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はじめに
1. 問題意識 (1)
本書は,筆者の武蔵大学博士<経済学>学位請求論文(熊倉[2007b]を参 照)に一部加筆・修正を施したものであり,日本銀行によって実施されている 金融機関考査がわが国の金融機関の健全性維持政...
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はじめに
1. 問題意識 (1)
本書は,筆者の武蔵大学博士<経済学>学位請求論文(熊倉[2007b]を参 照)に一部加筆・修正を施したものであり,日本銀行によって実施されている 金融機関考査がわが国の金融機関の健全性維持政策(プルーデンス政策)の中 でどのような位置づけにあるか,またどのような限界をもった存在であるかを 論じたものである。 日銀はわが国の中央銀行として,金融政策の遂行に加えて,金融システムの 安 定 維 持 を 目 指 し た プ ル ー デ ン ス 政 策 分 野 に も 関 与 し て い る。こ れ は, (2)
Douglas Diamond 等がつとに指摘しているように,経営危機に陥った金融機 関に対しては中央銀行が信用供与等の特別措置(すなわち Lender of Last Resort 機能)を発動することによって金融システム全体への波及を回 避する必要があるとの考えに拠るものであり,日銀は LLR 機能発動の前提と して不可欠なものとして,行政庁による検査と並立して,個別金融機関の経営 内容に関する情報を収集・把握し必要に応じて経営改善指導を行うことを目的 とした調査(日銀考査)を行っている。 この日銀考査は,わが国の金融機関プルーデンス政策の中でどのように位置 (1)本書ならびに本書のベースとなった上記論文(熊倉[2007b])の中で表明されている見解は すべて筆者個人のものであり,筆者が属する日本銀行および考査実施部署とは全く関係がない ことを予め明らかにしておきたい。 (2)Diamond and Dybvig[1983]を参照。
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づけられ,どのような機能を発揮しているのであろうか。本書は,まずこの問 題提起から始まる。なぜならば日銀考査については,その受検負担の重さ等も あって,かねてから金融機関側からはその負担の軽減,簡素化,さらには行政 庁による検査との一体化などを求める声が根強く聞かれているからである。そ もそも LLR 機能の発揮を含め中央銀行がプルーデンス政策に関与すること自 体に,一国の金融政策との利益相反等の問題を招来しかねないとして,批判的 な見解が存在する。海外を見渡しても,イングランド銀行が金融監督・検査権 限を剥奪されたり,強力な権限を有する米国連銀でも監督・検査の効率化を進 めざるを得なくなるなど,プルーデンス政策分野への中央銀行の関与について は議論の余地があるように窺われる。おりしも 2006 年度末から施行された新 しい自己資本比率規制の国際的合意(バーゼルⅡ)が金融監督当局に効率的な 監督 ・ 検査機能の発揮を求めていることもあって,日銀考査のあり方に関する 議論が今後もなされることは避けられない。 これに対して日銀をはじめとする中央銀行では,考査は金融機関のリスク管 理実態に重点を置いた調査であり,銀行免許付与当局が法令遵守状況等を重点 に行う行政検査とは目的・視点が異なること,一国の決済システムの安定に責 任を有する中央銀行としては,LLR 機能の的確な発動に備えた情報収集を目 的とする考査を独自に行う必要があり,結果として検査・考査の並存(double standards に拠る複数検査機関システム)は止むを得ないものであることを強 調する。しかしながら,受検金融機関の負担,検査・考査へ投入される経営資 源の大きさなど複数検査機関の並存に要する社会的コストは膨大なものと考え られることもあって,検査並存によって得られるマクロ金融システムの安定化 等のベネフィットと慎重に比較考量した上でなければ,こうした中央銀行サイ ドの主張が適切であるかどうか断言することはできず,その意味で中央銀行に よる独自考査の実施必要性の主張には限界があると言わざるを得ない。特に日 銀考査については,旧日銀法の下での脆弱な法的立場を反映して,その発足時 から最近に至るまで行政検査を補完する調査と位置づけられ,行政検査の範囲 から離れて中央銀行独自の調査を行うことが事実上できなかった。すなわち検
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査・考査は事実上 single standard に拠る複数検査機関システムとして行われ てきたものであり,その意味からわが国のプルーデンス政策における日銀考査 の存在意義は一層限定されたものであったのである。 そうした中にあって,1987 年末に打ち出された日銀のリスク管理重視考査 が注目される。同考査は,予めリスク管理チェックリストを公表した上で金融 機関のリスク管理状態を徹底的にチェック・指導することを目指した日銀考査 史上画期的な試みであり,行政検査とも大きく異なる真の意味での double standards 化を目指した考査であった。同考査が奏功して金融機関のリスク管 理が徹底されていたならば,バブル経済崩壊後の不良債権額も多少なりとも縮 小されていた可能性が高いはずであった。しかし,このリスク管理重視考査も 行政検査による金融機関指導の範囲を大きく超えることは許されず,それとの 平仄をとることを余儀なくされた結果,異常な融資ポートフォリオの是正など 金融機関指導にさしたる成果を挙げることもなくバブル経済の崩壊に進んでし まったのである。このように,このリスク管理重視考査は,日銀考査の意義の みならず,バブル期に監督当局はなぜ金融機関の異様な融資行動を抑制するこ とができなかったのか,金融機関指導の実態はどうであったのか,といった諸 点を検討する上でも極めて大きな材料を提供してくれるものであり,80 年代 に S&L(貯蓄貸付組合)危機が生じた米国,80 ∼ 90 年代にかけて強烈な資産 価格インフレを招来した北欧諸国や英国などの金融監督当局,特に個別金融機 関の監督対応も誤り金融監督権限を剥奪されるに至ったイングランド銀行の事 例等と対比して,今後もさらに研究されるべきテーマであると思われる。 その後,90 年代の金融危機に伴う金融監督体制再編の一環として日銀法が 改正され,日銀の政策遂行面の独立性は大きく高まった。同時に日銀考査につ いても初めて法定化され,その目的が明定され,これにより晴れて日銀考査は 行政による規制から脱し独自の調査を実施することができるはずであった。し かしながら,同時に実施された早期是正措置等により日銀考査も実質的に大き な制限を受けることとなり,リスク管理に重点を置いた独自の考査に踏み出す 余地は拡大せず,むしろ金融機関には実質的な罰則規定を伴ったより強権的な
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調査と映るなど,行政検査との質的な相違が一段と薄れたものとなった。この 結果,依然として single standard に拠る検査・考査が継続している形とな り,わが国のプルーデンス政策分野における日銀考査の存在意義は引き続き限 られたものに止まっているのである。 一方,今後のわが国の金融監督・検査体制の中心を占めることとなるバーゼ ル規制には,個別金融機関の経営健全性を追求すればするほど景気変動の増幅 効果(pro-cyclicality)を伴っており,マクロ金融システムの安定化を阻害す る側面がある。制度的限界下に置かれた日銀考査がその存在意義を発揮できる とすれば,個別金融機関の経営改善を通じてバーゼル規制に代表されるマクロ のプルーデンス政策を補完するかたちで,マクロ金融システムの安定化に寄与 する途しかなく,具体的にはリスクに見合った適正な貸出金利プライシングの 推進,資産ポートフォリオの是正や業務継続体制の整備促進など,バーゼルⅡ ではカバーされないリスク管理の諸側面の指導強化に意義があると考えられ る。さらに,考査に基づく評定結果の開示などを通じて,金融機関の経営改善 に向けたインセンティブ向上を招来する施策の実現に努めるとともに金融機関 指導の実効性を確保し,以って考査実施がもたらすベネフィット拡大に努める 必要がある。
2. 本書の学術上の位置づけ バブルの発生と崩壊,不良債権の処理問題,さらには個別金融機関経営の破 綻を巡る諸問題等に関してはこれまでも夥しい数の論文,研究結果が出されて きており,その中で監督当局による諸施策についてもさまざまな角度から論じ られている。しかし,そのほとんどは政府によるプルーデンス政策に関するも の,あるいは日銀に関して言えば主として特別融資(日銀特融)に関するもの であり,本論文の中心テーマである日銀考査に関してはバブル期の対応等も含 め,それを批判するものと支持するものとを問わず,実質的に触れられた論考
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は極めて少ないのが実情である。 このように先行研究が乏しいことの背景としては,プルーデンス政策の法的 権限を有する政府の施策に関心が集まりその動向に光が当たってきたことが大 きいのは言うまでもない。しかし,日銀側でも改正日銀法の施行以前は,考査 について徹底した秘密主義を採っており,考査に関する情報は基本的なものも (4)
含めてほとんど公にされてこなかったことも大きく響いている。このため,研 究の対象としようにも参考資料・文献は極めて乏しく,スムーズな研究は困難 であると思われてきたし,そのためもあって,プルーデンス政策研究者の意識 に上ることすらなかったのではないかと思われる。日銀考査は学術的に,さら には実務面からも,中央銀行による金融機関検査としての意義を捉え評価を真 向うから下されたことはなかったのである。 このように,これまで深い学術的な検討の対象とされたことがなかったこと もあって,残念ながら参考とするべき先行研究史,学術論文は極めて乏しい が,その中にあって本書は,現時点での利用可能な先行研究や公表資料,報道 (5)
資料等を踏まえ,筆者自身の経験も許される範囲内で盛り込んで,日銀考査の 存在意義とその限界を論じたものである。考査を中心とした日銀のプルーデン ス政策について体系的,総括的に論じた初めての試みと言って差し支えないと 思われ,本書に多少なりとも学術的な価値が見出されるとすれば,そこにある と自負するものである。特に,80 年代後半期に実施に移されたがその時点で は奏功しなかったリスク管理重視考査については,中央銀行による金融機関考 (3)80 年代から 2000 年代にかけての時期を眺めても,日銀考査局幹部による金融関係雑誌への 投稿を除くと,齊藤[1998a],同[1998b],同[2001a],堀江[1998],同[2001b]といった 論考が目立つ程度である。 (4)こうした点にも旧日銀法下における考査の立場の弱さが現れていたように思われる。もっと も,本書の中で触れているように,改正日銀法施行を境に,日銀の姿勢も大きく変化し,現在 では考査を含めてプルーデンス政策の中身については,かなりの程度まで情報開示が行われて いる。ただし,そうした変化が生じてからまだ日が浅く,分析に耐えることのできる情報の蓄 積にはさらに時間を要する。 (5)筆者は,過去 20 年近くの間日銀で考査に関する業務に従事し,都銀・地銀・信用金庫から大 手証券会社に至るまで約 50 におよぶ各種金融機関の考査に携わるとともに,考査政策の企画 立案,考査手法の研究・開発等にも関与してきた。ただし,本書で触れられている考査関係資 料はすべて公開されているものである。
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査のあり方を検討する際の大きな材料となり得るものであり,これからも十分 研究されて然るべきものと考えられる。本書により,日銀考査への一般の理解 が深まり,さらには日銀による金融機関プルーデンス政策面での位置づけが多 少なりとも明確にされ,それを通じて日銀政策に関する今後の研究進展に資す るものと期待している。
3. 本書の構成 1. に述べた問題意識に従って執筆された本書は本論 8 章と補論 3 編から成 っており,章別にその内容について概述すると,以下の通りである。 第 1 章では,本書における問題提起として, 「なぜ日銀考査は行われるの か,日銀は考査を行う必要があるのか」といった日銀考査に対する批判的な疑 問・見解,さらには,そもそも中央銀行が LLR 機能の発動,考査等のプルー デンス政策に関与することへの批判的見解を紹介した上で,効率的な金融監督 を求めたバーゼルⅡが施行された中にあっては,こうした日銀考査に対する批 判的な見方は今後も避けられないことを指摘する。 第 2 章では,日銀考査のあり方を検討する参考として,英国,米国,EU の 各中央銀行における金融機関監督・検査の動向を整理する。その上で,中央銀 行による金融監督政策への関与度合いが総じて弱くなる傾向にあり,それは日 銀にとってはアゲインストの風として作用する可能性があることを指摘する。 第 3 章では,決済システムの安定確保の責務を有する中央銀行は,個別金融 機関の経営不安定化が決済システム全体に波及することを回避するために, LLR 機能を緊急に発揮せざるを得ない立場にあることをまず指摘する。その 一方で,中央銀行がプルーデンス政策分野に関与することは金融政策との利益 相反が生じるとの批判的な見解があり,さらに,LLR 機能は中央銀行資産の 毀損,金融機関経営者のモラル・ハザード等を招来する可能性もあることか ら,その安易な発動は避けねばならず,真に LLR の発動が必要か否かの判断 を下すためにはそのための判断基準を設けるとともに,基準合致を迅速かつ的
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確に判断するために事前の金融機関経営の実情把握が必要であることを強調す る。 続く第 4 章では,中央銀行が LLR 機能発揮の前提として金融機関情報を必 要としても,考査を実施してそれを直接入手する必要性があるのか,との論点 に触れ,中央銀行が独自の視点で金融機関考査を行うこと,すなわち double standards に拠る複数検査機関システムの是非は,付随する社会的な諸コスト の大きさとそれによって得られる便益とを比較考量してみなければ明確には判 断できないことを指摘するとともに,特に日銀考査はこれまで事実上行政検査 と歩調を揃えざるを得ない立場にあり,そうした意味で限界をもった営為であ ったことを主張する。 しかし,日銀考査が独自の試みを全くなさなかった訳ではない。金融自由化 等に伴う金融機関リスクの高まりを懸念した日銀では,87 年末以降リスク管 理重視考査を打ち出した。しかしそれが功を奏する間もなく,バブル経済は頂 点に達した後に 90 年代に入ってから崩壊し金融危機に至ってしまった。第 5 章では,まずリスク管理重視考査の概要を示し,それが,同時に公表された 「リスク管理のチェックリスト」と並んで,中央銀行による金融機関考査のあ るべき姿を示した画期的な施策として評価されるべきであるとする。 続く第 6 章では,バブル経済の発生・崩壊と不良債権問題発生の経緯等に敷 衍するとともに,リスク管理重視考査が当初期待通りの機能を発揮できず功を 奏しなかったのは,旧日銀法の下における行政検査との関係を踏まえた日銀考 査サイドの自制的な姿勢が大きく響き,金融機関の異常な融資ポートフォリオ の是正指導に乗り出すことができなかったためであることを指摘する。ここで も日銀考査は従前の行政検査の補完的な位置づけという立場から脱却できなか ったのである。 90 年代における金融危機は金融監督体制の再編成をもたらし,その一環と して日銀法が改正され,考査が初めて法定化された。第 7 章では,考査遂行の 目的を明確にした法定化によって,日銀考査は旧日銀法の下での法的拘束から 脱却したかに見受けられたが,皮肉なことに同時期に実施された早期是正措置
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とも相俟って,金融機関にとって日銀考査は中央銀行独自の調査とは映らず, 実質的に行政検査と同質の検査に近いものと認識されるという事態が生じつつ あり,日銀は改めて考査の存在意義を問われかねないリスクを抱えたことを指 摘する。 最後に第 8 章では,以上の議論,知見を受けて,今後の金融監督・検査体制 の中心を占めるバーゼル規制には,個別金融機関の経営健全性を追求すればす るほど景気変動を増幅する効果(pro-cyclicality)が伴っていることを指摘し た上で,制度的限界下に置かれた日銀考査がその存在意義を発揮できるとすれ ば,個別金融機関の経営改善を通じてバーゼル規制に代表されるマクロのプル ーデンス政策を補完するかたちで,マクロ金融システムの安定化に寄与する途 しかないことを指摘する。さらに,考査に基づく評定結果の開示・伝達などを 通じて,金融機関の経営改善に向けたインセンティブ向上を招来する施策の実 現に努め,考査実施がもたらすベネフィット拡大に努める必要があることも強 調する。 なお,本書では3つの補論を設けて本論での議論の前提に供している。 [補 論Ⅰ]では,これまで公開された資料をベースに現行日銀法の下での日銀考査 の目的,実務面の実態等を整理する。また, [補論Ⅱ]では,日銀考査の歴史 的な変遷を辿ることにより,行政検査を補完するものという日銀考査がもつ位 置づけがどのように形成されてきたかを探る。さらに[補論Ⅲ]では,早期是 正措置,日銀法の改正等の動きが日銀考査に及ぼした影響について考察する際 の前提として,90 年代の金融機関の破綻とそれに伴う公的資金の投入等を巡 る動向を整理している。
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目 次
はじめに 1. 問題意識 i 2. 本書の学術上の位置づけ iv 3. 本書の構成 vi
第 1 章 金融監督・検査の効率化と日銀考査 ──日銀考査は必要か……………………………… 1 1. 日銀考査に対する疑問・批判 2 2. バーゼルⅡと金融監督・検査の効率化の必要性 8
第 2 章 欧米諸国の中央銀行考査を巡る動向 ………………………
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1. 欧米における金融機関監督制度 ─その中での中央銀行の位置づけ 16 2. 各国中央銀行による金融機関考査の実態 23 3. 各国の実情が示唆するもの 27
第 3 章 中央銀行と LLR 機能 …………………………………………… 1. 決済システムの安定化と中央銀行 36 2. 中央銀行と LLR 機能 39 3. LLR 機能の発揮に対する批判 44 4. 日銀特融とその発動基準 50
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第 4 章 中央銀行による金融機関考査は必要か ──その批判的検討…………………………………
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1. 考査による金融機関情報の直接入手の必要性 ─中央銀行の主張 59 2. 他の検査機関による検査結果利用の可能性 67 3. 中央銀行考査は本当に必要か─最適な検査システムは何か 73
第 5 章 日銀のリスク管理重視考査 …………………………………… 77 1. リスク管理重視考査の実施 78 2. リスク管理チェックリスト 84
第 6 章 バブル経済とリスク管理重視考査の限界 ………………… 93 1. バブル経済の発生 93 2. バブル経済の崩壊と不良債権問題の発生 102 3. リスク管理重視考査はなぜ不良債権の発生を 抑えられなかったか 107
第 7 章 日銀法の改正,早期是正措置の導入と日銀考査への影響 … 121 1. 日銀法の改正と日銀考査への影響 121 2. 早期是正措置の導入と日銀考査への影響 131
第 8 章 これからの日銀考査(総括に代えて) ──制度的限界下での日銀考査の役割…………… 135 1. バーゼルⅡの限界とマクロ金融システム安定化に向けた 日銀考査の役割 136 2. 金融機関のインセンティブ向上を目指した情報開示の 一層の促進 143
目 次 xi
3. 結 語 147
[ 補論Ⅰ ] 日銀考査の実態 …………………………………………………… 149 1. 現行日銀法における考査 150 2. 考査・モニタリングの目的 152 3. 考査の対象金融機関等 156 4. 考査の調査対象─考査は何を把握しようとするのか 159 5. 考査業務の流れ 162 6. 金融機関の自己査定と考査 165
[ 補論Ⅱ ] 変遷史にみる日銀考査の位置づけの形成 ……………………… 171 1. 日銀による金融機関考査開始の経緯 173 2. 発足当初の考査 177 3. 戦時体制下での考査 179 4. 戦後の考査 181 5. 70,80 年代の考査 183
[ 補論Ⅲ ] 金融機関の破綻と公的資金の導入 ……………………………… 187 1. 金融機関の破綻 187 2. セーフティ・ネットの意義 190 3, 公的資金の注入 192
あとがき ………………………………………………………………………… 199 参考文献 ………………………………………………………………………… 205 索 引 ………………………………………………………………………… 223
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[図表一覧] 17
(図 2-1)英国の金融監督・検査機構の変化……………………………………
(図 6-1)都銀の預貸金利鞘の推移……………………………………………… 94 (図 6-2)公示地価の動向………………………………………………………… 96 (図 6-3)要注意与信比率の推移………………………………………………… 112 (図 8-1)統合リスク管理………………………………………………………… 137
(表 1-1)中央銀行が金融機関プルーデンス政策分野に関与することへの批判 的な意見………………………………………………………………… 4 (表 2-1)米国の金融機関とその監督当局………………………………………
22
(表 3-1)戦後における日銀特融の実施事例……………………………………
51
(表 3-2)信用秩序維持のためのいわゆる特融等に関する4原則……………
54
(表 3-3)イングランド銀行による LLR 発動に際しての原則 ………………
55
(表 4-1)国際金融市場・金融機関の動向と監督・規制の国際協調の進展状況 …………………………………………………………………………… 64 (表 4-2)行政庁による検査と日銀考査の比較…………………………………
71
(表 5-1)リスク管理チェックリスト(公表時点のバージョン)……………
85
(表 5-2)リスク管理チェックリスト(現行バージョン)……………………
87
(表 5-3)過去 10 年間における個別特殊分野のチェックリスト一覧 ………
88
(表 5-4)米国 FRS により公表されている考査マニュアル一覧 ……………
89
(表 6-1)資産価格インフレの各国比較…………………………………………
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(表 6-2)80 年代後半期の不動産投資優遇税制 ………………………………
98
(表 6-3)国内貸出残高の業種別構成比の推移………………………………… 100 (表 6-4)90 年代における不良債権開示の動き ……………………………… 104 (表 6-5)各「不良債権」における分類基準…………………………………… 106 (表 6-6)日銀考査における資産区分…………………………………………… 112 (表 6-7)銀行の融資内容に関する大蔵省金融検査の評価…………………… 117
目 次 xiii
(表 7-1)日本長期信用銀行の考査契約違反行為の内容……………………… 129 (表 8-1)事業法人・個人向け貸出のリスク・ウエイト(標準的手法の場合) …………………………………………………………………………… 140 [補論Ⅰ] (表1)日本銀行法における考査規定条文………………………… 150 (表2)日本銀行当座預金取引先数………………………………… 157 (表3)日銀が行う金融機関への「立ち入り調査」……………… 158 (表4)日銀が実施した特殊考査…………………………………… 163 (表5)早期是正措置の概要………………………………………… 167 (表6)債務者区分とその状況……………………………………… 168 (表7)債権の分類および所要引当金額の算出…………………… 169 [補論Ⅱ](表1)日本銀行考査の変遷………………………………………… 172 (表2)戦前における年間考査実施回数の推移…………………… 180 (表3)戦後の年間考査実施回数の推移…………………………… 182 [補論Ⅲ](表1)90 年代における主な金融機関破綻事例 ………………… 188 (表2)プルーデンス政策の類型…………………………………… 191 (表3)金融機関破綻処理関係 2 法の概要………………………… 194
第 1 章 金融監督・検査の効率化と日銀考査 1
第1章 金融監督・検査の効率化と日銀考査 ──日銀考査は必要か
日銀は金融政策の遂行に加えて,金融システムの安定維持を目指した金融機 (1)
関の健全性確保政策(プルーデンス政策)にも関与している。そのための手段 として,危機に陥った個別金融機関に対し信用供与等の特別措置(すなわち Lender of Last Resort 機能)を発動するとともに,その的確な発動の 前提とするために当該個別金融機関の経営内容を把握し,状況に応じて改善指 (2)
導を行うことを目的とした調査(日銀考査)を行っている。このうち考査につ いて日銀は,金融機関の経営情報を的確に把握することは LLR 機能発動の前 (3)
提として不可欠のものであるとして実施しているが,行政庁による検査と並立 して行われており,その受検負担の重さ等もあって,金融機関側からは負担の 軽減,簡素化,さらには行政検査との一体化などを求める声が根強く聞かれて いる。 本章では,そもそも金融政策当局である中央銀行が LLR 機能の発動,考査 等のプルーデンス政策に関与することへの批判的見方があることを示すととも に,「なぜ日銀考査は行われるのか,そもそも日銀は考査を行う必要があるの か」といった日銀考査に対する批判的な疑問・見解を整理する。その上で,お (1)1998 年 4 月から施行された現行日銀法第 1 条は日銀の目的として, 「銀行券を発行するとと もに,通貨及び金融の調節を行うこと」に加えて,「銀行その他の金融機関の間で行われる資 金決済の円滑の確保を図り,もって信用秩序の維持に資すること」を挙げている。 (2)本書では,わが国で用いられている用語に沿って,行政庁による金融機関検査については「検 査」,日銀を含め中央銀行による金融機関検査・調査については「考査」として,区別して用 いている。 (3)日本銀行金融研究所編[2004]p.105 を参照。
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りしも金融監督当局に対して効率的な監督 ・ 検査機能の発揮を求めることを重 要な柱とする国際的な規制(バーゼルⅡ)が施行されたこともあって,日銀考 査のあり方に関する批判的な見方が今後も聞かれることは避けられないことを 指摘して,本書における問題提起としたい。
1. 日銀考査に対する疑問・批判 1.1 日銀考査への批判の観点 日銀による金融機関の健全性確保政策(プルーデンス政策)の主要な柱は, 冒頭で述べたように,危機に陥った個別金融機関に対する LLR 機能の発動 と,その発動の的確性を担保するために当該個別金融機関の経営内容把握を目 (4)
的とした調査(日銀考査)である。しかし,日銀が金融機関に対する考査を独 自に行うという形でプルーデンス政策に関与することには,以下のように実務 面,理論面の双方から疑問の声ないし批判的な考え方が根強く聞かれており, その延長として考査の行政検査との統一化や,少なくとも考査内容を極力簡素 なものとすることが求められていることは否定し難い。 日銀の考査に対するこうした批判的な見解を整理すると,第 1 には,そもそ も金融政策の遂行と LLR 機能を含めたプルーデンス政策は二律背反するもの であり,中央銀行のあるべき姿として金融機関の監督・検査等の施策には関与 するべきではなく,LLR 機能の発動も限定的になされるべきであり,その結 果金融機関の経営に関する調査もなされるべきではないとの考え方である。第 2 には,複数の監督・検査当局の並存は一般に社会的コストの増大をもたら し,また監督責任も曖昧になるとの批判であり,さらに第 3 には,本章の冒頭 でも触れたように,考査受検を強いられている金融機関サイドの考査受検負担 軽減の観点からのものである。
(4)日本銀行金融研究所編[2004]pp.99 ∼ 122 を参照。なお,中央銀行の LLR 機能等について は第 3 章で,日銀考査の実態等については補論Ⅰで,それぞれ詳述している。
第 1 章 金融監督・検査の効率化と日銀考査 3
1.2 金融政策との利益相反等 まず,そもそも中央銀行がプルーデンス政策に関与することに対して,金融 政策との関係,金融機関経営者のモラル・ハザードの招来,中央銀行資産の悪 化の可能性,といった諸点を挙げて批判する見解が存在していることを認識し ておく必要がある。こうした批判的な考え方は Mayer[1982],Cargill[1989] 等に代表され,例えば Cargill[1989]は中央銀行がプルーデンス政策分野に 関与するべきでない理由を,金融政策との利益相反の観点も含め表 1-1 のよう に整理している。 このうち最も強い批判論は金融政策との利益相反の観点からのものである。 これは,LLR 機能の発揮が期待される中央銀行は,金融政策の果断な発動を 躊躇せざるを得ない場面に追い込まれる可能性がある(金利の引き上げが特定 の金融機関の経営を圧迫することが分かっている場合には,中央銀行は LLR 機能発動を避けたいがために金利引き上げを躊躇するのではないか,との考え (5)
方)といった局面を踏まえて,そもそも金融政策と LLR を含めたプルーデンス 政策を同じ主体が遂行すると二律背反に陥る可能性が高いことを指摘し,中央 銀行のあるべき姿としては,LLR 機能の発動は極めて限定的に行うとともに, LLR に関連づけて金融機関の監督・検査等の金融システムの安定化政策にコ (6)
ミットするべきではないとする考え方である。
1.3 社会的コストの大きさからの批判 検査・考査の一体化,あるいは日銀考査の簡素化を求める意見の第 2 の背景 は,そもそも複数の監督・検査当局の並存はそれに要する社会的コストが大き (5)その究極の状況が 2000 年代に入る直前以降から実施された日銀によるゼロ金利政策(99 年 2 月∼ 06 年 7 月<一時期解除された時期がある>)と量的緩和措置(01 年 3 月∼ 06 年 3 月) であろう。デフレ傾向が続く下で,不況,不良債権問題に悩む金融機関への対策として,日銀 はゼロ金利,量的緩和措置という異例の金融政策を長期にわたり余儀なくされたのである。 (6)堀内[1996]はこうした考え方に立ち,平常時の日銀信用を供給する「貸し手」の立場から 債権保全を達成する手段として考査を考えるのであれば,金融の自由化に伴い金融調節が貸出 からオペレーションに重点を移すにつれて,平時の金融調節手段としての日銀信用が皆無とな った現在では考査の役割もなくなる筋合いであるとして,考査機能も預金保険機構等による銀 行検査機能を補完する役割に縮小するべきである,と主張している。
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表 1-1 中央銀行が金融機関プルーデンス政策分野に関与することへの批判的な意見 主張の観点
主張の内容
①中央銀行がプルーデンス政策に関与し責任をもつようになると, 金融政策の決定過程にインフレ・バイアスがかかる。ある民間金 融機関の経営が困難になり,それが決済システムに悪影響を与え る可能性が高いと中央銀行が判断したら,当該金融機関を破綻さ せかねない金利引き上げは先送りする等,金融政策が妥協を余儀 なくされる恐れがある。 (1) 金融政策との ②中央銀行が①の事態に直面すると,その問題の解決を優先せざる 利益相反 を得ず,物価の安定という中長期的な重要課題への取り組みがな おざりにされかねない。 ③事後的なプルーデンス政策である LLR によって中央銀行が緊急 避難策として追加的,継続的に流動性を供給すると物価安定を損 ないかねない。 (2) 金融機関のモ ラ ル・ハ ザ ー ドの発生
④金融機関の救済に機動的に資金を動員できる中央銀行が,プルー デンス政策に責任の一端を負うことは,大手銀行には too big to fail の過剰な期待感,モラル・ハザードをもたらす可能性があ る。
⑤規制・監督と問題金融機関の救済に中央銀行が責任を負うと,中 央銀行資産の悪化を招き,中央銀行に対する国民の信頼も損なう (3)中 央 銀 行 資 産 懸念がある。国民の信頼感は管理通貨制度下における通貨価値の の悪化招来 基盤であり,中央銀行の反インフレ政策遂行の基盤であるから, 国民の信頼感を崩しかねないリスクは冒すべきではない。 ⑥中央銀行が規制・監督権限をもつと,金融調節の効果を挙げにく くする新たな金融商品・サービスの導入を嫌い,金融政策に都合 の良いものだけを認めるなど, 金融革新を阻害する可能性がある。 ⑦銀行・証券・保険など業態間の垣根を越えた金融商品・サービス (4)金 融 行 政 と の の開発が進み,金融機関もコングロマリット化の方向にある中 利益相反 で,規制・監督機能もそうした全体的な動きに一元化し,専門的 に把握できる体制に移行すべきである(7)。そのためには,中央銀 行よりも専門の規制・監督機関にプルーデンス政策の権限は統合 されるべきである。 (5)金 融 機 関 情 報 入手のルート
⑧中央銀行が LLR を効果的に発動するためには,個別金融機関の 経営状態に関する最新情報を継続的に必要とするが,それは他の 専門機関から入手すればよく,規制・監督の実務を中央銀行自ら 行う必要があるとの主張の根拠は薄い。
資料出所:Cargill[1989]pp.8 ∼ 14 等から作成。 (7)日本経済新聞[2006b]は,2006 年 1 月に発覚したライブドア事件を契機に証券取引等監視 委員会の機能強化策等を検討していた自由民主党では「英国の FSA をモデルに銀行・保険分 野を含めた包括的な監視機関の創設を軸に検討する」方向である旨を報じている。同紙によれ ば「政府内にも金融市場を包括・横断的に規制する金融サービス・市場法(仮称)を制定すべ きだとの声」があるとしている。これは,まさにこの表の⑦を踏まえた動きが窺えるものであ ろう。
第 1 章 金融監督・検査の効率化と日銀考査 5
いこと,また監督 ・ 検査責任が曖昧になりがちであるとの指摘である。複数監 督当局による金融機関の受検負担が大きいことは後述の通りであるが,これに 加えて,Cargill[1989]は投入する人材や情報などのコストが高くつくことは 避けられないと,その所要コストが大きくなることを指摘している。事実,現 在では検査・考査に従事している検査官・考査員は総計 1,000 名近く(うち考 (8)
査員は 200 名程度)に達するなど,金融機関検査・考査に投入されている人的 経営資源(これらは最終的に税金で賄われている)は膨大であり,その面から の社会的コストが大きいことは否定できない。さらに,Goodhart[1995] (pp.357 ∼ 358)は,複数の機関から成る多元的な規制・監督体制については, ①金融システムの安定と預金保険の利益に反する金融機関の破綻・閉鎖を誰が 最終的な責任をもって決断するのか,②中央銀行はシステミック・リスクに関 心が集中し,中小金融機関の問題は他の機関に委ねてしまいがちとなるが,そ れでは大銀行にモラル・ハザードを生じさせてしまわないか,③自己資本比率 に関するバーゼル規制など国際協議の場での主導権と責任をどの機関が負うの か(あるいは,自国としての意見の統一に時間がかかるのではないか),と監 督責任が曖昧となることに伴うコストも無視できないと指摘している。
1.4 金融機関の考査受検負担 日銀考査への批判の第 3 の観点は,金融機関サイドにおける受検負担感から 来るものであり,従前より金融機関サイドから根強く主張されてきている。日 本銀行と当座預金取引を行う金融機関は,その行政官庁の監督・検査を受ける ことと並んで日銀考査も受けなくてはならない。行政庁による検査も日銀考査 も金融機関にとっては実務上の受検負担が大きく,また,両者の内容も総じて 類似したものであることから,齊藤[2004a] (p.25)が指摘するように「金融 (監督)庁による検査と日本銀行による考査が行なわれることは民間金融機関 の負担が大きい」として,検査・考査の簡素化,さらには統一化によって,こ (8)検査・考査に従事する地方財務局職員,日銀支店職員を含む。金融庁ホームページ,日銀「業 務概況書」 ,国会答弁等から筆者が推計。
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うした受検負担の軽減を求める声は金融機関を中心に絶えず聞かれていた。受 検負担への不満の観点は前掲表 1-1 には明示されていないが,要するに「日銀 は何のために考査を行うのか。行政検査と似ている考査を受けることは多大な 負担があるので,その負担を軽減してくれ。必要な情報は他の検査機関の検査 結果を流用すればよいではないか」という問いかけであり,表 1-1 の(5)「金 融機関情報入手のルート」,すなわち「金融機関の情報は他の専門機関から入 手すればよいではないか」との見解が形を変えて主張されていると理解され る。 こうした日銀考査の受検負担への不満は絶えず声高に唱えられている訳では ないが,考査を受検する金融機関の心理の底流に根強く残っているため,折に 触れて表面化する。例えば,日銀法の改正問題を議論していた金融制度調査会 (日本銀行法改正小委員会)の席上(1997 年 1 月)で,民間金融機関サイドを 代表する岡田・全国銀行協会連合会一般委員長は,「主要各国では,監督権限 のある機関が検査権限を有しており,米国を除いて,検査機関の一元化が図ら れている」と指摘した上で,考査を法定化し政府の検査とは別の検査を日銀に 認めるのであれば「その位置づけを明確化し,その目的に沿って必要最低限の ことを行うこととするのが重要である」と求めている。さらに,「日銀特融の ために金融機関の健全性を判断するために考査を行うにしても,行政による早 期是正措置と同様に,自己資本比率が十分に高い場合には資産査定を免除する といった対応があってよい」,どうしても日銀考査と行政検査を重複して行な うというのであれば「手法の統一化や行政と日銀との間での情報交換といった 双方の効率化の観点からの工夫が必要である」と強く主張したと言われてい る。また,同様の考査受検負担の軽減を要望する意見が国会審議の中でも聞か (9)
れたのも,検査・考査の事実上の一体化を望む民間金融機関の要望を受けたも (9)例えば,日銀法改正問題を審議した参議院大蔵委員会の席上(1997 年 6 月 10 日)で,日銀 考査について「査定に当っての基準とかそういう面では,共通化することによって先ほどあり ましたように事務量をできるだけ軽減化するとか,あるいは負担をなくしていくというような ことにも寄与するのではないかというふうに思いますので,そういう意味で,それぞれの独自 性というのは大事にしていただきながらも,そういう有機的な関係というものをぜひ検討して いただきたい」 (民主党・千葉景子議員,参議院大蔵委員会会議録<平成 9 年 6 月 10 日>)と
第 1 章 金融監督・検査の効率化と日銀考査 7
のと考えられる。 確かに,金融機関側にとっては検査・考査を受けること,ましてや両者を立 て続けに受けることは極めて大きな負担であり,実施する方からしても所期の 目的を達成できない恐れもあることから,検査・考査の実施時期は重複したり 過度に接近したりしないように,両者(金融庁検査局と日銀金融機構局)の間 (10)
で実施時期の調整が行なわれるなどの配慮がなされており,事実,極めて特殊 (11)
な事例を除き,両者が同一時期に同じ金融機関を対象に検査・考査が行なわれ (12)
た事例はない。 しかし,実務上のそうした配慮にもかかわらず,金融機関に検査・考査の一 体化,ないし日銀考査の簡素化を求める声が絶えないのは,受検負担の大きさ もさることながら,金融機関サイドからすると両検査の内容やその背景の差異 をはっきりと識別できないほど両者が極めて類似したものである(すなわち事 実上 single standard 化している)との認識に立っているためであり,要する に「同じ検査をなぜ 2 回も受けなくてはならないのか」と考えているからであ る。逆に言えば,行政の検査と日銀考査とは目的が異なり,日銀考査はあくま でも金融危機等に際して,あるいは金融危機を未然に阻止するために,中央銀 行が実行する LLR 機能の円滑な発揮に備えるためのものであるとの考え方 が,社会的に認知されていないことの証左でもある。さらには,複数の検査機 の発言がなされている。 (10)旧大蔵省金融検査部の中川部長は,改正日銀法案の審議をしている参議院大蔵委員会(97 年 6 月 10 日)において「検査と考査につきましては,受け入れる金融機関の負担ということ も考えまして時期の調整をする(中略),そういう努力をしている」旨を述べている。 (11)最近では,1995 年 9 月に発覚した大和銀行ニューヨーク支店における米国債ディーラーに よる不正事件(いわゆる井口事件)に際して,同行に対してマーケット部門や海外部門等に おける内部管理面の問題点を探るとして大蔵省検査と日銀考査が同時に実施されている。わ が国金融界の中には,金融機関の受検負担が大きい検査・考査を実施すること自体が不手際 を起こした当該金融機関に対するペナルティとして使われることがあるとの観念が根強く残 っていることは否定できない。そうした中,大和銀行に対して実施された検査・考査の同時 実施は,ニューヨークでの不正事件や善後処置の不手際が責められていた同行に対するペナ ルティであったと考えられても致し方ないものと思われる。 (12)もっとも,都銀等の大手銀行に対しては,2001 年度から不良債権問題の処理促進のための 長期の特別検査,翌 2002 年度からは通年検査が実施され,その間に日銀考査が行われている ことから,立て続けに行政検査と日銀考査が行なわれることはない,とは厳密には言えない。
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関によってダブル・チェックが行なわれることは金融機関の安全性と健全性の 確保等の徹底を目指す上で望ましく,金融システム全体の安定確保の観点から 日銀考査の負担は止むを得ないとの認識が金融機関に共有されていないことを 示している。
2. バーゼルⅡと金融監督・検査の効率化の必要性 2.1 バーゼル規制 こうした中,2006 年末(邦銀は 2006 年度末)から新しい自己資本比率規制 (バーゼルⅡ)が施行された。自己資本比率規制は,金融機関のプルーデンス維 持を目指す事前的措置の中核を成す最も重要なバランス・シート規制であり, (13)
邦銀を含め国際的な業務展開を行っている世界の主要金融機関はこれまで,92 年度末から実施されている自己資本比率の国際統一規制(バーゼルⅠ)の下に あった。バーゼルⅠは,74 年の西独ヘルシュタット銀行,米国フランクリン・ ナショナル銀行などの相次ぐ経営破綻を受けて設立されたバーゼル委員会 (14)
(G10 諸国の中央銀行・銀行監督当局代表から成る委員会)において,ラテン・ アメリカの債務危機など 80 年代の金融危機の経験を踏まえ,いかにして国際 的な金融危機を未然に防止するか,との点を中心に長い議論が行われた結果合 意に達した自己資本比率に関する初の国際的な統一規制である。バーゼルⅠは 金融機関に対して,毎期末の総資産(リスク資産)に対して最低限その 8%以 上の自己資本を保有する(自己資本比率を 8%以上に保つ)ことを求めてい (13)バーゼル合意では「国際的に活動する銀行」 。具体的には自国外に支店・現地法人等の営業 拠点を有する金融機関とその現地法人,ノンバンク子会社,関連会社等を含めた連結ベース で規制されている。 (14)発足時の正式名称は「銀行業の規制と監督実務に関する委員会」 (Committee on Banking Regulation and Supervisory Practices)。バーゼルの BIS 本部が事務局機能を担い同地で会議 が開催されることが多かったためバーゼル委員会等と呼ばれ,後には正式名称もバーゼル銀 行監督委員会(Basel Committee on Banking Supervision)と改められた。わが国からは発 足当初は日銀(考査局)だけがメンバーに加わっていたが,1990 年からは信用機構局も参加 し,さらに国内規制を行なう必要性があることもあって大蔵省銀行局(現在は金融庁)が正 式メンバーに加わり現在に至っている。
第 1 章 金融監督・検査の効率化と日銀考査 9
る。自己資本は中核的自己資本(Tier1)とその他の補完的自己資本(Tier2) から成り,Tier2 には日本等の主張が容れられ有価証券含み益の 45%相当額を 参入することができることとなった。一方リスク資産は,当初は信用リスクだ けであったが,97 年度末から一部のマーケット・リスクも対象とされた。 バーゼルⅠは,実施後 10 年が経過した 90 年代末頃に見直しに向けた機運が 高まった。その背景としては,信用リスク,マーケット・リスクだけではなく オペレーショナル・リスクの規制の必要性に対する認識が高まったこと,米銀 を中心にリスク量の計測技術などリスク管理手法の著しい進歩が見られるよう になり,それを規制に取り込むことが必要であるとの考え方が強まってきたこ (15)
と,等を指摘することができよう。このため見直し作業が行われ,長い議論を (16)
経て 2004 年 6 月に最終案(バーゼルⅡ)が公表され,2006 年末(邦銀は 2006 年度末)から施行されることとなったのである(最も先進的なリスク量計測手 法を適用する金融機関については 2007 年<邦銀は 2007 年度>末から実施され る)。
2.2 バーゼルⅡの施行 バーゼルⅡは,金融機関に高度なリスク計量手法の使用を促すとともに,金 融機関自らの責任による適正自己資本の充当を求め,それを監督当局および情 報開示による市場規律によりチェックする,というわが国の金融機関行動は勿 論,当局の監督 ・ 検査政策思想をも大きく変える契機をもたらす規制である。 バ ー ゼ ル Ⅱ は 具 体 的 に は 3 つ の 柱(Pillars)か ら 構 成 さ れ,第 1 の 柱 (Pillar1)では,バーゼルⅠと同じく金融機関に最低所要自己資本比率(8%) を求めている。分子の自己資本の構成内容は変わらないが,分母のリスク量の (15)グリーンスパン FRS 議長は,98 年 2 月に開催されたバーゼルⅠ実施後 10 年記念国際コンフ ァレンスで,「現行規制の枠組みは最大手の複雑な銀行に対しては実効的でなくなってきてお り,名目的には規制上の自己資本比率が高くとも実際には債務超過になる可能性が大きい場 合がある,オペレーショナル・リスク等の重要なリスクを明示的に勘案していない,銀行の 内部管理手法のチェックを通じたきめ細かい監督に移るべきである」等と主張した(BIS [1998]<1998 年 3 月 15 日付 BIS プレス・リリース>を参照)。 (16)Basel Committee on Banking Supervision[2004b]を参照。
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算出方法が大きく見直され,①事務リスクやシステム・リスクなどのオペレー ショナル・リスク(以下,オペ・リスク)も計上する,②信用リスクについて は資産の種類・質に応じて異なるリスク・ウエイトを設定する,こととされ, いずれについてもリスク管理技術の高度化に応じた 3 つの計測手法を用いるこ とを認めている。高度なリスク量計測手法の採用が認められたのは,米英両国 の先進金融機関で内部格付制度をコアに据えたリスク量計測手法が飛躍的に発 展してきたことを反映したものであり,わが国の金融機関にとっては高度なリ スク管理技術の採用に向けた相当な努力が必要となる。同時に,行政検査,日 銀考査による事後的な検証においても高度な検証技術が求められることとな り,こうした高度なリスク量計測手法の取扱い実態に対する是非がこれからの (17)
検査・考査における最大の議論となることは必至である。なお,オペ・リスク が新たに自己資本賦課の規制対象リスクに加えられたのは,銀行業務の高度 化,アウトソーシング化の拡大,コンピューター・システムへの依存度拡大, 諸訴訟の増大といった銀行の経営環境が大きく変化し,銀行によっては自己資 本賦課の対象とせざるを得なくなるほどオペ・リスクのウェイトが拡大したこ とが指摘される。 このように第 1 の柱では,従前通り監督当局が規制の主体となり,その規制 に対応したリスク管理を金融機関に適用して最低所要自己資本(規制資本)を 求めているのに対して,バーゼルⅡでは新たな概念として第 2 の柱(Pillar2) が導入された。そこでは金融機関が自己責任で,Pillar1 では規制対象とされ (18)
ないリスクをも含めた広範囲のリスク管理を行い,その結果各行が適正と認め るレベルの自己資本(経済資本)を充足することを求めている。各銀行は所要 の規制資本のみならず経済資本を維持することが求められ,監督当局は両資本 の達成状況を検証し,経済資本が維持されない(あるいは回復されない)場合 (17)高度化されたリスク管理技術を用いた全リスクの統合的管理の必要性については最後の第 8 章を参照。 (18)例えば,バーゼルⅠの規制対象外でありバーゼルⅡの Pillar1 でも引き続き規制資本の対象 外となる金利リスクについても,Pillar2 で捕捉され,過大な金利リスクの顕現化に対処して いくこととなった。
第 1 章 金融監督・検査の効率化と日銀考査 11
には銀行に早急な改善措置を求めることとなった。 さらに,第 3 番目の柱(Pillar3)は,Pillar2 でリスク量計測のために内部格 付制度の利用など銀行自身の裁量範囲を大きく認めることの裏返しとして,銀 (19)
行に自らの経営に関する各種の情報開示を求め,市場規律を組み込んだ枠組み によって,銀行の健全性を維持しようとするものである。
2.3 金融監督の効率化と日銀考査 このようにバーゼルⅡは,リスク管理の方法自体も基本的には銀行の自己責 任と創意工夫に委ね,さらに情報開示を通じて市場によるチェックを受けると いう新しい規制概念として打ち出されたものであり,自己責任によるリスク管 理志向が一段と強まることにより,わが国の金融機関は否応なく広範囲にかつ 大きな影響を受けることとなろう。例えば与信に当たっては借り手の信用度, (20)
リスクを把握し,金利プライシングにそれを的確に反映させ,リスクを許容限 度内に収めていく,という形でのリスクを踏まえたクレジット・カルチャーが 急速に広まっていくと思われる。計測されたリスク量を踏まえた統合的な自己 資本政策の技術も急速に向上していくであろう。これまで長期にわたり巨額の 不良債権の処理に忙殺されリスク・テイクを避けていたわが国の銀行も,今後 は積極的な収益拡大の方向に経営を転換していこうとしているが,そうした際 にもバーゼルⅡに沿った経営戦略とリスク管理政策とを強いられ,この間の適 合性をどうとるかが,これからの金融機関経営の最大の問題となるであろう。 一方,監督 ・ 検査当局は,金融機関の自主性,経営の多様性を認めた上で, 当該金融機関の固有のリスク特性を判断し,事後的な検査において金融機関毎 (19)Basel Committee on Banking Supervision[1998b] (p.6)に よ れ ば,「市 場 が,リ ス ク を 効 果的に管理している銀行に対して報酬を与え(筆者注─金利の低下等の調達条件の好転等), リスク管理が不適切あるいは不完全な銀行に対して罰則を与える(筆者注─調達条件の悪化 等)ことによって,銀行監督を補強することができる規律的なメカニズム」としている。 (20)邦銀大手行は,収益源を求めて中小企業向け融資の拡大に注力しつつあるが,その際の大き な問題はリスクに見合った金利プライシングが可能かどうかである。熊倉[2005a]は,邦銀 の中小企業向け貸出の金利プライシングが適正な水準に達しておらず,米銀のそれと比較し て適正収益を確保できていないと論じている。
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のリスク管理の妥当性を的確に評価することが求められる。リスクの多様性, 複雑性が高まるにつれ,上述の通り金融機関のリスク計測手法,管理手法が高 度化しつつあり,またそれを当局サイドも積極的に奨励している。このよう に,従前の金融機関監督・検査の発想が「当局による管理」タイプ,「事前一 律規制遵守」型であったとすれば,バーゼルⅡは「自己管理・自己責任の下で 金融機関が管理し,市場規律によりチェックされる」タイプ, 「事後監督」型 へと大きく舵を切った象徴的な内容であり,今後わが国の金融機関監督の姿は この Pillar2 の実践を通じて,監督・検査を効率化する方向に大きく変化して いくことは必至である。 既に金融庁では 2007 年 3 月決算期からのバーゼルⅡ施行に備えて,行政検 査の際に用いられる「金融検査マニュアル」をバーゼルⅡに沿った内容に改 め,同マニュアルは日銀考査でも用いられることとなっている。この結果,行 政検査,日銀考査はともに,バーゼルⅡおよびそれを受けた『金融検査マニュ アル』等の国内ルールに沿って金融機関の高度化したリスク管理手法の適切性 について的確に判断することを求められる。それは日銀考査にとっては,単に 自らの考査技術の高度化を図るだけではなく,行政検査と考査の視点を統一す る方向での効率化を一層求められることを意味する。
2.4 考査実施の余地の縮小 中央銀行が金融プルーデンス政策に関与し,実際に金融機関検査も実施して いくことは,世界的にみて徐々に難しくなってきているように窺える。次章で 詳述しているように,海外の主要国の中央銀行の中には,イングランド銀行な ど 80 年代以降の金融自由化や通貨危機への対応を誤った結果,金融機関の監 督・検査権限を剥奪され,プルーデンス政策分野への関与から遠ざけられる事 例が散見される。強力な監督・検査権限を有している米国連銀でも,金融機関 の受検負担を勘案して他の検査機関との検査内容の統一化,合同検査の実施な ど,効率的な検査の実施に努めることは避けて通れなくなっている。そうした 中でバーゼルⅡが施行され,検査・考査の効率化が一層求められることによっ
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て,少なくとも複数の検査機関がそれぞれ独自の検査を実施できる余地はさら に狭まってくることは必至である。 中央銀行のプルーデンス政策を取り巻くこのような客観的な情況を踏まえる と,前掲表 1-1 に示した諸批判が強まり,日銀が中央銀行として,行政検査と の差別化を図り独自の観点(double standards)から金融機関経営をみていく 必要が本当にあるのか,との疑問が生じてくるのは避けることができない。行 政検査との統一化を図るべきではないか,あるいは預金保険機構の検査機能と の合体が図られるべきではないか,少なくとも金融機関情報を日銀が直接入手 する必要はなく行政による監督・検査を通じて入手しても差し支えないのでは ないか,といった様々な声が挙がってくる可能性があるのである。
第 2 章 欧米諸国の中央銀行考査を巡る動向 15
第2章 欧米諸国の中央銀行考査を巡る動向
日銀考査のあり方を検討する上で,先進主要国の中央銀行における金融機関 監督・検査の実情はどのような示唆を与えてくれるであろうか。 一見して目立つのは欧州における状況である。当初からヨーロッパ中央銀行 (ECB)がプルーデンス政策に直接的には関与しない中央銀行として創設さ れ,90 年代の金融監督面での失敗を問われたイングランド銀行もブレア政権 による金融改革の一環で金融機関監督・検査権限を失うなど,中央銀行による 金融機関監督権能が弱まっている方向にあるように見受けられる。そうした中 でイングランド銀行では,何らかの形で金融機関の経営実態を直接把握しよう とそのツールを模索しているのが実態である。 一方米国では,複数の金融監督機関が並存する中で中央銀行である連邦準備 銀行(FRBs)が,他の監督機関と協調しつつリスク管理体制のチェックを中 心とした検査を進めるなど,経営健全化へ向けた金融機関のインセンティブを 高める形の効率的な検査を実施しており,金融機関検査の高度化に積極的に努 めるその姿には見習うべき面が多い。しかし,そうした連銀でさえも,複数の 監督機関検査を受検する金融機関の負担軽減を勘案して共同検査の実施,マニ ュアルの統一化など検査の統一化に向けた動きには抗することはできず,「中 央銀行」としての立場からの独自の金融機関監督・検査の実施が困難化する方 向に向かいかねないことには留意しておく必要がある。 このような銀行監督・検査の統一化など,中央銀行による金融機関監督政策 への関与度合いが総じて弱くなる傾向は,いわば金融監督・検査の single
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standard 化への流れであり,金融機関情報に直接アクセスできる考査という ツールを維持しようとする日銀にとってはアゲインストの風として作用するこ とは否定し難い。
1. 欧米における金融機関監督制度─その中での中央銀行の位置づけ まず,主要各国における金融機関監督制度を概観し,その中に中央銀行がど のように位置付けられているかを探ってみよう。
1.1 英国における金融監督システムの改革─ FSA の設置 欧州では,90 年代後半にイギリスの金融監督・検査体制に大きな変革が加 (1)
えられたことが目立つ。97 年 5 月に政権についたブレア内閣は,直ちに金融 政策関連の大きな改革を実施し,新設したイングランド銀行金融政策委員会に (2)
金利決定権限を委ねるなど同行に金融政策遂行上の独立性を付与する一方で, 従来同行がもっていた銀行監督・検査権限を奪い,銀行,証券,保険等の全て の金融機関を一元的に監督・検査する「金融サービス機構」(FSA:Financial Services Authority)を創設した。具体的には,まず 98 年 6 月に制定された 新イングランド銀行法により,イングランド銀行から銀行,マネーマーケット 金融機関,関連決済会社に対する監督・検査権限を奪い FSA へ委譲した。次 に,FSA は 2001 年に制定された金融サービス市場法(Financial Services and (3)
Markets Bills)により,従来さまざまな監督機関が行ってきた監督・登録機能 に加えて,投資業務を開始する企業への営業免許権限をも備えた新しい機関と して改組され,この結果,現在の FSA は図 2-1 に示されるように,保険や互 助的金融機関等の広義の金融機関も含め,幅広い金融分野における監督・検査 (1)イギリスにおける一連の金融システム改革の動きについては春井[1999b]が詳しい。この節 の記述も同論文に拠るところが多い。 (2)ただし,インフレーション・ターゲット(インフレ目標)の決定権限は引き続き財務省が掌 握した。 (3)証券投資委員会<SIB>,自主規制団体<SROs>,貿易産業省保険監督庁<ID>,住宅金融 組合委員会<BSC>,友愛協会委員会<FSC>,友愛協会登録庁<RFS>の 6 機関。
第 2 章 欧米諸国の中央銀行考査を巡る動向 17
図 2-1 英国の金融監督・検査機構の変化 SIB 大蔵省・貿易産業省 イングランド銀行
銀行業務
SROs
(ID)
投資業務
BSC
保険業務
FSC
RFS
互助業務
FSA 注:破線は改革前,実線は改革後の,それぞれ監督・検査権限を示す。 資料出所:日本証券経済研究所編[2005]p.171 掲載図等から作成。
(4)
権限を完全に掌握した組織となっており,金融監督の効率化には大いに資する ものとなっている。 金融監督改革法に規定された FSA の目的は①金融サービスの消費者の保 護,②透明で秩序正しい金融市場の整備促進,③金融システムの信頼性維持, (5)
の 3 点であり,FSA はこうした目的達成を目指して,①リスク・アプローチ (市場,金融機関のリスクを踏まえた基準の設定,監督を行なう),②上級管理 職が責任をもって企業統治に当たることを要請,③基準の認識と遵守,④許認 可の一貫性,⑤金融機関行動の是正措置の実施,を基本姿勢として堅持し金融 (6)
機関の監督・検査に当たるとしているが,行政機関として,①リスク・アプロ ーチを除くと企業統治(コンプライアンス)重視の思想にウェイトが置かれた 姿勢であり,また当然ながら金融政策の遂行や LLR 機能発動上の観点を踏ま えて行動することはない。 なぜイングランド銀行は金融機関監督権限を剥奪されたのであろうか。英国 で は 70 年 代 以 降,伝 統 的 な 商 業 銀 行 で あ る Clearing Banks や Merchant (4)FSA の予算は全て被監督金融機関への賦課金で賄われ,国庫からの補助は一切ない。また, 予算の策定・執行に当たり大蔵大臣の同意等も必要とされず,これらの観点から非常に独立性 の高い機関であると言える。 (5)証 券 投 資 委 員 会(SIB)が 97 年 7 月 に 公 表 し た 大 蔵 大 臣 宛 報 告 書 Financial Services Authority:An Outline による。 (6)同上。
18
Banks 以外のノンバンク(Secondary Banks)が台頭したが,70 年代前半に 資産価格高騰が起き深刻な信用秩序の動揺(セカンダリー・バンク危機)が発 生した。直ちにイングランド銀行は民間金融機関と協力して事態の収拾に当た (7)
ったが,この危機の反省から 79 年にはイギリス初の銀行法が制定され,イン グランド銀行に銀行監督権限が付与された。しかし,その後も銀行業務,投資 業務等に関わる監督・規制システムの不備が露呈した。84 年にはジョンソン・ マシィ銀行が経営破綻し,これを受けて 87 年には新銀行法が制定され,銀行 の監督・規制権限は強化されイングランド銀行に集約された。同時に,86 年 の金融サービス法によって証券投資委員会(SIB:Security and Investment Board)および SIB が認可した業態別自主規制団体(SROs:Self-Regulating Organizations)が設置され,投資業務はこの SIB および SROs の監督下に置 かれた。さらに,91 年には中東系資本の金融機関 BCCI(Bank of Credit and Commerce International)の粉飾事件,95 年にはベアリングズ・グループの 証券会社による先物取引による巨額損失事件等が続発した。このように,80 年代の一連の金融制度改革は金利の自由化など金融業務の自由化・国際化をか なり達成したものの,他方で多くの金融機関の経営破綻や不祥事をもたらすな ど金融秩序の混乱を招いたのであった。この結果,個々の金融機関の経営安定 を図ることは勿論ながら,金融機関の監督システムを改善し金融システム全体 の安定化を図るための政策,いわゆるプルーデンス政策が急速に重要課題とし て浮上した。特に,前述の 91 年の BCCI 事件および 95 年のベアリングズ・グ ループの事件はイングランド銀行にとって致命的であったと指摘する向きが多 (8)
い。例 え ば Goodhart and Schoenmaker[1993] (pp.339 ∼ 344)は「英 国 を はじめ先進諸国での金融監督体制の変化を促した根本的な要素は,競争の激 化,経済のグローバル化,銀行監督の失敗を契機とする国家の介入の増大に あ」り,「それが中央銀行の監督権限が他の機関に移されるきっかけとなっ た」と指摘している。すなわち,こうした一連の事件はイングランド銀行によ (7)セカンダリー・バンク危機については春井[1996]が詳細に分析している。 (8)中北[2002a]p.21,同[2002b]pp.151 ∼ 152,齊藤[2004b]p.73 を参照。
第 2 章 欧米諸国の中央銀行考査を巡る動向 19
る金融機関監督が失敗した結果であるとの批判が国民や政党から一斉に挙が り,同行の監督体制には抜本的な問題がありそれを見直すべきであるとの動き が生じてきたのである。このように労働党政権による 97 年の FSA 設置の考 え方は,それ以前のイギリスにおける試行錯誤の結果編み出されたものであっ たと言えよう。なお,これに対してイングランド銀行では 95 年 7 月に公表し たベアリングズ事件に関する調査報告書の中で,同事件は「ベアリングズ社の 内部管理体制の不備から生じたもので,イングランド銀行から銀行監督機能を 切り離す必要はない」と主張し,監督機能の分離論に強く抵抗している。
1.2 金融機関監督権限を持たないヨーロッパ中央銀行 主 要 通 貨 ユ ー ロ を 司 る ヨ ー ロ ッ パ 中 央 銀 行(ECB:European Central Bank)は,EU の基本構造を定めたマーストリヒト条約やヨーロッパ中央銀 行法等の諸法令により,ユーロ金融政策のみを担当し,金融機関のプルーデン ス政策には関与する権能を有していない。すなわちマーストリヒト条約(第 105 条 第 5 項)で は, 「欧 州 中 央 銀 行 制 度 は,金 融 機 関 の 監 督(prudential supervision)および金融システムの安定に関して権限を有する当局が行なう 政策の円滑な遂行に寄与する」と,金融監督権限を有するのは EU 構成各国の (9)
監督当局であり ECB は直接的な権限を有さないとされている。実際には, ECB および各国中央銀行,銀行監督当局によって構成された銀行監督委員会 (Banking Supervision Committee)が EU 各国の銀行監督業務に関する事項 を検討し,各国中央銀行,監督当局は必要に応じて個別金融機関に関する (10)
confidential な情報を相互に提供し,その際に ECB が関与する,といったよう に,ユーロ諸国内の金融システムの安定化に関する単なる勧告・調整機能の発 揮に止まり,金融機関への考査はもちろん,LLR 発動も含めた安定化機能に 関する権限そのものも各国の中央銀行ないし監督当局が掌握しているのであ
(9)武田[2004] (pp.38 ∼ 39)を参照。 (10)European Central Bank[1998](pp.89 ∼ 90),同[1999](pp.98 ∼ 99)を参照。
20 (11)
る。これは,EU 各国間に差がなくなり同質化が進んでいる短期金融市場では 単一の金融政策実施機関の存在は不可欠であるが,金融システムや金融機関制 度等の実情は歴史的,文化的,法制的な違い等から国によってさまざまであ り,単一の中央銀行が EU 域内の全ての国の金融システムの安定化政策を一手 に掌握することは実際上困難が伴う,との考え方に沿ったものである。
1.3 複合的な金融監督制度における米国連銀 一方,米国の金融監督制度は 1930 年代の大恐慌期における金融危機への対 応に端を発して整備され,歴史的にも金融独占に反発する経済社会的な風潮が (12)
根強いこともあって金融機関も多岐にわたり,それに応じて監督機関も異なる 複雑かつ多様な構造となっている。 すなわち,預金取扱い金融機関は商業銀行(Commercial Bank) ,貯蓄金融 機関(Thrift Institution) ,信用組合(Credit Union)に大別され,さらに商 業銀行は国法銀行(National Bank,連邦政府が免許を付与)と州法銀行(State Bank,州政府が免許を付与)に類別される。国法銀行はすべて連邦準備制度 (FRS:Federal Reserve System)と連邦預金保険制度に強制的に加入してい るが,州法銀行には両制度に加入・非加入の両者が存在する。また,貯蓄金融 機 関 は 貯 蓄 貸 付 組 合(S&L:Saving and Loan Association)と 貯 蓄 銀 行 (Saving Bank)に大別される。これらの金融機関のうち,国法銀行は通貨監 (13)
督庁(OCC:Office of the Comptroller of the Currency) ,州法銀行は各州の 銀行監督局(State Banking Department) ,貯蓄金融機関・貯蓄金融機関持株 (11)高山[2000] (pp.99 ∼ 104)は,ヨーロッパ中央銀行法における規定(十分な担保に基づい た流動性を供給できる)を解釈して,「LLR 機能そのものが特定約款に謳われていなくとも, 中央銀行というものの役割に本来備わっている固有の機能である」と,ECB に LLR 機能が 備わっているとの見解を披露している。実際に 2007 年9月のサブ・プライム・ローンの証券 化商品問題に端を発した金融不安時には,ECB は市場に有担保の大量資金供給を行ったが, これはあくまでもマーケット・オペレーションとして捉えられるべきであり,個別金融機関 への LLR 機能の発動とは分けて考えるべきであろう。 (12)中尾[2000]p.138 を参照。 (13)OCC は 1863 年に財務省の一部局として創設されたが,その運営は独立採算制の下で行なわ れている。
第 2 章 欧米諸国の中央銀行考査を巡る動向 21 (14)
会社は貯蓄金融機関監督庁(OTS:Office of Thrift Supervision) ,連邦政府が 預金保険を付保する全ての信用組合は信用組合監督庁(NCUA:National Credit Union Administration)の監督下にそれぞれ置かれている。 OCC は幅広い監督対象金融機関に対して銀行免許の発行,支店設置の認可, (15)
資本規制など広範な権限を有する最大の監督当局であり,連邦預金保険公社 (FDIC:Federal Deposit Insurance Corporation)の監督・指揮権限も有して (16)
いる。その FDIC は大恐慌での教訓を背景に 34 年に創設され,50 年には連邦 預金保険法が成立し,爾後同法を根拠法として活動している。連邦預金保険制 度は,国民の金融システムへの信認を維持し,金融システムの安定性を確保す ることを目的としており,預金取付けの発生による金融機関の連鎖的破綻を予 防するべく,同公社は連邦預金制度に加盟している金融機関(FRS 非加盟銀 行,FDIC 加盟州法銀行)に対して定期的に検査を実施している。 以上の監督機関が全て政府機関の一部を構成する組織であるのに対して,連 邦準備法(Federal Reserve Act,1913 年成立)に基づき設立された連邦準備 銀行(FRBs:Federal Reserve Banks)は,銀行監督権限を有する連邦政府 組織であると同時に中央銀行であるという特殊な立場にある。FRBs は全米 12 の連邦準備銀行から成り,連邦準備制度(FRS)に加盟している州法銀行,銀 行持株会社(BHC:Bank Holding Company) ,外国銀行の在米支店の監督, (17)
検査に当たっている。 金融機関とその監督当局との複雑な監督・被監督関係は表 2-1 のように整理 され,基本的に連邦免許金融機関のうち国法銀行は OCC,貯蓄金融機関は OTS という連邦機関,州法銀行など州免許金融機関は州政府の監督局によっ て監督されていると言えよう。これに,連銀,連邦預金保険の諸制度に加盟し (14)OTS も OCC 同様に財務省の一部局である。 (15)OCC が監督する国法銀行は 1,773 行と行数ベースでは全米商業銀行の 24%(一方 FDIC は 64%)な が ら 総 資 産 で は 67% に 達 す る(FDIC は 18%)< い ず れ も 2006 年 6 月 末 現 在, OCC ホームページ http://www.occ.treas.gov より算出>。 (16)Friedman and Schwartz[1963]p.434 を参照。なお,FDIC が 1934 年に発足した際は 1 口 座 2,500 ドルの保険対象額であったが,1980 年には 10 万ドルに引き上げられた。 (17)個々の金融機関の監督,検査は当該金融機関の所在地域を管轄する連銀が行う。
22
表 2-1 米国の金融機関とその監督当局 金融機関の種類 国法銀行 州法銀行
FRS 加盟 <FDIC 強制加盟> FRS 非加盟 <FDIC 加盟> FRS,FDIC の いずれにも非加盟
監督当局 OCC* (FRBs) FRBs
州監督局 FDIC
州監督局 州監督局
連邦免許の貯蓄金融機関
OTS*
<FDIC 州免許の貯蓄金 加盟> 融機関 <FDIC 非加盟>
OTS*
州監督局
信用組合<FDIC 加盟> 銀行持株会社
NCUA* FRBs
貯蓄金融機関持株会社 外国銀行の在米支店
州監督局
OTS* FRBs
注:1. *印の組織は検査に当たり,金融機関から検査料を徴救している。 2. 連銀法によれば FRBs は国法銀行の監督,検査も必要に応じてできるが,通常は OCC の みが実施。 資料出所:各組織のホームページ等から作成。
ている金融機関は FRBs あるいは FDIC による監督も受ける構造になってい る。このように金融機関は,その種類,免許根拠,加盟制度等によって監督当 局が重複し,従っていくつかの機関の検査を受けることとなるが,それぞれの 機関の監督・検査の見地は明確に異なっている。すなわち,OCC は国法銀行 の設立許可権限者として,FDIC は同制度加盟金融機関の保険者の立場からそ れぞれ監督対象金融機関の経営内容を把握しようとする。これに対して FRBs は,連邦準備制度加盟銀行の監督行政を行なうとともに,米国の中央銀行とし て LLR 機能の発動を前提にして同制度加盟銀行の経営内容を把握しようとす る二重の立場を有しており,他の監督機関は勿論のこと他国中央銀行とも異な る性格の機関である。
第 2 章 欧米諸国の中央銀行考査を巡る動向 23
2. 各国中央銀行による金融機関考査の実態 2.1プルーデンス政策分野におけるイングランド銀行の位置づけ (18)
(19)
イングランド銀行が行使していた銀行等の監督・検査権限の FSA への一元 化に伴って,97 年 10 月に FSA と他の金融関連組織,すなわち財務省(HM Treasury)およびイングランド銀行との間で金融機関監督に関する「覚え書」 (MOU:Memorandum of Understanding between HM Treasury, the Bank of England and the Financial Services Authority)が締結,公表されている。こ れは,金融の安定性,金融秩序の維持を確保するために,①明確な説明責任 (各機関は,それぞれの業務活動に明確で誤解を生じない責任を負う),②透明 性(議会,市場,国民は各機関が負う責任を承知している),③責任の重複の 排除(各機関の役割は明確に定義される),④情報の交換(各機関はそれぞれ の責任を最も効率よく効果的に遂行するために,定期的な情報交換を行う) , との 4 原則に沿って 3 者の責任分担を明確に示し,協力していく枠組みを設定 したものである。これによれば財務省は,監督機能の包括的な制度上の機構や それを統治する立法に責任をもつが,FSA・イングランド銀行の活動に責任 (20)
はなく関与もしない。FSA は銀行など各種金融機関の免許および監督,金融 市場,清算・決済システムの監督,金融機関,金融市場,清算・決済システム に影響を及ぼす問題への対応等に責任を負う,とされた。最後に,イングラン ド銀行は「金融システム全体の包括的な安定性」に責任をもつ( The Bank contributes to the maintenance of the stability of the financial systems as a
(18)銀行,86 年金融サービス法第 43 条に記載されたマネーマーケット金融機関および 89 年会 社法第 171 条に記載された金融機関。 (19)この権限には,監督対象金融機関から料金を徴収する権限を含む。 (20)ただし,財務省は 3 者の代表から成る月例の常設委員会に参加し,他の 2 者の金融監督活動 を調整することとされた。また,LLR(MOU での表現は support operation)発動の最終的 な 決 定 権 限 は 財 務 相 が も っ て い る。 Ultimate responsibility for authorizations of support operation in exceptional circumstances rests with the Chancellor. (HM Treasury, the Bank of England and the Financial Services Authority[1997]pp.4 ∼ 5)
24 (21)
(22)
whole. ) とされ,具体的には①貨幣制度の安定性,②金融システムのインフ (23)
ラ,特にイギリス内外の支払いシステムの安定性,③支払いシステム全体の監 視,④イギリス経済が危機的な状況に陥る危険がある緊急の場合における「救 済措置」等の公的な金融支援機能(すなわち LLR 機能)の発揮,等の項目に 関する責任を果たすこととされた。 以上のように,改正イングランド銀行法および 3 者間の覚え書により,イン グランド銀行には広い意味では引き続き金融システムの安定性に関与する立場 が確保され,LLR 機能の発揮も期待されている。しかし,中央銀行の立場か らすれば,立ち入り調査権を奪われ個別金融機関の経営に関する貴重な情報を 直接入手できるツールを失った訳であり,プルーデンス政策面への関与度合い が大幅に低下したという意味では,発足当初からその権能を有していないヨー ロッパ中央銀行と同様のレベルに陥ったと見做さなければならない。
2.2 米国における格付制度を利用したインセンティブ考査 米国では,各監督機関が監督対象金融機関に対し監督・検査を実施している ので,ひとつの金融機関が複数の監督機関によって検査されることがあり得る が,いずれの検査機関も立ち入り調査を含む実地検査(on-site examination) と 提 出 書 類 等 の チ ェ ッ ク を 通 じ た オ フ サ イ ト・モ ニ タ リ ン グ(off-site (24)
monitoring)とで構成される。松本[1999]によれば,事前に検査官は過去の (21)HM Treasury, the Bank of England and the Financial Services Authority[1997]p.1 を参 照。 (22)具体的には,金融政策機能の一環として貨幣制度を監視し,日常的に短期金融市場に参画し 日々の流動性変動を調節する,とされた。 (23)具体的には,支払いシステムの中核に位置する中央銀行として,システム内の主要な問題に ついて財務相に助言し,また助言要請に応えること,支払いシステムのインフラの形成と改 善に深く関わり,システミック・リスクの発生を防止するべくシステムを強化すること,な どである。 (24)オフサイト・モニタリングでは,金融機関は四半期毎に各監督機関から経営内容全般にわた る詳細な報告書(コール・レポート:Call Report)の提出を求められる。同レポートでは定 まった様式に従い,損益計算書,貸借対照表,特別報告,特記事項の4つの項目について報 告する。情報開示の適正性を確保するために,正当な理由のない報告内容の誤り,報告の遅 れ等は罰せられる。
第 2 章 欧米諸国の中央銀行考査を巡る動向 25
検査報告書やオフサイト・モニタリングによる情報に目を通すとともに,必要 に応じて対象金融機関に資料請求,質問状発出等を行い当該金融機関の経営実 態の把握に努め,実地調査では金融機関の経営内容の実態,システムや当局報 告の信頼性等のチェック,オフサイト・モニタリングで判明した問題点の実地 調査等を中心に進められる。検査終了後は,対象金融機関の役員を集めて検査 結果を伝え,問題点に関する今後の対応策等を協議する。さらに,こうした協 (25)
議の結果も踏まえて,後日検査報告書および勧告書が経営陣に送付されるな ど,検査のプロセスはわが国の行政検査,日銀考査のそれとほぼ同様である。 ただ,かつては資産査定中心であった実地調査は,90 年代以降は銀行業務の (26)
高度化・複雑化という実情を踏まえリスク管理の重要性が謳われるようにな り,リスク管理に関するチェックのウェイトが高まってきた。具体的にはトッ プダウン・アプローチ(top-down approach)方式が採用され,リスク管理な ど体制面(トップ部分)が適切と判断されれば個々の膨大な取引(ダウン部 分)の検査は最小限にとどめ,検査要員数,日数など検査機関,対象金融機関 双方にとっての負担・コストを削減するなど,効率的な検査の実現が志向され ている。 (27)
検査の効率化の観点から,詳細な検査マニュアルが作成され,公表されてい ることも米国の金融機関検査の大きな特徴である。マニュアル類では金融機関 の種類別に,検査項目,望ましい姿(それはとりもなおさず金融機関が対応す るべき基準である)等が詳細かつ具体的に示されており,検査の際に具体的に どのようなチェックを受けるか,日ごろどのような施策を行なっておれば良い か,が容易に理解される。これに沿った対応を怠ることがなければ受検負担は 最小限に抑えられることとなり,金融機関検査の効率化に大いに資するものと なっている。 (25)松本[1999]pp.226 ∼ 227 を参照。 (26)金融機関が抱えるリスク(financial risks)の種類,その管理の必要性等については,例え ば Jorion[2000]を参照されたい(pp.3 ∼ 21)。 (27)検査マニュアルはいずれの検査機関のホームページにも常時掲載され,現時点で有効な検査 マニュアルを入手することは容易である。
26
このような特徴を有する米国の金融機関検査が,わが国のそれと大きく異な るのは,米国のいくつかの監督・検査機関では対象金融機関から検査料を徴求 しており,それが格付制度と相俟って,金融機関の経営改善に向けたインセン ティブになっていると考えられる点である。すなわち,独立採算制をとる OCC では資産規模に応じた検査手数料を国法銀行から徴求し,OTS は検査の 都度ではないが,資産規模,経営実態(CAMELS 格付による),業務展開の 複雑度合い等から監督コストを決定し,貯蓄金融機関から同コスト相当額を徴 求している。NCUA も信用組合から検査料をとっている。もっとも,FRBs は 当座預金を無利子としていることから,FDIC は預金保険料を徴求しているこ とから,それぞれ検査に当たって格別の手数料を徴収することはない。 ま た,米 国 で は 検 査 の 最 終 段 階 で 経 営 陣 に 対 し て 当 該 金 融 機 関 の 格 付 (28)
(CAMELS 格付)が開示される。各監督・検査機関によって採用されている 統一的,基本的な格付け制度は CAMELS と呼ばれる(このほかに外国銀行在 米支店に対する ROCA,銀行持株会社に対する BOPEC,消費者保護法および 資 金 地 元 還 元 法 の 遵 守 度 に 関 す る CPA・CRA 等 の 格 付 制 度 が あ る)。 CAMELS は,金融機関の自己資本の適切性(Capital adequacy) ,資産の質 (Asset quality) ,経 営 管 理(Management administration) ,収 益 性 (Earnings) ,流動性(Liquidity) ,市場リスク感応度(Sensitivity to market risk)の 5 項目について実態を把握し,その結果に基づき 1(極めて健全),2 (基本的に健全) ,3(1,2 の項目について懸念されるが,まずまず),4(安全 性,健全性に問題あり) ,5(極めて不安定,不健全,1 年以内に破綻する確率 (29)
が高い)の 5 段階に総合評価するもので,総合評価 4 または 5 を受けた金融機 関が問題先である。格付の結果は当該金融機関の経営陣には開示されるが,一 般には公開されていない。 監督・検査に当たり,それに要するコスト相当額を金融機関から徴求するこ (28)わが国でも,金融庁は検査結果による評定結果を金融機関に開示することを決定した(この 点については第8章で触れている)。 (29)藤井[1998]pp.202 ∼ 204 を参照。
第 2 章 欧米諸国の中央銀行考査を巡る動向 27
との是非は今後の金融監督・検査のあり方に関する議論の大きなテーマとなり 得るものである。検査に当たり手数料の徴求を検査結果と絡め,検査結果が優 れていれば検査内容が簡略化されることを前提にすると,金融機関の経営が健 全化する(検査結果による格付が良くなる)⇒検査が簡略化される⇒検査手数 料および受検負担が削減される,というルートにより経営改善へのインセンテ ィブを金融機関に与える効果が期待できる。一方,わが国を含め検査のコスト 相当額を求めていない国では,当該コストは最終的には税金で賄われている。 これは,金融機関は公的な存在であり,その経営不安は当該国の金融・経済全 体に大きな影響を与えかねないとして,税金を用いてそうした金融機関の経営 の安定化を図ることはやむを得ず,かつ必要であるとの考え方によるものであ るが,税金で検査を賄う場合にはインセンティブ効果は期待できない。わが国 では,金融検査に当たって手数料をとるという議論が現在高まっている訳では ないが,第 8 章で触れるように,考査結果(評定結果)を開示する,あるいは 日銀ネットワークシステム等の決済システムの利用に当たり考査結果を用いて 経営内容の良否に応じてシステム使用料に格差を設ける,といったように,金 融機関に対してその経営内容の如何によってコスト面に差が出るような措置を 設けるとの考え方は,今後真剣に考慮されるべきであると思われる。
3. 各国の実情が示唆するもの 主要国中央銀行等における金融監督や考査のあり方を概観すると,イギリス や EU に端的に見られるように,金融監督政策の効率化の下に中央銀行の金融 機関監督・考査権限が弱まる方向にあり,強力な権能を備えた米国連邦準備銀 行(FRBs)でさえも他の検査機関との同質化,一体化を迫られていることな (30)
どが注目される。 (30)主 要 国 で は こ の 他 に オ ー ス ト ラ リ ア で,1998 年 の 金 融 制 度 改 革 に よ り 金 融 機 関 規 制 庁 (APRA:Australian Prudential Regulation Authority)が設立された結果,オーストラリア 準備銀行が従来保有していた金融機関監督・検査権限を奪われ,金融機関情報には直接アク セスすることができなくなった。
28
米国 FRBs は,明確な法的権限の下で対象金融機関に対しては確固たる監督 姿勢,先進的な考査検査手法を採って臨んでおり,改正日銀法の下で考査の法 定化がなった日銀としては,考査の手法,金融機関への姿勢など見習うべき点 が多々あることは事実である。しかしながら,FRBs は「中央銀行」といって も金融機関監督行政権限を有した政府機関でもあり,また,連邦制という国情 もあり,イングランド銀行や日銀等のように当初の限定された金融政策分野か ら発展して金融機関の経営内容を把握するに至った他の中央銀行とは大きく異 なった立場にあることにも,強く留意しておかねばならない。 FRBs に関してさらに注目されるのは,他の検査機関との協同関係を求めら れていることである。米国では複数の監督機関の検査を受けなければならない 金融機関が多いことから,ダブル・チェックによる金融機関経営の安定性確保 という観点からは望ましい効果を挙げていると思われるものの,その一方で金 融機関の受検負担は極めて大きくなる。このため,高月[1999b]によれば異 (31)
(32)
なる検査機関の同時検査の回避,問題のない金融機関への検査間隔の長期化, (33)
(34)
他の検査機関による検査報告の代用による検査省略,共同検査の実施,といっ た検査負担の削減,検査の効率化に大きく資する諸々の措置が講じられてい る。さ ら に,78 年 に は 5 つ の 連 邦 監 督 機 関(FRS,OCC,FDIC,OTS, NCUA)を正式メンバーとした連邦金融機関検査評議会(FFIEC:Federal Financial Institutions Examination Council)が結成された。同評議会の勧告 には法的な強制力はないものの,金融機関検査の原則,基準,金融機関から当 (31)FRBs は国法銀行の検査権限も有するが実施しておらず,OCC に任せている。FRBs として は,統一的な格付制度の下で OCC の検査結果を通じて経営内容を把握できる,銀行持株会社 の検査を通じて国法銀行も間接的に把握できる,といった点を考慮したものと考えられる。 (32)FDIC,各州監督局では,問題がないと判断した金融機関は,通常毎年 1 回の検査を隔年 1 回としている。 (33)監督機関相互では,監督権限の有無にかかわらず検査結果の交換を行なっている。この報告 を踏まえて,FDIC と各州監督局では,他の検査機関が検査を行なった金融機関については, その年の自らの検査を省略し,他の機関の検査報告書を利用したオフサイト・モニタリング にとどめている。 (34)FRBs,FDIC,州監督局では,必要に応じて合同検査チームを結成して検査を行なってい る。
第 2 章 欧米諸国の中央銀行考査を巡る動向 29
局への報告,同報告の様式等の統一化,共同化等を促しており,これも金融機 関監督・検査の効率化,金融機関の受検負担の軽減化等を促進するものであ る。しかしながら,その一方で,そもそも各監督機関は固有の事情や使命の下 で,対象金融機関の監督,検査を行なうようになった訳であり,効率化という 観点からだけで監督・検査の統一化を図る動きは,それぞれの組織の最終的な 使命達成に差し支えが全くないかどうか,疑問なしとはしない。また,統一化 が進展すればするほど,いかに法的な根拠が明確であったとしても,監督・検 査を複数の機関が重複して行なうこと自体への疑問が生じかねず,最終的には 各監督・検査組織の統一化を目指す動きにも結びつきかねない。これは,特に 「中央銀行」としての FRBs の立場からすると金融機関監督・検査権限を奪わ れてしまう可能性も完全には否定することはできず,LLR 機能の発動の観点 から支障も生じかねない。後述するように,実質的に次第に行政検査と同質化 を余儀なくされつつある日銀考査にとっても,米国でのこうした監督・検査権 限の動向は目をそらすことができない点である。 米国 FRBs 以上に注目されるのは,欧州の中央銀行の対応である。イングラ ンド銀行が 97 ∼ 98 年の金融監督制度改革により,金融政策面での独立性を大 きく獲得した一方で,個別金融機関からの直接的な情報収集に制限が加えられ たことは,LLR 機能の発動を期待される立場としては大きな打撃であったこ とは想像に難くない。すなわち,金融機関から広範囲の情報を収集するのは (35)
FSAであるとされ( The FSA gathers a wide range of information and data (36)
on the firms which it authorizes and supervises. ),イングランド銀行が直接 提供を要求できる金融機関情報は金融政策の運営上必要なものに限定されたか (35)英国では 1987 年銀行法により立入検査権を保持していたイングランド銀行でも,実際には 計数・資料の徴求に基づくヒアリングが中心であり,わが国の日銀考査のような包括的な立 入調査は行なわれなかった。このほか,外部監査人からの情報も活用された。FSA の創設後 は リ ス ク 管 理 重 視 の 監 督 手 法 RATE(Risk Assessment Tools of Supervision and Evaluation)が導入され,大手銀行グループ等への立入検査が強化されるといった変更がな されているが,その場合でも実際に帳簿類の調査を実施することは少なく,検査官による金 融機関経営者との面談が中心となっている(齊藤[2004b]pp.96 ∼ 100 を参照)。 (36)HM Treasury, the Bank of England and the Financial Servces Authority[1997]p.3 を参 照。
30
らである( The Bank similarly collects information and data that it needs to (37)
discharge its responsibility. )。もっとも,前章で触れたように金融政策とプ ルーデンス政策との利益相反を懸念する立場からは,金融政策に特化・専念す (38)
ることができるイングランド銀行の立場は望ましい状況にあるとも言えるし, さらに,イングランド銀行・FSA・財務省 3 者間の覚え書により,情報交換 を円滑化するためにイングランド銀行の副総裁が FSA 理事を兼ね,FSA 会長 がイングランド銀行の理事として加わることが制度化されたことなどにより, 同行は最低限必要な情報を入手できるルートは確保できている。しかし,異な る機関を通じた金融機関の経営情報はその入手に時間を要するし,また入手で きた内容は直接入手する場合に比べて微妙に異なってくることも考えられ,直 接情報と比べてその価値・内容が大きく損なわれる可能性がある。特にコンプ ライアンス重視の基本姿勢に現れているように,FSA が個別金融機関の健全 性や遵法性に関するミクロ情報の収集,評価にウェイトを置き過ぎた場合に は,金融システム全体の健全性に関する情報が不足し,LLR 機能の発動に関 してイングランド銀行が判断を誤る可能性さえあることは否定できない。 このような判断に至ったイングランド銀行では,金融システムの情報入手に 全力を挙げており,金融業界の構造変化やマクロ経済と金融部門の相互の影響 (39)
についてのリスク分析を行なう等,積極的な情報収集とその分析に努めている ものの,考査ないしオフサイト・モニタリングという個別直接的な情報収集手 段を封じられた機関が,いざ緊急事態という時に臨機応変に動き,また LLR (40)
機能をスムーズに発揮しえるかどうか,不透明である。また,前述の脚注で触 (37)HM Treasury, the Bank of England and the Financial Servces Authority[1997]p.3 を参 照。 (38)Goodhart[2000b]は,監督上の業績不振を託つ中央銀行の場合,それが中央銀行の力量に 対する評価に悪影響を及ぼし,その結果,金融政策等の責務を果たす能力にも悪影響を及ぼ すリスクがあり,金融政策と金融機関監督権限を分離されることは中央銀行にとっても利点 となる,との考え方を示している。 (39)イングランド銀行ではこうした分析結果に基づく同行の見解を,毎年 2 回(6 月および 12 月)公 表 す る Financial Stability Review (2006 年 7 月 以 降 は Financial Stability Report に改称)の中で示している。 (40)ブレア政権がイングランド銀行から銀行監督権限を取り上げ,新設の FSA に一元化した背
第 2 章 欧米諸国の中央銀行考査を巡る動向 31
れたように,3 者間の覚書によって LLR 機能発動の最終決定権限は財務相に 握られており,(実質的には 3 者間の協議で決定されそこでイングランド銀行 の意見を反映することができるとはいえ)この点からも中央銀行の自主的な判 断によって発動されるべき LLR 機能の本来の姿が大きく殺がれていることは 否定できない。こうした観点は改革当初からイングランド銀行自身が強く認識 していたようで,同行は 97 年の季報で副総裁名の記事(Deputy Governor, Bank of England[1997]を参照)を掲載し,「 (BOE は)監督機能を失い個々 の金融機関の経営実態を直接把握できなくなる一方で,信用秩序維持の責任を 果たさねばならない」と懸念を表明している。現在のイングランド銀行は,総 裁以下のさまざまなレベルでの面談を実施するなど民間金融機関と接触する機 会を極力多く設け,それによる情報の直接収集と所要の経営改善指導,即ち事 実上のオフサイト・モニタリングの実施に努めていると言われているが,それ は同行が現在に至るまでこうした危機意識を堅持してきたことの証左であると 考えられる。金融監督制度改革が実施され始めてから 8 年が経過し,幸いなこ とにこの間イギリスの金融・経済界は安定し,世界経済に大きな影響を及ぼす (41)
ような金融機関経営の危機も生じていない。しかしながら,将来そうした事態 に立ち至った場合,限定された権能しか有しない中央銀行が,果たして FSA との間の連携を効率良くかつ的確に行ない,当該危機を首尾良く乗り越えるこ とができるかどうか,現在のイギリスの金融監督制度は未だその試練を受けて 景に,91 年の BCCI 事件,95 年のベアリングズ事件にイングランド銀行が適切に対応できな かったためであると指摘する向きがあることは前に述べた通りである。例えばベアリングズ 事件に関連して湯野[1996](p.88)は,当時のフィナンシャル・タイムズ紙の社説を踏まえ て「監督当局たる BOE の問題も,新商品に対する対応ではなく,複合金融機関(financial conglomerates)に対する監督をもっと早く見直すべきであった」としている。銀行監督権限 をもち,直接情報収集を行なうことができた立場にいても,いざという時に適切な対応に失 敗することがあることを考えると,まして金融機関の直接情報から遠ざかった中央銀行がい かほどの行動が取り得るのか,定かではない。 (41)イングランド銀行が発行する Financial Stability Review 2005 年 12 月版は, 「商業不動産融 資の拡大,企業向けハイリスク与信の増加等」が主なリスク要因として指摘できるものの, 総じて「英国の金融システムは引き続き健全である」としている(BOE[2005]を参照) 。た だし,2007 年9月に至り,サブ・プライム・ローンの証券化商品問題に端を発した金融不安 の影響を受けて,中堅のノーザン・ロック銀行(Northern Rock)に対して,英国では 140 年振りの預金取り付けが発生したことは留意されるべきであろう。
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いない。97 年以降のイギリスにおける金融監督制度改革を最終的に評価する ことはまだ難しいと言わざるを得ない。 一方,ヨーロッパ中央銀行は,ユーロ圏が多くの国民経済の集合体であると の特殊事情等から金融監督権限や LLR 機能を全く有していないとする考え方 が大勢であるが,そうした実態面からの事情を十分勘案したとしても,ECB がユーロ圏内における金融システムの安定化に向けた直接的かつ具体的な権能 と手段をもっていない点について Goodhart(ed.) [2000a],Aglietta[2000], Prati and Schinasi[2000]等の多くの識者が批判している。これらの批判的 意見は,①緊急事態においては ECB と各国当局との協調には大きくは期待で (42)
きない一方,②引き続き EU 域内での経済統合が進み,金融・資本市場の一体 化,金融機関の国境を越えた提携・統合が進展することを展望すると,各国分 権型の現行監督体制ではシステミック・リスクが発生した場合に十分な対応が とれないおそれがあり,③ユーロの中央銀行である ECB が個別金融機関に対 する LLR 機能を備えることはそうしたシステミック・リスクを防ぐ上で不可 欠である,といった点に総括できる。前述したように,事実上のオフサイト・ モニタリングを頻繁に実施することにより情報収集面での弱点を極力カバーし ようとしているイングランド銀行に関しても,個別金融機関の重要経営情報を 直接入手する権限・機能を有しない中央銀行が緊急時に LLR 機能を適切に発 揮し得るかどうかという点に関しては疑問が呈されている。まして,金融監督 の権能とそのための手段を全く有さない ECB を中央銀行として戴くユーロ圏 の金融システムは,常時不安定要因を抱えた構造になっているとの懸念が存在 していることには留意しておく必要がある。 以上の 3 つの中央銀行の監督・考査の実状を踏まえると,従来から幅広く立 ち入り調査を実施している上に,改正日銀法で考査権限が法定化された日銀考 査は,ヨーロッパ中央銀行は勿論,イングランド銀行よりもその立場は強く, どちらかと言えば FRBs に近い状況と言えよう。しかし,イングランド銀行, (42)LLR 機能を有しない中央銀行(ECB)に対して,緊急時において各国監督当局が全て積極 的に情報を提供するかどうかは,極めて不確定な面として残されている。
第 2 章 欧米諸国の中央銀行考査を巡る動向 33
ECB,さらにはオーストラリア準備銀行など主要な中央銀行における金融機 関監督権能の比重が低下する傾向にあるとの事実は,わが国において日銀が今 後も継続的に考査を実施していく必要性を強く主張していく上で障害になり得 よう。強力な権能を有し積極的に金融機関の経営内容をチェックしている米国 FRBs でさえも,検査の効率性の観点から他の検査機関との協同,検査内容に 統一化の圧力が常にかかっていることを勘案すると,わが国においても検査・ 考査の double standards を金融機関に強い続けることは容易ではない。特に, 後述するように法定化によって金融機関に対する権能を実質的に強めた日銀考 (43)
査は,それが故に FRBs と同様に金融機関監督の効率化にも配慮せざるを得な くなっており,今後の考査継続に当たっては,中央銀行による監督機能を取り 巻くこうした世界的な潮流を十分勘案して対応していく必要がある。
(43)改正日銀法で考査が法定化されたのは,90 年代の金融危機時における大蔵省(それは英国 ではイングランド銀行に対応する立場にあった)の対応の失敗の結果,監督当局内でのバラ ンスが多少日銀に傾いた結果であると考えられ,日銀考査自体の諸施策の結果ではない。こ の点については第 7 章で論じている。
第 3 章 中央銀行と LLR 機能 35
第3章 中央銀行と LLR 機能
本章および次章では,第 1 章で提起されたような,中央銀行が LLR 機能を 発揮することやそのために情報収集を目的とした金融機関考査を実施するな ど,プルーデンス政策分野に関与することの是非について検討を加える。 本章ではまず,決済システム全体の安定的運営の確保に責務を有する中央銀 行としては,決済の担い手である個別金融機関の経営の不安定化は,そのまま 放置しておくと決済システム全体に波及する可能性があり,それを回避するた めには LLR 機能を緊急に発揮せざるを得ない立場にあること,また LLR 機能 もそのような考え方から中央銀行に備わってきたものであることを指摘する。 しかしその一方で,中央銀行が LLR 機能を発揮することは金融政策との利益 相反が生じかねず好ましくないとの批判がある上,中央銀行資産の毀損に繋が りかねず,また「常に中央銀行が救ってくれる」との金融機関経営者のモラ ル・ハザードも招来する可能性があることなどから,安易な発動は慎まねばな らないことを強調する。そして,真に LLR 機能の発動が必要か否かの判断を 下すためにはそのための判断基準を設けるとともに,基準合致性を迅速かつ的 確に判断するために日ごろより金融機関経営の実情に通じていることが必要で あることを指摘する。
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1. 決済システムの安定化と中央銀行 1.1 決済システムの安定化 中央銀行がプルーデンス政策分野に関与し,個別金融機関の経営内容の把握 に努め必要に応じて経営改善指導を加えようとする背景を理解するためには, まず決済システムと中央銀行との関係を確認しておかねばならない。中央銀行 の使命は,通貨価値の維持(物価の安定)と決済システムの安定的な運営であ る。現代の市場経済の下で日々なされる膨大な資金決済の安定確保は国民経済 の発展の大前提であり,何らかの理由で資金決済が滞ることは国民経済に多大 の悪影響を及ぼす。わが国の中央銀行である日銀も「銀行その他の金融機関の 間で行われる資金決済の円滑を図」ることがその大きな目的として定められて いる(日銀法第 1 条)のはそのためである。 このために日銀は安全かつ効率的な決済手段として,銀行券と当座預金決済 システムを提供している。特に,日銀当座預金口座を使って金融機関間の資金 の最終的な決済を行う当座預金決済システムは,金融機関が巨額の資金決済を 安全に効率よく行うことを可能にするわが国の基幹的な資金決済システムであ (1)
る(2005 年中の一日平均決済額は約 88 兆円)。巨大なネットワークシステム の構築など,巨額の支出を負担してまでも日銀が当座預金決済システムを提供 しているのは,「予定通り行われない場合にはわが国の決済全体を混乱させて (2)
しまう可能性が大きい」支払いをこのシステムで決済することにより,わが国 の決済システム全体の安全性を確保しようとするためである。 中央銀行はまた,自ら提供する決済システムだけでなく,他の民間主体が提 供するシステム(わが国では内国為替制度,外国為替円決済制度,手形交換制 度などの決済システム)のリスク管理や効率的な運営にも目配りし,必要に応 じてその改善に向けた働きかけ(オーバーサイト<oversight>)を行ってい (1)日銀では,巨額の決済が安全で効率よく行われるよう,コンピュータ・ネットワークシステ ム(日本銀行金融ネットワークシステム<略称:日銀ネット>)を構築し,同システムを使用 して決済業務を遂行している。 (2)日本銀行[2002f]p.66 を参照。
第 3 章 中央銀行と LLR 機能 37 (3)
る。このオーバーサイトは民間決済システムのあり方によって一国の決済シス テム全体が脅かされることを防ぐことを目的としており,効率性にも配慮しつ つシステムの設計や運営,参加者の適正性等の面においてリスクの適切な管 (4)
理・削減が図られているか,という点が重視されている。決済システムにおけ るリスク管理の徹底を図る中央銀行の努力は,わが国では,2001 年初から実 施された日銀ネットにおける即時グロス決済化(RTGS:Real Time Gross (5)
Settlement) ,民間主体決済システムでは PVP,DVP 等の同時決済といった 形で結実している。
1.2 個別金融機関のリスク管理 しかし,決済システムの安定は,システム全体のリスク管理を注視している だけでは達成されない。いずれの決済システムもその構成員である個々の金融 機関が済々とその決済業務を果たすことで安定が確保されるのであり,それが 故に中央銀行は個々の金融機関の経営内容とリスク管理状態に最大限の関心を 払わざるを得ないとするのである。 言うまでもなく金融機関は金融取引の仲介を行い,時には一方の当事者とな (6)
り取引に伴うリスクをとる(risk taking)ことによって収益を得るが,不幸に してリスクが顕現化した場合には金融機関は損失を被る。その損失は最終的に は当該金融機関の出資者が負担し,損失額が自己資本を上回ると債務超過にな る。また,そうした巨額の損失の存在を聞きつけた預金者は自らの預金の解 (3)日銀と決済システム分野との関係,特に日銀による決済システムのオーバーサイトについて は日本銀行[2002f]が詳しくかつ的確に整理している。 (4)BIS の支払・決済システム委員会(CPSS)は 2005 年 5 月に出した報告書「中央銀行による 決済システムのオーバーサイト」の中で,「オーバーサイト機能が中央銀行の中核的な責務と して一般的に認知されるようになった」と強調している。CPSS[2005]を参照。 (5)日銀ネットにおける決済の RTGS 化の詳細については日本銀行[2001]を参照。 (6)金融機関が抱える諸リスクの分類法にはいくつかあり,また同じ概念でも異なる用語が使用 される場合(例えば事務リスク,業務リスク,オペレーショナル・リスク等)もあるが,日本 銀行考査局作成「リスク管理チェックリスト」では,①信用リスク,②金利・価格変動リス ク,③為替リスク,④流動性リスク,⑤事務リスク(オペレーショナル・リスク),⑥ EDP リ スク(システム・リスク),⑦経営リスク,⑧システミック・リスクの 8 リスクに分類してい る(横山監修[1989]資料編 pp.7 ∼ 19 を参照)。
38
約・引出しを求めて金融機関に殺到する(預金取り付け,bank run)が,現 代の部分準備制度の下では金融機関はすべての預金解約に応じることはできな い。預金引出以外の資金決済にも応じられなくなり,その金融機関の経営は破 綻し爾後の業務継続は許されなくなる。Diamond and Dybvig[1983]は,銀 行は要求払い預金を受け入れて金融仲介機能を提供することにより発展する が,要求払い預金への取り付けは貸出の回収,生産的な投資の中断をもたら し,健全な銀行さえも倒産させ実体経済に問題を生じさせる可能性があり,そ うした場合には預金保険ないし中央銀行の LLR 機能発動による救済が必要で あることを指摘している。このように,金融仲介業務を営む金融機関はそこか ら利益を得る一方で,常に預金取り付けを招来しかねない諸リスクと背中合わ せの状況にあり,従ってリスクが現実のものとなり損失を計上せざるを得ない 事態を回避する対策を講じるとともに,やむを得ない場合にも損失額を最小化 することを目指さねばならない。 いずれの決済システムもこのようなリスク特性をもつ金融機関によって構成 されているため,メンバーとしてどの金融機関の参加を認めるかは重要なポイ ントであり,そのリスク管理状況などを慎重に見極めて選定する必要がある。 日銀が自ら主宰する当座預金決済システムへの参加を求める金融機関に対し て,その条件として考査の実施受入れを求めている理由もここにあり,また, 参加を認めた後にも定期的な考査を通じて経営内容やリスク管理状況をチェッ クし,場合によっては改善指導を行う必要があると主張しているのも,同じ理 (7)
由によるものである。 さらに,支払い不能(ないしそのおそれがある)金融機関が出現した場合に は,前出の Diamond and Dybvig[1983]が指摘するように,その決済不能が 他の健全な金融機関に波及し決済システム全体が決済機能を発揮できなくなる (7)日銀では,当座預金取引先の選定に際して「業務および経営の内容ならびに事務処理体制に 問題がないこと」を選定条件のひとつとしており,考査等を実施して,その経営内容の健全度 合い,各種リスクのプロファイルとその管理状況,さらには日々の資金繰り等を把握するとと もに,必要に応じて改善に向けた努力を促している(「日本銀行の当座預金取引または貸出取 引の相手方に関する選定基準」および「当座預金取引の相手方に関する選定基準細目」を参 照) 。
第 3 章 中央銀行と LLR 機能 39
可能性(システミック・リスク)も懸念される。このため中央銀行は,①早急 (8)
にその金融機関を決済システムから離脱させるとともに,②緊急融資等の特別 措置(すなわち LLR 機能の発動)を講じることにより,預金の取り付けなど 所要の支払いに当てるための資金を確保させ,決済不能が他の金融機関へ連 鎖・波及するのを防止しようとするのである。
2. 中央銀行と LLR 機能 2.1 LLR 機能 このように,いずれの国の金融システムも,その中核的決済システムを構成 する金融機関の経営状態如何によって決済システム全体の安定性が左右される という構造的脆弱性を有している。金融機関経営の安定性は,かつては「護送 船団方式」金融行政によって維持されたが,金融自由化が進展し諸規制が撤廃 され, 「マーケットによる規律」を軸としたものに変化した。しかし,マーケ ット全体として常に客観的に正確な判断が下されるとは限らず,「情報の非対 称性」や「マーケットによる規律の不完全性」を払拭しリスク顕現化を回避す ることが現実にはできないとすると,マーケット・メカニズムの欠陥や失敗を 補完,補修するための公的な政策,すなわち政府・中央銀行による個別金融機 関経営の健全性維持政策としてのプルーデンス政策の実施が求められてくるの である。こうした観点から中央銀行は,「個別金融機関の資金繰りや経営の破 綻,あるいは決済システム上の何らかの混乱が金融システム全体の動揺につな がる恐れがある場合で,かつ個別の金融機関では対応できないような場合に, (9)
金融機関等に対して信用供与を行い,信用制度の安定を図ること」を果たそう とし,またそれが強く求められていると主張するのである。この,「個別の金 融 機 関 で は 対 応 で き な い」 ,す な わ ち 中 央 銀 行 が「最 後 の 拠 り 所」 (Last (8)日銀では,経営破綻が確認された金融機関については,その時点からその金融機関を相手と する日銀ネット ・ システムを用いた取引を不能とするシステム上の措置を取ることにより,日 銀ネットを用いた決済システムから当該金融機関を引き離している。 (9)折谷[1994]p.198 を参照。
40
Resort)として登場し緊急融資などの特別措置を実施する機能が Lender of Last Resort(LLR)機能である。 LLR 機能はいかなる効果を期待してどのような金融機関に発動されるべき か。これに対しては,理論的には,債務超過に陥った(insolvent な)金融機 関への発動も含めるかどうか,を中心にさまざまな議論がなされて来た。古く はまず Thornton[1802]が「中央銀行はショックが金融システム全体に広が ることを防止する責任を有し,個別銀行の倒産が他行に波及するとすれば,そ れは中央銀行の責任である」と一般的に LLR 機能の発動の必要性を述べ,そ の後 Bagehot[1873]が「金融パニックが発生し健全な銀行が流動性不足に陥 った場合には,他の健全銀行の連鎖倒産を防ぐために,中央銀行は豊富な流動 性を当該銀行に供給しなければならない」といわゆるバジョットの原理を主張 し,健全銀行に対する LLR の供与の必要性を説いたことはよく知られてい (10)
る。 このように,当初は健全銀行にのみ中央銀行信用の供与が許されるとの考え 方が一般的であり,現代でも,Meltzer[2003]のように「今日の部分的準備 制度の下では,銀行が預金引出に対応できるほど素早く資産を売却できない場 合には,liquidity crisis が発生する。こうした事態に唯一貸出を実行でき,ま たそれを厭わないのは中央銀行だけである」として,solvent but illiquidit な (11)
金融機関に対する LLR 機能の意義を強調する意見も聞かれるが,現在では健 全(solvent) ,不健全(insolvent)を問わず救済するべきであるとの主張も強 まっている。すなわち,Goodhart[1987]は「銀行は実質価値が不確実な資 産<主として貸出>と名目価値を保証した負債<主として預金>というポート フォリオ構成の下で,取り付けやシステミックな危機を招くリスクを内蔵して (10)Bagehot[1873]p.187 を参照。なお,バジョットの原理は,必要に応じて無制限に中央銀行 信用を供給するべきであると同時に,それは「非常に高い利率」を課して行われるべきであ る(lend freely at a high rate)というものである(金井[1989]p.129 を参照)が,LLR の 金利についてはここでは議論しない。 (11)Meltzer[2003]pp.48 ∼ 49,64,730 を参照。Meltzer と同じマネタリストでも,Friedman [1960]等は, 「今日では取り付けの拡大を含む liquidity 危機はほとんど発生しないので,中 央銀行による LLR 発動も最早必要がない」との認識を示している。
第 3 章 中央銀行と LLR 機能 41
おり,そのリスクが顕現化しないように個別の insolvent な銀行も救済する責 務を負っている」と主張し,Solow[1982]も「部分的準備に基づく金融シス テムは基本的に取り付けの危機を孕んでおり,一旦それが発生すると健全な銀 行もプレッシャーにさらされるので,取り付けは伝播する。金融危機の影響は 金融システム内部に止まらず,実体経済全体に及びかねない。従って,金融シ ステムは全体として LLR により守られるべきである」としている。 これに対して中央銀行実務界を中心に,健全銀行に限定するべきであるとの 考え方も根強い。例えば三重野[1994]は LLR の対象を「支払い不能がごく 一時的な流動性不足によるもの」に限定し,「支払い不能の原因が資産・負債 バランスの悪化による大幅な債務超過といった,経営の完全な行き詰まりに起 因するものである場合」には「当該金融機関の清算,あるいは他機関による合 (12)
併といった形で最終処理を行う」ことが必要であるとしている。もっとも,三 重野[1994]が書かれた後に発生した金融危機では,山一證券特融などに見ら れるように,こうした区別なく一様に日銀特融が発動されたことは記憶に新し い。 なお,金融機関が流動性不足という内在的な不安定要素を抱えるのは,決済 と金融仲介がひとつのバランス・シート上で行われるためであるとして,部分 準備制度を前提とする金融機関の脆弱性(預金の取り付けの殺到)から決済シ ステムを守るために,決済機能は流動性の高い資産のみを保有する独立したバ ランス・シートで限定的・専門的に行うべきであるとする Narrow Bank 論が (13)
近 年 米 国 で 高 ま っ た。Tobin の 預 金 化 通 貨 論(100% 準 備 論) ,Litan の (14)
(15)
Narrow Bank 論,Bryan の Core Bank 論等が著名であるが,金融仲介業務を (12)三重野[1994]p.194 を参照。 (13)トービン[1985]は,金融機関の特定の債務に対応する資産を分別管理すること,具体的に は要求払い預金について 100%の準備を中央銀行預け金として積ませることを提案している。 (14)Litan[1987]は,預金受け入れ銀行の保有資産は安全な財務省証券等に限定し決済機能の 安定性を確保し,貸出業務は CP や金融債等で原資を調達するノンバンクが行うべきだと主 張している。 (15)Bryan[1991]は,最近の米国での銀行破綻の多くは,コアバンク業務(預金の受け入れ, 個人・中小企業向け貸出等)から逸脱した発展途上国向け貸出,大規模不動産融資,LBO 融 資等の不良化から発生しており,決済システムや小口預金者の保護のためには,政府のセー
42 (16)
営めない決済銀行が収益的に成り立つかどうか疑問であるし,顧客に対して決 済用資金を供給できない決済銀行では,当該顧客が他から決済用資金を入手で きない場合にはその決済自体が不能となってしまう等,現実に機能するかどう (17)
か疑問無しとはしない。従って現実には,脆弱性が露見した金融機関に対して は中央銀行の LLR 機能の発動で乗り越えていくしかないのである。
2.2 LLR 機能発生の背景 LLR はどのようにして中央銀行の重要な機能として位置づけられるように なったのであろうか。Goodhart[1995]は,中央銀行が LLR 機能を発揮する ようになった背景について,イングランド銀行を事例にその歴史的な経緯・要 (18)
因を絡ませながら,以下のように整理している。周知のように,スウェーデン やイギリス等の早くから中央銀行が発展してきた諸国では,中央銀行は当初 「政府の銀行」との性格をもって創設されたが,その後民間金融機関と競争す るかたちで預金・貸出の業務を拡大していった。従って,19 世紀の末頃まで はイングランド銀行は民間金融機関の救済に冷淡であった。例えば,1866 年 にイギリス商業銀行オーバーレンド・ガーニー商会の経営が破綻した際に,イ ングランド銀行はビジネス上のライバルでもあった同商会の救済に極めて消極 (19)
的であった。これに対して Bagehot[1873] (pp.160 ∼ 207)は,例え法人格 は民間銀行であり金融ビジネスの分野で私的に競争をしていても,中央銀行は 公益のために活動するべきであると批判した。 イングランド銀行のこうした姿勢は 19 世紀末に至って変化し,1890 年に同 フティ・ネットの対象をこれらコアバンク業務に限るべきであると主張している。 (16)歴史的には,もともとリザーブの保管人であった者がより多くの利益を求めて,保管するリ ザーブの一部を貸し出すことによって銀行になったのであり,規制によって 100%準備を銀 行に課せば,リスクを削減すると同時に利益をも奪うこととなる。 (17)吉田[2002a]も同様の疑問を呈している(p.185)。 (18)Goodhart[1995]pp.333 ∼ 335 を参照。 (19)ガーニー商会の経営破綻の経緯等を丹念に追った鈴木[1998]によると(p.213),「イング ランド銀行とオヴァレンド・ガーニィ商会㈱の両者の間に,手形割引業をめぐりライバル関 係が形成され,これがイングランド銀行を救済に関して消極的な態度に導いたとする見解は, 現在では常識化している」としている。
第 3 章 中央銀行と LLR 機能 43
行は,アルゼンチン債券投資に失敗し経営破綻に瀕した巨大マーチャント・バ ンクのベアリング・ブラザーズ商会を救済した。従前の消極的な姿勢を転換し 破綻金融機関の金融支援に積極的に取り組み始めたのは,同行が政府に準ずる 公的な金融当局としての地位,役割を獲得しようという狙いが込められていた と言われている。こうした取り組みが,中央銀行にミクロ経済的機能としての LLR を定着させ,さらには金融システム全体の安定性を維持することにまで (20)
その役割が拡大されていくこととなった。 その後,第二次世界大戦を経て現在に至る半世紀の間に LLR 機能は,その 性格や位置づけをかなり変えてきている。Deane and Pringle[1994]によれ ば,例えば経済復興を最優先せざるを得なかった終戦直後のイギリスでは,金 融政策も雇用と経済成長を支えるのがその役割であるとされ,LLR 機能も短 期金融市場の資金不足を解消するために日常的に発動されるべき流動性供給の (21)
手段と看做された。しかし今日では,中央銀行が LLR 機能により一時的な流 動 性 不 足 に 対 し て 追 加 的 な 流 動 性 を 供 給 す る の は,前 出 の Diamond and Dybvig[1983]も指摘するように,支払い能力が不足した個別金融機関を救 済するためではなくて,決済システムを維持するために,すなわち個別金融機 関のトラブルが信用秩序の維持,金融システムの安定性を脅かす可能性がある (22)
時に発動されるべき,とのシステミック・リスク回避策として考えられるよう (20)もっとも,イングランド銀行は 1946 年の国有化までは,民間株主が所有する民間銀行であ った。このため,LLR 機能を発揮するためとはいえ,金融支援の規模には民間銀行としての 限界があり,イングランド銀行自身で吸収可能な損失の範囲内でしか資金供給はできなかっ た。従って,同行単独で破綻金融機関の救済や金融システムの安定を図ることは難しく,大 方は同行が主導して金融支援銀行団を編成して対応した。こうして中央銀行は,金融支援銀 行団を組成するオーガナイザー役割を同時に果たすようになり,これはイギリスだけではな く,世界の主要国の中央銀行に普及した姿勢となって現在に至っている。中央銀行がこうし た役割を果たすことについて Goodhart[1995]は,「中央銀行は救済される銀行と支援する 銀行とのどちらに対しても事実上競争しない存在であるため」と説明している(pp.333 ∼ 335) 。 (21)Deane and Pringle[1994]pp.186 ∼ 187 を参照。 (22)ここでいう「信用秩序の維持,金融システムの安定性」について池尾[1995]は, 「本来は 決済システムの防衛ということに限定して用いられるべきである。 (中略)それ以上広げて金 融秩序ということを言うのは,業界の競争制限的な体質を容認することでしかないからであ る」として,かつての護送船団方式による金融行政下における業界秩序と信用秩序とが混同
44
になっている。
3. LLR 機能の発揮に対する批判 3.1 LLR 機能と金融政策との利益相反問題 以上のように,緊急時における LLR 機能の発揮は,決済システムの安定的 運営に責任を有する中央銀行の必然的な業務として認識されるに至っている が,その一方で LLR 機能は中央銀行の金融政策運営上などの観点から問題を 孕んでおり,従って,LLR 機能の発揮に繋がりかねないプルーデンス政策の 分野に中央銀行が関与すること自体も好ましくない,との批判的な見解が存在 している。 ち な み に 金 融 機 関 に 対 す る「監 督(supervision)」は,厳 密 に は「規 制 (regulation) 」と狭い意味の「監督」の異なるふたつの概念から成り立ってい る。「規制」は金融機関や金融市場に対して,その業務の認可,業務範囲,業 務遂行時のルール等の枠組みを決定する法行為であり,日本では法的権限を持 って金融機関の認可や業務内容の規制を行う金融庁等の行政機関が「規制当 局」に当たる。一方「監督」は,金融機関経営の健全性と金融市場の安定性を 確保するために個別金融機関の業務内容を監視・モニタリングする等の行為で あり,金融庁による金融検査(bank examination)や日常のヒアリング,日 銀による考査(bank examination)やヒアリング(off-site monitoring)が「監 督」に当たり,この場合の金融庁や日銀は「監督当局」に該当する。ここでの 議論は,中央銀行によるこうした狭義の「監督」行為とその結果としての LLR 機能の発動の是非に関わるものである。 批判的な見解の最大のものは,第 1 章で述べたように,LLR 機能の発揮は 中央銀行の中核的な使命である金融政策との利益相反に直面する可能性がある と す る も の で あ る。第 1 章 表 1-1 に 示 し た よ う に,Cargill[1989]や Goodhart and Schoenmaker[1995]などは,①中央銀行がプルーデンス政策 されることがあってはならないと強調している(pp.149 ∼ 150)。
第 3 章 中央銀行と LLR 機能 45
に関与し LLR 発揮等の責任を持つようになると,例えばある民間金融機関の 経営が困難になり,それが決済システムに悪影響を与える可能性が高いと判断 される場合には,当該金融機関を破綻させかねない金利引き上げは先送りする 等,金融政策が妥協を余儀なくされ,金融政策の決定過程にインフレ・バイア スがかかる。そのため中央銀行は,②当該金融機関の経営問題の解決を優先せ ざるを得ず,物価の安定という中長期的な重要課題への取り組みがなおざりに されかねない。また,③金融不安が拡がる中で,中央銀行がマクロ経済政策的 な観点からの判断よりも,個別金融機関の経営維持を優先し LLR 機能によっ て追加的,継続的に流動性を供給すると,物価安定を損なう危険性も生じる, と主張している。 (23)
また Capie et al.[1994]によると,そもそも当初は民間商業銀行と競合す るライバル関係にあった中央銀行は,次第に金融システム全体の安定性を確保 する責務(具体的には LLR の発揮)を受け入れ,次には金融機関の監督を自 らの業務として受け入れていく。しかしそれは,法律や慣習法により金融機関 を直接に監督するのではなく,金融機関の自主規制を原則として市場の運営に 当たり,その自主規制が機能しなくなった局面において初めて直接介入すると いうクラブ・アプローチが主流であった。しかし,1970 年代以降は金融機関 による自主規制が行き詰まりをみせ,金融機関行動の枠組みを法定し,法的な 権限・強制力をバックに中央銀行が直接的に介入するか,自主規制団体に権限 を委ねるアプローチに移行した。これは,世界的なインフレと金融自由化が進 展する中で,金融機関の経営には安定性と効率性の相反関係が強まり,また金 融市場には新規参入が増えた結果,金融機関経営者の良識と相互牽制を基盤と した従来のクラブ・アプローチ方式が機能しなくなったためである。クラブ・ アプローチによって金融システムの安定性が確保されていた時期には中央銀行 は直接表に出る必要はなく,監督機能と金融政策が利益相反関係になることは さほど強く意識されなかったが,このアプローチが行き詰まり,金融機関経営 の健全性と決済システムの安定維持を図るために中央銀行が前面に出ざるを得 (23)Capie et al.[1994]pp.79 ∼ 80 を参照。
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なくなるにつれて,金融政策との利益相反が強く意識され出し,中央銀行は金 融機関に対する監督権限をもつべきではないとの意見が高まってきたとしてい る。 こうした批判的な見解に対しては,金融政策は金融システムをその波及経路 として実施され,また必要な通貨の供給,流通は金融システムを経由して行わ れ,さらに経済取引の決済は金融機関間の資金決済を通じて行われることか ら,中央銀行が金融界の動向や個別金融機関の経営状況を直接把握しリスク管 理レベルの向上を求めることにより,決済システムの健全性が確保されれば円 滑な取引決済,効果的な金融政策の遂行に寄与する,との反論が一般的であ る。こうした考え方は特に中央銀行実務界には根強く,例えばイングランド銀 行のクイン元理事は「中央銀行が金融システムの健全性確保に最優先の利益を 見出さなければ,金融政策の実行は失敗するか,あるいは不能に陥る」と主張 (25)
し,同じくイングランド銀行のマクマホン元副総裁も「金融政策は金融システ ムの状況を考慮に入れるべきであるとの考え方が正しい局面も現実には多々あ (26)
る」と主張している。わが国でも,三重野元日銀総裁は「物価の安定と金融シ ステムの安定は互いに因となり果となる密接な関係にある」として中央銀行は 金融政策と個別金融機関の健全性維持政策(プルーデンス政策)のいずれにつ (27)
いても責任と権限を有するべきである,と主張している。米国では,グリーン スパン FRB 議長(当時)が金融機関の規制・監督機関権限を FRB から分離 するとのクリントン政権からの提案に対して,「連銀から銀行監督権限を剥奪 (28)
すれば,金融危機を予防・管理する連銀の能力は大きく制約される」と強く抵 抗しこれを潰してしまったことは著名である。 (24)第 1 章で触れたように,そうした懸念が現実化したのが日銀によるゼロ金利政策と量的緩和 措置である。 (25)Quinn[1993]を参照。クイン元理事は「金融政策とプルーデンス政策を完全に分離してい るドイツですら,プルーデンス政策の決定に際して銀行監督局はドイツ連銀との間で事前協 議を行い,合意を得て行っている」として,金融政策とプルーデンス政策とは分かち難い関 係にあることを強調している。 (26)Treasury Civil Service Committee, House of Commons[1993]を参照。 (27)三重野[1994]p.194 を参照。 (28)Greenspan[1994]pp.382 ∼ 385 を参照。
第 3 章 中央銀行と LLR 機能 47
また,Goodhart[1995]も,①中央銀行は LLR 機能によって投入した金額 を公開市場操作によって直ちに吸収し,流動性を望ましい水準に戻すことがで きる,従って② LLR 機能は金融機関間の準備の分配比率を変更することはあ っても,中央銀行が目指すハイパワード・マネー目標を直接的に緩めることは ない,として,金融政策との利益相反関係が生じる可能性は実際には薄いとし (29)
ている。 しかしながら,単発的な LLR 機能の発動の場合には Goodhart の考え方も 当てはまるであろうが,バブル経済崩壊後に巨額の不良債権問題がマクロベー スで発生し,それに対処するために多数の金融機関に対して多額の中央銀行信 用を供与せざるを得なくなるようなケースでは,金融政策,プルーデンス政策 のそれぞれの目的の矛盾が顕現化する可能性は否定できない。例えば,日銀は 昭和金融恐慌時に巨額の救済融資を強いられたが,その早期回収方針にもかか わらず,昭和恐慌などの影響を受けて長期にわたる未回収に悩んでいる(白鳥 [2005]を参照)。巨額の中央銀行資金が注入されるような事態では,通貨価値 の維持という金融政策の目的と対立する場面が起こりえることは完全には否定 できず,その観点から,LLR 機能の発揮には慎重な姿勢で臨むべきであると 言えよう。
3.2 中央銀行資産の毀損,モラル・ハザード発生等の可能性からの批判 中央銀行の LLR 機能発揮に対する 2 番目の批判は,LLR 機能の発動が中央 銀行資産を毀損し,最終的には上記と同様に的確な金融政策運営を妨げる可能 性があるとの主張である。山一證券破綻時の日銀特融が一部未回収となってい る実例を挙げるまでもなく,発動した LLR に未回収部分が生じた場合には中 央銀行の不良債権となる。中央銀行資産は通貨の発行保証(準備資産)であ り,中央銀行はその財務体質を常に良好に保ち,もって通貨に対する信認を確 保し,国民経済の一層の発展の基盤を提供する責務がある。歯止めのない信用 供与によって中央銀行資金が流出すれば通貨供給量の増加により貨幣価値は (29)Goodhart[1995]p.339 を参照。
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徐々に損なわれるし,回収できず不良債権化すれば中央銀行の財務状況の悪化 (自己資本比率の低下)を招き,中央銀行に対する内外からの信認は低下す る。例えば植田[2003]は,債務超過に陥った中央銀行の金融政策がそれによ って歪められるか,との命題に関して,過去の世界の中央銀行の実例を挙げ て,「現実に多くのケースで物価安定の目標を追求するのが困難となり,高率 のインフレーションが生じている」と指摘し,その理由として「債務超過を自 らのオペレーションで克服しようとすれば,多額の通貨発行益を稼ぐ必要があ り,そのためには高率の通貨供給,インフレが必要になる。一方,債務超過を 埋めるために財政措置が論議されたり,発動される場合には,その規模,タイ ミング,是非等について財政当局の裁量権や介入の余地が強まり,物価安定と は必ずしも整合的でない政策目標が中央銀行を縛る可能性がある」としてい (30)
る。Stella[1997] ,同[2002]によれば,債務超過に陥った中央銀行の事例は 中南米諸国に多く,一部アジア,アフリカ,東欧の中央銀行にも見受けられる (77 年から 79 年にかけては西独連銀も債務超過を経験している) 。債務超過に 陥った原因は多々あるが,多くのケースにおいて物価安定目標を追求すること が困難になり高率のインフレーションが発生する等,中央銀行の政策が債務超 過状態によって歪められたとして,「中央銀行政策に対する国民の信認を得る (31)
ためには,中央銀行はその財務体質も強めなければならない」としている。従 って,こうした中央銀行財務の健全性確保の見地からも,LLR 機能は極力限 定的に発揮されなければならないとの主張がなされることとなる。 さらに,LLR 機能への批判の 3 番目のポイントは,緊急時には常に中央銀 行が信用供与により救ってくれるとの心理が金融機関経営者に生じ(モラル・ ハザードの発生),当該金融機関はリスキーな経営に走り健全性を損なう可能 性があるなど,LLR 機能の発動と個別金融機関の経営健全性維持とは相反す る関係が潜んでいるという主張である。この点について Stern and Feldman [2004] (pp.12 ∼ 13)は, 「特に大銀行では『どのようなトラブルに陥っても, (30)植田[2003]p.6 を参照。 (31)Stella[2002]p.32 を参照。
第 3 章 中央銀行と LLR 機能 49
必ず中央銀行や政府機関が介入し救済してくれる』との認識(大銀行は大き過 ぎて潰せない─ too big to fail )が強まり,それは金融機関経営者のモラル・ ハザードを拡大しかえって金融システムの安定性を損ないかねない」と指摘し ている。このためコリガン元ニューヨーク連銀総裁はことある毎に,LLR も 含めたセーフティ・ネットの発動について「いかなる者も当然に救済されると いった期待を持つことのないよう,事前に『セーフティ・ネット』の発動が当 然とは予測できないようにしておくこと」が重要であり,いわゆる「建設的な 曖 昧 さ(constructive ambiguity) 」を 残 し て お く べ き と 主 張 し た。三 重 野 [1994] (pp.200 ∼ 203)もこの「建設的な曖昧さ」を高く評価し,①セーフテ ィ・ネット適用原則は個々のケースについて曖昧さが全く生じないほど明示的 ではない,しかし②中央銀行の対応が「場当たり的だ」と言われないだけの一 貫性を備えていなければならない,③すべての金融市場参加者の間でセーフテ ィ・ネット発動基準が理解されている,との基本的認識が明確にされる必要が (32)
あるとしている。 最後に,金融機関の経営破綻やそれに伴う信用不安の発生は突発的に生じる ことが多く,その対応には緊急性と機動性が重視される。しかし,財政資金の 支出には法律・条令の制定など議会の決定が必要でありそれなりに時間を要す るのに対して,中央銀行資金の支出にはそうした歯止めもなく,高い流動性供 給能力と迅速な対応力を備えている中央銀行の役割は極めて重要である。それ 故に,政府・金融界ともに安易に中央銀行資金へ頼りがちとなり,野放図な中 央銀行信用の供与に繋がりかねない可能性があるとして,その点からも LLR 機能の発動には何らかの歯止めをかけるべきであるとの意見は多い。 以上のような,中央銀行による LLR 機能は抑制的に発揮されるべきである との見解に対しては,中央銀行自身もこれを肯定的に捉え,LLR の発動を慎 重に行うためには,その発動基準を事前に明確に定め,それを公開した上で, 個々のケースが発動基準に合致するか,慎重に検討していく必要があると主張 する中央銀行も存在する。90 年代の金融危機に際して多くの特融発動を余儀 (32)三重野[1994]を参照。
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なくされた日銀が 99 年に特融発動の 4 原則を制定したのも,同様の判断に基 づいているものと考えられる。
4. 日銀特融とその発動基準 4.1 日銀特融の発動実態 LLR 機能の発揮は慎重に行わなければならないとする考え方を前提とする と,これまでのわが国における LLR 発動(日銀特融)の事例はどのように評 価できるであろうか。 言うまでもなく経営危機に陥った金融機関の救済は,本来的にはあくまでも 政府の責務であり,中央銀行による LLR 発動は緊急避難的な措置の一環に止 められるべきである。しかしながら,第 1 次大戦後の反動不況(1920 年)か ら関東大震災(23 年),昭和金融恐慌(27 年)に至るわが国の金融史を振り返 るだけでも,政府が機敏に対処することを怠り,中央銀行の特別融資等に委ね てしまい抜本的な対応を先送りしてしまう事例が多かったことが容易に認識さ れる。高橋・森垣[1993] (pp.278 ∼ 281)は昭和金融恐慌時の政府・日銀等 の対応の誤りのひとつとして「日本銀行は,大戦後,中央銀行としての使命を 逸脱して,政府の命に唯々諾々として従うことにより『救済銀行』化し」,「日 銀の特融は不良銀行の整理資金として利用されただけで,取付を防止し,恐慌 (33)
を鎮静化するためには,ほとんど実行されていない」と指摘している。 戦後の LLR 機能の発動状況をみると(表 3-1 を参照),1965 年の証券不況で 経営危機に陥った山一證券,大井証券に特融が発動されたが,その後は約 30 年間にわたり発動されなかった。しかし,90 年以降のバブル経済崩壊の過程 における金融危機への政策対応が遅れる中で,95 年に入り預金者が破綻金融 (33)伊藤[2003] (p.178)も,1928 年 5 月の日銀本支店事務協議会における井上準之助総裁の 「大正九年来日本銀行の取り来つた所は其本来の立場から云ふと遺憾な事が多い」云々との日 銀特融に否定的な総括を捉えて,「1920 年代の金融危機対策において,日銀が,LLR として の役割を過剰にまた専一的に果たさざるをえなかったことについての率直な自己批判がみら れる」 , 「20 年戦後恐慌から 27 年金融恐慌までの『信用秩序維持』は,もっぱら中央銀行に よる LLR に依拠していたのである」と指摘している。
第 3 章 中央銀行と LLR 機能 51
表 3-1 戦後における日銀特融の実施事例 資金供与先
実施期間
金 額
山一証券
1965 年 6 月∼ 1969 年 9 月 ピーク 282 億円
大井証券 東京共同銀行 (→整理回収銀行 →現・整理回収機 構) コスモ信用組合
1965 年 7 月∼ 1969 年 7 月 ピーク 53 億円
兵庫銀行
1995 年 8 月∼ 1996 年 1 月 ピーク 6,120 億円
1995 年 1 月∼ 1999 年 3 月 200 億円 (預金保険機構に全株式を (1999 年 3 月の預金保険機構への売 却に伴い 164 億円の損失を計上) 売却) 1995 年 8 月∼ 1996 年 3 月 ピーク 1,980 億円
木津信用組合
1995 年 8 月∼ 1997 年 2 月 ピーク 9,105 億円 当初 1,100 億円 みどり銀行 1996 年 1 月∼ 2006 年 1 月 (2000 年 3 月,660 億 円 の 期 限 前 返 (現みなと銀行) (2005 年以降毎年均等返済) 済を実施) 1,000 億 円(1999 年 度 決 算 で う ち 社団法人新金融安定 1996 年 10 月 800 億円<日債銀への出資分>を償 化基金 却) 阪和銀行 1996 年 11 月∼ 1998 年 1 月 ピーク 2,690 億円 京都共栄銀行
1997 年 10 月∼ 1998 年 10 月 ピーク 130 億円
北海道拓殖銀行
1997 年 11 月∼ 1998 年 11 月 ピーク 26,771 億円
徳陽シティ銀行
1999 年 6 月破産宣告(ピーク 12,000 億円) 1997 年 11 月∼ 2005 年 1 月破産手続き終了(日銀特 融 1,111 億円回収不能確定) 1997 年 11 月∼ 1998 年 11 月 ピーク 2,283 億円
みどり銀行
1998 年 5 月∼ 1999 年 4 月 ピーク 193 億円
国民銀行
1999 年 4 月∼ 2000 年 8 月 ピーク 665 億円
幸福銀行
1999 年 5 月∼ 2001 年 2 月 ピーク 2,786 億円
東京相和銀行
1999 年 6 月∼ 2001 年 6 月 ピーク 4,875 億円
なみはや銀行
1999 年 8 月∼ 2001 年 2 月 ピーク 1,264 億円
山一証券
新潟中央銀行
1999 年 10 月∼ 2001 年 5 月 ピーク 1,643 億円
信用組合関西興銀
2000 年 12 月∼ 2002 年 6 月 ピーク 5,466 億円
朝銀近畿信用組合
2000 年 12 月∼ 2002 年 8 月 ピーク 2,067 億円
石川銀行
2001 年 12 月∼ 2003 年 3 月 ピーク 831 億円
中部銀行
2002 年 3 月∼ 2003 年 3 月 ピーク 226 億円
りそな銀行
2003 年 5 月∼ 2003 年 7 月 貸付実行に至らず実施期間を終了
足利銀行
2003 年 11 月∼ 2005 年 11 月 貸付実行に至らず実施期間を終了
資料出所:日本銀行の公表文および Nakaso[2001]等から作成(一部計数は筆者の推計による)。
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機関の店頭に殺到する取り付けが発生し,こうした非常事態を収拾する例外的 な措置として 30 年ぶりに日銀特融が発動された。すなわち,94 年 11 月には 破綻した東京共和・安全の両信組の処理のために設立した東京共同銀行に約 1,000 億円を低利融資するとともに民間銀行団と折半で 200 億円の出資を行 い,これを皮切りに,95 年 7 月末には業務停止命令を受けたコスモ信用組合 (ピーク時 1,980 億円) ,同 8 月には兵庫銀行(同 6,120 億円),木津信用組合 (同 9,105 億円)に対して相次いで特別融資を実施した。その後も金融機関の 破綻が続き,特に 97 年 11 月には北海道拓殖銀行の経営破綻が生じたこともあ り,日銀特融の残高は 98 年 3 月末には 3 兆 2,054 億円にまで達した。その後 も第二地銀の経営破綻が相次いだが,2000 年代に入ると金融危機は収束に向 (34)
かい,2002 年 3 月の中部銀行の破綻時を最後に発動されなくなっている。
4.2 日銀特融発動の 4 原則の制定 90 年代の金融危機に対してわが国の金融当局は,昭和金融恐慌以来約 70 年 振りに巨額の日銀特融を多数実施することによって対応した訳であるが,ここ で議論しなくてはならないのは,こうした巨額,多数の LLR 機能の発動がど のような法的根拠あるいは客観的な基準に沿って真に止むを得ないものとして 行われたのか,という点である。 経営の破綻を来たした金融機関に対する日銀特融は,実質的に無担保貸出の 形をとることもあり,資金の需給調節のために行われる通常貸出とは区別さ れ,98 年 3 月までの旧日銀法下では第 25 条の規定に沿って日銀サイドの発意 (35)
で大蔵大臣の認可を得て実行された。第 25 条は旧法第 20 ∼ 24 条に規定され (34)2003 年 5 月のりそな,同 11 月の足利の両行破綻に際しても日銀は特融発動を示唆したが, 既にこの時期には量的緩和政策により両行とも預金取り付けに対応できる十分な流動性(日 銀当座預金残高)を保有しており,結果的に日銀特融は実施されなかった。このことからも, 量的緩和政策は金融政策というよりも金融システム安定策としての機能を発揮していたこと が窺える。 (35)旧日銀法第 25 条は「日本銀行ハ主務大臣ノ認可ヲ受ケ信用制度ノ保持育成ノ為必要ナル業 務ヲ行フコトヲ得」としている。通常の日銀貸出は第 20 条に従って適格担保をとって行われ るが, 「金融システム全体としての混乱回避を狙いとして実施」 (日本銀行金融研究所[1995] p.122)するため第 25 条による特別の融資として行われてきたものである。
第 3 章 中央銀行と LLR 機能 53
た通常業務には該当しない例外的な緊急避難措置(すなわち LLR 機能の発 揮)を講じる必要性を想定したものであるが,特融の対象,条件,限度額等に 関する具体的な基準は全く示されておらず「大蔵省,日本銀行の恣意的な判断 (36)
に完全に委ねた形」であった。日銀の発意で行われる形をとりながらも強力な 監督権限を有する政府(大蔵省)の事実上のリーダーシップの下で,政府にと っては金融危機の状況に応じて機敏に対応できる手段として使い勝手がよいも (37)
のであったことは否めない。実際に前掲の表 3-1 の事例を見てみると,貸出以 外にも東京共同銀行への出資(200 億円),新金融安定化基金への資本拠出 (1,000 億円)など,対象金融機関の状況等に応じてその資金動員形態は多様化 している。しかし,LLR 機能は本来,一時的な流動性不足に陥った金融機関 に対して追加的,臨時的に流動性を供給する緊急避難措置であり,債務超過に 陥り支払い能力が不足した金融機関への追加的な流動性供給は本来的には避け (38)
るべきものであり,ましてや破綻金融機関に中央銀行が資本参加することは, LLR 機能の本来的な性格から逸脱するものと言わざるを得ない。 その後,98 年 4 月の改正日銀法の施行に伴い,LLR 機能が新たな規定の下 で定義づけられ,同時に,大型金融機関の経営破綻を受けて金融機関経営の強 化,破綻処理のための公的資本注入態勢が整備されたこともあって,資本参加 というイレギュラーな形態の発動はなくなったが,経営破綻した金融機関に関 する包括的な問題処理の枠組み(新金融機関への資産・負債の譲渡等)が仕上 がるまでのつなぎ資金の融資として,債務超過に陥り支払い能力がなくなった 金融機関に対しても日銀特融が投入された。改正日銀法では LLR 機能は,第 38 条で「信用秩序の維持に資するための業務」として規定され,日銀は大蔵 大臣(現在は財務大臣)からの要請に基づき「信用秩序の維持のために必要と
(36)田尻[1997]p.249 を参照。 (37)田尻[1997]は「強権的な政府が登場した場合にはこの二十五条の抽象的な条文を奇貨とし て中央銀行を金融機関の救済銀行化させ,ひいては通貨価値の安定を危うくする危険性もは らんだ法律」 (p.249)と批判している。 (38)ただし,Solow のように insolvent な金融機関にも必要がある場合には LLR を発動すること は止むを得ないとの考え方もあることは先にみた通りである(Solow[1982]を参照)。
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表 3-2 信用秩序維持のためのいわゆる特融等に関する 4 原則(日銀政策委員会制定) 原 則 内容に関する説明 特融等が,個別の金融機関の救済を目的とするので (原則 1) システミック・リスクが顕現化す なく,中央銀行通貨を供給することでシステミック・ リスクの顕現化を防ぐためのものであるべきことを る惧れがあること。 示しており,最も重要かつ根源的な原則である。 特融等による資金供給をあてにして,金融機関が健 (原則 2) 日本銀行の資金供給が必要不可欠 全な経営を維持する努力を怠ったりするというモラ ル・ハザードを防止するため,可能な限り解決策が であること。 模索された上で,必要最小限の資金が日本銀行の特 融等によって供給されるべきことを示している。 特融等の実施に当たっては,金融機関の経営者,株 (原則 3) モ ラ ル・ハ ザ ー ド 防 止 の 観 点 か 主等におけるモラル・ハザードを防止するため,破 ら,関係者の責任の明確化が図ら 綻した金融機関の処理において,経営責任を負うべ れるなど適切な対応が講じられる き経営者と株主・出資者の責任が明確化される見込 みであることを確認すべきことを示している。 こと。 日本銀行への信認が失われると,日本銀行による政 (原則 4) 日本銀行自身の財務の健全性維持 策や業務の運営が困難となるほか,中央銀行通貨へ の信認低下によって,わが国経済全体に支障が及ぶ。 に配慮すること。 日本銀行の財務の健全性はこうした信認に影響を及 ぼすことから,特融等についても(他の政策や業務 の運営と同様に) ,日本銀行の財務の健全性維持に配 慮すべきことを示している。 資料出所:日本銀行金融研究所編[2004]p.120 から作成。
(39)
認められる業務を行う」と,あくまでも受身の形で限定的に LLR 機能を発揮 することとされたが,発動の具体的な基準,範囲などの条件は明示されてはい ない。 このため日銀では,改正日銀法施行後 1 年以上が経過した 99 年 5 月に, (40)
LLR 機能の発揮に関する 4 原則を制定・公表した(この 4 原則については, (41)
その後公表された平成 10 年度業務概況書に詳細に解説が加えられ,日本銀行 研究所編[2004]はその要旨を表 3-2 のように要約している)。なお,この 4 原則は山一證券が自己破産宣告をした 99 年 6 月の直前(5 月)に公表されて (39)日銀は第 38 条の業務(LLR)等を適切に行い,およびその適切な実施に備えるために考査 を行うこととなっており,その意味で政府側からの要請が行われる背景(金融機関の経営内 容等)については事前ないし事後に知悉し得る立場にあり,関連する情報を全く持たずに完 全に受身の立場で LLR 機能を発動する訳ではない。 (40)日本銀行[1999b]を参照。 (41)日本銀行[1999a]pp.120 ∼ 127 を参照。
第 3 章 中央銀行と LLR 機能 55
表 3-3 イングランド銀行による LLR 発動に際しての原則 原則① BOE は自らの資金を用いる前に,商業的な解決を図れないか,考え得るすべ ての選択肢を検討する。 原則② LLR による金融支援は,その結果として生じるいかなる損失もまず破綻金融 機関の株主に負担させるように,いかなる利益もまず中央銀行に帰属するよ うに,行われなければならない。 原則③ 通常の経営環境下では,支払い能力が不足した金融機関にはいかなる金融支 援も行わない。 原則④ 経営破綻の事態収拾に際しては,強制的なリストラや清算を含む明確な出口 を追求する。 原則⑤ 当該金融機関に対する信頼性喪失がマーケットの連鎖的な不安に拡大するリ スクを最小限に止めるため,必要であれば,BOE は当該金融機関に対し金融 支援を行っている事実を秘匿する。 資料出所:Deane and Pringle[1994]から作成。
いる。日銀が早い段階から山一證券の破産を知り,その結果日銀特融の一部が 返済されない可能性があるとして日銀内部が相当あわてたことは想像に難くな い。自己破産が宣告される直前に日銀特融の実施原則を決定・公表することに より,爾後の日銀特融実施に際して政府に対して安易な特融実施期待を戒め た,ということが考えられる。
4.3 BOE 原則との比較─日銀原則をどう評価するか イングランド銀行でも中央銀行による緊急性の高い資金援助には厳しい制約 が課せられるべきであるとして,90 年代から首脳(ジョージ総裁,クイン理 事等<いずれも当時>)のスピーチ等を通して,同行が LLR 機能を発動する (42)
際に慣行として厳しく励行してきた諸原則(表 3-3 を参照)を示しており, Deane and Pringle[1994]もこれら諸原則の内容に詳しく解説を加えてこれ (43)
を高く評価している。この BOE 原則の根底には,中央銀行としては,金融危 機に際して,LLR 機能の発揮による金融機関の突発的な流動性不足に対する 緊急支援は避けられないにしても,あくまでもつなぎ融資(ブリッジ・ロー ン)にとどめ,通貨の発行基盤を危うくするような過大な負担,融資の長期化 (42)George[1994] ,Quinn[1993]を参照。 (43)Deane and Pringle[1994]p.196 を参照。
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による中央銀行資産の劣化等は極力避けたい,という考え方が存在する。すな わち,「中央銀行は,最終的には危機のある程度の部分を拾い上げる必要があ (44)
るにしても,そのようになるリスクは最小限にとどめる必要がある」 というこ とであり,先に述べた LLR 機能は限定的に発動されるべきであるとの見解に 沿ったものとなっている。 日銀 4 原則をこの BOE 原則と比較すると興味深い。日銀原則 1(システミ ック・リスクが顕現化する惧れがあること)は LLR 発動の根本原則であり, BOE 原則には直接見当たらないが言わずもがなの概念であり,BOE 原則にも 当然含まれていると考えられる。日銀原則 2(日銀の資金供給が必要不可欠で あること)は,LLR の発動およびその規模を極力抑制しようとの考えであり, BOE 原則①に当てはまる。日銀原則 3(モラル・ハザード防止の観点から, 関係者の責任の明確化が図られるなど適切な対応が講じられること)は,金融 機関自体の処理に加えて経営者,株主等の責任を追及するものであり,BOE 原則②および③に該当しよう。ただし日銀は,2,3 の両原則で金融機関サイ ドのモラル・ハザード防止の観点を強く主張している点がやや目立つところで ある。日銀原則 4(日銀の財務の健全性維持に配慮すること)は,中央銀行自 身の利益をまず念頭におくべきとする点で,強いて言えば BOE 原則②に対応 する。しかしながら日銀原則では強く自身の財務の健全性維持の必要性を訴え ており,BOE の原則とはかけ離れているように思われる。 このように見ると,日銀原則に見当たらない BOE 原則は③(通常の場合, 支払い能力不足の金融機関には金融支援を行わない)と⑤(必要があれば金融 機関に対する金融支援の事実を秘匿する)の 2 点である。このうち⑤について (45)
は,両国の国情,政情の違い,LLR 機能発動の際の法規といった事情がある ので,必ずしも日銀原則に必要とは思われない。最大の相違点は BOE 原則③ に該当する考え方が日銀原則には見当たらないことであり,改正日銀法下にお (44)Deane and Pringle[1994]pp.151 ∼ 152 を参照。 (45)既に述べたように,日銀の LLR 機能は政府の要請を受けて発動することとなっており,そ の事実を日銀が国会への報告も含め秘匿しておくことは難しい。
第 3 章 中央銀行と LLR 機能 57
いても旧日銀法時代に引き続き債務超過で支払い能力を失った(insolvent な) 金融機関に対しても,日銀は LLR 機能を発動する意思があることが窺われる (少なくとも,insolvent な金融機関も LLR 機能発動の対象にすることを明示 的なかたちで拒むことはできなかったのであろう) 。これは,4 原則が制定さ れた 99 年 5 月は,大手金融機関の破綻の動きは鎮静したものの,多額の不良 債権を抱えて債務超過に陥った第二地方銀行の経営破綻が相次いでいた時期で あり,とりあえず日銀特融を通じた流動性供給により預金の全額保護という政 府の方針を達成せざるを得ない状況の下で,債務超過金融機関へは特融を実施 しないとの BOE 流の原則を主張することは容易ではなかったためと思われ る。しかし,金融機関の solvency を問う基準を設けなかったことによって, 将来再び多数の特融発動を余儀なくされる事態が生じかねないこととなり,禍 根を残したものと言えよう。
4.4 LLR 機能発動の限定化と金融機関情報の重要性 いずれにしても,破綻の危機に瀕した金融機関が現れた場合に,日銀は 4 原 則に合致し LLR 機能を発動せざるを得ないかどうかの判断を直ちに下さなけ ればならず,それはひとえに当該金融機関の経営現況に関する正確な情報を入 手しているかに拠る。日銀としては,自らの財務の健全性確保の観点もあり, 出来るだけ solvent な金融機関だけに止めたいと考えるのは当然である。しか し,三重野[1994]や Meltzer[2003]が主張するように,solvent な金融機 関だけを抽出して LLR 機能を発動するということは実務的には容易ではな い。日銀考査で金融機関保有資産の健全性をチェックする場合には,通常は経 営の継続性(going concern)を勘案して金融資産の価値把握に止まる。しか し,最終的にかつ確実に solvency を判断するためには営業用建物等の一切合 切を含めた精査作業を通じて清算価値を算出しなければならず,これは実際に 倒産し最終的に清算作業をやってみなければ分からないケースも多く,事前の 考査によって solvency を的確に判断するのは実はかなり難しいのである。し かし,勿論このことは,事前に徹底した考査を実施することの意義を減らすも
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のではない。事前の段階から継続的に考査を実施することで経営危機が発生し た際に solvency について見当がかなりつくことも事実であり,そのことは Bernanke[2007]が「連銀の監督・検査権限は,金融のストレス状況におい て,銀行セクター等に関する迅速で,信頼性の高い情報を連銀が入手すること を助け,取るべき政策対応を適切に判断するのに必要な専門的知識を連銀内部 (46)
に蓄積することに寄与している」と強調しているように,LLR 供与者として の中央銀行にとっては極めて重要な判断情報をもたらす。この点について Goodhart[2002]が, 「救済を求めてきた個別銀行の solvency をとっさに判 断することは難しい」としながらも,「中央銀行は当該銀行に関する事前の評 価によってそのために判断材料をもつべきであり,恐らくその銀行の資産価値 を 即 座 に 判 断 す る こ と が で き る で あ ろ う( A central bank will, or should, have a good knowledge of the prior reputation of a bank seeking assistance, and may be able to obtain a quick reading of the market value of its trading (47)
book. ) 」と主張しているのも同様の観点からである。
(46)Bernanke[2007]p.6 を参照。 (47)Goodhart[2002]p.232 を参照。
第4章 中央銀行による金融機関考査は必要か 59
第4章 中央銀行による金融機関考査は必要か ──その批判的検討
中央銀行は,LLR 機能の的確な発動を期するためには金融機関経営に関す る情報が欠かせず,そうした情報を入手するためには金融機関に直接考査を行 う必要がある,と主張している。本章では,LLR 機能発揮の前提として金融 機関情報が必要であるとしても,考査を実施してそれを直接入手する必要性が あるのかどうか,必要であると主張する中央銀行の考え方を改めて整理した上 でこれを批判的に検討する。その結果,行政検査とは別に中央銀行が独自の視 点で金融機関考査を行うこと,すなわち double standards に拠る複数検査機 関システムの是非は,付随する社会的な諸コストの大きさとそれによって得ら れる便益とを比較考量してみなければ明確には判断できないことを指摘する。 そうした議論の中では,これまで日銀考査は事実上行政検査と歩調を揃えざる を得ない立場,すなわち single standard に拠る複数検査機関システムの下に あり,そうした意味で限界をもった営為であったことを主張する。 これまで縷々触れてきたように,中央銀行による LLR 機能の発動の是非に 関しては多くの議論がなされてきたが,その一環として中央銀行が金融機関情 報を直接入手することの是非に触れた論考は管見の限りでは多くは見当たら ず,今後の議論が期待される論点である。
1. 考査による金融機関情報の直接入手の必要性─中央銀行の主張 日銀も含めた中央銀行が考査の実施を強く求める根拠は,①立ち入り調査を
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含む考査を実施しなければ金融機関の経営実態は把握できない,②真の経営実 態を把握できれば他の業務・政策にも好影響を与える,③しかし,そうした情 報について,他の検査機関の検査結果を流用することは,検査の目的,視点が 異なること等から必ずしも好ましいものではない,といった諸点に要約できよ う。以下では,こうした諸点を詳しく分析していくこととする。
1.1 立ち入り調査による金融機関経営の実態把握 中央銀行が考査実施を求めるのは,「金融機関の経営内容の真の実態は,立 ち入り調査を行い直接自らの眼で確認してみなければ把握できない」との認識 (1)
をもっているからである。例えば日銀では,[補論Ⅰ]で詳しく触れている通 り,金融機関の業務の実態を把握することを考査の大きな目的とし,最も重要 である融資業務については,業務方針,融資基準,融資ポートフォリオの状 況,信用リスクの管理方針とその実態等に関して詳細な資料の提出を求めた上 で,実地調査によって提出資料や役職員の説明の裏づけを取り,全体としての 信用リスク度合いを判断している。例えば,融資案件の担保不動産を実見する ことにより,当該融資案件の不良性の判断が変わってくることも起こり得る。 金融機関はまた,現金,有価証券等の重要書類の現物を扱い,コンピュータ ー・システムを用いて効率的に巨額の資産・負債の運用・調達,保管等の業務 を遂行しており,その現場で何らかの支障が生じて事務処理が滞るとわが国の 決済システム全体に影響が及びかねないケースが発生する可能性もある。そこ で考査では,こうした事務処理の現場に立ち入り,その実態を目視して,リス クが生じる隙間がないかどうかを判断し,必要と思われる改善を指導するので ある。このように立ち入り調査は,それを行わない場合に比較して,圧倒的に 多くの情報をもたらすものであることは容易に理解される。 ただし,日銀考査の場合は,あくまでも金融機関サイドの協力を前提とした (1)日銀法改正問題を審議していた大蔵省金融制度調査会の席上(97 年 1 月)で,三谷日銀理事 <当時>は日銀考査の意義に関して,「金融機関の経営実態は,実際に金融機関に出向かない と分からないものである」ことを強調したと言われている。
第4章 中央銀行による金融機関考査は必要か 61
調査であり司法捜査のような強制的調査権は有していない。従って,経営内容 が極端に悪化し監督当局にも秘匿しておきたい経営実態が生じている金融機関 では,悪意をもって対応され露骨な隠蔽などが行われることもあり,そうした (2)
場合には例え立ち入り調査ではあっても真実は判明せず,経営実態の把握や改 善指導の効果にも自ずと限界があることは認識される必要がある。
1.2 正確な金融機関情報を把握することのメリット 中央銀行は,金融機関経営に関する正確な情報をタイムリーに把握できれ ば,自らの政策遂行に大いに寄与し,時には自らの資産を毀損するなどのリス クを犯してでも積極的な政策を打ち出すこともできるとも考えている。例えば 米国連銀の Bernanke 議長は,2001 年 9 月 11 日の米国同時多発テロ直後(バ ーナンキ氏は当時プリンストン大学経済学部長)に連銀が積極的に実施した大 量の流動性供給措置に関して,「こうした措置を講じる過程では,主要金融機 関の流動性管理体制,資金ポジション,財務状況に関する知識,資金要請のあ った金融機関から差し出される担保の評価能力等が大きく役立ったが,これら の情報,専門的知識は連銀の監督・検査業務から獲得されていたものである」 (3)
と事前の金融機関検査を通じた情報蓄積の重要性を強調している。 同様の事例として,日銀による株式買入れ施策を挙げることができる。金融 (4)
システム安定化を目指して日銀は,2002 年末から民間銀行保有株式の買入れ を開始した(買入れ業務は 2004 年 9 月末で終了)。これは,中央銀行が民間事 業法人発行の株式を資産として直接保有するという中央銀行として異例の施策 であり,施策公表後はそれを評価する声の一方で,日銀財務の健全性悪化につ ながる,株式マーケットに中央銀行が介入するものである,といった否定的な 見方も見受けられた。当時株式市況(日経平均株価)は下落を続け 2002 年後 半には 10,000 円台を割り込む状況に直面した。これを受けて,政界,経済界 (2)事実を隠し資料を隠蔽・改竄して考査に臨んだ金融機関の実例については第 7 章を参照。 (3)Bernanke[2007]p.6 を参照。 (4)日銀の株式買入れ施策の詳細については熊倉[2005b]を参照されたい。
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では日銀に対し,株価維持対策として株式の直接購入を求める声が強まってい た。日銀では当初,株式の直接購入は異例であるとして拒否の姿勢を示してい たが,2002 年 9 月に株式買入れ施策を含む金融システム安定化策の検討を公 表するに至った。日銀の決断の背景については不透明な点も多いが,最大の背 (5)
景は,考査を通じて巨額の繰延税金資産の存在とそれによる銀行破綻の可能性 があることを日銀が把握していたためであることを指摘したい。繰延税金資産 については鹿野[2002]が「大手銀行の場合,10%超という高い自己資本比率 を維持しているが,その中身は心もとない。今年<2002 年> 3 月末時点での (6)
資本勘定 17 兆円のうち 5 割弱は『繰延税金資産』からなる」と指摘していた が,不良債権を処理し多額の繰延税金資産を抱え込み,同資産により経営体力 (自己資本比率)を嵩上げしている銀行の中に,日銀考査の調査を通じて将来 の収益性について疑問がもたれた結果,繰延税金資産の一部の資産性も否認さ れ,それにつれて自己資本比率も低下し,場合によっては経営破綻に至る可能 性が大きい金融機関が頻出したと言われている。株式市況の下落は,わが国の 銀行におけるそのような経営破綻の可能性に対してマーケットが的確に警戒感 を示したものであり,さらにその株価低迷が保有株式の含み損拡大を通じて実 質的な自己資本削減をもたらす,という悪循環に陥ってしまっていたのであ る。従って日銀としては,考査を通じて把握されたこの繰延税金資産否認のリ (7)
スク増大に対応するためには,銀行が保有する株式の株価変動リスクをとりあ (8)
えず除去しておくことが必要であると痛感するに至り,異例の買入れ施策に踏 (5)税効果会計とそれにより生じる繰延税金資産の概念については,差し当たり斎藤[2003] pp.105 ∼ 110 を参照。 (6)鹿野[2002]を参照。 (7)繰延税金資産問題に関する日銀の動揺は日本銀行[2003b]にも現れている。日銀が毎年度公 表する考査実施方針等においては繰延税金資産に関する記述は従前は皆無であったが,2003 年 3 月 28 日に公表された日本銀行[2003b](p.6)では翌年度の考査において「償却・引当額 が十分なものであるか,繰延税金資産が適切に計上されているか,等について検証する」との 方針を初めて打ち出している。 (8)この見方は施策公表後になされた日銀役員の発言の中にも散見される。例えば植田審議委員 (当時)は「(株式買入れは)マクロ金融政策としての株式買い支えというのではなく,銀行か ら株を買入れることによって銀行部門の資産価格デフレに対する弱さを幾ばくかでも取り除い てやるという方向での政策として実施してきている」と強調している(日本銀行[2003d])。
第4章 中央銀行による金融機関考査は必要か 63
み切ったものと考えられる。このように,個別金融機関の不良債権や繰延税金 資産の状況,先行きの収益見込み等の情報を基に当該金融機関の自己資本力の 優劣を正確に判断することは,立ち入りを伴う考査の中で金融機関内部の資料 を丹念にチェックしなければなし得ないことであり,考査を通じて把握された 直接情報は場合によっては中央銀行の背中を押し,思い切った政策転換に踏み 切らせる契機ともなり得るという意味で,中央銀行にとっての考査実施の有用 性を示した好例であると言えよう。
1.3 監督当局間の国際連携の高まりと金融機関情報把握の必要性 監督機関間の議論の有用性,国際連携の必要性が高まっていることも,中央 銀行が金融機関情報を直接入手する必要があると主張するひとつの背景として 指摘しなければならない。80 年代以降の金融の国際化,グローバル化の急速 な進展や金融危機の発生等を前に,いずれの金融監督当局,中央銀行も金融機 関のリスク管理の充実,セーフティ・ネットの整備等のプルーデンス政策を展 開するとともに,各国金融・資本市場の相互依存の密度の高まり,ビジネスの 同質化に対して監督制度・権能に関する国情の違いを乗り越えた国際的な連携 体制を構築していく必要性に迫られた。そうした連携体制はバーゼル委員会を 中心にして形成され,国際的な業務を展開している銀行に対する監督を巡る各 国間の相違を少なくすること,監督の基準や手法の質的な改善を図ること等を 目的に精力的な議論が進められた。バーゼル委員会の歴史は表 4-1 に示される ように,いずれの監督機関の監視も及ばない範囲に利益源を見出そうとする金 融機関との格闘の歴史であった。 バーゼル委員会の活動は達観すれば自己資本比率規制,バーゼル・コンコル ダット,コア・プリンシパルの策定の 3 点に集約される。発足後のバーゼル委 員会は 75 年 9 月,国際的活動を行なう銀行に対する各国当局の監督業務の分 (9)
業,委任体制を明確にした国際金融史上画期的な協約である「銀行の海外拠点 (9)①銀行の海外拠点は母国当局(parent authority)と現地当局(host authority)の共同監督, ②流動性の監督は現地当局の責任,③海外支店の支払い能力の監督は母国当局,海外子会社の
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表 4-1 国際金融市場・金融機関の動向と監督・規制の国際協調の進展状況 年 月
事 項
1973 年 10 月 ・第 4 次中東戦争勃発,第 1 次石油危機発生。 74 年 6 月 ・西独ヘルシュタット銀行倒産,ユーロ金融市場不安の発生。 9 月 ・10 か国中銀総裁会議,信用不安鎮静化を図る声明を発表。銀行監督の 国際協調実現のための常設委員会設置を決定。 10 月 ・米国フランクリン・ナショナル銀行倒産。 75 年 2 月 ・バーゼル銀行監督委員会初会合。 「コンコルダット」を公表。 12 月 ・バーゼル委員会, 82 年 7 月 ・伊バンコ・アンブロシアーノ銀行倒産。伊・ルクセンブルグ間の監督 責任とコンコルダットの欠陥が問題化。 8 月 ・メキシコが対外債務返済の一方的な停止を発表。累積債務国問題が表 面化。 83 年 6 月 ・コンコルダット改訂版公表。 84 年 5 月 ・日米円・ドル委員会報告書発表。 7 月 ・米国コンチネンタル・イリノイ銀行倒産。 。 87 年 1 月 ・米英,国際的銀行の自己資本比率規制を合意(6 月には日本も合意) 。暴落の国際的派及と流 10 月 ・ニューヨーク株価暴落(ブラック・マンデー) 動性供給に向けて国際協調。 88 年 7 月 ・バーゼル委員会,自己資本比率規制の国際的統一化(バーゼル合意) を発表。 91 年 7 月 ・BCCI 事件発覚。 92 年 7 月 ・バーゼル委員会,海外拠点等の監督のための「最低基準」発表。 自己資本比率規制の対象にマーケット・リスクを追加。 93 年 4 月 ・バーゼル委員会, 94 年 12 月 ・メキシコ通貨危機。 95 年 2 月 ・英系ベアリングズ・グループがデリバティブ取引の巨額損失で経営破綻。 9 月 ・大和銀行ニューヨーク支店で債券ディーラーによる 1,100 億円の損失発 覚。 「コア・プリンシパル」を公表。 97 年 9 月 ・バーゼル委員会, 11 月 ・北海道拓殖銀行,山一證券など破綻。 98 年 6 月 ・ヨーロッパ中央銀行発足。 8 月 ・ロシア通貨危機。 10 月 ・ヘッジファンド LTCM 破綻。 ・日本長期信用銀行破綻。 99 年 1 月 ・単一通貨ユーロ誕生。 6 月 ・新バーゼル合意案(第 1 次案)公表。 2001 年 1 月 ・新バーゼル合意案(第 2 次案)公表。 01 年 9 月 ・9.11 同時多発テロ。 03 年 4 月 ・新バーゼル合意案(第 3 次案)公表。 04 年 6 月 ・新バーゼル合意(バーゼルⅡ)公表。 資料出所:日本銀行「調査月報」,同ホームページ,上川・藤田・向編[2004]等から作成。
支払い能力の監督は現地当局の責任,と監督業務の分業,委任体制を明確にした(Basel Committee on Banking Supervision[1975]を参照)。
第4章 中央銀行による金融機関考査は必要か 65
の監督についての原則」(いわゆるバーゼル・コンコルダット: Report on the Supervision of Banks Foreign Establishments − Concordat )を 公 表 し た。同コンコルダットは,その後も 82 年 7 月のイタリア最大の銀行バンコ・ アンブロシアーノの倒産事件,91 年7月の BCCI 事件,等の国際的な銀行監 督網の隙間を狙って活動した金融機関の破綻が生じたことを機に改正・補強さ れ,現在に至っている。 また,バーゼル委員会は 97 年 9 月,コンコルダットと並んで大きな意義を 有するコア・プリンシプル(「実効的な銀行監督のためのコアとなる諸原則」: (10)
Core Principles for Effective Banking Supervision )を 公 表 し た。こ れ は, 国際金融システムの安定を確保するためには各国が実効的な銀行監督制度を構 築することが必要であるとの認識の下に,それを促すために,各国銀行監督当 局が自国の監督制度の質を評価し健全な監督実務を確保するための行動基準と して,銀行の自己資本充実度や各種リスクの管理体制に関する監督当局の役 割,望ましい監督手法といった 25 項目に及ぶ原則を示したものであり,自己 資本比率規制(バーゼルⅠ,Ⅱ)に関する議論のベースともなった重要な基準 (11)
となっている。 このように主要国の金融監督当局,中央銀行は,バーゼル委員会等の議論を 通じて,いずれの監督当局の監視からも逃れようとする金融機関の国際的活動 に網を被せ,国際金融市場の不安定化を未然に防ぐ枠組み作りに務めて来た。 特に,そうした議論集約の努力の集大成とも言えるものがバーゼルⅡである。 しかしバーゼルⅡにおいても,例えば,自己資本の適切性等一層の議論を要す る重要問題が残されており,さらに,マネーロンダリングやテロ資金対策に関 する銀行の対応基準,銀行業務のアウトソーシングに関する各国共通のリスク 管理原則の制定等,銀行業務の急速な変化に応じて対応するべき現代的な課題 は山積している。国際的な監督網の隙間を見出して不正行為に走ろうとする銀 (10)Basel Committee on Banking Supervision[1997b]を参照。 (11)コア・プリンシパルは 2006 年 10 月に改訂されたが,25 の原則はそのまま残されている (Basel Committee on Banking Supervision[2006]を参照)。
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行ないし銀行グループが今後も出てくる可能性も,依然として否定できない。 従って各国監督当局は,今後もバーゼル委員会を中核に国際的な監督体制の構 築に関する議論を前進させていくこととなる。 また,前出の Bernanke[2007]が, 「連銀は広範囲の国際的な関係を構築 し,海外の中央銀行と密接な連携をとってきたが,これは過去の金融危機にお (12)
いて有用であったし,金融のグローバル化が進展するにつれてさらに重要にな (13)
る」との認識を強調しているように,今後も海外の中央銀行との連携の下で, 危機的な状況に陥った個別金融機関に対する流動性の緊急供給を迫られる局面 も予想される。 日銀もわが国の中央銀行としてそうした議論に参画し,所要のアクションを とらざるを得ない以上,規制・監督の対象金融機関の経営に関する実態情報を 収集しなければならないと判断していることは首肯できる。個別金融機関に関 するミクロの情報を各国当局が把握し持ち寄り,その集大成に基づく議論を進 めることは,誤った規制を避け,的確な方向に国際金融を誘導していく上でも 不可欠であり,その意味で中央銀行が正確な情報をもつことは規制対象の金融 機関にとっても利益に繋がるものである(その点で,国内金融機関の監督・検 査に関与できないイングランド銀行のバーゼル委員会への参加は非常に形式的 なものとなっていると言われている)。また,国際的に合意された基準や適正 慣行を各国の金融機関に確実に励行させるためにも,各国当局による監視や適 切な指導が引き続き必要とされることは言うまでもない。このように中央銀行 は,金融機関監督の国際連携確保の観点からも,考査やオフサイト・モニタリ ングを通じた個別金融機関の経営情報の収集,指導が一段と重要性を帯びてく ることを強調するのである。
(12)日本銀行金融市場局[2002]によると,9・11 テロ直後に FRB,欧州中央銀行,日,英,加, 豪,香港,スウェーデン,スイスの 9 か国・地域の中央銀行が声明を発表し,連携して「市 場機能,決済機能を維持するために必要な流動性を供給する」との方針を打ち出し,11,12 の両日だけで全世界で約 23 兆円の資金供給が実施された。こうした迅速な中央銀行の連携対 応が金融市場の動揺を抑えるのに大きく貢献したとの見方が一般的である。 (13)Bernanke[2007]p.5 を参照。
第4章 中央銀行による金融機関考査は必要か 67
2. 他の検査機関による検査結果利用の可能性 2.1 他の機関の検査結果の利用に対する中央銀行の反論 以上縷々述べてきたように, 「立ち入り調査によって収集された金融機関情 報の有用性は高い」とする中央銀行の見解を前提としても,「従って中央銀行 が直接考査を行って金融機関情報を収集する必要がある」との主張は大方の納 得を得られるものであろうか。すなわち,金融機関の経営内容に関しては行政 庁による検査や格付会社など他の検査・調査機関によっても事実上同様の内容 の検査・調査が行なわれており,その検査・調査の結果を流用すれば中央銀行 がわざわざ直接考査を行う必要はないのではないかとの疑問が生じよう。中央 銀 行 考 査 と 行 政 検 査 等 の 調 査 の 視 点 は 類 似 し て お り(事 実 上 の single standard に拠って行われている) ,流用することで考査を省略し,考査に投入 する中央銀行の経営資源や金融機関の受検負担など考査実施に要する社会的な コストの節約を図るべきであるとの考え方である。例えば,Peek et al.[2001] は,中央銀行は他の監督・検査機関と情報をシェアすることによってもマクロ 経済予測の正確性を失うことはないのではないか,として中央銀行を中心とし (14)
た検査機関間のあり方の再検討を提議している。 これに対して中央銀行は,他の機関による調査結果は,仮にそれを利用しよ うとしても,調査機関による情報収集・分析・整理などの作業を経てからでな ければ利用することができず,多少なりとも時間を要することは避けられず, その点からも LLR 機能発動の判断を急ぐような場合には現実に用いることは できないとする。さらに,中央銀行が反論の重点を置いているのが,中央銀行 考査は他の検査・調査機関とはその根拠・目的が異なり,従って調査の視点・ 内容も異なっており,単純に流用すればよい,というものではないとする点で ある。あくまでも他の検査機関と並存し,double standards による金融機関経 営のチェックの必要性を主張しているのである。 このうちまず格付機関の調査については,あくまでも投資家の投資判断に供 (14)Mishkin(eds.) [2001a]pp.273 ∼ 300.
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するための情報提供が目的であり,基本的には公表資料を基にヒアリングを行 い,その調査範囲も投資の可否の判断が可能となる限りでの情報収集に止まっ ている。従って,その調査結果には強制力を以って臨んだ立ち入り調査の結果 と同様のレベルの深さがあるかどうか疑問なしとはせず,その情報だけで LLR 機能の発動を決断することは容易にできない,とする。
2.2 行政検査と中央銀行考査の相違 一方,行政検査は法律を背景とした立ち入り調査であり,その限りでは調査 内容の深みは格付機関の比ではない。しかし,その検査結果については守秘義 (15)
務があり中央銀行には個別金融機関の情報を公開することはできない場合が多 く,仮にある程度の情報が伝達されるとしても,行政検査は中央銀行考査とは 調査の根拠,目的,視点が異なり,異なる観点から行われた調査結果について は,参考にはなるにしても,それに全面的に依拠して金融機関の経営改善指導 を行うことはできず,最終的には LLR 機能発動の必要性を判断することもで きないとする。 すなわち,この点についての中央銀行の見解をわが国のケースで整理すると 以下のように纏めることができる。現在わが国で民間金融機関に対する監督・ (16)
規制・検査の権限を有しているのは金融庁である。金融機関に対する行政庁の 検査は,それぞれの金融機関業態に関する業法において規定されており,例え ば銀行に対しては,銀行法第 4 章「監督」において,「銀行の業務の健全かつ 適切な運営を確保するため必要があると認めるときは」, 「銀行に対し,その業 務又は財産の状況に関し報告又は資料の提出を求めることができる」 (第 24 条)と資料提出請求権限を定めるとともに,第 25 条で同じ目的のために「当 該職員に銀行の営業所その他の施設に立ち入らせ,その業務若しくは財産の状 (15)わが国では,金融庁は国家公務員法により金融検査の結果を日銀に伝えることは許されな い。逆に日銀考査の結果は,日銀法(第 44 条第 3 項)により金融庁長官への開示が認められ ている。 (16)濃・漁協については農林水産大臣が検査権限をもつ等,金融機関の業態によって実施主体が 若干異なり,必ずしも金融庁が一元的に金融機関を監督・検査している訳ではないが,ここ では金融庁を中心に議論して差し支えないと思われる。
第4章 中央銀行による金融機関考査は必要か 69
況に関し質問させ,又は帳簿書類その他の物件を検査させることができる」と 立ち入り検査権限を認めている。さらに,こうした請求や検査について相手方 が正当な理由なくして拒む場合には,罰則が適用されることとなっている(第 (17)
63 条第 2 項,第 3 項)。 このように行政庁の検査が「銀行の業務の健全かつ適切な運営を確保するた め」という一般的な目的の下で,罰則を伴った非常に強力な権限の行使として 行われているのに対して,日銀考査は日銀法第 44 条において,同法第 37 条∼ 第 39 条に規定する業務を適切に行い,また適切な実施に備えるものとして行 う,とされている。これは要するに LLR 機能としての日銀特融の発動に備え るため,という明確かつ限定的な業務目的に沿ったものとして考査が実施され ることを規定したものである。このため考査では,対象金融機関の経営実態の 把握を通して,支払い不能となるリスクの度合いを中心にその金融機関の存続 可能性を見極めるとともに,その検証過程で将来の金融機関経営上の支障にな る点を見出した場合には,その旨を対象金融機関に伝え改善を求める。こうし た考査の円滑な遂行を確保するために,「考査に関する契約書」では正当な理 由なく考査や資料提出の要請を拒絶した場合には,日銀はその事実を公表で き,また,そのことは当座預金取引を解約することを妨げない旨を定めている が,これは行政権限の行使ではないので,故なく考査や情報提供に応じなくと も法律上の罰則は伴わない。 また,検査・考査の主な視点をみても,行政検査が免許付与当局として,免 許交付条件に反していないかとの視点から基本的には金融機関の法令遵守(コ ン プ ラ イ ア ン ス)の 状 況 を 重 点 に 検 査 す る 傾 向(Compliance-based (18)
Supervision)があるのに対して,日銀考査ではリスク管理面の状況把握と改 善指導にウエイトが置かれている(Risk-based Supervision),という点でも大 きな相違が存在しているとする。特に,金融機関監督・検査の重点がどこに置 (17)これらの規定は信用金庫など銀行以外の業態の業法においてもそのまま準用されている。 (18)Amyx[2004] (p.118)は,多くの邦銀関係者とのインタビュー結果を踏まえて,バブル崩 壊時までの大蔵省検査は「金融機関の法令遵守(compliance)如何に焦点が当っていた」と している。
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かれているか,すなわち法令遵守の状況に重点に置くのか,リスク管理状況の 把握にウェイトを置くのか,その相違は極めて重要である。法令遵守ベースの 監督・検査は,金融機関の経営状況,取引行為等が関連法規,財務報告上の義 務等を遵守したものであるか否かの検証に焦点を当てるもので,個別金融機関 の状況如何にかかわらず原則として全ての金融機関に同一の監督・検査手順を 適用せざるを得ないが,法令等違反事案の摘発には大きな効果をもたらす。一 方,リスク・ベースの監督・検査ではチェックする必要性が最も高い金融機 関・金融取引により多くの監督資源を投入でき,金融システムの安定化確保と いう目的達成上は大きな効果が期待できるとされている。こうした概念的な整 理の結果,極論すれば,法令遵守状況に重点を置く検査では,金融機関の損益 には直接結びつかないものであっても法令遵守上の違反行為があればそれを問 (19)
題とするが,リスク・ベースに沿った検査では例え金融機関の行為が法令遵守 上は問題がなくとも,リスク管理上の瑕疵があり最終的に当該金融機関の損益 を左右しかねない行為については議論の対象とし改善を求める,といった違い が生じることとなる。例えば,融資伸長に悩む金融機関の中にはその代替投資 としてデリバティブ商品を組み込んだ有価証券投資に偏る先が増えることがあ (20)
るが,そうした資産運用は金利,株価,為替レート等の想定外の動きによって は予期せぬ損失を被りかねないリスクを抱えることとなり,従って法令遵守面 では何らの問題がなくとも,リスク管理面では大きな議論となり得るのであ る。 このような行政庁による検査と日銀考査のポイントを改めて整理すると表 4-2 のように,両者の概念には大きな差異があると中央銀行は主張する。 (19)法令遵守上の問題を含む行為の多くは,営業停止などの行政処分の対象になったり顧客離反 を生じたりするなど,最終的には当該金融機関の決算に何らかの影響を与える可能性も否定 できず,行政検査が金融機関の損益に全く関心がないというのは言い過ぎであろう。ここで の議論は,あくまでも行政検査,日銀考査がいずれにより大きなウエイトを置いているか, を強調したものである。 (20)地方の信用金庫など融資伸び悩みが目立つ地域金融機関の中には,目先の収益伸長を優先し てレバレッジが効いた仕組み債を大量購入した結果,為替レートや金利動向によって大きな 損失を抱えてしまい,最終的に経営破綻に至った事例も見受けられる。
第4章 中央銀行による金融機関考査は必要か 71
表 4-2 行政庁による検査と日銀考査の比較 行政庁による検査 実施主体
日銀考査
金融庁(内閣総理大臣)等
日本銀行 日銀法第 37 条∼第 39 条に規定 銀行の業務の健全かつ適切な運 する業務を適切に行いまた適切 実施の目的 営 を 確 保 す る た め(銀 行 法 第 な実施に備えるものとして(日 24・25 条) 銀法第 44 条) 日銀法での罰則規定なし。 資料提出請求や検査を相手方が ただし正当な理由なく資料請求 実施権限(罰則) 正当な理由なくして拒む場合に や考査を拒む場合にはその事実 は罰則を適用(銀行法第 63 条) の公表や当座預金取引の解約等 を行う(考査に関する契約書) 法令遵守状況のチェックにウェ リスク管理状況のチェックにウ 実施内容 イト ェイト (Compliance-based Supervision) (Risk-based Supervision) 資料出所:各関連法等から作成。
もっとも,中央銀行がこのように両者の理念上の違いを強調しても,行政検 査でも検査内容はリスク管理に重点を移しつつあり,その点からも両者の相違 は徐々に薄れて来ていることは否定できない。99 年以降施行されている「金 融検査マニュアル」では「今後は広く『リスク管理』という視点からの検査も 重要になってくる」 (金融検査マニュアル検討会[1999]p.5)としてリスク管 理にもウェイトを置き始め,法令遵守態勢の確認用とリスク管理態勢の確認用 の両立てとなっている。こうしたリスク管理志向はバーゼルⅡの下で一層強ま ることが見込まれ,金融庁が 2006 年 11 月に公表したバーゼルⅡ適用開始後の 金融検査マニュアルの改訂版(案)では,「法令等遵守態勢」に加えて「顧客 保護等管理態勢」の項目も追加するなど,行政庁としてコンプライアンスを重 視した検査思想は変わっていないものの,各種の「リスク管理態勢」のほかに 「統合的リスク管理態勢」のチェック・ポイント等を加えるなど,リスク管理 チェックの面に一段とウエイトを置いた検査思想に転じつつある(金融庁 [2006b]を参照)。
2.3 行政判断に従った LLR 発動決断への反省─山一證券の日銀特融未回収の教訓 自らの考査を通じて金融機関の実態を把握してからでなければ中央銀行は
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LLR 機能の発動を決断してはならないとの教訓を,日銀は山一證券への特融 の未回収問題において痛感したものと思われる。周知の通り 97 年 11 月に山一 證券が自主廃業を公表し,それ以降日銀は山一に対して特融を実施した。日経 金融新聞[1999]によれば, 「山一は債務超過にはならない,という政府の説 明を信じる関係者はいなかった。負債2兆円規模に対し,自己資本はわずか 1,000 億円。山一が早晩債務超過に陥るのは明らかで,日銀内部でも山一特融 に慎重な空気が支配的だった」とし,そうした「迷った日銀を決断させたのが (21)
(97 年 11 月当時の三塚大蔵大臣による)蔵相談話だった」としている。しか し,99 年 6 月に山一證券は自己破産宣告を受けその破産手続きが 2005 年 1 月 に終了した結果,日銀特融の回収不能額は最終的に 1,111 億円に達することが (22)
判明したのである。山一證券は預金取扱金融機関ではないが,四大証券会社の ひとつとして決済システム上で大きな役割を果たしてきており,このため日銀 は当座預金口座の開設を認めるとともに,考査を実施しその経営内容をチェッ クしていた。97 年 11 月の自主廃業公表の前のどの段階でどのような考査が行 われたのか等の詳細は不明であるが,いずれにしても日銀としてはその経営内 (23)
容の実態については把握していたはずであり,それにもかかわらず日銀は結果 的に,上記のように蔵相談話に沿って特融の発動を決定してしまったのであ る。 LLR 機能の発動を決定するに際して,発動対象となる個別金融機関の経営 状態に関する正確な情報を事前に得ていたとしてもその solvency を見極める (21)蔵相談話は,「本件の最終処理も含め,証券会社の破綻処理に関しては,寄託証券補償基金 の法制化,財務基盤の充実などを図り,十全の処理体制を整備すべく適切に対処したい」と 政府が日銀特融の返済に責任をもつ旨を記してある。 (22)日銀は,すでに平成 10 年度決算において,同年度末時点での山一證券向け特融残高の 25% 相当額を貸倒引当金として計上している。日銀は決算後の剰余金を国庫に納付するが,この 貸倒引当金計上段階でその相当額だけ国庫納付金が減少するかたちで,最終的に国民の負担 となる。 (23)大手証券会社についても大手銀行と同じように,2 ∼ 3 年に一度の頻度で考査が行われてい る。従って,どんなに遠くとも経営破綻の直近 2 ∼ 3 年前までの経営内容は把握していたは ずであるが,山一證券の破綻の原因となった有価証券含み損の「飛ばし」の事実は把握でき なかったであろうし,経営破綻に至る前にその経営体力(自己資本比率)や期間収益力等か ら,債務超過の状態であることを日銀として正確に把握できていたかは疑問である。
第4章 中央銀行による金融機関考査は必要か 73
ことは実務的には容易ではないであろうし,実際上,当時は 1 週間前には北海 道拓殖銀行が破綻するなど 97 年金融危機のピーク時であり,この時点で山一 證券に関しては「債務超過ではないとの政府見解は信じられず,従って,日銀 特融発動の要請には応じられない」との強い姿勢を打ち出すことは政治的に困 難であったと思われる。しかし,最終的には蔵相談話に沿って特融を供与し多 額の回収不能額が現出してしまった経験により,LLR 機能の発動に際しては, あくまでも考査等により独自情報を入手して中央銀行として独自に判断を下す べきであり,またそれができない場合には回収不能等の不都合なケースがさら に多発するであろう,との認識を強くもったものと考えられる。そうした強い 認識が,前章で述べた日銀特融の 4 原則の公表に現れていると考えられる。
3. 中央銀行考査は本当に必要か─最適な検査システムは何か 3.1 複数検査システムの是非 以上のように,中央銀行による考査については,他の検査機関の検査結果を 流用することによって検査の効率化を図ること(single standard 化)を主張 する声があるのに対して,中央銀行サイドでは,他機関の検査結果に全面的に は依拠することはできず,あくまでも中央銀行の視点からの独自の考査が必要 であると反論しており,複数検査システム(double standards による金融機関 経営のチェック)の是非に焦点が当てられていると言ってよいであろう。 言うまでもなく,異なる視点から複数の検査機関が検査を行なうこと自体 は,単独機関制に比べて金融機関をチェックする範囲が拡大し,齊藤[2004a] (p.25)が指摘するように「金融機関の安全性と健全性の確保等を図ることを 徹底させる」こととなり,金融機関経営者にとっても本来的には望ましいこと である。さらに,一般的に複数検査機関システムの下では,検査機関同士の一 種の競争が生じ検査技術のレベルアップにも貢献することが期待される。検査 機関と金融機関との「癒着」を避けることができ,監督・検査の責任の所在も 明確になるからである。高度なリスク管理の実践を求められようになった金融
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機関は勿論,その適切性を査定する検査側も検査・考査技術のレベルアップが 求められる。そこでは複数当局との間での議論,研鑽も必要となり,金融機関 (24)
と の 間 で の 癒 着 し た 状 態 は 海 外 当 局 か ら の 疑 惑も 招 き 易 い。Laffont and Martimort[1994]は,被規制企業(民間銀行)が私的情報を保有し,これら の企業と政府との間では一般に情報の非対称性が存在するという状況の下で は,この被規制企業に関する情報がひとつの規制者(銀行監督当局)に集中す る場合には,その規制者との癒着が生じ易くなるとして,癒着を防止するため には政府内組織における情報の保有が分散されるべきであると主張している。 こうした情報保有の質的分離論に立てば,行政による検査と日銀考査との並存 (25)
とその質的な差別化が強く求められることとなる。 しかしながら,このような複数検査機関システムのメリットを是認するにし ても,第 1 章で述べたように,Cargill[1989]が主張するように「監督・検査 当局が複数あると,当局間で広範な協力が行われたとしても,人材や情報など の資源を有効活用することには限界があり,コストが高くつくことは避けられ ない」という面が残ることは依然として否定し難い。金融機関の業務内容は急 速に高度かつ複雑なものとなっており,それを監督・検査する側の人材確保, 検査装備に要する費用は拡大している。その一方で,破綻に備えて金融機関の 清算価値の算出等の特殊技能を有する人材も常時確保しておかねばならない。 さらには,バーゼルⅡを踏まえてリスク管理の高度化が謂われている現在で は,金融機関のリスク管理が急速に高度化するため,監督・検査機関はその適 切性を判断できるレベルの人材も日ごろから確保しておく必要があるなど,検 査に投入しなければならない経営資源は膨大なものとなっているのが現状であ る。複数検査機関制に伴ってそのような所要コストがさらに膨れることは容易 (24)95 年 9 月に発覚した大和銀行ニューヨーク支店における米国債ディーラーによる不正事件 に当り,米国監督当局は,同行が日本当局には速やかに事件を報告したのに対して米国当局 への報告が遅れたのは,同行とタイアップした日本当局の指示によるものと考え,ペナルテ ィとして同行は米国からの撤退を余儀なくされた。この事件は,金融機関とその監督当局と の関係が不透明な場合,海外からの疑惑を招きかねないことを示す典型的な事案である。 (25)ただし以上の理論はあくまでも複数検査機関制のメリットであり,必ず中央銀行が考査を 行わなければならないことを支持するものではない。
第4章 中央銀行による金融機関考査は必要か 75
に理解される。第 2 章で見たように,米国連銀が他の公的検査機関との検査の 協調体制を組む事を余儀なくされているのも,こうした事情を反映したもので あると言えよう。 ま た,Haubrich[1996] ,Haubrich and Thomson[2005]な ど は,中 央 銀 行が監督・検査権限をもつことを他の機能(金融政策等)の遂行との兼ね合い で検討し,そもそも監督業務が他の業務に有用な情報を生み出し,かつそうし た情報が他の当局との協調からでは容易に得られないのであれば,中央銀行が 一定の監督・検査権限を遂行するのは有用であるが,逆に中央銀行が金融政策 等に特化することにより得られるメリットの方がより大きければ監督・検査権 限は他の機関に譲り,所要の情報は他の機関から入手するべきである,として いる。これによれば中央銀行による検査実施の可否もこうした効率性の帰趨如 何によることとなる。 従って,中央銀行が上記のような複数検査機関システムのメリットをいかに 強く主張したとしても,金融システムの安定確保に向けてその維持のために社 会的に払うことができるコストには自ずと限度があることを勘案すると,その 制限下においてコストをかけてでも複数検査機関制を採用し double standards を堅持し金融機関経営をチェックすることが認められるか否かは,そのために 要するコスト(受検金融機関の負担,検査機関による投入経営資源のコスト, 金融政策など中央銀行の他の政策・業務へ及ぼす影響度合い等)と,個別金融 機関の健全性維持,さらには金融システム全体の安定化等といった最終的に得 られるベネフィトを具体的に計量モデルを用いて比較考量してみなければ,最 終的には判断することはできないのである。いずれの検査システムが当該経済 社会において最適であるかは,この比較考量の計測作業を経なければ判断でき ず,その意味でわが国における最適の検査システムのあり方についても,今後 の大きな検討課題として残されている。
3.2 限界的な存在としての日銀考査 しかし,ここでさらに検討し留意しておかねばならないのは,わが国の場
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合,日銀考査は果たして真に double standards の機能を果たしてきたか,果 たしているかどうかという点である。[補論Ⅱ]で詳述しているように,日銀 考査はその創設時から一貫して行政検査を補完するものとして位置づけられて きている。旧日銀法下では法的な根拠も脆弱で,存続は許されても,主務大臣 の強力な監督下に置かれて行政検査との差別化を図ることは事実上許されてい なかった。また,80 年代後半期に編み出されたリスク管理重視考査は,それ までの日銀考査は勿論のことながら行政検査とも大きく異なる思想,内容をも つものであったが,第 6 章で詳述するように最終的には行政検査との歩調を取 ることを余儀なくされた結果,金融機関を強く指導するまでには至らずに終わ ってしまった。さらに,98 年に施行された新日銀法では考査は法定化されて 行政検査の束縛からは解放されたかに見受けられたが,実際に考査内容は早期 是正措置に沿うことを余儀なくされた結果,むしろ行政検査との同質化が進ん でしまっている。 このように考えてくると,日銀が行政検査との理念的な違いをいかに強く主 張しようとも,現在に至るまで一貫して行政検査と事実上同様の金融機関調査 を行ってきた,すなわち single standard に拠る複数検査機関システムの途を 歩んできたと言わざるを得ない。従って,上記のように double standards に 拠る複数検査機関システムでさえも最適なシステムであるとは一概には言い切 れない不確定性が残る中にあっては,わが国プルーデンス政策分野における日 銀考査の存在意義は極めて限られたものと認識されても止むを得ないものであ る。さらに今後は,バーゼルⅡの下で,行政検査も一段とリスク管理に重点を 置いた検査を志向することを勘案すると,single standard 化の様相は一段と 強まり日銀考査の存続余地はさらに一層狭められてくるものと考えられる。第 1 章で指摘したような,金融界を中心に潜在している日銀考査の受検負担の軽 減,さらには行政検査への一体化を求める声は,こうした日銀考査の位置づけ とその限界性を明確に認識して,金融機関検査体制の効率化を強く求めている ものと捉えるべきであろう。
第 5 章 日銀のリスク管理重視考査 77
第5章 日銀のリスク管理重視考査
前章までの分析で明らかなように,金融機関考査は中央銀行に不可欠なもの であるとは必ずしも言い切れないとの理論的な脆弱性がある中で,特に日銀考 査の場合には次の第 6 章で詳述するように,旧日銀法下での法的な実施根拠の 弱さも重なって,考査の内容,目指すもの等,その実態は非常に曖昧であっ た。日銀自身もこうした考査の実施根拠等の脆弱性については認識していたよ うであり, [補論Ⅱ]で日銀考査の変遷を振り返る中で明らかになるように,考 査という金融機関の経営情報入手ルートを実質的に確保し続けるためには,中 央銀行としての独自の内容の考査を強行し行政検査から大きく逸脱することを 極力控え,また政府から求められた際には行政検査との協調にも応じるなど, 事実上 single standard に近い形での考査実施に甘んじてきたのが実態である。 そうした中,70 ∼ 80 年代にかけて金融の自由化等に伴う金融リスクの高ま りを踏まえた日銀は,それまでの日銀考査とも行政検査とも大きく異なるリス ク管理重視考査の方針を打ち出し,そのベースとなる「リスク管理チェックリ スト」も公表し,折りからのバブル経済の中で高まる金融機関の信用リスクの 抑制指導に乗り出そうとした。このリスク管理重視考査は次章で詳しく触れる ように,結果的に金融機関の融資行動に対して適切な指導を加えることができ ずに終わったが,これはまさにリスク・ベースの監督・考査の実践であり,中 央銀行による金融機関考査のあるべきひとつの姿を示した施策として認識され るべきものと考えられる。 リスク管理重視考査は,上記のような経緯もあって現在では振り返られるこ
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ともなく,その意義に関する学術的な考究もほとんど見受けられない。しか し,「リスク管理」という観点から金融機関経営をチェックし指導するという 施策は,わが国では画期的な提案であり,その理念は現在の金融機関経営に大 きな影響を及ぼしているほか,中央銀行による金融機関考査実施の意義を検討 する上でも重要な情報をもたらしてくれるものと判断される。本章ではその理 念,実態を整理し,その意義を検討していくこととしたい。
1. リスク管理重視考査の実施 1.1 金融の自由化等と金融リスクの高まり 70 年代以降の世界経済は,①金利の自由化(金利規制の撤廃),②業務範囲 の自由化(業務分野規制の緩和),③国際的な資本移動の自由化(外国為替管 理の撤廃等),④資金の調達運用面における証券利用の増大(間接金融から直 接金融へ,相対取引から市場取引へ,資産の流動化),といった金融革新の大 (1)
きな流れに巻き込まれた。 わが国でも,70 年代前半の第一次石油危機の発生,変動為替相場制度へ移 行などを契機とする経済成長の減速を背景に,国債の大量発行開始(75 年) , 国債流動化(77 年)等の措置がとられ,これに伴う長期国債の流通市場,現 先・CD 等のオープン市場の急速な発達が金融の自由化,国際化,証券化を促 進した。さらには,外国為替管理法改正による対外資本取引の原則自由化(80 (2)
年),ユーロ円取引の自由化を軸とした金融市場の自由化・国際化(84 年)な (1)金融の自由化,国際化,証券化の世界的な潮流の具体的な内容については花崎[2000](pp.26 ∼ 27) ,鹿野[2001](pp.39 ∼ 48),太田[2002](pp.18 ∼ 23)等を参照されたい。 (2)ユーロ円取引の自由化を軸とした金融市場の自由化・国際化の措置については,84 年 5 月の 日米円・ドル委員会[1984]を参照。日米円・ドル委員会は,1980 年代前半における日本の 巨額の対米黒字は,円資産投資の魅力が乏しく為替相場が過度に円安・ドル高に振れているこ とが背景にあり,ひいては,わが国の金融自由化と円の国際化の推進を通じて日米間の貿易不 均衡を是正するべきであるとの米国側の強い要望を受け,そうした問題を協議する場として設 置された政府間協議であった。また,政府は,非居住者ユーロ円債の発行解禁,小口預金金利 自由化,インターバンク預金金利の規制撤廃,民間債発行条件の自由化など円・ドル委員会報 告書よりも広範な自由措置を盛り込んだ「金融の自由化及び円の国際化についての現状と展
第 5 章 日銀のリスク管理重視考査 79
ど,規制緩和ないし自由化の諸措置が,金融機関経営に及ぼす影響等を見極め (3)
つつ慎重に実施された。一連の自由化措置は,基本的には一層の競争原理を働 かせることによりわが国の金融システムの効率化を向上させ,多様化,高度化 する内外の金融ニーズに的確に応えることを可能ならしめるものと評価でき る。個別金融機関についても,経営の自由度を高め,資金吸収力を強化すると 同時に資金運用範囲をも拡大し,その結果として収益機会を格段に広げるメリ ットをもたらす。 ただ,その一方で自由化等は金利や為替レートの変動幅を広げ,業務範囲の 拡大は銀行相互間のみならず他業態・業界との激しい競争をもたらし,経営判 断の僅かな誤りが破綻に直結する可能性が飛躍的に増大するなど,個別金融機 関が直面する諸リスクも拡大した。わが国の金融機関は長い間規制金利下に置 かれ,金融当局の指導の下でどのような金融機関でも必ず収益が挙がり,他の 金融機関から自らの利益源を犯されず破綻に追い込まれることはないという 「護送船団方式」のメリットを享受してきた。こうした経営環境に慣れ,そこ に収益源を確保していたわが国の金融機関の中には,自由化・業務規制緩和に より新たな収益源を見出そうとの意識よりも,むしろ他の金融機関の新規参入 (4)
による既存の収益機会の縮小を極度に憂えて過度の融資拡大路線に走り,それ が原因で破綻に至った金融機関が続出したのである(日本長期信用銀行,日本 (5)
債券信用銀行といった長期信用銀行がその代表例である) 。また,破綻を免れ た金融機関でもその後の長い間巨額の不良債権の処理に悩まされたことは記憶 に新しい。このように,金融の自由化等は同時に金融機関経営に伴う諸リスク (6)
の範囲と程度を拡大し,それを適切にコントロールするリスク管理の必要性も 望」を公表している(大蔵省[1984]を参照)。 (3)こうした自由化等のタイミングは,西独やスイス(60 年代),英国,米国(70 年代から 80 年 代前半にかけて)と比べて遅れたことは否めない。 (4)バブル期における長期信用銀行,信託銀行等の異常な融資ポートフォリオの状況やその背景 等については次章を参照。 (5)長期信用銀行 3 行のうち日本興業銀行は経営破綻にまでは至らなかったが,富士,第一勧業 の両行との経営統合を余儀なくされ,事実上その存在は消えている。 (6)業務範囲の自由化・拡大は多角化の経済(economy of scope) ,すなわち業務多様化に伴いリ スクが分散することから,リスクの縮小,経営の安定化に寄与するとも考えられる。しかし,
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急速に高まったのである。 80 年代までの金融の自由化等は,自由金利調達比率の急増,スプレッド貸 出の増加,証券保有度合いの増加など金融機関の資金調達・運用構造に大きな 影響を及ぼし始め,その結果,従来から意識されてきた信用リスク(貸倒れリ スク)に加えて,有価証券保有に伴う価格変動リスク,運用調達のミスマッチ による金利リスク等の管理の必要性が急速に意識され始めた。また,銀行業務 におけるコンピュータの使用範囲・頻度の高まりを反映して,システム・リス クの管理の必要性も論じられるようになった。例えば 86 年当時の岡田・日銀 考査局長は,都銀の資金調達増加分の 100%が自由金利資金によって占められ るようになり,その結果その時々の金融情勢によって変動を受け易い収益構造 に変化しつつあること,資金の運用・調達のミスマッチによる金利リスクが表 面化し易くなってきていること,コンピューター利用に絡む事件・事故が急増 していること,といった諸点を挙げて,「それらのリスク管理が従来からの信 用リスク管理に加えて重要な位置づけを占めるようになってきている」と警鐘 (7)
を鳴らしている。
1.2 リスク管理重視考査の開始 こうした懸念の延長線上で打ち出されたのが,日銀考査におけるリスク管理 重視考査の方針であり,そうした考査の実施のベースとなったのが「リスク管 業務範囲の自由化は直ちに当該業務分野への新規参入を誘発し過当競争を招き易く,かつ新規 業務に関してリスク管理面を含めたノウハウ不足からコスト収益の分析不足,稚拙な価格設定 に陥り易い。また巨額の初期投資等も重なり,実際には大きな損失を被る可能性(すなわちリ スク量の拡大)があることは否定できない。 (7)岡田[1986]を参照。改正日銀法が施行された 90 年代末以降と異なり,それ以前には日銀お よびその幹部は,金融政策に関する総裁記者会見等の例外を除き,日銀の政策やその考え方に ついて積極的に公表,説明をする傾向にはなかった。特にプルーデンス政策面では考査に関す る事項を含め,口を閉ざす向きが圧倒的であった。そうした対外非公表姿勢が濃厚な雰囲気の 中にあって,この岡田論文を含め考査局幹部は折に触れ『金融財政事情』『金融ジャーナル』 等の民間メディアに寄稿し,その時々の金融機関の経営実態に関する分析や,考査局の考え方 等を披露してきた。常に「個人的な見解」と断りながらも事実上考査局の正式見解に近く,全 ての問題に積極的に本音の見解が示されている訳ではないにしても,他により有効な資料が少 ない状況下では,これら投稿論文はその時々の金融機関に関わる諸問題に関する日銀(ないし 日銀考査局)の見解等の分析を行なう上で極めて貴重である。
第 5 章 日銀のリスク管理重視考査 81
理チェックリスト」であった。すなわち日銀考査局では,87 年 9 月から 12 月 にかけて主要幹部名でほぼ一斉に各種金融関係メディアへの投稿を行い,リス (8)
ク管理重視考査の実施方針を表明した。いずれの論文も,金融機関にとっての リスク管理の重要性を強調した上で,日銀考査としても,そうした金融機関の リスク管理状況をチェックし所要のリスク管理の強化を促すリスク管理重視考 査を実施する旨を表明し,その考査の際に利用するリスク管理チェック用のリ ストを公表することによって,金融機関に対しても同リストを利用したリスク 管理策の充実を求めるものとなっている。 ここでは横内[1987a]に沿って,考査局のリスク管理重視考査方針を詳し く把握することとする。同論文はまず,「金融機関経営をめぐるリスクが多様 化かつ増大する中で,近年リスク管理体制の強化の必要性が機会あるごとに叫 ばれている」としたうえで,リスク管理について, 「企業の収益はリスク・テイクすることにより生ずるものであるから,リ スク管理とは必ずしもリスクを極限まで小さくすることを意味するものでは ない。リスク管理とは going concern としての経営体にとって許容できる範 囲にまで顕現化しうるリスクの量を抑えることをいう」 と定義づけている。従って,「どのようなリスク管理体制をとるかということ は,どの程度リスクを許容するかという判断と裏腹の関係」にあり,「こうし た判断はまさに経営判断の中核をなす」と強調し,その上で金融機関が抱える リスクのうち,金利リスクや価格変動リスクへの対応としては ALM(asset (9)
liability management)が重要であること,オフバランス取引が増大している 国際的な業務を行なっている大手銀行ではオン・オフ双方の資産,負債の管理 (8)具体的には,横内[1987a] (横内は執筆時の考査局総務課長),同[1987b],横山[1987] (同じく考査局長),本家[1987] (同じく考査局考査課長),篠塚[1987] (同じく考査局次長) 等の諸寄稿論文である。 (9)ALM により,金利の感応度に応じて資産,負債を分類し,将来の金利変動を想定した上で収 益が最大となる資産,負債量を試算し,これを目標に営業活動を行なうことができる。金融の 自由化等により金利変動が大きくなった結果,将来の金利変動を見越した最適の資産,負債構 造を構築する ALM の巧拙が金融機関収益を大きく左右するようになった。岡・楠本編[1989] (p.72)によれば,ALM 手法はまず米銀が導入し,わが国の都銀が導入し始めたのは 1970 年 代後半になってからである。
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が必要であること,海外店・現地法人を含めたコンソリ・ベースでの為替等の リスク・ポジションを把握することが重要であること,等を強調した。その上 で横内[1987a]は,「日銀考査局では各金融機関のリスク管理能力を判定する ため,リスク管理のチェックリスト」を作り, 「今後の考査に当っては,このチェックリストを使用することによって, 金融機関のリスク管理の実情を,具体的に調査したいと考えている。(中 略)今後金融機関において,新たなビジネスに対するリスクの所在を十分に 認識し,的確なリスク管理が行なわれることが期待される」 旨を表明した。こうして開始されたリスク管理重視考査は,基本的理念として はバブル崩壊以後も実施され続け現在に至っている。また,リスク管理のチェ (10)
ックリストも,その後 2 回にわたる修正が施されたものの,基本的には現在の (11)
考査においても使用されている。 リスク管理重視考査を実施する以前の日銀考査でも,金融機関のリスク管理 の良否をチェックすることが全く意識されなかった訳では勿論なく,資産査定 を通じた信用リスク管理のチェック,臨店調査を通じた事務リスク管理のチェ ックの 2 つは考査期間中に最多の人員を投入して行われていた事項である。し かし,規制金利の下では金利変動リスクはさほど大きくなく,バブルやそれに 伴う巨額の不良債権発生といった信用リスクが大きく顕現化する可能性も低か (12)
ったことから,金融機関自身が意識するリスクはさほど大きくはなく,日銀考 (13)
査側も基本的には金融機関の経営全般を眺める考査に終始していたことは否め (10)96 年 5 月,98 年 6 月の 2 回改訂されている(改訂内容については後述)。 (11)日銀では,いずれの考査においても,その考査開始前に金融機関に対してチェックリストに 沿って自らのリスク管理実態に関する自己評価を求めている。 (12)バブル期以前の金融機関経営者が最も懸念し対外的な影響を恐れていたのは,貸倒れの発生 よりも,営業店における職員の不祥事や事務事故の発生であった。 (13)こうした金融機関経営全般にわたる考査は,いわば「経営コンサルタント」的な考査と呼ぶ ことができる。Amyx[2004](p.119)は「従来の日銀考査は,ビジネスの方法やマーケット の変動に如何に対応するか,といった問題に応える意味で,コンサルタントとして行動して いた」としている。それは考査の視点・基準がその時々の金融環境や考査対象先金融機関の 経営陣の意識,経営戦略等によって振れることがあり得る訳であり,中央銀行の視点で統一 された検査内容であったか疑問なしとはしない。
第 5 章 日銀のリスク管理重視考査 83
ない。それは中央銀行としての基本的な視点を欠いた考査であり,法令遵守の 観点からのチェックを重視した行政庁による検査とも異なる,中途半端な位置 づけがなされても致し方がない内容の考査が長く行なわれてきたのである。 それに対してリスク管理重視考査では,金融機関が対処するべきリスクの種 類とその対処方法の基準(チェックリスト)を予め示し,それに基づき考査期 (14)
間中はリスク管理状況に関連する事項だけに絞って「より広範かつ体系的に」 フォロー,調査し,経営陣ともその点だけの議論に終始する。その際に重要視 されるのは,金融機関が自ら抱えているリスクの種類,所在(どの業務にリス クが潜在しているか),量(リスクが顕在化した場合の損失見込み額)を認識 し,それに対してどのような対応策をとっているか,そのために金融機関内部 (特に経営陣)でどのような議論が行われているか,といったリスク管理のプ ロセス(過程)の適否である。その点に関する議論,説得を金融機関との間で 行うことによって,当該金融機関に対して管理施策の一層の徹底を納得させる (場合によっては巨額のコストを要する施策でもその実施を強く求めることが できる)効果を目指したものである。こうしたリスク管理プロセスの体系的な チェックを重視する方針は,後述するように,既に米国の金融監督当局による 検査・考査では行われていたが,わが国の検査・考査の歴史の中では従来見ら れなかったものであり,わが国の金融機関プルーデンス政策史上の先駆的かつ 画期的な考え方であったと評価できよう。 日銀が内部のどのような議論を経てリスク管理重視考査に踏み切ったのか, その具体的な検討過程や内容の詳細は不明であるが,リスク管理の評価に圧倒 的な重点を置いた新しいタイプの考査の実施に踏み切った大きな背景には,金 融の自由化措置が急速に進展し金融機関が抱える各種リスクの大きさが無視で きないほどになったことがあることは否定できない。さらに折からバーゼル委 員会で議論が進展していた自己資本比率規制の国際的統一に関する合意問題が (15)
大きく影響したことも想像に難くない。いずれにしても,チェックリストの策 (14)本家[1987]を参照。 (15)日銀がリスク管理重視考査の実施を公表した 87 年 12 月はバーゼルでの議論の真最中であ
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定・公表という新たなタイプの施策を伴ったリスク管理重視考査は,金融自由 化の急速な進展やその後のバブル経済崩壊に伴う巨大な信用リスク顕現化とい う金融機関の経営環境の激変に押された結果であるにしても,結果的に,従来 型の曖昧な内容の考査は勿論,行政庁による検査とも一線を画する,真の意味 での double standards 化に向けた金融機関考査を編み出すこととなったので ある。
2. リスク管理チェックリスト 2.1 リスク管理チェックリストの公表 こうしてリスク管理重視考査の方針を打ち出した日銀考査局は,87 年 12 月 金融機関に対して,同考査実施の際に考査担当者が用いる「リスク管理チェッ クリスト」を公表した。同リストは金融機関特有の 8 種類のリスクを挙げて, それぞれのリスクに関する主要項目を 4 ∼ 5 個程度設け,各主要項目について 十分なリスク管理施策が採られているかどうかを問うことにより,リスク管理 の実態を評定できるようになっている(当初公表時点のチェックリストとそれ (16)
ぞれのリスクにおいて対応するべき主要項目については表 5-1 を参照)。 各主要項目に関するチェックポイントは総計 212 に達しており,様々な項目 についてさまざまな角度から極めて細かい調査を行なえるようになっている。 現在では既にいずれの金融機関でも整備されており改めてチェックすることは 不必要と思われる項目,チェックポイントも一部に散見されるが,全体として は現在の金融機関考査においても十分使用に耐え得る内容となっている。言う までもなく,このチェックリストは飽くまでもリスク管理体制の定性的な面を チェックするものであり,具体的なリスクの大きさの定量化を行なうことには り,バーゼル委員会は翌 88 年 7 月にバーゼルⅠの合意に至っている。 (16) 「リスク管理チェックリスト」全文については横山監修[1989]資料編 pp.7 ∼ 19 を参照。 また,金融機関が抱える諸リスク(financial risks)の体系と個々のリスクの具体的な管理に ついては,前出 Jorion[2000] (pp.3 ∼ 21)とほぼ同じ概念であり,同書も併せて参照され たい。
第 5 章 日銀のリスク管理重視考査 85
表 5-1 リスク管理チェックリスト(公表時点のバージョン) リスクの種類
Ⅰ.信用リスク
Ⅱ.金利リスク
Ⅲ.流動性リスク Ⅳ.為替リスク Ⅴ.EDPリスク
Ⅵ.システム・ リスク
Ⅶ.事務リスク Ⅷ.経営リスク
主要項目(チェックポイント) <1. 簿上・国内>①事前審査 ②中間管理 ③債権保全 ④融資規律 ⑤システム・サポート <2. 簿上・海外>①カントリー・リスク分析 ②問題国向け債権管理 ③コマーシャル・リスクの審査 ④コマーシャル・リスクの管理,債 権保全 ⑤グローバル採算管理 <3. 簿外>①情報開示義務 ②業務変更,資産売却,合併の制限 ③ 担保,財務比率に関する制限およびマテリアル・アドバース・チェン ジ条項 ④デフォルト構成要件 ⑤計数管理,決裁権限 <1. ミスマッチ・ポジション>①役員,部長のリスクに対する認識 ② ALM 委員会ないし金利見通し会議の機能度 ③ギャップ算出のためのデータベース整備とシステム・サポート ④ギャップ枠の設定と決裁権限 ⑤ギャップの管理 <2. 公共債ディーリング>①役員,部長のリスクに対する認識 ②組 織と体制 ③ポジション枠の設定,管理 ④収益管理 ⑤システム・ サポート <3. ポートフォリオとしての証券保有>①役員,部長のリスクに対す る認識 ②保有枠の設定,購入の決定に係る決裁権限 ③外貨建証券 投資に関する対策 ④債券投資に関する対策 ⑤株式投資に関する対 策 ①役員,部長のリスクに対する認識 ②有価証券ポジションの増大に伴うファンディング対策 ③オフバランス取引に係る引出対策 ④クレジット・クランチ対策 ①役員,部長のリスクに対する認識 ②組織と体制 ③ポジション枠 の設定,管理 ④収益管理 ⑤システム・サポート ①防犯,防災,バックアップ体制 ②システムの開発体制 ③システ ムの運用体制 ④要員管理 ⑤EDP検査 ①役員,部長のリスクに対する認識 ②総合振込(一括振込)に関するリスク管理 ③CDのオンライン提携に伴うリスク管理 ④大規模決済システムへの参加に伴う契約条項の確認 ⑤大規模決済システムに関する組織と体制 ⑥資金移動に関するシステム・サポート ①組織と体制 ②現物関係 ③異例取引の管理 ④仮受・仮払金,別 段預金の取扱い ⑤対顧客トラブル防止体制 ①組織 ②内部検査 ③関連会社の管理
資料出所:横山監修[1989]資料編 pp.7 ∼ 19 より作成。
使えず,バーゼルⅡで求められているリスク計量化など現代的な要請に応える ものではないという限界が存在する。しかし,それにしても,リストが公表さ れた 80 年代後半の時点では,金融機関やその経営者はリスク管理の必要性を
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漠然とは感じながらも対応への具体策を知り得なかったのが実情である。それ に対して,金融機関経営を「リスク管理」の観点から体系的に評価するとの思 想を打ち出し,金融リスクの全体的な体系と詳細かつ具体的なリスク管理のポ イントを提示したこと,またそれを用いたリスク管理重視考査を実施すること を通じて金融界にリスク管理の重要性の認識と実際の施策を促したことは,管 見の限りではこのチェックリストがその嚆矢となるものである。 当初のチェックリストは,その後の情勢変化を踏まえて 96 年 5 月にほぼ全 面的に改訂された。上掲表 5-1 のようなリスク種類別に対応策を採るべき主要 項目を列挙する形式を改め,①経営・内部管理部門,融資部門等の業務分野別 に分類した上で対応策を採るべき項目を並べたこと,②いずれの項目において もリスク管理の状況を点検する際の「着眼点」を基本的内容から高度な内容に 向けて難易度順に配列し直したこと,等が大きな変更点である。これは日本銀 行考査局[1998]によれば,「先進的な金融機関にとっても体制整備になお時 間を要する点が残っており,各金融機関が遵守するべき一律の最低基準を示し たものではなく,多くの金融機関が各々の業務展開にあわせて参考とし得る柔 軟性を有したもの」との考え方に拠ったものである。 このように改訂されたリストは,さらに 2 年後の 98 年 6 月に再び改訂され て現在に至っている(現在使用されているチェックリストの内容については表 5-2 を参照)。98 年の改訂は,わが国金融機関の経営悪化など前回改訂以降の (17)
金融・社会情勢が急速に変化したこと,その一方で,リスク管理技術の高度化 も着実に進み,バーゼル銀行監督委員会など国際的な議論の場でもリスク管理 を巡って合意が形成されるなど,金融機関および考査を取り巻く客観情勢が大 きく変化した機を捉えて行なわれたものである。主な改訂箇所を見ると,「経 営・内部管理部門」ではコンプライアンス関連項目を大幅に拡充し,経営陣が その重要性を認識し社内のコンプライアンス意識を確立しているか,コンプラ イアンスを実践するための組織体制や具体的な手続きが存在し機能している (17)98 年 4 月から改正日銀法が施行され考査についても法制化されたことも,チェックリスト 見直し作業を促した大きな要因と考えられる。
第 5 章 日銀のリスク管理重視考査 87
表 5-2 リスク管理チェックリスト(現行バージョン) 部 門
主要項目(チェックポイント) <1. 経営方針等>①経営方針の健全性,明確性等 ②リスク管理の考 え方の浸透度 <2. 簿上・海外>①組織・権限・報告体制 ②人材の確保・育成 ③ 内部検査 Ⅰ.経営・内部 <3. 収益管理,関連会社のリスク管理等>①収益管理 ②関連会社の リスク管理 管理 <4. コンプライアンス,ディスクロージャー等>①コンプライアンス 体制の確立 ②ディスクロージャー,会計処理 <5.コンティンジェンシー・プラン>①コンティンジェンシー・プ ランの策定・浸透 <1. 総論>①経営陣の信用リスクに対する認識 ②資産の自己査定と 適正な償却・引当額の算定 ③信用リスクの統合管理 ④融資規律 ⑤人材育成 <2. 国内審査管理>①事前審査 1(信用調査) ②事前審査 2(資金使 Ⅱ.融資 途等) ③中間管理 1(実行後のフォロー) ④中間管理 2(システム・ サポート) ⑤中間管理 3(問題先管理) ⑥債権保全 <3. 海外審査管理>①事前審査 ②中間管理 ③債権保全 ④カント リー・リスク管理 <1. 総論>①経営陣のリスク認識等 ②リスク管理制度 ③市場実 務・取引内容 ④その他体制整備 <2. トレーディング>①管理体制 ②マーケット・リスク等管理 ③ 市場取引にかかる信用リスク管理 Ⅲ.市場・ALM <3. 有価証券投資>①管理体制 ②マーケット・リスク管理 ③信用 リスク等管理 <4. 資金繰り>①管理体制 ②流動性リスク等管理 <5. ALM>①金利リスクの把握 ② ALM 組織の運営 ③ ALM の実 践 <1. 総論>①経営陣の事務・EDP リスクに対する認識 <2. 事務>①組織・体制 ②現金・現物・重要鍵 ③異例事務 ④そ Ⅳ.事務・EDP の他事務 <3. EDP>①組織・体制 ②防犯・防災・バックアップ対策 ③企 画・開発体制 ④運用体制 ⑤不正利用防止策 資料出所:日本銀行考査局[1998]より作成。
か,等の観点が盛り込まれている。日本銀行考査局[1998]によれば,バーゼ ル委員会が 98 年 1 月に公表した「内部管理体制の評価のためのフレームワー (18)
ク」の趣旨も盛り込まれたとしている。「融資部門」については,98 年度から 早期是正措置に伴う自己査定制度が導入されたことを受け,自己査定制度に関 (18)Basel Committee on Banking Supervision[1998a]を参照。
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表 5-3 過去 10 年間における個別特殊分野のチェックリスト一覧 公表年月
チェックリストのタイトル
1999 年 8 月 金融機関のコンピューター 2000 年問題にかかるチェックリスト 2000 年 4 月 金融機関における情報セキュリティの重要性と対応策 2001 年 4 月 金融機関業務アウトソーシングに際してのリスク管理 2001 年 9 月 わが国金融機関におけるシステムリスクの管理状況と留意点 2001 年10月 信用格付を活用した信用リスク管理体制の整備 2002 年 3 月 金融機関の拠点被災を想定した業務継続計画のあり方 2003 年 7 月 金融機関における業務継続体制の整備について 資料出所:日本銀行ホームページより作成。
するチェックポイントが新設されているのは止むを得ない点であろう。「市場 部門・ALM」では 97 年 1 月バーゼル委員会が公表した「金利リスク管理のた (19)
めの諸原則」の趣旨を勘案した項目が導入された。 なお,これまで述べてきた「リスク管理チェックリスト」は 80 年代に公表 された金融機関の経営全般に係るリスク管理の基本的なマニュアルであるが, 日銀考査局ではこれに加えて,同様の趣旨から基本マニュアルを補完する位置 づけで,90 年代末以降,個別特殊な分野のリスク管理に関するチェックリス トを随時公表し,金融機関の利用に供してきている。これらの個別テーマ用チ ェックリストも考査時のチェックに用いられ,金融機関のリスク管理体制整備 には大きな影響を及ぼして来たと考えられる(これまで公表されてきた個別特 殊分野のリスク管理のチェックリストは表 5-3 を参照)。
2.2 リスク管理チェックリストの理念とその影響 日銀がどのような経緯でチェックリストの策定に至ったのか,その詳細は不 明であるが,おそらく米国の金融監督機関に倣ったことは想像に難くない。米 国の金融監督機関は,金融機関の検査に際して検査官が使用するマニュアル, すなわち検査時における検査の視点を早い段階から公表している。米国当局 (19)Basel Committee on Banking Supervision[1997a]を参照。
第 5 章 日銀のリスク管理重視考査 89
表 5-4 米国 FRS により公表されている考査マニュアル一覧 マニュアル名 Bank Holding Company Supervision Manual Bank Secrecy Act/Anti-Money Laundering Examination Manual Commercial Bank Examination Manual
対象金融機関等 bank holding company and their nonblank subsidiaries
state member banks of Federal Reserve System
Consumer Compliance Handbook Examination Manual for U.S. Branches and Agencies of Foreign Banking Organization FFIEC Information Technology(IT) Examination Handbook Trading and Capital-Markets Activities Manual A User s Guide for the Bank Holding Company Performance Report
US branches and agencies of foreign banking Organizations
bank holding company
資料出所:FRS ホームページ(2006 年 4 月末現在)より作成。
は,マニュアルを入手した金融機関がそれに沿って所要のリスク管理体制を整 備し検査にも備えることを促し,かつそれを期待しているのである。例えば, 連邦準備制度(FRS)のホームページには連銀(FRBs)考査官が使用してい るマニュアル類が掲載され,無償で入手することができるようになっている (現在公表されている考査マニュアルについては表 5-4 を参照) 。さらに,FRS 考 査 局 で は,ホ ー ム ペ ー ジ を 通 じ て 考 査 官 へ の 通 達 集(SR Letters: Supervision and Regulation Letters)も公開し,個別の具体的な問題点を巡る 連銀の考え方・方針に関する情報を,考査を受ける金融機関側も直接入手でき るようにしている。このように金融機関考査の方針・視点・考え方を極力積極 的に公開し,もって効率よく金融機関のリスク管理の強化を促す手法は,日銀 によるチェックリスト公表の大きな拠り所となったものと思われる。 いずれにしても,考査チェックリストの公表は考査側がいわば「考査の手の 内」 を事前に公表することであり,考査を受検する金融機関側としてはこのリ ストに沿って考査に対する事前準備をしっかり行なえることとなるが,これは
90
従前までの日銀としては考えられなかった姿勢である。しかし,日銀としては そうしたデメリットを十分認識しつつも,考査受検の事前準備が即ち当該金融 機関のリスク管理の一段の整備に繋がると期待して公表に踏み切ったものと考 えられる。日銀考査の本来の目的が金融機関経営の安定性確保にあるとすれ ば,考査の現場で初めて金融機関の採るべき対策を示唆するよりも,事前に金 融機関による対応策の雛形を示し,金融機関自らがその実現に向かって努力す ることの方が最終的には大きな成果に効率よく結びつくことが期待される。日 本銀行考査局[1998]はこのチェックリストを「個々の金融機関が自己責任原 則に基づいて自らのリスク管理体制を点検・整備していく上で活用することを 期待」して「日本銀行取引先金融機関および各業界団体に送付してきた」旨を 強調している。現在のプルーデンス政策全体が事前の規制(いわゆる「護送船 団方式」の事前チェック行政)から事後的なチェックのタイプに移りつつある とすれば,このチェックリストの作成・公表はそうした新しいプルーデンス政 策の画期となったものと位置づけられるであろう。 また,リスク管理重視考査自体は,次章で詳述するようにバブル期の金融機 関の異常な融資行動を的確に抑制することはできなかったが,チェックリスト の理念はその後も影響力を及ぼしており,90 年代以降現在に至るまでのわが 国金融界におけるリスク管理を巡る議論はまさにこのチェックリストの中身を スタート台にして起きてくる。90 年代に入り金融危機が生じリスク管理の必 要性が叫ばれ始めると,安井[1995]が述べているように(安井氏は当時の考 査局考査課長),「バブル期の貸出伸張時には審査部門と営業部門を一体化して 貸出業務に取り組む金融機関が多かったが,その弊害として急速な貸出増加に 歯止めがかけられなかったことから,多くの金融機関では(リスク管理チェッ クリストに倣い)審査セクションを審査部として独立させ,営業推進部門に対 するチェック機能の強化を図っている」といった動きに繋がってくるのであ る。 さらに,99 年 7 月に金融監督庁が早期是正措置の実施とともに金融検査の
第 5 章 日銀のリスク管理重視考査 91
ために策定・公表した「金融検査マニュアル」 (正式には「預金等受入金融機 (20)
関に係る検査マニュアルについて」)は明らかにリスク管理チェックリストの 考え方を受け継いでいる。すなわち,それ以前の金融検査では検査に際して具 体的な指針が存在せず,検査官の主観性が混じる可能性を排除できないもので あった。そこで旧大蔵省は 98 年に「新しい金融検査に関する基本事項につい て」を定め, 「自己責任原則の徹底と市場規律を軸に,明確なルールを前提と した透明性の高い行政への転換を図る」とし,これを受けて金融監督庁は「金 融検査の基本的な考え方および検査に際しての具体的な着眼点等を整理」した (21)
「金融検査マニュアル」を定めたのである。同マニュアルは日銀のリスク管理 チェックリストとはカバーする範囲は自ずと異なっているが,事前に検査・考 査の着眼点を公表することで金融機関の自己責任においてその法令遵守態勢と リスク管理態勢の整備を強力に促すという基本的な考え方は同様の発想である (22)
と言ってよいであろう。ちなみに,金融検査マニュアルでは,「1.当局指導型 から,自己管理型へ」, 「2.資産査定中心から,リスク管理重視へ」という 2 つの基本的な考え方を挙げた上で,金融検査の基本原則として, ①補強性の原則:金融検査は,自己責任に基づく金融機関の内部管理と,会 計監査人等による厳正な外部監査を前提としつつ,これら を補強するものである。 ②効率性の原則:当局及び金融機関の限られた資源を有効に利用する観点か ら,金融機関は,監査機能と十分な連携を保ち効率的・効 果的に行なわれる必要がある。 ③実効性の原則:金融検査は,金融機関の業務の健全性と適切性の確保に向 けて,機能を十分発揮するように実施される必要がある。 (20)金融監督庁[1999]を参照。 (21)金融監督庁[1999]を参照。 (22)日銀のリスク管理チェックリストと金融検査マニュアルとの関係は,日銀にとっては微妙な 問題を含んでいる。現在の考査では,リスク管理チェックリストを中心としつつも,早期是 正措置の前提である資産の自己査定結果をチェックすることを通じて信用リスク管理状況を 把握しており,その限りでは金融検査マニュアルを参照せざるを得ない状況となっているか らである。
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の 3 点を挙げ,金融機関に対して自己責任に基づく内部管理体制の充実,厳正 (23)
な外部監査の実施を求めている。
(23)金融検査マニュアルは,2001 年 4 月に改訂され,内部監査・外部監査充実を求める項目が 追加された。
第 6 章 バブル経済とリスク管理重視考査の限界 93
第6章 バブル経済とリスク管理重視考査の限界
バブル経済崩壊後に生じた多くの金融機関の破綻や巨額の不良債権は,金融 機関の異常な融資ポートフォリオ形成というリスク管理上の失敗によるもので ある。画期的な理念の下に企画された日銀のリスク管理重視考査の狙いは,こ のバブル期の金融機関の融資行動を抑制することにあったはずであるが,同考 査が実施に移された時点ではバブル経済はかなり進展し金融機関の融資ポート フォリオは既に歪な形で完成されており,行政検査との平仄を取らざるを得な いこともあって,その是正に向けて金融機関に強い指導力を発揮することなく 終わってしまった。 本章では,バブル経済の発生・崩壊と不良債権問題発生の経緯等を辿るとと もに,リスク管理重視考査が当初期待通りの機能を発揮しえず,金融機関の異 常な融資ポートフォリオの是正指導に乗り出すことができなかったことの背景 には,旧日銀法の下における行政検査との関係を踏まえた日銀サイドの自制的 な姿勢が大きく影響したことを指摘する。この点の解明,理解は日銀考査のあ るべき姿を模索する今後の作業の上でも欠かすことのできないポイントとなろ う。
1. バブル経済の発生 1.1 資産価格バブルの発生 1980 年代後半に地価・株価等の資産価格上昇を背景としたバブル経済が生
94
図 6-1 都銀の預貸金利鞘の推移 (%) 2.5 2 1.5 1 0.5 0
1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 (年度)
資料出所:日本銀行「金融経済統計月報」等から作成。
じ始めた。資産価格バブルはなぜ発生したのであろうか。既にその基本的な背 (1)
景についてはさまざまな角度からの膨大な研究・分析結果が存在するが,特に 85 年 9 月のプラザ合意以降の日本銀行による金融緩和政策にその要因を求め る声が多い。それに加えて,Hoshi and Kashyap[1999]や堀内・花崎[2000] が指摘するように,それまでの金融自由化の立ち遅れと 80 年代後半以降の自 由化進展に対する金融機関の融資行動に求める意見も無視できない。すなわ ち,金融の自由化等の経営環境の変化により,それまで規制金利下で金融機関 が確保していた超過利潤が減少,消滅するのではないかと見込まれ,金融の自 由化により金融機関収益が大きく低下すると懸念する向きが多かった。もっと も実際には,85 年以降の預金金利の段階的自由化は同年 9 月のプラザ合意以 降の急速な金融緩和政策の局面と重なったこともあり,金融機関収益への悪影 響は当初懸念されたほどではなく,大手金融機関の預貸金利鞘はおおむね安定 的に推移し,むしろ 80 年代末から 90 年代初にかけては利鞘幅が拡大さえして (1)例 え ば,吉 田[1998],渡 辺 編[1998],奥 村[1999] ,星・パ ト リ ッ ク 編[2001],鹿 野 [2001] ,村松・奥野編[2002],佐藤[2003],内藤[2004],上川[2005],村松編[2005]等 を参照。
第 6 章 バブル経済とリスク管理重視考査の限界 95
いるのである(図 6-1 を参照)。 しかし金融機関は都銀を中心に,運用利回りの引上げないし利鞘の確保を目 指し,高金利貸出の伸長が期待できる中小企業向け貸出や長期貸出に積極的に 取り組んだ。この結果,総貸出に占める中小企業向け貸出の比率(中小企業貸 出比率)は,都銀ではそれまでの 45 ∼ 50%程度の水準から 85 年前後を境に 急上昇を示し,89 年末には 70%のレベルにまで達した。80 年代前半でも既に 中小企業貸出比率が高かった地方銀行(65 ∼ 70%)では 80 年代末には 80% 近い水準に達した。また,総貸出に占める長期貸出の比率(長期貸出比率)も 都銀では 85 年以降急速に上昇し,それ以前の 30%台から 90 年には 55%を占 めるに至った(地方銀行でも 40%近いレベルから 50%弱に上昇した)。特に都 銀の中小企業向け貸出の拡大は,主要取引先であった大手有力企業が資金調達 (2)
の場を銀行借入から株式等資本市場に移す「銀行離れ」が進展しつつあるとい (3)
う環境の中で,利鞘の確保だけでなく運用資産残高の維持・拡大も図らざるを (4)
得ないという状況の中でとられた措置でもあった。 こうした金融機関経営の状況が,地価,株価等の資産価格が高騰したバブル 経済と重なり,バブル経済の原因とも結果ともなって機能した。特に,80 年 代に入り金融の自由化・国際化が叫ばれるようになり,東京には外資系の銀 行,証券会社が次々に進出した結果,東京のオフィス需要は急増し稼働率は 100%に近づいた。これを受けて 84 年 9 月には 6 大都市圏の商業地地価は前年 (2)舟山[1989]は,銀行は企業の「銀行離れ」について「強い危機感を抱いた」と指摘してい る。 (3)バブル発生期の企業の資金調達行動について,奥村[1999](pp.115 ∼ 127)は「金融市場な ど外部で調達した資金を再び金融資産で運用するという,金融負債と金融資産の両建て取引 ( 「メリー・ゴー・ラウンド取引」ともいわれる)を活発に行なった」として,特に大企業は 「実物に対して金融が資産,負債とも異常にウエイトを高め,中でも現預金が通常の金融機関 との関係からは説明できないかたちで,大きく膨らんだ」とする一方,中小企業は主として銀 行借入によって調達した資金による「土地投資の活発化が目立っていた」と総括している。 (4)金融機関が置かれたこうした経営環境の変化を受け止めて,本来ならば政府は金融制度改革 を速やかに実施に移さねばならなかった。しかし実際には,銀行の証券業進出を巡って証券会 社・銀行間の軋轢が高まり,結局制度改革は 90 年代まで先送りされた。この結果,銀行は旧 来型の貸出手法による金融自由化乗切りを余儀なくされ,融資額,利鞘ともに有利で拡大が見 込まれた不動産関連融資や財テク融資に傾斜していった面があることは否定できない。
96
図 6-2 公示地価の動向 指数(83 年初=100) 500 450 400 350 300 250 200 150 100 50 0
83
86
87
88
東京・商業地 大阪・住宅地
89
90
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92 93 (年度)
大阪・商業地 地方・住宅地
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95
96
地方・商業地
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99
0
東京・住宅地
資料出所:国土交通省「地価公示」から作成。
比 12.4%の上昇を示した。このように,地価の上昇の先鞭を付けたのは東京を 中心とする大都市圏のオフィス需要の高まりであり,さらに企業・個人による リゾート開発,リゾート物件の取得意欲の高まり等がこれを増幅したことは衆 目の一致するところである(もっとも長谷川[1987]とそれを受けた吉川 [2002]は,東京のオフィス供給不足はその根拠が脆弱であり,「1980 年代後 半の『土地バブル』は,『国際都市東京のオフィス不足』と『国内リゾート開 発』という 2 つの『実体的』期待──誤った期待によって引き起こされたもの である」<吉川[2002]p.429>との見方を強調している)。 いずれにしても,80 年代後半期には,資産価格の上昇を背景に企業や家計 の先行きに対する期待が著しく強まり,銀行借入等を通じた資金調達が巨額に 上り,それが経済活動を過熱化させ,価格の先行き高騰期待が実際の価格高騰
第 6 章 バブル経済とリスク管理重視考査の限界 97
表 6-1 資産価格インフレの各国比較 国 名 日本 米国 英国
不動産投資を 資産インフレの 資産インフ 有利化する 時期 レの程度 税制上の歪み 85 ∼ 89 年 事 業 用 不 動 産 投 土地:85 ∼ 90 年 強 85 年以降徐々に 初 資,相続税など 株:85 ∼ 89 年 70 年代後半以 83 ∼ 88 年 住宅投資優遇税制 土地:85 ∼ 89 年 中 降段階的に 金融自由化の 時期
80 年代以降
金融緩和の ピーク
83 ∼ 88 年 住宅投資優遇税制 土地:90 年以降
67 ∼ 69 年に金 85 ∼ 88 年 比較的軽い ドイツ 利規制撤廃 フランス 80 年以降 スウェ ーデン ノルウ ェー フィン ランド
86 ∼ 88 年 富裕税
強
土地:90 年以降
弱
土地:88 ∼ 90 年
中
強い住宅投資優遇 土地:85 ∼ 91 年 85 年に規制撤廃 86 ∼ 87 年 税制 株:88 ∼ 89 年 不動産投資優遇 84 ∼ 85 年 に 規 87 ∼ 90 年 住宅投資優遇税制 土地:86 ∼ 89 年 制撤廃 84 ∼ 86 年 に 規 85 ∼ 87 年 住宅投資優遇税制 土地:85 ∼ 87 年 制撤廃
強 強 強
資料出所:Shigemi[1995]p.90 の Table 1 および深尾[2002]p.90 表 2-1 から作成。
を促す効果をもたらし,さらに資産価格が高騰するという循環を生み出した。 ちなみに,80 年代以降のわが国の公示地価の動向を辿ってみると,図 6-2 に示 されるように東京圏では商業地,住宅地ともに 87 年以降急激な上昇を示し, 88 年には 83 年価格の 3 ∼ 3.5 倍の水準に達している。一方,大阪圏の地価は やや遅れて上昇し始め 90,91 年頃にピークに達し,商業地では 83 年価格の 4 倍を超えるレベルに達する等,地価上昇のマグニチュードが東京以上であった (5)
ことが窺われる。この間,地方圏は 90 年代初の時期にかけて地価上昇の動き は見られるが,東京・大阪に比較するとさほど大きなものではなかったことが 理解される。 こうした資産価格バブルは,なぜ発生したのであろうか。これについては, Shigemi[1995] (p.90)および深尾[2002] (pp.90 ∼ 91)が分かり易い分析 (5)[補論Ⅲ]の表 1 に示されるように,90 年代に入ってからの一連の金融機関破綻の中で関西 地区所在金融機関が目立っているのは,80 年代後半期に首都圏を上回る地価上昇が生じたこ とを反映したものと言えよう。
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表 6-2 80 年代後半期の不動産投資優遇税制 税 種
優遇措置
効果等
・不動産購入に伴う所要資金の調達は損金算入。 ・課税所得の減少 法人税 ・不動産価格上昇に伴う含み益は非課税。 ・売却額以上の価格の事業用不動産を購入する場合 法人不動産 は,買い換えた不動産を売却するまで当初の不動産 ・同上。 譲渡益課税 譲渡所得への課税は繰延べ。 ・ワンルームマンション等の事業用資産への投資は, 不動産価格上昇に伴う含み益は非課税。 ・同上。 所得税 ・同様に事業用資産購入に伴う支払い金利や減価償却 費は給与所得と損益通算可能。 ・課税評価額が市場価格の半分程 ・高額相続税により自宅売却を余儀な くされることを懸念した都心の家計 度。 相続税 ・負債額面は相続財産から控除可 を中心に,借入による不動産購入で 相続税軽減を図る動きが活発化。 能。 ・地価上昇が激しかった大都市圏 ほど低め(90 年代初までは土地 ・課税所得の減少。 固定資産税 時価額の 0.1%程度) 。 資料出所:国税庁ホームページ等から作成。
結果を示している。両者は,1980 年代に資産価格インフレを経験した先進 8 か国について金融の自由化,金融政策,不動産関連税制等の諸要素と資産イン フレの時期,程度を比較して(表 6-1 を参照), ①金融自由化は,必ずしもその直後の資産価格の急激な上昇をもたらした訳 ではないが,金融緩和の時期が自由化に重なるとより急激,大幅な資産価 格インフレが生じている。 ②これは,金融の自由化により(a)借入主体の流動性制約を緩和したこ と,(b)従来以上の競争激化の中で金融機関は不動産業等の新たな貸出 先に積極的に貸出を行なったこと,等から金融緩和が従来以上の急速な信 用拡張をもたらした。 ③金融緩和と不動産投資を優遇する税制上の歪みの両者が存在していた日 本,北欧諸国では,特に深刻な資産価格インフレが生じている。 といった事実を指摘して,わが国の資産価格インフレは上記の 3 要素の存在に よって最も激烈な形で生じたとしている。 ちなみに,80 年代後半期のわが国において,不動産投資促進の効果をもた
第 6 章 バブル経済とリスク管理重視考査の限界 99
らしたとみられる税制上の優遇措置は表 6-2 のように整理される。こうした税 制上の優遇措置はそれだけでは資産価格バブルをもたらすものではなく,厳し い借入れ制約に直面している家計や企業にとっては節税効果が限られている が,金融緩和に金融自由化の進展が重なる時期に金融機関が貸出を積極化させ ると急激な不動産投資の拡大をもたらし,最終的には資産価格インフレに至っ てしまうことは上掲表 6-1 に示す諸国の事例に見られる通りである。
1.2 金融機関による異常な融資ポートフォリオの構築 このように,わが国の資産価格バブルは金融緩和政策,金融の自由化,不動 産投資促進税制の存在など多くの要因が複合的に絡まって生じたものであると 言えるが,その中でも,資産価格の上昇に拍車をかけバブル経済の膨張をもた らした最大の要因は,金融機関による積極的な融資行動であったことは否定で きない。 80 年代後半期における金融機関の融資行動をみると,地価上昇に伴い不動 産業,建設業,ノンバンクの 3 業種向けを中心とした不動産関連融資のウエイ トが高まるなど,融資のポートフォリオ構成が特定業種に大きく偏る異常なも のであった。すなわち 85 年から 90 年にかけて増加した法人企業向け銀行貸出 の過半は不動産関連 3 業種で占められ,その結果,表 6-3 に示すように 90 年 末の国内銀行貸出残高総額(信託勘定貸出を含む)に占める 3 業種向け貸出の 比率は 30%を超えた。業態別には,都銀は比較的穏やかな上昇に止まったが それでも 25%近くのウエイトに達している。さらに長期信用銀行では 50%を 超え,信託銀行(信託勘定を含む)でも 56%と貸出総額の過半が 3 業種で占 められ,特に長信銀,信託によるノンバンク向け融資のウエイトの拡大振りが 異常に目立つ状態が出現した。特定の産業・企業への融資集中を避けることは 信用リスク管理の初歩的な鉄則である。周知の通り,この後 90 年代に入り長 期信用銀行,信託銀行の多くが経営危機を迎え,破綻や他行との合併・再編に 追い込まれることとなるが,その大きな要因は信用リスク管理の鉄則を破りバ ブル期において特定産業(ノンバンクを中心とする不動産関連業種)に向けて
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表 6-3 国内貸出残高の業種別構成比の推移 国内銀行総計 その他 製造業 金融保険業 サービス業 3 業種合計 ノンバンク 不動産業 建設業 うち都市銀行 その他 製造業 金融保険業 サービス業 3 業種合計 ノンバンク 不動産業 建設業 長期信用銀行 その他 製造業 金融保険業 サービス業 3 業種合計 ノンバンク 不動産業 建設業 信託銀行 その他 製造業 金融保険業 サービス業 3 業種合計 ノンバンク 不動産業 建設業
75 年末 80 年末 90 年末 95 年末 99 年末 100 100 100 100 100 43.5 43.9 43.1 40.5 43.7 38.1 24.1 15.8 15.4 13.5 0.4 0.4 0.9 2.2 4.5 4.6 7.5 9.0 11.0 11.3 13.4 24.1 31.2 30.9 27.0 0.9 11.0 14.9 13.2 9.0 6.9 7.9 10.4 11.1 13.5 5.6 5.2 5.9 6.6 4.5 100 100 100 100 100 47.3 44.2 47.5 46.5 45.8 36.0 26.5 15.8 13.5 14.4 2.3 1.8 1.8 4.5 4.4 5.0 6.6 11.3 11.1 10.5 9.4 20.9 23.6 24.4 24.9 0.1 8.8 9.0 8.8 7.4 4.4 6.7 10.0 11.2 13.1 4.9 5.4 4.6 4.4 4.4 100 100 100 100 100 32.7 37.0 29.7 26.5 29.5 49.3 23.1 13.1 13.3 15.9 0.9 0.5 0.4 3.1 4.5 3.6 0.5 4.4 6.6 6.8 13.5 38.9 52.4 50.5 43.3 0.4 25.5 37.1 31.0 25.0 9.4 10.2 13.1 15.5 13.7 3.7 3.2 2.2 4.0 4.6 100 100 100 100 100 41.2 39.1 31.5 30.8 37.4 36.1 16.5 6.8 11.0 12.6 2.3 0.9 0.9 2.2 4.7 0.5 4.3 4.5 7.5 4.7 19.9 39.2 56.3 48.5 40.6 2.3 21.7 38.3 28.7 18.7 13.0 15.2 15.8 17.6 18.7 4.5 2.3 2.2 2.2 3.2
注:国内銀行信託勘定による貸出を含む。 資料出所:日本銀行「金融経済統計月報」等から作成。
第 6 章 バブル経済とリスク管理重視考査の限界 101
異常なほどの融資傾斜に走ったことに求められると結論付けても差し支えない であろう。この点については筒井[2005]も,計量モデルによる計測結果を踏 まえ「バブル期に銀行が不動産貸出を中心に経営拡張態度をとったかどうか も,1990 年代の不良債権額にかなり大きな影響を与えている」と指摘してい (6)
る。 さらに敢えて付け加えるならば,経済の成熟化や金融の自由化等を背景に, 80 年代を通じて金融市場が資金の調達の場から運用の場に変質しつつあった にもかかわらず,長信銀,信託などの業態では引き続き産業資金供給のパイプ としての役割を担い続けざるを得なかった側面も忘れることができない。その 結果,貸出の供給過剰が発生し,新規融資実行に際して銀行が適用する金利に ついても,借り手企業のリスクに見合ったプレミアムを上乗せした本来あるべ き水準を確保することができなかったのである。 このように,大手銀行を中心に金融機関が偏った融資ポートフォリオの構築 に走ったのは,金融自由化に伴う利鞘の縮小というマイナス効果を強いられる との懸念の下で,不動産関連融資中心に貸出残高の量的拡大によってその埋め 合わせを図ろうとの意識が強く働いたためであるが,80 年代後半期の銀行収 益は,預金金利の自由化にもかかわらず,金融緩和政策に加えてまさに不動産 関連融資の伸長もあって利鞘を確保(前掲図 6-1 を参照)した結果,高収益を 挙げている。このことが返って,本来金融機関に求められる借り手企業に関す る審査や与信管理等の信用リスク管理が不可欠であるとする認識を大きく後退 させたことは否定できない。 そもそも金利自由化への移行期に重なったこの時期には,金融機関が最大の 関心をもって臨んだのは,運用調達のミスマッチからくる金利リスクをどのよ うに管理するかという点であった。さらに先物市場の創設や各種規制の緩和等 (6)筒井[2005]p.290 参照。筒井[2005]はその第 10 章「平成不況における不良債権の発生原 因」において,90 年代毎年度末の都銀,長信銀,信託,地銀における不良債権(破綻先債権, 延滞債権)を 90 年代のマクロ経済要因(倒産負債額,地価,株価) ,バブル期の拡張態度(80 年代後半期中の不動産業向け貸出額増加率) ,90 年代の経営合理化姿勢(毎年度の平均費用の 変化率)で回帰分析した結果,不良債権は 90 年代のマクロ経済要因とバブル期の拡張態度に よってもたらされたとの結論に達している。
102
が加わり,金融機関自身も金融当局も ALM による市場関連リスクのコントロ ール体制を重点的に整備していたのである。岡・楠本編[1989] (pp.72 ∼ 76)によれば,都銀を中心にわが国金融機関が米銀に倣って ALM(資産・負 (7)
(8)
債の総合管理)を導入したのは 70 年代後半であった。その後の金融自由化の 進展により,資金運用・調達の巧拙が銀行の収益を大きく左右するとして ALM 組織や運営の充実を図る必要が認識され,80 年代半ばには銀行内での ALM 組織に充実・独立化の動きが進展し,単なる金利予測からその予測に基 づいたリスクと収益のシミュレーションを行い,リスク・テイキング方針を決 定し,総合的な予算管理にまで結びつける総合的なリスク管理の段階にまで発 展した。また金融当局も,検査・考査等を通じて金融機関のこうした動きを後 押ししたのである。このように,金融機関のリスク管理に関しては金利リスク の重要性のみが強く認識される中で,貸出業容の維持・拡大が異様に志向さ れ,いかなる時にも金融機関に最低限求められるべき貸出ポートフォリオ全体 を見渡した信用リスク管理の原則がなおざりにされてしまったのである。
2. バブル経済の崩壊と不良債権問題の発生 2.1 不良債権問題の表面化 わが国経済の様相は 80 年代末頃から大きく変転し,バブル経済は崩壊に転 じ,金融機関には巨額の不良債権が発生し始め,その処理の帰趨の結果により 規模の大小を問わず経営破綻に追い込まれる金融機関が続出する等,わが国金 (9)
融界は「金融危機」の様相を呈し始めた。前掲図 6-2 に示すように地価の上昇 (7)ALM の概念は Baker が 1975 年頃提唱したことを嚆矢とすると言われている(Baker[1981] を参照) 。 (8)当初は,短期金融市場からの資金調達や債券の売買方針の策定等に当り,内外の資金関連部 の金融情勢判断,金利見通しのコンセンサス作りと,その資金・収益管理への反映を狙った金 利予測が中心であった。 (9)例えば花崎・Wiwattanakantang・相馬[2005]は「1990 年代前半から近年に至るまで,日 本はかつて経験したことのないほどの深刻な金融危機に直面した」 (p.41)との認識を示して いる。
第 6 章 バブル経済とリスク管理重視考査の限界 103
は,東京圏では 88 年以降漸く鎮静化の方向に向かい(前述のように関西圏や その他の地方ではむしろ 89 年以降に上昇の動きが見受けられた),さすがに金 融機関本体からの不動産関連融資の増勢は鈍化したが,その一方で住宅金融専 門会社等の系列ノンバンク向け貸出が増え,その資金が当該ノンバンクから不 動産関連企業に流れるという迂回現象が目立ってきた。こうした状況を眺めて (10)
日銀は,89 年 5 月以降公定歩合を断続的に引き上げて金融引き締めを図った が,最終的に株価,地価の鎮静化となって功を奏するに至るまでには時間を要 (11)
した。このため大蔵省は 90 年 3 月 27 日付銀行局長通達「土地関連融資の抑制 について」を発出し,土地関連融資の総量規制に踏み切った。これは, ①不動産業向け融資は,公的な土地開発機関等を除き,その増勢を総貸出の 増勢以内に納めること。 ②不動産業,建設業,ノンバンクの 3 業種向け融資実行状況を四半期毎に報 告すること。 を金融機関に求めたものであり,総量規制導入後1年を経た 91 年 4 月以降は 大都市圏の地価の下落傾向が鮮明になるなど,その効果は絶大であった(この ため,上記総量規制は 91 年 12 月に解除されている)。 (12)
総量規制に伴い土地取引への金融機関からの流動性供給は極端に細り,その 結果,「土地を買うから地価が上がる,地価が上がるから土地を買う」という 従来の地価上昇メカニズムは崩壊し,地価高騰による土地譲渡益獲得を狙って 銀行借入により不動産を取得していた不動産関連企業の中には,資金繰りに窮 (10)日銀は,1987 年 2 月に公定歩合を既往最低の 2.5%に引き下げた後,89 年 5 月末に 3.25%に 引き上げるまでの約 2 年 3 か月間,この水準を維持した。その後,89 年 10 月に 3.75%,同 12 月に 4.25%,翌 90 年 3 月に 5.25%,8 月に 6.0%と,約 1 年 3 か月間に 3.5%ポイントの大 幅引き上げを実施した。 (11)株価は 89 年末にピーク(日経ダウ平均 38,915 円)をつけた後,翌 90 年以降は下落傾向を辿 った。株価の下落は株式含み益の減少をもたらし,含み益に大きく依存する自己資本構造を 抱える邦銀は,92 年度決算から導入される自己資本比率規制(バーゼルⅠ)を達成できな い,との不安感を高めることとなった。 (12)ただし,農林系統金融機関は総量規制の対象外であった。このため,以後,農林金融機関に よる住宅金融専門会社向け融資が急拡大し,住専の借入金の過半は農林系統金融機関からの ものとなり,95 年以降の住専問題の大きな火種を蒔くこととなった。
104
表 6-4 90 年代における不良債権開示の動き 時 期
開示内容 ・大蔵省,個々の銀行に先駆けて 92 年 3 月期決算概要を公表。 ─都銀・長信銀・信託 3 業態の不良資産残高合計は 8 ∼ 9 兆 円,うち担保・保証のない部分は 2 ∼ 3 兆円(貸出総額の 1 %未満) 。 92 年 4 月 ─大蔵省は「都銀だけでも株式の含み益は 10 兆円にのぼり, この程度の不良資産額では日本の金融システムに不安はな い」と強調。 ・銀行は自主的に,不良債権額(破綻先債権額,延滞債権額の合 計) ,貸倒引当金額,有価証券含み益を開示(ただし地方銀行 93 年 3 月期決算から は破綻先債権額のみ) 。 ─金利減免等債権額は開示されず。 95 年 9 月中間期 ・金利減免等債権額の公表(ただし口頭ベース) 。 決算から ・開示対象の拡大。 ─都銀・長信銀・信託:金利減免等債権,経営支援先債権も開 96 年 3 月期決算から 示。 ─地方銀行以下の業態:延滞債権額も開示。 ・これまで不良債権とはされていなかった下記債権も開示対象と した。 98 年 3 月期決算から ─利息支払いが3か月以上延滞している債権。 ─変更後の貸出金利が公定歩合水準を上回っている金利減免債 権。 資料出所:金融庁ホームページ等から作成。
し倒産する事例が急増した。この結果,金融機関にとっても不動産関連融資に 隠れていた信用リスクが急速な勢いで顕現化し,資産内容および収益の悪化が (13)
目立ち始めた。 同時に,金融機関の不良債権額に関する情報が開示されていなかったことも あり,海外の投資家を中心に邦銀の資産内容が急速に悪化しているのではない かとの疑念が高まった。こうした声に対して,わが国当局および金融機関は 徐々に開示に応じた(表 6-4 を参照)ものの,そのテンポは緩やかで内外の信 頼回復には至らず,この間大手銀行も含め金融機関の破綻が相次いだこともあ って,日本の金融システムに対する不安感は 90 年代を通じて持続した(邦銀 (13)都銀の 91 年度決算は,金利低下の恩恵を受けて業務純益は前年度比 32%の大幅増加となっ たが,貸出金償却負担の増加から経常利益は前年度比 14%の減益となった。
第 6 章 バブル経済とリスク管理重視考査の限界 105
が海外市場で外貨流動性を調達する際には,通常の市場金利に数%ポイントの 上乗せを求められる,いわゆるジャパン・プレミアムが発生した)。後手に回 (14)
った不良債権額の開示が投資家の不安を煽り,金融システム不安をさらに増大 する悪循環に陥ったのである。
2.2 不良債権の種類とその規模 一般に不良債権とは,正常債権(債務者が借入金の元利金を当初約定通りに 返済履行を行なっている債権)に対して,何らかの理由で債務者(企業・個 人)の財務状態が悪化し,当初約定どおりの元利金返済履行が行なわれていな い,あるいはそのおそれがある債権である。わが国では,金融機関が抱える 「不良債権」には実務上,リスク管理債権,金融再生法開示債権,自己査定に よる分類債権の 3 種類のデータが存在する。 3 種類の不良債権概念が存在するのは,不良債権額の算出を求めたそれぞれ の根拠法規がどのような目的を目指したものであるか,の違いによるものであ る。リスク管理債権<銀行法に拠る>と金融再生法開示債権<金融再生法に拠 る>は金融機関の財務内容の透明性確保を狙って,当初から不良債権額はディ (15)
スクローズされることが見込まれていたのに対して,自己査定による分類債権 <金融検査マニュアル・早期是正措置に拠る>は適切な引当・償却を目指して 各金融機関が内部的に行なう自己査定作業の結果算出されるものであり,金融 機関には開示義務はない。3 つの「不良債権」の具体的な分類基準を並べてみ ると(表 6-5 を参照),リスク管理債権と金融再生法開示債権は債権の返済履 行状況に応じて分類され,事実上大きな差異がないのに対して,自己査定によ る分類債権はまず経営状態に応じて債務者を分類(債務者分類)している。さ (14)緩やかな開示テンポだけでなく,開示内容の信憑性についても疑問がもたれた。表 6-4 の示 した 98 年 3 月期決算以降の開示不良債権額が一般の予想よりも少なかったことから,不良債 権額を意図的に過小評価したり,不良債権そのものを連結決算対象外の関連会社に移す等の 「不良債権飛ばし」が行なわれたのではないか,との疑念が強まり,98 年秋以降の大手銀行 破綻の導線となった(不良債権の「飛ばし」については藤井[2001]pp.71 ∼ 72 を参照)。 (15)金融庁でも決算期毎にリスク管理債権と金融再生法開示債権のみその業態合計額を集計・公 表している。
106
表 6-5 各「不良債権」における分類基準 ①リスク管理債権
②金融再生法開示債権
③自己査定による分類債権
(破産更正債権) 破 産,会 社 更 生,再 生 手 続 き等の事由により経営破綻 に陥っている債務者に対す る債権 <自己査定上の破綻先,実 (延滞債権) 未収利息不計上貸出金で, 質破綻先向け債権に一致> 自己査定上の破綻先債権に 該当しない貸出金<元金ま たは利息の支払いが約定支 払日よりもおおむね 6 か月 以上遅延している貸出金> (危険債権) 債務者が,経営破綻の状態 には至っていないが,財務 状 態,経 営 成 績 が 悪 化 し, 契約に従った債権の元本の 回収,利息の受取りが出来 ない可能性が高い債権<自 己査定による分類の破綻懸 念先向け債権と一致>
(破綻先) 破産や直接処理など,すで に経営破綻に陥っている債 務者 (実質破綻先) 法的・形式的には破綻して はいないが,深刻な経営難 の状態であり,再建の見通 しがない状況にあるなど, 実質的に経営破綻に陥って いる債務者<大幅な実質債 務超過先, 長期延滞先など>
(要管理債権) 3 か月以上延滞債権および貸 出条件緩和債権(リスク管 理債権と同定義)
(要注意先のうちの要管理先) 債権の全部または一部がリ スク管理債権のうちの要管 理債権(貸出条件緩和債権, 3 か月以上延滞債権)である 債務者
(破綻先債権) 未収利息不計上貸出金のう ち,法的破綻手続きの申立 て等があった債務者に対す る貸出金
(貸出条件緩和債権) 債務者の経営再建または支 援を図る目的で,金利減免, 利息の支払い猶予,元本の 返済猶予,債権放棄等の債 務者に有利となる取決めを 行なった貸出金 (3 か月以上延滞債権) 元金または利息の支払いが 約定支払日よりも 3 か月以 上遅延している貸出金
(破綻懸念先) 現在経営難の状態で,今後 経営破綻に陥る可能性が大 きい債務者
(その他要注意先) 貸出条件に問題がある債務 者,元本返済等の履行状況 に問題がある債務者,赤字 決算等で業況が低調,不安 定な債務者
注:リスク管理債権は 92 年度に破綻先債権,延滞債権の開示から始まり,その後開示対象が順次 拡大され,上表の全ての分類が開示されたのは 97 年度以降。 資料出所:金融庁ホームページ等から作成。
らに,いずれの不良債権も不良度合いが強い分類についてはほぼ一致している ものの,自己査定による分類で「その他要注意先」に該当する分類(表 6-5 の
第 6 章 バブル経済とリスク管理重視考査の限界 107
シャドウの部分)が他の 2 つには存在せず,このため自己査定による分類債権 (16)
には不良度合いが軽い債権などが相当幅広く含まれていることが窺われる。 前述したように,金融庁はリスク管理債権,金融再生法開示債権の金額およ び不良債権の処理額(各年度中に償却・引当等の会計処理された金額)をそれ ぞれ集計・公表しており,それによれば,バブル経済が崩壊したのちの 13 年 間(92 ∼ 04 年度)に 96.4 兆円不良債権を処理してきたにもかかわらず,依然 として総与信額(あるいは総貸出額)の 6%前後のレベルの不良債権が残存し (17)
ていたことが分かる。こうした不良債権はその全てがバブル期に生じたもので はなく,むしろ 90 年代に入って以降の長期にわたる不況期に発生したものが (18)
かなりのウエイトを占めているものと考えられるが,いずれにしてもこの 100 兆円に近い不良債権の処理はわが国金融機関の経営体力を相当疲弊させてきた ことは否定できないところである。
3. リスク管理重視考査はなぜ不良債権の発生を抑えられなかったか 3.1 不良債権問題はリスク管理の壮大な失敗事例 かくも巨額の不良債権はなぜに発生したのであろうか。前述のように,80 年代後半の長きにわたる金融緩和政策が民間部門に低水準金利の永続期待を強 くもたせ,資産バブル拡大の大きな原動力になったことは否定できない。それ はバブルが発生し易いマクロ経済環境を生み出し,民間で高まった経済の先行 (16)どの債務者区分に分類されるかによって引当率が大きく異なり,ひいては決算の姿も大きく 変わってくる。このため,金融機関の自己査定では「要管理先」よりも「その他要注意先」 へ,「破綻懸念先」よりも「要管理先」へと,より軽度のランクへの分類を極力行おうとのバ イアスがかかり,その要因分だけ「その他要注意先」は膨らむ傾向にあると言われている。 (17)全国銀行の 03 年度末におけるリスク管理債権の貸出金総額に占める比率は 6.1%,金融再生 法開示債権の総与信額に占める比率は 5.8%。ごく最近の景気の回復を通じて残存不良債権は 急速に減少し,2005 年度決算(2006 年 5 月公表)では,大手銀行グループの不良債権比率は 1 ∼ 2%台のレベルにまで低下している。 (18)前にも触れたように筒井[2005]は,90 年代の不良債権額はバブル期に銀行の拡張的な融 資姿勢と並んで 90 年代のマクロ経済要因(倒産負債額,地価,株価)によってももたらされ たと指摘している。
108
きに対する強気の見方がバブル拡大に寄与したのであるが,そうした中で,巨 額の不良債権が生じた最大原因は,金融機関が与信の集中リスク,貸出全体の ポートフォリオ重視というリスク管理の原則を忘れ,個別案件の審査のみで貸 し進んでいったことであることは既に述べた通りである。さらに,個別案件の 審査についても,既に多くの金融機関では審査部署は営業部門に組み込まれ独 立性を失っており,こうした前のめりの融資姿勢を審査部署がチェックするこ とは事実上不可能であった。また本来であれば,このような時には金融機関の 株価の下落,調達金利の上昇といったマーケットからの警告も発生するはずで あるが,残念ながら,そうした市場からの監視,規律づけも行なわれなかっ (19)
た。リスク管理重視考査を含め日銀,大蔵省といった金融監督当局からのチェ ックも後述のように有効には機能しなかったのみならず,むしろ金融機関の破 綻処理が進む中で巨額の公的資金を要する事態に直面した国民は,こうした監 督当局の非力に対する批判を強め,折からの官僚の不祥事発覚も重なり,大蔵 省からの金融行政権限の分離,日銀法改正による日銀の独立性強化に至ってし まうのである。 また,不良債権が一旦発生しても,速やかにこれを処理できればこれほどの 大問題には至らなかったであろうが,そこにも以下のようなわが国独自の金融 慣行等が存在し,これらが稚拙なリスク対応をもたらし,問題の先送り,拡大 化をもたらしたことは否定できない。すなわちまず,金融機関は借り手企業と の運命共同体的関係を戦略的に構築してきたことなどから,危機に瀕した借り 手企業をドライに処理することができなかったことが指摘できよう。そもそも 融資実務上は,ある債務者への貸出の不良性は,かなりの程度その債務者の現 在および先行きの経営状態について金融機関側がどう判断するかに拠るところ が大きい。従って,債務者が破産して完全に返済不能となっている場合である (19)邦銀は,バーゼル合意の実施に備える等の意図から,88 年頃から自己資本充実を目指して 転換社債発行や時価発行増資を相次いで実施したが,株価の高騰もあって内外投資家はこれ に積極的に応じた。80 年代後半には既に大手銀行は有価証券報告書に業種別貸出残高を公表 しており,いびつな貸出ポートフォリオを認識することができたにもかかわらず,内外の投 資家はこれを見逃していたのである。
第 6 章 バブル経済とリスク管理重視考査の限界 109
ならばともかく,経営危機に陥って経営立て直しを図ろうとしている債務者に ついて,今後その債務者が如何なる方向に進んでいくか,その結果貸出金をど の程度回収できるか,との予想は難しく,このため債権の不良性に関する判定 にも微妙な問題が付きまとう。90 年代以降,金融機関が不良債権の早期処理 を強く求められたにもかかわらず,経営再建の可能性が多少なりとも残ってい ると判断した債務者企業への債権を早急に処理することに金融機関が総じて及 (20)
び腰であったことは,こうした事情を反映したためである。 さらに,救済融資の実行により問題企業の延命を図ることが自行や融資参加 他行の損失負担発生の回避やメインバンクとして名声確保等の上からも好まし (21)
い対応策と認識されていた。問題企業の延命は,雇用の安定化にも資するとし て株主,経営者,従業員のみならず社会的にも是認されたことも援護射撃とな った。政府当局もそうした延命処理策の選択を暗黙のうちに了解していたよう に思われる。また,当初は企業会計原則に不良債権の償却・引当基準が定めら れておらず,勢い無税償却の適格要件が厳しい税法基準が援用されたことから 全体に企業の破綻認定は難しく,このため,結果的に問題企業の資金繰りを続 (22)
け不良債権処理の先送りが行なわれたという側面も無視できない。さらに,監 督当局,特に大蔵省は銀行経営にとっての不利な情報開示はなるべく避けたい との意識が強く,これを映じて,98 年 10 月の金融再生法成立まで破綻金融機 関処理の枠組みも準備されることはなかったのである。 こうした事情を総合的に勘案すると,経営危機に瀕した借り手企業および金 (20)銀行と借り手企業とが相対で取引を行なう間接金融制度においては,銀行は,情報生産コス トの回収を図るためにできるだけ長期にわたり取引関係を維持し,その中で所要コストの回 収を目指そうとするのが一般的であるが,バブル期の邦銀の姿勢はやや異常であった。 (21)特に,地方銀行や信用金庫といった地域金融機関では,地域内での評判維持に経営上の大き なウエイトを置いており,長年の取引関係から新規融資にも応じざるを得なかったケース, 経営危機に陥った取引先企業への貸出を回収する等のドライな対応が憚られるケース,ある いは逆に救済融資の実行を迫られるケース等が多かったことは事実であり,必ずしも合理的 なリスク管理を徹底できなかった。 (22)その一方で,99 年度決算から税効果会計が適用され繰延税金資産の計上が認められ,これ が事実上自己資本の水増しに繋がり,金融機関の抜本的な対応を遅らせる効果をもたらした ことも忘れられてはならない。
110
融機関について,それを速やかに整理ないし再建することが最適と誰しもが認 識しつつも,それに伴う目先の損失負担の大きさに躊躇し,次善の策として問 題の先送りが選択されて,結果的に傷口を拡大していったと結論づけられる。 このように,不良債権問題は必ずしも個別金融機関だけの責に帰せられるもの ではなく,政府,中央銀行,会計制度,税制など広範囲に及ぶわが国金融界の 抜本的な改善が求められるものではあるが,問題の本質は依然として個別金融 機関における信用リスク管理のあり方が適切であったか否かという点,すなわ ち信用リスク管理の巨大な失敗事例ではなかったのか,という点に帰っていく と思われる。多くの金融機関が積極的な融資姿勢に傾いていった中にあって, 融資ポートフォリオのバランスを重視し,どのように有利と思われる融資案件 でも企業別・業種別融資限度を守ることによって不良債権発生を最低限に抑え (23)
ることができた金融機関が少なからず見受けられたことは,記憶されるべきで あろうし,こうした愚直なリスク管理姿勢の堅持が金融機関の本来のあるべき 姿であることを引き続き指導していくことが金融監督当局に求められている点 (24)
であろう。
3.2 リスク管理重視考査はなぜ奏功しなかったのか もっとも日銀は,80 年代後半の早い段階から資産価格の上昇傾向に留意を 促し,金融機関の貸出姿勢についても警告を発していたことは事実である。例 えば園田[1986] (園田は当時の調査統計局エコノミスト)は地価,株価の急 上昇振りについて,過去の上昇局面と比較して「わが国経済全体の流動性水準 が高い」ことが背景として挙げられるとし,「金融の量的緩和が法人,個人両 (23)代表的な事例として静岡銀行が挙げられる。竹内[2003]はバブル期の同行の融資姿勢を 「静銀はこの時期(80 年代後半)に大企業融資を抑制した。(中略)首都圏の不動産業やノン バンクから融資を引き上げた」と評価している。こうした「手堅い融資姿勢」もあって,同 行はバブル崩壊以降現在に至るまで,わが国金融機関の中でトップの格付けをキープし続け てきた。 (24)巨額の不良債権問題に苦しんだことも,景気の回復・増収益が続く中で忘れられ,所要のリ スク管理の整備がおろそかになり,いつしか再び同じ轍を踏むこととなりかねない。その再 燃を回避するためには,個々の金融機関におけるリスク管理の徹底が必要であることを金融 界全体で長く記憶に留めておく必要がある。
第 6 章 バブル経済とリスク管理重視考査の限界 111
部門を通じて当面ますます強まる可能性が高い」ことなどを指摘した上で,資 産価格の上昇はそれらの資産への投機的な資金の流入,生産的投資への資金流 入の減少等を通じてマクロ経済面での資源配分に大きな悪影響を及ぼすと指摘 している。また,岡田禎考査局長(当時)は,リスク管理考査実施を公表する 1 年前の 86 年末に「最近の金融機関の経営面で注目している点」として「貸 出先が特定の業種に特化しているような金融機関で貸出内容の悪化が目立つ」 (25)
ことを警告しているが,これはまさに上掲表 6-3 に示されている融資ポートフ ォリオの異様な歪みを認識した上での警告であろう。しかし,こうした一連の 論文はいずれも穏やかなトーンに終始し,とても金融機関の信用リスク管理強 (26)
化に有効に作用したとは思われない。最終的に日銀考査局がリスク管理重視考 査の実施方針を打ち出したのは,その後 1 年間が経過した 87 年末であり,前 掲図 6-2 に示されるようにまさに東京圏を中心に 87 年中に地価の大幅上昇が 見られた後であった。 そして,リスク管理重視考査は結果的にその機能を十分発揮しないままに終 わり,バブル崩壊後の金融危機,巨額の不良債権を生み出すこととなってしま ったのであるが,リスク管理重視考査はなぜバブル経済の発生抑制に十分な効 果をもたらすことがなかったのであろうか。 その第一の背景としては,リスク管理重視考査が強い指導力を発揮するのに 必要な客観的な条件が整っていなかったことである。前に述べた異様な歪みを 伴った融資ポートフォリオが形成されつつあったにもかかわらず,まさに資産 バブルによる好況によって,この時期の金融機関の不良債権の発生は総じて落 着いており,金融機関に対して偏ったポートフォリオの是正を中心とする信用 リスク管理を強く迫ることが憚られた。 (25)岡田[1986]を参照。 (26)このように日銀が,金融機関の情報生産機能の喪失とその結果としての融資ポートフォリオ の歪みに関して一般的な指摘を行っていることの裏には,個別金融機関に対する実際の考査 の中で,具体的な事案を把握し考査所見の中でその旨を指摘していたと考えるべきであろう。 しかしながら,具体的にどのような表現で,どの程度強く金融機関にその是正方を迫ったの か,それに対する金融機関側の反応はどうであったのか,といった実態は残念ながら不詳で あり,この点の解明は今後の課題として残されている。
112
図 6-3 要注意与信比率の推移 87 年 3 月=100 120 100 80 60 40 20 0
80
81
82 都銀
83
84 85 (毎年 3 月時点) 地銀
86
第二地銀
87
88
89
信金
資料出所:舟山[1990]p.76 掲載図を転載。
この点については,金融機関各業態の要注意与信比率の推移を見ておく必要 が あ る。日 銀 考 査 で は 金 融 機 関 の 資 産 内 容 の 悪 化 度 合 い を L(Loss) ,D (Doubtful) ,S(Slow or Substandard)の 3 区分に査定してその金額を把握す る。日本銀行考査局[1998]によれば,各区分に該当する資産の内容は表 6-6 の通りであり,これら L・D・S 債権合計額の総与信額に占めるウェイトが要 注意与信比率であり,考査の過程で算出したこの比率等を踏まえて日銀は金融 表 6-6 日銀考査における資産区分 <回収不可能または無価値な債権> L(Loss) :破綻先,実質破綻先向け債権のうち,担保や優良保証 <金融庁検査のⅣ分類に該当> 等の保全がなされていない部分。 <最終的な回収または価値に重大な懸念がある債権> :担保等で保全されていない破綻懸念先向け債権部分, D(Doubtful) 担保等による回収が確実ではない破綻先・破綻懸念先 <金融庁検査のⅢ分類に該当> 向け債権部分。 <貸出条件や元利返済状況に問題がある債権> <業況不芳,財務内容に問題があるなど今後の管理に注 意を要する債務者向け債権> S(Slow or Substandard) <金融庁検査のⅡ分類に該当> :いずれも優良担保による保全部分は除き,破綻先・破 綻懸念先向け債権のうち担保等による回収可能な部分 を含める。
第 6 章 バブル経済とリスク管理重視考査の限界 113
機関に対して資産内容の改善等の指導を行なっていた。 図 6-3 は舟山[1990]に掲載された要注意与信比率の推移状況を転載したも (27)
のである。これを見ると,早くも 81,82 年頃を境にいずれの業態も要注意与 信比率が上昇(資産内容が悪化)し始めたが,86,87 年を境に各業態は横ば いに変化,ないし減少に転じている。まさに 87 年頃を境に一旦は金融機関の 資産内容の悪化がとまった,ないし改善をみたのである(その後,90 年代に 入ってからの要注意与信比率は公開されていないが,当然ながら急上昇を示し ていると思われる)。これは,まさにバブル景気の拡大により企業売上が回復 し要注意与信に該当する債権が減ったことに加え,地価の高騰に伴う担保価値 の上昇に伴い,担保によるカバー額が増え,要注意与信額自体が減少したほ か,それまで担保を処分できず不良債権とされていた貸出の整理が進んだこと も大きく寄与している。 いずれにしても,このように資産内容が改善傾向を辿っていると見做される 最中に,その改善をもたらしている大きな背景である資産価格の上昇が実は大 きな潜在的なリスクとして存在していると指摘することは,その時点では説得 力に乏しく実務上は容易なことではなかったであろうと推測される。そもそも 80 年代のバブルとは,資産価格が経済の基礎的条件(ファンダメンタルズ) に沿った水準から大きく離れて高騰することであるが,ファンダメンタルズに 沿った価格を算出し,実際の資産価格がそれを大きく上回っていると指摘する ことは実務上極めて困難である。前述のように日銀は早い段階から資産価格の 上昇を警戒していた節があるし,三重野日銀総裁は「当時副総裁であった私は (中略)極めて苛立たしく思っていた心情を『乾いた薪の上に座っているよう (28)
だ』と表現した」と述べている。しかし,このような一般的に警鐘を鳴らすこ とはできても,考査における個別融資案件の査定の際に,担保物件価格の認定 (27)図 6-3 は 87 年時点での要注意与信比率を 100 として毎年の比率を指数化したものであり, 各業態の比率水準そのものは知り得ない。従って,グラフの位置が下にあってもその業態の 比率自体が低いかどうかは分からず,あくまでも同一業態における要注意与信比率の増減関 係を理解するにとどまる。 (28)三重野[1999]p.195 を参照。
114
に当たり現に示されている公示価格ないし路線価を「これはファンダメンタル ズから乖離したバブル価格である」と否定し,より合理的な価格を提示し,そ れを金融機関側に納得させることはできないのである。さらには,一般物価が 安定裡に推移する下で円高再燃を避けるためにも金融緩和基調を維持せざるを 得ないとの金融政策面での判断がなされていた状況の中で,プルーデンス部門 だけが資産価格高騰の異様性を強く主張することも容易ではなかったと思われ る。 しかし,考査時点での融資全体の健全性如何について問うことができなかっ たにしても,特定分野・企業へ集中した貸出ポートフォリオ全体を眺め,その 異様性と将来的なリスク発生の危惧を指摘し,強くその是正方を求めることが できたはずである,との議論もあり得よう。確かに,要注意与信比率に拘泥し 過ぎて融資全体のポートフォリオのゆがみという真の変調を見過ごしていたと (29)
すれば,その点はリスク管理重視考査にとっても反省するべき点であろう。し かしながら,既に形成された融資ポートフォリオを大きく,かつ急激に変更す ることは,当該金融機関の経営戦略の大転換を強いるものであり,実務上は多 大なコストと時間を要し,金融機関サイドは容易に首肯することはないであろ (30)
う。さらに,個別の融資案件についても「リスク管理チェックリスト」に沿っ て,将来の担保価値の下落を見込んだ内部議論があったかどうかといったプロ セス・チェックを行い,その上で既往貸出の管理強化や新規融資への慎重な対 応等を一般的に要請することはできても,その要請に従って金融機関が個別融 (29)後述のように,この間大蔵検査は一貫して分類率(日銀考査の要注意与信比率に相当)をベ ースに金融機関の資産内容の是非を判断しており,日銀考査もこうした大蔵検査の姿勢に影 響を受けていた可能性は否定できない。 (30)堀江[2001b] (p .75 脚注 11)は,吉野[1995]が「明らかにサウンド・バンキングに反す る行動を,なぜ通貨当局は見逃したのであろうか。大蔵省の検査も日銀の考査もバブルに汚 染されていたとしかいいようがありません。日本の銀行の検査・考査に致命的な欠陥があっ たからだと断定せざるを得ないと思うのです」と主張している点を紹介して, 「考査現場で相 手を説得することの難しさに対する理解が不足している面は否めない」と反論している。筆 者も,検査・考査の対応によっては 87,88 年頃の時点で銀行の融資行動に多少のブレーキを かけることできたのではないか,との疑問が残るものの,考査の現場での説得が容易でない との堀江の反論には同感せざるを得ない。
第 6 章 バブル経済とリスク管理重視考査の限界 115
資案件の停止・回収を急激に進めれば社会的な批判を生じかねないことは容易 に想像される。 結局,3 業種向け融資の抑制は,前述の通り,90 年 3 月の大蔵省銀行局長通 達による土地関連融資の総量規制という行政の強権的指導の発動を俟たざるを (31)
得なかった。本来ならば,融資ポートフォリオの是正が金融機関の将来のリス クを削減すると判断された時点で,その是正コスト等の大きさ等を理由に金融 機関が反発するとしてもその指導を徹底するのがリスク管理重視考査のあるべ き姿である。その時点で不良債権の芽を摘んでおけば実際には 100 兆円近くに 及んだ不良債権処理の負担総額を多少なりとも削減することができ,その削減 額は日銀考査による社会的な効用として認識されたであろう。しかし,結果的 にそこに敢えて踏み込まず自己抑制してしまったことに日銀考査のもつ限界が 窺われるのである。そして,こうした限界には,下記の行政検査との関係が大 きな影響を及ぼしていたのである。
3.3 大蔵省金融検査とリスク管理重視考査 リスク管理重視考査が奏功しなかった 2 番目の背景としては,行政による検 査(大蔵省による金融検査)との関係を指摘できる。周知の通り旧日銀法で は,一般的監督(旧法第 42 条「日本銀行ハ主務大臣之ヲ監督ス」),業務命令 権(43 条) ,監督命令権(44 条),日本銀行監理官制度(45 条,46 条),役員 解任権(47 条)が規定され,法制上,日本銀行は主務大臣(大蔵大臣)の広 (32)
範かつ強い監督下に置かれてきた。その一方で,考査を日銀の業務と認める法 制上の規定は全く存在せず,当座預金取引先の金融機関との間で民法上の約定 (33)
を取り交わして,これを実質的な根拠に考査を行ってきたのである。このよう (31)総量規制は対象金融機関すべてに同時に効果が及ぶ規制であるのに対して,考査はあくまで も個別金融機関に対する指導であり,マクロ的効果は限られたものに止まる可能性があるこ とは否定できず,土地関連融資の抑制には最終的には総量規制の如き全体をカバーする行政 指導が必要であったことは否定できない。 (32)旧日銀法が制定された 1942(昭和 17)年以前に施行されていた日本銀行条例においても政 府に強い一般的な監督権限が認められていた(第二十四条)。 (33)旧日銀法下における金融機関と考査約定については[補論Ⅰ]を参照。
116 (34)
に日銀考査の法制上の立場が極めて弱いものであったことは否めず,あくまで も緊急時には手薄な行政検査を補完するものとして通常時においても金融機関 調査を継続することがかろうじて認められる存在であったと言っても過言では なく,このため日銀考査サイドとしても行政検査から大きく離れた独自の内容 (35)
の考査を実施することが憚れたことは認識していく必要がある。 そもそも大蔵省検査では 80 年代後半期における金融機関の融資行動をどの ように捉えていたのであろうか,この点を大蔵省銀行局による「銀行局金融年 報」の各年版での記述から探ってみることとする。表 6-7 は,85 年度以降の検 査結果を踏まえて大蔵省が銀行の融資内容についてどのように評価していたの かを整理したものである。 これを見ると,85 年度以降各業態で分類率の上昇(資産内容の悪化)が指 摘されてはいるものの,特定大口取引先向け貸出金や海外債権の固定化等を主 因としたものと指摘するにとどまり,バブル経済の発生を強く警告してはいな い。また,年度によっては不動産業向け融資の異常性を認識していることを窺 わせる記述が見受けられるものの(<87 年度・長信銀,信託>「貸出金は不 動産業,金融・保険業,サービス業向けが,使途別では土地及び財テク資金が 著増」,<88 年度長信銀,信託>「不動産関連融資で引き続き慎重な管理を要 するものが認められた」) ,むしろ景況の回復・拡大に伴う貸出先の業況好転を 肯定的に評価している。こうした傾向は,バブル経済がピークに達し大蔵省が 不動産関連業向け融資の総量規制に乗り出した後の 90 年度に至っても見ら れ,同年度における都銀等の資産内容については「国内業務部門の分類率は景 気の拡大による企業業績の向上等から低下」<都銀>,「不動産業等の分類率 は高くなっているものの,貸出金分類率は前回検査時に比べ低下」<信託>な どと依然として肯定的な評価に止まっている。こうした見方が大きく変わるの (34)実際には生じなかったと考えられるが,日銀考査が行政検査の強い協力要請に応じない,あ るいは行政検査を大きく上回る負担を金融機関にかける調査を強行する,といった場合があ れば,主務大臣が考査の実施自体の中止を求めることも法理論上はあり得たのである。 (35)こうした立場は,強い法的根拠の下で検査を実施している米国連銀と,完全に監督・検査権 限を剥奪され金融機関情報から事実上遠ざけられて苦しんでいるイングランド銀行との中間 に位置づけられよう。
第 6 章 バブル経済とリスク管理重視考査の限界 117
表 6-7 銀行の融資内容に関する大蔵省金融検査の評価 検査年度
1985
86
87
88
89
90
91
内 容 ・(特定大口取引先向け貸出金等での分類発生から)平均分類率は引き続き大 幅に上昇<都銀> ・(海外債権の固定化が主因で) 分類率が上昇するなど若干悪化<長信銀, 信託> ・(地場産業不振,不十分な審査・管理等から)貸出金の内容は,前回検査時 に比して総じて悪化<地銀> ・(特定大口取引先向け貸出金等での分類発生から)平均分類率は引き続き大 幅に上昇<都銀> ・(地場産業不振,不十分な審査・管理等から)貸出金の内容は,前回検査時 に比して総じて悪化<地銀> ・国内の景況の回復・拡大から貸出先の業況は好転しており,平均分類率は 横ばい<都銀> ・貸出金は不動産業,金融・保険業,サービス業向けが,使途別では土地及 び財テク資金が著増。平均分類率は若干上昇<長信銀,信託> ・貸出金の内容は,地場産業の景況の回復程度いかんによって,分類率の良 化,悪化が分かれる<地銀> ・個人,不動産,サービス業および金融保険が貸出増加額の太宗。国内業務 部門の分類率は景気の好転,首都圏における土地取引の活況などにより低 下<都銀> ・分類率は低下しているが,不動産関連融資で引き続き慎重な管理を要する ものが認められた<長信銀,信託> ・分類率は大幅に良化,地場産業の景気回復程度,不動産の流動化の状況な ど地域や規模による違いが見られる<地銀> ・国内業務部門の分類率は景気の拡大による企業業績の向上等から低下。た だし,債務者の資金使途等の実態把握を怠り,関連会社への無計画な土地 取得資金流用を看過したことから,当該土地開発の長期遅延等により資金 の固定化の発生を招いているものが認められる<都銀> ・分類率は前回検査時に比べて大幅に低下<長信銀> ・分類率は前回検査時に比べて大幅に低下<地銀> ・国内業務部門の分類率は景気の拡大による企業業績の向上等から低下<都 銀> ・不動産業等の分類率は高くなっているものの,貸出金分類率は前回検査時 に比べ低下<信託>。中小企業や不動産業及びノンバンク向けの貸出が増 加<長信銀> ・分類率は前回検査時に比べて低下。土地および財テク関連融資でバブル経 済の崩壊とともにその咎めが表面化した不適切な取扱いも目立つ<地銀> ・バブル経済の崩壊等から国内業務部門の資産の分類率が上昇<都銀> ・不動産業,ノンバンク等の分類額が増加した結果,分類率は上昇。具体的 な事業計画等の検討が不十分なまま期日延長を繰り返し,値上がり期待に よる土地の長期保有を容認しているなど,審査管理が不十分な事例が認め られた<長信銀,信託> ・分類率は前回検査時に比べ上昇。業種別では関連会社の分類率が高く,次 いで不動産業,サービス業の順で高率<地銀>
資料出所:大蔵省銀行局編「銀行局金融年報」(昭和 61 年版∼平成 4 年版)における「金融機関 検査の実施状況」から作成。
118
はバブル崩壊が明瞭になった 91 年度からであり,同年度は一転して「バブル 経済の崩壊等から国内業務部門の資産の分類率が上昇」<都銀>,「不動産 業,ノンバンク等の分類額が増加した結果,分類率は上昇。具体的な事業計画 等の検討が不十分なまま期日延長を繰り返し,値上がり期待による土地の長期 保有を容認しているなど,審査管理が不十分な事例が認められた」<長信銀, 信託>,「業種別では関連会社の分類率が高く,次いで不動産業,サービス業 の順で高率」<地銀>といった分析が目立っている。 このような整理を踏まえると,80 年代後半期における金融機関の融資行動 や貸出資産の内容に対する大蔵省,少なくともその金融検査サイドにおける判 断は,リスク管理重視考査を打ち出した日銀考査に比してかなり遅れをとって (36)
いたことは否定できない。これは,同じ行政サイドでも監督当局(銀行局)は 地価抑制には多大な関心を有し,90 年 3 月の総量規制措置もそうした考えを 反映したものであるが,以前からの法令遵守状況のチェックを中心とする検査 当局(金融検査部)では貸出資産内容の悪化にはさほどの関心がなく,またそ (37)
の意味を的確に把握することができなかったためであると考えられる。 また,日銀が「リスク管理チェックリスト」を含むリスク管理重視考査を打 ち出した後の「銀行局金融年報」 (平成元<89>年版 p.325)では, 「金融検査 とリスク管理」との項目を設けて金融機関が負う各種リスクの説明を加えてい るものの,「検査においては,さまざまな角度から金融機関経営が健全かつ適 切に運営されているかどうかみており,金利リスク等の新たなリスク管理につ いての対応も十分検討するが,伝統的に重視してきた信用リスクの管理につい ても引き続き,いわば経営の柱として重視する方針である」とし,さらに「リ スク管理についての検査には,画一的・統一的な方法はない。金融機関の特質 によりそのリスクの内容,規模は違うからである。したがって,金融機関の業 (36)岡崎・星[2002]も同様のサーベイを行って, 「結局,金融機関検査による不動産関連融資 に対するチェックが行われたのも,不動産価格の低下によって債権の延滞が現実のものとな った 1990 年以降であったといえる」(p.354)としている。 (37)岡崎・星[2002] (p.353)は「大蔵省は早くから金融機関の不動産関連融資に関心を払った とはいえ,その際の主な関心は銀行の資産内容ではなく,地価の抑制にあった」としている。
第 6 章 バブル経済とリスク管理重視考査の限界 119
務の実情を十分見きわめた上で,常識に従って判断していくということであ る」との姿勢さえも強調している。これは,直接の言及は避けているものの, 統一的な検査項目であるチェックリストを示した上で行うリスク管理重視考査 のような検査手法に対して事実上否定的な考え方を示したものと考えられる。 80 年代後半期における金融機関の資産内容の是非を巡って大蔵省検査と日 銀考査との間でいかなる議論が行われ(あるいは行われなかったか),リスク 管理重視考査による金融機関への指導に対して大蔵省検査サイドがいかなる程 度容認したのか,明らかではない。しかしながら,リスク管理重視の検査一般 に対して大蔵省検査サイドが当初上記のような姿勢をとり,自らの検査内容に おいても金融機関の融資行動の将来的な危険性を的確に捉えようとしていなか った(少なくとも分類率の動向にのみ大きなウエイトを置いた判断を下してい た)状況の下にあっては,日銀考査が置かれた当時の脆弱な法制上の立場を勘 案すれば,日銀考査がチェックリストに沿って指摘するべき問題点を的確に把 握できたとしても,行政による検査が指摘する範囲を大きく越えて融資ポート フォリオの大幅な是正などの金融機関指導に強力に乗り出して行くことは事実 上困難が伴ったことは容易に推測される。このように,行政検査との大きな差 別化(double standards 化)が許されないという旧日銀法における位置づけは (38)
この時点でも強く日銀考査を拘束していたと見るべきであろう。
(38)岡崎・星[2002](p.356)はバブル経済の発生を許した要因のひとつとして,「不動産融資 の銀行の健全性にとってのリスクをついに考えることがなかった」と大蔵省の銀行監督・検 査の責任を挙げている。その一方で,日銀については金融政策面での失政を批判する意見は 多く聞かれるものの,日銀考査の対応,特に鳴り物入りでスタートしたリスク管理重視考査 の奏功如何を問い糾す声が極めて少ないのは,こうした日銀考査の脆弱な法的立場が,ある 意味ではよく理解されていたためではないかとも考えられる。
第 7 章 日銀法の改正,早期是正措置の導入と日銀考査への影響 121
第7章 日銀法の改正,早期是正措置の導入と 日銀考査への影響
90 年代に入り,金融機関の破綻処理が相次ぎ巨額の不良債権の累積が進む 中で,経営が破綻した金融機関の処理を促進するための公的資金注入ルートの 枠組み諸法制が徐々に整備され,つれて金融監督体制の再構築,早期是正措置 制定など金融機関のセーフティ・ネットが整えられていった。金融政策運営の 独立性を強化し考査を法定化した日銀法の改正が行われたのもこうした動きの 一環である。考査遂行の目的を明確にすることを目指したその法定化は,旧日 銀法の下での法的拘束からの脱却をもたらしたかに見受けられた。しかし,皮 肉なことに同時期に実施された早期是正措置とも相俟って,金融機関にとって 日銀考査は中央銀行独自の調査とは映らず,実質的に行政検査と同質の内容を もつ強権的な検査に近いものと認識されるという事態が生じつつあり,日銀は 改めて考査の存在意義が問われかねないリスクを抱えてしまったのである。
1. 日銀法の改正と日銀考査への影響 1.1 金融監督体制の再編成 90 年代後半期に金融危機が進む中で, [補論Ⅲ]で詳述しているように公的 資金の投入を巡る議論が注目を浴びると同時に,こうした金融システム不安を もたらしたひとつの背景は財政・金融の両政策分野に及ぶ強大な権限をもった 大蔵省の存在であり,それを改革しなければならないとの問題意識が強まり, 98 ∼ 99 年にかけて同省の改革,金融行政の分離という形でわが国の金融機関
122
監督体制は大きく再編成された。 すなわち,住専の処理を巡る議論等を契機に,大蔵省に財政・金融両面にわ たる多くの権限が集中していたことが金融危機の原因のひとつであり,同省か ら金融部門の権限を分離独立させるべきであるとの声が多数を占めることとな った。こうした声は折からの同省幹部の一連の不祥事の発覚等も重なり無視で きないものとなり,最終的に法改正が行なわれ,98 年 6 月から金融監督庁が 発足した。金融監督庁には民間金融機関に対する監督・検査業務が移され,ま た 2000 年 4 月からは都道府県がもっていた信用組合に対する監督・検査業務 も同庁に移された。さらに金融監督庁は,中央省庁の再編成の一環として 2000 年 7 月には金融庁に衣替えし,それまで大蔵省金融企画局が保持してい た金融制度の企画・立案業務も所掌することとなった。翌 2001 年 1 月には, 98 年 10 月以来設置されていた金融再生委員会が廃止され,同委員会の機能も (1)
金融庁に移され,この時点で財政・金融行政の完全分離が実現した。このよう に,95 年の住専問題の発覚以来議論されてきた財政と金融行政との機能分離 は約 6 年間をかけて事実上実現され,金融機関監督行政について,財政部門の 都合によって迅速な破綻処理を妨げられるのではないか,との疑念は事実上払 拭されることとなった。
1.2 90 年代における日銀考査の動き この間,90 年代の金融危機の下で,日銀考査は金融機関に対してどのよう に働きかけていったのであろうか。バブル経済の崩壊と金融機関経営への不安 感の高まりを受けて,日銀では早々に 90 年 5 月に日銀全体の組織の見直しを 行い,今後発生が予想される金融機関の経営破綻処理に備えるべく信用機構局 (2)
を設置したほか,考査局内も考査の実施部署である考査課を筆頭課に据え考査 (1)現在でも,財政措置の裏づけを要する金融破綻処理制度や金融危機管理に関する事項は金融 庁・財務省<旧大蔵省>の共管となっている。 (2)信用機構局は経営破綻した金融機関の処理問題だけではなく,日銀特融の発動の決定,個別 金融機関の問題が決済システム全体に波及しない方策等の立案・実施等,日銀によるプルーデ ンス政策実施の中軸となる組織であった。こうした意味合いの役割は,それ以前には金融機関 の資金繰りや短期金融市場の動きをフォローする営業局および考査局が分散して担っていた。
第 7 章 日銀法の改正,早期是正措置の導入と日銀考査への影響 123
の充実に備える等の諸措置をとった。その上で,主として信用リスク管理を巡 って金融機関に対して指導を行なった。91 年にはリスク管理チェックリスト に加えて,さらに信用リスク管理のポイント(日本銀行考査局[1991])を作 成し金融機関に示すとともに,実際の考査でも信用リスク管理上の問題点を多 (3)
く指摘し,資産内容の迅速な改善方を求めている。しかし,既に地価の下落が 鮮明になり,不動産関連融資の不良化や担保価値の下落から系列ノンバンクの 経営内容が急速に悪化するなどにつれて,金融機関が抱える信用リスクは一段 と拡大していった。そうした中で個々の金融機関にとって,資産内容の改善を 図っていくことは実際には至難の業となっており,住専問題の紛糾(95 年) 等も重なり,考査による改善指導だけでは到底対応できなくなっていたことも 否定できないところである。大手金融機関の破綻も続出するようになる中で, 日銀考査自身が従来通り行政検査を補完する形の延長で,そうした金融機関の (4)
破綻処理作業に飲み込まれていき,目立った成果を挙げることはできなかっ た。 なお,信用リスク管理面だけに止まらず,日銀は 90 年代央には,金融機関 が ALM 体制を構築する際の問題点(日本銀行営業局[1995]を参照)や,そ のころから急速に増加が目立ったデリバティブ取引に関するチェックリスト (日本銀行考査局[1995]を参照),さらには金融機関が抱えるリスク量の情報 開示の重要性を訴える論文(日本銀行信用機構局[1996]を参照)等を相次い で公表し,急変する経営環境への金融機関の対応を促す啓蒙的努力を払ってい った。新しいリスク管理手法である VaR(Value at Risk)を用いた信用リス ク,金利リスクの管理手法等に関する研究結果等も順次公開されていった(日 本銀行金融研究所[1996]を参照)。 (5)
しかし,この間に発覚した大和銀行ニューヨーク支店事件(95 年 9 月)や (3)山口[1990] ,安井[1995]等を参照。 (4)詳細は明らかではないが,経営が悪化した金融機関の最終処理の決定に際して,事前に(あ るいは事後的に)清算価値の算出など考査結果が利用された事例が多いというのが金融界の大 方の見方である。 (5)大和銀行事件を受けて,日銀では 95 年 12 月に,金融機関の海外支店に対する考査の強化等 を盛り込んだ考査改善策を公表し,実施に移している。
124 (6)
97 年に破綻に至った山一證券による損失補塡とそれに伴う損失の「飛ばし」 といった違法行為については,結局事前の考査では発見することができず,当 該金融機関の存続を揺るがす事態にまで至らしめたこと等から,行政検査のみ ならず日銀考査に対する世論の批判も高まった。北澤[2001]がいみじくも指 摘しているように,「金融システムの安定化を目的として慣行的に行われてい た日銀の考査は,山一證券の簿外債務を見抜けなかったケースでみられたとお り,形式化し問題になった」(北澤[2001]p.287)ことが,爾後の金融監督庁 の新設,日銀法の改正等の金融監督体制の再編成に繋がるひとつの大きな背景 をもたらしたのである。
1.3 日銀法の改正 このように日銀法の改正は,事実上大蔵省改革の一環として検討され,実施 に移されたのである。96 年 2 月に自由民主・社会民主・新党さきがけの与党 3 党(当時)による「金融行政をはじめとする大蔵省改革プロジェクト・チー ム」が設置され,同チームは 6 月に中間報告「新しい金融行政・金融政策に向 けて(基本方針)」を公表し,「バブルの厳しい反省を踏まえて,金融政策と財 政政策のあるべき関係を含め,適切なマクロ金融政策の運営のため,古い日銀 法を全面的に改正し,時代の変化に対応した日本銀行のあり方について見直し を行なう必要がある」との見解を公表し,日銀法を改正し金融政策運営の独立 性を強化するべきであるとの提案を行なった。これを受けて,96 年 11 月には 総理大臣の私的研究会「中央銀行研究会」が報告書「中央銀行制度の改革」を 公表した。さらに,翌 97 年 2 月には金融制度調査会での議論を経た後に同調 査会が上記報告書の内容に概ね沿った形で「日本銀行法の改正に関する答申」 (6)山一證券では,バブル崩壊後,法人顧客の運用資産の損失を補塡し,その処理を損失の海外 関連会社等への付け替え(「飛ばし」)という形で簿外で行なっていたが,株式市況の下落持続 によりその簿外処理額は増え続け(最終的には 3,000 億円近くに達したと言われる) ,これが原 因で 97 年 11 月に自主廃業に追い込まれた。この間,大蔵省,日銀は同社に対して検査・考査 を何度か実施していたが,損失の簿外処理については自主廃業に追い込まれる直前に同社が明 かすまで,知るところではなかったようである(山一證券の破綻に至るまでの事情については 飯田[2005a]が的確に整理している)。
第 7 章 日銀法の改正,早期是正措置の導入と日銀考査への影響 125
を行い,これに基づき改正法案が作成され,国会審議をへて 97 年 6 月に成 立,98 年 4 月から改正日銀法が施行された。 改正日銀法は基本的に上記「中央銀行研究会」の報告書の考え方に沿って, 中央銀行としての日銀の独立性を法制面から明確化した。すなわち改正法第 3 条では,「日本銀行の通貨及び金融の調節における自主性は,尊重されなけれ ばならない」と規定され,これにより日銀は,政府から独立した中立的な立場 で自らの責任において業務を遂行し,それを通じて第 1 条に規定された目的 (金融政策および信用秩序の維持)の達成を目指していくこととなった。政府 は,日銀の最高意思決定機関である政策委員会が開催する金融政策決定会合に 必要に応じてその代表者を出席させることができ,決定会合への議案提出権や 議決延期要請権限を有している(第 19 条)が,政府提出議案についても政策 委員会は出席委員の過半数の反対があれば否決することができる。 また,旧法に規定されていた日銀に対する政府の広範な監督権限は大幅に見 直され,日銀の日々の行動が日銀法等の規定の趣旨に反するか否かをチェック する「合法性のチェック」に限定された(日銀法第 8 章「違法行為等の是正 等」)。総裁,副総裁,審議委員等の役員は,事実上在任中その意に反して解任 されることはなく,内閣(総裁・副総裁)ないし主務大臣(その他の役員)に 解任権を認めた旧法(第 47 条)に比較して役員の身分保障は格段に強化され, (7)
これも最終的には金融政策遂行面での独立性強化に繋がるものと考えられる。 このように,業務・政策遂行に関する政府からの独立性が旧法に比して飛躍 (8)
的に高まり,この点が脚光を浴びるかたちとなったが,プルーデンス政策(信 (7)上川[2005]は,1970 年代後半以降の日銀の金融政策の決定過程をさまざまな角度から検証 した上で,日銀は旧法下でも基本的に「物価安定を第一として自律的な政策決定を行なってい た」と断じている。また,政府の日銀への一般的な監督権・業務命令権,さらには役員解任権 も実際に発動されたことはなく,事実上死文化したもので,日銀の政策決定意思にそれほど大 きな影響を及ぼしたとは考えられない,としている。上川説には異論も多いとは思われるが, いずれにしても新法によって独立性が明文化されたことによって,上川説が主張するような旧 法下における事実上の独立性をはるかに上回る強い自立性を獲得したことは誰もが認めるとこ ろであろう。 (8)中央銀行の独立性については,Fischer[1994]など既存の理論のほとんどは,目的設定に関 する独立性(目的独立性:goal independence)と金融政策の運営の手段に関する独立性(手
126
用秩序維持政策)面に関しても日銀の関与はより明確化された。すなわち,旧 法では日銀は, 「信用制度ノ保持育成ニ任ズル」(旧法第一条)こと,および 「主務大臣ノ許可ヲ受ケ信用制度ノ保持育成ノ為必要ナル業務ヲ行フコトヲ 得」(旧法第 25 条)とされるに止まり,特に第 25 条の規定は曖昧であり,そ の曖昧さを利用して政府の都合に応じて LLR 機能(日銀特融)の発動を強い られてきたことは既に述べた通りである。 これに対して改正法では,まず第 1 条で「資金決済の円滑の確保を図り,も って信用秩序の維持に資することを目的とする」と,決済システムの安定化お よび信用秩序の維持自体が日銀の目的であることを明確にした上で,その当然 の結果の責務として,第 37 条で金融機関等の間で「偶発的な事由により予見 しがたい支払資金の不足が生じた場合」,それが「資金決済の円滑の確保を図 るために必要と認められるときは」,財務大臣に届け出て金融機関等に一定期 間無担保で資金を貸付けることができるとされ,システミック ・ リスクへの適 切な対応を求めている。また,第 38 条では,政府は信用秩序の維持のために 必要と認めるときには,日銀に対して必要な業務を要請し,日銀はその要請に 応じて特別な条件による資金の貸付を行なうことができるとされた。これは旧 法第二十五条とほぼ同じ最後の貸し手機能の発揮を認めたものであるが,あく までも政府(内閣総理大臣および財務大臣)側の要請に基づき行なわれるとい う関係を明確にしている。 そして,こうした一連の信用秩序維持政策を適切に遂行するために,または それに備えるために行なう業務として考査を行なうことができる(第 44 条) として,考査について法制上初めて定め,その位置づけを明確にしている。上 記中央銀行研究会の報告書(中央銀行研究会[1996]を参照)でも,考査につ いて「日本銀行の考査は,金融機関を監督するために政府が行なう検査とは別 段独立性:instrument independence)に分けて議論し,そのうち目的設定については中央銀 行の裁量には任せず手段独立性のみを認めるというものである。一方,Romer and Romer [1996]は,政策運営における専門知識の重要性の観点から目的設定に関しても中央銀行の独 立性を認めるべきであると主張する。新日銀法での独立性は手段独立性に限定されていること は明らかである。
第 7 章 日銀法の改正,早期是正措置の導入と日銀考査への影響 127
に,決済システムの安定的な運行の確保等の観点から行なう必要があると考え られる」と決済システム維持のために中央銀行が行なうものとの位置づけを明 確にしており,新法第 44 条はこの考え方に沿って法制化されたものである。
1.4 考査法定化の影響 (9)
この考査の法定化をどのように見るか,その評価は難しいが,旧法に規定さ れていなかった考査を明文化しその内容を明確にしたに過ぎない(すなわち旧 (10)
法下の考査と本質的には変わらない)と捉える見方は単純に過ぎる。むしろ, 考査の法定化は,90 年代に大蔵省が住専問題などの金融監督行政に過失があ ったことの責任を問われ,その権限を分離しなければならなかったこととの絡 みで,わが国における金融監督権限のバランスが日銀に若干傾き,その結果制 定されたものと考えるべきである。すなわち,前に触れたような,日銀考査が 行政検査と同様に,大和銀行ニューヨーク支店事件や山一證券の「飛ばし」事 件等を事実上見過ごしていたこと等への批判は,住専問題以降の圧倒的な大蔵 省批判の声の中でかき消され,さらには 80 年代後半期におけるリスク管理重 視考査も功を奏せずバブル発生を許してしまった日銀考査の責任も問われるこ となく,大蔵省のウエイトダウンに乗ずる形でわが国のプルーデンス政策全体 の中での日銀考査のウエイトがかえって高まり,その結果,その分だけより権 力行使的な側面が強くならざるを得なくなったと見るべきであろう。 すなわち,法定化に伴い締結された考査契約書等の諸規定に示された極めて 強い拘束的な条件に,後述するように改正法施行とほぼ同時期に実施に移され た早期是正措置に伴う考査・検査内容の事実上の同一化といった事象が絡み合 い,少なくとも受検する金融機関サイドには,日銀考査は従前比一段と「金融 機関を監督するために政府が行なう検査」(中央銀行研究会報告書)の一環を
(9)日銀法改正に伴う考査の法定化をどのように評価するか,という点についての議論は,管見 の限りでは学術,実務のいずれのサイドからもほとんど見当たらない。 (10)日本銀行金融研究所編[2004](p.115)は,「考査については,1997 年に成立した新しい日 本銀行法において,業務内容の明確化の観点から法律上の規定が設けられた」としている。
128 (11)
担うものとして映るようになったと考えられる。 まず,新法第 44 条に示された考査の目的規定をみると,日銀特融を適切に 行うためという観点に加えて日銀特融の「適切な発動に備えるものとして」行 うとして,将来における日銀特融発動のために現在の金融機関を調査できる権 限を日銀に与えており,実態的には考査の実施範囲を限定したものとはなって いない。これはどのような内容の金融機関調査でも日銀の思うようにできると したものではないが,LLR 機能発動との直接的な関係が薄くても行政サイド の要請に応じて行政検査と歩調を合わせた調査をなし得ることとなる。例え ば,日銀考査では行政サイドの要請を受けて,97 ∼ 98 年度にかけて行政検査 と分担して金融機関の自己査定作業の定着促進を目指した考査を実施したが, 44 条の規定はこうした考査の実施も可能とするものである。 また,日銀法上には銀行法等に定められているような金融機関の罰則規定は ないが,正当な理由なく考査受検や資料等の情報提供を拒み,あるいは虚偽の 情報を提供した金融機関については,その事実を公表し,当座預金取引を解除 することができる旨の考査契約書を交わしている。同規定に従って,実際にこ れまでに,日本長期信用銀行,みちのく銀行,西京銀行,北門信金などが「考 査契約違反行為」を行なったとして公表されたが,その違反行為の公表内容は (12)
表 7-1 に示した日本長期信用銀行の例で分かるように具体的かつ詳しい。表 7-1 に示されたような形で日銀から「この金融機関は虚偽の報告を行った」あ るいは「故なく考査を拒否した」と公表された場合において,当該金融機関が 内外金融市場から受けるインパクトには測り知れないものがあることは容易に 想像することができる。ましてや,仮に中央銀行における当座預金勘定をもつ ことが許されなくなれば,それは,当該金融機関は事実上決済システムから締 め出され,金融市場における評価を著しく貶めることに直結する等,死活問題 (11)ここで重要なのは,日銀考査の実態そのものではなくて,金融機関からどのように見られて いるか,という点であり,金融界のそうした見方がこれからの日銀考査を大きく左右する要 因となり得る。 (12)日本銀行[1999c]を参照。他の 3 行庫に関する公表文については同[2005b],同[2006b], 同[2006c]を参照。
第 7 章 日銀法の改正,早期是正措置の導入と日銀考査への影響 129
表 7-1 日本長期信用銀行の考査契約違反行為の内容 対象考査
違反行為(公表文から抜粋) ( 「情報提供を正当な理由なく行わない場合」に該当する事項 ・考査期間中に考査会場に備付けるよう,予め日本銀行が同行 に指示した諸会議の資料等の一部につき,意図的な削除が行 われ,削除された資料類は地下倉庫に隠匿されていた。 ・情報の秘匿体制を考査期間中を通じて徹底させたため,資産 査定の段階で,個々の債務者の経営状態等に関し同行より開 示される必要のあった一部の重要情報についても情報提供が 日本長期信用銀行 行われなかった。 (1998年5∼6月考査) ( 「虚偽の情報を提供した場合」に該当する事項) ・日本銀行が考査期間中に考査会場に備付けるよう指示した諸 会議の資料等の一部につき,改竄された上で会場に提出され ていた。 ・情報の秘匿を続けた結果,資産査定の段階で債務者の経営概 況につき客観的に見て経営実態からかけ離れた説明が行われ た例がみられた。 資料出所:日本銀行[1999c]から作成。 (13)
となる極めて強力な罰則規定である。 さらに,第 44 条第 3 項により,金融庁長官から要請があった場合には日銀 (14)
は考査結果を同庁に提出できることとなった。これは,法の制定過程では,経 営不振金融機関に対して金融庁検査よりも先に考査を実施した日銀がその結果 を守秘義務に拘束されることなく金融庁に伝えることができるルートを確保す るための規定であるが,この条文規定により,経営不振先のみならず健全な先 でも,考査を受ける金融機関が事実上「日銀考査=金融庁検査」として認識し
(13)Amyx[2004] (p.316 注 52)は「例え法令上の罰則規定がなくとも」 ,「日銀との関係悪化は 自行の経営に重大な影響をもたらすので避けたい,との認識が銀行関係者には強い」との見 方を強調している。また,岡崎[2007]は実証分析をもとに,第 2 次大戦前の時期に限定さ れたものながら,日銀取引先銀行は「日銀との取引関係によって潜在的な流動性が確保され たことが,銀行の資産運用の可能性を広げた」こと,逆に「金融危機のもとで,日銀との取 引関係が,パフォーマンスの良い銀行の存続確率を選別的に引き上げた」ことなどを主張し ている。 (14)日銀の役職員は日銀法第 29 条により一般に業務で知り得た秘密を漏らしてはならない秘密 保持義務が課せられているが,第 44 条第 3 項による金融庁への考査結果伝達はその限りでは ないこととなっている。ただし,金融庁が検査で知り得た金融機関情報についての守秘義務 は日銀に対しても解除されていないことから,検査内容に関する情報を日銀が実際にどの程 度把握しているかは不明である。
130 (15)
たとしても無理からぬものがある。この点からも検査・考査を受ける金融機関 側にとっては,検査・考査の相違は限りなく薄いものとなっており,上記の考 査契約違反行為の公表措置とも相俟って,金融機関にとって日銀考査は相応の 緊張感をもった対応を迫られる存在となっていると言って差し支えないであろ う。 また,このような行政検査との同質化ないし一体化を促進する力は行政検査 サイドからも加えられている。金融庁は 2005 年 7 月に,銀行法等に基づき同 庁が実施する検査およびそれに付随する事項の運用の基本的考え方と実施手続 (16)
き等を定めた「金融検査に関する基本方針」を発出した。これは,検査等の使 命を「銀行法等が求める金融機関の業務の健全性及び適切性の確保のため,立 (17)
入検査の手法を中心に活用しつつ,各金融機関の法令遵守態勢,各種リスク管 理態勢等を検証し,その問題点を指摘するとともに,金融機関の認識を確認す ることである」とした上で,検査の手続き,対象範囲,情報管理等を詳細に定 めているが,その中で,日銀考査との連携の必要性を強調し,「検査等の実施 に当っては,日本銀行が実施する考査との間で,適切な連携の確保に十分配慮 する」と明示している。行政庁が発する検査に関する正式通達において日銀考 査との連携に関してこれほどまでに明確に記載されたのは,この「金融検査に (18)
関する基本方針」が初めてであると思われる。 考査の法定化は,主務大臣の強い監督権限下からの脱却と併せ,一見する と,中央銀行として自らの視点からの考査を自由に行うことができる余地を拡 (15)金融機関は,金融庁検査がその前に行なわれた日銀考査の結果を参考にする(逆の場合も同 様)ことを承知しており,その意味で,検査・考査への説明および検査・考査の結果は常に 一貫性のあるものにしておく必要があるとの認識が強いと言われている。 (16)金融庁[2005c]を参照。 (17)2006 年度に入ってからは,各種金融機関に対して過度の営業推進等で違法行為があったこ とを理由に営業停止命令等の強い行政処分を行う事例が相次いでいる。こうした金融庁の姿 勢について例えば産経新聞[2006]は,「金融行政の軸足を金融システムの安定化から,消費 者保護(のための金融機関等の法令遵守)の徹底へと転換した」と報じている。こうした見 方をとるとすれば,Amyx[2004](p.118)が主張しているかつての法令遵守的な監督・検査 に戻りつつあると言える。 (18)行政文書で日銀考査に関して明確に触れることができるようになったのも,改正日銀法で考 査が明文化されたことが大きく影響していることは否定できない。
第 7 章 日銀法の改正,早期是正措置の導入と日銀考査への影響 131
大したように思わせる。しかし,実際には上記のように,行政検査と日銀考査 との立場・性格の違いを見出し,その差異を強調することが逆に容易でなくな ってきており,日銀がことある度に強調するように「考査は中央銀行としての 立場からの金融機関をチェックするものであり,行政庁による検査とは異な (19)
る」との考え方,立場は極めて微妙なものとなっていることは容易に理解され よう。これは,皮肉なことに, [補論Ⅱ]でも縷々触れられているように考査 の創設時から日銀が本能的にかつ全力を挙げて避けてきた事態に結果的に近づ いてしまったものである。
2. 早期是正措置の導入と日銀考査への影響 2.1 早期是正措置の導入と自己査定の実施 公的資金導入に関する法制など一連のセーフティ・ネットの整備が進展する 中で,金融機関経営は勿論のこと日銀考査のあり方にも直接的に最大の影響を 与えたのは,早期是正措置の導入と,その前提となる金融機関による保有資産 の自己査定の実施である。早期是正措置は,95 年 12 月に旧大蔵省が,従来か らの裁量的行政から事前に制定された客観的なルールに基づく透明性の高い銀 行行政への転換を謳った中で実施が表明されたものであり,[補論Ⅰ]で詳細 に述べているように,バーゼル規制に準拠した自己資本比率を客観的な指標と して,その比率に応じて予め明示した行政措置を発動しようとするものであ る。自己査定は「金融検査マニュアル」に沿って 98 年 3 月期決算から開始さ れ,早期是正措置自体は 99 年 4 月から実施に移された。 資産の自己査定制度および早期是正措置の導入により,行政庁による金融機 関監督・検査のあり方は大きく変わった。それ以前の行政検査では,検査官独 自の判断基準で不良資産の程度,その規模が判定され,不良と判定された債権 に対する会計処理(償却・引当)が適正に行なわれているか否かを調査する 「資産査定」 ,ならびに金融機関事務が適正に遵法裡に遂行されているか,の 2 (19)日本銀行金融研究所編[2004]p.115 参照。
132
点の観点からチェックが行われていた。これに対して新制度下では,まず金融 (20)
機関が自己責任により,「金融検査マニュアル」に沿って自ら作成した自己査 定基準に従って資産査定を行い,また,金融機関内部のリスク管理,法令遵守 等の状態についても金融機関自らがチェックすることが求められる。不良債権 に対する償却・引当も自己査定結果に基づき行なわれる。行政検査では,自己 査定基準,それに基づく自己査定作業,その結果に基づく会計処理など一連の 自己査定プロセスが適切に行なわれているか,を事後的にチェックすることと なる。不適切な資産査定,会計処理が発見されればその是正(償却・引当額の 上積み等)が求められる。また,こうした融資関係の業務だけでなく,マーケ (21)
ット・リスク,オペレーショナル・リスクなど他のリスクの管理の適切性等も 併せて把握され,経営上の重大な問題点が発見されれば,銀行法等に基づき是 正命令や業務停止命令等が発出される。このような概念をもつ早期是正措置と その前提となる自己査定の施行は,堀内[1999] (pp.106 ∼ 107)が高く評価 しているように,単に金融行政の透明化を図る効果だけでなく,金融機関にそ の資産内容を自ら確認し所要の措置をとることを求めることを通じて,それま での「護送船団方式」の規制行政に慣れていた金融機関に対して自己責任の認 識を植えつけるという意味でも,非常に大きな効果をもたらすものと考えられ る。
2.2 日銀考査への影響 しかしこうした金融機関の自己査定制度は同時に,日銀考査におけるリスク 管理チェック作業を大きく拘束するものとなったことは否定できない。金融機 (20) 「金融検査マニュアル」は,98 年 7 月の政府・与党「金融再生トータルプラン」の中で「金 融検査については,外部のノウハウを取り入れた検査マニュアル及びチェックリストを整備, 公開する」と謳われたことを受けて,金融監督庁に置かれた「金融検査マニュアル検討会」 (日銀をはじめ金融各界の有識担当者で構成)が検討し,翌 99 年 11 月に公表された「最終と りまとめ」に従って制定された(金融検査マニュアル検討会[1999]を参照)。 (21)マーケット・リスク,オペレーショナル・リスクの管理の詳細については,Jorion[2000] を参照されたい(マーケット・リスクについては pp.82 ∼ 85,オペレーショナル・リスクに ついては pp.447 ∼ 465)。
第 7 章 日銀法の改正,早期是正措置の導入と日銀考査への影響 133
関が一斉に資産の自己査定を行ない始めたことから,考査時における資産査定 に際しても,日銀考査独自の資産調査表(ラインシートと呼ばれている)を金 (22)
融機関に作成させる負担を強いることは事実上不可能となり,行政検査と同様 に金融機関の自己査定結果を用いて議論せざるを得なくなった。このことは, 考査独自の観点から融資業務のチェック,信用リスク管理のチェックを行なう ことを大きく制限するものとなり,基本的に「金融検査マニュアル」に沿い当 該金融機関の自己査定書に従った事後的なチェックしか許されなくなった。ま た,98 年 4 月から施行された改正日銀法では第 44 条で日銀は政府(金融庁) からの考査資料閲覧要求に応じることができる,と金融庁には考査結果を示し ても守秘義務を解除されることとなったが,これも,早期是正措置に伴って行 政検査と考査との間で検査内容の違いが基本的になくなったことを前提にした ものと考えられる。前にも触れたように,金融監督庁と日銀考査局は 98 年度 に全国の銀行等を手分けして検査・考査を行ない,その中で,各金融機関にお ける自己査定書,自己査定作業,その結果を踏まえた会計処理等の適切性をチ ェックし,必要に応じた是正指導を行なうなど,自己査定制度の定着を目指し (23)
た強い協力体制がとられたのである。 この結果,日銀考査にとっても,実際の考査時には金融庁検査のマニュアル である「金融検査マニュアル」の視点に沿った考査を行なわざるを得なくな り,考査独自の調査を行うことは事実上不可能となった。このような実態は, 金融機関側から見た場合の行政検査と考査の内容の質的差異を一段と分かりに (22)日銀法第 44 条は考査実施に当たり,日銀に対して金融機関の負担軽減を求めている。資産 査定は金融機関に多大な負担をかける作業であり, 「金融検査マニュアル」をベースとした資 産の自己査定に加えて日銀独自のルールによる査定作業を求めることは許されないし,金融 機関サイドからは多大な反発が生じかねず,事実上その実施は不可能であろう。 (23)日本銀行「平成 10 年度業務概況書」 (p.181)は,「平成 10 年 7 月の政府・与党の『金融再 生トータルプラン』(第 2 次とりまとめ)において, 『緊急的対応として金融監督庁は日本銀 行と連携しつつ,主要 19 行に対し,集中的な検査を実施し,なお一層の実態把握を行なう』 とされたことは踏まえて(中略) ,自己査定の正確性及びそれに基づく償却・引当の適切性の チェックを中心とした集中的な考査は,平成 10 年 7 月から 11 年 3 月にかけて,都市銀行と 信託銀行 5 先のほか,地方銀行と第二地方銀行協会加盟行 43 先の計 48 先に対して実施した」 と述べている。
134
くくするものであり,金融機関の監督・検査が事実上 single standard 化の道 (24)
を辿っているように受け取られる。考査受検の負担の大きさも重なって,日銀 考査を取り巻く議論が「考査廃止論」ないし「考査と検査との統合論」といっ た方向に一気に進みかねないリスクを孕むようになったことは否定できない。
(24)考査時における金融機関の負担軽減については改正日銀法でも求められており,資料作成等 の物理的な負担は相当軽減されてきたが,その一方で考査の法定化等もあって,金融機関側 は考査をそれまで以上に強く強権的な行為として受け止めるようになり,それがかえって金 融機関側の精神的な負担感を強めていることは否定できない。
第 8 章 これからの日銀考査(総括に代えて) 135
第8章 これからの日銀考査(総括に代えて) ──制度的限界下での日銀考査の役割
早期是正措置の実施に加え,今後はバーゼルⅡ施行によるバランス・シート 規制に収斂する効率的な金融監督・検査を求める声が強まることを踏まえる と,日銀考査・行政検査の事実上の single standard 化が一層進展することは 避けられず,そうした制度的な限界の下に置かれた日銀考査が,わが国のプル ーデンス政策全体の中で然るべき役割を担っていくことは容易でなくなってい る。 しかしながら,バーゼル規制には,個別金融機関の健全性追求に付随して景 気変動を増幅させる効果をもたらし,必ずしもマクロ経済の安定化に繋がると は限らないとの限界が存在する。今後バーゼル規制を軸に金融監督・検査の single standard 化が進展する一方で,同規制がもたらす景気変動増幅効果を 幾分なりとも緩和する方向で個別金融機関の経営チェックを行い,マクロ金融 システムの安定化をもたらすことができれば,そこに日銀考査の存続意義が見 出され,社会的な理解も深まることとなろう。 本章ではこうした問題意識に立って,バーゼルⅡに沿った統合リスク管理政 策が強く慫慂される中で,その統合リスク管理体制の下でも必ずしもカバーす ることができないリスク管理技術面での向上や新たなリスクへの対応等におい て日銀考査が個別金融機関を指導していくことによって,マクロ金融システム の安定化の寄与に努めるべきであることを提案する。具体的には,適正な貸出 金利プライシングの促進に加え,資産ポートフォリオの偏りの是正や資産査定 に当たっての担保資産価値の的確な把握など,かつてのリスク管理重視考査に
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おいて成し得なかった側面に注力していく必要があること,さらには金融機関 における業務継続体制の整備等の新たなリスク管理の視点が求められることを 強調する。 さらに最後に,金融機関の経営コスト改善に向けたインセンティブの向上を 目指した評定結果の開示に取り組むことにより,金融機関の受検負担を和ら げ,日銀考査実施に対する社会的な理解浸透を図ることも重要であることを指 摘する。
1. バーゼルⅡの限界とマクロ金融システム安定化に向けた日銀考査の役割 1.1 統合リスク管理を中心とした金融監督・検査の効率化 第 1 章で触れたように,バーゼルⅡの第 2 の柱は,金融機関に対しては自ら のリスク・プロファイルに応じて最低所要水準以上の自己資本比率を確保する ことを,監督当局に対しては金融機関の自己資本充実の戦略等を検証すること を,それぞれ求めている。これを受けて,2005 年 11 月に金融庁は第 2 の柱の 実施方針等を公表し,金融機関に対して統合的なリスク管理体制の構築を求め (1)
た。日本銀行[2005c]によれば統合リスク管理(Integrated Risk Management)は,金融機関が抱える信用リスク,マーケット・リスク等の諸リスク を統一的に計量化し,その総量が経営体力(自己資本など)の範囲内に収まる ように管理する手法であり,① VaR(Value at Risk)など過去の計測データ に基づく統計手法によってリスク量を計測する,②金融機関の部署毎に内部管 理上の仮想資本(リスク資本)を配賦し,各部署はリスク資本額の範囲内でリ スクを管理する,③各部署の収益性はリスク資本対比のリターンによって評価 される,というものである(図 8-1 を参照)。 これによりさまざまな種類のリスク量を共通尺度で評価し,それを合算する ことで金融機関が抱えるリスク総量と諸リスクをトータルで捉えることができ (1)金融庁は 2006 年 11 月,統合リスク管理態勢に関するチェック ・ リスト等を盛り込んだ金融 検査マニュアルの改訂版(案)も公表した(金融庁[2006b]を参照)。
第 8 章 これからの日銀考査(総括に代えて) 137
図 8-1 統合リスク管理 (リスク資本の配布)
(リスク資本の範囲内でのリスクテイク) 部署毎の収益
規制資本
信用リスク見合いのリスク資本
信用リスク
マーケット・リスク見合いのリスク資本
マーケット・リスク
オペレーショナル・リスク 見合いのリスク資本
オペレーショナル・リスク
リスクに対比して十分な資本の確保
リスク対比のリターンでみた各部署の収益性評価
資料出所:日本銀行[2005c]等から作成。
るとともに,部署毎,リスク・カテゴリー毎のリスク管理も容易になるなど, (2)
経営上の大きなメリットをもたらし,その意義は大きいとされている。この結 果,これからの金融機関経営は統合的なリスク管理の充実度によって評価され ることとなり,それにつれて金融監督・検査も,金融機関によるリスク量の計 測技術と統合リスク管理体制の構築状況を巡る議論に収斂していくことが見込 まれ,日銀考査も否応なくその一翼を担わざるを得なくなる。バーゼル規制に よって算出される自己資本比率をベースとした早期是正措置とも相俟って,わ が国の金融検査の single standard 化は一層進展することが見込まれる。
1.2 バーゼル規制の景気増幅効果等 しかしながら,このように統合リスク管理によって個々の金融機関のリスク 管理が精緻化され,自己資本比率の維持・拡大という形で金融機関経営の健全 性が確保されるとしても,それが全体の金融システムの安定化に繋がるか否か 不透明な面があることには留意しておかねばならない。すなわち内藤[2004] (pp.305 ∼ 313)が指摘するように,「もともとバーゼル規制には景気変動の増 幅効果(pro-cyclicality)がある。銀行の健全性を維持することで金融システ ムや経済全体の安定を図ろうとするものだが,実際には,個々の銀行の健全性 (2)統合リスク管理の意義については,Jorion[2000]Chapter. 20 Integrated Risk Management (pp.467 ∼ 480)に詳しい。併せて参照されたい。
138
基準を強化しようとすればするほど,むしろマクロ経済の安定性を阻害する懸 念が生じている」との側面を強調する考え方がある。 バーゼル規制が有する景気変動の増幅効果は,90 年代以降のわが国金融機 関における不良債権問題に顕著に見出される。90 年代に入りわが国経済はバ ブル経済崩壊後の長い低迷期を辿り,金融機関は巨額の不良債権の処理に苦し んだが,その際にバーゼルⅠの規制の効果が大きく効き,不良債権処理に伴う 自己資本の減少に対して個々の金融機関は自己資本比率を維持するために,債 務者のリスクに見合った貸出金利の引き上げ(収益増大=自己資本の増強)の 途を選ばず,むしろ「貸し渋り」さらには「貸し剥がし」と言われるような貸 出資産(特にリスクが大きいと言われる中小企業向け貸出が中心)の抑制,圧 縮に走り社会的な批判を浴びるとともに,結果的にマクロ経済全体の回復を遅 らせる要因にもなったことは記憶に新しい。この点について佐々木[2000] (pp.129 ∼ 148)は,90 年代の大手銀行における自己資本比率と不良債権残高 が貸出行動に及ぼす影響を分析し,「自己資本比率規制導入期(1990-93 年)に は,減少した株式含み益を補うために,劣後債発行とともに,貸出の抑制とい う方法が自己資本比率を上昇させる手段として用いられている」とし,さらに 分析期間を 1990-97 年に伸ばすと「特に都市銀行・長信銀における自己資本比 率がその貸出額に与えた影響が大きい」と,自己資本比率を維持するために大 手金融機関が貸出を抑制したことを指摘している。 逆に,景気拡大局面においては,資産とともに収益,自己資本も拡大し,つ れて自己資本比率が上昇することから,一層の資産拡張の余地が生じるという 循環に入り易くなることも否定できない。80 年代後半のわが国のバブル経済 (3)
発生期には未だバーゼルⅠは施行されていなかったが,仮に適用されていたと しても,増収に加えて株式価格の上昇に伴う保有株式の含み益増大効果等も重 なって自己資本比率が上昇していることから,信用リスクの受容余地が拡大 し,貸出資産の急激な増大を抑制する効果は発揮されなかったであろうと思わ れる。 (3)バーゼルⅠの実施は 92 年度末以降。
第 8 章 これからの日銀考査(総括に代えて) 139
バーゼル規制は代表的なバランス・シート規制であるが,自己資本比率は飽 くまでも決算期末時点における金融機関の健全性を示すマクロ指標に過ぎず, 同比率の水準を維持するために分子(貸出金利収入),分母(貸出量)のいず れで調整するかは金融機関の判断に委ねられている。その結果,景気下降局面 においてはリスク増大に見合った貸出金利の引き上げを行うのが容易ではない ため,金融機関は勢い貸出量で調整する傾向にあり(逆に景気拡大局面では貸 出量が伸張するが,その結果貸出金利収入,自己資本も増大し自己資本比率も 維持・上昇する),これが景気変動の増幅効果を招来することとなるが,こう した傾向が顕現化する可能性はバーゼルⅡにおいても変わっていないのであ る。 ま た,バ ー ゼ ル Ⅰ で は,そ の 規 定 上 の 要 因 と し て,樋 渡・足 田[2005] (p.17)が指摘するように,不動産,建設,ノンバンクの中堅企業に融資して も AAA 格の超一流上場企業に融資しても同じリスク・ウエイトが用いられ (表 8-1 を参照),むしろこれが「不動産,建設,ノンバンクなど当時の相対的 にリスクの高い業種に偏った融資姿勢を是正するインセンティブを鈍らせた可 (4)
能性がある」との見方も多い。この点は,バーゼルⅡが慫慂する統合リスク管 理の下では,バーゼルⅠに比較して資産のリスク・ウェイトもきめ細かく区分 され(同じく表 8-1 を参照),バブル期に見られたような融資ポートフォリオ の偏りといった異常な事態を抑止する効果はバーゼルⅠに比較すれば大きいも のと思われるが,同一のリスク・ウェイト枠内での資産保有は金融機関の経営 判断に委ねられていることは従前通りであり,その結果,特定の企業・業種へ の資産運用が集中するリスクの減少をもたらす訳ではなく,将来的な健全性ま では保証されないのである。 このように考えると,バーゼルⅡのようなバランス・シート規制だけに個別 金融機関経営のチェックを委ねてみても,マクロの金融システムの安定化に必 (4)スティグリッツ・グリーンワルド[2003] (p.233)も,バーゼルⅠでは発展途上国への短期 貸出のリスク・ウェイトが 20%と低かったことが,過度な短期貸出を促進し,それが 90 年代 後半期のアジア金融危機の重要な要因のひとつとなったこと等を指摘して,金融機関の健全性 維持政策としてのバーゼル規制を批判している。
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表 8-1 事業法人・個人向け貸出のリスク・ウェイト(標準的手法の場合) 事業法人
貸出先の属性 AA−以上
バーゼルⅠ
バーゼルⅡ 20%
A+ ∼ A− BBB+ ∼ BB−,無格付 BB−未満 個人 (うち住宅ローン)
100%
50% 100% 150%
100% (50%)
75% (35%)
資料出所:Basel Committee on Banking Supervision[2004b]等から作成。
ずしも繋がらないケースが出現することは従前通りと考えざるを得ない。
1.3 マクロ金融システム安定化に向けた日銀考査の役割 このように,バーゼルⅡを忠実に履行しようとする金融機関行動が金融シス テム全体の安定には必ずしも繋がらない場面があるとすると,日銀考査が,個 別金融機関のリスク管理上の問題点を指摘し改善を求めその経営の安定確保を 図ることを通じて,バーゼル規制のもつ pro-cyclicality 効果などの問題点を幾 分か緩和する方向で運営されれば,最終的には金融システム全体の安定化に貢 献することとなろう。 こうした観点から日銀考査が取り組むべき課題として,具体的には以下の 4 点が指摘できよう。第 1 は,債務者のリスクに見合った適正な貸出金利プライ シングに向けた指導を行うことにより,景気動向に応じて貸出量の調節によっ て自己資本比率を維持する対応を可能な限り避ける方向に仕向けることであ る。ただし,一般にオーバーバンキング(企業向け銀行融資の過剰状態)とさ れるわが国金融界では,債務者のリスクに見合ったリターン(貸出金利)を求 (5)
めることはできないとされ,それが欧米の金融機関に比べた収益性の低さをも (5)リスクに見合った適正なリターンを求め貸出金利水準を引き上げると,優良企業は債務返済 にドライブがかかるか,他の金融機関へ借り換える行動に出る。一方早期返済が難しかったり 他の金融機関に移れず返済の目途がないまま高金利を甘受せざるを得ない企業ばかりが残存す る。その結果当該金融機関のリスク・プロファイルはさらに一層高まるということになり,こ れを嫌う金融機関は,適正リターンの追求をあきらめ,自己資本比率規制へは高リスク企業へ の信用量の抑制・削減(融資の削減ないし回収)によって対応しがちとなるのである。
第 8 章 これからの日銀考査(総括に代えて) 141
たらしていると言われており,貸出金利プライシングの適正化は監督当局の働 きかけによっても実現は容易ではない。また,特に不況期に高リスク企業への 貸出金利を急激に高めると,当該企業の倒産確率も高まり銀行の期待収益はか えって低下してしまうリスクがあることには留意しておかねばならない。しか し,自己資本比率規制の景気変動の増幅効果を緩和するためには,リスクの変 動に応じた適正な金利水準を確保することにより貸出量を調節する必要性を縮 めなければならず,ここに日銀考査を通じた粘り強い働きかけの余地が残され ている。 第 2 は,金融機関資産の健全性の状況(リスク・プロファイル)を把握する 際に必要な考査技術の向上である。第 6 章で詳述したように,バブル期におい ては,まさにバブル景気の拡大により企業売上が回復したことに加え,地価の 高騰に伴う担保価値の上昇もあって要注意与信比率の上昇傾向が一時的に落ち 着いた時期が見受けられ,そうした中で資産価格の上昇自体が実は大きな潜在 的なリスクであることを金融機関に指摘するのは容易ではなかった。担保の提 供は,金融機関が債務者に真面目に返済させるために義務づけるものであり, バブル崩壊を経験後の現在においても依然として土地は,資産として転用性が あり担保物権としての有用性が高い。従って櫻川[2002]が主張するように (p.190) , 「担保に替わって借り手を義務づける新たな仕組みがつくり出されな い限り,貸出に占める土地担保融資のシェアは大きくは減少しない」と考えて おくべきであり,金融機関の資産査定に当たって,個別の担保物権の資産価格 の現状水準をどう評価するか,将来的な変動をどのように見込むことができる か,それを資産査定の上でどのように反映させることができるか,という論点 は,バーゼルⅡの下でも追求されなければならない重要な課題である。 さらに,バブル期の考査では,要注意与信比率の一時的な改善を過大評価し た結果,特定分野・企業へ集中した貸出ポートフォリオの異様性と将来的なリ スク発生の危惧を指摘し,強くその是正方を求めることができなかったことが 大きな反省点として指摘されている。資産のポートフォリオの偏りも,自己資 本比率水準を維持している限り,バーゼル規制という枠の中ではチェックされ
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ることはなく,金融機関の資産内容を個別にチェックしていくことによって初 めて把握されるものである。第 6 章では,リスク管理重視考査が融資ポートフ ォリオの異常性を認識していたにもかかわらず,行政検査との関係を勘案して 適切な金融機関指導に踏み込めなかったことを指摘したが,今後は,金融機関 における新規融資時の審査,融資実行後の債務者の実態フォローなどの実状を 丹念に調査することを通じて,資産ポートフォリオの動向を的確に把握してい くことが肝要である。なお,日銀と金融界識者とで構成された「与信ポートフ ォリオ・マネジメントに関する勉強会」は 2007 年 4 月に報告書を公表し,わ が国の金融機関には「収益力や与信集中リスクの面でなお課題が残っている」 として,金融機関による与信ポートフォリオのリスク・リターンの状況分析, 信 用 リ ス ク の 移 転 取 引 等 の 与 信 ポ ー ト フ ォ リ オ 管 理(Credit Portfolio Management:CPM)を推進していくことが重要である旨を主張しているが, この CPM の推進に当たっても,考査を通じた働きかけが大きな力を発揮する (6)
ことが期待される。 第 4 の課題はバーゼルⅡではカバーできない種類のリスクを指摘し,それへ の対応策を金融機関に求めていくことであり,当面の具体的な課題としては業 務継続体制の強化が挙げられる。現代の金融機関は災害,システム障害,テロ などさまざまな事象によって業務中断を余儀なくされる可能性を孕んでいる が,いかなる事態でも中断した業務を可及的速やかに再開できるように中断原 因を予め特定し対応計画を策定する等の業務継続体制を構築しておくことは, 金融システム全体の安定にとって不可欠である。例えば,2001 年 9 月 11 日の 米国同時多発テロによって一時的に深刻な機能麻痺に陥ったニューヨーク金融 市場が急速に市場機能を回復したのは,連銀はじめ主要国中央銀行の機動的な 流動性供給アクションに加えて,従前から整備されていたバックアップ・セン (7)
ターへの早期の業務移行が可能であったことも大きく寄与している。わが国で (6)与信ポートフォリオ・マネージメントに関する勉強会[2007]を参照。 (7)邦銀ニューヨーク支店も含め,在米金融機関は監督当局の規制により,災害時等に備えたバ ックアップ用のコンピューター・センターやオフィスを,マンハッタン島外に事前に用意して いた。
第 8 章 これからの日銀考査(総括に代えて) 143
も,大規模災害・テロ等が生じた場合に備えた業務継続計画の整備に向けて, 日銀がその必要性を金融機関に粘り強く説明し,指導していくことが必要であ (8)
ろう。バーゼルⅡが金融機関を取り巻くすべてのリスクに備えたものになって いない以上,日銀考査が個別金融機関の実情を把握した上で,バーゼルⅡでは カバーし切れないリスク管理の側面を補完していくことを通じて,マクロ金融 システムの安定化に寄与していくことは可能である。 なお,言うまでもなく,日銀考査による上記のような個別金融機関への働き かけがどの程度の効果をもたらすか不透明な点が多い。そもそも適正な貸出金 利プライシングをわが国の長年の金融慣行の中で実現するのは容易ではなく, 前述のようにオーバーバンキングの中で適切なプライシングを実現できなかっ たからこそ多くの銀行が,90 年代の不況期の中で貸出量削減に訴えて自己資 本比率規制達成を目指したと言えるのである。また,担保資産価格や資産ポー トフォリオの的確な把握等についても実際上は困難が伴う面があることは否定 できない。さらに,これらの措置の実現が可能であったとしても,それによっ てバーゼル規制の景気変動増幅効果を最終的に如何ほど緩和し得るかは,未知 数である。しかしながら,そうした厳しい現実を前にして日銀考査が手を拱い ていては,これまで縷々述べてきたように日銀考査の存在意義が一段と薄れて いくことは必至であるし,こうした措置が幾ばくかなりとも効果をもたらすた めには,考査というミクロ・プルーデンスの手段を通じて個別金融機関に粘り 強く働きかけることが最上のルートであろうとも考えられるのである。
2. 金融機関のインセンティブ向上を目指した情報開示の一層の促進 2.1 考査に関する情報開示の一層の進展の必要性 このようにバーゼル規制を中心とするマクロ・プルーデンス政策の補完的な (8)「平成 18 年度の考査の実施方針等について」(p.8)の中で日銀は,大手金融機関や集中決済 機関に対して「実効ある業務継続体制の整備や日本銀行との連携について,議論を深めていき たい」と,整備進捗までにはなお促進し続ける必要があることを示している。
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役割を追求する中にあって,あわせて日銀は考査実施に要する社会的なコスト の削減にも努め,その実施に対する批判的な見解に応える必要があり,そのた めの重要な施策が情報公開である。 日銀は旧法下では,基本的に考査に関する情報公開を極力避ける対応に終始 していたが,改正日銀法の施行によりその独立性が強化されたことと裏腹に強 い説明責任(accountability)を負わされ,これを契機に金融政策面のみなら ずプルーデンス政策分野においても積極的な情報公開の姿勢に転じ,考査の実 (9)
施内容についてもかなり踏み込んで公開するようになった。考査に関する情報 開示は,単に考査内容を詳らかにするだけではなく,後日における政策責任面 (10)
でのチェックが行えるという観点からも重要であり,このような日銀の方針は 高く評価されるべきである。しかし,考査関連事項については依然として詳細 (11)
が不透明な点が多く,さらなる情報公開の余地が残されている。特に,今後最 も議論を呼ぶと思われるのは,日銀が把握した金融機関の経営実態,それに対 する日銀の評価をどのような形で金融機関サイドに還元するか,具体的には考 査結果等を踏まえた金融機関経営の評定をどのような形で開示するか,という 問題である。これは,これまで縷々述べてきた「日銀は何のために負担の大き な考査を課すのか,金融機関にとって考査を受けることのメリットは何か」と (9)98 年度(平成 10 年度)以降,前年度中の考査の実施実績や当年度における考査の実施方針 等の重要ポイントを説明した「考査の実施方針等について」を公表し,さらに平成 16 年度以 降は毎年度の「業務概況書」に前年度中の考査実施金融機関名,実施時期等を記載,公表して いる。 (10)三木谷[1998] (p.26)は,金融政策運営面で中央銀行に透明性・情報開示が求められる理 由として,(1)政策決定の内容を明確にし,市場参加者に誤解されないようにする,(2)政策 決定のプロセスを明らかにし,政策委員の説明・償責を明確にする, (3)採用された政策が, 成功したか失敗したかを記録として残し,将来の政策決定の誤りを回避することに寄与するこ とを挙げている。こうした点はプルーデンス政策分野にも当てはまり,特に(3)は重要であ る。常に日銀考査の方針とその背景にある考え方を明らかにしておくことは,後日の政策失敗 の責任追及に際して大きな免責事由をもたらすであろう。少なくとも,リスク管理重視考査が 広く理解されていたならば,(バブル自体は回避できなかったにしても)日銀のバブル責任論 には影響を及ぼしたであろう。 (11)例えば考査業務に関して一般的に説明した文書は依然として日本銀行金融研究所編[2004] (pp.99 ∼ 118)以外には見当たらず,公式にはそこに記載されている事項以外は不透明であ る。改正日銀法施行(99 年 4 月)以前の事項に関しては依然として情報が極めて少ない。
第 8 章 これからの日銀考査(総括に代えて) 145
いった根強い疑問に答えるためにも避けては通れない課題であり,諸外国の事 例や金融庁による評定公表の動き等を踏まえると,日銀も早晩その姿勢確立を 迫られるものと考えられる。
2.2 評定制度を巡る動向 検査結果に基づく金融機関の「評定制度」は,事前に設定された客観的な基 準に従って金融機関の経営内容を評価しランク付けすることであり,既に述べ (12)
たように欧米では以前から実施されている。米国では通貨監督庁(OCC),連 邦準備銀行(FRBs)が CAMELS を採用し,評定結果は監督上の措置の決定, 検査周期の決定といった監督方針の決定に大きな影響を及ぼす上に,監督・検 査上の料金の決定,預金保険料の決定(可変保険料率制),といった面の判断 材料になることから,金融機関サイドの経営改善に向けたインセンティブを高 める効果が期待されている。英国でも 2000 年 1 月から金融サービス庁(FSA) が ARROW(Advanced Risk Responsive Operating Framework)制 度 を 採 用し,金融機関のリスク評価結果に基づくリスク削減プログラムを策定し,当 該金融機関にその実施を要求している。 さらにわが国の金融庁も,2005 年 5 月に「評定制度研究会報告書」を公表 し,「評定制度」を導入する旨を宣言した。これは,検査の評定結果に応じた メリハリの効いた効果的・選択的な行政対応により金融機関に経営改善に向け たインセンティブ付けを行なうとの方向性を打ち出したものであり,早期是正 措置と並び金融機関自らが改善インセンティブを高める方向に導くとの思想に 沿った画期的な措置と言えよう。具体的には法令等遵守,顧客保護等管理,各 種リスク管理の状況を 4 段階評価し,評定の結果は被検査金融機関に通知さ れ,当面は評定結果の金融行政への反映は検査運用面(検査の頻度,範囲,深 度を検討する際に反映させる)に限る,とされている。検査結果を金融当局か ら客観的なレベルとして示されることは,当該金融機関の経営改善に向けた指 (12)この節における米英両国の評定制度についての説明は翁[1998],中島・宿輪[2000],本間 [2002] ,金融庁検査局[2005a],同[2005b]等に拠る。
146
導上,大きな効果を及ぼすことは疑いがない。まして,その結果,次回検査ま での間隔など行政検査の運用が変わってくるとなれば,金融機関の経営改善に 向けたインセンティブ効果は大きいと見てよいであろう。
2.3 日銀における評定結果開示とその社会的な意義 実は日銀は既に内部的には金融機関の評定制度を設けている。それは,日銀 考査局が金融庁「評定制度研究会」の席上(2005 年 2 月 23 日)で行った口頭 (13)
説明によれば, ①金融機関の経営体力,リスク管理状況について統一的な観点から行なって いる。 ②各評定項目を 3 ∼ 5 段階で評価するが,総合評価は行なわない。 ③評定制度の結果自体は金融機関には伝達せず,考査終了後に手交する「所 見」(文書)の中で改善すべき問題点や取り組むべき課題を指摘し,改善 状況について定期的な報告を求める(フォローアップ)。 ④評定結果のみで次回考査の優先度を決めている訳ではない。 といった内容であり,今後は何らかの形で評定結果の考査先金融機関への還元 (ミクロの情報開示)と,全体的な評定結果(マクロの情報開示:例えば過去 1年間に実施した全考査における評定結果のばらつき状況等)を公表すること が検討されるべきであろう。 併せて,評定結果を日銀の政策にどのような形で反映させるのかという問題 も検討されねばならない。米国 CAMELS のように,総合評定結果の悪い金融 機関に対して検査周期を短縮し,監督・検査上の料金や預金保険料を割高にし (経営コストを高める),逆に総合評定が優れている金融機関を優遇する(経営 コストを低める)ことになれば,評定結果が金融機関に与える経営改善へのイ ンセンティブはさらに大きくなると期待できるからである。具体的には,評定 (13)金 融 庁[2005a]お よ び 同[2005b]を 参 照。出 席 し た 日 銀 考 査 局 幹 部 に よ る と 同 局 で は 1966 年から評定制度を導入しているとのことであるが,日銀が自らの評定制度について公式 の席上で説明したのはおそらくこの時が初めてと思われる。
第 8 章 これからの日銀考査(総括に代えて) 147
結果が良い金融機関について次回考査までの間隔の長期化,考査内容の簡素化 が行われれば当該金融機関の受検負担を軽減し経営改善へのインセンティブを 高めるだけでなく,考査に投入する日銀サイドの経営資源(人員,費用等)の 軽減,成績不良金融機関への集中なども実現し,結果的にわが国におけるプル ーデンス政策に要する社会的費用全般の削減にも繋がることが期待される。 さらに,当座預金取引や日銀ネット・システムへの参加資格,同システムの (14)
使用料等の取引関係を見直す判断材料として利用することが考えられる。今の ところ世界の主要国中央銀行が運営する中核的な資金決済システムの中で,考 (15)
査の評定結果に応じた可変的使用料金体系を採用しているものは見当たらない が,決済システムの円滑な運営のための諸コストを負担している中央銀行とし ては,自らが運営する中核的な資金・証券決済システムの使用料金決定に際し て経営内容に応じた格差を設け,システム参加金融機関の経営改善意欲を高め る方向に誘導することは,社会的にも理解を得られる考え方である。
3. 結 語 以上,本章では,日銀考査が制度的限界下においてその存在意義を発揮する ために,まず個別金融機関の経営改善を通じて,バーゼル規制に代表されるプ ルーデンス政策を補完するかたちでマクロ金融システムの安定化に寄与できる 可能性があることを明らかにし,さらに考査に基づく評定結果の開示などを通 じて,金融機関の経営改善に向けたインセンティブ向上を招来する政策を実現 することにより,考査自体がもたらすベネフィットの拡大も可能であるという ことを主張した。 いずれにしても,日銀が金融機関に評定結果を開示するとともに自らの政策 (14)現状は,日銀ネット使用料は使用量や使用回線の種類に応じた課金体系となっており,金融 機関の信用力を反映したものとはなっていない。 (15)中島・宿輪[2000](p.76)によれば,例えば米国 FRS が運営する大口資金決済システム Fedwire(Federal Reserves Wire Transfer System)でも,資金決済,証券決済ともに使用 件数に応じた料金体系である。
148
に利用することに対しては,実際には金融機関からのさまざまな反発が予想さ (16)
れる。しかしその一方で,決済システム参画の負担の軽減に繋がる形で考査情 報が還元されれば,考査実施を支持しその指導に積極的に沿う金融機関が増え ることも見込まれ,ひいては日銀考査の存在意義が社会的に浸透することにも 貢献することとなろう。日銀法改正等により強権的になったとはいえ最終的に は法的強制力を有しない日銀考査としては,金融機関に対して指導力を発揮し その実効性を担保するためには,日銀考査の指導に従うことによって金融機関 に強力なインセンティブを生じさせるメカニズムを確保しておくことが最終的 には唯一最大の途であり,その意味でも評定制度は大きな効力を発揮するツー ルとなり得ると考えられる。こうした視点から,評定制度をどのように利用し ていくかはこれからの日銀考査の大きな取り組み課題として残されていること を主張しておきたい。
(16)金融機関からの予想される最大の異論は,例え評定結果がその金融機関にのみ通告されるに しても,日銀による爾後のさまざまな取扱いの格差が表面化することにより評定結果が他行, 顧客にも判明してしまい,経営悪化を一段と促進しかねない,とする意見であろう。
[補論Ⅰ] 日銀考査の実態 149
[補論Ⅰ] 日銀考査の実態
(1)
日銀考査に関しては,従来日銀側からの積極的な説明がほとんどなかったこ ともあって,その内容について金融界のごく一部を除きこれまでほとんど知ら れることがなく,このことを反映して日銀考査の意義や位置づけは学術的にも 真正面から論じられることは極めて少なかった。 しかし 90 年代に入り,日銀によるプルーデンス政策,中でも考査に関する こうした捉え方に変化が生じた。97 から 98 年にかけて大手金融機関も含めた 金融機関の破綻が相次いだこともあって,考査を中心に日銀によるプルーデン ス施策に対する関心が高まり,これを反映して齊藤[1998a],同[1998b], 同[2001a] ,同[2001b] ,堀江[1998] ,同[2001b] ,山脇[1998]等いくつ かの研究・調査結果が公にされ始めた。また,同時期の改正日銀法施行(98 年 4 月)を契機にして,日銀自身の業務に関する対外的な説明姿勢も大きく変 化し,同年以降公刊されるようになった「業務概況書」や「考査の実施方針等 について」等を通じて,考査をはじめとするプルーデンス政策の具体的な内容 が比較的詳しく判明するようになった。中央銀行として金融機関の監督・規制 機能が具体的にどのようなかたちで発揮されているのか,といった点について も,例えば日本銀行金融研究所編[2004]がやや立ち入った説明を加えるよう になった。 [補論Ⅰ]では,これまで公開された資料をベースに現行日銀法の下での日 (1)考査業務そのものに関して日銀側から積極的に説明した文書は,管見の限りでは蒲田・名村 [1996]など極めて限られていた。
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表1 日本銀行法における考査規定条文 (第 44 条)考査 日本銀行は,第 37 条から第 38 条までに規定する業務を適切に行い,及びこれら 業務の適切な実施に備えるためのものとして,これらの業務の相手方となる金融機 関等(以下この条において「取引先金融機関等」という。 )との間で,考査(取引先 金融機関等の業務及び財産の状況について,日本銀行が当該取引先金融機関等へ立 ち入って行う調査をいう。以下この条において同じ。)に関する契約(考査を行うと きにはあらかじめ取引先金融機関等に対し連絡しその承諾を得なければならないも のであることその他の政令で定める要件を備えたものに限る。 )を締結することがで きる。 ② 日本銀行は,考査を行う場合には,当該考査に伴う取引先金融機関等の事務負担 に配慮しなければならない。 ③ 日本銀行は,金融庁長官から要請があったときは,その行った考査の結果を記載 した書類その他の考査に関する書類を金融庁長官に対し提出し,又はその職員に閲 覧させることができる。
銀考査の目的,実務面の実態等を整理して,本論での議論の前提に供しようと するものである。
1. 現行日銀法における考査 (2)
現行日銀法第 44 条は,日銀が金融機関に対して行う考査について「第 37 条 から第 39 条までに規定する業務を適切に行い,及びこれらの業務の適切な実 施に備えるためのものとして」, 「取引先金融機関等との間で,考査に関する契 約を締結することができる」と日銀が行う業務として定めている(日銀法第 44 条については表 1 を参照)。 このうち第 37 条は,コンピューター・システムの障害発生等で健全な金融 機関に予期せぬ一時的な流動性不足が生じた場合に不足流動性を日銀が一時的 に供与できるとするものであり,第 38 条は,政府が信用秩序に重大な支障が 生じると認めた事態には,政府の要請に基づき日銀が信用秩序維持のための流 動性供給を行うことができるとするもので,日銀が LLR 機能を発動する法的 根拠を定めたものである。さらに第 39 条は,金融機関間の資金決済の円滑に (2)1942(昭和 17)年に制定された「日本銀行法」(旧法)は 1997 年に改正され,改正日銀法は 98 年 4 月から施行され現在に至っている。
[補論Ⅰ] 日銀考査の実態 151
資するために,必要な非通常業務を行うことができるとしたものである。そし て第 44 条によって,いずれの条文に規定した業務についても,それを適切に 行うために,あるいはその準備のために,日銀は考査契約を締結した上で個別 金融機関の業務および財産の状況について立ち入り調査を行うことができるこ とを規定しており,そうした立ち入り調査が日銀の行う考査であるとされてい る。 なお,政令( 「日本銀行法施行令」第 11 条)では,日銀法第 44 条に定める 「考査に関する契約」の要件として下記 5 項目を列挙しており,これに基づき 日銀は,個別金融機関等との間でこれらの要件を満たした「考査に関する契約 書」を締結し,それに沿って考査を実施している。 ①考査を行う時には予め金融機関等に連絡し,その承諾を得る。 ②考査を行う日銀職員は身分証明書を携帯し,請求があったときはそれを提 示しなければならない。 ③考査およびその結果に基づき行う金融機関等に対する助言等は,日銀法第 37 条から第 39 条までに規定した業務を適切に行い,その適切な実施に備 えるために必要な限度を超えない。 ④考査を受ける金融機関に過大な負担を及ぼすことのないように配慮する。 ⑤日銀の役職員は,考査で知り得た秘密を漏らしたり,盗用したりしてはな らない(日銀法に基づき金融庁長官等に提出・閲覧させる場合は除く)。
考査に関する規定が法制化されたのはこの第 44 条が初めてである。旧法下 では考査に関する規定は全く存在せず,日銀は金融機関に対して当座預金勘定 開設の際に包括的な内容の考査約定の締結(民法上の私的な契約と位置づけら (3)
れる)を求めた上で,これを根拠に考査を行ってきた。もとより第 44 条およ (3)旧法下では,考査約定は日銀と取引先金融機関等との間の私的な約束であるとして,具体的 な内容は公開されなかった。しかし,山脇[1998](pp.178 ∼ 179)によると以下のように, 考査対象金融機関が日銀に差し出す形をとり,その文言も日銀の立場が強い雰囲気のものとな っていた(文中の「貴行」は日銀,「当行」は考査対象金融機関を指す)。 「貴行と当行との間に取引契約継続中当行の財産並びに営業状態等の御調査について次の事項 を約定します。
152
びそれに伴う政令,「考査に関する契約書」の制定等の一連の法制について日 銀は,あくまでも業務内容の明確化の観点から考査について明文規定が置かれ たものであり,日銀が金融機関との契約に基づき考査を行うという従前の状 (4)
況,考査の性質を変えるものではないとしているが,日銀が行う業務として 「考査」が定められ,その概念,範囲,対象,目的,実施に伴う責任等が明確 になったことは否定し難い。法制面で我が国のプルーデンス政策全般における 考査の位置づけを定め,中央銀行に対してプルーデンス政策に関する事実上の 権限の一端を担うことが認められたという意味で,第 7 章で述べたように日銀 考査は大きく変質しており,日銀および金融機関双方にとって非常に大きな意 味を有するものである。
2. 考査・モニタリングの目的 このように法定化された取引先金融機関への立ち入り調査である「考査」お よび立ち入り調査を伴わない「モニタリング」(以下,考査等と総称)は,日 本銀行の政策や運営にとって,どのような意味を有しているのであろうか。考 査等の目的について日本銀行金融研究所編[2004] は以下の 3 点に整理して (5)
いる。 第 1 に,考査等を通じて入手した取引先金融機関の経営実態,業務運営に関 1.当行の業務に関する調書,諸計表その他の書類は貴行御指定の様式に従い,いつでも御要 求あり次第直ちに提出します。 2.貴行調査員がいつ当行に御出張になり,当行の財産並びに営業状態につき実地調査を実施 されても異議ありません。」 (4)ただし,第 7 章で触れたように,改正日銀法に基づく「考査に関する契約書」 (第 13 条)で は,金融機関等が承諾した考査に当該金融機関等が応じなかったり,正当な理由がなく考査を 拒絶したり,考査の際に日銀に虚偽の情報を提供したことが判明した場合等には,日銀はその 事実を公表することができる旨が規定され,実際に考査契約違反行為があったとしてその旨を 公表された事例が発生している。このような公表が金融市場における当該金融機関の立場を著 しく損ねることは明白であり,その意味で金融機関にとって日銀考査の受検は事実上の強制力 を伴ったものと受け取られていると考えてよいであろうし,そうした点を踏まえると日銀法で 明文化されたことは考査の位置づけを一段と強めたと考えるべきであろう。 (5)日本銀行金融研究所編[2004]p.108 を参照。
[補論Ⅰ] 日銀考査の実態 153
する情報に基づき日銀は,「信用秩序の維持を目的とした『最後の貸し手』と しての業務や,資金決済の円滑に資するための業務の適切な運営を図ってい る」。『最後の貸し手』としての業務とは「個別の金融機関の支払不能等が,決 済システム全体や金融システムに波及するというシステミック・リスクの顕現 化を防止するため」の中央銀行貸出等による流動性供給であり,考査等は,ま ずはこうした日銀特融発動および決済システムの円滑確保に備えたものであ る。これはまさに,LLR 機能の発動に際しては金融機関に関する事前の情報 収集が欠かせないとする考え方に沿っていると言えよう。 具体的には流動性リスクの大きさ(流動性不足の度合い)を把握するため資 金繰り状況のチェックが行われる。さらに,この把握情報をもとに日銀は, 「信用秩序の維持を図る観点から,必要に応じて個別の取引先に対して自己責 任に基づく節度ある健全な経営がなされるよう要請を行っている」。これはす なわち,考査等は日銀特融発動という極めて特殊なケースに直面した場合のも のだけではなく,そうした緊急事態に陥ることのないように,事前防止的な措 置として取引先金融機関に対して助言・指導を行うものである。平成 11 年度 以降毎年度日銀が公表している「考査の実施方針等について」をみると,我が 国の金融機関経営における不良債権問題の大きさを反映して,ここ数年間は, ①資産の経済価値の的確な把握とそれに基づく適切な償却・引当の実施という 不良債権処理を促してきたことに加えて,②取引企業の再生に向けた金融機関 の取組みの促進,③収益力強化とそれを可能とする効率的なビジネスモデル追 求に向けた金融機関への働きかけ,といった金融システムの安定化に向けた働 きかけが目立っている。これはまさに上記のような考査を通じて収集された経 営情報を踏まえた働きかけである。また,2006 年度末から導入されたバーゼ ルⅡに備え内部格付手法導入などリスク管理の適切な高度化に向け金融機関へ 働きかけを行っているのも,同様の観点からからである。 考査等の第 2 の目的は,日銀が「各種取引を行う相手方を選定したり,ある いは決済システムのあり方を検討する際にも利用」するためである。日銀取引 先になることは日銀当座預金取引,ひいては決済システムにそのメンバーとし
154
て参加することが認められることであり,日銀としては経営内容が健全である (6)
ことが担保された金融機関のみと取引を行いたいと考えることは当然である。 考査等の 3 番目の目的は,収集情報を取りまとめて整理・分析することによ り,「各種リスクが金融システムにどの程度存在するか,また,それは金融機 関ごとにどのように分布しているか,さらに,これらのリスクが顕現化する可 能性はあるかなどを把握し,必要に応じてその顕現化の抑止に努めるなど金融 システムの安定の維持に役立てる」ことである。我が国経済の最大の問題であ った不良債権問題に対処するに当たり,具体的にどのような種類の不良債権が どのような形で,どの金融機関・業態に分布し,全体としていかほど存在する か,というデータ(すなわちリスク・プロファイル)は極めて重要な情報であ ったが,それは考査を通じた個別金融機関に関するデータ,オフサイト・モニ タリングを通じた計数集計等の膨大な作業を行わない限り正確には把握し得な いものであり,日銀は考査等を通じて金融機関のマクロ的なリスク・プロファ イルをかなり正確に,かつ早い段階から把握する立場に立つことができるので (7)
ある。 このように日銀は決済システムの安定化を目指した LLR 機能の発揮,取引 先選定の際の情報取得,金融界のリスク・プロファイルの把握とその対処,と いった中央銀行政策遂行の観点から考査等を行っており,あくまでも遵法状況 のチェックを行うとの観点に立つ行政による金融機関検査とは本来的に異質な ものであるとしているのである。なお,日銀が考査等を行う意義・目的とし て,金融機関が「貸し手」の立場から融資先企業等の実態を詳細に把握しよう とするのと同様に,日銀も金融機関に対し融資を行う「貸し手」の立場(債権 (8)
保全の立場)から考査を行うとの見方がある。特融を含め緊急時に日銀信用を (6)取引先としての選定時点だけではなく,取引先として選定されてからも,考査を通じて判明 した経営内容の健全度合い(評定結果)に応じて中央銀行との取引内容に格差を設ける(取引 手数料や考査頻度に差を設ける)ことにより,より健全な経営内容を目指すインセンティブを もたらすようにすることもこれからの課題である(この点については第 8 章を参照)。 (7)ただし,不良債権問題のリスク・プロファイルやその深刻さを早くから把握していたことと, それに対して適切に対応できたかどうか,は別問題である。 (8)吉田[2002b]は「銀行に対する考査『権限』も,貸し手の立場としての行為であって,借り
[補論Ⅰ] 日銀考査の実態 155
受けざるを得ない立場の金融機関側がそのように考査を理解することは止むを (9)
得ないが,少なくとも現状では平常時の日銀貸出は極めて少なく,むしろ中央 銀行側では,単純に自らの債権保全の観点からよりも,上で縷々述べたよう に,あくまでもシステミック・リスクを回避する可能性を常に担保するために 金融機関検査を行う,という点に大きなウェイトを置いて考えていることには 留意しておく必要がある。 なお,これまで「考査等」と一括りにしてきたが,一般に金融機関に対する 調 査 は 金 融 機 関 内 部 へ の 物 理 的 な 立 ち 入 り を 伴 う「考 査」 (on-site examination)と,立ち入りを伴わないオフサイト・モニタリング(off-site monitoring)がある。「考査」は考査員が取引先金融機関内部に立ち入り,内 部資料の直接検閲や事務遂行現場の直接調査等により,資産内容やリスク管理 の実態等をより的確に調査・把握しようとするものであり,個別の資産の内容 や現場でないと把握し得ないリスク管理体制の実態等を詳細かつ網羅的に調 査・検証する目的に極めて適している(ただし,考査員数など投入できる資源 (10)
には限りがあり,多くの金融機関を同時に考査することはできない) 。一方, 「オフサイト・モニタリング」では立ち入りは行わず,金融機関の役職員との 面談,電話等を通じたヒアリング,資料の提出を受けること等により,(考査 期間とは無関係に)継続的に金融機関の業務内容や収益状況等の経営動向を把 手としては受認せざるを得ないものである」としている(p.146)。吉田説の「貸し手」はあく までも「最後の貸し手」という意味と捉えられるので,単純な通常貸出とはニュアンスが異な るように思われるが,著者の経験ではごく最近まで日銀内部でも「日銀から金を借りている以 上,金融機関は考査を受けねばならない」といった論議が聞かれていた。 (9)平常時の金融調節のためのオペレーションを補完する制度として 2001 年 3 月より「補完貸付 制度」(いわゆるロンバード型貸付)が発足した。これは,日銀が融資実行の時期・金額を決 定していた従来型の貸出とは異なり,予め日銀に差し入れた適格担保の価額範囲内であれば, 金融機関が希望する時に日銀貸付を受けられる制度(金利は公定歩合,期間は原則 1 営業日) であるが,同時に量的緩和政策が行われてきたこともあって,これまでのところ金融機関側の 借入ニーズは低調であった。 (10)考査に動員されている考査員数は公表されていないが,年間実施考査数等から約 200 名程度 (支店職員を含む)と推計される。一方,考査先数については,毎年度の「考査の実施方針等 に つ い て」に よ る と,平 成 12 年 度 111,13 年 度 120,14 年 度 115,15 年 度 140,16 年 度 153,17 年度 160 の金融機関に考査を実施しており,実施先数は次第に増加の方向にあるが, 同じ年度内に取引先金融機関全てに考査を行うことはできない。
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握する手法であり,時にはアンケート調査を実施する等,的を絞った問題につ いて取引先金融機関を幅広く対象にした調査を行うことができるメリットがあ る。このように,両者はその特性とその時々の必要に応じて使い分けられる が,ともに取引先金融機関の経営の実態を把握する手段として一体となって運 営されることにより,より効果的な実態把握が可能となる。日ごろのオフサイ (11)
ト・モニタリングがもたらす情報が考査における着眼点をより明確にする可能 性があるし,考査で経営上の重要課題が明らかになり改善指導が行われた場合 には,考査終了後も継続的なオフサイト・モニタリングを実施して当該金融機 関による改善状況の定期的な報告を求める等のフォローアップが避けられな い。
3. 考査の対象金融機関等 考査(およびオフサイト・モニタリング)の対象となる金融機関等は,具体 的には日銀法および同施行令により①銀行その他の預金等の受入れおよび為替 取引を業として行う者,②証券会社,外国証券会社,証券金融会社,短資会社 など①以外の金融機関,とされている。考査対象先金融機関の数と業態別内訳 等は公表されていないが,日本銀行[2005f] (p.9)によれば 2005 年 7 月末時 点での日銀の当座預金取引先金融機関数とその業態別内訳は表 2 の通りであ り,日銀は金融機関を当座預金取引先に選定するかどうかの基準の一つとして 考査契約の締結を挙げており,考査対象先は当座預金取引先と概ね一致してい (12)
ると考えて差し支えがないことから,考査対象先数も同様に 600 近い数に達し ていると考えられる。 (11)日銀法第 44 条第 2 項は,日銀に対して「考査を行う場合には,当該考査に伴う取引先金融 機関等の事務負担に配慮」することを求めている。日頃のオフサイト・モニタリングからの 情報がない場合には幅広い範囲にわたる非効率な考査を行わなければならず,金融機関の負 担は一層大きなものとなろう。この点からも考査とオフサイト・モニタリングの併用のメリ ットは大きい。 (12)当座預金取引先でありながら考査契約を締結していない金融機関の有無は不明ながら,各地 の銀行協会,政府系金融機関等は考査を受けていないと言われている。
[補論Ⅰ] 日銀考査の実態 157
表2 日本銀行当座預金取引先数(2005 年7月末現在) 業 態 都市銀行・長期信用銀行 地方銀行 第二地方銀行協会加盟行 在日外国銀行 信託銀行 信用金庫 組合中央機関
数 8 64 48 68 26 279 5
業 態 証券会社 証券金融会社 短資会社 銀行協会 証券取引所 その他 合計
数 42 3 3 33 1 16 596
注: 「その他」には政府系金融機関,証券取引所以外の証券取引清算機関等を含む。 資料出所:日本銀行[2005f]p.9 より作成。
日銀に当座預金勘定をもち当座預金取引を認められている先には,上記のよ うに預金取扱い金融機関のみならず,証券会社など非預金取扱い金融機関まで (13)
含まれるやや異例の状況となっており,この結果,そうした非預金取扱い金融 機関に対しても考査が行われている。これは,こうした非預金取扱い金融機関 も種々の決済システムに参加している有力なメンバーであるとの実態に配慮し たものである。決済システムの安定を図るとの中央銀行の観点からはこうした 先に対しても考査を実施できるのは望ましいことであるとも言えるが,逆に, 山一證券の事例のように特融の実施を余儀なくされ,挙句にはその一部が回収 できない事態が発生している。また,決済システム上の有力なプレーヤーであ (14)
る生命保険会社や損害保険会社,さらには小規模ながら預金取扱い金融機関で (15)
ある信用組合等の業態との当座預金取引は行われておらず,こうした点も含め て日銀当座預金取引先(とその結果としての考査対象先)の選定については, 議論の余地が残されている。 なお,考査はあくまでも日銀当座預金取引を行う個別金融機関が対象とされ るものであるが,最近における金融機関の合併・連携等の結果,持株会社を創 設し,そこでの経営戦略に基づき子会社である個々の金融機関が業務を営んで (13)米英では,中央銀行取引先はあくまでも預金取扱い金融機関に限定されており,証券会社等 の事業法人との取引は行われていない。 (14)コール市場における有力な資金放出者である大手生命保険会社では,かねてより日銀当座預 金取引の開始を目指す動きが見受けられる。 (15)個別信組の上部団体である全国信用協同組合連合会(全信組連)は日銀当座取引先であり, 個別信組との最終決済は全信組連の日銀当座預金口座を通じて行われている。
158
表3 日銀が行う金融機関への「立ち入り調査」 種 類
内容・対象等 法第 44 条に規定する「考 査」 。日 銀 当 座 預 金 取 引 考査契約に基づく 先で法第 37 条∼第 39 条 考査 に基づく業務の対象とな る金融機関等が対象。 考査契約を補完するため 持株会社への立ち入 の調査。日銀当座預金取 引先の持株会社等が対 り調査 象。 法第 37 条∼第 39 条の業 考査契約締結先以外 務の対象外であるが,当 の取引先への立ち入 座貸越契約の締結してい り調査 る先が対象。 個別同意先への立ち 必要に応じて行う調査。 入り調査
契約の有無
その他
予め考査契約を締 結。
同上。
同上。
対 象 先,調 査 内 容 等の詳細は不明。
その都度個別に合 同上。 意を得る。
資料出所:毎年度の日本銀行「考査の実施方針等について」等から作成。
(16)
いるケースが急速に増えている。こうした持株会社等が重要な経営機能を担っ ている場合には,持株会社も含めたグループ全体の経営実態を把握しないと 個々の子会社金融機関等に対する考査の目的を達成できないと考えられる。そ こで日銀では,2002 年 8 月以降,考査の目的を達成するために必要な範囲内 で立ち入りを含む調査を実施するべく,金融機関等の持株会社等との間で締結 するための「調査に関する契約書」を策定,あわせて子会社金融機関等との当 座預金取引開始の条件として持株会社等との同契約締結を条件とすることとし (17)
た。この措置は個別金融機関等の正確なリスク・プロファイルを把握するとい う考査の実効性を高める見地からは妥当であり,避けられないものである。こ の結果,「考査の実施方針等について」によれば,日銀が行う金融機関等への 「立ち入り調査」には表 3 に示されるように 4 種類存在し,日銀では目的に応 (16)みずほフィナンシャルグループや三菱 UFJ フィナンシャルグループ等の大手金融機関のみ ならず札幌北洋ホールディングスといった地方金融機関にも持株会社設立による合併,提携 の動きが広まっている。 (17)ここでいう持株会社等とは,銀行持株会社,証券会社の持株会社,およびこれらと同様の経 営管理機能を有するその他の親会社のうちわが国に所在し,考査先でない者である。
[補論Ⅰ] 日銀考査の実態 159
じて,これらの立ち入り調査を使い分けている。
4. 考査の調査対象─考査は何を把握しようとするのか 以上のように定義される日銀の「考査」および「オフサイト・モニタリン グ」では,具体的に何をどのように調査し,その結果を日銀はどのように利用 しているのであろうか。前述のように考査対象先にはさまざまな種類の金融機 関等が含まれており,実際の考査の内容にも相当な幅があると考えておく必要 があるが,以下では,考査対象先の大宗を占める預金取扱い金融機関,特に銀 行を対象とした一般的な考査を例に説明を進めることとする。 考査を通じて把握しようとすることの第 1 は,金融機関の融資業務の実態で ある。融資業務は金融機関による仲介機能の中で最も重要な業務であり,融資 を行うことで金融機関は信用リスクを負うとともに,それに伴う貸出金利収入 を得ており,これは金融機関収益の中で依然として最大のシェアを占めてい る。信用リスクが顕現化し貸倒れ等が発生すると資産内容の劣化が生じ,引当 金の増加,さらには償却という負担を通じて収益力の低下や経営体力(自己資 本)の減少を招く。このことは当該金融機関の信用リスク引受け能力,ひいて は仲介機能が低下する原因となる。従って,金融機関による融資業務運営の方 (18)
針,融資基準の状況とその変化,融資ポートフォリオの状況,信用リスクの管 理方針とその実態等の詳細を把握しておくことは,中央銀行としてわが国金融 機関による金融仲介機能の実態を把握する上で不可欠の行為であることは容易 に理解されよう。このため考査では,①考査先金融機関から融資残高とその内 訳,担保物件の明細,金利条件,不良債権の引当・償却の状況等に関する資料 (19)
の提出を受け,その分析を行うとともに,②そうした資料に関するヒアリング (18)具体的には,貸出資産における業種,地域等の属性別の分散度合い,それらを踏まえた資産 の健全度,収益力の状況等を含む。 (19)特に 1998 年度から,早期是正措置の前提として金融機関自らによる資産の自己査定が行わ れるようになると,考査の機会を捉えて,直近の自己査定作業の内容について調査を行い, それを通じて自己査定に関する問題点のみならず信用リスク管理全般にわたる問題点の把握, 改善点の指摘等を行うことが非常に重要な目的となっている。
160 (20)
を行ったり,裏づけとなる資料の提出を求めて確認したり,③リスク管理体制 (21)
に関するヒアリングを行う,といった一連のチェックを行う。 第 2 の狙いは,マーケット関連業務の実態を把握することである。金融機関 は株式・社債の保有等の有価証券投資に加えて,為替取引,デリバティブ取引 など幅広くマーケット関連業務を行っており,それは資産価値が変化するマー ケット・リスクを必然的に伴っている。有価証券価格等の変動は,資金調達コ ストや資産評価額の変化(資金収支,売買関係損益,評価損益等)を通じて, 融資と同様に収益力や経営体力に大きな影響を及ぼす。このため考査では,金 融機関から関連する資料の提出を受け,当該金融機関が受けているマーケッ ト・リスクの大きさ(資産・負債の期間構成,市場の価格変動が及ぼす影響 等)を分析するとともに,ALM(資産・負債の総合管理)によってどのよう にそのマーケット・リスクをコントロールしようとしているか,ヒアリングな らびに現場の実査を通じて把握するように努めている。 考査によって把握しようとする第 3 のターゲットは事務処理体制の実態であ る。金融機関は現金,有価証券等の重要書類の現物を扱うだけでなく,巨額の 資産・負債の運用・調達,保管等の業務を数少ない職員によって,コンピュー ター・システムを用いて効率的に取扱っている。これらの業務は,法令遵守は 言うまでもないが,正確にかつスピーディに行われる必要があるが,ささいな 事務ミスや影響が大きい事故,悪意による事件,さらにはコンピューター・シ ステムの障害等による混乱などが生じると,それに伴う直接の損害だけでな く,顧客やマーケットからの信頼性も低下し,取引の減少など経営面への悪影 響も懸念されるようになる。ひとつの金融機関でのコンピューター・システム の障害が決済システム全体に拡大し,わが国の決済システム全体に影響が及び かねないケースも発生する可能性がある。考査では,人為的なミスや事故が事 務処理体制の中でどのように管理されているかをチェックする。こうした実態 (20)例えば不動産の担保価値などは,当該担保物件の現場を実際に訪れ視認することもある。 (21)ヒアリングだけではなく,必要に応じてリスク管理体制が実際に有効に機能しているかどう か,金融機関内部の現場に出向いて調査・検証を行うこともできる。こうした行為は「立ち 入り調査」でなければなし得ない,日銀にとっては極めてパワフルな実態検証手段である。
[補論Ⅰ] 日銀考査の実態 161
を書面上でチェックすることには限界があり,立ち入りによる現場調査が大い に威力を発揮する場面でもある。特に,最近はインターネットバンキング等の 電子取引が発展しており,そのセキュリティをどのように確保しているかとい った点が重要な問題になっている。 第 4 には資金繰りの実態把握である。金融機関は諸リスクが顕現化し損失を 被るだけではなく,そうした事件・事故を契機に大量の預金やコール資金の引 き出しに見舞われると,高金利での資金調達を余儀なくされ収益が減少する し,不足資金を調達できなければ支払いに支障を来し経営破綻にも追い込まれ る流動性リスクを常に秘めている。従って金融機関は,日々の決済に必要な資 金を安定的に調達できているか,過大な流動性リスクを抱えるような資金調達 構造になっていないか,を自らが確認する必要がある。経営破綻に至る場合に は,かなりの確率で LLR 機能の発動により資金繰りをつける事態に追い込ま れるので,日銀としても考査等を通じてそうした破局に至る可能性の大きさの 確認と,資金繰り安定化のための対応策を促すことは極めて重要なテーマであ る。具体的には,日常のオフサイト・モニタリングを通じて日々の資金繰り状 況(預金等による資金調達状況,貸出・有価証券投資など資産サイドとのバラ ンス,短期金融市場における調達金利,調達額,流動性の高い資産の保有状況 等)をチェックするとともに,考査中にも改めて資料の提出を受けて,経営サ イドから中長期的な戦略等を聴取するなど日頃のヒアリングでは把握できない 点をカバーする必要があるのである。 最後に,金融機関の収益力,経営体力の把握も考査等の大きな狙いである。 諸リスクが顕現化し実損を被ると,まずは金融機関の収益が減少し(収益力の 低下) ,最終的には自己資本が毀損(経営体力の低下)するに至る。そのこと は,当該金融機関の健全性が損なわれるだけでなく,参加している決済システ ム全体の安定が脅かされ,決済機能や仲介機能の低下を通じて,地域経済や国 民経済全般に少なからぬ影響を及ぼす。このことは,ごく最近までの不良債権 問題が金融機関のみならずわが国経済の成長,景況回復を長きにわたって阻害 してきた事実を見れば容易に理解されよう。従って考査では,自己資本の充実
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度(自己資本比率のみならず自己資本の構成内容等),収益力の状況(どのよ うな収益源から収益を得ているか等)に関する資料の提供を受けて,その分析 結果と考査先との意見交換等を踏まえて,将来的な経営体力の拡大に向けた指 導が行われる。その際,特に重要なのが,資産の自己査定結果を考査の眼から 再度チェックし,不良債権の引当,償却の正確性を検証することにより,当該 (22)
金融機関の真の経営体力を把握することである。 なお,実際の考査,オフサイト・モニタリングでは上記のいくつかの狙いの ほかに,金融機関が直面するその時々の経営課題の実態把握を目指した適宜の 調査も行われる。特に,金融不安が高まった 98 年以降の数年間には特別のテ ーマに絞った考査(「特別考査」 , 「重点考査」あるいは考査の的を絞ったとの 意味から「ターゲット考査」等と称されることが多い)の実施が目立った。毎 年度の日本銀行「考査の実施方針等について」によれば,表 4 に列挙した特殊 な考査がこれまで実施されている。これを見ると,コンピューター 2000 年問 題や決済リスクといった技術的な観点からの実態把握が求められるテーマにつ いては,ターゲット考査を通じた特殊な考査が実施されてきたことが分かる。 それ以前は,一定の周期で行われる一般的な考査の中でその時々の調査テーマ を加えることで実態把握が行われたが,テーマによっては機を逸することもあ ったことからすると,臨機応変に実施できるターゲット考査等は日銀にとって は際極めて使い勝手が良い考査であろう。なお,15 年度以降の最近 3 年間は 特別な考査は行われておらず,この点からも最近における金融機関の経営環境 の安定化が窺える。
5. 考査業務の流れ 日銀考査の業務は具体的にどのような流れ,段取りで行われているのであろ (22)2004 年までの一連の金融庁検査,日銀考査を通じて不良債権の認定等について改善指導を 受けた UFJ グループでは巨額の引当金の積み増しを余儀なくされ,その結果赤字決算ととも に自己資本比率が 8%を大きく下回ることとなり,それを契機に 2005 年 11 月以降,三菱東 京フィナンシャルグループとの提携・合併に踏み切ったことはまだ記憶に新しい。
[補論Ⅰ] 日銀考査の実態 163
表4 日銀が実施した特殊考査 実施年度 1998 年度
1999 年度
2000 年度
2001 年度
2002 年度
特殊考査のタイトル 内 容 ①コンピューター西暦 2000 年問題 2000 年問題への対応の進捗,早期完了 ターゲット を促進。 アジア金融・資本市場の大変動を受け, ②邦銀タイ拠点重点 邦銀タイ拠点での与信管理をチェック。 ①コンピューター西暦 2000 年問題 2000 年問題への対応の進捗,早期完了 ターゲット を促進。 流動性管理をはじめリスク管理全般のチ ②邦銀上海拠点重点 ェック。 経営体力の悪化を事前に防止する予防的 ①リスク管理重視 観点にウェイト。 日銀当預・国債決済の RTGS 化への準 ②決済リスク管理ターゲット 備状況を把握。 情報セキュリティに関わるリスク管理状 ③情報セキュリティ管理ターゲット 況を把握。 経営状況に特段の問題がなく考査周期が ①期間短縮 長期化している信用金庫の考査日数を短 縮。 システムの安全性や安定性の確認に焦 ②システム安全・安定性確認 点。 ①期間短縮 前年度に同じ。 システム統合のプロジェクト管理体制等 ②システム統合 の検証。 通常考査の補完のため,持株会社に立入 ③持株会社への立入調査 調査。
注:特殊考査のタイトルは「考査の実施方針等について」による。 資料出所:毎年度の日本銀行「考査の実施方針等について」より作成。
うか。考査は日銀法第 15 条に基づき,毎年度初に政策委員会で議決される (23)
「考査の実施方針等について」に則って実施されている。具体的な考査先の選 定等は考査実施部署に任されているようであるが,ひとつの金融機関等に対す る考査の周期(頻度)はオフサイト・モニタリング等を通じて得られた当該金 融機関等の経営状況に関する情報を考慮して弾力的に決定されており,概ね大 手金融機関で 2 ∼ 3 年,地銀・地銀Ⅱで 3 ∼ 5 年,信金で 4 ∼ 6 年にそれぞれ (24)
1回といった頻度で実施されているようである。また,ひとつの考査が行われ (23)第 15 条(第 2 項第 5 号)は「毎事業年度の考査の実施に関する重要事項」との表現である が,実際には毎年度直前に「平成○年度の考査の実施方針等について」が政策委員会で議決 され,公表されている。 (24)不良債権問題の処理が緊急の課題とされてきた最近数年間では,大手金融機関,問題金融機
164
る期間は,大手金融機関では 3 ∼ 4 週間,それ以外では 2 ∼ 3 週間程度が標準 的な長さであるようである。 こうした点を踏まえると,考査業務の流れは一般的に次の①∼⑧のようなも のとなろう。この「考査業務の流れ」は考査の実施時期や焦点となるテーマ等 によって微妙に異なることは否定できないが,大きな変わりはないと判断して 差し支えないであろう。日銀考査の内容を検討した数少ない文献のひとつであ る 堀 江[2001b]も お お む ね 同 様 の 事 務 フ ロ ー を イ メ ー ジ し て い る(堀 江 [2001b]p.68「図 3-1 考査事務の流れ」を参照)。
[考査の実施前] ①考査先の選定,事前(原則として 1 か月以上前)の書面による考査の申し 入れ〈日銀〉 (25)
②金融機関の了承,経営に関する各種資料の提出〈金融機関〉 ③提出資料にオフサイト・モニタリングで把握した情報を加え,金融機関の 経営実態の概要を把握,考査中の調査の具体的な着眼点を明確化〈日銀〉
[考査期間中]──前に触れた「考査で把握しようとする 5 つのポイント」に 沿って調査 ④役員・部長等面談(考査役が中心)──トップを含めた役員・部長クラス との個別面談により経営方針・戦略など経営の現状に関する認 識を聴取し,経営方針・戦略の評価,内部監査の実効性等を評 価するとともに,経営面での課題を探る(トップの意向や経営 計画の考え方の徹底度合い,役員間の問題点等が浮き彫りにさ れる)。 ⑤資産査定による経営体力の把握──予め定められた基準に沿って資産毎に 関等では,周期を短縮し,頻繁に考査を実施した先も見受けられた。 (25)金融機関等は申し入れを拒むことはできるが,「考査に関する契約書」(第 13 条)により, 正当な理由がなく拒んだ場合には,日銀はその事実を公表することができる。このため格別 の事情がないにもかかわらず金融機関等が拒否することは容易ではない。
[補論Ⅰ] 日銀考査の実態 165
金融機関が作成した調査票(ラインシート)をもとに,金融機 関側担当者と考査員が協議し資産の健全度合いを決定してい (26)
く。大手金融機関では対象資産の金額・件数も膨大なものに達 し,考査員も総出で当たるなど考査の中で最も負担が大きい作 (27)
業となる。この資産査定作業において貸出案件の稟議書の閲 覧,融資構造の調査等も行われ,これを通じて役員・部店長の リスクの認識度,融資方針・実行手続きの適切性など,信用リ スクの管理全般にわたる問題点が探られる。 ⑥個々の業務運営に伴う諸リスクの管理の実情把握(資産査定作業の終了 後)──マーケット・リスク,流動性リスク,オペ・リスク等 の管理状態が把握される。この一連のリスク管理状況の把握と その評価は原則として,1987 年に日銀が公表した「リスク管 (28)
理チェックリスト」に沿って行われている。
[考査終了後] ⑦考査役は金融機関に「所見」(書面)を手交(考査終了の 2 ∼ 3 週間後) ──考査により判明した経営実態面,リスク管理面での問題点 を指摘し,対応策の必要性を金融機関と認識を共有し,所要の (29)
改善施策を要請する。 (26)かつては日銀独自の査定要領を用いて資産査定していたが,1998 年度以降は早期是正措置 の導入により金融機関等が「金融検査マニュアル」に基づき自己査定を行い始めたことから, 日銀でもそれ以降は同マニュアルに沿って査定作業を行っている。 (27)資産の健全度合いについて双方の意見が直ちに一致するケースは稀である。金額が大きい案 件で自己査定よりも不良化していると認定されるとより多くの引当金積み増しが必要となり, 当該期の決算にも大きな影響を及ぼしかねないことから,金融機関側は抵抗し,最終的に意 見が折り合うまでに相当な時間を要する場合もある。 (28)87 年に公表された「リスク管理チェックリスト」は,その後のリスク管理技術の進展や金 融機関におけるリスク管理の進捗状況等を踏まえて,98 年 6 月に改訂,増補されて現在に至 っている。 (29)この要請には法的強制力はないが,かなり強い姿勢で要請しており,考査結果に基づく改善 状況報告や事後フォローアップへの対応を要請されると金融機関側では強い拘束感を負うと 言われている。
166
⑧フォローアップ──考査の結果によっては,個別リスクの管理施策の改善 状況について,オフサイト・モニタリングを通じたフォローア ップが実施される。
6. 金融機関の自己査定と考査 考査の一連の事務の中で,日銀側も金融機関側も最もエネルギーを投入して 行う作業が資産査定である。かつては,考査の都度に日銀が指定した基準と書 式に沿って金融機関が作成した資料を使って行われ,その結果も金融機関・日 銀の双方だけが共有するものであった。しかし,98 年 4 月以降は早期是正措 置制定に基づき各金融機関は資産の自己査定を義務づけられ,その後の日銀考 査および行政検査での資産査定は,金融機関が行う自己査定のプロセスとその 結果の適切性をチェックする形に改められた。 80 年代以降の金融の自由化等の進展を背景に, 「護送船団方式」と称された それまでの事前裁量的な金融行政についても転換が求められるようになり,さ らに,90 年代に入ってからの不良債権問題を背景とする金融機関の破綻の増 大等に伴い,金融行政の改革を求める声は次第が高まってきた。そうした中, 政府は従来の裁量的行政から客観的なルールに基づく透明性の高い行政への転 換を図るべく,新しい時代環境の下で金融機関経営の安定性を確保するための 監督上の手法・枠組みとして,バーゼルⅠに準拠した自己資本比率をベースに して,同比率の水準に応じてあらかじめ明示した行政措置を発動するという早 期是正措置を導入するに至ったのである。早期是正措置は銀行法等に基づく行 政命令として,大手金融機関では 98 年 4 月から(その他の金融機関では 99 年 (30)
4 月から)実施された。具体的には表 5 に示したルールに沿って,自己資本比 率の実状に応じた是正措置命令が発出されることとなったのである。 早期是正措置ではまず,その前提作業として金融機関が資産の自己査定を行 (30)早 期 是 正 措 置 は,米 国 の FRBs お よ び FDIC が 採 用 し て い る PCA(Prompt Corrective Action)に倣って策定されたものである。
[補論Ⅰ] 日銀考査の実態 167
表5 早期是正措置の概要 区 分 非対象 1
2
2の2 3
自己資本比率 国際統一基準 国内基準 8%以上 4%以上 4%以上 2%以上 8%未満 4%未満 0%以上 4%未満
0%以上 2%未満
0%以上 2%未満 0%未満
0%以上 1%未満 0%未満
是正措置の内容
経営改善計画の提出およびその実施。 自己資本充実に資する以下のような措置。 ・増資 ・配当,役員賞与の禁止,抑制 ・総資産の圧縮,増加の抑制 ・一部営業店等の業務の縮小,ほか。 自己資本の充実,大幅な業務の縮小,合併, 銀行業の廃止等を選択した上で,その実施。 業務の一部または全部の停止命令。
資料出所:金融庁ホームページ等から作成。
(31)
う。これは毎年度 2 回ないし 1 回,金融機関自らが保有する資産(貸出金,有 価証券,外国為替,支払承諾見返、 等)を金融機関自身が検討・分析し,それ を保有することの危険性や回収の非確実性(最終的には損失発生の可能性)の 程度に従って区分・分類を行うものであり,保有資産の健全性に応じて引当金 の計上や償却の実施が適正に行われることを目指した作業として位置づけられ る。自己査定は大蔵省[1997](いわゆる「自己査定ガイドライン」)や金融監 督庁[1999] (いわゆる「金融検査マニュアル」)で示されたガイドラインを踏 まえて自行庫で制定した「自己査定基準」と「償却・引当基準」に沿って実施 され,まず金融機関は,債務者の財務状況に応じて当該債務者の債務者区分を 決定する。すべての債務者は表 6 に沿って,その財務状況に応じた債務者区分 に区分される。 次に,このように決定された債務者の区分に従って,表 7「債権の分類およ び所要引当金額の算出」に沿って,担保の種類・金額等に応じた担保調整を行 ったうえで,債権を非分類,Ⅱ分類(日銀考査では S 査定と呼ぶ),Ⅲ分類 (31)銀行等では中間期末(6 月末に仮基準で行った後で 9 月末に行う)と年度末(12 月末に仮基 準で行った後で 3 月末に行う)の 2 回,信金等では年度末の 1 回,それぞれ自己査定作業が 行われる。
168
表6 債務者区分とその状況 債務者区分 債務者の状況 正常先 業況が良好であり,財務内容にも格段の問題がないと認められる債務者。 以下のような問題があり,今後の管理に注意を要する債務者。 ①金利減免・棚上げなど貸出条件に問題がある債務者。 要注意先 ②元本,利息の返済が事実上延滞など履行状況に問題がある債務者。 ③赤字決算など業況低調・不安定な債務者。 当該債務者への債権の一部ないし全部が要管理債権(3か月以上延滞債 要管理先 権,貸出条件緩和債権)である債務者。 現状,経営破綻の状況にはないが,経営難の状態にあり,経営改善計画等 の進捗状況が芳しくなく,今後経営破綻に陥る可能性が大きいと認められ る債務者。 破綻懸念先 ──具体的には,事業を継続しているが,実質的に債務超過の状態にあり 貸出金の返済が延滞している等,元本・利息の最終的な回収に重大な 懸念があり,今後経営破綻に陥る可能性が大きいと認められる債務 者。 法的な経営破綻の事実は発生していないものの,深刻な経営難の状態にあ 実質破綻先 り,再建の見通しがない等,実質的に経営破綻に陥っている債務者(大幅 な実質債務超過先,長期延滞先) 。 会社整理,会社更生,民事再生,手形交換所取引停止処分等の事由により 破綻先 経営破綻の事実が発生している債務者。 資料出所:大蔵省[1997],金融監督庁[1999]等から作成。
(32)
(同 D 査定) ,Ⅳ分類(同 L 査定)の 4 つに分類し,それぞれの分類について予 (33)
め定められたウェイト(引当率)をかけて所要引当金額が算出される。 以上のような過程を経て行われる各金融機関による資産の自己査定と,その 結果としての会計処理である償却・引当については,その的確性が大きな問題 となる。まず各金融機関の外部監査法人による監査によって毎会計年度検証さ れるが,さらにその上で,金融機関が行政検査ないし日銀考査を受ける際に は,その直近時点での自己査定結果についてチェックされることとなってお り,前述のとおり,そのチェック作業が「資産査定」と言われ日銀考査におい ても大きなウエイトを占めている。 (32)日銀の呼称である S は Slow,D は Doubtful,L は Loss の意味であり,事実上行政庁で使用 するⅡ,Ⅲ,Ⅳ分類と同意である。 (33)引当率は各金融機関を取り巻く環境や不良債権の状況,特に過去の同分類債権の未回収率等 によって異なるが,2003 年度末時点での大手金融機関の引当率の実績をみると,破綻懸念先 (分類)で 60 ∼ 70%台,要管理先債権(担保でカバーされない部分)で 20 ∼ 30%台,その 他要注意先債権で 3 ∼ 4%台と概ね一定レベルに収束していた。
[補論Ⅰ] 日銀考査の実態 169
表7 債権の分類および所要引当金額の算出 債務者分類 対象債権 左記債権の分類 正常先 全 額 非分類 ・優良担保,優良保証による保全部分 非分類 ・正常運転資金に見合う部分 要注意先 Ⅱ分類(S査定) ・上記以外の部分 要管理先債権とそれ以外の要注意先 債権では引当率が異なる ・優良担保,優良保証による保全部分 非分類 ・一 般 担 保(不 動 産 等) ,一 般 保 証 (優良保証以外で十分な保証能力が ある一般事業法人の保証等)による Ⅱ分類(S査定) 保全部分 破綻懸念先 ・経営破綻時に清算配当が見込まれる 部分 Ⅲ分類(D査定) ・上記以外の部分 予想損失相当額(全額の約7割)の 引当を要する(引当部分は非分類) ・優良担保,優良保証による保全部分 非分類 ・一般担保,一般保証による保全部分 ・経営破綻時に清算配当が見込まれる Ⅱ分類(S査定) 部分 Ⅲ分類(D査定) 実質破綻先 ・担保評価額と処分可能見込み額との 担保評価額の精度が高い場合には, 破綻先 差額 Ⅲ分類は発生しない。 Ⅳ分類(L査定) Ⅲ分類には全額引当を要する(引当 ・上記以外の部分 部分は非分類) 。 Ⅳ分類は償却を要する。 注:いずれの先についても,優良担保,優良保証は,以下のものに限る。 優良担保:預金,国債,地方債,政府保証債,上場株式・社債等。 優良保証:信用保証協会・上場有配会社等の保証,公的保険等。 資料出所:金融監督庁[1999]等から作成。
検査・考査も的確であると認めた最終的な査定結果が出て,それを当該金融 機関の償却・引当基準に照らしてみて追加するべき償却・引当額が発生すれ ば,その所要額を算出する。さらに,そうした追加的な引当・償却結果を踏ま えて,改めて自己資本比率を算出することにより真正の経営体力を把握するこ ととなる。考査結果を踏まえた金融機関の真の資産内容,経営体力について は,金融機関に手交される「所見」の中で具体的な計数が当該金融機関に伝達 される。その際,考査結果を踏まえた償却・引当を実施するとごく最近行った
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決算の内容が変わって来る場合には,株主総会(信金では総代会)の前であれ ば直近決算に反映させるべきであること,総会終了後であれば次の(中間)決 算に反映させるべきであることが指摘される。 このように,あくまでも自己査定は早期是正措置という行政処分発動の根底 を成すものであるが,言うまでもなく日銀考査はそうした行政処分の発動と直 接的な関係はない。しかしながら,①金融機関の資産内容とその結果としての 経営体力の正確な把握,②当該金融機関による信用リスク管理面での問題点の 把握および是正指導,という日銀考査の 2 つの目的を達成するためには,早期 是正措置が実施されるようになった以上,日銀考査の際の「資産査定」の内容 が,考査先金融機関の自己査定基準に沿ってその金融機関の自己査定作業結果 (34)
の検証を行うものに止まるとしても,金融機関の事務負担の軽減,効率的な考 査の実施といったさまざまな観点を勘案すると,止むを得ない措置であると言 (35)
えよう。ただ,そのことによって,金融機関の資産内容,その健全性の把握に 当たっては,中央銀行の視点での独自のチェック,指導を行う余地は限りなく 少なくなっていることは事実であり,このことがわが国のプルーデンス政策全 体の中での日銀考査の位置づけを従前比一段と微妙なものにしていることは, 本論で述べた通りである。
(34)ただし日銀考査では,考査先金融機関が自己査定の対象にしているか否かには関係なく,原 則として対象は総資産としている。 (35)金融機関自身の自己査定基準に沿うと,金融機関間で基準に多少のばらつきが生じ得るが, 自己査定制度の趣旨に照らして合理的な範囲内である限り許容されている。また,考査でも 行政検査の「金融検査マニュアル」等をほぼそのまま使うこととなり,行政サイドからは日 銀法第 44 条に規定されているように考査結果の提出を要請し,そのまま行政サイドの検討に 供することができる利便性が生じることとなる。
[補論Ⅱ] 変遷史にみる日銀考査の位置づけの形成 171
[補論Ⅱ] 変遷史にみる日銀考査の位置づけの形成
(1)
本論で敷衍したような,日銀考査がもつ行政検査を補完するものという位置 づけはどのように形成されてきたのであろうか。[補論Ⅱ]では,その点を日 銀考査の変遷を辿ることにより探ることとしたい。結論から言えば,考査の歴 史は,日銀が中央銀行の立場から個別金融機関の経営情報を直接入手できるパ イプを確保しておくことが重要であるとの認識を一貫してもち,そのために行 政による金融機関検査との一体化を避け,極力彼我の差別化を図ろうとしてき た軌跡である。さらに敢えて言えば,行政検査との差別化が図れず両者の一体 化を余儀なくされるような事態を避けるためには,考査の法的根拠や権限化を 求めるといったことには拘泥しないとの姿勢をとり続けてきたのである。しか し,日銀のこうした意識にもかかわらず,固有の業務として考査が明定されて いなかった旧日銀法下では,行政検査の範囲から大きく逸脱することは許され ず,昭和金融恐慌,戦時下の金融統制,平成金融危機といった金融界の大きな うねりに日銀が巻き込まれる度に,考査は行政検査と平仄を合わせることを余 儀なくさせられたのである。同時に,行政検査と協同してその一翼を担わされ ること等を通じて,その限りでは金融機関に対して実質的な強制力を伴う存在 となり,その結果,行政検査との実質的な差別化を図ることが一段と困難とな るという皮肉な結果が生じてきたのである。 日銀考査の実態がある程度詳らかにされるようになったのは,[補論Ⅰ]で (1)日 銀 考 査 の 変 遷 史 に つ い て は 熊 倉[2007a]が 詳 し い 説 明 を 行 っ て い る。本 補 論 は 熊 倉 [2007a]をベースに,これを書き改めたものである。
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表1 日本銀行考査の変遷 年 月
事 項 ・金融制度調査会「金融機関検査充実ニ関スル調査報告書」提 出。 大 15(1926)年 11 月 ──日本銀行ヲシテ取引銀行ニ対シソノ契約ニ依リ調査ヲ為 サシムルコト ・ 「考査部」を新設(初代主事は鳥居正蔵,2代目は新木栄吉 〈後の日銀総裁〉 ) ──総取引先 222 行のうち 197 行から考査約定書を徴求(外 昭3(1928)年5月 銀6行,特殊銀行3行,休業中または合併予定 16 行を除 く) 。 昭3(1928)年 11 月 ・初の考査を三井銀行に対して実施。 ・全取引先への考査一巡。 昭 10(1935)年春 ・この間,取引先銀行から毎期業務報告書等の写を徴求し,書 までに 面による考査も行う。 昭 17(1942)年5月 ・「日本銀行法」の施行に伴い組織改組。 「考査局」に改称。 ・戦時中は一時「統制局」と改称し,全国金融統制会の事務を 担当。 第二次大戦中 ・実地考査の回数は減少し「阪南銀行」への考査(昭 18 年5 月)を最後に実施停止。 昭 20(1945)年 10 月 ・終戦に伴い「統制局」から「考査局」へ再び改称。 ・実地考査再開(当初は「金融機関資金融通準則」に則った監 昭 21(1946)年4月 査が中心)。本来の考査は 23 年8月以降から。 ・臨時金利調整法に基づき初の金利調整委員会開催(考査局が 昭 22(1947)年 12 月 事務局),金融機関の金利の最高限度を決定。 昭 26(1951)年 ・不要不急融資を抑えるための融資自主規制状況を調査。 11 ∼ 12 月 ・考査局の大幅な機構改革を実施。考査は考査役を長として行 昭 31(1956)年6月 うなど現行考査体制の原型がほぼ確立。 昭 35(1960)年以降 ・主要企業の設備投資計画調査。 昭 36(1961)年 12 月 ・輸出関係融資特別調査。 昭 38(1963)年 ・歩積み両建て調査。 3月以降 昭 42(1967)年 ・大手銀行特別調査。 6∼7月 昭 49(1974)年4月 ・選別融資等の金融実態調査。 昭 50(1975)年 ・日銀支店(取引主要店)による信用金庫考査開始。 4月以降 ・米 系3行(BOA,Citibank,Chase Manhattan)か ら 外 銀 在 昭 52(1977)年4月 日支店への考査開始。 昭 53(1978)年2月 ・邦銀の海外支店考査を開始。 ・取引先証券会社への考査開始(証券会社との日銀当座預金取 昭 54(1979)年7月 引開始は昭和 46 年) 。
[補論Ⅱ] 変遷史にみる日銀考査の位置づけの形成 173
・金融機関データベースの大蔵省・日銀共同機械化完成(第一 期) ・リスク管理重視考査を標榜し,リスク管理のためのチェック 昭 62(1987)年 12 月 リストを取引先全金融機関に配布。 ・自己資本比率規制の国際統一化に向けた合意(バーゼルⅠ) 昭 62(1987)年7月 成立,公表(実施は 93〈平5〉年3月末から)。 ・世界銀行監督者会議東京大会開催(大蔵省銀行局・日銀考査 昭 63(1988)年 10 月 局の共催) ・日銀組織の改組, 「信用機構局」 (後に「信用機構室」)を新設。 平2(1990)年5月 ──「信用制度ノ保持育成ノ為ニ必要ナル施策ニ関スル基本 事項」を所管。 ・現行「日本銀行法」制定,考査業務について法制化(第 44 条) 。 平 10(1998)年4月 ──金融調節,取引先金融機関の資金繰り指導を担当する旧 「営業局」を廃止。新設の「金融市場局」(金融調節)と 「考査局」 (オフサイト・モニタリング)が業務を継承。 ・金融機関の不良債権問題の終息等を受けて信用機構室と考査 平 17(2005)年7月 局を合併し,金融機構局を新設。 昭 61(1986)年 12 月
資料出所:日本銀行調査局編[1956],日本銀行考査局[1967],日本銀行百年史編纂委員会編[1983], 日本銀行考査局[1988]等から作成。
触れたように 1998 年の改正日銀法施行以降である。それまでは,日本銀行調 査局編[1956]や日本銀行百年史編纂委員会[1983]等ごく一部の資料が昭和 金融恐慌時における考査開始を巡る経緯を記しているだけに止まり,その後の 考査の変遷についても基本的にほとんど知られていない。ここでは,日本銀行 考査局[1967] ,同[1988]といった金融界の一部に配布されるに止まった考 査変遷史関連資料を用いてその軌跡を辿ることにより,90 年代に至るまでの 日銀考査の位置づけの形成史を浮き彫りにする(日銀考査の大まかな軌跡につ いては表 1 を参照)。
1. 日銀による金融機関考査開始の経緯 日銀考査の発足を巡る動きは第一次世界大戦が終結してから 2 年が経過した 1920(大正 9)に遡る。同年 3 月,わが国経済は大戦景気の反動恐慌に見舞わ
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れ,経営破綻に陥った銀行が続出し,そのため同年秋口頃から銀行検査制度の 改善に関する議論が急速に高まった。すなわち,当時の銀行検査は千数百に及 ぶ多くの銀行を大蔵省だけが検査を行い,しかも態勢は手薄(検査員数は僅か 数名,ひとつの銀行に対する検査は 4 ∼ 5 年に一度という頻度)で,大蔵省検 査が平素十分に行われ経営内容の不良な銀行に対して適切な改善指導・勧告が 行われていれば銀行の経営破綻はある程度避けることができたであろう,との (3)
批判が強まった。これを受けて日銀でも,井上準之助総裁の発意により 1920 (4)
(大正 9)年 11 月には銀行検査制度の改善に関する内部研究会が発足したが, 具体化を見ぬままに 1923(大正 12)年 9 月の関東大震災に遭遇した。 震災により東京,横浜所在の銀行の大半は大きな被害を蒙り,預金者の銀行 経営に対する不信感も募り,預金の取り付け事件が各地で頻発する情勢となっ たため,大蔵省では銀行経営の改善策について研究を進める一方,日銀に対し て取引先銀行等に対する検査開始の可否について質した。これに対して日銀で は,「日本銀行ハ銀行整理ノ援助ヲナスヘキモノト期待サレ居ルカ故ニ日本銀 行自ラ検査ヲ行フトキハ,其ノ結果ヲ処置スル付困難ヲ感スルコト甚タ多カル (5)
ヘシ」として,日銀による銀行検査は将来の適当な時期を待って考慮すること が妥当であると判断し,同年 11 月にその旨を大蔵省に答申した。まだこの時 点では, 「銀行整理ノ援助」,すなわち結果的に日銀特融の発動に結び付きかね (6)
ない銀行検査を行わない方が良い,との立場から断っているのである。 しかし,1920(大正 9)年の反動恐慌に続く 1922(大正 11)年の金融恐慌, さらに翌年の関東大震災の発生が重なり,金融界は大きな打撃を被るに至った ため,政府は 1926(大正 15)年 9 月,各界の代表を委員とする金融制度調査 (2)日本銀行百年史編纂委員会編[1983]第 2 巻(p.8)によると, 「1920 年 4 月∼ 7 月中に取付 けを受けた銀行数は 169 行(うち支店銀行 102)に及び,休業を余儀なくされた銀行は 21 行 を数えた」 。 (3)日本銀行百年史編纂委員会編[1983]第 2 巻 p.287 を参照。 (4)同上参照。 (5)日本銀行[1939] (第 2 輯第 1 巻)p.499 を参照。 (6)これは,日銀の内部にも,この時点では,特融を含めたプルーデンス政策に中央銀行が乗り 出すことは金融政策の遂行上不都合であり,好ましくないとの消極的な姿勢をとる向きが存在 していたことを示しているように思われる。
[補論Ⅱ] 変遷史にみる日銀考査の位置づけの形成 175
会(大蔵大臣が会長)を設置し,金融制度全般にわたる整備改善策を同会に諮 問した。これを受けた同調査会では同年 11 月,金融制度改善の一環として, (7)
金融機関の検査の充実に関して以下のような答申を行った。この金融制度調査 会の決議により,日銀は民間金融機関の経営内容に関して行政検査と同レベル のチェックを行うツールを行使することが認められたのである。 ①金融機関検査の充実:政府による検査は,各金融機関について,少なくと も 2 年に 1 回行うこと。 ②日本銀行による検査:日本銀行に金融機関の検査権を賦与することは,日 銀の私的法人としての性格から妥当ではないが,日銀に契約上の権利に基 づく取引銀行の調査を行わせることは適当である。 このうち②について金融制度調査会は以下のように決議している。 項 目 決議文 日本銀行への銀行 (日本銀行ニ銀行検査権ヲ賦与スルハ不可ナリト認ムル) 検査権の賦与 [理由]日本銀行ニ銀行検査権ヲ賦与スルニハ法律ノ制定ニ俟タサ ルヘカラス而シテ日本銀行カ中央銀行トシテ国家的機関タルノ性質 ヲ有スルコトハ論ナキ処ナルモ其ノ組織ニ於テ私的法人タル以上之 ヲシテ他ノ銀行ニ対シ強制的ニ臨検ヲナシ又ハ営業上ノ秘密ヲ開陳 セシムルノ権限ヲ賦与スルハ法制上不穏当ナリトス而シテ金融機関 ノ監督ハ財務行政上重要ナル事項ノ一ニシテ其ノ監督ト検査トハ離 ルヘカラサル関係ニ在ルヲ以テ其ノ監督ヲ完全ニ遂行センカ為ニハ 之カ検査ヲ政府ニ於テ直接ニ遂行スルノ要アリ 日本銀行に取引銀 (日本銀行ヲシテ取引銀行ニ対シ其ノ契約ニ依リ調査ヲナサシムル 行との契約によっ コト) て調査を行わせる [理由]日本銀行ヲシテ契約ニ依リ取引銀行ノ業務又ハ財産ニ関ス ル実況ヲ調査セシメ,常ニ政府ノ検査ト連絡ヲ保タシムルハ検査ノ こと 充実上利便多シト認ム
なお,この金融制度調査会での議論の中で,同会委員である井上準之助(同 委員会の時点では元蔵相・日銀総裁)は大蔵省銀行局長が用意した「日本銀行 ヲシテ契約ニ基キ其ノ取引先ノ検査又ハ調査ヲ励行セシムルノ件」(下線は筆 者による)とされていた同委員会の決議案第三項の当初案に対して「日本銀行 ヲシテ取引銀行ニ対シ其ノ契約ニ依リ調査ヲ為サシムルコト」(下線は同)と 改めるように提案し委員会の了承を得ている。その席上で井上は「政府ノ検査 (7)大正 15 年 11 月 19 日付金融制度調査会決議(日本銀行調査局編[1956]pp.395 ∼ 396)。
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ハ政府ノ検査,日本銀行ノ検査ハ日本銀行ノ検査,別々ト心得」ていると述 べ,さらに藤山雷太委員からの「日本銀行ハ自分ノ取引先ニ対シテハ,日本銀 行自身ノ自衛ノ必要上,日本銀行ガ自己ノ取引ヲ安全ニスル為」に検査を行な (8)
うのか,と質したのに対して「御問ノ通リデアリマス」と答えている。このよ うに,この当時から日銀サイドには,日銀による調査と行政検査とは別の観点 から行われる異質のものであるべきとの考え方を堅持していたことが窺われ る。そうした点を担保できるのであれば,法的な検査権限の賦与にはこだわら (9)
ない,という姿勢が濃厚である。 しかしながら,日銀が契約により「金融機関の業務または財産に関する実際 状況」を「調査」することとされたのは,あくまでも政府による検査を充実す るためにも「利便が多い」と認められたためであり,この時点では行政による 金融機関検査の充実が急がれており,それをカバーするための便法として日銀 による「調査」を認めざるをえなかったという事情を反映した面が多分にある ことは否定できない。邉[2004a] (p.11)が指摘するように,松本銀行局長は 金融制度調査会本会議(1926 年 11 月 19 日)において「是ハ政府ノ検査ト相 俟チマシテ,サウシテ其検査ヲ致シマススル時ハ大蔵省ト能ク協議セラルルコ トト致シマシテ,サウシテ其検査ノ結果モ大蔵省ト能ク連絡ヲ取リマシテ,サ ウシテ或イハ指導スベキモノハ指導スルヤウニ参リタイ」と発言しており,日 銀の意向とは異なり,政府(大蔵省)サイドでは当初から,日銀考査を大蔵省 検査を補完するものとの認識が濃厚であったと考えるべきであろう。考査発足 以来,金融界に危機的な状況が発生する都度,政府は日銀考査に大蔵省検査を 補完するものとして協同作業を求め,これを使ってきたが,それはその発足時 の経緯から宿命づけられていたものであった。
(8)日本銀行調査局編[1956]pp.395 ∼ 396 を参照。 (9)現に,日本銀行調査局編[1956](pp.375 ∼ 397)によれば,日銀に検査権を賦与しない件に 関する質疑の席上では井上はほとんど発言・反論をしていない。
[補論Ⅱ] 変遷史にみる日銀考査の位置づけの形成 177
2. 発足当初の考査 さて,金融制度調査会の決議・答申に加えて,1927(昭和 2)年春には昭和 金融恐慌が勃発し銀行の資産内容調査の必要性が急速に高まったことから,日 (10)
銀は 1928(昭和 3)年 5 月「考査部」を新設し,取引先金融機関から考査に関 (11)
する「約定書」を徴求するなど,銀行考査の体制が整備された。 (12)
1928(昭和 3)年 6 月に制定された「考査部事務取扱要旨竝処務心得」によ ると,調査は「取引先銀行の資産状態および営業状態に関する調査を主眼」 に,「差し当たり書面調査を主として,必要に応じて実地調査を行う」と,現 在と同様に立ち入り調査,オフサイト・モニタリングの両者を使い分けし,さ らに取引先銀行との関係について「調査に当たっては,取引先銀行に過重の負 担を与えることのないように,十分注意を払うこと」と現行日銀法(第 44 条)の規定と同じ点が求められているなど,現在に至る考査の大きな枠組みは 既に発足当初から固まっていたと言えよう。 (13)
実際の考査は,金融恐慌直後という事情に配慮して一流銀行から開始され, 1928(昭和 3)年 11 月 9 日から 12 日までの三井銀行を皮切りに,同年中に三 菱,第一,安田,翌 4 年には住友と当時の 5 大銀行の考査が行われた。その後 はこれ以外の取引銀行を対象に毎月数行のテンポで続けられ,1935(昭和 (14)
10)年春頃までには全取引先の考査が終了した。日本銀行考査局[1967]によ れば,考査対象となる金融機関は,①書面調査においても経営指導が必要と見 (10)日本銀行百年史編纂委員会編[1983]第 3 巻(pp.291 ∼ 292)によると,この時点の取引先 金融機関数は 222 行。うち外銀 6 行,特殊銀行 3 行,休業中または合併予定の先 16 行を除く 197 行から約定書を徴求した。 (11)考査部は総裁直属機関として発足した。発足当初の人員は主事(部長)1 名,調査役 2 名, 書記等 11 名の合計 14 名で構成された。その後も戦前は 20 名前後と少人数で運営されていた ようである。 (12)日本銀行百年史編纂委員会編[1983]第 3 巻 p.291 を参照。 (13)これは,金融恐慌直後という状況下,考査を受けたとの情報が経営不振のルーマーを生じさ せ取り付け騒ぎに発展することを回避するため,問題が比較的少なくそうした事態の可能性 が低い大手行から実施したと言われている。 (14)日本銀行百年史編纂委員会編[1983]第 3 巻 p.292 を参照。
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られる銀行を選別していた,②実地調査でも一流銀行終了後は書面調査で選別 した経営内容不良銀行,整理統合を前提に日銀支店から調査を要請してきた銀 行,などを重点的に選定していた,③合併を進めたい銀行については関係銀行 を同時に調査し,それぞれの銀行で合併に対する考え方を聴取している,など 当時の状況を踏まえ日銀は,かなり積極的にかつ戦略的に自らの政策遂行に向 (15) (16)
けた手段として考査を用いていたことが分かる。 調査の具体的な内容に関する資料は極めて限られているが,日本銀行考査局 [1967] ,同[1988]等はその一端を次のように示している。まず,書面調査 (現在のオフサイト・モニタリングに該当)では,決算期毎に銀行から業務報 告書等の決算書類を徴求し,その内容の分析を行う。この検討結果により「業 績優良」 , 「業績普通」 , 「業績やや不良」,「業績不良」の 4 段階に格付けする が,その際は①預金の準備率,資産の換価性の状況(現在の流動性リスク対 策) ,②貸出金,借入金の状況(現在の信用リスク対策),②貸出金(支払承諾 を含む)の担保状況(同),③所有物の状況,④収益,配当,利益処分の状 況,⑤営業に対する通評,の 6 項目の基準によって判定された。さらに,1930 (昭和 5)年以降の実地調査済み銀行からは大口貸出明細表により大口貸出の 状況も常時把握していた。 一方,実地調査については,前述のようにまず一流銀行を対象とし,その後 は経営内容に問題がある先を重点的に選定した。調査期間は業容に応じて 3 ∼ 5 日程度であり,当初は予告なしの抜き打ちで調査先に出向き,短時間のうち に所要の計表類を作成させ,それに基づき調査を行ったが,1939(昭和 14 年)以降は期日の予告,計表類作成の事前要請を行うようになった。実地の調 査では貸出に関する調査が大きなウエイトを占め,明細表により総貸出の 7 ∼ 8 割の貸出をチェックし,調査終了後は欠損見込貸出比率,未収利息発生・長 (15)日本銀行考査局[1967]p.6 を参照。 (16)伊藤[2003] (p.188)は, 「日銀は,取引先銀行の預金,支払準備率,預貸率,証券保有比 率,動産不動産保有比率,経常収益率,証券評価損益,配当性向などを,一定の基準に従っ て個別に把握・分類し,これに基づいて経営指導を行っていた。 (中略)この基準は日銀内部 のものであり,日銀は,考査の開始とともに,裁量的に健全経営規制を実施した」と指摘し ている。
[補論Ⅱ] 変遷史にみる日銀考査の位置づけの形成 179
期固定化等の不良債権比率を算出して,全体の貸出内容の良否を判断した。考 査を受けた銀行に対する講評は行なわず,最終的には実地調査報告書を日銀の (17)
役員に提出して終了したほか,大蔵省にも同報告書の要項を報告した。
3. 戦時体制下での考査 このような形で開始された考査は,1935(昭和 10)年夏頃までに全取引先 を一巡したが,それ以降は,戦時体制の色彩が強まる中で考査も自ずと変容を 迫られ,戦争遂行のための諸施策に金融界を誘導するための手段として用いら れた。まず,1936(昭和 11)年以降の戦時経済体制への移行に伴い,低金利 政策の推進,国債消化の促進,軍需産業資金の確保等のため,いわゆる一県一 (18)
行主義による地方銀行の合同が進められたが,これに伴い,実地考査と併行す る形で 1939(昭和 14)年 6 月以降,書面により①国債シンジケート銀行の貸 出調査,②地方銀行の余資運用状況の調査,③内容不良銀行の随時調査,④不 要不急融資に関する特別調査(実地調査),といった戦時経済体制の強化促進 (19)
という国策に沿った調査内容が大きな比重を占めるようになる。 こうした一方,戦時体制の進展に伴い,漸次人員の不足,物資の欠乏,交通 事情の悪化等の度合いが強まり,太平洋戦争が勃発した 41 年末以降は実地調 査の回数はとみに減少し,遂に 43 年 5 月には実地調査の停止に追い込まれ た。日本銀行考査局[1967] (p.12)によれば,考査発足後 43 年までの年間実 施先数は表 2 に示すように延べ 312 先に達したが,41 年以降急速に実施先数 が減少しているのが目立つ。 (17)これは,1928 年 11 月 6 日に深井英五日銀副総裁と保倉熊三郎大蔵省銀行局長との間で締結 された日銀考査結果の大蔵省への連絡に関する協定( 「日本銀行取引先銀行調査ノ件」 )に基 づくものである(同協定については邉[2004a]p.11 を参照)。この協定の趣旨はその後も生 き続け,現行日銀法第 44 条第 3 項(考査結果の金融庁への開示)に繋がっている。 (18)伊藤[2003] (p.188)は,時局の進展にともなって「銀行の経営指導,裁量的な健全経営規 制は,政策順位の下位に置かれ,合同政策が『準戦時下における銀行の機能発揮』という新 たな課題を担って最重点に位置づけられることになる」との評価を下している。 (19)これらの調査の具体的な内容については熊倉[2007a]を参照されたい。
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表2 戦前における年間考査実施回数の推移 年 1928(昭和3)年 1929(昭和4)年 1930(昭和5)年 1931(昭和6)年 1932(昭和7)年 1933(昭和8)年 1934(昭和9)年 1935(昭和 10)年 1936(昭和 11)年
考査実施先数 5 32 24 19 18 24 28 27 23
年 1937(昭和 12)年 1938(昭和 13)年 1939(昭和 14)年 1940(昭和 15)年 1941(昭和 16)年 1942(昭和 17)年 1943(昭和 18)年
考査実施先数 14 16 26 35 13 4 4
合計
312
資料出所:日本銀行考査局[1967]p.12 より作成。
この間 1942(昭和 17)年 5 月には,戦争遂行という「国家ノ政策」に即し (20)
た政策運営を目指した旧「日本銀行法」が制定され,これを契機として同年 5 月に行われた日銀の組織改組に伴い考査部は考査局と改称され,同じ 5 月に設 (21)
立された全国金融統制会の事務を担当することとなった(「考査局」はさらに 45 年 4 月には「統制局」と改称)。この結果,通常の考査事務のウエイトは急 速に低下し,43 年 5 月には実地調査が中止され,それ以降は実質的な考査活 動は停止した。このように,戦時体制の下で止むを得なかったと言えようが, 戦時下の日銀考査局は民間金融機関との「私的契約に基づいて行われる調査」 を行うという建前から大きくかけ離れ,非常に強権的な政府・日銀の戦争遂行 に向けた金融統制政策の中心的な存在として機能したことは忘れてはならな い。現在に至っても民間金融界において,依然として日銀考査を擬似権力機構 (22)
として捉える向きがあることの背景には,こうした過去の強権的な側面の記憶 が残っていることも指摘できるであろう。
(20)旧日銀法第 1 条では,「日本銀行ハ国家経済総力ノ適切ナル発揮ヲ図ル為国家ノ政策ニ即シ 通貨ノ調節,金融ノ調整及信用制度ノ保持育成ニ任ズルヲ以テ目的トス」と規定されていた。 (21)全国金融統制会(1942 年 5 月 23 日に発足)は,日銀が中心となって運営された金融機関統 制団体で,金融事業の整備促進を掲げ,太平洋戦争下の「一県一行主義」を中心とした銀行 合同に主要な役割を果たした(日本銀行百年史編纂委員会編[1983]第 4 巻p .424)。 (22)例えば山脇[1998]は,考査には「大蔵省の検査と同様に,『公権力の行使』であるという 本質」があるとの認識を強調している。
[補論Ⅱ] 変遷史にみる日銀考査の位置づけの形成 181
4. 戦後の考査 太平洋戦争が終結し全国金融統制会が解散したことに伴い,統制局は 1945 (昭和 20)年 10 月に再び考査局と改称され,46 年 4 月からは実地調査が再開 された(本格的な再開は 1948<昭和 23>年 8 月以降)。当初は,「調査先金融 機関の資産状態並びに営業状態の調査を主眼」とし,差し当たり銀行,金庫, 信託会社を対象として年 1 回程度の頻度で実施し,その後 49 年末以降は調査 日数の短縮(大銀行 7 日→ 5 日以内,地方銀行 2 ∼ 5 日→ 3 日以内等)により 調査回数の増加を図るとともに,調査の結果不良と査定した貸出については 3 か月毎にその後の動向についての報告を求めることとした(これは,現在でも 行なわれている考査終了後の「フォローアップ」と同様の概念である)。その 後,1954(昭和 29)年 2 月には総裁の代行として責任をもって考査に当る「考 査役」制度が設けられるとともに,調査期間の延長(4 ∼ 7 日間→ 10 日∼ 2 週間) ,調査の重点項目の拡大(資産状況,営業方針のみ→銀行業務全般)な どの調査充実が図られるなど,57 年頃までに基本的には現在のものと同じ内 容の考査制度が確立されていった。 この間,一般的な実地調査と並行して,戦後の復興期には不要不急融資抑制 状況の調査,昭和 30 年代半ばの高度成長期には設備投資計画調査,昭和 40 年 代に入ると大手銀行に対する資金需要・融資動向調査等,といったようにその 時々の経済情勢や金融機関経営の状況を踏まえた特別調査が実施された(こう した特別調査の手法は, 「ターゲット考査」等の「特別考査」に受け継がれて (23)
現在も実施されている)。また,その多くが大蔵省との合同調査,すなわち大 蔵省と同一の問題意識に基づく調査であった点が注目される。 こうした考査内容の充実化を反映して,49 年以降は次第にその実施先数を 増やし,46 年から 66 年度までの 20 年間の総延べ実施先数は 1,018 先,年平均 (23)詳細は不明ながら,「合同の調査」とは言っても,実際に大蔵省の検査官と日銀の考査員が ひとつの調査チームを組成して行うのではなく,同時期に手分けして多くの銀行を対象に実 施したことが多かった。
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表3 戦後の年間考査実施回数の推移 年 1946(昭和 21)年 1947(昭和 22)年 1948(昭和 23)年 1949(昭和 24)年 1950(昭和 25)年 1951(昭和 26)年 1952(昭和 27)年 1953(昭和 28)年 1954(昭和 29)年 1955(昭和 30)年 1956(昭和 31)年 (1∼3月)
考査実施先数 9 8 24 41 52 39 41 42 53 57 15
年 1956(昭和 31)年度 1957(昭和 32)年度 1958(昭和 33)年度 1959(昭和 34)年度 1960(昭和 35)年度 1961(昭和 36)年度 1962(昭和 37)年度 1963(昭和 38)年度 1964(昭和 39)年度 1965(昭和 40)年度 1966(昭和 41)年度 合計
考査実施先数 34 57 51 57 51 52 57 51 64 69 94 1,018
資料出所:日本銀行考査局[1967]p.19 より作成。
48 先の実施レベルに達している(表 3 を参照)。 なお,昭和 20 年代には,中央銀行における金融機関考査のあり方を考える 上で興味深い動きがいくつか見受けられた。第 1 に,1947(昭和 22)年 4 月 大蔵省は,同省の金融機関検査機構の拡充を計画し,それと関連して日銀に対 して法的根拠に基づく検査権限を賦与するとの方針を決定し,日銀に対しても その同意方を求めてきた。これは検査人員払底という止むを得ない状況から, 日銀考査の法制化を図り政府の検査との共同歩調をとることにより銀行検査の 強化を図ろうとしたものである。これに対して日銀は,①法的根拠をもつこと 自体は好ましいが,これにより日銀による検査は完全に国の事務としての検査 になること,ついては②検査の方針,内容も大蔵省検査と同じものになる恐れ があり,その結果,考査を通じて取引先金融機関の経営上の指導に重点を置く との中央銀行としての検査の概念からは相違したものとなること,等の観点か ら消極的な姿勢を示したため,大蔵省による上記法案の国会提出は見送られ (24)
た。 また,1949(昭和 24)年,日銀法が改正され政策委員会が設置されたこと を機に,連合国軍最高司令部(GHQ)から銀行検査の事務を従来の大蔵省・ (24)日本銀行考査局[1967]p.18 を参照。
[補論Ⅱ] 変遷史にみる日銀考査の位置づけの形成 183
日銀の二本建てから日銀一本に一元化したいとの意向が示された。その背景に は,①日銀,大蔵省の金融機関状況把握力の相違,②市中金融機関側の大蔵省 検査に対する反感,③検査員の質の相違,といった面について GHQ の認識が 強まったという事情が指摘できる。しかし,この件については,日銀・大蔵省 間の連絡提携の密接化により二本建てにともなう弊害は除去し得るとの日銀サ (25)
イドの考え方や大蔵省検査部の拡充等もあって,実現を見ずに立ち消えとなっ た。いずれにしても,こうした一連の動きを通して,戦前の金融制度調査会以 降,行政検査との一体化を極力避け続けたいとの考え方を堅持し続ける日銀考 査サイドの姿勢が明確に示されている。
5. 70,80 年代の考査 70 年代に入ると,取引先金融機関数の増大や邦銀の海外拠点進出に伴い新 たに考査の実施を要する業種や対象が登場してきたことに伴い,信用金庫に対 する考査(75 年 4 月以降) ,外国銀行の在日支店に対する考査(77 年 4 月以 (26)
降),邦銀の海外支店・拠点に対する考査(78 年 2 月以降),証券会社に対す る考査(79 年 7 月以降)を開始した。 さらに,80 年代に入ると,わが国の金融機関プルーデンス政策における日 銀考査の位置づけを考えていく上で留意しておくべき大きな動きが見受けられ るようになった。すなわち,ひとつは大蔵省・日銀共同機械化プロジェクトで ある。民間金融機関はそれぞれの業法の規定に基づき,経営内容に関するさま ざまな資料・計数を定められた書式に従って作成し監督行政官庁(かつては大 蔵省,現在は金融庁)に提出する義務がある。日銀ではこうした提出資料の写 (25)この日銀の考え方の背景にも,行政検査との一体化を極力避け,中央銀行の立場からの考査 の実施権を確保したいとの日銀の思惑が引き続き存在したことは言うまでもない。 (26)クロスボーダーで展開する銀行の監督に関するバーゼル・コンコルダットによれば,邦銀の 海外支店に対しては,現地当局とともに,母国監督当局として金融庁,日銀も検査権限を有 するので「検査・考査」を行うことができるが,現地法人格の拠点に対しては直接的な検査 権限がないため,事前に現地当局の事実上の了承を得たうえで「ヒアリング」の形で実地調 査を行っている。
184
しの同時提出を求めることにより官庁と同一内容の情報を同時点で確保してお り,これらの入手情報は日常のオフサイト・モニタリングで利用される上に, 行政検査や日銀考査の際にその時々の状況に応じて分析,使用されている。提 出される個々の金融機関に関する資料・計数は多く,同一業態の全体の計数の 算出にも膨大なエネルギーを要する。こうした資料ベースによる膨大なデータ をコンピューターに入力することにより,その集計・分析と検査・考査に当た っての使い勝手を効率化するべく,大蔵省と日銀の間で金融機関データベース の共同機械化プロジェクトが立ち上がり,1986(昭和 61)年末にその第一期 作業が完成し,90 年には全体のデータベースが完成して実用に供された。さ らに,2004 年 3 月には,日銀と金融機関等をネットワークで結ぶ「日本銀行 (27)
考査オンライン」システムが稼動を開始した。これは,従来書面によって提出 されていた資料の内容をオンライン・システムを通じて提出するもので,より 安全かつ迅速に行うことができるようになり,現在に至っている(こうした一 連のデータベース自体は日銀が開発・運営主体となり,行政検査部署は端末機 を通じて所要のデータを利用するかたちとなっている)。こうした金融機関の データベースの共同利用は,単にデータの取扱いの効率化を実現するだけでな く,行政検査と日銀考査のいずれものベースとなる基本情報の共通化を通じて 両者の質的な統一をもたらすものであり,両者いずれの立場からも相手の存在 が不可欠なものと認識せざるを得なくなる。これにより,日銀考査は行政検査 と同一レベルでの情報入手の確保が保証されると同時に,日銀考査独自の観点 (28)
からの情報入手を著しく困難化し,行政検査との質的な相違を常に強調したい 立場の日銀にとってはむしろデメリットをもたらす面も少なくないことには留 意しておく必要があろう。 第 2 点目は,大蔵省銀行局と日銀考査局の共催により,1988(昭和 63)年 10 月に東京で世界銀行監督者会議が開催されたことである。世界銀行監督者 (27)日本銀行金融研究所編[2004]p.122 を参照。 (28)同時に日銀に無断で行政検査独自の立場からの膨大な計数・情報の入手も困難化することは 言うまでもない。
[補論Ⅱ] 変遷史にみる日銀考査の位置づけの形成 185
会議はバーゼル銀行監督委員会が中心になって毎年世界各地で開催されている 銀行監督当局機関(Bank Supervisors)の総会であり,大蔵省とともに日銀が 共催したことは,わが国における実質的な金融機関監督機関としての立場を強 く印象づける効果を生んだ。 さらに触れておかねばならないのが,自己資本比率規制に関する国際的な統 一化に向けた合意(バーゼルⅠ)が 1987(昭和 62)年に成立したことであ る。同合意はバーゼル銀行監督委員会での長い議論を経て到達したものであ り,その間日銀は大蔵省とともに委員会議論に参加し,わが国金融機関の意向 を把握し会議の議論に反映したり,逆にわが国金融機関に対する説得を試みた りするなど,わが国金融機関監督当局の一員として行動した。 80 年代までのこうした大きな動きを振り返ってみると,日銀は,その真の 意向とは別に,大蔵省と歩調を揃えてわが国の金融監督・規制当局の一員とし て行動せざるを得なかったことが看取される。このように,日銀考査はその発 足時のみならず,戦前・戦後を通してほぼ一貫して行政による検査の補完的な 立場に位置づけられ,行政検査と歩調を合わせることを余儀なくされてきたの である。本論第 5 章で詳述したように,80 年代以降の金融自由化の進展と金 融機関のリスクの高まりを眺めて,日銀では 1987(昭和 62)年にはリスク管 理重視の考査方針と,その基礎になる「リスク管理チェックリスト」を公表す るなど,金融機関にリスク管理重視の経営姿勢を求めていく方針を前面に押し 出した。こうした日銀の新方針は,従前のいわゆる「護送船団方式」に代表さ れる規制下の行政検査や経営指導的色彩が強かった日銀考査のあり方からする と,極めて斬新で画期的な金融機関チェックの視点をもたらすものであった が,金融機関の異常とも言える融資行動を抑制する効果を発揮できずに終わっ てしまったのは,最終的には行政検査との歩調を取らざるを得ない立場にあっ たことが大きく響いたものと考えられる。
[補論Ⅲ] 金融機関の破綻と公的資金の導入 187
[補論Ⅲ] 金融機関の破綻と公的資金の導入
この[補論Ⅲ]では,早期是正措置,日銀法の改正等の動きが日銀考査に及 ぼした影響について考察する本論第 7 章の前提として,90 年代の金融機関の 破綻とそれに伴う公的資金の投入を巡る動向を整理している。90 年代に入り, バブル経済が崩壊した後は巨額の不良債権の累積が進むとともに,金融機関の 破綻が相次いだ。金融機関の破綻処理に関しては,当初は住専問題等の紛議も 生じたが,多くの日銀特融の発動で当座の資金繰りを支えつつ,処理促進のた めの公的資金注入ルートの枠組み諸法制が遅ればせながらも徐々に整備され, つれて金融機関への監督体制の再構築,早期是正措置制定など金融機関のセー フティ・ネットが整えられるなど,90 年代はわが国のプルーデンス政策史を 画する諸施策が実施された時期であったと捉えることができる。
1. 金融機関の破綻 90 年代における金融機関の経営破綻の主要事例は表 1 の通りである。これ らを含め 1991 年以降の 10 年間に総計 176 の金融機関が経営破綻に至る,昭和 恐慌期に比肩される規模の金融危機が生じた。 金融システムへの国民の信頼が動揺し始めたのは,94 年 12 月に東京の 2 信 (1)
用組合(東京協和,安全)の経営破綻表面化が契機となった。バブル期に伸ば (1)2 信組以前にも平和相互銀行(86 年,住友銀行が吸収) ,東洋信金(92 年,大阪府下の他信 金,三和銀行が分割吸収)など金融機関の経営破綻の事例は見受けられるが,いずれも最終的
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表1 90 年代における主な金融機関破綻事例 破綻した年 破綻金融機関 1991 年 (7月) 東邦相互銀行 92 年 (4月) 東洋信金 93 年 94 年 (12 月)東京協和・安全信組 (7月) コスモ信組 95 年 (8月) 兵庫銀行 ( 〃 ) 木津信組 (3月) 太平洋銀行 96 年 (11 月)阪和銀行 (10 月)京都共栄銀行 (11 月)三洋証券〈会社更生法適用 申請〉 97 年 ( 〃 )北海道拓殖銀行 ( 〃 )山一證券〈自主廃業発表〉 ( 〃 )徳陽シティ銀行 (5月) みどり銀行 ( 〃 )福徳銀行・なにわ銀行〈特 定合併〉 98 年 (10 月)日本長期信用銀行〈特別公 的管理〉 (12 月)日本債券信用銀行〈特別公 的管理〉 (4月) 国民銀行〈金融整理管財人 による管理〉 (5月) 幸福銀行〈同上〉 99 年 (6月) 東京相和銀行〈同上〉 (8月) なみはや銀行〈同上〉 (10 月)新潟中央銀行〈同上〉 2000 年 (12 月)関西興銀信組〈同上〉
処理コスト(金銭贈与額・億円) 80(貸付) 200 400(2信組合計) 1,250 4,730 10,044 1,170 806 438
17,732 1,194 7,711 資金買収のみ。金銭贈与なし 32,350(ほかに金融再生勘定から損 失補填 3,549) 31,414(ほかに金融再生勘定から損 失補填 930) 1,837 4,941 7,626 6,526 3,817 509
注:銀行破綻事例と主な信金,信組の破綻事例を掲載。 資料出所:佐藤[2003]p.124 掲載表等より作成。
した不動産関連融資が焦げ付き破綻に至った 2 信組は,金融機関の規模(預金 額合計約 2,400 億円)に比して回収不能額が極めて大きく(合計約 1,100 億 円),国民は資産価格バブルによって生じた金融機関の経営内容の極端な悪さ を痛感させられたのである。さらに翌 95 年には,コスモ信組(7 月) ,木津信 組(8 月)が預金取付けに見舞われ,業務停止命令を受けて経営破綻した。信 には他金融機関への吸収等が行われ,預金取付け等の動揺は生じなかった。
[補論Ⅲ] 金融機関の破綻と公的資金の導入 189 (2)
組の破綻続出を受けて大蔵省は,2 信組処理のために設立した東京共同銀行を 改組して,破綻した信組の受け皿金融機関である整理回収銀行を設立した(11 月)。また,同年 9 月には大和銀行ニューヨーク支店における米国債ディーラ (3)
ーによる不正取引により約 11 億ドルの損失事件が発覚している。 95 年夏以降は,住宅金融専門会社(住専)の不良債権問題が大きくクロー (4)
ズアップされた。都銀等が母体となり設立した住専 7 社はバブル期に住宅開発 等を行なう不動産業者を中心とした事業法人向け融資を拡大,これが裏目に出 てバブル崩壊とともに不良債権化し,深刻な経営不振に陥った。住専が経営破 綻に立ち至るとその資金調達先である母体行など金融機関の経営にも重大な影 響を及ぼすことが懸念された。特に,総量規制逃れから 90 年 3 月以降の住専 の借入金の過半を融資していた農林系統金融機関(母体行責任を主張)と都銀 などの母体行(貸し手責任を主張)が対立し損失負担の協議が難航したが,最 終的には金融システムの安定確保を急いだ政府が 95 年 12 月に 7 社の破綻処理 (5)
費用 6,850 億円の公的資金支出を決定した。しかし,民間企業である住専の破 綻処理に公的資金を投入することに対する国民の不満感が高まり,住専幹部に 大蔵省官僚 OB が多く再就職していたことから天下り官僚 OB と官庁との癒着 と批判され,大蔵省からの金融行政権限の分離,金融監督庁の新設,さらには (2)2 信組は,不良債権額が巨額に上ったことから,日銀と全国の金融機関からの出資を得て新 設された東京共同銀行が両信組から資産・負債を譲り受けるという異例の措置がとられた。こ うした措置は国民の理解を容易に得ることができず,政治問題化した。 (3)同事件では,ディーラーの不正自体もさることながら,事件を知った大和銀行が日本の監督 当局には報告したにもかかわらず,米国当局への連絡を意図的に(米国側の見方では日本の当 局の指示に従い)遅らせた,として同行は米国内からの撤退を余儀なくされた。この事件は, 邦銀とわが国監督当局との不透明な関係に対する疑惑,ひいては不良債権額の開示内容への内 外からの疑問の念をも強め,以後のわが国金融システムの動揺を増幅することとなった。 (4)日本住宅金融(設立母体:さくら等 9 行),住宅ローンサービス(同:第一勧銀等 7 行) ,日 本ハウジングローン(同:興銀,大和証券等 5 行社),第一住宅金融(同:長銀,野村證券) , 住総(同:信託 7 行),地銀生保住宅ローン(同:地銀 64 行,生保 25 社) ,総合住金(同:第 二地銀 65 行)の 7 社で,いずれも最終的に経営破綻し清算されている(この他に同一業態と して協同住宅ローンがあるが,破綻せず現存している)。 (5)銀行,農林系統の損失負担は,①母体銀行は出資金,融資の全額 3 兆 5,000 億円を放棄,②母 体行以外の銀行は融資のうち 1 兆 7,000 億円を放棄,③農林系統は約 5,300 億円を贈与,とい う内訳である。約 5 兆 5,000 億円の融資残高の農林系統の負担が相対的に軽微であったことは 負担の不公平感を残した。
190
日銀法改正という金融監督体制の再編成に至る大きな動きの発火点となった。 また,この時に金融システム安定化を目指した公的資金投入が国民的な批判を 浴びたことから,その後のより大きな銀行の経営不安に対しても暫くの間機動 的な対応をとることが不可能となり,その結果,いくつかの大手金融機関が破 綻に至ってしまったという意味でも,90 年代の金融危機の中でも特筆すべき 事件となったのである。 このように,批判を浴びながらも 95 年末には住専問題が一応決着し,96 年 3 月の預金ペイオフの凍結宣言もあって,金融システム不安は小康を得たが, それは「嵐の前の静けさ」であり,その後 97 年から 98,99 年と大手金融機関 を巻き込む金融危機のピーク期を迎えることとなる。すなわち,96 年には太 (6)
平洋銀行,阪和銀行と中小金融機関や地域金融機関の破綻はむしろ増勢を強め ていき,その勢いは 97 年秋に最初のピークを迎えた。同年 11 月に三洋証券が 会社更生法の適用を申請し,その際にコール市場からの資金取り入れの返済が 履行されず(コール市場におけるデフォルト発生),これを契機に,経営不安 が取り沙汰されていた金融機関,証券会社はコール市場からの資金調達が一斉 に著しく困難化した。この結果,同じ 11 月中に德陽シティ銀行,山一證券, 北海道拓殖銀行という都銀,四大証券のひとつが資金繰りに窮し相次いで破綻 していったのである。こうした大手金融機関の破綻は,一般預金者や投資家の 信用不安心理を大きく増幅することとなった。
2. セーフティ・ネットの意義 金融市場から退出を求められるべき金融機関が出現した場合には,預金者や (6)経営不振が噂されていた阪和銀行(和歌山市所在の第二地銀)は 96 年 11 月に大蔵省から突 如一部業務停止命令を受け,最終的に清算処理された(預金払戻し業務は新設の紀伊預金管理 銀行が継承) 。この結果,地元借り手企業は資金・決済面で多くの困難に直面する事態に陥っ た。このため,問題金融機関の一方的な清算は地域経済を大きく毀損させる可能性があり,地 域金融機関の破綻処理に当たっては受け皿銀行,継承銀行を選定することの重要性を金融当局 が強く認識したという意味で,重要な出来事となった(紀伊預金管理銀行は,2002 年3月末 に預金払戻しを修了し,廃止)。
[補論Ⅲ] 金融機関の破綻と公的資金の導入 191
表2 プルーデンス政策の類型 実施主体 公的当局 民間部門 ・競争制限的規制 ・バランスシート規制 ・市場によるチェック 事前的措置 ・金融機関への検査・考査 ・早期是正措置 ・業界の自主規制 ・公的資金の投入 ・公的当局による救済(破綻処理,他行との統合, 事後的措置 公的資金の投入,等) ・相互援助制度 ・預金保険 ・中央銀行貸出(LLR) 資料出所:池尾[1993]pp.145 ∼ 166 等から作成。
借り手企業等の取引先を保護しつつ当該金融機関を速やかに処理する必要があ り,そのための処理・再生の枠組みとそれに伴う所要資金の投入ルート,すな わちセーフティ・ネットが事前に整備されていなければならない。 すなわち,金融システムが安定的に効率よく機能するためには,市場におけ る競争,市場に備わったチェック機能,さらに公的当局による監督・規制とい った一連のプルーデンス政策(prudential policies)を通じて,金融機関とそ の経営者に対して節度ある経営を促すとともに,システミック・リスク発生を 未然に防止するメカニズムを金融システムの中に予め組み込んでおくことが必 要である。その仕組みは,経営の健全性確保を通じて金融機関の破綻を未然に 防ぐための事前措置と,不幸にして個別の金融機関が破綻に至っても,それが 他行,ひいては金融システム全体に波及し同システムが正常に機能し得なくな るシステミック・リスクの顕現化を防ごうとする事後的措置(いわゆるセーフ ティ・ネット:安全網)から成っている。さらに,理念的には措置の実施主体 (公的当局か民間か)による分類基準も考えられ,これを組み合わせると,プ ルーデンス政策の概念は表 2 のように整理されよう。 それぞれの措置の役割,内容はもとより固定的ではなく,市場構造や金融機 関の経営環境等の変化によって大きく変わり得るし,事前・事後という分類も 便宜的なものである。例えば事後的措置に分類されている預金保険制度にして も,預金者が預金債権の安全性や金融システムの安定性を確保するために十分 なものであると判断できれば,金融機関との取引に対する信頼感は補強され,
192 (7)
事前的措置と同等の効果をもたらす。 金融規制時代における典型的なプルーデンス政策は公的当局による事前の競 (8)
争制限的規制,いわゆる「護送船団方式」であったが,「護送船団方式」は金融 の自由化が進展する中でその存在意義が失われつつある。むしろ事前的な措置 としては自己資本比率規制(バーゼル規制等)に代表されるバランス・シート 規制が中心になり,それを金融監督機関による検査・考査を通じてその適切 性,基準合致性がチェックされるという姿が一般的になろう。その結果,不幸 にして経営上の問題を抱えている,あるいはそのおそれのある金融機関が出現 した場合には早期是正措置による業務改善命令によって経営改善を求めていく こととなるが,容易に改善できない場合には,とりあえず中央銀行の LLR 機 能の発揮(特別融資等)による資金繰り救済を実施して他行への影響派及を防 ぐとともに,公的資金の投入を使った他行との合併,あるいは清算といった破 綻処理過程に進むこととなる。さらに,その過程で預金者への被害が及ぶ可能 性が出てきた場合には,預金保険の発動によって預金者の動揺を抑えることと なる。プルーデンス政策の理念は一般的にこのような流れの中で追求されるこ ととなるのである。
3. 公的資金の注入 しかしわが国では,久しく堅持された「護送船団方式」行政の下での根強い (9)
「銀行不倒神話」が災いして,公的資金投入を前提とした金融危機対応面の努力 は払われてこなかった。そのため,実際に危機的な状況が現出しても,日銀特 (7)Friedman and Schwartz[1963] (pp.434 ∼ 442)は,事後的な措置である預金保険制度の創 設(1934 年)は第二次世界後の米国の金融システムの安定性維持に大きく貢献したと評価し ている。 (8)「護送船団方式」の内容,語源等については飯田[2005b]が詳しい。 (9)実際には,戦後でも金融機関の経営が行き詰る局面は見受けられたが,そのたびに行政当局 が仲介し同業金融機関や健全な他行が吸収合併し,結果的に大きな騒ぎにならないように処理 されてきた(いわゆるクラブ・アプローチによる処理)。90 年代に入り,このクラブ・アプロ ーチが効かない大型の経営破綻が生じて同アプローチは破綻し,本格的に公的資金注入のルー トが模索されることとなったのである。
[補論Ⅲ] 金融機関の破綻と公的資金の導入 193
融で当座の資金繰りを凌ぎつつ,問題金融機関の処理は可能な限り先送りさ れ,結局公的資金の注入を許す法的整備が進展したのは 97,98 年の一連の大 手金融機関破綻が生じた後となってしまった。その結果,最終的な処理コスト (注入を要する公的資金額)も早期に処理していた場合に比較して膨大なもの になってしまったのである。ちなみに Diamond[2001a],同[2001b]は 90 年代後半期の日本での公的資金投入状況に関する分析を踏まえ,金融機関とそ の 借 り 手 と の 関 係 を 分 類 し た 上 で,十 分 な 公 的 資 金 の 投 入(subsidized recapitalization)が 認 め ら れ る の は,成 長 が 期 待 さ れ る 企 業(a viable borrower)と密接な関係を有する主取引銀行(a relationship lender)の財務 状況が悪化し取引先企業にも悪影響を及ぼす場合にのみ限定されるべきである と主張している。 わが国の最初の破綻処理の枠組みは,96 年 6 月成立の金融 3 法(金融機関 等の経営の健全性確保のための関係法律整備法,預金保険法改正法など)を嚆 矢とするが,97 年秋の金融危機を経て金融システム不安が急速に高まる中で, 住専処理問題を契機に凍結されていた公的資金の本格的な投入による金融シス テム正常化を求める声が高まった。これを受けて,翌 98 年 2 月には金融シス テム安定化法(金融機能安定化緊急措置法)の制定,預金保険法の改正が行な われ,預金者保護,金融システム安定化を目的とした金融機関への公的資金投 入(2001 年 4 月までの 3 年間の時限措置として総額 30 兆円<公的資金注入資 金 13 兆円,破綻処理資金 17 兆円>を用意)を実施する法的基盤が初めて整備 された。そして実際に,98 年 3 月には総額 1 兆 8,156 億円の公的資金が優良銀 (10)
行に投入されたのである。 金融システム安定化法によりとりあえず公的資金投入の枠組みは構築された が,政府では,山一證券や拓銀等の大手金融機関が破綻するという事態に至 (10)金融システム安定化法の本来の趣旨は経営不安に陥った金融機関への公的資金投入にあった が,特定の金融機関だけに投入すると,そのことがかえって当該金融機関の経営不安を増幅 するとして,優良都銀等に横並びで投入された(その中には 98 年秋に破綻する日長銀,日債 銀も含まれていた) 。なお,同法は早期健全化法の施行に伴い廃止され,実際に同法が適用さ れたのはこの 98 年 3 月の投入だけであった。
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表3 金融機関破綻処理関係2法の概要 金融機能再生緊急 (対象)債務超過に陥り,流動性不足から預金支払いを停止する (あるいはそのおそれがある)事態に至り金融再生委員会に 措置法 よる破綻と認定された金融機関 〈金融再生法〉 (注入枠 18 兆円) (措置)①金融整理管財人による管理,②特別公的管理(一時国有 化)のいずれかの方法で不良債権を切り離して健全金融機 関に再生し,管理開始1年以内に他の健全金融機関に営業 譲渡,ないし合併させることを目指す ─金融整理管財人による管理は比較的小規模な金融機関を対象(預 金保険機構が出資したブリッジバンクに移行し営業譲渡機会を探 す措置も存在) ─特別公的管理は,大手銀行が対象(98 年 10 月,12 月にそれぞれ 破綻した日長銀,日債銀の処理に適用) ─受け皿銀行が見つからない場合には破綻金融機関は清算され,不 良債権は整理回収機構が損失リスクを織り込んだディスカウント 価格で購入 金融機能早期健全 (対象)健全な金融機関 (措置)公的資金を注入し,自己資本力の強化を目指す。金融機関 化緊急措置法 からの申請を受けた金融再生委員会の判断によって預金保 〈早期健全化法〉 険機構から総額 25 兆円までの資金(優先株,劣後債の引受 (注入枠 25 兆円) け等)が投入される (11) ─ 99 年3月に厳しいリストラ実施を条件として大手銀行に総額 7 兆 5 千億円が,2000 年 3 月に地方銀行 6 行に総額 5,750 億円が,そ れぞれ投入された 資料出所:それぞれの法律より作成。
り,さらには経営不安が囃されていた日長銀,日債銀等の動向も眺めて,大手 金融機関が破綻した場合の処理の枠組みの拡充,一段と思い切った公的資金投 入による健全銀行の経営立直しを目指す必要性等を痛感するに至った。この結 果,98 年 10 月に金融機関の破綻処理(金融再生法<金融機能再生緊急措置 法>)と破綻予防の枠組み(早期健全化法<金融機能早期健全化緊急措置 (11)早期健全化法による公的資金投入対象銀行は,リスク資産を分母に用いて算出された自己資 本比率によって「健全銀行」 (8%以上), 「過少資本銀行」 (8%未満), 「著しい過少資本銀行」 (4%未満), 「特に著しい過少資本銀行」(2%未満)に分類され,それぞれのカテゴリーに応 じて厳しいリストラ(経営健全化計画)の実施を求められた(リスク資産の概念については Basel Committee on Banking Supervision[1988]を参照) 。これを受けて大手銀行各行では 鋭意リストラを進めたが,これは各行の経営自主性を著しく縛るものであった。このため各 行では,2005 年度以降の不良債権処理の進展や景気回復などを背景とした収益好転もあっ て,経営上の自主性を回復しようとして,金融システム安定化法および早期健全化法により 注入された公的資金を返済する動きが目立ってきている(2006 年 10 月に三井住友銀行が返 済し終わり,3 大金融グループは公的資金を完済した)。
[補論Ⅲ] 金融機関の破綻と公的資金の導入 195 (12)
法>)の充実を目指して総額 60 兆円の公的資金投入を認める 2 法が成立した (いずれも 2001 年 3 月までの時限立法) 。これにより,わが国の金融機関破綻 処理法制は漸く本格的に整備され,当面の金融危機に対応できる枠組み構築が 完成した(2 法の概要については表 3 を参照)。 しかし,この 2 法は取り敢えずの金融危機に対処するための時限立法であっ たため,その後の恒久的な破綻処理制度を提供するものとして 2000 年 5 月に 預金保険法が改正され現在に至っている。改正預金保険法では,破綻金融機関 は金融整理管理人の下で不良債権を切り離し,管理開始後最大 2 年間のうちに 他の健全金融機関に譲渡,合併されることとなっている。さらに,システミッ ク・リスクの顕現化等の事態が予想される場合には金融危機対応会議(議長: 内閣総理大臣)の議決を経て,過少資本金融機関への公的資本注入(第 102 条 に規定する第 1 号措置) ,ペイオフのコストを上回る資金援助(同第 2 号措 置),債務超過銀行の一時国有化(特別危機管理銀行,同第 3 号措置)といっ た例外的な措置を発動することができるとされ,これらの措置に必要な資金に ついては,預金保険機構に危機対応勘定が設けられ政府保証による調達(15 兆円まで)が可能となったほか,事後的に金融機関から負担金の納付を求める ことができることとなった。 ただ,この預金保険法による金融危機対応は, 「金融危機」の認定に際して 金融危機対応会議の議決を要する等の条件が付されており,機動的な対応が損 なわれるおそれがあるとして,依然として資本過少等の問題が残っていると目 される地域金融機関について他の健全金融機関との合併等を促進するため,合 併等に際して機動的に公的資金を注入し得る枠組みとして 2005 年 8 月から金 融機能強化法が施行された(2008 年 3 月までの時限立法)。これによって金融 機関からの申請を受けて金融庁の審査のみで公的資金投入を決定することがで (12)60 兆円は預金保険機構が用いる資金であり,その内訳は①特例業務勘定(預金払い戻しの 不足分への補塡資金)用として 17 兆円,②金融再生勘定(特別公的管理銀行・ブリッジバン クへの出資,貸付,損失補塡,債務保証)用として 18 兆円,③金融機能早期健全化勘定(健 全金融機関への資本注入)用として 25 兆円である。60 兆円のうち特例業務勘定に交付国債 7 兆円が交付され,残る 53 兆円は政府保証の下で日銀,民間金融機関からの借入等で所要資金 が賄われる。
196
きる機動性が確保された。 このように 90 年代末以降,金融危機対応策の整備が徐々に進められ,2000 (13)
年代に入ってからも,金融庁が「金融再生プログラム」(2002 年 10 月公表) (14)
に沿って,大手銀行を中心に「特別検査」を強化して半ば強制的に不良債権の 処理を促進し 2004 年度までの不良債権問題処理を目指すとしたほか,日銀で も 2002 年末から金融機関保有株式の買入れという異例の措置を実施し金融機 関を支援した。こうした監督当局サイドの対応姿勢の強化や各種施策実施の結 果,金融機関の不良債権処理も進展し,2004 年度辺りを境として実体経済面 でも景気回復が本格的に実感されるようになった結果,金融システム不安に対 (15)
する危機感は急速に和らいで来た。しかし,そうした中で 2003 年 5 月にはり そな銀行の自己資本不足(預金保険法第 102 条<第 1 号措置>により公的資本 約 2 兆円を投入,事実上の国有化),同年 11 月には地銀大手の足利銀行の債務 超過(第 102 条<第 3 号措置>により 1 兆円を超える公的資金を投入,一時時 国有化<特別危機管理>)が表面化した。さらに 2006 年 9 月には金融機能強 化法に基づき,紀陽ホールディングス(315 億円) ,同 10 月には豊和銀行(90 億円)にそれぞれ公的資金が投入された。このように,多くの金融機関で不良 債権処理が進みその足枷が弱まってきている一方で,一部には依然として不良 債権の処理に悩み続けている金融機関が存在していることには留意しておく必 要がある。特に豊和,紀陽等の銀行のように,マクロ経済の活況化の中で取り 残された地域経済不振の余波を受けて,新たに発生している不良債権の処理に (16)
追われ自己資本力の脆弱性が露見してしまった金融機関も残されている。こう (13)金融庁[2002]を参照。 (14) 「特別検査」は,99 年 7 月の政府 ・ 与党による「金融再生トータルプラン」の一環として実 施が謳われて以来,大手銀行を中心に数度にわたり行なわれてきていた。 「金融再生トータル プラン」は特別検査のほかに,債権債務関係の処理手続きの強化,金融機関不良資産の流動 化,償却・引当の推進,金融機関の破綻処理への対応,公正・透明な金融行政への転換,な ど金融システムの安定回復を目指した諸施策を挙げ,その後のわが国金融システムの動向に 大きな影響を及ぼした。 (15)大手 6 銀行グループの 2005 年度決算は,手数料収入の拡大に加え融資先の業績改善に伴う 貸倒引当金の戻り益増等を主因に,いずれの先でも最終利益が既往最高水準に達している。 (16)こうした中にあって,2003 年 11 月に特別危機管理下に置かれていた足利銀行は,経営改革
[補論Ⅲ] 金融機関の破綻と公的資金の導入 197
した状況は,金融機関の経営をみる場合には,その一時的な経営体力のみなら ず,新規融資時の審査を強化しているか,融資実行後の企業の業況フォローを 徹底しているか,といった信用リスク管理の細目を改めて丁寧にチェックし, 資産内容の急激な変化をフォローしていく必要があることを如実に物語ってい る。
の進展に加え,首都に隣接した立地等も好影響を与え,急速に経営内容の改善が見られてい るとして,金融庁では 2006 年 9 月に国に代わる同行経営の「受皿」を検討する旨を表明して いる。これに見られるように,大手行や首都圏等の好立地の金融機関と,その他地域の金融 機関との経営内容面での地域格差が目立ってきている。
199
あとがき
本書は,冒頭で触れたように,筆者が武蔵大学へ提出した博士(経済学)学 位請求論文(2007 年 2 月提出,同年 7 月学位授与)をほぼそのままの内容で 出版したものである。
筆者が日本銀行に入行した昭和 52 年(1977 年)以来,今日まで約 30 年が 経過したが,筆者はそのうちの 20 年間を考査局(現・金融機構局)を中心に 過ごし,その間に携わった業務もほとんどが日銀考査に関わるものであった。 考査実施政策の企画・立案をはじめ,大手銀行,地域金融機関,証券会社,外 資系金融機関の在日支店など,およそ 50 先に及ぶ金融機関の実地考査に参加 し,金融機関経営が抱える諸課題について把握するとともに,わが国の金融機 関の経営の将来を考える良い機会を得ることができた。初めて考査局に足を踏 み入れた時(1987 年春)には,既に議論が起きていたリスク管理重視考査の 立案作業に直ちに巻き込まれ,その実施に当たっての官庁・金融機関等との折 衝等に苦労したことが思い出される。さらに,自己資本比率規制に関する初の 国際的な合意(1988 年 7 月) ,東京で開催された世界銀行監督者会議の設営準 備(1988 年 10 月) ,ニューヨークの大和銀行事件(1995 年 9 月発覚)を巡る 対応など,ハードな対応を要求されたその時々の出来事も今となっては懐かし い,あるいは苦い思い出となって蘇って来る。 とくに,札幌支店次長として赴任中に北海道拓殖銀行の経営破綻(1997 年 11 月)に遭遇しその対応に追われたこと,その後の北海道における金融秩序
200
の混乱の真只中に身を置いたことは,金融機関が経営破綻するということの実 際的な意味を肌で感じることができる得がたい機会であった。と同時に,それ まで理念上はよく理解していたはずの民間金融機関の経営と日銀との関係,す なわち中央銀行による金融機関プルーデンシャル政策はどうあるべきかという 命題についても,改めて考え直すきっかけになったように思われる。その後, 東京に戻り(1998 年 10 月),自ら考査役として金融機関考査を主宰する立場 になるにつれ上記の問題意識が大きくなり,いずれかの機会に,中央銀行が考 査を行うことの意味は何か,日銀考査はどのような機能を発揮し,またどのよ うな限界をもった存在であるのか,改めてまとめてみたいという気持ちが急速 に強まった。 このように,考査業務を中心とする筆者の過去 20 年間は,わが国の金融・ 経済界がもがき苦しんだバブルの形成とその崩壊後の長期不況の時期にまさに 当てはまるものであり,その間の自らの経験を背景として著したこの書物は, バブル経済の崩壊がもたらした金融の危機的な状況をどのように理解するかと いう,今後も問われ続けると思われる命題に対する筆者のささやかながらもひ とつの回答でもあると認識している。
考査役としていくつかの実地考査に従事している間に,2003 年度からは業 務の傍ら非常勤講師として武蔵大学経済学部で「日本金融論」を講じるように なり,さらに 2004 年度から 6 年度までの 3 年間は東京外国語大学大学院の客 員教授にも就任した。こうした教職を務めると同時に,上記の問題意識につい てもじっくり勉強し考える時間が与えられたことは幸いであった。特にこの 間,いくつかのテーマについては,武蔵大学,東京外国語大学の論集に論文を 掲載することが許されたほか,東京外語大の大学院特別研究会や東京大学大学 院経済学研究科の報告会などで報告する機会を与えられたことは大きな刺激と なった。本書とそのベースとなった博士論文は両大学の論集に掲載されたこう した先行論文を踏まえたものであり,参考のために下記に挙げておく(ただ し,博士論文執筆に当たっては,いずれの論文も全面的に添削した) 。なお,
あとがき 201
これら先行論文並びに博士論文,さらには本書に記された見解はすべて筆者個 人のものであり,筆者が属している日本銀行ならびに日銀考査実施部署とはま ったく関係がないことをお断りしておきたい。 ①「我が国金融機関における決済リスク管理の実態とその高度化の意義」 ( 『武蔵大学論集』第 51 巻第 1 号,2003 年 8 月) ②「金融機関における業務のアウトソーシングとリスク管理」 ( 『武蔵大学論集』第 51 巻第 2 号,2003 年 12 月) ③「金融機関によるデット・エクイティ・スワップに関する若干の考察」 ( 『武蔵大学論集』第 51 巻第 3・4 号,2004 年 3 月) ④「わが国金融機関の中小企業向け貸出ビジネスモデルの変換─米銀モデル との比較─」 (東京外国語大学海外事情研究所論集『Quadrante』第 7 号,2005 年 3 月) ⑤「日本銀行による金融安定化施策について─株式買入れの意義とその評価 ─」 ( 『東京外国語大学論集』第 70 号,2005 年 7 月) ⑥「中央銀行による金融機関検査の意義─日本銀行考査の変遷と課題─」 ( 『東京外国語大学論集』第 73 号,2007 年 3 月)
こうした作業を進めているうちに,武蔵大学経済学部の黒坂佳央(当時経済 学部長),岡正生の両教授から,日銀考査を中心としてこれまで考えてきたこ とを博士論文の形にまとめてみてはどうかとの強いお勧めを頂き,それを契機 に思い切って執筆に取りかかった。博士論文である以上,あくまでも学術上の 新たな知見となり何らかの貢献をなすものであるべきとの考え方に立ってきた つもりであるが,「はじめに」でも記したように先行研究が極めて乏しい分野 でもあり,執筆に当たっては長く非常に苦しい時期を経ざるを得なかった。し かし,そうであるが故に,執筆の最中に,今後の日銀考査に関する研究,ひい ては中央銀行のあり方に関する議論にも幾ばくかの貢献ができる書物とするこ
202
とができたのではないか,との気持ちが強まってきたのも事実である。そし て,我が職業人生の大半を占める時間に従事した仕事について,まがりなりに も体系的な論文にまとめることができたことは,これに勝る喜びはないように 思われる。博士論文執筆を勧めて下さり,また執筆中も常に励まして下さった 両教授に改めて感謝の意を表さねばならない。 バブル崩壊とその後の金融危機,長い不況の時期を経て,金融機関経営や金 融界の様相は大きく変わったように窺われる。金融機関を長く苦しめた巨額の 不良債権問題もほぼ解決し,ほとんどの金融機関は前向きの経営方針に転換し ている。しかし,まさにこの「あとがき」を記している直前の 8 月には米国の 住宅ローン(サブプライム・ローン)に端を発した信用不安が世界を巻き込 み,わが国の金融市場も含めて大きな影響を受けたことは記憶に新しい。この 問題は,米国連銀,ヨーロッパ中央銀行,イングランド銀行,日本銀行など主 要各国の中央銀行による連携と積極的かつ大幅な流動性供給措置により,取り 敢えずは大きな問題には至らなかったが,金融機関経営の宿命的な脆弱性を改 めて示すとともに,監督・検査当局のあり方,その中での中央銀行によるプル ーデンシャル政策の意義が常に論議されなければならないことを強く示唆して いるように思う。その意味で,表面的には金融界が「平時」に戻ったと思われ る時期になったとしても,今後も本書が参照され,議論の何がしかの参考にさ れれば幸いである。
この書物ができ上がるまでには多くの方々のお世話になった。博士論文の審 査を担当された武蔵大学経済学部の吉田真理子(審査委員長),久保田敬一, ほとり
岡正生,大野早苗,邉英治(横浜国立大学経済学部准教授)の各先生は,審査 時のみならず事前から細かく論文の細部を読み込み,実に適切なご批判,ご指 導を頂いた。これらの先生方のご指導がなければ博士論文,ひいては本書は実 現に至らなかったであろう。先述のように,博士論文と本書に何がしかの貢献 できる点があるとすれば,それはこれらの先生方のご指導の賜物であり,逆に あり得べき誤り等は筆者一人に帰するものである。
あとがき 203
伊藤正直(東京大学大学院経済学研究科教授) ,阿川裕里(元東京外国語大 学大学院客員教授)の両先生にも御礼を申し上げなければならない。伊藤先生 には大学院のゼミへの参加を許して頂き,そのゼミ参加を通じて経済・金融論 文の読み方,経済学説に関する考え方など,大学院課程を経ていない筆者が研 究上の蓄積の不足を補う上で実にさまざまなことをご教授頂いた。博士論文の 内容を固める上でも,伊藤先生が許して頂いた上記研究会での報告は貴重な収 穫をもたらしてくれた。また,日銀の先輩でもある阿川先生からも研究への取 り組み方について多くの示唆を受けたほか,博士論文の執筆に当たり強い励ま しを受けたことは忘れられない。 また,学生時代の恩師である大河内暁男先生(東京大学名誉教授)にも感謝 の意を表さねばならない。大河内先生には,卒業後もたびたび中野のご自宅を お訪ねし,日銀におけるサラリーマン生活などをご報告してきた。イギリス経 営史等を専攻される先生には,これまで金融を中心とする筆者の研究内容に関 して直接ご指導を仰ぐことはなかったが,金融界と大学教職との二足の草鞋を 履きたいと身勝手な希望を抱く筆者に対して,学界で価値ある存在となること の難しさを指摘されつつも,心温まるアドバイスを数多く頂いたことは未だに 忘れられない。やはり学校時代の先生は有り難いな,と心の底から痛感する。 さらに,日銀の上司・同僚の方々にも感謝の意を表したい。金融機構局の稲 葉延雄(現・理事),鮫島正大(現・大阪支店長),山本謙三の歴代各局長,前 田純一(現・総務人事局長) ,増川道夫の両審議役,さらには現在の所属部署 である金融研究所の翁
雄前所長(現・中央大学教授),高橋亘所長からは,
筆者が大学の教職を引き受けるに当たり,勤務面でのさまざまなご配慮を頂き 温かい励ましの言葉を下さった。また,職場の同僚も筆者の立場,考え方に理 解を示して下さった。敢えて名前は記さないが,金融機構局の何人かの同僚は 忙しい業務の合間を縫って考え方の整理のための議論に応じてくれるととも に,博士論文の原稿を丹念に読み通して,誤りの指摘や適切なアドバイスをし てくれた。 出版を快く引き受けて下さった白桃書房の大矢栄一郎社長,担当の河井宏幸
204
氏並びに萩原印刷の萩原誠社長,担当の生方哲志氏にも感謝の意を表すること を忘れてはならない。学校時代からの友人である萩原社長の適切なアドバイス と大矢社長への紹介,そして難しい出版事情の下で快く出版を引き受けて下さ った大矢社長のご好意がなければ,この出版は日の目を見なかったであろう。 最後になったが,本書とそのベースとなった諸論文は,日銀での業務や大学 での講義,その準備等の合間を縫って主として週末の自由な時間を利用して執 筆したものである。その結果,家族サービスが大いに犠牲になったが,その間 理解をもって支えてくれた家族(妻・広子,長女・知子,次女・良子,義父・ 新井永吉)に感謝の意を表したい。そして,本書を亡き父母(熊倉金一郎, はる
明)と義母(新井治子)の霊に捧げる。
2007(平成 19)年 9 月
熊倉 修一
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索 引 223
索引 事項索引 あ行 一県一行主義…179 一般的な監督権…115, 125 イングランド銀行…15, 18, 23, 32 イングランド銀行 Financial Stability Report …30 インターネットバンキング… 161 運用調達のミスマッチ…101 英国財務省…23 英国の金融監督制度改革…29 大蔵省からの金融行政権限の分 離…189 大蔵省金融制度調査会…60 大蔵省・日銀共同機械化プロジ ェクト…183 オーストラリア金融機関規制庁 (APRA:Australian Prudential Regulation Authority)…27 オーストラリア準備銀行…27 オーバーサイト(oversight) …36 オーバーバンキング…140, 143 オーバーレンド・ガーニー商会 の経営破綻…42 オフィス需要の高まり…96 オフサイト・モニタリング(offsite monitoring)…24, 154, 155 オフバランス取引…81 オペ・リスク…10
か行 外国銀行の在米支店…21 過少資本金融機関への公的資本 注入…195 改正イングランド銀行法…24 改正日銀法…v, 33, 86
外部監査…91, 92, 168 格付会社…67 貸し渋り…138 貸出金利プライシング…140, 141, 143 貸し手責任…189 貸し剥がし…138 過度の融資拡大…79 株式買入れ施策…61 株式の買入れ…196 可変保険料率制…145 監督(supervision)…44 監督当局…44 監督命令権…115 議案提出権…125 企業会計原則…109 議決延期要請権限…125 規制(regulation)…44 規制資本…10 規制当局…44 旧日銀法…115 旧日銀法第 25 条…126 行政検査…ii, 68, 69, 124, 170 行政検査との統一化…2 行政検査との同質化・一体化… 130 行政検査の補完的な位置づけ… vii 行政庁による検査…67, 70, 83 強制的調査権…61 業態別自主規制団体(SROs: Self-Regulating Organizations)…18 共同検査…28 業務継続体制…142 業務命令権…115, 125 銀行監督委員会(Banking Supervision Committee)… 19 銀行業の規制と監督実務に関す る委員会(Committee on Banking Regulation and Supervisory Practices)…8
銀行業務のアウトソーシング化 …10 銀行離れ…95 銀行不倒神話…192 銀行持株会社(BHC:Bank Holding Company)…21 金融監督改革法…17 金融監督・検査の single standard 化…15 金融監督体制の再編成…vii, 124, 190 金融監督庁…122, 189 金融機関が抱えるリスク (financial risks)…25 金融機関監督に関する「覚え書」 (MOU:Memorandum of Understanding between HM Treasury, the Bank of England and the Financial Services Authority)…23 金融機関経営者のモラル・ハザ ード…3, 49 金融機関経営の実情把握…vii 金融機関等に対する助言…151 金融機関に対するペナルティ… 7 金融機関の監督・検査…134 金融機関の業務および財産の状 況…151 金融機関の経営実態…60, 144 金融機関の経営情報入手…77 金融機関の経営内容把握…2 金融機関の経営破綻…187 金融機関の健全性確保政策(プ ルーデンス政策)…1, 2 金融機関の受検負担…67 金融機関の破綻処理作業…123 金融機関破綻処理法制…195 金融危機…102 金融機能強化法…195 金融検査…44 金融検査に関する基本方針… 130 金融検査マニュアル…12, 71,
224 91, 132, 167 金融再生委員会…122 金融再生トータルプラン…132, 133, 196 金融再生プログラム…196 金融再生法…194 金融再生法開示債権…105 金融サービス機構(FSA: Financial Services Authority)…4, 16, 17, 23 金融サービス・市場法…4 金融サービス市場法(Financial Services and Markets Bills) …16 金融 3 法…193 金融システム安定化法…193 金融政策決定会合…125 金融政策との利益相反…3, 46 金融制度調査会(日本銀行法改 正小委員会)…6, 124, 174 金融仲介機能…38 金融庁…122 金利プライシング…11 金利リスク…10 金利リスク管理のための諸原則 …88 クラブ・アプローチ…45, 192 繰延税金資産…62, 109 経営改善に向けたインセンティ ブ…26 経営改善へのインセンティブ… 27, 146 経営健全化計画…194 経営体力…161, 164 経営の継続性(going concern)…57 景気変動の増幅効果(procyclicality)…iv, viii, 137, 138, 139, 141 経済資本…10 経済の基礎的条件…113 継承銀行…190 系列ノンバンク…103 決済システムからの離脱…39 決済不能…38, 39 検査間隔の長期化…28 検査機関と金融機関との「癒着」 …73 検査権…69
検査・考査の一体化…6 検査・考査の並存(double standards に拠る複数検査機 関システム)…ii 検査手数料の徴求…27 検査マニュアルの統一化…15 建設的な曖昧さ(constructive ambiguity)…49 健全(solvent)な金融機関… 40 健全経営規制…178, 179 現地当局(host authority)… 63 コア・プリンシプル(Core Principles for Effective Banking Supervision)…65 考査(on-site examination)… 155 考査業務の流れ…164 考査契約違反(行為)…128, 152 考査契約書…128 考査実施方針等…62 考査受検負担…2 考査受検負担の軽減…6 考査対象先金融機関…156 考査に関する契約書…69, 151, 164 考査に関する情報公開…144 考査に関する「約定書」…177 考査の実施根拠等の脆弱性…77 考査の実施方針等について… 143, 144, 163 考査の法定化…127, 130 考査役…181 合同調査…181 国債シンジケート銀行…179 国法銀行(National Bank)… 20 護送船団方式…39, 79, 90, 132, 192 国家公務員法…68 個別特殊分野のリスク管理のチ ェックリスト…88 コール市場におけるデフォルト 発生…190 コール・レポート(Call Report) …24 コンピューター 2000 年問題… 162
さ行 財政・金融行政の完全分離… 122 財テク融資…95 債務者区分…167 債務者の財務状況…167 債務者分類…105 債務超過…37 債務超過銀行の一時国有化… 195 サウンド・バンキング…114 査定要領…165 サブ・プライム・ローン…20, 31 3業種向け貸出…99 3業種向け融資…103 三洋証券…190 時価発行増資…108 資金繰り…161 資金繰り状況のチェック…153 資金決済システム…36 自己査定…105 自己査定ガイドライン…167 自己査定基準…132, 167 自己査定による分類債権…105 自己資本比率規制…8 自己資本の適切性…65 自己資本比率規制に関する国際 的な統一化に向けた合意(バ ーゼルⅠ)…185 自己資本比率規制の国際的合意 (バーゼルⅡ)…ii 自己資本比率の国際統一規制 (バーゼルⅠ)…8 事後的措置…191 資産価格の上昇…96 資産価格バブル…97 資産査定…82, 132, 133, 166, 168 資産調査表…133 資産の経済価値…153 資産の自己査定…131, 166 市場からの監視,規律づけ… 108 システミック・リスク…5, 153, 191 システミック・リスク回避…43 事前的な措置…192 実地検査(on-site
索 引 225 examination)…24 事務処理体制…160 ジャパン・プレミアム…105 住専問題…103, 123 住宅金融専門会社(住専)… 103, 189 州の銀行監督局(State Banking Department)…20 州法銀行(State Bank…20 重要書類…60 受検負担の軽減…6 手段独立性(instrument independence)…125 償却・引当…131, 168 償却・引当基準…109, 167 商業銀行(Commercial Bank) …20 証券投資委員会(SIB: Security and Investment Board)…17, 18 証券取引等監視委員会…4 情報生産コスト…109 情報の非対称性…39 昭和金融恐慌…47, 177, 187 所見…146, 165 所要引当金額…168 ジョンソン・マシィ銀行の経営 破綻…18 資料提出請求権限…68 新イングランド銀行法…16 新金融安定化基金…53 審査部の独立…90 審査部門と営業部門との一体化 …90 信用組合(Credit Union)…20 信用組合監督庁(NCUA: National Credit Union Administration)…21 信用秩序維持…150 信用リスク管理の鉄則…99 信用リスク管理のポイント… 123 税効果会計…62, 109 清算価値…57, 123 正常債権…105 政府の銀行…42 整理回収銀行…189 世界銀行監督者会議…184 セカンダリー・バンク危機…18 説明責任(accountability)…
144 セーフティ・ネット(安全網) …49, 121, 191 ゼロ金利政策…3 1965 年の証券不況…50 全国金融統制会…180 早期健全化法…194 早期是正措置…121, 131, 135, 166 総合的リスク管理…102 即時グロス決済化(RTGS: Real Time Gross Settlement)…37 その他要注意先…106, 107 損失補塡…124
た行 第 1 の柱(Pillar1)…9, 10 第 2 の柱(Pillar2)…10, 136 第 3 番目の柱(Pillar3)…11 大和銀行ニューヨーク支店事件 …7, 74, 123, 189 ターゲット考査…162, 181 立ち入り調査…152, 158, 160 他の検査機関による検査報告の 代用…28 他の検査機関の検査結果の流用 …60 担保調整…167 担保不動産…60 地域金融機関…109 地価上昇メカニズム…103 地価の上昇…96, 111 地方銀行の合同…179 中央銀行研究会…124 中央銀行財務の健全性確保…48 中央銀行資産の悪化…3, 4 中央銀行制度の改革…124 中核的自己資本(Tier1)…9 中小企業貸出比率…95 長期貸出比率…95 調査に関する契約書…158 貯蓄貸付組合(S&L:Saving and Loan Association)…20 貯蓄銀行(Saving Bank)…20 貯蓄金融機関(Thrift Institution)…20 貯蓄金融機関監督庁(OTS: Office of Thrift
Supervision)…21 通貨価値の維持…47 通貨監督庁(OCC:Office of the Comptroller of the Currency)…20, 21, 22 通貨の発行保証…47 通貨発行益…48 適格担保…52, 155 デリバティブ取引に関するチェ ックリスト…123 東京共同銀行…52, 53, 189 東京の 2 信用組合(東京協和, 安全)…187 統合リスク管理(Integrated Risk Manage-ment)…136, 137, 139 当座預金決済システム…36, 38 当座預金取引先金融機関数… 156 同時決済…37 統制局…180 特別危機管理銀行…195 特別検査…196 特別公的管理銀行…195 土地関連融資の総量規制…103, 115 土地バブル…96 トップダウン・アプローチ (top-down approach)…25 飛ばし…72, 105, 124 取引先金融機関…151
な行 内部格付制度…10 内部格付手法…153 内部管理体制…92 内部管理体制の評価のためのフ レームワーク…87 日銀貸出…155 日銀業務概況書…5, 144 日銀当座預金取引…153 日銀特融…iv, 52 日銀特融の未回収…47 日銀特融発動の 4 原則…50, 54, 56, 57 日銀法改正…190 日銀法第 38 条…126, 150
226 日銀法第 44 条…127, 128, 129, 133, 150, 151, 156 日銀法の改正…121 日銀法の改正問題…6 日米円・ドル委員会…78 日本銀行金融ネットワークシス テム(略称:日銀ネット)… 36 日本銀行考査オンライン・シス テム…184 日本銀行条例…115 日本銀行法施行令…151 日本銀行法の改正に関する答申 …124 日本債券信用銀行…79 日本長期信用銀行…79 農林系統金融機関…103 ノーザン・ロック銀行 (Northern Rock)…31
は行
フォローアップ…146, 156, 166 複数検査機関システムのメリッ ト…74, 75 複数の監督・検査当局の並存… 3 不健全(insolvent)な金融機 関…40 不動産関連融資…95 不動産投資促進税制…98, 99 部分準備制度…38 不要不急融資…179 フランクリン・ナショナル銀行 …8 ブリッジバンク…195 不良債権…105 不良債権処理…115 不良債権の処理額…107 プルーデンス政策…39, 46, 63, 191 プロセス・チェック…114 分類率…114, 116
バジョットの原理…40 バーゼルⅡ…2, 9 バーゼル委員会…8 バーゼル規制…iv, viii バーゼル銀行監督委員会…8 バーゼル・コンコルダット (Report on the Supervision of Banks Foreign Establishments − Concordat)…65, 183 破綻金融機関処理の枠組み… 109 破綻懸念先…107 バックアップ・センター…142 バブル経済…93, 95 バランス・シート規制…8, 139, 192 バンコ・アンブロシアーノ倒産 事件…65 阪和銀行…190
ベアリングズ・グループ事件… 18, 31 ベアリング・ブラザーズ商会… 43 ペイオフのコスト…195 ヘルシュタット銀行…8
ヒアリング…183 引当金積み増し…165 引当率…168 非分類…167 評定…147 評定制度…145, 146
マーケット関連業務…160 マーケットによる規律の不完全 性…39 マーストリヒト条約…19
ファンダメンタルズ…113
無税償却…109
法令遵守(コンプライアンス) …69 法令遵守状況のチェック…118 簿外処理…124 補完貸付制度(いわゆるロンバ ード型貸付)…155 補完的自己資本(Tier2)…9 母国当局(parent authority) …63 母体行責任…189 北海道拓殖銀行…190 北海道拓殖銀行の経営破綻…52
ま行
民間経済システム…36
無担保貸出…52 メインバンク…109 メリー・ゴー・ラウンド取引… 95 目的独立性(goal independence)…125 モニタリング…152 モラル・ハザード…4, 48
や行 役員解任権…115, 125 山一證券…190 山一證券破綻…47 山一證券への特融の未回収問題 …72 有価証券含み益…9 融資業務…60, 159 融資ポートフォリオの異様な歪 み…111 要管理先…107 要求払い預金…38 要注意与信比率…112, 141 預金化通貨論(100%準備論) …41 預貸金利鞘…94 預金金利の自由化…94 預金取り付け(bank run)… 38, 174 預金ペイオフ…190 預金保険…38, 192 預金保険制度…191 与信の集中リスク…108 与信ポートフォリオ管理 (Credit Portfolio Management:CPM)…142 ヨーロッパ中央銀行(ECB: European Central Bank)… 15, 19, 32 ヨーロッパ中央銀行法…19
ら行 ラインシート…133 リスク管理の着眼点…86 リスク・アプローチ…17 リスク・ウエイト…10, 139 リスク管理…85
索 引 227 リスク管理技術の高度化…10 リスク管理債権…105 リスク管理重視考査…iii, v, 80, 81, 83, 84, 115, 119, 142 リスク管理体制…160 リスク管理チェックリスト…iii, 37, 80, 84, 88, 165 リスク管理のプロセス(過程) …83 リスク資産…8, 194 リスク資本…136 リスク・プロファイル…141, 154 リスク量計測手法…10 流動性供給…150 流動性リスク…161 量的緩和政策…52 量的緩和措置…3 臨店調査…82 連邦金融機関検査評議会 (FFIEC:Federal Financial Institutions Examination Council)…28 連邦準備銀行(FRBs:Federal Reserve Banks)…15, 21, 22, 28, 33 連邦準備制度(FRS:Federal Reserve System)…20, 21 連邦準備法(Federal Reserve Act)…21 連邦預金保険公社(FDIC: Federal Deposit Insurance Corporation)…21, 22
連邦預金保険制度…20, 21
アルファベット・数字 ALM(asset liability management)…81, 102 ARROW(Advanced Risk Responsive Operating Framework)…145 BCCI(Bank of Credit and Commerce International)… 18 BCCI 事件…65 BIS…8 BIS 支払・決済システム委員会 (CPSS)…37 BOE 原則…55, 56 CAMELS 格付…26 Compliance-based Supervision …69 Core Bank 論…41 double standards に拠る複数検 査機関システム…vii, 59, 76 D 査定…168 Fedwire(Federal Reserves Wire Transfer System)… 147 Lender of Last Resort(LLR) 機能…i, 1
LLR 機能の発揮…53 LLR 機能の発動…2 L 査定…168 Narrow Bank 論…41 PCA(Prompt Corrective Action)…166 RATE(Risk Assessment Tools of Supervision and Evaluation)…29 Risk-based Supervision…69 Secondary Banks…18 single standard 化…134 single standard に拠る検査・ 考査…iv single standard に拠る複数検 査機関システム…iii, 59, 76 SR Letters(Supervision and Regulation Letters)…89 S 査定…167 too big to fail…4, 49 VaR(Value at Risk)…123, 136 Ⅱ分類…167 Ⅲ分類…167 Ⅳ分類…168
228
人名索引 A Aglietta, M.…32 Amyx, J.A.…69, 82, 129, 130 足田浩…139
B Bagehot, W.…40, 42 Baker, J.V.…102 Bernanke, B.S.…58, 61, 66 Bryan, L.L.…41
C Capie, F.…45 Cargill, T.…3, 4, 5, 44, 74
D Deane, M.…43, 55, 56 Diamond, D.W.…i, 38, 43, 193 Dybvig, P.H.…i, 38, 43
F Feldman, R.J.…48 Fischer, S.…125 Friedman, M.…21, 40, 192 藤井正志…26 藤井良広…105 深井英五…179 深尾光洋…97 舟山正克…95, 113
G George, E.…55 Goodhart, C.A.B.…5, 18, 30, 32, 40, 42, 43, 44, 47, 58 グリーンスパン , A. (Greenspan, A.)…9, 46 グリーンワルド , B.…139
H 花崎正晴…78, 94, 102 春井久志…16, 18 長谷川徳之輔…96 Haubrich, J.G.…75 樋渡淳二…139 本家正隆…81, 83 本間勝…145 堀江康煕…v, 114, 149, 164
堀内昭義…3, 94 星岳雄(Hoshi, T.)…94, 118, 119 邉英治…176, 179 飯田隆…124, 192
I 池尾和人…43 井上準之助…50, 174, 175, 176 伊藤正直…50, 178, 179
J Jorion, P.…25, 84, 132, 137
K 上川龍之進…94, 125 金井雄一…40 Kashyap, A.…94 北澤正敏…124 熊倉修一…i, 11, 61, 171, 179 楠本博…81, 102
L Laffont, J.J.…74 Litan, R.E.…41
M Martimort, D.…74 松本和幸…24, 25 Mayer, T.…3 Meltzer, A.…40 三重野康…41, 46, 49, 113 三木谷良一…144 Mishkin, F.…67 森垣淑…50 村松岐夫…94, 94
N 内藤純一…94, 137 中島真志…145, 147 中北徹…18 中尾茂夫…20
O 岡正生…81, 102 岡田禎…80, 111 岡崎哲二…118, 119, 129 翁百合…145
奥村洋彦…94, 95 奥野正寛…94 折谷吉治…39 太田赳…78
P パトリック , H .…94 Peek, J.…67 Prati, A.…32 Pringle, R.…43, 55, 56
Q Quinn, B.…46, 55
R Romer, C.…126 Romer, D.…126
S 齊藤壽彦…v, 5, 18, 29, 73, 149 斎藤静樹…62 櫻川昌哉…141 佐々木百合…138 佐藤隆文…94 Schinasi, G.…32 Schoenmaker, D.…18, 44 Schwartz, A.J.…21, 192 Shigemi,Y.…97 鹿野嘉昭…62, 78, 94 篠塚豊…81 白鳥圭志…47 宿輪純一…145, 147 Solow, R.M.…41, 53 相馬利行…102 Stella, P.…48 Stern, G.H.…48 スティグリッツ , J.E.…139 鈴木俊夫…42
T 田尻嗣夫…53 高橋亀吉…50 高月昭年…28 高山洋一…20 武田哲夫…19 竹内宏…110 Thomson, J.B.…75 Thornton, H.…40
索 引 229 Tobin, J.…41 筒井義郎…101, 107
U 植田和男…48, 62
W 渡辺慎一…94
Wiwattanakantang, Y.…102
Y 山口竹彦…123 山脇岳志…149, 151, 180 安井肇…123 横内龍三…81, 82 横山昭雄…37, 81, 84
吉田暁…42, 154, 155 吉田和男…94 吉川洋…96 吉野俊彦…114 湯野勉…31
著者紹介
熊倉 修一(くまくら しゅういち) 1977年 東京大学経済学部卒業,日本銀行に入行 1992年 考査局調査役 1995年 札幌支店次長 1998年 考査役 現 在 金融研究所企画役 武蔵大学博士(経済学) この間,東京外国語大学大学院客員教授,武蔵大学経 済学部非常勤講師などを歴任 研究領域 中央銀行論,金融機関経営論,金融論 主要論文に「中央銀行による金融機関検査の意義」(『東京外国 語大学論集』,2007年),「日本銀行による金融安定化施策につ いて」 (同,2005年),「わが国金融機関の中小企業向け貸出ビ ジネスモデルの変換」(『東京外国語大学海外事情研究所論集』, 2005年),「我が国金融機関における決済リスク管理の実態とそ の高度化の意義」(『武蔵大学論集』,2003年)等がある。
に ほんぎんこう
せいさく
きんゆう き かんけいえい
日本銀行のプルーデンス政策と金融機関経営 ─金融機関のリスク管理と日銀考査─
〈検印省略〉
発行日──2008年1月26日 初 版 発 行 くまくら
しゆういち
著 者──熊倉 修 一 発行者──大矢栄一郎 はくとうしよぼう
発行所──株式会社 白桃書房 〒101-0021 東京都千代田区外神田5-1-15 ☎03-3836-4781 03-3836-9370 振替00100-4-20192 http://www.hakutou.co.jp/
印刷・製本──萩原印刷 Ⓒ Shuichi Kumakura 2008 Printed in Japan ISBN 978-4-561-96111-6 C3034 〈日本複写権センター委託出版物〉 本書の全部または一部を無断で複写複製(コピー)することは,著作権 法上での例外を除き,禁じられています。本書からの複写を希望され る場合は,日本複写権センター(03-3401-2382)にご連絡ください。 落丁本・乱丁本はおとりかえいたします。