シリーズ〈日本 語 探 究法 〉小池清治=編集 6
文体探究法 小池清治 鈴木啓子 [著] 松井貴子
朝倉書店
―編集 の ことば― 本 書 の 眼 目 は,文 り ま せ ん 。15の
体 につ いて の言 語事 実...
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シリーズ〈日本 語 探 究法 〉小池清治=編集 6
文体探究法 小池清治 鈴木啓子 [著] 松井貴子
朝倉書店
―編集 の ことば― 本 書 の 眼 目 は,文 り ま せ ん 。15の
体 につ いて の言 語事 実の 記述 に ある ので はあ
事 例 研 究 を 通 し て,文
体 探 究 の 方 法 を 体 得 して
も ら う こ と に 眼 目が あ り ます 。 そ の た め に,次
の ような構 成 を と
っ て い ます 。
1.タ
イ トル :日常 の 言 語 生 活 に お い て 疑 問 に 感 じ る 言 語 事 象 を,平
2.【
】
易 な 疑 問 文 の 形 で 提 示 し ま した 。
:卒 業 論 文 作 成 の 参 考 と な る よ う,共
通 点 ・標 識
等 を提 示 し ま し た。 3.キ ー ワー ド:事 例 研 究 を す る う え に お い て,重
要 な用語 をキ
ー ワ ー ド と し て 提 示 しま した 。 4.本
文:レ
ポ ー ト,論 文 の 書 き方 の 一 例 と して,事
例研
究 を提 示 し ま し た。 5.発
展 問 題 :演 習 や レポ ー トの 課 題 と し て 利 用 され る こ と を 想 定 し て,ヒ
ン ト と な る 類 似 の 事 例 を い くつ か
例 示 し ま した 。 6,参
考 文 献:課
題 をこ なす上 で 基本 とな る文 献 を列 挙 しま し た 。 こ れ らの 文 献 を参 照 し,こ て さ ら に 拡 大 し,掘
れ らを端緒 と し
り下 げ る こ と を 期 待 し ま
す。 小 池 清 治
は
じ
め
に
―文体 の 定 義 な ど―
文 体 とは,メ 字 ・表 記)と
ッセ ー ジの 効 率 的 伝 達 を 考 え て 採 用 さ れ る,視 覚 的 文 体 素(文
意 味 的 文 体 素(用 語 ・表 現)と
に よ る 言 語 作 品 の装 い,ま
装 い 方 を い い ます 。 装 い 方 と は 書 き方 の こ と で,そ
た は,
の結 果が装 い です。 言語
作 品 に は,音 声 言 語 に よ る も の と,書 記 言 語 に よ る もの とが あ ります が,文
体
は,主 と して 書 記 言 語 に よる 言 語 作 品 に 関 す る もの です 。 な お,言 語 作 品 とは, 大 は百 科 事 典 の 全 巻,一
冊 の 小 説,一 編 の 報 告 書 等 か ら小 は 一 語 文 ま で の種 々
の段 階 に お け る言 語 的 ま と ま り,統 一 体 を い い ます 。 視 覚 的 文 体 素 と して は,漢 字(正 カ タ カ ナ,ア 数 字,ロ
字 ・略 字 ・俗 字),ひ
ル フ ァベ ッ ト,ギ リ シ ア文 字,キ
ー マ 数 字,振
らが な(変 体 が な),
リル 文 字,ハ
り仮 名 ・送 り仮 名 ・仮 名 遣 い,そ
ン グル,ア
れ に疑 問 符,感
ラ ビァ 嘆 符,
句 読 点 な どの 各 種 符 号 や 改 行 ・空 角 ・余 白,文 字 の 大 小 等 が 数 え られ ます 。 風景
山村 暮 鳥
純 銀 も ざい く いちめんの なのはな いちめんの なのはな
いちめんの なのはな
いちめんの なのは な
い ち め ん の な の は な
いちめんの なのは な
いちめんの なのはな
いちめんの なのはな
いちめんの なのは な
いちめんの なのはな
いちめんの なのはな
いちめん のなのは な
いちめんの なのはな
いちめんの なのはな
いちめんの なのは な
いちめんの なのはな
いちめんの なのはな
いちめんの なのは な
いちめんの なのはな
いちめんの なのはな
いちめん のなのは な
ひ ば りの お しゃべ り
や め るは ひ る のつ き
かす か な る む ぎぶ え いちめんの なのはな
いちめんの なのはな
い ち め ん の な の は な。
詩 人 山村 暮 鳥 の 『聖 三 稜玻 璃 』 中 の 一 編 で す 。 詩 人 は,菜 の 花 畑 の 明 る さ と ひ ろ や か さか ら得 た 感 動 を 「風 景 」 で伝 え た か っ た の で し ょ う。 「ひ らが な 」
の 連 続 が モ ザ イ ク 画 を 構 成 し,一
面 の 菜 の 花 畑 を視 覚 的 に 表 現 し て い ます 。
「ひ らが な 」 が 文 体 素 と して 有 効 に 機 能 して い る 例 と言 え ま し ょう 。 最 後 の 句 点 は 文 章 表現 の 穏 や か な完 結 を 意 味 して い ます 。 意 味 的 文 体 素 と し て は,言
表 態 度(モ
ダ リ テ ィー),話
し言 葉 ・書 き言 葉,
共 通 語 ・方 言,漢 語 ・和 語 ・外 来 語 ・外 国 語,古 語 ・新 語,完 語,雅 語 ・俗 語 ・隠 語 ・流 行 語,男 引 用 句,文
長,表
現 技 法(レ
録 ・記 録 ・日記等)な
言 葉 ・女 言 葉,老
トリ ッ ク ・視 点 等),ジ
全 語 形 語 ・省 略
人 語 ・幼 児 語,慣 ャ ンル(物
用 句,
語 ・小 説 ・実
どが 数 え られ ます 。
な お,す べ て の 単 語 は 指 示 的 意 味,文 法 的 意 味 と と も に文 体 的 意 味 を有 して い ます か ら,な ん らか の 言 語 表 現 をな せ ば,そ こ に は 必 ず 文 体 が 存 在 す る こ と に な り ます 。 宮 澤 賢 治 は 『銀 河 鉄 道 の 夜 』 『風 の又 三 郎 』 『注 文 の 多 い 料 理 店 』 な どの よ う に,散 文 にお い て は 童 話 を書 き,小 説 を書 い て い ませ ん 。 彼 が 書 きた か っ た の は,イ ー ハ トー ブ の ユ ー トピ ア で あ っ た の で し ょ う。 リ ァ リズ ム を前 提 とす る近 代 小 説 は 彼 の メ ッセ ー ジ を伝 え る媒 体 と して ふ さ わ し くな か った と思 わ れ ます 。 こ れ は 文 体 と して の ジ ャ ンル の 例 です 。
なお,第13章
は松 井 貴 子,第14章
は鈴 木 啓 子 が 担 当 し,そ の 他 は 小 池 が 担
当 し ま した。
2005年 8月
小池
清 治
目
次
第1章 ナ シ ョナ リズ ム が エ ク リチ ュ ー ル を 生 ん だ の か?
01
[書記 体 系 ・文 体]
第2章 『古 今 和 歌 集 』 「仮 名 序 」 は純 粋 な 和 文 か?
13
[和文 体 ・自立 的 文 章]
第3章 純 粋 な 和 文 と は ?― 『伊 勢 物 語 』 の 文 体―
24
[和 文 ・言 文 一 致 体]
第4章 『竹 取 物 語 』 は 本 当 に 『伊 勢 物 語 』 よ り新 しい の か?
36
[作 り物 語 の 文 体]
第5章 『土 佐 日記 』 は 「日記 」 か, 「物 語 」 か?
[平 安 朝 日記 の 文 体]
第6章 『枕 草 子 』 の ラ イバ ル は 『史記 』 か?
78
[三色捩 り棒 型 作 品]
第8章 『方 丈 記 』 は な ぜ カ タ カナ 漢 字 交 り文 で書 か れ た の か?
61
[三 色 弁 当型 作 品]
第 7章 『源氏 物 語 』 作 者 複 数 説 は 成 立 す る の か?
50
[カ タ カナ 漢 字 交 り文]
92
第 9章 『徒 然 草 』 の 文 体 は 明 晰 か?
105
[雅 文 体 ・和 漢 混淆 体 ・漢 文 訓 読 体]
第10章 『お くの ほ そ 道 』 の新 し さ を生 み 出 した もの は何 か?
[ま だ ら文 体 ・音 楽 的散 文]
第11章 二 葉 亭 四 迷 著 『新 編 浮 雲 』 は 言 文 一 致 か?
144
[言 文 一 致 体]
第12章 夏 目漱 石 は な ぜ レ トリ ッ ク に こ だ わ っ た の か?
124
158
[三位 一 体 の 作 品]
第13章 文 学 の 「写 生 」 は あ り得 る か?― 正 岡子 規 の 日本 文 学 近 代 化 戦 略― 174
[文 学 と語 学 ・レ トリ ッ ク]
第14章 鏡 花 文 学 は ど の よ う に 「国宝 的 」 な の か ?
189
[演 劇 的 文 体]
第15章 三 島 由紀 夫 は 何 に殉 じた の か?―
[文章 と文 体]
索
引
文体 の 悲 劇―
201
208
第 1章 ナ シ ョ ナ リ ズ ム が エ ク リ チ ュ ー ル を 生 ん だ の か? 【 書 記 体 系 ・文 体 】
キ ー ワ ー ド:倭,日
本,書
音,訓,複
記 体 系,文
体,ナ
シ ョナ リ ズ ム,エ
数 「訓 」,音 訓 交 用,漢
第 1期 ナ シ ョナ リズ ム 8世 紀 初 頭,国
ク リ チ ュ ー ル,音,訓,
語 和 語 混 交 体,漢
字 仮 名 交 じ り文
体 改 革 と 『古 事 記 』 の 漢 語 和 語 混 交
体 の創造 第 2期 ナ シ ョナ リズ ム 10世 紀 初 頭,国 等,和
風 文 化 勃 興 と 『古 今 集 』 「仮 名 序 」
文の創造
第 3期 ナ シ ョナ リズ ム 12世 紀 末 期,国
体 変 革(律
令 制 か ら封 建 制 へ)と
カ
タ カ ナ 漢 字 交 り文 第 4期 ナ シ ョナ リズ ム 13世 紀 後 半,「 元 冠 」 と ひ らが な 漢 字 交 り文 の確 立 第 5期 ナ シ ョナ リ ズ ム 16世 紀 末 か ら17世 紀 初 頭,印
刷 文 化 の 発 達,写
本
か ら版 本 へ 第 6期 ナ シ ョナ リ ズ ム 19世 紀 後 半,「 明 治 維 新 」 と言 文 一 致 体 の 創 造 第 7期 ナ シ ョナ リ ズ ム 1945年 終 戦,「 新 漢 字 ・新 仮 名 遣 い 」 昭 和 言 文 一 致
体 の開始 こ の よ う に,日 本 語 の 歴 史 に お い て,ナ 関 性 を 示 す 。 本 章 で は,第
シ ョナ リズ ム と文 体 と は不 思 議 な相
1期 ナ シ ョナ リズ ム と文 体 の 関 係 に つ い て 述 べ る。
『古 事 記 』 は 国 体 を 誇 示 す る もの と して 企 図 され た,中 史 書 で あ っ た。 した が って,本
文 は 漢 文(中
か る に 太 安 万 侶 は 勘 違 い を して,日 語)の
国語)で
国 人 に示 す た め の歴
書 か れ れ ば よか った 。 し
本 人 を想 定読 者 と して し まい,漢
中 に 日本 語 をは め 込 む 漢 語 和 語 混 交 体,結
文(中
果 的 に 漢 字 だ け を用 い た 「漢
字 仮 名 交 じ り文 」 を創 造 して し ま っ た 。 こ の こ とが 日本 語 の 書 記 体 系,文 在 り方 を決 定 づ け た 。
国
体の
1.8世
紀 の 初 頭,701年,国
8世 紀 以 前,日
本 は 中 国 や 朝 鮮 か ら 「倭 」 と称 され,ま
して い た 。 した が って,そ 西 暦82年
名 を 「倭 」 か ら 「日本 」 へ 変 更 し た こ と
頃,班
た 自 ら も 「倭 」 と称
の 頃,「 日本 」 は存 在 して い な か っ た こ とに な る。
固 に よ っ て 撰 述 さ れ た 中 国 の 歴 史 書 『漢 書 』 の 「地 理 志 」
に は,「 楽 浪 海 中 に倭 人 あ り。 分 か れ て 百 余 国 」 と あ り,西 暦432年
頃,范 曄
に よ っ て 撰 述 さ れ た 『後 漢 書 』 の 「東 夷 伝 」 に は,「 建 武 中 元 二 年 、 倭 の 奴 国 朝 賀 を奉 貢 す 。」 とあ る。 女 王 卑 弥 呼 につ い て 書 か れ て い るの は,陳 寿 撰 述 の 『魏 志 倭 人 伝 』 で,卑 弥 呼 は,西 暦239年
に 使 者 難 升 米 を明 帝 に 遣 わ し,「 親 魏 倭 王 」 の 称 号 を与 え ら
れ た と記 述 さ れ て い る 。 こ の よ う な わ け で,8 世 紀 以 前 の わ が 国 は 「倭 」 と し て,長
い歴 史 を 重 ね て い た こ とが 明 白 な の で あ るが,8 世 紀 の 初 め,突 然 わ が
国 は 「日本 」 と名 乗 る よ う に な る。 そ の 間 の事 情 は 劉〓(り した 『旧 唐 書 』(945年 成 立)の
ゅ う く)ら が 奉 勅
「倭 国 日本伝 」 で 次 の よ う に述 べ ら れ て い る 。
日本 国 は 倭 国 の 別種 な り。 そ の 国 日辺 に在 る 故 を もつ て 日本 と為 す 。 あ る い は 言 ふ 。 倭 国 自 らそ の 名 の 雅 な ら ざ る を悪 くみ て 日本 と改 め 為 す と。 あ る い は言 ふ。 日本 は 旧小 国 、 倭 国 の地 を併 す と。 これ は,大 宝 元 年(701)正
月 に 発令 され,翌 年 6月 に 出発 し た 第 9次 遣 唐 使
(一 行 の 一 員 に 「少 録 」 と し て 山 上 憶 良 が い た 。)が,報 名 を変 更 す る 旨,伝
告 の 一 つ と して 国
え た こ と に 関 す る記 述 で あ る 。 変 更 の 理 由 の 一 つ と し て,
『旧唐 書 』 は 「倭 」 の 名 が 優 雅 で な い か ら とい う理 由 を あ げ て い る 。 「倭 」が,な ぜ 「雅 」 で ない の か,い
ま一 つ 明 瞭 で は な い が,一 説 で は,「 倭 」
は 「矮小 」 の 意 を含 意 す る の で,こ れ を嫌 っ た た め か と して い る 。 国 名 変 更 の 理 由 が 本 当 に 上 の よ うな もの で あ っ た か 否 か は確 定 で き な い が, 変 更 の 結 果 「日 本 」 と改 称 した こ と は 事 実 で あ る。 本 節 で は,「 日本 」 の 誕 生 が 8世 紀 の初 め,701年
で あ っ た こ と を確 認 す る だ け に と どめ,次 節 にお い て,
この 変 更 の 意 味 につ い て 考 え て み る こ と にす る。 なお,折
し も 中 国 で は,則
天 武 后(624年
頃 ∼705年)が
国 名 を 「唐 」 か ら
「周 」 に 改 め て い た 。 自 ら こ の よ う な 政 治 的措 置 を 施 して い た と こ ろ で あ る か ら,日 本 にお け る 「倭 」 か ら 「日本」 へ の 変 更 も容 易 に承 認 す る ほ か な か っ た
と思 わ れ る。 改 称 の タ イ ミ ン グ と して はベ ス トで あ っ た と い う こ とに な る 。 こ れ 以 後,わ
が 国 は,当
時 の 国 際 社 会 にお い て,「 日本 」 と して 認 知 さ れ る こ と
に な る。 国名 を 変 更 す る とい う の は 単 な る 戸 籍 上 の 変 更 で は ない 。 建 国 に等 しい行 為 で あ る。 則 天 武 后 の 「周 」 は,殷 256年)や
を 滅 ぼ した 「周 」(紀 元 前1100年
北 朝 の 「周 」(「北 周 」557∼581)と
され るが,こ
頃∼紀元 前
区 別 す る た め に 「武 周 」 と称
れ は則 天 武 后 が 建 国 した 「周 」 の 意 味 で あ る。
した が っ て 「倭 」 か ら 「日本 」 へ の 変 更 は 新 しい 国 の建 国 の 大 業 で あ っ た と 言 え る。
2.新 しい 国 名 と して,な ぜ 当 時 の 中 国 語 音 に基 づ く 「日本 」 を選 ん だ の か? 壬 申 の 乱 は,天 智 天 皇 の 死 後,そ 江 朝 廷 に対 して,吉 (壬 申 の 年)の
の 長 子 の 大 友 皇 子(弘
文 天 皇)を
野 に こ も っ て い た皇 弟 の 大 海 人 皇 子(天
擁 す る近
武 天 皇)が672年
夏 に 起 こ し た 反 乱 で あ る。 これ に勝 利 し,天 皇 に 即 位 した 天 武
天皇 は,国 家 改 造 を 目指 し,種 々 の 施 策 をお こ な っ た 。 まず,政
治 の 中心 を飛 鳥 浄 御 原 に 置 き,つ い で,681年
に は統 治 の 根 本 法 典
と して の 「浄御 原 律 令 」 の編 纂 を 開 始 し,持 統 天 皇 の689年 に は こ れ を施 行 し て い る。 た だ し,こ の 時 完 成 を見 た の は22巻 の 「令 」 の み で あ っ た 。 刑 部 親 王 や 藤 原 不 比 等 らが 未 完 成 の 「律 」 を整 え 「大 宝 律 令 」 と して 完 成 した の は, 大 宝 元 年(701年)の
こ と で あ る。 日本 は,法 規 的 に この 年,唐
と同様の律 令
国家 とな っ た 。 前 述 の 第 9次 遣 唐 使 の 派 遣 命 令 が 発 せ られ た の は,こ 名 の 改 称 は,単
うい う時で あった。 国
な る 思 い 付 きや 縁 起 か つ ぎの 結 果 で は な く,必 然 性 が あ っ た こ
と に な る 。 国 家 像,国
体 意 識 の 変 革 が,国
名 の 改 称 とい う思 い 切 っ た 行 為 を生
み 出 した と言 え る で あ ろ う。 さて,改
称 す る に際 して,い
たはずで ある。 『 古 事 記 』(712年)や
『日本 書紀 』(720年)を
の 呼 称 と して,次 の よ うな 呼 称 が 古 くか ら行 わ れ て い た 。
大 八 洲(島)国
葦原 中 国
豊葦原之千 秋長五百秋 之水穂 国
くつ か の 候 補 が あ っ 見 る と,わ が 国
豊 葦 原 千 五 百 秋 瑞 穂 国
秋 津 島(洲)
師 木(城)島
大和
「倭 」 が 嫌 で あ れ ば,こ た 。 とこ ろ で,第
れ らの 中 か ら も選 び 得 た はず だ が,そ
うは しなか っ
9次 遣 唐 使 よ り約 百 年 前 の推 古 天 皇15年(607年),小
野妹
子 を大 使 とす る遣陏 使 が 派 遣 さ れ て い る。 一 行 は 聖 徳 太 子 が 起 草 した と言 わ れ る 国書 を 帯 して い た。 そ の 国 書 の 一 部 に 次 の よ う な 表 現 が あ る。
日出 づ る処 の 天 子,書
を 日没 す る処 の 天 子 に 致 す 。恙 無 きや 。 (『隋書 』)
「日出づ る 処 」 は 「日の 本 」 で あ り,こ れ を 中 国 風 に す れ ば,「 日本 」 とな る。 国 家 の統 治 形 態 を 中 国並 の 律 令 国 家 と し,当 時 の グ ロー バ ル ス タ ン ダー ドを ク リ ア した。 そ こ で,国 名 も中 国 風 にす る と指 導 者 は 考 え,実 行 に移 し,み ご と 成 功 した わ け で あ る 。 当時,中
国 語 は 東 ア ジ ア の 国 際 語 で あ っ た 。 律 令 制 国 家 とい う こ とで 国 家 体
制 を国 際 化 した の で あ るか ら,そ れ に ふ さ わ し く国 名 も国 際 化 した 。 これ に は 聖 徳 太 子 が 間接 的 で は あ るが,関
与 して い た 。 なぜ な らば,太 子 は
新 国 家 を象 徴 す る 国 名 の 由 来 と な る 文 章 を書 き上 げ て い た か らで あ る 。 こ と わ っ て お くが,中 国 風 と い っ て も,ま っ た く中 国風 とい うわ け で は な い。 中 国 にお け る 国 名 は 「夏 →殷(商)→
周 → 秦 → 漢 … … 元 → 明 → 清 」 を見 れ ば 分
か る と お り,基 本 的 に は 一 字 名 で あ る 。 「日本 」 は 二 字 で あ る か ら,こ こ に独 自性 を主 張 して い た の で あ る。
3.国 際 国 家 と して の も う一 つ の 条件― グ ロ ー バ ル ス タ ン ダ ー ドと して の 歴 史 書― 国際 国 家 と して 認 め られ るた め に は,律 令 書 の作 成,国
名 の 変 更 だ け で は不
十 分 で あ っ た。 歴 史 書 の保 有 が も う一 つ の 条 件 な の で あ っ た 。 こ れ が,わ が 国 最 初 の 文 献 が,な ぜ 歴 史 書 で あ らね ば な らな か っ たか の 理 由 で あ る。 天 武 天 皇 は稗 田 阿礼 に勅 して,「 帝 紀 」 及 び 先 代 の 「旧 辞 」 を誦 習 せ しめ た
が,歴
史 書 と し て の 完 成 を 見 る こ とが で きな か っ た。 この 事 業 を引 き継 い だ の
は元 明天 皇 で,天 皇 は都 を平 城 京 へ 移 す と と も に,太 安 万 侶 に稗 田 阿礼 と共 同 で 『古 事 記 』 の 撰 録 を勅 命 した 。 彼 女 は 同 時 に 諸 国 に 命 じ,『 風 土 記 』 を 奉 ら せ て い る。
4.ナ シ ョナ リズ ム と 太 安 万 侶 の勘 違 い が 日本 語 の書 記 体 系,文
体 の構 築 を
決 意 させ た― ナ シ ョナ リ ズ ム とエ ク リチ ュ ー ル との 不 思 議 な 関係― 太 安 万 侶 が 『古 事 記 』 撰 録 に際 して,利 用 で きた もの は,稗 た歴 史 に 関 す る伝 承,及
田 阿 礼 が誦 習 し
び記 述 の 道 具 と して の 漢 字 だ けで あ っ た。
歴 史 書 の 手 本 とな る 『漢 書 』 『後 漢 書 』 は 当然 漢 文(中
国語)で
書 かれて い
た。 『浄 御 原 律 令 』 の よ う に漢 文 で 書 くな ら,そ う問 題 は な か っ た は ず で あ る。 漢 字 さ え あ れ ば,漢
文 を書 く こ と が で き る。 太 安 万 侶 な ら,漢 文 の 能 力 は他 の
官 僚 た ち に 引 け を取 る こ とは な か っ た に違 い な い か らで あ る 。 しか し,歴 史 書 執 筆 の 実 際 は 法 律 書 執 筆 の 事 情 と は異 な る 。
① 神 名 ・天 皇 名 ・臣 下 名 な ど,多
② 伝 承 され て い る,多
くの 固 有 名 詞 の 表 記 を ど うす るか?
くの 古 代 歌 謡 の 表 記 を ど うす る か?
こ れ らは 漢 文 に 翻 訳 して し ま っ て は 意 味 が な い。 固 有 名 詞 に は慣 用 的 伝 来 の 表 記 法 が あ っ た ろ う。 ま た,歌 謡 は語 形 を正 確 に伝 え て こ そ 意 味 が あ る も の だ か らで あ る。 太 安 万 侶 は,原 則 と して 「仮 借 」 の用 字 法 を採 用 す る こ と に よ っ て,こ れ ら を表 記 して い る。 「仮 借 」 は,表 意 文 字 を 原 則 とす る 漢 字 の 中 で,例 外 的 に 意 味 を 無 視 し,音 だ け を用 い る と い う用 字 法 で あ り,「 六 書 」 の 一 つ と して 認 知 さ れ て い る もの で あ るか ら,太 安 万 侶 の 創 意 工 夫 とい う こ と に は な ら な い 。 『古 事 記 』 独 自 の 工 夫 は,そ の 他 の と こ ろ に あ った 。 太 安 万 侶 は 『古 事 記 』 の 「序 」 にお い て,次 の よ う に述 べ て い る 。 然 あ れ ど も,上 古 之 時 は,言
と意 と並 に朴 に して,文
を敷 き句 を構 ふ る
こ と,字 に於 て は難 し。 稗 田 阿 礼 に よ っ て 語 り伝 え られ た上 古 の 時代 の 伝 承 は 「言 」(語 形)と (意味)が
と も に素 朴 で あ り,漢 字 を用 い た漢 文(中
国 語)の
「意 」
構 文で 表現す る
の は 困 難 で あ る,と 太 安 万 侶 は 考 え る。 上 古,現
代 を問 わ ず,漢
文(中
国 語)
とい う外 国語 で,日 本 語 の 隅 々 まで 表 現 す る こ とは 困 難 で あ る 。彼 は,こ こで, 翻 訳 の 難 し さ を嘆 い て い る と考 え て よ か ろ う。 そ こで 彼 は 考 え た。 中 国 語 の文 字 と して 開発 され た 漢 字 を用 い て,日 本 語 を ど う書 き表 した ら よ い の か とい う こ と を。 言 い換 え る と,太 安 万 侶 は,『 古 事 記 』 を筆 録 す る に際 して,ど の よ うな 表 現 様 式 を採 用 した ら よ い の か を考 察 し たの で あ る。 この 作 業 は,そ の ま ま,エ 構 築,文
ク リチ ュ ー ル,す な わ ち,書 記 体 系 の
体 の 創 造 の作 業 で あ っ た 。
こ こ まで 来 る と彼 の 勘 違 い は た だの 勘 違 い で は す ま な くな る 。 こ こ で,勘 違 い の 結 果 生 み 出 され た 書 記 体 系,文
体 が どの よ うな もの で あ っ た か を述 べ る前
に,勘 違 い と い う こ との 意 味 を確 認 して お く。 天 武 天 皇 が 『古 事 記 』 と い う歴 史 書 の作 成 を思 い 立 っ た の は,国 際 国 家 の 保 有 す べ き条件 を整 え た か っ た か らで あ る。 そ し て,そ の 想 定 読 者 は,歴
史書 の
吟 味 役 と な る はず の 中 国 人 で あ り,決 して,日 本 人 で は なか っ た。 天 武 天 皇 は, 国 名 を 中 国 語 音 に基 づ い た 「日本 」 と名 乗 れ ば,す 『古 事 記 』 とい うわ が 国 の 歴 史書 で す と言 え ば,す
ぐに 理 解 され た よ う に,
ぐ通 用 す る書 物 の作 成 を期
待 して い た の だ 。 とす れ ば,太 安 万 侶 は 悩 む必 要 な く,漢 文(中
国 語)で 記 述
す れ ば よ い。 天 武 天 皇 に 言 わ せ れ ば,太 安 万 侶 は よ け い な こ と を 考 え,勝 手 に 悩 ん で い る と い う こ と に な る。 元 明 天 皇 が 天 武 天 皇 の意 向 を組 ん で 太 安 万 侶 に 修 史 の勅 命 を下 した こ と は 間 違 い な い 。 しか し,国 際 国 家 と して の グ ロー バ ル ス タ ン ダー ドを整 え る た め の 作 業 とは っ き り説 明 し たか ど うか は定 か で ない 。 と にか く,太 安 万 侶 の 頭 に 浮 か ぶ 第 一 読 者 は,日 本 人 で あ る 元 明 天 皇 とい う女 性 で あ っ た ろ う こ と は 想 像 に 難 くな い。 これ が,彼 の 勘 違 い の根 本 原 因 で あ っ た ろ う。 太 安 万 侶 は 『古 事 記 』 の 読 者 を誤 認 して し ま った 。 彼 は,な ん の た め に歴 史 書 を書 くの か,十 分 に は 理 解 して い な か っ た の で あ る。 勘 違 いや 誤 認 は往 々 に して 悪 い結 果 を招 く もの だ が,太
安 万 侶 が 犯 し た勘 違
い や誤 認 は幸 い に して 日本 語 の た め に は よい 結 果 を もた らす こ と に な っ た。 結 果 的 で は あ るが,天
武 天 皇 を 中心 とす る 当 時 の 支 配 階級 を突 き動 か した ナ
シ ョナ リ ズ ム と太 安 万 侶 の 勘 違 い が 日本 語 の 書 記 体 系,エ
ク リチ ュ ー ル を生 み
出 した の で あ る。 こ れ は 次 の 時 代 の こ と に な るが,国
風 文 化 勃 興 期,10世
紀 初 頭 の ナ シ ョナ
リズ ム 盛 ん な る 頃,「 和 文 」 とい う新 しい 文 体 が 創 造 され,13世
紀 後 半の元冠
とい う,ナ シ ョナ リ ズ ム い や 勝 る時 期 に 「漢 字 仮 名 交 じ り文 」 が 発 達 し,明 治 維 新 と い う19世 紀 後 半 の ナ シ ョナ リ ズ ム 沸 騰 期 に 「言 文 一 致 体 」 と い う新 し い 文 体 が 開 発 さ れ た 。1945年,第
二 次 世 界 大 戦 ・15年 戦 争 の 終 戦 と い う,い
わ ば 負 の ナ シ ョナ リ ズ ム を 契 機 と して,「 新 漢 字 ・新 仮 名 遣 い 」 に よ る 表 記 法 の大 改 革 が 断 行 され た こ と な どが 想 起 され る。 ナ シ ョナ リズ ム とエ ク リ チ ュ ー ル は 不 思 議 な ほ ど関 係 が あ る とい う こ とに な る。
5.太 安 万 侶 は漢 字 だ け を用 い て 「漢 字 仮 名 交 じ り文 」 を書 い た― 表 記 の効 率 性― 『古 事 記 』 の 「序 」 にお い て,太 安 万 侶 は続 け て,次
已 に 訓 に 因 り て述 べ た る は,詞
の よ う に記 す 。
心 に 逮 ば 不 。 全 く音 を 以 ち て 連 ね た る
は,事 の趣 更 に長 し。 漢 字 は 中 国語 を記 す た め に 開発 され た もの で あ る か ら,本 来 は,「 音 」 しか 存 在 しな い もの で あ っ た 。 と ころ が,日 本 に伝 来 して か ら,漢 字 に 日 本 語 を載 せ る と い う こ とが 自然 発 生 的 に生 じて し まっ た 。 そ の 習慣 が 社 会 的 に 定 着 した もの が 「訓 」 で あ る 。 太 安 万 侶 が 使 用 した 漢 字 とい う もの は,こ の よ うに 日本 化 した漢 字 で あ っ た 。 太 安 万 侶 は 「訓 」 を用 い て 表 現 す る と 「詞 」 は 「意 」(意 味)を
十分 に表 し
きれ な い と嘆 い て い る。 こ れ は理 解 しか ね る 嘆 きで あ る 。 「詞 」 とい う もの は, ど の よ うな 「詞 」 で あ ろ う と,意 味 を 象徴 的 に 示 す こ と しか で きず,心
に抱 く
意 味 の総 て を表 現 し きれ る もの で は な いか らで あ る。 『古 事 記 』 の 「序 」 の 基 本 技 法 は 対 句 表 現 で あ る 。 太 安 万 侶 が こ こ で 言 い た か っ た こ と は,対 句 の 後 半 部 にあ っ た の で あ ろ う。 「音 」 を 述 べ た い が た め に, 「訓 」 につ い て は,極 め て 当然 の こ とを 述 べ た に過 ぎな い と解 釈 して お く。 対 句 表 現 後 半 部 は 容 易 に 理 解 さ れ る 。 「音 」 を 用 い て 表 現 す る とい うこ とは, 漢 字 を仮 名 と して 用 い る と い う こ とで あ る。 音 節 の 数 だ け 漢 字 を な らべ れ ば,
長 つ た ら し くな る こ とは確 か な こ とな の だ 。 こ の こ と を次 に 示 して お く。
音専 用
斯帰斯麻(4 音 節四字)
(天寿 国曼荼羅 繍 帳 銘)
阿米久爾意志 波留支比里 爾波之 弥己等(17音 節 十七字) (同上)
音訓交用 師 木 島(4 音 節 三 字)
(古事 記)
天 国押 波 留 岐 広 庭 天 皇(17音
節 十 字)
磯 城 嶋(4 音 節 三 字)
(同上) (日本 書 紀)
天 国排 開 広 庭 天 皇(17音
節 八 字)
(同 上)
仮 名 は愚 直 に一 字 一 字 音 節 を な ぞ っ て い る 。 一 方,「 訓 」 を 用 い た 漢 字 は 効 率 的 に字 数 を削 減 して い る こ とが 理 解 さ れ よ う。 表 記 の 簡 潔 さ を 願 え ば,仮
名
だ け の 表 記 は ごめ ん だ とい う こ と に な る 。 と こ ろ で,こ
こ で は っ き りす る こ と は,「 訓 」 の 存 在 を 前 提 とす る太 安 万 侶
の 念 頭 に 中 国 人 は全 く思 い 浮 か べ られ て い な い とい うこ とで あ る。 太 安 万 侶 が 日本 人 を想 定 読 者 と して い る こ と は紛 れ よ う もな い 。 太 安 万 侶 の 表 記 は 日本 人 読 者 の た め の もの で あ った 。 さて,こ
の よ う に表 記 の 効 率 性 を見 定 め た 上 で,太
安 万 侶 は,『 古 事 記 』 記
述 の根 本 方 針 を次 の よ うに 定 め る。
是 を以 ち て,今,一 もあ れ,全
句 之 中 に もあ れ,音
と訓 と を交 へ 用 ゐ,一 事 之 内 に
く訓 を 以 ち て 録 しぬ 。 即 ち,辞 の 理 の 見 え が た きは,注
て 明 し,意 の 況 の解 り易 き は,更
に注 せ 非 。 亦,姓
を以 ち
に 於 て 日下 を玖 沙 詞 と
謂 ふ 。 名 に 於 て 帯 の字 を,多 羅 斯 と謂 ふ 。 如 此 る 類 は,本 の 随 に 改 め 不 。 表 記 の 原 則 は,音 訓 交 用 と し,見 分 け に くい場 合 は注 記 を ほ ど こす とい う も の で あ り,姓 名 な ど固 有 名 詞 で 古 くか らの伝 統 的 表 記 は これ を 尊 重 す る とい う も の で あ る。 音 訓 交 用 と は,音 は 仮 名,訓
は 漢 字 の 意 味 を活 か した もの で,こ れ ら を 交用
す る とい う こ と は,漢 字 仮 名 交 じ り文 で 書 く とい う こ と な の で あ る。 太 安 万 侶 は こ の よ うに 決 断 した が,こ
の決 断 に は か な りの 無 理 が あ る 。 当時
は 漢 字 しか なか っ た の で あ るか ら,漢 字 仮 名 交 じ り文 とい っ て も,ど れ が 漢 字 で どれ が 仮 名 か 読 者 に は即 座 に 判 断 で き ない とい う根 本 的 欠 陥 が あ る か らで あ
る。 ま た,「 訓 」 が 存 在 す る とい っ て も,当 時 の 「訓 」 は 次 に示 す よ う に,基 本 的 に は,一 つ の 漢 字 に 複 数 の 「訓 」が 存 在 す る と い う複 数 「訓 」 で あ った の で, 「訓 」 と指 定 さ れ て も,ど の 「訓 」 か 迷 う とい う こ と に な るの で あ る。
見 ミル ミユ マ ミユ シ メ ス イ マ ヱ ラ ム イ チ シ ル シ セ ラ ル ア ラ ハ ス ア ラ ハ ル サ トル 少 ス クナ シ ワ カ シ シ バ ラ ク ス コ シ ヤ ウ ヤ ク カ ク ス コ シ キ
ナ シ マ レ ナ リ ヲサ ナ シ イ トキ ナ シ オ ボ ロ ケ オ ロ カ ナ リ
親 シ タ シ チ カ シ ミツ カ ラ ウ ツ ク シ フ マ ノ ア タ リ ム ツマ シ ム カ フハ ハ オ ヤ
(「観 智 院 本 類 聚 名 義 抄 」 に よ る。)
太 安 万 侶 もそ の こ とは 計 算 に入 れ て お り,分 か りに くい と こ ろ は 「注 」 を 施 す と述 べ て い る 。 確 か に,『 古 事 記 』 に は 「注 」 が 多 い 。 上 ・中 ・下 巻,合 345字,全
計
巻302箇 所 に 注 記 が あ る 。 しか し,こ の 程 度 で 間 に あ う と は 考 え に
くい 。 亀 井 孝 は 「古 事 記 は 読 め る の か 」 と い う論 文 を書 い て い る が,本
章 の筆者
の 答 え は 「読 め な い 」 とい う もの で あ る。 理 解 不 可 能 と い う意 味 で は な い 。 正 確 に声 に して 読 む こ とが で きな い とい う意 味 で,「 読 め な い 」 の で あ る 。 た と えば,「 常 は ツ ネ な の か,ト
コ な の か 」 な ど,「 注 」 が な け れ ば,読
む こ とが で
き な い。 太 安 万 侶 は 表 記 者 の 便 利 を優 先 し,読 者 の 不 便 を 十 分 に は顧 み な か っ た と い え そ うで あ る。 効 率 的 表 記 は必 ず し も効 率 的 読 解 に は結 び付 か な い 。 太 安 万 侶 は,和
銅 4年(711)9
日本 歴 史 上,最 初 の 歴 史 書,上
月 に 勅 命 を受 け,翌 ・中 ・下 全 三 巻,総
年 正 月 に献 上 して い る 。
字 数46,027字 の 書 物 を,わ
ず か 4ケ 月 で 書 き上 げ て い る 。 か な りの ス ピ ー ドで あ る 。 こ れ に 対 して,『 古 事 記 』 を読 み 解 き,『 古 事 記 伝 』 を著 した 本 居 宣 長 は,明 和 4年(1767)に 稿 し,寛 政10年(1798)に
完 成 させ て い る か ら,31年
起
を 要 して い る こ とに な
る。 この 長 さは,太 安 万 侶 の 表 記 の不 完全 さが もた ら した もの で あ る。
6.『古 事 記 』 は なぜ 短 命 で あ っ た の か?― 時 代 遅 れ の 表記― 太 安 万 侶 が 苦 心 して書 き上 げ た 『古 事 記 』 で は あ っ た が,そ の,大
の歴 史 書 と して
和 朝 廷 の 正 史 と して の 命 は 短 か っ た 。 『古 事 記 』 献 上 の わ ず か 8年 後,
養 老 4年(720)に
正 史 と して,堂
々30巻 の 『日本 書 紀 』 が 完 成 し,正 史 の 位
置 を 獲 得 して し ま うか らで あ る 。 『日本 書 紀 』 の 筆 録 に は 中 国 人 の 他 に 日本 人 も分 担 執 筆 して い た の で,必 し もす べ てが 純 正 な漢 文 で は な か っ た が,全 巻 漢 文(中 した もの で あ っ た 。 こ の 書 こ そ,天
国語)で
ず
書 こ う と意 図
武 天 皇 の 企 図 に 合 致 した 歴 史 書 で あ っ た 。
正 史 と な る の は 当 然 で あ る 。 こ れ が,『 古 事 記 』 短 命 の 主 な 理 由 で あ る が,そ の ほ か に もあ る。 次 に そ の 一 例 を 示 す 。 太 安 万 侶 は,「 ヤ マ トタケ ル ノ ミ コ ト」 を 「倭 建 命 」 と表 記 して い る 。 一 方, 『日本 書 紀 』 で は 「日本 武 尊 」 と表 記 して い る の で あ る。 『古 事 記 』 撰 録 の 機 運 は 国 名 を 「倭 」 か ら 「日本 」 へ 改 称 した 時 期 に 起 こ っ た 。 太 安 万 侶 は こ の こ と を理 解 して い な か っ た よ うだ 。 『古 事 記 』 は 生 ま れ た 時 か ら,時 代 遅 れ の 産 物 で あ っ た の だ 。
7.太 安 万 侶 の功 績― 漢 字 だ け を用 い て 日本 語 を書 き表 す 楽 しみ― この よ うに 書 くと,太 安 万 侶 の功 績 を貶 め て い る よ うで あ るが,筆
者の真 意
は そ こ に は な い 。 彼 が 創 始 した 『古 事 記 』 の書 記 体 系 は 国 家 体 制 側 の 期 待 に 応 ず る もの で は な か った が,漢 した こ とが,太
字 だ け を 用 い て 日本 語 を書 き表 す 可 能 性 を 世 に 示
安 万 侶 の最 大 の 功 績 で あ る とい う こ と を 強 調 して お く。 政 治 家
の 思 惑 と は別 に,文 学 の世 界 で,こ
の 試 み は活 発 に 利 用 され,楽
ま で 至 っ て い る。 『万 葉 集 』 に示 され る,種 と を 証 明 して い る 。
しむ と こ ろ に
々の華麗 な表記 法の展 開が その こ
■ 発展 問題 (1) 『万 葉 集 』 所 載 の 和 歌 で あ る 。 下 記 の A,B に つ い て 考 え て み よ う。 a
巻1・8・
額 田王
熟 田津尓 船 乗世 武登
月待者
潮 毛可 奈比 沼 今者 許芸乞 菜
熟 田津 に 船 乗 りせ む と 月待 てば 潮 もか な ひぬ 今は漕 ぎ出で な b 巻1・28・
春過 而
持統 天 皇
夏 来良之
白妙 能
衣 乾有
天 之香 来 山
春 過 ぎて 夏 来た る ら し 白たへ の 衣干 した り 天 の香 具 山 c
巻5・803・
山上 憶 良
銀 母 金 母玉 母 奈尓 世武尓 麻 佐礼 留 多可 良 古尓 斯 迦米 夜母 銀 も 金 も玉 も なにせ む に 優 れ る宝 d 巻8・1418・
子 に及 かめ や も
志貴 皇子
石 激 垂見 之上 乃 左 和 良妣乃 毛 要 出 春尓
成尓 来鴨
石走 る 垂水 の上 の さわ らびの 萌 え 出づ る春 に な りにけ るか も e
巻14・3424・
下野 国の歌
志 母都 家野 美 可母 乃夜麻 能 許 奈良 能須 麻 具波思 児 呂波 下 野
三毳 の 山 の
こ楢 のす
ま ぐは し児 ろは
多 賀家 可母 多牟 誰 が笥 か持 たむ f
巻20・4425・
防 人の歌
佐伎 毛利尓 由久 波多我 世登 刀 布比 登 乎 美流我 登毛之 佐 防 人に
行 くは誰 が背 と 問 ふ人 を
見 るが と もしさ
毛乃母 毛比 世 受 物 思 もせず A 万葉 集の 原表 記(上 段)と 現代 の 表記(下 段)と を比 較 し,気 付 い た 点 を まとめて み よう。
B 万 葉 集の原 表記 を音 訓の 観点か ら整 理 して み よ う。
(2) 神 の 名,天
皇 の 名 の 表 記 が 『古 事 記 』 と 『日本 書 紀 』 とで,ど
る か を 調 べ,そ
う異 な っ て い
の こ との意味 につ いて考 えてみ よう。
(3) ハ ン グ ル や モ ン ゴ ル 文 字 の 創 始 と ナ シ ョナ リ ズ ム と の 関 係 を考 え て み よ う。
■ 参考文 献 1) 網野 善 彦 「東 と西 の語 る 日本 の 歴 史』(「そ しえ て」1982,講 談社 学 術 文庫,1998) 2) 網野 善 彦 『日本 論 の視 座 』(小 学館,1990) 3) 網野 善 彦 「『日本 』 とは何 か 」(「日本 の歴 史00』 講 談社,2000) 4) 吉田
孝 『日本 の 誕 生』(岩 波 新 書,1997)
5) 坂本 太 郎 ・家永 三 郎 ・井上 光 貞 ・大 野 晋 校 注 『日本 書紀 』(「日本 古 典 文学 大 系67」,岩 波書 店,1967) 6) 青 木和 夫 ・石母 田正 ・小 林 芳 規 ・佐 伯 有 清 校 注 『 古 事 記』(「日本 思 想 大系 1 」,岩 波 書 店, 1982) 7) 亀井
孝 「古事 記 は読 め るか 」(『古事 記 大 成 』 「 言 語 文字 篇 」 平凡 社,1976)
8) 中 田祝 夫 『日本 の漢 字 』(『日本 語 の 世界 4』 中 央公 論社,1982) 9) 柄谷 行 人 『ヒュ ーモ ア と しての 唯物 論 』(筑 摩 書房,1993,講 10) 柄谷 行 人 『戦前 の思 想 』(文 藝 春 秋 社,1994,講
談社 学 術 文庫,1999)
談 社 学術 文 庫,2001)
11) 小池 清 治 『日本語 は悪魔 の言 語 か?」(「 角 川oneテ ーマ21」 角 川 学 芸 出版,2003) 12) 小 池清 治 「エ ク リチ ュー ル とナ シ ョナ リズ ム ・時枝 誠記 論 」(「国文 学解 釈 と教 材 の研 究 」 2004・1,學
燈 社,2004)
第 2章 『 古 今和 歌 集 』 「 仮 名 序 」 は純 粋 な和 文 か? 【和 文 体 ・自立 的 文 章 】
キ ー ワ ー ド:和 文,隠
し文 字,物
要 表 現 技 法(レ
名,折
句,自
トリ ッ ク),対
立 的 文 章,格
助 詞 「を」 の 出 現 率,主
句
『古 今 和 歌 集 』 の 「仮 名 序 」 は紀 貫 之 に よ っ て 書 か れ た,和 歌 の 理 論 に 言 及 した 論 理 的 散 文 で あ り,和 文 創 造期 の もの と して 完 成 度 が 高 い。 「仮 名 序 」 の フ ァー ス トセ ン テ ンス に は 「万 葉 」 が,ラ
ス トセ ンテ ンス に は
「古 今 」 が 隠 し文 字 と して埋 設 され て お り,極 め て,技 巧 に 富 ん だ文 章 で あ る。 また,構 成 もみ ご とな 自立 的 文 章 で あ る が,こ れ は,紀 淑 望 が 書 い た 「真 名 序 」 の構 成 に学 ん だ も の で あ ろ う。 格 助 詞 「を 」 の 出現 率 は100%で,『
伊 勢 物 語 』 『土 佐 日記 』 『枕 草 子 』 『源
氏 物 語 』 に お け る出 現 率 と比 較 す る と格 段 に 高 く,主 要 表 現 技 法 も対 句 で あ り,漢 文 訓 読 文 の 影 響 を 強 く受 け て い る こ とが わ か る。 「仮 名 序 」 は 純 粋 な 和 文 と は い え な い。
1.首 尾 照 応 の 文 章― 信 じ られ ない よ うな 隠 し文 字 の 存 在― 紀 貫 之(868年
頃 ∼945年
頃)は 古 今 和 歌 集 の 撰 者 の 一 人 で あ る が,彼
は撰
者 を代 表 して,仮 名 に よ る序 文 を認 め て い る。 そ の フ ァー ス トセ ンテ ンス に彼 は 隠 し文 字 とい う仕 掛 け を 施 して しま っ た 。 や ま と う た は人 の こ こ ろ を た ね と して よ う づ の こ との は とぞ な れ りけ る。 こ れ が フ ァー ス トセ ン テ ンス で あ る。 「よ うづ 」 の 部 分 を漢 字 にす る と 「万 」 と な る 。 ま た,「 こ と の は」 の 「は」 の 部 分 につ い て 同 様 の こ と をす る と 「葉 」
とな る。 合 わ せ れ ば 「万 葉 」 と な る。 こ こ に 「万 葉 」 が 隠 し文 字 と して 存 在 す る とい う こ とが で きる 。 そ ん な 馬 鹿 な,そ れ は考 え 過 ぎで は な い か と首 を傾 げ る人 もい る こ とで あ ろ う。 そ うい う人 も,仮 名 序 の 末 尾 の セ ンテ ン ス を ご覧 に なれ ば,納 得 す る こ とで あ ろ う。
あ を や ぎの い と た えず まつ の は の ち り うせ ず して ま さ き の か づ らな が くつ た は り と りの あ と ひ さ し く と ど まれ らば うた の さ ま を も し り こ
との心 を え た らむ 人 は お ほ ぞ らの 月 を見 る ご と くに い に しへ を あふ ぎ
て い ま を こ ひ ざ らめ や も
こ れが 仮 名 序 の 末 尾 のセ ンテ ンス で あ る。 二 重 下 線 部 を漢 字 に して,合
わせ
る と 「古 今」 に な る。 紀 貫 之 が 仮 名 序 に 込 め た メ ッセ ー ジ を読 み 解 く と,「 わ れ わ れ の 撰 集 した古 今 和 歌 集 は 万 葉 集 を 引 き継 ぐ もの な の だ。」 とい うこ と に な る で あ ろ う。 最 初 の セ ン テ ンス に 「万 葉 」 を 隠 し,末 尾 の セ ンテ ン ス に 「古 今 」 を忍 ば せ て い る 。 こ れ ほ どみ ご と な首 尾 照 応 もめ ず ら しい。 そ れ に し て も,彼
は な ぜ,
こ ん な 手 の 込 ん だ こ と を した の で あ ろ うか 。 誰 が読 ん で も分 か る よ う に,平 易 な文 章 で 上 記 の よ う な メ ッセ ー ジ を 表 現 す れ ば よか った ので は な い か と誰 し も 思 う こ とで あ ろ う。 しか し,彼 は そ うは し なか っ た。 なぜ な の で あ ろ うか。
2.隠 さ な け れ ば な らな か っ た理 由― 撰 集 の 事情― 古 今和 歌 集 の巻 末 に は,紀 淑 望 の 手 に な る漢 文 の 序 文(「 真 名 序 」)が 付 せ ら れ て お り,そ の 一 部 に編 纂 の 事 情 が 書 か れ て い る 。 原 文 は漢 文 で あ る が,こ
こ
で は 読 み 下 だ した 形 で 示 す こ と にす る.
こ こ に,大 恒,右
内 記 紀 友 則,御
書
所 預紀 貫 之,前
衛 門 府 生 壬 生 忠 琴 等 に 詔 して,お
を献 ぜ し め,続
の お の,家
万 葉 集 と 日 ふ 。 こ こ に お き て,重
の歌 を部 類 して,勒
甲斐 少 目凡 河
内 躬
集井 に古 来の 旧歌
ねて 詔
有 り。 奉 る 所
して 二 十 巻 とな し,名 づ け て古 今和 歌 集 と 日ふ 。
貫 之 た ち は,一 度 『続 万 葉 集 』 と名 付 け て,奏 呈 した の で あ るが,こ
れは醍
醐 天 皇 に よ り却 下 さ れ て い る 。 却 下 の 理 由 は記 され て い な い の で 分 か らな い 。
あ る い は,折
角 仮 名 で 書 か れ た 和 歌 集 な の に,漢
「続 」 く も の と は,何
字 だけで 書 かれた万 葉 集 に
ご と か と い う も の だ っ た の か も知 れ な い 。 若 い 天 皇 は革
新 の気 分 に燃 え て い た の で あ ろ う。 とに か く,貫 之 た ち に とっ て 苦 心 の 結 果 の 撰 集 が 却 下 さ れ た の は シ ョ ッ クだ っ た に 違 い な い 。 気 を取 り直 して,新
た なる
編 纂 作 業 を した の だ と思 われ る 。 こ の よ う に して 『古 今 和 歌 集 』 の 名 の も と に 再 提 出 した とい うの が 実 情 で あ っ た よ う で あ る。 そ れ に もか か わ らず,『 古 今 和 歌 集 』 は 『万 葉 集 』 に 続 く もの だ とい う意 識 が 貫 之 の 心 の底 に あ っ た の で あ ろ う。 そ の こ とは 仮 名 序 に お け る,柿
本 人 麿 や 山 辺 赤 人 に 対 す る 傾 倒 ぶ りが
ひ と通 りの もの で な い こ とか ら も十 分 推 測 さ れ る 。 そ こ で,貫 之 は 隠 し文 字 と い う形 で,醍
醐 天 皇 の 目 を盗 み,自
分 た ち の真 意
を後 世 に伝 え よ う と した もの と思 わ れ る。 誰 の 目 に もあ き らか に な る よ うに,「 万 葉 集 を 引 き継 ぐ もの と して古 今 和 歌 集 は 撰 集 され た 」 と書 い て は,醍 醐 天 皇 も激 怒 して,再 と と思 わ れ る。 いや,悪
々編 纂 を命 じ ら れ た こ
くす る と最 初 の 勅 撰 集 の 編 纂 者 とい う名 誉 の 座 か ら追
い 払 わ れ か ね な い。 賢 明 な 貫 之 た ち は,そ
の よ う愚 を 犯 さず に,隠
し文 字 と し
て,自 分 た ち の メ ッセ ー ジ を残 した の で あ ろ う。 お そ ら く,こ れ は 貫 之 の 独 断 の 秘 密 の 行 為 で あ り,撰 集 した 仲 間 た ち に も 知 らせ な か っ た こ と と思 わ れ る。 そ の 結 果,隠
し文 字 の 秘 密 は 今 日 ま で保 た れ た の だ ろ う と思 わ れ る。 こ れ で 、
隠 し文 字 に した 理 由 は理 解 され た もの と考 え る 。 と こ ろ で,こ
の よ うな マ ジ ッ
ク の よ う な技 が 当 時 あ りえ た の か とい う問 題 が 残 る。 次 に,こ の こ とに つ い て 考 え て み る。
3.『古 今 和 歌集 』 巻 十 「物 名 」 の 隠 し言 葉 遊 び 『古 今 和 歌 集 』 の 歌風 の 際 立 っ た 特 徴 と して 「知 的 歌 風 」 が あ げ られ る 。 巻 十 の 「物 名 」 に は 芸 術 作 品 とい う よ り,言 葉 遊 び と評 さ れ か ね ない 遊 戯 性 を多 分 に 有 す る歌 が 集 め られ て い る。 次 に,貫 之 の 作 品 を紹 介 しよ う。
四二八
か に は ざ くら
か づ け ど も 波 の なか に は さ ぐ られ て 風 ふ くご とに 浮 き沈 む玉 四二九
す も もの 花
い ま幾 日 春 しな け れ ば う ぐひ す も もの は なが め て お もふ べ ら な
り 四 三 六
さうび
わ れ は け さ う ひ に ぞ 見 つ る 花 の色 を あ だ な る ね の と い ふ ベ か り け り 四 三 九
朱 雀 院 の 女 郎 花 合 の 時 に 、 「を み なへ し」 とい ふ 五 文 字 を句 の か し らに お きて よめ る
を ぐ らや ま み ね た ち な ら し な く鹿 の へ に け む秋 を しる 人 ぞ な き 四 六 〇
紙屋川
う ば玉 の わが くろ か み や か は る らむ 鏡 の か げ に 降 れ る 白 雪 四六一
淀川
あ しひ きの 山 辺 に を れ ば 白 雲 の い か に せ よ とか は る る 時 な き
「物 名 」 和 歌 四 七 首 中,六 抜 い て い る。 彼 は,こ
首 が 貫 之 の 作 で あ る 。 約13%を
占 め て お り、 群 を
の技 法 に か な り熱 心 で あ っ た とい え る 。
四 二 八 の和 歌 の 第 二 句 の 末 尾 と第 三 句 の 冒 頭 部 に 「か に は さ くら」 が 隠 さ れ て い る。 「か に は さ く ら」 は桜 の 一種 で 「樺 桜 」 で あ ろ う と され て い る 。 四 二 九 の和 歌 の 第 三 句 の末 尾 と第 四 句 の 最 初 の 部 分 に 「す も もの 花 」 が 隠 さ れ て い る。 以 下,四
三 六 に は 「さ う び 」(薔 薇),四
六 〇 に は 「紙 屋 川 」,四 六 一 に は
「淀 川」 が 隠 さ れ て い る。 四 三 九 は 「折 句 」 と い わ れ る技 法 で 作 られ,他
と 異 な る が,「 を み な へ し」
とい う言 葉が 隠 して あ る と い う点 で は変 わ りな い 。 貫 之 は 隠 し言 葉 の技 法 に お い て も優 れ て い た 。 隠 し言 葉 か ら隠 し文 字 へ の 展 開 は,ほ ん の 一 歩 で あ る。 こ うい うわ け で,彼
は 隠 し文 字 の 技 を振 る う能 力 を
有 して い た とい う こ とが 理 解 され た こ と と思 う。
4.自 立 的 文 章 と は? 紀貫之 が書い た 「 仮 名 序 」 は 自立 的 文 章 で あ る。 この 文 章 を読 め ば, 表 現 主体(書
き手)= 紀 貫 之
受 容 者(読
時
な どが,全
み 手)
=醍 醐 天 皇 =延 喜 5年(905)4
月18日
て 明 瞭 に理 解 され る よ う に な っ て い る 。 さ ら に,こ
の文 章 の構 成
は,
① 和 歌 の本 質
② 和 歌 の起 源
③ 和 歌 の分 類(六
種 類)
④ 和 歌 の 歴 史,歌
人論
⑤ 古 今 和 歌 集 の編 纂 経 過
⑥ 和 歌 の 将 来 に つ い て の寿 の 詞
とい う 堂 々 た る もの で,ま
さ に,自 立,独 立 した 一 個 の構 造 物 なの で あ る 。
「仮 名 序 」 は,日 本 文 章 史 上,最
初 の 和 文 に よ る 理 論 的 文 章 な の で あ る が,
貫 之 の 天 才 に よ り完 成 度 の極 め て 高 い 文 章 とな っ て い る。 い ま,「 貫 之 の 天 才 に よ り」 と書 い た が,実
は,こ の 文 章 の 質 の 高 さ を生 み
出 した もの は そ れ ば か りで は なか っ た 。 紀 淑 望 の 手 に成 る 「真 名 序 」 とい うお 手 本 が あ っ た た め で も あ る。 「真 名 序 」 の 末 尾 の 文 を紹 介 し よ う。 于
時 延 喜 五 年 歳 次 乙丑 四 月 十 五 日。 臣 貫 之 等 謹序 。 [時 に 延 喜 五 年 歳 の 乙 丑 に 次 る四 月十 五 日,臣 貫 之 等 謹 み て序 す]
「真 名 序 」 は 「仮 名 序 」 が 奏 呈 され る 三 日前 の 日付 に な っ て い る。 ま た,「 真 名 序 」 の 文 章 構 成 は 次 の よ う な もの で あ る 。
① 和 歌 の 本 質
② 和 歌 の 種 類(六
③ 和 歌 の 起 源
④ 和 歌 の 歴 史
⑤ 古 今 集 の 編 纂 経 過
⑥ 和 歌 隆 盛 の 喜 び
義)
こ れ を見 る と,貫 之 が 付 け 加 え た もの は,歌 人 論(六
歌 仙 論)だ
け で あ り,
文 章 の結 構 は 「真 名 序 」 そ の ま ま とい っ て よい 。 「仮 名 序 」 は,こ の 「真 名 序 」 を下 敷 き に して 書 か れ た も の で あ る こ と は疑 い よ うが な い 。 とす る と,「 仮 名 序 」 の 文 章 と して の 自立 性 も漢 文 の 有 す る 自立 性 か ら学 ん だ もの で あ る と い う
こ と に な る で あ ろ う。
5.仮 名 序 は 純 粋 な 和 文 で は な い 。― 格 助 詞 「を」 の 出 現 率― 前 節 で 述 べ た よ う に,文 章 の骨 格 の 点 で,仮 で あ る が,文
名 序 は真 名 序 の 影 響 下 に あ るの
の 表 現 面 で も,漢 文 訓 読 の 影 響 を受 け て い る。
や ま と うた は,人 の 心 を種 と して,万
の 言 の 葉 とぞ な れ りけ る。 世 の 中
に あ る人,こ
と わ ざ繁 き もの な れ ば,心
に思 ふ こ と を,見
につ け て,言
ひ 出 だせ る な り。 花 に 鳴 く鶯,水
きと し生 け る もの,い
る もの 聞 く もの
に住 む 蛙 の 声 を 聞 け ば,生
づ れ か 歌 を よ ま ざ りけ る 。 力 を も入 れ ず して 天 地 を
動 か し,目 に 見 えぬ 鬼 神 を もあ は れ と思 は せ,男 武 士 の心 を も慰 む る は 歌 な り。 こ の歌,天
女 の 中 を も和 らげ,猛
き
地 の 始 ま りけ る 時 よ りい で き に
け り。 仮 名 序 の 第 一段 落 で あ る。 格 助 詞 「を」 の存 在 が 期 待 され る 箇 所 に は 期 待 通 り 「を」 が 使 用 され て い る 。 「を 」 の 出現 率8/8で,100%の
文 章 で あ る。
同 時 期 の 和 文 『伊 勢 物 語 』 で は,そ の よ う に は な っ て い な い 。 む か し,男 あ りけ り。 そ の男,身
を え う な き もの に 思 ひ な して,京
には
あ ら じ,あ づ まの 方 に す むべ き国 も とめ に とて ゆ き け り。 も と よ り友 とす る 人,ひ と りふ た り して い きけ り。道 しれ る 人 も な くて,ま ど ひ い きけ り。 三 河 の 国 八 橋 とい ふ 所 にい た りぬ 。 そ こ を八 橋 とい ひ け る は,水 ゆ く河 の くも で な れ ば,橋
を八 つ わ た せ る に よ りて な む,八 橋 と い ひ け る 。 そ の 沢
の ほ と りの 木 の か げ に お りゐ て,か
れ い ひ 食 ひ け り。 そ の 沢 に か きつ ば た
い と お も しろ く咲 きた り。 そ れ を見 て,あ と い ふ 五 文 字 を句 の か み に す ゑ て,旅
る 人 の い は く,「 か き つ ば た,
の 心 を よ め 」 と い ひ け れ ば,よ
る。
か ら衣 きつ つ な れ に しつ ま しあ れ ば は る ば る きぬ る た び を しそ 思 ふ
と よめ りけ れ ば,み
な 人,か れ い ひ の 上 に涙 お と して ほ とび に け り。
『伊 勢 物 語 』 「東 下 り」[「を」 の 出現 率 =6/10で,60%]
紀 貫 之 自身 の 手 に な る 日記,『 土 佐 日記 』 で さ え,次 の よ うで あ る 。
め
男 も す な る 日 記 と い ふ も の を,女 そ れ の 年 の,十
二 月 の,二
よ し い さ さ か に,も 或 人,県 て,住
十 日 あ ま り一 日 の 日 の,戌
の 四 年 五 年 は て て,例
の時に 門出す。 その
の こ と ど も み な し終 へ て,解
由 な ど取 り
に 乗 る べ き所 へ 渡 る 。 か れ こ れ,知
く 比 べ つ る 人 々 な む,別
と か く しつ つ の の し る う ち に,夜
る な り。
の に 書 き つ く。
む 館 よ り 出 で て,船
送 りす 。 年 ご ろ,よ
も し て み む と て,す
れ 難 く思 ひ て,日
る 知 ら ぬ, し き り に,
ふ けぬ。
『土 佐 日記 』 「冒 頭 」[「 を 」 の 出 現 率 =1/5で,20%]
最 後 に,和 文 の最 盛 期 に 書 か れ た 『枕 草 子 』 『源 氏 物 語 』 の 状 況 を 探 っ て お く。 す さ ま じき も の 昼 ほ ゆ る 戌 。 春 の網 代 。 三,四
月の紅梅 の衣。牛 死 に
た る牛 飼 。 ち ご亡 くな りた る 産 屋 。 火 お こ さぬ 炭 櫃,地 つ づ き女 児 生 ませ た る 。 方違 へ に行 きた る に,あ な ど は,い
火炉。 博士 の うち
る じせ ぬ 所 。 ま い て 節 分
とす さ ま じ,人 の 国 よ りお こ た る文 の 物 な き。 京 の を も さ こそ
思 ふ らめ,さ れ どそ れ は ゆ か し き事 ど も を も書 きあつ め,世
に あ る事 な ど
を も聞 け ば い と よ し。
『枕 草 子 』 「す さ ま じ き もの 」[「を」 の 出 現率 =3/6で,50%]
人 な くて,つ れ づ れ な れ ば,夕 暮 の い た う霞 み た る に ま ぎ れ て,か
の小
柴 垣 の ほ どに 立 ち 出 で た まふ 。 人 々 は帰 した ま ひ て,惟 光 朝 臣 との ぞ きた まへ ば,た
だ この 西 面 に し も,持 仏 す ゑ た て まつ りて 行 ふ,尼
な りけ り。
簾 す こ し上 げ て,花 奉 る め り。中 の 柱 に寄 りゐ て,脇 息 の 上 に 経 を 置 きて, い と な や ま しげ に 読 み ゐ た る尼 君,た
だ 人 と見 え ず 。 四 十 余 ば か りに て,
い と 白 うあ て に,痩 せ に た れ ど,頬 つ きふ く らか に,ま み の ほ ど,髪 の う つ く しげ に そが れ た る末 も,な か な か 長 きよ り も こ よ な う 今 め か し き もの か な,と あ は れ に 見 た ま ふ 。 いず れ も,サ
『源 氏 物 語 』 「若 紫 」[「を」 の 出現 率=1/4で,25%] ンプ リ ン グ調 査 で あ り,正 確 さの 点 で 問 題 は あ る が,大
体の傾
向 を 知 る に は 十 分 で あ ろ う。 と に か く,古 今 和 歌 集 の 仮 名 序 の 文 章 に お け る
「を」 の 出現 率 は他 を圧 して い る こ と は確 か で あ る 。 漢 文 訓 読 文 に お い て は,格 助 詞 「を」 の 出現 率 は100%で
あ る か ら,仮 名 序
の在 り方 は,こ れ に習 った も の と考 え るほ か な い 。 仮 名 序 は和 文 と して 純 粋 性 を 欠 く もの と 評価 す べ き もの なの で あ る。
6 .「 仮 名 序 」 の 主 要 表 現 技 法(レ
① 花 に 鳴 く鶯,水
トリ ック)は 対 句― 論 理 よ りも表 現―
に住 む 蛙 … …
② 男 女 の 中 を も和 らげ,猛
き武 士 の心 を も慰 む る … …
③ 久 方 の 天 に して は,下 照 姫 に始 ま り,あ らか ね の地 に して は,素盞
鳴
尊 よ りぞ 起 こ りけ る 。 ④ 花 を め で,鳥
を う らや み,… …
⑤ 霞 を あ は れ び,露
を か な しぶ … …
⑥ 遠 き所 も,い で た つ足 下 よ り始 ま りて 年 月 を わ た り,高 き 山 も,麓 の 塵 泥 よ りな りて天 雲 た な び くま で生 ひ 上 ぼ る ご と くに … … ⑦ 春 の 花 の 朝,秋
の 月 の夜 ご とに … …
⑧ あ る は花 をそ ふ とて た よ りな き所 に ま ど ひ,あ
る は 月 を思 ふ とて し る
べ な き闇 に た どれ る … … ⑨ さ ざれ 石 に た とへ,筑 波 山 に か け て … … ⑩ よろ こび 身 に 過 ぎ,た の しび心 に余 り… … ⑪ 男 山 の 昔 を 思 ひ 出 で て,女 郎 花 の ひ と と き を くね る に も… … ⑫ 春 の 朝 に花 の 散 る を見, 秋 の 夕 暮 に 木 の 葉 の 落 つ る を聞 き,… … ⑬ 松 山 の 波 をか け,野 中 の 水 を汲 み … … ⑭ 秋 萩 の 下 葉 を な が め,暁
の 鴫 の 羽掻 き を 数へ … …
⑮ 富 士 の 山 も煙 立 た ず な り,長 柄 の橋 もつ くる な り と… … ⑯ 秋 の 夕,龍
田 河 に 流 る る紅 葉 を ば帝 の 御 目 に錦 と見 た ま ひ,
春 の 朝,吉 野 の 山 の 桜 は人 麿 が 心 に は 雲 か との み な む 覚 え け る。 ⑰ 人 麿 は 赤 人 が 上 に 立 た む こ とか た く, 赤 人 は 人 麿 が 下 に 立 た む こ とか た くな む あ りけ る。 ⑱ 呉 竹 の よ よ に 聞 え,片 糸 の よ り よ りに 絶 えず … …
⑲ 年 は 百 年 余 り,世 は十 つ ぎ に… … ⑳ あ ま ね き御 慈 しみ の 波,八 洲 の ほ か まで 流 れ, ひ ろ き御 恵 み の 蔭,筑
波 山の 麓 よ りも繁 くお は し ま し て … …
(21) 古 の こ と を も忘 れ じ,旧
りに し こ と を も興 した まふ と て … …
(22) 今 もみ そ な は し,後 の 世 に も伝 はれ とて … … (23) 紅 葉 を折 り,雪 を 見 る … … (24) 山 下 水 の絶 えず,浜
の 真 砂 の 数 多 く積 も りぬ れ ば … …
(25) か つ は 人 の 耳 に恐 り,か つ は歌 の 心 に恥 ぢ思 へ ど… … (26) た な び く雲 の 立 ち居,鳴
く鹿 の起 き臥 しは … …
(27) 時 移 り事 去 り… … (28) 青柳 の 糸 絶 え ず,松
の 葉 の 散 り失せ ず して… …
(29) 真 折 の 葛 長 く伝 は り,鳥 の 跡 久 し くと どま れ らば … … (30) 歌 の さ ま を 知 り,こ との 心 を得 た らむ 人 は… … (31) 古 を仰 ぎて 今 を 恋 ひ ざ らめ か も。
紀 貫 之 の 覚悟 が ひ し ひ し と伝 わ っ て くる 。 彼 は,対 句 で 行 くそ と決 心 し,最 初 か ら最 後 まで 対 句 で 貫 い て い る 。 「仮 名 序 」 と い う布 は 大 小 さ ま ざ ま な対 句 で 紡 が れ た シ ン メ ト リカ ル な 紋 様 に 彩 られ た錦 で あ ろ う。 筆 者 に は 重 苦 し く感 じ られ る ほ ど で あ る。 この 文 体 で は,右 え ば 下,春
と言 え ば左 が 必 要 で あ ろ う と なか ろ う と登 場 す る。 上 と言
の朝 と言 え ば,な
にが な ん で も秋 の 夕 暮 とい う具 合 で あ る 。
⑰ の 例 に は 呆 れ て し ま う。 貫 之 が 言 い た い こ とは,「 人 麿 」 と 「赤 人 」 との 優 劣 はつ け が た い と い う こ とで あ る はず な の だ が,対 句(こ
の 場 合 は,「 回 文
対 句 」)の 構 造 で 述 べ て し ま っ た た め,歌 聖 柿 本 人麻 呂 よ り山 辺 赤 人 の ほ う が 上 で あ る と述 べ て し ま って い る 。 表 現 か らの 要 求 が 論 理 か ら の要 求 を抑 え 込 ん で し まっ て い る とい う こ と に な る。 呆 れ て 物 が 言 え な い 。 対 句 は 漢 文 の 基 本 的 表 現 方 法 で あ る 。 紀 貫 之 は 論 理 的 正 確 さ を犠 牲 に して ま で,対 句 に こだ わ っ た 。 「仮 名 序 」 は純 粋 な和 文 で な い こ と を 彼 自身 自覚 して い た と言 っ て よ い。
■ 発展 問題 (1) 「い ろ は 歌 」 を7・7・7・7・7・7・5の
形 で 表 記 し,各
行の 末尾音 節 を繋
げ る と,「 答 無 くて 死 す 」 と い う 文 が で き る 。 こ れ は,偶
然 の 結 果 な の か,
意 図 的 な も の な の か 判 定 しな さ い 。
い ろ は に ほ へ と ち りぬ る を わ か よ た れ そ つ ね な ら む う ゐ の お く
や まけふ こえ て
あ さきゆめ み し ゑ ひ もせ す
(2) 京 都 東 山 の 方 広 寺 に 豊 臣 秀 頼 が 寄 進 した 梵 鐘 の 銘 文 の 一 部 に 「国 家 安 康 」 と あ る 。 一 説 で は,こ
の 一 句 が 原 因 と な り,慶 長19年(1614)11月,大
の 陣 が 開 戦 さ れ た とい う 。 ど う い う こ と な の だ ろ う か?
阪冬
隠 し文 字 の 観 点 で
考 え て み よ う。
(3) 5節 で 紹 介 した 古 今 和 歌 集 の 仮 名 序 に 対 応 す る 真 名 序 の 表 現 を 観 察 し,ど よ う な 特 徴 が あ る か 考 え て み よ う。 な お,原
文 は 漢 文 で あ る が,こ
の
こで は読
み 下 した もの を 掲 げ る 。
夫 れ和 歌 は,其 に 在 る や,無
の 根 を 心 地 に 託 け,其
の 花 を詞 林 に 発 く も の な り。 人 の 世
為 な る こ と 能 は ず 。 思 慮 遷 り易 く,哀
り,詠 は 言 に 形 は る 。 是 を 以 ち て,逸
せ る 者 は 其 の 声 楽 しみ,怨
の 吟 悲 しむ 。 以 ち て 懐 を 述 べ つ べ く,以 か し,鬼 神 を 感 ぜ しめ,人
楽相 変ず 。 感 は 志 に生
ち て,憤
ぜ る者 は其
を 発 しつ べ し。 天 地 を 動
倫 を 化 し,夫 婦 を和 ぐる こ と,和 歌 よ り宜 し き は
な し。 春 の 鶯 の 花 の 中 に 嚇 り,秋 の 蝉 の 樹 の 上 に 吟 ふ が ご と き は,曲 と い へ ど も,各
歌 謡 を 発 す 。 物 皆 こ れ あ る は,自
折な し
然 の 理 な り。
(4) 千 載 和 歌 集 の 仮 名 序 の 一 部 で あ る 。 古 今 和 歌 集 の 仮 名 序 と比 較 し,ど の よ う な こ と が 言 え る か,主
要 表 現 技 法 の 観 点 か ら 考 え て み よ う。
や ま と み こ との うた は ち は や ぶ る 神 代 よ りは じ ま りて,な お ふ 宮 に ひ ろ まれ り。 た ま し き た ひ らの 都 に して は,延
らの は の 名 に
喜 の ひ じ りの 御 世 に
は 古 今 集 を え ら ば れ,天 暦 の か し こ き お ほ む と き に は 後 撰 集 を あ つ め た ま ひ, 白 河 の お ほ ん よ に は 後 拾 遺 集 を 勅 せ しめ,堀
川 の 先 帝 は も もち の うた を た て
まつ ら しめ た まへ り。 お ほ よ そ こ の こ とわ ざ わ が よ の風 俗 と して,こ
れを
こ の み もて あ そ べ ば,名
を世 世 に の こ し,こ れ を ま な び た づ さ は ら ざ る は
お もて を か き に して た て た ら むが ご と し。 か か り け れ ば,こ む まれ
わ が 国 に きた りと き た る 人 は,た
の代 にむ まれ と
か き も くだ れ る も こ の う た を よ ま
ざ る は す く な し。 聖 徳 太 子 は か た を か や まの み こ と を の べ,伝
教 大 師 は わが
た つ そ ま の こ とば を の こ せ り。 よ りて 代 代 の 御 か ど も こ の み ち を ば す て た ま は ざ る を や,た
だ し ま た,集
を え らび た まふ あ と は なほ まれ に なん あ りけ
る。
(5) 『竹 取 物 語 』 の 格 助 詞 「を 」 に つ い て,考
え て み よ う。
■ 参考文 献 1) 小 沢 正夫 ・松 田 成穂 校 注 ・訳 『 古 今 和 歌集 』(「新 編 日本古 典 文 学 全 集」 小 学 館,1994) 2) 小 松 英雄 『や ま と うた』(講 談社,1994) 3) 小松 英雄 『古 典和 歌 解 読 』(笠 間書 院,2000) 4) 小 松 英雄 『い ろ は うた 』(中 公新 書,1979) 5) 片 桐 洋 一 「『古 今 集』 の成 立 史 と本 文 」(「国 文 学 解 釈 と教 材 の 研 究 」40巻10号,學
燈
社,1995) 6) 新 井 栄 蔵 「漢 と和 和 歌 の 道― 古 今 集 仮 名 序 真 名 序 考 」(「国 文 学 解 釈 と教 材 の 研 究 」 32巻5号,1987) 7) 小 池清 治 『基礎 古 典 文 法 』(朝 倉 書 店,1994) 8) 小 池清 治 『日本 語 はい か に つ くられ たか?』(ち
くま学芸 文 庫,1995)
第 3章 純 粋 な和 文 とは?―『伊勢物語』の文体― 【 和 文 ・言 文 一 致 体 】
キ ー ワ ー ド:配 列 順 序,恋 性 独 白 体,普
歌,四
季 歌,雑
歌,枕
詞
・序 詞
・耳 の歌 ・目 の 歌 ,女
段 着 の 文 体 ・正 装 の 文 体
『古 今 和 歌 集 』 と 『伊 勢 物 語 』 の 前 後 関 係 に つ い て 考 え る と所 収 和 歌 の 位 置 付 け等 に よ り,『 伊 勢 物 語 』 の 方 が 前 に位 置 す る と考 え られ る。 『伊 勢 物 語 』 と 「物 語 の 出 で き始 め の 祖 な る」 『竹 取 物 語 』 との 前 後 関係 を 考 察 す る と,同
じ く所 収 和 歌 の 性 質 等 に よ り,『 伊 勢 物 語 』 の 方 が 古 い と判 定 さ
れ る。 そ の,最
初 期 の 和 文,『 伊 勢 物 語 』 の 文 体 は,極
め て だ ら しな い もの で あ っ
た。 この だ ら しな さは,日 本 語 の 話 し言 葉 の だ ら しな さ に由 来 す る。 初 期 の 和 文 は,素 朴 な言 文 一 致体 と して 出 発 した。
1.「 恋歌 」 に お け る 『古 今 和 歌 集 』 と 『伊 勢 物 語 』 の 共 通和 歌 『古 今 和 歌 集 』 の 「仮 名 序 」 は,み 現 技 法(レ
ご と な 首 尾 照 応,構
成 の 完璧 さ,主 要 表
トリ ック)を 対 句 で 統 一 す る と い う一 貫 性 な ど,神 経 が す み ず み ま
で 行 き届 い て い る 自立 的 文 章 で あ っ た。 また,こ
の 文 章 は 醍 醐 天 皇 に奏 呈 した
も の で あ っ た か ら,正 装 の文 体 と も い え る 。 初 期 の和 文 と して は 出 来 過 ぎか と お も わ れ る ほ どの完 成 度 の 高 い和 文 で あ る。 しか し,こ の 完 成 度 は 紀 淑 望 が 書 い た 「真 名 序 」 の存 在 と漢 文 訓 読 文 の 支 え に よ る もの で,純 粋 な和 文 と は い え な い と筆 者 は 判 断 した 。 で は,純 粋 な 和 文 とは どの よ うな もの で あ っ た の だ ろ う か? 『古 今 和 歌 集 』 所 載 の 和 歌 と 『伊 勢 物 語 』 所 載 の 和 歌 に は 共 通 す る も のが 多 い。 そ こ で 両 書 の 前 後 関 係 が 問 題 と な る 。 ま ず,『 古 今 和 歌 集 』 巻 第 十 一 「恋
歌 一 」 か ら巻 第 十 五 「恋 歌 五 」 まで に 収 録 され て い る恋 歌 に 限 定 して,『 伊 勢 物 語 』 所 収 の 和 歌 と共 通 す る和 歌 を確 認 して お く。 古今
伊勢
巻11 476見 ず もあ らず 見 もせ ぬ 人 の 恋 し くは
99段
あ や な く今 日や な が め 暮 さ む
477知 る 知 らぬ な に か あ や な くわ きて言 はむ
99段
思 ひの み こそ しるべ な りけ れ 522ゆ く水 に 数 書 く よ りも はか な きは
50段
思 は ぬ 人 を思 ふ な りけ り 巻12 552思 ひつ つ 寝 れ ばや 人 の 見 えつ ら む
142段
夢 と知 りせ ば 覚 め ざ ら ま し を 巻13 616起 き もせ ず 寝 もせ で夜 をあ か して は
2段
春 の もの と て な が め 暮 ら しつ
617つ れ づ れ の な が め に ま さる 波 川
107段
袖 の み 濡 れ て逢 ふ よ し も な し
618浅 み こ そ 袖 は ひつ らめ 涙 川
107段 身 さへ 流 る と聞 か ば た の まむ
649か き く らす 心 の 闇 に ま どひ に き
69段
夢 うつ つ と は 世 人 さ だ め よ 巻14 685心 をぞ わ りな き もの と思 ひぬ る
128段
見 る もの か らや 恋 しか るべ き
724陸 奥 の しの ぶ も ちず り誰 ゆ ゑ に
1段 乱 れ む と思 ふ 我 な ら な くに
746形 見 こ そ今 は あ た な れ これ な くは
119段
忘 る る と き もあ ら ま し も の を 巻15 747月 や あ らぬ 春 や 昔 の 春 な らぬ わ が
4段
身 ひ とつ は も と の 身 に して
「恋 歌 」 に 限 定 す る と以 上 の12首 が 『古 今 和 歌 集 』 と 『伊 勢 物 語 』 の 和 歌 と
で 共 通 す る和 歌 で あ る。 共 通 す る と い う こ と は,い ず れ か が 他 方 か ら収 録 した と考 え る の が 普 通 な の で あ る が,一
体 どち らが 先 に 存 在 した の で あ ろ う か?
残 念 なが ら,共 通 す る恋 歌 を 睨 ん で い る だ け で は 結 論 が で そ うに な い 。
2.正 岡 子 規 の 曲 解― 『古 今 和 歌 集』 に お け る和 歌 の 配 列 順 序― 正 岡 子 規(1867∼1902)は,「
歌 よ み に 与 ふ る書 」(明 治31年
「再 び 歌 よ み に与 ふ る書 」(同 年 同 月14日)を
2月12日),
新 聞 「日本 」 に発 表 し,和 歌 の
革 新 を 試 み,短 歌 へ の 道 を拓 り開 い て い る 。 彼 は まず 『古 今 和 歌 集 』 と い う偶 像 を破 壊 す る こ と か ら始 め て い る 。 「再 び歌 よみ に 与 ふ る 書 」 の 冒 頭 部 は 次 の よ う に な っ て い る。
貫 之 は 下 手 な 歌 よみ に て 古 今 集 は くだ らぬ 集 に 有 之 候 。(中 略) 先 づ 古 今 集 とい ふ 書 を取 りて 第一 枚 を 開 く と直 に 「去 年 とや い は ん今 年 と や い は ん 」 と い ふ 歌 が 出 て 来 る。 実 に呆 れ 返 つ た 無 趣 味 の 歌 に 有 之 候 。 日本 人 と外 国 人 との 合 の 子 を 日本 人 とや 申 さ ん外 国 人 とや 申 さん と しや れ た る と同 じ事 に て しや れ に も な らぬ つ ま らぬ歌 に候 。(下 略)
正 岡子 規 が 紀 貫 之 や 『古 今 集 』 を 既 め て い る の は,戦 略 で あ っ た と 考 え る 。 偶 像 の 破 壊 か ら始 め るの が 革新 運 動 の 定 石 で あ る か らだ 。 彼 ほ どの 歌 人 が 『古 今 集 』 の 真 価 を理 解 して い な か っ た と は 考 え に くい 。 した が っ て,『 古 今 集 』 巻 一 の 巻 頭 歌 もわ ざ と曲 解 して,貶
して い るの で あ ろ う。 そ の巻 頭 歌 は次 の よ
う な も の で あ る。
ふ る 年 に春 た ち け る 日 よ め る
在 原 元方
年 の う ち に 春 は 来 に け りひ と とせ を去 年 と や い は む 今 年 と や い は む 歌 意 は 「暦 の 関 係 で12月 中 に 立 春 が 来 て し ま っ た 。 そ こで 暦 の 上 の 立 春 か ら本 当 の 正 月 ま で の 間 の 日 々 を去 年 と い っ た ら よ い もの か,今 年 とい っ た ら よ い もの か,悩
ま しい か ぎ りだ 」 と い う もの で あ る 。
元 方 の 歌 は,『 古 今 集 』 の 歌 風 の 一 つ,理
知 的 歌 風 を代 表 す る典 型 的 な 歌 で
あ る。 こ の 歌 が 巻 一 の 巻 頭 に 据 え られ た の に は 実 は 理 由 が あ っ た 。 『古 今 集 』 の 四季 歌 は,暦 の順 序 に 従 っ て 配 列 され る とい う原 則 が あ るの で あ る。
春上
1 旧年立春 の歌 68 山里 の桜 の歌
春 下
69 山 の 桜 花 の歌 134 春 の 果 て の歌
夏
135 藤 の 花 が 咲 き,山 ほ と と ぎす の 鳴 き声 を待 つ 歌 168 六 月 の つ ご も りの 日の 歌
秋 上 169 立 秋 の 日 の歌 248 秋 の 野 の 歌 秋 下 249 秋 の 嵐 の 歌 313 九 月 の つ ご も りの 日の 歌 冬
314 神 無 月 の 時 雨 の歌 342 年 の 果 て の 日の歌
律 義 す ぎる ほ ど に,暦 に 従 っ て歌 が 配 列 さ れ て い る。こ の 原 則 を 適用 す れ ば, 旧年 中 の 立 春 を歌 っ た 元 方 の 歌 が 巻頭 を飾 る の は 必 然 な の だ。 歌 の優 劣 もあ る が,水
準 を超 えて い れ ば,配 列 順 序 決 定 に は暦 上 の 先 後 が 優 先 され る。 こ れ が
『 古 今集』 であ った。 正 岡 子 規 の批 判 は,こ の 原 則 を知 らぬ 振 りを して,わ
ざ と な され た もの な の
で あ ろ う。
3.不 思 議 な 「雑 歌 」― 『伊 勢 物 語 』 が 先 行 す る こ との 証 拠 の歌― さ て,前 節 で確 認 した 『古 今 集 』 の 配 列 順 序 とい う観 点 か ら見 て,納 得 で き な い 和 歌 が 巻 第 十 七 「雑 歌 上 」 の 巻 頭 の 次 の 歌 で あ る。 題 し らず
読 人 し らず
863 わ が 上 に露 ぞ お くな る天 の 川 門 渡 る舟 の 権 の しづ くか
七 夕伝 説 を 歌 材 に した 歌 で,「 天 の 川 」 の 言 葉 が 使 用 さ れ て い る 。 「天 の 川 」 は 秋 の 景 物 で あ る か ら,こ の歌 は 「秋 」 の 歌 と して 配 列 さ れ て もよ さそ う な歌 な の で あ る。
秋 上 173 秋 風 の吹 きに し 日 よ り久 方 の 天 の 河 原 に た たぬ 日は な し 174 久 方 の 天 の 河 原 の わ た し も り君 わ た りな ば揖 か くして よ 175 天 の 川 紅 葉 を橋 に わ た せ ば や 七 夕 つ め の 秋 を し も待 つ 176 恋 ひ恋 ひ て逢 ふ夜 は こ よ ひ天 の 川 霧 た ち わ た りあ け ず も あ ら な む 177 天 の 川 あ させ し ら波 た ど りつ つ 渡 りは て ね ば あ け そ しに け る
巻 第 四 「秋 歌 上 」 に お け る 「天 の 川 」 を歌 っ た和 歌 の 一 群 で あ る 。863番 の歌 は174番 の 歌 の前 後 に 配 され て よ さそ うな もの で あ る。 しか る に,そ
うな
っ て い な い 。 なぜ なの だ ろ うか 。 幸 い な こ と に,『 伊 勢 物 語 』59段 に 同 じ歌 が 記 載 さ れ て い る 。 五 九 東 山 む か し,男,京
す み わ び ぬ い ま は か ぎ り と山 里 に 身 を か くす べ き宿 も とめ て む
か くて,も ど して,い
をい か が 思 ひ け む 。 東 山 にす まむ と思 ひ入 りて,
の い た く病 み て,死
に入 りた りけ れ ば,お
もて に水 そ そ きな
きい で て,
わ が 上 に 露 ぞ 置 くな る 天 の 河 とわ た る船 の か い の しづ くか
とな む い ひ て,い
きい で た りけ る。
「わ が 上 に」 の 和 歌 は,発
病 して 気 絶 し た 男 が,顔
に 水 を掛 け られ て 息 を 吹
き返 した 際 に,朦 朧 と した頭 で 詠 ん だ 歌 な の で あ っ た 。 七 夕 の 季 節 とは ま っ た く無 関 係 な歌 で あ る 。 『伊 勢 物 語 』 を読 む と 「雑 歌 」 で あ る こ とが 容 易 に 理 解 で き る。 『古 今 集 』 の撰 者 た ち も同 じ過 程 を 経 て,こ
の 歌 を 迷 う事 な く 「雑 歌
上 」 の 巻 頭 に 据 え た の で あ ろ う。 と い う こ と は,『 伊 勢 物 語 』 が 『古 今 集 』 の 前 に存 在 して い た とい う こ と に な る。
4.『伊 勢 物 語 』 と 『竹取 物 語 』 の 前 後 関 係― 耳 の 歌 と 目の 歌― 前 章 で 取 り上 げ た,『 古 今 和 歌 集 』 「仮 名 序 」 の 一 節 に,「 この 歌,天
地の ひ
ら け 始 ま りけ る時 よ りい で き に け り。」 とあ っ た 。 紀 貫 之 も,随 分 思 い 切 っ た こ と を書 くもの だ と感 心 す る。 この 文 言 をそ の ま ま信 じる わ け で は な い が,日
本 が ま だ 無 文 字 社 会 で あ っ た 頃 よ り和 歌 が 詠 まれ て い た こ と は確 実 で あ ろ う。 文 字 を 前 提 と し な い和 歌 を本 書 で は 「耳 の 歌 」 と名 付 け る。 ま た,仮 名 が 開発 され,識
字 階 級 が 広 く成 立 し,和 歌 を 詠 む こ と,即 ち,和 歌 を書 くこ と とな っ
た時 代 の 和 歌 を 「目 の歌 」 と称 す る こ とに す る。 『伊 勢 物 語 』 は耳 の 歌 と 目 の歌 の端 境 期 に あ っ た。 『伊 勢 物 語 』 第 1段 「初 冠 」 は 目 の 歌 に 入 っ て い た こ と を証 明 す る 章段 で あ る。
男 の,着 た りけ る 狩 衣 の 裾 を き りて,歌
を書 きて や る。 そ の 男,信夫
摺
の 狩 衣 を な む 着 た りけ る 。
春 日野 の 若 む ら さ きの す りご ろ も しの ぶ の 乱 れ か ぎ りし られず
若 者 は,着
物 の 裾 を切 り裂 い て まで,和
歌 を書 き 記 して い る 。 「春 日野 の 」
の 歌 は 明 らか に 目の 歌 で あ る 。 一 方,第23段
「筒 井 筒 」 の エ ピ ソ ー ドは,ま
だ,耳
の歌 が健在 で あった こ
と を示 す もの で あ る。
この 女,い
と よ う化 粧 じて,う
ち な が め て,
風 吹 け ば沖 つ し ら浪 た つ た 山夜 半 にや 君 が ひ と りこ ゆ ら む と よみ け る を 聞 きて,か
ぎ りな くか な し と思 ひ て,河 内 へ もい か ず な りに
け り。 「河 内 」 へ 出 か け た 振 り を して,「 前 栽 」(庭 の 植 え込 み)に て い た 男 が 耳 に した歌 は,薄 情 な夫 に もか か わ らず,愛
隠 れ て様 子 を見
情 を密 か に 吐 露 す る妻
の い じ ら しい歌 で あ っ た の だ 。 庭 の夫 の 耳 に 聞 こ え る程 度 の 声 で妻 を和 歌 を唱 えて い る 。 耳 の 歌 の 存 在 を前 提 と しな い と理 解 で きな い 章 段 で あ る 。 『竹 取 物 語 』 所 収 の和 歌 の 特 徴 は,掛
尽 く し 果 て 無 い
血 の涙
(石作 皇 子) 海 山 の道 に心 を つ く し は て な い しの は ち の涙 な が れ き 筑紫
詞の 多用 とい うところにある。
石の
鉢
[筑 紫 を 出 発 して か ら海 山 の 道 の 苦 し さ に心 を尽 く しは て,果
て のない旅
で 泣 い て, 石 の 鉢 を取 る た め に血 の 涙 を 流 しま した。]
鉢
(石 作 皇 子) 白 山 に あ へ ば光 の 失 す る か とは ち を捨 て て も頼 ま る る か な 恥 ぢ [光 っ て い る鉢 を持 っ て き た の で す が,白
山の よ う に光 り輝 く美 女 に あ っ
た の で,お
し消 され 光 が 失 せ て い る だ け で,ほ
ん と うは 光 る 鉢 で な か っ
た か と,鉢
を捨 て て し ま っ て か ら も,恥 を捨 て て あつ か ま し く期 待 され
る の で す よ。]
「鉢 」 と 「恥 ぢ」 の 掛 詞 は 目 の歌 の 象 徴 と な る 。 掛 詞 は 本 来,同
音異 義語 の
存 在 を前 提 と した技 法 で あ っ た が,「 鉢 」 と 「恥 ぢ 」 とは 同 音 で は な い 。 平 安 時 代 の 仮 名 表 記 で は,濁
音 を 明 示 しな い 。 そ こで,「 鉢 」 も 「恥 ぢ 」 も
同 じ く 「は ち 」 と 表 記 さ れ る こ と に な る。 言 い 換 え る と,「 鉢 」 と 「恥 ぢ 」 の 掛 詞 は 同 一 表 記 に よ っ て 成 立 す る掛 詞 な の で あ り,ま さ に,目 の 歌 な の だ 。 『竹 取 物 語 』 の 和 歌 は 同 音 異 義 語,同
表記 異義語 に よっ て支 え られ てい る。
この よ う に複 雑 な構 造 の 歌 は耳 だ け で は理 解 で き な い。 文字 の 助 け,目
の確 認
が 必 要 な の で あ る。 こ の 物 語 は あ き らか に 『 伊 勢 物 語 』 よ り後 に作 られ た物 語 で あ る。
5.『伊 勢 物 語 』 の和 文 の だ ら しな さは ど こ か ら来 る も の な の か?― 丸 谷 才 一 の 当 惑― 以 上 の 考 察 に よ り,『 伊 勢 物 語 』 は 『古 今 集 』 や 『竹 取 物 語 』 よ り も古 い 時 代 の 作 品 で あ る こ とが 証 明 さ れ た と思 わ れ る が,で
は,最 初 期 の 和 文,『 伊 勢
物 語 』 の和 文 は ど の よ う な もの で あ っ た の で あ ろ うか? 『伊 勢 物 語 』 の 中 で も名 文 の 誉 れ 高 い,第
9段 「東 下 り」 の ク ラ イマ ッ ク
ス の部 分 を と りあ げ る 。 な ほ ゆ きゆ きて,武
蔵 の 国 と下 つ 総 の 国 の なか に い と大 き な る 河 あ り。
そ れ を す み だ 河 とい ふ 。 そ の 河 の ほ と りに む れ ゐて,思 な く も遠 く も来 に け る か な,と
ひや れ ば,か
ぎり
わ び あ へ る に,渡 守,「 は や 船 に 乗 れ,日
も暮 れ ぬ 」 とい ふ に,乗
りて 渡 らむ とす る に,み
な 人 もの わ び し くて,京
に 思 ふ 人 な きに しもあ らず 。 さる を り し も,白 き鳥 の,は し とあ しと赤 き, 鴫 の 大 き さ な る,水
の 上 に遊 びつ つ い を を食 ふ 。 京 に は見 え ぬ 鳥 な れ ば,
み な 人 見 し らず 。 渡 守 に 問 ひ け れ ば,「 こ れ な む 都 鳥 」 とい ふ を聞 きて,
名 に しお は ば い ざ こ と問 は むみ や こ ど りわが 思 ふ 人 は あ りや な しや と
と よめ りけ れ ば,船
こぞ りて 泣 き に け り。
作 家 ・評 論 家 で あ る 丸 谷 才 一 は,こ
の 文 章 を批 評 して 次 の よ う に述 べ て い
る。
日本 語 の 文 章 に つ いて 考へ や う とす る と き,わ た しは よ くこ の くだ りを 思 ひ 出 す 。思 ひ 出 して 当 惑 す る 。 「『か ぎ りな く,遠 くも きに け る か な』 と, わ び あ へ る に,渡 守,『 は や 舟 に 乗 れ 。 日 も暮 れ ぬ 』 と い ふ に,乗
りて 渡
らむ とす る に」 と 「に」 を 三 回 も く りか へ して 平 気 で ゐ る 。 何 か ず る ず る と し ど け な い感 じが,ひ
ど く困 る の だ。 い や,そ
れ だ け で な く,「 渡 守 に
問 ひ け れ ば」 が あ つ て す こ しあ と に 「と よめ りけ れ ば」 が あ る反 復(す
こ
し前 の「 思 ひ や れ ば 」 は不 問 に付 す こ と に して も)も ま た気 にか か る。 こ の だ ら しな さ は 一体 ど う いふ わ け だ ら う。 丸 谷 の 当 惑 と嘆 きは よ くわ か る 。 確 か に,セ
ンテ ンス が だ らだ ら と長 い の だ
か ら,文 章 の 達 人,散 文 の 彫 琢 に 命 を削 っ て い る 文筆 家 の 目に は だ ら しな い と 映 る に違 い ない 。 同 一接 続 助 詞 の 反 復 使 用 も堪 え 難 い もの が あ ろ う。 こ の だ ら し な さの 原 因 は話 し言 葉 か らの 距 離 の 短 さ に あ る。 『伊 勢 物 語 』 の 和 文 は,話 し言 葉 を 半 歩 ほ ど踏 み 出 した 書 き言 葉 な の だ 。 文 体 と して は,普 段 着 の 文 体 と 称 され る もの で あ る。 と こ ろ で,和 文 の傑 作 は,い
う まで も な く 『源 氏 物 語 』 なの で あ るが,こ
の
作 品 にお い て も,丸 谷 の 言 う とこ ろ の 「だ ら しな さ」 の 欠 点 を 克服 し き っ て は いない。 ① 藤 壺 の宮,な
や み た まふ こ と あ りて,ま か で た まへ り。
② 上 の お ぼ つ か な が り[藤 壷 ノ宮 ノ 病 気 ヲ]嘆 [源 氏 ハ]い
き き こ え た ま ふ 御 気 色 も,
とほ し う見 た て まつ り なが ら,か か る を りだ に[逢
ヒタキモ
ノ]と,心
もあ くが れ ま ど ひ て,い づ く に もい づ くに も 参 う で た ま は ず,
内裏 に て も里 に て も,昼
はつ れづ れ と なが め 暮 ら して,暮
る れ ば,王 命 婦
を責 め 歩 きた ま ふ 。 ③ いか が た ば か りけ む,い へ,[源
氏 ハ]現
④ 宮 も[ア る を,さ ガ]い
とわ りな く[源 氏 ガ藤 壺 ヲ]見 た て ま つ る ほ ど さ
ノ]あ
と は お ぼ えぬ ぞ わ び し きや 。 さ ま しか りし を思 し出 づ る だ に,世
て だ に や み な む,と
と う くて,い
ウナ ツテ シマ ツタコ ト
み じ き御 気 色 な る もの か ら,な つ か し う ら う た げ に ,
さ りとて うち と げず,心 て な しな どの,な
深 う思 した る に,[コ
と と もの 御 もの 思 ひ な
深 う恥 づ か しげ な る[源 氏 ニ対 ス ル藤 壷 ノ]御
ほ 人 に似 させ た ま はぬ を,[源 氏 ハ 藤 壷 ニ ハ]な
の め な る こ と だ に う ち ま じ りた ま は ざ りけ む,と,つ
も
どか な
ら う さへ ぞ 思 さ る
る。
『源 氏 物 語 』 「若 紫 」 の 一 節,藤
壺 が 体 調 を崩 して,里 下 が りを して い る と こ
ろ,源 氏 が 絶 好 の チ ャ ンス と ば か り,藤 壺 側 近 の 王 命 婦 を責 め 立 て,む
りや り
対 面 に 及 ぶ 場 面 で あ る。 四 つ の セ ンテ ンス で 構 成 され て い る。 ① の セ ンテ ンス は無 難 で あ る。 主 題 ・主 語 と して の 「藤 壺 の 宮 」 が 明 示 され て お り,明 晰 な散 文 に な っ て い る。 問題 は,② や ④ の 長 大 な セ ン テ ンス で あ る。 話 し言 葉 は豊 か な文 脈 が あ る た め に,省 略 が 許 さ れ る が,書 れ る。 しか し,書
き言 葉 に な る と,そ の 省 略 が 過 度 の も の と意 識 さ
き手 紫 式 部 は そ の こ とに 気 付 か ぬ よ う に,遠 慮 せ ず に 省 略 し
て い る。 用 言 の 連 用 形 や 「て 」 「を」 な どの 接 続 助 詞 の 使 用 に よ り,セ
ン テ ンス は,
切 れ そ う に な りつ つ も,危 う く,続 い て い く とい う連 綿 体 さ な らが ら の 息 の 長 さを 誇 っ て い る。 過 度 の 省 略,セ
ンテ ンス を長 々 と引 っ張 る思 い切 りの 悪 さ,こ
れ ら は,話
し
言 葉 の特 徴 で あ る。 『源 氏 物 語 』 の 文 体 も言 文 一 致 体 で あ っ た。
6.『伊 勢 物 語 』 和 文 の 功 績― 書 き言 葉 へ の 第 一 歩― 二 千 年 来 の,鍛
え の は い っ た 漢 文 の支 え が な い と,和 文 は,か
く もだ ら しな
くな る。 情 け な い こ と夥 しい の で あ る が,『 伊 勢 物 語 』 の 和 文 に も,当 然 良 さ はある。 言 語 表 現 の対 象 とす る,自 然 や 人 間 の 内 面 世 界 は,本 来,画
然 と分 節 化 さ れ
て い る わ け で は な い 。 綿 々 と続 く連 続 体 なの で あ る。 言 語 は無 理 や りそ れ を い くつ もに 分 節 す る。 新 緑 の 緑 は千 変 万 化 す る。 た だ の緑 一 色 で は な い 。 それ な の に 言 語 表 現 で は 「新 緑 」 の 一 語 で 引 つ 括 っ て し ま う。 言 語 表 現 は力 技 な の だ。 セ ンテ ンス にお い て も然 りで あ る 。 思 考 は途 絶 え る こ と な く,漠 然 と した塊 と して 心 の 中 に あ る。 そ こ に筋 目 を見 い だ し,線 条 的 な もの と して 言 語 化 す る。 この 技 もた や す い こ とで は な い。 訓 練 と修 練 と を必 要 とす る。 『伊 勢 物 語 』 の 和 文 は,ま だ,生
ま れ て 百 年 も経 て い な い和 文 で,未 熟 で あ
っ た 。そ う い う中 で,「 むか し,男 あ りけ り。」 とは,み ご と な切 り取 りで あ る。 話 し言 葉 か ら,華 麗 に離 陸 して い る。 書 き言 葉 は多 少 の 気 取 りを 必 要 と す る 。 わ が 大 和 民 族 は素 朴 で,対 句 仕 立 て の よ う な華 や か な 文 体 を気 取 りと受 け 取 り,気 恥 ず か しさ を 覚 えて し ま う の だ ろ う。 しか し,し っか り した 書 き言 葉 を獲 得 す る た め に は,気 取 る こ と を体 得 する必要が ある。 話 し言 葉 か ら書 き言 葉 へ の 道 程 は 長 い 。 そ の 最 初 の 一 歩 を歩 み 始 め た の が 『伊 勢 物 語 』 の 和 文 で あ っ た と い え よ う。
■ 発展問題 (1) 『古 今 和 歌 集 』 の 詞 書(A)と
『 伊 勢 物 語 』 の 文 章(B)を
文体 の観 点 で比 較
し て み よ う。 A1
東 の 五 條 わ た りに,人 け れ ば,門
を 知 りお き て ま か り通 ひ け り。 忍 び な る 所 な り
よ り し も え 入 らで,垣
り け れ ば,主
の 崩 れ よ り通 ひ け る を,た
びか さ な
聞 き つ け て か の 道 に 夜 ご と に 人 を 伏 せ て 守 らす れ ば,
行 き け れ ど え 逢 は で の み 帰 り きて,よ
み て や りけ る な り ひ らの 朝 臣
人 知 れ ぬ わ が 通 ひ路 の 関 守 は よ ひ よ ひ ご と に う ち も寝 な な む
B2
六十 九 狩 の使 む か し,男 あ りけ り。 そ の 男,伊
勢 の 国 に 狩 の 使 に い き け る に,か
勢 の 斎 宮 な り け る 人 の 親,「 つ ね の 使 よ り は,こ ひ や れ りけ れ ば,親
の 言 な りけ れ ば,い
の伊
の 人 よ くい た はれ」 とい
とね む ご ろ に い た は り け り。(中
略)
女,人
しづ め て,子
られ ざ りけ れ ば,外
一 つ ば か りに,男
の も と に 来 た り け り。 男 は た,寝
の 方 を見 い だ して ふ せ る に,月
の お ぼ ろ な る に,小
さ
き童 を さ き に 立 て て 人 立 て り。(中 略)
男,い
とか な し くて,寝
ず な り に け り。 つ と め て,い
が 人 や るべ き に しあ らね ば,い ば し あ る に,女
ぶ か しけ れ ど,わ
と心 も と な く待 ち を れ ば,明
け は なれて し
の も と よ り,詞 は な くて,
君 や 来 し わ れ や ゆ きけ む お も ほ えず 夢 か うつ つ か 寝 て か さめ て か 男,い
と い た う泣 き て よめ る,
か き く らす 心 の や み に ま ど ひ に き夢 うつ つ と は 今 宵 さ だ め よ と よ み て や りて,狩
に い で ぬ 。(中 略)
斎 宮 は 水 の 尾 の 御 時,文
徳 天 皇 の 御 女,惟
(2) 次 の 和 歌 の 「花 」 は な ん の 花 か?
春 上 6 42 春下 84 97
喬 の親 王 の妹。
配列順 序 に留 意 して答 え な さい。
春 たて ば花 とや見 らむ 白雪 のかか れ る枝 に う ぐひす の鳴 く 人 はい さ心 も知 らずふ る さとは花 ぞ昔 の香 に にほ ひけ る 久 方 の光 の どけ き春 の 日に静心 な く花の 散 る らむ 春 ご と に花 の さか りは あ りな め ど あ ひ見 む こ と は 命 な りけ り
秋 上 238
花 にあ か でな に帰 る らむ女 郎花 お ほか る野辺 に寝 な ま し もの を
秋 下 274
花 見つ つ 人 まつ ときは白妙 の袖 か とのみ ぞあ や またれ け る
冬 335
花 の色 は雪 に ま じ りて見 えず と も香 をだ にに ほへ 人の知 るべ く
(3) 3節 に 例 示 し た 七 夕 の 和 歌 群 を 読 み,暦
の 順序 に な って いる か ど うか確 認 し
よ う。
(4) 『竹 取 物 語 』 の 和 歌 で あ る 。 どの よ う な 掛 詞 が あ る か 検 討 し よ う。 ① くれ た け の よ よ の た け と り野 山 に も さや は わ び し きふ し を の み 見 し
② か ぎ りな く思 ひに焼 けぬ 皮 衣 袂 か わ きて 今 日 こそは着 め ③ 名残 りな く燃 ゆ と知 りせ ば皮 衣 思 ひの ほか にお きて 見 ま しを ④ 年 を経 て浪立 ちよ らぬ住 の江の まつ かひ な しと聞 くは ま こ とか
⑤ か ひはか くあ りける もの をわ びは てて死 ぬ る命 のす くひや はせ ぬ
■ 参考文献 1) 小 沢 正夫 ・松 田成 穂 校 注 ・訳 『 古 今 和 歌 集』(「新 編 日本 古 典文 学 全集 」 小 学 館,1994) 2) 福 井 貞助 校 注 ・訳 『 伊 勢物 語 』(「新 編 日本 古 典 文 学全 集 」 小学 館,1994) 3) 島田 修二 編 『子規 の短 歌 革新 』(「子 規 選 集 7」 増 進会 出版,2002) 4) 小 池 清治 『日本語 は悪 魔 の 言語 か?』(「 角川oneテ
ー マ21」 角 川学 芸 出 版,2003)
5) 片 桐 洋一 校 注 ・訳 『竹 取物 語 』(「新 編 日本 古 典 文 学全 集 」小 学 館,1994) 6) 渡 辺 実 『平 安朝 文 章 史 』(東 京 大 学 出 版会,1981,ち
く ま学 芸 文庫,2000)
7) 田中 喜美 春 「歌 の配 列 」(「国文 学 解釈 と教 材 の研 究 」40巻10号,學 8) 小 池 清治 『日本語 はい か に つ くられ た か?』(ち
燈 社,1995)
くま ラ イブ ラ リー25,1989,ち
くま学 芸
文庫,1995) 9) 丸 谷 才一 『文 章読 本 』(中 央 公 論 社,1977,中
公 文庫,1980)
10) 阿 部 秋 生 ・秋 山 慶 ・今 井 源 衛 ・鈴 木 日出男 校 注 ・訳 『源氏 物 語 一 』(「新 編 古 典 文 学 全 集 」小 学 館,1994)
第 4章 『竹 取 物 語 』 は本 当 に 『伊 勢 物 語 』 よ り新 しい のか? 【 作 り物 語 の 文体 】
キ ー ワ ー ド:古 体 要 素 ・新 体 要 素,模 異 義 語,同
写 の 文 章,掛
一 表 記 異 義 語,串
詞 含 有 率,枕
団 子 型 作 品,枝
詞 含 有 率,同
豆 型 作 品,初
音
冠 本伊 勢物
語 ・業 平 自 筆 本 伊 勢 物 語 ・ 狩 使 本 伊 勢 物 語
『竹 取 物 語 』 に は,登 場 人 物 名 や 叙 述 の 稚 拙 さ な ど と い う古 体 要 素 が 存 在 す る。 一 方,『 竹 取 物 語 』 所 収 和 歌 の性 質(目 に よ る構 造 化,作
の 歌),作
品 構 成 の 確 か さ,語 源 説
品 の 自立 性 な ど新 体 要 素 が 存 在 す る。
『伊 勢 物 語 』 は 章 段 相 互 の結 び付 きが 弱 く,作 品 と し て の 構 成 意 識 が な い 。 こ の こ と は 『伊 勢 物 語 』 が 初期 の和 文 で あ る重 要 な特 徴 と な る 。 一 方 『 竹取 物 語 』 に は,洒
落 に よ る構 造 化 に象 徴 的 に 見 ら れ る 作 品構 成 意 識 が 強 い 。 『竹 取
物 語 』 は 新 しい の で あ る。
1.物 語 の 出 で 来 は じめ の 親 な る 『竹取 の 翁 』― 『竹 取 物 語 』 の 古 体 要 素 1― 前 章 で は,耳
の 歌 か ら 目の 歌 へ の 変 遷 を根 拠 に して,『 竹 取 物 語 』 は 『伊 勢
物 語 』 よ り新 しい 時代 の作 品 で あ る と述 べ た が,所
収 和 歌 の 特 徴 だ け で,そ
の
よ う に結 論 付 け て よい もの だ ろ うか? 『源 氏 物 語 』 「絵 合 」 の 巻 に は 次 の よ う にあ る。
まづ,物
語 の 出 で 来 は じめ の 親 な る竹 取 の 翁 に宇 津 保 の俊 蔭 を合 は せ て
あ らそ ふ 。
「な よ竹 の 世 々 に古 りに け る事 を か し きふ し も な け れ ど,か の 世 の 濁 りに も稼 れ ず,は め れ ば,浅
ぐや 姫 の こ
るか に思 ひの ぼれ る 契 りた か く,神 世 の こ とな
は か な る 女 、 目に 及 ば ぬ な らむ か し」 と言 ふ 。 右 は,「 か ぐや
姫 の上 りけ む 雲 ゐ は げ に 及 ば ぬ こ とな れ ば,誰
も知 りが た し。 この 世 の契
りは竹 の 中 に 結 び け れ ば,下 れ る 人 の こ と と こそ は見 ゆ め れ。 ひ とつ 家 の 内 は照 ら しけ め ど,も も し きの か しこ き御 光 に は並 ば ず な りに け り。 阿 倍 の お ほ しが 千 々 の 金 を棄 て て,火 し。 車 持 の 親 王 の,ま
鼠 の 思 ひ片 時 に消 え た る もい と あへ な
こ との 蓬 莱 の 深 き心 も知 りなが ら,い つ は りて 玉 の
枝 に 暇 をつ け た る を,あ や ま ち となす 」絵 は 巨 勢 相 覧,手 は 紀 貫 之 書 け り。 紙屋 紙 に唐 の 綺 を陪 して,赤 紫 の 表 紙,紫 檀 の 軸,世 の 常 の よそ ひ な り。
「絵 合 」 な の で,絵
画 に つ い て の 批 評 を期 待 して 読 む と,意 外 に も,絵 画 に
つ い て は 画 家 の名 を告 げ る の み で,批 評 は専 ら物 語 の 内 容 に つ い て 述 べ られ て い て が つ か りさせ られ る 。 当 時 の 「 絵 合 」 と い う もの が,常 展 開 され た もの な の か,『 源 氏 物 語 』 の 場 合 が 特 別 で,女 ず れ の 議 論 が 展 開 さ れ が ち だ と い う,紫
に そ うい う 具合 に
同士の批 評 会 は的は
式 部 の揶揄 が 込 め られ て い る も の な
のか 判 然 と しな い 。 しか し,本 章 の 議 論 に は,か え っ て,内 容 批 評 で あ る こ と が 幸 い す る。 女 房 た ちの 批 評 に よ り,こ こで 議 論 され て い る 「竹 取 の 翁 」 の 物 語 が 現 行 の 『竹 取 物 語 』 とほ ぼ等 しい 内 容 の もの で あ る こ とが確 認 で き る か ら で あ る。 「物 語 の 出 で 来 は じめ の 親 」 とい う 地 の 文 の 表 現 は,批 評 の 言 葉 「神 世 の こ と」 に よっ て 再 確 認 で き る。 登 場 人 物 を見 る と,五 人 の 貴 公 子 は 「石 作 の 皇 子 」 「車 持 の 皇 子 」 「阿 倍 の 右 大 臣 」 「大 伴 の大 納 言 」 「石 上 の 中 納 言 」 で あ り,源 氏 が 一 人 も登 場 して い な い 。 源 氏 が 活 躍 す る の は,嵯
峨 天 皇(在 位 期 間,809∼823)以
あ る か ら,『 竹 取 物 語 』 の 人 物 設 定 は,そ れ 以 前,恐
後の ことで
ら く奈 良 時 代 の もの な の
で あ ろ う。 江 戸 時 代 の 国 学 者,田
中 大 秀(1777∼1847)は
阿 倍 御 主 人 ・大 伴 御 行 ・ 石 上 麻 呂(麿 足)が の 乱(672)の
『竹 取 物 語 解 』 に お い て, 実 在 の 人 物 で,い
ず れ も壬 申
時代 の 人 物 で あ っ た こ と を指 摘 して い る 。
一 方,『 伊 勢 物 語 』 で は 在 原 業 平(825∼880)と
い う二 世 の 源 氏 が 主 人 公
と さ れ て お り,こ れ は 平 安 初 期 で あ る の で,登 場 人物 の 点 で は 『竹 取 物 語 』 の 方 が 古 い とい う こ と に な る。 た だ し,登 場 人 物 の 新 古 が 作 品 の 新 古 に 直 結 す る もの で は な い 。 現 代 の 作 家
が 聖 徳 太 子 や 鑑 真 和 上,空
海 な どを 主 人 公 と して 作 品 を 書 くと い う こ と も あ る
ので ある。
2.稚 拙 な叙 述,構 造 的 に は 無 意 味 な叙 事― 『竹 取 物 語 』 の 古 体 要 素 2― 渡 辺 実 は 『平 安 朝 文 章 史 』 に お い て,『 竹 取 物 語 』 を 最 古 の 和 文 と位 置付 け て い る。 渡 辺 は 口頭 伝 承 と して 伝 え られ て きた 「竹 取 の 翁 」 の 物 語 を,は
じめ て書 記
言 語 と して記 述 した と ころ に 『竹 取 物 語 』 の手 柄 を認 め て い る。 まず,結 論 か ら紹 介 す る。 大 局 的 に 見 て 竹 取 物 語 は,当 時 の 口 頭 伝 承 に 取 材 しな が ら,か
ぐや 姫 と
い う女 主 人公 の 人 間 と して の 話 を作 り上 げ た。 そ れ は 今 昔 物 語 な ど に見 ら れ る 竹 取 説 話 に は期 待 で き る はず もな い,一 つ の 意 味構 造 化 で あ っ た 。 人 間 の 女 と して の か ぐや 姫 の,た ば か りや 差 恥 や 悲 しみが,そ 一 部 と して 言 語 化 され た。 そ れ は,は
の意味構 造の
じめ て の 書 記 日本 語,最 初 の仮 名 文
と して は 出 来 す ぎ と言 っ て よい ほ どの 出 来 で あ っ た 。 だ が,そ 構 造 化 は,な
う した 意 味
お 十 分 に行 き と どか ぬ と こ ろ を残 し,選 び と られ た 出 来事 の
外 面 を な ぞ る だ け の,構 造 的 に は 無 意 味 な叙 事 が 混 ざ る結 果 とな っ た。 仮 名 文 が 文 章 と して発 達 す る過 程 で,当 然 こ う し た言 語 の 散 漫 は超 え ね ば な らな い 。 竹 取 物 語 は,仮 名 文 が 竹 取 を 超 え て発 展 す べ き途 を拓 い た とい う 点 と,超
え られ るべ き稚 さ を有 した と い う点 との,二
重 の 意 味 に お い て,
ま さ に 「か な 文 の 出 で 来 は じめ の 祖 」 で あ っ た 。 渡 辺 実 は,『 竹 取 物 語 』 の 古 体 要 素 を 「選 び と られ た 出 来 事 の 外 面 を な ぞ る だ け の,構
造 的 に 無 意 味 な 叙 事 」 に 見 い だ し,そ の 叙 述 の 稚 拙 さゆ え に,『 竹
取 物 語 』 を和 文 最 古 の 作 品 とす る 。 「構 造 的 に 無 意 味 な叙 事 」 と は,次 の よ う な表 現 をい う。 右 大 臣 阿 部 御 主 人 は,財
ゆ た か に,家
ひ ろ き人 に て お は しけ り。 そ の年
来 た りけ る唐 人 船 の王 慶 とい ふ 人 の も と に,文 な る物,買
を書 きて,火 鼠 の皮 と いふ
ひお こせ よ,と て,仕 う まつ る 人 の 中 に 心 た しか な る を選 び て,
小 野 房 守 とい ふ 人 をつ け て,遣 黄 金 を と らす 。 王 慶,文
はす 。 持 て 到 りて,か の 唐 土 に を る 王 慶 に
を披 げ て,返 事 書 く。
上 の文 章 に つ い て,渡 辺 は,事 実 を 「模 写 す る文 章 」 と概 評 し,「 小 野 房 守 」 は本 筋 に 関 係 が な く,固 有 名 詞 を与 え る こ と は 余 計 な こ と と す る 。 さ ら に, 「持 て 到 りて,…
… と らす 。」 は 「す で に諒 解 ず み 」 の こ と を述 べ る く ど さが あ
り,「 王 慶 … … 書 く。」 は 当然 の こ と を な ぞ つ た も の で 、 「言 わ ず もが な の プ ロ セ ス が,い
ち い ち言 葉 で 語 られ る 」 と こ ろ に稚 拙 さが あ る と指 摘 す る 。
た しか に,省 略 の 妙 を忘 れ た,地 べ た を 這 う よ う な 文 章 で あ る こ とは 確 か で あ る。 小 学 生 の 日記 な ど に見 られ る,「 今 日,朝 起 き て,顔 い て,朝 御 飯 を食 べ て,ラ
ン ドセ ル を背 負 っ て,家
田君 と石 川 さん とで す が,そ
を洗 っ て,歯
を 出 て,友
を磨
達 に あ っ て,山
の 友 達 と一 緒 に,学 校 に 来 ま し た。」 式 の 文 章 で
あ る。 稚 拙 と言 え ば,稚 拙 で あ る 。 こ の稚 拙 さ を古 体 要 素 と す る 渡 辺 の 主 張 は もっ と も な もの で あ ろ う。
3.竹 取 物 語 の和 歌 の 技 法― 『竹 取 物 語 』 の 新 体 要 素 1― 前 章 で は 一 部 しか取 り上 げ なか っ た の で,本 章 で は 『竹 取 物 語 』 の総 て の 和 歌 を技 法 面 に お い て 吟 味 して み る 。
&① 海 山の 道 に 心 を つ くし は て な い しの は ちの 涙 な が れ き 尽 くし 果 て無 い
筑紫
石 の 鉢
血 石 作 の 皇 子
&② 置 く露 の 光 を だ に もや ど さ ま し小 倉 の 山 に何 も とめ け む
小暗し
か ぐや 姫
&③ 白 山 に あへ ば光 の 失 す るか とは ち を捨 て て も頼 ま る る か な 鉢 恥
石 作 の 皇 子
#④ い たづ らに 身 は な しつ と も玉 の枝 を 手 折 らで さ ら に帰 ら ざ ら ま し
車持 の皇子 *⑤ くれ た け の よ よ の た け と り野 山 に も さや は わ び し きふ し をの み 見 し
枕
節 世
節 竹 取 の 翁
#⑥ 我 が袂 今 日か わ け れ ば わ び し さの 千 種 の 数 も忘 られ ぬ べ し 車持 の皇子
#⑦ ま こ とか と聞 きて 見 つ れ ば 言 の 葉 を か ざれ る 玉 の 枝 にぞ あ りけ る か ぐや姫
&⑧ か ぎ りな き思 ひ に 焼 け ぬ 皮 衣袂 か わ きて 今 日こ そ は 着 め
火
阿 部 右 大 臣
&⑨ 名 残 りな く燃 ゆ と知 りせ ば皮 衣 思 ひ の ほ か にお きて 見 ま しを 火
&⑩ 年 を経 て 浪 立 ち よ らぬ 住 の 江 の まつ か ひ な し と聞 くは ま こ とか
松 貝
待 つ 甲斐
か ぐや 姫
&⑪ か ひ は か くあ りけ る もの を わ び は て て 死 ぬ る 命 をす くひ や は せ ぬ 甲斐
救ひ
匙
掬 ひ
か ぐや 姫
石 上 の 中納 言 &⑫ 帰 る さの み ゆ き物 憂 くお も ほ え て そ む きて と ま る か ぐや 姫 ゆ ゑ 背く 向く
帝
#⑬ む ぐ らは ふ 下 に も年 は経 ぬ る 身 の な にか は 玉 の う て な を も見 む か ぐや 姫
#⑭ 今 は と て 天 の 羽 衣 着 る を りぞ 君 を あ は れ と思 ひ い で け る か ぐや姫
& ⑮ あ ふ こ と もな み だ に うか ぶ我 が 身 に は死 なぬ 薬 も何 にか はせ む
無
浮 か ぶ
涙
憂
帝
「&」 を付 し た もの は 目の 歌 の 代 表 的 技 法 掛 詞 を用 い て い る和 歌 で,十
首あ
る。 「*」 を付 した も の は 耳 の 歌 の 代 表 的 技 法 枕 詞 を用 い て い る和 歌 で,一 み 。 た だ し,こ の 一 首 に は 掛 詞 も使 用 され て い る 。
首の
「#」 を付 した もの は掛 詞,枕 詞 を と もに 使 用 して い な い和 歌 で,五 歌 数 に して,62.5%が 6.3%で
首 あ る。
掛 詞 を 含 み もつ 和 歌 で あ る。 また,枕 詞 を含 む もの は,
あ る。
と こ ろ で,数 値 は 単 独 で は 意 味 を な さな い 。 他 と の比 較 に よ り,意 味 あ る も の と な る 。 そ こ で,『 竹 取 物 語 』 所 収 和 歌 に つ い て 行 っ た 作 業 と 同 様 の 作 業 を 次 の 作 品 群 に つ い て 行 い,掛 詞 含 有 率,枕
詞含 有 率 を 算 出 し,一 覧 表 とす る こ
とに す る。 作 品 群 とは 次 の もの をい う。 『古 事 記 』 『日本 書 紀 』 が 伝 え る 古代 歌 謡,『 万 葉 集 』 及 び 『古 今 和 歌 集 』 以 下 『新 古 今 和 歌 集 』 に い た る 八 代 集 の 和 歌,そ
して,前
章 か ら問 題 と して い る 『伊 勢 物 語 』 の 和 歌 で あ る 。 な お,序
詞 も耳 の 歌 の 表 現 技 法 で あ る の で,枕 詞 と一 括 して カ ウ ン トす る 。
4.掛 詞 含 有 率 ・枕 詞 含 有 率 一 覧 表 次 の 一 覧表 と折 線 グ ラ フ を 観 察 す れ ば,奈 良 時 代 は 耳 の 歌 の 時 代,平 安 時 代 は 目の 歌 の 時 代 と い う こ とが 一 目瞭 然 とな る。 『万 葉 集 』 と 『古 今 集 』 との 間 に 繰 り広 げ られ る,耳 の 歌 か ら 目の 歌 へ の 変 化 は 劇 的 とい っ て も よ い ほ どの 激 変 で あ る。 こ う い う変 化 を 観 察 す れ ば,『 竹 取 物 語 』 の 和 歌 が 『伊 勢 物 語 』 の 和 歌 よ り 後 の 時 代 の もの で あ る とい う こ とが 容 易 に 理 解 で きる で あ ろ う。
作 品名
総 歌 数
枕 詞 ・序 詞
%
掛 詞
%
古事 記
112
101
90.2
1
0.9
日本 書 紀
118
86
67.2
1
0.8
万 葉集
4516
2021
44.8
24
0.5
古今 集
1111
201
18.1
446
40.1
後 撰 集
1425
171
12.0
437
30.6
1351
187
13.8
348
25.8
1229
46
3.7
323
26.3
金葉 集
717
49
6.8
220
30.7
詞花 集
415
8
1.9
111
26.7
千載 集
1288
37
2.9
258
20,0
新 古 今 集
1978
103
5.2
595
30.1
伊 勢物 語
209
13
6.2
35
16.7
竹 取物 語
16
6.3
11
拾遺 集 後 拾 遺 集
1
*一 首 の 中 に 枕 詞 ・序 詞 と掛 詞 と が 併 用 され て い る 場 合 は,そ
62.5 れ ぞ れ カ ウ ン ト した 。
*正 確 な もの で は な い 。 大 体 の 傾 向 を 知 る た め の もの で あ る 。
5.作 品 と して の 『竹 取 物 語 』―枝 豆 型 構 造,新 体 要 素 2― 『竹 取 物 語 』 は 終 結 が は っ き り と示 さ れ た枝 豆 型 の作 品 で あ る。 最 終 の 一 節 は次 の ようになっている。
御 文,不
死 の 薬 の 壺 な らべ て,火
そ の よ し う け た まは りて,士
をつ け て 燃 や す べ き よ し仰 せ た まふ 。
ど もあ ま た 具 して 山 へ の ぼ りけ る よ り な む,
そ の 山 を 「ふ しの 山 」 と は 名 づ け け る 。 そ の煙,い りけ る とぞ,言
ま だ雲 の 中 へ 立 ち の ぼ
ひ伝 へ た る。 (竹取 ・か ぐや 姫 の 昇 天)
[お 手 紙 と不 死 の 薬 の壺 を な らべ て,火 令 に な る。 そ の 旨 を う け た ま わ っ て,(つ
をつ け て 燃 や す べ きで あ る と ご命 きの い は が さ とい う 人 が)兵
士
た ち をた くさ ん 引 き連 れ て 山 に 登 っ た こ とか ら,こ の 山 を,「 士 に と む 山 」 (「不 死 の 山 」 を掛 け る)つ そ の不 死 の 薬 を焼 く煙 は,い
ま り 「富 士 山」 と名 づ け た の で あ る 。 そ して, まだ に雲 の 中 へ 立 ち の ぼ つ て い る と,言 い 伝
え て い る 。] 主 人 公,か
ぐや 姫 が 月 の 世 界 へ 帰 っ て い っ た 後 の,後
「富 士 山」 の 語 源 説 を述 べ る 中 で,こ
日談 で あ る。 そ して,
の 物 語 に 一 貫 して 流 れ る 洒 落,語
呂合 わ
せ に よ る オチ を 配 す る とい う趣 向 で 最 後 を飾 っ た 後 に,「 … と ぞ 、 言 ひ 伝 へ た
る」 と語 りお さめ て い る。 完璧 な終 り方 で あ る。 「か ぐや 姫 の物 語 」 は こ れ 以 上 続 くは ず が な い の で あ る 。 ま た,冒 頭 は, 今 は 昔,竹 取 の 翁 と い ふ もの あ りけ り。
(竹取 ・か ぐや 姫 の 生 い 立 ち)
[昔 む か し,竹 取 の 翁 とい う者 が あ りま した。] とい う もの で,典 型 的 な物 語,昔 話 の 語 り出 しの 冒頭 形 式 に した が つ た も の で, 「… とぞ 、 言 ひ伝 へ た る」 と照 応 して い る 。 さ らに,作
品 と して の 構 成 も しっ か り して い る。
① 竹取 の 翁の 紹介 とか ぐや姫 の登 場
洒 落1 鞘 頭(冒 頭) 貴
② 五 人の 貴公 子の 求婚談 難
b車 持 の皇子 の 話
題聟譚
種
a石 作 の皇 子 の話
流 離譚
c阿 部 の右 大臣 の話 d大 伴の 大納 言 の話 e 石 上 の中納 言 の話
洒落 2 豆Ⅰ 洒落 3 豆Ⅱ 洒落 4 豆Ⅲ 酒落 5 豆Ⅳ 酒 落 6 豆Ⅴ
③ 帝 の求婚 ④ か ぐや姫 の退場 ⑤ 後 日談
洒 落 7 鞘 尻(末 尾)
首 尾 が 照 応 し,構 成 が しっ か り して い る。 こ れ を枝 豆 型 と い う。 『竹 取 物 語 』 は素 材 に な っ た原 話(漢
文),漢
文 訓 読 語 の使 用 な ど漢 文 の 影 響
が 言 わ れ る作 品 で あ る こ と も注 意 して お い て よい 。 『竹 取 物 語 』 は 自立 性 の 高 い 作 品 な の で あ る。
6.作 品 と して の 『伊 勢 物 語 』―串 団 子 型 作 品,『 伊 勢 物 語 』 の 古 体 要 素― 『伊 勢 物 語 』 に は多 くの伝 本 が あ る が,代 表 的 な もの は 「初 冠 本 」(定 家 本), 「業 平 自筆 本 」,「狩 使 本 」(小 式 部 内侍 本)な
ど で あ る。
最 も流 布 して い る 「初 冠 本 」 の章 段 順 序 に した が っ て,冒 頭 と末 尾 の 章 段 を 示 す と次 の よ うに な っ て い る 。 平 安 末 期 以 降 は,「 定 家 本 」 が 広 く行 わ れ,固
定 し た 形 態 で 享 受 さ れ た が,
初冠 本 業平 自筆 本 狩使 本
冒頭
末尾
一段 四十三段 六 十九段
一 二五段 一 二五段 十一段
平 安 中 期 に お い て は,章 段 構 成 が か な り混 乱 して い た と推 測 さ れ る。 『竹 取 物 語 』 で は 考 え ら れ な い こ とで あ る 。 難 題聟譚 の 部分 の 順 序 の 入 れ 替 え は あ る と して も,他 は き ち り と嵌 め 込 まれ て い て,章 段 構 成 の順 序 が は っ き り して い る か らで あ る。
狩 使本伊勢 物語 と こ ろ で 『伊 勢 物 語 』 を構 成 す る章 段 に は,長 短 の差 は あ る もの の 基 本 構 造 は 次 の よ うに な っ て い る。
冒 頭 む か し,男 あ りけ り。
本論 男 女の交情の物語
結 末 そ の結 果,生 み 出 され た和 歌
こ の よ う な構 造 を もっ た 一 塊 の 文 章(団
子)が
百 以 上 存 在 す る の が 『伊 勢
物 語 』 な の で あ る 。 一 つ の 章段 は そ れ な りの ま と ま りをみ せ る が,章 段 相 互 の 関連 性 は 極 め て弱 い 。 い わ ば 一 話 完 結 型,読 切 り型 の 文 章 の 連作 と言 っ た ら よ い だ ろ う。 「狩 使 本 」 は,文 徳 天 皇 の 皇 女恬 子 内 親 王 と在 原 業 平 と考 え ら れ る 「男 」 と の 恋 愛 談(定
家 本 六 十 九 段)を
冒 頭 の 章 段 とす る。 この 章 段 の 中心 は,「 女 」
の 方 か ら贈 られ て きた後朝 の文 と,そ れ に 対 す る 「男 」 の 返 歌 で あ るが,冒
頭
は 「む か し,男 あ りけ り」 と 定 型 に な っ て い る。 そ して 、 次 の 中 心 部 が 語 ら れ る。
明 け は な れ て しば しあ る に,女 の も と よ り,詞 は な くて,
君 や 来 しわ れ や ゆ き け む お も ほ えず 夢 か うつ つ か 寝 て か さ め て か 男,い
とい た う泣 きて よめ る か き く らす 心 の や み に ま ど ひ に き夢 うつ つ と は今 宵 さだ め よ
と よみ て や りて,狩 に い で ぬ 。
(伊 勢 ・六 十 九)
[夜 が す っ か り明 け て しば ら くた つ と,女 の も とか ら,手 紙 の 詞 は な くて, 歌 だ け贈 っ て きた 。
あ な た が お い で に な っ た の で し ょ うか,そ つ た の で し ょう か,ど
れ と もわ た く しが うか が
う も は っ き り記 憶 し ませ ん。 一 体,あ
なた と
お 逢 い した こ と は 夢 だ っ た の で し ょ うか 現 実 だ っ た の で し ょ う か。 男 は,た い そ う激 し く泣 い て 詠 じた 。
悲 しみ の た め に ま っ暗 に な っ た わ た く しの 心 ゆ え,真
っ暗闇で なに
が な にや ら分 別 もつ き ませ ん 。 夢 で あ っ た の か現 実 で あ っ た の か わ た く しの 愛 の 真 実 を 今 宵 お 逢 い して お 決 め くだ さ い。 と返 歌 を詠 ん で お く り,狩 に 出 か け た。]
そ して,末 尾 は 次 の 注 釈 的 な文 が 付 加 され て終 りに な る 。
斎 宮 は 水 の 尾 の御 時,文 徳 天 皇 の御 女,惟 喬 の 親 王 の妹 。
この 一 文 は,さ
りげ な く付 加 さ れ る が,内 容 は 衝 撃 的 で あ る。 斎 宮 は 神 に使
え る 処 女 で あ り,世 俗 の もの との 交 情 は 禁 じ られ い る か らで あ る。 ま た,天 皇 に属 す る も の で あ るか ら,「 男 」 の 行 為 は 謀 反 の 一 種 に な る 。 そ して,斎 宮 が 「惟 喬 の 親 王 の 妹 」 と い う事 実 の 指 摘 は,反 権 力 者 の 妹 を 意 味 した もの で もあ るか らで あ る。 した が つ て,こ の 物 語 は,当 時 の 読 者 に と っ て は,極 め て刺 激 の 強 い物 語,ス
キ ャ ン ダ ルで あ っ た こ と に な る。 一 言 で 言 え ば,反 権 力,反 藤
原 の 物 語 で あ っ た。 また,利
用 の 仕 方 次 第 で は,惟 喬 親 王 一 派 の 無 法 さ,業 平 の 違 法 性 を印 象 づ
け る 人 心 操 作 の 具 と もな り う る もの で あ っ た 。 今 日の 私 た ち は,王 朝 の 悲 恋 物 語 と して 文 学 的 鑑 賞 を も っ ぱ らに して い るが, 書 か れ た 当 時 は 生 々 しい 人事 を語 る文 章 で あ っ た 。 だ か ら,こ れ を作 品 の最 初 に位 置付 け る こ とは,必 然 的 に 政 治 的 意 味 を も っ て し ま う の で あ る。 こ の 間 の 事 情 が,「 初 冠 本 」 系 統 の伝 本 を派 生 させ た の か も しれ な い。 付 加 され た 注 釈 的 な 文 は政 治 的 に は 右 の よ うな 意 義 を有 す る の で あ るが,文
章 と して は 文 章 の 自 立性 目指 して の もの とい う こ とに な る。 注 釈 に よ り,不 特 定 の 「斎 宮 」 が特 定 さ れ,時 期 が 特 定 さ れ,「 男 」 は 業 平 と い う こ とに な る の で あ る。混 濁 して い た 液 体 が 注 釈 的 一 文 の 一滴 の 投 下 に よ り,全 て 透 明 に な る。 この よ う に,末 尾 に付 加 的 に 添 え ら れ た 一 文 に よ り六 十 九 段 は 自立 的 な 文 章 に な る の で あ る が,作
品 と して の 『伊 勢 物 語 』 全 体 の 自立性 は相 変 わ らず 極 め て
弱 い こ と に変 わ りは な い 。 一 段 一 段 は 自立 性 を有 す る と して 、 作 品 全 体 の 構 成 が 見 え な い か らで あ る。
初 冠本伊勢物 語 「初 冠 本 」 は こ の 欠 点 を補 う も の と して 編 纂 さ れ た 。 そ の 構 成 は お お よそ 次 の よ う な も の に な る。
① 元 服
② 数 々 の 恋 物 語
③ 東 へ の 漂 白
④ 宮 仕 え ・惟 喬 の 親 王 等 との 友 情
⑤ 辞 世 の歌
編 者 は 『伊 勢 物 語 』 を 「男 」 の 一 代 記 に 仕 立 て よ う と した よ うだ が,全 一 人 の 男 ,業 平 の 事 跡 と は 考 え に くい。 た と え ば,有
てが
名 な 「筒 井 筒 」 の 章 段,
また,「 梓 弓 」 の 章 段 な ど を 業 平 の 一 代 記 に組 み 入 れ る の に は 無 理 で あ ろ う。 しか し,一 歩 譲 っ て,そ
れ ら を脇 筋 とす れ ば,こ の 試 み は か な り成 功 して い る
よ うに 思 わ れ る 。 辞 世 の歌 で 締 め括 る な どは 出 来 過 ぎの 感 さ え あ る 。 そ の,末 尾 の 章段(一
二 五段)を
む か し,男,わ
見 て お こ う。
づ らひ て,心 地 死 ぬ べ くお ぼ え け れ ば,
つ ひ に ゆ く道 とは か ね て 聞 き しか ど き の ふ け ふ と は思 は ざ り し を [昔,男 が 病 気 に な って,死
に そ う な気 持 ち に な っ た の で,
最 後 に は 行 く道 な の だ と前 々か ら聞 い て い た の だ け れ ど も,そ の 死 の 道 を行 くの が 昨 日今 日に 迫 って い る の だ と は思 わ な か っ た の だ が な あ 。]
主 人 公 の 死 を ほ の め か して 終 る構 成 は,一 つ の 終 り方 で,内 容 面 か ら見 れ ば,
こ れ は作 品 の 末 尾 と して ふ さ わ しい 。 しか し,形 式 面 か ら見 れ ば,他 同 じ構 成 で あ る 。 「狩 使 本 」 の 末 尾 の 章 段(初 こ とが 言 え る 。 念 の た め,次
む か し,男,あ
冠 本 十 一 段)に
の 章段 と
つ いて も同様 の
に掲 げ て お こ う。
づ まへ ゆ き け る に,友
だ ち ど も に,道
よ りい ひ お こせ け
る。
忘 る な よ ほ どは 雲 居 に な りぬ と も空 ゆ く月 の め ぐ りあふ まで [昔,男 が 東 国 へ 行 っ た 時 に,友 人 た ち に,旅 先 か ら歌 を詠 ん で よ こ した 。 そ の歌 は,
お 忘 れ な さる な よ,は
るか 遠 くに隔 た っ て い て も,空 行 く月 が ま た
も と の と こ ろ に め ぐ り戻 っ て く る よ う に,ふ
たた びお逢 いす る時 ま
で 。] 再 会 を 誓 う こ と も また,一 つ の 終 りの 型 で あ る 。 内 容 的 に は,こ す る の も洒 落 て い る 。 しか し,形 式 的 に は,こ
こを末尾 と
れ も見 る とお り,他 の 章段 と 次
元 を異 に す る も の で な い こ と は 明 瞭 で あ る 。 一 時 の 別 れ を 末 尾 とす るか,そ
れ と も,こ の 世 との 別 れ を 末 尾 とす る か と二
者 択 一 の 問 い に接 す れ ば,後 者 の 方 が 優 れ て い る と誰 し も認 め る と こ ろ で あ ろ う。 そ うい う意 味 で は 「初 冠 本 」 の 一 代 記 説 の 方 が優 れ て い る。 さ て,と
こ ろ で,困
っ た こ とが あ る 。 一 代 記 説 で は解 きに くい問 題 が 二 つ あ
るの だ。 一 つ は 『伊 勢 物 語 』 とい う題 名 で あ る 。 「初 冠 」 で 始 ま る とす る と,な ぜ 「伊 勢 」 な の か の 解 釈 に 苦 しむ こ と に な る。 「狩 使 本 」 な ら問 題 は な い 。 冒頭 が 「伊 勢 」 の斎 宮 の 物 語 で あ る か ら,簡 単 に解 け る 。 も う一 つ の 問 題 は,『 伊 勢 物 語 』 の 最 大 の 特 徴 と矛 盾 して し ま う と い う欠 点 で あ る。 す な わ ち,も
し,『 伊 勢 物 語 』 が,業
平 に 擬 せ られ る 「男 」 の 一 代 記
で あ る とす れ ば,「 む か し,男 あ りけ り」 が な ぜ 煩 しい ほ ど に繰 り返 され る の だ ろ うか 。 『竹 取 物 語 』 と 同 様 に 第 一 章段 に あ れ ば,そ
れ で 充 分 の はず で は な
い か 。 一 代 記 説,「 初 冠 本 」 が 内包 す る 根 本 的 矛 盾 は こ こ に あ る。 『 伊 勢物 語 』 は一 人 の 「男 」 の 一 代 記 と して ま とめ る に は 多 様 過 ぎる の だ 。 章 段 ご と の 「む か し,男 あ りけ り」 は横 の繋 が りを 断 ち切 る と同 時 に,章 段 相 互 の 類 似 的性 格
を 主 張 す る とい う二 重 の 働 きを して い る の で あ る 。 章 段 とい う 団 子 が あ る,こ れ ら を業 平 の 一 代 記 とい う 串 で 貫 き,仮 に あ る ま と ま りを 与 え た もの が 「初 冠 本 」 系 統 の 伝 本 なの で あ ろ う。 また,別 能 性 が あ るが,そ
の 意 図,そ れ は政 治 的 意 図 で あ っ た 可
れ が 「狩 使 本 」 な の で あ ろ う。 『原 伊 勢 物 語 』 と い う作 品 は,
そ うい う組 み 替 え を許 す もの で あ った と い う こ と に よ り,始 め もな け れ ば 終 り もな い とい う,半
自立 的 文 章 の集 合 体 で あ っ た とい う こ と を 自 ら語 っ て い る と
思 われる。 こ の よ う に見 て くる と,編 纂 本 と雑 纂 本 と を 有 す る 『枕 草 子 』 な ど も串 団 子 型 の作 品 で あ っ た と して よい 。 自由 な 組 み 替 え を 許 す ほ ど に 内 部 の構 成 は緩 い もの で あ った の だ 。 今 日の 作 品 で言 え ば,随 筆 集 な どが 原 則 的 に 串 団子 型 に 属 す る こ と に な ろ う。 一 つ 一 つ の 随 筆 に は 冒頭 と末 尾 が あ る が ,そ れ らを 纏 め た随 筆 集 に な る とそ れ らは な く な っ て し ま う。 比 較 的 出 来 の よい の を始 め に 置 い た り,時 期 的 に古 い 物 を最 初 に位 置 付 け た り とい う こ とは 考 え られ る が,枝 豆 型 の 作 品 の よ う な構 成 性 が 認 め ら れ な い か らで あ る。 ここ に 『伊 勢 物 語 』 の 古 体 性 が 窺 わ れ る の で あ る。
■発展問題 (1) 『大 和 物 語 』 の 文 体 や 所 収 和 歌 に つ い て,『 伊 勢 物 語 』 『竹 取 物 語 』 と の 相 違 を調 べ,前
後 関 係 を 考 え て み よ う。
(2) 『今 昔 物 語 集 』 の 各 説 話 の 冒 頭 は す べ て 「今 ハ 昔 」 で 始 め られ て い る 。 こ の 点 か ら い え ば,こ
の 作 品 は 串 団 子 型 作 品 と な る 。 『今 昔 物 語 集 』 に は,作
品
と して の構 成 意 識 が あ る か な い か 考 え て み よ う。 * こ の 説 話 集 は,天 さ れ た31巻
竺 篇(イ
ン ド)・ 震 旦 篇(中
国)・
本 朝 篇(日
本)に
分類
よ り構 成 さ れ て い る 。 天 竺 ・震 旦 ・本 朝 各 篇 の 内 部 構 成 な ど を
調べ て み よう。
(3) 夏 目漱 石 作
『 夢 十 夜 』 に 収 め ら れ た 十 の 文 章 の 多 くは,「 こ ん な 夢 を 見 た 。」
で 始 め られ て い る 。 こ の 作 品 は 串 団 子 型 作 品 で あ る か い な か,作
品 と して の
構 成 意 識 が あ る か な い か 考 え て み よ う。 *例 え ば,冒
頭 に 据 え られ た 文 章 を他 の 位 置,末
尾 な ど に 置 き換 え た 時,作
品
の価 値が 変 るか変 らないか 調べ てみ よう。
(4) 江 戸 初 期 の 咄 本 『醒 酔 笑 』 は 落 語 の 原 典 の 一 つ と さ れ て い る 。 こ の 作 品 に 収 録 さ れ て い る 各 咄 と 『竹 取 物 語 』 と を 比 較 し て,文 体 の 相 違 な ど に つ い て 考 えて み よう。
■ 参考文献 1) 渡 辺 実 『平 安朝 文 章 史』(東 京 大学 出版 会,1981,ち
くま学 芸文 庫,2000)
2) 阿 部 秋 生 ・秋 山 慶 ・鈴 木 日出 男 校 注 ・訳 『 源 氏 物 語 ② 』(新 編 日本 古 典 文 学 全 集,小
学 館,1995)
3) 片 桐 洋一 校 注 ・訳 『竹取 物 語 』(「新 編 日本 古 典 文学 全 集」 小 学館,1994) 4) 池 田 亀鑑 『伊 勢物 語 に就 き ての研 究 校 本 ・研 究 篇 』(大 岡山 書店,1933∼1934) 5) 大 津 有一 編 『伊勢 物 語 に就 きて の研 究 補 遺 篇 ・索 引 篇 ・図録 篇』(有 精堂,1961) 6) 渡 辺 泰宏 「伊 勢物 語 小 式部 内侍 本 考」(「武 蔵 大学 人文学 会雑 誌」14巻 1号,1982) 7) 藤 井 貞和 「 物 語 の 出 で来 は じめ の 親」(「別 冊 國 文 學NO.34竹
取物 語伊 勢 物 語 必 携 」 學燈
社,1988) 8) 山口 佳紀 ・神 野志 隆 光校 注 ・訳 『 古 事 記 』(「新 編 日本古 典 文 学全 集 」 小学 館,1997)
第 5章 『土 佐 日記 』 は 「日記 」 か,「 物 語 」 か?
【 平安朝 日記の 文体 】
キ ー ワ ー ド:日 記 体 物 語 ・記 録 体 日記,事
実 の 時 代 ・虚 構 の 時 代,枝
豆 型作 品
『土佐 日記 』 所 載 の和 歌 が 同 時 代 の 勅 撰 和 歌 集 『後 撰 和 歌 集 』 に 紀 貫 之 作 と して 収 録 され て い る 。 『土 佐 日記 』 の作 者 が 紀 貫 之 で あ る こ とは 当 時 か ら知 ら れ て い た とい う こ と で あ る。 女 性 に 仮 託 す る とい う変 装 は 簡 単 に 見 破 られ て い た。 実 は,彼 は,わ
ざ と見 破 られ る よ うに 書 い て い た 。 そ れ は,こ
の 作 品 が 日記
体 物 語 で あ る こ と を 読 者 に 理 解 させ る た め に と っ た 手 段 で あ っ た と考 え ら れ る。 和 歌 の世 界 にお い て,紀
貫 之 は何 度 も 「女 」 に な っ て い る。 こ の和 歌 の 世 界
の 技 法 を 「日記 」 の 世 界 に 応 用 した の が,『 土 佐 日記 』 に お け る女 性 仮 託 で あ った。 『土佐 日記 』 は 日記 体 物 語 で あ る。 『蜻 蛉 日記 』 『和 泉 式 部 日記 』 『更 級 日記 』 は この 系 譜 に 属 し,『 紫 式 部 日記 』 は こ れ ら とは 別 の 「記 録 体 日記 」 の 系 譜 に 属 した 。 平 安 朝 日記 に は,二 つ の 系 譜 が あ っ た 。 また,『 土 佐 日記 』 は 冒頭 部 と末 尾 が 首 尾 照 応 す る枝 豆 型 の作 品 で あ った が, 『蜻 蛉 日記 』 『和 泉 式 部 日記 』 『更 級 日記 』 の 末 尾 は は っ き りせ ず,尻
抜 け型 作
品 と な っ て い る。 虚 構 の 日記,日 記 体 物 語 の 手 法 は学 ん だ が,作 い ない 。
品 の 自立 性 に つ い て は 学 ん で
1.『土 佐 日記 』 は紀 貫 之 が 書 い た の か?― 見 破 られ て い た 貫 之 の 偽 装― 『土 佐 日記 』 の 冒頭 は 次 の よ う に書 き始 め られ て い る。 男 もす な る 日記 とい ふ も の を,女
も して み む とて す る な り。
素 直 に 読 め ば,こ の 日記 は女 の 手 に な る も の とい う こ とに な る 。 と こ ろ が,文 学 史 が 教 え る と こ ろ に よ れ ば,紀 貫 之(868頃
∼945頃)が
書
い た もの とい う こ とに な っ て い る。 彼 は,土 佐 国 守 を勤 め て い た が,承
平 4年
(934)に
に帰 京
任 期 が 終 り,こ の 年 の12月21日
に任 地 を離 れ,翌 年 2月16日
した。 この 間の こ とを 女 性 に 仮 託 して,日 記 に記 した もの が 『土 佐 日記 』 とい うことである。 ど ち らが 正 し い の で あ ろ うか? 『後 撰 和 歌 集 』 は紀 貫 之 没 後 数 年 の 天 暦 5年(951)に
撰 集 され た 勅 撰 和 歌 集
で あ る。 撰 者 は 大 中 臣 能 宣 ・清 原 元 輔 ・ 源 順
・紀 時 文 ・坂 上 望 城 の
五 人 で あ っ た。 そ の 巻 第 十 九 離 別 ・羈旅 の 部 に収 め られ た 貫 之 の 歌 の 中 に,次 の 二 首 が あ る。
土左 よ り まか りの ぼ りけ る舟 の う ち に て 見 侍 りけ る に,山
の は な らで 月
の 浪 の な か よ りいづ るや うに み え け れ ば,む か し安 倍 の な か ま う が も ろ こ し にて,ふ
りさ け み れ ば と いへ る こ とを思 ひ や りて
つ らゆ き
一 三 五 五 宮 こに て 山 の は に 見 し月 な れ ど海 よ りい で て 海 に こ そ い れ
土左 よ り任 は て て の ぼ り侍 りけ る に,舟 の うち に て 月 を 見 て つ らゆ き
一 三 六 二 て る 月 の なが る る 見 れ ば あ まの が は い づ るみ な とは 海 に ぞ 有 りけ る 一 三 五 五 の 歌 に対 応 す る も の は 『土 佐 日記 』 の 一 月二 十 日の 条 に あ る。
二 十 日。 昨 日の や う な れ ば,船 呂 の 主,(中
出 だ さず 。(中 略)こ
れ を見 て ぞ,仲
麻
略)
青 海 ば らふ り さ け見 れ ば 春 日な る三 笠 の 山 に 出 で し月 か も とぞ よめ りけ る。(中 略)さ め る歌,
て,今,そ
の か み を思 ひ や りて,或
人の よ
み や こ に て 山の 端 に 見 し月 なれ ど波 よ り出 で て 波 に こそ 入 れ
『後 撰 和 歌 集 』 の 歌 と 『土佐 日記 』 の歌 とで は,「 海 」 と 「波 」 の 部 分 に 相 違 が あ る が,同
一 歌 の 異 伝 の 範 囲 に 入 る もの で あ ろ う。 作 者 は 『土 佐 日記 』 で は
「或 人 」 とあ る だ け で あ る。 そ の 「或 人 」 と は紀 貫 之 で あ る と 『後 撰 和 歌 集 』 の 撰 者 た ち に は わ か っ て い た と い う こ とに な る。 一 三 六 二 の 歌 に対 応 す る もの は 『土 佐 日記 』 の 一 月 八 日の 条 に あ る。
八 日。 障 る こ とあ りて,な て,或
ほ 同 じ所 な り。(中 略)今,こ
の歌 を思 ひ 出 で
人 よめ りけ る, 照 る 月 の な が る る見 れ ば 天 の 川 出づ る水 門 は海 に ざ りけ る
とや 。 こ れ も第 五 句 に 相 違 が あ る 。『後 撰 和 歌 集』 で は 「海 に ぞ有 りけ る」 で,『 土 佐 日記 』 の 歌 で は 「海 に ざ りけ る」 で あ る 。 後 者 は 融 合 形 を使 用 し,く だ け て い る。 勅 撰 集 で は,俗
に くだ け る わ け に は い か な か っ た の で あ ろ う。 や は り異
伝 歌 の 範 囲 に 入 る。 この 「或 人」 も紀 貫 之 と正 体 を見 抜 か れ て い る 。 こ う い う わ け で,『 土 佐 日記 』 の 冒 頭 の一 文 は,書 か れ た 当 時 か ら,事 実 と は異 な る虚 構 の 表 現 で あ る と理 解 され て い た の で あ る が,貫 之 は なぜ こ の よ う な虚 構 の 表 現 を な した の で あ ろ うか?
2.な ぜ,紀 これ まで,多
貫 之 は 『土佐 日記 』 に お い て,「 女 」 に な っ た の か? くの研 究 者 は 『土 佐 日記 』 の フ ァー ス トセ ンテ ンス が孕 む謎 に
こだ わ っ て きた 。 なぜ,紀
貫 之 は 「女 」 に な っ た の だ ろ うか?
と。
南 波 浩 は 「土 佐 日記 の 本 質― 日記 文 学 の 意 義― 」 に お い て,女 性 仮 託 の 謎 に 対 す る20名 以 上 の 研 究 者 の解 答 を 手 際 良 くま とめ て い る 。 そ の い くつ か を 紹介 する。
1 僧 契 沖 『土 佐 日記 抄 』 文 選 の 謝 恵 運 の 雪 賦 は 司 馬 相 如 の 名 を か り, 伝 武 仲 の 舞 賦 は 宋 玉 の 名 を か りて 作 っ て い る よ う に,創 作 上 の技 巧 と軽 く見 る説 。 * なぜ 「女」 か?
の答 えになっ ていない。
2 北 村 季 吟 『土 佐 日記 抄 』 女 の わ ざ と し たの も,最 後 に 「と く破 りて む 」 と書 き と め た の も,す べ て 謙 退 の 詞 。 *な ぜ 謙 退 の詞 を必 要 と した の か? 3 上 田秋 成 『土 佐 日記 解 』 任 国 で 死 去 した 嬰 児 を い た み 悲 し む の は 丈 夫 と して あ る ま じ きこ と と思 わ れ る こ と を恥 じ
加 藤 宇 万 伎
て,女
と して 書 い た。
* 山上 憶 良 は 「男 子 名 を古 日 と い ふ に恋 ふ る歌 」 (万 葉 ・5・904,905,906)に
お い て夭 逝 した 愛
児 の 死 を 痛 切 に 悲 しむ 長 歌 一 首 と反 歌 二 首 を歌 い 上 げ て い る 。 親 の 真 情 を 吐 露 す る こ と は 女 々 しい こ と で は な い 。 憶 良 は 「丈 夫 」 意 識 の 強 か っ た人 で もあ る 。 4 藤 岡 作 太 郎 『国 文 学
仮 名 は女 の 使 用 す る もの で あ っ た か ら,舟
全 史 ・平 安 朝 篇 』
の女 の風 を して書 い た 。 *紀 貫 之 は,す
中
で に仮 名 で 「仮 名 序 」 を書 い て
い る 。 仮 名 は女 専 用 で は ない 。 5 萩 谷 朴 「土 佐 日記 は
公 人 た る貫 之 が 当 時 の 習 慣 に 反 し て 仮 名 で 日
歌 論 書 か 」
記 を書 くの は,は
ば か られ た の で,や
むなく
女 性 と し て書 い た 。 *考 え られ る説 で あ る 。
6 秋 山慶 『日本文 学思 潮』 古代後編
土 佐 日 記 の 冒 頭 に 自己 の 創 始 を 謳 っ た の は, そ れ が 前 代 未 聞 の 意 味 で の 日記 で あ る こ と の標示で あった。 *考 え られ る説 で あ る。
フ ァー ス トセ ン テ ンス が 孕 む 謎 に対 す る解 答 例 で あ る。 不 適 切,不 の や,概
ね正 しい の で は な い か と考 え ら れ る もの もあ るが,こ
十 分な も
れ ら はす べ て 無
意 味 な解 答 で あ る。 な ぜ か とい う と,紀 貫 之 は女 性 仮 託 を宣 言 した 直 後 の 第 2 セ ン テ ンス に お い て,こ
れ を裏 切 る文 言 を認 め て い る か ら で あ る。
3.な ぜ,女
性 に仮 託 した 直 後 に 男言 葉 を使 うの か?― 言 説 を裏 切 る 言 説―
男 もす な る 日記 とい ふ もの を,女
そ れ の 年 の,十 二 月 の,二
も して み む とて す る な り。
十 日 あ ま り一 日の 日の,戌
の 時 に 門 出 す。 そ
の よ し,い さ さ か に,も の に書 きつ く。 第 1文 に お い て,書
き手 は 「女 」 で あ る と 宣 言 し な が ら,第 2文 で は 早 速,
こ れ を 裏 切 り,「 そ れ の 年 の 」 と い う 男 言 葉 を 使 用 す る 。 書 き手 が 真 実 「女 」 で あ る な らば,「 あ る 年 の 」 と書 くは ず の と こ ろ で あ る。 今 日 な らば ,「 某 年 」 とい う語 が 与 え る 男 の 書 き言 葉 とい う ニ ュ ア ンス を 「そ れ の 年 の 」 は有 して い る。 第 3文 に あ る 「い さ さか に 」 も変 だ 。 「女 」 な ら 「い さ さか 」 と で も書 くべ き と こ ろ で あ る。 『土 佐 日記 』 に は,こ れ ら ばか りで は な く,随 所 で 男 言 葉 が 使 用 され て い る。 男言 葉
女 言葉 での言 い換 え例
十 二 月二十 七 日 こ の 間 に, ま た,或
→ さ る に /さ る ほ ど に
時 に は,
→ あ る時
十 二月 二十 九 日 志 あ る に 似 た り。 一 月 七 日
或 人 の 子 の 童 な る,ひ
→ 志 あ る や う な り。 → みそ か にいふ。
そか にい
ふ 。 一 月 九 日
これ か れ 互 に,「… … 」と て,
→ こ れ か れ か た み に,
お も しろ し と見 る に堪 へ ず して, → 見 る に堪 へ で, 一 月 十 二 日 一 月 十 三 日 一 月 十 六 日 一 月 十 七 日
今 し,羽 根 とい ふ 所 に 来 ぬ 。
→ 今 ぞ(今
い さ さ か に 雨 降 る。
→ い さ さか
海 に 波 な く して,
→ な くて,
同 じ ご と くに な む あ りけ る 。 か くい ふ 間 に, 夜 や うや く明 け ゆ くに, この 間 に雨 降 りぬ。
一 月 二 十 一 日 一 月 二 十 九 日 一 月 三 十 日
こ の 間 に,使
は れ む とて,
そ が い ひ け ら く, 今 日,海
し も)
→ や うに → か く い ふ ほ ど に, → や うや う
→ さる に/ さるほ どに → さるに / さるほ どに → い ふ や う,
に 波 に 似 た る もの な し。 → の や う な る
神 仏 の 恵 み か うぶ れ る に 似 た り. → や う な り.
二 月 一 日
昨 日 の ご と くに,
→ や うに
こ の 間 に,
二 月 四 日
→ さ るに/ さるほ どに
船 君 の い は く,
→ いふや う
苦 し き に 堪 へ ず して,
→ で
ひ そ か に い ふ べ し。
→ み そか に
し か れ ど も,
→ され ど/ さは いへ ど
と いへ れ ば,
→ いへ ば
在 る 人 の堪 へ ず して, 二 月 五 日
→ 堪 へ で,
船 子 ど もに い は 〈,
→ い ふ や う,
書 き 出 だせ れ ば, 今 し,か
→ 出 だ せ ば, →
もめ 群 れ ゐ て 遊 ぶ 所 あ
今 ぞ,
り。 こ こ に,昔
二 月 六 日
へ 人 の 母,
→ さて,
椙 取 りの い は く,
→ い ふ や う,
か く奉 れ れ ど も,
→ 奉 れ ど も,
楊 取 り ま た い は 〈,
→ い ふ や う,
一
→ い へ ば,
い と思 ひ の ほ か な る 人 の いへ れ ば,
二 月 七 日
喜 び に堪 へ ず し て,
二 月 八 日
男 ど も,ひ
→ 堪 へ で,
そ か に い ふ な り。
魚 不 用 。 二 月 九 日
→ 魚 用 ゐ ず.
こ の 間 に, こ こ に,人
→ さ る に/さ
々 の い は く,
一さて,人
至 れ り し国 に て ぞ
る ほ どに
・ の い ふ や う,1
→ 至 り し 国 に て ぞ,
悲 し き に 堪 へ ず し て, 二 月 十 一 日
雨 い さ さ か に 降 りて,止
二 月 十 六 日
人 々 の い は く, な ほ,悲
→ み そ かに
→ 堪 へ で, み ぬ 。
→ い さ さか → い ふ や う,
し き に堪 へ ず して,
ひそ か に心 知れ る人 と
→ 堪 へ で,
→ みそ か に
「仮 名序 」 執 筆 に際 して細 心 の注 意 深 さ を しめ し た紀 貫 之 で あ る か ら,こ れ らの 男 言 葉 が う っ か り ミス よ り生 じた も の とは 考 え に くい 。 自覚 的 言 葉 選 びで あ っ た と推 測 され る 。 とす る と,第
1文 と第 2文 以 下 の 矛 盾 を ど う解 い た ら よ
い もの だ ろ うか 。
4.虚 構 宣 言 こ の作 品の 末尾 は 次 の よ う に な っ て い る 。
忘 れ 難 く,口惜
し きこ と多 か れ ど,え 尽 く さず 。 と まれ か う ま れ,疾
破 りて む 。
く
(土佐 ・二 月 十 五 日)
[忘 れ られ な い,心 残 りな こ とが た く さん あ る の だ け れ ど も,と て も書 き 切 れ な い 。 何 は と もあ れ,(こ
の よ う な つ ま ら な い もの は)さ
っ さ と破 り
捨 て て し まお う。] 「え尽 く され ず 。 と ま れ か う ま れ,疾
く破 りて む 」 と書 い て は あ るが,そ
れ
を実 行 に 移 す つ も りは さ らさ らな か っ た。 私 た ち の 目 の前 に 『土 佐 日記 』 が あ る こ とが な に よ りの証 拠 で あ る。 『土 佐 日 記 』 の 表 現 は 屈 折 して い る 。 実 際 は 男 が 書 くの に 女 が 書 く と書 き, 女 が 書 く と宣 言 し なが ら,男 言 葉 を使 用 す る。こ の 日記 の 面 白 さ は こ こ に あ る。 単 に,男 が 女 を装 っ て書 い た か ら面 白 い の で は な い。 女 を装 い な が ら,表 現 の 端 々 で これ を 裏切 って い る と こ ろ に,本 当 の面 白 さが あ る 。 と ま れ,書 冒頭 に お い て,二 重 に,額
き手 は
面 どお りに 読 む こ と を 禁 じて い る 。 冒頭 の 文 で,額
面 どお り に読 む こ と を禁 じた彼 は,末 尾 に お い て も,額 面 どお りに は,読 む こ との で き な い,「 と ま れ か う まれ,疾
く破 りて む 」 と書 き記 す 。 見 事 な 首 尾 照
応 と言 わ ざる を え な い。 この よ う に,『 土 佐 日 記 』 は 冒 頭 文 と末 尾 の 文 とい う 鞘 で,二 旅 とい う 中 身,豆
か 月半 余 の 船
を内 包 した 日記 体 の 物 語 な の で あ る。 極 め て 輪 郭 が は っ き り
して い る。 枝 豆 型 の 作 品 と い っ て よ い だ ろ う。
奈 良 時代 は叙 事 を 好 み,事 実 を尊 ん だ。 そ れ は そ れ で 大 切 な こ とで,一
つの
在 り方 で は あ る の だ が,文 学 の 真 実 は 事 実 との 距 離 の 遠 近 で は測 れ ない と ころ に あ る。 真 実 を語 る た め の 装 置 と して 虚 構 が あ る。 平 安 時 代 は 虚構 の 時 代,物
語 の時
代 で あ る。紀 貫 之 の 力 業 は,事 実 の 重 み か ら虚 構 の 軽 み へ の跳 躍 を可 能 に した 。
彼 は,虚 構 の 時 代 を切 り拓 い た の で あ る。
5.紀 貫 之 は何 度 も 「女 」 に な っ て い る! 紀 貫 之 が 「女 」 に な っ た の は,実
は 『土 佐 日記 』 が 初 め て で は な い 。 『古 今
和 歌 集 』 巻 第 一 「春 上 」 に 次 の 和 歌 が あ る。
「歌 奉 れ 」 とお ほせ られ し時 に,よ み て 奉 れ る
つ らゆ き
わ が せ こ が 衣 は る さ め 降 る ご と に野 辺 の み ど りぞ 色 ま さ りけ る 「わ が せ こが 衣 」 は 「は る=張
る→ 春 」 とい う序 詞 で あ る が,「 私 の 夫 の 衣 」
と い う表現 に,読 み 手 が 女 性 で あ る とい う立 場 が 表 明 され て い る 。 屏 風 歌 の 代 作 者 と して も紀 貫 之 は 活 躍 し て い る が,こ
こ に お い て も,い
と
も簡 単 に 「女 」 に な っ て い る。
延 喜 5年(905)2 歌,内
月,尚
侍 の奉 らるる泉の右 大将 の 四十の 賀の時 の屏風
裏 の 仰 せ に よ りて奉 る
夏 山 の 影 を 繁 み や 玉 鉾 の 道 行 く人 もた ち ど ま る らん こ の 屏風 歌 で は 「尚侍 」 とい う女 官 の トップ に紀 貫 之 は な っ て い る。
延 喜15年(915)の
女 ど も 山寺 に ま う で した る
春 斎 院 の 御 屏 風 の 和 歌,内
裏 の仰 せ に よ りて 奉 る。
思 ふ こ とあ りて こ そ ゆ け 春 霞 道 さ また げ に た ち わ た る か な
こ こ で は,女
房 た ち の一 人 に な って い る。
こ う い うわ け で,和
歌 の 世 界 で は,「 男 」 が 「女 」 に な る の は 日常 茶 飯 事 で
あ っ た 。 紀 貫 之 が や っ た こ と は,和 歌 の 世 界 の技 法 を 「日記 」 とい う散 文 の世 界 に まで 拡 大 して 適 用 した こ と な の で あ る。 常 識 を 破 る こ とで あ る か ら,簡 単 な こ とで は な か っ た に違 い ない が,発 想 を転 換 す る と い う頭 脳 プ レー をす れ ば で きる こ とで あ る 。 紀 貫 之 に と って は困 難 な こ と で は な か っ た ろ う。
6.『蜻 蛉 日記 』 『和 泉 式 部 日記 』 『更 級 日記 』 の 虚 構 性― 日記 体 物 語― 『 蜻 蛉 日記 』 も 日記 体 物 語 で あ る。
か くあ り し時 過 ぎて,世
の 中 に い と もの は か な く,と に もか くに もつ か
で,世 に 経 る人 あ りけ り。
か た ち と て も人 に も似 ず,心 あ らで あ る も,こ
魂 もあ る に もあ らで,か
と わ り と思 ひつ つ,(中
略)人
う もの の 要 に も
に もあ らぬ 身 の 上 ま で 日
記 して,め づ ら し き さ ま に もあ りな む,天 下 の 人 の 品 高 き や と問 は む た め しにせ よか し,と お ぼ ゆ る も… … 。 『蜻 蛉 日記 』 の 筆 者,少
将 道 綱 の 母 は,こ の 日記 の 主 人 公,そ
して 書 き手 と
な る女 性 を 「人 」 と冷 静 に 表 現 し,容 貌 も人 並 み 以 下 で,思 慮 分 別 も あ る わ け で も な い 女性 と評 価 す る こ と ま で して い る 。 これ は,立 派 な物 語 の 書 き出 しで あ る。 『和 泉 式 部 日記 』 に は 次 の よ うな 叙 述 が あ る。 女,も
の 聞 こ え む に もほ ど遠 くて便 な け れ ば,扇
を さ し出 で て 取 りつ 。
宮 も上 が りな む とお ぼ した り。 「女 」 は 和 泉 式 部,「 宮 」 は 敦 道 親 王 で あ る 。 登 場 人 物 の 内 面 に ま で 入 り込 む 表 現 は,決
して,事 実 を記 録 す る 「日記 」 の 文体 で は な く,「 物 語 」 の 文 体 で
ある。 『更 級 日記 』 の 冒 頭 部 は 次 の よ うに な っ て い る 。
あ づ ま路 の 道 の は て よ り も,な ほ奥 つ 方 に 生 ひ 出 で た る 人,い
か ばか り
か は あ や しか りけ む を … … 。 『蜻 蛉 日記 』 の 場 合 と同 様 に,こ
の 日記 の 書 き手 と な る,菅
原 孝標 の娘 を
「人 」 と客 観 的 に表 現 して い る。 さ らに 自分 の こ とで あ る に もか か わ らず,「 い か ば か りあ や しか りけ む に」 と他 人 の こ と の よ うに 表 現 して い る。 こ れ も 「物 語 」 の 文 体 で あ る。 紀 貫 之 の 『土 佐 日記 』か ら,彼 女 らは 虚構 の 軽 や か さ面 白 さ便 利 さ を学 ん だ 。 事 実 の 重 苦 しさ に か らめ と られ が ち な 日常 を な ん とか 日記 体 物 語 の 文 体 で 逃 れ
よ う と して い る。 な お,『 紫 式 部 日記 』 は,一 部 消 息 文 の 流 入 か と思 わ れ る 女 房 批 評 の 部 分 を 除 く と,藤 が 中心 で,物
原 道 長 の 私 邸,土
御 門 邸 の 日常,特
に,中
宮 彰 子 の 出 産 の記 録
語 的 要 素 は な く,記 録 体 の 日記 で あ る。
■ 発 展問題 (1) 紀 貫 之 の 自筆 本 の 姿 を ほ ぼ 忠 実 に 伝 え る と さ れ る写 本,『 青谿 書 屋 本 土 左 日 記 』 は,総
字 数,約12,000字
で 書 か れ て い る が,漢
主 体 の 日記 と な っ て い る 。 そ う い う 中 で,次
字 は200字
ほ どで,仮
名
の 言葉 は漢字 書 き されて い る。
なぜか 考 えてみ よう。 A 日記(冒 月27日
頭)・ 願(12月22日)・ ・2月16日)・
講 師(12月24日
白 散(12月29日
・1月 2日)・ 京(12
・元 日)
B 十 二 月 ・二 十 日 ・元 日(日 付 は 漢 字 書 き に な っ て い る 。) C 宇 多(1 月 9日),故
( 2月 9日)
D 不 用(2 月 8日)
(2) 平 安 朝 女 流 日記 の 一 つ 『讃 岐 典 侍 日記 』 は 日 記 体 物 語 ・記 録 体 日記 の ど ち ら か,確
認 し て み よ う。 また 冒 頭 ・末 尾 を 読 み,枝
豆型作 品か尻抜 け型 作 品か
考 え よ う。
(3) 松 尾 芭 蕉 の 『お く の ほ そ 道 』 と随 行 者 河 合 曽 良 の 『随 行 日 記 』 と を比 較 す る と 多 くの 点 で 食 い 違 い を み せ る。 こ の こ と か ら,『 お くの ほ そ 道 』 の 作 品 と して の 性 質 を 考 え て み よ う。 お くの ほそ 道
随 行 日記
a 出 発 日
3月27日
3月20日
b 第 1泊 目の地
早 加(草 加)
粕 壁(春
c 日光 鉢 石 宿 泊 日
3月30日
4月 1日
d 中尊寺での句 五月 e 越 後 路 で の句 f 市 振 の遊女 曽良
雨の降り残 してや光 堂
荒 海や 佐 渡 に よ こた ふ 天 の川 に語 れ ば,書 き と どめ侍 る
日部)
当 日は快晴 夜 中豪 雨 記述無し
■ 参考 文献 1) 松 村 誠一 校 注 ・訳 『土佐 日記 』(「日本古 典 文学 全 集 」小 学 館,1973) 2) 谷 山 茂他 編 『新編 国 歌 大観 第一 巻 勅 撰集 編 ・歌 集 』(角 川書 店,1973) 3) 久 松潜 一 ・秋 山 虔 他編 『国語 国 文 学研 究 史大成 平安 日記 増 補 版 』(三 省 堂,1978) 4) 石 原 昭平 編 『平安 朝 日記I・Ⅱ 』(「日本 文 学研 究 資 料叢 書 」 有精 堂,1971・1975) 5) 谷 山 茂他 編 『新編 国 歌 大観 第 三 巻 私家 集 編 ・歌 集 』(角 川 書 店,1985) 6) 木村 正 中 ・伊 牟 田経 久校 注 ・訳 『蜻 蛉 日記 』(「日本 古 典文 学全 集 」 小 学 館,1973) 7) 藤 岡忠 美 校 注 ・訳 『和 泉式 部 日記 』(「新 編 日本古 典 文学 全 集」 小 学 館,1994) 8) 犬 養廉 校 注 ・訳 『 更 級 日記 』(同 上) 9) 中 野幸 一 校 注 ・訳 『紫式 部 日記 』(同 上) 10) 石 井 文夫 校 注 ・訳 『讃 岐典 侍 日記 』(同 上) 11) 秋 山 虔
「女 流 日記 文 学 につ い ての 序 説 」(「別 冊 国 文 学 王 朝 女 流 日記 必 携 」 學 燈 社,
1986) 12) 鈴 木 一雄 『王 朝女 流 日記 論 考 』(至 文 堂,1994) 13) 山 口仲 美 『平安 文 学 の 文体 の研 究 』(明 治 書 院,1984) 14) 小松 英 雄 『日本語 書 記 史原 論 補 訂 版』(笠 間書 院,2000) 15) 池 田亀 鑑 『古 典の 批 判 的処 置 に関 す る研 究 』(岩 波 書店,1941) 16) 阿 久 澤 忠 「『土左 日記』 の 文 体― 「す み の え」 の 表 記 か ら― 」(「日本 語 学 」22巻 5号, 2003) 17) 尾 形 仂 『お くの ほ そ 道評 釈 』(角 川書 店,2001) 18) 小 池清 治 『日本語 は い か につ くられ たか?』(ち
く ま学 芸 文庫,1995)
第6章 『 枕 草 子』 の ラ イバ ル は 『史記 』 か? 【三 色 弁 当 型 作 品 】
キ ー ワー ド:血 筋 社会 ・個性 尊重 社 会,随 想 的章段 ・日記 的章段 ・類 聚的 章段,「 は」 型 章段 ・「もの」 型 章段,「 こ と」 型 章段 ・跋文,枝 豆 型 作 品,三 色 弁 当型作 品,散 文 詩 的文体,記 録体 日記 的文 体,紀 伝体,総 合歴 史書 ・総 合文化 誌,随 筆
清 少 納 言(生
没 年 未 詳)の
『枕 草 子 』 は極 め て 独 創 的,個 性 的 作 品 で あ る。
血 筋 社 会 で あ った 平 安 時代 にお い て,個 性 を 主 張 す る とい う こ とは 空 しい 作 業 で は あ っ た の だ が,革 命 的 行 為 で あ っ た 。 跋 文 の 記 述 に よ れ ば,『 枕 草 子 』 は 『史 記 』 を ラ イバ ル と した とい う解 釈 が 成 立 す る。 『枕 草 子 』 の ラ イバ ル を 『史記 』 と仮 定 す る と,『 枕 草 子 』 に 関 す る 多 くの 謎 が 氷 解 す る。 例 え ば,「 春 は あ け ぼ の 」 で 始 ま る 理 由,三 種 類 の 文 体 で 混 成 さ れ る 理 由, 「枕 に こ そ は 侍 らめ 」 の解 釈 等 で あ る 。 司馬 遷(B.C.145∼B.C.86)は
『史 記 』 に よ り,歴 史 の総 合 的 記 述 の 方 法 を
紀 伝 体 とい う形 で 完 成 させ た。 清 少 納 言 は,こ 的 章 段,類
れ に 対 して,随 想 的 章 段,日
聚 的 章 段 の 三 種 類 の 文 体 で 作 品 を混 成 し,結 果 的 に,随
全 く新 しい ジ ャ ン ル を,11世
紀 の 初 頭 と い う,世 界 史 的 に 見 て,飛
記
筆 とい う び切 り早
い 時 期 に,東 洋 の 島 国 で創 出 して し ま っ た。 優 れ た 文 学 作 品が 生 み 出 さ れ る に は,三 つ の 条 件 が 必 要 で あ る。 一 つ 目 は作 者 の 資 質,二 つ 目は優 れ た 読 者 の存 在,三 つ 目 は執 筆 に 駆 り立 て る 大 い な る鬱 屈 で あ る。 『枕 草 子 』 の場 合 に は,こ
れ らに 加 え,優 秀 な ラ イバ ル,紫 式 部 の
存 在 が あ っ た 。 この よ うな 好 条 件 が 世 界 史 的 に も珍 しい,新 ャ ンル を創 出 し,傑 作 を生 み 出 した の で あ る。
しい 随 筆 とい う ジ
1.「雨 夜 の 品 定 め 」(『 源 氏 物 語 』 「帚木 」)の女 性 観― 平 安 時 代 は 血 筋 社 会― 紫 式 部 は 「頭 中 将 」 の 口 を通 して,女 性 を上 ・中 ・下 の 三 階級 に わ け て い る。
人 の 品 た か く生 れ ぬ れ ば,人
に もて か しづ か れ て,隠
る る こ と多 く,自
然 に そ の け は ひ こ よ な か るべ し,中 の 品 に な ん,人 の 心 々 お の が じ しの 立 て た る お も む き も見 え て,分 み と い ふ 際 に な れ ば,こ
か る べ き こ とか たが た 多 か る べ き。 下 の き ざ
とに 耳 立 たず か し… …
人 の 等 級 は 「生 れ」 に よ る とい う,血 筋 社 会 の 人 間 観 が 展 開 され て い る。 こ の よ う な社 会 に お い て は,個
々 の 才 能,資
質 は 二 の 次,三
の次 なのだ。
光 源 氏 の ア バ ンチ ュ ー ル の 最 初 の相 手 とな った 「空 蝉 」 は,「 右 衛 門 督(中 納 言)」 の 娘 で あ る か ら,従 三 位 ク ラ ス で,そ
う低 い 階 級 と は 思 わ れ な い の だ
が,皇 族 出 身 の 光 源 氏 に は 身 分 差 を 感 じ,「 数 な らぬ 身 」 と 自 ら を 卑 下 して い る。 光 源 氏 の た だ 一 人 の 愛 娘 を 生 ん だ,だ 君 」 は,父 親(明
か ら胸 を 張 っ て い い は ず の 「明 石 の
石 の 入 道)が 播 磨 の 国 の 元 国 司,祖
父 が 大 臣 で あ っ た か ら,
決 して 低 い 身 分 で は な い の だ が,「 空蝉 」 と 同様 に,「 身 の ほ ど口惜 し」 い,と 嘆 い て い る(「澪 標 」)。光 源 氏 が 最 も愛 した 女性,「 紫 の 上 」 は,父 で あ る の で,身
分 的 に は 「女 王 」(天 皇 の 孫 娘)と
い 身 分 で は な い の だ が,朱 弱 い 。 夫,光
親が 親王
い う こ と に な り,ま さ に 低
雀 帝 の 娘 「女 三 の宮 」 とい う 「内 親 王」 に対 して は
源 氏 か ら 「女 三 の 宮 」 と の 結 婚 話 を 打 ち 明 け られ,「 紫 の 上 」 は
次 の よ う に述 べ る 。
「か の 母 女 御 の 御 方 ざ ま に て も,疎 か らず 思 し数 まへ て む や 」 と卑 下 し た まふ を …
[「宮 の 御 母 女 御 様 の ご縁 か らで も,親
(若 菜 上) し く人並 み にお 付 き合 い し て い た だ
け ませ ん で し ょ うか 」 と卑 屈 に謙 遜 な さ るの で … … ] 語 り手 は 「紫 の 上 」 の 発 言 を 「卑 下 」 した もの と評 価 して い る 。 こ の よ う な次 第 で,平 安 時 代 は血 筋 ・家 柄 第一 主 義 の 時 代 で あ っ た 。 そ うい う中 で,自 分 の 感 性 で 勝 負 !,わ が 個 性 で 勝 負!,と
打 っ て 出 た の が,清
少納
言 で あ っ た。
2.随 想 的 章 段 に お け る新 しい美 意 識― 「曙 」 の 美 は清 少 納 言 の 発 見― 『枕 草 子 』 は 次 の よ うに 書 き起 こ され る。
春 は あ け ぼ の 。 や うや う しろ く な りゆ く山 ぎ は,す
こ しあ か りて,紫
だ
ち た る雲 の ほ そ くた な び きた る。 当 時 の 読 者 は ビ ッ ク リ し た こ と だ ろ う。 『古 今 和 歌 集 』 の 「春 」 の 部 の 景 物 に 「あ け ぼの 」 な ん て,な
い の で あ る。 あ るの は,つ
ぎの よ う な も の で あ る 。
氷 ・春 風 ・春 霞 ・雪 ・鶯 ・梅 ・春 の 日の光 ・木 の 芽 ・谷風 ・花 の香 ・若
草 ・松 の雪 ・若 菜 ・春 雨 ・山風 ・松 の 緑 ・青 柳 ・柳 ・千 鳥 ・呼 子 鳥 ・帰
雁 ・春 の 夜 ・桜 ・山桜 ・滝 ・白雲 ・山里 ・花 ざ くら ・桜 花 ・光 ・風 ・な
らの都 ・山辺 ・野 辺 ・千 種 ・駒 ・藤 の 花 ・藤 波 ・山 吹 の 花 ・ 蛙 一 日の 時 刻 に 関 す る もの は ,「 春 の 夜 」 の み で,凡
河 内躬 恒 の 次 の 和 歌 が あ
る。
春 の 夜,梅
の花 を よ め る
みつ ね
春 の夜 の 闇 はあ や な し 梅 の 花 色 こ そ 見 え ね 香 や は か く る る
(春上 ・41)
この よ うに,「 あ け ぼ の 」 の 語 は影 も形 も無 い。 『後 撰 和 歌 集 』 『 拾 遺和 歌集』 に も無 い の で,勅
撰集 に は 『 枕 草 子 』 以 前,「 あ け ぼ の 」 を 歌 に 詠 み 込 む と い
う習慣 が 無 か っ た とい う こ とに な る。 後 冷 泉 院,み
この み や と 申 しけ る時,う へ の をの こ ど も,一 品宮 の 女 房
と も ろ と もに,さ
く らの は な を もて あ そ び け る に,故 中宮 の い で は も はべ
りき と き きて,つ か は しけ る
源
為善
朝臣
花 盛 り春 の 深 山 の あ け ぼ の に 思 ひ 忘 る な秋 の 夕 暮 れ
(雑五 ・1102)
勅 撰 集 で 「あ け ぼ の 」 を 歌 に 詠 み 込 ん だ 最 初 の 歌 は 『後 拾 遺 和 歌 集 』(応 徳
三,1086)の
源 為 善 の 歌 で あ る。 彼 は,序 で に 「秋 の 夕 暮 れ」 ま で 詠 み 込 ん で
し ま っ て い る か ら,こ の 歌 は 『枕 草 子 』(長 保 二,1000年
以 後?)の
影 響 をま
と もに 受 け て い る こ と 明 白 で あ る 。 こ れ 以 後,『 金 葉 和 歌 集 』 『千 載 和 歌 集 』 『新 古 今和 歌 集 』 な ど で も歌 わ れ る よ うに な る。 「春 は あ け ぼ の 」 は,年 周 期 の 「春 」 と 日周 期 の 「あ け ぼ の 」 と を取 り合 わ せ た,新 鮮 な も の で あ っ た。 「しろ くな りゆ く山 際」 「紫 だ ち た る 雲 」 な ど,く っ き りと した 清 新 な イ メ ー ジ を も伴 っ て,王 朝 世 界 の 美 意 識 の 中 に 定 着 して い く。 清 少 納 言 は 「春 は あ け ぼ の 」 に よ り,名 歌 一 首 に 勝 る業 績 を和 歌 の 世 界 で 挙 げ て し ま っ て い る。 歌 人 で もあ っ た 父,清
原 元 輔 も娘 の快 挙 に 鼻 を 高 く した
こ とで あ ろ う。 「夏 の 夜 の 螢 」 を 歌 っ た歌 も 『古 今 和 歌 集 』 に は な い。 『 古 今 和 歌 集 』 の夏 の 部 は 「ほ と と ぎす 」 に 占領 され て お り,「 螢 」 が 入 り込 む余 地 が な い。
夕 され ば螢 よ りけ に燃 ゆ れ ど も光 見 ね ば や 人 のつ れ な き (恋二 ・562)
『古 今 和 歌 集 』 の 「螢 」 は紀 友 則 の 上 の 歌 に 出 て くる だ け で あ る 。 「恋 二 」 に 所 属 して い る こ とか ら もわ か るが,こ 使 用 され る の み で,ま
の螢 は 実 景 で は な い 。 比 喩 的 表 現 の 中 で
こ とに は か ない 。 こ れ に 対 して 『枕 草 子 』 の 「螢 」 は イ
メー ジ鮮 や か で あ る。
夏 は 夜 。 月 の こ ろ は さ ら な り。 闇 もな ほ,螢 の お ほ く飛 び ちが ひ た る。 また,た
だ 一 つ 二 つ な ど,ほ の か に う ち 光 りて 行 く も をか し。 雨 な ど降 る
も を か し。 清 少納 言 の 筆 さ ば きは 颯 爽 と して い て,渋 滞 が な い 。 迷 い の な い 筆 先 は,闇 に舞 い飛 ぶ 螢 を は っ き り と描 き切 って い る 。 4節 で 詳 述 す るが,こ
の 短 文 を重 ね て,畳 み 込 む よ うな 歯 切 れ の よ い 文 章 は,
『 竹 取 物 語 』 の 文 章 の稚 拙 さ,『 伊 勢 物 語 』 の,長
く続 く,思 い 切 りの 悪 い,だ
らだ ら文 と比 較 す る と雲 泥 の相 違 で あ る。 「秋 の 夕 暮 れ の 鴉 」 を歌 っ た 歌 も 『古 今 和 歌 集 』 に は な い 。 こ の 歌 集 で は
「秋 の 夕 暮 れ 」 に は鹿 が 雌 鹿 を求 め て 恋 い 鳴 き し,「 秋 の 夜 」 は,雁 す(現 在 の コ オ ロギ)の
鳴 き声 に満 ち い て,鴉
や き りぎ り
の 出 て く る幕 は な い の で あ る。
和 歌 は本 来,晴 れ の 場 の 物 言 い で あ る。 黒 い 鴉,あ の 鳴 き声 で は,清 少 納 言 の頑 張 りに もか か わ らず,晴
れ の場 に は住 むべ き場 所 を見 い だ せ な か っ た の で
あ ろ う。 わ ず か に,「 明 け 鴉 」 が 歌 わ れ る程 度 で あ る。 清 少 納 言 が 描 い た,夕 暮 れ 時,塒
に急 ぐ鴉 の 群 れ が 歌 わ れ る の は,明 治 以 後 の 童 謡 まで 待 た ね ば な ら
な い。 清 少 納 言 の 眼 は,晴
れ の,褻 の,と
は こ だ わ っ て い な い。 生 活 の 場 の 快 適 さ
に も眼 を向 け る。 冬 の 早 朝 の 気 持 ち よい く らい の 寒 さ,炭 火 を 起 こす 人 々の か いが い し さ を冬 の 景 物 と して い る。 しか し,こ れ は や は り晴 れ の 場 の 言 語,和 歌 の世 界 の も の とは な りえ な い もの だ。 結 局,和 歌 の 世 界 で 公 認 さ れ た もの は 「春 の あ け ぼ の 」 だ け で は あ っ た が, 清 少 納 言 の 果 敢 な 美 意 識 宣 言 は,当
時 の 人 々 を驚 かせ,伝
統 的 美 意 識 に浸 り,
これ に な ず む ばか りで は だ め だ とい う気 分 に させ た こ と で あ ろ う。 な お,「 春 は あ け ぼ の 」 の 章 段 に は,こ の ユ ニ ー ク な作 品 の 冒 頭 で あ る と い う宣 言 が あ ら わ に は な され て い な い。 他 の 随 想 的 章 段 と横 並 び の 文 章 と も考 え られ る 。 しか し,『 枕 草 子 』 が 新 しい 美 意 識 を謳 い 上 げ る 書 で あ る とい う こ と を思 う時,「 春 は あ け ぼ の 」 は 巻 頭 を飾 る 資 格 を 十 分 に有 し て い る と判 断せ ざ る を え な い。 ま た,先 に も述 べ て お い たが,『 枕 草 子 』 に は跋 文 が あ り,『 枕 草 子 』 執 筆 の 由 来 が 書 か れ て い る。 そ れ に よ れ ば,こ の 書 は,『 史 記 』 に 対 抗 す べ く書 か れ た と い う。 『史 記 』 に対 す る に も っ て 「四季 」 で ま ず 応 じる と い う趣 向 と 考 え れ ば,「 春 は あ け ぼ の 」 の 文 章 が 巻 頭 を飾 る の は 当 然 と い う こ と に な る 。 こ の よ う に 考 え る と,こ の 作 品 は,頭
と尻 と を 有 す る 枝 豆 型 作 品 とい う こ と に な
る。
3.『枕 草 子 』鑑 賞 の 場 は どの よ うな も の で あ っ た の か?―
『枕 草 子 』 の跋
文 の解 釈― 高 度 の 達 成 を示 す 文 学 作 品 は,書
き手 の 側 の 一 方 的 営 為 に よ っ て成 立 す る も
の で は な い。 良 質 な読 み 手 が い な い と こ ろ に は,良 い 文 学 作 品 は 生 まれ る もの
で は ない の だ 。 『源 氏 物 語 』 の 奇 跡 は,書
き手,紫
式 部 の 資 質 に よ る と こ ろ が 大 き い とい う
こ とは 勿 論 な の で あ る が,こ の作 品 を受 容 す る,中
宮 彰 子 及 び そ の 女 房 た ち,
さ ら にパ トロ ン藤 原 道 長 や 取 り巻 き の 貴 族 た ち の 鋭 敏 な 鑑 賞 眼 の 存 在 が,作 品 の 質 を高 度 な もの に 高 め た と考 え て 間 違 い な い 。 高 品 質 の 文 学作 品 を生 み 出 す 最 大 の 要 因 の 一 つ は優 秀 な 読 者 の 存 在 で あ る。 紫 式 部 は,『 源 氏 物 語 』 正 篇 第 一 部 の ヒ ロ イ ン に 「藤 壼 」 と い う女 性 を据 え て い る。 そ して,こ
の物 語 が 書 か れ た 時 点 にお い て,宮
中 で 「藤 壺 様 」 と呼 ば
れ て い た 女 性 は,な
ん と中 宮 彰 子 で あ っ た。 彼 女 は13歳 で 入 内 した 際 に,飛
香 舎 す な わ ち 「藤 壼 」 を賜 って い た か らで あ る。 紫 式 部 は,彰 子 を 第 一 読 者 と して 想 定 して い る。 そ の 第 一 読 者 の 呼 称 を作 品 の ヒ ロ イ ン と し て 頂 い て し ま っ た 。 あ ざ と い と言 え ば あ ざ と い 。 中 宮 彰 子 は 「藤 壼 」 の 運 命 に 一 喜 一 憂 す る に違 い な い。 書 き手 と読 み 手 は か く も緊 密 に 結 び付 い て い る 。 こ うい う条 件 は,清 少 納 言 の 『枕 草 子 』 につ い て も言 え る。 皇 后 定 子 は教 養 豊 か な 女 性 で あ っ た に 相 違 な い。 こ の 皇 后 様 が お 読 み に な る と 考 え た 時,清 少 納 言 は喜 び に震 え た こ と で あ ろ う。 そ して,腕 と こ ろ で,高
に縒 を掛 け た こ とで あ ろ う。
品 質 の 文学 作 品 を生 み 出 す 最 大 の 要 因 の も う一 つ は,大 い な る
鬱屈 で あ る 。 あ る い は,大 い な る 危 機 意 識 とか,怒
りと言 っ て もよ い。 そ の よ
うな もの が 書 き手 の 側 に な い 以 上,出 版 業 界 が 成 立 して い な い 当時,大 作 を物 す る 必 然 性 が な い 。 金 銭 や 名誉 以 外 に,書
き手 は書 く こ と の 苦 しさ に対 す る 代
償 を 得 て い た と考 え る の が 自然 で あ ろ う。 そ の 代 償 は鬱 屈 の 解 消 で あ る 。 紫 式 部 は,当 時 の 男 性 社 会,血 筋 社 会 にや り きれ な い ほ ど の憤 りを感 じ,押 さ え 込 め な い ほ ど の鬱 屈 を抱 えて い た の だ ろ う。 『源 氏 物 語 』 に 描 か れ る女 性 観 は儒 教 の そ れ,男 尊 女 卑 の 倫 理 観 を 一 歩 も出 る もの で は な か っ た し,男 女 の 結 び付 きは,政
略 結 婚 か レ イ プが ほ と ん どで あ っ た の だ。 有 り体 に 言 え ば,平
安 時 代 とは 女 性 が 抑 圧 され た い た 時 代 な の で あ る。 この鬱 屈 を解 消 す べ く,彼 女 は書 い た 。 書 い て 書 い て35万 語 を 超 え る 超 大 作 を 書 き上 げ て し ま っ た 。 紫 式 部 の 大 い な る鬱 屈 は 多 少 軽 減 され た と推 測 す る 。 一 方,清
少 納 言 の場 合 は事 情 を少 々異 にす る 。 耐 え切 れ な い ほ どの 不 幸 とそ
れ に 起 因 す る鬱 屈 を抱 え 込 ん で い た の は,第
一読 者 の皇后 定子 であ った か ら
だ。 藤 原 定 子(976∼1000)は,関 暦 元 年(990)正
白藤 原 道 隆 の 娘 で,一 条 天 皇 が 元 服 した 正
月 に入 内 し,翌 年10月 中宮 と な っ て い る.。こ れ は 中 宮 の称 号
を皇 后 と は 別 個 に 用 い る 先 例 で あ る 。 長 徳 元 年(995)道
隆,そ
し て叔 父 の 道
兼 が 相 つ いで 病 没 す る 。 これ が 順 調 に幸 せ の道 を歩 んで 来 た 彼 女 の 不 幸 の 始 ま りで あ る 。 長 徳 2年 4月,兄 伊 周 らの左 遷 が 決 定 し,定 子 は 責 任 を 感 じて 落 飾 し,入 道 と な っ て い る 。 そ の 年 の12月 に は,尼 の 身 で 修 子 内 親 王 を お 生 み に な っ て い る。 長 徳 3年 6月 に は,天 皇 の 希 望 で 再 び入 内 。 長 保 元 年(999)第 皇 子 敦 康 親 王 を出 産 した が,道 道 長 の娘 で,定
長 政 権 下 に お い て 不 遇 で あ っ た 。 長 保 2年 2月,
子 の 従 姉 妹 に あ た る彰 子 が 中 宮 と して 立 后 し,定 子 は 皇 后 と
称 を 改 め させ ら れ る 。 同 年12月,尼 内 親 王 の 母 とな る が,翌
の 身 で 三 度 目の 出 産 を し,女 美 子(び
し)
日25歳 で 死 去 す る 。 こ の よ う な 皇 后 定 子 に清 少 納 言
は 仕 え た の で あ る。 彼 女 は,定 『枕 草 子 』 は,清
一
子 の幸 せ と不 幸 を 身 近 に い て 観 察 し て い た 。
少 納 言 の鬱 屈 を晴 らす と い う よ り,皇 后 定 子 の 無 念 や鬱 屈 を
晴 らす べ く執 筆 され た の で あ ろ う。 『枕 草 子 』 の跋 文 に は 次 の よ う に,『 枕 草 子 』 執 筆 の 事 情 が 認 め られ て い る。
こ の草 子,目
に 見 え心 に思 ふ こ とを,人 や は見 む とす る と思 ひ て,つ
づ れ な る 里 居 の ほ ど に,書
きあ つ め た る を,あ
過 ぐ し も しつ ベ き所 々 もあ れ ば,よ
れ
い な う人 の た め 便 な き言 ひ
う隠 しお き た り と思 ひ し を,心
よ りほ
か に洩 り出 で に け れ 。
宮 の 御 前 に,内
の 大 臣 の 奉 りた まへ りけ る を,「 こ れ に何 を書 か ま し。
上 の 御 前 に は 史 記 とい ふ 文 を な む,書 か せ た まへ る 」な どの た まは せ しを, 「枕 に こ そ は侍 らめ 」 と 申 し しか ば,「 さ は得 て よ」 とて 給 は せ た り しを, あ や し き を こ よ や何 や と,つ
きせ ず お ほ か る紙 書 きつ くさ む とせ しに 、 い
と物 お ぼ え ぬ 事 ぞ お ほ か るや 。
(中 略)
た だ 心 一 つ に お の づ か ら,思 ふ こ と を た は ぶ れ に 書 きつ け た れ ば,(中 略)
げ に 、 そ も こ とわ り、 人 の に くむ を よ しと い ひ 、 ほ む る をあ し と言 ふ 人 は、 心 の ほ どこ そ お しはか らる れ 。 た だ 、 人 に、 見 え け む ぞ ね た き。
清 少 納 言 は 「人 や は 見 む とす る と思 ひて 」 と書 い て い る。 人 が 読 む はず が な い と考 え て,執 筆 した よ うだ 。 しか し,そ の よ う な こ とが あ る だ ろ うか 。 前 節 で 検 討 した,「 春 は あ け ぼ の 」 の 文 章 に漲 る 緊 張 感,ゆ
る み の な い 筆 運 び は,
人 の 目 を 意 識 せ ず に は不 可 能 な もの で あ る。 こ の 文 章 は,「 人 の に くむ を よ し とい ひ,ほ
む る をあ し と言 ふ 人」,す な わ ち,個 性 を 強 く主 張 す る 人 で な くて
は 書 け な い も の だ。 跋 文 で は,個 性 を 強 く主 張 す る 人 は,「 心 の ほ ど こ そ お しは か ら る れ 」 と断 定 して い る 。 即 ち,そ
うい う人 は,浅
はか な の だ と書 い て い るが,本
当 にそ う
考 え て い た とは 考 え に くい 。 謙 遜 の 辞 で あ ろ う。 こ の跋 文 で確 認 しう る 第 一 の こ と は,当 時 は貴 重 品 で あ っ た紙 が 「内 の 大 臣 」 (内 大 臣 藤 原 伊 周)か
ら提 供 され た とい う こ とで あ る。 次 に,ラ
き相 手 方 は 「上 の 御 前 」(一 条 天 皇)の
イバ ル 視 す べ
側 で あ る と い う こ とで あ る 。 何 を 書 く
か,興 味 深 々 で あ った ろ う。 そ うい う事 情 の も とで,人
目を 意 識 せ ず に 執筆 す
る こ と は不 可 能 で あ る 。 この 書 は,伊 周 が 読 み,そ の 姉 妹 で あ り,清 少 納 言 の 主 人 で あ る 定子 が 読 み, 間接 的 読 者 と して,一 条 天 皇 や そ の 側 近 の 貴 族 た ち が読 ん だ と思 わ れ る。 清 少 納 言 は これ らの 人 々 の 目を 意 識 して 書 い た の だ 。 『史 記 』 は,本 紀12巻,世
家30巻,列
伝70巻,表10巻,書
8巻,合
計130巻
の 堂 々 た る総 合 的 歴 史 書 で あ る。 こ れ に 対 抗 す る だ けの 価 値 を有 す る 書,そ れ を清 少 納 言 は 執 筆 す る 責 任 が あ る の で あ る。 「人 や は 見 む とす る と思 ひ て 」 は 謙 遜 の 修 辞 に 過 ぎな い こ とが,も
は や 明 ら か で あ ろ う。
『史 記 』 は,司 馬 遷 の命 懸 け の 執 念 の 産 物 で あ る 。 『 枕 草 子 』 も,清 少 納 言 の 執 念の産物 に違い ない。 な お,「 枕 に こ そ は侍 らめ 」 に つ い て は 諸 説 紛 々 と して,定 説 が な い の で あ る が,こ
こで は,「 シ キ(史 記 → 四 季)を
枕(冒
頭)に
が よ ろ しい か と存 じ ま
す が 」 の 意 と考 え る。 定 子 の 言 葉 「史 記 と いふ 文 を な む,書 か せ た まへ る」 は,清 少 納 言 の 耳 に は
「シ キ とい ふ 文 」 と 聞 こ えた に違 い な い 。 彼 女 は,「 シ キ 」 を 「史 記 」 と正 確 に キ ャ ッチ し た 後,た
だ ち に,「 四 季 」 と変 換 して し ま う 。 そ う して,こ
に よ り得 た 「四 季 」 に 基 づ き,思 考 を展 開 させ,あ
の閃 き
る 見 通 しを 立 て た の で あ ろ
う。 清 少 納 言 の 機 知 あ ふ れ る 回答 に よ り,定 子 方 の 態 度 が 表 明 され た こ とに な る の で あ る。
4.視 覚 ・嗅 覚 ・聴 覚 の 美― 自然 美 を描 く こ との 意 味 は ど こ に あ るの か?― 随 想 的 章 段 の 文 章 に は 傑 作 が多 い が,秀 逸 と言 うべ き もの の 一 つ が 次 の 章段 である。
五 月 ば か りな どに 山里 に あ り く 五 月 ば か りに 山 里 にあ り く,い と を か し。 草 葉 も水 もい と青 く見 え わ た りた る に,上
はつ れ な くて,草 生 ひ しげ りた る を,な が なが と,た た ざ ま
に 行 け ば,下
は え な ら ざ りけ る 水 の,深
走 りあ が りた る,い
くは あ ら ね ど,人
な どの 歩 む に,
とを か し。
左 右 に あ る 垣 に あ る もの の枝 な どの 車 の屋 形 な ど に さ し入 る を,い そ ぎ と らへ て折 ら む と す る ほ ど に,ふ け れ 。 蓬 の,車
と過 ぎ て は づ れ た る こ そ,い
に押 しひ しが れ た りけ るが,輪
と くち を し
の 回 りた る に,近
う うち か
か りた る もを か し。 初 夏 の 草 原 の緑,隠 心 の 弾 み,と ない 美,心
れ 水 の 輝 き,水 晶 の よ う な水 滴,蓬
が 折 れ た 時 の香 り,
きめ き,こ れ ら を和 歌 で は歌 い き れ な い 。 和 歌 で は表 現 しよ うが
の と きめ き を清 少 納 言 は散 文 と して 叙 述 して い る 。 ほ と ん ど,散 文
詩 と い っ て よい ほ どだ 。 この 章 段 の 直 後 の 章 段 は,聴 覚 と嗅 覚 に 関す る 文 章 で あ る 。
い み じ う暑 き こ ろ い み じう暑 き こ ろ,夕 涼 み とい ふ ほ ど,物 の さ ま な ど も おぼ め か し きに, 男 車 の,さ
き 追 ふ は,言 ふ べ き に もあ らず,た
二 人 も,一 人 も,乗 調 べ,笛
りて 走 らせ 行 くこ そ,涼
の 音 な ど聞 え た る は,過
だ の 人 も,後 の 簾 上 げ て,
しげ な れ 。 ま して,琵
琶かい
ぎて い ぬ る も くち を し。 さ や う な る に,
牛 の し りが い の香 の,な
ほ あ や しう か ぎ知 らぬ もの な れ ど,を か しき こ そ
物 ぐる ほ しけ れ 。 い と暗 う,闇
な る に,さ
き に と も した る 松 の煙 の 香 の,
車 の 内へ か か へ た る もを か し。
夏 の 夕 刻,光
量 の 減 少 に よ り,視 覚 の 働 きが 鈍 くな る。 あ た か も,こ れ を補
うか の 如 くに,聴 覚 や 嗅 覚 が 鋭 敏 化 す る。 そ の 変 化 の 微 妙 さ を見 事 に描 き き っ て い る。 この 文 章 は,梅 が 香 や 菊 の 香 りに くわ え て,「 牛 の し りが い の 香 」 や 「 松 の 煙 の香 」 を王 朝 の美 意 識 に取 り込 ん だ もの で あ る。 自然 美 を歌 う仕 事 は 和 歌 に 一任 され て き た。 そ うい う 中 で,和 歌 で は 表 現 し きれ ぬ 自然 美 が あ る こ と を発 見 し,そ れ を み ご とな 散 文 で 示 した もの が 『 枕草 子 』 の 随 想 的 章 段 の 本 質 なの で あ るが,こ 藤 村(1872∼1943)の 1931)の
れ は後 世 の 文 学 作 品 で 言 え ば,島 崎
『千 曲 川 の ス ケ ッ チ 』(1912)や
『武 蔵 野 』(1901)に
国 木 田独 歩(1871∼
匹 敵 す る。
こ の よ う な 文 章 を 享 受 す る 場 とは ど ん な場 で あ っ た の で あ ろ う か。 そ れ は, 中 宮 定 子 の サ ロ ン以 外 に は 考 え られ な い。 こ こで は,夏 や 正 岡子 規(1867∼1902)ら
目漱 石(1867∼1916)
が 行 っ た 「山会 」 で の 写 生 文 の 勉 強 会 の よ うに,
新 しい 美 意識 を切 り開 く,切 れ の よい 散 文 の勉 強 会 の よ うな もの が 行 わ れ,楽 し まれ て い た の で あ ろ う。 幸 せ に輝 く,中 宮 時代 の 定 子 は お そ ら く進 取 の 気 性 に富 ん で い た の だ ろ う と思 わ れ る 。 玉 上 琢 弥 は 「源 氏 物 語 音 読 論 」(1950)を
提 示 して い る。 印 刷 技 術 が 未 発 達
の 当 時 を 考 慮 す れ ば,『 枕 草 子 』 もお そ ら く音 読 さ れ た の だ ろ う。 中 宮 サ ロ ン は清 少納 言 の清 新 な文 章 の響 きに 接 す る ご と に,小
さ な ど よ め き と賞 賛 の 溜 め
息 に満 た され て い た の で は な い か と想 像 す る。 彼 女 らは,そ れ と意 識 せ ず に,散 文 詩 的 文 体 を磨 き上 げ て い た 。
5.日 記 的 章 段 の 文 体― 『史 記 』 の 五 種 の 文 体 と 『枕 草 子 』 の 三 種 の 文 体― 「四 季 」 の 文 章 で 書 き始 め られ た 『枕 草 子 』 の ラ イバ ル は,『 史 記 』 で あ る。 そ の 『史 記 』 は,文 体 を異 に す る五 種 類 の 文 章 の 集 合 体 で あ る 。 清 少 納 言 は, 『枕 草 子 』 を単 一 の 文 体 で 書 き上 げ る わ け に は い か な か っ た 。 試 案 に 過 ぎ な い が,『 史 記 』 の 各 文 体 と 『枕 草 子 』 の 文 体 との 対 応 関係 を示 して お こ う 。
本紀(12巻)=歴
代王朝の編 年史
←→
世 家(30巻)=世
襲 の 家 柄 の記 録
← →
日記 的章段
列 伝(70巻)=個
人 の 伝 記
← →
日記 的章段
表(10巻)=世
表 ・年 表 ・月 表
書(8
門別の文化 史
巻)=部
太史公序
←→
←→
随想 的章段
約80段
約80段
類聚 的章段 a 「は 」 型 章 段
74段
b 「も の」 型 章 段
75段
c 「こ と」 型 章 段
1段
跋 文
(130巻)
約310段
歴 代 王 朝 の 編 年 史 を記 述 した 「本 紀 」 に 対応 す る もの と して,随 想 的 章段 を 当 て た の は,『 史 紀 』 を 「四季 」 とみ なす,清
少 納 言 の 趣 向 を尊 重 した か らで
あ る 。 あ え て 言 え ば,随 想 的 章段 は 「本 季 」 な の で あ る 。 清 少 納 言 は,歴 代 王 朝 の 歴 史 を 記 述 す る が ご と く,四 季 の 移 ろ い を 記 述 す る。 日記 的 章段 は記 録体 日記 の 文 体 で 書 か れ て い るが,二
つ の 側 面 を有 す る 。 一
つ は 藤 原 道 隆 家 ・中 関 白家 の 事 跡 を伝 え る 側 面 で あ り,二 つ は,中 で も,中 宮 定 子 の 優 れ た 人 間 性 を 語 る伝 記 的 側 面 で あ る 。 前 者 は,「 藤 原 道 隆 ・中 関 白 家 世 家 」 と い う 「世 家 」 の 一 巻 と な り,後 者 は 「中宮 定 子 伝 」 で,「 列 伝 」 の 一 巻 と な る。 日記 的 章段 の最 初 の 章 段 「大 進 生 昌 が 家 に 」 は 「中宮 定 子 伝 」 の 巻 頭 の 章 段 とな る。
大 進 生 昌が 家 に,宮
の 出 で させ た まふ に,東
の 門 は 四足 に な して,そ れ
よ り御 輿 は入 らせ た まふ 。 中 宮 定 子 が 御 産 の た め,中 宮 大 進 平 生 昌 家 に 行 啓 な さ った 時 の 事 跡 で あ る 。 こ の 際 の 生 昌 の 不 手 際 を痛 烈 に 批 判 した文 章 で,主 舌 を振 る い,奮
人 の た め を 思 い,得
意の弁
闘 す る清 少 納 言 の 活 躍 振 りが 活 写 され て い る 。 そ う い う中 で,
定 子 に関 す る 叙 述 は 次 の よ う な もの で あ る。
・ 「こ こ に て も人 は見 る ま じう や は 。 な どか は さ し も うち解 けつ る 」 と 笑 は せ た まふ 。 ・ 「… … あ は れ,か れ を は した な う言 ひ け む こそ い とを か しけ れ 」 と笑 は せ た まふ 。 ・ 「な ほ例 人 の や う に,こ れ なか くな 言 ひ笑 ひ そ,い と謹 厚 な る もの を 」 と, い と ほ しが らせ た まふ も をか し。 ・ 「ま た な で ふ こ と 言 ひ て 笑 は れ む と な らむ 」 と仰 せ ら る る も,ま
た をか
し。 ・ 「… … うれ し とや 思 ふ と,告 げ利 か す る な らむ 」 との た ま はす 御 け し き も, い とめ で た し。
石 頭 の 主 人,生
昌 の 気 が 利 か な い 接 待 ぶ りに苛 立 つ 清 少 納 言 を前 に,中 宮 定
子 の,笑
み を も っ て迎 え る鷹 揚 な 態 度 を 褒 め 上 げ,最 後 は 「い とめ で た し」 と
評 価,賛
嘆 す る。 ま さに 「定 子 伝 」 の 巻 頭 で あ る。
「藤 原 道 隆 ・中 関 白家 世 家 」 の 最 初 の 章 段 とな る もの は,「 清 涼 殿 の 丑 寅 の 隅 の 」 の章 段 で あ る。 兄 大 納 言伊 周 や 父 関 白 道 隆 た ち の 立 派 な 容 姿 と華 麗 な 振 る舞 い を 描 き,定 子 の 幸 せ に輝 く姿 が 語 られ る。 清 少 納 言 は こ の 章 段 を 「ま こ と につ ゆ 思 ふ 事 な く め で た くそ お ぼ ゆ る」 と締 め く くっ て い る。 日記 的 章段 とは い う が,記 述 の順 序 は は物 理 的 時 間 に 支 配 され て い る の で は な い 。 清 少 納 言 は 注 意 深 く,中 関 白 家 の 繁 栄 の 思 い 出 と,中 宮 定 子 の優 れ た 人 間性 を浮 き彫 りに しよ う と して い る 。 司 馬 遷 は 冷 徹 な歴 史 家 で あ っ た が,清
少
納 言 は 熱 烈 な伝 記 作 家 で あ っ た 。
6.類 聚 的 章 段 の 意 味― 『史 記 』 の 「書 」 との対 応― 『史記 』 の 「書 」 8巻 は次 の よ う に な っ て い る。
礼 =社 会 の秩 序 を保 つ た め の 生 活 規 範 に 関 す る書 。 儀 式 ・作 法 ・制 度 ・ 文 物 な ど広 く文 化 現 象 を対 象 とす る。
楽 =心 身 を 陶冶 す る音 楽 に 関 す る書 。
律 =法 律 に 関す る書 。
暦
=時 間 的 規 範 とな る暦 に関 す る 書 。
天 官 =天 文 に 関す る書 。
封 禅 =皇 帝 の 即 位 の儀 礼,祭
河 渠 =河 川 工 事,治 水,運
平 準 =経 済,度
祀 に 関 す る書 。
河,自 然 に 関 す る書 。
量 衡 に 関す る書 。
道 徳 ・儀 礼 か ら経 済 ・度 量 衡 に い た る まで,広
く文 化 現 象 が 対 象 と され て い
る の が 「書 」 8巻 で あ る。 要 す る に 百 科 全 書 の よ う な もの で あ る 。 清 少 納 言 は こ う い う 「書 」 に 対 応 す る もの と して,類 は型 章段
時節
聚 的 章 段 を設 け て い る 。
こ ろ は ・正 月 一 日は ・正 月 一 日,三 月 三 日は ・節 は
季節
天象
陸
冬は 風 は ・降 る もの は ・日は ・月 は ・星 は ・雲 は 山 は ・峰 は ・森 は ・原 は ・野 は ・島 は ・浜 は ・岡 は ・崎 は海 海 は ・浦 は
河沼
淵 は ・わ た りは ・池 は ・滝 は ・河 は
集 落市 は
里 は
建 築構 築 物 た ち は ・家 は ・橋 は ・関 は ・井 は ・屋 は ・駅 は ・ 宮 仕 へ 所 は ・墳 墓 み さ さ ぎは
乗物
器物
核榔毛 は 扇 の骨 は ・檜 扇 は ・櫛 の箱 は ・鏡 は ・火 桶 は ・畳 は
文房具
薄 様,色 紙 は ・硯 の 箱 は ・筆 は ・墨 は
衣 服 ・繊 維 指 貫 は ・狩 衣 は ・単 衣 は ・下 襲 は ・女 の 表 着 は ・ 唐 衣 は ・裳 は ・汗 杉 は ・織 物 ・綾 の 紋 は
病理
人 間
病 は 説 経 の 講 師 は ・を の こ は ・雑 色 随 身 は ・小 舎 人 童 ・牛 飼 は ・若 き人,ち
ご ど も な ど は ・ち ご は ・
上 達 部 は ・君 達 は ・権 守 は ・大 夫 は ・法 師 は ・女 は 植物
木 の花 は ・花 の 木 な らぬ は ・草 は ・草 の 花 は
動物
鳥 は ・馬 は ・牛 は ・猫 は
昆虫
虫 は
魚介
貝 は
文物
集 は ・文 は ・蒔 絵 は
言 語 ・文 学 歌 の 題 は ・物 語 は
宗教
修 法 は ・読 経 は ・寺 は ・経 は ・仏 は ・陀 羅 尼 は ・ 社 は ・神 は
遊戯
遊 び は ・遊 び わ ざは
歌 舞 ・音 楽 舞 は ・弾 く物 は ・笛 は ・歌 は
行 楽 ・祭 り 見 物 は
もの 型 章 段 感 情 ・評 価 す さ ま じき ・に くき ・な まめ か し き ・う らや ま し げ ・あ て な る ・に げ な き ・お ぼ つ か な き ・あ りが た き ・あ ぢ き な き ・心 地 よ げ な る ・め で た き ・な まめ か し き ・ね た き ・あ さ ま し き
人情
た ゆ ま る る ・人 に あ な づ らる る ・心 と き め きす る ・過 ぎに し方 恋 し き ・心 ゆ く ・た と しへ な き ・ 物 の あ は れ 知 らせ 顔 な る
遊び
こ と型 章段 声 楽
近 うて 遠 き ・遠 くて 近 き たふ とき
「は」 型 章 段 は 自然 ・文 化 ・文 明 に 関 す る万 物 を対 象 と して い る 。 『史 記 』 の 「書 」 に,ま
と もに対 応 す る もの は,「 は」 型 章 段 の 文 章 群 で あ る 。 ま た,一
章
段 に 過 ぎ な い が,「 こ と」 型 の 「た ふ と き こ と」 も,百 科 項 目 の 一 つ 「声 楽 」 を対 象 と して い る。
たふ ときこと た ふ と きこ と,九 条 の錫 杖 。 念 仏 の 回 向。
「も の」 型 章 段 は 感 情 世 界 の 万 感 を対 象 と して い る。 冷 徹 な 歴 史 認 識,論
理
的 裁 断 を示 す 『史 記 』 に,個 人 的 好 悪,感 情 を叙 す る部 分 は な い。 し た が って,
「も の 」 型 章段 は,『 枕 草 子 』 固 有 の 領 域 で あ り,『 史記 』 を凌 駕 す る 部 分 と し てよい。 こ の よ うに,「 は 」 型 ・ 「こ と」 型 ・ 「もの 」 型 章段 に よ って 構 成 さ れ る類 聚 的 章 段 は 総 合 文 化 誌 で あ り,こ の 広 が り と深 さ は,『 史 記 』 の 8巻 の 「書 」 に 十 分 対 応 す る もの な の で あ る。
7.ま
と
め
清 少 納 言 は,『 史 記 』 を 「四 季 」 と転 換 す る と い う仕 掛 け に よ り,総 合 歴 史 書 に 匹 敵 す る総 合 文 化 誌 を 書 き上 げ て し ま い,結 果 と して,随 筆 と い う新 ジ ャ ンル を創 出 して し まっ た の で あ る 。 随 想 的 章 段,日
記 的 章段,類
聚 的 章 段 の 混 在 は,『 史 記 』 が 有 す る 五 種 類 の
文 体 に対 応 す る もの と して 工 夫 され た もの で あ り,決
して,だ
ら しな い ご っ た
煮なので はない。 鴨長明 (1155?∼1216)の 1352?)の
『方丈記 』(1212)や吉田兼好(1283?∼
『 徒 然 草 』(1310∼1331?)は
『枕 草 子 』 の 随想 的 章 段 を学 ん で 執
筆 され た 随 筆 で あ るが,日 記 的 章段 や 類 聚 的 章 段 は 取 り入 れ な か っ た。 お そ ら く,彼 等 は 『枕 草 子 』 が 『史記 』 の 向 こ う を張 っ て 執 筆 され た とは 思 っ て もみ な か っ た の で あ ろ う。 清 少 納 言 の 壮 大 な気 宇 は 理 解 され る こ とな く,随 筆 とい う ジ ャ ンル だ けが 今 日 まで 伝 え られ,隆 盛 を 誇 っ て い る の で あ る。
■ 発展 問題 (1) 『 枕 草 子 』 に は 次 に 示 す よ う に 多 くの 伝 本 が あ る 。 こ の こ と は 何 を 意 味 す る か 考 えて み よ う。
雑纂 形態 の もの
1 三巻本
一類(甲 類) 二 類(乙
2 伝 能 因所 持 本
類)
一類 二類
類纂 形態 の もの
3 堺 本
一類 二 類
4 前 田本 *雑 纂 形 態 =随 想 的 章 段 ・日記 的 章 段 ・類 聚 的 章 段 が 雑 然 と 配 列 さ れ て い る も の。 *類 纂 形 態 =随 想 的 章 段 ・日記 的 章 段 ・類 聚 的 章 段 が 別 個 に ま と め ら れ て い る もの 。
(2) 「枕 に こ そ は 侍 ら め 」 の 「 枕 」 に つ い て は 多 くの 説 が あ る 。 諸 説 を と りあ げ, そ れ ぞ れ の 論 拠 を確 認 し,適 不 適 を 考 え て み よ う。
(3) 『方 丈 記 』 『徒 然 草 』 に つ い て 次 の 作 業 を して み よ う。 ① 冒 頭 と末 尾 を 読 み,枝
豆 型 の 作 品 に な っ て い る か ど うか の 確 認 。
② 章段 の配列 順序 の確 認 。
③ それ ぞれ の執筆 意 図の確 認 。
■ 参 考 文献 1) 池 田亀 鑑 ・岸 上 慎 二 校 注 『 枕 草 子 』(「日本古 典 文学 大 系 」 岩波 書 店,1961) 2) 松尾 聰 ・永 井 和 子 校 注 ・訳 『 枕 草 子 』(「日本 古典 文 学 全 集」 小 学 館,1997) 3) 萩谷 朴校 注 『枕 草 子 』(「新 潮 日本古 典 集成 」 新潮 社,1977) 4) 田 中重 太郎 『 校 本枕 草 子』(古 典 文庫 刊,1969) 5) 上野 理 「清 少 納 言 は なぜ 枕草 子 を書 か ね ば な らなか った の か 」(「国 文学 解 釈 と教 材 の 研 究 」 第29巻14号,學
燈 社,1984)
6) 藤本 宗 利 「『 枕 草 子 』研 究 の現 在 」(同 上) 7) 渡辺 実 「『 枕 草 子 』 の文 体 」(「国文 学解 釈 と教材 の 研 究」 第33巻 5号,學 燈 社,1988) 8) 益 田繁 夫 「中関 白 家 と清 少 納 言 の宮 仕 え」(同 上)
9) 小 森 潔 「枕 草子 研 究 の あ ゆみ 」(同 上) 10) 玉 上 琢 弥 「 源 氏 物語 音 読 論 序 説 」(「国語 国文 」 第19巻 3号,1950
,『源 氏 物 語 音 読 論 』 岩
波 現代 文 庫,2003) 11) 小 竹文 夫 ・小 竹 武 夫 訳 『 世 界 文 学大 系5A.B 史 記』(筑 摩書 房,1962) 12) 貝塚 茂 樹 ・川 勝 義 雄訳 『 世 界 の 名著11 司馬 遷 』(中 央 公 論社,1968)
第 7章 『源氏 物 語 』 作 者複 数 説 は成 立 す る のか? 【三 色捩 り棒 型 作 品 】
キー ワー ド:作 者 複 数説,計 量 分析,紫 式 部単独 執 筆説,省
筆 の技 法(黙 説 法),対
比 の技 法,伏 線,尻 抜 け型文 章,
『源 氏 物 語 』 は 光 源 氏 の 生 涯 を 語 る 前 半 部 と光 源 氏 の 死 後,薫 躍 す る後 半 部,特
・匂 宮 が活
に 「宇 治 十 帖 」 と称 さ れ る部 分 とで は,文 体 が 大 き く異 な
って い る 。 この こ と を根 拠 とす る作 者 複 数 説 が 古 来 か らあ り,現 在 も再 生 産 さ れ て い る。 作 者 複 数 説 は,あ る 作 者 が 一 つ の 作 品 を なす 場 合,文 体 は 均 質 で あ る は ず で, 文 体 が 大 き く異 な れ ば 他 人 の 手 が は い っ て い る に違 い な い とい う こ と を前 提 と して い る 。 しか し,こ の 前 提 の 正 しさ は 証 明 され て お らず,常
識 的 な 前 提 に過
ぎ な い。 私 た ち は 前 章 に お い て,一 て,随 想 的 章 段,日
人 の 作 者 清 少 納 言 が 一 つ の 作 品 『枕 草 子 』 にお い
記 的 章 段,類
聚 的 章段 で 三 種 類 の 異 な る 文 体 を使 用 した と
い う こ とを確 認 して い る。 作 者 複 数 説 の前 提 は 崩 れ 去 っ て い る と判 断 す る。 た だ し,文 体 の 変 化 の存 在 を 否 定 して い る わ け で は な い 。 『源 氏 物 語 』 は37 万 6,232語 に も及 ぶ 超 大 作 で あ る 。 お そ ら く,執 筆 は 長 期 に 亘 り,作 者 の 作 家 と して の 成 長 も あ っ た ろ う。 ま た,「 は じめ に」 に お い て 述 べ て お い た よ うに, 筆 者 は,文 体 を単 な る装 い と は考 え て い な い 。 作 品 で 伝 え よ う とす る メ ッセ ー ジ と文 体 は 密 接 に 関 係 す る 。 語 り始 め の 頃 と 「宇 治 十 帖 」 を 執 筆 した 時 期 とで は,紫 式 部 の作 品 に対 す る姿 勢 も変 わ って しま っ て い る。そ して,な に よ り も, 正 篇 と続 篇 とで は 「語 り手 」 が 異 な る。 こ れ が 文 体 の 相 違 の 根 本 的 原 因 で あ る。 文 体 の 相 違 に も関 わ らず,紫 式 部 が こ の 作 品 で 採 用 して い る 中心 的 表 現 技 法
は対 比 と省 筆 で あ り,「 宇 治 十 帖 」 に お い て も変 化 が な い。 さ らに,作 造,作
品の構
品 の 有 機 的 統 一 性 に深 く関与 す る伏 線 等 との 観 点 か ら も同 一 作 者 の作 品
と考 え る 。
1.『 源 氏物 語 』 作 者 複 数 説 は成 立 す る の か?― 安 本 美 典 ・村 上 征 勝 説 の検 討― 「宇 治 十 帖 」 の 文 体 が 他 と異 な る とい う こ と を,文 章 心 理 学 の 手 法 を用 い て 数 量 的 に 明 らか に した の は 安 本 美 典 で あ っ た。 彼 は 「宇 治 十 帖 の 作 者― 文 章 心 理 学 に よ る作 者 推 定 」 に お い て 次 の よ う な作 業 を し,そ の 結 果 を報 告 して い る。
① 長 編 度(一
帖 の 長 さ)
②和 歌の使用 度
③直 喩の使用度
④声喩 の使用度 ⑤心理描 写の量
⑥ 文 の長 さ
⑦ 色 彩 語 の使 用 度
⑧ 用 言(動 詞 ・形 容 詞 ・形 容 動 詞)の 使 用 度
⑨ 助詞の使用 度
⑩ 助動詞の使用 度
⑪ 品詞の数
こ れ らの 数 値 を計 量 し,マ ン ・ウ イ ッ トニ ー の U検 定 法 と称 され る,順 位 情 報 を利 用 した統 計 的 手 法 で,文 体 の 相 違 を析 出 して い る。 ① ∼ ⑦ は,作 者 が 意 識 的 に操 作 で き る 要 素 で あ るが,⑧
以下 は無意識 の領域
に は い る要 素 で あ る。 筆 者 は,文 体 は作 者 に よっ て 意 識 的 に 選 択 され た表 現 の 総 体 で あ る と考 え て い る の で,⑧
以 下 は原 則 と して 対 象 と しな い こ と に して い
る が,個 人 の癖 は 無 意 識 の 中 に こ そ 出 る と い う考 え も成 立 す る 。 安 本 の 作 業 は そ うい う意 味 で は 有 意 義 な作 業 で あ る 。 安 本 の結 論 は 「宇 治 十 帖 」 の作 者 は 別 人 で あ っ た 可 能 性 が 高 い と い う もの で あ っ た 。 安 本 の 試 み た 文 体 の 相 違 析 出 法 を,さ
らに精 緻 に した の が村 上 征 勝 の 「『源
氏 物 語 』 の 計 量 分 析 」 で あ る。 村 上 は,ま ず,意
識 的 操 作 が しに く く,か つ 計 量 的 分析 に耐 え 得 る 十 分 な言
語 量 が 期 待 で き る品 詞 の 使 用 率 につ い て 調 査 し,次 の 表 を示 して い る。 巻1∼44
巻45∼54
t値
名 詞
0.18189
0.16423
動 詞
0.16190
0.16505 -1.3591
5.1624
形 容 詞
0.05907
0.05566
形 容 動 詞
0.02388
0.02426 -0.2963
副 詞
0.04000
0.04106 -0.8770
助 動 詞
0.113090.12391 -5.0477
助 詞
*t値=二
1.8597
0.315170.31872 -1.6130
つ の平均値 の 差 に加 えて,巻 ごとのバ ラ ッキ を も考 慮 した値。
この 表 を 観 察 して村 上 は次 の よ うに 分析 す る。 名 詞 の場 合 に はt値 は5.1624,助
動 詞 の 場 合 に はt値 は―5.0477と な り,
こ の 二 つ の 品 詞 の 一 巻 当 た りの 平 均 使 用 率 に つ い て は,(巻 四 四)ま
一)か
ら(巻
で の巻 と 「宇 治 十 帖 」 の 巻 と の 間 に,紫 式 部 が 五 四巻 す べ て を書
い た 場 合 に は生 じる 可 能 性 の 非 常 に少 な い と思 わ れ る 大 き な差 が 生 じて い る。 村 上 は,さ
ら に助 動 詞 の使 用 率 及 び 名 詞 「ひ と」 の 使 用 率 の グ ラ フ を示 し,
「宇 治 十 帖 」 の 文 体 的 異 質 性 を説 い て い る。 た だ し,安 本 と異 な り,村 上 は こ れ ら数 値 上 の相 違 を直 ち に 複 数 作 者 説 の 根 拠 とは して い な い 。 『紫 式 部 日記 』 『紫 式 部 集 』 の調 査 も必 要 で あ る し,成 立 時 期 が 近 い 『宇 津 保 物 語 』 な どの調 査 も必 要 だ と して い る 。
安 本 ・村 上 た ち の 作 業 の結 果 は お そ ら く計 量 的 に は 正 確 な の で あ ろ う。 しか し,そ こ で い か な る 相 違 性 が 析 出 され よ う と も,そ の相 違 が 直 ち に 作 者 複 数 説 に は結 び 付 か な い は ず で あ る。 な ぜ な らば,私
た ち は,清
少 納 言 の 『枕 草 子 』
が,同 一 人 が 同一 作 品 で 異 な る文 体 を使 用 して 書 か れ た もの で あ る とい う こ と を 前 章 で 確 認 した ば か りな の だか ら。
2.紫 式 部 単 独 執 筆 説(1)―
省 筆 の技 法―
『源 氏 物 語 』 五 十 四 帖 に 一 貫 して 採 用 さ れ て い る表 現 技 法 が い くつ か あ る。 省 筆 の 技 法 が そ の 一 つ で あ り,こ の 作 品 を特 徴 づ け て い る。 「源 氏 見 ざ る歌 よみ は遺 恨 の こ と な り。」 と,藤
原 俊 成 が 述 べ た の は,『 源 氏 物 語 』 の 「花 宴 」 の 巻 に 言 及 し た 時 の こ
とで あ る。 俊 成 は 「花 宴 」 の 夢 幻 的 妖 艶 美 に 限 りな き魅 力 を感 じて,こ に及 ん だ こ と と推 測 さ れ る。 そ の 夢 幻 性 を 決 定 づ け る もの と して,こ
の評言
の巻の末
尾 の あ りよ うが 大 き く関 与 して い る。 末 尾 は次 の如 き もの で あ る 。 答 へ はせ で,た だ 時 々 う ち嘆 くけ は ひす る 方 に 寄 りか か りて,几 帳 ご し に 手 を と らへ て,
あ づ さ弓 い る さの 山 に ま どふ か な ほ の み し月 の 影 や 見 ゆ る と 何 ゆ ゑ か,と お しあ て に の た まふ を,え 忍 ば ぬ な るべ し,
心 い る方 な ら ませ ば ゆ み は りのつ きな き空 に迷 は ま しや は とい ふ声,た
だ そ れ な り。 い と うれ し き もの か ら。
見 る と お り 「い と う れ し き も の か ら。」 と い う言 い さ し の 形 で 終 っ て い る 。 は っ き り と した 終 りの あ る散 文 に 慣 れ て い る今 日の 読 者 の 目 に は,大 胆 過 ぎ る く らい の 終 り方 だ 。 「花 宴 」 は 終 っ て い る の か い な い の か分 か ら な い よ うな 形 で 終 る,典 型 的尻 抜 け型 の 文 章 な の で あ る。 俊 成 は,春
の夜 の 夢 の よ う に は か
な く終 る 終 り方 に 感 銘 を得 て,前 述 の 評 言 に及 ん だ の で あ ろ う。 非 自立 的 文 章 は受 容 者(読
み 手)の
想 像 力 を刺 激 す る点 にお い て和 歌 の神 髄 と一 致 す る か ら
で あ る。 正 篇 第 一 部 の 最 大 の 事 件 は 中 宮 藤 壷 と義 理 の 息 子 光 源 氏 と の 不 倫 で あ る。 不 倫 の 様 子 が始 め て 描 か れ る 「若 紫 」 の 巻 に は 次 の よ うな 記 述 が あ る。
宮 もあ さ ま しか り しを思 し出 づ る だ に,世 て だ にや み な む と,深
と と もの も の思 ひ な る を,さ
う思 した る に… …
「あ さ ま しか り し」,「さ て だ にや み な む」 の 表 現 に よ り,こ の 密 会 が 二 度 目 の 出 来 事 で あ る こ とが 即 座 に わ か る の で あ るが,作
品 の 核 心 と な り,光 源氏 の
行 動 の 原 点 と もな る重 要 な 一 回 目の 不 倫 につ い て の 記 述 は,ど
こ を 捜 して も見
つ か らな い 。 完璧 な 省 筆 な の で あ る。 ま た,こ の 二 度 目の 密 会 を語 る 最 後 の セ ンテ ンス は 次 の よ うな もの で あ る 。 命 婦 の 君 ぞ,御 直 衣 な どは,か 「御 直 衣 」 が ど の よ う に して,部 れ て い る 。 こ れ また,抑
き集 め も て来 た る。
屋 中 に 乱 れ 散 っ た か は 読 者 の想 像 に 委 ね ら
えた 表現 で 省 筆 の技 が 利 い て い る。
「薄 雲 」 の巻 で は,不 倫 の 結 果 の 御 子,冷 奏 上 す る が,そ
泉 帝 に夜 居 の僧 都 が 秘 密 の 大事 を
の 実 際 は 次 の よ うな もの で あ る 。
「… … そ の 承 り し さ ま」 とて,く しう,め づ らか に て,恐
は し う奏 す る を 聞 こ しめ す に,あ
ろ し う,悲
さま
し う も,さ ま ざ ま に御 心 乱 れ た り。
紫 式 部 は 「くは し う奏 す る 」 と書 い る が,少
し も具 体 的 記 述 は して い ない 。
あ きれ る ば か りに巧 み な 省 筆 で あ る。 「こ う こ う しか じか で す 。」 と報 告 した よ うな もの で,表 現 の 表 だ け で は さっ ぱ りわ か ら な い 仕 掛 け に な って い る。 紫 式 部 の 省 筆 の技 は冴 え返 っ て い る。 『源 氏 物 語 』 に お い て は,夥
しい 数 の 人 の 死 が 描 か れ,そ
の た び ご と に物 語
の ス テ ー ジが 一 つ ずつ 前 進 す る仕 掛 け に な っ て い る の で あ るが,正
篇 の主人公
光 源 氏 が 死 ぬ 場 面 は描 写 され る こ とが な い。 これ は 正 篇 にお け る 最 後 の大 技 と して の 省 筆 で あ る。 因 み に,続 篇 で は宇 治 の 八 の 宮 の死 が 躊 躇 す る薫 の 背 を押 して,大 君 ・中 君 に近 づ け た の み で,あ
とは 浮 舟 の 入 水 自殺 未遂 事 件 が 語 られ る の み で あ り,人
の 死 は 語 られ て い な い。 人 の 死 を生 け贄 と し,物 語 展 開 の エ ネ ル ギ ー に して き た,こ の 物 語 は 物 語 をつ き動 か す エ ネ ル ギ ー を枯 渇 させ て し まっ て い る。一 見, 未 完 の よ う に 見 え るが,「 夢 浮 橋 」 で,こ と こ ろ で,続
の 物 語 は完 結 して い る 。
篇 に お い て も省 筆 は 要 所 要 所 で な さ れ る が,そ
の 究 め 付 け は,
この 大 作 の 末 尾 に 現 れ る。 『源 氏 物 語 』最 後 の 巻,「 夢 浮 橋 」 の 末 尾,す な わ ち, 37万 余 語 の最 後 は次 の よ うに な っ て い る。
い つ しか と待 ちお は す る に,か
くた ど た ど し くて 帰 り来 たれ ば,す
じ く,な か な か な り,と 思 す こ と さ ま ざ ま に て,人
さま
の 隠 しす ゑ た る にや あ
らむ と,わ が 御 心 の,思 ひ 寄 らぬ 隈 な く落 しお き た まへ り しな ら ひ に とぞ, 本 に はべ るめ る。
最 後 の 「本 に はべ る め る」 は 筆 写 の 際 に書 き添 え られ た 鎌 倉 期 の もの とい わ れ る の で,こ
れ を 除 く と,「 な らひ に と ぞ」 で 源 氏 物 語 は 終 わ っ て い る こ と に
なる。 「な らひ に」 とい う言 い さ し,「 とぞ 」 とい う言 い さ し,言 い さ しの 二 重 使 用 で,消
え入 る よ う な終 わ り方 で あ る。 浮 舟 の 処 遇 に悩 む 薫 も中 途 半 端 で 落 ち着
か な い が,読
者 も 落 ち 着 か な い 。 落 ち着 か な い か らと い って,も
は や ど う しよ
う もな い 。 見 事 な尻 抜 け 型 の作 品 に翻 弄 さ れ て,読 者 もほ っ ぽ り出 さ れ るの で あ る。37万 余 語 の あ と の 深 い 沈 黙 に 絶 え る ほ か,ど
う し よ う もな い 。 未 完 の
完 に圧 倒 さ れ る ば か りだ 。 正 編 第 一 部 の 結 末 の 巻 「藤 裏 葉 」 で は,さ
ま ざ ま な 事 に 決 着 が つ け られ て
い た 。 一 人息 子 夕 霧 が 雲 居 雁 と結 婚 す る。 愛 娘 明 石 の姫 君 が 東 宮 妃 と して 入 内 す る 。 自 らは 准 太 上 天 皇 の 地 位 を 与 え られ,先 帝(朱 雀 院)と 今 上 帝(冷 泉 帝) の訪 問 を受 け る と い う栄 誉 に輝 く。 物 語 は着 陸 の 姿 勢 を と っ て 無 事 「め で た し め で た し」 の ハ ッ ピ ー エ ン ドを迎 え て い る。 正 編 第 二 部 の 結 末 の 巻 「幻 」 で は,死 た くが 描 か れ,紫
を予 感 した 光 源 氏 の さ ま ざ ま な 死 に じ
の上 の 文 殻 を焼 却 す る老 年 の 光 源 氏 が 語 られ た 。 物 語 は,最
終 段 階 に は い り,ま
とめ の 姿 勢 を は っ き りと感 じ とる こ とが 出 来 た。
そ う い う前 例 が あ る に もか か わ らず,『 源 氏 物 語 』 の 最 後 の 最 後 と な っ て い る 「夢 浮 橋 」 で は,終
結 へ の 姿 勢 が ど こ に も描 か れ て い な い 。 終 わ りの気 配
す らな い 。内 容 的 観 点 か ら言 え ば,こ れ ほ ど完璧 な省 筆 は な い 。今 後 の 展 開 は, 読 者 に 一 切 委 ね ら れ て い る。 作 者,書
き手 は時 代 の 闇 の 中 に静 か に 退 き,創 造
の 筆 は 読 者 に 託 され て し ま っ た。 読 者 は 自 ら,こ の 重 い 主 題 を背 負 っ て,な ん らか の 決 着 をつ け ね ば な らな い。 こ の よ う に,省 筆 は 『源 氏 物 語 』 の 全 編 を覆 っ て い る 。 冴 え た省 筆 の技 は 同 一 作 者 の もの と判 断 した ほ うが 納 得 が い く。
3.紫 式 部 単 独 執 筆 説(2)―
対比 の技 法―
も う一 つ の 技 法 は対 比 で あ る 。 『源 氏 物 語 』 は 対 比 の 技 法 で 書 か れ た作 品 で あ る と い っ て も言 い過 ぎで な い ほ どで あ る。 まず 人 物 関 係 で 言 え ば,光 源 氏 と頭 中 将,夕 匂 宮(続
篇),女
(以 上正 篇),大 そ れ ぞ れ,対
性 で は,空 蝉 と夕 顔,紫
君 と中 君 そ して 浮 舟(続
霧 と柏 木(以
上 正 篇),薫
の 上 と明 石 の 君,玉鬘
篇)と
と
と近 江 の 君
い った 具 合 で あ る 。
に な る 人 物 を描 く こ と に よ り,そ れ ぞ れ の 特 徴 が 浮 か び 上 が る
仕 組 み に な っ て い る。 全 体 小 説 とい う言 い 方 が あ る とす れ ば,紫 式 部 は 『源 氏 物 語 』 に よ っ て,人 間を全 的 に 描 く全 体 小 説 を書 こ う と を試 み,そ の 手 段 と して 対 比 の技 法 を磨 き 上 げ た とい う こ とが で き る。 次 に 物 語 の 仕掛 け につ い て 言 え ば,中 宮 藤壺 と光 源 氏 の 不 倫,女
三 の宮 と柏 木 の 不 倫(以
上 正 篇),浮
舟 と匂 宮 との 不 倫 な どが
挙 げ られる。 第 一 の 不 倫 にお い て は,光 源 氏 は 加 害 者 で あ り,第 二 の 不 倫 に お い て は,彼 は被 害 者 に な っ て い る。 第 一 の 不 倫 に お いて は,被 害 者 の桐壺 の心 情 に 関 す る叙 述 は一 切 な い が,第 二 の 不 倫 で 光 源 氏 が 被 害 者 に な る に 及 ん で,始 め て 桐壺 帝 の 苦 悩 が推 測 さ れ る の で あ る。 第 一 の 不 倫 に お い て は,レ
イ プ され た 女 性 の 側,す
な わ ち 中 宮 藤壺 の 胸 の 内
は ほ とん ど語 られ る こ とが な い 。 しか し,第 二 の 不 倫 の 女 三 の 宮 の描 写 や 叙 述 を読 む こ と に よ り,藤壺 の 胸 の 内 が 推 測 され る仕 組 み に な っ て い る 。 第 一 の 不 倫 と第 二 の 不 倫 は言 わ ば,表
と裏 の 関 係 と言 え よ う。
続 篇 に お け る 第 三 の 不 倫 は,被 害 者 の 薫,加 浮 舟,三
害 者 の 匂 宮,真
の被害 者であ る
者 の苦 悩 の 様 が 全 的 に叙 述 され る 。
紫 式 部 は好 色 で あ る か ら不 倫 を何 度 も描 い た の で は な い。 三 つ の 不 倫 を 書 く こ と に よ り,不 倫 の 全体 像 を描 き切 ろ う と した の で あ る 。 不 倫 は 本 質 的 に は 三 角 関 係 で あ る。 夏 目漱 石 は 『虞 美 人 草 』 か ら始 め,最 後 の 『明 暗 』 に い た る まで の23の 小 説 全 て で 三 角 関係 を描 い て い る。 三 角 関 係 が 男 女 の愛 の 本 質 で あ る か らな の で あ ろ う。 これ に比 較 す れ ば,三 つ の 不 倫 な ど とい う もの は む しろ可 愛 ら しい とい っ て も よい 。
た だ し,紫 式 部 は 三 つ の 不 倫 で,不
倫 の 全 貌 を 描 破 し尽 く した と考 えた の か
も知 れ な い。 続 篇 の 不 倫 は 繰 り返 しで もな けれ ば,追 加 や お ま け で もな い 。 一 人 の作 者 の 執 念 の 結 果 と考 え るの が 妥 当 で あ ろ う。 『源 氏 物 語 』 に は とん で も な い 人 違 い の エ ピ ソ ー ドが 語 られ る 。 正 篇 で は 「空 蝉 」 の 巻,続 篇 で は 「総 角 」 の巻 に あ る 。 「空 蝉 」 の 巻 で は,人 妻 空 蝉 を慕 っ て 忍 ん だ 光 源 氏 は,そ
れ と察 し た空 蝉 に
逃 げ られ,共 寝 を して い た軒 端 荻 と予 期 せ ぬ 一 夜 を 過 ご して し ま う。 初 め か ら 軒 端 荻 を 慕 っ て 来 た の だ と嘘 まで つ い て い る。 「総 角 」 の 巻 で は,大 君 との 逢 瀬 に 胸 を と き め か せ て 這 い 寄 っ た 薫 は,そ れ と察 した 大 君 に 逃 げ られ て し まい,中 君 と気 まず い 一 夜 を過 ご す 。 薫 は光 源 氏 と異 な り,中 君 と肉 体 関 係 を結 ば な い 。 状 況 設 定 が 同 じで あ る だ け に,光 源 氏 と薫 の 人 間性 の 相 違 が くっ き り と浮 か び 上 が る。 見 事 な対 比 の 技 法 で あ る。 別 人 が 面 白が り,挑 戦 を受 け て 立 つ と い う形 で 「総 角 」 の エ ピ ソー ドを書 い た と言 え な い こ と も ない が,対 比 の技 法 で 押 して 来 て い る 紫 式 部 で あ る こ と を 考慮 す れ ば,こ
れ は 彼 女 が 意 図 的 に仕 組 ん だ 意 地 悪 な 設 定 と考 え た ほ うが 自 然
で あ ろ う。 「あ な た は 光 源 氏 派,そ
れ と も薫 派?」
と紫 式 部 に 問 わ れ て い る よ
うな 気 分 に な る。 考 えて み る と,光 源 氏 の 生 涯 を語 る だ け で は 紫 式 部 は もの 足 りな か っ たの で あ ろ う。 そ う して,薫
や匂 宮 の物 語 を 書 い た。 そ れ で こ そ,対 比 の技 法 は完 成
され るの で あ る。 そ こ ま で 紫 式 部 は対 比 の技 法 に は まっ て い た の だ ろ う。
4.紫 式 部 単 独 執 筆 説(3)―
伏 線―
『源 氏 物 語 』 に は 舌 を巻 くほ ど巧 み な 伏 線 が 多 く敷 か れ て い る。 「桐 壷 」 の 巻 で は 長恨 歌 か らの 引用 が 目立 つ 。 ・楊 貴 妃 の 例 も引 き 出 で つ つ ベ くな りゆ くに ・この ご ろ,明 け 暮 れ御 覧 ず る 長 恨 歌 の 御 絵 ・羽 を な らべ,枝
をか は さ む と契 らせ た ま ひ し に
こ の 長恨 歌 は,遥 か 遠 く,正 篇 第 二 部 の 最 後 の 巻 「幻 」 の 巻 と呼 応 し てい る 。 長 恨 歌 の伏 線 の射 程 距 離 は極 め て 長 く,正 篇 全 体 を貫 い て い る こ とに な る。
・[光 源 氏] 大 空 を か よふ まぼ ろ し夢 に だ にみ え こ ぬ魂 の 行 く方 た づ ね よ 「帚木 」 に埋 設 され た 伏 線 の 射 程 距 離 は も っ と長 い 。 「雨夜 の 品 定 め 」 の 一 節,
左 馬 頭 の 弁 論 の 一 節 に次 の よ うに あ る。
・繋 が ぬ 舟 の 浮 き た る例 も,げ に あ や な し。
左 馬 頭 は,妻 が 夫 を放 任 して お くと 困 っ た こ と に な る もの だ の 意 で 言 っ て い る の で あ るが,逆
に夫 が 妻 を放 任 して お い て 不 幸 な結 果 を招 い た の が,続
篇の
「宿 木 」 か ら登 場 す る,『 源 氏 物 語 』 最 後 の ヒ ロ イ ン 「浮 舟 」 で あ る 。 「浮 舟 」 の 悲 劇 は,薫 が 宇 治 に囲 っ て 置 き な が ら,油 断 して 放 任 状 態 に して い た が た め に生 じた 悲 劇 なの で あ る 。 男 女 の 関 係 が 逆 に な る 点 が 気 に な る と こ ろ で は あ る が,こ
の程 度 の こ と は紫
式 部 に と っ て は な ん で もな い 。 長 恨 歌 に歌 わ れ る玄 宗 皇 帝 は,息 子 寿 王 の 妻 で あ っ た 楊 貴 妃 を悪 辣 な 手段 を 講 じて,自 分 の 寵 妃 と して ま っ た 。 要 す る に,父 親 が 息 子 の 妻 を奪 っ た の が 長 恨 歌 なの で あ る。 『源 氏 物 語 』 は こ れ を逆 転 させ て,息 子 の 光 源 氏 が 父 親 の 妻 を奪 う話 と して成 立 させ て し まっ た もの で あ る。 そ れ に して も,こ の 「浮 舟 」 の 伏 線 は 正 篇 と続 篇 と を繋 ぐ もの で,紫 独 執 筆 説 に と って は,掛 け 替 え の な い,頼
「末 摘 花 」 に登 場 す る 故 常 陸 宮 の 忘 れ 形 見 の女 性 は,世 あ る が,こ
式部 単
も しい 例 とな る。 に も稀 れ な 不 美 人 で
れ は 古 代 伝 説 に あ る大 山 祇 神 の 娘 の 一 人 石 長姫 の 末裔 と考 え ら れ
る 。 大 山 祇 神 は邇邇 芸 命 に 姉 の 石 長 姫 と妹 の 木 花 開 耶 姫 と を妻 に せ よ と迫 っ て い る 。 こ の エ ピ ソー ドは,続 篇 に お い て,宇 治 の 八 の宮 が 薫 に姉 の 大 君 と中 君 との 後 見 を依 頼 す る こ とに 酷 似 して い る。 これ も正 篇 と続 篇 と を繋 ぐ例 の 一 つ と考 え られ る。
5.源 氏 物 語 の構 造(1) 最 後 に 『源 氏 物 語 』 の構 造 に つ い て検 討 す る。 定 説 と考 え られ て い る構 造 は 次 の よ う な もの で あ る。
正編 第一部
第二部
続編 第 三部
桐 壺 ∼藤 裏葉
若 菜上 ∼幻(雲 隠) 匂 宮∼ 夢 浮橋
光 源氏 の 前半 生
光 源氏 の後 半生
光 源氏 の子 孫の 物語
一 歳∼ 三十 九 歳
四十 歳 ∼ 六 十 歳?
(六十一歳)∼(七十 五 歳)
光 源氏 の 至福 談
光 源氏 の転 落談
子 孫の 苦悩 談
因の物 語
果 の物 語 因
光源氏 と藤壼
光源
親 ・本 人 ・子 ・孫 の 四 代,七
縁 の物 語
と紫の上 薫・匂宮・
大君・中君・浮舟
十 五 年 間 を描 破 す る大 河 小 説 『源 氏 物 語 』 は,
上 に示 した 正 続 二 編 三 部 構 成 五 十 四帖 か ら成 り,ま こ とに 見 事 な,堂 々 た る結 構 を な す 一 大 構 築 物 で あ る。 こ の 点 に の み 注 目す れ ば,『 源 氏 物 語 』 は 完 結 し た 作 品 と な る。
6.源 氏 物 語 の 構 造(2) ど うや ら,『 源 氏 物 語 』 の 文 章 は,傑 作 に ふ さわ し く,一 筋 縄 で は 捕 捉 で き な い 複 雑 な多 層 性 を有 す る もの と言 っ て よ さそ うで あ る。 そ の 複 雑 な多 層性 を 象 徴 す る もの と して,正 編 第 一 部 の 冒 頭 の 問 題 が あ る。 実 は,こ
こ に は,三 つ
の 冒 頭 が あ る。 そ の 一 つ は 桐 壺 の 巻 で あ る。 桐壺 帝 と桐 壺 の 更 衣 との 悲 恋 物 語 は 玄 宗 皇帝 と 楊 貴 妃 との 悲 恋 を歌 っ た 長 恨 歌 を 下 敷 き に して 進 行 す る 。 白楽 天 の 漢 詩 を裏 に 持 っ た こ の 巻 は構 造 の あ る 冒頭 と末 尾 とが は っ き り して い る枝 豆 型 に な っ て い る。
いづ れの御時 にか、
女 御 、 更 衣 あ ま た さぶ ら
[時 = む か し] [所 =後 宮]
ひ た ま ひけ る 中 に、 い と や む ご と な き際 に は あ らぬ が 、 す ぐれ て 時 め きたまふ あ りけ り。
[主 人 公 =女]
こ れ は 『竹 取 物 語 』 の 冒頭 文,「 今 は 昔,竹 取 の翁 とい ふ も の あ りけ り。」 の 巧 妙 な ヴ ア リエ イ シ ヨンで あ る 。 ま た,末 尾 の 一 文 は, 光 る君 とい ふ 名 は,高 麗 人 の め で き こ えて つ け た て まつ りけ る と ぞ 言 ひ伝 へた るとなむ。 で あ り,こ れ も 『竹 取 物 語 』 の 末 尾 の 文,「 そ の 煙,い ぼ りけ る とぞ,言 時,所,主
まだ雲の 名かへ 立 ちの
ひ伝 へ た る」 を彷 彿 と させ る もの で あ る。
人 公 の 紹 介 を 具 備 した 冒 頭 文,本 論 と次 元 を異 に して 伝 承 の 由 来
を語 る末 尾 の 文,こ
の 二 つ を備 え て い る 「桐 壼 」 の 巻 は 枝 豆 型 の 文 章 以 外 の な
に もの で もな い 。 した が っ て,形 式 的 に は,こ れ で 完 結 した も の と して 扱 っ て よい こ と に な る。 た だ し,内 容 的 に は,「 桐 壺 」 の 巻 は,光
源 氏 の生 涯 の 物 語 の 冒 頭 の 一 節 と
な る。 光 源 氏 が 誕 生 し,そ の 運 命 に つ い て の予 言 が な され る か ら で あ る 。 主 人 公 は,予 言 に 従 っ て,臣 籍 に くだ り,「 源 氏 」(親 王 と して 生 れ な が ら、 姓 を賜 って 臣籍 に くだ っ た者)と
な る 。 「桐 壺 」 の巻 は,親 王 と して の 誕 生 と 「源 氏 」
と して の誕 生 の 二 つ の 誕 生 を語 る 巻 な の で あ る 。 ま た,ヒ
ロ イ ン,藤 壺 も この
巻 で 登 場 す る。 光 源 氏 と藤 壺 と の 関 係 が 第 一 部 の 縦 糸 で あ る こ と は 周 知 の とお りで あ る。 広 壮 な 六 条 院 に 朱 雀 院 と 冷 泉 帝 の 訪 問 を受 け,自 らは 准 太 上 天 皇 の 位 に 登 り, 栄 誉 栄 華 を 極 め る源 氏 が 描 か れ る の は 「藤 裏 葉 」(第 三 十 三 帖)の
巻 で あ る。
「桐 壺 」 の 巻 の射 程 距 離 は 長 い 。 三 十 三 帖 を統 括 す る 冒頭 と な る か ら で あ る。 と こ ろ で,『 源 氏 物 語 』 は 「若 紫 」 の 巻 か ら書 き始 め られ た とい う伝 説 が 中 世 か ら存 在 した 。 この こ とは,何
を 意 味 す る の で あ ろ うか 。
「若 紫 」 で は,『 源 氏 物 語 』 最 大 の 事 件,光
源氏 と藤 壺 と の密 会,そ
して懐 妊
が 語 られ る 。 大 胆 不 敵 な,不 敬 罪 に も問 わ れ か ね な い プ ロ ッ トの 設 定 で あ る。 この 意 味 で は,確 か に,一 つ の 冒 頭 とな って い る。 第 一 部 の 本 質 に繋 が る もの と い う意 味 で は,「 若 紫 」 が 真 の 冒 頭 と言 え よ う。 た だ,こ の 事 は 、 事 の 性 質 上,露
にで きる もの で は な い 。 紫 式 部 の 叙 述 も慎 重 な の で あ る 。
「若 紫 」 の 巻 名 が 語 る よ う に,こ の 巻 で は幼 い 紫 の 上 が 登 場 す る。 『源氏 物 語 』
最 大 の ヒ ロ イ ンで あ る 。 こ ち らは,隠 す 必 要 が な い 。 初 々 しい 女 主 人 公 の登 場 は新 しい 物 語 の 冒 頭 に ふ さわ しい。 紫 の 上 と光 源 氏 との 関係 は正 編 第 二 部 に 及 ぶ もの で あ り,こ れ を 受 け る巻 は 「 幻 」 の 巻 で あ る か ら,「 若 紫 」 の射 程 距 離 は 「桐 壺 」 よ り更 に長 い とい う こ と に な る 。 構 造 的 に は 第一 部 の 中 に,第 二 部 の 冒 頭 を潜 伏 させ た もの とみ なす こ と も で き る。 『源 氏 物 語 』の 複 層 性 を 増 強 す る もの と して,第 三 の 冒 頭 が 存 在 す る。 「帚木 」 の 巻 が そ れ で あ る 。 こ の 巻 の 「雨 夜 の 品 定 め 」 に お い て 女 性 論 が 展 開 され る 。 若 者 た ち の 論 議 を とお して,光
源 氏 は 中 流 階 級 の 女 性 た ち に 興 味 を抱 く。 こ の
延 長 線 上 に,「 空 蝉 」 「夕 顔 」 「末 摘 花 」 な ど,玉鬘
系 物 語 の 巻 々 は存 在 す る の
で あ る 。 だ か ら,「帚 木 」 の 巻 は 、 論 議 の 形 を した 目次 で も あ る 。 予 定 表 で も あ る。 こ の 意 味 で,も
う一 つ の 冒頭 な の で あ る 。
と こ ろ で,「 雨 夜 の 品 定 め 」 の 中 に,見 「左 馬 頭 」 の 女 性 論 の 一 部 に,浅
過 ごす こ と の で き な い 叙 述 が あ る。
はか な 女 が,お
だ て られ て尼 に な っ て し ま い,
後 で 後 悔 す る 話 を語 る とこ ろ が そ れ で あ る。 長 話 の 末 に 「 左 馬 頭 」 は,次 うに頭 中 将 に 語 りか け る。 こ れ は 4節 で 言 及 した が,あ
のよ
え て 再 び 引 用 す る。
・繋 が ぬ 舟 の 浮 きた る例 もげ に あ や な し。 こ れ は 本 当 に 恐 ろ しい。 「繋 が ぬ 舟 」 が,『 源氏 物 語 』 の最 後 の ヒロ イ ン 「浮 舟 」 の イ メ ー ジ とぴ っ た り重 な って し ま うか らで あ る。 こ の 発 言 が 伏 線 で あ る とす れ ば 、 紫 式 部 は 第 二 番 目の 巻 「帚木 」 を書 い た 時 す で に,続 編 第 三 部 の 結 末 部,す
な わ ち全 巻 の 終 りを予 感 して 述 べ て い た こ とに な る 。
「帚木 」 の 巻 は 第 一 部 を突 き抜 け,第 二 部 も突 き抜 け,す
な わ ち,四 十 四 帖
を 突 き抜 け 第 三 部 の 最 後 の 核 心 的話 題 を 直 撃 す る。 な ん とい う,息 の 長 さ な の だ ろ う。 な まは ん か な伏 流 水 な ら途 中 で 絶 え て し ま う距 離 で あ る 。 正 編 第 一 部 に は 三 つ の 冒頭 が あ っ た 。 これ だ けで も,『 源 氏 物 語 』 は 大 変 な 作 品 で あ る。 そ して,「 若 紫 」 や 「帚木 」 の 射 程 距 離 を考 え る と神 の 手 が 働 い た と しか 思 え な くな る。 以 上 の 考 察 を 図 式 的 に ま とめ て み る 。 先 に紹 介 し た構 造 と は異 な っ た もの と な る。
桐 壺(1) ∼ 藤 裏 葉(33)
帯 木(2) ∼ 夢 浮 橋(54)
若 紫(5)∼
光 源氏 の栄達
女 性の 幸せ
嫁入物 語
藤壺
藤 壺か ら浮 舟 まで
紫の 上 ()の
幻(41)
数 字 は帖序
先 に 示 した 構 造 図 は,『 源 氏 物 語 』 の 帖 序 に した が っ た 素 直 な もの で,い ば織 物 の 表 地 ・表 模 様,こ
わ
こ に示 した構 造 図 は 隠 され た 模 様 とみ な す こ とが で
き よ う。 例 え て 言 え ば,『 源 氏 物 語 』 は 三色捩 り棒 型 作 品 とい う こ と に な る。 こ の構 造 に 従 え ば,『 源 氏 物 語 』 の 作 者 は一 人 で,そ
れ は紫 式 部 以 外 の 誰 で
も な い とい う こ と に な る。
■ 発展 問題 (1) 太 宰 治 の a 『右 大 臣 実 朝 』,b 『 富 嶽 百 景 』,c 『走 れ メ ロ ス 』,d 『斜 陽 』 の 冒 頭 の 一 節 で あ る 。 文 体 の 異 同 に つ い て 考 え て み よ う。
a 承 元 二 年 戊 辰 。 二 月 小 。 三 日,癸 卯,晴,鶴
岳 宮 の 御 神 楽 例 の 如 し,将
軍 家 御疱 瘡 に 依 り て 御 出 無 し,前 大 膳 大 夫 広 元 朝 臣 御 使 と し て 神 拝 す, 又御 台所 御 参宮 。
b 富 士 の 頂 角,広 れ ど も,陸
重 の 富 士 は 八 十 五 度,文
軍 の 実 測 図 に よつ て 東 西 及 南 北 に 断 面 図 を作 つ て み る と,東
西 縦 断 は 頂 角,百
晃 の 富 士 も八 十 四 度 く ら い,け
二 十 四 度 と な り,南 北 は 百 十 七 度 で あ る 。
c メ ロ ス は 激 怒 した 。 必 ず,か
の邪智 暴虐 の王 を除 かな けれ ば な らぬ と決
意 した 。
d 朝,食
堂 で ス ー プ を 一 さ じ,す つ と 吸 つ て お 母 さ ま が,「 あ 。」 と 幽 か な
叫 び声 をお挙 げ になつ た。
(2) 夏 目漱 石
『こ こ ろ 』 上 ・中 ・下 の 冒 頭 で あ る。 文 体 の 異 同 に つ い て 考 え て み
よう。 上 先 生 と私
私 は そ の 人 を 常 に先 生 と呼 ん で ゐ た 。 だ か ら此 所 で も た だ 先 生 と書 くだ け で 本 名 は 打 ち 明 け な い 。
中 両 親 と私
宅 へ 帰 つ て 案 外 に思 つ た の は,父 大 して 変 っ て ゐ な い 事 で あ つ た 。
の元気 が この前 見 た時 と
下 先 生 と遺 書 「… … 私 は こ の 夏 あ な た か ら 二 三 度 手 紙 を 受 け取 り ま し た 。 東 京 で 相 当 の 地 位 を得 た い か ら宜 し く頼 む と書 い て あ つ た の は,た
しか 二 度 目 に手 に入 つ た もの と記 憶 して ゐ ま
す。
■ 参考文 献 1) 安本 美 典 「宇 治 十帖 の作 者― 文 章 心 理 学 に よる作 者推 定 」(「文 学 ・語 学 」 昭 和32年 4月 号,1957) 2) 村 上 征 勝 「『 源 氏 物語 』 の計 量 分析 」(『シ ェー クス ピ アは誰 です か?計
量 文献 学 の 世 界 』
文 春 新 書406,2004) 3) 阿 部 秋 生 ・秋 山 虔 ・鈴 木 日出 男校 注 ・訳 『 源 氏 物 語① 』(「新 編 日本 古 典 文 学 全 集 」 小 学 館,1994) 4) 小 嶋 菜 温子 「 源 氏 物 語 の構 造― 浮 舟 とか ぐや姫― 」(「国 文 学 解 釈 と鑑 賞 」56巻10号, 至 文堂,1991) 5) 高橋 亨 「源 氏 物 語 表現 事 典 構 想 と構 造 」(「別 冊 國 文學NO
.13 源 氏 物 語 必 携Ⅱ 」 學
燈 社,1982) 6) 和辻哲郎 「 源 氏 物語 につ い て」(『日本 精神 史 研 究』 岩 波 書店,1922) 7) 阿 部 秋生 「 源 氏物 語 執 筆 の順 序 」(「国語 と国 文 学」 昭 和14年 8,9 月号,1939) 8) 玉 上琢 弥 「源氏 物 語 成 立攷 」(「国 語 国文 」 昭 和15年 4月 号,1940) 9) 武 田宗 俊 「源氏 物 語 の最 初 の 形 態」(『源 氏 物 語 の研 究 』岩 波 書 店,1954) 10) 大 朝雄 二 「 成 立 論 と三 部構 想 論 」(「国 文学 解 釈 と鑑 賞 別冊 源 氏 物 語 を ど う読 む か」 至 文 堂,1986) 11) 高橋 亨 「成立 論 の可 能 性 」(同 上) 12) 小 池 清 治 「『 源 氏 物語 』 を展 開 させ る原 動 力 と しての 「死」 = 『源氏 物 語 』 は完 結 して い る とい う説 =」(宇 都 宮 大学 国際 学 部研 究 論 集 第 9号,2000)
第8章 『方 丈 記 』 は なぜ カ タ カ ナ 漢 字 交 り文 で 書 か れ た の か? 【カ タ カナ 漢 字 交 り文 】
キ ー ワ ー ド:カ
タ カ ナ 漢 字 交 り文,漢
義 言 文 一 致 体,書
宮 澤 賢 治(1896∼1933)は
文 訓 読 文 体,か
な 漢 字 交 り文,和
文 体,表
音主
き言 葉 と して の 言 文 一 致 体
「雨 ニ モ マ ケ ズ」(1931)を
で 書 い て い る 。 一 方,『 春 と修 羅 』(1924)の
カ タ カ ナ 漢 字 交 り文
詩 や 『銀 河 鉄 道 の夜 』(1933,遺 作)
等 の 童 話 は ひ らが な 漢 字 交 り文 で 書 い て い る。 お そ ら く,伝 え よ う とす る メ ッ セ ー ジの 内容 や 伝 え よ う とす る姿 勢 が こ れ ら,視 覚 的 文体 の 相 違 と な っ て 現 れ た の で あ ろ う。 表 記 ス タ イ ル を含 む 文 体 は伝 え よ う とす る メ ッセ ー ジ と密 接 に関 連 す る。 鴨 長 明 は 『方 丈 記 』 を カ タ カ ナ漢 字 交 り文 の 漢 文 訓 読 体 で 認 め て い る。 彼 は,こ
の よ う な 文 体 を 選 択 した 理 由 を 明 記 して い な い が,同
時代 の僧 慈 円は
『愚 管 抄 』 と い う歴 史 書 を 執 筆 す る に あ た り,読 者 の心 に は っ き り と伝 え る に は,カ
タ カ ナ 漢 字 交 り文 が 最 適 で あ る と宣 言 して い る。 鴨 長 明 は慈 円 と親 交 が
あ り,文 体 の 選 択 も共 感 して の もの で あ ろ う。 12世 紀 末,時
代 は 古 代 の 律 令 制 度 が 終 焉 の 時 を迎 え,中
世 の封 建制 度が 台
頭 し,地 歩 を 占 め る に 至 っ て い た 。 国 体 意 識 が 変 化 し,貴 族 の 世 の 中 か ら, 「武 者 の 世 」(『愚 管 抄 』 巻 第 四)に 変 っ て しま っ た と認 識 さ れ て い た 。 これ に と も な い,支 配 階 級 の 教 養 の 質 が 低 劣 化 した 。 漢 文 を読 み 書 きす る 学 力 を期 待 で き な い状 況 に な っ て し まっ た の で あ る。 か な漢 字 交 り文 の 和 文 体 は,言 文 一 致 体 で 書 き や す か っ た の で あ る が,だ
ら
だ ら文 の 欠 点 を 克服 で きず に あ り,難 読 誤 読 の 恐 れ が 常 に あ る と い う状 態 で, 書 き手 が わ か りや す さ を 念願 す れ ば,短 文 を重 ね る 漢 文 訓 読 文 体,カ 字 交 り文 で書 くほ か な か っ た の で あ る 。
タ カナ 漢
こ こ で も,国 体 意 識 の 変 化 が 文 体 の変 容 を 迫 っ た とい うこ とが で き る。
1.宮 澤 賢 治 は,な ぜ 「雨 ニ モ マ ケ ズ 」 を カ タ カ ナ漢 字 交 り文 で 書 い た の で あ ろ う か?
図1. 『ア メ ニ モ マ ケ ズ 』
図 1で 示 した よ うに,宮
澤 賢 治 は 「雨 ニ モ マ ケ ズ」 を カ タカ ナ 漢 字 交 り文 で
書 い て い る。 一 方,『 春 と修 羅 』 の 詩 や 『銀 河 鉄 道 の夜 』 の よ う な童 話 は ひ らが な 漢 字 交 り文 で 書 い て い る。 宮 澤 賢 治 は,昭 和 6年(1931)9 市 に 帰 郷 し病 臥 につ い た 彼 は,死
月 に 上 京 し,発 病 して し ま う。 故 郷,花
巻
を覚 悟 して 遺 書 を認 め て い る 。11月 3日,ベ
ッ ドの 上 で 彼 は 「雨 ニ モ マ ケ ズ」 を 書 い て い る。 詩 の 最 終 行 を 綴 っ た 隣 の 頁 に は,同
じ く鉛 筆 書 きで,次
の 7行 を,ま る で刻 むか の よ うに書 い て い る。
南 無 無 邊 行 菩 薩
南 無上行菩 薩
南無多寳 如来
南無妙法蓮 華経
南無釈迦 牟尼佛
南 無浄行菩 薩
南 無安立 行菩薩
この よ う な 文 脈 で 読 め ば,「 雨 ニ モ マ ケ ズ」 は 一 種 の 遺 書,辞
世 の 詩 編 とい
う こ と に な る 。 遺 書 に お い て,「 生 き方 」 「生 き る姿 勢 」 を書 き付 けね ば い られ な か っ た と ころ に,賢 治 の悲 劇 が あ る。 痛 切 な 思 い は 胸 を打 つ 。 こ の重 み を託 す に ふ さ わ しい の は,カ 字書 きで,そ
タ カ ナ 漢 字 交 り文 と彼 は考 え た の で あ ろ う。 経 典 は漢
の 解 説 書 は カ タ カ ナ 漢 字 交 り文 だ か らで あ る 。
2.『 方 丈 記 』 は,な
ぜ カ タ カ ナ 漢 字 交 り 文 で 書 か れ た の か?
鴨 長 明(1155?∼1216)は
『方 丈 記 』(1212)を
次 の よ うに書 き始め て い
る。
ユ ク 河 ノ ナ ガ レ ハ,タ カ ブ ウ タ カ タ ハ,カ
エ ズ シ テ,シ
ツ キ エ,カ
カ モゝ
ツ ム ス ビ テ,ヒ
トノ水 ニ ア ラズ 。 ヨ ドミニ ウ サ シ ク トゞ マ リ タ ル タ メ シ
ナ シ。 世 中 ニ ア ル 人 ト栖 ト又 カ ク ノ ゴ ト シ 。 タ マ シ キ ノ ミ ヤ コ ノ ウ チ ニ, 棟 ヲ ナ ラ ベ テ,イ
ラ カ ヲ ア ラ ソ へ ル 。 タ カ キ,イ
世 々 ヲ ヘ テ ツ キ セ ヌ 物 ナ レ ド,是 レ ナ リ 。 或 ハ コ ゾ ヤ ケ テ,コ
ヲ マ コ ト カ ト尋 レ バ,昔
三 十 人 ガ 中 ニ,ワ
ヅ カ ニ,ヒ
家 トナ
モ オ ホ カ レ ドイ ニ シ へ 見 シ
ト リ フ タ リ ナ リ。 朝 ニ 死 ニ,夕
マ ル ル ナ ラ ヒ,水
ノ ア ハ ニ ゾ 似 タ リ ケ ル 。 不 知,ウ
ヨ リ キ タ リ テ,イ
ズ カ タ ヘ カ 去 ル 。 又 不 知,カ
ヲ ナ ヤ マ シ,ナ
シ ア リ シ家 ハ マ
ト シ ツ ク レ リ 。 或 ハ 大 家 ホ ロ ビ テ,小
ル 。 ス ム 人 モ 是 二 同 ジ 。 ト コ ロ モ カ ハ ラ ズ,人 人 ハ,二
ヤ シ キ 人 ノ ス マ ヒ ハ,
マ レ 死 ル 人,イ
リ ノ ヤ ド リ,タ
ニ生 ヅカ タ
ガ 為 ニ カ心
二ゝ ヨ リ テ カ 目 ヲ ヨ ロ コ バ シ ム ル 。 ソ ノ ア ル ジ トス ミ カ ト
無 常 ヲ ア ラ ソ フ サ マ,イ
ハゞ ア サ ガ ホ ノ 露 ニ コ トナ ラ ズ 。 或 ハ,露
花 ノ コ レ リ。 ノ コ ル トイ へ ドモ,ア
サ 日 ニ カ レ ヌ 。 或 ハ,花
ヲチ テ
シ ボ ミテ 露 ナ
ヲ キ エ ズ,キ
エ ズ トヘ ドモ 夕 ヲ マ ツ 事 ナ シ 。
これ は,鴨 長 明 自筆 本 と され る 「大 福 光 寺 本 」 に よっ た もの で あ る が,二
重
下 線 部 に古 典 仮 名 遣 い と は 異 な る仮 名 遣 い が な さ れ て い る。 具 体 的 に 指 摘 す る と次 の よ うに な る。
大福 光寺本
ア ハ
ヲチテ ナヲ
古典 仮名遣 い →
アワ
→
オチテ
→
ナホ
「大 福 光 寺 本 」 の 仮 名 遣 い は 「定 家 仮 名 遣 い」 に な っ て お り,鎌 倉 期 の も の にふ さ わ しい 仮 名 遣 い で あ る。 波 線 部 の 「昔 シ」 の 「シ」 は,漢 文 訓 読 の 際 に,誤 読 を避 け る 目 的 で 添 え ら れ る,い わ ゆ る 「捨 て 仮 名 」 で あ り,こ れ も この 時 期 の もの,例
え ば 『今 昔 物
語 集 』 な どに よ く見 られ る,一 種 の 送 り仮 名 で あ る 。 ま た,神
田 秀 夫 の 指 摘 に よ れ ば,「 ワ ・ツ ・マ ・コ ・テ ・キ ・ユ ・メ ・セ 」
な どの カ タカ ナ と して,鎌 倉 中 期 ま で しか使 用 され な か った 古 体 の カ タ カナ が 使 用 さ れ て い る と い う。 この こ との 一 部 は,下 に 示 す 図 版 で確 認 で き る。 「大 福 光 寺 本 」 は,本
文 の 一 部 に 意 味 不 明 の 所 もあ る が,鴨
長 明 自筆 と考 え
て 間違 い な い だ ろ う。 図 2と して,「 大 福 光 寺 本 」 の 冒 頭 部 を示 す 。 と こ ろ で,鴨 長 明 は,半 生 の 記 と も 自 省 の 記 と も,さ
らに は辞 世 の 書 と も読
め る,重 い 内容 の 文 章 を,な ぜ カ タ カナ 漢 字 交 り文 で 書 い た の で あ ろ うか? 鴨 長 明 が 敬 慕 し て い た 慶 滋 保 胤(?∼1002)は そ の 美 文 は 『本 朝 文 粋 』(1066年
以 前)に
「池 亭 記 」 を著 し て い る 。
収 め られ て い るが,次
の ような も
の で あ る。
池亭 記 予 二 十余 年 以 来,歴 無 来,屋
慶保胤 見 東 西 二 京,西 京 人 家 漸 稀,殆 幾 幽墟矣 。 人者 有 去
者 有 壊 無 造 。 其 無 処 移徙,無憚
賎 貧 者 是 居 。 或 楽 幽 隠 亡 命,当
入
山 帰 田者 不 去 。若 自蓄 財 貨,有 心 奔 営 者,雖 一 日不 得 住 之 。往 年 有 一 東 閣。
図2. 方 丈記(大 福 光寺 本) 華 堂 朱 戸,竹
樹 泉 石,誠
是 象 外 之 勝 地 也 。 主 人 有 事 左 転,屋
舎 有 火 自焼 。
其 門 客 之 居 近 地 者 数 十 家,相 率 而 去 。其 後 主 人雖 帰,而 不 重 修 。 子 孫 難 多, 而 不 永 住 。 荊 棘 鎖 門,狐 狸 安 穴 。 夫 如 此 者,天 [予 二 十 余 年 以 来,東
西 二 京 を歴 見 す る に,西
之 亡 西 京,非
人之 罪 明 也 。
京 は 人 家 漸 く稀 に し て,
殆 幽墟 に幾 し。 人 は去 る こ と有 りて 来 る こ とな し。 屋 は壊 る る こ と有 り て 造 る こ と な し。 そ の 移 徒 す る に 処 な く,賎 貧 を憚 る こ と な き者 は これ 居 り。あ る い は幽 隠亡 命 を楽 しみ,ま さ に 山 に 入 り田 に 帰 る べ き者 は去 らず 。 自 ら財 貨 を蓄 へ,奔
営 に心 有 る が 若 き者 は,一
日 とい へ ど も住 む こ と を
得 ず 。 往 年 一 つ の 東 閣有 り。 華 堂 朱 戸,竹 樹 泉 石,誠
に これ 象 外 の勝 地
な り。 主 人 事 有 りて左 転 せ られ,屋 舎 火 有 りて 自づ か ら焼 けぬ 。 そ の 門 客 の 近 地 に居 る 者 数 十 家,相
率 ゐて 去 りぬ 。 そ の 後 主 人 帰 る とい へ ど も,重
ね て 修 は ず 。 子 孫 多 し と いへ ど も,永
く住 ま は ず 。 荊 棘 門 を鎖 し,狐 狸
穴 に 安 ん ず 。 そ れ か くの 如 きは,天 の 西 京 を亡 ぼ す な り,人 の 罪 に非 ざ る こ と 明 らか な り。]
鴨 長 明 も,こ の よ う に 華 麗 な漢 文 で 『方 丈 記 』 を書 きた か っ た で あ ろ う。 し か し,時 代 が そ れ を許 さ な か っ た ので あ る 。
3.カ タカ ナ 漢 字 交 り文 を選 び 取 っ た 『愚 管 抄 』 の 著 者 慈 円 天 台 僧 慈 円(1155∼1225)は,四 歌集 『 拾 玉 集 』 を持 つ,優 が,漢
度,天
台 座 主 を勤 め た 高 僧 で 学 識 が あ り,
れ た歌 人 で あ り,一 流 の 文 化 人 で あ っ た 。 そ の 彼
文 以 外 で は 書 け な い と され て い た 史 論 書 『愚 管 抄 』 を カ タ カナ 漢 字 交 り
文 で 書 い て い る。 ま ず,こ れ まで の 歴 史 書 が,ど
の よ う な文 体 で 書 か れ て きた の か を確 認 し て
み る。 書名
執筆時期
筆 者 ・編 者
使 用文 字
文体
古事記
712
日本 書紀 続 日本紀
720
漢字 漢字 漢 字
和漢混淆体 漢文体 漢文体
日本 後紀
840
太安万 侶著 舎人 親王撰 藤原継 縄 ・菅野 真 道 ら撰 藤原冬 嗣 ・藤 原 緒嗣 ら撰
漢字
漢文体
続 日本後紀
869
藤 原 良 房 ・藤 原
漢字
漢文体
漢字 漢字
漢文体
797
良 相 ・伴 善 男 ・ 春 澄 善 縄 ら撰
藤原基 経 ら撰 藤原 時平 ・大蔵 善行 ら撰 11世 紀 前 半? 赤染衛 門編?
日本 文徳 天皇 実録 879 日本 三代 実録 901 栄花 物語 大鏡
1086頃?
今鏡 水鏡
1170?
増鏡 吾妻 鏡
1338∼1376
愚管抄
鎌倉初期
1169∼1190?
1180∼1267
か な ・漢 字 和 文 日記 体
か な ・漢 字 和 文 会話 体 藤原為 経 (寂超 ) か な ・漢 字 和 文 日記 体 か な ・漢 字 和 文 日記 体 中 山忠 親? 源雅頼? 二条 良基? か な ・漢 字 和 文 日記 体 変体 漢文 日記 鎌倉幕府編纂 漢字 体 吾 妻鏡 体 カ ナ ・漢 字 表音 主義 言文 慈 円 一致 体 著 者 未 詳 。
『古 事 記 』 『日本 書 紀 』 に つ い て は 第 1章 で 詳 述 した の で,こ る。
漢文 体
こで は省略 す
『続 日本 紀 』 か ら 『日本 三 代 実 録 』 ま で は,『 日本 書 紀 』 の 方 針 を継 承 した もの で,想
定 読 者 を 中 国 人 に した も の で あ る か ら,当 然,表
文体 は漢 文(中 国 語)と 寛 平 6年(894),菅
記 は 漢 字 を用 い,
な る。
原 道 真 の 提 議 に よ り,遣 唐 使 は廃 止 され た 。 そ の 結 果,
『日本 書 紀 』 風 の 歴 史 書 の 必 要 性 も 消 失 して し ま っ た 。 こ れ 以 後,漢
字表 記漢
文 体 の 歴 史書 は 編 纂 され て い ない 。 百 年 ほ ど の ブ ラ ン ク を 置 い て,男
が 止 め て し ま っ た の な ら,代
りに女 の私 た
ち で 歴 史 書 を書 い て し まお う と い う こ と で書 か れ た の が 『栄 花 物 語 』 で あ る。 巻 一 「月 の 宴 」 か ら始 め られ,巻 あ る 。 第59代 宇 多 天 皇(在 1107)ま
で の11代,220年
四 十 「紫 野 」 で 終 る,堂
位887∼897)か
々四 十 巻 の 歴 史 書 で
ら第69代 堀 河 天 皇(在
位1086∼
に及 ぶ歴 史 を紀 伝 体 で 綴 っ た もの で あ る が,本 質 は,
藤 原 道 長 の栄 華 を語 る こ とに あ る。 編 者 と想 定 さ れ て い る赤 染 衛 門 は 中宮 彰 子 サ ロ ンの メ ンバ ー で あ っ た の で, 史料 は道 長 方 で 用 意 され て い た もの を使 用 した と思 わ れ る。 想 定 読 者 は 女性 で あ っ た か ら,ひ
らが な 中心 の 漢 字 交 り文 で あ り,文 体 は 『紫 式 部 日記 』 風 の 日
記 体 和 文 で あ る。 『大 鏡 』 は,第55代 (在 位1064∼1083)ま
文 徳 天 皇(在 で の14代176年
位898∼905)か
ら第68代 後 一 条 天 皇
間 の 歴 史 を紀 伝 体 風 に して,大
宅 世継
と夏 山 繁 樹 とい う 二 人 の 老 人 の 対 話 を 若 侍 が 聞 き書 きす る と い う趣 向 で 書 い た も の で あ る。 眼 目は 『栄 花 物 語 』 と同 様 に,藤 原 道 長 の 栄 華 の さ ま を批 判 的 に 伝 え る こ と に あ る。 文 体 は,老 人 の対 話 が 中 心 で あ り,当 時 の 言 文 一 致 体 で あ る 。 表 記 は ひ らが な が 多 く,分 節 機 能 を 考慮 して 漢 字 が 交 え られ て い る。 『今 鏡 』 は,『 大 鏡 』 を受 け て,後 ま で の13代146年
一 条 天 皇 か ら高 倉 天皇(在
位1168∼1180)
間の 事 跡 を老 女 の 問 わず 語 りの 形 式 で 書 い た もの で,ひ
らが
な漢 字 交 りの和 文 体 で あ る。 『水 鏡 』 は,仏 教 的 歴 史 観 の も と に,神 武 天 皇 か ら仁 明 天 皇 まで の54代 の 出 来 事 を,73歳
の 老 尼 に 神 仙 が 語 る と い う 形 式 で,ひ
ら が な 漢 字 交 りの 和 文 体
で 綴 っ た もの で あ る。 『増 鏡 』 は,『 今 鏡 』 の 後 を 受 け 継 い だ もの で,後
鳥 羽 天 皇(在
位1183∼
1198)か
ら後 醍 醐 天 皇(在
位1318∼1339)ま
で の鎌 倉 時 代15代 百 五 十 余 の 事
跡 を編 年 体 で 記 した も の。 高 齢 の 尼 が 見 聞 を語 る とい う形 式 で,ひ
らが な漢 字
交 り文 の和 文 体 で あ る。 『吾 妻 鏡 』 は,鎌 倉 幕 府 自 身 が編 纂 した 歴 史 書 で,治 政 の 挙 兵 に 始 ま り,文 承 3年(1266)六
承 4年(1180)源
頼
代 将 軍 宗 尊 親 王 の 帰 京 まで の87年 間 の
事 跡 を,編 年 体 で記 録 した もの。漢 字 だ け を用 い た 独 特 の 変 体 漢 文 の 日記 体 で, この 文 体 を吾 妻 鏡 体 と も称 す る。 慈 円 は,こ れ らの 歴 史 書 を前 提 と して,従 来 に は存 在 しな か っ た 史 論 書 を 書 い た 。 神 武 天 皇 よ り順 徳 天 皇(在 位1210∼1221)ま
で の事 跡 を,仏 教 的世 界
観 で解 釈 し,日 本 の政 治 の 変 遷 を 「道 理 」 の 展 開 と して 説 明 す る。 こ の 画 期 的 史 論 書 を,彼
は,学 僧 の 書 と して は 当 然 期 待 さ れ る 漢 文 で 書 か ず
に,カ
タ カ ナ 漢 字 交 り文 で 書 い て い る。 そ の 理 由 を 次 の よ う に述 べ る。
今 カ ナ ニ テ 書 事 タ カ キ様 ナ レ ド,世 ノ ウ ツ リユ ク 次 第 トヲ,心 ウベ キ ヤ ウ ヲ,カ
キ ツ ケ 侍 意 趣 ハ,惣
ジ テ僧 モ 俗 モ 今 ノ 世 ヲ ミル ニ,智
ニ ウセ テ,学 問 ト云 コ トヲセ ヌ ナ リ。
(巻 第 七)
昨 今 の 世 間 を 見 る と,以
前 と は す っ か り変 わ っ て し ま い,学
侶 も世 間 の 普 通 の 人 も,嘆
か わ し い こ と に,知
は さ ら さ ら な く,学 な の で,カ し て,さ
解 ノムゲ
問 に励 む べ き僧
恵 を も っ て悟 ろ う とい う気 持 ち
問 とい う こ と を しな く な っ て し ま っ て い る。 そ うい う状 態
タ カ ナ 漢 字 交 り 文 で,こ ら に 言 葉 を 継 い で,次
の書 を 認 め た の で あ る と慈 円 は述 べ る。 そ
の よ う に も述 べ る。
ム ゲ ニ 軽 々 ナ ル 事 バ 共 ノ ヲゝ ク テ,ハ
タ ト ・ム ズ ト ・キ ト ・シ ヤ ク ト ・
キ ヨ トナ ド云 事 ノ ミ ヲ ホ ク カ キ テ 侍 ル 事 ハ,和
語 ノ本 体 ニ テ ハ コ レガ 侍 ベ
キ ト ヲ ボ ユ ル ナ リ 。(中 略) 真 名 ノ 文 字 ニ ハ ス グ レ ヌ コ トバ ノ ム ゲ ニ タゞ 事 ナ ル ヤ ウ ナ ル コ トバ コ ソ, 日 本 国 ノ コ トバ ノ 本 体 ナ ル ベ ケ レ 。 ソ ノ ユ ヘ ハ,物 ヲ ホ ク コ モ リ テ 時 ノ 景 気 ヲ ア ラ ハ ス コ トハ,カ シ ラ ス ル 事 ニ 侍 ル 也。(中
ヲ イ ヒ ツゞ ク ル ニ 心 ノ
ヤ ウ ノ コ トバ ノ サ ワ サ ワ ト
略)
愚 痴 無 智 ノ 人 ニ モ 物 ノ 道 理 ヲ心 ノ ソ コ ニ シ ラ セ ン トテ,仮
名 ニ カキツクル
オ,法
ノ コ トニ ハ タゞ 心 ヲ ヱ ン カ タ ノ 真 実 ノ 要 ヲ 一 トル バ カ リ ナ リ。
(巻 第 七)
こ の 書 で は,「 ハ タ ト ・ム ズ ト ・キ ト ・シ ヤ ク ト ・キ ヨ ト」 な ど,や た らに 軽 々 しい 言 葉 を多 く用 い て い る が,そ
れ は,こ
れ らの 感 性 語(擬
態 語)が
日本
語 の 本 体 と考 え るか らで あ る。 感 性 語 は 漢 字 に は しに く く,つ ま らぬ 話 し言 葉 の よ う で は あ る が,こ うい う感 性 語 こそ 日本 語 の 本 体 な の で あ る 。そ の わ け は , そ の 時 の様 子,実 感 を は っ き りわ か らせ る の に,こ れ らの 感性 語 は す ぐれ て い る か らで あ る。 教 養 の 無 い 人 に も,物 の 「道 理 」 を 心 の 底 まで わ か らせ よ う と して,カ
タカ
ナ で 書 い た の だ が,仏 法 関係 で は理 解 す るた め に 手段 と して真 実 と い う要 だ け に しぼ っ て 書 い て い る。 慈 円 は,仮 名 遣 い に こだ わ っ て い な い。 助 詞 の 「を」 を 「オ」 と書 い て 平 気 で あ る。 驚 くこ と に,言 葉 を 「事 バ 」 と も書 い て い る。 「ヲゝ ク 」 と書 き,「 ヲ ホ ク」 と も書 く。 め ちや くち ゃ な書 き様 で あ る が,内 容 は 明 快 で あ る。 彼 は,は っ き りと書 く。 「愚 痴 無 智 」 の 人 の こ とを 考 え て,「 仮 名 」 で 書 い た の だ と。 読 み 手 の 学 力 を 考 え る と,と て も漢 文 で は書 け な い 。 ま た,連 綿 体 を駆 使 す る,く ね くね と した仮 名 の 連 続 の,だ
らだ ら文 の和 文 も無 理 だ ろ う。 そ こで カ
タ カ ナ漢 字 交 り文 に した の で あ る。 巻 四 に,慈 円 の 時 代 認 識 が 記 さ れ て い る。
保 元 元 年 七 月 二 日,鳥 羽 院 ウ セ サ セ 給 テ 後,日 本 国ハ 乱 逆 ト云 コ トハ ヲ コ リ テ後 ム サ ノ世 ニ ナ リニ ケ ル ナ リ。
保 元 元 年(1156),こ
の 年 の 7月 に 起 こ っ た 内 乱 が,保
元の乱 であ る。 この
内 乱 を 契 機 と して武 士 の 政 界 進 出 が 始 ま り,平 治 の 乱(1159)で,こ 強 め,や
(巻 第 四)
が て 平 家 政 権 が 成 立 す る。 そ して,治 承 4年(1180)に
の傾 向 を 勃 発 し た源 平
合 戦 に よ り,政 権 は完 全 に 武 士 の 手 に 移 っ て し まい,鎌 倉 幕 府 の 成 立 と い う次 第 に な る。 慈 円 の 歴 史 眼 は 透 徹 し て い る の だ 。 保 元 の 乱 以 後,「 武 者 ノ 世 」 に な っ た 。
こ の 歴 史 認 識 が 新 しい 文体 を生 み 出 した と考 え て 間 違 い な い だ ろ う。
4.危 険 な 書 物,『 愚 管 抄 』― 偽 装 工 作 と して の 言 文 一 致体― そ れ に して も,『 愚 管 抄 』 は不 思 議 な書 物 で あ る。 儒 ・老 ・仏,和 漢 に及 ぶ 該 博 な知 識,透 徹 した 歴 史 眼,論 理 展 開 の巧 み さ は, 書 き手 が 一 流 の 知 識 人 で あ る こ と を証 して い る。一 方,前 節 で 指 摘 した よ う な, 奔 放 な 仮 名 遣 い と稚 拙 な だ ら だ ら文 は 教 養 の 欠 片 も感 じ させ な い。 この 矛 盾 し た事 実 を ど う考 え るべ きな の で あ ろ うか? 歴 史 書 は,事 実 を整 理 し記 述 した もの で あ る が,そ
れ は 本 質 的 に批 判 の書 に
もな る 。 こ の こ と は,第 6章 で 紹 介 した 『史 記 』 に よっ て 証 明 され て い る。 『愚 管 抄 』 は単 な る歴 史 書 で は な く,史 論 書 で あ る。 とい う こ と は,こ の 書 物 の批 判 性 を 増 強 す る結 果 と な る。 著 者 は,「 武 者 ノ 世 」 の 由 来 を 語 り,そ の 正 当性 に 言 及 し,「 武 者 ノ世 」 の 無 教 養 振 りを 嘆 き,時 に 嘲 笑 して い る。 また,承
久 の 乱 を 企 図 して い る 後 鳥 羽 院
を諌 止 し て もい る。 鎌 倉 幕 府 側 に とっ て も後 鳥 羽 院 側 に と って も気 色 の 悪 い 書 物 な の で あ る。 こ う い う書 物 を,開 幕 間 も ない 時期,特 と幕 府 側 との 最 後 の 激 突 が あ っ た 時期,鎌
に,承
久 の 乱(1221)で,朝
廷側
倉 の 幕 府 が 京 都 の 朝 廷 側 の 動 き に神
経 を 尖 らせ て い る時 期 に は,危 険 この 上 も ない 書 物 で あ っ た に違 い ない の だ。 著 者 は こ の 危 険 を 回避 す る 必 要 が あ っ た 。そ の た め,仮 名 遣 い,文 字 遣 い で, 乱 暴 狼 籍 ぶ り を示 し,稚 拙 な だ らだ ら文 で,無 教 養 者 を偽 装 した の で あ ろ う。 こ の 時 期 は,ワ 行 の 「ヲ」 と ア行 の 「オ 」 が 混 同 さ れ て,一 音 節 が 減 少 す る と い う言 語 現 象 が 進 行 して い る時 期 な の で あ る。 社 会 も乱 れ て い たが,言
語も
濫 れ て い た。 しか し,だ か ら とい っ て,物 書 きが,一 般 人 と同 様 に濫 れ た 書 き 方 を して も よ い とい う もの で は な い。 藤 原 定 家 は こ の 濫 れ を な ん とか し よ う と,「 定 家 仮 名 遣 い 」 を考 案 して い る。 慈 円 は 定 家 と親 交 が あ っ た か ら,当 然 この こ と は 知 っ て い た はず で あ る 。 本 章 で 対 象 と して い る 『方 丈 記 』 は,第
2
節 で 言 及 した よ う に,「 定 家 仮 名 遣 い 」 に よ っ て お り,助 詞 の 「を」 を 「オ 」 と書 く よ う な,完 全 表 音 主 義 とで も評 す べ き乱 暴 は して い な い。 こ の乱 暴 振 りは 異 常 な の で あ る。 こ の異 常 さが 結 果 と して,過 激 な表 音 主 義
言 文 一 致 体 を生 み 出 して しま っ た 。 『愚 管 抄 』 の 筆 者 が 慈 円 で あ る と判 明 した の は,大
正 9年(1921)に
行 が 書 い た 「愚 管 抄 の研 究 」(『日本 史 の研 究 』 所 収)に
三浦周
よ って で あ る。 慈 円 の
偽 装 はみ ご とに 成 功 した と言 え よ う。
5.『方 丈 記 』 の 文 体― 漢 文 訓 読 文体 に係 助 詞 「な ん 」 が 混 入 す る 変 則 性― 『方 丈 記 』 の 末 尾 は次 の よ う に な って い る。
時 二,建 テ,コ
暦 ノ二 年,弥
生 ノ ヅ ゴ モ リ ゴ ロ,桑
門 ノ蓮 胤,外
山 ノ庵 ニ シ
レヲシルス。
「蓮胤 」 とは 鴨 長 明 の 法 名 で あ る 。 この 文 に よ り,筆 者,執 冒 頭 の 「ユ ク 河 ノ ナ ガ レハ,タ
エ ズ シテ,シ
気 取 り返 っ た 書 き 出 し と呼 応 して,こ
筆時期 がわ かる。
カモ モ トノ 水 ニ ア ラ ズ 」 とい う,
れ は み ご と な枝 豆 型 の 作 品 を 形 作 っ て い
る。 『方 丈 記 』 の 文 体 は基 本 的 に は 漢 文 訓 読 体 で あ り,『 愚 管 抄 』 が 時 に 呈 す る だ らだ ら文 は な く,短 文 を積 み重 ね る明 晰 な 文 章 に な っ て い る 。 しか し,漢 文 訓 読 文 と して み る と変 則 と考 え られ る文 も混 在 して い る。
① 舞 人 ヲヤ ドセ ル,カ
リヤ ヨ リ イ デ キ タ リケ ル トナ ン。
② 心 ウキ ワザ ヲ ナ ン見 侍 シ
③ 縁 ヲ結 バ シ ム ル ワザ ヲ ナ ンセ ラ レケ ル
④ 四万 二 千 三 百 アマ リナ ンア リケ ル
⑤ 又 五 カ ヘ リ ノ春 秋 ヲナ ン経 ニ ケ ル
⑥ ヲ ホ キ ナ ル ツ シ風 ヲ コ リ テ 六 条 ワ タ リマ デ フ ケ ル事 ハ ベ リキ
⑦ サ ルベ キ モ ノゝ サ トシ カナ ドゾ ウ タ ガ ヒハ ベ リ シ
⑧ 治 承 四 年 ミナ 月 ノ比 ニ ハ カ ニ ミヤ コ ウ ツ リ侍 キ
⑨ 二 年 ガ ア ヒ ダ 世 中 飢 渇 シテ アサ マ シキ事 侍 キ
⑩ 東 大 寺 ノ仏 ノ ミク シ ヲ チ ナ ドイ ミジ キ事 ドモ ハ ベ リケ レ ド… …
① ∼ ⑤ に 見 られ る係 助 詞 「ナ ン」 は漢 文 訓 読 文 で は使 用 され な い 。 ま た,② 及 び⑥ 以 下 に見 られ る 「侍 り」 も漢 文 訓 読 文 の もの で は な い 。
係 助 詞 「ナ ン」 は 強 調 の 働 き を表 す と され るが,同 内容 目当 て の 強 調 で あ る の に 対 して,こ
れ は,読
じ強調 の 係 助 詞 「ゾ」が,
み 手 目 当 て の モ ダ リ テ イを 表
す。 ま た,「 侍 り」 の 丁 寧 表 現 も読 み 手 目当 て の 表 現 で あ る か ら,『 方 丈 記』 の 文 体 が,整
っ た 言 文 一 致 体 を 心 掛 け て の もの で あ る こ との 証 拠 と な る。
鴨 長 明 は 『方 丈 記 』 に お い て,新
しい 書 き言 葉 と して の 言 文 一 致 体 を 開発 し
て し ま っ て い た とい う こ とで あ る。
■ 発展問題 (1) 『方 丈 記』 の 冒 頭 部 に は 対 句 表 現 が あ る 。 こ れ ら を抜 き 書 き し,対 句 表 現 が 多 い とい うこ との意味 につ いて 考 えてみ よう。 *第2 章 の 「仮 名 序 」 の 文 体 の 特 徴 参 照 。
(2) 「雨 ニ モ マ ケ ズ 」 に 対 句 表 現 が あ る か ど うか 確 認 し て み よ う。 あ る とす れ ば, そ れ は 何 を 意 味 す る か,他
の 賢 治 の 詩,「 春 と修 羅 」 な ど と比 較 しな が ら考
え て み よ う。
(3) 『銀 河 鉄 道 の 夜 』 に 対 句 が あ る か ど う か 調 べ て み よ う。2 の 問 題 と あ わ せ て, 文 体 の 観 点 か ら,対 句 の 意 味 に つ い て 考 え て み よ う。
(4) 『愚 管 抄 』 に も,「 ナ ン」 や 「ハ ベ リ」 が あ る か ど う か 調 べ て み よ う。
(5) 『方 丈 記 』 の 作 品 と し て の 構 成 が ど の よ う に な っ て い る か 調 べ て み よ う 。 ま た,『 池 亭 記』 の構 成 と対 比 して,ど
の よ う な こ とが 言 え る か 考 え て み よ う。
■ 参 考 文 献 1 ) 木 挽 社 編 『 宮 沢 賢治 』(「新潮 日本 文学 ア ルバ ム」 新 潮 社,1984) 2 ) 入 沢 康 夫 監 修 『 宮 沢賢治 「 銀 河 鉄 道 の 夜 」 の原 稿 の す べ て 』(宮 沢 賢 治 記 念 館 刊 行, 1997) 3 ) 青 木伶 子 編 『広 本 ・略 本 方丈 記 総索 引 』(武 蔵 野 書 院,1965) 4 ) 神 田 秀夫 校 注 ・訳 『 方 丈 記』(「新編 古 典 文学 全 集 」 小 学館,1995) 5 ) 三 木紀 人 『方 丈記 』(「新 潮 古 典 集成 」1987) 6 ) 大 曾 根 章 介 ・金 原 理 ・後 藤 昭 雄 校 注 『本 朝 文 粋 』(「新 古 典 文 学 大 系 」 岩 波 書 店, 1992)
7) 岡 見 正雄 ・赤 松俊 秀 『 愚 管 抄』(「古 典 文学 大 系 」 岩波 書 店 ,1967) 8) 小 池清 治 『日本語 は いか に つ く られ た か?』(ち
くま学 芸文 庫,筑 摩 書房 ,1995)
第 9章 『 徒 然 草 』 の文 体 は明 晰 か? 【 雅 文体 ・和 漢 混淆 体 ・漢 文 訓 読 体 】
キ ー ワ ー ド:和 文 体 ・雅 文 体 ・擬 古 文 体,和 テ イ ー シ ユ),誤
用,文
漢 混淆 体,漢
体 指 標,金
文 訓 読 体,文
体 模 写(パ
ス
閣寺型作 品
『徒 然 草 』 が 書 か れ た と推 定 さ れ る元 徳 2年(1330)の
頃 は驚天動 地 の時代
で あった。 15代,150年
ほ ど続 い た 鎌 倉 幕 府(1192?∼1333)は,文
及 び 弘 安 4年(1281)の
永11年(1274)
二 度 に わ た る元寇 に よ り,屋 台 骨 に 狂 い が 生 じ,や が
て 新 田 義 貞(1301∼1338)や
足 利 尊 氏(1305∼1358)ら
の活躍 に よって倒 さ
れ て しま う。 こ う して 成 就 した 建 武 の 中 興(1333)で (在 位1318∼1339)に 3年(1336)に
は あ る が,後
醍 醐 天皇
よ る 親 政 政 府 も,わ ず か 2年 半 で 呆 気 な く崩 壊 し,建 武
は 南 北 朝 時 代 に 突 入 す る 。 そ して,同
室 町 幕 府(1336∼1573)が
時 に,足 利 尊 氏 に よ っ て
開幕 され る。
こ の よ う に 国体 が 二 転 も 三転 もす る 動 乱 期 に,吉 は,「 つ れ づ れ な る ま ま に,日
田兼 好(1283頃
暮 ら し硯 に 向 か ひ て,心
∼1352頃)
に うつ りゆ く よ しな し
事 を,そ こ はか とな く書 きつ くれ ば,あ や しう こ そ,も の ぐる ほ しけ れ 」 と,澄 ま し返 っ て 閑 文 字 を弄 ん で い るか の よ う に見 え る の だ が,実 兼 好 は新 時 代 にふ さ わ しい,明
は そ うで は な い 。
晰 な文 体 を求 め て,文 体 改 革 戦 線 で 孤 独 な 戦
い を必 死 に 戦 っ て い た の で あ る。 『 徒 然 草 』 の 文 体 は,雅 文 体(擬
古 文 体)と
漢 文 訓 読 文 体,和
漢 混淆 体 の 三
種 類の文体 の混成作品で ある。 雅 文 体 は,和 文 体 に して は稀 有 な 切 れ 味 を 示 す 『枕 草 子 』 の 文 体 の 文 体 模 写 (パ ス テ ィー シ ユ)に
よ っ て な され よ う と して い る 。 漢 文 訓 読 体 は カ タ カ ナ 漢
字 交 り文 で 表 記 され る の が 普 通 で あ るが,兼
好 は,ひ
らが な 漢 字 交 り文 で 認 め
て い る。 彼 の 文 体 改 革 は 『枕 草 子 』 の 文 体 模 写 か ら始 め られ た の で あ る か ら, こ れ は 当 然 の帰 結 な の だ 。 文 体 の 相 違 は,伝 文 体)は
え よ う とす る メ ッセ ー ジ と密 接 に 関 連 す る。 雅 文 体(擬 古
王 朝 的 雅 の 世 界 へ の 憧 れ と 関 連 し,漢 文 訓 読 体 は仏 典 ・漢 籍 へ の 傾
倒 と関 連 し,和 漢 混淆 体 は 自在 な個 性 的 主張 とに 関 連 す る と い う具 合 で あ る。 『 徒 然 草 』 が 『枕 草 子 』 を 座 右 に 置 い て 執 筆 さ れ た もの で あ ろ う と い う こ と は,多
くの研 究 者 の 指 摘 す る と ころ で あ る。
『枕 草 子 』 と 『徒 然 草 』 は ひ らが な 漢 字 交 り文 とい う共 通 点 を有 す るが,決 定 的 相 違 が あ る 。 そ れ は,『 枕 草 子 』 が 清 少納 言 の 生 得 の 日常 語 を 基 礎 と して 書 か れ た 言 文 一 致 体 で あ る の に対 し て,『 徒 然 草 』 は 兼 好 法 師 が 意 識 して 学 び と っ た,300年
以 上 も前 の平 安 朝 の 貴 族 の,女
性 の言葉 で書 か れた点 で ある。
端 的 に 言 え ば,『 枕 草 子 』 の 文 体 は 和 文 体 で あ り,『 徒 然 草 』 の 文 体 は 雅 文体, 擬古文体 であ った。 小 林 秀 雄(1902∼1983)は
『徒 然 草 』 の 文 体 を 評 して,「 正 確 な 鋭 利 な 文
体 は稀 有 の もの だ 。」 と述 べ て い る が,こ は,和 文 の 有 す る,だ
れ は,た
ぶ ん 褒 め 過 ぎ だ ろ う。 兼 好
ら だ ら文 の 欠 点 を 克服 し よ う と した が,和
文の有 する不
透 明 さ を 克服 し き っ て い ない 。 込 み 入 っ た 思 想 を も語 り得 る,歯 切 れ の よ い,明 晰 な,ひ
らが な 漢 字 交 り文
は 漢 文 訓 読 体,和
も使 え る文 体 な の
漢 混淆 体 か ら生 まれ た 。 こ れ は,当 然,男
で あ る。 金 閣 寺 は,第
1層 平 安 朝 風 寝 殿 造 り,第 2層 和 風 仏 殿 造 り,第 3層 唐 様 禅 宗
仏 殿 造 りで あ る。 『徒 然 草 』 は 言 葉 に よ る 金 閣 寺 で あ っ た 。 兼 好 は 室 町 文 化 を 先 取 り して い る。 こ こで も,国 体 の 変 革 期 に新 しい 文 体 が 発 生 した こ とが 証 明 され た 。
1.小 林 秀 雄 「徒 然 草 」― 「あ の 正 確 な鋭 利 な 文 体 は稀 有 の もの だ 。」 は本 当 か?― 小 林 秀 雄 は 「徒 然 草 」 と い う小 品 を 昭 和17年(1942)8 偶 然 な の で あ ろ うが,小 1938)の
も と に,太
林 も,国
家 が 国 運 を懸 け て,国
平 洋 戦 争(1941∼1945)を
月 に 書 い て い る。 家 総 動 員 法(公
布,
戦 っ て い る とい う 大 騒 乱 の 最
中 に,『 徒 然 草 』 に正 対 して い た の で あ る 。 お そ ら く,彼 は意 識 して い な か っ た で あ ろ うが,こ
の よ うな 時 期 に は,誰 で も ど こ か昂 奮 して い る も の だ 。 冷 静
な批 評 家 も平 静 を保 つ こ とが 困 難 な こ と で あ っ た ろ う。 小 林 は こ う書 い て い る 。 「つ れ づ れ 」 とい ふ 言 葉 は,平 つ た が,誰
安 時 代 の 詩 人等 が 好 ん だ 言 葉 の 一 つ で あ
も兼 好 の 様 に辛 辣 な 意 味 を こ の 言 葉 に見 付 け 出 した 者 は な か つ
た 。 彼 以 後 もな い。 「徒 然 わ ぶ る 人 は,如 何 な る心 な ら む。 紛 るゝ 方 無 く, 唯 独 り在 る の み こそ よ け れ 」 兼 好 に とつ て徒 然 と は 「紛 るゝ 方 無 く,唯 独 り在 る」 幸 福 並 び に不 幸 を言 ふ の で あ る。(中 略)兼
好 は,徒 然 な る侭 に,
徒 然 草 を書 い た の で あつ て,徒 然 わ ぶ る まゝ に 書 い た の で は ない の だ か ら, 書 い た と こ ろ で 彼 の 心 が 紛 れ た わ け で は な い 。 紛 れ る ど ころ か,眼 か へ つ て,い
が冴え
よい よ物 が 見 え過 ぎ,物 が 解 り過 ぎ る辛 さ を,「 怪 し う こ そ
物 狂 ほ しけ れ」 と言 つ た の で あ る。(中 略) 文章 も比 類 の な い 名 文 で あ つ て,よ ん の見 掛 け だ け の 事 で,あ
く言 は れ る 枕 草 子 との 類 似 な ぞ もほ
の 正 確 な 鋭 利 な文 体 は 稀 有 の もの だ 。 一 見 さ う
は見 え な い の は,彼 が 名 工 だ か らで あ る。 「よ き細 工 は,少 ふ,と
い ふ 。 妙 観 が 刀 は,い
し鈍 き刀 を使
た く立 たず 」,彼 は 利 き過 ぎる 腕 と鈍 い 刀 の
必 要 と を痛 感 して ゐ る 自分 の 事 を言 つ て ゐ るの で あ る 。 物 が 見 え過 ぎ る眼 を如 何 に 御 した らい い か,こ
れ が 徒 然 草 の文 体 の 精 髄 で あ る。(中 略)
鈍 刀 を使 つ て 彫 られ た 名 作 の ほ ん の 一 例 を引 い て 置 か う。 これ は全 文 で あ る。 「因 幡 の 国 に,何 の 入 道 とか や い ふ 者 の 娘 容 美 し と聞 き て,人 数 多 言 ひ わ た りけ れ ど も,こ の 娘,唯 栗 の み 食 ひ て,更 に 米 の 類 を 食 は ざ りけ れ ば, 斯 る 異 様 の 者,人
に 見 ゆべ き に あ らず とて,親,許
さ ざ りけ り」 (四 十段)
これ は珍 談 で は な い。 徒 然 な る 心 が ど ん な に 沢 山 な事 を 感 じ,ど ん な に 沢 山 な 事 を言 はず に 我 慢 した か 。 溜 め息 が 出 る ほ ど,格 好 の い い 文 章 だ 。凄 み が あ る と評 して もい い 。 た だ し, 小 林 の 「刀 は 切 れ 過 ぎた 」 の で は な い か と思 う。 こ の 短 い 大 演 説 が 利 い た た め
か,「 『徒 然 草 』 の 文 章 は 明快 だ 」 と い う伝 説 が 生 まれ て しま っ た 。 小 林 秀 雄 の 遥 か な後 輩,橋
本 治 は,「 兼 好 法 師 の 文 章 は,よ
く 『近 代 の 日本 語 の 先 祖 』 と
い う よ う な 言 わ れ 方 を します 。 つ ま り,兼 好 法 師 の 文 章 は,現
代 人 で もそ の ま
ん ま読 め る ん で す 。」 と,絶 賛 して い る。 小 林 も橋 本 も 『徒 然 草 』 の 全 文 を読 ん で い る の だ ろ うか? な お,か つ,こ
の よ う な感 想 を 有 した とす れ ば,二
全 文 を読 ん で,
人 と も読 解 力 が な い と判 定
せ ざる を え な い 。 た と え ば,小
林 が 「名 作 」 と折 り紙 を つ け た 「四 十 段 」 に も問 題 が あ る 。
「人 数 多 言 ひ わ た れ ど も… … 」 と兼 好 は 書 い て い る が,こ
れ は 明 らか に お か し
い 。
・あ また
=① 多 く。 た くさ ん。
②(程 度 につ い て)非 常 に。 甚 だ し く。
・言 ひ わ た る =① 言 い続 け て 日 を経 過 す る。
②(男 女 の間 な ど で)長 い 間言 い 寄 る。
「あ また 」 は 個 体 や事 態 の 数 量 に 関 す る副 詞 で あ る。 一 方,「 言 い わ た る 」 の 「一 わ た る」は 動 作 の 反復 また は継 続 を 意 味 す る補 助 動 詞 で あ り,「言 ひわ た る 」 は,「 ず っ と言 い 続 け る / ず っ と言 い 寄 り続 け る」 の 意 味 な の だ 。 した が って, 「数 多 」 と 「言 ひわ た る」 は 共 存 しえ な い 。 兼 好 は 「人 数 多 言 ひ寄 れ ど も… … 」 と書 くべ きで あ っ た 。 つ い で に 言 え ば,「 妙 観 が 刀 は い た く立 た ず 。」(第229段)も
お か しい。 「腕
が 立 つ 」 と い う こ と は あ る 。 「筆 も立 つ 」。 しか し,「 刀 が 立 つ 」 と い う慣 用 句 は存 在 しな い 。 兼 好 は な に か 勘 違 い を して い る の だ ろ う。 誤 用 で あ る。 そ もそ も,序 段 の 「もの ぐる ほ しけ れ 」 に も問 題 が あ る。 言 い立 て る と切 り が な い の だが,序
段 につ い て は,次 節 に お い て 詳 述 す る 。
誤 用 の 文 体 に 及 ぼ す 影 響 は,そ
の存 在 に よ り雑 音 や 濁 りが 生 じて,文 章 の 明
晰 度 を低 くす る とい う もの で あ る。四十 段 の 文 章 に は 誤 用 が あ る 。し たが っ て, 小 林 が絶 賛 す る ほ どの 出来 で は な い 。 結 論 をあ らか じめ 述 べ て お く。 兼 好 に と って,古
典 語 は後 天 的 に習 得 した も
の で あ る。 『徒 然 草 』 の 文 体 と して の 欠 点 の す べ て は,こ
こ に 原 因 が あ る。 擬
古 文 体 の 胡 散 臭 さの 発 生 源 は,古 典 語 運 用 の 未 熟 さ に あ る。 人 は 生 得 の 言 語,
習 熟 し き った 言 語 で 書 か な い 限 り,透 明 度 の 高 い,明
晰 な 文 章 を 書 く こ とが で
き な い。 明 晰 な 文 体 を 支 え る もの の 一 つ は使 用 言 語 に つ い て の 熟 練 度 で あ る。
2.序 段 「もの ぐ るほ しけ れ 」 の 意 味 は? 『徒 然 草 』 の 代 表 的 伝 本 と して,正 (図 5),常 縁 本(図
徹 本(図
3),光 弘 本(図
6)等 が あ る。 い ず れ も,ひ
4),陽 明 文 庫 本
らが な 漢 字 交 り文 で あ る こ と
を,ま ず 確 認 して お く。 次 に,「 もの ぐ る ほ しけ れ 」 に つ い て の 解 釈 の相 違 を 検 討 す る 。 a1 西尾
實
訳 「ふ し ぎ な ほ ど,い
ろ い ろ な思 い が わ い て き て,た
で は な い よ う な 感興 を覚 え る。」
だごと
(1957)
b1冨 倉 徳 次 郎 訳 「わ れ な が ら妙 に狂 い じみ た もの が で きて ゆ くよ う に 思 わ れ る よ。」 a2臼 井 吉 見
(1960)
訳 「ま る で憑 か れ た か の よ うに,感
興 に ひ き こ まれ る の は,
わ れ な が らへ ん な気 が す る。」
(1962)
c1安 良 岡康 作 訳 「妙 に わ れ なが らば か ば か しい 気 持 が す る こ とで あ る。」 (1967)
図 3. 正徹 本
図 4. 光弘本
図 5. 陽 明 文 庫 本
図 6. 常縁 本
b2冨 倉 徳 次 郎 ・貴 志 正 造 訳 「気 違 い じみ て い る。 常 軌 を逸 して い る。」
(1975)
b3木 藤 才 蔵 訳 「妙 に気 違 い じみ た 気 持 ち が す る こ とで あ る。」
(1977)
b4桑 原 博 史
訳 「ほ ん と う に変 に常 軌 を 逸 して い る よ うに も感 じ られ る。」 (1977)
c2小 松 英 雄 訳 「変 て こで , ば か み た い な 気 分 に な っ て く る。 書 い た 自分 が あ きれ か え る よ う な,と
り とめ の な い事 柄 ば か りだ。」 (1983)
b4久 保 田
淳 訳 「奇 妙 に狂 気 じみ て い る よ。」
(1989)
d 永積安 明 訳 「 我 な が ら あや し く も,も の 狂 お しい気 持 ち が す る。」 (1995) 序 段 の キ ー ワ ー ドと も解 せ られ る 「も の ぐ る ほ しけ れ 」 の 解 釈 に つ い て,定 説 と い う も の が ない 。 少 な くと も,a 説 「感 興 を 覚 え る 」, b説 「気 違 い じみ て い る」,c説 「ば か ば か しい 」,d説 「もの 狂 お しい(頭
が 変 に な る)」 と 四通 り
の解 釈 が 成 立 し得 る とい う こ とで あ る。 これ で は,兼 好 の 真 意 が ど こ に あ っ た の か 分 か らな い 。 即 ち,序 段 の 文 章 の
明 晰 度 は きわ め て 低 い と い う こ と だ。 「小 林 秀 雄 先 生,ま
さか,序
段 は 読 ん だ の で し ょ う ね?」
と言 い た く な る 。
因 み に,小 林 の 読 み は,b 説 で あ る よ う だ。 と こ ろ で,正 解 は ど の説 な の で あ ろ うか? あ る い は こ れ ら と は 別 の 解釈 が 成 立 す る の だ ろ う か? 兼 好 が 古 典 語 を 『 枕 草 子 』 を 中 心 に 学 ん だ こ とは確 実 で あ る。 「もの ぐる ほ し」 とい う形 容 詞 が 『枕 草 子 』 で は ど うな っ て い る か を 知 る こ とが 正 解 へ の 近 道 で あ ろ う。 c 御 前 に 参 りて ま ま の啓 す れ ば,ま た 笑 ひ さ わ ぐ。 御 前 に も,「 な ど,か 物 狂 ほ しか らむ 」 と笑 はせ た まふ 。
く
(僧都 の 御 乳 母 の ま まな ど)
c 「宣 方 は 『い み じ う言 は れ に た り』 と言 ふ め る は」 と 仰 せ ら れ しこ そ, 物 狂 ほ しか りけ る 君 と こそ お ぼ え しか 。 c 「白 山 の 観 音,こ
(宰相 の 中将 斉 信)
れ 消 え させ た まふ な」 と祈 る も,物 狂 ほ し。 (職の 御 曹 司 にお は し ます 頃,西
c 夜 も起 きゐ て 言 ひ な げ け ば,聞
く人,物 狂 ほ し と笑 ふ 。
の廂 に て)
(同上)
d さ し もや あ ら ざ らむ と う ち た ゆ み た る舞 人,御 前 に召 す と聞 こ え た る に, 物 に あ た る ば か り騒 ぐ も,い と い と物 狂 ほ し。 c 昨 日は 車 一 つ に あ ま た乗 りて,二 藍 の 同 じ指 貫,あ
(な ほめ で た き事)
簾 解 きお ろ し,物 狂 ほ しき まで 見 え し君 達 の,斎 装 束 う る は し う し て,今
る は 狩 衣 な ど乱 れ て, 院 の 垣 下 に とて,日
の
日は 一 人づ つ さ う ざ う し く乗 りた る後 に,を
か
し げ な る殿 上 童 乗 せ た る も を か し。 d 牛 の鞦 の 香 の,な
ほ あ や し う,嗅
(見物 は)
ぎ知 らぬ もの な れ ど,を
狂 ほ しけ れ 。
か し きこ そ 物
(い み じ う暑 き頃)
ど うや ら,あ ま り深 刻 な状 態 を 意 味 して い る 気 配 は な い よ うだ 。 笑 い の 対 象 に な っ て い る。 c説 の 「ば か ば か しい」,d説 の 「物 狂 お しい(頭
が 変 に な る)」
が 妥 当 な説 とい う こ と に な りそ うで あ る 。 と こ ろ で,「 もの ぐる ほ し け れ 」 の 問 題 は,正 文 体 か ら くる 曖 昧 性 で は な い 。 次 に,文 う。
確 に は 語 義 の 曖 昧 性 で あ り,
体 か ら生 ず る 曖 昧 性 に つ い て述 べ よ
3.わ け の わ か らな い友 人 論 ・交 友 論 第12段 は 「友 人 論 」 「交 友 論 」 で あ る。 これ が 難 解 で あ る。 お な じ 心 な ら 1ん 人 と,し か な き 事 も,う
め や か に 物 語 し て,を
か し き こ と も,世
ら な く い ひ 慰 ま 2ん こ そ う れ し か る べ き に,さ
じ け れ ば,A つ ゆ 違 は ざ ら 3ん と 向 ひ ゐ た ら 4ん は,ひ 5ん
の は
る人 あ る ま
と りあ る こ こ ち や せ
。
た が ひ に 言 は 6ん ほ ど の 事 を ば,「 げ に 」 と 聞 くか ひ あ る も の か ら,い
さ
さ か 違 ふ 所 も あ ら 7ん 人 こ そ,「 我 は さ や は 思 ふ 」 な ど,B あ ら そ ひ に く み, c「さ る か ら は,す
,さ
ぞ 」 と も う ち 語 ら は ば,つ
れ づ れ 慰 ま 8め と 思 へ ど,げ
こ し か こ つ か た も 我 と ひ と し か ら ざ ら 9ん 人 は,大
と 言 は10ん ほ ど こ そ あ ら11め,ま 所 の あ りぬ べ き ぞ,わ
に
方 の よ しな し ご
め や か の 心 の 友 に に は,は
る か に隔 た る
び し きや 。
ひ らが な 漢 字 交 りの和 文 の 欠 点 の 一 つ が,言 文 一 致 体 の必 然 と して 露 呈 す る, 話 し言 葉 的 だ ら だ ら文 に あ る こ とは,4 章 で 詳 述 した。 第12段 は驚 くこ と に 2 文 で 構 成 され て い る。 典 型 的 だ らだ ら文 な の で あ る。 これ が,こ
の文章 の明晰
度 を著 し く低 下 させ て い る。 も う一 つ の 欠 点 は過 度 の 省 略 が な され が ち と な る こ とに あ る。 言 文 一 致 体 の 文 章 は,う
っ か りす る と,こ の 欠 点 を 含 有 して し ま う。
上 に 引 用 した 文 章 に は,少
な く見 積 も っ て も,A,B,Cの
前 に省 略 が あ る 。
こ の 省 略 が 明 晰 度 を極 端 に 落 と して い る 。 Aの 前 に は,「 あ き ら め る ほ か な い 。 しか し」 の よ うな 表 現 が,B の 前 に は, 「… … と言 っ て面 白 い の だ が,そ
れ も 度 が 過 ぎ る と」 の よ う な 表 現 が,C の 前
に は,「 しか し」 な どの 表 現 が 省 略 さ れ て い る 。 こ れ で は,ま
る で,暗
号の よ
う に な って しま う。 最 後 の 欠 点 は 同 一 語 の 反復 使 用 で あ る 。 こ の 文 章 に は,推 量,仮
定 の助動詞
「ん 」 が11回 も使 用 さ れ て い る。 仮 定 に 仮 定 を 重 ね て は何 を言 っ て い る の か わ か らな くな る の も当 然 だ 。 こ の よ う な こ と を書 い て い て は,た
しか に 「もの ぐ
る ほ し」 くな る。 兼 好 は,和 文 体 の 欠 点 を しか と 自覚 して い な か っ た よ う で あ る 。 だ か ら,小
林 の よ うに,手 放 しで,『 徒 然 草 』 の 文体 を褒 め上 げ る こ とは 間 違 い な の だ 。 しか し,こ の よ う な,だ で あ る 。 概 ね,短
らだ ら文,過
度 の 省 略,同
一 語 の 反 復 使 用 は 例外 的
文 を 重 ね る,歯 切 れ の よ い,『 枕 草 子 』 の 随 想 的 章 段 の 文 体
に 学 ん で い る。
4.滑 稽 と も,悲 惨 とも言 え る二 葉 亭 四 迷 に よ る 『 枕 草子』 の文体模写 二 葉 亭 四 迷 も 文 体 の発 達 に大 い に寄 与 し た 人 で あ る 。 そ の 彼 が 『新 編 浮 雲 』 全 3巻 を世 に 出 した後,言 文 一 致 体 に つ い て の失 敗 感,敗 北 感 に苛 まれ て い た。 この 苦 し さか ら逃 れ る た め,言 文 一 致 運 動 の 旗 頭 で あ っ た彼 が,な
ん と文語 文
を 代 表 す る 『枕 草 子 』 の文 体 に 学 ぼ う と して 文 体 模 写 に 励 む の で あ る。 滑 稽 と 言 うべ き か悲 惨 と 評 す べ きか,言 葉 を 失 う。
清 少 納 言 が 筆 つ き ま ね ん とお も ひお こ して 枕 草 紙 を と りい でゝ よ む に 言 葉 の つ"け
ざ まい とい と を か し うて ま ね や す か らず なん あ る 。 され ど本 居
の 翁 の 筆 つ き は さ し もあ らぬ に や
い と小 さ き童 の き りか ぶ ろ とい ふ か し らの つ きた り しが 紅 き 白 き糸 もて か"り
た る鞠 な ど もち て い と うれ し とお もひ が ほ に 頬 な ん どに 押 しあ て た
る い み じ う愛 け し ま して えみ た る は 愛 ら しな どい ふ は世 の 常 な り (『落 葉 の は き よせ 』 二 籠 目) こ れ は,『 枕 草 子 』 の 「うつ く し き もの 」 な ど を思 い 浮 か べ て,文 体 模 写 を 試 み た もの で あ ろ う。 『枕 草 子 』 に は 「愛 け し」 「愛 ら し」 とい う形 容 詞 が な い な ど,文 体 模 写 と して の 精 度 は 低 い の で あ る が,二
葉 亭 四 迷 が,和
文 の 典 型,
散 文 表 現 の 模 範 と して 『 枕 草 子 』 の 文 体 を 選 ん だ とい う こ と は 間違 い な い 。 ど うや ら 『 枕 草 子 』 の 文 体 は,人
に,ま ね て み よ う とい う気 を 起 こ させ る 魅 力 を
有 して い る 文 体 で あ る よ う だ。
5.『徒 然 草 』 の 雅 文 体 まず,『 徒 然 草 』 の 冒 頭 文 にあ らわ れ る単 語 が 『枕 草 子 』 で は どの よ うに 使 用 され て い る か 調 べ て み よ う。 ① つ れづ れ な る
枕 「過 ぎ に し方恋 し き もの 」 ま た,を
りか らあ は れ な り し人 の 文,つ
れづ れ な る 日,さ が し出 で た
る。
「心 ゆ く もの」
つ れ つ な る を りに,い
「頭 中 将 の す ず ろ な る そ ら言 を 聞 きて 」
二 月 の つ ご も り方,い
「五 月 の 御 精 進 の ほ ど」
一 日 よ り,雨 が ち に 曇 りす ぐす 。 つ れ づ れ な る を … …
「正 月 寺 に籠 りた る は」
つ れ づ れ な る に,傍
か る れ 。 「つ れ づ れ な る もの 」
つ れ づ れ な る も の 所 去 りた る 物 忌 。 馬 下 りぬ 双 六 。 除 目 に 司 得 ぬ
人 との 家 。 雨 う ち 降 りた る は,ま
「この 草 子 」(践 文)
こ の 草 子,目
る里 居 の ほ ど に,書
過 ぐ し も しつ ベ き所 々 もあ れ ば,よ
りほ か に こそ 洩 り出 で に け れ 。
とあ ま りむ つ ま し う もあ らぬ ま ら う ど の 来 て …
み じ う雨 降 りて つ れ づ れ な る に … …
らに 貝 を に は か に吹 き出 で た る こ そ,い
み じ う驚
い て い み じうつ れづ れ な り。
に 見 え 心 に 思 ふ 事 を,人 や は見 む と思 ひ て,つ きあ つ め た る を,あ
れづれ な
い な う人 の た め に 便 な き言 ひ
う隠 しお きた りと思 ひ し を,心
よ
② ままに 枕 「か た は らい た き も の」
に くげ な る ちご を,お
が り… …
の が心 地 の か な し きま まに,う つ く しみ か な し
③ 日暮 ら し 枕
「関 白殿,二
月 二 十 一 日に,法 興 院 の 」
講 は じ ま りて,舞
ひ な どす 。 日暮 ら し見 るに,目
④ あ や しう こ そ 枕 「五 月 ばか り,月 も な うい と暗 きに 」
あ や し う こそ あ りつ れ 。
もた ゆ く苦 し。
⑤ もの ぐる ほ しけ れ 枕 「い み じ う暑 き頃」
さや う な る に,牛 の 鰍 の 香 の,な ほ あや し う,嗅 ぎ知 らぬ もの な れ ど,
をか し う こそ もの ぐる ほ しけ れ 。
さす が,藤
原 為 世 門 下 和 歌 四 天 王 の 一 人,古
典 を 読 み こ な して い る 兼 好 で
あ る。 『枕 草 子 』 の 語 彙 を確 実 に使 用 して い る。 清 少 納 言 は践 文 にお い て,「 つ れ づ れ な る 里 居 」 の折 に,『 枕 草 子 』 を書 い た と書 い て い る。 兼 好 は,冒 頭 にお い て,「 つ れ づ れ な る ま ま に」 書 い た と書 く。 『徒 然 草 』 の 書 名 は 『枕 草 子 』 か らの 戴 き も の で あ る の だ ろ う。 次 に,第
1段 で は,清 少 納 言,そ
の 人 の名 が 出 て くる 。
法 師 ば か り羨 ま しか らぬ もの は あ ら じ。 「人 に は 木 の は しの や う に思 は る る よ」 と清 少 納 言 が 書 け る も,げ に さ る こ とぞ か し。 枕
「思 は む 子 を」
思 は む子 を 法 師 に な した ら む こ そ,心
や う に思 ひ た る こそ,い
苦 しけ れ 。 た だ木 の 端 な どの
とほ しけ れ 。
兼 好 は 『徒 然 草 』 を書 く際 に,『 枕 草 子 』 を座 右 の書 と して い た の で あ ろ う。 第19段 に は,『 枕 草 子 』 の書 名 まで 出 て くる。
ま た,野 分 の朝 こそ をか しけ れ 。 い ひ つ づ くれ ば,み 子 な どに こ と ふ りに た れ ど,お な じ事,ま
た,今
な源 氏 物 語 ・枕 草
さ ら に言 は じ と に もあ ら
ず。 ど うや ら,『 徒 然 草 』 の 一 部 は,『 枕 草 子 』 の 文 体 模 写 と判 断 して よ い。 した が っ て,表 記 方 法 は 当 然,ひ
らが な漢 字 交 り とい う こ とに な る。
た だ し,『 枕 草 子 』 と 『徒 然 草 』 との 間 に は,約300年
の歳 月 が 流 れ て い る。
こ の 間,日
本 語 は 大 き く変 化 した 。清 少 納 言 に と っ て,和 文 は 言 文 一 致 体 で あ
っ た が,兼
好 に とっ て は 言 文 一 致 体 で は なか っ た 。 『徒 然 草 』 は生 得 の 言 語 に
よ る作品 で は な く,後 天 的 に 習 得 し た 言 語 に よ る作 品 な の で あ る 。 『徒 然 草 』
の 言 語 を 古 典 語 と比 較 す る と種 々 の 問 題 が 出 て くる こ と も確 か な の で あ る 。
6.『徒 然草 』 が 擬 古 文 で あ る理 由 第 8段 に,次 の よ う な 表 現 が 出 て くる。
久 米 の 仙 人 の,物
洗 ふ 女 の 脛 を 見 て,通 失 ひ け ん は,誠
な ど の き よ ら に肥 え あ ぶ らづ き た らん は,外
に,手
の色 な らね ば,さ
足 は だへ もあ ら ん か
し。 こ の 「き よ らに 」 は 変 だ 。 『源 氏 物 語 』 で 「き よ ら」 が 使 用 され る の は,光 源氏,冷
泉 帝,朱
雀 帝,藤
壼 中宮,紫
の上 な ど超 一 流 の 美 男 美 女 に 対 して で あ
る。 光 源 氏 の お 子 で あ る夕 霧 に さえ,紫
式 部 は 二 流 の 美 を意 味 す る 「き よ げ 」
を用 い,「 き よ ら」 を 使 用 す る こ と は 控 え て い る。 そ う い う超 一 級 の 美 を 表 す のが 古 典 語 にお け る 「き よ ら」 な の で あ る か ら,「 物 洗 ふ 」 庶 民 の 女 に使 用 す る はず が ない 。 兼 好 は そ の こ と を知 らな か った よ うだ。 第16段 に は,次 の よ う な 表 現 が あ る 。
お ほ か た,も
の の 音 に は,笛
助 動 詞 「た し」 は,平
・篳篥。 常 に聞 きた きは,琵
琶 ・和 琴 。
安 時 代 後 期 に 使 わ れ 始 め た 語 で あ る 。 『枕 草 子 』 や
『源 氏 物 語 』 で あ れ ば,「 常 に 聞 か ま ほ し きは」 とあ るべ き と こ ろ で あ る。
枕 「ね た き もの 」 見 まほ しき文 な ど を,人 の 取 りて,庭
に下 りて 見 た る が,い
とわ び し
くね た く… と こ ろが,『 徒 然 草 』 で は 「ま ほ し」 を使 用 す る 一 方,「 た し」 が 多 用 され て いる。 ・あ りた き事 は,ま
こ と し き文 の道 。 作 文 。 和 歌 。 管 弦 の 道 。
(第 1段)
・わ が 食 ひ た き時,夜
中 に も暁 に も食 ひて … …
・(乗馬 や 早歌 を)い
よ い よ し た く覚 え て,嗜 み け る ほ ど に (第188段)
助 動 詞 で 言 え ば,可
(第60段)
能 の 助 動 詞 「る ・ら る」 や 過 去 ・回 想 の 助 動 詞 「き」
「け り」 の 用 法 な ど も変 な もの が あ るが,例
示 は も う十 分 で あ ろ う。 こ の よ う
な語 彙 の レベ ル の 誤 用 は罪 の 軽 い 方 で あ る。 問 題 は,古 典 語 の 要 の 一 つ,係
り
結 び の 用 法 に お い て 誤 用 が あ る こ とで あ る 。
7.『徒 然 草 』 に お け る係 り結 び の 誤 用 『徒 然 草 』 に は古 典 語 の特 徴 で あ る係 り結 び にお い て さ え も誤 用 が あ る 。 そ の誤 用 の 在 り方 は,「 ぞ 」 「な ん 」 な どの 係 助 詞 な しで連 体 形 で 結 ぶ とい う誤 用 で あ る。 次 に そ の 具 体 例 を示 す 。 ア 回想 の助 動 詞 「け り」 を 「け る」 とす る誤 用
① 「子 孫 あ らせ じと思 ふ な り」 と,侍
りけ る とか や 。
② 返 す 返 す 感 ぜ させ た ま ひ け る とそ 。
③ 感 涙 をの こ は れ け る とそ 。
④ そ の 人,古
⑤ ま こ と に,た だ 人 に は あ ら ざ りけ る とそ 。
⑥ あ へ て 凶事 な か りけ る と な ん 。
⑦ 亀 菊 に教 へ させ た ま ひ け る とそ 。
⑧ 興 あ りて,人
(第48段) (第145段)
(第178段)
(第184段)
(第206段)
(第225段) る人,北
山 太 政 入 道 殿 に 語 り申
され た りけ れ ば … … 。 ⑨ 「興 あ らん 」 とて,は
(第 6段)
き典 侍 な りけ る とか や 。
ど も思 へ りけ る と,あ
か りた ま ひ け る とぞ 。
(第231段)
(第238段)
*「 け る」 を 「け り」 とす る誤 用 もあ る 。 格 助 詞 「が 」 が あ る場 合 は 連 体 形 と な る。
・この 文,清
行 が 書 け り とい ふ 説 あ れ ど… … 。
(第173段)
イ 回 想 の 助 動 詞 「き」 を 「し」 とす る誤 用 ① そ の 人,ほ
(第32段)
どな く失 せ に け りと 聞 き侍 り し。
② か く柔 ら ぎた る 所 あ りて,そ の 益 もあ る に こ そ と覚 え 侍 り し。 (第141段) ③ を か し く覚 え し と,人
の 語 りた ま ひ け る,い
と を か し。
(第231段)
ウ 完 了 の 助 動 詞 「つ 」 を 「つ る」 とす る 誤用
① い つ よ り も,こ と に今 日 は尊 く覚 え侍 りつ る と感 じ合 へ り し返 事 に
(第125段)
エ 伝 聞 の助 動 詞 「な り」 を 「な る」 とす る誤 用
① 奥 山 に,猫
ま た とい ふ もの あ りて,人
を食ふな ると人の言 ひけ るに (第89段)
オ 補 助 動 詞 「侍 り」 を 「侍 る」 とす る 誤 用 ① 李 部 王 の 記 に侍 る とか や 。
(第132段)
② 九 の 巻 の そ こそ こ の 程 に侍 る と申 した り しか ば
(第238段)
第160段
は,兼 好 の動 詞 の終 止 形 に 関 す る意 識 を現 す 興 味 深 い 文 章 で あ る。
門 に額 か くる を,「 打 つ 」 とい ふ は よか らぬ に や 。 勘 解 由 小 路 二 品 禅 門
は,「 額 か くる 」 との た ま ひ き。 「見 物 の 桟 敷 打 つ 」 も よ か らぬ に や 。 「平 張 打 つ 」 な ど は,常 の こ とな り。 「 桟 敷 か まふ る」 な ど い ふ ベ し。 「護摩 た く」 とい ふ も わ う し。 「修 す る」 「護 摩 す る」 な どい ふ な り。 「行 法 も,法 の 字 を清 み て い ふ , わ ろ し。 濁 りて い ふ 」 と,清 閑 寺 僧 正 お ほ せ られ き。 常 に いふ 事 に,か か る 事 の み 多 し。 平 安 時 代 末 期,院
政 期(開
始,1086)頃
よ り,用 言 の 連 体 形 が 終 止 法 を獲 得
す る,連 体 形 の終 止 形 同化 とい う 言語 現 象 が 発 生 し,勢 い を増 して い く。 兼 好 の 頃 に は,こ の 現 象 が す べ て の 動 詞 に 及 ぶ とい う段 階 に 入 っ て い た こ と を上 記 の 文 章 は 語 って い る と判 断 され る。 二 重 下 線 を施 した もの は,古 典 語 と して は 連 体 形 で あ る が,兼 好 は こ れ らを 終 止 形 と意 識 して い た の だ ろ う。 彼 の 生 得 の 言 語 は,古 典 語 とは 質 の 異 な る言 語 で あ っ た とい う こ とに な る。
8.和 漢 混 渚 体 で書 か れ た段 − 和 語 と漢 文 訓 読 語 彙− 平 安 時 代,漢
文 訓 読 専 用 の語 彙,漢 文 訓 読 語 が 男 性 語 と して 日本 語 の 中 に 位
置 を 占め る よ うに な っ た 。 そ の 結 果,語 彙 は,男 女 共 用 の和 語 語 彙 と男 性 専 用
の 漢 文 訓 読 諸 彙 に 二分 され る よ うに な る。 『 徒 然 草 』 に は,和
語 と漢 文 訓 読 語 彙 が 共 存 す る 。 対 応 す る語 彙 と所 属 す る
段 と を 下 の 表 に示 す 。 和 語
多 か り
1,13,15,*19,30,80,137,140,141,142,174,240
漢 文 訓 読 語 彙 多 シ
7,9,14,*19,38,67,122,123,130,160,166
和 語
1,3,10,15,19,25,29,30,32,39,44,56,57,67,68,102, 104,105,106,107,109,116,120,124,125,128,137,139,
い と
141,142,145,150,168170,175,184,189,190,191,208, 209,221,231,236,238,240 い と ど 漢 文 訓 読 語 彙 甚 ダ
59,73 92,132,155,166
甚 ダ シ ク 107 和 語
様 に
1,14,42,51,53,56,59,60,66,70,73,81,82,84,107, 116,137,142,175,188,194,213,230,231,234
漢 文 訓 読 語 彙 如 ク73,74,77,106,166,175,183,217 *第19段
に は,「多 か り」 と い う和 文 系 の 語 彙 と 「多 シ」 と い う 漢 文 訓 読 系 の 語
彙 が 共 存 して い る 。兼 好 に は こ うい う 区 別 が で き な か っ た と い う 可 能 性 が あ る 。 漢 文訓読語彙
「多 シ 」 が 使 用 さ れ て い る 第7段
の 文 章 は,次
の よ う な もの で
あ る。 あ だ し 野 の 露 消 ゆ る 時 な く,鳥 な ら ば,い
部 山 の〓 立 ち 去 ら で の み 住 み は つ る 習 ひ
か に もの の あ は れ もな か らん 。 世 は 定 め な きこ そ い み じけ れ 。
命 あ る も の を 見 る に,人
ば か り久 し き は な し。 か げ ろ ふ の 夕 を 待 ち,夏
の 蝉 の 春 秋 を 知 ら ぬ も あ る ぞ か し。 つ くづ く と 一 年 を 暮 す ほ ど だ に も,こ よ な う の ど け し や 。 飽 か ず 惜 し と 思 は ば,千 心 地 こ そ せ め 。 住 み 果 て ぬ 世 に,み け れ ば 辱 多 し。 長 く と も,四
年 を 過 ぐす と も,一
夜 の夢 の
に くき姿 を待 ち え て 何 か はせ ん 。 命 長
十 に 足 ら ぬ ほ ど に て 死 な ん こ そ,め
やす か る
ベ けれ。 そ の ほ ど 過 ぎぬ れ ば,か ひ,夕
た ち 恥 つ る 心 も な く,人
の 陽 に 子 孫 を 愛 し て,さ
か ゆ く 末 を 見 ん ま で の 命 を あ ら ま し,ひ
す ら世 を む さ ぼ る 心 の み 深 く,も ま し き。
に 出 で 交 らは ん 事 を 思
の の あ は れ も知 ら ず な の ゆ く な ん,あ
た さ
『源 氏 物 語 』 「桐 壺 」 に も見 られ る 「命 長 け れ ば 辱 多 し」 の 成 句 の 中 で,「 多 シ」 が 使 用 され て い る。 表 現 技 法 と して は,対 句 が 3例 ほ どあ り,基 調 文 体 は 漢 文 訓 読 体 と して よ い の だが,こ 働 きか け,即
ち,モ
の 文 章 の 末 尾 に お い て,読 み 手,聞
き手 へ の
ダ リテ ィ ー を 表 す,係 助 詞 「な ん 」 に よ る係 り結 び表 現 が
用 い られ て い る。 こ れ は,和 文 専 用 の もの で,漢
文 訓 読 に お い て は,決
して 用
い られ る こ とが な か った 表現 な の で あ る。 漢 文 訓 読 文 体 を 基 調 と しな が ら,和 文 の 表 現 が 交 じ る文 体 を 和 漢 混淆 体 と い う。 『徒 然 草 』 に は,こ の 種 の 文 章 が 漢 文 訓 読 体 の も の に 匹 敵 す る ほ ど存 在 す る。 な お,『 徒 然 草 』 を代 表 す る 文 章 の 一 つ,第19段
に は,「 多 か り」 と 「多 シ」
が 共 存 し,典 型 的 和 漢 混淆 体 の 文 体 とな っ て い る。 ・す べ て
,思
ひ 捨 て が た き こ と多 し。
・と りあ つ め た る 事 は
,秋
の み ぞ 多 か る。
漢 文 訓 読 語 彙 「甚 ダ」 が 使 用 さ れ て い る 第132段 の 文 章 は,次
の よ うな もの
で あ る。 鳥 羽 の 作 道 は,鳥 元 良 親 王,元
羽殿 建 て られ て 後 の 号 に は あ らず 。 昔 よ りの 名 な り。
日の 奏 賀 の声,甚
だ 殊 勝 に して,大 極 殿 よ り鳥 羽 の 作 道 ま で
聞 こ え け る よ し,李 部 王 の 記 に侍 る とか や 。 漢 文 訓 読 体 を 基 調 と しな が ら,こ の 文 章 にお い て は,丁 寧 語 「侍 り」 が 使 用 さ れ て い る 。 こ れ も和 漢 混淆 体 で あ る 。 「侍 り」 とい う,聞 す る 配慮 を表 す 表 現,即
ち,モ
き手,読
み手に対
ダ リテ ィー に 関 す る語 は,純 粋 な 漢 文 訓 読 で は
決 して使 用 され な い。 お そ ら く,兼 好 の 日常 言 語 と して は,「 な ん 」 も 「侍 り」 も使 用 され る こ と が なか っ た もの な の で あ ろ う。 新 しい 文 体 を作 り出 す た め に,動 と推 測 す る。
9.漢 文 訓 読 体 の 文 章 最 後 に,漢 文 訓 読 体 のみ で 書 か れ た文 章 を検 討 す る。
員 さ れ た もの
あ る人,弓 射 る こ と を 習 ふ に,も ろ矢 た ば さみ て 的 に 向 ふ 。師 の い は く, 「初 心 の 人,二 つ の 矢 を 持 つ こ と な か れ。 後 の 矢 を頼 み て,は
じめ の 矢 に
等 閑 の心 あ り。 毎 度 た だ 得 失 な く,こ の 一 矢 に 定 むべ しと 思 へ 」 と い ふ 。 わ つ か に二 つ の 矢,師
の 前 に て,一 つ を お ろ か にせ ん と思 は ん や 。懈 怠 の
心,み つ か ら知 らず とい へ ど も,師 こ れ を 知 る。 こ の い ま しめ,万 事 に並 た るべ し。 道 を学 す る 人,夕 に は 朝 あ らん こ と を思 ひ,朝 に 夕 あ らん こ と を 思 ひ て, か さ ね て ね ん ご ろ に修 せ ん こ と を期 す 。い は ん や,一 刹 那 の う ち に お い て, 懈怠 の心 あ る事 を知 ら んや 。 何 ぞ,た
だ 今 の 一 念 に お い て,た
だ ちにす る
事 の甚 だ か た き。
漢 文 訓 読 系 表 現(男)
← → 和 文 系 表 現(男
女)
イハ ク
← → いふ や う
持 ツ コ トナ カ レ
← → な 持 ち そ/持
定 ムベ シ
← → 定め む
前 ニテ
← → 前で
イ へ ドモ
← → い ヘ/い
ワ タルベ シ
← → わ た らむ
学 ス ル
← → まね ぶ/ま
なぶ/な
らふ
修 セ ン
← → お さ む/な
らふ/ま
なぶ
期 ス
← → お き つ/待
ち設 く
イ ハ ンヤ ニオ イテ
← → ま して や ← → で
何 ゾ
← → い か に
タ ダチ ニ
← → す ぐ/す
ぐに
甚 ダ
← → い と/い
とど
こ の ほ か 「毎 度/得 失/懈 怠/万
事/一
つな
へ ど
刹 那 」 も勿 論 漢 文 訓 読 系 の 語 彙 で あ
る。 第92段 に は 対 句 も あ り,典 型 的 な 漢 文 訓 読 体 の 文 体 で 書 か れ た もの とい う こ とが で き る。
10.文 体 の分 布 と そ の意 味 三種 類 の 文 体 が,ど の よ うに 分 布 して い る の か 調 べ て み よ う。
雅 文 体 の 段,167段(68,4%),和 読 文 体 の 段,37段(15.2%)の
漢 混淆 文 体 の段,40段(16.4%),漢
文訓
構 成 に な っ て い る。
『徒 然 草 』 は,『 枕 草 子 』 の 文 体模 写 か ら始 め られ た が,そ れ に 終 る こ とな く, 漢 文 訓 読 体,和
漢 混淆 体 へ と筆 が 及 ん で い る 。 文 体 の 明晰 さ と い うこ と を求 め
る と,漢 文 訓 読 体 や 和 漢 混淆 体 に頼 らざ る を え な い と い うの が 兼 好 の 実 感 で あ っ た ろ う。 従 来,こ
れ ら の 文 体 は そ れ ぞ れ 別 個 に 機 能 して きた の で あ るが,『 徒 然 草 』
に お い て 融 合 し,必 要 に 応 じて,同 一 作 品 に お い て も,自 在 に 使 用 し得 る とい うこ とが 示 され た 。 室 町 幕 府 第 3代 将 軍 足 利 義 満(1358∼1408)は (鹿 苑 寺)を
応 永 4年(1397)に
金閣 寺
建 築 して い る。 こ の 建 物 の 第 1層 は 平 安 時 代 風 の 寝 殿 造 り,第 2層
は 和 風 仏 殿 造 り,第 3層 は唐 様 禅 宗 仏 殿 造 りと な っ て い る。 即 ち,和 風,和 混淆 風,中
漢
国 風 の 混 成 建 築 物 な の で あ る。
兼 好 は 義 満 が 建 て た 金 閣 寺 の60年 以 上 も前 に,言
葉 に よ る 金 閣 寺 を構 築 し
て い た 。 換 言 す る と,『 徒 然 草 』 は 金 閣 寺 型 作 品 で あ り,兼 好 は室 町 文 化 を先 取 り して い た の だ。
■ 発展問題 (1)『徒 然 草 』 第72段
は 『枕 草 子 』 の 文 体 模 写 の 雅 文 体 で あ る が,『 枕 草 子 』 で
は 絶 対 に お 目 に か か れ な い 表 現 が あ る 。 ど の 表 現 か?
ま た,こ
の よ うな表
現 が な さ れ る 理 由 は ど の よ うな もの か 考 え て み よ う 。 賤 しげ な る もの 。 居 た る あ た りに 調 度 の 多 き。 硯 に 筆 の 多 き。 持 仏 堂 に 仏 の 多 き。前 栽 に 石 ・草 木 の 多 き 。家 の 内 に子 孫 の 多 き。 人 に あ ひ て 詞 の 多 き 。 願 文 に 作 善 お ほ く書 き の せ た る 。 多 くて 見 苦 しか らぬ は,文
(2)『徒 然 草 』 第74段
車 の 文,塵
塚 の塵 。
は漢 文訓 読体 に よって 書か れ てい る。 文体 指標 とな る表現
を列 挙 して み よ う。 ま た,雅
文 体 に書 き改 め て み よ う。
蟻 の ご と くに 集 ま りて,東 西 に 急 ぎ,南 北 に 走 る 。高 き あ り,賤 し きあ り。 老 い た る あ り,若 きあ り。 行 く所 あ り,帰 る 家 あ り。 夕 に 寝 ね て,朝
に 起 く。
い と な む と こ ろ何 事 そ や 。 生 を む さぼ り,利 身 を 養 ひ,何 事 を か 待 つ 。 期 す る 処,た 速 か に して,念
を求 め て 止 む 時 な し。
だ 老 と 死 と に あ り。 そ の 来 た る 事
々 の 間 に 止 ま らず 。 こ れ を待 つ 間,何
の楽 しびか あ らん。 惑
へ る 者 は,こ れ を恐 れ ず 。名 利 に お ぼ れ,先 途 の 近 き事 を か へ りみ ね ば な り。 愚 か な る 人 は,ま
た こ れ を 悲 しぶ 。 常 住 な ら ん こ と を思 ひ て,変
化 の 理 を知
らね ば な り。
(3)『 徒 然 草 』 第125段
の 文 体 は 和 漢 混淆
であ る。 雅 文体 の文 体 指標 と漢 文訓
読 体 の 文 体 指 標 を列 挙 して み よ う。 ま た,ど
ち らか の 文 体 に統 一 す る こ と を
試 み て み よ う。
人 に お く れ て 四 十 九 日 の 仏 事 に,あ て,
み な 人,涙
る 聖 を 請 じ侍 り し に,説
を流 しけ り。 導 師 帰 りて 後,聴
こ とに 今 日 は 尊 く覚 え 侍 りつ る 」 と 感 じ合 へ り し返 事 に,あ 「何 と も候 へ,あ
法 いみ じ くし
聞 の 人 ど も,「 い つ よ り も, る 者 の い は く,
れ ほ ど唐 の 狗 に 似 候 ひ な ん 上 は 」 と言 ひ た り し に,あ
も さ め て を か しか りけ り。 さ る 導 師 の ほ め や う や は あ るべ き。
■ 参考 文献 1)『小林 秀 雄 集』(「現 代 日本文 學 大 系60」 筑 摩書 房,1969) 2)橋本 治 『これ で 古 典が よ くわ か る』(ち くま文庫,2001) 3)小松 英 雄 『 徒 然 草抜 書 解 釈 の 原 点』(三 省堂,1983) 4)山極 圭 司 『 徒 然 草 を解 く』(吉 川弘 文 館,1992) 5)西尾 實校 注 『方 丈記 徒 然草 』(「日本古 典 文学 大 系30」 岩 波 書 店,1957) 6)冨 倉 徳次 郎 編 『 徒 然 草 ・方 丈記 』(「日本古 典 鑑賞 講 座18」 角 川 書 店,1960) 7)臼 井 吉 見訳 『徒然 草 』(「古 典 日本 文 学全 集11」 筑 摩 書 房,1962) 8)安 良 岡康 作 『 徒 然 草 全 注釈 上 』(角 川書 店,1967) 9)冨 倉徳 次 郎 ・貴志 正 造編
『 方 丈 記 ・徒 然 草』(「鑑 賞 日本 古 典 文学18」1975)
10)木藤 才 蔵 校 注 『 徒 然 草』(「新 潮 日本 古典 集 成」 新 潮社,1977) 11)桑 原博 史 『 徒 然 草 の鑑 賞 と批 評 』(明 治 書 院1977) 12)久 保 田 淳校 注 『 徒 然草 』(「新 日本古 典 文学 大 系」 岩波 書 店,1989) 13)永 積 安 明校 注 ・訳 『 徒 然 草 』(「新 編 日本古 典 文 学全 集 」 小学 館,1995) 14)松 村 博 司監 修 『 枕 草 子 総 索 引 』(右 文 書 院,1967) 15)時 枝 誠 記編 『徒然 草 総 索 引 』(至 文 堂,1955)
はれ
第10章 『お くの ほそ道 』 の新 しさ を生 み 出 した もの は 何 か? 【ま だ ら文体 ・音 楽 的散 文 】
キ ー ワ ー ド:印 刷 文 化,推
敲 過 程,視
覚 的 推 敲,視
ジ ャ ンル,演
劇 ・舞 台 芸 術,演
趣 向文 芸,本
歌 取,パ
覚 的 文 体 素,文
劇 化,曽
芸 思 潮,主
我 物 ・道 成 寺 物,男
ロ デ ィ ー ・文 句 取,ま
だ ら文 体,音
要 文芸
時 ・女 時,
楽 的散文
近 世 は印 刷 文 化 の 時 代 で あ った 。 天 正19年(1591),イ (1539∼1606)は,当
エ ズ ス 会 巡 察 使 ア レ ツサ ン ドロ= ヴ ア リ ニ ヤ ー ノ 時 の 西 欧 諸 国 に 比 して 劣 る こ と の な い 識 字 率 を 誇 る 日本
で の 布 教 活 動 に お い て こそ 有 効 で あ る と判 断 し,印 刷 機 械 と鉛 活 字 一 式,印 刷 者 ヨハ ンネ ス=バ 佐 の 地 で,つ
プ テ ィ ス タ=ペ ケ 外 一 名 等 を帯 同 し,初 め は 島 原 半 島の 加 津
い で 天 草 に お い て,い わ ゆ る キ リ シ タ ン版 を 開版 させ て い る。 イ
エ ズ ス 会 は 後 に 印刷 の 地 を長 崎 に 移 し,か な 漢 字 交 りの 刊 本 や カ タ カ ナ本 を も 刊 行 し て い る。 文 禄 二 年(1593),豊
臣 秀 吉(1537∼1598,あ
る い は,1536∼1598)は
朝鮮
出 征 の 戦 利 品 と し て銅 活 字 を持 ち 帰 り,『 古 文 孝 経 』 や 『錦 繍 段 』 『勧 学 文 』 な ど を 出 版 した,い わ ゆ る慶 長 勅 版 ・元 和 勅 版 の 端 緒 を作 っ て い る。 徳 川 家 康(1542∼1616)は
政治姿 勢 を 源
頼 朝(1147∼1199)に
学 んでい
る 。 頼 朝 は 戦 乱 に荒 れ た 武士 の 心 を和 らげ る ため に,『 新 勅 撰 和 歌 集 』(1235) の 編 纂 を 企 画 し,和 歌 を奨 励 して い る。 家康 は こ れ に 習 い,世 ら,文 の 世 の 中 に す る た め に,最 初 は伏 見 版,つ
を武 の 世 の 中 か
い で 駿 河 版 と称 され る書 物 の
出 版 を 開 始 して い る 。 民 間 も こ れ に 習 い,本 阿 弥 光 悦(1558∼1637)ら
に よ る嵯 峨 本 と称 さ れ る
印 刷 物 が 『伊 勢 物 語 』 『源 氏 物 語 』 な どの 古 典 を 出 版 す る よ う に な りや が て, 寛 永 期(1624∼1644)以
後,活
字 版 か ら木 版 に よ る整 版 本 の 時 代 と な り,出
版 業 が 成 立 して,漢 籍 ・仏 典 ・古 典 等 が 大 量 に廉 価 で 供 給 さ れ る よ うに な る 。
か く して,近 世 は 印刷 文 化 の 時代 とな っ て,文 学 的 知 識 が 庶 民 に 普 及 した 。 写 本 を 中心 と した これ ま で の 文 学 享 受 か ら板 本 ・版 本 に よ る享 受 に変 化 した とい う こ とは,視 覚 的 文 体 素 が 一 変 した とい う こ と を 意 味 す る。 戦 国 時 代,安 土 桃 山時 代 を経 て,江 戸 幕 府 の 時 代 と な り,国 体 意 識 が 変 化 した 。 ま た,鎖 国 政 策 の 実 施 とい う形 で ナ シ ョナ リズ ムが 浸 透 した 。 近 世 の 文 体 変 革 も ナ シ ョナ リズ ムが もた ら し た もの で あ っ た こ とに な る。 松 尾 芭 蕉(1644∼1694)の
該 博 な 文 学 的 知 識 は,近 世 の 印 刷 文 化 に よ っ て
培 わ れ た もの で あ る 。 向 井 去 来 の 別 荘 落 柿 舎 の 一 問 で 芭 蕉 が 身 近 に 置 い た書 籍 は,「 白氏 集 ・本 朝 一 人 一 首 ・世 継 物 語 ・源 氏 物 語 ・土 佐 日記 ・松 葉 集 」(『嵯 峨 日記 』 成 稿1691,刊
行1753)で
あ っ た の だ ろ う。 芭 蕉 の 前 に は,彼
あ った 。 これ らは 恐 ら く去 来 所 持 の もの で と同 様 の 過 程 を経 て,豊 か な文 学 的 教 養 を
有 す る に至 っ た 多 くの(連 衆 ・門 人)が 存 在 した の で あ る。 芭 蕉 は この よ う な 読 者 を信 頼 して,言 語 的 空 間 で 思 い切 り遊 ぶ こ とが で きた 。 印刷 文 化 を 支 え る もの と して無 視 す る こ とが で きな い もの は 紙 で あ る。 上 質 の 紙 が 安 価 で 提 供 さ れ る こ と を前 提 と して,印 刷 文 化 は 可 能 とな る。 紙 の 生 産 は,従 来 の楮 に 加 え,室 町 時 代 に は雁 皮 を,江 戸 時 代 に は 三 唖 を原 料 とす る技 術 が 開 発 さ れ た 。 さ ら に,織
田信 長(1534∼1582)が
市 政 策 が 独 占 的,閉 鎖 的 で あ っ た製 紙 産 業 を活 性 化 させ,近
採 用 した 楽
世 に は,紙 が 米 と
と もに 諸 藩 の財 政 を支 え る もの に ま で成 長 して い る。 紙 が 潤 沢 に な っ た こ と と印 刷 文 化 の発 展 は 文 学 作 品 の 生 成 過 程 に次 の よ う な 変 革 を もた ら した もの と考 え られ る。 写 本時代 版本時代
構 想 → 思 考(内 言 化 ・推 敲)→
執 筆(外
構 想 → 思 考(内 言 化)→ 執 筆(外 → 清 書(版
言 化)→
言 化)→
定稿
推敲→ 定稿
下)→ 印 刷
写 本 時代 にお い て も,推 敲 は 当 然 な さ れ た の で あ るが,紙 の 貴 重 さの ゆ え に, 推 敲 は頭 の 中,内 言 化 の段 階 にお け る推 敲 が 中 心 で あ り,不 十 分 な もの と な り が ちであった。 潤 沢 な 紙 と印 刷 文 化 は,作 品 が 完 成 す る まで の 過 程 に,視 覚 的 推 敲 とい う過 程 を組 み 入 れ る こ と を可 能 と し,や が て 必 須 の もの と した の で あ る。
もっ と も,凡 手 が 推 敲 して も,文 章 の 質 は さほ ど向 上 し な い。 しか し,芭 蕉 の よ う に 表 現 に 命 を か け た 名 手 が 推 敲 す れ ば 文 章 は 彫 琢 さ れ 珠 玉 の もの とな る。 芭 蕉 の 職 業 は俳諧 の 宗 匠 で あ っ た 。 俳諧 の 宗 匠 は,と
り もな お さず 推 敲 の
専 門 家 で あ る とい う こ とで あ る。 印 刷 文 化 は 芭 蕉 が 活 躍 す る場 を整 えて くれ て いたので ある。 芭 蕉 は擬 古 文 を主 と して 『徒 然 草 』 よ り学 ん だ と思 わ れ るが,吉 拭 し き れ な か っ た,だ
田兼好 が払
ら だ ら文 に よ る曖 昧 性 を 芭 蕉 が 完 全 に 払 拭 し え た の は,
短 文 を重 ね る と い う漢 文 訓 読 体 を 中 心 的 文 体 とす る ほ か に,推 敲 とい う過 程 を 組 み 入 れ た こ と に よ る結 果 と考 え て 間 違 い な い だ ろ う。 文 体 史 上 の 芭 蕉 の 手柄 は,韻 文 の も の で あ っ た推 敲 の 過 程 を 散 文 に導 入 した と こ ろ に あ る。そ して,そ の 推 敲 の特 徴 は リズ ム感 を 重 視 す る とこ ろ にあ っ た 。 『お くの ほ そ道 』 は 音 楽 的 散 文 な の で あ る 。 日本 文 芸 思 潮 を観 察 す る と,そ
こ に は 時 代 の好 み と い う もの が あ り,主 要 ジ
ャ ン ル とい う も の の存 在 を確 認 し う る。古 代 は 和 歌 の 時 代,中 古 は物 語 の 時 代, 中 世 前 期(鎌
倉 時 代)は
説 話 の 時 代,中
世 は演 劇 ・舞 台 芸 術 の 時 代,近
世 後 期(室
代 は小 説 の 時 代,現
町 ・安 土桃 山時 代)か
ら近
代 は映 像 の 時 代 と い う こ と
に な る。 芭 蕉 も時 代 の 文 芸 思 潮 の 将 外 に 立 つ こ とは で きな か っ た よ うだ 。 『お くの ほ そ 道 』の 紀 行 文 と して の 新 しさ の 一 つ は 劇 仕 立 て の 紀 行 文 と い う と こ ろ に あ る 。 江 戸 か ら 白河 へ,更
に東 北 ・北 陸 か ら中 部 へ の 道 程 は演 劇 空 間 で あ り,芭 蕉 ・
曽良 同 行 二 人が 演 ず る歌 枕 巡 礼 を主 目的 と した 行 脚 劇 の 長 大 な 舞 台 で あ っ た の だ。 また,日
本 文 芸 思 潮 を男時 ・女時 の 観 点 で 通 覧 して み る と,次
の よ うにな
る。
上 代 は,開 発 期,伸 張 期 と と ら え る こ と の で き る男 時 で あ る。 古 代 国 家 ・律 令 制 国 家 の 創 設 期 で あ り,創 設 の た め の 騒 乱 が 続 い た。 文 学 的 に は,中 国 文 学 以 外 に は遺 産 と称 す べ き もの は な く,ほ た。 そ の 結 果,独
とん ど無 か ら生 み 出 さ ね ば な ら な か っ
自で オ リジ ナ ル な もの が 文 学 と して 生 産 され た 。
中 古 は,充 実 期,熟 成 期 と と らえ る こ との で き る女 時 で あ る。 遣 唐 使 の 廃 止 に よ り,和 風 文 化 の 熟 成 が う なが さ れ た 。 女 時 は教 養 主 義 の 時 代 で もあ り,オ
リ ジナ ル な もの よ り も,教 養 を 感 じさせ る もの が 尊 ば れ た 。 和 歌 の 世 界 で 言 え ば,本 歌 取 が 主 要 技 法 とな っ て い る。 中 世 は,前 期 は封 建 社 会 の 創 設 期 で あ り,後 期 は そ の 組 み 替 え期 で あ る。 元 冦や 応 仁 の乱 に象 徴 され る 騒 乱 期 で あ り,男 時 で あ る。 文 学 的 に は,今 様,絵 巻 物,説
話 文 学,戦 記 文 学,平
曲,幸 若 舞 曲,謡 曲 な どの新 しい文 学 形 態 が 開
発 さ れ,男 時 の特 徴 で あ る,オ
リ ジナ ル性 が 尊 ばれ た。
近 世 は,封 建 制 国家 の完 成 期 で あ り,充 実 期,熟
成 期 と と ら え る こ との で き
る女 時 で あ る 。 鎖 国 政 策 と260年 余 の 平 和 に よ り 日本 文 化 の 熟 成 が な され た 。 近 世 は 中 古 と 同 様 に教 養 主 義 の 時 代 で あ る。 文 芸 的 に は,前 代 まで に蓄 積 され た 文 芸 的 遺 産 に趣 向 を加 えて 成 立 す る趣 向 文 芸 の 時 代 で あ っ た。 『お くの ほ そ 道 』 は俳諧 的 趣 向 に よ って 制 作 さ れ た,典 型 的 趣 向 文 芸 で あ る。 近 代 は,明 治 維 新 よ り始 ま る近 代 国 家 の建 設 期,発 展 期 で あ り,男 時 で あ る。 台 湾 出兵(1871),日
清 戦 争,(1894∼1895),日
次 世 界 大 戦(1914∼1918),第
露 戦 争(1904∼1905),第
二 次 世 界 大 戦(1939∼1945)な
一
ど戦 争 の 連 続 で
あ っ た 。 文 学 的 に は小 説 の 時 代 で,西 欧 文 学 の 影 響 を 強 く受 け,オ
リ ジ ナ ル性
が 尊 ば れ る よ う に な っ て い る。 現 代 は 昭 和20年(1945)8月15日 して は,映 像 文 化 の 時代,60年
の 終 戦 以 後 よ り今 日 ま で で,文
芸思 潮 と
余 の 平 和 が 続 く女 時 で あ る 。 オ リ ジ ナ ル 性 を
尊 ぶ 点 は 近 代 を受 け継 い で お り,こ れ まで の 女 時 とは 趣 を異 に して い る 。 これ は,近 世 と近 代 との 間 に あ っ た 文 化 の 断 絶 とで も称 す べ き激 変 の 後 遺 症 が 癒 さ れ 切 っ て い な い た め だ ろ う。
1.『 お くの ほ そ道 』 の 推 敲(1)一 芭 蕉 は,歌
松 島 の句 が 存 在 し な い の は な ぜ か?一
枕 巡 礼 の 紀 行 文 『お くの ほ そ 道 』 の 「発 端 」 に お い て,「 松 島 の
月 先 心 に か か りて」 と記 し,こ の 旅 の 第 一 の 目的 地 を松 島 と して い る。 しか る に,そ
の 松 島 の 章 段 に は随 行 者 河 合 曽 良(1649∼1710)の
句 は あ る もの の,
肝 心 な芭 蕉 本 人 の 句 は 書 か れ て い な い 。 『お くの ほ そ 道 』 の 章段 構 成 の 特 徴 は, 肝 心 要 の 要 所 に 句 を 配 す る と こ ろ に あ る の だ が,こ
れ は,一
体 どうい うこ と
な の で あ ろ うか? 『お くの ほ そ 道 』 に は62の 句 が 配 され て い る 。 そ の う ち,曽
良 の 句 が11句,
美 濃 国 の 商 人低 耳 の 句 が 1句 含 ま れ て い る の で,芭 蕉 の句 は ち ょう ど50句 に な り作 為 性 が 感 じ られ る。 芭 蕉 に随 行 した 曽 良 は 『随 行 日記 』 の ほ か に,旅 中 に句 作 され た 発 句 な ど を 記 録 した 『 俳諧 書 留 』 を残 して い る 。 こ れ に は芭 蕉 の 旅 中 の 句 と して114句 ほ どが 記 録 さ れ て い る 。 芭 蕉 は 『お くの ほ そ 道 』 執 筆 に 際 して か な り厳 しい 選 句 作 業,推
敲 を施 した と考 えて よい 。
採 録 され て い る句 にお い て も,『 俳諧 書 留 』 と同 形 の もの は 少 な く,ほ
とん
どが 推 敲 形 と な っ て い る 。 次 に 『お くの ほ そ 道 』 の句 と これ に対 応 す る 『俳諧 書 留 』 等 の句 と を最 初 の10句 ほ ど対 比 す る こ と にす る。
『お くの ほそ道』(西 村 本)
『俳諧 書留 』等
① 草 の戸 も住 替 る代 ぞ ひ なの家
ナシ *草 の戸 もすみ か はる よや 雛 の家
(「真跡 短 冊」 等)
② 行春 や 鳥啼魚 の 目は泪
ナシ
*鮎 の子の しら魚 送 る別 哉(『泊船 集』等)
③ あ らた う と青 葉若葉 の 日の光
あ なたふ と木の 下闇 も日の光 *あ らたふ と木の 下闇 も日の光
(「 真跡 懐 紙」)
*あ な たふ と青 葉若 葉の 日の 光 (『野披 本』 等)
④ 暫 時 は滝 に籠や夏 の初
ナシ
*し ば ら くは滝 に籠や 夏の 初(『 鳥 の 道」)
⑤ 夏 山に足 駄 を拝 む首途 哉
⑥ 木啄 も庵 はや ぶ らず 夏 木立
夏 山や首 途 を拝 む高 あ しだ 木啄 も庵 は破 らず夏 木立
*木 啄 も庵 は く らはず夏 木立(『 野披 本』) ⑦ 野 を横 に馬牽 むけ よほ と と ぎす ⑧ 田一枚 植 て立去 る柳 か な
⑨ 風 流の初 や お くの 田植 うた
野 を横 に馬 牽 むけ よほ とと ぎす ナシ *水 せ きて早稲 た はぬ る柳 哉(『 野披 本』)
風流 の初 やお くの 田植歌
⑩ 世 の人 の見付 ぬ花 や軒 の栗
隠家 やめ にた たぬ花 を軒 の栗 *か くれが やめ だ たぬ花 を軒 の栗 (「 真跡 懐紙 」等)
さす が に,「 句 調 はず ん ば 舌 頭 に 千 転 せ よ」(『去 来 抄 』 「同 門評 」)と 弟子 に 教 え た 芭 蕉 で あ る 。 す さ ま じい ば か りの 推 敲 で,初
案 形 を保 つ もの は,「 野 を
横 に 」 の 句 一 句 の み で あ る。 と こ ろ で,歌 枕 の 地 で あ り,芭 蕉 の 句 が 期 待 さ れ る に もか か わ らず 『お くの ほ そ 道 』 に は句 が 記 載 され て い な い と い う章段 は松 島 の 章 段 だ け で は な い。 最 初 の 歌 枕 の 地 「室 の八 島」 や 「白河 の 関 」 で も同 様 な の で あ る。 で は,こ
れ ら の 地 にお い て 句 作 が な され な か っ た か と い う と そ うで は な く,
実 際 に は 発 句 が あ っ た。 『俳諧 書 留 』 に は,室
の 八 島 の 場 合 は5句,白
河の 関
で は1句 あ っ た が,す べ て削 除 され て い る の で あ る 。
室八 島
糸 遊 に結 つ き た る煙 哉
あ な たふ と木 の 下 暗 も 日の 光
入 か か る 日 も糸 遊 の名 残 哉
鐘 つ か ぬ 里 は 何 をか 春 の暮
入 逢 の 鐘 も き こ えず 春 の 暮 い まの 白 河 も こ えぬ
白河 関
早 苗 に も我 色 黒 き 日数 哉(初 こ れ ら と 同 様 に,実
案)
西 か 東 か 先 早 苗 に も風 の 音(改 案)
は,松 島 にお い て も芭 蕉 は 「島 々 や 千 々 に砕 け て 夏 の 海
(『蕉 翁 句 集 』)」とい う句 を作 っ て い た。 しか し,厳
しい推 敲 の 結 果,こ
れ を削
除 し て し ま っ た とい うの が 事 実 で あ っ た と い う こ と な の で あ る。 松 島 の 章 段 の ク ラ イマ ック ス は 次 の よ う に な って い る 。
松 島 や 鶴 に 身 をか れ ほ と と ぎす 予 は 口 を と ち て,眠
曽良
らん と して い ね られ ず 。 旧 庵 を わ か る る時,素
松 島 の 句 あ り。 原 安 適,松
堂,
が う ら しま の 和 歌 を 贈 ら る。 袋 を解 て こ よひ の
友 と す 。 且,杉
風 ・ 濁 子 発 句 あ り。
発 句 に は 挨 拶 句 の 側 面 が あ る 。 松 島 と い う土 地 へ の挨 拶 は 曽 良 の 「松 島 や 」 の句 で 十 分 で あ ろ う。 芭 蕉 の 「島 々や 」 の 句 で は挨 拶 句 と して は 不 十 分 だ 。 こ の句 な ら象 潟 で もい い わ け な の だ か ら。 曽 良 の 句 と,山
口 素 堂 や 原 安 適,杉
山 杉 風,中
川 濁 子 らの 漢 詩 ・和 歌 ・発
句 の存 在 の ほ の め か し とに 挟 まれ た 「予 は 口 を と ち て,眠
ら ん と し て い ね られ
ず 」 の 表 現 は,芭 蕉 が 句 作 に 悶 悶 と苦 しん だ 様 を浮 き彫 りに して い る。 あ ざや か な 悶 え 様 だ 。 これ は,「 師 の い は く,絶 景 に 向 か ふ 時 は 奪 は れ て か な は ず 。 (『 三 冊 子 』)」の 実 践 で あ ろ う。 句 が な い とい う こ とが,逆
に松 島の絶景 を保証
す る とい う表 現 な の で あ る 。 芭 蕉 は 意 識 的 に 『お くの ほそ 道 』 に お い て松 島 で の 句 を記 さ な か っ た 。 推 敲 とい う技 の 究極 の もの は削 除 とい う形 を と る。 紫 式 部 は 『源 氏 物 語 』 の 主 要 技 法 と して 省 筆 ・黙 説 法 を採 用 し た 。 こ の 省 筆 に相 当 す る も の が 芭 蕉 の 『お くの ほ そ 道 』 に お い て は 削 除 で あ っ た。
2.『お くの ほ そ道 』 の 謎 − 大 垣 が 終 焉 の 地 で あ り,か つ,大 垣 で 旅 が 終 ら ぬ不思議− 『お くの ほ そ 道 』 は 不 思 議 な 作 品 で あ る。 『お くの ほ そ 道 』 と名 付 け な が ら,実 際 の 旅 は,江 戸 よ り松 島 ・平 泉 を 目指 して 北 上 す る 旅 に と ど ま っ て い な い 。 芭 蕉 の足 は,「 お くの ほ そ 道 」 を 通 り過 ぎて,出 羽 の 象 潟 へ 向 か い,さ
ら に象 潟 よ り佐 渡 ・金 沢 ・福 井 へ と 日本 海 側 を
南 下 す る 。果 て は,中 部 地 方 の美 濃 大 垣 に至 り,こ の 地 を終 焉 の 地 と して い る 。 す な わ ち,「 お くの ほ そ 道 」 を 目指 して の 旅 で は なか っ た とい う不 思 議 で あ る 。 次 に,不 思 議 な こ と は,美 濃 大 垣 の 地 で 旅 は 終 らず,伊 勢 参 宮 へ と向 か っ て い る に も か か わ らず,『 お くの ほ そ 道 』 は こ こ 大 垣 で 大 尾 を 向 か え て し ま う こ とで あ る 。 紀 行 文 の 終 りが 旅 の 終 り と な っ て い な い 。 紀 行 文 と旅 に 明 ら か な ず れ が あ る こ と だ。 な ん と も不 思 議 で あ る。 これ らの 謎 を解 くに は,芭 蕉 に とっ て 旅 と は な ん で あ っ た の か,紀 なん で あ っ た の か とい う こ と を 考 え る必 要 が あ るだ ろ う。
行 文 とは
40歳 を 過 ぎ た 芭 蕉 は,も
の に 懸 か れ た よ う に 旅 に 出 続 け て い る。 な ぜ な の
だ ろ うか? 貞 享 元 年(1684)8
月 か ら翌 年 4月 まで の 約 九 か 月,上
方 ・更 科 へ の 旅 を し,
『野 ざ ら し紀 行 』(『甲 子 吟 行 』)を 著 して い る 。 芭 蕉41歳 か ら42歳 へ か け て の 旅で あった。 貞 享 4年(1687)8
月 に,2 泊 3日程 度 の 小 さ な 旅 を行 い,下 旬 に は 『鹿 島 紀
行 』(『鹿 島 詣 』)を 著 して い る 。 芭 蕉44歳 の こ とで あ っ た。 同 年10月 に は 江 戸 を発 ち,郷 里 伊 賀 上 野 で 越 年 し,翌 年 4月 下旬 に 入 京 す る まで 約 六 か 月 に わ た る 旅 を し,『 笈 の小 文 』 を著 して い る。 芭 蕉44歳 か ら45歳 に か け て の こ とで あ る。 貞 享 5年(1688)8
月,木
曽 路 を 巡 り,信 州 更 科 の 月 を観 賞 して,翌
年江戸
に帰 り,『 更 科 紀 行 』 を著 して い る 。 芭 蕉45歳 か ら46歳 に か け て の こ とで あ っ た。 元 禄 2年(1689)3
月,江 戸 を発 ち,東 北 ・北 陸 を経 て,8 月 下 旬,美
濃大垣
に至 る 約 五 か 月 の 旅 を して い る 。 こ の 時 の こ とを 後 に記 した もの が 『お くの ほ そ 道 』 で あ る。 芭 蕉46歳 の こ とで あ っ た 。 こ の あ と,伊 勢 参 宮 の 後,大 津 の 膳 所 に腰 を下 ろ して 『幻 住 庵 記 』 を著 し た り,京 都 嵯 峨 野 の 向 井 去 来 の 別荘 「落柿 舎 」 で 『嵯 峨 日記 』 を著 した り して, 一 年 ほ ど を過 ご し
,元 禄 4年(1691),江
元 禄 7年(1694)5
月,能
戸 に戻 り第三 次 芭 蕉 庵 に入 っ て い る。
書 家 柏 木 素 龍 に 清 書 させ た 『お くの ほ そ 道 』(素
龍 本)を 携 え 郷 里 伊 賀 上 野 へ 帰 省 し兄 半 左 衛 門 に こ れ を 贈 り,近 畿 各 地 を巡 り 大 阪 に向 か う。10月12日,大
阪 に て,「 旅 に病 ん で 夢 は枯 れ 野 をか け 巡 る」 を
辞 世 の 句 と して,客 死 して い る 。 享 年51歳 で あ っ た 。
芭 蕉 の 人 生 は きれ い に 4期 に 区切 る こ とが で き る。 第 1期 は 正 保 元 年(1644)の 28年 間 で,松
誕 生 か ら寛 文12年(1672)の
学 習 期 で あ る。 釈 迦 の 人 生 で 言 え ば,学
生 期 と称 す る こ とが で きる 。
第 2期 は,江 戸 出 府 以 後 か ら延 宝 8年(1680)に 間 で,松
江 戸 出府 ま で の
尾 金 作 ・藤 七 郎 ・ 忠 右 衛 門 ・宗 房 の 時 代 で,社 会 へ 出 る ま で の
深 川 に 退 隠 す る ま で の 8年
尾 桃 青 と号 し,俳 譜 の 宗 匠 と して 点 業 に励 ん だ 時 期 で あ る。 釈 迦 の 人
生 で 言 え ば,社 会 活 動 をす る 止 住 期,ま
た は家 住 期 で あ る 。
第 3期 は 深 川 退 隠 以 後 か ら 貞 享 元 年(1684)8 ら し紀 行 』 の 旅 に 出 る まで の 4年 間 で,俳
月 に 苗 村 千 里 を伴 っ て 『野 ざ
号 に 泊 船 堂 や 芭 蕉 を加 え た 時 期 で あ
る。 釈 迦 の 人 生 で 言 え ば,隠 棲 期 で あ る。 第 4期 は 先 に述 べ た 旅 の 連 続 の 末 に 大 阪 で 客 死 す る まで の11年 間 で,俳 風 羅 坊 な ど を加 え た 時 期 で あ る。 釈 迦 の 人 生 で 言 え ば,遊
号に
行 期で ある。
こ の よ う に して 見 る と,芭 蕉 の 旅 は 釈 迦 の生 涯 を まね て の遊 行 期 の 旅,死
を
求 め て の 旅 で あ っ た と言 え る 。 客 死 は彼 の 不 運 の結 果 で は な く,本 望 で あ っ た のだ。 『野 ざ ら し紀 行 』 にお い て,芭
蕉 は,「 野 ざ ら しを心 に 風 の しむ 身 か な 」 と行
路 病 死 を覚 悟 した 一 句 を 冒頭 に据 え,死 を 求 め て の 旅,す の 始 ま りで あ る と宣 言 して い る。 ま た,美
な わ ち,遊 行 期 の 旅
濃 大垣 の 門下 谷 木 因の も とでは ,
「死 に もせ ぬ 旅 寝 の 果 て よ秋 の暮 」 と も詠 む。 しか し,こ の深 刻 さ は 『野 ざ ら し紀 行 』 の 後 半 以 後 は 影 を 潜 め,再
浮上す る
の は 『お くの ほそ 道 』 で あ る 。 『お くの ほ そ 道 』 「発 端 」 に お い て,「 古 人 も多 く旅 に 死 せ る あ り」 と述 べ, 客 死 した杜 甫 ・李 白 ・西 行 ・宗 祇 らの 列 に連 な る 覚悟 を表 明 し,一 方,「 旅 立 ち 」 の章 段 に お い て は,「 上 野 ・谷 中 の 花 の 梢,又
い つ か は と心 ぼ そ し」 と死
へ の 不 安 を も ら し,「 草 加 」 の 章 段 で は,「 若生 て 帰 らば と,定 め な き頼 の 末 を か け」 て もい る。 こ れ ら に照 応 す る表 現 が 末 尾 の 「大 垣 」 の 章 段 の 「其 外 した し き人 々,日 夜 とぶ らひ て,蘇 生 の もの に あ ふ が ご と く」 な の で あ る。
こ こ ま で 来 て,初
め て 『お くの ほ そ 道 』 が 大垣 で 終 焉 す る 謎 が 解 け る。
大 垣 の 地 は 『野 ざ ら し紀 行 』 に お い て,「 死 に もせ ぬ 」 と存 命 の喜 び を 味 わ っ た 地 で あ っ た 。 『お くの ほ そ 道 』 に お い て も,こ の 地 は 「蘇 生 の もの に あ ふ が ご と く」の 地 で あ った の で あ る。大 垣 は,死 ぬ まで 続 け られ る遊 行 期 の 中 で, 一 応 の 区 切 りを付 け る にふ さわ しい地 で あ っ た と い うこ とな の で あ っ た 。 さ らに,遊 行 期 の 旅 の宿 命 と して,旅
は死 ぬ まで 続 け られ ね ば な ら な い。 旅
を,存 命 ・蘇 生 の 地 で 終 らせ る こ とは で きな い の だ 。 そ こ で,「 伊 勢 の 遷 宮 お
が ま ん と,又 舟 に の りて,蛤
の ふ たみ に わ か れ 行 秋 ぞ 」 とい う こ と に な る。 こ
の 表 現 は,「 旅 立 ち」 の 章 段 の 「む つ ま じ き か ぎ りは宵 よ りつ ど ひ て,舟
に乗
りて 送 る。」 に 呼 応 す る表 現 で あ る。 「伊 勢 の 遷 宮 お が ま ん と,又 舟 に の りて 」 は,旅 立 ち の 表 現 で あ り,決
して
終 焉 の 表 現 で は な い 。 『お くの ほ そ 道 』 の終 り方 は 『源 氏 物 語 』 の 終 り方 に 似 て い る。 未 完 の 完 とい う形 式 な の だ 。 紀 行 文 の 終 りと旅 の終 りの 不 一 致 は未 完 の 完 とい う形 式 に 由来 す る もの で あ っ た 。
3.『お くの ほ そ 道 』 の 推 敲(2)一
演 劇 化 を 目指 して の推 敲 一
芭 蕉 は 『笈 の 小 文 』(1691成 稿?)に
お い て,自
らの 紀 行 文 の 位 置 付 け を し
ている。
抑,道
の 日記 とい ふ もの は,紀 氏 ・長 明 ・阿 仏 の 尼 の,文
をふ る ひ 情 を
尽 く して よ り,余 は 皆 悌 似 か よ ひ て,其 糟 粕 を改 る事 あ た は ず 。 ま して 浅 智 短 才 の 筆 に及 ぶべ くも あ らず 。其 日は雨 降,昼 よ り晴 て,そ こ に松 有, か し こ に 何 と 云 川 流 れ た りな ど い ふ 事,た
れ もた れ もい ふ べ く覚 侍 れ ど
も,黄 奇 蘇 新 の た ぐひ にあ らず は云 事 な か れ 。 さ れ ど も其 所 々 の 風 景 心 に 残 り,山 館 野 亭 の くる しき愁 も,且 は は な しの 種 と な り,風 雲 の 便 り と も お も ひ な して,わ
す れ ぬ 所 々,跡 や 先 や と書 集 侍 る ぞ,猶 酔 る者 の 孟 語
に ひ と し く,い ね る人 の譫 言 す る た ぐ ひ に見 な して,人 又 妄 聴 せ よ。 「道 の 日記 」,す な わ ち 紀 行 文 と い う もの は,紀 貫 之 の 『土 佐 日記 』,鴨 明 の 『東 関 紀 行 』,阿 仏 尼 の 『十 六 夜 日記 』 に 尽 くさ れ て い る が,自
長
分 も駄 文
を承 知 の 上 で 書 く とい うの で あ る。 こ の 謙 退 の辞 に は,前 代 未 聞 の 紀 行 文 を も の す る ぞ とい う,な み な み な らぬ 意 気 込 み が 感 じられ る。 とこ ろ で,平
成 8年(1996)11月,門
稿 本 『お くの ほ そ 道 』(中 尾 本)が
人 竹 田 野 披 に伝 え られ た 芭 蕉 自筆 の 草 発 見 さ れ た 。 そ れ に は70数 箇 所 の 貼 紙 ・訂
正 が ほ ど こ され て い る。 今 日の 光 学 的 技 術 は 貼 紙 の下 の 草稿 原 稿 の 有 様 を は っ き りと らえ,補 筆 ・訂 正 の 状 況 が 明 らか に な って い る。芭 蕉 は 『お くの ほ そ 道 』 執 筆 に際 して,視 覚 的推 敲 を無 数 に 行 っ て い る の だ 。 次 に推 敲 の 実 際 を幾 つ か 見 て み よ う。
草稿 本 文 (中尾本 下書 き) ① 月 日は 百代 の過 客 に して立帰年 も又 旅 人也 ② や や 年 暮,…
…
自筆本 本文(中 尾 本)
に して 行 か ふ 年 も… …
年も 暮 … …
③ 矢立 の初 と して猶 行 道すす まず
矢立 の初 と して行 道猶
④ 早 加 と云宿 まで た ど りつ きて
早加 に た ど りて
⑤ 痩 骨 の肩 にか か りた る物
肩 にかか れ る物
推敲作業 貼 紙, 語彙 交換 行間補 入
削除, 位 置交換 抹 消, 語 彙交換 抹 消, 語 彙交換
こ れ ら は補 筆 ・訂 正 と称 す べ き もの で あ る。 次 に 発 句 に か か わ る貼 紙 の部 分 を検 討 す る。 草稿 本 文(中 尾 本下 書)
自筆 本本 文(中 尾 本)
推敲作 業
⑥ 芦野 の里 に清 水流 るるの柳 有 田 の畔 に残 る此所 の 郡守常 に か た りきこえ給 ふ をいつ くの程 にや とお もひ侍 しに けふ この柳 の か けに こそ立 寄侍 つ れ
又清 水流 るる柳 は芦 野の 里 貼紙 にあ りて,田 の畔 に残 る此 全面改訂 所 の郡守 故戸 部某 の此 柳 見 せ ばや な ど折 々 にの給 ひ き こえ給 ふ を… …立 寄侍 つ れ
⑦ 水 せ きて早稲 た はぬ る柳 陰
田一桝植 て立 去柳 か な
貼 紙, 改作
⑧ 目にた たぬ花 を頼 に軒 の栗
世の 人の見 付 ぬ花 や軒 の栗 貼 紙, 改作
⑨ 笠 嶋 はいつ こ さつ きの ぬか り道 又 狂歌 して曽 良 に 戯ふる 旧あ との いか に降 け む五 月雨 の 名 に もあ る哉 みの わ笠 しま
貼紙, 笠 嶋 はいつ こさ月 のぬ か り 本 文削 除 道 岩 沼宿
⑩ 塚 も う こ け 我 泣 声 は 秋 の 風 い また残暑 は なは た な りしに旅の
貼紙, 塚 もうごけ我 泣声 は秋 の風 本文 削除
こ こ ろ を い … …
⑪ 露清 し遊行 の もて る砂 の上
月 清 し遊 行 の もて る砂 の 上 貼紙, 語彙 交換
⑥ に お い て は,「 見 せ ば や 」 の 直 接 話 法 が 際 立 つ 。 後 述 す る 『お くの ほ そ 道 』
の演 劇 化 に役 立 っ て い る。 なお,草 給 ふ 」 と 改 め て い るが,古
稿 本 文 の 「き こ え給 ふ」 を 「の 給 ひ き こ え
典 語 と して は,両 方 と も誤 りで あ る 。 「き こ え」 は
謙 譲 語 で あ る か ら,こ の 表 現 で は,芭
蕉 自 ら を尊 敬 した こ と に な っ て し ま う。
因 み に,『 お くの ほ そ 道 』 に は古 典 語 と して は 誤 用 とみ な さ れ る もの が す く な くな い。 ⑦ の 「水 せ き て … … 」 は叙 景 の 句 で あ るが,「 田一 枚 」 に は,早
乙女 に せ よ,
芭 蕉 にせ よ,い ず れ に して も人 物 が 描 か れ る こ とに な る 。 こ れ も演 劇 化 に役 立 つ もの で あ る 。 ⑧ も 「世 の 人 」 と 人物 を言 語 化 す る こ とで 演 劇 化 して い る 。 ⑨ ⑩ の本 文 削 除 は,表 現 の 単 純 化,明
快 化 を 図 っ た も の で あ ろ う。
⑪ は 露 で は な く,そ れ に映 っ た 月 に焦 点 をあ て,神 域 の 輝 きを 放 つ 清 浄 感 を 強 調 した もの と して い る。
芭 蕉 は,第 1節 に お い て検 討 した よ う に,発 句 に お い て念 入 りな推 敲 を した 。 こ れ と同 様,あ
る い は そ れ 以 上 に徹 底 して散 文 につ い て も推 敲 して い る とい う
こ とが 了 解 さ れ た こ と と 思 う 。 そ し て,そ
の 推 敲 の 目指 す 主 た る 方 向 は,叙
景 ・叙 事 か ら演 劇 化 へ と い う もの で あ っ た 。
4.『お くの ほ そ道 』 の 演 劇 的 要 素 い わ ゆ る 「曽我 物 」 「道 成 寺 物 」 と呼 ばれ て い る 演 芸 ジ ャ ンル に よ り,時 代 の 好 み,好
尚 と い う もの を確 認 して み よ う。 曽我 物
道成 寺物 作 品 名
曽我物 語
軍記物 語
大 日本 国 法華験 記 今 昔物語 集 道成寺絵 巻
元服 曽我 小袖 曽我 十 番斬 和 田宴
能 能 幸 若舞 幸 若舞
道 成寺
世 期 中前
時代 作 品名
世期 中 後
近世 根源 曽我 物語
防浄瑠璃
定家
ジヤ ン ル
話話 巻 説説 絵
ジ ヤ ン ル
古浄瑠璃
能
夜 討 曽我 世 継 曽我 曽我 会稽 山 曽我 十番斬 兵根 源 曽我 傾 城嵐 曽我
古浄瑠 璃 三 世道 成寺 歌 舞伎(1701) 近松 用 明天 皇職 人鑑 近 松(1705) 近松 傾城 道 成寺 歌 舞伎(1731) 歌 舞伎(1655) 道成 寺 現在 蛇鱗 歌 舞伎(1742) 歌 舞伎(1697) 百千 鳥 娘道 成寺 舞踊(1744) 歌 舞伎(1708) 京鹿 子娘 道成 寺 舞踊(1753)
松 尾 芭 蕉 が 江 戸 で 俳 譜 の 宗 匠 と して 活 動 を始 め た 時 期 は,浄 瑠 璃 ・歌 舞 伎 が 隆 盛 を迎 え よ う と して い た 時 期 で あ っ た こ と が わ か る 。 「流 行 」 は 明 らか に, 演 劇 ・舞 台 芸 術 に 向 か っ て い た の で あ る。 河 合 曽 良 『俳 譜 書 留 』 の 「那須 野 」 の 項 は 次 の よ うに 書 か れ て い る。 み ち の く一 見 の 桑 門,同
行 二 人,な
す の 篠 原 を尋 て,猶,殺
ん と急 侍 る ほ ど に,あ め 降 り出 け れ ば,先,此 落 くる や た か くの宿 の 時 鳥 木 の 問 を の ぞ く短 夜 の 雨
生 石み
処 に と ど ま り候
翁 曽良
「一 見 の 桑 門 」 「急 侍 る ほ ど に」 「と ど ま り候 」 な どの 表 現 は,謡
曲の文体 で
あ る。 『お くの ほ そ 道 』 「草 加 」 の 章段 の 前 半 の 文 章 は次 の よ う な もの で あ る。 こ と し,元 禄 二 とせ に や,奥
羽 長 途 の 行 脚 只 か りそ め に 思 ひ た ち て,
呉 天 に 白髪 の恨 を重 ぬ といへ 共,耳 ら ば と,定 な き頼 の 末 をか け,其
に ふ れ て い まだ 見 ぬ さか ひ,若 生 て 帰
日 漸 早 加 と云 宿 に た ど り着 に け り。
「行 脚 」 「思 ひ た ち て 」 「い まだ 見 ぬ 」 「た ど り着 に け り」 な どの 表 現 は,謡 曲 での常套的表現 で ある。 特 に 「た ど り着 に け り」 と い う表 現 が,「 早 加 と云 宿 ま で た ど りつ きて 」(中 尾 本 下 書 き)「 早 加 に た ど りて」(中 尾 本 本 文)と
い う推 敲 過 程 を経 て の もの で
あ る と判 明 して み る と,芭 蕉 が 謡 曲の 文体 を間 違 い な く 目指 して い た とわ か る の で あ る。 『お くの ほ そ 道 』 に は謡 曲 の 詞 章 を彷 彿 と させ る もの が 多 い 。 典 拠 と 考 え う る 曲 目 を挙 げ る と次 の よ う に多 くを 数 え る。 忠 度 ・鵜 飼 ・ 錦 木 ・八 嶋 ・賀 茂 ・松 風 村 雨 ・ 融
・船 橋
・弓 八 幡 ・殺 生
石 ・西 行 桜 ・遊 行 柳 ・黒 塚(安
達 原)・ 錦 戸 ・江 口 ・田 村
芭 蕉 が,『 お くの ほ そ 道 』 に 謡 曲 ・能 の雰 囲 気 を取 り込 も う と した こ とは 明 白 で あ ろ う。
5.『お くの ほ そ道 』 冒頭 文− 李 白 「春夜 宴 桃 李 園 序 」 の パ ロ デ ィ ー か らの 脱却− 近 世 は 女 時 で あ っ た 。 女 時 は 教 養 主 義 の 時 代 で,オ
リ ジナ ル な も の よ り,読
者 の文 芸 的 教 養 を前 提 と した趣 向 文 学 が 好 まれ た。 読 者 は 原 典 との 差 異 を計 量 し,作 者 の 筆 の 冴 え を 楽 しん だ の で あ る。 近 世 文 学 最 初 期 の作 品,『 尤
草 紙 』(寛 永 九 年,1632)は
『枕 草 子 』 の パ ロ
デ ィー で あ る。 た と え ば,次 の よ うに 書 か れ て い る。
短 き物 の 品 々
狸 々 の うた ひ 。 さ る 舞 。 上 手 の 談 義 。 い と ま状 。 猫 の 面 。 うづ らの 尾 。
ち や ぼ の 脚 。 夏 の 夜 。 冬 の 日。 電 光 。 朝 露 。
また,『 伊 勢 物 語 』 の 逐 語 的 パ ロ デ ィ ー で あ る 『仁 勢 物 語 』(寛 永 十 六 年, 1639頃)は
次 の よ うに 書 き始 め られ て い る。
を か し き男,頬 の 里 に,い
被 り して,奈
と な ま ぐさ き魚,腹
良 の 京 春 日の 里 へ,酒
飲 み に 行 きた り。 そ
赤 とい ふ あ りけ り。 この 男,買
うてみ にけ
り。 [昔,男,初
冠 して,奈 良 の 京 春 日 の里 に,し
り。 そ の里 に,い て け り。]
る よ し して,狩
りに い にけ
とな まめ い た る女 は らか ら住 み け り。 この 男,か
い ま見
(『伊 勢 物 語 』 「序 段 」)
芭 蕉 が 最 も愛 用 した 俳 号 の 一 つ は 「 桃 青 」 で あ る。 「桃 」 は 李 白 の 「李 」(ス モ モ)に 対 応 し,「 青 」 は 李 白の 「白」(シ ロ)に 対 応 した もの で あ る こ とは , 周 知 の 事 実 で あ る。 芭 蕉 は李 白 に心 酔 して い た 。 か くて,畢 生 の 紀 行 文 『お く の ほ そ 道 』 の 冒 頭 文 は李 白の 詩 文 の 文 句 を と る こ とに よ り始 め ら れ る 。 月 日は 百代 の 過 客 に して,行 か ふ 年 も又 旅 人 也 。舟 の 上 に 生 涯 を う かべ,
馬 の ロ と ら えて 老 を む か ふ る物 は,日
々旅 に して 旅 を 栖 とす 。 古 人 も多 く
旅 に 死 せ る あ り。 予 もい つ れ の年 よ りか,片 ひ や まず 。
雲 の 風 に さそ はれ て 漂 泊 の 思 (『お くの ほ そ 道 』 「発 端 」)
夫 天 地 者 万 物 之 逆 旅,光 乗 燭 夜 遊,良
陰 者 百 代 之 過 客,而
浮世若 夢。為歓幾何 。古 人
有 以 也 。 況 陽 春 召 我 以 煙 景,大 塊 仮 我 以 文 章 。
(李 白 「春 夜 宴 桃 李 園序 」,『古 文 真 宝 後 集 』)
『古 文 真 宝 集 』 は近 世 の 文 人 が 愛 読 した 漢 詩 集 で あ っ た か ら,「 万 物 の 逆 旅 」 は芭 蕉 の 専 用 で は な か っ た。 さ れ ば 天 地 は 万 物 の逆 旅,光 陰 は百 代 の 過 客,浮 世 は 夢 目覚(ま ぼ ろ し) とい ふ 。 時 の 問 の煙,死
す れ ば何 ぞ,金 銀,瓦
に は 立 ち が た し。 しか り とい へ ど も,残
石 に は お とれ り。 黄 泉 の 用
して子 孫 の た め とは な りぬ 。
(井原 西 鶴 『日本 永 代 蔵 』 一 ノ一)
そ れ 天 地 は万 物 の逆 旅 光 陰 は百 代 の 過 客,愛 また 我 夢 の 覚 め ぎ は,定 つ て 百 日也 。 天 地 は 万 物 の 逆 旅,光
と こ ろ で,パ
を
(井 原 西 鶴 『新 可 笑 記 』 二 ノ六)
陰 は 百代 の 過 客,予
駅 に生 れ 出 で し。
の か りか ね の 枕 の夢,な
も其 独 に か まへ て,虚 無 の 外
(大淀 三 千 風 『日本 行 脚 文 集 』 三)
ロ デ ィー は も と よ り,原 典 が あ っ て 成 立 す る もの で あ るか ら,
自 立 性 は な く,ま た 知 的 作 業 が 中心 で あ る た め,感
心 させ る こ と は で き る が,
感 動 させ る こ と は不 可 能 に 近 い と い う限 界 が あ る 。 芭 蕉 は こ う い う パ ロデ ィー の 限 界,危
う さ に気 付 い て い た 。
井 原 西 鶴(1642∼1693)や 物 の 逆 旅,光
大 淀 三 千 風(1639∼1707)の
も の は 「天 地 は万
陰 は百 代 の 過 客 」 と対 句 の 形 で書 い て い る た め に,完 全 に 李 白 の
詩 句 の 引 用 とな って し まっ て い る。 また,西 鶴 の 場 合 は刹 那 主 義,享
楽主義 に
繋 が る表 現 に な って お り,意 味 的 に も李 白 の そ れ に一 致 し,パ ロ デ ィー ・文 句 取 で あ る こ とは 紛 れ よ う が な い 。 と こ ろ が,芭
蕉 の 場 合 は,「 天 地 」 を 「月 日」 と書 き換 え,後
年 も又 旅 人也 」 と書 き換 え て しま っ た た め に,李
半 は 「行 か ふ
白の 詩 句 とは 異 な っ た もの に
な っ て い る。 意 味 的 に も,刹 那 主 義 ・享 楽 主 義 と は正 反 対 の 悟 りの 境 地 を表 す
表 現 に変 質 して い る の だ。 『お くの ほ そ 道 』 冒 頭 の 表 現 は,李
白 の 詩 句 に よ りな が ら も,パ
ロ デ ィー で
は な く,自 己 の 思 想 を述 べ る た め の 道 具 だ て で あ り,芭 蕉 独 自の 表 現 に な っ て い るの で あ る 。 西 鶴 ・三 千 風 は 文 学 知 識 を ひ け らか す もの ,衒 学 的 匂 い が 感 じ られ る が,芭
蕉 の もの は 格 調 の 高 さ こそ 感 じ られ る も の の,衒 学 的 匂 い は 感 じ
られ な い 。 言 い換 え る と,西 鶴 ・三 千 風 の 表 現 は 李 白の 詩 句 に つ い て の 知 識 を 読 者 に期 待 す る もの で あ る の に 対 して,芭 蕉 の 表 現 は 李 白 の 詩 句 を知 らな く と も よい と い う性 質 の もの で あ る とい う こ と なの だ 。 そ の 結 果 ,『 お くの ほ そ 道 』 の 表 現 は パ ロデ ィー が 宿 命 的 に も っ て し ま う付 属 性 か ら解 放 され ,自 立 的 表 現 に な っ ているので ある。 『お くの ほ そ 道 』 に は 由 緒 あ る 表 現 が 無 数 に あ る が,基 「月 日は 百 代 の 過 客 」 と 同 様 に,必 ず 変 形 が 加 え られ,芭
本 的 に は冒頭 部 の 蕉 の 内側 か ら湧 き 出
た もの と して 使 用 され て い る の で あ り,パ ロデ ィ ー ・文 句 取 の 危 う さ ・俗 っ ぽ さか ら逃 れ て い る。 『去 来 抄 』 「故 実 」 に は,次 の よ う な表 現 が あ る 。
先 師 日,「 世 上,俳諧
の 文 章 を見 る に,或 は 漢 文 を 仮 名 に 和 らげ,或
歌 の 文 章 に漢 章 を入,詞
日の さか し き く ま ぐ ま迄 探 り求 め,西
文 章 は慥 に 作 意 をた て,文 字 は譬 ひ漢 章 を か る と も,な だ らか に 言 つ づ け,
事 は鄙 裕 の 上 に 及 ぶ と も懐 か し くい ひ と るべ し」 と也 。
あ し 〈賤 くい ひ な し,或
は和
人 情 を い ふ と て も,今
鶴 が 浅 ま し く下 れ る 姿 あ り。 我 徒 の
芭 蕉 は た とえ 詞 句 を 漢 詩 か ら とっ た と して も,書 き方 に よ っ て は,そ
れがか
え っ て優 雅 さ を損 な うこ と に な る と述 べ,西 鶴 の 文 章 を批 判 して い る。 パ ロ デ ィー ・文 句 取 の危 う さ を 指摘 して い る の で あ る。 肝 心 な こ とは,漢
詩の詩句 を
使 用 した と して も内 側 か ら湧 き出 た よ うに 自然 に書 き出 す こ と,卑 俗 な こ と で も露 骨 さ を 避 け て奥 ゆ か し く書 く こ と な の だ と 諭 して い る 。 『お くの ほ そ 道 』 の 文 体 は意 識 的 に磨 きが か け られ て い る と い う こ とだ 。
6.『 お くの ほ そ道 』 の 「ま だ ら 文体 」 − 音 の 詩 人 芭 蕉,リ
ズ ミカ ル な 音 楽
的散文− 芭 蕉 は,発 句 の 中 に 漢 語 を組 み 入 れ る こ と に よ っ て,新 風 を打 ち 立 て た 詩 人 で あ っ た。 彼 は,散
文 に お い て も,和 文 調 の 中 に漢 語,対
句 を取 り入 れ,漢
文
訓 読 体 の な か に,和 語 や 和 文 的 表 現 を取 り込 ん で い る 。 そ の 結 果,『 お くの ほ そ 道 』 の 文 体 は和 文 調 と漢 文 調 が ま だ ら模 様 の よ う に な っ て い る。 名 文 中 の名 文 と され る,次 の 文 章 な ど も同 様 で あ る。
[松 島]
抑 こ とふ りに た れ ど,
和 文調
松 島 は扶 桑 第 一 の 好 風 に して,… 欹もの は 天 を指,ふ
…
漢 文調
す もの は波 に 圃閭
漢 文調
あ るは
和 文 調
二 重 にか さ な り,三 重 に た た み て,左 [平 泉
に わ か れ,右 に つ ら な る。 漢 文 調
高館]
三代 の 栄 耀 一 睡 の 中 に して,大 門 の 跡 は 一 里 こ な た に 有 。
漢 文調
秀 衡 が 跡 は 田野 に成 て,金 鶏 山 の み 形 を残 す 。
漢 文調
先 高 館 にの ぼ れ ば,北 上 川,南
漢文調
部 よ り流 る る 大 河 也 。
衣 川 は和 泉 が 城 をめ ぐ りて,高 館 の 下 に て 大 河 に 落 入 。
漢文調
康 衡 が 旧 跡 は,衣 が 関 を隔 て南 部 口 を さ し堅 め,夷
漢文調
をふ せ
ぐ とみ えた り 偖も義 臣 す ぐつ て此 城 に こ も り,功 名 一 時 の 叢 と な る。
漢文調
「国 破 れ て 山 河 あ り,城 春 に して 草 青 み た り」 と
漢文調
笠 打 敷 て,時 の うつ る まで 泪 を落 し侍 りぬ 。
和 文調
夏草や兵 どもが夢 の跡 卯 の花 に兼房み ゆ る白毛 かな 芭 蕉 の 関 心 は,実
は,和 文 調,漢
曽良
文 調 に は な か った 。 彼 が 最 も注 意 を払 っ た
のは音感 であった。 『お くの ほ そ 道 』 の 文 体 を 特 徴 付 け る最 大 の もの は,詞 句 の 長 短 の 配 置 の 妙 で あ る。 芭 蕉 は 「音 の 詩 人 」 と も称 さ れ,聴 覚 の 優 秀 さを 示 す 佳 句 が 多 い 。
夜竊 に 虫 は 月 下 の 栗 を穿 つ
(『東 日記 』)
芭 蕉 野 分 して盥 に雨 を 聞 く夜 か な
櫓 の 声 波 を うつ て腸 氷 る夜 や な み だ (『武 蔵 曲 』)
古 池 や 蛙 飛 び 込 む水 の音
ほ ろ ほ ろ と山 吹 ち る か 滝 の 音
(『武 蔵 曲 』)
(『春 の 日』) (『笈 の小 文 』)
芭 蕉 は研 ぎ澄 ま さ れ た 音 感 で 『お くの ほ そ 道 』 の 散 文 の 長 短 の リ ズ ム を刻 ん で い る。
月 日は 百 代 の 過 客 に して,行 か ふ 年 も 又 旅 人 也 。 4
5
6
舟 の上 に 生 涯 を うか べ,馬 6
8
7
8
の 口 を と ら え て 老 を む か ふ る物 は, 10
10
日 々旅 に し て, 旅 を栖 とす 。 7
8
『源 氏 物 語 』 も音 読 され る こ と を前 提 して 執 筆 さ れ て い た 。 『お くの ほ そ 道 』 も全 く同 様 に 音 読 され る こ と を前 提 と して して い る,リ ズ ミ カ ル な 音 楽 的 散 文 な の で あ る。 芭 蕉 の 推 敲 は,散 文 に お い て も 「舌 頭 に千 転 」 す る こ とで あ っ た 。
■ 発展問 題
(1)次 の各 作 品の 出発 点 と帰 着点 を確 認 し,『お くのほそ 道』 と比較 してみ よう。 a 土佐 日記
b 更級 日記
c 東 関紀 行
d 十 六夜 日記
e 東 海道 中膝栗 毛
(2)芭 蕉 自 筆 本 と さ れ る 中 尾 本 の 冒 頭 部 分 で あ る 。 次 の 諸 点 につ い て 活 字 と比 較
a 漢 字 に つ い て
し どの よ う な こ と が 言 え る か , 考 え て み よ う 。
b 仮 名 につ い て
c 符 号 に つ い て
月 日 は 百 代 の過 客 に し て行 か ふ
年 も 又 旅 人 也 舟 の上 に生 涯 を う か へ馬 の 口 と ら へて老 を む
か ふ る も の は 日 々旅 に し て
旅を栖 とす古人も多 く旅 に 死 せ る あ り い つれ の年 よ り か
片 雲 の風 に さ そ は れ て漂 泊
の おも ひ や ま す 海 浜 にさ す ら へ て去 年 の秋 江 上 破 屋 に
蜘 の古 巣 を は ら ひ て やゝ
年 も 暮 春 改 れ は霞 の空 に 白 川 の関 こえ む と そ ・う か み
の物 に 付 て こ ・ろ を く る は せ
図7. 『奥 の 細 道 』
■ 参考 文献 1)彌吉 光 長 『江 戸時 代 の 出版 と人』(「彌 吉 光 長著 作 集 3」 日外 ア ソ シエ ー ツ,1980) 2)長 友 千 代 治 『近世 の 読 書』(「日本 書 誌 学学 大 系 」 青 裳堂 書 店,1987) 3)長 友 千 代 治 『 江 戸 時代 の書 物 と読 書 』(東 京 堂 出 版,2001) 4)中 嶋 隆 「板 本 時 代 の く 写 本 〉 とは 何 か」(「國 文 學 解 釈 と教 材 の研 究 」42巻11号, 1997) 5)山 本 和 『 紙 の 話』(木 耳 社,1977) 6)堀 信 夫 「俳 文 集 と しての 『お くの ほ そ 道 』」(「國 文學 解 釈 と教 材 の 研 究 」34巻 6号, 1989) 7)目 崎徳 衛 「 紀 氏 ・長 明 ・阿の 尼 を め ぐって一 紀 行 文 学 の 先躍 一 」(同 上) 8)伊 藤博 之 「 古 典 と芭 蕉 一 『お くの ほ そ道 』 をめ ぐっ て一 」(「国 文学 解釈 と鑑 賞 」58巻5 号,1993) 9)山下 一 海 「『お くの ほ そ道 』一 文芸 と人生 一 」(同 上) 10)上 野 洋 三 「芭 蕉 自 筆 本 「奥 の 細 道 」 考 」(「国 文 学 解 釈 と鑑 賞 」63巻 5号,至
文 堂,
1998) 11)山 下 一 海 「 旅 の 詩 人芭 蕉 」(同 上) 12)麻 生 磯 次 訳注 『現代 語 訳 対照 奥 の細 道 他 四編 』(旺 文 社 文庫,1970) 13)萩 原 恭 男校 注 『芭 蕉お くの ほ そ道 付 曽良 旅 日記 奥 細 道 菅菰 抄 』(岩 波 文庫,1979) 14)久 富 哲 雄 『 お くの ほそ 道 全 訳 注 』(講 談 社 学術 文庫,1980) 15)堀 切 実 『お くの ほ そ道 一 永 遠 の 文 学空 間一 』(「NHK文
化 セ ミナー ・江 戸 文 芸 を読 む」
日本放 送 出版 協 会,1996) 16)堀 切 実 『俳 道一 芭 蕉 か ら芭 蕉 へ一 』(富 士 見書 房,1990) 17)堀 切 実 編 『「お くの ほ そ道 」解 釈 事 典一 諸説 一 覧一 』(東 京 堂 出版,2003) 18)尾 形 仇 『お くのほ そ 道評 釈 』(「日本 古 典評 釈 全注 釈叢 書 」 角 川書 店,2001) 19)杉 浦 正 一 郎 ・宮 本 三郎 ・荻 野清 校 注 『芭 蕉文 集 』(「日本 古 典 文 学大 系 」 岩波 書 店,1959) 20)白 石 悌 三 ・上 野 洋 三 『 芭 蕉 七 部集 」(「新 日本 古 典 文学 大 系 」 岩 波書 店,1990) 21)上 野 洋 三 ・櫻 井 武 次郎 編 『芭蕉 自筆 奥 の 細 道 』(岩 波 書 店,1997) 22)寿 岳 文 章 「 か み 」(『國 史 大僻 典 3』 吉川 弘 文 館,1983) 23)服 部 幸 雄 「 そ が もの」(『國 史大 僻 典 8』 吉 川 弘文 館,1987) 24)服 部幸 雄 「ど う じ ょう じ もの 」(『國史 大 辞典10』 吉 川 弘 文館,1989)
第11章 二 葉亭 四迷 著 『 新 編 浮雲 』 は言 文 一 致 か? 【 言 文一致体 】
キ ー ワ ー ド:言 文 一 致 体,言
文 一 致 運 動,枕
書 き言 葉 体 思 弁 癖,心
二 葉 亭 四 迷(1864∼1909)が
詞,商
理 小 説,三
品 と して の 作 品,欧
角 関 係,金
文 脈,新
銭 関係
『新 編 浮 雲 』 を 書 く こ と に よ っ て,言
致 体 の 生 み の 親 と な っ た の は 明 治20年(1887)6
しい
文 一
月 か ら 明 治22年(1889)8月
にか け て の こ と で あ っ た 。
明 治21年(1888)に
は,杉 浦:重剛 ・三 宅 雪 嶺 ・志 賀 重 昴 ・井 上 円 了 な どの
国粋 主 義 者 た ちが 思 想 団 体 「政 教 社 」 を 創 立 し,雑 誌 「日本 人 」 を創 刊 して い る か ら,言 文 一 致 運 動 は 国 粋 主 義,ナ
シ ョナ リズ ム の 高 揚 とほ ぼ 時 を同 じ く
して 産声 を 上 げ た こ とに な る 。 明 治22年(1889)2
月11日 に は,『 大 日本 帝 国 憲 法 』 が 発 布 さ れ,近
日本 の骨 格 が 明 文 化 され,ナ
代国家
シ ョナ リズ ム は 最 高 の盛 り上 が り を示 して い た の
だ。 夏 目漱 石(1867∼1911)が 『吾 輩 は 猫 で あ る 』 を 書 くこ と に よ っ て,言 文 一 致 体 の 育 て の 親 と な っ た の は ,明 治38年(1905)1 月 か ら明 治39年(1906) 年 8月 に か け て の こ と で あ った 。 当 時,生
まれ て 間 もな い近 代 国 家 日本 は 老 大 国 ロ シ ア と生 死 を 懸 け た 血 み ど
ろ の 戦 い を戦 っ て い た 。 「泰 平 の逸 民 」 の 平和 で 呑 気 な 日常 生 活 の 叙 述 は,日 露 戦 争(1904/2∼1905/9)の
真 最 中 に な され て い た の で あ る 。 こ の ア イ ロ ニ
カル とで も称 す べ き対 照 は,漱 石 の した た か な 反 戦 主 義 の 表 れ で あ っ た と評 し う る。 彼 も,9 章 で 述 べ た 吉 田 兼 好 と 同 様 に,騒 乱 の 世 の 中 に お い て,新
しい
文体 を作 り上 げ る た め に孤 独 な戦 い を して い た。 と こ ろ で,日 本 の 勝 利 を決 定 的 な も の と した 日本 海 海 戦 は 明 治39年 の 5月 の
こ とで あ っ た か ら,処 女 作 の 最 終 節 を書 き上 げ つ つ あ った 漱 石 の 耳 に は,戦 勝 を祝 う提 灯 行 列 の 歓 呼 の 響 きが伝 わ っ て い た こ とで あ ろ う。 こ の よ う に見 て くる と,言 文 一 致 体 と い う文 体 が ナ シ ョナ リズ ム と密 接 な 関 係 に あ る こ とが 明 瞭 に な る。 や は り,ナ シ ョナ リ ズ ムが 新 しい 文 体 を 生 み 出 す と考 え て よい 。
1.な ぜ,二 葉 亭 四 迷 は 『新 編
浮 雲 』 を 「千 早 振 る」 と書 き起 こ した の
か? 新 編 浮 雲 第 一 篇 春のや 主人
第一回
ア ア ラ怪 しの 人 の 挙 動
二 葉 亭 四迷
合作
千 早 振 る神 無 月 も最 早 跡 二 日 の余 波 と な ツた 二 十 八 日の 午 後 三 時 頃 に神 田 見 附 の 内 よ り塗 渡 る蟻,散
る蜘 蛛 の 子 と う よ う よ そ よ そ よ沸 出 で て 来 る の
は 敦 れ も願 を気 に し給 ふ 方 々,し
か し熟 々 見 て 篤 と点 検 す る と 是 れ に も
種 々種 類 の あ る もの で … … 近 代 日本 文 学 の 出 発 点 とな っ た 『新 編 浮 雲 』 を 二 葉 亭 四 迷 は 「千 早 振 る 」 とい う古 色 蒼 然 た る枕 詞 に よ り書 き起 こ して い る。 「浮 雲 は しが き」 に お い て 記 し て い る よ うに,「 是 は ど う で も言 文 一 途 の 事 だ 」 と思 い 立 っ て,文
体革 命
の 旗 印 を高 く掲 げ た はず の 二 葉 亭 四 迷 の 筆 先 か ら,真 っ 先 に 枕 詞 が 出 て くる の は な ん と もい えず 不 思 議 な こ とだ 。 こ の 不 思 議 につ い て,二 葉 亭 四 迷 の研 究 者 の 一 人,関
良 一は 『 新 編 浮雲』
第 一 篇 の 名 目上 の 執 筆 者 「坪 内 雄 蔵 」(坪 内逍 遥1859∼1935)の
顔 を立 て て
の もの と推 測 して い る。逍 遥 の 最 近 作 『諷誠 京 わ ら ん べ 』(明 治19年
3月)
の 第 二 回 「割 烹 店 の 密 談 」 の 冒頭 は 次 の よ う に な っ て い る 。
千 早 振 神 田橋 の に ぎ に ぎ し きハ 。 官 員 退 省 の 時 刻 と や な りけ ん 。 頭 に 黒 羅 紗 の 高 帽 子 を戴 き。 右 手 に 八 字做 す鬚 を捻 りて 。 頻 に 手 車 を急 が し た まふ ハ 。 知 らず 何 の 省 の鯰 爵 さ まそ や 。 … … 「千 早 振 」 に始 ま り,官 員 の 退 省 時 の 賑 わ い の 描 写 に い た る とこ ろ は,『 新 編
浮 雲 』 の 冒頭 に そ っ く りで あ る。逍 遥 は 『新 編 浮 雲 』 の 第 一 読 者 で あ り,二 葉 亭 四 迷 の 援 助 者 で もあ っ た か ら,関 の 推 測 は十 分 考 え られ る もの で は あ るが, 次 の 二 つ の 点 で納 得 で き な い 。 第 一 点 は,『諷 誠 京 わ らん べ 」 の 「は しが き」 に お い て,「 春 の や 主 人 お ぼ ろ」(坪 内逍 遥 の ペ ン ネ ー ム の 一 つ)自
身 が 「今 に して 之 を 見 れ ハ 十 日の 菊 の
歎 な き をた も た ず 」 と時 代 遅 れ の作 品,古 め か しい 文 体 を 自認 して い る こ とで あ る。 第 二 点 は,「 お べ っ か 」 や 「ご ます り」 を死 ぬ ほ ど嫌 う 「内 海 文 三 」 の 生 み の 親 で あ る二 葉 亭 四 迷 が,い
く ら恩 顧 を蒙 っ て い る 先 輩 と は 言 え,逍 遥 に,見
え見 え の ご ます りに 相 当 す る こ と を,ぬ け ぬ け と や る だ ろ うか と い う疑 問 で あ る。 お そ ら く二 十 三 歳 の 青 年 二 葉 亭 四 迷 に は 死 ん で も 出 来 ぬ こ と で あ っ た ろ う。 そ うい う訳 で,二 葉 亭 四 迷 が 「千 早 振 る」 と書 き起 こ した 理 由 は 別 に求 め ね ば な らな い 。 『二 葉 亭 四 迷− 日本 近 代 文 学 の 成 立 − 』(岩 波 新 書,1970)に
お い て,小
田切
秀雄 は次の ように述べて いる。 言 い まわ しの 戯 作 的 な と こ ろ−"千 っ た",と
か,"熟
早 振 る神 無 月 も最 早 跡 二 日の 余 波 とな
々 見 て 篤 と点検 す る と,是 れ に も種 々 … …,と
を 召 す 方 様 の 鼻 毛 は 延 び て 蜻 蛉 を も釣 る べ しと い ふ",と
か,"之
い うた ぐい の 表
現 は,江 戸 時代 い らい の 小 説 文 体 と して この こ ろ な お 一 般 的 だ っ た もの で, 抹 消 的 な と こ ろ で 読 む も の をお も しろ が らせ よ う とす る こ の 手 の や り方 は,作 者 が こ の 作 品 で 主 人 公 た ち をつ き放 し風 刺 をふ くむ 描 き方 を して ゆ こ う と して い る こ と と必 ず し もわ か ち が た い 関 係 に あ る こ とで は な い。 ま た,こ の 作 品 が お こ な っ て い る 文 章 上 の 革 命 と必 然 的 な 関 係 に あ る も の で もな い 。 か え っ て,文
章 革 命 とは お よそ 逆 の,古
い文体へ の妥協 か または
抜 け切 れ ぬ 古 さの 側 面 だ 。
(前掲 書 「Ⅳ 『浮 雲 』 の お も しろ さ と,問 題 と」)
小 田 切 は 「千 早 振 る」 な どの 表 現 を,「 古 い 文 体 へ の 妥 協 か ま た は抜 け 切 れ ぬ 古 さの 側 面 」 と断 定 して い る の で あ るが,「 言 文 一 途 の 事 だ 」 と思 い 立 っ た
ば か りの 二 葉 亭 四 迷 が,果
た して,開
巻 早 々 の 冒頭 の 第 一 句 に お い て,い
きな
り 「妥 協 」 す る だ ろ うか 。 ま た,「 古 い 側 面 」 を読 者 の 眼 前 に 晒 す 愚 を 行 う だ ろ うか 。 疑 問 は,ま だ解 け な い。
2.作 品 と しての 『 新 編 浮 雲 』 と 商 品 と して の 『新 編 浮 雲 』― 出 版 資 本 との 妥 協― 前 節 の 議 論 は,『 新 編 浮 雲 』 を 二 葉 亭 四 迷 の作 品 と前 提 した 場 合 の 議 論 で あ るが,『 新 編 浮 雲 』 は 作 品 で あ る 前 に,商
品 で あ っ た 。 そ の こ と は,次
に
掲 げ る図 版 に 明 らか で あ る 。商 品 と して の 『新 編 浮 雲 』 の著 者 は 「坪 内 雄 蔵 」 な の で あ る。 この 処 置 は,全
くの 無 名 の 新 人 二 葉 亭 四 迷 を著 者 と して は 商 品 と して 成 立 し
な か っ た こ と を 意 味 す る 。 坪 内逍 遥 は 『新 編 浮 雲 』 を世 に 出 す た め に書肆 「金 港 堂 」 と交 渉 す る必 要 が あ っ た 。 著 作 者 名,「 千 早 振 る」 な どの 戯 作 調 は,書 騨 「金 港 堂 」 との 交 渉 の 結 果 と 考 え る と納 得 で き る。 こ れ ら は 『新 編 浮 雲 』 を世 に 出す た め の 「妥 協 」 の 産 物 で あ っ た の だ。 著 者 名 を偽 る行 為 は,オ
ー ス トラ リ ア産 の牛 肉 を和 牛 と称 し,北 朝 鮮 産 の ア
サ リを 有 明 海 産 の ア サ リ と偽 る よ う な もの で,今 日的 観 点 か らす れ ば 詐 欺 行 為, 犯 罪 行 為 と断 罪 す べ き もの で は あ るが,当
時 の 出 版 界 で は許 され る行 為 で あ っ
図7. 『浮 雲 』 第 一 篇 ・第 二 篇
表紙
た の で あ ろ う。 儒 教 的倫 理 観 の 持 ち 主,「 正 直 」 を モ ッ トー とす る 青 年 長 谷 川 辰 之 助 は 羊 頭 を懸 げ て狗 肉 を 売 る に 等 しい 「妥 協 」 案 を 涙 を呑 ん で 受 け入 れ た に 違 い な い 。 「千 早 振 る」 の 枕 詞 は,長 谷 川 辰 之 助 が 二 葉 亭 四 迷 に な る た め に 呑 ん だ 苦 汁 で あ っ た。 二 葉 亭 四 迷 は 『新 編 浮 雲』 の 主 人公 「内 海 文 三 」 が 大 人 に な る 前 に, 資 本 主 義 社 会 の 大 人 に な っ て い た の で あ る 。 私 た ち は,長 苦 しい 決 断,坪
内逍 遥 の 粘 り強 い 交 渉,金
谷 川 辰 之 助 の 下 した
港 堂 の 示 した 度 量 に 感 謝 す べ き なの
で あ ろ う。 これ らに よ っ て,ま が りな りに も,と に か く日本 近 代 文 学 の 出 発 点 とな る作 品 を 手 に入 れ る こ とが で きた の で あ る か ら。
3. 枕 詞 の 意 味− 言 文 一 致 体 は 言 文 一 致 で は な い !− こ うい う訳 で,冒
頭 の 「千 早 振 る 」 の 解 釈 は複 雑 な もの に な っ て しま っ た 。
しか し,二 葉 亭 四 迷 は こ の 「妥 協 」 を マ イナ ス と ば か りに は 考 え て い なか っ た よ う だ。 逆 に,こ
れ を奇 貨 居 くべ しと考 え た よ う に思 わ れ る。
冒 頭 の 第 一 句 に 「千 早 振 る」 を置 く こ と は,「 言 文 一 途 」 を 鵜 呑 み に す る な とい う警 告 を なす こ とを 意 味 す る。 「言 文 一 致 体 」 は 言 文 一 致 で は な い。 「言 」 は 音 声 言語 の 姿 で あ り,「 文 」 は書 記 言 語 の 姿 で あ る。 伝 達 手 段 が異 な れ ば 当 然 そ の 姿 は 別 の もの に な る。 一 致 す る はず が な い の で あ る。 「千 早 振 る 」 の 表 現 に戸 惑 い を覚 え,あ れ これ 詮 索 す る こ とは 「言 文 一 致 体 」 の 真 相 に 迫 る 第 一 歩 とな る 。 不 思 議 な こ と なの だが,こ
れ まで の 文 学研 究 者 は
「千 早 振 る」 の 意 味 に気 付 い て い な い よ うで あ る。 ・歯 磨 の 函 と肩 を比 べ た赤 間 の硯(擬
人 法)
第一 篇第一回
・机 の 下 に 差 入 れ た は縁 の欠 け た 火 入 れ こ れ に は 摺 附 木 の 死 体 が
横 ツ て ゐ る 。(擬 人 法)
・ズ ン グ リ,ム
第一篇 第一回
ック リ と した 生 理 学 上 の 美 人(誇 張 法)
第一篇 第一回
これ ら欧 文 脈 の レ トリ カ ル な表 現 は,明 治 期 の 日本 語 の 口 頭 言 語 の も の と は 到 底 考 え られ な い 。 現 在 で も同 様 で,も
し これ らを 口 にす れ ば,日
本 語 と して
は 自然 さ を 失 い,き わ め て キ ザ つた ら しい もの に な っ て しま う。 書 記 言 語 で あ れ ば こそ 許 され る表 現 な の で あ る。
お そ ら く,二 葉 亭 四 迷 も最 初 は 「言 文 一 途 」 は 「文 」 を 「言 」 に 一 致 させ る こ と と考 え て,新
案 特 許 と ば か りは り きっ た こ とで あ ろ う。 しか し,「 千 早 振
る」 の 苦 汁 を呑 む こ と に よ り,「 言 」 と 「文 」 は 一 致 す る もの で は な い の だ な と気 付 か され た に違 い な い 。 そ こ で,「 言 」 の 太 い軛,制
約 か ら解 放 され て し
ま っ た 。 「言 」 は 「言 」,「文 」 は 「文 」 と認 識 した と き,表 現 は 自 由 の 翼 を獲 得 す る の で あ る。 ・浪 に 漂 ふ 浮 草 の うか う か と して 月 日を 重 ね た が(序
詞)
第一篇 第二 回
・袖 に 露 置 くこ とは あ りな が ら(隠 喩)
第一 篇第二 回
・虚 有縹緲
第 一篇 第 二 回
の 中 に 漂 ひ(四 字 熟 語)
・瓊葩綉 葉 の 問(四 字 熟 語)
第一篇 第二 回
・和 気 香 風 の 中 に(四 字 熟 語)
第一篇 第二回
・清 光 素 色(四 字 熟 語)
第一篇 第三 回
・亭 々皎 酸 々(四 字 熟 語)
第一篇 第三回
・水 に流 れ て は釜瀲 艶 … ・ ・破 璃 に 透 りて ば玉 玲瓏(対
句) 第 一 篇 第 三 回
・涼 風 一 陣 吹到 る 毎 に …(漢 文 訓 読 体)
第一篇 第三回
・今 一 言 … … 今 一 言 の 言 葉 の 関 を踰 え れ ば先 は妹 脊 山(道 行 文) 第一篇第 三回 ・蘆垣 の 間 近 き人 を恋 ひ 初 め て よ り昼 は終 日夜 は 終 夜(清
元 風) 第 一篇 第 三 回
・文 三 は拓 落 失 路 の 人(四 字 熟 語)
第二篇第七 回
・開 巻 第一 章 の 第 一 行 を 反 復 読 過 して 見 て も(四 字熟 語)
第二 篇第七 回
・衣 香 襟 影 は紛 然 雑 然 と して 千 態 万 状(四
第 二篇第七 回
字 熟 語)
・嬉 笑 に も相 感 じ 駑 罵 に も相 感 じ(対 句) ・歌 人 の い は ゆ る 箒 木 で ,あ
り とは 見 えて,ど
第二 篇第八 回 う も解 らぬ(雅
・利 害 得 喪(四
俗 折 衷)
第二 篇第八 回 字熟 語)
・悶 々 す る/識 論 ツ て/徐 ・圧 制 家 利 己論 者(外
第三篇 第十三 回 々 萎縮 だ した/龍 動(当 て 字) 第 三 篇 第 十 三 回
来語)
第三篇 第十八 回
・聞 く ご と にお 政 は か つ 驚 き,か つ 羨 ん で(対 句)
第三篇 第十八 回
・死 灰 の 再 び燃 え ぬ う ち に(成 句)
第三篇 第十九 回
・私 欲 と 淫 欲 とが爍 して 出 来 した(和 漢 混淆)
第三篇第十 九回
も う好 き勝 手 で あ る 。 ど こ を押 せ ば 「言 文 一 途 」 の 音 が 出 る の で あ ろ うか 。 ど う考 え て も,こ
れ らが 日常 の 話 し言 葉 で あ っ た と は 考 え ら れ な い 。 『新 編
浮 雲 』 の 「言 文 一 途 」 の 実 態 は 以 上 の よ うな もの な の で あ る。 言 い換 え る と,二 葉 亭 四迷 が 『新 編 浮 雲 』 で 創 出 した 文 体,「 言 文 一 致 体 」 と は言 文 一 致 の もの で は な く,「 新 しい 書 き言 葉 体 」 で あ っ た とい う こ とに な る。 明 治39年(1906),43歳
に な っ た二 葉 亭 四迷 は 「余 が 言 文 一 致 の 由 来」 とい
う文 章 を発 表 して い る。 そ の 中で,彼 自分 の 規 則 が,国
は 次 の よ うに 述 べ て い る。
民 語 の 資 格 を 得 て ゐ な い 漢 語 は 使 は な い,た
行 儀 作 法 と い ふ 語 は,も
とは 漢 語 で あ つ た ら うが,今
は い い 。 しか し挙 止 閑 雅 とい ふ 語 は,ま
とへ ば,
は 日本 語 だ,こ
れ
だ 日本 語 の洗 礼 を受 け て ゐ な い か
ら,こ れ は い け な い 。 嘉 落 とい ふ 語 も,さ つ ば り した と い ふ 意 味 な らば, 日本 語 だ が,石
が こ ろ が つ て ゐ る とい ふ 意 味 な ら ば 日本 語 で は な い 。 日本
語 に な らぬ 漢 語 は,す べ て使 は な い と い ふ の が 自分 の 規 則 で あ つ た 。 「国 民 語 」 とは,今
日の 言 葉 に言 い換 え る と 「全 国 共 通 語 」 と い う こ とに な
る。 そ の 「国 民 語 」で 書 け ば,確 か に,日 本 全 国 で 共 通 に 理 解 す る こ とが で き, 平 易 な 文 体 に な る の は 自明 の こ とで あ るか ら,二 葉 亭 四 迷 の 立 て た 規 則 は立 派 な規 則 と い う こ と に な る。 た だ し,問 題 は 「国民 語 の 資 格 を 得 て ゐ 」 る,「 得 て ゐ」 な い の 判 定 を誰 が す る の か とい う と こ ろ に あ る。 二 葉 亭 四迷 の 教 育 は 四 書 五 経 の 素 読 とい う漢 文教 育 か ら始 め られ て い る。 した が っ て,彼
の漢語 に関
す る 知 的水 準 は 当 時 の 国民 の そ れ よ り遥 か 上 に あ っ た。
虚有縹緲緒/瓊葩綉 葉/和 気香風/清 光 素 色/亭 々皎々/拓 落失路/反 復 読 過/衣
香 襟 影/紛 然 雑 然/千
態 万 状/利
害特 喪
二 葉 亭 四 迷 は こ れ ら を 「国民 語 」 と判 定 して 使 用 した の で あ るが,彼 は 国民 に とっ て は非 常 識 で あ っ た。 そ の 結 果,や
さ しい はず の 言 文 一 致 体 が や
た ら難 しい もの に な って し ま っ た。 『新 編 浮 雲 』 は,失 た 作 品 で あ る。
の常 識
敗 す べ く して 失 敗 し
全 国 民 が 日常 生 活 で 使 用 す る 「国 民 語 」 と は,明 は,虚
治20年 代 の 始 め に お い て
妄 の 概 念 に 過 ぎず 実 態 が な か っ た 。 実 態 が 無 い 「国民 語 」 で 二 葉 亭 四 迷
は 自 らの 作 品,処 女 作 を構 築 しよ う と した。 『新 編 浮 雲 』 が 未 完 に終 わ る 失 敗 作 で あ っ た 理 由 の 一 つ は こ こ にあ る。
4.思 弁 癖 の 内 海 文 三 と 思 弁 癖 の 猫一 二 葉 亭 四 迷 と夏 目漱 石 の 共 通 点一 明 治41年(1908),45歳
に な っ た 二 葉 亭 四 迷 は 「予 が 半 生 の懺 悔 」 とい う文
章 を 発 表 して い る。 彼 は,こ 治42年(1909)5
こ に 「半 生 」 と書 い て は い る け れ ど も,翌 年 の 明
月10日 に,ロ
に お い て 享 年46歳
シ ア か ら の 帰 国 の 途 中,イ
ン ド洋 ベ ン ガ ル 湾
で逝 去 して い る か ら,こ の 文 章 は,最 晩 年 の も の と言 っ て
よい。
兎 に 角,作
ス キ ー の 批 評 文 な ど も愛 読 して ゐ た 時 代 だ か ら,日 本 文 明 の 裏 面 を描 き出
して や ら う と云 ふ や う な意 気 込 み も あつ た の で,あ
なつ て ゐ る の も,つ ま りそ ん な訳 か らで あ る。文 章 は,上 巻 の 方 は,三 馬,
風 来,全
を離 れ て,西 洋 文 を取 つ て 来 た。 つ ま り西 洋 文 を 輸 入 し よ う とい ふ 考 へ か
らで,先
キ ー の 書 方 に傾 い た 。 そ れ か ら下 巻 に な る と,矢 張 り多 少 は そ れ 等 の 人 々
の 影 響 もあ るが,一
ま た,明
の 上 の思 想 に,露 文 学 の 影 響 を受 け た 事 は拒 ま れ ん 。 ベ ー リ ン
交,饗
の作 が,議
論が土 台 に
庭 さ ん な ぞ が こ ち や 混 ぜ に なつ て ゐ る。 中 巻 は最 早 日本 人
づ ドス トエ フ ス キ ー,ガ
ンチ ヤ ロ フ等 を学 び,主
に ドス トエ フ ス
番 多 く真 似 た の は ガ ンチ ヤ ロ フの 文 章 で あ つ た 。
治30年(1897)に
は 「作 家 苦 心 談 」 を発 表 し て い る が,そ
の冒頭
部 に お い て,『 浮 雲 』 の 文 章 実験 につ い て,次 の よ う に述 べ て い る 。
一 体 『浮 雲 』 の 文 章 は 殆 ど 人 真 似 な の で,先
(竹 の 舎)の
エ フス キ ー と,ガ
く ドス トエ フ ス キ ー を真 似 た の で す。
「下 巻/第
づ 第 一 回 は 三 馬 と饗 庭 さん
と,八 文 字 屋 もの を真 似 て か い た の で す よ 。 第 二 回 は ドス ト ンチ ャ ロ ツ フの 筆 意 を模 して 見 た の で あ ツて 第 三 回 は 全
三 回 」 に お け る影 響 関係 が 異 な っ て い る が,10年
なの で,記 憶 が 曖 昧 な もの に な っ て しま っ た の で あ ろ う。
以 上 も昔 の こ と
こ こ で,注
意 して 置 きた い こ と は,い ず れ にせ よ,『 新 編 浮 雲 』 の 影 に ド
ス トエ フス キ ー が確 実 に存 在 した とい う こ とで あ る。
想 の 上 に於 て は露 国 の 小 説 家 中 ドス トイ フ ス キ ー(Dostievsky)が
き で あ つ た。 ど うい う点 で好 きか と い ふ と第 一 は 無 論 あ の 人 の 心 理 解 剖 で
あ る が,今 一 つ は あ の 人 の 一 種 の宗 教 趣 味 で あ つ た。
一番 好
(「 予 の 愛 読 書 」 明 治39年(1906))
と こ ろ で,『 罪 と罰 』 の 主 人公,「 ロ ジ オ ン ・ロ マ ー ヌ イ チ ・ラ ス コ ー リニ コ フ」 は23歳 の 元 学 生 で あ り,『 新 編 浮 雲 』 の 主 人 公 ,「 内 海 文 三 」 も23歳 の 青年で ある。 ラ ス コ ー リ ニ コフ が 金 貸 しの老 婆 殺 しの 下 見 を した あ と,地 下 の 安 酒 場 で 最 初 に 出 逢 っ た 人 物,セ
ミ ヨー ン ・マ ル メ ラ ー ドフ は官 制 改 革 で リス トラ され た
経 験 を有 す る 安 月 給 の 「九 等 官 」 で あ り,一 方,文
三 は 物 語 冒 頭 に お い て,太
政 官 制 か ら内 閣 制 へ の 変 更 に 伴 う官 制 改 革 の 煽 り を受 け て 官 職 を失 う とい う運 命 を背 負 わ さ れ て い る。 な ん の こ と は な い,人 物 造 型 に お い て,二 葉 亭 四 迷 は ドス トエ フス キ ー の 影 響 を最 初 か ら受 け て い た の だ 。 ラ ス コ リー ニ コ フ に 限 らず,ド ス トエ フ ス キ ー の 作 品 に現 れ る人 物 の特 徴 は, 強 烈 な 思 弁 癖 を も っ て い る と こ ろ に あ る 。 内海 文 三 も思 弁癖 を も っ て,そ の 性 格 上 の 特 徴 とす る。
「イ ヤ 妄 想 ぢや 無 い お れ を思 つ て ゐ る に 違 い な い」…… ガ…… そ の ま た 思
ツ て ゐ るお 勢 が,そ の ま た 死 な ば 同 穴 と心 に誓 つ た 形 の 影 が,そ
に感 じ共 に思 慮 し共 に呼 吸 生 息 す る 身 の 片 割 が,従
の … … 夫 と も な る 文 三 の鬱 々 と して 楽 し まぬ を余 所 に 見 て,行 か ぬ と云 ツ
て も勧 め もせ ず 平 気 で 澄 ま して不 知 顔 で ゐ る 而 已 か 文 三 と意 気 が 合 は ね ば
こ そ自家も常居 か ら嫌 ひ だ と云 ツ て ゐ る昇如 き者 に伴 は れて物見遊山 に 出
懸 け て 行 く… …
「解 らな い ナ,ど
解 らぬ ま ま に 文 三 が 想 像 弁 別 の 両 刀 を執 ツて,種
の まま 共
見 弟 な り親 友 な り未 来
う して も解 ら ん」 々 に して こ の気 懸 りな お
勢 の冷 淡 を解 剖 して 見 る に,何
か物 が あ つ て 其 中 に 籠 つ て ゐ る や う に思 は
れ る,イ ヤ 籠 つ て ゐ る に 相 違 な い,が 何 だ か 地 体 は 更 に解 らぬ,依
てさら
に 又 勇 気 を振 起 して 唯 此 一 点 に 注 意 を集 め 傍 目 も触 ら さず 一 心 不 乱 に茲 処 を先 途 と解 剖 して 見 る が,
(第二 篇 第 八 回)……
あ きれ 果 て た ウ ジ ウ ジぶ りで あ る 。 当 の 「お 勢 」 は こ の よ う な 文 三 を,「 何 故 ア ア不 活 発 だ ろ う」 と簡 単 明 瞭 に突 き放 して い る。
心 理 の 上 か ら観 れ バ,智
愚 の 別 な く人 成 く面 白 み ハ 有 る 。 (第三 篇 第 十 三 回)
第 三 篇 に至 り,二 葉 亭 四 迷 は 日本 近 代 文学 の 方 法 を は っ き り と 自覚 した よ う だ。 彼 は,心 理 小 説 へ の 道 を 開拓 した の で あ る。 二 葉 亭 四 迷 が 脂 汗 を流 し て 開拓 した もの を,ま 漱 石 で あ る 。 彼 は,思
っす ぐに 受 け と った の は 夏 目
面 白 さ は種 々 あ る が,そ
弁 癖 の あ る猫 を登 場 させ て い る。 『吾 輩 は 猫 で あ る』 の の 最 大 の もの は,猫 の 展 開す る 思 弁 の 猛 烈 さ で あ る。
今 朝 見 た 通 りの 餅 が,今
朝 見 た通 りの 色 で 椀 の底 に膠 着 して 居 る 。 白状 す
るが 餅 とい ふ もの は今 まで 一 辺 も口 に 入 れ た 事 が な い 。 見 る と う ま さ う に も あ る し,又 少 し は気 味 が わ る く もあ る 。 前 足 で上 に か か つ て 居 る 菜 つ 葉 を掻 き寄 せ る。 爪 を見 る と餅 の 上 皮 が 引 き掛 か つ て ね ば ね ば す る。 嗅 い で 見 る と釜 の 底 の 飯 を御 櫃 へ 移 す 様 な香 が す る。 食 は うか な,や
め 様 か な,
とあ た りを 見 回 す 。 幸 か 不 幸 か 誰 も居 な い。 御 三 は暮 も春 も 同 じ様 な顔 を して 羽 根 を つ い て居 る。 小 供 は奥 座 敷 で 「何 と仰 や る御 猿 さ ん 」 を歌 つ て 居 る 。 食 ふ とす れ ば 今 だ 。 も し此 機 をは つ す と来 年 迄 は餅 と い ふ もの の味 を知 らず に暮 して 仕 舞 は ね ば な らぬ。 吾 輩 は此 刹 那 に猫 な が ら一 の 真 理 を 感 得 した 。 「得 難 き機 会 は凡 て の 動 物 を して,好
ま ざ る事 を も敢 て せ しむ 」
吾 輩 は 実 を云 ふ とそ ん な に 雑 煮 を食 ひ 度 は な い の で あ る。 … … 此 煩 悶 の 際 我 輩 は 覚 え ず 第 二 の 真 理 に逢 着 した。 「凡 て の 動 物 は 直 覚 的 に 事 物 の 適 不 適 を予 知 す 」 真 理 は 既 に二 つ 迄 発 明 したが 餅 が くつ 付 い て 居 る の で 毫 も愉 快 を感 じな い 。 … … 第 三 の 真 理 が驀 地 に 現 前 す る。 「危 き に 臨 め ば 平 常 な
し能 は ざ る 所 の もの を為 し能 ふ。 之 を 天 祐 と いふ 」 幸 に天 祐 を 享 け た る 吾 輩 が 一 生 懸 命餅 の 魔 と戦 つ て 居 る と,何 だ か 足 音 が して 奥 よ り人 が 来 る 様 な 気 合 で あ る。 こ こ で 人 に 来 られ て は 大 変 だ と思 つ て,愈
躍 起 とな つ て
台所 をか け 回 る 。 足 音 は段 々近 付 い て くる 。 あ あ残 念 だ が 天 祐 が 少 し足 り な い 。 と う と う小 供 に見 付 け られ た。
や む を え ず,中 略 した が,中
(二)
略 す る の が 惜 し まれ た 。 こ の 言 葉 の 爆 発 は,文
三 が 示 した 思 弁 の枠 を遥 か に喩 え る もの と な っ て い る。 夏 目漱 石 は二 葉 亭 四 迷 の 頼 も し過 ぎ る く らい の 後 継 者 で あ る 。
呑 気 と見 え る人 々 も,心 の 底 を 叩 い て 見 る と,ど こ か 悲 し い音 が す る。
(十 一)
「猫,恐
るべ し。」 この 名 無 しの 猫 は,心 理 分 析 の 大 家 で あ っ た 。 こ の 面 で も,
夏 目漱 石 は二 葉 亭 四 迷 の跡 継 ぎで あ る。 『新 編 浮 雲 』 の 主 要 テー マ は 「お 勢 」 「文 三 」 「昇 」 の 三 角 関 係 で あ り,「 文 三 」 の 困 窮 とい う経 済 問題 で あ っ た。 職 業 作 家 と な っ て 以 後 の 『虞 美 人 草 』 に 始 ま り,『 明 暗 』 で終 わ る夏 目漱 石 の 小 説 群 の テ ー マ は 『道 草 』 を除 く と全 て, 三 角 関係 と金 銭 問 題 な の だ。 夏 目漱 石 は二 葉 亭 四 迷 の 遺 産 を ま る ま る 受 領 して い る 。 名 無 しの 猫 ば か りで は な い 。 三 四 郎(『 三 四 郎 』)も 代 助(『 そ れ か ら』)も 宗 助(『 門 』)も,そ
して 津 田(『 明 暗 』)も,皆
「内海 文 三 」 の 後 商 で あ る 。
(2
■ 発展 問題 (1) Aは
「浮雲 は しが き」,Bは 第三 篇 第十 三 回の 「前 書 き」 であ る。 a∼fの 観
点 につ いて比 較 してみ よう。 A 薔 薇 の花 は頭 に咲 て 活 人は絵 と な る世 の中独 り文 章 而 已 は黴 の生 へ た陳 奮翰 の 四角 張 りた るに頬返 しを附 けか ね又 は舌足 らずの物 言 を学 び て口 に 誕 を流 す は拙 し是 は ど うで も言 文 一途 の 事 だ と思 立 て は 矢 も楯 もな く文 明 の風 改 良 の熱 一度 に寄 せ 来 る ど さ くさ紛 れ お先 真 闇三 宝 荒 神 さ ま と春 の や先 生 を頼 み奉 り欠 硯 に朧 の月 の雫 を受 けて 墨 摺流 す 空 の きほひ 夕立 の雨 の 一 しき りさら さらさつ と書流 せ ばア ラ無情 始 末 にゆか ぬ浮 雲め が艶 し き月 の面 影 を思 ひ懸 な く閉籠 て黒 白 も分 かぬ烏 夜 玉の やみ らみ つ ちや な 小説 が 出来 しそ や と我 なが ら肝 を潰 して此 書 の巻 端 に序す る もの は 明治 丁亥 初夏
二 葉亭 四迷
B 浮雲 第 三篇 ハ都合 に依 ツて 此雑誌 へ載 せ る事 に しま した。
固 と此小 説 ハつ まらぬ 事 を種 に作 ツた もの ゆゑ,人 物 も事 実 も皆つ ま らぬ もの の みでせ うが,そ れ は作 者 も承知 の事 です 。
只 々作 者 はつ ま らぬ事 にはつ ま らぬ といふ面 白味 が有 るや うに思 はれ たか らそ れ で筆 を執 ツて みた計 りです 。 a 符号(句 読 点) b セ ン テ ン ス の 長 さ(平 均 字 数)
c 形 容詞 の終 止形 ・連体 形 d 助 詞(副 助 詞) e 助 動 詞(打 f
消 しの 助 動 詞 ・過 去 の 助 動 詞 ・丁 寧 の 助 動 詞)
レ トリ ッ ク(枕
詞 ・序 詞)
) 次 の 表 現 は 『新 編 浮 雲 』 の もの で あ る 。 そ れ ぞ れ,明 言 葉 と考 え られ る か ど うか,判
治期 の 日本語 の話 し
定 しな さ い 。
a ア ア ラ怪 しの人 の拳動/風 変 りな恋 の初峯 天/言 ふ に言 はれぬ胸 の 中 b
卯 の 花 くだ し五 月 雨 の ふ る で も な くふ ら ぬ で も な く生 殺 し に さ れ る だ け
に藻 に住 む虫の我 か ら苦 んでい た ど うせ 一度 は捨小 舟 の寄 る辺 ない身 にな らう とも知れ ぬ c 寒喧 の挨 拶/啀 皆 の 怨/添 度 の蛇/意 馬の 絆/扇 色
頭 の微 風/満 眸 の秋
d 抑揚頓挫/風 格牟神/桜 杏 桃李/愉 快適悦/閭 巷猥瑣/新 知故交/我 慢 勝他 e 損 毛/喟 然/須臾/流
読/千 悔/胸
臆/幽 妙/窮
愁/醜穢/軽
忽/隔 晩/淫 褻
(3) 『新 編 浮 雲 』 の 文 体 は 単 一 で は な く,種 第 二 篇,第
々 の 文 体 の 混 成 で あ る 。 第 一 篇,
三 篇 の 冒 頭 の 回 の 地 の 文 を 調 査 し,文 体 の 相 違 を指 摘 しな さ い 。
(4) 森〓 外 の 言 文 一 致 体 の 小 説 『半 日』(明 治42年,1907),『 1909)の
雁 』(明 治44年,
中 の 表 現 で あ る 。 話 し言 葉 と して 不 自然 な 表 現 を 指 摘 し な さ い 。
a 主 人 は 側 に,夜 る 娘 を 見 て,微
着 の 襟 に 半 分 ほ ど,赤
く円 くふ とつ た 顔 を 埋 め て 寝 て ゐ
笑 ん だ。 夜 中 に夢 を 見 て 唱 歌 を 歌 つ て ゐ た こ と を 思 ひ 出
した の で あ る 。
b 博 士 はそ の時妙 な心 持が したの だ。 c 博士 は 此 時 こ ん な事 を考 へ て ゐ る 。
d 容貌 は其持 主 を何 人 に も推 薦す る。 e き の ふ 「時 間 」 の 歯 で 咬 まれ た 角 が 潰 れ,「 あ き ら め 」 の 水 で 洗 は れ て 色 の褪 め た 「 悔 し さ」 が,再
び は つ き り輪 郭,強
い 色 彩 を して,お
玉の
心 の 目 に現 は れ た 。
f あ き らめ は此女 の最 も多 く経験 して ゐ る心 的作 用で,か れの 精神 は此 方 角 へ な ら,油
を さ し た機 関 の や う に,滑
g 常 に 自 分 よ り大 き い,強 mimicryを
か に働 く習 慣 に な つ て ゐ る 。
い 物 の 迫 害 を 避 け な くて は ゐ ら れ ぬ 虫 は,
持 つ て ゐ る 。 女 は 嘘 を 衝 く。
(5)a 友 人 との 会 話 を 3分 間 録 音 し,そ れ を 正 確 に 文 字 化 して み よ う。 b 会 話 内 容 を 簡 潔 に ま と め て 書 い て み よ う。(シ ナ リ オ風 に す る 。) c aと bと を 比 較 し て,ど d 言 文 一 致 体,口
の よ う な 相 違 が あ る か,指
摘 し て み よ う。
語 体 の 意 味 に つ い て 考 え て み よ う。
■ 参考文献 1)関 良 一 「『浮 雲』 考 」(「国語 」 昭和29年,東
京 教 育 大 学,1954,『
日本文 学 研 究 資料 叢
書 坪 内逍 遥 ・二 葉亭 四 迷 』有 精 堂,1983) 2)関 良 一 「『浮 雲』 の発 想一 二 葉 亭論 へ の 批 判− 」(「日本 文 学」 昭和36年6月,立 1961,中
教 大 学,
村 光 夫編 『明 治 文 学 全 集 17 二 葉 亭 四 迷 ・嵯 峨 の屋 お む ろ 集 』 筑 摩 書 房,
1971) 3)関 良一 「『 浮 雲』 の成 立」(『近代 文 学 鑑 賞 講座 』 第 一巻,角 川 書店,1967) 4)関 良一 「『 浮 雲』 と啓 蒙 的小 説観 」(長 谷 川泉 編 『講座 日本 文 学 の争 点 』5− 近 代 編,明 治 書 院,1969) 5)和 田 繁二 郎 「二 葉亭 四 迷 『浮雲 』 の構 想」(「國 語 と國 文学 」1969) 6)宮 沢 章 夫 編 集 解 説 『坪 内 適 遥 』(坪 内 祐 三 編 集 『明 治 の 文 学 』 第 4巻,筑
摩 書 房,
2002) 7)畑 有三 注 『二 葉亭 四 迷集 』(「日本 近 代文 学 大 系 」 第 四,角 川 書店,1971) 8)小 田切 秀 雄 『二葉 亭 四 迷 − 日本 近代 文 学 の成 立− 』(岩 波 新 書,1970) 9)十 川信 介 『二 葉亭 四迷 論』(筑 摩書 房,初 版1971,増
補 版1984)
10)中 村 光 夫 『二 葉亭 四 迷伝 』(講 談社,1966) 11)青 木稔 弥 ・十 川信 介 校注 『坪 内遣 遥 ・二葉 亭 四 迷 集』(「新 日本古 典 文 学大 系 」 明 治編18, 岩波 書 店,2002) 12)桶 谷 秀 昭 『二葉 亭 四 迷 と明 治 日本 』(文 藝 春 秋,1986) 13)『二葉 亭 四 迷 全 集』 第 9巻(岩 波 書 店,1953) 14)『二葉 亭 四 迷金 集 』 第15巻(岩
波 書 店,1954)
15)竹 盛 天 雄 ・安藤 文 人 注解 『吾輩 は猫 で あ る』(「漱石 全 集 」 第一 巻,岩 波 書 店,1993) 16)飯 田晴 巳 『明治 を生 きる群 像一 近 代 日本 語 の 成立 − 』(お うふ う,2001) 17)小 池 清 治 『日本 語 は いか につ くられ たか?』(ち
くま学 芸 文庫,1995)
18)小 池 清 治 ・鄭 譚 毅 「『言文 一 致運 動 』 の展 開 に見 る 日本 ・中国 の相 違 」(「宇都 宮 大 学 国 際 学 部研 究論 集 』 第12号,2001)
第12章 夏 目漱 石 は な ぜ レ トリ ック に こ だ わ っ た の か? 【三 位 一 体 の 作 品 】
キ ー ワ ー ド:Idea,Rhetoric,和 品,擬
人 法,迂
1.Idea, Rhetoric論
英 混 清 文,漢 言 法,対
英 混淆 文,文
学,文
芸,三
位 一体 の作
義結 合
争 一 漱 石 の 野 心−
26歳 の 二 葉 亭 四迷 が23歳 の 内 海 文 三 を もて あ ま して,『 新 編 浮 雲 』 を 中 途 半 端 な ま まに,ほ
う り出 して し ま っ た の は明 治22年(1889)8
た 。 こ の 年 の12月31日
の 大 晦 日,あ
と一 日で23歳 に な る,帝
月 の こ とで あ っ 国 大 学 生 夏 目漱
石 は松 山 で病 気 静 養 中 の 親 友 正 岡 子 規 に 一通 の 見 舞 状 を書 く。 そ の 中 で,漱 石 は 彼 の 文 学 的 野 心 を吐 露 し,早 熟 に も俳 句 や 小 説 の 創 作 に 熱 中 して い る子 規 に 忠 告 を与 え て い る。
故 に小 生 の 考 に て は文 壇 に 立 て 赤 幟 を 万 世 に翻 さん と欲 せ ば 首 と して 思 想 を涵 養せ ざ るべ か らず 思 想 中 に熟 し腹 に満 ち た る 上 は直 に 筆 を揮 つ て 其 思 ふ 所 を 叙 し沛 然驟 雨 の 如 く勃 然 大 河 の 海 に 潟 ぐの 勢 な か る べ か らず 文 字 の 美 章 句 の 法 杯 は 次 の 次 の 其 次 に 考 ふ べ き事 にてIdea
itselfの価 値
を増 減 ス ル 程 の 事 は 無 之 様 二 被 存 候 御 前 も多 分 此 点 に 御 気 が つ か れ 居 る な るべ け れ ど去 り とて 御 前 の 如 く朝 か ら晩 まで 書 き続 け に て は 此Idea を養 ふ 余 地 なか らん か と掛 念 仕 る也 勿 論 書 くの が楽 な ら無 理 に よせ と 申 訳 に は あ らね ど毎 日毎 晩 書 て 書 き続 け た りと て小 供 の 手 習 と同 じこ と に て 此 orginal ideaが 草 紙 の 内 か ら霊 現 す る 訳 に も あ る ま じ 此Idea を得 る の 楽 は手 習 に ま さ る こ と万 々 な る こ と小 生 の 保 証 仕 る処 な り(余 て に な らね ど)伏
りあ
して 願 は くは(雑 談 に あ らず)御 前 少 し く手 習 を や め て
余 暇 を 以 て 読 書 に 力 を 費 し給 へ よ … … 併 し此Ideaを 得 る よ り手 習 す るが
面 白 し と御 意 遊 ば さば 夫 迄 な り一 言 の御 答 も な し 只 一 片 の 赤 心 を吐 露 し て 歳 暮 年 始 の 礼 に代 る事 しか り 穴 賢 御 前 此 書 を 読 み 冷 笑 し な が ら 「馬 鹿 な 奴 だ 」 と云 は ん か ね 兎 角 御 前 の coldnessに は 恐 入 りや す
十 二月三十一 日
漱石
子規 御前
青 年 漱 石 は 「文 壇 に 立 て 赤 幟 を 万 世 に 翻 さ ん 」 の 野 心 を 抱 い て い た よ う だ 。 こ の 野 心 を 実 現 す る た め に は,「 思 想 を涵 養 」 し,「original 第 一 だ と 述 べ,実
idea」
を得 る の が
作 に熱 中 して い る子 規 の 若 書 きぶ りに苦 言 を呈 して い る。
こ れ に 対 し て 子 規 も負 け ず に 反 駁 文 を 奏 し た よ う で あ る が,残 し て い な い 。 恐 ら く,子
規 は,漱
石 が 軽 視 した
念 な が ら伝 存
「文 字 の 美 章 句 の 法 」,一 言
で 言 え ば レ ト リ ッ ク の 重 要 性 を 述 べ 立 て た の で あ ろ う。 漱 石 は,早 に
「文 章 論 」 を 書 き 上 げ,子
規 に 送 付 して い る。
僕 一 己 ノ 文 章 ノ定 義 ハ 下 ノ如 シ
文 章is an idea which
故 二 小 生 ノ 考 ニ テ ハIdeaが
Elementニ
Best文 words
is expressed
by means
章is
the best idea which
on paper
テwordsヲarangeス
ルIdea程
is expressed
ル方 ハ
大切 ナ ラ ズ … … in the best way
by
means
of
(中 略)
去 リ 乍 ラRhetoricヲ ス ベ クIdeaヲ
of words
文 章 ノEssenceニ
ハ 相 違 ナ ケ レ ドEssenceナ
on paper
速 翌年一 月
廃 セ ヨ ト云 フ ニ 非 ズEssenceヲ
先 ニ シ テRhetoricヲ
先 ニ シ テformヲ
後 ニ セ ヨ ト云 フ ナ リ(時
軽 重 ス ル 所 ア ル ベ シ ト云 フ 意 ナ リ)(中
後 ニ
ノ先 後 ニ ア ラ ズ
略)
是 ヨ リmathematically二Idea卜Rhetoric/Combinationヨ
リ如 何 ナ ル文 章
ガ 出来 ル カ 御 目二 懸 ケ ン 1
case
Idea
=best
Rhetoric=0 唖 杯 ハbest Ideaガ
make
up no文
章
ア ル トモRhetoricナ
ヌ 如 シ 但 シ コ レハ 文 章 ノ 例 ニ ア ラ ズ
キ 為 メany
speechガ
出来
2 case
Idea
=0
Rhetoric=best 3 case
4 case
5 case
6 case
no文
Idea
=best
R
=best
章 1maginary
best文
Idea
=bad
R
=bad
Idea
=best
R
=bad
Idea
=bad
R
=best
CaSe
章
bad 文 章
Ordinary文
章
bad 文 章
(下 略)
明 治 時 代 の 帝 国 大 学 文 科 大 学 英 文 学 科 の 学 生 が 書 く手 紙 と は こ う い う も の か と恐 れ 入 る 。 こ れ は 和 英 混淆 文 と 称 す べ き 文 体 で は な い か 。 単 語 レ ベ ル に と ど ま ら ず,文
法 レベ ル まで 英 文 化 して い る。
こ れ に 比 べ れ ば,MR.Children(俗 「こ の 胸 のRaindrops」 「The future in my
と こ ろ で,漱
「ゆ ず れ な いMy
eyes wishes
め 込 み 型 借 用 で,可
称 ミ ス チ ル)の
come
soul」 や
「虹 の 彼 方 へ 」 の 歌 詞
「Walkin
true」 な ど は,単
on
the
語 レベ ル,文
ainbow」 レベ ル の は
愛 ら しい もの だ。
石 は 繰 り 返 し文 章 に お け るIdeaの
す る 優 位 性 を 述 べ 立 て て い る が,幸
重 要 性 を 述 べ, Rhetoricに
い な こ と に,漱
の 反 論 は 残 っ て い る 。 明 治23年(1890)1
月18日
れ で あ る 。 子 規 は 和 英 混淆 文 に 対 抗 し て,読
対
石 の レ ポ ー トに 対 す る 子 規 付,夏
目金 之 助 宛 書 簡 が そ
め る か と 言 わ ん ば か り に,猛
烈 な
漢英混渚 文で反駁文 を認めて いる。 Rhetoric軽 下
而 Idea重
謂 Idea good
rhetoric幾 expressed
乎,突
而 Rhetoric
分 所 変 也,引
bad
則 不 過 good
用 他 書 翰 来 甚 称 書牘 体,而
by bad rhetoric与
値 略 相 等 耶,詰
如 而 来 未 有 無Rhetoric之
Bad
idea expressed
文 章 也 冒頭 足 idea
為 bad
何 不 謂 Good by good
得 痛 快 若 由 正 当 論 理 学 的 法 則 論 之,両
rhetoric其
者 未 可 比 較 也,詰
idea 価 難
無 復 余蘊,況
子 規 は 冒頭,レ
於 文 学 尤 重 Rhetoric乎(下
略)
トリ ッ ク不 在 の 文 章 な どは 存 在 しな い と反 駁 す る 。 さ らに,
漱 石 の論 理 的 不 備 を 突 い て 快 哉 を 叫 ん で い る 。 こ の論 争 の 決 着 は 興 味 深 い 。 奇 妙 な こ と に,そ の 後 の 文 筆 活 動 に お い て,二 人 は論 敵 の 主 張 した こ と を,我 が もの と して 実 践 して い る の で あ る。す な わ ち, Rhetoricを 重 視 した 子 規 は こ の あ と, Rhetoricを 抑 えて 「写 生 」 とい う方 向 へ 向 か い,一
方,Rhetoricを
る ほ どに,Rhetoricを
軽 視 した 漱 石 は,「 漱 石 の レ トリ ッ ク癖 」 と 評 さ れ
重 視 す る よ う に な って しま うの で あ る。
残 念 な こ とに 漱 石 が 作 家 と な る 直 前 の 明 治37年(1905),正
岡 子 規 は 享 年37
歳 で 他 界 して し ま って い る の で,感 想 を聞 く こ と は不 可 能 な の だ が,も で あ っ た な ら,「 金 や ん,あ
ん な 事 言 っ て ら あ。 昔,吾
し存 命
輩 が 口 酸 っ ぽ う して 言
う と った こ と じ やう が な も し。」 と眩 い た か も知 れ な い。 漱 石 の 文 筆 活 動 につ い て は 次 節 以 降 に述 べ る こ と に し,こ こで は子 規 につ い て 略 述 す る。 若 鮎 の二 手 に な りて上 りけ り 赤 蜻 蛉 筑 波 に 雲 もな か りけ り 鶏 頭 の 十 四 五 本 もあ りぬ べ し 柿 くへ ば 鐘 が 鳴 る な り法 隆 寺 い くた び も雪 の 深 さ を 尋 ね け り
くれ な ゐ の 二 尺 伸 び た る 薔 薇 の 芽 の 針 や は らか に春 雨 の ふ る 瓶 に さす 藤 の 花 ぶ さみ じか け れ ば た た み の 上 に と ど か ざ りけ り わが 病 め る枕 辺 近 く咲 く梅 に 鶯 なか ば うれ しけ ん か も 病 み こ も る ガ ラ ス の 窓 の 窓 の外 の 物 干 竿 に 鴉 な く見 ゆ う ら う ら と春 日 さ し こむ 竹 籠 の 二 尺 の 空 に 雲 雀 鳴 くな り
全 て,見 た ま ま,思 っ た とお りの 素 直 な 表 現 で,ど
こに も レ トリ ック の 気 取
りが な い。 い わ ゆ る 「写 生 」 の俳 句,「 写 生 」 の 短 歌 で あ る。 こ こ に は,レ リ ッ クの 重 要 性 を黒 煙 りをあ げ て 説 い た若 き 日の 子 規 の面 影 は ない 。
ト
2.「文 学 」 か ら 「文 芸 」 へ− 漱 石 の 転 向,漱 石 の 覚 悟 − 夏 目 漱 石 は,帝 年 6月 ま で,英
国 大 学 文 科 大 学 で 明 治36年(1903)9
月 か ら38年(1905)
文 学 の 作 品 講 読 と並 行 して 行 っ た 講 義 「英 文 学 概 説 」 を も と に
して 『文 学 論 』(明 治40年,1907)を
刊 行 して い る。
この 著 は,多 年 に 亘 る 「文 学 」 研 究 の 成 果 な の で あ る が,漱 石 は そ の 内容 に 満 足 して い な か っ た よ うで あ る 。 大 正 3年(1914)11月25日 け る 講 演 「私 の 個 人 主 義 」 に お い て,彼
に,学
習院 にお
は 次 の よ う に述 べ て い る 。
私 の著 し た 文 学 論 は そ の 記 念 と いふ よ りも寧 ろ 失 敗 の 亡 骸 で す 。 然 も崎 形 児 の亡 骸 で す 。 或 は立 派 に 建 設 され な い う ち に 地 震 で倒 され た 未 成 市 街 の 廃墟 の や う な もの で す 。
文 学 研 究 を志 した漱 石 は,ま ず 「英 文 学 に 欺 か れ た る が 如 き不 安 」(『文 学 論 』 序)を
覚 え,読 破 を試 み た 「一切 の 文 学 書 を行 李 の 底 に 収 め 」(同 前),心
に,文 学 の 必 要,発 達,頽
廃 の様 を極 め,ま
相 を究 め ん と誓 っ た が,こ
の 野 望 は果 たせ な か っ た よ う だ。
こ うい う血 で血 を洗 う よ う な苦 闘 の 後,彼
た社 会 的 に,文 学 の 興 隆,衰
理的 滅の
は 「自 己本 位 」 と い う悟 りの境 地
に達 す る。 い わ ゆ る 「文 学 」 を卒 業 して し ま っ た の で あ る。 で は,「 文 学 」 を 卒 業 した 漱 石 は ど こに 行 っ た の で あ ろ うか 。 「私 の 個 人 主 義 」 にお け る 用 語 を検 討 して み る。 ・私 は大 学 で 英 文 学 とい ふ 専 門 をや りま した 。 ・英 文 学 は しば ら く措 い て 第 一 文 学 とは何 うい ふ もの だか,是
で は到底解 る
筈 が あ り ませ ん。 ・遂 に 文 学 は解 らず じ ま ひ だつ た の で す 。 ・此 時 私 は初 め て 文 学 と は何 ん な もの で あ る か,そ 作 り上 げ る よ り外 に,私
の 概 念 を根 本 的 に 自力 で
を救 ふ 途 は な い の だ と悟 つ た の で す 。
・然 し私 は 英 文 学 を専 攻 す る。 ・文 学 と科 学 ・私 は そ れ か ら文 芸 に対 す る 自 己 の立 脚 地 を堅 め るた め,堅 め る とい ふ よ り 新 し く建 設 す る為 に,文 芸 とは 全 く縁 の な い 書 物 を 読 み 始 め ま した。 漱石 の 用 語 は,「 英 文 学 」 「文 学 」 か ら 「文 芸 」 へ と変 化 して い る。 この 変 化 は 「自 己 本 位 」 の 悟 りと と も に現 れ て お り,「 文 学 」 と は 異 質 な概 念 を 表 そ う
と し た も の で あ ろ う。 「文 学 」 を 卒 業 し た 漱 石 は,ど 活 路 を 見 出 だ し た よ う で あ る が,講
う や ら 「文 芸 」 の 世 界 に
演 と い う 性 質 上,詳
しい 説 明 は な く,は
っ
き りと した結 論 を 出す 事 が で きな い 。 「文 学 」 と い う 用 語 か ら 「文 芸 」 へ 転 じ た こ と,及 め に は,漱
びその意 味 を理解 す るた
石 が 職 業 作 家 と し て 飛 び 立 つ 直 前 に 行 っ た,次
の 講 演 を吟 味 す る ほ
か な さ そ うで あ る 。 「文 芸 の 哲 学 的 基 礎 」 は 明 治40年(1907)4
月,東
京 美術学校 で な された 講
演 速 記 に 基 づ く も の で,「 東 京 朝 日新 聞 」 に 明 治40年 載 日 は,5 月 8,10,14,15日)ま そ の 第21回 の
か ら 第24回
で,27回
5月 4日 か ら 6月 4日(休
に わ た っ て発 表 され た もの で あ る。
の 4回 は 「技 巧 論 」 と小 見 出 し が 付 け ら れ て い る 。 こ
「技 巧 論 」 に お い て,漱
石 は 文 芸 に お け る レ トリ ック の 重 要 性 を 論 じて い
る。
茲
に 二 つ の 文 章 が あ り ま す 。 最 初 の は 沙 翁 の 句 で,次
の は デ フ ォー と云
ふ 男 の 句 で あ り ます 。 之 を比 較 す る と技 巧 と内 容 の 区別 が 自 ら判 然 す る だ ら う と思 ひ ます 。 ・Uneasy ・Kings
lies the head have
freqently
to great things,and extremes,between
that wears
a crOwn .
lamented
the miserable
wished the mean
they
had
been
consecgenes
placed
of being
in the middle
born
of the two
and the great,
大体 の 意 味 は 説 明 す る 必 要 もな い 迄 に明 瞭 で あ ります 。 即 ち冠 を戴 く頭 は 安 き ひ ま な し と 云 ふ の が 沙 翁 の 句 で,高 で,両
極 の 中,上
貴 の 身 に 生 れ た る不 幸 を悲 しん
下 の 間 に 世 を 送 りた く思 ふ は 帝 王 の 習 ひ な り と 云 ふ の が
デ フ オ ー の 句 で あ ります 。
漱 石 は,シ
ェイ クス ピアの
(第21回)
『ヘ ン リ ー 四 世 』 中 の 表 現 と ダ ニ エ ル=デ
ー の 内 容 的 に は 近 似 す る 散 文 を 例 示 し ,こ
れ ら を 丁 寧 に 読 み 解 き,比
フ ォ
較検討 し
て 次 の よ うに 結 論 付 け て い る。
し て 見 る と 沙 翁 の 句 は 一 方 に 於 て 時 間 を 煎 じ 詰 め,一 つ め て,さ
方 で は 空間 を 煎 じ
う し て 鮮 や か に 長 時 間 と 広 空 間 と を 見 せ て く れ て 居 りま す 。
恰 も 肉 眼 で 遠 景 を 見 る と漠 然 と して 居 る が,一
た び 双 眼 鏡 をか け る と大
き な尨 大 な も の が 奇 麗 に縮 まつ て 眸 裡 に 印 す る様 な もの で あ ります 。 さ う して 此 双 眼 鏡 の 度 を 合 は して呉 れ る の が 即 ち 沙 翁 な の で あ り ます 。 是 が 沙 翁 の 句 を読 ん で 詩 的 だ と感 ず る所 以 で あ ります 。
所 が デ フ オ ー の 文 章 を 読 ん で 見 る と丸 で 違 つ て 居 り ます 。 此 男 の か き方 は長 い もの は 長 い な り,短 い もの は短 い な りに書 き放 して 毫 も煎 じ詰 め た 所 が あ りませ ん 。遠 景 を見 る の に 肉 眼 で 見 て居 ます 。度 を合 はせ ぬ の み か, 双 眼 鏡 を用 ひ様 と も し ませ ん。 まあ 知 慧 の な い 叙 法 と云 つ て よ い で せ う。
(中略) 是 で 二 家 の 文 章 の 批 評 は 了 り ます 。 此 批 評 に よつ て,我
々の得た結論 は
何 で あ る か と云 ふ と,文 芸 に在 つ て は 技 巧 は 大切 な もの で あ る と云 ふ 事 で あ り ます 。
(第23回)
夏 目漱 石 は,「 文 学 」 と い う抽 象 概 念 の 世 界 で,の りや め て し まい,物
た う ち 回 る こ と をす っ ぱ
を書 く 「文 芸 」 と い う実 世 界 で 生 き る事 に 覚悟 を決 め た と
考 え て よ い。 「文 芸 」 と は 「文 」 の 「芸 」 で,表
現 の 技 の こ とで あ る 。 作 家 は 「文 」 の
「芸 」 を職 業 とす る 。 とす れ ば,作 家 の や るべ き こ との 第 一 は レ ト リ ッ ク に磨 き を掛 け る こ とで あ る。 作 家 と して の 漱石 が レ トリ ッ ク に こだ わ る の は 当 然 の ことであった。 顧 み る と,こ の 道 は 若 く して 死 ん で しま っ た 親 友 正 岡 子 規 が 夙 に指 し示 して くれ て い た 道 な の で あ っ た。 こ こ に 回帰 す る まで,漱
石 は約18年
を要 した こ
とに な る。 こ の 間,彼
は,西 洋 文 学,心 理 学,社
会 学 を 始 め とす る 多 くの書 物 に 接 して
い た か ら,十 分 に 「思 想 を涵 養 」 し,「original idea」 を も得 て い た。 そ うい う わ け で,こ の18年 間 は,「 道 草 」 の よ う に見 え て,「 道 草 」 で は なか っ た の だ 。 38歳 で 小 説 を書 き始 め る とい う こ とは,24歳
で 『新 編 浮 雲 』 を 書 き始 め
た 二 葉 亭 四 迷 に比 較 す る と,か な り遅 れ を とっ た こ とに な る が,こ の 遅 れ は 決 して 無 駄 で は なか っ た 。 夏 目漱 石 は,「 文 芸 の 哲 学 的 基 礎 」 にお い て,「 こ と ば の 職 人」 の シ エ ー ク ス
ピア の 向 こ う を 張 っ て,「 文 の 芸 人 」 の 漱 石 と して 生 き る決 意 表 明 を 行 っ た と い う こ とで あ る。
3.『虞 美 人 草 』 の 擬 人 法 の 意 味 一 三位 一 体 の 作 品 一 漱 石 は,前 節 で 紹 介 し た 「文 芸 の 哲 学 的 基 礎 」 を朝 日新 聞 に 連 載 す る傍 ら, 明 治40年(1907)5月28日
付 の 「朝 日新 聞 」 の 「小 説 予 告 虞 美 人 草 」 に お
い て 次 の よ う に 記 す 。 彼 は 「文 芸 の哲 学 的 基 礎 」 固 め が 済 む や 否 や,踵
を接 す
る如 くに 職 業 作 家 と して の 処 女 作 執 筆 に 向 か っ て い た の で あ る。
昨 夜 は 豊 隆 子 と森 川 町 を 散 歩 して 草 花 を 二 鉢 買 つ た 。 植 木 屋 に 何 と云 ふ 花 か と 聞 い て 見 た ら虞 美 人 草 だ と云 ふ 。 折 柄 小 説 の題 に 窮 して,予 告 の 時 期 に後 れ る の が 気 の 毒 に思 つ て 居 つ たの で,好 加 減 な が ら,つ い 花 の 名 を拝 借 して巻 頭 に冠 らす こ とに した 。 純 白 と,深 紅 と濃 き紫 の か た ま りが 逝 く春 の 宵 の 灯 影 に,幾 重 の花 辮 を皺 苦 茶 に畳 ん で,乱 欺 く粗 き葉 の 尽 くる 頭 に,重
れ なが ら に,鋸
を
き に過 ぎ る朶 々の 冠 を擡 ぐる 風 情 は,艶
と
は 云 へ,一 種,妖 冶 な 感 じが あ る 。余 の 小 説 が 此 花 と同 じ趣 を具 ふ る か は, 作 り上 げ て見 な け れ ば 余 と錐 も判 じが た い 。
社 で は予 告 が 必 要 だ と云 ふ 。 予 告 に は題 が 必 要 で あ る 。 題 に は 虞 美 人 草 が 必 要 で な い か も知 れ ぬ が,一
寸 重 宝 で あ つ た 。聊 か 虞 美 人 草 の 由 来 を
述 べ て,虞 美 人 草 の製 作 に取 りか か る。 五 月 二 十 八 日 漱 石 は 偶 然,虞
美 人 草 を 手 に入 れ た 。 虞 美 人 草 とは 別 名,ヒ
ナ ゲ シ ・ポ ピ ー
の こ とで あ る 。 与 謝 野 晶 子 に,「 あ あ皐 月 仏 蘭 西 の 野 は 火 の 色 す 君 も雛 罌栗 わ れ も雛罌 栗 」(『夏 よ り秋 へ 』 大 正3年,1914)と
い う短 歌 が あ る が,
こ の 「雛罌 栗 」 も虞 美 人 草 の こ とで,花 言 葉 は 「純 愛 」 で あ る。 と こ ろ で,植 木 屋 が 「ヒ ナ ゲ シ」 とか,「 ポ ピー 」 と か 「雛 密 栗 」 とか と応 え た と した ら,漱 石 の 職 業 作 家 と して の処 女 作 は全 く違 った もの に な っ て い た こ と で あ ろ う。 「虞 美 人 草 」 とい う言 葉 は,漱
石 に三 つ の も の を 与 え た 。 そ の 一 つ は,言
まで もな く,作 品 の タ イ トル で あ る。
う
二 つ 目は モ チ ー フ で あ る。 虞 美 人 と は,楚 邦軍 に よ垓下
に囲 ま れ た 時,最
う。 時 利 あ らず … …,虞
の項羽 の寵姫 の こ と。 項 羽 ば劉
後 の 宴 に お い て,「 力 山 を抜 き,気 は 世 を蓋
や虞 や 汝 を い か ん せ ん」 と歌 い,嘆
じた と伝 え られ て
い る。 死 を覚 悟 して 出 陣 した 項 羽 の 後 を 追 う よ うに して,虞 美 人 は 自 刃 し,流 れ 出 た 血 が 滲 ん だ 大 地 か ら咲 き 出 た 花 が 虞 美 人 草 で あ っ た 。 『虞 美 人 草 』 の モ チ ー フ は,「 女 は 純 愛 を 守 る た め に 自裁 す る も の だ 」 とい うこ とで あ る。 だ か ら,『 虞 美 人 草 』 の ヒ ロ イ ン 「藤 尾 」 の 運 命 は,漱
石 が 散 歩 の 途 中 で,植 木 屋
か ら虞 美 人草 を買 い 求 め た時 に 定 ま っ て い た の だ。 な お,作
中 に 「ク レオパ トラ」 が 頻 出 す る。 ク レオパ トラ も愛 を 守 るた め に
自決 した 女 性 で あ る こ と は言 う まで もな い こ とだ ろ う。 この作 品 に お い て,作 家 は,三
人 の 女 性 の死 を含 ませ て い た の で あ る 。
三 つ 目は 主 要 レ トリ ッ クで あ る 。 虞 美 人 草 は,虞
美 人 とい う人 間 と草 とい う
植 物 が 一 体 とな っ て 出 来 た 言 葉 で あ る。 これ を レ トリ ック に 「翻 訳 」 す る と, 擬 人 法 とい う こ と に な る。 そ の 結 果,『 虞 美 人 草 』 に は,こ
れ で もか とい う ほ
ど に擬 人 法 が 頻 出 す る と い う こ と に な る の で あ る。 タ イ トル とモ チ ー フ と主 要 レ トリ ッ ク とが 密 接 に 関 連 す る作 品 を 「三 位 一 体 の 作 品 」 とい う 時,こ
の 型 の 作 品 は,『 虞 美 人草 』 に お い て 出 現 した と い う こ
とが 出 来 る 。 漱 石 は 文 芸作 品 と して 処 女 作 を世 に送 り出 した の で あ る 。 寄席 の大喜利 な ど で 行 わ れ る 話 芸 の 一 つ に 「三 題噺 」 と い う もの が あ る。 客 か ら任 意 に 三 つ の題 を出 させ,即
座 に一 つ の 噺 を纏 め 上 げ,落 ち を付 け て 一
席 の 落 語 とす る も の で あ る 。 「三 題 噺 」 は 「話 芸 」 で あ る が,漱
石 は 「文 芸 」
と して 三 位 一 体 の 作 品 を提 示 し,技 の 冴 え と 同 時 に 「文 芸 」 の 在 り方 を世 に 示 したか っ た の で は な か ろ うか 。 三 位 一体 の 作 品 は 『そ れ か ら』(明 治42年,1909),『 『道 草 』(大 正 4年,1915)と
門 』(明 治43年,1910),
続 き,『 明 暗 』(大 正 5年,1916)ま
で書 き継 が れ
ている。 と こ ろ で,こ の 作 品 で 「虞 美 人草 」 と い う言 葉 が 使 用 され て い る 部 分 を確 認 して お く。
… 春 に誇 る ものは悉く亡 ぶ 。我 の女 は 虚 栄 の毒 を仰 い で斃 れ た。 花 に 相 手
を失 つ た 風 は,徒
ら に亡 き人 の 部 屋 に薫 り初 め る。
藤 尾 は 北 を枕 に寐 る 。 薄 く掛 け た 友禅 の 小 夜 着 に は片 輪 車 を 浮 世 ら しか らぬ 格 好 に,染
め抜 いた。 上 には半分程色 づ いた蔦が 一面 に這 ひかか る。
淋 し き模 様 で あ る 。 … …
(中 略) 逆 さ に立 て た の は 二 枚 折 の 銀 屏 で あ る 。 一 面 に 冴 へ 返 る 月 の 色 の 方 六 尺 の な か に,会
釈 も な く,緑
青 を 使 つ て,柔婉
な る茎 を乱 る る許 に描 た。
不 規 則 に ぎ ざ ぎ ざ を 畳 む鋸 葉 を描 い た 。 … … 落 つ る も銀 の 中 と 思 はせ る 程 に 描 い た。 花 は 虞 美 人 草 で あ る。 落款 は 抱 一 で あ る。 … (十 九 の 一 第125回)
ヒ ロ イ ン藤 尾 の 死 の 枕 辺 を飾 る逆 さ屏 風 の 絵 柄 の 一 つ と して 「虞 美 人 草 」 は 登 場 す る。 こ の 作 品 は127回
の連 載 で 終 了 して い る の で,最
終 回 の2回 ほ ど前
に,そ そ くさ と登 場 させ て い る こ とに な る 。 「虞 美 人 草 」 の 使 用 は,こ 1回 だ け で あ る 。 こ れ で,作
品 全 体 を 『虞 美 人 草 』 とす る の は 無 理 で あ ろ う。
『虞 美 人 草 』 を タ イ トル とす る た め に は,も 漱石 は,先
こで の
う少 し理 由が 必 要 だ。
に も述 べ た ご と く,こ の作 品 を擬 人 法 で 満 ち あ ふ れ させ て い る 。
① 恐 ろ しい頑 固 な 山 だ な あ 。
(一)
② 行 く人 を両 手 に遮 ぎる 杉 の 根 は …
(一)
③ 黒 い 靴 足 袋 が 三 分 一 裏 返 しに 丸 く踵 鋸 て居 る 。 … …練 歯 粉 と白 楊 子 が挨 拶 して ゐ る。
(三)
④長芋 の白茶 に寝転 ん で ゐ傍に,一 て,苦
片 の玉 子 焼 が 黄 色 く圧 し潰 さ れ様 と し
し紛 れ に首 丈 飯 の境 に 突 き込 ん で ゐ る。
⑤愛嬌 が示談 の上,不
安 に借家 を譲 り渡 した迄 で あ る 。
⑥ 過 去 は死 ん で 居 る 。 ⑦ 自然 は対 照 を好 む 。
(三)
(四)
(八) (十二)
④ は,駅 弁 の 描 写 で あ る。 滑 稽 とい っ て よい 。 作 者 の 真 面 目 さ を疑 わ しめ る 恐 れ の あ る 表 現 で,真
意 を測 りか ね る もの だ。 そ う い う危 険 を 冒 し て まで 漱 石
は 擬 人 法 を酷 使 して い るの だ。 これ も,お ど ろ くに 価 す る こ と なの だが,直
前 に刊 行 され た 『文 学 論 』 に お
い て,な
ん と 彼 は,擬
第 四編
人 法 は 嫌 い だ と書 い て い る。
「 投 出 語 法 」(Projective
language)
a 例 雲 足 早 し。 木 の 葉 の 私 語 。 引 出 し の 手 。 縫 針 の 目 。 鐘 の 舌 。
b 元 来余は所謂抽象 的事物 の擬 人法 に接 す る度毎に,其 多 くの場合が態 と ら し く気 取 りた る に頗 る不 快 を感 じ,延 い て は此 語 法 を総 じて厭 ふ べ き もの と断 定 す る に至 れ り。
⑤ ⑥ ⑦ は 「所 謂 抽 象 的 事 物 の 擬 人 法 」 で あ る 。 「厭 ふ べ き もの と断 定 」 した に もか か わ らず,漱 石 は か くの ご と く多 用 す る。 そ の 理 由 は,た だ 一 つ,タ
イ
トル が 「虞 美 人 草 』 だ か ら と考 え る ほ か な い 。 も し これ が,別 名 の 「ヒナ ゲ シ」 「ポ ピ ー」 「雛罌 栗 」 で で もあ った とす る な らば,嫌
い な擬 人 法 を多 用 す る こ と
は な か っ た ろ う。 こ こ に漱 石 の 三 位 一 体 へ の こ だ わ りを見 る こ とが で る 。 漱 石 を突 き動 か す も の は物 で は な い。 言 葉 な の で あ る。 さ て,モ チ ー フ につ い て も吟 味 して お く。 先 の 引 用 で あ き らか な よ う に,女 主 人公 藤 尾 は 「虚 栄 の 毒 を仰 い で斃 れ」 て い る 。 この 死 は,愛
を 貫 くた め の もの と解 釈 で き る。 こ こ に ,「 虞 美 人 」 の 人
生 が 反 映 さ れ て い る。 また,「 藤 尾 」 は 生 前,愛 キ ス トは,な
す る 「小 野 君 」 に 英 語 を学 ん で い る 。 そ の 際 の テ
ん と シ ェ ー クス ピア の 『ク レオ パ トラ』 な の だ 。 この 作 品 に は ,
か の ク レ オパ トラが 登 場 す る。 「虞 美 人 草 」 は た っ た の1回 だ け だ っ た が ,「 ク レオ パ トラ」 は19回 も使 用 さ れ て い る。
「こ の 女 は羅 馬 へ 行 く積 な ん でせ うか 」
女 は腑 に 落 ち ぬ 不 快 の 面 持 ち で 男 の 顔 を見 た。
小 野 さん は 「ク レ オパ トラ」 の 行 為 に 対 して責 任 を 持 た ね ば な らぬ 。
「行 きは し ませ ん よ 。 行 きは し ませ ん よ」 と縁 もな い 女 王 を弁 護 した 様 な 事 を云ふ。
ク レ オパ トラ も辱 しめ を 避 け,愛
( 二) を守 る た め に,自
ら死 を選 ん だ 女 性 で あ っ
た。 「虞 美 人 草 」 は,主 要 レ トリ ッ ク と して 擬 人 法 を 導 き 出 し,ク 登 場 させ,ヒ
レオ パ トラ を
ロ イ ン藤 尾 が 愛 の た め に死 ぬ とい う運 命 を 決 定 付 け て し ま っ た。
天 与 の 「虞 美 人 草 」 に漱 石 は み ご とな 意 味 付 け を し て い る。 『虞 美 人 草 』 は い う ま で も な く,職 業 作 家 夏 目漱 石 の デ ヴュ ー 作 な の で あ る 。 最 初 の 第 一 作 か ら,彼 は,タ
イ トル ・モチ ー フ ・主 要 レ トリ ッ ク の 三 位 一 体 の技 法 を 高 く掲 げ
て い た。
4.『 明 暗 』(大 正 5年,1916)の
対 義 結 合― 水 村 美 苗 『続 明 暗 』につ い て―
夏 目漱 石 は大 正 5年 5月16日 か ら,最 後 の作 品 とな る 『明 暗 』 を朝 日新 聞 に 掲 載 し始 め る が,同
年11月22日,第188回
を 執 筆 中,再
苦 痛 に耐 え 兼 ね,遂
に 執 筆 を断 念 して い る。
発 して い た 胃潰 瘍 の
も っ と も,中 断 され た と は 言 え,こ の 作 品 が 三 位 一 体 の 作 品 で あ る こ とを 思 え ば,モ
チ ー フ は 十 分 に推 測 し うる 。
物 事 に は す べ て 「明 暗 」,二 つ の側 面 が あ る の だ 。 女 心 も そ うで あ る 。 清 子 の心 変 り も この 観 点 か ら と らえ るべ き もの で あ り,む し ろ,し つ こ く 「 心 変 り」 を 責 め る津 田 由雄 の の ほ うが 精 神 的 に は幼 く,問 題 が あ るの だ とい う もの で あ っ た ろ う。 作 者 は清 子 に,は
っ き りと こ う も言 わ せ て い る。
「心 理 作 用 な ん て 六 づ か しい もの は 私 に は 解 らな い わ 。 た だ,昨 で,今 朝 は 斯 う な の 。 そ れ 丈 よ」
夕はあ あ
(百八 十 七)
と こ ろ で,女 心 の 移 ろ い や す さを 責 め る と い うモ チ ー フは す で に 『 坊 つ ちや ん』(明 治39年,1906)に
現 れ て い る。
食 ひ た い 団 子 の 食へ な い の は情 な い 。 然 し 自分 の 許 婚 が 他 人 に心 を移 した の は,猶 情 な い だ ら う。 う ら な り君 の 事 を思 ふ と,団 子 は 愚 か,三
日位
断 食 して も不 平 は こ ぼせ な い 訳 だ。本 当 に 人 間程 宛 に な らな い もの は な い 。 あ の 顔 を 見 る と,ど ん だ が―
う した つ て,そ
ん な 不 人 情 な 事 を し さ う に は思 へ ない
うつ く しい 人 が 不 人 情 で,冬 瓜 の 水 膨 れ の様 な 古 賀 さ ん が 善 良
な 君 子 な の だ か ら,油 断 が 出 来 ない 。
(七)
「バ ツ タ事 件 」 で 田舎 の 中 学 生 に か らか わ れ た23歳 の 「坊 つ ち や ん 」 は,次 の よ うに 息 巻 い て もい る。
困 つ た つ て 負 け る もの か 。 正 直 だ か ら,ど の 中 に正 直 が 勝 た な い で,外 に 勝 て な け れ ば,あ
う して い い か 分 ら な い ん だ 。 世
に勝 つ も のが あ る か,考 へ て 見 ろ 。 今 夜 中
した 勝 つ 。 あ した 勝 て な け れ ば,あ
さつ て 勝 つ 。 あ さ
つ て 勝 て な け れ ば,下 宿 か ら弁 当 を取 り寄せ て 勝 つ 迄 こ こ に 居 る 。(四)
「坊 つ ち や ん」 も,二 葉 亭 四 迷 が こ の 世 に送 っ た 世 間 知 らず の23歳 の 「内 海 文 三 」 の 末裔 で あ っ た 。 津 田 由 雄 は,こ の 「坊 つ ちや ん」 か ら精 神 的 に は 少 し も成 長 して い な い。 万 物 は流 転 し,人 は 時 間 と と も変 化 す る。 あ る 一 定 の 時 点 に と ど ま る こ とを しな い 。 こ の 自明 の 真 理 を 理 解 せ ず に,人
を 責 め るの は無 理 無 体 の 技 で あ る。
『坊 つ ちや ん 』 を執 筆 した 漱 石 は39歳 で あ っ た。 作 者 自 身 は こ の 子 供 っ ぽ さ か ら脱 却 した地 平 に 立 っ て い た 。
二個 の 者 がsame
space
ヲ
ocupyス
ル 訳 に は行 か ぬ 。 甲が 乙 を追 ひ 払 ふ
か,乙 が 甲 を は き除 け る か 二 法 あ る の み ぢ や 。 甲 で も乙 で も構 は ぬ 強 い 方 が 勝 つ の ぢや 。 理 も非 も入 らぬ 。 え ら い方 が 勝 つ の ぢ や。 上 品 も下 品 も入 らぬ 図 々敷 方 が 勝 つ の ぢ や。 賢 も不 肖 も入 らぬ。 人 を馬 鹿 に す る 方 が 勝 つ の ぢ や。 礼 も無 礼 も入 らぬ 。 鉄 面 皮 な の が 勝 つ の ぢや 。 (中 略) ―夫 だ か ら善 人 は必 ず 負 け る 。 君 子 は 必 ず 負 け る 。 徳 義 心 の あ る もの は 必 ず 負 け る 。 醜 を忌 み悪 を避 け る 者 は 必 ず 負 け る。 礼 儀 作 法,人 重 ん ず る もの は 必 ず 負 け る。 勝 つ と勝 た ぬ と は善 悪,邪 は な い―powerデ
あ る―willで
あ る。
正,当
(明 治38,39年
倫 五常 を
否の 問題で 断 片33)
こ う い う酷 薄 な 資 本 主 義 社 会 の 論 理 を悟 ら な か っ た26歳 の 二 葉 亭 四 迷 は 『新 編 浮 雲 』 をほ う り出 さ ざ る を え な か っ た 。 悟 りを 開 い た 夏 目漱 石 は,『 坊 つ ち や ん』 を 書 き上 げ,『 明 暗 』 を執 筆 した 。 夏 目漱 石 は,渾
身 の 力 を 込 め て,一 生 懸 命 「負 け よ う」 と して い る。 決 して
「勝 と う」 とは しな い。 二 葉 亭 四 迷 も夏 目漱 石 も,「 仁 ・義 ・礼 智 ・信 」 の 五 常 を よ し と し,そ れ ら を全 うす る 生 き 方 を美 しい と信 じて い た の だ 。 「文 学 」 は こ う い う古 風 な若 者 た ち に よ っ て,「 近 代 文 学 」 と な っ た 。 だ か ら,近 代 文 学 は 若 者 の も の,青
年
の も の と して存 在 した の で あ る 。 と こ ろ で,『 明 暗 』 は 「明 」 と 「暗 」 とい う対 義 語 が 結 合 して 出 来 上 が っ た 熟 語 で あ る。 こ れ を レ トリ ック に 「翻 訳 」 す る と,対 義 結 合 とい う こ と に な る。 だ か ら,漱 石 は こ の作 品 の 全 身 を対 義 結 合 で 飾 り立 て て い るの で あ る 。 1 好 ん で 斯 うい ふ場 所 へ 出 入 した が る 彼 女 に取 つ て,別
に 珍 ら し く もな
い 此 感 じは,彼 女 に取 つ て,永 久 に新 ら しい感 じで あつ た 。 だ か ら又 永 久 に 珍 ら しい感 じで あ る と も云へ た。
(四 十五)
2 彼 女 は たヾ 不 明瞭 な材 料 を もつ て ゐ た。 さ う して比 較 的 明 瞭 な 断 案 に 到 着 して ゐ た 。
(五十 六)
3 今 朝 見 た と何 の 変 り もな い 室 の 中 を,彼 女 は 今 朝 と違 つ た 眼 で見 回 し た 。
(五 十 七)
4 反 逆 者 の清 子 は,忠 実 なお 延 よ り此 点 に 於 て 仕 合 せ で あ つ た。 (百八 十 三) 5 此 逼 ら な い人 が,何
う して あ ん な に 蒼 くな つ た の だ ら う。
(百八 十 四) 6 表 で認 め て 裏 で 首 肯 は な か つ た津 田 の 清 子 に対 す る 心 持 は,何 か の 形 式 で 外 部へ 発 現 す る の が 当 然 で あ つ た 。
(百 八 十 五)
7 「たヾ 昨 夕 は あヽ で,今 朝 は斯 うな の 。 そ れ 丈 よ」
(百 八 十 七)
8 眼 で 逃 げ られ た 津 田 は,口 で 追掛 け な け れ ば な らな か つ た。
(百八 十 八)
水 村 美 苗 は 『明 暗 』 の 中 断 を惜 しん で,『 続 明 暗 』(第189回 1988∼1990)を
∼ 第288回,
書 き継 ぎ,こ の作 品 を 津 田 由 雄 の 物 語 か ら津 田 延 子 の 物 語 へ
変 身 させ て 完 了 させ てい る。 興 味 深 い作 品 で あ り,作 者 の 精 進 ぶ りが 強 く印 象 づ け られ る 作 品 な の で あ る が,文
体 の 面 で 難 が あ る 。 漱 石 は 前 述 した よ う に ,
この 作 品 を 対 義 結 合 で 満 ちあ ふ れ させ て い る の で あ る が ,水 村 は そ の よ うに は 書 い て い な い 。 対 義 結 合 が 皆 無 とい うわ け で は な い が,あ
きれ る ほ ど少 な い の
だ。 パ ス テ ィー シ ュ に成 功 しか け て い るの に肝 心 の と こ ろ で 失 敗 して い る。 惜 しま れ る こ とだ 。
・互 い に 結 婚 で 縛 られ た 二 人 は互 い の 結 婚 で 解 き放 た れ …(二 百 三 十 八) ・自 然 は お 延 を殺 そ う と して憚 らな い 代 りに,お 延 を 生 か して も 一 向 に平 気 であった。
(二 百 八 十 八)
『続 明 暗 』 に 現 れ る対 義 結 合 は,こ
の く ら い で あ る 。 ど う や ら,水 村 は,
内 容 を 重 視 す るIdeaの 人,「 文 学 」 の 人 で あ り,文 体 に 命 を か け るRhetoricの 人,「 文 芸 」 の 人 で は な か っ た よ う だ。
■ 発展 問題 (1) 明 治22年12月31日 て,具
付 の 漱 石 よ り子 規 宛 の 書 簡 に お い て,漱
石 は 子 規 に対 し
体 的 に ど うせ よ と言 っ て い る か 。
(2) 明 治23年
1月,漱
石 が 書 い た 「文 章 論 」 に お け る 「文 章 」 の 定 義 と,他
の人
が 下 し た 文 章 の 定 義 と を 比 較 し,漱 石 の 特 徴 に つ い て 考 え て み よ う。
a 夏 目 漱 石 の 定 義(「 文 章 論 」1889) 文 章is an idea which is expressed
by means
of words
b 時 枝 誠 記 の 定 義(『 国 語 学 大 辞 典 』 東 京 堂 出 版,1980)
c 遠 藤 好 英 の 定 義(『 国 語 学 研 究 事 典 』 明 治 書 院,1977)
on paper。
そ れ 自身 完 結 し た統 一 あ る 言 語 表 現 。
そ れ 自身 完 結 し た統 一 あ る 具 体 的 表 現 の 全 体 と し て,前 な い 文 章 は,そ
後 に 文 脈 を持 た
の 内容 につ いて 展開 の相 を示す。
d 小 出 美 河 子 の 定 義(『 日本 語 学 キ ー ワ ー ド事 典 』 朝 倉 書 店,1997) 語 ・文 の 上 位 に あ り,作 品 の 下 位 に あ る言 語 表 現 の 単 位 。
e 永 野 賢 の 定 義([文
章 論 の 構 想 」 『学 校 文 法 文 章 論 』 朝 倉 書 店,1959)
文 章 は文 の 累 積 した もの で あ る 。(中 略)時 と して 成 立 す る 流 れ で あ る。(中 略)全
間 的 ・線 条 的 な 累 和 ・連 続
体 と し て,意
味 の 連 絡,す
じの
考 は 流 動 展 開 を 本 質 と す る ゆ え,文
章 は
統一 が なけれ ば な らない。
f
森 田 良 行(「 文 章 論 と文 章 法 」 「国 語 学 」32輯,1958) 文 章 は 思 考 の 表 現 で あ り,思
個 々 の 表 現 の 連 接 と して 形 成 さ れ 把 握 さ れ る 。
(3) 本 書 に お け る 文 体 の 定 義 と 他 の 人 の 定 義 を 比 較 して,気 付 い た 点 を述 べ な さ い。
a 本 書 に お け る 文 体 の 定 義 文 体 と は,メ
ッ セ ー ジ の 効 率 的伝 達 を 考 え て 採 用 さ れ る,視 覚 的 文 体 素
(文 字 ・表 記)と また は,装
意 味 的 文 体 素(用
語 ・表 現)と
に よ る 言 語 作 品 の 装 い,
い 方 を い い ます 。
b 市 川 孝 の 定 義(『 国 語 学 大 辞 典 』) 言 語 表 現 の 様 相 に も と づ く特 殊 性 。 普 通,書
き こ と ば に つ い て い う。 文
章 表 現 の ス タ イ ル(style)。
c 遠 藤 好 英 の 定 義(『 国 語 学 研 究 事 典 』) 広 い 意 味 で の 言 語 表 現 の 特 徴 を 文 体 と い う。 言 語 表 現 の 事 実 に基 づ い て そ の 特 徴 を類 型 的 に,あ
る い は 個 別 的 に 捕 ら え た もの で あ る 。
d 中 村 明 の 定 義(『 日 本 語 の 文 体 』 岩 波 セ ミナ ー ブ ック ス47,1993) 文 体 と は,表
現 主 体 に よ っ て 開 か れ た 文 章 が,受
展 開 す る 過 程 で,異
容 主体 の参 加 に よって
質 性 と して の 印 象 ・効 果 を は た す 時 に,そ
の動 力 と
な っ た 作 品 形 成 上 の 言 語 的 な性 格 の 統 合 で あ る 。
(4) 漱 石 の 『三 四 郎 』 と〓 外 の 『青 年 』 の 文 体 の 相 違 に つ い て 調 べ て み よ う 。
■ 参 考 文 献 1) 大 岡 信 編
『子 規 と 漱 石 』(「子 規 選 集 」 9,増 進 会 出 版 社,2002)
2) 「特 集 子 規 の 転 機 」12-1(「 3) 『漱 石 全 集 』 第16巻(岩 4) 『漱 石 全 集 』 第14巻(岩 5) 『漱 石 全 集 』 第 4巻(岩
俳 句 α」 毎 日新 聞 社 出 版 局,2003)
波 書 店,1995) 波 書 店,1995) 波 書 店,1994)
6) 『漱 石 全 集 』 第10巻(岩
波 書 店,1994)
7) 『漱 石 全 集 』 第11巻(岩
波 書 店,1994)
8)柄 谷 行 人 ・小 池 清 治 ・小 森 陽 一 ・芳 賀 徹 ・亀 井 俊 介
『漱 石 を よ む 』(岩 波 セ ミナ ー ブ ッ
ク ス48,1994) 9) 『漱 石 全 集 』 第 2巻(岩 10) 水 村 美 苗
波 書 店,1994)
『続 明 暗 』(「季 刊 思 潮 」 思 潮 社,1988∼1990,筑
摩 書 房,1990,新
潮 文 庫,
1990) 11) 『漱 石 全 集 』 第19巻(岩 12) 小 池 清 治 13) 小 池 清 治 14) 小 池 清 治
波 書 店,1995)
「『虞 美 人 草 』 を よ む 」(『漱 石 全 集 』 月 報16,1995) 「文 学 と 言 葉 の 間 」(「 国 文 学 言 語 と 文 芸 」 第116号,1999) 「『吾 輩 は 猫 で あ る 』 の 猫 は な ぜ 名 無 し の 猫 な の か?=
大 学 国 際 学 部 研 究 論 集 」 第18号,2004)
固 有 名 詞 論 = 」(「宇 都 宮
第13章
文 学 の 「写 生 」 は あ り得 る か?― 正岡子規の日本文 学近代化戦略― 【 文 学 と 語 学 ・レ ト リ ッ ク 】
キ ー ワー ド:写 生,ス ケ ッチ,美 術 と文学,西 洋,19世 紀,ハ ー バ ー ト ・ス ペ ンサ ー,文 体論,ア ン トニ オ ・フォ ンタネー ジ,中 村不 折,正 岡子 規,俳 句, 短 歌,叙 事 文,主 意,材 料,取 捨 選択,構 成(結 構 布 置),言 文 一致, 「ホ ト トギス」,募 集 文,小 品文,高 浜 虚子,写 生 文,夏 目漱 石,志 賀 直 哉
19世 紀 後 半,開
国 した 日 本 が 近 代 化 に 向 か う と き,日 本 文 学 も ま た,近
代
文 学 と して 生 き残 る道 を探 る こ とを 余 儀 な くさ れ た。明 治 の 文 学 者 正 岡 子 規 は, 同 時代 の 哲 学 者 ハ ー バ ー ト ・ス ペ ンサ ー の 『文体 論 』 と,イ
タ リ ア人 画 家 ア ン
トニ オ ・フ ォ ン タ ネ ー ジが 伝 え た ア カデ ミ ック な 西 洋 美 術 の 理 論 か ら,有 用 な ア イデ ア を借 用 し,文 学 に お け る 「写 生 」概 念 を生 み 出 した 。 子 規 は,世 界 で 最 も短 い 文 学 表 現 の 一 つ で あ る 俳 句 を手 始 め と して,自 写 生 論 を構 築 した 。 そ して,そ
らの
れ を短 歌,散 文 へ と適 用 の 範 囲 を拡 げ,近 代 日
本 の 文 学 理 論 と して の 写 生 論 の 完 成 に 近 づ け て い っ た 。 「写 生 」 に よ る 子 規 の 文 学 革 新 は,写 生 文 につ な が る 「叙 事 文 」 の 提 唱 を もっ て,子 ば で途 絶 し たが,後
規 の死 に よ り半
継 者 た ち に よ っ て,そ れ ぞ れ に受 け 継 が れ,発 展 して い っ
た。 写 生 文(叙 事 文)に
ふ さわ し い文 体 と して,子 規 は,平 易 な 言 文 一 致 体 を勧
め て い る。 これ は,同 時 代 の 文 体模 索 の 動 きに 呼 応 した もの で あ ろ う。
1.美 術 の 写 生 と文 学 の 写 生― 写 生? 「写 生 」 と い う言 葉 を 聞 い た と き,ま ず,何 が 頭 に浮 か ぶ だ ろ うか? 小 学 校 の と きの お絵 か き大 会? 絵 具 と絵 筆 と筆 洗,画
用 紙 と画 板,そ
ら,お 弁 当 と水 筒 とお や つ を持 って 出か け た 写 生 遠 足?
ス ケ ッチ と い う カ タ
カナ 語? 俳 句 と い う文 学 表 現 を 連 想 す る 人 は,ど れ ほ どい る だ ろ うか?
れか
俳 句 を作 る 人 々,俳
人 の 間 で は,「 写 生 」 とい う語 は,何
の 説 明 も な く,ご
く当 た り前 に,俳 句 用 語 と し て使 わ れ て い る 。 俳 句 に お い て,「 写 生 」 は 基 本 で あ り,か つ,非
常 に 大 切 な も の と して 扱 わ れ て い る 。 俳 句 にお け る 「写 生 」
は,技 法 で もあ り,理 念 で もあ る。 一 般 的 な言 語 感 覚 か らす れ ば,こ 写 生 と い う語 は,本 学 の な か で,重 なぜ,こ
の よ う な用 法 は,特 別 な もの で あ ろ う。
来 は 美術 の 言 葉 で あ る 。 に もか か わ らず,近 代 の 日本 文
要 な キ ー ワ ー ドの 一 つ と して,厳
然 た る位 置 を 占 め て い る 。
の よ う な現 象 が 起 こ っ て きた の か,明 治 日本 に お け る西 洋 受 容 の特
質,美 術 と文 学 の 関 係 か ら考 え て み た い 。
2.正 岡 子 規 正 岡 子 規 は,1867(慶 県)松
応 3)年,元
号 が 明 治 に 変 わ る前 年 に,伊 予 国(愛 媛
山 の 士 族 の 家 に 生 まれ た。 旧 制 松 山 中 学 を経 て 上 京 し,東 京 大 学 に 入 学
す る。 当時 の 男 子 に とっ て の エ リー トコ ー ス に 乗 り,国 家 有 用 の 人 材 と な る こ と を夢 見 て い た 。 大 学 を中 退 した 後,新 に 脊椎 カ リエ ス で 亡 くな る まで,子
聞 記 者 とな り,1902(明
治35)年
9月
規 は,写 生 につ い て 考 え,日 本 文 学 の 近 代
化 革新 を進 め た 。
3.ハ ーバ ー ト ・スペ ン サ ー の 『文 体 論 』 子 規 は,西 洋 の理 論 や 思 想 を 手 が か り に して,文 学 の 存 在 意 義 や,こ の 日本 文 学 の あ るべ き姿 に つ い て 考 え た 。 子 規 に,大 一つ が
,ハ ー バ ー ト ・ス ペ ン サ ーHerbert
Styleで あ っ た。 ス ペ ンサ ー は,子 化 論 に も とづ い た 社 会観,人
Spencerの
れか ら
き な示 唆 を 与 え た もの の 『文 体 論 』Philosophy
of
規 と同 時 代 の イ ギ リス の 哲 学 者 で あ る。 進
間 観 を 様 々 な視 点 か ら展 開 し,明 治 前 半 期 の 日本
の 知 識 人 に と っ て 必 須 の 存 在 で あ っ た 。 『文 体 論 』 が 翻 訳 さ れ た の は,1877 (明 治10)年
で あ る。 『文 体 論 』 を 読 ん だ 子 規 は,1889(明
治22)年
に,次
の
よ うな 感 想 を記 して い る。
ス ペ ンサ ー の 文
体
論 を読 み し時minor
imageを
以 て 全 体 を現 はす
即 チ 一 部 を あ げ て 全 体 を現 は し あ る は さみ し くとい はず して 自 ら さみ し
き様 に 見 せ る の が 尤 詩 文 の 妙 処 な り と い ふ に 至 て 覚 え ず 机 を う つ て や 」 の句 の 味 を 知 りた る を 喜 べ り
子 規 は,ス
ペ ンサ ー の
「古 池
(「○ 古 池 の 吟 」,「 筆 ま か せ 」)
『文 体 論 』 に,文
学 作 品 に お い て は,何
もか も事 細 か
に 描 写 す る の で は な く,特
徴 的 な 一 部 分 を 取 り出 し て 描 き 出 し,読
や 想 像 力 を か き 立 て て,作
品 世 界 を 膨 ら ませ る よ う に す る 方 が よ い と い う 考 え
を 見 出 し た 。 そ し て,西
洋 か ら 得 た,そ
文 学 で あ る 俳 句 を 見 直 し,そ ス ペ ンサ ー は,物
者 の連想力
の 評 価 基 準 に も と づ い て,日
本伝統 の
の価 値 を再 評 価 した の で あ る。
事 の す べ て を,直
接 的 に は っ き り と 読 者 に 提 示 す る こ と が,
す ぐれ た 文 学 を 生 み 出 す わ け で は な い こ と を 次 の よ う に 述 べ て い た 。
We
are told that"brevity
verbose
is the soul of wit."We
hear
or involved.
styles condemned (Philosophy
as
of Syle)
「簡 潔 さ は 機 知 の 真 髄 で あ る 。」 と 言 わ れ て い る 。 文 体 が 冗 長 で あ る と か, 複 雑 で あ る と,非
Whatever
難 され る の を 耳 に す る 。
the nature
few particulars which
of the thought
to be conveyed,this
(『文 体 論 』)
skillful selection of a
imply the best,is the key to success. (Philosophy
表 現 さ れ る べ き 思 想 の 特 質 が ど の よ う な も の で あ っ て も,残 含 意 す る 二,三
To
select
elements things
from which
but
producing
the sentiment,scene,or carry many
suggesting
event
many,to
abridge
景,出
こ と を 暗 示 し て,描 訣 で あ る。
so,by
the description;is
typical saying
a few
the secret
(Philosophy
来 事 か ら,他
典 型 的 な 要 素 を 選 ぶ こ と,そ
(『文 体 論 』)
described,those
others along with them;and
a vivid impression.
描 写 さ れ る 心 情,光
りの す べ て を
の 事 柄 を この よ うに巧 み に 選 ぶ こ とが 成 功 へ の 鍵 で あ る 。
of Style)
of
of Style)
の 多 くの 要 素 を 一 緒 に伴 う よ う な
う し て,二,三
写 を 縮 約 す る こ と が,生
の こ と を 言 い な が ら,多
くの
き生 き し た 印 象 を 生 み 出 す 秘
(『文 体 論 』)
子 規 は,こ の よ う な ス ペ ンサ ー の 言 葉 に 力 を得 て,「 最 簡 短 ノ文 章 ハ 最 良 ノ 文 章 ナ リ」(「○ ス ペ ンサ ー 氏 文 題 論 」,「筆 まか せ 」),「俳 句 の 方 字 数 少 な け れ ど も意 味 深 く して遥 か に 面 白 し」 「こ は ス ペ ンサ ー 氏 の 心 力 省 減 説 に よ りて も 知 り得 べ き事 」(「詩 歌 の 起 源 及 び 変 遷 」)と 述 べ て い る 。 委 曲 を 尽 く さ な い, 省 略 され た 文 学 表 現 に 価 値 を認 め,そ 七 五,17文
の よ う な文 学 表現 の代 表 で あ る俳 句(五
字 の 定 型 に よ っ て作 られ る 短 詩)の,近
代 日本 で の 存 在 意 義 を 確
信 したの で あ る 。 そ して,俳 句 が 近 代 文 学 と して 再 生 す る た め に,子 規 は,西 洋 の 美術 理 論 か ら,「 写 生」 につ な が る 諸 要 素 を 取 り込 ん だ 。 子 規 が,ス
ペ ンサ ー の 『文 体 論 』
に よっ て 知 っ た 「取 捨 選 択 」 とい う方 法 は,こ の 西 洋 美 術 受 容 と重 ね合 わ さ れ て,子 規 の 写 生 論 の 重 要 な柱 の 一 つ とな っ た。 子 規 は,俳 句 に有 効 な ス タ イ ル と して 「俳 句 二 十 四体 」 を考 え,そ の 一 つ に 「絵 画 体」 を挙 げ て い る。 この 俳 論 で 子 規 は,日 本 の俳 句 にお い て 有 効 な 表 現 効 果 と して 「印 象 明 瞭 」 を提 示 し て い る。 これ は,ス ペ ンサ ー が,簡
潔 な文学表現が生み 出す効果 的な表現 効果
と して,『 文 体 論 』 で 述 べ て い た"avivid impression"「 生 き生 き した 印 象 」 を, 子 規 の 言 葉 と して 言 い 換 え た もの で あ ろ う。
4.西 洋 美 術 受 容― 画俳 交 流― 子規 の 美 術 受 容 に 大 き な役 割 を果 た した のが,子 折 で あ る 。 不 折 は,1894(明
治27)年
に,挿 絵 画 家 と して,子
本 新 聞社 に 採 用 さ れ た 。 年 の近 い 二 人 は,忌憚 た 。 子 規 は,こ れ に よっ て,そ
規の一つ年上 の画 家中村不
な く互 い の 文 学 美 術 論 を 戦 わ せ
れ まで の,か た くな な 日本 画 崇 拝 を や め,西 洋
画 に 目 を 開 い た 。 子 規 と不 折 は,画 俳(俳 句 と絵 画)の い る。 例 え ば,不
規が 勤 める 日
折 が 画 い た 《不 忍 十 景 》 に,子
交流 も積 極 的 に行 っ て
規 が前書 きと俳句 を書 いて
「不 忍 十 景 に 題 す 」 と した 。 彼 ら は互 い に表 現 す る もの を補 完 し合 い,完 た作 品 世 界 を作 り上 げ て い る 。 あ る い は ま た,同 が 得 意 とす る表 現 方 法,子 規 は 俳 句,不
じ場 所 に 出 か け て,そ
れ ぞれ
折 は絵 画 で,自 分 が 目に した 実 景 を描
い た 成 果 は,『 王 子 紀 行 』 に 記 さ れ た 。 この と き子 規 は ,画 家 が,描 して の風 景 を見 る方 法,す
結 し
く対 象 と
な わ ち,美 術 理 論 に基 づ い て 実 景 を と ら え る こ と を
体 感 し,感 動 して い る 。 子 規 が 得 た 最 も大 き な収 穫 は,外 界 を と ら え る た め の
新 た な 視 覚 の獲 得 で あ っ た 。 不 折 は,西 洋 絵 画 を画 塾 不 同 舎 で 学 ん だ 。 不 折 の 師小 山正 太 郎,浅 1876(明
治 9)年 に,お
井 忠 は,
雇 外 国 人 と して来 日 した イ タ リア 人 画 家 ア ン トニ オ ・
フ ォ ン タ ネー ジAntonio Fontanesiに 教 え を受 け て い る 。 明 治政 府 は,富 国 強 兵 策 の 一 環 と して 西 洋 美 術 の 導 入 を行 っ た 。西 洋 美 術 は, 芸 術 で は な く,軍 事 や 工 業振 興 の た め の 実 用 の 道 具 とみ な され て い た た め,美 術 学 校 は 工 部 省 の 管 轄 で あ っ た 。 しか し,フ ォ ン タ ネー ジ は,工 部 美 術 学 校 で, ア カ デ ミ ッ ク な体 系 に も とづ く西 洋 美 術 教 育 を行 っ た 。 フ ォ ン タ ネ ー ジが 伝 え た 美 術 理 論 は,ル ネ サ ンス 以 来 の ヨー ロ ッパ の 美 術 理 論 を継 承 し,西 洋 美 術 は, 芸術 と して の 側 面 を 失 う こ とな く,日 本 に伝 え られ て い る 。
5.写 生 と ス ケ ッチ 「写 生 」 と い う語 と 「ス ケ ッチ 」 とい う語 は,現
在 の 日本 語 で は,一 般 的 に
は必 ず し も厳 密 に 区 別 せ ず に使 わ れ て い る。 しか し,美 術 用 語 と して の 写 生 と ス ケ ッチ に は,明 確 な 違 いが あ る 。 ス ケ ッチ は,習 作,あ く小 品,つ
る い は,す
ば や く描
子 規 は,写
ま り未 完 成 作 品 で あ る。 生 の 語 を 用 い る に あ た っ て,美 術 用 語 と 同 様 の 違 い を意 識 して い
た。 写 生 は,ス ケ ッチ を含 むが,決
して ス ケ ッチ と 同義 で は な い。 写 生 は,ス
ケ ッチ ・レベ ル の 初 歩 の 写 生 か ら,理 想 的 な完 成 作 品 を創 り上 げ る た め の理 念 と して の 写 生 まで,段
階 を踏 んで 上達 して い くべ き も の と して 考 え て い た の で
あ る。 子 規 の写 生 にお け る階 梯 意 識 は,ス ペ ンサ ー の 進 化 論 的 哲 学 の 影 響 で あ る。
6.写 生 文 へ の 道 の り― 俳 句 か ら短 歌,叙 事 文 ヘ― 子 規 は,フ
ォ ン タ ネ ー ジが伝 え た美 術 理 論 か ら,文 学 に お け る写 生 の 要 点 と
して,次
の 5点 を得 た 。
①
写 生 す る材 料 は,身 近 な と こ ろで,い
②
描 写 す る もの を取 捨 選 択 し,不 要 な もの を削 除 す る 。
③
取 捨 選 択 した 材 料 を効 果 的 に 組 み 合 わせ て 作 品 に仕 上 げ る 。
④
作 品 の 中 心 と な る も の に 焦 点 を合 わせ,作
く らで も発 見 で きる 。
者 の 主 意 を表 現 す る 。
⑤
描 写 対 象 の 形,色
彩,明
暗 の 具 合,遠
近 の位 置関係 を正確 に表現 す
る。 こ れ らの,写 生 の 要 点 は,子 規 の俳 論 で,次
の よ うに 要 約 さ れ て い る 。
実 景 な る者 は 俳 句 の材 料 と して 製 造 せ られ た る者 に あ らね ば,其
中には到
底 俳 句 に な らぬ 者 もあ る べ く,俳 句 に詠 み た りと も面 白 か らぬ 者 もあ るべ く,又 材 料 多 く して 十 七 八 字 の 中 に容 れ 兼 ぬ る も あ るべ し,美 醜 錯 綜 し玉 石 混淆 した る 森 羅 万 象 の 中 よ り美 を選 り出 だ し玉 を拾 ひ 分 くる は文 学 者 の 役 目 な り,無 秩 序 に排 列 せ られ た る美 を秩 序 的 に排 列 し不 規 則 に配 合 せ ら れ た る玉 を規 則 的 に 配 合 す る は 俳 人 の 手柄 な り,故 に 実 景 を詠 す る 場 合 に も醜 な る処 を 捨 てヽ 美 な る処 の み を取 ら ざ るべ か らず,又 時 に よ りて は少 しづヽ 実 景 実 物 の位 置 を変 じ或 は主 観 的 に 外 物 を取 り来 りて 実 景 を 修 飾 す る こ と さへ あ り
(「俳諧 反 故 籠 」)
現 実 に 存 在 す る 景 色 は,文
学 作 品 を作 る た め に 存 在 して い る わ け で は な い 。
写 生 の 材 料 は 無 限 に発 見 で き る が,す べ て を,定 型 の な か に詰 め 込 め る わ け で は な い 。 材 料 の 良 し悪 し を判 断 し,適 切 に取 捨 選 択 し,と き に は,現 場 に存 在 しな い も の も加 え て,作 者 の 感動 を現 す べ く,効 果 的 に構 成 す る こ と(結 構 布 置)が 写 生 の 要諦 で あ る 。 この 子 規 の俳 論 が,フ
ォ ン タネ ー ジ以 来 の 美 術 理 論 を 継 承 した も の で あ る こ
とは,「 俳 人 」 「文 学 者 」 を 「画 家 」 と置 き換 え て も,違 和 感 を 感 じ させ な い も の で あ る こ とか ら わ か る 。 子 規 は,文 学 と美 術 に共 通 す る 要 素 を見 抜 い て,写 生 論 に活 か した の で あ る 。 文 学 も美 術 も,美 を表 現 す る 技 で あ る 。 外 界 か ら材 料 を選 び,自 分 が 得 た 感 動 を 表 現 す る こ とは 作 者 と画 家 に,そ
の 感 動 を追 体 験
す る の は読 者 と鑑 賞 者 に 通 底 す る こ とで あ る。 この よ うな 理 論 の 普 遍 性 に 力 を得 た子 規 は,俳 論 を,歌 論,文
章 論 へ と応 用
して い っ た。 表 現 の短 さ を肯 定 す る価 値 観 に基 づ い て 俳 句 か ら着 手 した 日本 文 学 の 近 代 化 革 新 を,次 の段 階 に進 め た の で あ る 。 子 規 は,最 初,俳 句 と短 歌 を同 一 視 し,俳 句 の写 生 論 を,そ の ま ま適 用 し よ う と した。 短 歌 で も,写 生 の 基 本 は,や は り,実 景 を見 て,材 料 を取 捨 選 択 し, 印 象 明 瞭 に,巧 み に構 成 して 詠 む こ とで あ る 。 しか し,1898(明
治31)年
に,
子 規 は,俳 句 と短 歌 の 差 異 を 認 め た 。 短 歌 は,客 観 的 に景 色 を詠 む こ と も可 能 で あ るが,俳
句 よ り詩 型 が 大 きい た め に,俳 句 ほ ど印 象 明 瞭 の 効 果 が 得 られ に
くい 。 そ の代 わ り,俳 句 で は詠 み 込 む こ とが 難 しか っ た 作 者 の 主 観 や 時 間 の経 過 を 表現 す る こ とが で きる とい う結 論 に至 った 。 こ う した 俳 句,短
歌 の 革 新 を経 て 子 規 は,1900(明
治33)年
に写生 文論 と
して 『叙 事 文 』 を発 表 し た。 子 規 は,「 世 の 中 に 現 れ 来 た る 事 物(天
然 界 にて
も人 間 界 に て も)を 写 して 面 白 き文 章 を 作 る 法 」(『叙 事 文 』)と,明
確 に定義
して い る。 子 規 が 意 図 した 写 生 文 は,「 或 る 景 色 又 は 人 事 を 見 て面 白 し と思 ひ し時 に,そ
を 文 章 に 直 して 読 者 を して 己 と 同 様 に 面 白 く感 ぜ し め ん とす る 」
(『叙 事 文 』)も の で あ った 。 そ の た め に は,ま ず 写 生 の 基 本 に 立 ち 返 り,作 者 が 見 た こ と を,主 観 的 感 想 を加 え ず に 記 述 す る こ と を勧 め,作
者 の 実 見 を読 者
が 追 体 験 で き る表 現 効 果 を求 め て い る。 そ して,ス
ペ ンサ ー の 『文 体 論 』 と西 洋 の 美 術 理 論 か ら得 た写 生 の 骨 法 を活
か し,こ の 文 章 論 にお い て も,次 の よ う に展 開 して い る 。
写 生 とい ひ 写 実 と い ふ は 実 際 有 の まゝ に写 す に 相 違 な け れ ど も 固 よ り多 少 の 取 捨 選 択 を 要 す 。 取 捨 選 択 と は面 白 い 処 を取 りて つ ま らぬ 処 を捨 つ る 事 に し て,必
ず し も大 を取 りて小 を捨 て,長
ず。
を取 りて 短 を 捨 つ る事 に あ ら (『叙 事 文』)
材 料 の 取 捨 選 択 を重 視 し,小 さ い もの,短
い もの の価 値 を認 め,次 の よ うに
も述 べ て い る 。
或 る 景 色 又 は 或 る 人事 を叙 す る に最 も美 な る処 又 は極 め て 感 じた る 処 を 中
心 と して描 け ば其 景 其 事 自 ら活 動 す 可 し。 しか も其 最 美 極 感 の処 は 必 ず し
も常 に大 な る 処 著 き処 必 要 な る処 に あ らず して往 々物 陰 に半 面 を現 は す が
如 き隠 微 の 間 に あ る者 な り。
そ して,作 者 が 感動 した 物 事 を細 叙(細
(『叙 事 文 』) か く描 写 す る こ と)す る よ り も,全
体 の 結 び に 決 め の 一 文 を置 い て,画 竜 点睛 の効 果 を狙 う こ と を勧 め て い る。 加 え て,「 文 体 は言 文 一 致 か 又 は そ れ に 近 き文 体 が 写 実 に適 し居 る な り。」 「写 実 に言 葉 の 美 を 弄 す れ ば 写 実 の 趣 味 を 失 ふ 者 と知 る べ し。」(『叙 事 文 』)と,時
代
の 動 きに応 じた 言 及 を した 。
7.言 文 一 致― 読 者 の た め の 日本 語 文体― 明 治 時 代 に は,近 代 日本 に ふ さ わ しい文 体 が 模 索 さ れ た 。 当 時,書
き言 葉 と
話 し言 葉 に は 乖 離 が 見 ら れ,日 本 国 民 のす べ て が 共 通 の 言 語 表 現 を獲 得 して い るわ け で は な か っ た 。 近 代 国 家 と して の富 国 強 兵 策 の一 環 と して,既 存 の 文 体 の 折 衷 や 調 和,あ る い は言 文 一 致 に よ る標 準 語 の 制 定 が 必 要 で あ っ た 。そ して, 西 洋 諸 国が,言 文 一 致 の 言 語 に よっ て 文 明 を発 達 させ,国 力 を得 た こ と に倣 い, 近 代 に生 きる 人 間 の 思 想 や 感 情 を,不
自由 な く十 分 に表 現 で き る新 しい 文 体 が
求 め られ た。 子 規 は,早
くか ら,友 人 の 夏 目漱 石 や 同郷 の 高 浜 虚 子 な ど,近
た 書 簡 で は,文 語 体 を使 っ て い て も,そ の 中 の 一 部 分,会
し い 人 に宛 て
話 を採 録 した 部 分 に
口 語 体 を使 っ て い た。 子 規 は,こ の と きに は,言 文 一 致 体 の 模 索 を明 確 に は 意 図 して い な か っ た と思 わ れ る が,結 果 的 に は,口 語 体 に 近 い 言 文 一 致 体 を探 る 場 の 一 つ とな った と考 え られ る。 そ して,「 読 売新 聞」 で 言 文 一 致 活 動 が 行 われ て い た と き,子 規 は,「 ホ ト ト ギ ス 」 誌 上 で,文 体 を模 索 しつ つ 小 品 文(写
生 文)を 試 み て い た 。 子 規 は,平
易 な言 文 一致 体 を写 生 文 に適 した 文 体 と考 え,そ
こ に難 解 な漢 語 を使 う こ と を
戒 め て い る。 江 戸 時代 に は,漢 語 は武 士 階級 の もの で あ り,学 問 の た め の 書 き 言 葉 で あ っ た が,明
治 に な る と,書 き言 葉 だ け で な く,日 常 の 話 し言 葉 で も使
う こ とが 流 行 し,教 養 が あ る こ と を示 す 手 段 の一 つ と も な っ た 。漢 語 の 利 点 は, 和 語 だ け で は 不 足 す る語 彙 を 補 い,必 要 に応 じて 新 しい 用 語 を作 り出せ る点 に あ っ た が,言
文 一 致 が 進 展 す る と と もに,難 解 な 漢 語 は 排 除 さ れ た 。 や が て,
言 文 一 致 体 は,小 説,評
8.写 生 文(募 1898(明
集 文,小
治31)年10月
論 の 文体 と して 定 着 して い っ た 。
品 文) 号 の 「ホ ト トギ ス」 に は,「 俳諧 の 方 面 に 力 を尽 す は
言 ふ 迄 も無 く和 歌 新 体 詩 其 外 諸種 の 文 学 の 上 に も著 作 と批 評 と を 試 み 可 申候 」 と い う社 告 と と もに,子
規の 『 小 園 の 記 』,『土 達 磨 を毀 つ 辞 』,虚 子 の 『浅 草
寺 の く さ ぐ さ』 が 掲 載 さ れ た 。 これ らの作 品 は,後
に写 生 文 の 端 緒 と な った も
の と評 され て い る。 以 後,「 ホ ト トギ ス 」 で は,題
を提 示 して,読 者 か ら短 文
を募 集 し,掲 載 した 。 子 規 自身 も,こ の 募 集 文 と同 じ題 で 短 文 を書 き,読 者 の 文 章 と 並 べ て 載 せ て い る 。 子 規 の 文 章 は,募
集文 の 見本 とな る位置 に あ る。
1898(明
規 は 次 の よ う な,言
治31)年12月
の 募 集 文 「夢 」 で,子
文一致 の文
章 を 書 い た。
○ 先 日徹 夜 を して翌 晩 は 近 頃 に な い 安 眠 を した 。 其夜 の 夢 に あ る 岡 の 上 に 枝 垂 桜 が 一 面 に 咲 い て ゐ て 其 枝 が 動 くと赤 い 花 び らが 粉 雪 の 様 に細 か くな つ て 降 つ て 来 る 。 其 下 で 美 人 と袖 ふ れ 合 ふ た夢 を見 た。 病 人 の 柄 に もな い 艶 な夢 を見 た もの だ 。
(「 夢 」)
子 規 が 見 た 夢 の な か の 景 色 が,色 彩 と動 きの あ る描 写 に よ っ て,読 者 に提 示 され,視
覚 的 再 現 性 が 豊 か で あ る。 そ して 最 後 に,作
者 の 感 想 が 加 え られ て い
る。 1899(明
治32)年
2月 の 募 集 文
「燈 」 で は,愛
用 の ラ ンプ に つ い て語 っ て い
る 。
今 使 用 し居 る は五 分心 の 普 通 の 置 ラ ム プ な り。 此 ラ ム プ は 明 治 廿 四 年 の 暮 に 駒 込 に 家 を借 りて 只 一 人 住 み し時,近 所 の 古 道 具 屋 の 店 先 に あ り しを僅 か 八 銭 に て 買 ひ来 り し者 に て,初 め は 掘 り出 し物 な り と思 ひ しが,油 壷 の 下 が もげ て居 て 仮 に附 け あ る事 後 に 知 れ ぬ 。 しか し品 は 舶 来 と お ぼ し く台 の 金属 の 装 飾 は 簡 単 な れ ど も両 側 に小 き人 の 顔 な ど あ りて 能 く釣 りあ ひ 居 れ り。 之 をせ め て もの 取 餌 に して 熱 き夜 も寒 き夜 も之 に対 して 多 少 の愉 快 を感 ず 。
子 規 は,ラ
(「燈 」)
ンプ を凝 視 しな が ら,そ れ に まつ わ る過 去 と現 在 に思 い を馳 せ,
ラ ンプ の 描 写 と と もに,感 慨 を 記 した。 この と きの 子 規 は,言 文 一 致 か ら遠 ざ か る文 体 を選 択 して い る 。 そ の 後,8 月 号 の 募 集 題 「庭 」 で は,言 文 一 致 体 で,次
余 が 羽 州 行 脚 の 時,あ
る田 舎 へ 這 入 つ て,そ
の よ うに 書 か れ た。
こへ 腰 掛 け た儘 で 昼 飯 の 出 来
る の を待 つ て 居 る と,其 横 の 方 に 一 坪 許 りの 庭 が あ る 事 に気 が つ い た 。 其
庭 に は 三 尺 程 の 高 さ の 築 山が あ つ て,其 上 に 三 尺 程 の 松 が 植 ゑ て あ つ て, 其 横 に五 尺 程 の 百 合 が 一 本,松
よ り高 う伸 ん で 大 き な赤 い 花 が 一つ 咲 て 居
る。 其 外 に は 何 も無 い 。 こ ん な 不 調 子 な庭 は 生 れ て 始 め て 見 た 。(「庭 」)
作 者 の 目に 入 っ た,わ ず か 一 坪 の 庭 に視 界 を限 定 し,築 山 と松 と 百 合 に焦 点 を定 め て 描 写 し た 最 後 に 感 想 を加 え る 。 これ が,「 ホ ト トギ ス 」 募 集 文 と して 出 来 上 が っ て きた 形 の 一 つ で あ る 。 募 集 文 と は 別 に,子
規 は,長
文 で の 写 生 を 実 践 して い る 。1898(明
治31)
年11月 号 の 「車 上 所 見 」 は子 規 が 人 力 車 に 乗 り,秋 晴 れ の 郊 外 を 見 て 回 っ た もの で あ る。
村 に 入 る 。 山 茶 花 の垣,花
多 くつ きて い と うつ く し。 「や き い も」 とい ふ
行 灯 懸 け て 店 に は青 蜜 柑 少 し並 べ た る 家 に つ き当 りて,左
に折 れ,地 蔵 に
あ らぬ 仏 の 五 つ 六 つ 立 て る処 を右 に 曲 りて,紺 屋 の 横 を 過 ぎ,く ね りて 復 野 に出づ。
(「 車 上 所 見 」)
車 上 か ら眺 め た 景 色 が 刻 々 と変 化 して い く様 子 と,そ の 印 象 が 書 き留 め られ, 動 き と流 れ の あ る 筆 運 び に,子 規 の 心 浮 き立つ 様 子 が 現 れ て い る 。 虚 子 も ま た,子 (明 治32)年
規 の よ う に 郊 外 を 散 策 し て,「 半 日あ る き」 を書 き,1899
2月号 に掲 載 され た 。 俳 句 と文 章 が 合 体 し た作 品 は,子 規 の 「小
園の 記 」 に もつ な が る。
五軒 町 か ら僕 の 向へ 側 に 坐 つ た 一 人 の 老 人 が あ る。 其 の 白 い毛 の 交 つ た 眉 毛 か ら鼻 の横 の皺 か らが ど こ か 見 た こ との あ る や う な,殊
に其 の 色 の あ せ
た 大 黒 頭 巾 は 僕 の 国 の 永 野 の お い さん とい ふ 人 の に 其 の 儘 で あ るの で頻 り に興 が 動 い て 来 た。
(「半 日あ る き」)
虚 子 も,自 分 が 目に した対 象 を説 明 し,感 想 を 加 え,写 生 を 実 践 して い るが, 子 規 の 写 生 と は異 な る 方 向 性 を持 つ 萌 芽 も感 じ られ る 。 子 規 が,『 叙 事 文 』 で 写 生 文 論 を展 開す る に 至 る ま で に は,「 ホ ト トギ ス」 誌 上 で の,様 治32)年10月
々 な 写 生 文 の 試 み が あ っ た 。 そ の 集 大 成 と もい え る の が,1899(明 号 に 掲 載 さ れ た 子 規 の 「飯 待 つ 間 」 で あ る。 子 規 が,虚
子 とと
もに 開 拓 した 写 生 文 の 特 質が,ま
と まっ て 現 れ て い る 。
子 規 は,こ の 作 品 で は,野 分 の な ご りの曇 り空,庭 来紅 の 葉 の色,こ
の鶏 頭 の 真 っ赤 な 頭 や 雁
れ に覆 い被 さ る よ う に立 つ 大 毛 蓼 を描 き,続 け て,庭
で子猫
を 追 い 回す 子 供 た ち を話 題 に した 会 話 を示 した 。 そ れ か ら,飛 ん で 来 た 黄 蝶 や 昼 食 を作 っ て い る 台 所 の 音,鶉
の 様 子,そ
し て,再
び垣 根 の 外 に 戻 っ て 来 て,
猫 を い じめ て い る 子 供 の こ と を描 き,子 供 の母 親 が,そ れ を 叱 る と こ ろ で 筆 を 止 め て い る。
小 い 黄 な蝶 は ひ ら ひ らと飛 ん で 来 て 干 し衣 の裾 を廻 つ たが 直 ぐ また 飛 ん で 往 て 遠 くに あ る お し ろい の花 を一 寸 吸 ふ て 終 に萩 の う しろ に隠 れ た 。
籠 の 鶉 も ま だ昼 飯 を貰 は な い の で ひ も じい と見 え て 頻 りにが さが さ と籠 を
掻 い て 居 る。 台所 で は 皿 徳 利 な どの 物 に触 れ る音 が 盛 ん に して ゐ る。 (「 飯 待 つ 間」) 例 の 三 人 の 子 供 は 復 我 垣 の外 迄 帰 つ て 来 た 。 今 度 は ごみ た め 箱 の 中 へ 猫 を 入 れ て 苦 しめ て喜 ん で ゐ る様 子 だ 。 や が て 向 ひ の 家 の 妻 君,即 と い ふ 子 の お ツ か さん が 出 て 来 て 「高 ち ヤ ん,猫 せ ん,い
ぢめ る と夜 化 け て 出 ます よ,早
ち高 ちヤん
をいぢめ るもちヤあ りま
く逃 が して お や りな さ い」 と叱 つ
た 。 す る と高 ち ヤ ん とい ふ 子 は 少 し泣 き声 に なつ て 「猫 をつ か まへ て 来 た の は あ た い ぢヤ 無 い年 ち ヤ ん だ よ 」 と い ひ わ け して 居 る。 (「飯 待 つ 間 」)
子 規 が 見 た情 景 が,読 者 の 目に 浮 か ん で 来 る描 写 が な さ れ て お り,子 規 の 理 論 を 具 現 し て い る 。 そ して,子
規 は,こ
した 。 飯 が 来 た 。」 と結 ん だ 。 こ れ が,子
の作 品 を,「 くワ ツ と畳 の 上 に 日が さ 規 の 言 う 「画 竜 点 晴 」 の 一 文 で あ る 。
昼 食 を待 ち兼 ね て い た 子 規 の気 持 ちが 強 く伝 わ っ て くる 。 『叙 事 文 』 発 表 後,子 治33)年
規 は,「 車 上 の 春 光 」 を書 い た 。 この 文 章 は,1900(明
4月29日 に 歌 人 伊 藤 左 千 夫 を 訪 ね た と きの こ と を書 い た もの で,「 ホ
ト トギ ス 」 の 7月 号 に 掲 載 さ れ た 。 す で に 病 臥 して い た 子 規 は,外 出 す る喜 び を次 の よ う に記 して い る。
今 年 に な つ て 始 め て の 外 出 だ か ら嬉 し くて た ま らな い 。 右 左 を き よ う き よ ろ 見 ま は して,見
え る程 の もの は 一 々見 逃 す ま い とい ふ 覚 期 で あ る。 併 し
そ れ が た め に 却 て何 も彼 も見 る あ とか ら忘 れ て し まふ 。
(「車 上 の 春 光 」)
意 図 的 で あ ろ う と思 わ れ る ほ ど 「た 」 で 終 わ る こ と を避 け た心 情 表 現 に は, 快 い リズ ム が 感 じ られ,子 規 の 心 弾 む様 子 が 伺 わ れ る。 そ して,外
に 出 た 子 規 が 目 に した もの につ い て は,次
の ように描写 してい
る。
仲 道 の 庭 桜 は 若 し咲 い て 居 る か も知 れ ぬ と期 して居 た が 何 処 に も そ ん な 花 は 見 え ぬ 。 却 て其 ほ と りの大 木 に 栗 の花 の や う な花 の 咲 い て 居 た のが は や 夏 め い て 居 た 。 車 屋 に沿 ふ て 曲 つ て,美 お も ち や屋,八
百 屋,鰻
屋,古
道 具 屋,皆
術 床 屋 に 沿 ふ て 曲 る と,菓 子 屋, 変 りは無 い 。 去 年 穴 の あ い た机
を こ し らえ させ た 下 手 な指 物 師 の 店 も あ る。 例 の 爺 さん は 今 し も削 りあ げ た 木 を老 眼 に あ てゝ 覚 束 な い見 や う を して 居 る 。
(「車 上 の 春 光 」)
事 物 の 描 写 で あ っ て も,「 た」 と,そ れ 以 外 の 表 現 を組 み 合 わ せ て,文 章 の 流 れ に 変 化 を持 た せ て い る 。 さ ら に,左 千 夫 の家 で の 様 子 と帰 宅 後 の こ と を書 い た と こ ろ で も,同
じ表現
が 連 続 す る こ と を避 け よ う とす る意 識 は 働 い て お り,文 末 表 現 に 気 を遣 っ て い る。
容 斎 の 芳 野,暁 斎 の 鴉,其 外 い ろ い ろ な絵 を見 せ られ た。 そ れ に就 い て 絵 の 論 が 始 まつ た。
庭 に は よ ろ よ ろ と した 松 が 四 五 本 あ つ て 下 に 木 賊 が 植 ゑ て あ る 。 塵 一 つ 落 ちて 居 な い 。
夕 飯 もて な さ れ て 後,灯 下 の 談柄 は歌 の事 で 持 ち きつ た。 四 つ の 額 は 互 に 向 きあ ふ て 居 る。 段 々発 熱 の 気 味 を覚 え る か ら,布 団 の 上 に 横 た は りな が ら 「日本 」 募 集 の 桜 の 歌 に 就 い て論 じた 。
歌 界 の 前 途 に は光 明 が 輝 い で 居 る,と 我 も人 も いふ 。
本 を ひ ろ げ て冕 の 図 や 日 蔭 の か づ らの 編 ん で あ る 図 な ど を見 た 。 そ れ に 就 い て 又 簡 単 な 趣 味 と複 雑 な趣 味 との 議 論 が 起 つ た 。
夜 が 更 け て 熱 が さ め た の で 暇 乞 して帰 途 に 就 い た。 空 に は星 が 輝 い て居 る。
夜 は 見 る もの が 無 い の で 途 が 非 常 に遠 いや うに 思 ふ た。 根 岸 迄 帰 つ て 来 た の は 丁 度 夜 半 で あ つ た ら う。 あ る 雑 誌 へ 歌 を 送 らね ば な らぬ 約 束 が あ る の で,そ れ か ら まだ 一 時 間程 起 き て居 て 歌 の 原 稿 を作 つ た 。 翌 日 も熱 が あ つ た が くた び れ 紛 れ に寝 て し まふ た。 其 又 翌 日即 ち五 月 一 日 に は熱 が 四 十 度 に 上 つ た 。
この 「車 上 の 春 光 」 全 体 の 末 尾 で,こ
(「車 上 の 春 光 」)
れ ま で よ り,「 た」 が,や
や 多 く使 わ
れ て い る の は,同 じ表 現 の 繰 り返 しに よっ て 生 じる単 調 さ,停 滞 感 を活 か して, 外 出 の疲 れ と,病 身 ゆ え に熱 が 出 てつ らい 状 態 で あ る こ と を表 出 しよ う と意 図 した 結 果 で あ ろ う。 『叙 事 文 』 を書 い た 年 の10月 に,子
規 は,「 ホ ト トギ ス」 で の,募
集文 を は
じめ とす る写 生 の 試 み の 成 果 を 「写 実 的 の 小 品 文 」 と名 づ け,「 空 間 的 の 景 色 で も時 間 的 の 動作 で も其 文 を 読 む や 否 や 其 有 様 が 直 に眼 前 に現 れ て,実 物 を見, 実事 に接 す る が 如 く感 ぜ しむ るや うに,し めぬ や う に書 くの に苦 辛 した の で,其
か も其 文 が 冗 長 に 流 れ 読 者 を飽 か し
効 果 は漸 く現 れ ん と しつヽ あ る や う に 見
え る 。」(「ホ ト トギ ス第 四巻 第 一 号 の は じめ に 」)と,自
己 評 価 した 。
そ して12月 に は,文 体 につ い て,「 文 体 は近 来 の 流 行 に つ れ て 日記 に も言 文 一 致 体 を 用 ゐ る 人 多 く候 へ ど も中 に は 言 文 一 致 体 を濫 用 した る も不 少 候 。あ る 事 を精 細 に 叙 す る に は 言 文 一 致 体 に限 り候 へ ど も多 くの 事 を簡 単 に 書 くに は 言 文 一 致 体 な らぬ 方 宜 し きか と存 候 。」(「消 息 」)と,安
易 に,無
自覚 に,言
文一
致 体 を使 うこ と を戒 め て い る 。 加 えて,子
規 は,よ
い文 章 に仕 上 げ る た め の 具 体 的 な 方法 と して,文 末 を 工
夫 す る こ と を勧 め て い る 。 子 規 が,「 文 章 の 時 間(テ
ン ス)は 過 去 に 書 く人 多
け れ ど 日記 に て は現 在 に 書 く も善 きか と存 候 。貰 つ た,往 つ た,来 た,立 つ た, と 「た 」 ば か り続 く代 りに,貰 ふ,往
く,来 る,立 つ,と す れ ば 語 尾 も変 り且
つ 簡 単 に 相 成 申候 。」(「消 息 」)と 述 べ る の は,「 車 上 の 春 光 」 で,自
ら手 本 を
示 した こ と を 土 台 と して い る の で あ る。
9.夏 目漱 石 と志 賀 直 哉 夏 目漱 石 は,1901(明
治34)年,留
学 先 の ロ ン ドンで,子 規 の た め に,『 倫
敦 消 息 』 を書 い た 。 漱 石 は,自 分 の 目 に 映 る も の を 描 写 しな が ら,自 己 の 内 面 に 密 着 し,心 の うち に 湧 き起 こ っ て くる様 々 な 思 い を丹 念 に綴 っ て い る。 時 間 の 流 れ と と も に心 理 描 写 が 展 開 さ れ て い るの が 特 徴 で あ る。 視 覚 的 描 写 の な か に 主 観 を 交 え た 描 写,内
省 的 な描 写 が な さ れ て い る の は,
志 賀 直 哉 の 『大 津 順 吉 』 『和 解 』 に も見 出 せ る特 徴 で あ る。 志 賀 は,「 ホ ト トギ ス」 や,子 規 が 様 々 に写 生 文 を試 み た 成 果 を集 め た 『子 規 小 品 文 集 』 を愛 読 し, 作 家 と し て の 習 作 期 に,子 (明 治41)年
規 や 虚 子 の 写 生 文 を意 識 した 作 品 を試 み た 。1908
に,材 料 を取 捨 選 択 した 『非 小 説,祖
書 く要 領 を会 得 し た と確 信 した 。 そ して,作
母 』(『或 る 朝 』 の 原 型)で,
家 と して 自立 した 後 も,「 暗 夜 行
路 」 を 始 め とす る 多 くの 作 品 で,写 生 文 を活 か して い る 。
10.む
す
び
子 規 の 功 績 は,西 洋 美 術 か ら 日本 文 学 へ,ジ
ャ ンル を超 え た西 洋 受 容 を敢 行
した こ とに あ る。 そ して,子 規 が 意 図 した 文 学 に お け る写 生 は,日 本 の 近 代 文 学 の な か に,確
た る根 を 下 ろす に至 っ た 。
子 規 は,文 語 体 と口語 体 の 間 で写 生 文 にふ さわ しい 文 体 を探 り,作 者 が 見 た もの を描 写 す る な か に,作 者 の 思 い,内 面 描 写 を挿 入 す る写 生 文 の ス タ イ ル を 作 り上 げ た。 近 代 日本 の 文体 確 立 に も少 な か らず 寄 与 して い る 。 子 規 の 文 学 革 新 は,特 定 の 小 さ な分 野 に こ だ わ ら な い こ と,そ の あ る 理 論 を 見 出 した こ と に よっ て,大
して,普 遍 性
きな 成 功 を得 た の で あ る。
■ 発展 問題 (1) 自 分 の 好 き な 文 学 作 品 か ら写 生 的 表 現 を 抜 き 出 し,挿 絵 を 描 い て み よ う 。
(2) 日 常 生 活 の 中 か ら探 した 材 料 を も と に,写 生(取
捨 選 択 ・構 成 ・主 意)に
よ
っ て,俳
句,短
歌,散
(3) 次 の よ う な 手 順 で,写
文 を 創 作 し,そ れ ぞ れ の 表 現 特 性 を 実 感 し よ う。
生 文 の 視 覚 的 再 現 性 を実 験 して み よ う。
① 二 人 一 組 に な り,一
② も う 一 人 は,そ
人 は,写
③ で き あ が っ た絵 と,も
真 または絵 を写生 文で描 写 す る。
の 写 生 文 を も と に 絵 を描 く。 と の 写 真,絵
を 比 べ る。
(4) 映 画 や ドラ マ か ら,一 人 は,写 生 文 を 創 作 し,も う 一 人 は,紙 そ れ ぞ れ の 表 現 が も た らす 効 果,例
芝 居 を 作 っ て,
え ば,連 続 した 変 化 と 断 続 的 な 変 化 が 作
り 出 す 表 現 効 果 の 違 い に つ い て 考 え て み よ う。
(5) 文 学 作 品 で 写 生 描 写 が な され た 部 分 を も と に脚 本 を 創 作 し,寸
劇 を上演 して
み よ う。
(6) 「話 す よ う に 書 け る?」 − 現 代 の 言 文 一 致 文 体(口
語 体)に
現 れ て い る特 徴
を 分 析 し,自 分 が 使 っ て い る 文 体 に つ い て 考 え て み よ う。
■ 参考文献 1) 近 代 語 学 会編 『近 代語 研 究 第 二集 』(武 蔵 野 書 院,1968) 2) 岩波 講 座 『日本 語10 文 体 』(岩 波 書 店,1977) 3) 山 田有 策 「文 体 く 改 良 > の 意味― 戯 作 ・翻 訳 ・政治 小 説 を め ぐっ て― 」(「国 文学 解 釈 と鑑 賞 」 至 文堂,1980) 4) 近 代 語 学 会編 『近 代 語研 究 第 六集 』(武 蔵 野 書 院,1980) 5) 根 岸 正 純 編 『表現 学 大 系 各 論 篇 第 9巻 近 代小 説 の 表現 一 ― 明 治 の 文 章― 』(教 育 出版 セ ン ター,1988) 6) 寺 本喜 徳,松 浦 武 『表 現 学 大 系 各 論 篇 第11巻 近 代 小 説 の 表 現 三 』(教 育 出版 セ ン ター,1989) 7) 松井貴子 『 写 生 の 変 容― フ ォ ン タネ ー ジか ら子 規,そ して 直哉 へ 』(明 治書 院,2002) 8) 松 井 貴子 「子規 の 西 洋 受 容― スペ ンサ ー の 進 化 論 と階 梯 意 識― 」(「日 本 文 藝學 」39号, 日本 文 芸学 会,2003) 9) ジ ャ ン = ジャ ッ ク ・オ リガス 『 物 と眼― 明 治文 学 論集 』(岩 波 書 店,2003) ―
「寫す」 と い うこ と―近 代 文学 の成 立 と小 説 論―
―
写 生 の 味― 子 規 と 日本 美 術 の伝 統 意 識―
―
遠 い もの と近 い もの と― 正 岡子 規 の 現 実 意識―
10) 松井貴子 「 子 規 と写 生画 と中 村不 折 」(『国 文学 解 釈 と教材 の研 究 』學 燈 社,2004) 11) 石 原千 秋 『漱石 と三 人 の読 者 』(講 談社 現 代 新 書,講 談社,2004)
第14 章
鏡 花 文学 は どの よ うに 「国宝 的」 なの か? 【演劇 的 文 体 】
キ ーワ ー ド:日 本 的,転 調,語 りの構 造,定 型,序 破 急,夢 幻能,古 典 引用,能 狂 言 , 歌舞伎,浄 瑠璃,や つ し,演 劇,現 代 演劇
泉 鏡 花 は,「 国 宝 的 」(川 端 康 成)と 本 的 」 で 「郷 土 的 な」(谷 崎 潤 一 郎)な
評 さ れ る ほ ど に,近 代 作 家 中,最
も 「日
小 説 家 と して 高 く評価 さ れ て きた 。 そ
の 表 現 の特 質 に つ い て,『 外 科 室 』 『高 野 聖 』 『歌 行 燈 』 等 の代 表 作 を 例 に と り つ つ,語
りの転 調 ・転 位,夢 幻 能 と の類 似 ,序 破 急 の 構 成,古 典 引 用 の 多 用 な
どの 諸 点 か ら,私 見 を提 示 した。 鏡 花 作 品 は,冒 頭 の,難 解 で迂 回 的 な語 り手 の 語 りか ら,主 役 的 な 人 物 が 心 情 を ラデ ィ カル に吐 露 す る表 現 へ と転 じる傾 向 を もっ て い る 。 そ れ は常 識 か ら非 常 識,人
の 言 語 か ら神 の 言 語 の 支 配 す る 世 界
へ の転 位 で あ り,能 の ワ キ と シ テの 関係 に も当 て は ま る。 混 沌 と した鏡 花 世 界 は,じ つ は端 正 な 「序 破 急 」 の構 成 を も ち,そ の 定 型 性 が ダ イ ナ ミ ック な 作 品 の 枠 組 み と して 機 能 して い る の で あ る。 鏡花 作 品 を特 徴 づ け る も う一 つ の 特 質 と して,古 典 文 芸 の 引 用 が あ げ られ る。 た と え ば,『 歌 行 燈 』 に は,〈 海 人 〉 を 主 とす る 能 ・狂 言 か らの 微細 な引 用 が 主 旋 律 を奏 で て い る。 さ らに,歌 舞 伎 の 場 面 引 用 は,イ
メー ジ を 拡 散 増 幅 させ る と と もに,結
末の カタルシスにむ けて
物 語 を 収斂 させ る作 用 も果 た して い る 。 こ う い う特 質 を もつ 鏡 花 文 学 が,今 読 み 継 が れ,映
日
画 化 され,現 代 演 劇 の 原 作 と して 再 生 産 さ れ,国 際 的 評 価 を受
けて い る こ とは,伝 統 の 継 承 と国 際 化 が 相 対 立 す る もの で は な い こ と を示 唆 し て い る の で はあ る ま い か 。
1.「純 粋 に 日本 的 」 な 「余 りに 日本 的 」 な 「国宝 的 」 作 家 と い う評価 泉 鏡 花(明
治 6年 ∼ 昭和14年)は,多
くの 近 代 作 家 か ら,「 天 才 」 と崇 め ら
れ た小 説 家 で あ る。 先 輩 格 の 漱 石 す らが,「 確 か に天 才 だ」 「若 しこ の 人 が解 脱 した な ら,恐
ら く天 下 一 品 だ ら う」(談 話 筆 記 「批 評 家 の 立 場 」 明 治38年)と
期 待 を 寄 せ て い る。 大 正14年,鏡
花57歳
の 折 に は,春
陽 堂 か ら 『鏡 花 全 集 』
全15巻 が 刊 行 され た 。 こ れ を記 念 して 「天 才 泉 鏡 花 」 と題 す る 『新 小 説 』(大 正14年
5月)の
特 集 号 が 組 ま れ,多
くの 作 家 が 熱 烈 な オ マ ー ジ ュ を 寄 せ て い
る。 た と え ば,芥
川 龍 之 介 は,「 鏡 花 先 生 は 古 今 に独 歩 す る 文 宋 な り」 と述 べ,
メ リ メや バ ル ザ ッ ク に 比 肩 す る 文 豪 と 讃 え た。 川 端 康 成 も また,「 鏡 花 全 集 の 刊 行 は,『 美 しい 日本 の 記 念 碑 』を建 て る こ とだ」 「余 りに美 し過 ぎ る と 同時 に, 鏡 花 氏 の 作 品 は余 りに 日本 的 過 ぎ る」 と述 べ て い る。 川 端 は,5 年 後 に も,鏡 花 の 大 作 『由 縁 の 女 』 を評 して,「 泉 鏡 花 氏 は 日本 語 の 可 能 性 の,最
高 の一つ
を示 して くれ た作 家 と して,国 宝 的 存 在 で あ る と,私 は か ね が ね か ら尊 敬 して い る」(「泉 鏡 花 氏 の 作 品」 昭 和 5)と ま で 言 っ た 。 谷 崎 潤 一 郎 も負 け て は い な い。 鏡 花 没 後 の 追悼 特 集 で,次
の よ う に熱 く語 っ
て い る。
先 生 こ そ は,わ れ わ れ の 国 土 が 生 ん だ,最
もす ぐれ た,最
も郷 土 的 な,わ
が 日本 か らで な け れ ば 出 る筈 の な い 特 色 を もつ た 作 家 と して,世
界 に向つ
て 誇 つ て も よ い の で は あ る まい か 。
「純 粋 に 『日本 的』 な 『鏡 花 世 界 』」(昭 和14年)
と こ ろ で,鏡
花 の 文 学 的 価 値 が 云 々 され る時,付
き ま と う 評 価 に 「異 端 」
「独 得 」 と 「日本 的 」 「郷 土 的」 とい う,一 見 相 反 す る 二 つ の 評 価 が あ る。 た と え ば,谷 崎 潤 一 郎 は,先 の 文 章 で,
先 生 ほ ど,は つ き りと他 と区 別 さ れ る 世 界 を創 造 した 作 家 は 文 学 史 上 稀 で あ る と云 つ て よ い 。 た とへ ば 漱 石,鴎 外,紅
葉 等 の諸 作 家 は,そ
い に 区 別 さ れ る独 得 な 境 地 を保 つ て は ゐ る が,そ 方 よ り も,鏡
れぞ れ互
れ らの 作 家 の 相 互 の 違 ひ
花 とそ れ ら の 作 家 と の 違 ひ の 方 が 大 きい 。(中 略)兎
に 角,
外 国 の 文 学 を見 渡 して も,鏡 花 は 誰 に も最 も似 る と こ ろ の 少 な い 作 家 の ひ と りで あ る。
「純 粋 に 『日本 的 』 な 『鏡 花 世 界 』」(昭 和14年)
と述 べ る。 同 趣 の 発 言 は 川 端 に もあ る。
同 じ郷 里,同
じ年 代 の,同
じ紅 葉 門 下 の鏡 花 と秋 声 の両 極 端 の や う な 文
章 は,日 本 文 の 幅 を思 は せ る ほ ど だ。
(「新 文 章 論 」 昭和27年)
川 端 が 鏡 花 の 対 極 に 置 く徳 田秋 声 は,自 然 主 義 の極 北 とい っ て よ い 作 家 で, い ぶ し銀 の よ うな 文 体 で 人 生 の 哀 歓 を リア ル に描 写 した 。 す な わ ち,社
会の現
実 や 人 間 の 心 理 の 描 写 を 最 優 先 課 題 と した 近 代 リ ア リズ ム の 小 説 史 に お い て, 鏡 花 は 「独 得 」 で あ る と い う こ と だ 。 さ ら に,反
自然主義 の立 場 を とった漱
石 ・〓外 と も大 き く隔 た っ て い る と谷 崎 は い う。 しか し,古 代 か ら中 世 ・近 世 へ と脈 々 と流 れ る 日 本 古 典 文 学 を 視 野 に含 め れ ば,「 純 粋 に 日 本 的 」(谷 崎) 「余 りに 日本 的」(川 端)と
い うこ と に な る の で は な か ろ うか 。
鏡 花 文 学 の 「日本 的 」 要 素 とは,具 体 的 に どの よ う な点 に 見 い だ せ る の だ ろ うか 。 こ こ で 結 論 を だ す に は余 り に大 きす ぎ る テ ー マ だ が,い
くつ か の 観 点 を
提 示 し,こ れ を考 察 す る契 機 と した い 。
2.難 解 な オー プ ニ ン グ― 「泉 さん の 文 章 は 普 通 難 解 な もの と さ れ て ゐ る」― さて,「 そ ん な に 評 判 の作 家 な ら」 と鏡 花 作 品 を 手 に と り,数 頁 で 挫 折 し て しま う人 は多 い と聞 く。 文 学 的 教 養 や セ ンス の 不 足 を恐 れ,口
に 出 して 「く だ
らな い 」 とは い わ な い が,内 心 秘 か に 「ど こが 好 い の か さ っ ぱ りわ か らな い」 と思 っ て い る 人 は 少 な くな い 。 ち な み に,「 小 説 の神 様 」 と称 さ れ,名
文で 知
られ る志 賀 直 哉 は,
泉 さん の 文 章 は 普 通 難 解 な も の と され て ゐ る が,難 解 な りに不 思 議 な魅 力 が あ り,読 者 は そ れ に 引 き付 け られ る 。
と書 い て る 。 さす が に 志 賀 ら し い 率 直 な 発 言 だ 。 も ち ろ ん,志 を前 提 と して,鏡 花 の 「不 思 議 な魅 力 」 を 語 る わ け だが,戦
賀 は,「 難 解 」
前 の 読 者,志
賀の
周 囲 に い る よ うな 教 養 人 に と っ て も,鏡 花 の 文 章 が 「普 通 難 解 」 で あ っ た こ と を証 す る貴 重 な 一 文 で あ ろ う。 た しか に鏡 花 は 読 み に くい。 こ と に オ ー プ ニ ン グが 読 みづ らい 。 た と え ば,出 世 作 とな っ た 『 外 科 室 』(明 治28年)の
冒頭 の 一 文 。
実 は好 奇 心 の 故 に,し か れ ど も予 は 予 が 画 師 た る を利 器 と して,と と兄 弟 もた だ な る ざ る 医 学 士 高 峰 を強 ひ て,其
もか
く も 口実 を設 け つ つ,予
の
日東 京 府 下 の 一 病 院 に お い て,渠 が 刀 を 下 す べ き,貴 船 伯 爵 夫 人 の 手 術 を
ば 予 を して 見 せ しむ る こ とを 余儀 な く した り。
もっ て ま わ っ た,歯 切 れ の 悪 い 悪 文 で あ る 。 漢 文 訓 読 調 の 擬 古 文 で あ る こ と を差 し引 い て も読 み づ らい 。 次 は,名 作 の誉 れ 高 い 『高 野 聖 』(明 治33年)の
冒頭 の 一 文 。
参 謀 本 部 編 纂 の地 図 を又 繰 開 い て 見 るで も な か ろ う,と 思 つ た けれ ど も, 余 りの 道 ぢ や か ら,手 を 触 る さ へ 暑 くる しい,旅
の 法 衣 の 袖 をか か げ て,
表 紙 を付 け た 折 本 に な つ て い る の を 引 張 り出 した 。 『高 野 聖 』 は,東
京 か ら若 狭 に 帰 省 す る 若 者 で あ る 語 り手 「私 」 の 語 りの 中
に,「 宗 朝 」 とい う 「宗 門 名 誉 の 説 教 師 」 の 語 りが 収 め られ た 入 れ 子 構 造 を 持 つ 。 作 品 の 9割 は,こ
の 「宗 朝 」 の 談 話 体 で 構 成 さ れ て お り,漢 文 訓 読 調 で 綴
られ た 『外 科 室 』 に 比 べ れ ば,ず
っ と読 み や す い。 しか し,そ れ で も,け っ し
て す っ き り と した 文 体 と は言 い 難 い。 「と思 つ た け れ ど も」 と い う,の らの 逆 接 が , 読 者 を 戸 惑 わせ る。 鏡 花 小 説 は,語
っけか
り手 の 戸 惑 い や 逡 巡 を反 映 さ
せ た,ま わ り くど い 文 体 で 始 まっ て い くのが 通 常 な の で あ る。鏡 花 の 語 り手 は, 卑 近 な 日常 的 些 事 を,一
種 偏 執狂 的 な丁 寧 さ で くだ くだ し く述 べ 立 て て い く。
た と え ば,『 高 野 聖 』 の 麓 の 茶 屋 で お 茶 を呑 む経 緯 や,『 眉 隠 しの 霊 』(大 正13 年)の 奈 良 井 の 宿 に逗 留 す る経 緯 な ど を思 い 出 して い た だ い て も よい 。
3.語 りの 転 位 ・転 調― 「人 の 言 葉 」 か ら 「神 の 言 葉 へ 」― しか し,難 解 な 文 体 が 果 て しな く続 くな ら,い 読 み 続 け は しな い 。 鏡 花 の 文 体 は,あ
く ら鏡 花 フ ァ ン と い え ど も,
る と こ ろ で,読
み や す く開 け て く る地 平
が あ る。 そ れ は,状 況 設 定 が 完 了 した の ち,そ れ まで 大 人 し く控 え て い た 物 語 の 主 役 とい うべ き人 物 が,口
を開 く瞬 間 で あ る。
た とえ ば,『 外 科 室 』 の 貴 船 伯 爵 夫 人 の 言 葉 。
そ ん な に強 ひ る な ら仕 方 が な い 。 私 はね,心
に一つ秘密 があ る。麻酔 薬
は譫 言 を いふ と 申す か ら,そ れが 恐 くつ て な り ませ ん。 何 卒 も う,眠 に お療 治 が で きな い や う な ら,も
う も う快 らん で も可 い,よ
らず
して 下 さい 。
そ れ まで,外 科 室 の 手 術 台 に 横 た わ り,人 々 の好 奇 の ま な ざ しに さ ら さ れ て いた 貴 船 伯 爵 夫 人 が,麻 酔 を拒 否 す る 場 面 で あ る。 作 品 を最 後 まで 読 め ば わ か る こ とだ が,伯
爵 夫 人 は,手 術 が 恐 い わ け で も,「 心 の 秘 密 」 が 暴 露 され る の
が 嫌 な わ け で も な い。 麻 酔 な しの 手 術 を求 め る伯 爵 美 人 の真 の 目 的 は,9 年 前, 小 石 川植 物 園 で す れ 違 い,一 わ ち,今
瞬 の 恋 に 落 ち,9 年 間思 い づ け て き た 男 性,す
な
ま さ に,冷 然 と,外 科 手 術 を 行 お う と して い る 医 学 士 高 峰 に 対 し,自
らの 思 い を告 白す る こ と に あ る 。 愛 の 告 白で あ りな が ら,命 に か け て も守 らね ば な らな い 秘 密 で あ る とい う点 に お い て,伯 爵 夫 人 の 言 葉 は き わ め て 逆 説 的 だ 。 論 理 を超 え た 不 条 理 な 内 容 が,ゆ
る ぎの な い確 信 的 な 表 現 で 吐 露 さ れ る の が,
「上 」 の 終 わ りで あ る。 そ れ は 物 語 展 開 の ク ラ イ マ ック ス で あ り,同 時 に,冒 頭 の ま わ りく どい 文 体 が 《転 調 》 す る場 所 で もあ るの だ。 も う一 例,典
型 的 な 作 品 を 挙 げ てお こ う。 映 画 評 論 家 の 淀 川 長 治 が 「あ あ 映
画 に した い」 と 嘆 息 した 短 篇 に 『革 鞄 の 怪 』(大 正 3年)と れ て い な い作 品 が あ る 。 映 画 研 究 者 の 馬場 広 信 氏 が,チ 映 画 「LOVERS」
を見 て,鏡
い う,あ
ま り知 ら
ャ ン ・イ ー モ ウ監 督 の
花 の 『革 鞄 の 怪 』 『唄 立 山 心 中 一 曲 』 を 想 起 し た
と書 い て お り(「 ダ ・ビ ン チ 」2004年),お
お い に 共 感 した 。 燃 え る よ うな 紅
葉 か ら白銀 の 雪 景 色 へ と転 じる 壮 大 な 自然 を背 景 に,制 度 や 観 念 を捨 象 した 男 女 の 「恋 」 の 究 極 が 描 か れ る の が,『 革 鞄 の 怪 』 とそ の 後 日談 の 『唄 立 山 心 中 一 曲 』(大 正 9年)で
あ る。
舞 台 は上 野 か ら信 州 に向 か う上 越 線 の 車 内,語 座 っ て い た男 は,大
り手 の 前 に 「死 灰 」 の ご と く
き な蝦蟇 口 の 旅 行 鞄 を携 え て い た。 作 品 は,こ の 旅 行 鞄 に
まつ わ る語 り手 の くだ くだ しい 回 想 か ら始 め られ る。 しか し,や が て 事 件 は 起 こる 。 こ の大 き な蝦蟇 口 の 旅 行 鞄 に,高 崎 か ら新 た に乗 っ た 花 嫁 道 中 の 女性 の 片 袖 が,ふ
と した 拍 子 に挟 み 込 ま れ る の だ 。
鞄 の 男 は,信 州 の 郵 便 局 に赴 任 す る途 中の 電 信 技 士 なの だが,鞄 の鍵 を 閉 め, 電 車 の 窓 か ら投 げ 捨 て る。 自分 は 花 嫁 に 恋 して し ま っ た か ら,鞄 は 開 け な い 。
花 嫁 の 新 郎 の 前 に 引 き 出 され,た
と え殺 され て も,片 袖 は 返 さ な い と主 張 す る
の で あ る。 男 は,花 嫁 の 袖 を挟 ん だ 瞬 間 を次 の よ う に 語 る。
つ い 知 らず 我 を 忘 れ て,カ チ リと錠 を 下 しま した 。 乳 房 に五 寸 釘 を打 た れ るや うに,こ
の 御 縁 女 は驚 き なか す つ た ろ う と思 い ます 。 優 雅,温
柔で お
い で な さ る,心 弱 い 女 性 は,然 や うな 狼藉 に も,人 中 の 身 を恥 ぢ て,端 な く声 を お 立 て に 成 らな い の だ と存 じ ま した 。(中 略)お も紅 い点 も着 か な か つ た事 を,実 際,錠
た
身体 の 一 個 所 に
をお ろ した 途 端 に は,髪 一 筋 の 根
に も血 を お だ しな す つ た ろ う と思 ひ ま した 。 「乳 房 」 「髪 一 筋 の 根 」 と女 性 の 身 体 を想 像 させ る 言 葉,「 狼藉 」 「恥 ぢ て 」 「紅 い点 」 「血 」 と性 的 暴 行 を連 想 させ る言 葉 を 並 べ,隣
に座 っ た 花 嫁 の 着物 の
片 袖 を,自 分 の 旅 行 鞄 に挟 み こ ん だ とい う,た っ た そ れ だ け の ハ プニ ン グ を, あ た か も花 嫁 の 処 女 性 を 損 な う不 始 末 を しで か した か の ご と く過剰 に意 味づ け て い くの が 男 の 言 葉 だ。 ま さ に狂 気 の 言語 だ と い っ て よ い。 しか し,『 革 鞄 の 怪 』 の 男 の 言 葉 は,自
ら の 思 い を動 か しが た い 心 の 真 実 と
して伝 え よ う とす る そ の 切 実 さ に お い て,『 外 科 室 』 の 伯 爵 夫 人 の 言 葉 と似 通 って い る 。 両 者 と も身 体 的 な比 喩 表 現 が 巧 み な こ と も共 通 して い る。 伯 爵 武 人 の 言 葉 に撃 た れ た 高 峰 は伯 爵 夫 人 に殉 じて 死 ぬ し,鞄 の 男 の 言 葉 に 撃 た れ た 花 嫁 は 片 袖 を切 り裂 い て 男 に授 け,新 郎 と は夫 婦 の 交 わ り を避 けて 過 ご し,3 年 の ち に鞄 の男 を巻 き込 ん で心 中 す る。 結 論 を急 げ ば,鏡 花 世 界 とは,狂 気 の言 葉 が 常 識 の 言 葉 を 凌 駕 して い く劇 的 時 空 なの だ 。 め りは りの な い 平 凡 な 日常 に 裂 け 目を い れ て,神 話 的 な現 実 が 立 ち 現 れ る 瞬 間 を構 築 す る こ と が,鏡 花 文 学 に お い て は め ざ さ れ て い る。 神 話 的 現 実 と は,普 段 は 隠 蔽 され て い る 人 間 の 普 遍 的 な本 質 が リア ル に立 ち現 れ る 場 所 で あ る。 鏡 花 作 品 の 冒 頭 や 中 盤 に み られ る,難 解 で 迂 回的 な 文 体 は,そ の 前 提 で は あ る まい か 。 そ こ に,極 度 に 抽 象 化 され た,き
わ め て ラ デ ィ カ ル な狂 気
の 言 葉 が 入 り込 ん で くる 。 私 は こ れ を 「人 の 言 葉 」 か ら 「神 の 言 葉 」 へ の 転 調 ・転 位 と呼 ん で み た い 。 そ して,こ
の 「語 りの 転 位 」 「文 体 の 転 調 」 こ そ,
鏡 花 文 学 の 魅 力 の 秘 密 が 潜 ん で い る よ うに 思 わ れ る 。
4.鏡 花 文 学 の 定 型 性― 『高 野 聖 』 と夢 幻 能 の 類 似― と こ ろで,三
島 由紀 夫 は,『 高 野 聖』 の 成 功 の 理 由 を 次 の よ う に述 べ て い る。
私 は 『高 野 聖 』 の 成 功 の 一 つ の 理 由 を,能 の ワ キ僧 を思 は せ る 旅僧 の 物 語 とい ふ,枠
組 のせ ゐ で は な い か と考 え て ゐ るが,こ
う した伝 統 的 な 話 法
に よつ て,現 実 との 間 に額 縁 が き ち ん とは め られ る と,鏡 花 の 幻 想 世 界 は 人 々の 容 易 な 共 感 を 呼 ぶ も の とな つ た 。 「伝 統 的 な 話 法 」 と は何 で あ ろ うか 。 お そ ら く,語
り物 の 口承 文 芸,説
教僧
の 講 談 あ た りを 指 す の で あ ろ うが,「 能 の ワ キ 僧 を思 は せ る 旅 僧 」 と い う形 容 か ら,三 島 にお い て は,中
世 芸 能 の 「能 」 の 世 界,「 夢 幻 能 」 との 類 似 が 意 識
さ れ て い る よ う に 思 われ る 。 『高 野 聖 』 の 旅 僧 が 能 の ワ キ僧 な ら,ヒ ロ イ ンで あ る孤 家 の 女 は 怨 霊 の 「シ テ」 で あ る 。 人 間 界 を代 表 す る 「ワキ 」 が,あ
の世 か ら よみ が え っ た 「シ テ」
の 言 葉 を 聞 く。 前 節 で,「 人 の 言 葉 」 か ら 「神 の 言 葉 」 へ の転 位 ・転 調 が,鏡 花 の基 本構 造 だ と述 べ た が,そ れ は,能 楽 に た と え る な ら,ワ キ か ら シテ へ の 交 替 に ほ か な らな い の で あ る 。 『高 野 聖 』 の 能 楽 的 構 造 は,作 品 プ ロ ッ トや 文 体 の 構 成 に も及 ん で い る 。 『高 野 聖 』 全26節 は,見
事 な ま で に端 正 な 「序 破 急 」 の 三 段 リズ ム に構 成 され て
い る。 謡 の 一 音 の発 声,舞
の 一 打 の 足 拍 子,一
曲 の構 成,一
日 ま た は 数 日 の演
能 の 次 第 まで も を支 配 す る能 の 根 本 原 理 と され て い る 「序 破 急 」 は,連 歌,書 道,香 道,花
道,武
道,浄 瑠 璃,歌
舞 伎,地
唄,長 唄 を は じめ と して,日 本 の
伝 統 芸 能 や 武 道 の理 論 化 に幅 広 く用 い られ た 根 本 原 理 で あ り,伝 統 芸 能 な ど無 縁 な現 代 人 の 身 体 に も,「 序 破 急 」 の リズ ム が 染 み 込 ん で い る可 能性 は高 い 。 先 に,鏡 花 小 説 は,「 難 解 な オ ー プ ニ ング」 を持 つ と述 べ た が,じ
つ は これ
は 能 の 「序 」 の 役 目を 果 た して い る の で は あ る まい か 。 能 舞 台 を 見 て,そ
の退
屈 さ に熟 睡 す る 人 も多 い よ う に,「 序 」 は緩 や か に の ん び りと進 む もの と され て い る 。 冒頭 か ら旅 僧 が 蛇 の 道 や蛭 の 林 を く ぐ り抜 け て 孤 家 に た ど り着 く9節 ま で は,ま
さ し く 「序 」 で あ る。 「ヒ ヒー ン」 とい う 馬 の い な な き と も に,10
節 が 始 ま り,孤 家 の 女 が 登 場 す る と こ ろ か らが 展 開 部 の 「破 」,そ して 「孤 家 の女 」 の 秘 密 が 「親 仁 」 に よ って 明 か され る26節 が,終 結 部 の 「急 」 と な る。
三 島 は,「 伝 統 的 な 話 法 」 の 「枠 組 」 が 読 者 の 「容 易 な共 感 」 を可 能 に した と述 べ た が,そ
の 「枠 組 」 とは,本 作 の構 成 の 定 型 性 を指 して は い な い だ ろ う
か 。 「序 破 急 」 の 三 段 構 成 の リズ ム,作 品 の 展 開 の リズ ム に 身 を委 ね る こ とで, 読 者 は異 次 元 の 物 語 時 空 に参 入 し,戻 っ て く る こ と も出 来 る。 そ こに あ る種 の カ タ ル シス を体 験 す る こ と も可 能 とな る の で あ る 。 そ れ は,「 五 七 五 」 「五 七 五 ・七 七 」 と い う定 型 の音 律 に支 え られ て,世 界 を 読 み 込 む和 歌 や 俳 句 の 手 法 に も相 通 じる よ うに も思 わ れ る。 そ の 意 味 で,鏡 花 の小 説 は,韻 文 芸 術 で あ る とい っ て よい 。 鏡 花 文 学 は,和 歌 文 学 の伝 統 の 上 に 成 立 して い る と い う仮 説 を 立 て る こ と もで き る よ う に思 わ れ る 。
5.鏡 花 文 学 の 引用 性― 引 用 に は じ ま り,引 用 にお わ る 『歌 行 燈 』― さて こ こ まで,能 が,も
と の類 似 に 着 目 して,鏡 花 文 学 の 日本 的特 質 を探 っ て きた
う一 つ の特 質 と して,鏡 花 作 品 の 引用 性 につ い て 考 え てみ た い 。
先 行 文 芸 の 引 用 は,和 歌 の 「本 歌 取 り」,物 語 の 「引 歌 」,能 の 「本 説 」 をあ げ る まで も な く,日 本 古 典 文 学 の 伝 統 的 な手 法 で あ り,連 歌 ・俳諧 ・狂 歌 ・川 柳 ・江 戸 戯 作 な ど,中 世 か ら近 世 へ と,様
々 な バ リエ ー シ ョ ンを 示 しつ つ も,
日本 文 学 に脈 々 と流 れ て き た 主 要 な要 素 で あ る。 しか し,独 創 性(オ テ ィ)が 重 視 され た 近 代 に お い て は,引 用 は模 倣,剽
リジ ナ リ
窃 と表 裏 の 関 係 に あ り,
古 典 に 素 材 を取 る 場 合 も,そ の 原 典 と の差 異 に文 学 的 価 値 が 求 め られ る傾 向 に あ っ た 。 自 己の 体 験 を素 材 に,現 実 を凝 視 して 赤 裸 々 な描 写 を め ざす 近 代 リア リズ ム小 説 にお い て,引 用 が 軽 視 され る の は 当 然 の 成 り行 きだ と い っ て も よい 。 そ ん な な か,鏡 花 は,あ
たか も 自然 主 義 文 学 の 台 頭 に 逆 らう か の 如 く,古 典 文
芸 の 引 用 を 多 用 した作 品 を書 き は じめ る 。 た と え ば,最
高 傑 作 の 誉 れ 高 い 『歌 行 燈 』(明 治43年)は,引
用 に 始 ま り,
引用 に 終 わ る小 説 で あ る。 冒 頭 に は,十 用 され,結
返 舎 一 九 の 『東 海 道 中 膝 栗 毛 』 「五 編 上 」 の 桑 名 の くだ りが 引
末 は,謡
曲 〈海 人 〉 の 「玉 之 段 」 の 引 用 で 終 わ る。
『高 野 聖 』 と同 じ く,『 歌 行 燈 』 も また 夢 幻 能 の 形 式 を踏 ん で い る。 『膝 栗 毛 』 の 「弥 次 さ ん 」 を き ど る 老 人(=
じつ は 能 楽 の家 元 ・恩 地 源 三 郎)が
そ の 連 れ で 「捻 平 さ ん」 と呼 ば れ る老 人(=
じつ は 鼓 の名 手 の 雪叟)が
「ワキ 」, 「ワキ
ツ レ」 で あ り,芸 者 の お 三 重(= つ は宗 山 の 甥 の恩 地 喜 多 八)が,本
じつ は宗 山 の 娘 ・お 袖)と 流 しの 門付(=
じ
作 の 「シ テ」 とい う こ と に な ろ う。
主 人 公 の 喜 多 八 は,叔 父 で あ り師 で あ る源 三 郎 の 芸 を 侮 辱 した 宗 山 を 退 治 し た こ とが,逆
に 源 三 郎 の 逆 鱗 に 触 れ て,勘
当 の 身 と な っ た 。 し か し,彼
「今 後 を い っ さ い謡 を 口 に して は な らぬ 」 とい う戒 め を破 っ て,宗
は,
山の娘 お袖
に 〈 海 人 〉 の 「玉 之 段 」 を伝 授 す る 。 この お 袖 の 舞 を桑 名 の 宿 で 見 た源 三郎 と 雪叟 が,「 教 え も教 え た,習
い も習 う た 」 と芸 を讃 え,喜
多 八 の 勘 当 が 解 け,
お 袖 が 恩 地 の 嫁 に 迎 え られ る の が,『 歌 行 燈 』 の ス トー リー で あ る。 なぜ,喜
多 八 が お 三 重 に伝 授 す る の は,〈 海 人 〉 の 「玉 之 段 」 で な け れ は な
ら な い の か 。 こ の 疑 問 は,『 歌 行 燈 』 に,「 玉 之 段 」 以 外 に も,〈 月 見 座 頭 〉 〈 松 風 〉 〈土 蜘 蛛 〉 が 引 用 さ れ て い る の に気 が つ け ば,そ
の 意 味 は 自 ず と明 らか と
な ろ う。 上 京 の 都 人 が 下 京 の 座 頭 を 月 見 の 場 で な ぶ る狂 言 〈月 見 座 頭 〉,都 の 貴 公 子 在 原 行 平 に 愛 され た 須 磨 の 海 人姉 妹 が 再 会 を待 ち わ び て 狂 気 に 至 る悲 恋 の謡曲 〈 松 風 〉,源 頼 光 の 鬼 退 治 の謡 曲 〈土 蜘 蛛 〉,こ れ らの,き 形 で 引 用 さ れ る能 ・狂 言 に は,中 央 と地 方,都
と 田舎,正
わめて微細 な
統 と異 端,強
者 の 対 立 の コ ー ドが 見 い だせ る 。 これ に対 し,最 後 の 〈海 人 〉 は,時 原 不 比 等 に愛 され た 一 子 を授 か った 讃 岐 の 海 人 が,我 こ と を条 件 に,海 神 に 奪 わ れ た 宝 の 奪 回 に挑 み,命 げ る結 末 で あ る 。 ま さ に異 端 な 田 舎 の 弱 者 が,そ
者 と弱
の大臣藤
が 子 を世 継 の 位 に つ け る と引 き替 え に そ れ を 成 し遂
の 芸 に よ っ て,正 統 の 中 枢 に
転 じて い く物 語 な の だ。 命 を賭 して 玉 取 を決 行 す る海 人 の 姿 は,宗
山 ・お 三 重 ・喜 多 八,三
者の姿 に
重 な る 。 そ して,玉 取 の成 功 と海 人 の 壮 絶 な最 期 は,お 三 重 が 恩 地 家 の 「嫁 」 と して 迎 え られ,喜 多 八 に 死 の 影 が 迫 って い る こ と に呼 応 し て い る と い っ て よ い 。 鏡 花 作 品 に お い て は,古 典 の引 用 が,作 者 の衒 学 的 な 知 識 の ひ け らか し と して で は な く,物 語 の 重 要 な 伏 線 と して 機 能 し て い る 。 引 用 が 作 品 の 主 旋 律 (メ イ ンテ ー マ)を 奏 で だ して い くの で あ る。
6.俗 か ら聖 へ の 転 位― や つ しの 美学― 『歌 行 燈 』 に は,さ
ら に 多 くの 微 細 な 引 用 が 散 りば め ら れ て い る 。 こ と に歌
舞 伎 ・浄 瑠 璃 か らの 引 用 は夥 しい 。 これ につ い て は,久 保 田 淳 氏 の論 文 や 拙 論
を 参 照 され た い が,2,3 の 例 を 挙 げ て お こ う。 た と え ば,喜
多 八 の 登 場 す る饂飩 屋 の場 面(三
章)は,河
『直 侍 』(「天 衣 粉 上 野 初 花 」 の 後 半 部 「雪 暮 夜 入 谷 畦 道 」)の
竹黙 阿 弥の 通称 「入 谷 村 蕎 麦 屋 の
場 」 が 踏 ま え られ て い る。 元 御 家 人 の江 戸 っ子 で,今 お 尋 ね 者 と な っ て い る粋 な 悪 党 の 直 次 郎(直 侍)が く う ち に,た
「頬 被 り」 姿 で 蕎 麦 屋 に 現 れ,そ
こで 恋 人 の噂 を 聞
ま らな くな って 遊 女 屋 にか け つ け,お 縄 に な る場 面 で あ る。 桑 名
の饂飩 屋 に 「頬 被 り」 姿 で 登 場 した 『歌 行燈 』 の 喜 多 八 が,最
後に湊屋 に駆 け
つ け る 展 開 と酷 似 して い る 。 ち な み に,『 歌 行 燈 』 の 発 表 前 後,十
五代市村 羽
左 衛 門 の演 じる 『直 侍 』 が 評 判 を 呼 ん で い た 。 叔 父 の 五 代 菊 五 郎 と名 コ ン ビで 演 じた 舞 台(明
治43年 4月)は,歴
史 的 名 舞 台 と して 記 録 され て い る ほ ど だ 。
す な わ ち,読 者 は,絶 世 の 美 男 と騒 が れ た 名 優 市 村 羽左 衛 門 の 姿 を喜 多 八 に 重 ねつ つ,『 歌 行 燈 』 を 読 む こ とに な るの で あ る。 五 章 か ら九 章 にか け て は,近 松 徳叟 の 通 称 『伊 勢 音 頭 』(『伊 勢 音 頭 恋 寝 刃 』) 'が 踏 ま え られ て い る。 主 人 公 の 貢 が,主
人 の 名 刀 を取 り戻 そ う と,遊 女 屋 に
入 り浸 る うち に,芸 者 と恋 仲 に な り,そ の 裏切 りに あ っ て,堪 忍 袋 の 緒 が き れ, 「十 人 斬 り」 とい う大 量 殺 人 を行 う歌 舞伎 だ。 こ れ も今 日な お 上 演 さ れ る 人 気 狂 言 で あ るが,当
時 は羽 左 衛 門 の 貢 が 評 判 を呼 ん で い た 。
『歌 行 燈 』 を 読 ん で い て,『 直 侍 』 や 『伊 勢 音 頭 』 の 引 用 に気 が つ い た読 者 は, そ の後 の 筋 の展 開 に つ い て,様
々 な想 像 を働 かせ る。 こ う した 引 用 の もた らす
イ メ ー ジ の 広 が り を,物 語 の 強 度 に よ っ て,最 終 的 に収 束 させ るの が,『 歌 行 燈 』 とい う作 品 の醍 醐 味 で あ る。 久 保 田 万 太 郎 は 『歌 行 燈 』 を 「先 生 傑 作 中 の傑 作 」 と呼 ん で,新
派の芝居 に
脚 色 し た。 昭 和14年11月 7日,鏡 花 の 通 夜 の 席 で,里 見弴 が 「作 品 の 勢 い が 一 本 一 気 に 通 っ て い る 」 「名 作 」 と して 挙 げ た の も ,『 歌 行 燈 』 で あ っ た 。 こ こ で 里 見 の い う 「作 品 の 勢 い」 とは,様
々 な 引 用 が 物 語 世 界 の イ メー ジ を 拡 散 増
幅 させ な が ら,そ れ らが 結 末 に む か っ て収斂 し,神 々 しい まで に 厳 粛 な 謡 の 空 間 を現 出 す る引 用 の ドラマ ツ ル ギ ー を さ す の で は な い だ ろ うか 。 そ の ドラ マ ツ ル ギ ー を 貫 く原 則 は,人 の 言 葉 か ら神 の 言 葉 へ の 転 位 ・転 調,俗 な る 日常 か ら, 聖 な る時 空へ の 転 位 だ とい って よ い 。 尼 ケ 崎 彬 氏 は 『日本 の レ トリ ッ ク』 にお い て,江 戸 の 俳諧 精 神 の も っ と も重
要 な 概 念 は 「や つ し」 で あ り,「 や つ し」 と は,「 今 や 単 な る伝 承 と な っ て 時 代 精 神 か ら遊 離 しつ つ あ る 《雅 》 の根 底 に あ る もの を,市 井 の生 活 中 に対 象 物 を 見 い だ す こ とに よ っ て 《俗 》 化 し,俗 化 す る こ と に よ っ て 新 た な る 生 命 を賦 活 す る 操 作 」 で あ る と述 べ て い る。 『歌 行 燈 』 に お い て,源 弥 次 さ ん に,喜
多 八 は賤 しい 流 しの 門 付 け に,宗
三 郎 は 『膝 栗 毛 』 の
山の 娘 お 袖 は新 米 芸 者 の お 三
重 に 身 をや つ す 。 こ の 「や つ し」 の 手 法 は謡 曲 〈海 人〉 を 中心 とす る謡 曲 的 素 材 が,『 膝 栗 毛 』 を は じめ とす る 多 くの 近 世 的 素 材,あ
るい は明治 末の桑名 の
風 物 に よっ て 「俗 化 」 され,隠 蔽 さ れ て い る こ とに も見 い だ せ よ う。 謡 曲 〈海 人 〉 は 『歌 行 燈 』 の 結 末 で,は
じめ て 神 聖 な 「雅 」 の境 地 を 顕 現 させ て い る。
世 阿 弥 に よ って 大 成 さ れ た 能 楽 は,江 戸 期 に は武 家 や 豪 農 の 精 神 修 養 の 習 事 と な り,維 新 後 は そ の 地 位 す ら危 う くな っ た 。 能 楽 をい っ た ん 「俗 」 化 し,新 た な 生 命 を 与 え よ う と した のが 『 歌 行 燈 』 で は な か っ た だ ろ うか 。 平 成 の 今 日,鏡 花 の人 気 は ます ます 高 ま り,そ の 言 語 世 界 は不 思 議 な光 彩 を 放 っ て い る 。 鏡 花 の 小 説 を映 画 化 した寺 山 修 司 監 督 の 『草 迷 宮 』(昭 和53年), 坂 東 玉 三 郎 監 督 の 『外 科 室 』(平 成 3年)は,い
ず れ も 国 際 的 映 画 賞 を受 賞 し
た 。 これ を 契 機 に 海 外 で の読 者 も増 え て い る 。 演 劇 界 にお い て も,蜷 川 幸 雄 や 宮 城 聡(劇
団 「ク ・ナ ウ カ」 主催)等
の 国 際 的 活 躍 を み せ る現 代 演 出 家 が,鏡
花 作 品 を 舞 台 の 題 材 に採 りあ げ て い る。 〈ネ オ歌 舞 伎 〉 を標 榜 し,近 年 で は 能 との コ ラ ボ レー シ ヨ ン を始 め た気 鋭 の 演 出 家 ・加 納 幸 和(劇 催)が,以
団 「花 組 芝居 」 主
前 か ら何 度 も鏡 花 作 品 を舞 台 化 して い る こ と も注 目 され る。 鏡 花 は
ま さ に,時 代 を超 え て,「 世 界 に誇 れ る 」 存 在 とな っ て い る の だ。 鏡 花 の 日本 的 要 素 を問 う こ と は,国 際 化 の進 む現 代 社 会 に お い て,伝 統 の特 質 と価 値 を 再 検 証 す る契 機 と な る の で は あ る ま い か 。
■ 発展問題 (1) 川 端 康 成 の 小 説 に も序 破 急 に構 成 さ れ た 作 品 が 多 く見 い だ せ る 。 掌 編 小 説 の 中 か ら,こ れ を探 し,そ
の 表 現 構 造 を分 析 して み よ う。
(2) 『歌 行 燈 』 に 引 用 さ れ た 先 行 文 芸 を 原 典 で 読 ん で み よ う 。
(3) 泉 鏡 花 を 原 作 とす る 映 画 ・舞 台 ビ デ オ を 見 て,原
作 と比 較 して み よ う。
■ 参考文 献 1) 尼 ケ崎 彬 『日本 の レ トリ ッ ク』(筑 摩 書 房,1988) 2) 久保 田 淳 「 『歌 行燈 』 にお け る近 世 音 曲 ・演 劇 」(「文学 」2004,7 岩波 書 店) 3) 鈴 木啓 子 「反転 す る鏡 花 世 界― 『革 鞄 の 怪 』 試 論 」(『論 集 大 正 期 の 泉 鏡 花 』 お うふ う, 1999) 4) 鈴 木啓 子 「引用 の ドラマ ツ ルギ ー― 『 歌 行 燈 』 の 表現 戦 略― 」(『文学 』2004.7 岩 波書 店) 5) 鈴木啓子 「 泉 鏡花 と能 楽 」(武 蔵 野 大 学 「 能 楽 資 料 セ ンター紀 要 」No.16,2005,3)
第15章 三 島 由紀 夫 は何 に殉 じた のか?― 文体の悲劇― 【文 章 と文 体 】
キ ー ワ ー ド:時 代 精 神,ミ 一行
ダ ス 王 の 文 体,固
三 島 由 紀 夫(1925∼1970)は,あ 年10月
代 を 代 表 す る 文 体,凡
の 劇 的 な 自 決 の 僅 か 一 か 月 程 前,昭
に,『 作 家 論 』(中 央 公 論 社)を
〓 外 ・尾 崎 紅 葉 ・泉
有 の 文 体,時
庸 な
和45
出 版 し て い る 。 対 象 と し た 作 家 は,「 森
鏡 花 ・谷 崎 潤 一 郎 ・内 田 百閒
・牧 野 信 一 ・稲 垣 足 穂 ・
川 端 康 成 ・尾 崎 一 雄 ・外 村 繁 ・上 林 暁 ・林 房 雄 ・武 田麟 太 郎 ・島 木 健 作 ・円 地 文 子 」 の15人 で,夏
目漱 石 は 「よ り通 俗 的 」 と して,対
象 とされ
て い な い 。 も し,三 島 が 夏 目漱 石 を対 象 と し,漱 石 に 学 ぶ こ と を して い た な ら, 45歳 で 自決 す る とい う運 命 は 別 の もの に な って い た 可 能 性 が あ る 。 夏 目漱 石 は,慶 応 3年,明 治 元 年(1867)に 明 治 の 年 号 と重 な る。 漱 石 は,い
生 ま れ て い る の で,彼
の年齢 は
わ ゆ る 「明 治 ッ子 」 で あ る。 三 島 由 紀 夫 は,
大 正15年,昭 和 元 年(1925)の 生 ま れ で あ る か ら,彼 の 年 齢 は 昭和 の 年 号 と 一 致 す る 。 三 島 は,い わ ゆ る 「昭 和 ツ子 」 なの で あ る。 彼 ら は時 代 を 異 にす る もの の,と
もに宿命 的 に時代精 神 の影響 下 に人生 を送 った とい って よいだ ろ
う。 夏 目漱 石 『心 』 の 「先 生 」 は 明 治 の精 神 に殉 じて 殉 死 して い る。 三 島 由 紀 夫 は,昭 和 の 途 中 で 自決 して い るの で,彼 で き な い 。 三 島 由紀 夫 は一 体,何 夏 目漱 石 は 生 涯,23の
の 死 を 昭和 の 終 焉 と関 連 付 け る こ と は
に 殉 じて 自決 した の で あ ろ うか?
小 説 を創 作 して い る。 い ず れ の 作 品 も固 有 の 文 体 を
有 して い る。言 い換 え る と,漱 石 は作 品 ご と に文 体 を変 え て い る。 した が っ て, 「漱 石 の 文 体 」 とい う も の は 存 在 しな い 。 第12章 で 述 べ た よ うに,漱 石 は 「言 葉 の芸 人 」で あ り,文 芸 の 命 は表 現 に あ る と悟 っ て い たが,漱 石 固 有 の 文 体 を,
決 して持 と う と は しな か っ た 。 一 方,三
島 由 紀 夫 は,典 雅 な文 体 の 完 成 に命 を 懸 け た 。 彼 の 多 くの 作 品 は 磨
き上 げ られ た 三 島の 文 体 で書 か れ て い る 。 彼 の 作 品 集 は 三 島 由 紀 夫 色,一
色で
染 め 上 げ られ て い る。 時 代 精 神 の 影 響 下 の も との 人 生 と い う点 で 共 通 しな が ら,文 体 に つ い て の 態 度 は 全 く異 な っ て い た の だ 。 三 島 由 紀 夫 は 十 六 歳 の 時 に,処 女 作 『花 ざか りの 森 』 を 完 成 させ て い る 。 こ の年,日
本 は 太平 洋 戦 争 に 突 入 し,米 国 に決 死 の戦 い を挑 んで い る。
彼 は,二 十 歳 の 時 に,最 初 の 長 編 『盗 賊 』 を 執 筆 して い る 。 日本 は,こ の 年, 第二 次 世 界 大 戦 を 無 条 件 降伏 と い う,前 代 未 聞 の情 け な い負 け 方 で締 め く く っ て い る。 したが って,三
島 由 紀 失 こ そ,ナ
シ ョナ リ ズ ム の 影 響 の も と,時 代 を リー ド
す る文 体 を作 り出す 資 格 を有 す る作 家 とい う こ と に な る の だが,残
念 な が らそ
の よ う に は な って い な い 。 三 島 由 紀 夫 の 文 体 は 彼 が 目指 した よ うに 何 人 に も真 似 の 出 来 な い 華 麗 な文 体 で は あ る が,時 代 を代 表 す る 文 体 で は な か っ た 。 昭 和 を代 表 す る文 体 の 創 造 は松 本 清 張 や 司 馬 遼 太 郎 の 出 現 を待 つ こ と に な る 。
1.文 体 の 悲 劇― ミダ ス 王 の 文 体― 三 島 由 紀 夫 ほ ど文 体 に拘 っ た 作 家 は い な い。 彼 は,古 今 東 西 に わ た る該 博 な 文 学 的 教 養 に基 づ く典 雅 な 文 体 を示 す た め に作 品 を創 造 し続 け た と い っ て も よ い。 そ の 結 果,三
島 由 紀 夫 の 文 体 が 全 て の 作 品 に お い て 実 現 す る こ とに な っ て
しま っ た 。 ギ リ シ ア神 話 が 伝 え る ミダ ス 王 の神 話 は三 島 と文 体 との 関 係 を 考 え る場 合, 有 効 な比 喩 に な る。 触 れ る も の 全 て が 黄 金 に な る よ うに 願 っ た ミ ダ ス 王 は食 べ よ う とす る もの が 全 て 黄 金 に化 して し まい 空腹 に耐 え兼 ね る と い う悲 劇 に 見 舞 わ られ る。 三 島 は 完璧 な 文 体 の完 成 を願 い,書
くもの 全 て が 三 島 調 の 格 調 高 い
典 雅 な 文 体 とな っ て 立 ち現 れ る こ とに な る。 そ の 結 果,教 養 と は 無 縁 な と こ ろ に あ る 人 物 を表 現 す る こ とは 不 可 能 な こ と に な る。 そ の 不 可 能 を押 して,無
理
や り書 き上 げ て し まっ た もの が 『潮 騒 』 で あ る。 そ れ が 滑 稽 な 作 品 で あ る こ と は次 に示 す こ と に よ っ て 明 らか に な る だ ろ う。
『潮 騒 』 の 主 人 公 は 新 制 中 学 校 を 卒 業 して 漁 師 に なつ た 「新 治 」 で あ る 。 こ の 若 者 は,教 養 とは ほ と ん ど無 縁 な素 朴 な 青 年 で あ る。 三 島 は,そ
の素朴 さ を
しつ こ い ほ ど繰 り返 す 。 ・黒 目が ち な 目は よ く澄 ん で ゐ た が,そ 物 で,決
れ は 海 を職 場 とす る 者 の 海 か らの 賜
して 知 的 な澄 み 方 で は な かつ た 。 彼 の 学 校 に お け る成 績 は ひ ど く
わ る か つ た の で あ る。
(第 1章)
・若 者 の 心 に は想 像 力 が 欠 け て ゐ た の で,不 安 に し ろ,喜 び に し ろ,想 像 の 力 で そ れ を拡 大 し繁 雑 に して 憂鬱 な 暇 つ ぶ しに 役 立 て る術 を 知 ら な か つ た。
(第 8章)
・持 ち合 は せ の な い想 像 力 は 彼 を悩 ま さ な か つ た 。
・そ の 話 術 は拙 なか つ た。
(第 8章) (第11章)
・新 治 は考 え る こ とが 上 手 で なか つ た の で … … 。
(第12章)
・考 え る こ との 不 得 手 な 若 者 は… …。
(第12章)
・あ れ は馬 鹿 に ち が ひ な い,と あ る と き機 関 長 が 船 長 に言 つ た 。(第14章) さて,こ
う して,主
人公 「新 治 」 の 素 朴 さ と知性 の な さ を繰 り返 し表 現 して
お きな が ら,三 島 は この 青 年 に,以
下 の よ う な独 白や 心 情 表 現 を語 らせ て い る
の である。 ・若 者 は彼 を と り ま くこ の 豊 饒 な 自 然 と,彼
自 身 と の 無 上 の 調 和 を 感 じた 。
彼 の 深 く吸 ふ 息 は,自 然 を つ く りな す 目 に見 え ぬ も の の 一 部 が,若
者の体
の深 み に まで 滲 み 入 る や うに 思 は れ,彼 の 聴 く潮 騒 は,海 の 巨 き な潮 の 流 れ が,彼 の 体 内 の 若 々 しい 血 潮 の 流 れ と調 べ を 合 は せ て ゐ る や う に思 は れ た。
(第 6章)
・こ の と き女 とい ふ 存 在 の 道 徳 的 な核 心 に触 れ た や うな気 が した の で あ る。 (第 8章) ・水 平 線 上 の 夕 雲 の前 を 走 る一 艘 の 白 い貨 物 船 の 影 を,不 思 議 な 感 動 を 以 て 見 送 つ た こ と を思 い 出 した 。 あ れ は 「未 知 」 で あつ た 。 未 知 を遠 くに 見 て い た あ ひ だ,彼
の 心 に は 平 和 が あ つ た が,一
度 未知 に乗組 ん で出 帆す る
と,不 安 と絶 望 と混 乱 と悲 嘆 とが,相 携 え て押 し寄 せ て 来 た の で あ る 。
(第12章) ・と新 治 は 思 つ た。 少 な く と もそ の 白 い船 は,未 知 の 影 を 失 つ た 。
(第15章)
・今 に して 新 治 は思 ふ の で あ つ た。 あ の や う な辛 苦 に もか か わ らず,結
局一
つ の 道 徳 の 中 で か れ ら は 自由 で あ り,神 々 の 加 護 は 一 度 で もか れ らの 身 を 離 れ た た め しは な か つ た こ と を。 つ ま り闇 に 包 ま れ て ゐ る こ の 小 さ な 島 が,か
れ ら の 幸 福 を守 り,か れ らの 恋 を成 就 させ て くれ た と い ふ こ と を 。
……
(第16章)
「新 治 」 とい う青 年 を,こ ど知 的 で 聡 明 な作 家 が,あ
れ らの 表 現 は無 残 な ほ どに 裏 切 っ て い る 。 三 島 ほ ま りに も明 白 な矛 盾 を な ぜ あ え て 行 っ て い る の か 理
解 に苦 しむ 。 『潮 騒 』 は 文体 を持 っ て しま っ た 作 家 の 悲 劇 を端 的 に 表 した 作 品 な の で あ る。
2.太 宰 治 『走 れ メ ロ ス 』― 人物 像 を裏 切 る文 体― 文 体 の悲 劇 は三 島 由 紀 夫 に 限 ら ない 。 太 宰 治(1909∼1948)は,文
学 史 的 に は 三 島 由 紀 夫 に バ トン タ ッチ をす
る よ う に して,入 水 自殺 して し ま っ た作 家 で あ るが,そ
の 作 品 の 一 つ 『走 れ メ
ロス 』 も,文 体 の 悲 劇 を示 す 作 品 とな って い る。 「メ ロ ス に は政 治 が わ か らぬ 。 メ ロ ス は,村 の 牧 人 で あ る 。 笛 を 吹 き,羊
と
遊 ん で 暮 して 来 た 。」 と太 宰 は 書 く。 「メ ロ ス」 は,『 潮 騒 』 の 「新 治 」 と同 様 に,古 代 的 な 素 朴 さ を 有 す る単 純 な野 人 で あ る と作 家 は紹 介 して い る。 こ う い う人 物 像 は正 直 と友 情 を貫 くた め に 自分 の 命 を 懸 け る と い う古 代 的 明 澄 な 中 心 モ チ ー フ を立 派 に 支 え る もの と な っ て い る 。 と ころ が,こ
うい う 人物 像 と 冒頭 部 の 表 現 は い た く矛 盾 す る の だ 。
・メ ロ ス は 激 怒 し た 。 必 ず,か
の 邪 智 暴 虐 の 王 を 除 か ね ば な らぬ と決 意 し
た。 「邪 智 暴 虐 」 とい う四 字 熟 語 は,果
た して 素 朴 な 「牧 人 」 の 言 葉 と して 相 応
しい もの で あ る の だ ろ うか 。 と て も,そ う と は思 え な い 。 太 宰 は の っ け か ら文
体の悲劇 に見舞 われている。 ・国王 は乱 心 か 。 ・人 の 心 を 疑 ふ の は,最
も恥 づ べ き悪 徳 だ。
・お まへ は,稀 代 の 不 信 の 人 間,ま
さ し く王 の 思 ふ 壺 だ ぞ,と
自分 を叱 つ て
みる…… ・愛 と信 実 の血 液 だ け で 動 い て ゐ る こ の 心 臓 を見 せ て や りたい 。 ・い ち どだ つ て,暗
い疑 惑 の 雲 を,お 互 ひ 胸 に宿 した こ と は無 かつ た 。
・私 は 王 の 卑 劣 を憎 ん だ 。 ・地 上 で 最 も,不 名 誉 の 人 種 だ。 ・あ あ,も
うい つ そ,悪 徳 者 と して 生 き伸 び て や ら うか 。
・正 義 だ の,信 実 だ の,愛
だ の,考 へ て み れ ば,く だ らな い。
・そ れ が 人 間 の 世 界 の 定 法 で は なか つ た か 。 ・や ん ぬ る哉 ・斜 陽 は 赤 い 光 を,樹 々 の 葉 に投 じ,葉 も枝 も燃 え る ば か りに 輝 い て ゐ る。 ・愛 と誠 の 力 を,い
まこ そ 知 らせ て や るが よい 。
・私 は君 と抱 擁 す る資 格 さへ 無 い の だ 。 な ん と い うこ とだ ろ う。こ れ らが,単 純 で 素 朴 な メ ロ スの 言葉 や 内 言 な の だ 。 太 宰 は 本 気 で こ ん な こ と を書 い た の だ ろ うか 。 これ ら は,メ
ロス よ り も,ハ ム
レ ッ トの 科 白 と した 方 が よ り相 応 しい。 イ ンテ リの ハ ム レ ッ トと素 朴 で 単 純 な 牧 人 の 言 葉 とが 区別 出 来 な い 太 宰 の 文 体 感 覚 とは 一 体 どの よ う な もの な の か 。
3.死 は 予 告 さ れ て い た―夭 折 の 美― 『盗 賊 』(昭 和23年,1948)は,三
島 の 最 初 の 長 編 小 説 で あ る。 彼 は,か
な
り詳 しい 「創 作 ノー ト」 を残 して い る。 そ の 中 の 一行 に 次 の よ うに あ る。 ・天 国 は夭 折 した 人 の た め に 美 しい,人 が み な 老 人 に なつ て 死 ん だ らい か に そ こは 荒 涼 と灰 色 で あ ら うか 。夭 折 した 美 しい 若 い 男 女 た ち が,鬼 事 の や う に 追 ひ合 つ て 天 国 を美 し くた の し くす る 。 この モ チ ー フ は 『盗 賊 』 に お い て,次 の よ うな 形 で 小 説 化 さ れ て い る。
・193*年11月*日,藤
村 子 爵 家 の 嗣 子 明 秀 と山 内 男 爵 の 令 嬢 の 清 子 とが,
彼 ら 自身 の結 婚 式 の 当夜 情 死 した 事 件 は,忽 ち さ ま ざ ま な揣 摩 臆 測 の潮 に 巻 き 込 まれ た 。 遺 書 もな く事 情 を よ く知 る 友 人 も な か つ た 。 死 ぬ べ き理 由 と云 つ た ら,彼
らが 幸 福 で あ り過 ぎた と い ふ こ との 他 に は見 当 た らな か つ
た 。 そ れ だ け で 十 分 の 理 由 と いふ べ き だが,世
間 は 「十 分 の理 由 」 に は 信
を置 か な い の で あ る。
(第 6章)
三 島 由紀 夫 の 生 涯 は 幸 せ に 満 ち て い る。 高 級 官 僚 の 子 と し て,何 才 を世 に 表 し,19歳
不 自 由 な く幸 せ な 幼 児 期 を 過 ご し,16歳
で 処 女 小 説 集 『花 ざ か りの 森 』 を 出 版 す る。 そ の 後,川
端 康 成 に 認 め られ,以 後 傑 作 を次 々 と発 表 し,新 潮 文 学 賞,岸 文 学 賞,毎
の 時,文
日芸 術 賞 等 を 受 賞 し,40歳
の 時 に は,ノ
田演 劇 賞,読
売
ーベ ル文 学賞 の候 補 にま
で 上 って い る 。 『盗 賊 』 の 「藤 村 明 秀 」 と同 様 に,三
島 由 紀 夫 は 俗 世 間 的 に は 申 し分 の な い
幸 せ を堪 能 し て い た の で あ る 。 そ して,幸 せ で あ る が ゆ え に,彼
は夭 折 を願 っ
た 。 そ れ は 自決 とい う衝 撃 的 な 無 理 や りの夭 折 で は あ っ た の だ が 。 結 局,三
桜 花
島 由紀 夫 は 自 己 の 美 意 識 に殉 じた の だ 。 時 は 過 ぎね ど
見 る人の
恋の盛 りと
今 し散 る ら む
三 島 の 美 意 識 は古 代 の 万 葉 人 の 美 意 識 と一 致 す る。
(万 葉 ・10・1855)
■ 発展 問題 (1) 『盗 賊 』 の 創 作 ノ ー トの 一 節 に 次 の よ う に あ る 。 こ の 表 現 と 『潮 騒 』 の 文 体 との関係 を考 えてみ よう。 ・作 家 は凡 庸 な 一 行 を 決 して 書 い て は な ら な い 。 凡 庸 と云 つ て わ る け れ ば 常 識 的 な 一 行 を。 彼 以 外 の 誰 に も 書 け る 一 行 を 。 さ うい ふ 一 行 を 書 く作 家 は 必 ず 凡 庸 な 百 行 を 書 く作 家 で あ る 。
(2) 芥 川 龍 之 介 『トロ ッ コ 』,志 賀 直 哉 『 清 兵 衛 と瓢 箪 』 の 主 人 公 は 少 年 で あ る 。 彼 らの 内 言 が ど の よ うな もの に な っ て い る か 調 べ て み よ う 。そ の こ と に よ り, 芥 川 や 志 賀 に も文 体 の 悲 劇 が あ っ た の か 否 か,確
(3) 次 の 文 章 は,松
認 して み よ う。
本 清 張 の 『或 る 小 倉 日記 伝 』 に つ い て,坂
口安 吾 が 書 い た 文
章 で あ る 。 後 の 問 い に 答 え て み よ う。
「 或 る小 倉 日記 伝 」 は こ れ ま た 文 章 甚 だ 老 練,ま
た正 確 で,静
かで もある。
一 見 平 板 の 如 くで あ り な が ら造 形 力 逞 し く底 に 奔 放 達 意 の 自 在 さ を 秘 め た 文 章 力 で あ っ て,小 も,こ
倉 日記 の 追 跡 だ か ら こ の よ う に 静 寂 で 感 傷 的 だ け れ ど
の 文 章 は 実 は 殺 人 犯 を も 追 跡 し う る 自在 な 力 が あ り,そ の 時 は ま た
こ れ と趣 き が 変 り な が ら も 同 じ よ う に 達 意 巧 者 に 行 き届 い た 仕 上 げ の で き る作 者 で あ る と思 っ た 。
(「文 藝 春 秋 」 昭 和28年
問 1 「文 体 」 の 意 味 で 使 用 さ れ て い る 「文 章 」 が あ る 。 ど れ か?
問 2 「自 在 な 力 」 の 意 味 す る こ と を,三
島 の 文 体 と比 較 して,述
4月 号)
べ な さい 。
■ 参考 文献 1) 三 島 由紀 夫 『作 家論 』(中 央公 論 社,1970) 2) 『 決 定版 三 島 由紀 夫 全 集 1』(新 潮社,2000) 3) 『日本文 学 研 究 資料 叢 書 三 島 由紀 夫 』(有 精 堂,1972) 4) 高橋 睦郎 ・井 上 隆史 「詩 を書 く少年 の孤 独 と栄光 」(「ユ リ イカ」2000年11月 2000) 5) 半藤 一利 『 清 張 さん と司馬 さ ん 昭 和 の 巨 人 を語 る』(「人 間講 座 」NHK,2001)
号,青 土 社,
索
【 事
項】
あ
行
秋津 島(洲)
4
引
男 時 124,126
漢 英 混淆 文 158,160
男 言 葉 54
漢語和語 混交体 l
音 の 詩 人 140
漢 字 仮 名 交 じ り文 1
折 句 13,16
感 性 語(擬
オ リ ジ ナ ル性 127
雁 皮 125
態 語) 100
音 7
漢 文 訓 読 語 43,118
葦原 中 国 3
音 楽 的 散 文 124,126
漢 文 訓 読 語 彙 119
吾妻 鏡 体 99
音 訓 交 用 1,8
漢 文 訓 読 専 用 の 語 彙 118
新 しい 書 き言 葉 体 144,150
音 声 言 語 148
漢 文 訓 読 体 105,120,126,149
当て 字 149
か
行脚 劇 126
行
漢 文 訓 読 調 194 漢 文 訓 読 文 体 92,105,122
回 文 対 句 21 イエ ズ ス 会 124
外 来 語 149
擬 古 文 126,194
イエ ズ ス 会 巡 察 使 124 一 代 記 説 47
書 き言 葉 と して の 言 文 一 致 体
擬 古 文 体 105
擬 人 法 158
92
印 刷 文 化 124,125,126
隠 し文 字 13
紀 伝 体 61,98
隠 棲 期 132
学 生 期(が
狂 気 の 言 葉 196
隠 喩 149
格 助 詞 「を」 の 出 現 率 13,18
く し ょ う き) 131
虚 構 の 時 代 50
掛 詞 29
浄御 原 律 令 3
迂 言 法 158
掛 詞 含 有 率 36,41
清 元 風 149
歌 枕 巡 礼 126
仮 借 5
初 冠 本 伊 勢 物 語 36
家 住 期(か
キ リシ タ ン版 124 じゅ う き) 132
記 録 体 日記 50
雅 俗 折 衷 149
記 録 体 日記 的 文 体 61
エ ク リチ ュー ル 1,6,7
カ タ カ ナ漢 字 交 り文 92,99
記 録 体 の 日記 59
枝 豆 型 43,87
カ タ カ ナ本 124
金 閣寺 型 作 品 105,122
枝 豆 型作 品 36,50,61
語 りの 構 造 191
金 銭 関係 144
枝 豆型 の 作 品 48,102
活 字 版 124
近 代 は小 説 の 時 代 126
か な 漢 字 交 りの 刊 本 124
演劇 124,191 演劇 ・舞 台 芸 術 の 時 代 126 演劇化 124,135
か な 漢 字 交 り文 92
串 団 子 型 作 品 36,43
歌 舞 伎 191
訓 1,7
雅 文 体 105,122 王 朝 の 美 意 識 70
雅 文 体(擬
欧 文 脈 144,148
鎌 倉 幕 府 105
大 八 洲(島)国
神 の 言 葉 196
遣賄使 4
ォ ク シモ ロ ン 158,169,171
唐 様 禅 宗 仏殿 造 り 106,122
現 代 演 劇 191
音 1
狩 使 本 伊 勢 物 語 36
現 代 は 映 像 の 時 代 126
3
古 文 体) 105
慶 長 勅 版 124 計 量 分 析 78
元 和 勅 版 124
写 生 175
言 文 一 致 175
写 生 文 175
言 文 一 致 運 動 144
写 生 文(叙
言 文 一 致 体 103,144
写 生 文 論 181
成 句 149
言 文 一 途 148
写 本 125
正 装 の 文 体 24
建 武 の 中 興 105
写 本 時 代 125
整 版 本 124
主 意 175
西 洋 175
「こ と」 型 章段 61
趣 向 文 芸 124
全 国 共 通 語 150
恋 歌 24
取 捨 選 択 175
構 成(結
構 布 置) 175
駿 河 版 124
事 文) 175
出 版 業 124
政 教 社 144
雑 歌 24,28
楮 125
主 要 表 現 技 法(レ
国 民 語 150
個 性 尊 重 社 会 61
主 要 文 芸 ジ ャ ン ル 124
総 合 歴 史 書 61
古 体 要 素 36
主 要 レ トリ ッ ク 166,169
曽我 物 124
古 典 引 用 191
承 久 の 乱 101
こ とば の 職 人 164
常 識 の 言 葉 196
固 有 の 文 体 203
省 筆 130
誤 用 105,108,117
省 筆 の 技 法 81
音(こ
省 筆 の 技 法(黙
ゑ) 1,8
トリ ッ ク)
総 合 的歴 史 書 68 総 合 文化 誌 61
13,20
た
行
第 9次 遣唐 使 2 第 一 次 世 界 大 戦 127 説 法) 78
対 義 結 合 158,169,171
商 品 と して の 作 品 144
タ イ トル 165,169
小 品 文 175
第 二 次 世 界 大 戦 127
材 料 175
浄 瑠 璃 191
対 比 の技 法 78
嵯 峨 本 124
昭和 ツ子 203
大 宝 律 令 3
作 者 複 数 説 78
書 記 言 語 148
台 湾 出兵 127
雑 纂 本 48
書 記体系 1
だ らだら文
三 角 関 係 144
序 詞 24,57,149
短 歌 175
三 色 弁 当 型 作 品 61
叙 事 文 175
男 性 語 118
三 題 噺 166
女 性 仮 託 52
散 文 詩 的 文 体 61,70
女 性 独 白 体 24
血 筋 社 会 61,62
三位 一 体 の 技 法 169
序 破 急 191
長 恨 歌 86
三 位 一 体 の 作 品 158,169
自 立 的 文 章 13
さ
行
尻 抜 け 型 の 文 章 81
126
対 句 13,21,149
視覚 的 推 敲 124,125
尻 抜 け 型 文 章 78
視覚 的 文 体 125
進 化 論 的 哲 学 179
定 家 仮 名 遣 い 95,101
視覚 的 文 体 素 124
壬 申 の 乱 3
定 型 191
師 木(城)島
新 体 要 素 36
転 調 191
4
四季 歌 24
心 理 小 説 144,153
事実 の 時代 50 止住 期(し
じ ゅ う き) 132
伝 統 的 な話 法 197 推 敲 126
伝 統 的 美 意 識 65
自 然美 70
推 敲 過 程 124
同 一 表 記 異 義 語 36
時代 精 神 203
随 想 的 章段 61,69,71
同 音 異 義 語 30,36
時代 を代 表 す る 文 体 203
随 筆 61
道 成 寺 物 124
思弁 癖 144,152
ス ケ ッチ 175
同 表 記 異 義 語 30
豊 葦 原 千 五 百 秋 瑞 穂 国 4
複 数 「訓 」 1,9
明 治 ツ子 203
豊葦原之千 秋長五百秋之水穂 国
伏 線 78
女 時 124,126,137
伏 見版 124
目の 歌 24,29,36
3 な
行
ナ シ ョナ リ ズ ム 1,7,125,144, 145 業 平 自筆 本 伊 勢 物 語 36
日露 戦 争 127,144 日記 50
舞 台 芸 術 124 普 段 着 の 文体 24
「もの 」 型 章 段 61
文 学 158
木 版 124
文 芸 思 潮 124
模 写 の 文 章 36
文体 1
モ ダ リ テ ィー 120
文 体 指 標 105
モ チ ー フ 166,169
文 体 模 写(パ
物 語 50
日記体 物 語 50
ス テ イ ー シ ュ)
105
物 語 の 時 代 126
文 の 芸 人 165
物 名 13,15
日記体 和 文 98
文 句 取 124,139
日記 的 章段 61,71
平 安 時 代風 の 寝殿 造 り 122
日清 戦 争 127
平 安 朝風 寝殿 造 り 106
日本 1,2
平 治 の 乱 100
日本 的 191
編 纂 本48
や つ し 191
日本 海 海 戦 144
変 体 漢 文 の 日記 体 99
山 会 70
保 元 の 乱 100
遊 行 期(ゆ
門 人 125 や
行
日本 文 芸 思 潮 126
能 狂 言 191
ぎ ょ う き) 132
募 集 文 175 は
行
本 歌 取 124
謡 曲 の 詞章 136
凡 庸 な一 行 203
四 字 熟 語 149
「は」 型 章段 61 ま
「春 」 の 部 の 景 物 63
行
訓(よ
み) 1,8 ら
俳 句 175
枕 詞 24,144
配 列 順 序 24
枕 詞 含 有 率 36,41
楽 市 政 策 125
跋文 61,68
まだ ら文 体 124
落 柿 舎 125
板 本 125
未完 の 完 133
六 義 17
版 本 125
ミダ ス 王 の 神 話 204
六書 5
版 本 時代 125
ミダ ス 王 の 文 体 203
律 令国家 3
行
パ ロ デ ィー 124,138,139
道行 文 149 美 意 識 宣 言 65
三唖(み
美 術 と文 学 175
耳の 歌 24,29
つ ま た) 125
黙 説 法(レ
人 の 言 葉 196
夢 幻 能 191,197
連 衆 125
表 音 主 義 言 文 一 致 体 92
武 者 の 世 92
連 体 形 の終 止 形 同 化 118
屏 風 歌 57
武 者 ノ世 100
類 聚 的 章段 61 テ イサ ン ス) 130
非 自立 的 文 章 81
ひ らが な 漢 字 交 りの和 文 体 98
無 文 字 社 会 29
ひ らが な 漢 字 交 り文 105
紫 式 部 単 独 執 筆 説 78,81
ひ らが な 漢 字 交 り文 の和 文 体
室 町 幕 府 105
99
六 歌 仙 論 17 わ 倭 1,2
行
和 英混淆 文 158,160
Antonio Fontanesi
179
尾 形 仂 60,143 岡見 正 雄 104
和 歌 の 時 代 126 飯 田 晴 巳 157
荻 野 清 143
和 漢混淆 体 105
家 永 三 郎 12
桶 谷 秀 昭 157
和 漢混淆 文 体 122
池田 亀 鑑 49,60,76
刑部 親王 3
和 語語 彙 118
石 井 文 夫 60
尾 崎 一 雄 203
和 風 仏殿 造 り 106,122
石 原 昭 平 60
尾 崎 紅 葉 203
和 文 13
石 原 千 秋 190
小 沢 正 夫 23,35
和 文 体 92,105
石 母 田 正 12
小 田切 秀 雄 146,156
泉 鏡花
織 田 信 長 125
和 漢 混淆
150
欧
文
191,203
和 泉 式 部 58
小 野妹子 4
Idea 158,172
伊 藤 博 之 142
Rhetoric 158,172
稲 垣 足 穂 203
U検 定 法 79
犬養廉 60
貝塚 茂 樹 77
井 上 円 了 144
柿 本 人 麿 15
井 上 隆 史 209
柿 本 人 麻 呂 21
井 上 光 貞 12
柏 木 素 龍 131
井 原 西 鶴 138
片 桐 洋 一 23,35,49
今 井 源 衛 35
金 原 理 103
青 木 和 夫 12
伊 牟 田経 久 60
亀 井 孝 9,12
青 木 稔 弥 157
入 沢 康 夫 103
亀 井 俊 介 173
【 人
あ
名】
行
か
行
鴨 長 明 75,92,94,133
青 木 伶 子 103 赤 染 衛 門 98
上 田秋 成 53
柄 谷 行 人 12
赤 松 俊 秀 104
上 野 理 76
柄 谷 行 人 12,173
秋 山 虔 35,49,60,91
上 野洋 三 143
河 合 曽良 127,136
秋 山虔 53
臼 井吉 見 109,123
川 勝 義 雄 77
阿久 澤 忠 60
内 田 百閒 203
川 端 康 成 191,203
足 利 尊 氏 105
内 海 文 三 146,152,158,170
神 田 秀 夫 95,103
足 利 義 満 122
右 衛 門府 生 壬 生 忠岑 14
敦 康 親 王 67
ガ ンチ ヤ ロ フ 151 上 林 暁 203
麻生 磯 次 143 円 地 文 子 203
岸 上 慎 二 76
阿仏 尼 133 阿 部秋 生 35,49,91
大 朝 雄 二 91
貴 志 正 造 110,123
尼 ケ崎
大 海 人 皇 子 3
北 村 季 吟 53
網 野 善 彦 12
大 岡 信 173
木 藤 才 蔵 110,123
新 井 栄 蔵 23
凡 河 内 躬 恒 63
紀 貫 之 13,133
在 原 業 平 37
大 曾 根 章 介 103
紀 時 文 51
ア レ ッサ ン ドロ = ヴ ァ リニ ャ ー
大 津 有 一 49
紀 友 則 64
大 中 臣 能 宣 51
紀 淑 望 13,24
安 藤 文 人 157
大 野 晋 12
木 村 正 中 60
ア ン トニ オ ・フ ォ ン タネ ー ジ
太安万侶 1
清 原 元 輔 51,64
彬 200,202
ノ 124
175
ア ン トニ オ ・フ ォ ン タネ ー ジ
大 宅 世 継 98 大 淀 三 千 風 138
国 木 田独 歩 70
久 保 田 淳 110,123,202 久 保 田 万 太 郎 200
ジ ャ ン = ジ ャ ック ・オ リ ガス
189
陳寿 2 津 田 由 雄 169,170
ク レ オパ トラ 166
修 子 内 親 王 67
桑 原 博 史 110,123
寿 岳 文 章 143
坪 内雄 蔵 145
鄭 譚 毅 157
坪 内祐 三 156
坪 内逍 遥 145
契冲 52
少 将 道綱 の 母 58
慶 保 胤 95
聖 徳 太子 4
低 耳 128
元明 天皇 5
白石 悌 三 143
寺 本 喜 徳 189
小 池 清 治 12,23,35,60,91,104,
菅 原 孝 標 の 娘 58
天智天皇 3 157,173
天武天皇 3
菅 原 道 真 98
皇 女 活 子 内 親王 44
杉 浦 重 剛 144
藤 七 郎 131
神 野 志 隆 光 49
杉 浦 正 一 郎 143
桃 青 137
小 嶋 菜 温 子 91
杉 山杉 風 130
十 川 信 介 156,157
御 書 所 預 紀 貫 之 14
鈴 木 一 雄 60
時枝 誠 記 123
後醍 醐 天 皇 105
鈴 木啓 子 202
徳 川 家康 124
小竹 武 夫 77
鈴 木 日出 男 35,49,,91
徳 田秋 声 193
後藤 昭 雄 103
清 少 納 言 61
外 村 繁 203
小 林 秀 雄 106
関
杜 甫 132
小 竹 文 夫 77
ドス トエ フ ス キ ー 151
良 一 145,156
小 林 芳 規 12
冨 倉 徳 次 郎 109,110,123
小 松 英 雄 23,60,110,123
宗 祇 132
豊 臣 秀 吉 124
小 森 潔 77
則 天武后 2
豊 臣 秀 頼 22
小 森 陽 一 173 た さ
行
行
な
醍 醐 天 皇 14,24
苗村 千 里 132
西 行 132
大 内記 紀 友 則 14
永 井 和 子 76 中川 濁 子 130
行
佐 伯有 清 12
高 橋 亨 91
嵯 峨 天 皇 37
高 橋 睦 郎 209
中嶋 隆 142
坂 上 望 城 51
高 浜 虚 子 175,182
中 田 祝 夫 12
坂 本 太 郎 12
武 田 宗 俊 91
永 積 安 明 110,123
前 甲斐 少 目 凡 河 内躬 恒 14
竹 田 野 披 133
長 友 千 代 治 142
櫻 井 武 次 郎 143
武 田麟 太 郎 203
中 野 幸 一 60
竹 盛 天 雄 157
中 村 不 折 175,178
シ ェ イ ク ス ピ ア 163
太 宰 治 206
中村 光 夫 156,157
慈 円 92
田 中大 秀 37
夏 目漱石 70,84,144,158,175,
志 賀 重 昴 144
田 中喜 美 春 35
志 賀 直 哉 175,193
田 中重 太郎 76
夏 山繁 樹 98
十 返 舎 一 九 198
ダニ エ ル =デ フ ォー 163
難升米 2
司馬 遷 61,68
谷 崎 潤 一 郎 191,203
南 波 浩 52
島木 健 作 203
谷 木 因 132
島 崎 藤 村 70
谷 山 茂 60
西 尾 實 109,123
島 田 修 二 35
玉 上 琢 弥 70,77,91
新 田 義 貞 105
182,203
根 岸 正 純 189 は
行
堀 切 実 143
山極 圭 司 123
本 阿 弥 光悦 124
山 口 素 堂 130
ま ハ ーバ ー ト ・ス ペ ンサ ー 175,
行
山 口仲 美 60 山 口佳 紀 49 牧 野 信 一 203
山 下 一 海 143
芳賀 徹 173
正 岡子 規 26,70,158,175,176
山 田 有 策 189
萩谷 朴 53,76
益 田 繁 夫 76
山 上憶 良 2
萩原 恭 男 143
松 井 貴 子 189
山辺 赤 人 15,21
泊船 堂 132
松 浦 武 189
山本
白楽 天 87
松 尾 聰 76
橋 本 治 108,123
松 尾 金 作 131
与 謝 野 晶 子 165
芭 蕉 132
松 尾桃 青 131
慶 滋 保 胤 95
長 谷 川 泉 156
松 尾 芭 蕉 125
吉 田 孝 12
長 谷 川 辰 之 助 148
松 田 成 穂 23,35
吉 田 兼 好 75,105,126,144
畑 有 三 156
松 村 誠 一 60
ヨハ ン ネス =バ プ テ ィ ス タ =ペ
服 部 幸 雄 143
松 村 博 司 123
林 房 雄 203
丸 谷 才 一 30,35
原 安 適 130
マ ン ・ウ イ ッ トニ ー 79
176
和 142
ケ 124 ら
行
李 白 132,137
春 の や 主 人お ぼ ろ 146 班固 2
三 浦 周 行 102
劉〓 2
半 藤 一 利 209
三 木 紀 人 103
劉 邦 166
萢嘩 2
三 島 由 紀 夫 197,209 水 村 美 苗 169,171,173
蓮胤
102
稗 田 阿 礼 4
源 順 51
久 富 哲 雄 143
源為善
久 松 潜 一 60
三 宅 雪 嶺 144
和 田繁 二 郎 156
弘 文 天 皇 3
宮 沢 章 夫 156
渡 辺 実 35,38,49,76
宮 澤 賢 治 92
渡 辺 泰 宏 49
福 井 貞助 35
宮 本 三 郎 143
和 辻 哲 郎 91
藤 井 貞和 49
彌 吉 光 長 142
わ
【書
藤 岡作 太 郎 53 藤 岡忠 美 60
向井 去 来 125,131
藤 本 宗 利 76
村 上 征 勝 79,91
藤 原 為 世 115
紫 式 部 37,66
行
東 日記 141 東
目崎 徳 衛 142
下 り 30
雨 ニ モ マ ケ ズ 92
藤原不比等 3 藤 原 道 隆 67
本 居 宣 長 9
藤 原 道 長 59,66,98
森 〓
二 葉亭 四 迷 144,158
あ
名 】
吾 妻 鏡 99
藤 原 定 家 101 藤 原 俊 成 81
行
63,64
外
十 六夜 日記 133
203
泉 鏡花 と能 楽 202 や
行
和 泉式 部 日記 60
木挽 社 103
安 本 美 典 79,91
伊 勢物 語 13,24,35
堀 信 夫 142
安 良 岡 康 作 123
伊 勢物 語 に就 きて の 研 究 校
本 ・研 究篇 49
鹿 島紀 行 131
伊 勢 物 語 に就 き て の研 究 補 遺 篇 ・索 引篇 ・図録 篇 49
現 代 語 訳 対 照 奥 の 細 道 他 四
鹿 島 詣 131
編 143
甲 子 吟 行 131
今 鏡 98
仮 名 序 13,17
い ろ は う た 23
か み 143
岩 波 講 座 『日本 語10 文体 』
紙 の 話 142
校 本 枕 草 子 76
狩 使 本(小
高 野 聖 191,194
189
引 用 の ドラマ ツル ギ ー−
『歌 行
燈 』 の 表 現 戦 略− 202
『講座 日本 文 学 の 争 点 』5− 近 代 編 156
式 部 内侍 本) 43
革 鞄 の 怪 195
後 漢 書 2
勧 学 文 124
古 今 和歌 集 13,23,35
漢 書 2
国語 国文 学 研 究 史 大 成 平 安 日
『近 代 文 学 鑑 賞 講座 』 第 一 巻
国文 学 全 史 ・平 安 朝 篇 53
『浮 雲 』 考 156
記 増 補 版 60
『浮 雲 』 と啓 蒙 的 小 説 観 156 『浮 雲 』 の 成 立 156
『浮 雲 』 の 発 想− 二 葉 亭 論 へ の 批 判− 156 『歌 行 燈 』 に お け る 近 世 音 曲 ・
演 劇 202
宇 治 十 帖 78 宇 治 十 帖 の 作 者-文
章心理学 に
よ る 作 者 推 定 91 歌 行燈 191,198
古 事 記 1,12,49,97 古 事 記 大 成 12
基 礎 古 典 文 法 23
古事記伝 9
旧辞 4
古 事 記 は 読 め る か 12
去 来 抄 139
後 拾 遺 和 歌 集 63
銀 河 鉄 道 の 夜 92
後撰 和 歌 集 51
錦 繍 段 124
古 典 の 批判 的 処 置 に 関 す る 研 究
近 世 の 読 書 142 近 代 語 学 会 編 『近 代 語 研 究 第
唄 立 山心 中 一 曲 195 歌 の配 列 35
二 集 』 189 近 代 語 学 会編
歌 よみ に与 ふ る 書 26 初 冠 本(定
156
魏 志 倭 人伝 2
家 本)
六 集 』
『近 代 語 研 究 第 189
43
60
古 典 和 歌 解 読 23 古 文 孝 経 124 古 文 真 宝 後 集 138 古 文 真 宝 集 138 これ で 古 典 が よ くわ か る 123
『虞 美 人 草 』 を よ む 173 さ
行
栄 花 物 語 98
愚 管 抄 92,104
江 戸 時 代 の 出 版 と人 142
愚 管 抄 の 研 究 102
嵯峨 日記 125,131
江 戸 時 代 の 書 物 と読 書 142
旧唐 書 2
作 家 苦 心 談 151
虞 美 人 草 84,154,165
作 家 論 203,209
「お くの ほ そ道 」 解 釈 事 典− 諸 説 一 覧− 143
雑 誌 「日本 人 」 144 『源 氏 物 語 』 の 計 量 分析 79,91
讃 岐 典 侍 日記 60
笈 の小 文 131,133,141
外 科 室 191,193
更 科 紀 行 131
王 朝 女 流 日記 論 考 60
源 氏 物 語 13,78,125
更 級 日記 60
大 鏡 98
源 氏 物 語 一 35
お くの ほ そ 道 124
源 氏 物 語 音 読 論 70,77
お くの ほ そ 道 全 訳 注 143
源 氏 物 語 につ い て 91
お くの ほ そ 道− 永 遠 の 文 学 空 間
源 氏 物 語 の 最 初 の 形 態 91
− 143 お くの ほ そ 道 評 釈 60,143 か 蜻 蛉 日記 60
行
シ ェー ク ス ピ ア は 誰 で す か? 計 量 文 献 学 の 世 界 91 潮騒 205
源氏 物 語 表 現 事 典 構 想 と構 造
史 記 61,68
子 規 と 写 生 画 と中 村 不 折 189
91
源 氏 物 語 ② 49
子 規 と漱 石 173
源 氏 物 語 ① 91
子 規 の 西 洋 受容− ス ペ ン サ ー の
幻 住 庵 記 131
進 化 論 と 階梯 意 識− 189
子 規 の 短 歌 革 新 35
た
自筆 本 本 文 134 写 生 の 変 容― フ ォ ン タネ ー ジか
行
日本 書 紀 12,97 日本 の 誕 生 12
大 日本 帝 国 憲 法 144
日本 語 書 記 史原 論 補 訂 版 60
大 福 光 寺 本 95
日本 語 の世 界 4 12
拾 玉 集 97
竹 取 物 語 35
日本 語 は悪 魔 の 言 語 か?
春 夜 宴 桃 李 園 序 137
竹 取物 語 49
日本 語 は いか につ く られ た か?
正 徹 本 109
千 曲 川 の ス ケ ッチ 70
日本 三 代 実 録 98
続 日本 紀 98
池 亭 記 95
日本 史 の 研 究 102
続 万 葉 集 14
地 理志 2
日本 書 紀
ら子 規,そ して 直 哉 へ 189
常 縁 本 109
23,35,60,104,157
叙 事 文 175,181
3
日本 の 漢 字 12
女 流 日記 文 学 に つ い て の 序 説
35
60
坪 内逍 遥 156
日本 の レ トリ ッ ク 200,202
徒 然 草 75,105,106,123
日本 文 学 研 究 資 料 叢 書 坪 内逍
白氏 集 125
徒 然 草 ・方 丈 記 123
真 跡 短 冊 128
徒 然 草 全 注 釈 上 123
新 潮 日本 文 学 ア ル バ ム 103
徒 然 草 総 索 引 123
新 勅 撰 和 歌 集 124
徒 然 草 の 鑑 賞 と批 評 123
新 聞 「日本 」 26
徒 然 草 抜 書 解 釈 の 原 点 123
新 文 章 論 193
徒 然 草 を解 く 123
新 編 浮 雲 144,158,170 新編国歌大観 第三巻私家集 編 ・歌 集 60
遥 ・二 葉 亭 四 迷 156 日 本 文学 研 究 資 料 叢 書 三 島 由 紀 夫 209 日 本 文 学 思 潮 古 代 後 編 53
野 ざ ら し紀 行 131 野坡 本 128
帝 紀 4
は
天寿国曼茶羅繍帳銘 8
新 編 国 歌 大 観 第 一 巻 勅撰 集 編 ・ 歌 集 60
随 行 日記 128
清 張 さ ん と司 馬 さ ん 昭和 の 巨 人 を 語 る 209
行
俳諧 書 留 128,136 東 夷伝 2
俳諧 反 故 籠 180
東 海 道 中 膝 栗 毛 198
俳 道― 芭 蕉 か ら芭 蕉 へ― 143
東 関 紀 行 133
泊 船 集 128
ど う じ ょ う じ もの 143
芭 蕉 お くの ほそ 道 付 曽 良旅 日
盗 賊 207
記 奥 細 道 菅 菰 抄 143
土 佐 日記 13,50,60,125,133
芭 蕉 七 部 集 143
成 立 論 と 三 部構 想 論 91
土 佐 日記 解 53
芭 蕉 自筆 奥 の 細 道 143
成 立 論 の 可 能 性 91
土 佐 日記 抄 52
芭 蕉 文 集 143
世 界 の 名 著11 司 馬遷 77
土 佐 日記 抄 53
走 れ メ ロス 206
世 界 文 学 大 系5A.B
土 佐 日記 の 本 質― 日記 文 学 の 意
春 と修 羅 92
史 記 77
千 載 和 歌 集 22 戦 前 の 思 想 12
義― 52
春 の 日 141
土 佐 日記 は歌 論 書 か 53 鳥 の 道 128
草 稿 本 文 134
試 論 202 な
漱 石 と三 人 の読 者 190
反転 す る 鏡 花 世 界― 『革鞄 の怪 』
行
東 と西 の語 る 日本 の 歴 史 12
漱 石 を よ む 173
中 尾 本 133
日本 論 の 視 座 12
そ が もの 143
業 平 自筆 本 43
ヒ ユー モ ア と して の 唯 物 論 12
続 明 暗 169,171,173
表 現 学 大 系 各論 篇 第11巻
素 龍 本 131
『日本 』 と は何 か 12
そ れ か ら 166
仁 勢 物 語 137
近 代 小 説 の表 現 三 189 表 現 学 大 系 各論 篇 第 9巻
近 代 小 説 の表 現 一 − 明 治
の 文 章− 189
ヘ ン リ ー 四世 163
60
紫 式 部 日記 60
広 本 ・略 本 方 丈 記 総 索 引 103
『明 治 の 文学 』 第 4巻 156 方 丈 記 75,92,103
明 暗 84,154,166,169,170
諷誠 京 わ ら んべ 145
方 丈 記 徒 然 草 123
明 治 文 学 全 集 17 二 葉 亭 四
再 び 歌 よみ に与 ふ る書 26
坊 つ ちや ん 170
二 葉 亭 四 迷 『浮 雲 』 の 構 想
ホ ト トギ ス 175
本 朝 一 人 一 首 125
156
二 葉 亭 四 迷 伝 157
本 朝 文 粋 95
二 葉 亭 四 迷 と明 治 日本 157 ま
二 葉 亭 四 迷− 日本 近 代 文 学 の 成 立− 146 二 葉 亭 四 迷− 日本 近 代 文 学 の 成 立− 156
迷 ・嵯 峨 の 屋 お む ろ 集
156
明治 を 生 きる 群 像 − 近代 日本 語 の成 立− 157
行 尤 草 紙 137
枕 草 子 13,61,76
物 と眼 − 明 治 文 学 論 集 189
枕 草 子 総 索 引 123
門 166
増 鏡 98 や
二 葉 亭 四 迷 論 156
松 葉 集 125
風 土 記 5
真 名 序 13,17,24
や ま と う た 23
文学 論 162
眉 隠 しの霊 194
由 縁 の 女 192
文 芸 の哲 学 的 基 礎 163
万 葉 集 10
陽 明 文 庫 本 109
文 章 読本 35 文体 <改 良 > の 意 味− 戯作 ・翻
行
余 が 言 文 一 致 の 由 来 150 水 鏡 98
予 が 半 生 の懺 悔 151
訳 ・政 治 小 説 を め ぐっ て−
道 草 154
世 継 物 語 125
189
光 弘 本 109
文体 論 176
宮 沢 賢 治 103 宮 沢 賢 治 「銀 河鉄 道 の夜 」 の 原
平 安 朝 日記Ⅰ ・Ⅱ 60
稿 の す べ て 103
平 安 朝 文 章 史 35,38,49
わ
行
吾 輩 は 猫 で あ る 144,157 倭 国 日本 伝 2 私 の個 人 主 義 162
平 安 文 学 の 文 体 の研 究 60
武 蔵 曲 141
別 冊 国 文 学 王 朝 女 流 日記 必 携
武 蔵 野 70
著者略歴 小
池
清
治
鈴
松
井
貴
木
啓
子
1961年 香 川 に生 まれ る 1988年 お茶 ノ水女子 大学大学 院人文 科学 研 究科修 士課程 修了 1993年 宇 都宮 大学教 育学部専 任講 師 現 在 同助教授
1941年 東京 都に生 まれ る 1971年 東京 教育大 学大学 院博 士課程 単位取 得退 学 1971年 フェ リス女 学院大 学専任 講師 1976年 字都宮 大学 教育学 部助教 授 1993年 宇都宮 大学 教育学 部教授 現 在 宇都宮 大学 国際学 部教授
子
1963年 岐阜 に生 まれ る 1999年 東京 大学大 学院総 合文化 研究科 博士 課程修 了 1999年 熊本 大学教 育学 部専任 講師 現 在 宇都 宮大学 国際学 部助教 授
シリー ズ〈日本語探究法〉6 文 体 探 究 法 2005年10月20日
定価 は カバ ーに表 示
初 版 第 1刷
著 者 小
池
清
治
鈴
木
啓
子
松
井
貴
子
発行者 朝
倉
邦
造
朝
発行所
倉
書
店
東 京 都 新 宿 区 新 小 川 町6‐29 郵
便
電 FAX
<検 印 省 略>
号
162‐8707
03(3260)0180
http://www.asakura.co.jp
〓2005〈 無 断複写 ・転載 を禁ず 〉 ISBN4‐254‐51506‐5
番
話 03(3260)0141
C3381
教 文堂 ・渡辺 製本
Printed in Japan
株
シ リー ズ<日 本 語 探 究 法> 宇都宮大学 小 池 清 治 編 集 A5判 全10巻 基礎 か ら卒 業論 文作 成 まで をわか りやす く解 説 した 国語 学 ・日本語 学 の 新 しい教 科 書 シ リー ズ。 日本語 に関 す る基礎 お よ び最 新 の知 識 を提 供 す る と ともに,そ の探 究 方法 につ いての指 針 を具体 的事 例研 究 を通 して提 示 した。
第 1巻 現
代
第 2巻 文
声
160頁 本体2800円
探
究
法
168頁 本体2800円
・ 音
韻
探
究
法
176頁 本体2800円
彙
探
究
法
192頁 本体2800円
字
・
表
記
探
究
法
164頁 本体2800円
体
探
究
法244頁
ト
リ
ッ
ク
探
究
法
168頁 本体2800円
広島大学 柳 澤浩哉 ・群馬大学 中村敦雄 ・宇都宮大学 香西秀信 著 本
語
史
探
究
法
162頁 本体2800円
東京都立大学 小林 賢 次 ・相模女子大学 梅 林 博 人 著
第 9巻 方
宇都宮大学 小 池 清 治 ・鈴 木 啓 子 ・松 井 貴 子 著
第 8巻 日
法
愛知県立大学 犬飼 隆 著
第 7巻 レ
究
宇都宮大学 小 池 清 治 ・島根県立島根女子短期大学 河 原 修 一 著
第6巻 文
探
筑波大学 湯 沢 質幸 ・広島大学 松﨑 寛 著
第 5巻 文
語
法
第 4巻 語
本
宇都宮 大学 小 池 清 治 ・赤 羽 根 義 章 著
第 3巻 音
日
宇都宮大学 小 池 清 治 著
言
探
究
法144頁
本 体2800円
前鳥取大学 森 下 喜 一 ・岩 手大学 大 野 眞 男 著
第10 巻 日 本 語 教 育 探 究 法
山 口大 学 氏 家 洋 子 ・恵 泉 女 子大 学 秋 元 美 晴 著 上 記価 格(税 別)は2005年9月
現在