富国有徳論
国
有 徳論
富 川勝平太 Heita Kawakatsu
紀伊國屋書店
▼目 次
提 言 富 国 有 徳 の国 づく り
富国 の士 民 1/景 観は 国富 の自...
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富国有徳論
国
有 徳論
富 川勝平太 Heita Kawakatsu
紀伊國屋書店
▼目 次
提 言 富 国 有 徳 の国 づく り
富国 の士 民 1/景 観は 国富 の自 画像 2/兵 庫県 の丘陵 に ﹁ 緑 の町﹂を 5 /戦 後 の国土 計画 への アンチ ・テーゼ 10/近 代化 の終点 は 都市 でな く 田園 に
あ る 12/ 土地 所有 と自 由 14/宅 地を 私有す る時 代 は終 わ った 17/ ﹁脱東
京﹂で ﹁ 山 国﹂ 日本 に緑 の国土軸 を 20/ ﹁郷 風文化 ﹂の風を巻 き起 こそう 22
1
25
富 国 の士 民
第
27
一部
1 平 成 の〝 コ メ 騒 動〟 と 勤 勉 の徳 ① 平 成 の〝 コ メ騒 動〟 27
味 覚と いう 非関 税障 壁 2 7/ コメ市 場解 放 の意 外 な結末 32/ コメ の伝来 の道 33/衣 料 にも す み分け があ る 35 ② 勤 勉 の 徳 3 7
自 足体 制と し て の鎖 国 38/ 二 つの自給 シ ス テム︱︱資 源 浪費 型と リサ イ
ク ル型 39/ 二 つの生 産革 命︱︱ おけ るそ の帰結 4 1 2 西 洋 の 資 本 主 義 と 東 洋 の 資 本 主 義
資本 集約 型 と労働 集約 型 40/近 代 に
① 二 つ の経 済 文 明 と 二 つ の生 産 革 命 45
近代 世界 シ ス テムと ﹁鎖 国﹂ 45/ ﹁戦争 と 平和﹂対 ﹁華と夷 ﹂の世界観 48 ② 物 産 複 合 の変 化 と 文 化 複 合 体 の 変 容 50
景気 の波 と ﹁新結 合﹂ 50/ 物産 複合 と文 化複 合体 53/ ﹁下部構 造﹂ の
読 み替え 57/ ﹁物 の豊 かさ ﹂と ﹁心 の豊 かさ ﹂ 58/文 明 の大 転換 に直 面 62 ③ 海 洋 自 給 圏 と 陸 地自 給 圏 の構 築 63
貨 幣流 出 ・経済危 機 ・二 つの文明 圏 63/ 二 つの生産 革命 と勤 労観 65/
﹁脱亜﹂ の達成 69/ ﹁鎖 国﹂ と資 源 の再利 用 71/ 補論 テ ッサ ・モリ ス −鈴木 氏 の暴論 を駁 す 76 マル ク スか ら ラ スキ ン へ
① マ ルク スか ら ラ スキ ン へ 83
3 富 の再 定 義︱︱
無視 され てき た ラ スキ ン 83/ ラ スキ ン見直 し の気 運 85/ マル ク スと ラ ② ラ スキ ン経 済 論 と 日 本 の伝 統 94
スキ ンの相違 点 88/ 軍備 は富 ではな い 92
日本人 の心 と相 通ず る ラ スキ ンの商人 観 95/ ラ スキ ンの美 意 識と 柳宗 悦 の美学 98
44
83
4 市 民 か ら 士 民 へ
企 業 社 会 の ゆ ら ぎ 101/ ﹁生 産 者 ﹂ 対 ﹁消 費 者 ﹂ の 二 項 対 立 を い か に越 え る
優 先 107/ 第 一の 波 108/ 第 二 の波 109/ 第 三 の波 111
か 103/ 富 国 有 徳 の士 民 と は 105/ ﹁富 国 有 徳 ﹂ に 向 け て の第 一歩︱︱ 内 治
談
101
119
対
第 二 部
121
162
1 鎖 国 と 天 皇︱︱ 日 韓 中 ﹁近 代 化 ﹂ の 検 証 ( 毛 利 敏 彦× 川 勝 平 太 ) 半 世紀 間 で大き な違 いが 124/ 清朝 ・李朝 共 通 の強さ 127/徳 川幕 府 の時 限
爆 弾 130/私 腹を 肥 やさな か った武 士 1 31/国 と国 の間 の ﹁礼﹂ 136/天 下
人 ・家 康 の狙 い 138/ 弁髪 を強 制 された ら 140/中 華 の関白 にな る 143/中 国 モデ ルから 欧州 モデル へ 145/ 国際 通貨 を輸 出し た近世 日本 149/ 旧 アジ
( 速 水 融 ×川 勝 平 太 )
ア文 明圏 から の独 立 151/他 力信 仰 の影 響 153/ お のお のの道を 尽 くす 156 / ﹁空﹂ な る天皇 の不思議 な力 159 2 日 本 経 済 は ど こ か ら 来 て ど こ へ行 く か
日本 に封 建制 はあ った のか 162/徳 川日本 の市 場経 済 の特色 1 64/ 江 戸時代
の人 口増 が需要 増 に つな が った 167/近 世輸 入品を 国産 化 でき たわ け 1 71/ 日欧 の土地 肥沃 度 の差が 経済 社会 の差 異を 生 んだ 172/東 西経 済 シ ステム の 形 成 175/ 二十 一世紀 日本 の行 方 178
3 東 西 文 明 シ ス テ ム と 物 産 複 合︱︱
一国 資 本 主 義 か ら 文 明 論 へ
( 角 山 榮× 川 勝 平 太 )
経 済史 学事 始 め 185/ 産業 革命 とは 何だ ったか 190/ 一国資 本主 義論︱︱ 大
塚 史学 の限界 194/高 度経 済成 長と 世界 資本 主義 200/ 日本 はな ぜ成 功 した のか 206/低 成長 時代 ⋮ ⋮社会 史 の台頭 210/ 情報 戦争 と アジ ア間競 争 218
( 岩 井 克 人× 川 勝 平 太 )
/ 新 たな る日本 論 に向け て 225/ ﹁文化 ﹂ から ﹁文 明﹂ へ 230/ 物産 複合 と 近 代 世界 シ ステ ム 235 4 シ ュム ペ ー ター を 超 え て
日本 近代を め ぐ って 2 50/ 歴史 の偶 然性 255/ マル クスを読 む シ ュム ペー タ
ー 261/ シ ュムペー ターと 法人 資本 主義 266/ 資本 主義 の三区 分 274/歴 史 293
と 信 用 の創 造 280/歴 史 の中 のイ ノ ベーシ ョン 287/ アジ ア の近 代化 と資 本 主 義 の行方
第三 部 今西 錦 司 と宮 沢 賢 治 序3
﹃生 物 の 世 界 ﹄
物 産 複合︱︱ 富は 物 の複合体 であ る 309/ 日本 人 の審 美観 と 国富形 成 312 1 心 の書︱︱ 今 西 錦 司
西 田哲学 ・三木清 ・今 西錦 司 314/ 生物 讃 歌 の詩 文 7 31
185
250
307
09
314
2 今 西 錦 司 翁 と の 一期 一会 ﹁自 然 学 ﹂の提 唱 に 寄 せ て︱︱二 つ目 の自 画 像 ( 今 西 錦 司 × 川 勝 平 太 )320
現象 を捨 て、 原理 を求 む 320/ プ ロト ・アイ デ ン ティ ティ 324/ 人類 と生
物全 体社 会 327/自 然 ・無意 識 の世界 329/ 二 つの自 画像 332/ 女 には神 聖 な気持 で 334/核 戦争 でも 全滅 しな い 336/ 創世 の神 話 339/す べて の 342
3 今 西 自 然 学 の 可 能 性
も とは自 然
﹁相似 と 相異﹂ にた つ世界 認識 346/ こ の世 に 一つだ け の個性 348/ 個体 識
4 今 西 錦 司 と宮 沢 賢 治
別法 の先 駆者 350/ 今西 自然 学 の洞察 353/補 論 自 然学 の広 がり︱︱ 遠 藤 恵大 ﹃ 店 舗構 造 の自然 学的 研究 ﹄ に寄 せ て 355
今 西と宮 沢 の思 想 の親 縁 性 359/賢 治 の生涯 と真 情 360/ 賢治 の童 話 は菩薩 5 宮 沢 賢 治︱︱
﹁地 球 時 代 ﹂ の 先 覚 者
の文学 363/ 賢 治 の世界 を基礎 づ け る今 西自 然 学 365
西 洋科 学と 東洋 宗教 の実 践者 367/ イ ー ハトー ヴにと も る青 い照明 370
あとがき
319
346
359
367
374
提言 富 国 有 徳 の国 づ く り
富 国 の士 民
富 士 山 は 日 本 の 最 高 峰 であ り 、 日 本 を 象 徴 す る 山 で す が 、 明 治 維 新 期 に 来 日 し た イ ギ リ ス人 が
そ の 意 味 を 聞 い て、 r i ch and ci vil mount ain と 訳 し て いま す 。 ﹁富 み 、 か つ徳 の あ る 高 峰 ﹂ と い う
( r i ch ) に な る こ と は た や す く ても 、 有 徳
( ci vi l ) に な る こ と は け っし て た や す く あ り ま せ
意 味 に理 解 し た わ け です 。富 士 は 不 二 とも 書 き ま す 。 不 二と は 並 ぶも のが な いと いう こと です 。 裕福
ん 。 富 士 は 類 いま れ な る 存 在 と し て 不 二 で す 。
( 国 内 総 生 産 ) で 表 さ れ ま す が 、 日 本 の 名 目 GDP は 、 一九 六〇 年 に は 一六 兆 円 、 七〇 年 に は 七
日 本 は 富 裕 の ま った だ な か で 戦 後 五 十 年 の 節 目 を 迎 え て い ま す 。 一国 の 富 は 、 通 常 、GDP
五 兆 円 、 八〇 年 に は 二 四 五 兆 円 、 九〇 年 に は 四 三 二 兆 円 と いう よ う に 、 う な ぎ の ぼ り に 上 昇 し ま
四 六 ド ルを 抜 い て 世 界 第 一位 に な り ま し た 。
し た 。 日 本 人 一人 当 た り の GDP は 、 一九 九 三 年 に 三 三 、 七 六 四 ド ル と な り 、 ス イ ス の 三 三 、 七
戦 後 の節 目 に お け る 新 し い 国 づ く り の 目 標 と し て は 、 バ ブ ル崩 壊 後 に 喧 伝 さ れ て いる ﹁清 貧 ﹂
を 実 践 す る よ り も 、 よ り 困 難 な ﹁富 士 の国 ﹂す な わ ち 並 ぶ も のな き 類 いま れ な る ﹁富 国 有 徳 の
国 ﹂ に向 け た 国 づ く り を 進 め る ほ う が ふ さ わ し いと 思 いま す 。 ﹁清 貧 の思 想 ﹂ は 、 国 内 的 に は 通
用し ても 、 国 際 的 には 通 用 し に く いか ら です 。 ア フリ カ や アジ ア の 一部 の地 域 の 一人 当 た り 年 間
所 得一〇〇 ド ル (一万 円 ) 余 り の赤 貧 洗 う が ご とき 本 物 の貧 困 に想 いを 致 せ ば 、 日本 が 桁 は ず れ
の富 国 であ る こと は 否 定 し よ う も あ り ま せ ん。 リ ッチな ニ ッポ ンジ ンが 清 貧 ぶる のは 偽 善 です。
清 貧 論 は 、 折 り か ら の内 需 拡 大 と いう 国際 社 会 の中 で の日本 国 民 の責 務 を 忘 失 し て いる と いう意 味 で無 責 任 でも あ り ま す 。
新 し い社 会 を に な う 日本 人 を ど のよう に形 容 す れ ば よ い でし ょう か 。 男性 、女 性 を 問わ ず 、 世
俗 にあ って廉 直 な 心 を 堅 持 す る者 の こ とを ﹁士 ﹂、 豊 か な 物 の集 積 を ﹁富 ﹂ と 名 づ け れ ば 、 新 日
いや 、 と り戻 す べき 本 来 の日本 人 の姿 でし ょう 。
本 の建 設 のた め に 、両 者 を 兼 ね備 え た ﹁富 士 のご と き 日本 人 ﹂ こそ 、 め ざす べき 新 し い日本 人 、
景 観 は 国富 の自 画像
G DP と は、 た と え ば 一九 九 二年 の 日本 のそ れ が 四六 四兆 円 と いう よ う に 、 一年 間 に 形 成 さ れ
た国 富 を 貨 幣 換 算 し た も の です が 、 国富 は そ のよ うな フ ロー ( あ る期 間 ご と の経 済 量 ) であ る と
とも に、 スト ック です 。 ス ト ックと は人 間 が 過去 から 営 々と 作 り あ げ てき た 物 の集 積 であ り 、 そ
の集 積 の全 体 も ま た 国 富 です 。 フ ロー と し て の国 富 と スト ックと し て の国 富 は 同 じ では あ り ま せ
ん。 た と え ば 、 香 港 は イ ギ リ ス の植 民地 (一九 九 七 年 ま で) です が 、 一人 当 た り の国 民 所得 は宗
主 国 イ ギ リ スを す で に追 い抜 いて いま す 。 フ ロー でみ れ ば 香 港 人 のほ う が イ ギ リ ス人 より も金 持
ム宮 殿 、 英 国 議 会、 ロン ド ン塔 、 大 英 博 物 館 、 ロ ンド ン大 学 、 セ ント ・ポ ー ル寺 院 、 ト ラ フ ァル
ち な の です 。 し かし 、 富 の集 積 と し て の ス ト ックは 、 香 港 島 のビ ル群 と 、 ロンド ン のバ ッキ ンガ
ガ ー広 場、 ヴ ィク ト リ ア ・ア ルバ ー ト ・ホ ー ルな ど 、 数 か ぎ り な い名建 築群 か ら成 る都 市 景観 や、
ス ト ックと し て のイ ギ リ ス の国富 は千 年 の蓄 積 があ り 、 香 港 は た か だ か 一五〇 年 のそ れ し かあ り
郊 外 に 広 が る緑 な す牧 場 と見 比 べれ ば 、 だ れ の眼 にも イギ リ スのほ う が 格 段 に 豊 か に 映 り ます 。
ま せん 。 ス ト ックが 国土 の景観 を つく り あ げ て いる の です 。 富 士 に か ぎ ら ず 、 国 土 の景観 は だ れ の所 有 物 でも あ り ま せ ん。 日本 人 全 体 の共 有 財 産 です 。
国 富 を 構 想 す る のに 、 一定 期 間 ご と に貨 幣 換 算 し て表 す フ ロー の数 字 に 一喜 一憂 す る姿 勢 を改
め、 物 的 資 産 と し て の ス ト ックを じ っくり 見直 す 姿 勢 を も つこと が 必 要 です 。 ス ト ック と し て の
国 富 は 、 そ の大 半 が 私 的 所有 物 で す が、 そ のト ー タ ルな 表 れ と し て の景 観 に は 公 共 的 性格 が あ る こと を 忘 れ ては な り ま せ ん 。
確 か に、 経 済 学 の父 アダ ム ・ス ミ スは、 私 的 利 益 の追 及 が ﹁神 の見 え ざ る 手 ﹂ に よ って公益 に
導 かれ ると 信 じ て、 個 人 の利 益 追 及 を 奨 励 し ま し た。 し かし 、 利 益 を 求 め て作 ら れ た 物 の集 積 が
見 苦 し け れ ば 、 公 益 にけ っし て合 致 し な い ので す。 心地 よ い景 観 は富 士 山 に象 徴 さ れ る よ う な 自
の眼 に さら され た現 代 日本 人 の自 画 像 です 。
然 であ り、 見 苦 し い のは 、 太 平 洋 工 業 ベ ル ト地 帯 、都 市 の家 屋 の景 観 です 。 そ れ は 内 外 の人 び と
問題 はと く に家 屋 です 。 日本 人 一人 当 た り の床 面積 は 二 五 平方 メー ト ルし かな く 、 ア メ リ カ の
六〇 平 方 メ ー ト ル強 の半 分 に も 満 た ず 、 ゆ と り に は ほ ど 遠 いも の です 。 経 済 学 で、 消 費 主 体 は
﹁家 計 (ho eu hl s d o)﹂ と いわ れ ま す が 、 ﹁家 計 ﹂ の概 念 は も ち ろ ん ﹁家 ( house)﹂ か ら 派 生 し て い
ま す。 一昨 年 (一九九三年) の東 京 の 一住 宅 当 た り の延 べ床 面 積 は わ ず か六 三平 方 メ ー ト ル ( 居
住 部 屋 の ほか 廊 下 ・玄 関 な ど を 含 む ) であ り 、 眼前 に広 が る東 京 周 辺 都 市 の家 の景 観 は 、 少数 の
例 外 を のぞ け ば 、 似 た よ う な 規 格 の マン シ ョン群 、 も し く は、 入 り 組 ん だ 四 メ ー ト ル道 路 と 三〇 坪 前 後 の家 屋 群 と いう 乱 開 発 の雑 然 と し た姿 を さ らし て いま す 。
道 路 が車 であ ふれ て いる だ け でな く 、都 会 人 は猫 の額 ほど の庭 を つぶし て駐 車 場 を つく って い
る の で、 日 本 人 の大 半 は、 大 地 に し っか り と 立 つ ﹁家 ﹂ に 住 む と いう よ り 、 大 地 の見 え な い
﹁箱 ﹂ に 住 ん で いる と いう のが実 状 でし ょう 。 ﹁箱 ﹂ の中 は買 い込 ん だ 物 であ ふれ か え って いま す。
こ の ﹁箱 ﹂ な いし 外 国 人 の いう ﹁ウサ ギ小 屋 ﹂ か ら脱 出 す る方 途 は 、 目 下 、 な いか に 見 え ま す 。
都 市 に お いては 、 も は や 家 の中 に 物 を 買 い いれ る余 地 は多 く あ り ま せん 。 室 内 に置 け る も のは 限
度 があ る の で、 結 局 のと ころ ﹁使 い捨 て﹂ を避 け ら れず 、 ゴ ミ が大 量 に出 る構 造 的 要 因 に な って いる の です 。
江戸 時 代 に 日本 人 は ﹁勤 勉 革 命 ﹂ を 遂 げ ま し た ( 速水融 他 ﹃徳川社会 から の展望﹄同文舘)。 そ の
実 態 は ﹁物 ﹂を いかす と いう生 活 態度 にほ か な り ま せ ん。 ﹃百 姓 伝 記 ﹄ (一六八〇年頃)、宮 崎安 貞
﹃農 業 全 書 ﹄ (一六九七、 とも に岩 波文庫)な ど は労 働 集 約 型 の日 本 農 法 を 示 し て いま す が、 穀物 ・
野 菜 ・果 物 な ど を 懸 命 に 育 て、 世 話 を す る 人 間像 が描 か れ て います 。 利 用 でき る物 は と こと ん 使
い、 無 駄 を は ぶき 、 四季 の微 妙 な 変 化 を と ら え 、 人 間 に役 立 つ物 を 大 切 にす ると いう 態 度 で貫 か
れ て いま す。 こう し た態 度 を 貫 け た のは、 土 地 が身 近 にあ った か ら です 。
庭 つき の家 屋 であ れ ば 、 生 ゴ ミひ と つを と っても 、 リ サ イ ク ルの余 地 が 広 ま る の です。
国 内 総 支 出 の六 割 は 個 人 消費 であ り 、 個人 消 費 は ﹁家 ﹂を 根 拠 地 と し てな さ れ る の で、 個 人 が
消 費 財 、 耐 久 消 費 財 を 増 や す に は 、 そ の入 れ物 であ る宅 地 を 革 命 的 に大 き く す る のに 如 く 策 は あ
り ま せ ん。 内 需 拡 大 の カギ は 、 何 よ り も ゆ った り と し た 居 住空 間を 、 いか に多 く の人 び と が 持 て
る か ど う か と いう 一点 に か か って いま す 。 住 居 の コン セプ トを 一新 す る こと、 そ れ が富 の集 積 で
あ る 都市 の景 観 を よ くす る大 黒 柱 です 。 それ は 、 私 見 では 、 土 地 の私有 、特 に宅 地 を 私 有 地 と し
ても つのが ふ さ わ し い のか ど う か、 と いう問 題 に収斂 す る も の です 。
兵 庫 県 の丘 陵 に ﹁緑 の町 ﹂ を
一九 九 五 年 一月 十 七 日未 明 、 神 戸 を 直 撃 し た阪 神 大 震 災 に よ って、 二〇 万 戸 の家 屋 が 焼 失 ・倒
壊 ・損 傷 し 、 道 路 ・鉄 道 は 寸 断 さ れ 、 五 千 人 を 超 え る 死者 と 三〇 万 人 の避 難 民 を 出 し ま し た 。 神
は 、 家 屋 が 文字 ど お り空 中 の楼 閣 と な り 果 て てし ま い、 残 さ れ た のは ロー ンば かり と いう 惨 状 で
戸 の町 は信 じ が た い凄 惨 な 姿 に変 わ り 果 てま し た 。 な か ん ず く 倒壊 し炎 上 し た マ ンシ ョ ンの住 人
す。
近 年 、 東 京 や 大 阪 は 、 いわ ゆ る U タ ー ン現 象 にと も な って人 口 が 減 少 す る 傾向 に あ り ます が、
横 浜 と 神 戸 では む し ろ 人 口が 着実 に増 え、 二 つ の港 湾 都 市 は 日本 にお け る 近 代 文 明 の窓 口であ り、
いず れ 劣 ら ぬ魅 力 に富 む 都 会 と し て ハイ カ ラな イ メ ー ジ の発 信 地 であ り 、 人 び と を ひ き つけ 、 日
日 の横 浜 に な ら な い保 証 はな い のです 。 一夜 明 け れ ば 路 頭 に 迷 う と いう 神 戸 の惨事 は 、近 代 日本
本 にお け る 近 代 文 明 の花 を咲 か せ てき まし た。 それ が 踏 み に じ ら れ た 今 日 の神 戸 の無 残 な 姿 が 明
の都 市 のあ り か た に 、 猛省 を 迫 って いま す 。
阪 神 大 震 災 で認識 す べき 最大 の問題 は、 土 地 ・家 屋 が 私 有 財 産 であ る こと が望 ま し いか ど う か
と いう こと だ と 思 います 。 私 有 財 産 は、 失 え ば 、 損 害 は そ の人 の責 任 と いう のが 、 近 代市 民社 会 に お け る 原 則 です。
し か し 、 今 回 は特 例 と し て、 国 家 が補 助 を 出 し ま す 。 阪 神 大 震 災 の復 興 のため に今 年 度 は 二兆
七 千 億 円 の補 正 予算 が組 ま れま し たが 、 補 助 は 今 後 数 年 は 続 き 、 ほ ぼ 九 兆 円 の復 興費 用 が 見込 ま
れ て いま す 。 し か し 、他 の大 都 市 で今 回 の よう な 地 震 災 害 が 起 こ った 場 合 、 人 口規 模 に比 例 さ せ
れば、神戸 ( 人 口 一五〇 万) の二倍 の横 浜 ( 人 口三 三〇 万 ) で起 これ ば 一八 兆 円 、 二十 倍 の首 都
圏 ( 人 口三 、 三〇〇 万) であ れば 一八〇 兆 円 と な り ま す 。 G N P の四 割 に も 及 ぶ復 興 費 用 は計 上 不 可 能 でし ょう。
一九 六 八 年 か ら 二十 五年 間 の間 に三 ∼五 階 の マ ンシ ョ ンは 百 万 戸 か ら 六 三 八 万戸 に増 え、 六 階
以 上 の高 層 マン シ ョンに いた って は五 万 戸 から 二九 二万 戸 へと 六 十 倍 近 く に 激増 しま し た。 同 じ
期 間 に 一戸 建 は 一 ・五倍 に増 え た にす ぎ ま せん 。 人 び と は ま す ま す 、 都 会 の マン シ ョンに ロー ン
を か か え て住 む よ う にな って いま す 。 ひと たび 首 都 圏 に 直 下 型 の大 地 震 ・大 火災 の複 合 災 害 が起
これ ば 、 これ ら の過密 住 宅 は 一朝 にし て烏 有 に帰 し か ね な い の です 。 単 に復 興 を 考 え るだ け で は、
コス ト の重 圧感 だ け が残 りま す 。 都 市 災 害 に つ いては 、 復 興 の観 点 だ け か ら 考 え る ので は なく 、
むし ろ、 日本 の都 市 計 画 、 土 地 制 度 、 住 宅 政 策 を 根 本 的 に 見 直 し 、将 来 の国土 の ヴ ィジ ョ ンを 組 み合 わ せ る こ と が大 切 です 。
ル級 の緑 の山 丘 が 日本 海 ま で広 が って いま す 。 日本 海 ま でわ ず か 八〇 ∼ 一〇〇キ ロメ ー ト ルです 。
そ のた め に は、 復 興 を無 事 な 地 域 と 併 せ て考 え るべ き です 。 六 甲 山 の北 に は 平均 五〇〇 メ ー ト
こ の高 原 の中 央 に 都市 を つく っても 、 神 戸 から の距 離 は 大 阪 と 京 都 ほ ど の距離 で し かあ りま せ ん。
( 県 有 地 ・国有
通 勤 圏 内 な の です 。 そ こに被 災 者 の救 済 とあ わ せ て ﹁森 の中 の町 ﹂ を 建 設 でき ま す 。方 法 は こ う です 。
第 一に、 兵 庫 県 内 の中 国 縦 貫 自 動 車 道 路 か ら ア ク セ スで き る と こ ろ に 公 有 地 地 ) を 確 保 す る。 第 二 に、 公 有 地 の大 半 は 定 期 借 地 権 つき の宅地 にす る。 第 三 に 、宅 地 の広 さ は 一反 ( 三 百 坪 ) を 最 小単 位 と す る。 第 四 に 、 県庁 を そ こ に移 転 す る。
人 間 が 生 活 す る のに 必要 な 広 さ に つ いて、 最 近 では 、単 位 を 平方 メー ト ル ( ㎡ ) で表 す 傾 向 が
あ り ま す が 、 メー ト ル法 で 居住 空 間 を 考 え る のは 、 コス ト計 算 の機 械的 思考 が は いり こ ん でお り 、
され る土 地 の広 さ に は 生 活 感覚 が と もな って いま す 。
生 活 臭 があ り ま せ ん。 一方 、 四 畳 半 や 六 畳 のよ う に ﹁畳 ﹂ で表 さ れ る 部 屋 の広 さ や 、﹁坪 ﹂ で表
一畳 と は人 間 一人 が 身 体 を横 た え て休 む のに必 要 な 広 さ です 。
で は、 社 会 生 活 を 営 む には 、 ど れ ほ ど の広 さ が いる でし ょう か。 京 都 は 山 崎 に あ る 妙喜 庵 ﹁待
庵 ﹂ は 、 千 利 休 の唯 一の遺 構 です が、 わ ず か 二畳 です 。 二 畳 と いう空 間 が 、 日本 に おけ る社 交 文
化 の精 華 であ る 茶 の湯 の名人 が 到達 し た最 小 の広 さ でし た 。 主 客 応 接 の社 交 の最小 単 位 は 二 畳 で あ り 、 二畳 は 一坪 です 。
坪 よ り 上 位 の単 位 は ﹁反 ﹂ です。 一反 は か つて人 間 が 一人 一年 間 生 き て いく のに 必要 と さ れ る
耕 地 面 積 でし た 。 一反 か ら 米 一石 が と れ た のです 。 一石 は 人 間 一人 を 一年 間 養 う に 足 る 量 であ り 、
一石 を 得 て初 め て人 は経 済 的 に 自立 でき た の です 。 天 正 年 間 (一五七三︱ 一五九 二年) の全 国 人 口
のよ うな 理由 から です ( 最 近 は 速 水 融 氏 に よ って近世 初 期 の人 口は 一、〇〇〇 万 ∼ 一、 二〇〇 万
は、 当 時 の石 高 一、 八〇〇 万 石 よ り 推 し て、 一、 八〇〇 万 人 位 と 長 ら く 信 じ ら れ てき た のは 、 そ
人 に 下 方 修 正 さ れ て いる)。 日本 人 が 経 済 的 に自 立 す る のに 必 要 な 最 小 単 位 と し て の 一反 を 、 宅
です 。 三 百坪 は、 現代 都 会 人 にと っては 、 広 大 に 聞 こえ る か も し れ ま せ ん。 それ は ﹁箱 ﹂ 的 発 想 、
地 の基 礎 単 位 す な わ ち 一世 帯 の生 活 が 自 立 す る基 礎 面 積 に 据 え よ う と いう の です 。 一反 は 三 百 坪
﹁ウ サギ 小 屋 ﹂ 的 発 想 が し み つい て いる か ら です 。 三 百 坪 の宅 地 は 定期 借 地 権 制 度 を 用 いれ ば 実 現 可 能 です 。
地 利 用 を 分 離 し た と ころ に特 徴 があ り ま す 。 借 地 人 にと っては 広 い土地 を利 用 で き、 地 主 にと っ
一九 九 二 ( 平成 四)年 八 月 に 定 期 借 地 制 度 が施 行 さ れ ま し た 。 定 期 借 地 制 度 は、 土地 所 有 と 土
ては 貸 し た 土 地 は 確 実 に 返 って く る ので土 地 保 有 志 向 を 充 足 さ せ る 画 期 的 な土 地 活 用 の シ ス テ ム
です 。 借 地 期 間 五 十 年 と いう長 期 間 、大 き な 庭 つき の広 い家 に住 め るよ う に な った の です 。 こ の
定 期 借 地 権 シ ス テ ムを 活 用 し て いる企 業 は 一宅 地 に つき 百 坪 弱 の定 期 借 地 権 つき 住 宅 を 供 給 し て、
競争 率 数 十 倍 と いう大 人 気 を 呼 ん で いま す が 、 百 坪 弱 では宅 地 の中 に、 災 害 時 の備 えと し て の緑
や水 を確 保す る に は不 十 分 です 。 し か し 、 三 百 坪 の土 地 で あ れば 、建 坪 は 五〇 坪 も あ れ ば 十 分 で
す か ら 、残 り の二 百 五十 坪 は お のず から 緑 に な り ま す 。 し か も 、 現在 と比べ て 一段 と多 彩 な 緑 に な る でし ょう。
た だ し 、 一宅地 三 百坪 の土 地 の確 保 は 、 現 在 の都 市 では でき ま せ ん 。 日本 の国土 の 三分 の 二を
の際 の乱 伐 後 に植 林 さ れ た も ので、 わ ず か 一世 代 で作 ら れ た も の であ り、 今 西 錦 司 さ ん は これ を
占 め て いる森 林地 帯 に そ れ を求 め る のです 。 日本 の森 林 の約 半 分 は 人 工林 です 。 こ れ は戦 後 復 興
﹁緑 の砂 漠 ﹂ と 呼 び ま し た 。 現 在 は成 木 と な って花 粉 症 の原 因 に な って いま す 。 花 粉 症 は 戦 後 復
興 の人 災 であ る と いわ ねば なり ま せ ん。 こ の緑 の砂 漠 を 、 真 に 生 き いき と し た 緑 に変 え る た め に、
思 いき って三 百 坪 (一反 ) を宅 地 の最小 単 位 と す れ ば 、 居 住 者 は 宅地 に緑 を抱 え る こ と にな り ま
す 。 二百 五 十 坪 の庭 に 花 や 実 のな る植 物 を 植 えれ ば 、 昆 虫 や 蝶 が 戻 り 、 蝶 は鳥 を 呼 び戻 しま す 。
自 然 の回 復 に つな が る の です。 現在 のよ う に人 間 の居 住 地 と 自 然 と を 排 他 的 関 係 に す る ので はな
( 公 園 ) をも つ の
で はな く 、 宅 地 の中 に 緑 地 ( 公 有借 地 な がら 居住 者 の自 由 にな る庭 園 ) を も つ宅地 群 で す。 そ の
く 、 人 間 が自 然 の中 に 居 住 す れ ば 、 か え って自 然 が蘇 り ま す 。 宅 地 の外 に 緑地
生 活 景 観 は ﹁森 の中 の町 ﹂ と 呼べ る も のにな る でし ょう 。
そ こ へ の移 住 は 被 災 市 民 の自 由 意 志 に ま か せ、 将 来 、 そ こに 兵 庫 県 庁 を 移 転 す る こと を決 め て
おけ ば 、 移 住 者 に は希 望 が 膨 ら む でし ょう。 兵 庫 県庁 は神 戸 にあ る必 要 は な いか ら です 。都 市 の
過密 性 が今 回 の被 害 を 大 き く し た こと に 鑑 み れば 、 県 政 担 当 者 は将 来 の類 似 の災 害 に 備 え 、 過密
緩 和 の姿 勢 を 率 先 し て打 ち 出 すべ き でし ょう。
県 レベ ルで成 功 し な いな ら ば 、 全 国 レ ベ ル で の首 都 機 能 移 転 の法 律 も 、 多 極 分 散 の理 念 も 画 に か いた餠 です 。
戦 後 の国 土 計 画 への アン チ ・テ ーゼ
な ぜ 、 阪神 大 震 災 の復 興 計 画 に こだ わ る の かと いいま す と 、神 戸 市 と兵 庫 と の関係 は、 い って
みれ ば 首 都 圏 と 日本 全 体 と の関係 に相 当 す る から です 。 兵 庫 県 の人 口 の四 分 の 一が神 戸 に、 日本
の人 口 の 四分 の 一が 首 都 圏 に集 中 し て います 。 産 業 別 人 口も 第 一次 ・第 二 次 ・第 三次 産 業 の割 合
が そ れぞ れ 一〇パ ー セ ン ト未満 、 三〇 パ ー セ ント強 、 六〇 パ ー セ ント前 後 で、兵 庫 県 と全 国 で は ほ ぼ 同じ です 。 兵 庫 県 は 日本 の、 神 戸市 は首 都 圏 の縮 図な のです 。
国 会 は す でに 、 首 都 機 能 移 転 を 決 め る法 律 ( ﹁国 会等 の移 転 に 関 す る 法 律 ﹂) を 一九 九 二 ( 平成
四)年 十 二 月 に成 立 さ せ ま し た。 こ の法 律 は 同年 六 月 に提 出 さ れ た首 都 機 能 移 転 問題 に 関 す る 懇
談 会 の最 終 と り ま と め案 に 沿 った も の で、 ﹁大 都市 過 密 問 題 解 決 のた め の対 応 、 地 震 等災 害 に 対
す る 脆 弱 性 への対 応 ﹂ の必要 性 を冒 頭 に うた って いま す 。 ま さ に阪 神 大 震災 のよ うな 事 態 を 想 定
し て成 立 し た 法 律 です 。移 転 人 口 は六〇 万人 、 面 積 は 九 千 ヘク タ ー ル、 建 設 費 用 は十 四 兆 円 が み
こま れ て いま す 。 神 戸 の復 興 は そ のよ う な首 都 機 能 移 転 の パ イ ロ ット ・ケ ー ス にな り 得 ま す。
日本 の総 人 口 の八 割 近 く が 都 市 に集 中 し て いま す。 都 市 の地 震 ・火 事 が確 実 に惨 事 に つな が る
こ と が 予想 され な がら 施 策 を 講 じ な け れ ば 、 そ の惨 事 は人 災 と いえ まし ょう。 被 災 者 三〇 万 のう
ち に は神 戸 を 去 っても よ いと 考 え て いる 人 が いる に違 いあ り ま せん 。 仮 にそ の人 口を 一〇万 人 と
見積 も り 、 新 都 市 への移 動 人 口と 見 積 れ ば 、新 し い首 都 像 六〇 万 人 の六 分 の 一です か ら 、 単 純計
算 で は面 積 は 一千 五 百 ヘク タ ー ル、 建 設費 用 は 二 兆 五千 億 円 です 。 今 年 度 の補 正 予 算 の額 で建 設 可能 です 。
被 災 者 の救 済 を かね て、 新 し い国 づ く り の第 一歩 を こ の災 禍 のま った だ な か で始 め れ ば 、 禍 も 福 に転 じ る でし ょう 。
ち な み に、 阪 神 大 震 災 の復 興 委 員 会 委 員 長 に 下 河辺 淳 氏 がな り ま し た 。 同 氏 は 戦 後 日本 の国 土
計 画 に 一貫し て立 案 者 と し て従 事 し てき た 元 官僚 です 。 一九 七 七 年 に閣 議 決 定 し た 第 三 次 全 国 総
合 開 発計 画 (いわ ゆ る 三全 総 ) の際 には 、 田 園都 市 構 想 が打 ち だ され ま し た 。 だ が 、 田 園 調 布 は
現 在 では 分割 相 続 や切 り 売 り のた め に細 分 化 さ れ 、 か つて の面 影 はあ り ま せ ん 。 失 敗 し た の です 。
一九 八 七 年 に 閣議 決 定 し た第 四次 全 国 総 合 開 発 計 画 (いわ ゆ る 四全 総 ) では 多 極 分 散 型 の国 土 形
成 が 打 ち だ さ れ ま し た。 し かし 、 結 果 は 東 京 一極 集中 でし た。 これ も 失 敗 し た の です 。 そ の言 い
訳 の詳 細 は 下 河 辺 淳 ﹃戦 後 国 土 計 画 へ の証言 ﹄ ( 日本 経済 評論社)を 参 照 し てく だ さ い。 都 市 の大
震 災 が 今 回 のよ う な 惨事 に つな が る よう な 都 市 計 画 を 彼 が中 心 にな って立 案 し てき た の です 。 そ の人 物 が 神 戸 の復 興 の頭 脳 にな って いま す 。
可 能 にす る神 戸 復 興計 画 を 、今 こそ示 す 義 務 が あ り ま す 。 日本 の国土 計 画 の立 案 者 の真 価 が 今 ま
引 き 受 け た 方 も 選 ん だ方 も、 四全 総 が 多 極 分 散 を 実 現 でき な か った反 省 を 踏 ま え 、 多 極 分 散 を
さ に問 わ れ て いま す。
近 代 化 の終 点 は 都 市 では な く 田 園 にあ る
バブ ル経 済 が 崩 壊 し 、地 価 が 下 が った と は いえ 、 首 都 圏 の地 価 は 日本 で 一番高 く、 豊 かな 居住
環境 を 首 都 圏 で享 受 す る こと は 不 可能 です 。 海 外 に別 天 地 を 求 める か 、 さ も な け れ ば地 方 に移 り
住 む こと です 。 海 外 に 新 天 地 を 求 め れば 、 海 外 か ら外 国 人 を 受 け 入 れ ね ば な り ま せ ん が 、彼 ら に
気 持 よく 居住 し ても ら う 空 間 は 日本 の都 会 に はあ りま せ ん。 結 局 は 地 方 が 焦 点 な の です。
都 市 と地 方 と の関 係 を 考 え 直 す こと は 、 す な わ ち、 国土 軸 を 見 直 す こと です 。 国 土 軸 の明 確 な
定義 はあ りま せ ん が、 現 実 に即 せば 、 現 代 日 本 の国土 軸 は、 欧 米 を も 凌 ぐ 工業 文 明 を 実 現 し た 太
の人 口 は 千 五 百 万 から 三千 万 に膨 れ あ が り 、 そ れ に 大 阪 と 名古 屋 そ れ ぞ れ の五〇 キ ロ圏 を 合 わ せ
平洋 工業 ベ ルト地 帯 です 。 首 都 圏 は 国 土 軸 の軸 心 であ り、 一九 六〇 年 から 九〇 年 の三 十 年 間 にそ
る と 、 同 期 間 に 三 千万 から 五千 四百 万 の人 口が 三 都 市 圏 に 密集 し ま し た。 総 人 口 の半 分 が 三 都 市 に 集 中 し て いま す。
分 だ 、 と いう発 想 し か も って いな か った こ と に より ます ( 下河辺淳、前掲書 ) 。 住 居 を 箱 に見 立 て
そ れ は 、 一つに は 日本 の国土 計 画 の立 案 に携 わ った 担 当 者 が 、 人 び と の居 住空 間 は 2D K で十
た 工学 部 出 身 の建 築 屋 の こ の貧 し い発想 が、 高 層 マ ンシ ョ ンの林 立 と いう 、 人 間 と 大 地 と の基 本
的 絆 を 切 り 放 す 帰 結 を 招 いた の です 。 そ の責 任 は重 いと いわ ねば な り ま せん 。
家 の言 に ひ き ず ら れ て、 長 ら く 近 代 イ ギ リ スを 模 範 と し てき まし た。 ﹁先 進 国 は 後 進 国 の未 来 像
も う 一つには 、 戦 前 か ら 戦 後 に か け て日本 は、 大塚 久 雄 氏 や丸 山 真 男 氏 の よう な 社 会 科 学 の大
を 示す ﹂と いう テー ゼを 素 直 に受 け 入 れ 、 そ の先 進 国 の模 範 に イ ギ リ スが想 定 さ れ てき た の です 。
﹁世 界 史 の 基 本 法 則 ﹂ と い う と て つも な い デ タ ラ メ に 仕 上 げ ま し た 。 そ し て 、 ﹁近
代 化 と は都 市 化 だ ﹂ と誤 解 し てき た の です 。
学 者がそれを
し か し 、 当 の イ ギ リ ス の ﹁近 代 化 ﹂ は 都 市 化 で 完 結 し て い ま せ ん 。 イ ギ リ ス人 に と っ て は 快 適
な 田 園 生 活 の確 立 こ そ が 生 活 の目 標 で す 。 田 園 の 大 切 さ に 、 日 本 人 は 改 め て 思 い を 致 す べ き で す 。
イ ギ リ ス 人 の 理 想 と し て き た 生 活 は 、 都 市 で 恒 産 を な し た 後 、 カ ン ト リ ー ・サ イ ド に 戻 って ﹁紳
士 ﹂ と し て 悠 々 自 適 の生 活 を 送 る こと で す 。 イ ギ リ ス人 の 投 資 先 は 、 近 代 の 初 め か ら 、 何 を お い
て も ま ず 国 内 に 向 け ら れ て き ま し た 。 イ ギ リ スを 旅 し た 者 な ら だ れ で も 分 か り ま す が 、 農 村 風 景
は 美 観 を 誇 っ て いま す 。 そ れ は 原 生 の 自 然 の美 し さ で は あ り ま せ ん 。 羊 、 牛 、 馬 が 牧 草 を は み 、
平 原 は 緑 の 垣 根 で 囲 わ れ て い ま す 。 そ れ は 大 英 帝 国 の膨 大 な 富 が 農 村 に 注 ぎ こ ま れ て き た 結 果 の 景観 です 。
ェン ト ル マン資 本 主 義 と大 英 帝 国 ﹄ ( 竹 内 ・秋 田 訳 、 岩 波 書 店 ) で、 そ の こ と を 繰 り 返 し 述 べ て い
農 村 に 憧 れ る 英 国 紳 士 の 理 想 は 、 過 去 五 百 年 の 間 、 変 わ り ま せ ん 。 ケ イ ンと ホ プ キ ン スは ﹃ジ
ま す 。 十 七 世 紀 の名 誉 革 命 の 時 代 か ら 一貫 し て イ ギ リ ス 資 本 主 義 は 英 国 南 部 を 本 拠 と す る ジ ェ ン
ト ル マ ン 層 が 帝 国 経 営 の使 命 を も っ て 作 り 上 げ た 紳 士 の 資 本 主 義 で あ った と い う の で す 。 イ ギ リ
( 金 融 ・サ ー ビ ス の 中 心 街 ) を 牛 耳 り 、 大 英 帝 国 の 政 治 経 済 の 制 度 的 中 枢 を に な っ て き た
ス人 の 本 音 で し ょ う 。 ジ ェ ン ト ル マ ン は 、 土 地 を も ち 、 裕 福 な の で 自 由 を 謳 歌 でき 、 い わ ゆ る シ テ ィ
政 ・官 ・業 界 の 卓 越 し た エリ ー ト です 。 こ の本 は 学 術 論 文 集 で や や 読 み に く い の で す が 、 一般 読
者 向 け に も っ と か み く だ い た 詳 細 な 説 明 は 、 両 氏 が 最 近 刊 行 し た Ca i n andHopk i ns,Bri t i sh
Imper ls i im a, tw o
volsL .o , ndon:Longm an,1993 に 書 か れ て い ま す 。 ち な み に 、 ホ プ キ ン ス は 昨
年 よ り ケ ンブ リ ッジ 大 学 の帝 国 ・英 連 邦 史 教 授 に 就 任 し て お り 、 そ の 見 方 が イ ギ リ ス の エリ ー ト
の頂 点 に た つ オ ー ソ リ テ ィに よ る も の で、 こ こ で単 に 学 説 の 一 つを 紹 介 し て い る わ け で は あ り ま せ ん。
﹁ニ ッポ ン株 式 会 社 ﹂ と 形 容 さ れ て 、 日 本 人 も 何 と な く 納 得 し て い る の
ど こ の 国 の 資 本 主 義 に も 文 化 的 刻 印 が 押 さ れ て いま す 。 ﹁紳 士 の 資 本 主 義 ﹂ に ひ き か え 、 日 本 の資 本 主 義 は 外 国 人 か ら は 、情 け な いで はあ り ま せ ん か。
土 地 所 有 と自 由
日 本 人 は 、 個 人 主 義 、 自 由 、 平 等 を 世 界 のど こ で で も 通 用 す る べ き 普 遍 的 価 値 の よ う に 思 い こ
ん で いま す 。 そ れ ら は十 九 世 紀 に西 洋 から 日本 にも ち こま れ ま し た 。
個 人 の 自 由 と い う 価 値 を 生 ん だ 母 国 は イ ギ リ ス で す 。 自 由 は イ ギ リ ス 人 が も っと も 大 切 に し 、
自 由 主 義 は 世 界 に む け て 発 信 さ れ 続 け てき た イ ギ リ ス の イ デ オ ロギ ー で す 。 イ ギ リ ス は 、 信 仰 の
自 由 、 出 版 の自 由 、 議 会 が 主 権 を 行 使 す る立 憲 君主 制 を 築 く な ど 、 古 く か ら 個 人 の自 由 の原 理 を 明確 にし てき ま し た 。
ツ で は 一八 七 一年 で す が 、 イ ギ リ ス で は 一九 一八 年 と 遅 れ 、 し か も 上 流 階 級 は 二 重 投 票 権 を も ち 、
し か し 、 平 等 に つ い て は 、 そ う で は あ り ま せ ん 。 普 通 選 挙 は 、 フ ラ ン ス で は 一八 四 八 年 、 ド イ
﹁ 一人 一票 ﹂ の政 治 的 権 利 の 平 等 は 一九 五〇 年 の 総 選 挙 を 待 っ て 初 め て 完 全 に 実 施 さ れ た の で す 。
自 由 の国 イ ギ リ ス の歴 史 は平 等 に は比 較 的 無 頓 着 な の です 。 イ ギ リ ス人 は人 間 は みな 平 等 だ と 考
え て いる わ け で はあ り ま せん 。 そ のよ う な イ ギ リ ス人 と 違 い、 フ ラ ン ス人 は 革 命 で ﹁自 由 と 平
る価 値 意 識 の基 礎 に あ る のは 何 な のでし ょう か。
等 ﹂ を 叫 び ま し た 。 フラ ン ス人 は自 由 のほ か に平 等 を 信 じ て いま す 。 い った い、 そ のよ うな 異 な
ケ ンブ リ ッジ 大 学 歴 史 学 教 授 の マク フ ァー レ ン の名 著 ﹃イ ギ リ ス個 人 主 義 の起 源 家族 ・財
産 ・社 会変 化﹄ ( 酒田利夫訳、 リブ ロポ ート) に よ れ ば 、 イ ギ リ ス人 の価 値 意 識 の基 礎 は 土 地 制 度 に あ りま す 。
従 来 、 私 有 財 産 制 は、 資 本 主 義 社 会 の本質 であ り、 近代 社 会 の基 礎 だ と さ れ 、 十 五 世 紀 後 半 か
ら十 六 世 紀 初 め に イギ リ スに お い て成 立 し た と さ れ て きま し た。 こ のよ う な イギ リ ス史 の理 解 は 、
マルク スや ウ ェー バ ー の影 響 を 受 け た も の です が 、氏 族 社 会 か ら、 血 縁 共 同 体 を 経 て、 契 約社 会
へと いう 発 展 の道 筋 で、 私 有 にも と づ く 社 会 が 誕 生 し た と さ れ てき た のです 。
し か し 、 こ の こと は大 陸 ヨー ロ ッパ には 妥 当 し ても 、 イ ギ リ ス の事 情 は違 った よ う です 。 イギ
リ スで発 達 し た 高度 に個 人 主 義 的 な 家 族 制 度 は 土 地 所 有 の単位 が世 帯 や家 族 では な く 、 も と も と
個 人 の排 他 的 な 私 的 所有 であ った こと と 不 可 分 であ った と み ら れ ま す。 イ ギ リ スで は史 料 の見 出
さ れ るか ぎ り 、 子 供 は生 産 可能 年 齢 にな ると 家 を 出 る のが 当 た り 前 と さ れ、 ま た子 供 がも の にし
た富 を 親 も 当 て に でき ず 、親 子 関係 に は家 父 長 制 か ら は ほど 遠 い ﹁契 約 ﹂ の性 質 が 認 めら れ ま す 。
子 供 は家 を 出 て奉 公 人 と な り 、女 子 の離 村 も めず ら し く あ り ま せ ん でし た 。 す でに十 四世 紀 の段
階 で土 地 が ﹁商 品 ﹂ にな ってお り 、土 地 の所 有 権 の移 転 は 、 家 族 内 で行 わ れ る よ り 、家 族 外 への
移 転 が 圧 倒 的 に 多 く 、全 体 の八割 以上 を 占 め て いた の です 。 も ち ろ ん女 性 も 土 地 所 有 者 であ り え ました。
土 地 私 有 の起 源 は 資料 の存 在 す る かぎ り 、 少 な く と も 十 三 世 紀 に ま でさ か のぼ れま す 。 私 有 制
の基 準 を 採 用 す る な ら ば 、 イ ギ リ スはす で に十 三 世 紀 に お い て ︿近 代 的 ﹀ であ った と いう奇 妙 な
こと に な り ま す 。 も ち ろ ん そ う で はな く 、 個 人 の自 由 と いう 思 想 は 、 イ ギ リ ス の土 地 制 度 と いう
伝 統 的 慣 習 にも と づ く価 値 であ り 、 イ ギ リ スが 近 代 社 会 にな る は る か 以 前 か ら 、彼 ら の価 値 観 で
あ った と いう こと な の です。 つま り 、 イギ リ ス社 会 は 、 も と も と 市 場 志 向 を も つ個人 主義 的 な 社
会 であ り 、 い つでも 自由 に土 地 を 処 分 す る権 利 と 自 由 を 個 人 が も ってお り 、 土地 財産 の個 人 単 位
の私 的 所 有 化 が 進 ん で いた こと、 これ が イ ギ リ スの個 人 主 義 の基 礎 に あ る 、 と いう のが マク フ ァ ー レ ンの主 張 です 。
それ に加 え て、 過 去 五 百 年 の ヨー ロ ッパ各 国 の家 族 制 度 と イ デ オ ロギ ー と の関 係 を 調 べた フ ラ
ン ス人 の歴 史 学 者 ト ッド の ﹃新 ヨー ロ ッパ 大 全 ﹄ ( 藤原書店) に よ れ ば、 イ ギ リ ス人 が自 由 に し か
興 味 が な いのは 、 歴 史 を さ か のぼ れ る かぎ り、 イ ギ リ ス の家 族 の親 子 関 係 は 自 由 主 義 的 で、 兄 弟
関 係 は不 平 等 だ か ら です 。 少 し 立 ち 入 って説 明 しま す と 、 ト ッド によ れ ば 、 親 子 の関 係 は 、 親 子
二世 代 以上 の家 族 の同 居 の有 無 を 基準 に し て、 子供 の結 婚 が新 し い家 族 の形 成 を う な が す か ( 自
由 主義 )、 祖 父 母 、 そ の長 男 のカ ップ ル、 そ の カ ップ ルの子 供 を含 む 複 合 多 世 代 家 族 を 形 成 す る
か ( 権 威 主 義 ) の いず れ か であ り 、 兄 弟 間 の関 係 は 、遺 産 相 続 を 基 準 にし て、 平 等 か 不 平 等 か の ど ち ら か に分 類 され ま す 。
ト ッド によ れ ば 、 フ ラ ン ス の家 族 は、 親 子 関係 は自 由 主 義 で、 兄 弟 関 係 は 平 等 です 。 そ のよ う
み つ いて いると いう わ け です 。 フ ラ ン ス の対 極 を なす のは ド イ ツで、 親 子 関 係 は 権 威 主 義 、 兄 弟
な 家 族 制 度 の ゆえ に ﹁自 由 と 平 等 ﹂ は 何十 世 代 にも わ た って フラ ン ス人 の子 供 の頃 か ら 心 身 に染
関係 は 不平 等 であ り 、 ド イ ツ人 は 自 己 を 中 心 に し た縦 意 識 をも ち やす い のです 。 ロシ アでは 、 親
子 関 係 は 権威 主義 、 兄弟 関 係 は 平 等 です 。 です か ら 、 ロシ ア人 に は極 端 な権 威 とと も に万 人 の平 等 を 受 け 入 れ る素 地 が あ る と いう のです 。
と も あ れ 、 イ ギ リ ス の自 由 と いう価 値 は家 族 制 度 に由 来 す る と いう の です 。 イ ギ リ スは も とも
と 土 地 の私 的 財 産 権 が 広 範 に 発 達 し て いた か ら、 自 由 主 義 的 で個 人 主 義 的 な 思想 を も つ国 にな っ
たと み ら れ ま す 。 イギ リ ス固 有 の土 地 所 有制 度 や家 族 制 度 が イギ リ ス人 の自 由 の気 性 を生 み 、 個
人 主 義 の基 礎 であ った と いう こと です 。 と す れば 、 そ れ は普 遍 的 と いえ る でし ょう か ?
宅 地 を 私 有 す る時 代 は終 わ った
ひ る が え って、 日 本 に土 地 の私 有 制 が 認 め ら れ た の は、 明 治 五 (一八七二)年 に土 地 永 代 売 買
の禁 止 が 解 か れ た の に引 き続 き、 翌 明 治 六 (一八七 三)年 七 月 に制 定 さ れ た 地 租 改 正 条 例 によ っ
て でし た。 こ の条 例 は 旧 来 の農 民 の耕 作 地 に私 的 所 有 権 を 公 式 に 認 め 、 地 券 を 発 行 し て 、地 価 に
か った ので、 土 地 の私 的 所 有 の許 可 は 人 民 に自 由 や 個人 主 義 の気 風 を お こす た め では さ ら さ ら な
対 し て 三 パ ー セ ント の金 納 地 租 を 課 し た も のです 。 当 時 の政 府 の財 源 は 地 租 以 外 に は な いに等 し
く 、 も っぱ ら財 源確 保 のた め でし た 。
日本 の歴史 に お い ては、 土 地 に対 す る観 念 は 、 私 有 地 と いう よ り む し ろ ﹁公 地 ﹂と いう 意 識 の
って、 土 地 か ら離 れ、 土 地 所 有 にも と づ かな い支 配 者 層 と いう 世界 にも まれ な 社 会 を 作 り 上 げ ま
方 が 強 か った よ う に 思 いま す 。 在 地 領 主 と し て歴 史 に 登場 し た 武士 層も 、 近 世 に は兵 農 分 離 によ
した。
土 地 私 有 制 が典 型的 に発 達 し た イ ギ リ スでは 、 私 有 権 を み と め つ つも 、私 有 地 の公 共 性 を 広 げ
て いま す 。 土 地 の寄贈 者 に相 続 税 の免 除 を 認 め る ナ シ ョナ ル ・ト ラ スト法 に よ って、 貴 族 の私 有
地 ・私 邸 が 公 共 の楽 し め る場 に変 わ り つ つあ り ま す 。 土 地 の私 的 所有 の母国 で さ え、 そ の限 界 が 現 れ てき て いる のです 。
問 題 の核 心 は 、 土地 の私 的 所 有 の限 界 を 認 識 す る こと です。 日本 では 、自 由 が利 己 主 義 に転 化
し 、 地 租 改 正 か ら 百 二十 年 余 り た って、 土 地 は 投 機 の対象 と な り、 私有 権 の名 のも と に勝 手 放 題
の こと が 行 わ れ る に いた って います 。 歴 史 を 振 り 返 り 、 自 由 の意 味 の彼 我 に おけ る相 違 を 考 え 、 公 共 性 の回 復 に努 め る べき 時 期 に来 て いるよ う に思 いま す 。
そ のた め に は人 間 の生 活 の根 拠 地 であ る宅 地 を 私 有 す る と いう 発 想 を 、根 本 的 に再 考 し な け れ
ば な り ま せ ん 。 現 代 日本 の土 地 は私 有 権 でが ん じ が ら め です 。 土地 私有 権 を 、 居住 空 間 の確 保 と
いう 見 地 か ら 根本 的 に 見直 す 時 がき た よう に思 いま す 。 個 人 の自 由 を 保 証 し つ つ、 居住 空 間 の革
命 的 大 規 模 化 を実 現す る に は、 公 有 地 を 活 用 す る方 法 が 望 ま し く 、 定期 借地 権 シ ス テ ムは そ の有 効 な 方 法 です 。
江 戸 時 代 の支 配 者 であ る 武士 層 の大 半 は土 地 と 切 り は な さ れ て いま し た。 ヨー ロ ッパ の支 配 者
が土 地 貴 族 であ った のと き わ め て対 照的 です 。 こ こ に現 代 の 日本 人 が 学 ぶ べき 知 恵 が あ る よ う に
思 いま す 。 現 在 の 日本 の政 治 家 は 不 動産 に手 を染 め、 子 孫 に美 田を 残 さ な いと いう 美 風 を 台 な し
にし まし た が、 それ を 改 め 、 大 地 を 天 か ら の授 か り も のと し て、 公 共 的 見 地 か ら 活 用 す る のは 、 日本 の伝 統 的 な土 地 に対 す る規 範 意 識 を 現 代 に生 かす こと です 。
古 代 の ﹁公地 公 民 ﹂ は、 近 代 に ﹁私 地 私 人 ﹂ に 反転 し ま し た。 新 時 代 の日本 は、 公 地 の拡 大 と
個 人 の自 由 を と も に伸 ばす のが ふ さわ し いでし ょう 。 私有 地 を も た な く ても 、 定 期 借 地 制 度 を 利
用 す れ ば 、 広 い土 地 に 持 ち 家 を建 て て ゆ とり あ る生 活 が でき ま す 。 そ のよ う な土 地 は 過疎 地 帯 に
獲 得 さ れ る のが 、 費 用 の点 か ら も、 良 好 な 居 住 空 間 の観 点 か ら も 、 多 極 分散 のた め に も、 望 ま し
いでし ょう 。 箱 根 の天 下 の険 であ れ 、 山 間奥 地 であ れ 、 温 泉 が 出 れ ば 、 山 間 に 見 事 な 居住 空 間 が
一挙 に出 現す る例 を わ れ わ れ は 日常 で見 て知 って いま す 。 土 木 技 術 的 には 可 能 な の です。
思 う に、 今 ほど 公 共 性 の回 復 が 求 め ら れ て いる とき はあ り ま せん 。 阪 神 大 震 災 で土 地 財 産 を 失
い、 仮 住 ま いや避 難 所 生 活 を 余 儀 な く さ れ て いる 人 び と を助 け る こ とを 絶 好 の契 機 と し て、 緑 の
国 土 のな か に 定期 借地 権 と いう 方 式 で広 く 人 び と を 受 け 入 れ る ﹁森 の中 の町 ﹂を つく り だ そ う で はありませんか。
自 然 景 観 を 居 住 空 間 のう ち に とり こ んだ 森 の中 の町 の建 設 は ﹁自 然 と の調 和 ﹂ と いう 日本 人 が
古 く から 大 切 にし てき た 価 値 を 生活 のう ち に とり こむ 道 です 。 そ れ は 市 場 経 済 と 矛盾 しま せ ん。
そ れ はま た 、 中 期 的 には 内 需 拡 大 に 資 し 、長 期 的 に は多 極 分 散 への道 です 。
﹁脱 東 京 ﹂ で ﹁山 国 ﹂ 日本 に緑 の国 土 軸 を
一九 九 二 ( 平 成 四) 年 に生 活 大 国 のた め の計 画 が 閣 議 決 定 ( 宮 沢 内 閣 ) さ れ て 以来 、 ラ イ フ ス
タ イ ルが 問 わ れ て いま す。 ライ フ スタ イ ルの重 視 は個 性 のあ る 生 活 様式 を めざ す こと に ほ かな り
ま せ ん 。 生 活 の多 様性 の源 は そ れ ぞ れ の国 や地 域 の風 土 、 環 境 の多 様性 にあ りま す 。 人 間 にと っ
て の環 境 と は 自 然 の利 用 の仕方 に ほ かな り ま せん 。 自 然 は 多 様 です か ら 、 そ の利 用 の仕 方 も 多 様
にな るは ず のも の です 。 に も か かわ らず 、 一元 化 が 追 及 さ れ てき ま し た。 そ の典 型 は都 市 であ り 、
そ の代 表 は 東 京 文 化 であ り 、 そ の例 証 は ミ ニ東 京 の群 生 です 。 そ れ が マ ンシ ョンと いう集 合 住 宅
の急 増 と 軌 を 一に し て いま す。 集 合 過密 住 宅 は い った ん都 市 型 災 害 に 遭 え ば 、被 害 の拡大 に つな
が る の です 。 首 都 機 能 移転 の法 律 の成 立 は、 危 機 意 識 の表 明 に ほか な り ま せ ん。 明 日 に も そ の危 機 は現 実 にな り え ま す 。 待 った な し です 。
英 国 の 田園 にあ た る の は、 日本 の山 岳 ・丘 陵 です 。 田園 が 英 国 紳 士 の精 神 を 培 った よ う に 、
山 々 は 日本 人 の心 を 涵 養 す る 母 体 です。 子供 たち に本 当 に自 然 の こと を 分 か ら せ よ う と す る な ら、
た と えば 北 海 道 の動 物 王 国 ム ツゴ ロウさ ん の 一家 のよ う に、 自 然 の中 で育 て る こと が 理 想 的 です。
そ れ は鈴 木 都 政 が めざ し た 埋 立 地 に 職 住 接 近 の臨 海 都 市 を つく り 、 人 び と を 高 層 マン シ ョンと い
う大 き な 箱 に住 ま わ せ るや り 方 と 対 極 を な す も の です 。 鈴 木 都 政 は 一九 九 五 年 四月 の都 知 事 選 で
も の の見 事 に頓 挫 し 、 都 民 は ﹁箱 ﹂ 的 発 想 に 明 確 に ﹁N O ! ﹂ の意 思 表 示 を し ま し た 。
テ ィ アは 、海 の彼 方 と いう より も 、 国 土 の七 割 を 占 め る 山 々に もあ りま す 。 外 地 ( 輸出)志向か
阪神 大 震 災 の復 興 の仕 方 は 二十 一世 紀 の 日本 を 占 う よ う に思 いま す 。 新 し い国 富 形 成 の フ ロ ン
ら内地 ( 内 需 ) 志 向 へ の転 換 期 にあ た り 、 ﹁山 国 ﹂ 日本 の過 疎 地 帯 に 眼 を 向 け よう で は あ り ま せ
ん か 。農 村 や 山村 は大 規 模 な 投 資 を 待 ってお り 、 自 然 を 生 か し た良 好 な住 環境 を 日本 人 はも ち う
の数 十 階 建 て の高 層 マン シ ョン の中 で育 つ子 供 よ り も 、 森 の中 の町 で育 つ子 供 の方 に、 日本 の未
る の です 。 定 期借 地 制 度 を活 用す れ ば 、 人 び と が 大 地 に親 し む 機 会 は 革命 的 に増 え ます 。 埋 立 地
来 を 託 し た いと 思 いま す。
か つて は、 現 在 の主 軸 ︿太 平 洋 工業 ベ ルト地 帯 ﹀ 以外 にも 、 そ れ と 意 識 さ れ て いま せ ん が 、 国
を 自 家 薬 籠 中 のも の にし た 京 都 に憧 れ た 地 方 の人 び と は 、 京 都 を ま ね て全 国 津 々浦 々 に ﹁小 京
土 軸 があ り ま し た 。 そ れ は 京 都 を 回 転 軸 と し 、地 方 に ﹁小 京 都 ﹂を 作 り 上 げ た 軸 です 。 東 洋 文 明
都 ﹂ を つく り 、 そ の地 の人 び と も 自 分 た ち の町 が そ う 呼 ば れ る こと を 誇 り と し ま し た 。 ﹁小 京
都 ﹂ は プ ラ スの イ メ ー ジ を も ち ま し た が 、 ﹁ミ ニ東 京 ﹂ と いう 呼 び 名 は マイ ナ スの イ メ ー ジ です 。
予 想 さ れ る 自 然 災害 の被 害 の大 き さ から し ても 脱 東 京 な いし脱 ミ ニ東 京 は時 代 の課 題 です 。
過 去 に京 都 型 (アジ ア文 明 ) の国土 軸 を 有 し 、 近 代 に至 って東京 型 ( 欧 米 文 明 ) の国土 軸 を も
樹 立 し た 実 績 は 、 自 信 を も つに 値 し ます 。 世 界 の諸 文 明 が 日本 列 島 に 共 存 し て います 。 日本 文 明
の特 質 は反 アジ アでも 反 欧 米 でも あ り ま せ ん。 アジ ア ・欧 米 の両 文 明 の精 華 を 進 ん で こ の小 島 国
に と り こんだ 大 器 量 を 誇 る べき です 。 新 し い国 づ くり に は、 脱 東 京 では あ っても 、 反 東京 の狭 量
な精 神 ではな く、 進 取 の精 神 を も って古 今 東 西 の最新 の文 明 の成 果 を 取 り 入 れ よ う と いう 大 き く 開 か れ た 国 際 的度 量 が 不可 欠 です 。
﹁郷 風文 化 ﹂ の風 を 巻 き 起 こそ う
新 し い国 土 軸 を 担 う 主 役 は交 代 の時 期 にき て いま す 。 京 都 型 の国 土 軸 は 公 家 ・貴 族 が担 い、 江
戸 ・東 京 型 の国 土 軸 は 武士 ・サ ラリ ー マ ンが担 いま し た 。 彼 ら は強 者 であ り 男性 でし た。 し かし 、
権 威 ・権 力 ・武 を 競 う ﹁男 の時 代 ﹂ は 急 速 に ア ナク ロ ニズ ムに な り つ つあ り ま す。 ﹁女 の時 代 ﹂
が 静 か に始 ま り つ つあ り ま す。 一九 八九 ( 平 成 元 ) 年 に、 大 学 ( 短 大 を 含 む ) への進 学率 は、 女
の大 学 進 学 率 は 四 四 ・四 パー セ ン トで、 男子 の 三九 ・五 パ ー セ ントを 五 パ ー セ ン トも 上 回 り、 そ
子 が男 子 を 上 回 り ま し た 。 以 来 、 そ の差 は広 がり つ つあ り 、 一九 九 三 ( 平 成 五 ) 年 に お いて女 子
れ は拡 大 す る趨 勢 を 見 せ て いま す 。 知識 社 会 の到来 を 前 に、 男 性 を 上 回 る女 性 の高 学 歴化 が静 か に進 行 し て いま す 。
国土 軸 に は ﹁国 家 主 義 ﹂ と いう 人 為 的 な 強 風 が と も な って いま し た。 生 活 の質 を 高 め 、 美 を 競 う
古 代 ・中 世 の京 都 型 の国 土 軸 に は ﹁国 風 ﹂ の驕 り の風 が ま と い、 近 世 ・近 代 の江 戸 ・東 京 型 の
べき こ れ か ら の時 代 に は、 女 性 が 主 役 と な って、 男 性 は 脇 役 に引 き 下 が る のが ふ さわ し いか も し
れ ま せ ん。 女 性 は身 辺 を 身 綺 麗 にし 、 生 活 を 大 切 に す る のが得 意 です 。 それ は新 時 代 の国 富 の形 に ふ さ わ し い資 質 です 。
古 来 、新 し い文 明 は 旧文 明 の周 辺 ・辺 境 か ら 勃 興 し てき ま し た。 現在 、地 方 は大 都 市 と は結 び
つい ても 、 そ れ ぞ れ が いわば 隔 離 され て いま す 。 地 方 間 のネ ット ワー ク の形 成 が 必要 です 。 交 通
にさ れ て いる 各 地 の個性 が際 立 つでし ょう 。 交 流 は 共 通 性 と と も に 異 質 性 を も 際 立 た せ る か ら で
網 ・通 信 施 設 な ど の社 会 資 本 の整 備 に よ って、 これ が形 成 さ れ れ ば 、 ﹁地 方 ﹂ と 十 把 ひ と から げ
岩木 山(陸 奥国 弘前 市岩 木川 の 橋 上 か ら 望 む。 志 賀 重 昂 『日本風景 論』 よ り)
美 しい 日本 の イ メ ー ジ(志
賀
重 昂 『日本 風 土 論 』 講 談 社 学 術 文 庫 よ り。 樋 畑 雪 湖 ・挿 画)
にあ る自 然 風 物 や 伝統 の再 発見 に導 く でし ょう 。
す 。 違 い の自 覚 は 、生 活 の基 盤 とし て の郷 土 への愛 着 を う み ま す。 そ のこと は、 それ ぞ れ の身 近
か つて志 賀 重 昂 が 明 治 後 期 の ベ ス ト セ ラ ー ﹃日本 風 景 論 ﹄ ( 明治二十七年、講談社学術文庫) で喝
破 し た よ う に、 自 然 風 物 が 人 の気象 を作 る こ と に思 いを いた す べき です 。 人 の心 を育 み、 人 を 作
( 磐 梯山 )、 加 賀 富 士 ( 白 山 ) な ど は そ の例 です 。 富 士 山 には 月 見 草 ば か り か 、 桜、
る さ いた る も のは 名 山 です 。 日本 各 地 に富 士 に み た て ら れ た 名 山 があ り ま す 。 津 軽 富 士 ( 岩木 山)、 会 津 富士
秋桜 ⋮ ⋮ さま ざ ま な 花 々が よ く 似 合 いま す 。 大 和 撫 子 が加 わ って つく る新 し い国 土 軸 には 、 生 活
基 盤 であ る郷 土 を 自 己 の アイ デ ンテ ィ テ ィ の 一部 と し て大 切 にす る魅 力 的 な 数 々 の ﹁花 の町 ﹂ を 現 出 す る で し ょう。 彩 り のあ る郷 風 文 化 の花 を 咲 か せ ま し ょう。
戦 後 五 十 年 の節 目 に起 こ った阪 神 大 震 災 は 、 日本 人 に、 強 烈 な 衝 撃 を も た らす とと も に、 いま
に、 そ し て、 日本 の発 展 を 模範 とし て いる アジ ア諸 国 のた め にも 、 大 地 にし っか り と 建 ち 、広 々
何 を な す べき か を 示 唆 し て います 。 震 災 から の復 興 を 第 一歩 と し て、 自 ら のた め に、 子孫 のた め
と し た 緑 の庭 を も つ立 派 な 家 、 立 派 な 町並 み 、花 のあ る 町 とし て、 だ れ か ら も 親 し ま れ る 地 域 を
残 す 決 意 を 固 め る べき 時 です 。 日 本 人 の日本 人 に よ る 日本 人 のた め の美 し い国 づ く り を 始 め る こ
と、 そ れ が国 際 貢 献 にな る の です 。 禍 を 転 じ て福 と な さ ね ば な りま せ ん。 国 土 建 設 の良 き 手 本 を 示 す絶 好 の機 会 です 。
第 一部 富 国 の 士 民
1 平 成 の〝 コ メ 騒 動〟 と 勤 勉 の徳
① 平 成 の〝 コ メ 騒 動〟 味覚と いう非 関税障壁
衣 食 足 り て礼 節 を 知 ると い いま す が 、 衣食 の内 容 は何 でも よ いと いう わ け には いき ま せ ん。 ユ
ー ラ シ ア の東 半分 (イ ンド以 東 ) には 米 の食 文化 が広 がり 、 西 半 分 (イ ンド以 西 ) では 麦 が好 ま
れます ( 図 1)。 か り に イギ リ スが 食 料 難 にな った とし て、 日 本 か ら 極 上 の コシ ヒ カ リ を 送 って
も 、 イ ギ リ ス人 に は喜 ば れ な いでし ょう 。 明 治 時 代 に 日本 米 が イ ギ リ スに輸 出 さ れ た こと があ り
ま す が 、 ネ バネ バし て、 イ ンド米 よ り劣 ると いう の で、 工 業 用 の糊 に使 わ れ ま し た。
池 田元 首 相 は ﹁貧 乏 人 は 麦 を 食 え ﹂ と い って国 民 の憤 り を か い、 阿 部 元北 海 道 開 発庁 長 官 は汚
職 がら み で拘 留 中 に麦 飯 を 出 さ れ て ﹁人権 侵害 だ ﹂と 憤 って、 世 間 の失 笑 を 買 いま し た。 日本 人
が麦 を 食 べる の は食 生 活 が不 自 由 な と き です 。 か り に 日本 が食 料 難 に襲 わ れ 、 ア メ リ カか ら 小 麦
て、 アジ ア の米 が 届け ら れ ても 、 イ ンデ ィ カ ( 長 粒 米 ) か ジ ャバ ニカ ( 大 粒 米 ) だ から 、 味 も 炊
と トウ モ ロ コシを 援 助 さ れ ても 、 腹 は ふく れ ま し ょう が 飢 餓感 は ぬぐ えな いでし ょう 。 さ れ ば と
の食事 文化 』 ドメ ス出版 よ り改 変)
図 115世 紀 頃(新 大 陸発 見以前)の ユ ー ラ シアの米 文化 圏 と麦文 化圏(石 毛 直道 編 『世界
き 方 も 違 い、 ま た サ ラ サ ラ し て 手 か ス プ ー ン で 口 に 運 ・ ぶ食 べ 方 を さ れ て いる 米 だ か ら 、 箸 に も か から ず 、 不自 由 を か こ つこと に な り ま す。
( 短 粒 米 )を
日本 人 は、 世 界 の三大 穀 物 のう ち 、 ト ウ モ ロ コシよ りも 麦 を 、 麦 より も 米 を 、 米 のな か では ジ ャ ポ ニカ
﹁ご 飯 が ま ず い ﹂ と 言 っ て の け る ほ ど 、 米 に 対 し て す る ど い 味 覚 を も っ て い ま す 。 ﹁主
﹁主 食 ﹂ と し て 選 ん で き ま し た 。 ジ ャ ポ ニカ に も 品 質 に 違 い が あ り ま す が 、
子 供 でも
﹁水 稲 未 分 化 稲 ﹂ と い わ れ る 粘 り け のあ る モ チ 米 系 統 の 陸 稲 で あ り 、 し か も 赤 米 で
﹁お か ず ﹂ に み た て て い る の であ り 、 和 洋 折 衷 で す 。
食 と お か ず ﹂ と い う 食 べ 方 は 西 洋 に あ り ま せ ん 。 ﹁洋 食 ﹂ に ラ イ ス を 添 え る の は 、 日 本 人 が ﹁洋 食﹂を 米 の原 種 は
( 図 2 )。 そ こ か ら 幾 筋 も の
(メ ナ ム ) 川 、 ベ ト ナ ム
川 が 流 れ 出 て お り 、 米 は 川 筋 に 沿 った 人 の 移 動 と と も に 伝 播 し た よ う で す 。 イ ン ド へ は ブ ラ マ プ
あ って 、 そ の 起 源 地 は 雲 南 ・ ア ッサ ム の 山 岳 地 帯 と いわ れ て いま す
ト ラ 川 か ら ガ ン ジ ス川 、 ビ ル マ へは イ ラ ワ ジ 川 、 タ イ へは チ ャ オ プ ラ ヤ
へは 紅 河 と メ コ ン 河 、 そ し て 中 国 へ は 揚 子 江 が ﹁稲 の 道 ﹂ と な り ま し た 。 こ の伝 播 の 過 程 で 水 稲
未 分 化 の 陸 稲 は 水 稲 に 、 モ チ 米 は ウ ル チ 米 に 、 ジ ャポ ニ カ は イ ン デ ィ カ へと 種 類 が 変 わ った の で す。
と こ ろ が 、 日 本 人 が 楽 し む ジ ャ ポ ニカ は 雲 南 ・ア ッサ ム に 自 生 す る 原 種 に 近 い の で す 。 米 の 日
(一八 七 五∼ 一九六 二 ) は ﹁海 上 の道 ﹂ 説 を 唱 え ま し た が 、 ほ か
( 岡 山 県 総 社 市 の 南 溝 手 遺 跡 の繩 文 後 期 中 頃 の土 器 片 か
に 朝 鮮 経 由 説 、 江 南 経 由 説 が あ り 、 意 見 が 分 か れ て い ま す 。 そ れ ら の当 否 は と も か く 、 三 千 五 百
本 への伝 播 経 路 に つ いて柳 田国 男
年 程 前 に 渡 来 し た の は ジ ャ ポ ニカ で あ り
部 忠 世 『稲 の 道 』 N H K ブ ック ス よ り)
ア ジ ア 大 陸 に お け る 稲 の 道(渡
図 2
ら ジ ャポ ニカ の葉 の成 分 が
検 出 され て いる が 、 これ が
国 内 で目 下 のと ころ 検 出 さ
れ て いる 最 古 の米 で あ る)、
そ の食 文 化 が 日本 に確 立 し
ま し た。 今 日 でも 正 月 に モ
チ米 で つく った餠 を 食 べ、
お祝 いに モチ米 で赤 飯 を た
く のは原 種 へ の郷 愁 か と も
思 わ れま す 。
大 半 の アジ ア人 の食 す る
イ ン デ ィカ が、 不 思 議 にも
日本 人 の味 覚 に は合 わ な い
こと は 近 世 以来 の歴 史 が示
し て いま す 。 当 時 の生 産 高
であ り 、 米 の普 及 を物 語 る
を 表 す ﹁石 高 ﹂ は 米 の単 位
歴 史 的 名 辞 です 。 近世 初期
の 一世 紀 余 に 日本 の耕 地 は 一 ・四 倍 ほ ど 増加 し ま し た。 そ の際 、 沖 積 平 野 が 開 拓 さ れ 、新 開地 に
は劣 悪 な 環 境 に強 いイ ンデ ィ カが 海 外 か ら導 入 さ れま し た 。 し か し 、 田 地 が 整 備 さ れ る と、 農 民
は イ ンデ ィカ の栽 培 を や め てジ ャポ ニカ に復 し た のです 。 戦 前 期 には 東 南 アジ アか ら イ ン デ ィカ
が 輸 入 さ れ ま し た が 、 ﹁外 米 は安 いが 、 ま ず い﹂ と いう 評 価 は ゆ る がず 、 都 市 の下 層 民 が ﹁し か た な く食 った ﹂ に と どま り ま し た 。
米 が 貿易 品 に な っても 、 イ ンデ ィカは 、 た と え無 関 税 で輸 入 さ れ ても 、 従 来 と 同 様 、 ジ ャポ ニ
の です 。 か つてグ レー プ フ ルー ツ の輸 入 は 日本 のみ か ん を 滅 ぼ す と 柑橘 業 者 が大 反 対 し た こと が
カ に と って か わ れな いでし ょう 。 外 米 の価 格 は 安 く と も ﹁味 覚 ﹂ と いう非 関 税 障 壁 が も のを いう
あ り ま す が 、 いざ 入 って く る と種 類 も 味 も 食 べ方 も 違 い、 影 響 が な か った のと似 て いま す 。 イ ン
デ ィカ の進 出 し う る のは特 殊 な加 工米 食 品 に限 ら れ る に ち が いあ り ま せ ん。
の は至 難 です 。 ジ ャポ ニカ の世界 最高 の栽 培 技 術 は 日本 が も って いる の です 。 そ の実 力 を フ ルに
強 敵 は ジ ャポ ニカ を栽 培 し はじ めた 地 域 です 。 し か し 外 国 で日本 の舌 にあ う品 質 の米 を つく る
発 揮 す るに は、 稲 作 農業 の足 腰 を 弱 め てき た食 管 制 度 への依 存 か ら の脱 却 が 求 め ら れ ま す。 稲 作
です 。 ﹁お か ず ﹂ と 区 別 さ れ た ﹁ご 飯 ( 米 )﹂ を喜 ぶ食 文 化 は、 弥 生 時 代 以 来 の米 の文 化 ・物 産 複
を 支 え てき た のは 、 ジ ャポ ニカが 足 り て こ そ礼 節 を わ き ま え る消 費 者 す な わ ち 古 今 の日本 人全 体
合 の精 華 です 。 ジ ャポ ニカと 味 覚 と の幸 せ な結 合 は、 私 見 で は、 外 米 と の内 外 価 格 差 を は ね のけ る強 力 な非 関税 障 壁 たり え ま す 。
コメ市場開放 の意外な結末 右 の 主 張 は ﹁味 覚 と いう 非 関 税 障 壁
ご飯 の文化と合わ ぬ外国 米﹂ の見 出 し で ﹃毎 日新 聞 ﹄ 一九
九二 ( 平 成 四) 年 二 月 十 四 日 夕 刊 に掲 載 ( 掲載は文章 のみ)さ れ た拙 文 です が、 そ の頃 は ま だ 自
民党 政府 が ﹁一粒 の コメも 入 れ ぬ﹂ と 大 見 栄 を 切 って いた の です。 し か し、 九 三年 は冷 夏 、 長 雨 、
台 風 被害 が 重 な って、 平年 を 一〇〇と す る作 況 指 数 が 七 四 にま で落 ち 込 み 、戦 後 最 悪 の コ メ凶作
と な り 、 細 川 内 閣 (一九九三年八月∼一九九 四年 四月)は ついに主 食 用 米 輸 入 を 同 年 十 一月 に実 施 し
て コメ の市 場 開 放 に 踏 み き り ま し た。 そ れ に追 い打 ち を か け るよ う に、 一九 八六 年 九 月 か ら のウ
ルグ ァイ ・ラ ウ ンドは 一九 九 三 年十 二月 にな って よう やく 最 終 合 意 に こぎ つけ 、 農 業 分 野 で の例
外 な き 関 税 化 の原 則 が 明 示 さ れ た のです が、 特 例 とし て 日本 の コメ市 場 開 放 は 六 年 間 猶 予 さ れ 、
そ の間 は ミ ニ マム ・アク セ スす な わ ち 最 低輸 入 量 を、 初 年 度 は 消 費 量 の 二% 、 六 年 後 に八 % と す
る こ と とな り 、 日本 政 府 ( 細 川 首 相 ) は 十 二 月十 四 日 に部 分 開 放 の受 け 入 れ を 正 式 に表 明 し ま し
た。 そ の後 の経 緯 は 、 味 覚= 非 関 税 障 壁 論 の主 張 の正 し さ を裏 付 け て いるよ う に思 いま す 。
一九 九 三年 末 から 一九 九 四年 前 半 に か け て、 ア メリ カ、 オ ー スト ラ リ ア、 中 国 、 タ イか ら 計 二
二〇 万 ト ン の コ メが入 ってき ま し た 。 ついそ の 一年 前 ま で、安 いタ イ米 が輸 入 さ れれ ば 、 日本 の
稲 作 は 大打 撃 を受 け る、 と厳 し い危 機 感 を も って、 し か も ま こと し や か に喧 伝 さ れ て いた の です
が 、 いざ 入 ってく る と、 くだ ん のタ イ米 は 一九 九 四年 の早 場 米 の出 回 る 七月 下 旬 に は、 キ ロ当 た
り 十 円 に下 げ ても売 れ な い有 様 です 。 同 じ 時 期 に国 産 コシ ヒ カ リは キ ロ当 た り 五 百 円 ∼七 百 円 で
も 売 れ てお り 、 価 格 差 は 五十 倍 以上 な のです 。 八 月 にな り 政 府 は 外 国 米 な か ん ず く タ イ米 の販 売
促 進 のた めに 入 札 を 行 いま し た が、 タ イ米 は何 と 一粒 も 落 札 さ れ ず 、 全部 売 れ残 ってし ま いま し
た。 形 も 味 も 違 い、 臭 い ( 香 り と いう べき か) があ る と いう の で敬 遠 さ れ、 政 府 が決 め た 国 産
買 う ので、 つ いに政 府 はブ レ ンド規 制 を 解 く始 末 とな り ま し た 。 日本 の稲 作 は ﹁日本 人 の味 覚 ﹂
米 ・輸 入 米 のブ レ ンド販 売 も 、 炊 い てみ れば 味 が落 ち る の で嫌 わ れ 、 高 く ても 国 産 米 を 消費 者 が
と いう 形 なき も のと密 接 に結 び つい て いる こと が 証 さ れ た のです 。 味 覚 と いう 非 関 税 障 壁 が 立 ち
現 れ 、 いま や 前途 多 難 が予 想 さ れ る のは 、 国 産 米 よ り も 、 む し ろ輸 入 米 のほ う です 。
と は いえ 、 将来 、 日本 米 た と えば コシ ヒ カ リが 輸 出 競 争 力 を つけ た に し て も、 そ れ と は味 も 香
り も 違 う コメを 楽 し ん で いる外 国人 に人 気 を 博 す るか ど う か 、 疑 わ し いと いわ ね ば な りま せ ん。
コメを めぐ る食 文 化 は 多 様 であ る と いう 認識 と とも に、 食 文 化 に優 劣 は な いと いう 認識 を も つ べ き です 。
コメの伝来 の道
タイ は 東南 アジ ア の最大 の米 産 地 です 。 そ の タ イ米 が 、 日本 人 に 受 け つけ ら れ な いと いう事 実
は 、 多 く の こと を 物 語 って います 。 ひと つは 日本 への コメ の伝 来 ル ー トに 関 す る も の です 。 民 俗
学 を 樹 立 し た 柳 田 国 男 は 、 先 ほ ど触 れま し た よう に、 青 年 時 代 に渥 美 半 島 の西 端 ・伊 良 湖 岬 に 南
の海 か ら 流 れ つ いた 椰 子 の実 を 発 見 し て感 動 し 、 そ こ か ら 着 想 を 得 て 、 最 晩 年 に 名 作 ﹃海 上 の
道﹄ ( 岩波書 店ほか)を 残 し 、 コメも 椰 子 の実 と 同 じ 道 を た ど って 日本 に伝 来 し た 、 と いう 仮 説 を
立 てま し た。 果 たし てそ う でし ょう か 。 タイ 米 に 対 す る 日 本人 の予想 以上 の反発 を知 った いま 、
東 南 ア ジ ア の コ メ が こ の 国 に 根 づ いた と い う 説 は 一考 を 要 す る よ う に 思 い ま す 。
(一三 五〇 ∼ 一七 六 七 )、 そ し て 現 在 の バ ン コ ク 王 朝
(一二 五 七 ∼ 一三 五〇 )、 ア ユ タ
(一七 八 二 ∼) と 下 流 方 向 へ変 遷 し て き
(メ ナ ム ) 川 に 沿 っ て 、 ス コ タ イ 王 朝
コ メ の原 産 地 は タ イ 北 部 の 山 岳 地 帯 の 奥 深 く 、 雲 南 だ と さ れ て い る の で す が 、 タ イ の歴 史 は 、
ヤ王朝
雲 南 に 発 す る チ ャオ プ ラ ヤ
た の で 、 タ イ 米 の歴 史 も 王 朝 の歴 史 と と も に あ る の で す 。 タ イ の 米 作 農 民 が 王 朝 の南 下 と と も に
ミ ャ ン マー も 、 ほ ぼ タ イ と 同 じ 過 程 を 経 て コ メ は 下 流 デ ル タ に 伝 播 し て い き ま し た 。 タ イ は 東 南
下 流 へ移 動 し 、 つ い に デ ル タ に ま で 下 って き た わ け で す 。 タ イ の ほ か 、 ベ ト ナ ム 、 カ ン ボ ジ ア、
アジ ア のな か で米作 が 最 も成 功 し た国 であ り 、 数 世 紀 前 か ら 近 隣 地 域 に 輸 出 し てお り 、東 南 アジ ア では タ イ米 は 喜 ば れ てき ま し た。
以 来 親 し ん で き た コ メ は ジ ャ ポ ニカ
( 短 粒 米 ) で、 モチ米 に似 て粘 り 気 が あ り ま す 。 今 回 のタ イ
し か し 、 日本 で、 タイ 米 を 主食 と し て食 べる こと に拒 否 反 応 が 出 た の です 。 日本 人 が弥 生 時 代
米 に 対 す る 日 本 人 の 態 度 を 通 し て 、 図 ら ず も 、 弥 生 時 代 と いう 一大 画 期 を も た ら し た 日 本 の米 文
化 の ル ー ツ が 東 南 ア ジ ア で は な か った こ と が 示 さ れ た の で は な い で し ょ う か 。
に ﹁す み 分 け ﹂ て いく で し ょ う 。 そ の よ う な 事 例 は 歴 史 上 に 数 多 く あ り ま す 。 食 料 に 次 い で身 近
とも あ れ 、 タ イ米 は 、 今 後 、 加 工 米 や ピ ラ フな ど に 用途 を 見 出 し て おり 、 日本 米 と は 競 争 せ ず
な のは 、衣 料 です が、 衣 料 の場 合 に、 そ の先例 を 見 る こ と が でき ま す 。
衣 料 にも す み分 け が あ る
( 図 3 )。 ﹃和 漢 三 才 図 会 ﹄ ( 平 凡 社 ) に ﹁地 生 羊 ﹂ と い う 動 物 に つ い て 書 か れ て い ま す︱︱
﹁西 域
近 世 日 本 で は 、 毛 織 物 は ほ と ん ど 知 ら れ て お ら ず 、 羊 は 木 に な る 動 物 だ と 想 像 さ れ て いま し た
に 産 す る 。 羊 の臍 を 土 中 に 種 え 、 水 を そ そ ぐ 。 雷 を 聞 く と そ こ か ら 羊 が 生 ま れ る 。臍 と 地 と は 連
な っ て い て 、 生 長 し た 羊 を 木 で 音 を た て て驚 か す と臍 は 切 れ て 歩 け る よ う に な り 、 草 を 食 べ る 。
秋 に な る と こ の 羊 を 食 べ れ ば よ い。臍 の 内 に ま た 種 が あ る ﹂。 地 生 羊 は 架 空 の 動 物 で す 。 一方 、
羊 毛 を 衣 料 と し て い た 中 世 ヨ ー ロ ッ パ 人 は 、 木 綿 と い う 植 物 繊 維 が イ ン ド に あ る と 知 った と き 、
や は り 、 羊 が木 に な る様 を 想 像 し ま し た 。 興 味 深 い のは、 近世 日本 人 も ヨー ロ ッパ人 も 、 同 じ よ
人 は 木 綿 で道 中 合 羽 、 武 器 そ の他 の物 を 入 れ る袋 や
二種 類 の産 物 で作 ら れ る か ら であ る。 そ のほ か 日本
であ る。 と いう のは 日本 の衣 服 や寝 具 は す べ て こ の
大麻 、鳥 の柔 毛 や羽 根 およ び 毛 皮 の代 用 を す る も の
と木 綿 は、 日常 の使 用 の ほか にわ が 国 の羊毛 、亜 麻 、
よ うな 観 察 記 事 を 残 し て いま す︱︱ ﹁日 本 で は、 絹
日本 の捕 虜 と な った ロシ ア のゴ ロウ ニンは、 つぎ の
江 戸 後 期 の 一八 一 一年 か ら 一八 一三年 に かけ て、
羊 を 木 綿 のイ メー ジ で と ら え た こ と です 。
う に、 羊 が 木 に な る と想 像 し ま し た が、 ヨー ロ ッパ人 は木 綿 を羊 のイ メ ー ジ でと ら え 、 日本 人 は
図 3 羊 の な る木
煙草 入 れ を作 る。 それ ら は漆 塗 り にし てあ って皮 革 製 品 と ま が う ば かり であ る。 ⋮ ⋮綿 は 日本 で
は毛 皮 の代 用 とな るし 、 敷 布 団 や、 毛 布 の役 目 を す る 丹 前 に も 綿 を 入 れ る﹂ ( ﹃ロシア仕 官 の見た徳
川日本﹄講談社学 術文庫)。 日本 人 の木 綿 ( 和 服) の使 い方 は 西 洋 人 の毛 織 物 ( 洋 服) の使 い方 と 似 て いた の です 。
で は、 毛 織 物 が、 日本 に入 ってき た 幕 末 、 日本 人 は そ れ を木 綿 の代 わ り と し て使 った の でし ょ
の最 初 の用 途 は 軍 服 でし た 。 文 久 元 (一八六 一)年 に 軍 艦 乗 組 員 の大 砲 方 が 着 用 し ま し た。 そ れ
う か。 いや、 そう は せず に、 西 洋 人 の使 い方 を ま ね ま し た。 和 服と 洋 服 を 区 別 し た の です 。 洋 服
を皮 切 り に、 慶 応 二 (一八六六)年 に 洋 服 は 陸 海 軍 の平 服 と な り 、 明 治 三 (一八七〇 )年 に 陸 軍 は
フ ラ ン ス式 、 海 軍 は イ ギ リ ス式 の軍 服 を 採 用し ま し た。 つい で、 明治 四 (一八七 一)年 九 月 に は
﹁朕 今 断 然 其 服 制 を 更 め 、 其 の風 俗 を 一新 し ⋮ ⋮ ﹂ と いう勅 諭 が あ り 、翌 明治 五 (一八七 二)年 八
月 に は ﹁散 髪 、 制 服 、 略 服 、 脱 刀 勝 手 た る べし ﹂ の詔勅 が出 さ れ 、 同 年 十 一月 に 新 服 制 が 発布 さ
れ て、 官 吏 全 員 に洋 服 の着 用 が 強制 さ れ まし た。 こ の経 緯 は、 洋 服 が 和 服 と 競 合 し な か った こ と を物 語 って いま す 。
洋 服 は庶 民 に着 用 さ れ る のに 先立 ち、 軍人︱ 天 皇︱ 官 吏 と いう よ う な 順 で、 日本 社 会 に いわ ば
外 側 な いし 上 か ら 導 入 さ れ た の です 。 そ の後 、 明 治 十 六 (一八八三)年 に竣 工 さ れ た 鹿 鳴 館 す な
エピ ソー ド です 。 こう し て、官 の主 導 で洋 装 化 がす す み、 し だ いに 庶 民 に 至 る ま で洋 服を 着 用 す
わ ち 官 営 の国 際 社 交 場 で天 皇 、 皇后 、皇 族 、 女 官 ら が 着 用 し て洋 装 化 に 拍車 を か け た のは周 知 の
る よ う にな り 、 今 日に 至 って います 。
結 局、 和 服 は駆 逐 さ れ ず 、 洋 服 と す み 分 け て、 使 い分 け ら れ て いる の です 。 女 性 が外 出 に際 し
( タ イ) 米 か国 産 米 か 、 の対 立 的 な 二
て、 洋 服 にす る か和 服 にす るか 、 真 剣 に 悩 む のは両 者 が対 立 し て いるか ら と いう よ り 、 選 択 の余 地 が 多 い こと の喜 び が伴 って いる でし ょう 。 同様 に 、輸 入
者 択 一では な く 、食 べ方 に応 じ て、 輸 入 米 も 国 産 米 も 共存 す る こと が可 能 です 。 平 成 の〝 コメ騒
動〟 を 通 し て、 多 様 な 文化 を共 存 さ せ る知 恵 を 会 得 し た いも の です 。
② 勤 勉 の徳
農 業 は味 覚 だ け に支 え ら れ て いる の では あ り ま せ ん。 日本 の農 業 は、 日本 の代 表 的 産 業 と し て
近 世期 に す で に、 世 界 的 に見 ても 高 い水 準 に 達 し て いまし た。 日本 の農 業 の発 展 が、 今 日 の経 済
大 国 の礎 に な った も のと考 えら れ ま す 。 そ こ で近 世 日 本 の農 業 に つ いて簡 単 に触 れ て おき ま し ょ う。
近 世 日本 の農 業 は 、 世 界史 的 に見 て、 二 つの特 徴 を 指 摘 でき ま す 。 一つは 鎖 国前 に海 外 から 輸
入 さ れ て いた 作 物 を こと ご と く 国産 化 し た こ と です 。 も う 一つは 、 そ れ と 関 連 し ま す が、 西 ヨー
ロ ッパ で起 こ った 産 業 革 命 に 匹 敵 す る生 産 革 命 を 経 験 し た こと です 。 そ れ は 農 業 な ら び に 農 産 加 工業 に お いて起 こり ま し た 。 そ の概 要 は 以 下 のよ うな も のです 。
自 足体制 としての鎖国
寛 永 の いわ ゆ る ﹁鎖 国 令 ﹂ の後 も 、 日本 に は 長 崎 や対 馬 か ら前 にも 増 し て輸 入 がか さ み 、 貨 幣
が流 失 し て いた こ と は よく 知 ら れ て いま す が 、 幕末 に な る と、 か の日米 交 渉 にお いて、 ペ リ ーが
﹁交 易 は有 無 を 通 じ 大益 に 相 成 り 候 事 に て、 方 今 万 国 日夜 相 開 け 、 之 に よ り 国 々富 強 ﹂ に な る と
てお り、 外 国 品 がな く ても 不 自 由 し な い、 と 答 え て います 。 こ の林 の態 度 は 、 そ の五 十 年 ほど 前
述 べ て通商 を要 求 し た の に対 し 、 幕 府 の首 席 応接 掛 、林 大 学頭 は、 自 国 の産 物 で 日本 は 十 分 足 り
に 、 英 国 使 節 マ ッカ ト ニー の通 商要 求 に 対 し 、 ﹁種 々 の貴 重 の物 、 こと ご と く 集 ま り 、 あ ら ざ る
と こ ろな き は、 爾 の正 使 等 の親 し く 見 る と ころ な り。 爾 の国 の製 弁 せ る物 を も と む る こと な し ﹂
と応 じ た中 国 皇 帝 乾 隆 帝 の対 外 観 と う り 二 つです 。李 氏 朝 鮮 も 鎖 国 を し て いま し た 。 こ のよ う な
鎖 国= 自 足体 制 は、 近 代 以 前 の東 アジ ア世 界 の国際 秩 序 に決 定 的 影 響 を 与 え て いた 中 国 の自 足 型 の政 治経 済 シ ス テ ムの模 倣 であ った と み な す こと が でき ま す 。
では、 日本 は い つそ のよ う な 自 給 シ ス テ ムを完 成 し た のでし ょう か。 一八 一 一年 の平 田 篤 胤 の
﹃古 道 大 意 ﹄ に ﹁ま づ 日 本 国 の歓 ば し く 、 羨 し いこと は 、 異 国 の人 と 交易 せ ん でも 、 と ん と 困 る
こと が な い。 そり ゃど う し てか と いう に 、 ま づ地 勢 が裕 福 で、 外 国 の産 物 を 取 り 寄 せ ず と も 宜 し
いか ら の こと じ ゃ﹂と あ り 、 ま た ﹁鎖 国 ﹂ と いう翻 訳 用語 を 志 筑 忠 雄 が 日本 語 と し ては じ め て 用
いた のは 一八〇 一年 であ り 、 そ れ が 広 ま り 幕 末 に は ﹁祖 法 ﹂と し て定 着 す る こと か ら 、 一八〇〇 年 前 後 に自 給 化 は完 成 し た と み な せ ま し ょう。
二 つの自 給 シ ス テム︱︱ 資 源浪 費 型 と リ サ イク ル 型
近 世 日 本 の モ デ ル が 自 足 型 の 中 国 で あ った の に 対 し 、 近 代 欧 米 諸 国 の原 型 は 、 海 洋 都 市 国 家 ヴ
﹁大 西 洋 世 界 ﹂ へと い う 海 の歴 史 と し て と ら え る こ と が
ェ ニ ス で す 。 続 く 、 ポ ル ト ガ ル、 ス ペ イ ン、 オ ラ ンダ 、 イ ギ リ ス 、 いず れ も 海 洋 帝 国 で す 。 近 代 ヨー ロ ッ パ の 歴 史 は ﹁地 中 海 世 界 ﹂ か ら でき ま す 。
of omE i H c c i o s t o n r y,
ヴ ェ ニ ス は 東 方 と の 交 易 で栄 え ま し た が 、 貿 易 相 手 の イ ス ラ ム 世 界 は 八 ∼ 十 世 紀 に カ ナ ダ の歴
史 家 ア ンド リ ュー ・ワト ソ ン ( And r ew W at s on) が ﹁ア ラ ブ 農 業 革 命 ﹂ ( Journal
に の ぼ る アジ ア熱 帯
( 主 に イ ン ド ) 原 産 の農 作 物 を 自 給 化 す る 生 産 革 命 を 経 験 し て い ま し た 。 ヨ
vol .34, No.1, 19 74) と 呼 ぶ 、 ワ タ 、 サ ト ウ キ ビ 、 バ ナ ナ 、 ス イ カ 、 ホ ウ レ ン草 、 ナ ス ビ ⋮ ⋮ 数 百
ー ロ ッパ 諸 国 は 中 世 末 か ら 近 世 に か け て 、 そ れ ら を 購 入 し て 、 貿 易 赤 字 が か さ ん だ 結 果 、 そ の 主
た る物 産 を 新 大 陸 に移 植 す るか 、 そ こ で類 似 物 を 見出 し たり し て、 大 西 洋 を 股 に かけ て自 給 し 、
大 英 帝 国 は 、 原 理 と し て は 自 由 貿 易 に 立 脚 し て い ま し た が 、 ﹁大 西 洋 経 済 圏 ﹂ と い う 自 給 圏 を
イ スラ ム文 明圏 から 自 立 し ま し た 。 そ の完 成 形態 が大 英 帝 国 であ る と申 せま し ょう。
基 礎 と し た 需 給 シ ス テ ム の 拡 張 過 程 で あ った こ と は 強 調 さ れ る べき です 。 一八〇〇 年 前 後 の イ ギ
リ ス と 日 本 と は 一見 、 相 異 な る よ う で す が 、 一方 は 海 洋 型 、 他 方 は 陸 地 型 の自 給 シ ス テ ム を つく
り あ げ た と み れ ば 、 違 い と と も に 共 通 点 も 見 え て き ま す 。 フ ロ ン テ ィ ア の な く な った の が 現 代 世
( リ サ イ ク ル ) を し た 近 世 日 本 人 の 物 づ く り の 姿 勢 に は 今 後 一層 学 ぶ べ き も の が
界 の 特 徴 で す 。 資 源 浪 費 型 の欧 米 と は 対 照 的 に 、 フ ロ ン テ ィ ア の な い と こ ろ で 、 土 地 を 大 事 に し 、 資 源 の徹 底 利 用
あ る よう に思 わ れ ま す 。
二つの生産革命︱︱資本集約型と労働集約型
で は、 日本 は それ を ど の よう にし て達 成 し た の でし ょう か。 木 綿 、 生 糸 、 藍 、 煙 草 、 砂 糖 、 朝
鮮人 参 な ど の輸 入 品を こと ご と く 国 産 品 によ って代替 し た のです 。 生 産 と は 、 教 科 書 的 に いえ ば 、
土地 、資 本 、 労 働 を組 み合 わ せ る こと です 。 近 世 日本 の生 産 革 命 は資 本 を 節 約 し 、 労 働 を 集 約 し 、
土地 の生 産 性 を上 げ るも のでし た。 こ の生 産 方 法 も 中 国 に 学 ん だも のです が、 中 国 の徐 光 啓 ﹃農
政全書﹄ ( 十七世紀前半)と 宮 崎 安 貞 ﹃農 業 全 書 ﹄ (一六九七)を 比 べれ ば 、 日本 農 法 が 労働 集 約 型
と し て より 徹 底 し た も の であ った こと は、 つと に古 島 敏 雄 氏 が ﹃日本 農 学 史 第 一巻﹄ ( ﹃ 古 島敏
雄著作集﹄東京大学出版会) で 論 証 さ れ た と ころ です 。 こ の生 産 革 命 によ って 日本 は 大 陸 アジ ア か ら 経 済 的 に 自 立 し ま し た。
資 料 が あ り ま す 。 土 地 一エー カ ー当 たり の実 綿 高 は、 日本 は 二 百 貫 、 米 国 では六 十 貫 で、 日本 の
少 し 時 代 は 下 り ま す が 、 明 治 十 三 (一八八〇)年 の ﹁綿 糖 共 進 会 報 告 ﹂ に 日米 の綿 作 を 比 べた
土 地 生 産 性 は 米 国 の三 ・七 倍 です。 一方 、 一人 当 たり の繰 綿 生 産 高 は 日 本 が 三十 五 貫、 米 国 は八
三年 の繰 綿 機 の発 明 は 有 名 です が 、 生産 工程 に お いて機 械 の発 明 によ る 労 働 生産 性 の向 上 を めざ
十 貫 で、 米 国 の労 働 生 産 性 は 日 本 の二 ・三倍 です 。 米 国 の綿 作 史 上 、 ホ イ ット ニー に よ る 一七 九
し た のが、 欧 米 諸 国 の いわ ゆ る 産 業 革命 であ り、 それ は大 西 洋 を 股 にか け た 広 大 な土 地 に 、巨 大
な 資 本 を投 じ た 生 産 革 命 に ほか な り ま せ ん。 日本 は鎖 国 と いう 有 限 世 界 であ り 、 フ ロン テ ィ アが
生 産 高 の 推 移(石 / 反 当 た り :速 水 融 ・宮 本 又 郎 編 『日本 図 4
り作 成) 経 済 史 1 経 済 社 会 の 成 立 』 岩 波 書 店,1988,p.44よ
あ り ま せ ん。 欧 米 は新 大 陸 と いう フ ロ ンテ ィ
アが あ り ま し た 。 土 地 のあ り 方 の違 いが 、 労
働 集 約 型 の 日 本 、 資 本 集 約 型 の欧 米 と い う 対
照 的 な 生 産 革 命 に帰 結 し た の です。
近 代 に お け る そ の 帰結
日本 型 と欧 米 型 の対 照 的 な 生 産 革 命 の帰 結
を 簡 単 な グ ラ フ で 確 認 し て お き ま し ょう 。
業 の 反 当 た り の生 産 高 は 江 戸 時 代 を 通 じ て 上
ま ず 、 図4 が 示 し て い る よ う に 、 日 本 の 農
昇 し 、 幕 末 に は 一 ・三 石 ほ ど に 上 昇 し て いま
し た 。 こ の 数 字 は 一九 五〇 年 代 の ア ジ ア の そ
れ と変 わ り ま せん 。 図 5が 示 し て いる よ う に 、
日本 は アジ アの米 ど ころ のな か でも 土 地 生産
性 に お い て ピ カ 一の 生 産 高 を 誇 っ て いた の で
す 。 同 じ 図 5 に よ っ て 、 ア ジ ア、 ヨ ー ロ ッ パ 、
パよ り も 、 さ ら に は新 大 陸 より も は る か に、
新 大 陸 の三 者 を 比 べる と、 アジ アは ヨー ロ ッ
図 5 農 業 に お け る労 働 生 産 性 と土 地 生 産 性(1930年 男
『産 業 構 造 論 』 前 野 書 店,1994,p.25)
代 :田 中 駒
土 地 集 約 的 つま り 土 地 生産 性 が高 か った のです 。 これ は 一九 三〇 年 代 の数 字 です 。
そ の ころ 宮 沢 賢 治 は 岩 手 県 で農 業 改 良 に打 ち 込 ん で いま し た 。彼 が 一九 二七 年 七 月 十 日 に書 い
た ﹁稲 作 挿 話 ﹂ と いう 詩 の 一節 に ﹁君 が自 分 でか ん が へた あ の田 もす っかり 見 て来 たよ 陸 羽
百 三十 二号 のは う ね あ れ は ず いぶ ん上 手 に行 った 肥 え も 少 し も む ら がな いし いか にも 強 く
育 って いる 硫 安 だ って君 が 自 分 で 播 いたら う みん な が いろ いろ 云 ふ だ ろ う が あ っち は少 し
も 心 配 な い 反 当 三 石 二 斗 な ら も う き ま った と 云 って い い し っかり や る ん だ よ ﹂ ( ﹃宮沢賢治
る と き、 驚 く べき 高 い水 準 です 。 必 ず し も 稲 作 に恵 ま れ た 地 域 と いえ な い岩 手 県 で す ら ﹁反 当 三
全集﹄ 第四巻、筑摩書 房)と あ り ま す が 、 詩 にあ る ﹁反 当 三 石 二斗 ﹂ は、 幕末 の 一 ・三 石 と 比 べ
石 二斗 ﹂ と いう の です か ら 、 ほ か は推 し て知 る べき です 。 こ の土 地 生 産 性 の高水 準 は 、改 良 品 種
( ﹁陸 羽百 三十 二号 ﹂)、 施 肥 技 術 の 工夫 ( ﹁肥え も む ら な く、 硫 安 も 播 いた ﹂)、 詩 全 体 ( 本書三六 八
︱九頁参照) に みな ぎ って いる勤 勉 な 倫 理 感 を も って はじ め て達 成 さ れ た も のと いえ る で し ょう。
2 西 洋 の資 本 主 義 と 東 洋 の資 本 主 義
世 界 経 済 のダ イ ナ ミズ ム の旋 回 軸 は いま 、 EU (ヨー ロ ッパ連 合 )、 N A F T A ( 北米自由貿
いう よ う に 括 って、東 洋 の資 本 主 義 と の対 比 を 立 て てみ た いと 思 いま す 。
易 圏 )、 そ し て東 アジ アの 三極 に収斂 し つ つあ り ま す 。 前 二 者 を ひと ま と め に 西 洋 の資 本 主 義 と
と り あ げ る 問 題 は 、第 一に、 西 洋 最 初 の工業 国 家 イギ リ スに 代 表 さ れ る 西 ヨー ロ ッパ と、 東 洋
にお け る 最 初 の工 業 国家 日本 と は、 ど の よう にし て、 経 済 発 展 に 成 功 し た のか と いうも の です 。
日本 の今 日 の経 済 文 明 は ど のよ う にし て形 成 さ れ た のか 、 です 。 物 事 の本 質 は始 ま り にあ る と い
言 いか え ま す と 、 西洋 の資 本 主 義 ( 最 近 の学 界 用 語 では ﹁近 代 世 界 シ ス テ ム﹂ と いわ れ ます )と 、
わ れ ま す 。 ど こか ら来 た のか が 分 から な け れ ば 、 いま ど こに いる のか 、 ま た ど こ に 行く か は分 か
り ま せん 。 これ は 日本 の アイ デ ン テ ィ テ ィに かか わ る 一番 大 き い問 題 だ と 思 います 。
第 二 の問 題 は 、 近 代 日本 の経 済 発 展 は、 これ ま で西 洋 文 明 へのキ ャ ッチ ア ップ であ る と考 えら
れ てき ま し た し 、 教科 書 に も そ のよ う に書 か れ て いま す が 、 本 当 に そ う な のか と いうも の です 。
① 二 つの経 済 文 明と 二 つの生 産 革命
さ て 、 西 ヨー ロ ッパ と 日 本 は 、 中 世 末 ま で は ユ ー ラ シ ア大 陸 に 隆 盛 し た ア ジ ア諸 文 明 か ら 見 れ
ば そ の周 縁 に 位 置 し、 文 化 的 に はそ れ ら の恩 恵 を こう む る地 位 にあ りま し た 。 近 代 社 会 が 、 フラ
ン ス革 命 と イ ギ リ ス産 業 革 命 を 展 開 軸 と し て 確 立 し た と す れ ば 、そ れ 以 前 は 近 世 ( Ear ly M oder n)
と いう こ と に な り ま す が 、 近 世 は 地 理 上 の発 見 期 の 一五〇〇 年 く ら い ま で 遡 れ ま す 。 そ し て そ の
近 世 期 に 、 後 述 し ま す よ う に 、 ﹁近 代 世 界 シ ス テ ム ﹂ と ﹁鎖 国 シ ス テ ム ﹂ と い う 二 つ の 経 済 文 明 が 合 い並 ん で 出 現 し た の で す 。
近代世 界シ ステムと ﹁鎖 国﹂
両 地域 に経 済 文 明 が成 立 し た 根 拠 を 何 に 求 め る こと が で き る でし ょう か。 それ は、 私 見 では 、
十 七 -十 八世 紀 に西 ヨー ロ ッパと 日本 で進 行 し た 生 産 革命 に よ るも のです 。 西 ヨー ロ ッパ の生 産
で、 労 働 の生 産 性 を 上 げ る た め に資 本 集 約 型 の技 術 を 応 用 し た も の であ り 、 そ れ に よ って商 品 の
革命は、通常産業革命 ( Ind us t r i al Revl u ot i on) と 呼 ば れ ま す 。 これ は 工業 を 主 導 に し た産 業 革 命
量産を可能にしました。
一方 、 徳 川 日本 で同 時 期 に 進 行 し た生 産 革 命 は、 慶 応 義 塾 大 学 名 誉 教 授 の速 水 融 さ ん が ﹁勤 勉
革 命 ﹂と 名 付 け ら れ て いる も のです 。 ﹁勤 勉 革 命 ﹂と いうと 産 業 革 命 と の対 比 が は っき り出 にく い
を 大 量 に 投 下 す る こ と に よ る 生 産 の 向 上(P1→ P2)が 「産 業 革 命 」,労 働 の 大 量 投 下 に よ る生 産 の
収) 経 済 新 報 社,所
「勤 勉 革 命 」 で あ る。 速 水 融 の 向 上(P1→P3)が
原 図 に よ る。(『新 しい 江 戸 時 代 史 像 を 求 め て』 東 洋
の で す が 、 Ind ust r i ousRev ol u
ti no の 訳 で す 。 産 業 革 命 はIn
dust ri alRevol ut i on の 日 本 語
訳 です の で、 お分 かり のよう に
I nd us t ri alに 対 し て I nd ust ri ous
と 掛 け ら れ た と こ ろ が こ の用 語
の ミ ソ です 。 I nd us t ri alは 工 業
中 心 と い う こ と で 労 働 の節 約 と
結 び つ い て お り 、I nd us tri ousは
そ れ と は 反対 で勤 勉 す な わ ち 労
働 を 多 投 す る こと を意 味 し ま す 。
そ し て働 く こと に喜 びを 見出 し 、
こ で、 後 に ヨー ロ ッパ人 は 本 当 の目 的地 を東 イ ンドと 名 づ け 、 新 大 陸 を 西 イ ンド と呼 ん で区 別 し
金 の島 ジ パ ング ) を 目 指 し ま し た 。 と ころ が、 思 いが け ず 、 ア メ リ カ大 陸 に 到達 し た のです 。 そ
ヨー ロ ッパ では 十 五 世 紀 末 に 、 か の コ ロ ンブ スは イ ンド、 今 日 の アジ ア ( も っと特 定 す れば 黄
日本 の稲 作 と 綿 作 は そ の典 型 で、多 肥労 働 集 約 型 の技 術 を 用 い て土 地 の生産 性 を上 げ た のです 。
て、 土 地 の生 産 性 を 上 げ る こと に よ って、 商 品 の量 産 を 可 能 にす る 生 産 革命 が生 じま し た。 近 世
物 を粗 末 に し な いの で、 資 本 の節 約 と 結 び つ いて いま す ( 図 6)。 日本 では 狭 い土 地 を大 切 に し
図 6 産 業 革 命 と勤 勉 革 命 。 生 産 P は 資 本 K と労 働 L と い う二 つ の 要 素 の 組 み 合 わ せ で 示 さ れ る 。 資 本
ま し た 。 ア メリ カ大 陸 には 彼 ら の求 め て いた金 銀 が あ り ま し た 。 そ の貴 金 属 を、 ヨー ロ ッパ各 国
が 競 って つく った東 イ ンド会 社 が アジ アに運 び 、 アジ ア物 産 の対 価 と し て支 払 った のです が、 近
ー ル帝 国 を 形 成 し て いた 時期 であ り、 イ ンド洋 を と り 囲 む 東 ア フリカ 、中 東 、 イ ンドも ま た イ ス
世 期 の東 イ ン ドに 広 が って いた のは イ ス ラ ム文 明 です 。 そ れ は 今 日 の パキ スタ ン人 の祖 先 が ムガ
ラ ム文 明 の支 配 下 に あり ま し た。 そ の東 端 に今 世 界 で最 も イ ス ラ ム人 口 の多 いイ ンド ネ シ アが位
置 し てお り 、 イ ン ド洋 は イ ス ラム の海 でし た 。 イ ス ラ ム文 明 と キ リ ス ト教 文 明 と は十 字 軍 以 来 敵
対 関 係 に あ り ま す。 敵 で あ る 異教 徒 の世 界 に貴 金 属 を 持 ち 込 み 、 そ こか ら 物 を 買 って いるわ け で す か ら 、 商業 活動 は 軍事 活動 と 不可 分 でし た 。
いか にし て、 そ のよ う な危 険 か ら自 由 にな る か。 ヨー ロ ッパ人 は 大 西洋 を 股 に か け た生 産 革 命
を 経 験 す る こと に よ って敵 の多 い海 域 世 界 から 物 を 買 う こと か ら 離 脱 し て い った の です 。 そ の帰 結 が キ リ ス ト教 の海 とし て栄 え た大 西 洋 経 済 圏 です 。
一方 、 日 本人 は、 倭寇 の時 代 か ら海 外 に出 て行 って いま し た が 、徳 川 幕府 は家 光 の時 代 の 一六
三〇 年 代 に 日本 人 の海 外 から の帰 国 も 海 外 への出 国 も 禁 じ る いわ ゆ る ﹁鎖 国 シ ス テ ム﹂を つくり
あ げ ま し た 。 鎖 国 と い っても 長崎 、琉 球 、 対 馬 を 通 し て貿 易 を し てお り 、 日本 は東 シ ナ海 並 び に
自 給自 足 が 達成 さ れ、 文 字 通 り 鎖 国 が達 成 さ れ ま し た 。 日本 の ﹁鎖 国 ﹂ は 、中 国文 明 圏
南 シ ナ海 域 に ひ ろ が る中 国文 明圏 から いろ いろ な 文 物 を 購 入 し て いた の です。 し か し、 一八〇〇 年頃に
か ら の経済 的自 立 を 確立 し た シ ス テム であ った と いえ ま す 。
﹁戦争 と平和﹂対 ﹁華と夷 ﹂の世 界観
西 洋 の ﹁近 代世 界 シ ス テム﹂ を 特 徴 づ け て いる のは ﹁戦 争 と 平 和 ﹂ と いう世 界 観 です 。 日本 国
憲法 は 平 和 憲法 とも いわ れ ま す が、 そ こ には ﹁戦 争 と 平 和 ﹂ と いう観 点 か ら世 界 を 見 る考 え 方 が
背 骨 に据 え ら れ て いま す 。 日本 国 憲 法 は 占 領 軍 の起 草 し た も の です か ら、 西 洋 的 な 特 徴 を も って いる のは 当然 な のです 。
D arula r b h )﹂ ﹁平 和 の家
( ダー
u I sl a lm )﹂ と いう 観 点 か ら 世 界 を 見 る 世 界 観 、 す な わ ち 異 教 の世 界 と の
( ダ ー ル ・ウ ル ・ハ ルプ
﹁戦 争 と 平和 ﹂ と いう 二 項 対 立 の欧 米 の世 界 観 の起 源 は 、 イ ス ラ ム世 界 に おけ る世 界観 にあ る
D ar
と 考 え ら れ ま す 。 す な わ ち ﹁戦 争 の家 ル ・ウ ル ・イ ス ラム
関 係 は戦 争、 イ スラ ムの世 界 は 平 和 と いう 観 点 か ら 見 る世 界観 か ら の影 響 を 想 定 でき る の です 。
キ リ ス ト教 世 界 は 異教 であ る イ ス ラ ム世 界 と 敵 対 し つつも 、 イ ス ラ ム文 明 の影 響 を 受 け る と いう
関 係 のも と に 、 一六 二 五年 に オ ラ ンダ の法 学 者 グ ロチ ウ スが ﹃戦 争 と平 和 の法 ﹄ を 著 し 、 そ の結
果 、 世 界 を ﹁戦 争 と平 和 ﹂ と いう 観 点 か ら 見 る 国 際法 が ヨー ロ ッパ ・キ リ スト教 圏 に成 立 し た と いう 想 定 がな り た つ のです 。
一方 、徳 川 日本 の世 界 観 を 特 徴 づ け る のは ﹁華 と夷 ﹂ の区別 です 。 華 と は 文 明 の こと であ り 、
夷 と は 野 蛮 のこ と です から 、 そ れ は 世 界 を ﹁文 明 と 野 蛮 ﹂ と いう観 点 から み る世 界 観 です 。 華 夷
思 想 は 中 国 に 由来 す るも のです 。 日本 は 中 国 文 明 か ら 影響 を受 け つ つそ こか ら 自 立 し た の であ り 、
東 アジ ア世 界 は政 治 シ ス テム ・経 済 シ ス テ ムと も 相 似 た と ころ があ り ま す 。 東 アジ ア世 界 は 、 十 九 世 紀 に 至 る 五 百 年あ まり の間 、 独 自 の文 明 空 間 であ った のです 。
徳 川末 期 の安政 の開 港 は、 アメ リ カ の ペ リ ー の砲艦 外 交 に よ って強 制 さ れ た も の です が 、 日 本
が列 強 と 結 ん だ 通 商条 約 は、 基 本 的 には G A T T ( 関 税 貿 易 一般 協 定 ) の精 神 と 同 じ で、 無 差 別
最 恵 国 待 遇 、 自 由 貿 易 の原 則 、 相 互 主 義 の原 則 に立 って貿 易 障 害 の撤 廃 を 目 的 にし た も の で、
﹁自 分 の国 にも 自 由 に物 を売 り に 来 てよ ろ し い。 私 ど も も あ な た の国 で自 由 に 物 を 売 ら せ て いた
だき た い。 そ のた め に政 府 の干 渉 を 最小 限 に しま し ょう ﹂と いう 自 由 貿 易 を 強 要 し た も の です 。
教 科 書 に は 不 平 等 条 約 と書 か れ て いま す が 、 そ れ を 日 本 に 呑 ま せ た 側 か ら す る と 、 自 由 貿 易 は f air( 公 正 ) だ と いう 信 念 が あ った に違 いあ り ま せん 。
そ れ は と も か く 、 ここ で注 意 を 喚 起 し た いのは 、 欧 米 への開 港 は 、同 時 に アジ ア への開 港 でも
あ った と いう こと です 。 日本 は単 に欧 米 列 強 と だ け では な く 、 周 り の アジ ア諸 国 とも 貿 易 関 係 を も った の です 。 近 隣 アジ ア諸 国 と の関係 が極 め て重 要 です 。
Co pe m t ii tn o ) に巻 き 込 ま れ ま し た 。 そ し て、 明 治 日 本
開 国 の結 果 、 明 治 日本 は 、 近 世 期 に そ こ か ら経 済 的 に自 立 し た アジ ア地 域 、 特 に 東 アジ ア諸 国 と の ﹁アジ ア地 域 間 の競 争 ﹂ (n I t ra-Asi an
は アジ ア間競 争 に抜 き ん で る こと で、 東 洋 にお け る 最 初 の工業 国家 にな った の です 。 日本 は 中 世
末 ま では アジ ア の地 域 に お いて、 経 済 的 にも 政 治 的 に も いわ ば ﹁文 化 果 つる 辺境 ﹂ であ り 、 後 進
国 でし た が 、 徳 川 時 代 に 逆転 し て先 進 国 と な り 、 か つて文 物 を 輸 入 し て いた 相手 国 に対 す る 関係
が物 を 輸 出 す る 側 に 変 わ った ので す。 日本 の経 済 文 明 は 東 アジ ア地 域 の五 百 年 に わ た る独 自 のダ
イ ナ ミ ズ ム の中 から 生 ま れ た も の で、 決 し て単 な る西 洋 の模 倣 で はあ り ま せん 。
② 物 産 複 合 の変 化 と文 化 複 合 体 の変 容 景 気 の波 と ﹁新 結 合 ﹂
こ の よ う に 申 し 上 げ る と 、 日 本 は 欧 米 先 進 国 に キ ャ ッ チ ア ップ し て 工 業 化 し た の だ と い う 常 識
を 無 視 し た 暴 論 だ と 思 う 方 が い ら っし ゃ る か も し れ ま せ ん 。 そ こ で 、 私 が ど う い う 理 論 的 観 点
( 方 法 論 ) か ら 、 右 に 述 べ た よ う な 、 世 界 史 に 占 め る 日 本 の 新 し い位 置 を 発 見 し た の か を 説 明 い たします。
一九 九 三 年 の 平 岩 経 団 連 会 長 の答 申 は 日 本 を 経 済 社 会 と し て 位 置 づ け て い ま す 。 で は 、 い つ か
( JohnMaynar d Ke ynes
て 正 面 に 持 ち 出 し た の は シ ュ ム ペ ー タ ー (Js ophAlo e si Sch umpet er 一八 八 三 ∼ 一九 五〇 ) で す 。 彼
ら 日 本 は 経 済 社 会 に な った の で し ょ う か 。 経 済 社 会 の 基 礎 と な る 経 済 発 展 を 学 問 の レ ベ ル で初 め
は マ ル ク ス の 死 ん だ 一八 八 三 年 に 生 ま れ ま し た 。 同 じ 年 に か の ケ イ ン ズ
﹁エネ ル ギ ー と 資 源 を 新 た に
一八 八 三 ∼ 一九 四六 ) も 生 ま れ て い ま す 。 ま さ に 奇 し き 因 縁 で は あ り ま す 。 シ ュム ペ ー タ ー は ﹃経 済 発 展 の 理 論 ﹄ ( 岩 波書 店 ) で 、 経 済 発 展 を
結 合 す る こと だ ﹂ と 説 明 し ま し た 。社 会 は さ まざ ま な も の の組 み 合 わ せ か ら な って います が、 封
建 社 会 の よ う な 農 業 社 会 で は 、 年 々 歳 々 同 じ よ う な 組 み 合 わ せ が 繰 り 返 さ れ て静 態 的 な 様 相 を 呈
す る の に 対 し て 、 ﹁新 結 合 ﹂ と い う 新 し い 物 の 組 み 合 わ せ が 大 々 的 に 起 こ る と 、 社 会 は 経 済 発 展
を 経 験 し 、 そ れ が 景 気 循 環 と い う 経 済 活 動 の波 を 生 む と いう の で す 。 そ の 波 が 大 き い と 生 活 様 式
は 一新 いた し ま す 。
シ ュム ペー タ ー の活 躍 し た のは 二十 世 紀 前半 で、 ﹃経 済 発 展 の理 論 ﹄ が書 か れ た のは 一九 一〇
一九 三〇 年 代 の ﹃景 気 循 環 論 ﹄ ( 有斐 閣) です 。 当 時 は 景気 循 環 と いう のは 必 ず し も 馴 染 み が あ
年 代 、 改 訂 版 が 二〇 年 代 、 こ の理論 をも って彼 自 身 が 世 界 経 済 を 超 長期 的 観 点 か ら分 析 し た の が
る言 葉 では な か った の です が 、 三 つ の景 気 循 環 の波 が す で に知 ら れ て いま し た。 キ ッチ ン の発 見
し た 二∼ 三 年 の波 、 ジ ュー グ ラー が 発 見し た十 年 程 の波 、 も う ひ と つは 、 五 十年 ご と ぐら いで経
済 は循 環 す ると いう コン ド ラ チ ェフ の波 です 。 コ ンド ラ チ ェ フは ソ ビ エト の経済 関係 の所 長 を し
た 人 物 で、 資 本 主 義 の没落 を 証 明す る こ と が仕 事 だ った の です が 、 研究 の結 果、 資 本 主 義 経 済 の
経 済 指 標 は 一旦 落 ち 込 ん だ あ と 、 あ る時 期 か ら再 び 上 が って いく こと を 発 見 し た の です。 そ れ を
論 文 に書 いた と ころ 、 当 局 の不 評 を 買 い、 再 度 調 べ直 し た け れ ど も 、 や は り 前 に 調 べた 通 り で、
お そら く シ ベ リ アに 流 さ れ て亡 く な った の でし ょう 。 こ の ド イ ツ語 の論 文 を 英 語 圏 に広 く 紹 介 し
そ の こと を 二本 目 の論 文 に 書 き ま し た。 そ の後 、 コ ンド ラ チ ェフ の行 方 は 杳 と し て知 れ ま せ ん。
た 人 が シ ュム ペ ー タ ー です 。
し か し、 五十 年 の コ ンド ラ チ ェフの波 は 当 初 、 t endency ( 傾 向 ) であ って、 景 気 循 環 と は いえ
な いと 見 な さ れ ま し た 。 シ ュム ペー タ ー は そ れを 景 気 循 環 の波 に違 いな いと 考 え た の です。 一七
八〇 年 代 に軌 道 に の った 産 業 革 命 の時 に は綿 業 が、 一八 三〇 年 代 に は 鉄 道 が 、 そ の五〇 年 後 に は
電 気 や化 学 工業 、 ま た 次 に は 自 動 車 工 業 と いう よ う に、 ほ ぼ五 十 年 周 期 で新 し い産 業 が 出 現 し て、
確 か に 新 し い波 が生 じ て いま す 。 世 界 史 上 初 め てgr eatepr des si on ( 大 不 況 ) と いう 言 葉 が 語 ら
れ た のは 一八 七〇 ∼ 一八 九〇 年 代 の こと です が、 そ の五 十 年 後 の 一九 三〇 年 代 に ま た 大 不 況 が 見
舞 い、 一九 七〇 年 代 の オイ ル シ ョ ック 以降 、 世 界 経 済 は不 況 感 か ら 脱 し え な い。 こ のよ う な 五十
年 ご と の景 気 の波 は 、 今 日 では コ ンド ラチ ェフ の波 と し て認 め ら れ て いま す 。
さ て、 シ ュム ペ ー タ ー の理論 の根 幹 にあ る概 念 は ﹁新 結 合 ﹂ です が 、 こ の概念 に着 目し て世 界
経 済 の流 れ を 読 み 解 く 場 合 、私 に は コ ンド ラチ ェフの波 よ り も 長 い波 が あ る よ う に 思 います 。 そ
れ は 西 洋 に 生 ま れ た 資 本 主 義 そ れ自 体 の波 です 。 世 界 史 上 、 未 曽 有 に し て最 大 の ﹁新 結 合 ﹂ は、
中 世 から 近 世 の転 換 期 、 す な わ ち地 理上 の発 見 期 に、 旧大 陸 と 新 大 陸 が 結 び ついた こと に よ って
生 じ た と 考 え ら れ ま す 。 両 大 陸 の結 合 に よ って文 物 の大 交 流 が 起 こり 、 ヨー ロ ッパ人 の生 活 は大
改 革 を 遂 げ ま し た 。木 綿 を 着 る 、 お茶 を 飲 む 、 陶 磁 器 を 使 う と い った生 活上 の大 転 換 が生 じ て い
ま す 。 これ ら の生 活 物 資 を 生産 す る革 命 が、 西 洋 に資 本 主 義 の成 立 を も た ら し ま し た。 西 洋 の資
本 主 義 の波 は 超 長 波 と いう べき でし ょう が、 波 であ る以 上 、 必 ず 生 成 し 発 展 し衰 退す る でし ょう。
西 洋 の資 本 主 義 が 衰 退 局 面 に入 って いる こと が、 E U やN A F T A の形成 と結 び つ いて いるも の と考えます。
か た や 日本 でも ﹁新 結 合 ﹂ が 生 じ て いま し た 。 内 藤 湖 南 (一八六六 ∼ 一九 三四)が 応 仁 の乱 (一
四六七 ∼ 一四七七 )に つ い て講 演 し て ﹁応 仁 の乱 以 前 は外 国 史 のよ う な も の で、 日本 の歴 史 は 応
でき る の です 。 こ の講 演 は ﹃日 本文 化 史 研 究 ﹄ と いう タイ ト ル で講 談社 学術 文 庫 に収 録 され て い
仁 の乱 以 後 を 知 って いれ ば 十 分 であ る ﹂ と述 べ て いるく ら い、 歴史 の断 絶 を そ の頃 に 見 る こと が
ま す 。 彼 は 東 洋 史 家 です か ら 、中 国 史 か ら見 ると 、 日本 が 独 自 の道 を歩 み は じ め た のは応 仁 の乱
以 後 と いう こ と で し ょ う 。 こ の変 化 に つ い て は 後 述 し ま す
物産複合と文化複合体
( 六 三 頁 ∼ )。
( com bi nati on) で す 。 結 合 さ れ た 物 の 集 合 は 社 会 的 に ま と ま り を な し て いま す 。
シ ュム ペ ー タ ー ・テ ー ゼ の 核 心 を な す 概 念 は 、 いま 申 し あ げ た よ う に ﹁新 結 合 ﹂ で す が 、 注 目 し た い のは結 合
(cop m lex) を な し て い る と い う
( pr od uct s ) です 。 生 産 物 は 必 ず し も
( commo i t dy) に な る と は 限 り ま せ ん 。 自 家 消 費 用 に 使 わ れ る 場 合 も あ り
こ と に 着 目 し て み ま し ょう 。 結 合 さ れ て いる も のは 生 産 物
物 は さ ま ざ ま に 組 み 合 わ さ れ て 社 会 全 体 に お い て 一 つ の複 合 体
す べ て が 販 売 用 の商 品
(cl u t ur e o cmpe l x) と し て 社 会 生 活 が 成 り 立 っ
mi x) と 呼 ぶ こ と に い た し ま す 。 物 産 複 合 は 衣 食 住 の 生 活 様 式 の物 的 基 盤 で あ
ま す 。 そ こ で 商 品 と 自 家 消 費 用 の 生 産 物 と を 合 わ せ た ま と ま り を 、 ﹁物 産 複 合 ﹂ ( prod st u col e mx p あ る い は product
り 、 これ を 下 部 構 造 と し て、 そ の上 に文 化 複 合 体
て いる と い う 見 方 を と る の で す 。 新 結 合 す な わ ち 経 済 発 展 が 起 こ る と 、 物 の 結 合 が 変 わ る わ け で
す か ら 、 物 産 複 合 が 様 変 わ り し 、 そ れ に つれ て 上 部 構 造 で あ る 文 化 複 合 体 も 変 容 す る こ と に な り ます。
下 部 構 造 ・上 部 構 造 と い う 用 語 を 使 いま す と 、烱 眼 の 方 は マ ル ク ス の 影 響 か と 思 わ れ る で し ょ
う が 、 そ の 通 り で す 。 し か し 、 マ ル ク ス の社 会 構 成 体 論 を 、 シ ュム ペ ー タ ー の 経 済 発 展 の 理 論 を
媒 介 にし て、 換 骨 奪 胎 し た も の です。 マルク スと決 定 的 に違 う と ころ が 二点 あ り ま す 。
第 一に 、 富 を ど う 考 え る か と い う 問 題 で す 。 た と え ば 、 日 本 の富 は 名 目 G D P で み ま す と 一九
九〇 年 に 四 三 二 兆 円 であ り 、 戦 後 直 後 三 十 五 年 前 の 一九 五 五 年 の八 兆 円 に比 べる と、 五十 倍 以 上
も の大き な 国富 を 形成 す る に至 り ま し た 。 国 富 は こ のよ う に貨 幣 価 値 に換 算 でき ま す が、 ソ連 崩
=五 五 ルーブ ルで し た が 、 下落 が と ま ら ず 三 年 後 に は 四十 分 の 一の二〇 八 七 ルーブ ル (一九九 四
壊 後 の ロシ ア のよ う に、 貨 幣 は政 府 の信 用 が 失 墜 す る と 紙 切 れ 同然 です 。 一九 九 一年 秋 に 一ド ル
年八月)に 、 そ れ か ら半 年 後 に は 八十 分 の 一の 四二〇 六 ド ル ( 九五年二月)に 激 落 し ま し た。
紙 幣 は 富 の価値 尺度 であ り 、 流 通 手 段 であ って、 富 そ のも の では あり ま せ ん。 当 然 のこと です
が 、 し か し 、 ひ る が え って 、富 を人 間 の つく った 物 の集 積 と し てみ る と いう 別 の観 点 を 、 日本 人
は は た し ても って いる でし ょう か。 どう も 怪 し いよ う に 思 いま す。 日本 は驚 異的 な 経 済 発 展 を し
た に も か か わ ら ず 、 つく り あげ た国 富 の姿 が 見 苦 し い。 そ れ は 富 の定義 がG NP やG D P と いう
貨 幣 換 算 さ れ た 指 標 に 求 め ら れ、 目 に見 え る物 の集 合 か ら な って いる と いう こと を自 覚 し て いな いか ら では な いか と 思 いま す。
無 自 覚 の原 因 の 一端 は、 経済 学 の教 え 方 にあ ると 思 いま す。 経済 学 の父 アダ ム ・スミ スの ﹃国
富 論 ﹄ (一七七六) には 、 そ の冒 頭 に ﹁年 々歳 々国 民 が 使 う 富 は、 必 需 品 と 便 益 品 から 成 って いる。
それ は 自 国 民 の つく った物 と 国 民 が つく った 物 を 売 って得 た 他 国 民 の物 の両 方 か らな る﹂ と書 か
れ て いま す が 、 続 け て、 国富 を ど う増 大 さ せ て いく か と いう こと で有 名 な ピ ン の話 を 例 にと って、 分 業 によ る量 産 方 法 が 解説 さ れ て いる の です 。
古 典 派 経 済 学 の流 れ の終 着点 に いる カ ー ル ・マル ク スも ﹃資 本論 ﹄ の最初 のパ ラグ ラ フに お い
て、 ま ず 富 に つい て ﹁資本 主義 が支 配的 であ る社 会 の富 は 、 巨 大 な商 品 の集 積 とし て現 れ る﹂ と
書 き 、 続 け て ﹁個 々 の商 品 は そ の原 基 形 態 el ement arf y or m であ り 、 商 品 か ら 分 析 を 始 め る﹂ と
宣 言 し て います 。 商 品 は質 と 量 から 成 り 、 質 的側 面 は使 用価 値 と し て現 れ ま す 。 使 用 価値 と は 形、
用 途 、 名 前 の つ いて いる物 の こと です 。 も う ひ と つ の量的 側 面 は交 換 価 値 で、 交 換 価 値 の実体 は
そ の生 産 に 必 要な 労 働 量 です 。 こ の労 働 が 生 む 価 値 を増 大 す る に は、 価 値 を 生 む 商 品 であ る 労 働
力 に 支 払 う対 価 ( 労 賃 )を でき るだ け 減 ら す こと が 必 要 で 、 そ のた め に、 労 働 の生 産 力 を いか に
上 げ る か と いう話 、す なわ ち 量 の話 (マル ク ス の用 語 では 価値 形成 、 価 値 増 殖 ) に入 り こん で い
く わ け です 。 こ のよ う に、 古 典 派 経 済 学 を 学 ぶと 、 富 が物 の集 積 であ る と いう こと を 前 提 にし な
が ら 、 そ れ を いか に増 加 さ せ る かと いう 量 の話 にす り 変 わ って いく のです 。
し か し 、 量 産 の話 に 入 る前 に とど ま って、 ま ず 富 に つ い て、 少 し考 え て み た いと 思 いま す 。 富
は 単 な る 量 的 集 積 では な く 、富 を構 成 し て いる ひと つひ と つ の物 が 人 間 の行 動 様 式 を 規 定 し て い ま す 。 例 を あ げ ま し ょう。
大 学 の富 と は 何 でし ょう 。 そ れ を ﹁授 業 料 収 入 で いく ら 、 資 産 価 値 で いく ら ﹂ と答 え る のは、
学 問 を す る 者 と は 縁 が あ り ま せ ん。 大 学 の富 は、 集 ま り 散 じ て人 は 変 わ れ ど 、変 わ ら ぬ何 物 か と
結 び つ いて いる も の でな け れ ば な り ま せ ん。 それ はな によ り も 学 問 を す る志 です。 学 問 の志 は、
し かし 、 大 学 の富 を つく る 主 体 的 条 件 ではあ っても 、 富 そ のも の では あ り ま せ ん 。 そ の志 を実 現
す る に は、 学 び 、 究 め、 そ の成 果 を 形 に し な け れ ばな り ま せん 。 学 ぶた め の手 段 、 学 ん だ 成 果 、
そ れら の集 積 が 大 学 の富 の根 幹 です 。 そ れ は 端的 に いえば 書 物 です 。 書 物 こそ 富 であ り 、 書物 を
利 用 に供 す る設 備 が 図 書 館 です 。 中 央 図 書 館 ・学 部 図書 室 の不 備 な 大 学 は、 大 学 の富 に欠 陥 が あ
ると いわ ねば な り ま せ ん 。
大 学 に おけ る富 の増 進 と は 、 研 究 者 と 学生 が 図書 を 活 用し 、 学 徳 を 積 む こと です。 図書 情報 を
す。 大 学 人 の使 命 は研 究 と 教 育 を 通 し て、 文 化 の発 展 に寄 与 す ると ころ にあ り ま す 。 私 の つと め
提 供 す る図 書 館 員 を あ わ せ、 研 究 者 、 学 生 、 図書 館員 こそ、 大 学 の富 に かか わ る不 可 欠 の主 体 で
る 早 稲 田大 学 に は大 正 十 四 (一九二五)年 に今 井 兼 次 氏 が精 魂 込 め て つく ら れ た 図 書 館 が あ り ま
す 。 こ の図書 館 は良 書 を大 量 に集 め る こと を 目 標 に し た 構 造 を も って いまし た。 閲 覧 す る には カ
ー ドを 引 い て出納 係 に 見 せ、 書 架 から 持 ってき ても ら う 手 続 き が 必 要 で し た。
最 近 の学生 は本 を読 まず 、 本 屋 も 雑 誌 や漫 画 ば か り 棚 に な ら べ て いる ので 、若 者 の本 離 れ が加
速 し て いま す 。 学 生 に大 学 の富 に接 さ せ る に はど う し た ら い いだ ろ う か 。 早 稲 田大 学 で は、 伝 統
あ る 安 部 球 場 を 潰 し て、 学 生 が ボ ー ル の代 わ り にブ ックを 手 にも つ大 図 書 館 を建 設 す る と いう こ
と にな り 、 一九 九 一年 に 五 百 万 冊収 蔵 可能 の大 図 書 館 を 開 設 し ま し た 。 東 洋 有 数 の大 学 図 書 館 で
す が 、 貴 重 書 以 外 の図 書 は 開 架 式 です。 利 用者 本 位 に組 み 替 え た の です 。 書 架 のす ぐ 隣 に 机 を 置
き 、 閲 覧 室 に本 を 並 べる と いう 配 置 に し ま し た。 こ の新 図 書 館 が オ ー プ ンし た あ と 、 何 が 起 こ っ
た かと い いま す と 、 そ れ ま で旧 図 書 館 に 来 て いた 学生 の数 は、 全 学 生 四万 人 のう ち 一日 に平 均 二
千 人 に 過ぎ な か った の です が 、 平 均 六 千 人 か ら 七 千 人 つま り 三倍 以上 に増 え ま し た。 多 い時 に は
一日 一万人 を越 えま す 。 間 違 いな く 三 倍 の学 生 が 本 を 読 ん で います 。 お そ ら く 三倍 以上 の時 間 を
生 に 関 す る かぎ り、 も は や ﹁若 者 の本 離 れ ﹂ は あ ては ま り ま せ ん 。 こ のよ う に 物 の組 み合 わ せ を
読 書 に費 や し て いま す 。 三倍 以 上 の いろ いろ な 種 類 の本 を 読 ん で いる に ち が いあ り ま せ ん。 早 大
変 え る と人 間 の行 動 様 式 が変 わ る の です 。
て います が、 そ れ が人 を生 かす よう な 組 み合 わ せ で使 わ れ て いる か ど う か が 、 問 わ れ て います 。
大 学 は社 会 を映 す 鏡 です 。 大 学 が 図 書 を た く さ ん 所 蔵 し て いる よ う に 、 日本 は物 を 大 量 にも っ
富 は 単 な る量 で は なく 、 様 々な 物 の組 み合 わ さ った 複 合 体 であ り 、 そ の組 み合 わ せ の仕 方 が人 間
の行 動 を規 定 し て いる と いう こと を こ の よう な 例 か ら 認 識 す る こと が でき ま す。
﹁下部 構造 ﹂ の読み替え
マル ク スと の第 二 の違 いは 下 部 構 造 に つ いて です 。 下 部 構 造 と いえ ば 、 学 校 、 橋 、 道 路 と
い った も のを 考 え が ち です が、 社 会 科 学 に おけ る イ ン フラ ・ス ト ラ ク チ ャー と は 何 か 。 原典 が あ
り ま す 。 社 会 科 学 の父 と いわ れ る マ ル ク スは ﹃経 済 学 批 判﹄ ( 岩 波書店) の序 言 に、 ﹁政 治 や法 律
の問 題 を 突 き 詰 め て いく と 経 済 問 題 に突 き 当 た る、 だ か ら 経 済 を 研 究 す る のだ ﹂ と 書 い て、 ﹁経
済 が 下 部 構 造 で政 治 や 法律 は上 部 構 造 だ ﹂と いう よう にし て使 った の です 。 以来 、 下 部構 造 と い
う 用語 が社 会 科 学 で使 わ れ るよ う にな り ま し た。 も う 一度 言 いま す と 、 ﹁人 間 が 生 活 す る上 で の
社 会 的 生 産 に お い て、 自 分 の意 志 か ら独 立 し た関 係 を 取 り 結 ぶ。 そ れ が 経 済 機 構 を 形 づ く り、 そ
れ が 現 実 の土 台 と な って、 そ の上 に政 治 や法 律 の上 部 構 造 がそ び え 立 って いる 。 下 部 構造 が変 化 す ると 上 部 構 造 も 変 わ る ﹂ と書 いた のです 。
こ の命 題 を マル ク スに 則 し て読 め ば、 下部 構 造 と は人 間 同 士 の経 済 関 係 の こと であ り、 決 し て
橋 、 学 校 、 道 路 と い った 物 自 体 では あ り ま せ ん。 賃 金 労 働 者 と 資 本 家 と いう 経 済 関 係 が 、 政 治的
な 闘 争 の関 係 や所 有 権 を 保 証 す る法 律 関 係 の基 礎 にあ ると いう こと です 。 さ す が に ヨー ロ ッパ で、
人 間 中 心 主 義 的 な 見 方 を し て いる の であ って 、下 部 構 造 と いう 場 合 に、 わ れ わ れ 日本 人 が 通念 で
考 え て いる よ うな 物 的 な モ ノ ( 橋 、 道 路 、 通 信施 設 ⋮) は入 って いな いの です 。
そ れ に対 し て、 私 の見 方 は、 人 間 と いう よ り 、 む し ろ ﹁物 に 問 う ﹂と いう と ころ にあ り ま す 。
物 を 大 切 に す る こと がわ れ わ れ の生 活 に規 範 を も た ら す と いう こと で、 物 を 下 部 構 造 と し て分 析
の基 礎 に据 え て、 人 間 社 会 を 見 る の です 。 社 会 的 に 結 合 さ れ た物 の集 合 ( pr oductc ompl ex)は 一 つの個 性 を な し て いま す。
た と え ば 、 日本 の畳 は 商 品 です が 、 アメ リ カ で は使 わ れ ま せ ん か ら 価格 は つき ま せ ん。 物 は ひ
と つひと つ生 活 の中 でそ れ ぞ れ の位 置 を占 め て いま す 。 ケ ーキ を 楽 し も う と す れ ば 、 フ ォー ク の
ほ か コー ヒー か紅 茶 が 似 合 いま す が 、 箸 は 不 必要 です 。 物 とそ の組 み合 わ せ が 文 化 の型 を決 め て
の です 。す べて の人 が ハ ンバ ーガ ーと フ ァー ス ト フー ド ・シ ョ ップ で食 事 を 済 ま す よ う な 社 会 に
お り、 物 のあ り 方 が行 動 様 式 を 決 め 、 物 の組 み合 わ せ の複 合 が社 会 の行 動 パ タ ー ンを 決 め て いる
は な り え な いと 思 います 。 な ぜ かと いう と 、 人 間 は 物 を自 己 の表 現 の た め に使 う から です 。 そ し
て人 間 の自 己表 現 の本 質 は個 性 の発 露 であ り 、 個 性 は 多 様 性 を求 め る か ら です 。
﹁物 の豊かさ﹂ と ﹁心 の豊かさ﹂
今 ま で述 べてき ま し た こと と 関 連 し て、 富 と心 と の関 係 に つ いて触 れ てお き た いと 思 います 。
一九九 三年 の夏 、 大 修 館 書 店 が ﹁日本 に お け る豊 か さと は何 か﹂ と いう テ ー マで、高 校 生 の懸 賞
論 文 コ ンク ー ルを し ま し た。 五 百 を超 え る応 募 作 品 があ り ま し た が 、 優 秀 と さ れ た論 文 が ﹁物 の
三年九月号、﹃月刊 ・し にか﹄ 一九九三年九月号等を参照)。
豊 か さ では な く 、 心 の豊 か さ こそ が 大 事 だ ﹂ と例 外 な く 書 い て いる ので す ( ﹃月刊 ・言語﹄ 一九九
し か し、 どう し て物 の豊 か さ と 心 の豊 か さ が対 立 的 な のでし ょう か。 バブ ル崩 壊 後 、 不 況 下 の
現 実 に あ ゆ す る よう に、 ﹁清 貧 の思 想 ﹂ が語 られ 、 量 で は な く て質 の問 題 だ 、 心 の 問題 だ と 喧 伝
さ れ て いま す が 、高 校 生 の論 文 にも そ のよ う な 大 人 の世 界観 が反 映 し て いる のです 。 質 や心 が大
切 な こと は そ の通 り でし ょう。 根 本 的 な 問 題 は 、 物 が 豊 か に な る こと に よ って 、 ど うし て心 が貧 し く な った のか 、 と いう こと です 。
ず のも の です 。 物 心 と も に 豊 か であ り う る のです 。 それ が青 年 の意 識 のな か で両 立 し て いな い。
物 が 本 当 に欠 乏 す る と 、 心 がす さ み ます 。 逆 に言 え ば 、 物 が 豊 か に な れ ば 、 心 も 豊 か にな る は
ひ ろく 日本 人 全 体 の意 識 にお い ても 、 物 の豊 か さ と 心 の豊 か さと が対 立 的 にと ら え ら れ て いま す 。
物 の豊 かさ と 心 の豊 かさ と が 両 立 し て いな い のは、 国富 と は何 か と いう こと に つ いて、 き ち ん と
ので、 経済 大 国 だ な どと 浮 かれ て いる から だ と 言 わ ね ば な り ま せ ん。 国富 を量 とし て、 ま た 貨 幣
考 え ら れ て いな いから だ と 思 いま す 。 国 富 の定 義 を ド ルに換 算 す るだ け で済 ま せ、 そ の額 が 高 い
的 富 と し てだ け と ら え る考 え は 一面 的 です 。
命 以 降 の新 古 典 派 経 済 学 に し て も 、商 品を 貨 幣 価 値 で表 し て いま す 。 す な わ ち 、 消 費 者 は安 け れ
アダ ム ・ス ミ スか ら マルク スに至 る古 典 派 経 済 学 のみ な ら ず 、 一八 七〇 年 代 の いわす る 限 界革
ば 買 い、 生 産 者 は 高 く な れ ば 売 る も のだ と みな され 、 資 源 に つ いては 、 稀 少 にな って高 く な れ ば
消 費 者 は買 わ な いか ら 、 生 産 者 は 新 資 源 を さ が す と いう こと で、 価 格 の自 動 調 節 作 用を 通 し て資 源 はう ま く 配 分 さ れ ると 楽 観 的 に 考 え ら れ て いま す。
端 的 に言 って、 そ こ には 物 の命 が 考 え ら れ て いま せ ん 。本 当 に 物 が 稀少 にな れば 、 そ の貨 幣 価
値 は天 文 学 的 な 数 字 にな る でし ょう か 。 フィ リピ ン で森 林 を 伐採 し切 って 最後 の 一本 が残 った場
合 、 そ の最後 の木 の価 値 は天 文 学 的 数 字 に な る でし ょう か。 そ の木 は 伐 っても 何 の足 し にも な ら
な い。 稀少 資 源 の最 適 配 分 と いう 理 論 あ る いは 価 格 メ カ ニズ ムだ け で、資 源 を論 じ る時 代 で はも
は や な く な って いる と 思 いま す 。 ﹁富 と は 何 か ﹂ と いう こと を 原 点 に か え って再 考 す べき 時 代 に き て いる ので す 。
( 岩 波書店 ) で ケ イ パビ リ テ ィ (capabi il e ts i 能 力 ) と いう 概 念 を富 の基 礎 に す え る べきだ と 唱 え て
で は、 ど う 考 え れ ば よ い のか 。 イ ンド 出 身 の経 済 学者 セ ン (A.KS. en)は ﹃福 祉 の経 済 学 ﹂
いま す 。 人 間 のケ イ パビ リ テ ィは 一人 一人 異な り ま す が 、 そ れ は 各 人 の自 己 実 現 の目 的 や内 容 が
異 な る か ら です 。 何 を も って自 己実 現 と感 じ る か が違 え ば 、 ケ イ パ ビ リ テ ィ の発 現 形態 も違 って
いま す 。 ケ イ パ ビ リ テ ィは いわ ば ﹁主 体︱ 環境 系 ﹂ のな か で発 揮 され る の です 。 大 事 な こと は 、
き ま す 。 人 間 は 環 境 に よ って つく ら れ ます が、 ま た 環境 を つく り かえ て いく 主 体 的 能 力 も も って
ケ イ パ ビ リ テ ィを 発 揮 す る 条 件 のな か に 環 境 が 入 って いると いう こと です 。 セ ンの ケイ パ ビ リ テ
ィ論 は、 経 済 学 者 の間 で注 目 さ れ て いる 程 度 に と ど まり ます が、 私 は それ を 、 人 間 はお のお の の
﹁主 体︱ 環 境 系 ﹂ を 自 覚 す べき だ と いう メ ッセ ージ と し て受 け 止 め て いま す 。
﹁主 体︱ 環境 系 ﹂ は 自 己 の生 活 環 境 と 言 いか え る こ と が でき ま す 。 生 活 環 境 のひ と つに 生 活 様
式 が あ り ます 。 人 間 の生 活 様 式 は 外 か ら眺 め ら れま す 。 生 活 様 式 は 生 活 景 観 と し て現 れ る の です 。
生 活様 式 に は物 質 的 な 衣 食 住 の物 質 生 活 と 精神 生活 と が含 ま れま す が 、 生 活 景 観 と し て現 れ る の
は 、 衣 食 住 の物 質生 活 です 。 そ の物 質 生 活 を 支 え て いる物 の総 体 が先 に述 べた 物 産 複 合 です 。
生 活 様 式 は変 え る こと が でき ま す 。 それ は 使 わ れ る 物 の変 化 と し て客 観 的 に とら え る こと が で
き ま す 。 人 は そ れ ぞ れ 理 想的 な生 活 景 観 を つく り あ げ た いと 願 います 。 そ れを 実 現 す る には 、 人
つく り あ げ る作 業 に いそ し む こと です 。
と の交 流 を つう じ て自 己 の生 活 景 観 の理想 型 を 発 見 し 、 自 覚 的 にみ ず か ら の理 想的 な生 活 景 観 を
そ のよ うな 生 活 景 観 を 構 成 す る 物 に 人 間 は 、 心 を宿 し ま す 。 人 間 は 物 が な け れ ば 生 き ら れ な い
存 在 であ り、 物 に名 前 を 与 え 、 用 途 を 決 め 、 心 を こめ て物 を 使 う の は人 間 存 在 の根 本 的 条 件 です 。
人 間 が 物 を活 用 し て いると も いえま す が 、 人 間 は 物 に よ って活 か さ れ て いる、 とも いえ ま す 。 物
を 活 か す と いう こと は 、自 分 を 生 かす こと にな る の です 。 物 と 心 と は 密接 に 関 係し て います 。 物
を 粗 末 にす れ ば 心 が 荒 れ 、 物 を活 か し て 用 いれ ば 心 も いき いき と し てき ま す 。 元 来 これ は 日本 人 の培 ってき た 物 と 心 の弁 証 法 です。
心 を培 う こと は 修 養 と も 修 身 と も いわ れ ま す。 修 身 と いう言 葉 は 、 現 代 では 流 行 り ま せ ん が 、
修身 は 必 ずし も時 代 錯 誤 の精 神 主 義 と いう わ け では あ り ま せ ん。 中 国 の古 典 ﹃大 学 ﹄ に ﹁物 格 而
后 知 至 、 知 至 而后 意 誠 、 意 誠 而 后 心 正 、 心 正 而 后 身 修 、 身 修 而后 家 斉 、 家 斉 而 后 国 治 、 国 治 后 天
が大 事 であ り 、 誠 意 は 知 を き わ め る こと から 生 ま れ るも の であ り 、 知 を き わ め る 方法 は ﹁物 に格
下 平 ﹂ と あ り ま す 。身 を修 め る に は、 正 し い心 を も た ね ば な ら ず 、 そ のた め に は誠 意 をも つこ と
る こと ﹂ だ と いう の です。 修 養 と いう心 を 豊 か にす る こと の根 本 に ﹁物 ﹂ が 置 か れ て いる こ と に 注 目 し て いた だ き た い。
ち な み に、 朱 子 (一一三〇∼ 一二〇〇) に ﹃大 学 章 句 ﹄ と いう 有 名 な 注 釈 が あ り ま す 。 そ こ で
﹁格 物 致 知 ﹂ に つ いて こう 解 説 し て います︱ ︱ ﹁知 を 致 す は 物 に格 る にあ り と は、 吾 れ の知 を 致
さん と 欲 す れ ば 、 物 に つき てそ の理 をき わ む る にあ るを いう な り 、 け だ し 、 人 心 の霊 は 、知 あら
ざ るな く し て、 天 下 の物 は 理 あ らざ るな し 。 ただ 理 にお い て未 だ き わ め ざ る あ り。 ゆ え に、 そ の
知 尽 く さ ざ る あ る な り 。 こ こを も って大 学 の始 教 は 、 必 ず 学 ぶ 者 を し てす べ て の天 下 の物 に つき
て、 そ のす でに 知 れ る の理 に よ って、 ま す ま す これ を き わ め 、 も ってそ の極 に いた る こ とを 求 め
ざ るな か ら し む 。 力 を も 用 う る こと久 し く し て、 い った ん豁 然 と し て貫 通 す る に至 れば 、 す な わ
に格 ると いう 。 これ を 知 の至り と いうな り ﹂ ( ﹃新釈漢文体系 大学 ・中庸﹄明治書院)。
ち 衆 物 の表 裏 精 粗 いた ら ざ るな くし て、 吾 が 心 の全 体 大 用 は 、 明 ら か な ら ざ る は無 し。 これ を 物
これ を 平 た く いえ ば 、 人 間 は知 性 を そな え て いる の であ る か ら 、 そ の知 を 用 いて 、物 の本 質 を
き わ めよ 、 と 朱 子 は 主 張 し て いる のです 。 修 身 のた め に は 修 学 が 必 要 で あ り、 修 学 の根 本 は物 に
せん 。 む し ろ 、 心 を 豊 か に す る た め に こ そ、 物 に問 う と いう 姿 勢 が 不 可欠 だ と いう こと です 。
格 る こ と であ る 、 と いう こと です 。 ﹁物 に 問 う ﹂ と いう 姿 勢 は 決 し て心 の問 題 と無 縁 で は あ り ま
文 明の大転換 に直 面
さ て、 社 会 生 活 で人 間 が 使 って いる ( 人 間 を 生 か し て いる ) 物 の集 合体 つま り物 産 複 合 が大 き
く変 化 す る時 代 があ り ま し た 。 そ の変 化 に 着 目 す る のが私 の立 場 です 。 マル ク ス のよ う に階 級 闘
争 に よ って社 会 の歴 史 的 変 化 を 論 じ る の では な く 、 人 間 の生 活 を支 え て いる物 産 複 合 の大 転 換 を
見 る こと に よ って社 会 生 活 の歴 史 的 変 化 を 論 じ て い こう と いう視 角 です。 そ れ は シ ュム ペ ー タ ー
流 に 言 う な ら ば 、物 の結 合 を変 え る新 結 合 を 歴 史 上 にさ ぐ る 試 み です 。新 結合 は経 済 発 展を も た
ら し 、 経 済 発 展 は 大 き い波 を生 み出 す 。 そ の波 は 生 成 し 発 展 し 、 そ し て衰 退 し ま す 。
今 日わ れ わ れ が 知 って いる 最大 の経済 の波 は、 一つの文 明 シ ステ ムと し て の近 代 資 本 主 義 の波
です 。 シ ュム ペー タ ーが 注 目 し た のは 、 西洋 資 本 主 義 のシ ステ ム の中 に お け る いく つも の波 でし
た。 し かし 、 現 代 の世 界 が 直 面 し て いる のは 、 五 百年 単 位 の大 転 換 です 。 五 百 年 単 位 で論 じ ら れ
る対 象 は 西洋 資 本 主 義 と いう 文 明 シ ステ ム です 。 そ れ は人 類 社 会 が経 験 し た最 大 級 の経 済 の波 と
し て、生 成 し たも のであ り 、 発 展 を 経 験 し ま し た が 、 や が て凋落 し て いくも のです 。 こう いう 大
き い波 を 考 え る 一つ の理論 的 フ レー ム ワー クと し て新 結 合 な いし 物 産複 合 の変 容 を取 り上 げ る と いう こと です 。
③ 海 洋 自 給 圏 と 陸 地 自 給 圏 の 構 築
貨 幣流出 ・経済危機 ・二つの文 明圏
中 世 後 期 か ら 近世 期 に かけ て、 西 ヨー ロ ッパと 日本 の社 会 の物 産 複 合 は 大 転換 を遂 げ ま し た。
そ の原因 は 旧 アジ ア文 明圏 から 西 ヨー ロ ッパと 日本 に 大 量 のさ ま ざ ま な 文物 が も た ら さ れ た か ら
です 。 文 化 は高 いと こ ろ から 低 いと ころ へ流 れ ま す 。 文 化 の低 い ヨー ロ ッパと 日 本 は 、海 賊行 為
に よ って暴力 的 に物 を 奪 う こと も あ り ま し た が、 暴 力 によ る獲 得 は 方 法 と し ては 危 険 で不安 定 で
あ り 、 長続 き は し ま せ ん。 早晩 、 対 価 を 支 払 って獲 得 す る のが 安 全 でし か も 確 実 です 。
では そ の対 価 と は 何 であ った のか。 ヨー ロ ッパ の場 合 には 、 新 大 陸 で強 奪 し てき た 貴金 属 であ
り 、 日本 の場 合 に は戦 国時 代 に 発 見 され た鉱 山 から 採 掘 し た 大 量 の貴 金 属 と 銅 でし た 。 ア メリ カ
の ポ ト シ銀 山 、 メキ シ コ銀 山 、 日本 の佐 渡 金 山 、 大 森 銀 山 、 別 子 銅 山 と い った 有 名 な 鉱 山 は 、 そ の時 代 に発 見 さ れ 、 鉱 山史 上 の大 画期 を も た らし た の です 。
し かし 、 貨 幣 素 材 は 流 出 す る 一方 です か ら 、 や が て経 済 危 機 を も たら し 、 ヨー ロ ッパ にお い て
は重 金 主 義 政 策 あ る いは 重 商 主 義 政 策 が と ら れ、 日本 に お いても 貨 幣 素 材 が 足 り な く な って輸 出
原重 秀 の改 鋳 を 最 初 にし て以 後 何 度 と な く 行 わ れ ま し た。 十 八世 紀 初 頭 、 新 井 白 石 は長 崎 奉 行 大
制 限 とと も に、 純 金 や 純 銀 の含 有 量 を 少 な く す る 改 鋳 を せ ざ る を えず 、 十 七 世 紀 末 に悪 名 高 き 荻
岡清 相 に命 じ て、 江 戸 時 代 がは じ ま ってか ら ど のぐ ら い の貨幣 が流 出 し て いる か を計 算 さ せた と
こ ろ 、 そ の膨 大 な 量 に目 を 剥 く わ け です 。 白 石 は そ れ を 機 に 貿 易制 限 を は じ めま し た。 こ のよ う
に 、 ヨー ロ ッパだ け で はな く、 日本 でも 同 じ よ う な 危 機感 が 持 た れ て いた の です 。
そ の危 機感 か ら 何 が生 じ た か。 最 終 解 決 策 は輸 入 品 を 自 給 生 産 す る 以 外 に あ り ま せ ん。 私 は、
こ の時 に 人 類 史 上 初 め て、 流 通 や商 業 で はな く 、 物 づ く り に従 事 す る こと 、 す な わ ち生 産 を大 切
な 第 一の価 値 と す る社 会 が ユー ラ シ ア大 陸 の両 端 に出 現 し た のだ と 考 え て いま す 。
二つの生産革命と勤労観
生 産 と は 、 シ ュン ペー タ ー に立 ちも どり ま す と 、 物 を 結 合 す る こと です 。 生 産 要 素 は大 き く 分
け て、 土 地 と 労 働 と 資 本 です 。 労 働 は 、 いうま でも な く 人 間 の労 働 です。 資本 は 、 工場 設備 や技
術 一般 と 考 え て いた だ いて結 構 です 。 土地 は、 土 地 プ ラ ス原 料 と お 考 え に な れ ば よ ろ し いか と存 じ ま す。
日本 列島 の位置 は、 北 海 道 の北 端 を 北 緯 四 十 五 度 が か す め て います が、 江 戸 時 代 の 日本 人 の活
動 は 東 北 以 南 です。 北 緯 四十 五度 は フラ ンス の南 端 を 通 って います ので、 ヨー ロ ッパは 北 緯 四十
五 度 以 北 、 つま り 北 海 道 よ り北 に位 置 し て寒 いか ら 土 地 も 肥 え て いな い、 日本 に比べ る と物 があ
せ ん。 そ の上 、 人 口は 稀 少 です 。 そ う いう彼 ら が ヨー ロ ッパ大 陸 か ら ア メ リカ に 移 動 し た ので 、
ま り 育 た な い。 ま た 昔 は 氷 河 に お お わ れ て いま し た の で、 も と も と 植 物 の種 類 が豊 か で はあ り ま
広 大 な土 地 に対 し て人 間 が 足 り な い。
日 本 の国土 は狭 いな がら も 沖 縄 の亜 熱 帯 か ら 温帯 地 域 に広 が って いる。 し た が って熱 帯 の作 物
も う ま く 栽 培 す れ ば、 全 部 こ の国 土 で手 に入 れ る こと が でき る地 理的 条 件 を も って いるも の の、 山 が 多 い。 す な わ ち土 地 が少 な い。 ヨー ロ ッパと 対 照 的 です 。
ヨー ロ ッパ では 、 広 大 な 土地 に対 し て労 働 力 が少 な いの で労 働 を 節 約 す る 、 つま り 労働 の生 産 性 を 上 げ る こと が 合 理 的 な 選 択 にな り ま す。
日本 の場 合 に は土 地 は稀 少 な が ら 相 対 的 に 肥 沃 であ る ので豊 富 な 人 間 を 養 う こと が でき る。 日
い土 地 に 対 し て労 働 力 を多 投 し 、 肥料 を や って世 話 を し た 結 果 、 生 産 量 が 増 え た の です 。土 地 の
本 の人 口は 一六〇〇 年 か ら 一七 二〇 年 の間 に 一千 百 万 前 後 か ら 三 千 万 人 近 く ま で増 え ま し た 。狭
生 産 性 を 上 げ た の です 。 近 世 日本 で は牛 馬 が 減 って いま す 。 馬 は 武 士 にと って は 、〝いざ 鎌 倉〟
の時 にな く ては な ら な いは ず のも ので、 痩 せ馬 でも 飼 わ ざ るを 得 な い。 と ころ が 、 江戸 時 代 初 期
に 一村 に 二十 頭 が いた のが 、 百 年後 に は 五頭 にな り ま す 。 四分 の 一に 減 った と いう 実 証報 告 が さ れ て いま す 。
ヨー ロ ッパ の常 識 では 、 マン ・パ ワー ( 人 力 ) の代 わ り に ホ ー ス ・パ ワー ( 馬力 ) を使 い、 ホ
ー ス ・パ ワー の代 わ り に ス チー ム ・パ ワーを 使 う よ う にな った と いう のが 進歩 の跡 です 。 現 代 は
徐 々 に ア ト ミ ック ・パ ワー に変 わり つ つあ り ま す が 、 これ が 西 洋 に お け る 経済 発 展 の軌 跡 で、 そ
れ は 典 型 的 に は ヨ ー ロ ッパ で見 られ た現 象 です 。 一方 、 近 世 日本 では ホ ー ス ・パ ワー か ら マ ン ・ パ ワー に変 わ った の です。
馬 が 草 を は む 牧 場 を 畑 に変 え れば 、 農 産 物 を 育 てる こと が でき ま す 。馬 は運 搬 用 とな り 、 戦 闘
用 と し て の地 位 を 奪 わ れ、 平和 な経 済 的 な 有 用 物 に変 わ り ま し た 。 ヨー ロ ッパ は労 働 の生 産 性 を
上 げ た の に対 し て、 日本 は土 地 の生 産 性 を 上 げ る こと に よ って、 輸入 品 より も 安 く つく る 工夫 を し た と いう こと です。
が合 理 的 な の です か ら 、 な るべ く働 かな い工 夫 を す る こと は 善 です。 な るべ く 働 かな いこと の最
そ う す ると 、 当 然 労 働 に対 す る価 値 観 も 変 わ ってき ま す 。 ヨー ロ ッパ で は労 働 を 節 約 す る こと
も 理 想 的 な 生 活 は 貴族 のよ うな 生 活 です 。 そ れ が 高 い価 値 を も つと いう観 念 を 生 む でし ょう 。
日本 で は 、働 けば 働 く ほど そ の見 返 り が あ り ま し た。 と な れば 、 働 く こ と が善 です 。 勤 労 、 勤
勉 は 善 だ 、 と いう 思想 が出 て く る こと にな る でし ょう 。 日本 人 の勤 労 観 は、 神 代 の時 代 から の 日
本 固有 の精 神 であ る と いう より は 、 近 世 の経 済 社 会 の中 か ら生 ま れ てき た道 徳 観 だ と 思 いま す 。
日本 人 は ﹃枕 草 子 ﹄ や ﹃源氏 物 語 ﹄ の時 代 から 勤 勉 であ った わ け では な く 、平 安 時 代 に 日本 人 の
シ ョ ンは 江 戸 時 代 に 起 こ った。 日本 人 が ワー ク ホ リ ック にな った のは 、 そ ん な に古 いこ と で はな
勤 勉 ぶ り を 探 す のは 難し い のです 。 欧 米 人 相 手 の学 会 で ﹁日 本 人 のイ ンダ スト リ ア ス ・レボ ルー
い﹂ と 言 った と ころ 、 ﹁﹃源氏 物 語 ﹄ は恋 愛 小 説 だ が 、 恋 愛 も 相 当 イ ンダ ス トリ ア スなも ので、 相
当 頑 張 ら な いと いけ な い の では な いか ﹂ と ジ ョー クを と ば す 人 が い て、 大 笑 いに な った こと があ
り ま す が 、 と も か く 勤 労 を尊 ぶ 日本 人 の価 値 観 は江 戸 時 代 に出 てき た も の です 。
では 、 そ の こと の世 界 史 的 意味 は 何 で し ょう か。 それ は西 ヨー ロ ッパ でも 日本 でも 生 産革 命 が
一八〇〇 年 頃 に は 軌 道 に 乗 って アジ ア物 産 の輸 入 状 態 から 完 全 に独 立 し 、 自 給 体 制 を 確 立 し た と
いう こと です 。 十 九 世 紀 の ヨー ロ ッパに お け る産 業 革 命 を経 過し た後 の イギ リ スを 中 心 にし た 資
本 主 義 社 会 を 学 界 では ﹁近 代 世 界 シ ス テ ム modernworls d yst em﹂ と 呼 ん で いま す が、 西 ヨー ロ
ッパ は大 西 洋 を 股 に掛 け て経 済 自 給 圏 を つく り あ げ 、大 西洋 を ﹁我 ら が海 ﹂と し た の です 。 大 英
帝 国 は自 由 貿 易 世 界 を つく り あ げ た と い いま す が 、 大英 帝 国 の中 に お いて は無 関 税 で物 の自 由 な
移 動 を 認 め る のは当 然 です 。 大 英 帝 国 は 海 洋 帝 国 であ り 、 自 由貿 易論 は イ ギ リ ス中 心 の海 洋 自 給
圏 の内 部 論 理 であ ると いえ ま す 。 一方 、 徳 川 日本 は 陸 地 自給 圏 であ り 、小 さな 国土 の中 ですべ て
を自 給 し た のです 。 こ うし て見 ま す と 、 両 者 の間 に そ の違 いと と も に 経済 文 明 と し て の共 通 性 も
図 7 梅棹 文 明 地 図 と海 洋 史 観 の モ デ ル 図 。 梅棹 忠 夫 の 生 態 史 観 の 柱 を な す の は,ユ
ー ラ シア 大 陸 の 東 北 か ら 西 南 に 斜 め に
走 る 巨 大 な 乾 燥 地 帯 と そ れ に 隣 接 す る 農 業 地 帯 との 間 の ダ イ ナ ミズ ム で あ る (上図)。 乾 燥 地 帯 も農 業 地 帯 も陸 地 で あ り,梅棹
モデル は陸地史観 で ある。近
代 文 明 の 原 形 とな した ヴ ェ ニ ス は も と よ り,ポ イ ギ リ ス,い
ル トガ ル,スペ
イ ン,オ
ラ ンダ,
ず れ も海 洋 国 家 で あ る 。 西 ヨー ロ ッパ にお け る 経 済 社 会 の 形 成 は,
地 中 海 域 に 隆 盛 し,イ
ン ド洋 に ネ ッ ト ワ ー ク を 作 り あ げ た 海 洋 イ ス ラ ム 文 明 と
の か か わ り を抜 き に して は 語 れ な い 。 同 様 に,日 る い は 東 シ ナ 海,南
本 に と っ て も,日
シ ナ 海 の 緊 張 関 係 を 抜 き に して は 語 れ な い(下
本 近 海,あ 図)。 図 中,
GH 線 は ユ ー ラ シ ア 大 陸 の 屋 台 骨 と も い うべ き 山 な み で あ り, GH 線 と乾 燥 地 帯 に よ っ て 四 文 明 圏(Ⅰ 川 が 大 河 と な り,海
∼Ⅳ)が
に 注 ぐ,そ
分 け ら れ る。 RS線 は,大 のRiverとSeaを
山 脈 よ り流 れ 出 た
分 けへ だ て る境 界 線 で あ る。
見 え てく る でし ょう ( 図 7)。
﹁脱亜﹂の達成
ヨー ロ ッパは イギ リ スを中 心 に し て、 イ スラ ム的 アジ アか ら 経 済 的 に も 政治 的 に も自 立 し 、 大
西 洋 文 明 圏 を つく り 上げ ま し た。 これ は イ スラ ム的 アジ アか ら の離 脱 、 す な わ ち ﹁脱亜 ﹂ です 。
日本 は 東 シ ナ海 、 南 シ ナ海 か ら のさま ざ ま な 東 アジ アの文 物 の流 入 に対 す る 支 払 いを 低 め て、 国
内 で の自 給 体 制 を 確 立 し ま し た。 中 国的 アジ アから の離 脱 であ り 、 これ も ﹁脱 亜 ﹂ です 。
日本 に おけ る ﹁鎖 国 シ ス テ ム﹂ の確 立 は 、文 明史 的 に は ﹁脱 亜 ﹂と し て西 洋 資 本 主 義 の成 立 と
対 等 の意 義 を も つと 考 え ら れ ま す 。 西洋 は大 西 洋 経 済 圏 、 日本 は 国 内 自 給 圏 を つく り 上 げ て、 そ
ぞ れ の自 立 し た 相 手 地 域 の シ ステ ムを 合 理 的 に つく り変 え た も の で、中 国 文 明 と イ スラ ム文 明 圏
れ ぞれ が深 入 り し て貿 易 赤 字 を こう む って いた アジ アか ら経 済 的 に自 立 し た の です 。 両 者 は そ れ
と が 旧文 明 とし て対 等 であ る限 り 、 日本 的 な 経 済 シ ス テ ムと ヨー ロ ッパ的 な経 済 シ ス テ ムと は、
人 類史 上 に新 し く登 場 し た経 済 文 明と し て対 等 であ ると いう こと です 。
と ころ で 、脱 亜 と いう言 葉 は歴 史 の垢 に塗 れ て いま す 。 中 国 や 韓 国 では ﹁脱 亜 ﹂ と いう言 葉 は、
脱 亜 入 欧 と いう 意味 で使 わ れ た福 沢翁 の脱 亜 論 の脈 絡 で理 解 さ れ 、 そ れ は そ のま ま ﹁帝 国 主 義 ﹂
の こと だ と 受 け 止 め ら れ て います 。 こ こ で いう ﹁脱 亜 論 ﹂は 、 東 西 文 明 史 の中 に日 本社 会 を 位置
づ け る た め の コン セプ ト です (いわば 慶応 版 ﹁脱 亜 論 ﹂ に対 し て、 早 稲 田 版 ﹁脱 亜 論 ﹂ です )。
慶 応 版 ﹁脱 亜 論 ﹂ は福 沢 諭 吉 翁 が 明 治 十 八年 に ﹃時 事 新 報 ﹄ に 書 か れ た ご く 短 い論 説 です 。
﹁世 界 交 通 の道 、 便 に し て、 西洋 文 明 の風 、 東 に漸 し 、 至 る と こ ろ 草 も木 も 、 こ の風 にな び か ざ
の精 神 は アジ アの固陋 を 脱 し て、 西 洋 の文 明 に移 り たり 。 し か る に、 こ こ に不 幸 な る は 、 近 隣 に
る は な し ﹂ と いう 書 き 出 し で はじ ま り 、 ﹁我 が 日本 の国 土 は アジ ア の東 辺 に あ り と いえ ど も 、 そ
国 あ り 。 一を 支 那 と いい。 一を 朝 鮮 と いう。 支 那、 朝 鮮 の両 国 は 文 明 の天 然 に 背 き 、 無 理 に これ
の守 旧的 態 度 を 手 厳 し く 批 判 し 、 末 尾 は ﹁今 日 の謀 を 為 す に、 我 国 は 隣 国 の開 明 を 待 ち て、共 に
を 避 け んと し て 一室 内 に 閉 居 し 、 空気 の流 通 を絶 ち て、 窒 塞 す るも のな れ ば な り ﹂ と 中 国 ・朝 鮮
アジ アを 興 す の猶 予 あ るべ か ら ず 。 む し ろ そ の業 を 脱 し て、 西 洋 の文 明 国 と 進 退 を 共 に し 、 そ の
支 那、 朝 鮮 に接 す る の法 も 隣 国 な る が故 に と て特 別 の会 釈 に及 ば ず 。 ま さ に 西 洋 人 が これ を接 す
る の風 に従 って処 分 すべ き のみ 。 悪友 を親 し む も のは共 に悪 名 を 免 か るべ か ら ず 。 我 は 心 に お い
て アジ ア東 方 の悪 友 を 謝 絶 す る も のな り ﹂ ( ﹃福沢諭吉選集 ﹄第七巻所収 、岩波書店 )と いう脱 亜 の決 意 表 明 で結 ば れ て いま す 。
これ に対 し て、 私 が こ こ で言 って いる のは、 福 沢 翁 の よう な 政 策 論 と し て の脱 亜論 で は な く 、
文 明論 とし て の脱 亜 論 な いし 歴史 的事 実 と し て の脱 亜 です 。 西 ヨー ロ ッパや 日 本 は 、 アジ ア文 明
の恩恵 を被 り つ つも 、 招 来 し た 危 機 を 生産 革 命 を通 し て克 服 し 、 ヨー ロ ッパは 近 代 世 界 シ ス テム
を つく り あ げ 、 日本 は鎖 国 シ ステ ムを 形成 しま し た。 そ の帰 結 が アジ ア の旧 文 明 か ら の離 脱 です 。 そ れ が こ こ で いう 脱 亜 です 。
脱 亜 に つ いて付 け 加 え れ ば 、 脱 亜 の志向 は ﹁日出 づ ると ころ の天 子 、 日 没 す る と ころ の天 子 に
書 を いたす ﹂と いう 七 世 紀 初 め か ら あ り ま す が、 古 代 日本 は 中 国 の政 治 シ ス テ ムを受 容 し まし た。
テ ムに か か わ り ま す。
正 史 ﹃日本 書 紀 ﹄、 平 城 京 の建 設 、 天 皇 号 の確 立、 日本 の国 号 成 立 、 これ ら は いず れ も 政 治 シ ス
そ の後 中 国 は モ ンゴ ル時 代 (一二七 一∼ 一三六八) に大 転 換 を 遂 げ ま し た 。 元 代 の中 国 は ユー ラ
シ ア大 陸 の諸 民 族 を 支 配 ・統 合 し て、文 物 の交 流 が活 発 にな り 、 中 国 の物 産 複 合 は 大 き な変 化 を
とげ て いま す 。 た と え ば 、 木 綿 が そ う です。 そ のほ か、 茶 碗 の白 地 に コバ ル ト で色 を 付 け た 染 め
付 け 、 こ れら は中 国 で元 代 の末 期 か ら 使 わ れ ま し た。 そ れ ま で の中 国 の大 衆 衣 料 は 絹 であ り 、 磁
器 は青 磁 と白 磁 です 。 ヨー ロ ッパ の陶 磁 器 は 、 元 末 以 降 の青 花 ( イ ギ リ ス人 の重 宝 す る Bl uean d
W hi t e) の模 倣 です 。 元 代 を 境 に中 国 社 会 の衣 食 住 の物 産 複 合 は ガ ラ ッと 変 わ った の です 。 元 滅
亡 後 、 日 本 は 倭寇 時 代 にな り 、 海 上 活 動 を 通 し て、 物 産 複 合 を変 え た中 国 か ら新 し い文 物 が導 入
さ れ ま し た 。 元 代 、 明 代 (一三六八∼ 一六四四)以 降 の時 期 に 日本 に伝 播 し た 物 は 、 実 生 活 に 関係
す る 物 が 中 心 です 。古 代 日本 は中 国 から 政 治 シ ステ ムを 導 入 し ま し た が 、 中 世 以 後 の 日本 は中 国
か ら 経 済 シ ス テ ムを 導 入 し た と いう こ と が でき ま す 。 大 航 海 時 代 以 後 の ヨー ロ ッパも アジ ア の物
産 を 受 容 し て いま し た 。 重 要 な こと は、 日本 史 は十 四世 紀 から 十 七 世 紀 にか け ては ﹁海 の時 代 ﹂
と いえ ま す が 、 こ の時 期 に 日 本 に 舶 来 し た物 は、 海 洋 都 市 ヴ ェニ スの栄 えた 時 代 から 大 航 海 時 代
に ヨー ロ ッパ に舶 来 し た 物 に 匹 敵 す る 規 模 のも ので あ った 、 と いう こ と です 。
﹁ 鎖 国﹂と資 源の再利用
これ ま で鎖 国 と いう言 葉 を 教 科 書 ど おり に使 ってき ま し た が 、 日本 に 鎖 国 と いう 言 葉 が 使 わ れ
た 最 初 は 一八〇 一年 、 し か も翻 訳 語 です 。 ド イ ツ人 ケ ンペ ル の ドイ ツ語 版 原 文 ﹃日本 誌 ﹄ が英 訳
さ れ 、 そ れ が さ ら に オ ラ ンダ 語 に重 訳 さ れ た版 の付 録 にあ った 長 いタ イ ト ルを 志 筑 忠 雄 が 縮 め て
﹃鎖 国 論 ﹄ と し て翻 訳 し た のが 最 初 です 。 一八〇〇 年 頃 に はす で に 国産 化 が 達 成 さ れ 、 日本 は 自
給 自 足 の状態 と な って いま し た の で、 ﹁鎖 国 ﹂ が徳 川 三代 以 来 の祖法 で あ る か の よう な意 識 が 幕
は 一八〇 一年 以降 の観 念 です 。 たと え ば 、 そ の十 年 ほ ど 前 、 ロシ アが通 商 を 要 求 し てき た 時 に、
末 に広 ま り、 日本 は昔 から 鎖 国 を し て いた よ う に 思 わ れ て しま いま し た。 いず れ に せよ ﹁鎖 国 ﹂
松 平 定 信 (一七五八∼ 一八二九)は ﹁日本 の国 際 関 係 は 、 通 商 の国 と 通 信 の国 よ り な る。 通 商 の国
は 唐 人 であ り 、 オ ラ ンダ人 であ る。 通 信 の国 、 す な わ ち 外 交 関 係 を 結 ん で いる のは朝 鮮 であ り 、
琉 球 王 朝 であ る ﹂ と 、 通 信 、 通商 と いう言 葉 を用 いて、 応 接 し て いる の です 。す な わ ち国 際 関係
があ る と いう認 識 です 。 定 信 より 百 年 前 の政 治 家 、 新 井 白 石 (一六五七∼ 一七 二五) にし て も、 長
崎 貿 易 や対 馬 の 日朝 貿 易 を 非 常 に 心 配 し て 、 日本 が対 外 関 係 を も って いると いう 認 識 を も って い
た のです 。 鎖 国 意 識 は鎖 国 と いう 言 葉 が でき あ が った 後 に生 ま れ たも の であ り 、 一八〇〇 年 頃 に
は 、 日本 は す べて の物 を 国 産 化 し て いた と いう こと と 軌 を 一に し て鎖 国 観 が成 立 し た の です 。
そ れ か ら 半世 紀後 に ペリ ー が来 航 し て開 国 を 要 求 し ﹁通 商 は有 無 相 通 じ て お互 いの利 益 にな る
し 、 お 互 いに 交 易 を し よ う で はな いか ﹂と 言 った 際 、 応 対 し た 林大 学頭 は ﹁我 国 に は何 でも あ る。
し た が って何 も いら な いか ら 帰 ってく だ さ い﹂ と 応 え た の です 。 つい でに 一言 し ます と、 今 で こ
そ我 が 国 の捕 鯨 は 世 界 の非 難 の的 です が、 太 平 洋 に鯨 漁 場 を 発 見 し て荒 ら し ま わ って いた のは ア
メリ カ の捕 鯨 船 でし た 。 一八 三〇 年 代 は捕 鯨 業 の黄 金 時 代 で、 ア メ リ カ の捕 鯨 船 が 北 太平 洋 を動
き ま わ り、 水 や食 料 の補 給 に悩 ん で いた の です 。 そ う いう も のを人 道 的 見 地 から 出 し て ほし いと
言 わ れ て、林 大学 頭 は それ は やむ を 得 な いと いう こと で、 和 親条 約 に応 じ た のです 。
さ て、 そ れ よ り 五十 年 ほ ど前 の 一七 九 三年 に英 国 の マカ ー ト ニー が 英 国 王 ジ ェー ム ス三世 の国
書 を 携 え て清 の乾 隆 帝 の八 十 歳 の誕 生 の年 に合 わ せ て交 易 を 求 め に行 った の です が、 乾 隆 帝 は
﹁贈 物 は 朝 貢 品 と し て受 け 取 る。 我 が 国 に は 何 でも そ ろ って いる。 生 糸 や茶 や 陶 磁 器 な ど 欲 し い
と いう か ら 、 仕 方 が な いか ら広 東 で 分 け て や って いる が、 英 国 品 な ど 必 要 な いか ら 早 々に 帰 り な
さ い﹂ と 応 じ ま し た 。 中 華 意識 の面 目 躍 如 た る態 度 です が、 自 給 自 足 を 誇 り と し て いる 中 国 の経
と思 う のです 。 日本 が 自 給 自 足 を 完 成 し た のは 一八〇〇 年 前 後 です が、 ヨー ロ ッパを み れ ば 、 一
済 シ ス テ ムを 、 日本 が 模 倣 し て、 幕 末 日 本 では自 給 自 足 経 済 が確 立 し て いた と ころ に注 目 し た い
八〇〇 年 前 後 はま さ に フラ ン ス革 命 か ら ナポ レオ ン戦 争 に か か る時 期 、 イギ リ スでは 一七 八〇 年
代 か ら 一八 三〇 年 代 は産 業 革 命 の時 期 で、 西 洋 資 本 主 義 が 確立 す る時 に当 た りま す 。
に対 応 し て、 ﹁足 る を 知 る﹂ こと が重 ん じ ら れ 、 自 足 の心 を 培 った と いえ る でし ょう 。 と ころ が
当 時 の中 国 も 日本 も ﹁自 足 ﹂ と いう か たち の物 産 複 合 が でき あ が って いま し た。 そ の物 産 複 合
今 日 では 、 日本 は 島 国 の無 資 源 国 と いう意 識 が通 念 です 。 隣 の中 国 も ま た 工 場 が 足 り な い、資 本
が足 り な いと いう こと で、 不 足 を か こ って います 。 一世 紀 以上 前 の 日本 と 中 国 と 、 今 日 の 日本 と
が変 わ った の です 。 物 が 豊 か に な る 一方 で欠 乏感 を生 んだ と いう逆 説 があ り ま す 。
中 国 と 比 べれ ば 、 当 時 の方 が 貧 し いに 違 いあ りま せ ん。 し かし な がら 、 富 を ど う 見 る かと いう 心
こ のパ ラ ド ック スはど う し て生 じ た の でし ょう 。 そ れ は 、 一言 で いえば 、 近 代 ヨー ロ ッパ の経
済 シ ス テ ムを 受 容 し た か ら です 。 西 洋 の資 本 主 義 に は、 新 大 陸 と いう フ ロ ンテ ィアが あ り 、 新 天
地 は いく ら 開 発 し ても 無 限 に あ る が ご と く で あり 、 フ ロ ン テ ィ アの開 発 はよ いこと であ り 、 善 行
だ と され て いま し た 。 無 尽 蔵 な ら ば 、資 源 は 浪費 し て も構 わな いと いう こと にな り ま す 。 スミ ス
も マル ク スに し ても 労 働 が価 値 を生 む と信 じ て お り、 資 源 の稀 少 性scar ci t yが 価値 を生 む と いう
観 念 は さら さら あ り ま せん 。 当 時 の現 実 は そ う いう観 念 を も つ こと を必 要 と し て いな か った の で す。
や が て ﹁稀 少 性 ﹂と いう コ ンセ プ トが 十 九 世 紀 末 に は出 てき て、 そ れ が新 古 典 派 経 済 学 の中 心
概念 と し て確 立 し まし た が、 そ の時 にも 稀 少 性 の問 題 は 価 格 の メカ ニズ ムに よ って自 動 的 にう ま
く 解 決 さ れ る と いう極 め て楽 天 的 な 見 方 がさ れ て いま す 。 西洋 の資 本 主 義 のも と では 、資 源 に 関
し て楽 天 主 義 が特 徴 だ った のです 。 し かし 、 さす が に、 今 日 では そ のよ う な 見 方 は有 効 性 を失 い つ つあ り ま す 。
一方 、 近 世 日本 の場 合 は 、 小 さ い島 国 で自 給 し たわ け です か ら 、 物 を 大 切 に し な いと いけ な い
と いう 観 念 が育 ち ま し た 。 糞 、 小 便 に 至 る ま で 肥料 とし て使 い、 徹 底 し た 資 源 の再 利 用 が 行 わ れ 、 自 給 自 足 す る サ イ ク ル の体 系 を つく り 上 げ て いた のです 。
フ ロ ン テ ィ アがな いと ころ にお け る 経 済 シ ス テ ムと 、 フ ロ ンテ ィ アを 前 提 にし た と ころ にお け
る 経済 シ ス テム と いう違 いが ﹁鎖 国 シ ス テ ム﹂ と ﹁近 代世 界 シ ス テム ﹂ の違 いです 。 日本 は 明 治
期 に西 洋 の経 済 シ ス テムを 入 れ る こと によ って、 フ ロン テ ィ ア の開 発 のほ か、 稀 少 資 源 の獲 得 と
いう 政 策 を 学 び まし た。 し かし 、 フ ロ ンテ ィアを 前 提 に す る こと も 、価 格 メカ ニズ ムに頼 って稀
少 資 源 を 獲 得 す る と いう 方法 も、 も は や有 効 性 を 持 ち 得 な く な って いま す 。
明治 日本 は 自 ら 進 ん で近 代 世 界 シ ス テ ム の中 に入 り ま し た 。 明 治 以 降 の日本 の近 代 と は何 であ
った の か。 一言 で いえ ば ﹁近 代 世 界 シ ス テ ム﹂ の ﹁富 国 強 兵 ﹂ 路 線 に よ る 国 づ く り の限 界 を 証し
た実 験 場 であ ったと いえ ま す 。 ﹁近 代 世 界 シ ステ ム﹂ 路 線 は 政 策 と し ては ﹁富 国強 兵 ﹂、 経 済 理念
と し ては ﹁稀 少 な 資 源 の最 適 配 分 ﹂ で し た が 、 ﹁富 国 強 兵 ﹂路 線 は 、 ま ず ﹁強 兵 ﹂ 路 線 が第 二 次
ロン テ ィ アを前 提 に し て資 源 を 探 し 求 め て いく と いう や り 方 は 、 今 や 有 限 世界 の地 球 を 舞 台 にし
世 界大 戦 で挫折 し、 輸 出 市 場 を 広 げ る ﹁富 国 ﹂ 路線 は 経 済摩 擦 を起 こし て行 き 詰 って いま す 。 フ
て展 開 す る に は 限 界 が あ り ま す。 一方 ﹁鎖 国 シ ステ ム﹂ の論 理 は ま だ 利 用 可能 性 が あ り ます 。 近
た。 現 在 世 界 には 百 八 十 余 り の国 が あ り ま す が 、 そ れら の ﹁す み 分 け ﹂は 、 ボ ス ニア ・ヘル ツ ェ
世 日本 は 二百 六 十 余 り の国 ( 藩 ) が ﹁す み分 け ﹂ て おり 、 理 念 と し て の ﹁自 足 ﹂ を も って いまし
ゴ ビ ナ の例 を ひ く ま でも な く、 諸 民 族 の課 題 であ り 、 ﹁自 足 ﹂ を地 球 規 模 で再 構 築 す べ き 時 期 に
来 て いま す 。 ﹁富 国 強 兵 ﹂ 路線 は 日本 に おけ る経 験 に より 限 界 が は っき り し た と 思 います 。
と は いえ 、 東 アジ ア全 体 では ﹁近 代 世 界 シ ス テ ム﹂ の残 滓 を 引 き 摺 ってお り 、 ﹁富 国 ﹂路 線 を
歩 む N I E S とA S E A N 、 ﹁強 兵 ﹂ 路 線 を歩 む 北 朝 鮮 と 中 国 と いう よ う に 二 極 分 解 し て いま す 。
日本 は 日本 版 ﹁経 済社 会 ﹂ を つくり あ げ て いた の です が 、 明 治 維 新 の時 に 、 福 沢 諭 吉 翁 の ﹃福翁
自 伝 ﹄ に出 て いま す よ う に 、 そ れ を ﹁親 の敵 ﹂と し て切 り 捨 て て今 日に 至 って いる わ け です 。 近 代 日本 は 敗 戦 によ ってそ の対 価 を 十 分 に支 払 った と思 いま す 。
補 論 テ ッ サ ・モ リ ス︲ 鈴 木 氏 の 暴 論 を 駁 す
テ ッ サ ・モ リ ス︲ 鈴 木 と い う 人 が ﹃世 界 ﹄ 一九 九 四 年 一月 号 に ﹁江 戸 時 代 と いう ユー ト ピ ア﹂
( 藤 井 隆 至 訳 ) と い う 論 文 で 、 私 の仕 事 を 、 系 統 のま った く 異 な る 日 本 史 家 の仕 事 と 一緒 く た に し
て、 批 判 の対 象 に し て いま す 。 そ の主 張 の 骨 子 は 、 第 一に 、 最 近 の 研 究 に お け る 江 戸 社 会 の賛 美 は
行 き 過 ぎ であ り 、 第 二 に 、 近 世 史 を 日 本 の 中 だ け で考 察 す る の で は な く 、 アジ ア の中 で考 察 す る べ
き だ 、 と い う こ と です 。 こ れ は 今 日 の歴 史 家 の 多 く が 同 意 す る 見 解 でし ょ う か ら 、 本 来 な ら 論 評 に
も 及 ば な い の で す が 、 これ を 主 張 す る の に 、 そ れ を 主 張 し て き た 当 の者 を た た く と いう 不 当 な 論 法
を と って い る の で、 見 過 ご せ ま せ ん 。 彼 女 は 今 日 の 新 し い研 究 状 況 を こ う 総 括 し て いま す 。
( と し て)、 ヨ ー ロ ッパ 中 心 主 義 の パ ラダ イ ム を 拒 絶 す る の は よ いと し
ても 、 多 く の新 し い江 戸 時 代 史 論 は 、 日 本 そ れ 自 身 の国 境 線 の内 側 に 閉 じ こ も っ て 理 論 化 を 深 め
﹁も っと も 重 要 な 問 題 点
てき た 。 例 え ば 江 戸 時 代 は 、 封 建 制 や 前 近 代 と い った 西 洋 の概 念 で 理 解 す る こ と は 出 来 な い に し
いわ ん ば か り であ る。 皮 肉 な こ と に 、 江 戸 時 代 を 鎖 国 と いう 映 像 で 表 現 す る こ と に 疑 問 を 持 つ新
て も 、 新 し い著 作 は 、 日 本 史 そ れ 自 身 が 持 つ ダ イ ナ ミズ ム の 見 地 か ら で し か 理 解 出 来 な い のだ と
し い研 究 が 、 歴 史 理 論 に 関 す る 限 り で は 、 一種 の学 問 的 鎖 国 を 引 き 起 こ し て い る よ う に 見 え る 。﹂ こ の総 括 に は 間 違 いが あ り ま す 。
第 一に 、 彼 女 の主 張 と は 裏 腹 に 、 ヨ ー ロ ッパ 中 心 主 義 の パ ラダ イ ムを 、 拒 絶 す る こ と に よ っ て で
は な く 、 む し ろ 受 容 す る こ と に よ っ て、 旧 来 の江 戸 時 代 歴 史 論 は 、 日本 そ れ 自 身 の国 境 線 の内 側 に
閉 じ こ も って き た の で す 。 ﹁世 界 史 の基 本 法 則 ﹂ が 日 本 社 会 に も 貫 徹 し て い る と いう 見 解 は 、 日 本
の歴 史 家 を 長 く 支 配 し た も の で す が 、 ﹁世 界 史 の 基 本 法 則 ﹂ の ﹁世 界 史 ﹂ と は ヨー ロ ッ パ史 の こ と
であ り 、 ﹁基 本 法 則 ﹂ と は 中 心 主 義 の 別 名 に ほ か な り ま せ ん 。 大 塚 史 学 、 講 座 派 、 労 農 派 、 宇 野 理
(ヨ ー ロ ッパ ) に 開 か れ て いる よ う に 見 え ま す が 、 そ の 実 は ヨ ー
論 、 近 代 化 論 等 、 日 本 の歴 史 理 論 は いず れ も ヨー ロ ッパ中 心 主 義 の脈 絡 でそ の業 績 を 総 括 す る こと
ロ ッパ に対 す る 劣 等 感 の つく り 出 し た 歴 史 理 論 です 。
が で き ま す 。 一見 、 そ れ ら は 世 界
( 本 書 所 収 の対 談 を 参 照 さ れ た い)、 歴 史 人 口 学 の 分 野 で欧 米 で そ の業 績 を 知 ら ぬ 人 の
第 二 に 、 新 し い江 戸 時 代 史 論 のな か で、 江 戸 時 代 を ﹁封 建 制 ﹂ と 呼 ば な い学 者 の 代 表 は 速 水 融 氏 で し ょう が
な い速 水 氏 の研 究 を ﹁学 問 的 鎖 国 ﹂ 呼 ば わ り す れ ば 、 日 本 人 学 者 は も と よ り 、 欧 米 人 の専 門 家 も 苦
﹁鎖 国 ﹂ 再 考 ﹄ の 第 一部 で 展 開 し た 木 綿 の世 界 市 場 の話 は 、
笑 す る でし ょう 。 と ん で も な い誤 解 で す 。 名 指 し さ れ て いる 私 自 身 に つ い て言 え ば 、 彼 女 の取 り 上
日 本 国 内 で の研 究 と い う よ り は 、 英 国 に お け る 研 究 生 活 で 生 ま れ た も の であ り 、 よ り 包 括 的 、 実 証
げ て いる 拙 著 ﹃日本 文 明 と 近 代 西 洋︱︱
(W.Fs ich ,er e at l se .d ,
The eE ne m ceo rf g
( 四 年 に 一度 の割 合 で 開 か れ る 経 済 史 の いわ ば オ リ ンピ ック の よ う な
的 に 裏 づ け た も の を オ ック ス フ ォー ド 大 学 の博 士 論 文 と し て提 出 し 、 受 理 さ れ た 博 士 論 文 が 下 敷 き です。 そ れは 国際 経済史 学 会
Wo l dr Economy, St i ner,一九 八 六 )、 そ の序 文 で言 及 さ れ て 好 評 を 受 け て い ま す 。 こ の国 際 経 済 史
盛 大 な 行 事 ) で報 告 を 求 め ら れ 、 討 論 に ふ さ れ 、 出 版 さ れ a
(T i mes i L t e rar ySu ppl ement ) の 一九 九 一年 九 月 二 七 日 号 に
で ﹃アジ ア交 易 圏 と 日 本 工 業 化 ﹄ (リ ブ ロポ ー ト 、 一九 九 一) と し て 上 梓 し ま し た が 、 これ が 英 国
学 会 で の問 題 提 起 に呼 応 し 、 日 本 人 学 者 だ け で共 同 で ま と め た 報 告 の記 録 は 、 浜 下 武 志 氏 と の共 編
の 権 威 あ る ﹃タ イ ム ズ ﹄ 紙 の 文 芸 書 評
お い て 三 段 に わ た っ て紹 介 さ れ ま し た 。 そ のな か で 、 同 じ 年 に 出 た 朝 尾 直 弘 編 ﹃日本 の近 世 ﹄ 第 一
巻 ﹁世 界 史 の な か の 近 世 ﹂ ( 中 央 公 論 社 、 一九 九 一) と 比 較 さ れ て、 後 者 の い う ﹁世 界 ﹂ が せ い ぜ
い 日 本 の海 岸 線 であ り 旧 来 の域
(つま り 鎖 国 的 な 日 本 史 の 研 究 ) を 一歩 も 出 て い な い の に対 し 、 私
( r ewar di ngbook)﹂ と 評 し て い ま す 。 タ イ ム ズ 紙 の書 評 の読 者 は 英 語 圏 の人
共 の編 著 は ヨ ー ロ ッ パ人 に も 分 か る 形 で ア ジ ア の な か で の 日 本 の経 済 発 展 の ダ イ ナ ミ ズ ム を 論 じ た ﹁読 み ご た え のあ る本
(L at ham andK
び と です か ら 、 日 本 語 の 本 を 論 評 す る の は 異 例 の こ と です 。 さ ら に 、 英 国 の レ イ サ ム博 士 と の共
編 で 日 本 の 工 業 化 と ア ジ ア 経 済 に 関 す る 本 が 英 国 の 出 版 社 の手 で出 版 さ れ ま し た
awakat s ueds.,Japane Is ne dusta rt ii a a o ld n n it ze s h Aia En co o m ny, Lon don:Rout l edge,1994)。 加 え て、
ア フ リ カ と 国 際 経 済 ﹄ な ど を 邦 訳 し て 紹 介 し て き ま し た。 こ れ に対 し て ﹁日 本 の国 境 線 の内 側 に と
こ れ ら に連 動 し た欧 米 学 者 の仕 事 ﹃鉄 砲 を 捨 て た 日 本 人 ﹄ ﹃近 世 日 本 の 国 家 形 成 と 外 交 ﹄ ﹃ア ジ ア ・
じ こ も った 理 論 化 ﹂ と か ﹁学 問 的 鎖 国 ﹂ と か と いう 批 判 は ま こ と に 不 当 な 偏 見 で す 。
彼 女 は 、 結 論 部 分 で も 私 の議 論 を と り あ げ 、 次 のよ う に 要 約 し 批 判 し て いま す 。
⋮ ⋮ ﹃日 本 文 明 と 近 代 西 洋︱︱
﹁鎖 国 ﹂ 再 考 ﹄ ( N H K ブ ック ス、 一九 九 一) の な か で 川 勝 平 太
﹁し た が って 江 戸 時 代 を ア ジ ア の歴 史 と いう 文 脈 に 置 い て み る の は 、 非 常 に 重 要 な こ と で あ る 。
は こ う 論 じ て い る 。 す な わ ち 、 日 本 と ヨー ロ ッ パ の 双 方 は 、 そ れ ま で アジ アか ら 輸 入 し て い た 商
品 を 国 産 化 す る こ と で 、 そ れ ぞ れ の や り 方 で ﹁脱 亜 ﹂ を 達 成 し た が 、 日 本 の 鎖 国 は そ の脱 亜 を 実
現 す る た め のひ と つ の 方 法 であ った 。 し た が っ て、 双 方 と も 、 独 自 の道 を た ど って先 進 的 な 産 業
文 明 を 創 出 し た の であ る 。 し か し 、 こ の 川 勝 理 論 は 、 いく つか の 問 題 点 を か か え て い る 。
第 一は 、 鎖 国 と い う 言 葉 自 身 の問 題 で あ る。 川 勝 も 指 摘 す る よ う に 、 鎖 国 と い う 言 葉 は 江 戸 時
代 に 西 洋 人 の 日 本 論 を 翻 訳 し て つく ら れ た 言 葉 で 、 今 日 の研 究 水 準 か ら す れ ば 、 当 時 の 対 外 関 係
を 表 現 す る 用 語 と し て は 不 正 確 で あ る 。 山 口 啓 二 の ﹃鎖 国 と 開 国 ﹄ ( 岩 波 書 店 、 一九 九 三 ) に よ
れ ば 、 こ の時 代 は 外 国 と の接 触 を 断 った と いう よ り は 外 国 貿 易 を 幕 府 の統 制 下 に お いた 時 代 で あ
も 、 こ の時 代 を 表 現 す る に は 適 切 で は な い。
り 、 そ の点 で は 、 朝 鮮 や ベ ト ナ ム南 部 そ の他 と 同 様 であ った 。 鎖 国 と いう 言 葉 も 脱 亜 と いう 言 葉
理 論 化 さ れ て き た 歴 史 理 論 と 同 質 であ る 。 江 戸 時 代 を 日 本 独 特 の ﹁す す ん だ 文 明 ﹂ の 源 泉 と 解 釈
第 二 に 、 よ り 高 い ﹁文 明 ﹂ に む け て歴 史 は 進 歩 す る と いう 考 え 方 が み ら れ る が 、 こ れ は 西 洋 で
そ れ に 新 し い衣 服 を 着 せ た と 批 判 でき る で あ ろ う 。﹂
す る こ と は 、 ヨ ー ロ ッパ 中 心 史 観 を 克 服 す る よ り は 、 む し ろ ヨー ロ ッパ中 心 史 観 の応 用 で あ り 、
彼 女 は こ れ ら を ﹁批 判 ﹂ と いう の です が 、 こ の 批 判 の第 一点 は 、 批 判 の 名 に も 値 し ま せ ん 。 事 実
に 照 ら し 、 今 日 の研 究 水 準 に 照 ら し て 、 鎖 国 と いう 言 葉 が 問 題 だ と いう のは 、 私 自 身 の言 って いる
こ と だ か ら で す 。 ﹁鎖 国 ﹂ 再 考 と いう 副 題 が そ の こ と を 問 題 に し て い る と いう 表 示 です 。 で は 、 ど
う 再 考 す る の か 、 私 は 脱 亜 と い う 用 語 を 使 いま し た 。 そ れ を 彼 女 は ﹁適 切 で な い﹂ と いう の み で、
理 由 は 明 記 さ れ て いま せ ん 。 朝 鮮 な ど と 同 様 で あ った と いう 一語 が そ の根 拠 であ る と す れ ば 、 そ れ
は 根 拠 薄 弱 で す 。 朝 鮮 は 清 中 国 に 朝 貢 し て い た の で す 。 日 本 と 同 様 で は あ り ま せ ん。 だ か ら こ そ 、
明 治 時 代 に な って 、 福 沢 諭 吉 ら が 朝 鮮 の独 立 党 を 支 援 し た の です 。 ど こか ら の独 立 でし ょう か 。 清
の は 、 日 本 が す で に 中 国 か ら 独 立 し て いた か ら で す 。 つま り 脱 亜 を と げ て いた か ら です 。
中 国 か ら の独 立 で す 。 福 沢 な ど の 日 本 人 が 朝 鮮 人 に 対 し て清 中 国 か ら 独 立 せ よ と いう 態 度 を と った
批 判 の第 二 点 に つ い て も 同 様 、 批 判 に な っ て いま せ ん 。 彼 女 は ヨー ロ ッパ中 心 主 義 を 根 本 的 に 履
き ち が え て いま す 。 ま ず 、 ヨー ロ ッパ中 心 主 義 に は 日 本 人 が ヨー ロ ッパ に 憧 れ た と いう こ と が 出 発
点 に あ り ま す 。 日本 人 が 憧 憬 を 抱 い た と いう こ と は 日 本 の文 化 の型 を 考 え る上 で 重 要 な こ と だ と 思
いま す 。 アジ ア諸 国 が 西 洋 文 明 と 出 喰 わ し た 時 、 ほ と ん ど が き つく 反 発 し ま し た 。 日 本 も 攘 夷 運 動
と いう 形 で反 発 し ま し た が、 そ の後 、 熱 烈 に 受 け 入 れ た の で す 。 和 魂 洋 才 と は いわ れ ま す が 、 技 術
と 機 械 と 科 学 だ け が 入 った の か と いえ ば 実 態 は 違 いま す 。 シ ェイ ク ス ピ アが 十 九 世 紀 末 に は 全 訳 さ
れ 、 音 楽 も 伝 統 音 楽 を 教 え な い で ヨ ー ロ ッパ の音 楽 を 教 え ま し た 。 損 得 勘 定 抜 き で 西 洋 文 明 を ひ と
つ の シ ス テ ムと し て 入 れ て い る の で す 。 こ う い う こと を し た 国 民 は 非 欧 米 圏 で は 他 に あ り ま せ ん 。
日本 史 像 を え が く こ と に な り ま し た 。 ヨ ー ロ ッパ 中 心 主 義 や ヨー ロ ッパ中 心 史 観 は そ こ に 胚 胎 し た
そ の結 果 、 日 本 人 は 日 本 の歴 史 を 見 る 際 に も 、 ヨー ロ ッパ の歴 史 に準 拠 し 、 そ れ と の対 比 に お い て
いう ヨー ロ ッパ 史 の 枠 組 み で 日 本 を 見 る 見 方 が ヨー ロ ッパ 中 心 史 観 と い わ れ る も の で 、 マ ル ク ス主
の です 。 つま り 、 日 本 に お け る 封 建 制 か ら 資 本 制 への 移 行 、 資 本 主 義 か ら 社 会 主 義 へ の移 行 な ど と
義 的 な 見 方 は 典 型 的 な ヨー ロ ッパ中 心 史 観 で す 。
で は な く て 、 多 様 な 道 が あ る と 主 張 す る の は ヨー ロ ッパ中 心 史 観 で は あ り ま せ ん 。 逆 のも の で す 。
こ の よ う な ヨー ロ ッパ 中 心 史 観 に 対 し て 、 進 歩 に は ヨ ー ロ ッパ的 な一 つ の道 し か な いと いう こ と
経 済 発 展 は そ の国 の資 源 の保 有 条 件 と そ の 組 合 せ の違 い の中 に お い て さ ま ざ ま な 形 態 を と り う る 、
と 主 張 す る の は ヨー ロ ッパ中 心 史 観 で は あ り ま せ ん 。 こ れ も 逆 です 。 日 本 の場 合 、 ヨ ー ロ ッパ の今
日 ま で 世 界 を 席 巻 し てき た ﹁近 代 世 界 シ ス テ ム ﹂ と は 違 う シ ス テ ムが つく ら れ て い た と 主 張 す る こ
と は ヨ ー ロ ッパ中 心 主 義 でし ょ う か 。 そ れ は 文 明 の 多 様 性 を 探 る試 み で あ り 、 進 歩 の仕 方 の多 元 性 を 論 じ て い る も の です 。
﹁進 歩 ﹂ を 口 に す る こ と が ヨ ー ロ ッパ 中 心 史 観 だ と いう のは 、 彼 女 の 勝 手 な 拡 大 解 釈 で す 。 日 本
人 が 漢 字 を 使 って い る こと を も って 、 日本 は 中 国 中 心 主 義 だ と いう の と 同 じ 暴 論 で す 。 か な も カ ナ
も 漢 字 か ら 生 ま れ た も の で し ょ う が 、 漢 字 が 中 国 起 源 だ か ら と い って だ れ が そ れ を 中 国 中 心 主 義 だ
と いう でし ょ う か 。 ピ ー タ ー ・ボ ウ ラ ー ﹃進 歩 の 発 明 ﹄ ( 岡嵜 修 訳 、 平 凡 社 ) を 引 く ま で も な く 、
進 歩 が 十 九 世 紀 の ヨー ロ ッ パ に 生 ま れ た 観 念 で あ る こと は よ く 承 知 し て いま す が 、 今 日 の世 界 を み
る の に 、 識 字 率 の上 昇 、 社 会 福 祉 の向 上 、 生 活 水 準 の上 昇 な ど は 計 測 可 能 な も の であ り 、 こ れ ら の
物にす るも のです。
上 昇 を 進 歩 と よぶ こ と が ヨ ー ロ ッパ 中 心 主 義 であ る と いう のは 、 あ ら ゆ る 進 歩 を ヨー ロ ッパ の独 占
テ ッ サ ・モ リ ス︲ 鈴 木 氏 の仕 事 に は 、 岩 波 書 店 か ら ﹃日 本 の経 済 思 想︱︱ 江 戸 初 期 か ら 現 代 ま
で﹄ ( 藤 井 隆 至 訳 ) と い う本 が 出 て い ま す 。 そ れ は 林 羅 山 か ら 今 日 の森 嶋 通 夫 氏 に 至 る ま で 日 本 の
学 者 が ど の よ う な 経 済 思 想 を も っ てき た の か と いう 、 いわ ば 経 済 思 想 家 の歴 史 人 名 辞 典 の よ う な 内
容 で す 。 そ こ に は中 国 も 朝 鮮 も 出 て いま せ ん 。 そ の ほ か 、 近 代 日 本 に つ い て の 英 文 の著 作 が あ る よ
う で す が 、 要 す る に 彼 女 の こ れ ま で の仕 事 は も っぱ ら 日本 の こ と に つ いて の み で あ った よ う です 。
﹁国 境 線 の内 側 に 閉 じ こ も っ て い る ﹂ の は 彼 女 自 身 で あ っ た の で す か ら 、 知 的 な 入 亜 の 必 要 性 を 痛
感 さ れ た の は 結 構 です 。 た だ 、 日 本 研 究 者 と し て自 分 に欠 け て い た アジ ア認 識 を 、 日 本 の 研 究 者 に
( 英 語) ではど こに も
な す り つけ る の は 、 不 当 も は な は だ し い。 テ ッサ ・モ リ ス︲ 鈴 木 氏 の よ う な 乱 暴 な 議 論 を す る論 文
を 日 本 人 が 書 け ば 、 権 威 のあ る雑 誌 に は 載 ら な い で し ょ う 。 こ の 論 文 は 原 文
公 表 さ れ て いな いよ う です 。 そ れ を 載 せ た の は 訳 者 と ﹃世 界 ﹄ 編 集 部 の判 断 でし ょ う が 、 そ こ に 西 洋 のも の に 甘 いひ 弱 な 精 神 (ヨー ロ ッパ中 心 主 義 ? ) を 感 じ ま す 。
な お 、 最 後 に 繰 り 返 せ ば 、 日 本 は 西 洋 の文 物 を 、 非 西 洋 圏 に お い て も っと も 真 摯 に 受 容 し た 国 で
( 蘭 学 の時 代 を いれ れ ば 数 百 年 ) の自 己 否 定 に な り ま す 。 学 問
に お い て西 洋 ・非 西 洋 を 問 わ ず そ の研 究 者 や 研 究 成 果 を 拒 否 す る こ と は 論 外 な の で す 。 時 代 は 、 西
す 。 西 洋 を 排 斥 す る こと は 過 去 百 年
洋 に 対 す る 崇 拝 か ら 、 西 洋 へ の理 解 を 媒 介 に し な が ら 、 日本 人 が 自 国 の アイ デ ン テ ィ テ ィを 求 め か
え す 時 期 に な って いま す 。 近 代 西 洋 文 明 を 受 容 す る 以 前 に 、 日 本 は 中 国 の文 物 を 受 容 し ま し た が 、
受 容 と い う こ と 自 体 の う ち に 日 本 の アイ デ ン テ ィ テ ィが あ る よ う に 思 い ま す 。 異 な る文 明 に は 、 反
て 活 か し て き ま し た 。 日本 の社 会 に は 様 々な 文 明 が 生 き て共 存 し て いる と す れ ば 、 そ う いう 異 な る
発 す る の が 普 通 です 。 イ ス ラ ム原 理 主 義 な ど は そ の典 型 で し ょ う 。 し か し 、 日 本 は 外 の文 明 を 入 れ
も のを 活 か す こ と の でき る 資 質 を も って い る と いう こ と です 。 し た が って 、 日本 と は 多 様 な 文 明 の
日本 人 の文 化 資 質 は 世 界 の多 様 な 文 明 を 多 様 な ま ま に 活 か し て いく 媒 体 に変 ず る こ と が で き る よ う
共 存 す る 文 化 空 間 、 いわ ば 世 界 の生 き た 博 物 館 だ と い う ア イ デ ン テ ィ テ ィを 日本 人 が 確 立 し た と き 、
に 思 いま す 。
マル ク スか ら ラ スキ ン へ
マルク スから ラ スキ ン へ
3 富 の 再 定 義︱︱
①
無視 さ れ て き た ラ スキ ン
Carl 一七 yl 九e 五 ∼ 一八 八 一) は 経 済 学 を
﹁陰 欝 な 学 問
(d i sm alsc ien
私 の 専 門 は 経 済 史 で す が 、 ジ ョ ン ・ラ スキ ン (Joh Rn uskin一八 一九 ∼ 一九〇〇 ) が 師 と 仰 いだ ト マ ス ・カ ー ラ イ ル (T homa s
済 史 と い う 学 問 の生 誕 に は 、 し か し 、 ラ ス キ ン の 影
ce)﹂ と 呼 び ま し た 。 経 済 史 は そ の 一分 野 で す 。 経
響がありました。 経 済 史 学 の 主 題 の 一 つは 、 イ ギ リ ス が な ぜ 世 界 最 初 の産 業 革 命 を 経 験 し た のか 、 と いう も のです が、 ﹁イ ギ リ ス産 業 革 命 ﹂ を 最 初 に 学 問 的 主 題 に し た の は オ ック ス フ ォ ー ド 大 学 の ア ー ノ ル ド ・ト イ ン ビ ー (一八 五 二 ∼ 一八 八 三 ) で す 。 こ の ト イ ン ビ ー は 同 姓
ジ ョ ン ・ラ ス キ ン
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In st d ri u alRevot lo i un to hf e
Ein gt hh te nt C eu eri y n
Englと an しdて 公 刊
同 名 の 有 名 な 歴 史 家 の 叔 父 で す 。 ト イ ン ビ ー は 三 十 一歳 で夭 折 し ま し た が 、 弟 子 が そ の 講 義 録 を 一八 八 四 年 にLec tures
て いま す 。 ト イ ン ビ ー の遺 著 は わ が 国 へは 一九〇 八 年 に ﹃英 国 産 業 革 新 論 ﹂ ( 吉 田 巳之 助 訳 ) と し
し ま し た 。 そ の 内 容 は 産 業 革 命 が 生 ん だ 社 会 悪 を 糾 弾 し 、 社 会 を 改 善 し よ う と いう 情 熱 に あ ふ れ
て は じ め て 紹 介 さ れ ま し た 。 以 来 、 各 種 の 訳 が 刊 行 さ れ 、 ト イ ン ビ ー ﹃英 国 産 業 革 命 論 ﹄ と し て
人 口 に膾 灸 し た の で す が 、 ト イ ン ビ ー は 学 生 時 代 に は ラ ス キ ン に い た く 私 淑 し て お り 、 ラ ス キ ン
Mor ris一八 三 四 ∼ 一八 九 六 ) は ト イ ン ビ ー の名 講 義 に 感 激 し て社 会 主 義 に 身 を 投 じ た と い
一方 、 ラ ス キ ン も ト イ ン ビ ー を こ と の ほ か 気 に 入 っ て い た よ う で す 。 ウ ィ リ ア ム ・モ リ ス
の フ ェ リ ー ・ヒ ン ク シ ー の 道 路 工 事 の と き に も 先 頭 に た ち ま し た 。
(Wi l l i am
ラ ス キ ン は オ ッ ク ス フ ォ ー ド 大 学 教 授 時 代 の 一八 七 一年 に Rus ki n SchoolofDr awing and
Fi ne
わ れ て い ま す 。 経 済 史 学 と は 切 って も 切 れ な い ト イ ン ビ ー を 介 し て 私 は ラ ス キ ン を 知 り ま し た 。
Ar tを 開 校 し ま し た が 、 そ の場 所 は ハイ ・ス ト リ ー ト 七 四 番 地 に あ り ま す 。 オ ック ス フ ォ ー ド 大
ッ ク ス フ ォ ー ド の 思 い 出 と 結 び つ い て いま す が 、 正 直 な と こ ろ 、 英 国 に 留 学 す る ま で 彼 の業 績 に
学 に 遊 学 し た 六年 間 に私 は 近く をし ば し ば 往 来 し ま し た 。 ラ スキ ン の名 に は こと のほ か懐 し いオ
つい ては 無 知 同然 で し た。
ラ ス キ ン の 生 涯 は ふ つ う 一八 六〇 年 を 境 に 前 期 と 後 期 に 分 け ら れ ま す 。 美 術 評 論 家 ラ ス キ ン が
経 済 論 を 著 し た の が 一八 六〇 年 で す 。 ラ ス キ ンは 同 年 に ﹃コ ー ン ヒ ル ・ マガ ジ ン ﹄ に ﹃こ の最 後
の 者 に も ﹂ を 寄 稿 し 、 そ の続 編 の ﹃ム ネ ラ ・プ ル ヴ ェリ ス ﹄ を ﹃フ レ ー ザ ー ズ ・マ ガ ジ ン﹄ に 一
八六 二 ∼ 三年 に寄 稿 し ま し た 。
し かし 、 ラ スキ ンの経 済 論 は 経 済 学 者 に 無 視 さ れ てき ま し た。 母 国 イギ リ ス では 発 表 当 初 か ら
﹁人 道 主 義 の 経 済 学 ﹂
( 河 上 肇 )、 ﹁whatis の 学 問 で は な く 、 ou gh tt o be の学 問 ﹂ ( 瀧 本 誠 一 ﹁ラ ス キ ンの経 済 思 想 ﹂ ﹃経 済 一
猛 烈 に攻 撃 さ れ て出 版 に 支 障 を き た し、 わ が 国 で は ラ ス キ ン理 解 者 か ら
家 言 ﹄ 所 収 )、 ﹁ラ ス キ ン の 経 済 思 想 は 残 念 な が ら 近 代 の 社 会 科 学 の 方 法 と は 無 縁 で あ る ﹂ ( 大熊信
行 ﹃生 命 再 生 産 の理 論 ﹄) な ど と 決 め つ け ら れ ま し た た め に 、 社 会 科 学 の領 域 で は 注 目 さ れ て こ な か った の で す 。
ラ スキ ン見 直 し の気 運
の な い人 文 科 学 は 学 問 に 値 し な い と 思 いま す 。 ラ ス キ ン の 経 済 論 が 人 道 主 義 的 な も の で あ る こ と
ラ スキ ン の経 済 思 想 は 理想 主義 だ と さ れ、 そ れ が科 学 性 の限 界 だ と み な さ れ た の です が 、 理 想
は 間 違 いあ り ま せ ん 。 し か し 、 人 類 の 解 放 を め ざ し た マ ル ク ス の 経 済 学 も や は り 人 道 主 義 的 で あ
( oughtt o be) が 働 く の
っ た と い え ま す 。 さ ら に 、oughtt o be で な い 学 問 は な い は ず で す 。 現 状 の 学 問 的 分 析 は 自 己 認
です 。
﹃文 化 経 済 学 の す す め ﹄ ( 丸 善 、 一九 九 一) が 出 版 さ れ た り し て 、 ラ ス
識 の 一部 で あ り 、 自 己 認 識 は 自 己 改 善 に 通 じ て お り ま す 。 そ こ に は 規 範
しかし、さきごろ池上淳
キ ン経 済 論 の見 直 し が は じ ま り ま し た 。 こ の 新 し い 潮 流 を う け て ラ ス キ ン 経 済 論 の 現 代 的 意 義 を
述 べ て み た い と 思 い ま す 。 ラ ス キ ン経 済 論 の現 代 的 意 義 は 、 マ ル ク ス と の 対 比 に お い て み る と き
に光 彩 を 放 ち ま す 。
の 没 落 は 、 社 会 主 義 の 勝 利 と さ れ ま し た 。 し か し 、 ソ連 ・東 欧 に お け る 社 会 主 義 の 自 己 崩 壊 は そ
マル ク スは 資 本 主 義社 会 の機構 を分 析 し 、 あ わ せ て資 本 主 義 の没 落 を 予 言 し ま し た 。 資本 主義
の経 済 論 に深 刻 な 反 省 を な げ か け て います 。 前 世 紀 から 今 世 紀 にか け て の世 界 史 上 の最 大 の出来
事 の ひ と つ は 、 マ ル ク ス主 義 の 生 成 、 発 展 、 没 落 の 過 程 で あ り ま し ょう 。 マ ル ク ス 主 義 を ど う 定
義 す る か は 別 と し て 、 ソ連 ・東 欧 で マ ル ク ス主 義 の も と に 生 き て き た 人 間 に と っ て 、 マ ル ク ス 主 義 は 昨 日 は 希 望 の 代 名 詞 で し た が 、 い ま や 絶 望 の 代 名 詞 です 。
し て、 こ の二人 に は共 通 点 が あ り ま す 。
ラ ス キ ン は マ ル ク ス (一八 一八 ∼ 一八八 三 ) よ り 一歳 だ け 年 下 で あ り 、 ま った く 同 世 代 で す 。 そ
第 一に 、 両 者 は 同 世 代 で あ る こ と に く わ え て 経 済 学 に 専 心 し た のも 同 時 で し た 。 マ ル ク ス は 一
八 五 九 年 に ﹃経 済 学 批 判 ﹄ を 書 き 、 哲 学 ・政 治 ・法 律 か ら袂 を わ か ち ﹁ブ ル ジ ョ ア社 会 の 解 剖 は 、
こ れ を 経 済 学 に も と め な け れ ば な ら な い﹂ と 宣 言 し ま し た 。 一方 、 ラ ス キ ン は ﹃近 代 画 家 論 ﹄
﹃こ の最 後 の
( 第 一巻 、 一八 四 三 )、 ﹃建 築 の 七 灯 ﹄ (一八 四 九 )、 ﹃ベ ニ ス の石 ﹄ (一八 五 一∼ 三 ) な ど の 美 術 評 論 の
金 字 塔 と 賞 讃 さ れ た 作 品 で 名 声 を き わ め ま し た が 、 一八 六〇 年 に 突 然 に 経 済 学 の書
者にも﹄ ( ﹃ラ ス キ ン モリ ス﹄ 世 界 の名 著 52巻 、 中 央 公論 社 、 所 収 ) を 著 し 、 ﹁そ れ が 以 前 の わ た く し
の た い て い の 著 作 よ り も い っそ う 良 い仕 事 、 以 前 の を み な 合 わ せ た も の よ り も い っそ う 大 切 な 真
理 を ふく ん で いる のだ ﹂ と表 明 し て、 経 済 学 への めり こん だ の です 。
第 二 に 、 両 者 は と も に 、 近 代 経 済 社 会 を 是 と す る J ・S ・ミ ル (一八〇 六 ∼ 七 三 ) に 代 表 さ れ
る主 流 経 済 学 を 俗 流 であ ると 厳 し く 批判 し て、 近 代 社 会 を 批 判 す る 独 自 の価 値論 を 展 開 し まし た。 第 三 に、 両 者 は とも に人 間 の倫 理 を 問 題 に し た のです 。 も と よ り大 事 な 問題 は両 者 の共 通 点 よ り む し ろ違 いにあ り ま す 。
か つて河 上 肇 は ﹃貧 乏 物 語 ﹄(一九 一七) の序 に ﹁ラ スキ ン の有 名 な る 句 にT here si noWealt h,
but i f e l( 富 何 者 ぞ た だ 生 活 あ る の み) と いう こと があ る ﹂ と 触 れ 、 ま た ﹃こ の最 後 の者 にも ﹄
への邦 訳版 ( 石田憲治訳、 一九 一八) に序 文 を よ せ て、﹁一方 に は 、 組 織 改 造 の論 を な す も のに 社
会 主 義 の経 済 学 あ り 、 他 方 に は 、人 心改 造 の論 を な す も の に人 道 主 義 の経済 学あ り。 二者 相俟 っ
て現 代 社 会 革 新 の二 大 思 潮 を な す。 ド イ ツに おけ る第 十 九 世 紀 後 半 の 一大 思 想家 カ ー ル ・マ ルク
ョン ・ラ スキ ンは 則 ち 後 者 を 代 表 す る の第 一人者 なり ﹂と 記 し た こと が あ り ま す 。
スは則 ち 前 者 を 代 表 す る 巨 人 に し て、英 国 ヴ ィク ト リ ア王 朝 時 代 の三 大 文 星 の 一と さ れ る我 が ジ
し かし 、 両 者 の違 いを 河 上 肇 のご と く 社 会 主義 経済 学 と人 道 主 義 経 済 学 と いう ふう に特 色 づ け
て、両 者 の経 済 論 に よ る比 較 と は いえ な いよ う に 思 いま す 。 河上 は ﹃貧 乏 物 語﹄ を 発 表 し て後 、
る のは妥 当 でし ょう か。 そ れ は 両 者 が ど のよ う な 信条 を も って経 済 を 論 じ た か によ る 比 較 であ っ
﹃資 本 主 義 経済 学 の史 的 発 展 ﹄ (一九 二三) で ラ スキ ン の研 究 に終 止 符 を 打 ち 、 そ れ 以後 は マル ク
ス主 義 一本 槍 で進 ん で いく決 意 を ﹁旅 の塵 は ら ひも あ へぬ我 な が ら ま た新 な る旅 に立 つかな ﹂
と いう 歌 に 表 明 し て、 マルク ス経 済 学 の研 究 に本 格 的 に着 手 し、 後 に ﹃資 本 論 入 門 ﹄ (一九 二八 ∼
九) や ﹃経 済 学大 綱 ﹄ (一九 二八)を 発 表 し ま し た 。 河 上 は 、 当 時 の時 世 を 反 映 し て、 マ ルク ス経
済 学 へ傾 斜 し て い った の です 。 そ こ で、 マルク ス主 義 の歴 史 的 役 割 の終 わ った 今 日 的 観 点 か ら 改
め て マ ルク スと ラ スキ ンの経 済 論 を 比 較 し 、 両 者 の重 要 な 相違 を 三点 指 摘 し て み た いと思 いま す 。
マルク スとラ スキンの相違点
第 一は ﹁富 ﹂ の定 義 に つ いて です 。 マル ク スは 資 本 主 義社 会 の富 を ﹁商 品 集 積 ﹂と みな し 、 商
品 の価 値 を 使 用 価 値 と交 換 価 値 の二 つに分 け ま し た ( 左 図参 照 )。 そ し て、 そ の二 つ の価 値 のう
ち マル ク スは交 換 価 値 に分 析 を 絞 り 、 交 換 価 値 の源 泉 が 労 働 力 であ る と 主 張 し た のです 。 いわ ゆ
ころ に あ り ま し た。 マルク スは資 本 家 によ る労 働 者 の労 働 の搾 取 と いう 言 い方 を し て いま す が、
る 労 働 価値 説 です。 マルク ス の関 心 は価 値 の源 泉 であ る 労 働 を だ れ が支 配 し て いる のか と いう と
労 働 の集 積 であ る商 品 に た いし て、 だ れ がど れ だ け 分 け 前 に あ ず か る のか と いう 量 の問題 に終 始 関 心 を 集 中 し て いま す。
ラ ス キ ンは 社 会 の 富 を ﹁価 値 あ る 物 ﹂ と 定 義 し ま す 。 つぎ に ﹁価 値 ﹂ に は 二 つ の 属 性 が あ る と
す る の で す 。 ひ と つ は ﹁本 有 的 価 値 i ntri ns ic av le u ﹂ と いわ れ る も ので、 人 間 に と って有 用 で あ
ろ う がな か ろう が、 物 が 本 来 的 に も って いる価 値 です 。 馬 は 乗 馬 用 に な り 、 小 麦 は 食 用 に な り ま
す 。 し か し 、 人 が 馬 に 乗 ら な く て も 、 小 麦 を 食 べな く て も 、 馬 や 小 麦 の ﹁本 有 的 価 値 ﹂ は な く な
る わ け で は あ り ま せ ん 。 も う ひ と つ は ﹁実 効 的 価 値 ef f ectual av le u ﹂ と いわ れ ま す 。 これ は物 が
人 間 にと って有 用 にな った と き の価 値 の こと です 。 ﹁あ る 物 の経 済 的 有 用 性 は 、 た だ そ の物 自 身
の性 質 ︹ 本有的 価値︺ によ るだ け では な く 、 そ の物 を 使 用 す る こ と が でき 、 ま た そ れ を 使 用 す る
であ ろ う 人 々 の数 に よ る の です 。 馬 はだ れも 乗 る こと が でき な け れ ば 無 用 であ り 、 剣 は だ れ も斬
る こと が でき な いば あ い、肉 は だ れ も食 べる こと が でき な いば あ い、 無 用 であ り 、 売 る こと が で
き ま せ ん 。 こ の よ う に 物 資 的 効 用 は す べ て、 そ れ と 相 対 的 な 人 間 の能 力 に依 存 す る の で あ る 。﹂ ( ﹃こ の最 後 の者 にも ﹄)
物 を有 用 にす る能 力 を ラ スキ ンは ﹁受 容 能 力 accepat ntap cc a i ty﹂ と 呼 び ま し た 。 馬 に乗 れ な
い人 にと って馬 の ﹁実 効 的 価 値 ﹂ は ゼ ロです 。 し か し や が ては馬 に乗 れ る かも し れま せ ん。 そ の
とき 馬 は有 用物 に転 化 し た こと にな り 、 富 と な る の です。 ラ スキ ン の ﹁受 容 能 力 ﹂ は教 育 や努 力
に よ って 鍛 え る こ と が でき るも の であ り 、 可 変 的 な も の です。 こ の受容 能 力 は 量 と いう よ りも 、
物 を 利 用 す る 側 の資 質 に関 わ るも の です 。 物 の価 値 を 決 め る のが 人 間 の能 力 であ る と いう 点 が 、 ラ スキ ン の独 自 の価値 理念 です 。
富 の価 値 が人 間 の能 力 に依 存 す る と いう 見 解 は 近 年 に な って 主張 さ れ出 し まし た。 それ は厚 生
セ ンは人 間社 会 の経 済 的 厚 生 が G N P で 一律 計 量 さ れ る こと に 疑 問 を も ち 、 人 間 が物 を利 用す る
経 済 学 の泰 斗 ア マ ル テ ィ ア ・セ ン (一九 三〇∼) に よ っ て提 唱 さ れ て いる ケ イ パ ビ リ テ ィ論 です 。
(セ ン ﹃福 祉 の経 済 学
財 と 潜 在 能 力 ﹄ 岩 波 書 店 )。 人 間 が 物 を 利 用 し て 自 由 を 獲
こ と に よ って 何 に な り う る か 、 何 を な し う る か 、 と い う こ と こ そ が 経 済 的 厚 生 の規 準 た る べき こ と を 訴 え て いま す
得 で き る 能 力 を セ ン は ケ イ パ ビ リ テ ィと 呼 び ま す 。 こ の 問 題 提 起 は 今 日 、 経 済 思 想 に 大 き な 波 紋
ving, Came b, r1 i8 9 d7) g 。 も っと も 、 セ ン は ラ ス キ ン に は 言 及 し て いま せ ん 。 と も あ れ 、 ラ
を 投 げ か け つ つ あ り ま す 。 (A .Sen,OnEths ic& Ec on omicB sl a ,ckwe ,l 1 9 l87;A.Sen,TheSta ndard of iL
ス キ ンが 富 を 人 間 の能 力 と 結 び つけ て考 え る と いう見 地 を 一世 紀 以 上 前 に 唱 え て いた こと は注 目 す べき こと です 。
第 二 に、 マル ク スと ラ スキ ン の相 違 は 、生 産 と消 費 に関 わ るも の です 。
マル ク スに と っては 生 産 は決 定 的 に 重要 でし た。 マル ク ス は唯 物 史 観 の基 本 思 想 を 述 べた ﹃ド
いる ﹂ と述 べ て いま す 。
イ ツ ・イ デ オ ロギ ー﹄ にお い て ﹁諸 個 人 が 何 であ る か は、 かれ ら の生 産 の物 質 的 条 件 に依 存 し て
一方、 富 と は ラ スキ ンにと って ﹁使 用 可 能 な る も の﹂ です 。 使 用す ると は 消 費 す る こと です 。
生 き る に は 消 費 し な け れ ば な り ま せ ん。 消 費 の目 的 は 生 き ると いう こと です か ら 、 ラ スキ ンは
﹁生 産 の真 の試 金 石 は 消 費 の方 法 と結 果 であ る。 生 産 と いう のは 有 益
﹁生 な くし て富 は存 在 し な い﹂ と いう 命 題 を大 書 し た の です 。 そ し て ﹃こ の最 後 の者 に も ﹄ のな か で こう 述 べて います︱︱
に 消 費 さ れ る も のを つく る こ と ﹂ であ ると 。 こ のよ う に 消 費 を 重視 す る観 点 から 、 彼 は ﹁消 費 こ
そ 生 産 の目 的 であ り 、 極致 であ り、 完 成 であ る。 賢 明 な 消 費 は 、 賢 明 な生 産 より ず っと困 難 な わ
ざ であ る。 金 銭 を も う け る 人 が 二十 人 いるば あ いに、 そ れ を 使 いう る 人 は ひ とり ぐ ら いし か いな
いも の であ る。 個 人 お よ び 国 家 に と って重 大 な 問 題 は ﹃ど れ だ け も う け る か ﹄ と いう こと で はけ
っし て な く 、 ﹃か れ が な ん の目的 に費 や す か ﹄ と いう こと であ る ﹂ と説 いた の です 。 金 余 り の日
本 人 が マネ ー ・ゲ ー ム に走 り 、 バブ ル の つけ を は ら わ さ れ て いる いま 、 ラ スキ ンの卓 見 は 傾 聴 に 値 す る でし ょう。
第 三 の相 違 点 は、 文 化 の重 要 性 に つ いて の両 者 の自 覚 の違 いで す。
マル ク スは 、 前 述 の ﹃経済 学 批 判 ﹄ の有 名 な 序 言 で、 文 化 は ﹁法 律 、政 治 、宗 教 、芸 術 ま た は
哲 学 、 つづ め て い えば イ デ オ ロギ ー の諸 形 態 ﹂ だ と い い、 ﹁人 間 の社 会 存 在 が そ の意 識 を き め
る﹂ と い って おり 、 マル ク ス経 済 学 と 対立 し た古 典 派 経 済 学 も (マ ルク スの死 後 の新 古 典 派 経 済
を め ぐ って対 立 し ま し た 。 し か し 、 対 立 し てき た 資 本 主 義 と共 産 主義 のう ち片 方 の ソ連 ・東 欧 の
学 も ) おし な べ て文 化 を 経 済 と 別 物 と み な し 、 経済 中 心 主義 でし た。 そし て両 者 は イ デ オ ロギ ー
共産 主義 イ デ オ ロギ ー が解 体 し 、 イ デ オ ロギ ー の対 立 時 代 は 終 わ り ま し た 。
来 た る べき 時 代 は ど のよ うな 時 代 であ る に せよ 、 世 界 経 済 は 相 互 依 存 の度 を ま す ま す 深 め 、地
球 上 の諸 民 族 は 否 応 な く交 流 し なけ れば な り ま せ ん。 民 族 と は 文 化 的 ア イ デ ンテ ィテ ィを 共 有 す
る人 間 の集 団 です 。 いま や 、 世 界 は 民族 交流 の問題 を 考 えざ るを 得 な い時 代 に入 って いま す 。 新
時 代 は、 各 民 族 ・国 民 が 経 済 的 依 存 関 係 を 通 し て、文 化 交 流 と とも に文 化 摩 擦 に 日 々直 面 す る時 代 に な る にち が いあ り ま せ ん。
経 済 と 文化 と が切 り はな せな いこ とを 見 抜 いて いた 人 物 こそ ラ スキ ン でし た。
ラ スキ ンに よ れ ば、 富 は、 物 がも って いる固 有 の価 値 と 、 そ れ を 活 用 でき る 人 間 の能 力 の二 つ
から な って いま す 。 富 が物 か ら 成 る こと は 明 ら か です 。 そ の富 が 物 のみ な ら ず 、人 か ら成 る と い った と こ ろ に ラ スキ ンの真 面 目 が あ り ま す 。
と です 。 物 を 大 切 にす る こと は 、 浪 費 の いま し め です 。 人 を 育 てる こと は 教育 の重 視 です 。
こ こ か ら 二 つの指 針 が出 てき ま す 。 ひ と つは 物 を 大 切 に す る こと 、 も う ひ と つは 人 を育 てる こ
ラ スキ ンは消 費 の大 切 さ を 説 き ま し た が 、 そ れ は ケ イ ンズ のよ う に 雇 用 を創 出す る た め の需 要
の重 視 と か、 大 量 消 費 を す す め るた め では あ り ま せ ん でし た 。 む し ろ 消費 に際 し て ﹁何 が役 に た つか、 何 が破 壊 的 かを 弁 別 す る こと ﹂ の大 切 さ を 説 いた の です。
軍備 は富 ではない
認識 し、 評価 す る、 と いう 行 為 です 。 物 を 評 価 でき る 能 力 を 養 い、富 を利 用す る能 力を 高 め る に
物 は、 そ の価 値 を 知 ら な け れ ば 利 用 でき ま せん 。 物 の固 有 の価 値 を 知 る 努力 は 、物 を観 察 し、
は、 教 育 が要 り ま す 。 ラ スキ ンは ﹁教 育 が 普 及 し て、 教 育 が 高 ま れ ば 、 お のず と生 の重 要 さ に目
覚 め る。 ⋮ ⋮贅 沢 さ、 浪 費 と いう のは 無 知 な 人 間 が 共 有 し て いる ﹂ と 述 べて お り 、物 が 、単 な る
物 では な く、 人 間 に と って の富 にな る には 、 教 育 と 教 養 に 依 存 す る こと 、 そ し て無 知 を克 服 し教 養 を育 む こと の大 切 さ を訴 え た のです 。
大 切 な こと は ﹁生 の持 続 に と ど ま ら ず 健 康 で幸 福 な 生 の持 続 ﹂ です 。 ﹁価 値 の生 産 は つね に ふ
た つ の要 素 を ふ く みま す 。 本 質 的 に有 用 な 事 物 を 生 産 す る と いう こと 、 つぎ に そ れ を使 用す る能
力 を 生産 す る こと ﹂ です 。 馬 は、 それ に乗 る こと が でき な け れ ば 富 では あ り ま せ ん。 人 の健 康 と
幸 福 を 増 進 す る物 が 富 であ って、 そ れ 以外 の物 は むし ろ有 害 です 。 通 常 、 G N P は 各 国 の富 の統
計 と みな さ れ ま す 。 G N P 統 計 に は 、核 兵 器 の生 産 も 勘 定 さ れ て いま す 。 ラ スキ ンの立 場 か ら す
れば 、 核 兵 器 そ の他 の軍 備 は 富 では あ り ま せ ん。 軍備 は、 それ を 用 いれ ば 、 生 を 破 壊 し ま す 。 ゆ え に それ は ラ スキ ンの いう 富 の反 対 物 な の です 。
ど の国 民 も ﹁物 mat eri al th ni gsを も って構 成 さ れ た、 富 の国 民 的 資 産 nati na oltor s﹂ を も っ e
て いま す 。 そ のよ うな 国 民 的 資 産 を みれ ば 、 お のず と 国 民 の品 位 が 分 か り ます 。 国民 の品 位 を 高
め る こと は 、 国民 が物 の受 容 能 力 を 養 い、 国 民 一人 一人 が 個性 を伸 ばす こと に ほ かな り ま せ ん。
個 性 の涵 養 は 、美 や公 正 の自 覚 を うな がし ま す 。 こ の能 力 は 教 育 に よ って啓 発す る こと が 可能 で
す 。 同 時 に そ れ は ま た教 育 を欠 く な ら ば 、 必 然 的 に減 退 す る の です 。
ラ スキ ンは ﹁バタ ー か大 砲 か ﹂ と いう 二者 択 一を い って いる の では あ り ま せ ん 。 大 砲 は は じ め
せん 。 真 に個 性 を 増 進 す る た め の物 を みき わ め よ、 と い って いる の です 。 富 は 生 な く し てあ り ま
か ら 選 択 肢 に は 入 って いな い の です 。ま た バ タ ー であ れ ば 何 でも よ いと い って い る の では あ り ま
せ ん。 生 は人 な く し てあ り ま せ ん 。 人 は 一人 一人 が個 性 です 。 個 性 を 高 め る こと が生 の増 進 です 。
人 間 一人 一人 の生 の増 進 に つ い て当 ては ま る こと は、 各 々 の国 民 ・民 族 にも あ て はま り ま す 。
国 民 ・民 族 の文 化 交 流 の時 代 です 。 文 化 を 高 め る こと が生 命 活 動 の維 持 ( 経 済 生 活 ) の本 質 であ
政 治 的 イ デ オ ロギ ー が対 立 し た マル ク ス の世 紀 が終 わ ら ん と し て いま す 。 これ から は、 異 な る
る と ラ スキ ンは喝 破 し て いま し た 。 予 言 者 ラ スキ ン の声 に 耳 を 傾 け る時 でし ょう。 二十 世 紀 が マ
ルク ス の遺 産 を食 い つぶし た時 代 であ った と す れ ば 、 二十 一世 紀 は ラ スキ ン の遺産 目録 を 開 い て
み る べき 時 代 では な い でし ょう か。
② ラ ス キ ン経 済 論 と 日本 の伝 統
今 日 の 日本 は世 界 で最大 の富 を有 す る大 国 のひと つです 。 そ の富 を ど う 有 効 に 使 う か に つい て
政 策 理念 を も つ べき時 期 にき て いま す 。 バブ ル経 済 の崩 壊 は 、 経 済 大 国 に お け る 金 の使 い方 に つ
い て猛省 を 迫 り、 日本 人 の器量 が改 め て問 いかけ ら れ て いる事 態 であ る と いえ ま す 。 十 九 世紀 後
半 イ ギ リ スが 世界 最大 の経 済 大 国 であ った時 代 、 そ のま った だ な か に 生 き た ラ スキ ンが富 に つ い
てど う考 え て いた のか を顧 み る こと は、 今 日 の指 針 を 得 る た め に 有 益 だ と 思 いま す。
﹁ポ リ テ ィカ ル ・エ コ ノミ ー の基 本 原 理 に 関 す る 四論 文 ﹂ と いう副 題 を も つ ラ スキ ンの ﹃こ の
最 後 の者 に も ﹄ は、 そ の序 文 に ﹁わ たく し は これ を 、 わ た く し が これ ま で書 いた も の のう ち最 上
のも の、 つま り 最も 忠 実 で、 最 も 正 し く 述 べら れ 、 そ し て最 も 世 を 益す る も のと信 じ て いる。 そ
し てそ の最後 の論 文 は、 とく に労 力 を 費 やし た も の で、 お そ ら く これ 以 上 のも のは今 後 書 け な い
であ ろ う ﹂ と 述 べた ほ ど、 ラ スキ ンにと って の っぴ き な ら ぬ重 要性 を も った作 品 でし た。
ラ スキ ン の経済 哲 学 は、 主 流 の経 済 学 と は 基 本 的 な 考 え 方 が 異 な りま す が、 わ れ わ れ 日本 人 の
伝統 的 な 経済 倫 理観 と そう 隔 た った と ころ にあ る の では あ り ま せ ん。 素 直 に傾 聴 でき ると ころ が
少 な く な いよ う に 思 いま す 。 む し ろ 主 流 の経 済 学 の前 提 の方 に こそ違 和 感 が多 い のです 。 私 自 身 、
経 済 学 を勉 強 し た て の頃 を 思 い出 す と そ う です 。 一方 、 ラ スキ ン の考 え方 は 日本 人 に は自 然 にな
じ め る と ころ が あ る の です。 そ れ を 一、 二点 ほ ど指 摘 し てみ ま し ょう 。
﹃こ の最 後 の者 にも ﹂ の序文 に 同 書 の目 的 に つ いて、 こう 述 べ ら れ て いま す︱︱
﹁富 の正 確 に
し て確 固 不 動 の定 義 を 示 す こと が 、 以 下 の諸論 文 の第 一の目 的 であ った 。 そ の第 二 の目 的 は 、 富
の獲 得 が結 局 は社 会 のあ る道 徳 的 諸 条 件 のも と に お い て のみ 可能 であ る こと を 示 す こと ﹂ と 。
ラ スキ ンが第 一の主 題 と し た 富 の定 義 に つい ては 、先 に マルク スや ア マ ル テ ィ ア ・セ ンの富 の
定義 と比 較 し な が ら述 べま し た。 ラ スキ ンに よ れ ば 、 富 は 物 が も って いる 固有 の価 値 と、 そ れを
活 用 でき る 人 間 の能 力 と か らな り ま す 。 富 が 物 と と も にそ れ を 利 用 す る 人 を構 成要 件 と す る とし
た と ころ に ラ スキ ン の真 骨 頂 が 見出 さ れま す 。 富 の利 用 と は 消 費 の こと です か ら 、 ラ スキ ンは消
費 す る人 間 の能 力 を 開 発 す る教 育 を重 視 しま し た。 し かし 、 彼 は生 産 者 の こと を 忘 れ て いた わ け では あ り ま せん 。
日本 人の心と相通ずるラ スキンの商人観
ラ スキ ンが 第 二 の主 題 とし た富 を めぐ る道 徳 的 諸 条 件 の議 論 は お も に 生産 者 を め ぐ る も のです 。
ラ スキ ンは 生 産 を め ぐ る道 徳 的 条 件 に つ いて第 一論 文 ﹁栄 誉 の根 源 ﹂ で論 じ 、 人 間 は 職業 に お い て、 次 のよ う な 本 分 を 担 って いる と 言 って います 。 一、 軍 人 の本 分 は 国 民 を 守 る こと 一、 牧 師 の本 分 は 国 民 を 教 え る こと 一、 医 師 の本 分 は国 民 の健 康 を 維 持 す る こと
一、 法 律 家 の本 分 は 正義 を施 行す る こ と 一、 商 人 の本 文 は 物 資 を 供給 す る こと
ラ スキ ンの いう ﹁商 人 ﹂ は 物質 の生 産 ・流 通 にた ず さ わ る人 間 、 す な わ ち 、 経 済 活 動 に お い て物
資 の供 給 に従 事 す る 経 済人 の こと です 。 ラ スキ ンは商 人 の本 分 を 物 資 の供 給 に も と め ま し た 。 そ
し て、 商 人 は そ の本 分 を達 成 できな け れば 、 国 民 のた め に死 ぬ べき だ 、 と 言 う の です 。 軍 人 が戦
場 で自 己 の任 務 を す てる と き 、 医師 が疫 病 のさ いに看 病 を 怠 る と き 、 法 律 家 が 不 正 を 黙 認 す る と
﹁そ の国 民 のた め に 死 ぬ こと だ ﹂ と いう のは、 強 烈 な 職 業 倫 理 です 。
き 、 死 ぬ べき であ る のと 同 じ だ と 説 い て います 。 商 人 が 国 民 への物 資 の供 給 を 怠 った と き に は
主 流 の経 済 学 が 前 提 に し て いる人 間観 は ホ モ ・エ コ ノミ ック スであ り 、 生 産 者 は 利 潤 の最 大化
を は かり 、 消 費 者 は 効 用 の最大 化 を は か るも のと され て いま す 。 生 産 者 ・消 費 者 も と も に欲 望 を
最 大 化 す る こと を 議 論 の前 提 に し て いる わけ です 。 ラ スキ ンは こ のよ う な 前 提 に 深 刻 な 疑 問 を な
げ かけ て いる の です 。 経 済 に 従 事 す る者 を、 この よう な 利 己 主 義 者 と み る か ら 、 そ こに 軽 蔑 が生
じ ると いう の です 。 ラ スキ ンは 経 済 活動 に従 事 す る者 を 蔑 視 し た の では あ り ま せ ん 。 逆 です 。彼 は こ う言 って いま す 。
の人格 に 属 す る も のと 永 久 にき め つけ て し ま う の であ る 。 ( し かし )世 間 も こう いう こ とを や
世 間 は知 ら ず 知 ら ず のう ち に 、 自 分自 身 の主 張 にし たが う 商 業 人 を 非 難 し 、 か れ を 劣 等 な 部類
めな け れ ば な ら な いこと に気 づ く であ ろ う。 す な わ ち 、 世 間 は 利 己 心 を 非 難 す る こと を や め て
は な ら な いが、 ま た利 己 的 な ば か り では な いよ う な商 業 を 発 見 し な け れ ば な ら な い であ ろ う 。
いや、 むし ろ世 間 は、 世 間 が 商 業 と 呼 ん でき た も のは ま ったく 商 業 では な く て詐 欺 であ った こ
と を 発 見し なけ れば な ら な い。 ⋮ ⋮ 商 業 は 人 に 説 教 し 、 あ る いは人 を 殺 す 職 業 以 上 に、 紳 士 が
日 々従 事 す る必 要 のあ る職 業 であ ると いう こと 、 そ し て市 場 は説 教 壇 と おな じ よ う に殉 教 者 を
( ﹃この最後 の者 にも﹄)
も つこと が でき るし 、 商 業 は 戦 争 と お な じ よ う に 英 雄 を も つ こと が でき る と いう こと を 世 人 は
発 見 す る であ ろ う。
経 済 活 動 す な わ ち ラ スキ ン の いう ﹁商 業 ﹂ が紳 士 の職 業 であ る と いう のは 、商 業 人 に た いす る 最 高 の賛 辞 です 。
﹁商 人皆 農 工 と な ら ば 、 財 宝 を 通 す 者 な く し て、
せん 。 商 人 の存 在 意 義 を 積 極 的 に主 張 し た石 田梅 岩 (一 六八五 ∼一七 四四) の石 門 心 学 は ま さ に そ
こ のよう な ラ スキ ンの経 済哲 学 に 似 た商 人 観 を 日本 人 の中 に見 出 す のは さ ほど 困 難 では あ り ま
れ です。 ﹃都 鄙 問答 ﹄ ( 岩波 文庫) に いわ く︱︱
万人 の難 儀 と な ら ん﹂ と 。 そ し て ﹁売 利 を 得 る は商 人 の道 な り 。 ⋮ ⋮ま こと の商 人 は 先 も 立 て、
我 も立 つ こと を 思 ふな り ﹂ と 。 これ は商 人 の職分 を説 いたも のです 。
梅 岩 は 職 分 に つい て ﹃斉 家 論 ﹄ ( ﹃日本思想体系﹄第 四二巻、岩波書 店、 所収) に いわ く︱︱ ﹁上 よ
り下 に いたり 職 分 は異 な れ ど も 、 理 は 一な り 。 ⋮ ⋮士 農 工商 のお のお の の職 分 異 な れ ど も 、 一理
を 会 得 す る ゆ へ、 士 の道 を いえば 農 工商 に通 ひ、 農 工 商 の道 を い へば士 の道 に通 う ﹂ と。 士 農 工
商 は 道 と し て平等 だ と いう のです 。 そし て職 分 の根 本 に ﹁正直 ﹂ を 置 いた の です 。ま た 同書 に い
( あ り のまま ) にす る は正 直 な ると ころ な り 。 世 間 一同 に 和 合 し 、 四海 のうち
わ く ﹁万 民 は こと ご と に天 の子 な り 。 故 に人 は 一箇 の小 天 地 な り 、 小 天 地 ゆ へ私欲 なき も のなり 。 ⋮ ⋮ あ り べか かり
皆 兄 弟 のご と し。 我 願 ふ と こ ろ は. 人 々 こ こ に至 ら しめ ん た め な り ﹂ と 。 職 分 を本 分 と おき かえ れ ば ラ スキ ン の主 張 と変 わ る と こ ろ はあ り ま せん 。
経 済 活 動 の根本 に ﹁正直 ﹂を おき 、 そ の大 切 さ を 諄 々と 説 いた と ころ も 、 両 者 は 酷似 し て いま
す 。 ラ スキ ンは ヴ ェネ チ ア人 の重 ん じ た ﹁不 義 の宝 は 益 な く 、 正 義 は 死 を 免 れ さ せ る ﹂ と いう格
言 を 引 き 、 不 正 な 手 段 に よ って 得 た富 の真 の結 末 は、 死 あ る のみ と 注 意 を う な が し て います 。 同
様 の こ と を 石 田 梅 岩 も ﹁不 直 に し て生 け る と い へど も 死 人 に 同 じ 、 お そ る べ き こ と な り ﹂ (同
右) と 述 べ て いま す 。 ﹁不 直 ﹂ と は 正 直 で な いと いう こ と で す。 ラ スキ ン の商 人 観 は 、 日本 人 の 心 の中 にも 近 世 以 来 あ った と いう こと で す。
ラ スキンの美意識 と柳宗悦 の美学
生 産 活 動 は、 生 産 者 と と も に 、 生 産 物 を は な れ ては存 在 し ま せん 。 ラ スキ ンが 聖 ロ コ講 堂 の テ
ィ ン ト レ ット の天 井 画 が破 損 し て いる のに 心 を いた め 、 ﹁ヴ ェネ チ ア の テ ィ ント レ ット の絵 画 こ
であ る ﹂ と述 べた のは よく 知 ら れ て いま す 。
そ、 ま さ に ヨー ロ ッパ にお け る 富 のう ち 最 も 重要 な 品 々 であ り 、 人 間 の勤 労 の現 存 最 上 の生 産物
ひ る が え って日 本 の柳宗 悦 (一八八九∼ 一九 六 一)は 、 民芸 の研究 、 と いう よ り 民芸 と いう 新 し
い美 学 の樹立 者 です が、 彼 は庶 民 の 日常 生 活 品 に 美 を 発 見 し、 それ を ひろ く 世 に 知 ら し め ま し た 。
ラ スキ ンの眼 が最 高 級 の西 洋 美 術 に そ そ が れ て いた のと ち が い、 柳 宗 悦 の眼 は ﹁下 手物 の美 ﹂
に そ そ がれ ま し た 。 柳 宗 悦 は ﹁下 手 物 ﹂ な いし ﹁雑 器 ﹂ つま り だ れ も が 買 い、 だ れ も が 手 に触 れ
る 日 々 の用 具、 床 の間 や室 を 飾 るた め のも の では な く、 台 所 や 居間 にあ る 日用 品 に美 を 見 出 し 、
だ れ も が 用 いる が ゆ え に無 頓 着 に う ち 捨 てら れ て いた雑 器 を美 的 存 在 と し て認 識 し ま し た 。 雑 器
の美 に つ いて柳 宗 悦 が語 ると き 、 同 時 に そ の生産 と使 用 に つ いても 語 り ま し た 。 そ の こと は 、 経
済 に つい て語 る こ と に ほ かな り ま せん 。 柳 の美 学 は経 済論 と結 び つ いて いま す 。
も ち ろ ん 、庶 民生 活 の雑 器 に着 目 す る柳 宗 悦 と 、 高 等美 術 を 見 る高 い眼を も つこと の大 切 さ を
説 いた ラ スキ ンと の違 いは小 さく あ り ま せ ん 。 これ は 柳宗 悦 が 親 し んだ 仏 教 と、 ラ スキ ンが親 し
ん だ キ リ ス ト教 と の相 違 を反 映 し て いる の でし ょう 。 し か し 、美 学 と経 済を 結 び つけ たと こ ろ は
共 通 し て いま す 。 も ち ろ ん物 の美 は、 それ を つく る 生 産 者 の精 神 の反映 で す。 そ こ に両 者 が宗 教 を論じた理由があります。
柳 宗 悦 に ﹃南 無 阿 弥陀 仏 ﹄ ( 岩波文庫) と いう書 物 があ り ます 。 日本 に おけ る仏 教 の流 れ に は自
で とら えま し た 。 他 力 と は 仏 に ﹁生 か さ れ て いる ﹂ と いう 思 想 です 。
力 本 願 と 他 力 本 願 が あ り ま す が 、 柳宗 悦 は、 他 力 本 願 の完 成 過 程 を 法 然↓ 親鸞↓ 一遍 と いう 流 れ
英 語 の授 業 に お い て受 動 態 と能 動 態 と いう のを 習 いま す 。 ﹁生 か さ れ て い る﹂ と いう の は受 動
態 です 。 これ を 能 動 態 にす れ ば 、 ﹁生 き る﹂ で はな く 、 ﹁生 ( 活 )かす ﹂ にな り ま す 。 江 戸 時 代 に 日
ん。 近 世 の宮 崎 安 貞 ﹃農 業 全 書 ﹄ ( 岩波文庫)は 労 働 集 約 型 の 日本 農 法 を 示 し て いま す 。 そ こ には
本 人 は大 変 勤 勉 にな った と いわ れ ま す が 、 これ は ﹁物 ﹂ を生 かす と いう生 活 態 度 に ほか な り ま せ
です。 生 産 す る物 を 大 切 にす ると いう 姿 勢 です 。
穀 物 ・野菜 ・果 物 を 育 て、 世 話 を す る姿 が 描 か れ て いま す 。 生 産 主 体 は 育 てる物 の道 具 のご と き
﹁生 かす ﹂ と いう のは す ば ら し い姿 勢 です が、 そ こに は 、 生 か さ れ る対 象 を重 視 す るあ ま り 、
分 が死 ぬ と いう 形 です 。 ﹁忠 ﹂ は そ の よ う な 価 値 の表 現 でし ょう 。 和 辻 哲 郎 (一八八 九 ∼ 一九六〇
生 かす 主体 が犠 牲 にな ると いう 問 題 が は ら ま れ て いま す 。 そ の究極 の形 は対 象 を生 かす た め に自
)が ﹃日本 倫 理 思 想 史 ﹄ ( 岩波書店) で弥 陀 へ の絶 対 帰依 と武 士 の献 身 と を 結 び つけ て いま す よ
であ り 、受 動 態 です 。 献 身 は自 己 を 無 私 の立 場 に し て与 え る こと であり 、能 動 態 です 。
う に、 ﹁慈 悲 の道 徳 ﹂ と ﹁献 身 の道 徳 ﹂ と は 深 い連 関 があ り ま す。 慈 悲 は 心 を 開 い て受 け るも の
近 代 に な って、 ﹁個 人 主 義 ﹂ の思 想 が 西 洋 か ら も た ら さ れ ま し た 。 こ れ に よ って ﹁自 我 の確
立 ﹂ と いう大 問題 を 近 代 日本 はか か え こみ ま し た 。 相 手 を ﹁生 かす ﹂ と いう従 来 の思 想 と 、 自 分
が 中 心 にな って ﹁生 き る ﹂と いう 近 代 の思 想 と は か な ら ず し も 融合 しな いで、 両 者 は正 反 対 の価 値 と し て対 立 し てき た よ う に思 わ れ ま す 。
いま 必要 な のは、 両 者 を 対 立 的 にと ら え る こと では な く 、両 者 を両 立 す る こと です 。 す な わ ち
相 手 を 生 か す こと に よ って自 分 が よ り よ く 生 き ら れ ると いう 認識 、 献 身 ( これには男女 の愛、育 児、
が り 、 富 と し て の物 の形 成 が自 己 形 成 に つな が ると いう 認識 です 。 ﹁生 かす ﹂ と いう 日本 人 が 近
教育 、さらにNGO ︹ 民間公益団体、非政府機関︺ の活動を含 めても いいと思 います )が 自 己 形 成 に つな
代 ま で に獲 得 し た姿 勢 と 、 ﹁生 き る﹂ と いう 日本 人 が近 代 に 獲 得 し た 姿 勢 と を 統 合 す る こと が 課
題 です。 ラ スキ ン の遺 産 を 開 く こと は 、 日本 の伝 統 ( 遺産 ) への眼 を開 く こと でも あ り ま す 。
4
市 民 から 士 民 へ
企業社会 のゆ らぎ
勤 務 先 の大 学 で卒 業 生 を 毎 年 見 送 って いる と 、 優秀 な人 材 は 、少 な く とも 数 の上 で は、 政 界 や
学 界 と いう より 、 経 済 界 に職 を 求 め て いき ま す 。 では 、 経 済 界 の単 位 で あ る 個 々 の企 業 は、 彼 ら
のよ き自 己実 現 の場 たり 得 て いる でし ょう か 。 企 業 人 の休 日 の姿 が ﹁粗 大 ゴ ミ ﹂ と いわ れ、 退 職
いう ハイ カ ラな 言 葉 で飾 る のは 滑 稽 で す。 休 日 や退 職 後 の 一個 の人 間 と し て の姿 に 人 格 が な く 、
後 には ﹁濡 れ 落 葉 ﹂﹁恐 怖 の ワシ男 ﹂ 等 と揶揄 さ れ る 末 路 であ れ ば 、会 社 を ﹁自 己 実 現 の場 ﹂ と
家 族 か ら も 社 会 か ら も 一片 の敬意 も 得 ら れ な い帰結 を生 む会 社 中 心 の人 生 に、 疑 いが な げ か け ら れ る の は当 然 です 。
ど う し て、 こ のよ うな こと にな った の でし ょう か 。 そ れ は 大 き く は 日本 に お け る企 業 の社 会 的 役 割 の変 化 に求 め ら れ る よう に思 いま す 。
戦 前 期 の企 業 人 の役 割 の プ ロ ト ・タイ プは 、 日本 に お け る ﹁企 業 の父 ﹂渋 沢 栄 一 (一八 四〇∼
一九三 一)に よ って築 か れ ま し た 。 利 潤 追 及 を 事 と す る の で はな く 、 日 本 国 家 と いう公 に 奉 仕 す
る企 業 人 であ った 渋 沢 は 、 た と え 投 資 先 の利 潤率 が 低 く ても 、 そ の企 業 が 日本 にと って 必要 とあ
れ ば 、 会 社 を 設 立 し ま し た 。 彼 が 名 を 連 ね た会 社 は 五〇〇 余 、手 がけ た事 業 は六〇〇 余 に及 び ま
す 。 渋 沢 は 企 業 人 と し て の果 た す べき 使命 は 国 益 の増 進 にあ る と確 信 し て おり 、 彼 にな ら った企
業 人 は 強 烈 な 国 家 意 識 を も ち 、 公 益 に 奉仕 し て いる と いう自 覚 があ り まし た。 いわ ば 民 間 にあ る
サ ム ラ イ のよ う な 存 在 であ り 、 帰 宅 し ても 家族 に尊 敬 さ れ る 父親 であ り 家 長 であ り 得 た わ け です 。
戦 後 にな ると 、 戦 前 の価 値 が と こと ん 排 斥 さ れ た結 果 、 国 家 優 先 の態 度 はう と ま れ 、 企 業 人 は
企 業 の繁 栄 自 体 を 自 己 目 的 と し ま し た 。戦 後復 興 の目的 は、 政 治 の復 権 や再 軍 備 では な く 、 何 よ
り も 経 済 復 興 であ り 、 企 業 は そ の目的 を遂 行し まし た。 日本 人 は 等 し く 企 業 本 位 の企 業 戦 士 と な
り 、 日本 全 体 が ﹁日本 株 式 会 社 ﹂ や ﹁会 社 主義 ﹂ と いう コ ンセ プ ト で形 容 さ れ 、 企 業 人 は 猛 烈 に
働 き 、 G N P は 増 大 の 一途 を た ど り、 未 曽 有 の富 を 築 き あ げ ま し た 。
今 日、 企 業 の役 割 が変 わ り つつあ る のは 、ま さ に こ の富 裕 化 と いう 事 態 そ のも の のう ち に 見 出
さ れ るよ う に思 いま す 。 ひ と つは 、生 産 の飛 躍的 増 大 が、 マイ ナ スの経 済 価 値 ( 環境破壊、騒音、
る企 業 、 と り わ け 大 企 業 に対 す る社 会 の眼 が一 段 と厳 し く な り ま し た 。 も う ひ と つは 、 富 裕 化 の
水 質 汚 染 、 大 気 汚 染 、 産 業 廃 棄 物 、 景 観破 壊 等 ) を 随 伴 し た こと です 。 こ のた め に 生 産 主 体 であ
結 果 、 女 子 の高 学 歴 化 が 進 み 、 女 性 の社 会 進 出 を促 し た こと です 。 特 に女 性 の社 会 進 出 に 注 目 す る べき です 。
経 済 活 動 は 生 産 ・供 給 に対 し て、消 費 ・需要 がな け れ ば 完 結 し ま せ ん 。 経 済 学 の教 科 書 で、 生
産 主 体 は ﹁企 業 ﹂、 消 費 主 体 は ﹁家 計 (hoeh uo s d) l﹂ と いわ れ ま す が 、 ﹁家 計 ﹂ の概 念 はも ち ろ ん
家 庭 か ら 抽象 さ れ た も の です 。 ﹁家 計 ﹂ の主 役 は 女 性 でし た が、 そ の主 役 す な わ ち 消 費 主 体 で あ
る女 性 が、 生 産 主 体 と し て の ﹁企 業 ﹂ に 進 出 し てき た こと に より 、 これ ま で家 庭 に埋 没 し て いた
女 性 の新 し い価値 が男 性 優 位 の企 業 社 会 にも ち こま れ ま し た。 生 活 優 先 の価 値 観 です 。 消 費 者 が
軽 視 さ れ てき た 一因 は、 消 費 主 体 た る女 性 が 企 業 にお い て副次 的 な存 在 であ った こと と 無 縁 では
あ り ま せ ん 。 生 活 本位 ・消 費 本 位 の女 性 的 価 値 が 、 企 業 本 位 ・会社 主 義 の男 性的 エート スに揺 れ を も た ら し て いる の です。
生 き と し 生 け る 物 に と って、 生 死 に か かわ る大 事 は生 産 より も 消 費 です 。 動 物 が ﹁物 づ く り ﹂
に従 事 せず 、 消 費 を 常 態 に し て いる こと に 照 ら せば 、 生 き る こと の基 本 が消 費 であ る こと は 自 明
です 。 生 産 は、 ひ っき ょう 、 消 費 の迂 回 でし か あ り ま せ ん。 企 業 本 位 で邁 進 す る企 業 戦 士 も 、 消 費 者 が力 をも てば 、 所 詮 かな わ な いと 言 わ ざ る を 得 ま せ ん。
企 業 は 、 か くし て、 内 にあ っては 企 業 よ り も 自 分 の生 活 を大 切 に す る 人間 が増 え、 外 にあ って
は 世 間 の眼 を 気 に し な け れば な ら ず 、 ま さ に内 憂 外 患 を か か え る こと に な り ま し た。
﹁生産者﹂対 ﹁消費者﹂ の二項対立を いか に越えるか
し か し 、 いか に 消 費 者 優 先 と い って も 、消 費 者 が善 で、 生 産 者 は 悪 だ と いう 図 式 は あ ま り に も
単 純 です 。 生 産 者 にし ろ 消 費 者 に し ろ 、 理 屈 のう え では ﹁価格 が 一円 でも 安 い方 を 選 択 す る﹂ 存
在 です 。 企 業 は利 潤 の極 大 を 、 消 費 者 は 満 足 の極 大 を は か ろ う と し ます 。 企 業 にも 消 費 者 にも エ
ゴ イ ズ ムがあ るわ け です 。 ホ モ ・エ コノ ミ ック スに お け る 消費 者 は 、 価格 に 還 元 し て 行動 す る人
間 です 。 し かし 、 何 でも 安 いほう を 買 う と いう 態 度 は 、 経 済 行 動 と し て合 理 的 か も し れ ま せ ん が、
卑 し いと 言 わ ざ る を 得 ま せ ん、 いや、 不 正 に さえ な り か ね ま せ ん 。 た と え ば 、 日 本 と ほ ぼ 同 じ 一
億 強 の人 口を も つバ ング ラ デ シ ュは、 労 働 人 口 の七 割 弱 が 稲 作 他 の農 業 に 従 事 し 、 一人当 たり 国
民 生 産 は 年 間 わ ず か 二 二〇 ド ル (一九九 三年) です 。 日本 人 の財 力 を も ってす れ ば 、 そ の穀 物 生
産 のす べ てを 購 入 す る こと さ え 可能 です 。 し かし 、 それ は バ ング ラ デ シ ュの食 物 を 奪 う こと に な
って いま す が 、 消 費 者 が 善 玉 と いう のは 幻想 です 。
り ま し ょう 。 そ れ は 正 義 に 反 し ます 。消 費 は経 済 の本 質 であ り 、 安 い物 を 買 う 自 由 を 消費 者 は も
企 業 人 と 消 費 者 と を あ わ せ た 存 在 は た し か に ﹁生 活 者 ﹂ です 。 企 業 人 と し て の生 活 は 職 場 に あ
り 、 消 費 者 と し て の生 活 の場 は 家 庭 に あ り 、 そ の総 合 が ﹁生 活 者 ﹂ であ ると いう のは 、 そ の限 り
で、 そ の通 り です が、 生 活 は 企 業 と 家庭 で完 結 し て いる でし ょうか 。
めだ と いう のは同 義 反 復 です 。 何 のた め の生 活 か 、 と いう こと こそ 問 題 です 。
そ も そも 、 人 は生 活 す るた め に生 活 し て いる わ け で はあ り ま す ま い。 生 活 者 の目 的 が 生 活 のた
﹁生 活 者 ﹂ よ り も ハイ カ ラな 今 日流 行 の言 葉 に ﹁市 民 ﹂ が あ り ま す 。 corpo r at i vecit en iを z訳し
た ﹁企 業 市 民 ﹂ と いう 用語 も 市 民 権 を 得 つ つあ り ます 。 市 民 と いう 言 葉 には 、 生 産 者 、 消 費 者 の 存立 基 盤 とし て の地 域 社 会 の担 い手 と いう 含 意 が あ り ます 。
市 民 と は社 会 的 存 在 とし て の人 間 を と ら え た 言 葉 です が 、言 うま でも な く 、 市 民 と は シ テ ィズ
ンな いし ブ ルジ ョア の訳語 であ り 、 も と は 城 壁 に 囲 ま れ た 町 のな か に住 む 者 で、 都 会 人 と いう 意
味 を も って います 。 そ れ は ま た行 政 上 の ﹁市 町 村 ﹂ の ﹁市 ﹂ と も強 く結 び つ いて いま す 。 つま り
﹁市 民 ﹂を 主 張 す る の は都 市 的 発 想 だ と いう こと です 。 諸 橋 轍 次 ﹃大 漢 和 辞 典 ﹄ ( 大修館書 店︶は 、
﹁市 ﹂ の字 に つ い て ﹁人 の集 ま って物 品 の交 易 を す ると ころ。 いに し え に 市 場 に 一定 の区 画 が あ
り、 市 場 に物 品 が 集 ま り 、 人 々 が行 ってそ の区 画 内 で売 買 す る 処 ﹂ と 解 説 し 、 ﹁市 民 ﹂ に つ い て は ﹁市 中 に いる民 ﹂と あ り ま す 。 原 義 か ら し ても 都 市 的 な のです 。
し か し、 日本 人 の生 活 の基 盤 は、 都 市 だ け では あ り ま せ ん 。農 村 でも、 漁 村 でも 、 山 村 でも 、
人 び と は 営 々と 生 活 し て いま す 。 ﹁市 民 ﹂ と いう枠 か ら は み だ し た 人 間 が いま す。 し た が って、
﹁生 活 者 ﹂ に か わ る ﹁市 民 ﹂ と いう 言 葉 で 日本 人 を く く る のも 、 や は り 説 得 力 に欠 け る と 言 わ ね ば な り ま せ ん。
富国有徳 の士民とは
笠 谷 和 比 古 氏 が ﹃士 (サ ム ライ ) の思 想 ﹄ ( 日本経済新聞社)と いう本 のな か で、 日本 人 の行 動
様 式 を 十 三 世 紀 あ た り に ま でさ か のぼ って ﹁日本 型 組 織 ・強 さ の構 造 ﹂ を さ ぐ ら れ て いま す が 、
﹁士 ﹂と はも とも と は役 人 を 意 味 し ま し た ( 諸橋轍 次、前掲 書)。 中 国 で ﹁士 大夫 ﹂ は 文人 ・読 書 人
( 代 議士 、 弁 護 士 、 文 士 等 )。 江 戸 時 代 の ﹁士 ﹂ は いう
た る官 吏 を さ し ま し た が 、 今 日 の 日本 で は転 じ て学 徳 のあ る 者 を さ し ( 学 士 、 修士 、 博 士 )、 さ ら に ひ ろ く職 業 名 に 添 え て 用 いら れ ま す
に社 会 的 に肯 定 的 な 価 値 を 付 与 さ れ て いま し た。 明治 時 代 にな り 、 ジ ェント ル マ ンに ﹁紳 士 ﹂ の
ま でも な く 武 士 一般 を さ し 、 ﹁さむ (ぶ)ら い﹂ とも 読 ま れ 、 赤 穂 の義 士 、 草莽 の志 士 な ど のよ う
語 を 当 てた ご と く 、 ま た ﹁人士 ﹂ あ る いは ﹁士 人 ﹂な ど と いう よ う に使 わ れ 、 都 会 、 田舎 を 問 わ
ず 、 地 位 ・教 養 のあ る人 一般 の美 称 、 尊 称 と し て広 く 用 いら れ て いた の です 。
江 戸 時 代 に ﹁士 ﹂ が ﹁さ む ら い﹂ と 読 ま れ た か ら と い って、武 道 が 中核 を な し て いた わけ で は
あ り ま せ ん 。 ﹁士 は も っぱ ら ひ と の道 を 修 す る を も って職 と し 、 心 も 労 し て 人 を 治 む るな り ⋮ ⋮
さ れ ば士 た る も の学 問 せず し て そ の職 を な す 事 あ た はず ﹂ ( ﹃武士道家 訓集﹄)と いう よう に、 根 本
に あ った のは 修学 です 。 新 渡 戸 稲造 ﹃武 士 道 ﹄ ( 岩波書店) が義 、 勇、 仁 、 礼 、 誠 、 名誉 を説 い て
いる と ころ に あ ら わ れ て いる よ う に、 士 の心 を も つ者 は、 志 あ る者 の こと であ り 、 武 術 の達 者 な 者 を さ し ては いな い の です 。
義社会﹄ ( ダ イヤ モンド社 ) で指 摘 し て いま す よ う に、 二十 一世 紀 は 情 報 や コミ ュ ニケ ー シ ョンが
今 日、 ポ ス ト資 本 主 義社 会 への転 換 期 にあ たり 、 予 言 の達 人 P ・ド ラ ッカ ーが ﹃ポ ス ト資 本 主
重 要 な意 味 を も つ ﹁知 識 社 会 ﹂ にな る と 予想 さ れ ま す 。 日本 語 の ﹁人 士 ﹂ ﹁士 民 ﹂ は、 ま さ に 日
本 的 知 識 人 の名 称 であ り 、 つい先 ご ろ ま で使 わ れ て いま し た。 企 業 人 、 消 費 者 、 生 活 者 、 地 域 住
民 の いず れ でも あ り 、 そ れ に 加 え て次 世 紀 の柱 と な る 知 識 プ ラ ス人 格 を も 兼 ね 備 え た 人 間 は 、 ﹁人 士 ﹂ ﹁士 民 ﹂ と いう のが ふ さわ し いでし ょう 。
経 済 大 国 の日本 士 民 に求 めら れ て いる のは 、 清 貧 に甘 ん ず る こと では な いと 思 いま す 。 こ のと
ころ 流 行 の いわ ゆ る ﹁清貧 思想 ﹂ に、 私 は道 学 者 流 の偽 善 を さ え 感 じ ま す。 世 界有 数 の経 済 大 国
で ﹁貧 し く 清 く ﹂ を 説 く こと は 、贅 沢な 言 い草 で はあ り ま す ま いか 。 物 の豊 か さ と 心 の豊 か さ と
は両 立 す る は ず です 。 ﹁士 ﹂ は ﹁富 士 山 ﹂ の ﹁士 ﹂ でも あ り ま す 。 富 士 は 人び と に敬 慕 さ れ る 存
在 です 。 富 士 山 の士 と は 徳 を も つ者 の こと です。 日本 の象 徴 た る富 士 は ﹁富 み か つ徳 のあ る 最 高
峰 ﹂ と いう意 味 です 。 富 士 は不 二と も 書 き 、 不 二 と は並 ぶ も のがな いと いう こと であ り 、 人 に 見
立 てれ ば 、 並 ぶも の のな い個 性 を も って いると いう こと です 。 豊 か な 富 のま った だ な か で清 貧 を
説 く こと よ り も 、 士 民 た る も の、 一個 の人 士 の志 と し て、 ま た 国 づ く り の目 標 と し て ﹁富士 の大
国 ﹂す な わ ち 類 いま れ な る富 国 有 徳 の 日本 を め ざす こと のほう が 現 実 的 であ る と 思 いま す。 そ れ は ﹁内 治 優 先 ﹂ の時 代 の到 来 を 意 味 し て います 。
﹁富国有徳 ﹂に向 けての第 一歩 ︱︱内治優先
陸 と いう観 点 か ら み る と、 日本 社 会 は 海 洋 志 向 の時 代 と 内 陸志 向 の時 代 と を交 互 に繰 り 返 し て い
日本 は島 国 で す か ら、 海 を 渡 ってく る文 明 の波 に 洗 わ れ な が ら社 会 が発 達 し てき ま し た 。 海 と
ま す 。 平 安 、鎌 倉、 江戸 時 代 は内 陸 志 向 、 それ 以 外 の時 代 は 海洋 志向 です 。後 者 は 奈良 時 代 以前 、
室 町 時 代 、 明 治 時 代 ∼ 現 代 の三 つの時 期 に分 け ら れ ま す 。 わ が 国 は 、 三 つの海 洋志 向 の時 代 の末
期 に 、 そ れ ぞ れ 白 村 江 の海 戦 ( 六六三年 ) の敗 北 、 秀 吉 の朝 鮮 出 兵 ( 文禄 ・慶長 の役、 一五九 二︱九
八年) の失 敗 、 太 平 洋 戦 争 (一九四 一︱四五年) の敗 北 と いう 三度 の危 機 を 経 験 し ま し た 。 こ れ ら
三度 の危 機 を 日本 を 襲 った 荒 波 に た と え る と、 日本 人 は海 外 から の撤 退 を 余 儀 な く さ れ るご と に 、 って、 新 し い社 会 を 生 み 出 し てき た よ う に 思 いま す 。
海 洋 志 向 から 新 規 一転 し て内 地 志 向 に 転 じ 、 国 内 のイ ン フ ラ スト ラ ク チ ャーを 整 備 す る こと によ
第 一の荒 波 は白 村 江 で の敗 戦 か ら 半 世 紀 後 に ﹁日 本 国 家 ﹂ の成 立 を も た らし まし た。 第 二 の荒
波 は朝 鮮 半 島 から 撤 退 後 ほ ぼ半 世 紀 し て鎖 国 を 確 立 し 、 アジ ア最 初 の ﹁経 済社 会 ﹂ の形 成 を うな
が し まし た。 第 三 の荒 波 は、 太 平 洋 戦 争 敗 戦 か ら 奇 し く も 半 世 紀 が 経 った いま 、 ま さ に 日本 を襲
って いる ﹁情報 革命 ﹂ です。 現在 、 試 行 錯 誤 のな か で新 し い国 土 形 成 の基 軸 が 情報 ・通 信基 盤 の
整 備 であ る こと が 明 瞭 と な り 、 国内 整 備 の旗 印 が ﹁地 方 の時 代 ﹂ と し て社 会 的 コン セ ン サ スを獲
得 し つ つあ り ま す 。 す な わ ち 、高 度 情 報 化 を基 礎 と し た 新 日本 の建 設 と いう 目 標 が 見 え てき ま し た。
第 一の波 が ﹁政 治 の波 ﹂、 第 二 の波 が ﹁経 済 の波 ﹂ であ った と す れ ば、 第 三 の波 の中 身 は ﹁情
報 の波 ﹂ です 。 いず れ の波 も そ れ が静 ま った と き に、 日本 は内 治 優 先 の定 着 型 社 会 を 形 成 し て い ま す 。 こ の点 に つ いては 説 明 が いる でし ょう。
第 一の波
二 十 八種 )あ りま す が、 そ のな か に、 有 名 な ﹃魏 氏 倭 人 伝 ﹄ のほ か、 わ が 国 に言 及 す るも のが 十
中 国 に は正 史 ( 司 馬 遷 ﹃史 記 ﹄ に 始 ま る 中 国 皇帝 公 認 の歴 史 ) が 二十 四種 ( 数 え 方 によ っては
八 種 あ り ま す 。 そ れ ら を 通 観 す る と、 中 国 人 に よ る わ が 国 の呼 称 が あ る 時 期 から ﹁倭 国 ﹂ か ら
﹁日本 ﹂ へ変 わ った こ と が わ か りま す 。 それ は唐 代 ( 六 一八 ∼九〇七) の こと です 。 ﹃旧 唐 書 ﹄ に七
世 紀 後 半 のわ が 国 に つい て ﹁日本 国 は倭 国 の別 種 な り ﹂ と あ り ま す ( ﹃旧唐書倭国日本伝 ・他 二編﹄
岩波文 庫)。 す な わ ち ﹁日本 国 ﹂ は ﹁倭 国 ﹂ と は 別 物 だ と いう の です 。 中 国 か ら 見 る か ぎ り 、 こ
の列 島 に は七 世 紀 以 前 には ﹁倭 国 ﹂ だ け が存 在 し た のであ り 、 ﹁日本 ﹂と いう 国 は 七 世 紀 後 半 に な って初 め て こ の列 島 に 誕 生 し た と いう こと です 。
そ の契 機 は 、 私 見 では 、 六 六 三 年 の白 村 江 の海 戦 で ﹁倭 国 ﹂ の海 軍 が 壊 滅 し た こと に あ り ます。
そ の敗 戦 か ら 半 世 紀 余 り の間 に、 近 江令 と いう 最初 の律 令 を 施 行 し ( 六六 八年)、最 初 の都 城 制 を
も った 藤 原 京 を 建 設 し ( 六九 四年)、 最 初 の正 史 であ る ﹃日本 書 紀 ﹄ を 完 成 さ せ ま し た ( 七 二〇年)。
つま り 敗 戦 か ら 半 世 紀 余 の期 間 に 、 唐 の制 度 であ る律 令 、 都 城 制 、 正 史 を 受 容 し た の です。 そ れ
には 理 由 が あ り ま す 。 白 村 江 で倭 の海 軍 が 全滅 し た後 、 唐 から 軍 人 が たび た び 来 日し 、 六 六 九 年
に は 二千 余 人 も の大 集 団 が 来 て いま す 。 一種 の占 領 軍 で し ょう。 わ が国 は 戦 勝 国 の唐 帝 国 の外 圧
に さ ら さ れ て いた のです 。 現 代 日本 が 敗 戦 後 、 ア メリ カ を中 核 とす る占 領 軍 の巨 大 な 外 圧 のも と
で新 憲法 を採 択 し て誕 生 し た よ う に 、 七 世 紀 後 半 か ら 八 世 紀 初 め に か け て 、倭 国艦 隊 の全 滅 で海
洋志 向 を断 ち 切 ら れ、 唐 帝 国 の巨 大 な 外 圧 のも と で律 令 を 採 用 し て ﹁日本 ﹂ と いう 国家 が誕 生 し た のだ と いえ ます 。
敗 戦 に よ って、 一つ の時 代 が終 わ り 、 新 し い社 会 を 建 設 し な け れ ば な ら な いと いう 認識 が生 ま
れ 、 担 い手 が 海洋 志向 か ら内 地 志 向 に かわ り 、 内 治 を 優 先 さ せ 、 近 江 令 と いう 最 初 の律 令 を 制 定
し 、 藤 原 京 と いう 最 初 の都 城 制 の都 を建 設 し て、 天 皇 位 を 初 め て設 け 、 天 智 天 皇 が 即 位 し て、 日
本 建 国 を 行 な い、 そ れ を 正 当化 す る ﹃日本 書 紀 ﹄ を 編 んだ と いう 筋 書 き です 。 そ の後 の六 百 年 間
余 り シナ海 の制 海 権 は 中 国 の掌 中 に あ り 、 日本 は内 治 優 先 を 徹 底 さ せ て、 唐 の文 化 を 手 本 と し つ
つも 、 国 風 文 化 を 育 てま し た 。 こ のあ た り の歴史 は周 知 の こと が ら に属 す る でし ょう 。
第 二の波
国 風 文 化 を む さ ぼ って いた 日 本 人 の安 穏 を 破 った のは文 永 の役 (一二七 四年 )・弘 安 の役 (一二
八 一年) いわ ゆ る元寇 で す。 元寇 は ﹁十 万 の衆 、 還 るを 得 た る者 三人 のみ ﹂ と ﹃元 史 ﹄ に み え る
と お り、 惨憺 た る失 敗 に終 わ り ま し た 。 二度 の失 敗 で、 中 国 は シナ海 の制 海 権 を失 いま し た 。 そ
海 の歴史﹄ ( 教育 社歴史
し て再 び 倭寇 の跳 梁す る海 洋 志 向 の時 代 が 訪 れ た の です 。 十 四 ∼ 十六 世紀 の三〇〇 年 間 は 田中 健
夫 氏 の唱 え る〝 海 の歴 史〟 に お け る ﹁倭寇 の時 代 ﹂ です ( 田中健夫 ﹃倭寇
新書)。 環 シ ナ海 域 を 舞 台 に 日 本 人 ( だ け で は な か った の です が ) は 暴 れ 回 った の です 。 そ のあ
た り の事 情 は 村 井 章介 ﹃中 世 倭 人 伝 ﹄ ( 岩波新書) にく わ し く 描 か れ て いま す 。 倭 人 の活 動 の頂 点
と も いう べき も のが文 禄 ・慶 長 の役 です 。 これ は 朝 鮮 では ﹁壬 辰 ・丁 酉 の倭 乱 ﹂ と 呼ば れま し た 。
秀 吉 の朝 鮮 出 兵 は 大 陸 側 か ら み れば 乱 暴 な 海 賊 の別 名 であ る ﹁倭寇 ﹂ 以 外 の何 者 で もな か った の
です 。 し か し 日本 軍 は 李 舜 臣 の率 いる水 軍 に翻 弄 され 、 海 外 遠 征 は 大 失 敗 に終 わ り まし た。 そ の
結 果 、 海 洋 志 向 の ﹁倭寇 の時 代 ﹂ に ピ リ オ ド が 打 た れ 、 続 く 関 が 原 の合 戦 (一六〇〇 年) で は、
海 洋 志 向 の西 軍 が 陸 地 志向 の東 軍 に 敗 れ まし た。 西 日本 の諸 大 名 は 、 一六〇 九 年 に 五〇〇 石 以上
の船 に つ いては 軍 船 ・商 船 の別 な く 幕府 に よ って没 収 さ れ 、 一六 三 五 年 に は ﹁五 百 石 以 上之 船 停
止 之 事 ﹂ と いう いわ ゆ る 大 船 建 造 禁 止 命 が 発 令 さ れ て、 水 軍力 を徹 底的 に そ が れ ま し た ( 安達裕
し て ﹁鎖 国 ﹂ と いう 文 字 通 り の陸 地 シ ス テ ムを つくり あ げ た のは 周 知 の通 り です 。
之 ﹃異様 の船﹄平凡社)。 海 洋 世 界 は 外 国 人 ( 唐 人 、 オ ラ ンダ 人 ) の手 にま か せ ら れ た の です 。 そ
﹁倭寇 の時 代 ﹂ か ら ﹁鎖 国 の時 代 ﹂ に か け て の 日本 は 世 界 有 数 の金 銀 銅 の産 出 国 でし た。 金 銀
銅 は 、 ﹁倭寇 の時 代 ﹂ に は 海外 の文 物 の購 入 にあ てら れ ま し た が 、 ﹁鎖 国 の時 代 ﹂ に は 日 本 列島 の
大 改 造 に あ て られ ま し た。 全 国 に 一国 一城 と いう か た ち で城 下 町が 建 設 さ れ 、 河 川 が 改 修 さ れ 、
にま か せ て海 外 か ら 購 入 し て いた様 々 の物 産 (タ バ コ、 木 綿 、 生 糸 ・絹 織 物 、 砂 糖 、 藍 、 陶磁 器
新 田 が開 発 さ れ た の です 。 ま さ に 内 治優 先 の時 代 です 。 そ れ と と も に、 そ れ ま で有 り余 る金 銀 銅
等 々) のす べ て を国 産 化 す る こ と に 成 功 し ま し た 。 十 八世 紀 に 労 働 集 約 型 の生 産 革 命 いわ ゆ る
﹁勤 勉 革 命 ﹂ を と げ て、 土 地 の生 産 性 が 世 界 一にな った こと は、 前 述 の通 り です 。 近 世 社 会 は 、
日 の通説 です ( 速水 ・宮本編 ﹃経済社会 の成立﹄ 日本経済史 ・第 一巻、岩波書 店)。
身 分 制 な がら も 、 人 び と の行 動 規 範 が 経済 合 理性 に貫 かれ た ﹁経 済 社 会 ﹂ であ った と いう のが 今
古 代 に お け る ﹁日本 国 家 ﹂、 近 世 に お け る ﹁経 済 社 会 ﹂ の確 立 に共 通 す る のは 、 海 外 で の軍 事
行動 に失 敗 し て国 難 を ま ねき 、 敗 戦 ・撤 退 か ら ほぼ 半 世 紀 後 に 、 そ れ ま で の海 洋 志 向 とは 逆 の内 治優 先 の社 会 を つくり あ げ たと いう こと です 。
第三の波
太 平 洋 岸 の横 浜 開 港 で幕 を 開 け た こと が象 徴 し て いる よう に、 日本 は 太 平 洋 か ら 舶来 し た欧 米 の
今 年 (一九九 五年)は 奇 し く も敗 戦 か ら 半 世 紀 が た った戦 後 五 十 年 に あ た り ま す。 近 代 日本 が
富 国 強 兵 の文 明 を 受 容 し 、 そ れ を 自 家 薬籠 中 のも のに し て、 アジ アに おけ る最 初 の近 代 国 家 に な
り ま し た 。 アジ ア への勢 力 拡 大 は ついに戦 火 を アジ アから 太 平 洋 地 域 へと 拡 大 し 、 いわ ゆ る 太 平 洋 戦 争 で 日本 は アメ リカ に 完 敗 し 、 未 曽有 の国難 を経 験 し ま し た。
従 来 の日本 社 会 の発 達 の パ ター ンか ら す れ ば 、 日本 は新 し い内 治 優 先 の時 代 に向 かう 秋 にあ た って いま す 。
日本 の産 業 構 造 は 、 戦 後 五 十 年 の歩 み に お い て、第 二次 産 業 ( 製 造 業 ) の比 重 が さ が り 、 第 三
次 産 業 が着 実 に比 重 を 増 し てき ま し た。 一九 九〇 年 の産 業 別 就 業 人 口は 、 第 一次 産 業 四百 万 人 、
第 二次 産 業 二千 万 人 、 第 三 次 産 業 三 千六 百 万人 であ り 、 第 三次 産 業 が全 体 の六 割 を 占 め て いま す 。
も は や重 厚 長 大 型 の工 業 に 人 び と が 従事 す る時 代 はさ り ま し た 。 日本 社 会 は サー ビ ス産業 を中 心
と す る経 済 構 造 を 定 着 さ せ つ つあり ます 。 そ の牽 引 車 にな って いる のが 情報 ・通 信産 業 です。 正
確 に は コンピ ュー 夕を 駆使 し た高 度 情 報 テク ノ ロジ ー が第 一次 産 業 ・第 二次 産業 を と り こん で い
く 時 代 に 入 った の です 。 二 十 一世紀 の中 心 産 業 が 情 報 ・通 信 産 業 に な る こと は ほ ぼ 間違 いあり ま
せん 。 し か し 、 そ の基 盤整 備 は ア メリ カ に比 べ てき わ め て立 ち 遅 れ て います 。 そ れだ け に、 も っ
と も 有 力 な 成 長 部 門 だ と いえま す 。 情 報 イ ン フラ の整 備 に 関 し ては 、 日本 全 土 が フ ロ ン テ ィ アだ か ら です 。
にお け る 冷戦 の終 結 です 。 冷 戦 の終 結 は 軍 拡 か ら 軍 縮 への転 換 を要 請 し 、 翌 九〇 年 に米 ソ首 脳 は 、
高 度 情 報 化 の潮 流 は決 し て古 いも ので はあ り ま せん 。 そ のき っか け は 一九 八九 年 の マ ルタ会 談
史 上 初 め て、 戦略 兵 器 削 減 に合 意 し ま し た 。 軍 縮 は 軍 需産 業 に と って はき わ め て深 刻 な 打 撃 であ
った と いわ ね ば な りま せ ん。 戦 争 の勝 敗 の決 定 因 が 情報 に あ る こと は古 今 東 西 不 変 の真 理 です が 、
冷 戦 時 代 に未 曽有 の規 模 で構 築 され た ア メ リ カ の軍事 情報 シ ス テ ムが、 冷 戦 の終 結 にと も な い軍
民転 換 と いう新 し い事 態 に直 面 し て いる の です。 従来 の膨 大 な 軍事 予 算 によ って生 活 を た て てき
た 人 び と が活 路 を 見出 し た のが 民 生 用 の情報 産業 に ほ かな りま せ ん。
冷 戦 を終 結 さ せ た のはブ ッシ ュ大 統 領 でし た が 、 そ の後 を襲 って九 二年 に政 権 を と った クリ ン
世 界 に 広 が る イ ン タ ー ネ ッ ト。 イ ン タ ー ネ ッ トの 主 要 な バ ッ ク ボ ー ンで 図 8
SF ネ ッ トに ネ ッ トに 接 続 さ れ て い る ネ ッ ト ワ ー ク数 お よ び ホ ス トコ あ る,N
代 に 入 っ て 指 数 関 数 的 に 増 え続 け て い る(神 沼 二 真 『第 ン ピ ュー 夕 台 数 は90年
ト ン大 統 領 にと って、 軍 需 用 の産 業 を 民 生
用 に転 換 す る こ とは 最 重 要 の課 題 の 一つに
な る こと は 眼 に 見 え て いま し た。 実 際 、 肥
大 化 し た 軍 事 シ ス テ ム の民生 用 への転 換 の
一環 と し て、 一九 九 一年 に ﹁情報 スー パ ー
ハイ ウ ェイ構 想 ﹂ が ゴ ア上 院 議 員 ( 現副大
で、 接 続 さ れ て いる ホ スト コ ンピ ュー タ の
い って激 増 し ( 図 8)、 九 四年 七 月 の段 階
し た 。 イ ン タ ーネ ットは 一九 九〇 年 代 に は
ネ ットを 民 間 企 業 に 任 せ る 方針 を 発表 し ま
を 移 さ ず 翌 九 四年 一月 に、 従 来 のイ ンタ ー
委 員 長 に任 命 し ま す と 、 ゴ ア副 大 統 領 は 時
す る助 言 委 員 会 を も う け 、 ゴ ア副 大 統 領 を
( 国 家 情 報 イ ン フラ ス ト ラ ク チ ャ ー) に 関
です 。 九 三 年 に ク リ ン ト ン政権 は、 N I I
理 シ ス テ ムを 民生 用 に転 換 す る た め の提 言
張 り めぐ ら さ れ た軍 事 用 の瞬 時 大 量 情 報 処
統 領 ) に よ って提 言 さ れ ま し た 。 世 界 大 に
三 の 開 国 』 紀 伊 國 屋 書 店 よ り)。
ろを 知 ら な い様 相 を 示 し て いま す 。
数 は 三〇〇 万 台 を 超 え 、 一五〇 カ国 に 広 が って いる と推 定 さ れ てお り、 そ の勢 いはと ど ま ると こ
イ ンタ ーネ ット の情 報 通 信 の流 れ は 一方向 に と ど ま るも ので はあ り ま せ ん。 双 方 向 性 を も って
( 通信 衛 星 を使 った移 動 通 信 サ ー ビ ス)、 パ ソ コ ンと テ レビ、 パ ソ コ ンと 移 動 電 話 の 一体 化 、 通 信
い ま す 。 情 報 ス ー パ ー ハイ ウ ェイ、 G I I ( 地 球 規 模 新 情 報 通 信 基 盤 構 想 )、 イ リ ジ ウ ム計 画
機 能 を 備 え た ゲ ー ム、 電 子 新 聞 、 デ ィ スプ レイ ホ ンな ど の マ ルチ メ デ ィ アによ る 高 度 情 報 化 は 、
︿中 核︱ 辺 境 ﹀ な いし ︿中 心 ︱ 周 辺 ﹀ と いう従 来 の ハイ エラ ー キ カ ルな シ ス テ ムと は 異 な り、 発
信 ・受 信 の情 報 の平 等 化 を すす め る こ と に よ って、 グ ロー バ ルな ネ ット ワー クを 生 み 出 し つつあ ります。
そ れ は ﹁富 国 ﹂ と ﹁強 兵 ﹂ とを 一体 とし てき た近 代 主 権 国 家 の パ ラダ イ ム の終 焉 を告 げ て いま す 。
要 す る に 、 冷戦 時 代 の軍事 シ ス テ ム の民生 用 への移 行 と いう 大 転 換 こそ が 情報 革命 の内容 です。
軍 事 立 国 の時 代 は終 焉 し ま し た。 ま た ﹁富 国 ﹂ の基 礎 が 私 的 所 有 権 であ った 時 代 も終 わ る かも し
れ ま せ ん 。 公 文 俊 平 氏 が ﹃情 報 文 明 論 ﹄ ( NTT出版) で指 摘 す る よ う に 、 情 報 は 分 け ても 減 り ま
せ ん し 、 情報 は分 け る とむ し ろ増 え る性 質 を も って いま す 。情 報 の情報 た る 所 以 は、 それ が共 有
さ れ る と ころ にあ り ま す 。 です から 、 個 人 の排 他 的 な 所 有 関 係 に は 適 さ な い のです 。 情 報 にか か
わ る 権利 ・義 務 関係 は、 目 下 のと ころ 、 富 に か か わ る 所有 権 ( 知 的 所有 権 ) とし て議 論 さ れ て い
ま す が、 情 報 の帰 属権 を 所 有 権 と し て処 理 す る のは な じ み ま せ ん。 な ぜな ら、 譲 渡 に よ って情 報
や知 識 は なく な ら な いし 、 不 動 産 や 動 産 ( 物 ) のよ う な 形 がな い ので移 動 の事 実 を 確 定 し が た い
か ら で あ り 、 新 し い情 報 の帰 属 権 が だ れ に 属 す る か を 決 定 す る に も 、 情 報 の 所 有 権 の侵 害 を 防 止 し た り 確 認 す る にも 困難 を と もな う か ら です 。
二 十 一世 紀 の 歴 史 書 に は 、 一九 九〇 年 代 は 歴 史 的 転 換 期 と し て 記 録 さ れ る で し ょ う 。 一九 八 五
年 に ソ連 で ゴ ル バ チ ョ フ の ペ レ ス ト ロイ カ が 始 ま り 、 八 九 年 に 冷 戦 が 終 結 し て 、 政 治 的 イ デ オ ロ
ギ ー の 対 立 が 終 わ り を 告 げ た だ け で は な く 、 十 七 世 紀 に ヨ ー ロ ッパ に 誕 生 し た 主 権 国 家 体 制 の 解
体 が 始 ま り ま し た 。 世 界 の 新 し い 構 成 単 位 が 模 索 さ れ は じ め ま し た 。 九〇 年 代 に 入 っ て 世 界 各 地
で 諸 民 族 が 自 己 の ア イ デ ン テ ィ テ ィを 主 張 し は じ め た の は 偶 然 で は あ り ま せ ん 。 民 族 と は 文 化 を
共 有 す る 集 団 で す 。 新 し い世 界 単 位 が 民 族 を 無 視 し て 形 成 さ れ る こ と は な い で し ょ う 。 民 族 は 地
し 、 文 化 的 価 値 が 問 わ れ る 時 代 に な る で し ょう 。 目 下 、 民 族 間 関 係 は 対 立 ば か り が 表 面 化 し て い
球 上 に 三 千 以 上 存 在 し ま す 。 し た が っ て 、 今 後 は 文 化 の多 元 性 を 特 徴 と す る 時 代 に な る で し ょ う
ま す が 、 将 来 的 に は 、 異 な る 文 化 を も つ集 団 が 、 互 い に 対 立 す る も の と し て で は な く 、 文 化 の違
い を ﹁い か に 楽 し む か ﹂ と い う こ と が 課 題 と な る で し ょ う 。 各 民 族 が 交 流 す る 最 も 効 率 的 な 手 段
( キ ャ ル ス) が あ り ま す 。 C A L S と は 原 材 料 の 調 達 か ら 販 売
こ そ 交 通 ・通 信 ・情 報 テ ク ノ ロ ジ ー で す 。 情 報 産 業 は 文 化 交 流 の イ ン フ ラ ス ト ラ ク チ ュ ア を つ く る 手 段 です 。 軍 民 転 換 の 一例 と し て C A L S
and Log i st i cSu ppor’ t﹁部 品 調 達 な ら び に 兵 站 の コ ン ピ ュー タ 支
‘ Comput er Aided Logi s t i cSuppor t’﹁兵 站 の コ ン ピ ュー タ 支 援 ﹂ の 略 称 で し た 。 そ れ が 八 八 年 に
ま で の 企 業 活 動 の 全 側 面 を ネ ッ ト ワ ー ク で 結 ぶ も の で す が 、 一九 八 五 年 に は 米 国 国 防 総 省 の
は ‘ Com puter-aid ed Acqu i si tion
援 ﹂ の略 称 に 変 わ り ま し た が 、 依 然 と し て軍 需 用 シ ス テ ム で し た 。 そ れ が 九 三 年 に は ‘ Con
t i nuousAcqui si ti on and Li f ecycl eSuppor t ’ ﹁継 続 的 な 製 品 調 達 な ら び に 製 品 ラ イ フ ・サ イ ク ル
( 末 松 千 尋 ﹃C A L S の世 界 ﹄ ダ イ ヤ モ ンド
の 支 援 ﹂ へと い う よ う に 民 生 用 シ ス テ ム の 略 称 へと 転 換 し 、 そ し て 九 四 年 に は ﹁光 速 の商 取 引 ﹂ を意味す る ‘ Com mer c e AtLi ghtSpeed ’に 変 わ り ま し た
社 )。 こ の 事 例 に 端 的 に 示 さ れ て い る よ う に 、 情 報 シ ス テ ム に お け る 軍 需 用 か ら 民 需 用 へ の 大 転
換 が 起 こ っ て い ま す 。 そ れ は ま さ に 情 報 革 命 と いう に ふ さ わ し い も の で す 。
情 報 革 命 と い う ﹁第 三 の波 ﹂ の 衝 撃 を ま と も に 受 け て 、 日 本 は 新 し い社 会 生 活 の パ タ ー ンを 生
み 出 さ ざ る を え な い でし ょ う 。 ネ ット ワ ー ク ・知 識 文 明 と 名 づ け ら れ て い る 近 未 来 の 日 本 社 会 像
は ﹁定 着 型 社 会 ﹂ を 生 み だ す 可 能 性 が 高 い よ う に 思 い ま す 。 な ぜ な ら 、 情 報 は 人 が じ か に 移 動 し
な く て も 、 受 信 ・発 信 で き る か ら で す 。 も っと も 、 公 文 俊 平 ﹃情 報 文 明 論 ﹄ で も 警 告 さ れ て い る
よ う に 、 問 題 も あ り ま す 。 情 報 の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 言 語 の標 準 語 が 英 語 だ と い う こ と で す 。 日
本 語 に よ る 通 信 でも 、 長 期 的 に は 高 速 ・良 質 ・安 価 な 翻 訳 支 援 コ ン ピ ュー 夕 の 導 入 が で き る よ う
に な る でし ょ う が 、 そ れ に は お の ず と 限 界 が あ り ま す 。 日 本 語 だ け の 情 報 社 会 は 、 グ ロ ー バ ル ・ コ ミ ュ ニ ィ テ ィ の情 報 社 会 の な か で 鎖 国 に 帰 結 し か ね ま せ ん 。
と も あ れ 、 新 し い 日 本 建 設 の 動 き を 象 徴 す る の が 首 都 機 能 の地 方 移 転 で す 。 村 山 連 立 政 権 は 遷
都 問 題 を 九 五 年 度 の 優 先 的 政 策 課 題 の 一 つに か か げ ﹁年 内 に 選 定 基 準 を 策 定 し 、 二 年 を め ど に 候
補 地 を決 定 す る ﹂ こ と にし ま し た 。 新 首 都 建 設 の狙 いは多 極 分 散 型 の国 土 形 成 、 地 震 等 の大 規 模
災 害 に 対 す る 脆 弱 性 、 地 方 分 権 の 推 進 、 霞 が 関 行 政 機 構 の再 編 な ど に あ り ま す 。 村 山 内 閣 は 、 周
実 を 後追 いす る こと に終 始 し て いる だ け の内 閣 です か ら、 こ の流 れ は内 閣 が 交 代 し ても 変 え る こ
知 の通り 、 内 外 の山 積 す る問 題 に対 し て政策 的 イ ニシ ア テ ィヴを と る能 力 が な く 、 そ の政 策 は 現
と ので き な いも のです 。 人 心 はす で に首 都 移 転 に 向 け て動 いて います 。 国 土 庁 が 一九 九 四年 九 月
七 日に 公 表 し た 調査 に よ れば 、 成 人 の六 九 % が 首 都 機 能 移 転 に 関 心 を も ち、 そ のうち 八七 % が首
都 機 能 移 転 に 賛 成 し 、 都市 計 画 の専 門 家 を対 象 に実 施 し た 新 首 都 の ビジ ョン ア ンケ ー トで は、 最
も 多 い四〇 % の人 が 東 京 より も ﹁北 ﹂ が 新 首 都 の適 地 であ ると し て いま す ( 佐貫利雄監修 ﹃首都機
能 の地方移転﹄ 日本地 域社会 研究所)。 そ のよ う な 分 権 化 の動 き を 集 約 す る標 語 が ﹁地 方 の時 代 ﹂ で
ん。 過疎 地 帯 を 含 む 日本 全 体 の情 報 通 信 網 への設 備 投 資 が焦 眉 の急 とな って おり 、 二十 一世 紀 を
す 。 それ を 実 現 す る には 近 未 来 の 日本 の地 域 社 会 が ネ ット ワー ク で結 ば れ て いな け れ ば な り ま せ
前 に 、 内 治優 先 の社 会 が展 望 され てき た と いう こと です 。
し た 。 これ か ら の多 民 族 共存 時代 は、 価格 のみな ら ず 、 文 化 的 価 値 が 問 わ れ る こと に な り 、 価 値
競 争 のあ り か た も変 化 し ま し た 。 ﹁物 の豊 か さ ﹂ を 競 う 生 産 優 先 の時 代 に は 価 格 競 争 が 問 題 で
競 争 と いう ﹁心 の豊 か さ ﹂ に か な う も のを創 出 でき る か どう か、 ま さ に文 化 的 資 質 が 試 さ れ る の
です 。 物 心 とも に豊 かな ﹁富 国 有 徳 の士 民 ﹂ と し て、 日本 人 が自 国 の景観 や文 物 に自 信 を も ち 、
世 界諸 民族 から 憧 れ と尊 敬 を かち う る こと が 二 十 一世 紀 の日 本文 明 の課題 であ る と考 え ま す 。
第 二部 対
談
日 韓 中 ﹁近 代 化 ﹂ の 検 証
鎖 国 と 天皇 ︱︱
清 朝 、 李 朝 、 徳 川 幕 府︱ ︱ 似 た よ う な 条 件 下 に 列 強 を 迎 え 、
︱ ︱ 東 ア ジ ア の過 去 、 と く に 日 韓 、 日中 の 関 係 が 語 ら れ る と き 、 つね に
日本だ けが 近 代化 した秘 密は 何か
ぼ半 世 紀 経 った 今 でも 、 日 韓 の 間 で は 、 従 軍 慰 安 婦 問 題 な ど を め ぐ っ て、
頭 に つけ ら れ る の が 、〝不 幸 な〟 と か〝 遺 憾 な〟 と い った 形 容 詞 で す 。 ほ
相 か わ ら ず ギ ク シ ャ ク し た 空 気 が 流 れ て いま す し 、 ま た 一九 九 二 年 の 秋 の
天 皇 ご 訪 中 に 際 し て は 、 先 の戦 争 に つ い て 、 ど の よ う な ﹁お 言 葉 ﹂ が 述 べ ら れ る の か が 問 題 に な る 、 と い った 具 合 で す 。
ば か り で は あ り ま せ ん でし た 。 そ れ な り の深 く 長 い つき あ いが あ り ま し た
し か し 、 か つ て の 日本 と 中 国 、 朝 鮮 半 島 の 関 係 は 暗 い ト ゲ ト ゲ し いも の
し 、 近 代 以 降 に 限 って も 、 清 朝 か ら 万 余 の 留 学 生 が 来 日 す る と か 、 朝 鮮 の
開 化 派 の 志 士 が 日 本 を 頼 っ て来 た こ と も あ った 。 短 い 間 と は い え 、 日 本 が
毛利敏彦 × 川勝平太
歴 史 に if は 禁 物 で す が 、 日 ・韓 ・中 が〝 不 幸 でな い〟 関 係 と し て 向 いあ え
ア ジ ア の〝 希 望 の 星〟 と 見 ら れ て いた こ と が あ った こ と も 事 実 で し ょう 。
一九 九 三 年 ) に 再 録 。
の再 発 見 ﹄( 吉 川 弘文 館 、
1 毛 利 敏 彦 ﹃明 治維 新
(185 ︱1 94) を リ ー
(1861
化 を 進 め よ う と 主張 。 一
治 維新 に 学 ん で 資本 主 義
事 大党 に対 し 、 日本 の 明
を と って いた閔 氏 一族 の
し た運 動 で 、 保守 的 政 策
︱ 193 9) ら が中 心 に起 こ
を 見聞 し た朴 泳 孝
ダ ー に、 と も に新 興 日本
玉均
呼 ば れ た 党 派 の運 動 。 金
末 の独 立 党 、 日本 党 と も
3 開 化 派 の運 動 李 朝
で滅 ぶ。
合 さ れ 、 二七 代 五 一九 年
(明 治 四 三 ) 年 日 本 に 併
大 韓 と 改 め、 一九 一〇
る。 一八 九 七 年 に国 号 を
成 桂 が 一三九 二 年 に 建 て
後 の王 朝 。 高 麗 に 代 り 李
2 李 氏 朝 鮮 朝 鮮 の最
な か った の か 、 と 夢 想 も いた し ま す 。
と も あ れ 、 こ の不 幸 な ネ ジ レが 生 じ た の は 、 言 う ま でも な く 、 日 本 だ け
が 近 代 化 に 成 功 し た こと が 大 き な 原 因 で し た 。 な ぜ 日 本 だ け が 可 能 だ った
の か︱︱ 。 こ の大 問 題 に 対 し 、 明 治 維 新 史 の 専 門 家 、 毛 利 先 生 は 先 ご ろ
﹁日 韓 中 ﹃近 代 化 ﹄ 比 較 考 ﹂ ( 中 央 公 論 、 一九 九 二 年 四月 号 ) と いう 示 唆 に
富 ん だ 論 文 を 発 表 さ れ ま し た 。 ま た 川 勝 先 生 は 経 済 史 の立 場 か ら 、 近 代 に
先 立 つ ﹁鎖 国 ﹂ の意 味 を 世 界 史 か ら 見 直 す と いう スケ ー ル の大 き な 日本 文
明 論 を 提 示 し て い ら っし ゃ いま す 。 日本 は な ぜ 近 代 化 で突 出 し た のか 。 現
代 の東 ア ジ ア情 勢 の出 発 点 と も いう べ き こ の問 に 、 新 し い光 を あ て て いた だ け れ ば と 思 いま す 。
毛 利 は なし の発 端 は 一九 九 一年 秋 、 韓 国 に 招 か れ た と き な ん です 。 懇 談
会 の席上 、 ソ ウ ル大 学 の名 誉 教 授 で政 治 外 交 史 の大 御 所 であ る 金 雲 泰先 生
か ら ﹁日 本 は 近 代 化 に成 功 し て 民族 国 家 と し て自 立 でき た 。 わ れ わ れ に も
李 朝 末 期 に相 当進 ん だ 近代 化 運 動 があ った にも か か わ ら ず 、 つ いに 実 ら な
か った 。 そ の違 いは 何故 だ と 思 う か ﹂ と単 刀直 入 に質 問 が ご ざ いま し た 。 川 勝 ま さ に 単 刀 直 入 です ね ( 笑 )。
毛 利 え え 。 近 代 化 と いう と 、 私 ど も は富 国 強 兵 から 戦 争 に至 った 歴 史 と
か、 工業 化 や 環 境 破 壊 な ど を連 想 し ま す か ら 、 つ い ﹁近 代 化 は い いこと だ
った のか ﹂ と 懐 疑 的 に な る ん です が 、 韓 国 の学 者 に と って は、 植 民 地 にな
った 苦 難 の体 験 が 忘 れ ら れ な いか ら でし ょう、 近 代 化 の意 義 がは るか に肯
とを ま と めた のが 、 さ き ほど 紹 介 いた だ いた試 論 な のです 。
定 的 にと ら え ら れ て い るよ う です 。 そ の質 問 を き っかけ に、 色 々考 え た こ
そ も そも 、 近 代 欧 米 列 強 が や ってく る 直 前 、 十 九 世紀 初頭 で は 、 日本 も
李氏 朝 鮮 も 、 そし て中 国 も 似 た よ う な 状 態 に あ った の です ね。 日本 の徳 川
幕府 も、 朝 鮮 の李 朝 も 、 中 国 の清 朝 も 、 と も に士 大 夫 身 分 が 権 力 を 握 る世
襲 の 君 主 国 で、 外 国 と の 関係 は 鎖 国、 も し く は 海 禁 政 策 を と って いま し
た 。 三 国 いず れ も コメを主 食 とす る モ ン スー ン型 農 業 社 会 です し 、 商 品 経
済 が 一定 程 度 発 展 し て いた 点 も共 通 しま す 。 さら に、 漢 字 文 化 圏 に属 し 、
儒 教 が 体 制 イ デ オ ロギ ーだ った のは 言 う ま で もあ り ま せ ん。 そ し て欧 米 列
強 が 弱 肉 強 食 の勢 いで迫 ってき た と き 、 そ れ に対 応 し て似 た よ うな 近 代 化
運動 が おき て いるわ け です 。 日本 は も と よ り 、李 朝 末 期 に は金 玉均 や朴 泳
動 や 康有 為 、 梁啓 超 ら の戊 戌 変 法 運 動 な ど 、 懸 命 な 近 代 化 の努 力 が み ら れ
孝 ら の開 化 派 の運 動 が あ り ま し た し 、 清 国 でも會 国 藩、 李 鴻章 ら の洋 務 運
ま し た。
八 八 四 年十 二 月 のク ー デ
タ ー で い った ん 政権 を と
る( 甲 申 の変 )が 、 三 日 で
日本 に亡 命 す る 。
敗 退 し 、 中 心 メ ン バー は
(181 1 ︱72)・李 鴻
4 洋 務 運 動 清 末 に 會
(182 ︱3 1901) ら が 西
国藩
章
洋 近 代 の機 械 文 明 を 採 用
と 国 内 の農 民 反 乱 に対 処
す る こと で、 列 強 の侵 略
し よ う と し た 運動 。 一般
に ア ヘ ン戦 争 、 太 平天 国
四年ま で の三五 年 を い
軍 鎮 定 後 の 一八 六〇 ︱ 九
い、 造 船 ・製 鉄 ・武 器 製
造 のほ か に 、 電 報 局 や 軍
人 養 成 の陸 海 軍 学 校 、 西
た。
洋書籍翻訳局などを設け
(18︱ 51 8 927) ・
5 変 法 (自 強 )運 動
康有 為
梁 啓 超 (18︱ 71 392 9) ら
半 世 紀 間 で大 き な 違 いが
こ のよ う に、 三 国 と も よ く 似 た 条 件 を 備 え 、 いず れ も近 代 化 に努 めた に
も か かわ ら ず 、 わ ず か 半 世 紀 後 に は 、 日 本 は 帝 国 主義 国 に 、朝 鮮 は植 民 地 に、 中 国 は 半 植 民 地 に と 大 き く 変 ってし ま いまし た。
こ の重 大 な 違 いは な ぜ 生 じ た のか 。決 定的 な要 因 は、 日本 で は 明治 維 新
と いう体 制 の大 変 革 が な さ れ た のに 、 朝 鮮 と 中 国 では 、十 九世 紀 中 に そ れ
に匹 敵 す る体 制 変 革 が つい にお き な か った か ら だ と 思 いま す 。 明治 の新 政
府 は、 地 租 改 正 で個 人 の土 地 所 有 を 認 め︱ ︱ これ は市 場 経 済成 立 の基 本 的
条 件 です ね。 ま た身 分 制 を 破 って 四民 平 等 の社 会 を 作 る な ど、 近 代 化 のた
め に 必須 の改 革 を 着 々と 進 めた 。 と ころ が 旧 体 制 が存 続 し た李 朝 や清 朝 の
下 では 、繰 り 返し 改 革 の試 みが 起 き な が ら 皇 帝 の鶴 の 一声 で潰 れ た り、 改
革 派 自 体 が 王 朝 の官 僚 と し て の枠 を 越 え る こと が で き な か った り で、 結 局、 近 代 化 への努 力 が実 ら な いん です ね 。
では な ぜ 、 日本 では 明治 維 新 が おき た のに、 朝 鮮 や 中 国 では お き な か っ
て いま す ね 。 た と え ば 各 国 が受 け た外 圧 の違 いから 説 明 し よ う と す る 学 説
た のか 。 これ が史 学上 の大 問 題 で、 これ ま でも さ ま ざ ま な 説 明 が試 み ら れ
があ り ま す 。 欧 米 列 強 の外 圧 は 中 国 に集 中 し た から 自 立 、 近 代 化 が 困 難 で
によ って推 進 さ れ た 清 末
の改 革 運 動 。 會 国 藩 ・李
鴻 章 ら に よ る洋 務 運 動 に
対し、康有為は根本的に
国 家 の制 度 を 変 革 し な け
れ ば な ら な いと 唱 え 、 梁
啓 超 は具 体 的 に 憲法 制
定 ・国 会 開 設 の ほか 科 挙
制 度 の変 更 、 新 聞 発 行 、
纏 足 ・弁 髪 の禁 止 な ど を
主張した。九八年に光緒
帝 が これ を 採 用 し 戊 戌 新
政 を 行 った が 、 政 変 によ
り 失 敗 に帰 し た。
あ り 、結 局 、 半植 民地 に転 落 し た。 と ころ が 日本 への外 圧 は相 対 的 に弱 か
った か ら植 民 地化 を免 れ 近 代 化 でき た ん だ と 。 し か し 、 こ の説 では朝 鮮 の
状 態 が 説 明 でき ま せ ん ね。 十 九 世 紀 の朝 鮮 は 外 圧 の及 び に く い谷 間 のよ う
な と ころ だ った か ら 、 三国 のな か で は外 圧 が いち ば ん 弱 か った は ず です 。
と ころ が 朝 鮮 は 近 代化 に失 敗 し てし ま った 。 と に かく 、 こ の大 問 題 を外 圧 や 国 際 関 係 だ け で説 明 す る のは 不 可能 です 。
そ こ で経 済 の発 展 段 階 の差 で説 明し よ うと いう 議 論 が あ り ま す ね 、 例 の
マ ニ ュフ ァク チ ャー 論 争 な ど も そ う で し ょう。 し かし 私 は こ の種 の議 論 も
決 定 的 な 説 明 に は な って いな いと 思 います 。 経 済 史 家 の前 では 喋 り にく い
6 服 部 之總 (1901︱5) 6
三 二︱ 三 三 年 に ﹃日本 資
昭 和 期 の歴 史 家 。 一九
本 主 義 発 達 史 講 座 ﹄ に維
同様 の外 的 条 件 下 にあ り
新 史 関 係 の論 文 を 発 表 。
な が ら中 国 が半 植 民 地 化
し た のに 反 し て、 日本 は
な ぜ独 立 国家 たり え た の
か と いう 問 いに対 し、 当
時 の日 本 が ﹁厳密 な意 味
ャー 段 階 ﹂ に 到達 し て い
に お け る マ ニ ュフ ァク チ
論﹂を強調。土屋喬雄ら
た と いう ﹁厳 マ ニ ュ段 階
川 勝 いえ いえ 。 日本 の近 代 化 が 徳 川 時 代 か ら の経済 成 長 のお かげ だ と い
労 農 派 と マ ニ ュフ ァク チ ャー 論 争 が た た か わ さ れ
話 です が ⋮ ⋮ ( 笑 )。
う のは 、 学 界 の共 通 認 識 に な って いま す 。 そ の先 駆 け は 一九 三〇 年 代 に服
た。戦後、鎌倉 アカデミ
(理 論 社 )。
授 。 ﹃服 部 之 総 著 作 集 ﹄
アを 創立、 法 政 大 学 教
部 之總 の唱 え た テ ーゼ です 。 幕 末 の日 本 は ﹁理論 的 に は厳 密 な 意 味 で資 本
主 義 的 生 産 の最 初 の形 態 と し て の マ ニ ュフ ァク チ ャー段 階 に達 し て いた ﹂
と いう 説 です 。 つま り 当 時 の イ ン ドや 中 国 に 比 べ て、 日本 は西 洋 近 代 の発
た と いう のです 。 マ ルク スの ﹃資 本 論 ﹄ を ふま え た 説 で、 そ れ 以来 、 いわ
展 段 階 に近 か った。 それ ゆえ に 日本 は 植 民 地 に な ら ず に資 本 主 義 を 形成 し
ゆ る ﹁幕 末 厳 マ ニ ュ論 ﹂ は 日本 資 本 主 義 の自 生 的 発 展 を 論 じ る 際 の金科 玉
条 にな り ま し た 。
毛 利 そ れ が 、 そ ん な に 意 味 のあ る 差 な のか な と いう気 が しま す け ど ね。
川 勝 そ う な ん です 。 ﹁世 界 の 工場 ﹂ イ ギ リ スを 先 頭 と す る欧 米 の機 械 工
業 と 比 べた と き に は 当 時 の日 本 と中 国、 イ ンド の工業 の差 は五 十 歩 百 歩 で あり、問題になりません。
さ ら に いえ ば 、 マ ニ ュ フ ァク チ ャー 段 階 な ら ば 、な ぜ植 民地 化 を 免 れ る
の か、 そ の前 提 が ま る で論 じ ら れ て いな い のです 。 幕 末 の日本 経 済 の発 展
段 階 が な ま じ 相 対 的 に 高 か った と いう こと は市 場 が成 熟 し て いたと いう こ
と です か ら 、 む し ろ 逆 に 、 日 本 は アジ ア のど の国 より も 列 強 と の経 済 競 争
にさ ら さ れ や す い条 件 を も って いた と いう こと で はあ りま せ ん か。 おま け
に関 税 自 主 権 を 奪 わ れ て いま す か ら 、 日本 の商 品 はま とも に列 強 の商 品 と
市 場 で向 き 合 わ ね ば な り ま せ ん 。 です か ら幕 末 日本 が マ ニ ュフ ァク チ ャー
段 階 であ った と いう こと は 、 日 本 の成功 の可 能 性 が高 か ったと いう 脈 絡 で
は な く 、 列 強 の市 場 と な り 植 民 地 と な る 危険 性 が高 か った と いう 脈 絡 で語 る べき こと な の です 。
毛 利 僕 も そ う 思 いま す 。 経 済 の発 展段 階 が高 け れば それ だ け 国 内 の需 要
も 旺 盛 な は ず です か ら 、 外 国商 品 の輸 入 も スト ップし にく く な る。 だ か ら
経 済 的 に植 民 地 化 さ れ る 危 険 性 は む し ろ 高 いと いえ る の で はな いでし ょう
7 関 税 自 主 権 日 本 は
開 国 に 際 し、 ﹁安 政 五 カ
国 条 約 ﹂ で、 相 手 国 の同
意 な し に は変 更 で き な い
関 税率 を 受 け 入 れ た。 一
八 六 六 (慶 応 二 )年 の改
税約 書 で さ ら に 不利 な条
件 を強 制 さ れ 、 明 治 以降
の中 心 課 題 と な った。 一
関税 自 主権 の回復 が外 交
一 一年 に完 全 な 関税 自 主
八 八 九 年 一部 回復 、 一九
権を獲得。
か。
川勝 は い。 幕 末 日本 は 資 本 主 義 前夜 だ った から 、 比 較 的 スム ーズ に近 代 資 本 主 義 社 会 に移 行 し た と いう のは 、結 果論 です 。
そ れと 対 を な す 議 論 が あ って、 マルク スは 最初 、 列 強 の資 本 主 義 が中 国
と接 触 す れ ば、 安 価 な 商 品 が 重 砲 の よ う な 威 力 を 発 揮 し て、 中 国 経 済 は
﹁ミ イ ラ が 外 気 に 触 れ た と き の よ う に 瓦 解 す るだ ろ う ﹂ と 見 て い た の で
す 。 と ころ が英 国 製 商 品 はな かな か 浸 透 し な い。 そ れ で数 年 後 に マルク ス
は 、 中 国 は ど う し よ う もな く遅 れ て い る、 遅 れ て いる か ら 列強 資本 主義 の
影 響 が 限 ら れ て いる、 と いう 理 屈 に変 え ま し た ね 。 発 展 段 階 説 は論 理 と し て首 尾 が 一貫 せ ず 破 綻 し て いる、 と いわ ねば な り ま せ ん 。 清 朝 ・李 朝 共 通 の強 さ 毛 利 経 済 の発 展 段 階 の差 でも 説 明 は む つか し いよ う です ね。
と いう 問 題 です が、 そ も そ も 明 治 維 新 は 政 治 的 事 件 です か ら、 こ の種 の問
そ こ でな ぜ 日本 に明 治 維 新 が お き た のに朝 鮮 や中 国 で は おき な か った か
題 はま ず 政 治 学 的 に説 明 す べき だ と いう のが 、 政 治 学 者 と し て の私 の考 え
方 な ん です 、 我 が 田 に 水 を 引 き ま す が ( 笑 )。 要 す る に 、 体 制 変 革 を め ぐ
る 力 関 係 、 つま り攻 め る側 ( 変 革 勢 力 ) と 守 る側 ( 王 朝 権 力 ) と の間 の力
( 徳 川幕 府 ) が攻 め る側 より 弱 か ったか ら 明 治 維 新 が お
量 を 見 比 べ て端 的 に説 明す る のが、 いち ば ん分 かり やす いと 思 う の です 。 日本 では守 る側
(一八 五 三年 )し て か ら徳 川 幕 府 が 政 権 を 放 棄
き た の です が 、朝 鮮 や 中 国 で は攻 め る側 より 守 る側 が 断 然 強 か った 。 な に し ろ 、 ペリ ー が 開 国 を 要求
( 丙 寅 洋 擾 、 一八 六 六 年 ) し てか ら 日 本 に併 合 さ れ る (一九 一〇
す る ま で、 わ ず か 十 五 年 な ん です。 と こ ろ が李 朝 は フラ ンス艦 隊 と 江 華 島 で交 戦
年 ) ま で四 十 四 年 。清 朝 に いた って は ア ヘ ン戦 争 (一八 四〇 年 ) か ら 辛 亥
革 命 で滅 ぶ (一九 一二年 ) ま で七 十 二年 間 も 生 き のび た 。 これ だ け でも 、
外 圧 と 直 面 し て か ら の徳 川 幕府 の脆 さと 、 他 方 で の清 朝 、 李 朝 のし ぶと さ が よ く 分 か り ます 。
いる も のと 、 逆 に 徳 川 幕府 の アキ レ ス腱 にな って い て、 李 朝 、 清 朝 が 免 れ
そ こ で清朝 、 李 朝 に共 通 にあ る強 さ の根 源 で、 し か も 徳 川 幕 府 に 欠 け て
て いる も のを 整 理 し てみ る と、 前 者 は ﹁科 挙 ﹂だ し 、 後 者 は ﹁天 皇 ﹂ では な いか と 思 い当 った のです 。 川勝 なるほど。
毛 利 科 挙 と いう のは 、儒 教 の教 義 に基 づ いた全 国 的 規 模 で の上 級 官 吏 登
用 試 験 です が 、 こ の制 度 に よ って全 国津 々浦 々 から 人 材 が 中 央 に吸 いあ げ
ら れ た し 、 国 家 公 認 イ デ オ ロギ ー が 貫徹 し 、 知 識 人 の王 朝 への帰 属 意 識 も
8 科 挙 隋 の文 帝 時 代
より 清 の 一九〇 五 年 ま で
約 一二〇〇 年 間行 わ れ た
上級 官 吏 登 用試 験 。 広 く
人材 を 登 用す る こと を 目
的 と し 、経 典 ・詩 文 な ど
の 古 典 の教 養 を 試 験 し
た。
培 わ れ た わ け です ね。 だ から 王 朝 の統 治 能 力 や 威 信 は格 段 に強 く な り ま す 。
余 談 です が 、 韓 国滞 在 中 に、 国 立 の国 史 編 纂 委 員 会 を 見 学 し た ん です 。
これ が 素 晴 し い施 設 で 、僕 は つ い東 大 の史 料 編 纂 所 と 比較 し て しま いま し
た。 東 大 では お 粗 末 な 建物 に史 料 が ギ ュウギ ュウ に詰 め こん であ る 、比 べ
も のに な り ま せ ん ( 笑 )。 そ こ で所 蔵 史 料 の科 挙 答 案 を 見 せ ても ら った ん
です が、 立 派 な 紙 に 見 事 な 筆跡 でし た。 いわ ば 公 務 員 試 験 の ペー パー が 国
て いた か が分 かり ま す 。 そ れ か ら ソ ウ ル の昌 徳 宮 と いう 広 壮 な 旧 王 宮 に 案
史 上 の大 切 な 史 料 と し て保 存 さ れ て いる わけ で、 いか に科 挙 が 重 要 視 さ れ
内 さ れ た ん です が、 そ の奥 ま った と ころ に 国 王 が遊 覧 す る庭 園 があ って、
洒 落 た 建 物 が た って いた。 ﹁あ れ が殿 試 、 つま り 科 挙 の最 終 試 験 の場 所 で
す ﹂ と いう説 明な ん です 。 国 王 の私 生 活 の場 で、 国 王自 ら が試 験 を す る 、 さ ぞ か し 合格 者 は感 激 し ただ ろ う と 思 いま し た ね。
李朝 は科 挙 を模 倣 し たも の の、 実 権 は 勢 道 つま り外 戚政 治だ った とも い
わ れ て いま す が 、 そ れ でも 科 挙 の残 影 が これ く ら い濃 厚 な の です か ら、 本
家 の中 国 で は、 ど のく ら い の重 さを も って いた だ ろ う か と 考 え こみ ま し
た 。 そ の科 挙 を徳 川 幕府 は、 採 用し て いな い。 だ か ら 、 人 材動 員 の面 でも
知 的 権 威 や イ デ オ ロギ ー 支 配 の面 で も、 李 朝 や清 朝 にと う て い及 ば な か っ た と いえ る の では な いで し ょう か。
9 外 戚 一般 に は 母 方
の親 戚 。 日本 では 平 安 時
の地 位 を 利 用 し て摂 政 ・
代 に 藤 原 氏 が 天 皇 の外 戚
関白 とな り、 権 勢 を ふ る った 。
川 勝 そ れ は 日本 と 中 国 、 朝 鮮 を 比 較 す る際 のひ と つ の重 要 な 論 点 です ね。 徳 川幕 府 の時 限 爆弾
毛 利 話 を移 し て 、李 朝 や清 朝 にな く て、 徳 川 幕 府 に のみ とり つ いて いた
い つも 不 思議 に思 う のは、 な ぜ あ ん な に あ っけ な く 幕府 が倒 れ た のかと い
固有 の弱 み と いう か アキ レ ス腱 は天 皇 です ね 。 明 治 維 新史 を 研究 し て いて
う こと な ん です 。 たと えば 鳥 羽 伏 見 の戦 いに し ても 軍事 的 に は 一対 三な い
し 一対 五 で幕 府 側 が優 勢 だ った 。 西 郷 隆 盛 な ど 、 幼 い明 治 天皇 を 担 いで山
中 に 逃 げ 、 ゲ リ ラで抵 抗 し よう と 覚 悟 し て いた ほ ど です か ら ね。 それ が錦 の御 旗 が出 てき た と た ん コ ロ ッと こけ てし ま う 。
も と も と徳 川家 は実 力 で天 下 を と った のだ し 、 薩摩 藩を 介 し て琉 球 王 国
を 臣 従 さ せ て も いた から 、 日本 皇 帝 を 名 乗 る こと も で き た。 にも か かわ ら
ず、 皇 帝 とな らず に、 天 皇 から 征 夷 大 将 軍 に 任命 さ れ て天 下 を 統 治 す ると
いう安 易 な途 を選 んだ わ け です 。 つま り 、 自 己 の権 力 を自 前 で権 威 づ け る
の ではな く、 他 の権 威 ( 天 皇 ) を 借 用 し て間 に合 わ せ た。 て っと り 早 いや
り方 だ った のでし ょう が、 幕 末 、 天 皇 権 威 が 幕府 の統 制 を はな れ て独 り 歩
き を はじ め る と、 幕 府 の権 力 は た ち ま ち ガ タ ガ タ にな ってし ま う 。 要 す る
10 西 郷 隆 盛 (1827) ︱77 ﹃西郷 南 州 遺 訓 ﹄ ( 岩波
文 庫 )。
11 琉 球 王 国 日 本 列島 の南 の海 に 浮 か ぶ 琉 球 の
島 々 は 、 独 自 の歴史 ・文
化 を 形 成 し て いた。 十 二
世紀前後より按司と呼ば
れ る 首 長 層 の台 頭 が活 発
化 、 十 四 世 紀 に は 三山 と
称 さ れ る 三 つ の勢力 圏 が
形 成 さ れ 、 一四 二九 年 に
統 一さ れ首 里 城 を拠 点 と
す る琉 球 王 国 が 成立 。 中
国 と の進 貢 貿 易 を主 軸 に
日 本 ・朝 鮮 そ し て東 南 ア
ジ アに ま で 及 ぶ 壮大 な 海
洋 貿 易 を 展 開。
に、 天 皇 権 威 の借 用 は 、徳 川幕 府 に と って時 限 爆 弾 だ った ので す ね。 もち
ろん 、 李 朝 や 清 朝 に は 、 こ のよ うな 妙 な 権 力 と 権 威 の分 離 現 象 は あ り ま せ
欧 米 列 強 を 迎 え た 日本 、 朝 鮮 、中 国 は儒 教 社 会 で似 て いた 。 し か し
ん。 日本 固 有 のも の です ね 。 川勝
よ く 見 る と中 国 、 朝 鮮 には 科 挙 が あ り 、 日本 に は な か った。 も う ひと つは
日本 に は 天皇 があ り 、 他 の 二国 には な か った 。 そ の相 違 が近 代 化 の成 否 に
いえ いえ 、 ほ ん の入 口 を 覗 いたと いう 程 度 です 。
影 響 し た 、 と いう ご説 明 です が、 実 に明 快 です ね 。 毛利
川勝
そ の よ う です ね 。 も の の本 に よ る と 、 一人 が科 挙 に通 って地 方 官 に
科 挙 に通 る こと は 金 持 ち への道 でもあ った らし いです ね 。
私 腹 を 肥 や さ な か った武 士
毛利
な る と、 一族眷 属 が潤 った と あ り ま す ね 。 日 本 の場合 です と、 長 崎 奉 行 が
や や 似 てます か ね。 対 外 貿 易 に から む 職 務 上 のう ま み が あ って、 三年 つと
そ う し ま す と 、 科挙 の場 合 、 優 秀 な 頭 脳が 中 央 に集 ま る だ け では な
め る と 一財産 つく って 江戸 に帰 ってき た そう です か ら 。 川勝
く 、 莫 大 な 富 も 中 央 の支 配 者 階 級 に集 ま った。 そ の分 、 被 支 配 者 は 中 央 ・
地 方 を 問 わ ず 疲 弊 し た わ け でし ょう 。 そ れ に 比 べる と 日本 は支 配 階 級 の武
一六〇 九 年 の薩 摩 藩 侵
略 後 、 幕 藩 制 国 家 に組 み
入 れ られ た 。 薩 摩 藩 は 琉
球 の進 貢 貿 易 から 巨 利 を
一八 七 九 (明 治 十 二 ) 年
得 、各 種 の租 税 を 収 奪 。
の琉 球 処 分 に よ り ﹁琉
球 ﹂ 王 国 時 代 は 事 実上 終
息を迎える。
士 が中 央・ 地 方 を 問 わ ず だ ん だ ん 貧 乏 に な って いきま す ね。 長 崎 奉 行 は 例
外 とし て ( 笑 )。 ひ と つは 年 貢 だ け が基 本 的 な 収 入 源 だ った せ いも あ る。
幕 府 に は鉱 山 から の収 入 が あ り ま す が。 そ の幕府 も最 後 に は破 産 。 江 戸 城
が開 城 にな って官 軍 が 飛 び 込 ん でみ た ら 、御 金 蔵 に は 一粒 の金 銀 も な か っ
そう です よ 。 だ け ど 、 いま だ に小 栗上 野介 の軍 用金 と かを 探 し て い
た ( 笑 )。 毛利
る人 が いる でし ょう 、 絶 対 出 て こな いと 思 います よ、 経 済 史 の本 でも 読 め
日本 の武 士 は 私 腹 を 肥 や す のを いさぎ よし とし な いと こ ろが あ り ま
ば い いの に ( 笑 )。 川勝
す ね。 ﹁武 士 は食 わ ね ど 高 楊 枝 ﹂ と い った り、 吉宗 のよ う に絹 は着 な い、
木 綿 です ま す と いう 将 軍 も 現 れ る。 汚職 で有 名 だ った 田沼 意 次 も 、 最 近 の
大 石 慎 三 郎 氏 の研 究 に よ れば 、 清 廉 な 経 済 官 僚 だ った と いう 。 ﹁公 ﹂ の観
念 が非 常 に強 い です ね 。 公 と 私 と の区 別 のあ り 方 が 日本 と 中 国 、 朝 鮮 と で
は違 って いて、 そ れ が そ れ ぞ れ の近 代化 の成 否 に影 響 し て いるよ う な 気 が
な かな か 難 し い問 題 です ね。 そ も そも 、 日本 と 朝 鮮 や中 国 と では 、
す る ん です が 。 毛利
ら ね。 ま ず 中 国 の場 合 、 天 子 は 天 の命 を享 け て土 地 人 民 を 支 配 す る と いう
公 ( 国 家 権 力 ) を 支 え る社 会 的 仕 組 み か らし て、 た い へん 違 って いま す か
12 小 栗 上 野 介 (18︱6 28 7 ) 新 潟 奉 行 小 栗 忠 高
の子 。 小 栗 忠 順 。 幕末 か
ら 維 新 期 に か け 、外 国 奉
行 、 勘 定 奉 行 、 軍艦 奉 行
な ど を 務 め た 。 幕府 最末
て いた 人 物 と いう。
期 の財 政 を 事 実 上 にぎ っ
1 徳 川 吉 宗 (164 13 8 ︱ 751) 江戸 幕府 第八代
将軍。 享 保 の改 革を 推
進。
側 用人 、 老 中 。 一七 七 二
14 田 沼 意 次 (1719︱88 ) 江戸 時 代中 期 の幕 臣 、
置 に あ り 、政 治 の実 権 を
︱ 八六 年 ま で 、老 中 の位
に ぎ る。 流 通 への課 税 、
通 貨制 度 の改 革 、蝦 夷 地
調査 、 印 旛 沼 干 拓 な ど の
政策 を 実 施 し た が、 浅 間
山 の大 噴 火、 天 明 の飢 饉 、松 平 定 信 の妨 害 で頓
建 前 です から 、 王 朝 の統 治 は ﹁公 ﹂ な ん だ と 理論 構 成 され て いま す ね 。 そ
の ﹁公 ﹂ の作 用 に参 加 す る手 続 き が 科 挙 です ね。 そし て受 験 資 格 は身 分 を
です か ら 、中 国 より は せま い、 と は いえ 、 両 班 であ り さ え す れ ば だ れ で も
問 わず 万 人 に開 かれ て いた 。 も っと も 朝 鮮 の場 合 は 両 班 層 に 限 ら れ た よ う
受 験 でき る わ け で、中 国 ほ ど徹 底 し て いな いにせ よ 、 そ れ な り に開 か れ た
競 争 ル ー ルに 則 って いる。 つま り、 中 国 ・朝 鮮 で は、 国 家 権 力 に参 加 す る
機 会 が広 く 万 人 に 開 かれ て いた わ け で、 そ の意 味 で は、 ( と く に中 国 の場
合 ) す こ ぶ る ﹁近 代 ﹂ 的 です ね 。 と ころ が 、 日本 では 、国 政 つま り 幕 政 に
参 与 でき る のは武 士 身 分 、 そ れ も 譜 代 に 限 定 さ れ て いる。 非 常 に せ ま いで す よ。
と こ ろ が、 そ の事 情 と 、 先 程 の ﹁公 ﹂ ﹁私 ﹂ 弁 別 の 問 題 と は ま た違 う ん
です ね 。 中 国 では 、 天 子 は有 徳 だ か ら天 命 を 享 け たと いう 理 屈 です か ら 、
王 朝 勢 力 は 、 権 力 だ け では な く 道 徳 を も 独占 し て いる。 だ から 、 逆 に言え
川勝
と こ ろ が、 日本 で は逆 説 的 です が、 治 者 身 分 が 固 定 さ れ て いた が ゆ
え え。 ﹁公 ﹂ が 一気 に ﹁私 腹 ﹂ を 肥 やす こと に転 じ る。
ば 、 内 心 のう し ろ め た さ な く 盛 大 に 人 民 を 搾 取 でき た ん で す ね。
毛利
え に 、 か え って 治者 た る べき 存 在 証 明 、 つま り ﹁公 ﹂ の道 徳 が 要 求 さ れた と も いえ る でし ょう ね 。
座。
15 大 石 慎 三郎 (1923-) 学習院大学名誉教授。
﹃元 禄 時 代 ﹄ ( 岩 波 新
新 書 )。 ﹃田 沼 意 次 の 時
書 )、 ﹃江 戸 時 代 ﹄ ( 中公
代﹄ ( 岩 波書 店) で悪徳
政 治 家 のイ メー ジ のあ っ
た 田 沼 の定 評 を 覆 し た 。
16 両 班 李 朝 期 の特 権 的身分階級。高麗時代 に
れ て いた こ と に由 来 し 、
官 吏 が文 班 と武 班 と に分
両班 は官 職 は もち ろ ん、
政 治 上 の権 利 で も 世 襲 で
あり、科挙や課役等にも
特 権 が あ った 。 日 本 の統
に衰 え た。
治 時 代 にな ると 、 し だ い
の戦 以 前 に 徳 川 家 に 仕 え
17 譜 代 大名 の格 式 の ひ と つ。 三 河 以 降 関 ケ 原
さ ら に公 私 云 々と 近 代 化 の問 題 は 、 集 権 か 分権 か に 関係 あ る のかも し れ
ま せ ん。 日本 の場 合 は 各 藩 も 小 公 儀 です ね。 大 公儀 であ る幕 府 とす れ ば 各
藩 がち ゃんと し た 政 治 を し て いる 限 り 、 す べ て任 せ る。 つま り ﹁公 ﹂を 独
占 し な い。 と ころ が科 挙 制 は いわ ば 大 公 儀 のみ です か ら、 地 方 の自 立 し た
き る足 掛 り が な いわ け です 。 王 朝 は 安 泰 だ が 、反 面、 改 革 勢 力 は育 ち にく
権 力 が存 在 し な い。 中 央 権 力 のみ 強 く て、薩 長 のよ うな 中 央 権 力 に反 抗 で
いでし ょう ね。
と こ ろ で、 領 主 権 力 の公 権 力 化 と いう文 脈 か ら み て、 ち ょ っと お も し ろ
い のは江 戸 時 代 の 日本 には ﹁主 君 押 し 込 め ﹂ と いう こ と があ り ま し ょう 。
お家 の ﹁法 人 化 ﹂ と は 言 い得 て妙 です 。
( 執行
主 君 が悪 いと 、 親 戚 や老 臣 が 集 ま って、 強制 的 に 隠 居 さ せ てし ま う 、 あ れ
川勝
え え。 法 人 化 す る と 、 君 主 は オ ー ナー から エグ ゼ ク テ ィブ
は ﹁お家 ﹂ が法 人 化 し た か ら 可 能 と な った ん です ね。
毛利
者 ) に転 化 し ま す 。 だ から 、 法 人 の維 持 のた め ルー ルから 逸 れ た エグ ゼ ク
テ ィブ を差 し か え る の が ﹁主 君 押 し 込 め ﹂ の論 理 です ね。 ま さ に ﹁お家 ﹂
と いう 家 産 的 な 権 力 体 系 が、 時 代 が た つと 一種 の法 人 に変 質 し た わ け で
す。 日本 に は、 そ う いう独 立 法 人 が 各 地 に あ り ま し て ね。 幕 末 、 長 州 でも
薩 摩 で も、 藩 主 の言 う こと を 聞 か ず に藩 士 が ど ん ど ん 動 き 出 す わ け です
の。 お よ び 世 襲 に よ り そ
た 武 士 で大 名 に な った も
れ に 準 ず る も の。
18 主 君 押 し 込 め 近 世 の大 名諸 家 で お き た主 君
押 し 込 め と は 、 家老 ・重
臣 た ち が 主 君 を 幽 閉し 、
強 制的 に 隠 居︱ 廃位 さ せ
る も の。 ﹁押 込 隠 居 ﹂ と
も 呼 ば れ る。 阿 波蜂 須 賀
家 、 岡崎 藩水 野家 、 美 濃
安 藤家 な ど多 数 あ る。 笠
谷 和比 古 ﹃主 君押 込 の構
造﹄ ( 平凡社)を参照。
ね。 川勝
つま り 同 じ 公 的 組 織 では あ る け れ ど、 中 国、 朝 鮮 で は主 人 の意 のま
ま に な る家 産 官 僚 的 な 特 徴 が 最 後 ま で 強 か った。 日本 の場 合 は、 大 名 の
﹁お 家 ﹂ が ﹁法 人 化 ﹂ さ れ て藩 国 家 と な り 、 主 君 の恣 意 や専 横 が いち じ る
しく 制 限 され 、 わ がま ま な 主 君 に対 し ては 家 臣 が ﹁押 し 込 め ﹂ と いう隠 居
を 強 制 で き た 。 そ れ は 藩 国 家 の維 持 のた め で す が 、 藩 は 公 的 組 織 です か
ら 、 家臣 団 は 公的 な行 政 活 動 を お こな う 官 僚 にな った と いう こと です ね。
も う ひ と つ比較 の対 象 と し て、 ヨー ロ ッパ の近 代 官 僚 制 が あ り ま す ね 。
イギ リ スや フ ラ ン ス の高 等 文 官 試 験 と いう の は、 中 国 の科 挙 の制 に 啓 発 さ れ て、 つく ら れ た も のだ と 言 います 。
す ると 、 科 挙 と 家 産 官 僚 と いう中 国 の統 治 モデ ルを 原 型 にし て、 東 には
中 国 の家 産 官 僚 を 近 代 化 し た と いう か ﹁法人 化 ﹂ し た藩 国 家 に仕 え る武 士
官 僚 が形 成 さ れ 、 西 に は 中 国 の科 挙 を 近 代化 し た と いう か西 洋 化 し た高 等
文 官 試 験 に よ る近 代 官 僚 が 形 成 さ れ た 、 と いう 構 図 が 描け る か もし れま せ
ん ね。 と も に支 配 者 階 級 であ り な が ら 、 私 利 を 目 的 に し な いと いう 点 で つ
な る ほ ど。 いや、 な かな か おも し ろ い説 です ね 。
う じ る と ころ があ る。 それ が近 代 化 に役 立 った の では な い でし ょう か。 毛利
国 と 国 の間 の ﹁礼 ﹂
川勝 も う ひと つ、 江 戸 時 代 の武 士 の特 徴 と し て、彼 ら は た し か に鎌 倉 時
代 以 来 の武 人 な の です が、 実 際 は 刀 よ り 筆 を 使 った。 江戸 時 代 に武 人 が文
人 にな った ので はな いかと 思 う の です が 、 いか が でし ょう か。 む ろ ん 江 戸
の武 士 は科 挙 のよ うな 儒 教 の試 験 を 受 け た わ け では あ り ま せ ん が 、 儒 教 の
いう 君子 を目 指 し て いた。 そ の意 味 では 文 人 だ った と 思 う の です が 。
毛 利 中 国 や朝 鮮 では科 挙 で調 達 され る はず の官 僚 に、 た し か に 日本 では
って、 弱 肉 強 食 の時 代 に は 、 や はり 何 よ りも 武 力 が必 要 でし ょう が 、 だ ん
あ り あ わ せ の武士 を充 てて 間 に合 わ せま し た ね 。 武 家 つま り 領 主 連 中 に と
だ ん 一定 の領 域 を 支 配 す る よ う にな る と、 税 金 も 徴 収 せね ば な ら ぬ、 治 山
治 水 も し な け れ ば な ら ぬ、 単 な る 野 盗集 団 と は違 う こ とを 示 さ な け れ ば な
たち が自 ら 行 政 官 つま り 文 官 に 転 じ た。 た だ し文 官 にな っても 相 変 わ ら ず
ら な いわ け で、 要 す る に 行 政 が は じ ま る。 そ こ で領 主 のま わ り に いた 武 士
刀を さし て いた と いう こと でし ょう 。 日本 の封 建 制 の仕 組 み の下 で は、 そ
れ で何 と か間 に合 った の で、 と う と う 科 挙 を し な いま ま ズ ルズ ルと き てし
ま った。 そ のよ う な下 地 の うえ に儒 教 の イ デ オ ロギ ー が あ と か ら く っ つ い た ん で し ょう け れ ども 。
川勝 え え、 あ と から のも の でし ょう 。 し か し 、儒 教 はず いぶ ん武 士 社 会
の中 に根 づ いた と 思 う の です 。 武 家 政 権 であ り な が ら 、 強 大 な 軍 事 力 よ
り、 まず 徳 を 積 む こと が大 事 だ 。 徳 を 積 め ば 、 人材 も富 も集 ま って、 国 が
治 ま る、 そ う いう考 え 方 を 採 った わ け です ね 。 近 代 西 洋 の ﹁富 国強 兵 ﹂ で
はな く、 日本 は ﹁富 国 有 徳 ﹂ の シ ス テ ムを 採 った と いえ ます 。 こ れ は 現代 でも 参考 に し てよ いこ とだ と思 いま す 。
儒 教 は中 国 、 朝 鮮 、 日本 を 通 じ て の体 制 的 イ デオ ロギ ー だ った わけ です
が 、 儒教 の基 本 は ﹁礼 ﹂ です ね 。 礼 と は 単 な る行 儀 ・作 法 では な く 、 人 間
の社 会 関 係す べ てに つ いて のあ る べき 秩 序 と いう こと でし よ う 。 親 子 、 兄
弟 、 朋友 、師 弟 、 主 従 、 君 臣 な ど、 あ ら ゆ る人 間 関 係 にお け る 規 範 であ り
遵 守 す べき 秩 序 です。 そ れ は国 内 の社 会 関係 に妥 当 す るだ け では な く 、 国
と 国 の間 に も 、 し か る べき ﹁礼 ﹂ があ る べき だ と いう のが 儒 教 国 の考 え で
す ね 。 中 国 では 朝 貢 と 冊封 を も と に し た、 いわ ゆ る ﹁華 夷 秩 序 ﹂ が 明 清 帝
国 で定 着 す る 。 日 本 も そ れ に似 た よ うな 対 外 シ ス テムを 徳 川 時 代 に つく り あ げ て いま す ね 。
毛 利 え え 。 最 近 では 、 そ の徳 川幕 府 の対 外 シ ス テムを ﹁小 華 夷 秩 序 ﹂ と
呼 ぶ のが は や り のよ う です ね。 た し か に 琉球 か ら は慶 賀 使 が や ってく る。
朝 鮮 と は通 信 使 を 接 受 す る ﹁交 隣 ﹂ 関 係 であ る 。 清 や オ ラ ンダ と の関係 は
19 富 国 強 兵 日本 では 明 治 政 府 の ス ロー ガ ンに
(1744︱
な った が 、 す で に江 戸 時
1 821)の ﹃交 易 論 ﹄(一八
代 の本 多 利 明
いふ とも 国 の益 を はか る
〇 一) に ﹁戦 争 を 歴 る と
は 君 道 の深 秘 な り 。 国 家
易 を も って国 家 守 護 の本
守 護 の本 業 な り 。 外 国 貿
則合 戦 の道 に かな い、 外
業 と す れば 、 交 易 の道 は
国 を 攻 め と り て 、 所領 と
の萌 芽 を 認 め る こ と が で
す る に当 る ﹂ と あ り、 そ
きる。
単 な る ﹁通 商 ﹂ であ る︱︱ と 相 手 に よ って ラ ンクを 設 け 、 扱 いを 変 え て い
( 徳 川幕 府 ) から 何 の
の ﹁華 夷 秩 序 ﹂ を 支 え て いる 朝 貢 に 見 合 う 恩恵 の仕 組 み、 つま り ﹁覊縻﹂
ま す か ら 、 一見 ﹁華 夷 秩 序 ﹂ の小 型版 のよ う です ね。 ただ こ こ に は、 本 家
の理 念 が 欠 け て いま す ね 。 特 に 琉 球 王朝 は 、宗 主国
経 済 的 な 恩 恵 も 受 け て いま せ ん 。 そ れ ど ころ か 、中 間 に介 在 す る薩 摩 藩 か
ら 搾 取 さ れ て いる。 だ か ら 、 ﹁小 華 夷 秩 序 ﹂ だ と割 り 切 っ てし ま う の に は、 疑 問 が残 り ま す ね 。
川勝 東 アジ アに お い ては 、 従 う に し ろ 反 発す る に し ろ、 中 国を 中 心 と し
た 華 夷 シ ス テ ム の影 響 を受 け ざ るを え ま せ ん。 日 本 の場 合 は 、 ﹁日出 づ る
処 の天 子 、 書 を 日没 す る処 の天 子 に 到 す 云 々 ﹂ と 国書 を送 った聖 徳 太 子 、
遣 唐 使 の廃 止 を 上 奏 し た 菅 原 道 真 のよ う に 、 そ の シ ス テム か ら離 れ、 中 国
ムに入 る こと で ﹁日本 国 王 ﹂ と し て冊 封 を 受 け よ う とす る動 きも あ るわ け
から 独 立 し よ う と いう 動 き が あ る 。 一方 で、 足 利義 満 のよ う に朝 貢 シ ステ
です ね。 徳 川 幕 府 の場 合 は 、 そ の シ ス テ ムに 触 れ た が、 中 に は入 らな か っ
た。 そし て ﹁大 君 外 交 ﹂ と 呼 ば れ る 似 た よ う な 、 し か し独 自 の シ ス テムを 作 り ま し た。 天 下人 ・家 康 の狙 い
20 覊縻 政 策 中 国 の王 朝が異民族を支配する方
法 。 周 囲 の弱 小 民 族 に 武
力 で制 圧 す る の で は な
く 、 そ の地 の酋 長 ・有 力
者 に 中 国 の官 爵 ・恩 典 を
与 え てそ れ ぞ れ の自 治 を
認め、中国皇帝が間接に
そ の人 民 を 統 治 す る と い
う や り 方 。覊 は 馬 を 、縻
は 牛 を つな ぐ の意 で、離
い いと いう 方 針 。
反さえしなければそれで
毛 利 も っと も 、 最初 家康 は、 明皇 帝 を 中 心 とし た、 そ の国 際 シ ス テ ムに
入 り た か った よ う です ね。 秀吉 の朝 鮮 出 兵 で 日明 関 係 が崩 壊 し た あ と 、 天
下 を と った 家 康 と す れ ば 、 天 下 人 であ る こと を 日本 中 に確 認 さ せ るた め に
は、 な に より も ま ず 外 交 を 主 宰 し て実 績 を あ げ て み せな け れば な ら な いわ
け です ね。 そ の最 大 の目 標 は 明 国 と の関 係 回 復 だ った。 そ こ で、 ま ず 朝 鮮
と の関係 を修 復 し て、 明国 への つな が り を つけ よ う と努 め る。 ただ し、 家
康 が 明帝 の冊封 を受 け る つも り だ った のか 、 そ れ と も 別 の レ ベ ル で の関係 を つく ろ う と し て いた のか は っき り し ま せん が。
そ こに 中 国 では 明 か ら清 へ の王朝 交 替 が おき る。 あ れ は 東 アジ ア史 上 の
大 事 件 です ね 。 そ のと ば っち り で、 日 明復 交 は おじ ゃ ん にな ってし ま う 。
おま け に 日清 間 の国 交 も でき な い。 だ か ら徳 川幕 府 は、 華 夷 秩 序 にと う と
う入 れ な か った 。 も っと も 北 方 蛮 族 出 の清朝 では 、中 華皇 帝 の有 り 難 みも 薄 か った でし ょう が 。
と ころ が、 皮 肉 にも 、 同 じ 満 州 族 の台 頭 ( 女 真↓ 清 ) が 、 日朝 の復 交 促
進 に作 用す る ん です ね。 李 朝 は、 北 か ら の満 州 族 の脅 威 に 備 え る た め に 、
秀 吉 の侵 略 への恨 み があ った にも か かわ ら ず 、 徳 川 が 差 し だ し た 手 を 握 り
か え し て、 日朝 復交 が実 現す る。 こ のあ たり は 現 代 国 際 政 治 の力 学 と 似 て
いま す ね 。 こ こ に、 徳 川 幕府 は朝 鮮 通信 使 の迎 え入 れ に漕 ぎ 付 け 、 天 下 人
21 秀 吉 の朝 鮮 出 兵 天 下 統 一を な し と げ た豊 臣
秀 吉 は 、朝 鮮 ・明征 服 の
( 文 禄 の役 )、 一五九 七 年
野 望 を も ち 、 一五九 二 年
( 慶 長 の役 ) の 二 度 に わ
た り 朝 鮮 へ出 兵 し た 。 秀
吉 の死 によ って兵 を 引 き
上 げ る こと で こ の戦 争 は
終 わ る が、 朝 鮮 民 衆 を 多
明 の被 害も 甚 大 であ っ
数 虐 殺 す るな ど、 朝 鮮 と
た。
22 女 真 族 松 花 江 ・牡 丹 江 ・黒 竜 江 下 流 域 ・沿
海 州 地 方 に 住 ん で いた ト ゥ ング ー ス系 の民 族 。
た る勢 威 を 誇 示 でき た 。 こう な ってし ま え ば 、 あ え て中 国 と の国交 を急 ぐ
必 要 は な い。 結 局 、 徳 川 幕 府 は 、 華 夷 秩 序 に 入 ら な いです ま せ たわ け です ね。 川 勝 え え 、 そ う でし た 。 弁髪を強制されたら
毛 利 と ころ で、 夷狄 満 州 族 の清朝 が 、 中 華 皇帝 の座 を乗 っ取 ったわ け で
す か ら 、 東 アジ ア世 界 で儒 教 の影 響 力 が 低 下 し た か と いう と、 それ がま っ た く 逆 な ん です ね 。
朝 鮮 か ら み れ ば 、 満 州族 の清朝 な ん て本 当 の ﹁華 ﹂ で はな い。 儒 教 の正
統 を 捧 持 し て いる 自 分 た ち こそ 真 の ﹁華 ﹂ だ と いう意 識 が強 ま った はず で
す 。 朝 鮮 の政 治 や 社 会 のす み ず み に ま で朱 子 学 が徹 底 し た のも そ の た め で し ょう ね 。
清 朝 は 清 朝 で、 漢 人 以 上 に ﹁華 ﹂ に な ろ う と努 力 し ま す ね。 皇 帝 が先 頭
に立 って、 儒 教 を 奨 励 し た り 、 か の ﹁康 煕字 典 ﹂ を編 んだ り 、 清 朝 にな っ て儒 教 は ま す ま す 盛 ん に な り ま す。
さ て、 微 妙 な のは 琉 球 の立 場 な ん です 。 明 の残 党 が福 建 や広 東 あ た り に
立 て籠 も って、 南 明 と 称 し て清 に抵 抗 す る。 例 の国 姓 爺 合 戦 の鄭 成 功 な ど
23 朱 子 学 南 宗 の 儒 者 ・朱熹 ( 113 ︱0120 0 )
が理気世界観に基づ いて
大 成 し た儒 学 の体 系。
元 ・明 では 科 挙 の試 験 科
目となり隆盛を見た。十
六世紀後半は朝鮮朱子学
全 盛 期 で、 江 戸 時 代 の日
の朱 子 学 者 を 輩出 し た 。
本 でも 林 羅 山 を始 め 多 数
2 4 鄭 成 功 (14 6︱ 262 ) 父 は 福 建 出 身 の 元 ・海
賊 。 明末 、 清 初、 台 湾 と
大 陸 沿 岸 一帯 に活 動 し た
海 上 勢 力 の支 配者 。
が そう です ね。 琉 球 は 清 朝 と 南 明 のど ち ら に つく べき か迷 うわ け です 。 そ
れ で両 方 に使 者 を 出 し 方 物 を 贈 る 。 そ う し て様 子 を 見 て いる と、 ど うも 清
朝 が優 勢 ら し いと いう わ け で、 そ ち ら に 入 貢 す る こと を決 め る ん です 。
面白 いこ と に、 そ のと き 、 薩 摩 藩 と 幕 府 の間 で、 大 変 な 議論 が あ り ま し
た 。 薩 摩 藩 は、 もし 琉 球 王 国 が清 朝 の冊 封 を 受 け る と 、 弁 髪 を 強制 さ れ る
か も し れ な い。 そ れ は 国 の恥 だ か ら、 清 の使 者 を 斬 る こと も あ り う る 、 と
言 う ん です ね。 幕府 に し てみ れば 、 そ うな ったら 大 変 だ か ら 弁 髪 にさ れ て
も 仕 方 な い、 と に か く 穏 便 に清 使 を受 け入 れ よ、 た だ し 琉 球 は ﹁そ の方 、
一手 限 り ﹂ に任 せ て いる か ら 、 お 前 の責任 で処 理 せ よと 。 つま り 薩 摩 に責
任 を 押 し つけ るわ け です 。 清 朝 か 南 明 か の選択 に直 面 し て、 幕 府 は ﹁華 夷 秩 序 ﹂ の深 刻 さ を ひし ひし と 痛 感 し た の でし ょう ね 。
つ いで です が、 実 は これ が 後 に明 治 維 新 に利 いてく る ん です。 幕末 にな
る と 、 ﹁そ の方、 一手 限 り ﹂ だ か ら 、琉 球 は 己 の勝 手 だ と 、 島 津 斉 彬 は、
大 船 建 造 の禁止 令 を琉 球 用だ と い って破 る。 天 保 通 宝 と 同 じ 貨 幣 を 琉 球 通
宝 と いう 名 目 で流 通 さ せ る。 そ れ が倒 幕 の軍費 にな った のも 不 思 議 な めぐ り 合 わ せ です ね 。
川 勝 家 康 は 伊 達 政 宗 に 命 じ て支 倉 常 長 を 一六 一三年 に ロー マに派 遣 し て
いま す ね。 ヨー ロ ッパと の通 商 も そ の時 点 では 考 え て いる。 です か ら アジ
25 島 津 斉 彬 (189 0 ︱ 58) 薩 摩 藩 十 一代 藩 主 。 早
明的 で、 四十 三歳 で藩 主
く か ら蘭 学 を重 ん じ 、 開
に な った。 斉彬 擁 立 に奔
走 し た のが 西郷 隆 盛 ・大
久 保 利 通 であ る。
26 支 倉 六 右 衛 門 常 長 (1571 ︱ 1622) 伊達正宗
の命 を 受 け 、 日本 製 の木
ウ テ ィ スタ号 に乗 って太
造 帆 船 サ ン ・フ ァン ・バ
で下 船 し 、 マド リ ッド で
平 洋 を横 断 、 ア カ プ ル コ
洗礼 を 受 け、 ド ン = フ ィ
リ ッペ = フ ラ ン シ ス コと
称 し 、 ロー マで は 法 皇 と
謁 見 、 ロー マ の市 民 権 を
得 て、 一六 二〇 年 に 帰
国。
ア を 選 ぶ か ヨ ー ロ ッパ を 選 ぶ か 、 徳 川 初 期 に は そ の 両 方 の 選 択 肢 が 可 能 性
と し て あ った 。 と こ ろ が キ リ シ タ ンが 作 る で あ ろ う 政 治 シ ス テ ム は ロー マ
法 王 の支 配 下 に 入 る こ と だ か ら 、 こ れ は 選 べ な か った 。 と い う よ り ヨ ー ロ
ッパ の国際 秩 序 は、 でき あ が る の が 一六 四八 年 の ウ ェス ト フ ァリ ア条 約 以
降 です か ら、 徳 川 の対 外 政 策 が決 ま る寛 永 年 間 (一六 二 四∼ 四四 ) に は 、
真 似 よ う に もま だ 形 す ら な し て いな い。 し た が って徳 川 幕府 は 、 ヨー ロ ッ
パ では な く、 中 国 の華 夷 シ ステ ムを モ デ ル にし た 対 外 関 係 を 構想 す る 以外 に な か った のだ と思 いま す 。
配 す る帝 国 です 。 し た が って中 国 は夷狄 の国 だ と いう こと に な る 。 そ う す
一方 、中 国 のほ う は華 夷 秩 序 の本 家 であ り な が ら 、 清 朝 は 満 州 民族 が支
る と 分 家 筋 の日本 、 朝 鮮 は自 前 で華 夷 秩 序 を つく り あ げ る 以 外 に は な い。
日本 は 事 実 そ う し た のです が、 日本 より も 強 烈 で純 粋 な 華 夷 秩 序 を 遵 守 し た のは 李 氏 朝 鮮 でし ょう。
地 政 学 的 に も 朝鮮 は中 国 に余 り にも 近 い。 そ し て王 朝 の支 配 が 国 のす み
ず み に ま で及 ぶ 手 ご ろ な大 き さ です ね。 中 国 帝 国 が あ る シ ス テ ムを つく る
と 、 朝 鮮 王 朝 は そ れ を真 似 て 見事 な ミ ニ アチ ュアを つく る。 当 の中 国 のほ
う は 大 き す ぎ て、実 は中 途 半 端 に し か つく れな いん です ね 。 た と え ば 建 前
は 儒 教 で、 本 音 は 道 教 と い ったぐ あ い。 と ころ が朝 鮮 は 優 等 生 の儒 教 国 に
27 ウ ェス ト フ ァリ ア条 約 三十 年 戦 争 に関 す る
講 和 条 約 。 西 欧 最 初 の国
際 条 約 と いわ れ る。
な ってしま う。 最近 で は北 朝 鮮 は 毛 沢 東 時 代 の中 国 のカ リ カ チ ュアです 。 中 華 の関 白 に な る
毛 利 そ う いえ ば 、 中 国 史 では 異 民族 が中 原を 制 し て王 朝 を つく る場 合 が
し ば し ば あ り ま す が 、 不 思 議 な こと に朝 鮮 族 は中 原 と近 いと ころ に いる の
に、 一度 も 中 原 を 狙 わ な か った 。 人 数 も そ ろ って いるし 、 文 化 も 相 当 高 い のに、 ど う し てな ん でし ょう かね 。
つ い でに 言 います と、 秀 吉 の朝 鮮 出 兵 は 、 彼 の個 人 的 野 心 と説 明 さ れ る
こと が 多 いん です が 、あ のと き の東 アジ ア のダ イ ナ ミズ ム の中 で考 え てみ
( 元 の世 祖 ) や 満 州 族 の ヌ ル ハ
ると 、 秀 吉 も 満 州 族 な ど と 同様 に中 原 を めざ し たと 見 る こと が でき ま す 。 う ま く いけ ば 、 彼 も モ ン ゴ ル 族 の フ ビ ラ イ
チ ( 清 の太 祖 ) みた いにな れ た か も し れ ま せ ん ね。 ただ 、秀 吉 は、 自 分 は
中 華 の皇 帝 にな ると 言 わ ず 、 天 皇 を 連 れ て い って、 自 分 は中 華 の関白 にな る と いう。 あ れ が 日本 的 です ね ( 笑 )。
川 勝 李朝 に と っては迷 惑千 万な 出 兵 でし た が、 秀 吉 を フビ ラ イ、 ヌ ル ハ
チと 並 べ てみ る と いう 見 方 に は、 目 が ク ラク ラ いたし ま す 。 と ころ で 日本
と 朝 鮮 と は 、 江 戸 時 代 に は 、 徳 川 将 軍 と朝 鮮 国 王 と の交 際 と いう 形 で、 対
馬 藩 が仲 介 し て いた わ け です ね 。 と ころ が 誕 生 早 々 の新 政 府 が従 来 通 り修
28 フビ ラ イ (1215︱94) 元朝 の始 祖 ( 在 位 一二
で即 位 し 、大 都
(北 京 )
六〇 ∼ 九 四 年 )。 開 平 府
に 遷 都 、 七 -年 に 国 号 を
ア民 族 によ る 最 初 の東 ア
﹁元 ﹂ と 称 す る。 北 アジ
ジ ア統 一を 完 成 し た 。
29 ヌ ル ハ チ (1559 ︱ 1626) 清 初 代 の皇 帝 (在
位 一六 一六 ∼ 二 六 年 )。
う。 いわ ゆ る書 契 問 題 が お こ る の です が 、 事 の本質 は書 簡 の形式 が ﹁礼 ﹂
交 を 続 け よ う と し て対 馬 藩 の使 者 を 出 す 。 と こ ろ が 朝 鮮 は 拒 否 し てし ま
に 反す ると いう こと です ね 。
毛 利 ええ 。 対 馬 の宗 氏 は 将 軍 の家 来 であ る と 同時 に李 王家 の外 臣 と し て
扱 わ れ て いたわ け です が 、 そ の証 拠 と し て授 か って いた 図書 ( 印鑑)と違
う 印 を 押 し て き た。 第 二 に 旧 来 の 文 書 と 形 式 が 違 って いる。 お ま け に
﹁勅 ﹂ と か ﹁皇 ﹂ と いう文 字 を 日本 側 は 使 って いる が 、 こ れ は中 国 皇 帝 の み が許 され る文 字 だ 。 そ の三 点 で朝 鮮 側 は拒 否 す るわ け です ね 。
川勝 純 粋 な ﹁華 夷 秩 序 ﹂ 観 を も つ朝 鮮 か ら す れ ば、 西 洋 人 な ど 夷 も 夷
だ 。 明 治 日本 は そ う いう 夷狄 の朱 に 染 ま った ば か り か、 国 王 よ り 上 の
﹁皇 ﹂ を僭 称 し てき た、 礼 儀 を 知 ら ぬと いう こ と で対 馬 の使 節 は釜 山 の倭 館 で門 前 払 いを く わ さ れ る。
毛 利 日本 の場 合 、 西洋 人 を 夷狄 視 す る こ と から わ り に早 く 脱 却 でき た の
は 、 鎖 国 の間 も オ ラ ンダ と交 渉 が あ った。 あ れ が大 き いでし ょう ね 。
幕 末 に長 崎 の海 軍 伝 習 所 に オ ラ ンダ人 の教 官 を 雇 いま す ね 。 か れ ら が 伝
習 生 の練 習 航 海 に 薩 摩 に 行 く ん です が、 鹿 児 島 の城 下 を オ ラ ンダ 人 た ち が
歩 く と 、攘 夷 派 が 石 を投 げ た。 島 津 斉 彬 が 怒 って言 う 論 理 が お も し ろ い。
﹁オ ラ ンダ 人 と いえ ど も公 儀直 参 であ る ﹂と 。 幕 府 の海 軍 伝 習 所 の教 官 は
30 対 馬 の宗 氏 鎌 倉 時 代以降対馬国を支配した
豪 族 。 室 町 ・江 戸 時 代 を
通 し て朝 鮮 貿 易 の利 権 を
一四 ) 年 に 己 酉約 條 が締
独 占 。 一六〇 九 年 (慶 長
結 さ れ 、朝 鮮 と の 国交 回
復 の功 に よ り十 万 石 の格
後 は伯 爵 。
式 で 遇 さ れ た。 明治 維 新
31 海 軍 伝 習所 オ ラ ン ダ か ら 軍艦 を贈 ら れ た の
( 安政 二)年、 長崎 に開
を き っか け に 一八 五 五
設 され た幕 府 の海 軍 教 育
機 関 。 勝 海 舟 ・榎 本 武 揚
ら の幕 臣 から 五 代 友 厚 ・
ンダ 海 軍 士 官 に 学 ぶ。 一
佐野常民ら諸藩士が オラ
八五九年閉鎖。
将 軍 の直 臣 で、 そ れ にた いし て陪 臣 の分際 であ る お前 ど も が手 を 出 す と は け し から ん ( 笑 )。 儒 教 的 論 理を 逆 手 に と った わ け です 。
いま ひと つ、 あ ま り 知 ら れ て いな いん です が 、 こ う いう事 件 があ る ん で
す 。 一八六 六 年 に フラ ン ス艦 隊 が 朝 鮮 国 と 江華 島 でゴ タ ゴ タを お こす でし
32 ア メ リ カ の シ ャ ー マ ン号 事 件 と 合 わ せ て丙 寅
続 け る朝 鮮 に仏 ・米 が 、
洋擾と呼ばれる。鎖国を
盟 国 であ る。 朝 鮮 と は昔 から のお つき あ いが あ る ﹂ と 言 って。 つまり こ の
武 力 を 用 い て開 国 を 強 要 した事件。
ょう 。 そ のと き 幕 府 は 両 国 に 調 停 役 を 申 し出 る 。 ﹁わ が国 は フ ラ ンスと 同
と き の幕府 の頭 の中 に は、 す で に西 欧 諸 国 と は 近 代 的 な 国 際 関 係 に 入 った
と いう 意識 があ る 一方 で、 昔 な がら の ﹁華 夷 秩 序 ﹂ 的 関 係 の観念 が 混 在 し て いた ん でし ょう ね 。 中 国 モデ ル か ら 欧 州 モデ ル へ
川 勝 幕 末 に攘 夷 派 と 開 国 派 が争 いま し た が、 開国 派 も 、 開 国 し た のち い
ず れ 夷狄 を 退 け よ う と いう こ と だ った 。 そ こ に は、 日 本 は 華 で西 洋 は 夷
だ 、 と いう 華 夷 意 識 が あ った と 思 いま す。 と こ ろ が 実 際 に 開 国 し て み る
と 、攘 夷 は ど こ へや ら 、 ヨー ロ ッパ こそ が 文 明 で 日本 は半 開 だ 、 と 日本 人
自 ら が考 え る 。 ヨー ロ ッパ人 は 自 ら を 文 明 、 そ れ 以外 を 野蛮 と みな し て い
( 笑 )。 日本 は アジ ア選 手 権 で は決 勝 ま で勝 ち 進 んだ け れ ど も 、 世 界 選
ま し た。 これ も 一種 の華夷 観 と いえ ま す ね。 ﹁華 ﹂ の いわ ば東 西 対 抗 戦 で す
手 権 で は 予 選 落 ち と い った と こ ろ で し ょ う か
( 笑 )。 時 を う つ さ ず 福 沢 諭
吉 が ﹃文 明 論 之 概 略 ﹄ ( 岩波文庫) で ﹁西 洋 の文 明を 目 的 にす る事 ﹂ と啓 蒙
の声 を あ げ 、 日本 人 は西 洋 流 の ﹁華 ﹂ す な わ ち 文 明 を追 求 す る こと に決 め た わけ です 。
も っとも ヨー ロ ッパ人 の華 夷 観 、 つま り 世 界 を ﹁文 明 と 野 蛮 ﹂ に分 け て
み る考 え方 自 体 、 清 国 から 送 ら れ てく るジ ェズ イ ット の報 告 に 刺 激 さ れ て
十 九世 紀初 期 に ヨー ロ ッパ で確 立 し た 新 し い イ デ オ ロギ ー で、 元 を た だ せ
ば 中 国 に 原 型 があ り 、 根 は 一つだ と 思 いま す が 。 そ れ は と も か く 、 日本 人
は 中 国 型 の華夷 モデ ルか ら ヨー ロ ッパ型 の文 明 ・野 蛮 モ デ ル に見 事 に 鞍 が えした。
は 、 対 外 関 係 を 結 ぶ た め の、 あ る いは国 内 秩 序 を 維 持 す る手 段 と し て単 に
華 夷 秩 序 の中 身 の入 れ 替 え が 可 能 だ った のは 、 日本 に と って華 夷 秩 序
形 式 に す ぎ な か った か ら だ と 思 います 。
毛 利 そ の通 り です 。 そ も そ も徳 川幕 府 は、 建 前 はと も かく 、 外 交 実 践 上
せん から 、 も ち ろ ん ﹁華 ﹂ と し て対 し た こと は な い。 つま り 徳 川 幕 府 の外
は 華 夷 モ デ ル に即 し た 行 動 を し て いま せ ん ね。 清 朝 と は付 き 合 いがあ り ま
交 相 手 に ﹁華 ﹂ は な い。 ち な み に 通商 の相 手 であ る清 国 人 は長 崎 方 言 で い
う ﹁アチ ャサ ン﹂ ( あ ちら さ ん)、 つま り 隣 人 です ね。 他 方 、 琉 球 や アイ ヌ
33 福 沢 諭 吉 (15 8︱ 3 190) 1 ﹃福 沢 諭 吉 全 集 ﹄
(と も に 岩 波 書 店 )。
﹃福 沢 諭 吉 選集 ﹄ 全 十 四
巻
﹃学 問 ノ ス ス メ﹄ ﹃文 明 論
三 冊 は岩 波 文 庫 所 収 。
之 概 略 ﹄ ﹃福 翁 自 伝 ﹄ の
34 ジ ェズ イ ット Jesu i t,イ エ ズ ス 会 士 と 同
じ。
は 、 ﹁異 国 ﹂ ﹁異域 ﹂ な のであ って、 将 軍 の徳 化 の対 象 た る ﹁夷 ﹂ と み な し
て いな い。 そ の証 拠 に将 軍 から 回 賜 品 を 供 与 す る な ど の発 想 が 全 く 見 ら れ
な い。 要 す る に、 徳 川 幕 府 の外 交 相 手 に は 、 上 下 の差 別 は あ るが 、 ﹁華 ﹂
も ﹁夷 ﹂ も な いわ け です ね 。 そ の意 味 か ら も 、 徳 川 日本 を めぐ る国 際 シ ス
テ ムを ﹁小 華 夷 秩 序 ﹂ と呼 ぶ のは、 誤解 を 招 き やす く て感 心 し ま せ ん ね 。
反 面 、 徳 川 幕 府 は 、 条 約 を結 ん だ欧 米 諸 国 は ﹁同 盟 ﹂ の国 、 つま り 対 等
と の ト ラブ ル調 停 の試 み も 、 や れ ば でき る、 いや 調停 に乗 り 出 す べき 国 際
な 友 好 国 と み な し て いま す ね。 だ か ら、 先 ほ ど述 べた 朝 鮮 国 と フラ ンス国
的 義 務 が あ る と 、 本 気 で思 った の では な いで し ょう か。 万 国 公 法 の建 前 を 無 邪 気 に信 用 し た のか も し れ ま せ ん ね。
明 治 新 政 府 も 、 当 初 はそ の観 点 を 受 け 継ぎ ます が 、 現実 の厳 し い国 際 関
係 に揉 ま れ て いく う ち に、 否 応 な し に リ ア ルな 国 際観 を身 に つけざ るを え
な い。 そ こで、 最 大 の問 題 は不 平 等 条 約 の撤 廃 です ね 。 不 平等 条 約 の背 後
ょう。 つまり 、 対 等 条 約 は文 明 国 間 のも の で、 野 蛮 国 相 手 には 対 等 条約 は
に は 、当 時 の欧 米 諸 国 が持 って いた ﹁文 明 と 野 蛮 ﹂ の論 理 があ る わ け で し
あ り え な い。 不平 等 条 約 にな ら ざ るを え な い。 だ か ら 、 不 平 等 関 係 を克 服
す る た め に は 、 ど う し ても ﹁文 明 ﹂国 と し て認 め ても ら わ な け れ ば な ら な
い。 そ こ で日本 は 憲法 と議 会 を 作 ったも の の、 そ れ でも ダ メ で、 や っと 文
35 万 国 公 法 国 際法 の 旧称。
明 国 扱 いし ても ら え る よ う にな った のは、 北 清 事 変 出 兵 、 そ れ こそ〝 国 際
貢 献〟 し てか ら です ね。 欧 米 の論 理 に従 って、 アジ ア の国 を や っ つけ てみ
せな け れ ば ﹁文 明 ﹂ 国 の仲 間入 り が でき な か った と いう 悲 劇 です ね 。
川 勝 た だ 欧 米 側 か ら す れ ば、 日本 に不 平 等 条 約 を 押 し つけ た と 思 って い
な いか も し れ な い。 何 が 不 平等 か と いえば 、 治 外 法 権 と 関 税 自 主 権 が な か
った こと です ね 。 治 外 法権 に つ いて は、 外 国 人 の こと には 関 知 し た く な い と いう 態 度 が 日本 側 に も あ った でし ょう。
毛 利 え え 、 当 初 は ﹁馭外 ﹂、 つま り 厄 介 な 外 国 人 の ト ラブ ルは 外 国 人 自
身 で処 理 さ せ た ほう が い いと 思 った のです 。 だ んだ ん 裁 判 権 のな い不 都 合 が分 か ってき ま す が 、 時 す でに お そ し。
川勝 残 る のは 関 税 自 主 権 、 これ は 一九 一 一年 ま で戻 ら な いん です が 、 も
と も と は 日本 の商 品 を イギ リ スに も ってき ても 関 税 は か け な い。 そ のか わ
り 英 国 製 品 を も って い っても 関 税 は かけ な いでく れ と 。 貿 易 と し ては 理想
36 北清 事 変 清 代 の白 蓮 教系 の秘 密 結 社 ・義 和
( 義 和 団 ) は、 一八 九 九
拳 教徒 が組 織 し た自 衛 団
年 キ リ スト教 お よ び列 強
の中 国侵 略 に対 し山 東 省
で 蜂起 。 翌 年 北 京 に入 城
こ の民衆 反 乱 に対 し 日 ・
し 、 各国 公 使 館 を包 囲 。
伊 ・オ ー スト リ アの八 カ
英 ・米 ・仏 ・露 ・独 ・
国連 合 軍 に よ る鎮 圧 戦 争
を さ す。 日本 は 二万 二〇
〇 〇 も の列 国 中 最大 の軍
隊 を 派 遣 し 、 ﹁極 東 の憲
37 タ ウ ン セ ン ド ・ ハリ ス TownsendHar ri s
た。
兵 ﹂ と列 国 から 評価 さ れ
( 1804︱78) アメ リ カ、
的 な 形 な ん です ね 。 ガ ット と 同 じ で ( 笑 )。 し か し大 蔵 省 と し て は保 護 関 税 を 財 源 と し てと る こと が でき な い。
駐 日 総 領 事 ( 後 に公
方教 育 者 、 そし て初 代 の
ニ ュー ヨー ク の商 人 、 地
毛 利 幕 末 、 日米 通 商 条 約 の ア メリ カ側 全 権 だ った タ ウ ンセ ンド ・ハリ ス
の回 顧 録 を 読 む と 、 彼 は 自 由 貿 易論 者 だ か ら無 関 税 を 理想 と し て いた が 、
日本 の政 府 に収 入 を あ げ さ せ る た め 、自 分 のほ う から 関 税 を 提 起 し た 、 と
語 ってま す ね。 ただ し 、 税 率 を 日本 が 勝 手 に いじ っては 困 る、 そ こ で協 定
税 率 とし たう え で、 生 活 必 需 品 は 五 % 、 酒 は 二十 五 % と︱︱ 酒 は よく な い
と 思 った ん です か ね ( 笑 )、 そう 提 案 し た ら 日本 側 は快 諾 し た と いう ん で す。
た だ 問 題 は 、強 者 に と って は公 平 だ け ど 、 弱 者 に と っては、 公平 であ る が ゆ えに桎梏 にな ると いう 意 味 で不 平 等 な ん でし ょう ね。 国 際 通 貨 を輸 出 し た近 世 日本
川 勝 話 を 、 な ぜ 十九 世 紀 に 日本 だ け が 近 代 化 でき た のか 、 と いう テー マ
に戻 し ま す と 、私 は、 徳 川時 代 に、 日本 は古 代 以 来 の中 国 文 明 の受 容 に 終
止 符 を う ち 、 西洋 化 な ら ぬ中 国 化 の歴 史 を 脱 け き った と 思 って いま す 。 日
日本 は 明 治 維 新 を 迎 えた と き は、 中 国 から の自 立 を 遂 げ て いた と み ら れ ま
韓 中 は 、 一見 似 た よ う な位 置 か ら スタ ー トし た よ う に みえ ま す が 、 実 は 、
す 。 中 国 か ら 受 け 入 れ る 文 物 が な く な って いた と いう こと です 。 日本 と 欧
米 が 近 代 化 を と げ る 過 程 で、 旧 文 明 圏 (ア ラ ビ ア、 ト ル コ、 イ ンド、 中
国 ) は第 三世 界 に転 落 し ま し た が 、 近 代 化 に よ って欧 米 は イ ス ラム系 の 旧
文 明 圏 に対 し て優 位 に た った のに対 し 、 日本 は幕 末 ま で に儒 教 系 の 旧文 明
の中 心 であ る中 国 に対 し て優 位 にた った と み ら れ る の です 。 とす れば 明治
使 )。 ﹃ハ リ ス 日 本 滞 在
記﹄ ( 岩 波 文 庫 所 収 )。
維 新 は近 代 化 の出 発 では な く 、 む し ろ 帰 結 であ る。
と いう のは、 ま ず 、 徳 川 時 代 の 日本 は 、 中 国 の華 夷 秩 序 を換 骨 奪 胎 し た
あ った と お っし ゃ いま し た が、 言 ってみ れ ば 、 日 本 は 二 百六 十余 の分 権 国
体 制 を外 にむ か って作 り 、 対 内 的 に も 作 った 。 日本 に は 大 公儀 と小 公 儀 が
家 を有 す る 一つ の世 界 であ り 、 ま さ し く ﹁天 下 ﹂ だ った の です ね。 参 勤 交
代 で各 藩 主 が 一年 毎 に 江戸 に おも む く のは 、 中 国 に 周 辺 の国 が朝 貢す る の と 似 て いる よ う に 思 います 。
毛 利 え え 。 も っと も 朝 貢 の場 合 は、 見 返 り に 経 済 的 利 益 が 伴 う ん です
が 、 参 勤 交 代 は持 ち 出 し です け ど ね ( 笑 )。 そ の違 いは あ る け れ ど 、 考 え
方 は 似 て いる ん じ ゃな いでし ょう か、 拝 領 し た 土 地 人 民 を う ま く 統 治 し て いる と 報 告 し に 行 く わ け です か ら。
川 勝 参 勤 交 代 制 が 定 ま った のは 一六 三五 年 、 寛 永 十 二年 です ね 。 そ の寛
永 年 間 に は ﹁鎖 国 ﹂ が でき あ が る。 ﹁大 君 ﹂ と いう 言 葉 が 使 わ れ 、 大 君 外
交 が 確 立 す る。 内 外 の体 制 が整 う わ け です 。 それ と あ わ せ て大 事 な のは 、
寛 永 年 間 に鋳 造 さ れ た 寛 永 通 宝 が や が て永 楽 銭 な ど の輸 入 銭 を 駆 逐 し てし
ま った こと です 。 古 代 以 来 の アジ ア の国際 通 貨 は銅 銭 でし た 。 華 夷 秩 序 の
た。 足利 義 満 が朝 貢 し た のも 、 明 銭 が欲 し か った から です 。 と ころ が 、 そ
中 で夷 が朝 貢 す る 目 的 は 、 経 済 的 には 銅 銭 を 供 給 し ても ら う こと で あ っ
( 寛 永 一三)
38 寛 永 通 宝 江 戸 時 代 の代 表 的 通 貨 。 江 戸 幕 府
が 一六三 六
年 以降 鋳 造 し た 銭 で、 年
代 に関 係 な く こ の呼 称 で
呼 ば れた 。 全 国 各 地 の銭
座 で鋳 造 。 素 材 は 青 銅 ・
真 鍮 ・鉄 の 三種 。
39 永楽 銭 永 楽 通 宝 。 明 の成 祖 永 楽 帝 の 一四〇
八年 よ り鋳 造 さ れ た銅
的 な 通貨 とな る。 表 面 に
銭 。 室 町時 代 以降 の標 準
﹁永 楽 通 宝 ﹂ の文 字 が あ
る。
の中 国 が、 江戸 時 代 に は、 日本 から の銅 の輸 入 国 に 転 落 し ま す。 近世 の日
本 は金 銀 銅 と い った貨 幣 の素 材 を 国 内 で自 給 す る だ け では な く 、輸 出 す る
よ う に な る。 な か ん ず く 銅 銭 の輸 出 は 画 期 的 な こと で、 日 本 が か つて の ﹁中 華 帝 国 ﹂ の役 割 を 果 た す よ う に な った わ け です ね。
毛 利 た し か に 、 た いし た こと です ね。 し か も 、 貨 幣 だ け では な く 、 そ れ
ま で輸 入 し て いた 物 産 を徳 川時 代 は自 給 す る よう にな った ん でし ょう 。
川 勝 は い、 開 国 を強 要 し た西 洋 列 強 がも っとも 売 り た が った のは 木 綿 と
砂 糖 であ り 、 日本 か ら 買 いた が った のは生 糸 と お茶 です 。 これ ら の ﹁国 際 商 品 ﹂ を 日本 は す べ て鎖 国 時 代 に 自 給 し て いまし た。 旧 アジ ア文 明圏 か ら の独 立
川勝 ご く か い つま ん で言 いま す と 、 これ ら は いず れ も 中 世 か ら 近 世 に か
け て 日本 に入 って いたも の です 。 輸 入 先 は 中 国 か ら東 南 アジ ア、 さ ら に イ
ン ド、 ア ラビ アに いた る ﹁アジ ア貿 易 圏 ﹂と 呼 ば れ る 地 域 で、 同 じ ころ 、
や は り こ の ﹁アジ ア貿 易 圏 ﹂ から 物 産 を 購 入 し て いた のが ヨー ロ ッパ人 で
し た 。 そ の代 金 は 新大 陸 か ら奪 ってき た金 銀 。 一方 、 日本 は 戦 国 時 代 に鉱
山 開 発 が 進 ん で莫 大 な 金銀 銅 を 持 って いまし た。 それ がと も に アジ アに流
れ 込 ん だ 。 つま り ユー ラ シ ア の両端 の日本 と ヨー ロ ッパ で、 アジ アと の関
係 で は似 た よ う な 構 図 が あ った わ け です 。 し か し 金 銀 に は 限 り が あ り ま
化し て い った。 それ が産 業 革 命 だ った と 思 いま す 。
す 。 そ こ で イ ギ リ スに つ いて言 え ば 、 イ ンドか ら 輸 入 し て いた木 綿 を 国産
つま り 旧 アジ ア文 明 圏 から 輸 入 し て いた 物 産 を 自 給 し 独 立 し て いく 過程
日本 の ﹁鎖 国 ﹂ だ った 。 こ の二 つ の歴 史 的 意 義 は 匹 敵 す る と 思 いま す 。
が 、 か た や産 業革 命 を 経 て の ﹁近 代 世 界 シ ス テ ム﹂ の形 成 であ り 、 か た や
毛 利 な る ほ ど 、 な る ほ ど。 いや、 よく 分 かり ま す 。 そ れ にし ても 、 スケ ー ル の大 き な 着 想 に は 感 服 し ま す よ。
川勝 いえ いえ。 日本 の開 国 は 、欧 米 に対 し て のみな ら ず 、 アジ ア の諸 地
域 に対 す る開 国 であ った と いう こと が重 要 です 。 列 強 の輸 出 品 の中 心 であ
る木 綿 に つ いて見 ると 、 東 アジ ア の木 綿 と ヨー ロ ッパ の木 綿 で は品 質 が 違
う。 東 アジ ア の木 綿 は 厚 地 で労 働 着 であ り冬 着 で あ った のに対 し 、 イギ リ
ス の木 綿 は薄 地 で下 着 であ り 夏 着 であ った 。 そ のた め に東 アジ ア の生 活 文
化 の中 に スト レー ト に入 って いかな いわ け です 。 だ か ら こそ、 圧 倒 的 に高
い生 産 力 を ほ こる イ ギ リ ス産 の木 綿 によ っても 日本市 場 は 席 捲 さ れ る のを
免 れ た の です 。 日 本 人 の生 活文 化 が いわ ば 非 関 税 障 壁 と な った の です。
開 国 によ って 日本 と 競争 関係 に入 った のは 西 洋 列 強 と いう よ り も 、 近 隣
の アジ ア諸 国 です 。 日本 に は中 国 や イ ンド から 大 量 の綿 花 が 入 ってき て、
日本 の綿 作 は壊 滅 す る。 し か し そ の輸 入 綿 花 を 加 工 し て中 国 、朝 鮮 に 輸出
し ま す 。 私 は これ を ﹁アジ ア間競 争 ﹂ と呼 ん で いま す 。 こ の アジ ア間 競 争
に勝 つこと によ って 日本 は 工 業化 を遂 げ る のです 。 日本 の 工業 化 は 欧 米 に
追 い つく と いう より 、 アジ ア間 競 争 で勝 った こと の結 果 であ ると いう 筋 書
き です 。 鎖 国 時 代 に培 った 日本 、 中 国 、朝 鮮 の経済 力 の実 力 の差 が、 国 を あ け た と た ん に、 も ろ に出 てし ま った 。
毛 利 な る ほ ど。 か つて輸 入 品 であ った も のを 日本 人 は 自 家 薬 籠 中 のも の
に し 、 さ ら に外 国品 を圧 倒 し てし ま う わ け です ね 。 し か し そ う いう こと は っし ゃる よ う です が 。
ど う し て可 能 だ った ん でし ょう。 日本 人 の ﹁勤 勉 革 命 ﹂ と 経 済 史 の方 は お
川 勝 速 水 融 教 授 の言 葉 で、 産 業 革 命indust r iar lvot e l i on uに対 し て、 日
本 人 は 江 戸 時 代 に勤 勉 革 命 i ndut s ro iu sr ev olut i onを 経 験 し た 、 と いう主 張
です 。 言 いか え ま す と ヨー ロ ッパ では 資 本 集約 型 の生産 革 命 が お こり 、 日 本 で は労 働 集 約 型 の生 産 革 命 が お こ った 、 と いう こと です ね 。 他 力 信 仰 の影 響
です 。 生 産 物 のみ な ら ず生 産方 法 も中 国 、 朝 鮮 か ら導 入 さ れ て おり 、 そ の
川 勝 た だ ﹁勤勉 ﹂ と いう意 味 では、 中 国 も 朝 鮮 も 勤 勉 であ った と 思 う の
生 産 方 法 は 労 働 集約 型 のも のが多 い。 日本 が抜 き ん でる には 、 そ れ に プ ラ
スす る 何 か が あ った と 思 いま す。 日本 で は、 た とえ ば 宮 崎 安 貞 の ﹃農 業 全
書 ﹄ は 、 労 働 集 約 的 な農 法 を伝 え る中 国 の農 書 の影 響 を う け つ つも 、 多 肥
管 理 農 法 と いわ れ る 日本 的特 色 を も ち、 作 物 に手 入 れ を 尽 く す と いう か 、
農 作 業 への献 身 を 説 い て いま す。 単 に生 産 性 を あ げ る合 理 的 な 農 法 を 教 え
るだ け でな く 、 土 壌 や作 物 を 生 か す こと が 道 徳 に か な う の だ と 教 え て い
る。 ﹃農 業 全 書 ﹄ の巻 の 一の冒 頭 に は 、 作 物 を 生 み 出 す のは 天 であ り 、 育
て る のは 地 であ る 。 人 間 は そ の仲 立 ち であ って 、天 の心 を う け つぎ 、 あ ら
ゆ る作 物 を い つく し み 育 てる 心 が 自然 に そ な わ って いる から 、 農 業 の道 に はげ め、 と 述 べら れ て いま す ね 。
毛 利 そう いえ ば 、 日本 人 は 武 道 は いう ま で も な く、 華 道 、 茶 道 と 趣 味 に
いた るま で ﹁道 ﹂ つま り 道 徳 化 し てし ま う 傾向 があ りま す ね。 いま の お話
は、 そ れ に つな が ると ころ が あ るよ う です が 、 そ のよ う な生 き 方 、 生 活 態 度 は ど こ か ら く ると お考 え です か 。
川勝 江 戸初 期 の職 業 倫 理 に つ いては 、 武 士 であ り 同時 に禅 僧 であ った鈴
木 正 三 が引 き 合 いに出 され て、 禅 宗 の影 響 だ と いわ れ ま す ね。 し かし 生 産
の主 体 は農 民 です か ら、 彼 ら の間 に広 ま って いた 真 宗 な ど か ら し て、 私 は
民 衆 の間 に 他 力 信 仰 と いう地 盤 のあ った こ と が 大 き か った と 思 っ て いま
40 宮 崎 安 貞 (1623-97) 広 島 藩 士 の子 とし て生
ま れ 、 二 五歳 で福 岡 藩 士
と な る が、 三〇 歳 を 過 ぎ
て 浪人 とな った後 、 農 業
の各 地 を旅 し な が ら 見聞
に も 関 心を も ち 、西 日本
を広 め つ つ自 分 でも 農 事
を 営 む 。七 四歳 に な って
著 さ れ た ﹃農 業 全 書 ﹄
( 岩 波 文 庫 )。
(一六 九 六 年 ) は 近 世 の
最 高 の農書
41 鈴 木 正 三 (1579︱ 1655) 武 士 と し て 徳 川
ケ原 ・大 阪 の陣 に も 参加
家 康 ・秀 忠 に つか え 、 関
し た が 、 一六 二〇 年 に落
髪 し た 。 ﹁万 民 徳 用 ﹂ を
説く。
す。 毛 利 ほ ォ。
川勝 他 力 信 仰 では 、 人 間 は 自 力 で生き て いる ので はな い。 弥 陀 に よ って
生 か さ れ て いると いう 信 仰 です ね 。 ﹁生 か さ れ て いる ﹂と いう のは 受 動 態
です が、 これを 能 動 態 に変 え れ ば 、 何 か を ﹁生 か す ﹂ と いう こと にな り ま
す。 受動 態 と能 動 態 と は文 法 的 には 区 別 さ れ ま す が 、 同 じ こと の言 いか え
であ り 意 味 は 変 わ ら な い の です が、 こ こ で﹁弥 陀 に よ って生 か さ れ て い
る﹂ と いう 受 動態 を ﹁弥陀 を生 かす ﹂と いう 能 動 態 に す る と 弥 陀 は 無対 象
です から 、 何 か具 体 的 な 行 為 を と お し て弥 陀 に つく す と いう こと に な ら ざ
るを え な い。 鈴 木 正 三流 に いえ ば ﹁仏 法 す な わ ち 世 法 な り ﹂ と いう こと
で、 士 農 工商 の 四民 が 世 俗 の 日用 の職 分 を ま っと うす る こ と が信 仰 に かな
う。 大切 な こと は ﹁生 か さ れ て い る﹂ と いう のは信 仰 の世 界 で す が 、 ﹁生
か す ﹂ と す る と現 に存 在 し て いる何 も のか に 対 す る コミ ットに な る と いう
こと です 。 ﹁生 か さ れ て いる ﹂ と 信 じ る 信 仰 世 界 か ら ﹁生 か す ﹂ と いう 世
俗 世 界 への転 換 が 江 戸 時 代 に 民衆 レベ ルで生 じ た にち が いな いと 思 う の で
す 。 農 民 であ れ ば 作 物 を 生 か す 。 武 士 であ れ ば 己 を殺 し ても 主 君 を 生 か
す 。 明 治 維 新 に お い て初 め て四 民 平 等 に な った と い います が、 江戸 期 に お
いてす で に、 ど の身 分 の人 間 にし ろ 自 己 の本 分 を 尽 く す べき道 を も って お
日本 で は 浄 土 宗 ・浄土 真
42 弥陀 阿 弥陀 の略 。 西 方 浄 土 を 主 宰 す る仏 。
( 仏 )、 無 量
宗 な ど の本 尊 。 阿 弥 陀 如
( 仏 )。
来。無 量 寿
光
り 、 職 分 にお い ては 平 等 だ と いう 観 念 が でき あ が って いた と思 いま す 。 お のお の の道 を 尽く す
毛利 ふ つう 階 層 があ ると 、 下 が 上 を 羨 む と か 、 上 が 下 を 抑圧 す る と いう
構 造 にな り が ち です が 、 江 戸 時 代 の 日本 で は た し か に 士 は 士 で、 農 は農
で、 お のお の置 か れ て いると ころ で道 を 尽 く す 、 そ れ に 生 き 甲 斐 を 感 ず る と いう と こ ろ があ り ます ね。
川 勝 は い。 少 し観 念 的 な 物 言 いにな り ま す が、 自 分 が あ って他 が あ る の
では な く 、 自 分 は 他 に よ って生 か さ れ て いる。 自 分 は ﹁空 ﹂ だ と いう こと
です ね 。 空 だ か ら 、 よ く も のが 入 る。 こ れ が 日本 の特 徴 で はな いか と 思 い
ま す 。 中 国 では 改 革 す る に し ても部 分的 です 。 当 初 は洋 務 運 動 と い って軍
備 だ け 洋 式 にす る 。 日清 戦 争 で敗 け て か ら は、 軍 備 だ け で は不 十 分 だ と い
う の で変 法 自 強 と いう 制 度 変 革 に のり だ し た 。 と こ ろ が 日本 で は変 わ ると
な ると 、 福 沢 諭 吉 を し て ﹁一身 に し て二 生 を 経 る ﹂ と述 懐 せし め た ほど に
徹 底 し て いる。 科 学 ・技 術 か ら 政 治 、 経 済 、 法律 、学 問、 文 学 、 音 楽 に い
た るま で ト ー タ ルに西 洋 の文 物 を 受 け いれ た 。 これ は アジ ア のど こ にも な い こと です 。 日本 人 はと こと ん 西 洋 にす り 寄 った 。
現 代 でも 日本 人 は、 た とえ ば 輸 出 車 で いえ ば イギ リ ス向 け な ら右 ハンド
ル、 ド イ ツ向 け な ら 左 ハンド ルと か 、相 手 にあ わ せ て輸 出 し て いま す ね 。
の暮 ら し の立 て方 す な わ ち 日 本 文化 は特 殊 だ から 初 め から 世 界 に通 じ る と
と ころ が ア メリ カ 車 は ど こ へ出 す に も左 ハ ンド ルでし ょう 。 日本 人 は 日本
思 って は いな い ん でし ょう 。 逆 に いえ ば 、 あ た ま か ら相 手 の文 化 はち がう
と 思 って いる。 だ か ら マー ケ ット ・リ サー チを し っか り や って相 手 の生 活
う のは自 分 を 殺 す こと でも あ るわ け です か ら 、 間 違 え る と滅 私 奉 公 的 な 時
様 式 に合 う かど う かを よ く 調 べ てか ら 物 を 輸 出 す る。 相手 に合 わ せ る と い
代 錯 誤 のイ デオ ロギ ー にな る恐 れ も あ り ま す が
ころ が 日本 人 の思想 の根 本 にあ る かも し れ ま せ ん ね 。 わ れ わ れ は 、 そ のよ
。毛利 私 は そ こ ま で は考 え て いな いの です が 、 も し か し た ら 、 そ う いう と
う な 日 本 文 化 の特 性 が育 った のは、 日本 が島 国 だ か ら と 考 え る でし ょう 。
島 国 で 、 大 陸 か ら の大 規 模 な 武 力 侵 略 の危 険 を 免 れ る 程 度 に は 離 れ て い
て、 し か も 文 化 的 刺 激 が 届 か な いほ ど に は離 れ て いな い。 だ から 日本 独 自
の文 化 や 国 民 性 が でき た ん だ と 説 明 す る 。 と こ ろ で、 だ れ でし た か ね 、
﹁そ れ な ら マダ ガ スカ ル島 も そう だ ﹂と ( 笑 )。 ただ マダ ガ スカ ル島 の対 岸 に は文 明 の中 心 が な か った ( 笑 )。
川勝 自 分 は ﹁生 か さ れ て いる のだ ﹂ と いう感 覚 は 、 ど こか で将 軍 が天 皇
にな ら な か った と いう こと に も 繋 が って い るよ う な 気 が し ま す。 自 分 の外
に 、 自 分 を 根 拠 づ け てく れ る権 威 が 必要 だ った ん で は な いでし ょう か。
中 国 の皇 帝 に し ろ 朝 鮮 の国 王 に し ろ権 威 と権 力 が 一つです ね。 天 命 を 受
け て徳 と 力 のあ る 者 が 支 配 者 に な る 。徳 川家 は 国 の外 に も内 に も自 前 のシ
ス テ ムを つく り 、 政 治 的 に も 経 済 的 に も 自立 し た 。 に も か かわ らず 、 将 軍 にと ど ま る ん です ね 。
毛 利 実 は 家 康 は 天 海 僧 正 あ た り に 命 じ て、 自 分 が皇 帝 に な る 可能 性 を 探
った 。 け れ ど も 結 局 諦 め た と いわ れ て いま す ね。 家康 は ﹁天下 人 ﹂ とし て
君 臨 す るに は 皇 帝 に な る よ り 将 軍 に な る ほ う が 手 っと り 早 く無 難 だ と判 断
し た のだ ろ う と 私 は 見 て いま す 。 徳 川 のま わ り に は、 徳 川 以上 の名 門 ライ
バ ルが た く さ ん い ま す ね 。 島 津 氏 な ど は 頼 朝 の落 胤 だ と 思 い込 ん で いる
し 、 そ う いう 名 家 が た く さ ん あ る 。 彼 ら に し てみ れ ば 、徳 川 が 同輩 の第 一
人 者 であ る征 夷 大 将 軍 にな る な ら ま だ 許 せ る が 、 三 河 の田 舎者 風情 が皇 帝
に な るな ん て許 せな いと いう 気 持 が あ った でし ょう。 家康 に は そ れ を押 え
る だけ の自 信 が な か った のか も し れ ま せ ん 。 家 康 は 勘 定高 い男 だ か ら、 皇
帝 にな って得 ら れ る メ リ ット、 デ メ リ ットを 考 え て ﹁無 理 はす ま い﹂ と 思 った ん で はな いでし ょう か。
川勝 そ う いう天 皇 の存 在 が 日本 の近 代 化 を や り や す く し た ⋮ ⋮。
毛 利 と いう か、 江 戸 幕 府 を 倒 れ やす く し た と いう こと でし ょう ね 。
43 天 海 僧 正 ( 1536︱ 1 643) 安 土 桃 山 ・江 戸
時 代 前 期 の天 台 僧 。 関 ケ
原 の戦 のあ と 徳 川 家 康 の
知 遇 を 得 て、 内 外 の政 務
に参画し江戸幕府成立 の
枢 機 にあ ず か った と いわ
れる。
川 勝 な る ほど 、 そ れ が ポ イ ン ト です ね。
の交 代 に民 族 移 動 が 伴 って いな いか ら です ね。 中 国 でも ヨー ロ ッパ でも 、
毛 利 な ぜ 天 皇 が 権 威 の源泉 と し て長 く続 いた かと いう と 、 日本 では 権 力
王 朝 の交 代 の大 き な 原 因 は 他 民族 の侵 入 でし ょう。 と こ ろ が 日本 は島 国 で
す から 、 当 初 は 色 々な 人 種 が あ ち こち か ら 少 し ず つ断 続 的 に渡 来 し て は混
血 し 、 い つ の間 にか 日本 人 社 会 な るも のが でき て い った ので し ょう が、 そ
れ があ る程 度 でき あ が った あ と は 、 権 力 の交 代 を も た ら す よ うな 異民 族 の
大 量流 入 はあ り ま せ んね 。 日本 人 社 会 内 部 で の交 代 だ け です 。 そ う いう状
態 のも と で は、 新 し く権 力 を 握 った者 は、 そ の正 当 性 を 証 明 す る に は 、先
の権力 者 か ら任 され た と いう 形 を と る のが 一番 手 っと り 早 いわ け です ね。
そ し てそ の形 が頼 朝 以来 の伝 統 にな ると 、 権 力 者 は そ う す る も のだ 、 む し
ろ そ う し な い のは 、 自 ら の権 力 に やま し さ があ るか ら だ と 信 用 さ れ な く な る 、 そ ん な ルー ルが でき て いた ん じ ゃな いでし ょう か。 ﹁空 ﹂ な る 天皇 の 不 思議 な 力
川 勝 そ う いう 意味 では 天 皇 の存 在 を 媒介 にし た 明治 維 新 は 、 他 国 が 見 習
え るよ う な モ デ ル では な く 、 や は り特 殊 日本 的 と いう こ と にな り ま す か。
毛 利 明治 政 府 の新 政 策 、 土 地 の所 有 の自 由 と か職 業 の自由 と か は近 代 化
44 頼 朝 以来 の伝 統 源 頼 朝 は 一 一九 二 年 、 征 夷
大 将 軍 に任 ぜ ら れ 、 鎌 倉
幕 府 を つく る。 これ が 武
家 政 治 の始 ま り であ り 京
治 に対 し、 幕 府 を中 心 と
都 の天 皇 を中 心 と し た政
く。
し た権 力 の 二重 構 造 が続
のた め オ ー ソド ック スな 政策 だ と 思 います が、 そう いう 政 策 を 行 う 権 力 を
つく る プ ロセ スに お いて、 予想 以上 に天 皇 が不 思 議 な 力 を 発 揮 し た と いう こと でし ょう ね 。
川勝 幕 末 の第 二次 長 州 征 伐 のと き 、 征 伐 に加 わ る よう に命 じ た 幕 府 に対
し て、 薩 摩 は ﹁これ は 徳 川 家 と 毛 利 家 と の私戦 であ る ﹂ と いう理 由 を つけ
て断 る わ け です ね。 ﹁公 儀 ﹂ は も は や幕 府 では な く 天 皇 に あ る と いう 。 そ
れ が 尊 皇論 の根 拠 と なり 、 明 治 維 新 に つな が って いく。 幕府 の正当 性 、 公
け性 を 保証 し て いた のは天 皇 な ん です が 、 では そ の天皇 は ど んな 権 能 を も
って いる か と いう と 、 富 も 武 力 も な い。 と う に 失 って いる 。 言 ってみ れ
ば 、 これ も ﹁空﹂ な ん で ね。 空 な る存 在 が ﹁公 儀 ﹂ の保 証 に な って いた。 ず いぶ ん お も し ろ い構 造 だと 思 いま す 。
毛 利 本 当 に そ う です ね。 そ の ﹁空 ﹂ た ると ころ が 、 か え って無 限 の尊皇
心 を も 呼 び お こす ん でし ょう ね。 幕 末 志 士 の ﹁恋闕 ﹂ な ど と いう 不 可 思議 な 感 情 は 、 そ う と でも 考 え な いと説 明 が つき ま せん ね 。
川 勝 古 代 か ら 続 いてき て、も は や 何 の権 力 も も た な く な り 、 ﹁空 ﹂ な る
存 在 でし かな く な って いた 天 皇 が 、 明 治維 新 に あ っては 求 心 的 な 役 割 を 果 たし た。 考 え ま す と 、 不 思 議 な〝 時 限 爆弾〟 で し た ね。
毛 利 敏 彦
( も うり ・と し ひ こ)
一九 三 二 ( 昭 和七 ) 年 に 千 葉市 に生 ま れ る。 九 州大 学 法 学 部 卒 業 、 同 大 学 院 法 学 研 究 科
修 了 後 、 九 州 工 業大 学 で教 鞭 を と り 、 現在 、大 阪 市 立 大 学法 学 部 教 授 。 法 学 博 士 。
一九 六 九 年 )、 ﹃日本 外 交 史 一八 五 三︱ 一九 七 二 ﹄ ( 共 著 、 毎 日 新 聞 社 、 一九 七 四 年 ) 。
主 な 著 作 に 、 ﹃明 治 維 新 政 治 史 序 説 ﹄ ( 未 来 社 、 一九 六 七 )、 ﹃大 久 保 利 通 ﹄ ( 中公新書、
で は、 岩 倉 遣 外 使 節 団
(一八 七 一∼ 七 三 ) が 訪 問 国 の先 々 で失 態 を 繰 り 返 し た 事 実 を 紹 介
﹃明 治 六 年 政 変 の研 究 ﹄ ( 有 斐 閣 、 一九 七 八 年 )と ﹃明 治 六 年 政 変 ﹄ ( 中 公 新 書 、 一九 七 九 年 )
し 、 ま た 西 郷 隆 盛 が 征 韓 論 者 であ った と い う 常 識 を く つが え し た。 ﹃江 藤 新 平 ﹄ ( 中 公新
見﹄ ( 吉 川 弘文 館 、 一九 九 三年 ) があ る が、 こ こ でも 数 々 の教 科 書 的 ﹁ 常 識 ﹂を 再 検 討 。
書 、 一九 八七 年 )、 ﹃岩 倉 具視 ﹄ ( PH P 研 究 所 、 一九 八 九 年 )。 最近 著 に ﹃明 治 維 新 の再 発
日 本 経 済 は ど こか ら 来 て ど こ へ行 く か
日本 経 済 の成 立 ・繁 栄 ・危 機 の謎 を 三〇〇 年 間 の時 間 軸と ヨー ロ ッパ ・アジ アと の空 間軸 で解 き 明かす 対談 探険 記
日本 に封 建 制 はあ った のか
川 勝 日本 に は ヨー ロ ッパと 同 じ よ う に近 代 以 前 に 封 建制 社 会 があ り、 そ
こか ら 明 治 以降 の資 本 主 義 社 会 が興 った と いう 通 念 が あ り ます が、 速 水 さ
ん は、 日本 史 に 封建 制 社 会 の存 在 を 認 め ず 、 ﹁経 済 社 会 ﹂ が 十 七 世 紀 に成 立 し た と さ れ て いま す ね。
速 水 ﹁封 建 ﹂ と いう 漢 字 は古 代 中 国 にあ り 、 中 央 政 府 の直 轄 す る郡 県 制
に対 し て地 方 を 割 拠 し て いる豪 族 たち が、 そ の自 治 権 を 認 め ら れ る 状態 を
封 建 制 と い った 。 こ の封 建 と いう 言葉 が 日本 で初 め て使 わ れ た のは 、 頼 山
速水 融 × 川勝平太
1 封 建 (制 ) 社 会 封
建制度にもとづく社会。
古 代 社 会 のあ と を う け 近
代 社 会 に先 行 す る 社 会 。
封 建 の語 義 は 、 中 国 の封
国 建 位 の こと で、 天 子 が
天 下 を 諸 国 にわ け 、 国 ご
に統 治 さ せ る政 治 支 配 上
と に諸 候 を お い て分 権 的
の概 念 。 明 治 以 降 、 西 欧
史 学 の導 入 に あた り、
f eudal i sm ま た はL ehn e s
陽 ) の ﹃日 本 外 史 ﹄ で し た 。 彼 が 鎌 倉 幕 府 の成 立
(一 一九 二 年 ) を も っ て
﹁日 本 に も 封 建 の世 が き た ﹂ と 書 い た 。 こ こ に ま ず 第 一の 間 違 い が あ る 。
鎌 倉 幕 府 の 成 立 は 、 中 国 の封 建 ・郡 県 制 度 で は な いわ け で す 。 戦 前 ま で ベ
(フ ュー ダ リ ズ ム )
ス ト セ ラ ー で あ った ﹃日 本 外 史 ﹄ に よ っ て、 日 本 に は 封 建 制 が あ った と い う 常 識 が し み つ い て し ま った 。 そ こ へさ ら に 、 ヨ ー ロ ッ パ の 翻 訳 語 と し て の封 建 制
が 入 っ て き て 、 歴 史 学 者 が 封 建 制 か ら 近 代 へと い う ヨ ー ロ ッパ 史 の時 代 区
分 を 日 本 に 当 て は め て し ま った 。 こ れ も 間 違 い で 、 封 建 制 と は あ く ま で も
ヨ ー ロ ッパ 史 上 の 概 念 で す 。 王 国 、 貴 族 、 家 臣 、 農 民 と い う 社 会 秩 序 が 厳
然 と し てあ り 、 貴 族 が家 臣 や農 民 に土 地 を 与 え 、 家 臣 は忠 誠 を 誓 う。 土 地
の保 有 を 認 め て 年 貢 を 取 る と いう 関 係 が 、 ず っと 上 か ら 下 ま で 貫 か れ て い る。
日 本 の 場 合 、 江 戸 時 代 の大 名 は 、 い つそ の 土 地 を 離 れ 、 ほ か の土 地 の領
主 に な る か わ か ら な い。 で す か ら 、 土 地 と の 関 係 は 非 常 に 薄 い 。 し た が っ
て 、 明 治 維 新 で 領 主 権 が 簡 単 に 公 債 と い う 紙 切 れ 一枚 に 変 わ っ て し ま う 。
ヨ ー ロ ッ パ で す と 、 領 主 の首 を ギ ロチ ン で 切 る と こ ろ ま で いか な いと 、 領 主 権 は な く な ら な い。
け れ ど も 、 ヨ ー ロ ッ パ の 封 建 制 と 日 本 の幕 藩 制 に 共 通 項 は あ る 。 両 者 と
wesneの 訳 語 にも ﹁封 建
ー ロ ッパ中 世 で は、 領 主
制 度 ﹂ があ て ら れた 。 ヨ
が 家臣 に封 土 を給 与 し 、
代 り に 軍 役 の義務 を課 す
政 治制 度 を指 す 。
奴 隷制 社 会 と 近 代 資 本 主
史 的 唯 物 論 で は 、古 代
義 社 会 の中 間 に 位 置 す る
と考える。
2 頼 山 陽 (178 ︱0183 )2
江戸 時 代 後期 の儒 学
で修 学 。 十 七 歳 で脱 藩 。
者 。 大 阪 に生 ま れ 、 広 島
二五 歳 ま で幽 閉さ れ る。
三 一歳 で京 都 に出 て大 塩
そ こ で過 ご す。 歴 史 学 に
平 八 郎 とま じ わり 一生 を
通じ 、 詩 ・書 を よく し 、
多 く の著 作 物 は幕 末 の尊
皇攘 夷 派 の志 士 た ち に広
く 読 ま れ た 。 ﹃日 本 外
史 ﹄ (岩 波 文 庫 ) ﹃日 本
尊 府 ﹄ ﹃日本 政 記 ﹄﹃山 陽
も 権 利 が 分 散 し て いる 社 会 な ん で す ね。 経済 的 な 価 値 、 政 治 的 な 価 値 、 伝
統 的 な 価 値 、 宗 教 的 な 価 値 な ど 、 いろ いろ な 価値 があ って 、 そ れ ぞ れ が独
立 し て いま し た 。 聖 俗 分 離 し て いた し、 俗 の中 で政 治 と経 済 も 分 離 し て い
る。 ヨ ー ロ ッパ も 同 様 で す。 そ う いう 意 味 で は 日 欧 共 通 し て いる。 日欧 は 、 そ う い った 社 会 だ か ら こそ 市 場 経済 シ ス テ ムが広 が った。 徳 川 日本 の市 場 経 済 の特 色
が、 ど のよ う な イ メ ージ を お 持 ち でし ょう か 。
川 勝 徳 川 日本 の市 場 経 済 シ ス テ ムは ヨー ロ ッパと は 違 う よ う に思 いま す
速 水 ま ず 、 同 じ ヨー ロ ッパ でも イギ リ スと 大 陸 ヨー ロ ッパ で は違 う と 思 う ん です 。 日本 はど ち ら か と いう と 、 大 陸 ヨー ロ ッパに 近 い。
イ ギ リ スの場 合 は 、 ま ず 、 農 業 が 大 農 経 営 です 。農 業 が 近 代 以前 か ら賃
労 働 者 を使 って耕 作 され て いた と いう 事 実 が あ り ま す 。 も う ひ と つは 、 家
族 制 度 が絶 対 核 家 族 でし た 。 こう いう 制 度 の下 では 、 ま ず 人 が土 地 か ら離
れ や す いと いう状 況 があ るし 、 経 済 的 に行 動 し や す い。 絶 対 核 家族 と は 、
子 供 が 早 く親 か ら離 れ、 独 立 し た 主 体 にな るわ け です 。 だ か ら 、 親 に縛 ら
れ な い で独 自 に 行動 す る。 賃 金 が高 いほう へ動 く な ど 、 経 済 的 な 行 動 を と り や す い。
詩鈔 ﹄
( 文 政 一〇)
3 ﹃日本 外 史 ﹄ 頼 山 陽
が 一八 二 七
年 に発 表 し 、 松 平 定 信 に
献 呈 。 源 平 の時 代 か ら 徳
川 氏 に至 る 武 家 の興 亡 を
主 な 武 家 ご と に記 述 し て
名 分 を 明 ら か にし 、 朱 子
学 的 な 思 想 で史 論 を ま じ
えた歴史書。漢文体。
4 絶 対 核 家 族 子 供 は
両 親 から 離 れ る こと を 原
則とし、財産分与なども
制 限 さ れ て い る。 親 子 関
係 は自 由 主 義 的 、 兄 弟 関
係 は 非 平 等 であ る 。 イ ン
ッド、 石 崎 訳 ﹃新 ヨー ロ
グ ラ ンド に典 型 。 E ・ト
ッ パ大 全 ﹄ (藤 原 書 店 )
ヨー ロ ッパ近 代 史 を 分 析
は、 家 族 制 度 の違 いか ら
し た 優 れ た業 績 。
大 陸 ヨー ロ ッパ の場 合 は、 農 業 が 小 農 (ペ ザ ント) でし た。 ペザ ント と
は 、 農業 経営 が家 族 で行 な われ て いる こと です 。 つま り 簡 単 に 土地 か ら動
け な いわ け です 。 日本 の場 合 も 大 陸 ヨー ロ ッパと 同 様 、小 農 で直 系家 族 、
親 子 の関 係 が 非常 に強 い。 経 済 的 な 合 理 性 で動 く 要 因 が あ っても 、 親 子 関
係 のほ う が強 け れ ば、 土 地 に縛 ら れ て動 け な いわ け です 。 経 済 合 理 性 が 貫 徹 し に く い。
し か し 、 イ ギ リ ス、 大 陸 ヨー ロ ッパ、 日本 と並 べ ると 、 こ の三 地 域 は 市
場 関 係 ・経 済 関 係 のほ う が 、社 会 関係 に対 し て優 位 にあ る こと は 認 め て い い でし ょう 。
川 勝 市 場 経 済 だ け に つ いて言 え ば 、七 世紀 か ら勃 興 し てく る イ スラ ム商
業 圏 や、 宋 代 以 来 の中 国 の華 人 通商 ネ ット ワー ク にも あ り ま す ね。 そ の よ
う な 市 場 経 済 と 、 欧 米 や 日本 のよ う な 工 業社 会 と結 び つ いた市 場 経 済 と は
同 列 に論 じ ら れ ま せ ん 。 イギ リ スや 日 本 の特 殊性 に つ いて 考 え な く て はな ら な いよう に思 いま す 。
速 水 市 場 経 済 は い つか ら あ った か と いう と 、 あ る 意 味 では 人 類 の歴史 と
と も に古 い のかも し れ な い。 確 か に イ スラ ム社 会 は 都 市 的 性格 を 持 って い
ま す か ら、 都 市 があ って、 そ こ に市 場 が あ る。 そ の こと と 、 こ こ で私 が 問
題 に し た大 陸 ヨー ロ ッパ、 イ ギ リ ス、 日本 に おけ る 市 場 経 済 と は 違 う 。 社
5 直 系 家 族 Stem fa
の 一人 の みを 後 続 者 と し
mi l y 両 親 が 子 供 のう ち
て定 め、 そ の夫 婦 と 同 居
す る家 族 形態 。 親 子 関 係
は権 威 主 義 的 、兄 弟 関 係
は非 平 等。 ドイ ツに典
型。 E ・ト ッド、 前 掲 書
を参照。
6 市 場 経 済 市 場 の価
格 メカ ニズ ムに よ って 、
財 貨 の生 産 と 消 費 が 調 整
さ れ る 経済 制 度。 J ・
R ・ヒ ッ ク ス、 新 保 訳
﹃経 済 史 の 理 論 ﹄ (日本 経
済 新 聞 社 ) は ﹁市 場 の勃
の成 立 を 論 じ る。
興 ﹂ を 軸 に し て近 代 社 会
会 の隅 々ま で、 住 ん で いる 人 が 全 部 経 済 的 に 行動 す る こと を市 場経 済 が 浸 透 す ると 言 って る ん です 。
川勝 速 水 さ ん の言 わ れ る 市 場 経 済 と は アダ ム ・スミ ス の世界 だ と 思 いま
す 。 作 った 物 を 自 家 消 費 用 では な く 、 販売 のた め に作 る。 分業 は交 換 を 条
件 と し ま す の で、 市 場 経 済 と 分 業 は 不 可 分 です。 そ の特 徴 は市 場 経 済 に お け る生 産 の優 位 です ね 。
生 産 優 位 が な ぜ 、 イギ リ ス、 大 陸 ヨー ロ ッパ、 そし て日本 にだ け 現 出 し
た の かと いう こと が 問 題 です 。 そ の契機 と し てあ る種 の外 的 な 影 響 、 端 的 には 外 圧 を 想 定 し な いと 説 明 でき な い の では な い でし ょう か。
速 水 国 際 関 係 に お け る 外 圧 と いう 要素 が な け れ ば、 お そら く 日本 の 工業
化 は 起 き な か った だ ろ う と は 思 いま す。 け れ ども 、 明 治 の近 代 化 以 前 に競
争 社 会 が な け れ ば 、 日本 が 急速 に生 産 性 の高 い技 術 を 入 れ ると いう こと も な か った でし ょう 。
川勝 中 世 以 来 、 ヨー ロ ッパは イ ス ラ ム の地 中 海 商 業 圏 と 通 商 し て いま す
し 、 日本 は中 国 の東 ・南 シ ナ海 商業 圏 と 通商 し て いた。 それ ら と の対 抗 関
係 を 考 慮 す る 必 要 が あ り ま す 。 イ ス ラ ムと中 国 の通 商 網 の支 配 に対 抗 す る
中 か ら 、 ヨー ロ ッパと 日本 に そ れ ぞ れ生 産 志 向 型 の経 済 社 会 が 生 ま れ てき たと 思 いま す 。
7 アダ ム ・スミ ス AdamSmith(172 ︱390 )
ス コ ット ラ ン ド道 徳 哲
学 の伝 統 を 受 け 継 ぎ 、 自
然 科 学 と 文 学 の両 方 面 に
わ た って知 的 関 心 を 広 げ
ながら、経済学を主軸と
す る 道 徳 的 哲 学 体 系 の樹
﹃諸 国 民 の
立に専念する。
そ の主 著
富﹄ ( 岩波 文庫 ) では、
富 の本 質 は 日常 消 費 物 資
であ る と いう 観 点 に 立 っ
に あ り 、 労 働 が そ の源 泉
て重 商 主 義 を 批 判 し た 。
す な わ ち 、 貨 幣 を富 と み
な す の は ﹁俗 見 ﹂ で あ
り 、金 銀 の増 大 を求 め る
貿 易 差 額 説 や 外 国貿 易 優
先 の重 商 主 義 が 、本 来 農
業 や 国 内向 け 工 業 に投 下
さ れ る べき 資本 を外 国貿
易 部 門 に 押 し や って いる
と 説 く。
速 水 ヨー ロ ッパ に お いても 、 産 業 革 命 以 前 に イ ス ラ ムから 入 れ た いろ い
ろ な技 術 が、 産 業 革 命 を 準 備 す る 過 程 では 必 要 だ った。 し か し、 私 の言 う
市 場 経 済 そ れ自 身 を つく り 出 し て いく のは 、 内 在 的 な 要 因 が 主 だ と 思 う。
川 勝 中 世 か ら 近世 に か け て 日本 も イ ギ リ スも 海 外 から 物 を 買 って、 対 価
を 支 払 い続 け ま し た 。支 払 う 行為 から 経 済 的 な 動 機 が 日常 化 し てく る 。 支
払 い続 け て いま す と 、 支 払 い手 段 が や が て 枯渇 し、 自 分 で輸 入 品 を 作 ろ う と いう 経 済 的 動 機 が 出 てく る でし ょう 。
な ぜ イ ギ リ スで十 八 世 紀 後 半 か ら そ う いう動 き が 出 て く る のか。 イ ギ リ
スは 東 イ ン ド会 社 設 立 (一六〇〇年 )か ら 二〇〇 年 間 も 貿 易 を し て いま す
し 、 ヨー ロ ッパ 諸国 間 で も貿 易 し 、 競 争 も し て いる 。 日本 の場 合 も 、 アジ
ア、 特 に 中 国 や 朝 鮮 と貿 易 を し て おり 、 そ う いう国 際 関 係 を 想 定 し た う え で生 産 志 向 型 の経 済 社 会 の成 立 を 説 明 し た ほ う がわ かり やす い。 江 戸時 代 の人 口増 が 需 要 増 に つな が った
速 水 江 戸 時 代 に 日本 が中 国 、 朝 鮮 、 あ る いは 琉 球 な ど と対 外 貿 易 を 行 な
ってき た こと が生 産 志 向 型 社 会 成 立 の契 機 だ と いう わ け です ね 。 そ れ は 大
事 な 指 摘 です が 、 イ ギ リ ス の貿 易 と 日本 の同 時 代 の貿 易 と では 二 ケ タ以 上
の差 が あ る。 では 、 イ ギ リ ス の貿 易 に相 当 す る のは 日本 で は何 かと いう と
8
東 イ ンド 会 社 一七
易 のた め に設 立 し た特 許
世 紀 に西 欧 諸 国 が東 洋 貿
会 社 。 イ ギ リ ス に つづ
き 、 オ ラ ンダ は 一六〇 二
年 、 フ ラ ン スは 一六〇 四
年 に設 立 。 香 料 、 木 綿 、
砂 糖 、 生 糸 、 茶 な ど の物
であ った が、 商 圏 の拡 大
産 を 輸 入 す る こと が 目 的
を ね ら ってし だ いに植 民
地 経 営 に従 事 す る よ う に
な った 。
﹁人 口増 大 ﹂ です ( 図 9)。 そ れ が 需要 増 大 に つな が った 。 日本 の場 合 は 、
十 七 世 紀 中 に人 口が 一二〇〇 万 人 プ ラ ス ・マイ ナ ス二〇〇 万 人 か ら 三〇〇
〇万 人 ぐ ら いま で増 え た 。 約 二 倍 半 か ら 三 倍 です。 そ れ が同 時 に需 要 の急 激 な 増 大 にな って いる。
江 戸 幕 府 の成 立 (一六〇 三年) で兵 農 分 離 が 完 成 し 、 都 市 が 二 百 数 十 も
い っぺん に でき た。 江 戸 、 京 都 、 大 坂 と いう メガ ロポ リ スか ら名 古 屋 、熊
〇〇人 ぐ ら いま で の都 市 を 含 め て都 市 ネ ット ワー クが 十 七 世 紀 い っぱ いか
本 、 金 沢 、 仙 台 な ど、 人 口 五万 から 一〇万 ま で の都 市 。 そ し て地 方 の五〇
か って完 成 し ま す 。 これ ら が市 場 経 済 の ネ ット ワー ク にな る わ け です 。
土 地 の生 産 性 であ れ 、 あ る いは勤 勉 を 通じ て であ れ 、 と にか く 所 与 の資 源 と 技 術 を フル に利 用 す る こと で、都 市 化 の人 口増 大 に応 え た 。 川勝 で はな ぜ、 こ の時 期 に人 口が 増大 し た のでし ょう か。
速 水 人 口転 換 理 論 と いう のが あ り ま す 。 近 代化 以前 は出 生 率 と死 亡 率 は
高 い状 態 で均 衡 し 、 人 口 は増 え な い。 そ れ が 工業 化 と とも に死 亡 率 が下 が
り 、 出 生 率 は変 わ らず 、 人 口は 増 え る。 や が て、 そ の出生 率 が下 がり 、 死
亡 率 に近 づ い て、 現在 のよ う に先 進 国 で は人 口増 加率 が落 ち て く る と いう 理 論 です 。
こ の理 論 の前 提 は、 工 業 化 以前 は 人 口 が増 え な い こと に あ る 。 と こ ろ
9 人 口転 換 理論 人 口
は成 長し な が ら、 死 亡 率
が 大 幅 に 低 下 し 、出 生 率
も 低 下 し て 、生 活 水準 が
上 昇 す る こ と を 人 口転 換
demograp hi c ta r ns i t i on
あ る いは 人 口革 命d em o
graphic r evol uti onと 呼 ぶ。 西 ヨ ー ロ ッバで は 多
産 多 死 の封 建 社 会 か ら 少
産 少 死 の近 代 社 会 に 転 換
し た。
図 9 江 戸 期 の人 口増 大(鬼
図10イ
頭 宏 『日本 二 千 年 の 人 口史 』(PHP)よ
ギ リ ス か ら ア ジ ア へ の 貴 金 属 流 出(単
(K.N.Chaudhuri,The India Company 1600-1670
Trading
World of
,Cambridge,1978.)
Asia
り)
位:£) and
the English
East
が 、 日 本 では 近 代化 以前 の江 戸時 代前 期 に 三倍 も 増 え て いるわ け です 。 私
は ま だ は っき り し た 答 え を 得 て いま せ ん。 し か し、 日本 がま さ に そ の時 期
に 小農 社 会 、 つま り 家族 を単 位 と し た農 業 経 営 を 行 な う 時 代 にな った こと と 関 係 が 深 い でし ょう。
江 戸 時 代 以 前 は 、 家 族 の中 心 に結 婚 し た 夫 婦 が い て、 子 供 を こし ら え
る 。 け れ ど も 、 そ の周 り に いる のは み んな 独 身 者 な わ け です 。 一生 結 婚 し
な い人 が た く さ ん い て、 彼 ら が労 働 力 にな った。 そ う いう 農 業 経 営 が だ ん
だ ん な く な って い って、 み ん な結 婚 し た夫 婦 と そ の子 供 と い った 直 系 家 族
か ら な る 経 営 単 位 に な って く る。 こ の変 化 が結 婚 率 を 高 め、 あ る いは 独 身
る。
率 を 低 め 、 出生 率 を 上げ 、人 口を 増 やす 。 こう いう メ カ ニズ ムに な って い
では な ぜ 、中 世型 の農 業 経 営 が近 世 型 の農 業 経 営 に変 わ った のか 。 こ こ
で生 産 の競 争 や 能 率 が求 め ら れ た か ら だ と 思 う 。 つま り 、 日本 の農 業 で
は 、 耕 地 を 拡 大 す る 余 裕 が ほ と ん どな い。 限 ら れた 土 地 を いかに 効 率 よ く
利 用 す る か と いう こと に な る と、 粗 放 経 営 より も 集 約 経 営 に 適 し た 労 働 力 が必要となる。
そ の労働 力 が 家族 労 働 力 。 な ぜな ら 家 族 の 一員 と し て 一生 懸 命 働 き 、 工 夫 す る こと が 自 分 に 返 って く る か ら です 。
近世 輸 入 品 を国 産 化 でき た わ け
川勝 中 世 の複 合 大 家 族 が 近 世 の単 婚 小 家 族 に変 わ り 、単 婚小 家 族 が経 営
規模 とし て適 し て いて、 そ し て生 活 も 豊 か に な った と いう こと です ね。 た
だ 、 中世 的家 族 に適 し た生 産 物 と 、 近 世 の単 婚 小 家 族 の作 って いる物 は違
う の では な い でし ょう か。 た と えば 中 世 衣 料 の麻 です と 一年 間 に 二 ∼ 三 反
し か 織 れ な い。 と ころ が、 近世 衣 料 の木 綿 な ら ば 、 二∼ 三 日 で 一反 は 織 れ
る。 そ う す る と 、 単純 計 算 では 一年 間 で 五十 倍 も の生 産 量 の上 昇 と いう こ
と にな り ま す ね 。 つま り 、作 って いる物 が変 わ った の で、 作 り 方 も 家 族 形 態 も 変 わ った と 言 え る の では な いで し ょう か。
速 水 そ の前 に、 私 は -般 に 言 わ れ る中 世 の複 合 大 家 族 から 近 世 の単 婚 小
家 族 へと いう 図 式 は と って いな い。 複合 大家 族 を私 は拡 大 家 族 と言 って い
ま す 。 近 世 以 前 に拡 大 家 族 と 直 系 家 族 が 混 在 し て いた。 混 在 し て いた こ と
が大 事 な ん です 。 つま り 、 一定 の パ タ ー ンを 持 って いな いと いう こ と は、
競 争 がな く 、 し た が って効 率 も 求 め な い。 一定 の生産 関数 が な いと 言 って
も い い。 そ こ に競 争 が入 ってき て、 市 場 のた め の生 産 が 入 ってく る と、 特
定 のパ タ ー ン へ収斂 し て いく 。 日本 の場 合 、 そ れ が 直 系 家 族 だ った 。
生 産物 が変 わ った と いう こ と はま さ に そ のと お り です 。 徳 川 時 代 に な る
10 永 原慶 二 ﹃新 ・木 綿 以 前 の こ と﹄ ( 中 公新
書 ) 四六 頁 、 一七 四 頁参
照。
と 、 都市 住 民 が着 る物 、 食 べる物 、 そし て建 築 材 料 、 燃 料 な ど が 農 村 か ら 供 給 さ れ る わ け です か ら ね。
川 勝 江 戸 時 代 に 木 綿 のほ か陶 磁 器 、 茶 、 菜 種 、 砂 糖 、 紙 な ど 、 各 地 に 新 生 産 物 の特 産 地 域 が でき てき ま す。
一方 、 ヨー ロ ッパ では十 七世 紀 に あ ら ゆ る 国 が貿 易 に従 事 し てく る。 輸
入 品 と し て木 綿 、 砂 糖 、 茶 、 生 糸 、 陶磁 器な ど新 し い物 が入 って いる。 こ
のよ うな 輸 入 品 の自 国 生 産 を 徐 々に 始 め て い った。 アダ ム ・スミ スが ﹃国
富 論 ﹄ を 書 いた こ ろ (一七 七 六 年 ) に は、 か つて の輸 入 品 の 工業 生 産 が 次 々 と軌 道 に乗 って いく と いう 事 実 が あ り ま す。
日本 で は十 七 世 紀 後 半 か ら さ ま ざ ま な 農 書 が出 版 さ れ て いま す 。 これ ら は作 って いる物 を 中 心 に書 かれ て いま す ね 。
速 水 農 書 に は、 何 を 作 る には ど う す れ ば い いか 、 と いう こと が経 験 に基 づ い て書 か れ てお り、 相 当 数 が印 刷 さ れ て い る。
11 ﹃会 津 農 書 ﹄ ﹃農業 全 書 ﹄ ﹃百 姓 伝 記 ﹄ ほ か。
﹃日本 農 書 全 集 ﹄ 第 一期
( 農文協)参照。
全三十五巻、第二期全三
十七巻
12 比 較 生 産 費 リ カ ー ド、 小 泉 訳 ﹃経 済 学 お よ
び課 税 の原理﹄ ( 岩波 文
庫 ) の第 七 章 ﹁外 国 貿 易
論 ﹂ で唱 え ら れ た 説 で、
国 によ って同 じ 物 を 生 産
す る にし ても 有 利 ・不 利
こう いう社 会 は 、 ヨー ロ ッパ には 十 六 世 紀 に ド イ ツで家 訓書 の時 代 があ
り ま し た 。 日本 では、 元禄 期 ( 十 七 世 紀 末 ) か ら 全 国 的 に 起 こ ってく る。
が生 ま れ る根 拠 で、 国 際
と いうも の。
貿 易 を す べき 理 由 と な る
があ り 、 そ れ が 国 際 分 業
日欧 の土 地 肥 沃 度 の差 が 経済 社会 の差 異を 生 ん だ
川勝 近 世 期 の イギ リ スと 日本 に経 済 社 会 が成 立 し た わ け です が 、 両 者 の
あ り 方 は 違 いま す ね。 た と え ば十 九 世 紀 半 ば に、 通 商 は互 いの利 益 だ か ら
と いう 比 較 生 産 費 的 な 議 論 を 背 景 に し た 列 強 の開 国 要 求 に 対 し て、 日 本
は、 全 部 自 給 し て いる か ら 貿 易 の必 要 は な いと答 え る。 日本 は 国 内 自 給 圏
を 作 り 上 げ た 。 木 綿 、 砂 糖 、 陶 磁 器 に し ても 、 こ れら の自 給 生 産 物 は商 品
です が、 いず れ も 中 国 起 源 です 。 です か ら、 日本 は自 国 で生 産 す ると いう か たち で、 同 じ く 自 給 志 向 の中 国 と 対 抗 し た と 言 え ま す。
日本 の経 済 社 会 は アジ ア のダ イ ナ ミズ ムと 結 び つ い て成 立 し たも ので、
ヨー ロ ッパ に出 来 上 が った 海 外 貿 易 を 不 可 欠 の構 成要 素 と す る 資本 主義 的
な 経 済社 会 と は 一線 を 画 し て いる。 ヨー ロ ッパ の農 業 は 三 圃制 です が、 そ
の理 由 は土 地 の肥 沃度 が低 いから です 。 ど う し ても 耕 地 を 休 ま せ な く ては
いけ な い ので 、大 規模 経営 にな らざ るを えな い。 肥 沃 度 が 低 い の で人 口も
少 な い。 そ う いう 条件 下 で は、 労 働 を 節 約 し て機 械 を 使 って いく シ ス テ ム
が 合 理 的 な 選 択 に な って く る。 そ れ が資 本 集 約 型 の産 業 革 命 を 準 備 し た と 考えられます。
さ ら に重 要 な のは 、 ヨー ロ ッパ と 日本 で は土 地 当 たり の生 産 高 が違 う こ
( 収 量 対 播 種 量 比 ) で 、 ヨ ー ロ ッパ の小 麦 の場 合 は
と で す 。 小 麦 と 稲 の 一定 の土 地 か ら 上 が る生 産 高 の違 い、 た と え ば シ ー ド ・イ ー ル ド ・ レ シ オ 一対 四 ぐ ら い で す か 。
には 冬 に収 穫 す る 小 麦 や
13 三圃 制 村 落 の全 農 地 を 三 つ に区 分 し 、 一つ
ラ イ麦 を 、 別 の 一つ には
を栽 培 し 、 残 り の 一つは
夏 に収 穫 す る大 麦 や燕 麦
休耕 地 とし て放 牧 す る。
毎年 、 こ の割 あ てを ロー
テ ー シ ョ ンで 交代 さ せ て
ゆ く 。 十 一世 紀 か ら 十 九
世 紀 の ヨー ロ ッパ で広 く
行われた。
14 シー ド ・イ ー ル ド ・ レ シオ Seed i e y ld r ati o.
速 水 ヨー ロ ッパ中世 の初 期 は 一対 二 です 。 つま り 、 ま いた 場 所 の半 分 は
翌 年 の種 のた め の生 産 。 残 り の半 分 し か食 糧 にな ら な い。 日本 は 江 戸時 代
に 一対 五〇 か ら 一〇〇 の間 ま で高 ま って い る。 ヨー ロ ッパ の場 合 は 当然 、
耕 地 面 積 が 大 き く な る か ら そ こ に畜 力 を 入 れ 、 し か も 、 家 畜 の引 っ張 る ス キ を ど ん ど ん 大 型化 し て いく こ と が生 産 力 の増 大 に つな が った 。
川 勝 そ う いた し ます と、 ヨー ロ ッパ で は資 本 集 約 型 ・労 働 節 約 型 の機 械
を 使 った 生 産 方法 の体 系 が自 然 に出 来 上 が ってく る の に対 し て、 日 本 の場
合 に は 稲 の シー ド ・イ ー ルド ・レ シオ が高 いの で、 一生 懸 命 世 話 を し て い
け ば 、 収 量 が増 え 、人 口も 増 え て いく 。 そ こか ら は 労 働 を 節約 す る と いう 思 考 は 生 ま れ て こな い。
速 水 そ う。 労働 力 を多 投 す る こと は 一向 にか ま わ な い。 私 の言 う十 八世
紀 日本 の勤 勉 革 命 ( 本書 の四六頁、図 6参照) は、 労 働 を倫 理 化 す る こと に よ って激 し い労働 が善 であ る と人 に信 じ 込 ま せた 。
川 勝 一方 、 ヨー ロ ッパ で は分 業 し て機 械 を 使 い、 労 働 を 節約 す る こと が
善 に な る 。 労 働 時 間 の短 縮 が全 体 の福 祉 を 上 げ る と いう 論 理 に な る。 こ の
よ う に そ れ ぞ れ の労働 観 は 異な るも の の、 と も に 激 し い倫 理観 と結 び つ い
て いる と こか ら 推 し て、 や はり ヨー ロ ッパ でも 日本 でも無 理 を し て いる と
ころ が あ り ま す。 そ の背 景 とし て、 外 か ら の国 家 的 な 危 機 が な け れ ば、 国
民 的 な 規 範 意識 に な ら な い の では な いかと 思 いま す 。
ッパ の場 合 、 産 業 主 義 が 出 てく る前 に重 商 主 義 の時 代 が あ る 。 し か し 通 商
目に見える危機は財宝 ( 金 銀 ) の流 出 (一六九頁 図 10参 照) です 。 ヨー ロ
だ け では や って いけ な く な り 、 や が て国 産 化 の方 向 へ変 わ ってく る 。 産 業
社 会 の成 立 は 対 外 関 係 の中 か ら生 まれ てき たも のと 思 いま す 。 稲 に し ても
十 一世 紀 に最 初 の二 毛 作 が中 国 の江南 地 域 で でき た。 シ ー ド ・イ ー ル ド ・
レシ オ の高 い稲 が 中 国 で出来 上 が って、 そ れ が人 口増 大 を も た ら し 、 それ が朝 鮮 や 日本 に入 ってく ると いう 連 鎖 が あ る よ う に 思 います 。 東 西経 済 シ ステ ム の形 成
速 水 十 七 世 紀 に 日本 の人 口は 三 倍 に な った。 実 は 日本 以外 に東 アジ アが
そ う な ん です ね。 中 国 が清 朝 期 ( 十 八 ∼ 十 九 世 紀 ) に 一億 人 か ら 四億 人 へ
四 倍 に な った 。 朝 鮮 も 大体 三 倍 ぐ ら いにな って い る ( 十 八 ∼十 九 世 紀 )。
こん な 例 は ヨー ロ ッパ にな いん です 。 そ の背 景 に シー ド ・イー ル ド ・レ シ
オ の高 い稲 の品種 が中 国 で開 発 され 、 それ が 伝 播 し た と いう 可 能 性 は あ り ます。
川 勝 中 国 で シー ド ・イ ー ルド ・レ シオ の高 い稲 が 開 発 さ れ た 。 こう し た
生 産 革 命 の背 景 に 、米 のほ か数 々 の新 し い生 産 物 の導 入 が あ り 、 社 会 の プ
ロダ ク ト・ミ
ック ス ( 物 産 複 合 ) が 転 換 し た 。 新 し い物 産 が 東 ア ジ ア へ伝
播 す る 過 程 で 物 産 複 合 の 転 換 が 一番 遅 れ た の が 日 本 で す 。
同 じ よ う に 、 イ ギ リ ス は ヨ ー ロ ッパ で 一番 西 の 端 に あ り 、 東 方 の 物 産 に
接 す る の が 一番 遅 れ た 。 地 中 海 や 東 方 で 使 わ れ て い る 物 に 魅 せ ら れ て 、 や
が て市 場 経 済 に 巻 き 込 ま れ る 。 そ の帰 結 に 生 産 重 視 の ア ダ ム ・ス ミ ス が あ
る 。 そ れ は 労 働 価 値 説 を 確 立 し た マ ル ク スま で 連 続 し て い る 。 イ ギ リ ス の
経 済 社 会 の成 立 過 程 は イ ス ラ ム圏 と西 洋 全 体 のダ イ ナ ミズ ム で説 明 でき る
( 欧 州 連 合 )・ア
し 、 日 本 に お け る 経 済 社 会 の成 立 は 、 東 ア ジ ア地 域 に お け る ダ イ ナ ミ ズ ム の中 で説 明 でき ま す 。 速 水 現 在 の 国 際 経 済 関 係 を 考 え て み る と 、 日 本 ・E U
メ リ カ の三 地 域 が あ り ま す ね 。 E U の中 でも イ ギ リ スは別 な ん です 。 イギ
リ ス では 経 済 的 行 動 や 経 済 的 な 価 値 が 他 の価 値 と切 り 離 さ れ て動 い て い
る 。 第 一に 大 農 経 営 、 第 二 に 絶 対 核 家 族 。 各 個 人 の独 立 性 が 高 い か ら 、 市
場 経 済 が 成 立 す れ ば 、 人 々 の 行 動 は 経 済 原 則 に 従 う 。 イ ギ リ スを 母 国 と す
る ア メ リ カ 、 カ ナ ダ 、 オ ー ス ト ラ リ ア を ま と め て ア ン グ ロ ・ア メ リ カ 圏 と
す る と 、 彼 ら は 、 日 米 経 済 協 議 に し て も 、 あ る い は ウ ル グ ア イ ・ラ ウ ン ド に し て も、 ま さ に経 済 原 則 で押 し てく るわ け です 。
し か し 、 大 陸 ヨ ー ロ ッパ は ど う か 。 ウ ル グ ア イ ・ラ ウ ン ド の と き に 何 が
起 こ った か と い う と 、 フ ラ ン ス で は 農 民 が ト ラ ク タ ー で ハイ ウ エ ー を 封 鎖
す る と こ ろ ま で いく 。 経 済 原 則 で は な い。 自 分 た ち の生 存 が 危 う く な る と
いう こ と で し ょ う 。 ア ン グ ロ ・ア メ リ カ 系 の経 済 と 大 陸 ヨ ー ロ ッ パ ・日 本 経 済 と の間 に 違 いが あ る 。 そ の こ と を 織 り 込 ま な い と い け な い。
(一九 七 三 年 一月 ) し て か ら 旧 植 民 地 と の 貿 易
川 勝 イ ギ リ ス人 が 自 ら を ヨ ー ロ ッ パ 人 だ と 思 い始 め る の は 、 確 か に 新 し い こと です ね。 E C に 加 盟
量 が 一気 に 落 ち た 。 そ う いう 現 実 が 、 だ ん だ ん と ヨ ー ロ ッ パ 人 と し て 自 分
た ち を 位 置 づ け る と いう 意 識 を 生 ん で い った 。 こ の 二 十 年 ぐ ら い の話 で し
( 治 世 一五〇 九 ∼ 四 七 年 ) か ら 始 ま り 、 ロ ー マ ・カ ト リ ッ ク か ら 独
ょ う 。 イ ギ リ ス の歴 史 は 大 陸 か ら 自 立 し て い く 過 程 で し た 。 ヘ ン リ ー 八 世 あたり
(一八〇 六 年 ) だ った で し ょ う 。
立 し た 国 教 会 を つ く り 上 げ て いく 過 程 が そ れ で す 。 最 後 の 決 定 的 な 契 機 は ナ ポ レ オ ン の大 陸 封 鎖
速 水 さ ん が ヨ ー ロ ッパ 大 陸 と イ ギ リ ス が 違 う と 言 わ れ る 場 合 に 、 大 陸 に
は 固 有 の 空 間 が あ っ て、 外 に 開 か れ て いな い イ メ ー ジ が あ る と 思 いま す 。
イ ギ リ ス は 大 陸 か ら 締 め 出 さ れ る こ と に よ って 、 自 由 貿 易 を 軸 に し た 海 洋 帝 国 を つく ろ う と し た 。
る。 自 由 貿 易 も ま た 自 由 な ん です 。
速 水 そ う で す。 ア ング ロ ・ア メ リ カ的 な 発 想 だ と 経 済 は 本 来 自 由 であ
15 ヘン リ ー 八 世 He nr y VIII (1 491︱ 1547)
離 婚 ・再 婚 を 繰 り 返
し 、 結 婚 は つご う 六 回 を
(1509︱29) は 父 王 の 統
数 え た。治 政 の前 半 期
治体制を継承し、政治 の
に 任 せ た が、 後 半 期
運 営 は ト マ ス ・ウ ルジ ー
(1530︱ 47) に お い て は
宗教改革と行政改革を断
行 。 国 教 会 の成 立 と 修 道
院解散を実現し、絶対王
政 を確 立 。 エリ ザ ベ ス 一
世 の 父。
一世 (1769︱ 1821) が 英
16 大 陸 封 鎖 Cont i n ent al yS st em.ナ ポ レオ ン
国 の経 済 を 破 壊 し よ う と
フ ァルガ ー の海 戦 で フ ラ
し た 経 済 戦 時体 制 。 ト ラ
ン ス ・ス ペ イ ン の連 合 艦
に壊 滅 的 打 撃 を 受 け た 。
隊 は 英 国 のネ ル ソ ン提 督
川 勝 英 米 は自 由 貿 易 と は言 っても 、 現 代 ア メ リカ の通 商 政 策 のよ う に数
値 目 標 な ど と 、 原 理 的 には 逆 の こと を 言 った り す る 。 イ ギ リ スは比 較 的 オ
ー プ ンな 社 会 です が、 そ の自 由 主 義 に も 歴 史 的 な 色 合 いが あ る。 植 民 地 と
の自由 貿易 が、 イ デ オ ロギ ーと し て鈍 化 し た のが 自 由 主 義 原 理 でし ょう。
歴 史 的 に は異 文 化 圏 から 物 を 買 って いた のを や め 、 自 分 た ち の支 配 す る海
洋 世 界 で自 給 し てし ま う 過程 であ った と も 言 え る。 そ う いう イギ リ スが ヨ
ー ロ ッパに も う 一度 吸収 さ れ て いく の が、 今 のE U の姿 では な いでし ょう か。
そ れ に対 し て、 日 本 も ま た 周 辺 のN IE S、 A S E A N 地 域 に囲 ま れ て
いる 。 宋 代 あ た り か ら中 国 の沿岸 部、 江蘇 省 から 浙 江、 福 建 、 広 東 省 に い
る人 た ち が シ ナ海 圏 を 握 って いて 、 そ う いう人 たち に常 に囲 ま れ て い る こ
と が 日本 の ﹁海 防 ﹂ と いう 意 識 を育 てた 。 中 国 に は 陸 の顔 と 海 の顔 が あ
る。 公 式 の顔 が 大 陸 中 国 、 そ の周 り の非 公 式 の海 洋 中 国 があ る。 日本 は 、
商 業 網 を 持 って い る海 洋 中 国 に 対 抗 す る た め、 自 給 的 経 済 社 会 を つく り 上 げ た とも 思 えま す 。 二十 一世 紀 日本 の行 方
速 水 そ れ は 日本 の鎖 国 の問 題 と 切 っても 切 り 離 せ な い。徳 川時 代 の鎖 国
軍事 的 解 決 の道 が 阻止 さ
れ た ナ ポ レ オ ンは 一八〇
を布 告 、 大 陸 諸 国 と イ ギ
六 年 十 一月 ベ ル リ ン勅 令
リ ス お よ び そ の植 民 地 と
の貿 易 を禁 止 し た。 一八
ン- ミ ラ ノ勅 令 で体 制 を
〇七 年十 二月 、 ナ ポ レオ
月 の フ ォ ンテ ヌブ ロー の
強 化 し 、 一八 一〇年 十 一
国経済が打撃を受けた 一
勅 令 で極 点 に達 し た。 英
方 、 フ ラ ン ス経 済 も 一時
ヨー ロ ッパ諸 国 で は た と
的には好都合ながら他の
ア の農 業 、 ザ ク セ ン の綿
え ば 、 プ ロイ セ ン、 ロ シ
織物業をはじめ経済的困
ンか ら の離 反 、 政 治 的 解
難 に お ち いり 、 ナポ レオ
放 に つな が って いき 、 一
八 一三年 に は 崩 壊 し た 。
と は、 日 本 が中 華 世 界 秩 序 か ら離 脱 し た こと と 表 裏 一体 な の です 。 つま
り 、 中 国 の巨 大 な 勢 力 を 遮 断 し な か った ら、 結 局 、 せ っか く 出 来 上 が った
統 一国 家 が のみ 込 ま れ てし ま う だ ろ う と いう危 機 感 が あ った のか も し れ な い。
川勝 そ の危 機 感 が 十 七 世 紀 に 大 開 墾 、 人 口増 大 、 農 業 経 営 形 態 の変 化 、
農 書 の普 及 、 そ し て勤 勉 革 命 を 起 こし た。 鎖 国体 制 が中 華 世 界 秩 序 か ら の
離 脱 であ ると す れ ば 、 鎖 国 し な いと のみ 込 ま れ か ねな い危 機 と結 び つ いて
いた と いう こと です 。 つま り 、 危 機 が 日 本 の経済 社 会 を成 立 さ せた と いう こと にな り ま す 。
明治 日本 の近 代 化 は 勤 勉 革 命 に産 業 革 命 を プ ラ スし た も の、 労 働 集 約 型
に資 本 集 約 型 が ド ッキ ング し た も の で、 これ は 鬼 に金 棒 と 言 え ます 。
速 水 十 八 世 紀 に 、 日本 人 が 勤 勉 に な る 、 一人 の労 働 者 が 長 時 間 働 く と
か 、 激 し く働 く こ と に そ んな に抵 抗 がな いと いう 状 況 にな った 。 そ こ へ明 治 以 降 、 ヨー ロ ッパ の資 本 集 約 型 の技 術 が入 ってき た 。
ヨー ロ ッパが 日本 と 同じ よう な 勤 勉 革 命 を や って いれ ば 、 これ は 対 等 で
す 。 ヨー ロ ッパ の勤勉 は キ リ スト教 と関 係 があ る。 特 に プ ロテ ス タ ン テ ィ
ズ ム です ね。 し か し ヨー ロ ッパ は いち早 く脱 宗 教 化 す るわ け です 。 十 八 世
紀 に は ま ず カ ト リ ック圏 で脱宗 教 化 現象 が起 き 、 十 九 世 紀 に プ ロテ ス タ ン
ンテ ィズ ム の倫 理 と 資 本
17 マ ック ス ・ウ ェー バ ー、 大 塚 訳 ﹃プ ロテ ス タ
主義 の精神﹄ ( 岩 波文
庫 )、 R ・H ・ト ー ニ
ー 、 出 口 ・越 智 訳 ﹃宗 教
と 資 本 主 義 の興 降 ﹄ ( 岩
波文庫)などを参照。
ト 圏 で 起 こ った 。 二 十 世 紀 に な る と 全 ヨ ー ロ ッ パ が そ う な る 。 勤 勉 を 説 い た キ リ ス ト 教 あ る いは 教 会 権 力 が 権 威 を 失 っ て し ま う ん で す 。
た とえ ば 現 在 、 ド イ ツでは 一年 間 の総 労 働 時 間 が 一六〇〇 時 間 に達 し な
い。 夏 休 みも 五 週 間 取 る のが 当 た り 前 にな った 。 日本 は 依 然 と し て 一八〇
ロ ッパか ら見 ると 、 ま さ に働 き 中 毒 です 。 そ れ は 勤 勉 革命 が宗 教 と つな が
〇時 間 を 越 え て いる。 年 間 の有 給 休 暇 は 平 均 し て 二週 間 と か 三 週 間。 ヨー
って いな いか らだ と思 う。 日本 の場 合 、 勤 勉 を 伝 え た チ ャ ンネ ルは 家族 で
し ょ う。 だ か ら 家 族 関 係 の強 さ が 崩 壊 す れ ば 勤 勉 でな く な る か も し れ な い。
単 に勤 勉 だ け で は なく て、 徳 川 時 代 中 期 以 来 続 いてき た 国 産 化 も 重要 で
す ね 。 と に か く改 良 に改 良 を 重 ね る。 最 初 に外 国 語 に 翻 訳 さ れ た 日本 の本
は 蚕 糸 の本 で す 。 フ ラ ン ス語 に訳 さ れ ま し た (一八 四 八 年)。 ヨー ロ ッパ
か ら も 注 目 さ れ て いる 日本 の蚕 糸 業 の生 産 性 の高 さ は 、 国 内 で の猛 烈 な 生
産 者 同 士 の競 争 に よ る 。 現 在、 家 電 メー カ ー が十 社 以 上 あ って、 し のぎ を 削 って生 産 性 を 上 げ て いる のと 同 じ だ と 思 う。
る。 そし て、 二十 世 紀 に入 る と 大 陸 の 一部 を植 民地 にま です るわ け です 。
川 勝 日 本 が 労 働 集 約 型 プ ラ ス資 本 集 約 型 技 術 で中 国 と の競 争 に勝 利 す
と こ ろ が、 今 はそ う いう アジ ア地 域 が 、 日本 の労 働 集 約 型 プ ラ ス資 本 集 約
日本 二〇 一七 時 間、 ア メ
18 主 要 五 カ 国 の年 間 総 労 働 時 間 (一九 九 二年 )。
リ カ 一九 五 七 時 間 、 イギ
ンス 一六 八 二時 間 、 ド イ
リ ス 一九 一 一時 間 、 フラ
ツ 一五 七〇 時 間 。
日、 ア メ リ カ 二 二六 日、
19 年 間 出 勤 日数 (一九 九 二 年 )。 日 本 二 四 五
ン ス二 一 一日、 ド ツイ 二
イ ギ リ ス二 一八 日、 フラ
〇八 日。
型 の経 済 シ ス テ ムを つくり つ つあ る。 日本 は 、 ド イ ツと ま では いき ま せ ん
が 、 少 し ず つ労 働 時 間 を短 縮 し て いくと いう 資 本 集 約 型 、 労 働 節 約 型 の社
会 に 変 わ り つつあ り ま す ね。 そ のこ と に よ って、 現 在 、 日本 が 競 争 を 受 け つ つあ る のは 、 アジ アN I E S地 域 です 。 立 場 が逆 転 し つ つあ る。
速 水 今 後 の 日本 を 考 え る な ら ば、 さら に付 加 価 値 の高 い生 産 物 を 作 る し
かな い。 アジ アと 同 じ 物 を 作 って いる 限 り、 負 け る に決 ま って いる。
口、 生 産 年 齢 人 口 は九 四年 が ピ ー ク です 。 九 五 年 か ら は減 り 出 す 。 労 働 コ
日本 は 確 実 に、 二〇 一〇年 を 待 た ず に 人 口 が減 り出 す 。 あ る いは 労 働 人
スト や社 会 福 祉 コス トが 上 が り 、 労 働 集 約 型 生産 では負 け る でし ょう 。
ッパ の資 本 集 約 型 技 術 を 入 れ て、 か つて国 産 化 し た よ うな 物 を さら に効 率
川勝 日本 は鎖 国 の時 期 に中 国 から 離 脱 し た わ け です が 、 明 治 以降 ヨー ロ
的 に作 り 、 アジ ア市 場 に輸 出 し て い った 。 と ころ が 、 現 在 は そ う いう技 術
が中 国周 辺 の地 域 に移 転 し 、 日本 は 最 終 的 に アジ ア地 域 に のみ 込 ま れ る と いう こと です か。 速 水 労 働集 約 技 術 に頼 るな ら ば 。
川 勝 文 明史 的 に は、 アジ アか ら東 漸 し てき た文 明 が 中 国 、 朝 鮮 半 島 を 経
由 し て日 本 に 入 り 、 日本 は危 機 を感 じ な がら 相 手 地 域 の シ ス テ ムを 自 分 な
り に模 倣 し て つく り 上 げ た 。 そ れ で 経済 的 動 機 が高 度 に発 達 し た経 済 社 会
に な った 。
一方 、 イ ス ラ ム か ら ヨ ー ロ ッパ 、 地 中 海 を 経 て ア ング ロ サ ク ソ ン が つく
り上 げ た英 米 的 シ ス テ ムが近 代 に 日本 に入 ってき た 。 日本 は 東 洋 的 な も の
と 西 洋 的 な も の と の両 方 を 入 れ て い る と いう こ と に な る 。 そ し て将 来 、 中 国 が そ れ を の み 込 ん で いく と い う 長 期 展 望 を 描 け ま し ょ う か 。
速 水 日本 は 現在 、 人 口構 造 のう え では 大 変 な 転 換 期 です 。 な ぜ な ら 、 女
性 が 子供 を産 まな くな った。 これ を 私 は ﹁静 かな 革 命 ﹂ と 呼 ん で いる ん で
す 。 こ の革 命 は多 分、 数 十 年 間 は続 く 。 今 、 日本 の女 性 は 、 平 均 し て子 供 を 一 ・五 人し か産 ん で いな い。 同 時 に、 高 齢 化 社 会 も 来 る 。
中 国 は 一人 っ子 政 策 を採 って いま す が、 こ こ三 十 年 間 ぐ ら いは 、 人 口構
造 のう え では 日本 に比 べて非 常 に有 利 な 立 場 にあ り ま す 。 生 産 年 齢 人 口 の
占 め る割 合 が大 き い。 人 口 の伸 び 率 も そ んな に大 き く は な い。 だ か ら 、 非 常 に 有 利 な ん です ね。
と ころ が 、 そ の中 国 も今 から 三十 年 ぐ ら いた つと 、 大 変 な 高 齢 化 が始 ま
る 。 これ は 日 本 の高 齢 化 ど ころ で はな い。 日本 では ど ん な に高 齢 化 し ても
六 十 五 歳 以 上 の人 口 は 四 分 の 一で済 み ま す。 中 国 は 三 分 の 一ぐ ら いに な
る 。 そ う な った と き の中 国 は ど うな る か。 日本 は 、 二 十 一世 紀 が 進 む に つ れ 、 人 口は 減 って いま す が 、危 機 は乗 り 越 え て いる でし ょう 。
20 出 生 率 の 低 下 昭 和
25 年 二 ・ 六 五 % 、 30 年
二 ・三 七 % 、 35 年 二 % 、
一 ・七 六 % 、
一 ・九
40 年 二 ・ 一四 % 、 45 年
一% 、 55 年
二 ・ 一三 % 、 50 年
一 ・
60 年 一 ・七 六 % 、 平 成 元
年 一 ・五 七 % 、 五 年
四六 %
速 水 融
( は や み ・あ き ら )
一 九 二九 ( 昭 和 四) 年 に東 京 に 生 ま れ る 。 慶 応 義 塾 大 学 経 済 学 部 卒 。 日本 常 民 文 化 研 究
所 研 究 員 、 慶 応 義 塾 大 学 経 済 学 部 教 授 、 国 際 日 本 文 化 研 究 セ ン ター 教 授 を 経 て、 現 在 、 麗
沢大学経済学部教授。慶応義塾大学名誉教授。経済学博士。
( 東 洋 経 済 新 報 社 )、 ﹃日本 に お け る経 済 社 会 の展 開 ﹄ ( 慶 応 通 信 )、 ﹃歴 史 の中 の江 戸 時 代 ﹄
日本 経 済 史 、 と く に近 世 日本 の歴 史 人 口学 が 専 門 。 主 な 著 作 に ﹃日 本 経 済 史 へ の視 角 ﹄
( 編 著 、 東 洋 経 済 新 報 社 )、 ﹃近 世 農 村 の歴 史 人 口学 的 研究 ﹄ ( 東 洋 経 済 新報 社 )、 ﹃数 量 経 済
史入門﹄ ( 共 著 、 日本 評 論 社 )、 ﹃江 戸 の農 民 生 活 史 ﹄ ( N H K ブ ック ス)、 ﹃日 本 経 済 史 1
経 済 社 会 の成 立 十 七︱ 十 八 世 紀 ﹄ ( 編著、岩波書店)などがある。
速 水 氏 は、 江 戸 時 代 は封 建 社 会 では な く 、 経 済 的 合 理 性 を も って人 び と が 活 動 し て いた
﹁経 済 社 会 ﹂ であ った と いう 斬 新 な 江 戸 時 代 史 像 を うち だ し て いる 。 一九 七 六 年 の社会 経
済 史 学 会 第 四 十 五 会 大 会 で 、﹁経 済 社 会 の成 立 と そ の特 質 ﹂ と 題 し た 報 告 を 行 い、 江 戸 時
代 に 日本 は ﹁勤 勉 革 命 ﹂と いう 労 働 集 約 型 の生 産 革 命 を 経 験 し 、 そ れ は イ ギ リ ス の ﹁産 業
革 命 ﹂ と いう 資 本 集 約 型 の生 産 革 命 に匹 敵 す る 、 と いう テ ーゼ を 図 解 し な が ら 発 表 し て、
( 東 洋 経済 新 報 社 ) にお さ め ら れ て いる が 、 二十 年 経 った 今 も な お 新 鮮 であ る。 訳 書 の 一
参 会 者 に衝 撃 を 与 え た。 そ の記 録 は社 会 経 済 史 学 会 編 ﹃新 し い江 戸 時 代史 像 を 求 め て﹄
つに ﹃西 欧 世 界 の勃 興 ﹄ ( 共 訳 、 ミ ネ ルヴ ァ書 房 ) があ る が、 著 者 の 一人 D ・C ・ノー ス
は後 に経 済 史 家 と し て初 め て ノー ベ ル経 済 学 賞 を 受 賞 し た。
の手 法 を 駆 使 し て、 尾 張 ・美 濃 地 方 に残 され た宗 門改 帳 を中 心 と し た近 世 史 料 の分 析 に い
最 近著 の ﹃近 世 濃 美 地 方 の人 口 ・経 済 ・社 会 ﹄ ( 創 文 社 、 一九 九 二年 ) は、 歴 史 人 口学
ど ん だ専 門 書 であ る が、 内容 は ﹁ 江 戸 時 代= 経 済 社 会 論 ﹂ お よ び ﹁江 戸 時 代 の勤 勉 革 命 ﹂
を実 証的 に裏 付 け た 画 期 的業 績 であ る。 江 戸 時 代 前 半 は ﹁大 開 墾 時 代 ﹂ と いわ れ る新 田 開
発 と 結 び つ いて人 口 が 急 増 し た が、 後 半 に は停 滞 し た こ と が知 ら れ て いる、 濃 美 地 方 で は
そ れ が典 型 的 に観 察 さ れ る ほ か 、新 発 見も 多 い。 人 口増 大 に も増 し て世 帯 数 が急 増 す る 一
方 で、世 帯 規模 が 縮 小 し て 四 ∼ 四 ・五 人 の小 家 族 に 落 ち 着 き、 牛 馬数 が激 減 し て いた。 特
に 水 田地 帯 で は資 本 部 分 ( 家 畜 ) の減 少 を と もな い つ つ、 労働 集 約 化 が進 んだ 。 農 民 は土
地 に 縛 ら れ て お ら ず 、 村 外 への移動 者 は 五割 を超 え 、 そ の半 分位 は帰 村 し て いな い。 村 民
は 外 部 と の所 得 格 差 や 雇 用 機 会 に 敏 感 に 反応 し て行 動 し て おり 、 婚 姻 関 係 も 村 外 に 開 か
れ 、 離 婚 率 も 高 い。 末 子 相 続 、 均 等 相 続 も 例 外 で は な く 、 分家 創 出率 は 高 い。 眼 を 疑 う よ
う な 通 念 を 突 き 崩 す 観 察 事 実 が ど ん ど ん 提 供 さ れ 、 そ れ が 緻 密 な 論 理 で組 み立 て ら れ て い
( ﹃徳 川 社 会 か ら の展 望 ﹄ 同 文 舘 、 所 収 ) のよ う に 、 豊 か な 構 想 力 を 示 し た論 文 もあ る 。
く 。 堅 実 な 実 証 研 究 が 本 領 だ が 、 ﹁徳 川 日 本 成 立 の 世 界 史 フ ェリ ペ 二 世 と 豊 臣 秀 吉 ﹂
東 西 文 明 シ ス テム と物 産 複 合 ︱︱ 一国資本主義から文明論 へ
経済 史 学 事 始 め
川 勝 大 塚 久 雄 さん が文 化 勲 章 を 受 章 さ れ (一九 九二年)慶 賀 に た えま せ
ん 。 経 済 史 学 を 学 ぶ者 に と って は励 み です 。 大 塚 さん は 日本 の戦 後 の経 済
史 学 の代 表 、 も う 少 し 限 定 す れ ば、 東 大 アカ デ ミ ズ ム の旗 頭 であ った と 思
う の です 。 一方 、 角 山 さ ん は 戦 後 の いわ ゆ る 新 ・京 都 学 派 の 一翼 を 担 っ
て、 颯 爽 と 登 場 さ れ 、 大 塚 史 学 に 敢 然 と立 ち向 う テー ゼを 立 て て こら れ ま し た。
大 塚 史 学 に つ いて角 山 さ ん のお 考 え を う か が いた いと思 いま す 。
角 山 私 が経 済 史 を や った のが 、 終 戦 直 後 の こと です 。 だ いた い戦 後 の学
問 が は じ ま った のが 昭和 二十 五 年 から だ った と 思 いま す。 外 国 の文 献 が ぽ
×
角 山 榮
( 1907- )
川勝平太
1 大 塚 久 雄
京都生。東京大学名誉教
塚久 雄 著 作 集 ﹄ 全 十 三巻
授 。 社 会 経 済 史 家 。 ﹃大
一九 八 六 )、 訳 書 に ヴ ェ
( 岩 波 書 店 、 一九 六 九 ∼
ー バ ー ﹃プ ロテ スタ ンテ ィズ ム の倫 理 と資 本 主 義
の精 神 ﹄ ( 岩 波文 庫、改
訳版 、 一九 八 九 ) ほ か。
2 大 塚 史 学 英 国 資 本
て、 産 業 革 命 以 前 の農 村
主 義 の成 立 過程 にお い
工 業 の重 要 性 を 力 説 。 英
つぽ つ入 手 でき る よ う に な った のも 二十 五 年 頃 から です ね 。 私 は そ のも う
少 し 前 か ら 歴史 を や り た いと いう こと を 考 え て いた ん です が 、 最 初 に よ る
べき 文 献 が 、大 塚史 学 でし た ね。 し た が って大 塚 史 学 か ら勉 強 を は じ め た わ け です。
のも のに し た か った。 し かし 、 大 塚 さ んが ご 自 分 でも お っし ゃら れ て いま
大 塚 さ ん のも のを 断 簡 零墨 に至 るま で読 ん で、 と にか く大 塚史 学 を自 分
す が 、 大塚 さ ん の原 点 にな って いる のは ア ンウ ィンと か マン ト ゥー です 。
そ れ ら を フ ォ ローし て いく 中 で、 ち ょ っと お か し い では な いか と いう こ と
に 思 い到り まし た。 大 塚 さん は ア ンウ ィンや マ ント ゥー に こう書 いてあ る
と いう けれ ども 、 そ うは 書 いて いな いん じ ゃな いか と いう わ け で す。 特 に
大 塚史 学批 判 を はじ め て おら れ ま し た 矢 口孝 次 郎 さ ん の研究 会あ たり で み
ん な そ れを 疑 問 に持 ち 出 し て いま し た 。 私 は そ ん な 中 で育 って い った わけ で す。
そ のとき に、 私 は 一九 四〇 年 頃 以 後 のイ ギ リ ス の学 界 の動 向 を 見 て いる
と 、大 塚 さ ん の言 う よう な ヨー マ ン論 では な く て、 ジ ェント リ ー が研 究 の
主 流 に な って いる こと に気 が つき ま し た 。 つま り 日 本 の学界 は戦 中 戦 後 十 年 間 のブ ラ ンク があ る こと が 分 か った わ け です ね。 川勝 大 塚 史 学 の基 本 的 な 文 献 と し て何 を 挙 げ ら れ ます か。
いて他 国 の後 進 性 を 浮 き
国 の近 代 化 と の比 較 に お
日本 資 本 主 義 の遅 れ と 歪
彫 り にす る手 法 を と る。
み を 強 調 し た 講 座 歴 史 学
と 親 縁 性 があ る 。 東 京 大
学 の マル ク ス主 義 経 済 史
3 ア ン ウ ィ ン G .U n
学 の系 統 。
wi n,St udi es i n Econo mi c
Hi s tor y:the Col lec te d Pa
マ ン ト
ゥ ー
P .
pers of Ge org e Unwi n,
4
1927.
M antoux, T he Industri al
R ev oluti on in the Eigh
(lst E nglish transl ation,
te enth C entury, 1906
1928).
5 矢 口孝 次 郎 (1907-)
﹃イ ギ リ ス 資 本 主 義 成
1952)、 ﹃産 業 革 命 研 究 序
立 期 の研究﹄ ( 有斐 閣、
1967) 等 。
説 ﹄ (ミ ネ ル ヴ ァ書 房 、
角 山 そ れ は 、 一九 四 四年 に 出 版 さ れ た ﹃近 代 欧 洲 経 済 史 序 説 上 ﹄ で
す 。 これ を 終 戦 前 に お書 き に な った ん です が、 戦 後 大 塚 史 学 の いわ ば 基 本 にな る業 績 です ね 。
川 勝 大 塚 史 学 あ る いは ﹃近 代 欧 洲 経 済史 序説 ﹄ の特 徴 はど こ にあ る の で し ょ う か。
角 山 そ れ は 一言 で言 う と 、 産 業 革 命 に至 る過 程 でど のよ う にし てイ ギ リ
スに 最 初 の資 本 主義 が起 こ ってき たか と いう こと です 。 大 塚 さ ん の場 合 は
フラ ン ス の間 に お け る、 あ の激 し い国 際 環 境 の中 で最 終 的 に イギ リ スが 産
イ ギ リ スが あ と か ら出 てき た にも か かわ ら ず 、 ス ペ イ ンと か オ ラ ンダ と か
業 革 命 を 達 成 し 、 覇 権 国 に な った のは 、結 局産 業 資 本 の生 産 力 だ 、 と いう 考 え 方 な ん です ね 。 商 業 資 本 では な く て産 業 資 本 だ と。
川勝 大 塚 さ ん には イギ リ スは ス ペイ ン、 オ ラ ンダ、 フラ ン スな ど に比 べ て後 進 国 だ と いう 意 識 はお あ り に な った の でし ょう か。
ニ ュフ ァク チ ャー が出 てき たと いう 生 産 力 説 か ら 言 う と 、 あ の頃 か ら や は
角 山 後 進 国 と いう考 え方 では な く て、 イギ リ スは 十六 世紀 の中 頃 か ら マ
り 先 進 国 だ と いう ふ う な考 え方 があ った のでは な いでし ょう か 。
川勝 イギ リ スは 先 進 国 だ と いう前 提 が や はり あ り ま す ね 。 生 産 力 の担 い
手 と し て大 塚 さ ん は ヨー マ ンリー を出 さ れ た のです が、 そ れ に対 す る角 山
6 ヨ ー マン (リ ー)
大 塚 久 雄 に よ って 、 近世
い手 と し て力 説 さ れ た 。
イ ギ リ ス の農 村 工業 の担
7 ジ ェ ント リ ー 論 争
( 出 口 ・越 智
﹃宗 教 と 資 本 主 義 の 興
隆 ﹄ 上 ・下
訳 、 岩 波 書 店 、 一九 五 六
ニー ( R. H. Tawney)
︱ 五九 年 ) で名 高 いト ー
onomi c H i s t or y Revi ew
の 論 文‘The Ri s e oft he Gentr y, 1 558︱ 1640, ’ Ec
Vol .7 (1954) が 引 き 起 こし た 論争 。 ト ー ニー は
英 国 資 本 主 義 の担 い手 を ジ ェン トリ ー (市 場 向 け
生 産 に土 地 を 活 用 し た 地
主 ・農 業 企 業 家 ) に 求 め
た。
( 生産性
8 生 産 力 説 マル ク ス
は労 働 の生 産 力
と 同 じ意 味 ) の発 達 が経
さ ん のお考 え は 。
( 笑 )。
角 山 そ れ が ヨ ー マ ン リ ー で は な く て、 ジ ェ ン ト リ ー と いう も の で は な か った か と いう
川 勝 ヨ ー マ ンは 消 滅 し ま し た が 、 ジ ェ ン ト ル マ ン は ま だ 生 き の び て い ま すね。
角 山 そ れ で僕 が 生 産 力 の担 い手 が ジ ェント リ ー と いう こと でま と めた の
が ﹃資 本 主 義 の 成 立 過 程 ﹄ (ミネ ルヴ ァ書 房 、 一九 五 六 ) と い う 本 で す 。 こ
れ は も ち ろ ん 若 気 の 至 り だ った ん で す け れ ど も 、 大 塚 史 学 批 判 と いう 形 で
出 し た わ け で す 。 そ う す る と こ れ に 対 し て賛 成 論 も あ る 一方 、 も の す ご い 批 判 と いう か 反 発 が 来 ま し た ね 。
川 勝 大 塚 さ ん は 生 産 力 の 担 い 手 は ヨー マ ン リ ー 、 中 産 的 生 産 者 層 だ と い
わ れ た。 角 山 さ ん は 、 毛 織 物 工 業 と いう 大 塚 さ ん と 同 じ対 象 を 取り 上 げ ら
れ て 、 ﹃イ ギ リ ス毛 織 物 工 業 史 論 ﹄ ( ミ ネ ルヴ ァ書 房 、 一九 六〇 ) と い う 本 も
書 か れ て いま す が 、 そ こ で ﹁初 期 資 本 主 義 ﹂ の テ ー ゼ を 出 さ れ て い る 。 こ れ は 大 塚 さ ん の図 式 と ど こ が 違 う ん で し ょ う 。
角山 そ れ は 、先 ほど い ったよ う にジ ェント リ ーを 担 い手 と す る ジ ェン ト
リ ー 資 本 であ った わ け で す 。 し か し ジ ェ ン ト リ ー 資 本 は 直 接 産 業 革 命 の 担
い 手 に な ら な い の です 。 な ぜ か と 言 う と 、 こ れ は 地 主 資 本 だ か ら で す 。 こ
済 構 造 を変 革 す る と考 え
の形 成基 盤 を ﹁国 民生 産
た 。 大 塚久 雄 は 近 代社 会
力 ﹂ に求 め た 。 さ しあ た
( 講 談 社 学 術 文 庫 、 一九
り 大 塚久 雄 ﹃国 民 経済 ﹄
九四年)が簡便。
9 資 本 の 構 成 マ ルク
( ﹁資 本 主 義 的 蓄
ス ﹃資 本 論 ﹄ 第 一巻 第 二
十 三章
( 労
積 の 一般 的 法 則 ﹂) で 定
義。資本は不変資本
( 価
( 労働力)に分
働 力 以 外 の生 産 手 段 ) と
可変資本
け ら れ 、 両 者 の価 値
格 ) 比 率 は 資 本 の有 機 的
( 価格)とは無関係 に
構成となづけられる。価
値
単 に 資本 を 構 成 す る物
る場 合 に は資 本 の技 術 的
量 ・労 働 力 量 を 問 題 と す
構 成 と よば れ る。 有 機 的
の適 用 に よ って労 働 力 に
構 成 の高 度 化 と は、 技 術
れ も こ の初 期 資 本 あ る いは ジ ェント リ ー資 本 と いう のは 、 大 塚 さ ん の言 う
ヨー マ ン=産 業 資 本 と は 別 の論 理構 造 を持 って いると 考 え る の です 。
つま り そ れ は マル ク ス の体系 の中 で 言 えば 、 いわ ゆ る資 本 の技 術 的 構 成
( 賃 金 ) が 減 り 、 不変
充当 さ れ る 可変 資 本 の価
値
資本 の価 値 の比率 が高 ま
る こと を いう 。
10 ジ ェン ト ル マ ン リ ー ・キ ャピ タ リ ズ ム ケ
を 高 め な い資 本 蓄 積 です 。 産業 革 命 で産 業 資 本 が確 立 し た 以後 は資 本 蓄 積
は 資 本 の有 機 的 構 成 を 高 め た よ う な 形 で展 開す るけ れ ど、 それ 以 前 の マ ニ
イ ンと ホ プ キ ン スを 両 旗
11 川 北 稔 (1940- ) 歴史学者、大阪大学教授。
vol s.,Longma n, 1993が 最 近 の成 果 。
Brii th Imperi s ali s m, 2
ほ か 、Cai n na dHopki ns ,
岩 波 書 店 、 一九九 四 ) の
英 帝 国 ﹄ (竹 内 ・秋 田 訳 、
ン ト ル マ ン資 本 主義 と 大
ら 台 頭 し て き た。 ﹃ジ ェ
手 と し て 一九 八〇 年 代 か
ュフ ァク チ ャー の段 階 、 す な わ ち ジ ェント リ ー資 本 の段 階 だ と す ると 、 そ
れ は資 本 の有 機 的 構 成 を 高 め な い蓄 積 のか た ち を と る。 問 屋 制 工業 と いう
の はそ う いう 形 です ね 。 し か も 生産 を増 加 さ せ る場 合 に は、 生 産 の ユ ニ ッ
トを 横 に拡 大 し て いく だ け な ん です 。 そ し て剰余 価 値 は資 本 の拡 大 再 生 産 に で はな く 、 た え ず 土 地 投 資 に向 う の です。
川 勝 技 術 的 構 成 な り 有 機 的 構 成 を 高 め な いで、 土 地 に資 金 を 投 資 す ると
いう こ と です ね。 そ れ は 結 局 地 主 転 化 と い いま す か 、産 業 資 本 家 への道 で
主 著 ﹃工 業 化 の歴 史 的 前
は な い。 最 近 は そ う いう 着 眼 と 連 動 す る と 思 わ れ る ﹁ジ ェン ト ル マ ンリ
ー ・キ ャ ピ タ リ ズ ム ﹂ が 、 イ ギ リ ス資 本 主 義 の 本 質 で あ る と い う 議 論 が 出
国 ﹄ (平 凡社 、 一九 八 三)。
共 編 ﹃路 地 裏 の 大 英 帝
三 ) の ほか 、 角 山 氏 と の
提﹄ ( 岩 波 書 店 、 一九 八
て います 。
角 山 私 の ジ ェ ン ト リ ー 論 に 対 し て 、 川 北 稔 さ ん が 継 承 し て ﹃工 業 化 の 歴
で ﹁ジ ェ ン ト リ ー と 帝 国 ﹂ と いう 形 で 、 ジ ェン ト リ ー の 問 題 を 単 な る イ ギ
史 的 前 提 ﹄ と い う 本 を 書 い て 、 ジ ェ ン ト リ ー 研 究 を 展 開 し ま し た 。 そ の中
リ ス の 国 内 の 問 題 か ら 帝 国 に ま で 広 げ た 構 想 を 出 さ れ た ん で す 。 私 の考 え は そ れ と ま った く 同 じ な ん で す 。
川 勝 な る ほど 。 ジ ェン ト ル マンと いう の は単 な る地 主 では な く て、 帝 国 経 営 と 密 接 不 可 分 であ る と いう こと です ね。
と は いえ、 ジ ェント ル マンは 生 産 力 を 直接 担 わ な いと いう こと にな り ま
す と、 い った いイギ リ スにお け る 産 業 主義 は ど こ から 出 てき た の でし ょう か。
産 業 革命 と は何 だ った か
角 山 そ の担 い手 は ま さ に十 八世 紀 であ れ ば 大 塚 さ ん の言 う 、 ヨー マンも
そ の中 に 入 って いる でし ょう 。 地 主 も あ れ ば 商 人 も あ った 。 これ ら の人 た
ち は いず れ も 、 宗教 的 に は ノ ン コ ン フ ォミ スト、 非 国 教 徒 た ち です 。 と い
う こと は社 会 的 に差 別 さ れ た人 々な ん です ね。 です か ら 、 産業 革命 の担 い
手 は 旧 来 の階 層 か ら生 ま れ た と いう より は、 あ の体 制 か ら 疎 外 さ れ た 人 た
ち 、 ま とも に公 職 に も つけ な い、 大学 にも いけ な い人 た ち が 、 ジ ェント ル
マ ンが嫌 が る手 を 汚 す よ う な 仕 事 を や った のが、 こ の産 業 革 命 に つな が っ て いく と いう こと です 。
川勝 イギ リ スには 物 を つく ると いう こと に つ いて、 大 事 にす ると いう よ
イギ リ ス に起 こ った 工 業
化 の歴 史 的条 件 を、 十
とジ ェ ント ル マ ン資 本 の
七 ・十 八 世 紀 の商 業 革 命
ス テ ム﹂ 論 を 提 起 し た
形 成 に求 め る。 ﹁世 界 シ
の ﹃近 代 世 界 シ ステ ム﹄
I ・ウ ォー ラー ステ イ ン
( 第 一巻 、 岩 波 書 店 。 第
二巻、 名古 屋 大 学出 版
会 ) の訳 者 で もあ る。
り は第 二義 的 に見 る と 言 う か 、 軽 蔑 す る と いう 見方 が あ る と いう こ と です か。 角 山 そ れ が ジ ェ ン ト ル マ ン的 考 え 方 な ん で す 。
川 勝 そ う や っ て 差 別 さ れ な が ら も 成 り 上 が った 人 た ち も ま た ジ ェ ン ト ル マ ン に な り た いと 思 う わ け で し ょ う 。
角 山 そ う で す 。 一応 実 業 界 で 成 功 す れ ば 、 い つま で も そ ん な こ と は し た
く な い。 で き る だ け 早 く 足 を 洗 っ て ジ ェン ト ル マ ン の 優 雅 な 生 活 に 入 り た
い。 こ れ が 一貫 し て イ ギ リ ス の ジ ェ ン ト ル マ ン の 考 え 方 の 中 に あ り 、 し か
も そ れ が 経 済 発 展 を 阻 げ る と いう イ ギ リ ス が 抱 え て い る 深 刻 な 問 題 が あ る ん じ ゃな いか と 思 います 。
川 勝 イギ リ ス のジ ェント ル マンは他 国 に 応 用 でき るよ う な も の では な く
て 、 き わ め て イ ギ リ ス的 で す 。 す な わ ち ジ ェ ン ト ル マ ン 、 あ る い は 階 級 で
言 え ば 支 配 者 階 級 が 、 あ の イ ギ リ ス社 会 に は 牢 固 と し て あ っ て 、 常 に ジ ェ
ン ト ル マ ン に な り た い と い う 上 昇 転 化 の願 望 を 再 生 産 し て い る に 過 ぎ な い のか も し れ ま せ ん ね 。
房 ) と い う 本 が あ っ て 、 結 局 イ ギ リ ス に は 産 業 精 神 は 本 当 に は な か った と
そ う いえ ば ウ ィ ー ナ と い う 人 に ﹃英 国 産 業 精 神 の 衰 退 ﹄ ( 原剛訳、勁草書
言 っ て いま す 。 必 要 に せ ま ら れ て し よ う が な いか ら 産 業 に 身 を いれ た と い
12 小 林 章 夫
﹃イ ギ リ ス
一)、水 谷 三 公 ﹃王
一) な ど を
・大 衆 ﹄ ( 中 公
一九 九
・貴 族
一九 九
貴 族 ﹄ ( 講 談 社 現 代 新 書 、
室
新 書 、
ウ ィ ー ナ M ar ti n
参 照 。
13
カ の歴 史 学 者 。 原 題 は 、
W i ener (1941- ) ア メ リ
De cl i ne of t he Indus tri al
Eng l i sh Cult ure and t he
Spi ri t 18 50︱ 1980. Ca
m bri dge U ni ver si t y Pre
題を 呼 ん だ 。
ss,1981.で 英 国 内 外 で 話
う こ と です 。 古 く は シ ュム ペ ー タ ー に も
﹃帝 国 主 義 の 社 会 階 級 ﹄ ( 都留 重
人 訳 、 岩 波 書 店 ) と い う 論 文 が あ り ま す 。 あ れ で も 結 局 ブ ルジ ョ ア ジ ー が
目 指 し た の は 貴 族 階 級 で あ っ て 、 貴 族 の真 似 を す る こ と が 彼 ら の 理 想 で あ った と いう こ と で す ね 。 角 山 そ う だ と 思 いま す よ 。
川 勝 貴 族 は 生 産 す る こ と を よ し とし ま せ ん。 彼 ら の目 的 は 優 雅 な生 活 で
す 。 イ ギ リ ス に は ト ラ ベ ル ・ エー ジ ェ ン シ ー が た く さ ん あ り ま す ね 。 優 雅
に 遊 び に行 こう と いう わ け です が、 あ れ は貴 族 の真 似 か も し れ ま せ ん ね。
生 産 し な い と い う こ と が イ ギ リ ス人 の 理 想 に あ れ ば 、 産 業 主 義 は 最 初 か ら 滅 び る 運 命 に あ った と い う ふ う に 言 え る で し ょ う か 。
角 山 そ う いう自 己 矛 盾 が起 き ま し たね 、 イギ リ ス の場 合 に は 。 し か し産 業 革 命 を や った と い う こ と は 事 実 な ん で す ね 。
た だ も と に 返 り ま す け れ ども 、 大 塚 さ ん の場 合 、 問 題 は 生産 力説 な ん で
す が 大 塚 さ ん の体 系 と い う の は は っき り 言 う と 閉 じ ら れ た 体 系 な ん で 、 し
た が って こ こに は ジ ェント リ ー論 が入 ってく る余 地 が な いん です ね 。 た し
か に 大 塚 さ ん は ジ ェント ル マ ンの こ とは よく ご 存 じ な ん です。 し か し ジ ェ
ン ト リ ー は 上 昇 転 化 と いう 形 で、 生 産 力 の担 い手 でな く な る と いう わ け
で 、 大 塚 さ ん の体 系 の外 へ放 り 出 し て し ま う わ け な ん で す 。 と こ ろ が 大 塚
(188 3︱1950) オ ー ス ト
14 シ ュム ペ ータ ー Josep hAl oi sSchumpet er
リ ア出 身 の経 済 学 者 。 資
本 主 義 の発 展 過 程 を 動 態
的 にと ら え るた め の企 業
者、信用、新結合を軸と
す る独 創 的 な 理 論 体 系 を
構 想 し 、 後 世 に大 き な 影
はそ の成 功 の ゆえ に 滅 ん
響 を 与 え た 。 ﹁資 本 主 義
でゆ く ﹂ と いう いわ ゆ る
﹁創 造 的 破 壊 ﹂ に よ る 資
本 主 義 崩 壊 のヴ ィジ ョン
展 の理 論 ﹄ ( 岩 波文 庫 )、
を も って いた 。 ﹃経 済 発
﹃経 済 分 析 の歴史 ﹄ ( 岩波
書 店 )、 ﹃資 本 主 義 ・社 会
主 義 ・民 主 主 義 ﹄ ( 東洋
(〓岩 井 克 人 氏 と の対 談
経 済 新 報 社) 他 多 数。
参照)
です 。
さ ん が お 立 て に な った資 本 主 義 像 は端 的 に いう と 、 資 本= 賃 労 働 関 係 な ん
川 勝 階 級 関 係 です ね 。
角 山 そう な ん です 。 そ れ が ど のよ う に し て出 て く る か と いう と、 産 業 革
いう 考 え 方 な ん で す。
命 の前 の いわ ゆ る市 民 革 命 のと ころ で資 本 主 義 の体 制 が できあ が る んだ と
だ か ら 資 本= 賃 労 働 関 係 を生 み出 す 農 民 層 分 解 、 これ が 研 究 の焦 点 に な
り ま す 。 農 民 層 分 解 が 市 民 革命 を つう じ産 業 資 本 の展 開 を 阻 止 す る 勢 力 が
打 倒 され て、 つま り 最 初 に 市 民 革 命 を 行 った イ ギ リ スに最 初 の産 業 革 命 が ス ムー スに起 こ ってく る のだ と いう 図 式 です 。
が 毛 織 物 工業 の中 で起 こり 、 順 調 に発 展 し て いく と す る と 、 産 業革 命 は毛
と ころ が 問題 は そ の中 身 です 。 農 民 層 分 解 を つう じ マ ニ ュフ ァク チ ャー
織 物 工 業 か ら 起 こ って こな け れ ばな らな いはず です 。 し か し 実 際 は 綿業 か ら 起 こ ってき た 。 これ が 解 け な いん です 。
も う ひと つは 産 業 革 命 と いう のは や は り エネ ルギ ー革 命 、 動 力 革 命 であ
った わけ で、 そ れ が大 塚 さ ん の体 系 の中 で、 な ぜ 動力 革 命 が起 こ ってき た のか と いう説 明 が出 て こな いん です 。
一 国 資 本 主 義 論︱︱ 大塚 史 学 の 限 界
川 勝 綿 工 業 と な り ま す と 、木 綿 はも と も と 輸 入 品 です から 、 大 塚 さ ん の
閉 じ ら れ た 体 系 であ る 一国 資本 主義 の階 級 分 解 論 では 毛 織 物 工業 か ら 綿 工
業 への転 換 は 、 解 け ま せ ん ね 。 大 塚 史 学 に は 一国 資 本 主 義 論 的 な 特 徴 が あ って、 それ が限 界 であ る と いう こと です ね 。
角 山 と 思 いま す 。 私 な ど は 商 業 資 本 と か外 国 貿 易だ と か そ う いう分 野 を
研 究 対 象 と し て取 り 上 げ た ら 、 商 業 資 本 を 研究 し て いる や つは 反動 的 であ
る と いう ふ う に、 大 塚 さ ん じ ゃな いん です が 、 大 塚 さ ん の周 囲 に いる エピ
ゴ ー ネ ンた ち が寄 ってた か って叩 く ん です 。 あ の当 時 反動 的 と 言 わ れ た ら
川 勝 けれ ども ジ ェント ル マ ンは 植 民 地 経 営 であ る と か あ る いは大 銀 行 と
大 変 な こと です か ら ( 笑 )。
か 保険 会社 と か 、 い って みれ ば サ ー ビ ス産 業 に従 事 す る も のと さ れ 、 イ ギ
リ スでは 物 を つく る と いう こ と に 関し て軽 蔑 心 が 一貫 し てあ った と いう こ と です ね。
と ころ が 反対 に 日 本 では商 業 で富 を 得 ると いう のは む し ろ 悪 く て、 物 を
つく る 人 の ほう を 善 玉 に し て、商 人資 本 と いう のを 悪 玉 にし た 。 商 業 資 本
が いわ ゆ る悪 玉 で、 産 業 資 本 が善 玉 であ る と いう思 想 です ね 。 これ は 日本
﹃英 国 紳 士 の 植
15 英 国 の 植 民 地 経 営
浜 渦 哲 雄
一九 九
一)、R .Sym mon
民 地 統 治 ﹄ ( 中 公 新 書 、
ds, O xford and Empi re,
参 照 。
M acm i l l an, 198 6な ど を
ね。
人 の経 済 観 と いう か 、 日本 の文 化 意 識 み た いな も の の投 影 かも しれ ま せ ん
角 山 そう かも し れ ま せ んね 。
川 勝 大 塚 さ ん の議 論 は 、 依 拠 さ れ た 文 献 を 虚 心 坦 懐 に 読 む な ら ば 、大 塚
さ ん ご 自身 の解 釈 がき わ め て色 濃 く 出 て いて、 必 ず し も イ ギ リ ス の実態 と は 合 って いな いと いう こ と です か。
し か し そ う であ る に も か か わら ず 、 日本 では よく 読 ま れ た と いう のは 、 あ る意 味 で 日本 論 であ った と いう こと もあ り ま し ょうか 。
角 山 そ う です 。 そ れ は は っき り 言 って、 あ の大 塚 史 学 の全 盛 時 期 と いう
の は敗 戦 後 の十 数 年 な ん です 。 敗 戦 に対 す る反 省 のも と で、 ど の よう にし
て新 し い日本 の国 を 建 て直 す か と いう と き に 、 政 治 や経 済 の民 主 化 や、 家
庭 や職 場 に おけ る民 主 化 のモ デ ルを 結 局 は イギ リ スと いう、 世 界 でも っと
も 最初 に 民 主主 義 を つく って資 本 主 義 を 発 展 さ せ た 国 に求 め た。 そ れ を大 塚 さ ん は いわ ば 理論 づけ た と いう こと が背 景 にあ った わ け です。
〇パ ー セ ントが や ら れ てし ま って、 国 民 の生 産 力 を 上 げ る こと が 課 題 でし
川 勝 敗 戦 時 の 日本 と いう のは、 と に かく 生 産 力 的 には 戦 前 期 の三〇 ∼ 四
た ね。 そう いう 意 味 では 国 民 生産 力 と いう概 念 が非 常 に受 け た 。 国 民 生 産
力 と いう概 念 が 当 時 の 日本 の現 実 に 照応 す るも のであ ったと いう のは よ く
分 かり ます 。 一方 イ ギ リ スで国 民 生 産 力 が 大 事 であ る と いう ふ うな 観 念 は な か った のでし ょう か。
ギ リ スに国 民 生 産 力 が大 事 であ った と いう 観 念 が あ った のか ど う か 、僕 は
角 山 イ ギ リ ス の中 に国 民 生 産 力 と いう のは あ った ん です が 、 十七 世紀 イ
非 常 に疑 問 に思 って いま す 。
川 勝 た と え ば ド イ ツ の リ ス ト の ﹃経 済 学 の国 民 的 体 系 ﹄ ( 岩波書店) は 、
小 林 昇 さ ん の意 見 に よれ ば 、 ド イ ツの国 民 生 産 力 を いか に 上 げ る か と いう
。
こと が主 要 関心 事 で、 あ る意 味 で国 民 生 産 力 と いう も のが 問題 に な る のは ⋮ ⋮
角 山 十 九 世 紀 的 な ん です 。
川 勝 し かも 後 進 国 の問 題 です ね 。 イギ リ スは む し ろ 自 由 貿 易 と か 、 要 す
る に 通商 の世 界 を追 求 し た。 コ マー シ ャル ・エ ンパ イ アが イ ギ リ ス の実 態
であ った。 一方 生 産 力 を 上 げ ると いう のは 後 進 国 の話 です 。 だ か ら 後 進 国
日 本 が 、 イ ギ リ スを モデ ルにし て自 国 の姿 を 描 いた も の であ った と いう こ と です ね。
角 山 そ う な ん です よ。 だ から そ の点 、 商 業 を 捨 象 す る と いう のは お か し
いん です。 だ か ら大 塚 さ ん の体 系 は産 業 革 命 を 説 明 し て いる よ う で、 実 際
に は でき な いん です 。 そ こに大 き な 批 判 があ るわ け で、 な ぜ 綿 業 か ら 産 業
16 リ ス ト F.Li st (179 8︱184 )6ド イ ツ の
に ﹃農 地 制 度 論 ﹄ ( 小林
歴 史 学 派 の先 駆 者 。 ほか
昇 訳 、 岩 波 文 庫 )。
17 小 林 昇 (1916-) 経 済 史 家 。 ﹃小 林 昇 経 済
( 未 来 社 、一 九 七 六︱ 八
学 史 著 作 集 ﹄ 全 十 一巻
九 ) があ る。
革 命 が 起 こ ってき た のか と いう点 に つ いて は、 イギ リ スには 本 来 綿 が な い わ け で す か ら 、 一国 資 本 主 義 で は 説 明 が つ か な い。
イ ギ リ ス の 綿 と い う の は も と は 何 に 刺 激 を 受 け た か と いう と 、 イ ン ド の
18 衣 料 革命 に つ いて は 川 勝 ﹃日 本文 明 と 近 代 西
綿 布 な ん で す 。 イ ン ド の キ ャ ラ コが 十 七 世 紀 後 半 に イ ギ リ ス の 東 イ ン ド 会
社 を 通 じ て入 ってく る。 そ し てイ ギ リ スに衣 料 革 命 ・生 活 革 命 が 起 こ る。
洋﹄ ( N H K ブ ック ス、
社 、 一九 八〇 ) を 参 照 。
命と 民衆﹄ ( 河出 書房 新
つ い ては 角 山 榮 ﹃産 業 革
一九 九一 )、 生 活 革 命 に
そ し てそ れ に対 す る 憧 れ や 潜 在的 な需 要 が あ った と いう こと が、 輸 入 代 替 産 業 と し て のイ ギ リ ス の綿業 の出 発点 にな った と いう こと です 。
いう こと でし ょう 。 十 七 世 紀 後半 に東 イ ンド会 社 が政 策 的 に キ ャラ コを 持
川 勝 憧 れ と いわ れ ま し た け れ ど も 、 需要 が大 衆 的 に根 づ いてし ま ったと
ってき て成 功 し 、 持 って来 れ ば 必 ず売 れ る。 売 れ る と いう こ と は富 が流 出
す る と いう こ と で す。 東 イ ンド 会 社 に と って は 売 れ る か ら も う か り ま す が、 国 家 全 体 と し て見 るな ら ば ⋮ ⋮ 。 角 山 国民 生 産 力 を 代 表 す る毛 織 物 工 業 が そ れ に よ ってや ら れ る。
川勝 そ う です ね。 し た が って大 変 な 危 機 です 。 イ ギ リ ス人 は イ ンド木 綿
に 憧 れ て、 欲 し いと 思 う 。 今 の アメ リ カ人 が 日本 の物 に 憧 れ て、 気 づ いた
ら 巨大 な貿 易赤 字 にな って いて、 そ れ が ア メリ カ の危機 を生 ん で いる。 同
じ よ う に、 一七〇〇 年 代 の イギ リ ス にと って国 家 的 な 危 機 と し て 認識 さ れ て いた よ う に思 いま す。
角 山 だ から キ ャラ コ論 争 が 起 こり ま す ね 。
川勝 法 律 で は 一七 〇 〇 年 に 輸 入 禁止 、 一七 二 〇年 に は使 用禁 止 が定 めら
れ ま す 。 これ は す ご い危 機 感 の反 映 と いう べき 事 態 です ね。 こ の危 機 に、
輸 入 代 替 と いわ れ ま し た け れ ど 、 対 処 す る 方法 とし ては物 を つく る以 外 に な か ったと いえ ま せ んか 。
角 山 ただ し 今 い った よ う な 規 制 が あ り ま す か ら、 それ を ど のよ う に回 避
し て生 産 に成 功 し た かが 一番 重 要 だ と 思 う ん です。 イ ギ リ スは綿 を つく る
にし ても 、 原 綿 は国 内 に な いん だ し 、 結 局熱 帯 地 方 の西 イ ンド諸 島 あ た り
でな いと でき な い。 イ ンドか ら 持 ってく る と いう ことも はじ め に はあ り ま
し た が、 あ ま り に遠 方 だ か ら 結 局 ど こか 手 近 な と ころ で作 ら な け れば いか
ん と いう こ と で、 西 イ ンド諸 島 の綿 花 プ ラ ン テー シ ョンが出 てく るわ け で
す 。 と こ ろ がそ う いう 綿 生 産 にお け る 奴 隷制 を視 野 に入 れ て、 そし て産 業
革 命 論 に新 し い風 を 吹 き 込 ん だ のが 、 エリ ック ・ウイ リ ア ムズな ん です 。 川勝 ﹃資 本 主 義 と 奴隷 制 ﹄ ( 理論社) です ね。
角 山 これ が 一九 四 四年 に ア メ リ カ で出 て いる ん です。 大塚 さ ん の ﹃近 代
欧 洲経 済 史 序 説 上 ﹄ と 奇 し くも 同 じ 年 です 。 これ を長 い間 ず っと 日本 の
学 界 は無 視 し てき た ん です 。 アジ ア の綿 と いう も のが ヨー ロ ッパ で、 とく
に イ ギ リ スに お いて、ど う し て産 業 革 命 を ひき 起 こす 導 火 線 にな った のか 。
19 キ ャ ラ コ論 争 十 七 世紀末から十八世紀はじ
(キ ャ ラ コ) の輸 入 が イ
め に かけ て イ ン ド木 綿
ギ リ ス繊 維 産業 を 危 機 に
陥 れ た こと か ら輸 入 の是
非 を め ぐ って 議会 を 中 心
に 繰 り 広 げ ら れ た。 西 村
孝 夫 ﹃キ ャリ コ論 争 史 の
研究﹄ ( 風 間 書 房 、 一九
六 七 ) に 詳 し い。
20 エ リ ック ・ウ ィ リ ア ムズ E.W ii l al ms(191 1
ト バゴ の社 会 学 者 、 政 治
︱1981) トリ ニダ ー ド ・
家 。 オ ック ス フ ォー ド大
学 で学 位 を 取 得 し て帰 国
(一九 五六 年 )、 首 相 兼 大
後、 国 家人 民党 を 組 織
のち 外 相 も 兼 任 。 一九 六
蔵 ・企 画 ・開 発 相 と な り 、
二年 に独 立 達 成 後 も 死 去
す る ま で 首 相 。 Ca pit a
l i sm andsl ave r19 y4 ,. 4
私 は思 う に、 世 界 の経 済 史 家 は ほ と ん ど す べて 、 こ の問 題 を 含 め イギ リ
スの産 業 革 命 を ど のよ う に 説 明 す る か を め ぐ って 研究 し、 理論 を展 開 し て
き た と思 う ん です 。 戦 後 日本 の状 況 の中 で生 ま れ た のが た ま た ま大 塚 史 学
だ と いう こと です 。 と ころ がそ れ と ほと ん ど 同 時 に 、 海外 では エリ ック ・
ウイ リ ア ムズ がグ ロー バ ルな 視 野 に立 って、 イギ リ ス の産 業革 命 と いう の
メリ カ の ロス トウ は、 産 業 革 命 は テ イ ク ・オ フだ と 主 張 し て、 これ を数 字
は実 は、 奴 隷 制 を 基 礎 にし て成 立 す るん だ と いう 体 系 を 立 てた 。 や が て ア
で示 す よ う に な る。
川 勝 な る ほ ど、 そ れ は お もし ろ いです ね。 最 近 の イギ リ ス の成 長 史 学 、
数 量 史 学 は イ ギ リ スは 産業 革 命 のとき も あ ま り 変 化 が な く 、 成 長 率 も ゆ る やか で、 漸 進 的 に 変 化 し てき た に 過 ぎな いとし て いま す 。
け れ ど も 実 際 イ ギ リ スと 関 係 を持 った諸 外 国 ・諸 地 域 の方 は 、 根 本 的 な
大 変 革 を 遂 げ さ せ ら れ て いる 。 し た が ってイ ギ リ ス産 業 革 命 を イギ リ スだ
け で見 て いると 漸 進 的 な 変 化 に 見 え る か も し れま せ ん が、 実 際 に奴 隷 制 と
いう も のが出 てく ると か プ ラ ンテ ー シ ョンと か 、 グ ロー バ ルに は た い へん な変 化 を 被 った。
った よ う に 一国資 本 主 義 で、 外 国 貿 易 を 全 部 捨 象 す る と いう と ころ にあ る
角山 だ か ら僕 は、 大 塚 史 学 の限 界 と いう も のが 、 や は り先 ほ ど お っし ゃ
の経 済 史 学 者 。 国 務 省 勤
21 ロ ス ト ウ W .Ros t oW (1 916) アメリ カ
ツ工 科 大 学 教 授 。 ﹁非 共
務 の後 、 マサ チ ュー セ ッ
﹃経 済 成 長 の諸 段 階 ﹄ ( 村
産 党 宣 言 ﹂ の副 題 を も つ
( take of) f ﹂ の概
上 泰亮 他 訳、 ダ イ ヤ モ ン ド社 、 一九 七 四年 ) で、
﹁離 陸
念 を提 起 し 、 資本 主 義 と
社 会 主 義 と を 工 業社 会 の
二 つ のタ イ プ で し か な い
と 論 じ 、社 会 主 義 を相 対
化 し た。 離 陸 後 は 持 続
的 ・安 定 的 成 長 を 経 て 高
度大衆消費社会に達する
と す る 。 ほ か に ﹃経 済 成
長 の過程﹄ ( 酒井 正 三郎
一九 五 五 )。
他訳、東洋経済新報社、
と 思 う ん です 。 こ れ は たし か に ひと つの説 明 であ るか も し れ な いけ れ ど 、
い つま でた っても ま さ に イ ギ リ スの産 業 革 命 が 持 って いる 現 代 的 な 意 味 に は あ ま り つな が ら な い。
エリ ック ・ウイ リ ア ムズ は、 産 業 革 命 を 一国 資 本 主 義 では な く てグ ロー
バ ルな 資 本 主 義 の成立 だ と し た。 そし て こ のグ ロー バ ルな 資 本 主 義 の成 立
洋 経 済史 ﹄ ( 岩 波 全 書 )。
22 河野健二 (1916 ) 京 都 大 学 名 誉 教 授 。 ﹃西
成﹄ ( 岩 波 書 店 ) に所 収 。
編 ﹃世 界 資 本 主 義 の 形
義 の成 立 ﹂ は 河 野 ・飯 沼
24 角 山 榮 ﹁イ ギ リ ス綿 工業 の発 展 と世 界 資 本 主
巻 (未 来 社 、 一九 九 四 )。
﹃飯 沼 二 郎 著 作 集 ﹄ 全 五
書 店 、 一九 七〇 ) で行 う 。
判 を ﹃風土 と歴 史 ﹄ ( 岩波
で、 和 辻 哲 郎 の風 土 論 批
究﹄ ( 未 来 社 、 一九 六〇 )
を ﹃資 本 主 義 成 立 の 研
名誉教授。大塚史学批判
23 飯沼二郎 (1918 ) 農業経済学者、京都大学
の裏 に、 いわ ゆ る 奴 隷 制 と いう ふ うな 非 近 代 的 非 人 道 的 な 関 係 と いう も の
を 必 然 的 に伴 って、 産 業革 命 が生 ま れ た んだ と言 った わ け です 。 こ の点 は
非 常 に重 要 な こと だ と 思 いま す。 僕 の大 塚史 学 批 判 の決 め手 と い った ら お
かし いけ れ ど 、 大 塚 史 学 か ら ま った く離 れ る よ う にな った のは そ こな ん で すよ。 高度経済成長と世界資本主義
川勝 それ で思 い出 し ま す のは 、 一九 六 〇 年 代 の後半 に 河 野健 二 ・飯 沼 二
郎 さ ん のご 編 集 で、 ﹃世 界 資 本 主 義 の形 成 ﹄ ( 岩 波書店) と ﹃資本 主 義 の歴
史構造﹄ ( 岩波書店 )と いう素 晴 ら し い論 文 集 です 。 そ こ の中 で角 山 さ ん は 綿 工業 を扱 わ れ て こ の議 論 を 展 開 さ れ た わ け です ね 。
形 で出 さ れ た。
世 界資 本 主 義 と いう概 念 は明 ら か に 一国 資 本 主 義 と いう も のと対 決 す る
角 山 そ う です よ。 そ れ が今 い った よ う に な ぜ 綿 業 か ら 起 こ ってき た の
では イ ギ リ ス の外 でし か つく れ な い綿 花 が ど こ でだ れ に よ って つく ら れ た
か 。 綿業 を 通 じ て経 済 史 的 に産 業 革 命 の成 立 を 考 え る 場 合 、 一国 資 本 主 義
か と いう こと が ま った く捨 象 され た 議 論 にな って いた の です 。 は っき り い
って ウイ リ ア ムズ に よ って研 究 さ れ るま では 、 イ ギ リ ス人 も そ こは触 れ た く な か った の では な いか と いう 気 も し ま す 。 川勝 彼 は ト リ ニダ ー ド ・ト バ ゴ出 身 でし た ね 。
角 山 そ う な ん です 。 と こ ろ が こ の論 文 は イギ リ ス の国 内 で完 全 に無 視 さ
25 フ ラ ンク A.G. Frank (1 92 9- )中 枢 =
れ た 。 あ る いは イ ギ リ ス の学 界 から 無 視 され 黙 殺 さ れ た 。 日本 の学 界 で も
これ を だ れ が 訳し た か と いうと 、 中 山 毅 と いう 全 然 経 済 史 家 で も な いジ ャ
衛 星 の世 界 資 本 主 義 構 造
del vomp ent,1 967.
Cap it la i ms and undre
構 造 分 析 に基 礎 を お く 。
衛 星 ﹂と いう従 属 関 係 の
張 す る も の で、 ﹁中 枢 -
が生 みだ し た も のだ と 主
先 進 資 本 主 義 経 済 の発 展
展 段 階 の遅 れ で はな く 、
テ ー ゼは ﹁低 開 発 ﹂ が 発
論 や ﹁低 開 発 の発 展 ﹂ の
ー ナ リ ス トが 翻 訳 し た ん です 。 翻 訳 され た のが 原 著 が 出 版 さ れ てか ら 二 四 年 も 後 の 一九 六 八年 な ん です 。 川 勝 僕 が 学 生 の頃 で し た ね。
角 山 ご存 じ だ と 思 いま す が、 これ がA ・G ・フラ ン クに 続 い て いく ん で す。 川 勝 従 属 理 論 に です ね。
角 山 こ の ウイ リ ア ムズ の本 は ラテ ン アメ リ カと か ア フリ カ と か で植 民地
独 立 運 動 の バ イブ ルと し て評価 され る ん です よ。 歴 史 の地 道 な 研 究 が 植 民
地 解 放 の エネ ルギ ー と し て、 本 当 に広 く 読 ま れ る わ け です 。
川 勝 そ の エネ ルギ ー は大 塚 さ ん流 に いえ ば 産 業 資 本 を いか に つく って い
く か と いう 問 題意 識 に な り、 産 業 革 命 は い ってみ れ ば 到 達 ゴ ー ルに も さ れ
て いる。 イ ギ リ ス産 業 革 命 が世 界 に い った い何 を も た ら し た のか と いう こ
と に つい て、 世 界 資本 主義 のあ の本 の中 で、 た と え ば 角 山 さ ん は イ ンド に
つい て、 あ る いは中 村 哲 さ ん は 日本 に つ いて 日本 綿 業 の大 変革 と いう よ う
な こと で、 アジ アに いか に大 き な イ ンパ ク トを 持 った か を 論 じ ら れ た。 こ
のと き に や っと 研究 が産 業 革 命 以後 のも の に つな が った 。 そ れ ま では イ ギ リ ス的産 業革 命 が 到達 目的 だ った ん です ね 。 角 山 え え。 日本 の学 界 は そ の辺 から 大 き く 変 わ り ま し た ね 。
川 勝 変 化 は 一九 六 〇 年 代 の後 半 か ら です 。 当 時 日本 が 高 度 成 長 期 を 遂 げ
て いる 時 期 であ り 、 ア メリ カ は ベト ナ ム戦 争 の泥 沼 に入 って行 って、 冷 戦
構 造 が 明 確 に な り ま し た。 こ の時 期 に角 山 さ んが これ から の経 済 史 は 産 業
革 命 以後 の こと を 対 象 にし な く ては いけ な いと いう の で、 ﹃経 済史 学 ﹄ ( 東
洋経済 新報 社)と いう 本 を 出 さ れ て いま す 。 あ の ﹃経 済 史 学 ﹄ は 今 か ら 見 ると 、 ど う いう ふ う に と ら え ら れ る でし ょう。
角 山 あ れ が 出 た のが一 九 七〇 年 だ と 思 う ん です 。 ち ょう ど 六〇 年 代 と い
う のは 日本 の高 度 経 済 成 長 期 であ る 。 憶 えば 僕 は戦 後 の民 主 化 闘 争 の時 代
26 中 村 哲 ﹁世 界 資 本 主 義 と 日本 綿 業 の変 革 ﹂ は
河 野 ・飯 沼 ﹃世 界 資 本 主
に 所収 、 後 に中 村 ﹃明 治
義 の形 成 ﹄ (岩 波 書 店 )
維 新 の基 礎 構 造 ﹄ ( 未来
社 、 一九 六 八 ) に再 録 。
と いう の は、 あ の六 〇 年 代 の安 保 闘 争 で 一応終 わ った と 思 います 。 それ で
池 田内 閣 が所 得 倍 増 計 画 を 出 し てき て、 経 済 のタ ー ムも マル経 のタ ー ム か
ら いわ ゆ る近 経 の成 長 理 論 の 夕 ー ム へ移 って いく 。 そ れ は僕 は非 常 に大 き
マル ク ス主義 か ら離 れ て、 近 経 の成 長 史 学 ・工業 化 論 と いう か 、 産業 革 命
な転 換期 であ った と思 いま す 。 そ のと き に経 済 史 の方 法 も 、 従来 のよ うな
論 では な く て工業 化論 と いう 一般 化 し た形 で出 てき た 。
も う ひ と つは 後 進 国 開 発 の問題 に絡 ん で いる。 そし て後 進 国 開 発 論 は 先
で、 経 済 史 の中 に初 め て新 し い成長 史 学 が出 てき た。 それ を 僕 は あ の本 の
進 国 の 工業 化 の歴 史 の中 か ら ひ と つ の レ ッス ンを 学 ぶ べき であ ると いう 点
中 で書 いた。
川勝 近 経 の成 長 理論 を 紹 介 さ れ 、 か つ評 価 さ れ て、 日本 の経 済 史 学 のそ
れ 以 降 の蓄積 と つな が れた 立 派 な ご 本 であ り 、読 み継 が れ て います 。 時 代
ょう 。 ﹃経 済 成 長 の諸 段 階 ﹄ ( ダイ ヤ モンド社 ) の著 者 W ・ロ ス ト ウ は、 彼
的 に は冷 戦構 造 が 明確 にな ってき て、 ベ ト ナ ム戦 争 も 米 ソ の代 理戦 争 でし
自 身 が ア メ リ カ大 統領 の顧 問 であ ったり し て問 題 が あ る 。 こ の人 は 元 イ ギ
リ ス人 でし ょう か 。 イ ギ リ ス の経済 循 環 に つ いて の本 も あ り ま す ね 。 角 山 ロ スト ウ の研 究 の出 発 は そ こか ら です 。
川勝 いわ ば 英 米 系 の学 者 です が 、 あ れ は 副題 に ﹁非 共 産 党 宣 言 ﹂ と あ り
27 池 田 勇 人 ( 18991 965) 一九 六〇 ︱六 四 年
の首相 在 任 中 に所 得 倍
増 ・高 度 経 済 成 長 政 策 を
打ち出す。
ま す 。 ロスト ウ の主 張 は 社 会 主 義 が 資 本 主 義 よ り も 上 の段 階 に あ る の で は
な く て、 工業 化 を 計 画 経 済 でや る か 、 自 由 経 済 でや る か のや り方 の違 いで
し かな いと いう こと です 。 そ こに は 自 由 主 義 の ア メリ カ 経済 を 正当 化 す る 目 的 があ る と読 めま す ね 。
角 山 自 由 主 義 だ け では な く て、 ア メ リカ のや って いる ベト ナ ム戦 争 を 正
当 化 し た。 これ は経 済 史 家 が 政 策 顧 問 と し て政 策 に 関 係 し て失 敗 し た ひ と つ の見 本 だ と 僕 は思 う ん です よ 。
そ れ で ロス ト ウ は 、 産 業 革 命 を 数 字 で表 わ す と いう こ と を し て いま す
が、 経 済 史 家 は みん な 、 と に か く い っぺん 産 業革 命 に アタ ック しな け れ ば
から 出 て いると 思 う ん です 。 ロス ト ウは これ を 数 字 に し た。 数 式 に よ って
だ め で、 経 済 史 家 の発 想 は す べ て産 業 革 命 を ど う 理解 す る か と いう と こ ろ
産 業 革 命 を 書 いたん です 。 た だ し これ には 限 界 が あ った。 と いう こ と は人
間 関係 と か いわ ゆ る後 進 国 の窮 乏 化 の問 題 は 、 産 業革 命 後 の世 界資 本 主 義
か ら出 てき て いるん だ と いう こと を 全 部 覆 い隠 し て数 字 を並 べて書 いた だ
け であ って、 これ は 斬 新 な よ う に 見 え る け れ ど も 、 成 長史 学 の限界 と いう のが そ こ に見 出 す こと が でき る。
川勝 私 は ロ スト ウ には マル ク ス主 義 的 な 発 展 段 階 を 骨抜 き に し た功 績 は
あ ると 思 って いま す 。 そ し て投 資 率 な ど を 重 視 す る こと に よ って そ の後 、
28 ロス ト ウは ﹃経 済 成 長 の諸 段 階 ﹄ に お い て伝
の ﹁離 陸
(テ イ ク ・オ
統的社会から近代社会 へ
フ)﹂ に は 有 効 な 投 資 率
の五 % か ら 一〇% 上 昇 す
な いし 貯 蓄 率 が 国 民 所 得
ると いう 数 字 例 を あ げ て
い る。 こ の数 字 は 後 に徹
底 的 に批 判 さ れ た が 、 数
量 経 済 史 の隆 盛 の端 緒 と
な った 。
数 量 経 済 史 と いう か 、 新 し い経 済 史 が 台 頭 す る 契機 も つくり まし た。
そ れ と 組 み 合 わ さ れ る 形 で ガ ー シ ェ ン ク ロ ン の後 進 国 開 発 理 論 が 出 ま し
た ね。 後 進 性 に は利 点 が あ る ん だ と 言 って いる 。 し か し 、 そ う いう見 方 に
は 限 界 が あ る 、 と は っき り ﹃経 済 史 学 ﹄ に 書 か れ て い た よ う に 思 いま す 。
そ こ に は 英 米 流 の イ デ オ ロギ ー に 対 し て 、 非 英 米 圏 の 学 者 が ど う い う ふ う に 受 け と め る か と いう 問 題 意 識 を み て と れ ま す 。
角 山 これ を ど う いう ふ う に受 け と め るか と いう と ころ でふ た つに分 か れ
た と思 う ん です 。 ひと つはあ れ に コミ ットす る 人 た ち、 そ れ は た と えば 計
量 経 済 史 か ら いわ ゆ る エ コ ノ メ ト リ ック ヒ ス ト り ー と い う ふ う に 、 人 間 が
ま った く 出 て こ な い経 済 史 に な っ て し ま った 。 こ れ は 一時 は も の 珍 し さ か
ら そ れ に コミ ット す る 人 も 出 て き ま し た け れ ど 、 ほ と ん ど だ め に な っ てし ま った 。
も う ひ と つは 、世 界経 済 を ひと つの世 界 シ ス テ ムと し て理 解 す る と いう
ウ ォ ー ラ ー ス テ イ ン の も の で す ね 。 こ れ は さ っき 言 った エ リ ッ ク ・ウ イ リ
ア ム ズ と か A ・G ・ フ ラ ン ク の 従 属 理 論 、 そ れ と ウ ォ ー ラ ー ス テ イ ン で
す 。 こ れ は い わ ば 資 本 主 義 の 発 展 の裏 に あ る ア ンダ ー デ ベ ロ ップ メ ン ト を
ど う 理 解 す るか と いう 問 題 も含 め 、世 界 経 済 を ト ー タ ル に理 解 す る 立 場 が シ ステ ム理 論 だ と 思 う ん です 。
29 A . Gerc sh encr on,
H istoril c a Pere sct pive ,
Econo mic aB ckwardness i n
H arva rd Un i ve rs i ty Pr
ess,1962 .後 進 国 は 先 進
﹁後 進 性 の
国 か ら 既 成 の技 術 や 制 度
を 移 植 でき る
利 点 ﹂ を も つと 主 張 。
30 ウ ォ ー ラ ー ス テ イ ン
ニ ュー ヨー ク州 立 大 学 教
I. Wal lerse tin ( 1930-)
ロ ー デ ル ・セ ン タ ー 所 長 。
授 お よ び フ ェ ル ナ ン ・ブ
社 会
﹃近 代 世 界 シ ス テ
ム ﹄ の ほ か 、 ﹃脱=
前 掲
マ ルク ス、 ブ ロー デ ル、
科 学 ﹄ (藤 原 書 店 ) で は
プ リ ゴ ジ ンに より な がら 、
既 成 の社 会 科 学 の 限 界 を
指 摘 。
も う ひ と つは 失 わ れ た 人 間 の立 場 に立 つ経 済 史 、 これ は 何 か と 言 う と 、
生 活 者 ・消 費 者 の立 場 で、 こ れ が生 活 史 ・社 会 史 に行 く 新 し い七〇 年 代 の 傾 向 だ と 思 う ん です 。
リ スを モ デ ルに し た よ う な 大 衆 消 費 社 会 に な れ る と いう 幻 想 を ば ら ま い
川 勝 お っし ゃる 通 り です 。成 長史 学 は、 ど こも かし こも ア メ リ カや イ ギ
た 。 し か し 実 態 は 南北 問題 が構 造 的 な 問題 とし て認 識 され てく る。 成 長 で
き な いと いう こと が 大 問 題 であ って、 そ れ は い った いど う し てな ん だ と い
う こと です 。 そ こか ら の流 れ と し て、 今 お っし ゃ った よ う な 社 会 史 ・生 活 史 等 で、 人 間 の復 権 と いう 問題 が で てき ま す 。
も う ひ と つは 、 南北 格 差 が深 刻 化 す る世 界 の シ ス テ ム の中 で、 非 欧 米 圏
が 南 に 沈 滞 し て いく 中 で 例 外 が あ る 。 六〇 年 代 の末 か ら 七〇 年 代 に か け
て、 非欧 米 圏 の例 外 的 な存 在 と し て 日本 が注 目 さ れ てき ま し た ね 。
私 が ロンド ン大 学 に 一介 の聴 講 生 と し て留 学 し た のが 一九 六 三 年 な
日本 は な ぜ 成 功 し た の か 角山
ん です が 、 そ のと き の エピ ソー ドを 語り ま す と 、 当 時 ま だ 日本 の学 界 は 、
日 本 社 会 は ど う し て い つま で た っても 封 建 的 であ るか と いう 、 そ う いう 学
会 の空 気 が支 配的 だ った ん です 。 と こ ろ が私 は必 ず し も そ う では な いと い
う 考 え を 持 って いま し た が 、向 こう へ行 って み て つよく 感 じ た こと が あ る
ん です 。 日本 は い つま でも 近 代化 しな い国 と いう の では な く 、 む し ろ イギ
リ スで は、 ア フリ カや 東 南 アジ アそ の他世 界 各 国 か ら来 て い る留 学 生 はも
ち ろ ん 、 イギ リ ス の学 者 も 、 日本 だ け が な ぜ非 ヨー ロ ッパ世 界 で近 代 化 ・
工業 化 し て いる のか と いう 目 で見 て いた ん です 。 だ から 日本 の学 界 と 世 界 の学 界 の大 き な ズ レを も のす ご く 感 じ ま し た。
川 勝 ま さ に大 塚 史 学 は いか に 日本 が 前 近 代的 か、 つま り 近 代 化 に遅 れ た
後 進 国 であ る かと いう こと を 自 己 認 識 せ し め る体 系 です 。 イ ギ リ スが モデ
ルで、 それ に対 し てわ れ わ れ は いか に 追 い つい て いく か、 そ の処 方 箋 を 示
し た議 論 です 。 経 済 成 長 史 学 や開 発 理 論 も 同 じ よ う に 、 ど こ の後 進 国 も 先 進 国 に なれ ると い った。
と ころ が 、実 際 に は南 北 問 題 が 現 実 であ る。 そ う いう中 で 日本 が成 長 し
て いる。 い った い日本 の経 済 成 長 と いう のは ど う し て起 こ ってき た のかと いう 議 論 が 出 てき ます ね。
角 山 僕 が も っと驚 いた のが、 イギ リ スの新 聞 には 日本 の こと は毎 日出 て
い るよ う な 今 の時代 と違 って、 とき ど き し か出 て こな い。 と き ど き出 てく
る な か で、 イ ギ リ ス の議 会 で 日本 を 見 習 え と いう 言 葉 が 出 てき た ん で す。
そ れ ほ ど 日 本 が 注 目 さ れ て いる時 代 と いう のが 、 も う す でに 六〇 年 代 のは
じ め か ら あ った ん で す 。 僕 は も の す ご い ズ レ を 感 じ ま し た 。
から 、 L S E の ホ ー ル で講 演 な ん か し て いま し た。 と こ ろ が六 三年 の秋 に
当 時 、 丸 山 真 男 さ ん も イ ギ リ スに来 て いまし た。 丸 山 さん は有 名 人 です
ロ ン ド ン大 学 が ﹁日本 問 題 ﹂ に つ い て市 民 大 学 講 座 を 開 催 す る こと に な
り 、 私 は そ の 講 師 に 招 か れ る こ と に な った の で す 。 講 師 は ド ア ー 教 授 と イ
ア ン ・ ニ シ ュ博 士 と 私 、 ﹁日 本 問 題 ﹂ で 私 は 経 済 、 ド ア ー が 社 会 、 そ し て
( 東 京 大 学 出 版 会 )、 ﹃現
31 丸 山 真 男 (191 4- ) ﹃日本 政 治 思 想 史 研 究 ﹄
( 未 来 社 )、 ﹃日 本 の 思
代 政 治 の思 想 と 行 動﹄
想﹄ ( 岩 波 新 書 )、 ﹃戦 中
と戦 後 の間﹄ ( み すず 書
(未来 社 )、 ﹃﹁文 明 論 之 概
房 )、 ﹃後 衛 の位 置 か ら ﹄
パ ー ク ・カ レ ッジ で 開 催 さ れ た 。 な ぜ 僕 の よ う な 地 方 大 学 の無 名 のも のが
房 )。
﹃忠 誠 と 反 逆 ﹄ ( 筑摩書
略﹂を読む﹄ ( 岩 波 新 書 )、
呼 ばれ た のか、 丸 山 さ ん も 来 て い るし 、 堀 江 英 一さ ん も来 て いる じ ゃな い
ス人 。 日本 社 会 の研 究 者 。
3 2 ド ア ー Ronal d Dor e (1925-) イ ギ リ
ニ シ ュが 政 治 を 担 当 し て 三 人 で 三 日 間 の ボ ー デ ィ ン グ ・セ ミ ナ ー が モ ー ア
か と言 った んだ け れ ど も 、 ド ア ーが ﹁全 然 違 う 、 な ぜ 日本 が い つま で も封
盟など日英関係史を研究。
学者。日露戦争、日英同
ド ン大 学 名 誉 教 授 。 歴史
33 イ ア ン ・ニ ッシ ュ I.Ni sh ( 1926- ) ロ ン
一訳 、 筑摩 学 芸 文 庫 )他 。
場﹄( 山 之 内 靖 ・永 易 浩
ギ リ スの 工場 日本 の 工
弘 道 訳 、岩 波 書 店 )、 ﹃イ
﹃江 戸 時 代 の教 育 ﹄ ( 松尾
建 的 で 近代 化 し な いの かと いう人 た ち では こ こ では あ わ ん ﹂ と 言 う わ け で す。
川 勝 イ ギ リ スを究 極 の モデ ルにし て いた 丸 山 政 治 学 や 大 塚 史 学 が イ ギ リ ス で総 スカ ンを 食 ら った のは皮 肉 です 。 角 山 ド アー は よ く 見 て いる ん です よ ( 笑 )。
川 勝 外 国 に 出 ま す と 、 日本 人 の問題 意 識 の蛸 壷 的 性 格 があ ぶり 出 さ れ る
こと が あ り ま す ね。 日本 がな ぜ成 功 し た のかと いう こと を 、 角 山 さ ん は 説
明 せ ざ る を 得 な いよ う な 立場 に な ら れ た。 私 も 何度 も同 じよ うな 立 場 にた
た さ れ ま し た。
角 山 そ う いう 人 た ち だ け で な く て、 L S E の スタ ッフから も し ゃ べ って
く れ と い わ れ た ん で す 。 そ し て も う 亡 く な った A ・H ・ジ ョ ン博 士 が ス タ
ッ フ セ ミ ナ ー と い う の を 開 い て いま し て 、 ジ ョ ン博 士 か ら は 十 月 か ら の 新
し い 自 分 の セ ミ ナ ー で 、 日 本 の 近 代 化 ・工 業 化 の 話 を し て ほ し い と い う の
で 、 ﹁イ ン ダ ス ト ラ イ ゼ ー シ ョ ン ・イ ン ・ジ ャ パ ン ﹂ と い う テ ー マを 与 え ら れ た ん です。 そ れ で僕 が報 告 し た ん です 。
川 勝 一九 六 〇 年 代 の 日 本 で は 大 塚 史 学 や 丸 山 政 治 学 の 全 盛 時 で 、 わ れ わ
れ も 学 生 の と き に 一生 懸 命 読 み ま し た 。 日 本 社 会 の 半 封 建 性 と か 日本 的 経 営 の家 族 主 義 は 遅 れ て いる と いう ふ う に言 わ れ て いま し た ね 。
角 山 そ のと き に 駐 日大 使 に な った ライ シ ャ ワーが 日本 の封 建 制 を 見 直 せ
と いう こと を い った。 そ れ が ラ イ シ ャ ワー路 線 と いう の でも のす ご い反 発 を 受 け ま し た ね。
川 勝 いか に も 日本 的 な おも し ろ い現 象 です ね 。 一方 、 六 〇 年 代 ま でイ ギ
リ スは コモ ン ウ ェル ス の中 で や って いたわ け です が 、 いよ いよ 行 き詰 ま っ てき た 。 角 山 そ れ で六 七 年 に ポ ンドを 切 り 下 げ る わ け です 。
川 勝 ポ ンド も切 り 下 げ ざ る を得 な く な った 。 大 英 帝 国 の遺 産 では食 って
﹃日本 の外 交 政 策 ﹄ ( 宮本
盛 太 郎 訳、 ミ ネ ルヴ ァ書
All i ance:The pD l om iacy
房 )The Anglo-pa Jn a es e
of Two Isl and Empi r es, 1894︱ 1907,1966.
34 堀 江 英 一 (1913︱ 81) 経済 史 学 者 、 元 京 都
の資 本 主義 発 達 史 に かか
大 学 教 授 。 西 欧 と 日本 と
わ る多 彩 な 発 言 を 行 う 。
﹃堀 江 英 一著 作 集 ﹄ 全 四
巻。
35 ラ イ シ ャ ワ ー E. Rei schaur e (1910︱ 90)
﹃日 本 近 代 化 の 新 し い見
一九 六 五 年 ) は 、 封 建 社
方﹄ ( 講 談社 現代 新書、
パと 日本 だ け だ と し て、
会 を も った のは ヨー ロ ッ
日本 の近 代 化 の成 功 の根
拠 を 封 建 社 会 に求 め た 。
封 建 制 を ﹁遅 れ ﹂ と み な
し て いた 日本 人 に衝 撃 を
与 え た 。 ﹃ラ イ シ ャ ワ ー
行 け な く な っ て 、 い よ い よ E C の軍 門 に 下 る と いう か 、 E C へ の加 入 が 国
芸 春 秋 社 、 一九 八 七 )。
自 伝﹄ ( 徳岡 孝夫 訳、文
任。
初 め て大 統 領 任 期 中 に辞
た とし て、 ア メ リ カ史 上
ゲ イ ト事 件 に関 与 し て い
七 二年 六 月 の ウ ォ ー タ ー
実現。再選を果たすが、
平協定、米中国交回復を
共 和 党 )。 ヴ ェト ナ ム 和
(任 期 一九 六 九 ∼ 七 四 、
ア メリカ 合衆 国 大 統 領
37 ニク ソ ン R.Ni xon (1913 ︱94 ) 第 三十 七 代
退陣。
て 再 選 さ れ た。 六 九 年 に
で は 、 ミ ッテ ラ ンを破 っ
領 に 就 任 。 六 五年 の選 挙
せ て (一九 五八 年 ) 大 統
ン ス第 五共 和 制 を 成 立 さ
スの 軍人 、政 治 家 。 フラ
36 ド ゴ ー ル De a G ul le(1890︱ 1970) フ ラ ン
家 的 な 課 題 に な っ て く る 。 そ し て 七〇 年 代 の 幕 を 開 け ま す と 、 早 々 に イ ギ
リ スは E C の メ ン バ ー に な った 。 最 初 は し ば し ド ゴ ー ル な ん か に 蹴 ら れ た り し ま し た け れ ど。 角 山 よ く 憶 え て いま す よ。 六 三年 初 め に蹴 ら れ た 。
川 勝 や っと の こ と で入 れ て い た だ く わ け で す 。 イ ギ リ スが 凋 落 し て いき
ま す ね 。 そ の時 期 に 日本 が 新 し く 注 目 さ れ た。 日本 に対 す る関 心 は イギ リ
スを は じ め 欧 米 諸 国 か ら も 第 三 世 界 諸 国 か ら も 出 て き ま す ね 。 ア メ リ カ は
ア メ リ カ で 、 ベ ト ナ ム 戦 争 で 結 果 的 に 敗 北 し て 、 七〇 年 代 の は じ め に ド ル
七 一年 で す ね 。 ニ ク ソ ン ・シ ョ ック で。
を ⋮⋮ 。 角山
低成 長 時 代 ⋮ ⋮社 会 史 の台 頭
川 勝 ド ル安 ・円 高 に な っ て いく わ け で す 。 そ う し て 見 る と 、 英 米 圏 が 凋
落 し て い く の が 六〇 年 代 か ら で 、 ア ング ロ ・サ ク ソ ニズ ム の 凋 落 と 軌 を 一
に す る 形 で 七〇 年 代 に 日 本 論 が 出 て く る わ け で し ょ う 。 七〇 年 代 の は じ め
に オ イ ル シ ョ ック が 起 こ っ て 、 そ の構 造 調 整 で 、 唯 一成 功 し た の が 日 本 で
あ った 。 イ ギ リ ス や ア メ リ カ は 失 敗 す る と 言 う か 、 イ ギ リ ス は 失 敗 し ま す
ね。 そ の ツケを 今 払 って いて マイ ナ ス成 長 に ま でな ってし ま った。
そ の頃 から モ デ ルが イギ リ スか ら 離 れ 、 ア メ リカ の成 長 論 か ら も 離 れ て
社 会 史 へと変 わ り ま す 。 社 会 史 は 、 角 山 さ ん な ん か は 独 自 に は じ め ら れ た
わ け です が、 フ ラ ン スで は アナ ー ル学 派 が 台 頭 し てく る 。 つま り も は や イ
ギ リ ス では な く て大 陸 の方 に モデ ルが移 る。 社 会 史 あ る いは 生 活 史 は や が て文 明論 に な ってゆき ま す ね。
角 山 七 〇年 代 から 、低 成 長 、情 報 革 命 の進 展 に つれ 経 済 構 造 が いわ ゆ る
重 厚 長 大 型 か ら 軽薄 短 小 型 へ変 わ った。 同 時 に産 業 構 造 だ け では な く て、
消 費者 あ る いは 生 活者 の立 場 と いうも のが 歴 史 を 動 か す 非 常 に大 き な エネ
ルギ ー にな ってき た 。 つま り そ れ ま で は つく ったも のは 売 れ ると いう 形 だ
った のが 、 あ の低成 長 の時代 に は消 費 者 の ニーズ に生 産 が 対 応 し な け れ ば
な ら な く な った 。 多 様 化 だ と か 個 性化 だ と か、 いろ いろ な 形 で消 費 者 の立
場 が強 く な ってき た 。 大 衆社 会 が進 め ば、 ます ま す そう な って いく と 思 い ま す が、 こ こ に資 本 主 義 のあ り 方 が 大 き く変 わ ってき た。
歴 史 の見 方 も そ れ に対 し て、 生 産中 心 か ら消 費 や生 活 中 心 の見 方 に変 わ
ってゆ く。 今 ま で生 産 中 心 の、 あ る いは 生 産技 術あ る いは労 働 問 題 と い っ
た 問題 を めぐ って経 済 史 研 究 が 行 わ れ てき た が 、 いま や つく られ た物 がど
こ のだ れ に よ ってど のよ うに 消 費 さ れ るか と いう よ う に 、消 費 と いう も の
ス現 代 歴 史 学 の 一潮 流 。
38 ア ナ ー ル 学 派 L' e co l edesnn A ales フ. ラン
層 に し か 目 を向 け ず 訓詁
伝 統 的 歴 史 学 が 歴 史 の表
学 に堕 し て いると 批 判 し 、
姿 に お いて と ら え る視 点
人 間活 動 の 総体 を 生 き た
の重 要 性 を強 調 。 フ ェー
ブ ル、 ブ ロ ック 、 ブ ロー
ワ、 ル ・ロ ア ・ラ デ ュリ
デ ル、 デ ュビ ー、 ル ・ゴ
ら が 主 な 担 い手 。 日 本 人
に よ る 解 説 と し て 、 二宮
宏 之 ﹃全 体 を 見 る 眼 と 歴
史家たち﹄ ( 木 鐸 社 )、 同
﹃歴 史 学 再 考 ﹄ (日 本 エデ ィ タ ー ス ク ー ル 出 版 部 )、
竹 岡 敬 温 ﹃アナ ー ル学 派
と社 会史﹄ ( 同 文舘) な
ど。
が 重 要視 さ れ る 時 代 へ変 わ ってき た。 これ は戦 後 歴 史 学 に お け る も のす ご
く 大 き な 意 識 構 造 の変 化 だ ろ う と思 う ん です 。 そ れ に対 し て経 済史 の研究
と いう のが ど う対 応 し た か と いうと 、 社 会 史 ・生 活 史 と いう 対 応 の仕方 だ った と 思 いま す。
川 勝 生 産 と いう のは技 術 が核 心 です か ら 、 比 較 的 普 遍 性 が あ る か もし れ
ま せ ん が 、消 費 と いう こと にな り ま す と 、 文 化 の問 題 が 出 てく る と 思 いま
す 。 消費 が経 済史 ・社 会 史 のジ ャ ン ルと し て出 てき た と いう こと は 、英 米
流 の モ デ ルが 限界 をき たし 、 い った い何 が 残 って いる か と いう こと で、 自
分 の国 の足も とを 見直 す 動 き が 出 てき た こと と 関 係 し て いる よ う に 思 いま
す。 七〇 年代 か ら モデ ル喪 失 の時 代 に入 った の では な いでし ょう か。
ョ ック で す ね、 価 格 を 上 げ た。 七 九 年 にも う 一回 上 げ て いる 。 七〇 年 代 は
七〇 年 代 のはじ め に アラブ の国 が 団 結 いた し ま し て、 オ イ ルプ ライ ス シ
O P E C に振 り回 さ れ ます ね。 い ってみ れ ば 旧来 の英 米 支 配 が 大 き な ダ ブ ル パ ンチ を受 け た 形 にな り ま す 。 角 山 そ れ か らも う ひ と つは公 害 問 題 、 資 源 問 題 でし ょう 。
川 勝 は い。 公害 問題 や資 源 問 題 が 出 てき て、 生 産 一本 と いう こと では い
か な く な った。 そ れ は生 産 力 モデ ル の喪 失 の時 代 に入 った と いう こと と も 関係 し ま せ ん か。
角 山 関 係 し ま す よ 、 そ の通 り です 。 だ か ら 今 ま で の価値 観 の上 に構 築 さ れ て いた モ デ ルが 音 を 立 て て崩 れ た 。
川勝 七〇 年 代 は 経 済 成 長 史 学 、 従 属 理 論、 角 山 さ ん が 言 う よ うな 世 界 資
本 主 義 論 、 そ れら が拮 抗 し 、 日本 では 近 経 と マル経 が 拮抗 し て いた。 マル
経 の方 が保 守 的 で、 近 経 が 若 々し か った 。 七〇 年 ま では 第 二次 安 保 闘争 が
あ り まし た ので、 近 経 史 学 は、 社 会 的 な 認 知 が 受 け に く いと いう のが六〇 年 代 で あ った か と 思 います 。
七〇 年 代 に は マ ル経 史 学 と いう か、 旧来 の モ デ ルが だ め に な って、成 長
史 学 も 限 界 が 目 だ って く る。 それ を 受 け るか た ち で社 会 史 や文 化 史 が 出 て
き ま し た ね。 ヨー ロ ッパ人 も中 世 ま で遡 る よ うな 形 で、 特 に フラ ンス の場
合 には 連 続 性 に こだ わ り 、 ﹁長 期 の持 続 ﹂ や ﹁日常 性 の構 造 ﹂ を 探 る と い
う こ と で、 自 分 た ち の アイ デ ン テ ィ テ ィを 探 し て いく 時 代 に 入 り ま し た ね。
そ う いう アイ デ ン テ ィ テ ィ の模索 の中 から イギ リ スは、 ウ ィー ナ の言 う
ェント ル マ ンこそ 理 想 と し てき た 、 と いう ふ う な自 己 認識 を し だ し て、 そ
よ う に 、 産 業 精 神 な ん ても のは も と も と 縁 のな いも ので、 む し ろ優 雅 な ジ
う いう 自 己 認 識 が 非 常 に 強 固 に な ってき た。 一九 七〇 年 代 の後 半 にな れ ば な る ほ ど そ う いう傾 向 が 出 てく る 。
﹃時 計 の社 会 史 ﹄ ( 中 公 新 書 、 一九 八
で は 日 本 を ど う 見 れ ば い い の か 。 実 に お も し ろ か った の は 、 角 山 さ ん の ﹃茶 の 世 界 史 ﹄ ( 中 公 新 書 、 一九 八〇 ) と
四) で す 。 こ れ は 要 す る に イ ギ リ ス や ド イ ツ の 歴 史 学 の ま ね で は な く て 、
わ れ わ れ の 日 常 生 活 に と っ て 不 可 欠 の 物 、 そ う い う 意 味 で は 生 活 史 か つ社
会 史 的 な 物 です け れ ど も 、 これ を 世 界 史 の脈 絡 の中 に ポ ンと置 かれ た。 日 本 理解 への ひと つの指 針 を 出 さ れ た と 思 いま す。
る のは 世 界 資 本 主 義 的 な 考 え 方 だ け で 、 こ れ が 考 え 方 と し て 私 に も 残 っ て
角 山 そ れ は 今 言 った よ う に 、 従 来 の モ デ ル が 崩 れ た 後 に 、 た だ 残 っ て い
い た 。 だ か ら も の を 見 る の に 一国 資 本 主 義 で は な く て グ ロ ー バ ル に 物 を 見 ると 物 が ど う 見 え る か 、 と いう の でお茶 と時 計 を 取り 上 げ た。
と こ ろ が そ の と き に 、 先 ほ ど か ら 話 し て い た よ う に 、 日 本 の世 界 に お け
る 位 置 づ け の ウ エ イ ト が も の す ご く 高 く な って き た と い う 現 実 が あ る わ け
で す 。 私 が ヨ ー ロ ッ パ に 行 っ て 、 や は り一 番 感 じ た の は 日 本 が い か に ユ ニ
ー クな 文 化 を 持 って いる か と いう こと でし た。 先 ほど の マ ニ ュフ ァク チ ャ
ー の と こ ろ に 戻 り ま す が 、 マ ル ク ス は マ ニ ュ フ ァ ク チ ャ ー の 例 を 三 つ挙 げ
て いた ん です 。 ひ と つは 織 物 、 も う ひ と つは馬 車 。 それ から も う ひと つは
時 計 です 。 大 塚 さ ん を は じ め マルク ス主 義史 家 た ち は こ のうち の織 物 だ け
を と り あ げ て い て、 ど う し て大 塚 さ ん でも、 馬 車 やら 時 計 の マ ニ ュフ ァク
3 9 日 本 では 馬 車 が 発 達 し な か った 。 皇 太 子 徳 仁
( 学 習院 教養 新書) に、
親 王 ﹃テ ムズ と と も に ﹄
指 導 教 授 か ら な ぜ 日本 で
のか と 問 わ れ て 、 当 惑 さ
は 馬 車 が 発 達 し な か った
れ る 話 が 出 てく る 。 比 較
史 の重 要 な テー マで あ ろ
う。
チ ャ ー を 忘 れ て い ら っし ゃ る の か 。 僕 は イ ギ リ ス に 行 った と き に 、 こ の ふ た つに と く に注 目 し た わけ です 。
そ こ で 日本 が ユ ニー ク だ と 思 う の は、 イ ギ リ ス では 馬 車 が さ か ん に な
り 、 マ ニ ュ フ ァ ク チ ャ ー に 発 展 し 、 そ の車 を 作 る 車 大 工 が 産 業 革 命 を 推 進
ュ フ ァ ク チ ャ ー も へな い で 工 業 化 に 成 功 し た 。 江 戸 時 代 の 日 本 は 馬 や 牛 の
す る 技 術 者 に な って いく わ け です が 、 日本 は馬 車 時 代 も な く 、 馬 車 の マ ニ
畜 力 や車 を 捨 て て、 人 力 に依 存 す る 、 いわ ゆ る勤 勉革 命 への道 を選 んだ の です 。
そ れ か らも う ひ と つは時 計 な ん です 。 僕 は マ ニ ュ フ ァク チ ャー論 で の時
計 に注 目 し て いた んだ け ど 、 博 物 館 に行 ってず ら っと 並 ん で いる時 計 を 見
て、 び っく り し た。 と に か く中 世 の終 わ り ぐ ら いか ら 都 市 には 時 計 塔 は あ
る し 、懐 中時 計 も でき て いるし 、 驚 く こ とば かり でし た 。 そ のと き の衝 撃
が 契 機 と な って、 時計 に 興味 を も った のが のち に ﹃時 計 の社 会 史 ﹄ にな っ た の です 。
と イギ リ スは 全 然 違 う わ け です 。 織 物 は よ く 似 て いた か知 ら んけ れ ど 、 あ
し か し こう し た 馬 車 と か 時 計 の マ ニ ュフ ァク チ ャー論 から 見 れ ば 、 日本
る意 味 では 技 術 的 に 遅 れ て いる か も し れ な い日本 が ど う し て近 代 化 ・工業
化 に成 功 し た の か。 そ の謎 を と く 鍵 、 これ が 速 水 融 さ ん や 川勝 さ ん の言 う
40 勤 勉 革 命〓 速 水 融 氏 と の対 談 参 照 。 本 書 四六
頁 の図 6も 参 照 。
勤 勉 革 命 に つな が ってく る わ け で す よ。
川 勝 私 は ﹃茶 の世 界 史 ﹄ と ﹃時計 の社 会 史 ﹂ の功 績 は、 茶 に つ いては 、
た と え ば 紅 茶 文 化 と 緑 茶 文 化 に 分 け ら れ る と いう よう に世 界 商 品 の文 化 的
特 質 を 摘 出 し た こと だ と 思 いま す 。 そ れ か ら 時計 はも っと 重 要 で西 洋 は 定
時 法 、 日本 の場 合 は 不 定 時 法 で自 然 の流 れ に応 じ て時 間を 計 る と いう 、 時
間 が文 化 的 に違 う 形 で存 在 し て いる と いう こと を 明 ら か に さ れ た。 そ の違
いに応 じ た 機 械 時 計 を 作 った わ け です 。 時 間 意識 の違 いは機 械 を見 れば わ
かり ま す 。 和 時 計 は 昼 に は 夏 は ゆ っく り 動 い て冬 は 早 く動 く と いう違 いが 目 に見 え る。
マル経 にし ろ 経 済 学 の体 系 は 、 ど こ に でも 成 り 立 つと いう普 遍性 の装 い
を も って語 ら れ ま す が、 マル ク ス経 済 学 の基 本 は 労 働 価 値 説 です。 で は 労
働 量 は 何 で 測 る のかと いうと 、 労 働 時 間 です 。 社 会 的 に 平 均 化 さ れ た 労 働
時 間 だ と マルク スは書 いて いる。 そ の時 間 が 何 で計 ら れ た のか と いう と 、 時 計 が な け れば 計 れ ま せ ん。 時 計 の存 在 は 決 定 的 に 重 要 です 。
そ れ か ら も う ひ と つ重 要 な のは、 そ う いう ヨー ロ ッパ の時 計 の計 る 時 間
が 、 ヨー ロ ッパに特 有 の時 間 であ って、 それ か ら 外 へ行 った と き には 違 う
時 間 意 識 が あ る か ら 同 じ よ う に計 れな いと いう こと です 。 そ う す ると マル
経 の体 系 を ヨー ロ ッパ の外 に た と え ば 、 イ ン ド や 日 本 に持 ってき た と き
41 労 働 価 値 説 経 済 学 の基 本 問 題 の 一つに、 商
に よ って決 ま る の か、 と
品 の価 値 な いし 価 格 が何
(スミ
いう も の が あ る が、 いわ
ス、 リ カ ー ド 、 マ ル サ
ゆ る古 典 派 経済 学
ス、 マ ルク ス等 ) で は 、
そ れ は 商 品 の生 産 性 に 投
下 さ れ た 労 働 量 に よ って
決定されると説明する。
に、 あ て は ま る わ け が な い では な いか と いう こと に な り ま す 。 ﹃時 計 の社 会 史 ﹄ は マル ク ス経 済 学 の相 対 化 を 果 し た の では あ り ま せ ん か。
角 山 マ ルク スは やは り 、 ヨー ロ ッパ中 心 史 観 な ん です よ 。 け れ ど も アジ
アに は別 の文 明 があ るわ け です 。 と く に 日本 が ど のよ う に し て ヨー ロ ッパ
と は 異な る コー スを と って 工業 化 ・近 代 化 に 成 功 す る か と いう 問 題 を 考 え
る な ら ば 、 お のず か ら 日本 論 と か 日本 文 化 論 に関 心 を 持 た ざ る を 得 な い。
今 世 界中 が 注 目 し て いる 日本 の工業 化 の秘 密 、 これ は やは り 歴 史 家 が 一般
的 な 理 論 の形 で明 ら か に す べき であ る と いう ふ う に思 うよ う にな った の で
の です 。
す 。 お茶 も 時 計 も 外 国 に 行 った 六 三 年 か ら 二十 年 近 く 温 め て いた テー マな
川勝 茶 や時 計 の研 究 のも う ひ と つの功 績 は 、先 ほ ど 世 界 資本 主義 と お っ
し ゃ った ん です が、 日本 の近 代 化 を ど う 見 る か と いう と き に 、 普 通 は 明 治
維新 以降 を 見 るわ け です 。 と こ ろが 茶 の話 も 、 時 計 の話 も 、 江 戸 時 代 以 前
か ら で す ね。 ヨー ロ ッパ の近 代 史 は、 最 近 の ウ ォー ラ ー ス テイ ン流 に 言 う
な ら ば ﹁長 期 の十六 世 紀 ﹂、 世 界史 に お け る大 航 海 時 代 か ら です 。 大 航 海 時 代 か ら 近 代 世 界 シ ス テ ムが で きあ が って い った。
大 塚 さ ん も 、 商 業 革 命 か ら は じ め て います 。 毛 織 物 工業 だ って、 イギ リ
スは 十 六 世 紀 か ら です 。 茶 と か 時計 を 見 る と 、 そ の頃 から 日本 が世 界 史 と
関 係 し て いる こと が 分 か る。 日本 の世 界 史 の中 で の位 置 づ け を か な り 深 い
こと で、 ヨー ロ ッパ の何 世 紀 に当 た る んだ と いう 話 を や って いた と き に 、
と ころ に 置 か れ ま し た 。従 来 、 近世 日本 は純 粋 封 建 制 か 絶 対 主 義 か と いう
近 世 日本 を 世 界 史 の共 時 的 な横 の連 関 の中 に 入 れら れ た。 これ が大 き い。
一九 七 八 年 の第 七 回 の国 際 経 済 史 学会 で、領 事 報 告 に つ いて報 告 な さ い
まし た ね。 これ も 画 期 的 であ った と 思 いま す 。 経 済 の発 展 は生 産 か消 費 か
と いう こ と にも ま し て情 報 だ と いう こと です ね。 情報 戦 で十 九 世 紀 にど こ
が世 界 で 一番 先 に出 た のか と いう 問 題 です 。 情報 に 何 を使 った のか と いう
の日本 の領 事 報 告 が イ ギ リ スに匹 敵 す る とま でお っし ゃ った 。 あ れ に は 度
こ と で、 領 事 報 告 の比 較 を な さ った 。 そ し て角 山 さ ん は あ の学 会 で明 治期
肝を抜かれました。 情 報 戦 争 と アジ ア間 競 争
角 山 な ぜ私 が 領 事 報 告 を 取 り 上 げ た か と いう と 、 日本 経 済 史 の 人 た ち
が、 ご く 一部 の人 を 除 き 、 こ のよ う な 資 料 が 日本 にあ る ことを 知 らな か っ
いう か、 古 代 史 はち ょ っと 違 う ん でし ょう が 、 日本 の国 内 生 産 力 の こと を
た から です 。 日本 史 の人 は 先 ほど の話 では な いけ れ ど 、 一国資 本 主 義 論 と
中 心 に や ってお られ たわ け で、 対 外 経 済 関 係 と いう のは ほと ん ど 手 が つけ
42
後
に 、 B usiness His
に 掲 載 。
tory ,vol.23,No.3,198 1.
ら れ な いま ま に 残 さ れ て いた ので す。
と ころ が 外 国 か ら 世 界 資 本 主義 の目 で見 る と 、十 九 世 紀 後 半 と いう のは
も のす ご く 通 商 競 争 の激 し い時 代 で、 各 国 は み ん な 情報 を取 り合 って、 情
報 で勝 負 し はじ め て いた 時 代 です 。 情 報 の メ デ ィ アが も のす ごく 発 達 し は
じ め た の も、 十 九 世 紀 中 頃 で、 電 信 が で き て き た り 、 海 底 電 線 が でき た
り 、 ま た ロンド ン ・エ コ ノミ ストな ど 経 済 情 報 の雑 誌 が 次 か ら 次 へと 出 て
く る。 そ の中 でオ フ ィ シ ャ ルな通 商 情 報 の地 位 を 占 め て いた のが 領 事 報 告
な の です 。 し た が って情 報革 命 と いう のは今 は じ め て起 こ った革 命 では あ り ま せん 。
と ころ が 日本 の領 事 報 告 に つ い て、 これ を資 料 的 、 組 織 的 に研 究 さ れた
方 は ど な たも いな いと いう こと が わ か り ま し て、 これ は いか ん と いう こ と
で 研 究 を は じ め て、 私 は エ デ ィ ン バ ラ の第 七 回 国 際 経 済 史 大 会 (一九七
八) で、報 告 し た の です 。 そ のあ と は 京 大 の人 文 研 で研 究 班 を組 織 し て研 究 を 深 め た ん です 。
海 外 情 報 と いう も のは や って みれ ば み る ほど 、 日本 の近 代 化 の秘 密 を 解
く 最 も 重 要 な カ ギ であ る のが わ か る。 中 国 も 領 事 館 を 持 っ て いた け れ ど
も 、 領 事 報 告 と いう 形 で海 外市 場 の情報 を集 め て いた のは アジ アでは 日本
だ け だ と いう こと がわ か ってき た 。 イ ギ リ スは領 事 館 の数 から も 、 領 事 報
告 の量 も 断然 世 界 一の情 報 活 動 を し て いた け れ ど も 、 そ の領 事報 告 が 有効
に 生 産者 の側 に フ ィー ド バ ック され な か った の です 。 そ れ に 対 し 日 本 の場
合 は 、 そ れ が シ ス テ ムとし て有 効 に機 能 し た と いう こと が 研 究 の結 果 明 ら か に な った の です 。
川 勝 アジ アを め ぐ る 情報 戦 で は、 イ ギ リ スも 膨 大 な 領 事 報 告 を 持 って い
ま す 。 フラ ン スも ア メ リカ も作 るわ け でし ょう。 日本 が明 治 一〇年 代 のは
じ め か ら そ う いう 領 事報 告 を組 織 的 に作 り 、 し かも き わ め て有 効 に 生 産 者
の側 に フ ィー ド バ ックさ れ た。 生 産 への フ ィー ド バ ック に お いては イギ リ
スを も 抜 いて いた と いう あ た り のと ころ は角 山 さ ん たち の ﹃日本 領 事 報 告 の研 究 ﹄ ( 同文舘) によ って明 ら か に な った。
そ れ か ら も う ひと つ、 き わ だ って重 要 な事 実 が 明 ら か にな り ま し た。 そ
れ は、 中 国 人 の通 商 網 の大 き さ です 。 アジ ア の情 報 が 日本 に不 足 し て いる
と いう認 識 が 、 情 報 活 動 を 活 発 に せ し め た の です が、 領 事 報 告 も 基 本 的 に
は通 商 報 告 です か ら 、 経 済 問 題 を 扱 って いる 。 あ の領 事 報 告 の研 究 で、 市
こと に つ いて最 も 情 報 網 を 持 って いる のが 中 国 人 であ る こと が わ か った と
場 構 造 であ ると か需 要 構 造 であ ると か 、 ど こ で何 を つく って いる か と いう
いう のが大 き な 発 見 のひと つで はな いか と 思 いま す 。 日本 の情 報戦 略 は 、
対 イ ギ リ ス、 対 ア メリ カと いう こと と と も に、 日本 が 情 報 戦 を 通 じ て競 争
43 角山 氏 自 身 に よ るま と め は ﹃通商 国家 ・日本
ック ス) で な さ れ て い
の情 報 戦 略 ﹄ ( N HKブ
る。
44 イ ギ リ ス領 事 報 告 に 含 ま れ る 日 本 に つ いて の
情 報 量 は 開 港 前 後 の 一八
で の四 三 年 間 に つ い て ペ
五 六 年 か ら 一八 九 九 年 ま
ージ数 にし て六 三 四四
ン戦 争 前 後 か ら 日清 戦 争
頁 。 中 国 に つ い ては ア ヘ
ま で の期 間 に つ い て二 万
七 七〇 二頁 。Area Studi
e s,Brit ish Parl iament ary
vesi rtyess P .r
Papers, aJ pn a ,10 vol s. ; Ch i na,4v2o l s.Ir i s h Uni
す べき 相 手 であ った のは 中 国 だ と いう こと が わ か った。
今 で は パ ラダ イ ムと し て イギ リ スや ア メリ カ に ど う追 い つく か と いう ふ
うな 観 点 から いわ れ て いた のが 、 アジ ア の中 の日本 と いう 問題 が ク ロー ズ ア ップ さ れま し た。
角山 今 お っし ゃ った よう に、 領 事 報 告 の研 究 を や って いる中 でそ う いう
問 題 が出 て き まし た。 だ から ま す ま す 日本 は 中 国 に対 抗 し て、 中 国 の情 報
を 取 ら ん と いか ん と いう こ と で、 領 事 報 告 も と く に中 国 や アジ アに 関す る
情 報 収 集 に 力 を 入 れ ま す。 そ れ で中 国 と 日本 の情 報 戦 争 と いう のは 近代 の
は じ め 、 少 な く と も 明 治 の終 わ り 頃 ま でず っと そ の問 題 です よ 。 そ の後 も
そ う です が 、 日本 の情 報 網 は拡 大 し 多 様 化 し てゆ く 。 つま リ アジ ア のふ た
つの国 が 、 情報 戦争 を やり な が ら、 市 場 競 争 も や って いた わ け です か ら 。
川 勝 そ う です ね 。 中 国商 人 に は、 国家 的 な 情 報 網 では な く て イ ン フ ォー
マ ルな ネ ット ワ ー ク が あ る 。 い わ ゆ る 華 僑 の ネ ット ワ ー ク と 言 っ て も い い
の か も し れ ま せ ん 。 そ う い う 問 題 が 出 て く る と 、 で は 華 僑 は い った い い つ か ら 活 躍 し て い た の か と い う 問 題 へ 一気 に 広 が り ま す ね 。
近 世 の長 崎 に お い て は オ ラ ン ダ 人 と と も に 、 唐 人 と 貿 易 を し て い て 、 唐
人 屋 敷 に は何 千 人 と いる 。 長 崎 貿 易 の主 流 は 中国 人 で はな いかと いう こと
に な り ま す ね 。 オ ラ ン ダ 人 だ っ て 、 一六 一九 年 に バ タ ヴ ィ ア ( 現在 のジ ャ
45 斯 波 義 信 ﹃華 僑 ﹄ ( 岩波 新書) は千年 に及
ぶ華 僑 の実 態 に迫 る好 著 。
カ ルタ) を つく り ま す が、 そ のと き に 一番 最 初 に や る のは 中 国 人 の誘致 運
動 です 。 オ ラ ンダ 人 は アジ ア の中 国 人 の貿 易 圏 の中 の商 品 を 日本 に 持 って
来 るし オ ラ ンダ へ持 ち 帰 る わ け です 。 だ から 結 局 中 国 の持 って いる ネ ット
ワー ク の上 に 乗 っか った 活 躍 です 。 彼 ら は中 国 人 への依 存 ぬき に は 東 シ ナ 海 や南 シ ナ海 で活 躍 は でき な か った。
日本 は 開 国 し た と き に、 すご い実 力 を 持 った 中 国 商 人 と 直 面 し た こと に
な る。 ﹃通 商 国 家 ・日本 の情 報 戦 略 ﹄ ( NHKブ ック ス) で 角 山 さ ん が ス ペ
キ ュレー シ ョンと し て 議論 され て いたと 思 いま す が 、 と う て い通商 戦 で は
中 国 人 に か な わな いか ら 日本 は軍 事 的 な 侵 略 を せ ざ る を 得 な か った と言 わ
れ て いる 。中 国商 人 と の対 抗 の中 か ら 日本 の軍 事 工業 化 を 展望 さ れ て いる のに は感 心し まし た。
角 山 日本 と中 国 の関 係 と いう のは 、 江 戸 時 代 か ら ず っと中 国 の商 人 に掌
握 さ れ て いた 。 それ を 開 国 し て も 中 国人 が ず っと 日本 の居 留 地 に 居 座 っ て、 た と えば 大 阪 、 神 戸 、 横 浜 、 そ れ か ら 北 は 函 館 です ね。
川勝 開 国し て実 際 ヨー ロ ッパ の方 か ら 来 る け れ ど 、神 戸 、横 浜 、 函 館 に
し ろ 、中 国商 人 が入 り 込 ん でき た 。 そ れ ら の都市 に中 華街 があ る のは そ の 名残 り です から ね 。
角山 だ から 大 阪 でも 川 口地 区 に中 国 人 が い て、 日中 戦 争 が始 ま るま で事
46 L .Bluss e, St rane g
t ion,1986.は オ ラ ン ダ 東
Co m pany ,For i s Publ ica
イ ン ド 会 社 が 中 国 商 人
(華 僑 ) に 依 存 し て い た
事 実 を 分 析 し た 業 績 。
はど の よ う にし て覇 権 を 奪 い返 す か 。 し か し 日本 商 人 が 中 国 の開 港 地 あ る
実 上 日本 と中 国 の貿 易 を 彼 ら が 握 って いた わ け です 。 そ の中 国 人 か ら 日本
いは中 国 の大 陸 の奥 地 に入 って いく と いう のは 大 変 な こと だ った 。 た と え
三井 物 産 の商 人 が香 港 と か上 海 ま で物 を 持 って い っても 、 そ の中 に は な か な か 入 れ な い。 いらだ たし く て仕 方 がな い。
そ こ で結 局 は内 部 の情 報 を取 る た め に荒 尾 精 の よう に現 地 に 日清 貿 易 研
究 所 み た いな のを つく って、物 理的 に情 報 を 取 る。 彼 ら はだ いた い軍 人 上
が り です か ら 、市 場 調査 と いえ ば名 前 は い いです が、 一種 の軍 事 的 な ス パ
イ行 為 です ね 。 実 際奥 地 ま で行 く に は 、 ま さ に中 国 人 の服 装 を し て中 国 人
に な り す ま し て 情 報 を 取 ら ざ る を 得 な いよ う な、 相 当 危 険 な こと を や っ
て、 結 局 は 戦 争 でそ の支 配 を 崩 し て いか ざ る を得 な い。 それ ほど 厚 い壁 だ
った 。 これ は 日本 だ け では な く て、 外 国 人 も み ん な そ うな ん です ね。 イ ギ リ ス人 も 入 って来 れ な い、 あ る いは ア メリ カ人 も 入 って来 れな い。
川勝 そ う で す ね 。“Ou t s i ders” と いう 本 が あ って結 局 中 国 に と って欧 米
は アウ ト サ イダ ー にと ど ま った と いう 内 容 です。 入 れ な か った と いう こ と
で す ね。 厳 し い対 中 国 関 係 を ど う 表 現 し た ら い いか 私 は これ を ﹁アジ ア間
競 争 ﹂ と 言 って い いと 思 って いま す 。 ﹁アジ ア間 競 争 ﹂と いう 脈 絡 の中 で
日 本 の工業 化 と か、 日本 の近 代 化 が考 え ら れ な く ては いけ な い。 角 山 さ ん
47 荒 尾 精 (1858)96 尾張に生まれた明治全
の先 が け を な す。 清 国 改
期 の陸 軍 軍 人 、大 陸 浪 人
造、日清提携を唱え、日
清 貿 易 研 究 所 を上 海 に 設
立 。 根 津 一の協 力 を 得 て
日 本 人 の手 に な る 最 初 の
中 国 に つ い て の本 格 的 情
報 調 査 ﹃清 国 通 商 綜 覧 ﹄
を明治二十五年に出版。
台 湾 で コレ ラに罹 り 病
没。
た ち の情 報 の研究 の頃 か ら 一気 に パ ラダ イ ム ・シ フト が起 こり ま し た ね 。
明 治 日本 の輸出 品 は 生糸 と茶 で欧 米 に輸 出 され ま す が、 中 国 も 同 じ よ う
に 輸 出 し て いま し た ね 。中 国 と輸 出 市 場 を めぐ って競 争 し て いる。 明 治 中
期 以 降 に 日本 が 工 業 製 品 を 輸 出 す る 場 合 に は 、 イ ギ リ ス か ら 機 械 を 入 れ
て、 アジ アに 製 品 を輸 出 す る わ け です か ら、 これ も アジ ア市 場 を め ぐ る 在 来 産 業 と の アジ ア間 競 争 に な ってく る。
日本 は お 茶 や 生 糸 を い つか ら作 った のかと いう と 、 も と も と お 茶 は 栄 西
が 持 ってき た の です け れ ど 、 い いお 茶 は 長 い こと 中 国 から 輸 入 し て いま
す 。 お 茶 を 飲 む 茶 碗 は 唐物 と し て輸 入 し て いる。 だ か ら も と は お 茶 を 飲 む 文 化 一式 を 中 国 か ら輸 入 し て いた。
生 糸 は 、 も ち ろ ん昔 か ら あ り ま し た が 、西 陣織 り のよう な 美 し い絹 織 物
は 江 戸 時 代 に入 って も、 贅 を 尽 く し た 輸 入 品 と し て長 崎 か ら 買 っ て いま
す 。 十 八 世 紀 のは じ め ま でそ う いう も のを織 る生 糸 は 日本 で は でき な か っ
た。 日本 の十 九 世 紀 の輸 出 品 と い っても 、 も と は輸 入 し て いた も の です 。
染 付 磁 器 や柿 右 衛 門 に し ても でき た のは 十七 世 紀 の末 で、 も と は輸 入 し て
いる。 い つか ら でき た のか と いえ ば 、秀 吉 の朝 鮮 侵 略 で陶 工を 奪 って来 て
から や っと でき る よ う にな った 。 と いう こと にな れば 、 生 糸 にし ても お茶
にし ても 、 日本 の陶 磁 器 に し ても 、 十 九 世紀 の後 半 期 に特 産 品 とし て 日本
48 栄 西 (114 -1 12) 15 鎌倉 時 代 の禅 僧。 日本
臨 済宗 の開 祖 。 一 一六 八
年 に 入 宋 。 八 七 年 に再 度
入 宋 、 九 一年 に 帰 国。 京
都 に 建 仁 寺 を 建 立。 ﹃興
禅 護 国 論 ﹄ ﹃出 家 大 綱 ﹄
﹃喫 茶 養 生 記 ﹄ な ど 。
が 輸 出 す る品 目 は 、 み な か つて の輸 入 品 であ った と いう こ と にな る。
そう いう 問 題 意 識 でか か ると 対 中 国 関 係 は 決 定 的 な ま で に重 要 だ と思 い ま し たね 。 新 たな る 日本 論 に向 け て
角 山 だ から そう いう ふう に問 題 を 展 開 さ せ て経 済史 研究 に新 風 を吹 き 込
ん だ のが 、 川 勝 さ ん や杉 原 薫 さ んと か です ね 。 つま り アジ ア間 貿 易 と いう
も のが 日本 の学 界 から 注 目 され だ し た のは 、 先 ほど の情報 の研 究 も あ り ま
す け れ ど 、 日 本 が や はり 世 界 の中 で それ だ け 発 展 し てき た のは な ぜ か と い
え ば 、 いま ま で の ウ エスタ ン ・イ ンパ ク ト論 、 いわ ゆ る ヨー ロ ッパ中 心史
観 か ら離 れ て、 アジ アに おけ る 日本 独 自 の 工業 化 、 近 代 化 の位 置 づ け を や
こと 、 言 い換 え る と 世 界 の中 の日本 が非 常 に外 国 から も 注 目 さ れ だ し て、
る 必 要 性 が 八〇 年 代 に出 て き た か ら です 。 これ は 日本 が 経 済 大 国 にな った
今 ま で のよ う な外 国 モ デ ル で歴 史 を考 え る時 代 は終 わ ってし ま った と 。 そ
う し た ら 何 が あ る か と いう こと で、 杉原 、 川勝 、 浜 下 さん ら を 中 心 に新 し
い問 題 が 設 定 さ れ た と いう 点 が非 常 に大 き か った と僕 は思 う ん です 。
と ころ で八 五 年 九 月 に全 ヨ ー ロ ッパ の日本 研究 者 大 会 が パ リ であ り ま し
て、 それ に僕 も 出 席 し た ん です 。 そ のと き に 、 そ こで会 った多 く の ヨー ロ
49 杉 原 薫 (18 94) ロ ンド ン大 学東 洋 ア フリ
カ 学部 。 共 編 に ﹃大 正 ・
一九 八六 年 )、 ﹃世 界 資 本
大 阪 ・ス ラ ム ﹄ (新 評 論 、
主義 と非白 人労働 ﹄ ( 大
阪市 立 大 学 )。
50 浜 下 武 志 (149 -3) 中 国 近 代 経 済史 学者 、 東
京 大 学 教 授。 ﹃中 国 近 代
経済史研究﹄ ( 汲 古 書 院 )、
﹃近 代 中 国 の 国 際 的 契
一九 九〇 年 )。
機﹄ ( 東京 大学 出版 会、
ッパ の日本 研究 者 たち は異 口同 音 に これ か ら は 日 本 の世紀 であ る、 ヨー ロ ッパ の時 代 は終 わ った。 だ から 私 た ち の 日本 研 究 の課 題 は 、単 な る 日本 語
の勉 強 では な く て、 日本 語 を 学 ぶ こと によ って 日本 の資料 と いうも のに取
いる こと は 明 ら か でし た。 し かし 日本 と か アジ アに対 す る情 報 がき わ め て
り 組 む こと だ と いう。 いま や彼 ら の熱 い眼 差 し が アジ ア、 日本 に注 がれ て
少 な く て、彼 ら は イ ライ ラし て いるわ け です 。 そ し て八 五 年 のG 5 プ ラザ
合 意 のあ と 、 円 のも のす ご い値 上 が り が は じ ま った。 現 代史 は 八 五年 から は じ ま る わ け です ね。 川 勝 え え 、 八 五年 は世 界 史 の転 換 点 です ね 。 角 山 そ こか ら ゴ ルバ チ ョフが出 てく る。
ソ連 大 統 領 、 共 産 党 書 記
51 ゴ ル バ チ ョ フ M . Gorba chev (193 -1) 旧
( CI
S )発 足 に伴 い辞 任 。
独 立 国 家 共同 体
九 一年 十 二月 二十 五 日、
度 ノ ー ベ ル平 和 賞 受 賞 。
思 考 外 交 を 推 進 。 九〇 年
長 。 ペ レ ス ト ロイカ 、 新
川 勝 阪神 も 勝 った と か ( 笑 )。
角 山 そ れ は 忘 れ てま し た ( 笑 )。 そ う いう 点 で僕 は世 界 の アジ ア に対 す
る注 目 、 N I E S の急 速 な 成 長 が、 経 済 大 国 日本 の問 題 と と も に 、非 常 に
大 き く な ってき た と 思 う ん です 。 そ のと き 私 た ち 歴 史 家 が や は り 、 日本 は
こう いう 工 業 化 を や ってき た んだ 、 そし て これ か ら 何 を し よ う と す る か と
いう パ ー ス ペ ク テ ィヴ や ヴ ィジ ョンも 含 め て、 何 も ヨー ロ ッパ中 心史 観 に
対 し て 日本 中 心史 観 を と いうわ け で はな く て、 日本 は 日本 な り の立 場 を 、 歴 史 家 は 歴 史 家 な り に ち ゃん と出 す べき で はな いかと 思 う ん です 。
川 勝 ま った く 同感 です 。 角 山 さ ん のグ ロー バ ルな 観 点 から の指 摘 に は 説
に し て い ま す ね 。 ブ ロー デ ル の 大 著
﹃地 中 海 ﹄ ( 藤 原書店)は 、 地 中 海 世 界
得 力 が あ り ます 。 フ ラ ン スで は社 会 史 とと も に アナ ー ル学 派 は 文 明 を 問 題
が ひ と つ の 文 明 史 的 空 間 であ って 、 そ こ に は ア ラブ 人 、 ヨ ー ロ ッパ 人 、 ユ
ダ ヤ 人 等 が 渾 然 と ひ と つ の地 中 海 世 界 を つ く っ て い る と いう 。 自 分 た ち の
生 活 や 歴 史 を 規 定 し て い た 大 き な 枠 組 み に つ い て考 察 し な が ら 微 細 な 日 常 生 活 の 構 造 に 入 っ て いく と い う や り 方 です 。
ブ ロー デ ル の 三 巻 本 の ﹃物 質 文 明 ・経 済 ・資 本 主 義 ﹄ ( みすず書房)も 大
き な 文 明 を 比 べ て いま す ね 。 た と え ば 十 五︱ 十 八 世 紀 の世 界 の食 文 化 に つ
い て 、 ア メ リ カ は ト ウ モ ロ コ シ 、 ヨー ロ ッ パ は 小 麦 、 ア ジ ア は 米 と い う よ
う に 、 諸 文 明 の 個 性 を 比 較 し て いる 。 そ う い う と こ ろ に 表 れ て いま す よ う
に 、 ヨ ー ロ ッパ 文 明 だ け の 一元主 義 で は な く な り 、 諸 文 明 を 横 に 並 べ る こ と に よ って 各 文 明 を 相 対 化 し て いま す 。
相対 化 のまな ざ し は イ ギ リ スでも み ら れ ま す 。 ケ イ ンと ホ プ キ ン スが イ
ギ リ ス の 経 済 史 の専 門 誌 の巻 頭 論 文 に ﹁ジ ェ ン ト ル マ ン リ ー ・キ ャ ピ タ リ
ょう 。 イ ギ リ ス の理想 は 田園 での生 活 な の です ね 。 フラ ンス でも イ ギ リ ス
ズ ム ﹂ と い う タ イ ト ル の論 文 を 載 せ ま し た が 、 こ れ も 自 己 認 識 の 表 れ で し
でも 、 自 己 の文 化 の普 遍性 よ り も、 む し ろ そ の個 別 性 を 主 張 し 始 め ま し
ン ス の 歴 史 家 。 ﹁ア ナ ー
52 ブ ロ ー デ ル F.Br au del (19︱ 08 25 ) フ ラ
ル﹂ 歴 史 学 派 の総 帥 と 称
され、歴史学に巨大な足
( 浜名優美訳、藤
跡 を 残 し た 。 ﹃地 中 海 ﹄
全五巻
原 書 店 )、 ﹃物 質 文 明 ・経
済 ・資 本 主 義 ﹄ ( 村上 光
彦 ・山 元 淳 一訳 、 み す ず
書 房 )。
53 ケ イ ンと ホ プ キ ン ス ﹃ジ ェ ン ト ル マ ン資 本
主 義 と 大 英 帝 国﹄ ( 竹
で は名 誉 革 命
(一六 八 八
内 ・秋 田訳 、 岩 波 書 店 )
で英 国資 本 主 義 の本 質 は
年 ) から 今 日 に いた るま
ンが主 導 し てき た と主 張 。
英 国 南 部 のジ ェ ント ル マ
た ね。
日本 の歴 史 家 は これ ま で イギ リ ス、 フラ ン ス、 ド イ ツな ど の西 ヨー ロ ッ
パ の歴 史 を モデ ルに し てき た の です が 、 西 ヨー ロ ッパ の経 済 史 家 が自 分 た
ち の歴 史 を 自 己 に固 有 の文 化 な いし文 明 の脈絡 で論 じ よ うと し て いる の で
す から 、 そ れ を モ デ ルに し て 日本 の歴史 解 釈 を す る のは筋 違 いだ と 思 いま
す 。 これ か ら は 日本 の社 会 や 文化 が ど う いう ふ う に形 成 され てき て、 世 界
の中 でど う いう 位 置 づ け を さ れ え る のかを 自 分 の眼 で論 じ て いか な く ては
な り ま せ ん 。 そ う す べき 客観 的条 件 が熟 し てき た よ う に思 いま す 。
角 山 これ は 私 た ち が や らな け れば な らな い使 命 で はな いです か 、 課 せ ら
れ た 課 題 です よ 。 だ か ら 今 の日本 の歴 史 家 と か経 済 史 家 にと っては 、 自 己
の立場 を は じ め て主 張 で き る時 代 が訪 れ た のであ って、 今 ま で のよ う に イ
ギ リ スや フ ラ ン ス の歴史 家 が ど う言 って いると かと いう 問 題 では な いと 思
う ん です。 私 た ち は 何を 考 え て いる の かと いう こと を ち ゃん と 出 す べき で す。
だ と 言 う な ら ば 、 そ の独 自 の文 明 と は 何 か と 。 そ れ は 日本 が これ か ら の二
そ う いう点 で は 日本 に は 日本 の文 化 だ け では な く て独 自 の文 明 が あ る ん
十 一世 紀 に かけ て、 世 界 に占 め る役 割 、 地 位 を 考 え てみ る と 、 や は り 経 済
史 の課 題 と いう のは そう いう も のを 踏 ま え た 経 済 史 でな いと ね 。 これ は も
は や経 済 史 と いう狭 い範 囲 で はな いと 思 いま す 。
昨 年 (一九九 一年) の秋 も 私 たち が 文 明 史 や 文 明 論 の問 題 を 社 会 経 済 史
学 会大 会 で取り 上 げ た。 し かし 日本 文 明史 を 取 り 上 げ た 背 景 を よ く 考 え て
見 る と 、 八 四年 の大 会 の共 通 テー マに ﹁近 代 アジ ア貿 易 圏 の形 成 と 構 造 ﹂
を と り 上 げ 、 ま た 八 九 年 の大 会 のパ ネ ルで は ﹁アジ ア域 内 交 易 ( 十六ー十
九 世 紀 ) と 日本 の工 業化 ﹂ と 、 ひ き つづ き 研 究 を 重 ね、 近 代 アジ アのひ と
5 4
一九 九 一年 十 月 十 二
回 全 国 大 会 の [プ ロ
日 、 社 会 経済 史 学 会 第 一
グ ラ ム ﹁日 本 文 明 史 の 提
六〇
唱 ﹂。 上 山 春 平 、 鬼 頭
宏 、 川 勝 平太 が基 調報 告
を 行 い、 角 山 榮 が 総 括 報
一号 、 一九
告 を 行 った。 そ の記 録 は
﹃無 限 大 ﹄ 九
九 二 年 に 特 集 さ れ て い
る 。
つの新 し い モ デ ルを 出 し て いる わ け です。 これ が世 界 の学 会 に 日本 と いう も のを 認 め さ せ た 画 期 的 な も のだ った と思 う ん です 。
二 九 八 五 ) に
55 ﹃社 会 経 済 史 学 ﹄ 五
﹃ア ジ ア 交 易 圏 と 日 本
of a
& K aw aka
tr i ali zat i on an d t heAsi an
t su eds. ,Japanes e Indus
58 Lat ham
Verlag, 198 6.に 収 録 。
W orl d Ec onomy, St ei ner
eds. ,T he Emergenc e
57 W. Fischer, et al.,
一九 九 一年 ) に 収 録 。
工 業 化 ﹄ (リ ブ ロ ポ ー ト ・
編
56 浜 下 武 志 ・川 勝 平 太
収 録 。
一巻 一号
川 勝 そう です ね 。 一九 八 四 年 度 の社 会経 済史 学会 の共 通 テー マ ﹁近 代 ア
ジ ア貿 易 圏 の形 成 と 構 造 ﹂ で報告 し た チ ャ ウド リ、 杉 原 薫 の両 氏 、 そ れ に
私 の三 人 は 一九 八 六 年 の スイ ス の ベ ル ン で の第 九 回 国際 経 済 史 学 会 の大 テ
ー マ ﹁世 界 経 済 の形 成 ﹂ に招 かれ て、 アジ アと 日本 を世 界経 済 の形成 に組
込 ん だ 報 告 を す る 機 会 を え ま し た 。 一九 九〇 年 の ベ ル ギ ー の ル ー ヴ ァ ン で
の 第 一〇 回 国 際 経 済 史 学 会 で も そ れ を フ ォ ロ ー ・ア ップ す る セ ッ シ ョ ン
﹁アジ ア域 内 の市 場 経 済 と 日本 の工 業 化 ﹂ が も う け られ て、 そ のと き に は
角 山 さ ん や浜 下 武 志 さん も 加 わ ら れ て 日本 人 の活 躍 が 目 だ つよ う にな り ま
し た ね。 一九 七 八年 の第 七 回 のと き に お 一人 で気 を 吐 か れ て いた 角 山 さ ん に は隔 世 の感 があ った ので はな いでし ょう か 。
こ の間 に 時 代 も変 わり まし た。一 九 八五 年 に は先 進 国 が 日本 の実 力 を 認
め て円 高 誘 導 のプ ラザ合 意 が でき 、 八 九 年 に ベ ル リ ンの壁 が 崩 壊 し 、 続 い
て ソ連 ・東 欧 が解 体 し て、 社 会 主 義 が 理想 喚 起 力 を な く し た わ け です 。 今
噴 出 し て いる のは民 族 問 題 です が、 民 族 と は 文 化 を 共 有 す る 人 間 の集 団 で す か ら 、文 化 の問題 が 正 面 に出 てき た と いう こと でし ょう 。
と ころ で、角 山 さ ん は 、﹁日本 文 化 ﹂論 では な く 、 ﹁日本 文 明 ﹂ 論 でな け
れ ば な ら な い、 と いう意 見 の よう です が、 な ぜ ﹁日本 文 明 ﹂ を 強 調 さ れ る の です か。 ﹁文 化 ﹂ から ﹁文 明 ﹂ へ
って いる。 これ を ふ ま え て、 日本 は少 し 違 う ぞ 、 独 自 の文 明 を 持 って いる
角 山 今 ま で ヨー ロ ッパを 中 心 に展 開 し てき た 物 質 文 明 、 そ れ が 行 き 詰 ま
と いう こと で、 対 応 し た新 し い時 代 の モデ ルで、 日本 文 明 と いう も のを 考 え な いと 、 二十 一世 紀 に向 か えな いの では な いか と 思 う の です 。
そ れ は物 質 文 明を 否 定 す る ので はな いの です 。 貧 し い第 三 世 界 に は ま だ
わ ら ず 、先 進 国 の中 で物 質 文 明 の行 き 詰 ま り と いう 問 題 が あ るわ け です 。
物 質文 明 の恩恵 に さ え浴 し て いな い膨 大 な 大 衆 が いるわ け です 。 にも か か
そ こ で 日本 の経 済、 日本 人 の生 活 は、 アジ アの国 々 に対 し て、 一つの モ デ
Routledge,
1994.に 収 録 。
,
Economy
ルにな って い ると いう こと が あ る ん です 。
アジ アの諸 国 が 、 イギ リ スを モ デ ル では な く 、 日本 を モ デ ルに考 え て い
る と いう こと は、 単 に 日本 の文 化 にあ こが れ て い ると いう こと では な く 、
貧し い階 級 で も手 に は いる、 非 常 に大 衆 化 し た 機 能 的 な 便 宜 品 の数 々に 、
そ れ ら カ ラオ ケ ま で セ ット とな った 日本 の快 適 な 生 活 に対 す る あ こが れ が あ る わ け です 。
川 勝 ﹁文 化 ﹂ と は社 会 の変 わ ら な い性 格 を 強 調 す る と き に使 う こと が 多
いです ね 。 一方 、 ﹁文 明 ﹂ は 近 代 にお いて は十 八 世 紀 の フ ラ ン ス の啓 蒙 主
義 か ら で てき て いま す が、 啓 蒙 の語 が 示 し て いま す よ う に能 動 的 な 性 格 を 持 って いる。
十 九 世 紀 にな り ま す と、 フ ラ ン スに 加 え て イ ギ リ スも 自 ら を文 明 と 考
え 、 文 明 人 の指 命 を 持 って 世 界 に 乗 り 出 し て いく こ と にな り ま す 。 ﹁文
明 ﹂ に は 自 信 に 裏 付 け ら れ て外 にあ ふ れだ し て いく よ う な 能 動 的 な 性 格 が
あ るよ う に 思 いま す 。 ﹁文 化 ﹂が 内 向 的 であ る のに 対 し て、 ﹁文 明 ﹂ は外 向 的 であ る。 と す れ ば 、 文 化 の強 調 は な じ ま な い。
る も のは脱 民 族 性 、 脱 階 級 性 、 脱 身 分 性 、 脱 宗 教 性 、 そ う いう も のが セ ッ
角 山 ﹁文 化 ﹂ は な じ ま な いです ね。 こ れ に 対 し て ﹁近 代 文 明 ﹂ を 代 表 す
ト に な った も のが ﹁文 明 ﹂ な の です 。 ﹁文 化 ﹂ と いう も のは 民 族 そ れ ぞ れ
59 ﹁文 明 ﹂ の 語 西 川 長 夫 ﹃国 境 の 越 え 方 ﹄
一七 五七 年 に出 版 され た
(筑 摩 書 房 ) に よ れ ば 、
ミ ラ ボ ー の ﹃人 間 の友 、
あ る いは人 口論 ﹄ が ﹁文
明 ﹂ の初 出 文 献。
に特 有 の アイ デ ンテ ィテ ィと 関 係 し ま す 。
戦 時 中 は 日本 文 化 に同 化 さ せる た め に、 占 領 地 域 に 神社 を た て た りし て いた わ け です 。
川 勝 そ れ は文 化 一元主 義 であ り 、 文 化 帝 国 主 義 です ね 。 これ は 必 ず失 敗 す る。
角 山 み ん な が 機 能 的 で便 利 で、 押 し つけ な く ても 商 品 の論 理 で浸 透 す
る 、 そ れ が 文 明 、特 に近 代 物 質 文 明だ と 思 う ん です 。 だ か ら 近 代 物 質 文 明 を 構 成 す る のは ﹁商 品 ﹂ だ と 思う ん です 。
川 勝 ウ ォ ー ク マンに し ろ、 テ レビ にし ろ、 世 界 を 席 巻 し て いる のは 日本
の 工業 製 品 です ね 。 日本 人 は物 づ くり が うま い。 ア フタ ー ケ アー にお いて
いかと いう よ う に思 いま す。
も 行 き 届 い て いま す 。 し か し 、 何 より も ﹁物 づ くり ﹂ が 日本 の特 技 では な
こ の点 を 、 大 塚 史 学 に ひ っか け て整 理 し てみ ます と、 そも そも 大 塚 さん
の ﹁国 民 生 産 力 ﹂ 論 に 日本 人 が 感 化 さ れ た のは 、 日本 人 の得 意 とす る物 作
に さ れ た イ ギ リ スで は、 皮 肉 な こと に、 そ のよ う な 自 己 意識 が な く て 、物
り に訴 え た と こ ろ に根 拠 があ る の では な い でし ょう か。 大塚 さ ん が モデ ル
を つく る こ と か ら 自 由 な ジ ェント ル マンを 理 想 にし た。 ﹁国 民 生 産 力 ﹂論
は 、 イ ギ リ ス人 に は歓 迎 され な いけ れ ど も 、 日本 人 の気 質 に あ う 理論 であ
った と いう気 がし ま す 。
角 山 さ ん が世 界 資 本 主 義 の立 場 か ら 批 判 さ れ た 大 塚 さ ん の 一国 資 本 主 義
論 は 、 国 民経 済 を 前 提 とし て いま す が、 国 民 経 済 が ヨー ロ ッパ では E C 統
合 に よ って、 急速 に薄 れ つ つあ る。 西 洋 経 済 史 を 一国 資 本 主 義 の観 点 か ら 論 じ る のは、 も は や 現実 的 根 拠 を持 ち え ま せ んね 。
そ う し ま す と 、 大 塚史 学 で残 る のは、 エー ト ス論 、 つま り 倫 理 だ け に な
る。 な ぜ 大 塚 さ ん の本 が 日 本人 の間 で根 強 く 読 み つがれ てき た のか 、 そ こ
には 一種 の倫 理 規 範 が あ る か ら では な いか。 大 塚 さ ん は そ れを プ ロ テ スタ
ンテ ィズ ム の倫 理 と し て イギ リ ス の社会 経済 史 の脈絡 で論 じら れ た のです
が、 そ の倫 理 は、 大 塚 さ ん 自 身 の精 神 に お い て生 き て いる のみな ら ず 、 日 本 文 化 の中 に入 って独 り 歩 き し た 。
こ のあ たり のと ころ が先 ほど 申 し ま し た ﹁物 づ く り ﹂ に熱 心 な 日本 人 気
質 と か か わ ってく る よ う に思 いま す 。 安 く 買 って高 く 売 る こと よ り も、 み
ず か ら 汗 し て安 く作 り 、 人 々 に便 利 な も のを 供 給 し て いく こと に熱 中す る
エー ト スが、 中 国人 や イ ンド人 より も 日本 人 に適 し た 国 民 的 気 質 では な い か と 思 う の です が 、 いか が です か。
角 山 エー ト ス論 ま で いく 前 に 、近 代 文 明 の伝 播 の中 で、 日本 が 果 し た 役
割 と いう も のを 考 え てみ る べき です 。 私 は 日本 =変 電 所 論 と いう こと を 言
60 エ ー ト ス ( ethos) 論 大塚 久雄 は ウ ェー バ
ー の ﹃プ ロ テ スタ ニ テ ィ
ズ ム の倫 理 と 資 本 主 義 の
精 神 ﹄ の訳 者 解 説 の中 で
﹁エー ト ス は 単 な る規 範
と し て の倫 理 では な い。
いは 単 な る 世 俗 的 な 伝 統
宗 教 的 倫 理 であ れ 、 あ る
の流 れ の中 で い つし か 人
主 義 の倫 理 であ れ 、 歴 史
間 の血 と な り 肉 と な って
し ま った 、 いわ ば 社 会 の
べ き も の﹂ と 述 べ て い
倫 理的 雰 囲 気 と でも いう
る。
61 角 山 栄 ﹃アジ ア ・ル ネ サ ン ス﹄ (P H P ) の
第 二章 ﹁文 明 の変 電 所 ・
日 本 ﹂ を参 照 。
って いま す が 、 変 電 所 と いう のは 発 電所 があ って のこと です 。 発 電 所 は こ
の場 合 、 産 業 革 命 を や った イ ギ リ スを中 心 とし た ヨー ロ ッパ です 。 ヨー ロ
ッパ で生 ま れ た 近 代 的 物 質 文 明 は 、 機械 と か マ ッチな ど と い った 日常 生 活
便 宜 品 を た く さ ん生 み 出 し 、 生 活 革 命 を 引 き 起 こ し た 。 川 勝 理 論 に よ れ
ば 、 近 世 初 期 の アジ アの物 産 複 合 が ヨー ロ ッパを動 か し、 それ に対 す る レ
スポ ン スがも っと も 典 型 的 には イギ リ ス の産 業革 命 を 展 開 し て いく と いう こと です 。
今 度 は逆 に、 イ ギ リ スの産 業 革 命 が 作 り だ し た も のが世 界 を アジ アを 動
か し生 活 革 命 がグ ロー バ ルに拡 大 し てゆ く 、 そ れ は な に か と いう と 、物 産
では な く て、商 品 だ と いう こと です 。 十 九 世 紀 の物 と いう のは 、 単 な る 物
では な く 、商 品 で す。 マ ルク スが言 って いる よう に、 十 九 世 紀 は す べ て の
物 を 商 品 に す る の です 。 近 世 初 期 の物 産 と は 、 私 に 言 わ せ れ ば 、 文 化 で
す 。 アジ アか ら 入 った 、 お茶 で あ れ、 陶 磁 器 であ れ 、 す べ て文 化 です 。 ア ジ ア の文 化 が ヨー ロ ッパ の人 を 動 か し た のです 。
が展 開 し て行 き ま す 。 商 品 であ る 以 上 は 階級 に よ る使 用制 限 な どと い った
そ し て十 九 世 紀 が 作 り だ し た商 品 、 そ の商 品 の論 理 に よ って、 近 代 社 会
こと はあ り ま せん 。 物 産 であ る と き は 、 そ の使 用 に お け る制 限 、 階 級 性 と
いう こと が厳 然 と し てあ り ま し た 。 絹 の着 物 は 上 流 階 級 し か着 ては いけ な
い、 と い っ た ﹁奢侈 禁 止 法 ﹂ で す ね 。 非 常 に リ ジ ッ ド な も の で し た 。
こ れ が 最初 に崩 れ た のは 、 イギ リ スだ と 思 いま す 。 十 七 世 紀 の初 め です
ね。 と ころ が商 品 は そ う で はあ り ま せん 。 商 品 に おけ る人 と 物 と の関 係 は
お金 の関 係 に な り ます 。 こ れ が特 徴 です 。 商 品 の論 理 に従 って生 活 を エン
ジ ョイ し よ う と す る と 、 お金 が な いと、 どう にも な り ま せ ん 。 逆 に豊 か に
な れ ば な る ほ ど、 使 用 す る 商 品 の量 と 質 は、 増 加 し 高 度 化 し て いく の で す。
と ころ が 日本 は 、 外 国 か ら 入 ってき た物 を 自 分 で作 った の です 。 非 ヨー
ロ ッパ的 な 世 界 の中 で、 ひ と り 日 本 だ け が そ う いう こ と が でき た の です 。
日本 が作 った も のは 模 造 品 だ と か 、 粗 悪 品 だ と か、 さ んざ ん非 難 さ れ ま す
が、 アジ ア の貧 し い民 衆 が 憧 れ の ﹁文 明 ﹂ の生 活 便 宜 品 の恩恵 に浴 し え た の は、 安 価 な 日本 製 品 を つう じ て であ った の です 。 物 産 複 合 と近 代 世 界 シ ス テ ム
川 勝 日本 が 文 明 の変 電 所 で あ ると いう 議 論 は た い へん お も し ろ いです
ね 。 ヨー ロ ッパ の文 明 を 一度 受 け と め て、 そ こ で電 圧 を 変 え て、大 衆 庶 民
に ゆ き わ た る よ う に、 作 り 変 え て いく と いう の で す ね 。 よ く、 わ か り ま す。
62 中 世 期 から 続 いた 奢 侈禁止 法 が、 ヨー ロ ッパ
一六〇 四年 の イ ギ リ ス の
で 最初 に廃 止 さ れ た の は
ジ ェー ム ズ 一世 の最 初 の
議 会 に お いて ﹁過去 の 一
切 の奢侈 禁止 法 の規 定 を
廃 止 ﹂ す る こと が議 決 さ
れ 、身 分 ・階 級 ・宗 教 に
( 川 北 稔 ﹁奢侈 禁 止
よ る モ ノ の使 用 制 限 が 崩
れた
法 ﹂ ﹃歴 史 学 事 典 ﹄ 第 一
巻 、 弘 文 堂 を 参 照 )。
と こ ろ で 物 産 複 合 と い う の は 私 の 造 語 で 、 英 訳 す る と 、 ﹁プ ロ ダ ク ト ・
ミ ック ス (pr oductm ix)﹂ で す 。 ど の社 会 に も 自 家 消 費 用 の 生 産 物 と 販 売
のた め の 商 品 と が あ り ま す 。 生 産 物 と 商 品 の 二 つを 合 わ せ て 、 ど う い った
ら よ いの か考 え ま し て、 日本 に 、本 草学 から で てき た 学 問 と し て の、 物 の
名 と 実 物 を 同 定 す る名 物 学 と 、 諸 国 の産 物 を 研 究 す る物 産 学 と が あ った こ
と、 ま た 、 明 治 七 年 に は ﹁府 県 物産 表 ﹂ と いうG N P 統 計 の先 駆 的 な も の が編 ま れ てお り 、 翻 訳 語 では な い ﹁物 産 ﹂ に注 目 し ま し た 。
物 産 に は各 地 方 で作 ら れ て いる生 産 物 と商 品 が混 ざ って いま す が 、 私 が
﹁物 産 複 合 ﹂ と いう場 合 、社 会 で使 わ れ て いる 自家 消 費 用 の生 産 物 と 販 売 され る商 品 と を 合 わ せ た も の です。
角 山 現 実 には い っし ょに な っては いま す が、 カ テゴ リ ーと し ては 、 分 け な け れ ば いけ な い。
川勝 お っし ゃると お り です 。 し か し 、地 上 に は商 品 化 し な い生 産 物 を ま
だ 多 く 用 いて いる社 会 も 残 って いま す。 歴史 を さ か のぼれ ば ほと ん ど の社
会 が そ う で す 。 私 は、 す べ て の物 を 商 品 で ま か な って いる社 会 の み な ら
ず 、 あ ら ゆ る社 会 の個 性 を 、 そ の社 会 で用 いら れ て いる物 によ って表 わ そ う とし た のです 。
﹁物 産 ﹂ は 英 語 で‘pr oduct’ であ り 、 プ ロダ ク ト と いえ ば 、 農 業 生 産 物
道春 が長 崎 から 明 の李 時
63 本草 学 近 代 以前 の 薬 物 学。 一五九 七 年 に林
) を携 え て帰 り 、 そ れ
珍 の ﹃本 草綱 目 ﹄(一五 九〇
以 後盛 ん にな った。 貝 原
和 本 草 ﹄ (一七〇 九 ) は
益 軒 (16301-74 1 ) の ﹃大
本 草 学 の分 野 を薬 草 中 心
か ら博 物誌 に開 いた労
作。
6 4 名物 学 書 物 など に いろ いろ な物 の 名 が書 い
て あ って も実 物 が ど う い
ては 意味 が な い ので、 物
う も の な のか 分 か らな く
の名 と実 物 と を対 照し て
調 べ る名 物学 が 生 ま れ
た 。 本 草 学 ・名 物 学 ・物
産 学 に つ いて は 青 木 正 児
﹃中 華 名 物 考 ﹄ (東 洋 文
庫、平凡社)が参考にな
る。
のみ な ら ず 、 工 業 生 産 物 も 、 さ ら に 自然 の恵 み の産 物 も 、 お よ そ人 間 が 利
のも の です か ら 、 農 産 物 だ け を 指 す と と ら え ら れ ても し か た のな いと こ ろ
用 す る物 一切 を 含 む 語 感 が あ り ま す が 、 ﹁物 産 ﹂ と いう 日本 語 は近 世 以来
があります。
角 山 川 勝 理 論 に おけ る アジ ア物 産 の ヨー ロ ッパ への流入 、 そ れ は貿 易 で
はな く 交 易 と いう べき も の です 、 つま り 商 品 に な る 以前 は交 易 です 。 貿 易
と いう関 係 は ヨー ロ ッパ のも の です 。 私 が ウ ォー ラー ス テイ ンが 間違 って
いる と思 う のは、 彼 は十 五 世 紀 頃 か ら 世 界 資 本 主 義 が で てく る と、 言 って
いま す が 、実 際 は それ は ヨー ロ ッパだ け であ って、 ひ と た び ヨー ロ ッパ の
外、 た と えば アジ アで は朝 貢 貿 易 な ん です 。 つま り 物 産 では あ る が 、商 品 では な い、 と いう こと です 。
お 茶 でも 、 中 国 ではあ く ま で天 朝 の恵 みと し て分 け 与 え てや って いる 、
ア では 世 界 資 本主 義 は ま った く 登場 し て いま せ ん。 商 品 の段 階 に な っては
と いう 意 識 です。 そ こ に は商 品 の論 理 はま った く あ り ま せ ん 。 当 時 の アジ
じ め て、 資 本 主 義 が でき あ が る のです 。 それ が十 九 世 紀 だ と 思 いま す ね 。
川 勝 そ れ が 十 六 世紀 か ら資 本 主 義 の発 展 を 説 く ウ ォー ラ ー ス テイ ン流 の
近 代 世 界 シ ス テ ム論 と 、 産 業革 命 以降 に焦 点 をし ぼ る戦 後 京 都 学 派 の世 界 資 本 主 義 論 の違 いに 関 係 し てき ます ね。
の方法 ﹄第 三 巻 (日本 社
65 川勝 ﹁戦 後 の京 都 学 派 ﹂ ﹃岩 波 講 座 社 会 科 学
会 科 学 の思 想 ) 所収 、参
照。
そ う い った 資 本 主 義 の 確 立 以 前 と 以 降 と い う 議 論 は す べ き だ と 思 う の で
す が 、 ア ジ ア の イ ン パ ク ト と ヨ ー ロ ッパ に お け る 世 界 資 本 主 義 の 形 成 と い
う こ と で 言 え ば 、 確 か に エ ー ト ス論 は 従 属 的 で す 。 ア ジ ア か ら 入 っ て き た
物 を ヨ ー ロ ッ パ で ど う い う ふ う に つ く っ て い っ た の か と いえ ば 、 一国 資 本
主 義 の 内 部 で つく った の で は な く 、 大 西 洋 を ま た に か け た 、 世 界 資 本 主 義
な いし 近 代 世 界 シ ス テ ム と し て つ く り あ げ た と い う こ と で す ね 。 そ う す る こと によ って アジ ア への依 存 か ら 脱 却 し た のです 。
て いま す 。 そ れ は た と え ば 大 英 帝 国 に お い て は 原 料 か ら 製 品 ま で 、 す べ て
つく ら れ た 物 は 世 界 シ ス テ ム の中 で 一つ の ま と ま り を も った 集 積 を な し
帝 国 の内 部 で自 給 し てし ま お う と し た。 そ う いう大 英 帝 国 に おけ る物 の集
合 を‘ pr oductmi x’と い っ て も‘cul ture com pl ex’ と い っても よ いと 思 う の です 。
﹁資 本 主 義 的 生 産 様 式 の 支 配 的 な 社 会 の富 は 巨 大 な る 商 品 集 積 と し て 現
れ る﹂ と マル ク スは イギ リ スを 念 頭 に お いて い って いま す が、 大 英 帝 国 と
いう 資 本 主 義 社 会 に お け る 物 の集合 、 これ は商 品 とし て現 れ る、 そ こ で は
一切 の物 が 貨 幣 に 媒 介 さ れ た 交 換 財 と し て現 れま す 。 商 品 複 合 が資 本 主 義 社 会 に おけ る物 産 複 合 ( プ ロダ ク ト ・ミ ック ス) の現象 形 態 です 。
日本 にも 中 世 か ら 近 世 に か け て、 アジ アか ら木 綿 、 藍 、 生 糸 、 陶 磁 器 、
66 マ ルク ス ﹃資本 論 ﹄ の冒 頭 の 一文 。
砂 糖 な ど さ ま ざ ま な 物 が 入 ってき ま す が 、 近世 後 期 に は そ れら を こと ご と
く 国 内 で つく って いま す ね 。 そ の結 果 、 日本 人 の用 いる物 は中 世 社 会 と 一
変 し た 。 そ れ を 日本 社 会 の物産 複合 が変 わ った、 と私 は いうわ け です 。
中 世 ま で の西 ヨー ロ ッパと 日 本 と は文 明 の 辺境 と も いう べき 地 位 にあ
り 、 と も に アジ ア の諸 文 明 に 憧 れ 、 金 、 銀 、 銅 な ど を輸 出 し て アジ アから
物 を 買 う わ け です 。 そ し て次 の近 世 期 に は そ れ ら を 自 分 た ち で つく り始 め
る のです 。 西 ヨー ロ ッパ では ど う し て つく った か と いう と 、資 本 家 と賃 労
働 者 と に分 か れ て、 労 働 者 自 身 が 商 品 に な る 形 で、 資 本 主 義 的 に つく っ
た。 日本 で は各 藩 の中 で農 ・工 ・商 の身 分 が 分 か れ た 形 で つく り 、 そ れ ら を大 阪 で交 換 し た。 つく った形 態 が 違 う の です ね 。
そ の背 景 に は 、 西 ヨー ロ ッパも 日本 も アジ ア の 旧文 明 圏 か ら さ ま ざ ま な
物 が 入 ってき て、 貨幣 素 材 が流 出 す るも の です か ら 、 電 気 代 が 高 く つ い て
し ょう が な いと いう 問 題 が あ った、 と いう こと です 。 そ こ で自 分 た ち で発
電 し よ う と し た。 西 ヨー ロ ッパ に おけ る資 本 主 義 的 な 世 界 経 済 の成 立 は 、
イギ リ スが 変 電 所 に な って旧 アジ ア の物 産 を大 西 洋 を 舞 台 にす る形 で作 っ た も の です 。 角 山 そ う です ね 。
川 勝 日本 は 、 明 治 時 代 に 西 洋 の文 物 の変 電 所 にな る 以前 に、 アジ アか ら
67 幕 府 の直 轄 領 と し て 大阪 城 代 が お かれ 、 諸 大
名 の年 貢 米 ・特 産 物 の販
で あ る 蔵屋 敷 が集 中 し、
売 の た め の倉 庫 兼 取 引 所
諸国 の物 産 が集 散 、 ﹁天
下 の台 所 ﹂ と いわ れ る大
商業 都 市 と な り、 そ の商
圏 は全 国 に 及 んだ 。
の文 物 の流 入 に対 し て、 イ ギ リ スと似 た変 電 所 的 な 機 能 を 果 し て いま す 。
た だ し 、 資 本 主義 的 な やり 方 を とら な か った 。 む し ろ 資 本 を 節 約 し 、 労 働
を 集 約 的 に 利 用 す る や り方 を と った。 馬 力 の かわ り に人 力 で物 づ く り に 精
を だ し た 。 つく り出 さ れ た電 圧 が イ ギ リ スや そ れ を 真 似 た ヨー ロ ッパ諸 国 の方 が 高 か った こと は 認 めま す が。
と も あ れ、 変 電 所 と は生 産 の能 力 を 持 って いる と いう こと です ね 。生 産
拠 点 であ り え た、 と いう意 味 で は近 世 日本 も 資 本 主 義 的 ヨー ロ ッパも な ら ぶ と ころ があ りま す 。
ッパが つく った のは、 商 品 です ね 。 と ころ が 日本 で つく った生 糸 であ れ 、
角 山 そ こま では い い のです が 、 アジ アの物 産 を イ ン パ ク トと し て ヨー ロ
陶磁 器 で あ れ、 こ れ は文 化 な ん です 。 物 を つく った と いう こと では 同 じ な
ん です。 し かし あ る程 度 市 場 経 済 が 発 達 し て いた 日本 の国 内 に お い ては 通
用す る商 品 です が、 対 外 的 な 関 係 にさ ら さ れ た 場 合 、 商 品 と し て耐 え う る
か と いう 問題 があ り ま す 。 海 外 市 場 でも 耐 え う る 商 品 性 を 念 頭 に お いて商
品 を つく って いたわ け では な いん です 。 し た が って、 日本 の開 国 でど う な った か と いう と、 結 局 、 対 抗 でき な か った わ け です 。
日本 の国内 に お いて は陶 器 であ れ 、 お 茶 であ れ 商 品 と し て では な く、 原
則 と し て文 化 とし て生 産 さ れ 流 通 し て いた ん です 。 幕 末 に 日本 で砂 糖 を つ
く った け れ ど も これ が 明 治 以 後 だ め だ った のは そ の商 品性 が 乏 し か った か
の いう物 産 複 合 と 商 品 複 合 の違 いな わ け です 。
ら な ん です 。 た と え 同 じ 物 であ っても そ う いう 違 いが出 て く る。 こ れ が僕
川勝 そ れ は大 変 重 要 な 指 摘 です 。 そ の こと に関 連 づ け て言 いま す と 、商
品 が文 化 と し て存 在 す る と いう事 実 です 。 な る ほど イギ リ ス の資 本 主 義社
会 に お い ては 物 を売 る た め に つく る。 し かし 、 つく ら れ た 商 品 は イギ リ ス 人 の使 う 物 です 。
た と え ば 十 九 世 紀 に お い ては イ ギ リ ス人 は 紅茶 を好 みま し た が、 当 時 の
フラ ン ス人 は コー ヒ ー です 。 イ ギ リ スは 紅茶 文 化 、 フ ラ ン スは コー ヒー文
化と いえ ま す 。 こ のよ う な 文 化 的 差 異 は 陶 磁 器 に お い ては イ ギ リ ス のウ ェ
ッジ ウ ッド、 ド イ ツ の マイ セ ン、 オ ラ ンダ の デ ル フトに つい ても指 摘す る こと が でき ます 。 見 た目 に は っき り と 区 別 でき る違 い です 。
角 山 そ れ は 産業 革 命 以前 に み られ た こ とだ と 思 う ん です 。 ヨー ロ ッパも
産 業 革 命 以 前 には 物 に は か な り文 化 性 があ った。 アジ アから 入 ってく る 物
も 奢侈 品 と し て文 化 性 を 持 って いた。 紅 茶 も 一般 大 衆 の手 の届 く も の では
木 綿 も 茶 も 砂 糖 も 陶 磁 器 も 、 も と は貴 族 の物 です が 、十 九 世 紀 に は
な か った ん です 。 た し か に だ ん だ ん と 大 衆化 し ては く る ん です が。 川勝
大 衆 化 し ます 。 イ ギ リ ス人 は売 るた め に つく った 。 労 働 者 の つく った商 品
68 R
・ ハ ウ
﹃コ ー
・ ハ ト ッ ク
・田 村 訳
・S
ス、 斎 藤
ヒ ー と コ ー ヒ ー
﹃コ ー ヒ ー が 廻
ス ﹄ (同 文 舘 ) お よ び 臼
り 世 界 史 が 廻 る ﹄ ( 中 公
井 隆 一郎
新 書 ) を 参 照 。
は自 分 の物 で はな い の で、 買 い戻 す 以 外 に な い。 人 間 関係 も 労 働 力 商 品 の
つく って いた のは 自 分 た ち が 日常 生 活 に お い て必要 とし て いる物 です 。 ヴ
売 買 と いう 商 品 関 係 と し て存 在 し て いた こと は 承知 し て いま す が、 彼 ら の
ィク ト リ ア朝 社 会 にお い て必 要 と さ れ て いる物 な のです が、 彼 ら は それ ら
の物 す な わ ち 商 品 が 世 界 に も 通 用 す る と 考 え まし た。 な ぜな ら ば 、 安 いし 便 利 であ るか ら です 。
ジ ョン ・ラ スキ ン の ﹃建
69 ヴ ィク トリ ア時 代 の ゴ シ ック 好 み に つ いて は
ヴ ィク ト リ ア朝 の社 会 は ゴ シ ック様式 の復 活 や 、 ギ リ シ ャ、 ロー マ への
憧 れ を 持 った 時 期 です 。 そ れ ら ヨー ロ ッパ文 明 の遺 産 を 近 代 に再 生 さ せた
照。
リ ア朝 ﹄ ( 平 凡社)を 参
﹃建 築 家 た ち の ヴ ィ ク ト
ち に つ いて は 鈴 木 博 之
ン ・ゴ シ ック の建 築 家 た
波 文 庫 )、 ヴ ィ ク ト リ ア
築 の七灯﹄ ( 高 橋訳、 岩
イギ リ ス人 は 世 界 文 明 を 担 って いる と錯 覚 し た のだ と思 いま す 。 だ から こ
そ自 分 た ち の つく った 商 品 は 、 マル ク ス の いう ﹁重 砲 のご とき 威 力 を 持 っ
て﹂ つま り 安 価 と いう 武 器 を 持 って世 界 中 のど こ でも 売 れ る、 と誤 解 し た
の です 。 し か し 、 安 価 であ る に も か か わ らず 、売 れな い地 域 があ った 。 最
高 で安 価 な 商 品 が な ぜ 売 れ な い のか 。 そ れ は英 国製 木 綿 が た と えば 日本 の
着 物 の素 材 に向 か な いと いう 用 途 上 の限 界 、文 化 と いう壁 に ぶ つか った せ いです 。
﹁商 品 ﹂ と いう普 遍性 を 担 って いる は ず の物 が 、 実 は十 九 世 紀 イ ギ リ ス
ガ ー のよ う な 一見 普 遍 的 な 食 品 も 、 ア メ リカ の物 だ と いう こと が書 いてな
社 会 に固 有 の文 化 でし か な か った と いう こと です。 今 日 で いえば ハンバ ー
く ても 、 わ か り ま す 。 先 般 、 フ ラ ン ス農 民 が 反 米 感 情 を あ ら わ に し た と
き 、 ハ ン バ ー ガ ー が 目 の敵 に さ れ た の は 記 憶 に新 し いと ころ です 。 つま り 、 商 品 が 文 化 性 を 持 って いる 、 と いう事 実 があ り ます 。
角 山 さ ん は 、 先 ほ ど 、 日本 人 は 物 を文 化 とし て つく ったと 言 わ れ ま し た
が 、 こ の指 摘 を 敷衍 し ま す と 、 日 本人 は自 国産 の物 を 日本 文 化 の特 質 を 持
( か らも の)﹂ 、近代以
つ物 と みな し た だ け では な く 、 イギ リ ス の商 品 も、 オ ラ ンダ の商 品も 、 そ の ほ か の諸 々 の外 国 産 の物 を 、 近 世 以 前 に は ﹁唐物
降 は ﹁舶 来 品 ﹂ と 呼 ん で、 外 国 文 化 を 象 徴 す る 物 と み な し て き た よ う に思 いま す 。
を 研究 し た のでし ょう か。 思 う に、 日本 製 の商 品 を 売 ってや る と いう意 識
明治 時 代 の日本 人 が領 事 報 告 に みら れ るよ う に、 な ぜ 各地 の市 場 の特 質
は な く て、 各 地 に合 った物 を つく ろ う と し た の では あ り ま せ ん か 。商 品 は
そ の地 域 にあ った物 とし て存 在 す ると いう 、 わ れ わ れ 日本 人 に と っては 至
る 、 と いう 意識 です。 自 分 た ち の商 品 はど こ に でも 通 用 す る と いう 文 化 一
極 当 然 の信 念 を 実施 し た にす ぎ な い、 と いう こと です 。 所 変 わ れ ば 品 変 わ
元 論 的 な 意 識 は 持 って いな いから 、 マー ケ ット ・リ サ ー チを 懸 命 にし てき
では な い。
た 。 日本 人 が マー ケ ット ・リ サ ー チを き っち り と す る の は理 由 のな い こと
も し 二十 一世 紀 に 日本 の役 割 が あ る とす れば 、 文 化 一元 論 的 な 見 方 を と ら な い、 と いう こと が基 本 です ね。
角 山 そ こ に マー ケ ット ・リ サー チが入 ってく る。 それ が 日本 の経 済 発 展 の秘 密 です ね 。
川 勝 そ の秘 密 の核 心 を な す のは文 化 多 元 主 義 的 な 世 界 観 だ と 思 いま す 。
戦 前 に 己 れ の文 化 を 植 民 地 に押 し つけ た のは 異 常 であ り 、 大 失 敗 し ま し
た 。 これ は 本 来 の日 本 人 の姿 では な い、 と信 じ た い。 日本 人 は 近 世 以 前 に
は 中 国 文 明 を ず っと 意識 し て、 そ れ と対 抗 し よ うと し 、 近 代 にな ってか ら
は 西 洋 文 明 を ず っと 意識 し て、 そ れ と対 抗 し よ うと し てき ま し た 。
そ の過 程 で ﹁文 明 ﹂ な る も の を相 対 的 に 見 る ま な ざ し を 培 った は ず で
す 。 そ のよ う な 経 験 か ら す れ ば、 そ れ ぞれ の ﹁文 明 ﹂は 、 い った ん 自 家 薬
籠 中 のも のに し てし ま え ば 、 機能 的 に動 かす こ と の でき るも の であ り 、 そ
れ 自 体 が 自 己 目 的 と いう よ り も、 いわ ば作 業 上 の仮 設 でし か な いと いう こ
と で し ょう 。 日 本 文 明 は各 地 に 合 った 物 を つく ってき た 仮 設 の装 置 であ
り 、 ま さ に 変 電 所 です ね 。 そ れ は物 や商 品 の集 積 そ れ自 体 と いう より も 、
物 や商 品 を つく り 出 す 力 です 。 物 と、 物 を つく り出 す 力 と は区 別 し な け れ
ば な り ま せ ん 。 物 を つく る 日 本 人 の力 は物 そ のも のより も重 要 です 。 それ は 貧 困 を な く す 力 でも あ る か ら です。
角 山 日 本 の 生 産 の ノ ウ ハ ウ を ア ジ ア に 持 っ て い った こ と も 重 要 で す ね 。
儒 教 資 本 主 義 と いう 言 葉 も あ り ま す が 、 アジ ア の文 化 は ま ったく バ ラ バ ラ
です 。 宗 教 も バ ラ バ ラ です 。 こ の バ ラ バ ラな 地 域 に あ った物 を作 った生 産 の研究 も こ れ か ら の課 題 です 。
た と えば 、 マ ッチ です が、 中 国 人 は い つか ら つく った のか 、 ま た韓 国人
は い つか ら つく った のか と いう問 題 が あ り ま す 。 日本 は 明 治 九 年 です 。中
国 は 日本 で働 いて いた中 国 人 が明 治 二十 年 頃 か ら つく り 始 め ます 。 し かも
日 本 よ り 安 い値 段 で です 。 だ から 日本 と競 争 にな るわ け です 。 日 本 が 高級
マ ッチ を つく れ ば、 それ は ヨー ロ ッパ製 品 と 競 合 し ま す ね 。 こう い った こ と が す べ て領事 報 告 に出 て います 。
川 勝 お 話 を 聞 き な が ら 、 や は り そ れ を事 例 に とど めず に、 概 念 化 、 と い
う か 理 論 化 す る 必 要 が あ る よ う に 思 います 。 アジ アが バ ラ バ ラ であ り な が
ら 、 特 定 の商 品 が 売 れ る と いう事 実 が あり 、 一方 で商 品 が文 化 的 な 物 だ と
す る と 、 少 な く と も アジ ア的 物産 複合 と いう よ うな こと が考 え ら れ る の で
は あ り ま せ ん か 。 鶴 見 良 行 さ ん に ﹃ナ マ コ の 眼 ﹄ ( 筑 摩 学 芸 文 庫 ) と いう
お も し ろ い 本 が あ り ま す が 、 ナ マ コ は ヨ ー ロ ッパ に は 決 し て 入 り ま せ ん 。
こ う いう 物 は そ の 気 でさ が せ ば 周 囲 に ころ が る ほ ど 、 いく ら でも あ り ま す。
(大修 館 )、 溝 口雄 三 ・中
70 金 日坤 ﹃東 アジ ア の 経 済 発 展 と儒 教 文 化﹄
嶋 嶺 雄 編 ﹃儒 教 ル ネ サ ン
レジ ・リ ト ル他 ﹃儒 教 ル
スを 考 え る ﹄ (大修 館 )、
ネ サ ン ス﹄ (サ イ マ ル出
版 )、 森 嶋 通 天 ﹃な ぜ 日
S ブ リ タ ニカ) な ど を 参
本 は 成 功 し た か ﹄ (T B
照。
71 鶴 見 良 行 (1926199 5) 東 南 ア ジ ア 研 究
者 。 ほ か に ﹃バ ナ ナ と 日
本人﹄ ( 岩 波 新 書 ) があ
る。
日本 人 は 各 地 域 の市 場 を よ く研 究 し て物 を つく る の で、 結 果 的 に 相 手 の
市 場 を 奪 ってし ま う と いう こと が起 こ って いま す が 、 そ れ ぞ れ の地 域 の物
が そ れ ぞ れ の地 域 の アイ デ ン テ ィ テ ィ の表 現 な わ け です か ら 、 そ れ を 壊 す
よ り も 豊 か に す る と いう 自覚 に立 ち た いも のです 。 物 が 文 化 的 ア イ デ ンテ
ィテ ィを 担 って いる と いう こと を ふ ま え れ ば、 自 他 それ ぞれ に本 当 に 必 要 な 物 は 何 か と いう こと を み き わ め る こと が大 切 です 。 角 山 環 境 問 題 も 文 化 と し て対応 し て いく 必要 があ り ま す ね 。
川 勝 お っし ゃ る と お り で 、 新 古 典 派 な ど は 、 希 少 資 源 は 高 く な れ ば 、 そ
う いう 物 は お の ず と 使 わ な く な る 、 と い う の で す が 、 し か し た と え ば 日 本
の 森 林 と ア マゾ ンや 東 南 ア ジ ア の 森 林 を 比 べ た 場 合 、 日 本 の ほ う が ず っと
高 価 な の で 、 価 格 だ け に ま か せ る な ら ば 、 向 こ う の森 林 は 再 生 不 可 能 に な
り 、 地 上 か ら な く な ってし ま いま す 。 だ か ら 、 価 格 が 自 動 調 整 す る な ん
て 、 と ん で も な い話 な の で す 。 経 済 学 者 の よ く 使 う‘cet er i s paribs u’つま
り ほ か の条 件 が 同 じ な ら ば 、 と いう 前 提 自 体 が 問 わ れ て い る の で す 。
現実 で は、 ほ か の条 件 は同 じ では な いの です ね。 違 う と いう こと こそ前
提 であ り 、 そ の 地 域 的 ・社 会 的 な 経 済 空 間 の 相 違 を 、 社 会 の 物 産 複 合 と い
う 観点 か ら とら え る のです 。 物 産 複 合 の違 う と ころ では 、 価 格体 系 が違 い
ま す 。 そ れ ぞ れ の 社 会 が 固 有 の 物 産 複 合 を 持 っ て い る 。 cul t urecom pl ex
72 新 古 典 派 一八 七〇 年 代 の いわ ゆ る 限 界 革 命
以 来 ヨ ー ロ ッパ を 中 心 に
イギ リ ス で、 第 二 次 大 戦
展 開 さ れ 、 一九 三〇 年 代
後 ア メ リ カ で体 系 化 さ れ
ロ経 済 学 と も いわ れ る。
た 価 格 決 定 の理 論 。 ミ ク
稀 少 資 源 の最 適 配 分 は 価
格 メ カ ニズ ムを 通 し て市
る。 そ の典 型 は フラ ンス
場 で達成 さ れ る と考 え
の ワ ルラ ス ( 1834-1910)
の 一般 均 衡理 論 体 系 であ
る。
の基 盤 に pr oductmi xが あ る 。 物 産 複 合 は 文 化 の物 質 的 基 礎 です 。 そ の複
合 の中 で使 わ れ て いる 物 を 大切 に し て いく、 つま り文 化 を 大 切 にす ると い う コ ンテ キ ストに お い て、 物 産 複 合 と いう概 念 が役 立 つ のです 。
角 山 ま ず 、 商 品 複 合 と いう か た ち で具 体的 な文 明 のあ り 方 を お さ え て、
いま 文 明 が直 面 し て いる限 界 を 文 化 の面 か ら ど う 解決 し て ゆ く か、 それ が
問 題 な の です 。 これ が 、 環 境 問 題 な ど の新 し い問 題 に対 し て、 ます ます 重 要 にな ってき て いる。
川勝 商 品 ( commodi ty) に文 化 的 刻 印 が 押 さ れ て い ると いう 認識 は歴 中
(つ のや ま ・さ か え )
的 実 証 と経 験 的 事 実 にも と づ いてお り 、 経 済 学 に 対 す る 、 大 き な挑 戦 だ と 思 って います 。
角 山 榮
い て は 川 勝 執 筆 の ﹁商
73 ﹁商 品 ﹂﹁物 産 複 合 ﹂ ﹁商 品 複 合 ﹂ の関 係 に つ
[交 換 と 消 費 ] 弘 文
品 ﹂ (﹃歴 史 学 事 典 ﹄ 第 一
巻
堂 ) 四 一九︱ 四 二七 頁 を
参照。
一九 二 一 ( 大 正 十 ) 年 に大 阪 に生 ま れ る。 京 都 帝 国大 学 経済 学 部 卒 。 和 歌 山 大 学 経 済 学
( 同文舘 )は同
部 教 授 、 同 大 学 学 長 な ど を 歴 任 し 、 現 在、 堺市 博 物 館館 長 、奈 良 産 業 大 学 教 授 。 和 歌 山大 学名誉教授、経済学博士。
西 洋 経 済 史 、 と く に 英 国 経 済 史 が 専 門。 編 著 ﹃講 座 西洋 経済 史 ﹄全 五巻
じ 英 国 経 済 史 が 専 門 の大 塚 久 雄 氏 を 中 心 と し た ﹃西 洋 経 済 史 講 座 ﹄ 全 五 巻 ( 岩波書店) の
向 こう を 張 って 編 ま れ た 。 いわ ゆ る ﹁大塚 史 学 ﹂ が 戦 後 の東 大 アカ デ ミ ズ ム の学 風 だ とす
れ ば 、 角 山 氏 は ﹁世 界 資 本 主 義 論 ﹂ で戦 後 京 都 学 派 を 代表 し た。 そ れ だ け で は な く 、戦 後
﹃経 済 史 学 ﹄ ( 東 洋 経 済 新 報社 、 初 版 一九 七〇 年、 改 訂 版 一九 八〇 年 ) は、 経 済 史 の入 門
日 本 に お け る 経 済史 研 究 の新 分 野 を み ず か ら先 頭 に 立 って 開 拓 し てき た功 績 があ る。
書 と し て評 価 が 高 いが 、 ロス トウ の経 済成 長 論 、 ポ ラ ン ニー の経 済人 類 学、 経 営 史 、 計 量
経 済 学 的 手 法 の ニ ュー .エ コノ ミ ック ・ヒ ス トリ ーな ど を 紹 介 し な が ら 、 ﹁産 業 革 命 以 後
﹃産 業 革 命 と 民衆 ﹄ ( 編 著 、 河 出 書 房 新 社 ) で は生 活 史 ・社 会 史 を 社 会 経 済史 学 にと り い
の世 界 資 本 主 義 ﹂ を 対 象 と す べき こと を 力 説 し、 若 手 研究 者 に新 鮮な 刺 激 を与 え た 。
れ 、 マル ク ス主 義 の階 級 史 観 を 超 え た。 ま た、 ﹃茶 の世 界 史 ﹄ ﹃時 計 の社 会 史 ﹄ ( と も に中
で、 茶 、 時 計 、 米 、 砂 糖 な ど の国 際 商 品 を 通 し て、 文 化 史 ・社 会 史 ・生 活 史 に ま た が る
公 新 書 )、 ﹃甘 さ の文 化 ・辛 さ の文 化 ﹄ ( 同 文 舘 )、 ﹃シ ンデ レ ラ の時 計 ﹄ ( ポ プ ラ社 ) な ど
︿モ ノ の社 会 経 済史 ﹀ を 試 み 、 モ ノを 通 し て 西洋 と 日 本 と の世 界史 的 連 関 を さ ぐ り 、︿同 時
代 的 な 比 較 史 ﹀ な いし ︿東 西 文 明 の社 会 経 済 史 ﹀ と いう 分 野 を 開 いた 。
ロン ド ン遊 学 を転 機 と し て、 ﹁ど う し て 日 本 は アジ ア にあ って十 九 世 紀 後 半 に 工業 化 に
成 功 し た のか ﹂ と いう 古 く て新 し い問 題 に と り く み 、 日 本 経 済 の歴史 的 経 験 を 第 三 世 界 の
人 々に 知 ら し め る 意 図 を も って英 文 の書 物 を 著 し 、 日 本 の世 界 的 位 置 を グ ロー バ ルな 観 点
か ら と ら え る姿 勢 を 固 めた 。 ア プ ロー チ は 独 自 であ る。 一つは 情報 への着 目 であ る。 ﹃日
て いた 事 実 を 示 し 、 ︿情 報 の経 済 史 ﹀ と いう 新 分 野 を 樹 立 し た 。 ﹃通 商 国 家 ・日本 の情 報 戦
本領事報告 の研究﹄ ( 編 著 、 同 文 舘 ) で、 明 治 日本 の情 報 戦 略 が 西洋 諸 国 のそ れ に匹 敵 し 略﹄ ( N H K ブ ック ス) は 同 じ 系 列 の啓 蒙 書 であ る 。
も う 一つの独 自 性 は アジ アか ら 見 る 視 点 であ る 。 そ の最 新 の成 果 は 本 年 上 梓 さ れ た ﹃ア
ジ ア ・ルネ サ ン ス﹄ ( P H P 研 究 所 )。 大 航 海 時 代 か ら 現 代 に いた るま で の アジ アな ら び に
日本 の文 明 史 的 位 置 を鳥瞰 し 、 いか にし て 日本 文 明 を 中 軸 と し た アジ ア の時 代 が 到来 し た
の か を分 かり やす く 論 じ て いる。 そ こ で は、 近 代 西 洋 文 明 の 母体 が アジ アであ り 、近 代 日
本 が アジ アに西 洋 文 明 を伝 え る ﹁変 電 所 ﹂ の役 割 を 果 たし た と いう 興味 深 いテ ー ゼ が打 ち 出 さ れ て いる。
シ ュム ペ ー タ ー を 超 え て
日本 近 代 を めぐ って
川 勝 私 が岩 井 さ ん の知 見 に 衝 撃 を 受 け た のは ﹃現 代 思 想 ﹄ ( ﹁マルクス ・
貨 幣 ・言 語﹂ 一九八 三年 、三月号) で な さ った、 岩 井 さ ん、 柄 谷 行 人 さ ん 、 浅 田 彰 さ ん の鼎 談 です 。
値 形 態論 と いう分 野 の共 通 理解 があ る の では な いか と 感 じ ま し た 。 価 値 形
そ のと き、 三人 の共 通 の下 地 と し て、 宇 野 派 の経 済 理 論 、 な か ん づ く 価
態 論 は 宇 野 弘 蔵 氏 が 開 拓し た独 創 的 な 分 野 です が 、 日本 では 、 宇 野 理 論 が
で てく る 前 提 と し て、 いわ ゆ る 日本 資 本 主 義 論 争 があ り 、 講 座 派 の理 論 が あ り ま し た 。 講座 派 の問題 提 起 は重 要 でし た ね。
岩 井 そ れ は 僕 も 賛 成 です 。僕 も六 〇年 代 の終 わ り に大 学 に入 って、 宇 野
岩 井 克 人
×
(19 14 -)
川 勝 平太
1 柄 谷 行 人
の中心﹄ ( 197 8) で亀 井
﹃マル ク ス そ の可 能 性
勝 一郎 賞 を 受 賞 。 八 十 年
ニ ュー ア カ デ ミズ ムブ ー
代 に浅 田彰 ら と いわ ゆ る
ム を起 こす 。 法 政 大 学 教
﹃マル ク ス と そ の 周 辺 ﹄
授 。 ﹃近 代 文 学 の 背 景 ﹄
(1957)
﹃探 究 ﹄ ほか 。
2 浅 田彰
(198 3)。 京 都 大 学 助教 授。
代 表作 は ﹃構 造 と力 ﹄
﹃逃 走 論 ﹄ ﹃ヘ ル メ ス の音
楽﹄ほか。
理論 の洗 礼 を 受 け ま し た 。 講 座 派 は ほん と に も う 経済 史 に追 いや ら れ て い
て、 東 大 には ほと ん ど いな いと いう 感 じ でし た ね。 と ころ が いま から 見 る
と や はり 、 講 座 派 、 各 国 の固 有 性 の問 題 を 採 り 入 れ た切 り 口と いう ふ う に 再解 釈 され る余 地 があ る。 川勝 明確 に そ の立 場 を と って いま す か ら ね 。
岩井 そ う で す ね。 宇 野 の場 合 はあ く ま で段 階 論 の枠 組 でし か 固 有 性 の問 題 を 語 れな いです ね。
川 勝 宇 野 理論 は、 マ ルク スが ﹃資 本 論 ﹄ でえ が いた 論 理 が そ のま ま 日本
に も 貫徹 し て いく のだ と いう労 農 派 の楽 観 論 と は 違 って、 資 本 主 義 の発達
に は 段 階 があ り 、﹃資 本 論 ﹄ を 日 本 に 適 用 す る に は、 そ の段 階 論 を ふ まえ
た う え で、 現状 分析 を す る べき だ と いう こ とを 明 確 にし た の です ね 。
岩 井 そ う です 。 た だ 、宇 野 理論 で も、 段 階 、 段 階 で中 心 的 な 資 本 主 義 国
が 変 わ って いく 。 重 商 主 義 段 階 、自 由 主 義段 階 、 帝 国 主 義 段 階 それ に国 家 独 占 資 本 主 義 段 階 と いう ふ う に 。
川 勝 そう です ね 。 段 階 は し か も タ イ プ と し て と ら え られ て いま す 。 資 本
の蓄 積 の形 式 が 、 商 人 資 本 型︱ ︱ これ は岩 井 さ ん の遠 隔 地 交 易 型 の資 本 主
プ に分 けら れ て、 そ れ に よ って政 策 が 重 商 主 義 、自 由 主 義 、帝 国主 義 と い
義 論 に つな が って いく ん でし ょう が︱︱ 、産 業資 本 、 金 融 資 本 と いう タ イ
97) 7 日 本 の代 表 的 マ
3 宇 野 弘 蔵 (1897︱1
ル ク ス経 済 学 者 。 経 済 学
は客 観 的 法 則 性 を 解 明 す
る科 学 でな け れ ば な ら な
いと し た 。 そ し て マル ク
ス経 済 学 を 原 理 論 、 段 階
論、 現 状 分 析 に分 け、
﹃資 本 論 ﹄ に 再 検 討 を 加
( 岩波書店)
え た 。 ﹃宇 野 弘 蔵 著 作
があ る。
集﹄全十巻
4 日本 資 本 主 義 論 争
日本 資 本 主 義 の性 格 な い
し 明 治維 新 を めぐ って、
昭和 初 頭 以来 た た かわ さ
れ てき た論 争 。 山 川 均 ・
向 坂 逸 郎 ・大 内兵 衛 ら の
労農 派 と 、 野 呂栄 太 郎 ・
山 田盛 太 郎 ら の講 座 派 と
が 対 立 。 革 命 の戦 略 ・戦
術論 に 及 び 、 労農 派 は 日
本 の封 建 制 は 消 滅 し 、 来
る べき 革 命 は ブ ルジ ョア
ジ ーを 倒 す 社 会 主 義 革 命
うよ う に違 ってく ると いう こと です ね。
し か し 、 こう いう タ イ プ論 で答 え ら れ て いな い のは 、 ﹁な ぜ ﹂ と いう 問
題 、 起 源 の問 題 です 。 な ぜ イ ギ リ スが 最初 の工業 国 にな った のか 、 な ぜ 日 本 だ け が アジ ア で唯 一、 十 九 世 紀 に成 功 し た かと い った問 題 です 。
日本 の場 合 、 た と え ば ﹁労 働 力 の商 品化 ﹂ の指 標 と され る恐 慌 が 最 初 に
起 こ る の は 一八 九〇 年 な の で、 そ の年 か ら慢 性 不 況 の開 始 時 点 の 一九〇 七 年 く ら いま では 自 由 主 義 だ と タ イ プ づ け ら れ ます 。
そ の タ イ プを 基 準 に し て、 そ れ 以 前 は 原蓄 期 。 だ から 松 方 デ フ レは原 蓄
政 策 。 ま た 一九〇 七 年 以 降 の 日本 は 、金 融資 本 だ から 、 そ の政 策 は 帝 国 主
義 だ 、 と いう ふう に言 う 。 そ う いう タイ プ を あ て は め る こ と はわ かり ま す
け れ ども 、 な ぜそ う いう タ イプ が 生 じ た か と いう こと が解 け てな い。
こ の アポ リ アは 、 労 農 派 も 講 座 派 も 同 じ で、労 農 派 は資 本 の論 理 はそ の
まま 貫徹 す ると 言 って い る にす ぎ な いし 、 講 座 派 のほ う は古 い封 建 遺 制 が
資 本 主 義 を う な がす と いう 転 倒 し た 論 理 を 作 り 上 げ た。 つまり 、 日本 は遅
れ て いて、 国 内 市 場 が 狭 いし 賃 金 が 安 いか ら 海 外 に 暴 力的 に侵 略 し た と主
張す るわ け で、 日本 資 本 主 義 の未 熟 さ を こと さ ら 強 調 す る 。 いず れ も 日本
に お け る資 本 主 義 の存 在 を 前 提 にし てお り 、 そ の メカ ニズ ムが ど う し て で て き た のか は解 いて いな い。
(一段 階 革 命 ) と み る の
に 対 し 、 講 座 派 は封 建 制
は 残存 し て お り 、 ま ず 天
ア革命 、 次 に プ ロ レタ リ
皇 制 を 打 倒 す る ブ ルジ ョ
ア革 命 (二 段 階 革命 ) と
考 え た 。 戦 後 も こ の論 争
5 原 始 的 蓄 積 期 資 本
は続く。
主義が成立するには資本
家と労働者が存在しなけ
れ ば な ら な い。 両 者 の成
る。 特 に 農 民 が 土 地 か ら
立過程を原蓄期と呼称す
切り離される過程。土地
は 生 産 手 段 であ る か ら 、
生 産 者 と 生 産 手 段 の分 離
が 基 礎 を な す。 ﹃資 本
論 ﹄ 第 一巻 二十 四章 ﹁い
6 松 方 デ フ レ 一八 八
わ ゆ る原 始 的 蓄 積 ﹂ 参 照 。
〇年 代 に大 蔵 卿 ・松 方 正
義 が推 進 し た財 政 政 策 。
物 価 ・金 利 が低 落 し 、 商
業 的 農 業 や農 村 工業 を 圧
﹁な ぜ ﹂ と いう こと に 関し て、 講 座 派 のあ げ る説 明 は 国 家 権 力 で す が 、
これ は非 経済 的要 因 で す。 経 済 の論 理と し て の説 明 か ら は 逃 げ て い る。
そ う いう こと で、 私 は ﹃資本 論 ﹄ を ど う読 めば 、 起 源 の問 題 が解 け る の
か、 と いう と ころ か ら 、 ﹃資 本 論 ﹄ と 歴 史 の問題 を 真 剣 に考 え る よ う に な りました。
す。 そ れ は価 値 論 のこ とを さし て いる の です が 、 そ れ と は 違 った意 味 で、
マルク スは ﹃資 本 論 ﹄ の序 言 で ﹁何 ご と も 初 め は難 し い﹂ と 言 って いま
や は り 初 め の問題 は難 し いと いう こ と に ぶち あ た った わ け です 。 私 は 始 ま り のと ころ に 本質 があ る と 思 って いる のです 。
岩 井 私 が ﹃日本 文 明 と 近 代 西 洋 ﹄ ( NHKブ ック ス)と いう 川 勝 さ ん の本 を 読 ん で非 常 にお も し ろ か った のは 、 そ こな ん です ね。
ヨー ロ ッパ以 外 では な ぜ 日本 が 近 代 化 を な し と げ た か と いう 問 いは誰 で
も考 えな け れ ば な ら な い問 い です が 、 そ れ を 単 に マ ック ス ・ウ ェー バ ー の
焼 き 直 し であ る資 本 主 義 の精 神 と し て の儒 教 であ る と か そ う いう か た ち じ
ゃな く て、 歴史 を さ ら に遡 って いく 。 江 戸 の鎖 国 以 前 のと ころ か ら 説 き 始 め た と いう 、 そ れ は私 に と って は非 常 に新 鮮 でし たね 。
川 勝 江 戸 時 代 か ら 説 明 す る と いう のは、 問題 の設 定 の仕 方 と し ては 、 服
部 之 総 の ﹁幕末 厳 マ ニ ュ論 ﹂ ( 幕 末 には 日本 は す でに 資 本 主 義 の前 夜 であ
へ流 入 し 、 産 業 資 本確 立
迫 。 農 民 は 没落 し て都 市
の前 提 条 件 を つく った。
7 ウ ェ ー バ ー Weber,
イ ツの経 済 学 者 ・社 会 学
Max (1864 ︱ 1920 ) ド
者。経済、法、政治、宗
の他 、 文 化 の 全領 域 を 独
教 、 倫 理、 芸 術 、 都 市 そ
自 の方法 的 枠 組 み で統 一
的 総 合 的 に 考 察 す る ﹁社
会学﹂に到達。
る マ ニ ュ フ ァク チ ャー の段 階 にま で達 し て いた と す る仮 説 ) 以 来 、 戦 前 期
か ら あ り ま し た。 最 近 で は、 速 水 融 さ ん の グ ル ー プ を 中 心 に ﹃日 本 経 済 史 ﹄ 全 八巻 ( 岩波書 店、 一九八八∼九〇 )が編 ま れま し た 。
だ と いう のが 現 代 の新 し い通 説 です 。
近 世 を扱 った 最初 の二巻 が こと に おも し ろ い の です が 、 近 世 は 経 済社 会
う 問題 は残 って いる と思 う の です 。
け れ ど も 、経 済 社 会 な り 資 本 主 義 への移 行 を 、 理 論 的 に ど う 解 く か と い
と に な り ま す 。 原 蓄 論 は 宇 野 理 論 で は、 理 論 に な って いな い と いう こ と
そ の出 発 点 とし て は、 結 局 マル ク ス の原 蓄 論 を ど う 理 解 す る か と いう こ
で 、退 場 を 命 じ るわ け でし ょう 。 純 粋 資 本 主 義 を 説 明 す る ﹁原 理論 ﹂ か ら
は省 いてし ま う わ け です が、 私 は 、 理 論 家 と し て の宇 野 弘 蔵 の、 そ の見識
を 買 って いま す 。 つま り 、 マル ク スに は 移 行 の経 済 理論 は な い、 と いう こ と です 。
で は、 経 済 史 家 は 、 そ れ を ど う いう ふ う に 説 明 す る か と いえ ば、 日本 で
は、 マル ク ス主 義 経 済 史 学 と し ては 、 大 塚 久 雄 さ ん の移 行 理 論 が 代 表 で す。
大 塚 さん は、 近 代 的 な 人 間 類 型 を も ち だ し た 。 類 型 は イ デ ア ル テ ィプ ス
と し て ウ ェー バ ー の社 会 学 の理 論 と 結 び つけ ら れ て お り、 ウ ェー バ ー のな
8 封建制から資本主義 への移行を主な主題 にし
た基本文献は大塚久雄他 編 ﹃ 西洋経済史講座 封
1960-62.
建制から資本主義 への移 行﹄全 5巻、岩波書店、
9 大 塚 久 雄 ﹃近 代 化 の
人 間 的 基 礎 ﹄ (筑 摩書 房 )、
( 岩 波書 店)第 八巻 に再
後 に ﹃大 塚 久 雄 著 作 集 ﹄
録、参照。
か では 特 に ﹃プ ロテ スタ ン テ ィズ ム の倫 理 と 資 本 主 義 の精神 ﹄ ( 岩波文 庫)
が 移 行 論 の柱 に さ れ た。 大 塚 さ ん は倫 理 や精 神 を 強 調 さ れ 、 よ く も あ し く も 、 日本 人 と し て の生 き 方 や倫 理感 に訴 え た のだ と 思 いま す 。
ロビ ン ソ ン ・ク ルー ソー が もち だ さ れ て ﹁近 代 的 人 間 類 型 ﹂ が 具 体 的 に
説 か れ た のも 、 そ う です ね。 彼 の移 行論 は、 社 会 学 を 取 り 入 れ た 理 論 です か ら 、 非 経 済 的 な も のと 結 び つ い て いる。
つま り 、 経 済 史 の理 論 と し ても 、 マルク スだ け で は、 最初 の経 済 発 展 を
論 じ る こと の でき る 理 論 的 枠 組 は な い ので はな いか と いう ふ う に思 いま し たね。
それ が今 日 の問 題 と も か ら み ま す が 、 そ も そ も先 進国 が ど うし て出 てき
10 中 進 国
( new lyi n
NI Cs) 新 興 工業 国 家 群
dust ri al izi ng countre i s:
と も 呼 ば れ る。 韓 国 、 台
湾 、 香 港 、 シ ンガ ポ ー ル
ラジ ル、 メキ シ コ、 な ど
な ど アジ アN I C s、 ブ
ラ テ ン アメ リ カ N I C s、
sに 分 け ら れ 、 一九 七〇
そ し て ヨー ロ ッパN I C
年 代 に 入 って 急 激 な 成 長
一頭 抜 き ん 出 て 発 展 し た
を し 、 開 発 途 上 国 の中 で
八 八 年 の ト ロ ン ト ・サミ ット以 来 、 台 湾 、 香 港 の
工業 化 で共 通 す る 。 ﹁九
諸国を指す。輸出志向型
性 格 に配 慮 し て、 N I E
た か、 そ の メ カ ニズ ムが 経 済 史 家 も 経 済論 と し て説 明 でき て いな い。 同 じ
よ う に、 中 進 国 がど う いう ふう に出 てき た か 、 第 三 世 界 の国 が ど うす れば
(newly industr iali zing
11 第 三世 界 一九 七 四 年 の国 連 資 源 総 会 で、鄧
れ る よ う にな った 。
群 ) と いう 呼 称 が 用 いら
economi es,新 興 工 業 経 済
s
経 済 発 展 が でき るか 、 同 じ 問 題 を か か え て いま す。 マ ルク ス の理論 から 開
発 経済 学 に いた るま で百 家 争 鳴 です が 、 要 す る に、 資本 主義 が ど う し て形 成 さ れ る のか と いう こと を 解 明 し た 理 論 が な い の です。 歴史 の 偶然 性
岩 井 そ のと き 起 源論 を 語 る際 に、 そ の起 源 と いう 言 葉 に、 常 に 括 弧 を つ
け て 語 ら な く ち ゃな ら な いと 思 う ん で す ね 。 そ う い う 意 味 で 、 川 勝 さ ん が
や った よ う な 、 あ あ い う か た ち の地 理 的 な 問 題 と い う の は も の す ご く 重 要 だ と 思 う ん です ね。
ウ ォ ー ラ ー ス テ イ ン流 の中 心 、 半 周 縁 、 周 縁 と いう 西 欧 中 心 主 義 で は な
﹃ヴ ェ ニ ス の 商 人 の 資 本 論 ﹄ ( 筑摩 書 房 )
く て 、 川 勝 さ ん の 理 論 に お い て は 、 ま ず ア ジ ア の貿 易 圏 が あ った と い う こ と にな り ま す ね 。 川 勝 そ う な ん です 。 岩 井 さ ん は
の な か で 、 キ リ ス ト 教 的 な 世 界 に と っ て は 外 部 に あ る も のと し て の ユダ ヤ
教 的 な 世 界 を み ご と に 解 き 明 か さ れ て い ま す が 、 ア ン ト ニオ の み な ら ず ユ
ダ ヤ 人 も 、 キ リ ス ト 教 世 界 と ア ジ ア 文 明 圏 と を 結 び 付 け る 役 割 を に な った
の で す 。 あ の ヴ ェ ニ ス の 商 人 が 取 り 扱 っ て い る 商 品 は 香 辛 料 でし た か 。
川 勝 胡 椒 ・香 辛 料 を ア ジ ア交 易 圏 か ら も っ て く る ん で す ね 。 こ れ は ヨー
岩 井 そ う です 。
ロ ッ パ に は な い も の で す か ら 、 あ あ いう ヨ ー ロ ッ パ 世 界 と 外 部 世 界 と の 関 係 と い う の が 、 背 景 に あ り 、 そ れ と 貨 幣 の 問 題 が 結 び つ い て いる 。
こ れ ま で は 、 理 論 的 に は 、 マ ル ク ス の ﹃資 本 論 ﹄ に お け る ﹁貨 幣 か ら 資
本 へ の 転 化 ﹂ と い う こ と が 、 も っぱ ら 問 題 に さ れ て き た の で す が 、 む し ろ
﹁商 品 か ら 貨 幣 へ の転 化 ﹂ こ そ が 大 き な 問 題 で す 。 そ こ ら あ た り が き ち ん
小 平 中 国 代 表 が 米 ソ両 超
大 国 を第 一世 界 、 それ 以
外 の先 進 国 を第 二世 界 、
第 一、第 二 両世 界 か ら搾
と規 定 し た 。
取 さ れ る 国 々を 第 三世 界
12 浜 下 ・川 勝 編 ﹃アジ ア交 易 圏 と 日本 工業 化 ﹄
(リ ブ ロ ポ ー ト )、 川 勝
﹁東 アジ ア 経 済 国 の成 立
と展開﹂ ( ﹃アジ アか ら 考
・ える ﹄ 第 六 巻 ﹁長 期 社 会
変 動 ﹂、 東 大 出 版 会 、 所
収)参照。
と 解 け て いる のか ど う か と いう こと が焦 点 に なり ます 。
そ れ は 岩 井 さ ん の独 壇 場 です が 、 宇 野 理論 的 に言 えば 、 単 純 な 価 値 形 態
が 一般 的 価 値 形 態 に な って、 そ こか ら 貨 幣 形 態 が 生 み出 さ れ る と いう 理論
構 成 が あ り ま す ね 。 と ころ が 、 現 実 で は 、貨 幣 形態 が出 て く る時 点 は、 国
民 経 済 の成 立 と 軌 を 一に し て いま す 。 国 民 経 済 と いう の は固 有 の貨 幣 を も って いま す から 。
それ は政 治 が、 あ る物 が 貨 幣 と し て通 用 す る と いう 信 用 を与 え て いる と
いう こ と です 。 貨 幣 と 言 え ば 、 最 も 経 済 的 、 つま り す べ て の財 の価 値 尺度
で あ り 交 換 手 段 で あ るも のが 、 政 治 と 結 び つ い て いる。 国 民 国家 と いう
ね。 貨 幣 に 必ず 国 王 の顔 な ど が 刻 印 さ れ た り す る わ け で、 貨 幣 は 国 家権 力 そ のも のと結 び つ いて いる。 貨 幣 鋳 造 権 と いう のは 国 家大 権 です 。
つま り 、 貨幣 と いう メダ ルに は最 も 経 済 的 な も のと 非 経 済 的 な も のと が
共 在 し て いる。 です から 、 こ こ にな に か飛 躍 が あ る と 、 か ね てよ り 思 って
いた の です 。 いや、 ま さ に そ の疑 問 を 氷 解 さ せた のが 、 岩 井 さ ん の ﹃貨 幣
論﹄ ( 筑摩書房) です 。 そ こ で、 貨 幣 と いう のは 、 商 品 交換 の世 界 と は 別 個 のも のだ と いう こと を説 得力 をも って は っき り と 言 わ れ た 。
岩 井 そ う です ね 。 も う ほ ん と に これ は、 マルク スのと いう よ り さ ら に 後
の マル ク ス主 義 的 な 俗 流 連続 史 観 の問題 に対 す る、 僕 の違 和 感 です ね 。 そ
13 マ ル ク ス は ﹃資 本 論 ﹄ 第 一巻 第 一章 ﹁商
品 ﹂ で、 商 品 同 士 が 交 換
さ れ る 理 由 を 労 働 と いう
価 値 実 体 に求 め た が 、 宇
野弘蔵は交換価値と使用
価 値 と いう価 値 の 二 つの
現象形態から説明する。
れ が 出 発 点 です 。
です け れ ど も 、 日 本 的 な 産 物 と 言 わ れ て いる も の、 木 綿 と か 生 糸 と か 、
や は り 歴史 の問題 を考 え て いると 、 これ は 川 勝 さ ん の説 を 繰 り 返 す わ け
絹 、 砂 糖、 お茶 、陶 器。 わ れ わ れ が 日本 人 と し て意 識 す る 、 浴 衣 であ った
ころ が 、 じ つは そ れ は江 戸 時 代 に 日本 のも のに な った わ け で、 日 本 の鎖 国
り 、 お 茶 碗 であ った り、 お茶 菓 子 であ った り 、 絹 の着 物 であ った り ね 。 と
以 前 の アジ ア貿 易 圏 で取 引 さ れ て いた 、 そ の当 時 の国 際 商 品 だ った と いう こと です。
し か も お もし ろ い のは、 これ は ヨー ロ ッパ でも 、 ま さ し く ヨー ロ ッパ の
産 物 と し て、 ぜ ん ぜ ん形 を 変 え てだ け れ ど も 使 わ れ 、 し か も 生 産 さ れ 、 綿
布 な ん か は そ の国内 生 産 が いわ ゆ る産 業 革 命 の基 礎 に な った と いう 、 そ う いう話 です よ ね。
た ま た ま ヨー ロ ッパ と 日本 が、 あ る歴 史 的 な 偶 然 か ら アジ ア貿 易 圏 に 接 触
こ の話 に は、 単 な る理 論 的 な かた ち では 解 け な い部 分 が あ る わ け です 。
し た と 。 そ れ は も う、 理論 的 必 然 性 と いう も のは ほ と ん ど な い事 実 と し か 言 いよ う のな い偶 然 性 です よ ね。
一方 で回り 回 って ヨー ロ ッパ の近 代 資 本 主 義 を 生 み 出 す 、 少 な く と も そ の
これ をあ まり 強 調 す る とま た いけ な いん です け ど 、 歴 史 的 な 偶 然 性 が 、
ひ と つ の力 と な った。
一方 で日本 で は、 鎖 国を 通し て国 内 で自 給 自 足 でき るよ う に な って、 そ
れ が 今 度 は 西 洋 と ぶ つか った と き に︱︱ そ れ は西 洋 と ぶ つか った の では な
く て、 じ つは アジ アと ぶ つか った んだ と いう話 を 川 勝 さん はあ る いは 浜 下
武 志 さ ん な ど は さ れ る わ け です け ど︱︱ 、 そ こ で新 たな 、 十 九 世 紀 の後 半 か ら の 日本 の産 業 資本 主義 化 のき っかけ にな るわ け です ね 。
そ う いう か た ち で 資 本 主 義 の起 源 を 辿 って いく と 、 ど う し ても 単 線 的
な 、 商 品 か ら 貨 幣 、 貨 幣 が 資 本 に 行 く と いう 、 そ う いう美 し い物 語 では 解
け な い部 分 が あ って、 そ れ が 歴 史 を 読 む こ と のお もし ろ さ で、 私 が 歴 史 を 読 む こと に よ って学 ん だ こと な ん です ね 。
川 勝 私 は ﹃ヴ ェニス の商 人 の資本 論 ﹄ を読 みま し て、 等 価 交 換 と は何 か と いう 問 題 に つ いて考 え さ せ ら れ ま し た 。
は、 ヴ ェニ ス へ胡 椒 ・香 辛 料 が 入 ってき ま す 。 資 本 主 義 の起 源 に つ いて、
あ れ は シ ェー ク ス ピ ア の時 代 だ と す れ ば 十 六世 紀 で し ょう か。 そ の頃 に
こ う いう 貝 体 的 な 事 実 を 抜 き にし ては 語 れ な いと いう こ と にな りま す と 、 そ れを 偶 然 性 のな か に押 し 込 め にく く な る の です 。
もち ろ ん、 す べて に原 因 が あ る と 言 え ば 、 そ れ ま でです が、 スパ イ スは
値 段 が 高 いだけ でな く、 いや、 高 いだ け に、 薬 効 も 高 いと 信 じ ら れ て いま
し た 。 な ぜ薬 とし て使 わ れ た か。 遡 って いく と 、 ヨー ロ ッパ人 口 の激 減 が
あ る。 こ れ は十 四世 紀 の中 期 の黒 死 病 以 来 の減 少 です 。 以来 、 ヨー ロ ッパ
の人 口 が 三分 の 二 に減 少 す る の です が 、 これ は 大 変 な こと です 。 し かも 一
世 紀 半 も 長 期 持 続 す る事 態 な の で、 これ を 偶 然 と いう のに は抵 抗 があ る の
です 。 も っと も 、 な ぜ そ ん な こと が 起 こ った のか と いう のは、 最後 は ネ ズ ミ に 聞 いて みな いと わ か ら な いん です が ( 笑 )。
と に かく 薬 効 のあ ると 信 じ ら れ た ス パイ ス の取 引 の窓 口 とし て ヴ ェニ ス
は繁 盛 し ま し た 。 と ころ が 、 これ は 買 わ な く ては いけ な い。 そ の交 換 手 段
てく る。 ス パ イ スを 買 う た め に は 、 ど う し ても相 当 の貨 幣 を持 たざ るを え
と し て、 何 が あ る のか 。 そ う す る と 、金 や銀 し か な い。 こ こに貨 幣 が入 っ
な いと いう 必 然 性 が で てく る わ け です ね 。
岩 井 た だ 貨 幣 と い っても ち ょ っと複 雑 です ね。 国 際 的 な 交 換 と いう のは
て いるも の でも 、 交 易 す る ほ う と し ては単 に相 手 国 が欲 し が って いる モ ノ
物 々交 換 と 似 てま す でし ょ。 つま り た と え相 手 の国内 で貨 幣 と し て使 わ れ
と し て差 し 出 す わ け です か ら、 そ の点 で は他 の商 品 と 違 わ な い。 や は り 、
交 換 相 手 国 同 士 が 銀 な ら銀 を単 に 国際 間 の交 換 手 段 と し て未 来 に先 送 り し
て いく こと に な ら な いと 、 ち ょ っと あ れ、 貨 幣 と いう のはち ょ っと 難 し い と ころ が あ る ん です け ど ね。
14 黒 死病 の流 行 一三 四七 ∼ 五〇 年 の四 年 間 に
ヨ ー ロ ッパ全 人 口 の約 三
分 の 一が 死 ん だ 。 以 後 一
五〇〇 年 ころ ま では 人 口
ニー ル、 佐 々 木 訳 ﹃疫 病
は 回 復 し な か った 。 マク
﹃ペ ス ト 大 流
と世界史﹄ ( 新 潮 社 )、 村
上 陽 一郎
行﹄ ( 岩 波 新 書 )参 照。
川 勝 岩 井 さ ん 的 な 、 厳 密 な 意 味 で の貨 幣 で はな いん でし ょう け ど ね 。 異 な る 世 界 を 結 ぶ 媒 介 であ り 交換 手段 で は あ った。
も う 少 し 続 け さ せ て いた だ く と 、 や は り マル ク ス で言 え ば ﹁原 始 的 蓄
積 ﹂ が 出 発 に な る 。 原 蓄論 は 問 題 の立 て方 がす ば ら し いです ね 。 剰 余 価 値
は 資 本 を 前 提 に し 、 資 本 は 剰 余 価 値 を 前 提 に す る。 こ の循 環 から ど う逃 れ る か、 と いう こと です ね 。
も う 一つ、 いわ ゆ る 二重 の意 味 で自 由 な労 働 者 の存 在 を はじ め から 前 提
にし て いる。 そ こ で、 労 働 力 と 資 本 と が ど こか ら き た のか 、 こ れ は神 学 に
お け る 原 罪 の起 源 と 対 等 の問 題 だ 、 って いう の です か ら、 レト リ ックも 効 果 満 点 です 。
し か し 、 読 み 続 け ると 、 史 実 が 書 き 並 べ てあ る だ け で、 そ こに は 理論 が
15 原 始 的 蓄 積 (と 原 罪 ) 原 始 的 蓄 積 は ﹁本
源 的 蓄 積 ﹂ と も いわ れ る 。
﹁本 源 的 蓄 積 が 経 済 学 に
お い て演 ず る 役 割 は 、 原
罪 が 神 学 に お いて 演 ず る
アダ ム が リ ンゴ を か じ っ
役 割 と ほぼ 同 じ であ る 。
て以 来 人 類 の上 に罪 が 落
ち た 。 神 学 上 の原 罪 の伝
説 は 、 い か にし て人 間 が
ら れ た の か を物 語 る の で
額 に汗 し て食 う べく 定 め
あ る が、 経 済 学 上 の原 罪
な い。 原 蓄 論 は第 二十 四章 です が 、 第 一章 か ら 第 二 十 三 章 に いた る 議論 と は抽 象 度 が ま る で違 う 。
す る 必 要 のな い人 々 が あ
四章より。
﹃資 本 論 ﹄ 第 一巻 第 二 十
も の で あ る。﹂ マ ル ク ス
る の は ど う し て か を 示す
の物 語 は、 そ んな こ と を
マル ク スを読 む シ ュム ペ ー タ ー
川 勝 私 は 、 こ れ は 、 や はり ウ ェー バ ーも 感 じ ただ ろう し 、 な か ん ず く シ ュム ペー タ ーも 感 じ た と思 う のです 。
岩 井 そ う です ね。 僕 は シ ュム ペー タ ーを 読 ん で、 シ ュム ペー タ ー の マル
ク スの読 み 方 と いう のに は 、 ほ と ん ど賛 成 す る ん です よ。 川勝 あ あ 、 な る ほど 。 同 感 です ね 。
岩 井 シ ュム ペ ー タ ー は 、 マル ク スを よ く 分 か っ て い た のだ と 思 いま す
ね 。 マル ク ス に つい て の言 及 は 、 よ く読 む と常 に皮 肉 に満 ち て いる ん です
が、 そ れ は 、 マル ク ス の論 理構 造 を あ る意 味 で マ ルク ス以 上 によ く 把 握 し て いた こと と 関 連 し て いる と 思 いま す。
彼 自 身 、 若 いと き に マル ク ス主義 者 と非 常 に付 き 合 いが あ った と いう こ
川勝 ﹃経 済 セ ミ ナ ー﹄ (一九八三年 二月号) で、 楽 し く 拝 読 し た のが 、 岩 井
と も あ るん でし ょう け ど 。
さ ん の ﹁遅 れ てき た マ ルク ス﹂。 最 初 に出 てき た マル ク スは本 物 だ け ど 、
二番 目 に出 てく る や つは 茶 番 であ る いわ れ て いま す ね。 シ ュム ペー タ ー に 対 す る評 価 が 辛 い ( 笑 )。
岩 井 あ れ に は 皮 肉 が こめ ら れ てる ん です。 つま り、 たし か に マ ルク スの
言 う よう に 二番 目 は 茶 番 な ん だ け れ ど も 、 じ つは資 本 主 義 は そ の茶 番 そ の も のだ と いう こと を 言 いた か った ん です 。
つま り 、 マル ク ス の資 本 主 義 論 は 結 局 ど う し ても労 働 価 値 論 にも とづ く
階 級 的 搾 取 論 に最 終 的 に行 っち ゃ って、 剰 余 価値 の源泉 に実 体 的 な 人 間 労
働 を 見 出 し てし ま う ん だ け れ ど 、 シ ュム ペー タ ー のや って いる、 あ あ いう
16 一例 と し て 、 シ ュム ペー タ ー は ﹃経 済発 展 の
理論﹄ ( 東 畑 ・中 山 ・塩
野 谷 訳 、岩 波 文 庫 ) に寄
せ た 日本 語版 への序 文 に
お いて 、 経 済 過 程 の変 化
を 説 明 す る と いう点 で 、
同 書 が マ ルク スの 経済 理
て いる 。
論 と 相 並 ぶ も のだ と 述 べ
かた ち の剰 余 価 値 論 、 つま り イ ノ ベ ー シ ョン ( 革 新) を め ざす 企 業 間 の競
争 が剰 余 価 値 を 生 み出 す 、 ま た は 川 勝 さ ん ふ う に 言 う と 、 新 し い物 産 複 合
を つく り だ す と か 、 物 産 複 合 を つく り か え る と いう か 、 ま さ に 新結 合 と い
う か たち でし か剰 余 価 値 は生 ま れ な い のだ と いう こと を シ ュム ペー タ ー は 言 い つづ け て いる ん です 。
こ の新 結合 に よ る剰 余 の創 出 と いう の は、 従 来 の マル ク ス的 な 剰 余 価 値
論 では 茶 番 み た いな わ け で す。 だ か ら特 別 剰 余 価 値 と 呼 ば れ た わ け です 。
特 別 で、 盲 腸 み た いに く っつ いて いるも のと いう 意 味 でね 。 でも じ つは 、
こ の盲 腸 み た いに 見 え る も のが 資本 主義 の窮 極 的 な 利 潤 の根 源 だ と いう こ
と を 言 った と いう こと に ひ っか け て、僕 はあ れ、 茶 番 でし かな いと いう 意 味 で シ ュム ペ ー タ ーは マルク ス の茶 番 だ と言 った の です 。 川 勝 な る ほど 。 そ う いう 含 意 が あ った の です か。
岩 井 え え 。 いわ ゆ る括 弧 つき の現 代 資 本 主 義 と いう のは、 ま さ に そ の茶 番 そ のも のな ん だ と 。
川勝 階 級 論 を 骨 抜 き にし た 資 本 主 義 論 は 、 た し か に マルク スに と って は
茶 番 で し かあ り ま せ んね 。 シ ュム ペ ー タ ーは ﹃経 済 発 展 の理論 ﹄ の第 二版
か ら は と く に意 識 し て、 純 粋 に経 済 学 的 に 説 明 でき る と ころ し か 、 自分 は 説 明 し て いな い のだ、 と言 って いま す ね。
17 新 結 合 シ ュン ペ ー タ ー は、 生 産 とは 物 と 力
とを 結 合 す る こと だ と 定
義し 、 新 し い結 合 の遂 行
が経 済 発 展 を生 む と論 じ
た。 新 結 合 の内容 に つ い
て 、① 新 財 貨 の生 産 、②
新 生 産 方 法 、 ③新 販路 、
( ﹃経
④ 新 供 給 源 、 ⑤新 組 織 の
五 つをあ げて いる
済 発 展 の理 論 ﹄ の第 二 章
﹁経 済 発 展 の根 本 現 象 ﹂
参 照 )。
言 い換 え ま す と 、 マル ク ス の原 著 論 に お け る歴 史 的 説 明も ウ ェー バ ー の
宗 教 社 会 学 的 な 説 明 も 、 資 本 主 義 経 済 の、 そ も そ も の最初 の発 展 に つ いて
は、 非 経 済 的 領 域 に は いり こん だ 説 明 し か し て いな い のであ って、 自 分 は 経 済 理論 に徹 し て考 え た と いう わ け です ね 。
岩 井 そ う です ね。 僕 は シ ュム ペ ー タ ーと いう のは 天 才 だ と 呼 べる要 素 を
も った人 だ と思 う ん です け ど 、 た だ し 、 マル ク ス の方 が は る か に 天 才度 は
高 い。 そ し て彼 の書 いた も のに いろ いろな ト リ ックが あ る ん です ね 。 た と
え ば あ の論 文 でも述 べま し たけ れ ど、 彼 は 新 古 典 派 経 済 学 の創 始 者 であ る
ワル ラ ス の偉大 さ を 非常 に強 調す るわ け です 。 それ は わ か る ん です が 、 た
だ 、 あ れ だ け 強 調 し て い る と い う の は 、 な ん か く さ いん で す よ 、 お か し い
ん で す 。 ワ ル ラ スを 読 む こ と ほ ど 退 屈 な 経 験 は あ り ま せ ん か ら ね 。
そ こ で シ ュム ペ ー タ ー が な ぜ ワ ル ラ ス を 強 調 す る か と い う と 、 や は り マ
ル ク ス の解 毒 剤 に 使 お う と し て い る ん で す ね 。 ワ ル ラ ス は 結 局 何 を 言 って
いる か と い った ら 、 労 働 力 を 含 め た す べ て の モ ノが商 品 化 さ れ た 一般 均 衡
で は ど こか に不 完 全 性 や不 均 衡 が な け れ ば 剰 余 価 値 は存 在 し な いんだ と い う こと を 証 明し て いるわ け です よ。
マル ク ス の経 済 理論 は 理論 とし ては 古 典 派 経 済 学 に還 元 でき ま す か ら 、
こ の ワ ル ラ ス の証 明 を応 用 でき る。 絶 対 的 剰 余 価 値 でも 相 対 的 剰 余 価 値 で
18 ワ ル ラ ス L.W al ras (1834︱ 1910) 北 フラ ン
ス生 ま れ。 一八七〇 年 代
に お け る 限 界効 用 理論 の
発 見 者 の 一人 で あ る が 、
一般 均 衡 理 論 の建 設 者 と し て の名 前 の方 が 有 名 。
﹃純 粋経 済 学 要 論 ﹄ ( 久武
雅 夫 訳 、 岩 波 文 庫 、 一九
八 三 年 )。
(量 ) の 一致 す る状
( 量 )と
19 一般 均 衡 あ ら ゆ る 商 品 の超 過需 要 も 超 過 供
供給
給 も な く、 需 要
態。
も い いん です が 、 搾 取 論 的 な 剰 余 価値 が存 在 す る た め に は たと えば 労 働 力
シ ュム ペー タ ーは 言 う ん です ね 。
と いう 商 品 の商 品 化 の不 十 分 性 と い った 要 因 を導 入 し なけ れば な ら な いと
です か ら、 ワ ル ラ スを あ れ だ け 誉 め称 え た のは 戦 略 的 意 図 であ って、 そ
の論 理を 使 って マ ルク スの搾 取 論 にも と づ く 剰 余 価 値 学 説 と いう も のを消 し てし ま う た めだ った のです ね 。
そ う す る と そ こ で残 る のは、 イ ノベ ー シ ョ ンが も た ら す 企 業 間 の生 産 性
格 差 や 商 品 の質 の格 差 に よ って生 み出 さ れ る剰 余 価 値 のみ を 資 本 主 義 の発
展 の原 動 力 と み な す彼 自身 の剰 余 価 値 論 、 マ ルク スにと っては 搾 取 論 の付
録 でし か な い特 別 剰 余 価 値 論 であ る。 そ う いう論 理構 成 を し て いるん です ね。
し かも ﹃経 済 発 展 の理 論 ﹄ を 書 いた のは 、 二 十 八歳 です よ。 これ に は僕
はも う驚 天 動 地 です よ 。 人 間 が 若 く し て社 会 科 学 と いう も のを こんな にわ か る と いう こ と があ り う る のか と 思 いま す ね 。
川 勝 そ う です ね。 そし て、 それ が す ご い理 論 だ と いう こと を いち は や く
見 抜 いた のは ウ ェー バ ーだ と思 いま す 。 ウ ェー バ ーは 資 本 主 義 の歴史 的 起
パ の資 本 主 義 の成 立 過 程 を 考 え て いる。 そ のとき に、 文 字 ど お り 驚 天 動 地
源 に か か わ る 問 題 を マルク スに よ って突 き つけ ら れ る かた ち で、 ヨー ロ ッ
20 特 別 剰余 価 値論 マ ルク スは商 品 の価値 は そ
の生産 に 必 要 な 平均 労 働
時 間 に よ っ て決 定 さ れ る
と考えた。ある資本家が
て労 働 生 産 性 を 高 め る と 、
新 技 術 の応 用 な ど に よ っ
そ の資 本 家 は 平 均 労 働 時
でき る。 そ の差 額 が 特 別
間 以 下 でそ の商 品 を 生 産
剰 余 価 値 であ る。 個 々 の
の取 得 を めざ し て、 た え
資 本 家 は特 別 剰 余 の価 値
ざ る労 働 生 産 力 の改 善 へ
の動 機 を植 え つけ ら れ る。
の ﹃経 済 発 展 の理 論 ﹄ が出 た 。 そ れ で、 これ を 経 済 学 の流 れ に お い てど う
いう ふう に位 置 づ け る のかと いう こ と に、 関 心 を 持 った に違 いな い。 そ こ
で彼 に ﹃学説 史 と 方法 論 史 の諸 段 階 ﹄ ( ﹃経済学史﹄岩波書店 )を 書 か せ る ん です 。
ウ ェー バー は ﹃社 会 経済 学大 綱 ﹄ な る も のを編 集 し て いて、 そ の第 一巻
に 、 経 済 学説 史 に 関 す る項 目 を 、 数 あ る 大家 を し り ぞ け て、 ま だ 二〇 代 の
シ ュム ペ ー タ ーに 書 か せ た 。 です か ら 、 マル ク ス、 ウ ェー バー、 シ ュム ペ
ー タ ー の三 人 の関 係 は 、 や は り 資 本 主 義 の理 論 と し てた が いに連 関 し て い ると 思 いま す 。 シ ュム ペ ー タ ー と法 人 資 本 主 義
岩 井 え え。 僕 は、 最 終 的 に資 本 主 義 論 で残 る のは シ ュム ペ ー タ ーか も し
れな いと 、思 って いる ん です ね。 利 潤 は ど こ から 生 ま れ るか と いう 問 い に 関 し て です よ ね。
川 勝 起 源論 と し ては 、 マルク ス の歴史 叙 述 は迫 力 満 点 です ね 。 ウ ェー バ
シ ュム ペ ー タ ー し か な い か も し れ ま せ ん 。
ー の宗 教 社 会 学 の理論 的 枠 組 も 明確 です 。 経 済 的 説 明 とし て は、 た し か に
シ ュム ペ ー タ ー の 理 論 の エ ッ セ ン ス は 、 い ろ い ろ の解 釈 の仕 方 は あ る で
21 シ ュ ム ペ ー タ ー は ﹃理 論 経 済 学 の 本 質 と 主
要 内 容 ﹄ (一九〇 八 ) で
それ を も と に真 に独 創 的
当 時 の経 済 理論 を 概 括 し 、
(一九 一二) を 打 ち た て、
な ﹃経 済 発 展 の 理 論 ﹄
自 己 の学 説 の位 置 づ け を
﹃経 済 学 史 ﹄ (一九 一四)
で 行 った 。 いず れも 三十
シ ュム ペ ー タ ー は 後 に‘
歳 ご ろ ま で の仕事 であ り 、
that decade of s acr ed f ert i l i t y’﹁あ の 神 聖 な 多
いる 。
産 の十 年 ﹂ と 振 り 返 って
し ょ うけ れ ど も 、 企 業 家 が 銀 行 の信 用 供 与 を え て新 結合 を行 な う と いう こ
と です ね 。 そ の場 合 シ ュム ペ ー タ ーは 、 企 業 者 の出 自 や エー ト スは問 わな
い。 企 業 者 と は新 結 合 を 行 な う 主 体 であ り 、 機 能 を 担 う存 在 です ね。 いわ ば メカ ニズ ムとし て定 義 さ れ て いる。
企 業 家 がな ぜ新 結 合 を 遂 行 でき る か と いう と ころ で、 二 つな が ら 一つ の
セ ットと し て、 銀 行 家 と 企 業 家 、 な いし 信 用 創 造 と 新 結 合 と いう わ け で し
ょう。 信 用供 与 と は購 買 力 の供 与 、 端 的 には 貨 幣 じ ゃあ り ま せ ん か 。 岩井 貨 幣 で はな いん です 。 信 用 です 。
川勝 でも 、 供与 され た信 用 は、 具 体 的 には 貨 幣 と いう 形 態 を と り ま せ ん か。 岩 井 そ う です が 。
川 勝 問 題 は貨 幣 が ど こか ら 来 る か と いう こと で す ね 。 提 供 者 は 銀 行 で
す 。 も ち ろ ん 貨幣 は 政 府 が 発行 す る のでし ょう が 。 こ こ で登 場 す る のは 、 貨 幣 、 購 買 力 、信 用。 いず れ も 経済 学 のカ テゴ リ ー です 。
岩 井 シ ュム ペ ー ター の理 論 と いう のは非 常 に徹 底 し て いる理 論 で、 マル
いま す 。
ク ス的 な 考 え 方 か ら 実 体 を ぜ ん ぶ消 し て いく ん です ね。 そ れ が 重 要 だ と 思
です か ら 先 ほど の剰 余 価 値論 に つ い て繰 り返 し ます が、 利 潤 がど こか ら
22 信 用 創 造 銀 行 が 貸 付 を 通 し て預 金 通 貨 を 創
タ ー によ れ ば 、 銀 行 は 信
設 す る こと 。 シ ュム ペー
用創 造 に よ って、 資 金 の
な い企 業 家 に購 買 力 を 授
( 新結合)を開始し て
与 し 、企 業 者 は 新 た な 生
産
経 済 の発 展 を 実 現 す る 。
生 ま れ る か と い った ら 、 剰余 価 値 じ ゃな く て特 別 剰 余 価 値 です ね 。結 局、
で相 対 的 な 違 いを生 み出 す こ と です よ ね。 これ を 利 潤 に 転換 す る。
革 新 を し て、 ほ か の企業 より 新 し い生 産 方 法 ま た は 新 製 品 、 いろ んな 意 味
こ こに は な ん の実 体 も な いわけ です ね。 あ る のは 差 異 性 だ け で す。 単 に
ほか の人 よ り 時 間 的 に先 に行 くと か、 別 のも のを 出 す と か 、 新 し い市 場 を
探 す と か 、 ど こに も マルク ス的 な 自 分 を 労 働 力 と し て再 生産 す る た め に 必
要 な 価 値 以 上 の価値 を生 産 す る不 思 議 な 能 力 を も った 人 間 労 働 な ど と いう
実 体 を も ち 出 さ な いん で す ね。 資 本 家 同 士 の間 の単 な る 相対 的 な 差 異。 こ
れ は 実 体 が な いわ け です 。 し かも 、 剰 余 価 値 ま た は 利 潤 を 生 み出 す 主体 で あ る 企 業 家 と いう のは資 本 家 じ ゃな いわ け です ね 。
川 勝 違 いま す 。 資 本家 と は 明確 に区 別 さ れ る存 在 です 。 階 級 でも な い の です 。
ペ ー タ ーは 純 粋 化 し て 、 こ こでも 実 体 を 無 化 し て いるん です 。
岩 井 階 級 でも な いで す ね。 こ れ も マル ク スの ひと つの不 徹 底 さ を シ ュム
ど う いう こと か と い います と、 これ は僕 の法 人 資 本 主 義 論 で使 って いる
ん です が 、 マルク スは ま ず資 本 家 と いう の は資 本 の人 格 化 だ と いう ふ う に
言 う わ け です ね 。 そ こま では 正 し く言 う んだ け ど 、 マル ク スは 最 終 的 に ど
う も 資 本 家 と いう存 在 の中 に実 際 の人 間、 金 持 ち な んか を 見 てし ま う と こ
三章 ﹁法 人 と 日本 資 本 主
23 岩 井 克 人 ﹃資 本 主 義 を 語 る﹄ ( 講 談 社 ) の第
は本 来 は ヒ ト で はな いが 、
義 ﹄ を 参 照 。 ﹁法 人 ﹂ と
ト で あ る か の よ うな 扱 い
法 律 の上 で はあ た かも ヒ
を う け る モ ノ の こ とを 意
味 す る。
て、 太 った ド ルの袋 を 持 った人 間 と し て、 マ ンガ 化 さ れ て いま し た よ ね 。
ろ が あ る。 た と え ば か つて の メ ー デ ー の プ ラカ ー ド で、 い つも 資 本 家 っ
でも資 本 家 と いう の は常 に資 本 と いう 自 己 増 殖 す る 価 値 の人 格化 でし か
な い。 自 己増 殖 す る価 値 と いう資 本 の運 動 を 自 ら の行 動 規 範 や 欲望 と し て
自 分 の精 神 に内 面 化 し て いる存 在 であ ると 言 う わ け です ね 。 僕 が法 人 資 本
主義 でや ろ う とし て いる のは、 そ の資 本 家 と いう のは 、 人 間 では な く て法 人 でも い いじ ゃな いか と。 川 勝 お も し ろ い です ね。
岩 井 そ う す ると 資 本 主 義 が あ る意 味 で純 粋 化 し ち ゃ って いる。 シ ュム ペ
ー タ ー の場 合 は も っと 別 の側面 か ら の純 粋 化 を試 み て いま す 。 資 本 家 と い
川勝 生 産 活 動 を す る 企 業 家 は 人格 では な い。 ま さ に法 人 企 業 のご と く 機
う も のを べ つに実 際 に 生産 活動 で⋮ ⋮。
能 と し て存 在 す る者 です ね 。
岩 井 機 能 な ん です ね 。 だ か ら 、 ま ず機 能 に 関し て資 本 家 を 生 産 活 動 に資
本 を 供 給 す る主 体 と 、 実 際 に利 潤 を つく り だ す 主体 と を分 け る。 資 本 主 義
的 な 利 潤 創 出 機 能 と いう のは 、 資 本 家 と 分 け ら れ た意 味 で の企 業 家 が や っ
てし ま う 。 し かも も う ひと つお も し ろ い のは 、 こ こ で信 用創 造 の問 題 が あ る ん です 。
24 企 業 家 は 本 来 は ヒト であ る が 、 シ ュム ペー タ
ー の いう ﹁企 業 家 ﹂ は あ
た か も モ ノ のご と き あ つ
か いを う け てお り 、岩 井
氏 の いう ﹁法 人 ﹂ と 親 縁
性がある。
川勝 信 用創 造 と いう 考 え を だ し た のは 、 シ ュム ペー タ ー の卓 見 を よ く 示 す も のだ と 思 いま す 。
岩 井 だ から 、 そ れ と ち ょう ど 裏腹 に な って いる ん です よ 。 資 本 家 と企 業
家 を 分 け た と いう こと に よ って、資 本 主 義 活 動 を す るた め には 資 金 を実 際 に持 って い る必 要 は な い こと が 明 ら か にな る。
そう す ると ど う す る か と い った ら 、 一方 で ひと つの アイ デ ィ アを も って
い る が資 金 は も って いな い人 間 が いる。 こ こ で アイ デ ィアと いう のは、 発
明 と いう 意 味 じ ゃな く て、 いま ま で存 在 し た さま ざ ま な 科 学 的 知識 を 現実
に適 用 す る アイ デ ィ ア、 一般 的 に は 新 結 合 に 関 す る ア イ デ ィ ア の こと で す 。 こ こ では ま だ アイ デ ィ アだ け で資 金 がな い。
と ころ が 他 方 に 銀 行 家 な るも のが いる。 こ こ で銀 行 家 だ と い っても本 人
自 身 が 資 金 を も って いる資 本 家 であ る必 要 は な く て、 単 な る サ ラリ ー マン
銀 行 家 か も し れ な い。 そ こ で銀 行 家 の最 も 重 要 な 働 き は 、 企業 家 を 見込 む
こと です 。 ま だ ど こに もな にも 実 現 し て いな いん だ け ど も 、 こ の企 業 家 が
将 来 、 自 分 の アイ デ ィ アを 実 現 す る こと で利 潤 を 得 る は ず だ と 予想 す る。
そ の予想 す る 利 潤 を 目当 て に自 分 の銀 行 の中 にそ の企 業 家 の口座 を つく っ
て、 そ の ク レジ ット欄 のと こ ろ に何 億 円 と いう 数 字 を 書 き 込 む。 これだ け な ん です 。
こ こ で はま だ な にも モ ノは 動 い て いな い。 な に も 実体 的 に動 いて いな い
ん です ね。 企 業 家 はそ こ で信 用 を 受 け て、 銀 行 口座 のク レジ ット の部 分 に
の工 場 を つく ったり 、 経 営 組 織 を つく った り 、 ま た は 船 を 雇 って新 し い市
あ る 何億 円 かを 使 って生 産 要 素 を 買 う 。 自 分 の ア イ デ ィ アを 体 現 す る た め
場 に 行 く。 これ が成 功 す る と、 そ こ で利 潤 が 生 ま れ る 。 そ の利 潤 の 一部 は
に、 成 功 し た 企業 家 は 自分 の企 業 を拡 張 し はじ め るわ け です ね 、 大 量 の労
利 子 と し て自 分 を 見 込 ん で くれ た銀 行 家 の収 入 にな るん です け れ ど 、 同 時
働 者 を 雇 う 。 ま た は 新 し い生 産 要 素 を雇 う。 機 械 を 買 う 。 そ う す る と 、 労 賃 が 上 が る。 生 産 要 素 の価 格 が 上 が る。 生 産 手 段 の価 格 が 上 が る。
そ の結 果 何 が 起 こる か と いう と 、 いま ま で の古 い生 産 方 法 を 使 って いた
連 中 は、 自 分 の使 って いる 労 働 者 の賃金 が上 が ったり 、 生 産 要 素 の価 格 が
上 が ったり 、 生 産 手 段 の価 格 が 上 が って、 や って いけ なく な って潰 れ る。
そ う す る と、 そ こ に雇 わ れ て いた 労 働 者 や 、 そ こ で使 わ れ て いた生 産 要 素
て いく。
や生 産手 段 の少 な くと も 一部 が 、 イ ノ ベ ー シ ョンに 成 功 し た企 業 家 に流 れ
し す る こと に よ って、結 果 とし て、 実 物 的 な も のが 、 古 い企 業 家 か ら新 し
最 初 は 単 な る アイ デ ィ アがあ るだ け で、 そ れ を 信 用 によ って銀 行 が後 押
い企 業 家 へ移 って いく と いう プ ロセ スが ここ にあ る。 そ し て最 初 に 新 し い
25 土 地・ 労 働 ・資 本 を 生 産 の三 要 素 と いう 。
銀 行 口座 と し て創 造 さ れ た 信 用 は 、 事業 が成 功 す れば 、 そ の利 潤 によ って
支 払 わ れ る こと に な る 。 す べ てが自 転 車 操業 であ る。 だ から こ こ では 、 ど こ にも だ れ か 資 本 を た め てや る と いう こと は な いん です ね。
川勝 そ う です ね 。 いま ﹁銀 行 ﹂ と 言 わ れ ま し た が、 これ は本 当 の銀 行 で
な く ても い いわ け でし ょう 。 資 金 と いえ ば 、 や や 問題 です が、 信 用を 供 与
す る機 能 を にな う 存 在 であ れ ば いいわ け です ね。 新規 の購 買力 の提 供 者 で
さ え あれ ば、 実 態 とし ては 、 政 府 であ っても 、 銀 行 家 であ って も、 あ る い は親 戚 であ っても い い。 岩井 も ち ろ ん そ う です 。
のが 資本 家 で す が、 シ ュム ペー 夕ー はそ れ を 区 分 し た 。 た だ 、 シ ュム ペー
川勝 マルク ス的 に言 えば 、 銀 行 家 と 企 業 家 と いう 二 つが 一つに な った も
ター が銀 行 と い った こ と に よ って、 いく つも の イ ンプ リ ケ ー シ ョンが生 ま
れ た 。銀 行 が企 業 家 か ら独 立 し て いる の みな ら ず 、 国 家 か ら も 独 立 し た 存
に、 必 ず し も 国 家 は要 ら な いと いう こと です 。
在 であ る と いう のも 、 そ の 一つです 。 資 本 主 義 的 な メ カ ニズ ムを 動 か す の
銀 行 は 理 論 的 カ テゴ リー です が、 これ は普 通名 詞 と し ても 使 え る。 す る
と 、 銀 行 は 政 府 か ら も 独 立 し た も のと いう含 意 も あ る。 銀 行 家 は、 政 治 的
権 力 から 独 立 し て、 な いし 権 力 を も た ざ る者 と し て、 自 分 が見 込 んだ 人 、
い い アイ デ ィ アを 実 現 し て く れ そ う だ と いう人 に金 を 貸 す わ け で、 企 業 者
が そ れ を 利 用 す る 。非 経済 的 要 素 はな い のです 。 非 常 に賢 明 に つく ら れ た 概 念 であ ると 思 いま す ね 。
岩 井 そ う です ね 。 です か ら ど こに も実 体 が な いん です よ。 それ は やは り
マル ク ス の理 論 の形 式 的 な 構 造 を よ く読 み 込 ん で、 そ の中 の実 体 的 な も の を ど ん ど ん 消 し て いる ん です ね 。
それ は 茶 番 な ん だ け ど 、 先 ほど 言 った よ う に 、 最初 は本 物 で次 は茶 番 だ
と 言 う ん だ け ど 、 じ つは 本 物 は な いん だ と 、 最 初 か ら茶 番 し かな いんだ か
川 勝 新 結 合 と いう のは 、 新 し い原 料 、 新 し い生 産 方 法 、 新 し い生 産 組
ら ね。
織 、 新 し い商 品 、 新 し い市 場 のさ ま ざ ま な 組 合 わ せ です ね。 そ れ が利 潤 を
生 む。 そ こ に は労 働 に 還元 す べき も のは な に も な い。 実体 を論 じ て いる の では な い ので す ね。
26 新 生 産 関数 生 産 要 素 と 生 産 高 と の関 係 を 関
数 関 係 であ ら わ し た も の。
資本 の単 位 数 をa1 、労働
生産高をX、生産要素 の
た だ 、 ど う な ん でし ょう か。 彼 は、 企 業 家 が 新 結 合 を 遂 行 す る と いう と
き に 、 ﹃景 気 循 環 論 ﹄ ( 有斐閣) で は新 生 産 関 数 を 導 入 す る と いう 表 現 を 使
る。
X=f(a1,a )2と 表 さ れ
の 単 位 数 をa2と す る と
って い て、 や は り生 産 に力 点 を 置 いて いると は いえ ま せん か 。
これ は 、 ま だ彼 が充 分 に実 体 論 か ら抜 け て いな か った のか 、 あ る いは マ
ル ク ス の影 響 でし ょう か。 マ ルク スは ﹃共 産 党 宣 言 ﹄ を 書 いた 若 いと き か
ら 、 ブ ルジ ョ ワ社 会 を つく り あ げ て いる 巨大 な生 産 力 は、 ロー マの水 道 と
か、 万 里 の長 城 と か 、 ピ ラ ミ ッドと か、 ゴ シ ック建 築 と か、 そ れら を ぜ ん
ぶ凌 駕 す るよ う な も のを つく り あ げ た と 、 一見資 本 主 義 を 賛 美 す る よう な こと を 言 って いる 。 実 体 と し て の生 産 力 に力 点 を置 いてま す ね。 資 本 主 義 の 三区 分
川勝 十 九 世 紀 ヨー ロ ッパ の現 実 と し てイ メー ジ でき る よ うな 生 産 力 、 要
す る に労 働 の生 産 力 と いう のが イ メー ジ さ れ て いる。 そ れ が飛 躍 的 に上 昇
し て、 資 本 主 義 社 会 が出 来 上 が った と いう 考 え方 です 。 そ う いう と こ ろ
と 、 岩 井 さ ん のお っし ゃる ﹁遠 隔 地 貿 易 ﹂ と し て の資 本 主 義 論 と の違 いに 気 づ かざ るを え ま せん 。
な る ほど 重 商 主 義 のと き には 、 安 く 買 って高 く売 った。 そ れ がだ んだ ん
み ん な競 争 し て大 し て差 が な く な ってく ると 、 シ ュム ペー タ ー流 に言 え ば
新 結 合 を や って、 特 別 利 潤 を 得 ると いう こと に な る わ け です ね。 そ のと き に は 、遠 隔地 を 時 間的 に延 長 す ると いう か た ち で新 結 合 を す る 。
同 じ 地 理的 空 間 の内 部 で、 将 来 の空 間 と いう か 時 間 的 に 先 に 延 ば し た、 未
こ れ は、 遠 隔 地 が文 字 ど おり 地 理 的 に 異 な る空 間 であ った のが、 いま や
来 と いう 遠隔 地 を 、 市 場 の内 に つく り あ げ て いく と いう こと です ね。 そ れ
は よ く 分 か る のです が、 宇 野 理論 的 に言 え ば 、 商 人 資 本 か ら 産 業 資 本 へ、
マル ク ス的 に 言 え ば本 源 的 蓄 積 か ら資 本 主 義 的 蓄 積 へ、 と い った も のと 対
応 し た 区 別 は な さ ら な いん です か。 そ う いう区 別 は 問 題 では な いと いう ふ う に お 考 え です か。
岩 井 僕 は 三 つの区 別 を し た ん です。 まず 、 地 理的 な 価 値 体 系 の差 異 性 を
利 用 し て利 潤 を 生 む 商人 資本 主義 、 そ れ か ら階 級 的 と いう か、 な んか も っ
と 抽 象 的 な 形 の価 値 体 系 の差 異 性 を利 用す る のを産 業 資 本 主 義 と みな し た
ん です 。 産 業 資 本 主 義 と は 何 か と い った ら 、 そ の基 本 構 造 はじ つは農 村 の
過 剰 人 口 の経 済 発 展 に果 す 役 割 を 強 調 し て いる アー サ ー =ルイ ス ・モデ ル
に似 て いる と僕 は思 って いま す 。 農 村 と いう のは 、 そ こ では いわ ゆ る市 場
の労 働 者 の労 働 力 に市 場 原 理 が不 完 全 にし か 働 か な い。 具体 的 に は低 賃 金
原 理 が働 いてお ら ず 、 そ の結 果 農 村 か ら 絶 え ず 新 た に供 給 さ れ てく る都 会
労 働 と いう こと で、 それ が搾 取 的 剰 余 価 値 の存 在 を 可能 に し て いる状 況、
そ れ が産 業 資 本 主 義 な ん だと いう ふう に思 って い て。 そ れ か ら 、 ポ スト産
業 資本 主義 と言 わ れ て いる、 ま あ 、 情 報 資 本 主 義 でも い い です。 そ れ は先
ほ ど 言 った 、 イ ノ ベ ー シ ョ ンと い った か た ち で 未 来 の 価 値 体 系 を 先 取 り
し 、 現 在 の生産 性 の差 異 や商 品 の質 の差 異 に転 化 す ると いう シ ュム ペ ータ ー的 な も の です 。
27 さし あ た って、 公 文 俊 平 ﹃情 報 文 明 論 ﹄ ( N
TT出版)を参照。
これ ら 三 つ の資本 主義 のパ タ ー ンがあ ってね 。 た だ 、 今 僕 は 便 宜 的 に商
人 資 本 主義 、産 業 資 本 主 義 、 ポ スト産 業 資 本 主 義 の区 分 を 歴 史 の先 後 関係
に 重 ね て語 り ま し た れ ど 、 し かし ど の社 会 にも こ の 三 つは 共 存 し て いる と
思 う ん です ね 。 そ の面 で、 僕 は 資 本 主 義 の初 め が ど こ に あ る か と い う の は 、 問 わ な い こと に し て いる ん です よ。 川 勝 な る ほど 、 パ ター ン の区 別 です か。
岩 井 そ こ の点 では 、 僕 は ブ ロー デ ル の歴 史 観 の影響 を 受 け て いま す 。 ブ
ロー デ ルは 、 広 い意 味 の資 本 主義 と狭 い意 味 の資 本 主 義 と いう 区 別 を し て
いて、 広 い意 味 の資 本 主 義 と いう のは 三 層 構造 で、 一番 下 層 が物 質 文 明、
真 中 が 市 場 形 態 。 これ は 等 価 交 換 を 原 則 と す る 需要 供給 の世 界 です ね。 そ
って いる遠 隔 地 貿 易 搾 取 、 革 新 な ど が ぜ ん ぶ入 り ま す。
し て上 に狭 い意 味 で の資 本 主 義 。 これ は 不 等 価 交 換 の世 界 で あり 、 僕 が言
し か し、 ブ ロー デ ルの こ の 三層 構 造 は 変 わ ら な いん です 。 割合 は変 わ っ
て いく か も し れ な い、 お そら く上 の ほ うが だ ん だ ん 広 が ってく る だ ろ う け
れ ど 、 こ の三 層構 造 は、 少 な く と も わ れ わ れ の記 録 の残 って いる か ぎ り あ る だ ろ う と いう ふ う に 、 ブ ロー デ ルは考 え て いる ん です ね。
一見 、 ど こか 非 常 に 後 進的 に 見 え る地 域 があ っても 、 よく 見 てみ る と 、
そ の三 層 構 造 の分 業 の 一部 を 担 って いる だ け であ り 、 世 界 の ど こ か に必 ず
(みす ず 書 房 )参 照 。
28 ブ ロー デ ル ﹃物 質 文 明 ・経 済 ・資 本 主 義 ﹄
さ まざ まな か た ち で利 潤 を 生 み出 し て いる狭 い意 味 で の資 本 主 義 の部 分 が
あ るし 、 ま た同 時 に多 く の地 域 で市 場 形 態 の部 分 が 広 が って いる と いう。
後 進性 と い って も そ れ は構 造 的 な 意 味 でし かな く 、 歴 史 の発 展 段 階 を 意味
し て いる の では な い。 そ れ が資 本 主 義 の構 造 だ と言 うん です 。 そ し て、 僕
の場 合 は 最 上 層 の狭 義 の資 本 主 義 の中 に 三 つの共 存 す る パ タ ー ンを 見 出 し た ん です 。
川 勝 ブ ロー デ ル の いう 物質 生 活 と は、 たし か に 一番 下 部 構 造 にあ って、
真 中 に市 場 が あ り 、 一番 上 に 資本 主義 があ る と いう わけ です が、 彼 の関 心
を ひ いた のは いち ば ん変 わ り に く い物 質 生 活 のと こ ろ。 これ は衣 食 住 の生
活 です よ ね 。 これ は 、 た と え ば地 中海 と い った よ う な 環境 と 結 び つ いて、
非 常 に変 わ り に く く 、 ﹁長 期 の持 続 ﹂と い った イ メ ージ が 結 び つ いた も の です ね。
し かし 、 彼 が こ の議 論 を 具 体 的 に展 開 し た ﹃物質 文 明 ・経 済 ・資 本 主 義
十 五︱ 十 八世 紀 ﹄ ( みすず書 房)と いう 本 のな か では 、 やれ コー ヒ ー が来
る わ 、 や れ茶 が 来 る わ と いう こと で、 一五〇〇 年 か ら 一八〇〇 年 の時 代
に 、 物 質 生 活 に お い て 、 ヨ ー ロ ッ パ の 食 卓 が 大 き く 変 わ った と い う と こ ろ を 描 いて います ね。
な る ほ ど 、 理 論 的 に は そ う いう 三 層 構 造 と いう の が あ っ て 、 物 質 生 活 と
29 十 八 世 紀 の イ ギ リ ス
人 の食 卓 に 登 場 し た も の
ト マト、 ア ス パ ラガ ス、
と し てジ ャガ イ モ、 米 、
ホ ウ レ ン草 、 ナ ツ メ ヤ シ、
イ チジ ク、 レ モ ン、 ライ
ム、 西 瓜 、 バ ナ ナ、 桃 、
イ チゴ 、 パ イ ン ア ップ ル、
チ ョ コレ ー ト、 コー ヒ ー、
茶 な ど。
い う の は あ ま り 変 わ ら な い も のだ と 言 って い る の で す が 、 ブ ロー デ ル が 方
法 論 の レベ ルと いう か 、 抽象 化 し たと こ ろ で論 じ た も のは 、 理 論 的 に は 精 緻 では あ り ま せ ん。 岩 井 そ う です ね 。 川 勝 あ ま り細 か く な いん で す ね。 理論 は大 味 です 。
M atr eialCivi al tii onz and Capt il a ism”
岩 井 理 論 な ん か な い で す よ 。 ち ょう ど 一週 間 前 に 学 生 と ゼ ミ 旅 行 に 行 っ Thought son
Hopki nsUni ver s i ty rP ess) を 読 ん だ ん で す け ど 、 理 論 な ん て な い
て、 ブ ロー デ ル の “ Afte r ( Johns
ん で す よ 。 ど こ を 探 し て も ね 。 ち ょ ろ ち ょ ろ っと 説 明 み た い な こ と が 書 い てあ る だ け で。
“ OnH is ot r y”( Chi cag oU niver si ty r e P s s) と
いう 本 でも 、 方 法論 に か か わ る こ とを 書 いて いるん です 。 自 分 の理 論 は レ
川 勝 彼 の エ ッ セ ー を 集 め た
ヴ ィ = ス ト ロー ス の い う 構 造 と 似 て い る と か 、 あ る いは フ ラ ン ス の 地 理 学
の伝 統 に根 ざ し て いる と か 、 そ う いう よ うな こと を 言 って い るに す ぎ ま せ
フラ ンス の人 類学 者。
30 レヴ ィ =ス ト ロー ス L.Strauss (1908︱ )
﹃親 族 の基 本 構 造 ﹄ ( 花崎
八︱ 七 九 年 ) で構 造 人 類
他 訳 、番 町 書房 、 一九 七
い影響 を 与 え続 け て いる。
学 を 確立 。 現代 思 想 に広
31 フ ィ リ ップ 二世 Fe l i pe (1527 ︱ 98) 一 五
ス ペイ ン王 に つき 、広 大
五六 年 父 王 の引 退 に よ り
と が でき た と ころ に あ る と 思 いま す。
貴 金 属 の所 領 の税 収 に よ って ス ペイ ンの黄 金 時 代
陸 の植 民 地 か ら流 入 す る
な 海 外 領 土 を相 続 。 新 大
ブ ロ ー デ ル の 名 を 不 朽 に し た ﹃地 中 海 ﹄ ( 藤 原 書 店 ) と いう 作 品 が あ り ま
を現出。
ん 。 や は り 彼 の 真 骨 頂 は 叙 述 に あ って 、 大 き な 歴 史 の ピ ク チ ュア を 描 く こ
す が 、 こ れ が あ つか っ て い る の は フ ィ リ ップ 二 世 の 時 代 、 十 六 世 紀 後 半 で
と き ま で 東 地 中 海 は オ ス マ ン ・ト ル コ の 世 界 で す ね 。 西 地 中 海 を ス ペ イ ン
す ね 。 そ の 十 六 世 紀 後 半 に レ パ ン ト の 海 戦 で ト ル コ海 軍 が や ら れ る 。 そ の
が制 し た のです が、 ス ペイ ンの無 敵 艦 隊 が イ ギ リ スに 破 れ て世 界史 のベ ク
ト ルが、 だ ん だ ん と地 中 海 から 大 西 洋 に移 って いく 。 ま さ に 転 換 期 を 扱 っ て い る の です 。
そ う い う ダ イ ナ ミ ッ ク な い わ ば ﹁大 き な 歴 史 ﹂ を や は り ブ ロ ー デ ル は 狙
っ て いる 。 そ こ ら が 、 た と え ば ウ ォ ー ラ ー ス テ イ ンな ど が 、 ブ ロ ー デ ル に
傾 倒 し た と こ ろ で し ょ う ね 。 な る ほ ど 、 ブ ロー デ ル は 、 一方 で 変 わ ら な い
﹁地 中 海 的 世 界 ﹂ を 見 事 に 描 き ま し た 。 そ こ に は ユダ ヤ も い れ ば 、 ア ラ ブ
も い る し 、 ク リ ス チ ャ ンも い る し 、 山 人 も 、 平 野 人 も い る 。 こ う し た 異 質
の 要 素 が 渾 然 一体 と な り 地 中 海 世 界 を つく っ て い て 、 そ れ を ひ と つ の構 造
と し て 描 い た の で す ね 。 ウ ォ ー ラ ー ス テ イ ン は 、 そ う いう と こ ろ か ら 、 い
わ ゆ る 国 民 経 済 と い う も の を 単 位 に し な い ﹁近 代 世 界 シ ス テ ム ﹂ 論 を 構 想 し た にち が いあ り ま せ ん 。
ウ ォ ー ラ ー ス テ イ ンが 描 い た 近 代 世 界 シ ス テ ム は 、 大 西 洋 経 済 圏 と し て
構 想 さ れ ま し た が 、 そ れ は ブ ロ ー デ ル の 地 中 海 世 界 の続 き を 描 いた も の と
読 み と る こ と が でき ま す 。 実 際 、 西 洋 の近 代 史 は 、地 中 海 地 域 から 大 西 洋
経 済 圏 へと い う 転 換 のな か に あ る わ け で す ね 。 そ の 転 換 の 開 始 点 を ブ ロー
32 レパ ント の海 戦 一 五 七 一年 、 ギ リ シ ア中 部
ン ・ポ ル トガ ル ・教 皇 な
の レパ ン ト沖 で、 ス ペイ
ン ・ト ル コの海 軍 に勝 利
ど の連 合 艦 隊 が 、 オ ス マ
し た海 戦 。
33 ア ル マダ 海 戦 一五 八 八 年 六 月 、 イ ギ リ ス海
(ア ル マダ ) は 壊
軍 に よ って ス ペイ ンの無
敵艦隊
滅 。 ス ペイ ン衰 退 の転 機
と な り 、 オ ラ ンダ は 事 実
ンダ、 イギ リ ス に移 行 し
上独立し、制海権がオ ラ
た。
デ ルが扱 って いる。 ブ ロー デ ルは ﹃地 中 海 ﹄ に し ろ ﹃物質 文 明 ・経 済 ・資
本 主 義 ﹄ にし ろ、 十 六 世 紀 か ら 十 八 世 紀 への関 心 と いう のは 一貫し て いる
パ タ ー ンに お け る 第 一番 目 か ら 第 二 番 目 へ の転 換 期 な の です 。 こ の転 換
わ け で、 そ れ は実 は西 洋 世 界 が 大 き く 変 わ る 時 期 です 。 そ れ は岩 井 さ ん の
は 、 叙 述 さ れ る だ け では な く、 論 理 的 に 説 明 さ れ る べ き であ る と 思 いま
す 。宇 野 理 論 のよ う に タ イ プな り 、 岩 井 さ ん のよ う に パ ター ンで分 け る だ け でよ ろ し いん です か。 岩 井 う ー ん 、 そ う です ね。
川 勝 そ れ は 理 論 の対 象 では な いと いう か、 理 論 的 には そう いう こと を 言 う 必 要 は な いと いう こと でし ょう か。
岩 井 言 え な いん だ ろ う と 思 いま す。 そ れ は非 常 に歴 史 的 な ね。 偶 然 と言
ったら 、 ち ょ っと 逃 げ に な っち ゃう ん です け ど 、 で も、 それ でし か言 えな い部 分 があ ると 思 う ん です ね 。 歴史 と信 用 の創 造
川 勝 な る ほ ど 。 シ ュ ム ペ ー タ ー 流 に 言 え ば 、 ま ず 、 資 本 の な い 世 界 。生
産 要 素 が 土 地 と 労 働 だ け か ら な る 定 常 的 世 界 が あ る 。 こ れ は ヨ ー ロ ッ パの
封 建 社 会 の イ メ ー ジ です 。 で は そ れ が ど う いう ふ う に し て 、 資 本 主 義 とい
う 自 己 増 殖 の運 動 を も つ社 会 に 変 わ る のか。
これ を 説 明 す る の に、 シ ュム ペ ー タ ーは 、 企 業 家 と 銀 行 家 と いう 二 つ の
主体 がな く て は いけ な いと いう 。 これ は マル ク ス的 な 資 本 家 機 能 を 二 つ の
岩 井 そ う です。
基 本 的 な 概念 に分 け た も のです ね。
川 勝 そ し て これ は 、 ご指 摘 のよ う に、 あ る機 能 を 人 格 化 し た も の です か
ら 、 具 体 的 に 固 有 名 詞 のあ る 資 本家 でな く ても、 銀 行 家 でな く ても い いわ
はま さ に岩 井 さん が言 わ れ る ﹁法 人 ﹂ が ピ ッタ リ です ね。 と も あ れ、 企 業
け です ね。 そ れ ぞ れ の機 能 を 人 格 化 し た も のと し てあ る。 企 業 家 に つ いて
家機 能 を にな え る者 は社 会 のう ち に潜 在 的 に存 在 し て いる と いう のは蓋 然 性 が 高 い仮説 です 。
問 題 は 銀 行 家 です。 そ の機 能 は信 用創 造 です が、 も う 少 し つ っこむ と 、
ど う いう こ と な の か。 信 用 創 造 の機 能 と は 、 こ の転 換 に お い て、 端 的 に
は 、 新 大 陸 の金 銀 だ と いう ふ う に 、 私 は考 え ます 。 新 大 陸 の発 見 前 は、 金
て、 サ ハラ の金 な ん か見 つけ た り し た り し て いる の です が 、 そ れ ら の金 銀
銀 は、 ヨー ロ ッパ のみ な ら ず 、 た と え ば ア ラブ の連 中 が ア フリ カま で行 っ
は 、 ア ラブ世 界 に滞 留 し な いで、 さ ら に東 方 へ流 れ る 。 ムガ ー ル帝 国 の頃
に は 、 南 イ ン ド では パゴ ダ と いう 金 貨 が使 わ れ 、 北 イ ンド では ル ビー銀 貨
み た い のが使 わ れ て いる。 つま り 、 す で に ヨー ロ ッパ の圏 外 に 金貨 圏 と銀
貨 圏 が あ って、 交 換 手 段 あ る い は流 通 手 段 と し て使 わ れ て いる わ け で す ね。
金 銀 は 文字 ど お り購 買力 と言 って い い物 です 。 そ れ が た ま た ま 新 大 陸 に
あ った 。 そ れ を つか み と ってき た。 海 賊 であ ろ う が 、 何 であ ろ う が 、金 銀
は と ってく れ ば 、 そ のま ま購 買力 にな り え た。 信 用 創 造 の コン セプ トは 、 歴 史 的 に は 、 あ のあ た り に あ て は め られ そう に思 う ん です 。
岩 井 そ う です ね 。 歴 史的 に は いま言 った よう に、 金 銀 、 貴 金 属 の流 入 と
いう も のが 信 用 供 与 を 可能 に し た と。 非 常 に力 強 く さ せた と いう こと は 確 かな ん です ね 。
歴 史 的 には そ う な ん です け ど 、 シ ュム ペー タ ー の理論 を 見 ると 、 繰 り 返
し にな っち ゃう ん です け ど 、 いま 川 勝 さ ん が いみじ く も 、 シ ュム ペ ー タ ー
は資 本 家 を 企 業 家 と 銀 行 家 に分 け 、 し か も 分 け た こと に よ って、 銀 行 家 は
る。 企 業 家 はあ と で銀 行 に お 金 を 返 せ ば 銀 行 は 元 が と れ る と いうわ け で、
自 分 が お金 を持 って いな く た って帳 簿 に 書 い て貸 せば い い。 信 用 を 与 え
こ こ で資 本 家 と いう のを 二 つの主 体 に分 け て、 そ のあ いだ の 一種 の帳 面 上
のや り とり で資 本 と同 じ も のが 生 ま れ てく る と いう 、 一種 のこ れ は マジ ッ クな ん です よ。
( 1543︱96) 、 ホ ー キ ンズ
34 イ ギ リ ス の ド レ ー ク
( 1562︱1622 ) は 有 名 。
理論 的 に は、 そ こ にな にも 実 際 の金 と か 銀 と か 蓄 積 は 必 要 な いと いう こ
と だ と 思 う ん です ね。 し かし そ れ は 理 論 であ って、 実 際 の歴史 の⋮ ⋮。 い
ま い った 、銀 行家 は企 業 家 に信 用を 与 え 、 企 業 家 は 成 功 す れ ば あ と か ら 返
いう のは 、 一種 の自 己 循 環論 法 です ね。 一度 これ がう ま く 成 立 し ち ゃう と
す と いう か た ち で自 己完 結 し て、 元 手 がな く な って資 本 主 義 が 生 ま れ る と
そ のま ま で行 き つづ け る ん だ け ど、 ど うし て こ こ に行 く のか と いう と ころ で歴 史 が 出 てく るん だ と 思 う ん です 。 川勝 な る ほど 。
岩 井 こ の自 己 循 環 の構 造 のな か に 入り 込む か たち で歴 史 が出 てき て、 そ
こ で や はり 銀 と か 金 と か いう 問 題 。 いま お話 し さ れ た よ うな 、 実 際 に新 大
陸 か ら金 が流 入 し た と か そ う いう こと が 、 こ の自 己循 環 の論 法 のな か に入
り 込 む た め のき っかけ を な し た と いう か た ち で、 僕 は 理解 し て いる ん です け ど。
いま す。 純粋 に抽 象 的 な レベ ルの話 に終 始 す るも の では な く 、 現実 を予 想
川 勝 私 は 、 経済 学 は ヒ スト リ カ ル ・エ コノ ミ ック ス でし か な いと 思 って
さ せ る と いう か、 現 実 と の対 応 関 係 が ど こ か にな いと 、 机 上 の空 論 に な る。
マル ク スや ウ ェー バー は も と より 、 シ ュム ペ ー ター も 、 資 本 主 義 の長 期
的 展望 を 可能 にす る分 析 用 具 を 提 供 し ま し た 。 彼 ら の理 論 に は 、 資本 主義
社会 は ど こか ら来 た か と いう こ とを 展 望 さ せ るも のが あ り ま す 。 そ れ は も
ち ろ ん ど こ に行 く の か と いう ヴ ィジ ョ ンと 結 び つけ て いる わ け です 。 た
だ 、 ど こ か ら 来 た か と い う こ と に つ い て 、 マ ル ク スは 少 な く と も 経 済 理 論
と し て は 説 明 で き て い な い。 そ し て ウ ェー バ ー の 説 明 は 、 要 す る に キ リ ス
ト教 文 化 に か か わ る話 です 。 岩 井 そ う です ね 。
川 勝 金 銀 の流 入 は 歴史 的 事 実 です が、 これ を 理 論 的 にど う 説 明 す る か と
な る と 、 シ ュム ペ ータ ー流 に いえば 信 用創 造 に結 び つく 。 ヨー ロ ッパは 異 質 な 経 済 空 間 か ら 物 を 奪 取 でき る購 買力 をも った と いう こと です 。
です か ら 、 あ る 意 味 では 、 ヨ ー ロ ッパ全 体 が い って みれ ば 銀 行 家 みた い
な も の です 。 金 銀 は ヨー ロ ッパに と っては、 外 部 す な わ ち 新 大 陸 から く る
も の です が、 新 大 陸 か ら アジ アを 眺 望 し ます と、 ヨー ロ ッパ は銀 や金 を イ ンド洋 に持 ち 込 ん で いく 運 び 屋 です ね 。
ア ジ アに は 、 非 常 に 発 展 し た 大 文 明 圏 が あ る、 そ こ に金 銀 を 持 って い
き、 アジ ア の物 を 持 って帰 る。 そ し てそ れ が 、 ブ ロー デ ル的 に 言 え ば物 質 生 活 を変 え て いく ん です 。 岩井 そ う です ね。
35 古 いも の で は青 山 秀 夫 ﹃マ ック ス ・ウ ェー バ
ー 、 基督 教 的 ヒ ュー マ ニ
ズ ム と 現 代﹄ ( 岩 波新
書 )、 最 近 の も の で は 大
塚 久 雄 ﹃社 会 科 学 と信 仰
と﹄ ( み す ず 書 房) 参
照。
川 勝 金 銀 が 出 て いく 一方 だ と 、信 用 に おけ る貸 出 超 過 で、 いわ ば 銀 行 の
準 備 金 が 早 晩 足 り な く な って、 信 用創 造 に支 障 を き た す こと にな る 。
そ れ を ど う に か し な く て はな らな い。 新 結 合 が ヨー ロ ッパ で起 こる 背 景
が 形 成 さ れ てく る わ け です が 、 シ ュム ペー タ ー自 身 が それ を ど う 説 明 し て
い る か 。 そ れ が ﹃景 気 循 環 論 ﹄ ( 有斐 閣) で す ね 。 彼 は そ こ で も 最 初 に 方 法論を書きますね。
経 済 発 展 は 経 済 的 な 領 域 だ け で説 明 す る と 断 った う え で、 資 本 主 義 の歴
史 過 程 の理 論 的 、 歴 史 的 、 統 計 的 分 析 以 上 で も 以下 でも な いと いう 分 析 を
し て いく わ け です ね 。 こ の書 を 書 い て いる と き の シ ュム ペー タ ー に は、 文
字 ど おり 、 経 済 的 な メ カ ニズ ムと し て資 本 主 義 を 解 い て見 せ て いる のだ と いう自 負 があ った と 思 いま す 。 岩井 そ う で すね 。
川 勝 そ こ で の焦 点 は岩 井 さ ん の いわ れ る第 二期 、 シ ュム ペー タ ー の言 う
コ ン ド ラ チ ェ フ の循 環 が 始 ま る 一七 八〇 年 代 で す ね 。 あ そ こ で や は り 、 彼
の いう 、 生産 と結 び付 く新 結 合 が起 こ ったと いう こと に 力 点 を 置 い て いる の では な いか と いう気 がす る のです 。
岩 井 そ う で す ね 。 シ ュ ム ペ ー タ ー が 新 し い生 産 関 数 と 言 った の は 、 僕 な
ん か は も っと 皮 肉 に 見 て い ま す 。 ハー バ ー ド に 来 て 、 周 り に た と え ば サ ミ
36 コ ン ド ラ チ ェ フ Kondrt i ' ev (1892︱ 1938 )
旧 ソ連 邦 の経 済 学 者 。
二五 年 ) の中 で、 景 気 循
﹁景 気変 動 の長 波 ﹂ (一九
環 に お け る ほ ぼ五〇 年 の
が 一九 三〇 年 には ス タ ー
長期波動を主張した。だ
リ ンの粛 清 にあ い業 績 は
お とし め ら れ たが 、 日 の
ー タ ー であ る。
目 を あ て た の が シ ュム ペ
ュ エ ル ソ ン と か レ オ ン チ エ フと か 優 秀 な 数 理 経 済 学 者 が い っぱ い い て 、 生
産 関 数 の概 念 な ん か 使 っ て い る ん で ね 。 シ ュム ペ ー タ ー と い う の は 、 結 構
他 人 を 気 に す る 人 で ね 。 生 産 関 数 な ん て い う 概 念 を 、 自 分 の周 り で や っ て いる ⋮ ⋮。
川勝 あ あ 、 周 囲 の秀 才 が や って いる か ら と いう こ と です か。 確 か に、 シ ュ ム ペ ー タ ー は 目 配 り に か け て は 天 下 一で し ょ う か ら ね 。
岩 井 そ う 、 そ う 。 僕 は シ ュ ム ペ ー タ ー の 、 ﹃資 本 主 義 ・社 会 主 義 ・民 主
主 義 ﹄ は も ち ろ ん 愛 読 書 な ん で す け ど 、 や は り ﹃経 済 発 展 の 理 論 ﹄ の す ご
﹃経 済 発 展 の 理 論 ﹄ は す ご い。 ほ ん と に す ば ら し い 本 で す ね 。
さ には ⋮⋮ 。 川勝
岩 井 あ れ を 超 せ な か った で し ょ 。
川 勝 ﹃景 気 循 環 論 ﹄ で も 、 実 証 の 裏 づ け を 別 に す れ ば 、 理 論 的 に は く ど
﹃経 済 発 展 の理 論 ﹄ の お も し ろ さ に く ら べ た ら 、
く な って いる点 以 外 は 、 超 え て いな い です ね 。 岩 井 ﹃景 気 循 環 論 ﹄ も
だ い ぶ つま ら な い で す よ ね 。
川 勝 翻 訳 も 読 み に く い こと も あ り ま す が 、 彼 は 語彙 が豊 富 と いう こと も あ って、 あ の英 語 も し ん ど い です ね 。
岩 井 だ か ら シ ュム ペ ー タ ー と い う の は 早 熟 で ⋮ ⋮ 。 も ち ろ ん 、 あ と で 書
マサ チ ュー セ ッツ工 科 大
37 サ ミ ュエル ソ ン P. Samuels on (1 91 5︱ )
学 教 授 。 そ の研 究 活 動 は
理論経済学だけでなく、
統計学、計量経済学、数
学にも及ぶ。主著とし て
﹃経 済 分析 の基 礎 ﹄ (佐 藤
隆 三 訳 、勁 草 書 房 、 一九
八 六 年 )、 ﹃経 済 学 ﹄ (第
十三版、都留重人訳、岩
波 書 店 、一 九 九 三 年 ) が
ある。
ロシ ア生 ま れ の ア メリ カ
38 レ オ ン チ エ フ W. Le ont i ef(190︱ 6 )
ワ ル ラ ス の 一般 均 衡 理 論
経 済 学 者 。 一九 四 一年 に 、
に 注 目 し た ︿均 衡 分 析 の
経 験 的 応 用 ﹀ と いう 副 題
を も つ主 著 ﹃ア メリ カ 経
済 の構 造 ﹄ の初 版 を 出 す 。
七 三 年 に は 、 ﹁産 業 連 関
表 の開 発 と 重 要 な 経 済 学
いた 本 だ って非 常 に い いん だ け れど も、 ﹃経 済 発 展 の理 論 ﹄ で出 し た、 僕
が先 ほ ど述 べた シ ュム ペー タ ー の理 論 的 な 意 味 で のお も し ろ さ が 、 後 の本 では だ いぶ 弱 く な った ん じ ゃな いかな と いう 気 がし ま す ね 。 歴 史 の中 のイ ノ ベー シ ョン
岩 井 話 は戻 り ま す け れ ど も 、 僕 が 川 勝 さ ん の議 論 で おも し ろ いの は、 日
本 と ヨー ロ ッパを 比 べ る、 いま の銀 と の問 題 です ね。 新大 陸 の発 見 で。 イ
ンド洋 か ら いろ んな アジ ア的 な 物 産 を ヨー ロ ッパ に運 び 、 そ し てそ の対 価
と し て銀 貨 が ど う し ても 必 要 で、 そ の銀 を 新 大 陸 か ら も ってく る。 そ の銀
イ ンドに 代 わ って自 ら で綿 工業 を行 な い始 め ると か です ね 。 木 綿 だ った ら
が ど こか で枯 渇 し は じ め る と いう こ と で、 そ れ で綿 を ア メ リ カ で つく ら せ
ば ヨー ロ ッパ では つく れ な いと いう こと があ って ⋮ ⋮。
川勝 新 大 陸 で プ ラ ンテ ー シ ョン栽 培 す る わ け です が、 そ こ は自 分 たち の
移 民 し た と ころ です か ら 、 同 じ 価 値 体 系 を も つ共 同 体 のな か です 。 これ
は、 イ ンドな いし アジ ア にあ る異 質 な 共 同 体 、 と い っても大 文 明 圏な ので
す が 、 そ こ か ら経 済 的 に自 立 し たと いう こと です 。 そ し て、 そ のあ と に自
で使 わ れ る 。 西洋 社会 の共 同体 のな か に、 岩 井 さ ん の いわ れ る ﹁未 来 の遠
動 的 循 環 が 出 来 上 が って いく のです 。 あ るだ け の金 銀 は 同 質 の空 間 のな か
の諸 問題 に対 す る同 表 の
て 、 ノー ベ ル経 済 学 賞 を
応 用 ﹂と いう業 績 に よ っ
授 与 さ れ て いる。
隔地 ﹂ を つく る次 第 と な るわ け です ね 。 も は や 金 銀 は 、 異質 な空 間、 異質 な文 化 圏 に 逃 げ て いかな い。 岩 井 そ う です ね。
川 勝 共 同体 とな れば 、 そ れ でな ん でも 買 え ると み ん な が 思 え ば 、 そ れ は
いま や 金 銀 でな く ても よく な る。 ペー パ ー でも よ いわ け です 。 岩 井 さ ん は
﹃貨 幣論 ﹄ のな か で、 貨 幣 は商 品 世 界 と は 別 個 のも のだ と いう こ とを 言 わ
れ て いま す が 、貨 幣 は そ れ独 自 の経 済 空 間 を つく り あ げ る と いう こと です か。 岩 井 そ う です 。
川勝 ペ ー パ ー マネ ー に な ってか ら は貨 幣 自 体 が商 品 世 界 に対 し て独 自 の
破 壊 的 な 危 機 を も た ら す 、 そ のよ う な も のと し て商 品 世 界 から 貨 幣 を 独 立
せら れ た のは 画 期 的 です 。 貨 幣 論 は銀 行家 や資 本 家 も 要 ら な く て、 も のだ
け で説 明 でき る こと にな った 。 金 銀 の話 に も どし ます と、 たと え偶 然 に せ
よ、 それ がま った く 違 う 空 間 を つく り あ げ て い った と いう ふ う に いえ る。 と こ ろ で、 シ ュム ペ ー タ ー に貨 幣 理 論 は あ り ま す か。
39 ケ イ ンズ J.Keynes (18839 ︱4 1 6) 二十 世 紀
前 半 を 代 表 す る近 代 経 済
リ ッジ生 ま れ 。 主 著 ﹁雇
学 者 。 イギ リ ス の ケ ンブ
用 ・利 子 お よび 貨 幣 の一
般 理論﹄ ( 塩 野 谷 祐 一訳 、
五 年 ) は、 そ れま で の経
東 洋 経済 新 報 社 、 一九 九
不 完 全雇 用 下 の均 衡︱ ︱
済 学 者 が想 定 し な か った
た と え失 業 者 が存 在し て
いる 状態 の下 で は 均 衡 が
も 、 有効 需 要 が 不 足 し て
存 在 す る こと︱ ︱ を論 証
し て いる 。 ま た 、 ケ イ ン
ズ によ り 、 自 由 放 任 主 義
経 済 に か わ って、 国 家 の
経 済 への積 極 的 介 入 を は
か る修 正 資 本 主 義 が 理 論
化された。
が出 て自 分 は負 け ると 思 って出 版 し な か った ん です 。 僕 は ドイ ツ語 はあ ま
n, Hare pr R &ow,1978.
40 D asWese dn e s e G l d e s,ed.by R.Leckachma
岩井 シ ュム ペー タ ー は書 いた ん だ そ う です 。 た だ ケ イ ンズ の ﹃貨 幣 論 ﹄
り 読 め な い ん で 、 ド イ ツ語 で あ る ん で す 。
タ ー の ﹃経 済 発 展 の 理 論 ﹄ の モ デ ル の な か に 入 る も の か ど う か 。
川 勝 知 っ て いま す 。 か な り 長 い も の で す ね 。 問 題 は 、 そ れ が シ ュム ペ ー
岩 井 入 ら な い で す ね 。 信 用 し か な い。
川 勝 そ う しま す と、 そ こ に岩 井 理論 が入 れ ば 、 ど う な る でし ょう か 。
岩 井 そ の へ ん は ち ょ っ と わ か ら な いけ ど 。 僕 が お も し ろ い と 思 っ た の
は 、 さ っき の 話 に ま た 戻 る ん で す け ど 。 な ぜ シ ュム ペ ー タ ー が 生 産 の こ と
っ て 、 ふ つう わ れ わ れ は 生 産 と い う の を 重 要 視 し ま す よ ね 。 そ れ は 非 常 に
を 言 った か と い う 、 生 産 の 問 題 で す ね 。 や は り 川 勝 理 論 の お も し ろ さ が あ
重 要 な ん で す け ど 、 で も そ れ は 、 先 ほ ど 言 った 繰 り 返 し に な り ま す け れ ど も 、 ア ジ ア貿 易 圏 で 古 く か ら 取 引 さ れ て い た ア ジ ア 的 物 産 で す ね 。
か ら ヨ ー ロ ッパ に 持 っ て く る わ け で す ね 。 そ の 支 払 い の た め に 銀 を 新 大 陸
川 勝 さ ん が 一番 や ら れ た の は 木 綿 で す け ど 、 木 綿 を 衣 料 に し て 、 ア ジ ア
か ら 持 ってく る。
と こ ろ が こ の プ ロ セ ス が 続 か な く て ど う す る か と いう と 、 ヨ ー ロ ッ パ 、
っ て き て 、 イ ン ド を ち ょ ろ ま か し て イ ン ド の技 術 を コ ピ ー し て 綿 織 物 を つ
と く に イギ リ スでは ア メリ カ で 綿 を つく ら せ て、 それ を 自 分 のと ころ に 持
く る と。 最終 的 に こ の コピ ー製 品 が イ ン ド の綿織 業 を逆 に破 壊 し てし ま う わ け です け れ ど 、 そ こ ら へ ん で 産 業 革 命 と い わ れ て い る も の ⋮ ⋮ 。
41 川 勝 ﹃日 本 文 明 と 近 代 西 洋 ﹄ の第 一章 を 参 照 。
川勝 産 業 革 命 を 画 期 と し て、 イギ リ スと イ ンド と の間 に おけ る木 綿 の流
れ が 逆 転 す る の で す が 、 そ の 全 過 程 で、 金 銀 が流 通 手 段 と し て動 い て い
る。 金 銀 は、 大 西 洋 経 済 圏 のな か で使 わ れ よ う が 、 イ ンド洋 圏 で使 わ れ よ
う が、 流 通手 段 と し て機 能 し て い る。 ア メ リ カ の綿花 を 買 う ことも でき る
し 、 イ ンド の綿 を 買 う こと も でき る。 そ う いう も のと し て存 在 し て いた。
す こし 貨幣 に こ だわ り ま す と 、 貨 幣 は 、 そ う いう 商 品 の循 環 と は ま った
く 別 個 の論 理 を持 って いる。 そ の こと が ひと つ。 そ れ か ら も う ひ と つ、 こ
れ は いろ いろ な生 産 要 素 を 、 シ ュム ペ ー タ ー流 に言 え ば 奪 取 す る こと が で
き る 機能 を持 って いる。 た とえ 海 賊 が強 奪 し た 金 銀 であ っても 、 そ れ を だ
れ か に 貸 す な り 、 自 分 で使 う に し て も、 機 能 とし ては 、 提 供 す る のは 銀 行
家 の機 能 、 使 う のは企 業 家 の機 能 と みれ ば 、 シ ュム ペ ー タ ー理 論 の概 念 で 説 明 でき ま す 。
日本 でも 、 江 戸 時 代 に 貨 幣 の供給 量 を改 鋳 し て ふ や し て いく と いう ふう
な こと を し て、 銀 行 の役 割 を し て いる のが 、 幕府 であ り、 藩 です 。 言 って
み れ ば 銀 行 家 です 。 武士 と いう のは 、 自 分 で 経 済 活 動 は し ま せ ん 。 つま
り 、 企 業 家 にな ら な いわ け です か ら 、 文 字 ど お り 銀 行 家 の役割 を担 って い る。
岩 井 藩 札 って 、 そ う な ん で す ね 。 紙 っ ぺ ら を 渡 し て い る ん で す か ら 。
42 藩 札 江 戸 時 代 に 諸 藩 が 財 政 難 のた め 発 行 し
た 紙 幣 で領 内 で のみ 通 用 。
金 札 ・銀 札 ・銭 札 の ほ か
米 札 ・傘 札 な ど も あ った。
川 勝 経 済 発 展 と は 何 か と いえ ば 、新 結 合 です ね。 そ の 一つは新 し い供 給
源 の形 成 。 いま ま でイ ン ドや 中 国 であ った 供給 源 が 日本 に変 わ る。 た と え
の製 陶 地 。 宋 代 よ り 陶 磁
43 景 徳 鎮 中 国 江 西 省 にある都市で、中国最大
器 の名 称 に 使 わ れ る 。
ば 中 国 の景 徳 鎮 であ った のが 、有 田 に変 わ る。 そ う いう ふう にし て供 給 地
て はそ れ ま では ぜ ん ぶ別 の他 の アジ ア地域 か ら も た ら さ れ たも のが、 日本
が 変 わ ると 、 そ れ に 応 じ て新 し い製 品市 場 が出 来 上 が る。 近 世 日本 に お い
の地 域 で でき る よう にな れ ば 、 新 結 合 です ね。
シ ュムペ ー タ ー の ﹃経 済 発 展 論 ﹄ の骨格 は 、 三章 ま で な ん です ね。 第 二
章 の ﹁経 済 発 展 の根 本 現 象 ﹂ と 第 三章 の ﹁信 用 と資 本 ﹂ です 。 そ れ が 景気
循 環 を ひき 起 こす 。 し かし 、 こ こ に貨 幣 理 論 が な いと な れ ば 、 二章 、 三章
のど こ か に岩 井 貨 幣 理論 を 入 れ れ ば 経 済 発 展 論 が 出 来 上 が る。 そ う読 み 込 み ま し て、 感 激 し たわ け です 。 岩 井 自分 では な に もわ か って いな いんだ け ど ( 笑 )。
川 勝 日本 では 一六 三〇 年 代 に寛 永 通 宝 を つく り ま し た が 、 国 民 には 信 用
が な い の で、 だ れ も 使 わ な い。 と ころ が五 十 年 も 経 ち ま す と 、 日本 全 国 に
寛 永 通 宝 が 流 通 し て、 そ れ で 日 用 品を な ん でも 買 え るよ う にな った。 そ れ
は 国 際 通 貨 であ った 永楽 通宝 に似 て いる の で、 東 南 アジ ア地 域 でも 通 用 す
る こと にな り ま す 。 日本 は 、 購 買 力 、 つま り そ れを 持 って いけ ば な ん でも 買 え る条 件 を 自 分 のも のに し た わ け で す。
し た が って 日本 が 、 言 って み れ ば銀 行家 にな った わ け です 。 貨 幣 を 常 に
供 給 でき る 。 あ る いは 、 な ん でも 買 う こと のでき る︱︱ 貨 幣 自 身 は 新 結 合
し な いわ け です か ら ︱ ︱ も の の提 供 者 にな った。 生 産 と いう 形 で の新 結 合
を だ れ が す る か 。 や は り貨 幣 の供 給 源 に近 いと ころ に いる者 が し や す い。
つま り 日本 人 です ね 。 いまま で買 うと いう形 で使 って いた 貨 幣 を 、 生 産 に
む け て自 分 で つく ってし ま う 、 つく る た め の生 産 要 素 を 獲 得 でき る のは 定
義 に よ って貨幣 だ け な の です か ら、 あ る意 味 で は、 提 供 者 にし か 生 産 と い
う 形 で の新 結 合 は でき な い の です 。 そ のよ うな 新 結 合 を お こな った 連 中 は
た と え ば 白 土 三 平 の ﹃カ ム イ 伝 ﹄ ( 小学 館) で、 よ く 調 べ て書 か れ て い
た と え 農 民 でも 、 シ ュム ペー タ ー流 に言 え ば 企 業 家 です よ 。
戸時代を舞台にした武将、
44 白 土 三 平 (1932︱ ) マ ンガ 家 。戦 国 か ら 江
︱ 九 一) は ロ ング セ ラー 。
﹃カ ム イ 伝 ﹄ (一九 六 七
賭 け た ド ラ マを 描 く 。
忍 者 、 農 民 た ち の生 死 を
る の で 感 心 し た の で す が 、 庄 助 が 綿 を つく る 話 が あ り ま す ね 。 最 初 は 失 敗
す る け れ ど も 、 つ い に 成 功 す る 。 あ れ は シ ュム ペ ー タ ー 理 論 で は 、 ア メ リ
カ の 奴 隷 に つく ら せ て イ ギ リ ス に 持 っ てき て 加 工 す る の と 、 自 分 の 畑 で 育
て て 自 分 で つむ い で 綿 布 に す る の と 、 新 結 合 と し て は 変 わ る と こ ろ は あ り ま せん 。
岩 井 ま あ で も 、 自 分 の と こ ろ で つく る の は 家 内 工 業 で ね 。 他 の 連 中 に つ
く ら せ る のは 、 あ る 程 度 工場 制 と いう 、 そ こ に違 いはあ る かも し れ ま せん ね。
川 勝 生 産要 素 の組 み合 わ せ の違 いです ね。 確 か に生 産 方 法 は 違 いま す 。
し か し 、 工 場 制度 と いう のも、 新 結 合 のひと つでし か な い、 いろ ん な 新 結
合 のあ り 方 が あ っても い い。 つまり 、労 働 の生 産 力 だ け を 上 げ ると いう の
は そ の 一つです 。 庄 助 は 土 地 の生産 力 を 上げ た。 マ ルク スの いう よ う に労
る。
働 だ け が価 値 を 形 成 す る と いう わ け では な い こと は、 こ のこ と から も 言 え
金 鉱 、 銀 鉱 を も てば 、 それ で銀 行 家 にな れ る 時 代 であ った わ け です。 銀
行 家 が 供与 し た信 用 と は、 小 切 手 を シ ュム ペ ー タ ーが イ メー ジ し て いた に
せ よ 、 企業 家 が 具体 的 に生 産 要 素 を 調 達 す る には 、 金 貨 あ る いは 銀 貨 に な
ら ざ る を え な い。 です か ら 、 そ う いう 貨 幣 素 材 を も って いな いと こ ろ で
は 、 絶 対 に 経 済 発 展 が起 こら な いと いう こ と にな り ま す 。 そ れ を 日本 と ヨ ー ロ ッパだ け が 古 今 未 曾 有 の規 模 でも った のです 。 アジ アの近 代 化 と 資 本 主 義 の行 方
︱︱ 現 代 の 日本 の経済 状 況、 と く に戦 後 の発 展 に ついては ど う でし ょう か。
川 勝 シ ュ ム ペ ー タ ー と の 関 連 で 言 いま す と 、 ﹃資 本 主 義 ・社 会 主 義 ・民
主 主義﹄ ( 東 洋 経 済 新 報 社 ) で、 ﹁資 本 主 義 に 未 来 は あ る か ﹂ と 問 う て 、
45 古 典 的 な 研 究 書 と し
て ヨ ー ロ ッパ に つ い て は
E.J.Ham i l ton,Ameri c an
Tre asure and t he Price
日本 に つい ては 小 葉 田 淳
Revol ut i oninSpai n,1934.
﹃日 本 鉱 山 史 の 研 究 ﹄ を
参 照。
﹁否 、 な いと 思 う ﹂ と 言 って いま す ね。
彼 が資 本 主 義 を 具 体 的 に分 析 し た 成 果 は ﹃景 気 循 環論 ﹄ です 。 それ は西
洋 資 本 主 義 の分 析 です ね 。 し た が って、 そ れ は ヨ︱ ロ ッパ の資 本 主 義 に未
来 はな いと 言 って い るん だ と 、 私 は 理 解 し ま す。 方 法 と対 象 と は、 一対 一
の 関係 にな って いると いう ふう に と る わ け です 。 西洋 社 会 は 二十 世 紀 の初
め に、 世 界 戦 争 を や った 。 シ ュペ ング ラー が ﹃西洋 の没落 ﹄ を 書 く 。 そ の
廃墟 のな か から 理 想 を 背 負 った 社 会 主 義 体 制 が 生 ま れ ま し たけ れど も 、 社
会 主 義 体 制 が崩 壊 し た と き に 、 これ で ﹁歴史 の終 わり ﹂ と いう ふう に認 識
さ れ る。 そ う いう 一連 の終 末 的 な 自 己 認 識観 、自 分 の世 界 に つ いて の終 末 イ メ ージ が 二十 世 紀 を 通 じ てず ー っと あ る の では あ り ま せ ん か。
岩 井 た だ 、 ど う でし ょう 。 シ ュム ペー タ ー が、 な ぜ資 本 主 義 に未 来 がな
いかと 言 った ら 、 三 つく ら いあ り ま す ね 、 理 由 が 。 ひ と つは、 投 資 機 会 が 減 っち ゃ った と か 、 な く な った と か ね 。
も う ひと つは 、 大 企 業 が 発 達 し て、 組 織 的 に な って 、 個 人 に よ る創 意 の
余 地 が な く な った 。 も う ひ と つは 、 資 本 主 義 の発 達 が 反資 本 主 義 的 な メ ン
タ リ テ ィを も つ いわ ゆ る イ ン テ リな る も のを 大 量 に生 み出 し て、 そ し て自
ら 墓 穴 を 掘 る と い う よ う な 。 最 初 の 二 つは 現 在 確 か にあ る と 思 う ん です
ね。 投 資 機 会 の枯 渇 と か 。 そ れ か ら 、 二 番 目 の組 織 の官僚 化 に よ る、 創 造
46 シ ュペ ン グ ラ ー O. Speng’ l er (188 0︱ 1936)
ドイ ツ の文 化 哲 学 者 。
主 著 ﹃西 洋 の没 落 ﹄ (一
九 一八 ︱ 二 二年 、 五 月 書
房 ) で、 人 類 の諸 文 化 は
それぞれ独立に相次 いで
展 開 し 、 や が て死 滅 す る
のキ リ ス ト教 文 化 は 、 す
も の であ り 、 ヨー ロ ッパ
でに 終 末 に 近 づ い て いる
と予言。
的 な 個 人 の枯 渇 と いう のは ⋮ ⋮ 。
川 勝 岩 井 理論 に よ れ ば 、 資 本 主 義 は 絶 え ず 遠 隔 地 を 見 つけ ざ る を え な
い。 そ れ が レ ー ゾ ン デ ー ト ル ( 存在 理由)な の で す か ら 。 新 結 合 の余 地 が
な く な ると 言 っても 、 これ は わ か り ま せ ん ね 。 だ か ら 三番 目 が 問題 。
岩 井 三 番 目 は 、 や は り 少 な く と も 、 こ の 一九 八 九 年 の事 態 と い う の が 、
大 き く 時 計 の 針 を 押 し 戻 し て し ま った 。 こ れ は 資 本 主 義 を こ こ し ば ら く 延
命 さ せ る ん じ ゃな い か な っ て いう 気 が し ま す ね 。 ヨ ー ロ ッパ に と って ね 。
反 資 本 主 義 メ ン タ リ テ ィと いう の は 、 現 在 も ち ろ ん そ れ は エ コ ロジ ー 運 動
と い う か た ち で 出 て い る わ け で す け ど 、 い ま は も う ヨー ロ ッ パ の社 会 民 主
った 連 中 ば っか り に な っ て 困 っ て いる と 言 っ て い ま す け ど 。 そ う い う か た
主 義 者 た ち は 、 若 い人 は み ん な エ コ ロジ ー に 行 っち ゃ う と い う ん で 、 年 と
ち では 残 り 続 け ます け れ ども 、 反 資 本 主 義 メ ンタ リ テ ィが 、 資 本 主 義 の足
元 を 崩 し て いく ほ ど強 く な る と は思 わ な いん です ね 。 ヨー ロ ッパ の資本 主 義 は ま だ 続 く ん じ ゃな いか と 思 います ね。 川 勝 な る ほど 。
岩 井 た だ 、 日 本 は と い う か 、 ア ジ ア は 別 で す ね 。 アジ アは いま の 三 つ、 ぜ ん ぶま だ 逆 です よ 。 川 勝 そ のと お り です 。
岩 井 ま だ 、 資 本 主 義 メ ン タ リ テ ィは こ れ か ら ど ん ど ん ふ え て い く だ ろ
う 。 な にし ろ 中 産 階 級 が いま 、 ど ん ど ん ふ え て いま す から 、 アジ ア の中 産
階 級 に 関 し て ﹃エイ ジ ア ン ・ウ ォー ル スト リー ト ・ジ ャー ナ ル﹄ で去 年 あ
た り に特 集 が あ り ま し た 。 アジ ア で、資 本 主 義 、 ブ ルジ ョ ワ的 メ ンタ リ テ
ィを 持 った 連 中 が ふえ て、 そ の結 果 と し て 日本 を 含 め た アジ ア の都 市 文 化
が 、 ど こ でも 似 てき て いる と いう話 です ね。 彼 ら は資 本 主 義 的 精 神 の担 い
手 と し て、 これ か ら も ま す ま す ふ え て いく と 思 いま す ね。 な にし ろ 産 業 資
本 主 義 と いう のは 、 中 産 階 級 の上 昇 志向 に支 えら れ て いる ん です か ら 。 そ
し て、 投 資 機 会 の枯 渇 に 関 し ては も ち ろ ん中 国 があ る。 人 によ って中 国 は
二分 割 し て考 え るべ き で、 そ のう ち の資 本 主 義 的 な 部 分 は沿 海 部 を 中 心 と し て人 口は 五〇〇〇 万 人 し か いな いと いうけ れ ど ね。 川 勝 そ れ でも 日本 の半 分 です ね。
岩 井 半 分 も あ ると いう か、 半 分 し か な いの か 、 ど っち な の か ( 笑 )。 そ
れ から 、 二番 目 の組 織 の肥 大 化 と いう 問 題 は 、少 なく とも 日本 の法 人 資 本
はし な か ったと いう 事 実 が あ り ま す の でね。
主 義 は 、 組 織 の肥 大 化 と いう も のを 必 ず し も 資本 主義 の成 長 に マイ ナ スに
日本 には 両 方 あ るん です け ど ね 。 中 小 企 業 の非 常 に 活発 な と こ ろ と、 そ
れ から 法 人 組 織 化 し 、 法 人 そ のも のが 資 本 家 に な った大 企 業 も あ る程 度 成
長 し て いく と いう 傾 向 を 持 って いる。 た し か に アジ アは、 資 本 主 義 が 生 き
残 る かと いう 問 いに 対 し て シ ュム ペー タ ー が出 し た、 ノー と いう 答 え を 逆 に もう 一回 ひ っく り 返 す よ う な 状 況 です ね 。
川勝 そ の状 況 を 説 明 す る の に、 少 な く と も 日 本 人 と し て日本 資 本 主 義 が
ど こ か ら来 た のかと いう と、 それ を 理 解 す る フレー ム ワー ク が 、 マ ルク ス
や ウ ェー バ ー や ら を も と に し て論 じ てき ま し た の で、 そ れ だ と 不 十 分 で す。
そ こ で、 最 初 に 申 し あ げ ま し た講 座 派 的 な 問 題 です が 、 非 経 済 的 要 因 、
あ る いは 日本 の特 殊 性 と いう か。 そ う し た も の が 日 本 だ け の問 題 で は な
い。 非 ヨー ロ ッパ圏 では ど こ でも 経 済 発 展 が起 こ った とき に問 題 にな って
いう こと は重 要 です 。
く る。 と な ってき ま す と 、 こ の国 に お け る 発 展 の メカ ニズ ムをど う解 く と
岩 井 さ ん は、 日本 資 本 主 義 に つ いて、 法 人 資 本 主 義 と いう 純粋 資本 主義 だ と いわ れ て いま す が ⋮ ⋮。 岩 井 あ れ は 冗談 な ん です ( 笑 )。
川 勝 少 な く と も モ デ ルは純 粋 でな け れ ば な ら な い。 日本 の会 社 法 人 が 資
本 主 義 モ デ ルを 体 現 し て いる こと に な る わけ です か。 純 粋 資 本 主 義 と いう
議 論 は、 宇 野 理 論 にも あ り ま す が。 宇 野 理論 でも 、 純 粋 化 す る傾 向 は あ っ
た け ど 、 結 局 そ う は な ら な い か ら と いう こ と で 、 純 粋 化 傾 向 と し て と ら え ら れ て いま す 。 そ のあ た り は ど うな ん です か。
岩 井 同 じ 言 葉 を 使 っ て、 ち ょ っと 宇 野 理 論 を か ら か った ん です け ど ( 笑 )。 川勝 あ あ 、 や は り そ う です か。
岩 井 言 っ て いる 意 味 は 全 然 違 い ま す か ら ね 。 た だ 日 本 の 特 殊 性 と い っ て
も 、 こ れ は ち ょ っと い ろ い ろ ⋮ ⋮ 。 さ き ほ ど 、 貴 金 属 が た ま た ま 日 本 が 国
った と か 。 そ れ は ヨ ー ロ ッパ と 共 通 し て い る わ け で す ね 。
のな か に あ っ た と か ね 。 さ ら に ま た 、 ユー ラ シ ア大 陸 の 辺 境 で 端 っ こ に あ
日本 の特 殊 性 と い って も、 そ う いう 固 有 性 と いう のも、 や は り 歴 史 的
な 、 ほ ん と に 地 理 的 な 偶 然 性 と か 、 そ う いう と こ ろ が も の す ご く 大 き い と
いう と き に 、 日 本 の資 本 主 義 が な ぜ こ う だ と いう こ と も 含 め て 、 金 銀 銅 を
思 う ん です ね 。 そ れ が僕 は、 川 勝 理 論 から 読 む のは 、 ど こか ら 来 た のか と
た ま た ま 持 っ て い た 。 そ れ か ら ユー ラ シ ア大 陸 か ら 離 れ て 独 立 し て いた と
か で す ね 。 モ ンゴ ルに も や ら れ な か った と か あ る し。 そ れ か ら 同 時 に ま
た 、 う ま い こ と に 、 東 ア ジ ア 貿 易 圏 の ネ ッ ト ワ ー ク のな か に 、 少 な く と も
鎖 国 以 前 は 入 っ て いた と いう こ と で す ね 。 こ う い う 、 世 界 のな か の ひ と つ
の ネ ット ワ ー ク の構 造 のな か に あ る 位 置 を 占 め た と い う ま さ に 理 論 に 還 元
でき な い事 実 が、 も のす ご く 大 き いと 思 う ん です よ ね。
僕 な ん か は、 日本 の法 人 資 本 主 義 を 語 る と き に は 、 や は り 日本 的 な家 族
のあ り方 と か、 そ う いう も のは 非 常 に重 要 な 役 割 を 果 し た こと は講 座 派 あ
る いは 文 化論 者 同様 強 調す べき だ と 思 って いま す 。 た だ し 、 そ の組 織 原 理
が法 人 と いう ま さ に ﹁近 代 ﹂的 な 法 制 度 の下 で、 資本 家 と いう存 在 をま っ
た く 非 実 体 化 す る 役 割 を 果 し て いる こと に お も し ろ さ を 見 出 し て いま す
アジ ア のな か に ネ ット ワー クを 占 め る。 し かも そ の アジ ア のネ ット ワー ク
が 、 ま た 同 時 に 、 そ れ に は 帰属 でき な いよ う な 、 ほん と の地 理的 偶 然 性 。
が 、 今 度 は 古 い イ ン ド洋 の貿 易 圏 の隣 にあ った と か ね 。 そ う いう 地 理的 な
おも し ろ さ 、 地 理 的 な 偶 然 性 と いう のは、 日本 の資 本 主 義 を 理 解 す る のに ⋮ ⋮。 オ リジ ンと いう のは 、 そ う いう意 味 のオ リ ジ ンな ん です ね 。
川 勝 な る ほど ね 。 そ う いう意 味 で のオ リ ジ ンが、 理 論 家 の方 にと っては
偶 然 性 と いう こと でか た づ け ら れ る のか もし れま せ んけ ど 、 歴 史 家 に と っ て は決 定 的 な 問 題 です 。
岩 井 川 勝 さ ん の理 論 で いく と 、 た と え ば 、 い ま のま ず 四 つ の ド ラ ゴ ン で
す ね 。 そ れ か ら ア セ ア ン諸 国 の 台 頭 と い わ れ て い る も の 。 そ う いう 構 図 を ど う や って 位 置 づ け ま す か 。
川 勝 海 洋 中 国 の位 置 づ け の問 題 だ と 思 いま す。 近世 以前 の 日本 は 金 銀 銅
47 アジ アNIEsと も い う。 韓 国 ・台 湾 ・香 港 ・ シ ンガ ポ ー ルを 指 す 。
48 海 洋 中 国 北 京 を 中 心 と し た大 陸中 国 に対 し
て上 海 を中 心 と し た華
中 ・華南 の沿岸 中 国を さ
す。
が 豊 富 にあ る のに ま か せ て、 百般 に わ た る物 を買 ったわ け です が 、 そ の相
手 と いう のは 北 京 に 代 表 さ れ る 大 陸 中 国 で は な く、 海 洋 中 国 であ った 。 そ
こ から いろ いろ 中 国 のも のを 買 って いた のが 、 近 世期 に こ とご とく 自 分 で
つく ってし ま った。 中 国 と の関 係 に お い て媒 体 に な った のは、 基 本 的 に は
て 日本 の物 づ く りを 真 似 たと いう よう にみ ま す 。
チ ャイ ニー ズ、 華 商 です 、 商 人 と し て の中 国 人 です 。 これ が 、 現代 にな っ
海洋 中 国 と は 、大 陸中 国 の周 辺 にず っと 位 置 し て いる 。 そ れ は 、 中 国 を
取 り 囲 む か た ち に な って いる わけ です 。 な る ほど 、 華 商 と いえ ば 中 国 の国
民 と いう よ う に 見 が ち です け れ ど も 、 こ れ は そ う簡 単 で は な いと 思 いま す。
たと えば 、 孫 文 が今 世 紀 初 め に ﹃三 民主 義 ﹄ ( 岩波文庫)と いう のを 書 き
ま す が、 そ こで、 中 国 に は足 ら ざ るも のが あ る と 。 そ れ が 、 民生 、 民権 、
そ れ か ら 民族 、 すな わち 民族 主 義 な の です 。 つま り 、 愛 国 主 義 が な いと訴
え て いま す 。 み な宗 族 と か家 族 、 親 戚 と か のこと ば かり 考 え て、 国 と いう
ふう には 考 え て いな い。 そ れ を考 えな いと いけ な い。 そ れ を 考 え か つ実 現
し た のは 日本 であ る か ら 、 日 本 の民族 主義 に学 べと言 って いま す 。
つま り 、 国 民 経 済 を つく り あ げ る のに 不 可欠 な 国 民 と いう観 念 がな いか
ら 、 そ う いう意 識 を 持 た な く ては いけ な いと 強 調 し て います 。 孫 文 自 身 、
49 孫 文 (186︱ 6192)5 中 華 民 国 初 期 の政 治 家 。
め、 満 州 支 配 の打 倒 が 不
中 国 の危 機 を 打 開 す る た
可 欠 と考 え る。 一九〇 五
そ の綱 領 とし て提 示 さ れ
年 中 国革 命 同 盟 会 を 結 成 、
一 一年 に 辛亥 革 命 で 臨 時
た のが 三 民主 義 で あ る。
政府大統領に就任。中国
革 命 の父 と呼 ば れ る。
﹃三 民 主 義 ﹄ ( 安藤彦太郎
訳 、 岩 波 文 庫 )。
ンガ ポ ー ルと か、 ま あ 香 港 は 植 民 地 です が 、 国 と し て認識 を 持 ち 、徐 々 に
広 東 の沿 海 地 方 で生 ま れ た 海 洋 中 国 人 です 。 そ う いう人 々 が、 台 湾 と か シ
国 民経 済 的 な も の が育 ってき た 。 これ は 孫 文 の理 想 と し た 日 本 の真 似 だ と
言 う こと にな りま す ね。 そ う いう 意 味 では 、 日本 的 な も のが 波 及 し て いる と も 見 え ます ね。
岩 井 太 平洋 の左 端 で すけ ど、 そ こ にま で行 って、 そ れ か ら ま た そ の波 が 寄 せ 返 し た と いう こと に な るわ け です ね。
川 勝 そ う です ね 。 日 本 を 軸 に し て波 が 反転 し た。 数 世 紀 前 には 中 国 で つ
か な って いた わ け で す。 や は り 生 産 よ り も 、 中 国 に お いて 大 事 だ った の
く ら れ た も のが だ ん だ ん こち ら に来 る。 向 こう は、 基 本 的 には 通 商 圏 でま
は、 世 界 じ ゅう の人 た ち が ぜ ん ぶも のを 持 ってく る の で、 ぜ ん ぶ そ こ でま
か な え る こと。 自 分 で つく る必 要 は な いと いう と 誤 り です が、 まあ 、 つく
る と いう と ころ に 大 き な 価 値 を 持 って い る 国 だ った と は 思 いま せ ん ね。 ﹁商 ﹂ の国 と いう 面 が 強 いよ う に 思 いま す。
岩 井 岡 田英 弘 さ ん の ﹃世 界 史 の誕 生 ﹄ ( 筑摩書房 )と いう 本 が あ り ま す ね。 川勝 は い、 モ ンゴ ル帝 国 の世 界史 。
岩 井 え え。 あ れ が お も し ろ い のは 、 川 勝 さ ん が論 じ られ た話 の、 ち ょ っ
50 岡 田英 弘 (19 1︱ 3 ) 東 京 外 国 語 大 学 名 誉 教
授。 ﹃世 界 史 の誕 生 ﹄ ( 筑
摩 書 房 、 一九 九 二 年 )、
一九 九 四 年 )。
﹃日本 史 の誕 生 ﹄ ( 弓立社、
と 以 前 の話 を し て い る で し ょ 。 な ぜ ヨ ー ロ ッ パ は ア フ リ カ 回 り で イ ン ド 洋
の ア ジ ア貿 易 圏 に 出 て き た か 。 そ れ は モ ン ゴ ル の 拡 張 の 思 わ ざ る 結 果 だ
ユー ラ シ ア大 陸 の ど 真 中 は 、 地 上 交 易 は ぜ ん ぶ モ ン ゴ ル が 独 占 し た 。 そ れ
と 。 モ ン ゴ ル が 出 て き て 、 モ ンゴ ル と い う の は 非 常 に 商 業 国 家 で あ っ て 、
に ワ リ を 食 った 地 中 海 交 易 圏 の ヨ ー ロ ッ パ の ほ う で 、 ア フ リ カ 大 陸 を 回 っ て 、 イ ン ド洋 に や って き た と 。
そ こ で は か ら ず も 川 勝 さ ん の話 の 出 発 点 に な る ア ジ ア の 物 産 を 当 時 の世
界 商 品 と し て 見 つ け た と 。 日 本 も そ う いう 話 と 関 係 あ る ん だ け ど 、 倭冦 な
ん か が あ って、 中 国朝 貢貿 易 圏 から は みだ し て、 アジ ア貿 易 圏 の端 っこま
っ て く る ん で す け ど 。 ま あ 、 そ ん な に 辻 褄 が あ っ て も い け な いけ れ ど 、 最
で 進 出 し 、 や は り 世 界 商 品 と 接 触 す る 。 そ う す る と 、 す べ て 話 の辻 褄 が 合
初 に モ ンゴ ル が 出 て き た と き と い う の は 非 常 に 大 き い み た い で す ね 。
川 勝 大 き いと 思 い ま す ね 。 世 界 最 大 の帝 国 で す ね 。 西 ヨ ー ロ ッ パ と 日 本
以 外 の ユ ー ラ シ ア の 諸 文 化 を ぜ ん ぶ 結 び 付 け て し ま った 。 イ ン ド に も 入 り こ みま す し 。 岩 井 ム ガ ー ル帝 国 も 。 川 勝 そ う です ね。
岩 井 あ れ 、 モ ンゴ ル の 末裔 な ん で す ね 。 ジ ンギ ス ・カ ン の直 接 の 子 孫 じ
ム帝 国 。 一五 二六 年建 国。
51 ム ガ ー ル帝 国 イ ン ド に お け る 最 後 の イ スラ
イ ンド 全 土 に ま た が る大
帝 国 と な った が 、 一八 五
八 年 、 セポ イ の反 乱 を 理
由 に イギ リ スに よ って最
後 の皇 帝 が 退 位 さ せ ら れ 、
滅 ぶ。
ゃ な いけ れ ど も 。
川 勝 バ ー ブ ル って い いま し た か。 岩 井 そ う。
川 勝 これ で、 ユー ラ シ ア大 陸 の物 産 が ぜ ん ぶそ れ ぞ れ のと ころ に 入 り 込
んだ 。 です か ら 中 国 だ って、私 は、 元 を さ か いに歴 史 が変 わ ると 思 う の で
す 。 中 国 の歴 史 は 、 昔 か ら 帝 国 が 出 来 上 が って、 壊 さ れ て、 ま た出 来 上 が
って と いう、 遊 牧 民 と 農 耕 民 と の循 環 み た いに 言 わ れ てます が、 たし か に
支 配 の形 態 と し て は そ う かも し れ ま せん け れ ど も 、 元 のと き に、 西 は ハン
ガ リ ー ま で 行 く わ け です か らブ ロー デ ル流 に いえ ば 、 中 国 社会 の物 質 生 活
が 変 わ った 。 文 字 ど お り ユー ラシ ア世 界 の物 質 生 活 も 変 わ り 、 中 国 の商 品 世 界 も 変 わ って、 そ し て ま た金 銀 銅 のほ か に、 紙 幣 ま で使 う 。 岩 井 最 初 、 元 は 銀 です け ど ね 。
川勝 そう です 。 そ し て、 明 のと き に は 早 く も銀 が足 りな く な って、 今 度
は新 世 界 の銀 が入 ってき ま す 。 そ の銀 が 入 ってく る のと い っし ょに、 今 度
は サ ツ マイ モが入 ってく る。 タ バ コも 入 ってく る と いう こと で、 ま った く
新 し い物 が 入 ってま いり ます ので、 商 品 世 界 が 劇 的 に変 わ る わ け です。 た
だ これ を 商 品 世 界 と 言 って い いか どう か、 私 は 物 産 複 合 と 呼 ん で いる ので
す が。 いず れ に せ よ 、岩 井 理論 に よ って そ れ は貨 幣 と は 区 別 さ れ る も の で
( 在 位 一五 二六
52 バ ー ブ ル B abul (1482︱153 ) 0ム ガ ー ル
朝 の始 祖
︱ 三〇 年 )。 そ の 軍 事 的
才能と火砲により、ベ ン
ガ ル王 に 大 勝 、 ガ ンジ ス
流域を征圧。
す 。 そ の物 産 複 合 な いし 商 品 世 界 と いう も のを 統 合 し 、 か つ、 そ れ か ら独
日本 から 、 つま り モ ンゴ ル帝 国 に 支 配 さ れ た 世 界 の外 部 に位 置 す る と こ ろ
立 し て いるも のと し て、 貨 幣 の世 界 が あ る。 そ の貨 幣 が や が て、新 大 陸 と
か ら 怒 濤 の ご と く 流 入 し て く る 。 これ が 旧 世 界 の経 済 空 間 に ﹁創 造 的 破
壊 ﹂ と い ってよ い作 用 を お よ ぼ す わ け です。 旧世 界 の 一帯 に お いて それ を
使 う 条 件 が す で に存 在 し て いた の で、 そ の供給 源 にな って いる ヨー ロ ッパ
と 日本 が 、 これ は 繰 り 返 し です け ど 、 ま さ に銀 行 家 と し て登 場 し た と いう
こと にな り ま す ね 。銀 行家 と し て登 場 し た ヨー ロ ッパ と 日本 に、 そ の貨 幣
のは 生産 要素 のさ ま ざ ま な 新結 合 、 つま り生 産 革 命 です 。 一方 は、 資 本 集
を 潜 在 的 に 利 用 す る こと の でき る企 業 家 が出 現 し てく る。 彼 ら の行 な った
約 型 の新 結 合 で労 働 の生産 性 を上 げ る生 産 革 命 、 他 方 は、 労 働 集 約 型 の新
そ う、 ま さ しく 、 銀 行 家 と いう こと です ね 。
の供 給者 と いう資 格 を持 って世 界 史 に登 場 し たき た わ け です ね 。
結 合 で土 地 の生産 性 を上 げ る生 産 革 命 です 。 し かし 、 両 者 は 、 ま ず は 貨 幣
岩井
岩 井 克 人
(いわ い ・か つひ と )
一九 四七 ( 昭 和 二 十 二) 年 に東 京 に生 ま れ る 。 東 京 大 学 経 済 学 部 卒 業 後 、 マサ チ ュー セ
ッ ツ工 科 大 学 大 学 院 修 了、 イ ェー ル大 学 経 済 学 部 助 教 授 、 同 大 学 コウ ル ス経 済 研 究 所 上 級
主 な著 作 に 、 Disu e iq lr i um b Dym ni acsa , e l Y Uv n er isi t y r P ess,198 1.,﹃ヴ ェ ニ ス の商 人 の
研 究 員 な ど を 経 て、 現 在 、 東 京 大 学 経 済 学 部 教 授 。 経 済 学 博 士 。
資本論﹄ ( 筑 摩 書 房 、 一九 八五 年 )、 ﹃不 均 衡 動 学 の理 論 ﹄ ( 岩 波 書 店 、 一九 八 七 年 )、 ﹃貨 幣
論﹄( 筑 摩 書 房 、 一九 九 三年 )、 ﹃終 わ り な き 社 会 ﹄ ( 柄 谷 行 人 氏 と の共 著 、 太 田出 版 、 一九
九〇 年 )、 近 著 に ﹃資 本 主 義 を 語 る﹄ ( 講 談 社 、 一九 九 四年 ) が あ る。
第三部 今 西 錦 司 と 宮 沢 賢 治
宮沢 賢治
今 西錦 司(遠 藤 恵大 氏提供)
序 物 産 複 合︱︱ 富 は物 の複 合 体 であ る
角 山 榮 氏 の ﹃茶 の 世 界 史 ﹄ ( 中公新書)は 、 日本 の緑 茶 文 化 と 英 国 の紅 茶 文 化 に関 す る す ぐ れ た
比 較 文 化 ・文 明 論 で あ る 。 あ る 文 化 は 固 有 の物 産 複 合 を も つ と い う 本 書 の 立 場 か ら コ メ ン ト す れ
理 道 具⋮ が セ ット と な っ て 固 有 の 物 産 複 合 と な り 、 そ れ を 構 成 す る ひ と つ ひ と つ の 物 に 名 称 、 用
ば 、 日 本 の緑 茶 文 化 の 場 合 に は 、 庭 、 茶 室 、 茶 室 の 床 の 間 を 飾 る 花 ・花 器 、 茶 道 、 懐 石 料 理 、 調
途 、 意 味 が あ っ て 、 そ れ が 全 体 と し て 茶 の 湯 と い う 生 活 文 化 を つ く り あ げ て い る 。 一方 、 英 国 の
紅 茶 文 化 も 同 じ よ う に テ ィ ー ・ポ ッ ト 、 テ ィ ー ・カ ップ 、 ス プ ー ン、 ミ ル ク 、 シ ュガ ー 、 キ ュー
カ ン バ ー ・サ ン ド イ ッ チ 、 ス コ ー ン 、 ジ ャ ム 、 ク リ ー ム ⋮ が 物 産 複 合 を 形 作 り 、 そ れ が ア フ タ ヌ
ー ン ・テ ィ ー と い う 生 活 文 化 を つく り あ げ て い る 。 テ ィ ー ・カ ップ に は ス プ ー ン が 似 合 っ て お り 、 茶 筅 で は取 り 合 わ せ がわ る い。
ひ と つ が 固 有 の 位 置 を 占 め 、 互 い に 関 連 し て い る 。 そ の総 体 が 緑 茶 文 化 で あ り 、 紅 茶 文 化 で あ る 。
日 本 の 茶 の 湯 、 英 国 の ア フ タ ヌ ー ン ・テ ィ ー で使 わ れ て い る 物 は 、 バ ラ バ ラ で は な く 、 ひ と つ
そ れを 構 成 す る物 のす べ てが 商 品 であ ろ う と な か ろ う と、 そ れぞ れ の文 化 には 固 有 の物 産 複 合 が
あ り 、 それ は眼 に見 え る物 の集 合 であ る か ら 、 言葉 が分 から な く ても 、 観 察 でき る。 緑 茶 文 化 と
紅 茶 文 化 に つい て言 え る こ と は、 緑 茶 文 化 を 一部 と す る 日本社 会 の物産 複合 、紅 茶 文 化 を 一部 と す る 英 国 社 会 の物 産複 合 に つ いても 妥 当 す る の であ る。
文 化 は 空 中 の楼 閣 では な い。 富 に支 え ら れ て いる。 富 は 物 の複 合 体 であ る 。 だ か ら 、 そ れを 物
産 複 合 と いう 概 念 でと ら え る のであ る。 物 産 複 合 は 文 化 の物 的 基 盤 であ り 下 部構 造 で あ る。 文 化
の物 的 基 盤 であ る こと に よ って、富 は個 性 を も つ。 個 性 を も つも のは 品 格 が 問 わ れ る 。富 の品格 を 問 いう る の であ る 。
物 産 複 合 に つ いて さら に ひ と言 、 民 芸 運 動 の創 始 者 であ り 美 術 研究 者 であ った 柳 宗 悦 (一 八八
九∼ 一九 六 一) の言 説 を 借 り て、 補 って お こ う。 柳 宗 悦 は民 衆 の日 常 生 活 品 に芸 術 性 を 見 出 し 、
民 芸 と いう 範 疇 を 成 立 さ せ た。 も っと も、 現 代 の民 芸 品 は 、 生 活 用 品 と いう 本 来 の役 割 か ら 遊 離
し て、 地 方 の土 産 品 に 変 わ り 、 日 用 雑 器 と いう本 質 が脱 け 落 ち た 外 見 ば か り の抜 け 殻 と な った が 、
草 創 期 の民 芸 運 動 に は 、 英 国 ヴ ィク ト リ ア朝 のジ ョン ・ラ スキ ンや ウ ィリ ア ム ・モ リ ス の美 術 評
論 が果 た し た 役 割 に 匹 敵 す る も の であ る 。 柳宗 悦 は 一九 五 四年 に書 いた 文 章 のな か で こう 言 って いる。
物 と 仏 、 文 字 は 変 わ るが 、 同 じ 意 味 合 が あ る ので あ る。 そ の物 が美 し いかぎ り は 。
今 ま で物 を 讃 え ると 、 唯 物 主 義 と謗 ら れ た り 、物 を仰 ぐ と 偶像 だ と貶 せ られ たり し た が、 し
か し そ れ は 唯 心 主 義 の行 き 過ぎ で、 ﹁心 ﹂ と ﹁物 ﹂ と を そ ん な に 裂 い て考 え る のは お か し い。
心 は物 の裏 付 け が あ ってま す ま す 確 か な 心 と な り 、 物 も 心 の裏 付 け があ って、 いよ いよ物 た る
は 、 物 を 見 る 眼 の衰 え を 語 る に 過 ぎ な い。 唯 物 主 義 に陥 ると 、 と かく そう な る。 同 じ よ う に 心
の であ って、 これ を 厳 し く 二 つに 分 け て考 え る の は自 然 だ と は いえ ぬ。 物 の中 にも 心 を 見 ぬ の
のみ 認 め て、 物 を さ げ す む のは 心 への見方 の病 いに由 ろ う。 私 はむ し ろ心 の具 象 と し て の物 を
大 切 に見 た い。 物 に 心 が 現 れ ぬ よ う な ら 、 弱 い心 、 片 よ った 心 の所 為 に 過 ぎ ぬ。 そ れ 故 、
﹁仏 ﹂ と いう よ う な 心 の言 葉 を 、形 のあ る ﹁物 ﹂ に 即 し て見 つめ た い。物 に仏 の現 れ を 見 な い
と か 、 仏 に物 の命 を 見 な いと か いう のは お か し い。 美 し い物 は仏 に活 き て いる こと の証 拠 では
たも のを 意 味 し 、 道 元 禅 師 の言 葉 を 借 り れ ば 、 美 し いも のは ﹁仏 が行 ぜら れ た図 ﹂ だ と い って
私 の考 え では 、 美 し い物 と は 、 成 仏 し た 物 と いう 意味 があ る。 成 仏 は救 わ れ たも の、 目 覚 め
な いか。
よ い。 成 仏 は ま た ﹁作 仏 ﹂ と か ﹁行 仏 ﹂ と か いわ れ る。 仏 が 仏自 ら を作 る行 いが、 物 に現 れ る
を仰 ぐ こ と であ る。 人 間 が 美 し い物 を 求 め る のは 、 そ う いう 姿 を追 う人 間 本 来 の姿 に兆 す の で
時 、 美 し い物 と 呼 ば れ る の であ る。 そ れ で美 し い仏 を 見 る と いう こ と は、 正 覚 の相 、 成 仏 の姿
あ る。 ( 柳宗悦 ﹃民芸 四十年﹄岩波文庫より)
右 の文 章 にあ る よ うな 、 日常 生 活 に お い て物 を 粗 末 に し な い生 活態 度 、 そ こ か ら 一歩 進 ん で物
に 心 を 通 わ せ、 物 の美 を 重 んじ る姿 勢 は 高 度 成 長 期 に 使 い捨 て製 品 が 開 発 さ れ て 一時 期 失 われ た
か に み え た。 だ が、 物 を 大 切 にす る生 活 態 度 は 、 資 源 保 護 、 環 境 保 全 運動 が高 ま る潮 流 のな か で、 ふ た た び 息 を ふ き か えし つ つあ る。
日本人の審美観と国富形成
日本 人 の物 に対 す る態 度 は 一朝 にし て形 成 さ れ た も の では な い。 人 間 の使 う物 は いず れ も天 然
資 源 に 手 を加 え たも のであ って自 然 に由 来 す る。 物 に心 を 通 わ せ 、 美 を 観 じ と る 審美 観 も自 然 風
土 に 由 来 す る も の であ ろ う。 日本 の国 土 は亜 熱 帯 か ら 亜 寒 帯 に広 が って いる 。 そ れ が 植 相 を豊 か
に し てお り 、 植 物 は 四 季折 々 に装 いを 変 え る。 国 土 の七 割 が 山 岳 であ る た め に 、 緑 に 萌 え る 山 々 、
雪 を か ぶる 山 脈 、 大 小 の峡 谷 、 河 川 が織 り な す 無 限 の変 化 の妙 は 、 ど の地 方 でも 日 々眼 前 に 繰 り
広 げ ら れ る 。 自 然 の織 り な す 光 景 が筆 舌 に 尽く し が た いほど 美 し け れ ば 、 人 は そ こ に神 仏 の働 き
を 感 得 し て讃 嘆 の心 を 宿 し 、 自 然 のな か で心 を 洗わ れ る経 験 を す れば 、 自 然 の力 を 畏 敬 し た り 、
自 然 の慈 悲 を 感 じ た り す る であ ろ う。 こ の国 に ア ニミズ ム的 心性 が育 まれ 、 汎 神 論 的 思 想 が 生 ま
れ で てく る根 拠 は自 然 そ のも の のう ち にあ る よ う に 思 わ れ る 。 そ のよ うな 自 然 に育 ま れ た審 美 観
が、 物 を つく る者 の心 にも 、 物 を 使 う 者 の心 に も 、 共 通 に あ り 、 そ れ が生 活 雑 器 に美 を みと め る
心 とな り、 物 を 心 の具象 とし て命 あ るも の のよ う に い つく し む態 度 へと繋 が って いく よ う に 思わ れ る。
柳 宗 悦 の眼 力 は、 ﹁物 ﹂ に宿 る ﹁仏 ﹂ を 見 抜 き 、 成 仏 し て いる物 を 見 出 す 。 物 を 人 が つく る と
いう よ り も 、 仏 が 人 の手 の働 き を介 し て仏 自 ら を つく り たま う 行 為 が 物 産 と し て結 実 す る も のな
ら ば 、 ﹁物産 ﹂ 即 ﹁仏 産 ﹂ であ る。 専 門 の芸 術 家 が 在 銘 の物 を つく る のと は 異 な り 、 日常 生 活 品
は 無 銘 であ り 、 無 銘 であ る こと に よ って自 由 であ り 、 そ の自 由 な 境 地 から 真 に実 用 的 で美 し い物
が う ま れ る 。 名 のな い人 び と の作 で あ る が ゆ え に無 欲 であ り 、 名 を 成 す た め では な いか ら 無 心 で
あ る 。 物 づ く り に 絶 え ず 工 夫 を 加 え る 匠 の精 神 は、 そ れ が手 仕 事 であ れ 、 コ ンピ ュー タを 駆 使 し
た も の であ れ 、 連 綿 と し て国 民 性 のう ち に受 け継 が れ て いる よ う に思 わ れ る。 無 欲 、 無 心 から つ
く り だ さ れ た 物 が か え って至 高 の芸 術 品 と な り う る と いう柳 宗 悦 の指 摘 は、 物 づ く り に いそ し む
日本 人 への 一種 の激 励 であ る。 そ のよ う な意 図 せ ざ る芸 術 性 ・宗 教 性 を 内 在 し た 物 産 複 合 は仏 産 複 合 と も 呼 べ る であ ろ う 。
仏 の宿 り う る 日本 社 会 の物 産 複 合 す な わ ち 日本 の富 は 、本 来 、美 し いも のにな り う る と いう 自
覚 を も つこと が大 切 で はな いか 。 戦 後 日本 の国 富 形 成 が 日 本 人 の審 美 観 と結 び つ いて こな か った
のは 不思 議 です ら あ る。 国 富 の規 模 は 超 ド級 であ る が 、東 京 に 代表 さ れ る そ の景観 は世 辞 にも 美
し いと は い いか ね る。 ミ ニ東 京 に いた っては な お さ ら であ る 。 経済 活動 に審 美 観 を と りも どす こ と が求 め ら れ て いる。
物 産複 合 は 、生 物 、 無 生 物 に人 間 が手 を 加 え た さ ま ざ ま な 物 の社 会 的 総体 であ る が 、加 工 さ れ
て人 の用 に供 され る生 物 は 命 を も ち 、 無 生 物 に は命 を育 む働 き が あ る。 ﹁道 に終 始 な く 、 物 に 死
生 あ り ﹂ と 言 わ れ る が 、生 物 に せ よ無 生 物 に せ よ、 物 た るも の には 生 成 と 消 滅 が あ る 。生 物 、無
生 物 に おけ る命 の働 き を 真 情 を も って表 現 し た 人 物 を 、 最 後 に二 人 と り あ げ た い。 今 西 錦 司 (一 九〇二∼九 二)と 宮 沢 賢 治 (一八九六 ∼ 一九 三三) であ る。
1 心 の 書︱︱ 今 西 錦 司 ﹃生 物 の世 界 ﹄
西 田 哲 学 ・三 木 清 ・今 西 錦 司
今 西 錦 司 ﹃生 物 の世 界 ﹄ ( 初版、 一九 四 一)が 講 談 社 学 術 文 庫 に入 った のは 一九 七 二年 の こと で
あ る 。 文 庫 の巻末 に哲 学者 上 山 春 平 氏 が行 き 届 いた 解 説 を 寄 せ ら れ て いる。 そ こに注 目す べき 一
節 が あ る︱︱ ﹁西 洋 の近 代科 学 を開 拓 し た ガ リ レイ や ニ ュー ト ンは 哲 学 者 であ った 。 た と え ば 、
ニ ュー ト ン の主 著 は ﹃自然 哲 学 の数 学的 原 理 ﹄と 名 づ け ら れ た 。 彼 ら は 、 哲 学 か ら 物 理 学 への道
を つけ た のであ る。 今 西 さ ん は 、 哲 学 から 生 物 学 への道 を つけ た ﹂。 文 中 に あ る 生 物 学 へ の道 を
つけ た ﹁哲 学 ﹂ が ﹃善 の研 究 ﹄ で名 高 い西 田 幾 多 郎 (一八 七〇∼ 一九 四五) の いわ ゆ る ﹁西 田 哲
(一九 二 一∼ ) は、 第 二次 世 界 大 戦 に 学 徒 出 陣 し 、 回 天 特 攻 隊 か ら 奇 し く も 生 還 し
学 ﹂ を 指 し て いる こと は 、 疑 いな い。 西 田哲 学 と生 物 学 と が結 び つく と は 、 意 外 な 洞 察 であ る 。
* 上 山 春 平 氏
て哲 学 者 にな った人 物 であ る。 専 門 の哲 学 書 以 外 に、 空 海 、 藤 原 不 比 等 、 明 治 維 新 論 、 照 葉 樹 林 文 化
論 、 日本 の城 、 日本 国 家 論 、 日本 文 明論 な ど 、 本 来 の哲 学 か ら す れ ば 横 道 と も いえ る分 野 で縦 横 無 尽
の論 陣 を 張り 、 いわ ば 雑 学 を 絵 にし た よ うな 作 品 が山 ほど あ る が、 いず れ も 明 確 な カ テゴ リ ーと 明快
な 論 理 で組 み 立 てら れ 、 知 的 興奮 を そ そ ら ぬ も のは な い。特 攻 隊 員 か ら 生 還 し た のは幸 運 と いう 以 外
に な いが 、 同 時 に 、 あ た ら 有 為 の青 年 の命 が 散 った 非 運 に 瞑 目 を 禁 じ え な い。 死 地 を か いく ぐ った 上
山 氏 は 戦 後 す ぐ に 行 動 を お こし た 。 新 日本 のた め の憲 法 草 案 を 作 成 し て朝 日新 聞 に 送 った の であ る 。
そ の草 案 は陽 の目 を み な か った 。 だ が、 後 に ﹃大 東 亜 戦 争 の意 味 ﹄ ( 中 央 公 論 社 ) と い う本 を 著 し た 。
平 和 の樹 立 に は主 権 国 家 の克 服 が 必 要 であ り 、 日本 国 憲 法 は そ の目 的 に沿 う 国 際 的 文 書 と し て成 立 し
た 人 類 最初 の憲法 であ る と 論 じ ら れ てお り 、 行 間 に は 不戦 へ の志 向 が ほ と ば し って いる。 ( ﹃上 山春 平 著 作集 ﹄全 十巻 、法 蔵館 )
西 田 哲 学 の継 承 者 と し て、 だ れし もす ぐ に 脳 裏 に浮 か べ る のは、 悲劇 の哲 学 者 三 木 清 (一八九
七∼ 一九 四五) であ ろ う 。 西 田 の三木 に 対 す る 関 係 は 、 孔 子 の顔 回 に 対 す る関 係 に 比 せ ら れ る だ
に達 し な い年 歯 四十 八 歳 で非 業 の死 を と げ た。 三木 清 に つ いて、 少 し 言 及 し て おき た い。
ろ う 。 孔 子 が 顔 回 を 愛 し た よ う に 、 西 田 は 死 ぬ ま で 三木 の こと を 気 に かけ て いた 。 三 木 清 は 天 命
﹁人 間 は 考 え る 葦 であ る﹂ と いう のは パ ス カ ル (一六二三∼ 一六六二)の遺 著 ﹃パ ンセ﹄(一六六五)
の有 名 な 命 題 であ る。 人 間 は 葦 のよ う に 弱 い存 在 であ る が、 そ の弱 さ、 卑 小 さを 認 識 し 得 ると こ
ろ に 、人 間 の偉 大 さ があ ると いう 意 味 であ る 。 パ スカ ルは 、 考 え る と いう こ と に人 間 の尊 厳 を 認
め 、 ﹁人 間 は 考 え る た め に 作 ら れ て いる。 こ れ が彼 の品 位 の 一切 であ り 、 価 値 の 一切 であ る。 彼
のな す べき す べ て のこ と は、 正 し く 考 え ると いう こと であ る ﹂ と いう 思想 を 繰 り返 し述 べて いる。
パ ス カ ルは 同 時 に 人 生 の空 し さ 、 不幸 、 悲 惨 を 描 く 名 人 でも あ った 。 そ の人 生 観 は ﹁人 生 は 死 を
忘 れ るた め の慰 戯 だ ﹂ と いう戦 慄的 な 命 題 に集 約 さ れ る であ ろ う 。
て いた 。 だ が 、 神 の存 在 を 前 提 に し た パ スカ ルの人 間 論 を 、 一九 二 四 年 の冬 、 パリ にあ った 二十
パ スカ ルは 、 人 生 の悲 惨 を 認識 し つ つも 、 神 の恩 寵 によ って人 間 は救 済 さ れ う る こと を確 信 し
七 歳 の孤 独 な 哲 学 青 年 三木 清 は そ の前 提 を 取 り 払 った と こ ろ で受 け 止 め た。 ﹃三 木 清 全 集 ﹄ ( 岩波
書店) の第 一巻 に収 めら れ た ﹃パ スカ ルに お け る人 間 の研究 ﹄ に お い て、 三 木 は ﹃パ ン セ﹄ が 突
き つけ る 人 生 の悲 惨 を 明 晰 に 分析 し て いる。 中 心 主 題 は ﹁人 間 と は ⋮ ⋮無 限 に く ら ぶ れば 虚 無 で
あ り 、 虚 無 に く ら ぶ れ ば 万有 であ り、 虚 無 と 万 有 と のあ ひ だ の中 間 者 であ る ﹂ と いう ﹃パ ン セ﹄ の中 の命 題 であ った 。
深 い悲 哀 と 明 晰 な 論 理 性 と は 三木 哲 学 に お いては 渾 然 一体 であ る 。
三 木 の故 郷 竜 野 ( 兵 庫 県 ) を訪 ね た こ と があ る。 丘 の中 腹 、 揖 保 川 を 眼 下 に 望 む と ころ に 石碑
があ り ﹁し ん じ つの秋 の日 照 れ ば専 念 に 心 を こ め て歩 ま ざ ら めや ﹂ と いう 三木 の若 き 日 の短 歌 が
刻 ま れ て いた 。 そ の場 に た た ず む う ち 、暮 色 が せま り 、 落 日 の 日射 し に き ら ら か に ゆ れ る 川 面 を
見 つめ て いる と 、 獄 死 し た 三 木清 の無 念 と 不幸 が胸 中 に去 来 し 、 衣 鉢 を 継 が ね ば な ら な い、 と い
う 追 悼 の念 が 衝 き あ げ た 。 三 木 哲 学 は ﹁形 の哲 学 ﹂ であ る。 感 性 を 理 性 のう ち に解 放 し 、 形 な き
( ﹃三木 清全集﹄第八巻 所収)は 未 完 に終 わ った 。 だ が、 ﹃哲 学 ノ ー ト﹄ ( 新 潮文庫、 同第 十巻所収 )や
パ ト スを 形 のあ る ロゴ スに 高 め る 。 そ の働 き を 三 木 は構 想 力 と 呼 ん だ 。 主 著 ﹃構 想 力 の論 理 ﹄
﹃哲 学 入 門 ﹄ ( 岩波新書、同第七巻所収) は 三木 哲 学 のみ な ら ず 、 いま な お 哲 学 一般 の 最良 の入 門 書
と し て の地 位 を 保 持 し て いる 。
西 田 哲 学 を 批 判 的 に 継 承 す る と いう のは 、 三木 自身 が表 明 し た立 場 で もあ った。 処 女 作 ﹃パ ス
カ ル にお け る人 間 の研 究 ﹄ か ら 絶 筆 ﹃親 鸞 ﹄ に いた る ま で の学 究 の道 は ﹃史 的 観 念論 の諸 問題 ﹄
﹃唯 物 史 観 研 究 ﹄ ﹃歴史 哲 学 ﹄ ﹃社 会科 学 概 論 ﹄ な ど の著 作 か ら 推 す な ら ば 、 哲 学 か ら 社 会 科 学 へ の道 であ った と みな し う る。
閑話 休 題 、 ヨー ロ ッパ では 自 然 哲 学 ( natur alphi l os ophy) か ら 自 然 科 学 ( nat uralscin e ce) への
道 が切 り 開 か れ た。 日本 に お いても 、 それ と 相 似 た 道 が あ った こと 、 す な わ ち 西 田哲 学 か ら 今 西
生 物 学 への道 が存 在 し た こ と に つ いて は、 上 山 氏 の解 説 に接 す るま で、 私 は 知 ら な か った 。
生 物讃歌 の詩文
﹃生 物 の世 界 ﹄ を ひ も とけ ば、 そ の序 に ﹁私 の命 がも し これ ま で のも のだ と し た ら 、 私 は せ め て
こ の国 の 一隅 に、 こん な 生 物 学 者 も 存 在 し て いた こと を、 な ん ら か の形 で残 し た いと 願 った ﹂ と
あ る 。 著 者 が 自 画 像 と 呼 ぶ だ け あ って、 最初 か ら 最後 ま で自 分 の言 葉 で書 かれ て おり 、 文 献 の引
用 は 一切 な い。 こ の本 は 戦 死 す るか も し れ な いと いう 状 況 下 で 、今 西 が 渾身 の力 を こ め て自 己 の 生 物 観 を 開 陳 し た も の であ る 。
学 者 ガ ロア (一八 一一∼ 一八三二)は 数少 な い例 外 であ ろ う。 L ・イ ンフ ェル ト ﹃ガ ロ アの生 涯
い った いど れ ほど の人 が 自 己 の学 問 的 達 成 を 遺 書 と し て世 に 問 う こと があ るだ ろ う か。 天 才 数
神 々 の愛 でし人﹄ ( 市井 三郎 訳、日本評論社) が描 く 、 決 闘 の前 夜 の二 十 一歳 の青 年 ガ ロア の学 問 的
情 熱 は人 の心 を 打 つ。 ﹃生 物 の世 界 ﹄ にも 土 壇 場 でし か 書 け な い真 摯 な 学究 精神 が 貫 か れ て いる。
真 理は 知 ら れ る こと を 自 ら 欲 す る 。 し か し そ れ は人 の働 き を 介 し ては じ め て現 れ る の であ る 。
今 西 錦 司 を し て語 ら し めた のは 、 新 し く 発 見 さ れ た生 物 界 の実 相 であ る。 生 物 を 死 し た 標 本 に よ
って では な く 、 生 き た フ ィ ー ル ドに お い て観 察 す る こ と に よ って今 西 が 得 た 生 物 界 の真 理 は 、 発
表 さ れ る や新 し い生 物 哲 学 と な り 、 後 に今 西 理論 とし て知 ら れ るよ う に な った 。
第 一章 は ﹁相 似 と 相 異 ﹂ と 題 さ れ 、生 物 が みな 類 縁 関係 にあ り 、 ど の生 物 個 体 も そ の類 縁 の遠
近 を 見 分 け る能 力 が あ る と 説 い て いる。 これ は証 明 でき る内 容 では な い。 だ が 、 そ れ は 彼 が 発 見
し た生 物 界 の現象 を 説 明 す るた め の原 理 で あ る。 ﹁歴 史 ﹂ と 題 さ れ た 最終 章 では 、 生 存 競 争 を 主
張 す る ダ ー ウ ィ ニズ ムに 対 し 、 ﹁棲 み 分 け ﹂ と いう 生 物 の世 界 に お け る 共 生 の自 律 性 が力 強 く 論
じ ら れ て いる 。 そ の根 底 に は 、生 き た ( 実 験 室 の標 本 で はな い) カ ゲ ロウ の長 期 観 察 か ら 得 た 確
信 が あ り 、 生 き と し 生 け る も のは 互 いに共 存 し て いると いう 生 物 観 が あ る。 行 間 に 打 ち 込 ま れ て いる 生 物 への愛 情 と 畏 敬 の念 は襟 を 正 さ せ る。
﹃生 物 の世 界 ﹄ の全 篇 に流 れ て いる のは 生 物 への讃 歌 であ り 、 骨太 の論 理 的 な 文 章 で はあ る が 、
詩 情 が 脈 打 ってお り、 長編 の詩 文 を 味 わ う よ う にし て読 め る。 そ の琴 線 にふ れ 、 私 は 今 西 錦 司 と
いう 人 物 に 生 き と し 生 け る も のに仏 性 を 観 照 す る生 き 仏 で はな いか と いう 尊 崇 の念 を 抱 いた 。
2 今 西 錦 司 翁 と の 一期 一会
今 西 翁 に お 目 に か か った のは 、 ﹃生 物 の世 界 ﹄ を 読 ん で か ら十 年 以 上 の歳 月 が 流 れ て か ら で あ
る。 借 金 に 困 り 国 際交 流基 金 の創 設 十 周 年 記 念 懸 賞 論 文 に応 募 し た のが き っか け であ った 。 規 定
タ イ ト ルは ﹁国際 交 流 と 日本 ﹂ であ った が、 ﹁経 済 史 的 接 近 ﹂と いう こじ つけ 気 味 の副 題 を そ え
て送 った と こ ろ、 幸 運 に も ﹃国 際 交 流 ﹄ 三 四 号 (一九 八三) に 掲 載 さ れ 、 そ のな か で今 西 翁 の
﹁棲 み 分 け ﹂論 に触 れ た のが人 の 眼 にと ま り 、 対 談 の企 画 が も ち こま れ た 。
し て編 集 者 と 参 上 し た 。 翁 と 挨 拶 を 交 わ せ ば 、 わ が故 郷 の京都 弁 。 父 や祖 父 の話 し ぶり と 寸 分 違
京 都 は 下 鴨 の今 西 邸 で 一九 八 三 年 十 一月十 日午 後 四時 か ら五 時 半 と いう ア レ ンジ と な り 、 雀 躍
わな い。 たち ま ち 緊 張 がと れ 、 無 遠 慮 に 自 分 の意 見 を た て続 け に ぶ つけ た。 隣 に いた 編 集 者 が 紙
片 を 私 のひ ざ の上 に お いた。 ﹁話 を 聞 き だ し て く だ さ い﹂ と あ る 。 気 づ け ば 、 す でに 五 時 。 三 十
五歳 の若 造 の議 論 に八 十 歳 の翁 は ﹁ほう ﹂ な ど と 相 槌 を う た れ て いただ け で、 ま とも な 応 答 を な
さ って いな い。 残 り の時間 は 三十 分 。 対 談 は 早 や 失 敗 し た 、 と 早 合 点し た。 脂 汗 が に じ み 、戦 略
を た て直 す余 裕 と てな く、 や みく も に質 問 し た 。 あ っと いう 間 に 五 時半 。 と ころ が六 時 、 六 時 半 、
七 時 に な っても 帰 る よ う に 促 さ れ な い。 つ いに七 時 半 、 ﹁風 呂 に は いり ま す ﹂ と いわ れ た 。 約 束
の五 時 半 を 過 ぎ てか ら は 、 い つ切 り 上げ ら れ る のか、 と心 身 を 退 路 にお いた ま ま であ った か ら 、 疲労困憊した。
今 にし て思 え ば 、 翁 は 自 分 の発言 に段 落 の つく 前 に私 た ち を 追 い返 さ れ る は ず が な か った 。 位
負 け し て いた 対 談 であ った が、 翁 の発言 を中 心 に イ ンタ ビ ュー形 式 に編 集 し 直 し て校 正 を 仰 いだ 。
無 修 正 で あ った 。 そ れ は ﹁自 然 学 の提 唱 に寄 せ て 二 つ目 の自画像﹂ とし て ﹃ボ イ ス﹄ 一九 八 四
年 一月 号 ( ﹃今 西 錦 司 全 集 ﹄ 第 十 三 巻 所 収 ) に掲 載 さ れ た 。 以 下 に そ れ を再 録 す る。
﹁自 然 学 ﹂ の 提 唱 に 寄 せ て︱︱ 二 つ目 の自 画 像
現 象 を 捨 て、 原 理 を 求 む
川 勝 早 速 です が 、 直 観 の働 く とき と いう のは、 ど ん な ふう に先 生 は ⋮ ⋮ 。
今 西 そ れ は な 、 昔 は 、 行 者 み な水 垢 離 を と ったり いろ いろし て精 神 統 一を し た や ろ 。 し か し 僕
に言 わ す と 、 そ れ は 反対 な ん です 。 水 に か か った り な ん やす る のは 精 神 集 中 や な 。 そ う や な く て、 精 神 を 解 放 し た と き が 一番 直 観 は よ うき くと 思 う ね。
川 勝 し か し 、 充 電 し てな か った ら、 パ ッと は ひら め かな いん じ ゃな いか と いう 気 が し ま す 。
今 西 そ れ は水 垢 離 の方 の説 や。 それ は ね 、 酒 呑 ん でも 充 電 す る のか も し ら ぬ け ど な 。 直 観 は 、
一杯 呑 ん で いる と き の方 が よく き く 。 ま あ 、 呑 み 過 ぎ た ら あ か ん け ど ( 笑 )。
そ れ か ら も う ひ と つ、直 観 と いう のは生 ま れ な がら にし てき く 人 間 と き か ぬ人 間 と が あ る。 き か ぬ や つは い つま でた って もき か へん。 川 勝 そ れ は お も し ろ いです ね。
今 西 直 観 に も 種類 が あ ってね 。 す ばら し い直観 と安 物 の直 観 とあ る ( 笑 )。
たが ⋮⋮ 。
川 勝 さ て こ の間 、 ﹃季 刊 人 類 学 ﹄ ( 十 四巻 三号)に ﹁自 然 学 の提 唱 ﹂ と いう論 文 を 発 表 さ れ ま し
今 西 コメ ントを 上 山 ( 春 平 ) が書 い てます が ね。 し かし 、 今 度 の コメ ントを 見 る と ﹁生 物 全 体
え て お る。 ホ ロ スピ ー シ アを 訳 し た ら ﹁全 種社 会 ﹂ に な る かも しら んけ ど、 僕 は や っぱ り 社 会 学
社 会 ﹂ と いう ﹃生 物 の世 界 ﹄ 以 来 使 う てる わ し の愛 用 語を 勝 手 に ﹁全 種 社 会 ﹂と か いう 言 葉 に換
か ら 用 語 を 選 ん で、 ﹁生 物 全 体社 会 ﹂ と いう 言 葉 を 使 う て ん ね ん 。 全 体社 会 は 部 分 社 会 に 対 す る も のです 。
そ れ か ら、 哲 学 の位 置 を 忘 れ てお る。 哲 学 の位 置 を 。彼 は哲 学 の専 門 家 や。 そ れ で ﹁わ し の領 域 は人 を入 れ ぬ ﹂ と いう 、 そう いう 考 え が あ る み た いや な 。
川 勝 日本 の自 前 の哲 学 の入 門 書 は 何 か と 言 わ れ た ら 、 ﹃善 の研 究﹄ ( 西田幾 多郎 、岩波文庫)を 挙
の世 界 ﹄。 先 生 ご 自 身 は ⋮ ⋮ 。
げ る と 思 う ん で す け れ ども 、 日本 の生 物 学 の入 門 書 と いう こと です と 、 僕 は た あ ら わず に ﹃生 物
今 西 ﹃自 然 学 入 門 ﹄ と いう 本 を 書 き 残 し て お き た いと 思 いな が ら ね 、 機 がま だ熟 し て こん の で す な。
季 刊 の ﹃知 識 ﹄ と いう 雑 誌 の秋 季 号 (一九八 三年) に僕 の 一文 が 載 って ま す わ 。 ﹁自 然 学 の提
唱 ﹂ の後 で書 いた ん です 。 そ の最 後 のと ころ に 、 ﹁ゲ オ コ ス モ ス﹂ と いう こと を提 唱 し てん の や。
地 球 本 位 の物 の見 方 と いう も のを そ こ に謳 う てあ って、 日 のさ ん さ ん と 照 ってる と こ ろ で な いと
嫌 や 、 も う こ の地 球 で結 構 でご ざ いま す と いう こと を 言 う てま す 。 で、 これ も や っぱ り僕 の自 然 学 と 関 係 あ る み た いや ね。 川 勝 ﹁棲 み分 け ﹂ の世 界 です ね 。
今 西 湯 川 博 士 の ﹁中 間 子 理論 ﹂ と か、 あ る いは ク リ ックと ワト ソ ンの ﹁二重 ら せ ん 構 造 ﹂ と い
う も のは 、 も う 理 詰 め に 考 え て考 え てね 、 よ う や くあ そ こま で到 達 し た も のだ ろ う と 思 う ね 。 そ
川勝 ﹁棲 み分 け ﹂ は現 象 と し て観 察 でき る事 実 です ね 。
れ に比 べ ると 、 ま こと に申 し 訳 な いけ れ ど も 、棲 み分 け は棚 ぼ た であ ってね ( 笑 )。
今 西 今 度 はだ いぶ問 題 が 核 心 に入 ってき た な 。 僕 は 、棲 み分 け と いうも のを 発 見 し て長 いこと 、
ぼ考 え ても 現象 で は説 明 でき な いの やね 。
棲 み分 け と いう現 象 のあ る こと は 知 って いた け れ ど も 、 そ れ が ど う し て でき た か と いう の は、 何
だ け ど も、 いま ご ろ にな ってわ か ってき た 。 これ は 現 象 で説 明 し よ う と 思 う て る か ら、 わ か ら
へん の です わ 。 現象 を捨 て て、 原 理を 求 めた ら た ち ど ころ に氷 解 し た な 。
川 勝 原 理 と いう のは、 ﹃生 物 の世 界 ﹄ の冒頭 の章 に書 いてあ る、 あ そ こ ⋮ ⋮。
今 西 あ そ こか ら 出 てく る ん です 。 し かし 、 いま は ﹃生 物 の世 界 ﹄ は 、 そ れ ほど 評 価 し ま へん わ 。
川 勝 学 説 と し て は 、 恐 ら く た と え ば 第 四章 ﹁社 会 に つい て﹂ で お書 き に な って る こ とは 、 ﹃生
物 社 会 の論 理﹄ の中 で、 も っと き ち っと書 い てあ る わ け です 。 し か し、 ﹃生 物 社 会 の論 理 ﹄ を 読
ん だ と き と ﹃生 物 の世 界 ﹄ を 読 ん で得 る感 動 と いう のと は、 何 か異 質 な も のが あ り ま す 。 特 にあ の ﹁歴 史 に つ いて﹂ は圧 巻 です 。
今 西 僕 も あ の ﹁歴 史 に つい て﹂ が 一番 好 き や ね ん 。 と ころ がな 、 そ う言 う てく れ へん 人 も あ ん
ね ん。 ﹁環境 に つ い て﹂ が おも し ろ か ったと か、 そん な 的 外 れ が あ り ま す よ 。
や っぱ り ﹃生 物 の世 界 ﹄ の方 が、 いま か ら 思 う と 、 標 準 を 超 え て てね 。 ﹃生 物 社 会 の論 理 ﹄ は、 そ れ と比 べたら 、 だ め やな 。 あ ん な の読 ま ん でも よ ろ し い ( 笑 )。
か ん だ りす る こ と でけ んな 。 こ の間 も ﹁変 わ る べく し て変 わ る と いう のが わ か ら ん ﹂ て手 紙 で言
そ れ か ら 、原 理 と は何 かと いう こと ね。 原 理 と いう のは 、 現 象 の背 後 に あ って、 生 のまま で つ
う てき た 人 が あ る ね ん。 そ れ で、 ﹁それ はあ ん た 、わ か ら ん のも 無 理 な い、 変 わ る べく し て変 わ
る と いう のは 、 現象 の問題 と違 う て、 これ 原 理 の問 題 です よ ﹂ と 言 う てや った ん です 。 た と えば
生 物 学 で、 細 胞 分裂 と いう こ と があ る。 これ は 顕 微 鏡 の下 でだ れ でも 見 ら れ ます 、 現象 とし て。
し か し 何 で細 胞 が 分 裂 す る のや と いう こ と は、 いま の細 胞 に聞 いても わ か ら へん。 川 勝 三 十 二 億 年 さ か のぼり ます か。
今 西 え え 。 恐 ら く 細 胞 は 、 わ れ われ はも う創 世 の時 代 か ら 、 分 裂 を 繰 り 返 し てき てお る ん です 、 と 答 え る だ ろ う 。 そ こに 原 理 が あ る。
川 勝 ﹁種 の起 原 ﹂ も ﹁原 理 ﹂ か ら 説 き お こ す こ と に な り ま す か 。
( 類 推 ) と いう も の を 非 常 に よ く
今 西 ﹁種 の 起 原 ﹂ と い う の は 、 棲 み 分 け の 起 原 が わ か った ら わ か る 。 し か し 、 棲 み 分 け の 起 原 が わ か ら ん か ら 、 困 っと った ん や 。 も と も と 僕 は 、 方 法 論 と し て 、 直 観 と も う 一つ、 ア ナ ロジ ー
使 う ね ん 。 こ れ は 僕 の 方 法 論 の 特 徴 の 一つ です 。 そ こ へ思 い つ い た ん や 。 いま の 細 胞 分 裂 か ら の アナ ロジ ー です 。
種 社 会 と いう も の が あ る 。 こ れ は 、 も う 最 初 の生 物 が で き た と き に 成 立 し て る ん で す な 。 棲 み
分 け が そ こ へ出 て く る ん で す 。 そ れ か ら あ と 、 今 日 、 二 百 万 ぐ ら い に ま で 生 物 の 種 類 が ふえ た ん
や ね 。 そ れ は 何 に よ っ て ふ え た か と い った ら 、 棲 み 分 け の密 度 化 と 僕 は 言 っ て る 。 次 々 と 種 の 社
会 が 分 裂 し て い っ て 、 こ れ だ け の た く さ ん の種 社 会 に な った わ け で す 。 そ れ は ま さ に 細 胞 分 裂 と
同 じ や ね 。 種 社 会 に 聞 い た ら 、 何 し ろ 最 初 の種 社 会 が で き た と き 以 来 、 わ れ わ れ は こ う いう こ と
( 笑 )。
﹁相 似 と 相 異 ﹂ の と こ ろ に 書 か れ て あ る と 思
を 繰 り 返 し てお り ま す と 、 いう だ ろ う 。 そ こに 原 理 があ る。 それ でも う安 心 し ま し た プ ロ ト ・ア イ デ ン テ ィ テ ィ 川 勝 も う 一 つ重 要 な の は ﹃生 物 の世 界 ﹄ の第 一章
いま す が 、 ア イ デ ン テ ィ テ ィ に つ い て。 あ そ こ に 、 生 物 と いう の は 初 め か ら 、 自 分 の 個 体 が 何 で あ る か に つ い て 先 験 的 な 認 識 を も っ て い る と 述 べ ら れ て いま す 。
今 西 そ の ア イ デ ン テ ィ テ ィ も ね 、 ま だ 頭 の中 に あ って ね 。 こ の間 や っと 、 僕 の 言 う ア イ デ ン テ
ィ テ ィ は 、 こ の ご ろ 社 会 学 者 が 使 う よ う な ア イ デ ン テ ィ テ ィ と 違 っ て 、 プ ロ ト ・ア イ デ ン テ ィ テ ィ で す ね 。 こ れ は 意 識 以 前 の存 在 や 。
川 勝 プ ロ ト ・ア イ デ ン テ ィ テ ィ と い う の は 先 験 的 な 自 己 確 認 と いう よ う な 感 じ で し ょ う か 。
今 西 ア イ デ ン テ ィ テ ィ に も 、 よ う け あ り ま す け ど な 。 僕 の 一番 重 要 視 し て い る と こ ろ は 、 や っ ぱ り ﹁帰 属 性 ﹂ と い う こ と や な 。
川 勝 ど の個 体 も 、 自 分 が ど の種 に 帰 属 し てる か と いう こと を生 ま れ な がら にし て知 ってお ると 。
今 西 う ん 、 そ の 帰 属 性 が 非 常 に 大 事 な も ん や ね ん 。 こ れ を 一本 入 れ ん と 、 僕 の 生 物 社 会 学 は 成
り 立 た へん の や 。 そ れ が わ か る と 、 外 国 人 で も や な 、 種 と 個 体 と の関 係 が よ く わ か る よ う に な る
と 思 う ん や 。 プ ロ ト ・ア イ デ ン テ ィ テ ィ と い う も の を う ま い こ と 説 明 す れ ば 、 つま り 種 社 会 の 分
川勝 これ は大 変 な も ん です 。
裂 の と き に 役 に 立 つ。
今 西 大 変 な 問 題 や 。 も う いま や 頂 上 が 目 の 前 に 見 え て き て 、 も う そ れ 登 った ら し ま い や と いう
と こ ま で 来 た け れ ど も 、 気 が つ い て み た ら 、 そ の 頂 上 の 陰 に や な 、 も う 一つ ピ ー ク が 見 え た 。 ま
ク と い う の が 、 プ ロト ・ア イ デ ン テ ィ テ ィな ん で す 。 こ れ は も う ち ょ っと 時 間 を か け て も え え ん
だ あ れ に 登 ら な ん だ ら 、 お れ の 一生 の 仕 事 は 終 ら ん の か と い う 気 が し て お り ま す 。 そ の次 の ピ ー
で す 。 拙 速 で な い方 が よ ろ し い。 川 勝 プ ロト ・ア イ デ ン テ ィ テ ィも や は り 直 観 の 賜 物 で し ょ う か 。
今 西 目 が 悪 う な った こ と が 何 か 影 響 あ る か と 思 う て 考 え て ん ね や け ど ね 。 目 の 不 自 由 な 人 は 直
ってき た のが 。
観 が鋭 いや ろ。 何 か 関 係 が あ るか も わ か ら ん。 今 年 にな って から やな 、 急 にそ う いう 思 想 が 固 ま
川 勝 今 年 に な っ て か ら で す か 。 そ れ に し ても 、 プ ロ ト ・ ア イ デ ン テ ィ テ ィと いう 概 念 を 出 さ れ
た と い う の は す ご い で す 。 ﹁相 似 と 相 異 ﹂ と い う の を さ ら に 支 え て い る 、 第 一章 の 文 字 通 り の 原
の は そ こ か ら 出 て き た 二 つ の 概 念 で、 類 推 と 類 縁 も そ う で す ね 。 し か し 、 そ う し た も の 全 部 を 一
理 、 そ れ は プ ロト ・ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 問 題 で は な か ろ う か と 思 いま す 。 ﹁相 似 と 相 異 ﹂ と い う
体 ど の 概 念 で 扇 の か な め の よ う に く く れ る か と いう と 、 こ れ が プ ロ ト ・ア イ デ ン テ ィ テ ィ。 ち ょ
う ど 物 理 学 の基 礎 づ け を し た カ ン ト の先 験 的 な 純 粋 直 観 の 形 式 と し て の空 間 と 時 間 に 当 る も の が
そ れ では な い でし ょう か。 生 物 学 、 あ る いは自 然 学 の基 礎 づ け を す る 、 そ う いう 原 理的 な概 念 の よ う に 思 いま す 。
今 西 こ の 間 、 北 海 道 の知 人 が 山 で 死 ん で 、 そ の お 悔 や み に 行 った ん や 。 そ し た ら 北 海 道 は 涼 し
い て ね 、 ま だ 京 都 は 暑 い 暑 い こ ろ で す よ 。 相 当 空 気 が 澄 ん で い て ね 、 夜 、 寝 ら れ へな ん だ ん や 。
そ し た ら そ の と き に 浮 か ん だ な 。 何 が 浮 か ん だ や った か 、 ア イ デ ン テ ィ テ ィ論 で は な か った か も
( 笑 )。
し ら ぬ 。 あ る い は そ の原 理 か も し れ ぬ な 。 ﹁こ れ で い った ろ 、 よ し 、 いけ る な ﹂ と い う 気 が そ の と き し ま し た 。 こ れ も や っぱ り 棚 ぼ た や な 川 勝 も う でき あ が っ て いま す か 。
今 西 プ ロ ト ・ア イ デ ン テ ィ テ ィ論 と いう の は 、 短 いも ん や け れ ど も 、 三 十 枚 ほ ど 書 い た 。 そ れ
が ま だ ね か し て あ る ん で す 。 こ れ は も う ち ょ っと 書 き 足 さ ん と い か ん と 思 う て 。 そ う い う こ と が
あ れ や これ や と 出 てく る の で、 ﹃自 然 学 入 門 ﹄ にな か な か 取 り か か れ な い ( 笑 )。 人類と生物全体社会
川勝 ﹃生 物 の世 界﹄ に よ り ま す と 、 個 体 は棲 み分 け た 種社 会 の中 で生 ま れ て き ま す か ら 、 初 め
から 生 き る地 域 空 間 が限 定 され て いる。 た だ 、 わ か ら な い のは 進 化 の最先 端 に あ る生 物 の こと で
す。 これ に 限 って いう とあ ら ゆ る空 間 が 自 分 のた め に開 か れ て いる よ う な も の で、 棲 み 分 け の限
定 は 希 薄 のよ う に 思 います 。 言 いか えま す と 、 進 化 の最 先 端 にあ る も のは 必 ず し も 棲 み 分 け の必
要 が な い の では な いか 、 た と え ば爬 虫 類 の支 配し た中 世 代 にあ って爬 虫 類 は 棲 み 分 け て いま す か 。
今 西 そ れ は や っぱ り 仲 間 同士 で棲 み分 け な な ら ん。 爬 虫 類 は爬 虫 類 同 士 で。
川勝 進 化 の断 面 のあ る時 期 に は 、 そ こ で全 体 社 会 の動 き と いうも のを 代 表 し て いる よう な 、 代
表 選手 み た いな の が いると 思 う ん です け ど 、 そ の生物 は全 体 社 会 と いう も の の中 に部 分 社 会 が、
鳥 や象 や 、あ る いは花 や蝶 のよう に、 安 定 し た 形 で棲 み 分 け ては いな いと いう よ うな 、 そ う いう
不 安 定 な 状 況 に 置 か れ て いる ん じ ゃな いかと いう 気 が し ま す が 。 そ う いう意 味 に お い て、 進 化 の
最 先 端 に いる 人 間 と いう のは 、進 化 の最 先 端 にあ る こと によ って、 全 体 社 会 と いう も のに さ っと 帰 属 でき ると いう 感 覚 を持 ってな いん じ ゃな いか。
今 西 そ れ は む ず か し い質 問 や な。 いま まだ 、 人 類 と いうも の は、 人 類 社 会 と いう 一つの種 社 会
だ って確 認し と ら へん 。 も っと 細 か いと ころ か ら出 発 し て、 そ れ で それ のち ょう ど 中 間 段 階 ま で
き て 、将 来 は種 社 会 を 確 認 す るか と 言 わ れ る と 、 確 認 す る方 向 に向 って ると いう こと ま で は言 え
ま す ね 。 果 し て確 認 す る か ど う か は わ か ら んけ ど 。
川 勝 ど う し て人 類 は そ う いう よ う な ﹁中 間 段 階 ﹂ にあ る の でし ょう か 。 今 西 そ れ は 言 葉 か ら です 。 川勝 言 葉 が でき る前 の人 間 は と い いま す と ?
川勝 ﹃生 物 の世 界 ﹄ を み ま す と 、 先 生 は 、 生 物 と いう の は い つも 朗 ら か では っき り し て お る と 。
今 西 プ ロト ・ア イ デ ン テ ィ テ ィ でや ってお った。
し か し人 間 の話 にな ると や や こし ゅう てし よ う が な いと いう こ と で、 人 間 と 生 物 を 区 別 し てお ら れ ます 。 今 西 あ んま り 厳 格 に は区 別 し と ら ん が 。
川勝 も ち ろ ん、 そ のうち 先 生 は、 ﹁いや 、人 間も 生 物 の 一部 であ る﹂ と 、 ﹁いや、 も っと共 通 性
の方 が多 い﹂ と いう ふ う に お っし ゃら れ て⋮ ⋮。 そ れ は 矛 盾 し て いる こと で はあ りま せ ん。 な ぜ
か と いう と 、先 生 が ﹃生 物 の世 界 ﹄ で生 物 と 区 別 さ れ た 人 間 と いう のは 、文 明 以 後 の人 間 であ る。
文 明 以 後 の人 間 と いう のは 、 せ いぜ い過 去 さ か の ぼ って 一万 年 ぐ ら い。 し か し 人 類 の歴史 は 百 万
年 ま でさ か のぼ れ る 。 そ う す る と、 ほ ん の最 先 端 だ け のと ころ で人 間 と いう も のを 全 部 見 る と い
う のは お かし いか ら です 。 け れ ど も 、 ﹃生 物 の世 界 ﹄ を お 書 き にな った頃 は 人 類 の進 化 と か、 霊
長 類 の研 究 は ま だ 萌 芽 的 な 状態 に あ った と思 いま す 。 で、 そ の段 階 では 人 間 は 文 明 社 会 の人 間 と
し て、 人 間 と 生 物 を 対 比 的 に 見 ら れ て いた ん だ ろ う と思 う わけ です 。
そう いう わ け で、 文 明 以 降 の人 間 社 会 に つい ては、 や っぱり 違 う の で はあ り ま せん か。
今 西 人 間 の こと を も っと知 り た いと 思 います け ど 、 僕 は や っぱ り 、 生 物 の世 界 が 限 界 で、 人 間 の世 界 ま では あ ん ま り 出 て いき と う な い。
いた い。 種 社 会 はみ んな 生 物 全 体 社 会 に帰 属 し てん のや 。 し か し プ ロト ・アイ デ ン テ ィ テ ィ 一つ
さ っき か ら の話 で、 種 社 会 が 構 成 単 位 に な ってる 生物 全 体 社 会 のこ とを 忘 れ ぬよ う にし ても ら
で生 物 全 体 社 会 への帰 属 性 ま で含 めら れ るか ど う か と いう と ころ は、 僕 に もま だも う 一つは っき り し て いな い。 自 然 ・無 意 識 の世 界
今 西 いま 生 物 全 体 社 会 の こと 言 う た け れ ども 、 も う 一つ言 いた い の は、 生 物 全 体 社 会 も 含 め た
や。 こ の自 然 に対 し て人 間 が ど う 思 ってる か と いう こ と が、 今 日 の問 題 や。 み んな は自 然 を 忘 れ
も う 一つ大 き な 入 れ 物 と し て、 自 然 と いう も のがあ る。 そ れ が、 僕 の ねら って いる自 然 学 の自 然
かけ て ん のや。 これ は 大 間 違 いや な 。
川勝 ふ つう、 や はり 自 然 に対 し て文 明 が 対 比 さ れ て いる よ う に 思 います 。
の予 知 も でき へん く せ に。
今 西 自 然 と は大 き いも ん で、 人 間 は つぶせ ん や ろ 。 科 学 な ん て、 偉 そ う な顔 す る な、 まだ 地 震
川 勝 では 、 何 を み な け れ ばな りま せ ん か。
今 西 精 神 分 析 の方 で フ ロイ トと並 ぶ人 間 で ユング と いう のが おり ま す 。 そ れ の考 え 方 が 、 僕 は
非 常 に気 に入 ってん ね ん 。 西 洋 人 や か ら 、意 識 と無 意 識 を 余 り き れ いに分 け よう と し て、 か え っ
て失 敗 し てま すけ ど ね。 無 意 識 の世 界 ま で入 った ら 、 そ れ こそ 宏 大無 辺 な 世界 が実 現し てく る ね
ん。 そ れ を人 間 は、 意 識 の世 界 に閉 じ こも って、 井 の中 のカ ワズ で満 足 し て いる。
川 勝 意 識 以 後 の世 界 と いう のは、 文 明 以 後 の世 界 にな り ま す でし ょう か 。
今 西 な る。 意識 と いう のは、 言 葉 が でき て から です 。 ロゴ スが 出 てか ら や 。 川 勝 せ いぜ いさ か のぼ って、 ネ ア ンデ ルタ ー ル人 。 今 西 十 万 年 ぐ ら い のも ん です 。 川 勝 今 日 こう いう 意 識 だ け の世 界 にな った のは つ い最 近 だ と 。
今 西 無 意 識 の世 界 と いう も のは 、 絶縁 し た も のじ ゃな く て、 意 識 以 後 の世 界 に ひ き ず り 込 ん で る ん です 、 わ れ わ れ は 。 ま だ 抜 け 殻 を 脱 ぎ切 って へん。
川勝 人 間 は 意 識 を 持 つよ う にな って、 無 意 識 の世 界 を忘 れ る よ う にな り ま し た か。
今 西 忘 れ る よう にな った ん では な く て、 意 識 と 無意 識 と のバ ラ ン スが崩 れ て る ん です 。 無 意 識
の世 界 は や っぱ り いま も あ る。 現 に、 いま でも あ って、 わ れ わ れ や か て、 感 ず る こと でき る ん や か ら ね。 川勝 も うち ょ っと意 識 中 心 のと ころ で伺 いた いと 思 いま す。 今 西 意 識 と 言 う ても ええ し 、 自 我 と 言 う ても え え 。 川 勝 そ う し ます と、 意 識 は西 欧 文 明と 関 係 し ま す か 。
今 西 わ れ わ れ は あ ん ま り意 識 を尊 重 せな んだ ん やけ ど 、 西 欧 文 明 と いう のは す べ てそ こ へ寄 り
か か ってき た ん や 。 学 問 か ら、 生 活 か ら何 か らす べて そう です 。 これ は 僕 は 一時 現 象 や と 思 う 。
いま の人 間 は み な 意識 過剰 な ん や。 だ か らも っと 精 神 を 解 放 せな いか ん 。 川 勝 無 意 識 の世 界 へ精神 を 開 け と。
って いる。 仮 に無 意 識 であ った ら 、 不 安 で、 これ生 き ら れ へん と思 う の や。 それ を 彼 ら が 平 気 で
今 西 プ ロト ・アイ デ ン テ ィ テ ィも そ や け ど も、 生 物 はす べ て意 識 を 持 っと ら ん と いう こと に な
や ってる のは 、 直 観 が 働 く か ら です 。 わ れ わ れ の直 観 は、 これ 意 識 で与 え る こと でけ へん 。 だ か
ら 動 物 も 、 植 物 も 、 み な 直 観 の世 界 に 住 ん でる のや な いか。 人 間も 意 識 以前 はそ れ と 同 じ 世 界 に
住 ん でた ん や。 直 観 と いう も のを も う少 し ま じ め に考 え た ら ね、 これ は 意 識 と 違 いま す よ 。 ひ ら めき や か らな 。 川勝 直 観 は 無 意 識 の世 界 か ら 意 識 の世 界 へ入 ってく る と。
今 西 自 然 と いう も の は、 中 間 存 在 で、 無 意 識 の世 界 と意 識 の世 界 と両 方 に重 な って いる。 意 識
と無 意 識 の中 間 と か、 そう いう ど っち か に割 り切 ってし ま わな いと こら 辺 に、 自 然 観 と いう も の
が あ ん のや。 こ の自 然 観 と いう も の は非 常 に深 いと ころ に 住 ん でます な 。 自 分 の体 の中 で言 う た
ら、 深 いと こ ろ は無 意 識 と 重 な って ん の や。 表 層 のと ころ へ来 れ ば意 識 です 。
川 勝 過 去 一万年 ぐ ら いは、 意 識 の世 界 の中 に生 き る 人 間 が 地 球 を 支 配 し て き た よ う に み えま す が。
今 西 そ れ は や ね 、地 球上 のご く 一部 分 の文 明人 がそ う 思 う てる だ け であ って、 いま でも 狩 猟 採
集 生 活 し てる 者 も お る。 そ う いうと こ へ行 った ら 、 や っぱ り 意 識 の世 界 は 一部 分 で、 無 意 識 の世 界 が 大 部 分 です 。
だ から 、 文 明 人 を 主 体 に 考 え る と か、 あ る いは都 会 人 を 主 体 に考 え る 、 東 京 人 を 主 体 に 考 え る 、
そう いう 考 え 方 で押 し て いく と 、 え ら い変 な も のが でき る ん です 。 イ ンド の文 明 、 そ れ か ら 中 国
でも 孔 子 や孟 子 と 違 って老 荘 です な 、老 荘 の世 界 と いう のは、 これ 偉 大 な るも のや 。 そ れ 忘 れ と
る ね。 偉 大 な 文 明 が 開 け てる ん です 。 そ れ は意 識 文 明 と違 いま す よ。 東 西 文 明 も バ ラ ンスが 崩 れ
て ん のや。 日本 な んか 、 何 も 西 洋 のま ね せ ん でも え え のに 、西 洋 に 一生 懸 命 にな って るわ な 。 二 つ目 の自 画像
川勝 ヨー ロ ッパ か ぶれ と いう ふう な も のを 、 先 生 が お か し いと お 思 いにな られ ま し た の は、 お 若 い ころ か ら です か。
今 西 若 い ころ は僕 だ って ヨー ロ ッパ にま るか ぶれ の時 期 が あ った ん です。 し か し、 これ は いか ん と 思 って考 え直 し た ん で、 今 日 は そう では な いん です 。
川 勝 ﹃生 物 の世 界 ﹄ も 、 ヨー ロ ッパ のダ ー ウ ィ ンに 対 し て自 己 を確 認す る と いう よ う な 意 味 で
は 、 そ のと き に も う は っき り ヨー ロ ッパ か ぶれ を 脱 出 さ れ て いた と いう 感 じ が し ま す が。
今 西 そ の下 地 は あ った か も し ら ん。 が、 ア ルピ ニズ ムと いう のは ヨー ロ ッパ の産 物 な ん や 。 そ の ア ルピ ニズ ムを 取 り 入 れ る のに 一生懸 命 や った から な 。
川勝 ﹃生 物 の世 界 ﹄ の解 説 に、 上 山 春 平 氏 が 名 解 説 を お 書 き に な って、 ﹁西 田哲 学 か ら 生 物 学 に
道 を つけ た ﹂ と。 西 田 哲 学 と いう のは 、 日本 の生 ん だ 独 創 的 な 哲 学 。 そ の意味 に お いて、 ﹃生 物
の世 界 ﹄ は ほん と に 日本 の自 分 の足 で立 った 生物 学 だ と いう ふ う に書 いて おら れ ま す 。
今 西 西 田さ んと いう 人 は 西 洋 の論 理 に よ って、 東洋 の思想 を解 釈 し よ う とし た。 そ れ が、 あ の
川 勝 ﹃善 の研 究 ﹄ が出 た のが 、 一九 一 一年 。 先 生 の ﹃生 物 の世 界 ﹄ が 出 た のが、 ち ょう ど 三 十
人 の 一生 な ん です 。 そ の意 味 で柳 田 ( 國 男 ) さ ん の純 粋 さ がな いと いえば いえ る かも し れ な い。
っぱ り そ う いう西 田幾 多 郎 より も も っと 強 く 日本 の こと を お 考 え に な った で し ょう か。
年 後 の 一九 四 一年 です 。 西 田 幾 多 郎 が 生 ま れ た のは 一八七〇 年 です から 、先 生 は 一世 代 後 で、 や
今 西 そ ん な に考 え て ま へん がな あ 。 ま あ し か し 、 僕 は 進 化 論 を や り出 し てか ら や か ら、 いま か
ら 十 年 前 後 や な。 西 洋 の進 化 論 では いか んと いう 気 持 が し て、 いま や ﹁自然 学 ﹂ と いうも のを 立
てよ う と し て いる。 自 然 学 は西 洋 にな いの や から 、 これ で私 の本 領 が 初 め て発 揮 でき る。
川 勝 な る ほど 。 ﹃生 物 の世 界 ﹄ は 一九 四 一年 に 出 て 、 そ れ か ら 戦 後 に装 いを 変 え て講 談 社 学 術
文 庫 で 一九 七 二 年 に出 た わ け です 。 そし て僕 ら 戦 後 世 代 は これ に多 大 な る 感 銘 を 受 け た。 で、 そ
の 一九 七〇 年 前 後 と いう と、 先 生 が いま 十 年 前 と お っし ゃ いま し た け れ ど も 、進 化論 、今 西進 化
論 と いう のが 非 常 に 広 範 な 範 囲 に お いて読 ま れ てき たと き で、 戦 前 にお い ても 上 山春 平 氏 の世 代
が 感 激 を 持 って読 ま れ た と 同 じ よ う に 、 や っぱり 自 己確 認 が でき る よう な も のが そ こ にあ った と
思 う ん です 。 や っぱ り あ の本 は 一九 四 一年 と七 二年 に出 る べく し て出 た のか と 。
今 西 あ れ はね 、 僕 の原 点 であ る こと は 間違 いな い。 し か し原 点 は乗 り 越 え な き ゃだ めや 。 いま はも う 、 よ う や く 乗 り 越 え か け てん のや 。
そ れ で、 僕 の ﹃自 然 学 入 門 ﹄ てど う いう学 や って いう こと を 聞 いた 人 が あ った 。 こ れは 、 ﹃生
物 の世 界 ﹄ を 現 時 点 でも う 一遍 書 き 直 す のや と 言 う と る。 だ か ら自 画像 です 。
川勝 ﹃生 物 の世界 ﹄ の冒頭 にも 自 画 像 と あ り ま す 。
今 西 僕 の いま 書 く ﹃自 然 学 入 門 ﹄ で 、 こ の時 点 に おけ る、 も う 一枚 の自 画 像 が でき る わ け 。 そ れ と ﹃生 物 の世 界 ﹄ と 対 比 す る と 、 非 常 に お も し ろ いや ろと 思 う 。 川勝 おも し ろ いも のと 思 いま す 。
( 笑 )。
今 西 し かし 、 それ は感 興 が 乗 ら な ん だ ら 書 か ん 言 う て る か ら ね。 つ いに書 か ん か も わ から へん
女 に は神 聖 な気 持 で
川 勝 蒙古 に行 かれ た時 は ﹃風 と 共 に去 り ぬ﹄ を お 持 ち に な った と か 。
今 西 小 説 も好 き や け ど ね。 大 体 、情 にも ろ いたち ら し いな 、 小 説 に 負 け てし も う てな。 映 画 で
も 、 あ ん ま り 悲 し い映 画 だ ったら 、 ぽ ろ ぽ ろ涙 を 流 す よ 。 パ ッと 電 気 が つ いた り し た ら、 恥 ず か しい ( 笑 )。 これ は司 馬 遼 太 郎 が え え 言 葉 を 使 う て いる ね 、感 情 量。 川 勝 セ ンチ メ ンタ ルに は お 見 受 け し ま せ ん が ⋮ ⋮。
今 西 まあ 、 女 に ほ れ っぽ いと か ( 笑 )。 ほ れ っぽ いけ れ ど も 、 お れ は 何 や 知 ら ん 、 女 に は も て
る と いう よ ( 笑 )。 それ は何 でや と 、 こ の間 も 会 田雄 次 と 対 談 のと き に そ の話 が出 て ね。 田 中 角
こ で決 ま ん ね やと いう た ら な 、 女 に 対 し て ホー リー ( 神 聖 ) な気 持 を持 って いる人 やな か ったら
栄 は女 にも てな いの や て。 あ んだ け 金 を 持 って て女 に は も て な い。 そ れ で、 も て る、 も て ぬ はど
だ め だ と いう た。
川勝 先 生 が ホ ー リ ーと 思 わ れ る よ う な 女性 は、 そ ん な に いな いでし ょう。
川勝 ホ ー リ ー であ ると いう のは 、 と こと ん 女 性 に 甘 え ら れ る と いう、 そ れ を女 性 の方 は と こと
今 西 そ れ が わ り あ いお る のや な ( 笑 )。 おれ と 一緒 に 山 へ登 る 女 性 は み な ホ ー リー や 。
ん受 け 入 れ てく れ ると いう 、 そ う いう 感 じ な ん でし ょう か。
今 西 ユ ング の いう太 母 ( グ レー ト マザ ー) と いう のは そ う いう も のら し い。 そ の太 母 の性 質 を 大 な り小 なり 女 性 は持 って るね 。
川勝 そ う いう女 性 の持 って いる性 格 と いう のは 自 然 と 関 係 し て います か。
今 西 そ も そ も大 地 と いうも のは女 性 であ る。 と いう のは 、 ど こ でも 、 女性 は豊 饒 の神 様 にな っ
て いる。 そ れ で ね 、 わ しら 山 へ登 って、 山 ふと ころ に 抱 か れ てと いう こと 言 う。 そ れ は母 の胸 に
抱 か れ てと いう のと 同 じ こと に な って、 何 か無 意 識 の よう な 女 性 原 理 を 揺 す ぶら れ る み た いな と ころ が あ ん のや。
川 勝 日本 の伝統 と いう のは 、儒 教 倫 理 の中 で男 中 心 と いう ふう に 言 わ れ て いま す 。 先 生 は 、 そ
う いう 伝 統 を 予 想 さ せ る 人 格 であ り な が ら、 女 性 原 理 があ ると お っし ゃ ってお ら れ る わ け です が。
今 西 僕 は し か し 、 教 育 上 は 男 性 原 理 の教 育 を受 け た ん です 。 厳 し い教 育 を 。 川 勝 矛 盾 し な いわ け です ね 。
ホ ー り ー であ ると いう こと を 子 供 のと き か ら教 え 込 ま れ る から ね。 キ リ スト教 な んか は男 性 原 理
今 西 矛 盾 し ま せん な 。 女 性 原 理 は 男性 原 理 の中 に含 まれ て ん ね や、 不 思 議 に。 た と え ば 母 親 は
で立 って るけ ど ね、 や っぱ り そ れ だ け では 物 足 ら ぬ ので 、 マリ ア様 と いうも のを い つの間 にや ら
つけ 加 え よ った や ろ 。 そ れ を 問 い詰 め て いく と、 女 性 原 理 に落 ち 着 く の かも わ か ら ん な 。 男 性 原 理 一本 や った ら 、 そ ん な に 届 か へん わ。
河合 ( 隼 雄 ) が 書 い てる ﹃昔 話 と 日本 人 の心 ﹄ ( 岩 波書 店)と いう本 を 読 む と 、 や っぱ り 僕 は 、
西 洋 流 では いか ん な と 思 う よ 。 浦島 太郎 が龍 宮 へ行 って、 な ぜ お姫 様 と 結 婚 せえ へん のや 、 こ の
城 な ん で占 領 し てし ま わ へん のや 、 と いう よ うな こと を 向 う の子 供 はす ぐ 質 問 す るそ う な ん だ な
( 笑 )。 キ リ スト教 が 大 体 男 性 原 理 で成 り立 って ん です 。 仏 教 は、 女 性 原 理 か も わ か ら ん 。 言 葉 を
換 え た ら 、 西 洋 文 明 と いう も のは 男性 原 理 に立 って ん の やな 。 し か し 日本 人 は 、 一皮 む いた ら 女
性 原 理 な のや な いか 。 や っぱ り 東 西文 明 がも っと近 寄 らな いか んわ な 。 核 戦 争 でも 全 滅 し な い
川 勝 女 性 ホー リー 説 を教 育 学 部 でで も教 え る と、 女 性 も 自 覚 す る かも し れ ま せ ん ( 笑 )。
今 西 多 少 教 え た 方 が え え な ( 笑 )。 大 体 、 何 でも 教 え ても い いと いう こと に な って へん ら し い
ぞ 。 教 科 と いう も のが ち ゃん と 文部 省 で決 め ら れ て いて、 それ 以外 の こと は あ ん ま り し ゃ べれ ん ら し い。 川 勝 窮 屈 に な ってま いり ま し た。
今 西 そ れ は いま 、 す べ て教育 も 行 政 の中 へ入 って て ね。 いわ ゆ る管 理 社 会 でし ょ。 これ は ち ょ
っと や そ っと で は ビ ビら ん な ( 笑 )。 そ れ で、 僕 や て若 か った ら、 や っぱ り 革 命 を 起 し た ろ か と 思 った や ろ う な 。
川勝 子 供 は受 験 の地 獄 です 。
今 西 科 学 と いう も のは 日進 月 歩 で、 教 え な ら ん こと は 、 毎 年 毎 年 増 え て い ってる。 そ れ を中 学
校 か ら高 等 学 校 の間 に教 え てし まえ と いう の は、 ど だ い無 理 な 話 や。 何 でも 上 か ら 管 理 せ ん と 怠
け よ る と か 、 悪 い こと し よ る と いう の で ね、 人 間 性 悪 説 を と って いるん です 。 これ を ま ず や め た 方がええ。 川 勝 人 間 の性 は善 であり ます か。 今 西 善 か 悪 か は 知 ら ん け ど な 、性 悪 は いか ん。 川 勝 少 年 非 行 の問 題 が ク ロー ズ ア ップ さ れ て います が。
それ が ほん と や った ら 、 み ん な 何 も 心 配 せ ん で も え え ので す。
今 西 し か し ね 、 河 合 の書 いた 本 に よ る と、 世 界 的 な 統 計 から 見 た ら 日本 は 一番 少 な いん や て。
新 聞 に書 い てあ る こと が本 当 や と 思 う た ら 、 いろ いろ 心配 せ ん な ら ん ( 笑 )。 新 聞 は セ ン セ ー
シ ョンを 揺 す ぶ る のが 目 的 や か ら 、 新 聞 に書 い てあ る こ と は半 分 ぐ ら いう そ やと 思 う て、 ま あ 、 二 日 に 一遍 ぐ ら い見 た ら え え の です ( 笑 )。
川勝 知 能 指 数 と か偏 差 値 と か、 子 供 の能 力 を 数 値 では か る 傾 向 が あ り ます ね。
今 西 そ れ は個 体 差 と いう も のは あ る け れ ど ね 。 個 体 差 の違 いと いう も のは、 遠 いと こ ろ から 見
ょ っと ぐ ら い知 能 指 数 が高 いさ か い いう て、 何 にも な ら へん 。 あ ん な も のを 言 い出 し た のは、 ち
た ら消 え て しま う ん です 。 人 間 や か ら と 偉 そ う に いう ても 、 み ん な ド ング リ の背 比 べです よ。 ち ょ っと ま ず いな 。
川 勝 学 校 の先 生 に期 待 し た いこと がた く さ ん あ り ま す。
今 西 私 ら 子 供 のと き か ら、 学 校 の先 生 と いう も のは な 、 あ ん ま り偉 いと思 わ な んだ 。 そ れ は 、
お れ のじ いさ ん は 学務 員 をし て いた から ね、 じ いさ ん が 行 く と み ん な ペ コ ペ コ、 ペ コ ペ コし て い
るか ら ( 笑 )。 おれ は学 務 員 の孫 や と いう ので、 そ んな も の に ペ コペ コせえ へん 。
川 勝 では 、 人生 の大 切 な こと がら はど のよ う に 学 べば よ ろ し いで し ょう か。
今 西 自 然 観 と いう も のを教 え てく れ た のは 、 じ いさ ん 、 ば あ さ ん です 。 じ いさ ん、 ば あ さん が
い話 でね 。 何 でも っと教 育 に使 わ へん の や。
身 を も って教 え てん のや。 いま は、 そ や から 、 老 人 が 老 人 ホー ムに入 れ られ て る のは も った いな
川 勝 や は り 自然 観 です か。
の中 へ行 って、 山村 で泊 る でし ょう 。 そ う す ると 、 そ こ の人 た ち の動 作 は ね、 み んな そ の人 た ち
今 西 自 然 観 が 確 立 し てた ら、 そ の人 の人 生 観 と か 世 界 観 と いう も のも右 へなら えし てく る。 山
の自 然 観 と 一致 し てる ね。 これ がわ れ わ れ の ふる さ と か と 思 う よ。 そ う いう と こ ろ でも や っぱ り 、 じ いさ ん 、 ば あ さ ん が値 打 ちも ん や。
自 分 が 崇 拝 す る よ う な偉 い人 と思 う 人 がど こか に い てく れ た 方 が ね、 世 の中 、 明 る い。
川 勝 と ころ で、 急 に暗 い話 で 恐縮 です が、 戦 争 は 人 類 の宿 命 でし ょう か。
今 西 戦 争 は な い方 が い いん です 。 戦 争 はだ れ か 仕 掛 け 人 が あ る ね ん。 いま の戦 争 は代 理戦 争 と 言 わ れ てる や ろ。 結 局 、戦 う べき も のは ソ連 と ア メ リ カ です 。 川 勝 核 戦 争 に な れ ば 当然 、人 類 は全 滅 です ね。
れ は おれ ら の子 孫 が生 き 残 るか ど う か 知 ら ん け ど ね。 ア フリ カ や、 オ ー スト ラリ アに、 ど こ か に
今 西 全 部 は死 に ま せ ん。 僕 は そ こに 大 変 信 頼 と いう か 、 自信 持 ってん です 。 必ず 生 き 残 る。 そ
お る や つが生 き る よ。 人 類 全 部 滅 ぼそ う と 思 う て いる 者 は だ れ も お ら へん のや。 それ が戦 争 目 的
と違 う ね ん。 戦 争 目 的 は ほ か にあ って、 そ れ に対 す る 手 段 と し て武 器 を使 う ん や。 核 兵 器 が使 わ れ ても、 地 下 に隠 れ て た や つは 生 き てる し な 。
ま あ 、 ノ ア の洪 水 のと き で も、 方 舟 に乗 って逃 げ て い って る や つが お る ( 笑 )。 皆 殺 し と いう
も ん は な かな か でけ へん ね ん。 も し も 神 、 仏 が こ の世 に 存 在 す る も ん や った ら、 そ ん なむ ご いこ とはせんと思うね。 川 勝 先 生 のそ の楽 観 論 は ど こ から で てく る の です か 。
今 西 そ れ は 、 いま も 言 う た よ う に 、僕 は何 も 神 、 仏 を 信 仰 し て いるわ け や な いけ ど 、 自 然 に 備
わ った 慈 悲 心 を 信 じ てる ん で し ょう な。 そ う でな いと 、 三 十 二億 年 も か か って、 一体 何 し てた ん
やと 。 む だ な こと し てた ん か と いう こ と にな るわ な。 人 間 も こ こま でき て、 も う 一遍 や り 直 し て
も え え し ね 。 何 ぼ でも 道 は あ り ま す わ 、全 滅 やな い限 り は。 そ やか ら 、 全 滅 し な いと いう こと を
信 じ て る人 た ち は 、 楽 観 主 義 者 か も し ら ん け ど ね 、楽 観 主 義 者 はも っと 多 く い ても え え ん です よ 。 創 世 の神 話
川勝 最 近 ﹁今 西 学 派 ﹂ な ん て言 ってま す 。 これ は 、人 類 史 の起 原 から 現 代 ま でを 説 き 起 す 壮 大
な る体 系 であ って、 これ と 双璧 を な す のは マルク ス学 派あ る のみ だ と いう よ う な こと を 。
今 西 マル ク スは え え こと書 いて る ね。 僕 は、 イギ リ スの ポ ッパー に 同感 し てや ね、 検 証 でき な
い進 化 論 な ん て いう のは科 学 の対 象 にな ら ん と 。 そ ん な ら 何 の対象 に な る のか と い った ら、 こ れ
は 歴 史 の対象 に な る。 そ れ で歴 史 を 考 え て み ると 、 大 部 分 の歴 史 学 者 は 、科 学者 と 同 じ で ね、 過
去 に 起 った 現 象 を 因 果論 的 に説 明し よう と し て るよ 。 そ れ を 仮 に 現 象 主 義 の歴史 学 と いうな ら ば 、
現 象 主 義 の歴史 学者 が う じ ゃうじ ゃお る。 そ れ と 別 に原 理 主 義 の歴 史 学 者 と いう も のも お る。 マ ル ク スは これ に 当 る ん です 。
川 勝 マルク ス の原 理 は、 唯 物 史 観 です か。 マル ク スは ど う いう ふ う に し て世 界 を と ら え る か 明
瞭 に 言 ってま す。 人 間 が道 具を 使 って自 然 に働 き かけ て物 を つく って、 そ れ を消 費 す る。 そ う い
う 人 間 と 自然 と の間 の代謝 過程 と いうも のが あ る。 そ こ で何 を 見 ん と いか ん か と いう と、 何 が つ
く ら れ てる か 、 あ る いは ど こで つく られ て る かと いう ん じ ゃな く て、 何 に よ って つく って いる か
と いう こと に 、自 分 は焦 点 をし ぼ る と言 ってま す 。 そ し て、 そ う いう 労 働 手 段 と 、 ま た そ の所 有
関 係 に応 じ て、 発 展段 階 を 区分 す る。 だ から 、 そ こ で抜 け 落 ち るも のが あ る わ け です 。 そ れ は 自
然 です 。 働 き か け る自 然。 ど こ で何 が つく ら れ て るか と いう 、 も の、 場 所 、 空 間 。
し か し 、先 生 の棲 み 分 け の世 界 は、 ど こ で何 が生 き て いるか と いう 、 場 所 と いう か 、 自 然 と い
う も のが 前 提 です 。 だ か ら 、 恐 ら く そ の辺 のと こ ろ は大 変 な 違 いだ と いう 気 が す る ん です 。 も っ
と も 、 そ れ が ﹁生 態史 観 ﹂ と いわ れ る も のな のか どう か分 かり ま せ んが 。
今 西 僕 は 、 生 態 と 言 わ れ る と な 、 む か む かす る のや。 いま ま で 二回 、 生 態 学 と 訣 別 し てん のや
か ら ね 。 最 近 は ﹃主体 性 の進化 論 ﹄ ( 中 公新書 ) でや ってま す。 そ れ か ら 、僕 は 環 境論 者 と 違 う ん
いと いう 、 これ は生 物 全 体 に言 う て ん の や。
や 。 環 境 は わ れ わ れ の利 用 す る も ん で あ る か も し ら ん け ど ね 、 環 境 に よ っ て 左 右 さ れ る も の で な
川 勝 そ れ が 唯 物 史 観 論 者 に よ って 環 境 重 視 と いう ふ う に と ら れ て い る の は 、 全 く 読 み 違 い と い う 以 外 に な い こと に な り ます か。
今 西 適 応 論 者 で あ る ラ マ ル ク も ダ ー ウ ィ ンも 、 同 罪 で あ る と いう の で ね 、 退 場 を 命 じ て ま す 。
そ れ で 、 適 応 を 切 った ら 、 環 境 も 切 ら に ゃ い か ん や な い か と いう こ と で 、 環 境 を 切 っ て し ま う 。
そ う す る と 、 何 が 残 る の や と い った ら 、 主 体 性 だ け し か 残 ら へ ん 。 そ れ で え え や ろ と 思 う の や 。
川 勝 仏 陀 の 言 葉 に 、 ﹁す べ て意 よ り 生 ず る 、 意 を も っ て 主 と し 、 意 に よ っ て な る ﹂ か な ん か 、 そ んな の があ り ま し た 。 環 境 も 主体 性 のな か に入 って るわ け です か。
今 西 環 境 と いう も の は ね 、 生 物 を 生 か す た め に あ る み た いな も の や 。 そ や か ら 、 ど れ で も 利 用 し た ら え え ん です 。
川 勝 そ う な る と 、 む し ろ マ ル ク ス の 世 界 を 入 れ て し ま う ぐ ら い大 き い か も し れ ま せ ん 。
今 西 そ れ と も う 一人 、 マ ル ク ス ほ ど 知 ら れ て な い か も し ら ん け れ ど も 、 ア ー ノ ル ド ・ト イ ン ビ
ー と い う 人 は 、 こ れ が や っぱ り 原 理 学 者 で す 。 原 理 で 説 明 し よ う と し て い る 。 川 勝 チ ャ レ ン ジ ・ア ン ド ・レ ス ポ ン スと いう ん で す ね 。
今 西 ま あ 、 簡 単 です け ど な あ 。 そ れ で 僕 が 原 理 学 者 で あ る と い う こ と を 言 う の は や ね 、 結 局 、
﹁変 わ る べ く し て 変 わ る ﹂ と いう こ と を 問 い 詰 め る と で す な 、 そ れ は 先 祖 代 々 、 変 わ る べ く し て
変 わ っ て る や な い か と 、 さ っき の細 胞 分 裂 の 細 胞 の 答 え と 同 じ よ う に な っ て く る 。 そ や か ら 、 や
っぱ り 行 き 着 く と ころ は 、 創 世 の神 話 です。 す べ て のも と は 自 然
て いるわ け です ね 。 し か し 、 最 後 に 一つ確 か め た いこ と があ り ま す 。 文 明 以 降 の世 界 を 考 え る と 、
川 勝 今 西 先 生 は 、 生 物 三 十 二 億 年 の歴 史 を 眺 望 し 、 それ を 自 然 学 と し て体 系 化 な さ ろ う と さ れ
結 局 、 栽 培 植 物 は 人 為 淘 汰 と し てし か 考 え ら れ ま せ ん から 、 農 耕 社 会 以 降 の社 会 を 見 た と き に は 、
自 然 学 を いわ ば 下 部 構 造 と し た 人 為 淘 汰 の世 界 と いう か、 文 明化 し た世 界 と いう も のを 考 え な い
わ け に は いかな いと 思 いま す 。 そ のよ う な文 明人 は自 然 に対 し て、 それ を 人 間 化 し て いく と いう 、
人 間 化 し た 自 然 にし よ う と し て いる と いう ふ う な 考 え 方 を お持 ち です か。
今 西 それ は 一部 の人 は そ う いう 考 え を 持 って いる ね 。 し か し 、 ご く一 部 分 の人 です 。 さ っき 言
う た や ろ、 ど こ でも す で に文 明 化 し た 人 間 が 支 配 し て いる と 思 うけ ども 、 そ やな く て、 日本 か て、
東 京 のイ ン テリ が スカ タ ン考 え て いる か も し ら ん け ど 、 日 本 人 一億 が み ん な東 京 人 と 同じ 考 えを
持 って いる かと いう たら 、 そ う や な いね ん 。 そ や か ら 早 合 点 し た ら いか ん。 そ れ から 、 文 明国 と
いう て も、 知 識 の レベ ルがそ ろ って いる のや な い。 え え か げ ん な のも い っぱ い いる ん です 。 まあ
や っぱ り、 も っと平 凡な 庶 民 の気 持 と いう も のを 尊 重 せ な いか ん 。 科 学 でも ね 、 も う し ば ら くす
る と、 科 学 離 れす る人 間 がど んど ん出 てき た ら 、 科 学 そ のも のは 滅 亡 せ ん でも 、 科学 はす た れ て し ま います 。
川 勝 科 学 を信 奉す るも のがな く な って いく と 、 第 二 の ﹁科 学 革 命 ﹂ です ね 。
今 西 そ れ が 一番 科 学 は こわ いや ろ な。 お れ は科 学 を 廃 業 す ると いう こと は 前 か ら 言 う てま す 。
せま す 。
川 勝 今 西 自 然 学 と いう のは人 類 の歴 史 、 あ る いは生 物 の歴 史 を つ つみ こん だ 自 然 哲 学 を 予感 さ
今 西 会 田雄 次 は 、 わ し のや ってる よ う な こ と は、 歴 史 哲 学 の中 に入 り ま す な 、 と 言 う て いた 。
川勝 自 然 の中 に、 原 理 が 働 い て いる と いう こと を 見出 し た人 が ほ か にも あ るよ う です 。 た と え
歴 史 を 現 象 と 見 な い で、 原 理 でみ る と いう のは 、 これ は や っぱ り 哲 学 ら し いな 。
ば宮 沢 賢 治 の詩 や 童 話 を 読 ん で いま す と 、 そ こに は自 然 の中 にも 主 体 性 の原 理 が 働 い て い るよ う
な、 ど こ に でも 主 体 性 があ るよ う な 、 そ う いう 世 界 で す。 ふ つう自 然 から 出 てき た 文 明 が 自 然 を
破 壊 し てし ま うよ う に受 け と め てる わ け です け ど 、文 明 と いう のは ほ ん の 一時 的 な 現 象 にし か す
ぎ な いと いう こ と にな り ま し ょう か 。 賢 治 のも の でも 先生 のも ので も、 お書 き にな ったも のを 読
す べて のも と は自 然 です な 。
ん で受 け る感 覚 と いう のは 、 自 然 の原 理 み た いな も のが わ か る よ うな 、 そう いう と ころ が あ り ま す。 今西
︿対 談 終 ﹀
先 日 は 別 刷 お送 り いただ き あ り が とう ご ざ いま し た 。 私 のプ ロト アイ デ ン テ ィ テ ィ、
後 日 、 今 西 翁 の仕 事 に ふ れ た小 論 を お送 り し た と ころ 、 お 手 紙 を いた だ いた。
前 略
未 熟 な 考 え です が 、 す こし ず つま と ま って ゆく よう です 。 こん ど も プ ロト アイ デ ン テ ィ テ ィに
触 れ た小 文 を 書 き ま し た の で お 眼 に か け ま す 。 ﹁今 西 錦 司 論 ﹂私 の生 き て い るう ち に書 い てく だ さ い。 待 望 し て いま す 。
一九 八五 ・ 一〇 ・ 一三 今 西 錦 司
同 封 さ れ て いた のは ﹁生 物 社 会 学 のこ と ど も ﹂ と 題 さ れ た 原 稿 の コ ピ ー で あ る ( ﹃今 西錦司全
集﹄第十三巻所収 ) 。 これ が 届 いた と き、 二 年 間 の外 国 出 張 に出 た 後 で転 送 さ れ ず 、 交 信 の機 会 を
逸 し た 。 帰 朝 し て書 簡 を 手 に し、 人 伝 て に今 西 翁 入 院 と 知 って、 お 見 舞 い にあ が った 。 病 室 に 入
り 、 失 明 さ れ た 翁 に 向 か って名 乗 る。 ﹁知 ら ん ﹂ と 言 わ れ る。 数 度 名乗 った 。 そ のた び に ﹁知 ら ん ﹂ の嗄 れ た 声 。 血 の気 が 引 き 、 眼 前 に 闇 が お り た。
今 西 翁 も こ の闇 の中 に いら れ る のだ と 消 沈 し た ま ま 、京 都 に泊 まり 、 翌 朝 、 お別 れ を 告 げ てか
ら 上京 し よ う と 決 意 し 、 勇を 鼓 し て 再 度 病 室 に見 舞 った。 何 と、 ﹁おお 、 早 稲 田 の川 勝 さ ん か ﹂
と 応 じ ら れ た 。 光 が広 が った。 こ れ が 最 後 の会 見 にな ると 覚 悟 し 、 ﹁棲 み分 け は 進 化 の最 先 端 に
い る生 物 と 他 の生 物 と の間 には 成 立 し な い ので は あ り ま せ ん か ﹂ と 質 問 す る と、 ﹁そ れ はむ つか
し い質 問 ﹂ と 一言。 人類 は生 物全 体 社 会 のな か で ﹁棲 み分 け ﹂原 理 を 破 る存 在 だ と の私 の主 張 に 、
眼球 の奥 の方 を動 か さ れな がら 、 ﹁そ れ は 違 いま す ﹂ と 答 え ら れ る 。
の で や め る よ う に 哀 願 さ れ た 。 や ん ぬ る か な。 ﹁も う 一度 考 え直 し て参 り ま す ﹂ と 申 し 上 げ る と 、
半 時 間 ば か り食 い下 が った だ ろ う か。 付 き 添 い の方 が、 これ 以 上 話 す と 後 で興 奮 さ れ て大 変 な
﹁そ う し てく だ さ い﹂ と は っきり し た 口調 で いわ れ た。 ス ペ シ アな か ん ず く 人 類 と生 物全 体社 会
と ゲ オ コス モ スと の関 係 に つ い て、 翁 に は抱 懐 さ れ な が ら公 表 さ れず に終 わ った 構 想 があ った よ
うだ が、 これ は宿 題 だ と 心 に留 め て退室 し た 。 翁 は 一九九 二年 六 月 十 五 日 に他 界 され た。 巨 星 墜
ち たあ と 、 書 面 にあ る今 西 翁 の ﹁待 望 ﹂ は 私 の大 望 であ り つづ け て いる︱︱ 合 掌
3 今 西 自 然 学 の可 能 性
﹁相似 と相異 ﹂にた つ世界 認識
今 西 自 然 学 の根 本 にあ る のは 、 私 見 では 、 アイ デ ン テ ィ テ ィ論 で あ る。 アイ デ ンテ ィテ ィと は
自 己 同 一性 のこ とだ 。 自 己 同 一性 を も って変 わ って いく も の、 あ る いは自 己運 動 に よ って変 わ っ
て いく も のを、 今 西 翁 は主 体 性 を も った も のと 定 義 す る 。 アイ デ ン テ ィ テ ィをも た ぬ も のは こ の
世 に 存 在 し な い。 し た が って、 今 西 翁 は自 然 界 に存 在 す る す べ て のも のに 、 主体 性 を 認 め る ので ある。
こ のよ う な 自 然 観 に た った今 西自 然 学 は、 は たし て、 学 問 な のだ ろ う か 。 自 然 科 学 者 は 、今 西
翁 が直 観 を 自 然 学 の方 法 に 据 え て いる こと を挙 げ て、 今 西 自 然 学 が 学 問 でな いと 批 判 す る 。 な る
ほど 、 今 西 自 然 学 は 、 既 成 の自 然 科 学 か ら み る と 、科 学 と いう より も 、 一種 の哲 学 な り 思 想 な り 、
場 合 に よ っては 分 析 を 拒 否 し た 独 断 に さ え み え よ う。 そ れ は晩 年 の今 西 翁 が 、 自 然 現 象 の観 察 の
方 法 や結 果 より も む し ろ 、 自 然 学 の哲 学 的 基 礎 づ け に 腐 心 し た こ と と関 連 す る。 か つて、 自 然 科
( 第二版、 一七 八七) であ った 。 カ ン トは 自 然 科 学 ( 物 理学 ) が時 間 ・空 間 に 関 す る人 間 の先 験 的
学 も そ の哲 学 的 基 礎 が 問 題 にな った こと が あ る。 そ れ を 解 決 し た のは カ ン ト ﹃純 粋 理性 批 判 ﹄
直 観 を 前提 に し て いる こ とを 論 証 し た 。 そ の こと に よ って自 然科 学 は 哲学 的 基 礎 を 獲得 し た ので
あ る。 自然 科学 は人 間 が ﹁時 間と 空 間 ﹂ を 先 験 的 に直 観 す る 能 力 のあ る こと を 前提 に し 、 一方 、
いる と いう 前 提 を立 て る ので あ る。 とも あ れ、 自 然 科 学 も 直 観 の上 に 立 って いる と いう こと を 見
今 西 自 然 学 は 、 人 間 のみ な らず 、 生 物 がす べ て ﹁相 似 と 相 異 ﹂ を 先 験 的 に 直 観 す る能 力 を も って
落 と し ては な ら な い であ ろ う。
今 西 翁 の いう 直 観 は 、 生 物 個体 同士 が互 い の類 縁 を ﹁相 似 と 相 異 ﹂ と いう 形 式 を 通 し て類 推 す
る能 力 の こと であ る。 類 推 に よ って自 然 に存 在 す る生 物 の類 縁 を 見 抜 き 、 自 分 の属 す る 種 を ま ち
がえ な い、 す な わ ち ア イ デ ンテ ィ テ ィ ( 帰 属性 ) を まち がえ な い。 今 西 翁 はそ れ を 、 人 間 が 互 い
の アイ デ ンテ ィテ ィを 識 別 す る 能 力 と 区 別 し て、 プ ロト ・アイ デ ン テ ィ テ ィと 表 現 し て いる 。 す
って いる。 そ の能 力 が プ ロト ・アイ デ ンテ ィ テ ィ の直 観 と いわ れ て いる のであ る。 決 し て神 秘 的
べて の生 物 個 体 が互 いに自 己 と 似 て いる のか 似 て いな い のか 、仲 間 か ど う かを 識 別 す る能 力 を も
な も の ではな い。
を も って アイ デ ン テ ィ テ ィと よ び 、 ﹁地 球 の上 に生 き て いる生 物 は、 植 物 と いわ ず 、動 物 と いわ
中 尾佐 助氏 は ﹃分類 の発 想 ﹄ ( 朝 日選書) で、 生 物 が自 己と 同 種 の個 体 を 識 別 し 、 分 類 す る こと
ず 、 微 生 物 と いわ ず、 いず れ もあ る形 式 の分 類 能 力 を 持 って いる 。 そ れ は 生 物 は こと ご と く 原則
と し て有 性 生 殖 を し てお り 、 同種 の相 手 と有 性 的 に結 び つく 能 力 を 必 要 と す る か ら であ る ﹂ と述
べ て、 あ ら ゆ る生 物 が アイ デ ン テ ィ テ ィを識 別す る能 力 を も つこと を 豊 富 な 事 例 を も って説 明 し
て いる。 実 際 、 生 物 が 生 殖 の相 手 を 間違 えな い、 す な わ ち アイ デ ンテ ィテ ィを 識 別 す る 能 力 を も
って いる こ と は、 庭 先 に舞 う 蝶 を 観 察 す る だ け で実 感 でき る。
アイ デ ンテ ィテ ィの認 識 と は 同 一性 の認 識 であ る が、 そ れ は異 質 な も のを 見 抜 く 能 力 でも あ る 。
のは存 在し な い。 今 西 翁 によ れ ば 、 生 物 は 直 観 を働 か せ る こ と に よ って類 推 し 、 対 象 が ど こま で
異質 性 が分 から な け れ ば 、 同 一性 は 認 識 でき な いか ら で あ る。 世 界 に は自 己と ま った く 同 一な も
自 己 と 似 て いる か いな いかを パ ッと つか む の であ る 。
個体 は いず れ も固 有 の形 を も って いる。 生 物 個 体 は 主 体性 、 プ ロト ・アイ デ ン テ ィテ ィ、 類 推
な ど を 働 か せ て形 を識 別 し て いる。 形 の違 いは 、 類 縁 の近 いも のは相 似 て おり 、 類 縁 が遠 く にな
る に つれ て相 異 な る。 今 西翁 の いう直 観 は 、 万 物 の類 縁 、 個 体 の アイ デ ン テ ィ テ ィを ﹁相 似 と相 異 ﹂ と いう 形相 のも と に識 別 す る先 験 的 能 力 の こと であ る 。
﹁相 似 と 相 異 ﹂ は 万 物 の形 相 の 二 つ の範 疇 であ る 。 今 西 翁 が ﹁相 似 と 相 異 ﹂ を世 界 認 識 の根 本
に据 え た こと は 、 カ ン トが ﹁空 間 と時 間 ﹂を 世 界 認 識 の根 本 に据 え た こと に 匹 敵 す る重 要 な 発 見
であ る 。 カ ン トが 物 理 学 の哲 学的 基 礎 づけ を し たと す るな ら ば 、 今 西 は 生 物 学 の哲 学 的 基礎 づ け を し た と いえ る 。
この世 に 一つだけ の個性
さ て、 万 物 が ﹁相 似 と 相 異 ﹂ の形相 のも と に識 別 でき ると いう こと は、 世 界 に同 じ も のが 存 在
し て いな いと いう こと であ る 。 た と え ば 、 こ の世 に私 に 似 て いる人 は いる が、 私 と 同 じ 人 間 は過
去 ・現 在 ・未 来 にわ た って存 在 し な い。 こ の こと が も つ意 味 は重 要 であ る。 す べ て の存 在 は こ の
世 に 一つだけ の個 性 と し て、 かけ が え が な い。
で は世 界 に はど れく ら い の個 性 が 存 在 し て いる の であ ろ う か 。生 物 は種 と し て 区別 され る が、
種 の数 は 二 百 万 ほ どあ る と いわ れ て いる。 昆 虫 ・魚 ・鳥 ・獣 の個 体 数 を 種 ご と に数 え あげ て いけ
ば 、 そ の数 は気 の遠 く な る天 文 学 的 数 字 にな る。 生 物 が 三 十 二 億 年 前 に 誕生 し て 以来 の数 とな れ
ば 、 何 兆 億 と い っても 足 り な いであ ろう 。 さ ら に 将 来 に 生 ま れ てく る 生 命 を数 え あげ れば 、数 は
無 限 であ る。 つま り、 今 西 翁 は、 こ の世 には 主 体 性 を も つ個 性 が 数 限 り な く 存在 し て き た し、 存
在 し 続 け る と論 じ て いる の であ る。 そ の意 味 では 、 こ の世 界 は 有 限 性 を 超 え て いる 。 いわ ば ﹁無
限 ﹂ の主 体 性 か ら な る 。 言 い換 え れば 、 自 然 界 は ﹁有 ﹂を 超 え た ﹁無 ﹂ を 本 質 と す る と さ え いえ
るだ ろ う 。 自 然 が 無 限 に多 様 な 個性 を包 容 し て いると いう のは 、 何 と 愉 快 な こと であ ろ う。 限 り な い自 然 の多 様 性 こそ 、 今 西 自 然学 のよ って た つ自 然 観 であ る。
そ の よ うな 無 限 に 多 様 な 主 体 性 と個 性 を 前提 に し て いる か ら こ そ、 ﹁個 体 識 別 ﹂ と いう 自 然 観
察 の独 創 的 方 法 を 、 今 西 グ ルー プ の霊 長類 学 者 は樹 立 す る こと が でき た の であ る 。 人 類 学 の ノ ー
ベ ル賞 と いわ れ る トー マス ・ハ ック ス リー 賞 を 一九 八 四年 に サ ル学 の泰斗 伊 谷 純 一郎 氏( 一九 二
﹃サ ル学 の現 在 ﹄ ( 平凡社 )で 第 一線 で活 躍 す る学 者 を イ ンタ ビ ュー 形 式 で紹 介 し て お り今 日 で は
六 ∼)が 受 賞 し た こ と は 記 憶 に 新 し い。 日 本 の霊 長 類 学 が 何 を めざ し て いる か は、 立 花 隆 氏 が
広 く知 ら れ る よう にな った 。 立 花 氏 が 霊 長類 学 を サ ル学 と 言 い換 え た と こ ろ は巧 み であ る。
日本 の大 学 で教 えら れ て い る自 然 科 学 は 西 洋 か ら の輸 入 学 問 とし て出 発 し たが 、 こと サ ル学 に
関し て は 日本 人 の自 前 の学 問 であ る 。 サ ル学 が孜 々 の声 をあ げ た のは 一九 四 八年 。 大 分 県 の高 崎
山 で伊 谷 氏 が は じ め た。 そ の成 果 は 名 著 ﹃高 崎 山 の サ ル﹄ ( 思索社 、 一九五 四)と な って紹 介 さ れ 、
毎 日出 版 文 化 賞 を とり 、 英 訳 さ れ 、 N H K が フ ィ ル ム化 し 、 そ の外 国語 版 も でき 、 内 外 で反 響 を
よ ん だ。 こ うし て ニホ ンザ ル研 究 に 弾 み が つき 、 ニホ ンザ ル社 会 の実 態 が それ から 十 年 ほど で分
か る よ う にな ると 、 今 度 は 世 界 の サ ルが 相 手 と いう こと に なり 、 サ ルの大 生 息 地 ア フリ カ大 陸 へ
と サ ル学 者 は勇 躍 し て探 検 に でか け た 。 一九 五 八 年 か ら は ゴ リ ラ、 一九 六 五 年 か ら チ ンパ ンジ ー、
一九 七一 年 から は ア フリ カ原 住 民 を も 研 究対 象 に す る よ う にな り 、 狩 猟 採 集 民 、 焼 畑 農 耕 民 、 牧
サ ルから ヒ ト への進 化 を 追 いか け る 格 好 で進 展 し てき たも のであ る こと がわ か る。 そ の歩 み は 伊
畜 民 へと いう よう に研 究 領 域 は 拡 大 の 一途 を た ど った。 これ ら の研 究 の歩 みを み ると 、 サ ル学 は
谷 氏 自 身 の研 究 歴 と 重 な り 合 う 。 伊 谷 氏 は 日本 の サ ル学 を リ ー ドし 、 日本 の サ ル学 は 世 界 の サ ル 学 を リ ー ドし てき た の であ る。
個体識別法 の先 駆者
個 体 識 別 、 長 期 観 察 、 餌 づ け は 日 本 の サ ル学 が よ って た つ三大 方 法 論 であ るが 、 な か でも 個 体
識別法は野生動物を心 ( 主 体 性 ) を も った 個 性 と し て とら え、 そ の行 動 を 見 て いけ ば 、 彼 ら の社
て国 際 的 に採 用 さ れ るま で に到 ら し め た のは 伊 谷 氏 の功 績 であ る。 こ の方 法 論 の母 胎 は 伊 谷 氏 の
会 の構 造 が分 か る にち が いな いと いう 洞 察 か ら生 みだ され た画 期 的 な も の であ る。 そ れ を 実 践 し
恩 師・ 今 西 錦 司 翁 の自 然 学 であ る 。 伊 谷 純 一郎 氏 は ト ー マ ス ・ハ ック スリー 記 念 講 演 で こう 述 べ て いる。
は 、 欧 米 の霊 長 類 学 の戦 後 の再出 発 より も 一〇年 以 上 早 か った の であ る。 そ れ には 三 つの理 由
日本 の霊 長 類 学 の スタ ー ト は 一九 四 八年 で、 戦 後 の疲 弊 し き った 時 代 であ った 。 し か し そ れ
が あ る 。幸 いな こと に 日本 に は ニホ ンザ ルがす ん で いた 。 日本 人 にと って サ ルは古 く か ら の隣
人 で、 多 く の民 話 や 民 謡 が残 って いる のであ る が、 そ の当 時 ま で生 態 学 的 な 論 文 は 皆 無 であ っ
た 。 第 二は 、 戦 後 の困窮 のな か でも 、 双 眼鏡 と 野 帳 (フ ィー ルド ・ノ ー ト) と 鉛 筆 が あ れ ば 研
究 が でき た と いう こと であ る 。 そ し て第 三 は、 私 た ち が今 西 錦 司 と いう 優 れ た 理 論 的 指 導 者 に
恵 ま れ た と いう こと を 申 し 上 げ てお か ね ば な ら な い。 ⋮ ⋮個 体 識 別 法 はす で に今 西 博 士 が ウ マ
の社 会 の分 析 に用 い てお ら れ た の で、 私 た ち は そ れを 躊 躇 な く サ ルに採 用 し た の であ る が 、 そ の真 価 を 認 識 し た のは ず っと 後 に な ってか ら の こと であ った。
( 伊谷純 一郎 ﹁霊長類社会構造 の進 化﹂トー マス ・ハック スリー記念講演、 同 ﹃霊長類社会 の進化﹄ 平凡 社所収)
個 体 識 別 は ど のよ う にし て 行 わ れ る のだ ろ う か 。 伊 谷 氏 に ﹃サ ル ・ヒト ・ア フリ カ ﹄ ( 日本経
済新 聞社) と いう 本 が あ る。 日本 経 済 新 聞 に連 載 さ れ た ﹁私 の履 歴 書 ﹂ に 加 え て ﹁旅 立 ち ﹂ ﹁野 生
の話 が 、 一人 の人 間 が サ ル学 者 にな る話 と と も に語 ら れ て いる と ころ に こ の本 の醍醐 味 があ る が、
と そ の周 辺 ﹂ と題 し た 二 つの エ ッセ イ集 を 編 ん で 一書 に し た も ので あ る。 サ ルか ら ヒト へ の進 化
そ こに 個体 識 別 の経験 談 が書 か れ て いる。 最 初 は 耳 の傷 や 顔 のし み な ど こま か い特 徴 に頼 る ので
あ る が、 長期 の観 察 を つづ け るう ち に個 々 の諸 特 徴 は ひ と つに統 合 さ れ、 固有 の ゲ シ ュタ ルトを も つに いた る。
いま ( サ ル の) アサを アサと し て認 識 でき る のは 、 彼 女 の相 貌 であ り 、彼 女 に 固有 の身 の こ
な し であ る。 私 たち の日常 生 活 を 思 い返 し ても 、 知 人 の 一人 一人 を髪 型 や髭 で識 別し て いるわ
け では な い。 長 髪 を ば っさり 切 ろ う と 、 髭 を 剃 り お と そ う と 、 個 人 の アイ デ ン テ ィ テ ィー は失
わ れ な い。 そ れ と全 く同 じ も のが サ ル にも あ り 、 私 た ち は そ う い った 認 知 に た よ って いる のだ
と いう こと を実 体 験 す る に いた る。 ⋮ ⋮ サ ル同 士 の間 でも 、 彼 ら は こ のよ う に し て お 互 いを 認
知 し 合 って いる に ち が いな い。 個 体 識 別 と いう こ の何 でも な い方 法 が 、 私 た ち の目 を覚 ま し た
貴 重 な ポ イ ン ト の 一つは ここ にあ る。 個 体 識 別 を 終 え て改 め て彼 ら の行 動 を 見 る と、 彼 ら の 一
頭 一頭 は そ れ ま で の大 き な雄 や若 い雌 では な い。 そ れ は 私 た ち が つけ た 名 前 では あ って も 、 そ
であ る 。
れ ぞ れ に 異 な る 個性 を も ち、 それ ぞれ 異 な る社 会 的 地 位 を 占 め 、 社 会 的 役割 を担 った 人格 な の
文 中 に は ﹁私 た ち ﹂ と あ る が 、 そ の実 体 験 を こ の世 で最 初 にし た 自 然 科 学 者 こそ 伊 谷 純 一郎 氏
に ほか な ら な い。 浦島 太 郎 は竜 宮 城 で別 世 界 を 体 験 し て人 間 の世 界 に帰 ってき た と いう が 、 だ れ
も 信 じ な いか ら お と ぎ 話 であ る。 乙姫 様 は架 空 であ ったが 、 高 崎 山 のジ ュピ タ ー、 タ イタ ン、 バ
ッカ ス、 シ ャラ ク⋮ ⋮ は 実 在 し た サ ルであ る。 伊 谷 氏 は高 崎 山 で人 間 の世 界 か ら サ ル の世 界 に 入
り こ ん で帰 ってき た 。 それ は 、 外 国 人 を 含 む 他 の人 び と が追 体験 で き 、先 行者 の観 察 を 批 判 でき 、
新 し い知 見 を 加 え ら れ る、 開 か れ た 学 問 の世 界 であ る。 そ のよ う な貴 重 な 体 験 をし た人 の話 には じ っくり 耳 を 傾 け る価 値 が あ るだ ろ う 。
う。 人間 に つ いて使 わ れ る ﹁人 格 ﹂ と いう 言 葉 が サ ルに 用 いら れ る 。 そ こに は サ ルに た いす る愛
真 に相 手 を 理解 す ると いう こと は 、 相 手 の存 在 を 肯 定 す る と いう態 度 へと つう じ て いる であ ろ
情、 いや尊 敬 の念 す ら こ めら れ て いる。 サ ルは こ のよ う な 人 物 の現 れ た こと を 、 仏 の光 臨 と こ そ 思 わ ん か。
サ ルに 人格 があ る と いう のは いま や サ ル学 者 の共 通 認 識 であ り ﹁パー ソ ナリ テ ィ﹂ と し て学術
論 文 に 登 場す る。 パ ー ソナ リ テ ィを も つ人 間 の集 ま り は 文 化 を も つ。 パ ー ソ ナリ テ ィを も つこ と
が 分 か った 以 上 、 野生 動 物 の群 れ にも 文 化 の存 在 を 認 めざ るを 得 な い。 長 い間 、 パー ソ ナリ テ ィ
の っと って いる か ら であ る。
や カ ル チ ャー は 自然 科 学 の対 象 で はな か った 。 そ れ を 対 象 にし え た のは 、 今 西 自 然 学 の方法 論 に
今西自然学 の洞察
個 性 が あ る の は サ ルだ け で はな い。 鳥 も 同 じ で あ る 。 小 西 正 一 ﹃小 鳥 は な ぜ 歌 う の か﹄ ( 岩波
新書) に よ れば 、 ベ ー トー ヴ ェンが 第 六 交 響 曲 ﹁田 園 ﹂ で ウズ ラ や カ ッ コー の声 を楽 曲 で表 現 し
た り 、 紀 貫 之 が ﹁花 に 鳴 く 鴬 、 ⋮ ⋮生 き とし 生 け るも の、 いず れ か 歌 を よ ま ざ り け る ﹂ と 記 し て
いる のは思 い過 ご し では な く 、 根 拠 が あ る。 小 鳥 は歌 を、 し かも かな り 複 雑 な 歌 を 歌 って いる 。
同 じ種 類 の鳥 でも 、 歌 い方 に地 方 の いわ ば ﹁方 言 ﹂ が あ る 。 ま た 同 じ地 方 の同 じ 方 言 を も つ同 種
類 の鳥 で も、 一羽ご と に歌 が異 な る。 ソナグ ラ フ ( 音 響 分 析 ) を 用 いて そ の こと が証 明 でき る。
人 間 の声 が そ れ ぞ れ違 う よう に、 小 鳥 も ま た 各 々 の歌 が 個 性 を も ち 、歌 で個 体 を 識 別 し て いる。
歌 に地 域 差 があ る と いう こと は 、 鳥 が 本 能 に よ って歌 う の では な く 、後 天 的 に歌 を仲 間 から 学 習
し て いる と いう こと であ る。 事 実 、 誕 生 直 後 か ら 隔 離 さ れ た鳥 は音 は発 し て も、 歌 は歌 えな い。
って確 か め ら れ る のであ る。 鳥 の歌 が後 天 的 な 学 習 結 果 だ と す れ ば 、 そ れ は鳥 た ち が歌 に よ って
﹁スズ メの 学校 ﹂ と は よ く 言 った も の であ る。 若 鳥 が成 鳥 か ら 歌 い方 を 学 習 す る 過 程 は 実 験 に よ
コミ ュ ニケ ー シ ョンを し て いる こと を 意 味 す る。 音 声 に よ る コミ ュ ニケ ー シ ョン の存 在 に より 、
お のず か ら言 語 の起 源 の謎 へと 問 いかけ は 拡 が る だ ろ う 。 サ ル学 の伊 谷 氏 に よ れ ば、 サ ル の鳴 き
声 のう ち 、 吼 え声 や警 戒 音 で はな く 、 至 近 距 離 にお け る サ ル同 士 の ﹁さ さ や き ﹂ が言 語発 生 の起
源 だ と さ れ て いる 。 そ れ に対 し て小 西 氏 は、 警 戒 音 や 地 鳴 き では な く 、 歌 こそ が 言 語 の発 生 起 源
だ と いう 仮説 を た て て いる。 音 楽 は確 か に世 界 共 通 の言 語 た り う る 。 サ ル学 者 は ど のよ う に答 え る であ ろ う か 。
と も あ れ 、 サ ル であ れ鳥 であ れ、 観 察 され た生 物 は 個 性 を も つ個 体 の群 れ であ り 、 観察 時点 で、
の歴 史 を 見 事 に描 い てき た 。
固 有 の歴 史 のひ と こま を 形成 し て いる。 今 西 グ ルー プ は、 サ ル 一頭 ご と の個 性 と サ ル社 会 の固 有
では 、 そ れ は ど のよ う な 意義 を も って いる のだ ろう か。
人 間 性 を 表 す た め の用 語 が サ ルに 用 いら れ た と いう こ と は、 人 間 性 の起 源 を 問 う こと と 深 く 関
係 し て いる 。 サ ル学 は、 サ ル理 解 のた め の みな ら ず 、 人 間 理 解 のた め の学 問 であ る 。 も と よ り 人
間 の社 会 と動 物 の社 会 と は異 な る。 だ が人 間 のも つさ ま ざ ま な 習 性 も 、 人 間 以 外 の生 物 の世 界 に
深 く根 ざ し て いる こ とを 明ら か にす る こと によ って、 サ ル学 者 は 人 間 性 の本 質 に つ い て深 く 反省
す る 材 料 を 提 供 し て いる ので あ る。 今 西 自 然 学 の個 体 識 別 法 は 、 いま や 伊 谷 氏 のよ う な 霊 長類 学
者 に と ど ま ら ず 、世 界 の野生 動 物 観 察 学 者 に よ って採 用 さ れ て いる 。 そ れ は ま ぎ れ も な い学 問 的 方 法 であ る 。
自 然 科 学 は 理 論 と 実 験 と か ら な る。 実 験 の本 質 は繰 り 返 し が でき る こと であ る 。 し か し 、 自 然
界 に存 在 し て いるも のが 、 相 異 な る アイ デ ン テ ィ テ ィを も つ主 体 であ り 、 個 性 の集 ま り であ れ ば 、
であ る。 生 物 に対 す る、 ま た 自 然 に対 す る 、 と て つも な く 深 い洞察 に支 え ら れ た今 西 自 然 学 の可
厳 密 な 繰 り 返 し な ど あ り 得 な いであ ろ う。 生 と は、 本 来 、 生 き る主 体 にと って、 一回 限 り のも の
能 性 は は かり し れ な いと いう べき であ る。
補論 自 然 学 の広 が り︱︱ 遠 藤恵大 ﹃店舗 構造 の自然 学的 研究 ﹄ に寄 せ て
客 を分析 し た ﹃店 舗構 造 の自然 学的 研究 ﹄ ( 流 通経 済新 聞社、 一九 九 四) であ る。
自 然学 の裾 野 の広 がりを 例証 する書 物 が、意 外な 分野 から上 梓 され た。百 貨店 の店 舗構 造 とそ の顧
著 者 の遠藤 恵大 氏 は新聞 人 であ る。 早大 演劇 科を 卒業 、百貨 店 に勤務 後 、流通 経済 新 聞社 の社主 と
な り 、 業 界 の発 展 の た め に ﹃流 通 ケ イ ザ イ ﹄ 新 聞 紙 上 に お い て 健 筆 を ふ る い つ つ、 店 舗 構 造 の研 究 に
いそ し む 精 進 のな か か ら 生 み だ さ れ た のが 同 書 だ 。 叙 述 は 骨 太 で、 内 容 は 本 格 的 で あ る 。 店 舗 構 造 に
つ い て の原 論 と いう べき 性 格 を も っ て いる 。 原 論 は 味 読 す べき で あ ろ う 。 味 読 す れ ば 、 眼 が 開 か れ る 。 本 書 を 読 了 す れ ば 、 店 舗 ・百 貨 店 を 見 る 眼 が変 わ る で あ ろ う 。
著 者 は 現 実 を 根 源 的 に み つめ て いる 。 何 を み つめ て い る のか 。 本 書 の冒 頭 に あ る ﹁地 球 的 自 然 ﹂ で
あ る 。 店 舗 と いう き わ め て 人 工 的 な 装 置 の中 に 自 然 を 見 抜 く の は だ れ に で も で き る わ ざ で は な い。 そ
の 眼 力 は 自 然 を 愛 す る 野 人 にし て は じ め て養 い う る も の で あ ろ う 。 眼 力 は 直 観 であ る。 直 観 が 体 系 化
に結 実 す る 契 機 に な った のは 、 今 西 錦 司 翁 と の出 会 い であ った 。
さ れ る に は 、 莫 大 な エネ ルギ ー と 努 力 が 集 中 的 に 傾 倒 さ れ る こ と が 必 要 で あ る 。 著 者 の直 観 が 、 本 書
出 会 いは 、 両 者 が と も に 愛 し た 山 を 通 し て であ った 。 山 を 通 し て今 西 自 然 学 に 共 感 し た 遠 藤 氏 は 、
(フ ィ ー ル ド ・ワ ー ク ) が 徹 底 的 に 行 わ れ た 。 そ の成 果 が 今 西 翁 に 持 参 さ れ
て啓 示 を 得 た 。 方 法 論 へ の開 眼 であ る 。 そ れ は 実 行 に 移 さ れ た 。 選 ば れ た フ ィー ル ド は 銀 座 の商 業 地
今 西 翁 の人 類 学 的 民 族 誌 の記 述 に出 会 い、 直 観 を ど の よ う な 方 法 を 用 い て 表 現 す れ ば よ い のか に つ い
域 で あ る 。 現 場 で の観 察
た 折 り 、 翁 は 一読 し 、 感 心 さ れ た 。 以 来 、 遠 藤 氏 の フ ィ ー ル ド は 世 界 各 地 に 及 ん で いる 。 本 書 は 、 四
半 世 紀 に わ た る 研鑽 と 、 広 範 囲 に お よ ぶ フ ィー ルド ・ワ ー ク の上 に た って ま と め あ げ ら れ た 入 魂 の作 であ る。
であ った 。 そ の 学 問 の全 貌 は ﹃今 西 錦 司 全 集 ﹄ 全 十 三 巻
( 講 談 社 ) を 通 し て知 る こ と が でき る が 、 登
今 西 翁 は 、 自 然 界 を逍 遙 し た 自 由 人 で あ り 、 天 下 を睥 睨 し た 大 学 人 であ り 、 戦 後 京 都 学 派 の指 導 者
山 、 探 検 、 生 物 学 、 進 化 論 、 人 類 学 等 に わ た る 壮 大 な も の であ る 。 今 西 翁 は 晩 年 に そ れ を 自 然 学 と な
づ け た が 、 そ れ は ゲ オ ・コ ス モ スす な わ ち 地 球 的 自 然 を ﹁ 棲 み 分 け ﹂ と いう 観 点 か ら 体 系 づ け た 理 論
であ る。 遠 藤 氏 の研 究 は 、 今 西 自 然 学 に 立 脚 し 、 棲 み 分 け 論 を 人 間 の生 活 の場 に 応 用 し た も の で あ る 。
今 西 翁 の棲 み 分 け 論 は 地 球 的 自 然 な か ん ず く 生 物 界 に 親 縁 性 のあ る 理 論 であ る 。 そ れ を 人 間 界 に 応
用 し た 事 例 と し て著 名 な の は 、 梅棹 忠 夫 氏 の ﹃文 明 の 生 態 史 観 ﹄ ( 中 央 公 論 社 ) であ ろ う 。 梅棹 氏 は
初 代 国 立 民 族 学 博 物 館 館 長 を 長 ら く つと め ら れ た と こ ろ か ら も う か が え る よ う に 、 人 間 のす み わ け を ﹁民 族 ﹂ を 単 位 と し て 構 想 さ れ た 。
( 遠 藤氏 はそ れ
[ humans ubcul t ur eandcul t ur e] と 名 づ け る )、 お の お の の 理 想 型 の 間 に ﹁す み わ け ﹂ が 成
に 、 必 ず 見 出 さ れ る 人 間 の タ イ プ の違 い に 着 目 し 、 そ れ を いく つか の 理想 型 に 分 類 し
遠 藤 氏 は 、 そ れ に対 し 、 民 族 の み な ら ず 、 人 種 や 種 族 の相 異 を こ え て 、 ﹁生 活 の場 ﹂ の あ る と こ ろ
を H SC
立 し て い る こ と を 、 日本 、 アジ ア 、 ヨー ロ ッパ 、 ア メ リ カ に お け る フ ィー ルド ・ワ ー クを と お し て確
証 し た。 今 西 理 論 を 生 物 界 か ら 人 間 界 へ適 用 す る に あ た っ て、 著 者 は 、 碩 学 伊 谷 純 一郎 博 士 の 研 究 、
す な わ ち サ ル か ら 人 間 へ の移 行 を 研 究 し て い る 霊 長 類 社 会 の研 究 を 熟 読 、 玩 味 し 、 そ の成 果 を 取 り い れ て お り 、 筋 金 入 り であ る 。
た し か に 、 わ れ わ れ は 日常 生 活 に お い て 、 宗 教 ・言 語 ・生 活 様 式 と い った 民 族 や 国 家 の相 異 を 越 え
のだ 。 こ のよ う な 今 西 理 論 の応 用 例 は 、 管 見 のか ぎ り 、 最 初 のも の であ る 。
て 、 自 己 と 相 似 た 人 を 見 出 す こ と が で き る 。 そ れ は な ぜ な のだ ろ う か 。 そ の根 拠 を 本 書 は 論 じ て い る
人 間 は 、 一人 一人 性 格 が 違 う が 、 そ の違 い の よ っ てき た る と こ ろ は 、 生 ま れ つき と いう 面 が あ る。
い。 生 ま れ つき の 違 いは 、 そ れ ぞ れ の人 間 が 生 き て いく た め に と り そ ろ え る 物 の違 い に現 れ る であ ろ
し か し 、 人 間 は 生 ま れ た ま ま で は 生 き ら れ な い。 端 的 に は 、 人 間 は 物 を 使 う こ と な し に は 生 き ら れ な
う 。 人 と 物 と の結 び つき は 、 人 間 の 生 活 の場 が あ る と こ ろ で は 、 時 ・所 を こえ て 存 在 す る 。 そ こ か ら
摘 出 さ れ た H S C 理 想 型 の 相 似 と 相 異 に も と づ い て 、 人 間 の生 活 の場 に お け る 行 動 様 式 の相 似 と 相 異
が 、把 握 さ れ る の であ る 。あ る人 間 のH S C が わ か れ ば 、た と え ば 、そ の人 の購 入 パ タ ー ンに つ い て見
当 が つく わ け だ 。遠 藤 氏 は H S C を 、百 貨 店 の 顧 客 に 焦 点 を し ぼ って 、C S C [ cust omer s' subcul t ure and u c l t ur e] 理 論 と し て 展 開 し て い る 。
本 書 に よ っ て 、 店 舗 構 造 論 な か ん ず く 百 貨 店 論 に 新 天 地 が 開 か れ た と 信 じ る のは 、 私 だ け に と ど ま
ら な いで あ ろ う 。 学 問 は 象 牙 の塔 か ら の み 生 ま れ る の で は な い。 在 野 は 広 い。 自 然 界 に 雑 草 は な い。
に咲 く 花 、 い や 、 案 外 、 未 踏 の山 に 人 知 れ ず 咲 く 高 山 植 物 か も し れ な い。 見 つけ た 者 は 幸 運 であ る 。
知 ら ぬ者 が 雑 草 と な づ け る にす ぎ ぬ 。 遠 藤 氏 は 野 に 花 を 咲 か せ た 。 今 西 翁 に 捧 げ ら れ た 本 書 は 、 野 辺
新 発 見 か も し れ な いか ら だ 。 新 し い学 問 領 域 の誕 生 を 告 げ て い る よ う な 予 感 が あ る 。
4 今 西 錦 司 と宮 沢 賢 治
今 西 と宮 沢 の 思 想 の親 縁性
(サ ル学 ) を は じ め と す る 生 物 社 会 の 構 造 を 人 間 が 学 ぶ た め の 道 を 開 い て い る 。 そ れ だ
自 然 学 の裾 野 は 広 い。 自 然 界 に 対 す る 洞 察 か ら 導 き だ さ れ る さ ま ざ ま な 概 念 や 方 法 論 に よ っ て 、 霊 長類 学
( 明治三五年生まれ) は、 と も に明 治 後 期 の生 ま れ 、 六
け で は な い。 そ れ と は ま った く 別 の 、 た と え ば 宮 沢 賢 治 が 詩 や 童 話 を 通 し て 表 現 し た 生 命 観 を 学
( 明治二九年生まれ)と 今 西 錦 司
問 的 に 裏付 け る も のと考 えら れ る。 宮沢賢治
歳 し か 違 わ な い同世 代 で あ る が、 両 者 が交 流 し た 形 跡 は な い。 賢 治 は 生 き と し生 け る も のは み ん
な 昔 か ら の 兄 弟 だ と 信 じ 、 彼 の作 品 に 登 場 す る ク モ 、 タ ヌ キ 、 ヤ マネ コ、 オ オ カ ミ 、 ウ サ ギ 、 ヒ
バ リ 、 キ ツネ 、 ひ な げ し 、 ひ のき 、 ヨ ダ カ 、 サ ル、 か し は の 木 、 ネ ズ ミ 、 ネ コ、 ト ラ 、 か っぱ 、
獅 子 、 象 、 ダ リ ヤ 、 カ エ ル、 ブ タ 、 フ ク ロ ウ 、 ハ チ 、 ク マ、 ナ メ ク ジ 、 星 、 貝 、 カ ニ、 カ ラ ス、
電 信 柱 、 鹿 、 ク ラ ゲ 、 龍 、 風 、 雲 、 光 ⋮ ⋮ な ど 、 一言 で いえ ば 森 羅 万 象 に 生 命 を ふ き こ ん だ 。 今
西 錦 司 は 生 き と し 生 け る も の が す べ て 元 は 一つ のも の が 分 化 し 、 生 成 し て き た も の で あ り 、 そ の
よ う な も の と し て 互 い に 類 縁 関 係 に あ り 、 ﹁棲 み 分 け ﹂ を 通 し て 共 存 し て い る の だ と いう 生 物 観
﹁総 て の生 物 は みな 無 量 の劫 の昔 から 流 転 に流 転 を 重 ね てき た 。 ⋮ ⋮ そ の
に立 って いる。 両 者 の根 本 思 想 に お け る親 縁 性 は明 ら か であ ろ う 。 宮 沢 賢 治 は言 う︱︱
間 に は いろ いろ のた ま し ひ と 近 づ いた り離 れ たり す る。 則 ち 友 人 や 恋 人 や 兄 弟 や 親 子 で あ る。 そ
れ ら が互 に はな れ 又 生 を 隔 て ては も う お 互 に 見知 ら な い。 無 限 の間 に は 無 限 の組 み 合 わ せ が 可能
﹁無 生 物 と い い生 物 と いう も、 そ のも と を た だ せ ば み な 同 じ 一つの
であ る 。 だ から 我 々 の ま は り の生 物 は み な 永 い間 の親 子 兄 弟 であ る ﹂ ( ﹁ビ ジ タ リ ア ン大 祭 ﹂﹃校 本 ・宮沢賢 治全集 ﹄第 八巻所収) 一方 、今 西 錦 司 は言 う︱︱
も のに由 来 す る と いうと ころ に、 そ れ ら のも の の間 の根 本 関 係 を 認 め よう 。 ⋮ ⋮ 世 界 を 成 り 立 た
せ て いる いろ いろな も の が、 も と 一つのも のか ら生 成発 展し たも のであ る ゆえ に、 わ れ わ れ の認 識 が た だ ち に類 縁 の認識 であ る可 能 性 が あ る ﹂ ( ﹃生物 の世界 ﹄ )
宮 沢 賢 治 の言 う ﹁親 子 兄弟 ﹂と 、 今 西 錦 司 の言 う ﹁類 縁 ﹂ と は 、 ほ ぼ同 義 であ ろ う 。
賢治 の生涯と真情
賢 治 は 明 治 二 十九 年、 岩 手 県花 巻 の古 物 商 の家 に生 ま れ 、 小 ・中 ・高等 学校 を首 席 、 特 待 生 で
通 し た 秀 才 であ った。 十 八 歳 ( 大 正 三 年 ) のと き 、 ﹃漢 和対照 ・妙 法 蓮 華 経 ﹄ に感 銘 を 受 け 、 法
華 経 の行 者 と な る 決 意 を し 、盛 岡 高 等 農 林 学 校 研 究 生 を 修 了 し て上京 し 、 日蓮 宗 の国柱 会 に入 っ
た 。 と き に 大 正 九 年 、 賢 治 二 十 四歳 であ る。 賢 治 は 国 柱 会 の高 知 尾 智 燿 か ら ﹁今 日 に お け る 日蓮
主 義 信 仰 の在 り 方 は 、 ソ ロバ ンを と る も のは そ の ソ ロバ ンの上 に、 鋤 鍬 を と る も のは そ の鋤 鍬 の
上 に、 ペ ンを と る も のは ペ ンのさ き に 信 仰 の活 き た働 き が現 れ て いか ねば な ら な い﹂と いわ れ て、
文 学 創 作 を はじ めた 。 翌 大 正 十 年 に 花 巻 農 学 校 の教 師 に な り 、 五年 間 勤 め た後 、 三十 歳 ( 大正十
五 年 ) に な って依 願 退 職 。 ﹃農 民 芸 術 概 論 綱 要 ﹄ ( ﹃ 校 本 ・宮沢賢治 全集 ﹄第十 二巻㊤所収 )と いう 驚
嘆す べき 作 品 を著 し 、 実 家 を 出 てそ の ﹃綱 要 ﹄ を 実 践 す る べく 羅 須地 人協 会 を 設立 し、 植 物 、 土
壌 、 肥料 等 を 講 じ 、農 村 を 巡回 し て稲 作 指 導 を し つ つ、 自 ら も 開 墾 し て自 活 し た。 し か し病 に倒
た。
れ 、 昭和 八年 、 ﹃国 訳 妙 法 蓮 華 経 ﹄ を 知 己 に 届 け る よ う に 遺 言 し て永 眠。 三十 八 年 の生 涯 を と じ
宮 沢 賢 治 は ど の よう な 心 の持 ち 主 であ った のか。 有 名な ﹁雨 ニモ マケズ ⋮ ﹂ の詩 は 遺 稿 であ る 。
昭和 九 年 、 高 村 光 太 郎 、 草 野 心 平 ら が 新 宿 に 集 ま って第 一回 の宮 沢 賢 治 追 悼 会 を も った 折 り 、 そ
風 ニモ マケズ ⋮ ﹂ の詩 のほ か 、賢 治 が死 に至 る病
の席 上 で、 宮 沢 清 六 氏 が花 巻 か ら 持 ってき た 賢 治 の原 稿 の詰 ま った ト ラ ンク の中 か ら ﹁黒 い手 帳 ﹂ が 発 見 さ れ た。 そ こに は ﹁雨 ニ モ マケズ
の床 で書 き 留 め た 壮 絶 に し て崇 高 な 内 面 の赤 裸 々な 吐 露 が あ る 。 手 帳 は ﹃雨 ニモ マケ ズ手 帳 ﹄ と
の回 復 を 祈 る文 章 が あ る︱︱
耳 を す ま し て西 の階 下 を 聴 け ば
夜 は 風 が 床 板 のす き 間 を く ぐり
昭和
合 間合 間 に絶 えず き こえ
ああ ま たあ の児 が咳 し ては 泣 き
名 づ け ら れ、 ﹃校 本 ・宮 沢 賢 治全 集 ﹄第 十 二巻 上 ( 筑摩書 房)に収 め ら れ て いる。 そ こ に、 病 む 児
こ の夜 半 お ど ろき さ め
昼 は 日が 射 さ ず
そ の母 のし づ か に教 へな だ め る声 は あ の室 は 寒 い室 でござ いま す
ま た 咳 し ては 泣 いて 居り ます ます
三年 の十 二月
私 が あ の室 で急 性 肺 炎 に な り ま し た とき
あ の子 は あ す こ で生 ま れ ま し た
新 婚 のあ の子 の父 母 は
私 が去 年 から 病 や う やく 癒 え
あ の子 は女 の子 にし て は心 強 く
私に この日
こた び も 父 母 の
こ の九
朝顔を作り
凡そ倒れ
照 る広 いじ ぶ ん ら の室 を 与 へ じ ぶ ん ら は そ の暗 い 私 の 四月 病 んだ 室 へ入 って 行 った の です
か の痛 苦 を ば
今 夜 は ただ ただ
私 に う つし 賜 は ら ん こと ⋮ ⋮
法 華 の主 題 も 唱 へま し た
それ
咳き泣く
如 何 な る前
ここ ろ み だ れ て あな た に訴 へ奉 り ま
ね む って いま し た が
心 を と と の へるす べを し ら ず
ま た 階 子 か ら お 久 し ぶり でご あ ん す と
向 ふ で骨 に な ら う と覚 悟 し て いま し た が
時 に は 蕾あ る枝 もき ったり いたし ま し た
そ ん な こと では 泣 き ま せ ん で し た
東 京 で病 み
あ の子 も い っし ょに 水 を や り
そし てそ の 二月 たり 落 ち た り 菊を作れば 月 の末 私 は ふ たた び
か の病
直 立 し て合 掌 し
あ あ 大 梵 天 王 こよ ひ は し た な く も
わ がな ぃも やと 云 って
あ あ いま 熱 と あ え ぎ のた め に
情 け に帰 って来 れ ば あ の子 は門 に立 って笑 って迎 へ
でも い つか の晩 は
声 を た えだ え 叫 び ま し た
ただ
あ の子 は 三 つで はご ざ いま す が
ば か り で ござ いま す す 世 の非 に もあ れ
宮 沢 賢 治 が他 人 の児 の病 気 と痛 みを 自 分 にう つせ と 祈 る 切 々た る 真 情 は 、 山 上 億良 が自 分 の子
を 切 々と想 う 万葉 歌 の真 心 に並 ぶも のだ 。 賢 治 の詩 文 には 、 し か し 、 他 に 比 類 のな い、 心 打 つ精 神 の高 さ が あ る 。
賢治の童 話は菩薩の文学
賢 治 は十 八 歳 のと き に ﹃漢和対照 ・妙 法 蓮 華 経 ﹄ に 接 し て以 来 、 仏 教 の信 者 であ った 。 賢 治 に
は 仏法 に よ って生 か さ れ て いる と いう 自 覚 があ った。 ﹁生 か さ れ て いる ﹂と いう 受 動 の自 覚 を 能
動 に転 じ て ﹁生 かす ﹂働 き に専 心 せん と し た と ころ に 、 賢 治 一生 の真 面 目 が あ った ので は な いか。
賢 治 の自 画 像 でもあ る。 一身 をな げ う ち 無 方 の空 に散 ら ん 覚 悟 を も って他 を 生 か さ ん とす る のは、
童 話 ﹁グ ス コー ブ ド リ の伝 記 ﹂は 身 命 を な げ う って農 村 の凶 作 を救 った青 年 技 士 の伝 記 であ り 、
ま こと に究 極 の主体 性 の発 露 で はあ るま いか。 そ の崇 高 な 献 身 は 我 執 を く だ き 、 六根 を清 め る。
﹁銀 河 鉄 道 の夜 ﹂を 精 読 す れ ば 、 清 洌 な 悲 哀 が 星 辰 の間 を流 れ る のを あ た かも 眼前 にし 、 ﹁よ だ か
の星 ﹂ を 音 読 す れ ば 天地 を 貫 く求 道 心 が全 身 が 射 抜 く 。 詩 ﹁稲 作 挿 話 ﹂ で農 村 少 年 を は げ ます 賢
いまし こ の妙
名 も ほし から ず
治 の目 は 慈 愛 に あ ふ れ て いる 。 そ れ は菩 薩 の心 であ る。 賢 治 の菩 薩 心 に触 れ れ ば 、 自 我 への妄 執
な ど粉 微 塵 に 飛散 す る の であ る。 ﹃雨 ニモ マケズ 手 帳 ﹄ に ﹁快 楽 も ほし か ら ず
下賤 の病 躯 を 法 華 経 に 捧 げ 奉 り ﹂ と あ り 、 ﹁塵 点 の劫 を し 過 ぎ て
不 可 議 に至 り て
時 に乃し
こ の法 華 経 を 聞く こと を
み 法 にあ ひ ま つり し を ﹂ と ﹃手 帳 ﹄ の最 後 に 記 さ れ て い る が、 これ は ﹃法 華 経 ﹄ の巻 二 十
いま は た だ の
﹁常 不 軽 菩 薩 品 ﹂ にあ る ﹁億 億 万劫 よ り
得 ﹂を 踏 ま え た も の であ り 、 ﹁み法 ﹂ とは 法 華 経 を さ し て いる 。
賢 治 の作 品 は 法 華 文 学 と いわ れ る 。 賢 治 に 影響 を 与 え た法 華 経 は全 部 で 三十 ほど の話 か ら な る
が、 そ のな か で、 第 十 五 番 目 の ﹁従 地 湧出 品 ﹂ と第 十 六 番 目 の ﹁如 来 寿 量 品 ﹂ が 、 全 体 の要 のよ
う であ る 。 ﹁従 地 湧出 品 ﹂ の話 は、 仏 陀 が涅槃 に入 る と いう の で、 そ の最 後 の教 え を 聞 く た め に 、
菩 薩 が 地 のす み ず み か ら 湧 き出 てき て天 地 を 満 た し た と いう 内 容 であ る 。 す な わ ち ﹁仏 告 げ た ま
これ を 説 き た ま う 時 、 娑 婆 世 界 の三 千大 千 の国 土 は、 地 、 皆 、 震 裂 し て、 そ の中 よ り 、 無 量 千 万
う ﹃⋮ ⋮ 諸人 等 よ く 我 ( 仏 陀 ) が 滅 後 に お いて、 護 持 し 、 読誦 し 、 広 く こ の経 を 説 か ん ﹄、 仏 、
億 の菩 薩 ・摩訶 薩 あ り て、 同 時 に 湧出 せ り。 ⋮ ⋮諸 の菩 薩 の無 量 百 千 万 億 の国 土 の虚 空 に 遍 満 せ
これ ら 地 を と ど ろ か し て出 現 し た 菩 薩 が ど こか ら来 た のかと いう 問 いに対 し て、 仏 陀 は ﹁こ の
るを 見 る﹂ ( ﹃法華経﹄岩波文庫)と いう の であ る 。
諸 の菩 薩 は、 皆 是 の娑 婆 世 界 の下 、 こ の界 の虚 空 の中 に お い て住 せ り ﹂ と 答 え て いる 。 す な わ
ち菩 薩 は下 界 に存 在 し て いる の であ る 。 続 く ﹁如 来 寿 量 品 ﹂ は、 いよ いよ仏 陀 が 真 理 を 語 ると い
う の で、 息 を つめ る よ う に 一語 一語 を 読 ん で いく と、 真 理 は ﹁無 量 無 辺 百 千 万 億 那 由 陀 阿 僧 祇
劫 ﹂す な わ ち 時 間 的 に は無 窮 の過 去 か ら 未 来 永 劫 に いた り 、空 間的 に は無 辺 の広 がり を も って、 ず っと真 理 であ り 続 け ると 語 ら れ る。
何 が真 理 であ る か に つ いては 、 つ いに最 後 の最 後 ま で、 語 ら れな い。 いく ら読 ん でも はぐ ら か
べか ら ず 。 所 以 は如 何 。 諸 の衆 生 は性 欲 不 同 な る こと を 知 れ り 。性 欲 不 同 な れ ば 、種 々 に法 を 説
さ れ た気 分 に な る。 こ のよ うな 法 華 経 の語 り 口は ﹁仏 眼 を も って 一切 の諸法 を観 ず る に、 宣 説 す
き き 。 種 々 に 法 を 説 く こ と 方 便 力 を も ってす ﹂ ( ﹃無 量義経﹄﹁説法 品﹂より )と あ る よ う に 、 仏 教
用 語 で方 便 と いう ので あ ろ う。 そ こ で、 勝 手 な 解 釈 を ほど こせ ば 、 真 理 を 聞 く た め に 天地 のす み
ず み か ら 菩 薩 が 湧 き出 てき て虚 空 に充 満 し た と いう の であ るか ら 、 菩 薩 は 永 遠 の昔 か ら こ の天地
に遍 在 し てお り 、 菩 薩 の働 き は森 羅 万象 に みち て いる、 と いう こと であ ろ う 。
あ ら ゆ る 存 在 を存 在 た ら し め て いる のが菩 薩 の働 き であ る。 存 在 を 存 在 た ら し め る 働 き は能 動
的 であ る。 そ のよ う な能 動 的 な働 き は主 体 性 と 言 いかえ ら れ る であ ろ う 。 法 華 経 は 、 主体 性 が無
量 無 辺 の時 空 間 に 充 満 し て いる と いう メ ッセー ジを 伝 え て いる の であ る。 賢 治 の童 話 は そ のよ う な 菩 薩 の働 き を 描 いた も のに ち が いな い。
賢治 の世界を基礎づける今西自然学
宮 沢 賢 治 の文 学 は 、 同 時 代 人 に は あ ま り 知 ら れ て いな か った が、 し だ いに評 価 が 高 ま って機 運
が熟 し 、 一九 九〇 年 に花 巻 にお い て ﹁宮 沢 賢 治 学会 ﹂ が 設立 さ れ た。 内 外 から 続 々と 会 員 応 募 が
あ り、 いま や会 員 数 は 三 千 人 を 越 え て いる 。賢 治 に よ って花 巻 は ﹁イ ー ハト ーヴ ﹂ と いう 一種 の
や 星な どす べて のも のが 生 命 を も ち 、 そ れ ら の織 り なす 生 命 のリ ズ ム は人 間 界 と いう 枠 を 超 え て、
宇 宙的 な 四次 元 空 間 に開 かれ 、 そ の作 品 に お い ては 、人 間 のほ か、 動 物 や木 や石 や虹 や 月 あ か り
自 然、 宇 宙 へと ひ ろ がり 、 賢 治 の生 涯 も いわ ゆ る文 学者 の範 疇を 超 え て いる。
賢 治 の世 界を 、 体 系 的 ・学 問 的 に基 礎 づ け る こと は で き る のだ ろう か。 それ は今 西 自 然 学 のよ
く な し 得 る と こ ろ で あ る よう に思 わ れ る。 今 西 自 然 学 は 万 物 に 主体 性 を 認 め、 賢 治 の文 学 は 万 象
に 菩 薩 の働 き を 見 て取 る も のであ り 、 両 者 は相 通 じ て い る の であ る。 も ち ろ ん 、今 西 自 然 学 は、
童 話 の世 界 のご とき メ ル ヘ ンでも 、 お経 のご と き 方 便 でも な い。 そ れ は科 学 であ る。 科 学 と いう
形 容 を 晩 年 の今 西 翁 は好 ま な か った。 自 然 学 は今 西 翁 が 自 然 科 学 と の訣 別 宣 言 を し た後 に、 提 唱
さ れ た も の であ った か ら だ。 にも か かわ ら ず 、 今 西 自 然 学 は 、 法 華 経 や 賢 治文 学 と比 べれば 、 間
違 いな く 、 科 学 であ る。 自 然 を あ る がま ま に観 察 し 、 生 物 を 生 き た 具体 性 に お い て理解 す る科 学
的 方 法 論 を そ な え た 理論 で あ る。 両 者 の関 係 は 、 賢 治 の詩 や 童 話 の形 で表 現 さ れ て いる世 界 観 を 、
今 西 の自 然 学 が観 察 可能 、 検 証 可能 な も の、 す な わ ち 学 的 体 系 に し て いく と いう 関係 であ る。
5
宮 沢賢 治︱︱
西洋科学と東洋宗教 の実践者
﹁ 地球時代 ﹂の先覚者
転 換 期 には 新 し い タ イプ の人 間 が求 め られ る。 グ ロー バ ル化 と と も に 諸 文 明 の多 極 化 と いう事
態 の進 行 を 前 に、 多 様 な 諸 文 明 の共 存 な か んず く 東 西 文 明 の調 和 と いう 課 題 を 、 す でに半 世紀 も
前 に 一身 に体 現 し てみ せ た 先 覚 者 が いた。 宮 沢 賢 治 であ る。 賢 治 は ﹃農 民 芸 術 概 論 綱 要 ﹄ の序 論
に ﹁近 代 科 学 の実 証 と 求 道 道 た ち の実験 とわ れ ら の直 観 の 一致 にお いて論 じ た い﹂ と 述 べ、 ま た
﹃銀 河 鉄 道 の夜 ﹄ ( 初期 形)に 登場 す る 人 物 に ﹁ほん たう に勉 強 し て 実験 でち ゃん と ほん た う の考
と う そ の考 と を 分 け てし ま え ば そ の実 験 の方 法 さ へき まれ ば も う信 仰 も 化 学 と 同 じ や う に な る ﹂
と 語 ら せ て いる が、 実 際 、 賢 治 は そ の三 十 八 年 間 の短 い人 生 に お いて西 洋 の科 学 と 東 洋 の宗 教 と
を、 農 民 とし て の生 活 実 践 の中 に、 見 事 な ま でに統 合 し よ うと し た 。
賢 治 は 膨 大 な 文 学 作 品 を残 し た。 だ が、 生存 中 に 刊 行 さ れ た の は ﹃春 と修 羅 ﹄ ﹃注 文 の多 い料
理店 ﹄等 わず か であ る。 生 前 に文 学 者 と し て成 功 し た と は と て も いえな い。 彼 の実 生 活 は 地 道 な
農 業 の教 師 で あり 指 導 員 であ った 。 活 動 範 囲 は 狭 く 、岩 手 県、 実 質 的 に は花 巻 に限 ら れ て いる 。 彼 の指導 ぶ り は ﹁稲 作 挿 話 ﹂ が伝 え て い る︱︱
あ す こ の田 は ね え あ の種 類 では 窒 素 が あ ん ま り 多 過 ぎ る か ら も うき っぱ り と 潅 水 を 切 っ てね 三番 除草 はし な いんだ ⋮⋮ 一し ん に畦 を走 って来 て 青 田 のな か に 汗拭 く そ の子 ⋮ ⋮
斯 う いふ風 な 枝 垂 れ 葉 を ね え む し ってと ってし ま ふ んだ
燐 酸 が ま だ 残 って いな い? み んな 使 った ? そ れ では も し も こ の天 候 が こ れ か ら 五 日続 い た ら あ の枝 垂 れ 葉 を ね え
⋮ ⋮ せ わ し く う な づ き 汗 拭 く そ の子 冬講習に来たときは 一年 は た ら いた あ と と は 云 へ ま だ かが やか な リ ンゴ のわ ら ひ を も って いた いま はも う 日と 汗 に焼 け 幾 夜 の不 眠 に や つれ て いる ⋮ ⋮
あ れ は ず いぶ
そ れ か ら い いか い 今 月 末 にあ の稲 が 君 の胸 よ り 延 び た ら ね え ち ゃう ど シ ャ ツの上 の ボ タ ンを 定規 にし てね え 葉 尖 を 刈 ってし ま ふん だ ⋮⋮汗だけでな い 泪 も 拭 い て いる ん だな ⋮ ⋮
君 が 自 分 でか ん が へた あ の田 もす っかり 見 て来 たよ 陸 羽 一三二 号 のは う ね
ん 上 手 に 行 った 肥 え も少 し も む ら がな いし いか にも 強 く 育 って いる 硫 安 だ ってき み が 自
分 で播 いた ら う み ん な が いろ いろ 云 ふ だ ろ う が あ っち は少 し も 心 配 な い 反 当 三 石 二 斗 な
ら も う き ま った と 云 って い い し っか り や る ん だ よ こ れ から の本 統 の勉 強 は ね え テ ニス
を し な がら 商 売 の先 生 か ら 義 理 で教 は る こと でな いんだ き み のやう にさ 吹 雪 やわ ず か の
ど こ ま で のび る かわ から な い そ れ が これ か ら の新 し い学 問 のは じ まり な んだ で は さよ う な
仕 事 の ひま で 泣 き な が ら か ら だ に刻 ん で いく 勉強 が まも な く ぐ んぐ ん強 い芽 を 噴 いて
ら
透 明 な力 が
⋮ ⋮ 雲 か らも 風 か らも そ の こ ど も に う つれ ⋮ ⋮
( ﹃ 校 本 ・宮 沢 賢 治 全 集 ﹄ 第 四巻 よ り)
賢 治 は 病 身 な が ら 死 の 当 日 ま で 農 民 の 肥 料 の相 談 に の っ て お り 、 右 の 詩 文 通 り の 生 き 方 を 全 う
し た 。 賢 治 は 仏 法 に 則 っ て 生 き た が 、 ﹃農 民 芸 術 概 論 綱 要 ﹄ の 一つ ﹁農 民 芸 術 の 興 隆 ﹂ に は 十 二
(ビ ュ ッヒ ャ ー 、 ダ ニ エ ル ・デ フ ォ ー 、 オ ス カ ー ・ワ イ ル ド 、 ウ ィ リ ア ム ・モ リ ス 、 ト ル ス ト
イ 、 シ ュ ペ ン グ ラ ー 、 ワ ー グ ナ ー 、 マ ネ 、 セ ザ ン ヌ、 ロ マ ン ・ ロ ラ ン 、 ト ロ ツ キ ー 、 エ マ ー ソ
名
ン) の欧 米 の学 者 ・文 学 者 ・芸 術 家 の 名 前 が あ が っ て い る 。 東 京 の 丸 善 が 東 北 の 支 店 で た く さ ん
の レ コー ドが 売 れ る の で感 謝 状 を 送 った と こ ろ、 買 手 が 一教 員 ( 宮 沢 賢 治 ) であ る こと が 分 か っ
て驚 いた 。 西 洋 文 化 の粋 は 賢 治 の精神 の中 であ ふ れ んば かり に息 づ いて いた 。 賢 治 の広 が り のあ
る世 界 は 進 取 の精 神 に み ち てお り 、 外 国 の文化 、 いや こ の世 の生 き と し 生 け るも のを こと ご と く 包 容 し て いる。
イー ハトーヴ にともる青 い照明
賢 治 は 東 北 の寒 村 で、 土 を いじり 、 物 を作 る 農 民 であ った。 ﹁お れ た ち は みな 農 民 であ る 。 ず
いぶ ん 忙 し く 仕 事 も つら い。 も っと 明 る く 生 き 生 き と 生 活 す る道 を 見付 け た い﹂。 だ が 眼 は し っ
かり 世 界 に向 いて いる。 ﹁わ れ ら は世 界 のま こと の幸 福 を 索 ね よ う 。 求 道 す でに 道 であ る ﹂。 いや、
世 界 ど ころ か 宇 宙 が相 手 で あ る。 ﹁正 し く 強 く 生 き る と は 、 銀 河 系 を 自 ら の中 に意 識 し て これ に
応 じ て行 く こと であ る﹂。 こ のよ う に 賢 治 は地 域 の振 興 だ け を 目 的 に し た ので は な か った 。 志 は
は る か に高 い。 ﹁自 我 の意 識 は 個人 か ら集 団 、 社 会 、 宇 宙 と 次 第 に進 化 す る﹂ ﹁世 界 が ぜ ん た い幸
福 に な ら な いうち は個 人 の幸 福 はあ り 得 な い﹂。 ( 引 用は ﹃農民芸術概論綱要﹄ より)
実 践 に は知 識 が 必要 であ る。 賢 治 は西 洋 の知 識 を 驚 く ほ ど 正 確 に 身 に つけ て いた 。 現 代 の物 理
学者 、化 学者 、 地 質 学 者 が、 半 世 紀 余 り 前 に書 か れ た 賢 治 の詩 の表 現 に 科 学 的 根拠 が あ る こと を
であ る。 知識 は 予 見 が あ って初 め て実 践 的 意 義 を 有 す る。 賢 治 の ﹃農 民 芸 術 概 論 綱 要 ﹄ は 校 本・
知 ってお ど ろ いて いる。 重 要 な こと は、 賢 治 の知 識 は 知 識 のた め の知 識 では な か った と いう こと
全 集 版 でわ ず か 八 頁 だ が、 賢治 の志 の高 さを よく 伝 え て いると 同 時 に、 そ こ には 人 間 の情 熱 を 無
辺 の宇 宙 空 間 へと向 け さ せ る予 言 者 的 メ ッセ ージ が あ る。
まづ も ろ と も に か が や く 宇宙 の微 塵 とな り て無 方 の空 にち ら ば ろ う な べ て の悩 み を た き ぎ と 燃 や し な べて の心 を 心 と せよ 風 と ゆき き し 雲 か ら エネ ルギ ー を と れ わ れら に要 るも のは 銀 河 を 包 む 透 明 な 意志 巨 きな 力 と 熱 であ る
賢 治 が生 き た当 時 、 北 上 山 地 の真 った だ 中 にあ る花 巻 は 名 も なき 町 のひと つであ った 。 花 巻 を
つ つむ岩 手 の大 地 に彼 は イ ー ハト ーヴ と いう エス ペ ラ ン ト語 の名称 を つけ た が、 イ ー ハト ーヴ に は 地 域 臭 が な い︱︱
の耕 し て いた 野 原 や 、少 女 アリ スが辿 った鏡 の国 と 同 じ 世 界 の中 、 テ パー ンタ ー ル沙 漠 の遥 か
イー ハトー ヴ は 一つ の地 名 であ る。 強 いてそ の地 点 を 求 む る な ら ば 、 そ れ は大 小 ク ラ ウ ス達
な 北 東 、 イ バ ン王 国 の遠 い東 と考 えら れ る。 実 に これ は 著 者 の心 象 中 に こ のよ うな 状 景 を も っ て実 在 し た ド リ ー ム ラ ン ドと し て の日本 岩 手 県 であ る。
そ こ では あ ら ゆ る事 が 可 能 であ る。 人 は 一瞬 にし て氷 雲 の上 に飛 躍 し 、 大 循 環 の風 を 従 え て
北 に旅 す る事 も あ れ ば 、 赤 い花 杯 の下 を 行 く蟻 と 語 る こ とも でき る。 罪 や か な し み でさ え そ こ
では聖 くき れ いに輝 い て いる。 深 い椈 の森 や 、 風 や 影、 月 見 草 や、 不 思 議 な 都 会 ベ ー リ ング 市
( ﹃校 本 ・宮 沢 賢 治 全 集 ﹄第 十 一巻 所収 )
ま で 続 く 電 柱 の 列 、 そ れ は ま こ と に あ や し く も 楽 し い国 土 で あ る 。
って、宇 宙的 生 命 の火 を と も し た 。
イ ー ハト ー ヴ は賢 治 の いう 四次 元 空 間 であ ろ う。 賢 治 は イ ー ハト ーヴ の大 地 に、 新 し い詩 を も
ン﹂ のな か に輝 いて いる。 銀 河 プ ラ ンは 北 海 道 ・東 北 地 方 知事 会議 が推 進 母 体 と な り 、 官 民 一体
半 世紀 を経 た いま、 そ の火 は 来 世 紀 に向 け て北 海 道 ・東 北 地 方 が推 進 す る ﹁ほく と う 銀 河 プ ラ
と な って 21世 紀 の構 想 と中 核 に な る プ ロジ ェク トを 策 定 し た プ ラ ン であ る ( ﹃北海道 ・東 北 21世紀
構想︱︱ほくとう銀河プ ラ ン﹄宮城県庁気付/北海道 ・東北 21世紀構想推進会 議編、 一九九 四年)。 そ こ に
は 、 銀 河 プ ラ ン の理念 に つ いて、 こ う述 べら れ て い る︱︱ ﹁私 た ち が 住 む ︿ほ く と う 日本 ﹀ は広
大 の空 間 と み ど り 豊 か な自 然 の中 に、 個 性 あ る町 が広 く 分 布 し て いま す 。 二 十 一世紀 に向 け て の
地 域 づ く り は 、 人 間 尊 重 のも と に、 あら ゆ る生 命 体 と の共 生 を 図 り な が ら 、 そ れ ぞ れ の地 域 と の
交 流 と 連 携 によ って進 め て いく こと が大 切 です 。 私 たち の銀 河︱︱ 天 の川︱︱ は 、 た く さ ん の星
が 形 づ く る 壮 大 な パ ノ ラ マであ り 、広 い宇 宙 の中 で、 それ はあ た かも 、 私 た ち ︿ほく と う 日本 ﹀
に分 布 し て いる ︿ま ち ﹀ が 、 交 流 と 連 携 の絆 を強 めな がら 、 帯 状 に広 が る新 国 土 軸 を 形 成 し て い
く こと を イ メ ージ さ せ ま す 。 こう し た こと か ら 、 私 た ち は、 北 海 道 ・東 北 二十 一世 紀 構 想 を 、 ほ
く とう 銀 河 プ ラ ンと 呼 ぶも の です ﹂ と 。 こ の理念 は宮 沢賢 治 の精 神 を体 現し たも の であ る。
﹁ほく と う 銀 河 プ ラ ン﹂ の冒頭 に ﹁銀 河 鉄 道 の夜 ﹂ から 一節 が 引 用 さ れ て いる︱︱
こ の ぼ ん や り と 白 い銀 河 を 大 き な い い望 遠 鏡 で 見 ま す と 、 も う た く さ ん の小 さ な 星 に 見 え る の で す 。 ジ ョ バ ン ニさ ん そ う でし ょ う 。
﹁ほ く と う 銀 河 プ ラ ン﹂ に は、 かけ が え のな い地 球 を 宇 宙 のか な た か ら 優 し い眼 差 し で 見 つめ
る詩 情 が あ る 。 こ の例 に示 さ れ る よ う に、 地 域 が地 球 を 包 む ほど の大 き な 志 を も って自 律 す る べ
は、 地 域 に根 ざ し つ つ地 域 を 超 え た 存 在 で あ った 。 賢 治 と いう 存 在 は、 彼 の生 き た 明 治 末 ・大
き 時 代 が は じ ま った 。 一身 を無 方 の空 に 塵 と散 ら す 菩 薩 の心 を も って万 物 を 生 か さ ん と し た 賢 治
正 ・昭 和 初 期 以 来 せわ し く 明滅 し な が ら も 、 日本 社 会 にと も り 続 け て いる 青 い照 明 であ る。 ﹁わ
た く し の お は な し は 、 み ん な 林 や 野 原 や鉄 道 線 路 や ら で、 虹 や月 あ か り か ら も ら ってき た の で
す ﹂ ﹁わ れ ら は 田 園 の風 と 光 の中 から つや や か な 果実 や 、青 い蔬 菜 と 一緒 に こ れ ら の心 象 ス ケ ッ
チを 世 間 に提 供 す るも の であ る ﹂。 宮 沢 賢 治 は、 いまも な お 、 イ ー ハト ー ヴ の 田園 か ら 聖 な る 呼
び か け を き ら ら か な 風 に のせ て吹 き よ こす 光 源 体 であ る 。 到 来 す る 新 し い地 球 時 代 に、 燦 然 と 輝 き を 増 す 、 ま こと の先 覚者 であ ろ う。
あとがき
の研 究 ﹄ を も のし た 。 軍 事 訓 練 に 夢 は な いが 、自 己鍛 練 を 目 的 と する 禅 の修 業 に は 憧 れ を さ そ う
夏 目 漱 石 は 晩 年 に行 き 暮 れ て山 門 に た たず み、 西 田幾 多 郎 は 青 年 期 に山 門 に 通 い打 坐 し て ﹃善
と こ ろ があ る。 し かし 、 昨 今 の世 相 か ら す れ ば、 それ も 憧 れ にと ど め てお いた ほ う が よ さ そ う で あ る。
一九 九 四 ( 平 成 六 ) 年 一月 末 、 真 冬 の京都 は東 福 寺 、 鎌 倉 時 代 以 来 の京 都 五 山 の 一つ、 名 刹 で
あ る。 そ の静 かな 山 門 の専 門 道 場 に 打 座 す る 若 い雲 水 にま じり 、 還 暦 間 近 の新 到 の居 士 が いた 。
前年 の暮 に世 俗 の職 を な げ う って出 家 し た 矢 野 暢 元京 都 大 学 教 授 であ る。 厳 冬 のま った だ 中 で、
暖房 器 具 はな く、 足 袋 も は かず 、 粗 末 な 作務 衣 で身 を包 み、 朝 食 は粥 に梅 干 し 、 昼 食 ・夕 食 は 麦
め し ・味 噌 汁 ・漬 物 等 の粗 食 の厳 し い修 業 に 耐 え てす でに 一月 余 、 入 門 以来 欠 か さ ず 、 午 前 三 時
起床 、本 堂 で の朝 課 に はじ ま り 、 午 後 九 時 の消 灯 後 の夜 座 と いう屋 外 座 禅 を し て就 寝 す る ま で 日
課 が つま り、 三年 、 いや 二十 年 と も いわ れ る 先 のみ え な い修 業 に打 ち こ ん で いた 。
大 寒 と な り、 山 門 は大 摂 心 と いう 昼 夜 を 問 わ ず 座 禅 修業 に 取 り組 む厳 粛 な 行 事 に入 った 。 女 人
禁 制 であ る。 と こ ろ が、 そ れ に頓 着 せず 、 山 門 の外 か ら 、 矢 野 居士 を出 せ と冬 空 に叫 びた てた 女
性 グ ルー プ が いた。 東 福 寺 は、 あ ろ う こと か 、 彼 ら を 招 じ 入 れ た。 一月 二十 六 日 のこ とだ 。 彼 ら
は 、 皮製 と み られ る ソ フ ァー、 絨 毯 、 エア コ ンを 備 え た 、 山門 に は場 違 い の立 派 な応 接 間 で、 録
音 テー プ レ コー ダ ーを 膝 に おき 、 文 書 を つき つけ た 。 夜 叉 の相 貌 を露 に し た彼 ら の荒 い息 づ か い
( 私 怨 ) に 理解 を 示し 、 く だ ん の居 士
を 伝 え る 写真 が 写 真 誌 ﹃フ ォー カ ス﹄ (一九九 四年 二月九日号) に 載 った 。 応 対 し て いる のは 東 福 寺 管 長 の福島 慶道 。 記事 に よれ ば 、 福 島 管 長 は 女 人 の要求
を 寺 か ら 追放 す る と 言 明 し た。 そし て、 客 と とも に写 真 に収 ま った 。 そ の写 真 を 載 せ た頁 の隣 に、
別 の写 真 が 掲 載 さ れ て いる。 質 素 な 作 務 衣 の矢 野 居 士 であ る 。 寺 内 に お い て何者 か に盗 み撮 り さ
れ て いる 。 修 業 生 活 の 一こま を と ら え て おり 、 見 た眼 にも 無 防 備 だ 。 い った いだ れ が そ の写真 を
撮 った のか 。 破 門 に値 す る のは 隠 し撮 り に加 担 し た寺 内 の輩 であ ろ う 。 これ ら の写 真 は 発 行部 数
八 五 万 部 の週 刊 誌 に 載 って世 間 に さ ら さ れ た。 片 や東 福 寺 派 の大 本 山 の頂 点 に あ り テ レビ出 演 で
京 雀 にも ては や さ れ て いる 管 長 、 片 や 髭 を生 え る にま か せ厳 し い修 業 生 活 で世 俗 心 を す っか り 洗
い落 と し た か に み え る 新 到 の雲 水。 両者 の、 い った い、 ど ち ら が僧 の本 来 の姿 な のか 。
禅 は 不立 文 字 、 世 間 の喧 騒 に 乗 って物 分 か り のよ いと こ ろを 見 せ ると ころ では な いは ず であ る 。
相 手 は そも そも 招 か れ ざ る 客 であ る 。 山 門 の入 口 で 一喝し てと り あ わ な い のが 筋 であ ろ う 。 入 門
を許 し 、 寺 の課 す る修 業 に耐 え て いる 者 を 、 俗 世 の理 屈 に 屈し て、 いと も 簡 単 に放 り 出 す と は 、
慈悲 のか け ら は露 ほど も な い。 週 刊 誌 のゴ シ ップ に無 言 を つら ぬき 、 つ いに発 心 し た 人 間 が 、 世
間 の諸 縁 を放 下 し て、 山 門 に入 った の であ る 。 そ の山 門 に 見放 さ れ れば 、 い った いど こ に行 き 場
が あ ろ う。 世 を 捨 て た人 間 に、 鞭 を 打 ち 、 難 詰 す る のは いじ め で あ る。 職 も 名 誉 も 捨 てた 一介 の
人 間 か ら、 安 心立 命 の場 を 取 り 上 げ る のは 、 いじ め への加 担 であ る。 アジ ー ル のな い社 会 では 、
世 俗 にま み れ な が ら 、 生 を全 うす る 以外 に道 はな い。
よ のな か を 憂 し と や さ し と おも へど も と び た ち か ね つ 鳥 に し あ ら ね ば 憶 良
昨 年 の矢 野 暢 元 京 都 大学 教 授 の出 家 を 政 治 化 す る動 き も 、 今 年 のオ ウ ム真 理教 の信 者 が 軍事 化 し た 動 き も 、 日本 の宗 教集 団 への失 望 感 を 増 幅 さ せ る。
日本 の知 識 人 の反 動 的 幻想 であ ろ う。 山 門 を 高 く 見 て、 門 前 に 逡 巡 し な が ら 宗教 の道 に踏 み いれ
山 門 を 実 態 以 上 に 仰 ぎ 見 てき た のは、 寺 の作 為 と いう よ り 、 西 洋 的 価 値 に 入 れ 揚げ てき た近 代
ず に いる のは 、 漱 石 ば か り では な く、 漱 石 を 読 み つ いでき た 近 代 日本 人 に 通 底 す る奥 悩 で あ った。
名 刹 と は 名 ば か り 、 実 態 は免 税 特 権 を享 受 す る職 業 坊 主 養 成 所 でば な いか 。 建 築 や庭 園 に よ って
ス産 業 であ る 。 そ の収 益 は 課税 さ れ る べき であ る。 理 不 尽 な 寄 進 を 要 求 し て蓄 財 す る 宗教 団体 も
人 を ひき つけ る 観 光 名 所 に な って いる のは東 福 寺 ば か り では な いであ ろ う 。 観光 は立 派 な サー ビ
あ るよ う だ 。 宗 教 法 人 は 、 心 に 恥 じ る と こ ろ がな いな ら 、 経 理 を 常 にガ ラ ス張 り に し 公 開 し てお
く べき であ ろ う 。 経 理 公 開 に 耐 え ら れな いな らば 、 宗 教 法 人 の免 税 特 権 を 剥 奪 す べき であ る。 * *
から カ ソリ ック系 男 子 高 への編 入学 と いう 環境 変 化 のな か で、 恋 愛 願 望 と も 色 欲 と も 区 別 の つか
本 書 の成 り 立 ち に つい て触 れ てお き た い。 小 生 は少 年 時 代 を 京 都 で過 ご し 、 男 女 共 学 の公立 校
な い情 念 に苦 し み 、 思 い つめ て、時 に丸 刈 り にし たり 、 夏 休 み には 近 所 の妙 心 寺 に座 禅 を 組 み に
通 ったり 、 冬 には 観 光 客 の来 な い龍 安寺 の石 庭 を 前 にし て吹 き さら し の中 で座 り こん だ り し な が
ら、 一切 を捨 て て、 出 家 し たく な る衝 動 の処 理 に 迷 った 。 そ の頃 に 知 った 西 田 哲学 や 三木 哲 学 、
特 に 後者 に は 、内 面 の発 心 を み つめな がら 世 俗 に踏 み と ど ま ら せ る 作 用 が あ った 。 そ の作 用 のよ
ってき た る 理 由 は ま だ よ く わ か らな い。 以来 三十 年 、 三 木 清 の著 作 を 愛 読 し な が ら 馬齢 を重 ね て
き た 。 前 著 の ﹃日本 文 明 と 近 代 西洋 ﹄ で は、 マルク ス主 義 史 学 に異 論 を と な え 、 今 西 生 物 学 を 媒
介 にし た 社 会 科 学 方 法 論 を 提 示 し た 。 そ の構 想 は 三木 清 が大 切 にし た ﹁個 性 ﹂ の立 場 か ら 、 マル
ク ス主 義 と西 田哲 学 を そ れ ぞ れ 批 判 的 に 凝視 す る 眼 を養 う こと に よ って生 ま れ た 。 読 者 諸 賢 の共
ど う つな が る のか、 いま ひ と つ分 か り にく いと の質 問 や 批 判 を 頂戴 し た。 本 書 に お さ め た エ ッセ
感 を 得 る 一方 、 同 書 の第 一部 の ﹁脱 亜 ﹂ の文 明史 像 と 、 第 二部 の ﹁経済= 文 化 ﹂ の方 法 論 と が、
ーは 、 前 著出 版 か ら今 日 ま で の四年 の間 に、 それ を か み く だ い て説 明 す る 作 業 の中 か ら生 ま れ た も の であ る。
第 一部 は 、 主 に 学 外 で の講演 を も と に し て おり 、 後 に活 字 にす る機 会 を 与 え ら れ た も のを中 心
にま と め た。 第 二部 の対 談 は 、 対 談 時 点 ま で面識 がな いか、 面 識 は あ っても 相 手 が 学 界 の重 鎮 で、
対 等 の討 論 が 憚 ら れ る諸 氏 であ った ので、 横 綱 に胸 を 借 り る感 が あ った が、 いず れ の場 合 も 、
( 速 水 氏 )、 西 洋 経 済 史
( 角 山 氏 )、 理論 経 済 学 ( 岩井
﹁脱 亜 の文 明史 像 ﹂ と ﹁文 化 ・物 産 複 合 論 ﹂を 当 方 の議 論 の軸 に 据 え て臨 ん だ 。 こ の二 つ の テ ー ゼ と 、 近 代 日本 史 ( 毛 利 氏 )、 日本 経 済 史
氏 ) と いう 隣 接 分 野 の知 見 と が、 ど う〓 みあ う のか 、 お 楽 し み いた だ き た い。対 談 の相 手 をし て
いた だ いた 故 今 西 錦 司 翁 ( 第 三 部 に収 録 )、 岩 井 克 人 氏 、 角 山 榮 氏 、 速 水 融 氏 、 毛利 敏彦 氏 に対
し 、 改 め て敬 意 を 表 し 、 謹 ん で感謝 を申 し上 げ る。 対 談 を 設 定 し てく だ さ った 明 野 潔 氏 、 池 上 善
彦 氏 、 稲 瀬 治 夫 氏 、 坪 井賢 一氏 の厚 志 に改 め て感 謝 の念 を 禁 じ え な い。 本書 へ の収 録 にあ たり 、
松 崎 一夫 氏 ( 早 稲 田大 学) のお力 添 えを いた だ き 、 誤 植 を た だ し 、 人 名 を中 心 に脚 注 を補 った。
第 三 部 に は 、 今 西 錦 司 翁 と宮 沢賢 治 さ んを 敬 慕 す る エ ッセー を お さ め た。 今 西 翁 と の対 談 は、
本 書 に 収 録 さ れ た も の のな か で唯 一前 著 より 古 いも のだ が 、 小 生 に と っては、 青 年 期 に心 の師 と
仰 いだ 人 格 者 の謦 咳 に初 め て接 し た かけ がえ のな い記 録 であ り 、 あ わ せ て収 録 し た。 本 書 の思 想
の核 心 は 対 談 末 尾 の ﹁す べて のも と は自 然 です な ﹂ と いう 今 西 翁 の感 懐 に あ る。 こ の記録 は月 刊
誌 に掲 載 さ れ た後 、 今 西 錦 司 ﹃自 然 学 の展 開﹄ ( 講 談 社 )、 ﹃今 西 錦 司 全 集 ﹄ 第 十 三 巻 ( 講談社)
に も 収 録 さ れ た 。 本 書 への再録 を ご快 諾 下 さ った 今 西 翁 の御 長 男 今 西 武 奈太 郎氏 、 な ら び に講 談 社 に 対 し 、 心 か ら 厚 く 御礼 を申 し上 げ る。
前 後 す る が 、 冒 頭 の提 言 は 、阪 神 大 震 災 に触 発 され た も の であ る 。 震 災 後 の対 策 に つ い て、 被
災 者 や 日本 人 全 体 に希 望 を も た せ る ヴ ィジ ョンが政 策 担 当 者 か ら 出 て こず 、 処 理 が後 手 に ま わ り、
政 府 要 人 は 国 民 生 活 の問題 を真 剣 に考 え て いる の かと 失 望 が 深 ま る な か で、 や む に や ま れ ぬ 心情
を 提 言 に ま と め た。 そ の内 容 は、 大 震 災 直 後 の 一月 十 九 日、 米 紙 ﹃シ カゴ ・ト リ ビ ュー ン Chi
cagoTri bune﹄ から 電 話 イ ンタ ビ ューを 受 け 、 被 害 拡 大 の主 因 を 都 市 問 題 にも と め、 復 興 に は 山
地 を 活 用 す る 新 し い国 土 計 画 の必要 性 を 語 った と こ ろ と同 じ であ る。 そ れ は 一月 二十 二 日 付 同 紙
の第 一面 と 第 十 面 に 詳 し く 紹介 さ れ た。 常 日頃 から 国 土 の こと を 想 い、 いざ と いう と き に 国 民 の
人 柱 に な る 覚 悟 が でき て いれ ば 、 つまり 言葉 の正 し い意 味 で政 治 家 な ら ば 、 復 興 委 員 会 を 作 った
り 、 そ の答 申 を 数 カ 月 も 待 た な く ても 、危 難 に際 し て、 日頃 の構 想 を 実 現 す る べく 、 た だ ち に 対
策 が 浮 か び決 断 でき る はず であ る。 日本 の首 相 が 、 そ の器 に あ らず 、 リ ー ダ ー シ ップ の欠 如 を 臆 面 も な く さ ら し て いる のを 、 一日本 人 と し て恥 ず か し く 思 う 。
で、 原 形 を と ど め て いるも の はわ ず かだ が、 転 載 を 快 諾 いた だ いた 各 誌 出版 社 に 厚 く御 礼 を申 し
対 談 を のぞ き 、 初出 原稿 に大 幅 に加 除 を ほど こし 、 全 体 が 一貫 す る よ う に 文章 をあ ら た め た の
あげる。
冒 頭 提 言 と 第 一部 の ︿です ・ます 調﹀ は発 言 や講 演 の調 子 を 生 か し た 。 そ の こと を 含 め 、本 書
の構 成 や 対 談 脚 注 の充 実 に つ い ては 、紀 伊 國屋 書 店 の ベ テラ ン編 集 者 水 野 寛 氏 のた だ な ら ぬ 助 力
に負 う 。 水 野 氏 は 生 物 学 を 京 都 大 学 で修 め、 そ の縁 で今 西 理 論 に関 心 を も ち 、 前 著 を 熱 心 に読 ん
でく だ さ った 。 だ が 、 今 西 理論 と社 会科 学 と を つな ぐ 説 明 に つ いては 消 化 不 良 気 味 であ った ら し
い。 それ を 補 う べく 、 小 生 の既 発 表 関連 エ ッセー に目 を通 し て下 さり 、 紙 背 に徹 す る 眼 力 でそ の
中 か ら 取 捨 選 択 し 、 配 列 を お考 え いた だ いた。 ふり か え れ ば ﹃進 化 と 革 命 ﹄ ﹃鉄 砲 を す て た 日 本
人 ﹄ の翻 訳 の仕 事 以 来 、 優 に 十 五 年 を 超 え る 厚誼 を得 て おり 、 年 来 の 旧友 の文 字 通 り の編 集 実 務
麦秋
と篤 い激 励 に支 えら れ て、 こう し て本 書 を 上 梓 でき る こと に、 ひ とし お の感 慨 と 深 い感 謝 の念 を 覚 え る。
一九九五 ( 平成七)年
著者識
初 出 一 覧(主
な も の の み)
提 言 「富 国 有 徳 の ニ ッ ポ ン」 『RONZA(論 「地 租 改 正120年― 1995年
座)』 二 号,1995年
5月 。
土 地 所 有 権 の 限 界 」 『週 刊 ダ イ ヤ モ ン ド』83巻19号,
5 月13日
第一部 「味 覚 の 非 関 税 障 壁 」 『毎 日 新 聞 』 夕 刊,1992年
2月14日
「鎖 国 と 近 代 世 界 シ ス テ ム 」 『日 本 女 子 大 学 教 養 特 別 講 義 二 七 集 』1993年 「企 業 と 日 本 文 明 」 『日 本 の 針 路 を 考 え る ・セ ミ ナ ー シ リ ー ズ 』 第 4号,経 済 広 報 セ ン タ ー,1993年 『西 洋 の 資 本 主 義 と 東 洋 の 資 本 主 義 』 国 際 関 係 基 礎 研 究 所 ,1993年 「ラ ス キ ン の 経 済 論 の 現 代 的 意 義 」 Ⅰ.Ⅱ.『 23号,ラ
ラ ス キ ン 文 庫 た よ り』21号,
ス キ ン 協 会1991年,1992年
「士 民 論 の 提 唱 」(1)(2)『By - Line』 年 3月,4
3巻11号,12号,電
通 総 研,1994
月
第二部 「鎖 国 と天 皇 」 『諸 君 』1992年10月
号
「日 本 経 済 は ど こ か ら来 て ど こへ 行 くか 」 『週 刊 ダ イ ヤ モ ン ド』 8 巻17号, 1994年
4月23日
「東 西 文 明 シ ス テ ム と物 産 複 合 」 『現 代 思 想 』21巻
4号,1993年
4月
「シ ュ ム ペ ー タ ー を 超 え て 」 『現 代 思 想 』21巻13号,1993年12月
第三部 「心 の 書 」 『朝 日 新 聞 』 夕 刊,1992年
3 月16日,23日,4
「自 然 学 の 提 唱 に 寄 せ て 」 『ボ イ ス 』73号,1984年 「仏 ・お 経 ・御 文 」 『今 西 錦 司 全 集 』 第12巻
月13日,27日 1月
月 報,講
談 社,1993年
「今 西 自 然 学― 未 完 の 面 白 さ 」 『フ ロ ン ト』 5巻 9号(1993年 「賢 治 さ ん と錦 司 さ ん 」 「新 ・校 本 宮 沢 賢 治 全 集 』 第 9巻,月 1995年
6月
「宮 沢 賢 治 は 地 球 時 代 の 先 覚 者 」 『諸 君 』1993年
2月 号
6月) 報,筑
摩 書 房,
■著
者:川
勝 平
太
1948年
京 都 に生 ま れ る。 早 稲 田 大学 政 治 経緕 学 部
卒 業 、 同大 学 院 経 済 学 研究 科 博 士 課 程 修 了。 オ ッ ク ス フ ォ ー ド大 学 大 学 院 留 学(D.Phil.取
得)。 早 稲
田大 学 政 治 経 済 学 部 教授 を経 て 、 現 在 、 国 際 日本 文 化 研 究 セ ンタ ー教 授。 著 書:『
日 本 文 明 と 近 代 西 洋 』(NHKブ
『海 か ら 見 た 歴 史 』(編 者 圏 と 日 本 工 業 化 』(編
ッ ク ス)、
、 藤 原 書 店)、 『ア ジ ア 交 易
著 、 リ ブ ロ ポー
ト)、 『新 し い
ア ジ ア の ド ラ マ 』(監 修 、 筑 摩 書 房)、 『日 本 史 を 海 か ら 洗 う』(共 の 意 見 』(共
著 、 南 風 社)、
『世 紀 末 経 済 歴 史 家
著 、 ダ イ ヤ モ ン ド社)、 『静 か な る 革 命 』
(共 著 、 リ ブ ロ ポ ー ト)、 『自 立 す る 直 島 』(共 著 、 大 修 館)、
『文 明 の 海 洋 史 観 』(中
央 公 論 社)、Japanese
Industrialization and the Asian Economy(編 ledge),The
Evolving
著 、 Rout
Sturucture of the East Asian
Economic System since 1700(編
著 、 Bocconi Univer
sity)な ど 。 訳 書 に N ・ペ リ ン 『鉄 砲 を す て た 日 本 人 』(紀 伊 國 屋 書 店 、 中 公 文 庫 所 収)他
富
国
1995年
9月25日 第 1刷 発 行
有
徳
1999年
1月29日 第 3刷 発 行
。
論
発行所 株式 会社 紀 東
京 都
伊 國屋 書 店
新
宿 区
新 宿3-17-7
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東 京 都 世 〓
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