 に代 表 さ れ てお り ます 一国 に対 す る 攻 撃 の試 み であ り ま す 。 そ し て
ルゲ が スパ イ で あ った か どう か とい う こと は 、 ま だ決 定 さ れ てお り ま
私 は こ れ に対 し て、 厳重 な る異 議 を 申 立 てま す 。当 法 廷 にお い ては ゾ
カ ニ ンガ ム弁 護 人
私 は こ の言 明 を 、 こ こ にお い て裁 判 所 が希 望 す る
て、 こう い う こ とを す る こ とは 、希 望 さ れ て いな い と思 いま す。 し か
な ら ば援 用 い た し ても よ ろ し う ご ざ い ます が、 し か し この 時期 にお い
ジ
)
し 、 私 は 、 今 の 言明 の基 礎 に な った 三 つの 文書 を ごく 簡 単 に 申 し述 べ る こと が で き ます 。
こ の応酬 に お いて、 ソヴ ェト の検 察 官 がゾ ルゲ問 題 に触 れ る のを 一ぺー
非米 委 証言記録
拒 否 し た こ と は 、 G 2 の ウ ィ ロ ー ビ ー の 注 目 を ひ き 、 ( 一一八
一九 五 一年 八 月 二 十 三 日 の非 米 委 の証 言 に お い て、 ﹁極 東 国 際 軍事
)
、一
裁 判 にお け る ゾ ルゲ 事 件 ﹂ と いう 書 証 を 提 出 す る に いた って いる 。 上 記 把 記録 (
二〇 四 ペ ー ジ
四 一九 四 八年 は 二月 のチ ェ コス ロヴ ァキ ア の共 産党 クーデ ー タ、 四 月 の ソ連 に よ る ベ ルリ ン封 鎖 で、 冷戦 が大 きな ピー クを 示 し た年 で あ る 。 モ スク ワ の ア メ リカ 大使 館 員 は、 ソ連 側 から諜 報容 疑 の告 発 を受 け た た め、 駐 ソ米 大 使 ベデ ル ・ス ミ スは、 ゾ ルゲ 事 件 の公表 に よ って対 抗 し た い意 向 を 示 し 、 そ のた め米 国 務 省 は 、 マッカ ー サ ー 司 令 部 に対 し、 電 報 で公 表 を 要 求 し てき た、 と いう 。 これ が 六 月 二 十 日 であ り、 公 表 に同 調 す る 返 電 を 司令 部 が発 した のが 十 二 月九 日、 明 け て 一九 四 九年 二月 十 日、 ア メリ カ 陸軍 省 のゾ ルゲ 事 件 公 表 と い う 運 びに な る。 一九 四 九 年 二 月 十 一日 の朝 日 新 聞 に よ れ ば、 二月 十 日 ア メ リカ陸 軍 省 は極 東 にお け る国 際 スパ イ事 件 に 関 す る米 極 東 軍 司 令 部 の報 告
(コ ー ネ ル 報 告 ) を 発 表 し た 、 と 。 ア メ リ カ 陸 軍 省 は 、 こ の 発 表 に
関 し て 、 ﹁こ れ は 米 国 内 の ス パ イ 活 動 に 注 意 せ よ と 警 告 す る こ と を
こと を指 摘 し、 共 産 主義 に 同情 を示 す 米 国 人 を警 告 す るよ う ﹂ 告 げ
目 的 と し た も の で 、 共 産 党 の シ ン パ は 容 易 に 第 一級 の ス パ イ と な る
て い る 。 こ の 発 表 の う ち で 、 ア グ ネ ス ・ス メ ド レ ー と ガ ン サ ー ・ ス
タ イ ンの名 が挙 げ られ た 。 ス メド レ ー は即 日 撤 回 を要 求 し、 スタ イ
ンは U P 記 者 に 対 し 電 話 で 、 報 告 の該 当 人 で あ る こ と は 認 め た が 、
公 表 に つ いて意 見 を 述 べる こと は拒 否 し た。
ウ ィ ロー ビ ー は こ の点 に つ いて 、次 のよう に述 べる。
﹁三年 も待 った末 に 、 陸 軍 省 は事 件 の ほ ん の小 部 分 だ け 発表 し た。 そ れ
は 一夜 に し て ジ ャ ー ナリ ズ ム の セ ンセ ー シ ョンに な った 。新 聞 は東 京 司
ワ シ ント ンは そ の発 表 を 拒 否 し た こと を 、東 京 司 令 部 は 知 った が、 容 易
令 部 に よ って の み可 能 であ る 詳 細 の発表 を待 機 し て いた 。 突 如 と し て、
当 時 の 無 線 通 信 に よ って 、 そ れ を 見 よ う 。
に信 じ難 い こ と であ った﹂ と。
突 如 た る逆 転 !
ワ シ ント ン、 二 ・二 〇 (I N S ) 軍 公 報 部 は ア メ リ カ の作 家 、 ア グ ネ
ス ・ス メ ド レ ーに ロシ ヤ の スパイ の罪 を 負 わ す こ と は不 正 で 誤 り であ る
こ とを 、 土 曜 日、 言 明 し た。 ア イ ス タ ー大 佐 は 言 った ﹁公 報 部 は スパ イ
告発 を 立 証 す る 証 拠 を持 た な い。 報 皆 は 日 本 警察 の情 報 に 基 く も の で、
そ の旨 を 公 表 せ ね ば な らな い。 主 張 を 実証 す る証 拠 が 存 在 す る と し ても 、
部 内 にお け る ミ スで あ った。 発 表 の仕 方 が間 違 って いた 。 具体 的 な 名
そ れ は我 々 の手 中 に は な い の であ る 。
ニ ュー ヨー ク では スメ ド レー 女史 は直
前 は 発表 さ る べ き でな く、 非 難 さ る べき でな い。 ワ シ ント ン、 二 ・ 一九 (U P) ち に嫌 疑 を ﹁卑 劣 な嘘 言 ﹂ と呼 び、 ま た軍 の報告 公 表 の方 法 を批 判 す る
後 にな る こ とを希 望 し た。 彼 女 は、 マ ッカ ーサ ー元 帥 に対 し、軍 人 の不
と述 べた 。デ ト ロイト で は、 スメ ド レー の弁 護 士 ジ ョン ・ロ ッジ が誇 張
可 侵 特 権 を放 棄す る こと を求 め、 そ し て彼 女 は 彼を 名 誉毀 損 で告 発 す る
し て言 った。 ⋮ ⋮ まず 我 々は マ ッカ ーサ ー が彼 の司 令 部 の内 部 か ら出 た
ば、 我 々は告 発 し よう とし て いる わけ で あ る から 、彼 は ニュー ヨー クで
報 告 に つい て責 任 を負 う か どう か知 りた い と思 う 、彼 が そ う欲 す るな ら
他 の人 々も あ る。 公 報 部 員 アイ スタ ー大 佐 は言 った、﹁ア メ リカ 人 がそ の隣 人 たちを 相 互
こ の劇 的な デ ィレ ン マか ら ロ ッジを 救 ってや る た め、 直 ち に私 は ラジ
とす る の は マ ッカ ーサ ーであ る 。﹂
ィ ロービ ーを 告 発す る か ど うか決 め た い。 スメド レ ー女 史 が告 訴 し よう
弁護 士を 依頼 し た ら良 い。我 々は マ ッカー サ ーか ら返 答 を え た のち、 ウ
に猜 疑 心 で見 る こと に なる で あろ う よ う な要 素 を含 む 哲学 によ って、 こ の報 告 は 発表 さ れ て は な らぬ 。﹂⋮⋮ ﹁そ の証 拠 を我 々が持 ってい な い の
る の は、 ア メ リ カ陸 軍省 のや り方 では な い。 証 拠 なく し て 人民 を侮 辱 す
オ放 送 で 私が 積 極的 意 向 を も って告 訴 に応 ず る こと、 も ち ろ ん証 拠 は公
に 、 ス メド レ ー女 史 に ついて な さ れた よ うな 事実 を 述 べた文 書 を発 表 す
いが許 され な い こ とは 、 ア メリ カ司 法 部 の衆 知 の方 針 で あ る。﹂
る のは政 府 のや り方 では な い。有 罪 の判 決 を受 け る ま で、 個 人 の罪 人扱
表 さ れる であ ろ う、 と述 べた。 そ こ では 、
影 響 を 持 た せよ う と し た のであ る 。﹂ 彼 は言 った ﹁報 告 は そ の安 全 の 含
な 例 証 を与 え よ う と し てや った こと であ り 、彼 ら 自 ら の意 見 に効 果 あ る
び ワ シ ント ンの軍 情報 部 への直 接 送 付 に つ いて は私 の責 任 で あ る。 これ
情報 部 長 と し て の私 の指 令 に よ って な され た も ので あ り、 そ の準 備 お よ
的記 録 を 照合 し 、綿 密 に 検討 さ れ たソ ルゲ諜 報 の報 告 は、東 京 司 令 部 の
﹁⋮⋮ 日 本占 領 の初 期 に お い て、日 本 で発 見 され た裁 判 所 関係 およ び公
アイ スタ ーは 、 こ の報 告 は東 京 の情 報 係将 校 ら (G2 を指 す )によ って
意 にお い て発 表 さ れ、 あ る部 分 は 抹消 さ れ て い た。 だ が、 真 の公 共 的見
用 意 さ れ たも ので 、 か つ ﹁こ の こと に携 わ った若 い同僚 たち が、 教 訓的
地 か ら ま とめ ら れ て は いな か った の であ る 。﹂
いな い ︿ 秘密﹀ 文 書 であ った。 そ の内容 の範 囲 は、 当 地 でえ ら れ るあ ら
は 軍事 情 報 の 目的 に の み限 ら れ、 一般 発表 用 に書 か れ ず ま た意 図 し ても
﹁私 は こ れに 関す る ど ん な責 任 をも 完 全 に受 け 入 れる 。 法的 であ ろう と
少 な く為 し た とす れ ば 、義 務 にも とる こと とな ったで あ ろう ⋮ ⋮﹂
公 安 調 査機 関 に と って は普 通 の こ とで あ る。 当情 報 部 が 、 こ の点 でよ り
ゆる 情報 を 包含 し、 そ れ から引 き出 し う る批 評 と推 論 を ふく ん で いる が 、
彼 は この誤 謬 を な し た個 人を 処 罰 す る計 画 に つ いて は知 ら ぬ と答 え た が 、 かか る誤 謬 が 再 び起 ら な い よう ﹁断 乎 た る手 段 を と る﹂ と述 べた。
つ づ い て 、 ウ ィ ロ ー ビ ー の記 述 に よ っ て 、 こ の の ち の 経 過 を 辿 る
なか ろ う と、 為 さる べく また 望 ま れる 行動 に つい ては 、私 の有 す る特 権
﹁ア グネ ス ・スメ ド レー は、 軍 が彼 女 の名前 と名 声 を ば無 法 で 誤 った 告
在 を強 調す る こ の機 会 を え た こと を、 む し ろ喜 びと す るも の で あ る 。﹂
いる 破 壊的 組 織 のう ち に 、 ア メリ カ文 明 を脅 か し て いる 潜在 的 危機 の存
カ市 民 と し て、 わ れわ れ の自 由 な制 度 の背 後 に かく れ、 ま た守 護 さ れ て
こ と に す る 。 (ShanghaiConspia r cy, P.245 ︱)
発 か ら救 った こと に つい て、 感 謝 の意 を 表明 し た。 彼 女 は アイ スタ ー少
をも 放 棄す る 。私 は情報 担 当 官 と し て のみ でな く、 よ り根 本 的 に ア メリ
佐 の言 明が 、 ま ず誹 誘 し、 ︱︱ あ と で調 査す る と いう よ う なや り 方 の最
云 々。
こ の 声 明 は 二 月 二 十 一日 行 わ れ た 。 こ れ は ウ ィ ロ ー ビ ー に よ る 、 軍 公 報 当 局 へ の反撥 で あ った 。 こ の 烈 し い 挑 戦 は 、 日 本 国 内 に お い て は 、 さ ら に 、 ゾ ル ゲ 事 件 関 係 者 の監 視 や 、 資 料 の蒐 集 に 力 が 注 が
H ouse で 開 か れ た の は 、 六 月 八日 の こ
れ る こ と にな る。 そ し て日本 の警 察 関係 の協 力者 に対 す る 感謝 の招 宴 が 、 麹 町 一番 町 Sawada と であ る。
五 一方 、 日 本 共 産 党 は 、 二 月 十 日 、 朝 、 志 賀 義 雄 談 話 と し て 、 次 の よう に 発表 した 。
根 のことであ る。
四、参議院議員中西功が党員として関係していたというのも まったく無
て、非日委員会 のような反共 カンパ ニアを組織し、党 の信用と団結を
五、 いま日本の反動勢力を代表する吉田内閣がこうしたう わさを利用 し
はか いする謀略をはかるであろうとは、す でに昨年 から識者 の予想 し
ていた ところである。日本共産党は、まためざめ つつある人民大衆 は、
こうした陰謀とあくまでたたかって、 これを粉砕するであろう。
従 来 、 日 共 の側 から 見 ら れ たゾ ルゲ事 件 の評 価 、例 え ば ﹁尾崎 秀
実 氏 とそ の国際 的 な 同 志 た ち とは 、 日本 の軍 事 権 力 が最 後 の のたう
ち で最 も 悪 逆 にな り狂 暴 と な った そ の時 期 の犠 牲者 であ った のであ
る。﹂ ( 宮本百合子)﹁尾 崎、 ゾ ルゲ 事件 は軍 閥 の陰 謀 で は な い。 ⋮⋮
事 件 は軍 閥 が で っち あ げ た虚 構 な ので はな い。尾 崎 が 国 内 の政 治 ・
それ も 過 失 によ る ので はな い。 明 ら か に彼 は さ う しよ う と思 って、
経 済 乃 至 軍事 上 の秘 密 をゾ ルゲ に 通報 し た こと は事 実 な のであ る。
さ う し た の で あ る 。﹂ (松本 慎 一)(以 上 二 つ の引 用 、 尾崎 秀 実 ﹁愛情 は)のよ う ふ る星 の ごと く ﹂ 一九 四 六 年 に よ る
一、﹁ゾ ルゲ ・尾 崎 事 件 ﹂は 、日本 帝 国 主 義 の特 高 的 憲 兵警 察 制 度 が ナ チ ス ・ド イ ツ政 府 と むす ん で 、 い か に反 共 、反 ソ宣 伝 に う きみ を や つし
な 積 極的 な評 価 は 、 こ の志 賀 談話 以後 消 え 去 り、 も っぱ ら ウ ィ ロ ー ビ ー の宣伝 に乗 るな と いう 要 請 か ら、 事 件 そ のも の の内 容的 判 断 を
﹁ソ連 と通 謀 し て ス パイ行 為 を 働 いた か どに よ り太 平 洋戦 争 中 、
外 電 は次 の よう に報 じた 。
を 解任 さ れた ウ ィ ロー ビ ー少将 に喚 問 状 を送 った 。 そ の理 由 と し て、
米 下院 の非 米 活動 委 員 会 は 、 一九 五 一年 五月 九 日、総 司令 部 幕僚
六
回 避 す る空 気 に変 ってく る。
て い た かを も の が たる 典 型的 な 実 例 で あ った 。 二 、 日本 共 産 党 は こ の事 件 に な ん ら の関 係 もも った こと は な い、 す で に 一九 四 五年 十 月 以来 、 党 は 事件 の真 相 の究 明 にあ た って 、そ れ が ま す ます は っき り し た。 軍 閥 政府 は虐 殺 し た 死 人 に 口な き を利 し 、 か れ ら の ひぼ う の みを 作 文 し て残 し た 。 三 、党 中 央 委 員伊 藤 律 が この事 件 に関 係 が あ った とい う う わさ も 、す で に 一九 四 六年 三 月、 厳 密 に 調査 を す す め た結 果 、 当 時 の特 高 に固 有 の 邪 悪 な 謀 略 と妄 想 と功 賞 を も とめ る た め の作 文 に も と づく も の であ る こ とが わ か った。 か れ は 北林 とも と い う婦 人 とは な ん ら組 織 上 の連 絡 はも た な か った 。
東 京 で 処 刑 さ れ た 元 駐 日 ド イ ツ 大 使 館 員 リ ヒ ャ ル ド ・ゾ ル ゲ の 裁 判 記 録 が 米 占 領 軍 に 押 収 さ れ 、 そ の 中 で 東 洋 で ソ連 の た め に 活 動 し た 米 国 人 の 氏 名 が 含 ま れ て い る と の報 道 に 基 づ く も の と 解 さ れ る 。﹂
ゾ ル ゲ 事 件 が 取 上 げ ら れ て い る 。 (I nstitute of Pacific R elation,
M onday, A ugust 20, 1951,T esti m ony of M i tsusada Y oshikawa.
村 国 警 次長 、 吉 河 光貞 特 審 局 長 、吉 橋 敏 雄 特 審次 長 )四 名 は、 ア メ
上、 下 院 にお け るゾ ルゲ事 件 への関 心 は、 さ き に ペ ンダ ゴ ンに よる
であ る。 いわ ゆ る検 察 の目 の世 界 的 な共 通 性 を感 じさ せ る。 こ れら
この記 録 に 示 さ れた ゾ ルゲ事 件 の評 価 は、特 高 解 釈 のリ フレ イ ン
P.499-511)
リ カ の 公 安 体 制 ・治 安 体 制 視 察 の名 で 、 渡 米 し た 。 対 日 講 和 条 約 締
発表 が腰 を 折 ら れ、 問 題 が不 発 に終 った ため で あ る、 とい わ れる。
(西 村 直 已 国 警 長 官 、 柏
結 の直 前 であ る。 ア メリ カ下 院 で非 米 委 に出頭 す る よう 招 喚状 が吉
反 共 の国 内体 制 のた め の心理 的準 備 は こう し て着 々 とと と の えら
一九 五 一年 六 月 、 日 本 の 公 安 関 係 実 務 家
河 光貞 氏あ て に出 さ れ、 吉 河 氏 は、 招 待 者 であ る国 防 省 と相 談 の上 、
れ、 ア メ リカ が偉 大 な自 由 の伝統 を自 ら骨抜 き にし 、城 塞 国 家 の病
とと も にゾ ルゲ 事件 に関 す る 証言 が求 め ら れ、 詳 細 な事 実 聴 取 が 行
ら れる ので ある 。
的 な メ カ ニズ ムに自 ら の運 命 を任 し てゆ く過 程 の 一コマが こ こに見
出 頭 し た 。 渡 米 自 体 、 据 え 膳 の感 じ で あ る が 、 こ こ で ウ ィ ロ ー ビ ー
わ れ た 。 ま ず 秘 密 会 で 証 言 、 こ の 記 録 全 文 は 、 ペ ン タ ゴ ン、 F B I、 C I A、大 統 領 な ど に収 蔵 さ れ、 公 開 さ れ な い。 記 録 のう ち、 証 言 者 に よ り、 日本 国 のイ ンタ レ スト に支 障 あ り と認 め ら れ た個 所 が 削
R ic hard Sorge Sp y Case.(Hear ingbefore the
除 さ れ た 上 、政 府 よ り 刊 行 さ れ た 。 こ れ がHearingson Am erican Aspect s of the
Com m ittee on Un-Am eri can Activities,H ous e of Representati ve, Eig hty-Second Congress, First Session,August 9,22, and23,1951.(U.S.G overnm entPrinti ng O ffi ce ,W ashington, 1951) (P.1130-1255) で あ る 。 こ れ は 、 も っぱ ら ア メ リ カ の イ ン タ レ ス ト の 点 か ら の 質 問 に 特 徴
P R (太 平 洋 問 題 調 査 会 ) に つ い て の 聴 問 会 が 開 か れ て お り 、 そ れ
が あ る 。 こ の時 期 、 米 上 院 に お い て は 国 内 治 安 分 科 委 員 会 に よ る I
る動 き と関 連 し て い た。 こ こに お い ても、 吉 河氏 の証言 が求 め ら れ、
は 、 ア メ リ カ 国 務 省 に お け る オ ー エ ン ・ ラ テ ィ モ ア の勢 力 を 排 除 す
編 者略 歴 小 尾 俊 人 <おび ・としと> 元みすず書房編集部.
現代 史 資料
1
ゾル ゲ事 件 1 小尾俊人編
1962年
8月30日 第 1刷 発 行
1996年
8月31日
第 9刷 発 行
発 行 者 小熊 勇 次 発行 所 株 式 会 社 み す ず書 房 〒113東 京都 文 京 区 本 郷 5丁 目32-21 電 話 3814-0131(営
業)3815-9181(編
本 文 印刷 所 三 陽 社 扉 ・口絵 ・函 印刷 所 栗 田印刷 製 本 所 鈴木 製 本 所
〓 Misuzu Printed ISBN
Shobo
1962
in Japan
4 - 622 - 02601 -5
落 丁 ・乱 丁 本 は お 取 替 え い た し ま す
集)