金 田一 春彦 著 作 集
第 四 巻
玉川 大 学 出 版 部
関 弘 子氏 と ( 朗 読 源 氏物 語)/ 昭和 六 十 三年十 一月
金 田 一春彦 著作 集 第 四巻 目 次
日本 語
(上 )
三 ...
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金 田一 春彦 著 作 集
第 四 巻
玉川 大 学 出 版 部
関 弘 子氏 と ( 朗 読 源 氏物 語)/ 昭和 六 十 三年十 一月
金 田 一春彦 著作 集 第 四巻 目 次
日本 語
(上 )
三 外 国 語 と 日本 語
二 日本 語 の多 様 性
一 国 語 と し て の 日 本 語
Ⅰ 世 界 のな か の 日 本 語
6 9
4 9
24
15
15
序 章 日 本 語 は ど う いう 言 語 か 11
四 日本 語 の有 力 性
79
85
Ⅱ 発 音 か ら 見 た 日 本 語
二 母 音 ・子 音 と発 音 の美 し さ
92
79
三 拍 の種 類 と そ の組 合 わ せ
02
一 日本 語 の発 音 の単 位
四 旋 律 と リ ズ ム 1
五 日本 人 の音感覚 112 Ⅲ 語彙 か ら 見 た 日本 語 116 一 語彙 の数と体 系 116
五 人間関係 の語彙
四 自然関係 の語彙
三 単 語 の 形 態
172
152
138
131
二 語 彙 の 構 成 126
六 生活関 係 の語彙
184 202
七 社会 関係 の語彙 八 抽象的 な意味を も つ語彙
210
244
233
222
九 単 語 の 成 立 十 日本人 の愛用語句
日本 語 ( 下) Ⅳ 表 記法 から 見 た 日本 語 233 一 日本人 と文字 二 種 々 の文字 の使 い分け 236 三 漢字 の表意性
四 漢字 の多数性 と多面性 五 漢字 の非 日本性 254 六 縦書 きと横書き 264
249
四 名 詞 の 格
三 名詞 の数と数 詞
二 名詞 の性と部類 別
一 日本 語 の文法と そ の単位
310
297
287
278
271
271
五 動詞 の形態 と種類
3 21
Ⅴ 文法 から 見 た 日本 語 (一)
六 動 詞 のテ ンスと ア スペクト
331 338
七 動 詞 のヴ ォイ ス 八 形容詞 と副詞類
361
351
十 代 名詞 ・指 示語な ど
373
な い﹂
十 一 人 称 と 敬 語
391
九 ﹁だ ﹂ ﹁の だ ﹂ と ﹁ ︱
十 二 日本人愛 用 の語法
401 401
(二)
一 セ ンテ ン スと そ の種 類
416
Ⅵ 文法 か ら見 た 日本 語
二 語 句 の並 べ方
435
498
492
471
461
53 4
5 44
445
三 語 句 の 結 び つけ方
Ⅶ 日本 人 の言 語 表 現 一 日本 語 の簡略表 現 二 他 人 へ の考 慮
終 章 日本 語 は ど う な る か
日 本 語 のあ ゆ み
Ⅰ 昔 の日本 語 ・今 の日 本 語 現 代 国 語 の性 格
Ⅱ紫式部は ﹃ 源 氏物 語 ﹄を どう 発 音 した か
﹃平家 物 語﹄ の言 葉 伊 吹 一氏 の見解 に対 し て
522 543
552
﹁荒 海 や ﹂ の句 の 文 法 ︱
江 戸 の言 葉
564
555
口承資料
私の ﹃ 膝栗毛﹄鑑賞
Ⅲ日本 語 の古 い発 音 を 伝 え るも の︱
570
659
国 語史 と 方 言
Ⅳ日本 語 の性 格 は ど う し て で き た か
666
713
673
﹃ 万 葉 集 ﹄ の謎 は 英 語 でも 解 け る V 新 村 出 博 士 の ﹃国 語学 概説 ﹄ 橋 本 進 吉 博 士 の生 涯 680
後記
金田 一春彦 著作集 第 四巻 国語学 編四
秋永
和昭
一枝
編集委員
上野
倉島
茂治
節尚
上参 郷祐康
桜井
良洋
不二男
代表 芳賀綏
南
装釘 清水
日本 語
( 上)
序 章 日 本 語 は ど う いう 言 語 か
﹁日本語 は特 異な 言 語だ﹂ 日本 語 は 他 のすべ て の言 語 に 対 し て特 異 な も のだ︱
そ う いう 考 え は 昔 か ら あ った 。 昭 和 の 初 頭 、 東 亜 の空 に
不 吉 な 戦 雲 が た だ よ いは じ め た こ ろ 、 東 大 の国 史 学 科 に平 泉 澄 と いう 教 授 が いた が、 彼 は、 家 永 三 郎 ・遠 山 茂
裔 であ る か ら ⋮ ⋮ 。
日本 に は 系 統 を 同 じ く す る 言 語 がな いと 言 う が 、 そ れ は 当 り前 だ 。 日本 は 神 の国 で 、 日本 語 は 神 の言 葉 の末
樹 と い った 若 い秀 才 連 を 前 に 、 こん な こ と を 堂 々と 教 壇 の上 か ら 説 いて いた 。
吾 々 は 子 供 か ら 今 の国 語 に 慣 ら さ れ 、 それ 程 に 感 じ て は いな いが 、 日本 の国 語 ほ ど 、 不 完 全 で不 便 な も の は
終 戦 直 後 に な る と 、 小 説 の神 様 と 言 わ れ た 志 賀 直 哉 が 、 ﹃ 改 造 ﹄ に、 な いと 思 う 。
と いう 意 見 を 発 表 し 、 フ ラ ン ス語 を 国 語 に し て は 、 と ま で 提 案 し て 世 間 を 驚 か せ た 。 敗 戦 の シ ョ ック の た め か も
し れ な いが 、 ﹁日 本 の国 語 ほ ど ⋮ ⋮ ﹂ と は、 創 作 の 上 で 客 観 的 な 描 写 に 名 を 得 て いる 志 賀 ら し く な い考 え だ った 。
し か し 、 最 近 にな って 日本 語 を 特 殊 な も のと 見 る 考 え で 最 も 多 く の人 に衝 撃 を 与 え た の は、 角 田 忠 信 が ﹃日本
人 の脳 ﹄ ( 昭和五十三年 )に 発 表 し た 学 説 だ った か も し れ な い。 角 田 に よ る と 、 日 本 人 は 脳 の使 い方 が ほ か の国 の
人 と ち が い、 言 葉 の音 を 鳥 の声 や 雨 の 音 な ど と い っし ょ に 左 の脳 で 聞 き 、 右 脳 で は、 洋 楽 器 の 音 、 機 械 の音 や 雑
音 な ど を 聞 く だ け だ と いう 。 これ に 対 し て ほと ん ど す べ て の外 国 人 は 、 左 の 脳 で聞 く のは 言 語 の音 ぐ ら い で、 そ
の 他 の自 然 音 や 楽 器 の音 は す べ て右 脳 で聞 く 、 と いう の であ る。
そう し て角 田 に よ る と、 日本 人 と 同 じ よ う な のは 、 地 球 上 でわ ず か に マオ リ 、 東 サ モ ア、 ト ンガ な ど のポ リ ネ
シ ア 人 だ け だ そ う だ 。 こ れ によ れ ば 、 日本 語 は 、 少 な く と も 普 通 に 文 化 国 家 と 言 わ れ て い る国 の国 語 と は き わ め てち が った 特 殊 な も の と いう こと に な る 。
﹁日本 語は 平凡 な言 語だ ﹂
が あ る 。 代 表 的 な 論 客 は、 カ ト リ ック の普 及 と 日 本 語 の 研 究 に打 ち こ ん で いる W ・A ・グ ロー タ ー ス神 父 で 、 彼
以 上 の 日本 語特 異 説 に 対 し て、 日本 語 は 少 し も 珍 し いと ころ を も た な い、 ご く 平 凡 な 言 語 に 過 ぎ な いと いう 説
は 、 そ の考 え を 国 語 学 会 編 の ﹃外 か ら 見 た 日本 語 ・内 か ら 見 た 日本 語 ﹄ に ﹁日 本 語 に は特 色 な ど な い﹂ と いう 題
で発 表 し て い る。 神 父 は ﹁日本 語 の特 質 ﹂ と は本 来 ﹁日本 語 だ け に 見 ら れ る性 質 ﹂ と いう 意 味 だ と 解 し た 。 世 に
は 極 楽 ト ンボ の 著者 が い て、 日 本 語 に 少 し ぐ ら い珍 し い性 質 が 見 つか る と 、 そ れ を 並 べ立 て て ﹃日本 語 の特 質 ﹄
な ど と いう 本 を 書 く 。 潔 癖 な 彼 は そ れ が癇 に障 った ら し い。 彼 によ る と 、 そ の 著 者 が 日本 語 の特 色 と し て挙 げ た
な ど 、 興 味 あ る論 を 展 開 し て いる 。 これ に
も のは 、 み な 、 英 語 ・フ ラ ン ス語 ・ス ペイ ン 語 に あ る も の で、 (1)日本 語 は 系 統 的 に孤 立 し て い る と いう こ と は な い、 (2音 )読 み と 訓 読 み に 相 当 す る も の は フ ラ ン ス 語 に も あ る︱
つ い て は、 以 下 の章 に お い て具 体 的 に紹 介 し 、 必 要 に 応 じ て 私 見 を 述 べる が、 日本 語 は 世 界 の言 語 の中 で ごく 平 凡 な 言 語 で あ って、 ち っと も 特 異 な も の で は な いと いう 意 見 で あ る 。
グ ロー タ ー ス ほど 顕 著 で はな いが 、 鈴 木 孝 夫( ﹃ ことばと社会﹄) ・柴 谷方 良 ( ﹁日本語は特異な言語か﹂ 、﹃ 言語﹄昭和五
十六年十二月号)も 、 同 様 の線 に そ った 意 見 を 述 べ て お り 、 一般 に 、 専 門 の 言 語 学 者 は 日本 語 非 特 異 論 に 傾 く よ う である。
いず れ が是 か
あ と に 述 べる が 、 世 界 の言 語 は 五 〇 〇 〇 ぐ ら いあ る と 聞 く 。 こん な 多 く の 言 語 の中 で 、 日 本 語 だ け がも って い
る と いう 性 質 は 、 さ ぞ 少 な か ろう 。 以 前 は 、 敬 語 は 日 本 語 の特 質 だ と か 、 ﹁が ﹂ と ﹁は ﹂ の 区 別 が あ る の は 日 本
語 だ け だ と か 言 わ れ た 。 が、 目 を 外 に 向 け て み る と 、 敬 語 は 、 東 南 ア ジ ア の 言 語 に広 く 見 ら れ る し 、 ﹁が ﹂ と
﹁は ﹂ の区 別 は 、 朝 鮮 語 に そ っく り のも の があ り 、 さ す が に 隣 り に 住 む 民 族 の言 語 だ と 感 じ さ せ る 。
ナ .平 が な ・ロー マ字 ・ア ラ ビ ア 数 字 と い った 多 く のち が った 体 系 のも のを 使 って いる 言 語 は 、 世 界 唯 一の は ず
し か し 、 日 本 語 だ け が も って いる 性 質 は 全 然 な いと 言 い切 って よ いも のだ ろ う か 。 文 字 の 面 で漢 字 ・カ タ カ
であ る 。 そ う し て 、 そ の 漢 字 の読 み 方 に、 音 読 みと 訓 読 み があ り 、 ごく 一部 の文 字 では な く 、 日常 用 いら れ る 多
く の漢 字 が、 ﹁春 ﹂ は ハルと シ ュン、 ﹁秋 ﹂ は ア キ と シ ュウ のよ う に 、 相 互 に 関 係 の考 え ら れ な い 二 つ のオ ト で 読 ま れ て いる と いう よ う な こ と も 、 世 界 に例 がな い。
表 記法 か ら 離 れ る と 、 野 元 菊 雄 が 言 って いた が 、 一つ の国 が こ ん な に 多 く の人 口 を も って いて 、 そ れ が 全 部 と
い って い いく ら い同 じ 言 語 を 使 って いる 、 そう し て 一歩 国 内 か ら 離 れ る と こ の言 語を 使 って いる 人 が いな い、 と いう こ と も 類 がな いは ず で あ る 。
この本 の意 図
と こ ろ で 、 日本 語 だ け と は 言 わ な く て も 、 ほ か の多 く の 言 語 に は 見 ら れ ず 日 本 語 に 見 ら れ る性 格 を 明 ら か にす
る こ と は 、 いろ いろな 点 で有 意 義 であ る こ と はま ち が いな い。 国 語 問 題 を 考 え る 上 に、 ま た 日本 語 の使 い方 、 つ
ま り 日本 語 に よ る 話 し 方 ・書 き 方 を 考 え る 上 にも 役 に立 つで あ ろ う し 、 あ る いは 日本 語教 育 を 考 え る 上 に 、 ま た
日本 語 の系 統 と か 、 他 言 語 と の交 渉 と か、 日本 文 化 の特 色 、 日 本 人 の精 神 内 容 を 考 え る 上 に も 、 参 考 にな る に 相
違 な い。 こ の 小 著 の中 で述 べよ う と す る のは 、 そ のよ う な こ と に つ いて 、 多 く の先 達 の 研 究 を 借 り、 ま た 自 分 で
も 多 少 考 え て ま と め た 論 考 であ る 。
Ⅰ 世 界 のな か の 日 本 語
一 国 語 とし て の日本 語
一 国内 の日本語 ﹁あ なた は何 語を 使う か﹂
序 章 にも 名 を あ げ た グ ロー タ ー ス神 父 に よ る と 、 神 父 の故 国 ベ ル ギ ー で は 、 国 勢 調 査 の時 に 、 ﹁あ な た は何 語
を 使 う か ﹂ と いう 質 問 項 目 があ る そ う だ。 日 本 の国 勢 調 査 で そ う いう こ と を 聞 か れ た ら、 筆 者 な ど は ど う す る だ
ろ う か 。 英 語 を 話 す のは は な は だヘ タ であ る が 、 筆 者 も 一応 高等 教 育 を 受 け た の であ る か ら 、 や は り ﹁英 語﹂ と 書 か な け れ ば いけ な いか な と 、 大 変 心 を 悩 ま せ ると 思 う 。
だ が 、 ベ ルギ ー の国 勢 調 査 で は そ のよ う な こと を 聞 い て いる の で はな い のだ そう だ 。 ベ ルギ ー と いう 国 は、 フ
ラ ン スと オ ラ ンダ の間 に あ って、 フラ ンス 語 を 話 す 人 、 オ ラ ンダ 語 を 話 す 人 、 両 方 話 す 人 、 の三 種 類 の人 が住 ん
で いる 。 そ れ で 、 あ な た が い つも 使 って いる のは そ のう ち の ど れ か 、 と いう こと を 聞 い て いる のだ と いう 。 日本
で こう い った よう な 質 問 を 出 し た ら 、 日本 人 は みな ﹁日 本 語 ﹂ と 答 え る で あ ろう か ら 、 そ ん な ば か ば か し いこ と
は 、 日 本 では や ら な いと いう こ と に な る 。 そ れ は 、 野 元 菊 雄 が 言 った よ う に 、 日本 が 世 界 で 珍 し い、 ほ と ん ど 一
言 語 ・ 一民 族 の国 家 だ か ら であ る。 す な わ ち 、 日本 は 日 本 語 を 話 す 日本 民 族 だ け か ら 成 って いる 国 家 だ と いう こ と であ る 。
北 海 道 に アイ ヌ語 を 話す アイ ヌ 民 族 が お り 、 ま た 、 朝 鮮 語 を 話 す 日本 在 住 の韓 国 人 ・朝 鮮 人 は 、 そ れ よ りも 多
い。 が 、 そ れ ら の人 び と は 日本 語 も 話 す 。 全 般 的 に 見 て 、 こ の 程 度 な ら 、 ま ず 一言 語 ・ 一民 族 の国 家 と 言 って よ さ そうだ。
多 言 語 の国 々
世 界 の国 の 中 に は、 一国 のう ち に 、 わ れ わ れ に と っては 驚 く よ う な 数 の言 語を も つも のが あ る。 一国 一言 語 と
いう のは 、 主 要 な も の は 、 韓 国 と 北 朝 鮮 ( 朝鮮民主主義人民共和国)ぐ ら い で、 多 く は モナ コや バチ カ ン のよ う な 小
国 で あ る 。 多 く の言 語 を 使 用 す る 国 は 、 下宮 忠 雄 の ﹁国 別 使 用 言 語 一覧 ﹂ ( ﹃ 講座 言語﹄6)に よ る と 、 パ プ ア ・ニ
ュー ギ ニア の六 六 六 言 語 、 イ ンド ネ シ ア の五 六 七 言 語 、 ナ イ ジ ェリ ア の四 一二 言 語 が ベ スト 3 で、 一〇 〇 以 上 の
言 語 を も つ国 が 一六 も あ が って いる 。 イ ンド ・中 国 ・ア メ リ カ 合 衆 国 ・ソ連 な ど いず れ も そ の例 で あ る が 、 多 く の 言 語 を も った 国 が いか にた く さ ん あ る か を 示 し て いる 。
例えば使 用者 が断然多
、 問 題 は 少な い。 し か し 、 そ れ ら の国 の中 には 、 特 にど の 言 語 が強 力 だ と いう の でも な いよ
こ う いう 場 合 、 た く さ ん の言 語 を 抱 え て いる 国 で 、 一つ の言 語 がう ん と 強 力 な ら ば︱ いと いう な ら ば︱
う な の があ り 、 こと に ア フリ カ に は そ のよ う な 例 が 多 い。 林 大 監 修 の ﹃図 説 日本 語 ﹄ の中 に ラ ス ト ン の著 書 が 引
用 し てあ る が 、 そ れ に よ る と 、 例 え ば タ ンザ ニア で は 、 最 多 の使 用 者 を も つ言 語 は ニ ャム ウ ェジ ・ス ク マ語 であ る が 、 そ れ は 全 体 の 一七 % にす ぎ な いと いう 。
何語 を国 語 にす るか
こ う いう 風 に 一国 に た く さ ん の言 語 があ る と 、 そ のう ち のど の言 語 を ︿国 語 ﹀ にす る か が や か ま し い問 題 にな る。
﹃大 百 科 事 典 ﹄ の ﹁国
二 つ 以 上 の 国 語 を も っ て い る 国 は 幾 つか あ る が 、 前 述 の ベ ル ギ ー な ど は 、 オ ラ ン ダ 語 と フ ラ ン ス 語 の 両 方 が 国
語 だ そ う であ る。 スイ スは 三 つの 国 語 を も って いる 国 と 承 知 し て い た と こ ろ 、 平 凡 社 刊
語 ﹂ の 項 を 見 る と 、 憲 法 で は ド イ ツ 語 ・フ ラ ン ス 語 ・イ タ リ ア 語 の ほ か に も う 一 つ、 一種 の ロ マ ン ス 語 を も 国 語 と し て い る 、 つま り 四 つ の 国 語 を も って い る 国 だ と は 驚 い た 。
日 本 で は 国 語 を き め る の に 、 日 本 語 が そ れ だ と し て 、 何 の 問 題 も 起 こ ら な か った 。 が 、 国 に よ っ て は ゴ タ ゴ タ
す る と こ ろ が あ っ て 、 イ ン ド ネ シ ア で は 、 ジ ャ ワ 語 を 国 語 に し よ う と す る 動 き が あ った 。 そ れ を 斥 け て 、 イ ン ド
ネ シ ア 語 を 国 語 と し た に つ い て は 、 ひ と 悶 着 あ り 、 国 の 憲 法 に ﹁イ ン ド ネ シ ア の 国 語 は イ ン ド ネ シ ア 語 と す る ﹂ と いう 一条 を 書 き 入 れ た そ う だ 。
た く さん の公 用語
﹁公 用 語 ﹂ と いう も の を 認 め て い る 国 が 多 く 、 そ の 公 用 語
言 語 のた く さ ん あ る 国 で は 、 一つや 二 つだ け を 国 語 と 決 め る と 、 ほ か の言 語 を 日 常 語 と し て い る 人 た ち に と っ て は、 は な は だ お も し ろく な い。 そ こ で国 語 の ほ か に
(﹃ 言 語 生 活﹄ 昭和 三 十 九年 六月 号 ) が あ る が 、 こ れ を 見 る と 、 一つ の 国 で た く さ ん の 公 用 語 を 使 っ
で 印 刷 し た 新 聞 を 発 行 さ せ 、 ラ ジ オ ・テ レ ビ も 公 用 語 を 使 っ て い い こ と に な っ て い る 。 ﹁公 用 語 ﹂ に つ い て は 徳 川 宗 賢 の調 査 報 告
て いる 国 が ま た 実 に た く さ ん あ る 。
ア ジ ア 地 域 で 言 え ば 、 タ イ で は タ イ 語 ・中 国 語 ・フ ラ ン ス 語 ・ マ ラ イ 語 ・ラ オ 語 の 五 つ の 言 語 が 公 用 語 で あ り 、
ス リ ラ ン カ で は 、 英 語 ・シ ン ハリ 語 ・タ ミ ル 語 の 三 つ が 公 用 語 で あ る 。 た く さ ん の 公 用 語 を 使 う 代 表 的 な 国 は イ
﹁ト ゥ ー ・ ル ピ ー ズ ﹂ と 英 語 で 書 い
( 二) ・ ロ ペ ア ﹂ と あ る 。 こ れ は ヒ ン デ ィ ー 語 で あ り 、 こ れ が イ ン ド の 国 語 だ 。 表 の 方 を
( 日 本 の貨 幣 価 値 で は 二 〇 円 ぐ ら い) の紙 幣 に は 裏 に
ン ド で 、 一〇 以 上 の 公 用 語 を 使 っ て い る と い う 。 公 用 語 が 幾 つか あ る と 、 紙 幣 な ど に は 全 部 書 き 入 れ ね ば な ら な
﹁ド
い。 イ ン ド の 二 ル ピ ー てあ り 、 そ の次 に
見 る と も っと 複 雑 で 、 ベ ンガ ル語 ・ウ ルド ゥー 語 ・タ ミ ル語 な ど 全 部 で 一五 種 類 の言 語 で書 き 表 わ さ れ て いる か ら大変 だ。
フィ リ ピ ン で は 、 タ ガ ログ 語 (ピ リ ピ ノ 語 ) を 国 語 と し て認 め て いる が 、 一二 六 種 類 と いう 数 多 い言 語 を 公 用
語 と し て 認 め て いる と いう 。(﹃ 言語生活﹄昭和五十年九月号、山田幸宏) 土 田 滋 によ る と 、 例 え ば パナ イ と いう 田舎 の
島 で 生 ま れ た 子 供 は 、 小学 校 の 一年 生 に 入学 す る と 、 家 庭 で は そ の土 地 のヒ リ ガ イ ノ ン語 でし ゃ べ って いる が 、
学 校 で は 国 語 で あ る タ ガ ログ 語 と英 語 の両 方 で教 え ら れ 、 三 年 に な る と も っぱ ら 英 語 だ け で教 え ら れ る と いう 。 こ んな 状 態 で は 、 国 語 の勢 力 は 実 に 微 々 た る も の に ち が いな い。
日本 では 国 語 だ け でな く 、 公 用 語 も 日本 語 一つし か な い。 公 用 語 が た だ 一つだ と いう こ と は 、 日 本 の著 し い性 格 で あ る と いう こと に な る 。
ど の店 でも 日本 語 が ⋮⋮
鈴 木 孝 夫 は ﹃閉 さ れ た 言 語 ・日 本 語 の世 界 ﹄ に お も し ろ い こと を 書 い て いる 。 日本 人 は 、 日本 の町 を 歩 い て い
て 、 た ば こ を 買 いた いと 思 った と き 、 あ そ こ の た ば こ屋 の店 では は た し て 日本 語 が通 じ る だ ろ う か と 心 配 す る こ
と は な い、 と いう の で あ る 。 ま さ に こ れ は 当 た り前 だ 。 わ れ わ れ が 日 本 で暮 ら し て いて 、 ど の店 でも 日本 語 は 通
じ る も の だ と 信 じ き って い る。 し か し、 そ う い った こと を 心 配 し な が ら 町 を 歩 い て いる の が世 界 の多 く の国 の実 情 だ そ う で あ る 。 日本 人 に は、 そ う いう 話 は う そ のよ う に 聞 こえ る では な いか 。
明 治 維 新 の直 前 、 日 本 の国 が あ ぶな く 二 つに 割 れ そ う に な った 。 イ ギ リ スが 後 押 し を す る勤 皇 方 と フラ ン ス が
力 を 貸 そう と す る 佐 幕 方 と の二 つ に。 が 、 割 れ な い です ん だ と いう こと は、 徳 川 慶 喜 が し っか り し て いた と か、
いろ いろな 原 因 があ った が、 や は り 日本 人 全 体 が 日 本 語 と いう 一つ の国 語を 話 す と いう こ とも 大 き な 支 え にな っ た は ず だ。
日本 在住 の外国 人も ⋮⋮
日本 に も 外 国 の 人 々 がた く さ ん 住 ん で いる 。 し か し そ の人 数 の 割合 は 、 他 の国 に比 べれ ば 少 な いよ う だ 。 在 住
の外 国 人 の統 計 を 見 る と 、 韓 国 ・朝 鮮 の人 が 一番 多 い。 そ れ か ら 中 国 人 ・ア メ リ カ人 ・フ ィ リ ピ ン人 ・イ ギ リ ス
人 ⋮ ⋮ とな って いる が 、 全 体 で 八 五 万 人 だ 。 こ れ は 全 人 口 の〇 ・七 % ぐ ら いで あ る。 し か も 〇 ・六 % ま で は 、 韓
国 ・朝 鮮 人 で 、 ち ょ っと 見 た だ け で は 、 日 本 人 と 区 別 が つか な い。 そ れ も 多 く は 日本 語 を 使 い、 日 本 語 の方 がう ま いと いう 人 が多 い。
い つか韓 国 の朴 大 統 領 を 狙 撃 し よ う と し て、 夫 人 を 倒 し た 在 日 の韓 国 人 で文 世 光 と いう の が いた が 、 彼 な ど は
朝 鮮 語 は ほ と ん ど し ゃ べれ な か った そう だ 。(野元菊雄 ﹃日本人と日本語﹄) 日本 と いう 国 は 、 大 体 住 ん で いる 人 の ほ
と ん ど す べて が 日本 人 ま た は 日 本 人 と 同 じ よ う な 顔 を し た 人 た ち であ り 、 ど こ へ行 って も 日本 語 を 話 す 人 ば か り だ と 言 って い い。
二 海 外 の 日 本 語 一歩 外 へ出 ると ⋮⋮
そ のよ う な こと で、 日 本 の国 土 は ど こ へ行 っても 日 本 語 が 通 じ るわ け であ る が 、 一方 、 日 本 か ら 一歩 外 へ出 る
と 、 こ れ は外 国 語 の世 界 で、 日本 語 が通 じ に く い。 こ れ は 一般 の 日本 人 は 当 然 だ と 思 って いる が、 ほ か の国 に 比 べ る と 特 殊 な こ と であ る 。
た と え ば 、 さ き の朝 鮮 語 であ る が 、 こ れ は 韓 国 ・北 朝 鮮 以 外 に 、 中 国 の旧 満 州 の 一部 に 、 日 常 語 と し て朝 鮮 語
を 話す 一帯 の 地 が 存 在 し、 一〇 〇 万 人 の人 が 使 用 し て いる 。( 北村甫 ﹃世界の言語﹄付録)
国 外 に進 出 の激 し い言 語 の代 表 は 、 英 語 と ス ペイ ン語 で、 英 語 は 本 国 のイ ギ リ ス の他 に 、 ア メ リ カ 合 衆 国 ・オ
ー スト ラ リ アな ど 多 く の国 々 で国 語 の地 位 にあ り 、 公 用 語 に採 用 し て い る国 が ま た 多 い。 ス ペイ ン語 は 、 本 国 の
ほ か、 メ キ シ コか ら 南 米 に 至 る 数 多 く の国 々 の国 語 であ る 。 フ ラ ン ス語 や ド イ ツ 語も 、 幾 つか の国 の国 語 ・公 用 語 であ る 。
そ こ へいく と 日 本 語 は、 日本 の国 境 の外 に は ま ったく 日 本 語 の領 域 を も って いな い点 、 む し ろ 言 語 と し て珍 し い。
昔 の 日本語 の領 域
も っと も 、 日本 語 の領 域 は 以 前 は 今 と ち が って いた。 上 古 は 日 本 語 は 、 朝 鮮 半 島 の西 南 部 の任 那 地方 にも 行 わ
れ て いた よ う で 、 他 方 、 今 の福 島 県 、 新 潟 県 の北 部 以 北 は アイ ヌ語 の領 域 だ った 。 そ の ほ か に も 、 辺 境 の地 に は
日本 語 以 外 の 言 語 があ った か も し れ な い。 そ の後 、 任 那 の 日本 語 は 百 済 に 圧 迫 さ れ て 消 滅 し 、 他 方 、 奥 羽 へは 、
阿 部 比 羅 夫 ・坂 上 田 村 麻 呂 な ど の進 撃 が厳 し く 、 源 頼 朝 の奥 州 攻 略 によ って 、 本 州 北 部 ま で 、 ほ ぼ完 全 な 日本 語
の勢 力 範 囲 と な った 。 北 海 道 は 江 戸 時 代 ま で ほ と ん ど 全 部 が アイ ヌ語 の領 域 であ った が、 明 治 にな って 日本 人 の 進 出 が 盛 ん で、 と う と う 千 島 ま でを 日 本 語 の領 域 と し た 。
明治 か ら 昭 和 に か け て、 台 湾 ・カ ラ フト 南 半 ・朝 鮮 半 島 お よ び カ ロリ ン群 島 ま で 日 本 語 を 国 語 と し た が 、 昭 和
二 十 年 の敗 戦 で 、 これ ら の地 は 、 千 島 も ろ と も 日本 語 の領 域 外 と な った 。 現 在 、 台湾 と カ ロリ ン群 島 に は 日本 語
を 流 暢 に 話 す 人 は いる が 、 日常 、 日 本 語 を 主 と し て し ゃ べ る 人 は いる か ど う か。 朝 鮮 民 族 は 積 極 的 に 日 本 語 を 忘 れ よう と 努 力 し て い る か ら 、 こ こ で は 日本 語 の行 わ れ て い る 見 込 み は な い。
ブ ラ ジ ルと ハワイ
こう な る と 、 海 外 で 日本 語 が 日 常 語 と し て 行 わ れ て いる の は 、 ブ ラ ジ ルや ハワイ のよ う な 日 本 か ら 多 く の移 民
の出 か け た と こ ろ であ る。 ブ ラ ジ ルは こ と に 多 く 、 一四 万 人 の人 が 行 って いる の で 、 今 で も 日 本 語 学 校 の数 は 三
四 〇校 、 生 徒 数 は 二万 入 、 生 徒 数 の六 四 % は 三 世 だ と いう か ら、 こ こ は ま だ 日本 語 が 続 き そ う だ 。 サ ン パ ウ ロに
は 見事 な 日本 人 街 があ り、 街 の標 識 も 漢 字 ・仮 名 で書 い てあ る。 日本 語 のラ ジ オ 放 送 も あ り 、 日本 字 の新 聞 も 刊 行 さ れ てお り、 日 本 人 の仲 間 の俳 句 雑 誌 ま で あ る 。
ハワイ な ど のア メリ カ国 内 で は、 二 世 にな る と も う 英 語 の方 が 得 意 のも の が多 く 、 三 世 の中 には 日本 語 が全 然
し ゃ べれ な いも のも あ って 事 情 が ち が う 。 た だ し 、 最 近 は 日本 人 の観 光 客 が 増 え 、 日 本 人 の経 営 す る ホ テ ル や商
店 も ど ん ど ん で き た 。 そ ん な こ と で 日本 語 が 至 る と こ ろ に氾 濫 し てお り、 日 本 語 が盛 ん にな り そ う な 勢 いを 見 せ て いる 。 日 本 字 新 聞 、 日本 語 の ラ ジ オ や テ レビ 放 送 も あ る 。 な お ア メ リ カ で は 、 カ リ フ ォ ル ニ ア にも 日 本 字 新 聞 が 発 行 さ れ て い る。
現 在 の日本 語 の領域
と こ ろ で昭 和 四 十 年 ご ろ 以 後 、 ヨー ロ ッパ の フ ラ ン ス、 スイ ス、 イ タ リ ア あ た り で も 、 日本 人 の観 光 客 を 相 手
に、 商 店 街 で は漢 字 仮 名 ま じ り の案 内 の標 識 が 多 く 現 わ れ 、 パ リ の観 光 バ ス では 、 多 く の言 語 の中 に 日 本 語 も ま
ぜ て観 光 案 内 が流 れ てく る 。 こ の傾 向 は 、 世 界 各 国 で年 々盛 ん に な って ゆ く よ う であ る が、 し か し 、 日 本 語 を 生 活 語 と す る 人 々が 生 ま れ る 可 能 性 は ま ず な い。
要 す る に 、 日本 語 は 日本 国 内 で は 完 全 に近 い状 態 で行 わ れ 、 一歩 外 へ出 る と 、 こ れ ま た ほ と ん ど 完 全 に 行 わ れ
て いな い。 こ の こ と は 、 日本 語= 日本 国 の言 語 、 であ り 、 同 時 に 、 日 本 語= 日 本 人 の言 語 、 だ と いう こ と でも あ
る 。 も し 、 国 内 で 行 わ れ て いる パ ー セ ント を 分 母 と し 、 国 外 で行 わ れ て いる パ ー セ ント を 分 子 と し て 分 数 を 作 っ た ら 、 世 界 の国 語 の中 で 日本 語 ぐ ら い零 に近 い値 を 示す も の はな いと 思 わ れ る 。
﹁日本 語 でし ゃべれ ﹂
こう いう こ と か ら 、 日本 人 は 自 分 た ち の 日本 語 に対 し て は 、 ほ か の民 族 と ち が った 考 え を いだ こう と す る 。
例 え ば 、 日本 人 な ら ば 日 本 語 を 話す は ず だ と いう よ う に 、 つ い考 え て し ま う 。 ア メ リ カ へ行 く と 二 世 ・三 世 の
人 が いて 、 顔 形 な ど 一般 の 日 本 人 と 変 わ ら な い。 そ の 二 世 の人 が英 語 ば か り ベラ ベ ラ し ゃ べ って いて 、 こ ち ら が
日 本 語 で 話 し か け る と 、 ポ カ ンと し て いる 。 な に か お か し いよ う な 感 じ がす る が 、 あ あ い った こ と は ほ か の国 の
人 は 感 じ な い かも し れ な い。 い つ か、 ア メ リ カ へ渡 った 代 議 士 が 、 二 世 の人 が英 語 ば か り 使 って いる の に大 変 腹
を 立 て、 ﹁日本 人 な ら 日本 語 でし ゃ べれ ﹂ と ど な った と いう 話 があ った が、 そ の気 持 は よ く わ か る 。
だ く 。 目 の玉 や 髪 の毛 の色 の違 った 人 は 、 日 本 語 を 話 す はず が な いと 思 って いる き ら いがあ る のだ 。 終 戦 後 に 来
そ れ と 裏 表 の関 係 に あ る が、 日 本 人 は 、 青 い 目 の欧 米 人 が 日 本 語 を ベラ ベ ラ 話す と 、 な に か 不 思 議 な 感 じ を い
日 し た ア メ リ カ の英 語教 師 ク ラ ー ク は、 日 本 に 来 た て の こ ろ 福 島 県 に 住 ん で いた 。 そ の と き に 、 ﹁私 が ニ ッポ ン
語 で話 し ま す と 、 み ん な こ っち を 見 ま す ﹂ と 、 不 服 そ う な 顔 で 訴 え た け れ ど も 、 日本 人 と いう も の は、 あ あ いう
人 に 、 ﹁そ れ は そう だ け ど も ね ェ﹂ と い った よ う な 、 いか にも 日本 人 ら し い日 本 語 を 使 わ れ る と び っく り す る 。
こ れ が ア メ リ カ 人 な ら ば 、 自 分 た ち と は 全 然 風 貌 も 背 か っこう も 違 う 人 が 英 語 を し ゃ べ っても 、 ち っと も 不 思 議 が ら な い に ち が いな い。
多 言 語を操 るキク ユ族
ま た 、 よ く 日本 人 は 外 国 語 がヘ タ だ と 自 他 と も に 許 し て いる 。 こ れ は ほ か に も 原 因 が あ る が、 日 本 人 が 日 本 に
暮 ら し て 毎 日 耳 に し て いる 言 語 が、 ほ と ん ど 日本 語 ば か り で 、 外 国 語 を 話 さ な け れ ば な ら な い機 会 が ほ と ん ど な
い から 仕方 がな い。 外 国 語 を 使 わ な い のは 、 日本 人 に限 らず 、 ア メ リ カ の大 衆 で も そ う で 、 英 語 以 外 は し ゃ べら ず 、 理解 し な い人 が 多 い。
橋 本 万 太 郎 に よ る と 、 ア メ リ カ に こう いう 笑 い話 が あ る そ う だ 。 問 ﹁三 つ の言 語を 話 す 人 を 何 と 言 う ? ﹂ 答 ﹁Trilin ﹂guist. 問 ﹁二 つ の言 語を 話 す 人 を 何 と 言 う ? ﹂ 答 ﹁Bilin﹂guist. 問﹁一 つ の言 語 し か 話 せな い人 を 何 と 言 う ?﹂ 答 ﹁Ameri﹂ can.
一方 、 ア フリ カ のケ ニア の ナ イ ロビ に 住 む 黒 人 た ち は、 キ ク ユ族 に 属 し 、 自 分 の名 前 さ え ろく に読 み書 き でき
な いも の が 多 いが、 話 し 言 葉 の面 で は 、 キ ク ユ語 の ほ か に 、 た いて い英 語 を 話 し 、 さ ら に同 じ ア フリ カ の言 語 で
も キ ク ユ語 と は ま った く 系 統 のち がう ス ワ ヒ リ 語 も 話 す と いう 風 で 、 大 抵 の人 が 二 つか 三 つ の言 葉 を 楽 に 使 い分 け る そ う だ 。(﹃ 言語﹄昭和 四十八年三月号、西江雅之)
本 多 勝 一の ﹃極 限 の民 族 ﹄ に よ れ ば 、 ニ ュー ギ ニア の 高 地 の 民 族 は 、 二 つ のま った く ち が った 言 語 を し ゃ べ る
のが ざ ら のよ う だ 。 日 本 人 が 外 国 語 を し ゃ べれ な い のを 未 開 の せ いと 考 え る 必 要 はな い。
二 日 本 語 の多 様 性
一 日 本 語 の種 々相 日本 人は 語学 の天才 ?
グ ロー タ ー ス神 父 は 時 々人 の意 表 を つく こと を 言 う 人 で あ る が 、 あ る 時 、 ﹁日 本 人 は実 に 語 学 の 天 才 だ ﹂ と 言
こ の言 葉 の違 いは、 ヨー ロ ッパ へ行
った 。 彼 に言 わ せ る と 、 ﹁日本 人 が 電 話を か け て いる のを 聞 い て いる と 、 故 郷 の兄 弟 に対 し て 話 し て い る 場 合 、
った ら 三 つぐ ら い の外 国 語 を 使 い 分 け て い る よ う だ ﹂ と いう の であ る 。
親 し い友 だ ち に 対 し て話 し て いる 場 合 、 上 役 に 対 し て 話 し て いる場 合 、︱
ソ ギ ャ ン コト ワ シ ェンホ ー ガ ヨカ タイ
た し か に、 九 州 の筑 後 あ た り の人 な ら ば 、 故 郷 の弟 に 向 か って は 、
と 言 う で あ ろ う 。 が 、 東 京 へ出 て来 て 、 親 し い学 友 に 対 し ては 、 ンナ バ カ ナ コト ヲ ス ル ヤ ツガ ア ル カ と 言 いそ う だ 。 そ れ が 社 会 へ出 て上 役 に 対 し た 時 は 、 サ ヨー ナ コト ワ オ ヒ カ エナ ス ッテ ワ イ カ ガ デ シ ョー カ と 言 いそ う であ る 。
ヨ ー ロ ッパ の、 デ ン マー ク 語 ・ス ウ ェー デ ン語 ・ノ ル ウ ェー 語 と 言 え ば 、 別 々 の国 語 と いう こ と に な って いる
が 、 こ の 三 つ はよ く 似 て お り 、 デ ン マー ク 語 を 心 得 て いれ ば 、 ス ウ ェー デ ン語 も ノ ル ウ ェー 語 も 聞 い てわ か る そ
う だ 。 ノ ルウ ェー と の国 境 に 近 い ス ウ ェー デ ンに 住 む 主 婦 が 、 も し 国 内 の魚 屋 で い い品 が な いと 、 国 境 を 越 え て
ノ ルウ ェー の市 場 へ行 き 、 ス ウ ェー デ ン語 を 使 って 魚 を 買 って 来 る そう だ 。 市 場 の方 で は ノ ルウ ェー 語 で応 対 す
る と いう か ら 、 恐 ら く 日本 の群 馬 県 の 言 葉 と 栃 木 県 の言 葉 ぐ ら い の ち が いし かな い の であ ろ う 。
俳 優 の苦労
相 手 に よ って 言 葉 を 変 え る と いう こと は 、 ま た 自 分 の身 分 を 考 え て言 葉 を 選 ぶ と いう こ と に も な る わ け で、 い ろ いろ な 人 の役 を 演 ず る 日 本 の 俳優 は つら い。
武 家 の女 性 、 ま た 町 家 の 女 房 。
武 家 も 使 え る が、 町 家 が主 ら し い。
中 村 芝 鶴 が書 い て い た が 、 た と え ば 、 ﹁い つ江 戸 へ来 た か ﹂ と い った こ と を 言 う の に変 化 が 十 いく つあ る と い
﹁い つ江 戸 へお い でな さ れ ま し た ﹂︱
う 。( ﹃言語生活﹄昭和三十五年四月号)
遊女。
母 親 の場 合 。
父 親 が息 子 に 言 う 場 合 。
﹁い つ江 戸 へお 越 し で ご ざ いま し た ﹂ ︱ ﹁い つ江 戸 へ御 座 った ﹂︱
武 士。
﹁い つ江 戸 へ御 座 ら し ゃ った﹂ ︱ ﹁い つ江 戸 へ参 ら れ た ﹂︱
﹁い つ江 戸 へ来 や し ゃん し た ﹂ ︱
遊 女 のな か でも 位 のあ る 太 夫 で 重 々 し く な る。 芸 者 で粋 な 口 調。
﹁い つ江 戸 へご ざ ん し た ﹂ ︱ ﹁い つ江 戸 へ来 な さ ん し た ﹂ ︱
僧 侶 ・医 者 。
飯焚。
職 人 と か鳶 。
﹁い つ江 戸 へご ざ りま し た ﹂ ︱
﹁い つ江 戸 へお い でな せ え ま し た ﹂︱ ﹁い つ江 戸 へご ざ ら っし ゃ りま し た ﹂︱
会 話 の写し 方
し か し 、 こ のよ う な こ と は 文 学 者 に と って は 日 本 語 の長 所 で、 谷 崎 潤 一郎 の ﹃陰翳 礼 讃 ﹄ の中 に、 あ る フラ ン
ス の作 家 が 日本 の作 家 た ち を う ら や ま し が った と いう 話 を 載 せ て いる 。
フ ラ ン ス の小 説 家 が、 大 勢 の紳 士 ・淑 女 が サ ロン に集 ま った は な や か な 場 面 を 描 写 し よ う と す る 。 あ っち のす
み か ら 、 ウ ィ ッテ ィー な 短 い会 話 が 飛 び 出 し た か と 思う と 、 こ っち のす み か ら そ れ に 答 え る警 句 が出 る 、 一座 が
興 じ あ う 、 そ う いう と こ ろ を 書 こう と す る と、 ど う し て も 、 ﹁⋮ ⋮ と ひ と り の 紳 士 が言 った ﹂ ﹁⋮ ⋮ と 中 年 の老 婦
人 が言 った ﹂ と断 り 書 き を つけ な け れ ば な らな い。 そう し な いと 、 話 し 手 が だ れ だ か わ か ら な い。 そ こ で、 と か
く 、 間 のび が し て 、 つ い生 き 生 き と し た 情 景 が 死 ん で し ま う 。 こ れ がも し 日 本 語 な ら ば 、 い っさ い断 り 書 き が い ら な い。 そ こ で 日 本 の文 学 者 がう ら や ま し い、 と いう こ と にな る のだ そう で あ る。
尾 崎 紅 葉 の名 作 ﹃金 色 夜 叉 ﹄ の巻 頭 、 カ ルタ 会 の場 面 、 富 豪 富 山 唯 継 の指 に燦 然 と 輝 く ダ イ ヤ モ ンド を 見 て 、 一座 の子 女 が ド ヨめ く と こ ろ が、 こ う いう ふう に写 さ れ て いる。 ﹁金 剛 石 !﹂ ﹁う む 、 金 剛 石 だ 。﹂ ﹁金 剛 石 ??﹂ ﹁な る ほ ど金 剛 石 !﹂ ﹁ま あ 、 金 剛 石 よ 。﹂ ﹁あ れ が金 剛 石 ? ﹂ ﹁見 た ま え 、 金 剛 石。﹂ ﹁あ ら 、 ま あ 金 剛 石??﹂ ﹁す ば ら し い金 剛 石。﹂
わ れ わ れ 日本 人 は こ れを 読 ん で、 ど れ が男 の こと ば で 、 ど れ が 女 の こ と ば だ と いう こと が 大 体 わ か る 。 年 恰 好
や 身 分 ま で想 像 が つく 。 そ う し て、 そ れ が当 り 前 の こ と だ と 思 って いる 。 が 、 こ う いう こ と は 西 洋 の小 説 で は で
き な いの だ そ う だ 。 つま り、 西 洋 で は、 男 の こ と ば と 女 のこ と ば と は 、 文 字 で書 く と 区 別 がわ か ら な く な ってし まう からだ。
日本 語 の特 技 永 野 賢 の ﹃に っ ぽ ん 語 考 現 学 ﹄ に 、 こ う いう 物 語 が 出 て い る 。
ラ イ オ ン と ク マ と オ オ カ ミ と キ ツ ネ と サ ル と ウ サ ギ と ハ ツ カ ネ ズ ミ が 一緒 に ピ ク ニ ック に 行 って 、 同 じ 気 持 を 言 う が、 そ れ ぞ れ 言 い方 が違 う のだ 。
﹁わ が 輩 は 昼 寝 を し よ う と 思 う 。 そ ち は 、 見 張 り を し て お れ ﹂
ま ず 、 ラ イ オ ンが ク マに命 令 す る 。
﹁お れ は ち ょ っと 昼 寝 を す る 。 貴 様 は よ く 見 張 っ て い ろ ﹂
ク マは オ オ カ ミ に 対 し て 言う 。
﹁わ し は ち ょ っと 昼 寝 を し た い。 お ま え 、 見 張 り を し て い て く れ な い か ね ﹂
オ オ カ ミ は キ ツネ に 対 し て 、
﹁あ た し は ち ょ っと 昼 寝 を す る よ 。 あ ん た 、 す ま な い が 見 張 って い て お く れ ﹂
キ ツネ は サ ル に 対 し て 、
﹁ぼ く ち ょ っ と 昼 寝 す る か ら ね 。 き み 、 見 張 っ て い て ね ﹂
サ ル は ウ サ ギ に 対 し て、
﹁わ た し 、 ち ょ っと 昼 寝 す る わ 。 あ な た 、 見 張 り を し て く だ さ ら な い? ﹂
ウ サ ギ は ハツカ ネ ズ ミ に 対 し て、
最 後 の ハ ツ カ ネ ズ ミ も 眠 く な った が 、
﹁あ た い には 見 張 り を 頼 む 相 手 がな い﹂
と 言 って、 こ こ で お し ま いにな る 話 であ る が 、 と に か く こう い った 言 葉 づ か い の変 異 、 言 葉 の違 いと いう も の は 、
日 本 語 な れ ば こそ で き る 表 現 で あ る 、 と いう こと に な る 。 こ れ は 日本 語 の特 技 で あ ろ う 。
二 方 言 のち が い 八丈 島 の言葉
日 本 語 の言 葉 の違 いが 一番 激 し く あ ら わ れ る の は 、 何 と 言 って も 、 地 域 に よ る方 言 の違 いで あ る。
関 東 の言 葉 と 関 西 の言 葉 と が ち が う こ と は 誰 でも 知 って いる が 、 こ れ は ま あ 、 お 互 いに 聞 い てそ の意 味 は わ か
る 。 これ が奥 羽 の北 や 九 州 の南 の方 へ行 く と 、 地 元 の言 葉 は 東京 や 大 阪 の人 に は何 を 言 って いる の か、 ま ず わ か ら な い。
が 、 日本 の方 言 は、 そ のよ う な 辺 境 の 地 へ行 か な く て も 、 中 心 部 と は ち が う 。 伊 豆 八 丈 島 は 東 京 都 に 属 し 、 衆
議 院 議 員 の 選 挙 の時 は、 田 園 調 布 や 大 森 と 同 じ 選 挙 区 に 入 れ ら れ る と こ ろ で あ る が 、 こ こ の言 葉 は 東 京 の人 間 に
は ま ず わ か ら な い。 ﹁雨 が降 った ﹂ は ﹁雨 ン降 ラ ラ ー ﹂ とな り 、 ﹁人 が いた ﹂ は ﹁人 ン ア ラ ラ ー ﹂ と な る 。 上 代 の
﹃万 葉 集 ﹄ の第 十 四 巻 は 、 東 歌 の巻 と し て 、 当 時 の東 国 方 言 で 詠 ん だ 歌 が 集 め ら れ て いる が、 そ の東 歌 の 語 法 を
伝 え て いる 島 な の で あ る。 東 歌 に 、 ﹁筑 波 嶺 に 雪 か も 降 ら る ﹂ と いう の が あ る 。 ﹁ 降 ら る ﹂ は 大 和 地 方 の ﹁降 れ り﹂ に あ た る 言 葉 、 こ れ が 変 化 し て 出 来 た 言 葉 が、 八丈 島 の ﹁降 ラ ラ ー ﹂ だ 。
沖 縄本 島 と与 那国
方 言 の中 で、 ち が い の激 し く て有 名 な の は 、 奄 美 ・沖 縄 の言 葉 で、 明治 維 新 の こ ろ ま で は外 国 語 と し て 扱 って いた。
ア ンディ ワンラ
リ チ ャヨ ウ チ チ リ テ ィ ヨー カ ナ ヨ
ヨー カ ナ ヨ ヤド ゥ ニウ ラ リ ラ ヌ
カ ナ ヨー ウ ムカ ジ ヌ タ テ ィ バ
た と え ば 、 沖 縄 の有 名 な 民 謡 ﹁か な よ ﹂ (=愛 し い人 よ ) は 、 次 のよ う な 歌 詞 であ る 。
お そ ら く 、 一般 の方 に は 、 全 く 意 味 がわ か ら な いと 思 う 。 沖 縄 の人 は こ の歌 を 、 ド ・ミ ・フ ァ ・ソ ・シ ・ド と
いう 日 本 離 れ し た 音 階 で歌 う の で、 い っそ う エキ ゾ テ ィ ック な 印 象 を 与 え る が、 こ の歌 詞 の意 味 は次 のよ う な も
の であ る 。 カ ナ ヨは 題 名 で 説 明 し た と お り だ が 、 ウ ム カ ジ ヌ は ﹁主 舵 の ﹂ か と 思 う と 、 そ う でな く て ﹁面 影 の﹂
であ る 。 タ テ ィバ は ﹁立 て ば ﹂、 ヤド ゥ ニ ⋮⋮は ﹁宿 に居 ら れ ぬ ﹂ の意 、 リ チ ャ ヨ は ﹁さ あ 行 こ う よ ﹂、 ウ チ チ リ
テ ィ は ﹁打 ち 連 れ て﹂、 ア ン デ ィ ワ ン ラ は ﹁遊 ん で 忘 れ よ う ﹂ であ る 。 つま り 、 ﹁愛 し い人 よ 、 面 影 が立 てば 宿
に居 ら れ ぬ 。 さ あ 行 こう 、 打 ち 連 れ て 遊 ん で 忘 れ よ う ﹂ と いう 意 味 で、 非 常 に変 わ り 果 て て いる が、 古 い時 代 に 本 土 方 言 か ら 変 化 し て で き た 南 島 の方 言 であ る こと は 疑 い がな い。
沖 縄 方 言 の権 威 ・上 村 幸 雄 の説 に よ る と 、 沖 縄 の西 方 、 宮 古 ・八 重 山 の言 葉 は 、 那 覇 の あ る 沖 縄 本 島 の言 葉 と
大 き く ち が い、 西 端 の与 那 国 方 言 は さ ら に大 き く ち が って いて、 こ の沖 縄 本 島 の方 言 と 与 那 国 方 言 と のち が いは、
本 土 の奥 羽 方 言 と 九 州 方 言 のち が い以 上 であ る と いう か ら 、 日本 全 体 の方 言 のち が いは き わ め て はな は だ し い。
未 開社会 と 方言
一体 、 これ が外 国 へ行 く と 、 大 国 ア メ リ カ は 、 東 の方 の大 西 洋 岸 と 西 の方 の太 平洋 岸 と で は 、 そ の 距 離 、 日本
の領 土 の 東 北 端 か ら 西 南 端 ま で の距 離 の二 倍 ぐ ら いあ る が 、 そ の大 西 洋 岸 の人 と 太 平 洋 岸 の 人 と で、 英 語 で話 す
限 り あ ま り 言 葉 が 違 わ な い。 ソ連 も 、 南 北 の距 離 は そ のく ら いあ る が 、 北 の北 海 沿 岸 の漁 師 と 南 の ウ ク ラ イ ナ 地
方 の農 民 が、 ロシ ア 語 方 言 で 話 し ても ち ゃん と 通 じ る そ う だ 。
一般 に 、 方 言 の違 いが 激 し いと いう の は 、 ど ち ら か と 言 う と 文 化 のあ ま り 高 く な い地 域 に 多 いよ う だ 。 デ ン マ
ー ク の言 語 学 者〇 ・イ ェス ペ ル セ ン の ﹃ 言 語 ﹄ によ れ ば 、 南 米 ア マゾ ン川 の上 流 で舟 に のる と 、 一〇 人 の船 頭 の
う ち で 三 人 ぐ ら い が 口 を き い て 、 あ と の 七 人 は ポ カ ンと し て いる と いう 。 そ の 七 人 のう ち 一人 が 口を き く と 、 ま
た 三 人 ぐ ら いだ け が そ の男 と 口を き く 。 何 か ケ ンカ で も し た のか と 思 って いた ら 、 そ う で は な く て、 互 いに 言 葉 が通 じ な い の だ と いう 。
ほ と ん ど 各 村 が特 有 の方 言 を も って いた と いう 。 そ う し て六 マイ ル ( 約 一〇キ ロ)か 八 マイ ルも はな れ た 村 で は も
ド イ ツ の東 洋 学 者 ガ ベ レ ン ツ と人 類 学 者 マイ ヤー は 、 ニ ュー ギ ニア の 東 北 部 の マク レ ー 海 岸 を ま わ った と こ ろ 、
う 互 いに 理 解 し え な いほ ど だ った 。 そ のた め に 、 一日 の旅 でも 二 人 か 三 人 の通 訳 が 必 要 だ った と いう 。( イ ェスペ ルセン ﹃ 人類と言語﹄)
一般 に未 開 種 族 の間 で は 、 方 言 の ち が い が は な は だ し い。 な ぜ か と いう と 、 未 開社 会 は た が い に閉 鎖 的 で、 大 き な 社 会 を つく って いな いた め であ る 。
方言 の激 し さ の由来
そ れ で は 、 日本 語 で 方 言 のち が いが大 き い の は 、 日本 の社 会 が未 開 であ る か ら か。 原 因 は ほ か に あ る。 日 本 人
が こ の領 土 へ来 て か ら 悠 久 の年 月 が た って いる か ら であ る。 ロシ ア 人 が キ プ チ ャ ック 汗 国 を 滅 ぼ し て今 の ソ連 に
ロ シ ア帝 国 を 建 てた のは 十 五 世 紀 後 半 のこ と だ った 。 ア メ リ カ 人 の 先 祖 が ア メ リ カ 大 陸 に 合 衆 国 を 作 った のは 十
八 世 紀 後 半 の こと であ る 。 日本 の歴 史 に く ら べれ ば 、 つ いこ の間 の こ と だ 。 ロシ ア語 や ア メ リ カ 語 ( 英語 )が各
地 に 広 ま った のは 、 そ れ 以 後 であ る 。 だ か ら 、 方 言 の分 化 が 行 わ れ る の に十 分な 歳 月 がな か った のだ 。
標準 語 の制 定
日本 語 の方 言 のち が いは 、 と に か く は げ し い。 が 、 日本 人 は こ の よ う な 方 言 のち が いに 対 し て 、 無 為 無 策 で は
な い。 日本 人 は、 方 言 のち が い の 不便 さ を よ く 知 って いる 。 そ の た め に、 東 京 の言 葉 を 基 礎 と し て 、 これ に さ ら に磨 き を か け た 言 語 を 考 え 、 これ を ︿標 準 語 ﹀ と し て、 学 校 教 育 で普 及 さ せ た 。
こ の普 及 は 日本 では 実 に 見 事 であ る 。 完 全 な 標 準 語 を し ゃ べ る 人 は 、 も ち ろ ん わ ず か であ る。 が 、 少 な く と も
他 の 地方 の人 にわ か ら せ る よ う な 言 語 、 す な わ ち ︿共 通 語 ﹀ な ら ば 、 た いて い の人 が し ゃ べ る こ と が でき る 。 仲
宗 根 政 善 に よ る と 、 仲 間 ど う し で は あ れ ほ ど ち が った 方 言 を 使 う 沖 縄 でも 、 本 島 じ ゅう 調 べ て 、 標 準 語 のわ か ら な い人 は 最 近 は いな いと いう 。
馬 淵 和夫 によ る と 、 イ ギ リ ス の ロ ンド ン っ子 の英 語 は ア メ リ カ 英 語 よ りわ か り にく く 、 クイ ー ンズ ・イ ング リ
ッシ ュと は 程 遠 いも のだ と いう 。 東 京 の下 町 の人 た ち が 、 有 名 な シ と ヒ の混 同 な ど を せ ず 、 今 で は ち ゃん と し た
共 通 語 を 使 って いる のと は 、 大 き く ち が う 。 ア メ リ カ に は 、 共 通 語 と いう も のが 、 そ も そ も な いよ う だ と いう 。
( ﹃言語生活﹄昭和 四十四年二月号) 日本 語 の共 通 語 の普 及 は 注 目 す べき も の があ る よ う だ 。
三 階 層 によ る ち が い 武 士と 町人 日本 語 は ま た 、 社 会 の階 層 に よ る 言 葉 のち が いが 古 く か ら 言 わ れ て 来 た 。
いう 二 つ の言 語 が あ った 。 梵 語 の方 は 、 貴 族 ・僧 侶 と 舞 踊教 師 が使 って いた と いう 。 一方 、 プ ラ ー ク リ ット と い
こう いう 点 で有 名 な の は 昔 のイ ンド であ る。 古 代 のイ ンド に は、 梵 語 (サ ン スク リ ット ) と プ ラ ー ク リ ット と
う 言 語 の方 は 、 商 人 や 警 察 官 や 風 呂 屋 や 漁 師 な ど の使 う 言 語 であ った そ う だ 。
日本 語 で階 層 に よ る 言 語 のち が い のは げ し か った の は 、 何 と い って も 中 世 か ら 近 世 で 、 貴 族 ・武 士 ・僧 侶 ・町
人 ・農 民 そ れ ぞ れ 別 の こ と ば を し ゃ べ って いた 。 こ れ ら は 歌 舞 伎 の セ リ フ に ち ょ っと 注 意 す れ ば 、 非 常 に 明 瞭 で ある。
中 で 、 武 士 の 言 葉 は 一番 特 色 が あ り 、 江 戸 時 代 に 至 っ て も 、 文 語 体 を 交 え て いた 。 語 彙 と し て は 、 ﹁い か が ﹂
(=ど う )、 ﹁さ よ う ﹂ (=そ う )、 ﹁こ の た び ﹂ (=今 度 ) と か 、 漢 語 の ﹁今 日 ﹂ ﹁所 望 ﹂ ﹁持 参 ﹂ ﹁用 捨 ﹂ ⋮ ⋮ 、 あ る
い は 、 動 詞 と し て は 、 ﹁致 す ﹂ (=す る )、 ﹁参 る ﹂ (=行 く ・来 る )、 ﹁申 す ﹂ (=言 う )、 ﹁ 存 ず る ﹂ (=思 う ・知
る )、 ﹁ご ざ る ﹂ (=あ る ) の よ う な も の を 使 い 、 さ ら に 接 頭 語 と し て 、 ﹁相 ﹂ ( 例 、 相 済 ま ぬ )、 ﹁罷 り ﹂ ( 例 、罷 り
︿荘 重 語 ﹀ と 呼 び 、 言 葉 つき を 荘 重 に し て 威 厳 を 保 つた め の も の と し た 。 こ れ ら は 、
な ら ぬ ) な ど を 使 って いた 。 松 下大 三 郎 は、 これ ら を
﹁さ よ う 申 さ る る は ﹂ ﹁い か が 致 さ れ た ? ﹂
﹁い つ 江 戸 へ 参 ら れ た ﹂ も そ の 例 で あ
現 代 語 で は 丁 寧 体 の文 に専 用 の単 語 であ る が、 武 士 た ち は 常 体 の 文 の中 にも 、
のよ う に 、 尊 敬 を 表 わ す 言 葉 づ か いで使 って いた 。 先 に あ げ た 中 村 芝 鶴 の る。
今 の 学 校 文 法 で は 、 こ れ ら の 多 く を 謙 譲 語 と し て い る が 、 ち ょ っと ち が う 。 今 、 ゴ ザ イ マ ス 体 の 文 に 愛 用 さ れ
て い る の は 、 日本 人 は 、 堅 く ま じ め に ふ る 舞 う のが 、 目 上 に 対 す る 礼 儀 だ と 思 って来 た こと に よ る 。
宮中 の言葉
と こ ろ で 、 明 治 以 後 、 こ の よ う な 階 層 に よ る 言 葉 の ち が い は 薄 く な り 、 戦 後 は ほ と ん ど な く な っ て し ま った 。
戦 後 、 天 皇 陛 下 の 口 に さ れ る お 言 葉 が 一般 と ち が っ て い る の が 話 題 に な った が 、 ほ か の宮 様 の 言 葉 は あ ま り ち が い が な い。
い つ か 皇 太 子 殿 下 の 言 葉 の こ と を 、 学 習 院 の 学 友 の 一人 が 書 い て い る の を 見 た が 、 ち が っ て い た の は 、 食 事 の
﹁お 早 う ご ざ い ま す ﹂ と あ い さ つ を さ れ て 驚 く 。 テ レ ビ に 出 る こ
お か ず の 名 前 で 、 大 根 の き り ぼ し と か 、 お か ら と か い う も の が 、 ち が った 名 前 で 呼 ば れ て い た と あ った 。
四 職 域 に よ る ち が い ﹁頭 の テ ス ト ﹂ 芸 能 界 の人 に 逢 う と 、 そ れ が 夕 方 で あ っ て も
と に な っ て 、 そ ろ そ ろ リ ハー サ ル が は じ ま る か な と 思 っ て い る と 、 ﹁こ れ か ら 頭 の 方 の テ ス ト を し ま す ﹂ と 言 わ
れ 、 何 か メ ン タ ル テ ス ト で も さ れ る の か と 思 って び っく り す る と 、 ﹁は じ め の 方 の 部 分 だ け 、 ど の よ う に 映 る の
か テ ス ト し ま す ﹂ の 意 味 だ と 聞 い て 安 心 す る 。 そ の 社 会 そ の 社 会 の 慣 用 の 言 い方 は 、 知 ら な いと ま ご つく こ と が 多 い。
(銀 行 )・議 長
(上 院 ) ・会 長 ・総 長 ・学 長 ・塾 長 ・院 長 と 言 い 分 け る 。 英 語 でcaptai とn 言 う と こ ろを 、首
英 語 な ら ばPresidと enい tう 言 葉 を 一 つ置 い て い れ ば す む と こ ろ を 、 日 本 語 で は そ の 社 会 に よ り 、 大 統 領 ・総 裁
領 ・船 長 ・艦 長 ・艇 長・主 将 な ど と 言 い分 け る 。 こ のよ う に、 職 域 に よ る 呼 び名 のち が いが 日本 語 では 激 し い。
軍隊 の言 葉
戦 前 の 日 本 で は 軍 隊 の 言 葉 が 異 彩 を 放 っ て お り 、 軍 人 は 軍 服 を 脱 い で も 、 そ の 言 葉 か ら す ぐ 軍 人 と わ か った も の だ った 。
( 編 上 靴 ) ・ブ ッ カ ン ジ ョ ー
(濃羹 汁 )・ラ イ ス
( ポ ケ ット ) な ど の 名 前 の 使 い方 を お ぼ え る の に 苦 し
( 軍粮 精 ) ・ス ー プ を ノ ー カ ン ジ ュー
( 物 干 場 )・ モ ノ イ レ
軍 隊 の 言 葉 と い う も の は 洋 語 を 極 端 に き ら い 、 漢 語 ま た は 和 語 の 翻 訳 語 を 用 い た も の だ った 。 初 年 兵 は 、 ヘ ン ジ ョー カ
ん だ 。 陸 軍 の 糧 秣 本 廠 で は 、 キ ャ ラ メ ルを グ ン ロ ー セ ー
カ レ ー を カ ラ ミ イ リ シ ル カ ケ メ シ と 呼 ん で い た と い う 。(﹃ 国 語 運動 ﹄ 昭 和 十 三年 八月 号 )
軍 隊 語 の特 色 は 、 語 彙 だ け では な い。 文 法 形 式 にも あ った 。 デ ア リ マス文 体 の使 用 は 周 知 のと お り であ る 。 そ
し て、 そ の表 現 は 型 には ま ってお り、 表 現 の自 由 は 非 常 に 乏 し か った 。 国 語 学 者 ・阪倉 篤 義 の次 の記 述 は 、 そ の 特 色 を よ く 伝 え て いる 。
初 年 兵 の こ ろ 、 野 外 演 習 に出 て、 射 撃 目 標 の こと で 、 上 等 兵 殿 に ﹁一町 ほ ど 先 に 一軒 家 が 見 え る で し ょう ﹂
と 言 おう と し た が、 これ が ど う し ても 言 い表 わ せ な い。 軍 隊 こ と ば と し て ﹁一町﹂ は ﹁約 一〇 〇 米 ﹂、 ﹁先
に﹂ は ﹁前 方 ﹂、﹁一軒 家 ﹂ は ﹁独 立 家 屋 ﹂ と 言 いな お さ な け れ ば な らな い こと は よ く わ か って いる のだ が、
﹁見 え る で し ょう ﹂ と いう と こ ろ が例 の ﹁であ り ま す ﹂ こ と ば で は な ん と し て も 言 え な い の で あ る 。 ﹁見 え ま
す か ﹂ で はも ち ろ ん な く 、 ﹁見 え ま し ょう ﹂ で は 軍 隊 こ と ば にな り そ う にな い。 ど う にも じ れ った く て、 い
ろ いろ 考 え た あ と で、 や っと 気 が つ いた こ と は 、 け っき ょく 軍 隊 こ と ば の文 体 で は 、 こ う いう 相 手 の共 感 を
求 め る よ う な 、 な れ な れ し い表 現 と いう も の が、 そ も そ も 不 可 能 な の だ 、 と いう こと だ 。(﹃ことばの講座﹄Ⅰ︶
ま た 戦 前 の 軍 隊 で は 、 海 軍 と 陸 軍 と の対 立 が 有 名 で 、 これ は 用 語 にも 現 わ れ た 。 ﹁機 関 銃 ﹂ ﹁高 射 砲 ﹂ は 陸 軍 の
用語 であり、海 軍 では ﹁ 機 銃 ﹂ ﹁高 角 砲 ﹂ だ と 言 って 譲 ら な か った 。 ﹁大 将 ﹂ を 陸 軍 で は タイ シ ョウ と 読 ん だ が、 海 軍 で は 平 安 朝 以 来 の伝 統 を 重 ん じ て ダ イ シ ョウ と 読 ん で いた 。
宗 教界 の 言葉
戦 前 ・戦 後 を 通 じ て、 他 に 対 し て は っき り 境 を 立 て て 孤 立 し て いた の が宗 教 界 で 、 そ のた め に、 宗 教 界 の言 葉 には 特 色 があ る 。
あ る雑 誌 の 速 記 者 が、 浄 土 宗 の権 威 ・椎 尾 弁 匡 師 の法 話 を 速 記 し た と こ ろ 、 ﹁一日 のう ち ジ ンチ ョー と か ニチ
モ ツと か ゴ ヤ と か いう ふう に 六 つ の時 に お念 仏 を 唱 え て ⋮ ⋮﹂ と いう 調 子 で、 さ っぱ り 意 味 が つか め な か った と
いう 。 ジ ンチ ョー は ﹁農 朝 ﹂ (=あ さ )、 ニチ モ ツ は ﹁日 没 ﹂、 ゴ ヤ は ﹁後 夜 ﹂ (=夜 中 す ぎ ) で、 字 を 見 れ ば 難 し
﹁校 舎 の サ イ ケ ン ﹂ ﹁会 社 の サ イ ケ ン ﹂ と いう が 、 仏 教 に 関 す る 時 に 限 り
い 言 葉 で は な い の だ が 、 い き な り 耳 か ら 聞 い た の で は お 手 上 げ ら し い 。(﹃ 言 語 生 活﹄ 昭和 二 十 七年 九 月 号 ) ﹁再 建 ﹂ と い う 字 は 、 一般 に 使 う 時 は
﹁寺 の サ イ コ ン ﹂ と いう と は 、 戦 前 、 小 学 校 の 国 語 で や か ま し く 勉 強 し た も の だ った 。 ﹁利 益 ﹂ は リ エキ で は な く
て リ ヤ ク 、 ﹁女 性 ﹂ は ジ ョセ イ で は な く て ニ ョシ ョ ウ と や さ し く 、 ﹁殺 生 ﹂ を セ ッ シ ョ ウ と 読 む の も 、 ま こ と に 仏
﹂ の時 は オ シ ョー と 読 む わ け だ 。
﹂
教 的 で あ る 。 文 字 に よ っ て は 、 仏 教 の 中 で 、 さ ら に 流 派 の ち が い に よ って 、 読 み 方 が ち が う の も あ る 。 ﹁和 尚 ﹂
﹂ の 時 は ワ ジ ョ ー と 読 み 、 ﹁布 袋 ︱
は 天 台 宗 で は ク ワ シ ョー 、 真 言 宗 ・律 宗 で は ワ ジ ョー 、 禅 宗 ・浄 土 宗 で は オ シ ョー と 読 む 。 例 え ば 、 ﹁慈 鎮 ︱ の 時 は ク ワ シ ョー と 読 み 、 ﹁鑑 真 ︱
宗 教 界 は 、 キ リ ス ト 教 で も 幾 つ か 特 異 な 語 彙 が あ り 、 し か も カ ト リ ック と プ ロ テ ス タ ン ト の 間 で 術 語 が ち が い 、
カ ト リ ッ ク の ﹁神 父 ﹂ は 、 新 教 徒 の ﹁牧 師 ﹂ に 当 る 。 ﹁安 息 日 ﹂ の よ み 方 は 、 以 前 は プ ロ テ ス タ ン ト 教 会 で は ア
ン ソ ク ニ チ 、 カ ト リ ック 教 会 で は ア ン ソ ク ジ ツ と 対 立 し て い た の で 、 い つ か N H K の ニ ュ ー ス で こ の 言 葉 を 放 送 す る 時 に 、 苦 慮 の 末 、 ア ン ソ ク ビ と 言 って 逃 げ た こ と が あ った 。
スポ ー ツ界 の術語
ス ポ ー ツ界 の 術 語 は テ レ ビ な ど で た び た び そ の ま ま 放 送 さ れ 、 一般 の 人 も 知 って い る も の と さ れ て い る の は 、 スポ ー ツ の人 気 が 然 ら し め る と こ ろ であ ろう か 。
同 じ 職 業 の 名 が 分 野 に よ っ て ち が う の は 、 一般 の 人 を ま ご つ か せ る も の で 、 例 え ば 審 判 員 を 、 あ る い は ア ン パ
イ ヤ と 言 い 、 あ る い は レ フ ェ リ ー 、 ジ ャ ッ ジ と も いう 。 そ う し て ス ポ ー ツ に よ って は 、 そ の う ち 二 つ を 用 い て 主 審 と 副 審 に あ て る と いう か ら や や こ し い。
そ う か と 思 う と 、 同 じ 単 語 を ジ ャ ン ル に よ っ て ま っ た く ち が う 意 味 に 使 う も の も あ り 、 例 え ば 、 パ ス と いう 単
語 は、 バ ス ケ ット ボ ー ルや サ ッカ ー で は 、 敵 に 取 ら れ な いよ う に 味 方 に球 を 渡 す こ と 、 テ ニ ス では 、 相 手 が受 け
ら れ な いよ う な 速 い球 を 相 手 のす ぐ 横 を か す め て 打 ち 込 む こと 、 棒 高 飛 び や 重 量 挙 げ では 、 当 然 楽 に 飛 べる と 思
う 高 さ の段 階 の バ ー 、 あ る いは 当 然 楽 に 持 上 げ ら れ ると 思 う 重 さ の 段 階 の バ ー ベ ルを 戦 略 上 故 意 に飛 ばず 、 あ る
いは 挙 げ ず に 次 の段 階 に挑 戦 す る こ と 、 マラ ソ ン で はあ る 地 点 を 通 過 す る こ と 、 野球 では パ ス ボ ー ル の略 で、 受 け る べ き 球 を う し ろ に そ ら す こと に使 う 。
邦楽 界 の術 語
社 会 社 会 に よ る 言 葉 の相 違 の激 し い代 表 的 な も のと し て 、 邦 楽 界 の術 語 を あ げ る こ と が でき よ う 。 平 凡 社 刊 の
﹃ 音 楽 事 典 ﹄ は 、 と く に 日 本 音 楽 に つ いて 詳 し く 述 べた 事 典 と いう わ け で は な い が、 そ の ﹁記 譜 法 ﹂ と いう 項 目
を 見 る と 、 エジプ ト 以 来 の ヨー ロ ッパ 音 楽 に 用 いら れ る楽 譜 の種 類 に つ いて は 、 わ ず か に 四 ペー ジ の 記 述 し か な
い の に 、 日 本 の音 楽 の楽 譜 に つ い て は 、 そ の 四 倍 の 一六ペ ー ジも 費 し て いる 。 日本 に お け る呼 び 方 が いか に細 か
く 分 離 し て い る か 知 ら れ る と 思 う 。 雅楽 系 統 で は 、 ド レ ミ フ ァ ソ ラ シド の代 わ り に、 ﹁宮 ﹂ ﹁商 ﹂ ﹁角 ﹂ ﹁徴 ﹂ ﹁羽 ﹂
と いう いわ ゆ る五 音 を 用 いる の が正 式 で あ る が 、 楽 器 に よ り 差 異 が あ り 、 た と え ば ﹁越 天 楽 ﹂ を 奏 す る の に、 は
なん
じ め の レー ミ ー シ ー ラ シ ミ ー ミ レ ミ ー と いう と ころ を 、 笙 は 、 凡 一乙 乙 凡 十 下 ⋮ ⋮ と 唱 え 、篳篥 は 、 チ ラ ロル ロ
タ ァ ル ラ ァ⋮ ⋮と 唱 え 、 笛 は 、 ト ラ ロ ル ロタ ア ロラ ア ⋮ ⋮ と 唱 え る 。(田辺尚雄 ﹃日本音楽講話﹄)
五 官庁用語 と学術用語 官庁 の言葉 日本 に は 、 ま た 官 庁 用語 と いう 特 別 のも の が あ る 。 諸 官 庁 のう ち 鉄 道 関 係 は 一般 市 民 と 接 触 が多 い の で、 よ く ヤ リ ダ マにあ が る 。
﹁こ の車輛 は 途 中 名 古 屋 駅 で カ イ ホ ー に な り ま す ﹂ (は て 、 切符 のな い人 でも 自 由 に 載 せ る の か な ︱
﹁イ シ ツブ ツを 捜 査 いた し ま す ﹂ ( イ シ ツ⋮ ⋮ ? な ん だ ﹁忘 れ も の﹂ の こと か)
だ 、 切 り 離 し て車 庫 へし ま って し ま う こ と か)
﹁シ ュー チ ャク エキ に ト ー チ ャク の時 刻 は 一七時 三 〇 分 で あ り ま す ﹂ (﹁大 阪 に つく の は 一七 時 三 〇 分 です ﹂
﹁踏 切 一時 停 止 ﹂ ( お や 、 き ょう は こ の踏 切 は 渡 れ な い のか な )
で い いじ ゃな い か )
鉄 道 の方 面 の人 ど う し が 専 門 語を 使 う の は ち っと も 差 支 え な いが 、 そ れ を 一般 の人 に対 し て も 使 い、 分 か れ と
要 求 す る のは ど ん な も の か 。 わ れ わ れ が ﹁切 符 ﹂ だ と 思 って いる も の は 、 鉄 道 の人 た ち は ﹁乗 車 券 ﹂ と い い、 ﹁切 符 ﹂ と いう の は、 荷 物 の 一時 預 け や 託 送 の時 の受 取 り のこ と だ そう だ 。
って 一般 にも 使 わ せ た の は 感 謝 す べき だ が、 ﹁為 替 ﹂ を カ ワセ と は 難 し か った。 ﹁外 国 為 替 ﹂ を 略 し て ﹁外 為 ﹂ と
郵 政 省 関 係 は、 明 治 時 代 に 前 島 密 が 出 て、 ﹁切 手﹂ ﹁葉 書 ﹂ ﹁手 紙 ﹂ ﹁小 包 ﹂ ﹁振 替 ﹂ のよ う な 和 語 を た く さ ん 作
いう 場 合 、 ガ イ タ メ と 読 ん で い る が 、 苦 し い。 ﹁普 通 郵 便 ﹂ と ﹁通 常 郵 便 ﹂ と は 別 だ と いう のも 難 し い。
専 門語 と 日常語
日本 で は ま た 、 専 門 学 者 の こと ば が 一般 の人 と ち が いす ぎ る と いう こ と が よ く 話題 にな る。 専 門 学 者 は 専 門 の
分 野 に 関 す る 用 語 を 厳 密 に 使 う べき で あ る 。 が 、 日 本 の専 門 語 は ヨー ロ ッパ 諸 国 の に 比 べ る と 、 少 し 行 き す ぎ た 。
哲 学 者 ・池 上 鎌 三 の随 筆 に、 ド イ ツ の学 術 書 を 読 む と ﹁第 一部 ﹂ に あ た る と こ ろ に"Erster とT 書eい iて lあ 〟
る 。 そ れ で 、 あ る 日 本 人 が こ の こと ば は 難 し い学 術 語 と し て使 う こ と ば だ と ば か り 思 って いた 。 と こ ろ が ド イ ツ
へ行 って 寄 席 へ入 った ら 、 中 入 り の時 に、 ﹁Erster 終 りT﹂eと il いう 文 字 が出 てき て 妙 な 気 が し た 、 と いう 文 が
あ った 。 こ れ は 、 いか にも 日本 人 学 者 ら し い ︿学 術 語 ﹀ 意 識 を 物 語 る よ う だ 。( 西尾実編 ﹃ 言葉と生活﹄)
動物 学と植 物学
学 界 の中 で 、 嬉 し い のは 動 物 学 で 、 ガ ラ ガ ラ ヘビ と か エリ マキ ト カ ゲ と か のよ う に 、 外 国 産 のも の で も 、 和 語 か卑 近 な 漢 語 で 一般 に わ か りや す いよ う に 名 前 を 付 け る 。 あ の行 き 方 は 、 ほ か の学 界 の お 手 本 に さ せ た い。
植 物 学 界 も 、菫 菜 ・蒲 公 英 ・紫 雲 英 と い った 固 い漢 語 を と らず 、 ス ミ レ、 タ ンポ ポ な ど の和 語 、 蓮 華 草 な ど の
し かも 国 際 的 に 通 用 し な い
用 いて いる点 は いか が か と 思 わ れ る 。 牧 野富 太 郎 著 の ﹃植 物 図 鑑 ﹄ な ど
平 易 な 漢 語 の類 いを と って いて 、 あ り が た い。 が、 時 に 一般 名 と は ち がう 学 名 を ︱ 日 本 の植 物 学 界 だ け で 用 い る名 前 を︱
を 見 る と、 わ れ わ れ が サ ル ビ ア と 呼 ん で いる 花 は、 ヒ ゴ ロモ ソ ウ と いう 名 で出 て お り 、 わ れ わ れ がま った く 知 ら
ぬ 花 を サ ルビ アと 呼 ん で い る。 わ れ わ れ が 夏 の夕 方 に 咲 く 黄 色 い花 を ツキ ミ ソ ウ と 言 って いる のは ま ち が いで、
あ れ は オ オ マ ツ ヨイ グ サ と 呼 ぶ のが 正 し いと あ る。 ほ ん と う の ツキ ミ ソ ウ は 白 い花 を 開 く 別 種 だ と あ る が 、 そう いう 草 は ち ょ っと 見 る こと がな い の で は な か ろ う か 。
医学 界 の用 語
と こ ろ で 、 学 界 の中 で 一番 め ん ど う な 語 を 使 う の で知 ら れ て いた の は 、 何 と 言 っても 医 学 界 だ 。 そ う し て、 そ
れ も 、 戦 前 に は 特 に は な は だ し か った 。 一般 の人 が ニキ ビ と 言 って いる も のを 尋 常 性〓 瘡 と 呼 ぶ。 一般 の人 が ワ
カ ハゲ と 言 って いる も のを 若 年 性 脱 毛 症 と 呼 ぶ。 ミ ミク ソを〓聹 と い い、 ム シ バ を齲 歯 と い い、 さ ら に ク シ ャミ
を 噴嚏 と いう に至 って は 、 何 と 読 む の か 判 断 に 苦 し む (フ ン テ イ だ そ う だ )。 下 瀬 謙 太 郎 に よ る と 、 医 学 界 で は
以 前 、 病気 の名 前 に 、 瘍 ・瘤 ・癰 ・癜 ・癲 ・〓⋮ ⋮ と いう よ う な 珍 し い字 が使 わ れ 、 中 に は 、 牙 関 緊 急 ・角 弓 反
張 ・四 肢厥 冷 ・呑 酸〓囃 の よ う な 千 字 文 み た いな の があ った り 、 先 天 性 魚 鱗 癬 様 紅 皮 症 と いう 、 墓 石 に ほ る戒 名 み た いな のも あ った と いう 。
これ は 看 護 婦 さ ん の 間 に も 広 ま って いて 、 病 院 に 入 院 し て み る と 、 セ ー シ キ し ま す
( 入 浴 で き な い患 者 の体 を
拭 く こと )、 ホ ー コー し ま す (包 帯 交 換 )、 テ ー モー し ま す ( 手 術 のた め に 毛 を 剃 る こ と ) な ど 、 字 に書 い ても ら わ な いと わ か ら な いこ と ば がた く さ ん 使 わ れ て いた 。
専 門 語 に は、 右 のよ う な 例 の ほ か に、 科 学 の分 野 のち が いに応 じ て術 語 が ち がう 、 と いう 例 が 多 い。 今 は 統 一
が 行 わ れ た が、 以 前constと an いt う 語 を 、 数 学 ・物 理 学 で は ﹁常 数 ﹂、 化 学 で は ﹁恒 数 ﹂、 工 学 で は ﹁定 数 ﹂、 経
済 学 で は ﹁不 変 数 ﹂ な ど と し て いた のは セ ク シ ョナ リ ズ ム のあ ら わ れ だ った 。 ア メ リ カ 教 育 使 節 団 の報 告 書 にも
と りあ げ ら れ た 。lawも 物 理 学 ・工 学 で は ﹁法 則 ﹂ と 訳 し 、 化 学 で は ﹁定 律 ﹂ と い って いた 時 代 があ った 。
農 業 用語
NH K の放 送 のう ち に農 業 番 組 と いう も の が あ る が 、 一般 の人 が 聞 く こ と も あ る た め、 あ れ は わ か り に く い
言 葉 が 多 いと いう 声 が 多 か った 。 カ ンキ ン サ ク モ ツと いう か ら 、 お 上 で禁 止 し て い る作 物 か と 思 う と 、 ﹁換 金 作
物 ﹂ で お 金 に な る 作 物 の こ と だ った り 、 ト ー デ ン ヨー リ と いう の で、 電気 を 盗 ん で 何 か に 使 う の か と 思 う と 、
﹁稲 田 養 鯉 ﹂ で鯉 の養 殖 の 一つだ った りし た 。 一体 に 農 業 用 語 は や さ し く 言 え る と こ ろ を 難 し く 言 う く せ が あ る
が 、 一般 の農 家 の人 た ち が こん な 難 し い言 葉 を 発 明 す る は ず がな い。 農 学 の 専 門 家 が作 って、 農 民 の間 に 広 め て
し ま った も のら し い。 何 か 難 し いこ と ば を 使 った 方 がえ ら いん だ 、 と いう 意 識 が 農 家 の人 の間 に な け れ ば 幸 い で あ る。
六 男 女 によ る ち が い す ぐ に話し 手が わ かる
日本 語 の変 異 の中 で、 文 明 人 の間 で特 に珍 し いと 言 わ れ る のは 男 女 の性 別 に よ る 言 葉 のち が いで あ る 。
佐 藤 愛 子 の ﹃坊 主 の花 か ん ざ し ﹄ の な か に、 男 と 愛 人 の対 話 であ ろ う が、 こん な や り と り が 出 て い る。 ﹁あ な た 、 あ な た な ら どう す る ?﹂ ﹁ど う す る って何 がだ ね ? ﹂
﹁も し も 、 あ な た の坊 や が 殺 さ れ た と し た ら 、 や っぱ り 世 間 体 を 真 先 に考 え る ? ﹂ ﹁バ カ な こと を 言 う も ん じ ゃな いよ ﹂ ﹁そ ん な 心 配 し た こと な い の? ﹂ ﹁何 の心 配 だ ? ﹂
﹁あ た し が嫉 妬 に 狂 って カ ー ッと な る かも し れ な い って思 った こと な い の? ﹂
﹁そ ん な こと 思う わ け な いじ ゃな いか 。 嫉 妬 に 狂 う と し た ら 、 女 房 の ほ う だ ろう ? ぼく が ど ん な に 君 を 愛 し て いる か 、 わ か り き って いる こと じ ゃな いか ﹂ ﹁ホ ント か し ら 。 じ ゃあ 、 ミ ンク の コート 買 って﹂
こ の 一〇 行 の せ り ふ 、 ど の ﹁ ﹂ を と っても 、 ど れ が 男 の言 葉 で ど れ が女 の言 葉 か 、 わ か る で は な いか 。
英 語 で書 いた 小 説 の場 合 、 こう いう 二 人 の会 話 が え ん え ん と 続 く と 、 途 中 でど っち が 男 の せ り ふ で、 ど っち が
女 の言 って いる こ と か 、 わ か ら な く な る こと があ る よ う で、 筆 者 は 、 ア メ リ カ の女 性 が そ う いう 小 説 を 読 みな が
ら 、 途 中 で は じ め に 戻 って ワ ン ・ト ゥー ・ス リ ー ⋮ ⋮ と 数 え は じ め 、 これ は 奇 数 番 目 だ か ら 男 性 の言 葉 の方 だ と 知 って 先を 読 み続 け て い った のを 見 た こと があ る 。
男 性 の 言 葉 は 普 通 の言 葉 に 対 し て特 別 の言 葉 が あ るわ け で はな く 、 女 性 の方 だ け が 普 通 の 言 葉 以 外 に 女 性 用 の
言 葉 を 心 得 て いる。 つま り 、 女 性 も 心 の中 で は 男 性 と同 じ よ う に 、 ﹁そ ん な こ と を し て は だ め だ ﹂ と 思 って いる 。
そ れ を 口 に 出 す 時 に 、 女 性 であ る と いう 自 覚 か ら ﹁そ ん な こと し な い で ! ね え 、 お 願 い﹂ と いう よ う な 女 性 言
葉 を 使 う も のら し い。 グ ロー タ ー ス に 言 わ せれ ば 、 日本 の女 性 こ そ 語 学 の大 天 才 かも し れ な い。
男女 の言 葉 のちが う例
男 女 の言 葉 のち が いが あ る の は 、 文 明国 の言 語 に は 例 が少 な く 、 英 語 な ど で は 女 性 が
cuと tか edarli とnかgい
う 甘 い言 葉 を 多 く 使 う と いう が 、 文 法 的 な き ま り に ま で はな って いな い。 主 と し て未 開 民 族 国 の 言 語 に見 ら れ る
も の で、 有 名 な の は、 カ リ ブ 海 の東 端 にあ る 小 ア ンテ ィ ル諸 島 のカ リ ブ 人 の言 葉 で、 男 は カ リ ブ 語 を 話 す が 、 女
は大 陸 の ア ラ ワク 人 と 同 じ よ う な こと ば を 話 す と いう 。 つま り 、 男 は 日 本 語 を 、 女 は 朝 鮮 語 を 話 す よ う な も の で
あ る 。 こ こ に は 伝 説 が あ り 、 昔 こ こ に は ア ラ ワ ク族 ば か り が 住 ん で いた が 、 カ リ ブ 人 が侵 略 し て 来 て ア ラ ワク 人
の 女 だ け を 残 し て、 男 は み な 殺 し に し た 、 そ のた め に こ う な った のだ と いう 。( イ ェスペルセ ン ﹃言語﹄) こ う いう
と こ ろ で は、 そ こ の男 た ち は 、 さ だ め し ア ラ ワ ク 語 を 聞 く と 何 と も 言 え ず ナ マメ カ シイ 感 じ を も ち 、 ま た 男 の子
が ま ち が え て ア ラ ワ ク 語 を 使 った り す る と 、 み ん な に カ ラ カ ワ レ て はず か し が る こと だ ろ う 。
井 出 祥 子 ・川 成 美 香 に よ れ ば 、 ア メ リ カ のイ ンデ ィ アナ 州 に 住 む 北 米 イ ン デ ィ ア ン の 言 語 、 コア サ テ ィ 語 で は 、
男 の言 葉 は女 の言 葉 がl か nで 終 わ る 時 に sに し て 言 い、 ま た そ の ほ か にも 女 の言 葉 に は な い sを つけ て 言 う こ と が あ る そう で あ る。( ﹃言語生活﹄昭和 五十九年三月号)
時代 とと もに
と こ ろ で 日本 語 でも 、 男 女 の こ と ば の区 別 は 、 戦 前 、 都 会 地 で こ そ や か ま し か った が、 農 村 ・漁 村 な ど で は ほ
と ん ど な か った 。 古 代 は 都 会 地 で も あ ま り 男 女 に よ る ち が い が な か った よ う で、 ﹃源 氏 物 語 ﹄ の会 話 の部 分 な ど
を 読 ん でも 、 男 ら し さ 、 女 ら し さ のち が いは ほ と ん ど 感 じ ら れ な い。 大 野 晋 に よ る と ﹃万 葉 集 ﹄ で は ﹁言 ふ な ﹂
と いう の が男 性 の言 葉 で あ る の に 対 し 、 女 性 は ﹁な 言 ひ そ﹂ と い った 程 度 で、 こ の こ ろ は 今 の英 語 程 度 の ち が い だ った ら し い。
ち が い が は っき り し た のは 鎌 倉 時 代 で、 男 性 は ﹁候 ﹂ を サ ウ ラ ウ と 言 い、 女 性 は サ ブ ラ ウ と 言 った 。 これ は 今 、 謡 曲 な ど の セ リ フ に残 って いる 。
だ わ ﹂ ﹁︱
て よ﹂ は 、 明治 時 代 に は じ ま った も の で 、 そ れ が生 ま れ るま で
そう し て江 戸時 代 、 都 会 地 で大 き な ち が いが 見 ら れ る に至 った が 、 こ れ は 男 女 の地 位 の ち が い が や か ま し く 規 定 さ れ た た め と 知 ら れ る。 今 の代 表 的 な 女 性 の言 い方 、 ﹁ ︱
だ わ ﹂ ﹁︱
てよ ﹂ は 品 の悪 い言 葉 と し て 排 斥 さ れ た が、 い つか押 し も 押 さ れ
は 一般 の女 性 に 対 し て ﹁男 性 よ り 丁 寧 な 言 葉 を 使 え ﹂ と 、 も う 一つ、 ﹁や た ら に漢 語 を 使 う な ﹂ ぐ ら い の 規 定 が あ る だ け だ った。 は じ め は 、 ﹁︱ も せ ぬ 女 性 言 葉 の象 徴 と な った 。
日本 の女 性 言 葉 は 時 代 が 進 む に つれ て成 立 し た も の で 、 未 開時 代 の残 痕 で は な い。
女 性言 葉 の長所
日本 の女 性 言 葉 に つ いて は 、 女 性 側 か ら 、 女 性 は 男 性 よ り も 丁寧 な 言 葉 づ か いを し な け れ ば いけ な いか ら 損 だ 、
男 女 同 権 の原 理 に 反 す ると いう 意 見 が あ る 。 た し か に、 男 の ソ ウ ダ ロウ は女 の ソ ウ デ シ ョウ よ り 乱 暴 だ 。 し か し 、 実 際 に使 用 さ れ る 例 を 見 る と 、 必 ず し も 女 性 の方 が い つも 丁 寧 と は 限 ら な い。
対 等 の 男 と 女 と が 話 し て いる 時 も 、 男 が デ ス ・マス体 で し ゃ べ り 、 女 が ダ 体 でし ゃ べ って いる のを 聞く こと が
﹁そう で す か ﹂
﹁ほ ら 、 あ そ こ の店 にあ る じ ゃな い﹂
﹁い いえ 、 知 り ま せ ん ﹂
﹁あ な た 御 存 じ な いの ? ﹂
ある。
近 ご ろ マ ンガ な ど に、 男 性 が同 僚 の女 性 に 対 し て ﹁そ う な の よ ﹂ と か ﹁行 か な い の﹂ と か デ ス体 と も つかず 、
ダ 体 に も な り 切 ら な い、 ち ょう ど女 性 のよ う な 言 葉 を 使 う の があ って、 あ ま り 好 評 では な いが 、 し か し あ れ は 、
デ ス ・マス体 で は な いが、 や わ ら か い印 象 を 与 え る 女 性 言 葉 の 長 所 を と り 入 れ よ う と し て いる 男 性 の あ が き か も し れな い。
書 き ことば の ちが い
昔 、 日 本 語 で 男 女 の こ と ば のち が い の特 に は げ し か った の は書 き こと ば で 、 た と え ば ﹃源 平 盛 衰 記 ﹄ な ど で 見
る と、 男 の手 紙 は 漢 字 づく め で、 ま る で中 国 語 の 一種 み た いな も のだ 。 戦 前 、 会 社 を 休 む と き に 欠 勤 届 を 提 出 し 、 私 儀 、 某 月某 日、 風 邪 之 為 欠 勤 仕 候 間 、 此 段 及 御 届 候 也
な ど と 書 いた のは そ の名 残 り であ る 。 これ で は 、 カ リ ブ 人 の男 女 が ち が った 国 語 を 使 って いる の は ひ と ご と で は な い。
女 性 の方 は 、 漢 字 を 少 な く し 、 書 く 場 合 でも 行 書 ・草 書 で、 そ う し て変 体 がな を ま ぜ て、 と いう の を ね ら った
が、 明 治 以 後 は、 差 異 は次 第 に 小 さ く な り 、 終 戦 後 は こ の特 色 は ほ と ん ど な く な った 。
七 場面 によるち が い 口語体 と文 語体
さ て 、 日本 語 の内 部 に 見 ら れ る言 語 体 系 のう ち 、 最 も 日本 語 に 特 徴 的 な も のは 、 こ と ば を 使 う 場 面 の違 いに よ る こ と ば の対 立 、 す な わ ち 、 ︿文 体 の対 立 ﹀ であ る 。
文 体 の対 立 と いう と き に ふ つう に 連 想 さ れ る のは 、 いわ ゆ る ︿口 語 体 ﹀ と ︿文 語 体 ﹀ であ る 。 だ が 、 こ の こ と
自 体 は 、 ほ か の言 語 にも 多 く 見 ら れ る こと で、 珍 し いこ と で はな い。 日本 語 の 口 語 体 と 文 語 体 と で注 意 す べき は 、
そ の差 の は げ し いこ と であ る。
文 語 体 は、 ど こ の国 語 でも 古 い時 代 の言 語 体 系 を 骨 格 と し て いる 。 日本 語 の文 語 の骨 格 は 平 安 朝 ご ろ の京 都 語
で あ る 。 平 安 朝 時 代 の京 都 人 の間 で は 種 々 の文 芸 が 栄 え 、 ﹃ 古 今 集 ﹄ や ﹃源 氏 物 語 ﹄ の よ う な 後 世 長 く 歌 や 文 章
十 世 紀 前 後 と いう き わ め て 古 い時 代 であ る点 、 注 意 す べき であ る 。
の鏡 と さ れ る 作 品 が作 ら れ た。 平 安 朝 の言 語 が 文 語 の モ デ ル と し て仰 が れ た の は こ のた め で あ る が、 文 語 のも と に な った 時 代 が 平 安 朝︱
古 い時 代 の言 語 に文 語 のも と を 仰 い で いる 代 表 的 な 言 語 は中 国 語 で、 カ ー ル グ レ ンは 中 国 語 の文 語 は 二 〇 〇 〇
年 の古 さ を も つと 言 って い る。 が 一方 、 英 語 な ど は 、 せ い ぜ い十 六 世 紀 の言 語 が 文 語 であ る 。
文語 体 の難し さ
日 本 語 の文 語 は こ の よ う に古 い時 代 の言 語 に モ デ ルを も つた め に 、 一般 の人 た ち に と って か な り 分 か り にく い も の であ る。
小 学 校 の唱 歌 ﹁故 郷 ﹂ で ﹁兎 追 いし ﹂ は 兎 は 食 べ て お いし い の意 味 だ と 解 釈 す る 子 供 は 少 な い かも し れ な いが 、
山
﹁如 何 に いま す 父 母 ﹂ の ﹁いま す ﹂ を ﹁いら っし ゃる ﹂ の意 味 に解 釈 で き る 子 は 珍 し い。 戦 前 も 、 ﹁夏 は 来 ぬ ﹂ で
は 、 ま だ 夏 が 来 な い意 味 のよ う に 解 し て、 文 語 と いう も の は何 で も 反 対 に 言 う も のか と 思 った 子 供 があ る 。
文 語 を 読 む こと が こ のぐ ら い難 し いか ら に は 、 文 語 を 書 く と な る と さ ら に 難 し い。 ﹃滝 口 入 道 ﹄ の作 者・高
樗 牛 は 、 ﹁吾 人 は 須 く 現 代 を 超 越 せ ざ る べか ら ず ﹂ と書 い て 、 漢 学 者 か ら 文 法 的 な 誤 謬 を 攻 撃 さ れ た 。 ﹁須 く ﹂ は ﹁べし ﹂ で 結 べと いう 規 則 があ った から で あ る 。
島 崎 藤 村 の ﹁お え ふ﹂ は 流 麗 な 詩 で あ る が、 最 初 の ﹁を と め ぞ 経 ぬ る 大 方 の ⋮ ⋮ ﹂ は ま ず か った 。 ﹁ぞ ﹂ と い
う 助 詞 を 使 って ﹁経 ぬ る﹂ と や って は 、 こ こ で 文 が 切 れ てし ま う 。 こ こ は、 ﹁を と め の経 ぬ る ﹂ とす べき だ った 。 大 正 ・昭 和 に な って か ら の作 品 で は 、
月 に遣 る せ ぬ わ が 思 い (正 し く は ﹁ 遣 る せ な き ﹂)
杉 野 は いず こ杉 野 は 居 ず や ( 正 し く は ﹁あ らず や ﹂)
な ど 、 ま ち が いを 指 摘 さ れ て いる 例 は 枚 挙 に い とま が な い。
戦前 の 正式 の文章
と ころ で こ の難 し い日 本 の文 語 は 、 一般 の人 の言 語 生 活 の上 に大 き な 勢 力 を も って いた か ら 始 末 が 悪 か った 。
敗 戦 ま で は、 こ の文 語 体 が正 式 の文 章 だ った 。 詔 勅 の類 い、 憲 法 は じ め す べ て の法 律 は こ れ で書 か れ 、 お ま け に
キ ック ツ ゴ ウ ガ ( 詰 屈〓 牙 ) な 漢 字 ま じ り に綴 ら れ た の で、 難 解 に輪 を か け た。 公 式 の書 簡 文 も 、 す べ て文 語 で
つづ ら れ た 。 一般 の人 の手 紙 も 、 文 語 文 の 一種 であ る ︿ 候 文 ﹀ で書 く の が 正 式 と さ れ た 。 警 察 犯処 罰 令 と いえ
ば 、 これ は 一般 の人 々 に最 も 親 し み や す い文 章 で書 か れ な け れ ば いけな いと こ ろ な の に、 そ の第 三 条 は 次 のよ う
⋮ ⋮ 炮 煮 、 洗滌 、剥 皮 等 ヲ 要 セ ス其 儘 食 用 ニ供 スヘ キ 飲 食 物 ニ覆 蓋 ヲ設 ケ ス店 頭 ニ陳 列 シ タ ル者 ⋮ ⋮
⋮ ⋮ 公衆 ノ 目 ニ触 ルヘ キ 場 所 ニ於 テ袒裼 裸〓 シ 又 ハ臀部 、 股 部 ヲ露 ハシ其 ノ 他 醜 態 ヲ為 シ タ ル者 ⋮ ⋮
な 文 字 で つづ ら れ て いた 。
昭 和 二十 年 八 月 十 五 日 に 天皇 に よ る 戦 争 終 結 の放 送 が 行 わ れ た が 、 や は り 難 解 な 文 語 で 述 べら れ た た め に 、 一
般 の人 に は意 味 が 正 確 に 伝 わ ら ず 、 いよ いよ 本 土決 戦 だ と 逆 に は り 切 った 人 間 も あ った も のだ った。
実 際 、 明治 時 代 ま で は 、 新 聞 も 文 語 体 、 小 説 も 文 語 体 だ った 。 明 治 中 期 に言 文 一致 の運 動 があ って 、 は じ め て
口 語 体 で書 か れ る よ う に な った が 、 言 文 一致 運 動 の先 頭 に立 った 二葉 亭 四 迷 や、 山 田 美 妙 ・尾 崎 紅 葉 は よ く や っ た も のだ 。
文 語体 の根 強さ
こ の文 語 は 、 終 戦 に よ って 一度 に 地 位 を 失 った 。 二十 一年 四 月 に 発 表 さ れ た 憲 法 改 正 草 案 は、 口語 体 法 文 の先
駆 を な し 、 翌 五 月 第 九 〇 回帝 国 議 会 召集 の詔 書 も 、 口語 体 で つづ ら れ た 。 公 用 文 に つ い ても 二 十 二 年 十 月 、 そ の
改 善 協 議 会 が 設 け ら れ 、 翌 二 十 三 年 六 月 に ﹃公 用 文 の手 引 ﹄ が編 集 さ れ て、 口語 で書 か れ る こ と が正 式 に き め ら れた。
し か し 、 文 語 体 は 、 全 然 影 を ひ そ め た わ け で は な い。 毎 日 の新 聞 記 事 を 見 ても 、 文 語 体 の簡 潔 さ が重 ん じ ら れ
て ﹁千 代 の富 士 敗 る ﹂ ﹁ 幕 内 つ いに 全 勝 者 な し ﹂ と いう よ う な 見 出 し が ま だ ま だ 見 え る 。 掲 示 の文 ﹁事 故 多 し 、
注 意 ﹂ と いう の は ﹁事 故 が 多 い、 注 意 ﹂ で は 間 が の び て し ま い、 や め が た い。 そ う し て 短 歌 や 俳 句 で は 文 語 が 生 き 残 って いる 。
普 通体 と 丁寧 体
し か し 、 日本 語 の文 体 の別 で重 要 な のは 、 上 に述 べ た 文 語 体 の区 別 で はな い。 こ の区 別 は 、 ほ か の 多 く の言 語
にも あ る し 、 文 語 体 の使 わ れ る 場 面 は ご く か ぎ ら れ て いる 。 日本 語 にお け る 文 体 の 別 で 、 重 要 で も あ り 、 し かも 国 際 的 に 非 常 に珍 し いの は 、 ︿普通 体 ﹀ と ︿丁 寧 体 ﹀ の別 であ る 。
イ ェス ペ ル セ ン の ﹃人 類 と 言 語 ﹄ の中 に、 世 界 の言 語 に お け る珍 し い 現象 を 取 り 扱 って いる章 が あ る 。 た と え
ば カ ナ ダ の ヌ ート カ 人 の 間 で は 、 相 手 が 背 の低 い人 の場 合 は 、 小 さ い子 ど も に対 す る と き と 同 じ よ う な 言 葉 を 使
う 。 例 え ば 、 ﹁アチ ョコ (彼 処 )ニ チ ュジ ュメ ( 雀 )ガ イ マチ ュネ ﹂ と いう よ う に いう 習 慣 が あ る そ う だ 。 こ れ
では 、 そ の人 に 対 す る 侮 辱 に な り そう だ 。 が、 そ の部 族 の間 で は、 そ れ は、 私 は あ な た の背 の低 いこ と を 認 め る
が 、 そ れ は 恥 ず べき 欠 点 で は な いと いう こ とを 意 味 す る の で、 か え って喜 ば れ る の だ と は 、 こ った も ので あ る。
と に か く 、 こ の本 は 、 世 界 各 地 の言 語 に つ い て いろ いろ お も し ろ い現 象 を の べ て いる が、 そ のな か で 、 こう い
う こ と を 言 って い る 。
ビ ル マ人 は 目 上 の 人 に 話 し て い る と き に 、 動 詞 に タ ウ ニ ン と い う 特 殊 の 単 語 あ る い は 何 か 類 似 の も の を 付 け て いう 。
と 同 じ も の で は な いか 。 ビ ル マ人 は、 同 等 の人 に
私 は は じ め 、 ビ ル マ語 に は わ れ わ れ の 想 像 の つ か な い よ う な 珍 し い 現 象 が あ る の か と 読 み 流 し た が 、 こ の タ ウ ﹁あ り ま す ﹂ ﹁い ま す ﹂ の マ ス︱
﹁私 が 作 り マ ス ﹂ と 言 う 。 イ ェ ス
﹁プ ル ・テ ィ ヒ ﹂ と 言 い 、 目 上 の 人 に は 、 ﹁プ ル ・タ ウ ム ・テ ィ ヒ ﹂ と い う そ う で あ る が 、 こ
ニ ン は 、 日 本 語 の マ ス︱ は 、 ﹁私 が 作 る ﹂ を
のタ ウ ム が タ ウ ニ ン の変 化 で あ る 。 そ れ と 同 じ よ う に 日本 人 は 、 目 上 の人 に は
ペ ル セ ン は 非 常 に 博 識 の 言 語 学 者 で あ る が 、 こ こ で 、 い か に も 珍 し そ う に ビ ル マ語 の こ の 言 い方 を と り あ げ て い
る 。 そ う す る と 、 日 本 語 の 何 々 マ ス と いう 言 い方 の 存 在 、 い わ ゆ る デ ス ・ マ ス 体 の 存 在 、 こ れ は 世 界 に 珍 し い も のと 言 って よ いと み え る 。
日本 語 の丁寧 体
語 では
﹁見 る ﹂ と い う 動 詞 は 、 目 下 の 人 に はbonda と 言 い 、 対 等 の 人 に はbon〓iと 言 い 、 や や 丁 寧 な 言 い か た で
こ の種 の文 体 の区 別 は 、 日本 語 以 外 に朝 鮮 語 に似 た も の があ って 日本 語 と の類 似 を 思 わ せ る 。 す な わ ち 、 朝 鮮
はbo'o と 言 い、 最 も 丁 寧 な 言 い 方 で は 、bobnid とa 言 う 。 ジ ャ ワ語 にも こ のよ う な 文 体 の別 があ る のは 有 名 で あ
る が 、 同 様 の 文 体 の 別 が 、 チ ベ ッ ト 語 に も あ る ら し い。 し か し 、 ヨ ー ロ ッ パ 語 に は 全 然 な く 、 東 洋 の 言 語 で も 中 国 語 ・タ イ 語 ・ヴ ェト ナ ム 語 に は な い 。
日 本 語 に は 口 語 の 文 体 と し て 、 ダ 体 ・デ ス 体 ・デ ア ル 体 ・デ ア リ マ ス 体 ・デ ゴ ザ イ マ ス 体 と 、 五 つ の も の が あ
る 。 こ の う ち で 、 ダ 体 と デ ア ル 体 は 普 通 体 、 デ ス 体 ・デ ア リ マ ス 体 は 丁 寧 体 と いう べ き も の だ 。 文 語 体 の 方 で は 、 普 通 体 は ナ リ 体 、 丁 寧 体 は ソ ウ ロ ウ 体 だ った 。
こ のう ち 、 デ ゴ ザイ マ ス体 の ゴ ザ ル は 、 ﹁階 層 に よ る ち が い﹂ の項 に述 べた ︿荘 重 語 ﹀ と いう べき も の の 一つ
だ 。 デゴ ザイ マス体 と いう の は 荘 重 語 を 使 った 丁 寧 体 で、 ︿鄭 重 体 ﹀ と 言 う の が ふ さ わ し い。
デ ス ・マス体 と 言語生 活
日 本 語 は 、 こ の 丁寧 体 があ る た め に言 語 生 活 を 多 少 能 率 的 で な く し て いる 。 バ ス の車 掌 は 、 ア メ リ カ で は、 簡
stati とo 言n え,ば い nい e。 xt が. 、〟日本 語 で、 ﹁名 古 屋 駅 前 、 次 ﹂ と や った の で は片 言 だ 。
次 は 名 古 屋 駅 前 で ござ いま す
単 に"Chicago
と や ら な け れ ば な ら な い。 こ ん な に長 く 言 う た め に 、 時 に は 、 か ん じ ん な ﹁名 古 屋 駅 前 ﹂ と いう 地名 の ひ び き が ぼん や り し てし ま った りす る 。
日本 人 は こ の区 別 に馴 れ て な ん と も 思 わ な いが 、 外 国 人 は こ の区 別 を 非 常 に 難 し が る。 A ・ロー ジ ニス の ﹃初
心 者 のた め の会 話 日本 語 ﹄ で は 、 日本 語 の文 例 を あ げ る た び に、 いち いち ( A )(B )(C )と いう 注 記 を つけ て い
る 。 な に か と 思 った ら 、 普 通 体 の文 か 、 丁 寧 体 の文 か、 鄭 重 体 の文 か の区 別 を 示 し わ け て い る の だ った 。 日 本 人 な ら ひ と 目 見 れ ば わ か るも のを 、 外 国 人 は そう も いかな いも の ら し い。
し か し 、 日本 人 は こ の 丁 寧 体 を 結 構 有 効 に 活 用 し て いる 。 何 よ り 日本 語 に は 、 動 詞 ・形 容 詞 は 終 止 形 ・連 体 形
が同 じ 形 だ と いう 、 世 界 の他 の言 語 に は ち ょ っと な い不 便 な 性 格 が あ る 。 こ のた め に 日 本 人 は、 も のを 読 む 場 合 、
や かまし く言 うと、
動 詞 の ﹁行 く ﹂ と か ﹁来 る ﹂ と か いう 形 が出 て く る と、 一瞬 、 終 止 形 か 連 体 形 か 迷 って し ま う 。 これ は能 率 の悪
マス﹂ の形 は 終 止 形 に は 使 う が 、 連 体 形 に は 使 わ な い︱
シ マス﹂ と いう 形 の 性 格 か ら 来 る も の で あ る 。
と いう 性 格 があ る 。 そ の た め に、 丁 寧 体 の文 章 は 、 読 ん で い て文 の切 れ 目 か 、 文 の途
いこ と であ る 。 と こ ろ が 、 ﹁︱ 使 う のは き わ め て稀 だ︱
中 か がわ か り や す いと いう 長 所 を も って いる が 、 こ れ は ﹁ ︱
三 外 国 語 と 日 本 語
一 日 本 語 の系 統 世 界 の言 語族 日本 語 は系 統 的 に孤 立 し た 言 語 だ と 言 わ れ る 。
世 界 の 言 語 の 数 は い く つ あ る か 。 こ れ に つ い て は 、 以 前 は ア メ リ カ の L ・H ・グ レ イ が 、 二 七 九 六 種 と 数 え た
の が 定 説 の 観 が あ った が 、 そ の 後 新 し い言 語 が 次 々 と 追 加 さ れ 、 東 ベ ル リ ン の フ ン ボ ル ト 大 学 教 授 の G ・F ・ マ
イ ヤ ー に よ れ ば 、 少 な め に 数 え て 四 二 〇 〇 、 多 め に 数 え れ ば 五 六 〇 〇 に な る と い う 。( ﹃言 語﹄ 昭 和 五 十 六 年 七 月 号 、
下 宮忠 雄 ) 世 界 の言 語 学 者 は そ れ ら を 比 較 し て、 互 い に以 て いる も の を 探 し 出 し 、 これ と これ と は同 じ 祖 先 か ら 分 か れ た 言 葉 だ 、 と い った よ う な こ と を 研 究 し て い る 。
ヨ ー ロ ッパ ・西 ア ジ ア の 語 族
ヨ ー ロ ッ パ の大 部 分 の 言 語 は イ ン ド ・ヨ ー ロ ッ パ 語 族 と い って 、 英 語 ・ド イ ツ 語 ・フ ラ ン ス 語 ・イ タ リ ア 語 ・
ス ペ イ ン 語 、 北 欧 の ス ウ ェー デ ン 語 ・ノ ル ウ ェー 語 、 東 の ロ シ ア 語 あ る い は ギ リ シ ャ 語 な ど が み な 入 っ て い る 。
さ ら に こ れ が ア ジ ア の 方 に 進 出 し て き て い て 、 イ ラ ン 語 、 イ ンド の 大 部 分 の 言 語 も こ れ に 属 す る 。 こ の 言 語 の 特
色 は 、 英 語 で は そ れ ほ ど は っき り し て い な い が 、 ド イ ツ 語 ・フ ラ ン ス 語 な ど を 見 て い る と 、 名 詞 が す べ て 男 性 の
名 詞 、 女 性 の名 詞 と いう ふ う に分 か れ て い る。 そ う し て 、 そ の よう な 名 詞 が 、 所 有 格 で は ど う 、 目 的 格 で は ど う 、
さ ら に 複 数 に な った ら ど う と 、 い ろ い ろ に 変 化 を す る 。 動 詞 も ま た 、 時 制 の 変 化 で あ る と か 、 人 称 の 変 化 で あ る
と か 、 い ろ い ろ 複 雑 な 、 し か も 不 規 則 な 変 化 を す る 。 ロ シ ア 語 ・ギ リ シ ャ 語 な ど は 、 こ と に 難 し い変 化 を す る 。
そ の 次 は セ ム 語 族 ・ ハ ム 語 族 と いう 言 語 の 領 域 で 、 代 表 的 な の は ア ラ ビ ア 語 で あ る 。 ア ジ ア の 西 か ら ア フ リ カ
の北 方 一帯 に ひ ろ が って いる 。 ヘブ ラ イ 語 も そ の 一種 、 昔 の エジプ ト の言 語 も そ の 一種 だ った と 言 わ れ て い る が 、
これ ら の言 語 で は 、 多 く の単 語 は 子 音 三 つが 基 本 にな って い て、 た と え ば 、ktbと-並 ぶ と 、 ﹁書 く こ と ﹂ に 関 係
のあ る言 葉 にな る と いう よう な 性 格 が あ る 。 イ ンド ・ヨー ロ ッパ 語 族 と 同 じ よ う に 、 男 性 ・女 性 と い った よ う な 名 詞 の性 別 も あ る 。
北 アジ アの語族
次 に 、 ヨー ロ ッパ の ハンガ リ ー 、 フ ィ ンラ ンド な ど の国 語 、 こ れ がウ ラ ル語 族 と い って、 元 来 ア ジ ア か ら 出 て
行 った も のだ そう であ る が 、 これ と ア ジ ア の 北 方 の ア ルタ イ 語 族 と いう のは 、 よ く 似 た 言 語 であ る。 ア ルタ イ 語
族 の代 表 的 な の が 、 ト ル コ語 ・モ ンゴ ル語 、 そ れ から 、 昔 の ﹁清 ﹂ と いう 国 を つく った 民 族 の言 語 で あ る 。
本 語 の助 詞 の よう な も の で 表
ウ ラ ル語 族 と ア ル タイ 語 族 の言 語 は 、 日本 語 に似 た 文 法 を も った 言 語 で 、 ヨ ー ロ ッパ の言 語 のよ う な 複 雑 か つ 不 規 則 な 語 形 変 化 や 名 詞 の性 の区 別 は な い。 名 詞 の格 は そ のあ と に つく 言 葉︱日
わ し 、 動 詞 は 日 本 語 の よ う に語 尾 の方 が規 則 的 に変 わ って、 細 か い意 味 の違 いを 表 わ す 。 朝 鮮 語 は 、 ま だ は っき り し な い が、 ア ルタ イ 語 の 一種 ら し いと いう こと にな って いる 。
東 南 ア ジアそ の他 の語族
一方 、 ア ジ ア の東 南 部 には 、 シ ナ ・チ ベ ット 語 族、 そ れ と オ ー スト ロア ジ ア 語 族 と いう 言 語 が ひ ろ が って いる 。
こ れ ら は 、 文 法 が 簡 単 な 言 語 で、 ほか の 言 語 にあ る動 詞 の人 称 変 化 と か 、 名 詞 の格 変 化 と か 、 単 数 ・複 数 のや か
ま し い区 別 と か 、 そ う いう も のは ま ったく な い。 助 詞 の数 も 少 な く て、 中 国 語 な ど は、 漢 文 で ご 承 知 のよ う に、 単 語 の並 べ方 の違 いが 、 意 味 の違 い に大 き く 関 係 す る 言 語 で あ る 。
太 平 洋 に は 、 オ ー スト ロネ シ ア 語 族 と いう の があ って、 代 表 的 な も のが イ ンド ネ シ ア 語 であ り 、 太 平 洋 に 広 く
ひ ろ が っ て い る が 、 一番 遠 い と こ ろ で は 、 マダ ガ ス カ ル 島 に ま で 行 って い る 。 そ の ほ か 、 ま だ ア フ リ カ や ア メ リ
カ 大 陸 に い ろ い ろ の 言 語 が あ る が 、 ど れ と ど れ が は っき り 同 じ 系 統 だ と い う 証 明 が で き て い な い の で 、 何 々 語 族 と いう よ う に は 呼 ば れ て いな い。
言語 の系統 を考 え る には
そ れ で は 一体 ど の よ う な 場 合 に 、 一 つ の 言 語 が ほ か の 言 語 と 同 族 だ と 考 え ら れ た か 。
こと が あ る 。 イ タ リ ア 語な ど は 日本 語 と 発 音 全 体 が似 て いる 。 そ う し て
﹁た く さ ん の ﹂ と いう こ と を イ タ リ ア 語
よ く 言 語 学 に素 人 の人 は 、 同 じ よ う な 単 語 が あ る 、 だ か ら こ の二 つの 言 語 は 関 係 が あ る 、 と 結 び つけ てし ま う
(見坊豪 紀 ﹃こ と ば のく ず か ご﹄) の も 似 て い る が 、
でtanto ( タ ン ト )、 ﹁た く さ ん の お 金 ﹂ と い う の は タ ン ト ・ダ ナ ア ロ と い う ふ う に 言 って 、 日 本 語 と 似 て い る 。 ま た 、 ハンガ リ ー 語 で は、 塩気 が足 り な い のを シ オ タ ラ ンと いう
これ は ほ か に そ の よ う な 例 が な い か ら 無 効 であ る 。 フラ ン スと ス ペイ ン の 間 に 少 数 の人 た ち に よ って 話 さ れ て い
る バ ス ク 語 と いう の が あ って 、 そ こ で は 、 日 本 語 で ﹁こ れ ば か り だ ﹂ と いう 時 と 同 じ 意 味 で 、 や は り コ レ バ カ リ
ダ と 言 う そ う だ 。 は じ め て 聞 く 人 は び っく り す る が 、 調 べ て み る と 、 ほ か に は 同 じ よ う な 言 葉 は 一 つも な く 、 偶 然 の 一致 と 見 ざ る を 得 な い 。
(﹃こと ば のく ず か ご﹄) そ う で 、 一瞬 、 も し や と 思 う 。 恐 ら く 文 法 構 造 な ど は 日 本 語 と は 似 も や ら
さ ら に 、 南 米 ブ ラ ジ ル の 裸 族 の 中 に 、 グ ア ラ ニ ー 族 と いう の が あ って 、 こ こ で は 自 分 を オ レ と 言 い 、 ﹁行 こ う ﹂ を イ コウ と い う
ぬ 言 語 と 想 像 さ れ 、 オ レ や イ コ ウ は 、 日 本 語 の 中 で も 後 世 の 変 化 し た 形 で 、 そ れ に 似 た も の が あ って も 、 偶 然 だ ろう と し か 思 わ れ な い。
同系 語 の証拠
そ れ で は 、 ど う いう 言 語 が あ れ ば 、 同 系 の 言 語 と 言 え る か 。
﹁い ち ﹂ ﹁に ﹂ ﹁さ ん ﹂ ⋮ ⋮ と も 言 う が 、 こ れ は 中 国
今 、 一か ら 十 ま で の 数 を ど の よ う に 各 国 語 で 言 う か 、 比 較 し た の が 上 の 表 で あ る 。 日本 語 で は
two r, eeでtあ hる が 、 フ ラ ン ス 語 と ス ペ イ ン 語 と イ タ リ
か ら 来 た 言 葉 で 、 ﹁ひ と つ ﹂ ﹁ふ た つ ﹂ ﹁み っ つ﹂ ⋮ ⋮ が も と も と の 言 い方 だ 。 英 語 で はone,
ア 語 と は そ っく り だ 。 一を 表 わ す 単 語 が 、 フ ラ ン ス 語 ・ス ペ イ ン 語 ・イ タ
リ ア 語 と で 二 つず つあ る の は 、 男 性 名 詞 の と き と 女 性 名 詞 の と き と で 違 っ
た 言 い方 を す る か ら で あ る 。 そ ん な 区 別 を す る と い う 凝 っ た と こ ろ ま で よ
く 似 て い て 、 偶 然 と は 到 底 思 わ れ な い。 英 語 と ド イ ツ 語 は そ れ と は 違 う が 、 や は り大 き く 見 れ ば似 て いる。
tの eよ nう に 、 子 音 が t で
zと eh いn う よ う に 揃 っ て zに な っ て い る 。 フ ラ
そ う し て よ く 見 る と 、 2 と 10 は 英 語 で はtwo, あ り 、 ド イ ツ 語 で はzwei,
ン ス 語 ・ス ペ イ ン 語 ・イ タ リ ア 語 で は 、 す べ て d に な って い る 。 こ の よ う
に 、 2 と 10 の よ う な 、 関 係 の な い 数 が ち ょ う ど 同 じ よ う に 子 音 が 入 れ か わ
って いる こと は、 偶 然 と 見 る こと が で き な い の で、 比 較 言 語 学 と いう 学 問
で は、 これ は同 じ も と か ら 分 か れ 出 て き た と いう 強 い証 拠 と 考 え る わ け で
あ る 。 す な わ ち 、 こ の 2 と 10 と は 、 こ れ ら ヨ ー ロ ッ パ の 言 語 が 分 か れ る 以
例 え ばdh と いう よ う な 音 だ った 、 そ れ が 、 ち が っ
前 に は t か zか d か で あ った 、 あ る い は 、 こ れ ら が す べ て そ こ か ら 出 た と
いう よ う な 第 四 の音︱
た 方 向 に変 化 し て 出 来 た の が今 日 の ヨー ロ ッパ 諸 語 だ と 考 え る わ け であ る 。
こう いう こ と は 、 こ の よ う な 数 を 表 わ す 言 葉 だ け でな く 、 ﹁父 ﹂ で も ﹁母 ﹂ で も ﹁兄 弟 ﹂ で も ﹁姉 妹 ﹂ でも 、 日常 使 わ れ て いる 多 く の言 葉 にも 通 じ て見 ら れ る こ と であ る。
同系統 の 言語を 探 る
tu⋮ l, と 言sい e、 tア ⋮イ ヌ 語 で はshine, ⋮ t⋮ uで ,、 近 re く に いな が ら 似 た 形
こ のよ う に 見 て いく と、 わ が 日本 語 では 数 詞 は 、 ヒ ト ツ、 フタ ツ、 ミ ッツ、 ヨ ッ ツ⋮ ⋮ と 言 って、 似 て いる も の は 全 然 な い。 朝 鮮 語 で はhana,
を し て いな い。 そ れ で、 世 界 の言 語 の中 で は、 ど う も 、 日本 語 は 孤 立 し た 言 語 だ 、 と いう ふう に な る わ け であ る 。
これ に つ いて は 、 日本 語 に似 た 言 語 がな い のは ど う も 残 念 だ と いう わ け で 、 何 と か 同 じ 系 統 の言 語 を 見 つけ よ
う と し た 学 者 が た く さ ん いた 。 太 平 洋 の島 々 の言 葉 と 日 本 語 を 比 較 し て み た 人 、 南 米 の言 葉 と 比 較 し た 人 も あ っ た が、 ど う も う ま い証 明 は でき な か った 。
沖縄 の言葉
日本 語 の数 を 表 わ す 言 葉 の 重 要 な 性 格 は 、 ﹁み っつ﹂ に 対 し て ﹁む っつ﹂、 ﹁よ っ つ﹂ に 対 し て ﹁や っ つ﹂ と い
う よ う に 、 倍 の関 係 の言 葉 の発 音 が似 て い る こ と であ る 。 こう い った 言 語 が ほ か にあ れ ば 、 こ れ は 日本 語 と 同 じ
系 統 の 言 語 であ ろう と いう 有 力 な 手 が か り にな る は ず で あ る が、 そ う いう 言 語 は あ り そ う でな か な か な い。 昔 、
市 河 三 喜 が 、 倍 数 関係 で似 た 発 音 を も って いる 言 語 と し て 、 カ ナ ダ の太 平 洋 に 面 し て いる と こ ろ に 住 ん で いる ア
メ リ カ イ ンデ ィ ア ン の ハイ ダ 族 の言 語を あ げ た こ と があ る が 、 そ の 言 語 の ほ か の性 格 が 日 本 語 と ま った く ち が っ
て いる の で 、 到 底 同 系 の言 語 と 考 え ら れ る よ う な も の で はな か った。 も っと ほ か に、 日本 語 と 数 の数 え 方 な ど が 近 い言 語 が あ る と 、 こ れ は 日本 語 と 同 系 の言 語 か と 疑 って い いは ず だ 。
今 ま で で これ が 同 系 だ と いう こと が は っき り 証 明 でき た のは 、 沖 縄 の言 葉 であ る。 沖 縄 の言 葉 は 耳 に 聞 いた だ
け で は、 ち っと も わ か ら な い の で、 明 治 ご ろ ま では ﹁琉 球 語 ﹂ と い って外 国 語 のよ う に 思 って いた 。 し か し 、 こ
れ は 、 今 では 、 同 系 の言 語 と いう よ り も 日本 語 の方 言 の 一つであ る と 考 え る よ う にな った 。 一つ 一つ検 討 し て み
taaci, ⋮⋮だ m。 ii こc れiは,首 里 yu のu 言c 葉iで、 沖 縄 の標 準 語 であ る 。
る と 、 変 り 果 て て は いる が 、 日 本 語 と 同 じ 系 統 であ る こ と は 、 前 節 で述 べ た 。 沖 縄 の数 詞 は ど う な って いる か と 言 う と 、 1 、 2、 3 、 4 ⋮ ⋮ が 、tiici,
昔 の朝 鮮半 島 の言葉
沖 縄 の言 葉 以 外 で、 日本 語 に類 似 し た 形 が 見 つか った のは 、 明 治 時 代 に 新 村 出 が発 見 ・報 告 し た 、 昔 の朝 鮮 半
島 に国 を 立 て て いた 高 句 麗 の言 葉 で あ る 。 古 い碑 の文 章 に、 ﹁三〓縣 ﹂ ﹁七 重 縣 ﹂ ﹁十 谷 縣 ﹂ と いう 地 名 が 出 て く
る が、 漢 字 で書 い てあ り、 そ の そ ば に 読 み方 が 説 明 さ れ て いて、 そ れ は高 句 麗 語 に よ る 読 み方 であ る と 見 当 が つ
く 。 ど のよ う に 説 明 し て あ る か と 言 う と 、 ﹁三〓 縣 ﹂ の ﹁三﹂ に対 し て ﹁ 密 ﹂ と いう 字 が 書 い てあ る 。 こ れ は ミ
ッと いう 字 だ 。 そ う す る と 、 ﹁三 ﹂ と いう 言 葉 を 高 句 麗 の言 葉 で ミ ッと 言 った ら し い こ と が わ か る 。 こ れ は 日本 語 の ミ ッツ に似 て いる 。
﹁七重 縣 ﹂ の ﹁七 ﹂ に相 当 す る と こ ろ に は ﹁難 ﹂ と 書 いて あ る。 ﹁七 ﹂ と いう 言 葉 は 、 高 句 麗 語 で ナ ンと 言 った
ら し い。 これ も 日 本 語 のナ ナ ツと いう の に似 て いる 。 ﹁十 谷 縣 ﹂ に 対 し ては ﹁ 徳 頓 忽 ﹂ と 書 いて いる 。 ﹁十 ﹂ は ト
ク と 言 った よ う で 、 こ れも 日本 語 のト ヲ に似 て いる 。 こ ん な こ と か ら 、 高 句 麗 の 言 葉 は ど う や ら 日本 語 と 同 じ 系
統 だ った の で は な いか と 疑 わ れ て 来 て い た。 こ の言 語 が も っと 詳 し く わ か る と い い の であ る が 、 あ いに く 、 資 料 が少 な く て、 そ のく ら いし か わ か ら な か った 。
戦 後 、 京 都 産 業 大 学 の村 山 七 郎 が いろ いろ 探 し て、 以 上 あ げ た も の の ほ か にも う 少 し 例 を 見 つけ た 。 さ ら に 村
山 は、 百 済 の国 の言 葉 も 日 本 語 と 近 か った の では な いか と いう こと ま で 推 測 し た 。 最 近 、 韓 国 の学 者 の間 で、 高
句 麗 ・百 済 の言 語 の 研 究 が 起 こ り 、 こ れ ら の 国 の 言 語 が 日 本 語 と 同 系 であ った 可 能 性 はま す ま す 強 ま った よ う だ。
現代 の朝 鮮 語と 日本 語
残 念 な のは 、 当 時 の朝 鮮 三 国 のう ち で あ と ま で 栄 え た 新 羅 の言 語 は 、 日本 語 と は か な り ち が った 言 語 と 見 ら れ
る こと であ る 。 いま の朝 鮮 語 は 昔 の新 羅 の言 語 の後 裔 だ 。 そ れ でも 現 存 の言 語 で 、 日本 語 に 一番 似 て いる 言 語 は
ど れ か と いう と 、 文 法 の性 質 が 似 て いる と いう こ と で、 朝 鮮 語 が 一番 近 い関 係 を も って いる よ う だ 。
朝 鮮 語 と の類 似 は 文 法 の章 ( 下巻、第 Ⅴ章) で述 べる が、 こ の朝 鮮 語を 通 じ て ア ル タイ 諸 語 と 結 び 付 く の で は な
いか と いう のが 学 界 の定 説 のよ う だ 。 た だ し 、 発 音 の点 で はポ リ ネ シ ア 族 の言 語 と 似 て いる の で、 ポ リ ネ シ ア 系
これ も 早 く
の 民 族 が 日本 に いた 、 日 本 語 の 基 盤 に は 、 そ う いう 言 語 があ った の で は な い か 、 と いう 考 え も 早 く 新 村 出 が 唱 え
て、 有 力 にな って いる。 さ ら に単 語 の面 で は 、 東 南 ア ジ ア の 言 語 と 関 係 が あ る よ う だ と いう 考 え︱
か ら何 人 か の学 者 に よ って 唱 え ら れ て いた が 、 文 法 の面 でも 、 ア ル タ イ 語 と は ち が った 面 で類 似 点 が 見 出 さ れ 、
最 近 で は 、 村 山 七 郎 が具 体 的 に例 を あ げ て いる 。 日本 民 族 は幾 つか の 民 族 が混 合 し て 出 来 た 雑 種 民 族 だ と 言 わ れ
て いる が 、 言 語 の方 も 同 様 で、 根幹 の性 格 は 朝 鮮 系 で あ っても 、 太 平 洋 諸 民 族 の 言 語 、 東 南 ア ジ ア の諸 民 族 の 言 語 の要 素 を も って い る と考 え る のが 穏 当 のよ う であ る 。
他 の諸 説
し か し 、 学 者 の中 に は、 ま だ いろ いろ な 説 を 出 し て いる 人 が いる 。 た と え ば 、 京 都 大 学 の 西 田 龍 雄 は 、 日本 語
と ビ ル マ ・チ ベ ット 語 が似 て いる の で は な いか と いう こ と を 唱 え て いる 。 パ プ ア の 高 地 族 の 言 語 と 関 係 が あ る の
で は 、 とま じ め に考 え て いる 人 も あ る。 最 近 で は 学 習 院 大 学 の大 野 晋 が、 日本 語 はイ ンド の南 の方 のド ラ ヴ ィ ダ
語 族 のタ ミ ル 語 と 似 て いる こと を 提 唱 し 、 ジ ャー ナ リ ズ ムを 賑 わ し た こ と を 多 く の読 者 は 覚 え て お ら れ よ う 。 彼
に よ る と 、 タ ミ ル語 の言 語 は 発 音 の面 も 文 法 の面 も 似 て いる ほ か に、 単 語 に 日本 語 と 似 た も の がた く さ ん あ る と
いう わ け で、 将 来 お も し ろ いこ と に な り そう で あ る が 、 タ ミ ル語 は ド ラ ヴ ィダ 語 族 に 属 し 、 こ のド ラ ヴ ィダ 語 族
と いう も の は 日 本 語 以 上 に 古 い歴 史 を も った 大 き な 言 語 で、 そ の全 容 が 明 ら か に な って いな い の で 、筆 者 に は 何
と も 判 定 が つか な い。 大 野 は 熱 心 な 学 者 で、 ド ラ ヴ ィダ 語 族 の歴 史 の 研 究 を 進 め て い るよ う だ 。
日本 民族 の由来
民 族 学 者 の 説 を 総 合 す る と 、 ア ジ ア大 陸 か ら 朝 鮮 半 島 に渡 って 来 た 騎 馬 民 族 が 北 朝 鮮 に 高 句 麗 と いう 国 を 建 て
た 。 そ のあ と か ら や って 来 た 同 族 が そ の南 に 進 ん で 、 百 済 の 国 を 建 て た 。 一番 あ と か ら や って来 た の が、 さ ら に
そ の南 の東 支 那 海 に面 し た あ た り に任 那 の国 を 建 て た 。 が、 これ は 強 勢 な 百 済 の圧 迫 を 受 け 、 そ の 一部 は 対 馬 海 峡 を 渡 って 、 日 本 に来 た 。
当 時 日本 に は 、 太 平 洋 系 の 民 族 が 住 ん で お り 、 東 南 ア ジ ア か ら 渡 って 来 た 人 た ち も いて 、 こ れ と 混 合 し た が 、
朝 鮮 半 島 か ら 来 た 民 族 が 文 化 的 に 高 く 、 武 力 も す ぐ れ て いた の で、 こ の島 の覇 者 と な った 。 神 武 天 皇 の モ デ ル に
な った 人 物 は そ う いう 人 であ った か と いう こと にな る よ う だ 。 日本 語 が 朝 鮮 語を 通 じ て 、 ア ル タイ 諸 語 と 似 て お
り 、 ま た 東 南 ア ジ ア の諸 言 語、 太 平 洋 のポ リ ネ シ ア 諸 語 と似 た 点 を も って いる のは 、 そう いう 由 来 に よ る も のと
思 わ れ る。 な お 、 当 時 日本 列島 の東 北 部 に は 、 ア イ ヌ民 族= 蝦 夷 族も いた が、 これ は 日本 語 の 形 成 の上 に 、 影 響 は 与 え な か った 。
日本 語 の孤立 性
日本 語 と いう も のは そ う いう わ け で 、 は っき り わ か った 同 族 の 言 語 が な い、 孤 立 し た 言 語 だ と いう こ と に な る。
そ う いう 同 族 を も た ぬ 言 語 は 、 地球 上 のと こ ろ ど こ ろ に あ って、 ま ず 、 ヨー ロ ッパ で は ピ レ ネ ー 山 岳 地 帯 に ひ っ
そ り と 行 わ れ て いる バ スク 語 、 こ れ は 難 し い文 法 を も った 言 語 と し て有 名 で あ る。 そ れ か ら 、 イ ンド の西 北 部 の
僻 地 に 行 わ れ て いる 言 語 のブ ル シ ャ スキ ー 語 、 ベ ンガ ル湾 の ビ ル マの沖 合 の島 に 行 わ れ て いる ア ンダ マ ン語 、 さ
ら に北 海 道 か ら 旧 カ ラ フト に行 わ れ て いる、 ア イ ヌ 語 や ギ リ ヤ ー ク 語 な ど が 、 ほ か に 類 似 の 言 語 を も た ぬ 孤 立 し た 言 語 だ そ う で 、 日本 語 は そ の 一つだ と いう 。
同 系 の言 語 を も た な い言 語 と 言 わ れ る と 、 薦 に でも 包 ん で市 場 に 棄 て ら れ た 孤 児 のよ う な気 が し て 、 肩 身 の狭
い思 いが す る 。 こ と に同 じ よ う に 系 統 不 明 と いわ れ る 言 語 が、 いず れ も あ ま り ぱ っと し た も の で はな く 、 ア ンダ
マ ン語 な ど は 、 同 島 に住 む 原 住 民 の言 語 で、 か つて 民 族 心 理学 者 の ヴ ント に よ って 、 地 上 で も っと も 未 開 の言 語
と いう 折 紙 を 付 け ら れ た 言 語 であ る 。 そ う いう 言 語 と等 し な み に 扱 わ れ て は 、 ま す ま す い い気 分 で は な い。
し か し 日本 語 の場 合 、 決 し て ひ け 目 を 感 じ る 必 要 は な いよ う だ 。 そ れ は 、 日本 語 を 話 す 日本 人 の数 が 一億 二 〇
〇 〇 万 人 も いる と いう こ と によ る。 こ の点 、 減 少 の 一路 を た ど り 、 昭 和 のは じ め に は 五 〇 〇 人 以 下 に 減 って し ま った と いう ア ンダ マ ン人 の言 語 と は ケ タ違 いに 相 違 す る 。
あ と で述 べ る が 、 現 在 使 用 人 口 の多 い言 語 を 順 に 数 え て いく と 、 一位 は 中 国 語 、 二 位 は 英 語 、 三 位 が ロシ ア 語
で、 日 本 語 は第 六 位 だ そう だ 。 ドイ ツ語 は 七 位 にあ り 、 フ ラ ン ス語 は も っと 下 の方 で、 や っと 十 何 位 に 甘 ん じ て いる。
さ き ほ ど 述 べた ウ ラ ル語 族 は、 中 欧 の ハンガ リ ー 語 や 、 北 欧 の フ ィ ンラ ンド 語 や 、 ソ連 領 に 住 む 少 数 民 族 の言
語 と 同 系 統 で あ る こと が 証 明さ れ 、 徳 永 康 元 に よ れ ば 、 次 ペー ジ のよ う な 整 然 と し た 系 統 図 が 出 来 て いる と いう 。
こ れ は ま こと に 見 事 であ る 。 が、 そ の使 用 人 口は と いう と 、 全部 あ わ せ て も 、 日本 語 の五 分 の 一にも 達 し な いそ う だ。
︵A )フ ィ ン ・ウ ゴ ル 語 派
︵B ) サ モイ ェー ド 語 派︷
見 方を 変 えれば
Ⅰ
フ ィ ン ・ペ ル ム 語 派︷
Ⅱ ウ ゴ ル語 派︷
の中 に 、 フィ ン ラ ンド 語 ・ 1 ルバ ト フィ ン語 派 (こ エ ス ト ニ ア 語 な ど が 属 す る)
2 ラ ップ 語
この中 に、 ヴ ォルガ 河 流 3 ヴ ォ ルガ ・フ ィ ン語 ( 域地 帯 の言 語 が属 す る)
4 ペ ル ム語 1 オ ビ ・ウ ゴ ル 語 派 2 ハ ンガ リ ー 語
I 北 部 サ モイ ェー ド 諸 語 Ⅱ 南 部 サ モイ ェー ド 諸 語
と こ ろ で、 日本 語 は 、 前 節 に述 べた よ う に 方 言 のち が い の激 し い言 語 で 、 関 東 方 言 ・関 西方 言 ・北 奥 方 言 ・九
州 鹿 児島 方 言 な ど 、 そ れ ぞ れ ヨ ー ロ ッパ へ持 って い った ら 別 々 の国 語 だ 。 こ れ に、 八 丈 島 の方 言 や 奄 美 ・沖 縄 の
方 言 を 加 え 、 そ の近 縁 を 考 え て系 統 図 を 作 れ ば 、 ウ ラ ル諸 語 のも のよ りも も っと り っぱ な も のが でき る 。
た だ 一つち がう 点 は 、 さ き ほ ど の ウ ラ ル諸 語 に は 、 全 ウ ラ ル語 族 の人 た ち が 共 通 に 用 い る、 ウ ラ ル共 通 語 と い
う も の が な い の に 対 し て、 日本 語 族 で は 、 全 語 族 の人 た ち の間 に 用 いら れ る 日 本 共 通 語 と いう も の が存 在 す る 点
だ 。 ラ ジ オ や テ レ ビ で 話 さ れ、 教 科 書 や 新 聞 ・雑 誌 で書 か れ て い る 言 語 が そ れ だ 。 共 通 の言 語 が あ れ ば こ そ 、 日
本 語 族 の各 言 語 体 系 は ち が った 国 語 と み な さ れ ず 、 日本 語 のう ち の 一方 言 と み な さ れ る 。 こ の こ と は 、 日本 語 族 の 各 言 語 の大 き な 長 所 であ り、 不 名 誉 な こと でな い こと 、 も ち ろ ん で あ る 。
二 外 国 語 か ら の影 響 洋語 の氾 濫
日 本 語 は 、 そ う いう わ け で 、 系 統 的 に み て 他 の 言 語 か ら 孤 立 し て い る が 、 も う 一 つ 、 日 本 語 と ほ か の 国 の 言 語
と の 交 渉 は ど う だ った か と いう 問 題 に 入 る 。 筆 者 に 言 わ せ る と 、 日 本 語 は 他 の 言 語 と 交 渉 が 少 な い 方 だ った と 言
って よ い よ う だ 。 他 の 言 語 と の 交 渉 が 少 な い と いう と 、 す ぐ 反 論 が 出 そ う だ 。 今 の 世 の お び た だ し い洋 語 の 氾 濫
魅 力 の シ ョ ッピ ン グ ゾ ー ン は 、 快 適 ラ イ フ に 必 要 な グ ッ ズ だ け で な く 、 情 報 か ら 、 あ ら ゆ る サ ー ビ ス ま で 提
は ど う 見 る 、 こ れ で 他 の 言 語 と の交 渉 が 少 な い と 言 え る か 、 な ど 。 た し か に 、
供 し て く れ る 。 ﹁イ ン フ ィ ニ テ ィ ク ラ ブ サ ー ビ ス シ ョ ッ プ ﹂ で は 、 家 具 ・電 化 製 品 ・フ ァ ッ シ ョ ン 等 の レ ン
タ ル、 旅 行 ・コ ンサ ー ト の チ ケ ッテ ィ ング が で き る 。 ライ フ ス タイ ルに 応 じ た ア イ テ ムを 手 軽 に そ ろ え ら れ る の が う れ し い。( ﹃ぴあ ﹄ 昭 和 六 十 二年 十 二 月十 一日 号 )
と いう よ う な 文 章 を 見 る と 、 日本 語 の汚 染 の激 し さ に 眉 を ひ そ め た く な る こ と 、 筆 者 も 読 者 各 位 と 同 様 で あ る。
洋 語 を 使 う 元 凶 は 官 庁 で 、 通 産 省 が ニ ュー メ デ ィ ア ・ コ ミ ュ ニ テ ィ ー を 打 出 せ ば 、 郵 政 省 は テ レ ト ピ ア 事 業 を
は じ め 、 建 設 省 が シ ェイ プ ア ップ ・ マイ タ ウ ン 計 画 を 、 中 小 企 業 庁 は コ ミ ュ ニ テ ィ ー ・ マ ー ト 構 想 を か か げ る 。 (﹃ 言 語﹄ 昭和 六 十 一年一 月 号 、最 上 勝 也 )
一般 に こ う い う 洋 語 が 多 く 使 わ れ て い る の は 、 衣 料 品 関 係 ・化 粧 品 関 係 ・自 動 車 関 係 ・ホ テ ル 関 係 、 そ れ か ら
芸 能 界 ・ス ポー ツ 界 で 、 こ れ ら は 、 あ る い は 特 定 の 趣 味 を も った 人 た ち に 売 り 込 も う と す る 人 た ち で あ り 、 あ る
い は 実 生 活 か ら 遊 離 し た 世 界 の こ と で あ る か ら 、 そ れ ほ ど 重 大 視 す る こ と も な い。 問 題 は 官 庁 の 人 た ち が 、 使 わ
な く て い い と こ ろ に 、 一般 の 人 た ち に 理 解 で き な い よ う な 洋 語 を 使 い、 一般 の 人 の 頭 を 混 乱 さ せ る こ と で 、 こ れ
は 絶 対 に い け な い 。 官 庁 と いう も の は 、 自 分 の え ら さ を 見 せ る 必 要 は 全 然 な く 、 商 品 を 売 る 必 要 も な い の だ か ら 、
一般 の市 民 に わ か るよ う な 言 葉 で 呼 び か け る べき で あ って、 こ のよ う な カ タ カ ナ 言 葉 の 安 易 な 多 用 を ぜ ひ 反 省 し て いた だ き た い。
乗合自動 車 桃色
バ ス
︱浴 場
衣 裳 か け スプ ー ン︱
匙
ミ ルク
︱牛 乳 ノ ー ト︱
帳面
と に か く 戦 後 、 英 語 か ら 日本 語 に 多 く の語彙 が 入 って来 た た め に、 中 には 本 来 の和 語を 駆 逐 し たも の、 あ る い
バ ス︱ 鍵 ピ ン ク︱
は し つ つあ る も の があ る 。 例 え ば 、 キ ー︱
ハン ガ ー︱
な ど が 、 和 語 ・漢 語 の 位 置 を お び や か し て いる 。
洋語 の増 えか た
と ころ で、 これ ら の洋 語 は 日 常 語 にど の 程 度 の割 合 いを 占 め て い るも のだ ろう か 。 昭 和 三 十 一年 度 に国 立 国 語
研 究 所 が雑 誌 九 〇 種 の 用 語 用字 を 調 査 し た 結 果 によ る と 、 日 常 使 わ れ て いる 単 語 の比 率 は 表 1 の よう だ った と い
表2
表3
った 今 日 、 洋 語 の異 な り 語 数 は こ の数 倍 に増 え
簡 単 に は 言 え な いが 、 表 2 の時 代 よ り 二 〇年 た
それ ぞ れ 計 算 を し た 資 料 の種 類 が ち がう か ら
国語﹄ による)
のよ う だ った と いう 。( 石綿敏雄 ﹃日本語 のなか の外
者 の会 話 に み る 日 本 語 の語彙 の構 成 比 は 、 表 3
だ し 、 昭 和 五 十 五 年 に、 野 元 菊 雄 が 、 語 学 関 係
は 、 異 な り 語 数 は 表 2 のよ う だ った と いう 。 た
う 。 そ れ か ら 四 十 一年 度 に 、 朝 日 ・毎 日 ・読 売 の三 新 聞 に つ い て、 朝 夕 刊 一年 分 を 対 象 と し て調 査 し た と こ ろ で
表1
て い そ う であ る。 し か し 延 べ語 数 は せ いぜ い表 1 の 二倍 足 ら ず の五 % ぐ ら い では な か ろ う か。 洋 語 は カ タ カナ で
書 かれ る と いう よ う な こ と か ら 、 実 際 以 上 に 目 立 つと いう こと が あ る 。 し た が って 生 活 の基 本 のと こ ろ を 表 わ す 語彙 は少なく、ま た生まれ てはすぐ に消え てゆくも のが多 いことも想像さ れる。
洋 語 の影響
こ のよ う な 洋 語 が多 く 入 って 来 た の は 、 明 治 以 後 で あ る が 、 そ の 結 果 、 テ ィ ・デ ィ ・ト ゥ ・ド ゥ ・ウ ィ ・ウ
ェ ・フ ァ ・フ ィ ⋮ ⋮ のよ う な 音 の つく 単 語 を 日 本 語 の中 に作 った 。 が、 考 え て み る と 、 こ れ ら は いず れ も 過 去 の
日 本 語 に あ った も の、 一度 、 滅 び た も のを 復 活 さ せ たも のば か り で あ る 。 も し 1 と rと の 区 別 が 生 ま れ た ら 、 日
本 語 に な か った も の が 生ま れ た の で あ る が、 洋 語 は そ のよ う な 変 化 を 日本 語 の中 に 生 じ さ せな か った 。
文 法 の面 でも 、 明 治 以 後 の洋 語 は 、 日本 語 に 新 し い言 い方 を 生 じ さ せ た。 た と え ば ﹁彼 女 ﹂ と いう 代 名 詞 、 あ
る いは ﹁⋮ ⋮ に 対 し て﹂ ﹁よ り大 き い﹂ ﹁上 り つ つあ る ﹂ な ど が そ う であ った 。 ま た 、 ﹁戸 は 開 か れ た り﹂ ﹁賽は 投
げ ら れ た ﹂ のよ う な 、 無 生 物 を 主 語 と す る 受 動 態 な ど が 洋 語 の影 響 で多 く 用 いら れ る よ う に な った 。
こう いう 洋 語を よ く 調 べ て み る と 、 発 音 の面 で、 母 音 は 日本 語 に あ る 五 つ のう ち の 一つに 組 入 れ ら れ 、 文 法 の
面 で単 数 ・複 数 の区 別 は失 わ れ て いる 。 そ う し て、 語彙 の面 でも 多 く の外 来 語 は 本 来 の意 味 か ら 変 わ って来 て い
る 。 ビ ル デ ィ ング は 、 牛 小 屋 でも 犬 小 屋 でも 含 む 建 物 一般 の意 味 であ った の が、 日本 で は ﹁高 層 建 築 ﹂ の意 味 に
変 え ら れ た 。 ト ラ ンプ は本 来 ﹁切 り 札 ﹂ の意 味 だ った が 、 日本 語 で は 西 洋 カ ル タ の名 にな って い る。
文 字 で は 、 ア ラ ビ ア 数 字 が 普 及 し て いる ほ か に、 ロー マ字 が 日 本 語 を 表 わ す た め に、 N HK と か 最 近 の J R
のよ う に 使 わ れ て いる が、 た だ し 、 ロー マ字 で 日本 語を 表 記 す る と いう こと は 、 野 球 の ユ ニ フ ォー ム と か 、 商 店
の看 板 と か 紙 包 み の図 案 と か 、 特 別 の場 合 のほ か 行 わ れ てお らず 、 ロー マ字 を 国 字 に し よ う と いう 叫 び は 、 戦 争 直 後 に 比 べ て め っき り 弱 く な った。
一体 、 日本 人 が こ の洋 語 を 多 く 使 お う と す る の は 、 洋 語 が洋 語 であ る と は っき り わ か る と ころ に魅 力 があ る の
であ る 。 日本 人 は 洋 語 に 対 し て、 特 別 に カ タ カ ナ と いう 文 字 で書 く 習 慣 が あ る が 、 こう いう 習 慣 を も つ国 は ち ょ
っと な い。 そ れ だ け 、 洋 語 に対 す る 違 和 感 が 日 本 人 の間 にあ る の で、 今 の状 態 で は 大 部 分 の洋 語 は、 日本 語 の体
系 の表 面 に浮 遊 し て いる 木 の 葉 の よ う な も の で、 漢 語 の ﹁茶 ﹂ ﹁礼 ﹂ ﹁客 ﹂ ﹁肉 ﹂ な ど が 日 本 語 の中 に 入 り き って いる のと は ち がう 。
他 の国 語 の場合 よ そ の国 の国 語 が外 か ら 受 け た 影響 は 、 こ ん な な ま や さ し いも の で は な い。
であ る が 、 そ こ で は 、 ヨー ロ ッパ 語 に あ る よう な 冠 詞 と い った も の が出 来 て い る。 ハン ガ リ ー 語 は、 元 来 、 言 葉
た と え ば 、 ハンガ リ ー 語 は 、 ヨー ロ ッパ のま ん 中 に 孤 立 し て いる ウ ラ ル語 族 の 一つ で、 も と も と ア ジ ア の 言 語
の順 序 は 日 本 語 と 同 じ で、 一つの セ ン テ ン ス の動 詞 が 一番 最 後 に く る はず で あ る が 、 ゲ ル マ ン語 の影 響 を う け て 、
疑 問 文 のと き に は動 詞 が前 の方 に行 ってし ま った り し て いる 。 あ る いは 、 発 音 の 面 ま で影 響 が あ って 、 ア ク セ ン ト が ど の単 語 でも 、 一番 前 の音 節 ( 拍 ) にく る のだ そう だ 。
同 じ ウ ラ ル語 族 の フ ィ ンラ ンド 語 で は 、 従 来 も って いな か った前 置 詞 と いう 品 詞を も って いる と いう よ う な こ
と 、 これ は い か に 周 囲 の ヨー ロ ッパ の言 語 の影 響 を 受 け た か と いう こと を よ く 示 し て いる 。 そ う か と 思 う と 、 セ
イ ロ ン島 の シ ン ハリ 語 は、 動 詞 が 客 語 ( 目 的 語 ) よ り先 に 来 て いた の が、 近 隣 のド ラ ヴ ィダ 語 の影 響 で 客 語 ・動 詞 の順 序 に 変 って し ま った と いう 。( ﹃言語﹄昭和五十五年二月号、柴谷方良)
これ に く ら べ て 日本 語 は 発 音 の上 で は ほ と ん ど 影 響 を 受 け て いな いし 、 言 葉 の 順序 な ど と いう 文 法 の根 本 的 な 性 格 のう え で は 少 し も 影 響 を 受 け て いな い。
昔 は中 国 語を そ のまま
日本 語 が外 国 語 のた め に 骨 の髄 ま で冒 さ れ そ う にな った 危 機 は 、 今 の時 代 より む し ろ 上代 にあ った 。
上 代 、 日本 人 は 今 の韓 国 の西 部 に 建 国 し た 百 済 の国 か ら 漢 字 を 学 び、 は じ め て書 籍 に接 し た 。 文 字 と いう も の
を 初 め て 見 る 日本 人 の驚 き は 大 き か った 。 日 本 人 が新 し いす ぐ れ た も の を み と め 取 り 入 れ る 熱 意 は、 昔 も 今 も 変
わ ら な か った 。 漢 字 は 日本 語 を 写 す の に適 当 な 文 字 か ど う かを 考 え る余 裕 も な く 、 日本 人 は あ っさ り そ れ を 畏 敬
し 、 す ぐ にそ れを 学 ぶ こ と に 全 力 を あ げ た 。 が 、 漢 字 は 中 国 語 を 写 す 文 字 であ る。 漢 字 を 習 う こ と は 中 国 語 を 習
う こ と だ った 。 だ か ら 最 初 の こ ろ は 、 文 字 で書 く も の は す べ て中 国 語 だ った 。 た と え ば 、 聖 徳 太 子 の ﹁十 七 条 の
以和 為 貴 ⋮ ⋮
憲 法 ﹂ の第 一条 は 、
と 書 いて あ る 。 こ れ は 今 で こ そ 返 り点 ・送 り が な を つけ て 、 ﹁和 を も って 尊 し と な す ⋮ ⋮ ﹂ な ど と 読 ん で いる が 、
返 り 点 ・送 り がな と いう も のは 、 平 安 朝 にな って でき たも の で、 聖 徳 太 子 の ころ は そ ん な も のは な か った 。 お そ
ら く 当 時 は イ ー ホ ウ ウ ェイ ク ィ⋮ ⋮ と い った よ う に多 少 日 本 的 にな ま って は いた ろう が 、 中 国 語 で読 ん だ の であ ろ う と 思 う 。 つま り 、 聖 徳 太 子 は 、 中 国 語 で 日本 の憲 法 を 起 草 し た わ け であ る 。
古 天 地未 剖 、 陰 陽 不 分 、 渾 沌 如 鶏 子 、溟涬 而 含 牙 ⋮ ⋮
奈 良 朝 に 入 って 編纂 さ れ た ﹃日 本 書 紀 ﹄ と いう よ う な 勅 撰 の国 史 も 、
と い った 、 いわ ゆ る ﹁漢 文 ﹂ で あ る 。 こ の こ ろ で も ま だ 返 り 点 ・送 り が な は な か った か ら 、 中 国 語 で書 か れ て い
る わ け で、 コー テ ンテ ィー ミー フー ⋮ ⋮ のよ う に読 ん だ も のと 思 わ れ る 。 こ れ は 、 今 で 言 った ら 、 憲 法 を 英 語
で書 き 、 教 科 書 を 英 語 で 書 く よう な も ので あ る 。 いく ら 、 現代 が英 語 一辺 倒 の 時 代 と い っても 、 そ ん な こ と は し
な い。 上 代 は こん な 風 に 言 語 生活 の半 分 は 中 国 語 と いう 時 代 で 、 思 え ば 、 ず いぶ ん 激 し く 日 本 語 が 外 国 語 に 侵 食 さ れ た 時 代 だ った 。
爾 時 仏 告 長 老 舎 利 弗 従 是 西 方 過 十 万億 仏 土 有 世 界 名 日極 楽 ⋮ ⋮
今 日、 仏教 界 で経 文 を 読 む と き 、 例 え ば ﹃阿 弥 陀 経 ﹄ と いう 経 文 は、
そ のとき仏、 長老舎利弗 に告ぐ ⋮⋮
と いう よ う に 書 か れ て い る。 も し 返 り点 ・送 り が な を つけ た ら 、 と 読 む で あ ろ う が、 し かし 僧 侶 は そ う は 唱 え ず 、 爾 時 仏 告 長 老 舎 利 弗 ジ ー シ ー フー コウ チ ョー ロー シ ャー リ ー フー
と 上 から 順 々 に読 ん で いく 。 これ ら も 激 し い日本 な ま り に な って いる け れ ど も 、 一種 の中 国 語 だ 。 仏 教 の僧 侶 た ち は 、 外 国 語 で読 む と いう こ と に、 得 意 を 感 じ て いた も の であ ろう 。
語彙 ・音 韻 ・文 法面 の影 響
日本 語 が 中 国 語 か ら 受 け た 影 響 の大 き いの は 、 文 字 に 次 い で は 語彙 の面 で 、 多 く の 人 体 の部 分 、 生 理 ・病気 の
名 、 鉱 物 の名 、 社 会 制 度 の名 、 抽 象 的 な 思 考 対 象 の名 な ど を 輸 入 し た 。 ま た 明 治 維 新 の際 、 欧 米 の文 物 名 を 輸 入
す る時 に 漢 字 を 組 合 わ せ て 新 し い漢 語 を 作 った が 、 これ も 中 国 語 の間 接 的 な 影 響 だ 。
中 国 語 か ら は、 日本 語 は 音 韻 の 面 で も 、 文 法 の面 でも 、 いろ いろ 影 響 を 受 け て いる 。 音 韻 の 面 でキ ャ ・キ ュ ・
キ ョ ・シ ャ ・シ ュ ・シ ョ⋮ ⋮ のよ う な 拗 音 の拍 が 生 ま れ た のは 、 ま った く 中 国 語 のも のを 取 り 入 れ た も の であ り、
ン (ハネ ル音 )・ッ (ツ メ ル音 )・ー (引 ク 音 ) のよ う な 拍 が 生 ま れ た のも 、 中 国 語 の間 接 の影 響 であ った 。
文 法 の面 は も っと も 地 味 であ る が 、 そ れ でも 接 続 詞 と 呼 ば れ る 一類 の 語 が 生 ま れ た こ と 、 あ る いは ﹁⋮ ⋮ す べ
か ら ず ﹂ (shoul) d 、 ﹁⋮ no ⋮t せ ざ る べ か ら ず ﹂ (mu) s 、t﹁⋮ ⋮す る や も 計 り がた し ﹂ (ma) y な ど の語法 が生 まれ た の も 中 国 語 を 訓 読 し て 得 た も の で 、 間 接 の影 響 だ った 。
こ れ を 要 す る に 、 古 代 に お いて 日本 語 は法 外 に大 き く 中 国 語 の影 響 を 受 け た の だ った 。 が、 こ れ は 日本 に限 ら
な い。 中 国 に 近 接 す る 諸 民 族 は 、 朝 鮮 民 族 でも 、 満 州 人 でも 、 ヴ ェト ナ ム人 でも 、 す べ て 大 き な 影 響 を 受 け た も
ので 、 満 州 族 の ご と き は 、 一度 は 清 朝 と いう 王 朝 を 作 って政 治 的 に は漢 民 族 を 征 服 し た が 、 そ の代 わ り、 民 族 固
有 の言 語 ・満 州 語 は ほ と ん ど 壊 滅 し てし ま った く ら い であ る 。 朝 鮮 民 族 は 固 有 の文 字 を も た ず 、 ま た 漢 字 が 伝 わ
って 以 後 、 長 い こと 自 国 語 を 表 記 す る の に 漢 字 を 用 い て いた 。 そ のた め に、 中 国 語 の影 響 を 蒙 る こ と は 日本 語 以
上 で 、 地 名 ・人 名 はま ず 全 部 中 国 語 にな って し ま い、 日常 語 で も 日本 語 では 和 語 で言 う と こ ろ を 、 朝 鮮 語 で は 漢
語 で 言 う も のが き わ め て 多 い。 ヴ ェト ナ ム 語 も 、 人 名 が 原 則 と し て中 国 語 で出 来 て お り、 今 、 漢 字 を や め て し ま
った の で、 そ の意 味 が わ か ら ず 、 困 って いな いだ ろ う か と 、 よ そ 事 な が ら 気 にな る ほど で あ る 。
こ う いう 例 に 比 べ る と 、 日本 語 の中 国 語 か ら 受 け た 影 響 は 、 そ れ ほど 大 き いも の で はな く 、 英 語 か ら 受 け た 影
響 は さ ら に小 さ いと い って よ い。 日 本 語 の 他 の言 語 か ら 受 け た 影 響 は、 ま こと に 表 面 的 で あ る 。
三 外 国 語 への影 響 大 きな 影響 を与 え た のは
日本 語 は 以 上 のよ う に、 外 国 語 の影 響 を そ れ ほど 多 く は 受 け て いな い。 が 、 外 国 語 へ日本 語 が 与 え た 影 響 は さ
ら に少 な い。 こ れ は 文 明国 の国 語 と し て 珍 し い こ と であ る 。 H ・G ・ウ ェル ズ は 、 ﹁日本 の僻 隅 文 明 は 人 類 の 運
命 の 全 体 的 形 成 に 大 し た 貢 献 を し な か った。 日本 は 多 く のも のを 受 取 った が、 ほ と ん ど 与 え る と こ ろ が な か っ
た﹂ ( ﹃世界文化史概 観﹄下)と 言 った 。 言 語 の上 で も 、 日本 語 は 外 へほ と ん ど 輸 出 さ れ て いな い。 ほ か の言 語 に 与 え た 一番 大 き な 影 響 は 、 ア イ ヌ語 に 対 す る も の であ った 。
アイ ヌ 語 は 元来 、 動 詞 が や か ま し い人 称 変 化 を お こな う 言 語 で、 ﹁私 が 熊 を 捕 え る ﹂ と ﹁彼 が熊 を 捕 え る﹂ と
では 、 ち が った 形 の動 詞 を 用 い る。 が 、 日本 語 の動 詞 は 人 称 変 化 を し な い。 そ の た め に 日本 人 が アイ ヌ語 を 使 う
場 合 、 人 称 に関 し て は 破 格 な ア イ ヌ 語 を し ゃ べ った の で 、 アイ ヌ 語 自 身 の動 詞 の人 称 変 化 も 明 治 ご ろ に は す で に
一部 に破 綻 を 来 た し つ つあ った と いう 。( 金 田 一京助 ﹃ 言語研究﹄) し か も 、 アイ ヌ 語 は 、 単 に 日本 語 的 な 性 格 を 受
け 入 れ た だ け に と ど ま らず 、 そ れ 全 体 が強 力 な 日本 語 の圧 力 の前 に 滅 亡 し つ つあ る と いう 。 これ は、 日 本 語 が 他 国 語 に 与 え た 最 も 大 き な 影 響 の例 に ち が いな い。
こ れ と 同 じ よ う に異 民 族 の言 語 が 同 化 さ れ て い った こと は 、 上 代 に は あ った で あ ろ う 。
台 湾 とミ ク ロネ シア
( 福 建 語 系 統 の中 国 語 ) を ま ぜ た 言 葉 だ った そう だ 。 フ ィリ ピ ンに お け る ア メ リ
岩 崎 定 によ る と 、 台 湾 では 、 戦 前 の 日本 語教 育 を 受 け た 人 た ち は 、 昭 和 三 十 五 年 ご ろ で も 一番 楽 に 話 せ る 言 語 は 日本 語 で、 そ れ に少 し 台 湾 語
カ 英 語 の影 響 に 比 べ る と 、 台 湾 へ の 日本 語 普 及 は驚 く べき も のが あ った 。 そ の後 、 急 速 な 北 京 語 の教 育 ・普 及 に
よ って 日本 語 は 衰 え て 行 った が 、 こ の 六 十 二 年 二 月 、 筆 者 が 現 地 を 訪 れ た と こ ろ 、 ﹁私 は 日 本 語 が 話 せ ま す ﹂ と 言 って 、 懐 し そ う に寄 って来 た 現 地 人 が何 人 か あ った 。
家 によ って は ま だ 畳 を 敷 い て あ る 家 があ り 、 タ タ ミ と 呼 び 、 タ タ ミ職 人 も いる と いう 。 台 中 の ホ テ ル で は 、 日
本 人 専 用 で は な か った の に、 ユカ タ を 持 って 来 た 。 町 に は ノ リ マキ ・イ ナ リ ズ シ ・大 福 餅 ・カ ノ コな ど を 売 って
いて 、 現 地 人 が 買 って 食 べ て いる。 寿 司 ・油 揚 ・煎 餅 な ど は そ のま ま 漢 字 を 使 い、 弁 当 は ﹁便 当 ﹂、 テ ンプ ラ は
﹁甜 不竦 ﹂ と 字 が 変 わ り 、 現 地 発 音 で 読 ん で いる 。 日 本 語 のま ま で 残 って い る も のも あ り 、 魚 屋 の店 先 に は 、 カ ツオ ・マグ ロ ・ブ リな ど が カ タ カ ナ で書 い てあ った 。
戦 後 の新 し い言 葉 も 入 って いて 、 運 チ ャ ン ・シ ャブ シ ャブ ・カ ラ オ ケ な ど が挙 げ ら れ る 。 運 チ ャ ンは ﹁運 将 ﹂
と 書 き 、 カ ラ オ ケ は ﹁〓拉 O K ﹂ と 書 き 、 これ は新 聞 の広 告 欄 に毎 日 のよ う に 出 て いる。 韓 国 と ち が い、 日 本 語
の学 習 も 盛 ん で、 新 聞 の広 告 に は 日本 語塾 の広 告 が 満 載 さ れ て いる か ら 、 日本 語 は 第 一外 国 語 と し て これ か ら も 行 わ れ て いく だ ろ う 。
ミ ク ロ ネ シ ア の 島 々 も 、 日 本 語 の 影 響 が あ り 、 戦 前 小 学 校 へ通 った 人 た ち は 、 今 で も 流 暢 に 日 本 語 を 話 す こ と
が で き 、 例 え ば 、 マ リ ア ナ 群 島 ・パ ラ オ 群 島 ・ト ラ ック 島 で は 、 次 の よ う な 単 語 が 、 日 本 語 か ら の 借 用 語 と し て
デ ン キ 、 デ ン ワ、 デ ン ポ ウ ⋮ ⋮ 、 ハイ ザ ラ 、 ゾ ウ リ 、 カ ン キ リ ⋮ ⋮ 、 ナ ッパ 、 タ マ ネ ギ 、 ニ ン ジ ン ⋮ ⋮
定 着 し て い る と い う 。(﹃ 言 語 生活 ﹄ 昭 和 五十 三 年 七 月号 、 西 尾 珪 子)
中 に は 、 現 地 語 で あ った 魚 の 名 で 、 カ ツ オ ・ マ グ ロ の よ う に 日 本 語 に 置 き か え ら れ て い る も の も あ る と いう 。
﹁型 ﹂ を カ ダ 、
こ の言 語 も 日 本 語 の影 響 を 、 こ と に、 単 語 の面 で は 大 き な 影 響 を 受 け て いる 。 多 く の 和 製 漢 語 が 入
朝 鮮 語 の場合 朝 鮮 語︱
っ て い た ほ か に 、 郭 永 哲 の ﹃韓 国 語 に お け る 日 本 渡 来 の 外 国 語 ﹄ に よ る と 、 日 常 語 で は 、 た と え ば
﹁飾 り ﹂ を カ サ リ と い い、 食 物 関 係 の 名 と し て は ソ バ ・カ マボ コ な ど 、 日 用 品
(下 駄 ) と い った も の が 入 った と い う 。
着 物 の 柄 も カ ラ と 言 い、 あ る い は の名 と し て カ ミ ソ リ と か ゲ タ
単 語 は 意 識 的 に 朝 鮮 語 に 訳 し か え ら れ 、 ス シ ← 酢 め し 、 テ ン プ ラ ← 揚 げ も の 、 タ ク ア ン ← 甘 大 根 漬 け 、 と いう よ
た だ し 、 渡 辺 吉鎔 に よ る と 、 戦 後 の 日 本 語 追 放 運 動 が 猛 烈 で 、 ス シ ・テ ン プ ラ ・カ マボ コ ・タ ク ア ン の よ う な
う に な った と は お も し ろ い 。
そ の 他 、 映 画 用 語 と か 、 特 殊 な 方 面 に 、 思 い が け な い大 き な 影 響 が あ る よ う で あ る 。 た だ し 、 韓 国 語 が 日 本 語
か ら 影 響 を 受 け た の は 、 あ く ま で も 語 彙 の 面 に と ど ま り 、 音 韻 ・文 字 ・文 法 の 面 で は 及 ば な か った 。
中 国 ・東 南 ア ジ ア の 言 語 で は
次 に、 中 国 語 に は 、 明 治 の 日 清 戦 争 の直 後 あ た り か ら 、 多 く の和 製 漢 語 が向 こ う へ逆輸 入 さ れ て 、 中 国 読 み で
使 わ れ て い る 。 中 国 で は 、 日 本 語 を 学 ぶ こ と に よ っ て 欧 米 の 文 化 を 取 り 入 れ よ う と し た も の だ と い う 。 ﹁社 会 ﹂
﹁主 義 ﹂ ﹁歴 史 ﹂ ﹁ 貿 易 ﹂ ﹁経 済 ﹂ ﹁哲 学 ﹂ ﹁美 学 ﹂ ﹁思 想 ﹂ ﹁表 現 ﹂ な ど 、 そ の 例 で あ る 。 そ の ほ か に 、 漢 字 で 書 か れ
た 和 語 を 、 そ の 漢 字 を 中 国 読 み し て 使 って い る も の が あ る 。 ﹁取 引 ﹂ ﹁取 締 ﹂ ﹁相 手 ﹂ ﹁手 続 ﹂ ﹁取 消 ﹂ ﹁場 合 ﹂ な ど
﹃ 言 語 ﹄ に報 告 し た 人 が あ る が、 東 南 ア ジ ア の地 域 に も 、 第 二 次 世 界 大 戦 の結 果 、 日本 語 の単 語 が大 分 ひ
が そ れ で あ る 。(﹃ 言 語 生活 ﹄ 昭 和 四 十 一年 十 月 号、 実 藤 恵 秀 ) また
ろ ま った 。 イ ン ド ネ シ ア 語 に は 、 ﹁労 務 者 ﹂ ﹁義 勇 軍 ﹂ ﹁兵 補 ﹂ な ど と い う 言 葉 が 入 っ て い る そ う だ 。
欧 米 へ出 て 行 っ た 単 語
ー は 日 本 語 か ら 欧 米 へ広 く 出 て 行 っ て 国 際 的 に な った 単 語 の 例 と し て 、
bonze( 仏 教 の 僧 侶 )、saque ( 酒 )、soy,soy ( 醤 a油 )、mikado ( 帝 )、ginkgo(い ち ょ う )、haraki( r 切i 腹 )、
R・ミラ
tycoo ( 大 n 君 ︶、samura ( 侍 i)、musume ( 娘 )、kimono( 着 物 )、geish ( 芸 a者 )、shib( u 渋iい )、ukiyo (浮 e 世 絵 )、 netsu( k 根e付 )、shoj( i 障 子 )、tatami( 畳 )、origam ( 折 i紙)
urushi (漆 o) i、 lmoxa (艾 )
を あ げ 、 日 本 の 科 学 上 の 発 見 か ら 国 際 科 学 用 語 に 入 った 単 語 と し て 、
な ど を あ げ て い る 。(﹃日本 語︱ 歴 史 と 構 造﹄)
ま た 、 特 に ア メ リ カ に 入 り 、Time,Newsw なeど eに k 用 い ら れ る 語 で 新 し い も の と し て 、 ﹁親 子 心 中 ﹂ ﹁い じ め ﹂
﹁浪 人 ﹂ ﹁塾 ﹂ ﹁用 心 棒 ﹂ ﹁黒 幕 ﹂ ﹁茶 ﹂ ﹁焼 鳥 ﹂ ﹁義 理 ﹂ ﹁柔 道 家 ﹂ ﹁黒 帯 ﹂ な ど が あ り 、 大 き い 辞 書 に は の っ て い る そ う だ 。(﹃ 言 語﹄ 昭和 六 十 一年 九 月 号 、津 谷 武 徳 )
以 上 のよ う な も のが あ る が 、 海 外 の言 語 に は いず れ も た だ 単 語 が 輸 出 さ れ た も の ば か り で、 日 本 語 の音 韻 や 文 法 が先 方 の言 語 に 影 響 を 与 え た 例 は、 ま だ 聞 いた こと が な い。
四 日 本 語 の有 力 性
一 使 用 人 口 の多 さ 世界 第 六位
今 、 街 を 歩 い て いる と 、 カ タ カ ナ の 言 葉 や 横 文 字 の言 葉 が 氾 濫 し て い て、 こ の分 で は 日 本 語 は 将 来 ど う な る か
と 心 配 す る む き も あ ろ う か と 思 う が、 日本 語 と いう 生 活 力 の強 いす ぐ れ た 言 語 が そ ん な こと で簡 単 にな く な って し ま う よ う な こと は な いと 思う 。
左 の表 は 、 林 大 監 修 ﹃図 説 日 本 語 ﹄ か ら 借 り た も の で、 上 の ﹁世 界 諸 言 語 の使 用 人 口 ﹂ は 、 昭 和 五 十 九 年 の調
世界 諸言 語 の経済 力
﹃百 科 年
で 六 位 だ っ た 。(﹃ 岩 波 講 座 ・日本 語 ﹄1 )
鑑 ﹄ で は 、 日 本 語 は ド イ ツ語 と 並 ん
の ニ ュー ヨー ク タイ ムズ 社
柴田武 によると、 昭和 四十五年度
て も 日本 語 が 六 位 と は 見 事 で あ る 。
な い こ と が 目 に つく 。 が 、 そ れ に し
る こと 、 フラ ン ス 語 が 思 い のほ か 少
と 、 イ ンド 語 が幾 つか に 分 か れ て い
いう が、 中 国 語 がき わ 立 って 多 い こ
世界 に言語は五 〇〇〇以上 あると
査 の結 果 で あ る 。 日本 語 の人 口 は 、 今 で は 一億 二 〇 〇 〇 万 人 に な って い る か ら 、 ほ か の言 語 も そ れ ぞ れ 増 え て い る で あ ろう が 、 順 位 は 変 わ ら な いと 思 う 。
世界 諸言 語 の使 用 人 口
そ れ が こ の五 十 九 年 に は単 独 六 位 にな り 、 ド イ ツ語 は 七 位 に な った 。 日 本 語 は 昭 和 二 十 五 年 には ド イ ツ語 の下 位
にあ り、 明 治 三 十 三 年 に は フラ ン ス語 や イ タ リ ア 語 よ りも 下 位 だ った。(﹃ 図説日本語﹄)
も の で、 そ の言 語 が 話 さ れ る 地 域 で の国 民 総 生 産 が 、 世 界 全 体 の何 パ ー セ ント か を 示 す も の で、 言 語 のも つ力 の
し かし 、 言 語 は使 用 者 が 多 け れ ば そ れ で い いと いう も の で は な い。 前 ペー ジ 下 の表 は、 日 本 語 の経 済 力 を 示 す
一つ の指 標 に な る も の であ る。 ド イ ツ 語 に は 負 け る が 、 中 国 語 ・ヒ ンデ ィー 語 ・ス ペイ ン語 を 追 いぬ いて 、 世 界
の言 語 のう ち で第 四位 と は 、 や は り 堂 々た る 言 語 と 言 ってよ い。 な お こ ち ら の表 は 昭 和 四 十 九 年 度 の 調 査 であ り 、 一〇 年 以 上 た った 現在 で は 、 ド イ ツを 追 い抜 い て いる は ず であ る 。
二 学 術 用 語 の完 備 大学 の講義 は自 国 語 で
日本 語 は 力 量 のあ る 言 語 であ る と いう こ と の第 二 と し て 、 日本 で は 小 学 校 か ら 大 学 ま で、 授 業 を 日 本 語 と いう
自 国 語 で や って いる と いう こと があ る 。 これ は 、 読 者 は そ ん な こ と は 当 り前 じ ゃな いか 、 ほ か の 国 では 、 大 学 の
講 義 が 自 国 語 で で き な いの か 、 と お 思 いか も し れ な いが 、 こ う いう こ と があ った 。
昭 和 四 十 二年 頃 、 マレー シ ア で東 南 ア ジ ア諸 国 の言 語 学 者 の会 議 が 開 か れ た。 そ の と き に 日本 の学 者 が ひ と 言 、
日 本 の大 学 では 日本 語 で講 義 や 演 習 を や って いる と 言 った と ころ 、 そ こ に居 合 わ せ た 各 国 の代 表 が み ん な 、 驚 嘆
と た め 息 と も つかな いよ う な 声 を 発 し た こ と があ った 。 二 〇 年 た った 現 在 で は、 イ ンド ネ シ ア でも タ イ でも 、 自
国 語 で大 学 の講 義 を し よ う と努 力 中 の よ う であ る が 、 少 な く と も そ の こ ろ は 、 自 国 語 で は大 学 の講 義 は でき な か った よ う だ 。
そ の時 、 フ ィリ ピ ン の代 表 が 話 し た と こ ろ に よ る と 、 フ ィ リ ピ ン の国 語 は 、 一応 、 タ ガ ログ 語 と な って いる が 、
昭 和 四 十 年 代 に は タ ガ ログ 語 が わ か る 人 の 数 は 、 フ ィリ ピ ン全 体 の四 分 の 一だ った と いう 。 こ れ で は ど う し ても
公 用 語 と し て は 不完 全 で、 大 学 の講 義 を これ で や る わ け に は い かな い。
イ ンド な ど は 、 世 界 の中 です ぐ れ た 文 明 を 古 く か ら も って いた 誇 り 高 き 民 族 の はず で あ る が、 そ のイ ンド の大
学 で は 、 今 で も や は り 英 語 を 使 って授 業 を し て いる 。 イ ンド に は、 国 語 と し て は 、 ヒ ン デ ィ ー 語 が あ る の であ る
が 、 こ の ヒ ン デ ィ ー 語 の通 じ る 範 囲 と いう の が、 や は りイ ンド の 一部 であ って 、 南 の方 では 系 統 の全 然 違 う ド ラ
ヴ ィダ 語 系 統 の言 語を 使 って いる 。 イ ンド には さ ら に ほ か の言 語 も あ る の で、 結 局 、 ヒ ン デ ィ ー 語 で授 業 が でき
な い のだ そう であ る。 そ う いう 言 語 と 比 べる と 、 日 本 語 は大 変 す ば ら し い言 語 であ る と 思 う 。
日 本 で、 日 本 語 で大 学 の講 義 が でき る と いう のは 、 日本 語 が 国 の 隅 々 にま で 行 わ れ て お り 、 そ のた め に 、 大 学
で は 東 京 の言 葉 で し ゃ べれ ば、 ど の学 生 に も 通 じ る と いう こ と がま ず あ る 。 が 、 実 は そ れ だ け で は な く 、 フ ィ リ
ピ ン にし ろ、 イ ンド ネ シ ア に し ろ 、 最 も 進 ん だ 科 学 で使 う 術 語 が、 そ の国 語 に な い。 そ う いう も のは 英 語 を 借 り
な け れ ば な ら な い。 そ れ な ら ば 何 も 、 と いう わ け で 、 す べ て 英 語 で授 業 を 行 って い る のだ と いう 。
明治 期 の大学 し か し 考 え て み る と 、 日本 も 昔 は 、 ほ か の諸 国 と 同 じ だ った の で は な い か。
現在 の東 京 大 学 の前 身 ︱
で明治 二
明 治 の 日本 に 初 め て 大 学 が出 来 た こ ろ は 、 ヨ ー ロ ッパ や ア メ リ カ か ら いろ いろ な 学 者 が 来 て授 業 を し た も のだ った 。 た と え ば 、 最 初 は フ ル ベ ッキ と いう ア メ リ カ の学 者 が 、 大 学 南 校 ︱
年 に 歴 史 を 教 え た 。 次 に 、 グ リ フ ィ スと いう 人 が三 年 に来 て 、 理 学 ・化 学 を 、 そ れ か ら チ ェ ンバ レ ンと いう 、 こ
れ は イ ギ リ ス 人 であ る が 、 東 京 帝 大 で言 語 学 を 教 え た 。 実 は 言 語 学 の み な ら ず 国 語 学 の授 業 ま で、 ﹁き ょう は 日
本 語 の後 置 詞 の働 き に つ い て お 話 し す る﹂ と いう よ う な 授 業 を 外 人 の身 でし た と いう 。
そ れ か ら ベ ル ツ。 ド イ ツ人 で 医 学 を 明治 九 年 か ら 教 え た 。 次 は ア メ リ カ か ら 来 た ク ラ ー ク。 ﹁少 年 よ 大 志 を い
だ け ﹂ で有 名 な 学 者 で 、 札 幌 農 学 校 で教 育 学 を 教 え た 。 こ のあ と も 、 モ ー ス (ア メ リ カ ) が 生 物 学 、 ダ ニ エ ル
( イ ギ リ ス) が 工 学 、 哲 学 と 美 術 論 の フ ェノ ロサ (ア メ リ カ )、 そ れ か ら 明 治 の中 期 にな る と 、 文 学 の ラ フ カ デ ィ
オ ・ハー ン (イ ギ リ ス) と か、 哲 学 の ケ ー ベ ル (ド イ ツ) と いう よ う な 有 名 人 が 授 業 を し た 。
こ ん な 時 に は 当 然 、 授 業 は 日 本 語 以 外 の言 語 で 行 わ れ た に ち が いな い。 明 治 十 三 年 に大 学 総 理 と いう 役 職 に あ った 加 藤 弘 之 は 、 ﹃東 京 学 士 院 雑 誌 ﹄ に こ んな 文 章 を 書 い て いる。
東 京 大 学 ニ於 テ ハ方 今 専 ラ 英 語 ヲ以 テ教 授 ヲナ ス ト雖 モ 、 此 事 ハ決 シ テ本 意 ト ス ル 所 ニア ラ ズ 、 全 ク 今 日
教 師 ト 書 籍 ト ニ乏 シキ ガ為 メ 姑 ク 已 ム ヲ得 ザ ル モノ ニシ テ 、 将 来 教 師 ト 書 籍 ト 倶 ニ漸 々具 備 ス ル ニ至 レバ 、 遂 ニ邦 語 ヲ以 ツテ 教 授 ス ル ヲ目 的 ト ナ ス⋮ ⋮。
日本 語 への切替 えの成 功
こ ん な 風 で あ った か ら 、 講 義 の教 科 書 は す べ て英 語 ・ド イ ツ語 ・フラ ン ス語 で書 い てあ った が 、 こ う いう こ と
は だ いぶ あ と ま で続 いた よ う で 、 夏 目 漱 石 が 何 か に 思 い出 を 書 い て いた が 、 自 分 の大 学 時 代 の教 科 書 は 、 す べて
外 国 語 で書 か れ て いた と 言 って いた 。 明治 の末 頃 か ら は 日本 語 に よ る授 業 が 一般 に な り、 現 在 で は 日本 の大 学 で は 全 部 の講 義 が 日 本 語 で でき る よ う にな った 。 これ はす ば ら し い こと だ と 思 う 。
な ぜ 、 日本 では そ の よ う な こ と が 早 く 成 功 し た か。 これ は 一つに は 、 日本 語 で は 共 通 語 が 早 く 普 及 し て いた こ
と が 大 き か った 。 共 通 語 は 昔 は 標 準 語 と い った 。 こ れ は 、 も と は だ いた い江 戸 の中 流 以 上 の家 庭 の言 葉 であ った
が 、 江 戸 時 代 に 参 勤 交 代 制 度 の お か げ で、 江 戸 の言 葉 が 、 日本 全 体 に かな り 普 及 し て いた 。 江 戸 の言 葉 は 、 大 体
の 日本 人 が 理 解 でき た よ う だ 。 そ れ で 明治 に な って 、 東 京 の 言 葉 で講 義 を す れ ば 、 聞 い て いる 学 生 の 誰 でも が 理 解 で き る と いう こと にな って いた。
漢 字 の効 用
し か し 、 そ れ よ り も 、 日 本 語 で 大 学 の講 義 が す ぐ に 出 来 る よ う にな った に つ いて 大 き く 作 用 し た のは 、 日本 語
は ど ん な 内 容 の言 葉 でも 、 新 し い内 容 の単 語 を ど ん ど ん 新 造 す る 能 力 を も って いた こと で 、 そ れ は漢 字 の お か げ
であ る 。 漢 字 は 一つ 一つ意 味 を も って いる。 そ のた め に 漢 字 を 組 合 わ せ て いけ ば 、 ど んな 内 容 でも 言 い表 わ せ る
と いう わ け であ る 。 例 え ば 、 現 在 、 自 動 車 万 能 の時 代 であ る が 、 ﹁車 ﹂ と いう 字 が 一つあ れ ば 、 自 動 車 に 関 す る
こ と は 何 でも 言 え る 。 向 こ う か ら 来 る 車 があ れ ば ﹁対 向 車 ﹂、 新 し い車 は ﹁新 車 ﹂、 少 し 古 く な った 車 な ら ば ﹁中
distance
be と いtween
古 車 ﹂、 さ ら に外 国 産 の車 は ﹁ 外 車 ﹂、 日本 製 の車 な ら ば ﹁国 産 車 ﹂、 と いう わ け で あ り、 駐 車 場 が い っぱ い に な
れ ば ﹁満 車 ﹂ と いう 。 車 の距 離 は ﹁車 間 距 離 ﹂ と いう が 、 こ れ は 英 語 に し た ら 、the
う 間 の の び た 表 現 に な る 。 こ の伝 で、 明 治 時 代 の学 者 は漢 字 の知 識 を フ ルに 使 って新 し い術 語 を 作 った の で あ る。
す な わ ち 、philosは op﹁哲 hy 学 ﹂、econoは my﹁経 済 ﹂、sociは et ﹁社 y 会 ﹂ と いう 調 子 で 、 ﹁概 念 ﹂ ﹁具 体 ﹂ ﹁抽 象 ﹂ ﹁定 義 ﹂ ﹁本 能 ﹂ ⋮ ⋮な ど 、 ど ん ど ん 作 って い った。
漢字 のな い国 では
私 は 先 日 あ るイ ギ リ ス の小 説 の 中 で、 若 い女 の タ イ ピ スト が、anthropo (人 l類 og 学y ) と いう 言 葉 に 出 会 っ
鈴 木 孝 夫 の ﹃閉 さ れ た 言 語 ・日本 語 の世 界 ﹄ に 言 う 。
て、 は て これ はな ん の こ と だ ろ う と 考 え る と ころ に 出 会 った 。 こ の女 だ け 教 養 が な いた め な のか 、 そ れ と も
一般 のタ イ ピ スト は こ の程 度 の 言 葉 も 知 ら な い の かを 私 は 知 り た いと 思 い、 イ ギ リ ス人 の 学 者 で、 森鴎 外 の
研 究 を し て いる ケ ンブ リ ッジ大 学 出 身 の知 人 に 尋 ね た と こ ろ、 大 学 を 出 て いな いタ イ ピ ス ト な ら ば 、 こ のよ う な 言 葉 を 知 ら な い の は当 然 だ と教 え てく れ た 。
car
と こ ろ が 日本 語 な ら ば ど う であ ろ う か 。 ﹁人 類 学 ﹂ が、 正 確 に は 何 を 研 究 す る 学 問 か は 分 ら な く ても 、 ﹁人
類 ﹂ が ﹁ひと のた ぐ い﹂、 ﹁す べ て のひ と ﹂ を 意 味 す る 言 葉 だ と いう こ と は 、 そ れ こそ 中 学 生 でも 知 って いる
だ ろう 。 し か し 英 語 でanthro まpたoは ︲︲anthr がo、pギ eリ シ ャ語 の ﹁人 ﹂ を 意 味 す る 言 葉 だ と いう こと は 、 必 ず し も 普 通 人 の知 識 で は な いの で あ る。
日本 語 が 漢 字 を 豊 富 に 使 い、 し か も そ れ を 音 と 訓 の 二 通 り に 読 む と いう 習 慣 を 確 立 し た こ と が、 高 級 な 概 念
彼 は、 こ う いう 例 を あ げ て 、
や 、 難 し い言 葉 を 一部 特 権 階 級 の独 占 物 に し な いです ん で いる 大 き な 原 因 な の で あ る 。 と 結 ん だ が 、 筆 者 も 、 漢 字 のも つ表 意 力 のす ば ら し さ を 痛 感 す る 。
筆 者 は ハワイ で 半 年 を 暮 ら し た こ と が あ った が 、 冬 の最 中 に行 った の で、 は じ め は そ の暖 か な 気 温 を 喜 ん で い
た が、 毎 日 ほ と ん ど 同 じ よ う な 気 温 な の で、 し ま い に 一体 これ は 何 度 ぐ ら いな の だ ろ う と 知 り た く な った 。 寒 暖
計 が見 た く な った のだ が、 ハワイ は そ う いう と ころ な の で寒 暖 計 に 用 がな く 、 普 通 の店 に は 売 って いな い。 デ パ
ー ト へ行 って、 店 員 に、thermomは eな te いr か と 尋 ね た と こ ろ 、 こ の言 葉 の意 味 が 店 員 に は 全 然 見 当 が つか な い
ら し い の であ る。 も し 日本 人 な ら ば 、 ﹁寒 暖 計 ﹂ と いう 文 字 づ ら を 見 れ ば 、 実 物 は 見 た こ と のな い人 でも 、 寒 さ 暖 かさ を 計 る 器械 だ ろ う と 見 当 が つく では な いか 。
筆 者 が 思 う に、 向 こう の中 学 生 が 、 そ れ ぞ れ の専 門 の本 を 見 た 場 合 、 意 味 の全 然 見 当 の つか な い単 語 が ご ろ ご
ろ 転 が って い る の では な いか 。 日本 人 の場 合 、 中 学 生 ぐ ら いにな れ ば そ の漢 字 か ら 、 そ の意 味 の大 体 の見 当 を つ
け る こ と が でき 、 ど ん な 本 でも 、 大 体 のと こ ろ は 理解 で き る の で は な いか。 これ は 実 に漢 字 の徳 であ って、 明 治
の学 者 が 新 し い漢 字 の熟 語 を 作 り、 そ れ が 一般 の人 にも あ る 程 度 、 理解 で き た 、 そ のよ う に し て欧 米 の学 問 の 水 準 に追 い つい て いく こ と が 出 来 た ので は な いか と 考 え る も の であ る 。
三 表 現 の自 由 さ 日本 語 に よる表 現 の可能 性
日本 語 が 偉 大 な 言 語 であ る と いう こ と は 、 以 上 に あ げ た ほ か に、 ほ か の言 語 が 表 現 で き る こ と な ら 、 ど ん な こ
him. better
than
it.
と でも 大 体 表 現 で き る と いう こと が あ げ ら れ る。 普 通 、 ヨー ロ ッパ 語 で 表 現 で き る の に 日 本 語 で表 現 でき な い こ ととし て、 No is
saw
Nothing
one
のよ う な 否 定 語 を 主 語 と し た 文 を あ げ る 。 た し か に ﹁いな い人 が 彼 を 見 た﹂ ﹁な いも の が そ れ よ り よ い﹂ で は 日 本 語 にな ら ず 、 趣 旨を 誤 解 さ せ る か も 知 れ な い。
そ れ よ り よ いも のは な い。
彼 を 見 た 人 は いな い。
し かしこれらは、
と 訳 し て充 分 では な い か。 と こ ろ で こ こ の ﹁︱ は (い) な い﹂ と いう 語 形 は 英 語 に は な い。 し か も 、 ﹁彼 を 見
た 人 が いる のか いな い のか ﹂ が 問 題 にな って い る場 合 な ら ば ﹁いる ﹂ と か ﹁いな い﹂ と か いう 語 句 を 述 語 にも っ
She
is
less
beautiful
thant
hyer
sister.
て い った 方 が 合 理的 で 、 英 語 で そ う いう 文 章 が 書 け な い方 がも ど か し いで は な いか 。
彼 女 は 彼 女 の姉 妹 よ り 美 し く な い。
の よ う な 打 消 し の比 較 級 が な い こと も 話 題 に な る が 、 これ も 、
と 訳 し て通 る 。
日本 語 の弱点
I have
nothing
with
which
I
eat
the
meal.
関 係 代 名 詞 が な いの で 、 次 の よ う な 英 語 は 日 本 語 に 訳 せ な いと いう こ と も よ く 言 わ れ る 。
例 え ば 、 食 事 を し よ う と し て、 ナ イ フと フ ォー ク が な い場 合 の言 葉 であ る 。 日本 語 では 、 普 通 には 、 こ のよ う
食 べ るも のが な い。
な 場合 、 ﹁フ ォー ク も ナ イ フも な い﹂ と 言 う であ ろ う が、 も し こ の英 語 に近 く 言 お う と す る と 、
そ れ で食 う も の がな い。
と 言う ほ か はな い。 す る と 、 聞 いた 人 は 料 理 そ のも のが な い と誤 解 す る であ ろ う 。 こ のよ う な 場 合 、 三木 清 は 、
と いう 言 い方 を 作 って誤 解 を 防 ごう と し た 。 科 学 書 の記 述 に は、 こ のよ う な 配 慮 は好 ま し い こ と であ る。
も っと も 、 ヨー ロ ッパ 語 のよ う に 関 係 代 名 詞 が あ れ ば 、 ど んな 複 雑 な 言 い回 し でも う ま く 言 え る か と いう と 、
私 が ルー ヴ ル で見 て いた く 感 激 し た 記 憶 が ま だ 生 々し いあ の 名 画 が 、 今 度 は るば る 海 を 越 え て 上 野 へや って
そ う で も な い。 黒 田 成 幸 は 日 本 語 の、 く る。
と いう よ う な 、 関 係 代 名 詞 が 二 重 に 使 わ れ る 文 は 、 英 語 に 訳 そ う と す る と う ま く いか な いこ と を 言 って いる 。 ( ﹃岩波講座 ・日本語﹄1)
そ れ か ら 、 日本 語 で 案 外 言 え な いも の が、 ﹁本 ﹂ と か ﹁机 ﹂ と か 、 そ う いう 無 生 物 の複 数 であ る 。 平 安 朝 の 日
本 語 で は ﹁ふ みど も ﹂ と か ﹁つく ゑ ども ﹂ と か 言 え た が、 今 では 言 え な く な って し ま った 。 これ は 日 本 語 に か ぎ
ら ず 東 南 ア ジ ア諸 国 の言 語 の性 質 でも あ る が、 日常 生 活 に は 困 ら な いも の の、 科 学 の論 文 な ど に は 不 便 を 感 ず る
こ と があ る 。 本 ( 複 数 )、 机 ( 複 数 ) のよ う に 書 いて いる 著 者 も あ る が め ん ど う な こ と だ 。 これ は 、 そ う いう と
き は 思 い切 って、 ﹁本 ども ﹂ と か ﹁ 本 ら ﹂ と か 言 って よ い こと にな ら な いだ ろ う か。
英語 にも 弱点 が
レ ー ガ ンは 何 代 目 の ア メ リ カ 大 統 領 で す か ?
英 語 で 言 え な く て有 名 な のは 、
リ ン カ ー ンは 十 六 代 目 の大 統 領 であ る 。 レ ー ガ ンは いか が ?
と いう 表 現 で あ る 。 だ か ら 、 も し そ う いう 質 問 を し た いと き に は 、 と 尋 ね る のだ そ う だ が 、 不 便 な こと であ る 。
も う 一つ英 語 に は名 詞 に複 数 形 が あ る と 言 っても 、 ﹁ど こ﹂ と か ﹁誰 ﹂ と か いう 疑 問 詞 に は そ れ が な い。 そ こ
今 日 は ど こど こ へ行 き ま し た か ?
で日本語 では、
と いう よ う な 質 問 が出 来 る が、 英 語 で は で き な いと 言 う 。
以 上 のよ う に 、 日本 語 でも 多 少 言 い に く いも のも あ る が、 他 の国 語 で も そ れ ぞ れ 弱 味 が あ る も ので 、 日本 語 は
大 体 ど ん な こ と でも 何 と か 表 現 で き る と い って い い。 こと に ﹁⋮ ⋮ が﹂ ﹁⋮ ⋮ を ﹂ の よ う な 主 格 ・目 的 格 を は っ
き り 表 わ す 後 置 詞 の存 在 、 ﹁⋮ ⋮ は﹂ と いう 題 目 を し っか り 指 定 す る 表 現 な ど 、 多 く の ヨー ロ ッパ 諸 国 の言 語 に な い形 を も ち 、 そ れ が 規 則 的 に使 わ れ る な ど 、 す ば ら し い長 所 であ る 。
日本 語 の悪文
日本 語 で綴 った 文 章 で 、 いか に も ま ず いと 思 う の は 、 法 律 の文 章 であ る 。 し か し 、 こ れ は 法 律 家 が も う 少 し 頭 を 切りかえ て、
一、 文 章 を 短 く 切 る 二、 並 列 さ れ る も の は箇 条 書 き に し て 番 号 を ふ る 三 、 時 には 勇 気 を 奮 って 新 し い語 法 を 発 明す る
のよ う な こと を 断 行 す る こ と によ って 、 明 快 な 文 章 にす る こと が で き る と 思 う 。 これ は 下 巻 の終 り で ふ れ た い。
﹁春 ﹂ と いう 言 葉 は ハと ル か ら 出 来 て い る 、 ﹁秋 ﹂ と い う 言 葉 は ア と キ か ら 出
Ⅱ 発 音 か ら 見 た 日 本 語
一 日本 語 の 発 音 の 単 位
拍と は 日 本 人 は 、 日 本 語 を 使 いな が ら
来 て い る 、 と 思 っ て い る 。 ︿音 声 学 ﹀ と い う よ う な 学 問 を 勉 強 し た 人 は 、 そ の ハ は さ ら に h と aか ら 出 来 て い る
︿拍 ﹀ (syll )aと bl いe う 。 ハ ・ ル、 ア ・キ 、 な ど は 日 本 語 の 拍 で 、 大 体 、 仮 名
な ど と 考 え る だ ろ う が 、 普 通 に は ハと ル が 一番 小 さ い 音 の 単 位 だ と 意 識 し て い る 。 こ の 、 そ の 言 語 を 使 う 人 が 一 番 小 さ い単 位 と 意 識 し て いる 音 を 一字 に 相 当 す る 。
︿拍 ﹀ は 、 特 別 の 事 情 の な い か ぎ り 、 同 じ 長 さ に 発 音 さ れ よ う と す る 。 和 歌 ・俳 句 を 作 った り 、 七 五 調 の 詩 を 作
︿強 弱 ア ク セ ント ﹀ を も った 言 語 で 、 強 く 発 音 さ れ る 拍 が
った り し よ う と す る 時 に 指 を 折 っ て 数 え よ う と す る の は 、 こ の ︿拍 ﹀ で あ る 。 英 語 な ど は 、 ︿拍 ﹀ に 長 い も の 、 短 いも の があ って、 は な は だ 不 均 衡 であ る が 、 あ れ は
長 く な る か ら で あ る 。 も し 、 ア メ リ カ 人 が 英 語 の 単 語 を 一拍 ず つ は っき り 発 音 し よ う と す る と 、 そ れ は 同 じ 長 さ に近づ いてゆく。
拍 と い う も の は 、 ど こ の 言 語 で も 、 非 常 に 明 瞭 な 単 位 で あ って 、 そ の 言 語 を 話 し て い る 人 は 、 共 通 の 拍 意 識 を
も って い る 。 以 前 、 言 語 学 の 世 界 で 、 英 語 な ど は 拍 の 境 界 が は っき り し な い と いう よ う な 説 が あ った が 、 そ れ は
拍 の区 切 り を 表 わ す 標 準 は 音 の聞 こ え の弱 ま り だ な ど と いう 妙 な こ と を 言 い出 し た学 者 が いて 、 そ れ に ゆ さ ぶ ら
れ た た め だ った 。 一般 の 人 の 拍 意 識 が い か に 明 瞭 で あ る か に つ い て は 、 ク レ ー シ ン ハと いう 学 者 が 書 い て い る 。
外 国人 の 誤解
さ て 、 日本 人 に と って、 ど れ が 日 本 語 の拍 で あ る か は 明 ら か で あ る が、 外 国 人 は そ れ を 了 解 す る の が 難 し い。
以 前 、 筆 者 が ハ ワ イ 大 学 で 日 本 語 ・日 本 文 学 を 講 じ て い た 時 の こ と 。 ア メ リ カ 人 の 学 生 の 一人 が 、 俳 句 を 作 った
村 雨 や 晴 れ て 雀 の 討論 会 か な
と い って 持 っ て 来 た 。 見 る と 、
と あ る 。 筆 者 は 、 こ れ は い け な い 、 ﹁討 論 会 か な ﹂ で は 八 音 に な る と い った 。 と 、 そ の 学 生 は 、 ナ ゼ イ ケ マ セ ン
ト ウ ロ ン カ イ カ ナ
カ 、 ﹁討 論 会 カ ナ ﹂ ワ 五 ツ デ ス 、 と いう 。 数 え さ せ て み た ら 、
と 数 え た 。 日 本 人 に と って は ト ー の よ う な 引 く 言 葉 の 、 ー で 表 わ さ れ る 引 っぱ る 部 分 、 ン の よ う な ハネ ル 音 、 な
﹁日 本 ﹂
ど は 一 つ の 独 立 の 拍 な の で あ る 。 こ れ を 理 解 す る こ と は 、 外 国 人 に と って は 非 常 に 難 し い よ う だ 。 で あ る か ら 、
ア メ リ カ 人 な ど で 、 日 本 語 の 敬 語 の 使 い方 や 文 字 の 書 き 方 の か な り 上 手 な 人 が い る が 、 そ う い う 人 で も
ニ ッポ ン ノ ゥ キ モ ノ ワ ァ キ レ ィ デ スネ ィ
と い う よ う な 言 葉 は う ま く 発 音 で き ず 、 ﹁日 本 の 着 物 は き れ い で す ね ﹂ と い う 言 葉 を 、
と い う よ う に 発 音 す る 。 つま り 、 ハネ ル 音 ・ツ メ ル 音 ・引 ク 音 を 、 前 の 拍 と い っし ょ に し 、 つま り 独 立 の 拍 に し な い で発 音 し て し ま う のだ 。
こ ん な こ と か ら 、 日 本 人 は 逆 に 外 国 語 の 拍 を 誤 解 す る 。 ﹁犬 ﹂ を 英 語 で ド ッグ だ と 聞 く と 、 こ れ は ド ・ ッ ・グ
と い う 三 拍 の よ う に 思 っ て し ま う 。 と こ ろ が 、 イ ギ リ ス 人 に は ド ッ グ は 全 体 が 一拍 な の だ 。 ド ッ グ を さ か さ ま に
し た ら 何 と 言 う か と た ず ね る と 、 び っく り し た よ う な 顔 を し て いる 。 グ ッド だ な ど と は 夢 に も 思 わ な い。 日本 人
が 向 こう のド ッグ を 三 拍 の よ う に思 う のは 、 日本 語 の習 慣 を 勝 手 に 向 こう の言 語 に流 用 し て いる か ら にす ぎ な い。
こ う いう こ と か ら 、 日本 語 の音 の単 位 は 、 英 語 の単 位 な ど よ りも 細 か く 分析 さ れ た 、 内 容 の単 純 な も のと いう
こ と にな る。 日本 語 のイ も ヌも ま こと に 単 純 で あ り 、 向 こ う のド ッグ は それ に 比 べ て 複 雑 だ 。 こ と に ﹁春 ﹂ を ス
プ リ ング と いう 、 こ れ が 一拍 だ 、 な ど と 言 わ れ る と 、 日本 人 は 法 外 に 複 雑 だ と 思 って し ま う 。
日本 語 の拍
日本 語 の 一つ 一つの 拍 が 単 純 だ と いう のは 、 ロー マ字 で書 い て みれ ば 一目 瞭 然 だ 。
次 ペー ジ の表 は 、 日本 語 の拍 の 一覧 だ が 、 これ は 英 語 や ド イ ツ語 のよ う な ヨー ロ ッパ 語 と 比 較 し た 時 に 、 こと に そ の単 純 さ が 際 立 つ。
日本 語 の拍 が単 純 だ と いう の は、 典 型 的 な 拍 が ︿1 子 音 + 1 母 音 ﹀ と いう 形 か ら 出 来 て いる こ と で あ る 。 一番
syと ll いa うbがl、 e手 っ取 り 早 く
複 雑 な も の でも 、 ︿1 子 音 + 1 半 母 音 + 1 母 音 ﹀ と いう 三 音 構 成 だ 。 半 母 音 と は j ・wを いう 。 つま り 、 母 音 の あ と に は も う 他 の音 は 来 な い。 口を 開 い て 終 る と いう の で、 こう いう 拍 をopen いう な ら ︿母 音 ど め ﹀ だ 。 そ う し て 日 本 語 は ︿母 音 ど め の言 語﹀ だ 。
母音 ど め ・子音 どめ
世 界 の言 語 の中 に は 、 母 音 ど め を 好 む 言 語 と 、 子 音 で と め な け れ ば 承 知 し な い言 語 と が あ る 。 ヨー ロ ッパ で は
英 語 は 子 音 ど め 言 語 の代 表 だ 。 ド イ ツ 語 も そ れ に 近 い。 英 語 のtext (テ sキ ス ト の 複 数 形 ) と か ド イ ツ語 の
Herbs ( 秋 t) と か いう 単 語 は 、 典 型 的 な 子 音 ど め の単 語 だ 。 そ れ に対 し 、 イ タ リ ア語 な ど は 母 音 ど め の言 語 だ 。
イ タ リ ア語 の 辞 書 を 開 い て み る と 、 i と かo と か いう 母 音 で 終 る 単 語 が 軒 並 み 並 ん で いる 。
日本 語 の 拍 の 一 覧 表
フ ァで あ る。 2)(hwa)は
ツ ァ 、(cja)は チ ・ツ の 音 で 、 こ の 表 記 は 服 部 四 郎 に 従 っ た 。(ca)は 4)ci,cuは
ガ 、 ギの よ う なガ 行 鼻 音 。 こ の 音 を カ ギ(鍵)の は カ ガ ミ(鏡)・ 3)〓a,〓i,〓u…
引 ク 音。 ツ メ ル 音 、Rは ハ ネ ル 音 、Tは 5)Nは
つ け た の は 洋 語 や 感 動 詞 に だ け 現 わ れ る もの 。 注 :1)()を
使 わ な い人 もあ る。
チ ャ で あ る。
極 東 で は 、 中 国 語 ・朝 鮮 語 な ど 、 母
音どめ 、子音ど めが相半 ばし ており、
東 南 ア ジ ア も 大 体 そ ん な も の で、 日 本
語 のよ う な 母 音 ど め の拍 だ け か らな る
言 語 は 少 な い。 そ れ が太 平 洋 に漕 ぎ 出
す と 、 ハワイ か ら ニ ュー ジ ー ラ ンド に
至 る島 々 の言 語 、 いわ ゆ る ポ リ ネ シ ア
諸 語 は 見 事 な 母 音 ど め 言 語 であ る 。 こ
う いう 発 音 上 の類 似 か ら 、 日本 語 に は
南 方 系 の要 素 が 入 って いる のだ ろ う と
いう 説 があ る こ と は、 前 に述 べ た 。
ハネ ル拍 ・ツメ ル拍 ・引ク 拍
日本 語 の拍 は 、 以 上 見 た よ う に 母 音
ど め ぞ ろ いで あ る が、 も う 一つ注 意 す
べき性格 がある。さ きほど触 れたよう
に ハネ ル音 (撥音 、 N で 表 わ す )・ツ
メ ル音 ( 促 音 、 T で表 わ す ) と 、 も う
一つ、 引 ク 音 ( 長 音 、 R で表 わ す ) と
いう 、 三 つ の特 殊 な 拍 があ る こと だ 。
(T ) は 、 実 際 に は 耳 に は 聞 こ え な い部 分 を 一 つ の 拍 と 数 え る
こ の う ち 、 ハネ ル 音 は ま だ い い 。 そ れ だ け で 発 音 す る こ と が で き る し 、 中 国 語 の 上 海 方 言 や 広 東 方 言 で 、 数 字 の ﹁五 ﹂ は ン ー と 言 い、 お 仲 間 が あ る 。 ツ メ ル 音
わ け で 、 こ れ だ け 発 音 す る と いう わ け に は い か な い。 引 ク 音 は 耳 に は 聞 こ え る が 、 こ れ だ け 離 し て 発 音 す る こ と の でき な いも ので 、 日本 人 は そ う いう も のも 一つの拍 と し て いる の であ る 。
た あ の ギ リ シ ャ 語 は ま さ し く 日 本 語 と よ く 似 た 言 語 で あ った よ う で 、 プ ラ ト ン と いう 人 が い た が 、 こ れ は ギ リ シ
こ の よ う な 例 は 、 ほ か の言 語 にあ る のだ ろ う か 。 調 べ て み る と 、 古 代 ヨー ロ ッパ で 輝 か し い文 化 を つく り出 し
ャ 人 の 当 時 の 感 覚 で はPla・toと ・n 三 拍 だ った 。 n が ま さ に 日 本 語 の ハネ ル 音 で あ る 。 つ い で にlogoと s いう の は 、 lo・goと ・三 s 拍 にな って いた。
そ う い う ギ リ シ ャ 語 で は 、 ド ラ マ (芝 居 ) は ロ ー マ字 に 直 せ ばdramaと 書 い た が 、 こ れ はdra が 一 つ、 次 は
Bharatabhagya ⋮
g ⋮a ⋮,な ど na 普 通 の と こ ろ は 、 ♪ で あ る の に 対 し て 、naと
jayahe! na,
vidhata
引 ク 音 で そ れ が 一 つ の 拍 、ma が も う 一 つ の 拍 だ った 。 と い う わ け で 、 そ の 時 代 の ギ リ シ ャ 語 は 日 本 語 と よ く 似 て いた こ と に な る。
Janaganama︲naadhina︲yaka,
現 代 で は イ ン ド の 国 語 、 ヒ ン デ ィ ー 語 に 引 ク 音 が あ る 。 イ ン ド の ﹁国 歌 ﹂ は 、
と い う 歌 詞 で あ る が 、 こ れ を 歌 う 時 に は 、ja,
かhe と か 長 い 音 の と こ ろ は 、 二 倍 の〓 が 付 い て い る 。 つま り 、 イ ン ド の 国 語 は 日 本 語 と 同 じ よ う な 引 ク 拍 が あ る と いう こと に な る 。
﹃ 新
最 後 に ツ メ ル 音 であ る が 、 これ は 例 が 少 な い。 が、 メ キ シ コに マヤ語 と いう 言 語 が あ って 、 これ は 昔 、 文 字 を
発 明 し 、 立 派 な 文 化 を つく った マ ヤ 民 族 の 言 語 で 、 今 で も そ の 民 族 の 子 孫 が 使 っ て い る 。 E ・A ・ナ イ ダ の
言 語 学 問 答 ﹄ に よ る と 、 こ の 言 語 で は 例 え ば 、 ﹁私 た ち の 村 へ ﹂ と いう 言 葉 をtkaahoと 言 い、 こ の t の と こ ろ が
一つの シ ラ ブ ル だ と 言 う 。 こ れ は 日本 語 の ツメ ル音 と ま さ し く 同 じ も のだ と 思 う 。
特 殊 な拍 の認 識
日本 語 で は 、 要 す る に ハネ ル 音 も ツ メ ル音 も 立 派 な 一拍 であ る 。 こ れ は 、 明 治 の こ ろ は は っき り 認 識 さ れ て い
な か った よ う だ 。 早 稲 田 大 学 校 歌 の中 に 、 ﹁現 世 を 忘 れ ぬ 久 遠 の 理 想 ﹂ と いう 一行 があ る。 こ こ は ど う 作 曲 さ れ
て いる か と いう と 、︹ A︺ のよ う で あ る 。 こ れ は お も し ろ い こ と で、 作 詞 者 ・相 馬 御 風 は 、 八 七 調 の 歌 で、 ﹁久 遠 ﹂
は 三拍 の歌 詞 の つも り で 作 った 。 と ころ が作 曲 者 の東 儀 鉄 笛 は 、 ヨー ロ ッパ人 式 の感 覚 で ﹁遠 ﹂ は 一拍 、 ﹁久 遠 ﹂
〔B〕
は ︿拍 ﹀ で 通 す こ と にし た 。 ︿拍 ﹀ は 亀 井 孝 の提 唱 で あ る 。
か った が、 ほ か の有 力 な 学 者 に ︿音 節 ﹀ を ち がう 意 味 に使 って いる 人 が いる の で、 こ こ
も 有 坂 も 、 ︿拍 ﹀ と いう 術 語 を 使 わ ず 、 ︿音 節 ﹀ と 言 って いた 。 筆 者 も そ の術 語 を 使 いた
大 正 の神 保 格 であ り 、 そ れ を 学 問 的 に 証 明 し た 人 は 有 坂 秀 世 であ った 。 も っと も 、 神 保
こ の ハネ ル音 、 ツ メ ル音 が 日 本 語 で は 一つ の拍 だ と いう こと を 最 初 に言 い出 し た 人 は 、
う 譜 を 与 え て いる が 、 これ は ハネ ル 音を 一拍 と 見 て いる 証 であ る 。
滝 廉 太 郎 の ﹁荒 城 の月 ﹂ な ど は 、 こ れ に対 し て、 ﹁花 の宴 ﹂ の ﹁ん﹂ の部 分 に〓 と い
わ し て いる 。
日 本 語 に合 って いる と 感 じ る が 、 こ れ は 日本 語 の ハネ ル音 が 一拍 だ と いう 性 格 を よ く 表
は こ こ を ど う 歌 う か と いう と 、 も と の 譜 を 無 視 し て︹Bの ︺よ う に 歌 う 。 い か に も こ の 方 が
う と 、 ﹁空 音 の 理 想 ﹂ と 言 っ て い る よ う に 聞 こ え る 。 そ こ で 、 ふ つ う 早 稲 田 の 学 生 た ち
し か し 、 一般 の 日 本 人 に と っ て は 、 ﹁久 遠 ﹂ は 三 拍 の 言 葉 で あ る の で 、︹ A︺ のよう に歌
は 二拍 と 思 った 。 そ の た め に ﹁久 ﹂ の部 分を 延 ば し て し ま った の であ る 。
〔A〕
二 母 音 ・子 音 と 発 音 の 美 し さ
一 日本 語 の音 素 拍と 音素
前 節 に述 べた ︿拍 ﹀ は 、 ロー マ字 で書 く 時 、 ハ←ha 、 ル ←ru のよ う に も っと 小 さ い単 位 に 分 か れ る が、 こ れ が 発 音 の終 局 の単 位 で、 ︿音 素 ﹀ (phon) eと me 呼ばれる。
一般 の 日本 人 は 、 明 治 にな る ま で、 拍 を 仮 名 で書 く こ と のみ を 知 り 、 ロー マ字 で表 記す る こと を 知 ら な か った 。
そ れ を 知 って 日 本 人 は 驚 愕 し た 。 これ こ そ 精 密 な 表 記 法 であ り 、 文 字 は こう で な け れ ば いけ な いと 思 った 。 日 本
語 を ロー マ字 で書 こう と いう 試 み は 、 こ こ か ら 出 発 し た 。 し か し 、 精 密 さ は と も か く と し て 、 は た し てど ち ら が
客 観 的 にし っか り し た 単 位 であ る か 。 筆 者 は 客 観 的 な 確 かさ と いう 点 か ら は 、 ︿拍 ﹀ の方 が 上 だ と 思 う 。
日 本 語 を 拍 に 分 け る こ と は、 同 じ 方 言 を 使 って いる 人 な ら ば き れ いに 一致 す る 。 と こ ろ が 、 そ れを 音 素 に 分 析
し て ロー マ字 で 表 記 し よ う と す る と 、 これ は 一致 し な い の で あ る 。 例 え ば シと いう 拍 を ど う 分 け る か 。 有 坂 秀 世
は〓 と 写 し 、 服 部 四 郎 はsi と 写 す 。 ち ょ っと 見 る と、 有 坂 の方 が 精 密 で 、 服 部 の は ス ィ に な って し ま う じ ゃな
いか と 思 う が 、 服 部 の考 え で は i と いう 母 音 は 自 分 の 前 に来 る 子 音 を 自 分 の 方 に 寄 せ つけ る 力 が あ る。 そ の た
め に sが〓 の発 音 に な る のだ 、 と 説 明す る の であ る 。 ま た 、 アと いう 拍 は 、 普 通 aと 書 け ば い い と 思 う が、 服
部 は こ れ を 喉 頭 音 素 の ︿,﹀ と いう も の が 加 わ って い る と 見 て 、︿,a﹀ と 表 記 す る の が い いと いう 調 子 で、 各 学
者 各 様 に な り か ね な い の で あ る 。 H ・A ・グ リ ー ソ ン の ﹃記 述 言 語 学 ﹄ に 、 英 語 に 何 種 類 の 母 音 音 素 が あ る か
に つ いて 、 一二 人 の言 語学 者 の説 が 紹 介 し て あ る が、 少 な く 見 積 る 人 は 七 種 、 多 く 見 積 る 人 は 一六 で 、 十 人 十 色 だ。
こ れ は 、 拍 と いう も のは 日常 生活 に お いて そ こま で 分 析 し て発 音 す る こ と があ る 、 と こ ろ が 音 素 の方 は 、 そ こ
ま で 分 析 し て 発 音 す る 習 慣 が な い と い う こ と に よ る も の で 、 音 素 の 方 は 学 者 の 説 の 立 て 方 で 変 わ り う る 。 拍 の方 は そ の点 、 客 観 的 だ と 筆 者 は 考 え る 。
日本 話 の母音
母 音 a・i
(ガ 行 鼻 音 の 子 音 、 こ れ を 使 わ な い 人 も あ る ) ・
さ て 、 音 素 か ら 見 た 日 本 語 は ど う で あ る か 。 一般 通 用 の 説 に よ っ て 説 く と 、 日 本 語 の 音 素 は 次 の と お り で あ る 。 半 母 音 j ・w
・u・e ・o
・ b ・ p
N ・T ・R
・d
子 音 k ・ s ・ c (ツ の 子 音 )・ t ・ n ・h ・ m ・ r ・ g ・〓
特 殊 土日素
z
こ れ は 他 の 言 語 に比 し て ど う で あ る か。
ま ず 母 音 が 五 つ。 こ れ は ラ テ ン語 や ス ペイ ン語 と 同 数 で 、 世 界 で 最 も 普 通 の言 語 であ る と いう 。( ﹃言語﹄昭和六
十 二年七月号、別冊、松本克 己) 世 界 の言 語 の中 に は 、 ア ラ ビ ア 語 や タ ガ ログ 語 のよ う に 母 音 が 三 つし かな いも の
も あ り 、 黒 海 の東 岸 に 住 む ウ ビ フ人 の言 語 のご と き は 二 つし か も って いな いと いう ( 千野栄 一 ﹃ 言 語学 のたのし み﹄)
が 、 フ ラ ンス 語 に は 一六 も あ り 、 朝 鮮 語 に も一一 あ る 。 日本 語 の母 音 は 、 世 界 の言 語 の中 で は 数 の少 な い方 で あ
る 。 日 本 人 が 韓 国 人 と い っし ょ に 英 語 を 習 う と 韓 国 人 の方 が た い て い発 音 を ほ め ら れ る のは 、 日本 語 に母 音 が 少 な いた め だ 。
日 本 語 の 母 音 の中 で 、 特 色 の あ る も の は uであ る 。 つま り 、 ヨー ロ ッパ 語 や中 国 語 な ど の uと ち が い、 必ず し
も 唇 を 突 出 す こと を し な い。 パ リ 在 住 二 〇 年 の ジ ャー ナ リ ス ト 松 尾 邦 之 助 によ る と 、 パ リ に 下 宿 し た と き に 、 フ
ラ ン ス人 の マダ ム は、 日 本 人 は み ん な 口を 開 か な い でよ く し ゃ べれ ま す ね 、 と 不 思 議 が って いた と いう 。
語 に は 、 橋 本 進 吉 以 来 、 a ・i・i
・ u ・ e ・ e ・ o ・o の 八 つ の 母 音 が あ っ た こ と が 明 ら か に さ れ て い る 。 平
と こ ろ で 、 筆 者 は 日 本 語 の 母 音 の 数 が 五 つ だ と 言 った が 、 そ れ は 、 現 在 の 東 京 の 言 葉 の 話 で あ る 。 上 代 の 日 本
・o は i ・ e ・ oに 近 い 母 音 と い う だ け で 、 そ の 音 価 、 す な わ ち 具 体 的 な 音 の
安 朝 の は じ め に 、 i とi が い っし ょ に な り 、 eと eが い っし ょ に な り 、o とo が い っし ょ に な り 、 現 在 の よ う に な っ た の だ 。 上 代 日 本 語 のi ・e
内 容 は 明 ら か に さ れ て い な い が 、 こ の よ う な 母 音 体 系 は 、 ア ル タ イ 諸 語 と ち ょ っと 似 て い る 。
日本語 の 子音
日 本 語 の 子 音 は 、 現 在 の 東 京 語 で は 、 k ・ s ・ c ・ t ・ n ・h ・ m ・ r ・ g ・〓 ・ z ・d ・b . p の 一四 種
yu
yo
waと 書 く が 、 音 声 学 的 に はia
iu
ioだ 、 ua と 佐 久 間 鼎 以 来 言 わ れ て い る 。(﹃日本 音声 学 ﹄ 昭 和 四年 )
類 あ る 。 そ の 他 に 半 母 音 が 二 つあ る 。 前 に 述 べ た ヤ 行 の ヤ ・ ユ ・ヨ と ワ 行 音 の ワ の 子 音 が こ れ だ 。 ロ ー マ字 で は 、 ya
こ の 、 子 音 の 数 が 一四 だ と い う の は 、 言 語 と し て は 少 な い 方 で あ る 。 ハ ワ イ 語 に 八 つし か な く 、 ブ ー ゲ ン ビ ル
島 の 中 部 に 行 わ れ て い る ロ ト カ ス 語 の 六 つし か な い の に く ら べ れ ば 多 い が 、 千 野 栄 一に よ れ ば 、 世 界 の 言 語 の 中
に は 子 音 が 八 〇 種 も あ る も の が あ る 。 コー カ サ ス 語 の う ち で 、 さ き ほ ど 母 音 が 二 つ し か な い と 言 った ウ ビ フ 語 と
いう の が そ れ だ と いう が、 子 ど も が そ ん な に多 く の 子音 を 使 い分 け る こ とを 覚 え る のは 、 さ ぞ 大 変 であ ろ う 。
日 本 語 の 子 音 に つ い て 注 意 さ れ る こ と は 、 第 一は 唇 で 調 音 さ れ る 音 の 少 な い こ と で あ る 。 f や vが な く 、 p や
wは 使 う こ と が 少 な い 。 こ れ は 母 音 の uに 唇 を 使 わ な い こ と が あ る の と 同 じ 傾 向 で あ る 。 そ の 代 わ り 、 口 の 奥 の
﹁ハ ヒ フ ヘホ の 音 を 唇 に て は じ き て 、 唱 ふ る こ と あ り 。 ( 中略)これは最 も い
(そ れ か ら 転 じ た Φ や ) wが 今 よ り 多 く 用 い ら れ て い た 。 が 、 江 戸 時 代 に
方 で 調 音 さ れ る 音 は k ・ g ・〓 ・h の よ う に た く さ ん あ る 。
など は
も っと も 上 代 の 日 本 語 で は、 p や な る と 、 国 学 者 ・黒 沢 翁麿
や し き 音 に て 、 今 の世 と 言 へど も す こ し 心 あ る 人 は 常 の 詞 に す ら 使 ふ こ と 稀 な り ﹂ と 言 って、 唇 を 使 う 音 に 対 す
る 嫌 悪 の 情 を 表 明 し て い る 。 ヨ ー ロ ッ パ 人 は 唇 を 使 う こ と が 盛 ん で 、 イ ギ リ ス 人 はrightの r の 音 に も 唇 を 動 か し 、 ド イ ツ 人 はschon のschで 唇 を ま る め る 。
こ の う ち 、〓 音 す な わ ち
︿ガ 行 鼻 音 ﹀ を 有 す る こ と は 、 南 部 の 中 国 語 ・タ イ 語 ・イ ン
口 の 奥 の 方 の 音 は 、 k ・ g ・〓 ・h の 四 種 で あ る か ら 、 ハム ・セ ム 諸 語 に お け る ほ ど で は な い が 少 な い と は い え な い 。(﹃ 講 座 言 語﹄ 6 )
ド ネ シ ア 語 な ど と 共 通 の 現象 で、 いか に も 東 南 ア ジ ア の言 語 ら し い性 格 だ。 英 語 で は 、 歯 や 舌 の先 あ た り で調 音 さ れ る 音 が 多 い。
破 裂 音 と 摩 擦 音 と が接 着 し た 音 で あ る 。 南 オ ー スト ラ リ ア の原 住 民 の言 語 に は 、
日 本 語 は 、 ま た 摩 擦 子 音 が 少 な い こ と が 特 徴 的 で あ る 。 純 粋 の も の は sと h の 二 つ し か な い 。 zも 東 京 語 な ど で は 実 はdzで 、 一種 の 破 擦 音︱
摩 擦 音 が な い と い う が 、 一方 に は s ・ z ・f ・θ ・〓 ・ v ・h な ど 豊 富 に も つ 英 語 も あ る 。 日 本 語 は ハ ワ イ
語 ・ マ オ リ 語 や 、 原 始 的 音 韻 組 織 だ と 評 さ れ た と いう ア ン ダ マ ン 語 の わ ず か 上 位 に あ る 。 し か も 、 上 代 の 日 本 語
︿流 音 ﹀ (liq) ui にd 属 す る 音 が 一つし か な い
で は 、 今 の h は p で あ り 、 今 の sは t sだ っ た か と 疑 わ れ る か ら 、 摩 擦 音 は 一 つも な か った 可 能 性 が あ る 。 も う 一つ日本 語 の子 音 の特 色 と し て あ げ ら れ る こ と は 、 いわ ゆ る
﹁ア イ ・ラ ブ ・ ユ ー ﹂
﹃音 韻 ﹄ と い う 本 に も 、 わ ざ わ ざ こ の こ と が 例 に あ げ て あ る 。 し か し
﹁私 は あ な た を こ す り ま す ﹂ と 聞 こ え る そ う だ 。 日 本 人 の こ の く せ は 、 ヨ ー ロ ッ パ で も 有 名 ら し
こ と で あ る 。 ラ 行 音 が こ れ で 、 ふ つ う は 、 rと も l と も つ か ぬ 音 で 発 音 さ れ る 。 日 本 人 の は、英 米人 には
く 、 イ ギ リ ス の音 声 学 者 D ・ジ ョ ー ン ズ の
(こ れ が 濁 音 で あ
︿濁 音 ﹀ の 問 題 が あ る 。 こ れ は 、 音 声 学 者
(こ れ が 清 音 で あ る ) と 有 声 音
︿清 音 ﹀ と
こ の 傾 向 は 、 朝 鮮 語 ・ア イ ヌ 語 な ど と 共 通 で 、 極 東 な い し 太 平 洋 諸 言 語 に 多 く 見 ら れ る 性 格 で あ る 。
清 濁 の対立 日本 語 の子 音 に つ いて 注 意 す べ き こと と し て 、 いわ ゆ る
に い わ せ る と 、 ﹁調 音 の 位 置 や 方 法 に お い て 関 係 の あ る 無 声 音
( 花 ) ︱sakurab b aa n
(桜 花 )
amaza ek( 甘 酒)
る ) と が 形態 音 韻 論 的 に関 連 を も つ﹂ こ と だ 。 た と え ば 、 次 のよ う な 例 が そ れ であ る 。
aoda ek( 青 竹) hana
kao( 顔 ) ︱maru〓 ao ( 丸 顔) sak e ( 酒 )︱ tae k (竹 ) ︱
cuk( i 月 )︱mikazuki(三 日 月 ) ( チ ・ツは 服 部 式 にし た が いci,c とuつづ る )
こ の清 音 と 濁 音 の 対 立 は 、 日 本 人 の 言 語 生 活 に は し ば し ば 無 視 さ れ て い る 。 た と え ば 川 田 と いう 姓 の 人 は
Kawat とa 読 ま れ て もK aw ad aと 読 ま れ ても 苦 情 を 言 わ ず 、 ヨー ロ ッパ 人 な ど に し ば し ば 奇 異 な 感 を い だ か せ る 。
こ の清 音 と 濁 音 と の対 立 は 、 今 で は h と b な ど 、 鉛 筆 の濃 い淡 い のよ う な 妙 な 対 立 に な って いる が、 上代 の 日本
k︱ g c︱ z t︱ d p ︱ b
語 で は、
と いう よ う な 、 調 音 の位 置 ・方 法 を 同 じ く す る有 声 音 と 無 声 音 と のき れ いな 対 立 だ った ら し い。
二 日 本 語 の美 し さ 美 し い言語 と 母音
と こ ろ で、 M ・ペイ は ﹃言 語 の 話﹄ の中 の ﹁言 語 の審 美 学 ﹂ と いう 章 で、 世 界 の 言 語 の中 に は 耳 に 聞 い て美 し
い言 語 と そ う でな い言 語 が あ る 、 と いう こ とを 言 って いる 。 そ う し て 日本 語 を 美 し い方 に 入 れ て いる のは 、 わ れ わ れ を び っく り さ せ る 。
ペイ に 言 わ せ る と 、 美 し い言 語 と いう の は、 母 音 の 多 い言 語 だ と いう 。 ど う し て か と 言 う と 、 歌 を 歌 お う と す
る 場 合 、 sの よう な 子 音 に は フ シ が つけ ら れな いと いう 。 ま た sの発 音 で は 、 声 の い い人 も 悪 い人 も 区 別 さ れ な
いと 言う 。 美 し い声 は 母 音 のと こ ろ で 聞 か れ る 。 だ か ら 、 イ タ リ ア 語 ・ス ペイ ン語 ・日本 語 のよ う に 母 音 が 多 い 言 語 は美 し い言 語 だ と 言う こと にな る のだ そう だ 。
ロ シ ア 語 のzdrastvu( y 今t日 eは ) や ポ ー ラ ン ド 語 の blyszc ( 輝 zく y ) な ど は 、 汚 い単 語 と いう こ と にな る のだ
pln とmい lう h そ う だ が、 世 界 でも 最 も 汚 い言 葉 にな る のだ ろう か 。
ろ う か 。 ス ウ ェ ー デ ン 語 に はskalmsk (い t た ず ら っぽ く ) と いう 単 語 が あ る そ う だ 。( 野 元菊 雄 ﹃日本 人 と 日本 語 ﹄) チ ェ コ 語 で は 、 ﹁霧 の か か った 丘 ﹂ をvrch
ペ イ は 日 本 語 を 批 評 し て 、 ﹁ひ び き は イ タ リ ア 語 に 似 て い る が 、 惜 し い こ と に 他 の 極 東 語 な み に ガ タ ラ ル な
( 言 語 学 概 論 ) な ど は 、 汚 い 言 葉 の 代 表 だ 。 こ う いう 単 語 を 集 め た ら ペ イ が 同 じ く ガ タ ラ ル な
( guttur 軟a口 l蓋 で 発 せ ら れ る ) 音 が 多 い﹂ と 言 って い る 。 こ れ は 、 g の 音 が 多 い こ と を 意 味 す る の だ ろ う 。 ゲ ンゴ ガ ク ガ イ ロ ン
音 が 多 い と 言 っ て い る オ ラ ン ダ 語 と 大 差 な い。 標 準 語 で や か ま し い ︿ガ 行 鼻 音 ﹀ は 、 ガ タ ラ ル と 言 わ れ る g の 音 が 少 し で も 耳 立 つ ま い と い う 努 力 に 一役 買 っ て い る 。
﹃日 本 人 の 脳 ﹄ で 、 日 本 人 の 脳 の 生 理 が 他 の 民
族 と ち が う か ら だ と 説 い た 。 も っと も 楳 垣 実 に よ る と 、 世 界 の 諸 言 語 で 母 音 の 頻 度 数 は 、 フ ィ ン ラ ン ド 語 が 日 本
日本 語 に 母 音 が 多 い こと に つい て は 、 序 章 に あ げ た 角 田 忠 信 は
語 よ り 上 だ そ う だ 。(﹃日英 比較 表 現 論 ﹄)
歌 いや す い歌
と こ ろ で 、 母 音 の う ち で も 美 し い も の と そ う で な い も の が あ る よ う だ 。 声 学 家 ・四 家 文 子 が 生 前 言 っ て い た が 、
歌 を 歌 っ て い て 高 く 声 を 引 く と こ ろ に ど う いう 音 が 来 る か 、 そ れ に よ っ て 歌 い や す い歌 と 歌 い に く い 歌 と が き ま
る と い う の だ 。 歌 い や す い 歌 は 、 aと か oと か が 出 て く る 歌 で 、 歌 い に く い の は 、 i が 出 て く る 歌 、 eと uは そ
﹁ば ら 、 ば ら 、 赤 き ﹂ と 歌 う こ と に な っ て い る 。 こ れ は 何 と いう バ カ な 訳 詩 を つ け た の
の 中 間 だ と い う 。 シ ュー ベ ル ト の ﹁野 ば ら ﹂ と いう 曲 が あ る が 、 こ れ に 内 藤 濯 が 訳 詩 し て 最 後 の レ レ ミ フ ァ ソ ラ シ ・ド ー と い う と こ ろ を
﹁キ ー ﹂ と 長 く
﹁赤 い バ ー ラ ー ﹂ と で も つ け て お い て く れ た ら ど ん な に よ か った ろ う に 、 と の こ
だ ろ う と いう 。 ﹁バ ラ バ ラ ア カ ⋮ ⋮ ﹂ と aの 母 音 を 続 け て い て 、 一番 肝 腎 な と こ ろ を i の 母 音 で 引 く こ と に な って い る 。 こ れ は
と だ った 。
つま り 、 母 音 が ア ・イ ・ウ ・ エ ・オ と 五 つあ る 中 で 、 ア ・オ が 一番 き れ い な 音 で イ が 一番 き た な い音 だ と いう
こ と に な る 。 イ は 母 音 の 中 で 一番 子 音 に 近 い性 質 を も った 音 だ か ら 、 き れ い で な い と 言 え る の か も し れ な い 。
日本 語 の 母音 のかた より
と こ ろ で、 今 こ のよ う な 目 で 日本 語 を 見 て み る と 、 日本 語 は 、 イ タ リ ア 語 な ど よ り も っと き れ いな 言 語 だ と も
(大西 雅 雄 『音 声 の 研 究』Ⅵ に よ る) 注)Iは
緊 張 の 弱 いi
日本 人 の発 声 が 悪 い ので あ ろ う 。
あ ま り 美 し い 感 じ を 受 け な い。 雑 音 が 多 く 聞 こ え て 澄 ん だ 感 じ が な い 。 こ れ は 、
い か 、 と いう こ と に な る 。 も っと も 、 日 本 人 が 話 を し て い る の を 聞 い た 感 じ は
そ う す る と 日 本 語 は 世 界 の 諸 言 語 の 中 で も 、 す ば ら し い き れ いな 言 語 で は な
次 の 順 位 は eが oよ り 上 に 来 て い る 。
語 と は 言 え な い 。 イ タ リ ア 語 は さ す が に αが 一番 多 く て 日 本 語 と 似 て い る が 、
や き の 母 音 が 一番 多 く て 、 I と い う i の 一種 が そ の 次 だ 。 こ れ で は き れ い な 言
いう き れ いな 母 音 が 上 位 に 来 て い る 。 英 語 な ど は む し ろ〓 と い う よ う な 、 つ ぶ
し た こ と が あ る が 、 上 表 が そ の 結 果 で あ る 。 こ れ に よ る と 、 日 本 語 は a ・ oと
言 え そう だ 。 と いう の は、 大 西 雅 雄 が 以 前 、 世 界 の諸 言 語 に つ いて 、 ど う いう 母 音 を 多 く 使 う か と いう 統 計 を 出
主 要 な言語 の母 音 の頻 度
三 拍 の種 類 と そ の 組 合 わ せ 一 拍 の種 類 の少 な さ 一一二の拍
日 本 語 の拍 に つい て は 、 そ の 種 類 が 世 界 の言 語 の中 で き わ 立 って 少 な いと いう 特 色 が あ る。 これ は そ の構 成 が
第 一節 で述 べた よ う に 単 純 であ る こと 、 そう し て構 成 要 素 であ る 音 素 の 種 類 が少 な いか ら であ る 。 材 料 が 少 な く
て、 調 理 の方 法 が 少 な いな ら ば 、 料 理 の数 が 少 な い。 日 本 語 の拍 の少 な い のは 当 然 だ 。
そ れ にし て も 、 ほ か の言 語 の拍 の種 類 は ど のく ら いあ る か。 ハワイ 語 は 少 な い点 で 有 名 で、 理 論 的 に有 り う る
数が ( ∞+ 一)×5で、 四 五 個 であ る 。 中 国 語 は 、 北 京 の標 準 語 は、 他 の方 言 に 比 べ れ ば 少 な い方 だ と いう が 、 そ
れ で も魚 返 善 雄 の勘 定 で は 四 一 一あ る と いう 。 英 語 は ど のく ら いあ る か 。 楳 垣 実 は晩 年 、 三 万 以 下 と いう こと は
な いだ ろ う と いう 計 算 を 出 し て いた。 も っとも 、 ト ル ンカ と いう 学 者 によ る と 、 有 り う る 拍 は 八 万 六 一六 五 だ と いう か ら 驚 く 。( 楳垣 ﹃日英比較表 現論﹄)
日本 語 の拍 の種 類 は いく つあ る か。 八 二 ペー ジ の表 に あ げ た が、 洋 語 な ど に 用 いら れ る も のを 除 け ば 、 筆 者 の
勘 定 で は 一 一二 だ 。 これ で は 英 語 の三 〇 〇 分 の 一だ 。 こ の中 に は、 め った に 現 わ れ な いも のも ち ゃん と 載 せ てあ
る つも り だ 。 た と え ば ピ ュと いう のは ﹁ピ ュウ ピ ュウ (風 が 吹 く )﹂ と いう 言 葉 だ け し か な いけ れ ど も 、 一 一二
のう ち に 数 え てあ る 。 ﹁ミ ュ﹂ と いう 拍 は 、 ﹁大 豆 生 田 ﹂ と いう 珍 姓 が あ る の で 採 録 し た が 、 最 近 何 と かと いう 歌
手 が 長 男 に ﹁美 勇 士 ﹂ と いう 名 を つけ 、 ミ ュー ジ と 読 む こ と に し た と いう か ら 、 例 が 二 つに な った 。 ﹁ウ ォ﹂ は
一般 に は 認 め て いな いよ う で あ る が、 筆 者 に言 わ せ る と 、 ﹁怖 い﹂ ﹁弱 い﹂ な ど に ﹁⋮ ⋮ ご ざ いま す ﹂ を つけ る と 、
﹁コウ ォ ー﹂ ﹁ヨウ ォー ﹂ と な って、 こ こ に ウ ォ と いう 拍 が 生 ま れ る 。 ﹁淡 う ご ざ いま す ﹂ は 、 ア ウ ォ 卜 ⋮ であ っ て、 ﹁青 う ﹂ を ア オ ー と 言 う のと は ち がう 。
が、 そ れ に し て も 日本 語 は拍 の種 類 が 少 な い。 江 戸 時 代 の 学 者 ・新 井 白 石 は、 そ の 語 源 研 究 書 ﹃束 雅 ﹄ の序 文
に ﹁我 東 方 の 言 ほ ど 音 声 の少 な き は な く 、 西 方 の 言ほ ど 音 声 の多 き は な し 。 中 土 ま た こ れ に次 ぐ ﹂ と 言 って いた が、 い いと こ ろ を つ いて いた 。
大き な恩恵
日本 語 に こ のよ う に拍 の種 類 が 少 な いこ と は 、 何 か 未 開国 の言 語 だ と 言 わ れ た よ う な 印 象 を 受 け る 向 き が 多 い
の で は な いか。 筆 者 は そ う いう こと と は 別 に 、 日本 人 は 拍 の数 が少 な い こと か ら 、 いか に 大 き な 恩 恵 を 受 け て い
る か を 述 べ て み た い。 そ れ は、 日 本 語 ぐ ら い文 字 で 書 き 表 わ し や す い言 語 は 少 な いと 言 え る こ と で あ る。
例 え ば 、 小 学 校 一年 生 のと き に 先 生 に ﹁犬 ﹂ と いう 言 葉 は ﹁いぬ ﹂ と 書 く と 教 わ り 、 ﹁猫 ﹂ と いう 言 葉 は ﹁ね
こ﹂ と 書 く と教 わ る。 そ う す る と 、 子ど も た ち は ﹁犬 ﹂ と いう 言 葉 は イ と ヌ か ら 出 来 て い ると 心 得 て いる か ら 、
は は あ 、 ﹁い﹂ と いう の が イ と よ む字 な ん だ な 、 ﹁ぬ ﹂ と いう の が ヌ と よ む字 な ん だ な 、 と わ か る 。 そ う す る と 、
﹁いぬ ﹂ ﹁ね こ ﹂ と いう 二 つの単 語 の書 き 方 を 教 わ った だ け で 、 ﹁いね ﹂ と あ れ ば イ ネ と 読 む ん だ 、 ﹁鯉 ﹂ と いう 言
葉 は ﹁こ い﹂ と 書 く ん だ と す ぐ わ か る。 こ れ は す ば ら し いこ と で、 日 本 人 の 子 ど も の 知 能 な ら ば 、 一年 の 一学 期
ぐ ら い で 一 一二 の音 の書 き 分 け を 覚 え る のは わ けな い こ と だ 。 そ んな わ け で 日本 人 の 子 ど も は 、 一年 の二 学 期 に
な る と 、 自 分 の知 って いる 言 葉 は 一応 自 由 に書 け る こと にな る 。 漢 字 で 書 か な け れ ば いけ な いと か 、 や か ま し い
こ と を 言 え ば 話 は 別 に な る が、 と に かく 、 人 に わ か る よ う に 書 き さ え す れ ば い いと いう のな ら ば 、 日本 人 は 非 常 に 恵 ま れ て いる こと に な る 。
英 語 で は こ う は いか な いよう だ 。 ア メ リ カ で は ド ッグ はd g qと 書 く 、 キ ャ ット はcat と 書 く と いう よ う に、 一
つひ と つ単 語 ご と に書 き 方 を 教 わ る が、 こ れ は ち っと も 応 用 がき か な い。 学 校 で習 った 単 語 は 書 け る が 、 習 わ な
い単 語 は書 け な い。 一年 の 一学 期 だ け で 覚 え る単 語 は 、 ほ ん の 一部 で あ る。 そ のた め に 一年 の二 学 期 のこ ろ の 日
本 の 子 ど も と ア メ リ カ の 子 ど も の書 いた 作 文 を 比 較 す る と 、 子 ど も の文 章 と お と な の文 章 ぐ ら い違 う と いう 。 日
本 は 文 盲 の数 が少 な い こ と で有 名 で あ る が、 そ れ は 日本 人 が勉 強 好 き だ か ら 、 ま た 日 本 の教 育 が す ば ら し いか ら
だ と つ い考 え てし ま う 。 た し か に そ う いう こ と も あ る が 、 そ れ 以 上 に 日本 語 と いう も の の拍 の種 類 が 少 な く 、 文 字 で書 き や す い言 語 だ と いう こと 、 こ れ が 大 き な 力 にな って いる と 思 う 。
聞 いて書 く ワープ ロ
と い って も 、 二 、 三 年 前 の こと で あ る が、 日 本 語 の拍 の少 な い こと のす ば ら し さ が 世 界 的
に 有 名 にな った 話 が あ る 。 筆 者 の親 し い電 気 会 社 の人 か ら 聞 いた が 、 いま ワー プ ロ の進 歩 は 著 し いも の で、 あ る
と こ ろ で 、 最 近︱
人 がそ の 器 械 の前 で 何 か し ゃ べる と 、 そ れ が そ のま ま 字 に な って書 か れ る と いう ワー プ ロが 発 明 さ れ た 。 こう な
る と 、 人 は 字 を 書 か な く ても 器 械 が字 を 書 いて く れ るわ け で、 そ の発 明 は ワー プ ロ界 でも 画 期 的 な も の であ る が 、
そ う いう 器 械 を 作 り 出 す こ と は 、 日本 以 外 の国 の学 者 も 心 が け て いた が 、 そ の学 者 た ち が 一致 し て考 え て いた こ
と は 、 こ の器 械 の発 明 は 日本 人 が最 初 に や り と げ る にち が いな いと いう こ と だ った 。 そ れ が、 果 し て そ う な った の であ る。 な ぜ か 。
聞 い て書 く ワー プ ロと い って も 、 そ の器 械 の前 で いき な り ﹁こ ん に ち は﹂ と か ﹁お は よ う ﹂ と か 言 って も 、 器
械 は ぽ か ん と し て いる 。 そ の使 用 者 の標 準 的 な 発 音 を 器 械 に 聞 か せ る こ と が、 ま ず 必 要 だ 。 ア ・イ ・ウ ・エ ・
オ ・カ ・キ ⋮ ⋮ と いう 拍 を 丁 寧 に は っき り 言 って 聞 か せ る 。 そ う す る と 器 械 の方 で は 、 こ の 人 が ア と 言 った ら
﹁あ ﹂ と 書 い て や ろ う 、 イ と 言 った ら ﹁い﹂ と 書 いて や ろ う と 反 応 す る よ う に な る 。 日 本 語 の拍 は 一 一二 し か な
いか ら 、 一 一二 の拍 を は じ め に て いね いに 発 音 し て 聞 か せ て お け ば、 あ と は そ のと お り 、 ど ん な こと を 言 っても 、
器 械 は 字 に書 いて く れ る 。 と いう わ け で 、 これ は 日 本 語 の拍 が 一 一二 し か な いこ と が大 き く 物 を 言 う わ け であ る。
も っと も 、 ハネ ル音 と か ツ メ ル 音 と か 、 は っき りし な い拍 も あ る か ら 、 そ う いう のは ア ンと 言 った り ア ッと 言 っ
た り 、 多 少 言 い変 え の工夫 も いる が 、 と に か く 一 一〇 あ ま り の拍 を 覚 え こま せ れ ば い いわ け であ る 。
英 語 は こう は い かな い。 三 万 幾 つの拍 は 、 ま ず 器 械 に覚 え さ せ る のが 大 変 だ。 恐 ら く 英 語 で は 単 語 の綴 り で読
み か え て 、 knigなhら tば K、 N 、 I、 G 、 H、 T と 言 って 吹 き 込 む で あ ろ う が 、 そ れ で は 一つ 一つ の語 の綴 り を 覚 え て いな け れ ば な ら ず 、 書 く のと 同 じ よ う な 苦 労 が いる こ と は 確 実 であ る。
多 い同音 語
し か し 、 拍 の種 類 の 少 な い こ と は 、 反 面 、 欠 点 で も あ る。 少 な い種 類 の拍 を 組 合 わ せ て 、 あ ら ゆ る こ と を 言 い
分 け よ う と す る の で、 ど う し て も 無 理 が出 て 同 音 語 が 多 く な り 、 そ れを 避 け よ う と す る と 、 ど う し ても 長 い語 形
が ふ え てし ま う 。 これ ら の こと に つ い て は 、 次 の第Ⅲ 章 で 改 め て述 べる が、 と に か く 拍 を 組 合 わ せ る と 、 何 ら か の意 味 を も った 言 葉 に な ってし ま う と いう こと は、 日 本 語 のも つ性 格 で あ る。
あ る 地 区 で美 人 投 票 を し た 。 当 選 者 に 賞 を 与 え よ う と し た と こ ろ が 、 ﹁地 区 賞 ﹂ で あ る た め、 そ の賞 の名 が
﹁ミ ス 畜 生 ﹂ に な ってし ま った ( 池 田弥 三郎談)そ う だ 。 ま た 、 写 楽 の 芸 術 を た た え て、 そ の 記 念 祭 を と り お こ な
おう と し た と こ ろ が、 そ の名 が ﹁洒 落 く さ い﹂ と な ってし ま った ( 颯田琴次談)な ど と いう 話 は 、 日常 頻 繁 に 聞 く 。
歌 を 聞 いて いる 時 な ど に も こ う いう こ と が 起 こ り 、 例 え ば 、 有 名 な 合 唱 曲 に シ ュー マ ン作 曲 の ﹁流 浪 の 民 ﹂ と
いう のが あ る が 、 途 中 の ﹁馴 れ し 故 郷 を 放 た れ て ﹂ と いう と こ ろ が 、 ﹁鼻 垂 れ て ﹂ と 聞 こ え て、 皆 歌 いに く が っ
た 。 あ る 小 学 校 の校 長 は 、 毎 年 の 卒 業 式 の 時 に卒 業 生 が ﹁仰 げ ば 尊 し﹂ を 歌 う 時 に、 二番 の ﹁や よ 励 め よ ﹂ と い う 箇 所 を いや が った 。 毛 が 薄 か った の であ る 。
聞 き とり にく い歌
ま た 、 一般 に歌 と いう も の は、 一拍 一拍 を ゆ っく り 声 を 引 い て歌 う も のな ので 、 拍 が 少 な いと 、 歌 詞 の意 味 が
サー
取 り に く く な る 。 例 え ば 、 ﹁酒 ﹂ を 歌 お う と し て 、
サケー
と や った の で は 、 ど う いう 言 葉 に な る の か 見 当 が つ か な い 。 ﹁坂 ﹂?
﹁酒 ﹂?
﹁咲 く ﹂?
﹁さ く ら ﹂?
﹁さ み だ れ ﹂?
と や って も 、 ま だ は た し て 、 ﹁酒 ﹂ で あ る の か 、 ﹁咲 け ば ﹂ と な る の か 、 ﹁叫 ぶ ﹂ と な る の か 不 安 で あ る 。 こ ん な
と 歌 い 出 せ ば 、 ま ずwineの 歌 に き ま って い る 。
こ と か ら 日 本 語 の 歌 は 、 こ と に 声 を 引 い て 歌 う 歌 の 歌 詞 は 、 は な は だ 聞 き 取 り に く い。 英 語 な ら ば 第 一拍 で Win e︱
昔 の 日 本 人 は そ ん な こ と を 少 し で も 防 こ う と し た の だ ろ う 、 邦 楽 の 歌 曲 で は 、 第 一拍 を 長 く 引 く こ と を 決 し て
ゲ ニー ユタ ー カ ー ナ ル ヒ ノ ー モ ト ー ノ ー
や らな い。 長 唄 のよ う な 悠 長 な 曲 で も 、 と や って 、 ゲ ー ニー と は 歌 わ な い 。
ニー ワ ノ ー チ ー グ ー サ ー モ ー ⋮ ⋮
第 一拍 を 長 く 引 く 歌 、
は、 西 洋 から 伝 来 の歌 で あ る 。
し ゃれや 懸詞
﹁健 康 ﹂ に 、 ﹁え び ﹂ は 福 の 神
﹁え び す ﹂ に 結 び
﹁お め で た
R ・ミ ラ ー が 半 ば 感 心 し 、 半 ば 呆 れ て い る が 、 正 月 の 一 つ 一 つ の 食 べ 物 を 縁 起 の い い も の に 結 び つ け る の も 日
﹁よ ろ こ ぶ ﹂ に 結 び つ く 。 ﹁豆 ﹂ は
本 人 ら し い と こ ろ で 、 こ れ も 日 本 語 に 拍 の 種 類 が 少 な い こ と か ら で き る こ と で あ る 。 新 年 の ﹁鯛 ﹂ は い﹂ に 結 び つ き 、 ﹁昆 布 ﹂ は つく 。
難 波 江 の葦 の仮 寝 の 一夜 ゆ え 身 を 尽 し て や恋 わ た る べき
古 典 作 品 に盛 ん に活 用 さ れ る 懸 詞 ・枕 詞 な ど の技 巧 は、 いず れ も 拍 の少 な さ の応 用 で あ る 。
節 ﹂ の意 を か さ ね さ せ 、 さ ら に ﹁身 を 尽 し ﹂ に 難 波 江 の名 物 ﹁澪標 ﹂ を 兼 ね さ せ た と は、 ま こと に 手 の こ ん だ 手
芦 は 難 波 江 の名 物 で あ る が、 ﹁か り ね ﹂ に ﹁刈 り 根 ﹂ と ﹁仮 寝 ﹂ の意 を 込 め 、 ﹁ひと よ ﹂ に ﹁一夜 ﹂ と 芦 の ﹁一
法 で、 日 本 語 な れ ば こ そ の作 品 だ ろ う 。
数字 の覚 え方
日本 語 の こ の性 格 を 応 用 し て、 長 い数 字 を 何 か 意 味 の あ る 言 葉 で 読 む のは 日 本 人 の特 技 であ る 。 ﹁伊 東 へ行 く
fourteen
hundred
and
ninety︲two,
Columbus
sailed
the
な ら ハト ヤ 、 電 話 は 四 一二 六 ﹂ な ど と いう 。 あ る い は コ ロ ンブ ス が ア メ リ カ 大 陸 を 発 見 し た 年 は、 ﹁意 欲 に (一
In
四 九 二 ) 燃 え て﹂だ 、 と 覚 え る 類 いが これ であ る 。 ア メ リ カ で は こ う いう のは 、
と いう 詩 を 覚 え る のだ と いう が 、 日本 人 と し て は 、 こ ん な 詩 を 覚 え るく ら いな ら、 いき な り1492 と いう 数 を 覚
え る 方 が や さ し いと 言 いた く な る 。 一年 のう ち の小 の月 を 覚 え る のに 、 日本 人 が ﹁西 向 く 士 ﹂ と す る のも そ の例 で 、 ア メ リ カ では 、 三 行 ぐ ら い の詩 を 暗 記 す る よ う だ 。
円 周 率 のπ=3.14159265358⋮ 97 ⋮9( 3 才2子 3異 8国 4 に婿 さ 、 子 は苦 な く 身 ふ さ わ し ⋮ ⋮ )
日 本 人 の長 い数 字 の覚 え 方 、 例 え ば、
な ど 、 見 事 な も の であ る が 、 筆 者 が い つか テ レ ビ で こ の 話を し た と こ ろ 、 全 国 か ら 葉 書 が 何 枚 か 来 た 。 多 く は あ
ocean
の覚 え 方 を 改 め て教 え て ほし いと いう のだ った が、 自 分 は ち が う や り 方 で暗 記 し て いた と いう の が 三 枚 も あ った 。
産 医 師 異 国 に 向 こ う 。 産 後 厄 な く 、 産 婦 御 社 に 、 虫 散 々闇 に 鳴 く ⋮ ⋮
そ のう ち の 一枚 は 、
bl
と いう の で、 筆 者 の知 って いた の よ り は る か に 文 学 的 な の に感 心 し た 。 こ う いう 点 、 日 本 語 は 余 裕 緯 々 で あ る。
二 拍 の結 び つき 方 拍 の結 び つき方 の法 則
と こ ろ で、 ど こ の言 語 で も 、 拍 が連 結 し た 場 合 に は、 そ れ ぞ れ 固有 の性 質 が 見 ら れ る が 、 日本 語 の拍 も 、 ま ず 、
ハネ ル音 、 ツ メ ル音 、 引 ク 音 の位 置 が 特 色 を も つ。 これ ら は 言 葉 の 初 め に は 立 ち にく く 、 こ のう ち ハネ ル音 は 、
﹁馬 ﹂ ﹁梅 ﹂ のよ う に 人 に よ ってそ れ で は じ ま る 単 語 も あ る が 、 これ も 終 戦 後 、 ウ マ ・ウ メ が 普 通 に な った 。 ツ メ
ル音 で は じ ま る単 語 は ﹁行 か な い って 言 った ﹂ の ﹁って ﹂ のよ う な 特 殊 な も のだ け 、 引 ク 音 は言 葉 の初 め に 立 ち
よ う がな い。 ま た 、 これ ら の音 は 、 互 い に 続 く こ と も 稀 で、 こ の三 つ が連 続 し た 例 と し て 、 ﹁ウ ィー ン っ子 ﹂ と いう よ う な 言 葉 を 探 し 出 す に は ひと 苦 労 す る 。
上 代 の日 本 語 に は 、 現 代 の 日 本 語 に 比 し て いち じ る し い特 色 があ った 。 た と え ば 、 いわ ゆ る 濁 音 と ラ行 音 と は
単 語 の初 め に来 な か った 、 と いう の が契 沖 以 来 の定 説 であ る 。 た だ し 、 これ は中 央 語 で そ う だ った と いう こ と で、
方 言 で は 濁 音 で は じ ま る 単 語 が た く さ ん あ った も のと 思 わ れ る 。 現 在 、 方 言 に は 、 カ エ ルを ガ エ ルと い った り 、
カ ニを ガ ネ と い った り す る例 に こと 欠 か な い。 ブ リ や ボ ラ のよ う な 単 語 は 、 漁 村 か ら 入 って き た ので あ ろう 。
ラ行 音 が 言 葉 の 初 め に立 たな い こと は、 朝 鮮 語 と 似 て いる 。 さ ら に、 ア ル タイ 諸 語 で、 r音 が こ と ば の初 め に
立 た な いこ と に引 き 比 べら れ て 、 日本 語 ・ア ル タイ 語 同 源 説 の根 拠 の 一つと さ れ た 。 も っと も 、 南 方 の パプ ア 語
に も 、 イ ンド ・ゲ ル マ ン系 の ギ リ シ ャ語 ・ア ル メ ニ ア語 にも 、 rで は じ ま る 単 語 を 避 け る 傾 向 があ る と いう 。
母音 調和
次 に、 上 代 の 日本 語 に は 、 母 音 の数 が 八 つあ った と 述 べた が 、 こ の 八 つ の母 音 の間 に は、 使 わ れ 方 に 制 限 が あ
った 。 す な わ ち 、 有 坂 秀 世 ・池 上 禎 造 の研 究 に よ って、 (1)oは oと 同 じ 語 根 の中 には あ ら わ れ る こ と がな い。 (2)oは a ・ uと 同 じ 語 根 の中 にあ ら わ れ る こ と が 少な い。
h) aと rm 同o じn種y類 のも の であ る。 そ れ 以 前 、 日本 語 ・ア ル タ
こ と が 明 ら か にさ れ た 。 語 根 と は 、 意 義 を も った 最 小 単 位 の こと であ る が 、 こ の 現 象 は 、 朝 鮮 語 ・ア ル タ イ 諸 語 ・ウ ラ ル諸 語 に見 ら れ る ︿母 音 調 和 ﹀ (vowel
イ 語 同 源 説 に つい て は 、 母 音 調 和 が 見 出 さ れ な い のが 弱 点 と さ れ て いた 。 そ れ ゆ え 、 上 代 日 本 語 に 見 出 さ れ た こ
の 法 則 の発 見 は 、 日本 語 ・ア ルタ イ 語 同 源 説 を 支 持 す る も の と し て学 界 に大 き な 反 響 を 呼 ん だ も のだ った 。
母 音 調 和 は 、 語 頭 の 拍 の母 音 が あ と の拍 の母 音 を 同 化 し て いく こと に よ って出 来 た も のと 想 定 さ れ て いる。 日 本 語 の動 詞 に は 、
akasu(飽 か す )、okosu(起 こす )、otos (落 uす )、cukus ( 尽 uす )、oros( 降 uろす) ⋮⋮
の よう な 第 一拍 の母 音 に よ って第 二 拍 の母 音 が き ま った 形 のも のが 多 い。 これ は太 古 の時 代 に あ った 母 音 調 和 の
名 残 り と 考 え ら れ る 。 こう いう 傾 向 は 平 安 朝 以 後 ま で も 続 き 、 ヒ チ リ キ (篳策 ) と いう 楽 器 は 、 ヒ ツリ ク と な っ
Naa gaとmな aる s。
ても い いと こ ろ、 は じ め のヒ にあ と の 母 音 が 皆 引 か れ た。 ヘ ベ レ ケ と いう 言 葉 は ﹁朗 ら か ﹂ ﹁お ご そ か﹂ のよ う
に ヘ ベラ カ と でも いう と こ ろ だ った のが 、 へに 全 部 の母 音 が引 か れ た も のと 解 さ れ る 。
太 古 の母 音 調 和 が 糸 を 引 い て いる のだ ろ う 。 山 田 長 政 が ロー マ字 でサ イ ンし た ら 、Yamada
aの連 続 だ 。 ﹁子 供 心 ﹂ と いう こ と ば は、 oの 連 続 だ 。 日 本 語 は 一般 に 同 じ 母 音 を も つ単 語 が 多 いが 、 そ のた め
と 、 い つか大 学 の教 室 で し ゃ べ った ら 、 早 速 そ の学 年 の レポ
に ﹁あ な た 方 は ば か な 方 々だ ﹂ のよ う な セ ンテ ン スも 簡 単 に作 れ る 。 ち ょ っと 器 用な 人 な ら 、 同 じ 母 音 ば か りを 使 って 、 俳 句 の 一つぐ ら い ひね り出 せ そ う だ 。 ︱
花 ば ら や 山 は浅 間 か は た 茅 か
ー ト に提 出 し た の が いた 。 曰 く 、
新 宿 か ら 、 当 時 あ った 小 淵 沢 ま わ り 小 諸 行 き の 夜 行 列 車 に 乗 っ た ら 、 早 朝 目 が 覚 め て 、 窓 の 外 に う っす ら 山 の
姿 が 見 え 、 手 前 に 野 ば ら が 咲 い て い る 。 こ の あ た り は ま だ 小 海 線 へ 入 った ば か り で 、 あ の 山 は 茅 ケ 岳 か 、 あ る い は も う 終 点 に近 いと こ ろ で 浅 間 山 か と いう 気 持 だ そ う な 。
リ エゾ ン
さ て 、 現 代 日 本 語 の 拍 は 、 も う 一つ 、 連 続 し た 場 合 に 固 有 の 音 が 変 化 す る こ と が ほ と ん ど な い こ と が 注 意 さ れ
る 。 フ ラ ン ス 語 な ど に 見 ら れ る リ エ ゾ ン は 、 こ の 種 の 物 と し て 有 名 で 、 フ ラ ン ス 語 でgrand(大 き い ) だ け な ら
グ ラ ン と 発 音 す る が 、 次 に オ ム と 読 むhomme ( 人 ) が 来 る と 、 と た ん に 語 尾 の d が 生 き 返 って 来 て 、 グ ラ ン ト
ム と な る 。 そ う か と 思 う と 、ila ( 彼 が ⋮ ⋮ を 持 つ ) を 疑 問 形 と し て 、 順 序 を 逆 に す る と 、 a とilの 間 に t が 飛
び こ ん で 来 て 、 a︲tと ︲i なlる 。 こ の あ た り 、 発 音 を 美 し く す る た め に 払 わ れ る 無 意 識 の 努 力 は 羨 ま し い 。 極 東 で
こ と に 漢 字 が普 及 し て、 こ の文 字 は こう 読 む ん だ と
は 朝 鮮 語 に こ の よ う な 例 が 多 く 、sipman (一〇 万 ) はsimman と な りhak︲mun ( 学 問 ) はhangmun とな る。 こ う いう こ と が 日 本 語 に は ほ と ん ど 見 ら れ な い の は 、 文 字︱ いう 意 識 の あ る こ と が 原 因 の よ う だ 。
連 濁 ・連 声
( 大 石 ) が オ ヒ シ と な る よ う に 、 母 音 だ け の拍 が 並 ぶ のを 避 け よう と す る 傾
こ の 、 拍 の 音 価 を 変 え な い こ と は 、 実 は 、 日 本 語 の古 く か ら の 性 格 で は な か っ た 。 古 代 日 本 語 に は 、 ア ラ ウ ミ (荒 海 ) が ア ル ミ と な り 、 オ ホ イ シ
︿連 声 ﹀ を 起 こ す 現 象 が あ っ た の だ 。 が 、 現
向 が 見 ら れ た 。 中 世 の 日 本 語 で は 、 ﹁念 仏 を ﹂ を ネ ン ブ ット と い い 、 ﹁料 簡 を ﹂ を リ ョー ケ ン ノ と い っ た 。 つま り 、 ハネ ル 音 や ツ メ ル 音 の 次 に 母 音 だ け の 拍 が 来 る と き に 、 い わ ゆ る
在 は こ の よ う な こ と は ほ と ん ど な く な った 。 あ る の は ﹁因 縁 ﹂ と か 、 ﹁観 音 ﹂ と か 古 く か ら あ る も の で 日 常 多 く
使 わ れ る も の が、 化 石 的 に 残 って いる だ け であ る 。
日本 語 で複 合 語 を つく る 場 合 に、 いわ ゆ る ︿連 濁 ﹀ の現 象 があ り 、 こ の性 格 だ け が わ ず か に 現 代 語 に 及 ん で い
る 。 こ れ も 現 代 で は 新 た に でき る 語 に は 、 次 第 に 少 な く な り つ つあ る 。 特 に 漢 語 に 連 濁 が 少 な い。 例 え ば 、 古 く
( トー ボ ー ) は ト ー ホ ー とな った 。 学 校 で学 生 と い っし
( 三 階 )﹂ と 連 濁 す る のを サ ン カイ と 、 連 濁 し な いで 言 う
連 濁 を 起 し て いた 天 下 (テ ンガ ) は テ ンカ と な り 、 東 方 ょ に エレ ベー ター に 乗 る と 、 わ れ わ れ だ と ﹁サ ンガ イ
のが 多 いこ と に気 付く 。 フラ ン ス でも 、 一般 に リ エゾ ンは ど ん ど ん 減 って ゆ く と いう 。 そ れ が 自 然 の傾 向 であ ろ う か。
漢字 と発 音
日 本 語 に 連 声 が な い こと も 、 これ は 日本 にお いて 、 個 々 の語 の音 韻 よ り も 、 そ れ を 写す 文 字 を 、 特 に漢 字 を 重
要 視 す る こ と か ら 来 る も のと 考 え ら れ る 。 す な わ ち 、 こ の字 は こう いう 音 の文 字 だ 、 だ か ら こう 読 ま な け れ ば い
けな いと 考 え 、 発 音 し に く く ても 強 引 に読 ん でし ま う と こ ろ か ら 来 る も の であ ろ う 。 し か し 、 ゲ ンイ ン ( 原 因)
と か、 ハンエン ( 半 円 ) と か いう こと ば は、 何 と 発 音 し にく い こと か 。 こ のあ た り は フラ ン ス語 を 見 習 いた い。
四 旋 律 と リ ズ ム
高 低 アク セ ン ト と 強 弱 アク セ ン ト
日 本 語 の 拍 は 、 連 続 し て 一語 を 構 成 し た 場 合 、 拍 の 間 の 相 対 的 な 高 低 関 係 が 一定 し て い る 。 た と え ば 、 東 京 語
で 、 ハ ー シ と い う 拍 の 連 結 が 、 ﹁箸 ﹂ を 意 味 す る と き は ハ シ と ハを 高 く 発 音 し 、 ﹁橋 ﹂ な ら ハ シ と シ の 方 を 高 く
言 う 。 決 し て こ の 関 係 を 逆 に は し な い。 一方 、 京 都 語 と な る と 右 の 高 低 関 係 は 逆 に な る が 、 こ れ は こ れ で 一定 し
︿高 低 ア ク セ ン ト ﹀ (pita cc hce )nの t国 語 と 呼 ぶ。 これ に 対
て い て 、 変 わ ら な い。 い わ ゆ る ︿日 本 語 の ア ク セ ン ト ﹀ と 言 わ れ る も の が こ れ で あ る 。 日 本 語 の よ う に 、 個 々 の 語 に つ いて 相 対 的 な 高 低 関 係 が き ま って いる 国 語 を
し て 、 英 語 ・ド イ ツ 語 ・ス ペイ ン 語 ・ ロ シ ア 語 な ど は 拍 の 間 の 強 弱 関 係 が き ま っ て い る 。 そ れ は ︿強 弱 ア ク セ ン ト ﹀ (stress )aと c呼 ce ぶn。 t
﹁欠 席
﹁欠 席 さ せ る ﹂ と い う 動 詞 の 意 味 に な る と 、
た と え ば 英 語 の 場 合 、 ど こ を 強 く 言 う か が 単 語 に つ い て き ま っ て い る の だ 。absen とtい う 言 葉 が 、 も し の ﹂ と いう 形 容 詞 の と き はabsen とt、 前 の 部 分 を 強 く 言 う 。 そ れ が
の 方 は そ れ に 対 し て 、 ど こ を 高 く 言 う か と いう よ う に 、 高 さ の 配 置 が き ま っ て い る 。 そ う いう 違 い が あ る わ け で
absen とt 後 の 部 分 を 強 く 言 う の で あ る 。 つま り 、 英 語 の ア ク セ ン ト は 強 さ が 固 定 し た ア ク セ ン ト で あ る 。 日 本 語
ある。
ヨ ー ロ ッ パ の 言 語 に は 強 弱 ア ク セ ン ト の 言 語 が 多 い が 、 世 界 全 体 と し て は そ う いう も の は 、 あ と ア フ リ カ 東
( 特 に 南 方 の も の )、 タ イ 語 ・ヴ ェト ナ ム 語 ・ビ ル マ 語 な ど の 東
部 ・北 部 な ど に 見 ら れ る 程 度 で 、 全 体 と し て 少 な い 。 高 低 ア ク セ ント は 、 日本 語 の ほ か に、 中 国 語
( D ・ジ ョー ンズ ﹃音韻 ﹄)、 メ キ シ
(K ・L ・パイ ク ﹃ 声 調 言 語 ﹄)な ど に 見 ら れ る と
南 ア ジ ア諸 語 、 中 部 ア フリ カ に ひ ろ が る ス ー ダ ン諸 言 語、 大 部 分 の バ ン ツー 語 コ の ミ シ テ コ 語 ・ マサ テ コ 語 な ど の ア メ リ カ イ ン デ ィ ア ン の 言 語
い う 。 ヨ ー ロ ッ パ 語 で は 、 今 は 、 セ ル ボ ・ク ロ ア チ ア 語 、 リ ト ワ ニ ア 語 、 ス ウ ェ ー デ ン 語 、 ノ ル ウ ェ ー 語 な ど 少
数 の言 語 に 見 ら れ る だ け であ る が、 古 代 のギ リ シ ャ語 も 高 低 ア ク セ ント の言 語 だ った と 言 わ れ る 。
ま た 一方 、 世 界 の 言 語 の 中 に は 、 高 低 ア ク セ ン ト も 強 弱 ア ク セ ン ト も も た な い と い う さ っぱ り し た 言 語 も あ る 。
ヨー ロ ッパ で は フ ラ ン ス語 が そ れ で、 東 南 ア ジ ア で は イ ンド ネ シ ア 語 が そ れ だ 。 朝 鮮 語 も ソ ウ ル の標 準 語 は そ れ
ein
Knab
﹁野 ば ら ﹂ だ 。
だ 。 日 本 語 も 地 域 に よ っ て は そ う で 、 水 戸 や 仙 台 あ る い は 熊 本 ・宮 崎 の 言 葉 は 、 き ま った ア ク セ ン ト を も た な い。 同 じ 日 本 語 の 中 に そう いう 方 言 も あ ると いう の は、 驚 く べき こと であ る 。
歌 の リ ズ ム と メ ロデ ィ ー
ア ク セ ント の違 いは、 歌 の作 曲 の場 合 に 非 常 によ く あ ら わ れ る 。 た と え ば ゲ ー テ の ドイ ツ語 の 詩
こ れ は 、 シ ュー ベ ル ト や ウ ェ ル ナ ー な ど 多 く の 人 が 作 曲 し て い る が 、 シ ュー ベ ル ト の 曲 で は 、"Sah
Rosl⋮ e" in の ザ アsahと い う と こ ろ が 一 つ の 小 節 の 一番 前 に き て い る 。 ウ ェ ル ナ ー の 曲 も ま った く 同 じ で ザ ア と
い う の が 一 つ の 小 節 の 一番 前 に き て い る 。 ク ナー プ Knab が 両 曲 と も 第 三 番 目 に き て い て 、 レ ー ス ラ イ ンRoslein
の レ ー ス が 両 曲 と も 第 二 小 節 の は じ め に き て い る 。 つま り 、 音 楽 の 方 で は 一 つ の 小 節 の 中 で 一番 強 く 歌 う と こ ろ
vor
deの m 、Tこ oの ra em " が 弱 い。 強 い の は 次 のBrunneの n brun だ。そう する と、
﹁菩 提 樹 ﹂ の 詩 な
は 最 初 の 拍 で 、 そ の 次 は 三 番 目 の 拍 で あ る た め に そ こ に は 必 ず 、 ザ ア と か ク ナ ー プ と か いう 言 葉 と し て 強 い拍 が く る こ と に き ま って い る の で あ る 。
Brunnen
も し 、 外 国 の 曲 で 、 最 初 が 弱 く 発 音 す る 拍 で は じ ま る 歌 詞 が あ った ら ど う な る か 。 た と え ば ど が そ れ で 、"Am
am は 小 節 の 前 に 押 し 出 し て し ま い 、Brunne のnと こ ろ か ら 小 節 を は じ め る よ う な 配 慮 を し て い る 。 こ れ は 日 本
人 には あ ま り ピ ンと こ な いが 、 そ れ は 強 弱 ア ク セ ント を も た な い日本 語 に は そ の必 要 が な いか ら であ る 。 日 本 の歌 の場 合 は ち が う 。
ein
﹁か っ こ 鳥 ﹂ と い う 作 品 が あ る が 、 第 一行 は 、
山 で か っこ か っこ か っこ鳥 哺 いた
野 口 雨情 の詩 に
と は じ ま る 。 こ れ を 中 山 晋 平 と 山 田 耕筰 の 二 人 が 作 曲 し て い る 。 そ う す る と 、 中 山 の 方 は
﹁山 で ﹂ と
﹁山 で ﹂ の ヤ を 一 つ の
小 節 の 最 初 に お い て い る 。 つ ま り 強 い と こ ろ に お い て い る 。 と こ ろ が 、 山 田 耕筰 は 、 一拍 休 ん で か ら
し て い る 。 ﹁や ﹂ を 弱 い と こ ろ に お い て は じ め て い る 。 こ う い っ た よ う な こ と は 、 ヨ ー ロ ッ パ の 歌 で は ま ず 起 こ り 得 な い こと であ る 。
一方 、 日 本 語 の 歌 の 方 に は ヨ ー ロ ッ パ の 歌 に な い よ う な 配 慮 が 必 要 で あ る 。 ヨ ー ロ ッ パ の 曲 で は リ ズ ム が 大 切
﹁ヤ マ デ ﹂ と マ が 一番 高 い 。 そ の 次 は
﹁カ ッ コ カ ッ コ ﹂ と カ か ら コ ヘ 下 が
であ る が 、 日本 語 の歌 詞 に 作 曲 す る 場 合 は 、 日 本 語 のア ク セ ント が 高 低 で あ るた め に、 旋 律 に問 題 が あ る 。 た と え ば 、 中 山 晋 平 の 曲 も 山 田 耕筰 の 曲 も
これ は カ ッ コカ ッ
﹁カ ッ コ ド リ ﹂ と いう ア ク セ ン ト に な って い る の で 、 そ こ で 全 体 の メ ロ
﹁山 で ﹂ は ヤ マ デ 、 ﹁か っ こ か っ こ ﹂ は カ ッ コ カ ッ コ︱
、 ﹁か っこ 鳥 ﹂ は
る 。 こ れ は 、 日本 語 の ア ク セ ント が コと 言 っ て も い い︱
デ ィ ー は 作 曲 者 が 違 っ て も 同 じ よ う に な る 傾 向 が あ る 。 こ う いう こ と は 、 ヨ ー ロ ッ パ の 作 曲 に は 絶 え て 見 ら れ な いことである。
﹁鉄 道 唱 歌 ﹂ を 歌 い な が ら 、 海 の 向 こ う の 山 に は ウ ス と いう 怪 物 が 住 ん
こ のよ う な こ と か ら 、 も し 旋 律 の つけ 方 が ち ょ っと 違 って いる と 、 意 味 が と れ な い こ と が あ った り 、 誤 解 し た り す る こ と があ る 。 藤 田圭 雄 は 子供 の時
海 の彼 方 に薄 霞 む 山 は 上 総 か 房 州 か ⋮ ⋮
で い た と 思 った そ う で あ る が 、 た し か に 、
と いう と こ ろ は 、 そ う いう 旋 律 に な っ て い る 。
作曲 家 の苦 心
日本 の良 心 的 な 作 曲 家 た ち は 、 そ のた め に歌 詞 の ア ク セ ント に 注 意 し て 旋 律 を つけ て いる 。 山 田耕筰 が北 原 白
地 に は 七 本 血 のよ う に
秋 の詩 に 曲 を つけ た ﹁曼 珠 沙 華 ﹂ に は 、
と いう 歌 詞 が あ る 。 ﹁地 ﹂ と ﹁血 ﹂ は ア ク セ ント が 違 う の で、 曲 は チ ニ、 チ ノ と な って いて 、 そ う いう 配 慮 が ち ゃん と し て あ る。
作 曲 家 によ って は 、 歌 詞 の違 いに応 じ て 一番 と 二 番 の メ ロ デ ィ ー を 変 え る 人 も あ る 。 ﹁お 山 の大 将 ﹂ は 西 条 八
十 の作 詞 に 本 居 長 世 が 曲 を 付 け た 童 謡 であ る が 、 こ れ は 本 居 が最 初 に そう いう 試 み を し た作 品 と し て 有 名 であ る 。
お 山 の大 将 お れ 一人 あ と か ら 来 る も の突 き 落 と せ
歌 詞 が、 は じ め の方 は 、
お 山 の大 将 月 ひと つ あ と か ら 来 る も の夜 ば か り
あ と で は そ の箇 所 が 、
であ る。 ア ク セ ント が ﹁ツ キオ 卜 セ﹂ と ﹁ヨ ル バカ リ﹂ と で違 う 。 そ の た め に そ こ は 節 を 変 え て ﹁突 き 落 と せ ﹂
のと こ ろ は 中 間 が 高 い節 、 ﹁夜 ば か り﹂ のと こ ろ は 段 々 下 が る節 にな って い る。 こ う い った 苦 心 は 、 ヨー ロ ッパ の音 楽 家 に は お そ ら く 想 像 も つか な い こと であ ろ う 。
高 低 アク セ ント の いろ いろ
こ の よ う な わ け で、 日本 語 の ア ク セ ント は高 低 の ア ク セ ント で あ る が 、 で は、 そ れ が 日本 語 の ア ク セ ント の特
色 だ 、 と 言 って い いか と いう と 、 そ れ だ け で は 不 足 だ。 と 言 う のは 、 世 界 の言 語 全 体 の中 で は 、 高 低 の ア ク セ ン
ト を も つも の が普 通 で、 強 弱 の ア ク セ ント を も つも の は む し ろ 珍 し いく ら い のも のだ か ら で あ る 。 日 本 語 の ア ク
セ ント は高 低 ア ク セ ント の中 では ど う いう 性 格 のも の か 、 これ を 考 え な け れ ば い けな い。
中 国 語 な ど も 高 低 ア ク セ ン ト を も った 言 語 で あ る が 、 日 本 語 と は だ い ぶ 違 う 。 例 え ば 、 日 本 語 以 上 に 同 音 語 が
﹁疑 う ﹂ と い う 動 詞 に な る 。 全 体 を 低 く 平 ら に イ イ と 言 う と
﹁以 っ て ﹂ と
多 く て 、 ﹁イ ー ﹂ (yi) と いう 言 葉 が あ る が 、 全 体 を 高 く 平 ら に イ イ と 言 え ば 、 ﹁ 一﹂ と い う 数 詞 に な る 。 同 じ 拍 の中 のあ と の部 分 を 高 く イ イ と 言 う と
い う 意 味 に な り 、 は じ め を 高 く 、 あ と の方 を 低 く 下 げ て 、 イ イ と 言 え ば 、 ﹁意 ﹂ と い う 意 味 に な る そ う で あ る 。
﹁来 る ﹂ と いう 意 味 、 一番 低 く 言 う と
﹁犬 ﹂ に な り 、 逆 に 高 か ら 低 に マ ア と 言 う と
﹁馬 ﹂ の 意 味 、 少 し 低 く 言 う と
タ イ 語 は も っと 複 雑 で あ る 。 と 言 う の は 、 高 い発 音 、 低 い 発 音 、 中 ぐ ら い の 発 音 と 、 三 段 の 区 別 が あ る の だ 。 マア と いう 同 じ 音 を も し 高 く 平 ら に 言 う と
﹁浸 す ﹂ と い う 動 詞 に な る 。 も し 低 か ら 高 へ上 げ て マ ア と 言 う と
﹁美 し い﹂ と い う 形 容 詞 に な る そ う だ 。 だ か ら 、 ﹁マ ア マ ア マ ア ﹂ と 言 う と 、 日 本 人 が 聞 け ば 、 何 か に 驚 い た の か
と 思 う が 、 そ う で は な く て 、 ﹁美 し い馬 が 来 る ﹂ と い う 、 ち ゃ ん と し た 一 つ の セ ン テ ン ス に な っ て い る そ う だ 。
複 雑き わ まる高 低 アク セ ント
上 に は 上 が あ る も の で 、 メ キ シ コ の 太 平 洋 岸 に 住 む 部 族 に 、 高 低 ア ク セ ン ト を 使 う マ サ テ コ族 と い う の が あ る 。
ア メ リ カ の 音 声 学 者 K ・L ・パ イ ク の ﹃声 調 言 語 ﹄ に 引 か れ た 例 を 見 る と 、 彼 ら の 言 語 は 、 非 常 に 複 雑 な ア ク セ
ン ト を 有 す る 言 語 で 、 驚 歎 に あ た い す る 。 た と え ば 、sitと e いう 、 ロ ー マ字 で 書 け ば 同 じ 音 の こ と ば が 、 四 段 階 の ア ク セ ント によ って動 詞 の変 化 を あ ら わ す と いう の で あ る 。
siを 最 低 か ら 中 低 へ上 げ 、teを 中 高 か ら 中 低 へ 下 げ て 言 う と 、 ﹁私 が 糸 を つ む ぐ ﹂ ﹁私 が 糸 を つ む ぐ だ ろ う ﹂
siを 最 高 で 言 い 、teを 中 高 で 言 う と 、 ﹁彼 が 糸 を つ む ぐ ﹂ の 意 。
siを 最 低 か ら 中 低 へ上 げ 、teを 中 高 で 言 う と 、 ﹁彼 が 糸 を つ む ぐ だ ろ う ﹂ の 意 。
の意 。
sを i最 低 で言 い、te を 中 高 で言 う と 、 ﹁ あ な た を 除 く わ れ わ れ が糸 を つむ ぐ だ ろ う ﹂ の意 。
よ く 、 ﹁フラ ン ス語 四 週 間 ﹂ と いう よ う な 本 を 見 る と 、 巻 末 に厖 大 な ﹁動 詞 の変 化 表 ﹂ が つ いて いて 、 aimer
の第 一人 称 の単 数 の直 接 法 現在 は ど う 、 第 二人 称 の複 数 の接 続 法 過 去 は ど う 、 と いう よ う な こ と が 載 って いる 。
マサ テ コ語 で は 、 あ あ いう 変 化 を ア ク セ ント の 変 化 が受 け 持 つと い った 具 合 であ る。 ア ク セ ント の働 き が 極 限 ま で 発 揮 さ れ た 例 であ る 。
マサ テ コ族 の言 語 に は、 そ のよ う な 複 雑 な ア ク セ ント の区 別 が あ る た め に 、 口笛 で 、 あ る 程 度 言 葉 を 通 じ さ せ
る こと が で き る と いう 。 た と え ば 、 酋 長 な ど は 威 張 った も の で、 口 を き かず ヒ ュー ヒ ュ ッヒ ュー と や る と 、 部 下
のう ち の 勘 の い い のが そ の 上 が り 下 が り の変 化 を 聞 き 取 り 、 それ 水 を 飲 み た いん だ、 と 言 って 水 を 汲 ん で来 た り 、
そ れ 今 度 は パイ ナ ップ ル だ 、 と 言 って パ イ ナ ップ ルを 運 ん で来 た り す る のだ と いう 。
筆 者 が直 接 調 べた 限 り で は 、 さ ら に 、 最 高 ・中 高 ・中 ・中 低 ・最 低 と いう 五 段 の区 別 を も つサ ニイ 語 と いう も
の が中 国 の雲 南 省 で行 わ れ て い る。 こ こ で は同 じna と いう 音 が、 最 高 の時 は 、 ﹁多 数 ﹂ の意 、 中 高 の時 は ﹁質 問 ﹂
の意 、 中 ぐ ら い の時 は ﹁病 気 ﹂ の意 、 中 低 の時 は ﹁裁 縫 ﹂ の意 、 最 低 の時 は ﹁お ま え た ち ﹂ の意 にな る 。
こ のよ う な 言 語 と 比 較 す る と 、 日 本 語 は高 低 の 二段 だ け であ る こと 、 こ れ が第 一の特 色 、 そ う し て 、 東 京 の言
葉 で は 中 国 語 や マサ テ コ語 と ち が い、 拍 の途 中 で上 が った り 下 が った りす る こと も な い、 こ れ が 第 二 の特 色 で あ る。
日本 語の アク セ ント の特 色
オカシ ( 岡氏)
そ れ か ら 、 も う 一つ特 色 があ る。 例 え ば 三 拍 語 の 全 部 の型 を 集 め て み る と 、
オヤ マ ( 小 山︱ 地 名 ) オ ヤ マ ( 女 形 ) オ ヤ マ ( 霊 山)
オカシ ( お菓 子) オ カシ ( お貸し )
のよ う で、
(1) 第 一拍 が 高 な ら ば 、 第 二拍 は か な ら ず 低 。 第 一拍 が低 な ら ば 、 第 二拍 は 高 。 す な わ ち 第 一拍 と 第 二 拍 と は 、 い つも 高 さ が ち が う 。
(2 ︶ ま ん な か の第 二拍 が 低 で、 第 一拍 と第 三 拍 が 高 と いう こ と は な い。 つま り 高 の拍 が 離 れ て は存 在 し な い。
オ ト ボ (河 馬 )
ンカ タ (対 話 )
ンネ ネ ( 鳥 )
ン テテ ( 葡 萄酒)
ウ トド (蜘 蛛 )
と いう き ま り が あ り 、 有 り う る 型 が 少 な い。 これ が ア フリ カ のイ ボ 語な ど にな る と 、 同 じ 二 段 組 織 で も 、 実 在 す
オシ シ ( 棒)
る型 は、 オノ マ ( 蜜 柑)
ンケ タ (犬 )
のよ う で 、 高 と低 と あ ら ゆ る 組 合 わ せ が見 ら れ 、 型 の 数 が 多 い。
日本 語 の中 でも 、 大 阪 の言 葉 で は、 サク ラ (桜 ) と か 、 アタ マ ( 頭) とか、 スズ メ ( 雀 )とか、さ らに マッ チ
ィ のよ う な 、 一拍 の中 で高 か ら 低 に 下 が る 型も あ って、 東 京 語 よ り は 型 の数 が多 いが 、 他 の 言 語 に比 べる と や は り 少 な い。
アク セ ント の機 能
で 、 ﹁第 一拍 と 第 二 拍 と の高 さ が必 ず ち がう の は 、 そ の単 語 のは じ ま り を 示 し て いる ﹂ の だ と いう の であ る 。 た
そ う す る と 、 東 京 の言 葉 にあ る よ う な ア ク セ ント の型 の 制 限 は 何 を 意 味 す る か 。 こ れ を 解 釈 し た の は有 坂 秀 世
ニワ ニワ ニ ワト リ ガイ ル (二 羽、 庭 に は鳥 が いる)
ニワ ニ ワ ニワ ト リガ イ ル ( 庭 に は 二 羽 鳥 が いる )
ニワ ニワ ニワト リガ イ ル ( 庭 には 鶏 が いる )
し か に、
な ど 、 ア ク セ ント の位 置 に よ って単 語 のは じ ま り が 知 ら れ る 。
強 弱 ア ク セ ン ト は そ ち ら に は あ ま り 役 に 立 た ず 、 む し ろ こ れ だ け の 拍 が 集 ま って 一語 だ と い う 表 示 に 役 立 って い
一般 に 、 高 低 ア ク セ ン ト を 強 弱 ア ク セ ン ト と 比 べ て み る と 、 同 音 語 の 区 別 に は 高 低 ア ク セ ン ト の 方 が 有 効 で 、
る 。 日 本 語 は こ の 点 、 高 低 ア ク セ ン ト で あ り な が ら 、 強 弱 ア ク セ ン ト の よ う な 機 能 も も った ア ク セ ン ト で あ る と 言う ことができる。
日本 語 のリズ ム
前 述 の よ う に 、 日 本 語 に は 高 低 ア ク セ ン ト は あ る が 、 強 弱 ア ク セ ン ト は な い。 こ の こ と か ら 、 日 本 語 の 各 拍 は 、
日 常 の 会 話 で も 、 同 じ 長 さ に 発 音 さ れ る 傾 向 が 強 い 。 W ・A ・グ ロー タ ー ス は 、 日 本 に 来 る 以 前 の 一〇 年 間 を 、
中 国 で 東 洋 文 化 の 研 究 と カ ト リ ック 伝 道 の 仕 事 に 送 っ て いた 。 ち ょ う ど 彼 が 山 西 省 の 寒 村 に い る こ ろ 、 日 中 戦 争
が お こ って 日 本 の軍 人 が こ の奥 地 にま で や って来 る よ う にな り 、 は じ め て 日 本 語 と いう も のを 聞 く 機 会 を 得 た 。
も ち ろ ん 日 本 語 の 意 味 は 全 然 わ か ら ず 、 そ の リ ズ ム だ け が 印 象 に 残 っ た が 、 そ れ は 実 に 忘 れ が た いも の だ った と
いう 。 キ モ ノ や 富 士 山 で知 ら れ た 日 本 の こ と ば はさ ぞ優 美 な も のだ ろ う と 想 像 し て いた の に 、 実 際 に 聞 い て み る
と 、 な ん と も う ね り の 少 な い、 ポ ッ、 ポ ッ 、 ポ ッ、 ポ ッ ⋮ ⋮ と い う 調 子 で 、 ま る で 機 関 銃 の 音 を 思 わ せ た 、 と 語
っ て い る 。 つ ま り こ れ は 、 日 本 語 の 発 音 の 中 で 、 最 も 明 瞭 な 単 位 で あ る 拍 の 一 つ ひ と つを 、 グ ロー タ ー ス の 耳 が ポ ッ、 ポ ッ 、 ポ ッ、 ポ ッ⋮ ⋮ と 感 じ と った と い う わ け で あ ろ う 。
﹁牛 ほ め ﹂ で 父 親 が 与 太 郎 に あ
こ れ は 言 語 学 者 ・神 保 格 が 早 く 指 摘 し た が 、 日 本 語 の 大 き な 特 徴 で あ る 。 こ の こ と は 改 ま った 話 し ぶ り の と き 特 に 顕 著 だ 。 た と え ば 、 講 釈 師 が 扇 拍 子 で た た み込 ん で 語 る 話 し ぶ り や、 落 語 の
い さ つ の こ と ば を 教 え こ む あ た り の 調 子 を 聞 く と 、 た し か に ポ ッポ ッ ⋮ ⋮ が 聞 か れ る 。
日本 語 の拍 は点
日本 語 の拍 は 、 同 じ 長 さ を 保 って いる と 同 時 に、 わ れ わ れ は そ の 一つが 点 であ る よ う に意 識 し て いる 。 わ れ わ
れ は ﹁長 ー く 待 った ﹂ と いう よ う な 、 強 調 を 表 わ す 場 合 は 別 と し て 、 極 力 一つ 一つ の拍 を 短 く 発 音 し よ う と 努 力
し て し ゃ べ って いる 。 こ れ は 、 拍 を 少 し 長 く 発 音 す る と 、 引 ク 音 と 紛 ら わ し い。 た と え ば ﹁お ば さ ん ﹂ は 同 じ 長
さ に言 わ な いと、 ﹁お ば あ さ ん﹂ と いう 別 の単 語 にな って し ま う 、 そ れ を 防 い で いる も のと 思 わ れ る 。 だ か ら 、
わ れ わ れ の単 語 は 長 った ら し いも のが 多 いと 言 っても 、 実 際 は 、 外 国 語 の 一拍 は 時 間 的 には 日本 語 の 一拍 半 ぐ ら いあ り、 そ れ ほど 非 能 率 的 で も な さ そ う であ る こと は救 い であ る。
外 界 の 音 を 日本 人 が 模 写 す る 場 合 に 、 日 本 人 は 一拍 で は 表 わ さ ず 、 ド ンと か 、 ザ ブ ンと か 、 二 拍 以 上 で 表 わ す 。 英 語 の 名spl とaかschlac とk か が 一拍 であ る のと 対 照 的 であ る 。
まず か った ネサ ヨ廃 止
ワタ ク シ ワま でポ ッポ ッと 刻 み こ ん で速 く 進 行 し な け れ ば いけ な い。 のば す とす れ ば 、 ワタ ク シ ワま で言 って し
日 本 語 の拍 が 点 のよ う だ と いう こと は、 日常 の談 話 に、 と ん だ 影 響 を 及 ぼす 。 ﹁私 は ⋮ ⋮﹂ と 話 し か け る 場 合 、
ま って か ら あ と だ 。 そ のた め に、 ﹁私 は﹂ と 言 って か ら 、 次 の言 葉 を 考 え る よ う な 場 合 は 、 最 後 の ﹁は﹂ を の ば
す か 、 あ る いは 、 間 接 助 詞 の ﹁ね ﹂ を 入 れ る か し な け れ ば いけ な い。 近 ご ろ 若 い人 の中 に 、 そ う いう 切 れ 目 ご と
に変 な 節 を 入 れ て 、 年 取 った 人 に 嫌 わ れ て いる 人 が い る が 、 あ れ は ネ サ ヨ廃 止 運 動 と いう のが あ って、 ﹁ね ﹂ の
ヴ と 、 い つも よ り よ
類 いを 言 わ な いよ う に し た 。 す る と 何 か そ の埋 め あ わ せ が ほ し い。 そ の た め にあ そ こ に妙 な 節 を 入れ る の で、 英
語 だ った ら Ibee lv ieと 言 って か ら 先 を 考 え る 時 は 、 ビ リ ー ヴ の 長 く 引 く と こ ろ を ビ リ︱
け い に 引 っ張 れ ば い い。 I だ って ア ー イ と 言 って い い。 日本 語 は 、 一つ 一つ の拍 が点 であ る た め に そう いう 真 似
が でき ず 、 あ のよ う な こ と に な る ので あ る 。 そ う 考 え る と 、 ネ サ ヨ廃 止 運 動 は ま ず か った と 思 う 。
日本 の韻 文
さ て 田 辺尚 雄 は 、 日本 語 は 二拍 ず つが 一つ のま と ま り を 作 り 、 全 体 のリ ズ ムを 構 成 す る と 言 った が 、 こ れも 、
一つ ひと つの 拍 が 点 の よ う な も の であ るた め にち が いな い。 そ のた め に 、 わ れ わ れ が 日本 語 の詩 を 作 る と き に 、
お き つど り (r) i 鴨 つく 島 に (n) i わ が ゐ ね し (s) i 妹 は 忘 れ じ (z)i よ う づよ ま で に (n)i
ヨー ロ ッパ や中 国 の詩 に 見 ら れ る よ う な 一拍 ず つに つ い て の脚 韻 を 活 用 し にく い。 旗 野 士良 は ﹃古 事 記 ﹄ の、
と いう 歌 を ﹁配 韻 珠 を 並 ぶ る が ご と し ﹂ と ほ め た 。 が 、 これ は 外 国 の詩 を 見 た 見 方 を 無 理 に あ て は め た の で は な
坂 は 照 る 照 る 鈴 鹿 は曇 る
あ い の土 山 雨 が 降 る
いか。 一般 の 日本 人 は、 一拍 分 が完 全 に同 じ 音 で、
のよ う に な って いな いと、 脚 韻 の おも し ろ さを 感 じ な い。
日本 の詩 歌 の形 式 で、 ︿七 五 調 ﹀ と か、 ︿五 七 調 ﹀ と か いう 音 数 律 が発 達 し て いる が 、 これ も 、 拍 が み な 同 じ 長
さ で単 純 だ か ら に ち が いな い。 た だ し 、 四 や 六 が え ら ば れ ず 五 と か 七 と か奇 数 が 多 く え ら ば れ た の は な ぜ か。 日
本 語 の拍 は 、 先 に の べた よ う に点 のよ う な 存 在 な の で、 二 拍 ず つが ひと ま と ま り にな る 傾 向 が あ る 。 そ う す る と
二 拍 か ら な る も のが 長 、 一拍 か ら な る も の が短 と 意 識 さ れ 、 そ う いう 長 と短 と の 組合 わ せ で詩 を 作 り出 そ う と す
る た め で あ ろ う 。 いわ ゆ る 都 々逸 の リ ズ ム が 、 単 な る 三 ・四 ・四 ・三 、 ⋮ ⋮ で な く て 、 一 ・二 ・二 ・二 、 二 ・
二 ・二 ・ 一、 ⋮ ⋮ と いう ふ う に、 一と 二 と の 組合 わ せ で 出 来 て いる のは 、 そ の現 わ れ に ち が いな い。
五 日 本 人 の音 感 覚
音 と意味
イ ェス ペ ル セ ン の ﹃言 語 ﹄ の中 の ﹁音 象 徴 ﹂ と いう 章 で 、 ど ん な 音 は 人 間 に ど ん な 印象 を 与 え る か に つ いて 、 各 言 語 を 通 じ て 一般 的 な 傾 向 が あ る と 述 べ て いる 。
glimme はr明.る gい l光 it をt 表eわrし 、 gloo はm暗 さ を 表 わ す 。
例 え ば i お よ び そ の系 統 の母 音 は 、 明 る さ を 表 わ す 語 に 用 いら れ、 uお よ び そ の系 統 の母 音 は 暗 さ を 表 わ す の に 用 いら れ る 傾 向 が あ る と いう 。 英 語 のgleam,
ド イ ツ語 のLich がt 光 を 表 わ す の に 対 し て、Dunke はl 反 対 の闇 を 表 わ す 。
ま た 母 音 i は、 小 さ い、 弱 いも の を 表 わ す のに 適 し て お り 、 英 語 のlit tl フr ラ, ン ス 語 のpetiイ t, タリ ア語 の Piccなoど lは o そ の例 と いう 。
glitte ⋮r ⋮,
glimmer
mash⋮ ,⋮ clash
flutter,
こ のよ う な 音 と 意 味 の関 係 に つ いて 、 英 語 に 関 し て は E ・H ・ジ ョー ダ ンが 多 く の例 を あ げ て お り 、 例 え ば 、
glは ︲光 に関 係 あ る 単 語 に 用 いら れ る 。 例︱ gleam,
次 の よ う な 傾 向 が 見 ら れ る と 言 う 。( ﹃日英語比較講座﹄)
︲ashは 急 激 な 、 激 し い動 作 の表 現 に 使 わ れ る 。 例︱dash,
︲erで終 る多 く の動 詞 は 、 繰 返 し て 行 わ れ る 、 リ ズ ミ カ ルな 動 作 を 示 す 。 例︱shimmer,
三味線 と 尺八 の譜
日本 人 の こ の よ う な 音 感 覚 を 一番 端 的 に表 わ し て いる のは 、 邦 楽 の ︿口三 味 線 ﹀ の 類 い であ る 。
長 唄 の三 味 線 で いう と 、 三 本 の糸 を ど こ も 指 で抑 え ず に 弾 く 場 合 、 高 い方 か ら テ ン、 ト ン ( 時 に テ ン)、 ド ン
( 時 にト ン) と い い、 も し 、 勘 所 を 抑 え て 高 い音 を 出 す 場 合 は 、 高 い糸 は チ ン、 中 間 の糸 と 低 い糸 は ツ ン であ る 。
flicker
こ れ を総合
す れば、 チ ンが最 も高 く、 テ ン が そ の 次 、 ト ン か 低 く 、 ツ ン は テ ン と ト ン の 中 間 ぐ ら い 、 そ し て ド ン
は最低 である。
ま た 、 尺 八 の 譜 は ロ が 一番 低 く ロ ツ レ チ リ ヒ と いう 音 で 、 順 次 高 い音 を 表 わ す 。 つま り 、 ロ レ リ と い う 関 係 、
あ る い は ツ チ と い う 順 序 で 、 i の 音 節 が 最 も 高 い 音 を 、 e ・ uは そ れ よ り 低 い 音 を 、o は 一番 低 い音 を 表 わ し て
( オ ) の母 音 は大
い る 。 要 す る に 母 音 で は i が 最 も 高 い 音 を 、 e ・ uが そ の 次 の 音 を 、o は 最 も 低 い 音 を 、 そ う し て 、 濁 音 は 清 音 よ り 低 い 音 を 、 ラ 行 音 は ツ ァ 行 音 よ り 低 い音 を 出 す と 言 え る 。
母 音 の感 じ
こ れ と 関 係 し て 、 擬 音 語 ・擬 態 語 と 呼 ば れ る も の が あ る 。 母 音 に つ い て 言 う と 、 た と え ば ア
き い も の 、 荒 い も の を 表 わ す 。 ﹁ザ ー ッと ﹂ ﹁ガ バ ッと ﹂ と か い う 場 合 に 調 和 す る 。 オ も こ れ に 準 じ る 。 イ の 母 音
﹁セ カ セ カ ﹂。 エ の 段 に 始 ま る 擬 態 語 に 、 ほ め る と き に
は 小 さ い感 じ で ﹁チ ビ ッと ﹂ ﹁チ ン マリ ﹂ と か い う の が あ る 。 エ に な る と 、 こ れ は ど う も 人 気 が な く 用 例 も 少 な い が 、 あ って も 品 の な い 感 じ を 与 え る 。 ﹁ヘナ ヘナ ﹂ と か 使 う 言 葉 はな か な か な い。
朝 鮮 語 は 日 本 語 に 近 い 言 語 だ け あ って 、 擬 態 語 ・擬 音 語 が 豊 富 で 、 音 の ち が い が 意 味 に 関 係 す る 点 も 似 て い る
が 、 梅 田 博 之 に よ る と 、 例 え ば aと〓 、 oと u の 間 に は 次 の よ う な 対 立 が あ る そ う で 、 日 本 語 の 清 音 と 濁 音 の
hw anha d ぱ っと 明 る い
対 立 を 思 わ せ る 。(﹃ 言 語 ﹄ 昭 和 五十 二年 九 月号 )
du〓du〓 比 較 的 大 き い重 いも の が浮 い て いる様 子
do〓do〓 比 較 的 小 さ く 軽 いも の が浮 い て い る様 子
hw〓nhada ぼ ん や り 明 る い
ア は 高 く 大 き く 、 イ は 細 く 鋭く 、 ウ は暗 く 鈍 く 、 エは 明 る く 平 た く 、 オ は 円 く て 重 い。
仏 文 学 者 の太 宰 施 門 は、 日本 語 の母 音 を 比 較 し て、 そ の感 じを 、
と 言 って い た そ う だ 。( 楳 垣実 ﹃日英 比較 表 現 論 ﹄) こ れ は 、 多 く の 人 の 共 感 を 得 そ う だ 。
一般 の 単 語 で も 、 形 容 詞 に は 、 量 の 小 さ さ を 表 わ す も の に 母 音 i を も った 拍 で は じ ま る も の が 目 立 ち 、 量 の 大
き さ を 表 わ す も の に は 母 音 oや aを も っ た 拍 で は じ ま る も の が 目 立 つ。 チ イ サ イ ・チ カ イ ・ヒ ク イ ・ミ ジ カ イ
⋮ ⋮ な ど は 前 者 の 例 、 オ ー キ イ ・ト ー イ ・タ カ イ ・ナ ガ イ な ど は 後 者 の 例 で あ る 。 太 宰 に ま ね て 、 子 音 の感 じ を 言 う な ら ば 、 こん な こ と にな ろ う か 。
カ 行 音 は 、 乾 いた 堅 い感 じ 、 サ 行 音 は 快 い、 時 に 湿 った 感 じ 、 タ 行 音 は 強く 、 男 性 的 な 感 じ 、 ナ 行 音 は ね ば
る 感 じ 、 ハ行 音 は 軽 く 、 抵 抗 感 の な い 感 じ 、 マ 行 音 は ま る く 、 女 性 的 な 感 じ 、 ヤ 行 音 は や わ ら か く 、 弱 い 感 じ 、 ワ 行 音 は も ろ く 、 こ わ れ や す い感 じ が あ る 。
清 音 と濁 音
日 本 語 の 子 音 で 重 要 な こ と は 、 カ 行 ・サ 行 ⋮ ⋮ の ち が い よ り も 清 音 と 濁 音 の 違 い で 効 果 が 違 う こ と で あ る 。 清
音 の方 は 、 小 さ く き れ い で速 い感 じ で、 コ ロ コ ロと 言 う と 、 ハス の葉 の上 を 水 玉 が こ ろ が る よ う な と き の形 容 で
あ る 。 ゴ ロ ゴ ロと 言 う と 、 大 き く 荒 く 遅 い 感 じ で 、 力 士 が 土 俵 の 上 で こ ろ が る 感 じ で あ る 。 キ ラ キ ラ と 言 う と 、
宝 石 の輝 き で あ る が、 ギ ラ ギ ラ と 言 う と、 マム シ の眼 玉 でも 光 って いる と き の形 容 に な る 。
一般 の 名 詞 ・形 容 詞 な ど で 、 一番 明 瞭 に 見 ら れ る も の は 清 濁 と き れ い き た な い の 関 係 で 、 和 語 で 濁 音 で は じ ま
た ち ま ち に 色 白 の ビ ハダ に な り ま す 。
る も の に は 、 ド ブ ・ビ リ ・ド ロ ・ゴ ミ ・ゲ タ 等 、 き た な ら し い 語 感 の も の が 多 い 。 い つ か ラ ジ オ の コ マ ー シ ャ ル で、
と いう のが あ った が 、 聞 いて い て、 肌 が ザ ラ ザ ラ にな り そ う だ と 言 った 入 が あ った 。 こん な こ と か ら 、 女 子 の 名
に 濁 音 で は じ ま る も の はき わ め て少 な く 、 た と え ば バ ラ は 美 し い花 と いう こ と にな って いる が 、 バ ラ 子 と いう 名 前 の女 の 子 は ま だ 聞 か な い。
が 、 科 学 的 に は そ う いう こと は 証 明 さ れ な い そ う で、 英 語 で は b で は じ ま る 言 葉 に、 bes とtか beautiとfか u良 l
日 本 人 は 、 こ の 濁 音 に対 す る 感 覚 が か な り 固 定 し て いる 。 濁 音 は本 来 き た な い音 と いう よ う に 思 いが ち であ る
い意 味 のも の が多 く 、 女 子 の名 前 な ど で も b で 始 ま る も の が いく つで も あ る 。 日 本 人 が 濁 音 を 嫌 う のも 語 頭 に来
る 場 合 だ け で 、 ﹁影 ﹂ と か ﹁風 ﹂ と か ﹁か ど ﹂ と か 、 語 頭 以 外 の位 置 に来 た も の に は 悪 い感 じ を も た な い。 これ
は 、 濁 音 で は じ ま る 言 葉 は 古 く 方 言 に のみ 見 ら れ 、 そ れ を 卑 し む 気 持 が 作 用 し た も の と 想 定 さ れ る 。
ャ レ ル ・チ ャチ ・チ ャ ンポ ンな ど 。 これ も 多 く は方 言 に使 わ れ て いた 音 だ った せ い であ ろ う 。
濁 音 で は じ ま る 単 語 の ほ か に 、 拗 音 の拍 か ら も 、 多 少 品位 の下 が った 感 じ を 受 け る。 シ ャブ ル ・シ ャ ベ ル ・シ
Ⅲ 語 彙 か ら 見 た 日 本 語
一 語彙 の数 と体 系
語彙 の多 さ
言 語 によ って 、 語 彙 の多 い言 語 と 少 な い言 語 と が あ る が、 日 本 語 は そ のど ち ら だ ろ う か 。
世 界 の各 国 語 を マ スタ ー す る 場 合 に、 一体 ど のく ら いの単 語 を 知 った ら い いか 。 岩 淵 悦 太 郎 の ﹃現 代 日本 語 ﹄
に よ る と 、 た と え ば 、 フ ラ ン ス語 は 一〇 〇 〇 語 を 覚 え る と、 日 常 の会 話 は 八 三 ・五 % が 理 解 でき る と いう 。 と こ
ろ が 、 日本 語 の方 は 一〇 〇 〇 語 を 覚 え ても 、 日常 会 話 は 六 〇 % し か 理 解 でき な い。 そ こ に 出 て いる 統 計 で 見 る と 、
日 本 語 は 英 語 や ス ペイ ン語 に 比 べ ても 、 た く さ ん の言 葉 を 覚 え な け れ ば な ら な い国 語 だ と いう こ と にな る 。 フ ラ
ン ス語 は 、 五 〇 〇 〇 語 の単 語を 覚 え る と 、 九 六 % 理 解 で き、 あ と 四 % だ け 辞 典 を 引 け ば よ い。 英 語 ・ス ペイ ン 語
も 大 体 同 じ よ う な も の であ る が 、 日本 語 は 九 六 % 理 解 す る た め に は 、 二 万 二 〇 〇 〇 語 の単 語 を 覚 え な け れ ば な ら な い、 と いう 数 字 が 出 て いる。
い つか E ・G ・サ イ デ ンス テ ッカ ー が 、 た と え ば 、 北 原 白 秋 や 萩 原 朔 太 郎 の短 歌 や 詩 には 、 ど の辞 書 に も 出 て
いな い単 語 が 使 わ れ て い る と 言 って 不 思議 が って いた 。 こ れ は 、 小 説 でも 同 じ こ と で 、 川 端 康 成 の ﹃ 伊 豆 の踊 り
子 ﹄ は 、 あ ま り 難 し い言 葉 は 出 て 来 な い作 品 と いう 印 象 を 受 け る が 、 は じ め の方 を 読 ん だ だ け で も 、 ﹁旅 馴 れ た ﹂
﹁風 呂敷 包 み﹂ ﹁四 十 女 ﹂ ﹁退 屈 凌 ぎ ﹂ ﹁菊 畑 ﹂ ﹁六 十 近 い﹂ ﹁花 見 時 分 ﹂ と いう よ う な 言 葉 が次 々に 出 てく る 。 こう
いう 日 本 語 は 、 ﹃広 辞 苑 ﹄ な ど に は見 出 し 語 と し て は出 て いな い。 外 国 の人 は 途 方 に く れ る かも し れ な い。
日本 語 は単 語 の数 が 非 常 に多 い のだ 。 一番 大 き な 国 語 辞 書 は 、 戦 前 に 平 凡 社 か ら 出 た ﹃ 大 辞典﹄ で、見出 し項
目 が 七 二万 語載 って いる。 も っとも こ の辞 書 に は ﹁久 方 の光 のど け き ⋮ ⋮ ﹂ と いう よ う な 短 歌 の類 いも 片 端 か ら
載 って いる から 、 七 二 万 が そ のま ま 日本 語 の語彙 の数 と いう わ け には いか な い が、 数 年 前 、 小 学 館 か ら 出 た ﹃日 本 国 語 大 辞 典 ﹄ で も 優 に 四 五 万 の語 句 が載 って いる 。
外 国 と 比 べ る と 、 ア メ リ カ の ウ ェブ ス タ ー は 六 〇 万 語 、 イ ギ リ ス の O E D は 五 〇 万 語 を 包 含 し て いる と いう 。
( 中野洋 ﹁単語 の数はど のく ら いあるか﹂、 ﹃ 新 日本 語講座﹄I所載 による。以下も同じ︶ そ う し て ソー ンダ イ ク の 調 査 では 、
英 語 の実 際 の語 彙 数 は 一〇 〇 〇 万 あ る だ ろう と いう 、 と て つも な い数 字 を 出 し て いる 。 辞 書 の二 〇 倍 だ 。 こ の割 合 で いく と 、 日本 語 も 相 当 な 数 にな り そ う だ 。
語彙 の多 い原因︵1︶
日 本 語 は な ぜ こ んな に 単 語 の数 が 多 いか 。 何 よ り 、 日本 人 の生 活 文 化 が 複 雑 な こと にも と づく 。 い つか ア メ リ
カ の ﹃リ ー ダ ー ズ ・ダ イ ジ ェスト ﹄ に出 て いた が 、 日 本 の女 性 は 世 界 で 一番 恵 ま れ た 女 性 だ そ う で あ る 。 と いう
の は ﹁デ パ ー ト ﹂ と 呼 ば れ ると こ ろ に行 く と 、 そ こ に は 世 界 各 地 の名 産 品 がす べて 取 り揃 え ら れ て あ って、 日 本
の女 性 た ち は、 そ れ を 手 に 取 って 眺 め 、 欲 し いも のを 買 う こ と が でき る 。 こと に驚 く べき は 食 堂 で 、 そ の調 理 場
は ごく 狭 い にも か か わ ら ず 、 そ こ で は 世 界 の各 国 の料 理 を 作 って お 客 に食 べさ せ る 、 と あ った 。
た し か に、 ア メ リ カあ た り の レ スト ラ ンに 入 って み る と 、 品 目 が 驚 く ほ ど 少 な い。 日本 人 のよ う に 、 朝 は パ ン
を 食 べて 家 を 出 、 昼 は チ ャー シ ュー メ ン です ま せ 、 夜 は 日 本 食 の刺 身 と 吸 物 で米 飯 を 食 べ る と いう よう な こ と は
他 に はな いか も し れ な い。 子 供 が生 ま れ た 時 に 神 社 へ参 り 、 結 婚 式 は 教 会 で や って 、 死 ん だ時 は お 寺 で お 経 を あ げ ても らう と いう よ う な の は 欧 米 人 の驚 き であ る 。
語彙 の多 い原 因(2)
し か し 、 日本 語 に語 彙 が 多 い原 因 は 、 日本 語 が 、 新 し い語 彙 を 作 り や す いか ら でも あ る 。 第 一に 、 外 国 語 を 取
り 入 れ や す い。 英 語 でも 、 フ ラ ン ス語 でも 、 似 た 発 音 を カ タ カ ナ で表 わ し 、 そ れ を 日 本 風 に読 め ば 、 そ れ が 日本
語 に な る 。 名 詞 は そ のま ま 使 え る し 、 動 詞な ら ば ス ルを 付 け 、 形 容 詞 な ら ば ナ を 付 け れ ば い い。 昔 は こ のよ う に
し て 、 中 国 語 を た く さ ん 日 本 語 の中 に取 り 入 れ た 。 ︿漢 語﹀ と いう も の の主 要 部 分 が それ であ る。
こう いう こ と は 、 ほ か の国 語 で は 必 ず しも 容 易 で は な い。 た と え ば エ ス ペ ラ ント 語 な ど は、 名 詞 はす べ て oで
終 ら な けれ ば いけ な いと いう わ け で、 新 し い語 を 取 り 入 れ にく い。 フ ラ ン ス語 や ド イ ツ語 は動 詞 の 形 が き ま って
いる の で、 そ の形 に合 わ せ な け れ ば いけ な い。 中 国 語 のよ う な 言 語 は 、 カ タ カ ナ が な く 、 漢 字 で外 国 語 を 表 記 し
よ う と す る が 、 漢 字 は 一つ 一つ意 味 を 持 って い る の で 、 そ れ が 邪 魔 にな って、 な か な か 新 し い語 を 表 記 し にく い。
コカ コー ラ を ﹁可 口 可 楽 ﹂ と表 記 し た よ う な の は 数 少 な い傑 作 の例 であ る が、 チ ョ コレ ー ト を ﹁巧 克 力 ﹂ と や っ
た のは 、 何 か 精 力 剤 の名 か と 思 う 。 結 局 、 漢 字 の表 意 性 に 目 を つ ぶ り、 も っぱ ら 表 音 性 を 利 用 し て、 中 国 語 に 訳 し て取 り 入 れ る こ と に な る が、 これ は多 少 め んど う だ 。
複合 語
日本 語 は 、 ま た 、 二 つの単 語 を 組 合 わ せ て 新 し い単 語 を 作 る こ と が容 易 で あ る 。 先 の ﹁旅 馴 れ る ﹂ ﹁風 呂 敷 包
み ﹂ な ど 、 す べ て そ のよ う に し て出 来 た 単 語 であ る が、 も し 、 ど こ に い る娘 と いう こ と が言 いた か った ら 、 ﹁町
娘 ﹂ ﹁村 娘 ﹂ ﹁東 京 娘 ﹂ ﹁大 阪 娘 ﹂ な ど と 簡 単 に 言 え る 。 そ こ で 育 った と い う 意 味 を 与 え た か った ら 、 ﹁町 育 ち ﹂
﹁村 育 ち ﹂ ﹁東 京 育 ち ﹂ ﹁大 阪 育 ち ﹂ ⋮ ⋮ こ れ ま た 自 由 で あ る。 ド イ ツ語 に は か な わ な い が、 こ の よ う な 自 由 さ で
は 英 語 や フ ラ ン ス語 よ り上 であ る。 こ と に ヨー ロ ッパ語 で 出 来 な い こと は 、 動 詞 と 動 詞 を 結 び 付 け る こ と で 、
咲き かける、咲き そろう、 咲き乱れ る
な ど 、 自 由 勝 手 であ る。 こ れ は中 国 語 で は 可 能 であ る が 、 朝 鮮 語 を は じ め と す る ほ か の東 ア ジ ア の言 語 に は で き な い言 語 が多 い。
大 頭 、 小 路 、 素 早 い、 薄 暗 い⋮ ⋮
も う 一つ、 日本 語 に は 接 頭 辞 と いう も の があ って、
の よう に し て新 し い単 語を 作 る 。 わ れ わ れ はあ ま り 気 に と め な いが 、 朝 鮮 語 を は じ め 、 いわ ゆ る ア ル タイ 諸 語 に
は ︿接 頭 辞 ﹀ がな い。 こ の こと か ら 、 村 山 七郎 は 、 日本 語 の成 立 に は 南 方 語 が 大 き く 影 響 し て いる と 論 じ て いる。
以 上 は 和 語 に お け る 造 語 の例 で あ る が、 これ が 漢 語 にな る と 、 一層 そ の力 は 偉 大 です さ ま じ い。 ﹁車 ﹂ と いう
字 ひ と つを も と に し て、 自 動 車 に 関 す る こ と ば が 幾 ら で も 作 れ る こ と は 前 に 述 べた 。
日本 が 明 治 維 新 のお り、 欧 米 の学 問 を 輸 入 し て 先 進 国 に 追 い つこ う と し た 時 、 欧 米 語 を 日本 語 に 訳 し て い った
が、 こ の時 は こ の方 式 が役 に 立 った こ と も 前 に 述 べた 。 イ ンド ネ シ ア あ た り も 、 盛 ん に 欧 米 の 術 語 を イ ンド ネ シ
ア語 に 訳 そ う と し て い る が 、 電 信 を ハリ ガ ネ ダ ヨリ と 訳 す よ う な 具合 で、 あ ま り は か ば か し く な いよ う で あ る 。
﹁一芸 入 試 ﹂︱
﹁短 答 反 応 ﹂︱
﹁国 捨 私 入﹂ ︱
﹁国 易 私 難 ﹂︱
ふ つう の入 試 と は 別 粋 で 論 文 入 試 を お こな う こ と
受 験 者 の応 答 が ﹁は い﹂ ﹁い いえ ﹂ 式 のも の
両 方 に 合 格 し た ら 、 国 立 大 学 を 捨 て て 私 立 大 学 に 入 る と いう こ と
私 立 大 学 の方 が 国 立 大 学 よ り 入試 が 難 し いと いう こと
漢 字 を 組 合 わ せ て新 し い漢 語 を 作 る こと は、 一般 人 の 間 でも 盛 ん で、
な ど と いう 言 葉 が、 ど ん ど ん 出 来 て いる そ う だ 。( 見坊豪紀など ﹃ 新 ことば のくず かご﹄)
さ て、 日 本 人 は こ のよ う な 複 合 語 を 、 戦 後 に欧 米 か ら 入 ってき た いわ ゆ る外 来 語 でも 作 ろ う と し て いる。 サ ラ
リ ー ・マ ン、 テー ブ ル ・ス ピ ー チ な ど は 特 に有 名 で 、 和 製 英 語 と 呼 ば れ て いる が 、 そ う いう 名 詞 だ け で は な く 、
﹁レ モ ン ・ ス カ ッ シ ュ、 ト マ ト ・ジ
動 詞 的 な 意 味 の 言 葉 も プ レ イ ・ボ ー ル 、 ゴ ー ル ・イ ン 、 コ ス ト ・ダ ウ ン 、 イ メ ー ジ ・ア ップ の よ う に 作 り 、 わ れ わ れ は ア メ リ カ で も 通 用 す る 英 語 か と 思 って し ま う 。 が 、 ア メ リ カ 人 の 中 に
ュー ス 、 チ ョ コ レ ー ト ・パ フ ェな ど は 、 わ れ わ れ 外 国 人 に と っ て 一番 難 し い 日 本 語 の 単 語 だ ﹂ と 言 った 人 が あ る 。 ( 見 坊 ﹃︿60年 代 ﹀ ことば のく ず か ご﹄)
﹁タ カ 勉 ﹂ と いう の も あ る そ う だ 。( 見坊 ﹃こと ば のく ず か ご ﹄)
﹁録 勉 ﹂、 電 話 で 友 人 か ら 聞 い て 勉 強
日 本 人 が 、 さ ら に 以 上 の よ う な 和 語 ・漢 語 ・洋 語 を 組 合 わ せ て 新 語 を 作 り 、 ﹁が り が り 勉 強 す る ﹂ を 詰 め て
﹁テ レ勉 ﹂、 点 取 り 虫 の 学 生 に た か っ て 勉 強 す る
﹁ガ リ 勉 ﹂ と や った の は 昔 か ら あ った が 、 近 ご ろ は 録 音 し て お い て 勉 強 す る す る
表現 は豊 か に
語 彙 の 数 が 多 い こ と は 、 表 現 が 豊 か に な る と いう こ と で 、 そ の 点 、 日 本 の 文 学 者 は 幸 せ で あ る と 言 って い い。
わ た く し 、 わ た し 、 あ た し 、 わ し 、 わ っち 、 お れ 、 僕 、 拙 者 、 身 ど も 、 そ れ が し 、 手 前 ど も ⋮ ⋮
英 語 な ら ば 、Ⅰ と し か 言 え な い と こ ろ を 、
妻 、 女 房 、 細 君 、 家 内 、 奥 さ ま 、 お か みさ ん 、 夫 人 、奥 方 、 や ま の か み 、 か あ ち ゃん ⋮ ⋮
の中 か ら意 に 適 う も のを 選 ぶ こ と が で き 、 英 語 の ワイ フに 当 る 言 葉 と し て、
な ど 、 いく ら でも あ る こと を作 家 は感 謝 し て い い。
こ う い う こ と か ら 、 ほ か の 国 で 言 え な い こ と が 日 本 語 で 言 え る と い う こ と は し ば し ば あ る 。 ﹁何 代 目 ﹂ ﹁ど こ ど
﹁浅 い ﹂ に あ た る 言 葉 が な く 、 ﹁ 浅 い﹂ と
﹁深 く な い ﹂ と 言 う 。 ま た 、 ﹁高 価 だ ﹂ と いう 言 葉 は あ る が 、 ﹁安 価 だ ﹂ と いう 単 語 は な く 、 そ う
﹁深 い ﹂ の 反 対 を 表 わ す
言 いた い時 に は
﹁高 価 で な い ﹂ と 言 う 。
こ﹂ と いう 例 は前 に あ げ た 。 フラ ン ス語 で は
言 い た い時 に は
ほし い単 語
日本 語 の厖 大 な 語 彙 層 を 誇 り た いが 、 そ れ で も こう いう 単 語 が あ つた ら と 思う こ と も あ る 。 英 語 のnothiやng
no bodyにあ た る 単 語 はな いが 、 こ れ は ま あ ﹁何 も な い﹂ ﹁誰 も いな い﹂ と 言 って す ま せ れ ば い い。 柳 田 国 男 は 生
前 ﹁日 本 語 は 形 容 詞 が 少 な い﹂ と 言 って いた が 、 た と え ば ﹁よ い匂 い がす る ﹂ と いう 形 容 詞 が ほ し い。 古 く は
﹁か ん ば し い﹂ があ った が 、 使 わ れ な く な って 久 し い。 ま た 、 漢 字 の ﹁速 ﹂ と ﹁早 ﹂ と を 二 つと も ハヤイ と いう
の は 不 都 合 で、 ﹁は や く 書 け ﹂ と 言 わ れ て 、 ﹁す ぐ に 書 け﹂ と いう 意 味 か 、 ﹁ス ピ ー デ ィー に 書 け﹂ と いう 意 味 か
わ か ら な い。 そ れ から 子 供 が成 長 す る のを ﹁大 き く な る ﹂ と 言 う が 、 こ れ は 体 格 が り っぱ に なっ た意 味 にも と れ る か ら 、 ﹁成 長 す る ﹂ に あ た る 身 近 な 和 語 が ほ し い。
語彙 は未 開人 の言 語 に多 い
と ころ で、 注 意 す べ き は 、 語 彙 の豊 富 な のは 、 文 明 国 の言 語 よ り も 、 後 進 民 族 の言 語 の性 格 だ と いわ れ て いる こ と であ る。
か つ て、 フラ ン ス の文 化 人 類 学 者 レ ヴ イ= ブ リ ュルは ﹃ 未 開 社 会 の 思 惟 ﹄ で、 南 ア フ リ カ の バ ヴ ェンダ 族 で は
と い った よ う な報 告 を し た 。
各 種 の雨 に そ れ ぞ れ 名 前 が あ る 。 彼 ら は各 種 の地 形 、 灌 木 、 草 木 の種 類 、 ど れ 一つと し て 名 前 を 持 た な いも のは な い︱
C ・レ ヴ ィ= スト ロー ス の ﹃野 生 の思 考 ﹄ に よ る と 、 フ ィ リ ピ ン に住 ん で いる ピ ナ ト ウボ 族 と いう 黒 人 の言 語
で は 、 男 は た い て い誰 で も 少 な く と も 植 物 四 五 〇 種 、 鳥 類 七 五 種 、 ヘビ ・昆 虫 ・魚 ・哺 乳 類 の ほ と ん ど す べて 、
さ ら に ア リ の種 類 二 〇 種 、 食 用 キ ノ コ の種 類 四 五 種 の名 称 を 言 う こ と が でき る、 と あ る。
こ の意 味 で は 、 日本 語 は 未 開 民 族 の言 語 と 似 て いそ う だ。 が 、 ま た考 え る べき こと があ る 。
広 い意 味 の言 葉
イ ェス ペ ル セ ン によ る と 、 未 開 人 の言 語 に は 、 単 語 の数 の多 いこ と の ほ か に 、 二 つ の特 色 があ る そ う だ 。 一つ
は 、 未 開人の 言 語 には 、 狭 い意 味 の言 葉 が た く さ ん あ る け れ ど も 、 そ れ を 総 括 す る 広 い意 味 の言 葉 が 不 足 し て い
る と いう こと であ る 。 た と え ば 、 彼 は オ ー スト ラ リ ア の 南 の島 タ ス マ ニア の部 族 の言 葉 の例 を 引 いて いる が 、 そ
の部 族 の言 語 に は 各 種 類 の ゴ ム の木 に そ れ ぞ れ 名 前 が あ る も の の、 ﹁木 ﹂ と いう 一般 的 な 意 味 を 表 わ す 単 語 は な い のだ そ う だ 。
﹁ほ か の人 の顔 を 洗 う ﹂ ﹁私 の着 物 を 洗 う ﹂ ⋮ ⋮ こ れ ら が みな そ れ ぞ れ 別 の単 語 に な って いる が 、 こ れ ら 全 部 を 総
同 じ よ う な 例 と し て、 ア メ リ カ イ ン デ ィア ン の言 語 の 一つ であ る チ ェ ロキ ー 語 は 、 た と え ば ﹁自 分 を 洗 う ﹂
括 し た ﹁洗 う ﹂ と いう 抽 象 的 な 単 語 がな い のだ そう だ 。 つま り 、 総 括 し た 広 い意 味 の言 葉 が な い。 こ れ が 未 開 人 の多 く の 言 語 に見 ら れ る こと だ と いう 。
日 本 語 を こ の点 で眺 め て みた ら ど う な る か 。 和 語 に 関 す る 限 り 、 古 い時 代 に は広 い意 味 の 言 葉 が 不 足 し て いた
よ う だ 。 た と え ば 、 狐 や 狼 を ひ っく る め た ﹁獣 ﹂ と か 、 あ る いは 、 烏 や 雀 を ひ っく る め た ﹁ 鳥 ﹂ と か いう 言 葉 は
った が 、 生 き も のと いう のは 植 物 を も ひ っく る め て いう と す れ ば 、 ﹁動 物 ﹂ と いう 単 語 は な か った こ と に な る 。
あ った 。 し か し 、 そ れ ら 全 体 を ひ っく る め て いう ﹁動 物 ﹂ と いう 言 葉 は あ った か。 ﹁生 き も の﹂ と いう 言 葉 は あ
﹁ 植 物 ﹂ の方 は ど う か 。 昔 ﹁草 木 ﹂ と いう 言 葉 が あ った け れ ど も 、 草 木 に 入 る の は 、 文 字 ど お り 草 と 木 だ け で、
キ ノ コと か 海 藻 と か いう も のは 入 ら な か った の では な いか 。 と す る と 、 や は り ﹁植 物 ﹂ にあ た る よ う な 総 括 的 な 言 葉 が な か った こ と にな る 。
そう いう わ け で 、 昔 は広 い意 味 の言 葉 は 少 な か った 。 た だ 、 日本 語 に は 、 ﹁生 き も の﹂ と いう 語 にも 含 ま れ て
い る が 、 ﹁も の﹂ と いう 言 葉 が あ った 。 こ れ は 非 常 に広 い意 味 を も って いた 。 ﹁こ と ﹂ も そ う で あ る 。 ﹁も の﹂ は
目 に見 え る 形 のあ る も の、 存 在 す べ てを 言 う し 、 ﹁こ と ﹂ と いう の は抽 象 的 に 考 え た 対 象 す べ てを 言 う わ け で あ
る か ら 、 ず いぶ ん 広 い意 味 を も って い る 。 こ の 二 つ の単 語 が 昔 か ら 日 本 語 に あ った と いう こ と は 、 和 辻 哲 郎 が
﹃ 続 日 本 精 神 史 研 究 ﹄ の中 でと り あ げ 、 日本 語 は 哲 学 的 な こ と を 考 え る 場 合 に非 常 に 有 利 で あ る 、 と 言 って いる 。
抽象 的 な意 味 の単語
イ ェス ペ ル セ ンは 、 も う 一つ、 未 開 人 の言 語 の特 色 は 、 以 上 あ げ た 総 括 的 な 意 味 の言 葉 がな い こと のほ か に、
抽 象 的 な 意 味 の単 語 が少 な いと いう こ と を 言 って い る。 ヴ ント の ﹃民 族 心 理 学 ﹄ に よ る と 、 ア フリ カ の南 の方 に
住 ん で いる 民 族 、 ブ ッシ ュマ ン の言 葉 では 、 ﹁彼 は 白 人 か ら親 切 にさ れ た ﹂ と いう のを 、 ﹁白 人 は 彼 に た ば こを 与
え る。 彼 は これ を 袋 に 詰 め て吸 う 。 白 人 は 彼 に 肉 を 与 え 、 彼 は こ れ を 食 し て 幸 福 であ る ﹂ と いう よ う に 、 具 体 的 な 表 現 で 言 う のだ そ う であ る 。
こ の点 、 日本 語 は ど う で あ る か。 今 の 日本 語 には も ち ろ ん 抽 象 的 な 表 現 が た く さ ん あ る が 、 し かし 昔 の和 語 の
体 系 は そ う で は な か った。 た と え ば ﹁こと ﹂ ﹁と き ﹂ ﹁ま こと ﹂ ﹁み さ を ﹂ な ど 、 抽 象 的 な 言 葉 も 幾 つかあ った が、
全 体 と し て は 少 な か った 。 そ の後 、 日 本 語 に 抽 象 的 な 表 現 が 生 ま れ た と いう の は 、 中 国 か ら 漢 語 が 入 ってき た お
蔭 で 、 ﹁運 ﹂ ﹁勘 ﹂ ﹁根 ﹂ あ る いは ﹁現 在 ﹂ ﹁過 去 ﹂ ﹁未 来 ﹂ あ る いは ﹁知 識 ﹂ ﹁自 然 ﹂ のよ う な た く さ ん の抽 象 的 な
言 い方 を 学 ん だ 。 さ ら に 、 明治 の は じ め に ヨー ロ ッパ 、 ア メ リ カ の文 化 に 接 し た と き に、 漢 字 を 組 合 わ せ て そ の
単 語 を 訳 し 、 抽 象 的 な 言 葉 を た く さ ん 作 った 。 ﹁主 義 ﹂ ﹁社 会 ﹂ ﹁科 学 ﹂ ﹁ 本 能 ﹂ ⋮ ⋮ と い った 言 葉 は そ う し て出 来
た わ け で、 そ れ 以 後 の 日 本 語 は そ う いう 点 では 、 抽 象 的 な 表 現 な ど た く さ ん あ り 、 ど ん な こ と でも 考 え る のに 不 自 由 が な いと 言 う こ と が でき る わ け であ る 。
語 の体系
ド イ ツ 語 は 日本 語 と 並 ん で、 あ る いは 恐 ら く 日本 語 以 上 に 多 く の 語彙 を 擁 す る 言 語 で あ る が、 羨 ま し い こと が
あ る。
そ れ は 単 語 と 単 語 と の関 係 が有 機 的 に出 来 て いて、 一つ の単 語 の意 味 を 理 解 す る と 、 芋 蔓 式 に た く さ ん の単 語
の意 味 が 理解 でき る こ と であ る 。 ﹁仕 事 ﹂ は ド イ ツ語 で はArbeiと tいう が、enを つけ てarbeiと t言 eう n と、 ﹁仕
事 を す る ﹂ と いう 動 詞 に な る 。 日本 では こ れを ﹁仕 事 ﹂ と は 全 然 似 も や ら ぬ 言 葉 で ﹁働 く ﹂ と 言 う 。 ドイ ツ語 に
はerが つく と ﹁人 ﹂ を 表 わ す と いう 規 則 があ る か ら、 ド イ ツ 語 で はArbeiと t言 er う と 、 ﹁働 く 人 ﹂ と な る 。 日 本
語 で は ﹁働 き 手 ﹂ と 言 わな い でも な い が、 ﹁労 働 者 ﹂ と いう 別 の言 葉 で 言 う のが 普 通 であ る 。Arbeを i与 tえ る 人
(geber)を 、 日本 語 で は ﹁雇 い主 ﹂ と 言 う が 、 ド イ ツ語 では そ のま ま 付 け てArbeitgと e言 bう e。 r 日本語 ではそ の 場 合 に 、 ﹁働 き 与 え ⋮ ⋮ ﹂ な ど と は 言 わ な い。
いな い言 語 だ 、 と いう 定 評 が あ る 。 例 え ば 、 ﹁息 子 ﹂ はson と いう が 、 ﹁息 子 の ﹂ ﹁子 ど も の﹂ と いう 意 味 の 形 容
ヨ ー ロ ッパ 語 の中 で、 フラ ン ス 語 は ド イ ツ語 と 同 じ よ う な かな り 組 織 立 った 言 語 であ る が、 英 語 は 組 織 立 って
詞 にな る と 、filと iい aう l別 の 形 に な る。sun は太 陽 であ る が 、 ﹁太 陽 の﹂ と いう 場 合 に はsola とr な る 。 これ は 、
形 容 詞 の方 は ラ テ ン系 の言 葉 を 使 う か ら で、 ち ょう ど 日本 で 和 語 と漢 語 を 使 い分 け て いる のと 同 じ よ う に、 英 語 で は本 来 の英 語 と ラ テ ン語 と を 使 い分 け て いる。
不合 理 な単 語
英 語 の中 に は 不 思議 な 単 語 が あ って、 全 く 同 じ で あ り な が ら 意 味 が 反 対 な も の があ る。 defe とaい tう 言 葉 は 、
﹁負 け る こと ﹂ と ﹁勝 つこ と ﹂ の両 方 の意 味 が あ る そう だ 。clea とvい eう 言 葉 を 辞 引 で 引 く と 、 ﹁割 れ る ﹂ と いう 意 味 と ﹁く っ つく ﹂ と いう 全 く 反 対 の意 味 に使 う と 書 い てあ る 。
ア ジ ア の言 語 で は、 中 国 語 は 、 外 来 語 が 少 な いと ころ から 、 か な り 体 系 的 な 言 語 であ る。 が 、 中 に は 、 英 語 に
見 ら れ る、 ま った く 同 じ 形 で正 反 対 の意 味 を も つ語 も な いで は な い。 例 え ば 、 中 国 語 で ﹁乱 臣 ﹂ と あ れ ば 、 普 通
には
﹁国 を 乱 す 臣 ﹂ と いう 意 味 で 、 ﹃ 孟 子﹄ で
武 王曰
﹁予 有
乱臣十人 一 ﹂
ころ が、 これ が、 ﹃ 論 語 ﹄ で、
﹁乱 臣 賊 子 ﹂ と い う と き は ま さ し く そ の 意 味 に 使 わ れ て い る 。 と
﹁買
こ のと き
﹁先 ﹂ と い う 言 葉 は 、 ﹁着 い て み る と 、 彼 は 先 に 来 て い た ﹂  ̄
と い う 時 に は 、 ﹁国 を 治 め る 忠 臣 ﹂ の 意 味 だ と い う か ら 奇 抜 だ 。 ま た 、 ﹁沽 ﹂ と いう 字 は 、 ﹁売 る ﹂ の 意 に も う ﹂ の意 に も 使 わ れ る 。 日本 語 に は こ の よ う な 例 は 数 多 く 、 た と え ば
こ の と き は 以 前 の こ と を 表 わ し て い る 。 と こ ろ が 、 ﹁着 い て か ら 先 の こ と は 、 ま だ 決 め て い な い ﹂ ︱
は 以 後 の こ と を 表 し て いる 。 ま た ﹁出 郷 ﹂ と いう 言 葉 を 辞 書 で 見 る と 、 (1﹁ ) 都 を 出 て 地 方 に行 く こ と ﹂、 (2﹁ ) 地 方 か ら 都 へ行 く こ と ﹂ と し て いる も のも あ る 。 こ れ で は意 味 が 全 然 反 対 だ 。
そ う か と 思 う と 、 打 消 し を し て も 意 味 が 変 わ ら な い例 が あ る 。 平 安 時 代 の ﹁お ぼ ろ げ な ら ず ﹂ と ﹁お ぼ ろ げ
に ﹂ と は 同 じ 意 味 で 、 こ の 言 葉 が 古 典 に 出 てく る と 、 注 釈 者 は 判 断 に 苦 し ん だ 。 現 在 の 日 本 語 に も そ う いう 例 が
あ る 。 た と え ば 、 ﹁と ん だ こと だ ﹂ と 言 う が、 ﹁と ん で も な い こ と だ ﹂ と いう 言 い方 も す る 。 ﹁と ん で も な い﹂ と
いう の は ﹁と ん だ ﹂ を 打 消 す か ら 反 対 に な って いそ う だ が 、 意 味 は 同 じ であ る 。 そ う いう 点 で は 、 日 本 語 は 論 理 的 では な い面 がた く さ ん あ る のか も し れな い。
形は 同 じ でも ⋮ ⋮
﹁フト ンを 敷 く ﹂ と いう 場 合 、 ザ ブ ト ン の 場 合 に は 、 そ の上 に 座 る こと で あ り 、 敷 蒲 団 の 場 合 に は 、 の べ ひ ろ げ
こ れ と 同 じ よ う な こ と な が ら 、 当 然 ち が った 言 い方 で表 わ す べき も のを 、 同 じ 動 詞 が表 わ す こ と が 少 な く な い。
る こ と であ る 。
も う 少 し 変 わ った例 と し て は 、 ﹁先 日 ﹂ ﹁先 年 ﹂ 対 ﹁先 月 ﹂ ﹁先 週 ﹂ の対 立 のよ う な も のも あ る 。 ﹁先 日﹂ ﹁先 年 ﹂
﹁直 前 の ﹂ の 意 味 で あ る 。 ﹁保 証 人 ﹂ は
﹁使 用 さ れ る 人 ﹂ で あ っ て 一貫 し て い な い 。 ﹁虎 狩 り ﹂ は
の 方 の ﹁先 ﹂ は 、 ﹁少 し 前 の ﹂ の 意 味 で あ り 、 ﹁先 月 ﹂ ﹁先 週 ﹂ の ﹁先 ﹂ は ﹁保 証 す る 人 ﹂ で あ る が 、 同 じ 構 造 を も つ ﹁使 用 人 ﹂ は
﹁さ
﹁三 回 忌 ﹂
虎 を 狩 る こ と だ が 、 ﹁鷹 狩 り ﹂ は 鷹 を 使 って 小 鳥 を 狩 る こ と だ 。 ユ ノ ミ は 茶 碗 の こ と で あ る が 、 サ ケ ノ ミ は
か ず き ﹂ の こ と で は な い 。 ﹁人 一倍 ﹂ の 一倍 が 二 倍 の 意 味 で あ る の が へ ん で あ れ ば 、 一周 忌 の 翌 年 に が 来 る のも 誤 解 を 起 こ す 。
語
二 語 彙 の構 成
和
日 本 語 の 語 彙 は 、 大 き く 見 て 、 和 語 と 漢 語 と 洋 語 、 お よ び そ れ ら の 混 成 語 の 四 つ に 分 け ら れ る 。 ︿和 語 ﹀ と は 、
生 粋 の 日 本 語 と 言 う べ き も の で 、 外 国 と 言 語 の 上 で の 交 渉 の 行 わ れ る 前 か ら 日 本 語 の 中 に あ った も の 、 お よ び そ
れ の変 形 、 組 合 わ せ、 ま た は そ れ に見 習 って新 造 し た 単 語 で あ る 。 あ め ( 雨 )・か ぜ (風 ) ・や ま (山 ) ・か わ ( 川 )・
ひ と (人 )・ い の ち ( 命 )、 あ る い は 、 ゆ ( 行 )く ・く ( 来 )る ・あ る ・な い ⋮ ⋮ な ど 、 言 葉 と 言 っ て ま ず 思 い浮 か ぶ 言
﹁あ お ば あ り が た は ね か く
葉 が そ れ で あ る 。 た だ し 、 発 音 は 昔 と ち が っ て い た も の も あ る は ず で 、 ﹁川 ﹂ は 、 古 く はk apa で あ り 、 ﹁命 ﹂ は 、
﹁か ﹂ ( 蚊 ) の よ う な 一拍 の も の か ら
し ﹂ (青 翅 蟻 形 隠 翅 虫 ) と い った 長 大 な も の に 及 び 、 中 に は 、 英 語 な ど で は 単 語 と し て 存 在 し な い ﹁あ お ぞ ら ﹂
古 く は 、inot でiあ った ろ う と 推 定 さ れ る 。 形 は
﹁あ き か ぜ ﹂ ﹁あ さ せ ﹂ ﹁あ さ つ ゆ ﹂ の よ う な 、 美 し いも の を 連 想 さ せ る 単 語 も 多 い。
品 詞 の 種 類 で いう と 、 名 詞 ・動 詞 ・形 容 詞 ⋮ ⋮ と い っ た す べ て の 品 詞 に わ た っ て 存 在 し 、 こ と に 、 助 詞 の よ う
な 付 属 語 と い わ れ る 単 語 は 、 す べ て 和 語 ば か り と 言 っ て よ い 。 動 詞 ・形 容 詞 の よ う な 言 葉 も 、 複 合 語 に は 、 漢 語
や 洋 語 に由 来 す る も の があ る が 、 そ れ でも ﹁⋮ ⋮す る ﹂ と か ﹁⋮ ⋮な ﹂ と か いう 語 尾 の部 分 は す べて 和 語 に由 来
す る 。 使 用 頻 度 数 か ら いく と、 名 詞 な ど で も 頻 度 の高 いも のは 和 語 が大 部 分 を 占 め る か ら 、 日常 の言 語 生 活 で も 、
は な は だ 重 要 な 部 分 を 占 め る。 これ ら は ま た 派 生 語 を 作 り、 複 合 語 を 作 る が、 和 語 の複 合 語 は は じ め て耳 に し て
も 、 そ の意 味 が 明瞭 であ る の が 特 徴 で あ り 、 長 所 であ る 。 先 の ﹁村 育 ち ﹂ ﹁町 娘 ﹂ な ど 、 いず れ も そ の例 だ。 意 味 が わ か り や す いた め に、 そ れ ら は 辞 書 に 掲 載 さ れ な いこ と が あ る。
野 球 用 語 で も 、 ﹁か ら 振 り ﹂ ﹁振 り に げ﹂ ﹁す べ り 込 み﹂ な ど 、 和 語 のも の は は な は だ 明 快 だ 。 た だ し 、 最 近 は
﹁お ち こ ぼれ ﹂ と か ﹁いじ め ﹂ と か 、 と かく あ ま り よ い意 味 でな いも の に和 語 が 多 く 使 わ れ る 傾 向 が あ る の は 残
念 だ 。 し か し 、 昭 和 四 十 年 代 ご ろ か ら 、 洗 濯 機 に ﹁う ず し お﹂、 扇 風 機 に ﹁ひな げ し ﹂、 テ レ ビ に ﹁いわ お ﹂、 ス
テ レオ に ﹁う た げ ﹂ な ど 、 洋 風 の器 械 類 に 和 語 の名 が つけ ら れ て いる のは 注 目 に 値 す る。
漢 語と 和製漢 語
次 に ︿漢 語 ﹀ は ︿字 音 語 ﹀ と も 言 い、 上 代 、 大 陸 と 交 際 が 開 け て 以 来 、 中 国 か ら 、 直 接 にま た は 間 接 に輸 入 さ
れ た 単 語 、 お よ び そ れ を ま ね し て 作 った 単 語 であ る 。 中 国 か ら 入 って 来 た 単 語 は す べ て漢 字 で書 か れ る 単 語 と し
て 入 って 来 た も の で 、 日本 で 生 ま れ た 漢 語 も 漢 字 を も と に し て 作 ら れ た 。 ﹁天 地 ﹂ と か ﹁太 陽 ﹂ と か、 あ る いは
﹁立 春 ﹂ と か ﹁風 雨 ﹂ と か いう の は 、 中 国 か ら 来 た オ ー ソ ド ック スな 漢 語 であ る 。 こ う いう も の は 、 中 国 で は 必
ず し も 単 語 では な いが 、 少 な く と も 中 国 人 に 意 義 が 通 じ る 単 語 であ る 。 こ れ に 対 し て、 ﹁油 断 ﹂ や ﹁怪 我 ﹂ な ど は 、 日本 で作 った 漢 語 で、 いわ ば ︿和 製 漢 語 ﹀ で あ る 。
中 国 か ら 来 た 漢 語 は も と も と 中 国 語 を ま ね し て 発 音 さ れ た も の で 、 昔 の中 国 語 そ のま ま だ った は ず であ る が 、
日 本 に渡 来 し て か ら 、 日本 化 し 、 ま た 日本 で ほ か の和 語 と 同 じ よ う に 変 化 し た の で、 今 で は 、 口 で 発 音 し た の で
は 多 く は中 国 人 に は 通 じ な く な って いる 。﹁豆腐 ﹂ や ﹁欄杆 ﹂ は そ のま ま 中 国 人 に 通 じ る 珍 し い例 だ 。 た だ し 、
漢 字 を 使 って 文 字 で書 け ば 通 じ る は ず であ る 。 中 に は 中 国 で は 古 語 にな って しま って いる も のも あ る が、 学 問 の あ る 人 は みな わ か る 。
漢 語 の構造
中 国 か ら 来 た漢 語 は、 語 の組 立 て が 中 国 式 に な って い て 、 日 本 語 と は 順 序 が 逆 に な って いる も のが あ る 。 ﹁立
春 ﹂ ﹁降 雨 ﹂ ﹁修 身 ﹂ ﹁建 国 ﹂ な ど は そ れ であ る が、 和 製 漢 語 は、 し ば し ば 日 本 語 流 に 語 を 重 ね て 作 る の で、 中 国
語 と は 逆 にな って い るも のが あ る 。 ﹁心 配 ﹂ や ﹁体 操 ﹂ は そ れ だ 。 中 に は 、 ﹁盲 導 犬 ﹂ の よう に、 中 国 人 が意 味 を 誤 解 し そ う な も のも あ る 。
し か し 、 中 に は 中 国 語 の語 順 に よ って作 った も のも あ る 。 ﹁革 命 ﹂ や ﹁断 交 ﹂ あ る いは ﹁不動 産 ﹂ ﹁非 現 実 ﹂ な
ど は こ れ だ 。 こ のよ う な 造 語 法 は、 戦 後 は、 ﹁脱 サ ラ ﹂ ﹁省 エネ ﹂ のよ う な 洋 語 を 一部 分 と し た 複 合 語 にも 及 ん で いる 。
和 製 漢 語 は 、 明 治 維 新 後 に 欧 米 の文 物 を 輸 入 し 、 ヨー ロ ッパ 系 の外 国 語 に接 し た 時 に たく さ ん で き た 。 ヨー ロ
ッパ 語 のま ま 取 り 入 れ た ので は わ か り にく く 、 と 言 って 、 和 語 に は 訳 し に く い。 と いう わ け で漢 字 の力 を 借 り て 、
漢 語 を 新 造 し た 。 ﹁哲 学 ﹂ ﹁科 学 ﹂ ﹁文 化 ﹂ ﹁社 会 ﹂ な どす べ て そう であ る 。 こ の傾 向 は 以 後 も つづき 、 ﹁映 画 ﹂ ﹁放
送 ﹂ な ど も す べ て 和 製 漢 語 で あ る 。 こ のよ う な 漢 語 は 朝 鮮 語 に輸 出 さ れ 、 ま た 、 中 国 に逆 輸 入 さ れ た も のも あ る 。
の数 を 遥 か に超 え て い る。 日 常 使 わ れ て いる単 語 の 延 べ総 数 で は 少 な いが 、 新 聞 そ の他 に 用 いら れ る も の は相 当
こ のよ う にし て 数 多 く の和 製 漢 語 が でき た こ と か ら 、 漢 語 の 数 は 非 常 に 多 い。 一般 の国 語 辞 典 を 見 る と 、 和 語
の数 に達 す る 。 こ れ は 、 朝 鮮 語 ・ヴ ェト ナ ム 語 そ の他 、 中 国 の 隣 り に位 置 し 、 中 国 文 化 の影 響 を 大 き く 受 けた 民 族 の言 語 に 共 通 の 性 質 であ る 。
漢 語 は 、 目 で見 れ ば 漢 字 に よ って そ の大 体 の意 味 は 見 当 が つく 。 た だ し 、 耳 に 聞 いた 時 に は そ う は いか な い。
漢 字 一字 の音 は 、 現在 では 数 が 限 ら れ て いる の で、 同 音 語 が 多 い こと 、 あ と に述 べる 。
漢語 と 日本人
一般 の 日本 人 は 、 漢 語 を 和 語 同 様 、 固有 の 日本 語 と 思 いこ ん で い る傾 向 が あ る 。 カ タ カ ナ の単 語 の排 撃 を 叫 ぶ
人 た ち も 、 漢 語 は 排 斥 す る のを 忘 れ て いた 。 第 二次 世 界 大 戦 末 期 の こ ろ 、 何 でも 外 来 語 は いけ な いと いう こ と で、
野 球 用 語 も スト ライ ク と か ボ ー ルと か は す べて 言 い換 え ら れ る 一幕 が あ った 。 スト ライ ク は ﹁よ し ﹂、 ワ ン ス ト
ラ イ ク は ﹁よ し 一本 ﹂、 三 振 を 取 れ ば ﹁三 振 、 そ れ ま で﹂、 ボ ー ル の方 は ジ ェス チ ュア に た よ って ﹁ひと つ﹂、 ア
ウ ト にな る と ﹁退 け﹂ と 言 え と 定 め た が、 こ の場 合 、 ﹁一本 ﹂ と いう よ う な の は漢 語 で あ る が 、 当 時 戦 火 を 交 え
て いた 中 国 か ら の外 来 語 であ る と いう こ と で咎 め ら れ る こと は な か った よ う だ った 。
し か し 、 和 語 と 漢 語 のち が いは 全 然 感 じ ら れ て いな いわ け で は な い。 接 頭 語 の ﹁お﹂ ﹁ご ﹂ を 付 け さ せ る と 、
和 語 の方 は ﹁お 望 み﹂ ﹁お 出 か け ﹂ ﹁お か わ り ﹂ ﹁お か げ ﹂ ⋮ ⋮ と 、 ﹁お ﹂ が つく が 、 漢 語 の方 は ﹁ご 希 望 ﹂ ﹁ご 旅
行 ﹂ ﹁ご 存 じ ﹂ ﹁ご 高 恩 ﹂ ⋮ ⋮ の よ う に ﹁ご ﹂ が つく 。 時 に は 、 ﹁お 辞 儀 ﹂ ﹁お 天気 ﹂ のよ う な 例 外 も あ る が、 か な り は っき り 分 か れ て いる と い って い い。
漢 語 は 中 国 文 化 に 対 す る 日本 人 の尊 崇 の気 持 か ら 、 和 語 よ り 一段 高 いも の と 見 ら れ て 来 た 。 そ の た め に、 今
日 ﹂ は ﹁き ょう ﹂ より 、 ﹁昨 日﹂ は ﹁き のう ﹂ よ り 格 が 上 と いう わ け で 、 ﹁今 日﹂ ﹁昨 日 ﹂ の方 は ﹁昨 日 は 参 り ま
せ ん でし た ﹂ と いう よ う な 丁 寧 体 の文 脈 専 用 だ った 。 ﹁昨 日 は 行 か な か った よ ﹂ のよ う な 文 脈 に は ﹁き のう ﹂ の
失 念 と いえ ば 聞 き よ い物 忘 れ
方 が 用 いら れ る 。 ﹁ち か め ﹂ と いう よ り ﹁近 眼 ﹂ の方 が、 言 わ れ ても 不 快 で は な いと いう よ う な のは そ の 伝 で、
と いう 川 柳 も こ の間 の 消息 を 物 語 る 。
洋
語
次 に ︿洋 語 ﹀ の方 は 、 一部 は戦 国 時 代 以 来 、 ポ ルト ガ ル語 ・ス ペイ ン語 ・オ ラ ンダ 語 か ら 、 大 部 分 は 明治 維 新
以 後 、 英 語 を は じ め と し て ド イ ツ語 ・フ ラ ン ス語 ・イ タ リ ア 語 ・ロシ ア 語 な ど か ら 多 く の 語 彙 が 入 って き た 。
︿外 来 語 ﹀ と 普 通 に 呼 ば れ て いる が、 漢 語 も 実 は 外 来 語 で あ る か ら 、 ﹁洋 語 ﹂ と 呼 ぶ 方 が 正 し い。
英 語 か ら 来 た も の は 、 中 でも そ の数 が最 も 多 く 、 明 治 の こ ろ は 新 し い機 械 ・道 具 類 、 社 会 制 度 の名 、 科 学 ・哲
学 上 の概 念 な ど の名 が 多 か った が 、 現 在 で は 諸 文 化 全般 に わ た って いる と 言 って い い。 戦 後 は ア メ リ カ か ら 入 っ
た 米 語 も あ り、 サ ッカ ー 、 カ ク テ ル、 ナ ンセ ン ス の よ う に、O を ア の音 で 発 音 す る こと です ぐ 分 か る 。
英 語 以 外 で 注 意 す べき も の に 、 フ ラ ン ス 語 か ら 入 って 来 た も の が あ る 。 芸 術 用 語 、 文 芸 用 語 、 料 理 用 語、 美
容 ・服 飾 用 語 に 多 い が、 ほ か に、 古 く は ゲ ー ト ル、 マ ント のよ う な 軍 隊 用 語 が少 し あ った 。 これ は、 江 戸 時 代 末
期 に、 徳 川 幕 府 が 、 フラ ン ス の軍 人 を や と って 軍 事 教 練 を や った か ら で 、 フ ラ ン ス語 を 直 訳 し た た め に、 号 令 に
は 、 ﹁回 れ右 ﹂ と か ﹁ 捧 げ 銃 ﹂ と か、 動 詞 を 先 に、 名 詞 を あ と に 言 う も の が 少 々あ り 、 こ れ が 一般 の用 語 と な っ た。
思 い つき︱ 着 想︱ ア イ デ ィア
回 り 道︱ 迂 回 路︱ バ イ パ ス
同 じ よ う な 意 味 を も つ和 語 ・漢 語 ・洋 語 を 比 べる と、 洋 語 が最 も 高 い程 度 のも の を さ す 傾 向 が あ る のは はず か し いこ と だ 。
や ど や︱ 旅 館︱ ホ テ ル
柴 田 武 の例 を 借 り れ ば、
取 り 消 し︱ 解 約︱ キ ャ ン セ ル
軽 業︱ 曲 芸︱ ア ク ロバ ット
こ ん な こ と か ら 、 ﹁誂え る﹂ は ﹁注 文 す る ﹂ を 通 って ﹁オ ー ダ ー す る ﹂ と な り 、 ﹁は じ ま る ﹂ は 、 ﹁開 始 す る ﹂ を 通 って ﹁オ ープ ンす る﹂ と な る 。
洋 語 は カ タ カ ナ で書 かれ る のを 原 則 と す る。 そ のた め に か な り の違 和 感 を も た れ る 。 和 語 ・漢 語 と ち が い、 は
じ め て 目 に し た も の が 、 意 味 が わ か ら な い こ と が 多 い。 漢 語 に和 製 漢 語 が 多 か った よ う に、 洋 語 にも ︿和 製 洋 語 ﹀ が こ と に 近 ご ろ は 多 く 生ま れ て いる こ と 、 前 に 述 べ た。
混種 語
以 上 に述 べた 和 語 ・漢 語 ・洋 語 は 、 日本 語 の語 彙 を 構 成 す る 三 要 素 で 、 これ ら の比 率 に つ いて は 前 に紹 介 し た
が 、 時 に は こ れ ら が組 合 わ せら れ て 一語 を 作 る こ と も あ る 。 和 語 と 漢 語 の 組 合 わ せ は こ と に多 く 、 ﹁重 箱 ﹂ ﹁縁
組 ﹂ ﹁手 数 ﹂ ﹁結 納 ﹂ な ど いず れ も そ の例 で 、 一般 の 人 は そ の 不 調 和 を 感 じ な いほ ど であ る 。 ﹁重 箱 ﹂ ﹁縁 組 ﹂ のよ
う に漢︱ 和 の構 成 のも のを ︿重 箱 読 み﹀ の 単 語 と い い、 ﹁手 数 ﹂ ﹁結 納 ﹂ のよ う に 和 ︱ 漢 の複 合 語 を ︿湯 桶 読 み ﹀
の単 語 と いう 。 ﹁花 形 ス タ ー﹂ は 和 語 と 洋 語 の複 合 語 、 ﹁シ ャ ン ソ ン歌 手 ﹂ は 洋 語 と 漢 語 の複 合 語 、 ﹁貸 し ボ ー ト 業 ﹂ と な る と、 和 語 と 洋 語 と 漢 語 の複 合 語 だ 。
三 単 語 の 形 態
表 記 の不安 定さ
日本 語 の単 語 を 形 態 の面 か ら 眺 め る 時 、 ま ず 第 一の特 色 は 、 一定 の形 を も た ず 、 不 安 定 だ と いう こ と で あ る 。
こ れ は 、 日 本 人 はあ ま り意 識 し て いな い。 気 付 く のは 外 国 人 、 こ と に 欧 米 人 で、 日本 語 を 勉 強 し た 欧 米 人 は 、 こ
れ を 知 る と 、 ま ず び っく り し 、 次 に 不 安 感 を いだ き 、 不快 に な る 人 が 多 いよ う だ 。
これ はま ず 表 記 に 問 題 があ り 、 ﹁ひ と ﹂ と いう 単 語 は 、 ﹁人 ﹂ と 書 い ても 、 ﹁ひ と ﹂ と 書 いて も 、 ﹁ヒト ﹂ と 書 い て も 、 ど れ も 誤 り と さ れ な い。 漱 石 の ﹃坊 っち ゃん ﹄ に、
靴 足 袋 も も ら った。 鉛 筆 も 貰 った 。 帳 面 も 貰 った 。
と いう と こ ろ が あ る が 、 な ぜ 一度 は 仮 名 で書 き 、 二度 は 漢 字 で書 いた か と 問 わ れ た ら 漱 石 は 困 った ろう 。
し か し 、 不 安 定 な 語 が 多 いと いう 特 徴 を 、 日本 人 は 時 に利 用す る こ と が あ る 。 上 田 敏 が カ ー ル ・ブ ッセ の詩 を 訳 し た ﹁山 のあ な た ﹂ は 、
山 のあ な た にな ほ 遠 く
涙 さ し ぐ み か へり き ぬ
噫我 ひとと尋 めゆき て
﹁幸 ﹂ 住 む と 人 の い ふ
山 のあ な た の空 遠 く
﹁幸 ﹂ 住 む と 人 の いふ
と な って い て、 第 二 行 と 第 六 行 の ヒト は 漢 字 で書 か れ て いる が、 第 三 行 の ヒ ト は 仮 名 で書 か れ て いる 。 こ れ は 漢
字 で書 いた ヒト は 世 間 一般 の人 を 表 わ し 、 仮 名 で 書 いた ヒ ト は 、 自 分 の意 中 の人 、 自 分 と 同 じ 心 の人 を 表 わ し た 。 つま り 、 二 つの ヒ ト が別 のヒ ト であ る こ と を あ ら わ し た も のと 解 さ れ る 。
さ ら に 終 戦 前 に は 特 に 多 か った が 、 人 に よ って は 、 ﹁他 人 ﹂ と 書 いて ﹁ひ と ﹂ と ふ り 仮 名 を し た り、 女 人 と 書
いて ﹁ひと ﹂ と ふ り 仮 名 を し た り し た が 、 そ れ も 誤 り と は さ れ な か った 。 終 戦 後 、 ︿同 じ 語 は 、 同 じ 形 で﹀ と い
う 精 神 が 強 く な った の は け っこう な こと だ った 。 た だ し 、 こ の種 の表 記 の 不 安 定 は、 漢 字 と 仮 名 と を ま ぜ て 表 記
す る 場 合 に はま だ ま だ な く な って は いな い。 ﹁あ き ら か に﹂ と いう こ と ば が ﹁明 き ら か に ﹂ ﹁明 ら か に﹂ ﹁明 か に ﹂ の 三 通 り が通 用 し 、 さ ら に ﹁明 に﹂ と 書 か れ る こと も な い で はな い。
発音 の不安 定 さ
と ころ で、 日 本 語 の単 語 は、 表 記 文 字 が ひと 通 り でな いだ け でな く 、 発 音 で も 二種 類 以 上 のち が った 発 音 を も
つも のが 多 い。 そ れ も 激 し いち が いを も った 語 が多 い。 そ れ は 、 漢 字 で 書 か れ た 単 語 を 音 読 みし て も 訓 読 み し て
も い いと いう と こ ろ か ら 来 る こ と で、 戦 後 は 、 な る べく 一つ の語 形 は 一つの読 み 方 と いう 方 針 が立 て ら れ た が 、
そ れ でも ﹁春 秋 二 期 ﹂ と あ る ﹁春 秋 ﹂ の部 分 は ハル ア キ と 読 ん で も シ ュ ンジ ュー と 読 ん でも よ さ そ う で あ る 。
haruaとksiyunzy でu はu全 然 共 通 点 が な く 、 こう いう こ と は 世 界 に 類 が な い。 同 じ 字 に ち が った 訓 が つ い て い る
場 合 も ず いぶ ん ち が った 音 に な る わ け で、 ﹁心 の中 で ﹂ と あ った 場 合 、 ﹁心 のナ カ で﹂ ﹁心 のウ チ で﹂ ど っち に 読 ん で も 同 じ意 味 で、 少 な く と も 戦前 は ど っち も 間 違 い で はな か った 。
人 間 の姓 名 でさ え 訓 読 み ・音 読 みど ち ら も 通 用 し て い る こ と は 、 外 国 人 を こ と に驚 かす よ う で 、 菊 池 寛 の名 前
が ヒ ロシ でも い い、 カ ン でも い い、 川 端 康 成 の名 が ヤ スナ リ で も い い、 コー ゼイ でも い い、 と いう よ う な こと は 本 当 と は 信 じ ら れ な いら し い。
難し い略 語
﹁ワセ ダ 大 学 ﹂ が 略 称 で ソ ー大 と な り 、 ﹁外 国 カ ワ セ﹂ が 外 タ メ と な り 、 ﹁ラ ク ゴ 研 究 会 ﹂ が 略 さ れ て オ チ 研 と な
る 理 由 も 、 ち ょ っと 理 解 が難 し か ろ う 。 株 式 用 語 のオ ー テ ボ ー と いう のは ﹁大 手 亡 ﹂ と書 き 、 こ れ が ﹁大 型 の手 な し 隠 元 豆﹂ の こと だ と は 、 日本 人 でも ち ょ っと 解 し にく い。
発 音 の 中 で 特 に ゆ れ の 大 き い の は ア ク セ ント であ る 。 標 準 ア ク セ ント と 言 わ れ て いる も のだ け を と って も 、
﹁電 車 ﹂ は デ ンシ ャ ・デ ンシ ャ の 二 様 、 ﹁映 画 ﹂ は エイ ガ ・エ イガ の 二様 の ア ク セ ント を 有 す る 。 多 少 耳 遠 い単 語
で は 、 ゆ れ が さ ら に は な は だ し く 、 ﹁あ り か﹂ は アリ カ ・ア リ カ ・ア リ カ の三 種 の ア ク セ ント を 有 す る。 これ は 、
あ り う る す べて の型 で 発 音 さ れ う る の で、 こう な る と ア ク セ ント がき ま って いな いと いう のと 同 じ よ う な 結 果 に
な る。
単 語 の長 さ
日 本 語 の 単 語 の 形 態 で 、 二 番 目 に 注 意 す る こ と は 、 第 Ⅱ 章 で ち ょ っと 触 れ か け た が 、 日 本 語 の 単 語 は 、 し ば し
︿単 音 節 の 言
ば 拍 数 が 多 く 、 長 大 で 非 能 率 的 だ と い う こ と で あ る 。 英 語 でⅠ と 一拍 で 済 む と こ ろ が 、 日 本 語 で は 、 ワ タ ク シ と 四拍 になる。
単 語 が 短 く て 有 名 な の は 、 中 国 語 ・ア ンナ ン 語 ・タ イ 語 、 ビ ル マ 語 ・チ ベ ット 語 な ど 、 い わ ゆ る
語 ﹀ と 称 せ ら れ る 、 一群 の 東 南 ア ジ ア の 言 語 で 、 単 語 は 原 則 と し て 一拍 で あ る 。 日 本 語 で 言 え ば 、 ﹁歯 ﹂ と か
﹃風 と 共
﹃飄﹄ と 訳 さ れ た そ う で あ る が 、 さ す が 単 音 節 の 言 語 で あ る 。 ヨ ー ロ ッ パ 語 で は 、 英 語
﹁単 音 節 の 言 語 ﹂ と い う 名 は あ た ら な い が 、 そ れ で も 一拍 の 語 は 多 い 。 ア メ リ カ の 小 説
﹁眼 ﹂ と か い う よ う な も の だ 。 現 在 の 中 国 語 で は 、 二 拍 の 単 語 が 多 く 、 ﹁太 陽 ﹂ (‖日 )、 ﹁月 亮 ﹂ (‖月 ) な ど が そ の例 で あ る か ら に去 り ぬ ﹄ の題 が 、 た だ
( 埼 玉 )、
松 下 大 三 郎 に よ って
( 在 宅 )、 さ い た ま
( 財 団)⋮ ⋮
( 採 択 )、 ざ い た く (祭 壇 )、 ざ い だ ん
( 最 大 )、 さ い た く ( 最 短 )、 さ い だ ん
﹁さ ﹂ の ペ ー ジ を 開 い て み る と 、
slep とtい .う " 一拍 の 語 、 二 個 で 訳 し て 評 判 に な った 。
が 一拍 の 単 語 が 多 く て 有 名 で あ る 。 日 本 の ﹃源 氏 物 語 ﹄ を A ・ウ ェー リ ー が 英 語 に 訳 し た 時 、 ﹁み か ど は お ほ と の ご も り ぬ ﹂ と い う の を 、"He
四拍 語 が 多 い
( 最 た る )、 さ い た ん
サ イ ダ ー 、 さ い た い (妻 帯 )、 さ い だ い
日 本 語 は 、 こ れ ら に 対 し て 四 拍 の 単 語 が 多 い こ と が 目 立 つ。 例 え ば 辞 書 で
さ いた る
実 に 見 事 な も の で、 世 界 の奇 観 で あ ろ う 。 こ れ は 日 本 語 の意 味 を も った 最 小 の 語 形 ︱
︿原 辞 ﹀ と 言 わ れ るも のが 、 ヤ マ ・カ ワ の よ う に 多 く 二 拍 で出 来 て お り、 そ れ が 二 つ組 合 わ せ ら れ て 出 来 た 単 語
が 多 い から で あ る 。 そ う し て右 に 見 ら れ る よ う に、 漢 語 のも のが こ と に 多 く 、 漢 語 は お そ ら く 全 体 の半 分 以 上 が 四 拍 語 であ ろ う 。
略 語 も 四拍 語 に
日本 人 は 、 こ の四 拍 の形 に何 か 落 ち 付 き を 感 じ て 特 に好 む よ う な 傾 向 が あ る よ う だ 。 長 い言 葉 を 短 く 言 う 場 合 、
東 京 大 学 ← ト ー ダ イ 、 卒 業 論 文 ← ソ ツ ロ ン 、 天 ぷ ら 丼 ← テ ン ド ン 、 原 子 力 発 電 ← ゲ ン パ ツ、 重 要 文 化 財 ← ジ
四拍 に ち ぢ め る こと が 多 い。 例 え ば 、
(靴 )、 バ ス 停
(留 所 )、 イ ン テ リ
(ゲ ン チ ャ )、 マ ス コ ミ
(ユ ニ ケ ー シ ョ ン )
( 萱 草 の 異 名 )、 サ シ モ グ サ
﹁売 春
ュウ ブ ン 、 懐 か し の メ ロ デ ィ ー ← ナ ツ メ ロ、 パ ー ソ ナ ル ・ コ ン ピ ュー タ ← パ ソ コ ン、 マ ザ ー ・コ ンプ レ ッ ク ス← マザ コ ン ⋮ ⋮
ゴ ム長
な ど いく ら で も あ る。
の よ う な 、 あ と の部 分 を 略 し た も のも あ る 。
(菊 の 異 名 )、 ワ ス レ グ サ
(ヨ モ ギ の 異
渋 沢 秀 雄 に よ る と 、 い つ か政 府 の売 春 問 題 審 議 会 の メ ンバ ー が 料 理 屋 で会 合 を し た と こ ろ 、 女 中 さ ん が さ ん 、 至 急 電 話 口 ま で ⋮ ⋮ ﹂ と 呼 ぶ の で 苦 笑 い だ った そ う だ 。
( 牡 丹 の 異 名 )、 オ キ ナ グ サ
そ れ か ら も う 一 つ、 日 本 人 は 花 の 美 称 な ど に 五 拍 の 名 を 付 け る 傾 向 が あ り 、 ハツ カ グ サ 名)
な ど 、 そ れ で あ る が 、 和 菓 子 の 名 の キ ョ ウ ガ ノ コ ・タ マ ツ バ キ な ど も そ れ で 、 こ れ は 相 撲 取 り の チ ヨ ノ フ ジ ・フ
タ ハグ ロや 、 米 の 銘 柄 の サ サ ニ シ キ ・ コ シ ヒ カ リ に 及 ぶ 。 こ れ は 、 ち ょ っと し た 詩 の 一句 を 作 る 気 持 で あ る 。
長 大な 単語
Llanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwllllantysiliogogogogh
さ て 、 長 い単 語 と し て、 有 名 な の は 、 イ ギ リ ス の ウ ェー ルズ に あ る 駅 名 、 だ った が 、 駅 がな く な った のは 残 念 だ 。
日本 語 では 、 日本 国 家 の古 い名 前 は 、 ト ヨア シ ハラ ノ チ イ ホ ア キ ノ ナ ガイ ホ アキ ノ ミ ヅ ホ ノ ク ニで、 伝 説 に よ
る と 、 天 皇 家 の先 祖 に は、 ア メ ニギ シ クニニ ギ シ ア マ ツヒ タ カ ヒ コホ ノ ニ ニギ ノ ミ コト と いう 人 が いた と いう 。 日本 語 は 拍 の種 類 が 少 な い の で、 と か く 長 大 な 単 語 が 生 ま れ や す い。
禁 酒運動撲滅 対策委員 会設立阻 止同盟反対 協議会
現 代 語 で長 いの は 、 斎 賀 秀夫 が見 付 け た 、
で、 こ う な る と 、 こ の協 議 会 は 禁 酒 運動 に賛 成 な の か反 対 な の か 、 ち ょ っと わ か り に く い。 固有 名 詞 でな く 、 一
塩 酸 パ ラ ア ミ ノ ベ ンゾ イ ル= ジ= エチ ル= ア ミ ノ= エタ ノ ー ル
般名 詞では、
と いう のが あ る。 これ は、 商 品 名 で ノ ボ カ イ ンと 呼 ば れ る 薬 品 の 正 式 名 称 だ と いう 。
ヨ ー ロ ッパ で は 、 長 い単 語 の多 い言 語 は ロシ ア 語 と ド イ ツ語 が有 名 であ る 。 ロシ ア 語 は 、 ち ょ っと 本 を 開 け ば、
in et rnatsiona( l 国i際 z化 iす rる ov )a とtか’、chelovekonenav ( 人 i間 s嫌 ti いc )h とeか sい tう vo 言 葉 が 、 す ぐ 目 に 入 る。
Telephonnummerauskunftsstelle
ド イ ツ語 では 、 ﹁電 話 番 号 案 内 所 ﹂ と いう のは
と いう そ う だ 。 ド イ ツ語 は 、 単 語 を ど ん ど ん く っ付 け て 一語 に し て し ま う か ら で、 ﹁九 九 九 九 万 九 九 九 九 ﹂ な ど も 、 滅 法 長 い単 語 に な る。
イ ェス ペ ル セ ンは 、 サ ン スク リ ット 語 や ゼ ンド 語 (=古 代 ペ ル シ ャ語 ) 等 の古 代 語 に は 、 非 常 に長 い単 語 が多
い、 昔 に さ か の ぼ れ ば さ か の ぼ る ほ ど バカ 長 い語 の数 が 多 く な る 、 と 言 って いる。( ﹃言語﹄) 英 語 の hadは 、 ゴ ー
ト 語 のhabaidedにe相i当 mす a る と いう 。 そ う し て 長 い不 器 用 な 単 語 は、 野 蛮 の指 標 と 考 え る べき も のだ と 論 じ て い る。
同音 語 の多 さ
次 に 日本 語 の単 語 は 、 形 の上 から 見 て同 音 語 の多 いこ と が 有 名 で あ る 。 短 く 言 おう と す る と ど う し て も こう な
る の で 、 国 立 国 語 研 究 所 か ら ﹃﹁同 音 語 ﹂ の研 究 ﹄ と いう 出 版 物 が 公 刊 さ れ て い る が 、 こ う いう 出 版 物 が 出 る 国
は 珍 し か ろ う 。 こ と に漢 語 に そ れ が 多 く 、 国 語 辞 典 を ぱ ら ぱ ら め く って み る と 、 キ カ ンと か コー セイ と か いう 項
目 に は お び た だ し い数 の同 音 語 が 並 ん で いる 。 職 業 名 で セ イ カ ギ ョー と 呼 ば れ る も の が 、 ﹁製 菓 業 ﹂ ﹁製 靴 業 ﹂
﹁青 果 業 ﹂ ﹁生 花 業 ﹂ と 四 つあ る 。 憲 法 の ゼ ンブ ンと いう と 、 ﹁全 文 ﹂ か ﹁前 文 ﹂ か わ か り に く い。 ﹁令 閨 ﹂ と ﹁令
兄 ﹂ は 同 じ 文 脈 に 現 わ れ、 と り ち がえ や す い。 ﹁礼 遇 ﹂ と ﹁冷 遇 ﹂、 ﹁不動 ﹂ と ﹁浮 動 ﹂ に 至 って は 、 意 味 が 反 対 に な る。
も っと も こ のよ う な 同 音 語 が 多 いこ と で は、 上 に は上 が あ って 、 中 国 語 や タ イ 語 は 日本 語 以 上 であ る 。 中 国 語
mai(木 )mai( 新 し い)mai(∼ な い)mai( 燃え )
や タ イ 語 は 、 同 音 語 だ け で 簡 単 に 一つ のセ ンテ ン ス が で き る から す さ ま じ い。 タ イ 語 の例 で、
と いう と ﹁新 し い木 は 燃 え な い﹂ と いう 意 味 の諺 にな る そ う だ 。 橋 本 万 太 郎 に よ る と 、 中 国 語 で、 ﹁詩 人 の石 室
shishi
shishi
shi-shi,
shi
shi⋮,shi
shi
shi
shi.shi
shishi
さ ん は 姓 を ﹃施 ﹄ と いう が 、 シ シ が大 好 き で、 シ シ を 十 頭 食 べ て み せ る こ と を 誓 った ﹂ と いう 意 味 の こ と を 、
と いう よう に 、shば iか り で 言 え る そ う だ 。 日 本 語 で 作 った ら 、 ﹁貴 社 の記 者 は 汽 車 で 帰 社 す る ﹂、 あ る いは ﹁歯 科 医 師 会 司 会 ﹂ と で も いう こ と にな る 。
shi
sh
同 音 語 は、 し か し 、 し ば し ば 行 き ち が い のも と にな る 。 西 南 の乱 は 、 薩 摩 の電 報 局 長 が、 中 央 政 府 か ら 薩 摩 に
派 遣 さ れ て いた 警 部 あ て の電 報 文 を 誤 読 し た こ と か ら 起 こ った と 聞 く 。 警 部 は 鹿 児島 の私 学 を 視 察 し て いた が、
中 央 政 府 は そ れ に あ て 、 シ サ ツ ヲオ エタ ラ カ エ レと 打 電 し た 。 そ れ を 西 郷 び いき の電 報 局 が ﹁刺 殺 ﹂ と 誤 読 し た こ と か ら 起 こ った と いう の であ る。
四 自 然 関 係 の語 彙
一 気 象 ・季 節 を 表 わ す 言 葉 日本 人と 天候
日本 語 に は自 然 を 表 わす 語 彙 が 多 いと いう の が定 評 で あ る が、 これ は 日 本 の自 然 が 変 化 に富 ん で いる こと と 、 も う 一つ 日本 人 が 自 然 に 親 し み、 強 い関 心を も って来 た こと を 意 味 す る。
玉村 文 郎 に 発 表 があ った が、 ﹁月 ﹂ と いう と 、 日 本 人 は ﹁雲 ﹂ や ﹁芒 ﹂ や ﹁三 日 月 ﹂ の よ う な も のを 連 想 す る
が、 英 語 系 の人 は ま ず 、 ﹁探 険 ﹂ と いう 言 葉 を 連 想 す る のだ そう だ 。( ﹃言語生活﹄ 昭和五十年 一月号) アメ リカ人 に
と って は 、 ピ ュー リ タ ン の 時 代 か らwildnは e人 s間 s の支 配 の及 ば な い悪 魔 の住 み 家 で あ って、 彼 ら はciviさ lize
れ たgardを en 善 し と し た と いう 。 そ の点 、 自 然 の ふ と こ ろ に 抱 か れ て 生 活 す る こ と を 理 想 と し た 日本 人 は 大 い にち が う 。
和 辻 哲 郎 は、 名 著 ﹃風 土 ﹄ の中 で 、 日本 の環 境 を ︿モ ン ス ー ン地 帯 ﹀ と 呼 ん だ が、 これ は 四 季 を 通 じ て さ ま ざ
ま のも の が空 か ら 降 って来 る 地 帯 を 意 味 す る 。 日本 は い つ雨 が降 ってく る か わ か ら な い。 日本 人 は 、 そ のた め に
毎 日 天 候 を 大 変 気 にし て 生 活 し て い る が 、 南 米 の ペ ルー あ た り で は 、 ﹁天 気 予 報 ﹂ な ど と いう も の は な い。 雨 は
降 ら な いに き ま って いる か ら だ 。 日本 人 ど う し が 逢 う と 、 ま ず 、 天候 の こと を 述 べ て あ いさ つす る こ と が 外 国 人
shelter
に し ば し ば 不 思 議 が ら れ る が 、 日記 帳 も 、 何 月 何 日 、 何 曜 日 、 と あ る そ の 下 に ﹁晴 ﹂ と か ﹁雨 ﹂ と か 書 く の が 普
本 日 は 晴 天 な り 、 本 日 は晴 天 な り ⋮ ⋮
通 であ り、 これ が 子 供 の夏 休 み の宿 題 帳 に 及 ぶ。 マイ ク ロ フ ォ ンの 試 験 に、 と 、 天 候 の こと を 言 って いる のも 、 いか に も 日本 的 であ る。
雨 に関す る語彙
そ う いう こ と か ら 雨 の種 類 を 表 わ す 単 語 が多 い のは 当 然 で 、 ﹁春 雨 ﹂ ﹁五 月 雨 ﹂ ﹁夕 立 ﹂ ﹁時 雨 ﹂ ﹁菜 種 梅 雨 ﹂ ﹁狐
の嫁 入 り﹂ (日 照 り の雨 の こ と )、 最 近 は ま た 、 ﹁集 中 豪 雨 ﹂ と か ﹁秋 雨 前 線 ﹂ と か いう の も あ り 、 日本 が 雨 のよ
く 降 る 国 で あ る こ とを 表 わ し て いる 。 J ・ス ワ ー ド は 、 日本 語 の 雨 の名 は 四 〇 を 越 す と 言 って驚 い て いる 。
こ のう ち の ﹁春 雨 ﹂ は ま だ い い が 、 ﹁五 月 雨 ﹂ と か ﹁時 雨 ﹂ は 難 し い漢 字 の宛 て 方 を す る。 これ は 昔 、 日 本 人
は 和 語 を 何 で も 漢 字 で 書 こ う と し た 。 ﹁雨 ﹂ は 中 国 でも 降 る か ら ﹁雨 ﹂ と いう 漢 字 は あ る が 、 ﹁五 月 雨 ﹂ ﹁時 雨 ﹂
に ピ ッタ リ の中 国 語 は な い の で、 適 切 な 漢 字 が な く 、 そ の意 味 を 考 え て 、 ﹁さ み だ れ ﹂ と は ﹁五 月 に 降 る 雨 だ ﹂ と か 、 ﹁し ぐ れ ﹂ と は ﹁時 ど き 降 る雨 だ ﹂ と か 解 釈 し て 漢 字 を あ て た も のだ 。
こう いう ふ う であ る か ら 、 雨 の種 類 だ け でな く 、 一般 に 雨 に関 係 す る 語 彙 も 日 本 語 に は 豊 富 で あ る 。 た と え ば
﹁雨 間 ﹂ ﹁雨 脚 ﹂ ﹁雨 や ど り ﹂ ﹁雨 ご も り﹂ ﹁雨 曇 り ﹂ ﹁雨 垂 れ ﹂ ⋮ ⋮ と いう よ う な 単 語 があ る 。 こ れ を 英 語 で 言 お う
the と なrっ aて iし nま う 。 ﹁雨 天 順 延 ﹂ と いう 言 葉 を 英 語 に 訳 す と 長 く な る と いう の も 、 こ の線 に 沿 った 事
と す る と 、 み ん な 単 語 で は 言 え な い。 ﹁雨 や ど り ﹂ な ど は 、 日 本 で は ご く 普 通 の 言 葉 で あ る が 、taking from
柄 だ。そ の男 ( 女 ) と 一緒 に 行 く と 必 ず 雨 に 逢 う 男 ( 女 ) の こ と を ﹁雨 男 ( 女 )﹂ と 言 う が 、 こう い った 言 葉 は 他 の国 の言 語 の発 想 に は な さ そ う だ 。
四季 の変 化
さ き ほ ど の ﹁五 月 雨 ﹂ や ﹁梅 雨 ﹂ と いう 言 葉 に 注 意 し て いた だ き た い。 こ の 語 は 両 方 と も 同 じ 雨 を さ す が 、
﹁五 月 雨 ﹂ の方 は ﹁五 月 雨 が 降 る ﹂ と か ﹁五 月 雨 が や む ﹂ と か 言 う 。 そ れ に 対 し て 、 ﹁梅 雨 ﹂ の方 は ﹁梅 雨 に 入
る ﹂ ﹁梅 雨 が あ け る﹂ と 使 う 。 つま り ﹁五 月 雨 ﹂ の方 は 雨 そ のも のを さ す が 、 ﹁ 梅 雨 ﹂ の方 は 、 五 月 雨 が降 る 時 季
を 言 う 言 葉 な の だ 。 これ は や は り雨 が 、 こと に ﹁五 月 雨 ﹂ が 日本 人 に と って 重 要 だ と いう こと を 表 わ し て いる 。
と こ ろ で 日本 語 では 、 ﹁春 の雨 は シト シ ト 降 る﹂ と か 、 ﹁夏 の雨 は ザ ー ッと 降 る ﹂ と か 言 う 。 秋 か ら 冬 に か け て
降 る ﹁時 雨 ﹂ と いう 雨 は ﹁シ ョボ シ ョボ降 る﹂ と 言 う 。 つま り 降 り 方 が そ れ ぞ れ 違 う 。 ﹁時 雨 ﹂ と いう 言 葉 は 辞
書 で は 、 ﹁秋 か ら 冬 に か け て 降 った り や ん だ り す る 雨 ﹂ と だ け し か 書 いて いな い が、 わ れ わ れ が こ の 言 葉 を 聞 く
と 、 雨 の降 り 方 以 外 に 、 肌 寒 い感 じ 、 山 の木 の 葉 が 紅 葉 す る こと を 連 想 す る。 昔 の人 は 、 奥 山 で 雄 の鹿 が 雌 の鹿
を 慕 って鳴 く 声 な ど も 一緒 に 連 想 し た は ず で、 そ う い った こと か ら 、 一つ 一つ の雨 の名 前 は 、 そ れ ぞ れ わ れ わ れ
に豊 か な 連 想 を 呼 び 起 こす 。 こ の こ と か ら ︿俳 句 ﹀ と いう 、 世 界 で 一番 短 い形 の詩 が 日本 に出 来 て い る。
風 に し て も 、 た と え ば ﹁春 風 ﹂、 夏 の ﹁涼 風 ﹂、 ﹁秋 風 ﹂、 冬 の ﹁木 枯 し ﹂ があ って、 こ れ ら は や は り それ ぞ れ 違
った 趣 を も って いる 。 ﹁月 ﹂ のよ う な あ の 冷 た い 天体 で も 、 日本 では 四季 に 応 じ て 変 化 す る 。 ﹁お ぼ ろ 月 ﹂ と いえ ば 春 の 月 、 ﹁名 月 ﹂ と いえ ば 秋 の 月 に 限 る。
﹁歳 時 記 ﹂ と い った 本 に は 、 ﹁水 ぬ る む﹂ ﹁山 笑 う ﹂ ﹁風 光 る ﹂ 以 下 、 季 節 を 表 わ す た く さ ん の単 語 が 出 て く る が 、
き わ め て 日 本 的 な 語彙 だ。 春 の 日 を ﹁日 永 ﹂ と いう のも お も し ろ い。 ﹁日 永 ﹂ を さ か さ ま に し た ﹁永 日 ﹂ と いう
言 葉 は中 国 語 にも あ る が、 中 国 で は夏 の日 の意 味 だ と いう 。 そ れ が 日 本 の和 歌 ・俳 句 で ﹁日永 ﹂ と いえ ば 、 春 の
こと な のは 、 春 の 日 の暮 れ が た い のを 日 が 永 いと感 じ た 、 そ こ に 日本 人 の詩 情 が あ る。 日 本 人 の 季 節 感 は こ う い
う 語 に よ く あ ら わ れ て いる。 短 夜 (=夏 の夜 )・夜 長 (=秋 の夜 )・短 日 (=冬 の 日)、 いず れ も お も し ろ い。
日本 の暦 の特 色
日 本 の 一年 と いう のは そ のよ う に 変 化 し て い る の で 、 日本 の暦 と ア メ リ カ の暦 の違 いを 比 べ て み る と 、 大 き な
ち が いに 気 が つく 。 ア メ リ カ の暦 を み る と 、 ﹁聖 燭 節 ﹂ と か ﹁聖 ヴ ァ レ ンタ イ ン の祭 日 ﹂ ﹁ワ シ ン ト ン 誕 生 記 念
日 ﹂ と いう よ う に、 実 に これ は 人 間 に関 す る 暦 であ る 。 日本 の暦 は そ う で は な い。 日 本 の暦 に は 、 そう いう も の
も 載 って いる が 、 そ れ 以 外 に、 ﹁立 春 ﹂ ﹁八 十 八 夜 ﹂ ﹁梅 雨 の入 り ﹂ ﹁二 百 十 日 ﹂ と いう よ う な も の が並 ん で いる。
こ れ は 季 節 の移 り 変 わ り を 表 わ す も の で 、 や は り 日本 人 の生 活 を よ く 反映 し て いる 。
年 の始 め に な る と、 書 店 に は 正 月 の衣 装 を 着 た 女 性 や 子 供 の写 真 を 表 紙 に し た 雑 誌 が並 ぶ 。 四 月 に 小 学 生 が学
校 へ上 が る と 、 国 語 の教 科 書 に は 桜 や 菜 の花 の絵 の教 材 が載 って お り、 音 楽 の時 間 に は 、 ま ず ﹁春 の 小 川 ﹂ と か
﹁蝶 々﹂ の曲 を 習 う 。 ア メ リ カ の教 科 書 な ど 、 ち っと も 季 節 に対 す る 配 慮 がう か がえ な い のと は大 き く ち がう 。
季節 の変 化
と ころで、 ﹃ 徒 然 草 ﹄ に は 、 ﹁折 節 の移 り 変 る こ そ ⋮ ⋮ ﹂ と いう 、 四季 の風 物 を 観 賞 し た 名 文 があ る が 、 著 者 兼
好 は 、 春 そ のも の、 夏 そ のも のよ り も 、 春 か ら 夏 へ、 夏 から 秋 へ、 と いう 季 節 の 推 移 に関 心 を 払 って いる 。 こ れ
は 、 注 意 す べき だ 。 ﹁春 め く ﹂ ﹁秋 め く ﹂ の よ う な 単 語 は 、 中 国 語 に も 英 語 にも な い。 中 国 語 で は、 ﹁有 春 意 ﹂ と
で も いう ほ か は な いそ う だ 。 ﹁春 が 来 た ﹂ ﹁夏 は 来 ぬ ﹂ ﹁小 さ い秋 見 つけ た ﹂ ⋮ ⋮ 季 節 の 移 り 変 わ り を 歌 う 歌 が 多
い。 こ んな こ と か ら、 日本 で は 、 季 節 の推 移 を 告 げ る 風 物 を 重 要 視 す る 。 ﹁初 霜 ﹂ ﹁初 雪 ﹂ ﹁初 雷 ﹂ ﹁初 時 雨 ﹂ な ど
は 、 こ の意 味 で 日本 的 語彙 で あ る 。 食 べ物 に 関 し て ハシ リ ・シ ュ ン ・タ ベゴ ロは 、 他 国 語 に 訳 せ な い と いう 。 ﹁季 節 は ず れ ﹂ も 日本 な ら で は の単 語 であ ろう 。
早 春 を ﹁春 浅 し ﹂ と いう 。 こ の ﹁浅 し ﹂ と いう 言 葉 は 、 ﹁夏 ﹂ や ﹁秋 ﹂ な ど に は つか な い。 日本 人 は 冬 を 白 黒
だ け の季 節 と 感 じ た。 春 、 夏 、 と 進 む に つれ て色 彩 が 豊 か に な る が、 早 春 の こ ろ は ま だ 淡 彩 であ る。 これ を ﹁春 浅 し ﹂ と 言 った の で、 自 然 に 対 す る 観 賞 力 を 示 し て いる 。
し か し 、 考 え て み る と 、 日本 で も 、 気 象 ・季 節 に 関 す る 語 は 、 現 在 次 第 に影 を 薄 く し つ つあ る 。 昔 は 夏 の季 の
物 だ った キ ュウ リ や ナ スビ が 一年 中 出 ま わ り 、 バ ラ や カ ーネ ー シ ョ ン のよ う な 、 何 も 季 節 を 感 じ さ せ な い花 も 多
万 緑 の中 や 吾 子 の歯 生 え 初 む る ( 中村草田男)
く な った 。 俳 句 の季 題 と いう も のも 弱 く な り つ つあ る 。 し か し 一方 、 の よ う な 句 か ら 、 新 し い季 語 が 生 ま れ る こ と も あ る。
二 地 形 ・水 勢 を 表 わ す 言 葉 地 形 ・水勢 の語彙
自 然 を 表 わ す 語彙 のう ち 、 地 形 ・水 勢 を あ ら わ す も のは 、 日本 語 に豊 富 であ る。 これ は 、 日 本 の 地 勢 が 変 化 に
富 ん で いる せ いで 、 以 前 、 汽 車 の速 さ を 表 わ す 小 学 唱 歌 に、 ﹁今 は 山 中 、 今 は 浜 ⋮ ⋮﹂ と いう の が あ った が、 し
か し 中 国 や シ ベリ ア大 陸 あ た り で は いく ら 汽 車 が速 く 走 っても 、 窓 外 の景 色 は こう は な ら な い。 こ の 歌 詞 は、 日 本 の 地 形 が変 化 に 富 ん で いる こと を 表 わ す と いえ そ う だ 。
柳 田 国 男 の ﹃地 名 の研 究 ﹄ に よ れ ば 、 明 治 年 間 に 地 理学 者 が 地 形 を 呼 ぶ た め に、 ﹁流 域 ﹂ と か ﹁分 水 嶺 ﹂ と か
いう 漢 語 を 作 り だ し た のは お ろ か だ った と いう 。 つま り 、 た ま た ま 中 央 の学 者 が そう いう 単 語 を 知 ら な か った だ
け で、 日 本 語 に は 、 元 来 、 カ ワチ ・タ ワ ・ ハナ ワ ・ユラ ・ナ ル ・ホ キ ・ノ ゾ キ 等 々、 地 形 を あ ら わ す お び た だ し
い単 語 が あ った の だ と いう 。 これ は 地 形 の複 雑 な 日 本 国 土 に生 活 し 、 そ の制 約 を 受 け る こ と の大 き い日本 人 と し
て は 当 然 だ ろ う 。 ﹁坂 ﹂ と いう 何 で も な い日 本 語 も 、 他 の言 語 に は 少 な い単 語 であ る 。 少 な く と も 英 語 や フ ラ ン
ス語 に は な い。 サ イ デ ン ス テ ッカ ー に よ る ﹃ 雪 国 ﹄ の 翻 訳 で は ﹁坂 ﹂ をhil とl訳 し て あ った が 、 ﹁坂 ﹂ そ のも の
を 言 いた い気 持 は な い のだ ろ う か 。 パ リ の モ ン マル ト ル の 丘 に 登 る 坂 に 名前 がな い のは 不 思議 であ る 。 日本 で は
東 京 な ど ﹁神 楽 坂 ﹂ ﹁一口坂 ﹂ ﹁団 子 坂 ﹂ な ど いく ら で も 坂 があ る が 、 何 か 昔 の信 仰 と 関 係 が あ る の だ ろ う か。
海 と 川の 語彙
周 囲 を 海 で囲 ま れ た 国 土 に 育 ち 、 そ れ を 生 活 の場 とす る 日本 人 は 、 オ キ ・ナ ダ な ど 、 そ れ に あ た る 中 国 語 のな
い語 彙 を も って いる 。 従 って ﹁沖 ﹂ と いう よう な 漢 字 、 あ る いは ま た ﹁灘 ﹂ のよ う な 他 の意 味 を も つ漢 字 を 転 用
せ ざ るを 得 な か った 。 川 のカ ミ ・シ モも 日本 語 的 で、 中 国 語 に は 相 当 す る も の がな か った 。 そ のた め に 漢 字 も ウ
エ ・シ タ の字 を 流 用 し て いる 。 思 う に 、 も し漢 字 と いう も の が 日本 の発 明 で あ った ら 、 さ ぞ か し 部 首 に は ウ ミ と
か カ ワと いう よう な 文 字 が 並 ん だ こ と だ ろ う 。 そ し て、 オ キ ・ナ ダ は ウ ミ 偏 に ﹁中 ﹂ と か ﹁難 ﹂ と か の字 を 書 き 、
カ ミ ・シ モは カ ワ偏 に ﹁上 ﹂ ﹁下 ﹂ の字 を 書 いた かも し れ な い。 エ (江 )・セ ( 瀬 )・ツ ( 津 )・ス ( 洲 )なども 、 日本 語 で は 一拍 の語 で表 わ す 重 要 な 単 語 だ った 。
ハ マや イ ソや ナ ギ サ な ど 、 海 岸 を 表 わ す 単 語 も 日 本 語 は 詳 し いよ う だ 。 英 語 にsea-hと ol いl うy 植 物 が あ る。
海 の中 に いる 日本 のウ ミ ユリ や ウ ミ シ ダ のよ う な 下 等 生 物 の名 か と 思 った が 、 実 は海 浜 に生 え る ア ザ ミ のよ う な 植 物 だ そ う だ 。 日 本 だ った ら ハ マア ザ ミ と でも な る と こ ろ だ った 。
海 の中 の場 所 のち が いに つ い て は、 中 国 語 も そ う いう 区 別 を す る 単 語 を も って いな い。 望 月 八 十 吉 の ﹃中 国 語
沖︱
離岸較 遠的海上
浦︱
波浪平静 的湾
灘︱
波濤洶 涌的海 面
と 日本 語 ﹄ に よ る と 、 ﹁沖 ﹂ ﹁灘 ﹂ や ﹁浦 ﹂ と い った 言 葉 を 、 中 国 の辞 書 に は こん な ふ う に説 明 し て いる。
水 と湯
日 本 の 自 然 のな か で特 色 を な す も の の 一つが ﹁水 ﹂ であ る 。 仏 教 で 、 極 楽 に は 蓮 の 池 が あ る と考 え た のは 、 イ
ンド に は 水 が 乏 し いか ら で あ る 。 日本 では ﹁湯 水 の ご と く 使 う ﹂ と いう 諺 で 惜 し 気 も な く 水 を 使 い捨 て る 習 慣 を
示 し て いる が、 ﹃こ と ば のく ず か ご ﹄ に よ る と 、 これ が ア ラ ブ の 言 葉 で は ﹁ケ チ ケ チ 大 事 に使 う ﹂ と いう 意 味 だ
そ う で あ る 。 ま た ﹁湯 ﹂ と いう 言 葉 が あ る こ と が 日 本 的 で、 中 国 の ﹁湯 ﹂ は スー プ の こ と だ と いう 。 ﹁ 湯 ﹂を 表
wa とt言 eう r。 水 の 一種 であ る 。 漱 石 の ﹃坊 っち ゃん ﹄ に 、 坊 っち ゃん が 道 後 の
わ す 文 字 は な いよ う で ﹁開水 ﹂ と いう の が ﹁湯 ﹂ のこ と だ そう だ 。 英 語 で は ﹁湯 ﹂ の こ と をhot
The
water
was
abo⋮ut
breast-high
湯 に 行 って浴 槽 で 泳 ぐ と こ ろ があ る 。 そ こを A ・タ ー ニー は英 訳 し て、
温泉水滑
洗 ニ凝 脂 一
と 書 いて いる。 ﹁湯 ﹂ もwateなrのだ 。 そ れ は ま だ い い。 白 楽 天 の ﹁長 恨 歌 ﹂ の有 名 な 一節 に、
と あ る が、 日本 人 な ら ば 、 ﹁温 泉 湯 滑 ラ カ ニシ テ ﹂ と 言 い た いと こ ろ だ 。 中 国 人 も 温 泉 のあ の 熱 い湯 を ﹁水 ﹂ と 見 て いる の で あ る 。
日本 の水
日 本 人 は、 水 と いう 時 に は、 天 然 自 然 に あ る 、 し か も 湯 と 違 って冷 た いも のと いう 感 じ を 持 って い る。 な ぜ 日
本 語 には 、 ﹁湯 ﹂ と いう 単 語 が別 にあ る の か 。 そ れ は 、 日 本 は 世 界 で 有 名 な 温 泉 国 だ か ら であ る 。 日本 人 の 先 祖
が こ の国 土 に 渡 って 来 た 時 に 、 地 上 を 流 れ る た く さ ん の水 と 、 地 下 か ら 勢 いよ く 湧 き 出 し て いる 温 泉 を 見 た 。 そ
こ で あ の熱 い のは ﹁湯 ﹂ だ 、 こ の冷 た い のは ﹁水 ﹂ だ 、 と 区 別 し た も のと 想 像 さ れ る。
と こ ろ で 、 日本 の水 は き れ いな も の で あ り 、 清 冷 な も のだ 。 山 へ行 く と 、 谷 川 を 水 が 流 れ て いる 、 思 わ ず 立 ち
ど ま って そ れ を 掬 って 飲 む こ と が あ る が 、 あ の 光 景 に は中 国 人 な ど び っく り す る 。 わ れ わ れ は ﹁滝 ﹂ と いう 言 葉
を 聞 く と 、 き れ いな 水 が高 いと こ ろ か ら サ ー ッと 落 ち て いる 、 あ れ を 滝 だ と 思 う 。 が 、 有 名 な 世 界 の大 き な 滝 、
南 米 の イ グ ア ス の 滝 、 ア フ リ カ の ビ ク ト リ ア の 滝 な ど は 、 み そ 汁 み た いな 水 が ダ ボ ダ ボ 、 ダ ボ ダ ボ 、 だ ら し な く 流 れ て い る だ け で 、 そ れ は 雄 大 で は あ る が 、 き れ いな も の で は 決 し て な い 。
﹁水 ﹂ に 関 す る 日 本 語 を い く つ か あ げ て み る と 、 ﹁水 玉 ﹂ ﹁水 鏡 ﹂ ﹁水 盤 ﹂ ﹁水 滴 ﹂ ⋮ ⋮ 、 いず れ も き れ い な 感 じ が す る 。 ﹁浅 瀬 ﹂ ﹁苔 清 水 ﹂ な ど と いう 言 葉 も 美 し い 。
国 際 基 督 教 大 学 の 日 本 語 主 任 教 授 だ った 小 出 詞 子 に よ る と 、 ア メ リ カ の 学 生 に は 、 ニゴ ル と い う 日 本 語 の 意 味
(蕪村 )
clだ eろ an う 。 ﹁さ さ 濁 り ﹂ な ど と い う 言 葉 は ま す ま す 難 し か ろ う 。
二 人 し て 掬 べば 濁 る 清 水 かな
が な か な か 分 か ら せ に く か った と い う 。muddyと い う 単 語 は あ る が 、 こ れ は 日 本 語 の ド ロ ミ ズ ぐ ら い に あ た る 。 ﹁濁 る ﹂ の 感 じ は 、 not
湿 気 の語彙
水 に 関 連 し て も う 一 つ 注 意 す べ き は 、 湿 気 に 関 係 し た 語 彙 で あ る 。 ヌ レ ル ・シ メ ル ・シ ト ル ・ウ ル オ ウ ・ソ ボ
ツ ・ホ ト ビ ル ⋮ ⋮ 濡 れ 方 に 応 じ て の 語 彙 の 分 化 は 日 本 的 だ 。 ポ ル ト ガ ル の モ ラ エ ス は 、 明 治 期 に 日 本 へ 来 て 驚 い
た こ と の 一 つ に 、 日 本 人 が 入 浴 の あ と に 濡 れ た タ オ ル で 体 を 拭 く こ と を あ げ て い る 。 た し か に し ぼ った 手 拭 い で
体 を 拭 いた だ け では 、 ヨー ロ ッパ 人 は 気 持 が 悪 い であ ろ う 。 擬 態 語 は 、 元 来 、 日本 語 に 多 く て有 名 だ が 、 湿 潤 に
﹃南 蛮 更 紗 ﹄ の 中 で 指 摘 し た こ と が あ る が 、 星 の 名 に 関 し て は 、 日 本 語 は 貧
関 す る も の だ け で も 、 シ ッポ リ ・シ ット リ ・ジ メ ジ メ ・ビ シ ョ ビ シ ョ ・グ シ ョグ シ ョ ・ビ チ ャ ビ チ ャ ・ジ ト ジ ト な ど いく ら でも あ る 。
三 天 体 と 鉱 物 の名 星 の語彙 天 体 の名 に移 る と 、 早く 新 村 出 が
弱 で あ る。 日 本 人 の使 う 星 の名 は 、 金 星 ・火 星 ・北 極 星 等 、 た い て い漢 語 だ 。 こ と に星 座 名 が 少 な い。 こ れ は 中
国 語 ・バ ビ ロ ニア 語 ・ア ラ ビ ア 語 ・ギ リ シ ャ語 あ た り に対 し て 顕 著 な 特 徴 ら し い。
二次 的 な 名 ば か り であ った 。
野 尻 抱 影 ・内 田 武 志 に よ って 、 日本 の農 民 や 漁 民 の間 に使 わ れ て いる 星 の名 が か な り 拾 わ れ た こ と が あ った が 、 し か し そ れも 、 カ ラ スキ ボ シ ・オ ヤ ニナイ ボ シ と いう よ う な 、 複 合 語︱
百 科 事 典 な ど で 万 国 旗 の図 を 見 る と 、 ア メリ カ合 衆 国 を は じ め と し て 、 星 を あ し ら ったも の が び っく り す る ほ
ど 多 く 、 ア フリ カ の 北 部 の国 な ど 、 ほ と ん ど 軒 並 み 星 を つけ て いる 。 一方 、 日本 の家 紋 な ど を 見 る と 、 植 物 に 関
し た も の が 圧 倒 的 に 多 い の に 対 し て、 星 を 扱 ったも のは ほ ん のわ ず かな も の で、 好 み の ち が いが 明 ら か であ る 。
これ は 日本 人 が ほ か に関 心 を む け るも の が多 く 、 星 にあ ま り 関 心 を 向 け な か った か ら で あ ろ う 。 も し 、 ﹁俳 句 ﹂
と いう も のが 、 日本 のも の で な く て、 エジ プ ト あ た り のも ので あ って 、 歳 時 記 が 編 集 さ れ た と し た ら 、 さ ぞ か し 星 の名 、 星 座 の名 が 並 ん だ こ と であ ろ う 。
月 の語彙
日本 人 が 強 い関 心 を も った のは ﹁月 ﹂ であ る 。 日 に よ って ﹁三 日 月 ﹂ ﹁十 五 夜 ﹂ のよ う な 名 を も ち 、 昔 は さ ら
に、 十 六 日 の月 を ﹁いざ よ い﹂、 十 七 日 の月 を ﹁立 待 の 月 ﹂、 十 八 日 の 月 を ﹁居 待 の 月 ﹂、 十 九 日 の月 を ﹁寝 待 の
月 ﹂ と 呼 び 分 けた 。 夜 が 明 け た あ と ま で天 空 に か か って いる 月 を いう ﹁有 明 ﹂ は ﹁百 人 一首 ﹂ に 四 首 も 詠 ま れ た 。
これ は 闇 夜 に 月 の光 が重 要 な 照 明 のも と だ った こと を 表 わ す が、 古 来 、 日本 人 にと って 月 は、 花 ・雪 と 並 ぶ 自
然 観 賞 の御 三 家 だ った か ら で あ る 。 江 戸 時 代 の 医 者 ・橘 南谿 は 、 そ の著 ﹃ 北 窓瑣 談 ﹄ の中 で、 オ ラ ンダ 人 か ら 、
﹁月 のよ う な あ ん な 殺 風 景 な も のを 見 て、 何 が お も し ろ い の か ﹂ と 聞 か れ て 驚 いた こと を 述 べ て い る。 ﹁月 見 れ ば
千 々 にも の こ そ悲 し け れ ⋮ ⋮ ﹂ ( 大江千里) の歌 のよ う に 、 日本 人 にと って 月 は 悲 し い心 を 慰 め て く れ る 最 上 のも のだ った 。
鉱物 の語彙
自 然 を 表 わ す 語 彙 でも う 一つ、 天体 名 と と も に 固 有 名 が 乏 し いの は 、 鉱 物 名 であ る 。 和 語 のも のは 、 スズ ・ナ
マリ な ど ほ ん の少 数 で 、 キ ン ・ギ ン ・ド ウ ・テ ツな ど 、 非 常 に重 要 な 鉱 物 ま で漢 語 を 使 って いる 始 末 であ る 。 コ
ガ ネ ・シ ロガ ネ ・ア カ ガ ネ ・ク ロガ ネ ⋮ ⋮ と いう 和 語 はあ る には あ る が 、 金 ・銀 の訳 語 と し て 出 来 た も のだ ろ う 、
と 言 わ れ て いる 。 磁 鉄 鉱 ・黄 銅 鉱 ・水 晶 ・方 解 石等 、 中 学 校 の 理科 の授 業 で 習う 鉱 物 の名 は 、 た い て い漢 語 だ っ
た 。 日 本 人 は 中 国 人 と 交 際 し て は じ め て 鉱 物 の利 用 を 覚 え た か のよ う で 、 石 で家 を 建 て る よ う な こと を し な か っ た 日本 人 の 行 き 方 を 反 映 し て いる 。
四 動 植 物 の言 葉 日本 人と植 物
筆 者 が 小 学 校 の頃 、 地 理 の時 間 に ﹁地 理付 図 ﹂ と いう のを 使 った が、 そ の中 に 地 勢 図 と いう も の が あ った 。 そ
の書 き 方 が ど う も筆 者 は気 に入 ら な か った 。 と いう のは 、 そ の地 勢 図 で は 高 いと こ ろ を 茶 色 に 塗 って あ って、 低
いと こ ろ は 緑 色 に 塗 ってあ る の であ る 。 筆 者 は 、 これ は お か し いじ ゃな いか 、 山 は み ん な 緑 じ ゃな いか 、 人 間 の
住 ん で いる 平 地 こ そ 茶 色 じ ゃな いか と いう こ と で、 大 いに 不 満 だ った の で あ る が 、 そ れ が 戦 後 、 外 国 を 訪 れ て は じ め て わ か った 。
日 本 か ら 外 へ出 る と 、 自 然 は ま さ にあ の通 り で あ る 。 わ れ わ れ は ﹁南 国 ス ペイ ン﹂ と いう よ う な 言 葉 を 聞 く と、
緑 豊 か な 国 土 を つ い想 像 す る。 と こ ろ が 、 実 際 に 行 って み る と 、 飛 行 機 の上 空 か ら 見 た ス ペイ ン の国 土 は 、 山 は
全 部 ハゲ 山 ・岩 山 で 、 だ いた い茶 色 であ る 。 つま り 、 地 勢 図 と いう も のは 、 日 本 以 外 の ヨー ロ ッパ か 、 ア メ リ カ
あ た り の自 然 を も と に し て つく ら れ た も のだ 、 と いう こ と に気 が 付 いた 。 日本 の自 然 は特 別 で、 植 物 が 多 い、 こ
と に 木 が多 いと いう こ と がわ か る 。
日 本 は ま こ と に木 の国 で、 し た が って 日本 文 化 は 木 を た よ り に し た 文 化 であ る 。 家 屋 も 多 く は木 造 で、 家 具 も
木 製 品 が多 い。 食 事 の時 に味 噌 汁 は 木 製 の椀 によ そ い、 右 手 で食 物 を 口 に運 ぶ箸 も 、 割 箸 のよ う な 木 製 のも の が
あ る 。 こ の こと から 日 本 人 は 木 に親 し み 、 木 に 関 す る た く さ ん の単 語 を 作 った 。 ﹁木 だ ち ﹂ ﹁な み き ﹂ ﹁木 か げ ﹂
か ら 、 ﹁木 の 下 闇 ﹂ ﹁木 も れ 日 ﹂ ﹁木 の間 隠 れ ﹂ な ど にな る と 、 英 語 に は 該 当 す る 単 語 がな く 、 も し 訳 せ ば 数 語 を
費 す だ ろう 。 ﹁枝 ぶ り ﹂ に つ いて は 寺 田 寅 彦 が 、 英 語 に 訳 せま いと 言 った 。 ﹁林 ﹂ と ﹁森 ﹂ は中 国 語 で言 え ば 、 と も に ﹁樹 林 子 ﹂ とな る そ う だ 。
日本 語 に ( 花 が ) サ ク と いう 動 詞 が あ り 、 多 く 使 わ れ る が 、 こ の ﹁咲﹂ と いう 漢 字 は も とも と ﹁笑 う ﹂ と いう
意 味 の 字 であ る 。 そ れ を 日 本 で は サ ク を 表 わ す 文 字 と し て 強 引 に 流 用 し て いる も ので 、 こ のよ う な のを ︿借 訓 ﹀
と 呼 ぶ 。 中 国 語 でサ ク は ﹁開 ﹂ の 語 を 用 い、 ほ か のも のが 開 く のと 区 別 し な い。 麻 雀 の ﹁ 嶺 上 開 花 ﹂ の ﹁開 花 ﹂
だ 。 英 語 の bloo はm﹁花 ﹂と いう こ と ば の動 詞 化 だ 。チ ルも 日 本 語 ら し い単 語 で 、中 国 語 で は 、花 が チ ル こ と は
﹁落 ﹂ であ ら わ す 。 英 語 でもfal だl。 少 な く とも ﹁咲 く ﹂ と 聞 け ば 花 を 連 想 し 、 ﹁散 る ﹂ と いう 動 詞 を 聞 け ば 、 日
本 人 は 花 か秋 の葉 の こ と だ と 連 想 す る 。 そう し て 日本 語 に は 、 こと に 芽 が 出 る こ と を 言 う た く さ ん の単 語 が あ る 。
﹁芽 ぐ む ﹂ ﹁芽 ば え る﹂ ﹁芽 だ つ﹂ ﹁芽 ぶく ﹂ ﹁萌 え る ﹂ ⋮ ⋮ 。 こう いう 語 彙 を 使 い 分 け る の が、日本 人 は 好 き な のだ 。
木 の名 ・草 の名
さ て、 日 本 は 植 物 の個 体 も 多 い が、 種 類 がま た 多 い。 ヨー ロ ッパ 全 土 に自 生 す る木 の種 類 よ り 、 日本 一国 に自
生 す る 木 の種 類 の ほ う が多 いと いう 。 日 本 の秋 の紅 葉 を 昔 か ら ﹁紅 葉 の錦 ﹂ と 形 容 し た が 、 こ れ は 木 の種 類 が 多
いた め に 、 一つの 山 が 、 紅 ・黄 ・橙 ・緑 のよ う に ま だ ら に 彩 ら れ る こと を 表 わ す 。
日本 人 は こう いう 木 の各 種 類 に対 し 、 そ の特 色 を 見 極 め 、 それ ぞ れ ち が った 方 面 に 用 いた。 仏 像 に は ク ス ノ キ
を 使 い 、 家 の 天 井 や 柱 に は ヒ ノ キ を 使 い、 酒 樽 に は ス ギ を 使 い、 手 桶 に は サ ワ ラ を 使 う の は そ れ で あ る 。 こ の よ
う な こ と か ら 、 日 本 人 は 木 の ち が い に 注 意 を 向 け 、 木 の 一 つ 一つ に 名 前 を つ け た 。 そ う いう こ と か ら 日 本 語 に は 、
複 合 語 や 派 生 語 でな い名 を も つお
マ ツ ・ス ギ ・ヒ ・カ ヤ ・ マ キ ・モ ミ ・ツ ガ ・ク リ ・シ イ ・カ シ ・ナ ラ ・ブ ナ ・ム ク ・ク ワ ・ク ス ・ホ オ ・ナ シ ・
ツ ゲ ・カ キ ・キ リ ⋮ ⋮ な ど 、 これ 以 上 分 析 を 許 さ な い、 いわ ば 一次 的 な 名 ︱
び た だ し い木 があ る 。 漢 和 辞 典 を 見 る と 、 木 偏 のと こ ろ に お び た だ し い数 の ︿国 字 ﹀、 日 本 で作 った 文 字 が 並 ん で いる 。 魚 偏 に つ い で、 第 二 位 であ る のは 無 理 も な い。
竹 と草
植 物 のう ち で特 に 重 要 な も の の 一つ に ﹁竹 ﹂ が あ り、 明 治 期 に イ ギ リ スか ら や って き た 日本 学 者 チ ェン バ レ ン
は 、 日本 で竹 で作 れ な いも のは な いと い って 感 嘆 し た 。 ﹁木 に 竹 を 継 いだ よ う な ﹂ と いう 句 で も わ か る よ う に、
竹 一種 が あ ら ゆ る 一般 の木 に 対 立 し て 存 在 し て いる よ う に 考 え ら れ て い る ほ ど であ る 。 日本 人 は 竹 に 限 ら ず 、 サ
サ ・ア シ ・ス スキ ・ス ゲな ど 、 花 が 咲 い ても 地 味 な 、 葉 の長 い草 に 生 活 を 依 存 す る こ と が 多 か った 。 そ の結 果 、
これ を 細 か く 分 け 、 時 に は 同 じ ス ス キ を 花 は オ バナ 、 刈 り 取 る時 は カ ヤ と いう よ う に 、 二重 、 三 重 の名 を つけ た
も のも あ る 。 ス ス キ や ア シ の芽 の出 る のを 表 わ す こと ば と し て、 ﹁つの ぐ む ﹂ と いう 単 語 が あ る のも 奇 抜 であ る 。
欧 米 人 が 植 物 に つ い て の ん き な こ と は 驚 く ほ ど で、 P ・パ ー マー は 、 ﹃現 代 言 語 学 紹 介 ﹄の 一節 に、 ﹁私 は Pine
( 松 ) とfir ( 樅 ) とsprce u( え ぞ 松 ) とlac r h (か ら 松 ) と のち が いを 知 ら な い﹂ と 言 って い る。 か れ ら は植 物 の
名 の多 い のは 未 開 民 族 の言 語 だ と いう 考 え を も って い る か ら 、 恥 と は 思 って いな い だ ろ う 。 ﹁夜 桜 ﹂ ﹁遅 桜 ﹂ ﹁葉
桜 ﹂ ﹁桜 吹 雪 ﹂ ﹁桜 月 夜 ﹂ の よう な 単 語も 、 花 を 愛 す る 日本 人 にし て は じ め て 出 来 た 言 葉 であ る 。
日本 語 に は 草 の名 も 多 く 、 何 千 と いう 草 の名 前 が ス ミ レ ・ツボ ス ミ レ ・タ チ ツボ ス ミ レ ・ニオ イ タ チ ツボ ス ミ レ のよ う に 大 部 分 、 和 語 で付 け ら れ て いる のは 注 目 さ れ る。
緑 な す は こ べは 萌 え ず
日本 人 は 外 国 人 よ り 一つ 一つの草 に 親 し み 、 そ の個 性 を 知 って いる 。 島 崎 藤 村 の ﹁千 曲 川旅 情 の歌 ﹂ の 一節 、
は 、 ど う し ても ﹁は こ べ﹂ でな け れ ば いけ な い。 ﹁は こ べ﹂ は つま ら な い雑 草 で あ る が 、 早 春 に いち 早 く 青 々と
茂 る随 一の草 だ 。 森鴎 外 の ﹃山 椒 大 夫 ﹄ の 一節 、 安 寿 と 厨 子 王 が 山 椒 大 夫 のも と に ひ と 冬 過 ご し た あ と 、 連 れ 立
って 山 路 を 歩 く と ころ に、 一輪 咲 いて い る ス ミ レ に 目を と め ると ころ があ る が 、 あ そ こも 二 人 の運 命 を 象 徴 す る も のと し て ス ミ レは 動 かな い。
虫 への親し み
植 物 に 対 し て そ う であ る と 同 時 に 、 日本 人 は 虫 にも 大 変 詳 し い。 これ は 、 池 田 摩 耶 子 の ﹃日 本 語 再 発 見 ﹄ に 出
て いる が 、 彼 女 が 、 ア メ リ カ で、 川 端 康 成 の ﹃山 の音 ﹄ を テキ スト と し て 日 本 語 を 勉 強 す る学 生 に教 え て いた そ
う だ。 そ の ﹃山 の 音 ﹄ の中 に ﹁八 月 十 日前 だ が 虫 が 鳴 いて いる ﹂ と いう 一節 が あ る。 ア メ リ カ の 学 生 た ち は、
﹁虫 が ﹂ と いう と こ ろ を 、 何 か ノ ミ か シ ラ ミ が鳴 く の か と 思 った と いう の であ る 。 こ れ は 秋 の 虫 が鳴 く の だ と 教
え てや った ら 、 み ん な キ ョト ンと し た 顔 を し て いる 。 そ のと き 、 女 史 が 耳 を す ま し て み た と こ ろ が、 教 室 の外 で
何 か虫 が 鳴 い て いた 。 そ こ で学 生 に 対 し て、 ﹁今 、 聞 こえ る で し ょ う 。 あ の虫 、 あ れ が こ こ で いう 虫 で す ﹂ と 言
った 。 そ う し た ら 、 学 生 た ち は 初 め て そ れ に 気 が つ い て、 ﹁な る ほ ど 、 そ う いえ ば そ の よ う な 音 が 聞 こ え る ﹂ と 言 った 、 と いう こ と を 書 いて い る。
向 こ う の人 に と って は、 虫 の声 と いう の は 雑 音 と 同 じ よ う に 聞 こえ る よ う で、 序 章 にあ る角 田 忠 信 の学 説 は 、
こ の 話 か ら ヒ ント を 得 た と いう 。 し か し 中 国 人 も 秋 の虫 を 喜 び、 ﹃ 詩 経 ﹄ にす で に虫 の声 を 愛 す る 詩 が 二篇 見 え 、
杜 甫 に も 秋 の 虫 を 詠 み こ ん だ 作 品 が あ る 。 北 京 の街 角 で は 秋 に な る と 、 ﹁〓〓兒﹂ と 呼 ぶ キ リ ギ リ ス の よ う な 虫 を 籠 に 入 れ て売 って いる か ら 、 日本 人 だ け が 虫 の声 を 賞 す る と は 言 い が た い。
虫 の 言 い分 け
ド イ ツ 人 は 、 日 本 人 が ス ズ ム シ と マ ツ ム シ を 聞 き 分 け る こ と に 感 心 す る と いう 話 を 、 兼 常 清 佐 が 書 い て い た 。
な る ほ ど ス ズ ム シ ・ マ ツ ム シ ・ コ オ ロギ 、 み ん な 和 独 辞 典 で 引 く と 、 グ リ レ と いう 同 じ 単 語 が 出 て く る 。 こ れ に
対 し て 日 本 人 は 、 飛 ん で 跳 ね る 虫 を 、 ス イ ッ チ ョ で も キ リ ギ リ ス で も イ ナ ゴ で も い ち いち 細 か く 呼 び 分 け る 。
ア メ リ カ 人 に 言 わ せ る と 、 ト ン ボ はdragonf でl、 yグ ロ テ ス ク な 気 持 の 悪 い動 物 だ と 思 っ て い る そ う で あ る が 、
日 本 人 に と っ て ト ン ボ は 子 供 の 時 か ら 親 し い 虫 の 名 前 で 、 オ ニ ヤ ン マ ・ギ ン ヤ ン マ ・ム ギ ワ ラ ト ン ボ ・シ オ カ ラ
ト ン ボ ・ア カ ト ン ボ ・オ ハグ ロト ン ボ な ど 、 戦 前 の 子 供 な ら 七 種 か 八 種 の 呼 び 方 を 区 別 し て 知 っ て い た 。 ム ギ ワ
﹁蝶 ﹂
・ミン ミ ン ・オ ー シ ー ツ ク ・
ラ と シ オ カ ラは 同 じ ト ン ボ の雌 と 雄 であ る が、 ム ギ ワ ラを シ オ カ ラ のお と り に す る と ころ か ら 、 子 供 で も そ れを
心 得 て い た 。 雌 雄 を 言 い 分 け る の は 、 英 語 の オ ック ス と カ ウ の よ う な も の で あ る 。
ト ン ボ と 並 ん で 蝉 も 日 本 人 に は 親 し い も の で 、 戦 前 の 子 供 は 、 ア ブ ラ ・ ニ イ ニイ
﹁蛾 ﹂ を 区 別 し な い で 両 方 と も パ ピ ヨ ン と 呼 ぶ と い う 。
ヒ グ ラ シ の 五 種 類 ぐ ら い は 常 識 だ った 。 蝶 な ど は 、 ど こ の 国 で も 関 心 を も つ か と 思 う と 、 フ ラ ン ス 語 で は と
鳥 の語彙
虫 に つ い で は 、 鳥 の名 も 日 本 人 は 得 意 で 、 ツ ル ・ ハト ・サ ギ ・カ モ ・ガ ン ・キ ジ ・モ ズ ・シ ギ な ど 、 た く さ ん
﹁経 を 読 む ﹂、 ホ ト ト ギ ス に は
﹁名 告 る ﹂、 ク イ ナ に は
﹁た た く ﹂ と 言 う の が そ れ
﹁さ え ず る ﹂、 鶏 に
の 一次 語 の 名 前 を も つ鳥 が あ る 。 こ と に 興 味 が あ る の は 、 日 本 人 は 欧 米 人 と ち が っ て 、 家 畜 の 鳴 き 声 を ち が う 動
﹁時 を 作 る ﹂、 ウ グ イ ス に は
詞 で 呼 び 分 け る こと を せ ず 、 代 わ り に鳥 の鳴 き 声 の 方 に 注 意 を 向 け て き た こ と だ 。 小 鳥 に は は
だ。
五 人 間 関 係 の 語 彙
一 人 体 の言 葉 顔 の部分 の名
日本 語 で は 、 ど う も 人 間 の 体 に つ いて の語 彙 が 大 ざ っぱ で あ る 。 ﹁目﹂ ﹁鼻 ﹂ ﹁口﹂ ﹁耳 ﹂ あ た り は 日本 語 に も ち
ゃん と 備 わ って いる が 、 こ れ が ク ビ と いう よ う な 言 葉 にな る と は っき り し な く な る 。 漢 字 では ﹁首 ﹂ と ﹁頸 ﹂ と
二 つに 言 い分 け る が 、 日本 語 で は く び れ て いる と ころ 、 つま り ﹁頸 ﹂ を ク ビ と 言 う と 同 時 に、 く び れ た と ころ か
ら上全 体、 ﹁ 首 ﹂ にあ た る と こ ろ も ク ビ と 言 って区 別 し な い。 ハナ で も 顔 の中 央 の出 っ張 った と こ ろを 言 う と 同
時 に、 そ の分 泌 物 ま で ハナ と いう 。 ノド も 、 中 国 語 で は ﹁咽 頭 ﹂ と ﹁喉 頭 ﹂ の区 別 が あ る 。 ﹁咽 頭 ﹂ と いう の は
口を 大 き く あ け た と き に 外 か ら 見 え る と こ ろ 、 ﹁喉 頭 ﹂ と いう のは 声 帯 があ って、 声 の 出 る と こ ろ だ 。 日本 人 は
そ の辺 一帯 を ノ ド と 言 って 、 細 か く 分 け な い。 ヒ ゲ に な る と 、 中 国 で は、 ﹁鬚 ﹂ は あ ご ひ げ 、 ﹁髭 ﹂ は 口 ひ げ、
﹁髯 ﹂ が 頬 ひ げ だ 。 英 語 でも 区 別 が あ り 、 ち ょう ど 中 国 語 に 対 応 し て beard,moustache と, 言 うw。 h日 i本 sk 語ers
はす べ て ヒ ゲ と 総 称 し、 も し 区 別 し た い時 に は ﹁あ ご ひ げ ﹂ ⋮ ⋮ のよ う に 二次 的 な 名 称 で 言 う 。
手と 足
こ の よ う な 中 で も 極 端 な の は 、 テ と ア シ で 、 hand(手 ) も arm( 腕 )も 日 本 人 は テ と い い、foo( t 足 ) もleg
(脚 ) も 、 日本 人 は ア シ と いう こと で あ る 。 往 年 の軍 隊 で は 、 これ は 不 便 だ と いう わ け でhand を テ 、arm をウ
デ と 区 別 し て いた が 、 あ る と き 、 し ろ う と 出 身 の教 官 が 兵 卒 連 に柔 軟 体 操 を や ら せ よ う と し て 、 ﹁手 を 上 に あ
げ ! ﹂ と 号 令 し た と ころ 、 予 期 し た よ う に腕 を 上 に あ げ る も の は ひ と り も な く 、 一斉 に 指 を そ ら し て、 釈迦 如 来
﹃羅 生 門 ﹄ の 中 で 、 無 造 作 に 二 つ の ア シ を 同 じ
﹁手 ﹂ も
﹁腕 ﹂
﹁足 ﹂ と い う 字 を 使 っ て 表
よ ろ し く の か っこ う を し た と いう 話 が あ っ た 。(﹃ 思 想 の科 学 ﹄ 昭 和 二十 四 年 十 月号 、 福島 正夫 ) ア シ に つ いて 、 例 え ば 芥 川 龍 之 介 は わ し て い る。 (1︶ ( 下 人 は ) 藁 履 を は い た 足 を 、 そ の 梯 子 の 一番 下 の 段 へ ふ み か け た 。 (2) (下 人 は ) 足 に し が み つ こ う と す る 老 婆 を⋮ ⋮
﹁脚 ﹂ も 区 別 し な い そ う で あ り 、 イ ン ド ネ シ ア 語 も 、 同 様 だ 。
こ れ を 英 訳 し た グ レ ン ・シ ョ ウ は 、(1の ︶方 をfoot,あ と の 方 をleg と 訳 し 分 け て い る 。 ロ シ ア 語 は も 区 別 せ ず 、 ﹁足 ﹂ も
日 本 で は 、 足 に 関 係 し て ヒ ザ も く せ も の で 、 脚 の 関 節 の曲 が る と こ ろ を 普 通 ﹁膝 ﹂と 言 っ て い る が 、 ﹁膝 枕 ﹂ な
ど と いう と き は 、 そ ん な ゴ リ ゴ リ し た と こ ろ を 枕 に す る わ け が な い。 英 語 だ った らkneeで は な く て 、lap であ る 。
こ う い う 日 本 語 の の ん き さ は 、 昔 は も っと は な は だ し か った 。 今 ツ メ と 言 う と 指 先 の カ チ カ チ し た と こ ろ を 指
す が 、 昔 は 、 今 の 指 先 全 体 を 言 っ た ら し い 。 筆 者 は 以 前 、 古 語 辞 典 を 編 集 し た こ と が あ る が 、 ﹁爪 印 ﹂ と い う 項
を 先 行 辞 書 は す べ て ﹁爪 に 印 肉 を つ け て ⋮ ⋮ ﹂ と 解 説 し て い る 。 い く ら 昔 で も 、 そ ん な こ と を す る は ず が な い 。
﹁つ め い た い ﹂、 こ れ が
﹁つ め た い﹂ の 語 源 で あ る な ど 、 いく ら で
﹁ギ タ ー を 取 り て つ ま び け ば ﹂ の よ う に 指 先 で 弾 く こ と で あ る 。 ﹁つ め た い ﹂ と 言 う の は 、 冬 、 氷 な
こ れ は 今 の 栂 印 の こ と に ち が い な い 。 ツ メ が 指 先 で あ る 証 拠 は 、 ﹁つま む ﹂ は 指 先 で も の を 持 つ こ と で あ り 、 ﹁つ ま びく ﹂ は
ど に さ わ る と 指 先 が 痛 い 感 じ が す る 。 つま り も ある。
他国 語 で細分 の例
こ う いう 例 を 見 て い る と 、 身 体 的 部 位 を 細 か く 言 い 分 け る の は 文 明 国 人 の 証 拠 か と いう と 、 そ う で も な い ら し
い 。 レ ヴ ィ= ブ リ ュ ル の ﹃未 開 社 会 の 思 惟 ﹄ に よ る と 、 オ ー ス ト ラ リ ア の 原 住 民 は 人 体 の 些 細 な 部 分 の 一 つ 一つ
にも 名 を も って お り 、 も し 外 来 人 が ﹁腕 ﹂ を ど う 言 う か と 尋 ね る と 、 A は 腕 の上 部 を さす 語 を 、 B は 前 腕 を さ す 語を、 Cは右腕を さす語を 、Dは左 腕をさす語を答 え るだろうと言う 。
アイ ヌ 人 も 身 体 的 部 位 を や か ま し く 区 別 す る。 知 里 真 志 保 と いう ア イ ヌ人 の俊 秀 な 学 者 が 作 った ﹃分 類 ア イ ヌ
語 辞 典 ﹄ と いう も のが あ る 。 そ のう ち の 一冊 、 三 セ ンチ ば か り の厚 い本 であ る が 、 これ が ﹁人 間 篇 ﹂ と 題 し、 全
部 、 体 に つ い て の言 葉 を 集 め て いる か ら 驚 く 。 こ の本 を 開 いて み ると 、 ア イ ヌ 語 の単 語 が A B C順 に 並 ん で い て、
そ れ に 日本 語 の説 明 が つい て いる が 、 一般 に アイ ヌ 語 は 簡 潔 な 一語 であ る が 、 日本 語 の訳 は 長 った ら し く な って
いる 。 例 え ば 、ア イ ヌ 語 でraremp とoい xう の は 、 日本 語 に す る と ﹁目 と 目 の間 ﹂ だ そ う だ 。アイ ヌ語 でkisannin
と いう の は ﹁耳 の付 け 根 の少 し 突 起 し た と こ ろ ﹂ だ そ う だ 。 し ま い に は、 日 本 語 で は 説 明 で き な く な った と こ ろ
があ って、 そ こ は 図 解 を し て いる。 例 え ば、 て の ひ ら の横 、 小指 の付 け 根 の と こ ろ をpiso とyいう そ う で あ る が 、
日本 語 では 、 こ ん な と こ ろ に名 前 を つけ よ う と は 夢 にも 思 わ な か った にち が いな い。
ヨー ロ ッパ の言 語 の中 で 、 フ ラ ン ス語 はま た 同 じ 肉 体 の部 位を 、 い ろ いろ ち が った 表 現 で言 いか え る こ と が盛
ん であ る 。 日本 で シリ と 言 う と 、 臀 部 を 言 う か 、 肛 門 を 言 う かも は っき り し て いな い の に、 松 尾 邦 之 助 に よ る と 、
尻 にあ た る フ ラ ン ス語 の単 語 は 、 隠 語 であ ろ う が 、 ﹁月 ﹂ ﹁時 計 のガ ラ ス﹂ ﹁レ コー ド ﹂ ﹁丸 焼 き の大 型 パ ン﹂ ﹁爆
発 物 ﹂ ﹁列車 ﹂ な ど 数 多 い。 性 器 に 関 し て は な お さ ら のよ う で、 筆 者 は 旧 版 の ﹃日 本 語﹄ ( 昭和三十 二年)を 著 わ す
時 に、 藤 田 嗣 治 の ﹃パ リ の昼 と 夜 ﹄ を 読 み 、 夫 が 妻 を 呼 ぶ愛 称 、 妻 が 夫 を 表 わ す 愛 称 は た く さ ん あ る と 言 って 引 用 し た が 、 あ れ は相 手 の性 器 の隠 語 ら し か った 。 お の が 野暮 を 恥 じ る 。
な ぜ単純 な のか
こ のよ う に 日 本 語 で は 体 の部 分 の名 前 が ご く 単 純 で あ る が、 特 に体 の中 の部 分 、 見 え な い部 分 に な る と 、 い っ
そう そ れ が激 し い。 今 は ﹁肺 ﹂ ﹁心 臓 ﹂ ﹁胃 ﹂ ﹁腎 臓 ﹂ と いう よ う な 言 葉 が あ る が 、 全 部 これ は 漢 語 、 つま り 古 い
中 国 語 であ る 。 と いう こと は、 日 本 人 は 、 中 国 と交 際 す るま では こう いう 名 前 を も って いな か った の で は な い か
と 考 え ら れ る 。 も し 体 の中 の臓 器 で も って いた も の が あ った と す れ ば 、 そ れ は 二 つだ け だ 。 一つは ﹁き も ﹂、 も
いう の はず いぶ ん 文 化 の遅 れ た 言 語 だ った 、 と 思 いた く な る の であ る が 、 こ こ に は 面 白 い問 題 が あ る 。
う 一つは ﹁は ら わ た﹂ の ﹁わ た ﹂、 こ れ だ け し か 日 本 人 は 区 別 し て いな か った よ う だ 。 こ れ を 見 る と 、 日 本 語 と
ド イ ツ語 あ た り で は 、 こ の種 の語 彙 が 多 いば か り で な く 、 ご く 日 常 化 し て いる よ う だ 。 緒 方 富 雄 ( ﹃言語生活﹄
昭和三十年六月号)に よ る と 、 彼 の 兄 が 大 学 院 の小 児科 に い る こ ろ、 ド イ ツ人 の 母 親 が 子 供 を 連 れ て 来 て、 マー ゲ
ン ( 胃 ) が ど う 、 ダ ー ル ム (腸 ) が どう 、 ア ペチ ット ( 食 欲 ) が どう と や る 。 つ い、 こ の母 親 は 学 校 で医 学 を 修 め た の か な 、 と 思 いそ う にな った と いう 。
アイ ヌ 語 は ま た 体 の臓 器 に も 詳 し い言 語 で ﹃分 類 ア イ ヌ 語 辞 典 ﹄ を 開 い て み る と 、 ﹁胃 ﹂ でも ﹁腸 ﹂ で も ﹁肺
臓 ﹂ でも ﹁心 臓 ﹂ で も 、 アイ ヌ語 で は 名 前 が見 事 に 呼 び 分 け ら れ て いて 、 ま る で医 学 書 を 読 む よ う な 気 が す る 。
断 って お く が 、 ア イ ヌ語 は 何 で も 細 か く 言 い分 け る わ け では な い。 植 物 な ど は いた って 無 関 心 で サ ク ラ ソ ウ も ナ
獣 の肉 を 食 べ
デ シ コも 名 前 を も た な い。 そ れ が体 の部 分 名 や 臓 器 の名 前 に な る と 、 俄 然 関 心 を 示す の であ る 。 そ れ に し ても 、 ど う し て 日 本 語 は 、 人 間 の 体 に 関 す る 言 葉 が単 純 な の だ ろ う か。
食 べも の のちが い
これ は 、 食 べも の の違 いに も と づ く も のと 考 え ら れ る 。 日本 人 は ほ と ん ど 肉 食 を し な か った︱
な か った 。 これ に 対 し て、 欧 米 人 で も 中 国 人 で も 、 牛 肉 を 食 べ、 豚 肉 を 食 べる 。 牛 や 豚 を 解 剖 す る と 、 牛 の内 臓
の様 子 が よ く わ か る 。 それ に 一つ 一つ名 前 を つけ て い った 、 そ れ を 人 間 に応 用 し た結 果 の よう で あ る。
アイ ヌ の人 た ち は 、 昔 は ク マを 食 べ て いた 。 ク マの 肉 で 一番 お いし いと こ ろ は ど こ か 。 中 国 人 は 熊 の掌 を 珍 重
す る が 、 アイ ヌ人 の場 合 は 、 小 指 の つ け ねpiso なyのだ 。 ク マは 冬 眠 を す る前 にpios をy 使 って 、 ア リ を す り つ
ぶ す 。 そ のた め 、 そ こ に ア リ の血 が ベ ット リ つく が 、 これ は 甘 酸 っぱ い味 が す る 。 ク マは 冬 眠 の途 中 で目 がさ め
る と 、 こ こを ベ ロ ベ ロな め る のだ そ う だ。 そ う いう 関 係 で ク マ の肉 はpiso のy 部 分 が 一番 お いし い、 と いう 風 に
し て 、 熊 の体 の各 部 分 に名 前 を つけ た 。 そ れ を 人 間 の身 体 に 適 用 し た と いう わ け であ る。
日本 は よほ ど特 別
日 本 人 は 獣 肉 を 食 べず 、 代 わ り に魚 を 食 べた 。 だ か ら 魚 に あ る 臓腑 に は 名 前 が つく 。 タ ラ を 食 べれ ば 肝 臓 が 大
き いし 、 イ ワ シを 食 べれ ば 腸 が 目 立 つ。 そ れ で 肝臓 に 対 し て キ モと 名 付 け 、 腸 に 対 し て ワタ と つけ た 。 こ のキ モ と ワタ が 日本 人 が和 語 で言 え る 二 つの臓 器 だ 、 と いう の は そう いう 理由 に よ る。
三 十 余 年 以 前 、 ア メ リ カ の言 語 学 者 ス ワデ ィ ッシ ュが 唱 道 し 、 日本 で も 一人 、 強 く 支 持 す る 学 者 が いた 学 説 に 、
︿言 語年 代 学 ﹀ と いう 学 問 が あ った 。 ス ワ デ ィ ッシ ュは、 ﹁世 界 の諸 言 語 に は 、 変 化 し にく い基 本 的 な 単 語 があ り 、
そ の単 語 が何 パー セ ント 一致 す る か によ って 、 ち が った 言 語 間 の系 統 関 係 の有 無 が 判 定 で き る ﹂ と いう 説 を 立 て
た 。 彼 が 基 本 的 な 単 語 と し て え ら ん だ 二 〇 〇 語 の中 に は 、 hou es と かgirと lか いう 単 語 は 入 って お ら ず 、guts,
未 開 社 会 の 言 語 でも ご く ふ つう の
he art,lと iv いう er よ う に、 内 臓 の名 が 三 つも 入 って いた 。( ﹃言語研究﹄ 昭和 二十九年十 二月) こ れ だ け でも 、 こ の 学 問 は ち ょ っと 高 く は買 え な いと 思 わ れ る が 、 し かし 、 これ が 多 く の言 語 で︱ 語 で あ って、 日本 語 は 非 常 に珍 し い言 語 で あ る こと が 想 像 さ れ る 。
最 後 に、 日 本 語 に は 、 生 理 現象 を あ ら わ す 語 で ヨー ロ ッパ に な い語 が あ る 。 そ れ は 、 ワキ ガ と いう 単 語 だ︱
と いう 説 を 人 類 学 の本 で 読 ん だ 記 憶 が あ る 。 ヨー ロ ッパ 人 に は 体 臭 が つき も のな ので 、 特 に 問 題 にし な い のだ と
いう 説 明 が つ い て いた が 、 ど う で あ ろ う か 。 日 本 語 の モチ ハダ ・サ メ ハダ と いう 単 語 も 、 日本 人 が皮 膚 のキ メ の 細 か さ を 問 題 にす る と こ ろ から 出 た 、 日本 語 ら し い単 語 だ と いう 。
慣 用句 に は⋮ ⋮
手 を 切 る 、 手 を 貸 す 、 手 を 出す 、 手 を 拡 げ る ⋮ ⋮
頭を下 げる、頭を 痛める ⋮⋮
目 を か け る 、 目 を 付 け る 、 目を つ ぶ る ⋮ ⋮
日本 人 は、 以 上 のよう に 、 肉 体 や 生 理 に関 し て関 心 が 少な いよ う に 見 え る が 、 不 思 議 な こと は、 慣 用句 の中 に は 、
後 指 を さ さ れ る (‖後 か ら 指 を さ さ れ る )
小 鬢 を か す め る (‖ち ょ っと鬢 を か す め る )
小 膝 を た た く (‖ち ょ っと 膝 を た た く )
大 手 を 振 る (‖大 き く 手 を 振 る )
の よ う に、 そ れ ら に関 す る も の が 他 国 語 な み に 多 いこ と であ る。 そ れ と 同 時 に、 こ う いう 慣 用 句 の中 に は 、
のよ う に 、 肉 体 を 表 わ す 言 葉 の前 に 接 頭 語 を つけ て、 論 理 的 に は 変 則 的 な 表 現 を す る も の が 多 い こ と で あ る 。
﹁大 手 を 振 る﹂ と は 、 大 き な 手 を 振 る の で は な い。 よ く 話 題 に な る 語 句 ﹁小 股 が 切 れ 上 が った い い女 ﹂ も こ の応
って こ の よ う な 表 現 が 多 い のは 、 な ぜ で あ ろ う か 。 思 う に 、 肉 体 を 表 わ す 言 葉 を スト レー ト に 言 う と 生 々し い感
用 で ﹁少 し 股 が 切 れ 上 が った ﹂ の意 、 つま り 、 ふ つう の人 よ り も 脚 が 少 し 長 い女 の意 だ 。 肉 体 を 表 わ す 言 葉 に 限
じ を 与 え て 不 快 で あ る 。 そ ん な こと か ら 、 接 頭 語 、 こと に ﹁小 ﹂ と いう 接 頭 語 を つけ て 、 いわ ば ヴ ェー ルを か ぶ
せ た 表 現 を し て いる の で、 こ のあ た り に 肉 体 を は っき り 口 にす る の を 避 けよ う と す る 日 本 人 の気 持 が表 わ れ て い る の で は な か ろう か 。
肉 体を 話題 に は⋮ ⋮
一般 に 、 日本 人 は 肉 体 を 口 にす る こ と を 厭 う 。 第 六節 で の べ る が 、 日本 人 は 人 を 、 着 て いる も の に よ って描 く
﹃風 と 共 に 去 り ぬ ﹄ だ と 、 巻 頭 に 、
ス カ ー レ ット ・オ ハラ は 美 人 で は な か った が 、 ふ た ご の タ ー ル ト ン 兄 弟 が そ う だ った よ う に 、 ひ と た び 彼 女
傾 向 が あ る。 こ れ が例 え ば 、 ア メ リ カ の
( 海 岸 )﹂ 貴 族 の 出 で あ る 母 親 の デ リ ケ ー ト な 目 鼻 だ ち と 、 ア イ ル ラ ン ド 人 で あ る
の 魅 力 に と ら え ら れ て し ま う と 、 そ ん な こ と に 気 の つ く も の は 、 ほ と ん ど な い く ら いだ った 。 そ の 顔 に は 、 フ ラ ン ス 系 の ﹁コ ー ス ト
父 親 の あ か ら 顔 の 粗 野 な 線 と が 、 め だ ち す ぎ る ほ ど 入 り ま じ っ て い た 。 し か し 、 さ き の と が った 角 ば った あ
ご な ど 、 妙 に 人 を ひ き つ け る 顔 で あ る 。 目 は 、 茶 の す こ し も ま じ ら な い 淡 碧 で 、 こ わ く て 黒 い ま つ毛 が 、 星
の よ う に そ の ま わ り を ふ ち ど り 、 そ れ が 目 じ り へき て 心 も ち そ り か え って い る 。 そ の 上 に 、 黒 く て 濃 い 眉 が 、
や や つ り あ が り ぎ み に 、 も く れ ん の よ う な 白 い 肌 に 、 あ ざ や か な 斜 線 を ひ い て い た 。( 河 出 書 房版 ) と いう 描 写 が あ る 。 いか にも ア メ リ カ 的 で あ る 。
いる のを 見 て 、 異 様 な 感 じ を 覚 え た も の で あ る 。 あ あ いう も のは 、 スポ ー ツ の 選 手 や 相 撲 取 り の場 合 に こ そ問 題
筆 者 の 記憶 し て いる と こ ろ で は 、 終 戦 直 後 の こ ろ 、 新 聞 紙 上 に天 皇 陛 下 と 皇 后 陛 下 の身 長 と 体 重 が 発 表 さ れ て
に な る こと で 、 そ う いう 高 貴 な 方 のそ う し た も のを 知 る こと は 恐 れ 多 いき わ み と 思 って いた か ら であ る 。 皇 后 陛
っても 、 針 は ピ ンと 零 のと ころ を さ す の で はな いか 、 ︱
と いう よ う な 気 が し て い た の で 、 あ の 発 表 は 筆 者 に と
下 が 身 に つ け た も の を 脱 い で は か り の 上 に お 乗 り に な った ら 、 は か り の 方 で 恐 縮 し て ど ん な に 肥 って い ら っし ゃ
っ て は ち ょ っ と シ ョ ッ ク だ った 。
肉体 の忌避
そ の こ ろ ア メ リ カ か ら 送 って 来 た 菓 子 に 、 チ ョー ク ぐ ら い の 大 き さ で 、 ピ ン ク 色 の ふ わ ふ わ し た 甘 い の が あ っ
﹁長 良 川 ﹂ と か 命 名 し た ろ
た 。 名 前 を 見 る と レ イ デ ィ ー ズ ・フ ィ ン ガ ー と あ る 。 た し か に 女 性 の 美 し い指 に 似 て い る 。 し か し 日 本 人 だ った
ら 、 食 べ る 物 に そ ん な 名 前 は つ け ま い 。 魚 の ア ユ か 何 か に 見 立 て て 、 ﹁多 摩 川 ﹂ と か
う と 思 った こと だ った 。
﹃古 今 集 ﹄ や ﹃ 新 古 今 集 ﹄ な ど に は、 ﹁目﹂ と か 、 ﹁鼻 ﹂ と か 、 あ る いは ﹁手 ﹂ と か ﹁足 ﹂ と か いう 語 彙 を 見 な い。
短 歌 に肉 体 を 多 く 詠 ん だ 人 は 、 明 治 の 石 川 啄木 で 、 働 いて も 食 え な いと 言 って は 手 を 見 つめ た り 、 小 奴 のや わ ら
か な 耳 朶 を 思 い出 し た り 、 す っぽ り蒲 団 を か ぶ って足 を ち ぢ め 舌を 出 し て み た り し た歌 が並 ん で い る。 さ す が に 時 代 の先 端 を ゆく 歌 人 だ った 。
生 理に関 す る語彙
戦 前 、 ﹃国 語 運動 ﹄ と いう 雑 誌 に 、 英 語 学 者 ・宮 田 幸 一が こ ん な 話 を 紹 介 し て いた 。 あ る 日本 人 が 胃 か ら 赤 い
も のを 吐 いた 。 病 院 へ電 話 を か け ﹁赤 いも のを 吐 き ま し た ﹂ と 伝 え た と こ ろ 、 医 者 は て っき り結 核 患 者 と 思 い、
慎 重 き わ ま る 診 察 を し た 。 が、 あ と で、 こ れ は簡 単 な 消 化 不 良 であ る こと が わ か り 、 な あ ん だ と いう こ と に な っ
た と いう ので あ る 。 宮 田 は 、 こ の悲 喜 劇 の原 因を 、 日本 語 に 、 胃 か ら ﹁はく ﹂ と 、 呼 吸 器 か ら ﹁は く ﹂ と の区 別
が つか な いこ と か ら 生 じ た も の であ る と 説 明 し た 。 た し か に 中 国 か ら 来 た 漢 語 に は ﹁吐 血 ﹂ と ﹁喀 血 ﹂ の区 別 が
あ る 。 こう いう 例 か ら考 え る と 、 日本 語 は 肉 体 の部 位 のち が い に の ん き であ る と 同 時 に 、 生 理 に 関 し て大 ま か だ
と 言 え そ う だ 。 英 語 な ど は そ の区 別 だ け でも 満 足 せ ず 、 空 気 を 吐 く のは breathe血o をu はtく,の はspi咳 t, をし て 吐 き 出 す の はcougと h区 別 す る 。
フラ ン ス 語 に は 、 こ う いう 生 理 ・衛 生 に 関 す る 語 彙 が 特 に 多 いと 聞 く 。 ﹁妊 娠 す る ﹂ は 、 日本 語 に も ﹁た ね を
宿 す ﹂ ﹁す っぱ いも のが 食 べた く な る ﹂ のよ う な 言 い か え は 少 し あ る が、 松 尾 邦 之 助 の著 書 か ら 例 を 引 く と 、 ﹁抽
斗 に カ ツ レ ツを 入 れ る ﹂ ﹁気 球 を も つ﹂ ﹁小 丘 を も つ﹂ ﹁エ ンピ ツを な め る﹂ な ど 、 お び た だ し い言 い方 が あ る。
キズ や病気 の語彙
こう いう 日本 人 であ る か ら 外 傷 に 関 し ても ノ ンキ で、 キ ズ ・ケ ガ 以 外 は 二 次 的 名 称 を 用 い、 ﹁疵 ﹂ ﹁ 傷 ﹂ ﹁痍 ﹂
﹁創 ﹂ 以 下 を 使 い分 け る 中 国 人 や 、 cut (切 り傷 )、 brui( s 打e 撲 傷 )、wound ( 銃 や 刀 な ど に よ る も の)、gah s( 重
傷 )、sca( r 傷 跡 )、scrh at ( 掻 cき 傷 ) な ど を 使 い分 け る 英 米 人 と 対 照 を な す 。 ア メ リ カ イ ン デ ィ ア ン の ア ビ ポ ン
族 の言 葉 でも 、 そ のキ ズ が人 の歯 によ って でき た か 、 動 物 の歯 によ って でき た か 、 小 刀 や 矢 で 負 った か に よ って 言 い分 け ら れ る と いう 。( ﹃ 未開社会の思惟﹄)
病 気 に つ い ても 、 日 本 人 はあ ま り 関 心 を も た ず 、 肺 結 核 ・肋 膜 炎 ・胃 癌 ・チ フ ス ・コ レ ラな ど 、 ほ と ん ど が漢
語 か 洋 語 で 、 和 語 のも の は 非 常 に 少 な い。 森鴎 外 が 書 いて いた が、 ド イ ツ人 を 診 察 す る と 、 ド イ ツ人 は腹 痛 だ け
で も 、 日 常 語 と し て ど う いう 風 に痛 いか で、 細 か く 言 いわ け る か ら 診 察 が や り よ いそ う だ 。 そ れ に対 し て 日本 人
の方 は馬 鹿 の 一つ覚 え で ﹁こ の辺 り が 痛 い﹂ と いう だ け で 、 は な は だ 診 断 し にく いと の こと だ った 。
死 を表 わす 語
最 後 に 、 ﹁死 ぬ ﹂ と いう 行 為 に 対 し て は 、 日本 語 の語 彙 は 多 いよ う だ 。 こ れ は 命 を 比 較 的 軽 ん じ 、 自 殺 す る こ と を む し ろ よ いこ と だ と考 え た こ と に よ る 。
ハラ キ リ は 、 実 際 に は 日 本 人 は 使 わ な いが 、 日本 語 の中 で最 も 早 く 世 界 中 に ひ ろ ま った 語 と し て 知 ら れ て いる 。
( 芳賀矢 一 ﹃日本人﹄) こ の ハラキ リ の中 にも 、 ツ メ バ ラ ・オ イ バ ラ そ の他 の分 類 が で き て いる 。 ﹁心 中 ﹂ は 、 森鴎
s とu出 iて ci いd るe が、 こ れ で は あ の情 緒 は 感 じ ら れ な い。 森鴎 外 が ド イ ツ の 図 書 館 で、 片 っ端 か ら
外 以 来 、 ﹁西 洋 に は そ の実 あ れ ど も そ の 名 な し ﹂、 つま り 翻 訳 不 能 の 日本 語 と し て 知 ら れ て いる 。 和 英 辞 典 を 引 く と 、double
む こう の小 説 を 読 ん で み た が 、 心 中 事 件 を 扱 った の は 二 つし か な か った そ う だ。
同 意 語 の ﹁情 死 ﹂ も 実 は 日 本 製 漢 語 で、 中 国 語 で は な い。 つ いで に ﹁戦 死 ﹂ は 、 ﹃風 と 共 に去 り ぬ ﹄ の映 画 の
中 の 戦 争 公 報 を 見 て いて気 が 付 いた が 、 英 語 に 訳 す と 、"Smith
was の kよ iう lに le 、d 他. 動"詞 を 受 身 の形 にす る。
そ れ を 、 日本 語 で は ﹁戦 死 す る ﹂ と 言 う 。 つま り 一般 の ﹁死 ぬ ﹂ ﹁投 身 す る ﹂ と 同 じ よ う に 自 動 詞 の 形 で言 う と こ ろ、 勇 ま し く 、 悲 し い。
二 人 間 の動 作 を いう 言 葉 ﹁見 る﹂ の言 い分け
体 の動 き を 表 わ す 言 葉 に つ い ても 、 日 本 語 で は 単 純 であ る 。 こ の点 で も 、 中 国 語 あ る いは 英 語 と は 大 変 違 う 。
た とえ ば 、 漢 和 辞 典 の ﹁見 ﹂ と いう 部 首 を 見 る と 、 ま ず こ の部 首 を 代 表 す る 文 字 があ り 、 そ こ に は 実 に たく さ
ん の漢 字 が 並 ん で い て、 ﹁視 ﹂ ﹁覩 ﹂ ﹁観 ﹂ ﹁覧 ﹂ ⋮ ⋮ な ど み ん な ミ ル と読 む こ と に な って いる のは 驚 く ほ か はな い。
二 次 的 な 語 で 言う ほ
こ の他 に ﹁目 ﹂ と いう 部 首 も あ り 、 そ こ に も ﹁看 ﹂ ﹁眺 ﹂ ⋮ ⋮ な ど の 字 が並 ん で いる 。 日 本 語 で は 一次 的 な 動 詞
と し て は 、 ミ ルと か ナ ガ メ ルし か な く 、 あ と 、 ミ ツ メ ル ・ミ ワタ ス ⋮ ⋮ のよ う な 複 合 語︱ か は な いが 、 それ で も 、 中 国 語 ほ ど 言 い分 け は で き な いかも し れ な い。 ﹁笑 う ﹂ ﹁泣 く ﹂ は 英 語 に 語 彙 が 多 く 、 cr︱ y
ヒ イ ヒイ 泣 く
ク ス ン ク ス ン泣 く
blub︱ ber オ イ オイ 泣 く w himper︱ シ ク シ ク泣 く pule︱
メ ソ メ ソ泣 く so b︱
mewl︱ 弱 々し く 泣 く
ワ ァワ ァ泣 く weep︱
を 区別す る。
移動 を言 う語 彙
﹁あ る く ﹂ と いう 動 作 に対 し て も 、 漢 和 辞 典 に は ﹁彳﹂ と いう 専 門 の部 首 が あ って た く さ ん の字 が並 ん で いる 。
さ ら に ﹁走 ﹂ と いう 部 首 も あ り、 そ こ にも 数 多 く の字 が 並 ん で いる が 、 こ と に ﹁さ ま よ う ﹂ に あ た る文 字 が 多 い こ と が 目 に つく 。
一般 に位 置 の移 動 に 関 す る 動 詞 は 、 ド イ ツ語 や ロシ ア 語 な ど に 豊 富 であ る 。 ド イ ツ語 で は ﹁行 く ﹂ は 、 ま ず 一 般 に はgehen 乗, 物 に 乗 って いけ ばfahre馬nに ,乗 って 行 け ば reiと te ちn がう。
ま た ﹁と ぶ ﹂ と いう 言 葉 が あ る が 英 語 で はjump とflyと を 言 い分 け る 。 日本 語 に ﹁は ね る ﹂ と いう 言 葉 も あ
る が 、 それ を や は り ﹁と ぶ ﹂ と も 言 う 。 言 語 学 者 ・岩 井 隆 盛 は、 盲 唖 学 校 の教 師 を し て いた こ と があ る が 、 目 の
見 え な い子 供 た ち に、 鳥 の模 型 を さ わ ら せ 、 ﹁こ れ は 鳥 と いう も の で 、 と ぶも のだ よ ﹂ と 教 え た 。 と 、 か れ ら は 、
鳥 と いう も のは 、 足 の下 に ゲ タ のよ う な も のを つけ て お り 、 ウ サ ギ や バ ッタ のよ う に ぴ ょ ん ぴ ょん は ね て 動 く も
のだ と 誤 解 し た そ う だ 。 足 の下 に ゲ タを は いた も のと 誤 解 し た のは と も か く と し て 、 鳥 は は ね る も の と 誤 解 し た のは 、 日本 語 のト ブ がflyとjump 両 方 を 意 味 す る た め にち が いな い。
方 言 に は 、 早 く 駆 け る こ とま で ﹁と ぶ ﹂ と いう こ と が あ って 、 東 京 の中 学 校 の体 操 の時 間 に、 そ う いう 地 方 出 身 の先 生 に ﹁と べ﹂ と 言 わ れ、 と び はね て 叱 ら れた 生 徒 があ った 。
擬態 語 の活 用
手 で持 つ
〓︱
ヒ ジ に 引 っ掛 け て 持 つ
中 国 語 で は ま た 、 ﹁も つ﹂ と いう 言 葉 に つ いて 、 た く さ ん の文 字 が あ る 。 手 偏 の字 が た く さ ん あ り、 一つ 一つ
所 有 す る 拿
意 味 が 違 う のだ そう だ 。 有︱
帯︱
︱
両 手 で 捧 げ 持 つ
両 手 で 挟 む よ う に し て持 つ
提︱
手 でぶらさげる
身 に つけ て 持 つ
捧︱ ︱
揣
以 上 のよ う な 例 を 見 ると 、 日 本 語 と いう も の は 不 便 な 言 葉 で、 そ のよ う な 表 現 が でき な い か と いう と 、 そう で
は な い。 ﹁見 る ﹂ のと ころ で述 べた よ う に 、 複 合 動 詞 で言 った り 、 あ る いは ﹁も つ﹂ の よ う に修 飾 句 を つけ た り 、
こ と に 注 意 す べき は ﹁泣 く ﹂ のよ う に 擬 音 語 を 使 う こ と に よ って 細 か いち が い が表 わ さ れ る。
チ ラ ッと 見 る 、 ジ ッと 見 る 、 ジ ロジ ロ見 る 、 シ ゲ シ ゲ と 見 る
﹁見 る ﹂ の場 合 は 、 な ど があ り 、 ﹁歩 く ﹂ の場 合 は、
テ ク テ ク 歩 く 、 ス タ ス タ 歩 く 、 ブ ラ ブ ラ歩 く 、 ヨチ ヨチ 歩 く 、 ト ボ ト ボ歩 く 、 シ ャナ リ シ ャナ リ歩 く
な ど があ る 。 た だ し こ のよ う な 場 合 、 た だ 外 か ら 見 た 客 観 的 な 様 態 のち が いだ け で は な く て、 歩 い て いる 人 の 心
情 のち が いも 想 像 し て 言 い分 け て いる点 が 日本 的 で あ る 。
三 心 理 を 表 わ す 言 葉 心理 の細 か さ
肉 体 関 係 の語 彙 が 乏 し い の に 対 し て、 日本 語 で は 、 心 理内 容 を 表 わ す 感 情 関 係 の語 彙 は 実 に豊 富 であ る。 以 前
の 上智 大 学 の学 長 だ った カ ンド ー 神 父 は 、 日本 語 のう ち で 最 も 理 解 し に く い語 は 、 ﹁ 気 ﹂ と いう 言 葉 を 使 った 表
現 だ と 言 って いた 。(﹃バスクの星﹄) な る ほ ど 、 ﹁気 に か け る ﹂ ﹁ 気 に障 る﹂ ﹁ 気 にや む﹂ ﹁ 気 を 配 る ﹂ ﹁気 が ね を す
る﹂ ﹁気 が お け な い﹂ ﹁気 ま ず い﹂ ﹁気 が ひ け る ﹂ な ど、 微 妙 な 心 理 の動 き を 表 わ す 語 彙 は 日本 語 に いく ら でも あ
り 、 こ れ は フラ ン ス 語 や ス ペイ ン語 に訳 し 分 け ら れな いと 言 わ れ ても 、 そ う だ ろう と 思 う 。
高 橋 義 孝 が い つか 言 って いた 。 ﹁私 の仕 事 は ド イ ツ の文 学 作 品を 日本 語 に 訳 す こ と で あ る 。 し か し こ れ は 大 変
楽 し い こと だ 。 日 本 語 に は 心 理 の変 化 を 表 わ す 語 彙 が 見 事 に備 わ って いる 。 だ か ら ド イ ツ人 のど の よう な 微 妙 な 心 理 で も 、 日本 語 で的 確 に 訳 出 す る こと が で き る 。﹂
悔し い
慶 應 大 学 の フ ラ ン ス語 学 の松 原 秀 一の フ ラ ン ス 帰 朝 談 が、 い つか慶 應 大 学 の ﹃塾 ﹄ と いう 機 関 誌 に 載 って いた
が 、 お も し ろ か った。 彼 が パ リ に フ ラ ン ス語 の 研究 に行 った ら 、 向 こ う の学 生 た ち に 日本 語 の講 義 を 求 め ら れ た 。
そ の時 感 じ た こと は、 日本 語 の何 でも な い心 理を 表 わ す 形容 詞 の意 味 を 教 え る の がむ ず か し いこ と だ った と いう 。
例 え ば ﹁悔 し い﹂ と いう 単 語 を 教 え る の に 大 分 骨 折 った と いう 。 ﹁で は 、 君 が 駅 に か け つけ た が、 一足 ち が い
で 乗 り 遅 れ た ら 、 どう 思 う ンだ ? ﹂ と 聞 いた ら 、 ﹁も っと 早 く 来 れ ば よ か った と 思 う ﹂ と 答 え た 。 ﹁で は 、 答 案 を
出 し た あ と で 、 名 前 を 書 く のを 忘 れ た こ と に 気 が 付 いた ら 、 ど う 思 う か ? ﹂ と た ず ね た ら 、 ﹁何 と 私 は ば か な ん
だ ろ う な アと 思 う ﹂ と 言 った 。 ﹁で は 最 後 に 、 君 に 必 ず 結 ば れ る と 思 って いた 恋 人 が いた が 、 そ れ が最 後 の土 壇
場 で急 に 君 の友 人 と 結 婚 し て し ま った ら 、 君 は ど ん な 気 持 に な る か ? ﹂ と た ず ね た ら、 ﹁そ れ が 人 生 だ と 思 いま す ﹂ と 答 え た そう だ 。
擬情 語
日本 語 には 擬 声 語 ・擬 態 語 と いう も の が多 い こと は のち に述 べ る が 、 そ れ が さ ら に 進 ん で、 擬 情 語 と いう のま
であ る こ と は 、 ち ょ っと知 ら れ て いな いよ う だ 。 ﹁イ ライ ラし て いる ﹂ ﹁ム シ ャク シ ャし て い る﹂ ﹁ヤ キ モ キ し て い る﹂ な ど が そ れ であ る が 、 こう いう のは 外 国 人 は 理解 困 難 であ ろ う 。
日本 で 漢 語 と 呼 ば れ る 一群 の 語彙 の中 に は、 日本 で作 った 和 製 漢 語 と いう も の が 多 い が、 そ の中 に 心 理 作 用、
心 理 状 態 を 表 わ す も の が 多 い こ と は 注 意 す べき だ 。 例 え ば 、 ﹁心 配 ﹂ ﹁懸 念 ﹂ ﹁立 腹 ﹂ ﹁平 気 ﹂ ﹁本 気 ﹂ ﹁大 丈 夫 ﹂
﹁ 未練﹂﹁ 存 分 ﹂ ﹁存 外 ﹂ ﹁案 外 ﹂ ﹁大 儀 ﹂ ﹁懸 命 ﹂ ﹁勘 弁 ﹂ ﹁得 心 ﹂ ﹁納 得 ﹂ ﹁承 知 ﹂ ﹁用 心 ﹂ ﹁料 簡 ﹂ ﹁辛 抱 ﹂ ﹁遠 慮 ﹂
﹁ 覚 悟 ﹂ ﹁頓 着 ﹂ な ど は 、 いず れ も そ の例 で、 日 本 人 が 心 理 のち が いを 何 と か し て 言 い分 け よう と し た 苦 心 のあ と が見える。
外 国語 に訳 し にく い単 語
外 国 語 に 訳 し に く い、 と いう こ と で有 名 な 単 語 も いく つか あ る が 、 ア メ リ カ 人 の 言 語 に は ﹁も った いな い﹂ と
いう 単 語 が な いと 言 わ れ た 。 現 代 の 若 い人 は 理 解 困 難 か も し れ な いが 、 わ れ わ れ は 子 供 の時 か ら 、 御 飯 を 一粒 で
も こ ぼ し た り 残 し た り す る と 、 も った いな いと 言 わ れ 、 ま た 新 聞 に は さ ま れ て く る広 告 な ど も 、 裏 の白 いも の は ﹁も った いな い﹂ と い って 習 字 の 紙 と し て 保 存 し た も の であ る 。
﹁懐 し い﹂ と いう 言 葉 も 日本 人 の好 き な 言 葉 で あ る が、 これ に ぴ った り当 る 英 語 がな い、 とも よ く 言 わ れ る 。 ド
イ ツ人 のK ・フ ィ ッ シ ャー が 雑 誌 に書 いて い る が 、も し ﹁懐 し い﹂を ド イ ツ語 に 訳 す な ら ば 、 ﹁そ れ に つ い て喜 ぶ ﹂
と いう 言 葉 と 、 ﹁思 い出 す ﹂ と いう 言 葉 と 二 つ組 合 わ せ な け れ ば な ら な いと いう 。 ﹁名 残 り 惜 し い﹂ も 訳 し にく い
そ う だ 。 ﹁さ り げ な く ﹂ は 和 英 辞 典 で は長 い訳 が つ いて い る が 、 これ も ぴ った り の言 葉 のな い 日本 語 であ ろう か 。
R ・ベネ デ ィク ト の ﹃ 菊 と 刀 ﹄ の中 に 、 ﹁ 無 心 に﹂ と いう 単 語 を me chanica( 機 ll 械y 的 に)と 訳 した と ころ が あ る。 が 、 ず いぶ ん ち がう 。 ﹁無 心 に﹂ も 訳 し にく い言 葉 な のだ ろ う か 。
wish
to
be
as
lu とc なkっ yてし as ま うyがo、 uこ れ ar でe は.相"手 の成 功 を 努 力 の 成
特 殊 な 単 語 で あ る が、 落 語 に出 て く る 有 名 な 言 葉 に 、 ﹁あ や か り た い﹂ と いう 言 葉 が あ る 。 こ れ も 英 語 に 訳 し にく い。 し い て 訳 せ ば 、"I
果 と 認 め ず 、 単 な る 幸 運 と 解 釈 す る こと にな る 。 だ か ら 言 わ れ た 方 は 不快 に な る わ け で、 こ のあ た り、 日 本 人 の 特 殊 な 心 の働 き が う か がわ れ る 。
恥 に関 す る言葉
と こ ろ で、 日本 語 に心 理 を 表 わ す 単 語 が多 いと い って も 、 はた し てど う いう 種 類 のも の が 多 いか 。
ベネ デ ィク ト は 、 日本 文 化 を 恥 辱 感 の文 化 だ と 説 いた が 、 た し か に 日本 人 は 恥 じ て傷 つく こ と が多 い。 西 鶴 の
﹃武 家 義 理物 語 ﹄ に 出 て く る 話 で あ る が 、 滝 津 と いう 武 士 が 、 あ る と き 、 肌 脱 ぎ にな って灸 点 に紙 を 張 って いた
と こ ろ が 、 同 僚 の竹 島 と いう も の が こ れ を 手 伝 い つ つ、 ふ と 滝 津 の背 中 の小 さ な 疵 に 目 を と め ﹁これ は 逃 げ 疵
か﹂ と 言 った 。気 軽 に 冗 談 の意 味 で言 った の であ ろう 。 こ の 一言 が お だ や か でな か った 。 か り にも 疑 わ れ た 滝 津
は、 傷 つき や す い性 質 だ った と み え て 、 た だ ち に こ れ を も って 武 士 の体 面 を け が さ れ た も のと し 、 疵 の原 因を 外
科 医 に 証 明さ せ た 。 こ れ だ け で も いさ さ か お と な げ な いと 思 わ れ る の に 、 か な ら ず 竹 島 を 討 ち 果 た さ では おく ま
いと 心 に 誓 った と 言 い、 こ れ が 果 た し 合 い の き っか け に な る の で あ る か ら 、 ず い ぶ ん 気 に や ん だ も の であ る 。 ( ﹁発明は瓢箪 より出 る﹂)
恥知 らず
第 二 次 世 界 大 戦 の時 、 シ ン ガポ ー ル が陥 落 し て、 英 国 人 が 捕虜 にな って ぞ ろ ぞ ろ 小 さ な な り の 日本 人 に つき そ
わ れ て 行 進 し て 来 た 。 日本 人 が そ れ を 眼 に し て、 何 と いう 恥 知 ら ず の人 た ち だ ろ う と 言 った 。 が、 終 戦 後 、 ア メ
リ カ と 友 好 関 係 が 結 ば れ 、 早 稲 田 大 学 の学 生 が 野 球 の試 合 に ア メ リ カ へ出 か け た が 、 ま だ 食 糧 事 情 も 悪 いこ ろ の
こ と で惨 敗 し た 。 と 、 彼 ら は グ ラ ンド の真 ん 中 に集 ま り 、 肩を 抱 き 合 って お いお い泣 い た と いう 。 ア メ リ カ の観
客 は そ れ を 見 て ﹁何 と いう 負 け っぷ り の悪 い奴 ら だ ろ う ﹂ と 批 評 し た と いう 。 日本 人 の感 情 と し て は 、 自 分 た ち
は 一国 の栄 誉 を 担 って 試 合 に臨 ん だ 、 それ が 、 こ ん な 成 績 で は 、 何 の カ ン バ セあ って故 国 の人 た ち に 見 え ん や 、
と いう 気 持 だ った と 思う が 、 と に か く 日本 人 にと って は ﹁恥 知 ら ず ﹂ と いう の は 最 高 の悪 口 だ った。
グ ロー タ ー ス の言 に よ る と 、 日 本 の娘 に フ ラ ン ス語 を 教 え て いる が、 よ く 出 来 る 。 感 心 し て、 じ ゃあ 今 度 テ ス
ト を し ま し ょ う と 言 う と 、 途 端 に 来 な く な る 。 欧 米 人 だ った ら そ う いう 場 合 、 こ れ は 熱 心 な 先 生 だ と 感 謝 し て テ
ス ト を 受 け に 来 る 。 日本 人 は出 来 な く て 恥 を か いて は いや だ と 思 って来 な く な る よ う だ が 、 あ の気 持 は は じ め 、 ち ょ っと 分 か り か ね た と の こ と だ った 。
間が 悪 い
日 本 人 に と って は ﹁ハジを カ カ ヌよ う に ﹂ と いう の が毎 日 の行 動 を 規 定 す る 根 本 精 神 であ る。 そ れ を 反 映 し て、
恥 辱 感 に 関連 し た 語 彙 が 多 い。 ﹁恥 ず か し い﹂ ﹁き ま り が 悪 い﹂ ﹁み っと も な い﹂ ﹁て れ く さ い﹂ ﹁間 (ば つ) が 悪
い﹂ ﹁か っこう が つか な い﹂ ﹁ひ っこ み が つか な い﹂ 等 、 等 、 等 。 動 詞 で いう な ら ば 、 ﹁てれ る ﹂ ﹁は に か む ﹂ 等 、 等 、 等 。 名 詞 には 、 古 来 の 日本 女 性 の美 し い習 慣を 表 わ す ﹁は じ ら い﹂ があ る 。
思 え ば 、 わ れ わ れ は 他 民 族 以 上 に、 日 常 些 細 な こと に テ レた り、 間 が 悪 が った りし て暮 ら し て いる ら し い。 た
と え ば 、 わ れ わ れ が 、 デ パ ー ト の食 堂 で や や 気 のお け る 知合 い にあ った と す る 。 わ れ わ れ は 型 のご と く 日 本 式 挨
拶 を お こ な う 。 ま ず 、 こ の ご ろ は 御 無 沙 汰 ば か り し て いる こと を わ び 、 家 族 た ち は 元気 であ る か を た ず ね てそ の
無 事 を 喜 び 、 も し 近 所 ま で 来 る こと が あ った ら 、 ぜ ひ立 寄 る よ う に 懇 請 し 、 そ の間 二 度 も 三 度 も お 辞 儀 を し て、
﹁で は お 先 に﹂ と 退 去 す る 。 と こ ろ が 上 の 階 で買 物 な ど を し て 、 エ レ ベ ー タ ー に 乗 って み る と 、 何 と さ っき 別 れ
た ば か り の知 人 が乗 込 ん で いる こと が あ る 。 そ ん な と き に は 、 さ っき 荘 重 な あ いさ つを し て別 れ てき た と き ほど
と でも いう こと に な れ ば 、 そ の間 の悪 さ は 、 そ の人 の存 在 を の ろ いた く な る ほど で
間 が 悪 い。 そ し て 、 そ れ が 、 も し そ の あ と 、 地 下 一階 の特 売 場 で買 物 を し て 、 便 所 へで も は い った 時 に 、 も う 一 度 そ の人 と 顔 を 合 わ せ た︱ ある。
悲観 を表 わす 語彙
gladness,
delight,
南 博 は 、 ﹃日 本 人 の 心 理 ﹄ の中 で 、 日本 人 は 心 理 状 態 を 表 わ す 語 の中 で、 悲 観 的 な 面 を 見 る こ と が 多 い、 と 説 いた 。 英 語 な ど で は ﹁喜 び ﹂ や ﹁楽 し さ ﹂ を 表 わ す 語 が 多 い。 ﹁喜 び ﹂ に は 、joy,
rejo
exultat﹁ i 楽oし nさ , ﹂ に は 、pl easure,
enjoyment,
happiness,
amuseと m、 en いt く,ら d でi もvあ er るs 。iが o、 n,
日 本 語 は 、 ﹁幸 福 ﹂ ﹁し あ わ せ ﹂ ﹁幸 甚 ﹂ な ど の 語 は 、 語 彙 数 も 使 用 頻 度 も 少 な く 、 反 対 の ﹁悲 哀 ﹂ ﹁不 幸 ﹂ ﹁苦 労 ﹂
( な り ま す )﹂ と い う の が
﹁難 儀 ﹂ の 類 い が 、 ﹁悲 し い ﹂ ﹁哀 れ な ﹂ ﹁寂 し い ﹂ ﹁切 な い ﹂ な ど と 共 に 多 く 使 わ れ る と い う 。
シ ナ リ オ ・ラ イ タ ー の 宮 崎 恭 子 が 言 って い た が 、 今 の 若 い 人 は 、 ﹁し あ わ せ に し ま す
結 婚 の き ま り 文 句 で あ る が 、 昔 は 、 ﹁お ま え と 一苦 労 を し て み た い﹂ と い う の が あ っ て 、 そ の 方 が 心 を 動 か さ れ た と あ った 。(﹃ 毎 日新 聞﹄ 昭 和 五十 年 五 月 十 六 日)
悲哀 を喜 ぶ
ど う も 日本 人 は 悲 し いも の に 心 を 引 か れ る よ う だ 。 例 え ば 、 日 本 の音 楽 は 悲 し い音 楽 だ と いう こ と は 定 説 であ る。
戦 前 、 中 国 の 葬 式 は 盛 大 な も の で 、 ち ょ っと 身 分 の あ る 人 の葬 式 で あ る と 、 そ の 行 列 に は 泣 き 女 が 雇 わ れ て 、
泣 き わ め き な が ら つ いて 行 く 。 ま た 、 音 楽 隊 も 行 列 に 加 わ って、 悲 痛 き わ ま る 音 楽 を 奏 し て練 り 歩 く も のだ った
が 、 そ の 音 楽 に 、 日 本 の ﹁月 が 鏡 で あ っ た な ら ﹂ と いう 歌 謡 曲 を や っ て い る 行 列 が あ った そ う だ 。 中 国 人 に と っ
て は 、 あ れ が 葬 式 に ぴ った り の 悲 し い 曲 に 聞 こ え る ら し い 。 ド ミ ソ ー ソ ラ ソ ー ソ ド ソ ー ソ フ ァ ミ ー ⋮ ⋮ と い う ド
﹁三 勝 半 七 ﹂ で 、 い ち ば ん 人 気 の あ る の は 、 三 勝 に あ ら ず 、
イ ツ 民 謡 は 、 筆 者 な ど は 、 手 を 取 っ て 、 秋 晴 れ の 野 路 を 歩 い て い る よ う で 楽 し い曲 に 聞 こ え る が 、 ド イ ツ 人 に と って は 、 恋 人 と の 悲 し い 別 れ を 表 わ す 曲 だ と い う 。 悲 し い の が 好 き な の は 、 音 楽 だ け では な い。 浄 瑠 璃
た ら 、 半 七 さ ん の身 も ち も な お り 、 御 勘 当 も あ るま いし 、 思 え ば 思 え ば こ の園 が 、 去 年 の秋 のわ ず ら い に、
わ し と いう も の な いな ら ば 、舅 御 さ ん も お 通 に 免 じ 、 子 ま で な し た る 三 勝 殿 、 と く に も 呼 び 入 れ さ し ゃ ん し
半 七 に あ ら ず 、 半 七 の 本 妻 お 園 で 、 彼 女 が 、 夫 に 嫌 わ れ る の は 自 分 が いた ら な い か ら だ と 思 い つ め 、
comfort
い っそ 死 ん で し も う た ら ⋮ ⋮
と歎 くと ころで、 ここがやま場︱
サ ワ リ と な って いる 。
戦 争 中 も て は や さ れ た 浪 曲 ﹁召集 令 ﹂ は、 赤 紙 を 受 け た 一家 の亭 主 が、 病 気 の家 族 を 残 し て 戦 地 に 赴 く と いう
す じ で 、 そ の内 容 を 知 った ア メ リ カ 人 は、 こ ん な す ば ら し い反 戦 物 語 は な いと 言 った と いう 話 があ る 。
泣く ため に映 画を 見 る
一般 にも 日本 人 は 悲 し いも の が 好 き で、 ﹁ア メ リ カ 人 は 映 画 を 笑 う た め に 見 に 行 く が 、 日本 人 は 泣 く た め に 見
に行 く ﹂ と いう こ と が よく 言 わ れ た も の だ った 。 こ と に 戦 争 直 後 ご ろ 多 か った ︿母 も の映 画 ﹀ は 、 泣 か せ る た め の映 画 であ った 。
﹁百 人 一首 ﹂ に は 、 恋 の歌 が四 〇首 ぐ ら いあ る が、 そ のう ち 三 八 首 ま で は 失 恋 を 歌 った 歌 、 あ る いは 、 添 い遂 げ
ら れな い恋 を 歌 った 歌 であ る 。 せ っか く 恋 を 得 て も 、 長 続 き す る か ど う か が 不 安 に な って 、 ﹁け ふ を 限 り の命 と も が な ﹂ と い った 調 子 で あ る 。
日本 の歌 謡 曲 と いう と、 吉 村 公 三 郎 が、 代 表 的 な 三 三 曲 に つ い て統 計 を と った のを ﹃朝 日 新 聞 ﹄ に 発 表 し て い
た が、 ﹁泣 く ﹂ 二 四 例 、 ﹁涙 ﹂ 一七 例 、 ﹁夢 ﹂ 一〇 例 、 ﹁港 ﹂ 七 例 、 ﹁月 ﹂ 五 例 、 ﹁か も め ﹂ 五 例 、 ﹁未 練 ﹂ 四 例 、 ﹁霧 ﹂ 四 例 、 ﹁濡 れ る ﹂ 四例 だ った と いう 。
古 典 の語彙
読 者 各 位 は、 お そ ら く 高 等 学 校 時 代 に 日本 の古 典 文 学 に親 しま れ た と 思 う が、 古 典 文 学 で わ れ わ れ が 習 う 単 語
に は、 悲 し い単 語 が多 か った と いう 御 記 憶 が な い であ ろ う か 。 た と え ば、 ﹁あ じ き な し﹂ ﹁う し ﹂ ﹁う た て し ﹂ ﹁う
ら め し ﹂ ﹁つら し ﹂ ﹁わ び し ﹂ ⋮ ⋮ こ う いう 言 葉 が 次 か ら 次 へ出 て 来 た と 思 う が、 結 局 これ ら は 、 思 う よ う にな ら
な いと いう 意 味 であ る 。 こう いう 形 容 詞 が 多 か った と いう こ と 、 そ れ は 文 学 作 品 に 一般 に 悲 し いも のが 多 か った ことを表わ して いると思う。
日 本 人 の 好 き な 単 語 の 一つ に 、 ﹁け な げ ﹂ と い う の が あ る 。 和 英 辞 典 を 引 い て み る と 、 訳 語 と し て brave,
manl なyど と 書 いて あ る が 、筆 者 に 言 わ せ る と 、 bra eと v ﹁け な げ ﹂ は 違 う 。 bra eと v 言 う のは 勇 ま し い こ と で あ
る 。 日 本 人 の ﹁勇 敢 な ﹂ に あ た る が 、 ﹁け な げ ﹂ と いう の は 一種 の勇 敢 に は 違 いな いが 、 悲 し み が そ のな か に 感
じ ら れ る 。 つま り 、 自 分 は と う て い力 が お よ ば な いと 知 って いる が、 全 力 を 尽 し て コト に あ た る 、 自 分 の命 を 犠
牲 に し て コト に あ た る 、 そ う い った 気 持 が ﹁け な げ ﹂ であ って 、 い か に も 日本 人 好 み の単 語 であ る。
恋 愛 の語彙
日 本 語 の 心 理 的 語 彙 で少 な いも のは 、 恋 愛 に関 す る 語 彙 だ と 高 橋 義 孝 が 言 って いた が、 こ れ も 悲 し み の 語彙 が
多 い こと と 関 係 あ り そ う だ 。 フラ ン ス語 ・ス ペイ ン語 な ど は 、 愛 の表 現 が 無 限 と 言 って よ い ほど あ る そ う だ。 ヒ
ンデ ィー 語 や タ イ 語 で も 、 日本 語 に訳 せ ば 歯 の浮 く よ う な 恋 愛 表 現 を 平 気 で 口 に す る と いう 。 河 盛 好 蔵 に よ る と 、
ヨー ロ ッパ の小 説 を 日 本 人 が 訳 す 場 合 に 一番 う ま いの は 自 然 描 写 であ り 、 一番 ま ず いの は 恋 愛 の場 面 だ と いう 。
そ れ は 、 日本 人 の 日常 会 話 に恋 愛 の会 話 が な い か ら だ と いう 。(﹃ 言語生活﹄昭和二十八年十 一月号)
" .I " love のy ひo とuこと を 言 う の に、 日 本 人 は ひ ど く こ だ わ る と 言 わ れ る 。 土 岐 善 麿 の 言 に よ る と 、 何 か ロシ
love と yo いう u. 意" 味 の こ と ば を 言 いあ
love をy日 o本 u. 語" に訳 す の に ハタ と 困 った 。 当 時
ア の小 説 で、 相 愛 の男 女 が 恋 を た し か め合 う 最 高 の 場 面 で 、 両 方 が"I う 。 と こ ろ が 、 これ を 訳 し た 長 谷 川 二 葉 亭 は 、 女 の 言 う" I
の 女 性 は 男 性 に向 か って そ んな こ と は 口 に し な い の であ る。 口 にし た ら 、 そ れ は 蓮 っ葉 な 教 養 のな い女 と いう こ
と に な って し ま う 。 二 日 二 晩 考 え て、 や っと 考 え つ いた 訳 は 、 ﹁死 ん でも い いわ ﹂ だ った そ う な 。
甘え の構造
強 いて 言 え ば 、 ﹁受 身 的 対 象 愛 ﹂ と な る︱
心 理 が働 く こと を 論 証
土 居 健 郎 は 、 名 著 ﹃甘 え の 構 造 ﹄ で 、 日本 の家 族 や 社 会 は特 殊 な 心 理 的 な 関 係 で結 ば れ て いる と こ ろ か ら 、 ﹁甘 え る ﹂ と いう 、 ほ か の国 語 に 訳 せ な い︱
﹁こ の 子 は 、 あ ま り 甘 え ま せ ん で し た ﹂ と 言 い、 そ
し た 。 同 書 に よ る と 、 あ る 日 本 生 ま れ の 日 本 語 の 上 手 な イ ギ リ ス 婦 人 が 、 英 語 で 話 し て い た が 、 ﹁甘 え る ﹂ と い う 言 葉 が 使 い た く な った 。 す る と 、 そ こ だ け 日 本 語 を 使 っ て
の あ と は ま た 、 英 語 に 切 り 替 え て し ゃ べ った と いう 。 日 本 語 ら し い 語 彙 と 知 ら れ る 。
﹁ふ て く さ れ る ﹂ ﹁や け く そ に な る ﹂、 さ ら
﹁た の む ﹂ ﹁と り い る ﹂ ﹁こ だ わ る ﹂ ﹁気 が ね ﹂ ﹁わ だ か ま り ﹂ ﹁て れ る ﹂ ﹁す ま な い ﹂ な ど 、 多 く の 語 彙 が 甘 え る
土 居 は こ の 本 の 中 で 、 ﹁す ね る ﹂ ﹁ひ が む ﹂ ﹁ひ ね く れ る ﹂ あ る い は に
﹃日 本 人 の 性 格 ﹄ に
﹁国 民 と 国 民 性 ﹂ と い う 一篇 を 寄 せ て 、 日 本
心 理 と 関 連 し て 出 来 た 言 葉 で 、 日 本 語 ら し い 単 語 だ と 言 って い る 。 ﹁人 を 食 っ た 態 度 ﹂ ﹁相 手 を 呑 ん で か か る ﹂
は 、 依 田 新 ・築 島 謙 三 編 の
﹁相 手 を な め て い る ﹂ な ど も 無 関 係 で は な い と い う 。 最 後 に 、 芳 賀綏
人 の 性 格 を 心 に く いま で 見 事 に 分 析 し て い る 。 日 本 人 像 は 、 (1)自 然 と の 調 和 、 (2)非 分 析 的 、 (3)直 観 的 把 握 、
(4)陰 影 の 愛 好 、 (5)心 情 主 義 、 (6) 他 人 志 向 、 で あ る と し 、 こ れ か ら 導 か れ る 日 本 人 ら し い 心 理 と し て 、 次 の よ
ほ ど ほ ど 、 い さ ぎ よ い 、 あ き ら め が よ い 、 し か た が な い 、 あ と く さ れ な い 、 は か な い 、 いわ く 言 い が た い 、
う な 語 彙 を あ げ て いる 。
ゆ か し い 、 き め こ ま か い、 け な げ 、 ひ た む き 、 真 剣 、 気 持 を 飲 み こ む 、 気 く ば り 、 心 づ か い、 気 が ね 、 あ た り さ わ り が な い、 間 が わ る い 、 ひ け め ⋮ ⋮
六 生 活 関 係 の語 彙
一 生 業 の言 葉 農 業 の語彙
ダ イ コン さ ん と ニ ンジ ンさ ん と ゴ ボ ウ さ ん がお 湯 屋 に行 きま し た 。 ゴ ボ ウ さ ん は 遊 ん で ば か り いま し た の で
筆 者 は 大 正中 期 に小 学 校 に入 った が、 そ の頃 の絵 本 に 出 てく る 話 と いう のは こ ん な も の だ った 。
真 っ黒 にな り ま し た。 ニン ジ ンさ ん は お 風 呂 に ば か り 入 って いま し た の で真 っ赤 にな り ま し た 。 ダ イ コ ンさ
ん は よ く 洗 いま し た の で真 っ白 にな りま し た 。 皆 さ ん は お 風 呂 へ入 った ら 、 ど う し た ら い い で し ょう 。
ギ リ シ ャの ﹃イ ソ ップ 物 語 ﹄ で は 、 登 場 す る のは 、 ヒ ツ ジ ・ ロバ ・オ オ カ ミ ・キ ツネ あ た り が多 く 、 い か に も
牧 畜 民 族 の物 語 で あ る 。 こ れ に比 べ て、 こう いう 物 語 は いか にも 農 業 の国 で あ り、 野 菜 の 国 であ る 日本 に ふさ わ し い物 語 だ った 。
日本 人 は 昔 か ら 農 業 を 生 活 の基 本 と し てき た が、 こ と に田 に米 を 作 る こ と を 大 切 な こと と し てき た 。 米 と 田 に
関 す る 語彙 は 豊 富 で あ る。 わ れ わ れ は 中 学 校 の時 に、 米 も 飯 も 英 語 で はrie cと いう の が 不 満 だ った。 飯 が ラ イ スな ら ば 、 米 に は 別 の名 が あ り そう な も の だ と 思 った 。
米と田
日本 語 でも 、 麦 や 粟 は ナ マの時 と 食 用 に し た 時 で名 を 変 え な い。 せ いぜ い ムギ と ム ギ メ シ、 ア ワ と ア ワ メ シ だ 。
日本 で は 米 の出 来 る植 物 は イ ネ と 言 って、 ま た 区 別 を す る 。 コメ に は モ チ と ウ ルチ の種 類 が あ り 、 イ ネ に は ワ
セ ・オ ク テ の種 類 が あ り、 さ ら に 刈 り 取 った あ と に再 生 す る 稲 と いう ず いぶ ん 特 殊 な も の にま で ヒ ツジ と いう 名 を付 けた。
次 に 、 稲 を 作 る と こ ろ が 田 で あ る が 、 こ の田 が ま た 日 本 語 的 な 単 語 で あ る。 ﹁田﹂ と いう 漢 字 は 、 中 国 で は 、
水 田 の意 味 で は な く 、 平 ら に耕 し た 土 地 を 広 く 言 う 意 味 の字 だ そ う だ。 日本 で は ﹁田 ﹂ を 水 田 の意 味 に使 って し
ま った の で、 水 を は ら な い耕 地 のた め に は ﹁畑 ﹂ と か ﹁畠 ﹂ と か 、 中 国 にな い文 字 を 発 明 せ ざ る を え な か った 。
田 中 、 田村 、 田 辺 ⋮ ⋮ 池 田 、 上 田、 内 田 、 岡 田 、 前 田 、 福 田 、 松 田 、 山 田 、 吉 田 ⋮ ⋮
﹁田 ﹂ と いう 文 字 は 、 日本 で 人 の苗 字 に 一番 多 く 用 いら れ る 字 であ る こと も 、 ﹁田 ﹂ の重 要 性 を 表 わす 。
民 俗 学 者 に よ れ ば 、 ﹁年 ﹂ を ト シ と いう の は も と も と穀 物 、 こ と に 稲 を 意 味 す る 言 葉 で、 ﹃万 葉 集 ﹄ の ﹁⋮ ⋮ か
く し あ ら ば 言 挙 げ せず と も 年 は 栄 え む﹂ のよ う な の が 古 い使 い方 で、 ﹁稲 の実 り は よ いだ ろ う ﹂ の意 味 と いう 。
サ ツキ ・サ ナ エ ・サ ヲト メ ・サ オ リ ・サ ノ ボ リ ⋮ ⋮ な ど と いう 言 葉 か ら 考 え る と 、 田 の神 を 表 わ す サ と いう 簡 単 な 言 葉 があ った か のよ う で、 いか にも 稲 を 重 ん じ る 民 族 性 が 感 じ ら れ る 。
牧畜 の語 彙
﹃魏 志 倭 人 伝 ﹄ に は 、 日本 を 紹 介 し て 、 ﹁牛 馬 虎 豹 羊 鵠 そ の地 に な し ﹂ と 言 って いる 。 自 称 ユダ ヤ 人 イ ザ ヤ ・ベ
ンダ サ ンは 、 ﹁日 本 人 が営 ん だ 唯 一の牧 畜 ﹂ は 養 蚕 だ と 言 った 。( ﹃日本 人と ユダヤ人﹄) 日 本 は 他 の 文 明 諸 国 と ち が って 、 牧 畜 業 は は な は だ 振 わな か った 。
中 学 校 の英 語 の時 間 に、 よ く こう いう こ と を 教 わ った も のだ った 。 英 語 と いう の は大 変 精 密 な 言 葉 で、 ウ シな
ど と いう 言 葉 は 簡 単 に は 言 わな い。 ま ず 、 雄 の牛 は 、 自 然 のも の は ブ ルと 言 い、 去 勢 し た も のを オ ック ス と 言 う 。
雌 の牛 は カ ウ 、 子 ど も の牛 は カ ー フと 言 う のだ と 言 わ れ る 。 わ れ わ れ は 、 英 語 と いう も のは え ら いも の だ な と 感 心 し て聞 いた も の で あ る 。
日 本 語 に も オ ウ シ と か メ ウ シ と か いう 言 葉 はあ る が、 二 次 的 な 単 語 であ る。 英 語 の オ ック ス や カ ウ はも と も と
一次 的 な 単 語 であ る 。 こう い った こと は ウ シだ け では な く 、 ヒ ツジ の場 合 も そ う な って い て、 雄 の羊 を 、 や は り
これ も 去 勢 し て いる か し て いな いか で 区 別 す る 。 雌 の羊 、 子 羊 、 そ れ ぞ れ ち が う 。 そ う し て、 去 勢 し て いな い雄
羊 のra m と 子羊 のla mbと は 違 う 単 語 で 、 発 音 の際 に rとl の区 別を し な け れ ば いけ な いと 、 悩 ま さ れ た も の だ った 。
いま 思う と 、 こ れ は 英 語 が も と も と 牧 畜 民 族 の国 民 の 言 葉 だ った か ら で、 ド イ ツ語 も フ ラ ン ス語 も す べ て同 様 で あ る。
和 英 辞 典 な ど を 見 て い て感 じ る こ と だ が 、 ﹁鳴 く ﹂ と いう 単 語 を 引 く と 、 こ れ が 実 に 詳 し い。 た と え ば 、 牛 が
鳴 く の は 雄 は bell雌 ow は, moo,馬 はneigh ロ, バ がbra. y羊 や 豚 ま で ち ゃ ん と き ま って いて 、 羊 は bloatは,豚
grun とt いう 。 日 本 語 で は 、 馬 は イ ナ ナ ク と か 、 犬 は 吠 エ ルと か 、 こ のく ら いは あ る が、 羊 が ど う 、 豚 が ど う 、
と いう こと は 、 と ても 考 え て いな い。 こ れ は ヨ ー ロ ッパ語 一般 の傾 向 で あ る 。 ヨー ロ ッパ 人 た ち は 、 日本 人 と 違
って 古 く か ら 牛 や 豚 の 肉 を 食 べ 、羊 の毛 の 衣 服 を 身 に つけ て いた 、 つま り 牧 畜 が 生 活 の上 に 重 要 で あ った か ら に
違 いな い。 フラ ン ス語 で は 、 ﹁馬 小 屋 ﹂ ﹁牛 小 屋 ﹂ ﹁豚 小 屋 ﹂ ﹁羊 小 屋 ﹂ ⋮ ⋮ が 、 いち いち 別 の単 語 で あ る 。
馬 の青 黒 き も の 〓︱ 馬 の 長 き 毛 馼︱
白 き 額 の馬
〓︱ 毛 色 の純 な ら ざ る 馬 〓︱
馬 と 雄 馬 と の合 の子 ⋮ ⋮
馬 行 い て相 及 ぶ
( 羊 ・鶏 )、〓
馬 肥 え て盛 ん な る貌
( 馬 ・牛 )、羯
(豚 ) と いう よ う な 区 別
日本 の隣 国 の中 国 も 牧 畜 業 は 昔 か ら 盛 ん であ る か ら 、 漢 和 辞 典 に は 、 ﹁馬 ﹂ ﹁牛 ﹂ ﹁ 羊 ﹂ と いう 部 首 が あ って 、
︱
次 のよ う な 日本 人 に は縁 のな い単 語 が た く さ ん 並 ん で いる 。 〓 〓︱ 〓︱騾
中 国 語 で は ﹁去 勢 ﹂ す る と いう 動 詞 も 、 動 物 に より〓 が あ る そう だ 。( 藤江在史 ﹃ことばから見た中国﹄)
モ ン ゴ ル語 に つ いて は 、 服 部 四 郎 の ﹃蒙 古 と そ の言 語 ﹄ に よ る と、 ウ マの 種 類 が大 変 詳 し い。 す な わ ち 、 雄 の
馬 、 雌 の馬 、 乗 馬 用 の馬 、 子を 産 む 前 の雌 の馬 、 子 馬 、 歯 のは え た 馬 、 二歳 の馬 、 三 歳 の馬 、 四 歳 の馬 な ど 、 み
な 別 の名 前 を も つと あ り 、 馬 が 大 切 な 家 畜 であ る こ と を 表 わ し て いる 。棈 松 源 一編 ﹃新 蒙 日 辞 典 ﹄ に よ る と 、
(これ が荷 が 運 べ る )
一歳 に
﹁肥 った ﹂ と いう 形 容 詞 が 五 語 も 載 って い て、 ﹁骨 が が っち り し て 肥 った ﹂ ﹁脂 肪 で 肥 った ﹂ な ど と 区 別 さ れ て い
四歳 のラ ク ダ
も う 少 し 大 き く な った ラ ク ダ
る が、 家 畜 の場 合 、 肥 って いる か瘠 せ て い る か が 重 要 な 関 心 事 であ る こと を 示 し て いる 。 こ の 類 い で最 も 驚 く べき は 、 ア ラ ビ ア 語 で、 ラ ク ダ に 関す る 単 語 が 、
三 歳 の ラク ダ
少 し 大 き く な った ラ ク ダ
二歳 のラクダ
生 ま れ て 間 も な い乳 を 飲 む ラ ク ダ な って 母 から 離 れ る ラ ク ダ
と いう よ う に 一〇 歳 ま で別 の名 を 持 ち 、 全 体 と し て は ラ ク ダ に関 す る 単 語 が 五 〇 〇 あ る と いう 。( パー マー ﹃現代 言 語学 紹介﹄)
ホ メ ロスの ﹃ イ リ ア ッド ﹄ な ど で は 大 平 原 で 戦 争 が行 わ れ る 場 合 を 描 写 し て ﹁羊 の大 群 のよ う に 軍 隊 が 移 動 す
る ﹂ と す る の が常 套 句 であ る が 、 日本 で は 、 ﹁雲 霞 の ご と き 大 軍 ﹂ と せ ざ る を 得 な か った 。
漁業 の語彙
日本 で 牧 畜 業 の代 わ り に盛 ん だ った のは 漁 業 で あ る 。 し た が って 日 本 で多 い動 物 名 は 魚 の名 で 、 そ のあ り さ ま
は 、 漢 和 辞 典 の ﹁魚 ﹂ の部 首 を 開 いて み れ ば 一目 瞭 然 であ る 。 す な わ ち 国 字 、 ま た は 国 訓 と 注 記 し た 文 字 が にぎ
や か に勢 揃 いし て いる 。 実 際 、 和 語 に は コイ ・フナ ・タイ ・サ ケ ・ マス ・ア ジ ・フグ ・コチ ・ ハモ⋮ ⋮な ど 、 一
( あ ん こ う ) ま で 国 字 と は 、 漢 語 め か し た 字 を 作 った も のと 見 え る 。 実 際 、 漢 和 辞 典 の部 首
次 的 な 名 の魚 名 が お び た だ し い数 に の ぼ る 。 そ う し て 鰯 (い わ し )・鱈 (た ら )・鯰 ( な ま ず )・鯱 ( し ゃち ) か ら は じ ま って 、鮟鱇
のう ち 、 国 字 の最 も 多 いも のは ﹁魚 ﹂ 部 で、 第 二 位 の ﹁木 ﹂ 部 を 引 き 離 す 。 特 に 出 世 魚 と よ ば れ る も の、 す な わ
ち 、 成 長 過 程 に応 じ て 名 を 変 え る 魚 が 多 い こと は 注 目 さ れ る 。 ボ ラ が 大 き さ に 応 じ て 、 ス バ シ リ ← イ ナ ← ボ ラ←
ト ド と な り 、 ト ド ノ ツ マリ と は これ だ と いう の は 落 語 でも 聞 く が、 極 端 な 例 に は 、 三 重 県 の熊 野 灘 沿 岸 のブ リ が
あ る 。 す な わ ち 、 セ ジ ロ← ツ バ ス ← ワ カ ナ ← カ テ イ オ ← イ ナ ダ ← ワ ラ サ ← ブ リ と 変 わ る そ う だ 。( 渋沢敬三 ﹃ 日本魚
( cut et ︲l fish
﹁ 鯨 ﹂ が魚
﹁く じ ら ﹂ はvalfi とsい k い、 こ のfiskは 英 語 のfih sに あ
(stah r )fま is で 入 って い る。 こ れ で は 漢 字 で
﹁ 魚 ﹂ に つ い て は 外 国 で は 関 心 が 低 く 、 英 語 で は 、 フ ィ ッ シ ュと 呼 ば れ る も の の う ち に 、 イ カ
名 集 覧 ﹄ 二 ) こ れ は ま さ し く 、 ヨ ー ロ ッ パ 語 の オ ッ ク ス ・カ ウ ・カ ー フ に 匹 敵 す る 区 別 だ 。
魚 の名 一般 に ) ・ザ リ ガ ニ ( crawh f) i・ sク ラ ゲ(jellh y) f・ iヒ sト デ 偏 であ る のを 恥 じ る 必 要 はな い。 ス ウ ェー デ ン語 で は
﹁何 々 ウ オ ﹂ と い う の は ほ と ん ど 全 部 動 物 学 に
﹁山 椒 魚 ﹂ だ け だ と いう の と は 大 い に ち が う 。
た る か ら 、 ま さ し く 魚 の 一種 と 見 て い る こ と に な る 。 日 本 語 で は いう 魚 類 に 入 り、 例 外 は
ギ リ シ ャ で 言 い 出 し た 星 座 名 に は 、 山 羊 座 ・牡 羊 座 な ど と い う 家 畜 の 種 類 が あ る が 、 魚 類 は ひ と ま と め に し て
魚 座 が 一 つあ る の み だ 。 野 田 倫 弘 に よ る と 、 ヘブ ラ イ 語 は 、 魚 で 独 立 の 名 を も っ て い る の は 、 ヒ ラ メ と カ レイ を
い っ し ょ に し て 、 モ ー ゼ フ ィ ッ シ ュに あ た る 名 前 で 呼 ぶ の が た った 一つ の 例 だ そ う だ 。 先 年 、 団 体 旅 行 で イ ン ド
へ行 った 時 、 ニ ュー デ リ ー の ホ テ ル で 魚 の フ ラ イ が 出 た 。 何 と いう 魚 か ボ ー イ に 尋 ね た ら 、sea h fだ iと s 言 って 、 そ れ 以 上 詳 し い説 明 を し な か った 。
二 衣 食 住 の言 葉 住 居 の語彙
ヨ ー ロ ッ パ か ら 中 国 ま で は 、 だ い た い 石 の 家 、煉 瓦 の 家 、 土 の 家 が 多 い が 、 日 本 は こ れ に 対 し 、 古 来 、 木 を 組
合 わ せ 、 縁 の 下 の あ る 木 造 の 家 が 多 か った 。 建 具 は 大 部 分 は 板 と 紙 で 出 来 て い て 、 浴 槽 も 木 のも の を 喜 ぶ 。
木 と 紙 で 出 来 て い る か ら 、 日 本 の家 は 火 に 対 し て 非 常 に 弱 い。 ﹁火 事 と 喧 嘩 は 江 戸 の 花 ﹂ と 言 っ た が 、 火 事 は
付 け火 ( 放 火 )、 粗 相 火 、 自 火 、 貰 い火 、 類 焼 、 ぼや ⋮ ⋮ 火 の手 、 火 の元 、 火 事 見 舞 い
江 戸 に は 限 ら な いは ず だ。 チ ェ ンバ レ ンは 日本 語 に 火事 に 関 す る 単 語 が 多 い こと を 指 摘 し た が 、 た し か に 、 な ど 、 豊 富 であ る 。
土 を卑 しむ
日本 の家 は ま た 、 土 間 か ら 一度 高 いと こ ろ へ上 が る。 そ のた め に 日本 人 は 、 そ の時 に 履 物 を ぬ ぐ 。 こ の珍 し い
習 慣 を 日 本 人 は容 易 に改 め ず 、 ハ ワイ へ移 民 と し て出 か け た 日本 人 は 、 ほ か の習 慣 は あ っさ り ア メ リ カ 式 に 切 り
替 え た が 、 こ の習 慣 だ け は 頑 と し て 固 執 し た 。 履 物 を ぬ い で家 に上 が る こ と と 相 ま って 、 ツチ を き た な いも の と
す る 。 ﹁土 足 ﹂ と か ﹁下 足 ﹂ と いう 言 葉 は 、 こ の考 え か ら 生 ま れ た 。 相 撲 取 り が 勝 負 に 負 け る こ と は 、 ﹁土 が つ く ﹂ と いう 。 ﹁土 臭 い﹂ は 都 会 風 に 洗 練 さ れ て いな い形 容 だ 。
﹁土 ﹂ を いや し む こ と と 関 連 し て、 日本 人 は ﹁足 ﹂ を いや し む 風 が あ った 。 足 で本 を 踏 む 、 食 膳 を ま た ぐ な ど は、
と ん でも な い行 儀 の悪 い こ と だ った 。 ﹃ア ー ロ ン収 容 所 ﹄ で、 会 田 雄 次 は イ ギ リ ス の 女 の 将 校 か ら 足 で 指 示 を 受
け た 不 快 さ を 語 って いる 。 西洋 のダ ン スが は じ め て 日本 へ入 って来 た 時 、 女 性 ダ ン サ ー が足 を 高 く あ げ る のを 見 て 、 不 快 に 思 った 人 が 多 か った 。
パ リ の凱 旋 門 の 下 の と こ ろ に ﹁無 名 戦 士 の墓 ﹂ と いう の が あ る。 筆 者 は 何 か 高 い石 でも 建 って い て 、 そ れ に
﹁無 名 戦 士 の墓 ﹂ と いう 字 が 彫 って あ る の か と 思 って いた 。 と こ ろ が 、 わ れ わ れ が ズ カ ズ カ 歩 いて い る そ の足 の
下 に あ る のだ と 聞 いて 驚 いた。 日 本 人 は 、 足 で踏 ん で歩 く 墓 と いう も のは 考 え つか な い。
鍵 のな い生活
石 田 英 一郎 は ﹁鍵 を か け る 生 活 ﹂ と いう も の が 西 洋 文 明を 特 徴 づ け る と 言 い、 鍵 が 一家 の主 婦 の権 利 を 象 徴 し
て い る とす る 。 そう し てそ れ は 東 に 延 び て、 中 国 か ら 朝 鮮 半 島 ま で来 て い る と いう 。( ﹃日本文化論﹄︶
いや 錠 を か け る べ き 戸 す ら な い こと に感 心 し た 。 ド ナ
日本 は最 近 ま で鍵 文 化 を も た ぬ 特 殊 な 地 帯 だ った 。 モ ー スは ﹃日本 そ の 日 そ の日 ﹄ で、 一〇 〇年 前 の 日本 を 批 評 し て 三 〇 〇 〇 万 人 の国 民 の住 家 に錠 も 鍵 も 閂も な い︱
ルド ・キ ー ン は、 日 本 語 にプ ラ イ バ シ ー と いう 観 念 と 言 葉 が な いと 言 って いる 。 ま た 、 こ う いう こ と を 表 わ す 際 、
英 語 な ど には 、locとkいう 、 ﹁鍵 を か け る ﹂ を 表 わ す 単 純 な 語 があ って 、 ごく 普 通 に使 う 。 日本 語 に は ﹁ 鍵 す る﹂
と か ﹁錠 す る﹂ と か いう 単 語 は な い。 中 国 語 で は ﹁鎖 ﹂ と い い、 ﹁鎖 国 ﹂ と いう の は 、 日本 人 は意 識 し て いな い が ﹁国 に 錠 を お ろ し た ﹂ と いう 意 味 だ った 。
衣 生 活の 語彙
衣 の生 活 に 入 る と 、 こ こ にも 日本 人 は 特 別 な 性 格 を も って いる 。 日本 の文 学 作 品を 読 む と 、 着 て いる も の に つ
円 髷 に結 ひ た る 四 十 ば か り の小 く や せ て 色 白 き 女 の、 茶 微 塵 の 糸 織 の小 袖 に黒 の奉 書 紬 の紋 付 の羽 織 着 た
いて 非 常 な 関 心 を も って い て、 実 に 描 写 が詳 し い。 た と え ば 尾 崎 紅 葉 の ﹃金 色 夜 叉﹄ では 、
る は 、 こ の家 の内 儀 な る べ し 。( 箕輪亮輔 の妻)
中 の間 な る 団欒 の 柱 側 に座 を 占 め て 、 重 げ に戴 け る 夜 会 結 び に 淡 紫 のリ ボ ン飾 り し て、 小 豆 ね ず み の縮 緬
の羽 織 を 着 た る が 、 人 の打 騒 ぐ を 興 あ る や う に 涼 し き 目 を 見 は り て、 み づ か ら は 淑 や か に 引 繕 へる 娘 あ り 。 ( 鴫沢宮) と いう 具 合 に 、 次 々と 人 物 を 描 写 す ると い った 調 子 で あ る。
これ は、 古 い時 代 か ら そ う で 、 た と え ば ﹃平 治 物 語 ﹄ で、 源 氏 の兄 弟 、 義 平 ・朝 長 ・頼 朝 の三 人 を は じ め て 紹
介 す る と こ ろ で、 どう いう 鎧 を 着 て、 ど う いう 兜 を か ぶ って 、 ど う いう 刀 を も って 、 ど う いう 弓 矢 を も って ⋮ ⋮
と いう こ と を 四 〇 〇 字 近 く も 事 細 か に書 い て いる。 そ の反 面 、 そ の容 貌 や 背 恰 好 に つ いて は 何 も 言 って いな い の
は 注 意 す べき で、 こ の傾 向 は 、 江 戸 時 代 の浮 世草 子 でも 、 洒 落 本 で も 、 一貫 し て いる 。
体 と身
わ が袖 は 潮 干 に 見 え ぬ 沖 の石 の ⋮ ⋮
⋮ ⋮わが衣手 に雪は降 り つ つ
﹁百 人 一首 ﹂ に は 目 と か 鼻 と か あ る いは 手 と か 足 と か は 一つも 出 て 来 な いが、 衣 服 に 関 し て は 、﹁衣 ﹂ や ﹁袖 ﹂ が、
な ど八首も ある。
か と 疑 わ れ た り し た も のだ った 。 ﹁体 ﹂ の代 わ り に使 わ れ た の は ﹁身 ﹂ と いう 単 語 で 、 こ の ﹁身 ﹂ と ﹁体 ﹂ は ち
一体 、 平 安 朝 の文 学作 品 に は ﹁体 ﹂ と いう 言 葉 は 一つも 現 わ れ ず 、 そ の こ ろ ﹁体 ﹂ と いう 日本 語 は な か った の
が う 。 ﹁体 ﹂ と いう と 、 胴 体 か ら 腕 や 脚 が 生 え て いる の が そ れ だ 。 ﹁身 ﹂ は そ う で は な く て 、 衣 類 を 着 て いる 。
on と か同 じ言葉 で
例え ば女性を はだ
﹁身 な り ﹂ は 着 物 を 着 た 全 体 の姿 で あ る し 、 ﹁身 づく ろ い﹂ と いう の は 着 物 の着 方 を 改 め る こ と で あ る。 ﹁姿 ﹂ と
いう 美 し い日本 語 は 、 着 物 を 着 た 人 を 少 し は な れ て 眺 め た 時 の印 象 を いう 。 日本 人 は 人 を ︱ か に せ ず 、 着 物 を 着 た 姿 全 体 を 眺 め て いた こ と が知 ら れ る。
英 語 な ど と 比 べ て、 む こう で は いろ いろな 衣 服 ・装 飾 品 を 身 に つけ る 場 合 にw earと かput
表 わ し てし ま う 。 日本 語 で は 、 そ れ を ど う いう 部 分 に 、 ど の よう にし て つけ る か に よ って 細 か く 分 類 さ れ て いる
着る
帽 子 ・手 拭 ・か つら ・面︱
しめる
かぶる
と おす とめる
袖︱
こ と、 次 のよ う であ る。 こ れ は 日本 人 が衣 類 に異 様 な 関 心 を も って いる のを 表 わ し て いる のか も し れ な い。 着 物 ・洋 服 ・鎧︱
帯 ・ベ ルトー
はく
か ける ヘア ピ ン ・ネ ク タ イ ピ ン︱
眼 鏡 ・シ ョ ー ル︱ つけ る
はめ る
ズ ボ ン ・ ス カ ー ト ・靴 ・下 駄 ︱ 手 袋 ・腕 輪 ・指 輪 ︱
ブ ロー チ ・記 章 ・下 着 ︱
食 生活 の語 彙
食 の生 活 に 入 る と 、 日 本 で は ま ず 米 が主 食 に な って いて 、 英 語 のricにeあ た る単 語 が 一つ で な いこ と を 述 べ
た が、 近 く は メ シ のう ち 、 ﹁皿 の上 に盛 った も の﹂ を 意 味 す る ラ イ スと いう 言 葉 ま で 別 に 出 来 た の はす さ ま じ い。 ﹁米 を と ぐ ﹂ のは ﹁米 を 洗 う ﹂ のと ち がう が 、 英 語 で はwas hと いう ほ か は な い。
副 食 物 に 入 る と 、 日本 人 は 古 く か ら 菜 食 民 族 で、 腸 の長 さ な ど も 欧 米 人 と は 違 う と 言 わ れ る 。 菜 食 民 族 だ った
こ と は 、 副 食 物 を 表 わ す ナ と いう 言 葉 が、 そ のま ま ﹁菜 ﹂ と いう 言 葉 と し て 使 わ れ て いる こ と か ら も 知 ら れ る 。
も っと も ナ は、 古 く は ﹁神 の命 の魚 釣 ら す と ﹂ ( ﹃万葉集﹄)と あ る よ う に 魚 肉 を も 意 味 し た よ う で、 魚 食 民 族 であ った こと も う か が わ れ る 。
欧 米 人 は 牛 や 豚 の肉 を 愛 用 す る の で、 た と え ば ア メ リ カ の 肉 屋 な ど へ行 く と 、 大 き な 牛 の絵 が書 いて あ って、
こ の部 分 は 何 と いう 、 と いち いち 細 か い名 前 が つ いて いる 。 日本 人 は こ れ を 魚 で や った 。 渋 沢 敬 三 の ﹃日 本 魚 名
の研 究 ﹄ の中 に、 四条 流 と いう 古 い料 理 の流 儀 で、 魚 の体 の部 分 の言 い分 け を 図 解 し た も のが 載 って いる が、 そ
れ に よ る と 、 一匹 の鯉 の体 に 一番 か ら 五 四番 ま で の番 号 を 打 ち、 そ れ ぞ れ 名 前 を つけ て いる 。 背 の鰭 だ け でも 、
前 の方 か ら 順 々 に、 ヒ ヤ コノ ヒ レ ・神 ノ ヒ レ⋮ ⋮な ど と 八 つ の部 分 に 分 け て 呼 ん で いる の だ か ら 驚 く 。
調 理 の語 彙
調 理 の問 題 に移 る と 、 調 理 の方 法 を 表 わ す 動 詞 で、 英 語 の boi にl 相 当す る語彙 が日本語 で豊富 な こと に目 が
引 かれ る 。 英 語 のboiとlいう と こ ろを 、 日本 で は、 お 湯 な ら ば ﹁わ かす ﹂ か ら 始 ま って、 御 飯 な ら ば ﹁炊 く ﹂、
人 参 や 大 根 な ら ば ﹁煮 る ﹂、 卵 な ら ば ﹁ゆ で る ﹂ と 言 い分 け る 。 つま り、 全 体 が 水 だ け な のか 、 水 分 が な く な る
ま で暖 め る の か、 暖 め た あ と 水 分 ま で食 べる の か 、 水 分 は こ ぼし て 捨 て る の か、 と いう こ と を や か ま し く 区 別 す
る わ け だ 。 こ れ は 水 を 多 く 使 い、 野 菜 を 多 く 食 べ る 民 族 習 慣 を 表 わ し て いる 。
一方 、 日 本 語 は ﹁焼 く ﹂ と いう 言 葉 に は 大 変 のん き であ る 。 英 語 で は 、 肉 な ら ば 鍋 で 焼 け ばroasあ tぶ , って
焼 け ばbroと il いう 区 別 があ り 、ま た 串 に さ し て 焼 け ばgriと lな l る 。パ ンに つ い て はbake の方 は パ ンを つく る 過
程 、toaの s方 t はト ー スタ ーな ど に 入 れ て食 パ ンに こ が しを つけ る こ と であ る が 、日 本 人 は こ の区 別 を つけ ず ﹁や
く ﹂と 言 い、お お ざ っぱ で あ る。 ﹁牛 肉 のす き 焼 き ﹂と か ﹁サ ザ エ の つ ぼ焼 き ﹂と か 言 う も の が あ る が、あ れ は ほ
ん と う に焼 いて い る の か ど う か。 ア メ リ カ 人 だ った ら 、 両 方 と も ボ イ ルし て いる ん じ ゃな いか と 言 いそ う であ る 。
いた め る
爆 ︱
高温 で 瞬 間 的 に いた め る
煎 ︱
両 面 を 油 焼 き にす る
料 理 が発 達 し て いる のは 中 国 で 、 日本 人 が ﹁いた め る ﹂ と 言 って いる も のだ け でも 、 炒︱
片 面を油焼 きにし、上 面はやわ らかなまま にし ておく 少 量 の油 で か ら か ら に 炒 め る
鍋貼︱ 〓︱
な ど と 言 い分 け る 。 そ の他 に、 日本 語 の ﹁ あ げ る ﹂ に あ た るも の が五 種 類 、 ﹁焼 く ﹂ ﹁あ ぶ る ﹂ にあ た る も の が 三
種 類 、 ﹁煮 る ﹂ ﹁ゆ がく ﹂ に あ た る も の が 一二 種 類 あ る と いう か ら 盛 ん な も のだ 。( ﹃言語﹄昭和五十五年三月号)
一般 に、 日本 料 理は あ ぶ ら を 使 う こと が 少 な い。 ﹁油 ﹂ (o)iと l ﹁脂 ﹂ (f) aと t いう 、 多 く の 言 語 で 使 い分 け て
いるも のを 、 ア ブ ラと いう 一語 で いう の は、 そ の好 み の現 わ れ と 見 る 。 そ の反 面 、 日 本 で は な ま の 料 理 を 愛 す る
こ と か ら、 ﹁( 大 根 な ど を ) お ろ す ﹂ と いう 動 詞 が あ る。 和 英 辞 典 で は ﹁砕 く ﹂ と 同 じ 訳 (bre )a がkつ い て いる
が、 ﹁お ろ す ﹂ の 方 は す って 砕 く こ と だ 。 ﹁あ え る﹂ も 日 本 的 な 単 語 で、 和 英 辞 典 で は ﹁ま ぜ る ﹂ と 同 じ 訳 ( mix) が つ い て いる が 、 ﹁あ え る﹂ に は 調 和 さ せ る と いう 意 味 が あ る 。
最 後 に 、 日本 語 では 味 覚 のう ち 、 塩 の味 と カ ラ シ や ワサ ビ の味 を 区 別 し な い で カ ラ イ と いう の が か な り 一般 的
であ る が 、 好 も し く な いこ と であ る 。 た だ し 、 日本 人 は 食 べ物 を 舌 に の せ た 時 、 歯 で 噛 ん だ 時 の歯 ざ わ り は実 に こま か く 言 い 分 け る 。 ﹁そ ば ﹂ の味 わ いな ど は そ れ であ る。
シ ャキ シ ャキ し て いる 、 ツ ル ツ ル し て いる 、 ポ ソポ ソ し て いる、 モ ソ モ ソ し て いる な ど 豊 富 な 擬 態 語 が、 そ の区 別 を 表 わ す の に用 いら れ て いる 。
三 勤 労 の言 葉 日本 人 の勤 勉
日本 人 の生 活 で 顕 著 な ひ と つの特 色 と し て言 わ れ て いる の が、 日 本 人 の勤 労 精 神 で あ る 。 芳 賀 矢 一が 明 治 四 十
年 に書 いた ﹃ 国 民 性 十 論 ﹄ は 名 著 の聞 こえ 高 い本 で、 ﹁忠 君 愛 国 ﹂ と か ﹁清 浄 潔 白 ﹂ と か 、 十 か 条 の も の を 数 え
て いた 。 と こ ろ が 、 ﹁働 き 者 だ﹂ と いう こ と は 書 いて な い ので あ る 。 当 時 の 日本 人 も 今 と 同 様 勤 勉 だ った ろう が 、
芳 賀 は 、 日本 人 が 働 く こ と は 当 然 だ と 思 って いた ら し い。 いか に も 日本 人 の勤 労 を 愛 す る 精 神 が 表 わ れ て いる で はな いか 。
ア メ リ カあ た り の町 で は 、 す べ て の商 店 は 日 曜 日 は や す み で 、 た ま に あ い て いる 店 があ る と 日本 人 の店 だ と い
う 。 も っと も キ リ スト 教 は 、 神 が 日 曜 日を 休 息 の 日 と 定 め た の であ る か ら 、 こ の点 は 日本 人 は 罪 深 き も の と し て
非 難 さ れ て いる 。 そ れ は と も か く 、 独 立 そ のも の が 危 ぶ ま れ た 第 二次 世 界 大 戦 終 了 時 の 状 態 以 後 の経 済 成 長 ぶ り
は 、 日本 人 の勤 勉 さ のた ま も のに ち が いな い。 筆 者 は イ ンド ネ シ ア へ行 った 時 に 、 バ ス に 乗 る た め に 道 を 走 って
笑 わ れ た 。 現 地 で は お と な は 走 る も の で は な い のだ そ う だ。 そ う 言 わ れ て み る と 、 ア メ リ カ で は 日 本 人 と 同 じ よ
う に お と な が 走 る 姿 を ま れ に 見 か け る こ と があ る が 、 中 国 や タ イ で は そ のよ う な 情 景 は 見 な い。
一体 に 日 本 人 は 、 海 外 に 行 って も せ か せ かし て いる 。 空 港 の待 合 室 で、 飛 行 機 の出 発 が 一時 間 お く れ る と いう
ニ ュー スが 入 って も 、 外 国 人 は 大 体 平 然 と し て いる 。 日本 人 に限 って 急 に そ わ そ わ 立 ち 上 が って 、 も う 一度 み や
げ 物 店 へ行 った り し て、 時 間 を つぶ そ う と す る 。 日本 人 は 始 終 何 か し て いな い で は いら れ な い民 族 ら し い。
日本 人 の こ の性 格 を よ く 表 わ し て いる の が 、 ﹁働 く ﹂ と いう 単 語 で あ る 。 第 一に こ の ﹁働 ﹂ と いう 字 は 中 国 の
字 で は な く 、 日本 製 の文 字 、 国 字 であ る 。 お そ ら く 国 字 の中 で、 最 も 使 用頻 度 の高 い のは こ の ﹁働 ﹂ と いう 字 で
は な いか 。 一般 に 国 字 に は 、 訓 読 み が あ っても 音 読 み は な いも の で あ る が、 こ の字 に 限 ってド ウ と いう 音 読 み を
も って いる 。 最 も 重 要 な 国 字 が ハタ ラ ク と いう 字 だ と いう こと は、 日 本 人 の勤 勉 性 を 象 徴 し て いる と 思 う 。
そ う し て、 こ の ハタ ラ ク は 英 語 にす れ ばw orkに な る が、 そ の 語義 を 比 べ る と 、 ハタ ラ ク の方 が 語 義 が 狭 く 、
使 い方 が や か ま し い。 た と え ば 机 に向 か って勉 強 し ても 、 英 語 で はw orkであ る が、 日本 人 は そ う いう の を ﹁ハ
金 を と っ て く る と か 、 掃 除 ・洗 濯 を す る と か が ハ タ ラ ク で あ る 。 日 本 人 は
﹁う ち の娘 は 勉 強 ば か り し て 、 ち
タ ラ ク ﹂ と は 言 わ な い。 ハタ ラ ク は 自 分 のた め に 事 を す る の で は い け な い の で、 何 か 他 の人 の利 益 に な る こ と ︱
っと も 働 か な い﹂ な ど と 言 う が 、 こ れ を 英 語 に 訳 す こ と は 難 し か ろ う 。
﹁何 か す る ﹂ こ と で 、 よ い こ と で
﹁何 も 役 に 立 つ こ と を し な い﹂ こ と で 、 悪 い こ と で あ る 。
ハタ ラ ク の 反 対 語 は ア ソ ブ と い う が 、 こ れ も 英 語 のplay と は 違 う 。playは あ る が 、 日 本 の ﹁ア ソ ブ ﹂ と い う 方 は 、 む し ろ じ れ った く 師 走 を 遊 ぶ 指 咎 め
と い う 川 柳 が あ る が 、 相 撲 の 中 継 放 送 な ど で 、 ﹁朝 潮 の 右 手 が 遊 ん で い る ﹂ と いう よ う に 、 よ く な い例 に 引 か れ 、
日 本 的 で あ る 。 こ の ご ろ は 、 日 本 人 は レ ジ ャ ー の楽 し み 方 を 知 ら な い な ど と い う 評 論 が よ く 聞 か れ る が 、 日 本 人 は 遊 ん で ば か り いて は 不 安 に な る 民 族 で あ る。
﹁励 む ﹂ と
﹁い そ し む ﹂ と い う 単 語 を あ げ た い。 和
英 辞 典 を 引 く と 、 ﹁い そ し む ﹂ は イ コ ー ル ﹁励 む ﹂ でendeavと or 書 い て あ る が、 筆 者 に 言 わ せ る と
つ いで に 筆 者 は 、 い か にも 働 く こと の好 き な 日本 人 の 好 む 言 葉 と し て
﹁い そ し む ﹂ と い う よ う な 言 葉 が で
﹁い そ し む ﹂ は 違 う 。 ﹁励 む ﹂ は ガ ム シ ャ ラ に 働 く こ と で あ る が 、 ﹁い そ し む ﹂ は 、 働 き な が ら 、 働 く こ と に 喜 び を 見 出 し て い る ニ ュア ン ス が あ る 。 日 本 人 は 働 く こ と を 愛 す る 。 だ か ら こ そ き る わ け で 、 い か に も 日 本 語 ら し い単 語 だ と 思 う 。
七 社 会 関 係 の 語 彙
一 家 の言 葉 家 の重 要性
日本 の社 会 で は 、 昔 か ら ﹁家 ﹂ と いう も の が 非 常 に重 要 で、 そ う し て そ れ が 社 会 の単 位 にな って い て 、 個 人 に 比 べ て 大 き な 力 を 持 って いた 。
例 え ば 墓 であ る 。 ア メ リ カ あ た り では 、 ﹁ジ ョ ン ・ス ミ ス の墓 ﹂ であ ろ う が、 日 本 で は 、 ﹁先 祖 代 々 の墓 ﹂ と か
﹁渡 辺 家 の墓 ﹂ と あ る 。 宗 教 な ど も 、 個 人 によ って と いう よ り 家 に よ って き ま って い て、 嫁 に 来 た 人 は た ち ま ち 宗 旨 が え を す る のが 普 通 で あ った。
江 戸 時 代 末 期 、 咸 臨 丸 に 乗 って、 勝 海 舟 そ の他 の徳 川 の幕 臣 が 大 勢 ア メ リ カ に渡 った 。 ア メ リ カ で 見 る 新 し い
文 明 に 、 面 々び っく り し た よ う であ る が、 一同 、 ジ ョー ジ ・ワシ ント ン の墓 に詣 で た 。 そ の時 に幕 臣 の 一人 が、
﹁今 、 ワ シ ント ン の子 孫 は 何 を し て いま す か﹂ と 聞 いた そ う だ 。 と こ ろ が 誰 も 知 って いる 人 が いな か った 。 で は
﹁ワ シ ント ン のお 子 さ ん は どう いう 生 活 を し ま し た か ﹂ と 聞 いた ら 、 ま た そ れ も わ か ら な か った 。 幕 臣 一同 び っ
く り し て、 自 分 た ち だ った ら 、 た と え ば 戦 国 時 代 の 武 田 の子 孫 は ど う な った か 、 上杉 は ⋮ ⋮、 毛 利 は ⋮ ⋮ と 大 体
わ か る の に、 ア メ リ カ 人 は 何 と 歴 史 に無 知 な ん だ ろう と 呆 れ た と いう が、 ア メ リ カ 人 は 、 家 に 対 し て無 関 心 な の だ った 。
日 本 人 ど う し のあ いさ つ で、 欧 米 人 が 不 思 議 に思 う のは 、 よ そ の奥 さ ん に向 か って 、 ﹁お 子 さ ん は ま だ で す か﹂
と いう の が あ る 。 失 礼 で は な いか 、 と よ く 言 わ れ る が 、 日本 人 と し て は あ と つぎ が 出 来 た か 出 来 な いか 、 それ を 心 配 し て の 言 葉 であ る 。
サ イ デ ン ステ ッカ ー が 注 意 し て いる が、 鈴 木 夫 人 は ﹁鈴 木 さ ん ﹂ と 呼 ば れ る が、 ﹁鈴 木 さ ん の奥 さ ん ﹂ と も 呼
ば れ る。 英 語 で は両 方 と もMrs・Suzuk でi あ ろ う が 、 日本 語 の ﹁鈴 木 さ ん の奥 さ ん﹂ は い か に も ﹁鈴 木 家 に 嫁 に
来 た 女 性 ﹂ と いう 意 味 を 強 く 表 わ し て いる 。 た ま た ま ﹁奥 ﹂ と いう 苗 字 の家 に 嫁 げ ば 、 ﹁奥 さ ん の奥 さ ん ﹂ にな るわ けである。
婿 ・嫁 な ど
﹁嫁 ﹂ と か ︱
ち ょ っと 考 え る と 、 こ れ は
﹁夫 ﹂ ﹁妻 ﹂ と いう 語 と 同 じ よ う だ が 、 違 う 。 ﹁夫 ﹂
と に か く 日本 で は 家 が重 要 な 意 味 を も って いる こ と か ら 、 日本 語 には ﹁ 家 ﹂ を も と に成 立 し た 単 語 が あ る。 た と え ば 、 ﹁婿 ﹂ と か
は妻 に 対 す るも の であ り 、 ﹁妻 ﹂ は 夫 に 対 す るも のだ が、 ﹁婿 ﹂ と いう の は ﹁そ の家 に あ と つぎ と し て よ そ か ら 入
って き た 男 ﹂ と いう 意 味 で あ り、 ﹁嫁 ﹂ は ﹁そ の 家 の あ と つぎ を 産 む た め に よ そ か ら 入 って き た 女 ﹂ と いう 意 味
で あ る 。 し た が って、 婿 に 対 す る 言 葉 は 嫁 で は な く て 、 ﹁舅 ﹂ で あ る。 嫁 は ﹁姑 ﹂ に 対 す る も の であ る 。 こう い
う ﹁婿 ﹂ と か ﹁嫁 ﹂ と か に あ た る 単 語 は、 英 語 ・ド イ ツ語 ・フ ラ ン ス語 には な く 、 和 英 辞 典 で ﹁婿 ﹂ を 引 く と 、
︲in と︲ 出lて a来 wる 。 これ では ﹁養 子 ﹂ だ 。 も っと も 、 ス ペ イ ン語 と ポ ルト ガ ル語 に は あ る と いう か ら 、 ヨ︱
ロ ッパ でも 南 の方 は 日 本 に似 た 家 族 制 度 が あ る のか も し れな い。 英 語 に は ﹁舅 ﹂ と いう 言 葉 にあ た る 単 語 も 特 定
so n
のも のは な く 、 ﹁義 父 ﹂ と 同 じ 意 味の 言葉father︲を i使 n︲ うl 。aw
な お 、 ト ツグ と メ ト ルは 男女 不 平 等 の思 想 を 表 わ す 、 ま た ヨ メ ニヤ ル ・ヨメ ヲト ル は 、 女 三 界 に 家 な し の思 想 を 端 的 に表 わ す 、 と い って戦 争 直 後 ご ろ さ か ん に 批 評 の 対 象 と な った 。
家族 関 係を表 わ す語 彙
日本 語 では 、 家 族 の問 の 関 係 を よ ぶ 呼 び 方 は そ れ ほど 詳 し く はな い。 こ れ は 大 家 族 制 度 でな いた め で あ る が、
複 雑 な のは 中 国 で 、 日本 語 で ﹁お ば ﹂ と 言 って いる も のが 、 中 国 語 では 次 のよ う に いろ いろ に 分 化 し て いる 。
姨 母︱
姑 母︱ 母 の姉妹
父 の姉妹 舅母︱
伯 母︱ 母 の兄弟 の妻
父 の兄 の妻
叔母︱
父 の弟 の妻
中 国 の子 ど も は、 小 さ いと き に、 あ の女 の 人 は お 前 の何 母 だ 、 と いう こ とを いち いち 親 か ら 細 か く 教 わ る のだ
そ う だ 。 ﹁姉﹂ に対 す る 言 葉 で も や は り 二 つあ り 、 自 分 の姉 は ﹁姐 姐 ﹂ と 言 い、 妻 の姉 は ﹁大 姨 子 ﹂ と 言 い分 け
る。 ﹁いと こ ﹂ と な る と 、 中 国 語 は も っと 大 変 であ る 。 そ れ が 男 か 女 か 、 自 分 よ り年 上 か 年 下 か 、 さ ら に そ れ の
親 が 父親 の兄 弟 で あ る か 、 父 親 の姉 妹 で あ る か、 母 親 の 兄 弟 であ る か に よ って 言 い分 け る か ら 、 日 本 の 一二 倍 の 名前 がある。
な ぜ こん な 区 別 が あ る か と 言 う と、 日 本 と 違 って、 中 国 では いと こ が父 親 の兄 弟 の子 であ る か 、 父 親 の姉 妹 の
イ ンド 人 は 元 来 ヨー ロ
子ど も であ る か の区 別 が、 非 常 に重 要 な のだ 。 父 親 の 兄 弟 の子 ども な ら ば 結 婚 でき な い。 一方 、 父 親 の姉 妹 な ら ば 結 婚 でき る、 と い った よ う な こ と が あ る か ら であ る。
にも や は り こう いう 区 別 が あ る 。
こ れ は 東 洋 の 言 語 に は 一般 的 な こ と で、 モ ンゴ ル語 でも そ う であ り 、 ヒ ンデ ィー 語︱ ッパ 民 族 だ そう であ る が︱
・ブ ラ ザ ー で 、 二 つ の 単 語 で な け れ ば な
﹁き ょ う だ い﹂ の 表 わ し 方 は 、 ヨ ー ロ ッ パ と は ち が う 。 ア ニ ・ア ネ ・オ ト ウ ト ・イ モ ウ ト は 、
き ょう だ い の 表 わ し 方 し か し 日本 語 も
は じ め か ら 年 齢 の 上 下 と 性 別 を 表 わ し て い る 。 英 語 で は 、 兄 は エ ル ダー
らな い。 ブ ラ ザ ー だ け で は 男 と いう こと を 示 し て いる だ け で、 年 長 か ど う か は 示 さ な い。
欧 米 は 、 も と も と 年 上 か 年 下 か を 構 わ な いと ころ で あ る 。 ア メ リ カ 人 は 日 本 人 の 家 庭 に招 か れ て 、 こ の子 が長
男 で 、 こ の 子 が 次 男 で ⋮ ⋮ と いわ れ る と 、 煩 わ し く 思 う そ う で あ る 。 ﹃風 と 共 に 去 り ぬ ﹄ の 巻 頭 の と こ ろ で 、 ﹁オ
ハラ の ふ た ご の 兄 弟 が ⋮ ⋮ ﹂ と あ る が 、 そ の ふ た ご は 、 オ ハラ の 兄 な の か 弟 な の か 知 ら な い と 落 着 か な い 気 持 が
す る 。 し か し 、 物 語 は そ のま ま ど ん ど ん 進 む と こ ろ 、 ア メ リ カ 的 で あ る 。
い つ か ケ ネ デ ィ 兄 弟 の 一人 が 日 本 に 来 て 、 各 地 で 演 説 し て ま わ り 、 率 直 な 表 現 が 好 評 だ っ た 。 帰 米 す る に 先 立
ち 、 大 阪 で 日 本 の 大 衆 に 向 か っ て 英 語 で 挨 拶 の ス ピ ー チ を し た 。 ﹁私 は 日 本 に 来 て 、 い ろ い ろ 面 白 い こ と を 、 知
り ま し た 。 日 本 で は 、 兄 弟 姉 妹 が 、 同 じ 風 呂 に 入 る そ う で す 。 私 は そ れ を 聞 い て 、 私 が 日 本 人 だ った ら よ か った
﹁妹 ﹂ と 訳 し た 。
の に な ぁ と 思 い ま し た 。 そ う し て 、 マ リ リ ン ・ モ ン ロ ー が 私 の シ ス タ ー だ った ら よ か った の に な ぁ と 思 い ま し
た 。﹂ こ れ は 大 喝 采 だ った が 、 あ る 新 聞 は シ ス タ ー を 訳 し て ﹁姉 さ ん ﹂ と や った 。 あ る 新 聞 は
本 人 は ど っち で も よ か った の だ ろ う 。 し か し 、 日 本 人 と し て は 、 姉 と 妹 で は 、 受 け る 感 じ が 全 然 ち が う 。
ア ジ ア の 言 語 で は 、 日 本 式 の 兄 ・姉 ⋮ ⋮ の 区 別 を も っ て い る 。 イ ン ド ネ シ ア 語 は お も し ろ い 言 語 で 、 ま ず
kaka k とadik と いう 二 つの 単 語 が あ り、 前 のも の は 年 上 のき ょ う だ い で あ り 、 あ と の 単 語 は 年 下 のき ょう だ い
﹁女 の ﹂ と い う 意 味 の修 飾 語 を つ け る 。 つ ま り 、 ヨ ー ロ ッ パ と ち が って 、 男 女 の ち が い よ り 長 幼 の ち が
で あ る 。 そ う し て ﹁兄 ﹂ と い う 時 に は 、 そ の あ と に ﹁男 の ﹂ と い う 意 味 の 修 飾 語 を つ け 、 ﹁姉 ﹂ と い う 時 に は そ のあ と に い の方 が 重 要 視 さ れ る 。
日 本 で は こ と に 順 序 が や か ま し い こ と は 、 男 の 子 の 名 前 が 、 一郎 ・二 郎 ・三 郎 ⋮ ⋮ と い う よ う に 数 字 で 呼 ば れ
る こ と に み ら れ る が 、 こ れ は 、 現 代 の 世 界 で 例 が 少 な い の で は な い か 。 こ れ は 一郎 は 将 来 家 のあ と を 継 ぐ も の 、
﹁太 郎 ﹂ と 呼 ば れ 、 ﹁総 領 ﹂ と 呼 ば れ て 、 親 の 財 産 を 全 部 譲 り 受 け る こ と に な っ て
二 郎 は も し か し た ら 継 ぐ か も 知 れ な い も の 、 三 郎 以 下 は よ そ へ や っ て も い い も の 、 と い う 感 じ で あ る が 、 一郎 は と に かく 重 ん じ ら れ 、 時 に は
いた 。 も っと も こ う いう 半 面 、 農 家 ・旧 家 で は 家 に 留 ま っ て 窮 屈 な 古 い し き た り に し ば ら れ る 長 男 と 異 な り 、 次
﹃ 大 地 ﹄ が 映 画 化 さ れ た 時 に 、number
oneと s いo うn言 葉 が 出 て 来 て ア メ リ カ 人 を お も し ろ
男 ・三 男 は 都 会 へ出 て 行 っ て 、 一郎 よ り も 世 の 中 に 派 手 に 進 出 し て い く と い う よ う な こ と も ま れ で は な か った 。 パ ー ル ・バ ック の が ら せ た と いう 。
父 母 に対 す る呼 び方 と こ ろ で 、 日本 の家 族 の 呼 び 方 に は いろ いろ 注意 す べ き こ と があ る 。
第 一に 、 同 一の身 分 の人 に 対 し て、 呼 び 方 の 多 い こと 。 例 え ば 、 父 と いう 身 分 の人 、 母 と いう 身 分 の人 に 対 し て は 、 次 のよ う な 呼 び 方 があ る 。
父 = 父 上 ・お 父様 ・父 さ ん ・父 ち ゃん ・お 父 っつ ぁ ん ・ち ゃん ・父 ・父 君 ・父 上 様 ・親 爺 ・御尊 父 ⋮ ⋮
母 = 母 上 ・お 母様 ・母 さ ん ・母 ち ゃん ・お っ母 さ ん ・母 ・母 君 ・御 母 堂 ・母 上 様 ⋮ ⋮
こ れ は ほ ん の 一部 で 、 こ の他 に こ の中 間 のも の、 た と え ば 、 お 父 さ ん ・お 父 ち ゃん ・父 つ ぁ ん ・御 父 上 ・御 父
君 ・御 尊 父様 ⋮ ⋮ と い った も のが あ る か ら 、 全 体 と し て は ど の位 あ る か も わ か ら な い。 ヨー ロ ッパ 人 にす れ ば 、 ず いぶ ん 大 変 な 言 語 と 思 う こ と で あ ろ う 。
孫が中 心
そ れ か ら 次 に は 、 鈴 木 孝 夫 が ﹃こと ば と 文 化 ﹄ で 指 摘 し た が 、 家 庭 内 で の呼 び 方 が そ の家 の子 供 、 そ れ も 原 則
と し て 一番 最 後 に 生 ま れ た 子 供 を 中 心 と し た 呼 び方 に な って いる こと で あ る 。 た と え ば 、 夫 婦 だ け のと き に は 夫
は ﹁あ な た ﹂ と いう ふう に 奥 さ ん か ら 呼 ば れ る 。 そ れ が 子 ど も が でき る と い つ の間 に か ﹁お 父 さ ん﹂ と 呼 ば れ 、
孫 が で き る と 今 度 は 、 家 族 みん な か ら ﹁お じ いち ゃん ﹂ と 言 わ れ る と いう 傾 向 が あ る 。
母 は 自 分 の こ と を 子 供 に 向 か い、 ﹁お 母 さ ん が ⋮ ⋮﹂ と 言 い、 二人 の 子 供 のう ち 年 上 の方 を ﹁お 兄 ち ゃん ﹂ と
言 う こ と があ る。 深 谷 志 寿 は 電 車 の中 で、 老婆 が自 分 の娘 ぐ ら い の女 性 に 向 か って ﹁お かあ さ ん 、 こ こ が あ いた
よ ﹂ と 言 って いる のを 聞 き 、 こ れ は 娘 か嫁 であ ろ う が 、 孫 が 出 来 た の で 、 ﹁お かあ さ ん﹂ と 呼 ん で いる の であ ろ
う と 解 釈 し た 。( ﹃言語﹄昭和六十 一年七月号) ﹃こ と ば と 文 化 ﹄ によ る と 、 日本 の夫 婦 が 互 い に ﹁お 父 さ ん ﹂ ﹁お 母 さ
ん ﹂ と 呼 び 合 って いる のを ト ル コ人 の社 会 学 者 が 批 評 し て 、 ﹁日 本 語 は 気 ち が い の言 語 だ ﹂ と 言 った と いう 。 こ の電 車 の中 の会 話 を 聞 いた ら 何 と 言 う だ ろう か 。
肉 親 も他 人も 区別 なし
も う 一つ日本 語 の家 族 の呼 称 で 注 意 す べ き は 、 ﹁お じ いさ ん ﹂ と か ﹁お じ さ ん ﹂ と か いう 呼 称 を 肉 親 の祖 父 や
叔 父 に だ け で は な く 、 全 然 他 人 で あ る 男 の 老 人 、 男 の中 年 に 対 し ても 用 いる こ と が でき る 点 であ る。 古 い時 代 に
は 祖 父 は オ オ ジ 、 道 ば た の老 人 は オ キ ナ と 呼 び 分 け て いた ので あ ろ う が 、 そ の区 別 が つか な い子 供 が 両 方 を 混 同
し て 、 オ ジイ チ ャ ンと いう よ う に な って、 オ キ ナ と か オ ウ ナ と か いう 言 葉 が忘 れ ら れ て し ま った も のと 見 ら れ る が 、 これ は 惜 し か った 。
最 後 に 日本 語 で は 、 親 対 子 の対 立 が ヨ ー ロ ッパ の 言 語 な ど に 比 べ て 強 く 意 識 さ れ て い る ら し い。 ﹁親 指 ﹂ 対
﹁子 指 ﹂ を は じ め と し て 、 ト ラ ンプ や 麻 雀 で あ る いは 無 尽 講 で の ﹁親 ﹂ 対 ﹁子﹂、 ﹁親 分 子 分 ﹂ ﹁親 子 電 話 ﹂ ﹁親 子 電 球 ﹂ な ど た く さ ん の熟 語 に 現 わ れ る 。
二 序 列を表 わす言葉 序 列 の存 在
日本 人 の社 会 の特 色 に つ い ては 、 早 く 川 島 武 宜 の ﹃日 本 社 会 の家 族 的 構 成 ﹄ に、 要 領 よ く 説 か れ て いた 。 そ れ
は 、 前 に 述 べた 、 個 人 よ り 重 要 視 さ れ る ﹁家 ﹂ が単 位 と な って構 成 さ れ て お り 、 し か も 、 家 族 外 の人 間 と 人 間 と
の関 係 に お いても 至 る と こ ろ 、 親 と 子 、 主 と 従 と いう 関 係 によ る 結 合 が 見 ら れ る こ と であ る 。 終 戦 後 、 濫 用さ れ
た ﹁封 建 的 ﹂ と いう こ と ば は こ の 現象 を 意 味 す る 。 主 家 対 奉 公 人 、 地 主 対 小 作 人 、 大 家 対 店 子 、 事 業 主 対 勤 労 者 、 官 僚 対庶 民 、 親 分 対 子 分 は いず れ も そ の例 で あ る 。
江 戸 時 代 に 、 ﹁士 農 工商 ﹂ と い った 階 層 があ った の は よ く 知 ら れ て いる が、 そ のう ち 士 分 は 士 分 だ け で、 ま た
た い へん細 か い階 級 が あ った 。 滝 川 政 次 郎 の ﹃日本 人 の歴 史 ﹄ によ る と 、 今 の福 井 県 に鯖 江 藩 と いう 五 万 石 の小
藩 が あ った が 、 武 士 階 級 間 に お け る 身 分 の上 下 は複 雑 を き わ め た も ので 、 家 老 か ら 中 小 姓 ま で の 間 に 六 三 の階 級 が あ った と いう 。
明 治 以 後 、 華 族 の家 に 仕 え て いた も の に は 、 最 高 の権 威 を も つ家 令 か ら 、 家 扶 ・家 従 ・家 下 と いう 段 階 が あ っ
た 。(﹃ 新ことばのくずかご﹄) 軍 隊 な ど で は 上 下 の 階 層 差 が こ と に激 し く 、 星 の数 が 一つち が っても 、 下 位 のも のは
奴 隷 の ごと く 扱 わ れ た 。 現 在 で も 相 撲 の 社 会 な ど は き びし く 、 横 綱 ・大 関 ・関脇 、 あ る いは 幕 内 か 十 両 か に よ っ て 、 いち いち 待 遇 ・格 式 が 違 う 。
皇 室 関係 の語彙
こ う いう こ と か ら 、 日 本 語 で や か ま し く 区 別 さ れ る の は、 身 分 のち が い であ る 。 特 に 注 意 す べ き は 、 皇 室 の存
在 で 、 し た が って 日本 語 に は ﹁皇 室 ﹂ だ け に 関 係 す る 語 彙 が 多 い。 ﹁天 皇 ﹂ ﹁皇 室 ﹂ ﹁皇 后 ﹂ ﹁皇 妃 ﹂ ﹁皇 太 子 ﹂ ﹁親 王 ﹂ ﹁内 親 王 ﹂ な ど は 、 いず れ も 日本 製 漢 語 で あ る 。
天皇 は 明治 維 新 から 第 二 次 世 界大 戦 の 終 結 ま で 現 人 神 と さ れ 、 神 聖 に し て侵 す べか ら ざ る も の と さ れ て いた 。
天皇 の名 で宣 戦 し た 大 戦 であ り 、 戦 局 は 日 々悪 化 し 、 捕 虜 にな った も の も あ った が 、 か れ ら は 一人 と し て 天皇 を
誹謗 す る こ とを せ ず 、 R ・ベネ デ ィク ト を 驚 か せた 。 ﹁降 嫁 ﹂ ﹁落 胤 ﹂ も 日 本 製 漢 語 であ る が 、 和 歌 森 太 郎 が 日 本
・下﨟 ・下 衆 (司 )・下 男 ・下 女 のよ う に身 分 の上 下 を 反 映 し て いる
人 の特 色 だ と し た 高 い家 柄 の人 を 敬 う 精 神 を よ く あ ら わ し て いる 。( 柳 田国男編﹃日 本人﹄) 日本 で古 く 作 ら れ た 漢 語 の中 に は 、 上﨟
も のが 多 い。 ま た 、 一般 に 素 性 ・分 際 ・分 限 な ど 、 身 分 に 関 す る 語 も 多 い。 ベネ デ ィ ク ト は 、 ﹁過 分 の﹂ と いう 語 を 、 日本 人 の愛 用 語 の 一つに数 え て いる。
日 本 で は 、 な お 、 同 じ 仲 間 の間 に も 厳 格 な 序 列 が あ り 、 ﹁分 ﹂ は 完 全 に ヤ マト コト バ 化 し て 、 ﹁親 分 ﹂ ﹁子 分 ﹂
﹁兄 貴 分 ﹂ ﹁客 分 ﹂ な ど のよ う な ﹁何 分 ﹂ と いう 形 の多 数 の熟 語 を 生 ん だ 。 ﹁新 参 ﹂ ﹁古 参 ﹂ も 、 いか に も 日本 的 漢
語 であ る。 ﹁兵 隊 あ が り﹂ ﹁女 中 あ が り﹂ な ど 、 ﹁何 々あ が り ﹂ と いう 言 い方 も 、 英 語 に は な い。
身分 のち が いを ⋮⋮
ま た 、 身 分 のち が いを 重 ん じ た こ と は 、 ︿代 理﹀ と いう こと に つ い て の 重 視 を 生 み 、 日 本 語 に は 貴 人 に 代 わ っ
て 何 々す る と いう 言 い方 、 そ の反 映 と し て 本 人 が (又 は本 人 に) 直 接 何 々す る 、 と いう 言 い方 が 多 く 出 来 た 。 た
と え ば 、 ﹁名 代 ﹂ ﹁代 参 ﹂ ﹁差 配 ﹂ あ る いは、 ﹁親 任 ﹂ ﹁ 直 披 ﹂ ﹁越 訴 ﹂ な ど は 、 いず れ も 日本 で で き た 漢 語 で あ る 。
ま た 身 分 を 反 映 す る も の と し て、 日 本 語 で はwifeに あ た る 語 彙 が 豊 富 な こ と を あ げ る こ と が で き る 。 ﹁妻 ﹂
﹁夫 人 ﹂ ﹁ 家 内 ﹂ ﹁細 君 ﹂ ﹁奥 さ ま ﹂ ﹁お か み さ ん ﹂ ﹁内 儀 ﹂ ﹁奥 方 ﹂ ﹁令 閨 ﹂ ﹁ 令 夫 人 ﹂ ﹁か か あ ﹂ ﹁山 の神 ﹂、 そ れ か ら
﹁う ち の かあ ち ゃん が ﹂ と 言 う 人 も い る。 あ る い は、 和 語 ・漢 語 だ け で は 足 りな く て、 ﹁う ち の ワイ フ が﹂ な ど と 洋 語 で 言 う 人 も いる 。
も っと も 、 他 の国 で いう と 、 ウ ルド ゥー 語 に は 下 男 ・下 女 を 表 わ す 語 彙 が 多 いと いう 。 ま た イ タ リ ア 語 で は、
女 中 を 表 わ す 単 語 が 多 く 、 料 理 女 ・食 器 洗 い女 ・アイ ロ ンか け 女 ・シ ャ ツ つく ろ い女 ・洗 濯女 ・掃 除 女 が 、 いち
いち 単 語 に な って いる と いう 。 これ は 女 中 は そ れ ぞ れ 専 業 が あ って 、 他 の 仕 事 を しな い の だ ろ う か 。
長 幼 の序
社 会 的 階 層 のほ か に、 日 本 で著 し いも の の 一つに年 齢 によ る 長 幼 の序 があ る 。 は じ め て の 人 と 交 際 を は じ め る
場 合 、 ま ず 気 にな る の が相 手 の年 齢 であ る 。 ﹁何 年 で いら っし ゃ いま す か ? ﹂ と た ず ね て 、 卯 年 と か 午 年 と か 知
って、 年 齢 を 判 断 す る こ と が よ く 行 わ れ る 。 こ のよ う に 年 齢 の高 低 を や か ま し く す る こと は 、 広 く 日本 一般 に あ
った よ う で、 ﹃ 雨 月 物 語 ﹄ の ﹁菊 花 の ち ぎ り ﹂ の 中 で、 義 兄 弟 のち ぎ り を 結 ぶ と こ ろ は 、 赤 穴 五 歳 長 じ た れ ば 、 伯 氏 た る べき 礼 儀 を を さ め て ⋮ ⋮
とあ り 、 ﹃南 総 里 見 八 犬 伝 ﹄ の中 でも 、 犬 飼 現 八 と 犬 塚 信 乃 が 兄 弟 の約 を 結 ぶ と こ ろ 、 信 乃 と 額 蔵 が ち ぎ り を 結 ぶ と ころ 、 いず れ も 年 齢 を 問 題 に し て いる。
日 本 語 と し て ご く ふ つう の言 葉 で 英 語 な ど に な い言 葉 に ﹁先 輩 ﹂ ﹁ 後 輩 ﹂ と いう 言 葉 が あ る 。
男女 の別
た だ し 、 長 幼 の区 別 に 比 べ て男 女 の方 は そ れ ほど や か ま し く 区 別 し て表 わ す こ とを し な いこ と は 注 意 し た い。
も ち ろ ん ﹁男 女 別 あ り﹂ と いう 考 え か ら 、 そ の服 装 ・立 ち 居 ふ る舞 いか ら 言 葉 づ か いに 至 る ま で 区 別 があ る こ と
は前 に 述 べた 。 し か し 、 男 であ る 人 間 、 女 であ る 人 間を さ し てす る 区 別 は、 ヨー ロ ッパ 語 に比 べ てむ し ろ のん き
であ る 。 イ ェス ペ ル セ ン は、heとshe が ハ ンガ リ ー 語 で 同 じ 単 語 で あ る こ と は、 多 く の ヨ ー ロ ッパ 人 に と って
は非 常 に不 思 議 な こと のよ う に映 じ る と 言 って いる 。 が 、 日本 人 に は いち いち や かま し く セ ンギ 立 てす る 方 が お
かし く 感 じ ら れ る 。 フラ ン ス語 入 門 で は 、 一つ ひと つ の名 詞 に つ いて ﹁女 性 形 の作 り 方 ﹂ と いう のを 習 う が 、 日
本 の 文 法 書 に女 性 形 の作 り 方 を 説 いた も の はな い。 英 語 のactと oa rctrと es はs 、 日本 に来 れ ば 一様 に ﹁俳 優 ﹂ で
とお る。 ﹁ 女 優 ﹂ と いう こと ばも あ る が 、 必 ず し も 使 う に 及 ば ぬ 。 日 本 人 は、 英 語 を 日 本 語 に 取 り 込 む と き に 、
・ ミ
よ く こ の点 を ま ち が え る。 例 え ばlove はr 男 に つ いて いう こ と ば だ が 、 石 田 一松 は ﹁私 の ラ バ さ ん 酋 長 の娘 ﹂ と いう 流 行 歌 を つく って自 ら 歌 い、 別 に と が め だ て す るも のは な か った 。
英 語 そ の他 で、 呼 び方 を 男 性 と 女 性 と で区 別 し 、 女 性 を さ ら に未 婚 と 既 婚 でや かま し く 区 別 し て ミ ス何 々
セ ス何 々と い った のは ず いぶ ん 窮 屈な 話 だ った 。 最 近 、 ミ ズ が 一般 化 し た の は 結 構 で あ る 。 日本 人 は こ の点 も 鷹 揚 であ る 。
R ・ベネ デ ィク ト は ﹃菊 と 刀 ﹄ で、 日本 人 は ︿分 ﹀ を 守 る、 つま り、 自 分 はど の階 層 に 位 置 し て いる か を 考 え 、
そ れ ら し く ふ る ま う こ と を よ し と す る 、 と 言 って いる が 、 見 事 な 指 摘 だ った 。 戦 前 、 これ は こと に女 性 に対 し て
や か ま し く 、 嫁 に行 った 女 性 は 、 も う お嬢 さ ん のよ う な 恰 好 を し て は いけ な い、 女 中 さ ん は 、 お 嬢 さ ん と ま ち が え ら れ る お化 粧 を し て い て は いけ な い、 等 、 等 、 そう いう 厳 し い倫 理 が あ った 。
男 は 男 ら し く あ れ 、 女 は 女 ら し く あ れ 、 学 者 は学 者 ら し く あ れ 、 坊 さ ん は 坊 さ ん ら し く あ れ 、 と いう わ け で 、
寿 岳 章 子 は ﹁ら し さ ﹂ が 日 本 人 のキ イ ・ワー ド だ と 言 った 。(﹃ 国語学﹄昭和五十八年六月)
私 た ち 日本 人 は 、 こ の意 味 で 、 お 互 いに 窮 屈 な 生 活 を し て 黙 って いる わ け であ る 。 副 詞 のな か で ﹁さ す が に ﹂
は 、 あ る 地位 に あ る人 が 、 そ の地 位 に ふさ わ し い行 動 を し た と き に 使 う ほ め 言 葉 で、 日 本 人 好 み で あ る 。 ﹁学 校
を 出 て いる ダ ケ ニ (ダ ケ ア ッテ ) 物 分 り が い い﹂ のダ ケ ニ (ダ ケ ア ッテ ) も 同 様 な 語 感 を も つ。 反 対 に、 そ の地
位 に 似 合 わ ぬ 振 舞 いに 対 し て は 、 ﹁な ま い き﹂ と いう 単 語 を も って批 判 し 、 非 難 を ふ く む 助 詞 と し て は ク セ ニ ・
ダ テ ラ ニがあ り 、 社 会 心 理学 者 ・高 木 正孝 は 、 こ れ を 外 国 語 に 訳 せな い表 現 の 一つと し て 数 え て いる 。( ﹃日本人 の
生活心理﹄)﹁年 甲 斐 も な く ﹂ ﹁い い年 を し て﹂ と いう の は、 人 は 年 齢 に ふさ わ し い行 動 を す べ き だ と いう 考 え が 底
に あ る 。 日本 人 が着 る も の に つ い てよ く 使 う ﹁は で ﹂ と いう 言 葉 も 、 英 語 のgay と は ち が い、 そ の陰 に こ のぐ ら い の年 齢 の人 は も っと 地 味 な も のを 着 る べき だ と いう 考 え が あ る よ う だ 。
筆 者 は、 中 学 時 代 に 、 学 校 へ提 出 す る 日 記 の中 に ﹁校 長 先 生 のお 話 を 聞 いて 感 心 し ま し た ﹂ と 書 い て注 意 さ れ
た 経 験 があ る 。 先 般 は 、 当 時 の中 曽 根 首 相 が 天 皇 を お 迎 え し て 、 ﹁いろ いろ 御 苦 労 ま でし た ﹂ と いう あ いさ つを
し て 、 非 難 を あ び た こ と があ った 。 家 庭 の 中 で ﹁あ な た﹂ ﹁お ま え ﹂ のよ う な 第 二 人 称 の代 名 詞 が 使 え る のは 、
対 等 のも の、 あ る いは 序 列 の 上 のも の か ら 下 のも の へだ け と いう の は 、 世 界 で 珍 し い習 慣 であ る 。
三 内 と 外 の問 題 ウ チ と ソ卜を へだ て る表 現
﹁家 ﹂ を 離 れ て、 社 会 全 体 を み て み る と 、 日本 の社 会 と いう も の がま る で 一つ の ﹁家 ﹂ のよ う にな って いる 。 川
島 武 宜 は 、 前 にも あ げ た ﹃日 本 社 会 の家 族 的 構 成 ﹄ の中 で 、 ﹁国 鉄 一家 ﹂ と か ﹁う ち の会 社 で は ﹂ と いう 日本 独
自 の 言葉 や 表 現を 紹 介 し て いる 。 ﹁う ち の社 長 ﹂ ﹁ う ち の受 付 け の女 の 子﹂ ﹁う ち の 取 引 き 先 ﹂ ⋮ ⋮ い か に も 日 本
的 であ る 。 よ そ の会 社 に 対 し ては ﹁お 宅 で は﹂ と いう ふう に 言 い、 いか にも 、 自 分 の勤 め 先 を 一軒 の家 のよ う に 考 え て いる 傾 向 が 見 ら れ る 。
そ れ か ら 中 根 千 枝 が ﹃タ テ 社 会 の人 間 関 係 ﹄ の中 で触 れ て い る が 、 日 本 人 は 自 己 紹 介 す る 場 合 に 自 分 の 職 種 を
言 わ な い で、 会 社 の名 前 を 言 う 傾 向 が あ る 。 た と え ば 、 自 分 は 事 務 関 係 を や って い る と か 、 あ る いは 技 術 関 係 を
や って いる と か は 言 わ な い。 運 転 手 で も 門 衛 で も 、 自 分 は 何 と いう 会 社 に勤 め て い る 、 と 言 う 。 これ な ど も 会 社 に対 す る ﹁家 ﹂ 意 識 と いう も の の 現 わ れ にち が いな い。
( し た )﹂ な ど の言
日本 の家 も そう であ り、 社 会 も そう であ る が 、 ま た 、 自 分 の仲 間 と そ れ 以 外 の者 の 区 別 が は っき り し て いる 。
そ れ は た と え ば ﹁他 聞 ( を は ば か る )﹂ ﹁他 見 (を 許 さ ぬ )﹂ ﹁内 談 ﹂ ﹁内 分 (にす ま す )﹂ ﹁内 定
葉 に み ら れ る。 漢 字 を 二 つ並 べ て音 で 読 む か ら 、 中 国 の言 葉 のよ う に 思 う が 、 中 国 語 に は こう いう 言 葉 は な い の だ そう だ 。 す べて 日本 で つく った 和 製 漢 語 であ る 。
わ れ わ れ は ﹁他 人 ﹂ と か ﹁よ そ ﹂ と か い った 言 葉 を よ く 使 う 。 ﹁他 人 行 儀 ﹂ ﹁他 人 事 ﹂ ⋮ ⋮ 。 中 国 にも ﹁他 人 ﹂
と いう 言 い方 は あ る が、 無 色 の言 葉 で 、 日本 語 の ﹁他 人 ﹂ のよ う な よ そ よ そ し い響 き は な い そう だ 。 カ ミ ュの小
説 ﹃エト ラ ンジ ェ﹄ は、 日 本 語 で は ﹁異 邦 人 ﹂ と 訳 さ れ て いる が 、 土 居 健 郎 は 、 ﹁他 人 ﹂ と 訳 せ ば ち ょう ど よ か
った と 言 って い る。 ﹁よ そ ﹂ と いう 言 葉 も 、 ﹁よ そ 者 ﹂ ﹁よ そ の お じ さ ん ﹂ な ど と 使 う 。 も し 英 語 に 訳 し た ら 、
a not her でp あlろ aう cが e 、 こ れ に は ﹁よ そ ﹂ と いう 言 葉 に感 じ ら れ る 冷 た い響 き は な い。 つま り ﹁他 人 ﹂ と か
﹁よ そ ﹂ と いう の は 、 自 分 の外 のも の だ と いう 気 持 が は っき り 現 わ れ て いる 。 ﹁傍 惚 ﹂ ﹁傍 焼 ﹂ な ど と いう 語彙 も 日本 語 な ら で は の単 語 だ ろ う か 。
﹁世 間 ﹂ と いう 言 葉 があ る 。 こ れ は ﹁社 会 ﹂ と 似 て いる が、 受 け る 感 じ は 違 う 。 ﹁世 間 に 出 て 笑 わ れ る ﹂ と い っ
た 使 い方 を し 、 家 に対 立 す る も の と 取 ら れ て いる 。 土 居 健 郎 に よ れ ば 、 日本 人 の 生活 は 一番 内 側 に身 内 の世 界 が
あ って 、 これ は 遠 慮 が いら な い。 そ の次 に は いろ いろ窮 屈 な 心遣 いを す べき 世 界 があ り 、 そ れ が 世 間 だ。 そ う し
て 、 そ の外 側 に は ま った く 遠 慮 の いら な い他 人 の 世 界 が あ る と 考 え て 来 た の だ そ う だ 。( ﹃ 甘え の構造﹄) 日本 人 が
公 徳 心 に乏 し い、 国 立 公 園 のよ う な と こ ろ へ空 き 缶 を 捨 てる 、 な ど と よ く 言 わ れ て来 た の は、 こ う いう 考 え 方 に よ る も のと 思 わ れ る。
日本 のも のと 外国 のも の
日 本 人 は自 分 の仲 間 や 郷 土 と いう も のを は っき り意 識 し て いる 。 夏 の 甲 子 園 の高 校 野 球 が 非 常 に人 気 を 博 す る
のは 、 郷 土 と の結 び つき が 強 いせ い であ る 。 国 体 と いう も の が毎 年 行 わ れ る が、 何 と か 自 分 の県 を 全 国 一にし よ
と いう こ と のほ か に × ×県 出 身 と いう 記 事 が あ る の も 日 本 的 だ 。 県 人 会 が あ る のも 日 本 人 ら し いと 言 わ れ る が、
う と ば か ば か し い苦 心 を す る の も そ れ だ 。 ま た 、 相 撲 の番 付 を 見 る と 、 一人 一人 の力 士 に つ いて 、 ○ ○ 部 屋 所 属
こ れ は ブ ラ ジ ル へ行 って も 、 日本 か ら 行 った 一世 の 間 に 熊 本 県 人 会 ・広 島 県 人 会 ⋮ ⋮ と いう よ う な も のが 出 来 て いる 。
これ を も っと 広 い範 囲 に と る と 、 日本 と そ れ 以 外 の国 の区 別 を は っき り さ せ る こ と にな る 。 ﹁和食 ﹂ ﹁和 服 ﹂ と
いう よ う に ﹁日本 の﹂ と いう こ と を いち いち 区 別 す る 傾 向 が あ る 。 ﹁邦 楽 ﹂ ﹁邦 舞 ﹂ ﹁国 文 学 ﹂ ﹁国 語 ﹂ ⋮ ⋮ 、 こ の
﹁国 語﹂ と いう 言 葉 は 、 学 校 の科 目名 に な って いる た め と は い え 、 日 本 で は 小 さ い子 ど も でも 使 う く ら いご く 普
通 の言 葉 であ る 。 こ れ は 、 佐 々木 達 に よ る と 、 も し こ れ を 英 語 に 訳 せ ば national
l とa なnるgは uず ag でe 、向こ
う では 大 変 カ タ イ 言 葉 だ そ う で 、 こう い った 言 葉 が出 て く る よう な 本 は よ ほ ど 専 門的 な 本 だ そ う だ 。
日 本 で は 、 洋 語 を カ タ カ ナ で 表 記 す る 習 慣 が あ る。 つま り 、 こ れ は よ そ か ら き た 言 葉 だ と いう こ と で 、 わ ざ わ
ざ 違 った 字 で 書 く の で あ る が、 こう いう 習 慣 も ま こ と に 日本 的 で 、 ほ か の国 では そ のよ う な こ と は ち ょ っと し て いな いだ ろう と 思 う 。
日本 人 の ﹁旅 ﹂意 識
こ のよ う に 、 日本 人 は 内 と 外 を は っき り 区 別 す る 。 内 のも のに 親 し み、 外 のも のに 対 し て は へだ て る 。 そ の た
め に、 日本 人 の ﹁旅 ﹂ と いう 言 葉 に は特 別 の感 情 が 現 わ れ る。 つま り 、 よ そ へ行 く ん だ 、 外 の世 界 へ出 る ん だ 、 と いう 感 じ で あ り 、 寂 し い、 心 細 い、 特 別 の味 わ いが あ る。
芭蕉 の ﹃ 奥 の細 道 ﹄ の旅 立 ち のと こ ろ で 、 芭 蕉 は も のす ご く 別 れ を 悲 し ん で いる 。 門 人 た ち も み な 悲 し ん で い
る 。 あ んな に 悲 し むな ら 旅 に 出 な く ても よ さ そ う だ と 思 う が 、 日 本 人 は 、 旅 に出 て 寂 し い心 細 い気 持 を 味 わ う 、
そ こ に旅 の楽 し み があ る よ う だ 。 ア メ リ カ 人 に と って は 旅 と いう の は 二 つし かな く て 、 一つは 楽 し い旅 であ り 、
一つは いや いや な が ら 出 か け る 実 務 的 な 出 張 であ る 。 こ の 二 種 類 し か な く 、 心細 さ を 味 わ う 旅 と いう のは な いそ
う だ が、 日 本 で書 か れ た 旅 の文 学 と いう の は、 違 う 。 ﹃奥 の細 道 ﹄ のよ う な 、 よ そ の 地 を 回 って歩 く 寂 し さ 、 心
細 さ が 旅 の文 学 の基 調 を な し て いる 。 こ のよ う な 意 味 を も った ﹁旅 ﹂ は 、 いか に も 日本 的 な 単 語 で あ る 。
旅 に 出 れ ば 家 を 思 い、 例 の ﹁懐 か し い﹂ と いう 思 いを いだ く が、 前 に も ち ょ っと ふ れ た よ う に、 こ の ﹁懐 か し
ッパ語 を 使 え 、 と いう 命 令 が 出 た 場 合 、 ﹁懐 か し い﹂ と いう 言 葉 は 一番 使 いた く て た ま ら な い言 葉 の 一つだ ろ う 。
い﹂ と いう 言 葉 が な か な か ヨー ロ ッパ の言 葉 にな い。 も し、 日 本 人 が 今 後 、 日本 語 を 使 って は い け な い、 ヨー ロ
ヘル マ ン ・ヘ ッセ の ﹃ペー タ ー ・カ ー メ ンチ ント ﹄ (原 題 は 主 人 公 の名 ) を 高 橋 健 二 が ﹁郷 愁 ﹂ と いう 題 にし た
の は、 日本 人 の好 み に合 わ せ た も のだ った。
四 社 交 の 言 葉 社 交 の語彙
次 に 、 日本 の社 会 で は 同 じ 仲 間 のも の同 士 は 、 いわ ゆ る ﹁ 義 理﹂ の関 係 にし ば ら れ て来 た 。 ﹁義 理 ﹂ は 、 日 本
語 特 有 の単 語 と し て有 名 で 、 上 智 大 学 の カ ンド ー 神 父 は 、 ﹁こ れ を フ ラ ン ス語 に 訳 し た ら 、 十 七 の 単 語 を 組 合 わ
せな け れ ば な ら な い﹂ (﹃ 永遠 の傑作﹄)と 言 った 。 ベネ デ ィク ト は 、 ﹁義 理 ﹂ を ﹁世 間 体 のた め に い や いや な がら 服 す る義 務 ﹂ と いう 意 味 の英 語 に 訳 し た が、 苦 心 の訳 で あ る。
義 理 を 守 る 人 を 日本 で は ﹁義 理 が た い﹂ と い って ほ め る。 そ れ は具 体 的 に は ど う いう こ と か 。 和 歌 森 太 郎 に よ
る と 、 村 の素 朴 な 人 た ち の間 で は 、 仕 事 や 寄 合 いに 顔 を 出 す こ と 、 贈 答 を き ち っと や る こ と だ と いう 。( ﹃日本人 の
交際﹄) 一般 に 日 本 製 漢 語 には ﹁厄 介 ﹂﹁介 抱 ﹂﹁相 談 ﹂ ﹁ 合 力 ﹂な ど 助 け 合 いを 表 わ す 語 が多 い。交 際 を 重 ん じ る 気
持 の反 映 で あ ろ う か。助 け あ う 仲 間 う ち で は 暖 か い感 情 を 重 ん じ る と こ ろ か ら 、 ﹁人 情 ﹂ ﹁情 味 ﹂ ﹁入 魂 ﹂な ど の 日
本 製 漢 語 を 生 ん だ 。 ま た 、 ﹁参 上 ﹂ ﹁着 到 ﹂ ﹁持 参 ﹂ な ど 交 際 に関 し た 日本 製 漢 語 も 多 い のは そ のせ いと 思 わ れ る。
贈答 の語 彙
贈 答 を 重 ん じ る こ と は 、 日本 語 の、 物 のや り と り に関 す る 語彙 が実 に 多 い こ と でわ か る 。 ち ょ っと あ げ て み る
と 、 物 を ﹁や る ﹂ ﹁く れ る ﹂ ﹁も ら う ﹂ か ら 始 ま って 、 ﹁あ た え る﹂ ﹁ゆ ず る ﹂ ﹁わ たす ﹂ ﹁よ こす ﹂ ﹁う け と る ﹂、 敬
意 の意 味 が 加 わ る と、 ﹁あ げ る﹂ ﹁さ し あ げ る ﹂ ﹁お く る ﹂ ﹁く だ さ る ﹂ ﹁いた だ く ﹂ ﹁頂 戴 す る ﹂ ﹁拝 領 す る ﹂ と い
く ら で も あ る 。 さ ら に 相 手 が 目 上 と 見 れ ば 、 ﹁さ さ げ る ﹂ ﹁た て ま つる ﹂ ﹁手 向 け る ﹂ ﹁呈 す る ﹂ ﹁進 ぜ る ﹂ ﹁献 ず
る ﹂ を 使 い、 相 手 が 下 の場 合 は ﹁さ ず け る ﹂ ﹁ほ ど こす ﹂ ﹁め ぐ む ﹂ と 言 い分 け る 。 そ う し て、 ど のよ う な 場 合 に
物 のや り と り が行 わ れ る か に よ って こ れ が ま た 違 う 。 ﹁み や げ ﹂ ﹁見 舞 ﹂ ﹁チ ップ ﹂
﹁お 年 玉 ﹂ ﹁お 中 元 ﹂ ﹁お 歳暮 ﹂ ﹁餞 別 ﹂ ﹁結 納 ﹂ ﹁香 典 ﹂ ﹁花 代 ﹂ ﹁つけ と ど け ﹂ ⋮ ⋮
これ にも 、 いく ら で も 新 し い言 葉 が出 て く る 。 そ う し て お金 を 包 ん だ 上 書 き の 文
字 は 、 ﹁寿 ﹂ ﹁志 ﹂ に は じ ま って、 ﹁お 酒 ﹂ ﹁お 花 代 ﹂ ﹁御 香 料 ﹂ な ど 、 次 々と 思 い 浮 か ぶ。
﹁やる﹂ と ﹁くれ る﹂
こ の中 で 注 意 を 引 く の は、 話 し 手 を 中 心 に見 た 場 合 に言 葉 の違 い が 現 わ れ る こ
と で あ る 。 自 分 か ら 他 人 へ物 が 行 く と 、 私 が あ の 人 に 物 を ﹁あ げ た ﹂ あ る い は
﹁や った ﹂ と 言 う 。 相 手 か ら こ っち に 物 が く る 場 合 に は 、 あ の人 が 私 に 物 を ﹁く
れ た ﹂ と か ﹁下 さ った ﹂ と か 言う 。 な ぜ こ のよ う な 区 別 を す る か 。 主 語 によ って
動 詞 を 区 別 す る こと は 、 ︿人 称 変 化 ﹀ と 言 って 、 フ ラ ン ス語 や ド イ ツ語 と 違 って
﹁他 人 B ﹂ へ物 が 行 く 、 あ る い は
﹁他 人 B ﹂ か ら
﹁他 人 A ﹂ に 物 が 行 く 場 合 に は 、 ﹁A さ
し て い る 。 日 本 人 は 、 人 か ら 物 を も ら う と 何 と か し て 返 さ な け れ ば い け な い と 思 って 、 苦 し む 人 間 だ か ら 、 と 言
﹁下 さ った ﹂ ﹁く れ た ﹂ と い っ て 区 別 す る 。 こ れ は お も し ろ い こ と で 、 こ れ に つ い て ベ ネ デ ィ ク ト が う ま い 説 明 を
か ら 物 が 行 く のと 、 ほ か の 人 ど う し が や り と り し た の と は 、 区 別 を し な い の で あ る 。 他 人 か ら 来 た も のだ け を
ん が B さ ん に 果 物 を あ げ た ﹂ ﹁B さ ん は お 返 し と し て A さ ん に お 菓 子 を あ げ た ﹂ と いう 。 つま り 、 自 分 の と こ ろ
う の は 、 ﹁他 人 A ﹂ か ら
へ物 が 来 た の は 得 し た の だ 、 と い ち い ち ソ ロ バ ン を は じ い て 言 う の か 、 と 思 い た く な る が 、 そ う で は な い 。 と 言
う 。 ち ょ っと 考 え る と 、 日 本 人 と い う の は ま こ と に 打 算 的 な 人 間 で 、 よ そ へ物 が 行 った の は 損 し た の だ 、 こ っち
日本 語 に は普 通 な いが 、 た だ 一つ、 物 の や り と り を 表 わ す 動 詞 に 限 って こ のよ う に 変 化 を す る 。 これ は な ぜ だ ろ
日本 語 の ヤ ル と ク レル
う の であ る 。 つま り ﹁恩 ﹂ の精 神 が 日 本 人 の 行動 を 規 定 し 、 日本 語 の上 に働 い て いる の であ る 。
ベネ デ ィク ト は 、 こ の 日本 人 の精 神 を 説 明 す る た め に、 ﹃坊 っち ゃん ﹄ を 引 き 、 坊 っち ゃん が 山 嵐 に絶 交 を 言
い渡 す 時 に 、 山 嵐 が 以 前 に お ご って く れ た 一銭 五 厘 の氷 水 代 を 彼 の机 の 上 に 置 いて いる こ とを 指 摘 し て い る。 そ
う し て 、 こ のよ う な こ と は ア メ リ カ では 精 神 病 患 者 の病 歴 録 ぐ ら い にし か 見 ら れ な いと 言 って い る。
要 す る に他 人 に 物 を も ら う と 、 た い へん 日 本 人 は 苦 し む の で あ る 。 こ の こと か ら 、 日本 人 は 他 人 に 物 が簡 単 に
あ げ ら れ な いこ と にな る。 ﹁こ れ を あ な た にあ げ た な ら 、 あ な た は ぉ 返 し し な け れ ば いけ な いと 思 う だ ろ う ﹂ と
思 う の であ る。 そ れ を や わ ら げ る た め に は 、 他 人 に物 を 贈 る 場合 に、 日本 人 ら し いあ いさ つ が生 ま れ る 。 た と え
ば ﹁ま こと に つま ら な いも の です が ﹂ と いう よ う な 。 これ に 対 し て ア メ リ カ の 人 は 、 な ぜ 、 つま ら な いと 知 って
持 って き た か 、 と 思 う そ う であ る が 、 日本 人 と し て は 、 こ れ を あ な た に さ し あ げ る け れ ど も 、 つま ら な いも のだ
か ら お 返 し し よ う と し な く ても い い の だ 、 と いう 意 味 な のだ 。 ﹁何 も ご ざ いま せ ん が 、 召 し 上 が って 下 さ い﹂ と
いう 言 い方 も 、 これ を 食 べ ても 何 も 食 べ な か った と 同 じ だ と 思 って ほ し い、 と いう 日本 人 のや さ し い心 の あ ら わ れ だ と いう こ と にな る 。
恩と 恨 み
こ の結 果 、 感 謝 を 表 わ す 語彙 が多 く 生 ま れ て いる の は当 然 で、 ﹁も った いな い﹂ ﹁あ り がた い﹂ ﹁す ま な い﹂ ﹁か
た じ け な い﹂ な ど 数 が 多 い。 日本 の代 表 的 な お 伽 話 と 言 え ば 、 ﹁桃 太 郎 ﹂ ﹁花 咲 爺 ﹂ ﹁浦 島 太 郎 ﹂ な ど であ る が 、
こ れ ら は いず れ も 報 恩 が含 ま れ て お り 、 戦 後 人 気 を 得 た ﹁笠 地 蔵 ﹂ や 、 木 下 順 二 の ﹃夕 鶴 ﹄ の原 話 な ど は 、 こ と
に 顕 著 で あ る が、 日 本 人 の 好 み にあ った も の で あ ろ う 。 ﹁針 供 養 ﹂ ﹁筆 塚 ﹂ な ど の 言葉 も 、 恩 の精 神 に 発 し て出 来 た こと で あ る 。
も っと も 、 ﹁曾 我 兄 弟 ﹂ と ﹁赤 穂 義 士﹂ の復 仇 談 が歌 舞 伎 の世 界 の 人 気 演 目 であ り 、 日 本 の 代 表 的 な お 伽 話 の
う ち ﹁猿 蟹 合 戦 ﹂ ﹁かち か ち 山﹂ ﹁舌 切 雀 ﹂ が恨 み を 報 いる 話 にな って いる 。 こ の よう な 教 育 を 受 け た 一般 の人 た
ち の間 に は 、 仇 討 を い い こ と と 思 う よ う に な った か と 思 わ れ る が、 怨 恨 に 関 す る 日本 製 漢 語 は 見 つけ に く い。 わ
ず か に ﹁迷惑 ﹂ と いう よ う な 、 日 本 へ来 て 特 別 の意 味 を も つに 至 った 漢 語 があ る のが 目 に つく 。 そ う し て、 ﹁あ り が た 迷 惑 ﹂ と いう よ う な 語彙 は 、 外 国 人 に はな か な か 説 明 し にく い。
新 聞 の 野 球 記 事 を 読 む と 、 投 手 に対 す る バ ッタ ー の関 係 を いろ いろ に 言 い分 け て いる のが おも し ろ い。 連 続 ヒ
ット の場 合 は ﹁あ び せ る ﹂、 ホ ー ム ラ ン の場 合 は ﹁見 舞 う ﹂、 四 球 の場 合 は ﹁浴 す る ﹂、 三 振 の場 合 は ﹁喫 す る﹂、
ピ ッチ ャー ゴ ロの場 合 は ﹁呈 す る ﹂、 デ ッド ボ ー ル の場 合 は ﹁食 う ﹂ と い った 調 子 であ る 。 いち いち 感 謝 し た り 、 憤 慨 し た り し て いる 態 度 は ま こ と に 日 本 調 で あ る 。
五 日 本 人 の 道 徳 意 識 誇 る べき言 葉
戦 後 直 後 の こと 、 ア メ リ カ の教 育 者 の指 導 で 、 文 部 省 が ﹃よ い子 の絵 本 ﹄ と いう のを 編 集 し た こと が あ った 。 そ の時 、 日 本 人 の書 いた 原 案 は 、 生 き 物 を いじ めな いよ い子
し な いよ い 子﹂ ば か り だ った 。 そ れ を ア メ リ カ 人 の忠 告 で ﹁生 き 物 を か わ い が る よ い子 ﹂
公 園 の 花 を 折 り 取 ら な いよ い子 と いう よ う に 、 ﹁︱
﹁公 園 の 花 を 大 事 に す る よ い子 ﹂ と 改 め た と いう 話 が あ る。 と かく 日本 人 は消 極 的 な の を よ し と す る 傾 向 があ っ た。
に ア ンケ ー ト で 尋 ね た こ と が あ った 。 ﹁も った いな い﹂ と か ﹁さ よ う な ら ﹂ と か いろ いろ の答 え が 出 た が 、 そ の
こ れ は 戦 前 の話 であ る が 、 ど のよ う な 単 語 が 日本 語 と し て誇 る べき も の であ る か 、 と いう こと を 大 勢 の文 化 人
と き に 新 村 出 が ﹁た し な む ﹂ と いう 言 葉 を い いと し 、 こ れ が 一番 人 気 が あ った そ う だ 。 ﹁た し な む ﹂ と いう の は、
何 か コト が お こ る こと を 考 え て 用意 し て おく 、 そ れ が 実 際 に は効 果 を あ ら わ さ な く ても い いと す る 。 そ う い った 心 構 え で、 こ れ は 非 常 に美 し い日本 語 的 な 単 語 であ る 。
こ れ を ま た 逆 の方 か ら 見 た の が ﹁ゆか し い﹂ と いう 言 葉 で、 こ れ を 漢 字 に 書 く と ﹁床 し い﹂ と な る 。 と いう の
は 結 局 、 中 国 に は これ に当 る 言 葉 が な いと いう こと では な い か 。 さ ら に そ の上 を ゆ く の が、 ﹁奥 ゆ か し い﹂ と い
う 単 語 で、 こ れ な ど も 、 本 人 は何 も 働 き か け な い、 自 分 で修 養 し て お いて 人 から 敬 慕 さ れ る よ う な 人 格 を 作 って
いる、 そ う し て 自 分 で は こ ん な ふう に偉 いん だ と いう 宣 伝 を し な い で、 ほ か の人 の批 評 に ま か せ て いる 。 こう い
った態 度 を 日本 人 は す ば ら し いと し た 。 こ のよ う な と こ ろ に 日本 人 の愛 用 語 句 が 生 ま れ て いる 。
日本 人 の好き な言 葉
次 に 、 日本 人 は 淡 白 な さ っぱ り し た も の 、 し つこ く な いこ と を 喜 ぶ傾 向 が あ った 。 日本 人 の非 常 に 好 き な 言 葉
のう ち に ﹁潔 い﹂ と いう 言 葉 が あ る。 こ の 言 葉 を 日 本 人 は ﹁潔 く 諦 め た ﹂ と いう ふ う に 使 う わ け で 、 ﹁諦 め る ﹂
︱manlとy言 う 言 葉 は あ る が、 日本 人 の ﹁男 ら し い﹂ と いう 言 葉 の使 い方 は 、 ほ か の国 の
と いう こと を 日 本 人 は た い へん い い こと と し て いる の であ る。 日 本 語 に ﹁男 ら し い﹂ と いう 言 葉 が あ る 。 ど こ の 国 にも ﹁男 ら し い﹂
人 と ち ょ っと ち が って いる 。 そ れ は ほ か の 国 で は、 ﹁男 ら し く ﹂ と いう と 、 ﹁勇 敢 な ﹂ と か ﹁決 断 力 が あ る ﹂ と か 、
こ のよ う な 言 葉 が 続 く が 、 日本 人 は ﹁男 ら し く 諦 め た ﹂ と いう 表 現 を す る か ら で あ る 。 ほ か の国 の人 は 、 こ れ に
対 し て 、 な ぜ諦 め る こ と が 男 ら し いん だ 、 男 な ら も っと や れ る だ け や れ ば い いじ ゃな いか 、 と いう そ う であ る が、
諦 め る こと を よ し と す る 、 いか に も 日本 人 の好 みを 表 わ し て いる と 思う 。 であ る か ら 、 日 本 人 は、 諦 め の 悪 い こ
と を よ く な い こと と し 、 た と え ば ﹁未 練 ﹂ と いう よ う な 言 葉 は 結 局 ﹁女 々し い﹂ こと にな る 。
森鴎 外 に よ る と 、 た と え ば ド イ ツあ た り では 、 あ く ま でね ば っこく や る こ と、 諦 め 悪 く ど こま で も や る こ と を
ほ め る 言 葉 があ り 、 日本 に は そ う い った 形容 詞 がな いよ う だ と指 摘 し て いる 。 日本 人 は 早 く 諦 め る 、 こ れ を い い
と す る 。 そ のた め に、 と き には 筆 者 な ど か ら 見 る と 、 諦 め が 早 す ぎ て いけ な い言 葉 があ る と 思 う 。 ﹁ど う せ ﹂ と いう 言 葉 が そ れ だ 。
八 抽 象 的 な 意 味 を も つ語 彙
一 空間 関係を表 わす言葉 上 ・下 など
誰 の随 筆 であ った か 、 英 語 のあ ま り達 者 でな い日本 のあ る 紳 士 が ア メ リ カ へ渡 り 、 寝 台 車 へ乗 った 。 自 分 の席
は 、 何 号 か の上 段 と き ま り 、 下 の段 の客 を 待 って いる と 、 妙 齢 の金 髪 美 人 が乗 り 込 ん で来 た 。 これ は 悪 く な いと
鼻 の下 を のば し て いる と 、 こ の女 性 がな か な か の宵 っぱ り で 、 い つま で も ト ラ ンプ の ひ と り 占 いに 興 じ て いる 。
こ れ で は自 分 も お相 伴 で起 き て いな け れ ば な ら ぬ。 た ま り か ね て 、 し ま いに 、 ﹁私 は あ な た の上 で 横 た わ り た く
欲 す る か ら 、 ト ラ ンプ を そ ろ そ ろ や め て く れ な いか ﹂ と 英 語 で切 り出 し た 。 と 、 く だ ん の美 人 は、 ま っか に な っ
you,ov aeb roe you, v
て 興 奮 し 、 こ の黄 色 の顔 の男 が 私 を 侮 辱 し た と 言 ってわ め き 出 し た 。 時 な ら ぬ 女 性 の金 切 り 声 に、 周 囲 の お 客 も
皆 集 ま ってく る。 た い へん な 目 に あ った そ う で あ る が、 英 語 の ﹁あ な た の 上 で﹂ に はon
you ⋮ ⋮ な ど いろ いろ あ る 。 こ の紳 士 は 、 つ い 日本 語 のく せ で、 使 いま ち が え た の だ と いう 。
heと re 言!い" 、 歩き な が
al" oとnい gう !。 ド イ ツ語 では 、 ﹁入 れ ﹂ ﹁出 ろ ﹂ と いう 言 葉 が 、 話 し 手 が 内 に い る か 、
ま た 英 語 では 、 同 じ ﹁こ っち へ来 い﹂ と 言 う のに 、 止 ま って い て言 う 場 合 は"Come ら 言 う 場 合 に は"Come
外 に いる か に応 じ て 、 さ ら に 上 の方 へ、 下 の方 へと いう 意 味 ま で考 え て、 や か ま し く 言 い分 け る よ う に文 法 の入
門 で学 習 す る。 こん な こ と か ら 考 え る と 、 日 本 語 に お け る 空 間的 な 位 置 のち が い の言 い分 け は 、 ず いぶ ん 寛 大 だ 。
縦 と横
と こ ろ で わ れ わ れ が便 利 だ と 思う のは 、 日 本 語 が タ テ ( 縦 )と ヨ コ ( 横 ) と いう 一対 の 語 を も って いる こ と だ 。
こ れ を 英 語 に 訳 そ う と し て も 、 ぴ った り い か な い。 わ れ わ れ は 、 ﹁長 方 形 の面 積 は タ テ × ヨ コ﹂ な ど と 無 造 作 に
言 って いる が、 そ の 調 子 で いく な ら ﹁三 角 形 の面 積 は タ テ × ヨ コ ÷ 2﹂ でよ さ そう だ 。 そ れ を 小 学 校 で ﹁底 辺 ×
高 さ ÷2 ﹂ で な け れ ば いけ な いと教 わ って 以 来 、 そう お ぼえ 込 ん で疑 わ な い が 、 そ れ は む こう に タ テ ・ヨ コと い
う 言 い方 がな い こと に 影 響 さ れ て いる の で は な か ろう か 。 立 体 的 でな いも の に高 さ と いう のは お か し い。 立 体 の 体 積 の時 は どう 言 う つも り であ ろう か 。
日本 語 の、 こ の ﹁縦 ﹂ と ﹁横 ﹂、 こ れ は 欧 米 人 に は な か な か 理 解 し にく いも の のよ う で、 こ の 語 を 教 え る と 、
ひ と つ ひと つ の品 物 に つ い て、 コ レ ハド ッチ ガ 縦 デ スカ 、 横 デ スカ 、 と 尋 ね ら れ る 。 な る ほ ど 辞 書 を 引 い て 見 る
と 、 ﹁縦 ﹂ と は 立 って いる 方 向 、 と あ る 。 こ れ は 平 面 的 な も の に は ま ず いし 、 第 一に ﹁縦 隊 を 作 る ﹂ と いう よ う
な 時 は 、 一人 の上 に 他 の人 が乗 って ⋮ ⋮ と いう よ う に 並 ぶわ け では な い。 前 後 に 並 ぶ のだ 。 思 う に 、 わ れ わ れ の
両 眼 を 結 ん だ線 に対 し て 平 行 な 方 向 が横 で 、 そ れ に直 角 にま じ わ る 方 向 が 縦 な の だ 。
ま た 、 ﹁長 さ ﹂ に 対 し て は ﹁は ば ﹂ ( 幅 ) と いう こ と ば が あ る が 、 英 語 で は これ に 当 て は ま る 単 語 がな く 、 ﹁ひ
jと u言 mp って
jと u言 mp い換 え た よ う で 、
ろ さ ﹂ と 混 同 し て いる。 日 本 語 で ﹁幅 跳 び﹂ と 言 って いる スポ ー ツ 種 目 を 、 以 前 英 語 で はbroad
いた も の で、 ﹁幅 ﹂ と いう 言 葉 が な い こと を 気 の 毒 に 思 って い た。 こ の ご ろ はlong 少 し よ く な った が、 と に か く 苦 心 す る こ と だ 。
さ ら に、 英 語 だ と 不 便 だ ろう と 思 わ れ る のは 、 日本 語 の ﹁お も て﹂ ( 表︶ と ﹁う ら ﹂ ( 裏 ) と いう 一対 を 、 向 こ
う で は 持 ち 合 わ せ て いな い こ と だ 。 せ いぜ い近 い の は、 ﹁前 ﹂ (fr) oと nt﹁ 後 ﹂ (ba) cで kあ る が 、 これ も ぴ った
り と は いか な い。 し た が って、 貨 幣 の裏 表 、 切手 の裏 表︱
first
half
of と 言tわ hな eけf れi ばr なsら t
こう いう と き は、 いち いち 別 の こと ば で 表 現 し な け
れ ば な らず 、 野 球 で いう﹁一 回 の表 ﹂ と いう よ う な 時 に は、the ぬ と 聞 いた 。
そ れ か ら 、 例 え ば 、o と か uのよ う な 、 口腔 の奥 の方 で 舌 が 上 顎 に 近 づ いて 発 音 さ れ る 母 音 があ る 。 音 声 学 者
vと o呼 we んlで い る の
が以前 、 ﹁ 後 舌 母 音 ﹂ な ど と 呼 ん で いた も の で、 筆 者 た ち が 騒 ぎ 出 し て 、 ﹁奥 母 音 ﹂ と な った も の で あ る 。 な ぜ
﹁後 舌 ﹂ な ど と 言 った の か と 探 って み る と 、 英 語 に は ﹁奥 ﹂ に 当 る 言 い方 がな く て 、back
で、 そ れ を 直 訳 し て ﹁後 舌 母 音 ﹂ と し た も の ら し い。 が、 こ こは 、 原 語 にな い ﹁ 奥 ﹂ を 遠 慮 な く 活 用 し て い いと
こ ろ だ った 。 フラ ン ス語 で は ﹁奥 ﹂ の意 味 に、 ﹁底 ﹂ (fo) nと d いう 語 を 流 用 し て い る。
こ のよ う に考 え て み ると 、 日 本 語 の空 間 的 ち が いを 表 わす 語 彙 は 捨 てた も ので な い、 と いう こ と にな る が 、 こ
こ で、 ﹁表 ﹂ ﹁裏 ﹂ ﹁奥 ﹂ 等 の語 で 注 意 す べ き は 、 こ れ ら が ︿空間 的 な 関 係 を あ ら わ す ﹀ の に加 え て、 ︿価 値 的 な 観
念 を ふ く ん で いる ﹀ こ と だ 。 た と え ば ﹁ 表 ﹂ に は 、 ﹁公 式 の﹂ ﹁正 式 の﹂ ⋮ ⋮ と い った 意 味 が あ り 、 ﹁裏 ﹂ は そ の
逆 であ る 。 ま た ﹁ 奥 ﹂ に は 、 ﹁秘 密 の﹂ ﹁う か が いが た い﹂ ﹁ 達 す べか ら ざ る﹂ ⋮ ⋮ と い った ニ ュア ン ス があ る 。 ﹁上 ﹂ ﹁下 ﹂ にし て も 、 日本 で は 、 価 値 観 念 を 表 わ す 語 と し て の用 途 が 実 に広 い。
な お 、 ﹁表 裏 ﹂ ﹁縦 横 ﹂ 等 の対 の比 較 は 、 私 は も っぱ ら 英 語 に求 め た が、 ヨー ロ ッパ 語 に 欠 け て いる の に 対 し て、
中 国 語 に は 古 く か ら これ に 相 当 す る も のを も って い る。 こ の見 方 は 、 東 南 ア ジ ア 的 な も の の把 握 のし か たを う か が わ せ る よ う に 思 わ れ る。
二 色 の名 色 の名
日本 人 が衣 服 や 調 度 品 の色 彩 に 細 か い好 み を 見 せ る こ と は 世 界 的 に 有 名 で 、 し た が って 色 の 名 は 多 い。 た と え
inning
ば 、bluのe系 統 に属 す る も のを と って み る と 、 ア オ ・アイ ・紺 ・ア サ ギ ・ハナ ダ ・ミ ズイ ロ ・ソ ラ イ ロ ・瑠璃 イ
ロ ・青 磁 イ ロを 区 別 し 、 さ ら に 、 イ ン ジ ゴ でも 、 コ バ ルト で も 、 あ る いは 、 ライ ト ブ ルー でも 、 ペ ル シ ャ ンブ ル
ー でも 、 何 で も 取 り 入 れ て使 う 。 これ は 、 日 本 人 が 色 彩 感 覚 が 発 達 し て お り 、 中 間 色 を 好 む 性 向 を 反 映 し て いる 。
も っと もblueの 系 統 に 属 す る も の が多 い の は 、 た ま た ま 藍 と いう 染 料 が 、濃 い薄 い いろ いろ な 明 度 に 染 め る こ と が 出 来 た た め であ ろ う か。
紫 は 日本 人 にと って 親 し い色 であ る が 、 ヨー ロ ッパ人 に は 親 し み が な いよ う で 、 わ れ わ れ が使 う よ う な 絵 の具
に は 、 ふ つう 紫 色 がな い。 ハワイ へ行 った 時 に感 じ た が、 赤 や 黄 や白 の花 は 多 い が、 紫 の花 が ほ と ん ど な い のを
不 思 議 に 思 った 。 日本 には ア ヤ メや 藤な ど のよ う な 紫 系 統 の花 が自 然 に 多 そう だ 。 虹 の色 を 七色 と し て、 特 に青
か ら 紫 に か け て の部 分 を 青 ・藍 ・菫 の 三 つ に詳 し く 分 け る のは 、 日本 人 の好 み だ ろ う か 。
古代 には
た だ し 、 日 本 語 も 古 い時 代 に は色 の名 は 貧 弱 だ った ら し い。 ア カ ・ア オ ・ク ロ ・シ ロは あ った が 、 万 葉 学 者 ・
佐 竹 昭 広 に よ れ ば 、 ア カ は ア カ ルイ の ﹁明 ﹂ で 、 ク ロが ク ラ イ の ﹁暗 ﹂ であ る の に対 し 、 シ ロは イ チ ジ ル シイ す
な わ ち ﹁顕 ﹂ で、 ﹁漠 ﹂ を 表 わ す ア オ に対 す る も のら し いと いう 。 これ で は、 上 代 の 色 名 は 、 実 は 、 明 ︱ 暗 、 顕
︱ 漠 の 二 系 統 と な り 、 ホ ー マー の詩 で 、 明 暗 を 表 わ す ち が いし か な か った と いう 話 を 思 わ せ る 。 アカ は ア カ ツ チ や ア カ イ ヌ のよ う な 色 を 含 み 、 ア オ は 今 で いう 青 と 緑 を 含 む 。 土 岐 善 麿 が杜 甫 の絶 句 を 訳 し た 詩 、 河 は み ど り 鳥 い や白 く 山 は 青 く 花 ぞ 燃 ゆ る
で は、 青 と 緑 が さ か さ ま だ 。 グ リ ー ン車 な ど と いう 言 葉 が 出 来 て ﹁緑 ﹂ を グ リ ー ンと いう 習 慣 が 生 ま れ る と 、 潔
癖 な 人 は ﹁青 ﹂ を 意 味 し た いと き に あ いま いな 日 本 語 の代 わ り に ブ ルー と 言 い出 す か も 知 れな い。
さ ら に ア オ は ﹁あ を に﹂ ( 青 丹 ) と か ﹁あ を う ま の せ ち ゑ ﹂ ( 白 馬 節 会 ) な ど と いう こ と ば のあ る と ころ を 見 る と 、 ず いぶ ん 雑 駁 な 内 容 のも のだ った ら し い。 そ う か と 思 う と 、 塩 原 多 助 の芝 居 で は、 真 黒 な 馬 に 対 し て 、 ﹁青 よ 、 青 よ ﹂
と 呼 び か け て いる 。 こ の、 青 を 大 ザ ッパ に 使 う 傾 向 は 今 でも 多 分 に見 ら れ 、 ﹁こわ く て ま っさ お な 顔 を し て いる ﹂ ﹁青 い月 夜 の浜 辺 に は ﹂ な ど と 思 い切 った 寛 大 な と こ ろを 見 せ る。
また、 鈴木孝 夫 ( ﹃ことば﹄昭和五十 四年八月号)に よ る と 、 英 語 の 小 説 に は ﹁oran 色gのe猫 ﹂ と いう 言 葉 が ち ょ
く ち ょく 出 て く る そ う だ。 ア メ リ カ で は 虎 をoran色 ge の獣 と 思 って い る ら し いと いう 。 日本 人 に す れ ば 、 猫 は 赤 猫 と 形 容 し 、 虎 は黄 色 と 受 取 って いる。 ﹁み か ん ﹂ でさ え 、 赤 いみ か ん にな った げ な
橙 色 と いう 色 、 し
﹁花 ﹂ は ど こ の 国 の 人 で も 美 し いと 見 え る が、
と 言 った り す る。 昔 の 六 色 の色 鉛 筆 に は、 橙 色 は 入 って いな か った 。 日本 人 はoran色 ge ︱ た が って 言葉 を 、 あ ま り 重 視 し て いな い傾 向 が あ る 。
三 美 を 表 わ す 言 葉 美を 表わ す語彙 日 本 人 は、 自 然 を 美 し いも の と 見 る。 ﹁花 ﹂ ﹁月﹂ ﹁雪 ﹂︱
﹁月 ﹂ は 必 ず し も そ う でな いこ と は前 に 述 べた 。 ﹁雪 ﹂ に つ いて は 夏 目 漱 石 の ﹃文 学 論 ﹄ の中 に 、 雪 見 のこ と を 言
って イ ギ リ ス人 に笑 わ れ た と いう 話 が 載 って いる 。 玉村 文 郎 に よ る と 、 ア メ リ カ 人 な ど は ﹁雪 ﹂ か ら ま ず スキ ー
を 連 想 す る そ う だ 。 日本 でも 若 い人 の中 に は そ う いう 傾 向 も 出 て 来 た か も 知 れ な いが 、 筆 者 な ど は 戸 外 に 音 も な
く 無 心 に い つま でも 降 って く る 姿 、 あ る いは 、 広 い野原 に真 白 に や わ ら か く 降 り つも った 雪 が 、 ま ず 目 に 浮 か ぶ。
﹁雪 あ か り﹂ ﹁雪 晴 れ ﹂、 あ る いは ﹁新 雪 ﹂ ﹁さ さ め 雪 ﹂ と い った お び た だ し い数 の雪 に 関す る 単 語 は 、 そ う いう 日 本 人 の問 か ら 、 自 然 に次 々と 生 ま れ 出 た も の で あ ろ う 。
さ ら に 日本 人 は 、 湧 いて流 れ る 水 を 喜 び 、 し め や か に降 る 雨 を 好 み、 草 む ら に す だ く 秋 の虫 の声 を 愛 し 、 海 岸 の松 の梢 を 吹 き 渡 る 風 の音 を 愛 で る。
自 然を喜 ぶ
日本 人 は 、 自 然 に 近 いも のを 美 し いと考 え る。 日 本 の柱 で も 雨 戸 でも タ タ ミ で も ほう き で も 、 いず れ も 自 然 の
ま ま の 生 地 を 露 出 し て い る 。 貴 族 の庭 園 に は 自 然 の川 が流 れ 入 り 、 軒 先 には 遠 く の山 の景 色 が取 り 入 れ ら れ、 天
井 に は農 家 の ス ス ダ ケ が 用 いら れ る。 焼 け る 前 の法 隆 寺 の 金 堂 の柱 に は 、 一三 〇 〇 年 前 のヒ ノ キ が 付 い て お り 、 そ のと び ら は 一枚 のヒ ノキ の板 であ った 。
尺 八な ど と いう 邦 楽 器 は、 一本 の竹 の根 本 の と ころ の と こ ろ ど こ ろ に 孔 を あ け た だ け のも の であ る 。 外 国 人 は
あ の楽 器 の微 妙 な 演 奏 を 聞 い て か ら 尺 八 を 手 に と って のぞ き 、 ﹁中 に 何 モ入 ッテ イ ナ イ ﹂ と 目 を ま る く す る 。
B ・タ ウ ト の言 う と お り ﹁日本 人 は 最 も 自 然 を 愛 好 す る 民 族 ﹂ であ る。 自 然 を 表 わ す 語彙 を 美 し いと 感 じ る気 持 も これ に つな が る。
さ び ・わび の類
兼 好 は ﹃徒 然 草 ﹄ の中 で ﹁す べ て何 も 皆 事 の 調 ほ り た る は あ し き こ と な り ﹂ と 断 定 し 、 御 所 の造 営 に不 完 全 な
点 を 残 し て お く や り 方 を た た え た 。 日本 の茶 器 で は 、 機 械 を 使 わ な か った た め に 生 じ る ユガ ミや 、 陶 工 の太 い指
のあ と の つ いた の を 賞 玩 す る 。 これ ら も 自 然 に 近 いも のを あ こ がれ る気 持 のあ ら わ れ だ ろ う 。 日本 の芸 術 は、 こ
の意 味 で は 今 村 太 平 の指 摘 の よ う に ﹁貧 困 を 美 化 し た ﹂ 芸 術 か も し れ な い。 ﹁貧 困 ﹂ と い か な いま でも 、 少 な く
と も 質 素 と は 密 接 な 関 係 を 持 つ。 こ の よ う な 日本 文 化 の性 質 は 、 外 国 語 に訳 し に く い、 美 を 表 わ す いく つか の日 本語を 生んだ。
サ ビ ・ワビ ・イ キ ・シ ブ イ ・風 流 な ど 、 いず れ も 翻 訳 不 能 と いわ れ て いる。 漱 石 の ﹃文 学 論 ﹄ の中 に、 漱 石 が
ス コ ット ラ ン ド で 、 広 大 な 屋 敷 に逗 留 し 、 た ま た ま あ る 日 主 人 と 果 樹 園 を 散 歩 し た と こ ろ が、 小 径 が き れ いに コ
ケ む し て 、 久 々に 日本 へ帰 った よ う な気 がし た 。 漱 石 、 大 い に喜 び ﹁時 代 が つ い て結 構 です な ﹂ と ほ め た と ころ 、
と いう 話 が出 て いる 。 そ う いう 見 方 を す る国 民 の間 に は 、 と う て い こう いう 語 彙
主 人 は 顔 を し か め て、 ﹁いや 、 き た な ら し く て 仕 方 が な いか ら 、 近 々 に園 丁 に 申 し 付 け て、 こ の カ ビ は み な か き 払 う つも り です ﹂ と 答 え た︱ は 生 ま れ る はず は な い。
小さ いも のは美 し い
次 に 、 現代 語 の ﹁う つく し い﹂ は 、 平 安 朝 で は 、 ﹁小 さ く て か わ いら し い﹂ と いう 意 味 だ った 。 そ れ が今 日 の
よ う な 意 味 に 移 って来 た のは 、 平 安 朝 以 後 の日 本 人 が 、 小 さ く て か わ いら し いも のを 美 と 感 じ た こと を 表 わ す と は 、 大 野 晋 の論 であ る 。(﹃日本 語の年輪﹄)
日 本 人 が精 巧 な も のを 好 む気 持 は 、 芳 賀 矢 一の ﹃国 民 性 十 論 ﹄ の中 にく わ し く 論 じ ら れ て いる 。 盆 栽 ・箱 庭 ・
印 籠 の根 付 細 工 や 刀 の つば の彫 刻 は 、 典 型 的 な 日本 芸 術 であ る。 今 でも あ る だ ろう か 、 筆 者 の子 ど も の ころ に は、
氏 神 の祭 の時 な ど に、 一粒 の米 粒 に 漢 字 を 六 〇 〇 字 彫 り つけ る と いう よ う な 人 が出 て いた も のだ った 。 フ ラ ン ス
の小 説 家 ピ エ ル ・ロテ ィは 、 作 品 に 日本 の風 物 を 書 く 時 に は、 一行 に 一〇 度 も ﹁小 さ い何 々﹂ と いう 語 句 を 使 い た く な る と 言 った と いう 。 君 が代 は 千 代 に 八 千 代 に さ ざ れ 石 の ⋮ ⋮
石 の小 さ いも のを ほ め て美 称 を 与 え る 民 族 は 少 な か ろ う 。 ワ レカ ラ ・ニナ ノ ワタ ・ヌ バ タ マのよ う な 語 彙 を 、
芳 賀 矢 一は、 代 表 的 な 日本 的 語 彙 と し てあ げ て い る。
李 御 寧 によ る と 、 岩 波 文 庫 も 、 三 省 堂 の コ ン サイ ス辞 典 も ﹁ち ぢ み の 文 化 ﹂ だ そ う だ 。 お 神 輿 は、 神 社 が ち ぢ
ま った も の、 神 棚 は さ ら に そ れ の縮 ま った も の、 も っと ち ぢ ま れ ば 守 り 札 にな る と いう 。
俳 句 が ま た 李 の言 う よ う に、 ち ぢ み の文 化 の産 物 で あ る が、 そ の俳 句 が ま た 、 精 細 な も のを 題 材 に し た も のが
秋 風 や ふ よ う に し わ を 見 つけ た り
よ く 見 れ ば な つな 花 咲 く 垣 根 か な
蕪 村
蓼 太
芭蕉
多 い。
鶯 の鳴 く や 小 さ き 口 あ け て
日 本 人 は 小 さ いも のを 美 し いと 思 う 心 か ら 、 ﹁き め ﹂ ﹁こく ﹂ ﹁風 味 ﹂ な ど 、 細 か い味 わ い のあ る 多 く の語 句 を 生んだ。
う つろ い の文 化
最 後 に 日本 人 は 、 過 ぎ 去 って ゆ く も の に特 別 の美 を 感 じ た。 芳 賀 綏 が、 ﹁日本 人 の思 考 と 表 現 ﹂ の中 で言 った
﹁う つろ い の文 化 ﹂ であ る 。( ﹃日本人 の表 現心理﹄) 旧 制 一高 寮 歌 の ﹁花 咲 き 花 は う つろ ひ て﹂ の ﹁う つろ ふ﹂ の語
感 は 日本 人 の美 学 に ぴ った り だ 。 花 は 咲 け ば 散 る 、 月 は 満 ち れ ば 欠 け る 、 雪 は ど ん な に 深 く 積 って も あ と か た も
な く 消 え る。 雪 ・月 ・花 を 愛 し た のは 、 す べ て 亡 び る と こ ろ に美 を 感 じ た か ら で あ る 。 ﹁行 く 春 ﹂ ﹁暮 の秋 ﹂ ﹁行
く 水 ﹂ ﹁花 散 る ﹂ ﹁落 葉 ﹂、 いず れ も 好 ま れ る 俳 句 の季 題 であ る。 ﹁は か な い﹂ ﹁き れ いさ っぱ り と ﹂ ﹁いさ ぎ よ い﹂、 日本 人 が美 し いと 見 た も の の 形 容 であ る。
一般 の語 彙
九 単 語 の成 立
一 擬音 語 と擬態 語
こ の節 では 、 日本 語 で新 し い単 語 が 出 来 る 場 合 に ど のよ う な 出 来 か た を す る か 、 ま た そ の点 か ら み た 日本 語 の 特 質 は何 か 、 に つ いて 述 べよ う と 思 う 。
第 一に 言 え る こ と は 、 日本 人 は 概 念 的 でな く 直 観 的 に表 現 し よ う とす る 気 持 の強 いこ と で 、 代 表 的 な も の が 、 以 前 に ち ょ っと ふ れ た ︿擬 音 語 ﹀ ︿擬 態 語 ﹀ と 言 わ れ る も の であ る 。
擬 音 語 と いう のは 、 外 界 の音 、 た と え ば 雨 の 音 を ﹁ザ ー ザ ー と 降 る ﹂ と 形 容 す る 、 あ る いは 雷 を ﹁ゴ ロゴ ロと
鳴 る ﹂ と 形 容 す る も の であ る 。 擬 態 語 と いう の は 、 音 の し な いも の を 音 がす る よ う に表 わ し た 言 葉 で あ る。 た と
え ば 星 が ﹁キ ラ キ ラ 光 る ﹂ と か 、 あ る いは 新 し い金 貨 が ﹁ピ カ ピ カ 光 る ﹂ と か いう よ う な も の であ る 。
こう いう 擬 音 語 ・擬 態 語 は 、 も ち ろ ん ほ か の 国 にも あ って 、 東 南 ア ジ ア の 言 語 に こと に た く さ ん あ る が 、 ヨー
ロ ッパ の言 語 にも あ る 。 た と え ば 英 語 で犬 の 吠 え る 音 を バ ウ ワウ と 言 った り、 時 計 の進 む 音 を テ ィ ック タ ック と
言 う のは 、 擬 音 語 の例 だ 。 こ れ に対 し て 擬 態 語 は 少 な いよ う だ が、 し か し 稲 光 の形 のよ う な も のを ジ ッグ ザ ッグ
心 の中 の様 子を 音 で形 容 す る 語 句 ま で出
と 言 う のは 、 り っぱ な 擬 態 語 だ 。 同 じ イ ンド ・ヨー ロ ッパ 語 族 でも 、 ヒ ン デ ィー 語 に は 多 い が、 フ ラ ン ス 語 に は 擬 態 語 は 一つも な いと いう 。 日本 語 で は さ ら に こ れ が進 ん で擬 情 語︱
来 て いる こと は前 に 述 べ た が 、 ヨ ー ロ ッパ の人 は 完 全 に お 手 あ げ で あ ろ う 。
注 意 す べき は、 中 国 語 に は 擬 音 語 ・擬 態 語 ・擬 情 語 が 揃 って い る こと で 、 ﹁恍 惚 ﹂ と か ﹁惻 々﹂ と か は 擬 情 語
であ る 。 た だ し 全 般 的 に、 中 国 語 で は 擬 態 語な ど を 用 いる こと は 日 本 語 に比 べ てま れ で 、 森 本 哲 郎 によ る と 、 た
と え ば 、 ﹁涙 が は ら は ら と 落 ち る﹂ を 訳 せ ば 、 ﹁涙 流 連 続 不 断 ﹂ と な り 、 ﹁春 雨 が し と し と と 降 る ﹂ は ﹁細 雨 不 停
地 下 ﹂ と いう ふう に な る と いう 。(﹃日本語 の裏表﹄)
日本 語 の擬 音 語 ・擬 態 語 に は いろ いろ 注 意 す べき 性 格 があ る 。 第 一に 用 途 が広 く 豊 富 で あ って、 英 語 な ど と は
違 い、 た と え ば 、 ﹁ハ ッキ リ 区 別 す る ﹂ と か、 ﹁シ ッカ リ し た 考 え ﹂ と か 、 か た い文 章 にも 使 え る。
創作 が自 由
次 に は 日 本 語 で新 し い擬 音 語 ・擬 態 語 を ど ん ど ん 発 明 でき る と いう こ と が 、 お も し ろ いこ と だ と 思 う 。 俳 句 の
大 家 ・荻 原 井 泉 水 は、 ﹁富 士 登 山 ﹂ と いう 文 章 の中 で、 日 の出 近 く の東 の空 が 赤 く な り は じ め た 様 子 を 、 ﹁か ん が
り ﹂ と 形容 し た 。 荻 原 は 、 こ れ は ﹁ほ ん のり ﹂ よ り は 明 る く 、 し か し ﹁こ ん が り﹂ と は ち が って熱 く な い様 子 を 表 わ し た も のだ と 説 明 し て いる 。
今 の若 い人 た ち が喜 ぶ 漫 画 の本 に 新 し い擬 音 語 が 氾 濫 し て いる こと は、 各 位 の 見 ら れ る と お り であ る 。 B 29 の
投 下 し た 焼 夷 弾 が 落 ち て 行 く 音 を シ ュル ル ル⋮ ⋮と 写 し 、 爆 発 音 を ズ ガ ー ン ・ズ ガ ー ンと 表 わ す の は そ の 一例 で あ る。
一体 、 こ のよ う な 擬 態 語 が発 達 し て有 名 な のは 、 ア フリ カ 中 部 のガ ー ナ あ た り で 用 いら れ て いる エウ ェ語 であ
る 。 ウ ェス タ ー マ ン の報 告 に よ る と 、 例 え ば 歩 く 様 子 だ け で も 、 三 三 の擬 態 語 が あ って次 のよ う だ と いう 。 Zo
Zo
Zo
Zo
boho
bo ︱h肥 o った 男 が 、 ど っし り ど っし り 歩 く と き 。
bia ︱ b脚 ia の長 い男 が 、 脚 を 前 に 投 げ 出 す よ う にし て歩 く と き 。
behe︱be 病h みe上 が り の 人 のよ う に 、 足 を 引 き ず り 引 きず り 歩 く と き 。
bafo
bul まaっ ︱す ぐ に 見 な い で 、 右 を 見 た り 左 を 見 た り し な が ら 歩 く と き 。 ( 以 下 略。 五 島 忠 久 によ る)
は ﹁歩 く ﹂ と いう 意 味 の動 詞 であ る 。
Zo
bula
b歩 ︱ af くo と き に 手 足 を 勢 いよ く 振 り動 か す 、 背 の高 い人 が 歩 く と き 。
Zo
擬態 語 の こま かさ
日本 語 の擬 態 語 と いう の は 実 に こ ま か い配 慮 のも と に つく ら れ て い て、 た と え ば 同 じ こ ろ が る こ と の 形容 でも 、
一回 こ ろ が っ て 止 ま る 様 子 。 コ ロ ッ
一回 こ ろ が って は ず み を も って 止 ま り 、 あ と は 動 き そ う も
こ ろ が って は 止 ま り 、 こ ろ が って は 止 ま る 様 子 。 コ ロ ン コ ロ ン︱
こ ろ が り 続 け る こ と 。 コ ロリ ︱
こ ろ が り か け る 様 子。 コ ロリ コ ロリ︱
い ろ い ろ な 言 い方 が あ る 。 コ ロ コ ロ︱ ︱ は ず み を つ け て こ ろ が って 行 く 様 子 。 コ ロ リ ン コ︱
な い様 子 を 表 わ す 。
具象 的な表 現
次 に 、 日本 語 の単 語 の出 来 か た と し て 言 え る こと は 、 抽 象 的 で は な く て 、 具 体 的 に 単 語 を 作 ろ う とす る 傾 向 が あ る こと だ 。
お お よ そ 表 現 の中 で 一番 抽 象 的 な も の は 数 字 であ る が 、 日本 人 は 数 字 が 嫌 いだ 。 た と え ば 、 本 が 二 冊 ま た は 三
冊 と そ ろ って いる 場 合 、 ヨ ー ロ ッパだ と 、第 一巻 ・第 二 巻 ・第 三 巻 と 番 号 を つけ て 数 え る が 、 日本 で は 上 巻 ・中
巻 ・下 巻 と し て数 詞を さ け る のが 普 通 であ る 。 こ のた め に 、 例 え ば 最 初 の本 を 一冊 買 った と き に、 ﹁上 ﹂ と あ れ
ば 、 あ と 一冊 か 、 二冊 で終 る と いう こ と が は っき り し て い る が 、 ア メ リ カ の本 の よ う に 、 二 冊 し か な い本 で も
一 ・二 と 呼 ぶ よ う で は 、 最 初 の 一冊 を 買 った と き に 、 あ と 何 冊 出 る のか 見 当 が つか な い。 ホ テ ル へ泊 る と 、 部 屋
は 七 〇 一号 ・七 〇 二 号 ⋮ ⋮ と 呼 ば れ る。 が 、 日本 式 の 旅 館 で は 、 ﹁萩 の問 ﹂ と か ﹁あ や め の問 ﹂ と か いう 名 が 付
い て いる 。 う な ぎ 屋 な ど に 行 く と 、 お 重 の 一番 い い の が ﹁松 ﹂ で、 そ れ か ら ﹁竹 ﹂ ﹁梅 ﹂ と な って いる 。 時 間 を
いう の に 、 ﹁子 の刻 ﹂ と か ﹁丑 の 刻 ﹂ と か 言 った の も 数 字 を 避 け た も のだ った 。 野 球 の選 手 に は 背 番 号 と いう も
の が あ る が 、 相 撲 の方 で は 、 ど ん な に 番 号 で 呼 ぶ の が 便 利 だ と いう こ と にな って も 、 千 代 の 富 士 や 北 勝 海 を 一
番 ・二 番 と 呼 ぶ こと は 起 こ り そう に も な い。
is
knoと ws な るnそo
t とoいうhよ iう s にt 大a 変s抽t象 e的 .だ "。﹁知 ら ぬ が 仏 ﹂と いう 諺 は 、 英 語 で は 、 " I gno
こ れ と 同 じ 精 神 だ と 思 う が、 日本 の諺 は 英 語 のも の に比 べ て 総 体 的 に 具 象 的 で あ る 。 ﹁た で食 う 虫 も 好 き ず き ﹂ は英 語 で は "Everyone
r a nce とiい sう そ bl うi だs。s日 .本 " の ﹁背 に腹 は 変 え ら れ ぬ ﹂ と いう 諺 は 、"Necessity う だ。
渋 沢 秀 雄 の随 筆 に、 日本 の 子供 の間 に、 仲 よ し 同 士 が 別 れ し な に相 手 の背 中 を ぽ ん と ぶ って逃 げ る 遊 び があ る 。
tou とc 言h う!と "いう 話 が 出 て いた 。
tに oち uが ch いな いが 、 いか に も そ れ で は 散 文 的 。 日本 人 の こ う いう 好 み のあ ら わ れ か、 み みず ば
そ の時 、 日本 の子 供 な ら オ ミ ヤ ゲ ! と 言う が 、 ア メ リ カ の 子 供 だ と"Last な る ほ どlast
れ に な った と か 、 物 を 鵜 呑 み にす る と か 、 子 供 が 目 白 押 し に 並 ん で いる と か 、 何 か の 形 のあ る も のに た と え た 例 が た く さ ん あ って、 日本 人 の連 想 の巧 み さ を 物 語 って い る。
空想 を楽 しむ
さ ら に、 日本 人 は空 想 を 楽 し ん で命 名 す る 傾 向 が あ る 。 た と え ば 下等 菌 類 の サ ルノ コシ カ ケ。 猿 は 実 際 に そ ん
な と こ ろ に は 腰 な ど 掛 け な いだ ろ う けれ ど も 、 猿 が チ ョ コ ンと 腰 掛 け た ら よ さ そ う だ と いう こと で 、 つけ た名 前
で あ る 。 キ ツネ ノ タイ マツ。 狐 に は た いま つは いら な い であ ろ う が、 こ れ は 、 多 少 有 毒 で あ り そう な グ ロテ スク
な 感 じ がす る と いう こ と を よ く 表 わ し て いる 。 あ る いは オ ニノ ヤ ガ ラ 。 これ は寄 生 植 物 で 、 あ る 日 突 然 こ れ が 山
林 の中 に生 え る 。 地 中 か ら ヌ ッと 出 て立 って い る か ら 、 鬼 が こう い った ヤ ガ ラを こ こ へさ し た の だ ろ う と いう ふ う な 想 像 を し た と 思 わ れ 、 秀 抜 であ る。
law."
自 然 から の語彙
次 に 日 本 語 の単 語 は 、 一般 に自 然 か ら 多 く と る と いう こ と が言 え る 。 フ ラ ン ス文 学 の内 藤 濯 は、 日本 の 慣 用 句
に は自 然 のも のを 使 った も の が 非 常 に 多 いと 言 って、 例 え ば ﹁ 両 手 に 花 ﹂ ﹁花 を 持 た せ る ﹂ ﹁返 り 咲 き ﹂ 一 花 咲
か せ る ﹂ 等 を あ げ て いる。 花 は 日本 人 の大 好 き な 言 葉 で 、 ﹁花 婿 ﹂ ﹁花 相 撲 ﹂ ﹁花 文 字 ﹂ と いう よ う な 言 葉 も あ る 。
﹁水 ﹂ も ま た 好 き な 言 葉 で、 ﹁水 を 向 け る ﹂ ﹁水 に流 す ﹂ ﹁水 商 売 ﹂ ﹁水 物 ﹂ ﹁水 く さ い﹂ な ど 、 た く さ ん の 語 句 を 作
って いる 。 ま た 、 菓 子 の名 前 に ﹁松 風 ﹂ ﹁時 雨 ﹂ ﹁霰 ﹂ ﹁最 中 ﹂ ﹁洲 浜 ﹂ ﹁真 砂 ﹂ ﹁鹿 の 子 ﹂ ﹁淡 雪 ﹂ な ど が あ る 。
サク ラサ ク
日本 の大 学 で 、 入 学 試 験 を 受 け た 学 生 が国 許 へ帰 って いる 場 合 に 、 入 った か 落 ち た か を 都 会 の人 間 が 電 報 で通
知 す る こと が 慣 例 にな って いる が 、 入 った場 合 は ﹁サ ク ラサ ク﹂ と 打 電 し 、 落 ち た場 合 は ﹁サ ク ラ チ ル﹂ と 打 電
す る こと が あ る 。 それ を 上 智 大 学 のピ タ ウ学 長 が、 さす が に 日本 人 だ と激 賞 し た こ と があ った が、 欧 米 人 か ら 見 れ ば 思 いも よ ら な いこ と か も し れ な い。
ほ か の国 で は ど う 言 う の かと 聞 い て み た と こ ろ、 中 国 の が お も し ろ か った 。 入 った 時 は ﹁金 榜 題 名 ﹂ と いう の
だ そ う だ 。 ﹁金 榜 ﹂ は 隋 以 来 、 科 挙 の試 験 に合 格 し た も の の名 を 掲 示 し た と こ ろ だ 。 そ れ が 落 ち た 場 合 は 、 ﹁名 落
孫 山 ﹂ と いう の だ そ う だ 。( ﹃現代漢語詞典﹄) 昔 、 孫 山 と いう 男 が い て、 試 験 を 受 け て 及 第 し た か ど う か 発 表 を 見
に 行 った と こ ろ 、 一番 末 席 に名 が 載 って いた 。 末 席 で も 及 第 で、 ま あ よ か った と 家 路 を た ど ってく る と 、 向 こう
か ら 、 い っし ょ に受 け た 友 人 の父 親 が や って 来 る の に 出 会 った 。 父 親 は 孫 山 に ﹁う ち の せ が れ は ど う で し た ?﹂
と 尋 ね た が 、 不 幸 に し てそ の友 人 は 落 第 し て いた 。 そ こ で孫 山 は 、 は っき り そ の こと を 言 いか ね て ﹁名 落 孫 山 ﹂
日本 で い
( 名 孫 山 ヨリ 落 ツ) と 言 った と いう の で あ る。 ﹁金 榜 題 名 ﹂ ﹁名 落 孫 山 ﹂ いず れ も 口 調 の い い、 四 拍 の句 か ら 出 来
て い て、 昔 の故 事 に よ って いる と こ ろ が 、 いか にも 中 国 的 で よ い。 こ と に 孫 山 と いう 人 は 宋 の時 代 ︱
う と 平 安 朝 時 代 の人 で あ り 、 そ の故 事 を 現 代 も 使 って いる わ け だ が、 いか にも 大 国 ら し く てよ い。
人物 を避 け る
そ う し て 日 本 人 は 自 然 のも のを 喜 ぶ反 面 、 人 間 に 近 いも の の名 前 を いや が る 傾 向 があ る 。 例 え ば 山 に 対 し て の
スイ ス の ユ ング ・フラ ウ ( 若 い女 ) の よ う な 女 性 扱 いを し た り は し な い。 ﹁乙 女 峠 ﹂ と いう 峠 は あ って も 、 そ れ
は 峠 を 乙女 に 見 立 て た の で はな く て、 昔 あ る 乙女 が 何 と か し た と いう 伝 説 を も った 峠 であ る 。 戦 後 間 も な く の、
日 本 にま だ 進 駐 軍 の人 た ち が いる 頃 であ った が、 日 本 に台 風 が 押 し よ せ て来 た と き 、 ア メ リ カ の人 は キ ャサ リ ン
台 風 と かキ テ ィ台 風 と か 、 女 性 の名 前 を つけ た。 こ れ は どう も 、 日本 人 の好 み に 合 わ ず 、 そ の後 は 狩 野 川 台 風 と
か 伊 勢 湾 台 風 と か呼 ぶ よ う にな った 。 姉 妹 都 市 と い った 言 い方 も 日本 的 で はな い。 ﹁処 女 詩 集 ﹂ と い った 名 前 は 、
な に か 、 女 であ る は ず が な い、 と いう 気 持 が 日本 人 の頭 の中 にあ って 、 日本 人 が 先 に立 って つけ た こと はな いよ う だ。
かた い日本 語
上 の人 が つけ た 名 前 と いう のが あ って、 こ れ は 今 ま で 述 べ た 名 前 と は ず い ぶ ん 性 質 が 違
以 上 あ げ た よ う な 名前 の つけ 方 は 、 多 く 民 間 か ら 自 然 に 起 こ った 名 前 であ る け れ ど も 、 そ の ほ か に、 実 は 、 日 本 語 に は 官 庁 用 語︱ う。
い つか筆 者 の家 の 電 話 機 が故 障 し 、 ダ イ ア ル が 回 ら な く な った 。 そ こ で電 話 局 へ ﹁故 障 し ま し た が ⋮ ⋮﹂ と 言
った の であ る が 、 故 障 の部 分 の名 前 がわ か ら な い。 ダ イ ア ル の台 です と 言 った と ころ が、 電 話 局 の人 が、 ﹁あ あ 、
キ ョウ タイ の故 障 です か ﹂ と 言 う 。 キ ョウ タ イ ? ﹁狂 態 ﹂ と いう 言 葉 は あ る が 、 ま さ か そ ん な 名 前 が 付 く は ず は
な い。 あ と で 聞 い て み る と 、 ﹁筐 体 ﹂ と いう 字 だ そ う であ る が、 自 分 の家 で 毎 日気 軽 に 使 って いる も の が こ ん な
難 し い名前 を 持 って い ると は 夢 にも 想 像 し て いな か った 。
筆 者 の小 学 校 の ころ 、 丸 太 が 吊 って あ って、 そ の上 へ乗 って落 ちな いよ う に 向 こう へ渡 る 遊 具 が あ った が 、 簡
単 に ﹁吊 り 丸 太 ﹂ と でも 言 った ら よ さ そ う な も のを ﹁遊 動 円 木 ﹂ と いう か た い名 前 を も って いた も の であ る 。 そ
れ から 体 操 で、 か か と を あ げ て膝 を な か ば 曲 げ る こと を キ ョシ ョー ハンク ッシ ツ ( 挙 踵 半 屈 膝 ) と 言 って いた も の であ る 。 筆 者 は こ のあ と の部 分 を ﹁半 靴 下 ﹂ と 言 って いる も の と 思 って いた 。
西 田幾多郎 の ﹃ 善 の研 究 ﹄ に出 て く る ﹁絶 対 矛 盾 的 自 己 同 一﹂ と いう よ う な 、 大 変 難 し い言 葉 、 あ る いは 、 戦
争 中 の ﹁八 紘 一宇 ﹂ と いう よ う な 言 葉 、 これ も や は り 日本 的 な 言 葉 だ と 言 う べき かも 知 れ な い。
意 味 不明 の語
漱 石 の ﹃坊 っち ゃん ﹄ を 読 ん で いる と 、 坊 っち ゃ ん は 、 言 葉 の意 味 がわ か ら な く て も 使 って いる 。 た と え ば 、
英 語 の先 生 に ﹁う ら な り ﹂ と いう 名 前 を つけ た が 、 あ れ は 、 う ら な り と いう 言 葉 の意 味 を 理解 し て使 って いる の
で は な い こ とを 告 白 し て いる 。 あ る い は 、 山 嵐 と の会 話 で、 赤 シ ャ ツと いう 教 頭 を 指 し て、 ﹁あ れ は湯 島 のか げ
ま の子 ど も だ ろ う ﹂ と 言う 。 山 嵐 に ﹁湯 島 のか げ ま って 何 だ ﹂ と 聞 か れ て 、 説 明 で き な い で いる 。 日本 人 は 意 味 がわからなく ても平気な と ころがあるよう だ。
よ く 外 国 語 に 詳 し い人 は 、 外 国 語 の悪 口 は 非 常 に は っき り し て い て聞 く に 耐 え な いも の があ る と 言 う 。 セ ック
スに 関 す るも のが 多 いそ う だ 。 朝 鮮 語 でも ア イ ヌ語 で も そ う いう も のを 集 め た 文 献 が あ る 。 そ こ へ行 く と 、 日本
語 の悪 口 は 何 と さ っぱ り し た も のか 、 わ け の分 か ら な いも のが 多 い。 ﹃坊 っち ゃ ん ﹄ に出 て く る バ カ ヤ ロー の モ
モ ンガ ー の イ カ サ マシ 云 々 は代 表 的 な 例 だ 。 日 本 語 の悪 口 で 鎌倉 時 代 の ﹃古 今 著 聞集 ﹄ に出 て く る ﹁親 ま け ﹂ と いう の は外 国 な み の悪 口 で、 日本 語 と し て は 珍 し いも のだ そう で あ る 。
二 人 の 名 命 名 の自 由 さ
日本 人 の名 前 に つ い て述 べた い。 姓 名 のう ち の名 の方 に つ い て、 ま ず 述 べ よ う 。 ヨー ロ ッパ で は 模 範 例 が き ま
( 高 名 の意 ) と か 、 ルイ
( 勇 士 の 意 ) の よ う な も の が あ る が 、 少 な い。 わ れ わ れ に と っ て
って いて 、 キ リ ス ト教 の聖 書 や 暦 に 出 て く る聖 人 の名 を 借 り る の で 、 ジ ョ ンと か ピ ー タ ー と か 、 大 体 き ま って し ま う 。 中 に は ロバ ー ト
珍 し い の は 、 国 際 的 に 翻 訳 可 能 の 名 前 が あ る こ と で 、 イ ギ リ ス の ジ ョ ン は 、 ド イ ツ で ヨ ハネ ス 、 フ ラ ン ス で は ジ
ャ ン 、 イ タ リ ア で は ジ ョ バ ン ニ、 ロ シ ア で は イ ワ ン で あ る 。 J ・ス ワ ー ド に よ れ ば 、 ア メ リ カ 人 の 男 性 の 名 前 と
し て 最 も 人 気 の あ る も のを あ げ る と 、 ジ ョ ン 、 ウ ィ リ ア ム 、 ジ ェイ ム ズ 、 ロ バ ー ト 、 チ ャ ー ル ズ が 五 傑 、 女 性 の
名 前 で は メ ア リ ー 、 ド ロ シ ー 、 ヘ レ ン 、 マ ー ガ レ ット 、 ル ー ス だ そ う だ 。( ﹁英 語 の 不思 議 さ ﹂ 7、 ﹃こ とば ﹄ 昭 和 五 十 四 年 七 月 号)。
こ れ が 日 本 人 の 場 合 は 、 ど ん な 名 前 を つ け よ う と ま った く 自 由 な の で 、 そ の 変 異 は 非 常 に 多 い。 森 鴎 外 は 自 分
の 子 ど も に 、 於 菟 ・不 律 ・茉 莉 ・杏 奴 ・類 の よ う に 外 人 風 の 名 前 を つ け た が 、 当 時 と し て は 、 ず い ぶ ん 驚 い た 人 が 多 か った だ ろ う 。
名 前 の由 来
日 本 人 の 名 は 、 ﹃名 前 と 文 字 ﹄ ( 文 部 省) に よ れ ば 、 男 の 名 前 、 女 の 名 前 、 そ れ ぞ れ 次 の よ う な 由 来 の も の が あ る と いう 。 ︹男 子 の 名 ︺ (1)幼 名 系 統 の も の。
文 麿 ・竹 千 代 ⋮ ⋮ の 類
(次 郎 の 子 ) ・孫 太 郎
(平 氏 の 三 郎 ) な ど 。
( 太 郎 の 子 )・小 次 郎
(源 氏 の 長 男 ) ・平 三
番 目 の 男 の 子 ) ・与 三 郎 ・小 太 郎
(2) 呼 び 名 系 統 の も の 。 こ れ は 二 種 類 あ る 。
太 郎 ・次 郎 ⋮ ⋮ 余 一 (一一
(出 生 順 を 表 わ す も の 。 ) イ
( 太 郎 の 孫 )。 同 時 に 姓 氏 を 表 わ す も の に 、 源 太 ( ) ロ 官 職 名 を 表 わ す も の。
右 衛 門 ・兵 衛 ・蔵 人 ・式 部 ・外 記 ・主 水 ・多 門 ・数 馬 ⋮ ⋮ 。 (イ と︶一緒 に な った も の に は 、 太 郎 兵 衛 ・次 郎 左 衛門など 。 (3)名 乗 り 系 統 の も の 。 正 信 ・博 之 ・重 光 ・俊 明 な ど 。 実 ・茂 ・浩 な ど 。 ︹女 子 の 名 ︺ (1)名 乗 り 系 統 の も の 、 お よ び そ の ﹁子 ﹂ を 略 し た も の 。 春 子 ・秋 子 ⋮ ⋮ は る ・あ き (2)源 氏 名 系 統 の も の 。
春 江 ・静 枝 ・春 代 ・絹 代 ・春 野 ・雪 野 ・若 葉 ・早 苗 ・さ つ き ・弥 生 ・み ど り
日本 の名 で は 、 ヨー ロ ッパな ど の人 か ら 見 れ ば 不 思 議 と 思 わ れ る のが 、 男 に も 女 にも 通 用 す る 名 前 があ る こと
だ 。 た と え ば 、 馨 と か 、 操 と か は 男 女 共 用 で あ る 。 M ・ ペイ に 言 わ せ る と 、 こ う い う の は 未 開 人 に 多 い そ う で あ
る が 、 日本 で は 近 頃 ま す ま す ふ え てき た 。 清 美 と か 千 秋 と か いう の は 、 逢 って み な け れ ば ど っち か わ か ら な い。
時代 性 ・地 域性
ま た 、 日 本 の名 で 注 目 す べき は 、 時 世 と と も に流 行 があ る こと であ る 。 即 位 の大 典 があ れ ば ﹁典 ﹂ の字 が 多 く
つけ ら れ 、 戦 争 中 は ﹁征 ﹂ の字 が多 く つけ ら れ 、 平 和 が 回復 す る と ﹁和 ﹂ の 字 が 好 ま れ た 。 戦 後 では 、 皇 太 子 が
結 婚 さ れ た 年 に は皇 太 子 妃 に あ や か った 名 が多 く つけ ら れ 、 あ る女 優 が テ レビ で活 躍 し て 人 気 を博 す る と 、 同 じ 名 の子 ど も が 多 く 生 ま れ る 。 こう いう のは 、 日本 以 外 に は 珍 し いの で は な いか 。
ま た 、 地 区 によ っても 、 名前 に特 徴 が 見 ら れ る も の が あ り 、 名 古 屋 を 中 心 と す る 地 域 に は、 男 の子 に金 偏 の名
が 多 く 、 中 に は め った に見 ら れ な い字 も 用 いら れ て いる 。 一方 、 金 沢 を 中 心 と す る 地 域 に は、 男 女 と も ﹁外 ﹂ と
いう 字 を ト と 読 む 名前 が多 い。 沖 縄 出 身 の人 に は ﹁朝 ○ ﹂ ﹁盛 ○ ﹂ と いう 名 が 目 立 つ が、 これ は 源 為 朝 や 平 家 一 族 の 子 孫 であ る こ と を 示 し た も の だ った 。
父祖 と関 係し た名
日本 に は な く て ヨー ロ ッパ にあ る も のと し て 、 日本 人 の名 ・姓 に あ た る も の の ほ か に父 祖 の名 を 中 間 に書 く も
Sartre
の が あ り 、 サ ルト ル は、 Jean-Paul
Andre
Joseph
Marie
de
Gaulle
だ った 。 人 に よ って は中 間 に三 つぐ ら い入 る も のも あ り 、 ド ゴ ー ル将 軍 は 、 Charles
だ った 。 中 間 に 入 ったMarie と いう 女 の 名 は 、 祖 母 の 名 前 で あ る と い う 。( 島村 修 治 ﹃ 外 国 人 の姓 名 ﹄)ロ シ ア 人 は 、 A nto( n 自 分 の 名 )Pavrovit ( パ cヴ h ロ フ の 子 )Chekh (o姓 v ) のよ う に 父 の名 を 変 化 さ せ て、 名 と 姓 の間 にお く 。
と ころ で、 名 前 の つけ 方 で変 わ って いる の が中 国 であ る。 中 国 は 大 家 族 制 度 を と って いる が、 ま ず 兄 弟 ど う し
同 じ 字 を つ け る 。 周 作 人 の 兄 は 周 樹 人 、 弟 は 周 建 人 、 あ る い は 宋 美 齢 の 二 人 の 姉 が 、 宋 藹 齢 ・宋 慶 齢 で あ る よ う
な 具 合 であ る 。 こ れ が 大 き な 家 族 にな る と 大 変 だ。 本 家 の長 男 の名 がき ま る と 、 あ と から 生 ま れ る従 弟 た ち は 一
斉 に そ の 一字 を も ら う と い う 習 慣 が あ る 。 本 家 の 人 は そ う いう わ け で 責 任 が あ る の で 、 長 男 の 名 を 考 え る の に 、
一か 月 か か る と い う 。 兄 弟 が 同 じ 字 を 共 有 す る 習 慣 は 日 本 に も 伝 わ り 、 阿 保 親 王 の息 子 が 在 原 行 平 ・業 平 兄 弟 で
﹁時 ﹂
﹁ 家 ﹂ と いう こ と を 重 ん じ る 、 そ の た め に 家 の 字 を 守 る 傾 向 が あ る わ け
ここでは
あ る の は そ の 例 で あ る 。 新 し い と こ ろ で は 、 芥 川 龍 之 介 の 三 人 の 息 子 た ち 比 呂 志 ・多 加 志 ・也 寸 志 の 例 が あ る 。
と い う 字 を つ け て いく 。 こ れ は 日 本 で は
日 本 で は 、 た と え ば 北 条 氏 の 系 図 を 見 る と 、時 政 ・義 時 ・泰 時 ⋮ ⋮ と い う ふ う に 代 々 同 じ 字︱
で 、 いか にも 日 本 的 で あ る 。
ヨ ー ロ ッパ の 苗 字
次 に 日 本 人 の 苗 字 は 種 類 が 多 く 、 佐 久 間 英 は 、 八 万 の 姓 を 集 め た そ う で 、 全 部 で は 一〇 万 ぐ ら い あ る だ ろ う と
いう 。 韓 国 な ど 金 ・李 ・朴 の 三 つ で 全 国 民 の 四 五 % を 占 め る 、 と い う よ う な の と は ち が う 。 鈴 木 ・田 中 ・佐 藤 ・
高 橋 ・中 村 と いう あ た り が 多 い ら し い が 、 と て も そ の よ う に は い か ぬ 。 ア メ リ カ で 多 い 苗 字 は 、Smith,Johnson,
B rown,Will⋮ i⋮ am とs続 き 、 ス ミ ス を 苗 字 と す る 人 は ほ ぼ 二 〇 〇 万 人 近 く い る と い う か ら 、 一〇 〇 人 に 一人 の 割合 である。
ヨ ー ロ ッ パ の苗 字 に は 、 ゲ ル マ ン 系 で は 、 何 々 の 子 ど も 、 と いう 意 味 の も の が 多 い。 ウ ィ ル ソ ン 、 ジ ョ ン ソ ン、
ト ム ソ ン な ど は は っき り そ れ を 示 し て お り 、 ド イ ツ 語 の メ ン デ ル ス ゾ ー ン や 、 デ ン マ ー ク の ア ン デ ル セ ンな ど も
そ れ で あ る 。 ジ ョー ン ズ と か ア ダ ム ス と か いう の も 、 元 来 ジ ョ ン の 息 子 、 ア ダ ム の 息 子 の 意 味 だ と い う 。 こ れ は
昔 、 名 を 名 乗 る の に 、 自 分 の 名 を 言 っ て か ら 誰 々 の 息 子 と 言 った 、 そ の 習 慣 が 残 っ た も の だ ろ う と い う 。( 島村 ﹃外国 人 の姓 名﹄)
(パ ン 屋 )、 カ ー ペ ン タ ー
(大 工 )、 ク ック
( 料 理 人 )、 ク ラ ー ク
( 書 記 )、 テ イ ラ ー
( 仕 立 屋 )、 ミ ラ ー
つ い で 、 職 業 の 名 か ら 来 る も の も 多 い 。 ス ミ ス (ブ ラ ッ ク ス ミ ス の 省 略 、 鍛 冶 屋 、 ド イ ツ 語 で は シ ュ ミ ッ ト )、 ベーカー ( 粉 屋 ) な ど が そ れ であ る 。
日 本 に な い の は 、 ブ ラ ウ ン 、 ブ ラ ッ ク 、 ホ ワ イ ト 、 グ レ ー の よ う な 色 の 名 で 、 こ れ は 髪 の 色 と い った 体 の特 徴
を 呼 ん だ ア ダ ナ か ら 発 す る も の と いう 。 詩 人 の ロ ン グ フ ェ ロー の 先 祖 は ノ ッポ だ った の で あ ろ う 。
日本 の苗字
日 本 人 の 苗 字 は 、 地 名 か ら く る も の が 最 も 多 く 、 地 名 は 自 然 の 地 形 を いう こ と が 多 い の で 、 ヨ ー ロ ッ パ の 苗 字
と ち が い 、 青 山 ・藤 岡 ・松 原 ・清 川 な ど 、 文 学 的 な も の が 多 い。 つ い で ﹁○ 藤 ﹂ と い う 形 の も の が 多 い が 、 こ れ
は 藤 原 氏 の 一族 で あ る こ と を 示 す も の で 、 家 系 を 大 事 に す る 精 神 の 現 わ れ で あ る 。 職 業 か ら く る も の が 少 し あ り 、 服 部 や 犬 養 や庄 司 は そ れ であ る。
日 本 人 の 苗 字 は 種 類 が 多 い か ら 、 な か に は 珍 奇 な も の も あ っ て 、 ﹁四 月 朔 日 ﹂ ﹁月 見 里 ﹂ の よ う な 難 し い の が あ
る 。 地 域 で い う と 、 た と え ば 富 山 県 の 新 湊 市 は 珍 し い 苗 字 の 多 い と こ ろ だ そ う で 、 ま わ っ て 歩 く と 、 ﹁飴 ﹂ ﹁石
灰 ﹂ ﹁鵜 ﹂ ﹁牛 ﹂ ﹁海 老 ﹂ ﹁菓 子 ﹂ ﹁米 ﹂ ﹁酢 ﹂ ﹁釣 ﹂ ﹁ 機 ﹂ ﹁ 味 噌 ﹂ と い う よ う な 苗 字 が 続 々 見 つ か る と い う 。( ﹃ 言 語生 活 ﹄ 昭 和 五 十年 一月 号、 榊 原 昭 二 )
﹁源 の 頼 朝 ﹂ ﹁平 の 清 盛 ﹂ の ﹁の ﹂ の よ う な も の で 、 家 柄 を 誇 っ て い る 気 持 が
フ ラ ン ス 人 の 苗 字 に ド ・ゴ ー ル の よ う に ド が つく も の 、 ド イ ツ 人 で は フ ォ ン ・ゲ ー テ の よ う に フ ォ ン が つく も の が あ る 。 日 本 で 言 った ら 、 昔 の
あ る と いう 。 奇 抜 な の は ロ シ ア で 、 夫 と 妻 で 苗 字 が 少 し 変 わ る 。 夫 の 苗 字 が パ ブ ロ フ な ら 、 妻 は パ ブ ロ バ と 言 う 。
セ ミ ョー ノ フ な ら そ の 妻 は セ ミ ョノ ー バ と な る 。 日 本 だ っ た ら 、 森 進 一の 妻 は 森 昌 子 で は な く て 森 谷 昌 子 、 と い った と こ ろ で あ る 。
十 日 本 人 の愛 用 語 句
一 感 情を こめた副詞 ﹁どう せ﹂ ﹁せめ て﹂ こ の節 に は 、 日本 人 が使 う 、 いか にも 日 本 語 ら し い語 句 を 分 類 し て 述 べる 。
ま ず 、 日 本 の歌 謡 曲 によ く 使 わ れ て来 た 副 詞 が 二 つあ る。 前 にも ち ょ っと ふ れ た ﹁ど う せ ﹂ と ﹁せ め て﹂ だ 。 北 原 白 秋 が ﹁煙 草 飲 め 飲 め﹂ に 、 〓煙 草 飲 め 飲 め空 ま で煙 せ ど う せ こ の世 は癪 の種 と 歌 った のが 早 く 、 つ い で 野 口 雨 情 は ﹁船 頭 小 唄 ﹂ に 、 〓ど う せ 二人 は こ の世 で は 花 の 咲 か な い枯 れ 芒
と 用 い、 こ れ が 世 を 風 靡 し て、 多 く の人 に 口 ず さ ま れ た 。 昭 和 に 入 って は ﹁赤 城 の子 守 唄 ﹂ ﹁旅 笠 道 中 ﹂ ﹁雨 の ブ
ルー ス﹂ と 用 いら れ 、 戦 後 は ﹁ど う せ 拾 った 恋 だ も の﹂ と 題 名 に し た も のま であ る 。
〓せ め て 淡 雪 溶 け ぬ間 と 神 に 願 いを 掛 け ま し ょう か
﹁せ め て﹂ は 、 島 村 抱 月 の ﹁カ チ ュー シ ャ﹂ に 、
と 用 いら れ 、 西条 八 十 の ﹁東 京 行 進 曲 ﹂ に、 〓ラ ッシ ュア ワー で 拾 った バ ラ を せ め て あ の 子 の思 い出 に
と 用 いら れ た。 そ の後 、 ﹁お富 さ ん ﹂ な ど に現 れ 、 近 いと こ ろ で は ﹁昴 ﹂ ﹁さ ざ ん か の宿 ﹂ に も みえ る 。 ﹁芸 者 ワ ル ツ﹂ に は 、 〓今 夜 は せ め て介 抱 し て ね ど う せ 一緒 に暮 ら せ ぬ 身 体
と 言 って、 ﹁ど う せ ﹂ と とも に使 わ れ て いる 。
日 本 人 は ﹁ど う せ﹂ のも つ諦 め の気 持 、 時 に は 捨 て 鉢 の気 持 、 ﹁せ め て ﹂ のも つ、 最 小 限 度 の望 み を 託 す る 気
持 が 好 き ら し い。 こ れ は と も に、 英 語 な ど には ぴ った り あ た る 単 語 がな い、 訳 し に く い言 葉 と し て知 ら れ て いる 。
﹁さす が﹂ ﹁ な ま じ﹂
こ のよ う な 、 評 価 を 伴 い、 し か も 話 者 の感 情 を 濃 厚 に反 映 し た 副 詞 が 日 本 語 に 多 い。 板 坂 元 は ﹃日本 人 の論 理 構 造 ﹄ に そ の例 と し て 、 い っそ 、 さ す が に 、 な ま じ 、 ま ま よ、 所 詮 ⋮ ⋮ な ど を あ げ て お り、 ﹁ど う せ ﹂ ほ ど で は な いが、 た し か に 歌 謡 曲 に 顔 を 出 す 。
板 坂 の著 書 に は こ れ ら に つ い て の解 説 が あ る が 、 いず れ も 外 国 人 に説 明 を 求 め ら れ て 困 る も の で 、 な か で も
﹁な ま じ ﹂ はも っと も 扱 いに 困 る も の の 一つだ ろ う と いう 。 中 途 半 端 な 段 階 にあ る と 、 逆 に 、 大 き な マイ ナ ス を 生 む 、 ﹁生 兵 法 は怪 我 のも と ﹂ と いう 考 え 方 であ る 。
渡 辺 実 は 同 種 の副 詞 と し て ﹁せ っかく ﹂ ﹁よ っぽ ど ﹂ ﹁ま さ か ﹂ を 加 え て い る が 、 あ る ア メ リ カ 在 住 の 日本 人 二
世 で、 自 分 の子 供 に は 上 手 な 日本 語 を 話 さ せ た いと 願 望 し て いる 母 親 が 当 の 子供 が ﹁せ っか く ﹂ を 使 って話 す の
を 聞 いた 時 、 こ の 子 も 日 本 語 が わ か って 来 た と 嬉 し く 思 った と 語 った と い い、 こ の語 の 日本 語 的 性 格 を 述 べ て い る 。(﹃ 言語﹄昭和五十年十二月号)
これ ら の副 詞 は 、 評 価 を 伴 って お り、 話 者 の感 情 を 濃 く 伝 え る た め に 、 冷 静 な 科 学 的 な 記 述 に 用 いら れ る こ と は な い。 幾 何 学 の 証 明 に 、 ナ マジ ッカ 直 角 三 角 形 デ ア ルノ デ ⋮ ⋮ サ ス ガ 二 等 辺 三 角 形 ダ ケ ア ッテ ⋮ ⋮
な ど と 言 う 文 は 現 わ れ な い。 渡 辺実 は 、 こ の よ う な 副 詞 を 中 国 人 に 訳 さ せ て み た 結 果 を ほ か に、
﹃副 用 語 の 研 究 ﹄ に 報 告 し て い る が 、 ﹁な ま じ ﹂ の
こ ん な 女 に 会 っ て は 、 さ す が の 彼 も ど う し よ う も な か った の ﹁さ す が ﹂ も 、 ほ と ん ど 訳 せ な い と 言 っ て い る 。
二 漠 然 と し た 意 味 を も つ語 ﹁ぼつぼ つ﹂ ﹁ ち ょ っと ﹂
東 京 外 国 語 大 学 に 勤 め て い た 時 に 、 あ る ア メ リ カ 人 が 、 日 本 に 来 て 、 ﹁ぼ つ ぼ つ﹂ と い う 言 葉 ぐ ら い 困 る 言 葉
は な い と 言 う のを 聞 い た 。 ﹁で は 、 ぼ つ ぼ つ 出 か け ま し ょ う ﹂ と 言 わ れ て 、 ど の よ う に 出 か け た ら い い の か 、 ﹁三
分 た った ら 出 か け ま し ょ う ﹂ と か 、 ﹁五 分 た った ら ⋮ ⋮ ﹂ と か 言 っ て く れ れ ば 、 き ち っと や っ て み せ る が 、 ﹁ぼ つ
ぼ つ ﹂ に は ほ ん と う に 困 る と いう こ と だ った 。 ﹁ぼ つ ぼ つ﹂ と は 相 手 の 状 況 、 自 分 の 状 況 、 そ れ か ら 、 あ た り の
状 況 な ど を 考 慮 し て 適 当 な 時 間 に と い う こ と で 、 日 本 人 は そ う いう 使 い方 に 馴 れ て い る が 、 馴 れ な い人 は 困 る の であ ろ う か。
が 、 逆 に 日 本 人 は ア メ リ カ へ行 って ま ご つ く こ と が あ る 。 レ ス ト ラ ン な ど に 入 っ て 、 う っ か り 茹 で 卵 を 注 文 す
﹁適 当 に ﹂ と 言 う と 、 ﹁適 当 に で は 困 る 。 は っき り 指 定 し て く れ ﹂ と 言 わ れ て 困
る と 、 ﹁五 分 茹 で ま し ょ う か ? 七 分 茹 で ま し ょ う か ? ま た は 、 一〇 分 茹 で ま し ょ う か ? ﹂ と 聞 か れ る 。 ど う 言 った ら よ い か わ か ら な い の で
も っ と も 、 今 で は そ ん な 気 の き い た と こ ろ は 少 な く な った か も し
お 客 の態 度 を 見 て、 忙 し そう だ った ら 、 五 分 茹 で て 出 し 、 暇 を も てあ ま し て いる よ う だ った ら 、 一
るも のだ った 。 日本 の レ スト ラ ンな ら ば 、 ︱
れな い が︱
〇 分 茹 で ても って来 る は ず だ 。
日 本 語 で は 、 こ のよ う に は っき り 数 量 や 程度 を 示 さず 大 体 の と こ ろ を 示す 単 語 があ り 、 そ のう ち に 、 ま た や って来 ま す 。 ち ょ っと し ゃれ た 家 。 ( 景 気 は 如 何 です か 、 に 対 し て) ま あ ま あ です 。 店 員 募 集 若 干 名 。 近 日 開 店 。
な ど が そ れ で 、 た と え ば 、 ﹁ち ょ っと ﹂ は も と が ﹁少 し ﹂ の意 味 であ る が 、 ﹁非 常 に﹂ ま で の程 度 を 意 味 し う る 。 ほ ん と う に ﹁ち ょ っと ﹂ の場 合 は そ こを 強 め て いう 。
﹁何と な く﹂ ﹁ど こか﹂
様 子 や 原 因 な ど も 、 は っき り 説 明 せ ず に、 相 手 の想 像 にま か せ る 言 い方 が あ る 。 ﹁何 とな く ﹂ ﹁ど こ か﹂ の形 が
そ れ だ 。 た と え ば 、 芥 川龍 之 介 な ど は 明快 な 文 章 を 書 く 作 家 と し て 知 ら れ て いる が、 か れ の ﹃鼻 ﹄ にも そ う いう 語 が 次 々 と出 て く る。
勿 論 、 中 童 子や 下 法 師 が 晒う 原 因 は、 そ こ にあ る の に ち が いな い。 け れ ど も 同 じ 晒 う
内 供 は始 、 之 を 自 分 の顔 が わ り が し た せ いだ と 解 釈 し た 。 し か し ど う も こ の解 釈 だ け で は 十 分 に説 明 が つか な いよ う であ る。 ︱
にし ても 、 鼻 の 長 か った 昔 と は 、 晒 う の にど こ と な く 容 子 が ち がう 。 見 慣 れ た 長 い鼻 よ り 、 見 慣 れ な い短 い
鼻 の方 が 滑稽 に 見 え る と 云 え ば 、 そ れ ま で であ る 。 が、 そ こ に は ま だ 何 か あ る ら し い。 少 し 先 の次 の パ ラ グ ラ フ に は 四 つも あ る。
内 供 が 、 理 由 を 知 ら な いな が ら も 、 何 と な く 不 快 に 思 った の は 、 池 の尾
⋮ ⋮ 所 が そ の人 が そ の不 幸 を 、 ど う に か し て 切 り ぬ け る 事 が 出 来 る と、 今 度 は こ っち で何 と な く 物 足 り な い よ う な 心 も ち がす る 。 (中略 )︱
の僧 俗 の態 度 に、 こ の傍 観 者 の利 己 主 義 を そ れ と な く 感 づ いた か ら に 外 な ら な い。
徳 川 夢 声 の発 明 と 伝 え ら れ る ﹁ち ょ っと 、 ど う か と 思 う ﹂ も 日 本 式 表 現 の最 た るも のだ った 。
よろ しく 邦 楽 学 者 ・吉 川 英 史 の ﹃邦 楽 と 人 生 ﹄ の 中 に
﹁よ ろ し く ﹂ の 吟 味 と いう お も し ろ い 一章 が あ る 。 彼 に よ れ ば 、
﹁奥 さ ん に よ ろ し く ﹂
﹁よ ろ し く ﹂ を 何 回 使 う か わ か ら な い が 、 会 社 で ﹁よ ろ し く や っ て く れ ﹂ と た のま れ た 人
会 社 で は 社 長 が 部 長 に 、 部 長 が 課 長 に 、 ﹁よ ろ し く や って く れ 給 え ﹂ と 言 う 。 道 で 会 う と と 言 う 。 と いう わ け で
は 、 ど の よ う に し た ら い い か と い う こ と を 考 え て 、 要 領 よ く 事 を 処 理 す る こ と を 考 え る べ き で あ り 、 ﹁奥 さ ん に
﹁お じ さ ん が 、 お 母 さ ん に
よ ろ し く ﹂ と 言 わ れ た ら 、 奥 さ ん に 、 そ の 言 った 人 が 悪 い 印 象 を 与 え な い よ う に 適 切 な 言 葉 を 言 っ て お い て く れ と いう 意 味 で あ る 。
た った 一言 で 、 ず い ぶ ん 難 し い 処 理 を た の ま れ た わ け で あ って 、 こ の ご ろ の よ う に
﹁よ ろ し く ﹂
﹃こ と ば ﹄ ( 昭和 五 十 三 年十 一月 号 ) で 難 し い 日 本 語 の 代 表 に あ げ て い
よ ろ し く って 言 っ て い た よ ﹂ と 言 った の で は 、 子 供 の 使 い で 落 第 な の だ 。 こ の 無 限 の 含 み を も った は 実 に 日本 的 な 言 葉 で 、 K ・フ ィ ッシ ャー が る のは 、 いか にも と 思 わ れ る。 都合 により、 とりやめます と い う の を 聞 い て 、 こ れ は 理 由 に な ら な い と 批 判 し た 外 国 人 も あ った 。
三 弁 解 ・こ と わ り の 言 葉
﹃も の の 見 方 に つ い て ﹄ の中 で 、
弁 解 ・こ と わ り の 言 葉 笠信太 郎は
イ ギ リ ス 人 は 歩 き な が ら 考 え る 。 フ ラ ン ス 人 は 考 え た 後 で 走 り だ す 。 そ し て ス ペ イ ン 人 は 、 走 っ て し ま った 後 で 考 え る 。︱
と いう 言 葉 を 引 い て いる 。 堀 川 直 義 は 、 こ こ か ら ヒ ント を 得 て か 、 日 本 人 は 言 いわ けを し て か ら歩 く と 言 いた いと 言 って いる。 そ う し て 、 と り 急 ぎ、 ま と め ま し た の で 、 十 分 な 検 討 が加 え て あ り ま せ ん が ⋮ ⋮ と か、 結 婚 の披 露 宴 の スピ ー チ を 指 名 さ れ た と き は、 突 然 の御 指 名 で何 を お 話 し し て よ いや ら わ か りま せ ん が ⋮ ⋮ 等 の例 を あ げ て いる 。( 依田 ・築島編 ﹃日本人 の性格﹄)
過 ぎ し 時 代 に は 、 ﹁悋気 は女 の慎 し む と こ ろ ﹂ と いう 金 言 が あ った 。 そ こ で 、 こ ん な 哀 れ な セ リ フ が し ば し ば 聞 かれる。
さ ア てわ が夫 主 水 さ ま よ わ た し ゃ女 房 で 嫉 く のじ ゃな いが 二人 の子 供 を だ て には 持 た ぬ 十 九 二 十 の 身
じ ゃあ るま いし 人 に 意 見 を す る 年 頃 で や め て お く れ よ女 郎 買 いば か り ⋮ ⋮ ( 群馬県民謡 ﹁八木節﹂) いく ら 断 っても 、 聞 く 人 は ち ゃ ん と や き も ち で あ る と受 け 取 り そ う であ る 。
妾 や悋 気 で 言 う の じ ゃな いが ひと り で さ し た 傘 に 片 袖 ぬ れ る はず が な い ( 流行歌 ﹁ラ ッパ節﹂) も 同 じ 精 神 であ る 。 こ れ は い つも 言 う こ と な ん だ け れ ど も ⋮ ⋮ あ る いは 、 一座 の人 の名 を 言 いな が ら 、 ○ ○ 君 に は さ っき 話 し た のだ け れ ど も ⋮ ⋮
こう いう ク セ は 、 日 本 人 のテ レ性 に よ って生 ま れ た 表 現 であ る。 長 唄 ﹁越 後 獅 子 ﹂ に は 、 お ら が 女 房 を ほ め る じ ゃな いが と いう 文 句 があ り 、 戦 争 中 の ﹁上 海 だ よ り﹂ に は 、
鉄 の兜 の弾 丸 のあ と 自 慢 じ ゃな いが 見 せ た いな が あ った 。 戦 後 に は 、 ﹁お 座 敷 小 唄 ﹂ の中 に 、 歌 の文 旬 じ ゃな いけ れ ど ⋮ ⋮ と いう のが あ る。 筆 者 は ﹁日本 人 は こ と わ って から 歩 く ﹂ と 言 いた い。
四 愛用す る数 外国 の例 愛 好 語 句 の最 後 に、 日 本 人 の愛 用 す る 数 に つ いて触 れ てお き た い。
か つて、 国 際 基 督 教 大 学 で お も し ろ いも のを 見 た。 こ こ に は 、 日本 人 の家 族 、 ア メ リ カ 人 の家 族 が住 ん で いる
が 、 商 店 街 か ら 遠 く 離 れ て いる の で、 御 用 聞 き が 一軒 一軒 ま わ って注 文 を と る 。 そ う す る と 、 ア メ リ カ 人 は卵 と
か 野 菜 と か を 注 文 す る 時 に、 三 個 と か 六 個 と か 一二 個 と か、 三 の倍 数 で 買 う が、 日 本 人 は そ れ に対 し て 、 二個 ・
五 個 ・ 一〇 個 のよ う な 数 で と る と いう 、 は っき り し た 対 立 が 見 ら れ た こ と であ る 。
一般 に 、 民 族 に よ って好 き な 数 と いう も の があ る 。 三 と か 七 と か いう 数 は、 何 か 神 秘 的 な 感 じ が あ る の で 、 キ
リ スト 教 で も 仏 教 で も 、 日本 の民 間 でも 重 ん じ ら れ る が、 例 え ば 、 聖 書 を 読 ん で 感 じ る こ と は 、 四 〇 と 一四 と い う 数 が 多 く で てく る こと であ る 。( ﹁マタイによる福音書﹂)
こう し て、 全 部 合 わ せ る と 、 ア ブ ラ ハム か ら ダ ビ デま で 十 四 代 、 ダ ビ デ か ら バ ビ ロ ン への移 住 ま で十 四 代 、
バ ビ ロン へ移 さ れ て か ら キ リ ス ト ま で が十 四 代 で あ る。 さ て、 イ エ スは 悪 魔 か ら 誘 惑 を 受 け る た め 、 "霊 "
に 導 か れ て 荒 れ 野 に行 か れ た 。 そ し て 四 十 日 間 、 昼 も 夜 も 断 食 し た 後 、 空 腹 を 覚 え ら れ た 。
四 〇 を 重 ん じ る のは 、 近 東 に多 く 見 ら れ る 傾 向 で、 ア ラ ビ ア ンナ イ ト の ﹁ア リ バ バ と 四 十 人 の盗 賊 ﹂ の 話 も 関
係 があ り そ う だ 。
中 国 では 各 種 類 の奇 数 を 陽 の数 と 呼 ん で重 ん じ る が、 いか にも 中 国 ら し い数 は 九 で あ り 、 北 京 にあ る 故 宮 の へ
や の数 は 九 九 九 九 室 で、 門 の扉 は、 で っぱ り の数 ま で九 の数 を も って作 ら れ て いる と いう か ら 見 事 な も のだ 。 単
語 にも ﹁九 天﹂ ﹁九 行 ﹂ ﹁九 拝 ﹂ ﹁九 泉 ﹂ ﹁九 重 ﹂ な ど 、 いか にも 中 国 式 で、 麻 雀 の数 牌 が 一か ら 九 ま で に な って い る のも そ の 現わ れ にち が いな い。
上代 の日本 人 は⋮⋮
そ こで日本人 は、と なる が、 ﹃ 古 事 記 ﹄ ﹃日 本 書 紀 ﹄ で は 、 三 と 並 ん で 八 が 多 く 出 て いる こ と が 顕 著 で あ る 。
﹁八 咫 鏡 ﹂ ﹁八 尺 瓊 の 曲 玉 ﹂ か ら は じ ま り 、 素 戔 鳴 命 は ﹁八 岐 の大 蛇 ﹂ を 殺 し た あ と で ﹁八 雲 立 つ出 雲 八 重 垣 ⋮ ⋮ ﹂ と いう 歌 を 作 る こ と にな って い る。
と ころ が、 そ の ﹃日本 書 紀 ﹄ を 読 ん で いる と 、 神 武 紀 から あ と にな る と 、 急 に ﹁五 ﹂ と いう 数 字 が し き り に 出
てく る こ と に 気 付 く 。 神 武 天皇 の 兄 君 が 五 瀬 命 で あ り、 天 皇 が 大 和 へ東 征 さ れ た と き に、 丹 生 の 川 上 で 五 〇 〇
箇 のサ カ キ を 根 ご と 引 き抜 いて 諸 神 を 祭 る と いう く だ り があ る 。 皇 后 は 媛 蹈 鞴 五 十 鈴 媛 命 であ る 。 次 の綏 靖 天 皇 の皇 后 は 五 十 鈴 依 媛 命 と い い、 以 下 、 五 の字 の つく 人 が 続 々出 て く る 。
古 代 朝 鮮 の民 族 の間 では 、 高 句 麗 に は 五 つ氏 族 が あ った と か 、 百 済 に は 、 五 万 の豪 族 が あ り 、 五 つ の部 に 分 か
れ て い て五 〇 〇 〇 の 兵 を 有 し 、 さ ら に 五 つ の地 域 に 分 か れ て いた と いう こと があ った 。 五 が 重 ん じ ら れ て いた こ
と が う か が わ れ る 。 こ の こと は 、 神 武 天皇 の モ デ ルが 朝 鮮 半 島 か ら 渡 って来 た と いう 想 像 を ち ょ っと 強 め さ せ そ う に思う。
日本 語
( 下)
Ⅳ
表 記 法 か ら 見 た 日 本 語
一 日本 人 と文 字
C IEに よ る調査
日本 語 の表 記 法 に つ いて ま ず 注 意 す べ き こと は、 日 本 人 の読 み 書 き 能 力 の高 さ であ る。 か な り厳 し い基 準 で 計 算 し て も 、 文 盲 率 は 一 ・七 % だ ろ う と いう 。(﹃ 岩波講座 ・日本語﹄1、柴田武)
筆 者 は 直 接 関 係 し た の で印 象 は 鮮 や か で あ る が 、 終 戦 直 後 、 占 領 軍 が 日 本 を 支 配 し た 時 に、 ア メ リ カ の文 部
省 ・日本 支 部 と も いう べき C I E ( 民 間情 報 教育 局 ) で は 、 日 本 語 の表 記 法 の 難 し さ に驚 き 、 日本 人 の幸 せ のた
め 、 日本 人 に 漢 字 や仮 名 を 捨 て さ せ 、 ロー マ字 を 使 わ せ よう と し た。 た だ し 、 そ の時 に し た こ と が え ら い。 何 年
何 月 何 日 か ら 一斉 に ロー マ字 を 使 え と いう 指 令 は 出 さ な か った 。 そ の前 にす べて の 日本 人 に読 み 書 き 能 力 の客 観
的 な 調 査 を 行 い、 そ の結 果 、 お ま え た ち は こ の よ う に読 み 書 き 能 力 が 低 い、 だ か ら ロー マ字 を 使 う よ う に せ よ と いう 段 取 り を と ろう と し た の であ る 。
そ の た め に、 C I E で は 各 市 役 所 ・区 役 所 ・町 村 役 場 へ行 って 、 戸 籍 簿 を 提 出 さ せ 、 一万 人 お き に し る し を つ
け た 。 そ う し て、 そ の人 間 は 何 年 何 月 何 日 に 小 学 校 へ出 て 来 て試 験 を 受 け ろ と いう 命 令 を 発 し た 。
筆 者 は 、 石 黒修 のも と で 、 柴 田武 ら と ま ず 問 題 を 作 る と こ ろ か ら は じ め た 。 第 一問 は 平 仮 名 が 読 め る か ど う か 、
第 二問 は カ タ カ ナ が読 め る か ど う か ⋮ ⋮ と いう 具 合 で、 最 後 の 問 題 は 新 聞 の社 説 を 読 ん で そ の意 味 が 理 解 でき る
か を 試 す 問 題 、 そ う いう 問 題 を 一時 間 に応 答 で き る よ う に作 り 、 そ れ を 全 国 で 一斉 に 同 じ 日 に 試 験 で き る よ う に 計 画 し た の だ か ら 、 大 変 だ った 。
出席 した お婆 さ ん
今 だ った ら 、 そ ん な 試 験 を す る と 言 っても 一人 も 出 席 し な いか も し れ な いが 、 当 時 は ア メ リ カ の命 令 と 言 った
ら 、 ど ん な 無 理 で も 聞 か な け れ ば いけ な いと いう 時 世 で あ る 。 筆 者 の担 当 地 域 は 、 神 奈 川 県 の小 田 原 地 区 だ った
が、 当 日、 試 験 場 へ乗 り 込 ん で み る と 、 一時 間 も 前 か ら みな 教 室 に集 ま って いる 。 た った 一人 、 席 があ い て い る
の で 、 調 べ て み る と 、 東 京 で 二度 火 災 に遭 い、 小 田 原 の親 戚 の 二 階 の 一間 に 家 族 五 人 で暮 ら し て い る、 そ のう ち の 老婆 が指 名 さ れ て いた こ と がわ か った 。
筆 者 は ひ と り で も 欠 け た ら ま ず か ろ う と 、 そ の老 婆 を 呼 び に行 った と こ ろ 、 彼 女 は 小 学 校 へも 行 かな か った た
め に仮 名 も ろく に 書 け ず 、 字 を 習 う のは 今 度 生 ま れ た ら の こと に し よ う と 思 って いた と いう 人 間 な の で 、 C I E
か ら 呼 び 出 し が 来 た 時 に、 熱 を 出 し て 寝 込 ん で し ま った 。 そ こ へ筆 者 が訪 ね た の で、 彼 女 は驚 いた 。 に わ か に飛
び起 き て、 ふ と ん か ら 出 、 畳 の上 に 正 座 し て 、 ﹁私 の よ う な も の が 行 って 試 験 を 受 け て は 、 天 皇 陛 下 し ゃま の恥
にな り ま す 。 ど う か お 見 逃 が し 下さ い﹂ と 、 額 を 畳 にす り つけ る 。 そ う し て 、 ﹁これ は 私 の娘 で ご ざ いま す か ら 、
ど う ぞ これ を 身 代 り に連 れ て行 って 下 さ いま せ ﹂ と 懇 願 す る 。 娘 は も う 行 く つも り で 、 き れ いな 和 服 に着 替 え て
誘 いを 待 って いる 。 ま る で 人 身 御 供 だ 。 筆 者 は、 ﹁いや 、 こ れ は ど う し て も お 婆 さ ん でな け れ ば 。 こ れ は ク ジ に
あ た った の で、 お 婆 さ ん は ク ジ運 が 強 い から 次 は 宝 く じ に あ た る で し ょう ﹂ な ど と い い加 減 な こ と を 言 って いた
ら 、 お 婆 さ ん 、 心 を 決 め た 。 ﹁わ か り ま し た 。 私 が 参 り ま し ょう ﹂ と 言 い放 ち 、 紋 付 き 羽 織 で 出 て く る こと に な った 。
日本 人 の読 む力
筆 者 は お 婆 さ ん を 連 れ て試 験 場 に 行 き 、 や が て試 験 が は じ ま った が、 そ の結 果 は ど う であ った か 。 日 本 全 国 の
試 験 の成 績 を 見 る と 、 全 体 の成 績 は 驚 く べき ほど よ く 、 な る ほ ど 満 点 を と った 人 こ そ 少 な か った が、 文 盲 は ゼ ロ
に 近 か った 。 これ は 石 黒 ほ か 編 の ﹃日本 人 の読 み書 き 能 力 ﹄ と いう 本 に 出 て いる か ら 参 照 さ れ た い。
筆 者 が 連 れ て来 た 老 婆 は どう し た か。 筆 者 は、 零 点 を と る だ ろ う か と か わ いそ う に思 いな が ら 答 案 を の ぞ いて
み た ら 、 そ の老 婆 の名 前 が ﹁は な ﹂ だ った か 、 こ の 二字 だ け は 読 め る の で、 次 の文 字 のう ち ﹁は る ﹂ と いう のは
ど れ です か 、 と 口 頭 で聞 いて ○ を 付 け さ せ る 問 題 だ け は 出 来 、 一〇 〇 点 満 点 のう ち 、 五点 と った のだ った。
日本 人は本 が好 き
C I E は こ の結 果 に驚 き 、 日本 の教 育 のす ば ら し さ を 感 嘆 し 、 結 局 ロー マ字 の ロの 字 も 口 に せず ア メ リ カ へ引
き 上 げ て行 った 。 筆 者 は 思 い が けな い結 果 に嬉 し さ に た え ず 、 文 部 省 に行 って 、 教 育 の成 果 を 喜 び あ った 。 が 、
今 思う と 、 文 盲 が 驚 く べき ほど 少 な か った のは 、 これ は 上 巻 で述 べた 日本 語 の音 韻 の特 色 、 拍 の種 類 が 少 な い こ
と が 、 大 き な 原 因 にな って いた 。 そ れ か ら 、 日 本 人 が文 字 に親 し ん で いる と いう こ と も 、 大 き く 働 い て いた にち が いな い。
明 治 時 代 に 来 朝 し た ポ ルト ガ ル の軍 人 モ ラ エ スは 、 車 夫 が人 を 運 び な が ら 腕 木 の上 に本 を 置 い て小 説 を 読 ん で
いる の に驚 いて い る。 日 本 を 訪 問 し た 外 国 人 の多 く が感 心 す る こ と の 一つに 、 日本 人 が本 を よ く 読 む こ と があ る。
ア メ リ カあ た り で は、 子 供 に本 を み や げ に 持 って行 く と 、 ま ず いや が ら れ る と いう が 、 日本 で は そ んな こ と は な
い。 日本 の文 字 は 、 次 節 以 下 に 言 う よ う に 、 世 界 で 類 のな い難 し さ な の に 、 日本 人 が 文 字 に 親 し ん で いる の は 、 特 筆 す べき こ と であ る 。
文 字 が書 け な いと いう のな ら と も かく 、 そ の国 語 に 文 字 が な いと いう こと にな る と 、 大 騒 ぎ で、 ア フリ カ の ソ
マリ ア に は 、 ソ マ リ ア 語 と いう ち ゃ ん と し た 国 語 が あ る の で あ る が 、 そ れ を 写 す 文 字 が な い 。 そ こ で 、 ソ マ リ ア
で 行 わ れ る 会 議 で は 、 同 じ ソ マ リ ア 語 で し ゃ べ って い る のを 、 あ る 人 は フ ラ ン ス 語 で ノ ー ト に と り 、 別 の 人 は イ
タ リ ア 語 で と る 、 中 に は 英 語 で と って い る 人 も あ る (﹃ 言 語 生 活 ﹄ 昭 和 五 十 年 二 月 号、 西 江 雅 之 ) と いう が 、 こ れ で は 大変だ。
二 種 々 の文 字 の使 い 分 け
五種 類 の 文 字
日 本 の 文 化 は 雑 種 文 化 だ と 言 う が 、 日 本 語 の 表 記 ぐ ら い、 世 界 各 国 の 種 々 の 文 字 を 組 合 わ せ て 使 って い る 例 は ほ か にな い。 Y シ ャ ツ 見切り品 ¥2,000より
そ の へ ん で ザ ラ に 目 に 入 る 文 句 で あ る が 、 こ の短 い 中 に す で に ﹁漢 字 ﹂ と 呼 ぶ 、 上 代 に 中 国 か ら 伝 わ った 文 字 、
﹁カ タ カ ナ ﹂ ﹁ひ ら が な ﹂ と いう 、 日 本 で 発 明 し た 二 種 の 文 字 、 ﹁ロ ー マ字 ﹂ と い う 、 ロ ー マ帝 国 か ら 欧 米 各 国 に
、 都 合 五 種 類 のも のを 使 い分 け て いる 。
ひ ろ ま っ て 日 本 に 入 った 文 字 、 ﹁ア ラ ビ ア 数 字 ﹂ と い う 、 イ ン ド か ら ア ラ ビ ア を 通 っ て ヨ ー ロ ッ パ に 行 き 、 日 本
に 渡 って 来 た 文 字 ︱
表音 文字 と表 意 文字
世 界 の文 字 は 、 大 き く 分 け て 、 ︿表 音 文 字 ﹀ と く表 意 文 字 ﹀ の二 つに 分 か れ る。 表 音 文 字 と いう のは 文 字 が 音
だ け を 表 わ す も の で、 た と え ば 、 仮 名 な ど は 代 表 的 な も のだ 。 ﹁こ﹂ と いう 文 字 は コと いう 音 だ け を 表 わ す か ら 、
コと いう 音 が使 わ れ る 言 葉 な ら 何 に で も 使 え る。 ﹁コド モ﹂ でも ﹁コ コ ロ﹂ でも ﹁こ ﹂ を 書 いて よ い。
そ れ に対 し て 、表 意 文 字 と いう の は、発 音 と 一緒 に意 味 を 表 わ す 文 字 で、漢 字 は そ の代 表 だ 。た と え ば ﹁子 ﹂ と
いう 文 字 は コと いう 音 も 表 わ す が 、 同 時 に ﹁親 子 ﹂ の ﹁子 ﹂ の 意 味 を 表 わ す か ら 、 ﹁コド モ﹂ は ﹁子 ど も ﹂ と 書
いても い いが、 ﹁コ コ ロ﹂ を ﹁子 頃 ﹂ な ど と 書 く わ け に い か な い。 ﹁コ ノ アイ ダ ﹂ と いう のを ﹁子 の間 ﹂ と書 い て
は いけ な い。つま り 漢 字 と いう も の は 、発 音 だ け で は な く て、 一緒 に 意 味 も 表 わ す 特 殊 な 文 字 だ と いう こ と に な る。
世 界 の文 字 は 、 多 く は 表 音 文 字 で 、 仮 名 ・ロー マ字 ・ ハング ル ( 韓 国 ・北 朝 鮮 の 文 字 )、 あ る い は 昔 の ギ リ シ
ャ文 字 な ど が 表 音 文 字 で あ り、 発 音 だ け し か 表 わ さ な い。 こ のほ か に、 イ ンド の文 字 、 ア ラ ビ ア の文 字 な ど も 表 音 文 字 であ る 。
1 、2 、3 ⋮ ⋮ が そ う だ 。 ﹁1 ﹂ は
﹁イ チ ﹂ と 読 み 、数 の イ チ を 表 わ す と き に し か
漢 字 は そ の点 、 大 変 珍 し い文 字 であ る 。 発 音 の ほ か に意 味 も 表 わ す 表 音 文 字 と いう の は、 漢 字 の ほ か に は 、 強 い て 言 え ば 、ア ラ ビ ア 数 字 ︱
使 え な いか ら 、 ﹁位 置 ﹂ の代 わ り に使 って、 ﹁横 浜 は 東 京 の南 に 1す る ﹂ と 書 く こ と は でき な い。 1 は ﹁場 所 を 占
ツ ノマ ム シ
ミミズ ク
﹃生 き て い る 象 形 文 字 ﹄ の 中 に報 告 し て いる 。 これ は 、 中 国 の雲 南 省 で 今 も
京 都 大 学 の言 語 学 教 授 ・西 田 龍 雄 が、 モ ソ文 字 と いう 変 った 文 字 を 発 見 し 、
し ろ い文 字 であ る。 現 在 こう いう 文 字 は 全 然 ど こ にも な いか と いう と 、 先 年 、
表 的 な も のは エジプ ト の文 字 で あ る 。 上 の図 に 示 す よ う な 、 絵 のよ う な お も
し か し、 古 い時 代 に は 漢 字 以 外 にも 、 広 く 使 わ れ た 表 意 文 字 が あ った 。 代
表意 文字 の いろ いろ
め る﹂ と いう 意 味 を も って いな い か ら で あ る 。 も っと も 数 字 は 数 し か 表 わ せ な いか ら 、 表 意 文 字 と い っても ず い
水
パ ンの か た ま り
ア シの葉
ぶ ん特 殊 な も の だ 。
口
使 わ れ て いる と いう 。
だ が残 念 な が ら こ の文 字 は、 使 って いる のは 宗 教 関 係 の人 だ け で、 社 会 に 広 く 通 用 し て いる の で はな さ そ う だ。
結 局 、 表 意 文 字 の中 で 今 広 く 使 わ れ て いる のは 漢 字 だ け であ り 。 そ れ か ら 表 意 文 字 と 表 音 文 字 と 両 方 あ わ せ て使 って 生 活 し て いる のは 、 日本 のほ か に韓 国 だ け だ 。
同じ 言葉 の違 った 表記
日 本 で は、 こ のよ う な 違 った 種 類 の文 字 を 混 用 す る こ と か ら、 日 本 語 に 限 ってあ ら わ れ る特 殊 な 現 象 が あ る 。
ま ず 同 じ 言 葉 が い ろ ん な 文 字 で 書 か れ る 習 慣 だ 。 た と え ば ﹁ハル ガ キ タ ﹂ ﹁は る が き た ﹂ ﹁春 が 来 た ﹂ ﹁ハ ルが 来
た ﹂。 こ のう ち 一番 標 準 的 な のは 三 つ目 の漢 字 ・平 仮 名 ま じ り であ る が、 ほ か のよ う に 書 い ても間 違 いと は 言 え
COM とE 書.いた り 、 各 単 語 のイ ニシ ャ ル だ け 大
hasとc いo うmの eが .正 "し い形 で、 こ れ を 変 え て書 こ HAS
な い。 英 語 で は こ う いう こ と は な い。 英 語 で は"Spring う と し ても 、 せ い ぜ い全部 を 大 文 字 に し て " "SPRING 文 字 で書 いた り す るく ら いし か方 法 が な い。
日本 人 は、 漢 字 が思 い出 せ な い時 は 仮 名 で書 い て おく 、 そ れ で 間 違 いで は な いと いう 習 慣 があ る 。 これ は 外 国
人 を 驚 か す 。 外 国 人 は 、 漢 字 で書 く 字 は 必 ず 漢 字 で書 く も のだ と 思 って いる 。( 池田麻耶子 ﹃ 外から見た 日本語﹄)
ま た 、 日本 人 は 、 同 じ 言 葉 に対 し て ち が った 書 き 方 を し て 楽 し む と いう こ と も あ る よ う だ 。 三 木 露 風 の作 品 に
﹃赤 蜻 蛉 ﹄ と いう 有 名 な 童 謡 があ る 。 こ れ を 、 岩 波 文 庫 ﹃日本 童 謡 集 ﹄ で 見 る と 、 題 は漢 字 で ﹁赤 蜻 蛉 ﹂ と 書 い
てあ る が 、 一行 目 の ﹁夕 焼 、 小 焼 の あ か と ん ぼ ﹂ と いう と ころ は 平仮 名 だ け で書 いてあ る 。 そ う し て 、 最 後 のと
こ ろ で は 、 ﹁夕 や け 小 や け の赤 と ん ぼ﹂ と 、 漢 字 ・平 仮 名 ま じ り で書 いて あ る。 恐 ら く 、 三 木 は 、 ま あ 、 違 え て 書 いて み た と いう だ け の こ と であ ろ う 。
こう い った 習 慣 は 、 実 は 、 日 本 に 古 く か ら あ って、 よ く 、 色 紙 に 短 歌 な ど を 書 く 人 は 、 ﹁鳥 ﹂ と いう 言 葉 が 二
﹁ひ と ﹂ の 使 い 分 け な ど そ の 例 だ 。ま た 、こ ん な こ と も あ っ
( 本 書 一三 二 ペー ジ ) に
﹁ 〓 ﹂ と いう よ う な 変 体 仮 名 を 書 く
回 出 て く る と 、 最 初 の ト リ を 漢 字 で 書 いた ら 二 回 目 は 平 仮 名 で 書 か な け れ ば い け な い 、 と いう こ と に な って い た 。 あ る い は 、 同 じ 平 仮 名 を 使 っ て も 、 最 初 を 普 通 に ﹁と ﹂ と 書 い た ら そ の 次 は と い う こ と も あ った よ う だ 。
う た 沢 ・O X 主 義 ・E 電
﹁人 ﹂ と
し かし 思 い がけ な い時 に、 日 本 人 は 漢 字 と 仮 名 の二 重 書 式 を 利 用 す る こ と が あ る 。 上 巻 紹 介 し た 、上 田 敏 の ﹁山 の あ な た ﹂ で 試 み た た。
日 本 の 古 典 的 な 歌 曲 に ウ タ ザ ワ と いう も の が あ る 。 流 派 に よ っ て 字 が 違 い 、 ﹁歌 沢 ﹂ ﹁哥 沢 ﹂ と 対 立 し て い る 。
い つ か 、 邦 楽 学 者 の 吉 川 英 史 が 、 こ の ウ タ ザ ワ を 集 め た レ コ ー ド を 作 った 。 と こ ろ が 、 全 体 の 題 を つ け よ う と し
て ハ タ と 困 った 。 一方 の 字 を 使 う と 、 も う 一方 の 流 派 の 人 に 叱 ら れ る 。 そ こ で 、 熟 慮 の 末 、 ﹁う た 沢 ﹂ と 書 い て 切 り ぬ け た と いう 。
現 代 の 日 本 で は 、 こ の 仮 名 ・漢 字 の ほ か に ア ラ ビ ア 数 字 ・ ロー マ字 が 入 っ て 来 て い る 。 た と え ば P T A と か 、
文 字 が壁 に貼 って あ る の を 見 た が、 こ れ は ハム エ ッ
K i os とk か 、 最 近 の J R と か 。 X 線 や Y シ ャ ツ ぐ ら い な ら い い の だ が 、 ﹁O X 主 義 ﹂ と 書 い て マ ル ク ス 主 義 と い う の が あ る そ う だ 。 場 末 の レ ス ト ラ ン で 、 ﹁ハムχ ﹂という グ ス と読 む の だ そ う だ 。
﹁⋮ ⋮ で R ﹂ と 書
﹁E 気 分 ﹂ ﹁E った ら E ﹂ ﹁う れ C ﹂ ﹁た の C ﹂ な ど と 書 く 。 金 髪 の ソ ー プ 嬢 の
こ と に 最 近 は 嵐 山 光 三 郎 の ︿A B C 文 体 ﹀ と か い う の が 考 案 さ れ て い て 、 ﹁⋮ ⋮ で あ る ﹂ は き 、 風 俗 営 業 の店 の紹 介 にな る と
店 の 紹 介 に は ふ さ わ C の か も 知 れ な い が 、 先 頃 の E 電 も こ の 流 儀 で や った と す る と 、 大 変 な こ と だ 。
文字 の併 用 の長所
of
こ のよ う に 、 日 本 で は 種 々 の 文 字 を あ わ せ て 用 いて いる 。 こ のこ と は た し か に い い点 も あ る 。 文 字 を 見 た 場 合 、
Story
そ の内 容 を 早 く 理 解 で き る か ら だ 。 た と え ば 、 ニ ュー ヨー ク あ た り へ行 って 、 本 屋 に と び 込 ん だ 場 合 、 そ こ で、
自 分 の ほ し い本 が な いか と 探 す のだ が 、 見 つけ る の に 苦 労 す る。 と いう の も 、ロー マ字 で"The
gu age "な ど と 書 いて あ る の だ が 、 こ れ が 小 さ く て な か な か わ か り に く い。 こ う いう と こ ろ で自 分 の ほ し い本 を 探 す と な かな か 見 つか ら ず 、 キ ョ ロキ ョ ロし て いる う ち に 本 屋 の店 員 が 寄 って き て、 ﹁何 か あ な た の た め に 私 は
役 立 つこ と が でき る か ﹂ な ど と 質 問 を さ れ る 。 邪 魔 で し か た がな い。 そ こ へいく と、 日本 の本 屋 で本 を 探 す の は
ら く であ る。 日 本 の漢 字 ・仮 名 の使 い分 け と いう の は 、 ま こ と に 有 難 いも のだ と 思う 。
そ う いう わ け で、 日 本 の文 字 で 書 いた 文 章 は 馴 れ れ ば 実 に読 み や す い。 新 聞 を 開 いた 場 合 、 ま ず 大 きな 漢 字 の
と こ ろ だ け 見 て いけ ば 、 大 体 の内 容 は つか む こと が で き る 。 こう いう こ と は 、 ロー マ字 で書 か れ た 文 献 で は でき
な い の で は な いか 。 柳 田 国 男 は 、 漢 字 だ け サ ッサ ッと 読 め ば 、 日 本 の本 は 書 いてあ る 大 体 の意 味 がわ か る と 豪 語 し て いた 。
文節 の頭は漢 字 で
日 本 語 は、 そ う いう わ け で いろ いろ な 文 字 を あ わ せ 用 い て いる こと か ら 、 いわ ゆ る 文 節 の 頭 が わ か り や す いと
いう よ う な こ と があ る 。 つま り 、 多 く の場 合 、 名 詞 や 動 詞 ・形 容 詞 の語 幹 の部 分 は漢 字 で書 か れ 、 助 詞 の類 いや
動 詞 ・形 容 詞 の語 尾 の部 分 は仮 名 で書 か れ る か ら で あ る 。 そ のた め に 日本 文 は、 余 白 な し に ﹁雪 の降 る 町 を 思 い
出 だ け が 通 り 過 ぎ て 行 く ﹂ と 書 いて り っぱ に読 め る。 も し 、 こ れ を 仮 名 ば か り で書 く と 、 ﹁ゆ き の ふ る ま ち
を お も いで だ け が と お りす ぎ て ゆく ﹂ と 、 分 か ち 書 き を せ ざ るを え な い。 さ ら に、 ロー マ字 の場 合 に は も っと こま か く 分 け て書 か な け れ ば 、 読 み に く い。
Lan︲
( 拉致 )
就 職 を あ っ旋 す る
( 斡旋)
山 間 へき 地
(僻 地 )
こ う い う こ と か ら 、 文 節 の は じ め を 仮 名 で 書 き は じ め 、 途 中 を 漢 字 に す る と い う こ と は 好 ま し く な い。 婦 女 子 が ら 致 さ れ る
な ど と いう のは 、 常 用 漢 字 の中 に な い か ら と いう の で、 こ ん な 体 裁 に な って いる が 、 こう いう 言 葉 は 使 わ な い に 越 し た こ と は な い 。 ど う し て も 必 要 な ら ば 、 常 用 漢 字 の 中 に 入 れ た 方 が い い。
﹃春 琴 抄 ﹄ に は 、 し ば し ば 句 点 が 落 ち て い る が 、 何 と
ま た 、 日 本 語 に は 句 読 点 や ﹁ ﹂ の し る し が 発 達 し な か った と 言 わ れ る が 、 日 本 語 の場 合 に は そ う いう も の が な く て も 、 ま あ 、 そ れ ほ ど は 困 ら な い の だ 。 谷 崎 潤 一郎 の
か 読 め る 。 樋 口 一葉 の ﹃た け く ら べ ﹄ は 全 然 引 用 符 が な か った が 、 信 如 の 言 葉 と み ど り の 言 葉 を 取 り ち が え て 読 む こ と は な か った 。
し か し 、 こ ん な こ と か ら 、 不 当 に区 読 点 を 惜 し む の は ま ず い 傾 向 だ 。 上 月 木 代 次 が 言 っ て い る が 、 刑 法 第 一三 三 条に、
﹁故 ナ ク ﹂ の あ と に
﹁、﹂ が 必 要 だ 。( ﹃ 言 語 生 活 ﹄ 昭和 四 十 一年 七 月号 )
故 ナ ク 封 緘 シ タ ル 信 書 ヲ 開 披 シ タ ル 者 ハ⋮ ⋮ と あ る が、 こ れ は
カタ カナ の よさ
こ こ で ち ょ っと カ タ カ ナ の よ さ に 触 れ る と 、 カ タ カ ナ が あ る た め に 、 日 本 人 は ど の 単 語 が 外 来 語 で あ る か 簡 単
﹁莎
﹁巴 士 ﹂、 タ ク シ ー は
﹁珈琲 ﹂ と 書 く が 、 在 来 の 漢 字 を
に わ か る。 つま り 、 そ こ の と こ ろ は 、 急 ぐ と き は意 味 がわ か ら な く て も 読 み と ば し ても い い。 こ れ が 中 国 あ た り だ と 、 外 来 語 を す べ て 漢 字 で書 く か ら 大 変 だ 。 コー ヒ ー は新 し く 漢 字 を 作 って
使 お う と す る と 、 漢 字 は な ま じ っか 一 つ 一 つ が 意 味 を も っ て い る か ら 使 い に く い。 バ ス は
﹁列 寧 ﹂、 シ ェイ ク ス ピ ア は
﹁瑪 麗 蓮 夢 露 ﹂ と な る と い う 。 日 本 で は 、 だ
﹁馬 克 思 ﹂、 レ ー ニ ン は ﹁康 徳 ﹂ と い う 調 子 で 、 マリ リ ン ・モ ン ロ ー は
﹁的 士 ﹂ と 書 き 、 何 か 兵 隊 の 種 類 の よ う だ 。 マ ル ク ス は 士 比 亜 ﹂、 カ ント は
いた い耳 に 響 いた と こ ろを カ タ カ ナ で書 く か ら 実 に 世 話 がな い。
文字 併 用 の短所
し か し 、 い い面 が あ ると ど う し ても 悪 い面 があ って、 そ れ は ま ず 日 本 語 の文 字 教 育 が大 変 だ と いう こと があ る 。
そ の ほ か に 、 日本 語 で書 いた も の は 印 刷 が 大 変 め ん ど う だ と いう こ と も あ る 。 欧 米 で は、 机 の上 に 載 る 程 度 の活
字 箱 が あ れ ば 、 ど ん な 文 章 で も 自 由 に 印 刷 でき る そ う だ 。 日 本 で は そ う は いかな いと 言 わ れ た 。
以 前 、 印 刷 所 で は 一つの部 屋 の 一方 の壁 に活 字 を ギッ シ リ 詰 め て お き 、 原 稿 を 見 な が ら 必 要 な 活 字 を 拾 って 歩
く 、 こ れ を ︿文 選 ﹀ と いう が 、 ﹁文 選 一里 ﹂ と い って 、 つま り 新 聞 の 一ペ ー ジ に 必 要 な 活 字 を 箱 に 拾 う だ け で 一
里 ( 約 四 キ ロメ ー ト ル) ぐ ら い歩 く と 言 わ れ た 。 次 に は 拾 った 活 字 を 正 し い順序 に並 べる ︿植 字 ﹀ と いう 作 業 を
す ると いう わ け だ 。 そ う し て さ ら に、 一回 使 った 活 字 を も と の位 置 に 戻 す と いう 作 業 も あ る わ け で 、 日本 文 の印 刷 は大 変 だ った 。
漢字 制 限
終 戦 直 後 の文 部 省 は 、 こ の こと を 考 え て、 漢 字 の制 限 を 断 行 し た 。 いわ く 、 欧 米 で は 、 タ イ プ ラ イ タ ー が 一つ
あ れ ば 、 手 で 書 く よ り も も っと 速 く 、 そ し て も っと き れ いな 文 字 が書 け る 、 そ れ に 引 き 換 え 日 本 語 の方 は 、 漢
字 ・仮 名 の併 用 と いう と こ ろ か ら 、 タ イ プ ライ タ ー の使 用 が 困 難 で 、 カ タ カ ナ だ け の タ イ プ ライ タ ー な ら ば ま あ
と 考 え て 、 当 用漢 字 一八
簡 単 で あ る が読 み にく く 、 漢 字 ・仮 名 のも の に す る と 能 率 が す こ ぶ る 悪 い。 こ れ で は 欧 米 の進 ん だ 文 化 に つ い て
ゆく こ と は 到 底 で き な い。 日 本 人 は 、 漢 字 の数 を 少 し で も 減 ら さ な け れ ば な ら な い︱
﹁袂 ﹂ ﹁袖 ﹂ ﹁襟 ﹂ ﹁裾 ﹂ ⋮ ⋮ の よ う な 懐 し い 文 字 が 、 原
五〇 字 を き め 、 官 庁 か ら 出 る 文 書 は す べ て こ れ で ま か な う 、 一般 も な る べ く こ れ に 従 う よ う に と い う 法 令 を 出 し た 。 こ れ に よ っ て 、 ﹁岡 ﹂ ﹁崎 ﹂ ﹁伊 ﹂ ﹁藤 ﹂ ⋮ ⋮ あ る い は
則 と し て仮 名 で書 か な け れ ばな ら な く な った 。
が、 三 〇 余 年 た った 一〇 年 ぐ ら い前 か ら 、 こ の考 え は 捨 てた 。 そ れ は ワ ー プ ロと いう
筆 者 は そ の こ ろ、 ま だ 文 部 省 国 語 課 の嘱 託 だ った が 、 一も 二 も な く 文 部 省 を 支 持 し 、 ラ ジ オ に雑 誌 に 漢 字 制 限 を 論 じ たも のだ った 。︱ 機 械 の発 明 に よ って で あ る 。
ワープ ロの普 及
ワー プ ロと は 、 一口 で言 え ば 、漢 字 を 恐 れ ぬ タイ プ ラ イ タ ー だ 。 た と え ば 、 手 紙 を 出 そ う と し て、 ま ず ﹁拝
啓 ﹂ と 漢 字 で書 き た いと 思 え ば 、 仮 名 の ﹁は ﹂ ﹁い﹂ ﹁け ﹂ ﹁い﹂ と いう キ ー を た た き 、 ﹁漢 字 変 換 ﹂ のキ ー を 左 手
で押 せ ば 、 ﹁拝 啓 ﹂ と いう 漢 字 がす ぐ に 出 て来 る 。 も っと も 、 ﹁背 景 ﹂ と いう 字 が ま ず 出 て来 る 機 械 も あ る が、 そ
の時 は 、 も う 一度 ﹁漢 字 変 換 ﹂ のキ ー を 押 せ ば 、 今 度 は ﹁拝 啓 ﹂ と いう 文 字 がち ゃん と 出 る 。 であ る か ら わ れ わ
れ は 、 そ の 字 が 書 け な く て も い い。 読 め さ え す れ ば い い。 そ う し て三〇〇〇 ぐ ら い の漢 字 は 簡 単 に 打 ち 出 せ る。
は じ め て ワー プ ロが 発 明 さ れ た 時 は 、 日本 にま だ 五 、 六 台 し か な く 、 五 、 六 百 万 円 も し た。 し か し 、 そ れ は 見
る 間 に安 く な り 、 五 、 六〇 万 円 に な った か と 思 う と、 現 在 で は 三 、 四 万 円 のも のま で 出 来 、 し か も そ の性 能 は 、
は じ め の五 、 六 百 万 円 のも のよ り は る か に よ い。 こ れ で は 、 現在 テ レ ビ が 普 及 し て いる よ う に 各 家 庭 に ワー プ ロ
が 入 り こ む のは 自 然 で あ り 、 要 は使 い方 に 慣 れ る こ と 、 そ れ さ え 出 来 れ ば 、 常 用漢 字 の数 は 三〇〇〇 ぐ ら いま で ふ や し て大 丈 夫 であ る 。
三 漢 字 の 表 意 性
漢 字 の表意 性
漢 字 の第 一の重 要 な 性 質 は 、 表 意 性 、 つま り 、 ほ か の文 字 と 違 って、 発 音 を 表 わ す と 同 時 に 意 味 を も 表 わ す と
いう こ と だ 。 仮 名 ・ロー マ字 は 発 音 し か 表 わ さ な い。 漢 字 は そ の こと か ら 読 み 手 に 強 い印 象 を 与 え る と いう こ と がある。
た と え ば 、 街 を 歩 いて い て、ト ラ ック に、硫 酸 で も 積 ん で あ る の か 、 ﹁危 ﹂ と いう 漢 字 が書 い て あ る と 、ち ょ っ
と 見 て い か に も 危 険 そ う な 感 じ がす る 。 こ れ が 平 仮 名 で ﹁あ ぶ な い﹂ と 書 い てあ った り 、ロー マ字 で"abun" ai
と 書 い てあ った の で は 、 そ れ ほ ど 危 険 と いう よ う な 印 象 を 受 け な い。 漢 字 と いう も の は、 そ う いう 特 別 の効 果 ・ 力 を 持 って いる 。
漢字 の珍し さと 使用 人 口
わ れ わ れ 日本 人 は 漢 字 と いう 文 字 を 日 常 見 て いて 馴 れ て いる が、 欧 米 人 の 目 に は ず いぶ ん 珍 し い文 字 と映 る よ
う だ 。 神 秘 的 な 呪 文 のよ う に 思 わ れ る そ う だ 。 こ れ は 、 い つか ﹃週 刊 朝 日﹄ に 出 て いた こと であ る が、 欧 米 人 に
と って は 、 ﹁東 ﹂ と いう 字 は、 音 楽 家 の 用 いる 譜 面 台 に 見 え る そ う だ 。 ﹁合 ﹂ の字 は 、 掲 示 板 の 向 こう に富 士 山 が
そ びえ て い る 形 に 見 え 、 ﹁映 ﹂ と いう 字 に 至 って は 、 人 が スト ー ブ に シ ャ ベ ル で 石 炭 か 何 か を 入 れ て いる 形 に 見 え る そ う であ る が 、 これ は お も し ろ い。
欧 米 人 の中 に は 、 日本 に い ても 漢 字 を と て も 覚 え ら れ そ う も な いと し り 込 み す る人 が 多 いが 、 中 に は 、 漢 字 が
お も し ろ そ う だ か ら 日本 語 を 勉 強す る 気 にな った と いう 人 も いる 。 少 な く と も 上 智 大 学 に は、 そ う いう 先 生 が何
人 か いた 。 漢 字 と いう 文 字 は 、 今 で は 、 世 界 で 日本 ・中 国 ・韓 国 の三 国 、 そ れ に台 湾 ・香 港 ・シ ン ガポ ー ルし か
使 って いな い。 以 前 は 北 朝 鮮 ・ヴ ェト ナ ム でも 使 って いた が 、 や め て し ま った。
だ が、 漢 字 に つ いて 注 意 す べき こと は 、 全 世 界 のう ち で、 漢 字 を 使 用 す る 人 口 が そ れ ほ ど 少 な く は な いと いう
こ と だ 。 欧 米 人 は 漢 字 を 珍 し が る が、 和 田 祐 一が ﹃エナ ー ジ ー ﹄ ( 昭和五十四年二月号) に発 表 し た も の が 、 林 大 監
修 ﹃図 説 日 本 語 ﹄ に転 載 さ れ て いる が、 そ れ で み る と 、 世 界 の各 種 の文 字 を 使 用 す る 人 口 の比 は、 ロー マ字 の八
億 に対 し て 、 漢 字 は 六 億 、 す な わ ち 四 対 三 だ と いう 。 ロー マ字 に近 い、 ロシ ア 文 字 と ギ リ シ ャ文 字 を ロー マ字 に
加 算 し ても 、 ロー マ字 は一〇 億 にな る に す ぎ な いと いう か ら 、 漢 字 は そ の半 分 以 上 を 占 め る 。 欧 米 人 を ま ね し て 漢 字 を 特 殊 視 す る こ と は 好 ま し く な い。
読 み方 の難 し さ 漢 字 の第 二 の性 格 は 、 読 み 方 が難 し いと いう こと であ る 。
も ろ い こ と ﹂ は ゼ イ ジ ャ ク が 正 し い読 み 方 だ が 、 う っか り す る と キ ジ ャク
な お り にく い状 態 にな る ﹂ は ヤ マイ コウ コウ ⋮ ⋮ と 読 む の が 正 し いと 言 う が、 今 は コウ モ ウ
二十 いく つや五 十 いく つ の文 字 の読 み 方 を 覚 え ても 、 ほ か の字 を ど ん ど ん 類 推 す る こと が 難 し い。 た と え ば 、 ﹁病 膏 盲 に 入 る︱
と 読 む の が普 通 に な った。 ﹁脆 弱︱ と 読 み た く な る。
外 国 の言 語 で は 、 英 語 や フ ラ ン ス語 は 読 み方 が難 し いと 定 評 が あ る が、 そ れ にも ま し て、 ア イ ルラ ンド 語 あ た
lawnamhain( 夫 婦 ) ︱lanun
り が有 名 であ る 。 た と え ば 、 saoghal(世 界 )︱sil
と そ れ ぞ れ 発 音 す る と い う 。( ヴ ァンド リ エス ﹃ 言 語学 概 論 ﹄) た し か に難 し いが 、 そ れ で も 綴 り と 発 音 が 全 然 無 関 係
で は な い 。 発 音 が 崩 れ て そ う な った の だ ろ う と 思 わ れ る 。 そ こ へ行 く と 、 漢 字 の ﹁脆 ﹂ と い う 字 は 、 ど こ を 叩 い た ら ゼ イ と い う 音 が 出 て 来 る か 、 ち ょ っと わ か ら な い 。
読め なく ても わ かる
どう も 、 漢 字 は 読 み方 が わ か らな く ても い いと いう こと が あ る ら し い。 新 聞 の ス ポ ー ツ欄 に 、 ﹁捕 邪 飛 ﹂ な ど
と あ る が 、 果 し て ど う 読 む のだ ろう か 。 ホ ジ ャヒ ? キ ャ ッチ ャー フ ァ ウ ル フ ライ ? わ から な い。 た だ し 、 意 味 は よ く わ か る。 こ の漢 字 の性 質 を 有 効 に 使 ったも のは 、 新 聞 の求 人 広 告 であ る 。 た と え ば 、 事 務 経 理 多 少 高 卒 年 32 迄 ・固 給 15 万 昇 給 年 1 賞 与 年 2 隔 土 休 歴 持 細 面
こ れ は 事 務 員 を 求 め て いる も の だ が 、 経 理 の多 少 でき る 人 、 高 校 卒 業 程 度 、 年 は 三 二 歳 ま で の 人 と ま ず 推 定 で
き る。 次 に ﹁固給 15 万 ﹂ と あ る の は 、 固 定 給 一五 万 円 と いう こと で あ ろ う か。 ﹁隔 土 休 ﹂ は 隔 週 の土 躍 日 が休 み。
そ の次 の ﹁歴 持 ﹂ と いう のは 、 履 歴 書 持 参 と いう 意 味 にち が いな い。 ﹁細 面﹂ と いう の は、 べ つに 細 お も て の人
と いう 意 味 で はな いよ う で 、 委 細 面 談 と いう 意 味 と 解 さ れ る 。 こ れ だ け の意 味 を こ ん な に 簡 単 に書 け ると いう こ と は漢 字 な れ ば こ そ で、 仮 名 や ロー マ字 で はと て も 書 け る も の で は な い。
い つか ア パ ー ト の広 告 に ﹁子 無 限 ﹂ と あ った が、 こ れ は 子 ど も は いく ら い ても い いと いう の で は な く て、 ﹁子 無 き に 限 る ﹂ の意 と 推 定 さ れ る 。
漢字 の有 難 み
鈴 木 孝 夫 は 、 英 語 と 日 本 語 の多 音 節 語 に つ いて の、 透 明 ・不 透 明 と いう こと を 発 表 し て いる 。( ﹃言語﹄ 昭和五十
laustrophobia 1 閉所恐怖症 podiatrics 2 足病学
c
三年二月号) 彼 は英 語 の次 のよ う な 語 を 四 五 ば か り あ げ 、 そう し て 日本 語 の訳 語 と 対 比 し て いる 。 1 2
3
otorhinology
graminivorous
3 耳鼻科
5 草食性
4 cephalothorax 5
4 頭胸部
鈴 木 に よ る と 、 英 語 の方 は あ る程 度 の古 典 語 の教 育 を も つ者 に のみ 理解 さ れ た と いう 。 一方 、 日本 語 の方 は、
ま ず 中 学 生 く ら いだ った ら 、 そ の漢 字 の意 味 か ら 推 察 で き そ う だ 。 向 こう の中 学 生 が 向 こう の専 門 分 野 の本 を 開 いた ら 、 さ ぞ わ か ら な い言 葉 だ ら け だ ろ う 。 漢 字 の有 難 みを 知 る べき であ る 。
筆 者 は こ の よう な こ と を 考 え る と 、 北 朝 鮮 と ヴ ェト ナ ム が漢 字 を や め た こと を 、 は た し て よ か った のだ ろう か
ヴ ェト ナ ム︱
呉延〓
越南
ホ ー チ ミ ン︱
胡志 明
と 思う 。 た と え ば ヴ ェト ナ ム の 人 名 ・地 名 は 漢 語 で 出 来 て いる 。
河内
ゴ ー デ ィ ン デ ィ エム︱ ハノ イ ︱
一般 の単 語 も そ う いう も の が 多 い。 も し 、 漢 字 で 書 いてあ った ら 意 味 がは っき り わ か る も の が 、 わ から な く な
って いる も の が多 いこ と だ ろう 。 北 朝 鮮 の方 は よ く 知 ら な いが 、 ヴ ェト ナ ム 以 上 に漢 語 伝 来 の単 語 が 多 い こと 、 確 実 であ る。
漢 字 の そ う いう 性 質 から 、漢 字 を 組 合 わ せ る と 新 語 が いく ら でも でき る こ と は、上 巻 ( 本書 七三 ペー ジ) に 述 べ た 。
言 語 ・時代 を超 え て
次 に、 漢 字 が意 味 を 表 わ す 文 字 と いう こ と か ら 、 書 か れ た も のは 、 方 言 ・国 語 を 超 え て 理 解 が 可 能 だ と いう 大 き な 働 き があ る。
た と え ば 、 中 国 では 方 言 の違 いが 地 域 に よ って大 変 激 し い。 そ のた め に 耳 で聞 いた の で は 遠 い地 方 の人 は お 互
いに 言 葉 が通 じ な いそ う で あ る が 、漢 字 で書 い てあ れ ば 、 発 音 が わ から な く ても お 互 いに意 思 が通 じ 合 う そう だ 。
こ れ は いか に も そ う だ ろ う と いう こと は 、 日本 人 で も 、 中 国 の新 聞 を 見 て、 見 出 し ぐ ら いは 大 体 意 味 がわ か る こ とからもう かがわ れる。
韓 国 でも 漢 字 を 使 う 。 韓 国 にも 日 本 に そ っく り の週 刊 誌 があ る が、 そ の目 次 に た と え ば ﹁広 島 原 爆〓 秘 話 ﹂ と
あ れ ば 、 〓 と いう ハ ング ル文 字 は ﹁の﹂ に あ た る文 字 だ ろ う と そ のま ま 理 解 が いく 。 こ れも 漢 字 の力 によ る も の であ る 。 漢 字 は さ ら に 、 時 代 の へだ た りも 超 え て 理 解 可 能 な ら し め る 。 国破 山河在 城春 草 木 深
こ れ は 唐 の中 期 の詩 人 ・杜 甫 の詩 で 、 今 か ら 千 何 百年 前 のも ので あ る が、 第 一行 は 、 国 は滅 び た が 、 大 自 然 は
そう いう 様 子 を 味 わ う こ と が でき る 。 こ れ は 漢 字 な れ ば こ そ わ か る の で あ り 、 こ れ も や は り 表 意 文
そ のま ま 生 き 残 って い る。 第 二 行 は、 崩 れ た 城 下 に は人 影 も な いが 、 ち ょう ど いま 春 で、 草 木 だ け が 青 々と 茂 っ て い る。︱ 字 の偉 大 さ であ る。
漢字 の神 秘性
こ う い った よ う な 漢 字 の表 意 性 と いう こ と は 、 さ ら に進 む と 、 漢 字 は 芸 術 的 な 文 字 で あ る と いう こと に な り 、
さ ら に 神 秘 的 な 文 字 で あ る 、 と いう 印 象 を 与 え る。 日 本 に は 姓 名 判 断 と いう も の があ って 、 自 分 の名 前 の 字 画 が
よ く な いと い った よ う な こと か ら 、 気 に し て字 を 改 め た りす る が、 こ れ な ど も 漢 字 に神 秘 性 が感 じ ら れ て、 そ の
形 が 自 分 の運 命 を 支 配 す る も ので あ る よ う な 気 がす る と こ ろ か ら く るも の にち が いな い。
そ れ か ら 一般 に 日本 人 は ち が った 読 み方 を さ れ て も 文 句 は 言 わ な いが 、 漢 字 で 書 か れ た 名 前 を ち が った 字 で 書
か れ る と いや が る 人 が 多 い。 菊 池 寛 は 、 キ ク チ カ ンと 呼 ば れ る こ と は 意 に 介 し な か った が 、 ﹁池 ﹂ を ﹁地 ﹂ と 書
か れ る と 、 そ の人 を 無 学 だ と の の し った 。
日本 人 は 漢 字 を 輸 入 し て か ら 、 仮 名 と いう 日 本 語 にあ う 文 字 を 発 明 し た が 、 そ れ で も 漢 字 を ﹁本 字 ﹂ と 呼 び 、
こ れを 正 式 の文 字 と 考 え た 。 出 来 た ら 漢 字 ば か り で書 こ う と 考 え る 場 合 さ え あ った 。 た と え ば 上 巻 ( 本書四三 ペー ジ)に 挙 げ た欠 勤 届 は そ の例 であ る 。
四 漢字 の多数 性 と多 画性
一 漢 字 の多 数 性 珍し い字
以 上 述 べた こ と は 漢 字 の表 意 性 か ら 直 接 導 か れ る 性 質 であ る が 、 今 度 は 、 間 接 に 生 ま れ る 重 要 な 性 質 を 述 べる 。
ま ず 第 一は漢 字 の多 数 性 と いう こと 。 つま り 漢 字 は 一つ 一つが 別 々 の意 味 を 持 って いる か ら 、 発 音 が 同 じ で も
意 味 が 違 え ば 違 った 字 が 必 要 で あ り 、 そ こ で漢 字 の 数 は 非 常 に 多 く な る 。 諸 橋 轍 次 の ﹃ 大 漢 和 辞 典 ﹄ に は約 五 万
の漢 字 が 載 って いる 。 文 部 省 の常 用 漢 字 は ギ リ ギ リ の線 ま で減 ら し た は ず であ る が 、 そ れ で も 一九 四 五 字 あ り 、 仮 名 に 比 べ る と 四〇 倍 、 ロー マ字 二 六 字 に 比 べる と 八〇 倍 近 い。
こ の こと か ら 、 た と え ば 、 漢 字 の中 に は め った に 使 わ れ な い字 が出 て く る 。 埼 玉 県 の ﹁埼 ﹂ と いう よ う な 漢 字
は 、 他 に は め った に 使 わ れ て いな い。 千 葉 県 の ﹁犬 吠 埼 ﹂ ぐ ら い で は な か ろ う か 。 大 正 か ら 昭 和 に か け て 、 童
謡 ・唱 歌 を 数 多 く 作 詞 し た 人 に ﹁葛 原 し げ る ﹂ と いう 人 が いた が 、 こ の人 の名 前 の ﹁し げ る ﹂ を 漢 字 で書 く と 、
草 冠 に幽 と いう 字 の真 中 のー を 消 し た ﹁〓 ﹂ と いう 字 であ った 。 こ れな ど 、 ち ょ っと 他 に 用 例 を 見 た こと が な い。
形の似 た字 が あ る
木 偏 と 手 偏︱
な どは おそら く欧 米人 が見た ら、ど こが違う か
そ れ か ら 、 漢 字 は た く さ ん あ る と いう こと か ら 、 ど う し て も 似 た漢 字 も 出 て く る 、 と いう こ と が 起 こ る 。 た と え ば 、 ﹁楊 柳 ﹂ の ﹁楊 ﹂ と ﹁抑 揚 ﹂ の ﹁揚 ﹂︱
ち ょ っと わ か らな いと 思 わ れ る 。 中 国 の大 昔 、 夏 の王 朝 の最 後 の 王 、 桀 の悪 妻 であ った 后 は マ ッキ と 言 った が 、
マ ツ の字 は 女 偏 に ﹁末 ﹂ を 書 き 、 イ モウ ト と いう 字 と 似 て いた が、 少 し ち が って いた 。
し か し 、 最 も よ く 似 た 字 は 、 ﹁甲 冑 ﹂ の ﹁冑 ﹂ と 、 ﹁華 冑 ﹂ の ﹁冑 ﹂ だ 。 発 音 も 同 じ チ ュウ であ る が 、 漢 和 辞 典
で見 る と 別 の字 だ そ う だ 。 ﹁甲 冑 ﹂ の ﹁冑 ﹂ は テ ツカ ブ ト の意 味 で、 ﹁冂﹂ の部 首 にあ り 、 ﹁華胄 ﹂ の ﹁冑 ﹂ は 血
筋 と いう 意 味 で、 ﹁肉 ﹂ の部 首 に あ り 、 下 の ﹁月 ﹂ の部 分 がち が う と 説 明 は し て あ る が、 筆 者 の 手 元 の漢 和 辞 典 に は両 方 ま った く 同 じ 字 が 書 い てあ る 。
文字 の新作
漢 字 が た く さ ん あ り 、 中 に は 滅 多 に 使 わ れ な い字 があ る と こ ろ か ら 、 そ う いう 気 にな る の か、 漢 字 を 新 し く つ
く る人 が いる 。 た と え ば 、 作 曲 家 山 田 耕 作 は 晩 年 頭 髪 を 失 って 以 来 、 ﹁作 ﹂ の字 に竹 冠 を つけ て 使 って い た が 、 あ れ は 創 作 だ った のだ ろう か 。
筆 者 は 、 太 平 洋 戦 争 の末 期 、 盛 ん に ア メ リ カ に よ る 空 襲 が 日本 を お び や か し て いた 頃 、 中 央 線 の駅 の構 内 に 、 〓 〓撃滅 !
と デ カ デ カ と 書 いた 落 書 き を 見 て、 吹 き 出 し そ う に な った。 これ は、 ア メリ カ 人 ・イ ギ リ ス人 を 憎 み 、 人 間 で は
な く て 獣 だ と いう こ と を 表 わ し た も の で あ る が、 こ のよ う な こと は漢 字 な れ ば こ そ でき る の で、 ロー マ字 を 使 っ て い る 国 民 に はま ね の でき な い こと で あ ろ う 。
難し い書 き分 け
漢 字 が た く さ ん あ る こと か ら 、 ど う し て も 間 違 え て 書 く こ と も 多 く 、 書 き 分 け に 心 を つかう 。 よ く 書 取 り と い
り す る と ﹁専 問 ﹂ と 書 いて し ま う 。 ﹁細 君 ﹂ と いう の は、 つ い ﹁妻 君 ﹂ と 書 き た く な る が、 細 君 が 正 し い。 し か
う の があ って 、 大 学 の入 学 試 験 に ま で 出 る け れ ど も 、 な か な か 難 し い。 ﹁専 モ ン﹂ の モ ンと いう 字 な ど 、 う っか
し 、 夏 目漱 石 の ﹃ 吾 輩 は 猫 であ る ﹄ な ど を 読 む と、 両 方 かわ る が わ る 使 って いる 。
漢 字 の 難 し さ は 固有 名 詞 に お いて き わ ま る。 京 都 で は 、 同 じ カ モ と いう 地 名 を ﹁上 賀 茂 ﹂ ﹁下鴨 ﹂ と 漢 字 を 使
い分 け る。 東 京 で は 、 川 の名 の ﹁多 摩 川 ﹂ の マは 下 に ﹁手 ﹂ を 書 き 、 郡 の名 も ﹁西 多 摩 ﹂ であ る が 、 ﹁多 磨 墓 地 ﹂
の時 は ﹁石 ﹂ を 書 き 、 北 原 白 秋 の短 歌 雑 誌 ﹃多 磨 ﹄ も そ の字 を 書 いた 。 と こ ろ が 、 多 摩 川 か ら 江 戸 の町 へ引 い て 来 た 上 水 は ﹁玉 川 上 水 ﹂ で、 町 田 市 にあ る 学 校 も ﹁玉 川 学 園 ﹂ であ る 。
二 漢 字 の多 画 性 ド イ ツの学 生た ち の驚き
も う 一つ、 こ れ は 漢 字 の多 数 性 と いう こ と か ら 当 然 く る 結 果 であ る が 、 ど う し ても 画 が 多 い字 が 出 来 て し ま う 。 そ こ か ら 生 ま れ る ﹁漢 字 の多 画 性 ﹂ と いう 問 題 が あ る。
ロー マ字 な ど は ひと 筆 で 書 け る よ う な 文 字 が いく つも あ る が、 漢 字 にな る と そ う は いか な い。 わ れ わ れ は 子 ど
も の 時 か ら 見 な れ て いる が 、 漢 字 を は じ め て 見 る 外 国 人 には ず いぶ ん 難 し い字 に見 え る ら し い。
東京 教 育 大 の言 語 学 者 だ った 熊 沢 龍 が、 若 い頃 ベ ルリ ン大 学 へ留 学 し た 時 に、 休 み 時 間 に 日本 か ら 送 って 来 た
新 聞 を 読 ん で いた 。 ド イ ツ人 の学 生 一同 不 思議 そ う に 見 守 って いた が、 そ のう ち の 一人 が進 み 出 て、 ﹁お ま え は 、
そ の新 聞 が読 め る よ う だ が 、 そ の 字 を 書 く こ と は で き ま い﹂ と 言 った そ う だ 。 熊 沢 は 、 ﹁いや 、 こ の ぐ ら い の字
は ど れ でも そ ら で書 いて み せ る ﹂ と 言 った と こ ろ が 、 ﹁これ を 書 いて み ろ ﹂ と 指 定 さ れ た のが ﹁藝 ﹂ と いう 字 だ
った 。 そ こ で熊 沢 は 苦 も な く 、 そ の 字 を 黒 板 に書 い て み せ た と こ ろ、 学 友 た ち 、 新 聞 と 黒 板 の字 と 見 比 べ、 五 分
ぐ ら い検 討 し た 。 そ う し て 、 そ れ が 寸 分 ち が わ な い こ と を 知 る や 、 目 を 丸 く し て、 ﹁こ の男 は こ ん な 難 し い字 を そ ら で 書 いた ぞ﹂ と 言 った そ う だ 。
﹁穿 サ ク す る ﹂ のサ ク (鑿)、 ﹁飯 盒 炊 サ ン﹂ の サ ン ( 爨 )、 ﹁雑 ノ ウ﹂ の ノ ウ (嚢) な ど 、 画 数 が 多 く て、 ち ょ っ
と 簡 単 に は 書 けな い文 字 が あ った 。 ク シ ャミ (嚏 )、 ミ ソ ナ ワ ス ( 臠 ) な ど と いう 字 も 難 し か った 。 親 鸞 上 人 の
﹁鸞 ﹂ と いう 字 も 画 の多 い字 で、 楷 書 で サ イ ンし ろ と 言 わ れ た ら 、 上 人 も こ の名 前 が いや にな った かも し れ な い。
種 々の字 体
さ て 、 漢 字 は そ の多 画 性 か ら く る書 き にく さ を 防 ぐ た め に 、 ど う し て も 草 書 体 が生 ま れ た り 、 略 字 体 が 出 来 た
り す る 。 中 国 に簡 体 字 があ り 日 本 に新 字 体 があ る が 、 ど う し ても そう いう も のが 必 要 にな る 。 も っと も 、 略 字 体
は 一種 で は な く 、 草 書 体 に も い ろ いろ の形 のも のが あ る ので 、 一つ の字 のも と に た く さ ん の形 の ち が った 字 が あ
る こ と に な り 、 覚 え る の は め ん ど う だ 。 今 の通 用 の字 が古 い時 代 の 字 体 の略 字 体 の場 合 、 そ の古 い時 代 の 字 体 そ
のも の も 時 に使 わ れ 、 さ ら に ち がう 形 に 変 化 し た 略 字 体 も あ る の で、 実 際 に 目 に 触 れ る 文 字 の数 は ず いぶ ん 多 く な って 、 これ が大 変 だ 。
将 棋 の駒 の ﹁銀 将 ﹂ ﹁ 桂 馬 ﹂ ﹁香 車 ﹂ ﹁歩 兵 ﹂ の 裏 面 に は 、 そ れ ぞ れ ち が った 形 の字 が 書 い てあ る が、 そ れ ぞ れ
﹁金 ﹂ の略 字 体 や 草 書 体 だ 。 ﹁様 ﹂ と いう 文 字 に は 、 ﹁樣﹂ ﹁〓﹂ ﹁様 ﹂ ⋮ ⋮ な ど い ろ い ろあ り、 昔 は ﹁樣﹂ は 最 も
尊 敬 す べき 人 に使 い、 ﹁〓﹂ は そ の次 の位 の人 に使 い、 ﹁様 ﹂ は 普 通 の人 に対 し て 使 う 、 そ う し て、 目 下 の人 に は
﹁さ ま ﹂ と 平 仮 名 で書 く と いう し き た り が あ った も のだ 。 今 、 風 呂 敷 の模 様 な ど に ﹁寿 ﹂ と いう 文 字 を た く さ ん
並 べた も のが あ る 。 ﹁壽 ﹂ と いう 以前 の文 字 か ら は じ め て 、 よ く 見 る と 、 ち が った 字 体 のも の が五〇 種 ぐ ら い並 ん で いる が 、 壮 観 だ 。 それ に し ても よ く これ だ け あ る も のと 驚 か ざ る を え な い。
草書 体
草 書 体 と いう のは 、 た と え ば ﹁楽 ﹂ ( 樂 ) と いう 字 は 、 上 の こ み い った と こ ろ が点 一つに な って し ま い、 ﹁、 〓﹂
と な る か ら ず いぶ ん 思 い切 った 略 し 方 であ る 。 草 書 体 は 、 便 利 な も の で 、 人 偏 (イ ) も 、 行 人 偏 (彳) も 、 二 水
(〓 ) も 、 時 には 三 水 ( 〓 ) も サ ッと タ テ の棒 一本 で す む か ら 、 書 く のは や さ し い が、 し か し 読 む 側 は そ れ だ け 大 変 だ った 。
中 に は 、 自 己 流 に崩 し て 読 み に く い字 を 書 く 人 も あ る の で 、 そ こ で漢 字 で は書 き 順 と いう こと が 昔 か ら や か ま
し か った 。 ﹁飛﹂ と か、 や さ し い字 画 の ﹁必 ﹂ と いう 字 な ど 、 あ る いは ﹁右 ﹂ と ﹁左 ﹂ で は 〓 の部 分 が ち がう な
ど 、教 え ら れ な け れ ば わ か ら な い書 き 順 が あ って、 戦 前 は 小 学 校 の習 字 の時 間 に や か ま し く 指 導 を 受 け た も の で あ る。
略字 体 ・簡体 字
次 に、 略 字 体 は 、 あ ま り に 画 の多 い字 は 煩 わ し いと こ ろ か ら 生 ま れ た も の で、 戦 後 の日 本 で は そ の略 字 の方 を
正 式 な 字 に 格 上 げ し た も の が あ る 。 いわ ゆ る ︿新 字 体 ﹀ が そ れ で 、 ﹁體 ﹂← ﹁体 ﹂、 ﹁灣﹂← ﹁湾 ﹂、 ﹁臺﹂← ﹁台 ﹂ な ど 、 いず れ も そ の 例 だ 。
こ の よ う な 略 字 体 は 、 も と も と 正 式 でな い場 合 に 用 いら れ た ので 、 何 か 品 位 に欠 け る 感 じを 与 、 え、 す ん な り と
は 受 け 入 れ ら れ な か った 。 今 でも 、 自 分 の姓 名 だ け は 旧 字 体 で と いう 人 があ る の は無 理 も な い。
古 い時 代 に は ﹁春 ﹂ と いう 字 は草 冠 に ﹁屯 ﹂ と いう 字 を 書 き 、 そ の下 に ﹁日﹂ を 書 いた ﹁〓﹂ だ った そ う で あ
り 、 ﹁秋 ﹂ な ど は 禾 偏 に ﹁亀 ﹂ と いう 字 の 旧 字 体 を 書 く ﹁龝﹂ と いう こ み い った 字 だ った と いう 。 こ れ が 今 の よ
う な 字 に な った。 思 え ば便 利 にな った も の だ 。 お そ ら く 何 年 か た て ば 、 今 の新 字 体 は 簡 単 で あ り が た い、 と す べ
て の人 が 思 う よ う に な るだ ろ う 。
中 国 の 簡 体 字 も 、 思 い切 って 略 し た 字 を 作 った も の であ る が、 日本 と か な り ち が う 方 向 に 行 って し ま った例 が
多 い の は 残 念 であ る 。 し か し、 略 し 方 は な か な か 面 白 い。 ﹁滅 ﹂ は ﹁火 ﹂ の上 に ﹁一 を つけ た だ け の字 にす る。
た し か に 、 火 の上 に 蓋 を す れ ば 火 は滅 び る 理 屈 で あ る。 ﹁影 響 ﹂ は よ く 使 う 言 葉 だ が 、 こ のキ ョウ と いう 字 は 、
日 本 の漢 字 では 画 が 混 ん で書 き にく い。 簡 体 字 で は 口偏 に ﹁向 ﹂ と いう 字 を 書 い てす ま せ る が、 こ れ な ど で き た ら 日本 で も 取 り 入 れ る と い い。
五 漢 字 の非 日本 性
漢字 の読 み 分け
元 来 、 漢 字 と いう も のは 中 国 の文 字 で あ る か ら、 中 国 語 を 表 わ す に は ご く 自 然 であ る。 日 本 でも 、 いわ ゆ る 漢
語 と 呼 ば れ る 単 語 は 、 も と も と 中 国 か ら 渡 って き た 単 語 で あ る か ら 、 漢 字 で書 け ば ぴ った り で あ る 。 た と え ば ﹁愛 ﹂ ﹁挨 拶 ﹂ ﹁哀 願 ﹂ ﹁悪 夢 ﹂ ⋮ ⋮ と い った も の が そ れ だ 。
も っと も 、 日本 に 入 ってき た 中 国 語 は 、 時 代 に よ り 違 いが あ る 。 そ の 入 ってき た 時 代 に応 じ て 日本 では ち が う
読 み 方 を す る の で、 難 し い こと に な る 。 た と え ば ﹁行 ﹂ と いう 一字 は 、 ﹁修 行 ﹂ と いう と き は ギ ョウ と 読 み、 こ
れ は ︿呉音 ﹀ と 言 って 、 中 国 ・揚 子 江 河 口 地 方 の中 国 語 の発 音 が 百 済 を 通 し て 日本 に 入 って 来 た も のだ 。 ﹁旅 行 ﹂
と いう と き は コウ と読 み 、 こ れ は ︿漢 音 ﹀ と 呼び 、 唐 の時 代 に 都 の長 安 地 方 の中 国 語 の発 音 が 入 って 来 た も の だ 。
﹁行 灯 ﹂ では ア ンと 読 む が 、 これ は ︿唐 宋 音 ﹀ と 呼 び、 杭 州 を 中 心 と す る地 方 の中 国 音 が 入 って 来 た も ので あ る。
﹁修 行 ﹂ と いう 単 語 は 一番 古 く 、 飛 鳥 時 代 以 前 に 日 本 に 入 って き た 言 葉 で 、 そ れ に 比 べ る と 、 ﹁旅 行 ﹂ と いう の
は 奈 良 朝 以 後 、 ﹁行 灯 ﹂ と いう の は 鎌 倉 時 代 以 後 入 って き た も のだ 。 日 本 人 は そ れ を 一つず つ違 え て読 む と こ ろ か ら 、 日 本 に は漢 字 の読 み 分 け と いう こと が起 こ った 。
と き に は、 同 じ 単 語 に も そ のよ う な こ と が 起 こ って 、 上 巻 ( 本書三 五 ページ)で 述 べた よ う に、 ﹁再 建 ﹂ と いう
字 は サ イ ケ ンと も 読 み、 サ イ コン と も 読 む 。 ﹁人 間 ﹂ は ニ ンゲ ン は 呉 音 読 み、 漢 音 で ジ ンカ ン と 読 む と 人 間 社 会
の意 味 だ そ う で、 ﹁人 間 到 ルト コ ロ青 山 ア リ ﹂ は ジ ン カ ンと 読 む のが 正 し いと いう 。 中 に は 日本 に 入 って か ら 変
わ った のも あ って 、 ﹁大 夫 ﹂ と書 き な が ら 、 ﹁修 理 大 夫 ﹂ と あ れ ば ダ イ ブ と 読 み 、 ﹁無 官 大 夫 ﹂ の時 は タ イ フと 仮
名 を 振 ってタ ユウ と 読 む、 と い った よ う な こ と があ り、 これ は 国 文 学 専 攻 の学 生 を 悩 ま し た 話 題 だ った 。
訓読 み の特 殊性
と ころ が、 こ のあ た り は ま だ 序 の 口 で、 も っと 難 し い問 題 が あ る 。 日本 で は、 漢 字 を 中 国 語 式 に読 む ほ か に 、
日本 語 式 に読 む こと だ 。 これ は 、 日 本 人 が古 く か ら 日 本 語 を 単 語 の意 味 を 表 わ す 漢 字 で表 記 し た こ と か ら 起 こ る
も の で、 そ の た め に、 た と え ば ﹁間﹂ と いう 字 は、 ケ ンと か カ ンと か読 む の は中 国 式 だ が 、 アイ ダ と も マと も 読
む。 相 手 (ア イ テ)、 合 間 (ア イ マ)、 逢 (ア ) う ⋮ ⋮ 。 こう いう 言 葉 は 全 部 、 日 本 語 と いう 外 国 語 で 漢 字 を 読 ん
で いる のだ 。 ︿訓 読 み ﹀ と いう の が そ れ だ 。 こ う い った こ と は 、 世 界 で 日本 だ け の現 象 で、 韓 国 で は や は り漢 字
を 使 う が、 漢 字 は も っぱ ら 中 国 か ら 来 た 漢 語 の表 記 に 使 い、 固 有 の朝 鮮 語 を 漢 字 で書 き 表 わ す こ と は な い。
日 本 で は ﹁春 風 ﹂ と 書 い て ハルカ ゼ とも シ ュ ンプ ウ と も 読 む が、 韓 国 では ﹁チ ュ ンプ ン﹂ と 読 ん で、 こ れ は 中
国 か ら 韓 国 へ入 った読 み方 だ。 ﹁春 ﹂ と いう 字 は 、 日本 で シ ュンと も 読 む が 、 ﹁ハル﹂ と いう 日本 語 でも 読 む 。 韓
国 で は ハル の こと を ﹁ポ ム﹂ と 言 う が 、〓 と いう 韓 国 の字 で 書 く 。 ﹁春 ﹂ と 書 い てポ ムと 読 む こ と は 、 韓 国 に は 絶 え てな いこ と だ 。
紀 元 前 の ア ッカ ド 語
こ の 、 ハ ルharu, シ ュ ンshunの 間 に は 全 然 共 通 点 が な い。 こ の よ う な こ と は 現 在 、 日 本 以 外 に は ど こ に も な
い 、 大 変 珍 し い こ と で あ る 。 も っと も 今 の 世 界 に は ほ か に な い が 、 歴 史 を さ か の ぼ っ て み る と 、 紀 元 前 に は あ っ
た と い う 。 小 ア ジ ア で 紀 元 前 の 昔 、 シ ュメ ル 人 と い う す ぐ れ た 文 化 を 誇 った 民 族 が あ って 、 楔 形 文 字 と いう 文 字
を 使 って い た 。 そ の 文 字 を ア ッ カ ド 帝 国 と いう と こ ろ で 借 り て 自 分 の 国 語 の 表 記 に 使 った の が そ の 例 で あ る 。
﹁ア ン﹂ と 言 っ て 、 ﹁神 ﹂ と い う 意 味 だ っ た そ う で あ る が 、
﹁イ ル ﹂ と 言 っ て いた の で 、 こ の 一 つ の 同 じ 文 字 を 、 ア ンと も 読 ん だ し 、 イ ル と も 読 ん
そ の場 合 に図 のよ う に、 上 の文 字 は シ ュメ ル語 で ア ッカ ド では 神 の こと を
︿訓 読 み ﹀ で あ る 。
﹁山 ﹂ を
﹁シ ャ ドウ ﹂ と 言 い、 ﹁馬 ﹂ を
﹁シ ス ﹂
﹁山 ﹂ と いう 意 味 の 文 字 だ った が 、 ﹁馬 ﹂ を も ク ル と 言 っ
︿音 読 み ﹀、 イ ル は
﹁ク ル ﹂ と い って
だ りし た 。 ア ンは 日 本 にあ て は め れ ば 下 の文 字 は も と も と シ ュメ ル語 で
た の で 、 そ の 意 味 に も 使 っ て い た 。 と こ ろ が 、 ア ッカ ド 語 で は
と いう 。 そ こ で 、 ア ッ カ ド 語 で は 、 こ の 一 つ の 文 字 を 、 ク ル 、 シ ャ ド ウ 、 シ ス と 三 様 に 読 ん だ そ う だ 。 こ れ は 、
日 下 部 文 夫 ・佐 伯 功 介 の書 い た も の に よ っ て 述 べ た が 、 つ ま り 、 日 本 で 漢 字 を 音 読 み ・訓 読 み す る の と ま った く
同 じ も の で あ る 。 こ う い っ た こ と は 、 こ の ア ッ カ ド 語 に あ った と いう こ と 以 外 に 筆 者 は 知 ら な い。
exam とpか lf eor
instと aか nc 読eみ 変 え 、i.eと .出 て く る と 、
し い て 今 の 世 界 か ら 類 例 を 探 す な ら ば 、 渡 部 昇 一は 、 英 文 の 中 にe.g. と あ ると、 イ ー ジ ー と も 読 む が 、for
t h at と 読 iみ s 変 え る の が あ る と い う 。 こ れ は 一種 の 訓 読 み だ 。 し か し 、 こ れ は き わ め
て特 殊 な 場 合 に そう いう こ と が 起 こ る と いう こ と で、 日本 で新 聞 を 読 ん でも 、 手 紙 を
読 ん で も 、 訓 読 み の 例 に ぶ つ か り 、 こ れ が 正 書 法 の 一部 に な っ て い る の と は 、 は な は だしく ちがう。
と に か く こ の よ う な 、 漢 字 を 日 本 語 で 読 む と い った こ と か ら 、 た と え ば
セ ン チ メ ー ト ル に 至 って は 七 拍 の 読 み 方 と は 。
コ コ ロザ シは 五 拍 、
﹁私 ﹂ と い う 字 は ワ タ ク シ と 読 み 、 四
拍 で あ る 。 一 つ の 字 を 四 拍 で 読 む な ど と い う こ と は 、 世 界 の ど の 言 語 に も な い 。 ﹁志 ﹂︱ ﹁糎 ﹂︱
読 み 方 の 多 い漢 字
﹁苦 ﹂ と いう 漢 字 を 、 日 本 語 で は ク ル シ イ と 読 ん だ り 、 ニ ガ イ と 読 ん
漢 字 は も と も と 中 国 語 を 表 わ す 文 字 で 、 日 本 語 に 合 う よ う に は 出 来 て いな い の で 、 漢 字 で 日 本 語 を 表 わ す 際 に 、 ど う し て も 無 理 が 起 き る。 た と え ば、 同 じ
だ り す る 。 ﹁重 ﹂ と いう 漢 字 は 、 オ モ イ と も 読 み 、 カ サ ネ ル と も 読 む 。 こ れ は 、 中 国 語 で は ク と か チ ョ ン と か 一
﹁上 ﹂ と か
﹁下 ﹂ と か いう 字 で 、 こ の 字 の 訓 読 み は 実 に 多 い 。 ﹁上 ﹂ は ウ エ、 ア ガ ル 、 ア ゲ ル 、
つの単 語 で表 わ さ れ る も のが 、 日本 語 では 二 つ の別 々 の言 葉 で表 わ さ れ る こ と か ら く る も の だ 。 そ の極 端 な 例 は
ノ ボ ル 、 カ ミ と い う よ う に 読 む 。 ﹁下 ﹂ の 方 は さ ら に 多 く 、 シ タ 、 シ モ 、 モ ト 、 サ ガ ル 、 サ ゲ ル 、 ク ダ ル 、 ク ダ
サ ル、 オ リ ル と いう 読 み方 を す る。 これ は、 結 局 、 日本 語 の方 が中 国 語 よ り も 、 こ う いう 漢 字 に関 し て は 意 味 が
﹁ミ ア ワ し た
﹁頭 ﹂ を ア タ マ と 読 む か 、 カ シ ラ と 読 む か 、 ﹁来 る ﹂ を ク ル と 読 む か 、 キ タ ル と 読 む か 、 頭
詳 し い と いう こ と が で き る 。 こ う いう こ と か ら
を 悩 ま せ る の は 始 終 で あ る 。 ﹁先 方 で 見 合 し た い ﹂ と 書 い て あ る と 、 ﹁ミ ア イ し た い ﹂ と 読 む の か い﹂ と 言 っ て い る の か 、 正 反 対 の 意 味 に と れ る 。
同じ 読み 方を す る漢字
﹁国 を 治 め る ﹂ ﹁身 を 修 め る ﹂ ﹁税 金 を 納 め る﹂ ﹁刀 を 鞘 に収 め る ﹂。 日 本 語 で は オ サ メ ルと いう 同 じ 音 の 言 葉
そ う か と 思 う と 、 逆 に 二 つ以 上 の 漢 字 が 日 本 語 で は 同 じ 読 み 方 に な る も の も あ る 。 主 な 例 と し て 、 ﹁オ サ メ ル ﹂
︱
で あ る が、 中 国 語 で は いち いち 違 う 単 語 で あ る と こ ろ か ら 漢 字 の方 が多 く な る 。 同 じ ﹁金 品を お さ め る ﹂ でも 、
金 品 が先 方 に 入 る 時 は ﹁納 め る ﹂ で、 金 品 が 当 方 に 入 る 時 は ﹁収 め る﹂ と な る か ら 難 し い。
﹁箱 を あ け る ﹂ でも 、 蓋 を と る 場 合 は ﹁開 け る ﹂ と 書 き 、 カ ラ ッポ にす る 場 合 に は ﹁空 け る ﹂ と 書 く 。 犬 を 車 に
のせ る 場 合 、 ペ ット の犬 を 人 間 扱 い に し て 子 供 と同 じ よ う に のせ る の は ﹁乗 せ る ﹂ と 書 き 、 犬 を オ リ に 入 れ て荷
物 扱 いに し て 、 他 の荷 物 と 同 じ よ う に のせ る の は ﹁載 せ る﹂ と 書 く 。( 武部良 明 ﹃ 日本 語表記法 の課題﹄)
中 国と 日本
こう いう 例 を 見 て いく と 、 漢 字 は、 日 本 と は いろ いろな 点 でち がう 中 国 で出 来 た 文 字 だ と つく づ く 感 じ る。 中
国 は牧 畜 の盛 んな 国 であ る 。 そ の た め に 、 馬 偏 の字 、 牛 偏 の字 の ほ か に 、 羊 偏 の字 も あ る。 ﹁豕﹂ と いう 部 首 も
あ って 、 た く さ ん の文 字 が 並 ん で いる 。 牧 畜 が あ ま り行 わ れ な か った 日 本 で は 、 これ ら は 一つの家 畜 偏 と で も い
う 部 首 が あ れ ば、 そ れ です ん でし ま いそ う だ 。 ﹁革 ﹂ と ﹁韋﹂ の部 首 の 別 、 これ も 日 本 で は いら な そう だ 。
そ の代 わ り、 も し 、 日本 で漢 字 を 発 明 し た と し た ら 、 ま ず ﹁海 偏 ﹂ を 作 り 、 オ キ と か ナ ダ な ど た く さ ん の文 字
を 作 った であ ろう 。 今 の貨 幣 を 表 わ す ﹁貝 偏 ﹂ では な く 、 生 き た 貝 を 表 わ す ﹁貝 偏 ﹂ を 用 い て ニ シ ( 螺) とか ニ
ナ (蜷 ) と かを 表 わ す 字 を 作 った で あ ろ う 。 そ れ か ら触 偏 と でも いう も のを 作 って、 ザ ラ ザ ラ ・ツ ル ツ ル ・チ ャ リ チ ャリ ⋮ ⋮ と いう よ う な 言 葉 の た め の漢 字 を 発 明し た の で はな か ろ う か。
漢字 の読 み の複雑 さ
一つの漢 字 を 、 中 国 式 に音 読 み し 、 日本 式 に 訓 読 みす る こ と か ら 、 難 し い読 み方 が いろ いろ 行 わ れ る。 た と え
ば 、 ﹁青 物 市 場 ﹂ は ア オ モノ イ チ バ と 読 む が 、 一字 だ け 字 が 違 う ﹁青 果 市 場 ﹂ は 、 セ イ カ シ ジ ョウ と 読 む。 ﹁大
鼓 ﹂ と ﹁太 鼓 ﹂ と は点 一つのち が い で、 前 者 は オ オ ツヅ ミ、 後 者 は タ イ コと ま った く 違 った 読 み 方 を す る。 ﹁小
豆 ﹂ は 普 通 ア ズ キ と 読 む が 、 商 品市 場 に限 り シ ョー ズ と 読 む の は め ん ど う な 話 であ り 、 瀬 戸内 海 の島 の名 は シ ョ
飛 車 を 王 の上 へ持 ってく る 戦 法 を 言 う が、 野 球 の フ ァ ンな ら ば
ー ド シ マだ と いう のも 難 し い。 と き に は 洋 語 で 読 む こ と も あ る か ら 、 一層 こ み 入 って い て、 ﹁中 飛 ﹂ は、 将 棋 を 指 す 人 な ら ば ナ カ ビ シ ャ の音 読 み で チ ュウ ヒ︱ これ は セ ン タ ー フ ライ と読 む であ ろ う 。
万葉仮 名
以 上 は 、 日本 語 の単 語 に 相 当 す る 単 語 が中 国 語 にあ る 場 合 で、 こ の場 合 に は そ の漢 字 を 書 け ば い いわ け であ る
が、 日 本 語 にあ っても 中 国 語 に そ れ にあ た る 単 語 がな い場 合 も あ る 。 そう いう 場 合 に 書 く べき 漢 字 が な い。 こ の 場 合 ど う し て いる か 。
第 一にし た こ と は 、 漢 字 固 有 の意 味 を 考 え ず 、 そ の音 だ け を 借 り て 日本 語 を 表 わ し た 場 合 が あ る。 ︿万 葉 仮 名 ﹀
と 言 わ れ る も ので 、 山 の フ ジを ﹁富 士 ﹂ と書 き 、 イ ヅ の国 を ﹁伊 豆 ﹂ と書 いた の が そ れ で、 フ ジ山 に 別 に金 持 の 武 士 が いた わ け で は な い。
こ の種 のも のに は 稀 に意 味 も 考 慮 し て字 を あ てた も のも あ り 、 ﹁囲爐 裏 ﹂ な ど は 苦 心 の作 で は あ る 。 ﹁歌 舞 伎 ﹂
も も と は ﹁傾 き ﹂ か ら 来 た も の であ る か ら、 よ い字 を あ てよ う と し た も のだ った 。 ﹁大 喜 利 ﹂ も 本 来 は ﹁大 切 り ﹂
と 書 く と こ ろ だ った 。 こ のや り 方 は 洋 語 にも 及 び、 ﹁倶 楽 部 ﹂ ﹁型 録 ﹂ な ど の例 があ る 。
熟 字訓
適 当 な 漢 字 が な い場 合 に 苦 心 し た 方 法 と し て そ の第 二 に考 え た のは 、 ︿熟 字 訓 ﹀ と 言 わ れ るも の であ る 。 ﹁五 月
雨 ﹂ と 書 いて サ ミ ダ レ と 読 ん だ り 、 ﹁時 雨 ﹂ と 書 い て シ グ レと 読 ん だ り す る例 が そ れ だ 。 ﹁紅 葉 ﹂ が モ ミ ジ であ り 、
﹁土 産 ﹂ が ミ ヤ ゲ であ る 。 な ぜ こ う いう こ と が 起 こ る か と 言 う と 、 シ グ レ に あ た る 中 国 語 が な い の で、 意 味 を 考
え て 、 と き ど き 降 る 雨 だ か ら と いう わ け で ﹁時 雨 ﹂ と 書 いて シ グ レと 読 む こと に し た の であ る 。 あ る いは 、 旧暦
五 月 に降 る 雨 だ と いう わ け で ﹁五 月 雨 ﹂ と書 い て サ ミ ダ レと 読 む 。 別 に ﹁時 ﹂ を シ グ と 読 ん だ り ﹁雨 ﹂ が レ と読 ま れ る と いう も の で は な い。
熟 字 訓 の中 に はず いぶ ん 難 解 な の があ る 。 上 巻 ( 本書二二 一ページ)に あ げ た ﹁四 月 朔 日 ﹂ ﹁月 見 里 ﹂ な ど の姓 は
そ の例 で あ る 。 ﹁四 月 朔 日 ﹂ は 旧暦 四 月 一日 に な る と 綿 入 れ を 脱 ぐ と こ ろ か ら ワ タ ヌ キ 、 ﹁月 見 里 ﹂ は 山 がな け れ
ば 月 が よ く 見 え る 里 と いう こ と で ヤ マナ シ と 読 む 。 つ い で に 、 ﹁栗 花 落 ﹂ と 書 いて 、 梅 雨 に 入 る と 栗 の 花 が散 る と いう 意 味 で ツイ リ と 読 む のも あ る。
借 訓 と国字
第 三 の方 法 は 、 ほか の意 味 を 持 った 漢 字 を 強 引 に そ の意 味 に使 って し ま う と いう 行 き 方 であ る 。 た と え ば ﹁サ
ク ﹂ と いう 日本 語 に対 し て 今 ﹁咲﹂ と いう 字 を 書 く が 、 ﹁咲 ﹂ と いう 漢 字 は も と は 、 中 国 で は ワラ ウ と いう 意 味
を も つ。 と こ ろ が 、 日本 語 では ﹁サ ク ﹂ と いう 言 葉 が重 要 な 言 葉 であ って 、 花 が 開く 意 味 の サ ク に あ て る 字 が欲
し く て た ま ら な い の で、 そ う いう 無 理 を し た の であ る。 ﹁稼 ぐ ﹂ も 、 日 本 人 は働 く 虫 であ る か ら 、 大 切 な 言 葉 で、
何 か 漢 字 が 欲 し い。 ﹁稼 ﹂ と いう 字 は 、 も と は ﹁実 の つ いた 稲 ﹂ と いう 意 味 だ そ う であ る が、 そ れ を 強 引 に カ セ
グ と いう 意 味 に 使 った も のだ 。 ﹁柏 ﹂ と か ﹁鮎 ﹂ と か も 元 来 は ほ か の植 物 、 ほ か の魚 を 表 わ す 字 だ そ う であ る が、
日 本 人 は ﹁カ シ ワ﹂ ﹁ア ユ﹂ の代 わ り に 使 って いる 。 こ のよ う な や り 方 を ︿借 訓 ﹀ と 言 って いる。
第 四 に は 、 ︿国 字 ﹀ と い って、 日本 で新 しく 漢 字 ま が い の字 を つく った の が あ る。 ﹁サ カ キ ﹂ と いう 漢 字 がな い
の で、 サ カ キ は 神 前 に 供 え る 木 だ と いう わ け で ﹁榊 ﹂ と 書 く 。 ﹁シ キ ミ ﹂ の方 は 仏 に 捧 げ る 木 と いう こ と か ら
﹁〓﹂ と 書 く 。 ﹁ト ウ ゲ ﹂ と いう のは 山を 上 が った り 下 り た り す る と こ ろ だ と いう わ け で ﹁峠 ﹂ と書 く のは そ の例
だ 。 平 安 朝 初 期 の ﹃新 撰 字 鏡 ﹄ に はす で に 四 〇 〇 字 載 って いる と いう か ら 、 ず いぶ ん 早 く か ら あ った のだ 。
読み 方 のクイズ ヘ
こ のよ う に漢 字 の読 み 方 が複 雑 にな る と 、 同 じ 字 面 が 多 数 の 読 み方 を も つも のも 出 来 、 ﹁上 手 ﹂ は ウ ワ テ・ カ
ミ テ ・ジ ョウ ズ と 読 み 、 ﹁下 手 ﹂ は シ タ デ ・シ モ テ ・ヘタ ・ゲ シ ュ ( 手 を く だ す こ と ) と 読 む 。 あ る 劇 場 の楽 屋
へ行 った ら 、廊 下 の 扉 に ﹁上 手 入 口﹂ ﹁下 手 入 口﹂ と 書 い てあ り 、 俳 優 を 技 量 で 分 け る の か と 思 った ら 、 カ ミ テ
への入 口、 シ モ テ へ の入 り 口 だ った 。 横 綱 の力 士 、 ホ ク ト ウ ミ ( 北勝海 )など は、どう考 えても常識 では読 める は ず がな い字 面 で、 あ あ いう 新 作 は や め た 方 が い い。
ま た 、 日 本 で漢 字 は 、 い ろ いろ な 読 み 方 を 強 いら れ る と こ ろ か ら 、 昔 か ら ク イ ズ が た く さ ん 出 来 た 。 ﹁閑 日 月 ﹂
は カ ガ ミ と 読 む。 ﹁閑 ﹂ は 長 閑 の カ 、 ﹁日 ﹂ は 春 日 のガ 、 ﹁月 ﹂ は 五 月 雨 のミ な のだ そ う だ 。 ﹁日 日 日 ﹂ は 相 撲 取 り
の名 前 と し て読 ん で く れ と いう 。 昔 、 ﹁常 陸 山 ﹂ と いう 名 の相 撲 取 り が いた 。 最 初 は ヒ 、 そ の次 は 一日 の タ チ 、
最 後 は 日本 の ヤ マだ 。 新 し いと こ ろ で は 、 ﹁ 網 走 逃 亡﹂ と 書 いて 、 ア ラ ン ・ド ロ ンと 読 ま せ る と いう のが あ った。
振 り仮 名 の問題
こう い った こ と か ら 、 ま た 日 本 に は これ も 世 界 に類 の な い書 き 方 の習 慣 が 生 じ た 。 難 し い読 み方 を す る漢 字 の
わ き に 仮 名 を つけ て、 そ の読 み方 を 示 す や り方 で、 振 り 仮 名 と か ルビ と か 言 わ れ るも のが そ れ だ 。 戦 前 の 新 聞 や
雑 誌 な ど は 一、 二 、 三 のよ う な 数 字 を 除 いて は 振 り 仮 名 を つけ る のが 原 則 で あ った か ら 、 戦 前 の各 位 に も 親 し い
も ので あ ろ う 。 昔 は ア ッカ ド 人 の間 にあ った よ う であ る が 、 現在 は 外 国 に は 類 例 がな い。
と き に は、 詩 や 歌 な ど で 、 仮 名 や 普 通 の漢 字 で書 いた の で は、 誤 解 さ れ る と か 、 イ メ ー ジ が 湧 か な いと か いう
理 由 のも と に 、 普 通 は使 わ な い漢 字 を あ て、 そ れ で は 正 し く 読 め な い だ ろ う と いう 配 慮 のも と に振 り仮 名 を す る こ と も 盛 ん だ った 。
日 野 草 城 の新 婚 の句 、 け ふ よ り の妻 と 来 て泊 つる 宵 の春
に は ﹁妻 ﹂ に ﹁め ﹂、 ﹁泊 ﹂ に ﹁は﹂ と つい て いる が 、 つけ な け れ ば た し か に読 め な い。 も っと も 、 こ の句 は のち に ﹁け ふ よ り の 妻 と 泊 る や ⋮ ⋮ ﹂ と 改 め た と 聞 く 。
歌 謡 曲 の歌 詞 な ど に は、 ﹁青 春 ﹂ と 書 いて ﹁は る﹂ と 振 り仮 名 し た り、 ﹁生命 ﹂ と 書 いて ﹁い のち ﹂ と 振 り 仮 名
し た り 、 ﹁戦 友 ﹂ と 書 いて ﹁と も ﹂ と 振 り仮 名 し た り ⋮ ⋮ 、 と い った 例 が た く さ んあ った 。
戦 後 、 山 本 有 三 た ち の発 案 で、 振 り 仮 名 は原 則 と し て廃 止 さ れ 、 そ の代 わ り 難 し い読 み 方 を す る 漢 字 は使 わ な
い こ と に な った 。 そ れ でも 今 でも 難 し い漢 字 を 使 わ ざ る を 得 な いよ う な と き に は 、 振 り仮 名 が使 わ れ て いる 。
送 り仮 名 の存在
日本 語 を 漢 字 で 書 く と いう こと か ら 起 こ る 困 難 に は 、 も う 一つ、 中 国 語 の動 詞 ・形 容 詞 は 語 形 変 化 を しな い が、
日本 語 の動 詞 ・形 容 詞 は変 化 す る た め に 、 漢 字 だ け で は表 わ せ な いと いう こ と が あ る。 た と え ば ﹁来 る ﹂ に あ た
る 中 国 語 は ﹁ラ イ ﹂ と いう 形 だ け であ る が、 日本 語 で は ﹁来 る ﹂ と いう 動 詞 は ク ルと か コナ イ と か キ タ と か 語 形 変化を する。
そ こ でそ う いう 変 化 を 表 わ す た め に 、 日本 人 は 一部 を 漢 字 で、 一部 を 仮 名 で 表 わ す と いう 便 法 を 編 み出 し た 。
いわ ゆ る ︿送 り 仮 名 ﹀ であ る 。 これ も 、 昔 の ア ッカ ド 語 に は 似 た も の があ った と いう が 、 現 在 で は 世 界 に 類 のな い規 則 であ る。
し か し 、 こ れ は 難 し い こ と で 、 一体 、 ど こ か ら 仮 名 書 き にす べき か 。 活 用 語 尾 は 送 る と いち お う 考 え る が 、
﹁上 が る ﹂ と いう 動 詞 は ア ガ ラ ナ イ 、 ア ガ リ マス と か ﹁ア ガ ﹂ の と こ ろ が 変 わ ら な い か ら ﹁上 ﹂ で ア ガ を 表 わ し
た く な る が 、 ﹁上 げ る ﹂ と いう 動 詞 を 考 え る と 、 ア ガ ル のガ も 仮 名 で書 いた 方 が い いよ う な 気 も し てく る 。
こ の 送 り 仮 名 が 文 部 省 の国 語 審 議 会 でき め ら れ た のは 昭 和 三 十 四 年 で、 こ の年 内 閣 告 示 があ った 。 そ れ ま で の
学 校 の教 科 書 で も そ れ ほ ど 厳 重 な き ま り はな く 、 こ と に 江 戸 時 代 ご ろ は、 今 のよ う に は 送 り仮 名 を 使 わ な か った
た め に 、 そ の頃 のも の はな か な か読 み にく いこ と があ る 。 芭 蕉 の俳 句 ﹁風 吹 ぬ 秋 の日 瓶 に 酒 な き 日﹂ の ﹁吹 ぬ ﹂
は どう 読 む の か 。 同 じ 芭 蕉 の ﹁塚 も 動 け 我泣 声 は 秋 の風 ﹂ は ﹁わ が泣 き 声 ﹂ で は お か し い の で ﹁わ が 泣 く 声 は 秋
の 風 ﹂ と 読 ん で いる が 、 は じ め の俳 句 は ﹁風 吹 か ぬ ﹂ が い い のか ﹁風 吹 き ぬ ﹂ が い い の か 。 潁 原 退蔵 は ﹁風 吹 か
ぬ﹂ と 読 ん だ 。 し かし 、 幸 田 露 伴 は ﹁風 吹 き ぬ ﹂ と 読 ん だ 。 ど ち ら が い いか 難 し い問 題 で あ る 。
送り仮 名 は どうす る か
戦 後 の文 部 省 の方 針 は 、 送 り 仮 名 は読 み 誤 り を 避 け る た め にな る べく た く さ ん 送 ろう と いう 趣 旨 だ った 。 ﹁オ
コナ ッテ﹂ を ﹁行 って ﹂ と 書 く と 、 イ ッテ と 読 ま れ そ う だ と いう わ け で ﹁行 な って﹂ と書 く こ と に か つて き め た
こ と があ る が 、 こ こ で も 活 用 語 尾 だ け を 仮 名 で書 く と いう 原 則 は 崩 れ て い た。 ま た 、 ﹁ト リ シ マ ル﹂ な ど と いう
のは ﹁取 り 締 ま る﹂ と 書 く こ と にな って いた が 、 そ う す る と ﹁ト リ シ マリ﹂ と いう の は ﹁取 り 締 ま り ﹂ と 書 か な
け れ ば いけ な いこ と に な る。 会 社 の ト リ シ マリ のよ う な 場 合 は 、 こ のよ う に 平 仮 名 を ど ん ど ん 書 く と 、 そ れ こ そ
締 ま ら な いと いう よ う な 発 言 が 審 議 会 で出 て、 漢 字 だ け 二 つ並 べ て 書 く の が 普 通 にな って いる 。
そ ん な こと か ら 、 送 り仮 名 は 戦 前 のよ う に自 由 にし た 方 が い い、 政 府 が き め る のは け し か ら ん と いう 意 見 も 出
て いる が 、 き ま り が な い方 が い いと いう の は無 茶 であ ろ う 。 な る べく 規 則 が 簡 単 で、 多 く の 人 が よ いと 思 う よ う な 送 り 仮 名 法 が出 来 た ら い いと 思う 。
六 縦 書 きと横 書 き
並 べ方 の種 類
日本 語 の表 記 法 の性 格 と し て 、 日本 語 の文 字 の使 い分 け が 非 常 に複 雑 であ る こ と を 述 べ た が 、 最 後 に 文 字 の並 べ方 がま た 日 本 語 で は 複 雑 だ と いう こ と を 述 べた い。
こ れ のも と は 中 国 で、 中 国 の 昔 の本 は ﹃論 語 ﹄ も ﹃史 記 ﹄ も す
世 界 各 国 語 の文 字 の並 べ方 は 種 々あ る が 、 だ いた い五 種 類 と いう の が定 説 であ る 。 一つ 一つ に つ いて 述 べる と 、 ま ず 右 縦 書 き︱
べ て こ の書 式 で書 か れ て いた 。 中 国 から 影 響 を 受 け た 韓 国 も 、 右 縦 書 き が 標 準 で あ った 。 日 本 で書 か れ る本 が 原 則 と し て右 縦 書 き だ と いう こ と は ご 承 知 の通 り であ る 。
次 に左 縦 書 き 。 そ の代 表 的 な も の は モ ンゴ ル文 字 だ 。 こ れ は 元 王 朝 の こ ろ使 わ れ た 文 字 で 、 今 で は 中 国 の 一部
に な って いる 内 蒙 古 自 治 区 で昔 な がら の こ の文 字 を 使 って いて 、 左 か ら 右 へ縦 に 読 ん で いく 。 左 の 行 の字 が 一段 下 げ て書 い てあ る のは 、 始 ま り を 表 わ す 。
古 代 エジ プ ト の文 字 は 絵 の よ う な 文 字 であ る が 、 これ は縦 書 き が正 式 で、 こ の 場 合 、 右 縦 書 き も 左 縦 書 き も 両
方 使 う 。 も し 鳥 が左 を 向 い て いれ ば 、 左 縦 書 き であ る こと を 知 ら せ、 も し 鳥 が右 を 向 いて いる と 、 そ こは 右 縦 書 き であ る こ と にな る 。
世 界の 文 字の 配 列 の種類
右 縦書 き と左縦 書 き
日本 の文 字 は 中 国 の漢 字 か ら 来 た も の であ る が、 中 国 の漢 字 は 横 の線 は 左 か ら 右 に 書 く 。 で あ る か ら 、 も し縦
書 き に す る な ら ば 、 左 か ら 順 々 に書 い て い った 方 が合 理 的 であ る 。 で は、 な ぜ 漢 字 を 右 書 き に し た のだ ろ う 。 こ
れ は 岡 本 千 万太 郎 が、 そ の謎 を 解 いた 。 彼 は 、 こ れ は 中 国 の 昔 の本 の性 質 から 来 る も の で、 昔 の本 は 巻 き 物 で あ
った か ら 、 書 く と き に は 、 人 間 は 右 の手 の方 が利 いて い る か ら 、 ど う し て も 左 手 で本 を 巻 いた り ほ ど いた り し な
け れ ば いけ な い。 こ の巻 き 物 に書 いた こ と か ら 右 縦 書 き が始 ま った 、 と いう 説 で あ る 。 だ か ら 、 今 のよ う に本 が
巻 き 物 でな く な った 以 上 は 、 た し か に左 か ら 書 いて も い いは ず だ と いう こと に な る 。
も っと も 、 左 縦 書 き に は 一つ不 便 な こ と が あ る 。 そ れ は、 英 文 の 引 用 な ど 、 ロー マ字 の文 章 が と ち ゅう で 入 る
場 合 だ 。 そ れ が 二 行 以 上 に わ た る と 、 そ の部 分 だ け は 、 いわ ば 下 の行 か ら 上 の行 へ進 む こ と にな ってし ま う 。 だ
か ら 、 と いう わ け で も な か ろう が、 今 のと こ ろ 日 本 の本 の右 縦 書 き は 、 ち ょ っと 変 わ り そ う にな い。
と こ ろ で 中 国 で は 、 横 書 き が 一般 的 に な る に つれ て、 横 書 き が左 横 書 き で あ る の で 、 縦 書 き も 新 聞 な ど に時 に 左 縦 書 き のも の が 見 ら れ る よ う にな った 。
横書 き
次 に 横 書 き の問 題 に 入 る 。 代 表 的 な の は左 横 書 き で、 これ が普 通 の書 き 方 であ る。 ロー マ字 は 左 横 書 き で書 く
し 、 ギ リ シ ャ の文 字 も 、 そ れ か ら 出 た ロシ ア 文 字 も そう だ 。 イ ンド の文 字 も 左 横 書 き で、 そ れ か ら 出 た ビ ル マ文 字 ・タ イ 文 字 な ど 、 す べて 左 横 書 き だ 。 で あ る か ら 、 ヨー ロ ッパ の人 は 左 横 書 き が 標 準 的 な 書 き 方 だ と 思 って いる 。
た し か に 、 日 本 の文 字 でも 中 国 の文 字 で も 、 も し 横 に書 く 場 合 に は左 横 書 き が 便 利 であ る 。 さ っき 述 べ た よ う
に 、 漢 字 の横 の線 が左 か ら 右 に 進 む か ら そ れ が合 理 的 で、 実 際 に中 国 の新 聞 な ど でも 、 横 書 き は 左 か ら 右 に進 ん
中 国 ・韓 国 の文 字 も そ う であ る が 、 縦 書 き と 横 書 き と 両 方 で き る と いう こ
で いる 。 中 国 だ け でな く て韓 国 でも や は り そ う だ。 も っとも 、 こ こ で 日 本 の文 字 は︱
と があ る。 こ れ は 面白 い こ と だ 。 ロー マ字 は こう は いか な い。 ロー マ字 を 縦 書 き に し た 例 も な い で は な い が、 こ
れ は あ ま り 体 裁 よ く いか な い。 ラ ス ベ ガ スあ た り で は アド バ ルー ン の 下 に 縦 書 き に ロー マ字 が 書 か れ て い る が 、 ど う も 読 み に く いし、 ぱ っと し な い。
ロー マ字 は 縦 書 き が でき な い の で、 不 便 な こと が あ る 。 た と え ば 向 こ う の本 の背 中 に そ の本 の題 を 書 く よ う な
と き に、 上 下 の関 係 を 変 え な いよ う にす る と 、 縦 書 き が でき な いば か り に 、 は っき り と 文 字 が 読 み と れ な いよ う
な 小 さ な 字 で 書 か ざ る を 得 な い。 筆 者 に 言 わ せ る と 、 ロー マ字 と いう も のも 、 や は り 縦 書 き の 工夫 を し た 方 が い い の で はな いか 。
日本 の文 字 は 縦 書 き ・横 書 き の両 方 が で き る の は な ぜ かと いう と 、 結 局 、 一つ 一つの文 字 が 四 角 いか ら だ 。 自
称 ユダ ヤ人 、 イ ザ ヤ ・ベ ン ダ サ ンは 、 そ れ が 日 本 の 文 字 の最 大 の長 所 だ と 言 って いる 。 最 大 か ど う か わ か ら な い が、長所 だとは思う。
次 に同 じ 横 書 き でも 、 右 横 書 き 。 そ の代 表 的 な も のが ア ラ ビ ア の文 字 で あ る 。 こ れ は 右 の上 が最 初 で 、 順 々に 左 へ進 ん で ゆ く 。
右横書 き ・左 横書 き の混 用
と こ ろ で 、 こ の右 横 書 き と いう も の は、 元 来 日本 で は 珍 し いも の で はな く 、 昭 和 の初 め の頃 は 、 街 の看 板 な ど は こ のよ う に 右 横 書 き が 普 通 であ った 。
こう い った こと は、 か な り最 近 ま であ った も のだ が 、 今 は どう いう と こ ろ に残 って いる か 。 と き ど き 街 角 で 、
自 動 車 の横 っ腹 に右 か ら 書 いて あ る のを 見 る 。 進 行 方 向 に向 か って車 体 の左 側 な ら ば 左 か ら ﹁東 京 消 防 庁 ﹂ と 書
く が 、 こ れ が 右 側 は 右 横 書 き だ 。 日本 で は こ の よ う な 場 合 に 右 横 書 き 、 左 横 書 き の両 方 あ る こ と に な る 。
戦 争 前 は 駅 の名 前 や 店 の看 板 な ど が、 右 横 書 き ・左 横 書 き の両 方 あ った か ら 、 わ れ わ れ はど っち から 読 む べき
か 判 断 し て か ら 読 ん だ も の であ る。 今 、 台 湾 へ行 く と 、 町 の看 板 は 左 横 書 き のも の と 右 横 書 き のも の と 同 じ く ら いあ り 、 戦 前 の 日本 を 思 い出 さ せ る 。
そ の ころ 駅 の 名 は 、 鉄 道 大 臣 が変 わ る と そ の主 義 に よ って、 右 か ら 書 く よ う にな った り 左 か ら 書 く よ う にな っ
た り し て 、 ひ と 晩 のう ち に 全 国 の駅 の名 前 の書 き 方 が 変 わ って び っく り し た も の だ った 。 そう い った と き に は 、
東 京 鉄 道 局 で は 、 全 部 の駅 長 を 呼 ん で、 あ し た か ら 今 度 は○○ 氏 が大 臣 に な る か ら 、 左 横 書 き にし ろ と か、 右 横
書 き に し ろ と か いう の で 、 駅 長 は み ん な 真 剣 な 顔 で 聞 い て いた 。 た った 一人 の ん き そ う に 居 眠 りし な が ら 聞 いて
いる 人 が いて 、 誰 かと 思 った ら、 山 手 線 の ﹁た ば た ﹂ の駅 長 だ った と いう 笑 い話 が あ った も の であ る 。 つま り 日
本 に は かな り 長 い こと 、 左 横 書 き ・右 横 書 き 両 用 の時 代 があ った と いう こと であ る 。
一行 一字 の縦 書 き これ に つ い て、 筆 者 は 一つだ け 申 し 述 べた いこ と があ る 。 そ れ は 、 (1訂改 ) 国 語 辞 典 (2改訂 ) 国 語 辞 典
と い った 辞 書 に、 上 に小 さ い文 字 で 角 書 と いう も のを つけ る。 これ は い った い(1 と) (2と )ど っち が い いか と いう 問題 である。
いま は 、 横 書 き は 左 か ら 書 く と いう わ け で、(1の )よ う に書 く の が正 式 にな って い る。(2の )よ う な の は いけ な
いこ と に な って いる が、 筆 者 は 、 こ れ は(2の )方 が い いと 思う 。 い け な いと いう のは こ れ を 横 書 き と 見 る か ら で、
訂
改
﹁
国 語 辞 典 ⋮ ⋮﹂ のよ う に 、 あ と に文 章 が 続 く
﹁訂 ﹂ を 書 く と こ ろ が な く な っ て 左 に 書 い た の だ 、 と いう ふ う に み れ ば 、筆 者 は (2)
こ れ を 縦 書 き と み た ら ど う か 。 た だ し 、 縦 書 き で も 、 一行 に 二 字 も 三 字 も あ る の で は な く 、 一行 が 一字 で 、 ﹁改 ﹂ と いう 字 を 書 い た ら も う 下 に のよ う に 書 い て い いと 思 う 。 こ のよ う に し た 方 が、 た と え ば
よ う な 場 合 に矛 盾 し な いと 思 う 。 次 の行 は 左 に 行 く から 。
そ れ か ら 和 室 の欄 間 な ど に か け る 額 に、 ﹁春 風 秋 雨 ﹂ と い った 文 字 を 横 書 き に し 、 最 後 に 縦 書 き で 小 さ く
﹁何 々君 に 贈 る ﹂ と いう よ う な 文 字 を 添 え て書 く こ と があ る 。 こ の横 書 き も 、 右 横 書 き で 正 し いは ず だ 。 と いう
の は、 これ も 一字 縦 書 き と 見 ら れ る か ら で、 そ う でな け れ ば 、 あ と の小 さ な 縦 書 き を 書 く 場 所 に こ ま る 。 以 上 、 文 部 省 に も と いた 三 宅 武 郎 と いう 人 の意 見 であ る が 、 卓 見 だ と 思 う 。
牛 耕式
最 後 の牛 耕 式 に つい て述 べる 。 こ のよ う な 書 き 方 はた い へん 少 な い が、 昔 、 小 ア ジ ア に ヒ ッタ イ ト と いう 国 が
あ って 、 こ の 民 族 は イ ンド 人 ・イ ラ ン人 な ど と 同 族 だ った そ う であ る が、 紀 元 前 の古 い民 族 であ る 。 そ こ で の書 き 方 と し て有 名 で あ る 。
こ れ は 、 い った い左 右 のど っち が 先 か ち ょ っと わ か り に く いかも 知 れ な いが 、 最 初 の行 は 左 か ら 右 へ進 み 、 そ
の次 の行 は 右 か ら 左 へ進 む のだ 。 ど う し て そ れ が わ か る か と 言 う と 、 た と え ば 、 動 物 な ど が左 を 向 いた り、 右 を
向 いた り し て いる 。 一行 お き にそ の 向 き がち が って いる 。 これ に よ って、 ヒ ッタ イ ト の象 形 文 字 は 牛 耕 式 に 進 む のだ と いう こ と が わ か る と いう こと に な って いる 。
変 則的 な書 き方
さ て 、 以 上 五 式 が 標 準 的 な 文 字 の書 き 方 であ る が 、 矢 島 文 夫 の ﹃文 字 学 の楽 し み﹄ で は 、 そ のほ か の変 則 的 な
つま り 、 逆 の方 に書 いて ゆく 行 き 方 が、 現 代 でも 行 わ れ る。 筆 者 は
書 き 方 を し た 例 を 見 つけ た と いう 報 告 を し て いる 。 そ れ は 、 ト ル コ の文 字 に 関 す るも の で、 下 の方 か ら 順 々 に書 く の があ る そ う だ 。 これ は大 変 珍 し い。 と 言 って も 、 あ る 場 合 に は そ う い った︱
funf
u とnい dう か zら wa 、n たzしiか gにそ う 書 き た く な る か も 知 れ な い。
ド イ ツ 人 が 、125 と 書 く の を 、 1 を 書 き 、 5 を 書 い て 、 後 で 2 を 書 く の を 見 た 。 こ れ は 、 ド イ ツ 語 で はein hu ndert
こ のよ う に 順序 を 乱 し て 書 く 例 は 、 実 は 日本 語 に も あ る こ と は あ る 。例 の分 数 で あ る 。 三 分 の二 を 2/3 と書 く。
thと irds
小 学 生 の こ ろ 、 う っか り 分 子 を 先 に 書 いて 分 母 を あ と で書 く と 、 先 生 に 叱 ら れ た も の で、 こ れ は 、 日 本 で こ の分
数 を 読 む と き に、 ﹁三 分 の 二 ﹂ と いう よ う に、 分 母 を 先 に 分 子 を あ と に 言 う せ い であ る 。 英 語 で はtwo 言 う か ら 、 分 子 を 先 に 書 いて、 分 母 を 後 に し ても 差 支 え な い。
これ を 思う と 、 日本 も こう い った も のを ﹁二 の三 分 ﹂ と で も 言 って お け ば 、 そ ん な 無 理 な こと を し な く て も よ
か った ん だ と 思 う 。 1/ 2 や 1/ 3 のよ う な 分 子 が 1 の も の は 例 が 多 い の で、 た だ ﹁二 分 ﹂ と か ﹁三 分 ﹂ と か 言 え ば よ いと 思 う が ⋮ ⋮ 。
漢文
と に か く 、 書 き 方 は そ のく ら いに し て、 読 み 方 に は、 世 界 で珍 し い読 み方 が 日本 に あ る 。 例 の ︿漢 文 ﹀ の訓 読 がそれだ。 子曰 為 政 以 徳 譬 如 北 辰 居 其 所 而 衆 星 共 之 。(﹃ 論語﹄為政) と いう よ う な も の があ る と 、 上 か ら 順 々に は 読 ま な い。
子 曰 く 、 政 を 為 す に 徳 を 以 ってす る こ と 、 譬 え ば 北 辰 のそ のと こ ろ に居 り て 、 而 し て衆 星 、 こ れ に共 う が 如 く にす 。
2
4
3
6
5
71 8
8
91 2
1 0
16
而 衆 星 共 上之 レ。
11 1 31 41 51 7
其所
と 、 や る 。 そ のた め に は 返 り点 と いう も のを つけ て、 左 の数 字 の順 に読 む。
1
子曰 為 レ政 以 レ徳 譬 如 下北 辰 居
こ れ は 、 馴 れ な いと 大 変 む ず か し い。 不 可 不言
と いう よ う な のが あ る と 、 ﹁言 わ ざ る べか ら ず ﹂ と 下 か ら 順 々 に読 ん で ゆ く か ら 、 矢 島 の 言 う ト ル コ の文 字 の例 と 同 じ か も 知 れ な い。
日本 語 の 文 法 と そ の 単 位
Ⅴ 文 法 か ら 見 た 日 本 語
一
日本 文法 への不信
(一)
日 本 語 の文 法 は 評 判 の芳 しく な いも のだ 。 学 校 で の国 文 法 の時 間 と いう の は、 昔 か ら 退 屈 き わ ま る も の とな っ
て いた し 、 谷 崎 潤 一郎 は 、 よ い文 章 を 書 く た め に は 、 文 法 な ど と いう も のは 役 に 立 た な いか ら お 忘 れ な さ い、 と
言 う 。 た し か に、 現代 の 口 語 文 法 は 、 古 典 語 の文 法 を 現 代 語 に あ て は め た と いう も のな ので 、 いろ いろ 無 理 が あ る こと は 確 か であ る 。
etudとiい aう n言 t葉
suと is 言⋮い"、 ﹁お ま え が ⋮ ⋮ であ る ﹂ は 、"uT
さ ら に 、 戦 後 は 日 本 語 に は 文 法 な ど な い、 と いう 学 説 ま で 飛 び出 し た 。 森 有 正 と いう 哲 学 者 の論 であ る。 森 は 言 う 。 フ ラ ン ス 語 で は 、 ﹁私 は ⋮ ⋮ で あ る ﹂ と い う と き に"Je
e s⋮ "と 言 い、 いち いち 動 詞 が 変 わ る 。 こ のあ と に 、 た と え ば ﹁学 生 だ ﹂ と いう の な ら ばun
が入 る。 これ に 対 し て、 日 本 語 の方 は ﹁私 は 学 生 ﹂ の次 に ﹁です ﹂ と 言 った り 、 ﹁で ご ざ いま す ﹂ と 言 った り す
る 。 ﹁あ な た は ﹂ と いう 場 合 も 同 じ こ と で 、 二 つ の違 った 形 があ る 。 こ ん な こ と を 理 由 と し て 、 日 本 語 の方 に は 文 法 が な い、 と いう わ け で あ る 。
し か し 、 日 本 語 に も 主 語 のち が い に よ って 変 化 す る 動 詞 があ る 。 た と え ば 、 も の の や り と り に 使 う 動 詞 は、
﹁私 があ な た に ﹂ の 場 合 に は ﹁あ げ る﹂ と な り 、 ﹁あ な た が 私 に﹂ と いう 場 合 に は ﹁下 さ る ﹂ と な る 。 あ る い は
﹁私 が いた し ま す ﹂ と か ﹁あ な た がな さ いま す ﹂ と 言 う 。 こ れ を と り 違 え て ﹁私 が な さ いま す ﹂ ﹁あ な た が いた し
ま す ﹂ と は言 わ な い。 こ のよ う な 場 合 に は、 フ ラ ンス 語 に あ る よう な 人 称 の変 化 があ り 、 こ れ は や は り 日 本 語 の 大 切な文法 である。
そ れ か ら 、 森 が いう ﹁学 生 で す ﹂ ﹁学 生 で ご ざ いま す ﹂ のち が いは 、 話 し 手 ・相 手 の 関 係 か ら 、 そ のど っち を
使 う か がき ま ってく る 。 いわ ば 場 面 に 応 ず る 変 化 で、 これ も り っぱ な 文 法 で あ って、 森 の考 え 方 は 、 あ ま り に西 欧 文 法 にと ら わ れ た 狭 い見 方 であ る 。
文法 の単 位
日 本 語 の文 法 を 論 じ る た め に は 、 日 本 語 の ︿単 語 ﹀ と いう 単 位 を は っき り 考 え て お か な け れ ば いけ な い。 現 代
語 の文 法 は古 典 語 文 法 に 引 き ず ら れ 、 単 語 と いう 単 位 を し っか り考 え な か った の はま ず か った。
日 本 文 は 英 語 の文 のよ う な 分 か ち 書 きを し て いな い。 だ か ら ど こま で が 一語
一体 、 日本 語 は 単 語 と いう 単 位 が は っき り し て いる 言 語 か 。 そう でな い言 語 か 。 は っき り し て いな い言 語 だ と 思う 向 き が多 い の で は な いか 。︱
であ る か 、 は っき り し て いな い。 ま た 、 日本 語 の文 法 書 を 読 ん で み る と 、 学 者 ごと に ど れ を 一単 語 と み る か 、 ち が って い る。
た と え ば ﹁行 か せ た か ら ﹂ と いう 語 句 を と る と 、 松 下 大 三 郎 の文 法 で は 全 体 を 長 い 一語 と す る 。 山 田孝 雄 の文
こ れ は 大 槻 文 彦 文 法 であ り 、 橋 本 進 吉 文 法 で あ る が 、 こ こ で は、 ﹁行カ + セ + タ + カ
法 で は 、 ﹁行 カ セ タ +カ ラ﹂ と 切 り 、 二 語 と す る 。 時 枝 誠 記 の文 法 で は 、 ﹁行 カ セ + タ + カ ラ﹂ と 切 り 、 三 語 と す る。 文 部 省 文 法 で は、︱ ラ﹂ と 切 って 四 語 と す る。
し か し 、 筆 者 は 日本 語 は 案 外 単 語 に 切 り やす い言 語 だ と 思 う 。 右 の学 者 の説 は それ ぞ れ 主 張 が あ る よ う だ が 、
私 見 で は 山 田 の案 が い い。 少 な く とも 現 代 語 に 関 す る 限 り 。 も し 、 子 供 に行 カ セ タ カ ラ と 書 か せ た ら 、 お そ ら く 、
﹁行 カ セ タ カ ラ﹂ と 切 る の が自 然 だ ろう 。 ア ク セ ント も 、 イ カセ タ カ ラ で、 二 つに 切れ る 。
単 語 への切り方
服 部 四 郎 は 、 ﹁付 属 語 と 付 属 形 式 ﹂ (﹃ 言語研究﹄ 昭和 二十五年 四月)と いう 論 文 で、 広 く 世 界 の諸 言 語 に応 用 のき
く 明 快 な 単 語 への 切 り方 を 提 案 し て いる 。 服部 によ る と 、 ま ず 、 第 一の条 件 と し て、
(1 ) そ れ だ け で 用 いる こと が で き る も の 、 そ の前 後 で 区 切 って 発 音 し て お か し く な いも の、 こ れ は単 語 であ る。
す な わ ち 、 (イ﹁ ) 山 ﹂ ﹁川 ﹂ の よ う な 名 詞 、(ロ)﹁行 く ﹂ ﹁来 る ﹂ のよ う な 動 詞、(ハ)﹁白 い﹂ ﹁赤 い﹂ のよ う な 形 容
詞 の終 止 形 ・連 体 形 、 そ れ か ら 感 動 詞 や 副 詞 の類 も だ いた い 一語 であ る 。 た だ し 、 ﹁行 か な い﹂ の ﹁行 か ﹂ の よ
う な 動 詞 の未 然 形 と 言 わ れ て いる も の、 ﹁行 って ﹂ の ﹁行 っ﹂ の部 分 のよ う な も の は単 語 の 一部 に な る。
(2 ) (1で)単 語 と 認 め ら れ た も の に自 由 に つく こ と が でき る も のは 、 や は り 一種 の単 語 で あ る 。
す な わ ち 、 助 詞 の 大 部 分、 た と え ば ﹁は ﹂ は 、 ﹁山 ﹂ に も つき 、 ﹁白 く ﹂ に も つき 、 ﹁少 し﹂ にも つく と いう 風
で 、 こう いう のは 単 語 と 見 る。 助 動 詞 と 言 わ れ て いる も の の中 で ﹁だ ﹂ ﹁ら し い﹂ は 多 く の語 に自 由 に つく か ら
単 語 であ る 。 そ れ に 対 し て、 助 動 詞 と 言 わ れ て いる も の の多 く 、 た と え ば ﹁行 か な い﹂ の ﹁な い﹂ の 類 は 、(1 の)
も の に つか な いか ら 単 語 で は な い。 上 の ﹁行 か﹂ と い っし ょに な って は じ め て 一語 と な る 。 助 詞 の中 でも ﹁行 っ
て ﹂ の ﹁て ﹂ は そ れ だ け で は 単 語 で は な く 、 単 語 の 一部 であ る 。 ﹁行 った﹂ の ﹁た ﹂ も 同 様 だ。
こ のよ う にし て 得 た 単 語 は 、 そ れ ぞ れ 一定 の ア ク セ ントを 持 って いる 。 ﹁行 か せ た か ら ﹂ の ﹁か ら ﹂ も カ ラ で
ち ゃ ん と き ま った ア ク セ ント を も って いる 。 明 治 の中 期 に、 は じ め て 日 本 語 を ロー マ字 で 書 く 場 合 の分 か ち書 き
を 提 唱 し た 田 丸 卓 郎 は 、 単 語 ご と に 分 か ち 書 き を す るよ う に 決 め た が 、 彼 の 単 語 は ま さ に こ の服 部 の単 語 と 一致 する。
そ れ で は 、 時 枝 文 法 で は な ぜ ﹁行 か せ ﹂ と ﹁た ﹂ の間 で 切 る の か 。 これ は 平 安 時 代 の日 本 語 と 現 代 日本 語 と で
﹁行 か せ た る よ り ﹂ と 言 った が 、 そ の ア
﹁た る ﹂ と の間 が 二 語 に 分 か れ て い た 。 つ ま り 、 平 安 朝 の
﹁行 か せ た か ら ﹂ は
﹁行 か せ ﹂ と
単 語 が 一致 し て い る と 見 た か ら で あ る 。 平 安 朝 時 代 ク セ ント は、 ユカ セ タ ル ヨ リ で 、 ま さ に
辞
文 法 に は こ の 時 枝 式 の 文 法 の 方 が よ い。
原
︿構 造 文 法 ﹀ で は 、 単 語 よ り も っと 小 さ い 文 法
﹁モ ル フ ェー ム ﹂ (morphe )mを e考 え る 。 日 本 で いう と 松 下 大 三 郎 の ︿原 辞 ﹀ で 、 ア メ リ カ の 今 の
と こ ろ で 、 ア メ リ カ のブ ル ー ム フ ィ ー ル ド に よ っ て 提 唱 さ れ た 的単位と して
﹁塾 へ行 か せ た か ら ﹂ と い う よ う な 句 を 作 った 場 合 、 こ の ﹁塾 へ﹂ は ど こ に か か る か と
変 形 文 法 で も こ の 単 位 に 分 析 す る 。 そ う す る と 、 ﹁行 か せ た か ら ﹂ は 、 ﹁行カ + セ + タ + カ ラ ﹂ と 切 れ る 。 こ の 提 唱 のよ い点 は 、 た と え ば
い う と 、 ﹁行 か せ た か ら ﹂ に か か る と い う よ り も 、 ﹁行 か ﹂ だ け に か か る と 考 え た 方 が 理 屈 に あ う 。 ﹁塾 へ 行 く 、
そ う いう こ と を さ せ た ﹂ と 解 釈 す る わ け で あ る 。 こ の 意 味 で 、 原 辞 へ の 分 解 は 一理 あ る の で 、 学 校 文 法 は そ れ に か な って い る と 言 え る 。
し か し 、 何 で も 原 辞 に 分 け れ ば う ま く い く か と い う と 、 そ う で も な い 。 ﹁英 語 を 教 わ る ﹂ と いう 場 合 、 ﹁英 語
﹁ 教 え
﹁ 教 わ る ﹂ に な ら え ば 、 ﹁与 え る ﹂ と
﹁英 語 を 教 え る 、 そ れ を 受 け る ﹂ と い う こ と に な る 。 ﹁教 わ る ﹂ を 形 の 上 で そ う 分
を ﹂ は ど こ に か か る か 。 ﹁教 わ る ﹂ を 意 味 の 上 で 分 解 す る と 、 ﹁ 教 え る ﹂+ ﹁そ れ を 受 け る ﹂ と な り 、 こ の る ﹂ に か か って いる 。 つま り け る の は 、 ち ょ っと 難 し い 。 ﹁教 わ る ﹂ は ま だ い い。 ﹁ご 褒 美 を も ら う ﹂ の ﹁も ら う ﹂ と な る と 、 こ れ は
﹁日 本 語 の 文 法 ﹂ の 中 で 森
﹁そ れ を 受 け る ﹂ と に 分 か れ る は ず で 、 ﹁ご 褒 美 を ﹂ は そ の う ち の ﹁与 え る ﹂ に か か って い る と 見 ら れ る 。 こ の よ
う な こ と に な る と 、 原 辞 に 分 け る こ と が で き な く な る 。 ﹃シ ン ポ ジ ウ ム 日 本 語 ② ﹄ の
岡 健 二 が 著 名 な 国 語 学 者 四 人 を 集 め て 、 ﹁朧 夜 ﹂ ﹁は ま ぐ り ﹂ ﹁皮 肉 ﹂ ﹁朝 顔 ﹂ ﹁ま つ げ ﹂ ﹁た け の こ ﹂ の よ う な 単 語
を 、 原 辞 に分 け た ら ど う な る か を 尋 ね て い る が 、 各 人 各 様 だ った 。
原 辞 に 分 け る こ と は 、 学 者 が そ の方 針 に従 って き め れ ば い い の で、 一般 に は 単 語 に 分 け てお け ば 十 分 だ 。 辞 書
に載 って いる のは 、 一般 に 単 語 だ 。 ほ か の言 語 も そ ん な も の で はな いか 。 ち ょう ど こ れ は 音 韻 論 で、 学 者 は 音 素
に 分 け る が 、 一般 には 拍 に 分 け て お け ば 十 分な のと 似 て いる 。 も う 一度 く り 返 し てお く と 、 日本 語 の単 語 は か な
節
り し っか り し た単 位 だ 。
文
さ て 、 学 校 文 法 で は、 単 語 よ り大 き い単 位 と し て ︿文 節 ﹀ と いう 単 位 があ る と いう 。 け さ あ さ が お が さ き ま し た
の 一つづ き ず つが そ れ だ と いう 。 こ れ は 近 ご ろ あ ま り 買 わ れ て いな い。 意 味 の上 の 切 れ 方 と 食 いち がう と いう こ と に よ る 。 ま た 英 語 そ の他 に、 そう いう 単 位 は な いか ら だ 。
し か し 、 日本 語 で は き わ め て 明 確 な 単 位 であ る 。 ﹁ね ﹂ ﹁さ ﹂ ﹁よ ﹂ と い った 間 投 助 詞 を 挿 入 でき る の は 、 こ の
文 節 と 文 節 と の間 であ る 。 も し 仮 名 ば か り で 日 本 語 を 書 く と し た ら 、 文 節 ご と に 分 か ち 書 き す る の が 適当 のよ う
だ 。 こ の頃 ワー プ ロで 日本 語 を 打 つ こと が盛 ん であ る が 、 そ の 場 合 、 文 節 ご と に 打 つ の が都 合 が よ い。
は じ め にあ げ た 四 つ の説 のう ち 、 松 下 大 三 郎 の単 語 は こ の文 節 に 一致 す る 。 朝 鮮 語 や モ ンゴ ル語 ・ト ル コ語 な
ど の ア ル タイ 語 に と って 、 文 節 と いう 単 位 は 、 母 音 調 和 ( 上巻、本書九九 ページ) の現 象 が ど こ ま で 続 く か を 考 え る た め に、 き わ め て大 切 な 単 位 で あ る 。
品 詞 の分 類
さ て、 日本 語 の文 法 を 考 え る 単 位 は 単 語 であ る と し て 、 単 語 を 文 法 上 の性 質 か ら 分 け な け れ ば いけ な い。 単 語
を 文 法 上 の性 質 によ って分 け た も の、 そ れ を ︿品 詞 ﹀ と いう 。
日 本 語 の品 詞 に つ い ては 、 学 校 文 法 で いう と 、 名 詞 ・動 詞 ・形 容 詞 ・形 容 動 詞 ・副 詞 ・連 体 詞 ・接 続 詞 ・感 動
詞 ・助 詞 ・助 動 詞 とな る 。 こ のう ち 、 あ と に 述 べ る よ う に形 容 詞 と 形 容 動 詞 は同 じ よ う な も の で、 一括 し た 方 が
い い。 今 、 一括 し て 形 容 詞 と す る 。 こ こ に は 副 詞 の 一部 も 入 って く る 。 そ の他 の 副 詞 と 連 体 詞 と 接 続 詞 は 同 じ よ
う な も の で 、 一括 し て 副 詞 と い って い い。 助 詞 はも し 英 語 な ど と 比 較 す る 時 は 後 置 詞 と い った 方 が い いが 、 こ こ
で は 慣 用 に 従 って助 詞 と 呼 ん で お く 。 問 題 は 助 動 詞 で 、 大 部 分 は 動 詞 に つ い て全 体 が 一語 と 見 た 方 が い い。 残 る
のは ﹁だ ﹂ ﹁ら し い﹂ ﹁よ う だ ﹂ ﹁だ ろ う ﹂ だ け で 、 こ れ は 論 理 学 で いう コプ ラ ( 繋 辞 ) に 相 当 す る が、 慣 用 に 従 って 助 動 詞 と 呼 ん で お こう 。
れ に あ た る 単 語 群 はあ る が 、 名 詞 に 対 し て特 別 のち が い がな い の で、 学 校 文 法 で は 名 詞 の 一部 と し て いる 。 そ れ
以 上 の 分 類 を 英 語 な ど に比 べ る と 、 な いも のと し て代 名 詞 ・数 詞 と 冠 詞 と 前 置 詞 で あ る。 代 名 詞 と 数 詞 は 、 そ
が い い。 冠 詞 は 日本 語 な ど は 連 体 詞 の 一種 で 、 こ こ で は 副 詞 のう ち に 入 れ る 。 最 後 の前 置 詞 は 重 要 で 、 これ が 日
本 語 に な い。 日 本 語 で そ れ にあ た る も の は後 置 詞 す な わ ち 助 詞 で 、 ほ ん と う は 助 詞 と いう 言 葉 は 前 置 詞 ・後 置 詞 の 併 称 に 用 いた いも の だ 。 今 の 慣 用 に従 って お く 。
前 置 詞 があ る か、 後 置 詞 があ る か は 言 語 に よ って き ま り 、 英 ・独 ・仏 な ど ヨー ロ ッパ語 族 は だ い た い前 置 詞 を
も つが 、 同 じ ヨー ロ ッパ 語 族 でも イ ンド 語 ・イ ラ ン語 な ど は 後 置 詞 を も つ。 東 南 ア ジ ア で は中 国 語 ・タ イ 語 ・ヴ
ェト ナ ム語 ・イ ンド ネ シ ア 語 な ど が 前 置 詞を も つ。 こ れ に対 し て 、 朝 鮮 語 ・モ ンゴ ル語 ・ト ル コ語 、 さ ら にヨ ー
ロ ッパ に侵 入 し た ハンガ リ ー 語 は後 置 詞 を も つ。 一つ の言 語 が前 置 詞 を も つか 後 置 詞 を も つか は 重 要 な 問 題 で、 セ ンテ ン ス の 組 立 て の 問 題 に関 係 し てく る こ と は あ と に 述 べ る。
日本 語 の品 詞分 け
最 後 に、 日 本 語 の 単 語 は 、 品 詞 の区 別 が 明 確 か 。 これ は 比 較 的 明確 であ る。 元 来 、 単 語 の中 で動 詞 と 名 詞 と は
最 も 極 端 な 対 立 を な す 語 類 であ る 。 と こ ろ が 、 そ の区 別 さ え は っき り し な い言 語 が あ る。 セ ミ チ ック 諸 語な ど は
me
no"とbい uう t語 s! 句 があ る 。
そ れ だ と いう 。(ヴァンドリ エス ﹃ 言語﹄) 英 語 な ど も 品 詞 の 区 別 は あ ま り は っき り し な いよ う だ 。but と いえ ば 、 ふ つう 接 続 詞 か 副 詞 か で あ る 。 が 、 ﹁だ って な ど と 言 う な ﹂ と いう 意 味 の"But
こ のう ち の前 の びbu はt 動 詞 であ り、 あ と のbut は 名 詞 だ そう で あ る。 そ のま ま の形 で、 名 詞 にも な り 動 詞 に も な
る のだ か ら す さ ま じ い。 中 国 語 では 、 ﹁賢 ﹂ は 元 来 ﹁か し こ い﹂ と いう 意 味 の形 容 詞 であ る。 が 、 ﹃論 語 ﹄ に は 、
﹁賢 賢 易 色 ﹂ ( 賢 ヲ賢 ト シ色ニ 易 ウ ) と いう 言 葉 が あ る 。 こ のと き 、 上 の ﹁賢 ﹂ は 動 詞 で あ り 、 下 の ﹁賢 ﹂ は 名 詞 だ と いう 。
日本 で は 、 こ んな 極 端 な こ と は ま ず な い。 日本 語 で動 詞 は 活 用 形 ご と に 一定 の形 を し て いる。 ﹁泳 ぎ は し な い﹂
のよ う な 場 合 は ﹁泳 ぎ ﹂ が名 詞 の場 合 と 、 動 詞 の連 用 形 の場 合 と が あ る が、 ア ク セ ント を 見 れ ば 、 オ ヨギ と あ れ ば 名 詞 、 オ ヨギ と あ れ ば 動 詞 であ る 。
日本 語 で は 、 接 続 詞 を そ のま ま 動 詞 に 使 う な ど と は 思 いも よ ら ぬ こと で あ る。 ︿形 容 動 詞 ﹀ と 呼 ば れ る 一群 の
単 語 は 名 詞 か 形 容 動 詞 か と し ば し ば 問 題 にな る が 、 これ も 実 は は っき り し て いる 。 つま り 上 に ﹁非 常 に ﹂ と いう
連 用 語 が つく し 、 下 に は 名 詞 に つか な い語 尾 ﹁な ﹂ が つく 。 意 味 も 形 容 詞 と 同 じ であ る 。 名 詞 で な い こ と は 明 ら
か だ 。 ヨー ロ ッパ に は 名 詞 と 形 容 詞 と 区 別 の は っき り し な い言 語 が多 く 、( ヴ ァンドリ エス ﹃ 言語﹄)東 ア ジ ア で は 朝 鮮 語 な ど 形 容 詞 と動 詞 の区 別 が は っき り し な い。
日本 語 の品 詞 論 は 学 者 に よ ってま ち ま ち で、 文 法 書 を 読 む 人 は 迷う こと が 多 い であ ろ う 。 し か し 、 英 語 な ど で
学 者 に 思う ま ま に 言 わ せ た ら 、 日本 語 以 上 にま ち ま ち にな る だ ろう 。 学 校 で 習 う 文 法 と 、 イ ェス ペ ル セ ン の文 法
や C ・C ・フ リ ー ズ の文 法 、 あ る いは チ ョム スキ ー の文 法 と の ち が い は、 日本 の大 槻 文 法 ・山 田 文 法 ・松 下 文
法 ・橋 本 文 法 ・時 枝 文 法 な ど のち が い にく ら べて は る か に 大 き い。 現 在 、 日本 で学 説 のち が いが 大 き い のは 、 語
の 切 り 方 が ち が う か ら で 、 語 の 切 り 方 を そ ろ え た ら 大 体 似 た よ う な も の に な ってし ま う だ ろう 。
二 名 詞 の性 と 部 類 別 一 名 詞 の性 男 性や ら女 性や ら
日本 語 の名 詞 に つ い て、 ま ず 問 題 に さ れ る のは 、 性 の区 別 が な いこ と であ る 。 も っと も 、 名 詞 の 性 が な いな ど
と 言 って さ わ ぐ のは 、 従 来 ヨー ロ ッパ の諸 言 語 が 代 表 的 な 言 語 だ と さ れ 、 そ れ を 標 準 と し て 見 た か ら であ る 。 た
と え ば 、 ド イ ツ語 では す べ て の名 詞 が 男 性 か 女 性 か 中 性 か に 分 か れ て 、 無 生物 を 表 わ す 名 詞 ま で、 も の に よ り 男
性 だ った り 女 性 だ った り し 、 時 に は 生 物 のあ る も の が中 性 に な る 。 フ ァー テ ル ( 父) やゾー ン ( 息 子 ) が男 性 名
詞 であ り 、 ム ッテ ル ( 母 )やト ホテ ル ( 娘 ) が 女 性 名 詞 で あ る の は差 支 え な い。 そ れ ぞ れ ち が った 冠 詞 を つけ 、
(ordon) na とn かc 保e証 人
複 数 形 の変 化 を つけ る のも め ん ど う で は あ る が 、 ま あ い い。 が、 少 女 (Madc) he はn 中 性 、 番 兵 (Wac) hは e女 性 名 詞 だ と 聞 か さ れ て び っく り す る 。
フラ ン ス 語 は 、 男 性 と 女 性 に 分 か れ る だ け であ る が 、 同 じ よ う な こ と が あ り 、 伝 令
( c auti )o とnか と いう の は 女 性 名 詞 だ そう だ 。 し た が って、 ﹁伝 令 が ﹂ と いう のを 代 名 詞 で 言 う 場 合 に は ﹁彼 女
が ﹂ と 言 う のが 正 し いと いう 。 そ う いう こ と は 、 ど のよ う な 形 の冠 詞 ・形 容 詞 を つけ る か、 と いう と こ ろ にま で
影 響 し てく る 。 同 じ よう な こと が ロシ ア 語 な ど にも あ って 、 た と え ば 、 ﹁死 ん だ 人 ﹂ と い った よ う な も の は 男 性
名 詞 だ そう で 、 し た が って 女 性 も 死 ぬ と 男 性 にな る、 と いう こ と にな る。 わ れ わ れ は ま ご つか ざ る を え な い。
﹁天 ﹂
動 物 は 、 雌 雄 で あ る よ り 先 に 、 そ の 種 が 男 性 か 女 性 か が き ま って い る 。 ド イ ツ 語 で ﹁兎 ﹂ は 男 性 名 詞 、 ﹁鼠 ﹂ は 女 性 名 詞 だ 。 そ の た め に ﹁雄 の 鼠 ﹂ と い う 時 は 、 ee inmannliche (一 M匹 au のs女 性 で あ る 雄 の 鼠 )
weiblich( e一 r匹 の Ha 男s 性eで あ る 雌 の 兎 )
と い い、 ﹁雌 の兎 ﹂ に 対 し て は 、 i en と いう のが 正 し いそ う だ 。
さ ら に 、 ド イ ツ語 や フ ラ ン ス語 で は、 生 き て いな いも ので も 片 端 か ら 男 性 、 女 性 と 呼 び 分 け る。 そ れ も
が 男 性 、 ﹁地 ﹂ が 女 性 と い う あ た り は い い が 、 ド イ ツ 語 で ﹁手 ﹂ はHand で 女 性 、 ﹁足 ﹂ はFu〓 で 男 性 で あ る 。
し か し 、 ﹁手 の 指 ﹂ は 男 性 で あ り 、 ﹁足 の 指 ﹂ は 女 性 だ と い う 。 フ ラ ン ス 語 で は 、 ﹁鼻 ﹂ はnezと 言 っ て 男 性 だ が
﹁口 ﹂ はboucheと 言 っ て 女 性 で 、 文 章 を 読 ん で い て 、 ﹁彼 女 が ﹂ と 出 て 来 る と 誰 か 女 の 人 が い る の か と 思 う が 、 そ う で は な く て 、 そ の 人 の 口 の 話 で あ った り し て 、 ま ご つ く こ と が あ る 。
こ のよ う な 性 の区 別 と いう の は、 日本 人 か ら み る と 大 変 珍 し いこ と のよ う に 思 わ れ る が 、 世 界 の言 語 の な か に
は こ う い う 区 別 を 持 った 言 語 は か な り た く さ ん あ る ら し い 。 た と え ば 、 ヨ ー ロ ッ パ の 言 語 は す べ て 原 則 と し て 、
男 性 名 詞 ・女 性 名 詞 の 区 別 を 持 っ て おり 、 時 に は 中 性 名 詞 も 区 別 す る 。 例 外 は 、 ハ ン ガ リ ー 語 と フ ィ ン ラ ン ド 語
で 、 こ れ は ア ジ ア 系 だ か ら 、 区 別 が な い の だ そ う だ 。 一方 、 ア ジ ア の 方 で も イ ラ ン か ら イ ンド の ヒ ン デ ィ ー 語 は
ヨー ロ ッパ系 で 、 性 の 区 別 があ る。 ア ラ ビ ア か ら ア フリ カ の北 の方 に は、 こ れ は ヨー ロ ッパ系 と は 言 え な いが 、
ア ラ ビ ア 語 の 系 統 の セ ム 語 ・ ハム 語 が 使 わ れ て い て 、 こ こ に や は り 男 性 ・女 性 の 区 別 が あ る 。 さ ら に ア フ リ カ の
南 の方 の ブ ッ シ ュ マ ン、 ホ ッ テ ン ト ット 諸 語 に も 区 別 が あ る の だ そ う だ 。(﹃ 言 語﹄ 昭 和 五十三 年 六 月 号、 西 江 雅 之 )
何 に基づ く の か
こう い った 性 の 区 別 と いう も のは 、 一体 何 に基 づ く か。 こ れ に つ い ては 、 新 村 出 の ﹃言 語 学 概 論 ﹄ に説 明 が あ
る 。 こ こ に は いろ いろ な 例 が集 め てあ って、 た と え ば ホ ッテ ント ット の 言 葉 に 、 ﹁水 ﹂ と いう 言 葉 があ る と す る
と 、 こ れ が 水 一般 の場 合 に は 中 性 名 詞 であ る が、 洪 水 と か 河 や 湖 の水 、 つま り 水 がた く さ ん 集 ま って いる と き は
男 性 名 詞 であ り 、 洗 い水 ・飲 み 水 の よ う な 水 の と き は女 性 名 詞 と し て 使 う の だ そ う だ 。
も う 一つ、 イ ェス ペ ル セ ンに よ る と 、 ア フリ カ の ベ タ ウ ヨ語 と いう 言 語 、 こ れ は ハム 語 族 に属 す る と いう か ら 、
昔 の エジ プ ト 語 系 の言 語 で あ る が、 人 間 と か、 大 き な も の、 大 切な も の が 男 性 名 詞 にな って いる。 一般 の物 と か 、
小 さ な も の、 つま ら な いも のは 女 性 名 詞 と な って い る。 た と え ば 、 男 の乳 と いう の は役 に 立 た な いか ら こう いう
も の は 女 性 名 詞 に な って いて 、 反 対 に 女 の乳 は 立 派 で有 用 であ る の で男 性 名 詞 な のだ そ う だ 。 こう いう こ と か ら
ッパ の言 語 にあ る の で はな いか 、 と いう ふう な こと を 新 村 は 述 べて い る。
考 え て 、 何 か、 昔 の人 の価 値 観 、 価 値 のあ る も のは 男 性 で、 価 値 のな いも の は 女 性 と い った そ の名 残 り が ヨー ロ
千 野 栄 一の ﹃言 語 学 の散 歩 ﹄ の中 には 、 いろ いろ な 言 語 に お け る 名 詞 の 性 別 の例 が 挙 が って いる が、 コー カ シ
ア 語 族 の中 に は 、 ﹁男 ﹂ と ﹁神 様 ﹂ と は い っし ょ の 性 、 ﹁女 ﹂ は ち が う と いう の や 、 ﹁男 ﹂ だ け が 別 で、 ﹁女 ﹂ と
﹁怪 獣 ﹂ が い っし ょ に な って いる な ど 、 女 性 に対 し ては 大 変 失 礼 な 言 語 の例 があ る よ う だ 。
ヨー ロ ッパ のオ ー セ ンと いう 学 者 は 、 男 性 名 詞 ・女 性 名 詞 の区 別 があ る 言 語 は 、 文 章 に活 気 を 与 え る と 言 った。
名 詞 に 性 の 区 別 を も た な い ハ ンガ リ ー の学 者 の中 に は、 そ う 言 わ れ て コ ンプ レ ック ス に陥 った 人 も あ る よ う だ 。
し か し 、 わ れ わ れ に は、 そ れ よ り モ ラ エス が ﹃日本 精 神 ﹄ の中 で 述 べ て いる よ う に、 無 生 物 に ま で性 を 感 じ る こ と は む し ろ いや ら し いと 思 う 。
新 し い単語 が でき ると
schoと nい e いF 、r こaの uう ちeinと e schoのn最 e後 に つ い て いる 二 つ の eは 、 両 方 と も 、 そ れ
ヨー ロ ッパ の諸 言 語 で は こ う いう 区 別 のた め に 、 ば か ば か し い こ と も あ る。 ﹁一人 の美 し い娘 ﹂ と いう 時 に ド イ ツ語 で は 、eine
は 女 性 だ と いう し る し であ って、 どう も そ う いち いち 言 わ な く ても と 思 わ れ る 。
son
and
dでaい uい gわ ht けe だrが 、 ド イ ツ語 だ と 、 ﹁私
ま た、 男 性 名 詞 と 女 性 名 詞 によ って 修 飾 す る 言 葉 が違 う の で 、 ﹁私 の息 子 と 娘 ﹂ と いう よ う な 言 葉 が ド イ ツ語 や フ ラ ン ス 語 で は 簡 単 に 言 え な い。 も し 英 語 な ら ばmy
Sohn
und
meと in 二e 度 手T間 oを cか ht けe なrけ れ ば 言 え な い
の﹂ と いう の はmeinとmeinの e二 つあ る。meinと いう 方 は 男 性 名 詞 用 、mein とeいう 方 は 女 性 名 詞 用 で あ る。 息 子 は男 性 で娘 は 女 性 であ る か ら 、 右 の句 はmein こと にな る 。
そ れ か ら 、 す べ て のも のを 男 性 か女 性 か に片 づ け な け れ ば い けな いと す る と 、 新 し い単 語 が で き た 場 合 に 困 る。
渡 辺 紳 一郎 の随 筆 に あ った が 、 渡 辺 が パ リ に いた 頃 に、 パ リ の町 にautoと 呼 ば れ た 乗 合 自 動 車 が 生 ま れ た のだ
そ う だ 。 と こ ろ が こ のautと o いう も の は 男 性 で あ る か 女 性 であ る か。 新 聞 の投 書 欄 を 読 む と、 あ れ は 男 性 だ 、
女 性 だ、 と いう 議 論 がむ し か え さ れ て いる 。 そ の結 着 が つか な いう ち に渡 辺 は ス ウ ェー デ ンに 行 った そ う だ が、
三 年 後 ま た パ リ に 帰 って 来 て 、 何 気 な く ホ テ ル で新 聞 を 開 いて み る と 、 ま だ 、autが o男 性 だ 、 女 性 だ 、 と いう
議 論 が続 い て い た そ う で、 こ う いう こ と は 日本 で は ま ず 想 像 も つか な い こ と で あ る 。
英語 の場 合
英 語 は 比 較 的 そう いう こ と を 言 わ な い言 語 であ る が 、 そ れ でも 時 に は、 性 を 区 別 し て使 う こ と があ る 。 ﹁船 ﹂ と ﹁井 戸﹂ は 女 性 と し て 扱 う そ う だ 。
筆 者 は ハワイ に滞 在 し た と き に、 せ っか く の機 会 だ から 英 語 の会 話 を 勉 強 し よ う と、 会 話 の塾 へ通 った 。 と こ
ろ が 、 そ の先 生 の話 す 言 葉 が速 く て 、 つ いて 行 け な い。 そ こ で 私 は あ る 日 、 テー プ レ コー ダ ー を 教 室 に 運 び こ ん で 許 可 を 求 め た 。 そ の 日 、 先 生 が 生 徒 一同 に こう 言 った のは 面白 か った 。
﹁今 日 は 、 こ の教 室 に 一人 の新 し い生 徒 を 迎 え た 。 彼 は 頭 がよ く て 、 私 が教 え た こ と を す ぐ に 皆 、 覚 え て し ま う 。 諸 君 も 彼 に負 け な いよ う に 頑 張 り た ま え ﹂
人 は ち ょ っと や ら な い。
つま り 、 き わ め て ス ム ー ズ に テ ー プ レ コー ダ ー を 男 性 名 詞 に し て し ま った の であ った が 、 こう いう こ と は 日 本
日本 語 では 、 一般 に男 性 か 女 性 か と いう 区 別 に 無 頓 着 であ る。 た と え ば 、 日 本 語 で ﹁俳 優 ﹂ と いう 場 合 に 、 こ
れ は 男 で も 女 で も い い。 英 語 で はacto とrいう のが 男 性 で、 女 優 に 対 し て はactrと es いs う 別 の言 葉 で 表 わ す 。 ﹁恋 人 ﹂ と いう 場 合 も 同 様 であ る こと は前 に 述 べた 。
英 語 で は 、heとshe と いう 二 つの 人 称 代 名 詞 が あ って 、 こ れ を 使 い分 け な け れ ば いけ な い。 芥 川 龍 之 介 の ﹃羅
生 門 ﹄ を グ レ ン・ シ ョウ が 翻 訳 し た が 、 あ の作 品 の中 に 死 人 の髪 の毛 を 抜 く 老 人 の話 が 出 てく る。 最 初 のう ち は
老 人 が 男 であ る か 女 であ る か わ から な い。 そ れ を シ ョウ は 、 は じ め はheを 使 って、 ﹁彼 が ⋮ ⋮ ﹂ と し て い る が 、
のち に 老 婆 と いう 正 体 がわ か って か ら はshe を 使 って ﹁彼 女 が ⋮ ⋮ ﹂ と 改 め て い る。 これ な ど は、 人 を さ す 場 合
heかsheか に 決 め て 言 わ な け れ ば いけな いと いう 英 語 の悩 み が あ る ので は な いか と 思 った 。 日本 語 に は こ のよ う な 場 合 、 両 方 に使 え る ﹁そ の人 ﹂ と いう 言 葉 があ る の であ り が た い。
二 名 詞 の部 類 別 東 ア ジア の言語 と部類 別
東 ア ジ ア の言 語 に は こ のよ う な 男 性 名 詞 ・女 性 名 詞 の区 別 が な い。 そ れ に 代 わ る も のと し て 、 日本 語 も そ の代
表 的 な 言 語 で あ る が、 ︿部 類 別 ﹀ の存 在 が あ る 。 こ れ は ま ず ﹁も の﹂ を 、 生 き て 活 動 す る も の ( 心 のあ る も の )
と 活 動 し な い普 通 のも の (心 のな いも の) に 分 け 、 こ の区 別 を や か ま し く 考 え る 、 と いう こと で あ る 。 日本 語 で
は 、 存 在 を 表 わ す 動 詞 に ﹁いる ﹂ と ﹁あ る ﹂ と 二 つあ って 、 ﹁私 ﹂ ﹁犬 ﹂ ﹁虫 ﹂ のよ う な 、 生 き も の の 場 合 は 、 ﹁私
が いる ﹂ ﹁犬 が いる ﹂ ﹁虫 が いる ﹂ と ﹁いる ﹂ を 使 い、 無 生 物 の場 合 は ﹁机 が あ る ﹂ ﹁本 があ る ﹂ ﹁マイ ク が あ る ﹂ と ﹁あ る ﹂ を 使 う 。
英 語 で は 、 た と え ば 三 人 称 の代 名 詞 は ﹁彼 ﹂ ﹁彼 女 ﹂ と いう ふ う に 男 性 ・女 性 の区 別 が あ る 。 と こ ろ が 、 そ れ
に対 し 、 複 数 にな る と ﹁彼 ら ﹂ ﹁彼 女 ら ﹂ は 同 じtheyに な る 。 そ れ は い いが 、 そ れ は 生 き て いな い も の の複 数
﹁そ れ ら ﹂ と 形 が同 じ で あ る こ と に驚 く 。 つま り 男 女 の別 の方 が 人 と物 と の別 よ り も や かま し い の で あ る 。
辰 野隆 の随 筆 に あ った が 、 中 学 校 一年 の時 、 教 室 で英 語 のリ ー ダ ー と し て 、 イ ソ ップ 物 語 を 読 ん で いた 。 そ の
中 に 強 欲 な 犬 が い て、 肉 屋 か ち 肉 片 を 盗 み出 し て逃 げ、 小 川 に か か って いる 橋 を 渡 り か け て、 川 の水 面 を 見 る と、
肉 を く わ え て いる 自 分 の姿 が 映 って いる 。 そ の肉 も 欲 し いと 思 って 大 き く ワ ンと 吠 え た た め に、 肉 は 川 の中 に落 ち て 、 犬 は肉 を 失 った と いう 話 が載 って いた。 そ こを 英 語 では 、 彼 が ひと 声 ワ ンと 吠 え る と 、 彼 が く わ え て いた 肉片 は 彼 の 口を 出 発 し た 。
と 書 いて あ った そ う で、 級 友 一同 大 笑 いし た と あ った。leaと v書 e いて あ った の であ ろ う か。 日 本 人 か ら 見 る と 、
﹁出 発 す る ﹂ と いう のは 、 た とえ ば 、 新 婚 の 二人 が ハ ワイ へ行 く と いう わ け で 、 み ん な 成 田 ま で 見 送 り に ゆ く 。
税 関 の時 に、 ﹁じ ゃあ行 ってく る ぞ ﹂ ﹁頑 張 れ よ ﹂ と 手 を 振 って別 れ る よ う な 時 に 言 う 言 葉 で、 肉 片 が 口を 離 れ た
よ う な 時 に同 じ動 詞 を 使 う と は 考 え ら れ な いわ け だ 。 生 物 ・無 生物 のち が いを 大 き く 見 て い る 民 族 と 、 そ う でな
い民 族 と のち が い であ ろう 。 前 に述 べた 、 ハ ワイ の英 会 話 の先 生 が テー プ レ コー ダ ーを 生 徒 な み に 扱 った のも 、
筆 者 は お も し ろ い言 い方 だ と 感 心 し た が、 珍 し く も な い言 い方 だ った の かも し れ な い。
主 語が無 生物 のとき の表 現
一体 に、 昔 か ら 日本 語 で は、 無 生 物 が主 語 にな った 場 合 は 受 身 の 形を 使 わ な い、 と いう のが 本 来 の性 格 だ った 。
現 在 で は ご く 普 通 に ﹁机 が置 か れ る ﹂ ﹁幕 が 張 り め ぐ ら さ れ た ﹂ と 言 う が、 昔 の 日 本 人 は あ ま り そ う いう こと は
言 わ な か った 。 ﹁机 が置 か れ た ﹂ と 言 う と 、 机 が 置 か れ て 困 って いる よ う な 、 そ ん な 語 感 が あ る。
これ は 受 身 の言 い方 に 限 ら ず 、 使 役 の表 現 も 無 生 物 が 主 語 の 場 合 に は 使 い にく い こ と 、 後 に も 触 れ る 。 ﹁風 が
私 の 心 を 悲 し ま せ る ﹂ の よ う な 言 い方 は 、 古 く は な か った 。 昭 和 の は じ め 藤 森 成 吉 は ﹃何 が 彼 女 を そ う さ せ た
か ﹄ と いう 戯 曲 を 発 表 し 、 評 判 を と った 。 こ れ な ど も 当 時 の新 し い表 現 で あ った 。 普 通 の言 い方 を 求 め る な ら 、 ﹁こ んな 女 に誰 が し た ﹂ であ ろ う 。
ま た 無 生 物 を 主 語 と し た 場 合 、 他 動 詞 を 使 う こと も 原 則 と し て は な か った 。 横 光 利 一が ﹃日 輪 ﹄ の中 で 、 森 は 数 枚 の柏 の葉 か ら 月 光 を 払 い落 と し て呟 いた。 と いう の が、 新 感 覚 派 と 呼 ば れ 、 いか にも 新 し い感 じを 与 え た のは 当 然 だ った 。
物 に よる数 え方 の違 い
日本 語 の生 物 ・無 生 物 の違 い は、 さ ら に 、 物 を 数 え る 場合 にも や は り モ ノを いう 。 普 通 、 人 間 を 数 え る場 合 は
﹁一人 ﹂ ﹁二 人 ﹂、 大 き い獣 は﹁一 頭 ﹂ ﹁二 頭 ﹂、 小 さ い獣 や 虫 は﹁一 匹 ﹂ ﹁二匹 ﹂、 鳥 は ﹁一羽 ﹂ ﹁二 羽 ﹂ と 言 う 。
これ が 日 本 語 で は 、 いろ いろ 難 し い問 題 を は ら ん で いて、 ざ る そ ば や 看 板 は﹁一 枚 ﹂ ﹁二枚 ﹂、 鏡 や 碁 盤 あ る い
は 箏 の よ う な も の は﹁一 面 ﹂ ﹁二 面 ﹂、 た ん す と 三 味 線 は ﹁一さ お ﹂ ﹁二 さ お ﹂ な ど と、 言 い分 け る と いう か ら 大
変 だ 。 終 戦 前 の N HK の アナ ウ ンサ ー の 採 用 試 験 に は 、 漢 字 の読 み 方 と 、 敬 語 の言 い方 と も う 一つ、 こ れ は ど
う 数 え る か と いう よう な 問 題 が 出 た も ので 、 アナ ウ ンサ ー の志 願 者 は 一生 懸 命 に 勉 強 し た も の であ った 。 イ カ な
ど は 、 こ れ は 動 物 であ る が ﹁一ぱ い﹂ ﹁二 は い﹂ と 数 え 、 ウ サ ギ は 獣 であ る が﹁一 羽 ﹂ ﹁二 羽 ﹂ と 数 え る と いう よ
う な 例 があ る 。
こう い った 物 に よ る 数 え 方 のち が いは 、 日本 だ け で はな い。 こ れ は 東 南 ア ジ ア的 な 性 格 で、 こ れ に つ いて は 次 節 の数 詞 の項 で述 べる 。
﹁ある﹂ と ﹁いる﹂
こ の項 のは じ め に 述 べた 日本 語 の ﹁あ る ﹂ と ﹁いる ﹂ に つ い て 一言 付 け加 え てお く と 、 た し か に ﹁人 が いる ﹂
﹁犬 が いる ﹂ ﹁机 があ る ﹂ ﹁本 があ る ﹂ ぐ ら いな ら ば 、 生物 と 無 生 物 のち が い で よ いが 、 実 際 に は 人 間 の場 合 にも
﹁あ る ﹂ を 使 う 場 合 があ る 。 す な わ ち 、 ﹁私 に は 子 ど も が 三 人 あ る ﹂ の場 合 で 、 子 ど も は 生 物 の 場 合 で あ る が、
﹁あ る ﹂ を 使 う 。 これ が か り に、 お 手 伝 いさ ん の 場 合 、 ﹁う ち に は お 手 伝 いさ ん が いる ﹂ と 言 って 、 ﹁あ る ﹂ を 使
わ な い。 こ れ は な ぜ か 。 考 え て み る と 、 お 手 伝 いさ ん が家 に い る の は 、 本 人 の意 志 で こ こ に居 よ う と 思 って 来 た
った の であ る 。 こ こ に は 本 人 の意 志 が 関係 し て いな い。
の であ る。 と こ ろ が息 子 の方 は 、 こ の家 に生 ま れ よ う と 思 って 生ま れ た の で は な い。 生 ま れ て み た ら 、 私 の家 だ
つま り、 ﹁いる ﹂ と ﹁あ る ﹂ の ち が い は 生 命 のあ る な し で は な く て 、 心 のあ る な し に よ る 違 いだ と 言 った 方 が
正 確 であ る。 無 生 物 で も 、 た と え ば ﹁あ そ こ に自 動 車 が いる ﹂ と 言 う こと が あ る 。 これ は 運 転 手 が ち ゃ ん と いる
自 動 車 が よ そ か ら 来 て そ こ に と ま って いる 場 合 で あ って、 か ら の自 動 車 が置 いて あ る場 合 に は そ う は 言 わ な い。
有 心 物と 無心 物
と ころ で、 こ の有 心 物 と 無 心物 のち が いは 、 数 え 方 を 離 れ て 見 る 場 合 は 、 か な り 全 世 界 の言 語 に普 遍 的 で 、 英
語 で も 全 然 な い こ と は な い。 た と え ば 、who対what の間 、 あ る いはsomebo対dsyomethの i間 nな gど には、区別 があ る 。
な お 、 言 語 に よ っ て は せ っか く 有 心 物 ・無 心 物 に 分 け て も 、 実 際 に 有 心 物 と 無 心 物 の ち が い に 対 応 し な い 例 は
た く さ ん あ る 。 北 米 の ア ル ゴ ン キ ン 語 で は 、 有 心 物 の 方 に 、 動 物 の ほ か に 植 物 の 一部 と ヤ カ ン が 含 ま れ て い る そ う だ が 、 ヤ カ ン と は 妙 な も の を え ら ん だ も の だ 。(E ・A ・ナ イ ダ ﹃ 新 言 語 学問 答 ﹄)
こ の ご ろ 日 本 語 と 同 系 か と いう 論 が 出 て や か ま し いイ ン ド の ド ラ ヴ ィ ダ 語 族 は 、 有 心 物 ・無 心 物 の 区 別 が 男
性 ・女 性 の 区 別 と か ら み あ っ て 来 て 、 む ず か し い 関 係 を 作 っ て い る 。 た と え ば 、 ゴ ー ン ド 語 と か ク ー 語 で は 無 心
物 と 女 性 と を い っし ょ に 扱 う き ま り が あ る そ う だ 。( メイ エ、 コー ア ン共 編 ﹃ 世 界 の言 語﹄)
思 い出 し 部
と こ ろ で 、 物 の 有 心 物 ・無 心 物 の 分 類 と 、 男 性 ・女 性 と の 分 類 が か ら み あ い 、 最 も 複 雑 な 文 法 体 系 を 作 っ て い
て 有 名 な 言 語 が 、 ア フ リ カ 南 部 の バ ン ドゥ ー 語 族 で あ る 。 そ の 一 つ に ズ ー ル ー 語 が あ る が 、 こ こ で は す べ て の 名
詞 が 、 人 に 関 す る も の 、 木 な ど に 関 す る も の 、 道 具 に 関 す る も の⋮ ⋮ な ど の 部 類 に 分 か れ 、 そ れ ぞ れ に 形 容 詞 で も 動 詞 で も す べて ち が った 形 を と る。
umunと tuいう が 、 こ のumuntu
umu と いう 部 分 が 変 形 し て ﹁わ れ わ れ の ﹂ に も つ き 、 ﹁す て き な ﹂ に も つき 、 ﹁や っ て 来 た ﹂ に も つく 。
﹁わ れ わ れ の す て き な 人 が や っ て 来 た ﹂ と いう こ と を 言 お う と す る と 、 ﹁人 ﹂ は の最 初 の つま り 、
人 が 、 わ れ わ れ の 人 だ ぞ 、 す て き な 人 だ ぞ 、 や っ て 来 た ぞ 、 そ れ は 人 が だ ぞ ⋮ ⋮
と い う よ う に 言 う の だ そ う だ 。 そ う し て 、 も し こ の ﹁人 ﹂ の 部 分 が 、 ﹁少 女 ﹂ (into) mb とi な れ ば 、umu の 代 わ り に 別 のinと いう 部 分 が 変 形 し て 、 次 々 の 言 葉 に く っ つ い て いく 。 つ ま り 、 少 女 が 、 わ れ わ れ の 少 女 だ ぞ 、 す て き な 少 女 だ ぞ ⋮ ⋮ と いう よ う にな る と いう か ら め ん ど う だ 。
eg とg
イ ェス ペ ル セ ンは 、 こ のゴ チ ック の部 分 を ︿思 い出 し 部 ﹀ (remi) nと d呼 er び、 ラ テ ン語 な ど の 一つ の 名 詞 に
つく 冠 詞 や 形 容 詞 の語 尾 変 化 は これ と 同 じ も の で 、 あ ま り 進 化 し て いな い言 語 であ る 徴 証 と き め つけ た 。
三 名 詞 の 数 と 数 詞
一 名 詞 の数 単 数 か複数 か
日本 語 の名 詞 は 数 の 区 別 が な いと いう こ と が よ く 話 題 に な る。 す な わ ち 、 英 語 で は 卵 が 一つ の場 合an
いう が 、 二 つ以 上 の場 合 は 形 を 変 え てeggsと いう 。 これ に 対 し て 日本 語 は 、 卵 が 一つで も 二 つ で も タ マゴ で す
ま せ る 、 と いう 類 いで あ る 。 こ の単 複 の区 別 は 、 世 界 の言 語 に か な り普 遍 的 な 現 象 で、 イ ンド ・ヨー ロ ッパ 語 は
す べ ても ち 、 ウ ラ ル諸 語 ・ア ルタ イ 諸 語 か ら ビ ル マ語 にま で 及 ん で お り 、 ハム ・セ ム諸 語 、 ア フ リ カ の諸 言 語 や
太 平 洋 の諸 言 語 にも 見 ら れ る 。 す な わ ち 数 の区 別 のな い言 語 の方 が珍 し く 、 日本 語 の ほ か は 朝 鮮 語 ・旧 満 州 語 ・
中 国 語 ・タイ 語 ・ヴ ェト ナ ム 語 ( ﹃ 安南語広文典﹄) から 、 イ ンド ネ シ ア語 ( 市河三喜 ほか編 ﹃ 世界言語概説﹄下)な ど が そう で、 大 体 、 ア ジ ア の東 南 方 に か た ま って いる。
日 本 語 や中 国 語 に 数 の区 別 が な いこ と は 、 ヨー ロ ッパ人 を 驚 か せ 、 軽 蔑 の気 持 を いだ か せ る ら し い。 ブ ロ ック
と いう ア メ リ カ の 言 語 学 者 は 、 日 本 人 は 思 考 に お い ても 、 単 数 と 複 数 と の区 別 を す る こ と が で き な い、 と 言 った
と いう 。( ﹃言語研究﹄昭和 二十八年三月、服部四郎 ) た し か に、 日 本 人 は 二 人 の娘 を ﹁ピ ンク レ デ ィー ﹂ な ど と 呼 ん で 平 気 で いた 。
日本 語の複 数表 現
日本 人 も 、 単 数 と 複 数 の区 別 は 頭 に あ る 。 が、 そ れ を いち いち 言 葉 の上 に 表 わ さ な いだ け だ 。 日 本 語 で も 、 複
数 を 表 わ す 言 い方 が な いわ け では な い。 名 詞 に 接 尾 語 の ﹁ど も ﹂ や ﹁ら ﹂ や ﹁た ち ﹂ を つけ れ ば 複 数 を 表 わ す も
の で、 ﹁私 ど も ﹂ ﹁学 生 た ち ﹂ ﹁子 供 ら ﹂ な ど は そ れ であ って、 人 の場 合 に は そ れ が言 え る 。 ﹁こ れ ら ﹂ ﹁そ れ ら ﹂
のよ う な 、 いわ ゆ る 代 名 詞 の場 合 な ら ば 、 物 で も 複 数 で言 え る 。 ﹁山 々﹂ のよ う な 形 も 、 本 来 は 複 数 を 表 わ す 形
では な いが 、 結 果 と し て複 数 を 表 わ す こと にな る 。 こ と に 漢 語 の場 合 、 ﹁諸 問 題 ﹂ ﹁諸 制度 ﹂ のよ う な 言 い方 が で
き る 。 た だ し 、 言 いた く て も 言 え な いも の があ る こと は 残念 で、 一般 の事 物 、 た と え ば ﹁机 ﹂ と か ﹁本 ﹂ と か は
複 数 であ る こと が 言 え な い。 も っと も 、 時 に は、 英 語 で は 複 数 の形 が な いと こ ろ に、 日本 語 で は 複 数 形 が使 え る
こと も あ り 、 た と え ば 、 英 語 に はwhoの複 数 形 が な いが 、 日本 語 で は ﹁誰 々 が 今 日 来 た って ? ﹂ と 問 う こと が でき る。
日本 語 の複 数 形 に つい て 注意 す べき こ と は 、 複 数 であ る こ と を 示 し た い時 だ け ﹁た ち ﹂ を つけ て 示 す と いう こ
と であ る 。 示 し た く な け れ ば ﹁た ち ﹂ を つけ な く ても い い。 ﹁学 生 が大 勢 歩 い て いる ﹂ で 十 分 で 、 いち いち ﹁学 生 た ち が大 勢 いる﹂ と 言 う 必 要 は な い。
難し い問 題
英 語 な ど は こ の点 や っか いで 、 そ の人 、 事 物 が複 数 だ った ら 、 か な ら ず 複 数 形 を 使 わ な け れ ば いけ な い。 終 戦
直 後 の こ ろ、 楳 垣 実 が京 都 の 二 条 城 か ら 、 進 駐 軍 の 観 客 に そ な え て 英 語 の掲 示 を 出 し た いと いう 相 談 を 受 け た 。
craでnあ eる が 、 二 羽 い るな ら ばcranと es
簡 単 な こ と と 承 知 し た と こ ろ、 ﹁松 鶴 図 ﹂ と いう ふす ま の絵 の題 を ど う 英 訳 す る か と 電 話 で 聞 か れ 、 日本 語 な ら ば 、 ﹁松 と 鶴 ﹂ で い い が、 英 語 に直 す と な ると 、 ﹁鶴 ﹂ が 一羽 な ら ばa
し な け れ ば と考 え 、 結 局 絵 を 見 せ て も ら わ な け れ ば 訳 せ な いこ と に な った と いう 。
one
and
英 語 な ど で は 単 数 ・複 数 の区 別 が あ るた め に 、 と き に 思 いが け な い難 し い問 題 が 起 こる よ う で、イェ ス ペ ル セ
is
" "T とe 複n数 に aす re べ⋮ き も の だ そ う だ 。 そ れ か ら"Fools
ン の ﹃文 法 の原 理 ﹄ に よ れ ば 、 有 名 な 作 家 に も こう い った 間 違 いが あ る そ う だ 。 "Ten ﹁一〇 は 一た す 九 で あ る ﹂、 こ れ は 正 し く は
und
eと i言 ne う そNうaだ c。 ht
theme.﹁ " お︱ ろ か者 た ち は 私 の テ ー マで あ る ﹂、 こ れ は 、 お ろ か者 が テ ー マと す れ ば お ろ か者 を 一つ に 扱
って い る わ け だ か ら、 む し ろ単 数 にす べき だ と いう 。
my
ド イ ツ 語 でも 難 し い の が あ る 。 た と え ば ﹁千 夜 一夜 ﹂ を ド イ ツ 語 でtausend
Nach とtいう の が 単 数 形 にな って いる 。 元 来 ﹁千 一の夜 ﹂ だ か ら 複 数 に す べき で あ る が 、tause のn 次dに ﹁一つ
の﹂ と いうeinが eあ る の で 、 そ れ に 引 か れ て単 数 のか た ち を 使 う 。 こ の へん は ど う も 論 理 的 で は な い。
D ・カ ー と いう 中 国 語 学 者 は 、 中 国 語 を 学 び 、 中 国 語 の名 詞 に 数 の区 別 のな い こ と を 知 り 、 ﹁自 分 は 、 わ れ わ
れ 西 洋 人 は 、 数 と いう 範 疇 を も つた め に い か に 多 く の 不合 理 を 犯 さ せ ら れ て いる か と 感 得 し た ﹂ と 告 白 し た 。
双数 を も つ言語
言 語学 者 によ る と 、 世 界 の言 語 の中 に は 風変 わ り な 言 語 が あ って 、 単 数 ・複 数 の ほ か に双 数 と いう のを 区 別 す
る 言 語 が あ る と いう 。 つま り 、 指 さ れ る も の が 一つの場 合 、 二 つ の場 合 、 三 つ以 上 の場 合 を いち いち 言 い分 け る 言 語 であ る 。
こう いう 双 数 を 区 別 す る 言 語 で有 名 な の は ア ラ ビ ア 語 だ 。 ほ か に 、 ヨ ー ロ ッパ の 言 語 では 昔 のギ リ シ ャ語 にあ
り、 今 は 、 ス ロ ベ ニア語 や リ ト ワ ニア 語 な ども そ う いう 区 別 が残 って いる そ う だ 。 こ う いう 言 語 を 使 って い る人
は、 新 聞 記 事 に盗 難 事 件 を 扱 う 場 合 、 侵 入 し た 泥 棒 の 人 数 が わ か ら な い時 は 、 ﹁そ の 一人 の 泥 棒 、 二 人 の 泥 棒 、
ま た は 三 人 以 上 の泥 棒 は ⋮ ⋮ ﹂ と いう の であ ろ う が、 厳 密 で はあ る が、 不 自 由 だ ろ う 。
先 年 、 ニ ュー ジー ラ ンド に行 って マオ リ 族 と 親 し く し た 時 、 ﹁さ よ う な ら ﹂ と いう 言 葉 が 、 相 手 が 一人 の場 合 、
nine."︱
are
二 人 の 場 合 、 三 人 以 上 の 場 合 で 言 い 方 が ち が う と い う こ と を 習 った 。
さ ら に 言 語 に よ っ て は 三 数 ・四 数 と い う も の が あ って 、 ミ ク ロネ シ ア の マ ー シ ャ ル 群 島 の 言 語 に あ る と 聞 く ( メイ エ、 コー ア ン共 編 ﹁ 世 界 の言 語﹄) が 、 こ れ は 御 苦 労 と い う ほ か は な い 。
二 数 詞 に つ いて 数 え方 世 界 の諸 言 語 の数 を 表 わ す こ と ば は 、 種 々様 々 で あ る 。
第 一に 、 数 え 方 の き わ め て 貧 弱 な 種 族 が あ る 。 ク ラ ー チ と い う 人 類 学 者 は 、 ﹃人 類 学 ﹄ の 中 で 、 オ ー ス ト ラ リ
ア の ク ィ ー ン ズ ラ ン ド 原 住 民 の こ と ば で は 、 一を 何 ト カ と 言 い 、 二 を 彼 ト カ と 言 い 、 三 以 上 は 特 別 の 言 葉 が な い
と い う 。 そ う し て 無 理 に 数 え る 時 は 、 三 は 彼 ト カ ・何 ト カ と 言 い 、 四 は 彼 ト カ ・彼 ト カ と 言 っ て 表 わ す と いう 。
( 金 田 一京 助 ﹃言 語 研 究﹄) こ れ に 似 た 数 え 方 は 、 タ ス マ ニ ア 人 や パ プ ア の 原 住 民 の 一部 に も あ る ら し い。( ﹃世 界 の言 語﹄)
日 本 語 は 、 歴 史 以 前 に す で に 、 モ モ ・チ ・ヨ ロ ズ を も っ て い て 、 相 当 進 ん で い た 。 多 い方 の 代 表 は 中 国 語 で 、
百 ・千 ・万 の 上 は 、 億 ・兆 と あ り 、 ﹁兆 ﹂ は 10 の 12 乗 だ 。 サ ン ス ク リ ット の 数 詞 も 結 構 多 い が 、 中 国 と ち が っ て 、
﹁十 万 ﹂ ﹁百 万 ﹂ の よ う な 数 え 方 を せ ず 、 す べ て 一〇 倍 ご と に 新 し い 名 前 で 呼 ぶ の で 、 八 位 ぐ ら い で 息 切 れ し た よ う だ。
五 進 法 ・十 進 法 ⋮ ⋮
次 に 、 世 界 の 言 語 の 数 の 組 織 に 、 五 進 法 ・十 進 法 ・十 二 進 法 ・二 十 進 法 な ど が あ る 。 五 進 法 は 、 ク メ ー ル 語 と
メ ラ ネ シ ア 語 の 一部 に 見 ら れ る も の で 、 ク メ ー ル 語 で は 、 一か ら 五 ま で 名 が あ り 、 六 は イ ツ ツ ・ヒ ト ツ 、 七 は イ
ツ ツ ・ フ タ ツ ・八 は イ ツ ツ ・ミ ッ ツ と い う よ う な 形 式 で 言 う と いう 。 こ れ は 、 片 手 の 指 を 一 つ の ま と ま った 単 位 と み て 数 え た こ と に 起 源 を も つ に ち が い な い。( 北 村甫 編 ﹃ 世 界 の言 語 ﹄ 坂本 恭 章 )
十 進 法 は 最 も 普 通 の 考 え 方 で 、 イ ン ド ・ ヨ ー ロ ッ パ 語 ・ウ ラ ル ・ア ル タ イ 語 、 中 国 語 、 ビ ル マ ・チ ベ ット 語 、
朝 鮮 語 、 イ ンド ネ シ ア語 な ど 、 す べて これ であ る 。 日本 語 も こ れ で あ る こ と は 言 う ま でも な い。 これ は 両 手 の指
の数 を 一つのま と ま った単 位 と 考 え た と こ ろ か ら た ま た ま 生 ま れ た 考 え 方 で あ る が、 数 学 的 に は 必 ず し も 最 も 合 理 的 と は 言 え な い と いう 。
二 十 進 法 は 両 手 足 の指 を 数 え るも の で、 こ れ は 世 界 各 地 に散 在 し て行 わ れ て いる 。 ヨ ー ロ ッパ で は バ ス ク 語 と
コー カ サ ス 山 麓 の コー カ シ ア 語 が そ う だ と し て 知 ら れ て お り 、 東 ア ジ ア で は ア イ ヌ 語 の 数 詞 が そ う い う 組 織 を も
っ て い る 。 大 野 晋 に よ る と 、 い つ か 日 本 語 と 同 系 の 言 語 だ と 騒 が れ た ヒ マ ラ ヤ 山 麓 の レ プ チ ャ語 も 二 十 進 法 の 言
語 だ と い う 。 こ の 二 十 進 法 は 、 ヨ ー ロ ッ パ 人 の 数 え 方 に も 部 分 的 に は 現 わ れ て お り 、 た と え ば 、 デ ン マー ク 語 で
は 、 六 〇 は ︿三 倍 の 二 〇 ﹀、 七 〇 は ︿三 ・五 倍 の 二 〇 ﹀ と い う 言 い 方 を す る そ う だ 。( 市 河 三喜 ﹃ 数 詞 に つい て﹄) フ ラ ン ス語 でも 、 八 〇 に こ の行 き 方 が と ら れ て いる 。
十 二 進 法 と は 、 一二 ま で を 別 々 の こ と ば で 言 い、 一三 を 一二 プ ラ ス 一、 一四 を 一二 プ ラ ス 二 と い う 行 き 方 で 、
古 代 の バ ビ ロ ニア語 が 有 名 であ る 。 ヨ ー ロ ッパ の 西 部 の ケ ルト 語 に こ の傾 向 が あ り 、 た と え ば 今 の英 語 な ど で、
一三 以 上 はthirteen,foと u規 rt 則e的 eで n あ る が 、 一 一と 一二 はeleven,tw とe不 l規 ve 則 な のは 、 ケ ルト 語 の数 え 方
の 影 響 だ と い う 。( 市河 、 同 前 ) 十 二 進 法 の 起 源 は 、 一二 と い う 数 が 多 く の 数 の 倍 数 で 割 れ る こ と を 利 用 し た も の で 、 十 進 法 よ り 数 学 的 に は合 理 的 ら し い。
﹁み っ つ ﹂ と
﹁む っ つ ﹂、 四 と 八 が ﹁よ っ つ ﹂ と
﹁や
( 本 書 五 三 ペー ジ﹀ に 述 べ た が 、 一〇 ま で が 倍 数 組 織 に な っ て い る こ と で 、 す な わ ち 、 ヒ
日 本 語 は いわ ゆ る 十 進 法 を も つが、 これ は世 界 で最 も 普 通 の数 え 方 な の で 、 特 色 と は し が た い。 日本 語 の数 え 方 で特 徴 的 な の は、 上 巻
ト ツと フタ ツ の 関 係 は 偶 然 と し て 、 三 と そ の倍 数 の 六 と が
っ つ﹂ で 似 た 形 を も っ て い る こ と で あ る 。
体 系性
﹃ 未 開 社 会 の 思 惟 ﹄ で 紹 介 し て い る ニ ュー ギ ニア の 北 東 地 方 で 話 さ れ る パ プ ア 語
数 詞 に つ い て 、 次 に 注 意 す べ き は 、 一 つ 一つ の 数 を 表 わ す こ と ば が 緊 密 な 体 系 を な し て い る か ど う か と い う こ と で あ る 。 レ ヴ ィ =ブ リ ュ ル の
で は 、 一は 右 手 の 小 指 、 二 は 薬 指 、 三 は 中 指 と 進 み 、 あ と は 次 の よ う に な る と い う 。
四 ︱ 右 手 の 人 差 指 、 五︱ 同 じ く 親 指 、 六︱ 右 の 手 頸 、 七 ︱ 肘 、 八 ︱ 肩 、 九 ︱ 右 の 耳 、 一〇︱ 右 の 目 、 一 一︱ 左 の 目 、 一二︱ 鼻 、 一三 ︱ 口 、 一四︱ 左 の 耳 ⋮ ⋮
( 市 河 ほ か編 ﹃ 世 界 言 語 概 説﹄ 上 ) に よ る と 、 現 代 イ ン ド 語 で は 、 一か ら 一〇 〇 ま
こ のよ う に 続 い て、 二 二 は 左 手 の小 指 に 終 わ る の だ そ う だ 。 顔 のあ た り ま で来 る と 混 乱 が 起 こる と いう が、 ま こ と に も っと も で あ る 。 これ ほど で は な いが 、 辻 直 四 郎
で が 不 規 則 で 、 そ れ ぞ れ そ の名 前 を 暗 記 し な け れ ば な ら な いと いう か ら 、 これ ま た 大 変 だ 。 つま り 九 五 ま で数 え
方 を 教 わ って も 、 九 六 は 何 と 言 う か 聞 か な け れ ば な ら ず 、 一〇 一 へ行 って は じ め て 一〇 〇 プ ラ ス 一と い う 規 格 に
あ った 数 え 方 を す る の だ そ う だ が 、 こ う い う 言 語 を 使 っ て い て は 、 さ ぞ か し 不 便 だ ろ う と 想 像 す る 。 イ ン ド か ら 伝 わ った 仏 教 では 、 は ん ぱ な 数 を 愛 す る が 、 こ のこ と と 関 係 は な い だ ろ う か 。
掛 け 算 ・引 き 算 の や さ し さ ・難 し さ さ て 、 日 本 語 に 戻 る と 、 一〇 以 下 は 、 ヒ ト ツ 、 フ タ ツ 、 ミ ッ ツ ⋮ ⋮ と いう 日 本 古 来 の も の を 使 う が 、 一 一以 上 に な る と 中 国 渡 来 の 、
ジ ュ ウ イ チ 、 ジ ュウ ニ⋮ ⋮ ニ ジ ュウ ⋮ ⋮ サ ン ジ ュウ⋮ ⋮ を 使 って いる 。 これ は ま こと に便 利 だ 。
英 語 で は テ ン と ワ ン を 足 し た も の が テ ン ワ ン で は な く て 、 イ レ ヴ ン と い う 全 然 ち が った 数 に な る 。 そ れ に 一を
足 す と 、 ま た 、 そ れ は テ ン ト ゥ ー で は な く て 、 ト ゥ ウ ェ ル ヴ と な っ て い る 。 こ ん な こ と か ら 、 日 本 語 に あ る ︿九
九 ﹀ に あ た る も の は 、 足 し 算 用 に 使 っ て し ま う の で 、 つま り 足 し 算 の 九 九 は あ る が 、 掛 け 算 の 九 九 と い う も の が
な い の だ そ う だ 。 だ か ら 、 向 こ う で は 掛 け 算 は 非 常 に難 し い計 算 と いう こと にな って いる 。
い つ か 、 ﹁未 完 成 交 響 楽 ﹂ と いう 映 画 を 見 て い た ら 、 シ ュー ベ ル ト が 小 学 校 の 代 用 教 員 を つ と め て い て 、 子 供 に掛 け 算 を 教 え る と 言 って 、 ツ ワ イ マ ル ・ツ ワ イ ・イ ス ト ・フ ィ ー ル ( 2× 2=4) ツ ワ イ マ ル ・ド ラ イ ・イ ス ト ・ゼ ック ス ( 2× 3=6)
と 、 た だ 数 式 の 丸 暗 記 を 強 い て い る と こ ろ が あ った 。 あ れ で は シ ュー ベ ルト で な く て も 授 業 が い や に な って し ま
う と 思 った 。 ソ 連 で 抑 留 さ れ た 人 の 話 に 、 ロ シ ア 人 が 人 数 を 数 え る 時 は 必 ず 二 列 か 五 列 に 並 ば な い と 向 こ う の 人 は 計 算 が でき な いよ う だ と あ った 。
のthirte とe まnぎ ら わ し く 、 子 ど も は 間 違 い や す い そ う だ 。 英 語 は ま だ い
英 語 で は 二 〇 や 三 〇 も む ず か し く 、 ト ゥ ー ・テ ン と か ス リ ー ・テ ンと は 言 わ な い。twenty,th とiい rう ty 全然 ち が う 言 葉 を 言 う 。 こ のthirは ty 、一三
い方 で、 フラ ン ス 語あ た り で は 、 六 〇 がsoixaで n、 t七 e 〇 はsoixantつ eま ︲d りi 六x 〇,プ ラ ス 一〇 と 言 い、 七 二 は
六 〇 プ ラ ス 一二 と いう 。 そ う し て 八 〇 はquatre︲v つi まnりg四 tか sけ る 二 〇 と いう 。 日本 で は ﹁八 〇 か ら 七 二 を
引 く ﹂ と 言 え ば す ぐ ﹁八 ﹂ と答 え が出 る が 、 フ ラ ン ス で は、 四 か け る 二 〇 か ら 六 〇 プ ラ ス 一二 を 引 く の であ る か ら 、 す ぐ に は 計 算 で き な いだ ろ う 。
よ く 海 外 へ出 か け る 日本 人 が 、 向 こ う で買 物 を し て大 き な お 札 を 出す と 、 お 釣 り がな か な か も ら え な か った な
ど と 言 う 。 向 こう の人 は 数 詞 が 難 し い の で引 き算 が大 変 な のだ 。
助 数辞
日本 の数 を 表 わ す 言 葉 は 、 右 に述 べた よ う に 規 則 的 で や さ し い のだ が、 た だ し 数 え る も の に よ って数 え 方 がち
﹁︱
羽 ﹂ と い う 助 数 辞 を つ け る 習 慣 は 、 ヨ ー ロ ッパ の 方 に は か つ て な く 、 東 南 ア ジ ア 的 な も の
がう と いう 、 め ん ど う な 性 格 が あ る 。 人 な ら ﹁ひ と り﹂ ﹁ふ た り ﹂ と 数 え 、 犬 な ら ば ﹁一匹﹂ ﹁二 匹 ﹂ と 数 え る と
匹﹂ とか
いう 、 あ れ だ 。 ﹁︱
で、 日 本 語 のほ か 、 朝 鮮 語 ・中 国 語 ・ヴ ェト ナ ム語 ・タ イ 語 ・ビ ル マ語 の ほ か 、 ア ルタ イ 系 の 旧 満 州 語 に あ り、
あ と 西 太 平 洋 の多 く の言 語 に み ら れ る 。 イ ンド ネ シ ア 語 は 文 法 全 体 は 簡 単 で あ る が、 助 数 辞 に 限 れ ば 複 雑 であ り 、 ミ ク ロネ シ ア のた と え ば ト ラ ック島 の言 葉 に は 一 一〇 種 類 の助 数 辞 が あ る。
こ れ ら のう ち で何 と言 っても 中 国 が 本 場 で 、 そ の種 類 も 多 く 、 同 じ よ う な 家 畜 で も 、 馬 は ﹁一匹 ﹂ ﹁両 匹 ﹂、 豚
は ﹁一口﹂ ﹁両 口 ﹂、 牛 は ﹁一頭 ﹂ ﹁両 頭 ﹂、 羊 は ﹁一隻 ﹂ ﹁ 両 隻 ﹂ と いう よ う に 数 え 分 け る 。 そ う か と 思 う と 、 犬
は や せ ても いな い の に蛇 や ムカ デ と 一緒 に し て ﹁一条 ﹂ ﹁両 条 ﹂ と 数 え る の は ど う いう わ け だ ろ う か 。 日本 で は
使 わ な い重 要 な 助 数 辞 に 、 飴 や 石鹸 のよ う な も のを ﹁塊 ﹂ で数 え 、 鉛 筆 や ア イ スキ ャ ン デー を ﹁枝 ﹂ で 数 え ると
い った 例 も あ る 。 ﹁枚 ﹂ で数 え る も の に は 、 日本 と ま った く 異 な り 、 桃 な ど が そ う だ な ど と いう も の があ り 、 衣 服 を ﹁件 ﹂ で 数 え る のも 日 本 人 か ら 見 る と 意 外 であ る 。
中 国 語 に は 同 音 語 があ る か ら 、 こ う いう 助 数 辞 は必 要 で、 中 に は ﹁手 巾 ﹂ のよ う に ﹁条 ﹂ で 数 え れ ば タ オ ル に な り、 ﹁ 塊 ﹂ で数 え れ ば ハンカ チ にな る も のも あ る 。
日本 語 の助 数 辞 に つ いて いう と 、 人 を 数 え る 助 数 辞 に ﹁三 人 ﹂ ﹁四 人 ﹂ の ﹁︱ 人 ﹂ が あ る が 、 こ れ は お か し
い。 そ れ な ら 犬 は ﹁一ケ ン﹂ ﹁二ケ ン﹂ と 数 え 、 猫 は ﹁一ビ ョウ ﹂ ﹁二 ビ ョウ ﹂ と数 え る こ と に な る 。 人 には も と
も と
﹁ひ と り ﹂ ﹁ふ た り ﹂ ﹁み た り ﹂ ﹁よ っ た り ﹂ と い う 数 え 方 が あ り 、 ま た 、 ﹁ 一名 ﹂ ﹁二 名 ﹂ と 数 え る 方 法 が あ
った の だ が 、 サ ン ニ ン 以 上 の 数 え 方 に な る と 、 誰 か が ま ち が え て し ま った も の だ 。
マネ キ ン 人 形 の数 え 方
D ・カ ー は 、 中 国 語 を 文 法 の 上 か ら み て 、 ほ と ん ど 理 想 に 近 い 言 語 と 評 価 し な が ら 、 唯 一 の 欠 点 と し て 、 助 数
辞 の 複 雑 な こ と を あ げ た 。 日 本 語 に つ い て も 、 か つ て 宮 田 幸 一が 、 助 数 辞 を も っと 減 ら し て 、 人 間 に 関 す る も の
は 、 ﹁ひ と り ﹂ ﹁ふ た り ﹂ と 数 え る 、 す べ て の 動 物 に 関 す る も の は 、 ﹁一匹 ﹂ ﹁二 匹 ﹂ と 数 え る 、 す べ て の 物 に 関 す
る も の は 、 ﹁ひ と つ﹂ ﹁ふ た つ ﹂ と す る と いう よ う に 整 理 で き な い だ ろ う か と い う 意 見 を 出 し た こ と が あ った が 、 お も し ろ い問 題 で あ る 。
欧 州 語 の名 詞 の性 や 数 の区 別 が、 日常 生 活 に め ん ど う を 引 き 起 こす と 同 様 に、 日本 語 の 助 数 辞 の 区 別 は 、 時 に 日本 人 を 苦 し め る 。
N H K の 放 送 用 語 委 員 会 で は 、 ア ナ ウ ン サ ー が ニ ュー ス を 放 送 す る 場 合 に ど の よ う な 日 本 語 を 使 った ら い い
﹁ 一人 ﹂ ﹁二 人 ﹂ と 数 え る の は ま ず い と し て 、 ど う 数 え た ら い い か 。 パ チ ン コ の 台 み た い な も
か と い う こ と を 検 討 し て い る が 、 あ る と き 、 マネ キ ン 人 形 を ど う 数 え た ら い い か 、 と いう こ と が 話 題 に な った 。 人 間 で はな いか ら
﹁一基 ﹂ ﹁二
﹁一体 ﹂ ﹁二 体 ﹂ と す る の は ど う
の だ か ら 、 ﹁一台 ﹂ ﹁二 台 ﹂ と 数 え る の は ど う か と 委 員 の 一人 が 言 え ば 、 石 灯 籠 の よ う な も の だ か ら 基 ﹂ と 数 え た ら ど う か と いう 声 も 出 る 。 最 後 に 、 仏 像 の よ う な も の と み な し て
か 、 と い った よ う な 案 が 出 て 、 結 局 結 論 は 出 な か った が 、 し ば ら く 時 間 を つ ぶ し た こ と は 確 か で あ る 。 こ れ は 、 そ う いう 習 慣 の な い ヨ ー ロ ッ パ の 人 が 聞 い た ら お か し く 思 う 問 題 に ち が いな い 。
数 量 と順序
順序︱
つ いたち
﹁め ﹂ を つ け 、 あ る い は
﹁第一﹂
﹁ 第 二 ﹂ と 、 漢 語 で 言 って、 いち
﹁ひ と つ ﹂
数 の 数 え 方 と 言 え ば 、 数 量 の 数 え 方 と 順 序 の 数 え 方 と の 関 係 も 問 題 に な る 。 英 語 で は 、 数 量 の 方 はone,two,
﹁ひ と つ め ﹂ ﹁ふ た つ め ﹂ と
t hre ⋮e⋮ と 数 え 、 順 序 は 、first,secon⋮ d⋮ ,t とh数 iえ rd 、 は っき り し て いる 。 日 本 語 で は 、 数 量 は ﹁ふ た つ﹂、 順 序 は
いち にち
﹁ふ つ か ﹂ ﹁み っ か ﹂ と な っ て し ま い ﹁み っ か
お う 区 別 は あ る よ う だ が、 実 際 に は か な り混 乱 し て いる 。 た とえ ば 、 日 の数 え 方 は 、
数 量︱
と 、 一日 だ け は 区 別 が あ る が 、 二 日 以 上 に な る と 、 数 量 も 順 序 も
(か ん ) 行 った ﹂ と 言 え ば 数 量 、 ﹁み っか に 行 った ﹂ と 言 え ば 順 序 の 方 と 、 か ろ う じ て 分 か る 程 度 で あ る 。
こ れ を し っ か り 区 別 し よ う と し た の は 、 旧 軍 隊 だ った 。 日 本 の 軍 隊 は 、 西 南 戦 争 の 時 に 、 第 五 中 隊 一つ を 前 進
﹁〇 個 中 隊 ﹂ と を や か ま し く 言 い 分 け る 慣 習 が あ る と いう が 、 こ れ は よ い こ と だ っ た 。 一般 の 人 も こ の 区
さ せ よ う と し て 、 ﹁五 中 隊 前 進 ! ﹂ と や った た め に 、 五 つ の 中 隊 が 全 部 前 進 し て 大 敗 北 を 遂 げ た 。 以 後 、 ﹁第 〇 中 隊﹂ と
別 に も う 少 し 神 経 質 に な った 方 が 良 い 。 エ レ ベ ー タ ー へ乗 る と 、 エ レ ベ ー タ ー 嬢 は 、 ﹁御 利 用 の 階 数 を お 知 ら せ 願 いま す ﹂ と 言 っ て い る が 、 実 際 は 第 何 階 か を 、 つま り 順 序 を 尋 ね て い る 。
日 本 語 で は 古 く は 、 ﹁ひ と ﹂ ﹁ふ た ﹂ は 数 量 の 方 、 ﹁一﹂ ﹁二 ﹂ は 順 序 の 方 と い っ て 区 別 す る 傾 向 が あ っ た 。 ﹁ひ
と ひ ﹂ ﹁ひ と よ ﹂ は 今 の ﹁一日 ﹂ ﹁一晩 ﹂ だ った 。 そ う し て 、 ﹁一 の 橋 ﹂ ﹁二 の 橋 ﹂、 ﹁ 一の 鳥 居 ﹂ ﹁二 の 鳥 居 ﹂、 ﹁ 一
の 膳 ﹂ ﹁二 の 膳 ﹂ は 、 ﹁第 一の ﹂ ﹁第 二 の ﹂ の 意 味 だ った 。 が 、 ﹁一﹂ ﹁二 ﹂ の 方 が 便 利 さ を 買 わ れ て 、 数 量 を も 表 わ す よ う に な って 混 乱 し た 。
the のは fず ir でsあ tる 。
も っと も そ う 言 っ て も 、 英 語 な ど で も 、 数 量 を 表 わ す 数 詞 と 順 序 を 表 わ す 数 詞 の 区 別 を い つ も き ち っと 守 っ て
使 っ て い る わ け で は な い。Chapter は、 IChapter と o読 ne む が 、 正 し く はChapter
四 名 詞 の格
一 格を 表わす助 詞 格 の種 類
一 つ 一 つ の 名 詞 が 、 動 詞 や 形 容 詞 に 対 し て 、 あ る い は 他 の 名 詞 に 対 し て 、 ど う いう 関 係 を も っ て 続 い て い く か 、
そ の ち が い を 格 の 変 化 と いう 。 日 本 語 で は 、 名 詞 の 次 に 、 ﹁が ﹂ ﹁を ﹂ ﹁に ﹂ ﹁の ﹂ ⋮ ⋮ と い う よ う な 後 置 詞 を︱ いわ ゆ る 格 助 詞 を 付 け て表 わす 。
こ れ は ギ リ シ ャ 語 ・ラ テ ン 語 に 代 表 さ れ る ヨ ー ロ ッ パ の 諸 言 語 が 、 名 詞 自 身 の 形 を 変 え て 表 わ す の と は ち が い 、
ア ル タ イ 諸 語 の方 式 に近 い。 これ が 、 日本 語 は 言 語 分 類 上 、 膠着 語 に属 す る と 言 わ れ る ゆ え ん であ る。 し かし 、
実 際 に ト ル コ 語 と 日 本 語 を 比 べ て み る と 、 日 本 語 に お け る 名 詞 と 後 置 詞 の 結 合 は ゆ る く 、 そ れ ぞ れ 一語 で あ る 。
﹁雨 が ﹂ と い う 時 に 、 ﹁雨 ﹂ ﹁が ﹂ は そ れ ぞ れ 固 有 の ア ク セ ン ト を も っ て お り 、 そ こ は い つも 、 拍 の 切 れ 目 に な っ
て い る 。 日 本 語 の 名 詞 と 助 詞 を く っ つ け て い る も の は 、 膠 で は な く 、 工 作 用 セ メ ダ イ ンぐ ら い の と こ ろ だ 。 こ の
日 本 語 の 性 格 は 、 ビ ル マ 語 ・チ ベ ット 語 、 そ れ か ら ヒ ン デ ィ ー 語 に む し ろ 似 て い る 。
格 の種 類 は 何 種 類 あ る か 。 あ り 得 る 格 の 数 は 、 泉 井 久 之 助 に よ ると 、 七 の三 乗 に呼 格 を 加 え て 三 四 四 種 に な る
と い う 。( ﹃言語 構 造論 ﹄) し か し 、 呼 格 は 他 の 語 へ の 関 係 を 表 わ す も の で は な い か ら 格 の う ち で は 特 別 の も の だ 。
現 在 の と こ ろ 、 格 の 種 類 が 多 く て 有 名 な の は ウ ラ ル 諸 語 で 、 フ ィ ン ラ ン ド 語 は 一五 種 、 ハ ン ガ リ ー 語 は 二 〇 種 以
上 も あ る そ う で 、 こ れ が 最 高 で あ る 。( 北 村 甫 編 ﹃世 界 の 言 語﹄ 小 泉 保 ) こ れ に 対 し 、 イ ン ド ・ヨ ー ロ ッ パ 語 で は 、
も と は 八 つ の 格 が あ った 、 そ う し て 、 サ ン ス ク リ ット に は こ の 八 つ が そ の ま ま あ った と 言 わ れ て お り 、 リ ト ワ ニ
ア 語 で は 今 で も 八 格 を も っ て い る そ う だ 。( ナイダ ﹃ 新 言 語 学 問 答﹄) ギ リ シ ャ語 で は 五 つ に 、 ラ テ ン 語 で は 六 つ に 減 って お り 、 現 代 ヨー ロ ッパ 諸 言 語 で は さ ら に減 って いる 。
が
主格
作 用 を 受 け る 対 象 のほ か 、 移 動 す る 場 所 、 分 離 の対 象 を も 表 わ す 。
動 作 ・作 用 を す るも の、 属 性 を も って いる も のを 表 わ す 。
日本 語 の格 の数 は いく つあ る か。 三 上 章 の ﹃日 本 語 の構 文 ﹄ に よ れ ば 、 次 のよ う に な る 。 ︱ 対 格
連体格 広く名 詞に続く言葉 を表わす 。
を
相 手 の ほ か に、 変 成 の結 果 、 談 話 や 思考 の内 容 を 表 わ す 。
︱
の 共格
種
場 所 ・時 ・範 囲 を 表 わ す ほ か に 、 帰 着 点 、 変 成 の結 果 、 目 標 を 表 わ し 、 さ ら に 漠 然 と し
︱ と 出発点を 表わす。
位格
︱ か ら 奪 格
方 向 ・帰 着 点 を 表 わ す 。
に
︱ へ 与格
︱
︱
よ り 比 較 格 比 較 の 基 準 を 表 わ す 。
た 動 詞 への修 飾 を 表 わ す 。
︱
動 作 の 場 所 ・道 具 ・原 因を 表 わ す 。
で
具格
︱
も っと も 、 ﹁に ﹂ ﹁と ﹂ ﹁で ﹂ の よ う に 、 同 じ 助 詞 で も ち が う 意 味 を 表 わ す こ と が あ る か ら 、 全 体 の 数 は一三
類 ぐ ら いに な る 。 ま た 、 現 代 で は こう いう 語 の ほ か に 、 ﹁︱ に つ いて ﹂ ﹁︱ に よ って﹂ な ど も 、 格 のち が いを 表 わ し て いる 。
日本 語 の長 所
日本 語 の格 の表 わ し 方 は 、 相 当 に精 密 であ る。 時 に あ や ふ や な も のも あ る が 、 何 よ り規 則 的 で、 ち が う 名 詞 に
対 し て同 じ 形 で つく と いう と こ ろ に、 日 本 語 の大 き な 長 所 が あ る 。 ラ テ ン語 な ど は 、 名 詞 が 格 変 化 を 行 う が 、 こ
consu ・les
amant
れ が 不 規 則 な の で、 し ば し ば ど れ が 主 格 でど れ が 対 格 か、 わ か ら な く な った りす る 。 R eges
のよ う な 構 文 では 、 ﹁王 た ち が 役 人 た ち を 愛 す る ﹂ と も 、 ﹁役 人 た ち が 王 た ち を 愛 す る ﹂ とも と れ 、 は っき り しな
雨 が 降 る
ist
ei "は n 、V ﹁そ og れel
い。 これ は 、regと eか sconsuと lか eい sう 語 が 、 主 格 と 対 格 と で 同 じ 形 を 共 有 す る か ら で あ る 。 日本 語 で は ﹁が﹂ お よ び ﹁を ﹂ の お か げ で こ の 心 配 は ま った く な い。 王 た ち が 役 人 た ち を 愛 す る 王 た ち を 役 人 た ち が愛 す る 順 序 を 変 え ても 、 ﹁愛 す る ﹂ ﹁愛 さ れ る ﹂ の関 係 は き わ め て 明 晰 であ る 。
主 格 の助 詞 ﹁が ﹂
鳥 が鳴 く
日本 語 の格 助 詞 のう ち 、 特 に 注 目 さ れ る の は 、 主 格 を 表 わ す ﹁が ﹂ であ る。 春 が来 る
singt.
Vo はg 、e たlだ ﹁鳥 ﹂ で あ って 、 断 じ て ﹁ 鳥 が﹂ で は な い。 そ の証 拠 に、"Das
Vogel
こ の ﹁が﹂ の意 味 を 表 わ す 言 葉 は 外 国 語 に は な かな か な い。 Ein の ein
は鳥 だ ﹂ の意 味 で はな いか 。 ﹁そ れ は 鳥 が だ ﹂ で は な い。 日 本 語 でも 古 く は ﹁が﹂ と いう 助 詞 の働 き が 十 分 でな く 、 今 ﹁鳥 が鳴 く ﹂ と いう 所 を 、 た だ 、 鳥 鳴 く
" "E のi en inVo Vg oは e gま l eさ ls しiくnそ gの t. 用法 と同
と 言 った 。 ﹁鳥 ﹂ に特 別 に 主 格 を 示す 助 詞 を そ え ず 、 つま り 無 格 の鳥 を 自 動 詞 の前 に お く こ と に よ り、 文 脈 に よ って鳥 が主 格 であ る こ と を 推 測 さ せ た 。 ド イ ツ語 の、
じ も の で、 つま り、 ド イ ツ 語 で は こ の点 に 関 す る か ぎ り 、 日本 語 よ り 数 百 年 遅 れ て い る と 言 って い い。
ド イ ツ語 の文 法 書 な ど を 見 る と 、nomina とtい iう v格 を 日 本 の学 者 は ︿主 格 ﹀ だ と 呼 ん で お り、 筆 者 も そ う 呼
ん だ が 、 あ れ は いけ な い。 金 田 一京 助 の ︿名 格 ﹀ が い い。
ヨー ロ ッパ 語 で 名 格 のほ か に主 格 を も った 言 語 を 探 せ ば 、 強 いて 言 え ば 、 フラ ン ス語 の人 称 代 名 詞 のje,tu,il
⋮ ⋮ な ど だ 。 こ れ は 主 格 の 時 にし か 使 わ な いか ら 、 名 格 のmoi,toi ⋮, ⋮lに u対 iす る主 格 で あ る。 も っと も 、 一 般 の名 詞 に は こ う いう 主 格 は な いか ら 、 主 格 を も った 言 語 と は 言 い にく い。
日本 語 の よ う に 、 名 詞 ご と に は っき り 主 格 の言 い方 を も って いる も の は 、 隣 り の朝 鮮 語 で あ る 。 朝 鮮 語 で鳥 は
wita
s〓 であ り 、 ﹁が ﹂ に当 た る 助 詞 はkaで、 s 〓 k〓 〓 at i 〓t k
と 言 え ば ﹁鳥 が さ え ず る ﹂ と いう 意 味 に な り 、 さ す が に隣 人 の言 語 だ け の こ と は あ る 。 朝 鮮 語 以 外 で は ビ ル マ語 の文 語 にあ る と いう が 、 これ は 日 本 語 の ﹁は ﹂ にあ た る も のか も し れ な い。
対格 の助 詞 ﹁を﹂
﹁が﹂ に つ い で有 用な も の に、 対 格 を 表 わ す ﹁を ﹂ があ る。 これ が表 わ す 意 味 は 、 英 語 で は 、 代 名 詞 の半 数 が 不
完 全 に表 わ す だ け で、 一般 の名 詞 は た だ そ の位 置 で 表 わ す 。 ド イ ツ語 は 格 変 化 を 冠 詞 や 形 容 詞 の 形 で 表 わ す が 、
そ れ も 完 全 では な い。 イ ンド ・ヨー ロ ッパ 語 で は イ ラ ン語 に ﹁を ﹂ に あ た る 後 置 詞 が あ る のは 珍 し い。(﹃ 言語﹄昭
和六十二年十 一月号、別冊、小泉保) ま た 、 ス ペイ ン語 が 、 人 間 お よ び動 物 を 表 わ す 名 詞 の対 格 に 限 り 、 aと いう 前 置 詞 を も って いる のも 出 色 で あ る 。
東 洋 の言 語 で は 、 朝 鮮 語 は も ち ろ ん の こと 、 モ ン ゴ ル 語 ・ト ル コ語 な ど の ア ル タイ 系 の諸 言 語 は 軒 並 み こ の格
を も って いる 。 中 国 語 は以 前 か ら 孤 立 語 と 言 わ れ 、 た と え ば いわ ゆ る 漢 文 で ﹁を ﹂ の 格 にあ る こ と は 、 動 詞 のあ
と に お く と いう 位 置 だ け か ら そ れ を 感 知 さ せ た が 、 現代 の中 国 語 で は 前 置 詞 ﹁把 ﹂ を 用 い て、 日 本 語 の ﹁を ﹂ の
意 味 を ど ん ど ん 表 わ す よ う に な った のは 注 目 す べき こ と で あ る 。 ﹁本 を 破 る ﹂ は ﹁把 書 撕 破 ﹂ と い い、 ﹁字 を 書
く ﹂は、 それだ け では ﹁把 飯 吃 了 ﹂ と な る 。
﹁写 字 ﹂ で あ る が 、 ﹁字 を 書 い て し ま う ﹂ な ら ば
﹁吃 飯 ﹂ で あ る が 、 ﹁飯 を 食 っ て し ま う ﹂ は
﹁把 字 写 完 了 ﹂ と い い、 ﹁飯 を 食 う ﹂ は
﹁を ﹂ に つ い て 不 便 な こ と は 、 ﹁が ﹂ も そ う で あ る が 、 ﹁は ﹂ と 続 け て は 用 い る こ と が で き な い こ と だ 。 法 律 の 文 章 に、 子 ど も は これ を 酷 使 し て は な ら な い
と い う の が あ る 。 ち ょ っと 聞 く と 、 子 ど も に 対 し て 、 何 か を 酷 使 す る の を 禁 止 し て い る よ う に 聞 こ え る が 、 そ う
で は な く て 、 一般 の 人 に 対 し て 、 子 ど も を 酷 使 す る こ と を 禁 止 し て い る 文 で あ る 。 こ れ は 、 ﹁子 供 を は ﹂ と 言 え
﹁子 ど も を は ﹂ と 言 っ て
﹁と ﹂ で あ る 。 こ の ﹁と ﹂ も ま た 、
る な ら ば 、 ﹁こ れ を ﹂ を 使 わ な い 、 す ら っと し た 文 章 に な る と こ ろ だ った 。 法 律 文 で は よ いと す べき で は な いだ ろ う か 。
﹁と ﹂ ﹁に ﹂ も う 一 つ、 多 く の ヨ ー ロ ッ パ 語 に な い格 助 詞 は 、 談 話 ・思 考 の 内 容 を 表 わ す
﹁に ﹂ で 、 こ れ は
﹁静 か に ﹂ ﹁い っし ょ に ﹂ の よ う に 使 う と こ ろ
ア ジ ア 方 面 で は 、 朝 鮮 語 ・モ ン ゴ ル 語 ・ト ル コ 語 な ど 、 軒 並 み し っか り も っ て い て 、 明 快 に 論 理 を 通 し て い る 。 そ れ か ら 、 格 助 詞 のう ち で 注 意 す べ き も の は
﹁行 く ﹂+ ﹁そ の
﹁ほ め る ﹂ ﹁行 く ﹂ の 主 格 を 表 わ す の
﹁ほ め る ﹂+ ﹁そ の 動 作 を 受 け る ﹂ と い う 意 味 だ 、 ﹁行 か せ る ﹂ は
を 見 る と 最 も 無 色 な 連 用 の 後 置 詞 ら し い。 だ か ら こ そ 、 そ の 用 法 も 多 岐 に わ た って い る の だ ろ う 。 柴 谷 方 良 が 、 先 生 に ほ め ら れ る
﹁ほ め ら れ る ﹂ は
子ど も に 行 か せ る のよ う な 文 で
動 作 を 強 制 す る ﹂ と い う 意 味 だ 、 と 分 析 し て 、 ﹁に ﹂ が そ の 深 層 構 造 に あ る だ と 説 明 し た の は 、 変 形 文 法 論 の 効 果 を 広 く 知 ら し め た 発 表 だ った 。
﹁の﹂ の生む 誤解
でち が って い る。 そ う いう 格 助 詞 は ﹁の﹂ 一つし か な いの で 、 随 分 いろ い ろ な 意 味 の つな が り方 を す る。
次 に ﹁の﹂ は他 の格 助 詞 が動 詞 や 形 容 詞 へ続 いて いく 語 句 を 作 る のに 、 ひ と り 名 詞 へ続 い て いく 語 句 を 作 る 点
妹 の 結 婚 は ﹁妹 がす る 結 婚 ﹂ で ﹁が﹂ に 相 当 す る ﹁の﹂ 格 で あ り、 衣 料 品 の販 売 は ﹁衣 料 品 を 販 売 す る こと ﹂ で ﹁を ﹂ の意 味 を 含 ん で いる。
見坊豪紀 ほか の ﹃ 新 こと ば のく ず か ご﹄ に出 て いた が、 あ る 人 が猫 に や る缶 詰 め を 買 おう と 、 猫 の缶 詰 め を 下 さ い と 言 った ら、 店 の人 が 、 猫 の缶 詰 め な ん て あ り ま せ ん よ と 言 った そう だ 。 猫 の肉 を 缶 詰 め にし た も のと 解 し た ら し い。
あ る 家 に、 渋 沢 栄 一を 描 いた り っぱ な 肖 像 画 があ った 。 誰 が 描 いた 絵 か と 思 い、 主 人 に、 これ はど な た の絵 で す か と尋 ね た 。 と 、 主 人 は答 え た そう だ 。 あ な た は 、 こ の人 を 御 存 じ な いん です か 。 こ の 人 は 渋 沢 栄 一です よ 。
つま り 、 主 人 は ﹁誰 を 描 いた 絵 ﹂ と 解 釈 し た の であ る 。 こ の場 合 、 人 に よ って は、 誰 が持 って いる絵 か と 尋 ね ら れ た と 解 す る 場 合 も あ り う る 。 そ う いう 場 合 には 、 こ う 答 え る で あ ろう 。 こ れ は 、 わ た し の絵 で す よ
こ れ ら は ﹁がの ﹂ ﹁を の﹂ と いう 結 び つき が な いた め に 生 じ る 行 き 違 いだ 。 ﹁ど な た を の 絵 ﹂ ﹁ど な た が の絵 ﹂ と 言 いえ な い のは 残 念 で、 日 本 語 の欠 陥 の 一つ であ る。
stationmaster
who
had
an
oと ve 長r いc 訳oに aな t
川 端 康 成 の ﹃雪 国 ﹄ の は じ め の と こ ろ に、 次 のよ う な ﹁の﹂ があ る が、 強 引 な 結 び つけ 方 であ り 、 簡 潔 な 表 現 であ る 。 (1 ) 和 服 に 外套 の駅 長 は ⋮ ⋮ (2 ) 手 の明りを横 に向け て⋮⋮
laと nt 意e 訳rしnた 。
サ イ デ ン ス テ ッカ ー の英 訳 で は 、 (1 は) the って いる 。 (2 は) his
のた め の﹂ のよ う な 言 い方 が ふ え
俳 句 で は、 こ の手 法 を 盛 ん に活 用 し て いる こと 、 第Ⅵ 章 ( 本書四四 一ページ)に 述 べる 。 ﹁の﹂ は 、 用 法 が ひ ろ く 、 意 味 が あ いま い にな る た め に、 ﹁︱ に よ る ﹂ ﹁︱ て 来 た の は喜 ぶ べ き で あ る 。 人 民 の人 民 に よ る 人 民 の た め の政 治 な ど と いう 言 い方 は 、 古 い時 代 に は 言 え な か った で あ ろ う 。
﹁の﹂ の連続
佐佐木 信綱
と こ ろ で、 こ の ﹁の﹂ は 、 いく つで も 続 く こ と が出 来 る 。 次 の最 初 の例 は 、 ﹁塔 の上 な る ﹂ の ﹁な る ﹂ も 、 も し ﹁塔 ﹂ が 三 拍 の言 葉 な ら ば ﹁の﹂ に し た であ ろ う 。 行 く 秋 の大 和 の国 の薬 師 寺 の塔 の上 な る 一ひ ら の雲
天彰 院 様 の御 祐 筆 の妹 の嫁 入 先 のお っかさ ん の甥 の娘 ( 漱石 ﹃ 吾輩 は猫 である﹄)
李 御 寧 の ﹃﹁縮 み ﹂ 志 向 の 日 本 人 ﹄ に よ る と 、 朝 鮮 語 に は 、 こ の ﹁の﹂ に あ た る 助 詞 と し てnuen と いう 格 助
on
over
の、︱
の、︱
の⋮⋮
詞 が あ る が 、 日 本 語 と は ち が って 、 そ れ を 重 ね る こ と を 避 け る そ う だ 。 韓 国 人 は 日 本 人 の 話 を 聞 い て い る と 、 ︱
と 言 って いる 印 象 を 受 け る と いう 。
二 助 詞 ﹁が﹂ と ﹁は﹂ の 問 題 話 題を 表わ す ﹁は﹂
格 助 詞 に関 連 し て話 題 に な る の は、 副 助 詞 の ﹁は ﹂ が 格 助 詞 の ﹁が ﹂ と 紛 れ る こと で 、 日本 語 を 外 国 人 に 教 え る 時 に外 国 人 に 一番 理 解 さ せ る こ と が 難 し いも のと し て有 名 であ る 。 ﹁が﹂ と ﹁は ﹂ は 、 一般 に 、 と も に主 格 を 表 わ す 助 詞 と考 え ら れ て いる 。 私 は 日本 人 で す 雨 が 降 って 来 た
﹁私 は ﹂ も ﹁雨 が ﹂ も 、 英 語 な ど に 訳 す 時 に は 、 と も に 主 語 と し て 訳 さ れ る か ら であ る 。 し か し 、 ﹁は ﹂ の方 は 、 昼 飯 はま だ 食 べ て いな い
と いう よ う な 言 い方 があ り 、 呼 格 にあ た る も の に ﹁は ﹂ を つけ る こ と も あ る。 ﹁は﹂ は そ の時 の話 題 を 表 わ す 助 詞 で あ る 。 だ か ら 、 ﹁は ﹂ はず い ぶん 奇 抜 な も の 二 つを 結 び つけ る。 春 は 眠 く な る あ し た の国 語 は、 ﹃徒 然 草 ﹄ を 持 参 せ よ 源 太 君 は 、 お じ いさ ん が昨 日 な く な った ん です これ は 一雨 降 るな
﹁は ﹂ は 話 の題 目 を あ げ る 記 号 で 、 そ のあ と に は、 そ れ に 関連 し た こ と は ど んな こ と を 述 べ ても い い の であ る 。
相 手 の頭に あ るか否 か
金 が あ る ← 金 持 ち だ
一般 に 、 格 助 詞 は 名 詞 お よ び 次 の 動 詞 句 ・形 容 詞 句 と い っし ょ に な っ て 、 一 つ の 単 語 に
山 に登 る ← 登 山 す る
た 形 で言 い表 わ す こ と が で き る 。 本 を 読 む ← 読 書 す る
﹁が ﹂ と は か な り ち が った 性 格 の 助 詞 で あ る 。
﹁す る ﹂ ﹁だ ﹂ が つ い
し か し 、 ﹁は ﹂ は こ う は な ら な い 。 ﹁ 本 は 読 む ﹂ ﹁金 は あ る ﹂ を 一語 で は 言 い か え ら れ な い と い う わ け で 、 ﹁は ﹂ は
﹁が ﹂ の 区 別 が 自 然 に 現 わ れ る が 、 こ の ち が い を 説 明 し よ う
が 、 こ の 二 つ が ま ぎ ら わ し い の は 、 ﹁は ﹂ も 主 格 に 立 つ 名 詞 に つ く こ と が 多 い か ら で あ る 。 事 実 、 子 ど も に 昔 話 で も し よ う と す る と 、 次 の よ う に 、 こ の ﹁は ﹂ と と す る と 、 ち ょ っと 難 し い 。
昔 々 、 あ る と こ ろ に 山 が あ り ま し た 。 そ の 山 は 木 の よ く 茂 った 形 の い い 山 で し た 。 そ の 山 に は 一匹 の 狐 が 住 ん で いま し た 。 そ の 狐 は 人 間 に 負 け な い ほ ど 大 変 賢 い 狐 で し た 。
﹁狐 ﹂ が は じ
﹁は ﹂ が つ い て い る 。 こ れ は こ う い う こ と だ 。
普 通 の 日 本 人 が 話 し 出 す と 、 右 の よ う に な る が 、 な ぜ こ う な る の か 。 注 意 し て み る と 、 ﹁山 ﹂ や め て 出 て 来 た 時 に は ﹁が ﹂ つ い て い る 。 二 度 目 に 出 て 来 た と き に は
﹁が ﹂ を つけ て 言 い 、 そ う し て 、 相 手 の 頭 の 中 に
﹁山 ﹂ が 入 っ た な と 見 定 め て お い て 、 今 度 は 、 ﹁山 は
語 り 出 す 前 は 、 相 手 の頭 の中 は、 話 を 聞 こ う と す る だ け で、 話 の内 容 に つ い て は 、 ま だ 、 か ら っぽ だ 。 そ の時 は 、 ﹁山 が ﹂ と
⋮ ⋮ ﹂ と いう の で あ る 。 ﹁狐 ﹂ に つ い て も ま った く 同 様 だ 。
﹁は ﹂ は 話 の 題 材 を 表 わ す の で 、 相 手 に 話 を す る 場 合 、 主 題 に は 相 手 の 頭 の 中 に あ る も のを え ら ぶ の が い い。 い き な り 、 相 手 に 向 か って 、 き れ いな 山 の 中 に 住 ん で い た 一匹 の 賢 い 狐 は ⋮ ⋮
と 言 った ので は 、 相 手 が ま ご つく 。 ﹁︱ が︱
﹂ の文 は 、 相 手 に予 備 知 識 を 与 え る た め に 短 く 言 う 、 登 場 人 物
の紹 介 や 場 面 の設 定 のよ う な も の であ る。 そ う いう 知 識 を 与 え て、 そ こ で話 を は じ め よ う と いう わ け であ る。
と こ ろ で 相 手 の 頭 に あ る と 見 ら れ る も のは 、 前 に 述 べ た 言 葉 だ け で は な い。 ﹁あ な た ﹂ と いう 相 手 を さ す 言 葉 、
これ は す ぐ 、 相 手 は 自 分 の こ と だ と 思 う は ず であ る 。 ﹁あ な た のお 父 様 ﹂ ﹁あ な た のお う ち ﹂ ⋮ ⋮ こ れ ら も す ぐ に
相 手 にわ か る は ず だ 。 こう いう も の は 話 題 と し て え ら ば れ、 ﹁は ﹂ を 付 け て 言 う こ と が 多 い。 そ れ か ら ﹁私 ﹂、 こ
れ も 、 す ぐ 相 手 に わ か る か ら 題 材 にえ ら ば れ て ﹁は ﹂ を 受 け る こ と が 多 い。 ﹁吾 輩 は 猫 であ る ﹂ に ﹁は ﹂ が 用 い
ら れ た のは そ れ で あ る。 そ れ か ら 、 ﹁こ の机 ﹂ ﹁こ の学 校 ﹂ あ る いは 、 相 手 のも のを さ し て ﹁そ のノ ー ト ﹂ ﹁そ の
ペ ン﹂ あ る いは、 ﹁き ょ う ﹂ ﹁き のう ﹂ な ど も さ さ れ る も の がす ぐ 相 手 に わ か る か ら 、 ﹁は ﹂ を 受 け る こ と が 多 い と いう こ と にな る 。 そ こ へ行 く と、 雨 が 降 って き た
あ そ こ に富 士 山 が 見 え る
のよ う な の は、 ﹁雨 ﹂ と いう 相 手 が意 識 し て いな い こ と を 伝 え る わ け だ か ら 、 主 格 に は ﹁が﹂ を 用 いる と いう こ と になる。 あ っ、 鳥 が いる な ども同様 である。
で す ﹂ と いう 場 合 も あ る 。 芥 川 龍 之 介 の ﹃手 巾 ﹄ の中 で、 長 谷 川 先 生 の家 を 西 山 と いう 生
﹁が ﹂ と ﹁は ﹂ の区 別 は こ のよ う に 言 え ば 単 純 であ る が 、 実 際 に は も っと 複 雑 な 事 情 が あ る 。
﹁私 は﹂ と ﹁私が ﹂ た と え ば ﹁私 が︱
徒 の母 親 が 訪 問 し て、 初 対 面 の挨 拶 を す る く だ り で 、 二人 は こ う 言 う 。
﹁私 が 長 谷 川 で す ﹂ ﹁私 は 、 西 山 憲 一郎 の 母 で ご ざ い ま す ﹂
am
am
Nishiyama
Hasegawa."
Kenichiro's
グ レ ン ・シ ョ ウ の 英 訳 で は 両 方 と も 、
" I
" I
で、 同 じ 形 にな って いる が 、 日本 語 で はち が って いる 。
mother."
な ぜ 日 本 語 で は 、 こ う いう ち が いが 起 こ る の か。 相 手 と の会 話 で は、 題 目 に は 、 相 手 の知 って いる も のを 選 び 、
相 手 に と って未 知 な も のは 、 あ と の説 明 の部 分 に お く の が望 ま し い。 西 山 夫 人 は 思 った 。 長 谷 川 先 生 は 自 分 が 何
者 で あ る か御 存 じ な いだ ろ う 。 長 谷 川 先 生 は 今 私 の 顔 を 御 覧 に な って いる 。 そ こ で そ れ を 題 目 に し て 、 ﹁私 は 西 山 ⋮ ⋮﹂
と 切 り 出 し た 。 一方 、 長 谷 川 先 生 は 思 った 。 相 手 は 自 分 の名 前 を 知 って い て、 そ れ を た よ り にや って き た 。 長 谷
川 先 生 と いう のは ど の人 だ ろう と 思 って いる は ず だ 。 そ こ で ﹁長 谷 川 ﹂ を 題 目 に し て、 ﹁長 谷 川 は 私 です ﹂
と し た いと ころ だ 。 こ の ﹁長 谷 川 ﹂ と ﹁私 ﹂ と の 位 置 を 交 換 す る と、 ﹁は ﹂ が ﹁が ﹂ にな って 、 ﹁私 が 長 谷 川 です ﹂
と な る 。 だ か ら、 こ の場 合 の ﹁が﹂ は 、 普 通 の ﹁雨 が 降 って き た ﹂ ﹁牡 丹 の花 が 濡 れ て いる ﹂ の ﹁が ﹂ と ち ょ っ と ち が い、 強 く 発 音 さ れ る ﹁が ﹂ だ 。
総 記 の ﹁が﹂
久 野暲 は 、 こ のよ う な ﹁が﹂ を 総 記 の ﹁が ﹂ と 言 って いる 。 た だ し 、 ﹁が﹂ と いう 助 詞 が 特 別 に こ う いう 意 味
を も って いる と 考 え て は いけな い。 これ に 相 当 す る意 味 は 、 ほ か の助 詞 ﹁を ﹂ でも ﹁に﹂ で も も って いる 。 ﹁君 は 何 を 食 べ る ? ﹂ ﹁ぼ く は ウ ナ ギ を 食 べる ﹂ ﹁ウ ナ ギ は いく ら の にす る ? ﹂ ﹁松 にす る ﹂
な ど の ﹁を ﹂ ﹁に ﹂ は いず れ も ﹁ぼく が 食 べる のは ウナ ギ だ ﹂ ﹁ぼ く の 注 文 す る のは 松 だ ﹂ と 同 じ 意 味 であ り、 強
く 発 音 さ れ る 。 いず れ も 総 記 の ﹁を ﹂ ﹁に﹂ で あ って 、 そ れ が た ま た ま ﹁が﹂ の場 合 に 現 わ れ た の が ﹁私 が長 谷
川 です ﹂ で あ り 、 そ う いう 場合 は 、 相 手 が 知 って いる も の で も ﹁が﹂ を つけ て表 わ す 。
大 きく か かる か小さ く かか るか
以 上 の よ う に、 ﹁は﹂ は 題 目 を 表 わ す 助 詞 で あ る が 、 こ れ は 英 語 そ の他 の ヨ ー ロ ッパ の諸 語 に は な いも ので 、
日 本 語 の 文 は 、 題 目 を 掲 げ て 述 べ るも のと 、 題 目 な し に 述 べる も の と に 大 別 で き る こ と に な る 。 一体 に ﹁は ﹂ は
大 き く 文 に か か り 、 ﹁が ﹂ は 小 さ く 次 の動 詞 ・形 容 詞 に か か る と いう こ と も 、 そ の 現 わ れ だ 。 水 谷修 の例 を 借 り る と 、 電 車 が お く れ て い るよ う だ け れ ど も 、 も う そ ろ そ ろ 来 る でし ょう
と 言 った 場 合 、 日 本 人 は ﹁来 る ﹂ の主 格 は 、 み ん な が 待 って い る 人 物 だ と す ぐ 思 う が、 外 国 人 は 、 ﹁来 る﹂ の主
格 は電 車 だ と 解 す る と いう 。 ﹁が ﹂ と いう 助 詞 の 及 ぶ 力 は 、 ﹁お く れ て いる ﹂ の と こ ろ ま で で、 ﹁け れ ど も ﹂ のあ と ま で は 及 ば な い の であ る 。
朝 鮮語 ・ビ ル マ語な ど
主 語 を 表 わ す 助 詞 と 話題 を 表 わ す 助 詞 の区 別 を も って いる も のは 、 世 界 の言 語 で 非 常 に少 な いら し い。 朝 鮮 語
に は こ れ があ る こ と が有 名 で、 ﹁社 長 は 殺 さ れ ま し た ﹂ は 、 ﹁社 長 〓n殺 さ れ た ﹂ と 言 い、 ﹁社 長 が 殺 さ れ ま し た ﹂
は 、 ﹁社 長i 殺 さ れ ま し た ﹂ と 言 い分 け る。( 渡辺吉鎔 ・鈴木孝夫 ﹃ 朝鮮語のすすめ﹄)
朝 鮮 語 に 次 いで 注 意 さ れ る のは ビ ル マ語 であ る 。 ビ ル マ語 には 、ha,kと aいう 二 つ の助 詞 が あ って 、 文 脈 に よ
って は 、 日本 語 の ﹁は ﹂ が ビ ル マ語 のha, 日 本 語 の ﹁が ﹂ が ビ ル マ語 のkaの 位 置 に 立 つこ と も あ る の で、 話 題
にな る。(﹃日本語教育﹄昭和五十九年十月号、小林純子) し か し 、 ど う も ビ ル マ語 に は 題 目 を 表 わ す 助 詞 がた く さ ん あ
って、haも 、kaも 、 そ う し て さ ら にsan と いう 助 詞 も そ れ で あ り 、 主 格 を 表 わ す 助 詞 は な い の で は な い か と 思
わ れ る。 助 詞 を つけ な け れ ば 日 本 語 の ﹁が﹂ にあ た り 、 こ れ ら を つけ れ ば ﹁は ﹂ にな る と いう と こ ろ だ ろう か 。 それ か ら 注 意 さ れ る の は中 国 語 で、 こ こ で は、 ﹁客 が 来 た ﹂ は 、 来客 人 了 と 言 い、 ﹁客 は 来 た ﹂ は 、 客 人 来 了 と いう よ う に語 順 のち が いで 表 わ す 。
わ れ わ れ は漢 文 を 習 った 頭 で、 中 国 語 でも 主 語 は 、 動 詞 よ り 前 に 来 る も の のよ う に漠 然 と 思 って いた 。 が 、 存
在 と か 出 現 を 表 わす 動 詞 の主 語 は 、 動 詞 のあ と に 来 る 。 ﹁有 山有 河 ﹂ ﹁立 春 ﹂ ﹁下 雨 ﹂ な ど が そ れ だ 。 来 客 人 了 も そ の 例 で、 こ れ が ﹁が﹂ の格 であ る 。
こ の中 国 語 に似 た も の が 、 ヨー ロ ッパ 語 の中 に も あ る そ う だ 。 ロマ ン ス 語 に 属 す るイ タ リ ア のジ ェノ ヴ ァ地 方 の方 言 で こ の区 別 が 出 来 る こと を 黒 田 成 幸 が 紹介 し て お り 、 (1 ) K が そ の魚 を 売 って いる (2 ) K は そ の魚 を 売 って いる を 、 動 詞 を 先 にも って い って 、
売 る ・定 冠 詞 ・魚 ・定 冠 詞 ・K と いう 順 序 に 並 べれ ば (1 の) 意 味 にな り K ・定 冠 詞 ・売 る ・定 冠 詞 ・魚 と いう 順 序 に 並 べ る と (2の)意 味 にな る と いう 。(﹃ 岩波講座 ・日本語﹄1)
し か し 、 ど っち に し て も 珍 し い例 で、 日 本 語 の こ の ﹁が﹂ と ﹁は ﹂ の区 別 は 誇 ってよ い。
五 動 詞 の形 態 と 種 類
一 動 詞 の形 態 叙述 性
世 界 の言 語 は 、 千 差 万 別 で あ る 。 が 、 サ ピ ア に 言 わ せ る と 、 動 詞 のな い言 語 は な いと いう 。 エス キ モー のあ る
言 語 に は 、 動 詞 が 一つし かな い言 語 も あ る。 そ の た った 一つ の動 詞 は 、 ﹁︱ が 行 わ れ る ﹂ と いう 意 味 の動 詞 だ
そ う だ 。 だ か ら 、 ﹁降 雨 ﹂ と いう 名 詞 に つけ ば ﹁雨 が降 る ﹂ と いう 意 味 にな り 、 ﹁立 春 ﹂ と いう 名 詞 に つけ ば ﹁ 春
にな る﹂ と いう 意 味 に な る。 こ の動 詞 一つ でど ん な セ ンテ ン ス でも 作 れ る と いう わ け で、 た った 一つし か な く て も 、 こ れ が 非 常 に重 要 な 力 を も って いる わ け であ る 。
動 詞 の意 味 は 何 か 。 も と も と 動 詞 は ﹁動 作 ・作 用 を 表 わ す ﹂ と いう 考 え があ った 。 た と え ば 、 戦 前 の権 威 あ る
辞 典 ﹃日 本 文 学 大 辞 典 ﹄ ( 新潮社) の ﹁動 詞 ﹂ の項 の解 説 も 、 こ の考 え に よ って 書 か れ て いる 。 が、 これ で は 無 造
作 に す ぎ た 。 動 作 ・作 用 を 表 わ す と いう な ら ば 、 ﹁釣 り ﹂ と か ﹁眠 り ﹂ と か いう よ う な 言 葉 で も 、 り っぱ に動
作 ・作 用 を 表 わ す 言 葉 で あ る。 ﹁釣 り ﹂ と ﹁釣 る ﹂ と は ち が う 。 ﹁眠 り ﹂ と ﹁眠 る ﹂ と は ち が う 。 ﹁釣 る ﹂ の意 味
は ﹁釣 り ﹂ に 対 し て、 プ ラ ス αであ る。 こ のプ ラ ス αが動 詞 を 動 詞 た ら し め る も の で あ る 。 こ のプ ラ ス αは 何 か 。
用 言 のプ ラ ス αの本 質 を も っと も す っき り 説 いた の は、 橋 本 進 吉 だ 。 橋 本 は 、 ひ ろ く 動 詞 で も 形 容 詞 で も そ の意 味 を 、 動 作 ま た は属 性 プ ラ ス ︿叙 述 性 ﹀ だ と 説 いた 。( ﹃ 国語法研究﹄)
叙 述 性 と は、 動 詞 の場 合 は ﹁そ の動 作 が 行 わ れ る﹂ と いう 意 味 の こ と だ 。 形 容 詞 の場 合 は 、 ﹁あ る も のが そ の
属 性 を 有 す る﹂ と いう 意 味 の こ と だ 。 こ の説 き 方 は、 動 詞 のす べ て の活 用 形 に わ た って いえ る 点 で 非 常 に都 合 が
い い。 筆 者 は こ の見 解 に 従 う 。 つま り 、 動 詞 の動 詞 た る ゆえ ん は 、 こ の叙 述 性 に あ る と いう こと に な る 。
日本 語 の動 詞 は 、 他 の品 詞 に 属す る 語 に 対 し て 著 し い形 態 を も つ。 特 殊 な 語 形 変 化 を す る と いう こと も そ れ で
あ る が 、 そ れ に つ いて は 後 に の べる 。 言 い切 り の 形 を と って み る と 、 動 詞 と し て 共 通 の形 を も って いる 。 す な わ ち 、 ∼u,∼iru ∼, uru で終 る と いう の が そ れ だ 。
世 界 の言 語 の中 に は 、 動 詞 の語 尾 がき ま った 形 を も つも のと も た な いも の と が あ る 。 英 語 や 中 国 語 は 、 き ま っ
て いな い方 だ 。 ﹁顔 ﹂ と か ﹁手 ﹂ と か いう 意 味 の名 詞facや ehand は 、 そ の ま ま の 形 で ﹁面 す る ﹂ と か ﹁渡 す ﹂
と か いう 動 詞 にな る 。 日本 語 の動 詞 は ド イ ツ 語 や フ ラ ン ス語 と と も に 、 き ま った 語 尾 を も つ部 類 に 入 る 。 ど う し
て こ の よう な こ と に な る の か 。 これ は 、 日本 語 の動 詞 が 語 形 変 化 を す る こ と と 関 係 が あ る 。
そ も そも 、 語 形 変 化 と いう こと は そ の言 語 の使 用 者 に と って記 憶 上 の負 担 であ る。 そ れ な ら ば 、 語 形 変 化 は な
る べく 規 則 的 であ る こと が 望 ま し い。 そ のた め に 、 同 じ 機 能 を も つ語 は同 じ よ う な 形 を と る こ と が要 求 さ れ る 。
ド イ ツ語 の動 詞 の 語 尾 が、 ∼en, ∼ern∼ ,elnで 終 わ り 、 フ ラ ン ス 語 の動 詞 の語 尾 が 、 ∼er∼ir,∼oir ∼, reで
終 る の は そ れ だ 。 日 本 語 の動 詞 で言 い切 り の 語 尾 が き ま った 形 で 終 わ る の も そ れ だ。
動 詞 の変化 形 とは
日本 語 の動 詞 は 語 形 変 化 を す る。 いわ ゆ る ︿活 用 ﹀ が そ れ だ。 現 在 、 中 学 校 の国 語 教 科 書 に 載 って いる 動 詞 の
活 用 に つ いて は 、 皆 さ ん も 御 承 知 で あ ろ う 。 が 、 も し 、 日 本 語 を 世 界 の ほ か の言 語 と 比 べた 場 合 、 日本 語 の動 詞
は ど ん な 語 形変 化 を す る こ と にな る か。 服 部 四 郎 は 、 前 に述 べた よ う な ( 本書 二七三 ページ) 一般 言 語 学 的 な 立 場 か ら 、 独 自 の単 語 の 切 り 方 を 提 唱 し た 。( ﹃ 言語研究﹄ 昭和二十五年 四月)
そ の見 方 を 適 用 す る と 、 学 校 文 法 の動 詞 の活 用 形 のう ち 、 単 独 で用 いら れ な いも のは す べ て あ と に つ いた も の
と い っし ょ にな って、 全 体 が動 詞 の変 化 形 と な る 。 た と え ば ﹁書 いた ﹂ と 言 う 形 は 、 そ のう ち の ﹁書 い﹂ と いう
部 分 は 独 立 し て 使 わ れ る こ と がな い の で、 ﹁書 いた ﹂ 全 体 が 一語 で、 全 体 が動 詞 の変 化 形 の 一つと な る 。
こ のよ う な 見 方 に従 う と 、 動 詞 の変 化 形 に は ど んな も の があ る こと にな る か 。 そ し て、 そ れ は ど のよ う に 分 類 さ れ る か。 そ の形 態 ・機 能 を 基 準 に し て 分 類 す る と左 のよ う にな る 。
こ れ ら の ほ か に、 ふ つう 動 詞 プ ラ ス助 動 詞 と 言 わ れ る も の に、 ﹁書 き ま す ﹂ ﹁読 み ま す ﹂ の類 があ る が 、 こ れ は
ち が う 文 体 に 用 いら れ る 形 で、 右 の いず れ にも 入 ら な い。 こ れ は こ れ で、 ﹁書 き ま す ﹂ ﹁ 書 き ま せ ん﹂ ﹁書 き ま し
た ﹂ ⋮ ⋮ ﹁書 か れ ま す ﹂ ⋮ ⋮ の よ う に 変 化 す る 別 の 文 体 の 形 で あ る。 これ は ち ょ う ど ﹁起 き る ﹂ に 対 し て ﹁起
さ ら に変 化 す る 形 (=派 生 形 ) (=二 つ以 上 の機 能 を も つ形 )
そ れ 以 上 変 化 し な い 形 (= 活 用 形 ) (= 一 つし か 機 能 を も た な い 形 )︷
(a )
文 の途 中 に 用 いら れ る も の 書 い て、 書 き 、 ( 連 体 形 の) 書 く 、 書 け ば 、 書 いた り
文 の最 後 に 用 いら れ る も の ( 終 止 形 の) 書 く 、 書 け 、 書 く な 、 書 こう 、 書 く ま い
助 詞 の類 を つけ て 用 いら れ る も の 書 き そう 、 書 き か け
書 いた 、 書 か せ る 、 書 か れ る 、 書 き た い 、 書 か な い 、 書 け る
( ) c
(b)
く ﹂ と いう 、 いわ ゆ る 文 語 と いう 文 体 の 形 が あ って 、 別 に変 化 す る の と 同 じ よ う な も の で あ る 。
( 1)
{
(2)
語 形変 化 の多さ
欧 米 人 に と って 、 日 本 語 の動 詞 の 変 化 は 難 し いも のと さ れ て いる。 た と え ば 、 日本 語 の動 詞 に は 希 望 態 が あ る
な ど と 珍 し が ら れ て い る。 ﹁書 き た い﹂ と いう 形 が そ れ だ が 、 ほ か の 言 語 に は な い かも 知 れ な い。 ま た 、 使 役 態
の受 動 態 があ る な ど と 不 思 議 が ら れ て い る。 ﹁書 か せ ら れ る ﹂ と いう 形 が そ れ だ ろ う 。 ﹁書 か せ ら れ る﹂ に は 、 さ
ら に ﹁︱ た ﹂ が つ いて 、 ﹁書 か せ ら れ た ﹂ と な り 、 そ の 変 化 と し て ﹁書 か せ ら れ た ろ う ﹂ と いう よう な も のま
で 出 て く る 。 こ のよ う な も のを 数 え る と 、 日 本 語 の 一つ の動 詞 の変 化 は、 普 通 の文 体 が 一六 〇 ぐ ら い、 デ ス・ マ
ス体 のも のが 四 〇 ぐ ら い、 あ わ せ て 二 〇 〇 ぐ ら いに な り そう だ 。 し か し 、 ハ ンガ リ ー 語 の動 詞 は 三 四 二 の変 化 を
す る そ う だ 。 一番 多 いと こ ろ で は 、 中 米 のグ ァ テ マ ラ に住 む 原 住 民 の言 語 で は何 千 と いう 語 形 変 化 を す る そう だ 。 ( M ・ペイ ﹃ 言語 の話﹄)
日本 語 の動 詞 の変 化 のう ち 、 ︿活 用 形 ﹀ と 称 し た も の は 、 朝 鮮 語 や ア ル タ イ 諸 語 と よ く 対 応 す る こ と が 注 目 さ
れ て いる 。 日本 語 の動 詞 は 、 語 形 変 化 を す る と い っても 、 規 則 は 比較 的 簡 単 で あ る。 学 校 文 法 で いう 五 段 活 用 と
か、 上 下 一段 活 用 と か いう ち が いは あ る が、 そ れ ほど 複 雑 な も ので は な い。 ラ テ ン語・ ギ リ シ ャ語 、 あ る いは 現 代 の フラ ンス 語 や ロシ ア 語 に比 べ れ ば 、 む し ろ 単 純 であ る 。
変化 形 の種類
右 にあ げ た 二類 四 種 の変 化 形 は 、 形 の上 で対 立 す る ば か り で な く 、 意 味 の上 で も 対 立 す る 。
す な わ ち 、 (1の)(aは)、 そ の動 詞 固 有 の意 味 の ほ か に 、 話 し 手 の主 観 を も 込 め て表 現 す る 形 で あ る 。 た と え ば 、
﹁書 く ﹂ と いう 動 詞 は、 本 来 の ﹁書 写 ﹂ と いう 意 味 と ﹁そ う いう 動 作 が行 わ れ る ﹂ と いう 叙 述 性 と の複 合 だ 。 ﹁書
け ﹂ は、 さ ら に そ の上 に ﹁そ れ を 我 は 今 命 じ る ﹂と いう 主 観 を プ ラ ス し た 意 味 を も つ。 つま り 、こ の (1の)(aの )形
は、 意 味 か ら 言 って、 ﹁書 く よ﹂ ﹁書 く ね ﹂ ﹁書 く わ ﹂ な ど 、 ﹁書 く ﹂ と いう 動 詞 に いわ ゆ る 終 助 詞 が つ いた 形 と 同
等 のも の であ る と 言 って い い。 ﹁書 け ﹂ は 大 野 晋 の 説 に よ る と動 詞 +終 助 詞 だ と いう 。( ﹃ 国語と国文学﹄昭和 二十 八年
六月号) 三 上 章 は (1 の)(a の) 形 を シ ャ ル ル ・バイ イ の 術 語 で いう 動 詞 の ﹁モド ゥ ス﹂ (mod)uで sあ る と 言 った 。
( ﹃現代 語法新説﹄) いわ ば ︿主 観 表 現 ﹀ だ 。 いわ ゆ る 終 止 形 の ﹁書 く ﹂ も 主 観 表 現 の 一 つで 、 動 詞 ﹁書 く ﹂ に は 、
( 原 形)
こ の ほ か に 、 原 形 の ﹁書 く ﹂ が あ る 。 (1 ) 心 に 思 った と お り 書 く と いう こ と は 難 し い
( 終止 形)
wri( t2 e) は ,(h)ewrit とe 言sい 分 け る と こ ろ だ 。 (2 は)(1 に) ﹁断 定 ﹂ と いう 主 観 的 な 意 味 が 加
(2 ) 彼 は 手 紙 を 日 に 二、 三 十 通 ず つぐ ら い書 く 英 語 な ら (1 は) to
わ って いる 。 (1 は)デ ス ・マス 体 に な ら な い が、 (2 は)デ ス ・マス体 に な る 。 次 に 三 一二 ペー ジ に あ げ た 表 で (2 に)あ げ た 形 は 、
書 い て し ま う 、 書 いて いる 、 書 く か も し れ な い、 書 き か け る 、 書 こう と す る 、 書 く つも り だ 、 書 く は ず だ 、 書 か な け れ ば な ら な い、 書 く と ころ だ
の状 態 にな る ﹂ のよ う な 意 味 が 加 わ る 。 こ の〓
の部 分 が いろ いろ に 変 わ る
の よ う な 、 動 詞 に 補 助 動 詞・ 補 助 形 容 詞 の類 が つ いた も の に似 て いる 。 これ ら は動 詞 の表 わ す 属 性 の 意 味 に、 ﹁〓 と いう 作 用 が行 わ れ る﹂ ﹁〓
の であ る 。 新 し い意 味 が 付 加 さ れ る と いう 点 で は 、 (1の)(a と)同 じ で あ る が 、 付 加 さ れ た 意 味 が客 観 的 な 意 味 で
あ り 、 全 体 が動 詞 の原 形 と 同 じ く 叙 述 性 を も って いる 点 で (1の)(a と)は ち が う 。 バ イ イ の ﹁デ ィク ト ゥ ム﹂ で 、 ︿客 観 表 現 ﹀ だ。
主 観 表 現 ・客 観 表 現 の区 別 は 、 早 く 松 下 大 三 郎 の ﹃標 準 日本 文 法 ﹄ の感 動 詞 の 項 に は じ ま る 。 松 下 は 、 感 動 詞
と 感 動 助 詞 のみ を 主 観 表 現 の 語 と し た 。 時 枝 誠 記 は 、 有 名 な ﹁詞 辞 分 類﹂ の論 を 提 出 し て 、 す べ て の助 詞 ・接 続
詞 、 大 部 分 の助 動 詞 と 副 詞 を 主 観 的 表 現 に く り 入 れ て ﹁辞 ﹂ と 称 し 、 そ れ 以 外 を ﹁詞 ﹂ と 称 し た 。 筆 者 は そ れ に
対 し て、 感 動 詞 、 感 動 助 詞 、 係 助 詞 ( 大 部 分 )、 助 動 詞 と 言 わ れ て いる も の のう ち ﹁う ﹂ ﹁よ う ﹂ ﹁ま い﹂、 そ れ か ら 動 詞 の命 令 形 だ け を 主 観 表 現 と し 、 あ と は 客 観表 現 と し た 。
主 観 表 現 は 、 主 と し て言 葉 の 切れ る と ころ に使 わ れ る のが 原 則 で 、 ﹁ぞ ﹂ ﹁こ そ ﹂ の よ う な 助 詞 は 言 葉 の 途 中 に
使 わ れ る が 、 あ と に そ れ を 受 け て 切 れ る 言 葉 が 用 いら れ る 。 客 観 表 現 は 、 言 葉 の途 中 に 用 いら れ る の が普 通 で、
三一二 ペー ジ の表 で (1 の) (cの )形 は、 形 態 ・用 法 と も に 、
こと に名 詞 を 修 飾 す る 言 葉 の中 にも 用 いら れ る 、 と いう ち が い が あ る 。
書 く のに 、 書 く ま で、 書 き も (し な い)、 書 き 書 き
のよ う な 、 動 詞 に 副 助 詞 や係 助 詞 の 一部 が つ いた 形 、 く り 返 し の形 に似 て いる 。 意 味 も ま った く 同 様 であ る 。 こ れ らは、
﹁動 詞 の意 味 ﹂+ ﹁付 加 的 な 副 詞 的 な 意 味 ﹂+ ﹁次 に来 る 他 の語 に 対 す る こ の動 詞 の関 係 ﹂ を 表 わ す 。 話 し手 の主 観 の要 素 を 欠 く と いう 点 では 、 (2 の) 語句 と同 じである。
て﹂ の形 と (1 の)(c の) 連 用 形 と であ る 。 こ の 二 つ は、 接 尾 語
最 後 に (1の)(b は)、 次 の助 詞 ・助 動 詞 の類 が つき 、 そ の助 詞 ・助 動 詞 の 助 け を か り て、 や は り、 種 々 の客 観 表 現を表 わす。 以 上 のう ち で注 意 す べ き も の は、 (1 の)(b の)﹁︱
の類 いや 、 補 助 動 詞 の類 いを つけ て 動 詞 の客 観 諸 表 現を 表 わ す のに 用 いら れ る 。
二 動 詞 の さ ま ざ ま な 分 類 法 単 純動 詞 と複合 動 詞
日本 語 の動 詞 の分 類 は いろ いろ な 立 場 か ら で き る 。 形 態 に よ る 分 類 と し て は 、 ︿単 純 動 詞 ﹀ と ︿複 合 動 詞﹀ に 分 かれる。
﹁書 く ﹂ ﹁読 む﹂ 等 が単 純 動 詞 であ り 、 ﹁勉 強 ﹂ と か ﹁運 動 ﹂ と か は 、 そ れ だ け で は あ ま り働 き が な いが 、 ス ルと
いう 語 を あ と に 従 え て 、 ﹁勉 強 す る﹂ ﹁運 動 す る ﹂ と な れ ば 、 単 純 動 詞 同 様 に 、 自 由 に 多 く の意 味 に使 わ れ る 。 必
要 に応じ て、 ﹁ す る ﹂ を ﹁さ せ る ﹂ ﹁でき る ﹂ ﹁な さ る ﹂ な ど に 取 り 換 え て 使 う こ と が で き る 。 ﹁書 く ﹂ ﹁読 む ﹂ の
類 いは これ が で き な い。 ﹁書 く ﹂ ﹁読 む ﹂ の 類 いを ワ ンピ ー ス とす れ ば 、 ﹁勉 強す る ﹂ ﹁運 動 す る ﹂ の方 は ツー ピ ー
ス だ。 こ の 関 係 は、 形 容 詞 と 呼 ば れ る ﹁白 い﹂ ﹁赤 い﹂ ﹁大 き い﹂ ﹁小 さ い﹂ 対 、 形 容 動 詞 と 呼 ば れ る ﹁静 か だ ﹂ ﹁賑 や か だ﹂ ﹁元気 だ ﹂ ﹁活 溌 だ﹂ の関 係 に 似 て い る 。
自動 詞 と他 動詞
し か し 、 動 詞 の 分 類 の中 で いち ば ん 一般 的 な も の は 、 ︿自 動 詞 ﹀ ︿他 動 詞 ﹀ の 分 類 であ る 。 ﹁並 ぶ﹂ 対 ﹁並 べ
る ﹂、 ﹁は じ ま る ﹂ 対 ﹁は じ め る ﹂ のよ う な 、 明 瞭 な 語 形 の 対 立 の例 が あ って、 日本 語 にも 自 動 詞 ・他動 詞 の区 別 は か な り 明 瞭 であ る。 窓 が 明 け てあ る 窓 が 明 いて い る
の よう な 二 つ の言 い方 の説 明 に は、 自 動 詞 ・他 動 詞 の別 に言 及 し な け れ ば な ら な い。
三 上 章 は 、 す べ て の動 詞 は 、 ま ず ︿所 動 詞 ﹀ と ︿能 動 詞 ﹀ と に 分 か れ 、 能 動 詞 の 一種 に 他 動 詞 が あ る と考 え た 。
自 動 詞 と は 所 動 詞 、 お よ び 能 動 詞 のう ち の他 動 詞 でな いも の の併 称 で、 す な わ ち 、 こ の三 つは 次 の関 係 に あ る と
(2 ) 能 動 詞 で自 動 詞
(1 ) 所動 詞 で自 動 詞
殺 す 、 打 つ、 聞 く 、 見 る 、 ほ め る、 叱 る
いる 、 行 く 、 来 る 、 泣 く 、 立 つ、 坐 る 、 死 ぬ
あ る 、 で き る 、 要 る、 見 え る 、 聞 え る
す る。(﹃ 現代 語法序説﹄)
(3 ) 能 動 詞 で他 動 詞
こ の う ち 、 (1 は) 受 動 態 を 作 る こ と の で き な いも の、 (2 () 3 は)受 動 態 を 作 る こ と の でき る も の であ る が、 そ の う
ち (3の)方 はま と も な 意 味 の受 動 態 を 作 る こと の で き る も の、 (2の)方 は 、 は た 迷 惑 を こう む る 意 味 の受 動 態 を 作 る も のだ と いう 。 こ の説 の強 み は、 ( 誰 そ れ に) 傍 に いら れ て 、 う っか り 軽 口も き け な い 前 に立た れて相撲 が見えな い の よ う な 、 自 動 詞 の受 動 態 と いう も のを た く み に解 釈 し て いる 点 にあ る 。
犬 が 人 に噛 み つく
な お 三 上 の立 場 に従 う と 、 ︿﹁を ﹂ を 受 け な い他動 詞 ﹀ と いう も の が 出 てく る 。 女 が男 に 惚 れ る
の ﹁惚 れ る ﹂ ﹁噛み つく ﹂ は 、 ま と も な 受 動 態 が作 れ る と いう わ け で、 他 動 詞 にな る 。
ま た 、 ヨー ロ ッパ 語 の他 動 詞 のう ち には 、 直 接 目 的 語 ・間 接 目的 語 の 二 つを 有 す る 動 詞 と 呼 ば れ る も の があ る が 、 日本 語 で は、 松 尾 捨 治 郎 によ り、 友 に 近 著 を 贈 る 我 に は 許 せ敷 島 の道
の ﹁贈 る ﹂ ﹁許 す ﹂ のよ う な 語 が それ だ と さ れ て いる 。( ﹃国文法概論﹄) 意 味 はす べ て授 与 の意 味 を 表 わ す 動 詞 で、 間 接 目 的 語 は 人 ま た は 人 に 準 ず べき も の で あ る 。
意 志 の有 無 から の分 類
次 に、 金 田 一京 助 は 、 動 詞 を ︿意 志 動 詞 ﹀ と ︿無 意 志 動 詞 ﹀ に 分 け る 。 そ し て、 (1 ) や れ 打 つな蠅 が 手 を す る 足 を す る (2 ) 倒 れて膝を 打 つ
の 二 つ の ﹁打 つ﹂ は ち がう 、 (1の) ﹁打 つ﹂ は 意 志 に よ る 動 作 を 表 わ し 、 (2 の) ﹁打 つ﹂ は 意 志 に よ ら な い動 作 を
棒 で柿 の実 を落し た 無意志 動詞
意志動 詞
無意志動 詞
意志動 詞
表 わ す と す る 。( ﹃新国文法﹄) 日 本 語 で 次 のよ う な 語 は 二 つ の動 詞 を兼 ね て いる 。
電 車 で蟇 口を落した
{
猫 いら ず を し か け て 鼠 を 殺 し た バ ント 失 敗 で 無 死 のラ ンナ ーを 殺 し た
{
こ の 分 類 は 、 動 詞 に つく いわ ゆ る助 動 詞 の意 味 を 説 明 す る 場 合 に都 合 が い い。 動 詞 + ﹁う と す る﹂ と いう 形 に
は 、 (1 そ)う いう 意 図 を も つこ と を 表 わ す 場 合 と 、 (2 そ)う いう 事 態 に 近 づく こと を 表 わ す 場 合 と が あ る。 が 、 意
志 動 詞 に つ いた 場 合 には (1 の) 意 味 に な り、 無 意 志 動 詞 に つ いた 場 合 に は (2の)意 味 にな る 。 (1 ) 猟 師 が キ ジ を 打 と う と し て いる (2 ) 時 計 が 二時 を 打 と う と し て いる
大 野晋 は 、 中 古 以 前 の助 動 詞 ﹁ぬ﹂ と ﹁つ﹂ のち が いを 、 一方 は 自 然 推 移 的 な 動 詞 に つく こ と が多 く 、 一方 は 作 為 的 ・意 志 的 動 詞 に つく こ と が多 いと 断 じ た 。(﹃ 国語学﹄)
﹁て いる﹂ をも と にした 分類
さ ら に、 動 詞 の ﹁︱ て い る﹂ と いう 形 を 考 え て み る と 、 日本 語 の 動 詞 は 四 つに 分 か れ る 。 こ の う ち 、 (4 を)
追 加 し た のは 、 筆 者 の案 (﹃ 言語研究﹄昭和二十五年四月)で あ る が、 (2 () 3の)区 別 は す で に 、 松 下 大 三 郎 ( ﹃標準日本文
﹁︱
﹁ ︱
て いる ﹂ の形 を も ち 、 動 作 が進 行 中 であ る こと を 表 わ す 。 例 =読 む、 書 く 、 歩 く 、
て いる ﹂ の形 を も た な い。 例= あ る 、 いる 、 で き る 、 泳 げ る 、 赤 す ぎ る
法﹄)・佐 久 間 鼎 (﹃ 現代 日本語 の表現と語法﹄)が 説 いて いる 。 (1 ) 状 態動 詞
(2 ) 継 続 動 作 動 詞
走る、降 る
(3 ) 瞬間動作動 詞
﹁ ︱
終る、死 ぬ、結婚す る
い つも ﹁ ︱
て いる ﹂ の形 で使 わ れ 、 あ る状 態 にあ る こ と を 表 わ す 。 例 =似
て い る﹂ の形 を も ち 、 動 作 が 完 了 し た あ と で あ る こと を 表 わ す 。 例= は じ ま る 、
︵4 ) 状 態 を 帯 び る意 味 の動 詞 る 、聳 え る 、 才 気 走 る 、 坊 ち ゃん 坊 ち ゃん す る
た ﹂ と いう 形 を 考 え て み る と 、 ﹁ ︱
(= 似 て い る ) 人
てしま
た ﹂ が 回 想 を 表 わ す と 言 わ れ る のは 、
こ の分 類 は 、 動 詞 に いわ ゆ る 助 動 詞 ・補 助 動 詞 が つ いた 場合 に効 力 を 発 揮 す る 。 た と え ば ﹁︱ て いる ﹂ と い う 形 に つ いて は 上 に 述 べた が、 ﹁︱ す べ て (1 の) 動 詞 の場 合 で あ る 。
私 に 似 た
し 終 る﹂ の意 にな り 、 (3の)動 詞 の形 は、 ﹁起 こ った ら 重 大 な 結 果 に
て し ま う ﹂ と いう 形 に お け る意 味 のち が い にも 関 係 を も ち 、 (1 () 4 の) 動 詞 には ﹁ ︱
(= 尖 っ て い る ) 帽 子
た ﹂ が属 性 所 有 の 意 味 を も つと いう のは 、 (4の)種 類 の動 詞 に つ いた 場 合 で あ る 。
お れ に は お 前 と いう 強 い味 方 があ った ( 国定忠治 のセリ フ) また、 ﹁ ︱ 尖 った
この分類は、 ﹁ ︱
う ﹂ の形 がな く 、 (2 の) 動 詞 の こ の形 は ﹁︱
な り 、 も と へは 返 ら な い﹂ と いう よ う な 意 味 に な る。
他 の言 語 にあ て は め て み る と 、 英 語 な ど は 、 (1 に)属 す る動 詞 が 日本 語 に比 べ て 多 い よ う だ。liv はe﹁住 む ﹂ と
ち が い ﹁住 ん で いる ﹂ と いう (1 の) 動 詞 で あ り、have,keep,like,love,⋮ w⋮ aな nど t, 多w くiの s動 h詞 ,が kn 、o (w 1)
li⋮ ving
の動 詞 であ る 。 日 本 人 が 、 中 学 校 の英 作 文 で 、 Iam
な ど と や って 叱 ら れ る のは 、 こ の動 詞 を (2 の) 動 詞 と 誤 解 す る せ い であ る。
こ の分 類 を 、 そ の前 の分 類 と 対 照 す る と 、 日本 語 で は (1 状)態 動 詞 、 (3 瞬)間 動 作 動 詞 、 (4 状) 態 を帯 びる意 味 の
動 詞 に は 自 動 詞 ・無 意 志 動 詞 が多 く 、 (2の)継 続 動 作 動 詞 に は し ば し ば 他 動 詞 があ り 、 意 志 動 詞 が 多 い と いう 関 係 が 認 め ら れ る。 (1 ) ジ ャ ンケ ン で鬼 を き め る (2 ) ジ ャ ンケ ン で鬼 が き ま る
(1 は) 、 他 動 詞 ・意 志 動 詞 であ る が、 こ れ は 継 続 動 作 動 詞 に 属 し 、 (2 は)自 動 詞 ・無 意 志 動 詞 に属 し 、 瞬 間 動 作
動 詞 に 属 す る。 ジ ャ ンケ ン の動 作 を は じ め れ ば 、 す で に キ メ ル 過 程 に入 って いる が、 キ マル と いわ れ る のは 最 後 の 一瞬 の こと で あ る 。
池 上 嘉 彦 が ﹃﹁す る ﹂ と ﹁な る ﹂ の 言 語 学 ﹄ に あ げ た 、 次 の矛 盾 の よ う に み え る 例 は 、 他 動 詞 が 継 続 動 作 動 詞 、 自 動 詞 が瞬 間 動 作 動 詞 のせ い であ る 。 燃 や し た け れ ど 、 燃 え な か った
ま た 日本 語 に は 、 ﹁︱ し た 結 果 に な る ﹂ の意 味 を も つ動 詞 、 いわ ゆ る ︿中 相 態 動 詞 ﹀ が 多 いこ と が 著 し いが 、 そ れ に つ いて は 、 第 十 二 節 で述 べる 。
尊 敬態 動 詞
ま た 、 日本 語 に は動 作 者 に 対 す る尊 敬 態 の意 味 を 含 む 動 詞 は数 が多 く 、 ﹁いら っし ゃる ﹂ (= ﹁行 く ﹂ ﹁来 る ﹂
﹁い る﹂ に 対 す る )、 ﹁お っし ゃる ﹂ (= ﹁言 う ﹂ に 対す る )、 ﹁く だ さ る﹂ (= ﹁く れ る﹂ に 対 す る )、 ﹁な さ る ﹂ ﹁遊
ばす ﹂ (= ﹁す る﹂ に対 す る ) な ど が あ る 。 た だ し 、 こ れ ら は 、 次 のも のに 比 べる と 、尊 敬態 動 詞 のう ち の、 と く に 、 ︿主 格 尊 敬 態 動 詞 ﹀ と 呼 ぶ べき も の であ る 。
主 格 尊 敬 態 動 詞 は 、 ︿対 格 尊 敬 態 動 詞 ﹀ に 対 す る も の で、 対 格 尊 敬 態 動 詞 に は 、 ﹁差 上 げ る ﹂ (= ﹁や る ﹂ に 対
す る )、 ﹁拝 見 す る ﹂ (= ﹁見 る ﹂ に 対 す る )、 ﹁いた だ く ﹂ (= ﹁も ら う ﹂ に 対 す る )、 ﹁う か が う ﹂ (= ﹁聞 く ﹂ に
対 す る ) な ど が あ る 。 こ れ ら は ふ つう 謙 譲 態 の動 詞 だ と 説 か れ て いる が、 動 作 の 対象 が 尊 敬 す べき 人 で な け れ ば
使 わ な い こと 、 四 〇 〇 年 の昔 に ロド リ ゲ ス が ﹃日本 大 文 典 ﹄ で喝 破 し た と お り で、 こ れ は 一種 の尊 敬 態 動 詞 であ
る。 ︿謙 譲 態 動 詞 ﹀ と いう べき も の は 別 にあ り 、 ﹁参 る﹂ (= ﹁行 く ﹂ ﹁来 る ﹂ に 対 す る )、 ﹁いた す ﹂ (= ﹁す る﹂
に 対 す る ) な ど の類 いは 、 これ も 謙 譲 態 の動 詞 と 言 わ れ て いる が、 これ は 上 巻 ( 本書 三二ページ) に 述 べた よ う に 、 荘 重 語 と も いう べき も の であ る 。
六 動 詞 の テ ン スと ア ク ペ スト
日本 語 と テ ンス
西 欧 語 の文 法 書 で、 日本 語 の文 法 が 不 精 密 だ と 批 評 さ れ る も の の 一つに、 動 詞 の テ ン ス ( 時 制 ) の問 題 があ る。
た﹂
﹁負 け た ﹂ と い う と は 何
いわ く 、 英 語 に は 現 在 完 了 ・過 去 完 了 の形 が あ る が、 日本 語 に は そ れ が な い で は な いか 。 た と え ば 、 ﹁︱ は 過 去 の形 を 表 わ す と いう が 、 ジ ャ ンケ ンに 負 け た も の が使 いに 行 く こ と にし よう
と 言 う と き に 、 ま だ ジ ャ ン ケ ンを し て いな い か ら に は 、 未 来 の こ と で は な い か 。 そ れ を
事 か 、 と 言 う 人 が あ る の で あ る 。( 上 甲 幹 一編 ﹃日本 人 の言 語 生活 ﹄) ま た 、 ﹁曲 っ た 道 ﹂ と い う け れ ど 、 そ の 道 は 別
に 前 は ま っす ぐ だ っ た 、 そ れ が あ る 時 に 何 か の 加 減 で ぐ に ゃ っと 曲 った と い う わ け で は な い か ら 、 お か し い で は な いか 、 と いう の であ る 。 そ う そ う 、 今 日 は 、 ぼ く の 誕 生 日 だ った さ あ 、 ど いた 、 ど いた
よ し 、 お れ が買 った な ど も 、 ち っと も 過 去 の こ と では な いで は な いか 、 と いう わ け であ る 。 し か し 、 決 し て 日 本 語 に テ ン ス の き ま り がな いわ け で は な い。 彼 は い つも 七時 に 起 き る に対 し て 、 彼 は き のう 六 時 に 起 き た
と いう のは 立 派 な 過 去 の言 い方 で、 筆 者 は 、 日本 語 の テ ン スは かな り し っか り し た も の で、 過 去 の形 も 完 了 の形
も き っち り と き ま って いる と 思 う 。 が 、 ま ず 全 般 的 に 注 意 し て いた だ き た い こと を 述 べ る と 、 ﹁︱ た ﹂ を 論 じ
る よ う な 場 合 、 終 止 形 と 連 体 形 と が そ な わ って いる 形 に つ い て論 じ る べき で、 そ のう ち の 一つ の用 法 し かな いも のは 、 特 別 のも のと し て除 外 し て考 え る べき だ と いう こ と であ る。
さ まざ まな ﹁た﹂
右 に あ げ た 中 で、 ﹁そ う そ う 、 今 日 は ⋮ ⋮﹂ 以 下 の三 例 は い つも 終 止 形 だ け が 用 いら れ る 言 い方 で 、 た と え ば 、
﹁そう そ う 、 今 日は⋮ ⋮﹂ の例 は、 ﹁ぼ く の誕 生 日 だ った 今 日 ﹂ と いう 連 体 的 な 言 い方 に 変 え る こ と は で きな い。
これ は ﹁忘 れ て いた こと を 想 起 し た ﹂ と いう 意 味 の いわ ゆ る ︿主 観 表 現 ﹀ の 言 い方 だ 。 ﹁ど いた 、 ど いた ﹂ は 命
令 の表 現 、 ﹁お れ が買 った ﹂ は 決 意 を 表 わ し 、 これ ら も ︿主 観 表 現 ﹀ だ 。 つまり 、 文 末 助 詞 の用 法 に 近 いも の に 転 向 し た 用 法 であ る 。
﹁曲 った 道 ﹂ は 、 ﹁尖 った 山 ﹂ ﹁親 に 似 た 息 子 ﹂ な ど 例 が 多 く 、 こ れ ら は、 ﹁あ の道 は 曲 った ﹂ と いう よ う な 終 止
形 は な い。 も し 言 え ば ﹁あ の道 は 曲 って いる ﹂ で あ る 。 こ のよ う な のは ﹁曲 って見 え る ﹂ と いう よ う な 連 用 形 は
あ る が 、 終 止 形 は な いか ら特 別 のも のと 見 て い い。 こ れ は 状 態 を 表 わ す ﹁︱ た ﹂ と解 さ れ る。
はじめ の
﹁ジ ャ ン ケ ン に 負 け た も の が ⋮ ⋮ ﹂ の ﹁︱
た ﹂ は 、 ﹁負 け て 使 い に 行 った ﹂ と か
﹁負 け た ら 使 い に
行 か な け れ ば い け な い ﹂ の よ う に 、 連 用 形 と 仮 定 形 は あ る が 、 ﹁ジ ャ ン ケ ン に 負 け た 。﹂ と い う 終 止 形 は な い 。 も
た ﹂ の方 の例 だ 。 こ の
﹁ジ ャ ン ケ ン に 負 け た も の が ⋮ ⋮ ﹂ の ﹁負 け た ﹂ は 、 次 に
﹁使 い に 行 く ﹂ と いう 動
し 、 ﹁ジ ャ ン ケ ン に 負 け た 。﹂ と 言 った ら 、 現 実 に 負 け た の で あ っ て 、 わ れ わ れ が 今 論 じ よ う と し て い る 正 式 の ﹁ ︱
lost
the
﹁ジ ャ ン ケ ン に 負 け た 。﹂ と 終 止 形 に 使 わ れ る
Jankで en 、 ま Gさ am しe く.過 "去 を 表 わ す も の、 テ ン ス を 表 わ す も
た ﹂ だ と いう こ と に な る 。 そ う し て
詞 があ る、 こ の動 詞 の表 わ す 動 作 よ りも 、 そ の動 作 が ﹁以前 ﹂ であ る こと を 表 わ す も の で、 こ れ は 過 去 で は な く ﹁ ︱
た ﹂、 こ れ は 英 語 に す れ ば 、"I
て 、 ︿以 前 ﹀ を 意 味 す る ﹁︱ のだ 。 こ れ は 、
﹁ ︱
た ﹂、 テ ン ス の ﹁︱
た ﹂ 終 止 形 ・連 体 形 が あ る 。
た ﹂ で あ る。 も っと も 、 こ れ に は 連 用 形 と 仮 定 形 は な
ジ ャ ン ケ ン に 負 け た き の う は 、 ろ く な こ と は な か った のよ う に 、 連 体 形 も そ な え た
過 去 の ﹁︱
た ﹂ 連 体 形 ・連 用 形 ・仮 定 形 が あ る 。
いら し い。 以 上 を 整 理す れ ば 次 の よ う にな る。
以 前 の ﹁ ︱
た ﹂ 連 体 形 ・連 用 形 が あ る。
た﹂ があ る が 、 そ れ で は 完 了を 表 わ す 形 は な いか 。 筆 者 は か つて、
た ﹂ 終 止 形 し か な い。
状 態 の ﹁ ︱
想 起 ・命 令 ・決 意 の ﹁ ︱
過 去 の ﹁た ﹂ 完 了 の ﹁た ﹂
以 上 の よう に 日本 語 には 過 去 を 表 わ す ﹁ ︱
た﹂ は、たし かに別にあ る。
一つ の原 辞 の意 義 は な る べく 少 な く 考 え よ う と いう 考 え に と ら わ れ て 、 以 前 も 過 去 も 完 了 も 同 じ に 解 釈 し よ う と 苦 し ん で いた が愚 か だ った 。 完 了 を 表 わ す ﹁ ︱
これ に気 づ いた 人 は 寺 村 秀 夫 で、 彼 に よ る と 、 (1 ) も う 昼 飯 を 食 べた か (2 ) き のう 昼 飯 を 食 べた か
の ﹁た ﹂ は 別 のも のだ と いう の であ る。 ど う し て か と いう と 、 これ ら に 対 し て肯 定 の答 え は 言 う ま で も な く ﹁食 べた ﹂ だ が 、 否 定 の答 え は そ れ ぞ れ 、
﹁ ︱
た﹂ であ
た ﹂ で あ る か は、 観 察 者 た る 文 法 家 の頭 の中 だ け にあ る 区 別 で は な く て、 実 際
食 べ て いな い 食 べな い
{
(2 ) い' や 食 べな か った と な る 。 つ ま り 、 ど っち の ﹁︱
に 話 し 手 と 聞 き 手 と の 間 で 了 解 さ れ て い る の だ と 言 う の で あ る 。(﹃日本 語 の シ ンタ ク ス﹄Ⅱ ) 同 じ
る 点 が 紛 ら わ し いが 、 た し か に こ の 二 つは 日本 語 に あ る 。
な い﹂ の形 に つ いた ﹁ ︱
た ﹂ の 形 は い つも 過 去 の方 で、 完
そ の 区 別 は 、 一般 の動 詞 に つ いた 時 に は 、 前 後 の文 脈 に よ って判 断 し な け れ ば な ら な いが 、 た と え ば 状 態 動 詞 、 た﹂ の形 、 ﹁︱
た ﹂ で は な い、 と 言 え る 。
あ る いはす べ て の形 容 詞 の ﹁ ︱ 了 の ﹁︱
次 に、 過 去 形 と いう と 、 フラ ン ス 語 な ど は 、 近 い過 去 を 表 わ す 形 と か 、 遠 い過 去 を 表 わ す 形 と か いろ いろあ っ
て 精 密 で あ る 。 し か し 、 こう いう も の は も と も と未 開 人 の言 語 に多 いこ と 、 名 詞 の数 の区 別 な ど と 同 様 であ る 。
ア フ リ カ の キ ク ユ 語 に お い て は 、 ﹁き の う 以 前 の こ と ﹂ ﹁き の う の こ と ﹂ ﹁き ょ う の 早 い 時 刻 に 起 こ っ た こ と ﹂ ﹁た った 今 起 こ った こ と ﹂ の 四 つ を 区 別 す る と いう 。( ﹃言 語﹄ 昭 和 五 十一 年 十 二 月号 )
過去 形 の不使 用
そ れ か ら 日 本 語 の過 去 形 は、 過 去 の こ と は い つで も 過 去 形 で 表 わ す と は 限 ら な い こと が 、 批 判 の 対 象 にな る 。
森 鴎 外 の 作 品 で 、 次 の よ う な 文 章 の ﹁さ し て い る ﹂ ﹁天 気 で あ る ﹂ ﹁は か ど ら な い ﹂ な ど は 過 去 の 事 柄 で あ る が 、 形 は 過 去 形 に な って い な い。
ち ょ う ど 岩 の お も て に 朝 日 が 一面 に さ し て い る 。 安 寿 は 、 畳 な り あ っ た 岩 の 、 風 化 し た 間 に 根 を お ろ し て 、
小 さ い す み れ の 咲 い て い る の を見 つ け た 。 そ し て 、 そ れ を 指 さ し て 、 厨 子 王 に 見 せ て 言 っ た 。 ﹁ご ら ん 。 も う 春 に な る の ね ﹂ (﹃ 山 椒大 夫 ﹄)
翌 朝 、 知 県 に 送 ら れ て 出 た 。 き ょう も き のう に変 ら ぬ 天 気 で あ る 。 ⋮ ⋮ 道 は な か な か き の う のよ う に は は か
﹁見 つ け た ﹂ ﹁言 った ﹂ ﹁出 た ﹂ ﹁着 い た ﹂ の よ う に 過 去 の 形 に し た も の と 、 ﹁さ し て いる ﹂
ど ら な い 。 途 中 で 昼 飯 を 食 って 日 が 西 に 傾 き か か った こ ろ 、 国 清 寺 の 三 門 に 着 い た 。( ﹃ 寒 山拾 得 ﹄) 右 のよ う に 、 動 詞 を
﹁天 気 で あ る ﹂ ﹁は か ど ら な い﹂ の よ う に 非 過 去 の 形 の ま ま の も の と あ る 。 不 整 一と 言 え ば 不 整 一で あ る 。 が 、 こ こ にも お のず か ら き ま り があ る 。
そ も そ も 動 詞 に は 、 意 味 か ら 考 え て、 二 種 類 のも の があ る 。 何 か、 あ る 現 象 が 生 起 す る こと を 表 わ す も のと 、
あ る 状 態 に あ る こ と を 表 わ す も の と 。 右 の よ う な 文 章 で︿ 非 過 去 ﹀ を 使 った の は 、 あ る 状 態 に あ る こ と を 表 わ す
も の だ 。 ﹁あ る ﹂ ﹁い る ﹂ と い う 動 詞 は そ れ だ 。 ﹁は か ど ら な い ﹂ も 、 こ れ が ﹁は か ど る ﹂ な ら ば 現 象 の 生 起 の 動
詞 で あ る が 、 ﹁は か ど ら な い﹂ と 打 消 し の 形 に な れ ば 、 状 態 を 表 わ す 動 詞 に 入 る 。 ︿現 象 ﹀ の 方 は 、 生 起 す る か し
な い か で 、 大 き な ち が い が で き る 。 そ こ で 、 こ っち は 、 す で に 起 こ った こ と は 、 ︿過 去 ﹀ の 形 に す る 。 が 、 ︿状
態 ﹀ の 方 は 、 元 来 時 間 的 に 長 いも の で 、 し た が っ て あ と ま で 続 く も の で あ る か ら 、 い ち いち そ の 状 態 が 終 わ った
︿過 去 ﹀ の 形 に し な い の は 、 そ れ で ま ち が い を 起 こ す
こ と を 報 告 す る こと も な い。 そ こ で 非 過 去 の形 にし て いる の であ る 。 つ ま り 、 日 本 語 の セ ン テ ン ス で 、 す べ て の末 尾 の 動 詞 を
心 配 が な い か ら で あ る 。 そ の 上 、 セ ン テ ン ス の 終 わ り の 単 調 さ を き ら う 人 に と っ て は 、 ︿過 去 ﹀ の 形 ・︿非 過 去 ﹀ の 形 の混 用 は、 文 章 に変 化 を 与 え る 効 果 も あ る 。
未来形
さ て 、 テ ン ス と いう と 、 ︿現 在 ﹀ ︿過 去 ﹀ の 他 に ︿未 来 ﹀ を 考 え た く な る 。 エ ス ペ ラ ン ト の 動 詞 でamasと 言 え
ば 、 現 在 愛 す る 意 で あ り 、amis と 言 え ば 、 過 去 に お い て 愛 し た 意 味 で あ り 、amosと 言 え ば 未 来 に お い て 愛 す る
sha ⋮l とlい う よ う な 文 脈 に 限 り 、 比 較 的 純 粋 に 未 来 を 表 わ す そ う で あ る が 、
の 意 味 だ と いう 。 し か し 、 現 実 の 言 語 で は 、 こ の よ う な 整 った 三 つ の テ ン ス を そ ろ え て も っ て い る の は 少 な い よ う だ 。 英 語 で は 、shal とlいう 動 詞 がI
た だ し これ は い つも 主 語 は I に 限 ら れ 、 特 殊 な 場 合 だ 。
こう いう 稀 な も のを 探 す な ら ば、 日本 語 に も 、 未 来 を 表 わ す 形 が 全 然 な いわ け で は な い。
う ﹂ の形 がそ れ だ 。 た だ し そ れ は ご く 限 ら れ た 文 脈 にし か 現 わ れ な い。 ま た 、
も う じ き 、 春 に な ろ う と いう の に
の ﹁ ︱
言 う べき 言 葉 を 知 ら な い
べき ﹂ の 形も これ に近 い が、 こ れ は、 ﹁坐 る べ き 場 所 が な か った ﹂ と いう よ う な 形 が あ る と こ ろ か
坐 る べき 場 所 がな い と いう ﹁︱
ら 見 て 、 未 来 を 表 わ す と いう よ り 、 ︿以 後 ﹀ を 表 わ す 形 と 言 う べき も の の よ う だ 。 前 に 述 べ た ︿以 前 ﹀ を 表 わ す
形 に 対 応 す るも の であ る。 以 上 の ︿未 来 形 ﹀ ︿以 後 形 ﹀ は、 と も に連 体 形 し か な い。
テ ンスのな い言語
テ ン ス の区 別 のな い 言 語 と し て は 、 中 国 語 と ア ラ ビ ア 語 が 知 ら れ て いる 。 ﹃論 語 ﹄ に ﹁子 曰 ⋮ ⋮ ﹂ と あ り 、 現
代 語 は ﹁孔 子説 ﹂ と な る が 、 これ を 孔 子 がし ゃ べ った のは 過 去 の こ と だ と 言 い換 え る方 法 は な いそ う だ 。
日 本 語 で は 、 ﹁子 曰 ﹂ に 当 た る と こ ろ は 、 ﹁孔 子 は 言 った ﹂、 あ る い は
﹁孔 子 は 言 っ て い る ﹂ と い う の が 普 通 で
﹁た ﹂ の 連 用 形 で 、 つ ま り 、 過 去 に 言 った 言 葉 が 今 残 っ て い る と いう 意 味 で あ り 、 り っぱ に テ ン ス の 表 現
あ る 。 ﹁言 った ﹂ は 過 去 の こ と だ と いう 表 現 で あ り 、 ﹁言 っ て い る ﹂ の ﹁い る ﹂ は 現 在 で あ る が 、 ﹁て ﹂ は 以 前 を 表わす があ る 。
し て し ま う ﹂ の意 味 に 使 わ れ る こ と も あ り 、 ﹁き ﹂ ﹁け り ﹂ が 想 起
古 典 時 代 の 日 本 語 に は 、 完 了 を 表 わ す 語 と し て 、 ﹁つ ﹂ ﹁ぬ ﹂ が あ り 、 過 去 を 表 わ す 語 と し て ﹁き ﹂ ﹁け り ﹂ が あ った と 言 わ れ る 。 こ の ﹁つ﹂ ﹁ぬ ﹂ は 、 ﹁︱
た ﹂ と いう 形 だ け にな って し ま った のは 日本 語 の退 歩 だ った 。
と か 、 単 な る 感 動 の 意 味 に 用 い る こ と も あ った 点 で 紛 ら わ し か った が 、 と に か く こ の 二 つを 区 別 し て 言 え た 。 そ
れ が現在 は ﹁ ︱
進行 形
reading
a
book.
""Ha+ ni an kg o に 相i当sし 、 wr こiting
次 に、 テ ン ス か ら 離 れ て、 ア ス ペ クト の問 題 に 入 る が、 英 語 な ど に お け る進 行 形 と か 現 在 完 了 ・過 去 完 了 の形 は 日本 語 で は ど う な って いる か 。 ま ず 、 進 行 形 であ る が、
is
花 子 は 手 紙 を 書 いて いる
て い る ﹂ は、 英 語 の"Taro
太 郎 は 本 を 読 ん で いる の ﹁︱
れ は事 柄 の ︿進 行 相 ﹀ を 表 わ す 。 イ ェス ペ ルセ ンは ﹃ 英 語 の生 長 と 構 造 ﹄ の中 で、 英 語 の こ の言 い方 を 、 驚 く べ
き 的 確 な 、 か つ論 理 的 に貴 重 な 区 別 と 激 賞 し て いる が、 これ が 日本 語 にあ る こと は結 構 な こ と であ る。 ド イ ツ語
や フラ ン ス語 に は な い そう で、 ﹁手 紙 を 書 い て いる ﹂ と いう 言 い方 は、 ﹁手 紙 を 書 く ﹂ と いう 言 い方 と は 区 別 が な い と いう 。
a
l
現在完 了 形
sun
sun
ha はs 完 了sし eた t. こ" とを
i とsいうsの eは t完 ." 了 し た あ と だ と いう 一種 の 状 態 を 意 味 し て いる 。 松 下 大 三 郎
次 に 現 在 完 了 形 であ る が 、 英 語 の現 在 完 了 形 に は 二種 類 のも の が あ り、"The 表 わ し 、 日本 語 に す る と 、 陽 が沈 ん だ にな る 。 も う 一つ、"The が ︿既 然 相 ﹀ と い った も のだ 。 日本 語 で は、 前 のも のは ﹁︱ た ( だ )﹂ で表 わ し 、 あ と のも の は、 陽 が 沈 ん で いる
と いう 形 、 つま り 、 進 行 形 と 同 じ 形 で表 わ す 。 これ は紛 ら わ し いが 、 動 詞 のと こ ろ で 述 べ た よ う に、 ﹁書 く ﹂ ﹁読
む ﹂ の よ う な 、 あ る 時 間 か か って行 わ れ る動 作 に 対 し て 言 う 時 に 進 行 中 で あ る こと を 表 わ し 、 ﹁陽 が 沈 む ﹂ ﹁電 灯
が 消 え る ﹂ のよ う に 瞬 時 に 終 わ る 現象 に つ いて 言 う 時 は 、 そ れ が 終 わ った あ と の状 態 であ る こ と を 表 わ す か ら 、
実 際 に は 、 そ れ ほ ど 混 乱 は 起 こら な い。 ﹁て (で)﹂ はも と も と 以 前 を 表 わ す ﹁た ﹂ の 連 用 形 で あ る から 、 既 然 相 の意 味 に 用 い る方 が も と で、 進 行 相 に 用 いる の は 正 し く な いは ず だ 。
て いる ﹂ が あ る 。 こ れ は 全 体 が 状 態 を 表 わ す と し か 言 いよ う のな いも の で、 も う 一度 例 を あ
な お 、 つ い で に 日 本 語 の ﹁︱ て いる ﹂ に は 、 以 上 の進 行 相 ・既 然 相 の ほ か に、 さ っき 述 べた 、 ﹁あ の道 は 曲 って いる﹂ の ﹁︱
げ れ ば 次 のよ う な も のだ 。
あ の人 は 坊 っち ゃん 然 と し て いる て いる ﹂ に も 三 つの も の があ る こと にな る 。
山 が 向 こう に聳 え て いる
た ﹂ に種 類 が 多 い が、 ﹁ ︱
虎 は猫 に 似 て いる ﹁ ︱
過去完 了形
そ れ で は 次 に 、 英 語 な ど の過 去 完 了 の 表 現 、 あ れ は 日本 語 では ど う だ ろ う か 。 これ も 日 本 語 で ち ゃん と 表 現 で
き る 。 た だ し 、 連 体 形 を 使 う 場 合 と 、 終 止 形 を 使 う 場 合 と で ち がう 形 にな る か ら や や こ し い。
今 、 A が 午 後 三 時 に 新 幹 線 の ひ か り 号 で広 島 駅 に 着 いた 。 そ の 列 車 は 東 京 を 午 前 一〇 時 に発 車 し た も のだ った
と す る 。 英 語 で は、 こ の場 合 に 、 東 京 駅 を 一〇時 に 出 発 し た こと を 過 去 完 了 形 で表 現 す る はず であ る。 日 本 語 で は これ を 、 A は 東 京 駅 を 一〇 時 に 発 車 し た 列 車 で、 午後 三 時 に 広 島 に着 いた 。
と いう が 、 これ で い い の で あ る 。 こ の ﹁発 車 し た ﹂ の ﹁し た ﹂ が 広 島 に着 いた よ り 以 前 であ る こと を 表 わ し て い る から だ 。
た ﹂ に は 、 終 止 形 がな い。 そ こ で 、
た ﹂ で紛 ら わ し い、 け し から ん と いう 声 が か か る か も し れ な い が、 こ れ が英 語 の過 去 完 了 にあ た る も
た ﹂ は 連 体 形 で 、 ︿以 前 ﹀ を 表 わ す 形 で 、 こ こ で ﹁着 いた ﹂ よ り 、 そ れ が 以前 であ る こと を 表 わ す の で あ る 。
﹁発 車 し た ﹂ で は 、 た だ の 過 去 で は な いか と い う か も し れ な い。 ﹁着 いた ﹂ の 方 は 過 去 形 だ。 ﹁発 車 し た﹂ の ﹁ ︱ 同じ ﹁ ︱
のを 表 わ す 日本 語 の 形 で あ る。 終 止 形 の 場 合 は ち が う 。 ﹁以 前 ﹂ を 表 わ す ﹁︱
て いる ﹂ が つく と 、 既 然 相 の言 い方 に な る 。
A は午 後 三 時 に広 島 駅 に着 いた 。 そ の列 車 は午 前 一〇時 に東 京 駅 を 発 車 し て いた 。 と な る 。 ﹁発 車 す る ﹂ は 瞬 間 に行 わ れ る 現 象 であ る 。 そ れ に ﹁︱
そ れ の 過 去 形 を 使 え ば 、 こ れ は 過 去 に お け る既 然 相 と な って 、 こ れ は 英 語 の 過 去 完 了 形 を 表 わ す こと に な る 。
た﹂ ﹁ ︱
て い る﹂ の組 合 わ せ な の で 紛 ら わ し く 、 整 然 と し
要 す る に 、 日本 語 に も 、 過 去 形 ・完 了 形 があ り 、 進 行 相 ・既 然 相 が あ り、 過 去 完 了 形 も いち お う 皆 そ な わ って いる の で あ る 。 た だ し 、 そ れ を 表 わ す も の が ﹁ ︱
た 体 系 に な って いな い だ け だ 。 し か し 、 わ れ わ れ は 結 構 そ れ で 用 を 足 し て お り 、 そ れ ほど 不 自 由 を 感 じ て いな い。
was
shut
at
six
when
I
went
I
don't
knlow
sは h、 ut 意 味 が ち が う は ず で あ る。 (1 の)方 は 状 態 を 表 わ し 、 (2の)方 は 事 態 の変 化 を 表 わ す 。
by,but
の み な ら ず 、 日本 語 で過 去 形 と 既 然 相 と が は っき りし て い る こ と は 、 英 語 な ど で は でき な い区 別 を す る こと が
door
あ る。 寺 村 秀 夫 の 例 を 借 り る が 、 英 語 では こ ん な 文 があ る と いう 。 The こ の 二 つのwas
日 本 語 な ら ば 、 り っぱ に 言 い 分 け る こ と が でき る 。 (1の)方 は 既 然 相 の 過 去 形 で表 わ し 、 (2 の) 方 はた だ の過去 形 で表 わ す か ら だ 。
た ﹂ を 使 って そ の意 味 で言 葉 を 途 中 で 止 め る
﹁降 ら な い ﹂ と い え ば 、 そ こ で セ ン テ ン ス が 終 わ り 、
た ﹂ に つ いて 困 る こ と は 、 過 去 の ﹁ ︱
六 時 ご ろ 通 り か か った 時 に 、 ド ア は し ま って いた が 、 い つし ま った の か は わ か ら な い。
﹁ た ﹂ の不都 合 な点 わ れ わ れ が過 去 の ﹁ ︱
こと が で き な いこ と で、 こ れ は 不 便 で あ る 。 打 消 し の言 葉 は
た﹂ には
セ ン テ ン ス の 途 中 な ら ば 、 ﹁雨 も 降 ら ず 、 風 も 吹 か な い ﹂ と い う よ う な 言 い 方 が あ る 。 ﹁ ︱ ず ﹂ と 言 え ば 、 打 消
し の意 味 を こめ 、 し か も セ ンテ ンス が ま だ 続 く と いう 意 味 を も 表 わす こと が でき る が 、 日 本 語 の ﹁ ︱
て﹂と い
﹃坊 っち ゃ ん ﹄ の
こ の形 が な い。 昔 は そ う いう 意 味 を 表 す 形 があ った 。 過 去 の形 で は な い が、 完 了 の形 が あ った 。 ﹁︱
う 形 で あ る 。 と こ ろ が 、 現 在 の ﹁て ﹂ に は そ の 意 味 は な く な っ て し ま った 。 た と え ば 、 漱 石 の 中 にも こ ん な 文 があ る 。
た﹂ に連 用形 が
て ﹂ に そ れ を 使 って 、 誤 解 の お そ れ の な い文 章 を 書 い た で あ ろ う 。
﹁︱
﹁取 って 上 げ ま す ﹂ と 言 った の だ ろ う 。 し か し 、 清
清 は さ っそ く 竹 の 棒 を 捜 し て 来 て 、 取 っ て 上 げ ま す と 言 った 。 こ こ で清 は ま ず 竹 の棒 を 捜 し て来 た の であ ろう 。 そ う し て
﹁捜 し て 来 て ﹂ の 最 後 の ﹁︱
が 、 ﹁竹 の 棒 を 捜 し て 来 て 、 取 っ て 上 げ ま す ﹂ と 言 っ た と し て も 、 同 じ 文 章 に な る 。 も し あ った ら
when
i
七 動 詞 のヴ ォイ ス
ヴ ォイ ス
た だ の ﹁読 む ﹂ に 対 し て、 使 役 を 表 わ す ﹁読 ま せ る﹂、 受 身 を 表 わ す ﹁読 ま れ る ﹂ と いう よ う な 言 い方 、 こ れ
を 動 詞 の ヴ ォイ ス ( 態 ) の変 化 と いう 。 日 本 語 は、 ヴ ォイ ス の変 化 は 言 い分 け が し っか り し て いる。
メイ エ、 コー ア ン共 編 の ﹃ 世 界 の言 語 ﹄ の中 で は 、 日本 語 に つ いて は ロシ ア 出 身 の言 語 学 者 イ ェリ セー エ フが
担 当 紹 介 し て い る が 、 そ こ で 彼 は 、 日本 語 に は 一つ の動 詞 の受 動 態 の 使役 態 が あ る こと を 珍 し が って い る。 こ れ
は 、 ﹁打 た れ さ せ る ﹂ と いう よ う な 形 の こ と だ 。 イ ェリ セ ー エ フは 、 こ れ を ﹁打 つ﹂ と いう 動 詞 の派 生 形 で 、 全 体 を 一語 と 見 た 。 こ う いう 言 語 は 地 球 上 に少 な いも のと 見 え る 。
古 代 の中 国 語 な ど は ヴ ォイ ス の区 別 が は っき り せ ず 、 た と え ば 、 ﹁漁 父 の辞 ﹂ の巻 頭 の文 は 、 屈 原 既 放
であ る 。 こ れ は 屈 原 が何 か を 放 った の か と 思 う と 、 ﹁屈 原 既 ニ放 タ レ ⋮ ⋮ ﹂ と いう 受 動 態 の意 だ と いう 。 漢 字 を
四字 ず つ に並 べた いた め に 、 こ んな 文 が出 来 た と いう が 、 これ で は 、 能 動 と 受 動 と が ご ち ゃご ち ゃだ 。
中 国 語 の こ の傾 向 は 現代 にも 持 ち こ さ れ 、 ﹁叫 ﹂ と か ﹁譲 ﹂ と か いう 補 助 動 詞 は 、 受 動 態 と 使 役 態 と に 共 用 さ れ る と いう 。( ﹃日本 語学﹄昭和六十年四月号、牛島徳次)
受動 態
日本 語 の受 動 態 は、 いわ ゆ る 動 詞 + ﹁れ る﹂ ﹁ら れ る ﹂ の 形 で作 ら れ る 。 日本 語 の受 動 態 に つ いて よ く 言 わ れ る
こ と は 、 次 の 二点 だ。 一つは、 主 格 が 非情 物 の場 合 に受 動 態 を 用 いる こ と は 古 い時 代 に は 例 が少 な か った こ と で
あ る。 (1 ) 彼は先 生に叱ら れた (2 ) 彼は犬 に吠えら れた (3 ) 式 場 に は 白 砂 が し き つめ ら れ 、 紅 白 の幔 幕 が は り め ぐ らさ れ て いた
のう ち 、 (3の)よ う な 言 い方 は、 明 治 以 後 、 ヨー ロ ッパ 式 の言 い方 の輸 入 の影 響 で盛 ん にな った 。 に く き も の⋮ ⋮ 硯 に髪 の入 り て 磨 ら れ た る ⋮ ⋮ (﹃ 枕草子﹄)
奥 津 敬 一郎 は 、 こん な 例 を あ げ た が 、 こ れ は 稀 少 な 例 の採 集 だ 。(﹃ 国語学﹄昭和五十八年三月) 可 愛 が ら れ た タ ケ ノ コ が斬 ら れ て割 ら れ て ⋮ ⋮ ( 俚謡 ﹁三階節﹂) のような例 は擬有情物的 な表現 である。
英 文 を 読 ん で いる と 、 日 本 語 よ り 受 身 の言 い方 が 多 いよ う に 感 じ ら れ る 。 ﹁喜 ぶ﹂ ﹁お も し ろ が る ﹂ ﹁怖 が る ﹂
﹁呆 れ る﹂ ﹁疲 れ る ﹂ ﹁驚 く ﹂ な ど が受 動 態 で言 わ れ る せ い であ ろ う か。 ま た 、 無 生 物 の主 語 の受 動 態 が 多 いせ い だ ろうか。
自動 詞 の受動態
日本 語 の動 詞 の受 動 態 に つ いて 、 も う 一つよ く 言 わ れ て いる こ と は 、 自 動 詞 にも 受 動 態 があ る こ と で あ る 。 次 の例 の ﹁ 泣 く ﹂ ﹁降 る ﹂ は 自 動 詞 だ 。 子 ど も に 夜 泣 か れ て 眠 れ な か った 雨 に降 ら れ て カ ンカ ン娘
こ の受 動 態 は ﹁先 生 に 叱 ら れ る﹂ ﹁幔 幕 が は り め ぐ ら さ れ る ﹂ な ど の受 動 態 と、 少 し 意 味 が ち がう 。 ﹁叱 ら れ る﹂
﹁は り め ぐ ら さ れ る ﹂ の方 は 、 主 格 が そ の 動 作 ・作 用 を 直 接 受 け る が 、 ﹁泣 か れ る﹂ ﹁降 ら れ る ﹂ の方 は 間 接 に受
け る 。 そう し て、 こ の 間 接 の 受 動 態 は 、 何 か 迷 惑 を 受 け る 意 味 を 表 わ す こ と が 多 い。 純 粋 の 受 動 態 で は な く 、 ︿被 害 態 ﹀ と でも 言 う べき も のだ 。
し か し 、 こ れ は 東 ア ジ ア の諸 言 語 によ く 見 ら れ 、 特 に珍 し いも の で は な い。 中 国 語 でも 、 被 泣 子 〓 了 (子供 に泣 か れ る ) 被 雨 淋 了 ( 雨 に降 ら れ る )
な ど と いう 。 イ ンド ネ シ ア 語 と いう 言 語 は 、 受 動 態 の言 い方 の好 き な こと 、 日 本 語 以 上 で、 途 中 で 太 陽 に沈 ま れ た 夜 に 明 け ら れ た と いう よ う な 言 い方 も で き る と いう 。(﹃ 日本語学﹄昭和六十年四月号、正保勇)
日本 語 は 、 自 然 物 によ る 受 身 の言 い方 は 普 通 では な い。 ﹁雨 に 降 ら れ た ﹂ は 特 例 で、 雨 を 擬 人 化 し て いる の か も し れ な い。 た だ し 、 日本 語 に こ ん な 言 い方 が あ る。 隣 り のや つに 二階 を 建 てら れ て 、 陽 当 り が 悪 く な ってし ま った
﹁建 て る ﹂ は 他動 詞 だ か ら 、 受 動 態 の文 に な っても 自 然 のよ う であ る が 、 こ れ は ﹁二 階を ﹂ と いう 目 的 語 を も っ
て いる 。 こ の 受 身 態 の文 の主 格 は ﹁私 ﹂ で あ って ﹁二 階 ﹂ で は な い。 隣 り が 二 階 を 増 築 し た こと に よ って、 私 が
害 を 受 け て いる 意 味 で あ る 。 こ れ は 中 国 語 でも 受 身 の形 で は 言 わ な いよ う だ 。 と す る と 、 こ の方 が 日 本 語 の特 色 か も し れ な い。
こ の ﹁二 階 を 建 て ら れ た ﹂ は 、 純 粋 の受 動 態 で は な く し て 、 被 害 態 の 一種 だ 。 これ は 次 のよ う な ︿受 益 態 ﹀ に 対 す るも のだ 。 自 分 の家 を 建 て て も ら った
使役 態
日 本 語 動 詞 の使 役 態 は 、 いわ ゆ る 動 詞 + ﹁せ る ﹂ ﹁さ せ る﹂ の形 で作 ら れ る 。 文 章 語 に は 、 ほか に ﹁ ︱ る ﹂ と いう 古 風 な 言 い方 も 残 って いる 。
せしめ
日 本 語 の使 役 態 に は 、 意 味 か ら 見 て 二 つ のも の があ る 。 一つは 、 (1 力)を も って 他 の も のを 動 か す 意 味 のも の である。 たとえば、 学 生 に は 、 学 年 末 に レポ ー ト を 提 出 さ せ る
も う 一つは 、 (2 他)のも の の意 志 を 尊 重 し てそ の意 志 ど お り の行 動 を 許 す 意 味 のも の で、 図 書 館 を 立 て て自 由 に 本 を 読 ま せ る
が、 これ だ 。 よ く 話 題 に の ぼ る ﹁ 本 日 は これ で 休 ま せ て いた だ き ま す ﹂ も 、 ﹁休 む こ と を 許 可 し て ⋮ ⋮﹂ の意 味
で 、 こ の (2 の) 例 だ。 英 語 な ど では 、 (1 と)(2 を)、 ち がう 助 動 詞 を 使 って表 わ し 分 け る 。
使 役態 と他 動 詞
日本 語 の使 役 態 に つ いて は 注 意 す べき こ と が 三 つあ る 。 一つは 、 受 動 態 と 同 じ よ う に 、 非 情 物 を 主 語 と す る 場 合 に は あ ま り 用 いら れ な い こと だ 。 そ の知 ら せ は 彼 女 を 悲 し ま せ る だ ろ う は いか に も 、 ヨー ロ ッパ 語直 訳 体 で あ る 。
次 に 日 本 語 の使 役 態 は、 他動 詞 に よ る 表 現 で代 用 さ れ る。 ﹁彼 に 芝 居 を 見 さ せ る ﹂ の意 味 は 、 彼 に 芝 居 を 見 せ る
で言 い表 わ す こと が でき る。 ﹁一人 っ子 を チ フ ス で 死な せ た ﹂ と いう セ ンテ ン ス は、
一人 っ子 を チ フ ス で殺 し た と も 言 い、 こ れ は 外 国 人 を 驚 か す 。
こ の ﹁チ フ ス で 死 な せた ﹂ は 、 ﹁自 由 に本 を 読 ま せ る ﹂ の例 と 意 味 が似 て い る が 、 ち ょ っと ち がう 。 ﹁本 を 読 ま
せ る ﹂ は 、 人 びと が本 を 読 み た が って いる 場 合 の表 現 だ が 、 子 供 は チ フ ス で 死 にた が って いた わ け で は な い。 自
分 の不 注 意 ・油 断 が あ って 、 子 供 が死 ん だ と いう 意 味 であ る 。 ﹁子 供 に チ フ ス で 死 な れ た ﹂ と 言 って も 、 同 じ 意 味は伝わ る。 こ のよ う な も の は 、 中 世 の戦 記 物 語 にあ った 。 弓 手 の膝 口を 射 さ せ て ⋮ ⋮ ( ﹃平家物語﹄) 河 野 通 信 父 を 討 た せ て ⋮ ⋮ ( 同)
がそ れ だ 。 湯 沢 幸 吉 郎 は、 受 身 で言 う べき と こ ろ を 、 武 士 は 強 が り を 見 せ て 、 自 分 の方 か ら そ う や ら せ た よ う に
表 現 し た のだ と 説 いた が、 そ ん な こ と は あ るま い。 ﹁自 分 の不 注 意 で ⋮ ⋮ ﹂ と いう 意 味 の 用 法 だ と 思 う 。( 日本古典 文学大系 ﹃ 平家物 語﹄解説)
使 役態 と能 動態
日本 語 の使 役 態 に は、 も う 一つ時 枝 誠 記 が 注 意 し た が 、 理論 的 に は 使 役 態 を 用 いる べき と ころ を 、 普 通 の能 動
態 で いう こと が あ る。 た と え ば 、 次 の (1 は)医 者 に注 射 し て も ら った こと を 言 い、 (2 は)、 大 工 に 家 を 建 て さ せ た 時 の 言 い方 であ る 。 (1 ) き のう 注 射 を し ま し た (2 ) 今度彼 は家を新 築した 古 い中 国 語 の言 い方 に 、
飲 馬 於 溜 ( ﹃春秋左氏伝﹄)
分
人
利を 受 け る 人
他
分
てく
のよ う な 表 現 があ り 、 馬 を 飲 む か と 思 う と さ にあ ら ず 、 馬 に 水 を 飲 ま せ る 意 味 で あ る と いう のと 、 ち ょ っと似 て いる 。
本 を 読 ん であ げ る
ま た 、 受 動 態 に 対 し て受 益 態 が あ った よ う に、 使 役 態 に 対 す る も の と し て、 ︿与 益 態 ﹀ があ る 。 本 を 見 せ てや る
のよ う な 表 現 がそ れ だ 。 被 害 態 に 対 す る ︿与 害 態 ﹀ と いう も のは 、 特 に き ま った 形 は な いが 、 憎 ら し いか ら 引 っぱ た いて や った
人
自
語
て や る﹂ と ﹁ ︱
て い た だ く ﹂ は 、 ﹁︱
てくれ る﹂
てく れ る﹂ の関係 は、 利
ても ら う ﹂ の尊 敬 表 現 だ 。 と い って も 、
日 本 人 は他 人 か ら 恩 義 を 受 け る こと を つと め て表 現 し よ う と す る 民
主格 を尊敬す る表現 ではなく、 対格を尊 敬する表 現だ。
﹁︱
ち が う 。 こ の関 係 は上 のよ う だ。
ても ら う ﹂ は 、 そ の文 の主 語 が 利 益 を 受 け る こと を 表 わ す 点 で 次 元 が
益 が 他 人 の方 へ行 く か 、 自 分 の 方 に く る か で 正 反 対 で あ る が、 ﹁ ︱
では意 味 がちがう。 ﹁ ︱
と 呼 びた い形 だ 。 が、 明 ら か に ﹁︱ て も ら う ﹂ と ﹁ ︱
て も ら う ﹂ を 受 益 態 と 呼 ん だ が 、 こ っち も 受 益 態
てあ げ る﹂ を 与 益 態 と 呼 ぶ と す る と 、 こ れ に対 す る表 現 は 、 ﹁︱
のよ う に言 う 。 与 益 態 の形 を 借 り て表 現す る と 言 う べき だ ろ う か 。
二つの受 益態
自
他
主
{
主語以外
人
他
利 を与 え る 人
て 下 さ る ﹂ と いう 形 だ と いう こと だ 。 先 に ﹁ ︱
と ころ で問 題 は 、 ﹁︱ て や る﹂ ﹁︱ れ る ﹂ ﹁︱
てやる てあ げ る て差 上 げる てくれる て下さる て も らう て いた だく
族 特 性 から 、 ﹁︱ て も ら う ﹂ ﹁ ︱
て いた だ く ﹂ と か ﹁ ︱ your
in
thと eあb るeが d、 ." 日本
seと aそ tb っeけ lな t. い"が 、 日 本 語 は 、
て く れ る ﹂ ﹁︱ て 下 さ る ﹂ の系 列 の 言 葉 が 大 好 き
だ 。 飛 行 機 に 乗 る と 、 乗 客 へ の 注 意 事 項 が 、 英 語 で は"Fasten ベ ル ト を お 締 め 下 さ い
smoking
て も ら う ﹂ は 、 次 のよ う に 組 合 わ せ て も 用 いら れ る 。
と や さ し く 、 ホ テ ル へ泊 ま る と 、 宿 泊 客 へ の 希 望 事 項 が 、 英 語 で は"No 語 で は 、 す べ て ﹁下 さ い ﹂ が つ い て い る 。
て く れ る﹂ ﹁︱
ベ ッ ド の 上 で の喫 煙 は 御 遠 慮 下 さ い
てやる﹂ ﹁ ︱
与 益 態 ・受 益 態 の 重 な り
これ ら の ﹁ ︱
極 端 な 場 合 に は 、 三 番 目 の例 が そう だ が 、 三 つ重 な る こ と も あ る。 義 理 で診 察 し て も ら って や る 世 話 を し て や ってく れ
こ の 男 は 麻 雀 の自 称 天 狗 な ん だ が 、 一度 指 導 を 受 け て も ら って や ってく れ な いか
一般 に 朝 鮮 語 に は 日本 語 に 似 た 点 が 多 く 、 筆 者 な ど が 、 ﹁日本 語 の特 質 ﹂ な ど と い った も のを 書 く と 、 韓 国 人
の学 者 か ら 、 それ は 日本 語 の特 質 で は な い、 朝 鮮 語 でも そ う だ と 叱 ら れ る こ と が 多 い。 が、 こ う いう 言 い方 は 朝 鮮 語 に は な い ので は な か ろ う か 。
八 形 容 詞 と 副 詞 類
一 形容詞 語彙 の少 なさ
日本 語 の形 容 詞 に つ い て は、 柳 田 国 男 の ﹃語 彙 論 ﹄ に、 ﹁語 彙 が少 な す ぎ る ﹂ と 論 じ た こ と が有 名 で あ る。 た
し か に わ れ わ れ は 日常 ち ょ っと し た 事 物 の 形 容 を 言 い表 わ す こ と ば がな く て 不 自 由 を 感 じ る こと が 多 い。 カ ラ シ
や ワサ ビ の味 と い っし ょ に、 塩 水 の味 を ﹁か ら い﹂ と いう の は 変 であ る 。 漢 字 で は ﹁辛 ﹂ と ﹁鹹﹂ と は ち がう 。
い﹂ と いう 形 の形 容 詞 であ る。 た し か に そ れ は 少 な いし 、 こ と
鉄 砲 玉 を ﹁か た い﹂ と いう の は い いと し て 、 ス ル メ の足 を 同 じ ﹁か た い﹂ と いう のも 変 で あ る 。 英 語 で は 、hard とtougとhで 言 い分 け る。 と ころ で、 柳 田 が 少 な いと いう 形 容 詞 は ﹁ ︱
に 新 し い の が あ ま り 出 来 な い。 増 え る の は 、 ﹁ダ サ イ ﹂ と か 、 ﹁ヤ バイ ﹂ と か 、 あ ま り 品 位 のな い単 語 で あ る 。
﹁黄 色 い﹂ ﹁茶 色 い﹂ は や っと 認 め ら れ て 市 民 権 を 得 た が、 ﹁き れ い﹂ ﹁好 き ﹂ を 若 い人 が ナ イ を 付 け て、 ﹁キ レイ
ク ナ イ ﹂ と か ﹁好 キ ク ナ イ ﹂ と か いう と 、 福 田 恆存 のよ う な 人 から 早 速 、 日本 語 の乱 れ の例 にさ れ る 。 要 す る に 形 容 詞 は 増 え にく い。
形容 詞の代 わ りに使 われ る語
し か し 日本 語 の中 に は、 いわ ゆ る ﹁形 容 詞﹂ と 同 じ よ う な 意 味 を も ち 機 能 を 果 たす こ と ば に、 実 は 、 ﹁静 か な ﹂
と か ﹁見 事 な ﹂ と か いう 、 ナ で 終 る 形 の単 語 が た く さ ん あ る 。 ﹁勇 ま し い﹂ と ﹁勇 敢 な ﹂ と は 意 味 ・機 能 全 く 同
じ であ る 。 ﹁貧 し い﹂ と ﹁貧 乏 な ﹂ も そ う で あ る 。 ﹁白 い﹂ ﹁赤 い﹂ の類 だ け を 形 容 詞 と 名 付 け た の は 、 大 槻 文 彦
以 来 の学 校 文 法 の規 定 で あ って、 む し ろ 英 語 の ア ジ ェク テ ィブ と いう 術 語 内 容 に忠 実 な ら ん と す れ ば 、 ﹁静 か な ﹂
﹁見 事 な ﹂ の方 が 形 容 詞 と いう の に ふ さ わ し いも の で あ った 。
ま た 、 日 本 語 にあ る お び た だ し い擬態 語 の類 いも 形 容 詞 の代 わ り に 使 わ れ る 。 ﹁ガ タ ガ タ の椅 子﹂ ﹁ツ ル ツ ル の
廊 下 ﹂ の 類 い であ る 。 さ ら に 、 動 詞 そ のも の、 お よ び 動 詞 + ﹁た ﹂ の 形 が 形 容 詞 と し て 使 わ れ る こ と を 見 逃 し て は な ら な い。 (1 ) こ い つ は いさ さ か驚 く ね (2 ) こ り ゃ困 った な
右 の (1 の) ﹁驚 く ﹂ の主 格 は 何 か 。 ﹁私 は ﹂ が 略 さ れ て いる 、 な ど と 思 って は いけ な い。 ﹁こ い つは おも し ろ い﹂
と いう セ ン テ ン ス が あ れ ば 、 ﹁お も し ろ い﹂ の主 格 は ﹁こ い つ﹂ であ る 。 同 様 に ﹁驚 く ﹂ の主 格 も ﹁こ い つ﹂ で
あ る。 驚 いた 気 持 を 表 わ す べき 形 容 詞 が な い。 そ こ で ﹁驚 く ﹂ と か ﹁困 った ﹂ と か いう 動 詞を か り て 来 て 、 形 容
詞 と し て 使 って いる の であ る 。 と す る と 、 た だ 、 ﹁赤 い﹂ ﹁白 い﹂ の類 いだ け を 見 て 形 容 詞 が 少 な いと 歎 く こと は な い。
形容 詞の 語形変 化
日本 語 の特 色 を 論 じ た本 を 読 む と 、 判 で お し た よ う に 、 日本 語 の形 容 詞 が 、 動 詞 と 同 じ よ う に語 形 変 化 を し 、
雪 が白 い
単 独 で 述 語 にな れ る と いう こと が書 い てあ る 。 た し か に 、 花 は美し い
の ﹁美 し い﹂ ﹁白 い﹂ な ど は ﹁だ ﹂ も つか な いで 述 語 にな る し 、 語 形 変 化 を す る 。
し か し 、 ナ で 終 わ る 形 容 詞 の方 は 、 そ れ 自 身 、 語 形 変 化 す る の は ﹁き れ いな ﹂ ﹁き れ いに ﹂ の 二 つだ け で、 あ
と は ﹁だ ﹂ と いう 、 名 詞 に つく 助動 詞 が つき 、 そ の ﹁だ ﹂ の 語 形 変 化 に よ って、 イ で終 わ る 形 容 詞 と 同 じ よう な
働 き のち が いを は た す 。 ﹁だ ﹂ に つ い て は 次 節 で述 べ る が 、 論 理 学 で いう コプ ラ (繋辞 ) であ る 。 と す る と、 こ
の 形容 詞 は 、 コプ ラ が つ い て ﹁き れ いだ ﹂ と いう 述 語 に な る わ け で 、 ヨー ロ ッパ 語 の 形 容 詞 に よ く 似 て いる と 言 った のは こ の こ と であ る。 つま り、 ヨー ロ ッパ 式 の形 容 詞 であ る 。
擬態 語 の類 いを 形 容 詞 に 収 め る考 え は 、 早 く 松 下 大 三 郎 の ﹃ 標 準 日本 文 法 ﹄ に 見 え 、 近 く は 川 端 善 明 ( ﹃ 時 の副 詞﹄上)も そ のよ う に考 え て いる 。
統 合 型と 分析 型
さ て 、 こ こ で イ 型 の 形 容 詞 と ナ 型 の形 容 詞 を 比 べ て み る と 、 イ で終 わ る 形 容 詞 は、 全 体 が 一語 であ る か ら ︿統
合 型 の形 容 詞 ﹀ であ り 、 ﹁静 か な ﹂ ﹁元 気 な ﹂ の方 は 、 ﹁だ ﹂ が 臨 時 に つく の で ︿分 析 型 の形 容 詞 ﹀ と いう こと に な る。 擬 態 語 の類 いも 、 後 者 に近 い。
こ の 二 つを 比 べ て み る と 、 分 析 型 の 形 容 詞 の方 が は る か に 便 利 な こ と が 多 い。 た と え ば 分析 型 の 形 容 詞 は、 終
止 法 と 連 体 法 と ち がう 形 を と る 。 ﹁静 か だ ﹂ と ﹁静 かな へや ﹂。 これ は 、 セ ン テ ン ス の続 き 方 を 示 す 点 で大 変 都 合
が よ い。 ま た 、 分 析 型 の形 容 詞 は 丁寧 形 が ごく 自 然 に 作 れ る 。 ﹁静 か だ ﹂ は、 ﹁だ﹂ を ﹁です ﹂ に改 め て、 ﹁静 か
で す ﹂ と や れ ば よ い。 これ に 対 し 、 イ 型 の形 容 詞 の方 は 、 語 尾 のイ が 邪魔 にな ってな かな か 丁 寧 形 が 作 り にく い。
こ の ご ろ や っと ﹁白 イ デ ス﹂ と いう 言 い方 が正 し い形 と 認 め ら れ てき た が、 戦 前 は これ は 雅 馴 な 言 い方 で はな い と い って 、 評 判 が わ る か ったく ら いであ る 。
幸 いに 、 今 日 で は 、 ﹁ 白 イ デ ス﹂ が 正 し い形 と し て 公 認 さ れ てよ か った 。 が、 そ の 過 去 の 形 はま だ 落 ち つか な
い。 ﹁白 カ ッタ デ ス﹂? こ れ は 口頭 で は 多 く 行 わ れ て いる よ う だ 。 が 、 字 に 書 く と ど う も 落 付 か な い。 ﹁白 イ デ
シ タ﹂? こ れ は 今 ま だ 耳 にな じ ま な いが 、 こ の 形 が 将 来 伸 び る の で は な か ろ う か 。 英 語 学 者 で あ り、 同 時 に 国 語 学 者 で あ る 楳 垣 実 は 、 そう いう 形 を さ か ん に使 って いた。
が 、 と に か く 、 イ で 終 わ る形 容 詞 は 丁 寧 形 が作 り に く い。 つま り 使 いに く い語彙 で あ る 。 こん な こ と か ら 、 形
容 詞 で は新 興 のナ で 終 わ る 分析 型 の形 容 詞 の方 が、 日 に 日 に勢 力 を 加 え つ つあ る も のと 考 え ら れ る。 イ ェス ペ ル
セ ンは 、 言 語 は 統 合 的 な も のか ら 分 析 的 な も の へ向 か って進 歩 す る と 言 った が、 日 本 語 の 形 容 詞 は、 ま さ に そ の 道 を 進 ん で いる 。
一般 に 形 容 詞 が動 詞 と 同 じ よ う に 語 形 変 化 を す る のは 東 ア ジ ア の言 語 に多 く 、 朝 鮮 語 な ど は 語 尾 の部 分 ま で 同
じ であ る 。 中 国 語 や イ ンド ネ シ ア語 は 語 形 変 化 を し な いが、 単 独 で 述 語 にな る と いう 働 き は 、 動 詞 と 全 く 同 じ で あ る。
こ れ に対 し て 、 ヨー ロ ッパ語 の 形 容 詞 は、 む し ろ 名 詞 と 似 て いて 、 ド イ ツ語 ・フラ ン ス語 な ど 、 そ の 語 尾 の変
化 は 名 詞 と 同 じ よ う な 形 を と る 。 日 本 語 は、 本 来 のイ 型 形 容 詞 は 極 東 的 で あ る が、 ナ 型 形 容 詞 の方 は ヨー ロ ッパ 的 で 、 少 な く と も 形 は名 詞 に似 て いる 。
心理 状態 と事 物 の属性
日本 語 の形 容 詞 に つ い て、 次 に 注 意 さ れ る こと は 、 時 枝 誠 記 が 注 意 し て い る が 、 同 一の 語 が 心 理 状態 を も 表 わ
し 、 事 物 の属 性 を も 表 わ す こ と が 多 いと いう 点 で あ る 。 た と え ば 、 ﹁寂 し い﹂ と いえ ば 、 (1)loと nい eう ly よう な
心 の状 態 を も さ す し、 (2)lonesomと eい ,う de よs うeなr、 tそ う いう 気 持 を 与 え る 外 界 の情 景 を も さ す と いう の が これ で あ る 。 森 の青 葉 の蔭 に 来 て な ぜ か寂 し く あ ふ る る 涙 ( 西条 八十 ﹁純情 二重奏﹂) 山 の寂 し い湖 に ひと り 来 た のも 悲 し い心 ( 佐藤惣之助 ﹁ 湖畔 の宿﹂)
こ の点 は 中 国 語 と 日本 語 も 同 様 だ し 、 東 洋 の諸 言 語 に広 く 見 ら れ る 傾 向 で あ ろ う 。 英 語 でintereが s外 ti 界n のg
事 物 の性 格 を 表 わ し 、intere がs そt れeをd受 け た 心 の状 態 を 表 わ す と いう 区 別 は 、 こ の点 で は 精 密 であ る 。
二 副 詞 類 情態 副詞
日 本 語 の副 詞 は 、 山 田 孝 雄 の本 によ る と 、 学 校 文 法 の 接 続 詞 ・感 動 詞 を も 含 め て い た が、 そ の ほ か のも の は
︿情 態 副 詞 ﹀ ︿程 度 副 詞 ﹀ ︿陳 述 副 詞 ﹀ に 三 分 類 し て いた 。 こ の考 え は 戦 前 は 最 も 標 準 的 な も の と し て 行 わ れ て い
た が 、 戦 後 の学 校 文 法 で は 情 態 副 詞 のう ち 、 ﹁静 か に﹂ ﹁元 気 に﹂ の類 いは 、 形 容 動 詞 の連 用 形 と し て 早 く 分 離 さ
れ た 。 本 書 で は 、 ナ 型 の形 容 詞 で あ る 。 ま た 、 残 り の情 態 副 詞 のう ち ﹁は っき り ﹂ ﹁き ら き ら ﹂ ﹁ぱ っと ﹂ ﹁泰 然
と ﹂ の類 いに つ い ては す べ て、 戦 前 、 松 下 大 三 郎 が ﹁静 か ﹂ ﹁元 気 ﹂ な ど と 同 種 と 考 え る 説 を 出 し て いた が、 戦
後 、 川 端 善 明 や 竹 内 美 智 子 によ って 、 ま す ま す そ の説 が 強 め ら れ てき た 。 た し か に 、 (1 ) 山 路 にす み れ が つ つま し く 咲 い て いた (2 ) 山 路 にす み れ が ひ っそ り と 咲 い て い た
本 書 の分 類 で は 、 形 容 詞 のう ち に 入 れ ら れ る 。 事 実 、 ﹁ひ っそ り と ﹂ は 前 に 修 飾 語 が 加 え ら れ る こ と か ら 見
で、 (1 と)(2 が) 激 し く ち がう 性 質 を も って いる と は 思 わ れ な い。 これ は 、 杉 山 栄 一の、 連 用 形 だ け し か な い用 言 ︱
ても 、 形 容 詞 と 同 じ で、 副 詞 ら し く な い。 ま た 、 幸 い に人 に 出 逢 って道 を 教 え て も ら った あ の人 は 不 思議 にも 生 き 返 った
の類 いは 、 湯 沢 幸 吉 郎 の ﹃国 語 法 精 説 ﹄ 以 来 、 文 全 体 に か か る 別 種 のも のと 注 意 さ れ 、 ﹁約 束 の副 詞 ﹂ と 呼 ば れ
て いた が、 三 上 章 は、 ﹁批 評 の副 詞 ﹂ と 言 いか え 、 そ の 中 に ﹁評 価 ﹂ と ﹁注 釈 ﹂ の 二 種 類 を 立 て た 。 ﹁幸 い に﹂
﹁確 か に ﹂ ﹁あ いに く ﹂ ﹁高 い﹂ な ど は 評 価 で あ り 、 ﹁無 論 ﹂ ﹁す な わ ち ﹂ ﹁た と え ば ﹂ な ど は 注 釈 だ と いう 。 こう な って は、 情 態 副 詞 は 壊 滅 だ 。
程度 副 詞
程 度 の副 詞 は 、 名 詞 を も 修 飾 す る 点 で 、 異 色 があ る 。 が、 か り に連 体 詞 を 副 詞 に と り こ め る 立 場 か ら 行 け ば 問
大 し て⋮⋮できな い
題 にな ら な い。 程 度 の副 詞 は そ の前 に他 の副 詞 を そ え る こ と も な いか ら 、 ま ず 典 型 的 な 副 詞 であ る 。 北 原 保 雄 は
あ ま り ⋮ ⋮ でな い
こ の中 に、
のよ う な 呼 応 のあ る も のも 入 れ て いる。
陳 述副 詞
次 に 、 陳 述 の副 詞 であ る が 、 そ の前 に、 南 不 二男 が提 案 し た ﹁句 ﹂ と ﹁節 ﹂ と いう 二 分 類 を 紹 介 し て お き た い。 (﹃ 国語学﹄昭和三十六年 二月)
学 校 か ら 帰 る
噴 水 も あ る
す こ し 食 べ る
南 は 、 一連 の語 の つな が り の中 に 、 二 つ のも のを 区 別 し た 。 一つは 句 で 、 これ は 名 詞 を 修 飾 す る 一連 の語 句 の
頭 が いた い
一部 に な りう る も の で 、 次 のよ う な も の が 属 す る。 鳥 がと ぶ
決 し て う そ を つか な い
おれは頭 が痛 い
そ ん な こと す る な
むろん出席す る
君 が 行 く か
や あ 、 む こう か ら バ スが 来 る お れ が 行 くぞ
だから代 りにおれ が行く
せ め ても う 一杯 飲 み た い
も う 一つは 節 で、 名 詞 を 修 飾 す る 語句 に は 入 らな いも ので 、 次 の よ う な も のが 属 す る。 鳥 は 飛 ぶ
早く 行け
け れ ど も 手 紙 を 出 し て お く お茶 を 飲 も う
副 詞 の 中 に は、 (1 句)に 入 る も の、 (2 句)に 入 ら ず 、 節 に 入 る も の が あ り、 程 度 の 副 詞 、 評 価 の 副 詞 は 全 部 (1 に)
もし、 たと い
おそらく、 多分、ま さか、どう ぞ、さ ぞ
入 る が、 いわ ゆ る 陳 述 の副 詞 は (1 () 2に)分 か れ る 。 (1) 句 の中 に 入 る も の︱ (2 ) 句 の中 には 入 ら ず 節 の中 に入 るも の︱
(1 は)、 動 詞 のと こ ろ で 述 べた 客 観 表 現 に 属 し 、 (2 は)同 じ 主 観 表 現 に属 す る 言 葉 で あ る。 (2 の) 方 が陳 述 の副 詞
ら し い副 詞 で 、 (1の)方 は 叙 述 の副 詞 だ 。 前 述 の批 評 の副 詞 も 、 評 価 の副 詞 は 名 詞 を 修 飾 す る 句 の中 に お さ ま る が 、 注 釈 の副 詞 の方 は お さ ま り にく い。
(1程 )度 の副 詞 (2評 )価 の副 詞 (3叙 )述 の副 詞 (4接 )続 の副 詞
結 局 、 日 本 語 の副 詞 は 、 次 のよ う に 整 理 さ れ る。 客 観 表 現 に属 す る も の
主 観 表 現 に属 す る も の (5) 陳 述 の副 詞 (6)注 釈 の副 詞
副 詞 によ る予告
と こ ろ で 戦 前 の学 校 では 、 元 日と いう よ う な 日 に は 式 典 が 行 わ れ 、 礼 服 を 着 た 校 長 先 生 が壇 上 で ﹁教 育 勅 語 ﹂
と いう も のを 朗 読 し、 生 徒 一同 、 頭 を 下 げ て拝 聴 し た も のだ った 。 が 、 あ の教 育 勅 語 に 、 こう いう 一節 が あ った 。 爾 臣 民 、 父 母 ニ孝 ニ、 兄 弟 ニ友 ニ、 夫 婦 相 和 シ、 朋友 相 信 ジ ⋮ ⋮
ち ょ っと 聞 いて いる と 、 おま え た ち 臣 民 は 、 父 母 に孝 行 で あ り 、 兄 弟 は 仲 よ く ⋮ ⋮ と ほ め ら れ て いる よ う な 印 象 を 受 け る 。 と こ ろ が 先 の方 ま で聞 いて いる と 、 一旦 緩 急 ア レ バ義 勇 公 ニ奉 ジ、 以 テ 天 壌 無 窮 ノ 皇 運 ヲ扶 翼 ス ベ シ
と あ り 、 こ の最 後 の ﹁ベ シ﹂ に よ って、 ﹁父 母 ニ孝 ナ ル ベ シ﹂ ﹁兄 弟 ニ友 ナ ル ベシ ﹂ の意 味 であ る こ と が 明 ら か に な る 。 こ れ は 文 章 と し て上 な る も の で は な い。 こ れ を 救 う 方 法 は な いか 。
これ は、 は じ め に、 あ と に ベ シと いう 命 令 の語 が 来 る ぞ と いう こ と を 予 告 し てお け ば よ い。 す な わ ち 、 ﹁須
く ﹂ と いう 陳 述 の副 詞 があ る が 、 こ れ を ﹁爾 臣 民 ﹂ のす ぐ 次 に お いて 、 ﹁爾 臣 民 須 ク 父 母 ニ孝 ニ⋮ ⋮﹂ と 言 って
お け ば 、 次 々 の 語句 が す べ て命 令 な のだ と 理解 さ れ る 。 こ のよ う な 場 合 、 副 詞 と いう も のが 非 常 に 有 効 であ る が、
これ は 日本 語 の文 は 最 後 の 語 で 文 全 体 の基 本 的 な 意 味 が決 定 さ れ る と いう こ と に よ る も の であ る。 松 坂 忠 則 が挙 げ た 例 に、
知 事 は す べ て の局 のす べ て の課 のす べ て の業 務 の進 行 状 態 を 常 に 承 知 し て いな け れ ば な ら な いわ け で は な い。
と いう の があ る 。 ﹁な ら な ⋮ ⋮ ﹂ あ た り ま で読 ん で く る と 、 知 事 の仕 事 は ず い ぶ ん 大 変 だ な と 思 う 。 と 、 そ のあ
と に、 ﹁⋮ ⋮ いわ け で は な い﹂ と 引 っく り 返 って 気 が ぬ け る 。 こう いう セ ンテ ン ス が 二 つ、 三 つ続 け て 出 て く る と 、 文 章 を 読 む の が いや に な る こ と は 確 か で あ る 。
こ れ も 、 打 消 し の語 句 が あ と で来 る ぞ と いう こと を は じ め に 言 って お け ば い い ので 、 知 事 と い って も 、 必ず し も と は じ め れ ば 、 あ と に 打 消 し の句 が 来 ても 、 相 手 を が っか り さ せ る こ と は な い。 以 上 のよ う な 場 合 、 日 本 語 で は 、 副 詞 は 重 要 な 役 目 を も って いる と 言 って よ い。
三 接続 詞 影 の薄 さ
日本 語 の各 品 詞 のう ち で、 最 も 影 の薄 い のは 接 続 詞 であ る 。 こ の点 、 英 語 な ど の接 続 詞 と ち がう 。 も し 、 一日
中 、 何 か 品 詞 一つを 使 わ な いで し ゃ べ った ら 一〇 〇 万 円 を 出 そ う 、 と 言 わ れ た ら 、 ほ か の品 詞 で は だ め だ が 、 接 続 詞 な ら ば 筆 者 は応 ず る 自 信 が あ る。
日本 人 は 文 を つな ぐ 時 に 、 接 続 詞 の代 わ り に 、 多 く の 接 続 助 詞 と 言 わ れ る 助 詞 や 、 動 詞 の活 用 形 を 使 って 間 に あ わ せ て いる 。 事 実 、 それ が 出 来 る のだ 。 た と え ば 次 の と お り 。
暑 い。 し か し 、 風 が あ る 。︱
風 も あ り 、 日も か げ って いる 。
風 が あ る か ら 、 し の ぎ よ い。
暑 いが 、 風 があ る 。
風 が あ る 。 だ か ら 、 し の ぎ よ い 。︱ 風 も あ る 。 そ れ か ら 、 日 も か げ っ て い る 。︱
全 部 こ の調 子 だ 。 事 実 、 接 続 詞 な し で 書 いた 文 章 と いう よ う な も の は いく ら も あ る 。
こ こ で 一つ 注 意 し て お く こ と は 、 ﹁接 続 詞 ﹂ と いう が 、 英 語 な ど の 接 続 詞 に 当 た る 役 割 は 日 本 語 で は 接 続 詞 で
to
you.
began
help
it
rain.
は な く 、 多 く は 接 続 助 詞 や 、 動 詞 の活 用 形 が つと め て いる こ と だ 。
wish,I'll
back,because
you
Icame
If のbecau やs ie f の役 を つと め るも のは 、 雨 が降 ってき た か ら も し 、 望 ま れ る な ら ば の ﹁か ら ﹂ ﹁な ら ば ﹂ で あ る 。
﹁ 電 車が 故障 し て⋮ ⋮﹂
日本 語 に 接 続 詞 が 避 け ら れ る のは 、 こ れ に代 わ る 動 詞 の変 化 形 や 助 詞 があ る か ら だ け で は な い。 日本 人 は 文 と
文 と の 関係 があ ま り は っき りす る こ とを 、 う る お い がな いと し て嫌 った か ら で も あ る 。 前 の セ ンテ ン スを 読 み 、
あ と の セ ン テ ンスを 読 む 、 そ の間 の関 係 が 自 然 に ﹁だ か ら ⋮ ⋮ ﹂ だ な と か 、 ﹁し か し ⋮ ⋮﹂ だ った な と わ か って く る 。 こ れ を 喜 ん だ の であ る 。 こ の傾 向 は 現 在 の日 常 語 にも 、 多 少 反 映 し て いる 。 た と え ば 、 朝 、 社 員 が出 勤 時 刻 に遅 刻 し た 。 課 長 の前 へ行 って、 あ や ま る。 電 車 が 故 障 しま し た 。 だ か ら 遅 刻 し ま し た。
電 車 が 故 障 し ま し た か ら 、 遅 刻 し ま し た 。
ど う も これ はキ ツす ぎ る。 自 分 が遅 刻 し た の は、 電 車 が故 障 し た と いう ち ゃん と し た 理 由 があ る ん だ ぞ と、 いば って いる よ う に 取 れ る。 ﹁から ﹂ を や め て ﹁の で﹂ を 使 う と 少 し 救 わ れ る 。 電 車 が故 障 し ま し た の で、 遅 れ ま し た 。 し か し も っと い い の は ﹁の で﹂ も 使 わ な い こと であ る 。 電 車 が故 障 し て、 お そ く な りま し た 。 そう し て 一番 い いの は 、 電 車 が故 障 し ま し た 。 と だ け 言 って 、 ﹁ す み ま せ ん ﹂ と あ や ま る こと だ。
こん な こ と か ら 、 ﹁から ﹂ のよ う な 接 続 助 詞 は 避 け ら れ 、 同 時 に ﹁だ か ら ﹂ のよ う な 接 続 詞 の使 用 が と め ら れ る の であ る 。
西鶴 の場合
接 続 の関 係 を 明 ら か にし ま いと いう こ と か ら か 、 昔 の文 学 作 品 に は 、 接 続 詞 の類 いを ち が った 意 味 に使 う 傾 向
も あ った 。 井 原 西鶴 な ど は そ の常 習 犯 で、 た と え ば 彼 の使 う ﹁さ れ ば ﹂ の意 味 は、 多 く ﹁さ て﹂ で あ った 。 ﹁さ る ほど に ﹂ は ﹁さ て も ﹂ で あ った 。
こ の男 、 一生 のう ち 、 草 履 の鼻 緒 踏 み 切 らず 、 釘 の か し ら に袖 を か け て破 ら ず 。 ⋮ ⋮ 世 の人 あ や か りも のと
枡 掻 き を 切 ら せ け る。 さ れ ば 限 りあ る 命 、 こ の親 父 そ の年 のし ぐ れ 降 る こ ろ ⋮ ⋮ (﹃ 日本永代蔵﹄二代 目に破 る 扇 の風)
と か く 老 いた る 人 の指 図 を も る る こと な か れ 。 何 ほ ど 利 発 才 覚 に し て も 、 若 き 人 に は 三 五 の十 八ば ら り と 違
ふ こと 数 々な り。 さ る ほど に 、 大 坂 の大 節 季 、 よ う づ宝 の市 ぞ か し。(﹃ 世間胸算 用﹄伊勢海老は春 の〓)
そ れ は と も か く と し て 、 接 続 詞 は 影 の薄 い単 語 であ る 。 山 田孝 雄 ・松 下 大 三 郎 な ど は 、 接 続 詞 と いう 品 詞 を た てず 、 接 続 の意 味 を も った 副 詞 の 一種 であ る と し て いる が、 こ れ が い い。
四 副助 詞 二つの種 類
学 校 文 法 で ﹁副 助 詞 ﹂ と 呼 ん で いる 助 詞 、 つま り 連 用 句 に 自 由 に つく 助 詞 が あ る 。 ﹁副 詞﹂ の つ い で に これ に つ いて 述 べ て お く が、 こ れ に は や か ま し く 言 う と 、 二 種 類 のも の があ る。 (1 ) も 、 で も 、 な ど 、 ば か り、 ぐ ら い⋮ ⋮ (2 ) こそ 、 ぞ ⋮ ⋮
で 、 (2の)類 いは 、 いわ ゆ る ︿係 り 結 び﹀ の現 象 を 起 こ し 、 も し そ れ を 受 け る 動 詞 ・形 容 詞 が 出 て 来 る と 原 則
と し て そ こ で 文 が 切 れ る 助 詞 で あ る。 そ う し て名 詞 を 修 飾 す る 句 の中 に は 入 ら な い助 詞 だ 。 (1の)方 は そ のよ う
な こ と が な く 、 そ れ を 受 け る 動 詞 が 出 て 来 て も 、 名 詞 にど ん ど ん 続 い て ゆ く 助 詞 であ る 。 山 田 孝 雄 は (2の)方 を 係 助 詞 と 呼 び 、 (1の) 方 だけを副 助詞と呼 んだ。
対 比 の ﹁は﹂ 題 目の ﹁は﹂
と こ ろ で こ こ に 問 題 は 、 例 の ﹁は ﹂ と いう 助 詞 であ る 。 こ れ は 、 私 見 に よ る と 、 ど う も 両 方 に分 属 す る ら し い。
格 助 詞 のと こ ろ で ふれ た 、 いわ ゆ る 題 目 を 表 わ す ﹁は ﹂ と いう の は (2の)方 に 属 し 、 対 比 を 表 わ す ﹁は ﹂ は (1 に) 属す る。 対 比 を 表 わす ﹁は ﹂ は 、 自 由 に 名 詞 を 修 飾 す る 句 の中 に入 り、
ほ か の人 に は 教 え て あ げ な いこ と
女 は 乗 せ な い戦 車 隊
な ど のよ う に な る 。 が、 題 目 の ﹁は ﹂ の方 は 、 これ は 、 ﹁鳥 は 鳴 く と き ﹂ な ど と は 言 わな い。 ﹁鳥 は 鳴 く と き に 口
を 開 く ﹂ と 言 え ば 、 ﹁鳥 は﹂ は ﹁鳴 く と き に 口を 開 く ﹂ 全 体 に か か る の で、 ﹁鳴 く ﹂ だ け に か か る の で は な い。
﹁鳥 は鳴 く 野 原 ﹂ と 言 った ら 、 ﹁ほ か のも の は 鳴 かな い﹂ と いう 意 味 で 対 比 の ﹁は ﹂ にな って し ま う 。
意 味 を 考 え てみ ても 、 対 比 の方 は ﹁ほ か のも の と ち が って いる ﹂ と いう 客 観 界 の記 述 で あ る が、 題 目 の方 は 、
話 者 が主 観 と し て 取 り 出 す も の であ る 。 そ の点 、 ﹁こ そ ﹂ ﹁ぞ ﹂ と 同 じ で あ る 。 ﹁は ﹂ を 山 田 孝 雄 は 、 係 り 結 び の
現 象 も な い の に (2 の) 方 に 分 類 し た が 、 これ は 題 目 を 表 わ す も の に 限 り 、 正 し か った 。 対 比 を 表 わ す も のは (1 の) 方 にく り 入 れ る の が よ か った 。
﹁ も ﹂ の用 法
そ れ か ら 山 田 は ﹁も ﹂ を ﹁は ﹂ と と も に (2の)方 に 入 れ て いる 。 こ れ も 問 題 が あ る 。 ﹁も ﹂ が 、 ﹁ほ か のも の と
ど こにもあ る話
同 じ く ﹂ と いう 意 味 で使 わ れ た 時 は 客 観 表 現 で あ る し、 次 のよ う に 連 体 句 に お さ ま る 点 か ら 言 っても 、 これ は 純 粋 の副助詞だ。 花 も 実 も あ る や り方
し か し 、 次 のよ う な のは 、 連 体 句 に おさ ま ら ず 、 は っき り し た 対 比 の意 味 がな く 、 感 動 のよ う な も の が感 じ ら れ 、 (2 に)属 す る ﹁も ﹂ だ と 見 る 。 あ な たも 相 当 心 臓 は 強 いね あ い つ のば か にも 呆 れ た これ で 試 験 も す ん だ 、 や れ や れ
こう いう ﹁も ﹂ に は 、 な か な か 難 し い用 法 が あ る 。 芥 川龍 之 介 の ﹃手 巾 ﹄ に出 てく る 西 山 夫 人 の言 葉 で あ る が、
﹁も ﹂ な ど 、 ど う 解 す べ き か 。 こ れ は ﹁今 日 は ﹂ と い う と 、 改 ま って 重 要 な こ と を 言 い 出 し そ う に 聞 え る 。
実 は 、 今 日 も 伜 の 事 で 上 った の で ご ざ いま す が 、 あ れ も と う と う 、 い け ま せ ん で ご ざ い ま し た 。 この
﹁私 の 申 上 げ る こ と は ご く つ ま ら な い こ と で ﹂ と い う 語 感 が 、 こ の ﹁も ﹂ に あ る 。 こ の ﹁も ﹂ は シ ョウ は 英 語 に 訳 し て いな い が、 無 理 のな い こと であ る 。
﹁な ど ﹂ ﹁ば か り ﹂ の 位 置 戦 前 、 中 国 人 に 日 本 語 を 教 え は じ め た こ ろ、 学 生 から 、 旗 な ど 振 って いま し た
と い う セ ン テ ン ス の 意 味 を 聞 か れ て 、 教 壇 で 立 往 生 し た こ と が あ る 。 旗 の ほ か に 何 を 振 った の で す か 、 と い う の
で あ る 。 今 に し て 思 う と 、 こ の ﹁な ど ﹂ は 、 当 然 位 置 す べ き と こ ろ よ り 前 に き て い る か ら 、 旗 の ほ か に も 何 か を
振 った よ う に 取 れ る 。 こ れ は 、 ﹁旗 を 振 り な ど し て い ま し た ﹂ の 意 で あ っ て 、 ﹁旗 を 振 る ﹂ 人 間 も い た が 、 ほ か の 人 は そ れ に 準 ず る こ と を し て いた 、 の意 味 だ 。
﹁ほ か の も の を 食 わ な い で ﹂ の 意 味 で は な く 、 ﹁あ い つ は 飯 を 食 う こ と ば か り し て い て 、 ち っと も 働 か な い ﹂
あ い つ は 飯 ば か り 食 っ て い て 、 ち っと も 働 か な い
﹁な ど ﹂ に 限 ら ず 、 副 助 詞 ・係 助 詞 に は 一般 に こ う い う 性 質 が あ って 、
は の意 味 であ る 。
こ の よ う な こ と は 古 典 語 に も あ って 、 妙 な 感 じ を も つ こ と が あ る 。 ﹃伊 勢 物 語 ﹄ の 中 の 在 原 業 平 が 、 隅 田 川 に 来 た 時 に、 見 な れ な い鳥 が いた 。 業 平 が た ず ね る と 、 そ こ に いた 人 が、 こ れ な む 都 鳥
と 言 った と あ る 。 ﹁な む ﹂ の 意 味 か ら 行 く と 、 ﹁ほ か の も の で は な く て 、 こ れ が 都 鳥 で す ﹂ と な り そ う で あ る が 、
文 脈 か ら い って 、 そ ん な 解 釈 は 成 り 立 た な い。 ﹁こ れ を 御 存 知 な い の です か 、 こ れ は ほ か な ら ぬ 都 鳥 です ﹂ と い
﹁︱
な い﹂
う 意 味 にち が いな い。 と す る と 、 こ の ﹁な む ﹂ は 場 所 が前 す ぎ て いる の で 、 ﹁こ れ は 都 鳥 に な む ﹂ と 、 あ る べ き も のだ った 。
九 ﹁だ ﹂ ﹁の だ ﹂ と
一 ﹁だ ﹂ ﹁の だ﹂ の用 法 森有 正の意 見
助 動 詞 ﹁だ ﹂ は 、 ち ょう ど 論 理学 で 言 う 、 コプ ラ の役 を す る 語 で あ る 。 第 Ⅴ 章 の最 初 に述 べた が、 森 有 正 が そ
の使 い方 を と ら え て、 ﹁日本 語 に は 文 法 が な い﹂ と 言 って、 話 題 にな った こと が あ った 。
森 に よ る と 、 ﹁だ ﹂ は 、 フラ ン ス語 の動 詞 と ち が い、 主 語 の人 称 に よ って 変 化 せ ず 、 逆 に 主 語 の人 称 が 同 じ 場
合 に 、 ﹁だ ﹂ と な った り 、 ﹁で あ る﹂ と な った り、 あ る いは ﹁で す ﹂ と な った り 、 ﹁で ご ざ いま す ﹂ と な った り 、 不 定 で あ る 。 だ か ら 、 文 法 的 で はな い、 と 言 う の であ る 。
し か し 、 こ れ は ず いぶ ん 一方 的 な 見 方 であ る 。 言 語 と いう も のは 、 な に も 主 語 の人 称 に よ って動 詞 が 形 を 変 え
な け れ ば な ら な いも の で も な いし 、 ﹁だ ﹂ や ﹁で す ﹂ は、 ﹁話 の相 手 が誰 であ る か ﹂ と いう よ う な 、 ち が った原 理 に し た が って 形 を 変 え て いる ので あ る 。
こ こ で は、 日 本 語 に ﹁だ ﹂ と いう 単 語 が あ る こ と が 、 実 に論 理学 の世 界 で は 日 本 語 が 非 常 にす ぐ れ た 言 語 で あ る こと を 証 し て いる と いう 、 佐 久 間 鼎 の説 を 紹 介 し た い。
﹁だ﹂ ﹁であ る﹂ の意 味
何 よ り こ の ﹁だ ﹂ は 、 ど う いう 意 味 の語 か。 こ の ﹁だ ﹂ の意 味 に つい て は 、 以 前 か ら ﹁断 定 を 表 わ す ﹂ ( 時枝誠 記)と か 、 ﹁肯 定 を 表 わ す ﹂ ( 中島文雄 )と か いう 考 え が 出 て いる。 が、 ち が う 。 そ れ は 、 山 だ 。
と いう 、 そ こ で と め る 形 に な った時 に は、 た し か に断 定 の意 味 が 生 じ る が、 そ う いう 意 味 が 生 じ る の は 、 ﹁だ ﹂
に 限 ら な い。 ﹁行 く 。﹂ と い っても 、 ﹁来 る 。﹂ と い っても 、 そ こ で 言 い切 れ ば 、 断 定 の意 味 が 出 る 。 ま た 、 肯 定 の
意 味 と いう の は、 ﹁山 で は な い﹂ のよ う な ﹁︱ は な い﹂ と いう 言 い方 を 次 に つけ な いと いう こと か ら 生 じ る の
で、 も し 、 ﹁山 だ ﹂ が 肯 定 を 表 わ す な ら ば 、 ﹁行 く ﹂ でも ﹁来 る﹂ で も 肯 定 の意 味 を 表 わ す こ と に な る 。 ﹁だ ﹂ ﹁で あ る ﹂ の 標 準 的 な 意 味 は 次 の四 つ であ る 。
レー ガ ンは 現 在 のア メ リ カ の大 統 領 だ
(1 ) そ のも のと イ コー ル の関 係 に あ る こ と を 表 わ す 。 富 士 山 は 日 本 の高 山 であ る
( 2) そ のも の の 一員 で あ る、 つま り そ の も の に属 す る こと を 表 わ す 。 鯨 は 哺 乳 動 物 であ る 私 は 日 本 人 だ
あ の人 は 親 切だ
(3 ) そ う いう 属 性 を も って いる こと を 表 わ す 。 タ バ コは 健 康 に有 害 であ る
こ の部 屋 は 静 か だ
(4 ) そ う いう 状 態 に あ る こと を 表 わ す 。 風 も な く う ら ら か な 日和 で あ る
コプ ラ の有無
英 語 で は こ の ﹁だ ﹂ の意 味 を 表 わ す の に、beと いう 基 本 形 を も つ語 で 表 わ す が 、 これ は も と も と存 在 を 表 わ
す 動 詞 で 、 そ れ の兼 用 であ る 。 ヨー ロ ッパ の言 語 は 大 体 そ れ が 多 い。 一方 、 中 国 では ﹁ 是 ﹂ と いう 指 示 代 名 詞 に
兼 用さ せ て い る。 日 本 語 の ﹁だ ﹂ は ﹁であ る ﹂ が も と で あ り 、 ヨ ー ロ ッパ 語 に 近 いが 、 ﹁あ る ﹂ だ け で は 存 在 の
動 詞 、 ﹁だ ﹂ は ち が った 形 を も つれ っき と し た 別 の単 語 にな って いる の は 注 目 す べ き であ る 。
日本 語 には 別 に ﹁は ﹂ と いう 題 目 を 表 わ す 助 詞 が あ り 、 これ は 論 理 学 の主 語 を 表 わ す ぴ った り のし る し であ る。
そ う し て こ の コプ ラを 専 門 に表 わ す 助 動 詞 ﹁だ ﹂ を も って い る点 を 佐 久 間 は 買 って、 日 本 語 は 論 理 学 を す る の に
究 竟 な 言 語 だ と 評 価 し た のだ った 。 こ の、 コプ ラ専 門 の単 語を も って いる こと で は 、 ス ペイ ン語 が 、 先 の ﹁だ ﹂
の意 味 の (1 か)ら(3ま )でを 表 わ すser と いう 単 語 を も って いる こ と が注 意 さ れ る 。 日 本 語 と 並 ん で論 理 学 に 向 く 言 語 と いう こ と に な ろう か 。
chaika."
外 国 語 のう ち に は 、 古 代 イ ンド ・ヨー ロ ッパ 諸 語 で は 、 コプ ラ のな い形 が 多 く 用 い ら れ 、( ヴ ァンドリ エス ﹃ 言語
学概論﹄) ロシ ア 語 で は 現 在 でも 、 現 在 形 で は コプ ラを 使 わ な い。 女 流 宇 宙 飛 行 士 の テ レ シ コ ワ が "Ya ( 私 、 カ モ メ) と 言 った の は有 名 にな った 。 日 本 語 でも 、 こ の 道 は い つか 来 た 道 か ら た ち は 畑 の垣 根 よ
のよ う に ﹁だ ﹂ を 言 わ な いこ と も あ る。 が 、 ﹁言 わ な い こと も あ る ﹂ と いう だ け で 、 言 いた い時 に は っき り ﹁だ ﹂ ﹁であ る ﹂ が 付 け ら れ る こ と は 注 意 す べき だ 。
ほ か の助動 詞
こ の ﹁だ ﹂ の 品 詞 は 学 校 文 法 で は ﹁助 動 詞﹂ と し て お り 、 こ の名 前 は 不 適 当 であ る が 、 慣 用 に 従 って お く と 、
助 動 詞 に は 、 ほ か に ﹁ら し い﹂ ﹁よ う だ ﹂ ﹁だ ろ う ﹂ が 加 わ り 、 あ る いは 有 坂 秀 世 に 従 って ﹁勉 強 す る ﹂ ﹁運 動 す
る ﹂ な ど の ﹁す る ﹂、 さ ら に 終 助 詞 と さ れ る ﹁か ﹂ を 三 上 章 に従 って、 加 え ても い いか も し れ な い。
﹁雨だ! ﹂
﹁だ ﹂ に 戻 る が、 日本 語 の ﹁だ ﹂ の 用 法 で注 目 さ れ る の は 、 次 の よ う な 簡 潔 な 表 現 が で き る こ と であ る。 雨 だ !
これ は ﹁雨 が降 って 来 た ! ﹂ と 同 じ 意 味 を 表 わ す も の で 、 ﹁が 降 って来 た ﹂ と 長 く いう のを ﹁雨 ﹂ と 言 え ば 次
に ﹁が降 って 来 た ﹂ と 続 く だ ろ う と 相 手 は 理解 でき る と 察 し 、 ﹁だ ﹂ に 置 き か え た も のだ 。 古 く は こ の形 は ﹁あ
れ は 雨 だ ﹂ の ﹁あ れ は ﹂ が 略 さ れ た も のだ な ど と考 え ら れ て いた が 、 三 尾 砂 が 、 ﹁雨 だ ﹂ に 二 種 類 あ り、 (1﹁ ) あ
れ は雨 だ ﹂ の ﹁雨 だ ﹂ の部 分 が 残 った も のと 、 (2﹁ ) 雨 が 降 って来 た ﹂ を 簡 潔 に ﹁雨 だ ﹂ と 表 現 し た も のと あ る と 説 いた のは 卓 見 だ った 。 こ れ に つ いて は 、 第 Ⅵ 章 第 一節 で 改 め て 述 べる 。
筆 者 が 本 書 の 旧 版 で取 り 上 げ 、 奥 津 敬 一郎 の本 の標 題 に ま でな った ﹁ぼく は ウ ナ ギ だ ﹂ と いう 表 現 も 、 第 Ⅵ章
第 三 節 で 述 べ る が 、 ﹁ぼ く は ウ ナ ギ を 注 文 す る ﹂ の ﹁を 注 文 す る ﹂ を 簡 潔 に ﹁だ﹂ と や った も の で、 性 質 は ま っ た く 同 じ も のだ った 。
﹁のだ﹂
﹁だ ﹂ に 関 連 し て 、 日本 に は ﹁の だ ( ん だ )﹂ と いう 表 現 があ る 。 丁寧 体 な ら ば ﹁の です (ん です )﹂ とな る 。 こ
ぼく は 知 ら な か った の です
の語 法 は 三 上 章 が ﹃現 代 語 法 序 説 ﹄ に 取 り 上 げ る ま で は 、 日本 の学 者 で考 慮 す る 人 が ほと ん ど いな か った 。 し か し 、 日 本 人 にと って は 、 あ の子 は 寂 し いん だ
な ど、 日 常 ごく 普 通 の 語 法 で、 日本 語 で は 重 要 な 役 割 を つと め る 。 三 上 は 、 ﹁の だ ﹂ の使 用 頻 度 は、 英 語 に も っ
て い った ら 、hav +e過 去 分 詞 に 匹 敵 す る か も し れ な いと 言 う 。 彼 の つと め て いる 学 校 で 、 終 戦 直 後 ア メ リ カ 女 性
を 招 か さ れ て 講 演 を 聞 か さ れ た こと があ った 。 彼 女 は 小 一時 間 、 かな り 達 者 な 日 本 語 の講 演 を や った そ う で あ る
が 、 そ の 間 一度 も ノ ダ 式 の言 い方 を し な か った と いう 。 外 国 人 には 、 ﹁の だ ﹂ の意 味 と 使 い方 は わ か り にく いも
のら し い。 こ の意 味 で、 オ ー ス ト ラ リ ア在 住 の 日 本 語 学 者 A ・ア ル フ ォ ンゾ が ﹃日本 語 基 礎 コー ス﹄ の中 で、 ﹁の だ ﹂ の意 味 を 詳 し く 考 察 し て いる の に は 頭 が下 が る 。
根拠 ・事 実
﹁のだ ﹂ は 、 ﹁の であ る ﹂ と い って も 意 味 は 同 じ で あ る が、 典 型 的 な 用 法 は 次 の よ う な も の であ る。
道 で 出 会 う 老 幼 は 、 み な 輿 を 避 け て ひざ ま ず く 。 輿 の中 で は 、閭 が ひ ど く い い心 持 にな って い る。 牧 民 の 職
に いて 賢 者 を 礼 す ると いう の が 、 て がら のよ う に 思 わ れ て、 閭 に 満 足 を 与 え る の であ る。( 森鴎外 ﹃ 寒山拾得﹄)
正 道 は ひど く あ わ れ に 思 った 。 そ のう ち 女 の つぶ や い て いる こと ば が 、 次 第 に 耳 に慣 れ て 聞 き 分 け ら れ て き
た 。 そ れ と 同 時 に正 道 は お こ り 病 み のよ う に身 内 が ふ る って 、 目 に は 涙 がわ いて 来 た 。 女 は こう いう こと ば を く り 返 し て つぶ や い て いた の であ る。( 同 ﹃山椒大夫﹄)
これ は 、 そ の前 に叙 述 し た こ と の根 拠 を 述 べた 表 現 で あ る 。 最 初 の例 で 言 う と 、閭 が ひ どく い い気 持 に な って
い る のは 、 ﹁牧 民 の職 に い て ⋮ ⋮閭 に満 足 を 与 え る ﹂ た め だ と いう 説 明 で 、 次 のよ う に 順序 を 引 っく り 返 し て い う こ と も でき る 。
牧 民 の職 に い て⋮ ⋮ 閭 に満 足を 与 え る ので 、 輿 の中 では 、 ⋮ ⋮ い い心 持 にな って いる。
日本 人 の表 現 で は 、 あ る こと を 述 べよ う と す る 時 に 、 そ の根 拠 だ け 述 べて 、 結 論 を 相 手 に 察 し さ せ よ う と す る
こと を 好 む 。 そ の こと か ら ﹁の だ﹂ ﹁ので す ﹂ が 好 ま れ る ので 、 さ っき の ﹁あ の子 は 寂 し いん だ ﹂ は 、 ﹁あ の 子 は
寂 し い の で 口を き か な い﹂ の意 であ り 、 ﹁ぼく は 知 ら な か った の です ﹂ は 、 ﹁ぼく は 知 ら な か った の で 、 先 生 に お
辞 儀 を しま せ ん で し た ﹂ と いう 意 味 であ る 。
さ ら に ﹁のだ ﹂ は ﹁そ れ が事 実 ( 真 実 ) だ ﹂ と いう 意 味 を も って いる と こ ろ か ら 、 派 生 的 に いろ いろ の意 味 を
何 と 言 っても 、 お れ は や り ぬ く の だ ( 督促 )
( 決意 )
も ってく る 。
お い、 ど う し た 、 起 き る のだ
これ ら は 主 観 表 現 に 転 じ て いる の で、 語 形 変 化 を し な い。
二 否定 表 現 形 の単 調 さ
﹁行 く ﹂ に対 し て 、 ﹁行 か な い﹂、 ﹁よ い﹂ に 対 し て ﹁よ く な い﹂ を 普 通 、 否 定 表 現 と いう 。 ﹁否 定 ﹂ と いう と 、 あ
る 人 が そ の こと を ち がう と 言 う こ と で 、 そ の人 の主 観 的 な 精 神 活 動 であ る。 が 、 実 際 は ﹁よ く な い﹂ の意 味 は 、
﹁よ さ が 否 定 さ れ る状 態 に あ る﹂ ( 属 性 を も って いる ) と いう 意 味 で 、 客 観 的 な 状 態 ・属 性 を 表 わ す 言 葉 で あ る 。
﹁行 か な い﹂ も これ に 準 ず る 。 筆 者 は こう いう こ と か ら ﹁行 か な い﹂ ﹁よ く な い﹂ を ︿否 定 表 現 ﹀ と 呼 ぶ こ と に は ち ょ っと 抵 抗 を 感 じ る が、 今 は 、 一般 の呼 び方 に 従 って 話 を 進 め る 。 さ て 日 本 語 の否 定 表 現 は 、 他 の言 語 に比 べ て 、 何 よ り 単 調 であ る 。
た と え ば 英 語 で は 、 否 定 を 表 わ す 形 は 豊 富 で、no,not,none,never, かn らeはiじ tま he っrて,、nloirttle,few,
hardly,seldom,w⋮ i⋮ th なo どu、t多 ,く un のl 否e 定s 形sがあ る の に、 日 本 語 で は 、 動 詞 の 否 定 形 は ﹁行 か な い﹂、
形 容 詞 や 助 動 詞 ﹁だ ﹂ の 否 定 形 は ﹁よ く な い﹂ ﹁山 で (は ) な い﹂ で、 み な ﹁︱ な い﹂ と いう 形 だ 。 し いて 言
え ば、 ﹁いえ ﹂ ﹁ な に﹂ ﹁も の か﹂ ﹁か ﹂ な ど が 否 定 に使 わ れ る く ら い であ る。 ﹁決 し て﹂ ﹁ち っと も ﹂ の よう な 、 否
定 の気 持 を 帯 び た 副 詞 はあ る が、 ﹁決 し て 書 く ﹂ で は 、 打 消 し の意 味 に は な らな い。 ﹁決 し て書 か な い﹂ と 言 わ な
な い﹂ の 形 に あ る。
け れ ば な ら な い。 つ ま り 、 ﹁決 し て ﹂ ﹁ち っと も ﹂ の 類 は 、 否 定 の 語 句 に 伴 っ て 用 い ら れ る 語 句 と い う に 過 ぎ ず 、 否 定 の 意 味 は あ く ま で も 、 ﹁︱
全 体 が [語 に
﹁降 ら な い﹂ が こ れ で 、 ﹁書 写 が 行 わ れ な い ﹂ ﹁ 降 雨 が行わ れな
次 に 日 本 語 の 否 定 形 に つ い て 注 意 す べ き は 、 動 詞 に つ い た 場 合 、 全 体 が 一語 に な って い る と い う こ と で あ る 。 ﹁書 く ﹂ に 対 し て ﹁書 か な い ﹂、 ﹁降 る ﹂ に 対 し て
い ﹂ の 意 味 を も つ 。 学 校 文 法 で 、 便 宜 上 、 書 カ + ナ イ と 分 け て 二 語 と す る が 、 ア ク セ ン ト 形 式 か ら 言 って も 、 中 間 に 他 の 語 が と び こ ま な い 点 か ら 言 っ て も 、 全 体 は 一語 で あ る 。
ド ラ ヴ ィ ダ 諸 語 は 、 否 定 動 詞 を も つ 言 語 と し て 知 ら れ て い る 。( 北村甫編 ﹃ 世 界 の言 語 ﹄) ま た 、 ア イ ル ラ ン ド 語
や リ ト ワ ニ ア 語 の 動 詞 が 否 定 形 を も っ て い る と いう 。( ヴ ァ ンドリ エ ス ﹃ 言 語 学 概 論 ﹄) し か し 、 一般 的 で は な さ そ う
だ 。 多 く の 言 語 で は 、 否 定 の 意 味 は 否 定 の 副 詞 と い う も の が あ っ て 、 そ れ で 表 わ す 。 英 語 ・ド イ ツ 語 ・フ ラ ン ス
語 然 り 、 東 洋 でも 中 国 語 然 り、 ア ル タイ 諸 語 然 り で あ る 。 多 く の場 合 に 、 日 本 語 と 似 た 性 格 を も って いる 朝 鮮 語
had (し aな い )
で は 、 ani と い う 副 詞 が あ っ て 、 こ れ が 動 詞 に つく 。 ani
( 命 令 の意 を ふ く め て い る が ) の意 味 の副 詞 が 一つだ
そ ﹂ の上 の 語 に つ いてあ と に来 る 打 消 し を 予 告 す る動 詞 と
上 代 の 日 本 語 に は 、 ﹁な 書 き ﹂ の ﹁な ﹂ の よ う に 、 否 定 け あ った が 、 古 代 に は す で に 、 ﹁な 書 き そ ﹂ と 、 ﹁︱ 化 し 、 姿 を 消 す に 至 った 。
最 後 まで聞 かな いと⋮ ⋮
日 本 語 の 否 定 の 意 味 は 、 動 詞 を 言 った そ の 後 に 来 る 。 日 本 語 で は 一 つ の セ ン テ ン ス で 動 詞 が 最 後 に 来 る の で 、
日本 語 は 最 後 のと ころ ま で 聞 か な け れ ば 肯 定 か 否 定 か 理 解 でき ず 、 苦 し い。
よ く テ レ ビな ど で見 る ゲ ー ム に、 出 場 者 に 赤 い旗 と白 い旗 を 左 右 の手 に持 た せ 、 指 揮 者 が ﹁白 あ げ て、 赤 あ げ
な いで 、 白 下 げ な い﹂ な ど と 言 って 相 手 を 混 乱 さ せ る のが あ る が 、 これ は 日 本 語 で や る か ら お も し ろ い の で、 否 定 の意 味 が先 に わ か る 言 語 では 意 味 が な い。
man
lives.
英 語 な ど を 学 ん で驚 く こ と は 、 No
の よ う な 、 否 定 的 な も のが セ ンテ ン ス の主 語 に な る こ と だ 。 こ れ は 、 こ のま ま 日本 語 に訳 す こ と は ち ょ っと でき
な い。 中 国 語 に は ﹁無 人 止 ﹂ と いう 言 い方 が あ って、 こ れ は 英 語 そ のま ま の考 え 方 のよ う に 見 え る が 、 ﹁人 ノ 止 マ ル モノ 無 シ ﹂ と いう 発 想 ら し い。( 楳垣実 ﹃ ばらとさくら﹄︶
部分 を打 消す
ド イ ツ語 を 見 て羨 ま し く 思 う 点 は 、 セ ンテ ン スを 構 成 し て い る ど の単 語 で も 、 そ れ を 打 消 す た め にnich とtい
う 副 詞 を そ ば に 置 く こ と が でき る 点 であ る 。Ichと⋮は じ ま る セ ンテ ン ス のichだ け は ち ょ っと 否 定 し にく い が、
普 通 の名 詞 が 頭 に来 た 場 合 に は 、kei をn使 って 否 定 で き る 。 そ れ が 日本 語 で は 、 否定 の形 に 出 来 る の は 文 末 の動
詞 だ け な ので 、 そ れ を 否 定 形 に し た 場 合 、 前 のど の 語 を 否 定 し た のか は っき り し な い。 北 原 保 雄 が例 に あ げ た 、 車 は 急 に と ま れ な い
の ﹁な い﹂ は、﹁急 に﹂を 否 定 し て いる と も と れ 、﹁と ま れ る﹂を 否 定 し て いる と も と れ る と こ ろ か ら 話 題 に な った 。 中 国 の古 典 の、 身 体 髪 膚 受 之 父 母 不敢 毀傷 孝 之 始 也 の ﹁不 敢毀 傷 ﹂ は 、 ﹁敢 不 毀傷 ﹂ と同 じ にな って し ま い、
ア エテ
キ シ ョー セ ズ
と し か 読 め な い の は 、 日本 語 の欠 陥 であ る 。
わ れ わ れ の 先 輩 は そ れ で も 何 と か し て 解 決 し よ う と 手 を 打 った 。 そ れ は 否 定 す べ き 語 句 に 、 助 詞
﹁常 に ﹂ を 打 消 し て い て 、
﹁と ﹂ を つ け る こ と で あ る 。 た と え ば 、
ず﹂ は
伯 楽 は 常 に は有 ら ず と 言 え ば 、 ﹁︱ 常 に いる と は 限 ら な い、 いな いこ と も あ る
﹁は ﹂ ﹁し も ﹂
の 意 で あ る 。 ﹁常 に 有 ら ず ﹂ (=い つも い な い ) と は ち が う 。 こ の ﹁は ﹂ は 現 代 で も 応 用 が 広 く 、 ﹁全 部 は 食 べ な
﹁車 は 急 に ⋮ ⋮ ﹂ の 例 な ら ば 、 ﹁車 は 急 に は と ま れ な い ﹂ と な
﹁死 は 前 よ り し も 来 ら ず ﹂ と い う セ ン テ ン ス が あ る が 、 ﹁死 は 後 か ら も 襲 っ て く る か も し れ な い ﹂
か った ﹂ と 言 え ば 、 少 し 残 し た こ と に な る 。 前 の る。 ﹃徒 然 草 ﹄ に
﹁し も ﹂ の 語 源 は こ れ で あ る 。 ﹁と ﹂
﹁と ﹂ は 現 在 自 由 に は 使 え な く な っ て し ま っ
﹁必 ず し も ﹂ の
﹁二 度 と 来 な か った ﹂ の よ う に 使 う が 、 例 は 少 な い。 ﹁し も ﹂ と
の 意 で あ り 、 ﹁し も ﹂ は 前 の 句 を 打 消 す 。 い ま 多 く 使 わ れ る は た。
終 戦 直 後 ご ろ 、 天 皇 陛 下 と マ ッカ ー サ ー 元 帥 と が 並 ん で 立 っ て い る 写 真 が 新 聞 に 出 た こ と が あ った 。 重 要 な 会
﹁マ ッ カ ー サ ー は 天 皇 に 会 う た め に ネ ク タ イ を 締 め な か った ﹂ と 出 た 。
談 を し た 記 念 だ っ た の だ ろ う 。 そ の 時 、 マ ッカ ー サ ー は ネ ク タ イ を 締 め な い と い う ラ フ な 恰 好 だ った 。 そ う し て 、 そ の こと の説 明 と し て 、 新 聞 に
これ は 誤 解 さ れ る 文 で、 何 か マ ッカ ー サ ー は、 天 皇 に 逢う た め に 、 わ ざ わ ざ ネ ク タ イ を は ず し た よ う に と ら れ 、
非 難 の 声 が あ が った 。 し か し 、 事 実 は そ う で は な く て 、 堅 苦 し く な る の を さ け て 、 ネ ク タ イ を 締 め ず に ふ だ ん の
ま ま で 出 か け て 行 った と いう 意 味 だ と い う こ と だ った 。 そ う す る と 、 こ の 文 は ど う 書 い た ら い い か 。
天 皇 に 会 う た め と い っ て 、 ネ ク タ イ を 締 め る こ と は し な か った 。 で あ ろ う か 。 ﹁と い っ て ﹂ も 、 前 の 語 句 を 打 消 す 形 で あ る 。
二重 否 定 否 定 表 現 の つ い で に ︿二 重 否 定 表 現 ﹀ に つ い て 一言 。
次 のよ う な のは 、 よ く 日 本 語 の文 章 の 中 に 見 ら れ る 形 であ る が、 こ れ ら は 否定 の否 定 で あ り、 意 味 は肯 定 にな って い る か ら 、 文 句 は な い 。 行 かな け れ ば な ら な い 来 な いん じ ゃな いか ⋮ ⋮ の恐 れ な し と し な い
言 語 に よ っ て は 、 二 重 の 否 定 を し て 、 そ れ で や っぱ り 否 定 だ と いう 表 現 が あ る 。 ス ペ イ ン 語 や ハ ン ガ リ ー 語 が
有 名 で 、 た と え ば ス ペ イ ン 語 のnodieは 、 英 語 のnobody に相 当 す る 単 語 の は ず で あ る が 、 ほ か に も う 一つ否 定
を 表 わ す 単 語 を い っし ょ に 使 わ な け れ ば 、 こ れ だ け で は 否 定 の 意 味 に な ら な い と いう 。
し か し そ う い う 二 重 否 定 の文 章 は 、 大 家 で も 書 い て し ま う こ と で 、 イ ェ ス ペ ル セ ン は 、 ﹃文 法 の 原 理 ﹄ の 中 で 、 チ ョー サ ー の 書 い た も の か ら 例 を 拾 って き て い る 。
日本 語 で も こ の よう な こ と が な いわ け で は な く 、 た と え ば 、 近 松 門 左 衛 門 と いう 人 は の んき な 人 で、
﹁な か ら ん ﹂ で よ か った と こ ろ で 、 反 対 の 意 味 に な っ て し ま っ た 。
二 夜 三 日 の 御 祈 り 、 な ど か 納 受 な か ら ざ ら ん 。(﹁ 都 の富 士﹂) な ど と や って い る 。 こ こ は
﹁お 座 敷 小 唄 ﹂ の 一節 は 、 そ の 末 流 で あ る 。
雪 に 変 わ り は な い じ ゃな し と いう
十 代 名 詞 ・指 示 語 な ど
一 人称代名 詞 使 用 頻度
日 本 語 の 人 称 代 名 詞 は 、 英 語 そ の他 の欧 州 語 のそ れ と か な り ち が った 性 格 を も つ。 日本 語 の ﹁わ た く し ﹂ は 、
そ の意 味 は 英 語 のⅠ に 相 当 す る が 、 英 語 のI は 、 論 理 的 に使 う 必 要 があ れ ば 何 回 使 っても 支 障 はな く 、 人 称 代 名
詞 の使 用頻 度 は 、 全 体 の語 彙 のう ち の 十 分 の 一ぐ ら い で あ り、 中 で も Iとyouが 多 く 使 わ れ る と いう 。( 水谷信 子
﹃日英比較話しことば の文法﹄) 日本 語 で は 、 ﹁私 が﹂ ﹁私 が ﹂ と 言 う と 、 自 分 の こ と を 主 張 し て いる よ う で、 他 人 に
不 快 な 感 じ を 与 え る。 使 わ な く ても い い時 には 、 使 わ ず に、 前 後 の文 脈 でそ れ と 察 し さ せ る 方 が 好 も し いと さ れ
る 。 チ ェン バ レ ンは 、 日本 人 は 一時 間 ぐ ら い談 笑 を し て いて も 、 ほ と ん ど 人 称代 名 詞 を 用 いな い で、 皆 、 これ を 省 略 し て し ま う と 言 って驚 いた 。
英 語 で は 、 文 の中 で の代 名 詞 の位 置 は ご く 軽 い。 日本 語 で言 え ば 、 助 詞 と ま で は いか な いま で も 、 形 式 名 詞 か、
補 助 動 詞 ぐ ら い の位 置 にあ る 。 日本 語 の代 名 詞 は 、 意 味 を 離 れ れ ば 、 一般 の名 詞 と 変 わ り な い。 英 語 の Iやyou
は 、 関 係 代 名 詞 で 受 け て複 文 に でも し な い限 り 、 そ れを 修 飾 す る 言 葉 を 付 け る こ と は でき な いが 、 日本 語 では 、
こ こ に死 ん で いる 奴 は た し か に お れ だ が 、 そ れ を 担 い で いる お れ は 一体 誰 だ ろ う 。
落 語 の ﹁粗 忽 者 ﹂ のせ り ふ 、
と いう よ う な こと が言 え る 。 川 端 康 成 は ノ ー ベ ル賞 を 受 け に ス ト ック ホ ル ム に招 か れ た 時 に 、 ﹁美 し い 日本 の私 ﹂
と いう 題 の講 演 を し た 。 こ の標 題 は ヨー ロ ッパ 語 に は 訳 し に く か った ろ う 。 サ イ デ ン ス テ ッカ ー の 英 語 で は 、 ﹁美 し い 日本 と私 ﹂ と いう 苦 し い訳 に な って いる 。
語彙 の多 さ
日 本 語 の 人 称 代 名 詞 が た く さ ん あ る こ と も 、 英 語 な ど と は ち が う 。 こ の 性 格 は 朝 鮮 語 ・ヴ ェト ナ ム 語 ・タ イ
﹁拙 者 ﹂ ﹁不 肖 ﹂
語 ・イ ン ド ネ シ ア 語 な ど 、 東 ア ジ ア の 言 語 に は 共 通 で あ る が 、 自 分 の 身 分 ・地 位 や 話 の 相 手 と の 関 係 に よ っ て 、
わ た く し 、 わ た し 、 わ し 、 あ た し 、 ぼ く 、 お れ 、 わ が輩
ち が った 語 彙 が 選 ば れ る か ら で 、 た と え ば 第 一人 称 代 名 詞 に は 、
な ど いく ら で も あ る 。 ﹁手 前 ﹂ ﹁自 分 ﹂ の よ う な 、 も と は 自 称 の 代 名 詞 で あ る も の も あ る 。 古 く は な ど も あ った 。
そ れ か ら さ ら に ヨ ー ロ ッ パ 人 を 驚 か せ る の は 、 こ の 第 一人 称 代 名 詞 が 、 相 手 を さ す た め に 使 わ れ る こ と も あ る
ボ ク 、 誰 と 来 た の?
こ と で あ る 。 迷 子 に な っ て い る 小 さ い男 の 子 に 、 婦 人 警 官 が 、
と 、 た ず ね て いる よ う な 場 合 が そ れ であ る 。 語 彙 が 多 いの で 、 人 によ って使 う 語彙 がき ま って いる こ と か ら 来 る も のと 思 わ れ る 。
あた しよ、あた し
そ れ と 同 時 に 、 電 話 な ど で ﹁ど な た で す か ? ﹂ と 聞 か れ て 、
と 言 う 人 も あ る 。 話 し て い る の は本 人 にき ま って いる か ら 、 こ れ で は 返事 にな ら な い はず で あ る が、 声 の質 で わ
か って も ら え る だ ろ う と い う 期 待 の ほ か 、 そ の 人 に 対 し て 、 ﹁あ た し ﹂ と 自 分 を 呼 ぶ 人 は 少 な い は ず だ と い う 自 覚 も働 い て いそ う だ 。
Eure
Mutter
iお ( sま t えd たaち . のお か あ さ ん だ よ )
グ リ ム 童 話 の 一 つ、 ﹁狼 と 七 匹 の 子 山 羊 ﹂ の 中 に 、 狼 が 母 山 羊 の ふ り を し て 、 家 の 外 か ら 、
と 子 山羊 た ち に呼 び か け る と こ ろ があ る 。 筆 者 が 子 ど も の時 に読 ん だ 日 本 文 の物 語 で は ﹁わ た し だ よ ﹂ と 呼 び か け て いた も の で、 あ れ は いか に も 日本 式 だ った 。
自 称代 名 詞と他 称代 名 詞
ヨー ロ ッパ 語 を 見 て いて 、 こ と に フ ラ ン ス語 や ス ペイ ン語 な ど に は 、 ﹁彼 自 身 を ﹂ ﹁私 自 身 を ﹂ と いう 言 い方 が
目 に つく 。 ﹁驚 く ﹂ は ﹁自 分 を 驚 か せ る ﹂、 ﹁満 足 す る﹂ は ﹁自 分 を 満 足 さ せ る ﹂ と いう 類 いで あ る 。 これ は 再 帰 動 詞 が 多 いと いう こ と であ る。
日 本 語 に は 再 帰 動 詞 が な い ので 、 こ の よ う な 代 名 詞 を 使 う こ と は 少 な いが 、 自 分 を 表 わ す 代 名 詞 が な いわ け で
は な い。 古 く は ﹁己 ﹂ が そ れ で 、 ﹁自 分 ﹂ ﹁自 身 ﹂ も そ れ だ 。 ︿自 称 代 名 詞 ﹀ と 呼 ぼう 。 た だ し 、 日 本 語 で は 第 一
人 称 代 名 詞 と の混 同 が 激 し く 、 区 別 が は っき り し な い の は 好 も し く な い。 ﹁自 分 ﹂ を ﹁私 ﹂ の意 味 に 使 う 人 が あ り 、 か つて の軍 隊 で は そ れ が 普 通 だ った 。
﹁我 ﹂ は も と も と第 一人 称 代 名 詞 であ る が 、 ﹁我 と 我 が 身 を 返 り み て﹂ と いう 時 に、 自 称 代 名 詞 と し て 使 わ れ て いる。
日本 語 では よく 、 第 一人 称 の代 名 詞 が第 二人 称 の代 名 詞 と し て使 わ れ て いる な ど と 言 わ れ る が 、 あ れ は 、 第 一
人 称 か ら 自 称 に な り 、 そ れ が さ ら に 第 二 人 称 に 三 転 し た も の だ 。 ﹁ワ レ は ど こ の餓 鬼 だ ! ﹂ と いう のは 、 そ の例 であ る 。
ひ と の ふ ん ど し で相 撲 を と る
日 本 語 に は 、 も う 一つ、 自 称 代 名 詞 に対 す る も の と し て、 ︿他 称 代 名 詞 ﹀ が あ る こと は お も し ろ い。 ﹁ひ と ﹂ が
ひと のふ り 見 て わ が ふり 直 せ
そ れ で、
のよ う に ﹁わ れ ﹂ と 対 に 用 いら れ る 。 こ れ は 主 語 以 外 の人 を さ す 代 名 詞 で、
ひと の気 も 知 ら な い で
ひ と に知 ら れ で来 る よ し も が な
の 時 は 、 ﹁私 ﹂ を さ し 、 の 時 は 、 ﹁私 以 外 の 人 間 ﹂ を さ す 。
二 種 類 の ﹁わ た し た ち ﹂
第 一人 称 の 複 数 代 名 詞 に つ い て は 、 世 界 の 言 語 は 二 通 り に 分 か れ る と いう こ と が 有 名 で あ る 。 英 語 や フ ラ ン ス
﹂ と言 えば、
﹁わ た し た ち ﹂ で あ る 。
語 は 、 第 一人 称 はwe,nousの よ う に 一種 類 し か な い が 、 中 国 語 で は 二 種 類 の も の が あ り 、 ﹁我們 話 の 相 手 を 含 ま な い ﹁わ た し た ち ﹂ で あ り 、 ﹁〓們 ﹂ と 言 え ば 話 の相 手 を 含 む
こ う い う 区 別 を も つ言 語 は 世 界 に 結 構 多 く 、 日 本 に 近 い と こ ろ で は 、 ヴ ェト ナ ム 語 ・フ ィ リ ピ ン 語 ・イ ン ド ネ
﹁わ れ わ れ は み な 罪 人 で す ﹂ と 言 った 時 、 相 手 を 含 ま
シ ア 語 ・モ ン ゴ ル 語 ・ ツ ン グ ー ス 語 ・ア イ ヌ 語 ・ギ リ ヤ ー ク 語 な ど が そ れ で あ る 。 多 く の ア フ リ カ の 諸 言 語 に も こ の区 別 が あ る。 あ る 宣 教 師 が 黒 人 た ち に説 教 す る と き に
な い ﹁わ れ わ れ ﹂ の 方 を 使 って 失 敗 し た 、 と いう 話 が 残 って い る 。( イェ ス ペ ル セ ン ﹃ 文 法 の原 理﹄)
こ の 点 、 日 本 語 は ど う で あ ろ う か 。 コ チ ト ラ と い う の は 相 手 を 含 め な い ﹁わ た し た ち ﹂ の 意 だ と 言 った 人 が あ る 。 三 上 章 は 、 ﹁わ た く し ど も ﹂ ﹁て ま え ど も ﹂ が そ れ だ と 論 じ た 。( 私 的 通信 )
(マ ー ウ ア )
と こ ろ で 、 こ う い う 区 別 が あ る と いう と ず い ぶ ん 精 密 な と 思 う が 、 上 に は 上 が あ る も の で 、 ニ ュー ジ ー ラ ン ド の マオ リ 語 で は 、 (1 )私 と ほ か の 人 一人 の わ れ わ れ
( ター ウア) (タ ー ト ウ )
(2 )私 と あ な た だ け か ら な る わ れ わ れ (3 )私 と あ な た が た を 含 む わ れ わ れ
( 4) 私 と 、 あ な た を 除 く ほ か の人 た ち から な る わ れ わ れ (マー ト ウ ) と 四 種 類 の代 名 詞 があ る。 広 島 の原 爆 の碑 には 、 安 ら か に 眠 って下 さ い/ 過 ち は / 繰 返 し ま せ ぬ か ら
と あ る が、 代 名 詞 を や か ま し く 使 い分 け る 国 民 だ った ら 、 こ の主 語 を ど う す べき か、 も め た こ と であ ろ う 。 現 に こ の碑 が た った あ と 、 解 釈 に つ いて 議 論 が お こ った 。
考 え て み る と 、weを 、 第 一人 称 の複 数 な ど と 呼 ぶ こと が 正 し く な いは ず だ 。 ﹁第 一人 称 の 複 数 ﹂ と いう も の が も し あ る と す れ ば 、 デ モ隊 の人 達 が声 を そ ろ え て、 わ れ わ れ は 断 乎 と し て政 府 のや り方 に 反 対 す る !
と 叫 ん で いる 、 あ あ いう 時 であ ろ う 。 普 通 の場 合 は 、 ﹁私 と そ の ほ か の人 た ち ﹂ で あ って 、 そ れ は ﹁私 の複 数 ﹂
で はな い。 つま り 、 ほ ん と う の ﹁私 の 複 数 ﹂ と 、 そ う でな い ﹁私 と そ の他 の 人 ﹂ と を 区 別 す る 言 語 も あ って よ さ そ う な も の であ る が 、 そ の 例 は 知 ら な い。
第 二人 称代 名 詞
第 二 人 称 代 名 詞 に つ いて も 、 第 一人 称 代 名 詞 に つ いて 言 った と 同 じ よ う な こと が言 え る 。 次 の例 のよ う に、 修 飾 語 を 加 え る こ と も 自 由 で 、 意 味 の面 を 除 け ば 、 一般 の名 詞 と 区 別 が な い。 三 時 のあ な た そ う いう お前 は誰 だ ? 東 ア ジ ア諸 方 言 と 同 様 に語 彙 が 多 い こ と も 、 第 一人 称 代 名 詞 と 似 て お り 、 あなた、 きみ、 おまえ、あ なたさま、 きさま、 てめえ ⋮⋮
な ど 、 話 し 手 の 身 分 ・性 別 、 相 手 と の 関 係 で 、 い ろ い ろ の も の が 使 わ れ る 。
も っと も 、 第 二 人 称 代 名 詞 に つ い て は 、 敬 語 表 現 の 簡 単 な ヨ ー ロ ッ パ 語 に も 使 い 分 け が あ り 、 た と え ば 、 ド イ
ツ 語 でdu と 言 う と 、 ﹁お ま え ﹂ に あ た り 、 ﹁あ な た ﹂ と 言 う と き はSieと い う 別 の 言 葉 を 使 う と い う よ う な こ と
﹁ね ェ、 あ な た ﹂
﹁君 、 梅 幸 と い う の は 何 だ ね ﹂ ( 芥 川 ﹃手 巾﹄)
があ り 、 そ の こ と は 次 節 の敬 語 の 項 で述 べ る 。 し か し 日本 語 のも のは は る か に 用 法 が 複 雑 で、 こん な こ と か ら 、
の よ う に 呼 び か け に 使 わ れ る と いう の は 、 英 語 のyouな ど で は 起 こ ら な い こ と で あ ろ う 。
日本 語 の第 二 人 称 代 名 詞 に つ いて 注 意 す べき は 、 第 二 人 称 代 名 詞 を 絶 対 に 使 わ な い間 柄 と いう も の が あ る こ と
﹁お 兄 さ ん ﹂ と か 一般 の 名 詞
﹃父 帰 る ﹄ で は 、 し た い 放 題 の こ と を し 尽 し て ひ ょ っく り 帰 っ て 来 た 老 い た 父 を つ か ま え
で あ る 。 親 ・兄 ・姉 ・お じ ・お ば に 対 し て は そ う で 、 こ の 場 合 、 ﹁お 父 さ ま ﹂ と か を 使 う 。 菊 池 寛 の戯 曲
て 、 長 男 の 賢 一郎 が 、 ﹁あ な た は ⋮ ⋮ ﹂ ﹁あ な た は ⋮ ⋮ ﹂ と 言 って い る が 、 こ れ が 実 に 冷 た く 響 き 、 大 き な 効 果 を あ げ て いる 。
困 った こ と
と こ ろ で 、 現 代 で は そ う いう 関 係 以 外 で も 第 二 人 称 代 名 詞 が 使 え な く て 不 便 を し て い る 場 合 が あ る 。 目 上 の 人 に 対 す る適 当 な も の が な い せ いだ 。
﹁先 生 が ﹂ ﹁先 生
﹁社 長 ﹂ の 場 合 も い い。 と こ ろ が 、 相 手 が そ の 先 生 の 母 親 だ った ら ど う す る か 。
も し 、 相 手 が 学 校 の 教 師 だ った り 、 医 者 だ った り す れ ば い い。 ﹁先 生 ﹂ と い う 名 詞 を 使 っ て の ﹂ と 言 え ば い い 。 ﹁大 臣 ﹂ と か
( さ ま )﹂ と か
﹁こ ち ら
(さ
﹁あ な た さ ま ﹂ と い う 代 名 詞 は ち ょ っと 使 い に く い 。 思 い き っ て 使 う よ う に し た 方 が い い と 思 う が 、 使 え な い と
い う 人 が 多 い 。 ﹁お 母 さ ま は ﹂ な ど で は 、 は な は だ お さ ま り が 悪 い と 言 っ て 、 ﹁お 宅
ま )﹂ と か いう 言 葉 が 新 し い第 二 人 称 代 名 詞 と し て 登 場 し て来 て い る が 、 ち ょ っと 物 足 り な い。 こ れ は 日 本 人 と し て 困 った こ と で あ る 。
なぜ代 名 詞を 避 ける か
第 二 人 称 代 名 詞 が使 いに く い のは 、 日本 語 の場 合 、 第 一に 相 手 を 指 す 代 名 詞 が ど ん ど ん 格 が 下 が ってく る こ と
に よ る が、 そ れ 以 外 に 、 日 本 人 の頭 の中 に は 、 西 欧 人 と ち が い、 代 名 詞 と いう 単 語 で相 手 を さ す のは 失 礼 に 当 た る と いう 考 え が あ る よ う だ 。
中 国 人 に も これ と 同 じ よ う な 考 え があ り 、 昔 か ら 、 大 夫 ・公 子 ・陛 下 ・足 下 のよ う な 身 分 や 場 所 を 示 す 語 で相 手 を 呼 ぶ 風 が 盛 ん だ った 。
第 二人 称 代 名 詞 の複 数 に つ い ては 、 第 一人 称 代 名 詞 の複 数 に つ いて 言 え た よ う な こ と が あ る はず であ り 、 そ こ
に いる 相 手 た ち だ け の ﹁あ な た がた ﹂ と 、 そ こ に いな い人 を 含 め て の ﹁あ な た が た ﹂ と あ る はず であ る が 、 そ れ を や か ま し く 言 う 言 語 は ち ょ っと 聞 か な い。
第 三人称 代 名詞
日本 語 は 第 一人 称 ・第 二 人 称 は ま だ よ い が、 第 三 人 称 に は 、 も と も と 人 称 代 名 詞 が な か った 。 いま 第 三 人 称 に
使 って い る ﹁彼 ﹂ と いう のは 、 古 い遠 称 指 示 代 名 詞 であ り 、 ﹁彼 女 ﹂ は 、 明 治 に な ってshe の翻訳 語とし て急 に 作 った 速 成 の単 語 だ った 。 も っと も こ う いう こ と は 、 朝 鮮 語 でも 同 様 で はあ る 。
英 語 そ の他 で、 男 性 ・女 性 をhe,sh とe 分 け る のは 、 いか に も 男 女 の性 の区 別 の や か ま し い ヨー ロ ッパ 語 だ け
he
or
she
の こ と が あ る 。 ハンガ リ ー 語 は 、 こ の区 別 を も って いな い の で、 こ れ を 気 に し て いる 学 者 も あ る よ う だ が 、 こ れ
も さ っぱ り し て い て い い の では な いか 。 た と え ば 英 語 で ﹁結 婚 し た け れ ば ﹂ と 言 いた いと き にif
wants
to
mar とr言 yう そ う で あ る 。( ﹃言 語 生活 ﹄ 昭 和五 十 五 年 十 月号 、 は た ひ ろ み) め ん ど う な 話 で あ る 。
﹁〓﹂ (=お ま え )、 B の こ と を
﹁我 ﹂ と し て 話 を 進 め て ゆ く 。 話 し 手 以 外 に ﹁我 ﹂ を 使 う の は 日
中 国 語 は お も し ろ い言 語 で 、 第 三 者 で あ る A と B が 組 打 ち で も し て 、 互 い に ど う し た こ う し た と い う 段 に な る と 、 A の こと を 本 語 だ け では な い。
﹁彼 ﹂ ﹁彼 女 ﹂ は と も に 日 本 語 で は ま だ 新 し い言 葉 の 感 じ で 、 ﹁彼 ﹂ は 小 さ い 子 ど も を さ し て 言 う こ と は お か し く 、
﹁愛 人 ﹂ と いう 意 味
﹁彼 女 ﹂ の方 は 小 さ い 子 ど も と 同 時 に あ ま り 年 老 い た 女 性 に も 使 い に く い。 使 う な ら 、 淡 谷 の り 子 さ ん や 大 屋 政
﹁氏 ﹂ を つ け て 、 そ の よ う な 意 味 に 用 い ら れ る 。
子 さ ん の よ う な 老 い て な お 色 っぽ い女 性 が ふ さ わ し い。 そ ん な こ と と 関 連 し て 、 ﹁彼 女 ﹂ は の 名 詞 と し て 使 わ れ る 。 ﹁彼 ﹂ に は
﹁彼 ﹂ と 言 った こ と が あ る 。 た と え ば 森鴎 外 は ﹁彼 ﹂ ﹁彼 ﹂ と 呼 ん で い る 。
日 本 で は 、 ﹁彼 女 ﹂ と い う 言 葉 の な い 時 代 は 、 女 性 を さ し て ﹃雁 ﹄ の 中 で 、 ヒ ロ イ ン お 玉 を さ か ん に
おまえ はあ の子のだれな のさ
疑 問 代 名 詞 に は 、 ﹁だ れ ﹂ ﹁ど な た ﹂ が あ る 。 こ う い う 代 名 詞 で も 、 日 本 語 で は 名 詞 並 み で 、
の よ う に、 修 飾 語 を 付 け る こと が で き る 。
二 指 示 代 名 詞 コ ソ アド 体 系
日 本 語 の 指 示 代 名 詞 は 次 の よ う な 、 三 段 組 織 に な っ て い る こ と が 英 語 な ど と ち が う と こ ろ で 、 ﹁あ れ ﹂ ﹁あ そ
コ コ、 ソ コ 、 ア ソ コ
コ レ、 ソ レ、 ア レ
こ ﹂ ﹁あ ち ら ﹂ の あ と に ド レ ・ド コ ・ド チ ラ を 加 え 、 佐 久 間 鼎 以 来 コ ソ ア ド 体 系 と 呼 ば れ て 来 た 。
コチ ラ 、 ソ チ ラ 、 ア チ ラ
こ の 三 つ の ち が い は 、 以 前 は 近 いも の 、 中 間 の も の 、 遠 い も の と 説 明 さ れ て 来 た が 、 そ れ は 話 し 手 と 相 手 と が
同 じ 位 置 に い る 場 合 の こ と で 、 一般 に は 松 下 大 三 郎 創 唱 の ﹁話 し 手 に 近 いも の が コ、 相 手 に 近 い も の が ソ 、 話 し
﹁そ ち ら は 寒 い か ? ﹂ と た ず ね 、 か つ て 一緒 に 旅 行 し た 長 崎 は 、 ロ
手 か ら も 相 手 か ら も 遠 いも の が ア だ ﹂ と い う 説 明 が よ い 。 ロ ンド ン に い る 友 人 に 東 京 か ら 手 紙 を 書 く 場 合 、 自 分 か ら 遠 い にも か か わ ら ず 、 ロンド ンを さ し て
ン ド ン に 比 較 す れ ば 近 い に か か わ ら ず 、 ﹁あ そ こ は よ か った な ﹂ と 言 う 。
ヨ ー ロ ッ パ で は 、 英 語 ・ド イ ツ 語 ・フ ラ ン ス 語 な ど 、 多 く の 言 語 で は 、 こ の 三 つ の 区 別 を も た な い が 、 ス ペ イ
ン 語 と ポ ル ト ガ ル 語 は こ の 区 別 を も っ て い る 。 ア ジ ア の 言 語 で は 、 中 国 語 ・ビ ル マ 語 ・イ ン ド ネ シ ア 語 と ヨ ー ロ
ッパ 系 の ヒ ンデ ィー 語 はも た な いが 、 朝 鮮 語 、 タ イ 語 、 ヴ ェト ナ ム語 、 高 砂 族 のあ る 言 語 、 タ ガ ログ 語 な ど に は
こ の三 種 の区 別 が あ る。 ま た 、 ア ルタ イ 系 で は モ ンゴ ル語 に はな く 、 ト ル コ語 に は あ る と いう 。
コ ソ ア の 体 系 は 、 わ れ わ れ に と っ て 重 宝 な 区 別 の よ う に 思 わ れ る 。 た だ し 、 も っと 多 け れ ば も っと よ い と は 言
の (5) 遠 い が 見 え る も の (6)な い も の (7)な く な った も の (8)見 え な い も の
(1ふ ) れ る ほ ど 近 く に い る も の (2)そ ば に あ る も の ( 3) 相 手 の前 に あ る も の (4)近 く て 、 し か も 見 え る も
え る か ど う か 。 レ ヴ ィ= ブ リ ュ ル に よ る と 、 ア メ リ カ イ ン デ ィ ア ン 語 の 一派 、 ク ラ マ ス 語 で は 、
を 、 ち が った 代 名 詞 で 言 い 分 け る そ う だ 。
注意 す べき点 日本 語 の コ ソ ア ド に つ いて 注 意 す べ き 点 を 述 べる 。
﹁相 手 の 勢 力 範 囲 は 、
第 一に 、 コ は 話 し 手 に 近 いも の 、 ソ は 聞 き 手 に 近 い も の と 言 う が 、 話 し 手 の 後 ろ に あ る も の は 、 聞 き 手 か ら さ
ら に 遠 い に か か わ ら ず 、 ソ レ と い う こ と が あ る 。 こ れ の 説 明 と し て 、 高 橋 太 郎 は 、 一度 は
話 し 手 の勢 力範 囲 よ り 広 い﹂ と いう 立 場 を と った が 、 あ と で そ れ は ﹁話 し 手 と 聞 き 手 が同 じ 場 所 に いる と いう 立
場 に 立 って 、そ こか ら 中 程 度 に離 れ た と こ ろ に あ るも のと し て の ソ﹂だ と 判 定 し た 。( ﹃国立国語研究所報告﹄ 昭和五 十 七年三月)
日本 語 で は 、 コソ ア ド は 、 外 界 の見 え る も の の み で は な く 、 話 題 にな った 事 柄 も さ し 分 け る 。 久 野暲 の ﹃日 本 文法 研究﹄ から例を借 りれば、 太 郎は馬鹿 で困ります
ほ ん と う に そ ん な に 馬 鹿 な ので す か
に 対 し 、 は じ め て の知 識 な ら ば 、 自 分 のも のに な って いな いか ら 、
本 当 にあ ん な 馬 鹿 で は 困 り ま す ね
と 受 け る が 、 も し よ く そ れ を 知 って いる 場 合 に は 、 こう いう 。
め ぐ り あ ひ て 見 し や そ れ (=ド レ) と も 分 か ぬ 間 に ⋮ ⋮
こ れ や こ の (=ア ノ) 行 く も 帰 る も 別 れ て は ⋮ ⋮
あ れ は い か に (=ソ レは ど う し た の か)
ま た 、 日 本 語 で コソ ア ド の体 系 が そ な わ った のは 近 世 ご ろ の こ と で、 古 い時 代 のも のは 、
のよ う に 、 今 か ら 見 れ ば 使 い方 のち が う も の が 見 え る。 以前 は 、 ソは イ ヅ (のち に は ド ) に 対 し 、 コは カ (のち に は ア) に 対 す るも のだ った よ う であ る 。
三 境 遇 性 を も つ語 彙 誰が 、 い つ?
代 名 詞 や 指 示 語 の 類 いは 、 話 し 手 が誰 で あ る か に よ って、 さ さ れ る も の がち が う 。 B ・ラ ッセ ルは 、 こう いう
語 彙 は 、 自 己 中 心 的 特 殊 語 で あ っ て 、 物 理 学 や 心 理 学 の 方 で は 用 い ら れ な い単 語 だ と 言 った 。(﹃ 思想 の科 学 ﹄ 昭 和 二
十 四 年一 月 号 ) 三 上 章 は 、 こ の よ う な 語 を 総 称 し て 、 ︿境 遇 性 の あ る 語 ﹀ と 呼 ん だ 。(﹃現代 語法 序 説﹄) 近 頃 は 、 久 野暲 に よ っ て 、 ︿見 地 ﹀ と いう 術 語 で 考 察 が す す め ら れ て い る 、一 群 の 語 で あ る 。
境 遇 性 の あ る 語 彙 は 、 代 名 詞 ・指 示 語 ば か り で は な い。 ﹁今 ﹂ ﹁さ っき ﹂ ﹁き ょ う ﹂ ﹁き の う ﹂ ﹁あ し た ﹂ の 類 い
﹁き の う ﹂ や
﹁き ょ う ﹂ の よ う な 語 を 一般 語 の よ う に 使 う 傾 向 が あ る よ う だ 。 芥 川 龍 之
も 、 そ の 人 が い つ 発 言 す る か に よ って 、 さ さ れ る 日 が ち が う 。 日本 人 は 、 欧 米 人 よ り
尤 も 今 日 は 、 刻 限 が 遅 いせ いか 、 ( 烏 が ) 一羽 も 見 え な い 。
介 な ど そ う いう こ と を一 番 し そ う も な い 作 家 で あ る が 、 ﹃羅 生 門 ﹄ の 中 に 、
littleとb かe訳 fし or てeい る が 、 た し か に そ の 方 が 正 し い 。 日 本 の
下 人 は 、 さ っき 迄 、 自 分 が 盗 人 に な る 気 で い た こ と な ぞ は 、 と う に 忘 れ て い る の で あ る 。
thisと d かa 、ya
と 書 いて あ る。 G ・シ ョウ の 英 訳 で は 、 on
て いる ﹂ を 現 在 形 のま ま で過 去 を 表 わ す の に使 う のも 、 そ の 一つの 現 わ れ と 思 う 。
作 家 は こ の あ た り 、語 り 手 よ り も 登 場 人 物 の 立 場 に 立 った 言 葉 の 使 い 方 を す る こ と が 多 い 。 三 二 五 ペ ー ジ ( 本書)
に述 べた 、 形 容 詞 や 動 詞 ﹁ ︱
﹁ 来 る﹂ ﹁行 く ﹂
く れる︱
来る︱
話し手 に近づく移動 話し手 に向かう物 の移動
やる︱
行く︱
それ以外 の方向 への物 の移動
それ以外 の方向 への移動
動 詞 の中 で、 境 遇 性 を も って いて 著 名 な も の に、
が あ る 。 ﹁来 る ﹂ ﹁行 く ﹂ が 、英 語 のcome,go の 用 法 と 一致 し な い こ と が よ く 話 題 に な る 。英 語 で は 、約 束 し た 場 合、
I
will
come
と いう が、 日本 語 で は 、
to
your
house
あ し た 、 お ま え の家 へお れ が 来 る か ら ね
tomorrow.
と は 言 わ な い。 日本 語 では 一般 に 、 相 手 本 位 の表 現を す る と 言 わ れ な が ら 、 こ の 語 類 に限 って 、 自 分本 位 の表 現
﹁来 る ﹂ は 、 ﹁︱
て いく ﹂ ﹁ ︱
て く る ﹂ と いう 形 で 、 補 助 動 詞 と し て も 使 わ れ る が 、 こ の 場 合 も
を す る の は 注 意 さ れ る 。 も っと も 、 日本 語 で も 、 九 州 と 山 陰 地方 の方 言 で は 、 行 ク と 来 ル の用 法 が英 語 と 同 じ に な って いる 。 ﹁行 く ﹂ と
境 遇 性 が物 を 言 う 。 (1) ず い分 こ の 町 も 賑 や か に な って き た (2 ) こ れ か ら は さ び し く な って いく か も 知 れな い
森 田 良 行 の ﹃日本 語 の発 想 ﹄ に 行 き 届 いた 考 察 が あ り 、 (1の︶よ う に 過 去 か ら 現 在 に 及 ん だ も の に は ﹁来 る ﹂ を つけ 、 (2 の)よう に未 来 に 進 む 時 に は 、 ﹁行 く ﹂ を つけ る こ と が 多 い。
た だ し 、 そ の未 来 の 一地 点 に いる と考 え た 時 に は 、 次 のよ う な ﹁来 る ﹂ を つけ る 。 (3 ) 暗 く な って き た ら 明 り を つけな さ いね
そ れ か ら 、 進 行 の方 向 が 自 分 と 関 わ り な い方 に 進 ん だ 場合 に は、 過 去 の場 合 でも ﹁行 く ﹂ を 使 う こと も あ る 。 ( 4) そ の後 、 か れ ら の夫 婦 生 活 は ま す ま す 荒 ん で い った よ う だ った ﹁や る ﹂ ﹁く れ る ﹂ に つ い て は 次 節 に述 べる 。
十 一 人称 と 敬語 一 人称 の区別 名 詞 の人 称変 化
金 田 一京助 著 ﹃ユー カ ラ の研 究 ﹄ の中 に は 、 著 者 が アイ ヌ集 落 を 訪 ね た 時 の 話 が 具 体 的 に 書 い て あ る が、 ア イ
ヌ人 に ﹁目 は アイ ヌ語 で何 と 言 う か﹂ と 尋 ね る と、 アイ ヌ 人 は す ぐ に は 答 え ず 、 ﹁旦 那 の 聞 い て い る のは 、 お れ
の 目 か 、 旦 那 の 目 か 、 ほ か の人 の 目 か ? ﹂ と 問 い返 し 、 私 の 目 な ら ばkushi旦 k那 , の目 な ら ばashiほ k, か の人 の 目な ら ば 、 た だ のshiだ kと 答 え た そ う だ 。
注 意 す べき は最 後 のshiは kあ く ま でも 、 ほ か の人 ( 単 数 ) の 目 と いう こ と で、 ﹁私 の﹂ と いう 言 い方 は、 別 に
kuko( r=私 が 持 つ) と いう のは あ る け れ ど も 、kukor と s言 hi っk た の で は ﹁私 の も つ彼 の目 ﹂ と いう 矛 盾 し た
言 い方 にな って し ま って、 ﹁私 の目 ﹂ と いう 意 味 に は な ら な いの だ そ う だ 。 つまり ア イ ヌ人 の世 界 で は 、 あ ら ゆ
る も のが 、 誰 のも の か と いう よ う に は っき り 分 かれ て い て、 ﹁私 の 目﹂ と ﹁あ な た の目 ﹂ ﹁彼 の目 ﹂ の 間 に は 、 非
常 に 明 確 な ち が い があ る こと に な る 。 そ う 言 わ れ て み れ ば 、 ﹁私 の 目 ﹂ は 針 でさ す と 痛 い が、 ほ か の 人 の 目 は 針
で さ す と 、 当 人 は 痛 そ う な 顔 す る が、 私 と し て はち っと も 痛 く な い、 そ ん な こと か ら 全 然 別 のも の だ と いう 考 え が あ る の で あ ろ う か。
﹃ユー カ ラ の研 究 ﹄ に よ る と 、 ﹁目 ﹂ は さ ら に ﹁わ れ わ れ の目 ﹂ ﹁お ま え た ち の 目 ﹂ ﹁彼 ら の目 ﹂ と いう よ う に 変
化 す る そ う だ 。 こ う いう 名 詞 の人 称 変 化 は 、 案 外 も って いる 言 語 が 多 いも の だ。 日本 語 と いろ いろな 点 で似 て い
babam ( 私 の父 )
baba( n お ま え の父 )
る ト ル コ語 にも そ れ が あ って 、
のよ う に 言 い、 ハンガ リ ー 語 ・ア ラ ブ 語 にも こ の区 別 が あ る と いう 。
社 会 の 思 惟 ﹄ によ る と 、 北 ア メ リ カ の 多 く の原 住 民 の言 語 で ﹁目 ﹂ や ﹁耳 ﹂ と いう 単 語 は、 必 ず ﹁私 の目 ﹂ と か 、
ア メ リ カ イ ン ディ ア ン の諸 言 語 で は 、 こ の区 別 は こと に や か ま し いも の の よう で、 レ ヴ ィ= ブ リ ュル の ﹃ 未開
﹁あ な た の目 ﹂ と か 、 ﹁彼 の目 ﹂ と か に 分 か れ て いて 、 た だ ﹁目 ﹂ と か、 た だ ﹁手 ﹂ と か いう 言 葉 はな いと いう 。
そ れ で、 も し 野 戦 病 院 の手 術 台 か ら 落 ち た 腕 を 彼 ら が 見 つけ た ら 、 彼 ら は ﹁私 は 何 人 か の彼 の腕 を 見 付 け た ﹂ と
言う だ ろう と いう 。 こ のよ う な 言 語 で は、 た と え ば ﹁目 は 物 を 見 る 道 具 で あ る ﹂ と いう の は 、 ど う 表 現 す る の だ
my
eyes. You
see⋮with
your
eyes.
私 の 目 は 私 が 物 を 見 る 道 具 で あ り 、 あ な た の目 は あ な た が物 を 見 る道 具 であ り ⋮ ⋮
ろう か と 心 配 に な る。 と いう の であ ろ う か。
﹁尻を 押さ え ろ!﹂
see⋮with
わ れ わ れ が学 校 で英 語 を 習 う と 、 I
と いう よ う に 言 え と 言 わ れ 、 う っか りmyやyour を ぬ か す と 叱 ら れ た 。 私 は 私 の目 で 見 る に き ま って る じ ゃな
いか 、 誰 が ほ か の 人 の目 で物 を 見 る や つが あ る か、 な ど と考 え て不 満 だ った が、 ヨー ロ ッパ 人 の間 で も 、 日本 人
は 感 じ て いな いよ う な 、 一つ 一つ のも の に つ い て ﹁誰 の﹂ ﹁誰 の﹂ と いう 未 開 時 代 の考 え 方 が 残 って いる の で あ ろうか。
日 本 人 は、 誰 のも のか と いう 点 に ル ー ズ な 民 族 か も し れ な い。 そ の点 、 勘 がわ る いと 言 葉 が 通 じ な い こと も あ
る 。 笑 い話 に 、 自 分 が 乗 って いる ハシ ゴ が 倒 れ そ う に な って落 ち か か った主 人 が、 下 に立 って いる 小 僧 に ﹁尻 を
押 さ え ろ !﹂ と 命 令 し た 。 が、 小 僧 が 体 を さ さ え てく れ な いの で 、 と う とう 床 に転 落 し て しま った 。 見 る と 小 僧
は 一生 懸 命 に な って、 自 分 の尻 を 押 さ え て いた 、 と いう の があ る が 、 こう いう 間 のぬ け た こ と は 英 語 や ア イ ヌ 語
に は 起 こら な い。
動詞 の人 称変 化
日 本 の 動 詞 に は 人 称 の 区 別 が な い。 た と え ば 、 ﹁愛 す る ﹂ と い う こ と は 、 話 し 手 の 動 作 と し て も 、 相 手 の 動 作
( i ch ) の 時 はlieb e相 ,手
(du) の 時 はlieb st 第,三 者
(erま た はsie)
と し て も 、 第 三 者 の動 作 と し て も 言 え る 。 わ れ わ れ は 何 と も 思 わ な い が 、 こ れ は 、 ヨ ー ロ ッ パ 人 な ど に は き わ め て 珍 し い性 格 ら し い。 ド イ ツ 語 で は 、liebe ( 愛 nす る ) は 、 私
( 英 語 、 そ れ に 次 い で フ ラ ン ス 語 の話 し 言 葉 には 、 か な り 特 徴 が少 な
の 時 はer ( se i )lieb とt 変 わ り 、 も し そ れ ぞ れ が 複 数 な ら ば ま た 変 わ る 。 世 界 の言 語 に は 、 こう いう 方 式 の方 が ふ つう で 、 イ ン ド ・ヨ ー ロ ッ パ 諸 語 は 全 部
い が 、 そ れ で も な い わ け で は な い)、 ハ ン ガ リ ー 語 の よ う な ウ ラ ル 語 に も あ り 、 ア ル タ イ 語 で も 、 ト ル コ 語 に は
が あ る の が 一般 ら し い。 名 詞 に や か ま し い 人 称 の 区 別 の あ る ア イ ヌ 語 に は 、 も ち ろ ん 区 別 が あ る 。 区 別 が な い の
あ り 、 モ ン ゴ ル 語 も 方 言 に よ っ て は そ の ち が い が あ り 、 ア フ リ カ の 諸 語 、 ア メ リ カ ・イ ン デ ィ ア ン の 諸 語 も 区 別
Japanese
insouciance
with ・ regard
to
grammatical
は 、 中 国 語 ・朝 鮮 語 や タ イ 語 ・ヴ ェト ナ ム 語 ・ビ ル マ 語 ・イ ン ド ネ シ ア 語 な ど の 東 南 ア ジ ア の 諸 言 語 な ど に 多 く 見 ら れ る 性 格 であ る。
is
M ・ペ イ は 日 本 語 を 評 し て 、 Most striking
と 言 って いる 。 日本 語 のど の点 よ り 、 人 称 に無 頓 着 な のを 驚 い て いる と こ ろを 見 る と 、 動 詞 の人 称 に よ る 変 化 の な い こ と は 、 よ ほ ど 珍 し いも の と 見 え る 。
person
人称 を抽象 し た動作
つま り 日本 人 は す べ て の人 称 を 抽 象 し た 動 作 を 考 え、 日 本 語 の動 詞 は 原 則 と し て そ れ を 表 わす 形 で あ る 。
秋 冬 風 全 く 凪 ぎ 、 天 に 一片 の雲 な き夕べ 、 立 って、 伊 豆 の 山 に 落 つる 日 を 望 む に 、 世 に か か る 平 和 のま た 多 か る べし とも 思 わ れ ず 。
名 文 の ほ ま れ 高 い徳 冨蘆 花 の ﹃自 然 と 人 生 ﹄ の中 の ﹁相 模 灘 の落 日 ﹂ と いう 文 章 の 一節 であ る が 、 こ の ﹁望
む ﹂ は、 私 であ って も 、 あ な た であ って も 、 誰 で あ っても い い ﹁望 む ﹂ であ って 、 こ の文 章 は最 後 ま で読 ん でも 、
雲 の峰 水 な き 川を 渡 り け り
花 散 る や 伽 藍 のく る る 落 と し 行 く
子規
凡兆
そ の精 神 で書 か れ て いる 。 ま こ と に東 洋 的 な 自 由 な 文 章 表 現 の 一つであ る 。
いず れ も 主 語 は 私 、 彼 、 彼 ら を 超 越 し て いる 。
た だ し 、 日本 語 が主 語 を 言 わ な いた め に 、 は っき り し な く な る 場 合 も な く は な い。
いた ず ら 小 僧 が 二人 、柿 の実 を 取 り に行 った 。 大 き い方 が木 に 登 る 役 を し 、 小 さ い方 が 下 で 拾 う 役 を し て いた
と こ ろ が 、 小 さ い方 が 過 ってド ブ へ落 ち て しま った 。 木 の上 を 仰 い で ﹁落 ち た よ ゥ﹂ と 言 った ら 、 木 の上 の 子 は
﹁落 ち た ら 拾 え よ ウ﹂ と 言 った。 下 の 子 が 、 ﹁ド ブ へ落 ち た ん だ よ ウ﹂ と 言 った ら 、 上 の子 は ﹁ド ブ へ落 ち た の は
捨 て て お け よ ウ﹂ と 言 った と いう 。 こ う いう 行 き ち が いは 日 本 語 で こそ 起 こ り う る が 、 第 一人 称 が 落 ち た のと 、
第 三 人 称 が 落 ち た のを や か ま し く 区 別す る 多 く の外 国 語 で は 、 思 いも よ ら な い こと で あ ろ う 。
な お 、 英 語 は も ち ろ ん の こ と 、 フ ラ ン ス 語 ・ド イ ツ 語 で は、 動 詞 が 人 称 に よ る 変 化 を し て も 、 そ の上 に ﹁私
が ﹂ と か ﹁あ な た が ﹂ と いう 代 名 詞 を つけ て、 人 称 のち が いを 強 く 指 示 し て いる 。 し か し 、 ラ テ ン語 で は 人 称 変
化 を し た動 詞 だ け を 示 し て、 ﹁私 ﹂ と か ﹁あ な た ﹂ と か いう 主 語 を 別 に 出 す こ と は し な い。 イ タ リ ア語 や ス ペイ
ン語 は こ の行 き 方 を 踏 襲 し て いる 。 動 詞 が 人 称 変 化 を す る以 上 は 、 そ の方 が 建 て ま え のよ う だ 。
対格 によ る変 化
人 称 変 化 に つ い て注 意 す べき こと は、 言 語 によ って は 、 動 詞 が そ の主 格 によ る 変 化 のほ か に、 対 格 によ る 変 化
を す る こと で あ る 。 ウ ラ ル諸 言 語 は そ の 性 格 を も って い る が 、 た と え ば ハン ガ リ ー 語 で は 、 主 格 と 対 格 と 両 方 を とる動詞 の場合、 私 は待 つ varom お 前 は 彼 を 待 つ varod 彼 は 彼 を 待 つ varja 私 は お前 を 待 つ varlak 彼 は お 前 を 待 つ teged のよ う に 変 化 す る。(﹃ 世界言語概説﹄下、徳永康元)
動 詞 の抱 合
これ が さ ら に ア イ ヌ語 に な る と 、 ﹁そ れ に つ い て﹂ と いう 格 の も の ま で、 動 詞 に 変 化 を 与 え る か ら 、 動 詞 は そ
う いう も のを 抱 き 合 わ せ て 長 大 な 形 に な る 。 次 の例 の︲ のと こ ろ は意 味 の 切 れ 目 を 表 わ し た だ け で 、 切 って 言 う
a-e-yai-ko-tuim( a我 、s そhれiに rつ am いs てu ひi とpり a遠 く 想 いめ ぐ ら す )
わ け で は な い。
金 田 一京 助 が ア イ ヌ 語を 、 一種 の抱 合 語 と 呼 ん だ ゆ え ん だ 。 代 表 的 な 抱合 語 の 例 は 、 ア メ リ カ イ ンデ ィ ア ン の 言 語 に あ って、 サ ピ ア の ﹃言 語 ﹄ に よ れ ば フ ォ ック ス語 では 、 eh-kiwi-n-a-m-oht-ati-wa-ch(i)
そ れ か ら 彼 ら は 一緒 に な って (彼 を ) 彼 ら のも と か ら ず っと追 払 って いた
と 言う と 、
と いう 意 味 だ と いう 。 こ れ も 、︲は 意 味 の切 れ 目 で 、 切 って発 音 す るわ け で はな い。
主 格 が 二 つの場合
or
I
()
or
Iで い am いとw しrて oい nる g. が〟 、 イ ェ ス ペ ル セ ン のよ う
oと rあ I って は
ヨー ロ ッパ 語 のよ う に 人 称 の 変化 が あ る と 、 主 格 が 二 つ の場 合 は 、 共 通 に 使 え る動 詞 がな く て 困 る 場 合 があ る。
you
wrong.
これ は私 か あ な た が 間 違 え た ん でし ょう
た と え ば 、 日本 語 で は 、
Either
と 言 え る が、 英 語 で言 お う と す る と 、
you
の ( ) のと こ ろ に 入 れ る 動 詞 が な い。you な ら ば areで あ り 、Ⅰ な ら ば am で あ る が 、you ⋮ ⋮ 。 一般 に は あ と のI を た て て" Either
I
am
wrong
or
you
are.
な 文 法 学 者 に な る と、 も う 一つ動 詞 を 使 って 次 のよ う に言 う のが 正 し いと いう 。( ﹃言語﹄) こ れ は、 動 詞 が 人 称 変
Either
化 す れ ば こ そ のな や み であ る。
そ れ に つけ ても 、 日 本 語 を は じ め 朝 鮮 語 ・中 国 語 か ら 東 南 ア ジ ア諸 国 の言 語 が 、 人 称 の 使 い分 け の悩 み か ら 解 放 さ れ て いる 気 分 は、 ま こ と に 爽 快 であ る 。
授与 に関す る動 詞
と は いう も の の、 た だ 一つ日 本 語 にも 、 人 称 の変 化 を も つ動 詞 ・補 助 動 詞 が あ る 。 上 巻 ( 本書 一九八 ペー ジ) で
述 べた が 、 授 与 を 意 味 す る ﹁や る﹂ ﹁あ げ る ﹂ 対 ﹁く れ る ﹂ ﹁下 さ る﹂ が そ れ だ。
﹁私 が あ な た にあ げ る ﹂ ﹁あ な た が 私 にく れ る ﹂ と 、 人 称 によ って ち が った 動 詞 を 区 別 し 、 ﹁あ な た が 私 に や る ﹂
﹁私 が あ な た にく れ る ﹂ と は 決 し て 言 わ な いか ら 、 人 称 変 化 と 言 わ な け れ ば いけ な い。 授 与 に 関 す る動 詞 に限 り 、
人 称 変 化 を 表 わす のは 、 日 本 人 に いか に物 の授 与 を 重 ん じ て い る か を 考 え さ せ ら れ る と いう こ と は 前 に述 べた 。
と こ ろ で注 意 す べき こ と は 、 こ の授 与 を 表 わ す 動 詞 の 変 化 は 、 一、 二 、 三 人 称 の区 別 に よ るも の で はな く 、 自
あ の人 が
あ なた が
}
て く れ る ﹂ の場 合 も ま った く 同 じ であ る 。
私 にくれ る
分 と 他 人 と の 区 別 によ るも の であ る こ と 、 も っと 重 要 な こと は、 主 格 によ る の で はな く て 、 対 格 な いし は 与 格 ・
あ げる
︸
奪 格 に よ る こ と であ る。 あな たに 私が あ の人 に あ な た が あ の人 に あ の人 A が あ の人 B に
と いう わ け で あ る 。 こ れ は 補 助 動 詞 ﹁︱ て あ げ る ﹂ ﹁︱
﹁あ な た は 悲 し い ﹂
s 、a ﹁彼 d. は〟 ﹂ の と き も"He
is
﹁私 は ﹂ の と き は"I
am
sad ﹁あ .〟 な た は﹂ の
﹁あ の 人 は 悲 し い ﹂ と い う の は ヘ ン
saと d、 .〟 み んな同 じ形 で言う こと ができ る。と ころが 日本 語
﹁悲 し い﹂ と 言 う 単 語 は 、 英 語 で は
そ れ と も う 一 つ、 日 本 語 の 文 法 で は 、 人 称 に よ って 使 う 言 葉 が 違 う も の の 例 と し て 、 心 理 状 態 を 表 わ す お も し
are
ろ い 言 い方 が あ る 。 た と え ば と き は"You
は そ う は い か な い。 ﹁私 は 悲 し い﹂ は い い。 し か し 、 ﹁あ な た は 悲 し い﹂ と か
だ 。 他 人 の気 持 は わ か ら な い と い う 論 理 で あ る 。 ﹁あ な た は 悲 し い ? ﹂ と 尋 ね る な ら い い 。 断 定 の 時 は あ と に 言
葉 を つ け て 、 ﹁あ の 人 は 悲 し いら し い ﹂ ﹁ あ の 人 は 悲 し い の だ ﹂ と 言 った り す る 。 そ れ な ら ば い い と い う き ま り が
あ る。 恐 ら く 英 語"He 彼 は悲 し い のだ
is
sad.日 〟は 本、 語 にしたら、
に 相 当 す る意 味 であ ろう 。 日本 語 は ど う し て な かな か 、 精 密 で あ る 。
二 敬 語 の さ ま ざ ま 日本 語だ け の特色 で はな い
日本 語 の特 色 と いう 場 合 に、 最 も 多 く の人 が 話 題 に す る こ と に敬 語 の問 題 があ る 。
敬 語 と いう のは 、 話 題 に出 て く る 人 に 対 す る 敬 意 、 あ る いは 、 話 の 相 手 に対 す る 敬 意 を 表 わ す 言 葉 であ る。 敬
語 は 日本 語 だ け に し か な いと 思 って いる 人 も あ る か も し れ な いが 、 地 球 上 の言 語 の中 に は た く さ ん 敬 語 を も って
いる も の が あ る 。 朝 鮮 語 の 敬 語 は 日本 語 と 同 じ よ う に複 雑 で 、 中 国 語 ・ヴ ェト ナ ム語 ・タ イ 語 ・ビ ル マ語 にも 軒
並 みあ り 、 イ ンド ネ シ ア へ行 く と 、 ジ ャ ワ語 の 敬 語 が 非 常 に 複 雑 で有 名 だ 。 戦 前 は 、 ジ ャ ワ語 の 敬 語 には 七 つ の
階 層 が あ って 、 そ れ を いち いち 言 い分 け る と 言 わ れ た も ので あ る 。 そ れ か ら 、 太 平 洋 の島 の中 で、 ミ ク ロネ シ ア
のポ ナペ 島 の言 語 と サ モ ア 諸島 の言 語 は や は り 敬 語 を も って いる 、 と 崎 山 理 が 言 って いる 。 そ う し て 広 い意 味 に
解 し て き わ め て単 純 な 形 の も のも 含 め る な ら ば 、 ヨー ロ ッパ の諸 言 語 に も な いわ け で はな い。
前 項 で 、 世 界 の 言 語 の中 で 、 人 称 の 区 別 のわ ず ら わ し さ のな いの は 、 東 南 ア ジ ア の諸 言 語 だ と 述 べた が、 そ の
言 語 に は だ いた い敬 語 表 現 が あ って 、 文 法 を 複 雑 に し て お り 、 結 局 言 語 の運 用 を 難 し く し て いる のは 偶 然 と は 思 わ れ な い。
人を呼 ぶ場 合 の敬称
敬 語 表 現 の中 で 最 も 一般 的 な の は 、 人 に 対す る 呼 び か け の言 葉 で あ る 。 いわ ゆ る敬 称 で、 こ れ は ヨー ロ ッパ の
君 ﹂ と な る が 、 英 語 で は 性 別 に よ り、 ま た 女 性
さ ま ﹂ ﹁︱
さ ん ﹂ ﹁︱
言 葉 に も あ る 。 日 本 語 で 言 う と 、 ﹁︱
Mr.Smiと th い.う 〟よ う な こ と を 言 う こ と が あ る 。 ア
Mrs.︱, Miss︱ と か 言 う 。 た だ し 、 こ の 敬 語 と い う の が 、 日 本 語 と am
な ら ば 、 既 婚 ・未 婚 に よ っ て Mr.︱, 英 語 で は ち ょ っと 違 う 。 英 語 の 方 で は 、 た と え ば 、"I
﹁ ︱
様 ﹂ と 書 く こ と は な い の で、 そう いう 点 は 違 う 。
メ リ カ 人 か ら 名 刺 を も ら う と 、"Miss︱〟 と 自 分 の 名 刺 に Missを 付 け て い る 人 も い る 。 日 本 人 は 、 ま さ か 自 分 の名 刺 に
も う 一つ、 日本 人 の場 合 に は 、 苗 字 だ け で は な く て、 職 業 あ る いは 地 位 に も ﹁さ ん ﹂ と か ﹁さ ま ﹂ と か を 付 け
る こ と が で き る。 た と え ば ﹁駅 長 さ ん ﹂ ﹁八 百 屋 さ ん﹂ で、 こ れ は 英 語 に は な い。 駅 長 はstation で m、 as こter
殿﹂ ﹁ ︱
氏 ﹂
れ に敬 意 を 表 し て、 Mr.Stationとm 言a うsこtと eは rな い。 こ れ で は 群 集 の中 か ら 駅 長 一人 だ け を 敬 意 の こも っ た 言 い方 で 呼 び出 す こと は で き な い。
兄 ﹂ ⋮ ⋮ と 、 いく ら でも あ る 。
日 本 語 に は そ の ほ か に 、 敬 称 を 表 わ す 言 葉 が た く さ ん あ る 。 こ れ も 英 語 な ど と は 違 う 。 ﹁︱ ﹁︱
第 二人 称 代 名 詞 の敬 語
﹁お ま え ﹂ に あ た り 、 ﹁あ な た ﹂ と 言 う と き はSieと い う 別 の
敬 語 の 表 現 で 、 次 に 世 界 の 言 語 に 普 遍 的 な の は 、 第 二 人 称 の代 名 詞 に 関 す る も の だ 。 こ れ も ま た ヨ ー ロ ッパ の 言 語 に も あ る 。 た と え ば 、 ド イ ツ 語 でdu と 言 う と
言 葉 を 使 う 。 フ ラ ン ス 語 で は t信 uと い う の が ﹁お ま え ﹂ で 、 ﹁あ な た ﹂ と い う 場 合 に はvous を 使う 。 フラ ンス の
映 画 を 見 て 、 若 い 男 女 が は じ め はvous と 言 っ て い た の が 、 途 中 か らtu に 変 わ った と す る と 、 フ ラ ン ス 語 を 知 っ
て いる 人 は、 こ の 二人 は 肉 体 的 な 関 係 を 結 ん だ ん だ な 、 と 想 像 でき る のだ そ う で 、 筆 者 な ど は ぼ ん や り見 て い る が、 ま あ 、 重 宝 な も の だ と 思 う 。
日 本 語 に は 、 相 手 を さ す 代 名 詞 は 、 ﹁あ な た ﹂ ﹁き み ﹂ ﹁お ま え ﹂ ⋮ ⋮ と た く さ ん あ る 。 朝 鮮 語 も 中 国 語 も 、 そ
の他 東 南 ア ジ ア の諸 言 語 も 同 様 ら し い。 日 本 語 に は ﹁あ な た さ ま ﹂ のよ う な 高 い敬 語 も あ る が、 一般 に、 相 手 を 指 す 代 名 詞 の格 が ど ん ど ん 下 が ってき た 。
俗 謡 に ﹁お ま え 百 ま で、 わ し ゃ九 十 九 ま で﹂ と いう の があ る 。 こ れ は い った い男 の言 葉 か、 女 の言 葉 か。 今 の
人 が 考 え る と 、 ﹁お ま え ﹂ と いう か ら 男 が 女 に 言 って いる よ う で あ る が 、 そ う で はな い。 ﹁お ま え ﹂ と いう のは 、
元 来 、 目上 の人 に言 う 言 葉 で、 こ こ は女 の人 の言 葉 だ 。 つま り 、 女 の方 が だ いた い年 が若 いか ら 、 相 手 に は 一〇
O ま で生 き て も ら わ な け れ ば いけ な い、 自 分 の方 は 九 九 ま で 、 と 言 って いる わ け であ る 。 ﹁君 ﹂ と いう 言 葉 も 、
明 治 ご ろ は相 当 な 敬 意 を も って いた が、 今 で は 学 生 に 対 し て使 っても 不 快 そ う な 顔 を さ れ る こと があ る 。
尊 敬表 現 の敬 語
敬 語 の問 題 の第 三 。 こ こ か ら は ヨー ロ ッパ には な い、 ア ジ ア的 な 敬 語 に な る が、 相 手 に 関係 す る も の には 敬意 を 含 め た 表 現を 用 い、 自 分 に関 係 す る 事 物 は 謙 遜 し た 言 い方 を す る と いう も の だ。
ま ず 名 詞 に つ い て言 う と 、 日本 語 では 、 相 手 に 関 す る 言 葉 に は ﹁お ﹂ を つけ る。 相 手 の名 前 は ﹁お名 前 ﹂ であ
り 、 相 手 の顔 は ﹁お 顔 ﹂ で あ る 。 あ る い は、 相 手 の 子 供 な ら ば ﹁お 子 さ ま ﹂ であ り 、 相 手 の年 齢 な ら ば ﹁お 年 ﹂ と言う 。
が、 名 詞 の敬 語 表 現 は 日本 語 で は あ ま り 発 展 し な か った 。 日本 語 以 上 に発 達 し た の は中 国 語 であ る。 日 本 で は
﹁お ﹂ か ﹁御 ﹂ さ え つけ れ ば い い こと に な って いて 、 相 手 の苗 字 を 日 本 人 は ﹁ご苗 字 ﹂ と 言 って い る が 、 中 国 で
は ﹁〓貴 姓 ﹂ と 言 って相 手 の苗 字 を 聞 く 。 あ る い は、 名 前 を 聞 く 場 合 に は ﹁〓尊名﹂、年 を 聞 く 場 合 に は ﹁〓高
齢 ﹂、 も し 相 手 が 女 性 な ら ば ﹁〓芳 齢 ﹂ と 言 う 。 ﹁貴 い﹂ と か ﹁高 い﹂ と か いう 修 飾 語 を 上 に つけ る の であ る 。
日本 語 も 中 国 語 の影 響 を 受 け た か ら、 そ の よう な 敬 語 表 現 が 早 く か ら 伝 わ った 。 ﹁令 兄 ﹂、 ﹁令 弟 ﹂、 ﹁賢 兄 ﹂ ( お
兄 さ ん のこ と )、 ﹁厳 父 ﹂ (相 手 の 父 親 )、 ﹁慈 母 ﹂ (相 手 の 母 親 ) な ど と いう の は そ れ で、 相 手 か ら き た 手 紙 に 対 し
て は ﹁玉 簡 ﹂ と か ﹁朶 雲 ﹂ な ど と 敬 意 の表 現 を す る が 、 いか にも 中 国 ら し い表 現 で あ る 。
ジ ャ ワ語 で は 、 自 分 の息 子 ・娘 は anaと k言 う の に 対 し て 、 尊 敬 す べき 人 の子 女 に対 し て はputrとaいう 。( 石
井和子 ﹃ジ ャワ語 の基礎﹄) ﹁名 前 ﹂ も 、 自 分 の名 前 な ら ばjeneで nあ g る が、 尊 敬 す べき 人 の 名 前 な ら ばasma と言 う よ う に全 然 ち が った 形 の単 語 を 使 う 。 これ も 日本 語 よ り発 達 し て いる 。
謙譲 表 現 の敬 語
中 国 で は 、 日本 と 違 って謙 遜 の意 味 の表 現も 発 達 し て いる 。 た と え ば ﹁私 の国 ﹂ と いう 場 合 に は ﹁敝国 ﹂、 つ
ま り 、 や ぶ れ た 国 と いう。 ﹁私 の国 は 日本 です ﹂ と いう 場 合 に は 、 ﹁ビ イ グ オ ・シ イ ・リ ィ ベ ン﹂ と 言 う わ け だ 。
自 分 の 苗 字 の と き に は ﹁賤 姓 ﹂ を 使 う 。 こう いう の は、 日 本 語 に も 入 って き て、 ﹁愚 妻 ﹂、 ﹁豚 児 ﹂、 ﹁ 拙 稿﹂ ( 自
分 の書 いた 原 稿 )、 ﹁卑 見 ﹂ ( 自 分 の意 見 ) な ど と 言 う 。 こ れ は す べ て 中 国 の影 響 で、 日 本 に は こ のよ う な も の は
あ ま り 発達 せ ず 、 中 国 か ら 来 た も のも 文 章 に し か 使 わ な か った 。 日本 語 に ﹁お や じ ﹂ と か ﹁せ が れ ﹂ と いう 言 葉
も あ る が 、 別 に こ れ に は ﹁私 の﹂ と いう 意 味 は な い。 ﹁あ そ こ に い るよ そ のお や じ は ﹂ と 言 え る か ら 、 ﹁私 の父 ﹂ と いう 意 味 で はな い。
中 国 に お け る こ のよ う な 謙 譲 表 現 の発 達 に つ い て は、 スウ ェー デ ン の人 で 中 国 語 を 勉 強 し た カ ー ル グ レ ン の本
に おも し ろ い例 が 挙 が って いる 。 あ る 人 が 一張 羅 のよ そ 行 き を 着 て 知 人 を 訪 問 し た 。 応 接 間 に 通 さ れ て 主 人 を 待
って いた と こ ろ が 、 そ の家 の天 井 に 鼠 が いた 。 そ れ が梁 の上 を チ ョ ロチ ョ ロと 渡 った は ず み に 、 梁 の 上 に 油 の い
っぱ い入 った壼 が 置 いてあ った のを ひ っく り 返 し て しま った 。 そ のた め に 、 油 が ち ょう ど 下 に いた お客 さ ん の 一
張 羅 の服 に ひ っか か り、 大 事 な 着 物 は 台 な し に な って し ま った。 そ こ へ主 人 が 入 って き た 。 そ の時 、 そ の客 は こ
う あ いさ つし た と いう ので あ る 。 ﹁私 は や ぶ れ た 着 物 を 着 て あ な た の尊 い家 に 来 た と こ ろ が、 尊 い家 の尊 い梁 に
住 ん で い る尊 いネ ズ ミを 驚 か せ申 し ( ネ ズ ミ に も 敬 意 を 表 わ す と 見 え る )、 尊 い油 の入 った 尊 い壼 を ひ っく り 返
現 代 の 中 国 で は こ う い う 表 現 は し な く な った よ う で あ る が 、 革 命 前 の 中 国 に は 、 こ う い った 言 い 方 が
さ れ ま し た た め に 、 私 は こ の よ う に み っ と も な い 姿 で 、 尊 い あ な た の 前 に い る こ と を 私 は 恥 じ ま す 。﹂(﹃ 支那言語 学 概論 ﹄) あ った と 見 え る 。
命 令 文の表 現 と敬 語
次 に 動 詞 の 敬 語 に つ い て 述 べ る と 、 最 も 一般 的 な も の に 、 命 令 文 の 表 現 が あ る 。 つま り 、 相 手 に 何 か 頼 む 、 命
令す る場合 に、たとえ ば、 ﹁ 教 え ろ ﹂ と い う 段 階 で は 全 然 敬 意 を 持 っ て い な い が 、 ﹁教 え て く れ ﹂ ﹁教 え て く れ な
wouder
tell と 言 mう e⋮ と〟、 ち ょ
﹁お 教 え い た だ け た ら あ り が た い の で す が ﹂ と い う よ う に 言 い か え る
いか ﹂ ﹁ 教 え て 下 さ い ﹂ と 言 う と 、 だ ん だ ん 敬 意 を 表 わ し て く る 。 ﹁教 え て 下 さ い ま せ ん か ﹂ ﹁教 え て 下 さ い ま せ ﹂ ﹁教 え て い た だ け な い で し ょ う か ﹂、 さ ら に
と 、 いく ら で も 敬 意 を 含 め た 、 上 の段 階 の表 現 を 用 いる こ と が でき る 。
meに ⋮対 〟 し てpleas をeつ け て"Please
please⋮〟あるいは、 "Woul もdn っ' とt丁 重 yo なu言 ⋮〟 い 方 は 、 "I
こ れ も 実 は 英 語 に も あ る 。 た と え ば 、"Tell you
te ⋮l 〟l と な mる e の だ そ う で あ る か ら 、命 令 文 に は ヨ ー ロ ッ パ の 言 葉 に も あ る と い う こ と が で き る 。
っと 敬 意 を 表 わ す 。 "Will could
動 作 を す る 人 への 尊 敬 表 現
﹁な さ
し か し 日 本 語 の 動 詞 に 関 す る 尊 敬 表 現 は 、 名 詞 の 場 合 と ち が い、 中 国 語 以 上 に 複 雑 で あ る 。 そ れ は 相 手 の 動 作 、
﹁す る ﹂ と い う 動 詞 が あ る と 、 相 手 の 場 合 に は
﹁あ そ ば す ﹂ と か い う 。 ﹁行 く ﹂ ﹁来 る ﹂ ﹁居 る ﹂ と い う 動 詞 が あ る と 、 ﹁い ら っし ゃ る ﹂ ﹁お い で に な る ﹂
あ る いは、 相 手 に 対 す る動 詞 の敬 語 に 見 ら れ る。 た と え ば る﹂と か
﹁お 召 し に な る ﹂。 ﹁く れ る ﹂
﹁仰 せ に な る ﹂ と い う よ う な 言 葉 も あ る 。 ﹁見
﹁ご 覧 に な る ﹂。 ﹁着 る ﹂ ﹁食 べ る ﹂ ﹁呼 ぶ ﹂ ﹁求 め る ﹂、 こ れ ら は 一緒 に な っ て
と いう 表 現 を と る 。 ﹁言 う ﹂ に 対 し て は ﹁お っし ゃ る ﹂、 あ る い は る﹂ は
if
you
と いう の は ﹁下 さ る﹂ と な って、 みん な こ のよ う に 不 規 則 で、 大 変 難 し い。
な か に は 規 則 的 な も の も あ って 、 ﹁動 く ﹂ に 対 し て ﹁動 か れ る ﹂ ﹁お 動 き に な る ﹂、 ﹁歌 う ﹂ に 対 し て ﹁歌 わ れ
る﹂ ﹁お 歌 いにな る ﹂、 つま り ﹁れ る ﹂ を つけ た り 、 あ る いは ﹁お ⋮ ⋮ に な る﹂ と いう も のも あ る が 、 日常 頻 繁 に 使 う 言 葉 は 一般 に 不 規 則 であ る 。
こ の動 詞 の変 化 は 朝 鮮 語 に も あ って、 日 本 語 と 同 じ よ う な 文 法 的 な 変 化 が あ り、sada ( 買 う ) はsasipn とida
言 い、 Palda( 売 る) は Pasipn とi言dっ aて 、 ﹁お 買 い にな る ﹂ ﹁お 売 り に な る ﹂ の意 を 表 わ す 。 中 国 語 で は 動 詞 が
語 形 変 化 し な い ので 、 日本 語 よ り 単 純 であ る 。 た だ 、 相 手 の 御 出 で と いう 場 合 に は ﹁光 臨 ﹂ と か ﹁枉駕 ﹂ と か いう 単 語 が あ る。 こ れ ら は 日 本 に 入 って来 て、 文 章 語 に 使 わ れ て 来 た 。
動 作を 受 ける 人へ の敬 語
以 上 に 挙 げ た尊 敬 表 現 は 、 動 作 を す る人 に 対 す る 敬 意 の表 現 であ った が 、 動 作 を 受 け る 人 に対 す る 尊 敬 表 現 、
た と え ば ﹁言 う ﹂ は ﹁申 し 上 げ る ﹂、 こ れ は 言 わ れ る 人 に 対 す る 敬 意 で、 言 う 人 に 対 す る 敬 意 は ﹁お っし ゃる ﹂
であ る 。 ﹁見 る ﹂ は ﹁拝 見 す る ﹂。 ﹁ご 覧 にな る ﹂ と 言 う と 、 見 る 人 に 対 す る 敬 意 と な る 。 ﹁聞 く ﹂ は ﹁伺 う ﹂、 ﹁や
る﹂ は ﹁あ げ る ﹂ と か ﹁差 し あ げ る ﹂ と いう 言 い方 があ る 。 ﹁も ら う ﹂ は ﹁いた だ く ﹂、 ﹁見 せ る ﹂ は ﹁お 目 に か
け る ﹂ と 、 複 雑 であ る 。 な か に は ﹁伝 え る ﹂ ︱ ﹁お 伝 え す る ﹂、 ﹁教 え る ﹂ ︱ ﹁お 教 え す る ﹂ と い った よ う な 規 則 的 な も のも あ る が、 不 規 則 な も の が多 く 、 日本 語 の敬 語 は 使 い にく い。
こ の対 格 ま た は与 格 に 対 す る 尊 敬 表 現 で注 意 す べき は、 これ は普 通 の文 法 書 で は 謙 譲 表 現 と 説 明 し て いる こ と
で あ る。 し か し 主 格 に つ いて の謙 譲 表 現 な ら ば、 主 格 の動 作 に 関す る か ぎ り ど ん な 種 類 の動 詞 に つ いて も い いは
ず だ が、 実 際 は そう では な い。 ﹁立 つ﹂ ﹁す わ る ﹂ ﹁寝 る ﹂ ﹁起 き る ﹂ ﹁歩 く ﹂ ﹁駆 け る ﹂ な ど の動 詞 は 、 いく ら 自 分
の動 作 で も ﹁お 立 ち す る ﹂ ﹁お す わ り す る ﹂ ﹁お や す みす る ﹂ ﹁お 起 き す る ﹂ と いう 言 い方 を し な い。 ﹁見 る ﹂ ﹁聞
く ﹂ ﹁会 う ﹂ ﹁慕 う ﹂ のよ う な 対 象 を も つよ う な 動 詞 で、 そ の対 象 にな る も の が 自 分 よ り 上 位 のも の であ る時 に 限 る 。 そ の意 味 で、 対 格 ま た は 与 格 に対 す る 尊 敬 表 現 と 見 た 方 が い い。
﹁参 る﹂ ﹁致す ﹂ (1 ) 週 末 に は 伊 東 へ参 りま し た (2 ) き のう は す っか り 寝 坊 致 し ま し た
次 の問 題 は 、 右 の よ う な ﹁参 る ﹂ ﹁致 す ﹂ であ る 。 偉 い人 か 、 あ る い は 相 手 が 伊 東 に いた のな ら と も か く 、 そ
う で は な く て も (1 の︶ 表 現 が でき る 。 と す る と 、 他 の人 に 関 係 な い こと で 自 分 のし た こ と を ﹁行 く ﹂ を 使 わ ず に
﹁参 る ﹂ と 言 った と 見 な け れ ば な ら ない 。 (2の︶方 はな お さ ら で 、 誰 に も 関 係 のな い動 作 で あ る 。 そ こ で これ は 謙 譲 の表 現 か と 言 いた く な る。
し かし 、 これ に つ い て は、 階 層 と 言 葉 のと こ ろ ( 上巻、本書 三二ページ) で 述 べた 。 ﹁参 る ﹂ や ﹁致 す ﹂ は 武 士 階
級 が 盛 ん に 使 った 単 語 で、 松 下大 三 郎 に 従 って ﹁参 る ﹂ は ﹁行 く ﹂ ﹁来 る ﹂ を 、 ﹁致 す ﹂ は ﹁す る ﹂ を 荘 重 に 言 っ
た ︿荘 重 語 ﹀ だ と 断 じ た 。 日本 人 は 昔 か ら 尊 敬 す べき 人 の前 に 出 る と、 シ ャ ッチ ョ コバ って か た く な って いる の
が 礼 儀 正 し いや り方 だ と 考 え て いた 。 な れ な れ しく 冗 談 口な ど き く のは 、 芸 者 か 太 鼓 持 ち のす る こ と だ と 思 って
いた 。 そ こ で ﹁行 く ﹂ の代 わ り に ﹁参 る ﹂ を 、 ﹁す る ﹂ の代 わ り に ﹁致 す ﹂ を 使 った の であ る。
﹁参 る ﹂ や ﹁致 す ﹂ は 、 や は り 上 の人 の動 作 に は使 わ な いか ら 、 謙 譲 を 表 わ す のだ と 考 え る 人 も あ る が、 三 上 章
が そ れ を う ま く 説 明 し た 。 ﹁行 く ﹂ や ﹁す る﹂ は 敬 意 を 含 ん で いな い。 だ か ら 尊 敬 す べき 人 に つ い て、 先 生 は 伊 東 へ行 き ま し た 社 長 は寝 坊 し ま し た と は 言 わ な い。 ﹁参 る ﹂ ﹁致 す ﹂ に は 敬 意 が 宿 って いな い の だ か ら 、
社 長は寝坊 致しまし た
先 生 は 伊 東 へ参 り ま し た
と は 言 わ な い。 つま り 文 を 荘 重 に し た と こ ろ で 、 そ の主 格 に対 す る 敬 意 は生 じ な いか ら 、 先 生 や 社 長 に ﹁参 る ﹂ や ﹁致 す ﹂ は つか な いと 言 う の であ って、 こ の説 明 が 正 鵠 を 射 て いる と 思 う 。
ち ょ っと 脱 線 し か け た が 、 要 す る に 、 ﹁お 教 え す る ﹂ のよ う な の は 対 格 尊 敬 表 現 で 、 日本 語 に は 主 格 尊 敬 表 現
と 対 格 ・与 格 尊 敬 表 現 と が あ る こ と に な る。 こ れ は 、 ち ょう ど ハンガ リ ー 語 に 、 動 詞 の人 称 変 化 には 、 主 格 によ る 変 化 と 対 格 に よ る 変 化 と 両 方 あ る よ う な も のだ 。
ジ ャ ワ語 ・朝 鮮語 の場合
東 南 ア ジ ア の諸 言 語 も こん な 風 で 、 主 格 尊 敬 表 現 と 対 格 ・与 格尊 敬 表 現 と が あ る。 た と え ば ジ ャワ 語 は 、 動 詞
が 語 形 変 化 せ ず 、 ち が う 語 彙 で表 わ す こ と が 多 い。 例 を あ げ れ ば 、 ﹁言 う ﹂ に 対 し て は 、 単 に ﹁言う ﹂ と いう 意
ngendま iた ka はdhawuh( お つし やる ) matu( r 申し上げ る)
味 の catu とrいう 語 の ほ か に 、
と いう 形 があ る 類 いで あ る 。( 石井和子 ﹃ジ ャワ語 の基礎﹄)
菅 野 裕 臣 の ﹃朝 鮮 語 の入 門 ﹄ に よ る と 、 尊 敬 形 は す べ て の動 詞 に あ る が 、 謙 譲 形 は 、 大 部 分 の動 詞 に は な いと いう 。 こ れ は 日本 と 同 じ く 対格 尊 敬 の せ い であ ろう 。
便利 と 不便
と こ ろ で尊 敬 表 現 に つ いて は 、 こ のよ う な 意 見 が あ る 。 日本 語 の敬 譲 表 現 に は こ のよ う に や か ま し いき ま り が
あ る の で 、 ﹁日本 語 は 、 主 格 や 対 格 を いち いち 言 わ な いで も 、 そ れ が わ か る と いう 便 が あ る ﹂ と いう の で あ る 。
ても 自 分 は 行 き た い、 よ ろ し く 申 し 上 げ てく れ 、 と (彼 ハ) (私ニ ) 言 う の で、 (私 ハ) 困 って し ま いま す 。
(ア ナ タ ガ ) (私ニ ) お っし ゃ った よ う に ﹁行 く な ﹂ と (私 ハ) ( 彼ニ ) 申 し て み た ん で す け れ ど も 、 ど う し
し か し 一方 、 尊 敬す べき 人 の場 合 に は こ う いう 言 い方 、 尊 敬 し て はな ら な い人 の場 合 に は こう いう 言 い方 と き
oの r場I 合 に困るよう なも のである。
ま って いる の で、 動 作 を す る人 が 二人 い っし ょ の場 合 は 困 る 。 ち ょう ど そ れ は動 詞 が人 称 に よ る 変 化 を す る 言 語 で 、 主 語 がyou
た と え ば、 社 長 と一 緒 にど こ か へ出 か け る こ と に な って、 車 を 待 って いる 。 そ う し て車 が 来 た 。 そ のと き に ど
う 言 う か 。 一般 に は、 ﹁車 が 参 り ま し た 、 そ れ で は 参 り ま し ょう ﹂ で 通 って いる と 思 う 。 し か し 、 こ れ で は 本 当
は いけ な い。 ど う し て か と いう と 、 社 長も 出 か け る わ け だ か ら 、 ﹁参 り ま し ょう ﹂ と いう 非 尊 敬 の 言 い方 で は 社
長 に 対 し て失 礼 に な る 。 そ れ で は ど う 言 う べき か 。 ﹁車 が 参 り ま し た 。 お 乗 り 下 さ い (こ れ は 社 長 に 対 す る 敬
意 )、 私 も お 供 さ せ て いた だ き ま す ﹂ と 言 わ な け れ ば 正 し い使 い方 に な ら な いわ け であ る 。
話題 の人 と話 し相 手 の関係
最 後 に、 敬 譲 表 現 に つ い て注 意 す べき こ と は 、 日本 語 の敬 譲 表 現 の一 番 難 し い点 は も っと ほ か にあ る こと で あ
る 。 これ は誰 に つ いて 話 し て いる か と いう こと の ほ か に 、 日本 人 は 、 誰 に 向 か って 話 し て いる か 、 両 方 を 考 え に
入 れ な け れ ば いけ な いこ と であ る 。 た と え ば 自 分 の 父 親 、 こ れ は 尊 敬 す べき 人 で あ る から 、 自 分 の父 親 に直 接 向
か って 言 う 場 合 に は 、 ﹁お 父 さ ん 、 行 か れ ま す か ﹂ と 尊 敬 表 現 を 使 う こ と が で き る し 、 相 手 が 母 親 な ら ば 母 親 に
と って も 父 親 は いち お う 上 位 の人 で あ る か ら ﹁お 父 さ ん は 行 か れ る よ う です よ ﹂ と 言 って い いは ず であ る 。
と こ ろ が、 話 の相 手 が 自 分 の学 校 の先 生 のよ う な 場 合 には 、 こ う は 言 え な い。 先 生 に対 し て は 、 自 分 の父 親 を
尊 敬 さ せ る こ と は でき な い。 し た が って、 そ のよ う な 場 合 に ﹁お 父 さ ん も 行 か れ ま す ﹂ な ど と 言 って は 、 ま ず 落 第 であ る 。 ﹁父 も 行 く と 申 し て お り ま す ﹂ と いう のが 正 し い言 い方 であ る 。
こ の 精 神 は 社 会 へ出 ても 変 わ ら な い。 自 分 の会 社 の社 長 の動 静 に つ い て、 同 じ 社 の人 に 話 す な ら ば 尊 敬 表 現 を
使 う べき だ が、 ほ か の会 社 の人 に言 う 場 合 に は 、 社 長 も 自 分 の身 内 に な る の で 、 も し 社 長 が鈴 木 と いう 苗 字 な ら
ば ﹁鈴 木 が 申 し て お り ま し た ﹂ と な る 。 が、 こ れ も い つで も 自 分 の社 の社 長 に 対 し て は 敬 語 を 使 わ な いの が い い
か と 言 う と 、 そ う でも な い。 電 話 の 相 手 が 社 長 の夫 人 であ った り す る と 、 ﹁鈴 木 が ﹂ と は 言 え な い。 や は り そ の
と き は ﹁社 長 は ﹂ か 、 あ る いは ﹁社 長 さ ま は ﹂ と 言 う こ と にな る。 つま り、 受 話 器 を と った 途 端 に 、 こ の 相 手 は
外 の人 であ る か 、 あ る いは 社 長 の身 内 の人 で あ る か 判 断 し な け れ ば な ら な いと いう こ と にな る 。 これ が 日 本 語 の 敬 譲 表 現 の 一番 難 し い点 で あ る 。
朝 鮮 語 は、 日 本 語 に似 た 点 が 多く 、 敬 譲 表 現 も 日本 語 同 様 複 雑 であ る が 、 こ の点 だ け は は っき り 違 う 。 自 分 の
父 親 の こと は 、 誰 に対 し て も ﹁お 父 さ ま は いら っし ゃ いま す ﹂ と 尊 敬 表 現 で し ゃ べら な け れ ば いけ な いし 、 も し
尊 敬 表 現 を し な け れ ば 教 養 のな い人 間 と 思 わ れ る そ う で あ る 。 韓 国 人 と 話 す 場 合 は気 を つけな け れ ば いけ な いが、 そ う き ま って いる な ら ば 、 日本 語 よ り大 分 や さ し いで あ ろ う 。
相対 敬語 は中 国 から
こ の 話 の相 手 に よ って敬 譲 表 現 を 変 え る と いう の は 、 いわ ば ︿相 対 敬 語 ﹀ と 言 う べき も の であ る が 、 日 本 固 有 のも の だ ろ う か 。 ど う も そ う で は な いよ う だ 。
こ の相 対 敬 語 は、 江 戸 時 代 に 中 国 か ら 伝 わ って来 た も の ら し い。 中 国 語 で は父 親 に対 し て 、 面 と 向 か え ば ﹁〓
〓 ﹂ と いう 。 これ は親 し みを 表 わ し て いて 、 日本 語 の ﹁父さ ん ﹂ にあ た る 。 で、 子 供 は自 分 の父 を ほ か の人 に も
﹁我〓〓 ﹂ と いう 。 ﹁〓〓 〓 ﹂ と も 言 う 。 が 、 お とな は そ う は 言 わ な い。 自 分 の 父 の こ とを 他 人 に言 う 時 は ﹁我 父
親 ﹂ と いう 。 これ に は 敬 意 も 親 し みも 含 ま れ て いな い。 ﹁〓父 親 ﹂ も 使 う 。 し か し 相 手 が 目 上 の時 は そ う は 言 わ
ず 、 自 分 の父 親 に は ﹁家 父 ﹂ ま た は ﹁家 厳 ﹂ を 使 う 。 こ れ に は 謙 譲 の意 が含 ま れ て いる。 そ う し て 相 手 の 父親 の
ことは敬意 を含んだ ﹁ 令 尊﹂ま た は ﹁ 令 尊 大 人 ﹂ を 使 う 。 母 親 に 対 し て も 全 く 平 行 的 で 、 ﹁〓〓﹂ の代 わ り に は
﹁媽媽﹂、 ﹁家 父 ﹂ ﹁ 家 厳 ﹂ の代 わ り に は ﹁家 母 ﹂ ﹁家 慈 ﹂ と い い、 ﹁令 尊 ﹂ の代 わ り に は や は り 敬 意 を 含 ん だ ﹁ 令 堂 ﹂ を 用 いる 。 こ の言 い方 を 日本 人 が学 ん だ も のと 想像 す る。
皇室 敬語
日 本 語 の敬 譲 表 現 は 以 上 のよ う に 難 し いも の であ る が 、 戦 前 は も っと 使 い にく いも のだ った こと を 注 意 し て お き た い。
何 よ り め ん ど う な の が 皇 室 敬 語 で、 こ れ を 新 聞 記 者 が 使 いそ こな って ク ビ にな った こと も あ った 。 戦 前 、 天皇
が お 出 か け に な る こ と は ﹁行 幸 ﹂ と い い、 皇 后 ・皇 太 子 の場 合 は ﹁行 啓 ﹂ と 言 った 。 今 で は ど っち の場 合 も ﹁お
出 か け﹂ で い いと な った のは は な は だ 有 難 い こ と であ る 。 こ れ は 今 でも 使 う よ う だ が 、 天 皇 の作 ら れ た 和 歌 は
﹁御 製 ﹂ であ り、 皇 后 の場 合 は ﹁御 歌 ﹂ と き ま って いた 。 昭 和 二 十 年 八 月 十 五 日 の ラ ジ オ を 通 し て の天 皇 のお 声 を ﹁玉 音 放 送 ﹂ と 言 った が 、 あ れ も 皇 室 敬 語 の 一つだ った 。
そ れ に準 ず る 敬 語 、 つま り 一般 の大 衆 に 対 す るよ り も 高 い程 度 の敬 語 は 、 皇 室 の人 た ち 一般 に対 し て も 使 わ れ
た 。 戦 争 に さ し か か る ころ ﹁満 州 国 皇 帝 ﹂ と いう の が 来 日し 、 何 月 何 日 、 軍 艦 で 横 浜 へ着 く こと にな った 。 秩 父
宮 が 天 皇 の 御 名 代 で お 出 迎 え に 出 ら れ 、 そ の こ と を N HK か ら ラ ジ オ で 放 送 す る こ と に な った が 、 そ の 時 宮 内
省 か ら N HK に注 文 があ り 、 い わ く ﹁天 皇 に 対 し て は 最 上 級 の敬 語 を 使 う こ と、 秩 父 宮 に対 し て は 天 皇 よ り も
低 く 、 し か し 一般 国 民 に 対 す る よ り は高 い敬 語 を 使 う こと 、 満 州 国 の皇 帝 に対 し て は 、 天皇 と 秩 父 宮 と の中 間 の
敬 語 を 使 う こ と ﹂ と いう こと だ った そ う だ が 、 放 送 担 当 の ア ナ ウ ン サ ー は ま こと に 大 儀 御 苦 労 だ った と 言 わ な け れ ば い けな い。
十 二 日 本 人 愛 用 の 語 法
指 示代名 詞 の愛 好
日本 人 は 人 称 代 名 詞 を 嫌 い、 使 お う と し な い傾 向 が あ る こ と を 前 に 述 べた 。 そ れ に対 し て 、 日本 人 が 文 法 的 に
見 て好 ん で 使 う 語句 に 指 示 代 名 詞 があ る 。 そ れ も 、 遠 称 代 名 詞 を 好 ん で使 う よ う だ 。
W ・A ・グ ロー タ ー ス に よ る と 、 日本 人 と 話を し て いてま ご つく 語 句 の 一つに 、 ア レ ・ア ソ コ ・ア ノ の 類 い が
あ り、 いき な り会 った 途 端 に 、 ﹁ア レ から ど う し ま し た ? ﹂ な ど と 聞 か れ る と 、 一体 こ の ア レ は何 を さ す のか と
考 え て大 変 だ と いう こと であ る 。 こ のア (レ ) は 、 ま だ 話 に 出 て 来 な い、 し か し 、 話 し 手 も 知 って お り 、 相 手 も
知 って いる にち が いな いも のを さ す 。 つま り ﹁ア レ﹂ の 時 に は 何 を 話 し 手 が さ し て いる の か聞 き 手 と し て は 推 測
し て や ら な け れ ば いけ な い の であ る が 、 日本 人 は 、 お 互 いに 勘 を 働 か せ て 相 手 が ア レと さ す も のを 簡 単 に わ か る のを い いと す る。
日本 人 が こ のア レや ア ソ コ ・ア ノ ・ア ンナ を 多 く 愛 用 す る 例 と し ては 二 葉 亭 四 迷 の ﹃平 凡 ﹄ の中 に、 ﹁私 ﹂ が
上 京 し て伯 父 の家 に書 生 と し て住 み 込 む く だ り が あ る が 、 こ こ で 、 伯 母 と そ の娘 の雪 江 と の会 話 を 次 のよ う に 写 し て いる の があ る 。 雪 江 さ んも 一寸 お 辞 儀 し た が 、 す ぐ あ ち ら を 向 いて し ま って 、 ﹁私 いや よ 。 か あ さ ん があ んな こと 言 って 行 かな か った も ん だ か ら ⋮ ⋮ ﹂
﹁だ って 仕 方 がな か った ん だ わ ね 。 私 だ ってあ ん な き ゅう く つな と こ へ行 く よ か 芝 居へ 行 った 方 が いく ら 好
って言 って るあ れ ね え ?﹂
い かし れ な いけ ど 、 石 橋 さ ん の奥 様 に無 理 に誘 わ れ て こ と わ り 切 れ な か った ん だ も の。 好 いわ ね 。 そ の代 わ り 父 様 に 願 って、 お前 が こ の間 中 か ら 欲 し い〓
と 娘 の顔 を 見 て 、 薄 笑 いし な が ら 、
﹁こ う ﹂ は 、 何 を さ
﹁あ れ ﹂ の 濫 用 に は 、 外 国 人 な ら ず と も 困 惑 さ せ ら れ る こ と が
﹁あ れ を 買 って 頂 い て あ げ る か ら ⋮ ⋮ 仕 方 が な い か ら ﹂
﹁私 ﹂ は ぽ か ん と 聞 い て い た よ う だ が 、 こ う い う あ る よ う であ る 。
久 保 田 万 太 郎 が 書 く 作 品 の 会 話 に は 、 一般 に 指 示 語 の 類 い が 多 く 出 て く る が 、 次 の よ う な
﹃源 氏 物 語 ﹄ な ど で も 、 こ う いう 指 示 語 が さ か ん に 用 い ら れ て お り 、 前 後 の 話 の 筋 を 知 ら な
う わ べ は そ う で も 、 底 に 、 そ う お っ し ゃ れ ば 、 何 か 、 こ う 、 殻 に は い っ た も の が 隠 れ て い ま す 。(﹃ 寂し けれ
す の か 難 し い。 ば﹄) と ころ で、 古 く は
そ の折 の
( 匂 宮自身 ガ)思 ひわたるさま
( 匂宮 ガ)
恥 し く 、 か の上 の 思 さ む こと な ど 思 ふ に 、 ま た 猛 き
( 浮 舟 ガ ) つら か り し こ と 、 年 頃
(=人 チ ガ イ ダ ト ) 知 り た ら ば 、 い さ さ か い ふ か ひ も あ る べ き を 、 ( 浮 舟自 身)夢 の
いも の に と って は 全 く の 謎 で あ る 。 浮 舟 の 心 境 を 写 し た く だ り に 、 はじめ よりあら ぬ人と 心 地 す る に 、 や う〓
(=ホ カ ニ ヨ イ 方 法 ) な け れ ば 、 限 り な う 泣 く ⋮ ⋮
宣 ふに、 ( 浮 舟 ハ) こ の宮 と 知 り ぬ 。 (浮 舟 ハ) い よ〓 こと
と あ る が 、 こ こ で ﹁そ の 折 ﹂ は 、 こ の 物 語 の 前 の 巻 に ち ょ っと 出 た 、 二 条 院 で の 匂 宮 ・浮 舟 の 一夜 の シ ー ン を さ
す 。 ﹁こ の 宮 ﹂ が 相 手 の 匂 宮 を さ す の は ま だ よ い と し て 、 ﹁か の 上 ﹂ は 、 こ の と こ ろ し ば ら く 名 の 出 て 来 な か った 中 君 と いう 女 性 を さ す と い う の だ か ら 難 し い 。
﹁あ れ ﹂ ﹁あ っち ﹂ の 類 い は 、 セ ッ ク ス に 関 係 し た い ろ い ろ を さ す こ と が あ り 、 察 し そ こ な っ て も ま ず く 、 早 合
点 し て も 笑 わ れ 、 難 し い こ と で あ る 。 佐 藤 愛 子 の ﹃坊 主 の 花 か ん ざ し ﹄ に お も し ろ い例 が あ る 。
自 動 詞 の愛 好
次 に 、 ひ と 口 に言 って 、 日本 人 は 自 動 詞 が 好 き で、 他 動 詞 が 嫌 いだ 。 日 本 の辞 書 を 引 いて み る と 、 自 動 詞 と 注
記 さ れ て いる単 語 が たく さ ん 出 て く る 。 英 語 の辞 書 な ど で、νt と.いう のがνi と.同 じ ぐ ら い出 てく る のと は大 分 ち
be
pl とeか a、 st eo d be
suの rよ pr うi にs他e動 d詞 の受 身 の 形 で 言 う 。
がう 。 た と え ば 、 心 の動 き を 表 わ す ﹁喜 ぶ ﹂ と か ﹁驚 く ﹂ と か いう 言 葉 が 自 動 詞 であ る こ と な ど 、 いか に も 日 本 語 的 であ る。 英 語 で は t o
ド イ ツ語 や フ ラ ン ス語 でも 、 こ のよ う な 場 合 、 自 動 詞 を 使 わ ず 、 再 帰 動 詞 と いう 一種 の他 動 詞 を 使 う 。 が 、 日
本 語 に は こ う い った も のは な い。 ﹁私 自 身 を 誇 る ﹂ と いう よ う な 言 い方 は 、 も と も と 日本 的 では な い。 ﹁私 を 驚 か す ﹂ と 言 って ﹁驚 く ﹂ と いう 意 味 にな る と いう 仕 組 み はな じ み にく い。
こう い った こ と は 、 気 持 を 表 わ す 動 詞 に限 ら な い。 外 界 の こと を 描 写 す る動 詞 でも や は り他 動 詞 を 使 わ ず 、 自
動 詞 を 使 う 傾 向 が あ る 。 た と え ば 、 ﹁煮 え る ﹂ ﹁崩 れ る﹂ と い った 言 葉 は 日本 語 的 であ る 。 こう いう も のは 、 も し
英 語 な ら ば 、 す べ て 、 ﹁煮 ら れ る ﹂ と か ﹁崩 さ れ る ﹂ と いう 他 動 詞 の受 身 の言 い方 を す る 。 ﹁煮 え る ﹂ は ﹁煮 た 状
態 にな る ﹂ と いう 意 味 で ︿中 相 態 動 詞 ﹀ と 呼 ば れ る が、 こ のよ う な 意 味 を も った 自 動 詞 は ヨー ロ ッパ 語 に はな い よう だ。
日本 には ﹁煮 ら れ る ﹂ と いう い い方 も も ち ろ ん あ る。 し か し 、 日本 語 で は ﹁煮 え る ﹂ と ﹁煮 ら れ る ﹂ は 違 う 。
﹁煮 え る ﹂ は 、 豆 が ﹁煮 え る﹂ と いう ふう に使 う 。一 方 、 ﹁煮 ら れ る ﹂ と いう の は 、 人 間 の よ う な 生 物 の場 合 で 、
石 川 五 右 衛 門 と いう 大 泥棒 は 最 後 に 三 条 河原 で釜茹 で にな った と 言 わ れ て い る が 、 そ の よ う な 場 合 に は ﹁石 川 五
右 衛 門 が煮 ら れ る ﹂ と いう 。 豆 が ﹁煮 ら れ る ﹂ と い った ら 、 昔 の人 だ った ら 豆 が 熱 が って 困 って いる よ う に感 じ
て お か し いと 思 った に ち が いな い。 と い って 、 ﹁石 川 五 右 衛 門 が 煮 え た ﹂ と 言 った ら 、 や っぱ り お か し い。 日 本 人 は こう いう 点 で は や か ま し い区 別 を し て 来 た と いう こ と が でき る。
﹁私 には妻 が ある﹂
天皇陛 下にお かせられ ては、お召し になりまし た
池 上 嘉 彦 は ﹃﹁す る ﹂ と ﹁な る ﹂ の 言 語 学 ﹄ の中 で、
と いう 例 を あ げ て、 ﹁食 べ る ﹂ と いう よ う な 他 動 詞 が ﹁( お 召 し に ) な る﹂ と いう 状態 の変 化 を 表 わ す 動 詞 に言 い
換 え ら れ て いる 例 を 、 日本 的 な 表 現 の例 に あ げ て いる が 、 こ こ に も 自 動 詞 愛 用 の傾 向 の現 わ れ があ る。
日本 人 は、 ﹁私 は 妻 を 持 って いる ﹂ と いう よ う な 場 合 に も 、 元 来 は ﹁私 に は 妻 が あ る ﹂ と いう ほう が 自 然 だ っ
た 。 な に か 、 ﹁私 ﹂ と いう も のが ひと つ の場 所 のよ う であ る 。 結 局 、 こ れ も 自 動 詞 表 現を 好 ん だ 例 であ る。
い つか 、 ア メ リ カ の映 画 を 見 て いた と き 、 男 が自 分 の恋 人 であ る 女 に自 分 の父 親 を 紹 介 し た と こ ろ が あ った 。
love
your
father.
そ のあ と で、 相 手 の女 が そ の男 に向 か って いう セリ フが 、 I
お 父 さ ま って い いか た ね
と 言 って いた。 と ころ が、 日本 の字 幕 に は そ う な って お ら ず 、
と いう 表 現 であ った 。 いか にも 、 こ の ほう が 、 日本 語 ら し い表 現 だ と 思 った こと だ った 。
補 助動 詞
国 立 国 語 研 究 所 で終 戦 後 お こな った 語彙 調 査 の 結 果 を 今 見 る こ と が で き る 。 そ れ に よ る と 、 自 立 語 で は ﹁す
る ﹂ ﹁い る﹂ ﹁あ る ﹂ のよ う な 動 詞 が 使 用 頻 度 の 一位 から 三 位 を 占 め て い る。 こ れ は、 こ れ ら の動 詞 は し っか り し
た 動 詞 と し ても 使 わ れ る が 、 そ れ よ り も き わ め て 抽 象 的 な意 味 を も ち 、 そ れ が 微 妙 な 意 味 を 表 現 し 分 け る のに 使
わ れ る か ら であ る 。 ﹁書 く ﹂ と いう 動 詞 に 関 し て 、 これ ら は 次 のよ う に 用 いら れ 、 細 か い ニ ュア ン スを 言 い分 け る。
書 い てあ る 、 書 き つ つあ る 、 書 く こと があ る 、 書 いた こと があ る ⋮ ⋮
書 いて い る、 書 か な いで いる
書 こ う と す る 、 書 き はす る 、 書 きも す る 、 書 き 書 き す る 、 書 く よ う にす る 、 書 く こ と にす る ⋮ ⋮ (﹁書 い て い な い﹂ と は 別 ) ⋮ ⋮
﹁こ と ﹂ ﹁も の ﹂ が 多 い こ と が 目 立 つ 。
﹁書
﹁こ と ﹂ ﹁も の ﹂ の 項 を 引 い て み る と 、 十 幾 つ の
国 語 研 究 所 の 調 査 で は 、 ﹁す る ﹂ ﹁い る ﹂ ﹁あ る ﹂ に 次 い で は 、 形 式 名 詞 こ れ も た し か に 日 本 語 に 多 い 。 斎 藤 秀 三 郎 の ﹃和 英 大 辞 典 ﹄ の 用 法 が ず ら り と 並 ん で いる 。
﹁こ と ﹂ は 、 右 の よ う な 場 合 の ほ か に ﹁書 く こ と だ ﹂ ﹁書 い た こ と だ ﹂ の よ う な 使 い 方 が あ り 、 ﹁も の ﹂ に も く も の だ ﹂ ﹁書 い た も の だ ﹂ の よ う な 使 い 方 が あ る 。
日 本 語 が ヨ ー ロ ッ パ 語 に 負 け な い 言 葉 の ニ ュ ア ン スを よ く 伝 え る こ と が で き る の は 、 右 の ﹁す る ﹂ ﹁い る ﹂ ﹁あ
る ﹂ ﹁こ と ﹂ ﹁も の ﹂ な ど の 用 法 に 負 う と こ ろ が 大 き い。 学 校 の文 法 の 教 科 書 を 見 る と 、 口 語 篇 が 文 語 篇 よ り 貧 弱
﹁放 置 す る ﹂ の 意 味 を も っ て い る が 、 ﹃坊 っち ゃ
で 、 日 本 語 は 貧 し く な った 印 象 を 与 え る が 、 こ れ は 今 の 文 法 教 科 書 が 、 こ う いう 補 助 動 詞 や 形 式 名 詞 の 用 法 を 問 題 に し て いな いか ら だ 。
﹁お く ﹂ は 元 来 、 ﹁準 備 工 作 と し て お こ な う ﹂ ま た は
﹁お く ﹂ ﹁し ま う ﹂ 補助動 詞
ん ﹄ な ど に は 右 の よ う な 軽 い意 味 の も の が あ る 。 (1 )例 に 似 ぬ 淡 泊 な 処 置 が 気 に 入 っ た か ら 、 礼 を 言 っ て も ら っ て お い た 。
﹁と う と う 実 現 す る ﹂ と い う 意 味 で あ る が 、 実 際 に は も っと 軽 い 意 味 に も 用
(2 )苦 情 を 言 う わ け も な い か ら お と な し く 卒 業 し て お い た 。 ﹁し ま う ﹂ も 、 ﹁完 了 す る ﹂ ま た は
いら れ 、 こと に関 東 の人 間 が 多 く 使 う こ と は 広 く 知 ら れ て いる 。
﹁あ る ﹂ ﹁お く ﹂ ﹁く る ﹂ ﹁し ま う ﹂ あ る い は
﹁や る ﹂ な ど を 用 い て 、 そ の 文 を 角 ば ら せ な い よ う に
チ ェ ン バ レ ン は 、 ﹃日 本 語 文 法 の ハ ン ド ブ ッ ク ﹄ で 、 こ の 事 実 に つ い て こ う 言 っ て い る 。 日本 人 は
言 い 廻 す こ と が 大 変 好 き だ 。 こ う いう 補 助 語 を 一つ も つ け な い 、 た だ 動 詞 だ け の 表 現 だ と 、 ブ ッ キ ラ ボ ウ に
て いた だ く ﹂ は特 に 日 本 人 が よ く 使 う が 、 こ れ に つ い て は 前 に 述 べ た し 、 ま た あ と でも
聞 こえ る き ら いが あ る 。
て 下 さ る ﹂ ﹁︱
﹁て や る ﹂ ﹁︱
( 本 書)に 述 べ た が、
述 べる 。 こ こ で は 同 じ よう な 、 ﹁︱ て や る ﹂ に つ い て述 べた い。 ﹃坊 っち ゃん ﹄ に は 使 用 例 が 多 く 、 こ ん な 風 だ。 (1 ) あ る 日 の夕 方 折 り 戸 の蔭 に 隠 れ て、 と う と う 勘 太 郎 を つら ま え て や った 。 (2 ) あ ん ま り 腹 が立 った か ら 、 手 にあ った 飛 車 を 眉 間 へた た き つけ て や った 。 ( 3) き ょう 学 校 へ行 って みん な に あ だ な を つけ て や った 。
て や る ﹂ のも と の意 味 は 、 三 三 六 ペ ー ジ
(4 ) そ ん な 生 意 気 な や つは 教 え な いと 言 って 、 す た す た 帰 って 来 て や った 。 (5 ) これ を 学 資 にし て勉 強 し て や ろ う 。
て や る ﹂ はど う いう 意 味 だ ろ う 。 ﹁ ︱
( 6) 少 し 町 を 散 歩 し て や ろ う と 思 った 。 こ の ﹁︱
そ の動 作 が 先 方 の利 益 にな る よ う な あ る 動 作 を す る こ と を 表 わ す も の で、 (1 () 2 あ)た り は 、 そ れ が転 じ て 相 手 に
害 を 与 え る 意 を 表 わ す よ う だ が、 (3 () 4 は)、 害 を 与 え る と いう ほど の こ と も な い。 そ れ でも これ は 相 手 が あ る か
てやる﹂ である。
ら ま だ 説 明 は つき そ う だ が、 (5 や) (6 に) な る と 、 相 手 が いな い。 自 分 に と って多 少 お っく う な こと を 心 を 奮 い起 こ
し て実 行す る と いう よ う な 気 持 があ る。 要 す る に あ ま り 、 重 要 な 意 味 を も た な い ﹁ ︱
非 断定 表 現
鈴 木 孝 夫 は ﹃閉 さ れ た 言 語 ・日本 語 の世 界 ﹄ の中 で 、 日本 の学 者 の学 術 論 文 に 、 ﹁⋮ ⋮ であ ろ う ﹂ ﹁⋮ ⋮ と 言 っ
て よ い の で はな いか と 思 わ れ る ﹂ ﹁⋮ ⋮ と 見 て も よ い﹂ と い った 歯 切 れ の悪 い文 が 多 く 現 わ れ る こ と を 指 摘 し 、
こう いう 場 合 の ﹁⋮ ⋮ で あ ろ う ﹂ は 、 英 語 に は 翻 訳 で き な い語 法 だ と 言 った ア メ リ カ の学 者 の説 を 引 用 し て いる 。
ち ょう ど 同 じ よ う に 、 外 山滋 比 古 は ﹃日本 語 の 個 性 ﹄ の中 で 、 イ ギ リ ス 人 の学 者 が、 ﹁で あ ろ う ﹂ の 翻 訳 に 手
を 焼 いた 話 を 引 用 し て いる 。 筆 者 な ど 大 いに 反 省 さ せ ら れ る 話 であ る が 、 こう いう 書 き 方 は 日本 人 の伝 統 だ った のだ。
室鳩巣 の ﹃ 駿 台 雑 話 ﹄ と いう 本 は 、 戦 国 時 代 を 題 材 と し た 軍 物 語 短 篇 集 と いう よ う な 本 で あ る が 、 そ の序 文 の
⋮ ⋮ さ て 児 輩 に 与 へて読 ま し め ん と て し ば らく 残 し お き け ら し 。
最 後 を こう 止 め て いる 。
自 分 で書 い てお いて ﹁残 し て 置 いた ら し い﹂ も な いも の だ 。 よ ほ ど き ま り が 悪 か った の であ ろ う か 。 こ れ は 現
代 に 及 び 、 黒 柳 徹 子 が 、 一時 、 ﹁お な か がす いた よ う よ ﹂ ﹁な に か食 べた いよ う よ ﹂ と いう 言 い方 を は や ら せ た の も こ の例 だ 。
し かし 、 こ のよ う な 断 言 し な い言 い方 の中 に 、 聞 き 手 に 対 す る 配慮 が 入 って い る場 合 も あ る こ と は 注 意 し て お
いか が です か 、 コー ヒ ー でも
き た い。 日 本 人 は 喫 茶 店 に 人 を 誘 う 時 、 こう 言 う 。
こ の ﹁でも ﹂ は 何 か 。 ﹁た と え ば ﹂ の意 味 であ る 。 相 手 は コー ヒ ー が き ら いか も し れ な い。 そ れ な ら ば 紅 茶 で
W ill
you
some
coffee? inな st どa とnい cう e言 葉 は 入 る余 地 が な い。
take
も い い、 と いう 含 み を も って いる 。 英 語 な ら ば 、
と いう と ころ で、 for
石 黒 修 が書 いて いた が 、 九 州 へ飛ぶ 飛 行 機 の中 で、 機 体 が急 に ゆ れ は じ め 、 乗 客 一同 ベ ルト を 締 め る よ う に ア
ナ ウ ン ス があ った 。 た ま た ま 彼 の 隣 り の乗 客 は 馴 れ な いら し く 、 普 通 の バ ンド の時 のよ う に バ ック ル に通 そ う と
反 対 に お 通 し にな った 方 が よ い の で はな いか と 思 いま す が
し て 手 間 取 って い る の を スチ ュア ー デ ス が 見咎 め て、
と 言 った そう だ 。 これ は ﹁反 対 に 通 す の です ﹂ でよ いと ころ であ って、 物 や わ ら かな 言 い方 の効 果 と いう こと を
考 え さ せ ら れ た 、 と いう の が石 黒 の趣 旨 で あ った 。( ﹃言語生活﹄昭和三十五年八月号) こ のよ う な 場 合 、 いら だ って いる 乗 客 の気 持 を いた わ る 効 果 は 大 き か った に ち が いな い。
し か し 、 こ う いう 言 い方 に対 し て 不 快 に 思 う 人 も あ る ら し い。 ﹁坊 っち ゃ ん ﹂ は 、 中 学 校 で 勤 務 中 、 宿 直 の 退
屈 さ に閉 口 し て道 後 の 湯 へ行 った が 、 そ の 帰 り 、 不 運 に も 校 長 に 見 つか って し ま った 。 そ の 時 校 長 は ﹁あ な た は
今 日 宿 直 じ ゃな か った です かね ﹂ と 遠 ま わ し に 言 った こ と を 、 いや み だ と 排 撃 し た 。 ﹃吾 輩 は 猫 で あ る﹄ で は、
鈴 木 の藤 さ ん と いう 苦 沙 弥 先 生 の知 人 が 、 ﹁来 た が って る ん だ ろ う じ ゃな い か ﹂ と 言 って、 苦 沙 弥 先 生 か ら ﹁だ ろ う た は っき り し な い こと ば だ ﹂ と 一喝 さ れ て いる 。
否定 語句
日 本 語 の愛 用 語 句 と いう と、 日 本 人 は否 定 表 現 が 好 き だ と いう こと を 言 わ な け れ ば い け な い。 日本 語 の表 現 と
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I ︱ kno 私w は こaれb以 o上 ut の こi とtは.知 ら な い
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ra雨 in が. 降︱る かも し れ な い
英 語 の表 現を 比 較 す る と 、 英 語 で は 肯 定 で 言 って いる も のを 日 本 語 で は 否 定 で言 って い る 多 く の例 が あ る 。
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have
終 戦 直 後 、 ア メ リ カ の C I E の 人 が 、 日 本 の 文 部 省 に 来 た 時 に 、 あ る 部 屋 の 中 に ﹁こ の ド ア 使 用 禁 止 ﹂ と い う
貼 紙 が し て あ っ た の を 見 て 、 ﹁何 と い う 不 親 切 な 注 意 書 き だ ﹂ と 言 っ た と いう 。 向 こ う の 人 の 説 明 に よ る と 、 ア
メ リ カ で は こ う い う 時 に 、 ﹁も う 一 つ の ド ア を 御 使 用 く だ さ い ﹂ と 書 く の だ と いう こと だ った 。
四時 にな らな け れ ば 帰 って来 ま せ ん
日本 人 は ま た、
と 言 って ふ だ ん 意 を 通 じ て い る が 、 小 出 詞 子 に よ る と 、 こ れ は 日 本 語 に 熟 達 し た ア メ リ カ 人 で も 通 じ に く い と い
う 。 ﹁な ら な け れ ば ﹂ ﹁帰 り ま せ ん ﹂ と 二 度 否 定 表 現 が 用 い ら れ る と 、 帰 る の か 帰 ら な い の か わ か ら な く な っ て し
﹁⋮ ⋮ と 言 え
ま う と い う 。 た し か に 、 ﹁彼 は 四 時 以 後 に 帰 り ま す ﹂ と 言 え ば 言 え る 。 日 本 人 は こ の よ う な 裏 か ら の 表 現 が 好 き であ る 。
堀 川 直 義 は 、 日 本 人 が 否 定 文 を 好 む の は 、 断 定 を 喜 ば な い、 そ こ で 、 ﹁⋮ ⋮ で あ る ﹂ の 代 わ り に
ひ ど い の に な る と 、 ﹁不 賛 成 で な い と い う こ と も な く は な い﹂ と いう 四 重 否 定 の 表 現 さ え 出 て く る 、 と
る ﹂ と 言 い、 さ ら に 、 ﹁⋮ ⋮ と 言 え な く も な い ﹂ と 言 い た く な る ん だ と 説 明 し て い る 。( ﹃ 話 し こと ば に お け る 日本 人 の 論 理﹄) あ る。 ﹃不 如 帰 ﹄ の 次 の 箇 所 な ど 典 型 的 な 日 本 の 文 章 で あ る 。
然 れ ど 二 人 が 間 は 、 顔 見 合 し 其 時 よ り 、 全 く 隔 な き 能 は ざ るを 武 男 も 母 も 覚 え し な り 。 浪 子 の事 を ば 、 彼 も
徳 冨蘆 花 の
問 は ず 、 此 も 語 ら ざ り き 。 彼 の問 は ざ る は 問 ふ こ と を 欲 せ ざ る が 為 にあ ら ず し て 、 此 の語 ら ざ る は 彼 の聞 か む こと を 欲す る を 知 ら ざ る が た め には 、 あ ら ざ り き 。
彼 す な わ ち 武 男 が 黙 って い た の は 、 多 少 聞 き た い気 持 も あ っ た の だ け れ ど も 、 こ ら え て い た ⋮ ⋮ 、 と い った よ う な 意 味 に な る わ け で あ る が 、 ち ょ っと 意 味 が と り に く い 。 我 コ レ ッヂ の奇 才 な く
バ イ ロ ン、 ハイ ネ の熱 な き も 石 を 抱 き て 野 に歌 ふ 芭 蕉 のさ び を 喜 ば ず ( 与謝野寛 ﹁ 人を恋ふる歌﹂第三連)
徹 底 し た 否 定 表 現 で、 そ れ で は何 に な り た い のか と尋 ね た ら 、 ど う 答 え る のだ ろう か 。
Ⅵ 文 法 か ら 見 た 日 本 語
一 セ ン テ ン スと そ の 種 類
(二 )
セ ン テ ン ス (sent )eはn、 cか eな り は っき り し た 単 位 であ る 。 小 学 校 で 生 徒 に作 文 を 書 か
一 セ ンテ ンスの形 と長さ センテンスの形 日本 語 で は 、 文 ︱
せ て み る と 、 読 点 の 、を 打 つ 場 所 は 六 年 生 に な っ て も な か な か う ま く ゆ か な い が 、 句 点 の 。を 打 つ 場 所 は 、 二 年
eighty-nine-year-old
lady
﹁知 っ て い る ﹂ と い う 語 が 来 た と い う こ と で ま ず セ ン テ ン ス
生 ぐ ら い に な れ ば 、 た い て い 正 し い と こ ろ に 打 て る よ う に な る と いう 。 た と え ば 日本 語 で、
﹁は ﹂ と い う 助 詞 を 受 け て
私 は 八 九 歳 に な る お 婆 さ ん を 知 って いる と あ った ら 、 こ の 言 葉 は
an
が 終 わ った と 感 じ る 。 と こ ろ が 英 語 で は 、 I know
lives
in
Shizuoka
と あ った の で は 、 ど こ に も こ こ で 切 れ る と い う 徴 証 は な い。 こ こ で 切 れ る の か も し れ な い し 、 Who
と 続 く か も し れ な いし 、 さ ら に そ の次 に、
all
alone
と 続 く か も し れ な い。
終 戦 時 ま で の手 紙 文 な
で は 、 句 読 点 な し で 書 か れ る こ と が あ った 。 が 、 そ れ で も 、 大 体 、 文 の 切 れ 目 は 見 当 が つ い た 。 こ れ は 、
日 本 語 の 正 字 法 で は 、 文 の初 め の文 字 を 変 え る こ と を し な い。 ま た 、 あ る 種 の文章 ︱ ど︱
漢 字 と 仮 名 の 混 用 と い う こ と も 原 因 で あ る が 、 そ の ほ か に 、 文 の 終 わ り に 用 い ら れ る 語 句 や 語 形 が き ま って い る こ と にも よ る 。
﹁⋮ ⋮ た ﹂ ﹁⋮ ⋮ た ﹂ と な る 。 佐 藤 春 夫 は こ れ を
﹁ラ
日 本 語 の セ ン テ ン ス の 終 わ り が は っき り し て い る こ と は 、 文 学 者 の 側 か ら は 、 し ば し ば 不 満 が も ら さ れ て い る 。 過 去 の事 柄 を 日本 語 で書 こう と す る と 、 ど の セ ン テ ン スも
ッ パ 節 の う た い出 し か 、 ど も り の よ う だ ﹂ と 言 った 。 こ れ は 気 に し だ す と 、 た し か に 気 に な る 。 が 、 セ ン テ ン ス
の終 わ り が 明 確 だ と いう の は気 持 の い い こと で あ る 。 少 な く と も 、 正 確 に こ ち ら の意 図 を 伝 え よ う と す る 文 章 に
た ﹂ ﹁︱
た ﹂ ﹁︱
た ﹂ で 終 わ って いる 。 こ の、 長 短 い
た ﹂ で 終 わ っ て い る の は 、 た と え ば 、 箏 の ﹁六 段 ﹂ の 曲
﹃六 の 宮 の 姫 君 ﹄ は 、 全 篇 の セ ン テ ン ス が す べ て ﹁︱
っ て も 、 一定 の 音 な り 文 字 が 来 て セ ン テ ン ス が 終 わ っ て い く と い う の は 、 一種 の 形 式 美 だ と 見 ら れ な い か 。
お い て は 、 終 わ り が 明 確 だ と い う こ と は 一 つ の 長 所 で あ る 。 考 え よ う に よ って は 、 さ ら に 進 ん で 美 的 見 地 か ら い
芥 川龍 之 介 の名 作
ろ い ろ の セ ン テ ン ス が 一様 に ﹁ ︱
の初 段 のと こ ろ で 長 短 の旋 律 が 一様 に 短 音 階 の主 音 で、 ⋮ ⋮ ラ、 ⋮ ⋮ ラ、 ⋮ ⋮ ラ と 終 わ って いる よ う な 均 整 美 を 感 じさせる。
し か し 姫 君 は い つ の間 にか 、 夜 毎 に男 と会 う よ う に な った。 男 は 乳 母 の言 葉 通 り や さ し い心 の持 ち 主 だ った 。
顔 か た ち も さ す が に み や び て いた 。 そ の上 姫 君 の美 し さ に、 何 も 彼 も 忘 れ て いる 事 は、 ほ と ん ど 誰 の目 に も
明 ら かだ った 。 姫 君 も 勿 論 こ の男 に、 悪 い心 は 持 た な か った 。 時 に は 頼 も し いと 思 う 事 も あ った 。 が 、 蝶 鳥
の几 帳 を 立 て た 陰 に 、 灯 台 の 光 を 眩 し が り な が ら 、 男 と 二 人 む つびあ う 時 にも 、 嬉 し いと は 一夜 も 思 わ な か
った 。
日本 人 の セ ン テ ン ス の と め 方
日 本 語 は 、 こ ん な ふ う で 、 セ ン テ ン ス の 最 後 が き わ め て は っき り し て い る 。 と こ ろ が 、 日 本 人 は こ の 性 格 を 利
今 の こ と ば で い え ば 、 ド ラ イ な 感 じ が す る と 考 え て い や が った 。
用 し て い る と いう よ り は 、 む し ろ も て あ ま し て 来 た 。 日 本 人 は 、 は っき り 文 章 が 終 わ って し ま う と 、 何 か 切 り 口 上 の よ う な 、 そ っけ な い︱
ハイ ハイ 、 渡 辺 で ご ざ いま す け れ ど も ⋮⋮
電 話 の ベ ル が な って、 女 の人 が出 る 。
﹁何 か 御 用 で ご ざ い ま す か ﹂ と いう よ う な こ と ば を 略 し た と
外 国 人 は 、 よ く 、 こ の 最 後 の ﹁け れ ど も ﹂ は ど う いう 意 味 だ と た ず ね る 。 ど う いう 意 味 も な い。 切 り 口 上 を さ け た の であ る。 あ る い は次 に 来 る こ と ば 、 た と え ば
いう べ き か も し れ な い。 ど っち に し て も 、 は っき り 切 れ る べ き と こ ろ で 文 章 を 切 る こ と を 避 け て い る こ と は た し
か で あ る 。 そ の 結 果 、 セ ン テ ン ス の 途 中 で セ ン テ ン ス を 切 る 。 こ の 傾 向 は 、 特 に 女 性 の表 現 に 多 い 。 そ う し て 、
﹁く だ さ い ﹂ が 来 て 終 わ る は ず )
中 に は 、 も う そ れ が 固 定 し て し ま い 、 略 し た と い う 気 持 が 感 じ ら れ な く な った も の も あ る 。 ち ょ っと待 って。 ( あ とに
﹁で す ﹂ が 来 て 終 わ る は ず )
﹁さ せ て く だ さ い ﹂ が 省 か れ た か )
﹁も の を ﹂ で 、 あ と に ほ か の 語 句 が 来 る 語 だ った )
あ た し 、 き ら い。 ( あと に
( あと に
だ って燃 え な いん です も の。 ( 元来 は これ頂戴 !
﹁す ﹂、 連 体 形 は
﹁ す る ﹂ だ った。 と こ ろ が平 安 朝 の末 頃 、 終 止 形 で 終 わ る の が ド ライ だ と
﹁す る ﹂ ﹁す る ﹂ だ 。 こ れ は 、 実 に 特 異 な 言 語 で あ る 。 が 、 平 安 朝 ご ろ ま で は 、 ち ゃ ん と 区 別
こ う い う 言 い 方 は 、 昔 か ら あ った 。 今 の 日 本 語 で 、 動 詞 に は 、 文 法 で いう 終 止 形 と 連 体 形 と の 区 別 が な い 。 た とえ ば、両方 とも
が あ った 。 終 止 形 は
西行法 師
いう わ け か 、 文 の最 後 に 連 体 形 を 用 い、 終 わ る よ う な 終 わ ら な いよ う な 口 調 で文 を と め る の が は や り出 し た 。 何 ご と の お は し ま す か は 知 らね ど も か た じ け な さ に 涙 こ ぼ る る
こ の歌 な ど は 、 今 か ら見 る と 古 め か し い歌 だ が 、 当 時 と し て は 、 き わ め て 新 鮮 な 新 時 代 的 な 表 現 だ った にち が
いな い。 今 の動 詞 で 終 止 形 と 連 体 形 と が い っし ょ にな って いる のは 、 こう し て、 連 体 形 を 終 止 形 に使 う の が当 り 前 に な って し ま った か ら であ る。
そうねえ
ほんとよ
今 、 男 の 言 葉 と 女 の 言 葉 を 比 べる と 、 女 は ﹁だ ﹂ と いう 助 動 詞 を 使 う こと が 少 な い。 ほ ん と う だ よ︱ そ う だ ね え︱
上 は 男 の言 葉 で、 下 は 女 の 言 葉 だ 。 な ぜ 女 は ﹁だ ﹂ を 避 け る か 。 こ れ は ﹁ダ と いう 助 動 詞 を さ け る ﹂ と言 って
は 正 し く な い。 ﹁だ ﹂ と いう 助 動 詞 が 語 形 変 化 を す る、 そ のう ち の終 止 の形 の ﹁だ﹂ を 避 け る の であ る。 ﹁だ ﹂ と
いう 助 動 詞 は 、 連 体 の形 と 終 止 の形 が ち がう 唯 一の単 語 であ る 。 ﹁だ ﹂ と いう と 、 いか にも セ ンテ ンス が 終 止 し
た 感 を 与 え る 。 だ か ら 、 こ れ を 避 け る の で、 こ れ も 、 終 止 の形 を 避 け る あ ら わ れ であ る 。
与謝野晶 子
日本 語 に は 、 昔 か ら 、 切 れ る と も と れ 、 続 く と も と れ る 文 章 の書 き 方 があ る 。 次 の よ う な 俳 句 や 歌 の□ の箇 所 は 、 切 れ て い る のだ ろ う か。 続 いて いる のだ ろ う か 。
子規
鎌倉 や 御 仏 な れ ど 釈 迦 牟 尼 は美 男 に お はす□ 夏 木 立 か な ひ る が ほ の 花 に乾 く や□ 通 り雨
﹁鎌倉 や ﹂ の方 は ﹁釈 迦 牟 尼 は ﹂ と 題 目 を 表 わ す ﹁は﹂ が あ る か ら 、□ のと ころ で 切 れ て いる は ず であ る 。 一方
﹁ひる が ほ の﹂ の方 は 、 ﹁や ﹂ が文 の途 中 に 入 り 得 る 助 詞 だ か ら□ のと こ ろ は 続 いて いる は ず で あ る 。 し か し 、 こ
の 二 つは 同 じ よ う な 感 じ で 、 ど っち も 切 れ て いる よ う な 続 いて いる よ う な 印 象 を 与 え る 。 こ のは っき り し な いと こ ろ が 魅 力 に な って いる に 相 違 な い。
セ ン テン スの長 さ
日本 人 は 、 セ ン テ ン スが は っき り 切れ て し ま う の を 恐 れ た 。 こ の結 果、 日 本 人 は 切 れ ん と し ては 続 き 、 縷 々と し て数 ペ ー ジ に及 ぶ よ う な 文 を よ し と し た 。
井 原 西鶴 と いう 人 の文 章 は 、 多 く の 省 略 があ る か ら 、 簡 潔 な 文 章 の 見 本 のよ う に 言 わ れ る が 、 セ ンテ ン ス は 、
て﹂ ﹁︱
て﹂ を く り 返 し な が ら 延 々と 続 いて ゆ く 。
板 坂 元 が 指 摘 し た よう に、 決 し て短 く は な か った 。 次 の文 章 は 、 ﹃世 間 胸 算 用 ﹄ の中 の 一文 で、 奈 良 の 歳 末 を 描 いた 名 文 と 言 わ れ る も の であ る が、 ﹁ ︱
さ れ ば 大 年 (=大 ミ ソ カ ) の夜 の有 様 も 、 京 大 坂 よ り は 格 別 静 か に し て、 よろづ の買 ひ が か り も 、 有 る ほ ど
(=ア ルダ ケ) は随 分 す ま し (=支 払 イ )、 ﹁こ の 節 季 に はな ら ぬ (=支 払 エナイ )﹂ と こと わ り 言 へば 、 掛 取
り 聞 き と ど け て 、 ふた た び 来 る こ と な く 、 さ し 引 き (=収 支 ノ決 算 ) は 四 ツ 切 (=午 後 一〇時 カ ギ リ ) に 奈
良 中 が仕 舞 う て、 は や 正 月 の 心 、 家 々 に ﹁庭 い ろ り ﹂ と て、 釜 か け て、 焚 き 火 し て 、 庭 に敷 物 し て、 そ の家
(=ユタ カ サ ) な り 。
内 、 旦 那 も 下 人 も ひ と つ に楽 居 し て、 不 断 の居 間 は 明 け 置 き て 、 所 な ら は し と て 、 (形 ガ 崩 レ ヌ ヨウ ニト 、 竹 ノ ) 輪 に 入 り た る 丸 餅 を 庭 火 に て焼 き 喰 ふ も、 いや し から ず に ふく さ
樋 口一 葉 や 、 谷 崎 潤 一郎 も 長 文 を 書 いた 作 家 で、 一葉 の ﹃十 三 夜 ﹄ の巻 頭 の文 は、 切 れ ん と し て は 続 き 、 二〇
行 以 上 に 達 し て いる 。 そう し て、 戦 後 の作 品 で も 野 坂 昭 如 の ﹃ 火 垂 る の墓 ﹄ な ど 、 四〇〇 字 詰 め 原 稿 用 紙 一枚 ぐ ら い のセ ンテ ン ス が現 わ れ る 。
文 学 作 品 か ら 評 論 文 に 移 っても 同 じ こと 。 か つて ﹃展 望 ﹄ に載 った 巻 頭 論 文 、 蓮 實 重 彦 の ﹁言 葉 の夢 と 批 評 ﹂ は、
た と え ば ﹁批 評 ﹂ を繞 って 書 き つがれ よ う と し な が ら いま だ 言 葉 た る こ と が で き ず 、 ほ の暗 く 湿 った 欲 望 と
し て の自 分 を 持 て あ ま し て いた だ け のも の が、 そ の環 境 と し て あ る 湿 原 一帯 に漲 る 前 言 語 的 地 熱 の高 揚 を 共
有 し つ つ漸 く お の れ を 外 気 に 晒 す 覚 悟 を き め 、 す で に書 か れ て し ま った夥 し い数 の言 葉 た ち が 境 を 接 し て揺
れ て いる ﹁文 学 ﹂ と 呼 ば れ る 血 な ま ぐ さ い圏 域 に自 分 を ま ぎ れ こま そう と す る瞬 間 、 あ ら か じ め捏造 さ れ て あ る あ て が いぶ ち の疑 問 符 が わ れ がち に ⋮ ⋮
と い った 文 章 で、 山 鳥 の尾 のし だ り 尾 の、 こ の二 倍 ぐ ら い行 って や っと ピ リ オ ド にな った 。
こ のよ う に 日本 語 の セ ン テ ン ス が 長 い こと は 、 中 国 語 な ど と いち じ る し い対 象 を な す 。 中 国 語 は 文 学 作 品 でも セ ン テ ン ス が いち じ る し く 短 い。
晋 太 元 中 、 武 陵 人 、 捕 魚 為 業 。 縁 渓 行 、 忘 路 之 遠 近 。 忽 逢 桃 花 林 。夾 岸 数 百 歩 、 中 無 雑 樹 。 芳 草 鮮 美 、 落 英 繽 紛 。 漁 人 甚 異 之 。 ⋮ ⋮ (陶淵明 ﹃桃花源記﹄)
ド イ ツ語 は 、 比 較 的 セ ンテ ン ス の 長 い の が有 名 で 、 た とえ ば カ ント の文 章 な ど に は一 つ のセ ン テ ン ス が三 ペー
ジ 以 上 に わ た って 延 々と 続 く のが あ る と いう 。 日本 の文 章 は こ の点 で 、 ド イ ツ語 に 似 て いる 。 が、 注意 す べき は 、
ド イ ツ語 で は いく ら 長 文 にな っても 、 全 体 の趣 旨 は 明 快 だ と いう こと で あ る 。 そ れ は 、 ド イ ツ文 の構 造 は 、 主 な
文 章 が完 全 に 終 り 、 あ と 関 係 代 名 詞 を す え てそ れ か ら 新 し い次 の文 へ つな い で行 く か ら であ る 。
日 本 語 で 長 いセ ンテ ン スを 書 く と 、 最 初 の題 目 な り 主 語 な りを 受 け る 述 語 動 詞 は は る か う し ろ に いく 。 そ う し
て そ の間 に た く さ ん の 小 さ いセ ンテ ン ス の卵 のよ う な も の が割 って入 る 形 に な る 。 こ れ で は 聞 く 人 、 読 む 人 は 、
話 の中 心 思 想 が 分 から な い で はな は だ 苦 し む 。 わ れ わ れ の 日本 語 では 、 つと め て短 いセ ン テ ン ス で文 章 を 書 か な け れ ば な ら な い。
二 セ ン テ ン ス の種 類 と 特 色 セ ンテ ンス の分 類
︿セ ンテ ン ス の 分 類 ﹀ と いう と 、 昔 の文 法 書 で は 、 ︿平 叙 文 ﹀ ︿疑 問 文 ﹀ ︿命 令 文 ﹀ ︿感 動 文 ﹀ な ど と あ ったも のだ 。
終 戦 ま で の中 学 校 の文 法 教 科 書 は た い て い そ う だ った。 これ は、 ヨー ロ ッパ 語 の文 法 書 の 分類 を︱
︿主 語 ﹀ と
し かも旧式
︿述 語 ﹀ と の 位 置 が 変 わ る 、 と か い う き
︿主 語 ﹀ な ど は 、 は な は だ 影 の 薄 い も の で 、 用 いら れ な い こ と が た く さ
︿主 語 ﹀ が 用 い ら れ な い 、 と か 、 疑 問 文 の と き は
な 分 類 を 日 本 語 に そ の ま ま 流 用 し た も の で 、 日 本 語 の セ ン テ ン ス の 性 格 と は 無 関 係 の も の だ った 。 英 語 な ど で は 、 命 令 文 には ま り が あ る。 し か し 、 日本 語 の いわ ゆる
ん あ る 。 ま た 、 セ ンテ ン ス の構 成 要 素 の 順序 は 、 あ と に 述 べ る と お り 非 常 に が っち り し て いる 。 セ ンテ ン ス の 種
類 が ち が った ぐ ら い で は 、 位 置 が ひ っく り か え ら な い 。 だ か ら 、 日 本 語 の セ ン テ ン ス の 分 類 は 、 全 然 ち が った 立 場 か ら 行 わ れ る べ き だ った 。
では 、 日本 語 の セ ンテ ン ス の 分 類 は 、 ど う す べき か 。 松 下大 三 郎 以 後 、 多 く の学 者 が研 究 を 重 ね 、 次 第 に 日 本
語 の 性 格 に 即 し た も の が 出 来 て き た 。 が 、 今 の と こ ろ 一番 先 頭 を い く も の は 、 芳 賀 綏 に よ る も の で あ る 。 彼 に よ れ ば 、 あ ら ゆ る セ ンテ ン ス は、 ま ず こ ん な ふう に 分 け ら れ る 。
︿〃﹀
︿断 定 ﹀ に よ る 統 括
表 現 さ れ る内 容 に つ いて の、 話 者 の気 持 を 表 わ す も の
雨 が降 る 。
(1 )述 定 文 ︱
花 は 美 し い。
︿推 量 ﹀+ ︿感 動 ﹀
︿〃﹀
︿疑 い ﹀
雨 が 降 る か し ら 。 君 は 学 生 か。
雨 が降るだ ろうなあ。
ぜ ひ 会 っ て み よ う 。 ︿決 意 ﹀
雨 !
︿〃﹀
︿断 定 ﹀+ ︿感 動 ﹀
二 度 と 買 う ま い 。 ︿〃﹀
雨 だ!
あ ら っ!
( 2伝 )達 文︱ 行け。 乾 杯 ! お嬢さ ん! は い。
︿感 動 ﹀
︿命 令 ﹀
相手 への伝達 の気 持を 示す も の ︿誘 い﹀
︿応 答 ﹀
︿呼 び か け ﹀
︿断 定 ﹀+︿告 知 ﹀
表 現 さ れ る 内 容 に つ い て の 話 し 手 の態 度 と 、 相 手 への伝 達 の気 持 と の両 方 を 示 す も の
雨 が降 る よ 。
︿断 定 ﹀+︿感 動 ﹀+︿告 知 ﹀
(3 )述 定 + 伝 達 文 ︱
雨 が降 る わ よ 。
︿疑 い ﹀+︿も ち か け ﹀
雨 が降 る だ ろ う ね 。 ︿推 量 ﹀+︿も ち か け ﹀ 雨 ?
﹁だ ﹂ を 補 う
こ こ で 注 意 す べ き は 、 ︿呼 び か け ﹀ の 文 は 、 ︿感 動 ﹀ の 文 と 似 て い る が ち が う こ と だ 。 む こ う か ら 、 お 嬢 さ ん が
来 る の に 気 づ き 、 ﹁あ っ、 お 嬢 さ ん ! ﹂ と 叫 ぶ 。 こ の ﹁お 嬢 さ ん ! ﹂ は 、 ﹁お 嬢 さ ん だ ! ﹂ と 、 下 に
こ と が で き る 。 一方 、 呼 び か け る と き に 、 ﹁お 嬢 さ ん だ ! ﹂ と 言 っ て 呼 び か け る 人 間 は い な い。 呼 び か け の ﹁お
嬢 さ ん ! ﹂ と 、 感 動 の ﹁お 嬢 さ ん ! ﹂ と は 、 形 は 同 じ で も 、 い っし ょ に し て は い け な い。
ま た 右 の 分 類 の (1 と︶(3 は︶、 表 現 さ れ る 内 容 に つ い て の 話 し 手 の 態 度 を 含 む 点 で 、 セ ン テ ン ス ら し い セ ン テ ン
ス で あ る 。 ふ つ う に 思 い 浮 か べ ら れ る セ ン テ ン ス の 例 は 、 た い て い こ れ に 属 す る 。 (2は ︶、 こ れ に 対 し て 特 別 の セ ン テ ン スで 、 お お む ね 形 も 短 い。
文 末 の表意 語句
﹁か し
こ の セ ン テ ン ス の 分 類 は 、 日 本 語 の セ ン テ ン ス の 構 成 上 の 特 色 を よ く 示 し て い る 。 第 一に 、 セ ン テ ン ス の 根 本
的 な 性 質 を 表 わ す 語 は 、 原 則 と し て セ ン テ ン ス の 最 後 に 来 て い る 。 芳 賀 の 分 類 の、 ﹁雨 が 降 る か し ら ﹂ の
ら ﹂、 ﹁雨 が 降 る だ ろ う な あ ﹂ の ﹁だ ろ う ﹂ ﹁な あ ﹂ な ど いず れ も そ れ だ 。 こ れ は 、 日 本 語 で 、 ﹁二 つ の 語 句 を つな
ぐ と き に 、 主 な る も の が あ と に 来 る ﹂ と いう 鉄 則 が あ る か ら で 、 次 節 で 改 め て ふ れ る 。
かしら 、だろう、 なあ、よ 、わ、ね ⋮⋮
第 二 に 、 第 一の 特 色 に 関 係 す る が 、
の よ う な 話 し 手 ・書 き 手 の 主 観 を 表 明 す る 語 が た く さ ん 用 い ら れ る こ と だ 。 沢 田 治 美 は 、 英 語 と 比 較 し て 、 日 本
think,
I
see,
I
mean,
I
tell
you,
I
am
﹁ね ﹂ ﹁よ ﹂ ﹁な ﹂ ﹁わ ﹂ な ど の 類 い の 意 味 を 表 わ す 語 句
語 で は 主 観 を 表 わ す 語 句 が 文 末 に 来 る こ と が 多 い の を 著 し い特 色 と し た 。(﹃ 言 語 研究 ﹄ 昭 和 五 十年 十 二月 )
︿表 意 語 句 ﹀ と 名 づ け 、 英 語 の Isay,I
﹃シ ナ リ オ と 口 語 表 現 ﹄ の 著 者 ・喜 多 史 郎 は 、 日 本 語 の を
think,you ⋮k⋮ nに ow あ た る も のと 言 って いる 。
し か し 、 英 語 の こ れ ら の 語 は 、 日 本 語 の ﹁ね ﹂ ﹁よ ﹂ ﹁な ﹂ ﹁わ ﹂ ⋮ ⋮ に 比 べ て 、 使 う こ と が は る か に 少 な い 。
そ う し て 、 こ れ ら は 、 語 源 的 に は す べ て Iと かyouと か 、 あ る い は say と かseeと か 客 観 的 な 意 味 の 語 か ら 転 来
し た も の で あ る 。 つ ま り 、 日 本 語 の ﹁ね ﹂ ﹁な ﹂ な ど が 語 源 が 不 明 で 、 お そ ら く 感 動 詞 か ら 来 た も の と 推 量 さ れ る こ と と 、 いち じ る し い 対 比 を な す 。
﹁ま あ 、 お 聞 き よ 。 そ れ は ね ⋮ ⋮ 。﹂
﹃ 金 色 夜 叉 ﹄ の 一部 に こ う い う 会 話 が あ る 。 娘 は お 宮 で あ る 。
母
﹁お っ か さ ん 、 い い わ︱
尾崎 紅葉 の
娘
﹁よ か な い よ 。﹂
私 い い の 。﹂ 母
afraid,
I
母
娘 ﹁あ れ 、 ま あ 、 ⋮ ⋮ 何 だ ね 。﹂
﹁よ か な く って も い い わ 。﹂
to
is
⋮I
nothing
don't
think⋮.〟
There
you.
me,I to
this!
listen is
to
care
﹃英 訳 ・金 色 夜 叉 ﹄ の 中 で こ のへ ん の 会 話 を こ う 訳 し て い る 。
to
child,listen want
foolishness
for
about.
I
anything.〟
weep
will
傍 点 を つ け た の は 、 全 部 こ の ︿表 意 語 句 ﹀ で 、 主 観 的 な 語 だ 。 と こ ろ が こ れ を 英 語 に な お し た ら ど う な る か 。
"My
A ・ ロイ ド は "I
dear
"What
don't
hom e⋮.〟
主 観 的 な 意 味 の単 語 は 一つも 用 いて いな いこ と に 、 注 意 す べき で あ る 。
な ぜ 日 本 語 の セ ン テ ン ス に は こ の よ う な 表 意 語 句 を つ け た も の が 多 い か 。 セ ン テ ン ス の 終 わ り を ハ ッキ リ さ せ
﹁わ ﹂ と か が 加 わ る と 、 そ れ が カ モ フ ラ ー ジ ュさ れ る︱
た と え ば 、 素 足 で指 が
ま い と い う 気 持 が 大 き く 働 い て い そ う だ 。 ﹁よ か な い ﹂ ﹁よ か な く って も い い﹂ と 言 う と 、 い か に も 断 言 し て い る よ う で 、 強 く 響 く 。 ﹁よ ﹂ と か
一本 一本 見 え る と 品 が 悪 い か ら 足 袋 を は く 、 と い った よ う な 気 持 だ 。
日本 語 の 主 語 と 題 目 語
( 本 書 二九 九ペ ー ジ ) に 触 れ た が 、 た と え ば 、 日 本 語 で 、
日 本 語 の セ ン テ ン ス の 構 成 の 特 色 の 第 三 は 、 い わ ゆ る ︿主 語 ﹀ と い う も の の 影 が 非 常 に 薄 い こ と だ 。 す で に ち が う 例 で第 V 章 (1)春 が 来 る
comes.
と 言 う 。 これ は 英 語 に す れ ば 、 (2) Spring
talk
it
であ る が 、 英 語 のspriは n、 g﹁春 ﹂ であ って、 ﹁春 が ﹂ で は な い。"Spring 春 、 そ れ が 来 る
cを om 日e 本s 語.に 〟す れ ば 、 こう な る。
英 語 で は ﹁春 ﹂ と ﹁そ れ が来 る ﹂ の 間 に 断 層 があ る 。 だ か ら 、 英 文 法 で ﹁セ ン テ ン スは 主 語 と 述 語 と か ら 成
る﹂ と いう 。 日 本 語 の ﹁春 が﹂ は 完 全 に ﹁来 る ﹂ に 従 属 し て いる 。 ﹁ 春 が来 る ﹂ 全 体 が 一つに な り、 そ の 上 に い
わ ゆ る 断 定 の 語 気 が加 わ って いる。 こ の 日 本 語 の性 格 の ち が いを 発 見 し た のは 、 ﹃現 代 語 法 序 説 ﹄ の著 者 ・三 上
章 だ 。 彼 は こ の性 格 の ち が いを 説 い て、 英 文 法 は ︿主 語 ・述 語 の 二本 立 て ﹀、 日 本 文 法 は ︿述 語 の 一本 立 て﹀ と 裁決 した。
彼 の 言 う よ う に、 日 本 語 の 主 語 は 、 実 は ︿主 格 補 語 ﹀ だ 。 そ れ は ︿目 的 格 補 語 ﹀ や 、 そ の他 いわ ゆ る ︿格 助
詞 ﹀ が つ いた ︿名 詞﹀ と 対 等 に 並 ぶ も の にす ぎ な い。 こ の関 係 を 整 理す れ ば こう な る 。
紹介 す る }
英語 ・ド イ ツ語 ・フラ ンス語
{
乙に 丙を
日本 語
それ が
甲 紹介す る
}
甲が 乙に 丙を
こん な わ け だ か ら 、 日本 語 で は 主 語 の有 無 は 、 セ ン テ ン ス の分 類 に は 全 然 関 係 し な い。 英 語 で は ︿命 令 文 ﹀ に は 主 語 が な いと いう 。 日本 語 で は り っぱ に 主 格 補 語 が 命 令 文 にあ ら わ れ る 。 お れ は あ や ま ら ぬ 、 お ま え があ やま れ 早 く 実 がな れ 、 柿 の種
こ の よ う な 、 主 格 が 述 語 の中 に取 り 込 め ら れ る 表 現 法 は 、 世 界 の 言 語 の中 で も 珍 し い のだ ろ う か 。 朝 鮮 語 に は 、
日本 語 と 同 じ よ う な 主 格 を 表 わ す 助 詞 が あ る。 恐 ら く 朝 鮮 語 も や は り 述 語 一本 立 て の 言 語 であ ろ う 。 ほ か に は 、
ビ ル マ語 に主 格 の助 詞 があ る よ う に報 告 さ れ て いる が、 ど う も そ れ は 日 本 語 の ﹁は﹂ のよ う な 助 詞 で、 次 に 述 べ
る
︿題 目 語 ﹀ を 表 わ す も の の よ う だ 。
題 目語 と叙述 語
こん な わ け で、 日本 語 の主 語 は 、 はな は だ 影 が薄 い。 そ の代 わ り、 日 本 語 のセ ン テ ン スは 、 他 の原 理 に よ って、
題 目語︱
叙 述語
二 つ の部 分 に 分 か れ て いる 。
だ 。 こう いう 構 造 のも の が あ る こと は 、 日 本 語 のセ ンテ ン ス の第 四 の特 色 であ る 。
佐 久 間 鼎 は 、 芳 賀 綏 の 分 類 で (1の)述 定 文 や (3) の述 定 +伝 達 文 のよ う な セ ン テ ン ス の中 を 分 け て、 ︿品 定 め 文 ﹀
と ︿物 語 り 文 ﹀ と の二 つに し た 。 題 目 を あ げ て 、 そ の題 目 のも と に 叙 述 を す る の が ︿品 定 め 文 ﹀ で、 大 体 、 ヴ ァ
ンド リ エ ス の ︿名 詞 文 ﹀ に あ た る。 題 目 な し に 叙 述 だ け を す る の が く物 語 り 文 ﹀ で、 これ は彼 の いわ ゆ る ︿動 詞
富 士が見え る ( わ )。 富 士 が 雲 に隠 れ た (ぞ)。
あ れ は 富 士 だ (ね )。 富 士 は 日本 ア ルプ ス よ り も 高 い ( よ )。 富 士 は 静 岡 ・山 梨 の 県 境 いに あ
文 ﹀ だ 。 例 を あ げ れ ば 次 のよ う であ る 。 (イ ) 品定め文 る。 (ロ ) 物語り文
(イ で) は 、 ﹁あ れ ﹂ ﹁富 士﹂ が 叙 述 の題 目 で、 ﹁富 士 だ ﹂ ﹁日 本 ア ルプ スよ りも 高 い﹂ は そ の説 明 だ 。 (ロ の)﹁富 士 が
見 え る ﹂ は 、 (イ と) ち が い、 題 目 の部 分 と 叙 述 の部 分 に 分 か れ な い のが 特 色 で あ る 。 も っと も こ れ に対 し て ﹁話 の
題 目 は 、 富 士 が 見 え て い る そ の 全 景 で は な いか ﹂ と いう 疑 問 が 出 る か も し れ な い。 し か し 、 そ う だ と す る と 、
﹁あ れ は富 士 だ ﹂ の 題 目 は、 ﹁あ れ が富 士 で あ る事 実 ﹂ だ、 と いう こ と にな る 。 ま た 、 ﹁ 富 士 が 見 え る ﹂ と いう セ
ンテ ン ス の上 に 、 ﹁ あ れ は ﹂ と いう よ う な 語 句 が 省 か れ て いる のだ と解 す る こ と も でき な い。 ﹁あ れ は富 士 が見 え
る﹂ で は セ ンテ ン スを な さ ぬ 。 つま り (ロ の) セ ン テ ン スは 、 (イ の) セ ン テ ン スと 全 く ち が った 発 想 に よ るも の で、 (ロ)
に は (イ に)お け る よ う な 題 目 は な いと 考 え る 方 が よ い 。
ヴ ァ ン ド リ エ ス に 言 わ せ る と 、 セ ン テ ン ス の こ の 名 詞 文 と 動 詞 文 の 別 は 、 ど の 国 に も あ る と いう 。 単 語 に 名 詞
と 動 詞 の 区 別 の な い 言 語 は あ っ て も 、 こ の 二 つ の 文 の 区 別 の な い 言 語 は な い だ ろ う と ま で 言 って い る 。 が 、 ヨ ー
ロ ッ パ 語 な ど で は 、 こ の 区 別 が あ ま り は っき り 形 の 上 に あ ら わ れ な い よ う だ 。 そ こ へ 行 く と 、 日 本 語 で は 実 に こ の 区 別 が は っき り し て い る 。 ﹁は ﹂ と いう 助 詞 が あ る か ら だ 。
佐 久 間 は 、 こ の 品 定 め 文 と 物 語 り 文 の 区 別 が は っき り し て い る こ と を も っ て 、 日 本 語 の 長 所 と 数 え て い る 。 彼
に よ る と 、 ヨ ー ロ ッ パ で は 、 こ の区 別 が は っき り し て い な い た め に 、 西 洋 で 発 達 し た 形 式 論 理 学 で は 妙 な こ と を
馬 が走 る 。
や って い る と い う 。 た と え ば 、
馬 は 走 る も のな り 。
と いう セ ンテ ン ス があ る と 、 こ れ は 一つの 判 断 を あ ら わ し た も のだ な ど と 言 って 、
と 改 め て 、 そ う し て 論 じ る 、 と い う よ う な の が そ れ で あ る 。 と こ ろ が 、 日 本 語 で は 、 (イ () ロの )例 で 見 ら れ る よ う に 、
ち が い が き わ め て は っき り し て い る 。 (イ に)は 助 詞 の ﹁は ﹂ が 使 わ れ 、 (ロ に)は 使 わ れ て い な い 。 (イ と)(ロ の)う ち で
︿判 断 を 表 わ す ﹀ と いう べ き も の は 、 (イ の)セ ン テ ン ス だ け で あ る 。 こ ん な こ と か ら 佐 久 間 は 、 日 本 語 の こ の 性 質
を も っ て 、 日 本 語 を ヨ ー ロ ッ パ 諸 語 以 上 に 論 理 的 な 言 語 だ と 考 え て い い と 言 っ た 。(﹃日本 語 の言 語 理論 的 研 究 ﹄) も
し 、 ア リ スト テ レ ス以 下 の哲 学 者 の 母 国 語 が 日本 語 だ った ら 、 ヨー ロ ッパ の 論 理 学 は よ け いな ま わ り 道 を し な い です ん だ か も し れ な い、 と いう こと に な る 。
日本語 の名 詞 どめ表 現
と こ ろ で 日 本 語 の セ ン テ ン ス に つ い て 、 次 に 注 意 す べ き は 、 品 定 め 文 の中 に も 、 題 目 の 部 分 を 言 わ な い こ と が
あ の山は何だ ?
あ る ことだ。 に 対 し て、 (a ) 富 士だ!
と 答 え た と き の セ ンテ ンス が そ れ だ 。 ﹁富 士 さ ! ﹂ ﹁富 士 だ ろ う ﹂ も これ に準 じ る 。 こ れ は 上 に ﹁あ れ は﹂ を 補 っ
て、 ﹁ あ れ は 富 士 だ ! ﹂ のよ う に 言 う こ と が で き る。 つま り 、 (aの) ﹁富 士 だ ! ﹂ は 、 品 定 め 文 の片 割 れ だ 。 こ こ
ま では い い。 難 し い のは 、 (a の)﹁富 士 だ ! ﹂ に 似 て 、 物 語 り 文 に も 、 た だ ﹁富 士 だ ! ﹂ と いう の が あ る こと だ 。
た と え ば、 東 海 道 新 幹 線 に乗 って、 東 京 か ら 西 へ向 か って 行 った とす る 。 は か ら ず も 右 手 に雪 を いた だ いた 雄 大 な富士を 望み見た。 思わず、 (b ) 富 士だ!
と 言 った 時 の ﹁富 士 だ ﹂ が こ れ だ 。 こ れ は 上 に ﹁あ れ は ﹂ が 略 さ れ た の で は な い。 も し 、 く わ し く 表 現す る な ら
ば、 ﹁ 富 士 が 見 え る ! ﹂ と な る べ き も のだ 。 つま り、 (b の) ﹁ 富 士 だ !﹂ は 物 語 り 文 を 圧 縮 し た 形 であ る 。 こ の (b)
の ﹁富 士 だ ! ﹂ は 、 た だ ﹁富 士 ! ﹂ と 言 う こと も あ る。 こ れ は 、 ﹁あ れ は 何 ?﹂ と 言 わ れ て 、 ﹁富 士 だ ﹂ と か ﹁富 士 ﹂ と か答 え る 場 合 と は 、 ち が った 種 類 の セ ンテ ン ス であ る 。
こ の よ う に し て 日本 語 の 名 詞 だ け の セ ン テ ン ス、 名 詞 + ﹁だ ﹂ と いう 形 の セ ン テ ン ス に は 、 品 定 め 文 の片 割 れ
と 、 物 語 り 文 の圧 縮 し た 形 と 、 二種 類 のも の があ る 。 こ れ は ﹃国 語 法 文 章 論 ﹄ の著 者 ・三 尾 砂 の創 見 であ る 。
以 前 の学 者 は 、 (a の)﹁富 士 だ ﹂ に は 気 づ いた が、 (b の)﹁富 士 だ ﹂ に は気 づ か な か った 。 (bの) ﹁富 士 だ ﹂ の発
藤原顕 輔
見 の意 味 は 大 き い。 和 歌 ・俳 句 に お け る 名 詞 ど め や 、 そ れ に似 た 形 のも の がす べ て説 明 で き る か ら だ 。 名 詞 に
秋 風 に た な び く 雲 の絶 え ま よ りも れ 出づ る 月 の影 の さ や け さ
﹁か な ﹂ を そ え た も のも これ だ 。
ほ と と ぎ す 一二 の橋 の夜 明け か な
荒 海 や 佐 渡 に よ こた ふ 天 の河
蕪 村
其 角
芭 蕉
多 摩 川 の浅 き 流 れ に石 投 げ て遊 べ ば 濡 る る わ が た も と か な
四 五 人 に月 落 ち か か る 踊 か な
若山牧水
つま り 、 主 語 ・述 語 の表 現 を と って も い い
山 田 孝 雄 は こう いう セ ンテ ン スを す べ て ︿喚 体 ﹀ の セ ンテ ン ス と 呼 ん で、 感 動 の表 現 と み た 。 彼 の セ ン テ ン ス
白雄
の分 類 は 、 多 く の学 者 に重 ん ぜ ら れ た 提 唱 であ る 。 し か し 、 これ ら を 感 動 表 現 と 見 て 、 人 恋 し ひ と も し ご ろ を 桜 散 る
のよ う な のを 感 動 表 現 でな いと 見 る のは お か し い。 ﹁秋 風 に ⋮ ⋮ ﹂ の歌 を 例 に と れ ば 、 ﹁影 ぞ さ や け き ﹂ と 言 って も︱
と こ ろ だ 。 そ れを 主 語 ・述 語 一体 の表 現 を と って ﹁影 のさ や け さ ﹂ と 言 った の だ 。 ﹁影 の さ や け さ ﹂ と ﹁影 ぞ さ
や け き ﹂ と を 比 べ て ﹁影 のさ や け さ ﹂ の方 が 感 動 が 強 いと いう こ と は な い。 し いて いえ ば 、 言 い方 が ひ き し ま っ
て いる ぐ ら い のと こ ろ だ。 これ は ﹁影 のさ や け さ な る か な ﹂ と で も 言 う べき と こ ろ を は し ょ って言 った 語 気 だ か ら であ る 。
二 語 句 の 並 べ方
こと ば の並 べ方 の原 理 セ ン テ ン スは 原 則 と し て単 語 の集 ま り で あ る 。 中 に は 、
火 事!
と いう よ う な 、 い わ ゆ る ︿ 一語 文 ﹀ も あ る が 、 ふ つう は 、 二 語 、 三 語 ⋮ ⋮ そ れ 以 上 の 単 語 が 集 ま っ て で き て い る 。
単 語 を 並 べ て セ ン テ ン ス を 作 る と き 、 そ の並 べ 方 に つ い て は 、 そ れ ぞ れ の 国 語 に よ り き ま り が あ る 。 日 本 語 に
﹁日 本 語 の 不 自 由 さ ﹂ と いう 文 章 が あ る 。 そ れ に よ る と 、 彼 の 祖 父 は 、 生 前 口 癖 の よ う に 言 って
は ど のよ う な き ま り があ る か 。 萩原 朔太郎 に いた そ う だ 。
日 本 は 世 界 で 正 道 を 歩 む 唯 一 の 国 だ 。 な ぜ な ら ば 見 よ 。 西 洋 の 言 葉 で も 支 那 の 言 葉 で も 皆 逆 さ ま に 引 っく り
返 って読 む で は な いか 。 日本 語 だ け が真 直 であ り 、 正 し く 逆 立 ち し な い言 葉 だ か ら ⋮ ⋮
こ れ は 、 人 は 一般 に 自 分 に 馴 れ た も の を 、 正 し い よ う に 思 う と い う 心 理 を あ ら わ し て お も し ろ い。 が 、 こ の 言
葉 は 、 無 邪 気 な 子 供 っぽ い 見 方 と し て 簡 単 に し り ぞ け る こ と が で き な い 面 が あ る 。 そ れ は 、 日 本 語 の 語 句 の並 べ
方 は 、 ﹁非 常 に 大 き な 法 則 の も と に 一貫 し て い る ﹂ と 言 え る か ら だ 。 そ の 法 則 と は 、 ﹁A の 語 句 が B の 語 句 に 従 属
し て い る と す れ ば 、A は 常 に B の 先 に 立 つ ﹂ と いう 法 則 で あ る 。 た と え ば 、 わ れ わ れ は 、
﹁花 ﹂ に 従 属 し て い る 。 そ の 証 拠 に 、 ﹁白 い 花 ﹂ は
白 い 花 と 言 う 。 こ の 場 合 、 ﹁白 い﹂ は
﹁白 い 花 ﹂ ﹁赤 い 花 ﹂ ﹁大 き な 花 ﹂ ﹁小 さ い 花 ﹂ な ど い ろ い ろ の 花 が あ る 。 そ の う ち
﹁花 ﹂ の 一種 で あ っ て 、 ﹁白 い﹂
の 一種 で は な い 。 ﹁花 ﹂ の 中 に
﹁咲 く ﹂ の 一
﹁花 ﹂ に 従 属
﹁花 ﹂ の 続 き 方 と 同 じ 続 き 方
﹁白 い 花 が ﹂ ﹁白 い 花 を ﹂ と 言 え る 。 す な わ ち 、 ﹁白 い﹂ は
の 一つ だ 。 だ か ら も し 、 ﹁白 い 花 ﹂ が 、 ほ か の 言 葉 へ 続 い て い く と す れ ば 、 そ れ は を す る 。 ﹁花 が ﹂ ﹁花 を ﹂ と 言 え る よ う に し て いる の だ 。 美しく 咲く
は 同 様 に 、 ﹁咲 く ﹂ の 一種 で あ っ て 、 ﹁美 し く ﹂ の 一種 で は な い 。 ﹁花 が 咲 く ﹂ ﹁ 庭 で咲 く ﹂ も 同 様 に
種 で あ っ て 、 ﹁花 が ﹂ ﹁庭 で ﹂ は ﹁咲 く ﹂ の 前 に 立 つ の で あ る 。
﹁咲 く ﹂ に 従 属 し て い る 。 だ か ら
﹁咲 い て ﹂ は
﹁ 美 し く ﹂ で も 、 ﹁花 が ﹂ で も 、 ﹁庭 で ﹂ で も 、
﹁い る ﹂ に 、 ﹁咲 く ﹂ は
﹁と こ ろ だ ﹂ に 従 属 し て
従 属 す る ・従 属 さ れ る の 関 係 は 、 前 に 立 つ 語 に 意 味 の 上 で 重 量 が あ る 場 合 に は 、 う し ろ の 語 が 従 属 し て い る よ
咲く と ころだ。
う に見える ことがある。 咲 い て い る 。 のよ う な 場 合 が そ う だ。 し か し 、 こ れ も 文 法 上 は
﹁い る ﹂ に よ って き ま る 。 ﹁咲
﹁い る ﹂ の 一種 で あ って 、 ﹁咲 い て ﹂ の 一種 で は な い。 文 法 的 に は
い る 。 ﹁咲 い て い る ﹂ と いう 語 句 が 、 ど う い う こ と ば へ続 い て い く か は 、 ひ と え に
﹁い る ﹂ に 従 属 し て い る 。
い て ﹂ に は よ ら ぬ 。 つ ま り 、 ﹁咲 い て い る ﹂ は ﹁咲 い て ﹂ は
従 属 す る要 素 が先 に 立 ち 、 従 属 さ れ る要 素 があ と に ま わ る。 日 本 語 に お け る こ の鉄 則 は、 大 は 、 セ ン テ ン スを
を 先 に お く こ と も 自 由 で あ る 。=
を 先 にお いても
構 成 す る 大 き な 句 の 場 合 に も あ て は ま り 、 小 は 、 二 つ の 単 語 が 一緒 に な っ て 連 語 に な る 場 合 に も あ て は ま る 。
を 先 に お く こ と も 、=
も し あ し た 雨 だ った ら 、 私 は 止 め に し ま す 。 も し こ れ が 英 語 だ っ た ら 、︱
った ら ﹂ と 言 え な い こ と は な い 。 し か し 、 こ の 場 合 に は 明 ら か に ︿倒 置 さ れ た ﹀ と いう 感 じ が あ る 。
︿倒 置 ﹀ と いう 感 じ は し な い 。 し か し 、 日 本 語 で は が っち り き ま って い る 。 ﹁私 は 止 め に し ま す 。 も し あ し た 雨 だ
﹁が ﹂ ﹁だ ろ う ﹂ の 方 に 主 導 権 が あ っ て 、 ﹁花 が あ る ﹂ ﹁花 が 咲 く ﹂ あ る い は 、 ﹁咲 く だ ろ う か
﹁花 が ﹂ ﹁咲 く だ ろ う ﹂ の よ う な 、 名 詞 + 助 詞 、 動 詞 + 助 動 詞 の よ う な と き に は 、 名 詞 ・動 詞 が 先 に 立 つ が 、 こ れも、 文法的 に は
ら ﹂ の よ う に 、 何 が つく か は 、 す べ て 助 詞 や 助 動 詞 に よ って き ま る 。
日 本 語 の 語 句 の 並 べ 方 は 非 常 に 一貫 し て い る 。 萩 原 の 祖 父 の 言 を 簡 単 に は 笑 え な い ゆ え ん で あ る 。 も っと も 別 の 論 理 に 立 て ば 、 日 本 語 は い つ で も 逆 立 ち し て い る 言 語 だ と いう こ と に な る 。
日本 語と 同類 の語 順 の言語
日 本 語 の 語 順 は と に か く 一つの 法 則 によ って 一貫 し て い る。 し た が って 日 本 語 と 同 じ よ う な 語 順 を も つ言 語 は 、
世 界 の言 語 の 中 に も 数 が 多 い。 東 洋 で は朝 鮮 語 、 満 州 族 の言 語 、 現 代 モ ンゴ ル語 、 ア イ ヌ語 が そ う で あ る 。 朝 鮮
語 の本 では 、 日本 語 と 語 順 が 完 全 に 一致 す る と いう こ と の証 拠 と し て、 次 のよ う な 例 を あ げ て いる 。( 渡辺吉鎔 ・鈴
Ilponin wn 東洋 wi kauntees〓 nwn m〓u ichilchekin 民族 ilanwn 日本人 は の 中で は 大変 変った だということ もよく わかって きた
木孝夫 ﹃ 朝鮮語 のすすめ﹄による)
モ ンゴ ル語 やト ル コ語 等 の ア ル タイ 諸 語 も 日 本 語 に似 て いる が、 た った 一つ、 名 詞 に か か る人 称 を 表 わ す 連 体
詞 が名 詞 よ り あ と に く る と いう 小 さ な 点 で、 ち ょ っと ち が う 。 ビ ル マ語 ・チ ベ ット 語 も 日 本 語 に 似 て いる が 、 名
詞 に つく 連 体 修 飾 語 が 、 原 則 と し て名 詞 のあ と に 来 る と こ ろ だ け が ち が う 。 し か し 、 こ れ ら の言 語 でも 、 動 詞 に
か か る 語 は 、 全 部 動 詞 よ り前 に 来 て、 し た が って 文 の最 後 に動 詞 が 現 わ れ る点 、 日 本 語 と よ く 似 て い る。 ヨー ロ
ッパ語 と 同 じ 系 統 だ と 言 わ れ て い る言 語 でも イ ラ ン語 、 ア ルメ ニア 語 、 イ ンド のヒ ンデ ィー 語 の 語 順 は 日本 語 と
一致 す る と いう 。 泉 井 久 之 助 に よ る と 、 こ のよ う な 言 語 は、 そ の ほ か に 、 ア ジ ア 、 ヨー ロ ッパ の各 地 にわ た り 、 ま だ ま だ た く さ ん あ る と いう 。( ﹃ことばの講座﹄Ⅰ︶
ウ ラ ル諸 語 に属 す る ハ ンガ リ ー 語 は 、 今 は 他 動 詞 を 目 的 語 の前 に置 く が 、 古 く は ア ジ ア のウ ラ ル諸 語 な み に 目
的 語 が前 にあ った と いう 。 代 表 的 な ヨ ー ロ ッパ 語、 ラ テ ン 語も 、 い ろ いろ な 語 順 を 使 いえ た が 、 日本 語 と 同 様 、
動 詞 を 最 後 に す え る の が 標 準 的 な 形 だ った 。( 同書) とす る と 、 日本 語 の こ と ば の 順 序 は 、 世 界 の 言 語 の 中 で 、 ごく 平 凡 な 順 序 と いう こ と にな る 。
kesto
c
語 順 の五類 型
一体 、 日本 語 と いち ば ん 語 順 のち が う 言 語 は ど の言 語 か 。 そ も そ も 世 界 の 言 語 に は、 ど のよ う な 語 順 の 類 型 が
あ る のか 。 現 代 の英 語 は し ば し ば 日本 語 と 非 常 に対 立 し 、 た ま た ま 漢 文 の 語 順 が 英 語 と よ く 似 て いる の で 、 日本
語 と 英 語 ・中 国 語 が対 立 し て いる 両 極 端 か と 思 ってし ま う が 、 ち が う 。 ヨー ロ ッパ のケ ルト 語 は動 詞 が先 に来 て、
主 語 や 目 的 語 は 、 そ のあ と に ぞ ろ ぞ ろ 立 つと いう 。 修 飾 す る 言 葉 は 、 修 飾 さ れ る 名 詞 よ り あ と に 来 る 。 こ れ な ど
が 日本 語 と 一番 極 端 に 対 立 す るも のだ 。 中 国 語 は 、 名 詞 を 修 飾 す る 語 が名 詞 よ り 前 に 来 る か ら 日 本 語 に 一歩 近 く 、
英 語 も そ う いう こと が 多 いが 、 フラ ン ス語 は あ と にく る こと が 多 く 、 こ のケ ルト 語 に 近 い。 東 南 ア ジ ア で は タイ
語 ・ヴ ェト ナ ム語 が そ のよ う で、 これ も 日本 語 と か な り 語 順 の ち が う 言 語 の 一つで あ る 。 そ のほ か に 、 先 に述 べ
' (1) ビ ル マ語 式
(1 ) 日本 語 式
主 語 ︱ 他動 詞 ︱ 目 的 語 の 順 た だ し 、 修 飾 語 は名 詞 よ り前 に 。
主 語 ︱ 目 的 語︱ 他 動 詞 の 順 た だ し 、 修 飾 語 は名 詞 よ り後 に 。
主 語 ︱ 目 的 語︱ 他 動 詞 の順 た だ し 、 修 飾 語 は名 詞 の前 に 。
た ビ ル マ語 のよ う な のが あ る か ら 、 世 界 の言 語 は 語 順 か ら 見 て 次 の五 類 型 にな る。
(2 ) 中 国語式
他 動 詞︱ 主 語 ︱ 目 的 語 の 順 た だ し 、 修 飾 語 は 名 詞 よ り後 に 。
(2 )フ'ラ ン ス語 式 主 語︱ 他 動 詞︱ 目 的 語 の 順 た だ し 、 修 飾 語 は名 詞 よ り後 に 。 (3 ) ケ ルト 語 式
後 置詞 と前 置 詞の有 無
ア メ リ カ の言 語 学 者 グ リ ン バ ー グ は、 こ の よ う に 分 類 し た あ と で、 (1 () 1の)言'語 は 、 後 置 詞 、 つま り 日 本 語 の
助 詞 を も って い て、 前 置 詞 が な く 、 (2 () 2 () 3 の ' ) 言 語 は 、 前 置 詞 を も って い て、 後 置 詞 を も た な いと いう 一般 法 則 があ る こと を 発 見 し た 。
こ れ に よ る と 、 (1 () 1 と)( '2 () 2 (3))と'の間 に大 き な ち が い があ り 、 (1 は)('1の︶う ち で 一歩 (2 に)近 いも の、 (2 は)(2 よ)'
is
aもb そo れoだ kし .、 〟
り も 一歩 (1 に)近 いも のと 言 え る 。 中 国 語 や 英 語 で は 自 動 詞 の場 合 、 主 語 よ り前 に出 る こ と があ り 、 (2)と(( 23 ) が) '
this とい yうo疑 u問 r文 s? も〟 それだ。
近 いこ と を 証 明 し て いる。 中 国 語 の ﹁有 山 有 河 ﹂ ﹁立 春 ﹂ ﹁降 雨 ﹂ な ど、 英 語 の"Here "Is
な お 、 主 語 と 目 的 語 に つ い ては 、 世 界 を 通 じ て主 語を 先 にす る のが 原 則 だ と いう こ と も グ リ ン バー ク は 発 見 し
た が、 松 本 克 己 の ﹁日 本 語 の類 型 論 的 位 置 づ け ﹂ (﹃ 言語﹄昭和 六十二年 七月号、別冊)に よ る と 、 広 い世 界 に は 七 つ だ け 、 南 米 と ニ ュー ギ ニア に は 目 的 語 の方 を 先 に いう 言 語 があ る そ う だ 。
疑 問 文 の語順
is
a
pen.←Is
this
a
pen?
こ こ で疑 問 文 に つ いて ち ょ っと 注 意 し て お く 。 英 語 や ド イ ツ語 な ど で は 疑 問 文 で は 、主 語 と 動 詞 と が ひ っく り 返 って 、 This
と な る 。 これ は 疑 問 文 で あ る こと が 最 初 か ら わ か って 明 快 であ る 。 日本 語 で は 疑 問 文 であ る こ と を 表 わす の は 文
末 の ﹁か ﹂ で あ って、 そ れ を 聞 く ま では 疑 問 文 か何 か わ か り にく いと いう 欠 点 があ る 。
this? Where
あ の人 は ど こ へ行 き ま す か
does
he
go?
も っと も 今 度 は 英 語 な ど で は、 疑 問 詞 の は いる 疑 問 文 では 、 そ の疑 問 詞 を か な ら ず 文 の最 初 に 言 わ な け れ ば い
is
けな いと いう き ま り があ る 。 What のよ う で、 これ は何 です か
な ど と いう 日本 語 と は 異 な る 。 が 、 日 本 語 で は あ と の よ う な 場 合 、 ど こ へあ の人 は行 き ま す か
と も 言 う 自 由 が あ り 、 こ の方 が便 利 な の で は な い か。
日本 語 の並 べ方 の自由 さ
次 に 、 日本 語 の語 順 は 自 由 であ る か 自 由 で な いか。 こ れ に は 二 つの答 が あ る 。 古 典 文 法 の権 威 ・松 尾 捨 治 郎 は 前 者 の立 場 に 立 ち 、 た と え ば 、
此 の暁 ほ と と ぎす 二声 三 声 悲 し げ に 平 安 城 を 東 南 よ り 西 北 に す ち か ひ に 鳴 き 過 ぎ ぬ 。 と いう 文 が あ れ ば 、 こ れ は 九 つ の文 節 が ど のよ う な 順 序 に でも な る と 論 じ た 。
が 、 こ れ は 、 ﹁自 由 に置 き 換 え ても 意 味 が通 じ る ﹂ と いう こと と 、 ﹁自 由 に置 き 換 え ても 置 き 換 え ら れ た と いう 感 を 与 え な い﹂ と いう のを 混 同 し た 議 論 だ 。 それ から、 猫 が、 鼠 を 、 捕 え る 。
と いう セ ン テ ン ス が あ る と す る 。 日本 語 では こ の 三 つ の要 素 を ど う 入 れ か え ても 意 味 は 変 わ ら な い。 そ れ は た し
か だ 。 し か し 、 ﹁猫 が捕 え る 、 鼠 を ﹂ と いう と 、 いか にも 順 序 が ひ っく り 返 った と いう 感 じ を 与 え る 。 こ のよ う
な のは 、 ほ ん と う に 語 順 が 自 由 だ と いう の と は 少 し ち が う 。 先 の ﹁此 の暁 ほ と と ぎ す ⋮ ⋮ ﹂ の例 でも 、 ﹁鳴 き
過 ぎ ぬ﹂ を セ ンテ ン ス の途 中 に も って いく と 、 そ れ よ り 後 に お か れ る 語 句 は、 す べ て狂 った 位 置 に お か れ た と い う印象 が与えら れる。 中 国 語 は 、 一つ位 置 が狂 った だ け で 文 意 が大 いに 異 な る。
船は来 た
船 が来 た ﹁我 写 在 這 裏 ﹂︱
﹁来 船 了 ﹂ ︱ 私 は こ こ で書 く
私 は こ こ に書 く
﹁子女 ﹂ は 、 男 の 子 と 女 の 子 、 ﹁女 子 ﹂ は 女 の子 の意 、 ぐ ら いは い いと し て 、 ﹁船 来 了﹂ ︱
﹁我 在 這 裏 写﹂ ︱
語 順 のも っと も 発 達 し た 言 語 と 言 う べ き だ ろ う 。
日 本 語 は 、 中 国 語 ・英 語 に く ら べ る と た し か に 語 順 は 自 由 で あ る 。 ド イ ツ語 や フ ラ ン ス 語 も 、 日 本 語 よ り が っ
特
ち り き ま っ て い る よ う だ 。 し か し 、 ラ テ ン 語 な ど は ず い ぶ ん 自 由 だ った ら し い。 M ・ ペイ に よ る と 、 ス ペ イ ン 語
や イ タ リ ア 語 な ど は そ の伝 統 を 受 け て、 ず い ぶ ん 自 由 がき く 。 ア メ リ カ の学 生 が は じ め て 、 ス ペイ ン語 を︱
た と え ば 長 い セ ンテ ン ス の 一番 終 わ り に 隠 れ て いる こ と も あ る と いう 。
に そ の文 章 語 を 習 う と き にう き 身 を や つす の は、 そ の セ ンテ ン ス の中 のど こ に主 語 が隠 れ て い る かを 探 す こ と で、 主 語 は セ ン テ ン ス のど の位 置 に でも 、︱
日本 語 は 語 順 が自 由 な の が 特 色 だ 、 と 言 う のは 言 い過 ぎ で あ る 。 ペイ (﹃ 言語 の話﹄ ) や イ ェリ セ ー エ フ (﹃ 世界 の
従 属 的 な 要 素 を 先 に、 主 要 な 要 素 を あ と に お く 語 順 は 、 日本 語 の表 現 の上 に い
言語﹄)な ど は 、 日本 語 を 語 順 の 比 較 的 や か ま し い言 語 の方 に 入 れ て いる。
修 飾語 が先 に来 る 不便 日本 語 の こ の よ う な 語 順 、︱
ろ いろ な 影 響 を 与 え て いる 。 よ く 言 わ れ る こ と は 、 修 飾 語 が 先 に来 る た め に、 そ れ が 長 いと き に は 何 を 言 い出 す の か容 易 に つか め ぬ と いう こと だ 。
か つ て、 N HK テ レ ビ の人 気 番 組 に ﹁ジ ェスチ ャー ﹂ と いう の があ った が 、 柳 家 金 語楼 ・水 の江 滝 子 両 キ ャ
プ テ ン以 下 の面 々 の華 や か な 活 躍 を ま だ 覚 え て いる 人 は 多 か ろ う 。 林 大 が、 あ れ を 見 て いる と 、 日 本 語 の語 順 を 考 え さ せ ら れ る と 言 い出 し た の は おも し ろ か った 。
ま ず 問 題 を 出 す 人 が お り 、 そ れ か ら そ の問 題 を チ ー ム か ら 選 ば れ た 一人 だ け が知 って い て、 演 技 を し て自 分 の
チ ー ム の人 にあ て さ せ る と いう も の だ った が 、 た と え ば 、 こう い った 問 題 が 出 た と す る 。 ﹁た ら い で行 水 を し て
いる美 人 を フシ 穴 か ら の ぞ こう と し て 溝 へ落 ち た 男 ﹂。 そう す る と 、 演 技 を す る 人 は 、 決 し て こ の順 序 に は 演 技
し な い。 は じ め に ﹁た ら い﹂ を 出 し て 、 それ か ら ﹁行 水 を し て いる 美 人 ﹂ と いう 順 序 に は 演 技 し な い。 そ ん な 順
序 に演 技 を し た ら 、 チ ー ム の人 の頭 を 混 乱 さ せ る 。 ど う や る か と 言 う と 、 ま ず ﹁男 ﹂ を 出 す 。 ネ ク タイ を 示 す 身
振 りを し て ﹁男 ﹂ を 演 ず る 。 そ の次 に 、 そ の 男 を 脇 に ど け て 置 いて 今 度 は ﹁ 美 人 ﹂ を 出 し 、 そ れ が ﹁行 水 を し て
いる﹂ 様 子 を 出 す 。 それ を ま た 別 に し て お いて 、 さ っき の男 が フシ 穴 から のぞ く し ぐ さ を を や る 。 そう し て最 後 に ﹁溝 へ落 ち る ﹂ を 演 技 す る の が定 石 だ った 。
当 て る 側 は、 これ に 対 し てど う 答 え る か と いう と 、 は じ め は演 技 の順 序 に ﹁男 が 、 美 人 が 行 水 し て いる のを フ
シ 穴 か ら の ぞ い て溝 へ落 ち る ⋮ ⋮﹂ と いう よ う な こ と を 言 う 。 そ う す る と 、 演 技 を し た 人 が、 そ う で は な い、 順
序 が 違 う と いう 身 振 り を す る。 そ う し て、 最 後 に ﹁た ら いで行 水 を し て いる 美 人 を フ シ穴 か ら のぞ こう と し て溝
へ落 ち た 男 ﹂ と いう 順序 に 変 え る わ け であ る が、 どう し て は じ め にあ のよ う な 、 問 題 と は 違 った 順 序 に 演 技 を す
る か と いう と 、 これ は 結 局 ﹁フ シ穴 か ら の ぞ こ う と し て 溝 へ落 ち た 男 ﹂ と いう 場 合 に、 ﹁男 ﹂ と いう 方 を 先 に 出
す 方 が 、 あ て る 人 に 理 解 し や す いか ら だ 。 つま り 、 人 物 と そ の動 作 や 状 態 を 言 う 場 合 、 人 物 を 先 に 出 し て そ の動
作 や 状 態 は あ と か ら 言 う 方 が自 然 な の だ 。 そ う す る と 、 日本 語 の順 序 は こ の自 然 の順 序 に 反 し て いる わ け で 、 そ
のた め に ジ ェス チ ャー ・ク イ ズ では 、 演 技 を す る 人 も 、 当 て る 人 も 苦 労 す る こ と にな る。
こ の よ う な 事 態 に 対 し て、 よ く 、 人 は 英 語 や ド イ ツ語 に は 関 係 代 名 詞 と いう の があ って 、 そ のた め に わ か り や
す いと 言う が、 こ れ は 別 に 関 係 代 名 詞 のせ いで は な い。 名 詞 を 修 飾 す る 言 葉 が 前 にく る か 、 あ と に く る か の問 題
であ って 、 せ っか く 関 係 代 名 詞 があ って も 、 そ れ が 名 詞 の前 に来 た の では どう に も な ら な い。
日本 人 は こう いう こと か ら 、 修 飾 語 を 前 に お く 日 本 語 を 使 いな が ら 、 早 く 言 いた いこ と がな か な か言 え な い 不 便 を か こ って いる のだ 。
さまざ ま な対策
日本 人 は 日本 語 の こう いう 性 格 を 認 め 、 何 と か 明快 に 意 図 を 伝 え る 方 法 を 考 え た。 会 話 な ど では 、 修 飾 語 を 引
き の う 、 ま た あ の 男 が や って 来 ま し た よ 、 こ の 間 ほ う ほ う の 体 で 逃 げ 帰 った ⋮ ⋮
今 度 お 隣 り へ来 た お 嫁 さ ん 見 た ? 色 の 白 い、 背 の 高 い ⋮ ⋮
っく り 返 し て あ と へ持 って いく こ と を や る 。
し か し 、 こ れ は あ ま り 自 由 に は で き な い。 芥 川 龍 之 介 は 文 章 の 上 で こ ん な 言 い方 を 工 夫 し た 。 が 、 追 随 者 は 出
笠 に 這 っ て い る 電 灯 を 。( ﹃ 秋 ﹄)
二 人 が 庭 か ら 返 っ て 来 る と 、 照 子 は 夫 の 机 の 前 に 、 ぼ ん や り 電 灯 を 眺 め て い た 。 青 い横 ば え が た った 一 つ 、
な か った 。
( ﹃ 伊 勢 物 語﹄)
﹁の ﹂ を 用 い る 手 で あ る 。 湯 沢 幸 吉 郎 が ﹃国 語 法 論 考 ﹄ の 中 で 注 意 し て い る が 、 昔 の
一番 成 功 し た の は 、 助 詞
白 き 鳥 の は し と 足 と 赤 き 、 し ぎ の大 き さ な る 、 水 の上 に遊 び つ つ⋮ ⋮
日本 語 に は 、
と いう よ う な の が あ った 。 こ れ は 今 で も 使 って い て 、 ﹁卵 の ゆ で た の ﹂ ﹁土 瓶 の 口 が 割 れ た の﹂ な ど と や っ て い る 。 ﹁の ﹂ を 用 い て 、
白 い鳥 で、 ク チ バ シと 足 と が赤 く て シギ ぐ ら い の大 き さ な のが 、 水 の 上 に⋮ ⋮
少 し 長 い 句 な ら ば 、 ﹁で ﹂ と
と す る こ と に な る 。 こ の 言 い方 は 名 詞 を 修 飾 す る 言 葉 が 名 詞 よ り あ と に 来 て い て 、 い わ ゆ る 関 係 代 名 詞 の な い こ と を 歎 か な い で す む 。 日 本 語 は こ の 言 い 方 を も っと 活 用 す る と い い 。
ま ぎ ら わ し い修 飾 語
日本 語 で は 名 詞 の場 合 に 限 ら ず 、 動 詞 の場 合 で も 、 修 飾す る 言 葉 よ り あ と に く る。 そ う す る と 、 途 中 に 、 同 じ
よ う な 名 詞 や 動 詞 が 来 る と 、 そ の 修 飾 語 は 、 ど っち の 名 詞 、 ど っち の 動 詞 に 続 い て 行 く の か 、 わ か ら な く な る こ と があ る。
美 し い水 車 小 屋 の娘 ﹁娘 ﹂ に 、 ﹁赤 い ﹂ は
赤 い お 墓 の ひ が ん ば な
ま あ 、 こ れ ら は 常 識 で 、 ﹁美 し い ﹂ は う 少 し 複 雑 に な って 、 今 は 亡 き 姉 の恋 人 の弟 と 仲 よ く せ し も 悲 し と 思 ふ
﹁ひ が ん ば な ﹂ に か か る と 解 釈 で き よ う 。 こ れ が も
石川啄木
と な る と 、 ﹁今 は 亡 き ﹂ は 姉 と も と れ 、 姉 の 恋 人 と も と れ 、 ま た そ の 弟 と も と れ そ う だ 。
﹃こ と ば の 研 究 室 ﹄ (NHK 編 ) で 発 表 し た 、
動 詞 に 修 飾 語 を つ け た 時 も 、 そ の 前 に そ の 修 飾 語 へ続 い て 行 く 語 句 が あ る と 、 そ っち に 関 係 す る 語 句 か と も と れ 、 難 し い。 永 野 賢 が
渡 辺 刑 事 は 血 ま み れ に な って 逃 げ 出 し た 賊 を 追 い か け た
で 、 血 ま み れ に な った の は 、 渡 辺 刑 事 と も と れ る し 、 逃 げ 出 し た 泥 棒 と も と れ る 。
な お 、 以前 は 主 語 と いう も のは 、 文 の先 頭 に立 つと いう よ う に言 わ れ た も の だ が 、 三 上 章 や 佐 伯 哲夫 によ って、 い つ、 ど こ で 誰 が ⋮ ⋮
と 行 く の が 、 わ か り や す い 順 序 で 、 こ れ が 常 道 だ と い う こ と に な った 。 た し か に 、 昔 話 を す る に し て も 、
﹁昔 々 ﹂ よ り 前 へ は 持 っ て い か な い 。
昔 々、 あ る と こ ろ に 、 お じ い さ ん と お ば あ さ ん が 、 あ り ま し た 。 と あ っ て 、 ﹁お じ い さ ん と お ば あ さ ん が ﹂ を
の で﹂ と か
﹁も し︱
なら﹂ とか
は ﹂ と い う 題 目 だ ろ う 。 そ れ か ら 、 時 ・場 所 ・主 格
﹁し か し ﹂ と か 、 ﹁そ れ か ら ﹂ と か い う 接 続 詞 の 類 い 。 次 は 、 ﹁ ︱
も し 、 こ の ﹁い つ ﹂ ﹁ど こ で ﹂ よ り 前 へ 持 っ て い く も の が あ る と す る と 、 何 か 。 ま ず 、 前 の 文 脈 と の 関 係 だ ろ う 。 つま り
い う 前 提 を 示 す 語 句 が 来 そ う だ 。 そ う し て そ の 次 は 、 ﹁︱ な ど が 来 る と いう の が 普 通 の順 序 と 言 え る 。
短 い修飾 語 はあ とに
一つの動 詞 に 対 し て 、 長 短 さ ま ざ ま の連 用 語 が か か って いく 時 、 本 多 勝 一は 長 い のを 前 へ置 いた 方 が 文 脈 が わ か り や す いと 言 った 。 芥 川 龍 之 介 の ﹃鼻 ﹄ に 、
内 供 は ⋮ ⋮ ぼん や り 、 傍 に か け た 普 賢 の画 像 を 眺 め な が ら 、 鼻 の長 か った 四 五 日 前 の事 を 憶 い出 し て、 ﹁今
は む げ に いや し く な り さ が れ る 人 の、 さ か え た る 昔 を し のぶ が ご とく ﹂ ふさ ぎ こ ん で しま う の であ る 。
と あ る が 、 ﹁ぼん や り ﹂ は 何 に か か る のだ ろ う か。 ﹁眺 め な が ら ﹂ に か 、 ﹁憶 い出 し て ﹂ に か 、 そ れ と も ﹁ふ さ ぎ
こ ん で し ま う ﹂ に か 。 シ ョウ の英 訳 では ﹁眺 め な が ら ﹂ にか け て いる が、 筆 者 は ﹁ぼ ん や り﹂ のあ と に 読 点 があ る と こ ろ か ら 、 ﹁憶 い出 し て﹂ に か か る と 解 し た い。
ま た 、 あ と の方 に か か る 短 い修 飾 語 を あ ま り 早 く 出 し す ぎ る と 、 出 し た こと を 忘 れ て も う 一度 言 って し ま う こ
清 は 時 々台 所 で人 の いな い時 に 、 ﹁あ な た はま っす ぐ で よ い御 気 性 だ ﹂ と ほ め る 事 が 時 々あ った 。( 漱石 ﹃坊 っ
と があ る 。 例 は 名作 にも あ る 。 ち ゃん﹄)
述 語が あと に来 る こと の不便
さ て、 日 本 語 で は 、 多 く の語 が続 いて いき 、 大 切 な 語 が あ と に来 る 。 つま り 、 一つ のセ ン テ ン ス では 、 全 体 を
し め く く る 、 いわ ゆ る ︿述 語 ﹀ が セ ンテ ン ス の最 後 に来 る こ と にな る 。 これ は 、 日本 語 のセ ン テ ン ス の終 わ り を
明 確 にす る 効 果 があ る 。 し か し 、 セ ンテ ン ス の 一番 大 切な 意 味 は 、 最 後 の動 詞 句 にあ る の で、 最 後 ま で意 味 が わ か り にく い こと が多 い。
宮 沢 賢 治 の石 碑 に 刻 ま れ て いる 有 名 な 詩 ﹁雨 ニ モ マケズ 風 ニモ マケ ズ 雪 ニ モ夏 ノ 暑 サ ニモ マケ ヌ ⋮ ⋮ ﹂ を
﹁サ ウ イ
聞 い て い る 人 は 、 珍 し い 特 別 な 人 に つ い て の 話 で あ る こ と は わ か る が 、 一体 そ の 人 は 誰 で あ る の か 、 作 者 が そ う
い う 人 間 だ と 言 っ て い る の か 、 作 者 が そ う い う 人 間 を 知 って い る と 言 って い る の か わ か ら な い 。 最 後 に
フ モ ノ ニ ワ タ シ ハナ リ タ イ ﹂ と いう 一句 に 至 って 、 今 ま で 言 った こ と は 、 す べ て 自 分 の 理 想 の 人 間 の こ と で あ
る 、 と いう こ と が わ か る が 、 そ の と き は 前 の 方 を 忘 れ て い そ う だ 。 こ れ な ど は 、 宮 沢 賢 治 と い う 人 が 意 図 し て お も し ろ く 工 夫 し て 作 詩 し た も の に ち が い な い。
こ の本 を 君 に あ げ ⋮ ⋮
これ は 、 人 を か つぐ 時 に よ く 使 わ れ る 。
た ら 喜 ぶ だ ろ う と ⋮⋮
と 言 う と 、 く れ そ う に聞 え る 。 そ こ で 手 を 出 し か け る と、
思 う か ら い っそ の こ と あ げ ⋮ ⋮
と かわ さ れ る。 お や お や と 思 う と 、
よ う か とも 思 う がま あ よ そ う 。
と く る の で、 そ れ で はや は り と 期 待 す る が、 と ウ ッチ ャ リ を 食 う 。
言 質 を と ら れ ま い と す る 時 に も 、 こ の セ ン テ ン ス 構 造 は 便 利 だ 。 重 大 な こ と を 言 った あ と で 、 ﹁と 思 わ れ る 節
が あ る ﹂ ﹁と 見 ら れ な い こ と も な い﹂ と 言 って 、 言 葉 を に ご す 。 本 人 に は 都 合 が い い が 、 緊 張 し て 聞 い て き た 相 手 に と っ て 、 い ち い ち こ う いう シ ッポ が つ い た の で は 、 や り き れ な い。 平 和 憲 法 の前 文 に も 、 こ の う ら み が あ る 。
一体 、 は じ め の ﹁わ れ ら ﹂ は ど う し た と いう の だ ろ う と 思 っ て い る と 、 こ の あ と 、
わ れ ら は、 いず れ の国 家 も 、 自 国 の こ と に の み専 念 し て他 国 を 無 視 し ては な ら な いの で あ って、 と あ る。
政 治 道 徳 の 法 則 は 、 普 遍 的 のも の で あ り 、 こ の 法 則 に 従 う こ と は 、 自 国 の 主 権 を 維 持 し 、
他 国 と 対等 関 係 に立 と う と す る 各 国 の責 務 であ る と 信 ず る。
と 続 き 、 ま だ結 び が来 な い。 最 後 へ行 って、
と あ り 、 や っと 、 ﹁わ れ ら は 信 ず る ﹂ と 応 ず る の だ な と わ か る 。 が 、 そ れ ま で の ち ゅ う ぶ ら り ん の 気 持 は 相 当 な も の であ る。
s ( 角e野 nt 喜e六 nの ce
︿掉尾 文 ﹀) と い っ て 、 最 後 ま で 緊 張 さ せ る 効 果 が あ る と い っ て い る 。 が 、 こ れ は 特 別 の 効 果 を ね ら う と
ヨ ー ロ ッ パ の 古 い修 辞 学 で は 、 主 語 に 応 じ る 動 詞 を 最 後 に 持 っ て 来 る 書 き 方 を Periodical 訳 では
﹁タ イ ! ﹂ と 言 え ば 前 列 が 逃
﹁タ イ と タ コ﹂ と い う 遊 戯 が あ った 。 前 列 の 生 徒 と 後 列 の 生 徒 と が 追
き に だ け 使 え ば い い こ と だ 。 日 本 語 は 、 正 常 な 語 順 で 書 こ う と す る と 、 い つ も 、 こ の掉 尾 文 ば か り 用 い る こ と に な る 。 これ で は 読 む 人 は た ま ら な い。 今 も あ る だ ろ う か、 筆 者 の小 学 校 時 代 に
う も の 、 逃 げ る も の と な り 、 先 生 が 、 ﹁タ 、 タ 、 タ 、 タ 、 タ ⋮ ⋮ ﹂ と 言 い 、 最 後 に
﹁タ 、 タ 、 タ 、 タ ⋮ ⋮ ﹂ と 言 っ て い る 間 、半 分 及 び 腰 で 、最 後 の 音 を 待 っ て い た も の で あ る が 、 ﹁⋮ ⋮ いず
げ る 役 、 後 列 が 追 う 役 と な り 、 最 後 に ﹁タ コ ! ﹂ と 言 え ば 、 後 列 が 逃 げ る 役 、 前 列 が 追 う 役 に 回 る 。 生 徒 た ち は 、 先生が
that
sentence
れ の国 家 も 、 自 国 のこ と に のみ ⋮ ⋮ ﹂ と 読 ん で いる気 持 ち は 、 タ 、 タ 、 タ ⋮ ⋮を 聞 い て いた気 持 と よ く 似 て いる 。
︿散 列 文 ﹀) と いう 。 こ れ は 、 主 要 な 部 分 が 先 に 出 て く る の で 、 読 ん で 明 快 で あ る 。
英 語 で は 、主 語 に 対 す る 述 語 は 、主 語 の す ぐ 次 に あ ら わ れ る 。こ の よ う な 語 順 を 、掉 尾 文 に 対 し て 、loose ( 同 じく角野 によると
believ⋮ e
も し 英 語 で 、 さ っき の 憲 法 の前 文 を 書 く な ら ば 、 W e
と な っ て 、 ﹁わ れ わ れ は 信 ず る ﹂ と い う 関 係 が き わ め て 明 僚 で あ る 。 こ れ は 英 語 の う ら や む べ き 点 で あ る 。
倒置 など の方 法
日本 人 は こう いう 日本 語 の不 便 さ を 何 と か し て克 服 し よ う と 、 いろ い ろな 努 力 を 試 み た 。 案 出 さ れ た 中 で最 も
私 は 思 わ ず 息 を 呑 ん だ 。 そ う し て 刹 那 に 一切 を 了解 し た 。 小娘 は 、 恐 ら く は こ れ か ら 奉 公 先 へ赴 こう と し て
お だ や か な 方 法 は 、 た と え ば こ んな 言 い方 があ る 。
いる 小 娘 は 、 そ の懐 に 蔵 し て いた 幾顆 の蜜 柑 を 窓 か ら 投 げ て 、 わ ざ わ ざ 踏 切 りま で見 送 り に 来 た 弟 た ち の労 に 報 いた の であ る。( 芥川 ﹃ 蜜柑﹄)
わ れ ら は 信 ず る 。 いず れ の国 家 も ⋮ ⋮各 国 の責 務 で あ る 。
こ の方 式 に従 え ば 、 先 の憲 法 の前 文 は 、 と 書 か れ る こ と に な る。
願 は く は 花 のも と に て 春 死 な ん そ のき さ ら ぎ の望 月 の こ ろ
西 行
ま た 日 本 人 は 新 し い表 現 形 式 を 発 明 し て こ の 日本 語 の不 便 さ を 克 服 し よ う と し た こ と も あ る 。
の ﹁願 は く は﹂ は これ で あ る 。 こ の言 い方 は 、 ﹁花 の も と に て 春 死 な ん ⋮ ⋮ こ と を 願 ふ﹂ と いう よ りも わ か り や す い。
紅 屋 で娘 の言 う こ と に ゃ 春 のお 月 さ ま う す ぐ も り ⋮ ⋮
﹁惜 し む ら く は ﹂ ﹁曰 く ﹂ ﹁知 ら ず ﹂ な ど の 語 法 は 、 いず れ も こう いう 必 要 か ら 発 明さ れ た 。
わ れ ら の 信 ず る と こ ろ では ⋮ ⋮
な ど も こ の 用 法 で あ る。 こ の言 い方 を 借 り れ ば 、 憲 法 の前 文 は こ う な る 。
さ ら に 日本 人 は 、 語 句 の形 式 を 全 く 変 え ず に た だ 語句 の位 置 だ け を 変 え る こと も 試 み て いる 。 これ は、 ふ だ ん
ど う し た の? 目 の上 のと こ ろ 。 は れ て いる わ よ 。
の会 話 の言 葉 に 始 終 見 受 け ら れ る。
今 ち ょ っと ぶ つけ た ん だ 、 柱 に 。 あ ぶ な か った わ ね 。 ち ょ っと待 ってね 、 お 薬 を 探 し てく る か ら 。 傍 線 のと こ ろ は いず れ も 倒 置 であ る が、 ご く 自 然 であ る 。
こ う いう 倒 置 は 、 詩 や 歌 で は始 終 出 てく る。 そ の た め に、 わ れ わ れ は ほ と ん ど ﹁倒 置 ﹂ と いう 印 象 さ え な く な
大 江 千 里
り か け て いる ほ ど であ る 。 月 見 れ ば 千 々 にも の こそ 悲 し け れ わ が 身 一つ の秋 に はあ ら ね ど
石 川 啄 木
三木露 風
や は ら か に柳 青 め る 北 上 の岸 辺 眼 に 見 ゆ 泣 け と ご と く に 十 と せ 経 ぬ 同 じ 心 に 君泣 く や 母 と な り ても
日本 語 の順序 にみら れ る便 利 さ
以 上 の よ う に見 て く る と 、 日 本 語 の 順序 は 理解 さ れ にく い順序 であ り 、 そ う いう 語 順 を も った 日本 語 は 、 能 率
の悪 い言 語 と いう こ と にな る が 、 そ う と ば か り も 言 え な い。 日 本 語 の 順序 が自 然 にか な って いる と いう 点 も な い わ け で は な い。
は じ め に 、 名 詞 と 動 詞 の 位 置 に つ いて考 え よ う 。 さ き の ﹁ジ ェス チ ャー ﹂ を も う 一度 ふ り 返 って いた だ き た い。
わ れ わ れ が 身 振 り を す る場 合 、 名 詞 と そ れ に関 係 のあ る動 詞 を 使 う 場 合 は 、 名 詞 を い つも 先 に言 う 。 先 の ﹁ 溝 へ
落 ち た﹂ と いう よ う な 言 い方 を 、 ジ ェスチ ャー で や って み る と 、 ﹁溝 ﹂ と いう 名 詞 を 先 に出 し て 、 あ と か ら 、 ﹁落
into と 言aって di﹁落 tc ちh た ﹂ 方 を 先 に 言 う 。 ど う も 日本 語 の順 序 の方 が わ か り や す いよ う だ 。
ち た ﹂ と いう 動 詞 のし ぐ さ を す る 。 日本 語 で は 、 ジ ェス チ ャー と 同 じ ﹁溝 ﹂ の方 を 先 に 出 す が、 英 語 は そ う で は な い。fell
thr ao ho ul gと e h言 う であ ろ う が 、 日 本 語 で
そ れ か ら ﹁フシ 穴 か ら のぞ く ﹂ と いう のも 同 じ で、 ジ ェスチ ャー の場 合 、 ま ず ﹁フシ 穴 ﹂ を 先 に 出 し て お い て ﹁のぞ く ﹂ し ぐ さ を そ のあ と か ら や る。 英 語 だ った ら こ れ は 、peep
は
﹁フ シ 穴 ﹂ の方 を 先 に 、 ﹁の ぞ く ﹂ を あ と か ら 言 う 点 は 、 日 本 語 の 方 が わ か り や す い 順 序 で あ る と い う こ と が
でき る 。
﹁犬 ﹂ を 先 に 、 打 つ動 作 を あ と に す る だ ろ う 。 前 に 日 本 語 で 他 動 詞 を あ と に 言 う の は 能 率 が 悪 い と 言 った の は 、
こ れ は 実 は 、 目 的 語 と 動 詞 の 場 合 に も あ て は ま る 。 ﹁犬 を 打 つ﹂ と いう ジ ェ ス チ ャ ー を し よ う と し た ら 、 誰 で も
そ の 目 的 語 が ば か 長 い 場 合 の 話 で 、 原 則 と し て は 、 目 的 語 を 先 に 言 った 方 が わ か り や す い の で あ る 。
﹁愛 す る ﹂ と い う 行 為
バ レ エ ﹁白 鳥 の 湖 ﹂ の 一場 面 を 思 い 浮 か べ ら れ た い 。 王 子 ジ ー ク フ リ ー ド が 、 王 女 オ デ ット に 愛 の 告 白 を 身 振
り です る と こ ろ が あ る が、 あ そ こ で 王 子 は 、 ま ず 自 分 を 指 さ し 、 次 に 相 手 を 指 さ し 、 次 に
y のo 順u序 ." で言う のでは lで ov 、e日 .本 " 式 であ る。
( 本 書) の 分 類 で 見
love
you
を 演 技 し て い る 。 あ の バ レ エ の 原 語 は 何 語 な の で あ ろ う か 。 そ の 原 語 で は 、 "I な い か 。 し か し あ の 身 振 り は ま さ に 、 "I
と こ ろ で 、 何 も か も あ の ジ ェ ス チ ャ ー の 順 序 に し ゃ べ る 言 語 は な い も の か 。 四 一九 ペ ー ジ
る と 、 た った 二 つ 、 ビ ル マ 語 と チ ベ ッ ト 語 が 、 ジ ェ ス チ ャ ー と ほ と ん ど 同 じ 順 序 に し ゃ べ る よ う だ 。 す な わ ち 、
こ の 言 語 で は 、 主 語 ・目 的 語 は 他 動 詞 よ り 前 に 、 名 詞 の 修 飾 語 は 名 詞 よ り あ と に 来 る 。 こ れ は 最 も 合 理 的 な 語 順 だ と いう こ と に な る 。
ビ ル マ語 ・チ ベ ッ ト 語 は 、 こ の 表 で (1︶言 'の 語 で あ る。 日 本 語 は こ れ に 近 い。 日 本 語 の語 順 は 大 き く 言 え ば 、
決 し て わ か り に く い 不 合 理 な 語 順 を も った 言 語 で は な い よ う だ 。 英 語 な ど の 方 が 、 そ う い う 順 序 か ら は 隔 た っ て いる こと が む し ろ 多 いよ う だ 。
﹁一人 の 息 子 ﹂ ﹁息 子 が 一人 ﹂
こ う いう 点 か ら 考 え る と 、 日 本 語 は 、 英 語 の 影 響 な ど で な に か わ ざ わ ざ わ か り に く い順 序 に 変 え て し ま っ て い
る こ と が あ る の で は な い か と 心 配 に な る 。 そ う し て 、 事 実 そ れ が あ る と 思 う 。 た と え ば 、 ニ ュー ス の 放 送 な ど で
﹁三 人 の 男 の 子 と 二 人 の 女 の 子 が 道 端 で 遊 ん で い ま し た が ⋮ ⋮ ﹂ と い う 言 い方 を こ の ご ろ よ く 聞 く が 、 日 本 語 で
は 、 ﹁男 の 子 が 三 人 、 女 の 子 が 二 人 道 端 で 遊 ん で いま し た が ﹂ と い う の が 本 来 の 順 序 だ った 。 こ れ は 、 そ の方 が
人 の息 子 ﹂ と 言 う のと
﹁息 子 が 一人 ﹂ と 言 う の で は 、 元 来 意 味 が 違 う 言 葉 だ った 。 ﹁息 子 が 一人 ﹂
誰 が 考 え て も 耳 に 聞 い て わ か り や す い 順 序 で あ った と 思 う 。 日 本 で は﹁
と 言 う と 、 息 子 が 何 人 か い る そ の う ち の 一人 で 、 ﹁一人 の 息 子 ﹂ と い う と き に は は じ め か ら 一人 し か い な い 息 子
so がn
so にnあ た る 。 日 本 語 に は こ の 違 い が 本 来 あ っ た は ず で 、 こ れ を
﹁姉 の う ち の 一人 ﹂ で は な く 、 ﹁た った 一人 の 姉 ﹂ の 意 だ っ た 。 英 語 で 言 った ら t he
一人 の 姉 が 嫁 ぐ 宵 ⋮ ⋮
だ 。 戦 争 中 、 ﹁日 の 丸 行 進 曲 ﹂ と いう 軍 歌 が あ って 、 と 歌 った が 、 こ れ は
﹁一人 の 息 子 ﹂ で 、 ﹁息 子 が 一人 ﹂ と い う の は a
今 、 日 本 人 が ゴ ッ チ ャ に し て い る の は も った いな い 話 だ と 思 う 。
時 間 ・年 月 日 の 表 わ し 方
次 に 、 日 本 語 の 順 序 で 便 利 な の は 、 時 間 や 年 月 日 の 表 わ し 方 だ 。 時 間 で いう と 、 ﹁午 前 七 時 一五 分 ﹂ と いう の
quater
﹁午 前 ﹂ と 言 っ て も ら っ て 、 そ れ か ら
﹁七 時 一五
pas そtう し se てve ﹁午 n 前 ﹂ を 表 わ す a. m .が 最 後 に く る 。 こ れ は ど ち ら の 言 い方 が い い か と い う と 、 も
が 日 本 語 の 順 序 で あ る 。 こ れ が 英 語 の 場 合 は 、 ﹁ 一五 分 ﹂ が 一番 先 に 立 つ 。 そ う し て ﹁七 時 ﹂ は あ と に 続 い て 、 a
し ラ ジオ の番 組 の予 告 を 聞 く よ う な 場 合 を 考 え る と 、 大 き く
﹁七 時 一五 分 ﹂ と い う の を 、seven
﹁昭 和 六 十 三 年 三 月 二 十 二 日 ﹂ と いう 順 序 で 、 大 き い方
fiの fよ te うeに n ﹁七 時 ﹂ を 先 に 言 う 習 慣 も 出 来 て き た よ う で 、 や は り こ
分 ﹂ と 、.だ ん だ ん 小 さ い方 へ順 々 に 言 っ て も ら った 方 が わ か り や す い に き ま っ て い る 。 ア メ リ カ で も し ば ら く 前 から
の 方 が 向 こ う の 人 も 便 利 だ と 思 って い る に 違 い な い。 年 月 日 を いう 場 合 も ま った く 同 様 で 、 日 本 語 の 順 序 は
か ら 小 さ い方 に 進 む。 英 語 は こう で は な い。 ア メ リ カ と イ ギ リ スと で 違 う そ う で 、 ア メ リ カ で は Marcとhいう
のが 最 初 に き て、 そ れ か ら 22,198 と8ち ょ っと 変 った 順序 に進 む が 、 イ ギ リ ス で は ﹁二 十 二 日 ﹂ が最 初 で、 ﹁三 月 ﹂ 「一九 八 八年 ﹂ と だ ん だ ん 大 き い方 へ進 む 。 これ も 日 本 式 が い い。
宛名 ・姓 名 の表 わし 方
そ れ か ら ま た 場 所 、 手 紙 の宛 名 を 表 わ す 日本 語 の順 序 は、 広 いと こ ろ を 先 に 、 狭 いと こ ろ を あ と に順 序 を 追 っ
て 並 べ る。 筆 者 の家 の宛 名 だ と 、 郵 便 の宛 名 を 書 く 場 合 ﹁東 京 都 杉 並 区 松 庵 二 丁 目 八番 地 二五 号 ﹂ と 、 広 い方 か
ら 狭 い方 に 移 る。 英 語 の宛 名 の書 き 方 は こう で はな い。 ﹁八 番 地 二五 号 ﹂ が 最 初 に き て 、 ﹁松 庵 二 丁 目﹂、 そ れ か
ら ﹁杉 並 区 ﹂ ﹁東 京 都 ﹂ 最 後 に ﹁ジ ャパ ン﹂ と 、 狭 い方 か ら 広 い方 に並 べ る。 ど っち が便 利 か と い った ら 、 お そ
ら く 、 郵 便 局 で ハガ キ の宛 名 を 整 理す る よ う な 場 合 に、 広 い方 が 先 に 書 いて あ った 方 が い いだ ろ う 。 ヨー ロ ッパ
苗 字 と名 前 の順 序 で、 日本 で は 姓 を 先 に名 前 を あ と に し て ﹁鈴 木 一郎 ﹂ と
でも 、 ド イ ツ と オ ー スト リ ア で は地 名 の書 き 方 は 日本 と 同 じ よ う な 書 き 方 を す る そう だ が、 そ のよ さ を 認 め て い る か ら に ち が いな い。 宛 名 と 同 じ よう な も のが 、 姓 名 ︱
いう よ う に いう が 、 ヨ ー ロ ッパ で は 、 英 語 ・ド イ ツ 語 ・フ ラ ン ス語 あ た り は 、 名 前 を 先 に苗 字 を あ と に し て ﹁ジ
ョ ン ・ス ミ ス﹂ と いう ふう に言 う 。 こ の苗 字 と 名 前 の順 序 は 、 ア ジ ア の方 は だ いた い苗 字 が 先 に く る が 、 ヨー ロ
ッパ で も 、 ハンガ リ ー と か ト ル コと か いう ア ジ ア系 統 の民 族 で は 苗 字 を 先 に 言 って いる そ う だ 。 日本 人 は ロー マ
字 で 姓 名 を 書 く 時 は 、 名前 を 先 にす る 習 慣 が あ る が、 ハンガ リ ー 人 は ロー マ字 を 使 いな が ら 頑 と し て 苗 字 を 先 に 書 く 習 慣 を 改 め て いな い のは り っぱ であ る。
苗 字 を 名 前 よ り 先 に書 く 方 が 便 利 であ る 証 拠 に、 も し 電 語 帳 で 名 前 が 先 に あ った ら ず いぶ ん 引 き に く い と 思 わ
れ る 。 そ の家 族 の代 表 者 の名 前 を考 え て探 さ な けれ ば な ら な い。 ヨー ロ ッパ でも 電 話 帳 で は や は り苗 字 の方 を 先
に出 し て 並 べ て いる 。 そ の方 が便 利 な のだ 。
日本語 の語 順 の乱 れ?
日本 語 の言 葉 の並 べ方 は 、 以 上 のよ う に 不便 な 点 も あ り 、 便 利 な 点 も あ る と いう こ と にな る が 、 長 い歴 史 の 間
にも ほ と ん ど 変 わ って いな い点 は 注 意 す べき だ 。 さ き ほ ど の ﹁子 ど も が 二 人 ﹂ を ﹁二 人 の 子 ど も ﹂ と 言う よ う に
な った のは 珍 し い例 であ る 。 そ れ と も う 一つ、 こ の ご ろ ホ テ ル の名 前 や 書 名 な ど に新 し い傾 向 が 盛 ん に な った 。
﹁東 京 ホ テ ル﹂ と いう 普 通 の 順序 を 逆 に し て ﹁ホ テ ル東 京 ﹂ と い った よ う な 言 い方 が ふ え て き て いる の が そ れ だ 。
本 の 名 前 で ﹁日本 語 講 座 ﹂ な ど と いう も のも 、 こ の ご ろ は ﹁講 座 日 本 語 ﹂ と い った 名 前 の つけ 方 を す る 。
こ う いう ﹁ホ テ ル何 々﹂ や ﹁講座 何 々﹂ と いう 呼 び方 は 、 そ のも の の 種 類 が早 く わ か って 便 利 であ る 。 い った
い日 本 で い つご ろ こ ん な 言 い方 を は じ め た か と 考 え て み る と 、 これ はず いぶ ん 古 いよ う だ 。 平 安 歌 人 を 呼 ぶ の に 、
﹁堤 中 納 言 ﹂ と いう 言 い方 のほ か に、 小倉 百 人 一首 にあ る よ う に、 ﹁中 納 言 兼 輔 ﹂ と いう 呼 び 方 も あ った 。 これ は 、 ﹁ホ テ ル東 京 ﹂ の 先 輩 だ 。
日本 語 の語順 に みる 文学性
of と いc うlo ﹁u 一ひ dら の雲 ﹂
最 後 に、 日 本 語 の 順序 が、 時 に 文 学 的 だ と いう こ と を 述 べた い。 佐 佐 木 信 綱 の名 歌 ﹁ゆ く 秋 の大 和 の国 の薬 師
寺 の塔 の上 な る 一ひ ら の雲 ﹂ を も し 英 語 に 訳 し た ら ど う な る で あ ろ う か 。 aPiece
が 最 初 に 来 る 。 そ れ か ら ﹁塔 の上 な る ﹂ と いう の が 来 て 、 ﹁薬 師 寺 の﹂ ﹁大 和 の国 の﹂ と 並 び 、 最 後 に ﹁ゆ く 秋
の﹂ が来 る と いう ふう に、 順 序 が 完 全 に ひ っく り 返 る の が自 然 であ ろう 。 こ れ は ど っち が い いか 。 筆 者 は 、 日 本 語 の順 序 は 、 さ な が ら 映 画 の 手 法 だ と 思う 。
こ の短 歌 を 映 画 の画 面 と し て 写 し た ら ど う す る か 。 ま ず 、 行 く 秋 の情 景 、 た と え ば 刈 り 取 ら れ た 田 ん ぼ と か 、
山 の 紅 葉 し て いる モ ミ ジ と か を 写 す で あ ろ う 。 次 に、 大 和 の国 を 象 徴 す る お 寺 であ る と か 、 古 墳 の跡 であ る と か、
そう いう も のを 見 せ て大 和 の国 であ る こと を う か がわ せ る 。 そ れ を 次 第 に し ぼ って古 いお 寺 で あ る 薬 師寺 にも っ
て ゆ く 。 薬 師 寺 と いう と有 名 な の が 三 重 塔 だ。 そ の 三重 塔 を と ら え る 。 し か も そ の塔 を 下 の方 か ら 少 しず つ写 し
て 行 って、 最 後 にあ の 塔 の て っぺ ん の有 名 な 飾 り を 大 写 し に し て 一緒 に 一片 の白 い雲 を 写 し 出 す だ ろう と 思 う 。
こ のよ う に 日 本 語 の ﹁ゆ く 秋 の﹂ と 言 って か ら ﹁大 和 の国 の薬 師 寺 の ⋮ ⋮ ﹂ と 追 って いく 順 序 は 、 実 に 文 学 的 な 表 現 だ と いう の が、 筆 者 の意 見 であ る。
三 語 句 の結 び つけ 方
語 句と 語句 と の結 び つけ 方
昔 の 日本 語 は、 今 の 日本 語 のよ う に は 言 葉 と 言 葉 と の続 き を は っき り 示 さ な い。 現 在 、 ﹁春 が 来 る ﹂ と 言 う と
ころ を 、 古 く は ﹁春 立 つ﹂ と 言 った 。 こ の ﹁春 ﹂ は ﹁立 つ﹂ の主 語 だ と いう が 、 別 に ﹁ 春 ﹂ は 主 語 だ と いう 形 は
cと oい mう es と. き"に は 、
と って いな い。 ま た ﹁立 つ﹂ の方 に ﹁春 ﹂ の 述 語 だ と いう し る し も な い。 た だ ﹁春 ﹂ ﹁立 つ﹂ と 並 ん だ と き に 、
意 味 上 、 ﹁春 ﹂ が ﹁立 つ﹂ の主 格 にな って いる と いう だ け の話 で あ る 。 英 語 で "Spring
第 一節 に 述 べ た よ う に いsprの i方nは g、 日本 語 の ﹁春 ﹂ と 同 じ で あ る が、come のs 方 が ﹁そ れ が く る﹂ で あ って 、
spriのn方gへ つな が って いく 。 日本 語 の ﹁立 つ﹂ と はち が い、 つな が る 要 素 を も って いる 。 日本 語 の古 い形 は 、
中 国 語 の ﹁立 春 ﹂ と 同 じ で あ る 。 こ の傾 向 は 日 本 語 の表 現 の至 る と ころ に 見 ら れ る。 ﹃ 枕 草 子 ﹄ に、 遠 く て近 き も の、 極 楽 、 船 の 道 、 男 女 の仲 。
と いう よ う な 文 章 があ る 。 こ れ も 、 続 き が 示 さ れ て いな い例 だ 。 ﹁極 楽 ﹂ ﹁船 の道 ﹂ ﹁男 女 の仲 ﹂、 そ れ ら の 関係 が
ど う であ る か は 、 一切 、 読 者 の想 像 に ま か せ て いる 。 ﹁ 遠 く て 近 き も の﹂ と そ れ ら と の関 係 も そ う であ る 。 和 歌
春 の 園 く れ な ゐ 匂 ふ桃 の花 下 照 る 道 に出 で 立 つを と め
芭 蕉
大伴 家持
や 俳 句 で は あ ま り格 助 詞 の類 いを つけ る と 、 ﹁た る む ﹂ と か ﹁概 念 的 にな る ﹂ と か い って き ら う 。 あ れ も そ のあ
眼 に は 青 葉 山 ほ と と ぎす 初 が つを
ら わ れ であ る 。
荒 海 や 佐 渡 に横 た ふ 天 の川
素堂
現 在 の 文 章 では 、 意 味 の 明瞭 さ を 重 ん じ 、 格 助 詞 を 使 って 、 関 係 を 明 白 に し て いる 。 こ れ は 日本 語 で の進 歩 で
あ な た 、 あ の方 と のお 約 束 、 ど う な さ る ?
あ た し 、 困 っち ゃ った わ
あ る 。 し か し 、 会 話 な ど に は 、 助 詞 を 言 わ な いこ と が、 今 で も ﹁か ど が た た な い﹂ と いう 理 由 で 好 ま れ て いる 。
いず れ も ﹁は ﹂ ﹁を ﹂ を ど ん ど ん 省 い て いる 例 であ る。
セ ン テン スの結 び つけ方
こ のよ う な 、 前 後 の意 味 の 関 係 を は っき り さ せな い傾 向 は 、 セ ン テ ン スと セ ン テ ンス と の間 にも 見 ら れ る 。 第
第 一人 者 ・島 津 久 基 は 、 ど っち と も 断 を 下 し か ね 、 な か ば 独 り 言 に 言 った のか も し れ ん な ど と 言 って い る。(﹃ 源 氏物語講話﹄) こ れ な ど 、 作 者 に と って 、 け っし て 名 誉 な こ と では あ る ま い。
昔 の本 に は 引 用 の カ ギ カ ッ コが な か った 。 ﹃平家 物 語 ﹄ の ﹁競 ﹂ と いう 章 に こ ん な と こ ろ が あ る 。 渡 辺 競 と い
う 源 三 位 頼 政 の家 来 が い つわ って 平 宗 盛 の部 下 と し て 住 み込 ん だ 。 宗 盛 は 真 意 を 知 ら ず 大 喜 び だ った が 、 そ れ が 、
事 変 が起 こ った 時 に 、 さ っと 源 三 位 のも と に 逃 げ 去 った の で、 宗 盛 一家 が 周 章 狼 狽 す る と こ ろ が こう 書 い てあ る 。
( 宗 盛 ) ﹁す わ 、 き や つを 手 延 べ にし て 、 た ば か ら れ ぬ る は。 追 つか け 討 て﹂ と 宣 へど も 、 競 は も と よ り す ぐ
れ た る 強 弓 精 兵 、 矢 継 早 の手 利 き 、 大 力 の剛 の者 、 二 十 四差 いた る 矢 で ま つ 二 十 四 人 は 射 殺 さ れ な ん ず 。 ﹁音 な せ そ﹂ と て、 向 ふ も の こ そ な か り け れ 。
原 文 に は 、 カ ギ カ ッ コがな い の で 、 ﹁競 は も と よ り ⋮ ⋮ ﹂ 以 下 は 、 地 の 文 だ と 思 って 読 ん で行 く と 、 ﹁﹃音 な せ
そ ﹄ と て﹂ と あ り、 こ れ は 宗 盛 の家 来 た ち の言 葉 で あ った か、 と 気 が つく が 、 そ れ で は ど こ か ら が言 葉 であ った
のか と 前 へ返 って み る と 、 こ れ が は っき り し な い。 ﹁競 は も と よ り ⋮ ⋮ ﹂ のあ た り は 、 ま だ 地 の文 のよ う で あ る
が ﹁矢 継 早 の手 利 き ﹂ あ る いは 、 ﹁二 十 四差 いた る 矢 で ⋮ ⋮﹂ のあ た り か ら 、 言 葉 の よ う に な って 来 て 、 最 後 の
﹁﹃音 な せ そ ﹄ と て﹂ で 完 全 に家 来 た ち の 言 葉 にな って い る。 当 時 は こう いう 文 章 は 、 別 に珍 し く は な か った 。
こ のよ う な 文 章 は 近代 にも あ る 。 漱 石 の ﹃坊 っち ゃん ﹄ の 一節 、 坊 っち ゃん が 赤 シ ャ ツに 誘 わ れ て釣 り に出 る
君 釣 り に 行 き ま せ ん か と赤 シ ャ ツが お れ に聞 いた 。 ⋮ ⋮ お れ は そ う で す な あ と 少 し 進 ま な い返 事 を し た ら 、
と ころ に こ う あ る。
君 釣 を し た 事 が あ り ま す か と 失 敬 な 事 を 聞 く 。 あ ん ま り な い が、 子 供 の時 、 小 梅 の釣 堀 で 鮒 を 三 匹 釣 った事
があ る 。 夫 から 神楽 坂 の毘 沙 門 の縁 日 で八 寸 許 り の鯉 を 針 で 引 っか け て、 し め た と 思 った ら 、 ぽ ち ゃ り と 落
と し て 仕 舞 った が是 は 今 考 え ても 惜 し いと 言 った ら 、 赤 シ ャ ツは顋 を 前 の方 へ突 き 出 し て ホ〓〓〓 と 笑 った 。
こ こ で、 ﹁あ ん ま り な いが ﹂ から ﹁今 考 え て も 惜 し い﹂ のあ た り は 、 坊 っち ゃん の言 葉 のは ず で あ る 。 し か し 、
﹁⋮ ⋮ 失 敬 な 事 を 聞 く 。 あ ん ま り な い が 、 子 供 の 時 ⋮ ⋮ ﹂ と 続 け て 読 ん で ゆ く と 、 ﹁あ ん ま り な い が ﹂ の あ た り は 、
﹃坊 っち ゃ ん ﹄ 全 篇 を 英 訳 し た
坊 っち ゃ ん の 心 の 中 の 動 き と し か 取 れ な い。 ﹁今 考 え て も 惜 し い﹂ の あ と に 、 ﹁と 言 った ら ﹂ と 出 て く る の で 、 は じ め て 今 の が 坊 っち ゃ ん の 言 葉 の 内 容 だ った か と 気 づ く 。 毛 利 八 十 太 郎 が 、 こ の
him
not
much
that
I
once
caught
th ⋮ree
gibels
when
I
was
a
が 、 こ こ は 次 の よ う に な っ て お り 、 ﹁あ ん ま り な い が ﹂ 以 下 が 坊 っち ゃ ん の 言 葉 で あ る こ と は 、 ご く は っき り し て いる 。 I told
こ う いう 点 、 日 本 語 の 文 は 実 に 不 明 確 で あ る 。 も っと も こ の と こ ろ は 、 書 き 手 と し て は 、 読 み 手 が こ れ を 坊 っ
ち ゃ ん の 心 の う ち と と っ て 読 ん で い っ て も 、 か ま わ ぬ つも り だ ろ う 。 文 学 作 品 で は そ う い う 風 に 書 く こ と も お も し ろ い。 が 、 こ れ も 、 文 章 の 正 道 で は あ る ま い 。
直接 話 法と 間接話 法
英 文 法 な ど で や か ま し い い わ ゆ る 直 接 話 法 と 間 接 話 法 と の 区 別 が 日 本 語 で は っき り し な い と いう の も 、 こ の こ とと関係 がある。
﹁⋮ ⋮ 」 と 言 った
日本 語 は 、 こ の 二 つ の区 別 が な いわ け では な い。
⋮ ⋮ よ う に 言 った
﹁ ﹂ の中 を そ の 言 葉 ど お り に 引 用 す る が 、 間 接 話 法 の 時 は 、
⋮⋮旨伝 えた
は 直 接 話 法 のし る し であ る。 そ れ に 対 し て、
など は間接話法 のしるしだ。 そ う し て 、 直 接 話 法 の時 は
(1 )人 称 を 変 え る 。 ﹁﹃ぼ く も 行 く ﹄ とA は 言 った ﹂ は 、 ﹁A は 彼 自 身 も 行 く よ う に 言 っ た ﹂ と な る 。
boy
(2 ) デ ス ・マ ス体 を ダ 体 に変 え る 。 ﹁﹃そ れ は ち が いま す ﹄ と 言 ってや った ﹂ は 、 ﹁そ れ は ち がう 旨 伝 え て や っ た﹂とな る。 (3) た だ し 、 英 語 の よう に時 制を 変 化 さ せ る こと は し な い。
と いう き ま り は あ る の だ が 、 実 際 に は 、 ﹁と ﹂ を 使 いな が ら 間 接 話 法 に し て いる こと があ る 。 彼 自 身 が 行 く ん だ と 言 って 聞 か な いの で す 。
要 す る に ﹁と ﹂ を 使 った 場 合 は 、 は た し て 直 接 話 法 か 間 接 話 法 か を 判断 し な け れ ば いけ な い。 昔 はも っと ひ ど い書 き 方 が あ って、 直 接 話 法 で は じ め た も のを 間 接 話 法 で結 ぶ も の があ る 。
木 曾 、 西 国 へ使 者 を 立 て ﹁急 ぎ 上 ら せ 給 へ。 一つにな って 関 東 へ馳 せ 下 り、 兵 衛 佐 討 つ べき よ し 言 ひ遣 は し た りければ ⋮⋮ ( ﹃ 平家物語﹄法住寺合戦) これ は 、 ﹁﹃兵 衛 佐 討 つべ し﹄ と 言 ひ遣 は し た り け れ ば ﹂ と あ り た か った 。
一般 に 、 一つの 文 のは じ め と あ と の部 分 と がう ま く 呼 応 し て いな い例 は 古 く か ら 多 い。 そ の故 は 、 無 常 ・変 易 の境 あ り と 見 る も のも 存 ぜ ず 。( ﹃徒然草﹄第九 一段) これ は ﹁存 ぜ ざ れ ば な り ﹂ と ほし いと こ ろだ った 。
相 模 の守 高 時 と い ふ は 、 ⋮ ⋮朝 夕 好 む こ と と て は、 犬 食 ひ、 田楽 な ど を ぞ 愛 し け る 。(﹃ 増鏡﹄第 一五) こ れ は 、 ﹁⋮ ⋮ な ど に てぞ あ り け る ﹂ と あ って ほ し か った 。
筋 の通ら な い文章
金 は 借 り る が 、 返 す こと は 御 免 だ と いう 連 中 は み ん な 、 こ ん な や つら が 卒 業 し て や る 仕 事 に 相 違 な い。(﹃ 坊
筋 の通 ら な い文 章 は、 近 代 の作 家 でも 書 き か ね な い。
っちゃん﹄)
し か し そ れ に対 す る 反 感 よ り は 、 内 供 のそ う いう 策 略 を と る 心 も ち の方 が、 よ り 強 く こ の弟 子 の僧 の同 情 を
芥 川 龍 之 介 と いえ ば 、 日 本 で 明 快 な 文 章 を 書 いた 代 表 的 な 作 家 であ る が 、 時 に は こ んな 文 を 書 いて いる 。 動 か し た の であ ろ う 。(﹃ 鼻﹄)
こ れ で は反 感 も 同 情 を 動 かす 動 機 にな る よ う に聞 こえ る が 、 事 実 は、 内 供 の いじ ら し い心 持 ち が 反 感 を 消 し て
し ま う ほど 強 く 伝 わ り 、 そ れ が 同情 にな った に ち が いな い。 シ ョウ は こ こを 合 理 的 な 英 語 に 訳 し て いる 。
連体 的修 飾語 の結 び つけ方
紀 貫之
と ころ で、 吉 川 幸 次 郎 に ﹁国 語 の長 所 ﹂ と いう 論 文 が あ る (﹃ 現代随想全集﹄21)が 、 そ の中 で、 日 本 語 ぐ ら い単 語 を 自 由 に結 び つけ て いけ る国 語 は 珍 し い、 と 言 う 。 そ う し て 、 袖 ひち て む す びし 水 の氷 れ る を 春 立 つけ ふ の 風 や と く ら ん
と いう 歌 が、 非 常 に複 雑 な 内 容 を た だ の 一セ ン テ ン ス で言 いお お せ て いる 点 を 指 摘 し て いる 。 中 国 語 は 、 簡 潔 を
も って 聞 こえ て い る が 、 こ の趣 を も し 漢 詩 に し た ら 次 のよ う に な る と いう 。 ﹁袖 ひ ち て む す び し ﹂ と ﹁水 ﹂ と の 結 合 、 ﹁春 立 つ﹂ と ﹁今 日﹂ と の簡 単 な む す び つけ は 、 注 目 す べき も のら し い。 記 曾沾 双 袖 臨 流濺濺 弄 今 日 春 又 回 東 風 乃 解 凍
雑 誌 ﹃時 事 英 語 研 究 ﹄ に 日本 の 小 説 の英 訳 を 連 載 し て いた ク ラ ー ク は 日本 語 の 堪 能 な ア メ リ カ 人 で あ る が、 彼 に よ る と 、 最 初 日 本 語 を 習 った 時 、 私 が き の う 新 宿 へ行 って紀 伊 国 屋 で買 い物 し た 本 は ⋮ ⋮
と いう よ う な セ ン テ ン スに 接 す る と 、 ﹁ 本 は ﹂ ま で 読 ん で 頭 が ク ラ ク ラ ッと し た と いう 。 た し か に 、 ﹁私 が き のう
⋮ ⋮ 紀 伊 国 屋 で買 い物 し た ﹂ あ た り ま で の と こ ろ は 、 ﹁私 ﹂ な る 人 間 の行 動 が 話 題 だ な と 思 って 聞 い て いる 。 ﹁本
は﹂ へ行 って 、 急 に、 お や 、 本 の 話 か と 切 り か わ る。 こ れ が実 に 突 然 に 行 わ れ る。 た し か に 、 これ は 、 馴 れ な い
人 を 迷 わ せ る 語 法 にち が いな い。
う ま さ う に 何 や ら 煮 え る雨 宿 り
里 の母 生 ま れ た 文 を 抱 き 歩 き
呼 び返 す 鮒 売 の 見 え ぬ 霰 か な
わ が こ と と ど ぢ や う の逃 げ し 根 芹 かな
( 同)
( 川 柳)
凡 兆
丈草
北原白秋
一般 に 日本 語 で 、 連 体修 飾 語 は 名 詞 にず いぶ ん 無 造 作 に結 び つく 。 次 のよ う な のも そ れ だ。
ま り持 ち て遊 ぶ 子 ど も を ま り 持 た ぬ 子 ど も 見 ほ る る 山 ざ く ら 花
﹁の﹂﹁は ﹂
﹁の﹂ と いう 助 詞 は、 名 詞 に つく 修 飾 語 を作 る は た ら き を す る 。 前 にも 述 べた が 、 こ の助 詞 が ま た ず いぶ ん 突 飛 な も のを 結 び つけ る。 忘 れ じ の行 く 末 ま では 難 け れ ば ⋮ ⋮ 君 の わ か ら ず や に も 、 ほ と ほと 感 心 す る よ
山 は暮 れ 野 は た そ がれ のす す き かな
卯 の 花 の芦 毛 の駒 の夜 明 か な
同
蕪村
許六
俳 句 に は こ の類 いが こと に 多 い。
化 け さ う な 傘 貸す 寺 の し ぐ れ かな
芭 蕉
﹁は﹂ は 日 本 語 で 題 目 を 示 す 助 詞 と し て 知 ら れ て いる が、 こ れ も ま た こ と に 俳句 では 奇 抜 な も のを 結 び つけ る 。 海 人 が 家 は小 蝦 に ま じ る いと ど か な
名 詞 句 の流 用 の自 由さ 次 に 、 日本 語 に は こ れも 前 に述 べた が こ ん な 言 い方 が あ る 。 ぼくは ウナギだ
食 堂 に入 る。 ﹁何 を 召 上 りま す か ﹂ と 言 わ れ た と き の 言 葉 で あ る が 、 考 え て み れ ば 、 お か し い。 ウ ナ ギ のよ う
す な わ ち 橋 本 進 吉 の いわ ゆる 動 作 +叙 述 性 と を 取 り 除 いた も のを ウ ナ ギ
な ひ げ を 生 や し た 人 が 言う わ け で は な い。 こ れ は、 ﹁ぼ く は ウ ナ ギ を 食 べる ﹂ と いう 、 こ のう ち の ﹁ウ ナ ギ を 食 べ る ﹂ から 助 詞 ﹁を ﹂と 動 詞 的 要 素 ︱ で 表 わ し 、 動 作 +叙 述 性 を ﹁だ ﹂ で表 わ し た も のだ 。
春 は曙
( が い い)
こ う いう 、 名 詞 の下 の ﹁だ ﹂ は 省 略 さ れ る こと も あ る 。 花 は桜 木 ( が最上 だ)
な ど も こ の同 類 だ 。 こ れ を 要 す る に、 日本 語 で は、 長 い語 句 の中 心 に あ る 名 詞 を 取 り 出 し て そ れ で 全 語 句 を 代 表 さ せる ことがある のだ。
次 のよ う な 言 い方 も 、 こ れ と 同 類 のも の で、 こと わ ざ ・俳 句 ・和 歌 の 類 い に 多 い。 ﹁鑿 と 言 え ば ﹂ と 来 れ ば 、
本居宣長
当 然 動 詞句 が 来 る も のと 予 想 さ れ る 。 が 、 名 詞 を ポ ツ ンと も って 来 て 、 あ や ま り と さ れ な い。 日本 語 の強 引 な 語 句 の結 び つけ 方 の 一例 であ る。 鑿 と言えば 槌 ( ことわざ) う れ ひ つ つ丘 に のぼ れ ば 花 いば ら 蕪 村 敷 島 のや ま と 心を 人問 は ば 朝 日 に 匂 ふ山 ざく ら 花
見 て 地獄 ( ことわざ)
次 の よう な 言 い方 も 同 様 だ。 聞 いて 極 楽
あ さ が ほ に釣 瓶 と ら れ て 貰 ひ水 加 賀 千 代 女
先 に第 一節 で、 日本 語 の セ ンテ ン ス の 分 類 を 述 べ た が 、 こ こ にあ げ た 名 詞 ど め 、 あ る いは 名 詞 + ﹁か な ﹂ の セ
ン テ ン スは 、 あ のう ち の ︿述 定 文 ﹀ の圧 縮 だ 。 だ か ら 、 これ は 、 次 の よ う な 歌 に 見 え る よ う に 、 動 詞 で 終 わ る 、
尾上柴 舟
いか にも セ ン テ ン スら し い他 のセ ン テ ン ス の次 に お か れ ても 、 矛 盾 で は な い。 春 の谷 明 る き 雨 の中 に し て 鶯 鳴 け り 山 の静 け さ
芭 蕉
木下利 玄
山 里 は 万 才 お そ し 梅 の花 子 規
牡 丹 花 は 咲 き定 ま り て 静 か な り 花 の占 め た る 位 置 の た し か さ
門前 に 船 つな ぎ け り た で の花
ことば の転 調
日本 語 に は、 し ば し ば 、 セ ン テ ン ス の初 め の方 と 終 わ り の方 と で 、 首 尾 の 整 わ な い文 が 見 ら れ る 。 大 久 保 忠 利 が ﹁私 の行 方 不 明 型 ﹂ ( NHK 編 ﹃ことば の研究室﹄Ⅰ︶と い った の が そ れ だ 。
私 は 、 吉 田 首 相 は 、 日 本 の保 安 隊 は 、 軍 隊 では な いと 言 って お る の であ り ま し て 、 軍 隊 であ る も のを 、 軍 隊 で な いと 言 ってお る。
最 初 の ﹁私 は ﹂ のか か る と こ ろ が 、 セ ン テ ン ス の最 後 ま で来 て あ ら わ れ な い でし ま って いる 。 話 し 言 葉 は あ と
で 推敲 がき か な いか ら 、 こ う いう セ ン テ ン スが よ く あ ら わ れ る こ と は 、 当 然 であ る。 これ は、 日 本 語 で 、 主 語 を
受 け る 述 語 が遠 く 離 れ て 文 尾 にあ る こと か ら 来 る も ので 、 思 え ば 、 前 にあ げ た 憲 法 の前 文 な ど では 、 ﹁わ れ ら は ﹂ の 結 び を 、 よ く 最 後 ま で 覚 え て いた も の と感 心 し た く な る 。
日 本 の文 で 修 辞 法 と し て 有 名 な も の に ︿言 い か け ﹀ が あ る 。 あ れ も 思 え ば 、 ︿首 尾 と と のわ ざ る 文 ﹀ の 一種 で あ る。たと えば、
朝 夕 好 む こと と て は 、 犬 食 ひ、 田 楽 な ど ︱犬 食 ひ 、 田 楽 な ど を ぞ 愛 し け る
立 別 れ 往 な ば 待 つと し 聞 かば ⋮ ⋮ ︱ ︱ 因 幡 の 山 の峰 に生 ふ る 松
これ は音 楽 で いえ ば 、 ち ょう ど ﹁転 調 ﹂ の よ う な も の で あ る 。 ﹁立 別 れ ﹂ の歌 な ど は 、 二度 転 調 し ても と の 旋 律 に も ど った も の で、 ま こと に 鮮 や か な 技 巧 であ る。
Ⅶ 日 本 人 の 言 語 表 現
一 日 本 語 の簡 略 表 現
日本 語 の省 略表 現
山 下 秀 雄 の ﹃日本 語 の こ ころ ﹄ に お も し ろ い話 が 出 て いる 。 ア メ リ カ 人 の 学 生 に 日本 語 を 教 え る 教 室 へ出 て、
こ の前 の 授 業 でち ょ っと 触 れ た 敬 語 の 話 を し よ う と す る。 復 習 の意 味 で 、 あ な た がた は 敬 語 と いう も のを 知 って いま す か 、 と 尋 ね た と す る。 彼 ら は何 と 答 え る か 。 先 生 は そ れ を 先 週 私 た ち に 教 え ま し た から 、 私 た ち は そ れ を 知 って いま す と いう 答 え が か え って く る そう だ 。
これ は 文 法 の面 か ら 言 う と 、 間 違 いは な にも な い。 題 目 語 と 述 語 は ち ゃん と 整 って いる し 、 助 詞 の使 い方 も 完
全 だ 。 し か し ﹁先 週教 え ま し た か ら ﹂ は 日 本 人 な ら 決 し て 言 わ な い言 い方 で あ る 。 そ う 言 った ら そ のあ と に ﹁お
蔭 で私 た ち は 迷 惑 し ま し た ﹂ と でも 続 き そ う だ 。 ま た ﹁知 って いま す ﹂ と 言 う と 、 いば って いる よ う な 印 象 を 与
え 、 ﹁だ か ら 教 わ ら な く て も い い﹂ と 言 って いる 感 じ に な り か ね な い。 で は 、 日本 人 だ った ら ど う 言 う か 。 先 週 、 教 わ りま し た 。
これ で い い のだ 。 あ る いは も っと 丁寧 に 言 う な ら ば 、 ﹁先 週 、 教 え て いた だ き ま し た ﹂。 これ が 日 本 式 だ 。 し か
し 、 こ の よ う な 言 い方 が 日本 語 では 標 準 的 な 言 い方 だ 、 と いう こ とを 教 え る こ と は 、 き わ め て 難 し い そう だ 。
日本 人 は 、 初 対 面 の人 へのあ いさ つ で ﹁は じ め て お 目 にか か り ま す ﹂ と 言 って、 そ れ で お し ま いにす る 。 外 国
の人 は 、 そ れ はあ た り 前 じ ゃな いか 、 そ れ で ほ ん と う にあ いさ つ に な る か と 言 う 。 た し か に、 そ の 次 に、 ﹁ど う
ぞ よ ろ し く ﹂ と いう の がな け れ ばあ いさ つに な り そ う も な い。 し か し 、 日本 人 の間 では 、 次 に は そう 言 う も の だ と いう こと が、 了 承 さ れ て いる 。 つま り 言 外 に 含 ま れ て いる の だ 。
選挙 が あ る と 、 候 補 者 た ち は ト ラ ック に 乗 って ﹁○ 山 ○ 夫 です ﹂ ﹁○ 山 ○ 夫 です ﹂ と 自 分 の 名 を 連 呼 し てま わ
日本 人 は こ れ でち っと も 不 完 全 な 文 と は 思
って いる 。 あ れ も 外 国 の人 は 不 思議 が る が、 ﹁ど う ぞ よ ろ し く ﹂ が 言外 に含 ま れ て いる つも り な のだ ろ う 。 ﹁私 は 夜 一人 で 音 楽 堂 へ行 って み た 。 そ こ に は 誰 も いな か った﹂︱
わ な い。 と こ ろ が 、 ド イ ツ語 で は こ れ では 不 十 分 だ そう だ 。 ﹁私 以 外 に は 誰 も ﹂ と 言 わ な け れ ば 論 理 的 で は な い、 間 違 って 聞 こえ る 、 と は 、 さ ても 理 屈 っぽ いこ と だ 。
本 屋 に 行 く 。 山 下 秀 雄 の ﹃日本 語 の こ こ ろ ﹄ は な いか 、 と 尋 ね ら れ て 、 本 が な い場 合 に 店 員 は ど う 言 う か 。
﹁ご ざ いま せ ん し た ﹂ と 言 う こ と が 多 い。 ﹁ご ざ いま せ ん ﹂ で十 分 な は ず で あ る が、 ﹁ご ざ いま せ ん で し た ﹂ と
﹁で し た ﹂ を つけ る。 理 屈 を 言う 人 は 、 現 在 の こ と を 言 って いる のだ か ら ﹁ご ざ いま せ ん ﹂ と 言 え ば い い の で は
な いか 、 な ぜ ﹁で し た ﹂ を つけ る か 、 と 言 う が 、 こ れ は や は り、 言 外 に 言 葉 が省 か れ て いる のだ 。 つま り ﹁私 ど
も と し て は 、 当 然 、 そ の本 を 用 意 し て お く べき でし た け れ ど も 、 不 注 意 で 用 意 し て お り ま せ ん でし た ﹂ と いう 意 味 で ﹁ご ざ いま せ ん で し た ﹂ と 言 う の であ る。
日本 人の寡 黙 好み
一体 、 な ぜ 日本 人 は 、 こ のよ う に 言 葉 を 節 す る の だ ろ う か 。 日 本 人 の 間 に は 、 そも そ も 物 は 言 わ な い方 が い い と いう 気 持 があ る ら し い。
昔 、 中 学 校 時 代 に読 ん だ 漢 文 の教 科 書 に、 貝 原 益 軒 の逸 事 が出 て いた が、 ど こ か の渡 し 舟 の中 で、 乗 り 合 わ せ
た 一人 の 若 造 が滔 々と 経 書 を 講 義 す る のを 益 軒 は 黙 って傾 聴 し て いた と いう 話 で、 作 者 は そ の奥 ゆ か し さ を ほ め た た え て いた 。
テ レビ で野 球 と 相 撲 を 比 較 し て見 て いる と 、 野 球 の方 で は ア ンパ イ ア の判 定 に 不 服 の場 合 、 選 手 が 色 を な し て
く って か か る こと が あ る が 、 相 撲 で は 行 司 がど ん な に自 分 に 不 利 な 判 定 を し て も 、 勝 負 を し た 当 人 は 、 黙 然 と し て前 を 向 い てす わ った ま ま 、 一切 の 発 言 を 検 査 役 に委 任 し て い る の が 目 に つく 。
日本 の女 性 は、 レ スト ラ ン へ誘 わ れ て ﹁何 を 食 べ る ? ﹂ と 聞 か れ た 場 合 、 ﹁何 で も ﹂ と 答 え る のを よ し と 教 育 された 。
尾崎 紅葉 の ﹃ 金 色 夜 叉﹄ の熱 海 の海 岸 の場 面 で、 お宮 は 貫 一に ﹁き さ ま は 心 が 変 わ った な ﹂ と 叱 責 さ れ る が、
お 宮 は ﹁ひど いわ ﹂ と か ﹁あ ん ま り だ わ ﹂ と か の 一点 ば り で、 何 も 申 し 開 き を し な い。 お 宮 の胸 の中 に は 千 万 言
を 費 し て も 弁 解 し た い こ と が あ った で あ ろ う が 、 そ れ を 言 わ ず に 貫 一に 足 蹴 にさ れ て 別 れ る。 そ れ が 多く の読 者 の同 情 を 集 め た のだ った。
主 語 や修飾 語 の省略
日本 語 は 、 こう いう こ と か ら ︿省 略 ﹀ の多 い言 語 だ と いう 定 評 が あ る 。 古 典 文 法 学 者 ・松 尾 捨 治 郎 は、 ︿省 略 ﹀
の多 いこ と を 日本 語 の 三大 特 色 の 一つと し た。 た し か に 、 日本 語 に は 他 の国 語 で は っき り こ と ば に出 し て いう と こ ろ で 、 出 し 惜 し みし た 簡 潔 表 現 の多 いこ と は た し か で あ る 。
よく 言 わ れ る こ と は ︿主 語 の省 略 ﹀ であ る 。 が、 日本 語 で は、 主 語 を 省 略 し た と いう の は 不 適 当 で、 実 は ︿主
(2 ) ほんとう ですね
格 補 語 な し の表 現 ﹀ を す る の であ る 。 (1 ) 暖 か にな り ま し た ね
こ ん な 場 合 、 わ れ わ れ は 何 か が 省 か れ た と は 感 じ な い。 は じ め か ら こう いう 表 現 を め ざ し て い る の で あ る。 理
has
becom のe 全 体wが ar﹁暖 m. か"に な り ま し た ﹂ にあ た る 。 (2 も︶、 ﹁ あ な た の言う こと は﹂
屈 で は 、 (1 は︶ ﹁気 温 が﹂ が 省 か れ て いる と 言 え る 。 が、 実 際 に は ﹁気 温 が暖 か に な り ま し た ね ﹂ な ど と は ほ と ん ど 言 わ ぬ 。 "It
と いう 題 目 が 省 か れ た わ け では な い。 ﹁ 暖 か にな り ま し た﹂ 全 体 が こ の場 合 ﹁ほ ん と う だ ﹂ に相 当 す る の で あ る 。
で は 、 主 語 が 省 かれ た と 言 え る 例 は な いか 。 な いわ け でも な い。 次 の よ う な の は 主 語 の 省 略 と 言 え な いま で も 、 主 語 の節 約 で あ る 。 何 も ご ざ いま せ ん が 、 ど う ぞ 召 上 が って 下 さ い
これ は、 ﹁召上 って い た だ く よ う な も の は﹂ と いう 主 語 が 言 わ れ な か った と い って い い。
主語 が 不明 山 路を 登 り な が ら 、 こう 考 え た 。 智 に 働 け ば角 が立 つ。 ⋮ ⋮
これ は 、 漱 石 の ﹃草 枕 ﹄ の巻 頭 であ る が 、 英 語教 育 の雑 誌 で、 右 の文 章 の 訳 を 一般 か ら つの った こと が あ る 。
と こ ろ が 、 応 募 者 のう ち には 、 ﹁登 った ﹂ ﹁考 え た ﹂ の主 語 を Iと し た 人 と 、 heと し た 人 と が あ った そ う だ 。 な
る ほど こ こ の文 章 に は 、 登 った 人 、 考 え た 人 が 誰 で あ る か の明 記 がな い。 わ れ わ れ は、 登 った のは ﹁余 ﹂ であ る
こと を 知 って いる が 、 そ れ は か つて ﹃ 草 枕 ﹄ の本 文 を 先 の方 ま で読 ん で お ぼ え て いる か ら だ 。
三 七 六 ペー ジ ( 本書)に あ げ た 徳 冨 蔵 花 の ﹁相 模 灘 の落 日 ﹂ は 、 最 後 ま で 主 語 が 誰 か と いう こ と を 明 ら か に し
(1 ) 花 散 る や伽 藍 にく る る 落 と し 行 く
子 規
凡兆
な い文 章 だ った 。
(2 ) 雲 の峰 水 な き 川 を 渡 り け り
こ れ も (1 は)私 が でも い いし 、 寺 の小 僧 が で も い い。 (2 は︶私 が でも い いが 、 一群 の旅 人 が で あ って も い い。 決 定 は 鑑 賞 者 にま か せ て いる 。
主 格 補 語 は 時 に文 の途 中 で変 わ る こ と も あ って、 そ う いう 時 も いち いち 主 格 補 語 を 書 き こ ま な いか ら 承 知 し て 読 ま な け れ ば な ら な い。
田 一枚 植 ゑ て立 去 る 柳 かな
芭蕉 の ﹃ 奥 の細 道 ﹄ の句 に こ ん な の が あ る 。
これ は、 決 し て、 植 え た 当 人 が立 去 った わ け で は な い。 田 一枚 植 え 終 わ る のを 見 た 芭 蕉 が 柳 のも と を 立 去 った
の であ る。 こ こ で は 、 主 格 が い つ の間 に か 動 いて いる 。 こう いう こ と は 現 代 の作 品 にも 受 け 継 がれ て いる 。
虎 は 、 す で に白 く 光 を 失 った 月 を 仰 い で、 二声 三 声 咆哮 し た か と 思 う と 、 ま た 、 も と の草 む ら に お ど り 入 っ て、 再 び そ の 姿 を 見 な か った 。
中 島 敦 の ﹃山月 記 ﹄ の最 後 の セ ンテ ン ス であ る 。 ﹁見 な か った﹂ は ﹁見 せ な か った﹂ のあ や ま り で は な いか と
いう 意 見 も 出 て いる と こ ろ で あ る が、 作 者 は 、 こ こ で主 語を 虎 か ら他 に 変 え 、 し か も 文 章 の簡 潔 さ を 失 う ま いと した のであろう。
補 語 の省 略
主 語 以 外 の補 語 では 、 ﹁あ る﹂ と いう 動 詞 の補 語 が 、 昔 か ら よ く 言 外 に お か れ る 。 ﹃平家 物 語 の ﹄、 我 世 にあ りし 時 は 、 娘 ど も を 女 御 、 后 と こ そ 思 ひし か ⋮ ⋮
あ る に も 過 ぎ て 人 は物 を 言 ひな す に ⋮ ⋮
の ﹁あ り ﹂ は 、 そ の前 に ﹁り っぱ に ﹂ と いう よ う な 語 が 省 か れ て いる 。 ﹃徒 然 草 ﹄ の、
の ﹁あ る ﹂ は 、 そ の前 に ﹁実 際 に ﹂ が 省 か れ て いる 。 ﹁た く さ ん あ る ﹂ と いう 語 句 も 、 た だ ﹁あ る ﹂ と 言 う こ と が でき る 。
﹁こ ん な嬉 し いこ と は め った にな い﹂ を 略 し て、 ﹁こ ん な 嬉 し いこ と は な い﹂ と いう 表 現 は 、 よ く 西 洋 人 を 驚 か
す。 ﹁ 嬉 し い と 言 った ら な い ﹂ の
﹁ な い﹂ は 、 ﹁ほ か に ﹂ と
﹁持 っ て や ろ う か ? ﹂ ﹁い い わ ﹂
て い る 。 ﹁よ い ﹂ は 、
﹁こ ん な 嬉 し い こ と は ﹂ と いう 二 種 類 の 語 句 が 省 か れ
﹁た く さ ん ﹂ は 、 文 字 ど お り に 解 し て 、 ﹁た く さ ん 持 っ て く れ ﹂ の 意 味 に と る
﹁た く さ ん ﹂ と い う 時 の ﹁た く さ ん ﹂ も 同 様 な 例 だ 。 こ の ﹁い い わ ﹂ ﹁た く さ ん ﹂ の 類 い は 、 外 国 人 泣 か
と い う よ う な 時 に 補 語 の 省 略 が 見 ら れ る 。 ﹁持 っ て く れ な く て も ﹂ と いう 語 句 が 省 か れ て い る の だ 。 ﹁い い わ ﹂ の 意味 で せ の語 句 と し て定 評 が あ る 。 こ の 方 が、 た し か に自 然 だ 。
一般 に 昔 の 文 で は 、 今 の 人 な ら ば は っき り 言 葉 に 出 す よ う な と こ ろ を 言 外 に お く こ と が 多 い。 古 典 作 品 を 読 む 場 合 、 注 意 が 必 要 な ゆ え ん で あ る 。 ﹃源 氏 物 語 ﹄ の 、 ( ﹁帚木﹂)
﹃源 氏 物 語 ﹄ の 註 釈 を 手 が け て い る 北 山谿 太 に よ る と 、 右 の□ の 箇 所 に は 、 ﹁人 の ﹂ と い う こ と ば が 入
思 ひ 上 れ る 気 色 に 聞 き お き た ま へ る□ む す め な れ ば ゆ か し く て ⋮ ⋮ は、 長年
﹁いづ れ の ﹂ の 次 に
﹁帝 の ﹂ が 略 さ れ て い る 、 だ か
る べ き も の と いう 。(﹃ 源 氏 物 語 の語 法 ﹄) 知 ら な い と 、 思 い 上 が った 様 子 を し て い る の は む す め か と 誤 解 す る と こ ろ ﹁いづ れ の 御 時 に か ﹂ は 、 同 様 に し て
、 こ れ は 日本 語 に 限
﹁御 時 ﹂ と い う 敬 語 が 使 っ て あ る の だ と い う 。 こ う い う セ ン テ ン ス を 解 く の は な か な か む ず か し い 。
だ 。 巻 頭 の有 名 な 語 句 ら こそ
受 け る語句 の 言 いさし
主 語 、 そ の他 の補 語 、 修 飾 語 の類 いだ け 残 し て、 それ を 受 け る こ と ば を つけ な いこ と︱
ら ず 、 ほ か の 言葉 にも 多 い。 が、 日 本 語 で は特 に多 いら し い。 こ れ は 、 日本 語 の文 脈 で動 詞 が最 後 に来 る こと 、
し た が っ て 言 わ な い で も 察 し が つく こ と 、 動 詞 を い う と 断 定 の 語 気 が こ も る 、 そ れ を 避 け る こ と 、 そ ん な よ う な こ と か ら 来 る も のだ 。
お乗 りはお早く
三 つ子 のた ま し い百 ま で (ことわざ)
春 は馬 車 に 乗 って 島崎藤村
横 光 利 一
次 の標 題 も こ の応 用 であ る。
お も ち ゃは 野 に も 山 にも
こ の種 の、 言 葉 の 節 約 は 、 特 に 女 性 が 多 く や る。 ﹃金 色 夜 叉 ﹄ の 熱 海 の海 岸 で のお 宮 の言 葉 、 貫 一さ ん 、 そ れ じ ゃあ あ ん ま り だ わ
も これ だ 。 つま り、 あ ん ま り ど う であ る か は 省 略 し て いる が、 これ が 日本 的 であ る 。 A ・ ロイ ド の 訳 で は 次 の よ
cruel
you
are,Kwanchi!
う に、 ﹁残 酷 な ﹂ と いう 言 葉 を は っき り 使 って いる 。
How
こう いう こと は ﹃源 氏 物 語 ﹄ の昔 から あ った 。 わ れ わ れ が ﹃源 氏 物 語﹄ を 読 み に く いと いう のは 、 こ のよ う な
場 合 に 形 容 詞 を は っき り 使 わ ず 、 読 者 に想 像 さ せ る と ころ に も あ る 。 国 文 学 者 ・折 口信 夫 は 、 物 語 文 学 に 多 い
﹁あ は れ に お ぼす ﹂ と いう 類 い の言 い方 は 、 ﹁あ は れ に 何 々 に お ぼ す ﹂ と いう 形 であ る べき も の が形 容 詞 の何 々 が
省 か れ た も のと 解 釈 し 、 ﹁いと あ さ ま し ﹂ と あ れ ば 、 ﹁あ さ ま し く 何 々﹂ の何 々 が 省 略 さ れ た 言 い方 と 解 釈 し た。
中国 語 以上 の簡 略 表現
日 本 語 の こ のよ う な 簡 略 表 現 は 、 時 に中 国 語 を 上 回 る と いう こ と は 注 意 し て お き た い。 日本 人 は 中 国 語 こ そ 簡 略 表 現 の極 致 のよ う に 思 って いる が 、 時 に は 日本 語 に か な わ な いよ う だ。
た と え ば 、 ﹁我們 上 街 去 、〓 去〓 ﹂ ( 私 た ち は 町 へ行 き ま す 。 あ な た は ? ) と 問 わ れ た 場 合 、 中 国 語 で は 、 我 也 去 (私 も 行 き ま す )
と 答 え る べ き で ﹁我 也 ﹂ (私 も ) だ け で は いけ な いと 言 う 。 日本 語 で は ﹁私 も ﹂ で十 分 だ 。 ﹁日 本 語 が し ゃ べ れま
一点 児 也 不会
す か ﹂ (〓会 講 日 語〓 ) に 対 し て、 日 本 人 な ら ﹁全 然 ﹂ と 言 え る 。 中 国 人 は 、
と いう べき で、 ﹁一点 児 也 ﹂ だ け では いけ な いそ う だ 。 四 四 一ペー ジ ( 本書)に あ げ た ﹁里 の母 生 ま れ た 文 を 抱 き
老 家 的 母 親 手 捧 報 告 孫 子 出 生 的 信 来 回去 着
歩 き ﹂ と いう 川 柳 は 、
屋 内 煮 紅 豆 〓 殺躱 雨 人
と 長く な る そう だ 。 も っと も ﹁う ま さ う に何 や ら 煮 え る 雨 宿 り﹂ は 、 北 京 外 国 語 大 学 の彰 広 陸 に よ れ ば 、 と 言 う と こ ろ だ そ う で、 こ れ は 日本 語 よ り短 い。
論 理 的 にお かし い表 現
日 本 語 の表 現 は 略 し す ぎ た た め に 、 論 理 的 に は お か し いと 思 わ れ る も のも あ る。 い つか清 涼 飲 料 水 の コ マー シ ャ レ こ、 缶 ごと グ ッと お 飲 み 下 さ い と 言 う の が あ った 。 こ れ で は喉 咽 へ つか え そ う だ。 そ う かと 思 う と 、 あ そ こ のか ど の お 寿 司 屋 さ ん 、 お いし いわ よ も 、 日常 ご く 普 通 に 聞 か れ る会 話 であ る 。
日本 人 が こ のよ う に ど ん ど ん 思 い 切 って 言 葉 を 切 り つめ る のは 、 簡 単 に言 って も 、 相 手 に通 じ る は ず だ と 思 う か ら であ る 。
え ?︱
細 君 が僕 にそ う 言 った よ。 何 でも 時 々は
実 は 日本 人 の場 合 、 反 対 に 言 って通 じ さ せ る 場 合 があ る。 漱 石 の ﹃吾 輩 は 猫 で あ る ﹄ に 、 令 嬢 の方 でも慥 か に意 が あ る ん だ よ 。 いえ 全 く だ よ ︱
寒 月 君 の悪 口を 言 う 事 も あ る そ う だ が ね 。
と いう と こ ろ があ る。 これ は苦 沙 弥 先 生 に は 通 じな か った よ う だ が、 そ の人 に対 し て関 心 が 深 く な る と 、 そ の 人
の こと を つ い話 題 にす る 。 とく に明 治 ご ろ の女 性 は 、 そ の人 を 好 き と は 言 え な か った 。 わ ざ と 悪 口 を 言 った り 、
高 い← 安 い
安 い←高 い
嫌 いと 言 った り し て 、 そ の人 への愛 情 を 人 に悟 ら れ た の であ る 。 あ る いは 悟 ら せ る 場 合 も あ った か も し れ な い。 戦 後 の歌 謡 曲 にも ﹁松 の木 小 唄 ﹂ の、 いや よ いや よ と 首 を 振 る と あ って 、 ほ ん と う は 愛 情 を も って いる こと を 歌 って いる。
小 さ い← 大 き い
高 知 県 の方 言 学 者 ・土 居 重 俊 によ る と 、 高 知 県 の各 地 に、 大 き い← 小 さ い
と いう 風 に 、 形 容 詞 を 片 端 か ら 反 対 に 使 う と こ ろ が あ る そ う だ 。 こ れ で 間 違 いが 起 こ ら な いか と 心 配 にな る が 、
よ ほ ど 相 手 の気 持 を 互 いに 知 り 合 って いる のだ ろ う 。 東 京 で は 、 よ く な い恰 好 を ﹁こ ん な い い恰 好 で﹂ と 言 い、
粗 末 な 膳 で料 理を 運 ん だ 時 に 、 ﹁上 等 な お 膳 で﹂ と いう こと が あ る 。 あ れ が も っと徹 底 し た も の にち が いな い。
二 他 人 へ の考 慮
﹁お茶 が入 りま した ﹂ 日本 の主 婦 が 、 書 斎 で 仕 事 を し て いる 亭 主 に 呼 び か け る 。 お茶 が入りました
平 凡 な 言 葉 で あ る が、 何 と 美 し い言 葉 であ る か 。 お茶 は 自 然 に 入 る も ので は な い。 亭 主 の た め にお 湯 を 沸 か し、
土 瓶 に茶 葉 を 入 れ て湯 を 注 ぎ、 茶 碗 に 注 ぐ 。 そ こ に ち ょ っと し た 菓 子 を そ え て か ら 呼 び か け る の であ る 。 ど こ か
あ な た のた め に 私 がお 茶 を 入 れ た よ
の国 な ら ば 、
雨 が 降 って 来 た と か、 小 鳥 が庭 に 来 た 、 と か いう のと 同 じ よう に
と 言 いそう な と こ ろ で あ る 。 そ う 言 って は 自 分 の行 為 を 恩 に 着 せ る言 い方 にな って、 相 手 に 不 快 の思 いを さ せ る 。
御 飯 が出 来 ま し た
そ こ で お茶 が 入 った の が自 然 現 象 のよ う に︱
お 風呂がわきま した
述 べるのである。
日本 人 が ア メ リ カ へ行 って 色 の 黒 いお 手 伝 いさ ん を 雇 う 。 そ の 人 間 が台 所 で コー ヒ ー 茶
そ の他 す べ て、 こ れ と 同 じ よ う な や さ し い表 現 を す る。 これ と 反 対 の こ と︱
お茶 碗 が 割 れ た よ
碗 を 割 った 。 何 と 言 う か 。
と 言 う の だ そ う だ 。 ﹁お茶 碗 を 割 った ﹂ と は 言 わ な い。 た し か に お 茶 碗 を 割 る と いう のは 、 力 任 せ に 壁 に ぶ つけ
て 粉 々 にす る 。 こ れ な ら ば ﹁お 茶 碗 を 割 った ﹂ だ。 茶 碗 の方 で 手 か ら 滑 り 落 ち て、 勝 手 に割 れ た のだ か ら 、 ﹁お 茶 碗 が割 れ ま し た ﹂ で い い のだ と いう 了 見 であ る。
日本 人 は ち がう 。 茶 碗 は 手 か ら 滑 り 落 ち た の で は あ る が、 そ れ は自 分 の不 注意 か ら であ る 。 そ の結 果 、 壁 に 叩
お茶 碗 を 割 り ま し た
き つけた のと 同 じ 結 果 にな った 。 そ こ で 自 分 の責 任 にし て 、
と 表 現す る の であ る 。 自 分 の 手 柄 は 極 力 隠 そ う とす る 、 自 分 の落 度 は は っき り 認 め よ う と す る。 日本 人 の 心 遣 い が こう いう 表 現 に 出 て い る と 思 う 。
日本 人 は 人 の話 を 聞 く 場 合 、 話 す 人 の気 持 を 理解 し よ う し よ う と 思 って聞 いて い る。 と 同 時 に、 日 本 人 は 話 す
側 の 人 も 、 相 手 の 気 持 を 考 え 考 え し な が ら 話 し て い る と いう こ と に な る 。
﹁灰 皿 あ り ま す か ? ﹂ と 尋 ね る 。 野 崎 昭 弘 に よ る と 、 ユ ダ ヤ 人 だ っ た ら 、
﹁い い え 、 あ り ま せ ん 。 お 要 り よ う で す か ? ﹂
お客 が
﹁い や あ ね え 、 あ の 子 が き の う も っ て っち ゃ っ て 、 そ れ っき り 返 し て こ な い ん で す よ 。 私 は い つも や か ま し
﹁あ の 、 私 は タ バ コ 吸 わ な い も ん で す か ら 、 つ いし ま い っぱ な し で ⋮ ⋮ ﹂
﹁す み ま せ ん 、 す ぐ お 持 ち し ま す ﹂
と 答 え る そ う で あ る 。 日 本 人 な ら 、 そ ん な 返 事 は し な い。
く 申 し て い る ん で す が 、 ⋮ ⋮ ﹂ (﹃ 言 語﹄ 昭 和 六 十年 十 二月 号 )
﹁は い﹂ と ﹁い いえ ﹂
日 本 人 が い か に 相 手 の 気 持 を 考 え て も の を 言 っ て い る か 。 典 型 的 な 例 と し て 、 ハイ と イ イ エ の 使 い 分 け が あ る 。
﹁行 く か ﹂ で も
﹁行 か な い の か ﹂ で も 同 じ こ と で あ る 。 も っと も 筆 者 な ど に は そ れ が 大
英 語 や ド イ ツ 語 ・フ ラ ン ス 語 の イ エ ス と ノ ー の 使 い 分 け は 単 純 で あ る 。 自 分 の 答 え が 、I do の よ う なnotを 含 ま な い形 な ら ば、 質 問 が
変 で は あ る が、 と にか く 規 則 は 簡 単 で あ る 。
﹁は い、 行 き ま す ﹂ ﹁い い え 、 行 き ま せ ん ﹂
日本 で は、 答 え に、
﹁い いえ 、 行 き ま す ﹂ ﹁は い 、 行 き ま せ ん ﹂
と いう こと も あ る が、
と いう こと も あ る 。 こ れ は 相 手 の気 持 を 察 し て 答 え て い る の で 、
﹁行 き ま す か ﹂ ﹁行 く ん で す か ﹂ ﹁行 き ま せ ん か ﹂
﹁行 か な い ん で す か ﹂ な ら ば 、 相 手 は こ
の よ う な 質 問 は 、 相 手 は こ っち が 行 く と 思 って いる 、 あ る い は 行 か せ た い と 思 っ て い る と 解 す る か ら 、 行 く 場 合 ﹁い いえ ﹂ と な る 。 と こ ろ が 質 問 が
﹁行 き ま せ ん
っ ち が 行 か な い と 予 想 し て い る な と 解 す る の で 、 ﹁い いえ 、 行 き ま す ﹂ ﹁は い 、 行 き ま せ ん ﹂ と な る 。
が ﹁は い ﹂ に な り 、 行 か な い 場 合 が
﹁い いえ 、 行 き ま せ ん ﹂
﹁い い え 、 わ か り ま す ﹂ ま た は ﹁は い 、 わ か り ま せ ん ﹂
﹁は い、 行 き ま す ﹂ ま た は
﹁わ か り ま せ ん か ﹂ と は 形 が 同 じ で あ る が 、 答 え 方 は 次 の よ う に 反 対 に な る と い う の で あ る 。( ﹃言葉 の世 界 ﹄
こ こ ま で は ま だ い い と し て 、 形 だ け か ら 見 る と さ ら に 複 雑 に な る 。 金 田 一秀 穂 が 言 っ て い る が か﹂ と 昭 和 六 十年 十 二 月 号) (1 )﹁行 き ま せ ん か ? ﹂︱ (2 )﹁わ か り ま せ ん か ? ﹂ ︱
こ れ は 二 つ の動 詞 の 間 に ち が い が あ っ て 、 そ の た め に (1は )誘 い 、 (2は )単 な る 否 定 的 疑 問 に な っ て い る か ら で あ る。
﹃乙 吉 の だ る ま ﹄ と い う 短 篇 で 、 下 宿 し て
こ の こ と か ら 注 意 す べ き は 、 日 本 人 は ハイ は 言 い や す い が 、 イ イ エ は 言 い に く い こ と で あ る 。 イ イ エは 相 手 の 考 えに対し て、賛成 できな いことを意味す るから である。小泉 八雲 は
い た 焼 津 の 乙 吉 と いう 魚 屋 の 主 人 は 、 自 分 が ど ん な こ と を 聞 い て も 、 一応 イ エ ス と 応 答 す る と 書 い て い る が 、 日 本 人 の こ の 習 慣 が 珍 し か った の で あ ろ う 。
外 国 人 の 習 慣 を 見 る と 、 韓 国 人 ・中 国 人 は ハイ と イ イ エ は 日 本 人 と 同 じ よ う な 使 い 方 を す る と いう 。 ヨ ー ロ ッ
﹁⋮ ⋮ ね ﹂ ﹁⋮ ⋮ ね ﹂ の 連 続 が 耳 に 立 つ と い う 。
パ で は 大 体 、 ア メ リ カ と 同 じ よ う であ ろう 。 た だ し ロ シ ア人 は 日 本 人 と 同 じ ら し いと 書 いた 本 を 見 た 。
﹁ね ﹂ ﹁な る ほ ど ﹂ ﹁や は り ﹂ ま だ 日 本 に 来 て間 も な い 外 国 人 が 日 本 人 の 会 話 を 聞 い て い る と
そ う し て ﹁ね ﹂ と はど う いう 意 味 か と 聞 く 。 ﹁ね ﹂ は 、 自 分 は 相 手 と 同 意 見 だ 、 と いう こ と のた し か め で あ る 。
﹁寒 く な り ま し た ね ﹂ と は 、 あ な た も き っと 寒 く な った と 思 って お い で で し ょう 、 私 も 寒 く な った と 思 いま す 、 と いう 意 味 で あ る 。
相 手 に同 意 見 だ と いう こ とを 積 極 的 に 表 明 す る言 葉 に は ﹁な る ほど ﹂ と いう のが あ り、 これ も 人 に よ って は 多
く 使う。漱 石 の ﹃ 猫 ﹄ に出 てく る 鈴 木 の藤 さ ん と いう 人 物 は 、 金 田 と いう 実 業 家 に盛 ん に ゴ マを す って いる が 、
な る ほ ど 、 よ い御 思 い つきで︱
な る ほど 。
な る ほ ど 、 あ の男 (=苦 沙 弥 と いう 猫 の主 人 ) が 水 島 さ ん (=寒 月 、 若 い理 学 士 ) を 教 え た こ と が ご ざ いま す の で︱
と や って いる 。 いか に も お 世辞 を 使 わ れ て いる よう でく す ぐ った か った であ ろう が、 金 田 は ま ん ざ ら 悪 い気 持 で も な か った ら し い。
近 ご ろ 多 く 使 わ れ る ﹁や は り ﹂ ﹁や っぱ り ﹂ も 、 相 手 の考 え を 肯 定 す る 言 葉 であ る 。
日本 語 の会 話 に は 、 こ の よう な 相 手 と 同 じ 考 え だ と いう こと の表 明 が 多 い。 そ の こ と か ら 、 日本 人 は あ いさ つ
を 重 ん じ る こと に な る 。 日本 に はあ いさ つの種 類 が 多 いこ と が外 国 人 の間 で 評 判 であ る 。
あ いさ つ
前 節 で 、 日本 人 は 口を あ ま り き か な い方 が い い、 口 の き き 方 は へた でも い いと いう 気 持 があ る と 述 べた が 、 た
だ 一つ の例 外 はあ いさ つで あ る 。 こ れ は 行 き 届 かな く て は いけ な い。 ﹁坊 っち ゃん ﹂ は 狸 や 赤 シ ャ ツ の長 いお し
ゃ べ り に は う ん ざ り し て いる が、 中 学 校 へ赴 任 し た 時 、 同僚 が代 わ る 代 わ る あ いさ つを し た 中 で 、 漢 文 の教 師 が
﹁ 昨 日お 着 き で、 さ ぞ お 疲 れ で、 そ れ で も う 授 業 を お 始 め で、 だ い ぶ 御 励 精 で ⋮ ⋮ ﹂ と 、 の べ つに 弁 じ た て た の に 対 し て 、 ﹁愛 嬌 のあ る お じ いさ ん だ ﹂ と い って好 意 を 示 し て いる 。
こ のご ろ 、 結 婚 式 の披 露 宴 に出 て み る と 、 新 婦 側 の主 賓 と し て 、 よ く 新 婦 の父 親 の幼 い時 か ら の友 人 で 今 社 会
的 に 地 位 を も った 人 が出 て く る が、 そ の ス ピ ー チ を 聞 いて いる と、
私 は き ょう の新 婦 の父 親 と は 子 ど も の時 か ら の無 二 の親 友 であ り ま し て 、 朝 はま だ 暗 いう ち に家 を 出 て、 一 里 の山路を越 えて学校 に通 い⋮⋮
っと 終 わ った 時 は 何 と いう か と 言 う と 、
と 延 々と 弁 じ た て、 い つ新 婦 の話 にな る のか 心 配 に な る よう な 話 し ぶ り であ る 。 一五 分 ぐ ら い時 間 を つぶ し 、 や
以 上 は な は だ 簡 単 で ご ざ いま し た が ⋮ ⋮ と 言 う 。 あ いさ つは短 く て は いけ な い と 思 って いる 証 拠 であ る 。
昔 の ヤ ク ザ の仁 義 の 長 い こと は有 名 であ った 。 旧 軍 隊 で編 成 替 え にな った 時 に 述 べ る べき あ いさ つが 、 ま た 長
謝
った ら し いも のだ った 。
感
のた め に お 世 辞 を 使 う こ と は よ いこ と と 思 って は いな い。 日本 人 が 重 ん じ る のは 、 感 謝 と 陳 謝 で あ る 。
日本 人 は 話 す 時 は 、 絶 え ず 相 手 の気 持 を 考 慮 す る 。 相 手 によ い感 じ を も た せ よ う と す る 。 た だ し 、 日本 人 は そ
く 思 う 人 も あ る 。 し か し 、 日本 人 は 恩を 重 ん じ る 精 神 か ら 、 言 わ ず に は いら れ な いと いう と こ ろ が あ る。
日本 人 が 、 一年 も 二 年 も 前 の こと を 覚 え て いて 、 お 礼 を 言 う こ と を 、 外 国 人 は 驚 く 。 そ う し て 、 中 に は う る さ
日本 人 は 感 謝 の意 を 述 べ よ う と す る 反 面 、 恩 に 着 せ る こ と を 恐 れ る。 上 巻 ( 本書 一九九 ペー ジ) に述 べた が 、 土
謝
産 を も って 他 人 を 訪 問 し た 場 合 、 日本 人 は 、 ﹁ま こと に つま ら な いも の です が﹂ と 言 って ア メ リ カ 人 を 驚 か す 。
陳
し か し 、 日本 人 が感 謝 よ り さ ら に 重 ん じ る のは 陳 謝 であ る。
た と え ば 、 老婆 が バ ス に 乗 ってく る 。 若 い娘 が 席 を ゆ ず る 。 老 婆 は 何 と いう か 。 ﹁有 難 う ご ざ いま す ﹂ と 感 謝
の 言葉 を 述 べ る のも いる が 、 ﹁す み ま せ ん ね え ﹂ と いう 陳 謝 の言 葉 を 述 べる 方 が 多 い。 老 婆 の気 持 は こう だ 。
私 が 乗 って 来 な か った ら 、 貴 女 は 座 って ら れ た も のを 、 わ た し が 乗 って 来 た ば っか り に立 って頂 いて す みま せん。
よ そ の家 を 訪 問 す る 。 ま ず 玄 関 で 、 ﹁ご 免 下 さ い﹂ と 最 初 か ら あ やま って 入 る 。 ﹁ど う ぞ こち ら へ﹂ と 案 内 さ れ
て、 ﹁失 礼 し ま す ﹂ と 、 ま た 、 あ や ま って 通 る 。 そ う し て辞 去 す る 時 に は 、 ﹁お 邪 魔 し ま し た﹂ と 最 後 ま で あ や ま り続 け であ る 。
そ ん な 気 持 か ら 、 日本 人 は 外 国 人 が 気 を も む よ う な 挨 拶 を し た り す る 。 つ い こ の間 逢 った 人 に ま た 逢 った 時 に、 日本 人 は こう 言 う 。 先 日 は失 礼 致 し ま し た 欧米人 はこう言われ ると心配す るそうだ。
た し か に こ の男 に は こ の間 逢 った 。 し か し あ の時 は 自 分 に 対 し て悪 い こと は し な か った 。 今 こ の 男 は 謝 って いる 。 す る と 、 も し か し た ら 、 こ の男 は わ た し の知 ら な い間 に ⋮ ⋮
日 本 人 は そ ん な 気 持 で 言 って いる の で は な い。 こ れ に は 、 心 理 学 者 の 堀 川 直 義 が 見 事 な 分析 を し て いる 。 自 分
と いう
は 別 に 気 づ か ず に行 動 し て い る が 、 何 分 自 分 は は な は だ 不 つ つか な 人 間 で あ る 、 だ か ら 自 分 が 知 ら な いう ち にも
し か し てあ な た に対 し て 不 都 合 な こと を し て いる の で は な いか 。 も し そう だ と し た ら お 許 し 願 いた い︱
気 持 で ﹁先 日 は 失 礼 いた し ま し た ﹂ と いう 表 現 を と る のだ 、 と いう こと を 言 って いた が、 た し か に そう だ と 思 う 。
あ やま る習慣 が なく な ってき た?
日 本 の警 官 は あ やま り 方 によ って罪 を 見 逃 し てく れ る 。 こ の こと か ら 要 領 の い い の は、 口 先 だ け 丁寧 にあ や ま
って、 あ と で舌 を 出 し て いるも のも いる 。 そ う いう 悪 い面も あ る が、 あ や ま ち を し てあ や ま る こ と は り っぱ な こ
am
soとr言 ry っ. て" しま
と で はな いか 。 筆 者 は こ のあ や ま る 習 慣 が 何 か戦 後 な く な って来 た の では な いか と 恐 れ る 。 そ れ は 自 動 車 事 故 が 増 え た こ と と 関 係 が あ る かも し れ な い。
欧 米 へ行 って先 方 の車 と 衝 突 事 故 を 起 こす 。 と 、 日本 人 は つ い日 本 の癖 が 出 て、"I う。
と こ ろ が 向 こう の国 で は 、 そ う 言 う と 損 す る のだ そう だ 。 こ の 男 は 自 分 で 過 失 を 認 め て い る と 判 断 さ れ 、 罰 金
が 高 く な る 。 だ か ら 、 そう いう 時 は 、 あ く ま で も 頑 張 り 、 先 方 の 車 が 悪 いん だ と 主 張 す べき も のな のだ そ う だ 。
こ の 習 慣 が 日本 に 持 ち 込 ま れ た よ う な 気 がす る 。 一般 に 日 本 人 は 戦 前 に比 べ てあ や ま る 習 慣 が な く な って 来 た
の で は な いか 。 例 の朝 鮮 民 族 や 中 国 民 族 に対 し て 過 去 の行 状 に つ い て のあ や ま り 方 が 少 な い のは こ の傾 向 の現 わ れ で は な いか 。
日本 人 が平 和 な 幸 せ な 社 会 生 活 を 送 って来 た 、 そ の原 因 は い ろ いろ 分 析 さ れ る だ ろ う が、 悪 い こと を し た 時 に あ やま る こと を 重 ん じ た 言 語 習 慣 も 、 大 き く 働 いた に相 違 な い。
終 章 日本 語 は ど う な る か
英語 の影響
日本 語 は、 前 章 ま で に考 察 し た と ころ を 総 合 す れ ば、 いろ いろ も の足 り な い点 も あ る が 、 全 体 と し て は り っぱ
な 言 語 で、 こ と に 日本 人 の心 情 や 生 活 態 度 を よ く 表 わ し て いる点 では 、 日 本 人 に ぴ った り の、 か け がえ のな い言 語 だ と いう こ と にな る 。 そ れ で は 、 こ の 日本 語 は 将 来 ど のよ う に な る か。
日 本 人 の 中 に は 、 日本 語 はだ ん だ ん 影 を 薄 く し て い って、 しま い に はな く な って し ま う ので は な いか と 心 配 す
る 人 があ る よ う だ 。 こ と に近 頃 、 英 語 か ら の外 来 語 が ふ え 、 ま た 生 の英 語 が 跳 梁 す る こと で、 英 語 に と って代 わ
ら れ る の で は な いか と 懸 念 す る 人 が あ る よ う だ 。 が、 これ は絶 対 に心 配 は いら な い。
フ ィ リ ピ ン に ス ペイ ン人 が来 た の は十 六 世 紀 だ った 。 そ う し て 十 九 世 紀 の末 に ア メ リ カ 人 が 代 わ って 、 主 人 と
な った 。 フ ィリ ピ ン人 が 一九 三 五 年 に独 立 国 の地 位 を 獲 得 す る ま で 四 ○ ○ 年 、 欧 米 人 の支 配 下 にあ った のだ 。 が 、
彼 ら が そ の支 配 を 脱 し 、 独 立 国 にな った と き 、 フ ィリ ピ ンの原 語 であ る タ ガ ログ 語 そ の他 の言 語 は 健 在 だ った 。
フ ィ リ ピ ン人 は 四 世紀 にわ た る 欧 米 人 の支 配 下 にあ って、 自 分 の国 語 を 忘 れ て いな か った。 朝 鮮 語 も 、 厳 し い日 本 語 の 制 圧 を 受 けな が ら 、 戦 後 独 立 と と も に国 語 と す る に何 ら 支 障 が な か った 。
現 代 日本 語 が英 語 の影 響 を 受 け て いる と い って も 、 ほ ん の表 面 だ け で あ る 。 そ の根 幹 の部 分 は全 然 侵 食 さ れ て いな い。
ワープ ロの普 及
次 に 、 日本 語 の将 来 を考 え る 場合 、 言 語機 械 の発 達 に つれ 、 日 本 語 は ど う 変 わ る か と いう こ と も 考 え さ せ ら れ
る。 近 来 、 ワー プ ロの普 及 は ま こ と に目 ざま し く 、 恐 ら く 遠 か ら ぬ 将 来 に 、 各 家 庭 に ワー プ ロが 一台 ず つ備 え つ け ら れ る の で は な いか と 思 わ れ る 。 こ の場 合 に 日本 語 に ど う いう 変 化 が お こ る か。
ワー プ ロが 漢 字 と いう も のを 拒 否 し な いと いう こ と は 、 日本 人 にと って 恵 ま れ た こと だ った 。
現 在 の ワ ープ ロは、 漢 字 の 二 ○ ○ ○ や 三 ○ ○ ○ は 簡 単 に打 て る 。 漢 字 ま じ り 文 の便 利 さ を 身 にし み て 感 じ て い
た 矢 先 、 こ れ は 福 音 だ 。 か つて の当 用 漢 字 の 一八 五 ○ 字 は 少 な す ぎ て 不便 だ った 。 漢 字 は 二 千 七 、 八 百 ぐ ら いは ほ し か った 。
ワー プ ロが盛 ん にな る と 、 若 い人 がど ん ど ん 漢 字 を 書 く のを 忘 れ る だ ろ う と 心 配す る 声 があ る 。 た し か に、 漢
。
字 の 一画 一画 を 正 し く は書 け な く な る であ ろ う 。 し か し 、 筆 者 は 思 う 。 漢 字 は 、 手 で 書 く と き は 、 そ れ ほ ど 正 確 に書 か な く て も い い字 な の で はな いか︱
漢 字 は 画 が こん で いる 。 大 体 の形 でど の 字 か わ か る と こ ろ に特 色 があ る の では な いか 。 似 た ほ か の 字 と 取 り違
え て は ま ず いが 、 横 棒 の 一本 ぐ ら い落 し ても 、 そ れ と わ か れ ば構 わ な い ので は な いか 。 わ れ わ れ は 昔 の人 がよ く
字 を 正 確 に書 いた よ う に 思 って いる が、 あ や し いも のだ 。 た とえ ば 、 筑 摩 書 房 の ﹃現 代 日本 文 学 全 集 ﹄ の ﹁島 崎
藤 村 集 ﹂ の 口 絵 に 藤 村 の自 筆 の序 文 が載 って いる が、 そ の第 一行 だ け で ﹁陽 ﹂ ﹁得 ﹂ ﹁達 ﹂ の字 が みな 画 が 一本 ず
つ足 り な い。 当 時 の人 は 、 ふ だ ん は 行 書 ・草 書 で 書 く こと が 多 か った 。 そ う す る と 、 ﹁才 ﹂ と ﹁木 ﹂ は い っし ょ
にな り 、 ﹁ 禾 ﹂ と ﹁ネ ﹂ は い っし ょ にな る な ど 、 細 か い こ と は ど う で も よ か った のだ 。 ワー プ ロが 、 正 し い字 を 打 ち 出 し てく れ る な ら 、 そ れ で い い の で はな いか 。
自動 翻訳 機
ワー プ ロの次 に、 自 動 翻 訳 機 の盛 行 が考 え ら れ る 。 いち いち 英 語 を 読 む の は め ん ど う だ と いう 人 のた め に、 手
軽 な 英 和 自 動 翻 訳 機 が 多 く の会 社 か ら 競 争 で出 る よ う にな る と 、 今 の ワー プ ロ のよ う にな る だ ろう 。 は じ め のう
ち は ﹁⋮ ⋮ す る と こ ろ の﹂ が 入 った り、 いり も しな い ﹁私 が ﹂ が むや み と 入 った り 、 ぎ こ ち な い 日本 語 訳 のも の
ば か り であ ろ う が、 競 争 に よ って、 こな れ た 日本 語 の訳 にな る も のも 出 る よ う に な る だ ろ う 。 文 学 的 な ひね った
文 章 にな る 恐 れ は な いか ら 、 わ か り やす い文 章 に 訳 さ れ てく る だ ろう 。 従 って こ の文 体 が直 接 、 日本 語 を 乱 す 動 機 にな る と は 思 わ な い。
一方 、 日 本 語 を 英 語 に改 め る 翻 訳 機 も 競 争 で出 る よ う にな る だ ろう 。 現 在 の と ころ 、 た と え ば 日本 語 の主 語 を
省 いた 文 例 な ど は 機 械 に か か ら な い と いう 。(﹃ 言語生活﹄昭和六十二年 一月号、森谷正規) し か し 、 た と え ば 筆 者 の 知
って いる 進 ん だ ワ ープ ロで、 不 完 全 な 仮 名 だ け の文 章 でも 読 み と いて漢 字 を あ て て 行 く 能 力 は す ば ら し いも の で
あ る 。 恐 ら く 将 来 は 、 す な お な 文 章 で書 け ば 、 前 後 の文 脈 か ら 主 語 を 推 定 し 、 欠 け て いる 主 語 を 補 ってく れ る 翻 訳 機 械 も 出 て く る の では な いか 。 今 の ワ ー プ ロに は 、 吾 輩 は 猫 であ る 。 名 前 はま だ な い。 ど こ で 生ま れ た か と ん と 見 当 が つか ぬ。
ぐ ら いの 文 章 は 、 仮 名 で打 って や れ ば、 自 動 的 に漢 字 仮 名 ま じ り 文 に 変 え て く れ る も の が あ る 。 ﹁わ が は い﹂ は
は じ め ﹁我 輩 ﹂ と 出 る が、 訂 正 の合 図 を し て や れ ば ﹁吾 輩 ﹂ と 変 わ る。 ﹁見当 ﹂ も ﹁ 検 討﹂ が先 に出る機 械も あ り そ う だ が 、 これ も 訂 正 の合 図 でな お る 。 智 に働 け ば 角 が 立 つ。 情 に棹 さ せ ば 流 さ れ る。 意 地 を 通 せ ば 窮 屈 だ 。
と な る と 、 ち ょ っと 難 し く 、 ﹁智 に働 け ば﹂ は ﹁地 に 働 け ば ﹂ と 出 て く る 。 が 、 これ も ﹁地 ﹂ を ﹁智 ﹂ に 改 め る
のは 、 簡 単 だ 。 し か し 考 え て み れ ば 、 ﹁智 に 働 け ば ﹂ と は 非 常 に 無 理 な 言 葉 で、 こ ん な 言 葉 を 日常 書 く こ と は な
い。 こ ん な 言 葉 づ か いは 、 ワー プ ロに か け よう と す る のが 常 識 に 欠 け て いる 。 普 通 の文 章 な ら ば 、 ワ ープ ロは 受 け 付 け て く れ る 。 将 来 の翻 訳 機 械も 、 そ の よう な も のだ ろ う 。
同時 通訳 者 の 工夫
日本 語 の特 色 を 考 え る に あ た り 、 西 欧 語 を 標 準 と す る 考 え 方 は 極 力 排 除 し て論 を 進 め て来 た 。 し か し 、 西 欧 語
と 日本 語 が大 き く ち がう と いう こ と は 、 や は り いろ いろ な 点 で 不 便 であ る こ と は た し か だ 。 た と え ば 、 国 際 会 議
な ど に お け る 通 訳 な ど 、 英 ・独 ・仏 ⋮ ⋮ の諸 言 語 は 互 い に容 易 な の に対 し て 、 日本 語 だ け は さ ぞ 大 変 に ち が いな
い。 こん な こ と か ら 、 日本 語 を や め て ⋮ ⋮ と いう よ う な 意 見 が出 か か る ので あ ろ う が 、 日本 語 担 当 の同 時 通 訳 の 専 門家 は 何 と か 工 夫 し 、 努 力 し て、 難 関 を 切 り 開 いて いる 。
大 変 役 に 立 つ こ の 音響 理論 を 組 立 てた のは 誰 であ る か ?
useful
whom?
very
by
acousti ⋮c
theory
was
developed
NH K ア ジ ア 国 際 放 送 文 化 人 会 議 で 同 時 通 訳 を 担 当 し た 加 藤 信 明 によ る と 、
This
と いう よ う な 日本 語 に 対 し て、 ま ず 最 初 は わ か ら な いま ま に、
and
と 言 って か ら 、
と 言う こと に し て いる と いう 。
最 近 、 日本 で は 電 車 で 通 学 す る 人 が 多 い
people
who
commute
by
train
are
very
large
日本 語 では ﹁⋮ ⋮ が 多 い﹂ と 言 う が 、 多 く の西 欧 語 で は ﹁多 く の⋮ ⋮ が﹂ と な る。 これ に 対 し ては 、 た と え ば、
Japan
と いう 文 は 、 次 のよ う にな る と いう 。 Recently,in
in
法 律 の文章
稲 垣 吉 彦 (﹃ 言語﹄昭和 六十 一年 三月 号) に よ る と、 昭 和 五 十 八 年 の 十 月 、 N HK 放 送 文 化 調 査 研 究 所 が、 自 治 体
職 員 の 全 国 大 会 で こ と ば の 調 査 を し た が 、 そ の 中 で ﹁こ れ か ら の 日 本 語 に 対 し て何 を 望 む か﹂ と いう 質 問 を し た。 そ の 回答 は 、 (1 ) 伝 統 的 な 言 葉 、 情 緒 のあ る 言 葉 、 風 情 の あ る 言 葉 を 守 って ゆ く べき だ 。 (2 ) 外 国 にも 通 ず る 国 際 語 の 一つと な る よ う 望 む 。 ( 3) 平 明 な 、 論 理 的 な こ と ば 。 (4 )マ ス コミ の 影 響 への 危 惧 。 (5 ) 外 来語使 用は最小限 に。
と いう 順序 だ った と いう が 、 こ のあ た り が 、 一般 の人 の考 え を 代 表 し て いる の で はな いか 。
(1 に)お いて は、 本 書 に 述 べ た 、 日本 語 が情 緒 的 な 表 現 に満 ち て い る こ と を 認 め 、 肯 定 し て いる も の と 見 ら れ る 。 わ れ わ れ は努 力 によ って 、 これ を 守 り 通 せ る であ ろ う 。
(2 は)あ と ま わ し にし て 、 (3の) ﹁平 明 な 論 理 的 な こ と ば ﹂ と いう こ と に つ いて 考 え て み よ う。 た し か に 日本 語
文 で書 か れ た も の に は 、 き わ め て難 解 な も の が あ る 。 そ の代 表 的 な も の と し て、 法 律 文 があ る 。 し か し 、 あ れ は
書 く 人 が わ る いの で 、 日本 語 の せ いで は な い。 平 和 憲 法 の前 文 に こ ん な の が あ る 。
日本 国 民 は、 正 当 に選 挙 さ れ た 国 会 にお け る 代 表 者 を 通 じ て 行 動 し 、 わ れ ら と わ れ ら の 子 孫 のた め に 、 諸 国
民 と の協 和 に よ る 成 果 と 、 わ が 国 全 土 にわ た って自 由 のも た ら す 恵 沢 を 確 保 し、 政 府 の 行 為 によ って 再 び戦
争 の 惨 禍 が起 こ る こと のな いよ う に す る こ と を 決 意 し 、 こ こ に 主 権 が国 民 に存 す る こ とを 宣 言 し 、 こ の憲 法 を 確 定 す る。
し ﹂ が 対等 の関 係 で ﹁確 定 す る ﹂ に 続 い て ゆく も
これ は 、 ﹁行 動 し ﹂ ﹁確 保 し ﹂ ﹁決 意 し ﹂ ﹁宣 言 し ﹂ と 中 止 形 が 四 つ重 な って 、 最 後 だ け ﹁確 定 す る ﹂ と 終 止 形 で 結 ん だ 体 裁 に な って いる 。 これ を 見 た 人 は 、 こ の 四 つ の ﹁ ︱
のと 解し た く な る 。 が 、 も と の英 文 と 照 ら し 合 わ せ て み る と 、 ﹁行 動 し ﹂ ﹁確 保 し ﹂ ﹁決 意 し ﹂ は 対 等 で あ る が 、
﹁宣 言 し ﹂ は ﹁確 定 す る﹂ と 対 等 で、 前 の三 つ の 対 等 句 が 、 あ と の 二 つ の 対等 句 に か か って いく 文 脈 で あ る。 こ
れ は 、 原 文 の英 文 か ら は は っき り わ か る が 、 右 の 日本 文 から は わ から な い。 な る べく 手 を 加 え ま いと す る な ら ば 、 ﹁宣 言 し ﹂ は ﹁宣 言 し て﹂ と す る だ け でも ず っと よ く な る 。 し か し 、 ほ ん と う に 分 か り や す く す る た め に は、 ﹁決 意 す る ﹂ で 一回 文 を 切 る 。 日本 国 民 は 、 (1 ) 正 当 に選 挙 さ れ た ⋮ ⋮ 行 動 し 、 (2 ) わ れ ら と わ れ ら の 子孫 のた め に ⋮ ⋮ 確 保 し 、 (3) 政 府 の行 為 に よ って ⋮ ⋮ す る こ と を 決 意 す る 。 そう して、 こ こ に 主 権 が ⋮ ⋮ 宣 言 し て 、 こ の憲 法 を 確 定 す る。 と し た 方 が い い。
少 な く と も 一部 の 社 会 の
憲 法 の 文 章 は 、 こ のよ う に (1 () 2 () 3の)よ う な 箇 条 書 形 式 も 奨 励 し て い いの では な いか 。
国際 語 とな る 可能性
日本 の 地 位 が、 現 在 のよ う に 国 際 的 に のし 上 が ってく る と 、 日本 語 も 当 然 国 際 語︱
国 際 語 に な ら な いか と いう こ と が考 え ら れ てく る 。 か つて の世 界 的 国 際 語 フラ ン ス語 は 、 昔 日 の面 影 がな く 、 ヨ
ー ロ ッパ 大 陸 ど こ へ行 っても 英 語 が 通 用 す るよ う に な った。 ソ連 の よ う な と こ ろ でも 、 意 外 な ほ ど に英 語 が 通 じ
る と いう 。(﹃ 言語﹄昭和 五十七年 二月 号、西井良 一) パ リ の フ ラ ン ス 人 な ど は 、 以前 は英 語 で 話 し か け る と 、 つん と し て 返 事 も し な いと 言 わ れ て いた が 、 こ の ご ろ は そ う でも な く な った と いう 。
日本 語 が 国 際 的 に な る た め に、 野 元 菊 雄 は条 件 を 三 つあ げ て いる 。( ﹃言語﹄ 昭和六十一年三月号) 一つは 、 先 進 国
並 み に 自 国 語 の世 界 普 及 のた め に お 金 を 使 う こ と 。 こ れ は 国 策 の問 題 、 政 府 の問 題 だ。 二 番 目 は 、 国 連 の公 用 語
にす る こと 。 現在 、 公 用 語 に な って いる の は、 英 語 ・フラ ン ス語 ・ス ペイ ン語 ・ロシ ア 語 ・中 国 語 ・ア ラ ビ ア語
の 六 カ 国 語 で、 日 本 語 は ド イ ツ語 と と も にま だ 入 って いな い。 か つて の敵 国 だ った と いう 考 え が尾 を 引 いて い る
の であ る に す ぎ ず 、 日本 は 国 連 維 持 費 を ア メ リ カ に次 いで 多 額 に出 し て いる の であ る か ら 、 遠 か ら ず 公 用 語 にな
る であ ろ う 。 そう し て三 つ目 が 、 日本 語 を も っと 簡 易 な も の にす る こ と 、 こ の三 つを 挙 げ て いる。
簡 略 日本語
そ の 簡 易 な 日本 語 を 、 と いう こと に つ い て は、 野 元 菊 雄 は ﹃日本 人 と 日本 語 ﹄ の中 に 、 そ の 一斑 を 示 し て いる 。
そ れ は動 詞 の活 用な ど な る べく 簡 単 に し て 、 す べて ﹁⋮ ⋮ ま す ﹂ の形 だ け にす る 。 否 定 は ﹁書 き ま せ ん ﹂、 過 去
形は ﹁ 書 き ま し た ﹂、 意 志 は ﹁書 き ま し ょう ﹂、 終 止 形 はも ち ろ ん ﹁書 き ま す ﹂、 連 体 形 は ﹁書 き ま す 時 ﹂、 命 令 形
は ﹁書 き ま せ ﹂ な ど と いう よ う にす る と いう 。 筆 者 にす れ ば 、 た と え ば 連 体 形 は ﹁書 く ﹂ に し た 方 が 、 終 止 形 と
ち が いが 出 て い い の では な いか 、 ﹁書 き ま せ ﹂ は ち ょ っと 奇 矯 だ な ど と 思 う が、 そ のよ う な 外 国 人 向 け の 日本 語 を 作 る こ と は 大 賛 成 であ る。
こ の よう な 簡 略 日 本 語 の ほ か に、 標 準 日 本 語 は も ち ろ ん 使 う わ け で 、 そ う な る と 、 標 準 日 本 語 の方 が 簡 略 日本
語 の影 響 を 受 け て、 一部 変 化 す る こと も 起 こ る で あ ろ う が、 これ も 受 け 入 れ て い い の で は な い か。
あ やま る ことを よ しとす る態 度
最 後 に 、 日本 人 のた え ず 相 手 の こ とを 考 慮 しな が ら 話す 態 度 、 こ と に、 あ や ま る こ と を よ し とす る 態 度 は ま こ
と に好 も し いが 、 外 国 人 に は 通 用 し な いか ら 注意 し な け れ ば いけ な い。 こ れ は 日本 人 の中 で の 生 活 の場 合 と 、 外 国 人 と 接 触 す る 場 合 と の二 役 を 演 じ る よ う にす べき だ ろ う 。
し か し 、 考 え て み て、 悪 い こ とを し た 時 に あ や ま って は ま ず い、 自 分 を 主 張 す べ き だ と いう ヨー ロ ッパ 流 の考
え は 、 ど う 見 て も い いと は 思 え な い。 悪 いこ と を し た 時 には あ や ま る 、 そ う す る と こ の人 は自 分 の非 を 認 め て い
る と いう こ と で 罪 が軽 く な る 、 と いう 方 が 好 も し いで は な いか。 タ イ 、 イ ンド ネ シ ア 、 ビ ル マ、 ス リ ラ ンカ ⋮ ⋮
そ う いう 国 の人 の間 に も 、 こう し た 考 え が あ る よ う に 見 え る。 筆 者 は そ のよ う な ア ジ ア人 の行 き 方 が ほ か の国 の
人 にも 認 め ら れ 、 欧 米 な ど の外 国 人 に多 少 と も 影 響 を 与 え る 日 が 来 る こ と を 期 待 す る 。
日本 語 のあ ゆ み
Ⅰ
昔 の 日 本 語
・今 の 日 本 語
昔 の 日本 語 は、 今 の 日本 語 と ど の よ う に ち が って いた か 。 言 葉 を 扱 う 場 合 、 学 者 は 、 発 音 と か 文 法 と か 語彙 と
か 、 分 野 を 分 け て 扱 いま す が 、 はじ め に 、 日本 語 全 般 に つ い て、 昔 の日 本 語 を 眺 め て み ま し ょう 。
今 の 日本 語 を 全 般 的 に見 た 場 合 、 日本 語 と いう も の は、 いろ いろ な 言 語 体 系 が い っし ょ にな った 言 語 だ と 言 え
ま す 。 し か し 、 昔 の日 本 語 は 、 今 の 日本 語 よ り、 も っと 複雑 な 組 立 て に な って いた と 思 わ れ ま す 。
第 一に 共 通 語 と いう よ う な も の が普 及 し て いな か った こ と 、 そ れ だ け 方 言 のち が いが激 し か った こと 、 東 条 操
氏 の ﹃全 国 方 言 辞 典 ﹄ と いう も のを 見 る と 、 随 分 いろ い ろ 珍 し い言 い方 が 各 地 に あ る こと を 教 え ら れ ま す 。 ﹁き
のう の晩 ﹂ と 言 って 、 お と と い の晩 を さ す 地 方 が 、 福 島 ・佐 渡 か ら は じ ま って 、 全 国 の二 十 一府 県 に亙 って あ り
ま す が 、 今 そ の 地方 に 行 って も 誰 も そ う いう 使 い方 を し ま せ ん 。 私 が 気 が つ いた 中 で は 、 香 川 県 の西 の方 でた っ
た ひ と り 、 そ う いう 人 を 見 つけ た だ け でし た 。 ま た 、 東 京 都 の三 多 摩 地 区 か ら 埼 玉 県 の入 間 郡 に か け て、 カ マキ
リ と ト カ ゲ の名 称 が 逆 にな って い る と いう こ と が 、 戦 前 か ら よ く 話 題 に な って いま し た が 、 今 そ う いう 地 方 に行
っても 、 ト カ ゲ は ト カ ゲ、 カ マキ リ は カ マキ リ で 、 逆 に な ど 言 いま せ ん 。 方 言 の差 が な く な る こ と は 、 方 言 学 者 に は淋 し い こ と で す が、 共 通 語 が広 ま った こ と を 、 喜 ぶ べき な の で し ょう 。
こ のよ う な こ と を 見 る に つけ ても 、 昔 は 方 言 のち が いが 激 し か った と 想 像 さ れ ま す 。
明 治 維 新 の 時 、 薩 摩 ・長 州 の 武 士 と 、 津 軽 ・秋 田 の武 士 と 、 共 同 し て佐 幕 派 の会 津 城 な どを 攻 め る時 、 方 言 で
や った の で は 言 葉 が通 ぜず 、 謡 曲 の言 葉 で や った と いう よ う な 話 が 伝 わ って いま す 。 謡 曲 で や った と 言う と 、
こ れ は 薩 摩 に 住 ま い致 す さ む ら い に て候 。 これ よ り 会 津 に向 い、 ま つろ わ ぬ や か ら を 討伐 し ょう ず る に て候⋮⋮
と いう よ う な 言葉 でし ゃ べ った の で し ょう か。 も っとも そ れ は誇 張 で、 実 際 は 、 何 か 一つの単 語 がわ か ら な く て、
謡 曲 の単 語 で言 った ら 通 じ た と いう よ う な こ と が あ った のか も し れ ま せ ん が 、 と に か く 使 う べき 共 通 語 と いう 言 語 体 系 は も って いな か った の でし ょ う 。
こう いう 方 言 のち が いは 、 大 昔 は も っと 激 し か った と 思 いま す 。 戦 国 時 代 に 日 本 に 来 た ロド リ ゲ スと いう 神 父
は 、 日 本 の方 言 のち が いを 書 い て いま す が、 博 多 地 方 で は 、 ﹁過 分 ﹂ を パ ブ ン、 ﹁菓 子 ﹂ を パ シと 託 る と か 、 肥
前 ・肥後 地 方 で は 、 女 子 や 、 女 子と 話 す 男 子 は 、 感 動 助 詞バ オ を 使 う と か言 って いま す が 、 今 の そ う いう 地 方 で
は そう いう こと は あ り ま せ ん 。 今 よ り も 、 そう いう 地 方 の言 葉 は 、京 都 の方 と のち が いが 激 し か った の で は な い でし ょ う か 。
ち ょう ど 今 の八 丈 島 の言 葉 が 、 東 京 の
例 え ば 、 ﹁筑 波 嶺 に 雪 かも 降 ら る ﹂ と あ り ま す が、 ほ か の例
奈 良 時 代 、 関 東 の言 葉 は 、 東 歌 に よ って 知 ら れ る と お り 、 大 和 の 言 葉 と は随 分 ち が った も の で し た 。 東 歌 の言 葉 は そ れ でも 、 いく ら か 大 和 言 葉 化 し た も の で︱
からす れば、 ﹁ 降 ら る﹂ で は な く て ﹁降 ら ろ ﹂ だ った ろう と 思 わ れ る︱
言 葉 と ち が う よ う に 、 当 時 の中 央 の 言葉 と ち が って いた ろう と 思 わ れ ま す 。
古 い文献 に 、 飛 騨方 言 を 特 立 し て いる も のも あ り ま す 。 今 、 あ ま り 特 色 のな い飛 騨 地方 の言 葉 も ち が って いた
の でし ょう か 。 熊 野 地 方 の 土 蜘 蛛 や 、 九 州 の熊 襲 と 呼 ば れ る 人 た ち は 、 ち が った 民 族 と 言 わ れ て いま し た 。 恐 ら く 言 葉 も 大 き く ち が って いた の でし ょう 。
方 言 の ち が い が激 し か った ば か り でな く 、 身 分 ・職 業 によ る 言 葉 の ち が いも 激 し か った と 思 わ れ ま す 。 歌 舞 伎
を 見 て いま す と 、 武 家 ・商 人 ・僧 侶 ・農 民 な ど 、 服 装 も ち が いま す が 、 言 葉 つき も 大 き く ち が い、 一言 聞 いた だ
け でど う いう 身 分 の人 かわ か り ま す 。 あ れ は 多 少誇 張 も あ る でし ょう が 、 実 際 に も 相 当 な ち が いが あ った も のと 推定さ れます。
今 、 私 ど も が、 テ レ ビ の ノ ド 自 慢 の番 組 に出 て 来 て歌 な ど 歌 う人 を 見 て いて、 何 の職 業 か ま ず わ か り ま せ ん 。
昔 は お 寺 の坊 さ ん は 頭 を 剃 って 衣 を 着 て いた も の です が、 こ の ご ろ で は 、 髪 を のば し 、 ピ ンク の ワイ シ ャ ツな ど
を 着 て 、 ゴ ー ゴ ー を 踊 った り し て いま す の で、 ほ ん と う に 区 別 が 難 し く な りま し た 。
江 戸 時 代 、 か ご か き や 馬 方 の言 葉 は 乱 暴 な も のと き ま って いま し た 。 明治 に な っても 、 車 夫 ・馬 丁 の徒 は 、 行
儀 の悪 い物 言 いを す る も の と いう の が 定 評 でし た 。 現 代 そ れ に相 当 す る 職 業 は 、 町 の流 し の タ ク シ ー の運 転 手 諸
氏 です が 、 中 に は 乱 暴 な 物 言 いを す る 人 も あ り ま す が、 全 体 と し て は 、 随 分 品 が よ く な った で は あ り ま せ ん か 。
芝 居 で 見 て いま す と 、 江 戸 時 代 、 武 家 の言 う こと が長 屋 の人 間 に わ か ら な く て 、 大 家 に 通 訳 し て も ら って い る
場 面 が あ り ま す 。 落 語 の ﹁垂 乳 根 ﹂ に は 、 貴 族 の家 に奉 公 し て いた 女 性 の言 葉 が 、 彼 女 と 結 婚 し た 大 工 の 八 つあ ん に は 全 然 通 じな いと こ ろ が あ りま す 。
漁 師 の言 葉 が ち が って いた の は、 古 く か ら有 名 で、 ﹁あ ま のさ え ず り ﹂ と 言 って いま し た 。
次 に 男 と 女 の言 葉 のち が い。 こ れ は 終 戦 後 、 男 女 共 学 に な って ち が い が少 な く な った と いう のが 定 説 で す 。 た
し か に 、 明 治 ・大 正 の こ ろ は ち が いが 大 き か った です し 、 江 戸 時 代 の歌 舞 伎 の舞 台 な ど で、 男 と 女 は は っき り ち
が った 言 葉 で し ゃ べ って いま す 。 し か し 、 こ のち が いが は っき り し は じ め た のは 、 鎌 倉 時 代 で 、 男 は ソ ー ロー と
言 い、 女 が サ ブ ロー と い った あ た り か ら 、 男 ら し い言 葉 づ か いと 女 ら し い言 葉 づ か いが 出 来 た も の です 。
平 安 朝 時 代 で は 、 ﹃源 氏 物 語 ﹄ な ど で、 ど れ が 男 の言 葉 か、 ど れ が 女 の 言 葉 か よ く わ か り ま せ ん 。 男 は ﹁行 く
な ﹂ と 言 い、 女 は ﹁な 行 き そ ﹂ と 言 った と いう よ う な 傾 向 は あ り ま す が、 あ ま り は っき り は し ま せ ん 。 た だ し 、
そ れ は 話 し 言 葉 の方 で、 書 き 言 葉 に な り ま す と 、 男 は漢 字 を 並 べて 漢 文 体 あ る い は漢 文 体 ま が い の書 き 方 を し た
の に 対 し て、 女 は 平 仮 名 を 用 い、 や ま と 言 葉 を 連 ね て書 き ま し た か ら 、 そ のち が いは 現 代 と は 比 べも のに な ら な
いく ら いち が って いま し た 。 紀 貫 之 が ﹃土 左 日 記 ﹄ を 和 文 体 で書 き た か った 、 そ れ で 女 の ふ り を し て書 いた の は、 男 は あ あ いう 文 体 で文 章 を 書 く こ と が な か った か ら です 。 最 後 に、 文 体 のち が いと いう も のが あ りま す 。
今 は 大 体 口 語 体 一本 です が、 戦 前 は 口語 体 と 文 語 体 と いう 対立 が あ って、 文 語 体 の方 が む し ろ 正 式 な 日 本 語 だ
と いう 考 え が あ り ま し た。 明 治 時 代 、 文 語 を ﹁普 通 語﹂ と 言 い、 口 語 は ﹁俗 語 ﹂ と 呼 ば れ て いま し た 。 法 律 と か、
詔 勅 の文 章 は 全 部 文 語 で し た し 、 正 式 の書 簡 は ﹁候 文 ﹂ と 呼 ば れ る 、 一種 の文 語 体 で 書 か れ ま し た 。 一般 の人 は
文 語 体 を 勉 強 し な いで は いら れ な か った わ け で す 。 戦 後 は 、 文 語 体 は 和 歌 や 俳 句 に 用 いら れ る の が主 な 使 い途 に な って 、 随 分 影 の薄 いも の にな って し ま いま し た 。
口 語 体 ・文 語 体 の対 立 は 、 鎌 倉 時 代 以 後 のも の で、 平 安 朝 時 代 は 言 文 一致 だ った と いう よ う な こと が よ く 言 わ
れ ま す が 、 そ れ は ﹃源 氏 物 語 ﹄ や ﹃枕 草 子 ﹄ の よ う な 女 流 文 学 が 口語 体 で書 か れ て い る こと 、 ﹃ 古 今 集 ﹄ のよ う
な 和 歌 が 当 時 の 口語 体 で 詠 ま れ て いた こと を 言 う も ので 、 男 の書 く 文 章 は さ っき 述 べた よ う な 漢 文 ま た は 漢 文 ま
が い の文 章 で し た 。 男 の書 く も の の方 が正 式 と 考 え ら れ て いま し た か ら 、 こ の時 代 は や かま し く 言 う と 、 今 以 上
音 節 の数 も 多 く 充 実 し て いま す 。 と 言 う と 、 そ れ は 当 然 だ 、 時 代 が進
に は っき りし た 言 文 二 途 の時 代 だ った と 言 え ま す 。 奈 良 時 代 はま す ま す そう です か ら 、 文 体 の統 一は 今 日 が 一番 であ る と 言 う べき か も し れ ま せ ん。
発音 の面 では 現代 の方 が、 昔 に比 べて 、 音 の単 位︱
め ば 、 発 音 だ って 複 雑 にな る だ ろう と 思 わ れ る か も し れ ま せ ん。 し か し 、 こ れ は 簡 単 に考 え て は いけ ま せ ん 。 人
間 と いう の は な ま け根 性 のも の で 、 特 に自 然 のま ま に し てお き ま す と 、 発 音 の単 位 は ど ん ど ん 少 な く な ってし ま
﹁億 ﹂ が 同 じ 発 音 に な り 、 ﹁山 西 省 ﹂ と
﹁陜西 省 ﹂ が 同 じ 発 音 に な っ て い ま す が 、 こ れ ら は 以 前 別 の 発 音 で し
う も の で す 。 中 国 の 北 京 官 話 な ど は 、 も と の キ と チ 、 シ と ヒ が い っ し ょ 、 清 音 と 濁 音 の 区 別 が な く な り 、 ﹁一﹂ と た。
日 本 で も 、 地 方 に 行 き ま す と 、 中 央 で 区 別 さ れ て い る 音 が い っし ょ に な っ て い る も の が 多 い 。 奥 羽 地 方 や 飛 ん
﹁靴 ﹂ も
﹁釘 ﹂ も
﹁首 ﹂ も ク ッ と い う 同 じ 発 音 に な り 、 ﹁国 ﹂ と
﹁組 ﹂ は ク ン と い う 同 じ
で 出 雲 地 方 で 、 シ と ス と シ ュが い っし ょ に な り 、 ジ と ズ と ジ ュが い っ し ょ に な って い る の は 有 名 で す 。 九 州 の 鹿 児 島 地 方 で は 、 ﹁口 ﹂ も
発 音 に な って い る こ と で 知 ら れ て い ま す 。 沖 縄 地 方 は な お 混 同 が 激 し く 、 e の 母 音 が i の 母 音 と い っし ょ に な り 、
﹁え ﹂、 ﹁を ﹂ と ﹁づ ﹂ も い っし ょ に な っ て し ま い ま し た 。
﹁い﹂、 ﹁ゑ ﹂ と
﹁お ﹂ が い っし ょ に な っ て し ま い
o の 母 音 と u の 母 音 が い っ し ょ に な っ て い ま す 。 こ れ ら は 、 い ず れ も め ん ど う な 区 別 は や め て し ま お う と いう 気
﹁ぢ ﹂、 ﹁ず ﹂ と
持 の 現 れ で す 。 中 央 で も し た が っ て 、 ﹁ゐ ﹂ と ま し た し 、 ﹁じ ﹂ と
で は 、 ど う し て 音 が 殖 え た の か 。 そ れ は 外 国 と 交 際 が 盛 ん に な る と 、 外 国 語 が 外 来 語 と し て 入 って 来 る 。 そ の
時 、 新 し い 発 音 も い っし ょ に 入 っ て く る の で す 。 今 、 英 語 全 盛 の 世 の中 で す の で 、 フ ァ ン の フ ァ 、 フ ィ ル ム の フ
ィ 、 あ る い は 、 ピ ー ・テ イ ー ・エ イ の テ ィ 、 デ ィ ー ゼ ル ・ エ ン ジ ン の デ ィ な ど が 日 本 語 の 中 に 入 って 来 ま し た 。
日 本 で は 昔 、 大 和 時 代 か ら 平 安 朝 時 代 のは じ め に か け て、 中 国 の文 化 が 盛 ん に 入 って来 ま し た が、 そ れ は 今 日 欧
米 の 文 化 が 入 っ て く る ど こ ろ の 騒 ぎ で は あ り ま せ ん 。 そ こ で 、 中 国 語 の 単 語 と い っし ょ に 発 音 の く せ が た く さ ん
入 っ て 来 ま し た 。 キ ャ ・シ ャ ・チ ャ ⋮ ⋮ の よ う な 拗 音 が そ れ で す 。 ハネ ル 音 ・ ツ メ ル 音 も 入 っ て 来 ま し た 。 ﹃万
﹁倉 ﹂
葉 集 ﹄ な ど に は そ の よ う な 発 音 が ま だ あ り ま せ ん で 、 ﹁東 の 野 に か ぎ ろ ひ の ⋮ ⋮ ﹂ と い う 歌 な ど 、 今 は ヒ ン ガ シ
﹁ 髪 ﹂、 ﹁鞍 ﹂ と
ノ ⋮ ⋮ と 読 ん で い ま す が 、 ﹃万 葉 集 ﹄ の 出 来 た こ ろ は ヒ ム カ シ ノ ⋮ ⋮ と 読 ん で いた に 相 違 あ り ま せ ん 。
発 音 の 一種 で あ る ア ク セ ン ト は 、 昔 に 比 べ て 今 の 方 が 簡 単 で す 。 平 安 朝 時 代 は 、 ﹁紙 ﹂ と
な ど ち が った アク セ ント を も って いた こ と が、 文 献 によ って わ か りま す が 、 今 で は 標 準 語 でも 京 阪 語 でも 、 区 別
が あ りま せ ん 。 ア ク セ ント は 外 国 語 が 入 ってき ても 、 そ の影 響 を 受 け な か った た め に、 複 雑 にな る こ と がな か っ た か ら で し ょう 。
発 音 に 関 し ても う 一つ、 言 葉 全 体 の 速 さ です が、 これ は 昔 は の ん び り し て いた の で、 言 葉 全 体 が ゆ っく り し て
いた と 思 わ れ ま す 。 な ん で そ れ が わ か る と 言 い ま す と 、 今 は 、 ﹁示 す ﹂ と か ﹁率 いる ﹂ と か いう 言 葉 は 、 シ メ ス
か ヒキ イ ルと いう ア ク セ ント で 一語 です が 、 平 安 朝 時 代 のア ク セ ント を 調 べ て み ま す と、 シ メ ス ゥと か 、 フ ィキ
ヰ ルと いう よ う に 、 二 語 の よ う な ア ク セ ント です 。 ま た 、 ﹁百 合 ﹂ と か ﹁胡 麻 ﹂ と か いう 言 葉 は 、 当 時 、 ュウ リ、
ゴ オ マ のよ う な 、 一音 節 の 途 中 で音 が 高 く 変 化 す る アク セ ント を も って いま し た 。 こ れ は 当 時 の発 音 の ス ピ ー ド が お そ か った から 、 そ う いう 言 い方 が で き た の だ と 思 いま す 。
文 字 の面 で こ の分 野 で は、 現 代 語 は 昔 に比 べ て 非 常 に進 化 し た と 言 え ま す 。
東 野炎立所 見而 反 見為者月西度
奈 良 時 代 ご ろま では 、 漢 字 し かあ り ま せ ん で し た 。 こ れ は 書 く の に 不 便 だ った ほ か に 、 読 む の に も 不 便 で し た 。
こ の歌 は ﹁ヒ ム カ シ ノ ノ ニカ ギ ロヒ ノ ⋮ ⋮﹂ と 読 ん で いま す が、 こ う 読 ん だ のは 、 賀 茂 真 淵 に よ る も の で 、 そ
の前 は ﹁ハル ノ ノ ニケ ブ リ ノ タ テ ルト コ ロミ テ ⋮ ⋮ ﹂ と 読 ん だ り し て いま し た 。 た し か に 、 いろ いろ な 読 み方 が
で き そ う です 。 今 、 真 淵 の読 み方 が定 説 にな って いま す が 、 は た し て これ に 疑 い は か か ら な いで し ょう か。
私 は 一か 所 満 足 し て いな いと こ ろ が あ り ま す 。 最 後 の 一句 です 。 一般 に は ﹁ツキ カ タ ブ キ ヌ﹂ と 読 ん で いま す
が、 私 は こ こ は ﹁ツキ カ タ ブ ケ リ﹂ で は な い か と 思 いま す 。 ﹁ツキ カ タ ブ キ ヌ﹂ で は 、 私 が 振 り 向 く ま で は 月 は
中 天 に か か って いた 。 私 が 振 り 向 いた 途 端 に 月 が スー ッと 西 の方 に 沈 ん で 行 った 意 味 に な ると 思 いま す が 、 そ ん
な ば か な 話 はあ り ま せ ん。 振 り 向 いた 時 、 す で に 月 は沈 み か け て いた 、 そう いう 情 景 を 人 麿 は 詠 ん だ に ち が いな
い。 そ う だ とす る と 、 こ こ は ﹁ツキ カ タ ブ ケ リ ﹂ だ と 思 いま す が 、 い か が で し ょう 。 と に かく こう いう 書 き 方 を し て いた の で は 、 相 手 が 正 し く 読 ん でく れ る 日 本 語 が書 け ま せ ん 。
私 た ち の 先 祖 は そ れ で は 不 便 だ と いう こ と で 、 二 種 類 のカ ナ を 発 明 し ま し た が、 そ れ でも 漢 字 を た っと ぶ習 慣
は戦 前 ま で 残 って いま し た 。 漢 字 を ﹁本 字 ﹂ と 言 って いた こ と で も そ れ は わ か りま す が、 正 式 の文 書 と いう も の は漢 字 だ け で 書 こう と し た も の で 、 学 校 へ出 す 欠 席 届 と いう よう な も のも 、 私儀何 月何日風邪 之為欠席 仕候間此段 及御届申候 也
と い った 、 漢 字 ず く め の、 中 国 語 のお 化 け のよ う な 文 章 で書 いた も の で し た 。 御 存 じ のよ う に今 は 漢 字 ・平 仮 名 ま じ り が標 準 的 な 書 き 方 にな って き て いま す ね 。
漢 字 に つ い て いう と 、 当 用漢 字 が制 定 さ れ る 以前 の戦 前 は 、 そ の数 が厖 大 だ った と いう こと が 言 え ま す 。 中 に
は ク シ ャミ と か オ ット セイ と か 、 随 分 難 し い字 や、 書 き にく い文 字 が あ った も の です 。 ﹁華 冑 ﹂ の ﹁冑 ﹂ と 、 ﹁甲
か ら 、 そ の数 は 大 変 な も の で し た 。
﹃〓東 綺譚 ﹄ の ﹁〓﹂ と いう 字 は 、 ﹁墨 田 川 ﹂ と いう のを 一字 で 書 こう と し た 、 江 戸 時
冑﹂の ﹁ 冑 ﹂ のよ う に 、 ど こ が ち がう か ち ょ っと わ か り にく い、 二 つ の文 字 も あ り ま し た 。 戦 前 は 、 新 し く 漢 字 を 作 る こ と も あ った︱
代 の漢 学 者 が 発 明 し た 文 字 で し た︱
これ で は 日 常 生 活 に は 不 便 だ と いう わ け で、 戦 後 、 当 用漢 字 の 制定 が あ り ま し た が 、 少 し 漢 字 が 少 な く な り す
ぎ て、 仮 名 で書 く 部 分 が多 く な り、 全 体 と し て 読 み にく く な った と いう 声 が 高 いよ う です 。 ﹁李 も 桃 も 桃 のう ち ﹂
は 、 正 式 には ﹁す も も も も も も も も のう ち ﹂ と 書 か れ る こと にな り 、 句 読 点 を 打 つ、 傍 点 を 打 つ、 漢 字 のま ま に
し て 振 仮 名 を 施 す 、 あ る いは 片 仮 名 を ま ぜ るな ど の方 法 を 講 じ な け れ ば な ら な く な り ま し た。
し か し 、 全 般 的 に昔 の文 字 遣 いに 比 べ て、 今 の文 字 遣 いは 、 読 み や す く な り ま し た 。 仮 名 で も 同 じ 発 音 のも の
は ち が え て書 く と いう 精 神 で貫 か れ て いる か ら です 。
第 一に清 濁 の書 き 分 け が そ れ です 。 昔 は 濁 点 と いう も のは 正 式 の書 き 方 では つけ ま せ ん でし た 。 ﹃ 古 今集 ﹄ の 和 歌 に、 寝 ても 見 え 、 寝 で も 見 え け り ⋮ ⋮
と いう の があ り ま す が、 原 典 に は ﹁て﹂ と ﹁で﹂ の 区 別 がな く ﹁て﹂ と 書 い てあ って、 あ と の方 は 濁 って読 む と
いう こと は 口 伝 と し て 伝 わ って いた よ う です 。 正 式 の文 章 に は 濁 点 を つけ な いと いう の は 、 終 戦 ま で 続 いて お り
ま し た 。 法 律 の文 章 に ﹁取 得 ス﹂ と あ れ ば 、 シ ュト ク スと ト リ エズ と いう 、 二 つ の反 対 の 読 み 方 が 可 能 でし た 。
小 さ い こ と で は 、 ﹁つ﹂ の書 き 方 も あ り ま す 。 ﹁あ ま つさ え ﹂ と いう 言 葉 は 、 ﹁つ﹂ が大 き く 書 か れ る と こ ろ か
ら 、 ほ ん と う は 、 ﹁ア マ ッサ エ﹂ と 読 む は ず な のが 、 ﹁ア マ ツサ エ﹂ と 読 ま れ る よ う に な って し ま いま し た 。 そ う
か と 思 う と 、 ﹁か つて ﹂ と いう 言 葉 は 、 ﹁カ ツテ ﹂ が 正 し いは ず で す が、 こ の ツも つめ て読 む のか と 思 って ﹁カ ッ テ﹂ と いう 人 も 出 て来 て し ま いま し た 。
であ る のか ﹁オ ノ ズ カ ラ﹂ であ る のか 、 前 後 の文 脈 を 考 え て読 み 分 け た も の です 。
仮 名 書 き や送 り 仮 名 と いう も のも 、 よ く 話 題 に さ れ ま す が、 以 前 は ﹁自 ら ﹂ と 書 い て あ る の が、 ﹁ミ ズ カ ラ﹂
現代 では 異 種 の文 字 を ま ぜ 合 わ せ て 使 う こ と 、 昔 に比 べて 大 き な ち が いで 、 Yシヤツ見切リ品 ¥500より
と いう よ う な 書 き方 は 、 有 史 以 来 最 初 のも の で す 。 古 く は 、 ロー マ字 ・ア ラ ビ ア数 字 は な か った の で使 わ な か っ
文字 の種類 こそ多くあ り
た の は当 然 です が 、 室 町 時 代 以 前 は カ タ カ ナ と 平 仮 名 も 、 同 じ 文 章 の中 に 用 いる こ と は あ りま せ ん でし た 。 カ タ
ア ラ ビ ア数 字 や ロー マ字 を 使 わ な いと いう よ う な ︱
カ ナ は原 則 と し て漢 字 ず く め の文 章 の間 に補 助 的 記 号 の よう に用 いら れ た も の でし た 。 ま た 昔 は 、 使 う 文 字 の種 類︱
ま せ ん で し た が、 同 じ 種 類 の同 じ 音 を 表 わ す 文 字 が た く さ ん あ った こ と は 見 逃 が し て は いけ ま せ ん 。
た と え ば 変 体 がな と いう のは そ れ で、 ﹁こ﹂ の平 仮 名 に ﹁〓﹂ を 使 い、 ﹁な ﹂ の平 仮 名 に ﹁〓﹂ を 使 う な ど で 、
これ は 、 戦 前 ま で女 性 の手 紙 に は 、 いろ いろ 書 き 分 け る 方 が い いな ど と 言 わ れ 、 国 鉄 の駅 の表 示な ど も 、 昭 和 の
は じ め ご ろ 、 ﹁〓ほく ぼ﹂ と か ﹁〓な のま ち ﹂ な ど と書 い てあ った も の です 。 私 は 小 学 校 の時 、 ﹁タ ホ ク ボ﹂ と 書
い て ﹁オ ー ク ボ ﹂ と読 む の か と 思 って いま し た 。 カ タ カ ナ の方 は 、 早 く 明 治 のは じ め に 統 一さ れ ま し た が、 そ れ でも 、 子 (=ネ ) と 井 (=ヰ ) だ け は大 正 ごろ ま で 残 って使 わ れ て いま し た 。
こ の 種 の変 体 がな は 、 時 代 を さ か の ぼ る ほど 変 種 が多 く 、 こと に カ タ カ ナ の方 は 、 同 じ イ と いう 文 字 が 、 書 い
た 人 に よ って i であ った り、saであ った り 、fo で あ った り し て、 正 し く 読 む のが 大 変 で し た 。 こ れ は 、 今 のイ は
﹁伊 ﹂ の偏 だ け 書 いた も の です が 、 人 によ って は ﹁佐 ﹂ の偏 だ け書 いて サ の音 に使 った り、 ﹁保 ﹂ の偏 だ け 書 い て
ホ の音 に 使 った り し た から で す 。 そ ん な 風 で、 ﹁何 ﹂ の偏 と し て イ を 使 ってka と 読 ま せ た 例 、 ﹁他 ﹂ の偏 と し てイ
を 使 ってta と 読 ま せ た 例 も あ り ま す 。 今 の人 か ら 見 る と 、 当 時 の カ タ カ ナ 書 き は 暗 号 を 解 く よ う な 趣 があ り ま す 。
平 安 朝 に 日 本 に来寇 し た 粛 慎 と いう 民 族 が あ り ま し た が 、 そ の和 名 は 今 ミ シ ハセ と い って いま す が 、 戦 前 は ア シ
ハセと も 言 って いま し た 。 これ は平 安 朝 に カ タ カ ナ で書 いた も のに 、 ﹁〓﹂ の 第 一画 だ け が 書 い て あ り 、 こ れ は
﹁〓﹂ の第一 画 だ と す れ ば miであ り 、 ﹁阿 ﹂ の第 一画 だ と す れ ば aで 、 ど っち か は っき り し な か った せ いで す 。
ま た 、 漢 字 も 、 異 体 字 を わ ざ と 使 う こと があ り ま し た 。 た と え ば 、 田 中 一郎 様 と いう 時 の ﹁様 ﹂ と いう 字 は 、
最 も 尊 敬 す べき 人 の場 合 に は ﹁様 ﹂ と いう 字 を 書 き 、 次 位 の人 に 対 し て は 、 ﹁永 ﹂ の字 の代 り に ﹁次 ﹂ と いう 字
を 書 き 、 今 の ﹁様 ﹂ と いう 字 は それ よ り も っと 下 の位 置 の人 に当 て る 場 合 に書 いた 、 こ の習 慣 は 戦 前 ま で あ り ま
し た 。 も し 続 け字 で書 け ば 相 手 を も っと 低 く 見 た こと に な り 、 さ ら に 明 ら か に 目 下 の 人 に は平 仮 名 で ﹁田 中 ト メ
さ ま ﹂ な ど と 書 いた も の で し た 。 将 棋 の駒 の ﹁金 ﹂ の字 が 、 駒 の 位 に よ って 書 き 方 が ち が って いる 、 あ れ のよ う な も ので す 。
私 の小 学 校 の こ ろ 、 同 じ シメ ス偏 が 、 国 語 の教 科 書 で は ﹁ネ ﹂ で あ り 、 修 身 や 歴 史 の教 科 書 で は ﹁〓﹂ と な っ
て いま し た 。 中 学 校 へ入 って み る と 、 国 語 では ﹁〓﹂ であ り 、 漢 文 で は ﹁ネ ﹂ で し た 。 一般 に字 体 のち が いと い
う こと は、 戦 前 は 普 通 で、 時 代 が さ か のぼ り ま す と 、 ま す ま す 激 し か った と 思 いま す 。
こん な 風 で 、 同 じ 言 葉 を ち が った 文 字 で 書 く と いう 習 慣 は 、 戦 前 ま で 珍 し く あ り ま せ ん でし た。 色 紙 な ど に 文
字 を 書 く 時 に は 、 同 じ 言 葉 が 二 度 出 て来 る 場 合 、 一度 は 漢 字 で書 き 、 一度 は 仮 名 で書 く の が い いと さ れ ま し た 。 両 方 仮 名 で 書 く 場 合 は 、 そ のう ち 一回 は 変 体 がな を 使 ったも の です 。
三 木 露 風 さ ん の ﹁赤 と ん ぼ ﹂ と いう 童 謡 は 、 岩波 文 庫 の ﹃日本 童 謡 集 ﹄ で 見 る と 、 ﹁赤 と ん ぼ ﹂ と いう 言 葉 が 、
﹁赤 蜻 蛉 ﹂ ﹁赤 と ん ぼ ﹂ ﹁ あ か と ん ぼ ﹂ と 三 回 ち が って 書 か れ て いる と いう こ と が 話 題 に な った こ と があ り ま し た が 、 三 木 さ ん は、 色 紙 に書 く 時 の要 領 で三 度 ち が った 字 で書 いた の で し ょう 。
一般 に 古 い時 代 に は 、 読 め さ え す れ ば ど う で も い い と いう 気 持 が 強 か った よ う で す 。 ﹃平 家 物 語 ﹄ の古 写 本 で
は ﹁先 ﹂ と ﹁前 ﹂、 ﹁学 ﹂ と ﹁覚 ﹂、 ﹁義 ﹂ と ﹁儀 ﹂ と ﹁議 ﹂ が 自 由 に 取 り 変 え ら れ て使 わ れ て いる のを 見ま し た 。
藤原道 長は ﹃ 御 堂 関 白 記﹄ で、 ﹁光 孝 天皇 ﹂ を ﹁光 高 天 皇 ﹂ と 書 き 、 ﹁清 涼 殿 ﹂ を ﹁清 冷 殿 ﹂ と 書 く よ う な や り 方
を 至 る と ころ で や って いま す 。 明治 の夏 目 漱 石 が 魚 の サ ン マを ﹁三 馬 ﹂ と書 いた り、 容 器 の バ ケ ツを ﹁馬 尻 ﹂ と 書 いた り し た のと 同 じ で、 今 だ った ら 随 分 非 難 を 受 け る こと で し ょう 。
語彙 の面 では
現代 の 日本 語 は 昔 の 日本 語 に 比 べて 、 語 彙 の数 が 多 い。 こ れ は 確 実 です 。 明治 の ころ 、 漢 語 が ぐ っと ふえ 、 ま
た 戦後 、 ア メ リ カ あ た り か ら 入 って 来 た 洋 語 が 多 く な り 、 そ れ か ら 、 そ れ を も と に し て 日本 で 作 った 和 製 洋 語 が 生 ま れ つ つあ り ま す 。
辞 書 を 見 ま す と 、 上 代 語 を 全 部 集 め た も のが 三 省 堂 の ﹃時 代 別 国 語 辞 典 ﹄ 一冊 に 収 ま って いま す 。 室 町 時 代 の
国 語 辞 典 は 、 今 作 ら れ て いる 途 中 だ そ う です が 、 あ れ の 五 倍 ぐ ら い の分 量 に な り そう だ と 聞 いて いま す 。 江 戸 時
代 の 語彙 の辞 典 と な った ら 、 そ れ と は 比 べも のに な ら な いく ら い大 き な も の に な り、 そ し て 明 治 時 代 以 後 の辞 典
にな った ら ⋮ ⋮ と 考 え て いき ま す と 、 上 代 に は 単 語 が いか に も 少 な そ う です が 、 これ は 実 際 の姿 では あ り ま せ ん。
上 代 語 辞 典 に は上 代 の文 献 に 載 った 単 語 だ け し か 載 って いな い の で 、 実 際 に は そ こ に 載 り そ こ な った 単 語 が 、 あ
の何 倍 あ る か わ か り ま せ ん 。 平 安 朝 時 代 の仮 名 文 学 に は カ ラダ と いう 単 語 は 出 て来 な いそ う で す が 、 漢 文 訓 読 の
っこう 数 多 い単 語 を 使 って いる こ と を 教 え てく れ ま す 。 し か し 、 漢 語 の輸 入 、 新 漢 語 の作 製 な ど と いう こと を 考
文 献 に は 出 て来 る と いう こ と を 遠 藤 嘉 基 博 士 が 言 わ れ た こと があ り ま す 。 レヴ ィ= ブ リ ュル は 、 未 開 の民 族 は け
え れ ば 、 や は り、 昔 の方 が 少 な か った こと は た し か で し ょう 。
太 古 の 日本 語 は 漢 語 が な か った こ と か ら 、 抽 象 的 な 表 現 は 少 な く 、 具 体 的 な 表 現 が 多 か った と 思 いま す 。 時 代
がく だ る ほど 、 抽 象 的 な 表 現 は 殖 え て 来 た よう で、 こ れ は 、 古 典 的 な 日本 語 を 集 め た 辞 書 ﹃言 海 ﹄ と 、 現 代 の 新
語 を 盛 ん に集 め て いる ﹃三 省 堂 国 語 辞 典 ﹄ を 比 べ ても そ のち が いは は っき り し て いま す 。
﹁体 系 的 ﹂ ﹁普 遍 的 ﹂ ﹁部 分 的 ﹂ ﹁類 型 的 ﹂ あ る いは ﹁具 体 化 ﹂ ﹁ 合 理 化 ﹂ ﹁機 動 性 ﹂ ﹁指 向 性 ﹂ ⋮ ⋮ と いう よ う な 単 語 は 、 い か にも 明 治 以 後 の言 葉 です 。 そ れ に 対 し て 、
﹁小 夜 砧 ﹂ ( 夜 中 に 聞 く 砧 の 音 )・﹁忘 れ 霜 ﹂ (八 十 八夜 頃 の霜 )・﹁初 袷 ﹂ ( 秋 初 め て着 る 袷 )・﹁時 雨 傘 ﹂ (時 雨 の時 に さ す 傘 )・﹁崩 れ 梁 ﹂ ( 崩 れかけた 梁)⋮ ⋮
な ど 、 随 分 具 体 的 ・特 殊 的 で、 いか に も 昔 の言 葉 と いう 感 じ が あ り ま す 。 柿 本 人 麿 が 短 歌 に 詠 ん だ ﹁夕 波 千 鳥 ﹂ ( 夕 方 の波 の上 を と ぶ 千 鳥 ) な ど も 、 代 表 的 な そ う し た 言 葉 でし た 。
日 本 人 は 一般 に 季 節 の変 化 に 順 応 す る 生 活 を し て いま す が、 古 い時 代 に は 一層 そ う で し た 。 そ のた め に昔 は 今
﹁遅 日﹂・﹁永 日﹂・﹁暮 れ の春 ﹂・﹁麦 秋 ﹂・﹁薄 暑 ﹂・﹁短 夜 ﹂・﹁今 朝 の秋 ﹂・﹁夜 寒 ﹂・﹁短 日 ﹂ ⋮ ⋮
日 あ ま り 使 わ れ な く な った 季 節 に 関 す る言 葉 が た く さ ん あ り ま し た 。
な ど 、 いず れ も そ の例 で す 。
﹁春 泥 ﹂ ・﹁山 笑 う ﹂ ( 春 の 山 ) ・﹁風 光 る ﹂ ・﹁春 嵐 ﹂ ・﹁一葉 ﹂ ・﹁花 野 ﹂ ・﹁冬 田 ﹂
ま た 季 節 と 密 接 な 関 係 を も つ単 語 、
な ど 、 ﹁座 敷 ﹂ と い う 言 葉 で も 、 ﹁夏 座 敷 ﹂ ﹁冬 座 敷 ﹂ と い う 言 葉 を 作 り 、 ﹁鴉 ﹂ に は ﹁夏 鴨 ﹂ と い う 言 葉 が あ り ま し た 。
初 紅 葉 ・草 紅 葉 ・薄 紅 葉 ・下 紅 葉 ・柿 紅 葉 ・む ら 紅 葉 ⋮ ⋮
﹁寒 鴉 ﹂ が あ り 、 ﹁ 鴨 ﹂ には
昔 の 日 本 人 は 植 物 や 鳥 に 関 心 が 深 か った の で 、 そ れ に 関 す る 語 彙 は こ と に 多 く 、 ﹁も み じ ﹂ だ け に つ い て も 、 な ど が あ り 、 ﹁千 鳥 ﹂ だ け に つ い て 、 磯 千 鳥 ・浜 千 鳥 ・む ら 千 鳥 ・小 夜 千 鳥 ⋮ ⋮ な ど の単 語 が 出 来 て いま し た。
二 日 月 ・十 日 の 月 ・望 月 ・三 五 の 月 ・弓 張 月 ・い ざ よ い ・立 ち 待 ち の 月 ・居 待 ち の 月 ・寝 待 ち の 月 ・有 明 の
﹁月 ﹂ は ま た 日 本 人 に と っ て 重 要 な 天 体 で し た の で 、 月 ・月 白 ⋮ ⋮ な ど と いう た く さ ん の 語 彙 が あ り ま し た 。
一般 に 、 月 が 出 る か 出 な い か 、 い つ 出 る か と い う よ う な こ と が 大 切 で 、 ﹁五 月 雨 ﹂ の こ ろ は 月 が 出 る こ ろ が な
い と いう こ と で ﹁五 月 闇 ﹂ と い う 言 葉 も あ り ま し た 。 曾 我 兄 弟 が 父 の敵 を 討 ち に 出 た の は 、 旧 暦 五 月 の 末 の 夜 で
し た が 、 月 の 出 そ う も な い 時 間 を ね ら った も の で し た 。 明 智 光 秀 も 同 じ よ う な 夜 、 本 能 寺 に 織 田 信 長 を 襲 撃 し ま した。
昔 は 自 然 の 語 彙 が 多 い と 言 っ て も 、 鉱 物 を 表 わ す 言 葉 や 人 間 の 肉 体 を 表 わ す 言 葉 は 少 な か った よ う で す 。
今 、 鉱 物 名 ・医 学 用 語 は 漢 語 が た く さ ん あ り ま す が 、 そ れ は 明 治 以 後 出 来 た も の が 多 い よ う で す 。 コ ガ ネ ・シ
﹁胃 ﹂ に 対 し て モ ノ ハ ミ 、 ﹁肺 ﹂ に 対 し て フ ク ブ ク シ な ど と いう 和 語 を あ て て い ま す が 、 こ れ も 翻
﹁肺 ﹂ と か い う 言 葉 も 、 今 、 漢 語 で 言 っ て い ま す が 、 奈 良 時 代 に は な か った の で は な い か 。 平 安 朝 時
ロ ガ ネ ・ク ロ ガ ネ な ど の 言 葉 は 、 古 い 中 国 語 か ら の 翻 訳 語 で 、 そ れ 以 前 の 日 本 語 に は な か った 言 葉 で は な い で し ょうか。 ﹁胃 ﹂ と か 代 の辞 書 に は 訳 語 で は な か った か と 思 わ れ ま す 。
ま た 、 昔 あ って 今 な く な った 習 慣 ・行 事 を 表 わ す 言 葉 も 昔 は た く さ ん あ り ま し た 。 待 つ宵 ・小 鷹 狩 ・毛 見 ・星 迎 え ・炉 開 き ・夷 講 ・鉢 叩 き ・寒 垢 離 ⋮ ⋮ な ど が そ れ です 。
現 代 で は 、 こ う いう の に 代 っ て 、 ラ ジ オ ・テ レ ビ 、 そ れ に 関 し て ス タ ジ オ ・ア ナ ウ ン サ ー と か 、 あ る い は コ ン ピ ュー タ ー ・ ワ ー プ ロ の よ う な 言 葉 が あ る こ と 、 言 う ま で も あ り ま せ ん 。
と こ ろ で、 昔 の 日本 人 は 今 の 日本 人 と ち が って、 物 事 を 論 理的 にか た く 考 え る こ と は し ま せ ん でし た 。 そ こ で
﹁さ て ﹂ の 意 味 に 使 い 、 ﹁さ る ほ ど に ﹂ と い う 接 続 詞 を
﹁さ て も ﹂ の 意 味 に 使 った り し て い
接 続 詞 と いう よ う な 一連 の 言 葉 は 、 は っき り し て い な か っ た 傾 向 が あ り ま す 。 井 原 西 鶴 な ど と い う 人 は 、 ﹁さ れ ば ﹂ と いう 接 続 詞 を ます 。
ま た 、 単 語 相 互 の 関 係 も 、 体 系 的 に と と の っ て は いま せ ん で し た 。 現 代 の 日 本 語 に コ ・ソ ・ア ・ド の 指 示 語 と
﹁安 宅 ﹂ で 、 関 守 の 富 樫 が 道 行 く 義 経 一行 に 対 し て 、
いう も の が あ って 、 コ は 話 し 手 に 近 い も の 、 ソ は 相 手 に 近 い も の 、 ア は 両 方 か ら 遠 い も の を さ す 、 と い う き ま り があ る こと が 知 ら れ て いま す が、 昔 の用 例 を 見 ま す と、 謡 曲 あ れ な る客 僧 と ま れ と こそ と 言 っ て い る 。 相 手 を さ し て い る の で す か ら 、 今 だ った ら 、 そ れ な る客 僧 ⋮ ⋮
と 言 わ な け れ ば 変 です 。 ﹁あ な た ﹂ と いう 言 葉 が 今 相 手 を さ す よ う にな って いま す が、 こ れ も 今 か ら 考 え る と 不 思議 に思 わ れ る 、 第 三 者 を さ し そう な 言 葉 で し た 。 ﹁これ ﹂ と いう 言 葉 で いう と 、 これ や こ の行 く も 帰 る も 別 れ て は ⋮ ⋮ と いう 歌 の あ と の方 の ﹁こ の﹂ は 、 今 だ った ら ﹁あ の﹂ と いう と ころ です 。
現 在 の言 葉 は 体 系 的 に な り 、 何 は 何 の 一種 だ と いう こと が は っき り 言 え る よ う に な った 。 そ れ は 総 括 的 にも の
を ま と め て 言う 言 葉 が ふ え た こ と に よ り ま す 。 獣 ・鳥 ・魚 な どを い っし ょに し て ﹁脊 椎 動 物 ﹂ と いう よ う な 単 語 、
動 物 と 植 物 を い っし ょ に し て ﹁生物 ﹂ と いう よ う な 単 語 は 昔 は あ り ま せ ん で し た。 ﹁生 き 物 ﹂ と いう 言 葉 は あ り ま し た が、 そ れ は 動 物 の こと で し た 。
ま た 、 昔 の 日 本 語 の表 現 は 、 裏 に 好 ま し い、 好 ま し く な いと いう 感 情 の語 感 を 伴 った も のが 多 か った よ う です 。
﹁智 識 ﹂ と いう 言 葉 は 、 仏 教 用 語 で し た が、 た だ 知 って いる こ と を いう 意 味 で はな く て、 迷 いと 正 法 を 弁 別 す る
貴 いも のと いう 意 味 が加 わ って いま し た 。 ﹁自 由 ﹂ と いう 言 葉 は ﹃ 徒 然 草 ﹄ な ど では 、 今 の ﹁わ が ま ま ﹂ に 近 い、 悪 い意 味 を も って いま し た 。
﹃平家 物 語 ﹄ で は 、 ﹁相 違 な く ﹂ は い いこ と が起 こ る の に 用 い、 ﹁さ ば か り ﹂ は い つも 高 く 評 価 す る 時 だ け に使 っ
て いま す 。 ﹁い つし か ﹂ に は ﹁早 す ぎ る﹂ と いう 、 非 難 す る 意 味 が加 わ り 、 ﹁型 の ご と く ﹂ は、 不 完 全 だ と 攻 撃 す
る 語感 が あ り、 ﹁あ ま っさ え ﹂ は 、 極 端 す ぎ て賛 成 でき な い意 味 、 ﹁いや し く も ﹂ は 分 際 を 越 え る のを いま し め る 意味 がありま した。
単 語 と し て そ れ だ け で は 明 確 な 意 味 を も た な いも の が あ った こ と も 注 意 さ れ ま す 。 ﹃竹 取 物 語 ﹄ の 中 に、 逆 髪 を と り 、 逆 尻 を か き 出 で て
と あ りま す が、 ﹁逆 髪 ﹂ は ﹁逆 髪 を と り ﹂ 全 体 で ﹁逆 さ に髪 を と り ﹂ と いう 意 味 、 ﹁逆 尻 を か き 出 で て﹂ は 全 体 で
﹁逆 さ に 尻 を掻 き 出 し て ﹂ で、 ﹁逆 髪 ﹂ だ け の意 味 、 ﹁逆 尻 ﹂ だ け の意 味 と いう も のは ち ょ っと 言 え ま せ ん 。 ﹁詰 腹
を 切ら せ る ﹂ の ﹁詰 腹 ﹂、 ﹁ 押 し 肌 脱 ぐ ﹂ の ﹁押 し 肌 ﹂ も 同 様 です 。 こう いう 言 葉 が、 人 間 の肉 体 の 一部 に 関 係 し
た 言 葉 に 限 って 多 い のは 不 思 議 で す 。 今 の ﹁大 手 を 振 る ﹂ ﹁小 耳 に は さ む ﹂ も 同 じ 用 法 です 。 ﹁小 股 が 切 れ 上 っ
た ﹂ も 同 様 です が 、 ﹁小 股 ﹂ と は ど こだ な ど と 言 い出 す 人 が 出 てく る と こ ろを 見 る と 、 こう いう 用 法 は 現 代 か ら
見 て お か し く な って い るも の と 見 え ま す 。 ﹁片 腹 痛 い﹂ と いう のも 恐 ら く こ れ と 同 じ 用 法 で 、 ﹁腹 が は ん ぱ に 痛 い﹂ と いう 意 味 が 語 源 と 思 わ れ ま す 。
イ ェス ペ ルセ ンは 、 ﹃言 語﹄ の中 で、 一般 に 昔 の 言 葉 は 今 の 言 葉 よ り 長 か った と し て 、 英 語 の had に対し て、
ゴ ー ト 語 の habaideと de いi うmよaう な 例 を あ げ て いま す 。 ラ テ ン語 のaugust( u 八m 月 ) と いう 言 葉 は 、 今 の フ
ラ ン ス語 で は 、 た だ ウ と いう 発 音 に な って し ま いま し た 。 日本 語 でも 、 今 の ﹁二 十 一﹂ に 対 し て、 ハタ チ ア マリ
ヒ ト ツと 言 い、 ﹁霍乱 ﹂ と いう 病 気 を シリヨ リ ク チヨ リ コク ヤ マイ と い った 長 い形 で 表 わ し ま し た 。 も っと も 、
あ る い は こ れ ら は 字 の説 明 で、 一般 に は ﹁霍乱 ﹂ は 、 ク ワク ラ ムと 言 って いた か も し れ ま せ ん 。
最 後 に、 ﹃万 葉 集 ﹄ ﹃古 今 集 ﹄ あ た り に は 、 さ か ん に ﹁枕 言 葉 ﹂ と いう も の が出 て来 て、 何 か 神 秘 的 に見 え ま す 。
し か し 、 こ れ は ふ だ ん の 口語 に は 用 いず 、 文 学 作 品 だ け の 言 葉 だ った の では な い でし ょう か 。 現代 か ら 似 たも の
を 探 し ま す と 、 ﹁花 の パ リ ー ﹂ と か、 ﹁霧 の ロンド ン﹂ と か のよ う な も のか も し れ ま せ ん。
文 法 の面 で は
と こ ろ で、 昔 の 日本 語 は 文 法 の面 か ら 見 て、 論 理 的 な 明 快 さ が欠 け て いた と いう こ と が ま ず 言 え ま す 。
平 安 朝 に は 、 ﹁お よ び ﹂ と か ﹁あ る いは ﹂ と いう よ う な 名 詞 を 結 び つけ る 接 続 詞 と いう も の は あ りま せ ん で し
た 。 ま た 、 ﹁に お いて ﹂ ﹁に と って ﹂ ﹁ を も って ﹂ の よ う な 、 名 詞 が そ の あ と に く る動 詞 に ど う いう 関 係 に 立 つか を 示 す 語 句 も 、 平 安 朝 時 代 に漢 文 訓 読 の 語 法 か ら 発 達 し て出 来 た も の で し た 。
現 代 日本 語 の主 語 を 助 詞 ﹁が ﹂ を 使 って 明 確 に表 わ す と いう のは 、 世 界 でも ち ょ っと 珍 し い こと の よ う です が 、 昔 の日 本 語 で は さ す が に そ ん な に は は っき り し て いま せ ん で し た 。 あ る 人 の 子 のわ ら は な る (ガ ) ひ そ か に 言 ふ (﹃ 土左日記﹄)
の よ う に、 ﹁が﹂ を 使 わ な い こと も ご く普 通 で し た 。 ま た 次 の よ う な 例 で は ﹁宿 は ﹂ は 鶯 の言 葉 と し て ﹁ ﹂ に
入 る は ず で、 ﹁の ﹂ が 主 語 を 表 わ し て いま す が 、 ち ょ っと 見 る と ﹁鶯 の宿 ﹂ と いう ひと つな が り の 言 葉 の よ う に 聞 こえます。 勅 な れ ば いと も か し こし 鶯 の宿 は と 問 は ば いか が 答 へむ (﹃ 大鏡﹄)
そ ん な 風 です か ら 、 接 続 助 詞 と 言 わ れ るも の の使 い方 も 、 今 よ り 自 由 で 、 ﹁に ﹂ と いう 助 詞 の 用 例 で、 物 思 ふ に 立 ち 舞 ふ べく も あ ら ぬ 身 の (﹃ 源氏物語﹄紅葉賀) の時 の ﹁に﹂ は ﹁から ﹂ の意 味 です が、 庭 の面 いま だ 乾 か ぬ に 夕 立 の空 さ り げ な く 澄 め る 月 かな (﹃ 新古今集﹄)
の ﹁に ﹂ は ﹁のに ﹂ の意 味 だ な ど と や か ま し く 論 じ ら れ た の です 。 ﹁⋮ ⋮ ね ば ﹂ と いう 、 言 い方 で 、 秋 風 も いま だ 吹 か ね ば ⋮ ⋮ (﹃ 万葉集﹄) は 、 ﹁いま だ 吹 か ぬ に ﹂ の意 だ と いう のも 有 名 で し た 。
﹁も のを ﹂ は 、 ﹁も のだ か ら ﹂ ﹁も の で あ る の に﹂ の両 用 に 使 わ れ 、 ﹁も の か ら ﹂ は も と は ﹁ も の で あ る の に﹂ の
意 味 でし た が 、 芭 蕉 な ど は ﹁も のだ か ら ﹂ の意 味 に使 って いる な ど と 言 わ れ ま し た 。 ﹁も の ゆ ゑ ﹂ と いう 語 句 な
ど は 、 同 じ ﹃平 家 物 語 ﹄ と いう 作 品 の中 に、 モ ノダ カ ラ と いう 順 接 の意 味 に 用 いた 例 と 、 モノ デ ハア ルガ と いう 逆 接 の意 味 に 用 いた 例 と 、 両 方 あ り ま す 。
そ の ゆ ゑ は 、 無 常 ・変 易 の さ か ひあ り と 見 るも のも 存 ぜず
一般 に文 の前 後 の呼 応 が 非 論 理 で あ る 表 現 は 今 よ り 多 く 、
(=存 ぜ ざ れ ば な り ) ( ﹃徒然草﹄)
相 模 守 高 時 と いふ は ⋮ ⋮ 朝 夕 好 む こと と て は 、 犬 く ひ 、 田 楽 な ど を ぞ 愛 し け る (=な ど に て ぞ あ り け る ) (﹃ 増鏡﹄) のよ う な 、 首 尾 呼 応 し な い文 は ザ ラ で し た 。
﹃源 氏 物 語 ﹄ の ﹁桐壺 ﹂ の巻 の、靱 負 の命 婦 と いう の が、 桐壺 更 衣 の母 親 を 見 舞 う く だ り に、
月 も 入 り ぬ 。 雲 の上 も 涙 に く る る秋 の月 、 いか です む ら む浅 茅 生 の宿 、 お ぼ し や り つ ゝ、 灯 し 火 を か ゝげ 尽 し て起きお はします
と いう 条 が あ りま す が 、 ﹁浅 茅 生 の宿 ﹂ と いう 、 三 十 一文 字 の和 歌 の 最 後 の句 が ﹁お ぼ し や り つゝ﹂ と いう 地 の 文 に つづ い て いま す 。
(=無 事 平 穏ニ ) 二 十 余 年 保 った り し な り 。 悪 行 ば か り で 世 を 保 つ こと はな き も のを 。
松 殿 入 道 殿 のも と へ木 曾 (=義 仲 ) を 召 し て 、 清 盛 公 は さ ば か り の悪 行 人 た り し か ど も 希 代 の大 善 根 を せ し かば、世を もおだしう
さ せ る 故 な く と ど め た る 人 々 の官 ど も 皆 許 す べ き由 仰 ら れ け れ ば ⋮ ⋮ ( ﹃平家物語﹄法住寺合戦)
と あ る のは 、 ﹁清 盛 公 は ﹂ の と こ ろ で直 接 話 法 の形 では じま って いま す が、 ﹁皆 許 す べき 由 ﹂ の ﹁由 ﹂ と いう 言 葉 に よ って間 接 話 法 の形 で 終 って いま す 。
と 照 り て 漕 ぎ ゆく (﹃ 土左日記﹄)
主 語 の変 換 な ど はま し て 自 由 で 、 う ら〓
( 道 真 ヲ) 太 宰 権 帥 に な し 奉 り て ( 道 真 ガ )流 さ れ 給 ふ ( ﹃大鏡﹄) のよ う な も のが た く さ ん あ りま す 。
こ のよ う に 見 てく る と 、 昔 の 日本 語 の文 法 は 不完 全 だ ら け と いう こ と にな り ま す が、 時 に昔 の 文 法 の方 が し っ
﹁掛 け る ﹂ の よ う に 動 詞
﹁調 度 ど も ﹂ の よ う な 、 無
﹁す る ﹂、 ﹁掛 く ﹂ と
か り し て い た と いう も の も あ り ま す 。 た と え ば 名 詞 の 複 数 が 言 え た 、 ﹁机 ど も ﹂ と か 生 物 の 複 数 形 が あ った と い う こ と は 、 今 よ り 便 利 で し た 。 ﹁す ﹂ と
や 形 容 詞 の 活 用 形 で 、 終 止 形 と 連 体 形 と が ち が って いた と い う の も 昔 の 方 が 便 利 で し た 。 い わ ゆ る 四 段 活 用 の 動
思 はむ子を法 師になした らむ こそ⋮⋮
( ﹃ 枕 草 子 ﹄)
詞 は 、 字 に 書 いた 形 こ そ 同 じ で す が、 鎌 倉 時 代 ま で は ア ク セ ント が ち が って いま し た 。 仮 想 を 表 わ す 形 、
の よ う な 言 い 方 も 、 今 あ った ら い い と 思 い ま す 。 現 代 語 で 言 っ た ら 、 ﹁か り に 可 愛 が って い る 子 ど も が あ った と
﹁︱
り ﹂ と いう 形 があ り 、 こ れ も 便 利 そ う
し て 、 そ の 子 が か り に 法 師 に な った と 考 え て 、 そ う い う 場 合 ﹂ と いう よ う な 大 変 長 い表 現 に な り ま す 。 時 の 助 動 詞 は 数 が 多 く 、 ﹁き ﹂ ﹁け り ﹂ ﹁つ﹂ ﹁ぬ ﹂ ﹁た り ﹂ お よ び
で す が 、 し か し こ れ は あ ま り 厳 密 な 使 い 分 け は な か った よ う で す 。 ﹃万 葉 集 ﹄ の 、 采女 の袖吹き返す 飛鳥 風⋮⋮ ﹁吹 き 返 し た ﹂ と は っき り 過 去 形 に す る と こ ろ で す 。
( ﹃太平 記 ﹄ 阿 新丸 の章 )
﹁秋 来 ぬ と 目 に は さ や か に 見 え ね ど も ﹂ の よ う に 過 去 の こ と を 言 う か と 思 う と 、
な ど は 、 今 だ った ら ﹁ぬ ﹂ は
幼 き も の を 一目 も 見 ず に 果 て ぬ る こ と よ
(=目 ヲ 覚 マ シ ) 給 へれ ば 、 灯 も 消 え に け り ( 夕顔)
﹁に け り ﹂ は 、 い か に も 、 目 を さ ま し た 時 、 灯 は す で に 消 え て い た こ と を 示 し て お り 、 英 語 な ど で い う 過 去 完
物 に襲 は る る 心 地 し て お ど ろ き
の よ う な 例 で は 、 ﹁て し ま う ﹂ と いう 意 味 を 表 わ し ま し た 。 ﹃源 氏 物 語 ﹄ の 、
の
了を 表 わ し て いま す が、 花 の 色 は 移 り に け り な ⋮ ⋮ (﹃ 古 今集 ﹄)
と な る と 、 ﹁移 っ て し ま っ た ﹂ と いう 、 た だ の 過 去 で 、 こ の 言 い 方 も 明 確 で は あ り ま せ ん 。
そ れ か ら 客 観 的 な 言 い方 が 昔 は 乏 し か っ た と 言 え ま す 。 例 え ば 、 和 文 脈 の 文 章 に は 、 シ ナ ケ レ バ イ ケ ナ イ と い
う 言 い方 は な か った よ う です 。 漢 文 式 に 言 え ば 、 ﹁セ ザ ル べカ ラ ズ﹂ と 言 った でし ょう が 、 ﹃源 氏 物 語 ﹄ のよ う な 物 語 で は そ う いう 言 い方 が でき な か った の では あ り ま せ ん か。
そ れ か ら 、 ス ル カ モ シ レナ イ と か いう 言 い方 も 、 口語 に は な か った と 思 いま す 。
注 意 す べき は 、 ス ルカ モ シ レナ イ はあ り ま せ ん で し た が、 ス ルカ モ シ レナ イ 、 ソウ ス ルト 困 ルナ ア と いう 言 い 方 は あ りま し た 。 ﹁百 人 一首 ﹂ の歌 に あ る 、 掛 け じ や 袖 の 濡 れ も こ そす れ とか、 忍 ぶ る こと の弱 り も ぞ す る
の ﹁も こ そ ﹂ や ﹁も ぞ ﹂ が そ れ です 。 ﹁濡 れ る か も し れ な い、 そ う し た ら 大 変 だ ﹂ ﹁弱 る か も し れ な い、 弱 ら な い
峰 の白 雪 消 え や ら で⋮ ⋮ ( ﹃ 平家物語﹄大原御幸)
で ほし い﹂ と いう 意 味 です 。 つま り 感 情 を 伴 った 表 現 で、 昔 の 日本 語 は 感 性 的 だ った と 言 って い いか も し れ ま せ ん。
の ﹁消 え や ら ず ﹂ と いう 言 い方 は 、 ﹁消 え て ゆ か な い﹂ と いう 意 味 に あ わ せ て ﹁ 消 え て い って も ら いた い の に ﹂ と いう 感 情 的 な 意 味 が 加 わ り ま す 。 今 の 日本 語 に は客 観 的 表 現 と 主 観 的 表 現 と があ って、 雨 が降 って いる よ う だ と 言 え ば客 観 的 、 雨 が降 って いる のだ ろ う と 言 え ば主 観 的 です 。 君 は ど こ へも 行 っては いけ な い
と言えば客 観的、 君 はど こ へも 行 く な
と 言 え ば主 観 的 です 。 昔 の 日本 語 は 今 よ り 主 観 的 表 現 が 多 か った よ う で 、 相 手 に 対 す る希 望 を 表 わ す 主 観 的 な 表 現 が あ りま し た 。 ﹃拾 遺 集 ﹄ の歌 に あ る 今 ひ と た び の御 幸 待 た な む と いう 言 い方 は そ れ です 。 今 こ れ を 訳 そう と す る と 、 待 ッテ モ ライ タ イ と いう 客 観 的 な 表 現 で な いと 、 間 に 合 いま せ ん 。
であ った こ と が う か が わ れ ま す 。 そ れ は 、 何 よ り ア ク セ ント か ら わ か る こ と で、 平 安 朝 時 代 、 ﹁人 は ﹂ はフィ ト
最後 に、 古 い時 代 の 日 本 語 で は 、 今 、 助 詞 と か助 動 詞 と か 言 って いるも の が、 か な り し っか り し た 独 立 の単 語
フ ァと 二度 高 く 言 い、 ﹁尽 き ぬ ﹂ と いう よ う な 言 葉 も 、 ト ゥ キ ヌ ゥと 言 う よ う な 高 いと こ ろ が 二 か 所 に あ った 言 葉 だ った こ と が 知 ら れま す 。 ﹃ 後 撰 集 ﹄ に、 松 も 引 き 若 葉 も 摘 ま ず な り ぬ る を ⋮ ⋮
松 も 引 かず 、 若 葉 も 摘 ま ず ⋮ ⋮
と いう 歌 が あ り ま す が、 現 代 文 だ った ら 、
と な る と こ ろ です 。 打 消 し の助 動 詞 と 呼 ば れ る ﹁ず ﹂ が 、 当 時 は 、 ﹁松 も 引 き 若 葉 も 摘 み ﹂ と いう 長 い句 を 受 け
と め る こ と が で き た と いう こと で、 し っか り し た 一語 で あ った こ と を 示 し て いる と 思 いま す 。 ﹃徒 然 草 ﹄ の、 走 る 獣 は檻 に こめ 、 鎖 を さ さ れ 、 飛 ぶ鳥 は 翼 を 切 り 、 籠 に人 れ ら れ て ⋮ ⋮
の ﹁れ ﹂ ﹁ら れ ﹂ も そう で、 今 だ った ら ﹁こ め ら れ ﹂ ﹁切 ら れ ﹂ と 言 う の が普 通 でし ょう 。
﹁見咎 め る ﹂ な ど のよ う な 言 葉 は今 では 一語 です が、 古 く は 二 語 であ った 。 これ は ア ク セ ント か ら も わ か り ま す
が、 ﹁見 や は咎 め ぬ ﹂ と いう よ う に、 中 間 に助 詞 が 自 由 に と び こ ん だ こ と か らも わ か りま す 。
以 上 、 前 節 ま で に述 べた こと を 総 括 し ま す と 、
一、 新 し い時 代 の 日本 語 ほど 、 各 国 の 言 葉 が入 って 来 て いる。 こと に 文 字 な ど は 大 変 種 類 が 多 いも の にな って
いま す 。 そ う す る と 、 昔 の 日本 語 ほ ど 少 な い種 類 の言 葉 か ら 出 来 て いた こ と に な り そ う で す が、 し か し 、 上
代 は 上 代 で 、 隣 接 し た 国 々 の言 葉 がま じ って は い って いたも の で し ょう 。 文 字 の種 類 は、 古 く は漢 字一 種 類
でし た が 、 そ れ も 単 語 に視 点 を あ て る と 、 同 じ 単 語 が今 よ り も いろ いろ な 文 字 で 書 か れ て いた と いう こ と に な りま す 。
二 、 単 語 の数 は 、 新 し い時 代 の方 が断 然 多 く な って お り、 発 音 の単 位 も 殖 え て いま す 。 こ れ は 、 外 国 語 が 入 っ
て 来 た 時 に 殖 え た も の で、 昔 の方 が 単 語 の数 も 、 発 音 の単 位 の数 も 少 な か った と 想 像 さ れ ま す が、 今 わ か っ
て いる 昔 の単 語 は 実 際 に使 わ れ て いた も の の 一部 であ った こと は 忘 れ ては いけ ま せ ん 。 発 音 の単 位 な ど は 、
殖 え る のは 原 則 と し て 外 国 語 の影 響 を 受 け た と き で、 そう で な け れ ば む し ろ減 って ゆく 方 が普 通 で 、 ア ク セ ント の 型 の種 類 な ど は 昔 の方 が た く さ ん あ りま し た 。
三 、 単 語 は 、 時 代 が く だ れ ば く だ る ほ ど 体 系 的 に な り 、 昔 は あ る 概 念 を 表 わ す 言 葉 があ って も 、 そ の上 位 概 念
を 表 わ す 言 葉 はな か った よ う な こと が 始 終 で し た 。 文 法 も 、 新 し い時 代 の文 法 の方 が 体 系 的 で、 古 い時 代 の
文 法 で は 、 同 じ 形 が ち がう 意 味 を 表 わ し 、 ち がう 形 が同 じ意 味 を 表 わ す こ と が 多 か った と 言 え ま す 。
四 、 新 し い時 代 の 言 い方 の方 が 一般 的 に 抽 象 的 で 、 理 性 的 ・非 感 情 的 で す 。 時 代 が さ か のぼ る と 、 感 情 の裏 打
ち を も って い る 言 葉 が 多 く な る 、 こ れ は 語 彙 の 面 でも 、 文 法 の面 でも 、 あ て は ま る よ う です 。
現代 国 語 の性 格
東 京 語 が、 標 準 語 に 擬 せ ら れ て 全 日本 語 の中 心 勢 力 と な る に 至 っ
明治 以 後 の 日本 語 、 つま り 現 代 語 は 、 そ れ 以前 の 日本 語 に 対 し て 、 ど の よう な 特 色 を も って いる か 。 第 一に 、 帝 都 の 東 遷 に伴 い、 江 戸 の言 葉︱
た 。 江 戸 語 が勢 力 を 得 て来 た のは 江 戸中 期 以 後 と は 言 う も の の、 そ れ は ま だ、 関 西 の京 都 ・大阪 の言 葉 と 天 下 の
勢 力 を 二 分 し て いた も のだ った 。 明治 維 新 と とも に 何 千 年 も の間 卑 し いイ ナ カ 言 葉 と 卑 し め ら れ て いた 、 東 国 言
葉 の一 つが 、 全 国 を 通 し て の唯 一の標 準 語 と な った こと は、 歴 史 は じ ま って 以 来 の ゆ ゆ し い事 件 で あ る 。 こ の結
果 、 日本 語 は 、 多 く の点 で突 発 的 な 変 化 を 遂 げ 、 ﹁し ろ ﹂ ﹁起 き ろ ﹂ と い った 命 令 の言 い方 、 ﹁買 った ﹂ ﹁笑 った ﹂
と いう 言 い方 、 ﹁見 な い﹂ ﹁書 か な い﹂ と いう 言 い方 は 、 一躍 正 し い語 法 と し て 公 認 さ れ る こと にな った 。 同 時 に、
標 準 語 のア ク セ ント の体 系 は 、 音 節 の多 い語 で は 、 型 の数 が 約 半 数 に減 った 。 ﹁書 か れ ん ﹂ と ﹁よ う 書 か ん ﹂ の
ような区 別は標準 語か ら失わ れ、 ﹁ 新 米 ﹂ と ﹁神 米 ﹂、 ﹁新 品﹂ と ﹁神 品 ﹂ の よ う な 語 を ア ク セ ント で区 別 す る 習 慣 も な く な った 。
第 二 に、 中央 集 権 の完 備 、 全 国 的 な 交 通 網 の発 達 、 国 語 教 育 の滲 透 、 さ ら に マ ス ・コミ ュ ニケー シ ョン の普 遍
化 の結 果 、 明 治 以 後 、 特 に 第 二 次 大 戦 後 は 全 国 共 通 語 の普 及 が 著 し く 進 み 、 各 地 の方 言間 の相 違 は 著 し く 小 さく
な った 。 明治 以 前 に は薩 摩 領 内 の枕 崎 地 方 の人 と 江 戸 の人 が会 話 を す る 場 合 に は 、 薩 摩 弁 と 枕 崎 弁 を 話 す 人 、 江
戸弁 と 薩 摩 弁 を 話 す 人 と いう 二 人 の通 訳 を 必 要 と し た も のだ った と いう が 、 今 で は そ れ は 遠 い昔 の 語 り 草 にな っ
た 。 戦 後 、 国 立 国 語 研究 所 で八 丈 島 の言 語 の調 査 を し た 時 に、共 通 語 で 話 し か け て 通 じ な か った 人 は、 死 に か け
た 老婆 た った 一人 し か いな か った。 半 面 特 色 あ る 方 言 の滅 び 去 る も の が多 く 、 ハ行 の 子 音 に両 唇 音 を 用 いる 傾 向
は、 江 戸 時 代 に は か な り 多 く の 地方 で聞 か れ た ら し いが 、 明 治 以 後 には 、 庄 内 ・越 後 ・出 雲 地 方 ・九 州 の 一部 な
ど 限 ら れ た 地方 に 残 り、 今 では そ れ は 若 い人 の発 音 か ら は ま ず 聞 か れ な く な って いる 。
第 三 に、 封 建 制 度 の崩 壊 、 階 層 意 識 の衰 退 に 伴 って、 階 級 ・職 業 ・性 別 ・年 齢 等 に よ る 言 葉 の差 違 も 小 さ く な
った 。 歌 舞 伎 の舞 台 で 見 る と 、 江 戸 時 代 に お い て は、 武 士 ・町 人 ・農 民 ・僧 侶 は 、 服 装 ・態 度 な ど に は も ち ろ ん
の こと 、 ち ょ っと口 を き け ば 、 そ の言 葉 の 語 法 ・語 彙 ・発 声 な ど あ ら ゆ る 点 に差 違 が 見 ら れ た 。 が、 明 治 以 後 は
急 激 に そ の差 違 が 小 さ く な り、 終 戦 後 は 天皇 ま で ﹁わ た し は ⋮ ⋮ ﹂ と 話 し か け ら れ る よ う に 変 わ った。 今 日、 た
と え ば 、 テ レビ に出 場 す る 視 聴 者 の代 表 を 見 て、 そ の職 業 を あ て る こ と は は な は だ 困 難 であ る 。 落 語 で 聞 く と 、
江 戸 の老 人 は 、 ﹁わ し は﹂ ﹁何 々じ ゃ﹂ ﹁のう ﹂ と い った 言 い方 で 特 徴 付 け ら れ て いた が 、 今 日 年 寄 り 特 有 の語 法
と いう も のは ほと ん ど な い。 男 性 語 に対 す る 女 性 語 は 、 今 日 で も かな り は っき り し た 特 徴 を有 す る が 、 そ れ で も 、
﹁随 分 滑稽 ね ﹂ ﹁そ れ は 疑 問 だ わ ﹂ と いう 漢 語 を ま じ え る 点 な ど は 、 男 性 と 同 じ よ う にな って し ま った 。
第 四 に、 日 本 人 は 、 明 治 以後 さ か ん に 海 外 か ら 入 って来 た有 形 無 形 の事 物 に 対 し て、 漢 字 を 組 み 合 わ せ て命 名
し た も の が 多 か った の で、 こ こ にお び た だ し い数 の漢 語 を 新 造 す る に 至 った 。 ﹁社 会 ﹂ ﹁哲 学 ﹂ ﹁汽 車 ﹂ ﹁野 球 ﹂ の
類 は そ れ で あ る が、 これ と 一般 人 の漢 語 尊 重 癖 と が い っし ょに な って 、 耳 で 聞 い ては わ か ら な い漢 語 、 書 いて 覚
え る こ と の難 し い漢 語 の氾 濫 を ひき お こ し た 。 コー シ ョー と いう 見 出 し は 、 一般 の辞 書 で は 二十 幾 つ の漢 語 が 勢
揃 いを し て お り 、 セ イ カ 業 と いう 名 の 職 種 に は、 ﹁製 靴 業 ﹂ ﹁製 菓 業 ﹂ ﹁青 果 業 ﹂ ﹁生 花 業 ﹂ と 四 つが あ る と いう の
が 現 状 で あ る 。 こ れ ら の漢 語 の読 み方 を き め る 場 合 、 漢 字 音 に つ い て の深 い考 え な し で 行 な わ れ た た め に、 ﹁言
語 ﹂ の よ う な 、 漢 音 ・呉 音 を 混 同 す る 例 、 ﹁行 幸 ﹂ のよ う に 連 濁 す る 習 慣 を 忘 れ た 例 な ど 、 前 代 と は ち が った 形
態 にな った も のが 少 な く な い。 ま た 、 これ ら は 文 字 に書 いた ま ま の 形 で韓 国 や 中 国 に 逆 輸 入さ れ 、 む こう の語 彙 体 系 に 多 く の影 響 を 与 え た 。
第 五 に 、 ヨー ロ ッパ 文 化 の急 激 な 侵 入 に よ り 、 そ れ ま では 特 殊 の語 彙 し か は い って いな か った ヨー ロ ッパ語 、
特 に 英 語 が数 多 く 日本 語 の語 彙 の中 に 加 わ り 、 こ の結 果 、 テ ィ ・デ ィ ・フ ァ ・フ ィ ・ウ ィ ・ウ ェ ・シ ェ ・チ ェな
ど の 音 節 が 日本 語 の中 に 発 生 し 、 ま た は 復 活 し た 。 語彙 の中 に は 、 ピ ア ノ ・コー ヒ ー ・テ ニ ス ・ク リ ス マ ス のよ
う な 、 そ れ が さす 物 品 や 行 動 様 式 と い っし ょ に 輸 入 さ れ た も の のほ か に、 モダ ン ・ユー モ ア ・デ モク ラ シ ー のよ
う に 一つ の見 方 の名 と し て 輸 入 さ れ た も の があ る 。 こ れ ら の中 に は 、 日本 人 に 親 しま れ 、 そ の 組 み 合 わ せ によ る
オ ー ルド ミ ス や テ ー ブ ル スピ ー チ のよ う な 和 製 英 語 ま で作 ら れ て いる 。 戦 後 は 、 ナ イ タ ー のよ う に 日本 で 作 ら れ た英 語 ( ? ) が、 ア メ リ カ へ逆 輸 入 さ れ る 現象 ま で生 じ て いる 。
第 六 に 、 外 来 語 ・漢 語 が 増 加 し た こ と に よ って 特 に 殖 え た 語 彙 は 、 抽 象 的 な 意 味 を も つ語 彙 で あ る。 ﹁概 念 ﹂
﹁観 念 ﹂ ﹁理 想 ﹂ ﹁過 程 ﹂ ﹁形 象 ﹂ な ど 、 そ の例 は 、 は な は だ 多 い が、 一方 、 具 体 的 な 意 味 を も つも の で 日常 語 か ら
姿 を 消 し つ つあ る も の が多 い。 ﹁ひ さ め ﹂ は 、 冬 の 雨 の意 か ヒ ョウ の意 味 か わ か ら な く な り、 ﹁う ら が れ る﹂ は 植
物 の先 の方 が 枯 れ る 意 味 は 忘 れ ら れ て、 淋 し く 枯 れ る 意 味 に 使 わ れ つ つあ る 。 ﹁眸 子 ﹂ の意 味 だ った ﹁ひ と み ﹂
も 、 ﹁つぶ ら な ひと み ﹂ ﹁二 十 四 の ひと み ﹂ の よ う な 場 合 に は 、 ﹁目 ﹂ の雅 語 に な って し ま った 。 ﹁芽 ぐ む ﹂ ﹁芽 ぶ
く﹂ ﹁萌 え る ﹂ な ど の 区 別 も 今 で は あ ぶ な い。 一般 に 、 用 途 の狭 い語 は 、 廃 滅 の運 命 にあ り 、 そ の結 果 色 彩 ・連
想 の豊 か な 語 彙 は、 詩 歌 ・俳句 の用 語 と し て多 く 残 る こ と に な り 、 散 文 的 な 、 あ ま り は っき り し た 語 感 を も た な い無 色 な 単 語 が は ば を き かす に 至 って いる 。
第 七 に、 一般 に書 か れ る 文 章 の表 現 が 論 理 的 にな り 、 首 尾 呼 応 す る よ う にな った 。 近 世 随一 の文 章 家 井 原 西鶴
は 、 ﹁さ て﹂ で よ さ そ う な と こ ろ に ﹁さ れ ば ﹂ と か ﹁さ る ほど に﹂ と か いう 接 続 詞 を 使 って 長 々と し た セ ン テ ン
スを つづ り 、 彼 と 同 時 代 き って の国 語 学 者 契 沖 は 、 ﹃ 和 字 正 濫 抄 ﹄ の文 章 を 、 直 接 話 法 ・間 接 話 法 をご っち ゃに
し た セ ンテ ン ス で書 き お こし て いる 。 明治 以 後 、 いわ ゆ る 欧 文 脈 の影 響 な ど も 加 わ り 、 文 章 の組 み 立 て にす じ の
通 った も のが 多 く 見 ら れ る よ う に な った こ と は 無 視 で き な い。 これ が た め に、 ︽主語 のな い セ ン テ ン ス は 不 完 全
が そ こ に いて
な も のだ ︾ と か 、 ︽﹁家 が 焼 け な い前 ﹂ と いう 表 現 は、 ﹁家 が 焼 け る 前 ﹂ のあ や ま り で は な いか ︾ と か いう 理 屈 っ
ぽ い考 え 方 も ぽ つぽ つ出 て 来 て い る。 三 木 清 の ﹃ 哲 学 入 門 ﹄ な ど に さ か ん に 見 ら れ る 、 ﹁わ れ〓
そ こ で働 く こ の世 界 は ﹂ と いう よ う な 文 章 は 、 あ く ま で も 論 理 的 に 完 全 な 文 章 を 書 こう と し た 、 いか に も 明治 以
後 ら し い表 現 の例 であ る 。 ﹁⋮⋮ に 対 し て﹂ ﹁⋮⋮ に 関 す る ﹂ ﹁⋮⋮ に 反 し て ﹂ の よ う な 、 二 つ の事 物 間 の 論 理 的
な 関 係 を 表 わ す 語 法 は 著 し く 発 達 し た 。 ま た 、 ︽修 飾 語 は 被 修 飾 語 に 先 立 つ︾ と いう 日本 文 法 の鉄 則 も 、 戦 後 は
ラ ジ オ 東 京 ・ホ テ ル大 倉 のよ う な 言 い方 に よ って、 そ ろ そ ろ一 角 が く ず れ か け て 来 た 。
第八 に、 いわ ゆ る敬 語 の使 い方 も 、 明治 以 後 大 き く 変 わ った 。 新 井 白 石 の ﹃折 り た く 柴 の記 ﹄ で は 、 自 分 の父
母 の こと を の べる の に 、 き わ め て 鄭 重 な 敬 語 表 現 を し て い る が 、 こう いう 文 章 は 、 明 治 維 新 後 徐 々に 減 り 、 終 戦
後 は ま ず な く な った 。 天 皇 に 対 す る 敬 語 表 現 は 、 明 治 以 後 も や か ま し く 他 と 区 別 さ れ て いた が 、 終 戦 後 は そ の場
合 に も 、 ﹁ヒ ロヒ ト は ど う し た ﹂ と いう よ う に 、 敬 語 な し で 表 現 し て、 こ と さ ら 効 果 を ね ら う や か ら も 現 わ れ て
来 た 。 一般 に 自 分 の身 内 のも のに 対 し て は 、 謙 譲 表 現 を 使 う 言 い方 が 明 治 以 後 一般 化 し て 来 た が 、 た だ し 、 ﹁電
報 文 ﹂ な ど のよ う に、 時 と し て は 相 手 が尊 敬 す べき 人 の場 合 に も 、 尊 敬 表 現 を 用 いな い習 慣 も 発 生 し た 。 ﹃ 膝栗
毛 ﹄ で見 る と 、 京 都 の御 所 に つと め て いた 女 中 た ち は 、 相 手 が 弥 次 喜 多 のよ う な 平 民 と 見 る と 、 ぞ ん ざ いな 言 葉
つき で話 し か け た か のよ う で、 明 治 以 後 も し ば ら く は 、 ﹃猫 ﹄ の金 田 家 の マダ ムや 令 嬢 のよ う な 、 良 家 の女 性 が、
使 用 し て いる 下 男 ・女 中 に対 し て は ま る で 男 のよ う な口 のき き 方 を す る 習 慣 が残 って いた が 、 これ は 昭 和 にな っ
て か ら 急 激 に 衰 え た。 一般 に、 話 の相 手 に よ って 言 葉 づ か いを 変 え る 習 慣 は 次 第 に ぼ や け て く る よ う で、 こ れ に
は 、 相 手 が 自 分 よ り 上 の人 か 下 の人 か わ か ら な い、 あ る いは 上 の人 も 下 の人 も 一様 に相 手 と し て 取 り 扱 わ な け れ
ば な ら な いラ ジオ や テ レ ビ の よ う な 話 の場 面 が多 く な ってき た こと と 関 係 があ る 。
第 九 に、 明 治 中 期 に 言 文 一致 の運 動 が 起 こり 、 標 準 的 な 書 き 言 葉 が 話 し 言 葉 に 非 常 に 近 く な った の が、 大 き な
革 命 だ った 。 そ れ 以前 の書 き 言 葉 は 、 大 体 平 安 朝 時 代 の語 法 を も と と し て綴 るも の であ った が、 そ の平 安 朝 に お
け る 書 き 言 葉 のお 手 本 は 漢 字 ず く め の漢 文 であ った か ら 、 日本 人 は 有 史 以 来 明治 に な って は じ め て 話 し 言 葉 に 近
い、 正 式 な 書 き 言 葉 の文 体 を も った と 言 え る か も し れ な い。 いわ ゆ る漢 文 体 は 明 治 期 に大 き く 衰 退 し 、 終 戦 後 は
文 語 体 ・候 文 体 も ほ と ん ど 姿 を 消 し た 。 明 治 以 後 こ れ ら に代 わ って デ ア ル体 の文 体 が大 き な 勢 力 を し め 、 口頭 語
では デ ス ・マス体 が 改 ま った席 で の標 準 的 な 文 体 と し て 確 立 し た 。 ﹁赤 い です ﹂ と い った 言 い方 も 、 終 戦 後 は ほ
ぼ 共 通 語 と し て の 位 置 を し め た し 、 そ のう ち に は ﹁赤 いで し た ﹂ と いう 言 い方 も 公 認 さ れ る よ う に な る で あ ろ う 。
第 十 に 、 文 字 に つ い て は 、 明 治 以 後 学 校 教 育 の普 及 に よ って、 文 字 の読 め る 人 々、 書 け る 人 々 のパ ー セ ント が
ぐ っと 増 加 し た が 、 一方 漢 字 ず く め の書 き 方 は 漸 次 少 な く な って 行 き 、 特 に 終 戦 後 に書 か れ る も のは 、 漢 字 で書
か れ る 部 分 よ り仮 名 で書 か れ る 部 分 の方 が 多 く な った 。 漢 字 の字 体 は 活 字 文 化 の発 展 と と も に 、一 定 の方 向 に進
み、 と く に終 戦 後 にお いて 著 し い。 カ ナ は 早 く 明 治 年 代 に ほ ぼ統 一さ れ 、 今 では 特 殊 な と こ ろ に だ け ﹁生〓〓 ﹂
のよ う な 変 体 仮 名 が 使 わ れ る よ う に な った 。 送 り 仮 名 だ け は 、 明 治 以 後 も な か な か統一 が 行 な わ れ な か った が、
そ れ で も 動 詞 の活 用 語 尾 に 送 る と いう 行 き 方 は 今 で はす っか り普 遍 化 し 、 戦 後 の国 語 政 策 は さ ら に送 り 仮 名 の き
ま りを き ち ん と し た も のに し よ う と 努 力 し て いる 。 一般 に、 明治 以 後 、 同 一の語 彙 は い つも 同 じ 形 で書 こ う と い
う 行 き 方 が重 ん じ ら れ て 来 、 書 道 で ﹁は な ﹂ と いう 語 が 二度 出 て 来 た 時 、 一つは漢 字 で書 いた ら 、 二 つ目 は仮 名
で書 こう と し た と いう よ う な 習 慣 な ど は 、 若 い人 た ち か ら 奇 異 の目 で見 ら れ るよ う に な って 来 て いる。 他 方 同 一
の 文 字 は 、 な る べく 同 一の読 み方 で読 も う 、 止 むを え な け れ ば な る べく 少 数 の限 ら れ た 読 み方 に 制 限 し よ う と す
る 傾 向 も 顕 著 で、 こ の線 にそ って 終 戦 後 は 、 現 代 かなづ か いや 当 用 漢 字 音 訓 表 が作 製 さ れ た 。 これ ら の政 策 の実 施 と 並 行 し て 、 いわ ゆ る 振 り仮 名 は 急 速 に減 少 し た 。
第 十 一に、 ア ラ ビ ア 数 字 と ロー マ字 の輸 入 によ って 、 明治 以 後 の 日本 の文 字 生 活 は 、 世 界 史 上 最 も 複 雑 な 文 字
体 系 を 使 い分 け る こ と に な った 。 ま た 、 こ れ ら の文 字 を 書 く 習 慣 が影 響 を 与 え て 従 来 縦 書 き を 標 準 と し た 書 字 の
順 序 に、 新 た に左 横 書 き の 習 慣 を 加 え た が 、 こ れ と 古 く か ら 時 折 用 いら れ た 右 横 書 き の 習 慣 と が 入 り 乱 れ て 用 い
ら れ 、 これ は 今 日 にも 及 ん で いる 。 ﹃週 刊 文 春 ﹄ に い つか東 京 佃 島 の由 緒 あ る 佃 煮 屋 の 店 頭 の写 真 が 出 て いた が、
看 板 の文 字 は右 横 書 き 、 標 札 は縦 書 き 、 店 に 置 かれ て あ る 品 物 は 左 横 書 き と いう 変 化 のあ る 文 字 の 配 置 を 見 せ て
いた。 ロー マ字 は 、 ま た P T A や Y シ ャ ツ のよ う に 縦書 き の 文 字 の中 にも は いり こ み 、 一種 の表 意 文 字 のよ う な 性 質 で用 いら れ る こ と も あ る。
ナ ム シ ハケ ム シ ノ タ イ シ ャ
第 十 二 に 、 一般 に文 字 にま か せ て 書 く 符 号 の使 い方 が さ か ん に な って 、 濁 点 は 文 字 の 一部 のよ う に考 え ら れ て 来 、 法 律 の 文 章 も 終 戦 後 は ︽何 々 ス ヘカ ラ ス︾ のよ う な 書 き 方 を や め た 。 ﹁ヤ ア〓
ウ カ ﹂ と あ る 。 は て ﹁菜 虫 は毛 虫 の大 将 か﹂ と は メ ン ヨウ な、 と 読 み 返 し て み る と 、 ﹁汝 は 源 氏 の生 将 か ﹂ だ っ
た と い った よ う な 心 配 は 今 は な く な った。 句 読 点 も 普 及 し 、 近 ご ろ は ﹁謹 賀 新 年 ﹂ と いう 年 賀 状 に ま で 、 ﹁年 ﹂
の下 に 。じ る し を つけ た も の が 現 わ れ て古 い頭 の 持 主 を あ わ て さ せ る 。 ﹁ ﹂ や ﹃ ﹄ の記 号 、 ダ ッ シ ュ、 ⋮ ⋮
な ど も 普 及 し た の で、 ﹃源 氏 物 語 ﹄ の ﹁桐壺 ﹂ の巻 の ﹁宮 は大 殿ご も れ り ﹂ の 一句 は 、 事 実 を の べた つも り か 、 こ と ば の 一部 か わ か ら な いと い った よ う な な や み は 少 な く な った 。
Ⅱ
紫 式 部 は
﹃源 氏 物 語 ﹂ を ど う 発 音 し た か
音 韻考 証 を 担当 し て
﹃源 氏 物 語 ﹄ の本 文 を 紫 式 部 が し ゃ べ った と 思 わ れ る と お り に実 現 し て み せろ と 、 コ ロム ビ ア の村 上 雅 也 氏 に 言
わ れ 、 そ り ゃ おも し ろ そう だ 、 と 引 き 受 け た のが 、大 変 な こと に な った 。 も と も と 私 は 、 日本 の学 者 は 、 こと に
言 語 学 者・ 国 語 学 者 は 慎 重 す ぎ ると 思 って いた 。 日 本 語 の音 韻 史 の研 究 は、 上 田 万 年 ・橋 本 進 吉 両 博 士 以 来 、 非
常 に進 ん で いる 。 ア ク セ ント に 関 し て は 、 小 生 が 相 当 の と こ ろま で や った つも り で いた 。 然 ら ば こ の 際、 こ の お
れ が、 と乗 り か か って みた のだ が、 いざ や って み る と 、 こ れ は 大 変 な こと で あ る 。
﹃源 氏 物 語 ﹄ のう ち のど こを テ キ スト に す る か、 今 度 の仕 事 の言 い出 し っ屁 の池 田 弥 三 郎 君 が 早 く 選 ん で く れ た 。
そ の選 び方 、 切 り 取 り 方 に私 は 全 面 的 に 敬 服 し た。 ま た 、 テ キ スト の読 み手 と し て は、 新 劇 に そ の人 あ り と 知 ら
れ た 関 弘 子 さ ん に白 羽 の矢 が立 った 。 関 さ ん は 前 に ﹁わ ざ お ぎ の ふ る さ と ﹂ と いう 自 前 の公 演 を 行 な って 、 そ の
折 、 古 事 記 時代・ 万 葉 時 代 かち 江 戸 時 代 に 至 る 各 時 代 の 日本 語 の発 音 を 、 ひ と と お り こな し て 見 せ た 人 で、 熱 心
さ に お い ても 技 術 に お いて も 、 比 肩 す る 人 が な い。 こ の人 が 、 池 田 君 の指 導 のも と に、 表 情 ・緩 急 よ ろ し き を 得
て演 出 し た ら、 き っと 立 派 な も のが でき る だ ろ う こ と は 、 異 論 が な い。 が 、 テキ スト に当 時 の 日本 語 の音 韻 ・ア
ク セ ン ト を つ け る 役 の 肝 腎 の 私 が 往 生 し て し ま った 。
当 時 の 音 韻 を 研 究 し た 学 者 と し て は 、 故 橋 本 進 吉 ・有 坂 秀 世 両 博 士 を は じ め と し て 、 今 の 人 に も 亀 井 孝 ・浜 田
敦 ・中 田 祝 夫 ・大 野 晋 ・馬 淵 和 夫 ⋮ ⋮ と い う よ う な 錚 々 た る 方 々 が あ る 。 ハ行 音 が フ ァ ・ フ ィ ・ フ ⋮ ⋮ だ っ た ろ
[t ]i ・[ tu ] だ っ た ろ う と か いう こ と は 迷 わ ず に き め ら れ る 。 が 、 サ 行 子 音 の 音 価 と な る と 、
﹁宮 ﹂ ( く う ) の ウ の 音 は 、 ご く 日 本 化 し た 語 で も 、 院 政 時 代 一般 の ウ と 違 っ て い
私 は 字 音 も 歴 史 仮 名 の と お り 読 ん で 大 体 ま ち が いな い よ う に 思 っ て い た 。 が 、 ﹃類 聚 名 義 抄 ﹄
[s] [ ts] [∫] [t ]∫な ど 異 説 が た く さ ん あ る 。 こ れ を ど れ か 一 つ に き め る と な る と 迷 わ ざ る を え な い 。 こ と
う とか、 チや ツが も う に 字 音 と な る と︱ な ど に よ る と 、 ﹁東 ﹂ ( と う) や
た か のよ う で あ る 。 [ 〓] に 近 い 音 で あ っ た ら し い 。 こ ん な 風 だ っ た と す る と 、 サ シ ス セ ソ で 表 記 さ れ て い る 字
音 語 に は 、 案 外 中 国 か ら 伝 来 し た ツ ァ ・チ ・ツ ⋮ ⋮ の も の 、 シ ャ ・シ ・シ ュ ⋮ ⋮ の も の な ど が ま じ って い る の で はな いか?
ア ク セ ン ト も 平 安 朝 か ら 現 代 ま で 引 き 続 い て 用 い ら れ る 語 に つ い て は 何 と か 推 定 で き る も の の 、 ﹁須 磨 ﹂ の 巻
の ﹁須 磨 ﹂ と い う 地 名 に な る と も う わ か ら な い 。 江 戸 時 代 の 平 曲 の 譜 本 に ス を 高 く マを 低 く 唱 え る 譜 が あ る の を
見 つけ 、 高 低 型 に し て み た も の の 、 平 安 朝 時 代 は 違 っ て い た か も し れ な い。 ﹁惟 光 ﹂ と い う 名 前 の ア ク セ ン ト に
つ い て は 、 手 が か り ら し い も の が 、 ま った く な く 、 今 の 京 都 方 言 で こ そ 、 成 年 男 子 の 名 乗 は コ レ ミ ツ か コ レ ミ ツ
か の 二 種 の い ず れ か で あ る が 、 当 時 は ヴ ァ ラ ィ エ テ ィ ー が 多 か った の で 、 見 当 が つ か な い。 し か し 、 こ う いう の
も と に か く 一番 妥 当 ら し いも の を 一 つえ ら ん で テ キ ス ト を 作 ら な け れ ば な ら な い 。
関 弘 子 さ ん の テ キ ス ト 朗 読 に は 、 池 田 君 も 立 ち 会 って く れ て 、 去 年 の秋 に 終 った 。 関 さ ん の 朗 読 は な か な か よ
か った 。 こ れ 以 上 の 出 来 を 私 は 望 ま な い 。 そ う いう わ け で 、 こ の 吹 き 込 み は 楽 し か った 。 が、 こ の あ と 私 が 解 説
を 書 く こ と に な っ て 、 ま た 時 間 が か か って し ま った 。 短 い ス ペ ー ス に と て も 盛 り 切 れ る も の で は な い 。 ア ク セ ン
ト の 方 も 今 で は大 野 ・馬 淵 両 氏 に 続 き 築 島 裕 氏 ・小 松 英 雄 氏 ・奥 村 三 雄 氏 ・秋 永 一枝 氏 ・桜 井 茂 治 氏 な ど 多 士
済 々 であ る 。 私 の今 度 の作 製 は 、 ほ ん の私 一個 人 の試 み にす ぎ な い。 古 い言 い方 を す れ ば 、 陳 勝 ・呉 広 の た ぐ い
つま り 、 今 は 直 接 耳 にす る こ と の
であ る。 こ のあ と、 も っと 慎 重 にし て篤 学 な る 士 に よ って本 格 的 な 発 表 が 現 わ れ る のを 待 望 す る。
総説 音韻 の部 平 安 朝 時 代 の 日本 語 の音 韻 体 系 は ど のよ う であ った か 。 そ の音 韻 体 系 で︱
でき な い、 紫 式 部 が し ゃ べ って いた と お り の発 音 で 、 ﹃源 氏 物 語 ﹄ を 読 ん で み よ う と いう の が 、 ね ら いで あ る 。
日本 語 の歴 史 の上 で、 一番 詳 し く 、 具 体 的 な 発 音 が 明 ら か に でき そ う な の は 、 キ リ スト 教 の宣 教 師 が ロー マ字
で 日本 語 を 表 記 し 残 し てく れ て い った 戦 国 時 代 で あ る 。 平 安 朝 時 代 は 、 そ れ ほ ど 研 究 資 料 に恵 ま れ て いる時 代 で
は な い。 た だ 、 幸 いな こ と に は 、 当 時 は 仮 名 と いう 文 字 を 、 発 音 す る と お り に 用 いた と想 定 さ れ る 。 つま り 、 後
世 のよ う な 、 違 った 仮 名 が同 じ 音 を 表 わ す と いう こ と はな か った と 見 ら れ る 。 そ れ か ら 、 そ の前 の時 代 であ る
﹃万 葉 集 ﹄ の時 代 は、 ﹃万 葉 集 ﹄ が漢 字 で 表 記 さ れ て いる と いう こ と か ら 、 漢 字 の音 を 調 べる こ と に よ って 、 か な
り 個 々 の語 の音 価 が 明 ら か に な る。 橋本 進 吉 博 士 は 、 奈 良 時 代 と 戦 国 時 代 とを も って、 日 本 語 の音 韻 を 明 ら か に
当 時 の発 音 は こう だ った ろう と 私 が 推定 す る
平 安 朝 の音 韻 史 の資 料 と し て は、 仮 名 、 特 に 万 葉 仮 名 で 書 か れ た 和 訓 、 有 坂 秀 世博 士 以
す る上 に 最 も 恵 ま れ た 時 代 と し た 。 そ う い った前 後 の時 代 の音 価 を 手 がか り と し 、 ま た 平 安 朝 のも のと 見 ら れ る 資 料 の 助 け を 借 り て︱
来 注 目 さ れ て いる悉 曇 資 料 、 五 十 音 図 のよ う な 音 図 な ど が あ る︱
も のを 作 って、 そ れ を 関 弘 子 さ ん に 実 演 さ せ て み よ う と 思 う 。 学 者 が 違 え ば、 ま た 違 った 発 表 にな る であ ろ う 。
私 が こ の仕 事 を 引 き 受 け て 以 来一 番 困 った の は漢 語 であ る 。 これ は ど う にも し か た がな く 、 不 徹 底 な も のに な っ て申 し わ け な い。
平 安 朝 時 代 の 日 本 語 の 発 音 を 最 も 端 的 に 示 す も の は 、 ﹁井 戸 ﹂ を
﹁ゐ ど ﹂ と 書 き 、 ﹁蝶 々 ﹂ を
﹁て ふ て ふ ﹂ と 書
﹁を ﹂ の 区 別 も 残 っ て いた 。
いた 、 例 の歴 史 的 仮 名 遣 い であ る。 平 安 朝 時 代 の発 音 は 、 根 本 的 に は 歴 史 的 な 仮 名 遣 いを 、 あ のと お り読 む 発 音
﹁い﹂ ﹁え ﹂ と 異 な り 、 [wi] ・[we ] で あ っ た 。 ﹁お﹂ と
だ った と 言 って よ い。 具 体 的 に は、 次 のよ う で あ る 。 一、 ﹁ゐ ﹂ ﹁ゑ ﹂ の 文 字 は
﹁か ﹂ ﹁が ﹂ と 違 い 、 [kwa]・[gwa] で あ った 。
﹁わ ﹂ ﹁ゐ ﹂ ﹁う ﹂ ﹁ゑ ﹂ ﹁を ﹂
﹁づ ﹂ と も 発 音 が 違 っ て い た 。 従 っ て 、 ﹁じ ゃ ﹂ ﹁じ ゅ ﹂
﹁ぢ ゃ ﹂ ﹁ぢ ゅ ﹂ ﹁ぢ ょ ﹂ と も 違 っ て い た 。
﹁ぢ ﹂ と は 発 音 が 違 っ て お り 、 ﹁ず ﹂ と
﹁く わ ﹂ ﹁ぐ わ ﹂ は 二 、 ﹁じ ﹂ と ﹁じ ょ ﹂ と
三 、 ﹁は ﹂ ﹁ひ ﹂ ﹁ふ ﹂ ﹁へ﹂ ﹁ほ ﹂ は 、 大 体 こ の 時 代 ご ろ ま で 、 語 中 ・語 尾 に 来 て も
と 同 じ に な ら ず 、 語 頭 に あ る 時 と 同 じ に ﹁は ﹂ ﹁ひ ﹂ ﹁ふ ﹂ ﹁へ﹂ ﹁ほ ﹂ と 発 音 さ れ た 。 こ の 当 時 教 養 の あ る 人 は 、 そ う いう 発 音 を し た で あ ろ う 。
﹁た
﹁さ ふ ﹂ ⋮ ⋮ の 類 も 同 様 で あ り 、 従 っ て 、 ﹁蝶 々 ﹂ の 発
﹁カ ﹂+ ﹁ウ ﹂、 ﹁コ ﹂+ ﹁ウ ﹂、 ﹁ケ ﹂+ ﹁ウ ﹂、 ﹁キ ﹂+ ﹁ウ ﹂ の 音 だ った 。 同 様 に 、 ﹁さ う ﹂ ﹁そ う ﹂ ⋮ ⋮
四 、 ﹁か う ﹂ ﹁こ う ﹂ は 、 今 の よ う な コ ー で は な く 、 ﹁け う ﹂ は キ ョー で は な く 、 ﹁き う ﹂ は キ ュー で は な く 、 そ れぞ れ
う ﹂ ﹁と う ﹂ な ど も す べ て 同 様 だ った 。 ﹁か ふ ﹂ ⋮ ⋮ 音 は 、 文 字 ど お り 、 テ フ テ フ だ った 。
と こ ろ で 、 歴 史 的 仮 名 遣 い を そ の通 り 読 ん だ ら 、 そ の ま ま 平 安 朝 時 代 の 日 本 語 に な る と いう わ け で は な い 。 そ
れ 以 外 に も 相 違 点 が あ る。 た だ し 、 平 安 朝 時 代 の こ と ば と 言 っても 、 日本 語 であ る 以 上 、 現 代 語 と 変 ら な い点 も
多 か った 。 こ こ で は 漢 語 を 除 き 、 違 っ て い た に 相 違 な い と 考 え ら れ る 以 外 の 部 分 は 、 な る べ く 現 代 語 と 同 じ だ っ
た と 見 る 立 場 を と る 。 違 って い た と こ ろ を 母 音 、 子 音 の 順 に 述 べ る と 次 の よ う で あ る 。
一、 母 音 だ け の 音 節 の う ち 、 ﹁え ﹂ は ﹁え ﹂ が
[e ] だ った か も し れ な い 。
[j ]eの よ う な 、 子 音 + 母 音 だ っ た た め
[j] eだ っ た ら し い。 平 安 朝 の 和 歌 に 、 ﹁あ ﹂ ﹁い﹂ ﹁う ﹂ は 字 余 り が 許 さ
れ て も 、 ﹁え ﹂ は 許 さ れ な か っ た が 、 中 田 祝 夫 氏 は こ れ を
で あ ろ う と 言 わ れ る 。 た だ し 、 そ れ は 語 中 ・語 尾 の 場 合 で 、 語 頭 で は
﹁う め ﹂ ﹁う ま ﹂ の よ う な 場 合 は
﹁か う ﹂ と 仮 名 を 振 る が 、 こ の ﹁う ﹂ は 当 時
[m] で あ った 。
[ 〓] に 近 い 音 だ っ
[wo ] にな って いた か も し れ な い。 こ の レ コー ド で は
﹁を ﹂ と 紛 れ は じ め て い た 。 教 養 の な い 階 層 の 人 た ち の
[o ]、 語 中 ・語 尾 で は す べ て
二 、 馬 淵 和 夫 氏 に よ る と 、 ﹁お ﹂ は こ の こ ろ そ ろ そ ろ 間で は語頭 ではす べて
三 、 ﹁う ﹂ は ﹁と う ﹂ と 仮 名 を 振 り 、 ﹁行 ﹂ は
﹁夕 顔 ﹂ に 出 て く る 右 近 の 言 葉 に は 、 混 同 し た 形 を 使 わ せ て み た 。
四 、 ﹁東 ﹂ は
[〓] の 音 が 輸 入 さ れ た そ の 音 で あ った と 解 す る 。 ﹃類 聚 名 義 抄 ﹄ の 字 音 の 表 記
﹁れ い ﹂ の [e ] の 母 音 に引 か れ
[i] の音 に な って いた ろ う 。
[ 〓] で あ った は ず で あ る が 、 こ れ は
[ 〓] を 使 って み た 。
[u ] で発 音 す る 人 も 多 か った か も し れ な い。 レ コー ド で は 便 宜 上 、 俗 語 的
﹁う ﹂ に 対 し て は わ ざ わ ざ 特 殊 な 記 号 を 付 け て い る 。 し か し 、 今 の 人 が フ ィ ル ム を ヒ ル ム
たと推定 され る。中 国から に は 、 そ のよ う な ﹁う ﹂ を
﹁令 ﹂ の ﹁い﹂ の 音 も 元 来 は
[u]と し 、 ﹁東 宮 ﹂ の ﹁東 ﹂ の よ う な 堅 い 感 じ の 漢 語 で は
とも 言 う よ う に 、 こ の な も のは 五、同 様に
て[n ] に な って い た か も し れ な い。 そ う し て 日 本 語 化 し た 単 語 で は
[kw] iで あ り 、 ﹁華 ﹂ ﹁化 ﹂ な
[g ] に な った ろ う と いう 説 があ り 、 説
﹁き ﹂ ﹁け ﹂ と 書 く の は あ や ま り で 、 字 音 仮 名 遣 い で
﹁き ﹂ ﹁け ﹂ と 書 か れ る 字 音 語 の う ち 、 ﹁鬼 ﹂ ﹁貴 ﹂ な ど は
﹁く ゐ ﹂ ﹁ く ゑ ﹂ と 書 く べ き も の で あ った 。
[kwe] だ った 。 つ ま り 歴 史 的 仮 名 遣 い で こ れ を
六 、カ 行 の 音 節 で は ど は
は正 しくは
七 、カ 行 音 が 語 中 ・語 尾 に 来 る 時 、 今 の 東 北 方 言 の よ う に 、 有 声 音 の
得 力 を も つ。 し か し 、 き れ い な 感 じ を 与 え な い の で 採 用 し な か った 。 同 様 に 語 中 ・語 尾 の タ 行 子 音 も 、 現 在 と 同 じ く 無 声 音 の [t ]と考え た。
[〓g ] と 表 記 す べき 音 、 た だ し
[〓]
で あ る が 、 ﹃名 義
[g ] と 合 体 し た も の と想 定 す る。
[g ] 音 は 、 そ の鼻 音 要 素 を 振 い落 し た も
[g ] が 主 な 音 で あ った ろ う と 推 定 す る。 これ は 、 現 在 高 知 県 か ら 四 国 の中 部 に か け てや 、 近 畿
八 、 ガ 行 子 音 は 、 語 中 ・語 尾 の 場 合 、 鼻 音 を 伴 った 有 声 破 裂 音 、 つ ま り は従属的 で
南 部 の熊 野 地 方 な ど の方 言 に 見 ら れ る 音 で あ る 。 九 州 方 言 な ど の
[ 〓] は 鼻 音 要 素 が
[s ] で あ った と いう 考 え を も と に す る と 、 現 在 と 同 じ く
[s] 音 で あ った と
﹁シ ャ﹂ の 使 い 分 け あ り と 見 ら れ る 。 有 坂 博 士 の 説 に よ っ て 平 安 朝 の 初 期 の こ ろ は
[∫] で あ っ た ろ う と い う 論 は か な り 有力
の 、 ガ 行 鼻 濁 音 と い う 名 で や か ま し い今 の 標 準 語 の
﹁サ ﹂ と
九 、 サ 行 子 音 の 音 価 は 難 し い。 馬 淵 和 夫 氏 に よ る 抄﹄な ど には [ ts] で あ った と し 、 鎌 倉 時 代 は
[p ] 音 が[Φ] 音 に
[s] 音 に な っ て い た で あ ろ う 。 し た が って 、 ﹁し
見 る方 がよ いと思う。 [ ts] で あ った 可 能 性 も あ る が 、 の ち に 述 べ る よ う に こ の こ ろ は [ ts] 音 は
[∫ ]eで あ った ろ う 。 こ れ は 、 ず っと 江 戸 時 代 ま で 続 い て い た し 、 現 代 の 諸 方 言 の う ち に も 、 九
﹁さ ﹂ ﹁ す ﹂ ﹁そ ﹂ と は 違 い 、 [∫] a・ [∫] u・ [∫] oで あ っ た と 認 め ら れ る 。 た だ
な って し ま っ て い た と す る と 、 そ れ に 並 行 し て
﹁せ ﹂ は
ゃ﹂ ﹁し ゅ ﹂ ﹁し ょ ﹂ は そ れ ぞ れ し
[ts] 音 の 語 と し て 輸 入 さ れ た も の が あ り 、 堅
州 方 言 や 、 近 畿 ・四 国 の 周 辺 部 、 北 陸 、 北 奥 羽 方 言 の よ う に こ の 子 音 を も つ も の が 多 い 。 な お 、 字 音 語 の 中 に は 、 今 サ 行 音 に な って い る も の の 中 に
[ts] の 音 を 使 って い た も の も あ った か と 考 え た 。 し た が っ て
﹁せ ﹂ が[∫e] で あ る の に 応 じ て
(こ れ は
[〓] eで あ った と 見 る 。 こ れ も 今 、
[〓] a・[〓u]・
[z ] で あ った と 考 え ら れ る 。 つま り 、 現 在 の 標 準 語 の ザ 行 音
[t ]∫音 の 語 と し て 輸 入 さ れ て い た も の が あ った と 思 わ れ 、 専 門 語 の 中 に そ の よ う な も の
い専 門 的 な 語 の中 に は 、 こ の当 時 も 正 し く は シ ャ 行 音 の中 に は
も あ った と 想 定 し た 。 十 、ザ行音 はサ行音 に並行 し て子音 は
﹁ぜ ﹂ は
[dz] で あ る ) と は ち ょ っと 違 っ て い た こ と に な る 。 ﹁じ ゃ ﹂ ﹁じ ゅ ﹂ ﹁じ ょ ﹂ も そ れ に 応 じ て [〓o] で あ った で あ ろ う 。 ま た
九 州 方 言 、 そ の他 に 残 って いる 。
[t ]uと 言 う のは 、 高 知 県 全 般 を は じ め 、 大
十 一、 タ 行 音 で は ﹁ち ﹂ ﹁つ﹂ で [ t] i・[ tu] で 、 ﹁た ﹂ ﹁て﹂ ﹁と ﹂ と 子 音 を 同 じ く し て い た 。 ﹁ち ﹂ を [ t] iと いう 習 慣 は 、 雅 楽 の ヒ チ リ キ の 譜 な ど に 残 って いる 。 ﹁つ﹂ を
分 県 や 山 梨 県 の奈 良 田 地 方 、 東 京 都 下 の伊 豆 新 島 方 言 な ど に 残 って いる 。
ダ 行 音 の ﹁ぢ ﹂ ﹁づ ﹂ も 、 し た が って [d]i ・[d] uで 、 そ の た め ﹁じ ﹂ ﹁ ず ﹂ と の 違 い は 明 瞭 で あ った 。
﹁ち ゃ﹂ ﹁ち ゅ﹂ ﹁ち ょ﹂ ﹁ぢ ゃ﹂ ﹁ぢ ゅ﹂ ﹁ぢ ょ﹂ も そ れ に 応 じ て [t] j・ a[t] j・ u[t] j・ o[d] j・ a[dj ]・ u[dj ]o であ った と 推 定 す る 。
十 二、 ダ 行 音 が 語中 ・語 尾 に 来 た 時 、 前 に 鼻 音 の [n] が 短 く は いる こ と が あ った 。 ﹁ふ み て ( 文 手 )﹂ か ら 変
化 し た ﹁ふ で ( 筆 )﹂、 ﹁あ ら ず て﹂ ( あ る いは ﹁あ ら に て﹂) か ら 変 化 し た ﹁あ ら で ﹂ の よ う な 場 合 に 特 に そ
う だ った 。 これ は 、 現 在高 知 県 そ の他 四 国 中 央 部 の方 言 、 熊 野 地 方 の方 言 、 北 越 ・北 奥 か ら 北 海 道 西 南 部 の
方 言 に見 ら れ る の と 同 じ も の で 、 これ ら の方 言 で は 、 語 中 ・語 尾 の ダ 行 音 の 場合 に は 、 例 外 な く 鼻 音 が挿 入
さ れ て いる。 中 央 の方 言 でも 室 町 時 代 末 期 では そう であ った こと を 見 る と 、 平 安 朝 の当 時 の言 語 も そ う であ
った 可 能 性 が 大 いにあ る が、 今 回 は 少 し で も 現 代 語 か ら 離 れ な いよ う に と の意 図 か ら [n ] の挿 入 は 必 要 限 度 にとど めた。
十 三 、 ハ行 音 は 、 上 田 万 年 博 士 の ﹁P 音 考 ﹂ な ど 、 明 治 以 後 の学 者 に よ って そ の変 遷 が 最 も 詳 し く 研 究 さ れ て
き た も の であ る が 、 現 在 では 平 安 朝 の こ ろ の ハ行 子 音 は 、 無 声 両 唇 摩 擦 音 の [Φ ] だ った ろう と いう の が 定
説 で あ る 。 ち ょう ど 、 こ の時 期 に、 語 中 ・語 尾 の ハ行 の子 音 が [w ] の音 に 変 わ り つ つあ る の で、 そ れ か ら
見 ても [Φ ] 音 だ った と す る のは 穏 当 で あ る 。 こ の レ コー ド で は ﹁夕 顔 ﹂ に 出 てく る 院 の預 り の 子な ど 教 養
のな い階 層 の人 た ち に は [w ] の音 を 使 わ せ て み た 。 な お ハ行 子 音 は 奈 良 朝 ご ろ ま で は [p ] あ る いは [p] Φ
の音 だ った ろ う と 言 わ れ て い る。 こ の時 代 にも 、 つめ る 音 や は ね る 音 の直 後 な ど のも の は、[p]音 で あ っ たと推定 される。
十 四 、 は ね る音 に は 、 こ の こ ろ 二 種 類 のも の が あ った と 推 定 さ れ て いる 。 [m ] と [n] と であ る 。 こ れ は 鎌 倉
時 代 には 区 別 が 失 わ れ た が 、 平 安 時 代 中 期 に は ま だ 区 別 があ った と 見 ら れ る。( 中田祝夫氏 ﹃ 古典本 の国 語学的 研
究﹄総論編、九八七 ページ以下) [m ] は ﹁む﹂ と 表 記 さ れ て いる も のが そ れ で、 助 動 詞 ﹁む ﹂ ﹁ら む﹂ ﹁け む ﹂
な ど も そ れ で あ り 、 ﹁神 嘗 ﹂ ﹁飲 み て ﹂ な ど が 音 便 形 を と る と き に も 用 いら れ た 。 ま た 、 漢 字 音 に も ﹁三﹂
﹁心 ﹂ な ど に見 ら れ た 。 これ は一 つの 音 節 を 形 成 し て いた こ と 、 現 代 の は ね る 音 と 同 様 であ る 。 そ れ に応 じ
て [n ] の方 は ﹁往 にし ﹂ ﹁死 に て﹂ な ど の ﹁に﹂ や ﹁あ る め り ﹂ ﹁あ る な り﹂ の ﹁る ﹂ の音 便 形 な ど に 用 い
ら れ た が、 こ れ は 一つ の音 節 を 構 成 し て は お ら ず 、 前 の音 節 の末 尾 を な し て いた こ と 、 今 の 英 語 や 中 国 語 な
ど 多 く の外 国 語 の [ 〓]・[n ] のよ う な も の であ った と見 ら れ る 。 中 田 氏 は [m ] のは ね る 音 は 仮 名 で 表 記 さ
れ て いる が、 [n] の は ね る 音 の方 は、 無 表 記 のま ま で表 わ し て いる こ と を 注 意 さ れ た が、 こ の事 実 と 関 係
あ ろ う 。 真 言 宗 の声 明 で 、 ﹁ム ﹂ ﹁ン﹂ 二 つ の 漢 字 音 の韻 尾 を 、 と も に [ 〓] の音 に 唱 え な が ら 、 ﹁ム﹂ の 方
は母音 から早 く [ 〓] に 移 り 、 そ れ か ら 声 を 引 く の に 対 し て 、 ﹁ン﹂ の 方 は 母 音 の ま ま で 声 を 引 き 、 声 を 切
る直 前 に [ 〓] の音 に い いか え る 習 慣 があ る のも 、 こ の事 実 を 反 映 し て いる も の で あ ろ う 。
十 五 、 つめ る音 は 音 便 形 や 漢 字 音 の中 に現 わ れ る が、 こ れ は 今 と ち が い、一 音 節 を な し て いな か った と 思 わ れ る。
十 六 、 引 く 音 も 当 時 はま だ 一つの 音 節 を な し て は お ら ず 、 一個 の 音 素 と し ても 確 立 し て いな か った 。 が、口 頭
で は 今 よ り多 く 用 いら れ て いた と 見 ら れ る。 一音 節 の名 詞 や 動 詞 ・形 容 詞 の語 幹 や 、 そ う でな く ても 、 ア ク
セ ント の面 で 平 軽 声 や 、 去 声 の 調 価 を も つ音 節 は 、 長 目 に発 音 さ れ た も のと 見 ら れ る 。
アク セ ント の部
﹃源 氏 物 語 ﹄ を 当 時 の発 音 で読 むた め に は 、 個 々 の音 節 の母 音 、 子 音 の音 価 を 明 ら か に し た だ け で は だ め で 、 そ
れ ら の音 節 を ど の よ う な 抑 揚を 付 け て当 時 し ゃ べ って いた か、 いわ ゆ る 当 時 の ア ク セ ント を 明 ら か に す る こと が
望 ま れ る。 こう 言 う と 、 当 時 の アク セ ント のよ う な も の が わ か る か と 疑 問 に 思う 方 があ る か も し れ な い。 し か し 、
平 安 朝 の末 ご ろ の京 都 語 に つ い て は、夥 し い数 の ア ク セ ント 資 料 が あ り 、 ﹃ 源 氏 物 語 ﹄ の時 代 も 、 そ れ と た いし
て 変 って いな か った ろ う と いう 証 拠 があ る 。 平 安 末 期 の ア ク セ ント 資 料 と は 、 ﹃類 聚 名 義 抄 ﹄ ﹃金 光 明 最 勝 王経 音
義 ﹄ と い った 各 種 辞書 の和 訓 や 、 ﹃日 本 書 紀 ﹄ のよ う な 漢 文 書 籍 の和 訓 に施 さ れ た ア ク セ ント 記 号 が そ れ であ り、
さ ら に、 平 安 朝 末 期 以 後 で き た 仏 教 声 明 の類 で 現在 ま で そ の抑 揚 が伝 え ら れ て いる も の が そ れ であ る 。 ま た ﹃源
氏 物 語 ﹄ の時 代 も 同 じ よ う だ った ろ う と いう の は 、 ﹃源 氏 物 語 ﹄ よ り 少 し 前 の時 代 に でき た ﹃和 名 抄 ﹄ と いう 百 科 事 典 に あ る 字 音 語 の説 明 に よ る。
し か も ア ク セ ント に は次 のよ う な 性 格 が あ る の で、 以 上 のよ う な 資 料 を も と に し て、 か な り 大 胆 に 当 時 のア ク セ ント を 再 構 でき る は ず であ る 。
一 の 有型 限性 の原 理
ア ク セ ント の型 と いう も のは 、 ご く 少 数 に 限 ら れ て いる。 上 にあ げ た 資 料 に よ る と 、 平 安 朝 の ア ク セ ント は 、
現 代 のど こ の方 言 よ り も 複 雑 だ った と 推 定 さ れ る が 、 し か し ほと ん ど す べ て の単 語 は ● (高 い音 節 ) と ○ (低 い
音 節 ) と の組 み合 わ せ であ る 。 稀 に ● ○ ( 下 降 調 の音 節 ) と ○ ● (上 昇 調 の 音 節 ) と が あ った と 見 ら れ る が 、 そ
れ は ご く 限 ら れ た 位 置 に し か 来 ず 、 ま た そ れ が 現 わ れ る 語彙 は 少 な い。 た と え ば 、 二 音 節 語 にあ った 音 調 の種 類 は 次 のよ う であ り 、 そ れ に 属 す る語 彙 は 次 のよ う であ った と 見 ら れ る 。
● ● 型 ﹁風 ﹂ ﹁顔 ﹂ ﹁粥 ﹂ ﹁霧 ﹂ ﹁こ れ ﹂ ﹁袖 ﹂ ﹁鳥 ﹂ ﹁西 ﹂ ﹁端 ﹂ ﹁道 ﹂ ﹁宵 ﹂ ﹁言 ふ ( 動 詞 連 体 形)﹂ ﹁聞 く ( 同 )﹂
﹁泣 く ( 同)﹂ ﹁行 く ( 同 )﹂ ﹁せ む ﹂ ﹁こは ﹂ ﹁戸 を ﹂ ﹁身 の﹂ ﹁世 に﹂ ﹁こ の﹂ ﹁そ の﹂
● ○ 型 ﹁か ど (門 )﹂ ﹁人 ﹂ ﹁昼 ﹂ ﹁胸 ﹂ ﹁わ ざ ( 業 )﹂ ﹁言 ふ ( 動 詞 終 止 形)﹂ ﹁行 く ( 同 )﹂ ﹁上 げ ( 動 詞 連 用 形)﹂
﹁荒 れ ( 同)﹂ ﹁濡 れ ( 同) ﹂ ﹁引 き ( 同)﹂ ﹁言 へ ( 動 詞命 令形 ) ﹂ ﹁聞 け ( 動 詞已然 形)﹂ ﹁せず ﹂ ﹁かく ﹂ ﹁いと ﹂ ﹁か の﹂ ● ● ○型 ( 稀 ) ﹁往 ぬ ﹂ ○ ○ 型 ﹁池 ﹂ ﹁ 鬼 ﹂ ﹁こと ﹂ ﹁さ ま ﹂ ﹁月 ﹂ ﹁殿 ﹂ ﹁花 ﹂ ﹁山﹂ ﹁夜 の﹂
○ ● 型 ﹁息 ﹂ ﹁今 ﹂ ﹁か み ( 上 )﹂ ﹁此 処 ﹂ ﹁筋 ﹂ ﹁空 ﹂ ﹁ほ か ﹂ ﹁我 ﹂ ﹁見 る ( 動 詞 連体 形)﹂ ﹁来 (き ) し ﹂ ﹁見 し ﹂ ﹁火 は ﹂ ﹁た だ ﹂ ﹁ま だ ﹂ ﹁わ が ﹂
○ ● ○ 型 ﹁秋 ﹂ ﹁影 ﹂ ﹁汗 ﹂ ﹁声 ﹂ ﹁露 ﹂ ﹁あ り ( 動 詞 終 止 形 ・連 用 形)﹂ ﹁さ り ( 同 )﹂ ﹁な し ( 形 容 詞 終 止形 )﹂ ﹁起
き ( 動 詞連 用形 ) ﹂ ﹁立 ち ( 同 )﹂ ﹁召 し ( 同 )﹂ ﹁見 え ( 同) ﹂ ﹁な き ( 形 容 詞連 体形 ) ﹂ ﹁な ほ ﹂ ﹁火 も ﹂ ﹁さ も ﹂
● ○○ 型 ( 稀 ) ﹁居 て﹂ ﹁率 (ゐ ) て﹂ ( ただ し、 一語 のよ う に発 音 さ れ た 場 合 ) ○ ●● 型 ( 稀 ) ﹁見 て﹂
○ ●○ 型 ﹁よ く ( 形容 詞連 用 形)﹂ ﹁な く ( 同)﹂ ﹁と く ( 同 )﹂ ﹁まづ ﹂ ﹁や や ﹂ ﹁何 ぞ ﹂
そう し て名 詞な ど は 各 型 に 所 属 語 彙 が あ る が 、動 詞 や 形 容 詞 にな る と 変 異 が 少 な く 、 音 節 の数 が ふ え ても 、 原
則 と し て 二 種 類 の型 のど れ か に属 す る 傾 向 があ る 。 た と え ば 、 二音 節 語 の動 詞 は 終 止 形 で いう と ● ○ 型 か ○ ● ○ 型 か の いず れ か に 属 す る が ご と く で あ る 。
﹁往 ぬ ﹂ が ● ● ○型 にな って い る が 、 これ はナ 行 変 格 活 用 と いう こ と が 原 因 で 、 特 殊 な 型 にな って いる も ので あ
る 。 そ のた め に第 一音 節 が ● であ る か ○ であ る か が わ か れ ば 、 第 二 音 節 の声 調 は 推 定 で き る ご とく で あ る。 こ の こと は 現 在 の標 準 語 の ア ク セ ント を 考 え ても 思 い当 た る で あ ろ う 。
二 型 の 照応 の原 理
一つ の語 に、 語 源 の上 で 関 係 あ る 語 は 、 規 則 的 に 型 が 類 推 でき る よ う にな って いる。 た と え ば 、 平 安 朝 の語 で、
終 止 形 が ● ○ 型 の動 詞 は、 連 体 形 は ● ● 型 と いう ご と く で あ る ( 前 に あ げ た ﹁行 く ﹂ ﹁言 ふ﹂ を 参 照 )。 こ のよ う
な 関 係 は活 用 形 相 互 の間 だ け で は な く 、 一つ の語 と そ れ から 派 生 し た 他 動 詞 と 自 動 詞 、 動 詞 か ら 転 成 し た 名 詞 と
いう 場 合 に も 見 ら れ 、 法 則 で律 す る こ と が でき る。 複 合 語 に 関 し ても 、 そ の先 部 成素 の型 と の組 み合 わ せ によ っ
て 、 でき あ が った 語 の型 が き ま る と いう 傾 向 が あ る 。 一般 に一 つ の語 の第 一音 節 が ● ( ま た は ● ○) の場 合 (こ
れ を 高 起 式 の語 と いう ) は 、 こ の語 と 同 源 の語 の第 一音 節 も ● ( ま た は ● ○) で あ り 、 一つ の語 の第 一音 節 が ○
( ま た は ○ ●) の場 合 (こ れ を 低 起 式 の 語 と いう ) に は 、 そ の 語 と 同 源 の 語 の第 一音 節 も ○ ( ま た は ○ ●) で あ る と いう 、 大 き な 法 則 が あ る。
三 型 の対応 の法則
前 々 項 一に あ げ た ● ● 型 の条 の語 を 見 て いく と、 今 の標 準 語 で○ ● 型 ( 助 詞 が 付 く と ○ ● ● 型 ) の語 が 多 い こ
と に気 付 く で あ ろ う 。 ﹁風 ﹂ ﹁顔 ﹂ ⋮ ⋮ ﹁言 う ﹂ ﹁聞 く ﹂ な ど 、 軒 並 み そう だ。 こ の 場 合 、 品 詞 の 区 別 、 意 味 の 区
別 を 問 わ な い。 ま た 、 ● ○ 型 の条 の 語を 見 て いく と 、 これ ま た 標 準 語 で ○ ● 型 (助 詞 が付 け ば ○ ● ○ 型 ) の 語 が 多 い。
ア ク セ ント に は こ のよ う に 、 あ る 時 代 のあ る 方 言 で同 一の型 の語 は 、 他 の時 代 の他 の方 言 でも 同 一であ る と い
う 性 格 が あ る 。 こ れ は アク セ ント と いう も の が、 変 化 を す る と き に規 則 的 な 変 化 を 遂 げ る と いう 性 質 が あ る こ と
に 由 来 す る 性 格 で あ る が、 こ れ は 平 安 朝 時 代 の ア ク セ ント を 推 定 す る 場 合 にも 、 き わ め て有 力 な 法 則 と いう べき であ る。
こと に 平 安 朝 時 代 の 日本 語 の直 接 の 子 孫 と 称 す べき 、 今 の京 都 方 言 のア ク セ ント な ど は 当 時 の ア ク セ ント を 考
え る最 も有 力 な 資 料 であ る。 ま た 、 京 都 ア ク セ ント よ り 、 も っと 古 い時 代 の ア ク セ ント の姿 を 伝 え て いる 方 言 が
あ れ ば 、 そ れ は さ ら に 有 力 な 資 料 の はず で あ る。 方 言 の ア ク セ ント の研 究 は 、 今 す こ ぶ る 進 ん だ 段 階 に な って い
る が、 現 在 のと こ ろ 、 平 安 朝 時 代 の京 都 語 の ア ク セ ント に最 も 近 い性 質 を も って いる 方 言 は 、 数 年 前 、 神 戸大 学
の和 田 実 氏 によ って 報 告 さ れ た 、 香 川 県 観 音 寺 市 の沖 合 にう か ぶ伊 吹 島 の方 言 で あ る。
平 安 朝 の ア ク セ ント に つ いて は 、 そ の他 注 意 す べき こ と と し て、 助 詞 ・助 動 詞 の独 立 性 が今 よ り 強 く 、 比 較 的
独 立 し た 一語 の よ う な ア ク セ ント を も って いた ら し いと いう こと が 言 え そ う で あ る 。
﹃源 氏 物 語 ﹄ の ア ク セ ント に つ いて は 、 以 上 のよ う な 種 々 の性 質 を 考 慮 に いれ て 再 構 を し て いく わ け で あ る が 、
型 の 対 応 の条 な ど に つ いて は 国 語 学 会 編 ﹃国 語 学 辞 典 ﹄ の巻 末 の ﹁ア ク セ ント によ る 類 別 語 彙 表 ﹂ あ た り を 御 一
説
の助 動 詞 は当 時 も 動 詞 に 癒 合 し て 全 体 が 一語 の動 詞
見 上げ ら れ ﹁見 ﹂ は 去 声 で ミ イ、 ﹁上 げ ら れ ﹂ は 使 役
を 清 む 。 ア ク は 図 書 に シ ノブ ク サ と あ る のに 従 う 。
し の ぶ 草 ﹃図 書 寮 本 ・名 義 抄 ﹄ の声 点 に よ り 、 ﹁く ﹂
ホ ド を そ のま ま 採 用 す る 。
ほ ど 室 町 時 代 の声 明 の参 考 書 ﹃開 合 名 目抄 ﹄ の表 記
覧 願 う 。 ア ク セ ント の歴 史 的 な 研 究 に つい て は 、 近 く 研 究 を ま と め て 世 に 問 う 所 存 で あ る 。
各 夕顔の 巻
わ た り ア ク セ ント ( 以 後 ﹁アク ﹂ と 略 記 )、 ﹃名 義 抄 ﹄ そ の他 に よ り ワタ リ。 な に が し ア ク 、 江 戸 時 代 の平 曲 の譜 本 ﹃平 家 正 節 ﹄ の表 記 を と り 、 ナ ニガ シ と す る 。 院 ﹃名 義 抄 ﹄ に 俗 音 ヰ ンと し て 平 平 型 に 表 記 。 ア ク は低 平 型 の ヰ ンだ った と 見 る。
木 暗 し ﹁木 ﹂ は 低 起 式 の 名 詞。 そ れ を 先 部 と す る 複
のよ う に発 言 さ れ た と 見 ら れ る の で アゲ ラ レ。
例 の少 な い● ○ ● 型 に 所 属 の動 詞 だ った 。 オ ハシ マ
合 形 容 詞 と いう わ け で 、 終 止 形 は コグ ラ シィ と な る
お は し ま す ﹃名 義 抄 ﹄ に よ れ ば 、 ﹁お は す ﹂ は 当 時 類
スと 考 え る 。
知 ら で ﹁で ﹂ は ﹁ ず て﹂ ( あ る いは ﹁に て ﹂) の転 で、
﹁ず ﹂ と ﹁て﹂ の間 にも 鼻 音 が 入 って いた のを 表 記
き ま り。 す だれ アク、 ﹃ 名 義 抄 ﹄ に スダ レと あ る 。
しな か ったも のと 解 し た 。
● 型 、 ● ● ● 型 ⋮ ⋮ にな る 。 し た が って、 ミ ク ル マ
みく る ま 接 頭 語 ﹁み ﹂ が つ いた 名 詞 は 、 規 則 的 に ●
し い、○ ●○ 型 に 属 し て いた 語 で あ る と 知 ら れ る 。
おぼ す ﹃日 本 書 紀 ﹄ の 訓 に よ って、 当 時 と し て は 珍
連 用 形 な ら ば 、 ヲカ シ ク と な る 。
さ れ 、 当 時 は 、 高 起 式 の 語 と 知 ら れ る 。 従 って そ の
を か し く ﹃名 義 抄 ﹄ に ﹁を か し ﹂ は 上 上 上 型 に 表 記
詞 ﹁男 ﹂ と 同 類 の語 と 解 し た 。
す ごげ に 現代 諸 方 言 と の対 応 か ら 、 ア ク は 三 音 節 名
間 に 促 音 が 入 って いた は ず と 見 る 。
と て ﹁と 言 って﹂ の転 。 とす る と 、 ﹁と ﹂ と ﹁て﹂ の
さへ アク 、 ﹃日本 書 紀 ﹄ の 訓 の声 点 に サヘ と あ る 。 お ほ む 袖 接 頭 語 ﹁お ん ﹂ は 、 池 田 弥 三 郎 氏 の提 言 に よ り 、 原 則 と し て ﹁お ほ む ﹂ の形 に統 一し た 。 こ の 場 合 の ﹁む﹂ は [m ]。 ア ク は オ ホ ム 。 か や う ﹁や う ﹂ の部 分 は 日 本 語 化 し て い る と 見 て、 ﹁う ﹂ を [u] と す る 。 ア ク は ﹃平 家 正 節 ﹄ に 従 っ てカヤウ。 心 づ く し こ の 時代 の低 起 式 の語 を 先 部 と す る 六 音 節 の複 合 名 詞 は 、 原 則 と し て ○ ○ ○ ○ ● ○ 型 に な った 。 い に しへ ア ク 、 語 源 に 分 解 し て考 え て イ ニシヘ と 判 定す る。 し の の め ア ク、 鎌 倉 時 代 の ﹃古 今 集 ﹄ の参 考 書 ﹃古
お ま し な ど 池 田弥三 郎 氏 に よ る と 、 マ行 で は じ ま る
と いう 型 。
宣 た ま ふ ﹁のり 給 ふ﹂ の転 で、 ﹁り ﹂ は 促 音 にな って
語 の 後 に 来 た 時 に 限 り 、 ﹁お ほ む﹂ は ﹁お﹂ と 短 縮
今 訓 点 抄 ﹄ に シ ノ ノ メと あ る のを 採 用 。
いた のを 表 記 しな か った も のと 解 す る 。 平 曲 な ど に
す る こ と が あ る と 言 う 。 そ の例 と 見 て オ マシ と す る 。
音 が 挿 入 さ れ て いた と 解 す る 。
﹁な ど ﹂ は ﹁な に と ﹂ の転 と 見 て、 ナ と ニ の 間 に 鼻
言 う ノ ッタ モ ー と 言 う のを 古 形 と 見 た 。 を ん な ﹁を み な ﹂ の転 で あ った か ら 、 ﹁ん ﹂ は [ m] であ る と 解 し た 。
高 欄 アク、二字とも 平声と解 し、暫く低 平型 にカウ ラ ンと 読 む 。 右 近 ﹃色 葉 字 類 抄 ﹄ の声 点 に よ り、 ﹁近 ﹂ を 濁 る。 ア
り 、 濁 ← 清 の変 化 が 起 こ った 結 果 と 考 え る 。
助動 詞 ﹁べし ﹂ は 、 動 詞 に付 いた 時 ア ク の
下げ いし ﹁い﹂ の仮 名 、 暫 く イ と 読 む 。 ア ク未 勘 。 さ るべ き
上 では 一つ の形 容 詞 のよ う な 形 に な った と 解 し た 。
﹁さ る ﹂ は 低 起 式 の語 で あ る か ら 、 全 体 と し て は サ
ク は 同 書 に 平 平 型 に 記 載 し て あ る の に よ った 。 艶 中 国 の 字 音 で ﹁ん ﹂ は [ m] 音 。
ルベ キィ 。
格 子 呉 音 で 平 平 型。 ア ク 、 暫 く カ ウ シ と 見 る 。
高起式動 詞。
契 り 給 ふ ﹁契 る ﹂ は ﹃名 義 抄 ﹄ に よ る と 、 チ ギ ル で
た。
口固 め さ せ ﹁口 ﹂ と ﹁固 め さ せ﹂ は 独 立 の 文 節 と 見
こ と さ ら ア ク 、 ﹃名 義 抄 ﹄ に コト サ ラ と あ る 。
け いめ い 音 韻 ・ア ク と も に未 勘 。 暫 く ケ イ メ イと 高 平 型 に読 む 。 気 色 ア ク 、 平 曲 で ケ シ キ 。 ﹁色 ﹂ が 入 声 で あ る と こ ろ か ら ﹁男 ﹂ 類 の 語 と 解 し 、 低 平 型 だ った と 見 る 。 ほ のぼ の ア ク 、 ﹃古 今 訓 点 抄 ﹄ に ● ● ● ○ 型 と あ り、 これ に よ る 。 さ ぶ ら はざ り ﹁さ ぶ ら ふ ﹂ の ア ク、 ﹃ 名 義抄﹄ にサブ
手づ か ら ﹃名 義 抄 ﹄ で ﹁て づ ﹂ の部 分 の声 調 平 上 と
あ る 。 ほ か に ﹁自 ら ﹂ が ● ● ○ ○ 型 で あ る のを 参 照
ラ フ とあ り 、 高 起 式 の語 であ った こ と を 知 る 。 不 便 ア ク 、 平 曲 に フビ ンと 言 う の に従 って お く 。
し て 、 テ ヅ カ ラと 認 定 す る。
う と ま し く 形 容 詞 ﹁う と し ﹂ は ﹃名 義 抄 ﹄ で高 起 式
む つま じ き こ の ﹁じ ﹂ の清 濁 は 平 安 朝 の文 献 で は 明 ら か に し が た い。 室 町 時 代 のも の に つ いて 森 田武 氏
学 大 系 ﹄ の ﹁仮 名 草 子 集 ﹂ の四 二 六 ペー ジ の注 を 参
曲 ・平 曲 な ど で 口蓋 帆 の破 裂 音 、 いわ ゆ る ノ ム 音 と
別 納 ﹁ち ﹂ は 入 声 音 が 鼻 音 の 後 に 立 つ時 、 声 明 ・謡
の語 。 そ れ を も と と し て、 終 止 形 ウ 卜 マシィ と 見 た 。
照 。 日本 人 の資 料 に は 濁 音 の方 が 多 いと 見 て濁 る 立
な る 。 あ れ が 、 母 音 eのあ と でチ と 表 記 さ れ たも の
に研 究 があ り 、 清 濁 両 様 あ る と いう 。 ﹃ 岩 波古 典 文
場 に従 った 。 平 曲 で も 濁 る。 現 代 のも のは 類 推 に よ
と解した 。 曹 司 ツ ァウ シ。 ﹁曹 ﹂ の字 の中 国 音 [ts。 au そ] れが 専 門 語 と し て 用 いら れ た と 見 た 。 ひ も と く 独 立 の 二 語 だ った と 見 た 。 た ま ぼ こ ア ク 、 ﹃拾 遺 集 ﹄ の声 点 に タ マボ コと あ る のに よ った 。 え に こ そ ﹁え ﹂ は ﹁縁 ﹂。[n ] が表 記 さ れ な か った も
惟 光 ア ク 、 ま った く 探 る に 由 な し。 ﹁こ れ ﹂ が 高 起
式 の語 であ り 、 四音 節 名 詞 に ⋮ ⋮ ● ○ 型 が 多 いこ と
を 考 え て コ レミ ツと いう 形 を 作 った が 、 全 く 自 信 な し。
お ん 果 物 ﹁く だ も の﹂ の ア ク 、 ﹃和 名 抄 ﹄ の訓 に よ り 、 低平型とす る。
あ り さ ま ア ク 、 ﹃日 本 書 紀 ﹄ の訓 、 ﹃ 名 義 抄 ﹄ に低 平
た そ が れ ど き ﹁た ﹂ の ア ク は ﹁た れ ﹂ と 同 じ で 高 起
﹁さ ﹂ の形 は、 全 体 が 一語 と な って いる と 解 し 、 ﹁び﹂
心 びろ さ こ の よ う な 名 詞 +形 容 詞 の 語 幹 +接 尾 語
型に表記。
式 。 ﹁と き ﹂ は 後 部 成 素 と な る 時 、 ⋮ ⋮ ● ● と いう
に 連 濁 が 起 こ って いる と 考 え た 。 ア ク は 一般 的 な 法
のと 解 し た 。
型を作 る語と見た。
も の む つ か し ﹁む つ か し ﹂ と いう 語 、 ﹃ 今 昔物 語﹄
則 に よ った 。
尽 き せ ず ﹁尽 き ﹂ の ア ク は ● ● 型 か 、 ● ○ 型 か。 動
﹃栂 尾 明 恵 上 人 遺 訓 ﹄ に﹁六 借 ﹂ と 漢 字 を 当 て て い
と ころ が ら ﹁か ら ﹂ は ⋮ ⋮ ● ● 型を 作 る 語 。
詞 の連 用 形 な ら ば ● ○ 型 、 名 詞 な ら ば ● ● 型 。 名 詞
る 個 所 があ り 、 それ に よ って ﹁つ﹂ は 当 時 清 ん で い
ら う た し ﹃平 家 正 節 ﹄ の 節 に よ り 、 ラ ウ タ シィ と 解
の語 と 見 ら れ る 。
と あ り 、 現代 語 の ア ク か ら の 予 想 に はず れ て低 起 式
あ や し き ア ク 、 ﹃名 義 抄 ﹄ ﹃日本 書 紀 ﹄ の 訓 に平 平 上
た も のと 解 し た 。
に 転 向 し て いる も の と 見 て● ● 型 と し た 。 海 人 ﹃名 義 抄 ﹄ で 低 平 の 型 。 な め り ﹁な ﹂ と ﹁め り ﹂ の 間 に ン が 無 表 記 で挿 入 さ れて いると見た。 か つは ア ク 、 ﹃四座 講 式 ﹄ の譜 によ り カ ツ ハと 見 た 。 ツは 長 か った か も し れ な い。
した。 つと 平 曲 な ど で、 こ のよ う な 形 の語 はすべ て ﹁つ ッ と ﹂ と 促 音 を 入 れ て 唱 え る。 こ こも 促 音 が 無 表 記 に
わ ざ わ ざ シ シ ョク と 読 む よ う に し た が、 ま ず か った
か。 ア ク は 、 ﹃名 義 抄 ﹄ に 低 平 型 と あ る。 そ れ を そ の ま ま 採 った 。
な ぞ ﹁な に ぞ ﹂ の 転 であ る か ら 、 ﹁ぞ ﹂ の前 に 鼻 音 の
[n ] が は い って いる と見 た。 こ のよ う な 場 合 に ﹁ぞ﹂
な って いる も のと 解 し た 。 か た は ら ア ク 、 ﹃名 義 抄 ﹄ で低 平 型 。
の子 音 は [d] zにな った か。
﹁じ ゃ う ﹂ の ﹁う ﹂ は 本 来 は [〓] で あ る が 、 日 本
本 性 ﹁性 ﹂ は鼻 音 の直 後 で、 連 濁 す るも のと 考 え た 。
る。
わ り な く ﹃日本 書 紀 ﹄ の訓 に 、 終 止 形 ワ リ ナ シ と あ
り、高 起式動詞 と見られ る。
わ な な き ア ク、 ﹃名 義 抄 ﹄ に 、 終 止 形 ワ ナ ナ ク と あ
する。
や ま び こ ア ク 、 ﹃古 今 訓 点 抄 ﹄ に よ り、 ヤ マビ コと
に な って いた と 解 し た 。
御 几 帳 ﹁帳 ﹂ の ﹁う ﹂ の音 は 日本 化 し て [〓] が [u ]
促 音 が蔵 さ れ て いる も のと 見 た 。
も て参 れり ﹁も て ﹂ は ﹁も ち て ﹂ の転 で、 無 表 記 の
う法則を適 用した。
お ま へ マ行 音 の前 の ﹁お ん﹂ は ﹁お ﹂ と な った と い
お ほ と な ぶ ら ﹁お ほ と の﹂ の ア ク は ﹃ 名 義抄 ﹄ で○ ○ ×○ で ﹁と ﹂ の音 調 は 不 明 。 し か し 全 体 は 複 合 語 の法 則 で オ ホ ト ナブ ラと な る も のと 解 し た 。 六 条 ア ク 、 平 曲 で ロク ジ ョー で あ る ﹁六 ﹂ が 入声 で あ る こ と を 考 え 、 平 安 朝 時 代 に は 、 低 平 型 だ った と 解 す る。 あ は れ ア ク 、 ﹃四 座 講 式 ﹄ によ り 、 ア ハレェ と 見 る 。 ゐ て ﹁居 て ﹂ ﹁率 て ﹂ 二 つとも 動 詞 の部 分 は ヰィ と 見 ら れ る 。 し た が って ヰ ィ テ と な る。 うた て ﹃ 拾 遺集 ﹄ の声 点 に ウ タ テ と あ る。 わ た ど の ﹁わ た り ど の﹂ の転 で 、 ﹁り ﹂ が鼻 音 [n ] にな り 、 表 記 さ れ ず にあ る も のと 見 た 。 紙 燭 ﹃名 義 抄 ﹄ に ﹁燭 ﹂ の 字 に 付 し て ﹁音 属 ﹂ と あ り 、 ﹁紙 燭 ﹂ に 付 し て ﹁俗 言 シ ソ ク ﹂ と あ る 。 こ れ は 正 し く は シ シ ョク と 言 う こと を 意 味 す る と考 え て、
語化し て [〓 ] で あ る が 、 日本 語 化 し て
[u]に な って い る も の と 見 た 。
例 ﹁い ﹂ は 元 来
[i]
﹁ず ゐ ﹂ と さ
に な って いる と 解 し た 。 随 身 ﹁随 ﹂ の 歴 史 的 仮 名 遣 い は 、 以 前 ﹁ ず い﹂ が 正 ﹃日 葡 辞 書 ﹄
れ て いた が 、 早 く 満 田 新 造 氏 に よ っ て し い と さ れ て い る の に 従 った 。 ﹁身 ﹂ は
[m]。 そ れ が 残 っ て い る と 考
そ の 他 に よ っ て 連 濁 し て い る も の と 考 え た 。 ﹁身 ﹂ の ﹁ん ﹂ は 中 国 語 で えた。 朝 臣 ﹃日 葡 辞 書 ﹄、 ロド リ ゲ ス の ﹃日 本 大 文 典 ﹄、 ﹃平 ﹁そ ﹂
﹁い で ﹂ の 転 と
﹁み ﹂ の 転 と し て
家 正 節 ﹄ の 譜 な ど に あ る の に 従 い 、 ﹁あ ﹂ と の 間 に 促 音 を 挿 入 し た 。 ﹁ん ﹂ は [m] だ った と 解 し た 。 ま か で 侍 り ぬ ﹁ま か で ﹂ の ﹁で ﹂ は
﹁べ﹂ の 間 に
見 て 、 そ の 前 に 無 表 記 の 鼻 音 を 考 え た 。 ﹁侍 り ﹂ は ﹃図 書 寮 本 ・名 義 抄 ﹄ に よ り 、 ﹁は ﹂ と
言 ふ 言 ふ こ のよ う な 場 合 アク は イ フイ フ のよ う で あ
る。 ﹁言 ふ ﹂ の部 分 は 連 体 形 で あ ろう か 。
往 ぬ な り ﹃名 義 抄 ﹄ によ れ ば 、 ﹁いぬ ﹂ は 終 止 形 が ●
● ○型 の珍 し い動 詞 で あ る 。
名 対 面 こ のよ う な 語 の ア ク は 探 り にく い。 ﹁名 ﹂ は
こ のよ う な 場 合 も 、 長 音 化 し て いた と 考 え た 。
ま ろ ア ク 不 明 。 手 が か り ま った く な し 。 暫 く マ ロと よむ。
え 参 ら ぬ ﹁え ﹂ の ア ク 、 形 容 詞 ﹁よ し ﹂ の 語 幹 と 同
じ と 見 て エ エと し た 。
昔 物 語 ア ク 、 複 合 語 の法 則 を 考 え て ム カ シ モ ノ ガ タ リとし た。
心 騒 ぎ ﹁騒 く ﹂ は ﹃名 義 抄 ﹄ な ど に サ ワク と あ り 、
カ 行 の 四 段 活 用 の動 詞 だ った と さ れ る 。 こ こも そ れ
によ って ﹁き ﹂ と清 ん だ 。
や や ア ク 、 不 明。 長 く 引 いて 言 った と 解 し た 。
た だ 冷 え に 冷 え 入 り て 普 通 ﹁た だ ﹂ と 切 り 、 ﹁冷 え
に冷 え 入 り て﹂ と 続 け る が 、 関 谷 浩 氏 の研 究 で ﹁た
鼻 音 を 入 れ 、 ア ク は ハムベ リ と し た 。 滝 口 ﹃平 家 正 節 ﹄ の タ キ グ チ を 古 い ア ク と 考 え た 。
だ ﹂ は 接 頭 語 で 、 全 体 は ﹁た だ 冷 え に ﹂+﹁冷 え 入 り
て﹂ の よ う に 切 れ る こと が 明 ら か に な った 。( ﹃ 国 語研
ゆづ る ﹁ゆ み づ る ﹂ の 転 と し て 、 ﹁づ ﹂ の 前 に 無 表 記 の鼻 音 を 想 定 し た 。
究﹄昭和四 十六年 三月号 参照)そ れ に 従 い、﹁冷 え ﹂ は 連 濁 を 起 こし て いる も の と 解 し た 。 法 師 ア ク 、 江 戸 時 代 ● ○ ○ 型 だ った ら し い。 そ れ を も と と し て 、 ﹁法 ﹂ が 入 声 音 であ る こ と も 考 慮 に 入 れ て 、 平 安 朝 時 代 は ホ フシ だ った と 解 し た 。 南 殿 ﹁な ん でん ﹂ の転 と 見 て、 ﹁な ﹂ のあ と に鼻 音 を 入れ た 。 あ わ た た し き に ﹃日 葡 辞 書 ﹄ に よ り、 ﹁あ わ た た し き ﹂ と 清 む。 ま か り て ア ク 、 ﹃高 山 寺 本 ・名 義 抄 ﹄ に よ り 、 マ カ リ テ と 見 る。 阿闍 梨 平 曲 で 無 記 号 。 当 時 、 ア ジ ャリ であ った か 。 とす る と 、 平 安 朝 時 代 は ア ジ ャ リ であ った ろ う と い う 推定。 松 の こ の時 代 、 こ の類 の語 に は ﹁の﹂ は他 の助 詞 と
須磨 の巻 秋 風 アク 、 よ る べき 資 料 な し 。 現 在 の京 都 ア ク の ア キ カ ゼを 借 り る 。 行 平 こ れ も ア ク 定 め よ う な し 。 ﹁ゆ き ﹂ は 高 起 式 の
ち が い、 マ ツ ノ の よ う に低 く つ いた 。
か ら 声 ﹁か ら﹂ は ﹁枯 る ﹂ と 同 源 の 語 と 見 て 、 ア ク を高起式 とした。
ふ く ろ ふ ア ク 、 ﹃和 名 抄 ﹄ の声 点 フク ロ フ を 採 用 。
﹃ 名 義 抄 ﹄ の平 平 平 平 は 捨 てた 。
さ か し き ア ク 、 ﹃日 本 書 紀 ﹄ の声 点 に 低 起 式 の 語 と し て出 て いる 。
〓風 ﹁〓﹂ は 中 国 語 で ビ ャ ン で あ る と 解 し て、 そ の
ま ま 採 った が、 こ れ は 日本 語 化 し て いる と 見 て ビ ャ
ウ と す べき だ った か 。 ア ク は ﹃平 家 正 節 ﹄ で ビ ョー
ブ と あ る のを 採 った 。
く ま ぐ ま し く 名 詞 ﹁く ま ﹂ の ア ク は ﹃名 義 抄 ﹄ でク
マな の で、 高 起 式 の形 容 詞 と 見 た 。
大 夫 職 の長 官 と いう よ う な も の で は な い と 見 て、 平
凡 に ﹁た い ふ ﹂ と 読 ん だ 。
﹁う ﹂ の と こ ろ
語 を 作 る か、 ぐ ら いの こ と し か定 め 得 ず 。 ユキ ヒ ラ と か り に見 る 。
中 納 言 専 門 語 と し て 、 ﹁ち ゅ う ﹂ の
に も と の字 音 が残 って いた と 見 て チ ュンと 定 め た 。
絵 ど も ﹁ど も ﹂ のア ク は原 則 と し て 高 平 型 と 見 た 。
聞 こ え し ﹁し﹂ の ア ク は ﹁き ﹂ と ち が い、 動 詞 に つ
いた 全 体 を ● ● ⋮ ● 型 か 、 ○ ○ ⋮ ● 型 に す る と 見 た 。
関 ア ク、 ﹃名 義 抄 ﹄ に よ り 低 平 型 と し た 。 げ に ア ク 、 ﹃ 古 今 訓 点 抄 ﹄ によ り、 ゲ ニと し た 。
あ る い は ﹁し ﹂ の部 分 は ● ○調 か と も 思 った が定 め
表記し ており、低 起式 の語と見た。
ゆ ゆ し う ﹃拾 遺 集 ﹄ の声 点 に 、 連 体 形 を 平 平 上 平 と
廊 ﹁ う ﹂ に中 国 音 の [〓] を 使 った 。
[t∫ ]e をn使 って みた 。
前 裁 ハイ カ ラ な 言 葉 と し て ﹁前 ﹂ の字 に 中 国 音 の
と あ る。 そ れ にな ら って ツク リ ヱと し た 。
作 り絵 ﹃ 名 義 抄﹄ に ﹁ 作 り 革 ﹂ の ア ク が ツク リ カハ
と考え た。
千 枝 ・恒 憲 アク はま った く 不 明 。 と も に 低 起 式 の語
す め る ﹁す ﹂ は 終 止 形 で ス ゥ の 型 と 見 た 。
﹁手 ﹂ を ﹁ず ﹂ と 読 ま せ た 。
上 手 日本 語 化 し て いる と 見 て 、 ﹁上 ﹂ は ﹁じ ゃう ﹂、
こ の こ ろ ﹁こ ろ ﹂ に は連 濁 は 生 じ て いな いと 見 た 。
て いな いと 見 た 。
海 山 ア ク 、 ﹁海 ﹂ と ﹁山 ﹂ は 、 完 全 に は 一語 に な っ
かねた。
お ま へ マ行 音 に 先立 つ ﹁お ほ ん ﹂ と し て 、 短 縮 し て ﹁お﹂ にな って いる と 見 た 。 そ ば た て て ﹃図 書 寮 本 ・名 義 抄 ﹄ に よ り 、 ﹁だ ﹂ の音 を清 んだ。 あ ら し ﹃名 義 抄 ﹄ ﹃和 名 抄 ﹄ に 、 ア ク は 低 平 型 とな っ て いる。 浮 く ば か り ﹁ば か り ﹂ は 終 止 形 に つく と 考 え て、 ﹁浮 く﹂を ウクとし た。 琴 中 国 語 音 で ﹁ん ﹂ は [m ]。 そ れ が 保 存 さ れ て い ると 見た。 は ら か ら ア ク 、 ﹃日 本 書 紀 ﹄ の訓 に 平 平 平 平 型 と あ る のによる。 立 ち 離 れ が た く 当 時 、 ﹁立 ち ﹂ と ﹁離 れ ﹂ は は っき り 二 つ の 動 詞 で あ った 。 し た が っ て ﹁が た し ﹂ は ﹁離 れ ﹂ だ け に つ いて いた も の と考 え た 。 つれ づ れ ア ク 、 ﹃平 家 正 節 ﹄ に ツ レヅ レ と あ る の を 採用。
紫 苑 色 ﹁紫 苑 ﹂ の ア ク は ﹃名 義 抄 ﹄ に ﹁俗 に シィ ヲ ニ﹂ と あ る の に よ り 、 シィ ヲ ン、 ﹁い ろ ﹂ は 接 尾 語 と し て 用 いら れ れ ば 、 ⋮ ⋮ ● ● 型 の 語 を 作 る 。 釈 迦 牟 尼 仏 弟 子 ﹁仏 ﹂ は ツを 口蓋 帆 の破 裂 音 と 見 た 。
平型とし た。
誦 し 給 へ る ﹃四 座 講 式 ﹄ に 、 ﹁じ ゅ す ﹂ を ジ ュ ス と あ
る 。 一音 節 の 漢 字 音 と し て ジ ュウ と 延 ば し て 言 った も のと 見 た 。
﹁弟 子 ﹂ は中 国 音 に忠 実 な 発 音 を 用 い た と 見 て [de- 入 道 ニ フ ダ ウ 。 ア ク は ﹁入 ﹂ は 入 声 音 、 ﹁道 ﹂ は 呉
音 で 平 声 で あ る か ら 低 平 型 と 見 た 。 ﹃平 家 正 節 ﹄ で
ニ ュ ー ド ー と な って い る の も 、 こ の 推 測 を 助 け る 。
t] ∫i と し た 。 ア ク は ﹁仏 弟 子 ﹂ は 低 平 型 。 お ん 数 珠 ﹁数 ﹂ は ﹃名 義 抄 ﹄ に ﹁和 シ ュ﹂ と あ る 。
困 難 で あ る が、 漢 音 で
恩 賜 ﹁賜 ﹂ は 中 国 語 に 忠 実 に チ と し た 。 ア ク は 扱 い
ュと 読 む。 ﹁珠 ﹂ は 同 じ く ﹃名 義 抄 ﹄ に ﹁音 朱 ﹂ と
で あ る と こ ろ か ら 、 ア ク は オ ン チ イ と な った と 見 る 。
濁 音 で あ った が 、 濁 点 を 付 け な か った 例 と 見 て 、 ジ
あ る 。 ジ ュジ ュと 読 む。 アク は 現 在 の諸 方 言 か ら 見
漢 字 音 の ○ ○ ○ ● 型 に 対 し て ﹁の ﹂ は 高 く つ い た 。
お ん ぞ ﹁ぞ ﹂ は
﹁袖 ﹂ (= ﹁衣 の 手 ﹂) が ● ● 型 で あ
平 声 で 、 ギ ョオ イ ー と な る 。
共 に 漢 音 で あ る と こ ろ か ら 見 て 、 ギ ョは 去 声 、 イ は
御 衣 ﹁ぎ ょ ﹂ ﹁い ﹂ と も に 長 く 引 い て 発 音 さ れ た ろ う 。
﹁恩 ﹂ は 平 声 、 ﹁賜 ﹂ は 去 声
て低 平 型 と 定 め た 。 ふ る さ と ア ク 、 ﹃平 家 正 節 ﹄ に フ ル サ ト と あ る 。 平 安 朝 時 代 は フ ル サト で あ った と 見 る 。 殿 上 専 門 語 と し て ﹁上 ﹂ は 中 国 音 に 忠 実 だ った ろう と 見 て 、 ﹁う ﹂ を [〓 ] と 読 ん だ 。 ア ク は 、 ﹃平 家 正
る と こ ろ か ら 見 て 、 ● 型 で あ った と 定 め る 。
ひ と へ に ﹁ひ と へ﹂ は 珍 し い ○ ○ ● ○ 型 の 名 詞 で あ
節 ﹄ の テ ン ジ ョー を そ のま ま 流 用 し た 。 二千 里 こ のよ う な 文 脈 で は、 中 国 の原 音 に 近 く 読 ん
った よ う で 、 ﹃四 座 講 式 ﹄ に 、 ﹁ひ と へ に ﹂ を ○ ○ ●
﹃名 義 抄 ﹄ に よ る
だ ろ う と 考 え て ﹁千 ﹂ は [t∫ ]e とn読 ん だ 。 ア ク は
﹁ 宮 ﹂ の字と も に
○ 型 に 扱 って い る 。 東 宮 ﹁東 ﹂ の 字
﹁二 千 ﹂ が ﹃四 座 講 式 ﹄ に 平 上 型 で あ る と こ ろ か ら ニセ ンと 見 、 ﹁里 ﹂ は 今 の諸 方 言 の比 較 か ら 見 て 低
﹁東 ﹂ ﹁宮 ﹂ と も に ﹁う ﹂ は [〓] で あ った と 見 た 。
と 、 和 音 で も ウ が鼻 音 で あ った と いう 表 記 が あ る 。
安 朝 時 代 に は カ ンダ チ メ で あ った ろ う と 推 測 さ せ る。
解 し た 。 ア ク は ﹃平 家 物 語 ﹄ に カ ンダ チ メ と あ り 平
か ん だ ち め ﹁ん ﹂ は ﹁み﹂ の転 と 見 て [m ] の音 と
そ し り ﹃図 書 寮 本 ・名 義 抄 ﹄ に よ れ ば 、 動 詞 ﹁そ し
考え た。
勘 事 ﹁う ﹂ は [〓 ] を 表 わ す も の と 見 て、 カ ン ジ と
ア ク は 、 現 在 京 都 語 で ト ー グ ー 、 ﹃平 家 正 節 ﹄ で ト ー グ ー であ る と ころ か ら 、 平 安 朝 時 代 は ト ング ン で あ った と 想 定 す る 。 め の と アク 、 ﹃高 山寺 本 ・名 義 抄 ﹄ に メ ノ 卜 と あ る 。
念 じ す ぐ す ま じ う ﹁念 ﹂ の ﹁ん ﹂ は 中 国 音 で [m ]。
る ﹂ のア ク は ソ シ ル。
あ った こ と を 示 す 記 号 が つ い て いる 。 [〓] で あ っ
﹁念 ﹂ は呉 音 で平 声 で 、 ﹁念 じ ﹂ の ア ク は ネ ム ジ ィと
命 婦 ﹃名 義 抄 ﹄ に ﹁ 和 ミヤ ウ﹂とあ り、 ウが鼻 音 で
た の であ ろ う か 。 ﹁婦 ﹂ は 鼻 音 の 次 に 来 た の で連 濁
見 る。
ア ク 、 ﹁宿 ﹂ は 入 声 、 ﹁世 ﹂ は呉 音 で平 声 で 、 低
﹁づ﹂ の前 に短 い鼻 音 を お いた 。
お ん 手 水 ﹁づ﹂ の前 に ﹁み ﹂ が 省 か れ て い る と 見 て、
か り に ヨシ キヨ と 定 め た 。
良 清 ア ク ま った く 不 明 。 ﹁よ し ﹂ を 低 起 式 と 見 て 、
ア ク は フ スブ ル とな る 。 フ スブ ル で はな い。
ふ す ぶ る な り け り ﹁ふす ぶ る ﹂ は連 体 形 と 見 た 。 と 、
と 言 った と 解 す る。
う ち 具 し て ﹁具 ﹂ は ﹃補 忘 記 ﹄ で 呉 音 平 声 。 グ シ テ
平型と 見た。
宿世
を 起 こ す 。 呉 音 で ﹁命 ﹂ は 平 声 、 ﹁婦 ﹂ は 上 声 、 し た が って ア ク は ミ ャ ンブ と な る 。 大 将 ﹁大 ﹂ は ﹃平家 物 語 ﹄ の諸 本 、 ﹃日葡 辞 書 ﹄ ﹃落 葉 集 ﹄ な ど に よ って ダ イ と 濁 る 。 ﹁将 ﹂ は 専 門 語 で あ る と ころ か ら 、 原 語 に近 いと考 え て 、 チ ャ ン [ t∫a ]n〓 を と った 。 ﹁大将 ﹂ が ダ イ チ ャ ン で は 、 漫 画 の田 舎 つぺ大 将 と 同 じ にな って しま った 。 お ほ ん は ら か ら ﹁は ら か ら ﹂ は 鼻 音 の 直 後 で 子 音 の p が残 って いた と 見 て 、 パ ラ カ ラと 言 った と 解 し た 。 こ の言 い方 は 奇 異 に響 く が、 平 曲 で は普 通 の言 い方 である。
念誦 ﹁念 ﹂ は ﹃補 忘 記﹄ で平 声 、 ﹁誦﹂ は ﹃四座 講 式 ﹄ で平声。 平平型 と見た。 あ か ら さ ま に も ア ク 、 ﹃平 家 正 節 ﹄ に ア カ ラ サ マと
興 日 本 語 化 し て いた と 見 て 、 キ ョウ と 読 む 。 ﹃平 家
正 節 ﹄ に ﹁興 な げ ﹂ と ● ● ● ○ 型 に表 記 。 と す る と 、
平 安 朝 時 代 は ○ ○ 型 であ った か 。
三位 の中 将 ﹁三 位 ﹂ の ﹁三 ﹂ の ﹁ン﹂ は [m ]、 ﹁位 ﹂
と 思 わ れ る の で 、 こ こ は ﹁か つげ さ せ ﹂ と し た 。
の語 を ﹁かづ く ﹂ と 読 ん で いる の は後 世 の読 み 方 か
つげ も の﹂ と 言 う の があ る。 そ う す る と 、 普 通 に こ
か つげ さ せ ﹃ 名 義 抄 ﹄ の ﹁纏 頭 ﹂ と いう 声 点 に 、 ﹁か
に連 声 が 起 こ った と 見 た。 ﹁中 将 ﹂ は 中 国 音 に 近 く
あ る の を そ のま ま 採 った 。
﹁う ﹂ が [〓] で あ り 、 さ ら に ﹁将 ﹂ は [ t∫] an で、
飛 鳥 井 ﹁飛 鳥 ﹂ を ﹃ 古 今 訓点 抄﹄ に平 平上 と表 記。
﹁ゐ ﹂ の つ いた 形 は 自 信 が な い が 、 し ば ら く ア ス カ
そ れ が 連 濁 を 起 こし た と 見 た 。 宰 相 これ も 中 国 音 に忠 実 に 発 音 さ れ た と 見 た 。
ヰと見る。
夜 も す が ら ア ク 、 ﹃名 義 抄 ﹄ に ヨ モ スガ ラ と あ る。
ま う で ﹁ま う づ ﹂ は 二 段 活 用 の動 詞 に は 珍 し い、 終 止 形 が ○ ● ○ 型 の動 詞 。
こ の ﹁も ﹂ は 、 正 確 に は モ ォ調 であ った ろ う 。
な か な か ア ク 、 ﹃古 今 訓 点 抄 ﹄ に ナ カ ナ カ とあ る 。
狩 衣 ア ク 、 ﹃名 義 抄 ﹄ に ﹁か り ﹂ の 部 分 だ け 平 平 型 に 注 記 。 ほ か に ﹁雨 衣 ﹂ を ア マギ ヌ と表 記 し て いる
注 く ﹃名 義 抄 ﹄ そ の他 、 平 安 朝 時 代 の文 献 に は、 ク
に 関 し て清 音 であ った こと を 表 記 し て い る。 ﹃ 国語
例 があ る の で、 カ リ ギ ヌと 定 め る 。 碁 ﹃ 色 葉 字 類 抄 ﹄ で平 声 に 表 記 。
と 国 文 学 ﹄ の第 二 七 九 号 に 亀 井 孝 氏 の ﹁ソ ソ ク ソ
( ﹁浄弁本拾遺和歌集所載 のアクセ ント に就 いて﹂ ︹ 寺 川喜 四
の 上 を 清 み 、 下 を 濁 る 例 が あ る のを 発 見 さ れ た 。
お のが し じ 築 島 裕 氏 が ﹃ 拾 遺 集 ﹄ の 声 点 に ﹁じ し ﹂
ソグ ﹂ と いう 論 考 が あ った 。
双 六 仮 名 表 記 か ら 日 本 語 化 し て いた も のと 見 て 、 ﹁す ぐ ろ く ﹂ と 言 った と 考 え る。 ア ク は 現 在 諸 方 言 の ア ク か ら 見 て 低 平 の ス グ ロク だ った と 見 る 。 弾棊 字 音から 見て漢音 の語と判定す る。去平 型だ。 と す る と 、 ア ク は タ ン ギ だ った こ と にな る。
男ほか編 ﹃ 国語アクセント論叢﹄所載︺を参照)それ によ り 、 通 説 の ﹁お の が じ し ﹂ を ﹁お の がし じ ﹂ に改 め る 。 黒 駒 ﹁駒 ﹂ に 連 濁 が 行 わ れ た か ど う か 未 詳 。 多 数 の
か た み に ﹁か た み ﹂ の ア ク 、 ﹃拾 遺 集 ﹄ に上 上 上 と あ る のに従う。
対 面 ﹃平 家 正 節 ﹄ で タ イ メ ン と あ る 。 こ れ か ら タ イ メ ンと す る 。
は る び ア ク 、 ﹃日 本 書 紀 ﹄ の訓 に 平 平 平 と あ る 。
類 例 を も と にし て連 濁 し たも のと 見 る。 アク は ﹃名 義 抄 ﹄ に ﹁く ろ が ね ﹂ な ど が 低 平 型 であ る の にな ら
たづ ア ク 、 ﹃名 義 抄 ﹄ に 平 上 と あ る 。 そ の意 味 か ら
解する。
考 え て、 ○ ● 型 で は な く 、 ○ ● ○型 であ った ろ う と
い、 これ も 低 平 型 と 見 る 。 いば え ぬ ﹁い ば ゆ﹂ の ア ク は ﹃ 名 義 抄﹄ に上 上平 と ある。
︹補 遺 ︺ 十 年 も た って み る と 、 レ コー ド に も いろ いろ 改 め た いと こ ろ が 出 て く る 。 今 、 こ の解 説 文 に つ い て 主 な あ や ま り を 正 し 、 今 度 吹 き 込 み があ った 場 合 に そ な え た いと 思 う 。
一 ﹁ 音 韻 考証 を担 当し て﹂ の欄
本 文 で 、 ﹁ま ったく 探 る に由 な し ﹂ と 言 った 人 名 の アク セ ント に つ い て、 秋 永 一枝 氏 が 、 ﹃ 古 今和歌集 声点本 の
研 究 ﹄ 研 究 篇 (上 ) で、 ﹃古 今 集 ﹄ の声 点 を も と に し て、 研 究 を 進 め 、 そ れ に よ れ ば 、 か な り 確 実 に 当 時 の人 名
の ア ク セ ント も 推 定 でき る よ う にな った。 秋 永 氏 に よ る と 、筆 者 が 推 定 し たう ち 、 ﹁良 清 ﹂ を ヨシ キヨ と す る の
は い いが 、 ﹁行 平 ﹂ は ユキ ヒ ラ で は な く て 、 ユキ ヒ ラ であ ろう 。 ﹁惟 光 ﹂ は、 コレ ミ ツか も し れ な いが、 ツ の部 分 が高 平 調 か 、 下降 調 であ った か も し れ な いと 述 べら れ た 。( 同書三三七ページ) 二 ﹁ 音 韻 の部﹂ に ついて
サ行 子 音 に つ いて 、 奈 良 朝 時 代 の 発 音 が 、 森 博 達 氏 の ﹃日 本 書 紀 ﹄ の歌 謡 の万 葉 仮 名 の研 究 に よ って か な り 明
﹃日 本 書 紀 ﹄ の 歌 謡 の ア ク セ ン ト が 明 ら か に さ
ら か に な った 。 そ れ に よ る と 、 母 音 に よ り 、 sお よ び∫ だ っ た り 、 t sお よ びt∫だ っ た り し た ら し い 。 平 安 朝 の ﹃源 氏 物 語 ﹄ の 時 代 は sお よ び∫ だ った と 見 て よ さ そ う で あ る 。 三 ア ク セ ン ト の部 先 年 、 国 語 学 会 大 会 に お い て 、 高 山 倫 明 氏 の 研 究 発 表 に よ って
れ た が 、 そ れ に よ ると 、 奈 良 時 代 の ア ク セ ント は、 院 政 時 代 のア ク セ ント と 大 体 のと こ ろ は よ く 似 て いた ら し い。
と す る と 、 平 安 朝 時 代 、 こ こ に 推 定 す る よ う だ った と い う こ と は ま ず 確 か で あ る 。
こ こ に 述 べ た ア ク セ ン ト の 推 定 は 、 ﹁お は す ﹂ な ど 改 め な け れ ば い け な いも の が あ る が 、 ま た 機 会 を 待 つ 。
﹃平 家 物 語 ﹄ の言 葉
一 表 記法
︹一︺ 戦 記 物 語 は 、 ﹃将 門 記 ﹄ のよ う な 、 漢 字 ば か り 並 ん だ 形態 の作 品 か ら 発 達 し て き た 。 ﹃ 平 家 物 語 ﹄ の中 にも
熱 田真 字 本 のよ う に 漢 字 を 主 と し て 書 か れ て いる も のも あ る が、 岩 波 古 典 文 学 大 系 で 底 本 にし た 龍 大 図 書 館 本 な
ど は、 そ の本 文 で 見 ら れ る よ う に漢 字 平 仮 名 ま じ り で、 き わ め て読 み や す く 書 か れ て いる 。 た だ し 、 稀 に 漢 文 式
の ﹁就 中 に ﹂ ﹁被 申 け れ ば ﹂ ﹁如 件 ﹂ と い った 体 裁 のも のが 、 消 化 し き れ な いで ま じ って い て、 祖 先 の形 態 を 伝 え
て いる こ と も あ る 。 そ の本 の校 訂 に 用 いた 高 良 神 社 本 な ど に は、 返 り 点 も か な り 付 いて い る。
︹二︺ 底 本 で は 仮 名 の 用 いら れ て いる 分 量 が比 較 的 多 い。 口誦 文 芸 で、 漢 字 に よ る書 き 方 を 思 い つか な か った の
だ ろう か 、 漢 語 や 地 名 ・人 名 の類 ま で 仮 名 で書 い てあ る も の があ る 。 送 り仮名 は 、 現 代 新 聞雑 誌 に通 用 のも のよ
り 少 な い。 動 詞 の連 用 形 ・終 止 形 ・連 体 形 な ど は 、 誤 読 を 起 さ ぬ お そ れ のな いか ぎ り 、 活 用 語 尾 を 送 ら ぬ 方 が普
通 であ る 。 ま た 、 ﹁花 色 ﹂ のよ う な 漢 文 式 の 体 裁 の送 り仮 名 の例 も 見 ら れ 、 特 に龍 大 本 に多 い。 振 仮名 は、 底 本
で はす こ ぶ る 稀 で あ る 。 し か し 、 写 本 の中 に は 、 き わ め て 多 く 見 ら れ る も のも あ り、 特 に高 良 神 社 本 の ご と き は、
お よ そ 古 写 本 の中 で これ ほ ど 多 く の振 仮 名 の例 を も つも のは 稀 有 で あ ろ う と 思 わ れ る 。 高 野 本 ・西 教 寺 本 も 多 く
の振 仮 名 を 有 し、 ま た ﹃ 平 家 正 節 ﹄ で 代 表 さ れ る 平 曲 の 譜 本 の類 に も 、 綿 密 な 振 仮 名 ・捨 仮 名 の類 が見 ら れ る 。
︹三 ︺ 漢字 で は、 今 日 で は 通 用 を 許 さ れ ぬ 二 つ以 上 の文 字 が し き り に 流 用 さ れ て いる の が 目 に つく 。 例 え ば 、
﹁藉﹂と ﹁籍﹂ と は完 全 に 混 用さ れ て お り 、 ﹁先 ﹂ と ﹁前 ﹂、 ﹁学 ﹂ と ﹁覚 ﹂、 ﹁大 ﹂ と ﹁太 ﹂、 ﹁義 ﹂ と ﹁ 儀 ﹂ と ﹁議 ﹂
も し ば し ば 互 い に 流 用 さ れ て い る 。 宛 字 の 類 に も 、 ﹁誘 ﹂ ﹁面 道 ﹂ ﹁境 節 ﹂ ﹁小 雨〓 のも のが 散 見 す る 。
ても 当 時 は広 く 通 用 し て いた のもあ る か も し れな い。
﹂ など、今 日から 見ると異様
*市 古 貞 次 氏 によ る と、 例 え ば ﹁境 節 ﹂ の例 は ﹃ 下 学 集 ﹄ そ の他 に 見 え る と いう。 他 のも の の中 にも 、 現 代 か ら は 異 様 に 見 え
︹四 ︺ 古 典 大 系 本 は 、 振 仮 名 を 除 い た 部 分 は 、 龍 大 本 を 底 本 と し て い る が 、 そ の 仮 名 遣 い は 、 そ の 本 文 に 見 ら れ
る よ う に 、 歴 史 的 仮 名 遣 い が か な り 見 事 に 守 ら れ て い る 。 ジ と ヂ 、 ズ と ヅ の い わ ゆ る 四 つ仮 名 の 区 別 、 カ と ク ワ
の 直 拗 の 区 別 に は ま ず 乱 れ が な い。 ア ウ の 類 と オ ウ の 類 の い わ ゆ る 開 合 の 別 も 混 同 が な い。 た だ し 語 中 語 尾 の ヒ
ヘホ は 、 時 にイ エオ 、 ヰ ヱ ヲと 紛 れ 、 フは ウ に 、 ハは ワ に紛 れ て 使 わ れ て い て、 中 世 的 性 質 を 示 し て いる 。 ア段
﹁わ か の ま ひ ﹂ ( 上巻 、 九 五 頁 二行 ) と 書 い た よ
音 の 次 の ウ フ は オ ヲ ホ あ る い は ワ と 書 か れ て い る 例 も 散 見 す る 。 特 に 珍 し い の は 、 ﹁な か ら ひ ﹂ と あ る べ き を ﹁な か ら へ﹂ ( 上 巻 、 一 一 一頁 二 行) と 書 き 、 ﹁和 歌 の 前 ﹂ と あ る べ き を
う な 、 ア 段 の 音 の 次 の イ ヒ と エ ヘ と の 混 同 で あ る 。 こ れ は 覚 一系 本 に 集 中 し て い る よ う に 見 え る が 、 こ れ は 何 か こ の系 統 の本 へ の東 国 方 言 の混 入 が あ る の で は な い か と 疑 わ せ る 。
す れ ば 問題 は 起 こらな い。 ﹁そ ん ぢ や う ﹂ と いう 語も ﹁そ れ と い ふ﹂ の転 と 見 れ ば 問題 に な る が、 ﹁そ のぢ や う ﹂ と 解 釈 す る
*二 一七 頁 に ﹁ひやう も ん﹂ と いう語 が出 て く る。 これ を ﹁ 豹 文 ﹂ の意 と 解 す れ ば 開合 の混 同 の例 にな る が、 ﹁ 平 文 ﹂ の意 と 解
こと が でき る か ら、 仮 名 遣 い の混乱 の例 に はな ら な い。
と こ ろ で 古 典 大 系 本 の 振 仮 名 は 、 主 と し て 高 良 神 社 本 の 振 仮 名 で あ る が 、 こ れ は か な り問 題 を 含 む 。 高 良 神 社
本 を 振 仮 名 の 多 さ に 惚 れ て 採 用 し て み た が 、 標 準 的 な 歴 史 的 仮 名 遣 い に 比 べ る と 、 ア 行 ・ワ 行 ・ ハ行 の 区 別 、 開
合 の 区 別 に も 乱 れ が 多 い 。 正 し い の は カ と ク ワぐ ら い な も の で あ る が 、 そ れ も 、 ﹁李 花 一枝 ﹂ (二 一〇 頁 ) を リ カ
⋮ ⋮ と 振 ってあ る と こ ろ が あ る く ら い で、 これ は 近 世 的 な 色 彩 が濃 厚 であ る 。 も っと も 高 良 神 社 本 も 、 本 行 の仮
名 遣 い は 、 そ ん な こ と は な い よ う で あ る 。 振 仮 名 は 、 少 く と も そ の 一部 は 、 か な り 後 の 人 が 施 し た も の で あ ろ う 。
絶 無 であ る こと に気 づ く。 こ れ は振 仮 名 を つけ た こ ろ、 キ ウ [ki-・ u シ] ウ [∫i ]とu 割 って読 ま れ た た め であ ろ う か 。 謡曲
*振 仮 名 の仮 名 遣 いを 見 て行 く と、 キ ュー ・シ ュー の よう な ウ段 拗 音 の長 音 を 、 キ ュウ ・シ ュウ の 三 字 で表 記 し て いるも のが
では、 これ ら をす べ てキ ウ ・シ ウと 唱 え る が 、 現行 の平 曲 にも そ の傾 向 が看 取さ れ る。 ま た 、 現在 シュ と読 ま れ て いる字 が
シウ と読 ま れ 、 現在 シュ ー と読 ま れ て いる字 が シュ と読 ま れ て いる例 の多 い こ と が気 にな る。 シュ も シ ウ も 、実 は 同 じ音 を
表 わ した も のか とま で思 わ れ る ほど であ る。 も っとも 、 今 の平曲 で は シュ と シウ の区 別 は は っき り し て いる 。
︹五 ︺ 濁 点 は 、 底 本 に は ほ と ん ど な い が 、 高 良 神 社 本 に は ぽ つ ぽ つ 見 え 、 特 に 振 仮 名 な ど に は ず い ぶ ん 多 く の 例
﹁海 上 ﹂ の ﹁上 ﹂ の 字 を 澄 ん で 読 む な ど は こ れ で あ る 。 た だ 、 上 に ふ れ た よ う に 、 こ の 本 の 振 仮 名 は 比 較
が 見 ら れ て 注 意 を ひ く 。 こ の中 に は 、 前 代 の 清 濁 を 明 ら か に 伝 え 、 国 語 史 の 有 力 な 資 料 で あ る も の が あ る 。 ﹁上 皇 ﹂や
ま た 、 半 濁 音 符 も ﹃平家 正節 ﹄ に見 え る 。 促 音 の次 の ハ行 の文 字 の右 肩 に 。が 付 け ら れ て い る のは 当 然 と し て、 ﹁ 御母﹂
いろ古 色 を存 し、 例 え ば ﹁ 輝 く ﹂ と いう 語 は 、 名古 屋 の三検 校 も カ カ ヤ クと 澄 ん で 唱え る。
上 の貴 重 な資 料 であ る 。本 文 の清 濁 は、 ﹃ 正 節﹄ によ って清濁 を 決 定す る こと が 多 か った 。 現 行 の 平曲 も、 清 濁 の点 では いろ
スムと いう 注 記も あ る 。 これ ら は 他 の清 濁 を 明 ら か にし て く れ る文 献 、 ﹃類聚 名 義 抄﹄ や ﹃ 日 葡 辞 書 ﹄ な ど と 相補 う 、 音 韻 史
*こ の点 では 平曲 の譜 本 、 例え ば ﹃平家 正節 ﹄ の濁点 の価 値 は大 き い。 ﹃正節 ﹄ には 、漢 字 にも 時 に 濁点 を施 し、 ま た 積 極 的 に
的 後 に つけ ら れ た ら し く 、 いか が と 思 わ れ る も のも 少 く な い。
﹁ 新 平 大 納 言﹂ ﹁一万 八 千﹂ ﹁ 韓彭 ﹂な ど の ン の次 の ハ行 の文字 の右 肩 に 。が付 け ら れ て いる のは 、ち ょ っと 異様 であ る。 これ
ら は多 く 、 ンの次 に 、 かな り 大 きな 切れ 目 、 つま り語 の切 れ 目 に近 い意 味 の 切れ 目 があ る 場 合 であ る。
(l)
﹁つ﹂ と 書 い て あ る と こ ろ 、(2) 何 も 表 記 のな いと こ ろ 、 の二 通 り にな
︹六 ︺ 促 音 符 に つ い て は 問 題 が 難 し い 。 ま ず 吾 々 が 今 日 の 頭 で 本 文 を 読 み な が ら 、 こ こ に 促 音 の 注 記 が あ っ て 然 る べき だ と 思う と ころ が 、 底 本 で は、
﹁つ﹂ を は っき り 注 記 し 、 音 便 形 で は 注 記 し て い な い と
っ て い る 。 こ の う ち 、(1は )漢 字 音 に 多 く 、(2は )動 詞 の 音 便 形 、 擬 声 語 ・擬 態 語 の 類 に 多 い 。 山 田 孝 雄 氏 の ﹃平 家 物 語 の 語 法 ﹄ に よ る と 、 延 慶 本 で は 擬 声 語 ・擬 態 語 で は
い う 。 土 井 忠 生 氏 の ﹃近 古 の 国 語 ﹄ は 、 こ れ を さ ら に 厳 密 に 考 え て 、 一般 に 促 音 符 を 表 記 し な い も の は 、 大 体 ラ
行 動 詞 の 音 便 形 に 多 い こ と を 注 意 さ れ た 。 な ぜ こ の 二 つ の ち が い が あ る の か、 理 由 は わ か ら な い 。 南 不 二 男 氏 は 、
彙
け る よ う な 箇 所 に打 ってあ る こ と が あ る 。
二 語
︹一︺ ﹃源 氏 物 語 ﹄ や ﹃ 枕 草 子 ﹄ な ど を 読 ん で い て、 ﹃平 家 物 語 ﹄ に移 った 時 、 ま ず ち が った 感 じ を 受 け る の は 、
語 彙 の変 化 に富 む こ と であ る。 ﹃平 家 ﹄ の 語彙 の異 な り 語 数 を 延 べ語 数 で除 し て みた ら 、 そ の 数 値 は 、 ﹃源 氏 ﹄ に
お け る そ れ に比 し て さ ぞ 大 き か ろ う 。 こ れ は、 ﹃源 氏 ﹄ や ﹃ 枕 ﹄ が、 宮 廷 で 貴 族 の間 に 用 いら れ て いた 語彙 だ け
でま かな わ れ て いる の に対 し て 、 平 家 の方 は 、 貴 族 語 彙 の ほ か に武 家 語彙 ・仏家 語 彙 が広 く 材 料 と し て駆 使 さ れ て いる こ と によ る。
︹二︺ ﹃平 家 物 語 ﹄ の 語彙 の中 で 著 し く 目 立 つ 一群 は 漢 語 であ る 。 仏 教 語 彙 のご と き は 、 ほ と ん ど が漢 語 であ る。 例 、盛 者 必 衰 ・閻 浮 提 ・金 輪 際 ・水 精 輪 ・他 生曠 劫 ・光 明 遍 照 十 方 世 界 ⋮ ⋮ こ の類 は ﹃平 家 ﹄ の随 所 に 拾 う こと が で き る 。
漢 語 の普 及 で 注 意 す べき は 、 日常 の会 話 にま で 、 そ れ も 次 のよ う に 副 詞 の 類 に ま で漢 語 が入 り こ ん で いる こと
﹁其 儀 で は 候 は ず 。 一向 御 一家 の御 上 と こ そ 承 り候 へ﹂ ( 西光被斬、上巻、 一五 一頁)
であ る 。
﹁あ は 、 こ れ ら が内 々計 り し 事 のも れ に け る よ ﹂ ( 西光被斬、上巻、 一五二頁)
﹁し ば ら く 宿 所 に置 き 奉 れ と 宣 ひ つれ ど も 、 始 終 よ か る べし と も お ぼ えず ﹂ ( 少将乞請、上巻、 一六七頁)
そ う し て ﹃平 家 ﹄ を 読 ん で み る と、 例 え ば 佐 々木 高 綱 と か 梶 原 景 季 と か いう よ う な 武 士 の言 葉 に は ほと ん ど 漢 語
が使 わ れ て いな い が、 理想 的 な 紳 士 であ った 平 重 盛 な ど に な る と 漢 語 ず く め で し ゃべ って いる。 平 忠 度 や 経 正 が
高 貴 な 人 の前 に 出 た 所 の会 話 にも 漢 語 が 多 い。 当 時 のイ ン テ リ 階 級 た ち が漢 語 を いか に尊 ん だ か 、 そ れ か ら 、 特
に 改 ま った 場 面 に お いて は 漢 語 を 使 用 す る こ と が ど んな に 大 切な 教 養 と さ れ て いた か が 窺 わ れ る 。
明 治 以 後 日 本 語 の中 に は 、 多 く の ヨー ロ ッパ 語 か ら 単 語 が輸 入 さ れ た が 、 同 時 に 和 製 英 語 の類 も 多 数 発 生 し た 。
同 様に ﹃ 平 家 ﹄ の場 合 も 、 漢 語 の中 に は、 純 粋 の中 国 か ら の外 来 語 だ け では な く 、 和製 漢 語 の類 が 多 いこ と を 見
逃 が し て は な ら な い。 ﹁を こ ﹂ か ら 出 た ﹁尾 籠 ﹂、 ﹁あ を ざ む ら ひ﹂ か ら 出 た ﹁青 侍 ﹂ な ど は 代 表 的 な も の であ る。 人 名 や 社 寺 の名 は し ば し ば 音 読 さ れ た が、 これ も そ の同 類 と 見 ら れ る。 日 前 ・国 懸 ・長 谷 寺 ・清 水 寺
﹁い は ん や ﹂ ﹁な か んづ く に ﹂ ﹁し か ら ば す な は ち ﹂ ﹁詮 ず る と こ ろ ﹂ の 類 の 、 漢 文 訓 読 の
例 、 義 家 ・雅 頼 ・俊 成 ・頼 光 また、漢 語と並 ん で
結 果発 生 した 語彙 が 頻 繁 に 用 いら れ て いる こと も 、 当 時 の 言 語 に対 す る 好 みを 反 映 し て いる 。 こ れ は 、 明 治 以 後 、
ヨ ー ロ ッ パ 語 が 多 く 入 り こ ん で 来 た と 同 時 に 、 翻 訳 文 に 見 ら れ る ヨ ー ロ ッ パ 式 の 言 い ま わ し が 一般 化 し た 現 象 と 似 て い る。
︹三 ︺ と こ ろ で ﹃平 家 物 語 ﹄ を 特 徴 づ け て い る 語 彙 は 、 漢 語 ・漢 文 訓 読 語 だ け で は な い 。 や ま と こ と ば の 、 し か
も 日 常 卑 近 な 口 頭 語 だ った ら し い も の が 多 く 用 い ら れ て い る 点 が 注 意 を ひ く 。 次 の よ う な も の が そ れ で あ る 。
ど う ど 落 つ。 ざ ぶ と 入 る 。 む ず む ず と 踏 ま る 。 づ ん ど 躍 り こ ゆ 。 よ ッ引 い て ひ ゃ う ど 放 つ。
1 擬 声 語 ・擬 態 語 。
こ れ ら は 、 慈 鎮 和 尚 が 、 ﹃愚 管 抄 ﹄ の 付 録 で 、 ﹁真 名 の 文 字 に は せ ら れ ぬ こ と ば の む げ に たゞ 言 な る や う な る こ と ば ﹂ だ と 言 った も の で あ る 。 2 俗 語 。
例 、 着 背 長 ・ い か も の 作 り ・ひ た 甲 ・あ ぶ れ 源 氏 ・ひ っ ぱ る ・大 力 ・乗 一 の 馬 ・ひ ひ め く ・う っ た っ
こ の 中 に は 、 い わ ゆ る 当 時 の 新 語 ・流 行 語 の 類 も 相 当 に 混 入 し て い る と 思 わ れ る 。
て ・ね った い ・し ゃ つ ・さ も さ う ず ・組 ん で う ず な う れ
ま た 、 作 者 が そ の 場 に の ぞ ん で 急 に 作 った も の も あ る か も し れ な い 。 ﹁五 節 沙 汰 ﹂ で 、 東 海 道 筋 の 遊 君 の 言 葉
の中 の
﹁聞 き 逃 げ ﹂ ( 上 巻 、 三 七五 頁 九 行 )な ど は そ の 類 で あ ろ う 。
﹃平 家 ﹄ の 中 の 他 に 見 ぬ こ と ば で 、 作 者 が こ の 語 句 を 使 わ せ る こ と に よ っ て 常 陸 の
﹁富 士 川 ﹂ の 章 に 、 常 陸 の佐 竹 太 郎 の 雑 色 が 使 う こ と ば の 中 に 、 ﹁多 い や ら う 、 少 い や ら う ﹂ ( 上 巻 、 三 七 二頁 )
3 方 言 。 と いう 語 句 が あ る 。 こ れ は
田舎 者 の姿 を 彷 彿 さ せよ う と し た も のと 思 わ れ る 。 下 巻 に 出 てく る 木 曾 義 仲 に も いろ いろ 異 色 のあ る言 葉 遣 い
を さ せ て い る。 これ も 山 出 し の義 仲 を 写 し 出 そ う と し た も の で あ ろ う 。 こ れ ら は、 必 ず し も 当 時 の常 陸 や 木 曾
と い う 特 定 の 地 方 の 方 言 そ の ま ま を 写 し た も の で は な い か も し れ な い 。 ﹃平 家 ﹄ 成 立 時 代 、 京 都 で 聞 か れ た 周 辺 の地 方 の方 言 あ た り が モ デ ル に な って いる だ ろ う 。
*﹁ 源 氏 揃 ﹂ の中 に、 ﹁ 矢 さ け び の声 の 退転 も な く ﹂ ( 上 巻 、 二 八 二頁 ) と いう 言 い方 があ る 。 ﹁退転 も なく ﹂ は元 来 、 仏 教 用 語
で、 仏 事 を お こた り なく 勤 め る こ と に用 いら れ る。 こ の よう な や む時 のな い矢 さ け び の声 の 形容 に 用 いら れ た の は、 明 ら か
にち が った文 脈 へのこ の語 の流 用 であ る。 こ の類 は、 ﹃平 家﹄ の語彙 量 の多 さ には 関係 はな いが、 語 彙 の使 用 を 多 彩 な ら し め て いる 点 で や は り注 意す べき も のと 思わ れ る 。
︹四 ︺ ﹃平 家 物 語 ﹄ で は 以 上 の よ う な 俗 語 の ほ か に 、 古 語 も 適 当 に 混 入 し て 用 い ら れ て い る と 推 定 さ れ る 。 山 田
巌 氏 は 、 ﹁侍 り ﹂ と い う 語 は 、 ﹃平 家 ﹄ の 中 に 通 常 使 わ れ て い な い の に 、 老 翁 と か 、 異 邦人 と か 、 弘 法 大 師 の霊 と
こ の
﹃ 枕 草 子 ﹄ の 語 彙 と 比 較 し て 注 意 さ れ る こ と は も う 一 つあ る 。
か い う 、 現 実 ば な れ し た 人 物 の 会 話 に か ぎ っ て 使 用 さ せ て い る 点 を 指 摘 し て い る 。( ﹃解 釈 と 鑑 賞﹄ 二 二 ノ九 )
﹃源 氏 物 語 ﹄ や
ような類も 、調 べたら、 ほかに多くあ るであろう。 ︹五 ︺ な お 、 ﹃平 家 物 語 ﹄ の 語 彙 を
意 味 の な る べ く 狭 い 、 従 って 指 さ れ る 対 象 が 明 確 な も の を 選 ん で 用 い て い る 傾 向 、 こ れ で あ る 。 一般 に 語 句 の 中
で 、 意 味 の 最 も 限 定 さ れ て い る も の は 、 固 有 名 詞 ・専 門 語 お よ び 数 詞 で あ る 。 ﹃平 家 ﹄ に は 実 に こ れ が 多 い 。 専 門
語 が 多 い こと は、 仏 教 用 語 や 武 家 の戦 闘 用 語 が 多 い こ と か ら も 知 ら れ る 。 固有 名 詞 の多 い こ と は 、 例 え ば 、 何 々
揃 と いう よ う な 章 に 最 も 典 型 的 な 例 が 見 ら れ る が 、 そう でな く て も ﹁橋 合 戦 ﹂ や ﹁燧 合 戦 ﹂ の章 な ど も 、 人 名 ・
地 名 の 氾 濫 であ る。 数 詞 が 多 く 用 いら れ て いる傾 向 は 、 例 え ば 次 のよ う な 文 章 に 現 わ れ て いる 。
同 九 月 廿 日 辰 の 一点 に 、 大 衆 三 千 人 、 官 軍 二千 余 騎 、 都 合 其 勢 五 千 余 人 、 早 尾 坂 に お し よ せ た り 。( 山門滅 亡 堂衆合戦、上巻、 一九五頁)
惣 て堂 舎 塔 廟 六 百 三 十 七 宇 、 大 津 の在 家 一千 八 百 五 十 三 宇 、 智證 の渡 し 給 へる 一切 経 七千 余 巻 、 仏 像 二 千 余 躰 、 忽 に 煙 と な る こそ かな し け れ。( 三井寺炎上、上巻、三 二九頁)
﹃平 家 ﹄ の文 章 が ﹃源 氏 ﹄ や ﹃枕 ﹄ よ り 明 快 で、 現 代 人 にも よ く 理解 さ れ る と いう の は 、 語 法 の条 で述 べる 論 理
的 な 表 現 が 多 く 用 いら れ て いる 傾 向 にも よ る が、 ま た 一つに は 意 味 の明 確 な 語 句 を 用 いて いるあ た り にも よ る よ う であ る。
︹六 ︺ ﹃平 家 物 語 ﹄ の語 彙 を 、 現 代 語 の語 彙 に 比 べ て み る と 、 ち が った も のが か な り あ る こ と は も ち ろ ん であ る 。
し か し 、 語 形 が 同 じ で あ り 、 意 義 も 似 て いる が、 少 し ち がう と いう も の が かな り あ り 、 こ れ ら は、 現 代 語 の感 覚
で 読 ん でし ま っても 、 理 解 でき た よ う な 気 が す る の で、 気 付 か ず に見 過 ご さ れ る 可 能 性 が あ り 、 特 に 注 意 す る 必 要 が あ る 。 次 のよ う な 類 型 に 分 け ら れ る。
1 動 詞 で は 、 現 代 語 で は単 に 心 理作 用 を 表 わ す 語 であ る が、 ﹃平 家 ﹄ に お いて は 何 か 行 動 を 伴 う 語 が か な り あ る。
と ふる ひけれ ば、
にく む (=悪 口 ヲイ ウ )。 例 、 年 す で に た け た り 、 二 た び さ か り を 期 す べき に も あ ら ず と て、 人 々 にく み あ へり し に ⋮ ⋮。( 巌嶋御幸、上巻、二七〇頁)
あ や し む (=見 ト ガ メ ル)。 例 、 あ ま り に 内 裏 のお び たゝ し き を 見 て、 秦 舞 陽 わ な〓
臣 下 あ や し み て、 ﹁舞 陽 謀 反 の 心 あ り。 刑 人 を ば 君 のか た は ら に お か ず 、 君 子 は 刑 人 に 近 づ か ず 、 刑 人 に 近 づ く はす な はち 死 を 軽 んず る 道 な り ﹂ と い へり 。(咸 陽宮、上巻、三五 一頁)
うら む
(=ナ ゲ キ 訴 エ ル )。 例 、 ま こ と に わ 御 前 の う ら む る も こ と わ り な り 。 さ や う の 事 あ る べ し と も 知
(=ジ ャ マ立 テ ス ル )。 例 、 (清 盛 ハ) 参 内 し 給 ふ 臣 下 を も そ ね み 給 へば 、 入 道 の 権 威 に はゞ か ッ て 、
ら ず し て 、 教 訓 し て ま ゐ ら せ つ る 事 の 心 う さ よ 。(祇 王 、 上巻 、 一〇 二︲三頁 ) そね む か よ ふ 人 も な し 。( 小 督 、 上巻 、 三 九 五 頁 )
2 形 容 詞 ・形 容 動 詞 の 類 の う ち 、 心 理 作 用 を 表 わ す も の は 、 今 日 で は 話 者 の 気 持 を も 、 対 者 や 第 三 者 の 気 持
をも表わ し得 るが、 ﹃ 平 家 ﹄ で は 、 話 者 の 気 持 を 表 わ す の が 普 通 だ っ た よ う で あ る 。 例 え ば 、 ﹁はづ か し ﹂ は 終
﹁はづ か し き こ と に す ﹂ と か 、 ﹁はづ か し げ に て ﹂ と か い う よ う な 言 い 方 を す る 。
止 法 で使 う 場 合 に は 必 ず 話者 が は ず か し く 感 じ る こと を 表 わ し 、 も し 対 者 や 第 三 者 が は ず か し く 感 じ る 場 合 に は 、 ﹁はづ か し く 思 ふ ﹂ と か
こ の 点 で は 現 代 よ り も 用 法 が 狭 か っ た と い う べ き で あ る 。 た だ し 、 一方 、 ﹁はづ か し ﹂ と い う 形 容 詞 は 、 外 界
の 何 も の か が 、 話 者 に 対 し て 、 あ る い は 話 者 を 含 め て 一般 の 人 々 に 対 し て 、 は ず か し さ を 感 じ さ せ る よ う な 場
合 に 、 こ れ を 使 う こ と が で き た よ う で あ る 。 こ の 点 で は 現 代 語 の ﹁は ず か し い ﹂ よ り 用 法 が 広 か った と い う こ と にな る 。
*﹁はづ かし く は ﹂ ﹁はづ かし け れ ども ﹂ と いう よ うな 言 い方 は、 話 者 以 外 の 心 理を 表 わ す 場 合 にも 用 いら れ た よ う であ る 。 ど の範 囲 に 用 いる こと が でき た のか、 ま だ 明 ら か にし え な い。
﹁そ れ ﹂ の 系 列 の 指 示 語 を 使 い そ う な 文 脈 に 、 ﹁あ れ ﹂ の 系 列 の も の を 用 い て い る 例 が 、 少 な
﹁あ れ は い か に ﹂ と 仰 せ け れ ば ⋮ ⋮ 。( 鹿谷 、 上 巻、 一二四頁)
(=藤 原 成 親 ) 気 色 か は り て 、 さ ッ と 立ゝ れ け る が 、 御 前 に 候 ひ け る 瓶 子 を 狩 衣 の 袖 に か け て 引
3 現 代 な ら ば く な い。 新大納言
倒され たりけるを、 法皇
入 道 相 国 の 北 の 方 、 二 位 殿 の 夢 に 見 給 ひ け る 事 こ そ お そ ろ し け れ 。 猛 火 の お び たゝ し く 燃 え た る 車 を 、 門
の 内 へ遣 り 入 れ た り 。 ( 中 略 ) 車 の ま へ に は 、 ﹁無 ﹂ と い ふ 文 字 ば か り 見 え た る 鉄 の 札 を ぞ 立 て た り け る 。
(1)
二 位 殿 夢 の 心 に 、 ﹁あ れ は いづ く よ り ぞ ﹂ と 御 尋 ね あ れ ば ⋮ ⋮ 。( 入 道 死 去、 上 巻 、 四 〇 八頁 )
( ﹃ 源 氏 物 語 ﹄ 賢木 )
( 逃 ゲ テ 行 ク 客 僧 ニ ヨ ビ カ ケ テ ) ﹁如 何 に 、 あ れ な る 客 僧 、 と ま れ と こ そ ﹂( 謡 曲 ﹁安達 原 ﹂)
﹂ ﹁あ︱
﹂ の系
( 朧 月 夜 尚 侍 ガ 畳 ウ 紙 ヲ 落 シ タ ノ ヲ 指 シ テ 、 右 大 臣 ) ﹁か れ は た れ が ぞ 、 気 色 異 な る 物 の さ ま か な 。 賜 へ﹂
清 水 功 氏 に よ れ ば 、 こ の用 法 は、 例 え ば、
(2)
な ど と 一連 のも の で あ り 、 こ のよ う に相 手 (及 び そ の勢 力 範 囲 内 のも の) を 指 す に ﹁か︱
列 の指 示 語 を 用 いる の は 、 上 代 に お け る、 現代 語 の指 示 語 の体 系 と は異 な る 指 示体 系 に由 来 し て いる と 考 え ら れ る。
4 副 詞 の類 に も 注 意 す べき こ と が 多 い が、 次 の よ う な ﹁は や﹂ ﹁や が て﹂ は お も し ろ い。 いず れ も ホ カ ナ ラ
や が て こ の 邦 綱 の先 祖 に 、 山 陰中 納 言 と いふ 人 お は し き 。(祇 園女御、上巻、四二〇頁)
余 所 に思 ひ て 候 へば 、 は や 成 経 が 身 のう へに て候 ひ け り 。( 少将乞請、上巻、 一六四頁)
ヌと 訳 す こと が でき る。
﹁す な は ち ﹂ ﹁あ や ま た ず ﹂ ﹁す で に﹂ ﹁は や ﹂ ﹁た だ ﹂ も 同 様 な 意 味 に用 いら れ て いる と こ ろ があ り 、 注 意 さ れ る。 接 続 詞 の類 に つ いて は 語 法 の条 に の べ る。
三 語 法
︹一︺ 亀 井 孝 氏 は、 近 代 日本 語 の古 代 日本 語 に対 す る 大 き な 特 色 と し て 、 論 理 的 な 明 晰 を 主 と す る 文 体 の確 立 を
あ げ て いる 。(﹃ 国語学﹄第 二二輯) 亀 井 氏 は 、 近 代 日 本 語 の誕 生 は 室 町 末 期 ご ろ と さ れ て いる が 、 今 、 ﹃平 家 物 語 ﹄
を 読 み、 ﹃源 氏 物 語 ﹄ や ﹃枕 草 子﹄ な ど の文 章 に比 べ る と 、 全 般 的 に 論 理的 な 関 係 が 種 々 の点 で 明 確 に 言 い表 わ
さ れ る よ う に な った 点 が 注 意 さ れ る 。 次 のよ う な 事 実 が そ れ で あ る が、 こ れ ら は いず れ も 漢 文 訓 読 のた め に発 生
した語法 である。 1 前 代 に な か った 、 例 え ば 現われ た。
﹁も し は ﹂ ﹁さ て は ﹂ ﹁な ら び に ﹂ の よ う な 、 名 詞 と 名 詞 と を 結 び 付 け る 接 続 詞 が
たゞ 北 面 の 下﨟 、 さ て は 金 行 と い ふ 御 力 者 ば か り ぞ 参 り け る 。( 法 皇 被流 、 上 巻 、 二六 二頁 )
健 児 童 も し は 格 勤 者 な ンど に て 召 使 は れ け る が ⋮ ⋮ 。( 俊 寛 沙汰 鵜 川 軍、 上巻 、 一二 六頁 )
いま 三 日 が う ち 、 御 悦 な ら び に 御 な げ き 。(鼬 之 沙汰 、 上 巻 、 二八 三 頁 )
﹁に お い て ﹂ ﹁に と っ て ﹂ ﹁を も っ て ﹂ ﹁に よ っ て ﹂ ﹁に し て ﹂ な ど の よ う な 、 名 詞 の 下 に つ け 、 下 の 動 詞 そ
2
我 十 善 の 戒 功 に よ ッ て 、 万 乗 の 宝 位 を た も つ 。( 二代 后 、 上巻 、 一〇 九 頁 )
此 事 天 下 に お い て こ と な る 勝 事 な れ ば 、 公 卿僉 議 あ り 。( 二代 后 、 上巻 、 一〇 八頁 )
の 他 に 対 す る 一定 の 関 係 を 表 わ す 語 句 が 多 く 用 い ら れ て い る 。 例 え ば 、
備 前 守 殿 、 今 夜 闇 討 に せ ら れ 給 ふ べ き 由 承 り 候 あ ひ だ 、 そ の な ら ん 様 を 見 む と て ⋮ ⋮ 。( 殿 上 闇 討、 上 巻 、 八
﹁様 ﹂ ﹁由 ﹂ ﹁次 第 ﹂ な ど 。
3 形 式 名 詞 で 新 し く 用 い ら れ は じ め た も の が 多 い。 ﹁間 ﹂ ﹁上 ﹂ ﹁趣 ﹂ ﹁事 ﹂ ﹁定 ﹂ ﹁条 ﹂ ﹁為 ﹂ ﹁所 ﹂ ﹁程 ﹂ ﹁旨 ﹂
五頁 )
其 恥 を た す け ん が 為 に 、 忠 盛 に 知 ら れ ず し て 偸 か に 参 候 の 条 、 力 及ば ざ る 次 第 な り 。( 殿 上 闇 討、 上 巻 、 八 七
か け て も 思 し 召 し 寄 り 仰 せ ら るゝ 旨 の あ れ ば こ そ 、 か う は 聞 ゆ ら め ⋮ 。( 清水 寺 炎 上 、 上巻 、 一一四頁 )
や が て 御 入 内 の 日 、 宣 下 せ ら れ け る う へは 、 力 及 ば せ 給 は ず 。( 二代 后 、 上巻 、 一〇 九 頁 )
﹁是 も 世 末 に な ッて 王 法 の 尽 き ぬ る 故 な り ﹂ と 仰 せ な り け れ ど も ⋮ ⋮ 。( 殿 下乗 合 、 上巻 、 一 一七 頁 )
頁)
︹二 ︺ し か し 、 ﹃平 家 物 語 ﹄ の 文 章 を 、 現 代 人 の 感 覚 で 読 む と 、 ま だ 論 理 的 に は 不 徹 底 で 、 明 快 で な い点 も 少 な
か ら ず 拾 え る 。 こ れ は ま だ 近 代 日本 語 への脱 皮 を 遂 げ て いな い部 面 と いう べき だ ろ う か 。 次 のよ う な 事 実 が そ れ である。
五 節 に は 、 ﹁白 薄 様 、 濃 染 地 の 紙 、 巻 上 の筆 、鞆 絵 書 いた る 筆 の軸 ﹂ な ん ど 、 さ ま〓
面白 き事を のみこ
1 セ ン テ ン ス の切 り 方 が 理 窟 に合 わ ぬ も の が か な り あ る 。 例 え ば 、 ﹁殿 上 闇 討 ﹂ ( 上巻、八六頁)に 、
そ歌 ひ舞 は るゝ に、 中 ご ろ 太 宰 権 帥 季 仲 卿 と い ふ人 あ り け り 。
其 人 いま だ 蔵 人 頭 な り し 時 、 五 節 に 舞 は れ け れ ば 、 そ れ も 拍 子 を か へて 、 ﹁あ な く ろ〓
、黒き 頭かな 。
と いう 文 章 が あ る が 、 こ こ で ﹁五 節ニ 面 白 イ コト ヲ歌 イ 舞 ウ コト ﹂ と ﹁季 仲 トイ ウ 人 物 ガ イ タ コト ﹂ と は 、 直
いか な る 人 の漆 塗 り け ん ﹂ とぞ は や さ れ け る 。
接 関 係 は な い。 そ れ を ﹁に ﹂ と いう 助 詞 で接 続 さ せ て いる が 、 こ の ﹁に ﹂ は あ と の方 の 、
﹁播 磨 米 は木 賊 か 、 椋 の 葉 か 、 人 の綺 羅 を み が く は ﹂ とぞ は や さ れ け る 。
に 続 き 、 さ ら にあ と の方 の 、
に も 続 く も の であ る 。 そ う す る と 、 ﹁季 仲 卿 と いふ 人 あ り け り ﹂ の次 の マ ル ( 句 点 ) は あ る いは テ ン ( 読点 )
と 考 え る べき か、 と も 思 わ れ る が 、 ﹁あ り け り﹂ と いう 言 い方 は セ ン テ ン ス の終 り に ふ さ わ し いし 、 ま た 、 こ
の マルを 一つだ け テ ンと し て み て も 、 次 々 に出 て く る マルを す べ て テ ンだ と 考 え る の は、 いか が か と 思 わ れ る 。
長 兵 衛 尉 信 連 は、 御 所 の 留 守 にぞ 置 か れ た る。 女 房 達 の少 々お は し け る を 、 か し こ こゝ へ ( 信 連 ハ︶ 立 ち
次 のよ う な 文 例 も 、 ﹁ 立 帰 り ても ⋮ ⋮ ﹂ の と こ ろ は 、 以 仁 王 の思 った こ と で 、 続 き ぐ あ い が論 理 的 で は な い。
これ は結 局 、 ﹁ 歌 ひ舞 は るゝ に﹂ の ﹁に﹂ の使 い方 が問 題 だ と しな け れ ばな ら な い。
忍 ば せ て 、 見 ぐ る し き 物 あ ら ば とり し たゝ め ん と て ( 信 連 ハ) 見 る 程 に、 宮 のさ し も 御 秘 蔵 有 り け る 小 枝
と き こ え し 御 笛 を 、只 今 し も 常 の御 所 の御 枕 に と り忘 れ さ せ 給 ひ た り け る ぞ 、 (以 仁 王 ハ) 立 帰 ッて も と
ら ま ほ し う おぼ し め す 、 信 連 これ を 見 つけ て ﹁あ な あ さ ま し 。 君 のさ し も 御 秘 蔵 あ る 御 笛 を ﹂ と 申 し て五
町 が う ち に お ッ つ い て 参 ら せ た り 。( 信連 、 上 巻 、 二 八五︲六 頁 )
に 宣 へど も 、 ( 仲 国 ハ) さ ま〓
召され
に こ し ら へて、 車 に と り載 せ
(小 督 ヲ 連 レ テ 来 イ ト イ ウ ノ ハ) こ れ 又綸 言 な れ ば 、 (仲 国 ハ) 雑 色 ・牛 ・車 き よ げ に 沙 汰 し て 、 嵯 峨 へ 行
(師 高 ハ) 討 た れ ぬ 。( 西 光 被斬 、 上 巻、 一五 六 頁 )
嫡 子 前 加 賀 守 師 高 、 尾 張 の 井 戸 田 へ流 さ れ た り け る を 、 (オ カ ミ ハ) 同 国 の 住 人 小 胡 麻 郡 司 維 季 に 仰 せ て
次 のよ う な も のは 非 論 理 的 と いう ほど で は な いが、 次 々と 変 る 主 語 が書 か れ て いな いこ と が 注 意 さ れ る 。
き 向 ひ 、 (小 督 ハ) 参 る ま じ き よ し や う〓
た て ま つり、 ( 小 督 ハ) 内 裏 へ参 り た り け れ ば 、 ( 帝 ハ小 督 ヲ ) 幽 か な る 所 に し の ば せ て 、 よ な〓 け る 程 に 、 ⋮ ⋮ 。(小督 、 上 巻、 四 〇 〇 頁 )
﹃平
2 セ ン テ ン ス が は っき り 切 れ て い る の か そ う で な い の か 、 は っき り し な い も の が 多 い 。 冨 倉 徳 次 郎 氏 は 、 一
般 に 終 止 法 を と った 形 を 中 止 法 に 用 い て い る も の を こ の 時 代 か ら 見 え る 用 法 と し て お ら れ る が 、 こ れ は
家 ﹄ に 多 い 。 次 の 有 名 な 一句 も 、 山 田 俊 雄 氏 が か つ て 指 摘 さ れ た よ う に 、 そ の 例 で あ る 。( ﹁日 本 文 法 講 座 ﹂巻 四、 二二 三頁 以 下 )
お ご れ る 人 も 久 し か ら ず 、 只 春 の夜 の夢 のご と し 。 猛 き 者 も 遂 に は 亡 び ぬ 、 偏 へに 風 の 前 の塵 に 同 じ 。 (祇 園 精 舎、 上 巻 、 八 三頁 )
こ の 終 止 法 の 形 は 、 時 に 二 つ重 な り 、 条 件 を 表 わ す 意 味 に な っ て い る も のも あ る 。 所 は 広 し 、 勢 は 少 し 、 ま ば ら に こ そ 見 え た り け れ 。( 御 輿 振、 上 巻 、 一三四頁 )
(ヲ )
そ の 後 太 刀 を 抜 い て た ゝ か ふ に 、 か た き は 大 勢 な り 、 く も で ・か く な は ・十 文 字 、 と ンば う 返 り ・水 車 、
顔 に と り お ほ ひ 、 ふ る ひ ゐ た れ ば 、 敵 は ま へを う ち 過 ぎ ぬ 。( 宮 御 最 期、 上 巻 、 三 一八 頁 )
そ の 中 に 宮 の 御 乳 母 子 、 六 条 大 夫 宗 信 、 敵 は つゞ く 、 馬 は よ は し 、 二 井 野 の 池 へ飛 ん で 入 り 、 浮 草
こ う い う 終 止 法 が ち が った 位 置 に 現 わ れ る と 、 佐 伯 梅 友 氏 の い わ ゆ る ハサ ミ コ ミ の 例 に な る 。
八 方 す か さ ず 斬 ッた り け り 。( 橋 合戦 、 上 巻 、 三 一〇 頁 )
3 接 続 詞 の 数 が ふ え て き て い る が 、 今 よ り も 一般 に 意 味 が 漠 然 と し て お り 、 厳 密 さ を 欠 く 。 ﹁例 へ ば ﹂ と い
﹃ 国 語 法 論攷 ﹄ で 注 意 さ れ た よ う に い ろ い ろ な 意 味 に 用 い ら れ て い る 。
ソ ノ 内 容 ヲ 具 体 的 ニイ ウ ト の 意 。 例 、 天 性 こ の お とゞ は 不 思 議 の 人 に て 、 未 来 の 事 を も か ね て さ と り 給
う 語 が 散 見 す る が 、 故 松 尾 捨 治 郎 氏 が (イ)
ひ け る に や 。 去 る 四 月 七 日 の 夢 に 、 見 給 ひ け る こ そ 不 思 議 な れ 。 た と へば 、 いづ く と も し ら ぬ 浜 路 を 遙 々 と あ ゆ み 行 き 給 ふ 程 に ⋮ ⋮ 。( 無 文、 上 巻 、 二 四五 頁 )
) ( ロ 手 ット リ 早 ク 言 エ バ の 意 。 例 、 義 仲 も 東 山 ・北 陸 両 道 を し た が へ て 、 今 一日 も 先 に 平 家 を 攻 め お と し 、 た と へ ば 、 日 本 国 ふ た り の 将 軍 と 言 は れ ば や 。( 廻 文、 上 巻 、 四 〇 三頁 )
) (ハ六 条 の 助 の大 夫 宗 信 、 唐 笠 も ッ て 御 供 つ か ま つる 。 鶴 丸 と い ふ 童 、 袋 に 物 入 れ て い たゞ い た り 。譬 へ ば 青 侍 の 女 を 迎 へ て ゆ く や う に 出 で た ゝせ 給 ひ て ⋮ ⋮ 。( 信連、 上 巻 、 二 八五 頁 )
﹁そ の よ う な 事 態 の 時 に ﹂ と いう 意
け れ ば 、 と か う 申 す に 及 ば ず 。( 吾身栄花、
﹁さ て ﹂ は 、 ﹁そ う い う ふ う で ﹂ と い う 意 味 を 多 分 に 残 し 、 ﹁し か る に ﹂ は 味 で 使 わ れ て いる 。 同 時 に 、 次 の よ う な 語 句 は 順 接 ・逆 接 の 両 様 に 用 い ら れ る 。 ば﹂
出 で き た り 。( 競 、上 巻 、 二 九 六頁 ) 3 順 接 ・逆 接 以 前 の 例 。 古 き 都 は 荒 れ ゆ け ば
(=荒 レ 行 キ 、 マ タ )、 い ま の 都 は 繁 昌 す 。( 月 見 、 上 巻、三 三
2 む し ろ 逆 接 の 例 。 ﹁よ も そ の 物 、 無 台 に 捕 へか ら め ら れ は せ じ 。 (下 略 )﹂ と 宣 ひ も は て ね ば 、 競 つ ッ と
上 巻 、九 三頁 )
1 順 接 の 例 。 入 道 相 国 の 御 娘 な る う へ 、 天 下 の 国 母 に て ま し〓
a ﹁︱
八頁 )
b も の ゆゑ
1 順 接 の例 。 幾 程 も 延 び ざ ら ん 物 ゆゑ に (=延 ビ ナ イ ダ ロウ カ ラ)、 こよ ひ ば か り は 都 のう ち に て 明 か さ ば や。( 阿古屋之松、上巻、 一八四頁)
2 逆 接 の 例 。 か な は ぬ 物 ゆ ゑ (=ド ウ セ ムダ ダ ロウ ガ )、 な ほ も たゞ 宰 相 の申 さ れ よ か し 。( 阿古 屋之松、上 巻、 一八三頁)
3 デ ア ル カ ラ ト 言 ッテ に 当 るも の。 つま り 、 部 分 的 に は 順 接 で あ る が 、 全 体 か ら 見 れ ば 逆 接 的 意 味 に な
るも の。 例 、 と て も 逃 れ ざ ら ん物 ゆ ゑ に、 年 来 住 み な れ た る 所 を 人 に 見 せ ん も 恥 がま し か る べ し 。( 行隆 之沙汰、上巻、二五九頁)
4 動 詞 のテ ン ス の別 も かな り は っき り し て いる が 、 次 のよ う な 、 事 件 を 次 々と 述 べた 文 で は、 非 過 去 態 が 用 いら れ る こ と が 多 い。
後 二 条 関 白 殿 、 大 和 源 氏 中 務 権 少 輔 頼 春 に仰 せ て防 か せ ら る。 頼 春 が郎 党 箭 を はな つ。 矢 庭 に 射 殺 さ る ゝ
者 八 人 、 疵 を 蒙 る 者 十 余 人 、 社 司 諸 司 四 方 へ散 り ぬ。 山 門 の上 綱 等 、 子 細 を 奏 聞 の為 に 下洛 す と き こ え し
かば 、 武 士 検 非 違 使 、 西 坂 本 に馳 せ 向 ッて、 皆 追 ッか へす 。( 願立、上巻、 一三〇頁)
ま た 否 定 態 で は、 現 在 な ら ば 過 去 態 を 用 い そう な 場 合 に 、 非 過 去 態 を 用 いて いる 例 が し ば し ば 散 見 す る。 松
下 大 三 郎 氏 の いわ ゆ る ﹁日本 人 は 否 定 を 不 変 的 に考 え る癖 が あ る﹂(﹃ 改撰標準 日本文法﹄四 一八頁) の 一例 で あ る。
福 原 の御 使 、 や が て今 夜 鳥 羽 ま で 出 でさ せ 給 ふ べ き よ し 申 し け れ ば 、 ﹁幾 程 も 延 び ざ ら む 物 ゆ ゑ に、 こ よ
ひば か り は 都 のう ち に て 明 か さ ば や ﹂ と 宣 へど も 、 頻 に 申 せば 、 其 夜 鳥 羽 へ出 で ら れ け る。 宰 相 あ ま り に 恨 め し さ に、 今 度 は 乗 り も 具 し 給 は ず 。( 阿古屋之松、上巻、 一八四頁)
︹三 ︺ 引 用 を め ぐ って は 問 題 が 多 い。 いず れ も 現在 か ら 見 れ ば 、 非 論 理 的 に 見え る 言 い方 であ る。
1 は じ め 直 接 話法 的 な い い方 で は じ ま って、 後 に間 接 話 法 的 な い い方 にな る も の があ る 。 次 の殿 上 人 や宮 人
の言 葉 は 、 始 め の" ﹁〟は 付 け る こと が で き る が、 終 り の" ﹂〟は ち ょ っと 付 け が た い。
殿 上 人 一同 に申 さ れ け る は、 ﹁そ れ 雄 剣 を 帯 し て 公 宴 に 列 し 、 兵仗 を 給 は り て、 宮 中 を 出 入 す る は、 み な
訴 へ申 さ れ け れ ば 、 ⋮ ⋮ 。( 殿上闇討、上巻、八七頁)
格 式 の礼 を ま も る 。綸 命 よ し あ る 先 規 な り 。 ( 中 略) 事 既 に 重 畳 せ り 、 罪 科 尤 も 逃 れ が た し 。 早 く 御 札 を 削 ッて、闕 官 停 任 ぜ ら る べき ﹂ 由 、 お の〓
宮 人 答 へけ る は 、 ﹁是 は よ な 、 娑竭 羅 竜 王 の第 三 の姫 宮 、 胎 蔵 界 の垂 跡也 ﹂。 此 嶋 に御 影 向 あ りし 初 よ り 、
済 度 利 生 の今 に 至 る ま で、 甚 深 の奇 特 の事 ど も を ぞ 語 り け る 。( 卒都婆流、上巻、二〇三頁)
2 は じ め 間 接 話 法 的 な い い方 で は じ ま って 、 後 に直 接 話 法 的 な い い方 に な る も のも あ る。 次 の ﹁競 は も と よ
り ⋮ ⋮ ﹂ の 文 は 、 上 か ら 読 ん でく る と 、 地 の文 のよ う であ る が、 ﹁射 こ ろさ れ な ん ず ﹂ あ た り ま で読 ん で く る
又 其 夜 六 波 羅 の南 に あ た ッて 、 人 な ら ば 二 三 十 人 が 声 し て 、 ﹁ う れ し や 水 、 鳴 る は 滝 の 水 ﹂ と い ふ拍 子 を
ん ず 。 音 な せ そ ﹂ と て、 向 ふ 物 こ そな か り け れ 。( 競、上巻、二九五頁)
た る 強 弓 精 兵、 矢 継 ぎば や の手 き ゝ、 大ぢ か ら の剛 の物 、 ﹁廿 四 さ いた る 矢 で まづ 廿 四 人 は 射 こ ろ さ れ な
﹁す は、 き や つを 手 延 べ に し て、 た ば か ら れ ぬ る は 。 追 ッか け て討 て ﹂ と 宣 へど も 、 競 は も と よ り す ぐ れ
と、 ど う や ら 宗 盛 の手 のも の た ち の こ と ば で あ った よ う に思 わ れ てく る 。
出 し て 舞 ひ 踊 り 、 ど ッと 笑 ふ 声 し け り 。 ( 中 略 )是 は い か さ ま に も 天 狗 の 所 為 と い ふ 沙 汰 に て、 平 家 の侍
のな か に 、 は や りを の若 も のど も 百 余 人 、 笑 ふ声 に つ いて 尋 ね 行 い て見 れ ば 、 ⋮ ⋮ 。( 築嶋、上巻、四 一一頁)
3 相 手 が ち が う 会 話を ひと つな ぎ に引 用 し た も のが あ る 。 た と え ば 次 の宗 盛 の こ と ば は、 ﹁斬 った り け る か ﹂
事 の 子細 を 尋 ね と
前 右 大 将 宗 盛 卿 大 床 に立 ッて 、 信 連 を 大 庭 に ひ ッ据 ゑ さ せ 、 ﹁ま こと にわ 男 は 、 ﹃宣 旨 と は 何 ぞ﹄ と て斬 ッ
あ た り は 信 連 に 対 し て 言 って いる が、 ﹁か う べを は ね 候 へ﹂ のあ た り は 、 清 盛 への こ と ば にな って いる 。
た り け る か 。 多 く の庁 の 下部 を 刃 傷 殺 害 し た んな り 。 詮 ず る と こ ろ 、 糺 問 し て よ く〓
ひ、 其 後 河 原 に ひ き 出 いて 、 か う べを は ね 候 へ﹂ とぞ 宣 ひ け る 。( 信連、上巻、二八八頁)
4 天皇 ・上 皇 な ど の こ と ば の中 に は いわ ゆ る ﹁自 敬 表 現 ﹂ が 見 ら れ る こ と が あ る 。 例 え ば 、
( 後 白 河 法 皇 ) ﹁いか さ ま に も 、 今 夜 失 は れ な ん ず と お ぼ し め すぞ 。 御 行 水 を 召 さ ば や と お ぼ し め す は い かゞ せ ん ず る﹂ ( 法皇被流、上巻、二六二頁)
宮 な の め な らず 御 感 あ ッて 、 ﹁わ れ 死 な ば 、 此 笛 を ば 御 棺 に 入 れ よ ﹂ とぞ 仰 せ け る 。 ﹁や が て御 と も に 候 へ﹂ と 仰 せ け れ ば 、 ⋮ ⋮ 。( 信連、上巻、二八六頁)
これ は、 法 皇 な り 以 仁 王 の 言 わ れ た で あ ろ う 言 葉 を そ のま ま 受 け 継 い で い る と は 思 わ れ な い。 早 く 、 三 矢 重 松
氏 が 注 意 さ れ た よ う に 、 平 曲 を 語 る人 が 、 語 りな が ら 、 恐 れ 多 い気 持 で 、 つ い直 接 話 法 で あ る こ と に 注 意 が は た ら かな く な った こ と に 起 因す る の に ち が いな い。
例 が拾われて いる。
*この種 の表現に ついては、 ﹃ 名大文学部研究論集﹄X ︹ 文学 4︺所載 の尾 崎知 光氏の ﹁所謂自敬表現 について﹂に多く の用
5 引 用 と は 少 し ち がう が、 係 結 び ま た は は じ め に陳 述 の副 詞 を も つも の が 、 後 に ﹁な れ ば ﹂ ﹁な れ ど も ﹂ の
こ の盃 を ば まづ 少 将 に こ そ 取 ら せ た け れ ど も 、 親 よ り 先 に は よ も 飲 み 給 は じ な れ ば 、 重 盛 まづ 取 り 上 げ て
八頁)
父 子 の御 あ ひだ に は 何 事 の御 へだ て か あ る べき な れ ど も 、 思 の ほ か の事 ど も あ り け り 。( 二代 后、上巻、 一〇
よう な 語句 を 伴 って文 中 に現 わ れ る 例 があ る 。 例 え ば 、
少 将 にさゝ ん 。( 無文、上巻、 二四七頁)
こ の 場合 の ﹁な り ﹂ は 、 独 立 し た セ ン テ ンス を 従 属 的 に主 文 章 に 結 び つけ る 機 能 を も つも の で 、 引 用 に 用 い る ﹁と ﹂ に通 う 役 割 を も った も の と 言 え よ う 。 ︹四 ︺ 用 言 ・助 辞 に つ い て
これ ら に つ いて は 、 山 田 氏 の ﹃平 家 物 語 の語 法 ﹄ 以 来 諸 家 の詳 密 を き わ め た 研 究 があ る 。 主 な 点 だ け あ げ る 。
1 そ れ ま で の 終 止 形 が 使 わ れ な く な り 、 連 体 形 が と って 代 る 傾 向 が 顕 著 に な った 。 例 え ば 、 あ な お そ ろ し 。 是 は ま こ と の 鬼 と お ぼ ゆ る 。(祇 園 女 御、 上 巻 、 四 一七頁 )
御 遊 も い ま だ 終 ら ざ る に 、偸 か に 罷 り 出 で ら る ゝと て 、 ⋮ ⋮ 。( 殿 上 闇 討、 上 巻 、 八 六頁 )
こ の 現 象 は 、 二 段 活 用 動 詞 の よ う な 、 文 字 に 書 い た 場 合 終 止 形 と 連 体 形 の 形 が 明 ら か に 異 な る も の 以 外 の も の 、
つ ま り 字 面 で は 終 止 形 と 連 体 形 の 区 別 の つ か な い 四 段 活 用 、 一段 活 用 の 動 詞 に お い て も 並 行 的 な 現 象 が あ った ろ う 。
2 動 詞 の 連 用 形 を 名 詞 化 す る こ と が 現 代 に 比 べ て も っと 自 由 で あ っ た 。 い わ ゆ る 助 動 詞 が つ い た も の の 連 用
形 も 名 詞 化 す る こ と が あ った 。 ﹁そ れ に 成 経 し ば ら く あづ か ら う ど 申 す を 御 許 さ れ な き は ⋮ ⋮ 。﹂ ( 少将乞請、上 巻 、 一六 七 頁 ) の例 な ど は そ れ で あ る 。 章 段 名 の ﹁西 光 被 斬 ﹂ も そ う で あ る 。
﹁や
﹁ま ゐ ら さ
﹁ず ﹂ で 打 消 さ れ る ) (祇王、 上 巻 、 九六 頁 )
﹁べ き ﹂ へ続 く ) (祇王、 上 巻 、 九 五頁 )
3 動 詞 +助 動 詞 の形 や 、 複 合 動 詞 の 用 法 に次 の よ う な 例 が 見 え る 。 な ん で ふ名 に よ り 、 文 字 に は よ る べき 。 ( 上 の ﹁よ り ﹂ も た と ひ 舞 を 御 覧 じ 、 歌 を 聞 し め さ ず と も 。 (﹁御 覧 じ ﹂ も
他 生曠 劫 を へだ つ と も 、 い か で か 御 声 を も 聞 き 、 御 姿 を も 見 参 ら さ せ 給 ふ べ き 。 ( ﹁聞 き ﹂ も せ ﹂ へ続 く ) ( 僧 都 死 去 、上 巻 、 二 三九 頁 )
助 動 詞 の 独 立 性 が 今 よ り 強 く 、 複 合 動 詞 が 二 語 の よ う に 意 識 さ れ て い た こ と を 示 す も の で あ ろ う 。
*こ の項 、雑 誌 ﹃ 日 本 文学 論 究 ﹄第 十冊 所 載 の吉 沢 典 男氏 の ﹁複 合動 詞 に つ いて﹂ を 参 照 。
4 戦 記 物 の 特 徴 と し て 有 名 な 、 受 動 態 の 表 現 が 予 想 さ れ る と こ ろ に 使 役 態 の 表 現 を し た も の が 多 い 。
子 息 河 野 四 郎 通 信 は 、 父 が 討 た れ け る 時 、 ( 中 略 ) そ れ へ越 え て 有 り あ は ず 。 河 野 通 信 父 を 討 た せ て
す か ら ぬ も の な り 。 い か に し て も 西 寂 を 打 ち と ら ん ﹂ と ぞ う かゞ ひ け る 。( 飛 脚 到 来、 上 巻 、 四 〇五︲六頁 )
三 位 入 道 七 十 に あ ま ッ て いく さ し て 、 弓 手 の 膝 口 を 射 さ せ 、 い た で な れ ば ⋮ ⋮ 。( 宮 御最 期 、 上 巻、 三 一五 頁 )
﹁馬 に 乗 っ て ⋮ ⋮ す る ﹂ の 意 の も の が あ る 。 例 え ば 、
( あ る い は 殺 し た )﹂ と 同 趣 の も の と 考 え る 。 こ れ と は 少 し 内 容 が ち が
こ の 解 釈 は い ろ い ろ 試 み ら れ て い る が 、 ﹁( う っか り し て ) 心 な ら ず も ⋮ ⋮ の 結 果 を ひ き 起 こ す ﹂ の 意 味 で あ ろ う 。 今 日 の ﹁子 供 を チ フ ス で 死 な せ た う が、 や は り 使 役 態 あ る いは 他 動 詞 の用 法 と し て
﹁打 入 る
(下 二 )﹂ と い う 語 を 同 じ よ う に
﹁馬 で 川 に 入 る ﹂ の 意 に 用
い ま は 川 を 渡 す べ き で 候 ふ が 、 を り ふ し 五 月 雨 の こ ろ で 、 水 ま さ ッ て 候 ふ 。( 橋合 戦 、 上巻 、 三 一一頁) は こ の例 で あ る 。 下 巻 の宇 治 川 先 陣 に は い て い る 。
﹁と ﹂ は 、 文 節 の は じ め に 用 い た と 見 ら れ る 例
( 上巻 、 二〇 二頁
5 今 普 通 の 助 詞 の 類 で あ る も の に も 当 時 は ま だ 自 立 語 的 だ っ た も の が あ る 。 ﹁申 す は か り な し ﹂ の ﹁は か り ﹂ に は 連 濁 を 起 こ し て いな い こ と 、 引 用 を 表 わ す 注三)があ る こ と、 な ど 、 こ れ であ る。
が 上 の語 句 に 密 接 に接 続 し て いる場 合 もあ る 。
*も っとも ﹁当家 を 滅 ぼさ うど す る﹂ のよう に助 動 詞 ﹁ う ﹂ の次 では ﹁と ﹂ は連 濁 し て お り、 これ から 見 る と 、 今 よ り も ﹁ と﹂
﹁は ﹂ は 意 味 を 強 め 、 陳 述 を は っき り さ せ る 助 詞 と し て 用 い ら れ て い る こ と が 今 日
6 係 助 詞 の ﹁こ そ ﹂ ﹁ぞ ﹂ は そ の も の を 取 り 出 し て 強 め る と い う よ り も 、 単 に 文 尾 の と め に 変 化 を 与 え る 助 詞 に転 じ か け て いる 。 ま た よ り 多 い。 子 孫 の 官 途 も 竜 の 雲 に 昇 る よ り は 猶 す み や か な り 。(鱸 、 上 巻 、 九 〇頁 )
義 家 が 武 衡 ・家 衡 を せ め た り し も 、 勧 賞 お こ な は れ し 事 、 受 領 に は 過 ぎ ざ り き 。( 殿 下 乗 合 、 上 巻、 一 一六︲ 七 頁)
︵→ ヲ バ シ モ )、 ヤ ラ ン (→ ニ ヤ ア ラ ン )、 ゴ サ ン ナ レ
(→ ニ コ ソ ア ル ナ レ )、 ウ
﹃ 枕 ﹄ にな く 、 ﹃ 平 家 ﹄ に 現 わ れ るも のが 相 当 数 見 ら れ る 。 代 表 的 な も
右 の よ う な の は そ の 例 で あ る が 、 巻 一補 注 五 の ﹁は ﹂ の 用 法 も 、 右 の 用 法 と 関 係 が あ ろ う 。
(→ ニ テ )、 バ シ
7 助 詞 ・助 動 詞 の 類 で は 、 ﹃源 氏 ﹄ や のには、 デ
( →ン )、 ウ ズ ( →ン ズ )、タ
( →タ ル)、 テ ン ゲ リ (→ テ ケ リ ) があ る。 ま た 、 浜 田 敦 氏 が 注 意 し て いる よ う に 、
こ の時 代 に は 、 中 古 に さ か え て いた 助 動 詞 が 、 次 々に 話 し こ と ば か ら 失 わ れ て ゆ く 傾 向 、 ま た 全 く 失 わ れ な い
に し ても 、 大 部 分 の 活 用 が欠 け て 、 助 詞 化 し て ゆ く 傾 向 が 現 わ れ て いる 。( ﹃日 本文法講座﹄巻三、二 一三頁) ︹五 ︺ 待 遇 表 現 も 山 田 孝 雄 氏 の 著 書 以 下 に 詳 し いが 、 主 な 点 を 述べ る と 、
1 敬 譲 の意 味 を 表 わ す 場 合 に 、 前 代 に は 、 助 動 詞 ・補 助 動 詞 ﹁給 ふ ﹂ ﹁奉 る ﹂ ﹁侍 り﹂ を 添 え る の が普 通 で あ
った の に 対 し 、 ﹃平 家 物 語 ﹄ で は、 接 頭 語 の ﹁お ﹂ ﹁お ん﹂ ﹁御 ﹂ な ど と、 ﹁あ り ﹂ ﹁な る ﹂ ﹁な す ﹂ のよ う な 補 助
動 詞 と で 名 詞 や 動 詞 の連 用 形 を は さ む 言 いま わ し が 盛 ん に な った こ と が大 き な 特 色 であ る 。 ﹁御 幸 な る ﹂ ﹁御 文
あ り ﹂ ﹁御 寝 な し 奉 る﹂ な ど が こ の例 であ る 。 ま た こ れ に関 連 し て、 ﹁な し ﹂ も 補 助 形 容 詞 と し て 用 いら れ は じ めた。
2 一般 の形 容 詞 の敬 譲 表 現 は 、 ま だ 現 わ れ な い。 次 のよ う な 例 は 、 山 田 氏 が 指 摘 し た よ う に 、 名 詞 + 形 容 詞
の形 の も の の、 こ こ で は ﹁心 ﹂ と いう 名 詞 の上 に ﹁御 ﹂ が つ いて いる も のと 見 ら れ る 。
法皇 ( 中 略) 世 の 政 も 物 う く 思 し 召 さ れ て 、 御 心 よ から ぬ こと に て ぞ あ り け る 。( 赦文、上巻、 二〇九頁)
次 の よう な も の は 、 ﹁御 ﹂ が 形 容 詞 に つ いて いる と は いう も の の、 形 容 詞 の前 半 が 名 詞 で あ る 点 注 意 さ れ る 。
太 政 入 道 も ( 中 略) 君 を も 御 う し ろ め た き 事 に 思 ひ奉 ッて ⋮ ⋮ 。( 赦文、上巻、二〇九頁)
︹六 ︺ ﹃源 氏 物 語 ﹄ や ﹃枕 草 子﹄ に な く 、 ﹃ 平 家 物 語 ﹄ の文 章 に 見 ら れ る 大 き な 特 色 の 一つは、 文 体 の ち が いの発
生 で あ る 。 す な わ ち ﹃平 家 ﹄ の 文 章 に は 、 (イ) 文 末 に ﹁候 ふ ﹂ を 含 む も の、 ) (ロ﹁候 ふ﹂ を 含 ま な いも の、 と いう
二種 の区 別 が 見 ら れ る 。 こ のう ち 、 前 者 は 会 話 の部 分 の み に 現 わ れ 、 後 者 は 地 の 文 と 会 話 の 文 の両 方 に 現 わ れ る 。
﹃平 家 ﹄ の原 文 に は、 会 話 の部 分 を 示 す ﹁ ﹂ の引 用 符 は な いが 、 (a) 会 話 の部 分 と 地 の文 と の区 別 、 (b) 二 人 の 対
話 の境 目 を 示 す こ と も で き た に ち が いな い。 な お、 ﹁候 ふ ﹂ に つ いて は 、 冨倉 徳 次 郎 氏 の指 摘 さ れ た よ う に、 男
は ﹁さ う ら ふ﹂ と い い、 女 は ﹁さ ぶ ら ふ﹂ と い った よう であ り 、 平 曲 で は 今 でも そ の区 別 を や か ま し く 守 って い
る 。 前 代 の人 は
﹁に ﹂ と 融 合 し て ﹁ざ う ら ふ ﹂ と な る 場
﹃平 家 ﹄ を 読 み な が ら 、 ど っち が 使 わ れ て い る か に よ っ て 、 男 の こ と ば と 女 の こ と ば の ち が いを
生 き 生 き と 感 じ 分 け た こ と で あ ろ う 。 男 の ﹁さ う ら ふ ﹂ は 、 直 前 の 助 詞
合 や 、 あ る い は 、 略 し て 、 ﹁さ う ﹂ と 言 う こ と も あ った 。 ﹁さ う ﹂ は 、 平 清 盛 や 西 光 ・佐 々 木 高 綱 ・平 盛 嗣 な ど の 言 葉 に 用 いら れ て いる が、 無 作 法 な 語 感 を 伴 って い た ろ う 。
﹁荒 海 や ﹂ の 句 の 文 法︱
伊 吹 一氏 の見解 に対 して︱
昨年 ( 昭和三十九 年)十 二 月 号 の ﹃文 藝 春 秋 ﹄ に ﹁日 本 語 は 乱 れ て いな い﹂ と いう 一文 を 寄 せ た と こ ろ 、 本 誌
( ﹃日本語﹄) の 一月 号 で 伊 吹 一氏 か ら て いね いな 御 批 評 を いた だ いた 。 お 騒 が せ し た こと 、 申 し わ けな い。
伊 吹 氏 は 、 は じ め に 私 の趣 旨 を 詳 しく 紹 介 さ れ た が、 こ のあ た り、 私 の言 いた いこ とを 実 に よく 理 解 し て 引 い
て い てく だ さ って、 ま こ と に嬉 し い。 こと に 、 私 の 言 う 趣 旨 は ﹁や た ら に〝 今 の若 い者 は ⋮ ⋮〟 と か、〝俺 の若
い時 に は ⋮ ⋮〟 と い った 高 ぶ った 気 持 か ら 見 る こと を や め ﹂ よ う と いう こと だ 、 と いう あ た り、 正 に私 の 言 お う
と いう よ り も 、 正 反 対 に 近 いお考 え のよ う で残 念 で あ る。 一筆 書 か せ て いた
と し た こ と に ぴ った り で、 思 わ ず 拍 手 し た く な る気 持 で読 ん だ 。 し か し 、 そ のあ と の方 を 読 ん で み る と、 私 の書 いた こ と に 賛 成 で は な いよ う で︱ だ く ゆ え ん であ る 。
一
伊 吹 氏 のも のを 読 む と、 第 一に、 私 が現 代 語 と 比 較 す る 代 表 と し て、 平 安 朝 時 代 と 江 戸 時 代 を え ら ん だ と いう
論 拠 が 曖 昧 だ とあ る 。 こ れ は 、 そう いえ ば そう か も し れ な いが、 し か し 、 何 時 代 が 安 定 し て いた と いう 発 言 がな
いの だ か ら し か た がな いで は な いか 。 私 は ﹁現 代 語 は 乱 れ て いる ﹂ と いう 論 者 の論 を 読 む た び に 、 そ れ では 、 一
体 ど の時 代 を 安 定 し た 時 代 と 考 え て お ら れ る のだ ろ う か と 疑 って き た 。 た ま た ま 八 木 義 徳 氏 のも のを 読 む に及 び 、
平 安 朝 時 代 と 江 戸 時 代 と 明 治 時 代 を あ げ て お ら れ る の で、 こ れ は し め た と ば か り さ っそく こ の時 代 を ま な いた に
の せ た の であ る 。 も し 、 鎌 倉 時 代 と か 室 町 時 代 と か が 安 定 し た 時 代 だ と いう 発 言 が あ れ ば 、 喜 ん で そ の時 代 を 現
代 と 対 照 し た であ ろ う 。 私 は 、 文 献 が あ る 一定 数 以 上 あ る 時 代 な ら ば 、 ど のよ う な 時 代 で も 現 代 と 同 じ よ う に 乱
れ て いた 時 代 であ る こ とを 証 明 で き そ う に 思う 。 こ の意 味 で今 度 の伊 吹 氏 の論 考 が 、 何 時 代 と 、 安 定 し て いた 時
代 を 指 定 し て お ら れ な い のを も の 足 り な く 思 う 。 ﹃ 中 華 若 木 詩 抄 ﹄ の例 を あ げ て お ら れ る が、 し か し 氏 は こ の 文
献 の出 来 た 時 代 を 、 現 代 以 上 に安 定 し た 時 代 と 論 じ て お ら れ る ので も な いよ う に受 け 取 れ る。
伊 吹 氏 の書 かれ た も のを 読 む と 、 過 去 の何 時 代 が今 と 比 較 し て 乱 れ て いな か った と いう こ と を 言 いた い の で は
な いよ う だ 。 そ う で は な く て 、 いや し く も 、 今 の ﹁日本 語 は 乱 れ て いな い﹂ と いう こ と を 口 に す る こ と 、 そ れ 自
体 が不 穏 当 だ と 言 お う と し て お ら れ る よ う であ る 。 ﹁論 法 そ のも の が 致 命 傷 であ る ﹂ と いう あ た り 、 そ う いう 趣 旨 であ ろう 。
語 政 策 が根 本 か ら ま ち が って いた か の よ う な 印 象 を 与 え て いる 。 私 は こ こ に 文 句 を つけ た い。
し か し、 私 に言 わ せ る と 、 今 あ ま り に ﹁乱 れ て いる ﹂ と いう 声 が高 す ぎ る 。 そ れ も 高 す ぎ て、 何 か 終 戦 後 の国
私 の苗 字 は こ の ご ろ 今 ま で と ち が った ア ク セ ント で呼 ば れ る よ う に な った。 これ は 私 にと って 不 愉 快 だ 。 こ
い つか作 家 の大 岡 昇 平 氏 が新 聞 紙 上 で こ う いう 趣 旨 の こ と を 言 って お ら れ た 。
れ は 現 代 仮 名 遣 い のせ いに ち が いな い。
私 は こ の文 章 を 書 か れ た 大 岡 氏 の気 持 は よ く わ か る 。 ア ク セ ント を ち が って呼 ば れ る の は た し か に 不 快 であ ろ
う 。 ま た 、 現代 仮 名 遣 いが 、 ﹁お ほを か ﹂ か ら ﹁お お お か ﹂ に変 わ った のも 不 快 で あ ろ う 。 十 分 そ れ は お 察 し す
る 。 ﹁大 ﹂ の仮 名 遣 いを ﹁お お ﹂ にし た の は、 現 代 仮 名 遣 い の 制 定 上 失 敗 の 一つ であ った 。 し か し 、 そ の こと と
ア ク セ ント の変 化 の間 に は 断 じ て 因 果 関 係 は な い。 ﹁大 ﹂ の つく こ と ば の ア ク セ ント が そ れ に よ って ガ タ ガ タ 変
わ った と いう 事 実 は な い。 オ ー オ カ か ら オ ー オ カ に変 わ った と いわ れ た のか 、 オ ー オ カ か らオ ー オ カ に 変 わ った
と いわ れ た のか、 ど っち か 覚 え て いな い の で申 し わ け な いが、 ど っち に し ても ﹁大 岡 ﹂ と いう 苗 字 は 両 様 の ア ク
セ ント を も ち う る 苗 字 で あ る 。 つま り 、 あ の投 書 は 以 前 に は 聞 か れ な か った ア ク セ ント を 大 岡 氏 が 耳 にす る よ う
にな った こ と を 意 味 す る にす ぎ な い。 こう いう こ と を 現 代 仮 名 遣 い に結 び 付 け て 論 ず る こ と は 穏 当 で は な い。
ら れ た が、 こ のあ た り は 、 私 の言 う こ と を 全 然 わ か って く だ さ って いな い。 こ れ は 、 ﹃古 事 記 ﹄ の よ う な 用 法 が
な お、伊 吹氏は ﹃ 古 事 記 ﹄ の ﹁え 進 みき ﹂ を さ し て ﹁え ﹂ の用 法 が古 く か ら 乱 れ っぱ な し だ と 言う か と つめ よ
った であ ろう 。 ま た 、 古 事 記 時 代 の人 が 将 来 を 予 想 し て、 将 来 こ の こ と ば は 打 消 し だ け に し か 使 わ れ な く な る だ
平 安 朝 以 後 使 用 範 囲 が 狭 ま った の であ る。 こ のよ う な 場 合 に は 、 平 安 朝 時 代 の人 は こと ば が 乱 れ た と は 感 じ な か
ろう 、 今 こ の こと ば は 乱 れ て いる と は 夢 に も 考 え な か った に ち が いな い。 私 は そ のよ う な 例 を あ げ て 、 ﹃古 事 記 ﹄ 時 代 の 日本 語 を 乱 れ て いた と 論 じ る 気 持 は な い。
二
と ころ で伊 吹 氏 は、 さ ら に進 ん で私 が芭 蕉 の俳 句 を 文 法 上 ち が って いる と 評 し た こ と を 難 じ て お ら れ る。 特 に 詳 し く 述 べて お ら れ る のは 、 有 名 な 、 荒 海 や佐 渡 に横 た ふ 天 の 川
の句 であ る。 伊 吹 氏 は こ の解 釈 と し て拙 父 の説 を 引 か れ 、 ﹁横 た ふ﹂ は 他 動 詞 を 自 動 詞 に 転 用 し た も の で反 射 動
詞 の用 法 であ る と し 、 ﹁横 た は る ﹂ と し た の で は 、 ﹁横 た ふ﹂ と し た 場 合 に感 じ ら れ る 豪 宕 ・雄 大 の趣 が出 な いは ず だと述 べられた。
私 は こ こ で 伊 吹 氏 に 、 拙 父 の説 を 卓 見 と ま で た た え てく だ さ った こ と を 感 謝す べき で あ ろ う か。 し か し 、 私 個
人 と し て は実 は あ り が た く な い。 拙 父 の説 は 私 も す で に読 み 、 ま た 何 度 か 聞 か さ れ て いる が 、 私 に は ほ ん の思 い
付 き のよ う に 思 わ れ る 。 そ の 理 由 を 申 し 述 べ る前 に 一つ伊 吹 氏 にた だ し て お き た い。
あ な た は 、 こ の場 合 ﹁横 た ふ ﹂ と いう 動 詞 は、 ( イ) 何 活 用 に 属 す る 動 詞 で、 ) ( ロ こ の活 用 形 は 何 形 と 判 定 さ れ ます か 。
高 校 の 生 徒 に対 す る 設 問 の よ う で 恐縮 であ る が 、 私 の期 待 し て いる 模 範 解 答 は 、 (イ) 四 段 活 用 動 詞 の ) (ロ 連 体 形、
何 々や
で あ る。 と いう わ け は 、 こう で す 。 ま ず 、 俳 句 で 上 五 句 が 、
と き た 場 合 、 中 の 七 句 の次 で 切 れ る例 は ま ず な いと 考 え る のが 常 識 だ と 思う が ど う で あ ろ う か。 も し あ った ら 、
さ み だ れ や色 紙 へぎ た る 壁 のあ と
衰 へや 歯 にく ひ あ て し 海 苔 の砂
そ れ は腰 折 れ 句 で あ って、 芭 蕉 の句 に は そ のよ う な も の は な いと 思 う 。
な ど 、 み な 中 七字 は 連 体 法 で あ る 。 と す る と 、 次 の句 の中 七 字 も そ う にち が いな い。 古 池 や 蛙 飛 込 む 水 の音 し づ け さ や 岩 にし み 入 る せ み の声
同 様 に し て ﹁荒 海 や ﹂ の ﹁横 た ふ ﹂ も 、 当 然 連 体 形 と す べき で は な いか 。 終 止 形 で はな いと 思 う 。 ﹁横 た ふ﹂
を 連 体 形 と す る と 、 こ の ﹁横 た ふ﹂ は 四 段 活 用 で な け れ ば な ら な い。 上 下 二段 活 用 な ら ば 、 ﹁横 た ふ る﹂ と な る
は ず だ か ら 。 つま り 、 こ こ は ﹁横 た ふ ﹂ と いう 四 段 活 用 の動 詞 を 使 った も のと 解 す る 。
そ う 私 が言 う と 、 ﹁ 横 た ふ﹂ と いう 四段 活 用 の動 詞 は な いと 言 わ れ る であ ろ う か。 も ち ろ ん 平 安 朝 の国 語 に は
そ う いう 動 詞 は な い。 近 世 初 期 に新 し く 出 来 た のだ と 思 う 。 そ れ が でき る事 情 は 次 のよ う だ った であ ろ う 。
元 来 、 日本 語 の動 詞 に は 、 同 根 の自 動 詞 と 他 動 詞 と の間 には 次 のよ う な 型 の対 立 が あ る (連 体 形 を 掲 げ る 。 ま た( C) 以 下 の種 類 の型 も あ る が こ こ に は 省 く )。
(A)
自 動 詞 は︲u (四 段 )、 他 動 詞 は︲uru( 下 二段 )
例 、 立 つ︱ 立 つ る 、 や む︱ や む る 、 浮 か ぶ︱ 浮 か ぶ る 、 進 む︱ 進 む る 、 並 ぶ︱ 並 ぶ る 、 届 く︱ 届 く る 、 結 ぶ ︱ 結 ぶ る 、 弛 む︱ 弛 む る 、 傾 く︱ 傾 く る 、 し り ぞ く︱ し り ぞ く る ⋮ ⋮ 。 これ ら は 、 自 動 詞 が も と で、 他 動 詞 は 派 生 し て出 来 た も の と 思 わ れ る 。 (B) 他 動 詞 は (A ) と 同 じ く︲uru(下 二 段 )、 た だ し 、 自 動 詞 は︲aru(四 段 )
る 、 植 う る︱ 植 わ る 、 は む る︱ は ま る 、 変 ふ る︱ 変 は る 、 集 む る︱ 集 ま る 、 定 む る︱ 定 ま る 、 助 く る︱ 助 か
例 、 掛 く る︱ 掛 か る 、 上 ぐ る︱ 上 が る 、 下 ぐ る︱ 下 が る 、 当 つ る︱ 当 た る 、 曲 ぐ る︱ 曲 が る 、 溜 む る︱ 溜 ま
る 、 修 む る︱ 修 ま る 、 初 む る︱ 初 ま る 、 連 ぬ る︱ 連 な る 、 ひ ろ む る︱ ひ ろ ま る 、 か ら む る︱ か ら ま る 、 見 付 く る︱ 見 付 か る 、 交 ふ る︱ 交 は る 、 暖 む る︱ 暖 ま る 、 改 む る︱ 改 ま る ⋮ ⋮ 。 以 上 は 、 他 動 詞 がも と で、 自 動 詞 は 派 生 し た 動 詞 であ ろ う 。 こ の (A)(Bが )合 同 し た も の と し て 、 次 の (C) の よ う な も の が あ る 。
( C) 自 動 詞 が︲u ( 四 段 )、 他 動 詞 が︲uru(下 二 段 )。 さ ら に も う 一 つ 、 自 動 詞 が︲aru( 四 段)
例 、 明 く︱ 明 く る︱ 明 か る 、 伏 す︱ 伏 す る︱ 伏 さ る 、 詰 む︱ 詰 む る︱ 詰 ま る 、 休 む︱ 休 む る︱ 休 ま る 、 伝 う
﹃明 解 古 語 辞 典 ﹄ を 編 集 す る と き に 、 新 説 と し て 敬 服 の あ
( A) の 型 の よ う に 考 え た 。 あ る
︱ 伝 う る︱ 伝 わ る 、 つ ぼ む︱ つ ぼ む る︱ つ ぼ ま る 、 か ら む︱ か ら む る︱ か ら ま る 、 しづ む︱ しづ む る︱ し づ
( 下 二段 )
﹁横 た は る ﹂ は 、 言 う ま で も な く ( B) の 型 の 対 立 で あ る が 、 芭 蕉 は 、
ま る ⋮ ⋮。 ﹁横 た ふ ﹂ 対 いは
( C) 型 の よ う に 考 え た 。 そ こ で 、
自 動 詞: 他 動 詞=︲u(四 段 ):︲uru( 下 二 段 )= x: 横 た ふ る
﹃大 言 海 ﹄ に 見 え る 大 槻 文 彦 氏 の 説 で 、 私 は
の xを と い て 、 ﹁横 た ふ ﹂ ( 四 段) と いう 形 を考 え た のだ と 思 う 。 これ は
ま り 引 用さ せ て いた だ いた も の で あ る が 、 こ の解 釈 な ら ば 、 ﹁横 た ふ﹂ の形 で 中 の 七 字 に 使 わ れ て いる 理 由 も 説
明 でき 、 あ わ せ て他 動 詞 の自 動 詞 への転 換 な ど と いう 苦 し い解 釈 を す る こと も いら ず 、 実 に 明 快 で は な いか 。 私
は ﹃文 藝 春 秋 ﹄ の原 稿 で、 こ の大 槻 氏 の新 説 を 紹 介 し た つも り であ った が 、 今 読 み 返 し て み る と ﹁( 自 動 四 )﹂ と
いう 文 字 が 、 小 さく 書 いた た め に ﹁( 目 的 )﹂ と いう 、 意 味 不 明 の文 字 に誤 植 さ れ た り し て いる 。 こ れ で は伊 吹 氏 に伝 わ ら な か った のも も っと も で、 不 注 意 な こ と だ った。
一声 の江 に 横 た ふ や 時 鳥
な お 芭 蕉 は、 こ の ﹁横 た ふ ﹂ を ほ か の句 に 、
と 使 って いる。 こ の句 で は 、 いく ら 他 動 詞を 使 った と考 え る と し ても 、 そ の理 由 と し て豪 宕 の趣 を 出 し た と は 言
え な い であ ろ う 。 ﹁荒 海 や ﹂ の句 は 全 体 と し て豪 宕 の趣 が感 じ ら れ る こと は た し か であ る が、 そ れ は 、 ﹁荒 海 ﹂ と
か ﹁天 の 川 ﹂ と か いう 題 材 か ら 来 る も の で あ って、 自 動 詞 の代 り に他 動 詞 を 使 った か ら と いう よ う な も の で は な いと 思 う 。 杉 浦 正 一郎 氏 ・森 修 氏 に よ る と 、 ﹁横 た ふ﹂ に つ いて は 宗 因 に 、 オ ラ ンダ の文 字 が 横 た ふ 雁 の宿
と いう のが あ る と いう 。 そ う な る と 、 ﹁横 た ふ ﹂ は 、 芭 蕉 の創 作 で は な く て宗 因 の発 明 だ った 、 あ る いは 宗 因 の
発 明 で も な く 江 戸 初 期 ご ろ 一般 に俗 語 と し て 使 わ れ て いた 、 それ を 宗 因も 芭 蕉 も 使 った も の と 解 す る の が 正 し そ う だ。
いず れ に し て も 、 ﹁横 た ふ﹂ は 平 安 朝 に は な か った 四 段 活 用 の自 動 詞 であ って、 芭 蕉 は 別 に 他 動 詞 を 使 った と
いう の で は な いと 思 う 。 豪 宕 な 趣 を 出 す た め に 使 った な ど と いう のは 、 いわ ゆ る ヒ イ キ の引 き た お し で 、 こ こ は
山 田 孝 雄 氏 が 俳諧 文 法 で よ く 言 わ れ た よ う に、 ﹁いか に芭 蕉 の句 と 言 っても 誤 は 誤 と せ ね ば な ら ぬ ﹂ と 考 え る 。
一体 、 こ こ を 他 動 詞を 自 動 詞 のよ う に使 った と いう のは 、 芭 蕉 を 偉 大 な 芸 術 家 と考 え るあ ま り 、 そ の作 品 に は ま
ち が いは な い はず だ と いう 前 提 に立 つ考 え であ る 。 そ れ で は あ ま り窮 屈 で は な い か。 私 は 、 芭 蕉 と いう 人 は 、 常
人 のま ち が え る あ や ま り は や は りや った 人 だ と考 え た 方 が 親 し み が も て て嬉 し い。 こ のよ う に考 え る と 、 ﹃奥 の 細 道 ﹄ の松 島 の条 に あ る 、 昼 の眺 め ま た 改 む と いう 文 の ﹁改 む ﹂ も 、 他 動 詞 の自 動 詞 的 用 法 では な く て、 自 動 詞: 他 動 詞= 四 段 活 用: 下 二 段 活 用= x:改 む る ( 下 二段 ) か ら xを 求 め て 、 ﹁改 む ﹂ (四段) と いう 動 詞 を 使 って いる のか も し れな い。 や が て 死 ぬ け し き は 見 え ず 蝉 の声
の ﹁死 ぬ ﹂ も 、 ﹁﹃死 ぬ る ﹄ で は弛 緩 が 生 じ て 、 訴 え が 弱 く な って し ま う ﹂ と 言 わ れ る が、 そ れ は 私 に 言 わ せ る と 、
当 時 俗 語 で は ﹁死 ぬ ﹂ の連 体 形 に は 伝 統 を も つ ﹁死 ぬ る ﹂ の ほ か に 新 し い ﹁死 ぬ ﹂ があ った 。 ﹁死 ぬ る﹂ で は 一
音 節 多 く な って し ま う 。 ち ょう ど 音 節 数 の 上 で は 問 題 のな い ﹁死 ぬ ﹂ の方 を と った の で、 新 興 の言 い方 を と った 点 で は 国 語 を 乱 し た と い ってよ いと 思 う 。
三
私 は 、 伊 吹 氏 が 芭 蕉 の句 に関 し て 、 彼 が 日 本 語 を 乱 し た と いう こと に 対 し て怒 ら れ る気 持 は わ か ら な い でも な
い。 し か し 、 そ れ は少 し 整 理 し て いた だ き た いと 思 う 。 芭 蕉 は ﹁荒 海 や ﹂ の俳 句 を よ み な が ら 、 ﹁天 の川 ﹂ は無
数 の遠 く の 星 の集 ま り だ と いう こと を 知 ら な か った に ち が いな い。 芭 蕉 が 国 語 を 乱 さ な か った と いう のは 、 私 の
目 には 、 芭 蕉 ほ ど の芸 術 家 な ら ば 、 そう いう 天 文 学 的 知 識 を も ち 合 わ せ て いた は ず だ 、 と 頑 張 る の を 見 る よ う に 感 ずる。
芭 蕉 が偉 大 な 芸 術 家 で あ った こ と は 私 も 伊 吹 氏 に劣 ら ず 認 め る 。 俳 句 に つ いて ほ と ん ど 素 養 を も ち あ わ せ な い
だ け に 、 私 の傾 倒 ぶ り の方 が 一層 激 し いか も し れ な い。 お ま え のよ う な 人 間 な ど 一万 人 集 ま っても 、 芭 蕉 の 一
句も 作 れ な いん だ ぞ 、 と 言 わ れ れ ば 、 私 は 承 引 す る ほ か は な い。 し か し 、 そ れ は 芸 術 の上 の こ と だ 。 芭 蕉 の言 語 に つ い て の学 識 は ど の よ う な も の だ った か 、 と いう と 、 話 はま た 別 だ 。
伊 吹 氏 に は 、 こう いう 経 験 は な いだ ろう か 。 た と え ば 地 方 に 方 言 の 調 査 に行 く 。 そ う いう と き に そ こ の村 長 さ
ん が 、 方 言 に つ い て は こ の人 が 詳 し いと い って、 郷 土 研 究 家 で あ る老 人 を 引 っ張 って引 き 合 わ せ て く れ る こ と が
あ る 。 学 歴 は な いと いわ れ る こ の老 人 の 話 を 聞 いて み る と 、 村 の歴 史 な ど に は 実 に 詳 し く 、 ま た 古 い文 献 な ど 実
に よ く よ み こな す 。 ま た 古 典 の作 品 で 関 係 のあ る も のを滔 々と そ ら ん じ て み せ た り 、 時 に は 漢 文 の古 典 を 引 き 、
自 分 が書 いた と いう 碑 文 の原 稿 を 見 せ ら れ た りす る 。 老 人 が そ う いう 話 を は じ め る と 、 わ き の村 長 さ ん や助 役 さ
ん は 、 嬉 し そ う に 一々う な ず き な が ら 聞 い て いる 、 そ の情 景 は ま こ と に ほ ほえ ま し い。 ま た そ の漢 文 の文 章 も 、
私 な ど に は ち ょ っと や そ っと で は 書 け そ う も な い代 物 で、 そ れ は 十 分 敬 服 にあ た いす る。
と こ ろ が 、 そ う いう 人 と 話 し て み る と 、 国 語 学 や 言 語 学 の知 識 は 非 常 に低 く 、 中 学 校 の先 生 の資 格 試 験 は 何 度
か 受 け た が 結 局 パ スで き な か った 、 と いう のも ま こ と に当 然 と 思 わ れ る 。 そう いう わ け で 、 こ ち ら が求 め て いる
方 言 に つ い て の質 問 に 対 し て は 、 ほ と ん ど ま とも な 答 え が 得 ら れ ず 、 結 局 相 手 を つと め て 時 間 を つぶ す のを 恨 め
し く 思 う ば か り と いう よ う な 人 物 にあ う こと があ る 。 芭 蕉 翁 あ た り の学 識 は、 今 生 き て いた ら そう いう 人 な み な の で はな か ろ う か。
時 間 の余 裕 さ え あ れ ば 、 そ う いう 老 人 と 話 す こ と は楽 し い こと で あ る 。 そ れ が 清 貧 に 甘 ん じ た 生 活 を 送 り 、 多
く の村 人 の尊 崇 を 集 め てき た よ う な 人 の場 合 に は 、 一層 芭 蕉 翁 も こ ん な 人 で あ った ろ う か と 感 じ さ せ る 。 そ う い
う 老 人 の書 く も の 、 話 す も のに は ど う し ても 文 法 上 のま ち が いが 多 い。 そ れ を と が め て み ても は じ ま ら な い。 そ
う いう こ と は し か た が な いこ と であ る し 、 そ う いう こ と を し で か し て い ても 、 そ の た め に そ の 人 の価 値 は 変 わ ら
な いだ ろ う か ら 。 し か し 、 村 長 さ ん が 、 こ の方 は え ら い方 だ から 、 こ の方 の書 かれ る も の はす べ て格 に あ って い
る 、 と 言 わ れ る な ら 、 残 念 な が ら 同 意 す る こ と が でき な い。 伊 吹 氏 の書 か れ た も の を 読 ん だ感 想 は 、 そ う いう 村 長 さ ん の身 び いき を 聞 いて いる と き と 同 じ よ う な 気 持 を も った 。
芭 蕉 の時 代 に は 、 今 の時 代 ほ ど こ と ば の正 し さ と いう よ う な こ と は や か ま し く 言 わ れ な か った 。 当 時 の第 一流
の文 人 と し て自 他 と も に 許 し て いた のは 、 正 し い漢 詩 を作 る こ と を 念 願 とす る 漢 学 者 と か 堂 上 の歌 人 た ち であ ろ
う 。 が 、 そ う いう 人 た ち は 別 と し て 、 芭 蕉 のよ う な 民 間 の詩 人 は 、 も っと 自 由 な 気 持 で俳 句 を 作 って いた だ ろう 。
後 世 、 俳 句 と いう 新 し い形 態 の詩 の父 と し て尊 崇 さ れ た のも 、 そ う いう 点 が 魅 力 の 一つに ち が いな い。
芭 蕉 の芸 術 を 高 く 評 価 す る あ ま り 、 芭 蕉 の語 法 ま で 擁 護 す る のは 、 今 で は 小 学 校 の生 徒 で さ え 知 って い る か ら
と 言 いた い が、 いか が。
と いう こと を 根 拠 と し て 、 芭 蕉 は き っと 天 の川 の 正体 に つ いて 天 文 学 的 な 知 識 も も って いた に ち が いな いと 主 張 す る よ う な も の であ る︱
江 戸 の言 葉
江 戸 の 町 は 東 日本 の中 心、 そ れ も 関東 の マ ン真 中 にあ る 。 これ か ら 見 て、 江 戸 の言 葉 は 代 表 的 な 東 日本 の言 葉
で あ り 、 典 型 的 な 関 東弁 だ ろ う と 思 いが ち だ 。 が、 事 実 は そ ん な に単 純 で はな い。 江 戸 の町 が 出 来 た 事 情 が 特 殊 で 種 々 の原 因 が か ら み あ った か ら だ 。
江 戸 の社 会 は 士 族 と 町 人 と いう 対 立 が あ った。 こ の 二 つが いか に 違 う も ので あ った か は 、 歌 舞 伎 の舞 台 に あ ら
わ れ る 両 者 の服 装 ・物 腰 を 一目 見 れ ば わ か る 。 そ のよ う に 言 葉 も 全く 違 って いた 。 ﹁さ よ う 然 ら ば ⋮ ⋮ ﹂ ﹁いか が
致 し た ﹂ ﹁⋮ ⋮ 仕 り ま し て ござ りま す る ﹂ と 言 う の が 武 士 の言 葉 であ る と す る と 、 ﹁ぜ ん て え 弥 次 さ ん が わ り い。
何 のお ぶ さ ら ず とも 、 い いこ と にお め え が 手 本 を 出 し た か ら 、 つ いお れ も ⋮ ⋮ え え 聞 き た く も ね え 、 よ し て く ん な ﹂ と いう の が代 表 的 な 町 人 の言 葉 であ った 。
た だ し、 同 じ 町 人 でも ﹁白 浪 五 人 男 ﹂ に登 場 す る 浜 松 屋 の主 人 や 手 代 な ど は ま こ と に 礼 儀 正 し い言 葉 づ か いを
し て いる。 つま り 町 人 と い って も 、 高 級 な 呉 服 屋 のよ う な 武 家 の 屋敷 へ出 入 り し 、 上流 の女 性 と 応 対 す る よ う な
も のは 、 と び 職 人 や 魚 屋 の よ う な 商 人 と 違 い、 折 り 目 正 し い言 葉 を 使 って いた のだ 。
江 戸 の町 が 出 来 た に つ いて は 、 そ の住 民 た ち は 、 全 国 各 地 か ら 集 ま って来 た 。 中 で、 数 が多 い のは 江 戸 の近 在 、
関 東 の 人 間 で、 町 人 の大 部 分 の人 た ち は そ う だ った 。 こ の人 た ち は 、 多 く 下 町 に住 ん だ の で、 下 町 の言 葉 に 関 東 色 が強 い。
魚 屋 の 一心 太 助 のよ う な 町 人 は 、 大 久 保 彦 左 衛 門 の よう な 身 分 の高 い人 間 に 対 し て も 敬 語 ヌ キ のぞ ん ざ いな 言
葉 でし ゃ べ って いる 。 あ れ な ど 代 表 的 な 関 東 的 な 話 し 方 で 、 今 でも 関 東 各 地 は 敬 語 の使 用 の薄 い地 帯 であ る 。 ま
た 、 ﹁さ ら う ﹂ で も す む と ころ を ﹁カ ッ ツ ァラ ウ ﹂ と勢 いよ く 言 い、 ﹁し ば る ﹂ でも い いと こ ろ を 、 ﹁フ ン ジ バ ル﹂
と 強 く 言う 。 こ れ は 関 東 各 地 の方 言 に 見 ら れ る と こ ろ で、 そ れ が 江 戸 の下 町 に 入 った 。 ﹁鼻 紙 ﹂ を ハナ ッカ ミ、
﹁川 縁 ﹂ を カ ワ ップ チ のよ う に、 つめ て いう のも 西 日本 にな く 、 東 日本 の言 い方 で、 これ も 江 戸 弁 に は 普 通 であ
る 。 ﹁若 い﹂ ﹁知 ら な い﹂ を ワ ケー ・シ ラネ ー と 言 った り 、 ﹁ひ ど い﹂ を ヒ デ ー と いう が、 あ れ も 関 東 ら し いな ま
り であ る 。 下 町 言 葉 と し て有 名 な ヒ と シ の混 同 も 、hi と いう 中 途 半 端 な 発 音 を き ら う 関 東 な ま り に発 す る 。
一方 、 士 族 た ち は 全 国 か ら 集 ま った が 、 主 要 な も のは 、 徳 川 家 康 と 一緒 に 三 河 か ら や って 来 た 。 こ れ は 、 三 河
町 人 一〇〇人 に 対 し て 一〇人 にも 達 し な か った ろう し 、 一般 の市 民 は 武 士 の言 葉 を ま ね す る
の言 葉 を 使 って いた ろう 。 が 、 武 士 の言 葉 は 江 戸 の 町 の人 た ち の言 葉 に は あ ま り影 響 は 与 え な か った。 第 一に 人 数 が 少 な か った︱
。
と いう こと も な か った 。 か え って 武 士 の中 に 、 遠 山 の金 さ ん のよ う に 町 人 の言 葉 を 使 う も のが いた 。 こ の ご ろ テ
レ ビ で お な じ み の勝 安 房 も 、 会 った と いう 保 科 孝 一氏 の話 に よ る と 、 べら ん め え 言 葉 を 使 って いた と いう︱
そ れ に引 き 換 え 、 上 流 の呉 服 商 人 のよ う な 言 葉 、 これ は 江 戸 の言 葉 に 大 き な 影響 を 与 え た 。 近 世 も 中 期 以 後 に
な る と 、 そう いう 人 た ち の文 化 水 準 も 高 ま り 、 市 民 一般 から 尊 敬 の 目 で見 ら れ た か ら であ る 。 今 で も 、 東 京 の町
に は 、 伊 勢 屋 と か 近 江 屋 と か いう 屋 号 が 多 い こと か ら 知 ら れ る よ う に 、 こう いう 人 た ち は 上 方 地方 か ら 沢 山 や っ
て 来 た 。 ま た 、 三 河 屋 や 浜 松 屋 と いう 屋 号 、 あ る いは 尾 張 町 や 駿 河 台 な ど の 地 名 か ら 窺 わ れ る よう に、 東 海 道 沿
線 か ら の移 住 者 も 多 か った 。 こ れ ら の人 た ち は、 も と も と 一般 関 東 と ち がう 言 葉 を 使 って いた と 思 わ れ る。
西
元 来 、 東 日 本 と 西 日 本 の 語法 には 次 のよ う な 対 立 が あ る。 東
おる 知らん
いる 知 らな い
見 ろ 白くな る 買 って
見 い 白うな る 買 う て
現 在 の東 京 の言 葉 が 、 原 則 と し て東 型 を と る こ と は 明 ら か であ る が 、 時 々 言 葉 づ か いに よ って は 西 型 も ま じ る
こ と が注 意 さ れ る。 た と え ば、 ふ だ ん は 、 知 ラ ナ イ と 言 いな がら 、 丁 寧 な 言 い方 にな る と 知 リ マセ ンと 西 型 を 使
う 。 これ が 最 上 の 丁 寧 体 にな る と、 ﹁いま す ﹂ の代 り に、 オ リ マ スと 言 い、 ﹁白 く な る﹂ の ﹁白 く ﹂ も 、 ﹁ご ざ い ま す ﹂ を つけ る と シ ロウ ゴ ザイ マスと な る のも そ れ であ る。
今 でも 古 典 的 な 落 語 な ど で、 隠 居 を 表 現 す る 場 合 、 ﹁昔 ハ、 ソウ 言 ウ タ モ ンジ ャ﹂ と いう よ う な 西 日 本 の 言 い
方 を 使 わ せ る が 、 一時代 前 に は 今 よ りも っと 西 日本 的 な 言 い方 があ った こと を 窺 わ せ る。
ま た 、 一般 の町 人 の 言 葉 は関 東 の方 言 だ と い って も 、 関 東 の田 舎 言 葉 の標 識 で あ る べ エ べ エ言 葉 は 全 然 江 戸 っ
子 の言 葉 に は 影 を ひ そ め て いる 。 ﹁行 く べえ ﹂ の代 り に は ﹁行 こ う ﹂ と いう 西 日本 型 の言 葉 を 使 い、 ﹁そ う だ ん べ
え ﹂ の代 り に は 、 東 日本 の ﹁ソ ウ ダ ﹂ と いう 語 法 に ﹁ソ ウ ジ ャ ロウ﹂ と いう 西日 本 の 語法 と を 折 衷 さ せ て ﹁ソウ ダ ロウ ﹂ と いう 新 し い語 法 を 作 り 出 し て いる 。
こ のよ う に 見 れ ば 、 江 戸 言 葉 と いう も のは 、 関 東 の言 葉 に 関 西 の言 葉 を 相 当 量 加 味 し た も の で、 こ の性 格 が 明 治 以後 、 東 京 語 が全 国 に 弘 布 す る 上 に、 大 き な 力 と な った も のと 思 わ れ る 。
私 の
﹃膝 栗 毛 ﹄ 鑑 賞
私 が 少 年 時 代 から 何 度 も 何 度 も 読 ん で お も し ろ が った 本 、 そ の 一つに 十 返 舎 一九 の ﹃ 道 中 膝 栗 毛 ﹄ があ り ま す 。
言 う ま でも な く 、 江 戸 末 期 の滑 稽 本 で、 弥 次 郎 兵 衛 ・喜 多 八 の 二人 が 、 江 戸を 振 出 し に、 京 ・大 坂 へ行 く 旅 日 記 、
さ ら に そ の続 き で は 、 金 比 羅 様 へ参 詣 し 、 中 仙 道 を ま わ って 江 戸 ま で 戻 ってき ま す が、 私 にと って は 、 こ れ は お も し ろ い本 であ る と 同 時 に、 大 変 教 え ら れ る と こ ろ の多 い本 であ りま し た 。
国 文 学 者 の間 で の定 評 によ り ま す と 、 弥 次 郎 兵 衛 と 喜 多 八 は 、 人 間 と し て は 少 し 足 りな い方 で、 そ の た め に 道
中 種 々 の失 敗 を す る 。 そ の失 敗 を 読 者 は 喜 び おも し ろ が る ん だ と 言 いま す 。 が、 私 の考 え は ち が いま す 。 私 は 弥
次 郎 兵 衛 ・喜 多 八 は 稀 に見 る 頭 の い い人 間 だ と 思 いま す 。 か れ ら は た し か に失 敗 の数 々を 演 じ ま す が、 不 注 意 で
お っち ょ こ ち ょ い のた め に失 敗 す る ので あ って、 そ のあ と 始 末 に つ い ては普 通 の人 に は 出 来 な い見 事 さ で 処 理 し て いま す 。
た と え ば 、 か れ ら は 小 田 原 の宿 屋へ 泊 った 時 、 五 右 衛 門 風 呂 の 入 り 方 を 知 ら ず 、 ゲ ス板 を は ず し て ゲ タ のま ま
カ マの上 に のり 、 カ マを こ わ し てし ま いま す 。 し か し 、 か れ ら は ち ゃん と わ び を 入 れ て 宿 屋 の主 人 の機 嫌 を な お し 、 少 額 の弁 償 金 で 事 件 を 解 決 し て いま す 。
ま た 、 か れ ら は、 京 都 で大 原 女 を か ら か った のが 敗 因 で 、 要 りも し な い大 き な 梯 子を 買 わ さ れ 、 も てあ ま し な
が ら 京 都 の町 を 歩 き ま す 。 し か し 、 宿へ つ いた時 に そ の梯 子 を も と に し て か れ ら が創 作 し た 小 話 は 実 に う ま いも
の で、 ち ょ っと 我 々に は 及 び が つき ま せ ん 。 も し 、 今 の 世 に か れ ら 二 人 を し て 生 ま れ し め た な ら 、 かれ ら は 日 本
き って の テ レビ ・タ レ ント にな る で し ょう 。 漫 才 は いう に 及ば ず 、 司 会 であ れ 、 寸 劇 で あ れ 、 何 でも こな し 、 す
は 無 理 でも 池 袋
べ て の放 送 局 か ら 引 っ張 り だ こ にな る よ う す は 、 全 盛 期 の坂 上 二郎 ・萩 本 欽 一の コ ンビ を う わ ま わ る と 思 いま す 。
か れ は 忽 ち 日 本 の高 額 所 得 者 の ひと り と な り 、 ま た そ の気 前 のよ いお 金 の使 いぶ り が、 銀 座︱ あ た り な ら 、 ホ ス テ ス の賞 讃 の ま と にな る でし ょう 。
し か し 、 か れ ら の話 術 の妙 に つ い て言 う 前 に 、 こ の作 品 の 背 景 と な って い る楽 し い気 分 に つい て 申 し 述べ て お
き ま し ょう 。 ま ず 、 自 分 の知 ら な い地 域 を 計 画 を 定 め ず に歩 いて ま わ る 、 これ は ふ だ ん 時 間 に し ば ら れ て いる 私
ど も の最 高の楽 し み であ り ま す が、 か れ ら は 自 由 に そ れ を や って いる 。 ま た 、 時 代 が い いです 。 よ く 、 徳 川 時 代
は 、 士 農 工 商 の階 級 が が っち り き ま って いた 時 代 で、 武 士 は 刀を も って いて 切 り 捨 て 御 免 であ って、 一番 下 の商
人 はう だ つがあ が ら な か った よ う に考 え た り し ま す が、 弥 次 郎 兵 衛 ・喜 多 八 は 町 人 で 一番 下層 の階 級 の人 達 です 。
そ れ に 対 し て、 こ こに 出 て く る 武 士 た ち は 、 何 と 平 和 な 二 人 にと ってよ い旅 の道づ れ であ りま し ょう か 。 沼 津 で、
弥 次 郎 兵 衛 がも って いる 印 伝 の巾 着 を 買 い取 って 路 銀 を め ぐ ん でく れ る 田 舎 武 士 な ど も そ の例 で す が、 典 型 的 な のは 、 ﹃膝 栗 毛 ﹄ の続 編 ・中 仙 道 中 で、 埼 玉 県 の鴻 巣 の宿 で の 出 来 事 です 。
よく ﹃ 膝 栗 毛 ﹄ は 東 海 道 中 だ け が おも し ろ く て 、 あ と は 読 む に 足 り な いよう に 言 いま す が、 そ ん な こ と は な い、 中 仙 道 中 の第 十 二 編 と いう 最 後 の巻 にも こん な お も し ろ いと ころ があ り ま す 。
弥 次 郎 兵 衛 が ト イ レ へ立 った と こ ろ が 、 武 士 が 二 人 来 か か り 、 や は り 入 ろう と 思 って いま す が、 武 士 の こ と と
で 、 ﹁そ こも と 、 お 先 に﹂ ﹁いや さ 、 そ こ も と から ﹂ な ど と 言 って譲 り あ って いる 。 そ の 間 に ち ゃん と 弥 次 郎 兵 衛
が 入 ってし ま いま し て、 な か な か 出 て参 り ま せ ん 。 便 所 は 一人 入 れ ば 満 員 であ り ま す から 、 武 士 二 人 、 し き り に 便 意 を も よ お し ても ど う に も な ら な い。
そ れ が い つま でも 入 って お り ま す の で 、 外 に いた 喜 多 八 に向 って、 ﹁入 って いる のは 、 き さ ま の同 道 か 。 何 か
腹 下 り でも し て お る の か ﹂ と 聞 き ま す と 、 喜 多 八 の答 え が振 って いま す 。 ﹁そ う で も ご ざ り ま せ ぬ が 、 と か く 雪
隠 の好 き な 男 で、 ど こ へ参 って も 雪 隠 があ る と 入 り た が り ま す 。 そ れ で 居 心 地 の い い雪 隠 へで も 入 りま す と 、 な
か な か 一刻 や 二 刻 で は 出 て参 り ま せ ぬ ﹂ な ど と 出 任 せ を 言 って いる 。 こう 言 わ れ た ら 、 わ れ わ れ 怒 り ま す よ 、 そ う いう 時 は気 が立 って いる か ら 。
し か し こ の武 士 は、 ち っとも 怒 ら な い。 ﹁え え 、 身 ど も は 早 急 に な って 参 った 。 ぜ ひ が な い、 下 雪 隠 へ罷 り 越
そ う ﹂ な ど と 、 が に ま た で 下 雪 隠 へ出 て 行 く 。 そう し て そ こ が ま た 塞 が って いる の で、 が っく り引 返 し て来 ま す
が 、 そ れ で も 腹 は立 て な い。 実 に練 れ た 人 がら であ り ま す が 、 ﹃ 膝 栗 毛 ﹄ の武 士 は大 体 こん な 風 です 。 ﹃膝 栗 毛 ﹄
全 編 を 通 じ て人 を 斬 る 場 面 な ど 全 然 あ り ま せ ん。 ど うぼ う は あ っても 殺 人 は な い、 完 全な 平 和 ム ー ド です 。 今 で
は 東 名 高 速 と い い、 名 神 高 速 と い い、 殺 人 的 な 速 力 で大 型 ト ラ ック が 突 走 り 、 救 急 自 動 車 の警 笛 を 聞 かな い日 と てあ り ま せ ん 。 そ れ と は、 う って か わ る 、 の ん き な よ き 時 代 であ り ま し た 。
さ て 、 いよ いよ 弥 次 郎 兵 衛 ・喜 多 八 の話 術 で あ り ま す が 、 かれ ら を 馬 鹿 の見 本 のよ う に 言 う 人 のた め に 申 し て
お きま す が、 か れ ら は り っぱ にち ゃん と し た 口 がき け る 人 間 です 。 蒲 原 の木 賃 宿 で、 順 礼 や ら 六 部 や ら と 同 宿 し
ま す が 、 喜 多 八 が 、 と な り の部 屋 に寝 た 娘 順 礼 のと こ ろ へ夜 ば いを す る つも り で、 暗 闇 でま ち が え 、 お婆 さ ん の
と こ ろ へ行 き 、 あ わ て た は ず み に フ ンド シ を お い て 来 た た め に、 ば れ て 大 騒 ぎ にな り ま す 。 喜 多 八 は 、 ﹁鼠 に ふ
ん ど し を 引 か れ て と り に 来 た ﹂ と 言 って み て も だ め で す 。 そ のあ と 弥 次 郎 兵 衛 が あ や ま って、 ﹁ど う も 若 エも の
と いう も の は 、 あ と 先 の考 え が ご ざ り ま せ ん 、 ど う ぞ 料 見 し て く ん な せ エ﹂ と い った わ びを 入 れ 、 喜 多 八 も 神 妙
に し て いた 態 度 が よ か った よ う で 、 一切御 破 算 にし て も ら って いる 。 見 事 であ り ま す 。
沼 津 で同 行 し た 武 士 に対 し て 、 喜 多 八 が ﹁へ い、 あ な た は ま だ お 若 う お 見 え な さ いま す に 、 お 子 さ ま が お ふ た
り と は 、 よ いお 楽 し み で ご ざ り ま す 。 無 躾 け な が ら 、 も う お 幾 つで ご ざ いま す ﹂ な ど と、 愛 想 を 言 って い る。 そ
う し て、 ﹁あ て て み や れ ﹂ と 言 わ れ て 、 考 え て い る よ り も 若 い年 を 言 って 武 士 を 喜 ば し て いる 。 決 し て馬 鹿 で は ありま せん。
と こ ろ で、 さ っき の蒲 原 の宿 を 出 た と き に、 弥 次 郎 兵 衛 は ふ さ ぎ 加 減 の 喜 多 八 を な ぐ さ め よ う と 、 ﹁昨 夜 お ま
え が フ ンド シを 鼠 に 引 かれ た と 言 った 、 あ の言 葉 か ら ヒ ント を 得 て こん な 咄 を考 え つ いた ﹂ と 言 って、 こ ん な こ と を 言 い出 し ま す 。
﹁ゆう べ のよ う に 順 礼 や ら 六部 と い っし ょ に木 賃 宿 に泊 ま り や し た 。 時 に手 前 が 夜 中 に 起 き て何 か ま ご つき や す 。
み ん な が 目 を さ ま し て ど う し な さ った と 言 う と 、 手 め え が フ ンド シを 鼠 に ひ か れ た よ う だ と 言 う 。 順 礼 や 六部 も
そ う 言 え ば 、 わ し のも こ こ に 置 いた の が な い。 こ れ は ど う で も 二階 へ行 って 見 よ う と 言 って 梯 子 を 上 る と 、 二 階
の隅 の方 で 三 味 線 の音 がす る。 見 る と 鼠 ど も が引 い てき た フ ンド シを 口 にく わ え て振 って いる 。 そ れ が 不 思 議 な
こ と に歌 三味 線 の音 が 出 る の で お も し ろ が って いる 。 一人 、 喜 多 八 と や ら の フ ンド シを く わ え てき た のが いて 、
こ れ は ど う だ ろ う と 振 って み る と 、 こ れ だ け は ズ 、 ズ 、 ズ ンと 義 太 夫 三 味 線 の音 が す る。﹂ こ れ は な ぜ だ ろ う か
﹂ と ほ め て 一ぺ ん に 気 を 晴 ら す わ け であ り ま す が 、 こ のあ た り の筆 の 運 び、 私 は 何 度 読 ん
と 言 って、 落 ち が 来 る わ け です が 、 そ れ は本 文 で読 ん で いた だ く こと に し て 、 こ の弥 次 郎 兵 衛 の創 作 で 喜 多 八 は 、 ﹁ハ ハ ハ ハ、 奇 妙〓 でもあきま せん。
弥 次 郎 兵 衛 は 、 た と え ば 、 伊 勢 の雲 津 と いう と こ ろ で 、 有 名 な 先 生 と ま ち がえ ら れ 、 呼 ば れ て 土 地 の金 持 ち か
ら 御 馳 走 にな り ま す が、 珍 し いお料 理 が出 て 、 熱 湯 に つけ た コ ン ニ ャク と味噌 の ほ か にお 皿 の中 に熱 い石 が の っ
て いる 。 これ は コ ン ニ ャク を こ こ で た た いて水 分 を と る た め のも のだ そ う で す が 、 両 人 、 そう いう 食 べ方 を 知 ら
な い ので も じ も じ し て いる 。 主 人 が 気 を も ん で 、 ﹁ 遠 慮 な く 召 上 り ま せ 。 石 が さ め は し ま せ ん か 。 こ り ゃ、 ぬ く
と い 石 と 変 え て お 上 げ 申 せ ﹂ と 奥 に 向 って 言 い付 け る の で、 弥 次 郎 兵 衛 び っく り し ま し て 、 ﹁いや 、 も う お 構 い
な さ る な 、 石 はも う よ う ご ざ り ま す る ﹂ と あ いさ つし て 、 こう 言 う の です 。 ﹁さ て さ て 珍 し いも のを 賞 翫 いた し
ま し た 。 江 戸 表 な ど で は、 折 ふ し 小 砂 利 を 唐 辛 子醤 油 で盛 り 付 け る か 、 ま た は 煮 豆 の よう に致 し て 食 べ る こ と が
ご ざ りま す 。 そ れ に 、 石 塔 な ど も 嫁 を いじ め る姑 婆 アな ど に 食 わ せ た が 薬 だ と 申 し て食 べま す る が 、 私 も 随 分 好
物 で ご ざ り ま す 。 こ の 間 府 中 に逗 留 いた し ま し た 時 に 、 馬 蹄 石 を す っぽ ん 煮 に し て ふ るま わ れ ま し た 。﹂ ま あ 、
こん な よ う な こ と を 言 う ので 、 主 人 が び っく り し ま す が 、 あ あ いう こと が ペ ラ ペ ラ 口 か ら 出 て 来 た ら 随 分 楽 し い だ ろう と 思 いま す 。
帰 り の木 曾 街 道 の方 で は 、 上 州 の草 津 の宿 で 、 泊 り合 せ た 湯 治 客 が遠 州 の秋 葉 神 社 で使 う 御 飯 の お 釜 の大 き い
こと の話 を し ま す と 、 喜 多 八 は 負 け な い気 にな って、 ﹁いや 江 戸 で は そ ん な こ と は な い﹂ と 言 って、 ﹁越後 屋 だ の
白 木 屋 だ のと いう 呉 服 屋 で は 、 何 百 人 も の 人 の飯 を 一つ のお 釜 で 炊 く と いう も の だ か ら 、 と いだ 米 を 天 秤 棒 で運
ん で 釜 に 入 れ やす ﹂ と 言う 。 聞 き 手 が 、 ﹁そ れ で は 水 加 減 を す る の が大 変 だ ろう ﹂ と 言 う と 、 ﹁いや 造 作 も ね エこ
と だ 、 一人 の 男 が フ ンド シ 一つの真 裸 にな って 、 泳 ぎ な が ら 水加減 を し やす ﹂ な ど と 言 って いま す 。
こう いう 例 か ら も 知 ら れ ま す よ う に 、 一般 に 二人 の 話 術 の特 徴 は 、 そ の場 で ア ド リ ブ がき く こと です 。 京 都 の
平 野 神 社 のそ ば の休 み茶 屋 へ入 る と、 女 中 が 鮎 を お 皿 に 入 れ て も って来 て、 ﹁これ が 私 の心 のた け じ ゃぞ エ﹂ と
言 う 。 ど う いう 意 味 だ と 聞 く と 、 ﹁わ た し は お前 さ ん が川 鮎 と いう こ っち ゃわ いな ﹂ と 言 う 。 弥 次 郎 兵 衛 だ ま っ
て は いま せ ん 。 早 速 、 お 皿 に 載 って いる 生 姜 を 指 し て、 ﹁こ れ が わ っち の心 いき だ ﹂ と いう 。 女 中 が ﹁何 で こ れ
が おま いさ ん の心 じ ゃえ ? ﹂ と 尋 ね る と 、 弥 次 さ ん ﹁わ し ゃは じ か み い﹂ と 言 う 。 ﹁は じ か み ﹂ は 生 姜 の 別 名 で
す が 、 こ の場 合 、 女 中 は お 客 が 来 れ ば 誰 か れ の見 さ か いな し に ﹁鮎 ﹂ を 出 し て は ﹁こ れ は 私 の 心 いき じ ゃわ い
な ﹂ と 言 い つけ て いた も のと 思 いま す 。 そ れ に 対 し て、 即 席 で同 じ く し ゃれ で返 事 を し た の は 、 弥 次 郎 兵 衛 だ け
だ った の で はな い でし ょう か 。 ﹁は ず か し い﹂ と ﹁は じ か み ﹂ で、 あ ま り 言 葉 が し っく り合 って いな いと こ ろ が
反 って 御 愛 嬌 で 、 こう いう のを 今 のキ ャバ レー あ た り で や った ら受 け る こ と 確 実 です 。
こ のく ら いです か ら 、 か れ ら 二人 は 興 に乗 じ 、 相 手 か ま わ ず ち ゃら ん ぽ ら ん を 言 って いる 。 ほ ん と う に 楽 し そ
う です 。 袋 井 の宿 で、 たま た ま 道づ れ にな った 男 に 対 し て 、 吉 原へ 通 った 話 を し て 、 ﹁ほ ん に わ っち ら は 、 尻 に
四 つ手 か ご の蛸 が 出 来 た ほ ど 通 ったも のだ ﹂ と 言 う 。 ま た 、 奈 良 の大 仏 見物 を し た 時 に 、 ガ イ ド が ﹁あ の鼻 の穴
か ら は 、 人 が 傘 を さ し て出 ら れ ま す ﹂ と いう と 、 ﹁そ ん な こ と よ り、 お ら が 方 の 何 と か いう 男 の鼻 の穴 か ら は 、 カ サ が 一人 で に吹 き だ し た わ ﹂ な ど と ま ぜ っかえ し ま す 。
話 は変 り ま す が、 漱 石 の ﹃坊 っち ゃん ﹄ を 読 み ま す と 、 赤 シ ャ ツ の歩 き 方 を 批 評 し て ﹁泥 棒 の稽 古 じ ゃあ る ま
いし 、 も っと 男 ら し く 歩 く が い い﹂ と 言 った 文 句 に の べ つに 接 し ま す 。 そう し てわ れ わ れ は 痛 快 が って喜 び ま す 。
弥 次 郎 兵 衛 ・喜 多 八 は こ の方 面 の先 輩 であ りま し て、 例 え ば 、 二 川 の宿 で、 弥 次 郎 兵 衛 が人 相 のよ く な い男 と あ
や ま って ぶ つか って、 相 手 が 、 ﹁こ の 野郎 奴 、 横 っ面 アか ぶ り つくぞ ﹂ と 威 す 、 弥 次 郎 兵 衛 、 ﹁ハ ハ ハ ハ﹂ と 笑 い
飛 ば し て 、 ﹁大 江 山 の飯 時 じ ゃあ る め エし 、 つら アか ぶり つく も 気 が つえ エ﹂ と 言 い返 す 。 い い度 胸 です 。
少 し 先 の町 で、 草鞋 を 買 お う と いう わ け で 、 片 っ方 だ け 売 ら な い かと 持 ち か け る と 、 店 の主 人 ﹁か た か た 放 し
て は 上 げ ら れ ま せ ん ﹂ と 当 然 の こ と な がら 断 ら れ る。 と 、 弥 次 郎 兵 衛 氏 ﹁ナ ニ、 片 方 は 売 ら れ ね エか 、 さ す が は
田舎 だ な、 も のが 不 自 由 だ ﹂ と 言 う と こ ろ が あ りま す が 、 こ れ は 坊 っち ゃん が は じ め て宿 直 にあ た って、 西 陽 の
さ し こむ 宿 直 部 屋 に 入 れ ら れ 、 坐 って み た と き に、 ﹁田 舎 だ け あ って 、 秋 が 来 て も 気 永 に 暑 いも ん だ ﹂ と いう 、 あ れ と 同 じ 種 類 の せ り ふ であ り ま す 。
二 人 の 話 術 の冴 え は 、 さ ら に 闊 達 な 演 技 に つな が り ま す 。 か れ ら は、 即 席 に いろ いろ の声 色 が 使 え た ら し い。
島 田 の宿 で は 、 川 越 の人 足 を た のも う と 武 士 に化 け る と こ ろ があ り ま す 。 こ こ で、 ﹁こ り ゃ、 問 屋 ど も 、 身 ど も
は 大 切な る主 用 で 罷 り 通 る ⋮ ⋮ ﹂ と いう よ う な 武 士 の せ り ふを 言 って いる 。 ﹁御 同 勢 は お いく た り ? ﹂ と 問 わ れ
て も あ わ て な い。 ﹁何 ? 同 勢 な ? ﹂ と 一往 受 け て か ら 、 以 下 は ﹁ 本 馬 が 三 匹、 駄 荷 が 都 合 十 五 駄 ほ ど であ り お る が 、 道 中 邪 魔 だ か ら 江 戸表 に お いて 来 た ﹂ な ど と 淀 みな く 応 対 し て い る。
伊 勢 の山 田 へ行 く と 、 今 度 は 上 方 の人 間 か ら 、 茶 屋 でも てる た め には 京 都 言 葉 を 使 え と 教 え ら れ る。 そ う す る
と 、 早 速 、 ﹁コ レ コ レ女 子 衆 、 ち ょ っと 来 て お く れ ん か い の、 わ し ゃ何 じ ゃ や ら 、 と っと も う え ろ う ノ ド が 渇 く
さ か い、 茶 ア 一つも て来 て お く れ ん か いな ﹂ な ど と や って いる。 ま だ 京 都 へ行 かな い前 から こう いう 真 似 が 出 来
る と は 大 し た も の です 。 こ のよ う な と こ ろ に私 は ほ と ほ と に 感 心 し て し ま いま す 。 な お 、 こう いう あ た り を 読 む
と 、 弥 次 郎 兵 衛 と 喜 多 八 の 二 人 のう ち 、 何 と 言 って も 、 年 か さ であ り 、 スポ ンサ ー であ る 弥 次 郎 兵 衛 の方 が 上 手 で す 。 ち ゃん と 二人 の性 格 は書 き 分 け ら れ て いま す 。
と に かく こ ん な 風 で 、 二人 と も 芸 達 者 で す か ら 、 二人 は さ か ん に実 際 に芝 居 ご っこを や って は 興 じ て いる 。 戸
塚 の宿 で は 、 ﹁親 子 の ふ り で 泊 ろう ﹂ と 相 談 し て、 早 速 ﹁と っ つ アん や ﹂ ﹁何 だ ﹂ と や り あ って いる 。 臨 時 に 主 人
と お 伴 の役 に な って いる と こ ろ も あ りま す 。 帰 り の木 曾 街 道 では 、 軽 井 沢 の そ ば の渋 沢 と いう 宿 へ泊 る と き に、
弥 次 郎 兵 衛 は 盲 目 、 喜 多 八 は聾 にな った ふ り で 泊 ろ う と 相 談 し て そ のと お り や って いる 。 さ ぞ楽 し か った ろ う と 羨 望 にたえません。
そ う し て こ のよ う な 場 合 、 注 意 す べ き こと は、 一人 が提 案 す る と 、 相 手 は そ り ゃ面 白 い、 や り や し ょう 、 と い
って成 算 も 何 も な く 賛 成 す る、 これ は驚 く べき 自 信 です 。 と 同 時 に、 実 に気 の合 った 二人 です 。 こう いう 人 同 士 で 旅 行 し た ら 楽 し いに ち が いな い。
こう いう 風 です か ら 、 相 手 に 対 し て相 当 な 遠 慮 のな いこ と を 言 って も 喧 嘩 に な ら な い。 日坂 の 宿 で、 弥 次 さ ん
が 腹 が痛 いと 言 う と 、 喜 多 八 は ﹁そ り ゃお め エ、 ナ イ ラ の起 った の だ 。 豆を 食 や アな お る ﹂ と 言 う 。 年 配 であ り、
スポ ンサ ー で あ る相 手 を 馬 扱 い です 。 浜 松 の宿 で は 、 亭 主 が 風 呂 が わ いた と 言 ってく る と 、 喜 多 八 ま た す か さ ず
﹁湯 灌 場 がわ いた そ う だ、 弥 次 さ ん 先 へや ら か し ね エ﹂ と いう 。 死 人 扱 い です 。 が 、 ち っと も 弥 次 さ ん怒 ら な い。 適 当 に受 け て いる。 い い間 柄 で す 。
こと に傑 作 は 、 京 都 で先 に 述 べた 、 梯 子 の始 末 で す 。 弥 次 郎 兵 衛 のち ょ っと し た 冗 談 口 がも と で梯 子を 買 わ さ
れ 、 捨 て る わ け にも いか ず 宿 屋 へも ち こ ん で来 た の で、 宿 屋 でも ﹁こ り ゃ、 き ょう と いお 荷 物 じ ゃわ いな ﹂ と び っく り し て いる 。 そ し て江 戸 か ら 何 だ って 梯 子 を お 持 ち な さ れ た と た ず ね る。
す る と喜 多 八 が頼 ま れ も しな い の に これ を 受 け て 、 ﹁そ り ゃ ア、 わ け が あ って 江 戸 か ら 言 づ か って 来 た ﹂ と い
う 。 ど う いう こ と か と 言 う と 、 自 分 の親 し い人 間 に 、 生 ま れ は京 都 で 江 戸 で所 帯 を も って いる 男 が いる が 、 京 都
の親 元 の方 か ら そ の男 のと こ ろ へ、 先 日使 い のも の が は る ば る 梯 子 を か つ い で来 た 。 そ の わ け は、 親 が 無 筆 で 、
﹁登 って 来 い﹂ つま り ﹁京 へ来 い﹂ と いう 意 味 を 伝 え る た め に梯 子 を 江 戸 ま で 届 け た わ け だ と いう 。 そ れ に対 し
て 江 戸 に いる息 子 も し ゃれ も の で 、 ﹁登 って行 き た い が金 がな い﹂ と いう こ と を 伝 え た い、 そ のた め に こ の梯 子
と 乞 食 坊 主 一人 に 撞 木 を 持 た せ て 、 そ の親 元 へ届 け て 欲 し いと 頼 ま れ て 、 私 が こ う し てわ ざ わ ざ 江 戸 か ら こ の梯 子を か つ いで 来 た ん だ と 、 思 い つき を 言 いま す 。
宿 屋 の主 人 、 す っか り 感 心 し て 、 本 気 に し ま し て ﹁そ り ゃ、 は る ば る と 御 道 中 梯 子 を お 運 び と は 難 儀 じ ゃ った
で あ ろ 、 そ れ に し ても 、 そ の 分 な ら 坊 さ ん が い る で あ ろ 。 わ た く し 方 に 世 話 し て る よ い坊 さ ま が ご ざ り ま す か ら 、
こ れ を お 連 れ な さ れ ま せ ﹂ と 言 う の で 、 さ す が に喜 多 八 び っく り し て、 す っか り 取 り 乱 し 、 ﹁いや いや 、 今 急 に
は いり ゃ アせ ぬ 、 厄 介 も の の梯 子 を 引 き 受 け て困 って い る に 、 そ の上 、 生 き た坊 さ ん を 取 り 込 ん で ど う す るも の
だ 、 のう 弥 次 さ ん ﹂ と 泣 き つく と 、 肝 腎 の弥 次 さ ん の方 は 落 着 いた も の で 、 ﹁いや 、 そ り ゃ ア、 手 め え のか か り
だ か ら 、 お いら は 知 ら ぬ が 、 何 し ろ そ の 坊 様 を 早 く 頼 む がよ さ そ う な も のだ ﹂ と 、 と ぼ け る 。 こ ん な こと か ら 、
結 局 乞 食 坊 主 の ひ ゃん て つと いう の が来 て し ま う こ と にな って 、 ま た 騒 ぎ にな る わ け です が 、 こ の弥 次 さ ん の受 け答 え な ど 、 こ のあ た り の 一つ のク ライ マ ック ス で あ り ま す 。
私 は 固 い家 庭 に育 ち 、 お 酒 も のめ な いこ と が わ ざ わ いし て 、 若 い頃 か ら な かな か 人 と 打 割 った 交 際 が出 来 な い。
人 に 対 し て 遠慮 のな い 口を き き た く ても 、 何 か 傷 つけ は し な いか と ひ か え て しま う 。 こう いう こ と か ら 、 こ の弥
次 郎 兵 衛 ・喜 多 八 に は 、 そ の 話 術 だ け で は な く 、 そ の人 柄 に も ほと ほ と 感 心 し、 ど う し た ら こう いう 気 持 に な れ
る だ ろ う か と 思 った も の であ り ま す 。 ま た 、 ど んな に失 敗 し て も 、 か れ ら は 狂歌 一つ読 ん だ り す る と 、 す ぐ 機 嫌
が な お る。 そ れ を 表 わ す よ う に 、 例 え ば 島 田 の 手 前 な ど で 、 ﹁田 舎 者 と あ な ど り て、 と ん だ 意 趣 返 し を し ら れ た る も 可 笑 し く ⋮ ⋮ ﹂ と いう よ う な 言 葉 は 至 る と こ ろ に 出 て来 ま す 。
帰 り 途 の膳 所 の宿 で、 き れ いな 娘 が 泊 って いる 。 も う 一晩 泊 ろ う と 二階 か ら わ ざ と 落 ち て怪 我 を す る。 そ の苦
心 が、 し か し 報 いら れ ぬ と こ ろ があ り ま す が 、 ﹁心 のう ち は お か し い や ら 、 ば か ら し い や ら 、 外 聞 悪 く 人 に も 話
が な ら ぬ ﹂ と いう 感 想 を も って いる。 実 にさ ば さ ば し た も の です 。 余 裕 があ り ま す 。
私 は 何 と か し て 、 こう いう 人 間 にな り た いも のだ と 、 修 養 のた ね に し よ う と 何 度 考 え た か わ か り ま せ ん。 し か
も かれ ら は 実 に 純情 な 面 を も って いる 。 白 川 の宿 で イ タ コを 呼 ん だ と ころ が、 弥 次 郎 兵 衛 の死 ん だ 女 房 が 出 て 来
た 、 そう し て貧 乏 ぐ ら し の辛 か った こ と を 、 ま る で 菊 池 寛 の ﹃父 帰 る ﹄ の中 で 、 長 男 が 帰 って来 た 親 父 に し ゃ べ
っく り し て 、 ﹁弥 次 さ ん 、 お め エ、 泣 く か ⋮ ⋮ ﹂ と 言う と こ ろ が あ り ま す が 、 実 に や さ し い人 柄 です 。
る 名 せ り ふ 、 あ れ に あ るよ う な こと を し ゃ べ る ので 、 弥 次 郎 兵 衛 がポ タ ポ タ 涙 を 落 す く だ り があ る 。 喜 多 八 が び
夏 目漱 石 の ﹃吾 輩 は 猫 であ る ﹄ と いう 作 品 の中 に は 、 村 上 迷 亭 と か 、 水 島 寒 月 と か いう 友 人 が い て、 苦 沙 弥 先
生 の家 へ来 て は雑 談 ・放 談 を や り ま す 。 先 に 亡く な った 話術 の大 家 、 徳 川 夢 声 さ ん は 、 そ の座 談 の見 事 さ に 感 心
し てま し て 、 も し 迷 亭 ・寒 月 が 現 存 す る な ら ば、 自 分 は 喜 ん でそ の前 に 膝 を 屈 し て、 靴 の紐 を 結ぼ う と 言 って い
ま し た 。 も し 、 弥 次 郎 兵 衛 ・喜 多 八 が今 の世 に いた ら 、 ゆ と り のな い生 活 ぶ り で コト バ の研 究 を し て い る私 は 、
甘 ん じ て そ の前 に ひ ざ ま ず いて 、 草鞋 の紐 を と き 、 そ の 足を 洗 って や っても い いと 言 わ ざ る を え ま せ ん 。
Ⅲ 日 本 語 の古 い発 音 を 伝 え る も の︱ 口承資料︱
︻口承資 料 の定義 ︼ 過 去 の言 語 の状 況 を 推 定 す る 資 料 のう ち 、 口 か ら 口 へ伝 え ら れ て、 現 在 に 及 ん だ 言 語 作 品。
国 語 史 研 究 の上 では 、 声明 ・平曲 ・謡 曲 ・浄 瑠璃 と い った 、 歌 い物 ・語 り物 の類 が 代 表 的 な も の で、 文献 資料 に 対
す る。 狂 言 や 歌 舞伎 、 あ る いは 落語 ・講談 の類 は 、 舞 台 や 寄 席 で 話 さ れ る 言 葉 と し て 、 一種 の方 言 資 料 と も 見 ら
れ る が 、 や はり 伝 承 の様 式 や 、 そ こ に用 いら れ る セ リ フ が ほ ぼ き ま って いる こ と か ら 言 う と 、 口承 資 料 の 一種 と
見 ら れ る。 ま た 、 歌 い物 ・語 り物 の譜 本 や 口 伝 書 の 類 は 、 文 献 資 料 の 一種 であ る が 、 右 の よ う な 口 承 資 料 の 内 容 を 明 ら か に し 、 そ れ を 補 正 す る点 で、 口 承 資 料 に準 じ る 。
︻そ の価値 と その扱 い方 ︼ 狂 言 ・歌 舞 伎 のセ リ フを 含 め て、 こ れ ら 口 承 資 料 は 、 師 匠 か ら 弟 子 へ の伝 授 が 厳 し く 、
弟 子 は 師匠 に 少 し も 違 う ま いと 思 って習 い、 そ のと お り 自 分 の弟 子 に 伝 え る習 慣 が あ った の で、 一般 社 会 の言 語
が 変 化 し て も 、 そ の中 では 古 い状 態 を 保 つ こと が あ る 点 で、 特 殊 な 価 値 を も つ。 直 接 耳 に 聞 か れ る 点 で は、 文 献
資 料 よ り勝 った 点 が あ り 、 こ と に 音 韻 史 や ア ク セ ント 史 の 面 で優 秀 な 資 料 であ る 。 ま た、 そ の資 料 が い つ発 生 し 、
誰 が 改 訂 し た か を 明 ら か に でき る 点 で、 現 在 の方 言 の類 に比 し て高 い価 値 を も つ。 た だ し 、 注 意 す べき は、 歌 い
物 ・語 り物 は 、 あ く ま でも 一種 の歌 であ って、 イ コー ル言 語 では な い こと を 忘 れ ては な ら ず 、 狂 言 や 歌 舞 伎 の セ
リフ は 、 舞 台 で発 せら れ る と いう 特 別 の制 約 が あ って 、 一般 の 言 葉 と は ち が う 点 が あ り は し な いか と いう 可 能 性
を 考え ておかねばな らな い ( 例 え ば 歌 舞 伎 の 子役 の セ リ フ の フ シ )。 ま た 伝 統 を 重 ん じ る と 言 って も 、 時 に は 積
極 的 に変 え て ゆく こ と も あ る し 、 ま た 不注 意 か ら 伝 統 を 失 す る こと も あ る し す る か ら 、 こ れ ら の上 に 反 映 す る 現 象 を 、 あ ま り 信 用 し す ぎ な い配慮 も 肝 要 で あ る 。
︻具体 例 言 語 の変 異 に つ いて ︼ 狂 言 や 浄 瑠 璃 ・歌 舞 伎 の セ リ フは 、 そ のま ま で は な い にし て も 、 室 町 時 代 ・江 戸
時 代 の 話 し 言 葉 を か な り 近 く 伝 え て いる は ず であ る 。 地 位 別 ・職 業 別 ・年 齢 別 の言 葉 の ち が いな ど、 誇 張 さ れ て
は い る で あ ろ う が 、教 え ら れ る と こ ろ が 大 き いで あ ろ う 。 各 地 に残 って いる 郷 土 芸 能 も 同 様 と 思 う 。 落 語 や 講 談
の類 も 、 江 戸 後 期 の話 し 言 葉 を よ く 伝 え て いる に相 違 な い。 平 曲 ・謡 曲 で は、 ﹁候 ふ ﹂ と いう 語 を 、 男 性 の場 合
は ソ ー ロー ( ま た は 略 し た ソ ー 、 続 き に よ って は ゾ ー ロー 、 ゾ ー) と 言 い、 女 性 の場 合 は サ ブ ロー と 言 う 習 慣 が
あ る が、 中 世 の男 性 語 ・女 性 語 のち が いを 示 し て い る。 仏教 関 係 の 声 明 は、 原 則 と し て 漢 字 を 音 読 し て唱 え る が、
これ は古 く 漢 字 で 書 か れ た 文 章 は 、 返 り 点 ・送 り仮 名 を つ けず に棒 読 み し た 名 残 り を 伝 え る 。 朗 詠 でも 、 ﹁嘉 辰
令 月 歓 無 極 、 万 歳 千 秋 楽 未 央 ﹂ の ご と き は 、 今 でも 、 カ シ ン レイ ゲ ツク ワ ン ムキ ョク 、 バ ン ゼイ セ ン シ ュー ラ ク ビ ヨー と 音 読 さ れ る 習 慣 が あ り 、 昔 の姿 を 残 し て いる。
︻具体 例 漢字 の読 み方 のち が い︼ 声 明 のう ち 、 真 言 宗 ・天台 宗 のも の に は 、 漢 音 ・呉 音 の 別 を は っき り 伝 え る 資
料 が あ り 、 ﹁散 華﹂ ﹁対 揚 ﹂ な ど の曲 は す べ て 呉 音 の資 料 、 ﹁四智 漢 語 讃 ﹂ ﹁云 何 唄 ﹂ ﹁唱 礼 ﹂ ﹁九 方 便 ﹂ な ど は 漢
音 の資 料 で あ る 。 真 言 宗 の ﹁祭 文 ﹂ の ご と き は 、 ﹁二年 二 月 ﹂ を ニネ ンジゲ ツ の よ う に 、 最 初 の年 数 は 呉 音 で、 月数 は 漢 音 で 読 み 、 声 調 ま で気 を 付 け る と いう 凝 り方 であ る。
一般 に 現在 と ち が った 読 み 方 を す る 例 は 、 各 資 料 に 多 く 、 雅 楽 で は 、 ﹁皇 帝 ﹂ ﹁勇 勝 ﹂ (﹁ 皇帝破陣楽﹂)な ど 、 平
曲 では
( ﹁ 嘉
命﹂ ( 平曲 ﹁ 横 笛 ﹂)、 ﹁行 幸 ﹂ ( 同 ﹁ 紅 葉 ﹂)、 ﹁秘 蔵 ﹂ ( 同 ﹁生 食 ﹂、狂 言 ﹁ 武
( ﹁ 暫 ﹂︶を 通 じ て 現 わ れ る 。 数 詞 で は 、 狂 言 に ﹁ 一人 ﹂ ( ﹁ 萩 大 名﹂) 、 ﹁五 日 ﹂ ( ﹁ 富
﹁粗 食 ﹂ (﹁ 矢 の 根﹂)、 ﹁精 力 ﹂ (﹁ 鳴 神 ﹂) な ど が あ る 。 ﹁万 歳 ﹂ は 、 朗 詠
﹁以 下 ﹂ ( ﹁竹 生島 ﹂)、 ﹁不 孝 ﹂ ( ﹁ 横 笛 ﹂) な ど 、 謡 曲 に は 、 ﹁内 外 ﹂ ( ﹁ 葵 ﹂)、 ﹁人 身 ﹂ ( ﹁江 口﹂)、 ﹁ 夫人 ﹂ ( ﹁安宅 ﹂)、
( ﹁靭 猿 ﹂)・歌 舞 伎
﹁睡 眠 ﹂ ( ﹁ 盛 久 ﹂) な ど 多 く 、 歌 舞 伎 に も 辰﹂)・謡 曲 ・狂 言 士松 ﹂) な ど が あ る 。 清 濁 が 今 と ち が っ て い る も の に は 、 ﹁長
悪﹂)、 ﹁海 上 ﹂ ( 平 曲 ﹁竹 生 島 ﹂、 謡 曲 ﹁ 船 弁 慶 ﹂) 、 ﹁東 方 ﹂ ( 謡 曲 ﹁葵 上﹂、 ﹁ 野 守﹂) 、 ﹁抜 群 ﹂ ( 同 ﹁安 宅 ﹂)、 ﹁群 衆 ﹂ ( 同 ﹁ 百
万﹂、 歌 舞伎 ﹁ 鳴 神 ﹂) 、 ﹁点 心 ﹂ ( 狂 言 ﹁文蔵 ﹂)、 ﹁信 仰 ﹂ ( 狂言 ﹁ 鬼 瓦 ﹂) 、 ﹁紛 失 ﹂ ( 歌 舞 伎 ﹁助 六﹂、 ﹁暫 ﹂、 ﹁ 毛 抜 ﹂) な ど 枚 挙 に
い と ま な く 、 ﹁天 下 ﹂ を テ ン ガ と よ み 、 ﹁奇 特 ﹂ を キ ド ク と よ む ご と き は 、 平 曲 ・謡 曲 ・狂 言 ・浄 瑠 璃 ・歌 舞 伎 の す べ て にわ た って普 通 であ る。
﹁大 坂 ﹂ が 普 通 で あ る 。
和 語 で は 、 ﹁輝 く ﹂ ( 平曲 ﹁ 那 須 ﹂、 ﹁竹 生島 ﹂)、 ﹁雄 鹿 ﹂ ( 平 曲 ﹁小 督 ﹂、 謡 曲 ﹁ 芭 蕉﹂) 、 ﹁舞 姫 ﹂ ( 謡曲 ﹁ 高 砂 ﹂)、 ﹁葛 城 ﹂
( 同 ﹁舟 橋﹂) 、 ﹁こ と こ と し ﹂ ( 同 ﹁ 船 弁 慶 ﹂) 、 ﹁子 の 日 ﹂ ( 狂言 ﹁狐 塚 ﹂)な ど が あ り 、 浄 瑠 璃 で は
﹁が な ﹂ を 清 む 習
ま た 、 平 曲・ 謡 曲 で は 、 ﹁ひ ゃ う ど ﹂ ﹁ほ う ど ﹂ の よ う に ﹁う ﹂ で 終 わ る 擬 音 語 の 次 の ﹁と ﹂ を 濁 り 、 狂 言 ・浄 瑠
璃 で は 、 ﹁御 利 生 で か な ﹂ ( 狂 言 ﹁武 悪 ﹂ )、 ﹁駈 け 落 ち で か な ﹂ ( 浄 瑠 璃 ﹁菅 原 伝 授 手 習 鑑 ﹂) の よ う に 慣 がある。
︻具 体 例 古 音 の 残 存 ︼ 個 々 の 音 に つ い て の 古 音 の 残 存 の 例 を あ げ る な ら ば 、 ハ行 唇 音 は 真 言 宗 の 声 明 に ﹁涅 槃 ﹂
﹁舎 利 讃 嘆 ﹂ ﹁法 華 讃 嘆 ﹂ の 中 に 、 助 詞
﹁は ﹂ を フ ァ と 言 う 例 が あ り 、 桜 井 茂 治 は 、 こ れ を 鎌 倉 初 期 の 発 音 の
(﹃ 四 座講 式﹄)、 ﹁ 薄 伽 梵 ⋮﹂ ( ﹃ 中 曲 理趣 経 ﹄) な ど の よ う に 残 っ て い る 。 特 に 珍 し い の は 、 天 台 宗 か ら 真 言 宗 に 入 っ た
の 唱 歌 に 、 ハ ・ヒ ⋮ ⋮ と い う 仮 名 を フ ァ ・ フ ィ ⋮ ⋮ と 読 む 習 慣 が あ る 。 平 曲 で は 館
﹁平 家 ﹂ を 明 治 ま で フ ェイ ケ と 言 っ て い た と い う が 、 こ れ は 津 軽 の 発 音 か も し れ な い 。パ 行 で は 、 平
伝 承 と 見 た 。 雅 楽 で は 、篳篥 山家 では
( ﹁ 卒 都 婆 流 ﹂) と 謡 曲
( ﹁嵐
曲 ・謡 曲 で 、 ﹁御 腹 ﹂ ﹁御 返 事 ﹂ ﹁御 計 ひ ﹂ の よ う なパ 行 の 残 存 が 耳 立 つ 。 ハ行 転 呼 音 の 例 も 、 現 在 の 口 語 よ り 多
﹁千 早 振 る ﹂ が 、 平 曲
( ﹁富 士松 ﹂) に 見 え る 。
く 、 ﹁母 ﹂ の 例 は 、 平 曲 ・謡 曲 ・狂 言 か ら 浄 瑠 璃 に 及 ぶ 。 枕 詞 に (﹁ 海 人 ﹂) と 狂 言
の 唱歌 に、 チ と いう 仮 名 を テ ィ と読 む 習 慣 が 残 って いる 。 サ 行 音 では 、 セ を シ ェと発 音 す る
山 ﹂) に あ る 。 ﹁千 尋 ﹂ は 謡 曲 タ 行 音 で は 、篳篥
習 慣 が 謡 曲 で は 金 春 流 に 聞 か れ る と い う 。 浄 瑠 璃 に は 、 シ ← ヒ の な ま り が あ っ て 、 ﹁半 七 さ ん ﹂ ( ﹁ 油 屋 の段 ﹂) と 言
う 。 平 曲 で は 、 ﹁苦 し さ ﹂ ( ﹁ 卒 都 婆 流 ﹂) 、 ﹁恨 め し さ ﹂ ( ﹁竹 生島 ﹂) の よ う な 場 合 、 シ の 音 を 促 音 に 言 う 習 慣 が 伝 わ っ
て い る 。 ク ワ ・グ ワ の 音 は 声 明 ・雅 楽 ・謡 曲 な ど に 散 見 す る 。 真 言 声 明 に 、 ﹁願 ﹂ と いう 文 字 に 対 し て 、 は じ め
にハ ネ ル 音 を 入 れ て ン グ ワ ン と 読 む 曲 が あ る が 、 ガ 行 子 音 の 古 音 で あ ろ う か 。 平 曲 で は 、 ﹁二 月 ﹂ ﹁四 月 ﹂ が 普
通 で あ る 。 ダ 行 子 音 ・ バ 行 子 音 の 前 に 短 い鼻 音 が 入 る の は 、 浄 瑠 璃 に し ば し ば 見 え 、 ﹁召 し ン 出 さ る る ﹂ ( ﹁菅 原 伝
授 手 習 鑑﹂)、 ﹁嫁 ン女 ﹂ (﹁ 絵 本太 功 記﹂) の よ う な 例 が あ る が 、 規 則 的 に い つも 鼻 音 を は さ む わ け で は な い。 浄 瑠 璃 で
は 、 も う 一 つ イ ・ エ の 音 の 次 の ア 行 音 を ヤ 行 音 に 転 ず る こ と が 多 く 、 ﹁仕 合 せ ﹂ ( ﹁菅 原 伝 授 手 習 鑑 ﹂) 、 ﹁有 り 合 う ﹂ ( ﹁絵 本太 功 記﹂) な ど と 言 う 。
連 母 音 イ ウ は 、 声 明 ・平 曲 ・謡 曲 で イ ウ と 割 っ て 言 う 習 慣 が あ り 、 こ と に 謡 曲 で は 、 本 来 イ ウ の も の で あ ろ う
﹁越 鳥 ﹂ ( ﹁蟻 通 ﹂ )、 ﹁縹緲 ﹂ ( ﹁花 筐 ﹂) の よ う な 例 が あ る 。 朗 詠 で も 、 ﹁椿 葉 ﹂
と 、 ユウ か ら 来 た も の で あ ろ う と 、 無 差 別 に イ ウ と 割 る 。 ﹁九 州 ﹂ ﹁宮 中 ﹂ ﹁夕 波 ﹂ の 類 で あ る 。 連 母 音 エ ウ も 、 声 明 で割 る習 慣 があ り、謡 曲 でも
﹁方 ﹂ の 字 を ア オ の 中 音 で 唱 え ろ と い う 口 伝 が あ る 。 ま た 、 ﹁散 華 ﹂ と い う 曲 で は 、 ﹁道 ﹂ と
( ﹁徳 是 ﹂) 、 ﹁松 花 ﹂ ( 同) のよ う に 言 う 。 連 母 音 ア ウ と オ ウ の区 別 は あ ま り 残 って いな いが、 そ れ でも 真 言 声 明 で は 、 ﹁対 揚 ﹂ と い う 曲 で
い う 字 に 対 し て ダ ウ と 言 え と い う 指 示 が な さ れ て い る 。 な お 、 ア ウ ・オ ウ が オー と な る こ と は 、 謡 曲 や 浄 瑠 璃 で
﹁幼 主 ﹂ の ﹁幼 ﹂ は ヨ ー と ユ ー と の 中 間 の 音 で 言 え と 言 わ れ て い る が 、 今 の 名 古 屋 の 平 曲 家 は ユ ー シ ュ と 言 っ
は 現 在 以 上 で 、 ﹁危 し ﹂ ( 謡 曲 ﹁八 島 ﹂)、 ﹁御 宇 ﹂ ( 同 ﹁ 忠 度 ﹂) な ど の 例 が あ る 。 ﹁母 上 ﹂ の 例 も あ る 。 そ の 他 、 平 曲 で
て いる 。 未 来 の助 動 詞
( 同)な ど 。
﹁う ﹂ は 、 狂 言 ・浄 瑠 璃 で 一段 活 用 動 詞 に 広 く そ の ま ま つ き 、 ﹁掛 け う ﹂ ﹁入 れ う ﹂ と な り 、
﹁見 う ﹂ は ミ ョ ー と 言 う 。
ウ だ け の音 節 は 、 マ ・メ の み な ら ず 、 バ 行 音 の前 で も 、 謡 曲 は mに な る 。 ﹁姥﹂ ( ﹁山姥 ﹂)、 ﹁烏羽玉﹂
撥 音 で 注 意 す べ き は 、 声 明 で 昔 の 唇 内 の 音 mは 、 十 分 声 を 引 い て 唱 え 、 舌 内 の 音 nは 、 前 の 母 音 を 引 い て 最 後 に
﹁連 声 ﹂ は 各 資 料 に 盛 ん で 、
ち ょ っと ンを 添 え る 習 慣 が あ る こ と で あ る 。 こ れ は 平 安 朝 ご ろ mは そ れ だ け で 一つ の 音 節 を 形 成 し た の に 対 し 、
nは 前 の 母 音 に 付 属 し て 一 つ の 音 節 を 形 成 し た 面 影 を 伝 え る も の か と 思 う 。 いわ ゆ る
﹁建 礼 門 院 ﹂ ( 平曲 ﹁ 横 笛﹂)、 ﹁御 有 様 ﹂ ( 謡曲 ﹁ 安 宅 ﹂) な ど 、 随 所 に 見 ら れ 、 部 分 的 に は 浄 瑠 璃 に も 及 ぶ 。 狂 言 で は
こ と に 盛 ん と 見 る べ き か 、 ﹁失 念 致 す ﹂ (﹁ 入 間 川﹂)、 ﹁随 分 急 げ ﹂ ( ﹁ 粟 田 口﹂) の よ う に 、 次 の 文 節 に も 及 ぶ こ と が 多
い 。 ま た 、 こ れ は 、 ヤ 行 音 ・ワ 行 音 に も 及 び 、 ﹁陰 陽 ﹂ ( 平 曲 ﹁鱸﹂)、 ﹁御 別 れ ﹂ ( 謡曲 ﹁ 船 弁 慶 ﹂) の よ う に な り 、
﹁金 銀 は ﹂ ( 狂言 ﹁縄 絢 ﹂) 、 ﹁推 参 を ﹂ ( 同 ﹁ 富 士松 ﹂) の よ う に 助 詞 に も 及 ぶ 。 連 声 で 注 意 す べ き は 、 宝 生 流 謡 曲 に 、
﹁輪 廻 ﹂ の 例 は 、 文 楽 浄 瑠 璃 に ま で 引 き 継 が れ て い る 。
﹁尊 詠 ﹂ (﹁ 船 弁 慶 ﹂) 、 ﹁三 会 ﹂ ( ﹁弱法 師﹂) の よ う な ニ ェ と いう 音 節 が 生 ま れ る と い う 例 が あ る 。 こ れ も 、 助 詞 に ま で 及 び 、 ﹁羊 飛 山 へ﹂ と い う 例 が あ る 。 な お
﹁く つば み ﹂ ( 平曲 ﹁ 那 須 ﹂) 、 ﹁大 物 の 浦 ﹂ ( 謡 曲 ﹁船 弁 慶 ﹂) の よ う な も の に も 及 び 、 浄 瑠
促 音 は さ ら に 問 題 が 多 く 、 声 明 ・平 曲 ・謡 曲 を 通 じ て 、 ザ 行 音 ・ダ 行 音 ・ナ 行 音 ・バ 行 音 ・マ 行 音 な ど の 前 で は 、 ノ ム 音 に な り 、 これ は
璃 に ま で 引 き 継 が れ て い る 。 謡 曲 で は 、 ま た ラ 行 音 の 前 で は 、 ﹁出 離 ﹂ ﹁仏 力 ﹂ な ど 、 促 音 で 発 音 す る 。 平 曲 ・謡
﹁を ﹂ ﹁は ﹂ も こ の た め に ト ・タ と な り 、 ﹁時 節 を ﹂ ( 謡曲 ﹁ 船 弁 慶 ﹂) 、 ﹁今 日 は ﹂ ( 狂言 ﹁ 成 上 り﹂)と 言 う 。
曲・ 狂 言 で は 、 次 に ア 行 音 ・ ワ 行 音 が 来 た 場 合 、 そ れ を タ 行 音 に 変 え る の が 普 通 で 、 部 分 的 に は 浄 瑠 璃 に も 及 ぶ 。 助詞
﹁亡 夫 ﹂ ( ﹁井 筒﹂) の よ う な 例 が あ
以 上 の ほ か 、 平 曲 で は 単 音 節 語 を 長 く 引 い て 上 中 下 と いう 特 殊 な フ シ を 付 け て 言 う 習 慣 が あ り 、 狂 言 ・浄 瑠 璃
( ﹁ 寿司屋﹂︹ 菅 原 伝 授手 習 鑑 ︺) と 言 う 。
も 長 く 引 く 傾 向 が あ る 。 個 別 的 な 例 と し て は 、 平 曲 に ﹁四 海 ﹂ ( ﹁鱸﹂) 、 謡曲 に り 、 ﹁十 手 ﹂ は 、 浄 瑠 璃 で ジ ッ テ ー
前 代 の ア ク セ ント に つい て教 え ら れ る こ と も さ ら に多 い。 声 明 のう ち の、 ﹁讃 嘆 ﹂ ﹁講 式 ﹂ ﹁表 白 ﹂ ﹁祭 文 ﹂ の類
の旋 律 と 、 雅 楽 の 朗 詠 の 旋 律 の 一部 は 、 鎌 倉 時 代 の 日本 語 の ア ク セ ン ト を 反 映 し て お り 、 こ と に 新 義 真 言 宗 の
﹁祭 文 ﹂ の節 は 、 鎌 倉 時 代 の ア ク セ ント そ の ま ま で 、 貴 重 であ る 。 声 明 ﹃仏 遺 教 経 ﹄ の全 曲 と 、 平 曲 のう ち の折
声 の 一部 は 、 南 北 朝 時 代 の ア ク セ ント を 反 映 し て、 ●○ ● と いう 形 の旋 律 を 伝 え 、 添 田建 治 郎 に よ れ ば 、 謡曲 の
一部 にも こ れ が 現 れ る と いう 。 真 言 宗 の ﹁和 讃 ﹂、 謡 曲 の 一部 、 平 曲 の中 音 ・初 重・ 三 重 な ど の旋 律 は 室 町 時 代
か ら 江 戸 初 期 に か け て の ア ク セ ント を 伝 え る 。 平曲 のう ち の素 声 と 口 説 の旋 律 は 、 江 戸中 期 の ア ク セ ント のす ぐ
れ た 資 料 で、 浄 瑠 璃 の類 の 旋 律 や 歌 舞 伎 の セ リ フも これ を 助 け る 部 分 が あ る 。 講 談 ・落 語 も 部 分的 に 江 戸 末 期 の ア ク セ ント を 伝 え て いる 。
国 語 史 と 方 言
一 理論 篇 一 方 言 の歴 史 と は ( 1) 柳 田翁 の見方 に異論 あり
私 な ど の見 た 所 で は、 こ の国 語 の 地 方 差 の原 因 は 、 一つ には 土 地 毎 の勝 手 な 改 造 と 誤 解 、 又 は 真 似 そ こ な い
方 言 と 国 語 史 と の 関 係 に つ いて は 、 柳 田 国 男 が ﹁国 語 の 将 来 ﹂ と いう 論 文 の中 で、 注 目 す べき 発 言 を し て い る。
の よ う な も のも あ る が 、是 は 存 外 に 量 が少 な く 、 又容 易 に発 見 せ ら れ 、 訂 正 せ ら れ る 。 そ の 残 り の部 分 は 、
過 去 の或 時 期 の 一般 の 変 化 状 態 か ら 、 更 に歩 を 進 め て 現 代 に向 って 来 る 道 筋 の、 おく れ 先 立 つ色 々 の段 階 で
あ った と 見 ら れ る 。 中 央 では 丸 で 変 り 、 或 土 地 では 半 分 乃 至 三 分 の 一変 り、 又 やゝ 辺 鄙 な 土 地 で は 丸 で 変 ら
ず に 、 一つ前 の形 のまゝ で 居 る と いう 、 所 謂 五 十 歩 百 歩 の差 で あ った 。(﹃ 定本柳田国男集﹄では第 一九巻 の 一六− 七 ペー ジ)
と 言 う の で あ る 。 こ れ は 、 言 語 の改 新 は 原 則 と し て 文 化 の中 心 地 に起 こ る 、 そ れ が 漸 次 地 方 に伝 播 し て行 く が 、
そ の こ ろ に は ま た 中 心 地 に新 た な 改 変 が 起 こり 、 こ れ を 何 回 にも わ た って繰 返す 、 と いう 思 想 で、 こ の結 果 と し
て 方 言 は 辺 境 に残 る、 辺 境 の方 言 は 昔 の日 本 語 の 姿 を 伝 え る 、 と いう こ と にな り 、 例 の翁 の創 唱 に な る ︽方 言 周
圏 論 ︾ の根 本 にあ る 思 想 で あ る 。
植 物 の分 布 を 記 述 し た 本 に は 、 日本 の高 山 に 登 る と 、 麓 の方 は そ の付 近 の 山 野 のも のと 同 じ 種類 の植 物 が は え
て いる が 、 や や 高 いと こ ろ に は 、 そ の地 域 よ り 北方 の地 域 に 自 生 し て いる の と 同 じ 種 類 の植 物 が 見 ら れ 、 高 度 を
増 す に 従 って、 北 海 道 と 同 じ も の、 カ ラ フト と 同 じ も の が 見 ら れ る と あ る 。 こ の、 土 地 の高 さ と 地 域 の北 寄 り と
の 関係 と 同 じ よ う な 関 係 が 、 ち ょう ど 日 本 の都 か ら の距 離 と 言 葉 の古 さ と の 関係 の上 に も 見 ら れ る と 説 いた わ け であ る 。
も し 、 こ のよ う な こと が 正 し いな ら ば 、 方 言 を 都 に近 い地 域 か ら遠 い地 域 へ調 べ て 行 く こと に よ って、 多 少 訂
正 を 要 す る こ と は あ っても 日 本 語 の 歴 史 の流 れ が お のず か ら 明 ら か に さ れ る わ け で、 こ ん な 好 都 合 な こと は な い。
が、 こ れ は か な り 実 際 と は ち が う だ ろ う と いう こ と は 、 た と え ば わ れ わ れ が 一方 に ﹃ 古事 記﹄ の文章をよ み、 一
方 に鹿 児 島 県 の方 言 を 聞 いた と き 、 あ き ら か に 似 て いる と は ど う も 言 いか ね る こと でも わ か る 。 こ の考 え は 、 実 際 は いろ いろ 問 題 を 含 ん で いる 。
(2) 地 域 によ る変 化 の段 階 の相違
ま ず 、 地 域 地 域 によ って 、 そ れ ぞ れ 変 化 の段 階 が ち がう と いう こ と 、 これ は わ れ わ れ は と か く 忘 れ がち で あ る
が、 し っか り 記憶 し て おく べき こ と で あ る 。 中 央 の言 葉 が 、 何 時 代 に 古 代 語 か ら 近 代 語 に 変 わ った と す る 。 し か
し 、 そ の時 期 に、 日 本 全 国 の諸 方 言 が 同 時 に古 代 語 から 近代 語 に 変 わ った と 考 え て は いけ な い。 た し か に 地方 の
言 葉 は 、 ま だ 古 代 語 のま ま であ る のも あ ろ う 。 し か し ま た 、 中 央 語 よ り 一歩 前 に 近 代 語 に な って いる も の も あ る か も し れ な い。
方 言 研 究 の中 で 一番 進 ん で い る と考 え る ア ク セ ント の 面 に つ いて 言 う な ら ば 、 京 都 を は じ め と す る 近 畿 地 方 な
ら び に 四 国 地 方 の大 部 分 の方 言 の ア ク セ ント は 、 大 体 室 町 時 代 の 体 系 か ら あ ま り 変 化 し て いな いに か かわ ら ず 、
東 海 ・東 山方 言 や 中 国 地 方 の方 言 は 、 それ よ り 進 ん だ 姿 を 示 し て い る。 そ う し て 、奥 羽 方 言 や 大 部 分 の九 州 方 言
な ど は さ ら に 変 化 し は て た 姿 を 見 せ る 。 こ れ は 服 部 四 郎 ・平 山 輝 男 ら の学 者 が主 張 し 、 今 、 学 界 の定 説 と な って いる と こ ろ で あ る 。
音 韻 の部 面 で言 う な ら ば 、 東 京 ・京 都 ・大 阪 な ど 中 央 の諸 方 言 は 、ハ ネ ル音 ・ツメ ル音 が そ れ だ け で 一拍 を 構
し て は じ め て 拍 を 形 成 す る 方 言 で 、 柴 田 の言 う シ ラ ビ ー ム方 言 であ る。 こ の場 合 、 進 ん で いる の は モ ー ラ方 言 、
成 し 、 柴 田武 の言 う モ ー ラ方 言 で あ る が、 北奥 や 南 九 州 の方 言 な ど は、 ハネ ル音 ・ツ メ ル音 は 直 前 の母 音 と 結 合
シ ラ ビ ー ム方 言 の いず れ であ る か 問 題 があ る が 、 と に か く ち が う 変 化 の段 階 のも の であ る こ と は た し か であ る 。
文 法 の面 、 語彙 の面 も 、 ど う いう 点 を 重 要 視 す る か が 、 ま だ は っき り し て いな いが 、 は っき り し さ え す れ ば 、 や は り 方 言 に よ り 変 化 の段 階 がち が う 、 と いう こと に な る と 思 わ れ る 。
こ の状 況 は 、 ち ょう ど 考 古 学 の方 で、 中 央 の地 域 で石 器 時 代 か ら 銅 器 時 代 へと 進 ん だ か ら と 言 って 、 他 の周 辺
の地 域 も い っし ょ に進 ん だ と 見 て は い けな いと いう のと 並 行 的 な 事 実 で あ る 。 従 って 、 国 語 史 の時 代 区 分 と いう
よ う な も のは 、 中 央 語 な ら 中 央 語 に関 し て 行 な う こ と が でき た と し ても 、 同 時 に そ れ が 日本 全 国 の方 言 にも 当 て は ま る と 考 え ては いけ な い はず で あ る 。
そ う し て こ れ に関 連 し て注 意 す べき は、 一つの方 言 が 一つ の部 面 で は 古 く ても 他 の部 面 で は 新 し いと いう こ と
が あ り 得 る こ と であ る 。 と いう よ り 、 こ と に 語 彙 と いう よ う な部 面 で は 、 個 々 の 項 ご と に 新 し さ がち が う こと で
あ る 。 わ れ わ れ は 、 現代 の国 語 を 見 、 あ る いは 現 代 の新 し い文 学 作 品 を 見 る と 、 いか にも 古 い表 現 と 新 し い表 現
が ま じ って い て、 思 わ ず 現 代 語 は 乱 れ て いる と 叫 び た く な る こ と が あ る が 、 それ は わ れ わ れ が 現 代 語 に つ いて は 、
そ のう ち の新 し いも のに つい て 、 これ は最 近 生 じ た 言 い方 だ と いう こ と を よ く 知 って い る か ら であ る 。
った 一人 の ニ ュー ギ ニア の酋 長 は 、 右 の 肩 に は 原 始 生 活 さ な が ら の石 器 を 背 負 い、 左 肩 に は 近 代 文 明 のも た ら し
こ れ は い つ の世 にも あ て はま る も の にち が いな い。 本 多 勝 一の ﹃極 限 の民 族 ﹄ に こん な 一節 が あ る 。 か れ が 逢
た 両 刃 の鋸 を 背 負 って いた が、 こ の 間 に は 、 数 千 年 の開 き が あ る 、 し か し そ の背 負 って いる 当 人 は そ れ を 自 覚 し
て いな いだ ろ う と いう の であ る 。 いか に も そ う で あ ろ う 。 著 者 が 興 味 を 感 じ た のは そ う い った 利 器 に つ いて 歴 史 的 な 知 識 が あ る か ら こそ であ る 。 ﹃徒 然 草 ﹄ の高 名 の木 登 り の章 の最 後 の セ ンテ ン ス は次 のよ う で あ る 。 ま り も 難 き 所 を 蹴 出 だ し て のち 、 安 く 思 へば 、 必 ず 落つ と 侍 る や ら ん 。
こ の と こ ろ、 ﹁必 ず 落つ と ﹂ のよ う に終 止 形 に ﹁と ﹂ を 付 け た あ た り 、 ﹁侍 り ﹂ のよ う な 平 安 朝 以 後 は 口頭 で は
言 わ な く な った 言 葉 を 用 いた あ た り な ど 、 非 常 な 古 色 で あ る 。 と ころ が最 後 の ﹁や ら ん ﹂ と いう と こ ろ は 、 鎌 倉
時 代 の末 ご ろ に な って 生ま れ た 語法 を 用 いて いる 。 当 時 の人 は こ こを 読 ん で、 に や っと し た 個 所 だ った にち が い な い。 ま た ﹃ 平 家 物 語 ﹄ の ﹁源 氏 揃 ﹂ の章 に は 、
鬨 作 り 矢 合 せ し て 、 源 氏 の方 に は と こ そ射 れ、 平 家 の 方 に は か う こ そ 射 れ と て、 矢 叫 び の声 の 退 転 も な く⋮⋮
と いう 個 所 があ る 。 ﹁退 転 ﹂ は 仏 教 関 係 の 語 彙 で 、 仏 教 行 事 な ど を ﹁停 止 す る ﹂ と いう 意 味 の 言 葉 であ る が、 こ
こ で ﹁鬨の声 ﹂ と い った 殺 伐 な も の に転 用 し た も の で、 思 い切 ってね じ ま げ た使 い方 であ る 。 読 者 の意 表 を つ い た 表 現 だ った であ ろう 。
今 の諸 方 言 も 、 そう いう も の で、 一つ 一つの言 語 要 素 に は 新 し いも のも あ り 、 古 いも のも あ り で 、 全 部 が 古 い と か 新 し いと か 言 え る 方 言 はな い。
( 3) 方言 は古 いも のを 保存 す るか
そ れ で は 、 大 き く 眺 め て、 一口 に こ の方 言 は古 い言 い方 が 多 いと か 、 少 な いと か は 全 然 言 え な いか と 言 う と 、
そ う いう こ と は な いよ う に、 少 な く と も 私 は 思 う 。 服 部 四 郎 は 、 こ こ の方 言 は 古 いと いう よ う に 考 え て は いけ な
いと よ く 言 う け れ ど も 、 そ れ は 一つの方 言 は す べ て の要 素 が 古 いと 見 て は いけな いと いう こと で、 全 体 的 に 古 色
の 多 い方 言 と そ う でな い方 言 の ち が い は あ る と 思 う 。 柳 田 は そ う 考 え て 、 し かも 結 論 と し ては 、 中 央 の言 葉 は 新
し いも の が 多 く 、 辺境 の言 葉 は古 いも の が 多 いと し た 。 こ れ が 問 題 の第 二 の点 で あ る 。 私 は こ れ に は 賛 成 し な い。
ア ク セ ント 体 系 に 関 し て、 中 央 の方 言 に 多 く 古 色 が 見 ら れ 、 辺 境 の方 言 が新 し く 変 化 し た 姿 を し て いる こと は、
定 説 であ る 。 音 韻 の 面 も これ は 、 戦 前 は 、 柳 田 の周 圏 論 を 引 い て、 周 辺 の方 が古 いと いう 考 え が 強 か った 。 私 は、
﹃言 語 生 活 ﹄ の第 一四 号 に 、 ﹁辺 境 の方 言 は 果 し て古 いか ﹂ を 書 いて、 音 韻 の 面 で も 、 あ る い は 語 法 の面 で も ア ク
セ ント 同 様 、 周 辺 の方 言 に新 し いも の が 多 い こ とを 論 じ た。 これ は、 楳 垣 実 ほ か 何 人 か の学 者 の 賛 同 を え た 。
音 韻 の 面 で 言 う な ら 、 奥 羽方 言 の ズ ー ズ ー 的 傾 向 、 薩 隅方 言 の撥 音 化 ・促 音 化 の活 発 な 傾 向 な ど 、 いず れ も 周
辺 方 言 の先 進 性 を 物 語 る も の で あ る 。 沖 縄 の方 言 のご と き 、 五 つの 母 音 が三 つに 減 って いる こ と な ど 、 変 化 の激
し いも の で は な い か。 ハ行 子 音 が p のま ま で残 って いる 方 言 も あ る が 、 そ う いう 方 言 で は 、 内 地方 言 で k で残 っ
て いるカ 行 子 音 が h の音 に変 化 し て いた り し て、 簡 単 に は古 色 が 多 いと は 言 え な い。 柴 田 武 の シ ラ ビ ー ム方 言 と
モー ラ方 言 の対 立 は 、 平 安 朝 に 例 があ って シ ラ ビ ー ム方 言 の方 が古 そ う に見 え る が、 あ れ は漢 語 のよ う な 外 来 語
のも と の発 音 法 が残 った の かも し れ な い。 そ れ よ り も 、 今 後 日本 語 は 、 外 来 語 の輸 入 が ま す ま す ふ え る こ と な ど
あ って、 中 央 語 も 、 シ ラ ビ ー ム 方 言 に 変 わ る 可 能 性 があ る。 と す る と 、 辺 境 のシ ラ ビ ー ム方 言 の方 が 日本 語 の新 し い姿 かも し れ な い。
文 法 の 面 も 、 私 は 、 辺 境 の方 言 が新 し い形 を も って いる こ と が 多 いと 思 う 。 九 州 の方 言 に ﹁ば し ﹂ と いう 中 世
の助 詞 が 残 って いる と か 、 ﹁死 ぬ ﹂ と いう 動 詞 を 平 安 朝 文 法 のよ う に ﹁死 ぬ る ﹂ のよ う に 昔 の活 用 形 式 を 使 う と
か いう よ う な こと は 大 し て 問 題 にな ら な い。 そ れ は ラ ング 全 体 か ら 見 れ ば ご く 一部 の 問 題 であ る 。 そ れ よ り も 、
た と え ば 、 薩 隅 方 言 で は、 名 詞 に助 詞 が 融 合 し て 、 ﹁ 柿 を ﹂ が カ キ ュ、 ﹁口を ﹂ が ク チ ュのよ う に な って いる 。 こ
れ は こ の方 言 で は 名 詞 と いう 大 き な 語 群 で語 形 変 化 を す る 語 に変 わ って いる こと を 示 す も の で は な いか。
他 方 、 奥 羽 方 言 で は 、 中 央 語 の形 容 詞 ﹁白 い﹂ の活 用 変 化 に相 当 す る 形 は 次 のよ う にな って いる 。
例、 ス レグ (白 く )、 ス レ ガ ッタ ( 白 か った )、 ス レ ( 白 い)、 ス レ バ ( 白 け れ ば )。
こ のう ち 、 ス レグ のグ は ﹁読 め る ﹂ と いう よ う な 動 詞 の終 止 形 に も つき 、 ヨ メ ルグ ナ ル は中 央 語 の ﹁読 め る よ
う にな る ﹂ の意 で あ る 。 ス レガ ッタ のガ ッタ や ス レ バ の バも ス レ の部 分 と 切 断 でき る 。 と 、 こ れ ら は ス レ に種 々
の付 属 語 の付 いた 形 と 見 な け れ ば いけ な い。 す な わ ち 、 こう いう 方 言 で は 形 容 詞 と いう 、 活 用 す る重 要 な 品 詞 は 欠 け て いる こと に な る 。 こ れ ま た 相 当 大 き く 変 化 し た 形 では な いか 。
﹁そ う だ ﹂ と いう 意 味 で、 奥 羽 の方 言 では 広 く 、 ン ダ と 言 う が、 こ の ンは ﹁だ ﹂ と いう 音 を 発 す る前 の準 備 の音
と 見 ら れ る 。 つま り 、 ダ と いう 指 定 の助 動 詞 が 、 これ ら の方 言 で は 助 動 詞 で は な く 、 自 立 語 に な って いる と いう こと に な る 。 そう す る と、 そ の 品 詞 は ど う 考 え る べき か 。
沖 縄 の方 言 で は 、 ﹁牛 は ﹂ を ウ セ ー と 言 い、 ﹁汁 は ﹂ は シ ロー と 言 う 。 こ れ は 、 薩 隅 方 言 同 様 名 詞 が 語 形 変 化 す
る 語 に な って いる こと を 表 わ す 。 と 同 時 に、 形 容 詞 はす べ て動 詞 ア ルと 融 合 し た 形 にな って い て、 動 詞 の 一種 と
見 て い い状 態 にな って いる 。 これ は 大 き く 変 わ った 形 で 、 こう いう 例 を 見 て く る と 、 文 法 の面 でも 、 辺 境 の方 が 大 き く 変 わ った 姿 を も って いる と 言 わ ざ る を え な い。
残 る は 、 柳 田国 男 以 来 、 ︽方 言 周 圏 論 ︾ の対 象 と さ れ る 語 彙 で あ る 。 こ れ だ け は ほ ん と う に 、 周 辺 の方 が多 く
の古 色 を 湛 え て いる の であ ろ う か。 語彙 は 個 々ば ら ば ら で、 中 央 と 周 辺部 と ど っち が 古 い のが 多 いと は 簡 単 に は 言 いに く い。 し か し 、 こ れ は 改 め て 問 題 と す べき であ る こと は 確 か だ 。
私 は 方 言 の 研究 に従 事 し てき た と い っても 、 力 を 入 れ た の は ア ク セ ント の調 査 であ った が 、 や りな が ら おも し
ろ いこ と に気 が 付 いた 。 ア ク セ ント の調 査 の場 合 は 、 あ ら か じ め 語 彙 を 選 定 し て お い て、 そ れ に つ い てそ の地 方
の ア ク セ ント を 調 査 す る の で あ る が、 そ の語 彙 は ﹁口 ﹂ と か ﹁鼻 ﹂ と か ﹁目﹂ と か ﹁耳 ﹂ と か の よ う な 、 ﹃ 古事
記 ﹄ ﹃万 葉 集 ﹄ に 見 え 、 当 時 か ら 現 代 ま で 大 体 同 じ 意 味 で広 く 使 わ れ て いそ う な 単 語 を え ら ぶ の で あ る が 、 や っ
て調 査 し や す か った の は、 概 し て中 央 語 で、 辺 境 地 方 に 行 く に従 ってや り に く か った 。 と いう の は、 中央 地 区 で
は ど の 語 も 日常 使 って いる か ら ど ん ど ん 答 え て く れ る が 、 辺 境 へ行 く に従 って、 そ の単 語 を 使 わ な か った り、 形
を 変 え て 使 った り し て いる こと が 多 いか ら で あ る。 右 の 語 彙 の 中 で も 、 ﹁目 ﹂ は普 通 使 わ な い、 マナ コと 言 う 、
と か、 ﹁耳 ﹂ と は 言 わ な い、 ミ ンだ 、 あ る い は ミ ミ コだ 、 と い った 状 況 で あ る 。 こ の こ と は 早 く 、 永 田 吉 太 郎 が
﹃日本 音 声 学 協 会 会 報 ﹄ の第 三 三 号 に述 べ て いる と お り で あ る 。 が、 今 に し て 思 う 。 こう いう こと が 多 いと こ ろ
を 見 る と 、 語 彙 の面 も 案 外 中央 地 区 で は 旧 態 を 保 ち 、 辺 境 の地 域 の方 が 変 化 し て し ま って いる こと が 多 い の で は な か ろう か 。
カ タ ツム リ の俚 語 と か、 ﹁便 所 ﹂ の異 名 と か は 、 地 方 に 古 い言 い方 が 残 って い る 語 彙 と し て 、 柳 田 翁 以 来 し き
り に取 り 上 げ ら れ る が 、 こ れ ら は、 日 常 の言 語 生 活 に お い て は、 重 要 性 の低 い語 彙 で あ る 。 ﹁便 所 ﹂ は と も か く 、
カ タ ツム リ な ど と いう 語 は 、 私 の場 合 、 一年 に 一回 使 う か 使 わ な いか だ と 思 う 。 が、 これ は 私 だ け で は あ る ま い。
﹁目 ﹂ と か ﹁耳 ﹂ と か 日 常 生 活 で 大 切 な 基 本 的 な 語 彙 は 、 音 韻 ・語 法 な ど と と も に 、 む し ろ 中 央 語 の 方 が古 い形 を 守 って いる の で は な いか と 考 え る 。
国 立 国 語 研 究 所 の ﹃日本 言 語 地 図 ﹄ で、 調 べ て み る と 、 ﹁頭 ﹂ は 奄 美 で は カ マチ 、 これ は 古 い顎 の 骨 の 意 味 の
語 の転 用 と 見 ら れ る 。 徳 之 島 では 、 カ ミ と あ り 、 これ は ﹁上 ﹂ か ﹁髪 ﹂ か 不 明 であ る が 、 や は り 新 し い形 と 認 め
ら れ る 。 与 論 島 か ら沖 縄 本 島 ま で、 お よ び 八 重 山 列 島 で は 、 チ ブ ラ ・チ ブ ル ・スブ ルな ど で、 こ れ は 、 ﹁つぶ り ﹂
の転 で、 ﹁つぶ り ﹂ は 、 古 典 の上 で は ﹃狂 言 記 ﹄ に 見 え 、 中 央 に は 残 って いな い単 語 であ る が 、 そう か と 言 って 、
ア タ マに 比 べ て、 別 に 古 いと いう 単 語 で は な い。 宮 古 諸 島 では カ ナ マリ とあ る が、 こ れ は ﹁金 椀 ﹂ の意 で 、 言 葉
と し て は ﹁か ぶ り﹂ よ り は古 いか も し れ な いが 、 形 が似 て い ると こ ろ か ら 転 用 さ れ た あ と は 著 し く 、 結 局 、 カ シ
ラ と いう ﹃万 葉 集 ﹄ 以 前 か ら の古 い形 は 、 鹿 児島 以 南 に は 残 って いな いと いう こ と に な る 。
﹁頭 ﹂ を カ シ ラと いう の は 、 ﹃万 葉 集 ﹄ の ﹁あ も し し が、 か し ら か き 撫 で ⋮ ⋮ ﹂ 以 来 の古 語 で 、 こ れ は 全 国 に点
在 し て い る が 、 大 部 分 は ﹁カ シ ラ と も いう 地 域 ﹂ で 、 そ の中 に は 東 京 都 心 部 も は い って いる 。 これ は 言 語 地 図 の
作 製 者 の いう よ う に、 文 章 語 か ら 復 活 し た 語 で、 古 いま ま と は 言 え な いか も し れ な い。
次 に ﹁顔 ﹂ に つ いて検 討 す る と 、 奄 美 ・沖 縄 方 面 を 見 ると 、 八 重 山諸 島 で ﹁顔 ﹂ を ウ ム テ ィと 言 って いる そ う
で 、 オ モ テ の転 であ る 。 これ は な る ほど 他 の方 言 に 見 ら れ な い古 色 を 示 す も の で 、 頭 を 下 げ る 。 ウ ム だ け な ら ば
な お 結 構 であ る が、 内 地 方 言 のす べ て で失 って いる オ モ テを 保 存 し て いる 点 は、 ま こ と に 敬 す べ き で あ る。 が 、
こ れ は ﹁目 鼻 ﹂ で、 ハを パ と 言 う 点 こ そ 古 め か し い が、 単 語 そ の も の は、
奄 美 大 島 か ら 沖 縄 本 島 ま で は、 ツ ラもし く は そ れ と 関 係 のあ る 単 語 で、 単 語 そ のも の は内 地 の奥 羽 、 九 州 な み で あ る 。 宮 古 諸 島 に 至 っては 、 ミ パ ナ︱ 日 本 のど の方 言 よ り 新 し い。
一体 音 韻 や 文 法 が 、 中 央 よ り 辺 地 の方 で 変 化 し や す い原 因 は 、 広 い意 味 の国 語 教 育 が 十 分 に行 わ れ な い こと に
少 な く と も 基本 的 な 語彙 に は当 て は ま る は ず であ る 。 そ ん な わ け で、 私 は 方 言 と いう
よ る 、 ま た 他 の地 方 と の交 渉 が な いた め に 任 意 の変 化 が制 御 さ れ な い こと に よ る 、 と 解 せ ら れ る 。 こ の原 理 は 、 基 本 的 に は 、 語 彙 に も︱
も の は、 全般 的 に 言 って、 中 央 の方 言 の方 が、 辺 境 の方 言 よ り も 、 古 色 を 存 す る こと が 多 いと 言 え る の で は な い か と いう 考 え に か た む く 。
﹁激 し い変 化 を 遂
辺 境 の言 語 の方 が 古 色 を 保 つと いう 考 え 、 こ れ は 方 言 を尊 重 す る 精 神 を 養 う 上 に、 ま た 方 言 研 究 を 盛 ん にす る
上 に、 大 き な 貢 献 を し た 。 し か し 実 際 には 疑 問 であ る。 よ く 、 東 京 の言 葉 は 変 化 が激 し い︱
げ た ﹂ で は な く 、 ﹁激 し く 変 化 し つ つあ る ﹂ と 言 わ れ る が、 私 は 各 地 を 歩 い て い て、 言 語 変 化 の 激 し さ に驚 か さ れ る こ と し ば し ば であ った 。
伊 豆 利 島 に は、 ソー ロー と いう 助 詞 があ る が 、 若 い人 は ど ん ど ん つめ て ソ ー に し て いる 。 ﹁⋮ ⋮ だ か ら ﹂ に相
当 す る言 い方 は、 ﹁⋮ ⋮ ダ ニヨ ッテ﹂ と いう 古 い形 か ら ﹁⋮ ⋮ ダ ニ ッテ ﹂ ﹁⋮ ⋮ ダ ンテ ﹂ と いう 三 つの 言 い方 が 同
時 に行 わ れ て いる 。 対 馬 の豆酘 村 で は 、 お とな た ち は、 ﹁降 る ﹂ ﹁晴 る る ﹂ な ど 、 ル で 終 る 多 く の動 詞 を 、 フ ル ・
ハル ルと 言 って いる の に、 子 ど も た ち は 一様 に ブイ ・ ハルイ と 言 い、 大 き な 変 化 を 遂 げ て いる と 思 わ れ る 。 にも か か わ ら ず お と な た ち は 別 に と が め て いな い。
山 梨 県 の奈 良 田 郷 は 、 東 京 や 一般 山 梨 県 下 と 甚 し く 相 違 す る ア ク セ ント 体 系 を も ち 、 そ れ だ け で び っく り す る
の に、 子 ど も た ち は 、 そ れ と ち が い、 と 言 って 東京 な ど のも のと も ま た ち が う アク セ ント 体 系 に 変 化 さ せ つ つあ
る こと が 、 稲 垣 正 幸 氏 た ち の ﹃奈 良 田 の方 言 ﹄ ( 六 一ページ以下)に 見 え る報 告 に よ って知 ら れ る 。
(4) 方言 の変 化 はしば しば 戻 りま た跳 躍す る
中 央 の方 言 の方 が 、 辺 境 の方 言 よ り 一般 に古 色 を 保 つ。 そ う いう こと が 言 え た と す る と 、 そ れ では 、 中 央 の方
言 か ら 、 順 次 周 辺 の方 言 へた ど って見 て 行 く と 、 少 し ず つ新 し い時 代 のも の に と き れ いに 変 わ って行 く か、 と い
う と 、 そう いう う ま い こと に は な ら な い。 そ う な って いる な ら ば 、 東 北 の周 辺 方 言 であ る 北 奥 方 言 と 西 南 の周 辺
方 言 であ る薩 隅 方 言 と は そ っく り のも のに な る はず であ る が 、 実 際 に は 大 き く ち が う 。 これ は、 方 言 のち が い が
出 来 る と き に は 、 周 辺 地 域 の方 言 が変 化 す る 場 合 、 そ れ ぞ れ 独 自 の方 向 への 変 化 が 行 わ れ る から で あ る。 柳 田 は こう いう 変 化 は 軽 く 見 る べき こ と を 説 いた が 、 そ れ は 正 し く な か った と 思 う 。
も っと も 中 には 、 ち が う 地 域 で 同 じ 方 向 に変 化 す る こと も 起 こら な いと は 言 え な い。 そ れ は そ の変 化 が 自 然 の
傾 向 にあ る 場 合 に起 こ る 。 ア ク セ ント の面 に は そ う いう こ と が多 い が、 音 韻 の面 で 言 え ば 、ユ と いう 拍 が、[j]
と[u]と 二 回 に 調 音 す る のを 嫌 って 一回 だ け の調 音 です む 類 似 の 音 のイ [i] に変 化 す る も のが そ れ で あ る 。 文 法 の 面 で 言 う な ら ば 、 ﹁着 さ せ る ﹂ と いう あ ま り 類 例 の多 く な い形 を 、 ﹁切 ら せ る ﹂ と いう よ う な 類 例 の多 い変 化 に 類
推 し てキ ラ セ ルと いう 方 向 に 変 化 さ せ る よ う な も の、 あ る いは さ ら に ﹁切 ら せ る ﹂ ﹁着 ら せ る﹂ と も に 、 簡 潔 に
少な くとも戦前 ま ではそ
し て キ ラ ス と いう よ う な も の が そ れ であ る 。 これ は奥 羽 地 方 一般 にあ り 、 ま た 九 州 方 面 にも 多 い。 語彙 の 面 で 言
う と 、 野 草 の ハ コベを 、 子 ど も の 間 で は ヒ ヨ コにや る こと が多 いと いう と こ ろ か ら︱
う だ った︱
ヒ ヨ コグ サ と 呼 ぶ と いう 例 が そ れ であ る 。 橘 正 一の ﹃全 国 方 言 集 ﹄ に よ れ ば 秋 田 県 か ら 長 崎 県 に 至
る 十 五 の府 県 に そ の呼 び 名 があ る と いう が 、 こ のよ う な 変 化 は、 各 地 の方 言 で同 じ こ ろ 独 立 に 発 生 しう る 変 化 で あ る 。 が、 こ れ は 変 化 のう ち の 一つ の極 限 の例 であ る 。
そ れ に対 し て 、 一つ の地 域 に 限 って起 こ る 変 化 も あ る 。 日本 の方 言 で 一つ の地 域 だ け ち が って い るも の があ る
が 、 そ れ は 多 く の場 合 そ う いう 変 化 の結 果 と 見 ら れ る。 古 い時 代 には 中 央 に 行 わ れ て いた も のが 、 そ こ だ け に残
って い ると いう 例 は む し ろ 稀 であ ろ う 。 中 央 に 一度 は 行 わ れ て いた も のな ら ば ど こ か ま た 他 の方 言 にも 残 って い る こと が多 そう であ る 。
方 言 の変 化 に は そ う いう 二 つを 両 極 端 と し て 、 そ の中 間 の程 度 のも の が 無 限 にあ り う る 。 そ れ ら のう ち 、 多 く
の 地 域 に発 生 し た よ う な 変 化 は有 力 であ る。 そ う し て特 に他 に影 響 を 与 え る 力 を も った 方 言 に 発 生 し た 変 化 は 有 力 で あ る 。 そ のよ う な も のは 漸 次 中 央 に進 出 し 、 中 央 の方 言 を 刺 激 す る で あ ろ う 。
こ のよ う な 場 合 、 中 央 の方 言 の話 し 手 は、 こ と に若 い世 代 な ど は そ う いう 言 い方 を ま ね す る よ う にな る 。 こ の
時 、 言 葉 に 関 心 を も つ識 者 は 大 騒 ぎ を す る。 国 語 が 乱 れ た と いう 声 が あ が る のは そう いう 場 合 であ る。 最 近 の例
で 言 え ば 、 従 来 、 鼻 音 で 言 って いた ﹁眼 鏡 ﹂ や ﹁鏡 ﹂ のガ の 子音 を 、 破 裂 音 の [g] で発 音 す る 風 潮 が そ れ であ る 。 文 法 の面 で 言う な ら 、 ﹁見 る﹂ と か ﹁来 る ﹂ と か いう 動 詞 の 可 能 態 を ミ ラ レ ル ・コ ラ レ ルと 言 わ な い で、 ミ レ ル ・ コ レ ルと 言 った り す る のは そ の例 で あ る 。
こ のよ う な 場 合 、 そ そ っか し い人 は 、 日本 のう ち の特 に 東 京 に そ のよ う な 言 い方 が 発 生 し 、 方 言 に は ま だ そ の
言 い方 が 行 わ れ て いな いか のよ う に 受 け 取 った り す る。 実 は 、 ガ 行鼻 音 の破 裂 音 化 は 、 中 国 ・四 国 以 西 の地 域 の
み な ら ず 、 大 阪 ・京 都 な ど の 近 畿 の文 化 の中 心 地 の方 言 を 同 化 し 終 り 、 名 古 屋 付 近 に ひ ろ が り 、 東 日 本 で も 新
潟 ・群 馬 ・埼 玉 ・千 葉 の諸 県 を そ の勢 力 下 に お さ め て いる 。 見 レ ル の類 も 、 長 野 ・静 岡 ・新 潟 ・北 海 道 ・高 知 ・
愛 媛 な ど 多 く の地 域 にす で に 行 わ れ て お り 、 寺 田 泰 政 に よ れ ば 、 静 岡 県 中 部 方 言 な ど で は 、 ﹁書 け る ﹂ ﹁読 め る ﹂
の類 を も 、 ヨメ レ ル ・カ ケ レ ルと し 、 さ ら に 、 ﹁来 ら れ る﹂ ﹁見 ら れ る ﹂ のご と き は、 コ レ レ ル ・ミ レ レ ルと いう
人 ま で 出 て いる 状 況 であ る 。 土 居 重 俊 の ﹃ 土 佐 言 葉 ﹄ (二〇九 ページ以下)に よ れ ば 、 高 知 県 でも そ う だ と 言 い、 中
年 以 上 の人 の言 葉 に 現 れ る と 言 う 。 こう いう 言 い方 の 、 ほ ん の は し り が東 京 に は い って 来 た に す ぎ な い。
か り に、 こう いう 言 い方 が 東 京 を 勢 力 下 に お さ め た ら ど う な る か 。 東 京 は 全 国 一の勢 力 のあ る 方 言 で あ る 。 あ
と は燎 原 の火 のご と く 日本 全 国 の方 言 の上 に ひろ が って いく にち が いな い。 地 方 で こ のよ う な 言 い方 が は じ ま っ
ても 、 そ れ ほ ど 問 題 にな ら な いの に 、 東 京 で こう いう 言 い方 が 現 れ る と 、 大 騒 ぎ に な る 。 と いう こと は 、 逆 に言
え ば、 東 京 のよ う な 文 化 の中 心 地 は 、 こ の よ う な 新 し い言 い方 に 対 し て、 一応 変 化 を 抑 え る方 に働 く こ と が多 い と 言 ってよ い。
こ れ は 前 の時 代 にも 同 様 だ った と 思 わ れ る 。 ち がう 点 は 、 勢 力 のあ る方 言 が、 中 世 以 前 に お い て は 東 京 で はな
く て 、 京 都 であ った こ と 、 近 世 にな って は京 ・大 坂 と 江 戸 であ った こ と、 あ る いは 、 奈 良 以前 にお いて は 大 和 平 野 地方 であ った こと で あ る 。
文 化 の中 心 地 で発 生 し た 言 語 現象 、 そ れ が な いと 言 う わ け で は な い。 いや 、 数 に お い て は な か な か 多 いは ず で
あ る 。 外 来 語 が 日本 語 に 定 着 す る のは 主 と し て文 化 の中 心 地 であ ろ う し、 新 し い文 化 を 表 わす 語 も 文 化 の中 心 地
で 生 ま れ る。 さ ら に ﹁便 所 ﹂ の よう な 不 快 な 言 葉 の 言 い かえ も 、 そ う いう 地 方 でま ず 生 ま れ る であ ろう 。 語 彙 に
お いて 、 た し か に そう いう 地 域 に 生 ま れ 、 周 辺 の 地方 に 伝 播 す る も の は 多 い であ ろ う 。 が 、 そ う いう も の は 言 語 体 系 全 体 のう ち か ら 見 て 皮 相 的 部 分 であ って 、 根 幹 的 な 部 分 と は 言 いにく い。
以 上 のよ う で、 私 は 言 語 変 化 は 、 そ う し て こと に基 本 的 な も のは 、 多く 周 辺 地 区 に 起 こ り 、 中 心 地 区 は あ と で
そ の影 響 を 受 け る方 が 多 いと 思う 。 た だ し 、 中 心 地 区 が 一つ の周 辺 地 区 の影 響 を 受 け て変 化 し ても 、 ま だ 他 の 周
辺 地 区 に は そ の影 響 が 及 ば な いこ と があ る 。 交 通 の 辺 鄙 な 地 区 に は こ と に そ う いう 例 が見 ら れ る 。 こう いう 地 域
が し ば し ば 二 つ以 上 の 相 互 に関 係 のな いよ う な 地 点 に 見 出 だ さ れ る こ と が あ る の で 、 これ が方 言 周 圏 論 の資 料 と
な る の であ る 。 そ う いう ま だ 影 響 を 受 け て いな い部 分 に、 中 心 地 区 の 影 響 が 及 ぶ そ の場 合 を 観 察 し た の が 、 ﹁変 化 は 中 央 に 先 に起 こ る ﹂ と いう 考 え のも と であ る と 思 う 。
二 か 所 以 上 にな る こ と も あ る が、 一か 所 であ る こ と も あ る︱
、 周 辺 部 は そ れ に比 べて 多
文 化 の中 心 地 の 言 い方 は 、 周 辺 の地 方 で ま ね し や す い。 こ れ は 誰 が 見 ても 真 理 であ る。 ま た 、 言 語 文 化 の中 心 地 は 一か 所 であ り︱
数 であ る 。 一か所 や 二 か 所 に 起 こ る変 化 よ り 、 多 数 の地 区 に い っし ょに 起 こ る 変 化 の方 が 目 に つく こ と が 多 いか
ら 、 い つも 中 心 部 が 先 に変 化 し て、 す べて の周 辺部 は あ と か ら 変 化 に追 随 す る よ う に 見 え る の であ ろ う 。 以 上 の
よ う だ と す る と 、 方 言 の変 化 と いう も のは 次 の よ う な も の で あ ろう と いう こ と に な る。
一つ の方 言 体 系 は 、 い つ の時 代 でも 、 い ろ いろ の部 面 で いろ いろ の方 向 に 変 化 し よ う と し て いる 。 と こ ろ が 、
中 央 の方 言 の影 響 を た え ず 受 け る 。 そ のた め に 、 変 化 し た も の が そ の都 度 中 央 の方 言 と 同 じ 形 に な る 。 そ れ は 、
し ば し ば 後 戻 り で あ る こ と も あ る 。 ま た あ る時 は 、 ほ ん の 一部 分 だ け 影 響 を 受 け る こ と も あ る が 、 あ る場 合 は 、
根 幹 的 な 面 を や ら れ る こ と も あ り、 時 には 、 中 央 の方 言 に す っか り と って代 ら れ る こ と も あ る。 が、 そ れ も ま た
間 も な く 新 た な 形 に変 化 す る 。 そ う し てま た中 央 の言 語 の影 響 を 受 け て そ れ と 同 じ 形 に な る 。 暫 く た つと 、 ま た 変 化 を 起 こす 。 そ のく り 返 し であ ろ う 。
と いう こと は 、 周 辺 の方 言 の変 化 が 、 中 央 の方 言 と は ち がう 点 は 、 中 央 の変 化 は 比 較 的 一本 の線 状 に進 み 、 も
と に 戻 る こと は 少 な いが 、 周 辺 方 言 の変 化 は 一直 線 に は 進 ま ず 、 変 化 し て は 戻 り 、 変 化 し て は 飛 び 、 あ る いは 根
本 的 に 変 化 し ⋮ ⋮ と いう こと にな る 。 そ の 例 と し て、 東 国 方 言 の歴 史 の 姿を 、 私 は ﹃国 語 学 ﹄ の第 六 九輯 に ﹁東 国 方 言 の歴 史 を考 え る﹂ と いう 題 で 述 べた こ と があ る。
奈 良 時 代 の東 国 方 言 は 、 そ の こ ろ の奈 良 地方 の言 語 と は か な り ち が った も の であ る 。 そ れ は 、 早 く 奈 良 な ど の
中 央 方 言 か ら 別 れ た 形 だ った と 見 ら れ る。 と こ ろ が そ の後 、 中 央 の方 言 か ら 絶 え ず 影 響 を 受 け 、 い つ の間 に か、
根幹 的 部 分 は 畿 内 方 言 のそ れ にす り か わ って し ま った 。 も と の部 分 は、 一 ・二段 動 詞 の命 令 形 ﹁見 ろ ﹂ ﹁掛 け ろ ﹂
の 形 ぐ ら いな も の で、 ごく 少 数 であ る 。 そ れ 以 後 ま た 独 自 の変 化 を し て はま た 中 央 方 言 の影 響 を 受 け て今 日 のよ
う な 形 に な った と 考 え ら れ る 。 関東 以 外 の方 言 も 、 具 体 的 な 事 実 に ち が いは あ っても 、 そ の大 体 のと こ ろ は 平 行 的 に 変 化 し て今 日 に至 った も の と 見 ら れ る 。
こ のよ う に 見 る と き 、 現 実 の方 言 、 随 って、 日本 各 地 の方 言 な る も の は、 さ か の ぼ った 場 合 、 少 な く と も そ の
根 幹 的 部 分 は、 結 局 い つか の時 代 の中 央 方 言 だ った と 言 ってよ い。 た だ そ の中 で今 日 の諸 方 言 の中 で最 も 異 色 の
あ るも のと し て、 内 地 方 言 のう ち で は 、 八 丈 島 方 言 があ る 。 これ は 北 条 忠 雄 が 終 戦 直 後 ﹃日本 の言 葉 ﹄ に 発 表 し
た ﹁八 丈 島 方 言 の研 究 ﹂ 以 来 、 東 歌 の方 言 の後 身 と 推 定 さ れ て いる 珍 し い方 言 であ る 。 これ は 最 も 早 く 中 央 方 言
か ら 別 れ た 方 言 と 見 ら れ る 。 沖 縄 ・奄 美 の方 言 は 、 耳 に 聞 いた 感 じ は 、 八丈 島 方 言 に 比 し てさ ら に異 色 を も って
いる よ う に受 取 ら れ る が、 根 幹 的 部 分 は 、 八丈 島 方 言 よ り も あ と の別 れ であ る と 見 た 方 が い い。
現在 の沖 縄 方 言 の中 に は 、 文 献 時 代 の中 央 方 言 の別 れ と は 解 し に く い要 素 も な いわ け で はな い。 た と え ば 、 今
の首 里 方 言 で ﹁書 く ﹂ ﹁読 む ﹂ な ど 、 す べて の動 詞 の 終 止 形 が カ チ ュ ン ・ユヌ ン の よ う に ン で終 って いる 点 な ど
そ う で あ る 。 カ チ ュ ンは ﹁書 き を り﹂、ユ ヌ ンは ﹁読 み 居 り﹂ の転 だ と 説 明 さ れ る が 、 そ れ に し て も ﹁居 り ﹂ の
終 止 形 が な ぜ ウ ン であ る か 説 明 でき な い。 こ れ を 解 く 鍵 は 、 奄 美 の方 言 の終 止 形 であ る 。 奄 美 の多 く の方 言 で は、
終 止 形 に 二 種 類 あ って、mi に 終 る も の と、riに 終 る も のと が あ る 。 首 里 方 言 で も 、 ﹁読 む か﹂ と いう 場 合 に は 、
ユヌ ミ と いう と こ ろ か ら 、mi に 終 る 終 止 形 が、 古 く はあ った と いう こと が推 測 でき る 。
こ の miに 終 る終 止 形 が 、 ン に 終 る 形 の祖 先 で あ ろ う 。 つま り 、 上 村 幸 雄 (﹃ 方言学講座﹄第四巻三四三−四 ページ)
が 推 定 し た よ う に 、 奄 美 ・沖 縄 方 言 の 祖 形 に は 、 終 止 形 がmi に終 る も のと 、riに終 る も のと 二 つあ った こ と にな
る 。 が 、 こ の miに 終 る も のは 、 内 地 の 過 去 の 文 献 に も 、 現 在 の 諸 方 言 に も 見 ら れ な いも の であ る 。 こ れ は 、 奄
美 ・沖 縄 の方 言 が 八 丈 島 方 言 よ りも っと 早 い時 代 に 別 れ た こと を 意 味 す る も のだ ろ う か 、 と 疑 わ れ る 。 が 、 こ の
よ う な 例 は む し ろ 少 な い。 奄 美 ・沖 縄 方 言 は変 化 の激 し か った 中 央 方 言 の別 れ と 見 た 方 が よ さ そ う であ る 。
二 二種 類 の方 言 の 歴 史 の研 究 法 (1)方 言 の歴史 の 二種 類
以 上 のよ う な わ け であ る か ら 、﹁一つ の方 言 の歴 史 ﹂ と いう と き 、 二 つ のま った く ち が った 内 容 の歴 史 があ る 。
一つは 、 今 そ の方 言 が 行 わ れ て い るそ の地 方 で は 、 昔 から 今 ま でど のよ う な 言 葉 が行 わ れ てき た か を 知 ろ う と
す る 行 き 方 で あ る 。 今 、 ︽言 語 地 理学 ︾ と いう 名 前 で、 多 く の 学 者 が 従 事 し て いる 研 究 、 そ れ はあ る 事 項 に 関 し
て 現 在 の地 理 的 分 布 の 姿 を 考 え る こと に よ って そ う いう 歴 史 を 明 ら か にす る 学 問 であ る 。 も っと も 、 ︽言 語 地 理
学 ︾ は そ う いう 研 究 の 一部 であ って、 そ の地 域 に 行 わ れ た言 語 の歴 史 を 知 る た め には 、 そ れ 以 外 に 、 過 去 の文 献
で そ の地 域 の言 葉 に つ い て書 か れ た も の、 あ る いは そ の 地 域 の言 葉 を 用 い て何 か 書 か れ た も のを 利 用 す る こと が
で き る 。 研 究 資 料 と し て は 、 こ れ ら の方 が そ の言 語 が 用 いら れ て いた 時 代 を 教 え てく れ る 点 で有 力 であ る 。 以 上 の研 究 を ひ っく る め て ﹁地 域 言 語 史 の研 究 ﹂ と 言 う こと が で き る 。
も う 一つ の国 語 史 は 、 そ の方 言 の言 語 体 系 が他 のど の方 言 と 同 じ系 統 で、 ど う いう も と か ら ど のよ う に 変 化 し
現 在 の よ う に な った か を 知 ろ う と す る 行 き 方 で あ る 。 これ は ︽比 較 言 語 学 ︾ の原 理 を 用 いよ う と す る も の で、
﹁方 言 系 統 の研 究 ﹂ と いう こと が で き る 。 こ の研 究 のた め に は、 ま ず 言 語 体 系 の う ち の根 幹 的 な も の と 枝 葉 的 な
も のと を 見 分 け る こ と が 必 要 で 、 音 韻 体 系 ・ア ク セ ント 体 系 ・文 法 体 系 の基 本 的 部 分 な ど が根 幹 的 部 分 と 見 な さ
れ る が 、 同 時 に言 語 の変 化 はど のよ う な 方 向 に変 化 す る か と いう こ と を 心 得 て いる こ と が 大 切 で あ る 。 た と え ば
音 素 は 変 化 す る と す れ ば 規 則 的 に変 化 す る も の で あ る と 考 え 、 も しあ る 方 言 に 規 則 的 な 変 化 を 破 る よ う な 例 があ
る 場 合 に は 、 そ れ は 類 推 と か他 方 言 の影 響 と か いう よ う な も の が働 いた と 考 え る と いう よ う な 行 き 方 を と る 。 こ の場 合 にも 、 過 去 の 文 献 の 記述 を 参 考 にす べき こ と 言 う ま で も な い。
今 も し こ の二 つ の研 究 で北 海 道 地 方 の方 言 を 扱 う な ら ば 、 地 域 言 語 史 の 研究 の場 合 に は 、 ア イ ヌ語 と 日 本 語 と
の 分 布 の状 態 を も 資 料 とす る こ と に な って 、 日 本 語 が ど のよ う にし て ア イ ヌ語 の間 に 入 って行 った か ま で 明 ら か
にす る こと に な る 。 こ の場 合 に は 二 百 年 以前 の研 究 は 行 わ れ な い。 も し 行 え ば 、 今 度 は ア イ ヌ語 の地 域 言 語 史 の
研 究 に な る であ ろ う 。 ﹁方 言 系 統 の研 究 ﹂ に立 つ場 合 は 、 北 海 道 方 言 は 北 奥 方 言 と 比 較 し て そ れ か ら 別 れ た 過 程
を 論 ず る こ と に な り 、 さ ら に越 後 地 方 の方 言 と 比 べ る こと に な り 、 そ れ ら が 中 央 の方 言 か ら ど のよ う にし て 別 れ 出 た か と いう こ と を た ど る こと にな る 。
(2) 地 域言 語史 の研 究
が 、 こ れ は 文 献 資 料 の性 質 でや むを え な い。 文 献 に よ る 研 究 で は 、 何 よ り も 資 料 の吟 味 が大 切 で、 そ の扱 い方 に
現在 のと こ ろ 、 ﹁地 域 言 語史 の研 究 ﹂ の方 は 、 京 都 方 言 ・大 阪方 言 、 近 世 以 後 の 江 戸 方 言 が 十 分 に 進 ん で いる
は 、 一般 の国 語 史 の場 合 と 全 く 同 じ 注 意 が必 要 であ る。
近 世 以 前 の関 東 方 言 の研 究 は 、 早 く は 湯 沢 幸 吉 郎 ・吉 田 澄 夫 、 近 く は 中 村 通 夫 (﹃ 国語と国文学﹄昭和三十 四 の 一
〇)・金 田 弘 ( ﹃国語学﹄二〇、﹃国語と国文学﹄昭和三十四 の 一〇)と い った 人 た ち が 中 世 以 後 の資 料 を 集 め て い る。 こ
れ が福 田 良 輔 (﹃ 奈良時代東国方 言の研究﹄)や 北 条 忠 雄 ( ﹃ 上代東国方 言の研究﹄)と い った人 た ち の、 上 代 の 関 東 方 言 の
研 究 と 結 び 付 け ばす ば ら し いが 、 そ の中 間 の資 料 の乏 し いた め の 困 難 さ は 深 刻 であ る 。 た だ し 近 ご ろ、 桜 井 茂 治
﹁形容 詞 のウ 音 便 ﹂ ( ﹃ 国学院雑誌﹄昭和四十 一の 一〇) 、 外 山 映 次 の ﹁ハ行 四 段 活 用動 詞 音 便 形 に つ いて ﹂ ( ﹃近代語研究﹄
第 二集所載) 、 高 松 政 雄 ﹁﹃べ い﹄ 攷 ﹂ (﹃ 国語国文﹄昭和四十四の七) のよ う な 、 一般 言 語 学 の法 則 の応 用 そ の他 に よ っ
て 、 零 細な 事 実 か ら 大 き な 言 語 変 化 の流 れ を 見 よ う と す る 論 考 が 現 れ た の は 注 目 に値 す る 。 時 に は 、 無 謀 な 結 論
に 達 す る危 険 も 予 想 さ れ な いで は な いが 、 資 料 の乏 し さ を カ バー す る た め に は 必 要 な 手 段 であ る 。
九 州 方 言 に つ いて は 、 戦 国 時 代 に、 ポ ルト ガ ル の宣 教 師 が 来 て 残 し て行 った 文 献 が あ り 、 有 望 であ る 。 た だ し あ ま リ 詳 し い研 究 は ま だ 出 て いな いよ う であ る。
沖 縄 語 に つ いて は 、 こ れ ま た ﹃お も ろ さ う し ﹄ のよ う な す ぐ れ た 文 献 そ の他 の資 料 があ り 、 外間 守 善 の ﹃ 沖縄 の言 語 史 ﹄ と いう 、 ま と ま った 手 ご ろ のも のが 出 来 た こ と は 、 け っこう だ った 。
言 語 地 理 学 的 研 究 は 、 な か な か盛 ん で、 多 く の有 為 な 学 者 が参 加 し て いる が、 そ の扱 う 対 象 がま だ 多 く は特 殊
な 語彙 であ り、 扱 わ れ る範 囲 も 、 た と え ば 新 潟 県 西 部 と いう よう な ごく 狭 い範 囲 で あ る。 し か し 将 来 は 言 語 体 系
を も 扱 お う と し て い て、 全 国 的 な 研 究 も 意 図 し てお り 、 そ の成 果 が出 れ ば す ば ら し い。
(3) 方 言系統 の研究
方 言 系 統 の 研 究 も 、 文 献 資 料 に よ る 京 都 方 言 と 近 世 以 後 の 江 戸 方 言 の 研 究 が進 ん で いる が 、 文 献 資 料 の乏 し い
他 の方 言 に つ いて は 、 服部 四 郎 が 昭 和 六 ・七 年 に ﹃ 方 言 ﹄ に 発 表 し た ﹁国 語 諸 方 言 ア ク セ ント の概 観 ﹂ と 、 そ れ
に つ い で同 誌 に 発 表 し た ﹁国 語 と 琉 球 語 の 音 韻 法 則 ﹂ が 画 期 的 な 業 績 を あ げ た 。 これ は ︽比 較 言 語 学 ︾ の方 法 を
用 いた も の で 、 筆 者 に よ れ ば 、 奄 美 ・沖 縄 方 言 を 除 いた 日本 語 諸 方 言 は 現 在 ま で の研 究 に よ れ ば 、 大 き く 次 の五 種 に 分 け る こ と が でき る 。 甲 種 (近 畿 ・四国 等 ) 乙 種 ( 東 京 を 含 め 東 海 ・東 山 ・中 国 等 ) 丙 種 (西 南 九 州 、 隠 岐 島 大 部 、 山 梨 県 奈 良 田等 ) 丁 種 (鹿 児 島 県 種 子 島 、 隠 岐 島 五 箇 浦等 ) 一型 (北 関 東 、 南 奥 羽 、 九 州 中 部 、 八 丈 島 等 )
そ う し て 、 これ ら 相 互 の関 係 は 、 大 ざ っぱ に言 え ば 、 次 ペー ジ の よ う な 表 で 示 す こ と が でき る 。 こ の こ と は 私
が た び た び 書 い て来 た 論 文 で 見 て いた だ い て い る、 あ る いは 承 知 し て いた だ いて いる か と 思 う 。 も っと も こう い
う こと を 言 う と 、 こ れ に対 し て は 、 おま え のや って いる のは アク セ ント だ け に つ いて の系 統 表 で 、 方 言 体 系 全 体
の 系 統 表 で は な いだ ろう と 、 不審 に 思 わ れ る 向 き も あ る と 思 う 。 が、 私 に 言 わ せ る と 、 ア ク セ ント 体 系 と いう も
の は 言 語 の 根 幹 的 な 部 分 であ って 、 し かも 甲 種 ・乙 種 と いう 分 類 は ア ク セ ント に 関 す る 分 類 にと ど ま る も ので は な い つも り で あ る 。
例 え ば 、 東 京 方 言 で ﹁白 い﹂ ﹁高 い﹂ な ど の形 容 詞 の ア ク セ ント は 、 終 止 形 ・連 体 形 は○○○ 型 であ る の に 対
し て 、 連 用 形 は○○○ 型 で あ る。 一般 の人 は アク セ ント の問 題 と 考 え 、 文 法 の問 題 と し な い傾 向 があ る 。 が 、 こ
れ は ち ょう ど 終 止 形 の 語 音 は○○イ であ る の に対 し、 連 用 形 の語 音 は○○ ク であ る と いう のと ま った く 同 じ 関 係
であ る 。 イ 対 ク の関 係 は 何 か と いう と 、 音 韻 の問 題 で は な く 、 文 法 の問 題 であ る と す る の が 普 通 で あ る 。 そ れ な
ら ば 、 同 様 に 終 止 ・連 体 形 と 連 用 形 と で ア ク セ ント が ち がう と いう の は 、 アク セ ント の問 題 で はな く 、 活 用 の別
であ り 、 文 法 の問 題 だ と 考 え る べき では な いか 。 こ のよ う な こ と は 一型 ア ク セ ント の方 言 に は 絶 え て 見 ら れ な い
こ と で あ る か ら 、 ア ク セ ント に 関 し て東 京 方 言 と の 間 に 深 刻 な 相 違 があ る が 、 そ れ と 同 様 に 文 法 に 関 し ても 活 用
の有 無 と いう 点 で大 き な 相 違 があ る こと にな る わ け で あ る 。 こ の現 象 があ る 東 京 ア ク セ ント で は 形 容 詞 の全 語彙
が 二 つ の類 に別 れ る が、 こ の現 象 が な い 一型 ア ク セ ント では そ のよ う な こ と がな いと いう こ と にな る か ら 、 東 京 方 言 と 一型 方 言 と の間 で は 、 語 彙 の点 でも 顕 著 な 相 違 が あ る と 言 ってよ いと 思 う 。
こ のよ う に 見 て く れ ば 、 アク セ ント 体 系 に よ って 一つ の言 語 の基 本 的 性 格 を 判 定 す る こ と は 、 文 法 や 語 彙 の 面
に つ い て も 考 え て き め た こ と に な る と 思 う が、 いか が で あ ろ う か。 な お こ の問 題 に つ い て は 、 私 は か つて 雑 誌
﹃こと ば の宇 宙 ﹄ に の せた ﹁日 本 の方 言 ﹂ と いう 論 文 でも っと 詳 し く 述 べた こ と が あ る (こ れ はあ と で 私 の ﹃日 本 語方 言 の 研究 ﹄ の中 に 採 録 し た )。
(4) 比 較方 言学 に よ る国 語史 の研究 の例 (一)
方 言 地 理学 は 、 言 語 地 理 学 の方 法 を 方 言 に 適 用 す る も の で、 地 域 言 語 の歴 史 を 明 ら か に し 、 ま た 比較 方 言 学 は 、
比 較 言 語 学 の方 法 を 方 言 に 適 用 す る も の で、 方 言 の 系 統 を 明 ら か にす る 。 これ ら は と も に 国 語 史 に 貢 献 す る。 方
言 地 理 学 の適 用 の例 は 、 多 く 発 表 さ れ て いる の で、 こ こ には 比 較 方 言 学 に よ る 国 語 史 の研 究 の例 を 一、 二 、 見本 に掲 げ る 。
た と え ば 、 山 梨 県 の奈 良 田 郷 を 代 表 と す る 早 川 上 流 の早 川 町 一帯 は 、 山 岳 重 畳 の山 梨 県 の中 でも 特 に 辺 境 地 帯
であ る が 、 こ のあ た り で は 、 ﹁見 た ﹂ を ミ ト ー 、 ﹁書 いた ﹂ を カイ ト ー と いう 言 い方 を す る 。 こ れ は 珍 し い言 い方
であ る 。 これ の起 源 は 何 で あ る か。 見タ ・書 イ タ に何 か 終 助 詞 が つ い て 融 合 し た のか と ま ず 思 う が、 ミ ト ー ・カ
イ ト ー は 終 止 形 以 外 に、 連 体 形 と し て も 使 う か ら 、 そ の説 は 成 り た た な い。 見 テ オ ル ・書 イ テ オ ル が つま った 形
か と も 思 う が、 こ の地 方 や そ の周 辺 では 、 イ ルを 使 いオ ルと いう 動 詞 は使 わ な い ので 、 こ の考 え も 採 り に く い。
こ こ で考 え る こ と は 、 似 た も の は な いか と いう こ と であ る 。 と 、 こ の 町 で は 、 ﹁静 か だ ﹂ と か ﹁山 だ ﹂ と か い
う 時 に 助動 詞 ﹁だ ﹂ が ド ー と な って 、 シ ズ カ ド ー ・ヤ マド ー と な って い る のに 気 が つく 。 こ れ は 関 係 が あ る と 思
わ れ る か ら い っし ょ に考 察 の対 象 と す る 。 ほ か に 、 ﹁見 な い﹂ ﹁書 か な い﹂ を ミノ ー ・カ カ ノ ー と 言 う のが あ る が、
これ は 、 他 の地 方 で ﹁見 な ﹂ ﹁書 か な ﹂ と は 言 わ な い の で 、 ち ょ っと 例 に し に く い。 そ れ よ り も 、 も し 、 ほ か の
名 詞 な ど に 、 た と え ば ﹁花 ﹂ を ハノ ー と 言 った り 、 ﹁空 ﹂ を ソ ロー と 言 った り す る も の で も あ れ ば 、 重 要 な 意 味
を も ってく る が、 そ う いう 例 は な い ので 諦 め 、 こ れ は 特 殊 な 音 韻 変 化 の結 果 であ ろう と 想 像 す る 。 そう し て ほ か の方 言 か ら 例 を 求 め る こと に な る 。
ほ か の方 言 の例 を 探 す と 、 長 野 県 から 新 潟 県 に か け て の秘 郷 で名 高 い秋 山 郷
( ﹃ 新 潟 大 学教 育 学部 研 究紀 要﹄ 第 二輯
二 八 ペー ジ、 押 見 虎 三 二 ) に 、 ﹁ソ ッ ケ ー キ ッ テ 集 メ ト ソ ﹂ と 言 っ て い る の が 見 つ か る 。 ﹁ソ ッ ケ ー キ ッ テ ﹂ は 意 味
﹁た ﹂ に 当 た る も の で あ ろ う 。 こ の [t] oは 短 く 言 う よ う だ が 、 こ の 秋 山 郷 方 言 に は 、 別 に 、
不 明 で あ る が 、 ﹁集 メ ト ソ ﹂ の ト は [ to ]と 発 音 さ れ る と い う 。 そ の あ と の ソ は 、 ほ か の 用 例 と 比 べ て み る と 、 ﹁候 ﹂ の 転 で 、 ト は
﹁た ﹂ ﹁だ ﹂ を や は り 一種 の ト ・ド で 言 っ て い る こ と に
﹁地 所 ガ 広 ケ リ ャイ イ ト コ ド ド モ ﹂ ( 同 二 七 ペー ジ ) と 言 っ て い る 。 こ の ド は [d〓]だ と い う 。 こ の [d〓] の [〓 ]と [t] oの [o ]と は 同 じ 母 音 であ ろう 。 と す る と 、 こ こ で も
( ﹃方 言 学 講 座 ﹄ 第
な る 。 こ の 場 合 、 両 方 と も ト ・ド と 短 く 、 奈 良 田 の ト ー ・ド ー と き っち り 一致 し な い 方 が 資 料 と し て お も し ろ い。
一 つ前 の 形 に さ か の ぼ る た め に は 、 こ の 方 が 価 値 が 高 い か ら で あ る 。 こ の 秋 山 郷 は 、 馬 瀬 良 雄
二 巻 三 二〇 ペー ジ) に よ る と オ の 母 音 に 開 合 の 区 別 の あ る 地 域 だ と いう 。 恐 ら く こ の ト ・ド は と も に 開 音 の ト・ ド
﹁打 た れ た う か ﹂ と 言 っ て 笑 い を 買 っ て い る が 、 こ の
﹁た う ﹂ は ト や ト ー の
で あ ろ う 。 そ う し て 、 一時 代 前 に は 、 タ ォ ー ・ダ ォ ー と 長 か っ た か も し れ な い。 ﹃平 家 物 語 ﹄ で は 木 曾 義 仲 が ﹁打 た れ た か ﹂ と 言 う べ き と こ ろ を
﹁た ﹂ ﹁だ ﹂ に 相 当 す る 形
一つ前 の 形 に 相 違 な い。 同 時 に 、 山 梨 県 早 川 町 一帯 の も の も 、 一時 代 前 に は 母 音 が 広 か った か も し れ な い。
こ こ でさ ら に 他 の地 方 を 探 す と 、 八 丈 島 の方 言 が 注 意 さ れ る 。 こ こ で は 村 落 ご と に
(連 体 形 ) ( 連体 形)
∼ ド ー
ミ ト ー
大 賀 郷
∼ ド ウ
ミ ト ウ
三 根
∼ ダ ー
ミ タ ー
末 吉
∼ ド ァ
ミ ト ァ
中 之 郷
∼ド ァ
ミト ァ
樫立
( 以 上 終 止 形 は す べ て ∼ ダ ラ ー)
( 以 上 終 止 形 はす べ て ミ タ ラ ー )
が ち が い、 次 の よ う に な っ て い る 。 た だ し 、 こ こ の 例 は 、 い ず れ も 連 体 形 で あ る 。 終 止 形 は ち が う 。 見た 静 かだ
こ の う ち 大 賀 郷 は ミ ト ー ・∼ ド ー で 、 早 川 町 と 同 じ で あ る が 、 他 の 村 落 は い ろ い ろ に ち が う 。 が 、 こ の ち が う
と こ ろ が 有 難 い。 こ の 方 が 、 こ う 分 化 す る 以 前 の 段 階 の 形 が 何 で あ る か 探 る の に 有 用 で あ る 。 幸 い に ト ー ・ト ウ
⋮ ⋮ の 変 化 は ド ー ・ド ウ ⋮ ⋮ の 変 化 に う ま く 対 応 し て い る か ら 、 そ の 変 化 は 平 行 的 に 起 こ っ た と 見 ら れ る 。
そ れ で は 八 丈 島 で は 、 以 前 の 段 階 の 形 は 何 だ ろ う か 。 ト ー ・ト ウ ・タ ー ・ト ァ の 四 つを 比 べ る と 、 ト ァ が も と
であ ろ う 。 ト ァは ほ か の形 に、 こ と にト ー に 移 り やす そ う であ る が 、 ほ か の形 、 特 に ト ー あ た り か ら は ト ァ に は
移 り に く い か ら 。 そ れ で 、 ト ァ を 古 いと 見 る 。 こ の 場 合 、 注 意 す べ き は 、 ト ァ が 一番 辺 鄙 な 地 域 の も の だ と か 、
二 つ の 地 域 に 別 れ て い る か ら と い う こ と は 別 に 理 由 と は し な い こ と で あ る 。 方 言 地 理 学 で は 、 そ う いう 地 理 的 な
位 置 関 係 を 重 要 な 推 定 資 料 に使 う が 、 比 較 方 言 学 の方 で は 、 そ の こと は 別 に注 意 し な い。 た ま た ま ト ァを 使 う と
こ ろ は 、 五 つ の 村 落 の 中 で 、 昔 は 一番 辺 鄙 だ った 樫 立 と 、 そ れ に 続 く 中 之 郷 で あ る が 、 そ れ は た ま た ま そ う だ っ
(一七九 ペー ジ) を 見
た と 考 え る 。 重 要 な のは 、 音 韻 変 化 は ど う いう 方 向 に 起 こ り やす い か と いう こ と で 、 そ れ に よ って古 い形 を つき
と め る の で あ る 。 そ う 考 え て ト ァ を 古 形 と き め た 。 今 、 N H K の ﹃全 国 方 言 資 料 ﹄ の 第 七 巻
﹃こ と ば の 研 究 ﹄ に 、 飯 豊 毅 一が
﹁八 丈 島 方 言 の 語
る と 、 大 賀 郷 で も 老 人 は 、 ⋮ ⋮ ト ァ ・⋮ ⋮ ド ァ を 使 う よ う で あ る 。 こ の こ と は ト ァ ← ト ー 、 ド ァ← ド ー の 変 化 が 行われた推 定を支持 する。 と こ ろ で 、 こ の ト ァ ・ド ァ は 何 だ ろ う 。 国 立 国 語 研 究 所 の
法 ﹂ を 書 い て い る が 、 中 に 、 ﹁⋮ ⋮ だ か ら ﹂ の 意 味 を 、 大 賀 郷 で は ド ー テ 、 三 根 で は ド ウ テ 、 末 吉 で は ダ ー ン テ 、
中 之 郷 で は ド ァ ン テ 、 樫 立 で は ド ァイ テ と 言 う と 言 い、 さ ら に 付 加 え て 、 大 賀 郷 では ド ー ンテ と も ダ ロン テ と も
言 う 、 とあ る 。 見 ト ー にも こ れ に平 行 的 な 変 異 が あ る の であ ろ う 。 こ の変 異 は お も し ろ い。 こ の中 では ダ ロ ンテ
が ま ず 古 い 形 と 見 ら れ る 。 ド ー ン テ ・ダ ー ン テ ・ド ァ ン テ は そ れ か ら 由 来 し た も の で 、 ド ー テ は さ ら に そ の 変 化
で あ ろ う 。 ド ァイ テ は 恐 ら く そ の 前 に ダ ロイ テ と い う よ う な 形 が あ って 、 そ の ダ ロイ テ が 、 ダ ロ ン テ と 同 じ 源 か ら 出 た も の であ ろう 。
と す る と 、 ダ ロ イ テ ・ダ ロ ン テ は 何 か ら 出 た も の か、 と い う こ と に な る 。 ン テ ・イ テ の 部 分 の 解 釈 は 容 易 で あ
﹁煮 え る ﹂ の 連 体 形 、 ワ ル ケ は
﹁悪 い﹂ の 連 体 形 で あ る 。 と す れ
る 。 ﹃全 国 方 言 資 料 ﹄ 第 七 巻 に よ る と 、 中 之 郷 方 言 で 、 ﹁悪 い か ら ﹂ の 意 味 を ワ ル ケ ンヨ ッ テ 、 ﹁煮 え る か ら ﹂ の 意 味 を ネ ー ロ ン ヨ ッテ と 言 って い る 。 ネ ー ロ は
ば 、 ン ヨ ッテ が
﹁だ ﹂ の 意
﹁か ら ﹂ に あ た り 、 こ れ が 、 ン テ ・イ テ の 一つ 以 前 の 形 で あ ろ う 。 そ う し て も う 一つ 以 前 の 形 は
﹁に よ っ て ﹂ で あ った ろ う と 推 定 さ れ る 。 つ ま り 、 ダ ロ ン テ は ダ ロ ニヨ ッ テ の 変 化 と 知 ら れ 、 ダ ロ が 味 の 連 体 形 だ 。 そ う す る と 、 ト ー の 方 も タ ロと いう 形 に 復 原 さ れ る 。
こ こ で 考 え 合 わ せ ら れ る の は 、 ド ー の 終 止 形 が ダ ラ ー 、 ト ー の 終 止 形 が タ ラ ー だ と いう こ と だ 。 ド ー と ダ ラ ー 、
ト ー と タ ラ ー で は あ ま り ち が い す ぎ る 。 こ れ は 、 終 止 形 が ダ ロ ワ ・タ ロ ワ で 、 連 体 形 の ダ ロ ・タ ロに ワ と いう 終
助 詞 の つ い た 形 で あ ろ う 。 タ ロ ・ダ ロ と い う 形 は 、 一般 の動 詞 が 、 終 止 形 が カ コ ワ に 対 し て 連 体 形 は カ コ、 終 止
形 が ミ ロ ワ に対 し て 連 体 形 が ミ ロであ る の に平 行す る こ と に な って、 いか にも 自 然 であ る 。 こう 考 え る た め に は
一般 の 動 詞 の 連 体 形 に 変 化 が 起 こ ら ず 、 指 定 の 助 動 詞 ダ ロ や 、 完 了 の 助 動 詞 タ ロ に だ け 変 化 が 起 こ った と 考 え な
け れ ば な ら な い。 そ う いう こ と が 起 こ り え た の は 、 使 用 度 が 頻 繁 で あ り 、 ゾ ン ザ イ に 発 音 し て も 理 解 に 支 障 を 来 た さ な か った た め と 解 釈 さ れ る 。
以 上 の よ う に 考 え て 、 早 川 町 の 見 ト ー ・静 カ ド ー の ト ー ・ド ー は 、 秋 山 郷 の 見 タ ォ ・静 カ ダ ォ の タ ォ ・ダ ォ と
と も に 、 そ の も と は 見 タ ロ ・静 カ ダ ロと い う 形 と い う こ と に な った 。 早 川 町 の も の は 大 賀 郷 と 同 じ よ う に タ ロ←
( 前 出 、 三 一八 ペ
タ オ ← タ ォ ー ← ト ー と な り 、 秋 山 郷 の も の は 、 タ ォ ー が 短 く な った も の と 推 定 さ れ る 。 あ る い は タ オ ← タ ウ ← ト ー と な った 、 そ う し て 木 曾 義 仲 の 言 い 方 が 中 間 の 言 い方 だ った の か も し れ な い 。
と こ ろ で 、 秋 山 郷 で は 、 一般 の 動 詞 に 、 終 止 形 フ ル、 連 体 形 フ ロと い う 対 立 が あ る こ と が 馬 瀬
ー ジ) に よ っ て 報 告 さ れ て い る 。 こ こ に 考 え ら れ る こ と は 、八 丈 島 の タ ロ ・ダ ロと 関 係 あ り と 考 え ら れ た 、 動 詞
﹁八 丈 島 方 言 の 研 究 ﹂ で 指 摘 し て い る 。 そ う す る と 見 タ ロも 、 東 歌 の
﹁見 た り ﹂ と い う 語
の 見 ロ ・降 ロ が 、 ﹃万 葉 集 ﹄ の 東 歌 の 語 法 と 関 係 が あ る こ と で あ る 。 東 歌 の ﹁降 ろ 雪 ﹂ が 八 丈 島 の フ ロ の 祖 身 だ と は、 北 条 忠 雄 が 早 く
﹁見 た ろ ﹂ で あ っ た か と 思 わ れ る 。 終 止 形 は 、 ﹁見 た り ﹂ だ った ろ う 。 つ ま り 終
句 の 連 体 形 で は な か ろ う か 。 東 歌 に は 、 あ い に く 一 ・二 段 活 用 の 完 了 態 が 見 当 ら な い 。 が 、 こ の 八 丈 島 の 方 言 を も と に し て考 え れ ば 、 連 体 形 は
止 形 は 中 央 語 と 同 じ で 、 連 体 形 は ち が っ て い た 。 そ う し て 、 秋 山 郷 の ミ タ ォ が こ の ﹁見 た ろ ﹂ の 子 孫 で あ った と
同 じ く 、 早 川 町 の ミ ト ー も 東 歌 の ﹁見 た ろ ﹂ か ら 変 った も の 、 そ の た め に 、 多 く の 諸 方 言 の 見 タ と ち が った 特 殊 の形 にな って いる も のと 解 釈 さ れ る。
四 段 活 用 の 場 合 、 早 川 町 ・秋 山 郷 と も フ ット ー ま た は フ ッ タ ォ で あ って 、 こ れ は 東 歌 の
﹁降 ら ろ ﹂ か ら 変 化 し た
東 歌 の 語 法 と 早 川 町 ・秋 山 郷 の 語 法 と の 間 に は 、 し か し 、 四 段 活 用 の 動 詞 の 面 で 結 び 付 け が た い 相 違 が あ る 。
と は 解 き に く い。 一方 、 八 丈 島 で は 、 ﹁降 った ﹂ が フ ロー で あ っ て 、 こ れ は 東 歌 か ら の 変 化 で あ る と 説 明 で き る 。
フ ラ ロ← フ ラ オ ← フ ラ ォ ← フ ロー ま た は フ ロ ァ で あ ろ う 。 そ う す る と 、 早 川 町 ・秋 山 郷 の フ ット ー ・フ ッ タ ォ は ど う し て 出 来 た も のか 。
(一八 六 ペー ジ ) に よ る と 、 ﹁上 った が ﹂ は ア ガ ラ ロ ァ ガ と 言 っ て お り 、 ﹁通 っ た が ﹂ は カヨッ
タ ロ ァガ と 言 っ
八 丈 島 の方 言 で は 、 ﹁降 る ﹂ の 過 去 の 連 体 形 は 、 よ く 見 る と 、 フ ロー だ け で は な い よ う だ 。 ﹃全 国 方 言 資 料 ﹄ 第 七巻
﹁上 ら ろ ﹂
て いる と こ ろ があ る。 柴 田 武 に よ る と 、 こ れ は 大 過 去 を 表 わ す 形 だ と いう 。 そう す る と 、 こ れ を 単 な る 過 去 の形
に 改 め る と 、ア ガ ロ ァ ガ ・カヨ ット ァ ガ と な る は ず で あ る 。 こ れ を 東 歌 の 語 法 に 改 め る と 、 連 体 形 は
﹁通 ひ た ろ ﹂ と な る 。 思 う に 、 上 代 の 東 国 方 言 に は 、 四 段 活 用 の 完 了 形 と し て 、 中 央 方 言 の ﹁降 れ り ﹂ に あ た る
﹁降 り た り ﹂ と 二 つあ っ た の で は な い か 。 そ う し て 、 ﹁降 り た り ﹂ の 方 は 連
﹁降 り た ろ ﹂ で あ った 。 こ れ がフ リ タ ロ←フ リ タ オ ←フ リ タ ォ ー と な り 、 そ れ か らフ リ ト ー を 経 て フ ッ ト
﹁降 ら り ﹂ と 、 ﹁降 り た り ﹂ に あ た る 体 形が
﹁降 ら ろ ﹂ ﹁降 り た ろ ﹂ 両 方 の 言 い方 を 残 し た も の が 八 丈 島 方 言 に な っ た の で は な い か 。
ー に 変 化 し た の が 早 川 方 言 で あ り 、フ リ タ ォ と 短 く な っ て 、 フ ッタ ォ と 変 った の が 秋 山 郷 方 言 で は な い か 。 そ う して
る 東 国 方 言 の 系 統 を 引 く も のだ と いう 結 論 が 出 た こ と に な り 、 東 歌 の語 法 と いう も のは 、 かな り 変 り 果 て た 姿 に
こ の よ う に 考 え る と 、 早 川 町 の 見 ト ー ・降 ット ー と い う 形 は 、 秋 山 郷 ・八 丈 島 の方 言 と 同 じ く 、 東 歌 に 見 ら れ
な って 、 あ る 方 言 の 中 に 保 存 さ れ て い る と 言 う こ と が で き る 。 と 同 時 に 、 東 歌 の 語 法 で ﹃万 葉 集 ﹄ に は 用 例 の な
い ﹁見 た り ﹂ ( 連体 形は にな る 。
﹁見 た ろ ﹂)、 ﹁降 り た り ﹂ (連 体 形 は
(5) 比 較 方 言 学 に よ る 国 語 史 の 研 究 の 例 ( 二)
﹁降 り た ろ ﹂) と い う 形 が あ っ た こ と を 推 定 し た こ と
﹁が ﹂ ﹁は ﹂ ﹁の ﹂ ﹁に ﹂ ﹁を ﹂ ⋮ ⋮ な ど を 付 け る と 、 そ の ア ク セ ン ト は 、 ソ
次 に、 石 川 県 羽 咋 町 方 言 に は 、 ア ク セ ント に関 し て 次 のよ う な 性 格 が 見 ら れ る 。 ﹁空 ﹂ ﹁箸 ﹂ の よ う な 語 に 、 一般 助 詞
・ ハ シモォ
のよ う に 助 詞 の部 分 が 高 く 発 音 さ れ る。 これ はな ぜ であ ろ う か、
ラ ガ ・ソ ラ ワ ・ソ ラ ノ 、 ハシ ガ ・ ハシ ワ ・ ハ シ ノ ⋮ ⋮ の よ う に 低 平 型 で あ る 。 と こ ろ が 、 ﹁も ﹂ と い う 助 詞 を 付 け る と 、 こ の 場 合 に 限 っ て 、 ソ ラモォ と いう と ころ から 追 求 が は じ ま る 。
こ れ は 、 な ん だ そ ん な 小 さ な 問 題 か、 と 受 取 ら れ る 方 が あ り そ う だ 。 と こ ろ が 、 こ れ が な か な か 大 き な 問 題 に
つな が っ て ゆ く の で 辛 抱 し て 読 ま れ た い 。 そ れ か ら そ ん な こ と は 、 ご く 容 易 に 解 釈 で き る 問 題 で は な い か と 思 う
方 も あ り そ う だ 。 ﹁も ﹂ と いう 助 詞 は 、 ﹁そ の も の も や は り ﹂ と い う 意 味 を も ち 、 こ れ は 強 調 さ れ る 性 質 を も っ て
い る 。 だ か ら 強 調 の た め に 、 そ こ を 高 く 発 音 す る の だ と 解 釈 し て す む よ う に 思 わ れ る 。 が、 こ の 解 釈 は す ぐ に 行 き づまる。
と い う の は 、 ﹁も ﹂ が つ い て 高 く な る の は 、 上 の ﹁空 ﹂ ﹁箸 ﹂ ⋮ ⋮ の よ う な 、 単 独 で は 低 平 型 に ソ ラ ・ ハ シ と 発
﹁犬 ﹂
音 さ れ る 単 語 に 限 る か ら で あ る 。 ﹁雨 ﹂ ﹁春 ﹂ の よ う な 単 語 で ア メ ェ ・ ハ ル ゥ と い う ア ク セ ン ト の 語 は 、 ﹁も ﹂ で
な い 一般 の助 詞 の 場 合 で も 、 ア メ ガ ァ ・ア メワ ァ ⋮ ⋮ 、 ハ ル ガ ァ ・ ハ ルワ ァ ⋮ ⋮ と な り 、 ま た 、 ﹁波 ﹂ と か
と か い う 単 語 で は 、 一般 の 助 詞 の 場 合 、 ナ ミ ガ ・イ ヌ ガ ⋮ ⋮ と な り 、 ﹁も ﹂ の 場 合 も 同 様 に 、 ナ ミ モ ・イ ヌ モ
⋮ ⋮ で あ る 。 で は 、 ﹁も ﹂ が 特 殊 な 付 き 方 を す る 単 語 は ほ か に な い か と 探 し て み る と 、 三 拍 語 の ﹁雀 ﹂ ﹁背 中 ﹂ ⋮ ⋮ と い った 語 彙 が そ う だ と い う こ と が わ か る 。
﹁空 ﹂ ﹁箸 ﹂ ⋮ ⋮ 、 ﹁雀 ﹂ ﹁背 中 ﹂ ⋮ ⋮ と い った 語 彙 の間 に は 、 意 味 の上 に も 職 能 の 上 に も 、 そ れ ら に共 通 し 、 他
か ら き わ 立 つも のは 何 も な い。 こ の集 合 は、 いわ ば 偶 然 の集 合 で あ る 。 そ こ で、 今 これ を 他 の方 言 に つ い て 調 べ
て み る と 、 た と え ば 、 京 都 ・大 阪方 言 でも 、 これ ら ﹁空 ﹂ ﹁箸 ﹂ ﹁雀 ﹂ ﹁背 中 ﹂ ⋮ ⋮ な ど の語 は 、 ﹁も ﹂ を つけ た 場
合 、 他 の ﹁が﹂ ﹁は ﹂ ﹁の ﹂ ﹁に ﹂ ﹁を ﹂ ⋮ ⋮を 付 け た 場 合 と 、 ア ク セ ント が 異 な る と いう 性 質 が あ る こ と を 知 る。
こ の 一致 は 偶 然 で は な いに ち が いな い。 し か も 、 羽 咋 町 の方 言 で 、 ﹁空 ﹂ ﹁箸 ﹂ ⋮ ⋮ の類 にも ﹁も ﹂ を 付 け た 場合 、
﹁雨 ﹂ ﹁ 春 ﹂ の類 に 一般 助 詞 を 付 け た のと 同 じ 形 に な る が 、 こ の性 格 が ま た 大 阪 ・神 戸 方 言 にあ る こ と に 気 付 か れ る 。 す な わ ち 次 のよ う で 、 こ の 一致 は 偶 然 で は な い と 思 わ れ る。
雨 が ・春 が
空 も ・箸 も
雀 ・背 中
空 が ・箸 が
ス ズ メ ガ
ア メ ガ
ソ ラ モ
ス ズ メ
ソ ラ ガ
スズ メ モ ォ
スズ メ ガ
アメガ ァ
ソラ モォ
スズ メ
ソラガ
羽咋 町
雀 が ・背 中 が
ス ズ メ モ
大 阪 ・神 戸
雀 も ・背 中 も
比 較 方 言 学 で は、 こ の よう な 対 応 が 見 ら れ る 場 合 、 こ れ は 偶 然 の 一致 で は な く 、 同 じ も と か ら 出 た結 果 であ ろ
う と 推 定 す る 。 つま り 、 大 阪 ・神 戸 と 羽 咋 と で は 今 で こ そ ア ク セ ント がち が う が、 以前 は こ れ ら の 語 に 関 し て同
一の ア ク セ ント を も って いた の であ ろう と 推 定 す る わ け で あ る 。 そ の場 合 、 大 阪 ・神 戸 と 羽 咋 の両 方 が 同 じ も の
か ら 左 右 に 別 れ た のか も し れ な いし 、 大 阪 ・神 戸 あ る いは 羽 咋 の 一方 が古 いも の で 、 他 は そ れ か ら 変 わ った も の
か も し れな い。 そ れ は 、 ど う いう 変 化 を 想 定 す る の が 一番 自 然 か と いう こ と に よ って き ま る。 こ の場 合 、 そ の方 言 の地 理的 位 置 関 係 は し ば ら く 考 慮 の外 にお く と いう 点 、 方 言 地 理 学 と は 異 な る。
今 、 こ の立 場 に立 って 大 阪 ・神 戸 と 羽 咋 と の関 係 を 考 え て み る と 、 羽 咋 のも のは 、 大 阪 ・神 戸 に 比 べ て、 語 末
の高 い部 分 が消 え て お り 、 ま た 語 中 の高 い部 分 が 語末 に 移 って い ると いう 法 則 で 律 せ ら れ る 。 ア ク セ ント の高 い
部 分 は 、 前 の拍 に送 ら れ る よ り次 の拍 に 送 ら れ る こ と が 自 然 であ り、 次 の拍 に 送 り え な い語 末 の拍 は 消 失 す る こ
と も 自 然 であ る 。 (こ の こ と は 私 は 服部 四 郎 博 士 還 暦 記 念 論 文 集 所 載 の ﹁比 較 方 言 学 の方 法 ﹂ と いう 論 文 の 中 で
論 じ た 。) す る と 、 これ は 、 大 阪 ・神 戸 のよ う な ア ク セ ント が 古 い 形 で、 羽 咋 の ア ク セ ント は そ れ か ら 変 化 し て 出 来 た 新 し いも の であ ろ う と 推 定 さ れ る。
こ のよ う な 推 定 が 行 わ れ るた め に は、 大 阪 ・神 戸 方 言 で ﹁高 ﹂ の部 分 は 羽 咋 町 では い つも 次 の拍 に送 ら れ て い
る こ と が望 ま し い が、 事 実 、 大 阪 ・神 戸 で第 1拍 が 高 い語 は 、 羽 咋 で は 原 則 と し て第 2拍 が高 く な って お り 、 第
オト コガ
ハナ ガ
オト コガ
ハナ ガ
羽 咋
﹁花 が ﹂ ﹁橋 が﹂
大 阪 ・神 戸
1 ・2拍 が 連 続 し て高 い語 は、 羽 咋 で は第 2 ・3 拍 が 連 続 し て 高 い拍 に な って いる こ と、 次 の よう であ る。 ﹁男 が ﹂ ﹁表 が﹂
こ れ は、 羽 咋 町 の も のが 、 大 阪 ・神 戸 のも の か ら 、 ア ク セ ント の 山 が 後 の方 に 送 ら れ て 出 来 上 った も の で あ る こ と を いよ いよ 確 実 に す る も の であ る。
そ う し て さ ら に調 べて み る と 、 大 阪 ・神 戸 で、 ﹁鼻 ﹂ ﹁肴 ﹂ のよ う に 高 高 型 ・高 高 高 型 のも の は 、 羽 咋 で は 、 低
高 型 ・低 高 高 型 と な って い る。 羽 咋 は 以前 大 阪 ・神 戸 の よう な ア ク セ ント 体 系 を も って いた 、 そ れ が ﹁低 ﹂ の次
の ﹁高 ﹂ の部 分 ま た は 語 頭 の ﹁高 ﹂ の部 分 が規 則 的 にあ と に 送 ら れ る こと に よ って出 来 た ア ク セ ント で あ る 、 と 推 定 さ れ る こと にな る 。
以 上 は、 石 川 県 羽 咋 町 の ア ク セ ント の過 去 に お け る 変 化 の追 跡 であ った 。 が、 こ の こ と は 、 単 に 羽 咋 町 の ア ク セ ント の変 化 の歴 史 を 明 ら か に し た に と ど ま るも の では な い。
ハナ ガ
今 、 二拍 名 詞 に関 し て 右 に 掲 げ た 羽 咋 町 ア ク セ ント の全 容 を 掲 げ る な ら 、 次 のよ う であ る 。 ﹁鼻 が ﹂ ﹁竹 が﹂
﹁空 が ﹂ ﹁箸 が ﹂ ソ ラ ガ
ハナ ガ
﹁雨 が ﹂ ﹁空 も ﹂ ア メ ガ ァ
﹁花 が ﹂ ﹁雀 が ﹂
今 、 改 め て こ のア ク セ ント を 通 覧 す る と 、 こ れ は 東 京 や 広 島 の よ う な 、 いわ ゆる 乙 種 アク セ ント にち ょ っと 似
て いる では な いか 。 す な わ ち 、 ﹁ 鼻 が﹂ の類 、 ﹁花 が﹂ の類 は そ のま ま で、 ﹁空 が﹂ の類 、 ﹁雨 が﹂ の類 は 第 1拍 の
﹁ 低 ﹂ が ﹁高 ﹂ に変 化 す れ ば 、 そ っく り 東 京 や 広 島 の ア ク セ ント に な る 。 語 頭 の ﹁低 ﹂ は ﹁高 ﹂ に 変 化 し な いも のだ ろう か 。
考 え て み る と 、 大 阪 ・神 戸 で ﹁こ の空 ﹂ ﹁こ の雨 ﹂ と いう よ う な 語句 は 、 コノ ソ ラ ・コノアメ エで あ る 。 こ れ
ら は 一語 のよ う に発 音 さ れ る 場 合 に はコノ ソ ラ ・コノ ア メ に な る 。 と、 こ れ は ﹁男 が﹂ と いう 形 と 同 じ ア ク セ ン
ト だ 。 大 阪・ 神 戸 の オ ト コガ は 、 ﹁ 高 ﹂ の部 分 が あ と の拍 に 送 ら れ て 羽 咋 で は オ ト コガ と な って いる 。 そ う す る
と 、 こ の 場合 、 ﹁こ の空 ﹂ ﹁こ の雨 ﹂ と いう 語 がも し そ の方 言 で 一語 の よ う に発 音 さ れ る 傾 向 が あ った ら 、 コノ ソ
ラ・ コノ ア メ と な る はず では な いか 。 こ こ で ﹁空 ﹂ ﹁雨 ﹂ の アク セ ント は 東 京 ・広 島 式 のソ ラ ・アメ にな る 。
思 う に、 東 京 や 広 島 の方 言 で は 、 名 詞 プ ラ ス助 詞 の形 が 一語 のよ う に 発 音 さ れ る 傾 向 が強 く 、 ﹁こ の空 ﹂ ﹁こ の
雨 ﹂ は コノ ソ ラ 、 コノ ア メ と な り 、 単 独 の 場合 の ア ク セ ント も そ れ に引 か れ て 、ソ ラ ・アメ と な った も の であ ろ
う 。 こう し て 東京・ 広 島 式 の ア ク セ ント の成 立 の過 程 が 推 定 さ れ る 。 そ れ は 羽 咋 町 のア ク セ ント か ら 変 化 し た も
のだ った 。 そう し て 羽 咋 町 の アク セ ント は 、 大 阪 ・神 戸な ど の ア ク セ ント か ら 変 化 し た も の と推 定 さ れ た 。 こ の
よ う に し て、 羽咋 町 の ア ク セ ント の ﹁空 も ﹂ ﹁箸 も ﹂ と いう ア ク セ ント を 考 え る こ と は 、 東 京 と 大 阪 と いう 日 本
の代 表 的 な 二種 類 の アク セ ント のち が い の発 生 の由 来 を 明 ら か にす る こと に な る の であ る 。
三 方 言と国語史 研究 ( 1) 失わ れた 過去 の言 語 の姿を 方 言か ら知 る
従 来 方 言 の国 語史 研 究 へ の貢 献 と いう と 、 文 献 の上 に全 然 見 え な い形 、 これ を 方 言 の中 か ら 拾 い上 げ て、 中 央
の方 言 に も か つて は存 在 し て いた ろ う とす る の が 、 最 も 大 き な 役 割 で あ った 。 柳 田 国 男 の書 いた も の に は、 し ば し ば そ のよ う な 発 表 が あ る。
頭 の垢 で あ る フケ を 、 出 雲 や 岡 山 県 諸 郡 や 飛 騨 の北 部 で ク ケ と 呼 ぶ 。 柳 田 翁 は 、 こ の ク ケ は 、 ﹁鱗 ﹂ を コケ と
呼 ぶ 地方 が 多 い、 あ れ と 同 源 のも の で 、 日 本 語 の古 い形 と 見 る 。 つま り 文 献 に こそ 残 って いな いけ れ ど も 、 中 央
でも か つて そ う 言 って いた 、 た ま た ま 俗 語 と いう よ う な も の であ った か ら 、 ﹃源 氏 物 語 ﹄ な ど に は 忌 避 さ れ 、 用
例 を 見 な い の であ ろ う と す る 。(﹃ 方言覚書﹄ の ﹁鍋墨と入墨﹂ 、 および ﹃言語生活﹄第 一〇号 の ﹁あたまを掻き つつ﹂から)
こ れを 推 定 す る の に、 翁 は 、 青 森 県 の津 軽 や 岩 手 県 の北 部 で フ ケ を ウ ロ コと 言 う こ と 、 秋 田 ・福 島 二 県 な ど に
﹁雲 脂 ﹂ を イ ロ コと 言 う 地 方 が あ る こと 、 そ う し て 一方 、 沖 縄 諸 島 で ﹁雲 脂 ﹂ を イ リ キ と いう そ れ に似 た 言 い方
を す る こと 、 さ ら に 隠 岐 の島 後 の五 箇 浦 地 方 で ﹁雲 脂﹂ を オ ロ コと いう こと 、 鹿 児 島 県 の 肝 属 郡 や 種 子 島 で、
﹁雲 脂 ﹂ と ﹁鱗 ﹂ と を 同 じ 単 語 で表 わ す こ と 、 と いう よ う な 事 実 を も と に し て い る が 、 同 時 に ﹃和 名 抄 ﹄ に、 ﹁雲
脂 ﹂ と ﹁鱗 ﹂ と を 同 じ よ う に ﹁以 路 古 ﹂ と し て 掲 げ て いる 事 実 も 考 慮 さ れ て いる 。 こ の こと は、 昔 の 日本 人 は 、
あ ま り頭 な ど ゴ シ ゴ シ洗 う 習 慣 が な か った た め に 、 フ ケ が鱗 のよ う に 頭 の地 一帯 に は り つ い て いた こと を 仮 定 す
る と とも に 、 日本 人 ほ ど 頭 を 掻 き た が る 民 族 は 少 な い こ と を 指 摘 し 、 女 の櫛 や カ ン ザ シ ・コウ ガ イ の第 二 の用 法
が 考 え ら れ た のだ ろ う と いう 推 定 を 導 く 。 そ う し て 、 これ は 、 中 国 や 九 州 方 面 に 広 く ﹁垢 ﹂ 一般 を コケ と いう 地
域 が あ る こ と と 結 び 付 け て、 ﹁苔 ﹂ も 同 源 の語 であ ろ う と いう 結 論 へ持 って 行 き 、 愚 か 者 を コケ と いう 言 い方 が あ る こと も 解 釈 し よ う と す る、 大 き な 研 究 の 一部 で あ る。
柳 田 は 、 ま た 遠 州 の 方 言 に 、 口 のま わ り に 食 べ 物 を 白 く つけ る こ と を オ コ ー バ リ と い う と こ ろ か ら 、 こ れ は 、
﹁ 顔 張り﹂ま たは
﹁紙 張 り ﹂ と 言 った 、 小 児 が 口 の端 を 白 く よ ご す の
昔 、 神 官 や 巫 女 が 神 前 に供 物 を そ な え る 時 に、 供 物 に 人 間 の息 が か か ら ぬ よ う に、 菱 形 の白 紙 を 口 にあ て 、 落 ち な い よ う に 糸 で 両 耳 に 引 っか け た 、 そ れ を
を そ れ に た と え 、 中 央 語 で オ コウ バ リ と 呼 ん で い た の だ ろ う と 言 っ た 。(﹃ 方 言 覚 書 ﹄所 載 、 ﹃ 定本柳田国男集﹄では第 一
﹁か う ば り ﹂ と い う 、 文 献 に 見 え な い 語 の 存 在 を 推 定 し た こ と に な る 。
﹁雀 ﹂ を イ タ ク ラ と いう
﹁雀 ﹂ の 意 味 に 用 い て い る こ と 、 利 根 川 下 流 地 域 に
﹁雀 ﹂ を 今 ス ズ メ と いう が 、 元 来 ス ズ メ は 、 小 鳥 の 一般 名 で 、 ﹁雀 ﹂ と い う 種 類 は 古 語 で ク ラ と
八 巻 一九 九-二〇〇 ペー ジ) これは 柳 田は、ま た
言 った ろ う と 推 定 し て い る 。 そ の 根 拠 は 、 沖 縄 方 言 で ク ラ を
﹁雀 ﹂ を ジ ャ ッ チ ク ラ と い う 例 が あ る こ と 、 十 津 川 ・紀 州 の 熊 野 や 阿 波 の 祖 谷 の 方 面 に
呼 び 方 が 分 布 し て い る こ と で あ る 。 ツ バ ク ラ の ク ラ も 同 源 で あ ろ う し 、 山 ガ ラ ・四 十 カ ラ な ど の カ ラ も 関 係 が あ
ろ う と い う 。 さ ら に 、 ﹁雀 ﹂ の こ と を 、 方 言 に よ り ノ キ バ ス ズ メ と い った り 、 バ ン ド リ ス ズ メ と 言 った り す る が 、
﹁世 迷
こ れ は ス ズ メ と い う の が 種 の 名 で は な く 、 総 名 で あ っ た こ と を 表 わ す 証 と 見 る 。(﹃ 野 鳥 雑 記 ﹄ によ る。 ﹃ 定本柳田国男 集 ﹄ 第 二二 巻 一七 三 ペー ジ以 下 )
(2) 方 言 に よ り 語 源 を 考 え る
マイ ゴ ト と いう よ う な 語 は 、 今
ま た 日本 語 の語 源 の説 明 に方 言 を 役 立 た せ よ う と いう 試 みも 柳 田 以 来 多 く の例 が あ る 。 カ ラ ・ フ ケ な ど の 語 源 の 説 明 に つ い て は 上 に 触 れ た 。 そ の 他 柳 田 は 、ヨ
言 ﹂ な ど と 書 か れ る が 、 中 国 地 方 に 無 駄 口 を ヨ ー マ と いう 、 そ の ヨ ー マ が 動 詞 と な っ て ヨ マ ウ と な った ろ う と 考
証 し て い る 。(﹃ 毎 日 の言 葉 ﹄ に よ る。 ﹃ 定 本 柳 田国 男 集﹄ 第 一九 巻 四三三 ペー ジ ) 共 通 語 に 入 ろ う と し て いる オ ッカ ナ イ は 、
奥 羽 地 方 で オ ッ カ イ ま た は オ ッ カ と も いう と こ ろ か ら 、 ﹁お お こ わ ﹂ の 転 を 形 容 詞 に 活 用 さ せ た も の と し て い る 。 ( 同 四三 五 ペー ジ)
以 前 東 京 の 言 葉 に 、 痩 せ て 骨 と 皮 ば か り の 子 ど も の こ と を カ ン チ ョ ラ イ の よ う だ と い う 言 い方 が あ っ た が 、 カ
マキ リ を 言 う カ ン チ ョ ロ メ と い う俚 言 と 関 係 が あ ろ う と す る 。(﹃ 西 は 何 方 ﹄、 ﹃ 定 本 柳 田国 男 集 ﹄ 第 一九 巻 三 六 七 ペ ー ジ )
ヨ タ モ ノ と いう 俗 語 は 、 末 子 を ヨ テ コ と 呼 ぶ 言 い 方 が 奥 羽 六 県 に 広 い が 、 そ れ と 関 係 が あ ろ う と い う 。(﹃ 方 言覚 書﹄ の ﹁ 末 子 のこ とな ど ﹂、 ﹃ 定 本 柳 田 国 男集 ﹄ 第 一八巻 二〇 八 ペー ジ)
そ の 他 、 サ ザ エ の ツ ボ 焼 き の ツ ボ は 、 ﹁壺 ﹂ の 意 味 で は な く 、 タ ニ シ の 意 味 で 、 殻 の ま ま で 調 理 す る と こ ろ か
ら 来 た も の で あ ろ う と 言 い 、 落 ち 葉 を 掻 き 集 め る ク マ デ は 、 熊 の手 の よ う だ の 意 味 で は な く て 、 コ マ ザ ラ イ の 変
化 で あ ろ う と 、 各 地 の 方 言 例 を 集 め て 考 証 し て い る 。( ﹃定本 柳 田 国 男集 ﹄ 第 一八巻 二五 九 ペー ジ)
こ の方 法 を ま ね る な ら ば 、 ﹃全 国 方 言 辞 典 ﹄ の ト チ メ ン ボ ウ の 条 に 、 敦 賀 方 言 で 、 船 を 陸 に あ げ た 時 に 船 の艫
﹁火 事 だ ! ﹂ と いう よ う な 場 合 に は 、 こ れ を 激 し く 振 る
﹁ト チ メ ン ボ ウ を 振 る ﹂ と いう の は こ こ か ら 来 た も の と 解 さ れ る か
に挿 し て お く 棒 で 、 そ の 先 に 俵 蓋 と タ ワ シ が 挿 し てあ り のだ と あ る 。 とす る と 、 周 章 狼 狽 す る こと を も し れ な い。
し か し 、 語 源 の 解 釈 は 、 見 方 を 変 え る こ と に よ り 、 ち が った 説 も 容 易 に 立 て ら れ る こ と も 注 意 し な け れ ば な ら
な い。 た と え ば 、 柳 田 は 、 山 の 果 実 で あ る ア ケ ビ の 語 源 を 解 し て 、 隠 岐 島 で ム ベ を フ ユ ン ベ と 言 う の に 対 し 、 ア
ケ ビ を ア キ ン ベ と 言 っ て お り 、 こ れ が 語 源 だ ろ う と 言 って い る 。( ﹃国 語 史 新 語 論﹄、 ﹃ 定 本 柳 田 国 男 集 ﹄第 一八 巻 四 一五 ペ
ー ジ によ る) が、 こ う いう も の は 、 あ と か ら 俗 解 語 源 に よ っ て 、 そ う い う 合 理 的 な 名 前 に な る こ と も 少 な く な い。
ム ベ と ア ケ ビ を 比 べ た 場 合 、 ム ベ の方 が ア ケ ビ よ り 普 通 の 植 物 な ら ば 、 こ う い う こ と も 自 然 だ が 、 む し ろ ア ケ ビ
( 秋 葡 萄 ) の転 と いう 方 が 正 し い かも し れ な い。
の方 が普 通 の植 物 で、 ム ベに は ト キ ワ ア ケ ビ と いう 異 名 ま であ る ほ ど であ る 。 そ う す る と 、 ア ケ ビ の 語 源 は 、 む し ろ前 田 勇 が創 説 し た よ う に アキ エビ
﹁あ る わ い
柳 田 は ま た 、 女 性 言 葉 の ﹁知 ら な い わ ﹂ な ど の ﹁わ ﹂ の 起 源 を 説 い て 、 第 一人 称 代 名 詞 の ﹁わ ﹂ が つ い た も の
で は な い か と す る 。( ﹁ 鴨 と哉 ﹂ によ る 。 ﹃ 定 本 柳 田国 男集 ﹄ 第 一九巻 一五〇 ペー ジ) 浄 瑠 璃 な ど に よ く 現 れ る
や い﹂ の ﹁わ い﹂ も そ う だ と す る 。 こ れ も 奥 羽 方 言 、 ﹁何 ダ ヤ オ ラ ﹂ な ど と 言 う のを 根 拠 と す る が、 し か し、 こ
れ は 文 献 の上 では 、 ﹁近 き 皇 胤 を 尋 ね ば 、 融 ら も 侍 る は ﹂ ( ﹃ 大 鏡﹄)な ど の ﹁は ﹂ で、 係 助 詞 の ﹁は ﹂ と 同 源 で あ る こ と 、 明 ら か であ る。
(3) 方 言 によ り古典 の新 し い解 釈を 求め る
方 言 の研 究 か ら 、 時 に 古 典 の文 字 の書 き 変 え を 論 じ る 例 も あ る 。 ﹃夫 木 和 歌 集 ﹄ に、 西 行 法 師 が 高 野 に 参 った
さ ら にま た 反 り橋 渡 す 心 地 し て を ふさ か か れ る 葛 城 の 山
時 に 葛 城 山 に 虹 が か か った 、 そ れ を 見 た 歌 と いう のが 載 って いる が、
と いう 、 そ の ﹁を ふさ ﹂ は 、 柳 田 は ﹁な ぶ さ ﹂ の 間 違 い で は な いか と 言 う 。( ﹁虹の語音変化など﹂による。 ﹃ 定本柳田国
男集﹄第 一九巻 二九八 ページ) そ れ は 、 蛇 の ﹁青 大 将 ﹂ を ナ ブ サ と いう 方 言 が 、 青 森 ・信 濃 ・遠 江 ・三 河 に あ り 、
そ れ に似 た 形 も 各 地 に あ る 。 一方 、 沖 縄 方 言 で は青 大 将 を 表 わ す 語 は ナ ジと 言 って、 ﹁虹 ﹂ を 表 わ す 内 地 の俚 言 、
ニジ ・ヌ ジ ・ノ ジ・ネ ジ に近 い。 日本 人 の祖 先 は空 に 現 れ る 七 色 の神 秘 な も のを 蛇 と 見 た の であ ろう と いう 説 の
って よ いも のか 迷 わ ざ る を え な い。
展 開 で、 ニジ と いう 語 そ のも のが 、 こ の ナ ブ サ と関 係 が あ ろ う と ま で説 く の であ る が、 こ う な る と 、 ど こま で 従
現 代 の方 言 を も と に し て、 古 典 の意 味 の不 明 な 部 分 を 解 釈 す る こ と は 、 そ れ に 比 べ る と 安 全 性 が 高 い。 江 戸 時
代 、 平 田 篤 胤 は 、 ﹃伊 勢 物 語 ﹄ の ﹁夜 も 明 け ば き つに は め な む﹂ の ﹁き つ﹂ を 、 故 郷 の秋 田 の方 言 で、 ﹁井 戸 ﹂ を
意 味 す る 単 語 が あ る と ころ から 、 ﹁井 戸 に 投 げ こ ん で し ま お う ﹂ と 解 釈 し た 。 こ の解 釈 は、 か な ら ず し も 当 って
いる と は 思 わ れ な いが 、 同 じ ﹃伊 勢 物 語﹄ の富 士 山 を 形 容 し た 語 ﹁塩 尻 ﹂ は、 天 野 信 景 が ど こ か の海 岸 地 方の俚 言 か ら 解 し た よ う に ﹁塩 田 に砂 を 円 錐 形 に 積 み上 げ た も の﹂ で あ ろう 。
﹃保 元 物 語﹄ に ﹁だう な ﹂ と いう 接 尾 語 が あ って 、 ﹁お の れ ほ ど の者 を ば 、 矢 だ う な に、 手 取 り に せ ん ﹂ の よ う
に使 わ れ て いる 。 ﹁矢 だ う な に ﹂ で矢 ガ モ ッタイ ナ イ カ ラ と いう 意 味 だ ろ う と は 見 当 が つく が、 用 例 が ほ か に な
く 、 こ の語 源 も は っき り し な い。 と こ ろ が 、 ﹃全 国 方 言 辞 典 ﹄ を 見 る と 、 長 野 県 ・新 潟 県 に 、 役ニ 立 タ ナ イ と か
ム ダ と か いう 意 味 の ﹁だ く な ﹂ と いう 言 葉 が あ る 。 恐 ら く こ れ が 古 い形 で 、 ﹁ 矢 だ く な ﹂ と いう と こ ろ を 、 近 畿
方 言 式 に ウ音 便 を 使 って 、 ﹁矢 だ う な ﹂ と 言 った も のと 解 せ ら れ る。 こ の 場 合 は 、 現 在 の方 言 の方 が 一段 古 い形 を 伝 え て いる。
﹃今 昔 物 語 ﹄ の第 十 六 巻 に 、 新 羅 の国 王 が、 后 が密 通 し た こ と を 怒 って 罰 を 加 え る と こ ろ に、 ﹁后 を 捕 へて髪 に
縄 を 付 け て間木 に 釣 り 懸 け て、 足 を 四 五 尺 ば か り 引 き 上 げ て 置 き た り け り﹂ と あ る 。 こ の ﹁間 木 ﹂ が 問 題 で 、
不 可 能 で は な い が ち ょ っと 変 で あ る。 橘 正 一 (﹃ 本州東部 の方言﹄ 一二三ペー ジ)
﹃言 海 ﹄ に は ﹁長 押 の上 な ど に 設 け た 棚 の如 き も の か ﹂ と あ り 、 こ の解 釈 が 一般 の古 語 辞 典 の 類 にも 踏 襲 さ れ て いる 。 が 、 棚 に縄 を 釣 り か け る︱
は 、 盛 岡 市 付 近 の方 言 で梁 のよ う な も のを マゲ と いう と こ ろ か ら、 これ は、 梁 を 昔中 央 でも ﹁ま ぎ ﹂ と いう こ と
が あ った の で、 国 王 は 后 を 梁 か ら 釣 り 下 げ た と 解 し た 。 こ れ は 、 信 頼 し て い いと 思う 。
﹃古 事 記 ﹄ に は、 ﹁さ ば へな す ﹂ と いう 語 が あ って、 た く さ ん 群 が る た と え に 用 いる 。 ﹁さ ば へ﹂ に は ﹁狭蠅 ﹂ と
か ﹁五 月蠅 ﹂ と か の字 が当 て ら れ て いる の で、 これ は 旧 暦 五 月 ご ろ の蠅 の こ と と 解 釈 す る の が普 通 であ る が、 初
夏 の蠅 を う る さ いも の の代 表 と 考 え る の は 、 近 代 的 な セ ン ス で は な い のか 。 ﹃全 国 方 言 辞 典 ﹄ に は、 サ バイ と い
う 語 句 が あ り 、 高 知 で ア リ マキ の こ と 、 佐 賀 で ウ ン カ の こ と と あ る 。 ウ ンカ を た く さ ん 群 が って いる も の の代 表
と す る の は 、 いか に も 農 業 国 民 日 本 人 に ふ さ わ し い。 と す る と 、 サ バイ は、 サ バ エ の転 、 そ のサ は ﹁さ を と め ﹂
﹁さ な え ﹂ な ど の ﹁さ ﹂ で ﹁稲 ﹂ の こ と 、 ウ ン カ を ﹁稲 の蠅 ﹂ と 見 て ﹁さ ば へ﹂ と 言 った 、 こ れ が ﹃ 古 事 記﹄ の ﹁さ ば へな す ﹂ で は な か ろう か 。
(4後 )篇 のた めに
各 方 言 の歴 史 的 研 究 、 こ と に地 域 的 研 究 は 、 中 央 の方 言 以 外 は今 後 の発 展 に待 たな け れ ば な ら な い。 系 統 的 研
究 も 、 周 辺 方 言 に つ いて は ア ク セ ント の面 以外 は 、 ま だ 当 分 お 預 け であ る。 そ う し て これ ら の前 途 に は と も に い
ろ いろ の困 難 が 予 想 さ れ る 。 こ こ で 、 方 言 と 国 語 史 と いう と き 、 国 語 史 と し ては 、 や は り 中 央 語 の歴 史 が 本 体 で あ り、 このことは今後 も続くと思 われる。
﹁国 語 史 と 方 言 ﹂ と いう 問 題 は、 こ こ に お い て 、 ﹁現 在 の 方 言 と 中 央 語 の 歴 史 と の関 係 ﹂ と いう こ と にな る 。 と
す る と 、 それ か ら 、 こ の本 の読 者 各 位 が大 部 分 方 言 研究 家 で はな く 、 国 語 史 の研 究 家 であ る こ と を 思 う と 、 現 在
方 言 の中 から 、 中 央 語 の歴 史 に役 立 ち そう な こと を 拾う こと が、 読 者 各 位 の要 望 に答 え る こ と に な り そ う だ 。 方
言 は 中 央 語 よ り も 、 む し ろ 先 へ行 く と いう 私 の趣 旨 を 述 べた あ と で こう いう こと を 述 べ る のは 矛 盾 し て い るよ う
であ る が、 方 言 の数 は 多 く 、 個 々 の語 句 ・語 形 に つ いて は 、 中 央 語 よ り お く れ た 道 を 歩 いて いる も の も た し か に
あ る 。 と いう よ り そう いう 例 は 多 い。 以 下 、 音 韻 ・文 法 ・語 彙 に 分 け て 、 そ う いう 問 題 を 拾 って み る こと にす る 。
音 韻 に つ い ては 、 私 が 以 前 東 条 操 編 の ﹃日 本 方 言 学 ﹄ に書 いた も のと か な り重 複 す る と こ ろ が あ り 、 文 法 に つ
いて は 、 平 凡 社 刊 の ﹁日 本 民 俗 学 大 系 10 ﹂ ( 口承文芸篇) に 簡 単 な も の を 書 いた こ と があ る 。 併 せ 見 て いた だ け れ ば幸 甚 であ る 。
二 資 料篇 一 方 言 に 残 存 す る 音 韻 の例 (1) 拍 の性格 に ついて
日 本 語 の方 言 の中 で 、 中 央 語 で は ンと か ッと か は 一拍 であ る が 、 北 奥 方 言 で は そ れ ら は直 前 の音 に つ い て、 合
わ せ て 一拍 にな る 。 つま り 、 ﹁日 本 ﹂ や ﹁結 婚 ﹂ は 二拍 であ る 。 こ の傾 向 は 平 安 朝 の 日本 語 に あ った よ う で 、 私
は か つて そ の こと は 岩 波 新 書 の ﹃日本 語 ﹄ に書 いた が、 あ る いは あ れ は 漢 語 に の み現 れ る も の で、 し か も 伝 教 大
師 のよ う な 当 時 の ハイ カ ラな エリ ー ト の日 本 語 だ け に現 れ た も の かも し れ な い。 随 って 簡 単 に古 い形 の残 存 と は し がた い。
(2母 )音 に ついて
母 音 に つ い て言 う と 、 ま ず 橋 本 進 吉 に よ って 明 ら か に さ れ た 上 代 仮 名 遣 、 あ の甲 乙 二 類 を 今 区 別 し て いる 方 言
が あ る と 言 う 。 ﹁日 本 語 の琉 球 方 言 に つ い て ﹂ (﹃ 文学﹄三六 の一) の中 で 服 部 四 郎 は、 上 代 仮 名 遣 のオ の甲 乙 二 類
の別 が奄 美 大 島 の 名 瀬 方 言 と 加 計 呂 麻 島 の諸 鈍 方 言 に残 って い る こ と を 報 告 指 摘 し た 。
ま た 、 イ の母 音 に つ い て は 、 関 東 東 北部 、 奥 羽 全 般 、 北 陸 の各 地 、 と ん で 出雲 地 方 、 そ れ から 奄 美 ・沖 縄 の 一
部 で中 舌 母 音 の [] iにな って お り、 金 田 一京 助 は 、 上 代 仮 名 遣 の 乙 類 のイ は 、 こ の音 だ った と 言 った 。 も し そ れ
が 正 し いな ら 、 古 音 の残 存 の 例 にな る。 も っと も イ の 乙 類 は [iと ] [i]か ら 成 る 二重 母 音 だ った と いう 説 も あ り、
そ の説 の方 が 有 力 で あ る が、 上 代 仮 名 遣 の 乙類 は [iで ]な く ても 、 そ れ に 近 い音 であ る と は 言 え そ う で あ る か ら 、 上 代 の匂 いが す る ぐ ら いは 言 って よ さ そ う だ 。
も っと も 、 こう いう 方 言 で は 、 ほ か の母 音 に変 化 が起 こ って お り、 た と え ば奥 羽 方 言 で は 、 上 代 の甲 類 のイ の 方 が 消 失 し て いる こ と にな る。
エ に 関 し て は 、 eの母 音 が 単 独 で拍 を 作 る 時 に[j] eと いう 地 方 が あ って 、 こ れ は 江 戸 時 代 以 前 の音 の姿 を 伝
え る と 見 ら れ る 。 九 州 に 一番 盛 ん であ る が 、 奥 羽 で も 各 地 か ら 報 告 が あ り 、 近 畿 や 四 国 ・北 陸 にも そ う いう 地 点
が ぽ つぽ つあ る ら し い。 東 京 の近 く では 山 梨 県 ・長 野 県 の奥 地 と 伊 豆 諸 島 に あ る 。 エを[je]と いう 方 言 で は 、 一般 に セを[〓e]、 ゼを [〓 ]e ま た は [d〓 ]と e いう 傾 向 が あ る 。
オ の 母 音 は 、 壱 岐島 と 佐 賀 県 の 一部 に 、 語 頭 で は [o ]、 語 尾 で は[wo]に な る 方 言 が あ る 。 橋 本 進 吉 に よ れ ば 、
これ は中 世 の京 都 語 の俤 を 伝 え て いる か のよ う で あ る 。 こ の傾 向 は 、 私 は 別 に 伊 豆 利 島 と 山 梨 県 奈 良 田 郷 で も 見 付けた。
( 3) 子音 に ついて
子 音 に つい て 言 う と 、カ 行 子 音 が 語 中 ・語 尾 で [g]ま た は そ れ に 近 い音 に な って いる 傾 向 が、 東 関 東 ・越 後 北
部 か ら奥 羽 地 方 全 般 ・北 海 道 の西 南 部 と 、 長 野 県 の 一部 ・福 井 県 の 東 部 、 鹿 児 島 県 の薩 摩 南 部 や 甑 島 方 面 に あ る。
そ の微 弱 な も のは 、 十 津 川 地 方 や 和 歌 山 県 熊 野 地 方 にも あ る 。 こ れ は あ る いは 古 音 の 残存 か と疑 わ れ る が 、 た し
か で は な い。 ガ 行 子 音 が、 [〓] gと いう 鼻 濁 音 に な って い る 方 言 が あ り 、 これ は 、 明 ら か に ロド リ ゲ ス時 代 以 前
の 日 本 語 の姿 で あ る 。 [〓] gの存 在 が 知 ら れ て いる の は、 熊 野 ・十 津 川 地 方 、 高 知 県 一般 か ら 香 川 ・徳 島 ・愛 媛
の接 す る 四 国 中 央 部 の方 言 な ど で、 そ れ か ら九 州 の方 言 、 た と え ば 壱 岐 や薩 摩 な ど に 点 在 す る。
サ 行 子 音 は 、 語 彙 に よ って[∫] の音 に な って い る 方 言 が あ る が 、 古 色 か ど う か 疑 わ し い。 宮 古 多 良 間 島 塩 川
( ﹃方言学講座﹄第 四巻三 一ページ、仲宗 根政善)は 徹 底 し て いる と いう 。 伊 豆 八 丈 島 の 属 島 であ る 小 島 の旧 宇 津 木 村 で
は [tに 〓な ] って いた が 、 これ も 古 色 か ど う か。 東 京 方 言 そ の他 で ザ行 子 音 が[dz ]に、 ﹁ジ ﹂ の拍 が[d〓] にな つ
て いる が、 こ れ は サ 行 子 音 が 有 坂 秀 世 の言 う よ う に [ts で] あ った と す る と、 古 色 の残 存 と いう こと にな る 。 た
だ し 、 京 都 方 言 な ど で は 、 室 町 時 代 か ら 江 戸 時 代 ご ろ は [z][〓]た った と 見 ら れ る。 古 い時 代 も そ う だ った か も
し れ な い。 と す る と 、 都 竹 通 年 雄 の言 う 岐 阜 県 の 一部 で [z][〓]音 で あ る よ う な のも 一往 中 古 音 の残 存 と いう こ と にな る 。
九 州 方 言 ・高 知 県 方 言 で も ザ行 子 音 は [〓][z]が 著 し い。 壱 岐 ・福 岡 県 筑 後 地 方 、 北 へ行 って 富 山 県 高 岡 地 方
で は ﹁ジ﹂ ﹁ズ ﹂ の 子 音 が [〓i[ ]zu]で あ る の に対 し 、 ﹁ヂ ﹂ ﹁ヅ ﹂ が [d〓i][d( 〓 筑u 後])、 軽 い[n] が は じ め
に つく [d〓[ id ] ] u( 高 知 ) で あ る 。 区 別 のあ る 点 で古 い状 態 の保 存 で あ る 。 熊 野 地 方 に も そ う いう 方 言 が あ り そ う で あ り 、 九 州 で も っと も 地 域 は広 いら し い。
タ 行 子 音 で は 語 中 ・語 尾 に 来 た 時 に、 規 則 的 に [d] に言 う 地 方 が あ り 、 力行 音 を [g]に言 う 地方 に準 ず る が 、
これ も 古 色 であ る か ど う か ま だ 明 ら か でな い。 タ 行 子 音 で ま た 注意 す べき は ツ ・チ で 、 タ ・テ ・ト の ほ か ツ の 子
音 も [t に]言 う 地 方 が あ る。 高 知 県 ・大 分 県 に は 全 般 的 に そ の傾 向 が あ り 、 飛 ん で 東 で は 、 山 梨 県 奈 良 田 地 方 と
伊 豆 新島 にあ る 。 南 島 で は 奄 美 大 島 と 喜 界 島 に あ る と いう 。 た だ し 、 ﹁チ ﹂ を [t ]と i いう 地 方 は聞 か な い。
ダ 行 子 音 の方 で は 、 語 頭 以 外 で は [n]dに言 う 地 方 が か な り あ り 、 先 に ガ 行 子 音 を [〓] gに 言う 地 方 の ほ か に、
奥 羽 北部 か ら 北 海 道 に か け て と 越 後 北 部 と いう 広 大 な 地 域 が加 わ る 。 さ ら に 隠 岐 島 の 一部 ・対 馬 島 の 一部 な ど に
も 例 が あ る 。 長 野 県 中 部 で は 、 ﹁漕 いだ ﹂ ﹁泳 いだ ﹂ の よう な ガ 行 四 段 活 用 に ﹁た ﹂ が つ いた 時 に 限 り 、 但 馬 地 方 で は指 定 の助 動 詞 に 限 り そ の直 前 に[n]を 入 れ る傾 向 があ る 。
﹁ツ﹂ を [t]u と 言 う 方 言 で は、 ﹁ヅ﹂ を [duと ]言 って、 ズ と 区 別 す る 。 高 知 県 方 言 ・大 分 県 方 言 ・奈 良 田方 言
が代 表 的 で あ る 。 高 知 方 言 で は ﹁チ ﹂ が [t〓 でiあ]り な が ら 、 ﹁ヂ ﹂ は [d、 i] た だ し 鼻 音 が つく か ら [nd〓 でi 、]
﹁ジ ﹂ と の区 別 は 顕 著 で あ る。 筑 後 地 方 ・薩 隅 地 方 ・富 山 県 高 岡 地 方 で は ﹁ヅ ﹂ は[dzuに ]変 って は い る が、 ﹁ズ ﹂ と の 区 別 は 保 た れ て いる。
ハ行 子 音 は、 上 田 万 年 の ﹁P音 考 ﹂ 以 来 、 [p]<[〓]を 通 って今 日 の [h]音 にな った こ と は 普 く 知 ら れ て お り 、
そ の [p]音 が沖 縄 本 島 の名 護 ・羽 地 ・伊 江 島 な ど の国 頭 地 方 、 中 南 部 の 津 堅 島 ・久 高 島 、 宮 古 諸 島 ・八 重 山 諸
島 な ど に 残 って いる こと も 有 名 であ る 。 沖 縄 が 古 色 を 伝 え て いる と 言 わ れ る 代 表 的 な 特 色 であ る 。 奄 美 諸 島 では
与 論 島 が 代 表 で、 喜 界 島 と奄 美 大 島 の 一部 に も あ る 。 内 地 で は 静 岡 県 大 井 川 上 流 の井 川 村 に ﹁パ ジ メ ル﹂ ( 始め
る )・﹁ピ ク﹂ ( 引 く )・﹁プ セ グ ﹂ ( 防 ぐ ) のよ う に動 詞 に 限 って [P]音 が 用 いら れ る こと が報 告 さ れ て驚 か さ れ
た が 、 同 様 な 傾 向 は 、八 丈 島 の方 言 、 千 葉 県 の 山 武 郡 の方 言 ( ﹃ 方言学講座﹄第二巻 二八六 ペー ジ、加藤信昭) に も あ
る こと が発 表 さ れ た 。 や は り古 色 であ ろ う か 。
ハ行 子 音 が 両 唇 摩 擦 音 にな って い る と ころ は内 地 諸 方 言 に も かな り 広 く 見 ら れ 、 奥 羽 各 地 、 こ と に山 形 県 ・秋
田 県 ・青 森 県 に多 い。 新 潟 県 越 後 北 部 、 飛 ん で島 根 県 出 雲 地 方 、 九 州 で は 宮 崎 県 の 西 北 部 、 甑 島 の 一部 ( 上村孝
二の報告による)な ど の各 地 に も 点 々と あ り 、 南 島 に 渡 れ ば 、 奄 美 大 島 の西 南 半 ・徳 之 島 の南 半 と 沖 永 良 部 島 の北
半 があ り 、 沖 縄 でも 首 里 方 言 そ の他 に 例 があ る。 平 安 時 代︱ 江 戸時 代 初 期 の ころ の 発 音 の名 残 り であ る 。
ヤ行 子 音 に つ いて は 、 与 那 国 島 で [d ]の音 にな って い る のが 目 立 ち 、 日 本 語 で今 の 子 音[j] にな る前 の姿 では
な いか と 言 う 人 が あ る が、 も し そ う な ら これ は古 い姿 で あ る。 つ い で に ワ行 子 音 は 、 宮 古 ・八 重 山 諸 方 言 で、 そ
れ か ら 、 東 京 都 伊 豆 大 島 の方 言 で 一部 の語 彙 が [b ]の音 で 、 これ も 同 じ よ う な 古 い姿 だ ろ う と いう 説 があ る 。
ワ行 の拍 のう ち 、 旧仮 名 遣 で ﹁ゐ ﹂ ﹁ゑ ﹂ ﹁を ﹂ と書 か れ る拍 は 奄 美 ・沖 縄 (上 に 述 べ た宮 古 ・八 重 山 を 除 く )
で 一般 に [w ]で残 って いる 。 こ の傾 向 は 語 によ って は 奥 羽 や 九 州 の諸 方 言 に も 見 ら れ る。 新 潟 県 三 面 地 方 で は、
﹁男 ﹂ ﹁女 子 ﹂ な ど を き ち ん と ヲ ト コ ・ヲ ナ ゴ と 言 う と いう 。 助 詞 の ﹁を ﹂ を [wo]と 言 う 人 は 各 地 に 多 い。 私 は 、 水 戸 地 方 ・長 野 県 ・静 岡 県 遠 江 地 方 な ど の人 か ら 聞 い て いる 。
(4拗)音 の拍 および 特 殊 の拍 に ついて
拗 音 で は 、 ジ ャ行 子 音 ・ヂャ 行 子 音 に つ い て は ザ 行 ・ダ 行 の子 音 に 準 ず る こ と が言 え る 。 カ 行 拗 音 の ﹁ク ワ﹂
は 、 中 央 の方 言 か ら は 失 わ れ た が、 今 でも[kw]の 音 を 保 って いる 方 言 が か な り あ る。 そ の最 近 の 分 布 状 態 は
﹃日本 言 語 地 図﹄ 1 に 見 え る が 、 残 って い る の は 、 九 州 ・四 国 ( 高 知 県 を 除 く )、 出 雲 ・隠 岐 、 北 陸 の石 川 ・富
山 ・新 潟 県 、 北 奥 三 県 、 中 央 へ来 て、 奈 良 県 と大 阪 府 南 部 、 関 東 の千 葉 県 安 房 地 方 な ど であ る 。 これ ら の方 言 で は ﹁グ ワ﹂ [gwa も]保 存 さ れ て いる 。
は ね る 音 に つ いて は 、 岩 手県 の下 閉 伊 郡 船 越 村 の方 言 で は ﹁本 ﹂ を ホ ヌ、 ﹁蒲 団 ﹂ を フト ヌ と いう こ と が、 橘
正 一か ら 報 告 が 出 て い た。 も し ほ ん と う な ら 、 昔 の ﹁蘭
( ら に )﹂、 ﹁紫 苑 (しを に)﹂ を 思 い起 こさ せ る 方 言 で あ
る 。 ﹁盆 ﹂ を ボ ニと いう 例 は、 中 国 ・四国 方 面 の各 地 にあ る 。
は ね る 音 に つ いて は 、 中 世 の 日 本 語 に は、 ﹁本 は ﹂ を ホ ンナ と 言 い、 ﹁本 を ﹂ を ホ ンノ と いう 、 いわ ゆ る連声
の現 象 があ った 。 今 日、 九 州 地 方 と 、 と ん で 群 馬 県 に こ の 言 い方 が 残 って いる 。 ﹁本 な ﹂ の 方 は 、 荘 内 地 方 ( 橘 正一﹃ 方言読本﹄ 一六ページ) にも あ る と いう 。
引 く 音 に 関 し て は 、 ﹁蚊 ﹂ ﹁木 ﹂ の よう な 一拍 の名 詞 を カ ー ・キ ー と 引 いて 言 う 傾 向 が 近 畿 ・四 国 の大 部 か ら 北
陸 にか け て 、 つま り 甲 種 ア ク セ ント の方 言 に見 ら れ る 。 こ れ は 、 平 安 朝 以 来 の京 都 方 言 に 見 ら れ る も の で古 色 の
残 存 であ る 。 これ は ア ク セ ント と 関 係 が あ る よ う で 、 方 言 に よ り 、 のば す 語 と のば さ な い語 があ り 、 そ れ は ア ク
セ ント に支 配 さ れ て いる 。 同 様 の傾 向 は 、 新 潟 県 の秋 山 郷 の方 言 、 隠 岐 島 方 言 と 、 西 南 九 州 方 言 のと こ ろ ど こ ろ
と 南 島 の諸 方 言 に見 ら れ る 。 そ れ 以 外 の方 言 に も 、 ﹁箕 ﹂ に 限 って ミ ー と 言 う よ う な 個 別 的 な 例 は 多 く 、 東 京 で
も ﹁背 ﹂ に 限 って セ ー のよ う に 二 拍 に 言 う 。 ﹁着 て ﹂ ﹁見 て ﹂ の よ う な 語 のキ ・ミ の部 分 、 ﹁三 か か え ﹂ ﹁四 か か
え ﹂ の ミ・ ヨ の部 分 を 引 く 傾 向 が や は り 近 畿 ・四 国 の方 言 に 見 ら れ る。 これ も 古 色 であ る 。 ﹁蛇 ﹂ や ﹁虹 ﹂ の第
1拍 を 引 く 方 言 が 、 こ れ は 全 国 的 に あ る よ う で、 こ れ も 古 色 と 見 ら れ る が 、 こ の よ う な こ と に な る と 、 ま だ ま だ 今 後 の研 究 が望 ま れ る。
( 5) 連続 し た拍 に つ いて
最 後 に 連 続 し た拍 に つ いて 言 う な ら ば 、 中 世 の 日本 語 に は 、 前 の時 代 の オ ウ と いう 音 か ら 来 た オ ー と 、 ア ウ と
いう 音 か ら 来 た オ ー と の間 に [o:]対[ ]と 〓: いう 対 立 が あ った 。 こ の対 立 は 今 、 新 潟 県 越 後 の中 央 部 か ら 長 野 県
の秋 山 郷 に か け て と 佐 渡 に残 って い る こ と が 知 ら れ て いる 。 も し 、 対 立 があ る と いう 事 実 だ け に 限 る な ら ば 、 九
州 地 方 一帯 と 、 越 後 の早 川 の奥 ( 柴 田武 ﹃ 言語地理学 の方法﹄ 一四八ページ)・佐 渡 島 の 一部 (NHK ﹃ 全国方言資料﹄第
七巻 五九 ページ)で、 昔 の ア ウ か ら 出 た も のは オ ー にな って いる の に 対 し 、 昔 のオ ウ は ウ ー に な って 対 立 し て いる
例 があ る 。 ま た 、 山 陰 の出 雲 で は、 オ ウ が オ ー に な った の に対 し 、 ア ウ は ア ー にな って いる。 ﹁坊主 ﹂ が バ ー ズ 、 ﹁〓風 ﹂ が ビャ ー ブ の類 であ る 。
も と ア ウ から 来 た 語 のう ち 、 ﹁買 う ﹂ ﹁貰 う ﹂ な ど は、 中 世 に 一度 コー ・モ ロー と な り な が ら 、 現 在 では 、 日本
の大 部 分 の方 言 で は カ ウ ・モ ラ ウ に 戻 って いる 。 中 で、 西 の方 で は 北 陸 と 石 見 (﹃ 方言学講座﹄第三巻一三 ページ、楳
垣実)と で モ ロー のよ う に 言 う 。 東 の方 で は 、 群 馬 ・埼 玉 ・長 野 ・山 梨 の 四 県 の接 す る あ た り と 、 茨 城 県 の北 部 二 郡 で 、 コー ・モ ロー と 言 う 。
ア ウ で奇 抜 な のは 、 伊 豆 八 丈 島 小 島 の 旧 宇 津 木 村 で 、 ﹁学 校 ﹂ な ど を ガッ カ ウ と いう こと だ 。 た だ し こ こ で は ﹁東京 ﹂ を タ ウ キャ ウ と いう 風 で 、 も と の アウ と オ ウ は 区 別 が な い。
イ ウ に つ いて は 、 多 く の諸 方 言 で はユ ー に 変 化 し て いる の に、 奥 羽 方 言 に イ ウ の発 音 が 残 って いる か に思 わ れ
る 。 戦 前 の文 部 省 国 語 課 で 表 音 仮 名 遣 の審 議 を し た 時 に 、 ﹁美 し う ﹂ ﹁惜 し う ﹂ の ﹁し う ﹂ は 、 発 音 も シウ だ か ら
シ ュウ と 改 め る のは いけな いと 反 対 し た 委 員 が 二人 あ った 。 そ れ が仙 台 出 身 の小 倉 進 平 と 、盛 岡 出 身 の金 田 一京 助 であ った た め に 、 標 準 と は な し が た いと し て 葬 ら れ た と いう 話 を 聞 いて い る。
助 詞 の ﹁を ﹂ が 撥 音 の次 に来 た時 にノ にな る 傾 向 は 九 州 一円 と 群 馬 県 に あ り、 九 州 に は さ ら に ﹁は ﹂ がナ に な
る 傾 向 が あ る。 こ れ は ︽連 声 ︾ と 呼 ば れ 、 謡 曲 ・狂 言な ど で おな じ み の中 世 京 都 方 言 の性 格 であ る 。 中 世 京 都 方
言 に は こ の ほ か に 、 ツ の拍 が ナ 行 音 な ど の前 に 来 た と き に 口蓋 帆 の破 裂 音 に な る、 いわ ゆ る ノ ム音 が あ った こ と が知 ら れ る が、 こ れ も 九 州 方 言 に普 通 で、 ﹁狐 ﹂ ﹁松 ﹂ の ツの拍 に 現 れ る 。
(6 ) アク セ ント
甲 種 方 言 と 呼 ば れ て いる 方 言 、 す な わ ち 、 近 畿 地 方 ・四 国 地方 の大 部 分 の方 言 は 、 それ 以 外 の方 言 と ち が って、
室 町 時 代 以 後 江 戸時 代 以 前 の中 央 語 のア ク セ ント に似 て お り 、 東 部 方 言 な ど に 比 べ る と 、 明ら か に古 色 を 保 って
いる 。 こ と に徳 島 県 東 部 の方 言 と 、 和 歌 山 県 日 高 郡 竜 神 村 地 方 の方 言 と は 、 江 戸 時 代 中 期 の ア ク セ ント の俤 を よ
く 伝 え て いる 。 す な わ ち 、 現 在 京 都 で、 カ ラ スガ 、 ソ ラ ニワ のよ う に 言 う 語 を 、 カ ラ スガ 、 ソ ラ ニ ワ のよ う に第
2拍 ま で は 低 め 、 3 拍 か ら 高 め る の が そ の特 色 であ る 。 そ う し て 、 高 知 県 海 岸 部 の方 言 、 和 歌 山 県 田 辺 市 付 近 の
方 言 、 兵 庫 県 播 磨 の 一部 の方 言 は、 室 町 時 代 の京 都 方 言 の俤 を 伝 え る 点 で さ ら に 注 目 さ れ る 。 上 記 の ﹁ 烏 が﹂ ﹁空 に は ﹂ は 、 こ の方 言 で は第 2拍 から 高 め 、 カ ラ スガ ・ソ ラ ニワ と 発 音 す る。
京 都 語 の ア ク セ ント は 鎌 倉 時 代 と 室 町 時 代 の間 で大 き く 変 り、 室 町 以後 は 近 代 のア ク セ ント と し て の装 いを 新
た にし て い る。 つ い最 近 ま では 、 日 本 の諸 方 言 の ア ク セ ント は ど ん な に古 い姿 を 伝 え る と 言 っても 、 せ い ぜ い室
町 時 代 ま で の 姿 だ と 思 わ れ て いた。 と こ ろ が 、 先 年 、 和 田 実 と妹 尾 修 子 に よ って 平 安 時 代 ・鎌 倉 時 代 の京 都 方 言
に似 た 形 の ア ク セ ント を も つ方 言 が 発 見 ・報 告 さ れ た の に は び っく り し た 。 ﹃国 語 研 究 ﹄ 第 二 三 号 に発 表 さ れ た 、 香 川 県 観 音 寺 市 伊 吹 島 方 言 のも のが これ で あ る 。
こ の方 言 は、 現 在 様 相 を 変 え て 、 や は り 近 代 語 の 仲 間 入 り を し よ う と し て いる が 、 老 人 層 の ア ク セ ント で は 、
例 え ば 二拍 語 の体 系 は 次 のよ う だ と 見 ら れ る 。 第 3 類 の見 方 は 異 論 も あ る が、 こ こ で は 山 口 幸 洋 の解 釈 ( ﹃日本方
第 4類
第 3類
第 2類
第 1類
○ ○ ▽ 型
○ ○ ▽ 型
○ ○ ▽ 型
○○ ▽ 型
○ ○ ▽型
言研究会第 一二回研究発表会原稿﹄) に従 う と こう な る 。
第 5類
日本 語 の他 の方 言 の アク セ ント は 、 高 か ら 低 へ降 る 場 所 、 私 の 言う タキ の位 置 を 示 す こと に よ って、 型 を 区 別
し 分 け ら れ る のに 、 こ の方 言 に限 って 、 低 か ら 高 へ昇 る 場 所 も 示 さ な け れ ば な ら な い ( 例 え ば第 3類 と 第 4類 の
区 別 は そ う し な け れ ば な ら な い)。 こ の点 で ま った く 、 古 代 ア ク セ ント の化 石 の よ う な 方 言 で 、 こ の発 見 の意 義 は 大 き い。
な お 、 右 の ほ か 、 現 在 の東 京 方 言 、 京 都 ・大 阪 方 言 に な い型 の区 別 を 保 有 す る方 言 の例 な ら ば 、 そ の資 格 者 は
多 い。 た と え ば 、 遠 江 ・東 三 河 方 言 、 北 奥 か ら 越 後 に か け て の方 言 の全 部 、 出 雲 方 言 、 讃 岐 お よ び そ の付 近 の方
言 、 九 州 の東 北部 の方 言 、 西 南 部 の方 言 、 奄 美 ・沖 縄 方 言 の大 部 分 は 、 二 拍 名 詞 の第 2類 と 第 3類 の区 別 を 有 す ると いう 点 で 、京 都 方 言 で言 え ば 、 鎌 倉 時 代 以 前 の 姿 を 保 つが ご と く で あ る 。
し か し 、 以 上 のよ う な方 言 系 統 の研 究 の 成 果 から 言 え ば 、 日本 の方 言 は 全 体 的 に 見 て、 京 都 ・大 阪 と いう 古 い
昔 の 文 化 の中 心 に 近 い方 言 は 比 較 的 に保 守 的 で古 い性 質 を 多 く も ち 、 そ こか ら 遠 ざ か る に随 って 変 化 し た 新 し い 姿 を も って いる と 言 え る 。
二 方 言 に 残 存 す る 前 代 の文 法 (1)構 文論 の問題 に つ いて
文 法 の方 面 で諸 方 言 を 眺 め て み た 場 合 、 第 一に 注 目 す べき も の と し て、 原 田 芳 起 が 、 ﹁サ 語 尾 の詠 歎 法 ﹂ の名 で 呼 ん だ 九 州 方 言 の 語 法 があ る。 アノ店ノ高サ ! コ ン (=こ の )海 ノ 深 サ ! のよ う な も の で、 こ れ は 昔 の 、 例 え ば 、 秋 風 に た な びく 雲 の絶 え 間 よ り漏 れ 出 づ る 月 の影 のさ や け さ
と 同 じ 文 構 造 を も って い る。 も し 、 九 州 方 言 の こ の言 い方 を 知 ら な か った ら 、 右 の ﹁ 秋 風 に﹂ の歌 の 語 法 は 、 歌
( 九州 方 言 学 会 ﹃ 九 州 方 言 の基 礎 的 研 究 ﹄ 一八 七 ペー ジ ) に 分 布 し 、 琉 球 方 言
( 国 立 国 語 研究 所 編 ﹃ 沖縄語辞典﹄ 一
独 特 の も の、 い わ ば 文 章 的 な も の か と 解 し て し ま う と こ ろ で あ る 。 こ の 言 い 方 は 、 九 州 の う ち 、 肥 筑 地 方 ・壱 岐 ・対 馬
﹁の ﹂ と 見 ら れ る 。
四 ペー ジ、 上村 幸 雄 ) に 及 ぶ 。 こ の ﹁の ﹂ は 主 格 を 表 わ す と も 解 さ れ る け れ ど も 、 い つ も 詠 歎 を 表 わ す と す る と 、 連体的な 文節を作 る 似 た も の に 、 近 畿 地 方 に 一般 に 広 ま っ て い る 語 法 、 ア ア 、 シ ンド ! アア、寒 ヤノ!
が あ る 。 東 京 方 言 な ど に も 、 ﹁オ オ 寒 ﹂ ﹁ア 痛 ﹂ な ど の よ う な 言 い方 が な い で は な い が 、 慣 用 的 に 限 ら れ 、 京 都 方
﹁⋮ ⋮ こ そ ⋮ ⋮ 活 用 語 の 已 然 形 ﹂ と い う 形 の ﹁係 り 結 び ﹂ の 存 在 が 知 ら れ て い る が 、 西
言 な ど は 、 多 く の 形 容 詞 に つ い て 言 え る 点 で 特 異 で 、 こ れ は 上 代 の ﹁あ な 、 お も し ろ 。 あ な 、 さ や け ﹂ の 伝 統 で ある。 平 安 時 代 の 日本 語 に は
日 本 に は そ れ が 残 っ て い る と 言 わ れ る 方 言 が 多 い 。 いず れ も 、 や や 化 石 化 し て い る け れ ど も 、 近 畿 で は 近 江 ・丹
( 例 、 ﹁言 ワ ンデ コソ ア レ﹂ 同
( ﹃ 方 言 学 講 座 ﹄ 第 三 巻 一四 六 ペー ジ 、奥 村 三雄 ) に 、 親 ナ ラ コ サ レ 、 強 ケ リ ャ コ サ レ の よ う な 仮 定
( 例 、 ﹁行 ッタ ヤ ラ コサ レ﹂ 藤 原 与 一によ る ) 、福 井
波 ・若 狭 の 各 一部
条 件 法 が あ り 、 北 陸 で は 、 富 山 ・石 川
( 例
( 例 、 ﹁好 キ デ コソア ッタ レ﹂ 武智 正 人) と 高 知 県 地 方
( 例 、 ﹁ヨウ コ ソ言 ウ
﹁カ ワイ ガ リ コ ソ ス レ﹂ ﹃ 方 言 研 究 年 報 ﹄ 第 五 巻 九 〇 ペー ジ、 岡 田 荘 之 輔 ) 、 四
上) 、 伊 賀 ・兵 庫 県 播 磨 地 方 ・但 馬 地 方
国 へ渡 っ て 、 徳 島 県 南 部 と 愛 媛 県 の 宇 和 地 方
( 例 、 ﹁今 日 コ ソ待 チ チ ョ ッタ レ﹂広 戸 惇 ) に あ り 、 九 州 で は 大 分 県 豊 後 北 部 と 筑 前
(﹃ 九 州 方 言 の基 礎 的 研究 ﹄ 一八 七 ペー ジ) な ど 、 例 に 事 欠 か な い 。
タ レ﹂ 藤原 )、 中 国 で は 隠 岐 の 中 村 西部
( 私 は 遊 ん で いま す ) のよ う に か な り 自 由
( ﹃こと ば の研 究 ﹄ 二 二 九 ペー ジ、 飯 豊 毅一︶ に は 、 疑 問 詞 を 使 え ば 文 の 末 尾 を 連 体 形 で 結
東 日本 では 、 伊 豆 八 丈 島 の方 言 に 健 在 で、 ワ ア、 ア スウ デ コソ ア レ に使 わ れ る よ う だ 。 八 丈 島
ぶ と いう き ま り も 残 って い る と いう 。
以 上 の諸 項 は 文 全 体 に 関 す る 語 法 の言 い方 であ る が 、 こ の よう な 例 は あ ま り多 く は な い。 単 語 論 の 問 題 に移 る 。
(2名)詞 に つく助 詞 の類 に ついて
名 詞 に つく 助 詞 のう ち 、 古 い日 本 語 で は ﹁の﹂ と ﹁が ﹂ と は 同 じ よ う な 意 味 の助 詞 で、 共 に 主 格 に も 連 体 格 に も 用 いら れ て いた 。
﹁の﹂ を 主 格 に用 いる のは 、 今 で は 九 州 の肥 筑 方 面 と 薩 隅 方 面 、 そ れ か ら ﹁ヌ﹂ にな って いる が、 奄 美 ・沖 縄 方
面 で あ る 。 ま た ﹁雨 ン降 ル﹂ のよ う な 言 い方 が、 静 岡 県 浜 名 湖 沿 岸 、 愛 知 ・長 野 ・岐 阜 県 の処 々、 和 歌 山 県 南 部 、
愛 媛 県 東 西 宇 和 郡 、 高 知 県 幡 多 郡 な ど にあ り 、 こ れ も ﹁の﹂ か ら 転 じ た も の かも し れ な い。
﹁の﹂ と ﹁が ﹂ の差 異 に つ いて は 、 中 世 の 日 本 語 に は ﹁の﹂ は 主 格 に 対 す る 軽 い敬 意 を 表 わ し 、 ﹁が﹂ は 主 格 に
対 す る 軽 蔑 の意 味 を 表 わ す と さ れ て いる が 、 こ の傾 向 は 現在 の中 国 、 九 州 の熊 本 県 や 鹿 児 島 の方 言 に 著 し く 、 オ ド ンガ 捨 テ タ本 ア ヤ ツガ 悪 カ ッタ ノ イ の ﹁ガ ﹂ は ノ に言 いか え る こ と は な ら ず 、 先 生 ノ 言 イ ナ ハ ッタ ノイ
の ﹁ノ﹂ は ﹁ガ ﹂ にな ら ぬ ( 原田芳起 ﹃ 熊本県方言 の語法﹄)と いう 。 こ の ﹁の﹂ と ﹁が ﹂ の使 い分 け は、 隠 岐 島 ( ﹃ 方 言研究年報﹄第 二巻一六〇ページ、藤原与 一)に も 残 って いる と いう 。
﹁の﹂ と ﹁が ﹂ で は 、 ま た ﹃古 今 集 ・序 ﹄ の ﹁柿 本 人 麿 が な り ﹂ の よ う な 言 い方 も 方 言 に 見 出 だ さ れ る 。 ﹁の﹂
の代 り に ﹁が ﹂ を 使 う のは 、 藤 原 与 一 (﹃ 方言学﹄ 五 一七 ページ) によ る と 、 北 陸 と 四 国 に 多 い。
大 分 県 南 部 の方 言 に 、 イ と いう 助 詞 で主 格 を 表 わ す も の が あ って、 ﹁雪 イ 降 ル﹂ のよ う に言 う 。 こ れ は ﹃万 葉
集 ﹄ の ﹁紀 の 関 守 いと ど め てむ かも ﹂ の ﹁い﹂ と 同 じも のだ と 言 った 人 があ る が、 こ の判 定 は 難 し い。 朝 鮮 語 の 主 格 助 詞 の i と は 、 な お 結 び付 け に く い。
そ れ よ り 、 ﹁が﹂ を 使 わ な い地 方 が、 奥 羽 大 部 と 、 奈 良 県 南 部 か ら 和 歌 山 県 一帯 と いう よ う に ひ ろ く 、 こ の方 は古 体 と 言 え そう だ 。
目的 格 を 表 わ す ﹁を ﹂ も 言 わ な い方 言 が 多 く 、 ﹃日本 言 語 地 図 ﹄ に よ る と 、 近 畿 ・四 国 ・北 陸 ・奥 羽 ・関 東 ・
東 北 部 と 九 州 のう ち の 肥 筑 と 日 向 に見 ら れ る 。 これ も 古 い性 質 と 見 ら れ る 。 ﹁を ﹂ の代 り に ﹁バ﹂ を 使 う と こ ろ
が、 九 州 の肥 前 と 筑 後 の 西 部 ( ﹃九州方言 の基礎的研究﹄一八八 ページ)に あ り 、 ま た 、 奥 羽 地 方 、 た と え ば 山 形 県 に
あ る。 長 野 県 北 信 地 方 で は ﹁⋮ ⋮ ヲ バ ﹂ と いう 言 い方 を 多 く 聞 く が 、 これ は 他 にも 多 い であ ろ う 。 志 摩 に ヲチ と
いう 形 を 使 う と こ ろ が あ り 、 これ は湯 沢 幸 吉 郎 の ﹃室 町 時 代 の言 語 研 究 ﹄ に よ れ ば 、 中 世 の京 都 語 にあ った も の と いう 。
﹁山 へ﹂ ﹁川 へ﹂ の ﹁へ﹂ を 奥 羽 地 方 全 般 と 関 東 の茨 城 ・栃 木 ・千 葉 で、 ﹁山 サ ﹂ ﹁川 サ﹂ のよ う に ﹁サ ﹂ で代 用
す る が 、 これ は古 い時 代 の ﹁と ざ ま かう ざ ま ﹂ の ﹁さ ま ﹂ と 関 係 があ る 。 飛 び 離 れ て、 山 梨 県 の 奈 良 田 地 方 に あ
る の は 奇 抜 で 、 ﹁関 東 サ ﹂ の諺 が 示す よ う に 古 く は 関 東 一般 にあ った も の か 。 長 野 県 の佐 久 地 方 ( 青木千代吉 ﹃ 信
州方 言読本﹄一三二ページ)の セ も 関 係 があ ろ う 。 似 た も の が 九 州 方 言 に あ り 、 こ こ では 、 福 岡 県 で は サ エ ・サ イ 、
豊 後 で は サ ニ、 筑 後 は 佐 賀 ・長 崎 ・熊 本 県 と と も に サ ンが 多 く 、 大 分 県 には 地 域 によ り サ ネ が、 宮 城 県 に は 地 域 的 に サ ナ が 、 鹿 児 島 県 に は 地 域 的 に セ が 分 布 す る。
茨 城 県方 言 に は、 ﹁あ な た にあ げ る ﹂ と いう よ う な 人 間 が対 象 の場 合 に は 、 ﹁オ マ エゲ ヤ ル﹂ と いう 。 こ のゲ は
古 い時 代 の ﹁が り﹂ が ガ イ を 経 て変 化 し た も の と推 定 さ れ る 。 徳 島 県 の祖 谷 で ﹁人 ノ ガ リ ﹂ と いう 言 い方 が今 で も そ のま ま 使 わ れ て いる と 聞 いた 。
九 州 方 言 に は 、 ﹁船 カ ラ 行 ク ﹂ のよ う に、 手 段 を 表 わ す の に デ で は な く カ ラ を 用 いる 言 い方 が あ る 。 ﹃万 葉 集 ﹄
( 土居
の 歌 の ﹁徒 歩 よ り 行 く ﹂ と 関 係 が あ ろ う 。 ﹃九 州 方 言 の 基 礎 的 研 究 ﹄ に よ る と 、 筑 後 地 方 ・長 崎 県 ・熊 本 県 に あ る。 お そ ら く 佐 賀 県 にも あ る であ ろ う 。
小 さ い問 題 で は 、 特 殊 格 助 詞 の用 法 が、 方 言 によ って古 風 を 保 存 し て いる 場 合 が あ る 。 高 知 県 の 大 豊 村
( N HK ﹃ 全国方 言資
重俊 ﹃ 土 佐 言 葉﹄ 二六 八 ペー ジ︶ に は 、 ﹁酒 が 好 き ﹂ ﹁あ の 人 が こ わ い﹂ ﹁外 科 が 上 手 ﹂ の 意 味 で 、 ﹁酒 ニ 好 キ ﹂ ﹁ア ノ
人 ニ コ ワ イ ﹂ ﹁外 科 ニ上 手 ﹂ と 言 う と い う 。 同 じ よ う な 例 は 他 に も あ り 、 山 梨 県 上 野 原 方 言
( 広戸惇 ﹃ 山 陰 方 言 の語
( NHK ﹃ 全 国 方 言 資 料 ﹄第 七 巻 二 六 八 ペー ジ) で
﹁甘 イ モ ノ ニ好 キ ダ ﹂ と い う 。 隠 岐 一般
﹁ 魚 釣 リ ニ好 キ ダ ﹂ と 言 う と いう 。 隠 岐 島 中 村
料 ﹄ 第 二巻 四五 七 ペー ジ) で は 、 ﹁甘 い物 が 好 き だ ﹂ を 法 ﹄ 八 二 ペー ジ) で も
は 、 ﹁蛇 を 恐 れ て ﹂ と い う 時 に 、 ﹁ 蛇 ニ恐 レ テ ﹂ と い う 。
﹁衣 乾 す て ふ ﹂ を 思 い 起 こ さ せ 、 古 形 で あ る が 、 こ れ は あ ま
( 鈴 木 規 夫 ﹃河和 町方 言 集 ﹄ 三 九ペ ー ジ) に は 、 ﹁山 口 チ ョ ー 人 ﹂ と い う 言 い
﹁恋 す て ふ ﹂ や
(﹃ 九 州 方 言 の基 礎 的 研 究﹄ 一八 八 ペー ジ) に も あ る
﹁ま じ め で あ る ﹂ ﹁り こ う で な い ﹂ の よ う な 言 い 方 を 、 マ ジ メ ニ ア ル 、 リ コ ウ ニナ イ と い う よ う に 言 う 言 い 方 、
﹁チ ョー ﹂ と い う の は
こ れ も 一種 の 古 形 で 、 九 州 の 北 部 と 南 部 に 多 く 、 種 子 島 ・屋 久 島 と いう 。 ﹁と い う ﹂ を
り 報 告 が な い。 た と え ば 、 愛 知 県 河 和 町
方 が あ る と いう こ と が 早 く 報 告 さ れ て い る 。 静 岡 県 大 井 川 上 流 地 方 に も あ る ら し い。
(﹃ 分 類 方 言 辞 典﹄ 七 一五 ペ ー ジ) に ﹁知 ッ テ コ ソ ﹂
(﹃ 九 州 方 言 の基 礎 的 研 究 ﹄ 二 〇 九 ペー ジ、 岡 野
﹁行 く も の か ﹂ と い う 強 い 否 定 の 意 味 に な る と いう 。 こ の ク セ は コ ソ の 転 で
﹁知 る も の か ﹂ の 意 に な る 例 が あ る と い う 。 福 岡 県 豊 前 地 方
係 り 助 詞 に 入 る と 、 ﹁⋮ ⋮ こ そ ﹂ に つ い て は 、 神 奈 川 県 三 浦 郡 と 言 って
信 子 ) で 、 ﹁行 ッ テ ク セ ﹂ と い う と
あ ろ う 。 こ れ ら は 、 中 世 の 日 本 語 に 、 ﹁呼 ぶ と す れ ど 名 を 知 っ て こ そ 。 何 と 呼 ん で よ か ら う ず や ら う ﹂ ( ﹃史 記 抄 ﹄)
(N HK ﹃全国 方 言 資料 ﹄ 第 七 巻 二 六 四 ペー ジ ) で は 、 ﹁半 分 も ﹂ と い う と こ ろ を 、 ﹁半 分 ダ イ ﹂ と い う 。
と あ る 、 あ の 名 残 り であ る 。 隠 岐 の中 村
ダイ は
( ﹃ 九 州 方 言 の基 礎 的 研 究﹄一 八 九 ペー ジ) に あ る 。
﹁だ に ﹂ の 転 で あ ろ う か 。 九 州 で は 、 昔 の 中 世 の 戦 記 物 語 な ど に 多 く 見 ら れ る バ シ を 日 用 語 に 用 い る と こ
ろ が 、 肥 筑 ・日 向 ・薩 隅 方 面
( 武智正人 ﹃ 愛 媛 の方 言﹄ 八 ペ ー ジ) に あ る
京 都 方 言 で 柿 ナ ット と いう の は 、 昔 の ナ リ ト で あ る 。 福 岡 県 三 井 郡 に は 、 ナ ット ン と い う 形 も あ り 、 こ れ は 原
﹁ぞ ﹂ に つ い て は 、 ﹁誰ぞ や ﹂ と いう 言 い方 が 愛 媛 県 の 東 部 ・中 部
形 の ナ リ ト モ に 一層 近 い。 助詞
﹁イ コ
﹁誰 か ﹂ ﹁何 か ﹂ と いう と こ ろ を 、
﹁誰 ゾ ﹂ ﹁何 ゾ ﹂ と 言 い、 こ れ も 東 京 人 か ら 見 る と 古 風 で あ る 。
こ と が 報 告 さ れ て い る 。 こ の よ う な 例 は 他 の 方 言 に も 多 そ う だ 。 一般 に 東 京 で 京 都 方 言 そ の他 西 日 本 方 言 で
﹁ク レ ロ ヤ ? ﹂ と 言 い、 ﹁行 く か ? ﹂ を
( NHK ﹃ 方 言 と文 化 ﹄ 二 二〇 ペー ジ) の を 知 つ た 。 武 智 正 人
以 前 、 伊 豆 利 島 へ行 った 時 に 、 島 の 人 た ち が 、 ﹁く れ る か ? ﹂ を ヤ ? ﹂ と 言 う の を 聞 い て 、 ﹁や ﹂ が 生 き て 使 わ れ て い る
( 武智 ﹃ 愛 媛 の方 言 ﹄ 一五 ペ ー
の ﹃愛 媛 の 方 言 ﹄︵一二 ペー ジ) に よ る と 、 愛 媛 県 の 西 南 部 に 多 い。 こ う いう 例 も ほ か に も あ る で あ ろ う 。
接 尾 語 的 な 助 詞 の 例 に な る が 、 皮 ゴ ミ 食 ベ ル と いう 言 い 方 が 愛 媛 県 と 福 岡 県 全 般
( ﹃阿 波 言葉 の語 法﹄
﹁ご み ﹂ と 見 ら れ る 。
( ﹃ 方 言研 究 年報 ﹄ 第 五 巻 一六 ペー ジ) に 、 金 沢 治 に よ る と 徳 島 県 下
ジ ・加 来 敬 一 ﹃ 福 岡 県方 言 の語 法 ﹄) に あ る と い う 報 告 が あ る 。 昔 の ﹁妻 ご み に 八 重 垣 作 る ﹂ の 北 条 忠 雄 によ る と 新 潟 県 北部
九 八 ペー ジ ) に 、 反 語 の 意 味 の ﹁や ﹂ も 生 き て い る か の よ う で あ る 。 愛 媛 県 の 東 部 ・中 部 に も 分 布 す る か ら 、 も
﹁ぢ ゃ う ﹂
(﹃ 九 州 方 言 の基 礎 的 研 究 ﹄ 三二一 ペー ジ、 神 部 宏
﹁だ け ﹂ ﹁ば か り ﹂ の意 味 の ⋮ ⋮ ン ヂ ョ ー と いう 助 詞 が あ り 、 (= ﹁ う そ ば か り 言 っ て る よ ﹂) の よ う に 使 う
っと 広 い領 域 を も って い る も の で あ ろ う 。 大 分 県 に ウ ソ ン ヂ ョー イ ヨ ラ ー
泰 ・﹃ 方 言 学講 座 ﹄ 第 四 巻 二六 七 ペー ジ、 糸 井 寛 一) と い う 。 ﹃平 家 物 語 ﹄ の ﹁文 覚 が 働 く 所 の ち ゃう ﹂ な ど の と 関 係 のあ る も の で あ ろ う 。
(﹃ 山 形 県 方 言 辞 典﹄ 六
﹁一万 円 オ カ シ ャ レ 、 百 円 ダ ッ テ 貸 セ ナ イ ﹂ と いう 言 い 方 が あ っ て 、 ﹁ 一万 円 は 言 う ま
つ い で に 連 語 で 、 名 詞 に つく 助 詞 の よ う に な って い る も の に は 、 山 形 県 の 村 山 ・最 上 地 方 九 八 ペー ジ 、斎 藤 義 七郎 ) に
でも な い こと ﹂ の意 と いう 。 熊 本 県 には ﹁ひ と り し か﹂ の意 味 で 、 ヒ ト リ ハナ シ居 ラ ンと いう 言 い方 も あ る そう
で、 こ れ は ﹃ 宇 治 拾 遺 物 語 ﹄ に ﹁お のれ 放 ち て は 誰 か書 か ん ﹂ と あ る 、 あ れ か ら 変 った も のだ ろ う (﹃ 方言学講座﹄ 第四巻九五 ページ、上村孝二) と いう 。
(3) 動 詞 の活用 に つ いて
動 詞 に移 る と 、 九 州 全 般 と 和 歌 山 県 の 日高 郡 で、 昔 の上 下 二段 活 用 の動 詞 が 一段 活 用 に 成 り き ら な い で残 って
いる こ と が早 く か ら 有 名 で あ った。 そ の後 、 奈 良 県 吉 野 郡 の 十津 川 村 、 和 歌 山 県 の日 高 郡 の周 辺 、 愛 媛 県 の東 西
宇 和 郡 そ の他 に も 残 存 し て いる こ と が 知 ら れ た 。 さ ら に 大 阪 府 の 一部 と 埼 玉 県 の 一部 ( ﹃ニ ュースクール﹄ 二五 の六
と七、大久保忠国)に も 、 残 って い ると いう 報 告 も あ った。 日高 郡 で は 、 早 い馬 を 形 容 し て 、 コノ 馬 ハ コク ル ホ ド
駆 ク ルと 言 う そ う だ 。 コク ルは 転 ぶ 意 味 の動 詞 で連 用 形 は コケ で あ る 。 駆 ク ル の よ う に、 終 止 形 は 連 体 形 と 同 形 にな って いる。
二段 活 用 のう ち で、 下 二 段 活 用 の方 が 残 って い る こと が 多 く 、 上 二段 活 用 の方 は 残 存 例 が 少 な い。 ﹁起 き る ﹂
を 起 ク ル ・起 キ ンと 活 用 さ せ る のは 大 分 県 豊 前 地 区 ぐ ら いな も の で、 福 岡 県 豊 前 地 区 ・大 分 県 豊 後 地 区 ・宮 崎 県
東 南 部 な ど で は オ ク ル ・オ ケ ン のよ う な 下 二 段 の活 用 を し 、 北 九 州 付 近 では 上 一段 活 用、 他 の筑 後 ・両 肥 ・薩 隅
地 方 な ど で は オ キ ル ・オ キ ラ ン の五 段 活 用 に な って いる 。( ﹃ 九州方言 の基礎的研究﹄ 一五四︲五 ページ︶
古 く は 、 た った 一つし か な か った 下 一段 活 用 動 詞 と し て著 名 な ﹁蹴 る ﹂ は 、 多 く の方 言 で五 段 活 用 を す る よ う
にな って いる が 、 徳 島 県 ( 金 沢治 ﹃阿波言葉 の語法﹄五八 ページ)で は 、 今 でも ﹁ケ タ﹂ ﹁ケ テ ﹂ と 言 う そ う だ 。 昔 、
雑 誌 ﹃方 言 ﹄ に 発 表 さ れ た 全 国 的 な 調 査 の 時 も 、 徳 島 県 と 、 そ れ に つ い では 高 知 県 の 一部 が 最 も よ く 一段 活 用 を 守 って いた 。
ナ 行 変 格 活 用 の ﹁往 ぬ る ﹂ ﹁死 ぬ る ﹂ は 、 今 、 兵 庫 県 の播 麿 ・但 馬 ・淡 路 ( ﹃ 方言学講座﹄第三巻二〇六 ページ、山名
邦 男 )、 中 国 全 般
( ﹃口語 法 調 査 報 告 書 ﹄)、 四 国 の う ち 愛 媛 ・高 知 二 県 、 九 州 の う ち 、 豊 前 ・豊 後 ・熊 本 県 と 宮 崎 県
(﹃ 九 州 方 言 の基 礎 的 研究 ﹄一 八 七 ペー ジ) に 分 布 す る 。
﹁な い ﹂ と いう 助 動 詞 を つ け て も 、 セ ナ イ と い う 傾 向 が あ る 。 志 向 形 も 、 兵 庫 県 の 但 馬
サ 行 変 格 活 用 動 詞 は 、 西 日本 諸 方 言 で未 然 形 が セ ン の よう で、 東 京 方 言 の よ う な シ ナ イ に比 し て 古 形 を 保 って いる 。 そう いう 方 言 で は
﹁せ ﹂ を 保 って い る こ と に な る 。
﹁よ う ﹂ と い う 語 尾 を 取 ら ず 、 ﹁ミ ュー ﹂ ﹁オ キ ユー ﹂ と い う 形 が 中 国 筋
以 西 で シ ョー と い い 、 こ れ は 旧 仮 名 で は 、 ﹁せ う ﹂ と 書 か れ る は ず で 、 未 然 形 に こ う いう 方 言 で は 、 一 ・二 段 活 用 で も
( 広戸 ﹃ 中 国 地方 五 県 言 語 地 図﹄ 九 一〇︲二 ペー ジ ) に 普 通 で あ る 。 九
﹁シ ュー ﹂ ﹁ミ ュ
﹃口 語 法 調 査 報 告 書 ﹄ に よ る と 、 受 キ
﹁ミ ュー ﹂ と い う 。 四 国 で は 高 知 県 で し ば し ば
の 岡 山 ・広 島 ・山 口 と 但 馬 の 養 父 郡 と 鳥 取 県 東 部 州 で は 、 筑 前 ・筑 後 と 豊 前 宇 佐 ・宮 崎 県 大 部 で
( 香 川 ・愛 媛 ・徳 島 で は ミ ョー )。 ﹁受 け よ う ﹂ は 、 明 治 時 代 の
ョー と いう 言 い 方 は 奥 丹 後 、 中 国 一般 、 四 国 の う ち 愛 媛 県 と 高 知 県 、 九 州 の う ち 福 岡 県 と 大 分 県 の 一部 と 、 そ れ
ー ﹂ があ る
か ら 富 山 県 ・石 川 県 、 愛 知 県 ・岐 阜 県 に ひ ろ ま って いた 。
古 い活 用 形 式 を 保 っ て い る 語 の 例 と し て 、 ﹁飽 き る ﹂ ﹁借 り る ﹂ ﹁足 り る ﹂ は 、 西 日 本 方 言 で 飽 ク ・借 ル ・足 ル
の よ う に 四 段 活 用 の 動 詞 と し て 残 っ て い る 。 ﹁借 り る ﹂ で 言 え ば 近 畿 以 西 と 北 陸 三 県 と 佐 渡 が カ ル 、 た だ し 例 外
と し て 、 但 馬 と 島 取 県 と で は 下 一段 活 用 で カ レ ル と い い、 出 雲 と 隠 岐 と で は 東 国 と 同 じ よ う に 上 一段 活 用 で カ リ ル で あ る 。(﹃ 日 本 言語 地 図 ﹄ 2 )
(4)動 詞 の 活 用 形 と そ れ に つ く 助 動 詞 の 類 に つ い て
﹁モ シ モ ウ 読 ン ダ ト ス ル ナ ラ バ ﹂ の 意
( 小 林 好 日 ﹃東北 の方 言﹄ 一五 一ペー ジ) に 生 き て 用 い ら れ て い る 。 小 松 代 融 一 ( ﹃方
動 詞 の各 活 用 形 、 お よ び そ れ に つく 助 動 詞 の 例 を 見 る と 、 ま ず 、 五 段 活 用 の ﹁書 く ﹂ ﹁読 む ﹂ の 未 然 形 + ﹁ば ﹂ の形 が 岩 手 県 を 中 心 に奥 羽 地 方
言学 講 座 ﹄第 二巻 一九 三 ペー ジ) に よ れ ば 、 こ の 地 方 で は 、 読 メ バ と い う 形 は
味 で 、 ﹁モ シ コ レ カ ラ 読 ム ナ ラ バ ﹂ の 時 は 、 読 マ バ と 言 う の だ と い う 。 こ う い う 傾 向 は 、 北 は 青 森 県 の 南 部 領
( ﹃日本 の方 言区 画 ﹄ 一九 二 ペー ジ、加 藤 正 信 ) に 広 が って い る と い う 。
(小林 ﹃東 北 の方 言 ﹄ 一五四 ペー ジ) に 入 り 、 宮 城 県 で は 古 川 地 方 よ り 北 の 地 点 、 秋 田 県 で は 横 手 よ り 南 の 地 点 を 結 ぶ 線 より北部
( 同上)と いう 。 な お 、 書 カ バ は 飛 ん で 伊 豆 の 八 丈 島 に も あ り 、 八 丈 島
( 広戸
( 平 山輝 男 編 ﹃ 伊 豆 諸 島 方 言 の研 究﹄ 一
サ 行 変 格 活 用 の ﹁す る ﹂ に つ い て ﹁せ ば ﹂ と い う の は も っと 広 く 、 山 形 県 の 小 国 や 福 島 県 の 会 津 あ た り ま で 南 下する
﹁れ る ﹂ は 、 多 く の 方 言 で は 書 ケ ル ・飲 メ ル の よ う な 可 能 動 詞 で 代 用 さ れ て い る が 、 石 見
九 四 ペー ジ ) で は 、 ﹁ 着 れ ば ﹂ ﹁逃 げ れ ば ﹂ の よ う な 一 ・二 段 活 用 の 動 詞 で も キ バ ・ ニゲ バ と 言 う 。 可 能 の助 動 詞
惇 ﹃山陰 方 言 の語 法 ﹄ 六 八 ペー ジ ) で は 書 カ レ ル ・飲 マ レ ル の 方 が 可 能 の 意 味 で 、 書 ケ ル ・飲 メ ル は 尊 敬 の 意 味 だ と
い う 。 芳 賀 綏 に よ る と 石 川 県 能 登 地 方 に も そ う い う 傾 向 が あ る と いう 。 大 阪 方 言 に 書 カ レ ル ・飲 マ レ ル が 残 っ て
い る の は お も し ろ い 。 こ と に 否 定 形 は カ カ レ ン ・ノ マ レ ン で あ る 。 大 阪 方 言 で は 書 ク の 否 定 形 が カ カ ヘ ン で は な く て カ ケ ヘン であ る た め に、 可 能 動 詞 は 使 いにく いも の と 思 わ れ る。
(﹃ 国語学﹄三四、山口
( 青木
( 楳 垣実編 ﹃ 近 畿 方 言 の総 合 的 研 究 ﹄ 三 九 九 ペー ジ 、村 内 英 一) に
( 稲垣正幸他編 ﹃ 奈 良 田 の方 言﹄ 八 七 ペ ー ジ)、 長 野 県 安 筑 地 方
可 能 の 言 い 方 に は 、 連 用 形 の 例 に な る が 、 起 キ エ ル と いう 言 い方 が 、 静 岡 県 遠 江 山 手 地 帯 幸洋 ・﹃ 国 語 研究 ﹄ 六 、 寺 田泰 政 ) 、 山梨県 奈良 田地方
千代 吉 ﹃ 信 州 方 言 読 本﹄ 一二六 ペ ー ジ)、 和 歌 山 県 新 宮 地 方
﹁起 き 得 る ﹂ を 語 源 と す る 、 と 解 さ れ て い る 。 ﹁起 き 得 る ﹂ と は ち ょ っ と 文 章
あ る。 伊 豆 利 島 で は オ キ エ ロ ( ﹃ 伊 豆 諸 島方 言 の研 究 ﹄五 三 ペー ジ ) と な っ て お り 、 熊 本 県 に は 起 キ ユ ル と い う 下 二 段 活 用 の 言 い 方 も あ って 、 こ れ ら は
語 す ぎ る よ う で あ る が 、 口 語 に も 用 いた の であ ろ う か。
( 武智 ﹃ 愛 媛 の方 言﹄ 二 一ペー ジ ) に エ ー 書 カ ン ・ エ ー 飲 マ ン と いう 形 で 残 っ て い る と い う 。 い ず れ も
可 能 の 言 い 方 に は 、 古 い 時 代 に 、 ﹁え 書 か ず ﹂ ﹁え 飲 ま ず ﹂ と いう 形 が あ った が 、 こ れ は 和 歌 山 全 般 ・愛 媛 県 の ほと ん ど 全 般
﹁エ ﹂ を 引 い て 言 う が 、 古 語 の も 、 ア ク セ ン ト か ら 見 て ﹁え ﹂ は 長 か っ た こ と が 証 明 さ れ る 。 隠 岐 島 の 中 村 そ の
他
﹁俺 エ モ 釣 ラ ノ ン ノ ﹂ (=釣 り 得 な い も の を ) の よ う な 言 い方 が あ る と
( 平 山 輝男 博 士 還 暦記 念 会 ﹃ 方 言研 究 の問題 点 ﹄ 五 二 二 ペー ジ、植 村 雄 太 朗 ) に も あ る ら し い。
( 広 戸 ﹃山陰 方 言 の語 法 ﹄ 九 四 ペー ジ) に は
いう 。 種 子 島
否 定 形 を 西 日 本 の 方 言 で 書 カ ン ・飲 マ ン と い う 言 い方 は 、 古 い時 代 の 書 カ ヌ ・飲 マ ヌ の 直 系 の 子 孫 と い う 点 で 、
東 日 本 の 方 言 の 書 カ ナ イ ・飲 マナ イ よ り 古 形 と 言 う べ き で あ る 。 書 カ ン ・飲 マ ン の 言 い 方 は 、 南 は 静 岡 県 の 中 央
(﹃日本 の方
部 に 発 し 、 北 は 新 潟 県 の 新 潟 ・三 条 の 東 部 へ ぬ け る う ね う ね と し た 線 の 西 側 に 行 わ れ る が 、 そ の 東 側 で も 、 伊 豆 の利 島 と 三 宅 島 坪 田 地 域 で 用 いら れ て い る。
否 定 の ﹁⋮ ⋮ ず ﹂ の 形 は 、 西 日 本 の 方 言 に い ろ い ろ の 形 で 残 っ て お り 、 例 え ば 石 川 県 の 外 能 登 地 方
﹁乗 ラ ズ ナ ラ ﹂ の よ う な 言 い 方 が あ る と い う 。 東 日 本
( 青 木 ﹃信州 方 言 読本 ﹄一一 二 ペー ジ) で 、 ﹁行 か ず と も ﹂ を イ カ ッ ト モ と
( ﹃方 言学 講 座 ﹄第 二巻 二 七九 ペ ー ジ、 上 野 勇 ) に 、 ﹁読 ま ず と ﹂ を ヨ マ ット と
言 区 画﹄ 三 五 九 ペー ジ、 愛 宕 八郎 康 隆 ) で は 、 ﹁知 ラ ズ カ ﹂ と か で も 、 埼 玉 県 北 部 ・西 部 や 群 馬 県 の 一部 いう 言 い 方 が あ り 、 長 野 県 に は 東 部 ・北 部
(田 口美 雄 によ る ) が あ る 。 こ れ は
﹁来 ず と も ﹂ の 転 で あ ろ う 。
いう よ う な 形 で 残 っ て い る 。 茨 城 県 の 北 部 の 多 賀 ・久 慈 な ど の諸 郡 で 、 キ ン ト モ イ イ ・シ ン ト モ イ イ の よ う な 言 い方
( 藤原与 一 ﹃ 方 言 学 ﹄ 三 七八︲九 ペー
否 定 の 過 去 形 、 ﹁書 カ ザ ッ タ ﹂ ﹁飲 マ ザ ッ タ ﹂ も 西 日 本 的 で あ る が 、 ﹁書 カ ン ﹂ の 領 域 よ り は は る か に 西 に 寄 っ て 、 中 国 で は 備 中 ・伯 耆 か ら 西 の部 分 、 四 国 で は 高 知 県 が 主 で 、 愛 媛 県 で は 東 部
( ﹃九 州方 言 の基 礎 的 研究 ﹄ 一六 四 ペー ジ) に あ り 、
( 青木 ﹃ 信州方言読
﹃土 ﹄ の 中 に 出 て 来 る と こ ろ を 見 る と 、
( NHK ﹃ 方 言 と 文 化 ﹄二一 四 ペー ジ、 菅 野 宏 ) の 語 法 に 、 ﹁見 な く て は ﹂ の 意 味 に 見 ザ ラ
( 楳 垣 実編 ﹃ 近 畿方 言 の総 合 的 研究 ﹄ 四 五ペ ー ジ) に 孤 立 し て 聞 か れ る 。
ジ) 、 九 州 で は 熊 本 県 ・筑 後 ・大 分 県 山 間 部 、 宮 崎 県 中 部 以 北 と 対 馬 も う 一つ そ れ に 志 摩
福 島 県 の秘 郷 檜 枝 岐 地 域
ニ と い う の が あ る 。 ﹁セ ザ ラ ニ ﹂ と い う 同 じ よ う な 言 い 方 は 、 長 塚 節 の 茨 城 郡 の 農 村 地 帯 に 、 少 な く と も 明 治 ご ろ は あ った ら し い。
否 定 の 言 い方 で ﹁⋮ ⋮ で ﹂ と い う の が 古 い 日 本 語 で あ った が 、 今 、 長 野 県 の 伊 那 ・木 曾 地 方
本﹄ 一〇八ページ)と 出 雲 北 部 ( 広戸 ﹃山陰方言の研究﹄六八 ペー ジ)に 書 カ デ ・起 キ デ と いう 言 い方 が あ る。 た だ し 、
出 雲 の は 書 カ ア デ ・起 キ イ デ が 短 縮 し た も の で、 書 カ ア デ は 、 さ ら に 書 カ イ デ に さ か のぼ る も の で あ ろ う 。 書 カ
イ デ と いう 言 い方 は 、 ﹃口 語 法 調 査 報 告 書 ﹄ に よ れ ば 、 富 山 ・石 川 ・福 井 の三 県 、 近 畿 の 二 府 五 県 、 中 国 の 岡 山 ・広 島 ・島 取 三 県 、 四 国 の香 川 ・徳 島 ・愛 媛 の三 県 、 福 岡 の豊 前 地 区 にあ った 。
静岡 ( 富 士 川 以 西 )・山 梨 (郡内 を 除 く )・長 野 ( 東 北 端 を 除 く )・愛 知 (三 河 の 一部 )・岐 阜 ( 美 濃 の東 部 と 飛
騨 ) の 五 県 地 方 (﹃ 信濃報告﹄昭和二十九の四、牛山初男)に は 、 ﹁書 こ う ﹂ ﹁飲 も う ﹂ を 、 書 カ ズ ・飲 マズ と いう 言 い
方 があ り 、 一見 打 消 形 のよ う に 聞 こ え る こと で 話 題 にな る が 、 こ れ は 書 カ ンズ ・飲 マ ンズ と いう 古 い形 の名 残 り
と 見 ら れ る 。 静 岡 県 大 井 川 上流 の井 川村 ( ﹃ 東条操先生古稀祝賀論文集﹄山口幸洋) で は 文 字 ど お り 書 カ ンズ と 言 う と
いう 。 こ れ ら の 地 域 では 書 カ ザ ア ・飲 マザ ア と いう 形 で 現 れ る こ とも 多 い。 飛 び 離 れ て、 九 州 の五 島 列 島 の福 江
に、 ﹁行 こう と 思 う ﹂ を ﹁イ コー シト 思 ウ ﹂ と いう 言 い方 があ り 、 上 村 孝 二 (﹁ 五島列島方言 の表現文法﹂)は こ れ を
﹁行 カ ンず と ﹂ の転 と 考 え た 。 長 崎 県 の西 彼 杵 郡 長 与 方 言 に も ﹁キ ョー ワ ア メ フ ラ ズ 、 カ サ バ モ ッテ イ ケ﹂ と い う 言 い方 が あ る そう で 、 こ れ は ほん とう にそ う か も し れ な い。
意 志 を 表 わ す 形 と いう と 、 沖 縄 の首 里 方 言 で は 、 書カ ・読 マと いう 短 い形 で 、 ﹁書 こう ﹂ ﹁読 も う ﹂ と いう 意 味
を 表 わ す 。 こ れ は 、 宮 古 ・八 重 山 諸 方 言 ( 平山輝男 ﹃ 琉球先島方言 の総合的研究﹄ 一四二 ・一六三ペー ジなど︶ に も あ る
よ う で、 も し 、 上 村 幸 雄 の 言う よ う に未 然 形 に 対 応 す る も のと 言 え れ ば 、 未 然 形 が単 独 で 文 節 を 作 り え た 古 い姿 を 伝 え る こ と にな る 。 た だ し 、 書 カ ア ・読 マア の短 縮 し た 形 か も し れ な い。
助 詞 の ﹁て﹂、 助 動 詞 の ﹁た ﹂ な ど に つく 時 に 連 用 形 は 音 便 を 起 こす が 、 そ の音 便 の 形 のう ち 、 も と の ハ行 四
段 活 用 は 平 安 朝 文 学 で は ﹁思 う て﹂ ﹁笑 う て﹂ のよ う に ウ 音 便 を と る の が普 通 だ った 。 こ の形 は 、 愛 知 ・三 重 の
県 境 か ら、 岐 阜 県 を 横 切 って新 潟 ・富 山 県 境 に出 る 線 よ り 以 西 の西 日 本 に行 わ れ て いて有 名 であ る 。 た だ し 、 東
日 本 のう ち 、 新 潟 県 越 後 の中 部 ・北 部 ( 吉田澄夫 ・加藤正信 の発表がある)と 佐 渡 は ウ 音 便 を も ち 、 逆 に 山 陰 地 方 は
促 音 便 形 を も つ。
カ 行 動 詞 は イ 音 便 の地 方 が多 い が、 但 馬 か ら 出 雲 ・隠 岐 に か け て、 ﹁行 って﹂ を イ キ テ と 言 って い る のは 文 語
形 そ のま ま で 異 様 であ る 。 ﹁泳 ぐ ﹂ のよ う な ガ 行 の動 詞 で は、 長 野 県 松 本 付 近 や 但 馬 地 方 で ﹁で﹂ の前 に 鼻 音 を
挟 む 健 向 があ り 、 奈 良 県 吉 野 郡 天 川 村 洞 川 と 志 摩 半 島 で は、 オ ヨ ン デ のよ う な 撥 音 便 にな る ( ﹃ 方 言学講座﹄第三巻
二三 一ページ、西宮 一民)と いう 。 サ 行 動 詞 は 、 ﹁出 イ テ ﹂ のよ う な イ 音 便 を と る こ と が、 平 安 朝 以 来 近 世 ま で中 央
の方 言 で続 いた が 、 現 代 で は 京 都 ・大 阪 を 中 心 と す る 近 畿 中 央 部 で は 出 シ テ の形 に 戻 って いる 。 出 イ テ の形 は 、
近 畿 周 辺 と 出 雲 を 除 く 中 国 地 方 か ら 九 州 地方 に 見 ら れ 、 東 の方 は 愛 知 ・静 岡 を 通 って 、 東 京 都 下 の 伊 豆 諸 島 に ひ ろ が って いる。
タ 行 動 詞 で は 、 ﹁持 つ﹂ ﹁勝 つ﹂ に 対 し て、 伊 豆 利 島 ・神 津 島 ・八 丈 島 ・青 ケ島 (﹃日本 の方言区画﹄二六〇 ペー ジ、
大島 一郎) で モ チ テ ・カ チ テ と いう 古 い形 が 保 た れ て いる と いう 報 告 があ る 。 ﹁待 つ﹂ に 対 し て マチ テ と 言 う 地 方
は も っと 広 いが 、 これ は こ の語 が上 一段 活 用 に 用 いら れ る 地 方 が 多 く 、 そ の こと と 関 係 があ る 。
マ行 動 詞 ・バ 行 動 詞 は、 平 安 朝 以 後 、 ン音 便 と ウ 音 便 を と った が 、 ウ音 便 の方 は、 今 、 九 州 ・山 口県 と 石 見 地
方 、 南 四 国 と 愛 媛 県 の島嶼 部 ( 武智正人報告)と 、 飛 ん で志 摩 地 方 と 奥 吉 野 地方 ( ﹃ 方 言学 講座﹄第三巻 一一ペー ジ、楳 垣実と ﹃ 近畿方言の総合的研究﹄ の三〇 ページ) にあ る。
各 種 変 格 活 用 と 二 段 活 用 と で は、 古 く 終 止 形 と 連 体 形 と で語 形 が 明 瞭 に 違 って いた が 、 サ行 変 格 の ﹁す る ﹂ の
終 止 形 を 、 禁 止 の意 味 のと き に 今 でも 古 い終 止 形 の ﹁す ﹂ を 使 い スナ と いう こと が、 高 知 県 か ら報 告 さ れ て い る。
北 奥 方 言 に も ス ナ と いう 言 い方 があ る が 、 こ こ は 五 段 活 用 に な って いる の で古 形 と は 言 え な い。 高 知 で は ﹁来 る
な ﹂ にも 古 い終 止 形 を 使 い、 ク ナ と 言う そ う だ。 ﹁ま い﹂ が つ いて も ス マイ ・来 マイ と 言 う ( 以上、土居 ﹃土佐方 言
の研究﹄二 一九︲二〇 ページ)と いう 。 福 井 県 若 狭 でも 、 西 部 で は スナ と 言 う ( ﹃近畿方言 の総合的研究﹄佐藤茂)と いう 。 近 畿 方 言 ・四 国 方 言 に は そ う いう 地 方 が も っとあ り そ う だ。
( 池 上 二良
( 静 岡 県 ・山 梨 県 ・長 野 県 北 部 ・新 潟 県 よ り 以 東 ) に 残 って い
い わ ゆ る 時 の 助 動 詞 と 言 わ れ る も の を よ く 保 存 し て い る の は 東 海 ・東 山 地 方 の よ う で あ る 。 ﹁け り ﹂ の 後 身 が ﹁⋮ ⋮ ッ ケ ﹂ と な っ て 、 東 京 そ の 他 東 日 本 の 方 言
る の は 有 名 で あ る 。 東 京 な ど で は 、 ⋮ ⋮ ダ ッ ケ 、 ⋮ ⋮ タ ッ ケ と い う 形 し か な い の に 、 静 岡 県 ・群 馬 県
( 此島 正
(=行 った ) の よ う な 言 い 方 も あ り 、 用 法 が は な は だ 自 由 で あ る 。 奥 羽 地
( ﹃日本 の方 言 区 画﹄ 二 一ペー ジ、 飯 豊毅 一) で は か な り 広 く 行 ク ッ ケ の よ う な 使 い 方 に な っ て い る 。 青 森 県
に よ る)・新 潟 県 ・山 形 県 に は 、 行 ッ ケ 方
( ﹃ 方 言 研 究 の問題 点 ﹄ 五 二九 ペー ジ 、植 村
( ﹃ 信 州 方 言 読 本 ﹄ 八 八 ペー ジ) に は 、 行 ッ タ ッ ケ ロ ー と い う 言 い 方 が あ る
年 ﹃ 青 森 県 方 言 の研 究 ﹄ 一五 九ペ ー ジ ) に 行 ッ タ キ ャ と い う 形 が あ る と い う が 、 ﹁行 き た り け れ ば ﹂ (﹁行 き た り け る が ﹂ か ) の転 で あ ろう か。 長 野 県 東 北 隅
と 言 う 。 ﹁行 き た り け る ら ん ﹂ で あ ろ う 。 ま た 、 遠 く 離 れ て 、 九 州 の 種 子 島 雄太 朗 ) に サ ッパ リ 釣 レ ン ジ ャ ッ タ ケ ル と いう よ う な 言 い 方 が あ る と い う 。
( 稲垣
﹁食 ッ ツ ド ー シ ツ ﹂ の よ う な 言 い方 が あ る 。 ま た 、 伊 豆 の 利 島 で イ ッ タ ッ
(﹃ 国 語学 ﹄ 三 四 ) に よ っ て 報 告 さ れ た 。 こ れ は 第 一人 称 が 主 語 の 時 は 使 え な い と いう 。 山 梨 県 奈 良 田 郷
﹁つ﹂ に つ い て は 、 静 岡 県 磐 田 郡 水 窪 町 で ヤ ッ ツ ・買 ッ ツ (=買 った ) の よ う な 自 由 な 用 法 が あ る こ と が 、 山 口 幸洋
他編 ﹃ 奈 良 田 の方 言 ﹄ 四 二 九 ペー ジ ) に も
( ﹃ 近
( ﹃ 愛 媛 県 の方 言﹄ 四 ペ ー
( ﹃九州 方 言 の 基 礎的 研究 ﹄ 一八 八 ペー ジ) で 、 ﹁⋮ ⋮ ツ ロ ー ﹂ と い
(﹃ 山 陰 方言 の語 法 ﹄ 七三 ペー ジ ) 、愛 媛県全般
﹁行 ッ ツ ラ ﹂ が あ る 。 こ れ と 同 じ も の は 三 重 県 南 部 ・和 歌 山 県 下
ツ ル とい う 言 い方 を 聞 い た 記 憶 が あ る 。 そ れ よ り 、 静 岡 ・山 梨 ・長 野 ・愛 知 ・岐 阜 の 五 県 と 伊 豆 諸 島 の 大 部 分 と に 広 く 、 ﹁行 き つ ら ん ﹂ の 変 化 と 見 ら れ る
畿 方 言 の総 合的 研 究 ﹄ 四 五 ペー ジ) や 島 根 県 石 見 地 区
ジ)、 九 州 の 両 筑 ・肥 前 東 部 ・日 向 北 部 ・薩 摩 な ど
う 形 で 残 って いる 。 出 雲 で は 古 い ア ウ が ア ー と な る 関 係 で 、 東 国 と 同 じ に 行 キ ツ ラ と い い 、 東 の 方 で は 伊 豆 利 島
﹁行 き て あ
(る )﹂ の 名 残 り か 。 こ れ は 山
( ﹃ 方 言 学 講 座﹄ 第 三 巻 三 九五 ペー ジ ) と い う 。 神 奈 川 県 ・千 葉 県 な ど で 、 ﹁行 った ﹂ ﹁来 た ﹂ の 類 を 、 イ ッタ ー ・キ
( ﹃ 伊 豆諸 島方 言 の研 究﹄ 八〇 ペー ジ) が ひ と り 行 ッ ツ ロー と い う 。 高 知 県 に は 、 知 ラ ザ ッ ツ ロ ー と いう 言 い 方 ま で あ る
タ ー と 長 く 引 い て 言 う の は 、 古 い ﹁行 き た る ﹂ の 名 残 り か 、 そ れ と も
梨県東 部
﹁⋮ ⋮ タ ッ タ ﹂ と い う 地 域 が 広 い が 、 こ れ を
( 橘正 一 ﹁ 方 言 読 本﹄ によ れ ば 、岩 手 県 紫波 郡 地方 ) も あ る 。
( ﹃全国 方 言 資 料﹄ 第 二巻 を参 照 ) に も あ る 。 東 日 本 に は
テ ア ッタ ﹂ と いう 一 つ の前 の 形 で 言 う 地 域
﹁⋮ ⋮
( ﹃ 方 言 学 講 座 ﹄ 第 二 巻 二二 七 ペー ジ、 斎 藤義 七
(﹃ 方 言 学 講 座 ﹄ 第 四 巻 一九 六 ペー ジ、 小 野 志 真 男) で
﹁⋮ ⋮ た ﹂ の 活 用 形 の 中 に は 、 ﹁⋮ ⋮ た れ ば ﹂ と い う の が あ り 、 山 形 県 ﹁来 タ レ バ ﹂ ﹁書 イ タ レ バ ﹂ の よ う に 言 う と あ り 、 佐 賀 県
﹁た れ ば ﹂ の 形 は 一種 の 古 形 と 見 ら れ る 。 が 、 こ の 形 は 共 通 語
( 大 正 時 代 の 小 学 校 の 唱 歌 に 、 ﹁月 の 世 界 に 行 った れ ば ⋮ ⋮ ﹂ と い う の が
﹁行 ッ タ レ バ ﹂ ﹁書 イ タ レ バ ﹂ の 転 で 、 こ の
﹁来 タ イ バ ﹂ ﹁書 イ タ イ バ ﹂ と 言 う と あ る 。 東 京 な ど で こ う い う 場 合 、 ﹁行 ッ タ ラ ﹂ ﹁書 イ タ ラ ﹂ と 言 う が 、 こ
郎)で は れ は と 思 って い る 人 も あ る よ う で あ る か ら
(藤原 与 一 ﹃ 方 言 学 ﹄ 五 一六 ペー ジ ) に あ る と い う 。
あ った )、 報 告 し た 学 者 が 少 な く 、 行 わ れ て い る 地 域 は 広 か ろ う と 思 う 。 似 た 形 に 、 ﹁⋮ ⋮ た れ ど ﹂ と い う の が あ っ て 、 山 陰 と 北 陸
﹁ 動 詞 の音 便 形 +ト ル﹂ の使 い分 け が有 名 で、 連 用 形 に オ ル の つ い た
﹁⋮ ⋮ た れ ば ﹂ が あ る と こ ろ に は 、 ﹁⋮ ⋮ な れ ば ﹂ も あ り 、 ﹁⋮ ⋮ た れ ど ﹂ が あ る と こ ろ に は 、 ﹁⋮ ⋮ な れ ど ﹂ も あ る よう だ 。 西 日 本 で は 、 ﹁動 詞 の 連 用 形 + オ ル ﹂ と
( あ る い は 着 チ ョル) と
形 は 、 動 作 の 進 行 中 を 、 連 用 形 ま た は 音 便 形 に ト ルま た は チ ョ ル の つ いた 形 は 、 動 作 が終 った 状 態 を 表 わ す 。 着
物 を 着 ヨ ル と 言 え ば 、 ﹁前 を 合 わ せ た り 、 帯 を 締 め た り の 最 中 ﹂ の 意 味 、 着 物 ヲ 着 ト ル
( 北岡 四良 によ
(﹃ 近畿 方 言 の総 合的 研 究 ﹄ 三 四九 ペー ジ、 西 宮 ) と 、 飛 ん で 愛 知 県 ・岐 阜 県 の 一部 に あ る 。 た だ し 、
言 え ば 、 ﹁和 服 姿 だ ﹂ の 意 味 で あ る 。 こ の 区 別 は 兵 庫 県 以 西 、 九 州 ま で の 地 域 と 、 三 重 県 の 南 部 る )・奈 良 県 の 南 部
(﹃ 東条 操 先 生 古稀 祝賀 論 文集 ﹄ 五 五 ペー ジ、 山 口幸
出雲 地方 にはな い ( ﹃方 言学 講 座 ﹄第 三巻 一四 ペー ジ、 広 戸惇 ) と い い 、 他 の 地 方 で も 崩 壊 が 始 ま っ て い る よ う で あ る 。 平 安 朝 時 代 の ﹁行 き そ ﹂ の ﹁そ ﹂ は 、 静 岡 県 大 井 川 上 流 の 井 川 村
( ﹃ 信 州 方 言読 本 ﹄ 七 六 ペー ジ) で ナ ナ 言ッ ト の よ う に 言 う 。 ﹁ナ ナ ﹂ は
洋 ) に 残 って い て 、 ﹁書 く な ﹂ ﹁飲 む な ﹂ を カ イ ソ ・ノ ン ゾ と 言 う そ う だ 。 山 梨 県 は 、 言 ッチ ョと 言 い 、 長 野 県 で は 、 佐 久 郡 ・更 科 郡 ・埴 科 郡 ・上 水 内 郡 地 方
﹁な 行 き そ ﹂ の ﹁な ﹂ であ る 。
連 用 形 に つく 接 尾 語 に、 隠 岐 島 地 方 に複 数 の人 に 対 す る命 令 形 に ﹁見 ヤ タ レ﹂ と いう 言 い方 があ る 。 都 竹 通 年
男 は 、 こ れ は ﹁見 渡 れ ﹂ の 転 で、 ﹃源 氏 物 語 ﹄ 須 磨 の巻 の ﹁鼻 を か み渡 す ﹂ の ﹁渡 す ﹂ と 関 係 のあ る も のだ と 論 じた。
昔 の ﹁⋮ ⋮ つ つ﹂ と いう 形 は 八 丈 島 に 残 って いる 。 た だ し 、 そ の使 い 方 は 、 ﹁寄 リ 集 マ ッテ ツ ツ﹂ のよ う に
﹁て﹂ の あ と に重 な って つく 。(﹃ 全国方 言資料﹄第七編 一七〇ページ︶ そ し て そ の意 味 は 、 東 京 語 の ソ レデ モ ッテ の モ ッテ のよ う な も の で、 念 を 入れ る と いう 以 外 に 特 に 言 いよ う の な いも の で あ る。
昔 の ﹁書 き も て ゆく ﹂ の ﹁も て ﹂ は 、 ﹁笑 イ モ ッテ 話 ス﹂ の よ う な 形 で 近 畿 ・中 国 ・四 国 (﹃ 全国方 言辞典﹄)に
広 く 残 って いる 。 ﹁も て﹂ は モ ッテ の 促 音 無 表 記 の形 であ ろ う 。 こ の言 い方 は 、 大 分 県 (﹃分類方言辞典﹄七二五 ペー
ジ)に も あ る そ う だ 。 奈 良 県 吉 野 郡 で は モー テ 、 播 磨 で は モチ デ と いう ( 同上)そ う だ。 ﹁⋮ ⋮ が て ら ﹂ と いう 接
尾 語 は 、 静 岡 県 (﹃ 全国方言辞典﹄) の中 で ガ ツラ と し て残 って お り 、 ﹁食 事 シ ガ ツ ラ 本 ヲ読 ム ﹂ と いう 。 こ の語 は
ま た 、 和 歌 山 県有 田 郡 で は ⋮ ⋮ ガ タ ラ 、 佐 賀 県 ・長 崎 県 では ⋮ ⋮ ガ チ ラ、 ⋮ ⋮ ガ ツ レと し て (﹃ 分類方言辞典﹄七一
三︲四 ページ)残 って いる 。 土 居 重 俊 に よ れ ば 、 高 知 県 幡 多 郡 では 、 仕 事 ヲ ス ル ス ルと いう 形 で ﹁し な が ら ﹂ を 意 味 す る 語 法 があ る と いう 、 ﹃土左 日記 ﹄ に あ る ﹁手 を 切る 切 る ﹂ と 同 じ 言 い方 だ 。
終 止 形 に つく 助 動 詞 と し ては 、 東 日 本 に広 く 行 わ れ て いる ﹁べき ﹂ の後 身 べー が有 名 であ る 。 静 岡 県富 士 川 、
山 梨 県 笹 子 峠 、 長 野 県 佐 久 地 方 ・奥 信 濃 と 新 潟 県 の東 部 の魚 沼 ・東 蒲 原 地方 一帯 (﹃ 方言研究年報﹄第五巻三〇 ページ、
加藤正信)か ら 以 東 の 地 と 、 と ん で富 山 県 の 下 新 川 郡 ( 牛山初男 ﹃ 東西方言 の境界﹄四三 ペー ジ︶ に あ る。 た だ し 、 東
京 と そ の周 辺 、 伊 豆 諸 島 の大 部 分、 奥 羽 で は 山 形 県 の庄 内 地 方 と 秋 田 県 の由 利 地 方 に は な い。 用 法 も 一様 では な
く 、 ﹁行 こう ﹂ のよ う な 意 志 を 表 わ し て行 クベ ー と いう の は 、 関 東 か ら 静 岡 ・山 梨 の 東 部 に か け て 一般 的 で あ る
が、 長 野 県 下 ・新 潟 県 下 や奥 羽 地 方 の秋 田 県 な ど で は、 推 量 の意 味 に し か 用 いな い。 反 対 に ﹁行 く だ ろう ﹂ の意
( ﹃利 根 川
自 然 ・文 化 ・社 会 ﹄ 一八〇ペ ー ジ、飯 豊・
味 の 推 量 を 表 わ す も の は 、 山 梨 県 ・静 岡 県 下 で は 用 い な い と い う 傾 向 が あ る 。 ま た 推 量 を 表 わ す 場 合 、 多 く の 地 方 で は 行 クベ ー で い い が 、 群 馬 県 下 ・埼 玉 県 北 部 ・栃 木 県 西 南 部 大 橋 ) で は 、 主 に 行 ク ダ ンベ ー と 言 う 傾 向 が あ る 。
( ﹃日本 の方 言 区 画﹄ 二 一五ペ ー ジ、 飯
( 群 馬 県 と 福 島 県 南 会 津 ) と 終 止 ・連 体 (一般 ) と が あ り
一段 活 用 の 動 詞 に つく 形 に は 、 起 キベ ー の よ う に 連 用 形 に つ け る 地 方 形 に つけ て 起 キ ルベ ー 、 ま た は そ の 変 化 し た 形 に 言 う 地 方
(﹃ 利 根 川﹄ 一八 七 ペー ジ) と 福 島 東 南 部
(﹃ 日本 の
豊) 、 名 詞 に 付 け る 時 に は 、 各 地 と も ダ を 介 す る が 、 そ の 場 合 、 群 馬 ・栃 木 ・埼 玉 ・東 京 都 下 ・神 奈 川 と 茨 城 県 の う ち の 下 総 地 方 で は ダ ンベ ー と 言 う の に 対 し 、 常 陸 ・千 葉 県 下
方 言 区 画﹄ 二 一五︲ 六 ペー ジ) で は ダ ッペ ー と 言 う 対 立 が あ る 。 伊 豆 利 島 で は 、 ⋮ ⋮ ダ ルベ ー と い う 形 を 保 ち 、 こ れ
﹁何 ト カ ハ ア 、 オ 願 イ 申 スペ ク
( 橘正 一 ﹃ 方 言読 本 ﹄ 二三 ペー ジ) に は 、 ﹁不 景 気 デ 食 ウベ キ ナ ェ﹂ と い
は 古 風 だ 。 形 容 詞 に つ く 時 も 、 暑 イベ ー ・暑 カ ンベ ー ・暑 カ ッペ ー と い う 変 異 が あ る 。( ﹃日本 の方 言区 画 ﹄ 二 一五 ペ ー ジ) ベ ー の 変 体 と し て 、 宮 城 県 石 巻 方 言
( 同上)に
﹁つ﹂ の 条 で 述 べ た
( 小林 ﹃ 東
﹁⋮⋮ ツ ラ ﹂
( 金沢 ﹃ 阿 波 言 葉 の 語 法﹄ 一 一〇 ペー ジ) に も 、 デ
う 言 い方 が あ り 、 ﹁食 う こ と が で き な い ﹂ と い う 意 味 だ と い う 。 秋 田 県 ト 思 ッテ 来 タ デ ア ス ﹂ と い う 言 い 方 が あ る と い う 。 遠 く 徳 島 県 下
﹁ら ん ﹂ は 、 ラ ま た は ロ ー と し て 残 って い る が 、 こ れ は
キベ キ ハナ シ モ ⋮ ⋮ と い う よ う な 言 い方 が あ る と い う 。 終 止 形 に つく 助 動 詞
と 言 う 地 方 、 ﹁⋮ ⋮ ツ ロ ー ﹂ と 言 う 地 方 に 大 体 一致 す る 。
已 然 形 に つく 助 詞 の 類 で は 、 ﹁ど も ﹂ が 、 新 潟 県 の 大 部 分 ・山 形 県 庄 内 地 方 、 そ れ か ら 奥 羽 北 部 全 般
( 広 戸 ﹃山 陰方 言 の 語 法﹄ 八 六 ペー ジ) に も あ り 、 宮 崎 県 ・鹿 児 島 県 で
北 の方 言 ﹄ 一六 〇 ペー ジ ・﹃日本 の方 言 区画 ﹄ 一八 七 ペー ジ、 加 藤 正 信 ) に あ り 、 書 ク ド モ の よ う に 動 詞 の 終 止 形 に 直 接 付 い て い る 。 同 様 な 言 い方 は 、 出 雲 地 方 の 一部 は 、 ド ン と な って い る 。
動 詞 ・形 容 詞 の 終 止 ・連 体 形 に つ く 接 続 助 詞 の 類 と し て は 、 近 世 上 方 語 の ⋮ ⋮ サ カ イ が 、 近 畿 中 央 部 か ら 滋 賀
県・ 福 井 県 を 通 り 、 石 川 ・富 山 ・新 潟 ・山 形 県 庄 内 地 方 を 過 ぎ て 、 青 森 ・岩 手 二 県 に ま で 分 布 し て い る ( 小林
(﹃日本 の方 言 区 画 ﹄ 二 六 四 ペー ジ、 大 島 一郎 ) に も
﹃ 東 北 の方 言﹄ 一五 八 ペー ジ) の が 注 目 を ひ く 。 た だ し 、 語 形 は 、 サ カ イ か ら サ ガ エ ・シ カ イ ・ス ケ ・ ハ カ ェな ど 、 いろ いろ に変 って いる 。 シ カ イ は 周 囲 と 飛 び 離 れ て、 伊 豆 神 津 島
( 小林 ﹃ 東 北 の方
あ る。
⋮ ⋮ ホ ド ニ ヨ ッ テ も 、 近 世 中 央 部 の 方 言 の 残 存 と 見 る な ら ば 、 秋 田 県 ・岩 手 県 ・青 森 県 方 面
(﹃ 熊 本 方 言 の研
(=寒 い か ら )、 ハ オ リ バ 、 着 テ イ ン バ ﹂ の よ う
言 ﹄ 一五 七 ペー ジ以 下) に 、 ハ デ ・ ハ ン テ ・ ヘデ・ エ ン テ な ど の 形 に な っ て 広 ま っ て い る 。 原 田 芳 起 ﹁サ ム カ シ ェ ン
(=寝 よ う
( 青木 ﹃ 信
﹁そ ゑ に ﹂ の 変 化 と 見 た 。 ほ か に 、 ニ ョ ッ テ と いう 例 が 伊 豆 利 島 に あ り 、 そ れ か ら
究 ﹄ 四 四 ペー ジ ) は 、 天 草 島 の 一部 に 残 って い る な シ ェンを 、 平 安 朝 の 接 続 詞
変 った と 見 ら れ る ン テ が 静 岡 県 中 部 に あ り 、 ﹁茶 切 り 節 ﹂ の ﹁キ ャ ア ル が 啼 く ん て ﹂ で 名 高 い。 長 野 県
(﹃ 分 類 方 言辞 典 ﹄ 七 二 七 ペー ジ ) に も あ る 。
( ﹃国 語 学 ﹄ 三 四、 山 口幸 洋 ) で は 、 暗 ク ナ ル ニ (=の に ) マ ダ 帰 ラ ン 、 サ ー 寝 ズ カ
州 方 言読 本 ﹄ 一二 三 ペー ジ) や 秋 田 県 や 八 丈 島 静岡 県水 窪 地方
か )、 オ ソ イ ニ (=か ら ) の よ う に 、 ニ が 順 接 ・逆 接 の 両 様 の 意 味 に 用 いら れ 、 古 色 を 存 す る 。
( 橘 ﹃ 方 言 読 本 ﹄ 一七 ペー ジ) に あ る 。
( ﹃ 九 州 方 言 の基 礎 的 研 究 ﹄ 一八 九 ペー ジ、 上 村 孝 二)
長 崎 バ ッ テ ン で 有 名 な 、 ﹁け れ ど も ﹂ の 意 味 の バ ッ テ ン は 、 ﹁⋮ ⋮ ば と て も ﹂ の 転 と 考 え ら れ る 。 こ れ は 筑 前 ・ 筑 後 ・肥 前 ・肥 後 に 分 布 す る ほ か 、 薩 隅 南 端 と 甑 ・種 子 ・屋 久 島
に 変 種 が あ り 、 北 に 大 き く 隔 た っ て 、 秋 田 県 ・青 森 県 や 石 巻 市 や 岩 手 県 遠 野 市
( 高 柳 寿 雄 ﹃し ん し ろ の こ
( ﹃ 信 州 方 言 読 本 ﹄一六 三 ペー ジ ) や 新 潟 中 部 、 山 形 県 庄 内 地 方 な ど で 使 用 す る の が 耳
終 助 詞 で は 、 古 い ﹁な う ﹂ が 西 日 本 に 広 ま っ て い る が 、 こ れ は 近 畿 の 中 央 部 で は 近 年 使 わ な く な って お り 、 東 日 本 で は、 長 野 県 で は 下 伊 那 立 つ。
( 鈴 木規 夫 ﹃ 河 和 町方 言 集 ﹄ 四 九 ペー ジ)・同 新 城 町
ワ イ も 、 西 日 本 に 広 く 残 って い る が 、 改 め て 報 告 し た 学 者 は 少 な い 。 珍 し い のは ソ と いう の が、 愛 知 県 河 和 町
と ば ﹄三 七 ペ ー ジ)、 長 野 県 千 曲 川 下 流 地 方
( 青木 ﹃ 信 州 方 言 読 本 ﹄ 一六 一ペ ー ジ )、 新 潟 県 秋 山 郷
( ﹃ 新潟 大学教育学部 紀
要 ﹄第 二輯 、 押 見 虎 三 二 ) な ど 、 と び と び に 報 告 さ れ て い る こ と で 、 こ れ は 、 伊 豆 利 島 で ソ ー ロ ー と も 言 い、 ソ ー
と も 言 う と こ ろ か ら 見 て 、 昔 の ﹁候 ふ ﹂ の 変 形 と 推 定 さ れ る 。 山 梨 県 奈 良 田 郷 の イ ソ も 関 係 あ る か も し れ な い。
隠 岐 島 前 で は 、 サ ラ と いう が 、 こ れ は 同 地 域 で 昔 の ア ウ が ア ー と 変 化 し た そ の 結 果 に よ る も の で 、 同 源 で あ る 。
﹁候 ふ ﹂ か も し れ な い 。
こ れ ら の ソ ー ロ ー ・サ ラ ・ソ な ど は 、 い ず れ も 敬 意 を 含 ま ず 、 東 京 語 の サ と 同 じ で あ る と こ ろ を 見 る と 、 東 京 語 の サ も 、 語 源 は 金 田 一京 助 の 推 定 し た よ う に
(5 ) 形容 詞に ついて
形 容 詞 で は 、 九 州 の 西 半 で 、 ﹁白 い﹂ を シ ロ カ 、 ﹁嬉 し い ﹂ を ウ レ シ カ と い う の が 、 古 い ﹁白 か る ﹂ ﹁嬉 し か る ﹂
(﹃ 九 州方 言 の基 礎 的 研 究 ﹄ 一六 一ペー ジ) に 分 布 し 、 た だ し 対 馬 は 入 ら な い。 も っ と も 、 こ う
の 残 存 形 と し て 聞 こ え て い る 。 分 布 領 域 は 、 ﹁よ い﹂ を ヨ カ と い う 変 化 に つ い て 言 え ば 、 筑 前 ・筑 後 ・肥 前 ・肥 後 ・薩 摩 と 日 向 薩 摩 領
﹁白 く ﹂ ←
﹁白 う ﹂、 ﹁嬉 し く ﹂ ←
( 吉田
﹁嬉 しゅ う ﹂ の よ う な ウ 音 便 の 形 を 、
(﹃ 方 言 学 講 座﹄ 第 三巻 一〇 二 ペ ー ジ、 岩 井 隆 盛 ) に は 、 ﹁赤 カ レ ド ﹂ と い う 言 い 方 が あ
いう 地 域 で は 、 ﹁白 い ﹂ ﹁ 嬉 し い﹂ と い う 共 通 語 の 形 は 使 わ な い わ け で あ る か ら 、 ﹁白 き ﹂ ﹁嬉 し き ﹂ と い う 古 形 を 失 って い る と も 言 え る 。 富 山 県
る と いう 。 八 丈 島 に は 赤 カ イ ド が あ る 。 形 容 詞 に 関 係 し て は 、 平 安 朝 に 起 こ った
西 日 本 諸 方 言 、 す な わ ち 尾 張 ・岐 阜 県 ・富 山 県 よ り 西 の 地 域 、 さ ら に 佐 渡 と 越 後 の 北 部 と 中 部 の 海 岸 地 域
澄 夫 と 加 藤 正信 に発 表 があ る ) 、 飛 ん で 千 葉 県 の 房 総 地 方 で 用 い る 。 も っと も 、 そ れ 以 外 の 地 域 で ウ 音 便 を 用 いな い
の こ そ 、 そ れ 以 前 の 形 を 保 っ て い る と 言 う べ き だ 。 埼 玉 県 の 北 部 か ら 群 馬 県 に か け て は 、 ﹁な く て も ﹂ と いう 時
( ﹃九州 方 言 の基礎 的 研 究 ﹄ 一八七 ペー ジ) で は
﹁白 く て ﹂ ﹁美 し く て ﹂ を シ ロ ー シ テ ・ウ ツ ク シ ュー シ テ と 言 う 。
に ナ ク モ と い い、 こ れ は 共 通 語 と 思 って 使 って いる 傾 向 があ る 。 連 用 形 の音 便 形 に関 し て は 、 九 州 のう ち 、 肥 筑 地方
形 容 詞 の い わ ゆ る 未 然 形 あ る い は 志 向 形 は 、 ﹁高 か ろ う ﹂ ﹁嬉 し か ろ う ﹂ と い う よ う な 形 で あ る が 、 こ の 形 は あ
( 広 戸 ﹃山 陰方 言
(﹃ 近 畿 方 言 の総 合 的 研 究 ﹄ 三
ま り 使 わ れ な い。 そ う す る と 、 こ の 形 を 頻 用 す る 地 域 は 古 色 を 存 す る わ け で 、 た と え ば 出 雲 地 方
の語法 ﹄ の四 〇ペ ー ジ) で は 、 高 カ ラ ー ・嬉 シ カ ラ ー の 形 で よ く 使 う よ う で あ る 。 奈 良 県
﹁げ ﹂ を つ け て 、 そ う いう 様 子 だ と いう 意 味
三 〇 ペー ジ) で は 、 古 老 の 言 い方 だ と あ る 。 そ の 程 度 に は 、 ほ か の 地 方 で も 使 う で あ ろ う 。 形 容 詞 の 語 幹 の 用 法 に つ い て は 、(1で )前 に 触 れ た 。 語 幹 に 接 尾 語
( ﹃ 近畿方言 の総
(﹃ 方 言 学 講 座 ﹄第 二巻 二 七 八 ペ ー ジ、 上 野 勇 ) で 活 発 で 、 こ れ は 新 潟 県
( ﹃日本 の方 言 区画 ﹄ 一八 九ペ ー ジ、 加 藤 正 信 ︶ し て い る 。 西 日 本 に も あ る よ う で 、 高 松 市
を 表 わ す 用 法 は 、 群 馬 県 か ら埼 玉 県 の西 北 部 にも広く 分布
﹁雨 が 降 り そ う だ ﹂ の 意 味 で
﹁雨 が 降 ル ゲ ダ ﹂ な ど と 言 う 。 こ の 言 い 方 は 山 梨 県 奈 良 田
( 稲垣他編 ﹃ 奈
合 的 研 究 ﹄ 四九ペ ー ジ、 楳 垣 実 ) で は ウ マ ゲ ナ を 使 って い る と い う 。 な お 、 群 馬 県 な ど で ゲ が つ く の は 、 動 詞 な ど で は連体 形で
良 田 の方 言﹄ 一〇 一ペー ジ) で は ⋮ ⋮ タ ゲ と い う 形 に な っ て い て 、 雨 ガ 降 リ タ ゲ ダ で 、 ﹁雨 が 降 り そ う だ ﹂ の 意 だ と いう 。
( 武 智 ﹃愛媛 の方 言﹄ 七 ペー ジ) で は 全 県 使 う が 、
(﹃ 方 言 学 講 座 ﹄第 三 巻 一四 二 ペー ジ、 奥 村 三 雄 ) で 老 人 が 主 に
⋮⋮ タ ゲ ナ と い う 形 は 、 西 日 本 に 広 く 用 い ら れ る 伝 聞 を 表 わ す 語 法 で あ る 。 た だ し 、 近 畿 中 央 部 で は あ ま り 使 わ ず 、 周 辺 部 の 山 城 ・丹 波 ・近 江 東 部 ・若 狭 西 部 な ど
(﹃ 近 畿方 言 の総 合 的研 究 ﹄ 五 四 二 ペー ジ)・愛 媛 県
( ﹃九州 方 言 の基 礎的 研 究 ﹄ 一〇八 ペー ジ) と 大 隅 地 区
﹁雪 ン ゴ タ ル ﹂ の 形 で 九 州 一帯
( ﹃ 九州方言 の
(﹃ 方 言 学講 座 ﹄ 第 四 巻 八 五 ペー ジ、 上村 孝 二) に 盛 ん だ と い
(﹃ 方 言 学 講 座 ﹄第 三巻 三九 五 ペ ー ジ、 山 崎 良 幸 ) で は 古 風 に な っ て お り 、 九 州 で は 筑 前 ・筑 後 ・肥 前 ・肥 後 北
使 う と いう 。 兵 庫 県 高 知県 部・ 日 向
﹁ご と し ﹂ は 、 ﹁雪 ン ゴ ト ア ル ﹂ ま た は
う 。 中 国 地 方 に も 多 い に 相 違 な い。 な お、昔 の形容詞的助動 詞
( 藤原 ﹃ 方 言 学 ﹄ 四 九 〇 ペー ジ ) に も 進
﹁珠 の ご と し ﹂ を タ マ タ グ ト ー ン と いう 言 い方 が あ る 。
基 礎的 研究 ﹄ 八 六︲ 七 ペー ジ ) に ひ ろ ま り 、 愛 媛 県 の 喜 多 郡 と 山 口 県 の 長 門 地 方 出 し て い る と いう 。 沖 縄 に は
(6) 敬譲 表 現 の い ろ い ろ
(﹃ 方 言 学講 座 ﹄ 第 二巻 一九 九 ペ ー ジ、 小 松 代 融
(﹃ 近 畿 方 言 の総 合 的 研 究﹄ 四〇 ペ ー ジ) は 、 こ の 書 カ イ ・放 サ イ は 書 カ レ ル ・放 サ レ ル と
( ﹃近 畿方 言 の総合 的 研 究 ﹄ 四〇 ペー ジ ) に あ り 、 ま た 岩 手 県 の 伊 達 領
江 戸 時 代 の 上 方 語 に は 、 ﹁退 か い、 放 さ い﹂ ( 隆達 小唄 集 ) の よ う な 尊 敬 表 現 が あ っ た 。 こ の 言 い 方 は 、 和 歌 山 県 の北部 一) に あ る と い う 。 楳 垣 実
( 青木 ﹃ 信 州方 言読 本 ﹄ 六
( ﹃ 方 言 学 講 座 ﹄ 第 三 巻 一七 ペー ジ、楳 垣 実 ) に
( 藤原 ﹃ 方 言 学﹄ 五 四 七 ペ ー ジ)・長 野 県 奥 信 濃 地 方
( 藤原 ﹃ 方 言 学 ﹄ 五 四 七 ペ ー ジ) と 山 口 県 防 府
い う 尊 敬 表 現 の 命 令 形 だ け が 残 った も の と 説 い て い る 。 レ ル 敬 語 は、 岡 山県 地 方 あ る と い う 。 東 の 方 で は 愛 知 県 ・富 山 県
〇 ペ ー ジ) に も あ る ら し い 。 も っ と も 東 京 で も 今 や 盛 ん で あ る 。 京 都 の 上 北 山 や 、 滋 賀 県 の 湖 南 ・湖 東 に は 、 書
カ ル ・見 ラ ル と いう 形 の 敬 譲 表 現 が あ って 、 摂 津 ・河 内 ・泉 南 の 山 地 に も 分 布 す る 。 こ れ は 、 古 い ﹁書 か れ る ﹂
﹁見 ら れ る ﹂ か ら 変 化 し た も の で 、 書 カ イ が 生 ま れ る 直 接 の 母 胎 と 考 え ら れ る 。(﹃ 近 畿 方 言 の総合 的 研究 ﹄ 四〇 ペ ー ジ)
﹁書 く ﹂ に 対 し て 書 カ ス を 尊 敬 態 と し て 用 い る と こ ろ に 、 筑 前 ・筑 後 と 熊 本 県 が あ る 。 ﹁見 る ﹂ の 場 合 は 見 サ ス
と い う 。( ﹁ 方 言 学 講 座﹄ 第 四巻 一七 二 ペー ジ 、都 築 頼 助 ・二三 二 ペー ジ、 秋 山 正次 ) 熊 本 県 で は ミ ラ ス と も 言 う ら し い。
( 藤原 ﹃ 方 言 学 ﹄ 五 〇 五 ・五
( ﹃近 畿方 言 の 総合 的 研究 ﹄ 四 〇 ペー ジ) に 、 中 部 で は 美
﹁書 か せ ら れ る ﹂ ﹁見 さ せ ら れ る ﹂ の 変 化 、 ﹁書 カ ッ シ ャ ル ﹂ ﹁見 サ ッ シ ャ ル ﹂ の 類 は 、 全 国 を 通 じ て 最 も 普 及 し て いる 尊 敬 態 の よ う だ 。 近 畿 で は 滋 賀 県 の 甲 賀 郡 と 三 重 県 下
(﹃ 方 言 学 講 座﹄ 第 三巻 一三九 ペー ジ、 奥 村 三 雄 ) 、富 山県
( 青 木 ﹃信 州方 言 読本 ﹄
( ﹃山形 方 言 辞典 ﹄ 六 七 八ペ ー ジ、
( 土居 重 俊 ﹃土佐 言 葉 ﹄ 二三 五 ペー ジ ) と 九 州 の
( 藤原 ﹃ 方 言 学 ﹄ 五 二 七 ペー ジ) に 延 び 、
(﹃日本 の方 言区 画 ﹄ 二一一 ペー ジ 、飯 豊 毅 一) か ら 山 形 県
( 吉 田 澄夫 ﹃ 近 世 語 と近 世 文 学﹄ 二三 八ペ ー ジ)、 長 野 県 で は 奥 信 濃
濃 か ら 若 狭 一部 、 嶺 北 の 大 野 郡 東 部 一四ペ ー ジ ) 、新 潟県 の長岡以東 三 二 ペー ジ ) や 福 島 県 の 会 津 地 方
( 広戸 ﹃ 山 陰方 言 の語 法 ﹄ 五 七 ペー ジ ) 、 土佐幡多 郡
斎 藤義 七 郎 ) に 入 る 。 他 方 、 三 河 の 渥 美 半 島 ・伊 豆 半 島 ・伊 豆 新 島 ・房 総 半 島 西 の 方 は 、 出 雲 ・隠 岐
筑 前 ・筑 後 ・熊 本 地 方 と 対 馬
( ﹃ 方 言 学 講座 ﹄ 第 四 巻 一七 二 ・二 三 二 ペー ジ、 ﹃九州 方 言 の基礎 的 研 究 ﹄ 一八 九 ペー ジ) に あ る 。
名 古 屋 市 を 中 心 と し て 四 日 市 ・津 な ど の 北 伊 勢 と 石 見 地 方 で は 、 書 カ ッ シ ャ ル の 代 り に 書 カ ッ セ ル と 言 い 、 石
見 で は 見 サ ッ シ ャ ル の 代 り に 見 サ ッ セ ル と いう 。 名 古 屋 は じ め 尾 張 地 方 ・西 三 河 の 一部 、 四 日 市 ・津 ・岐 阜 県 の
郡 上 地 方 で は そ れ を 見 ラ ッ セ ル と いう 。(﹃ 方 言学 講 座 ﹄第 二巻 三 五 六 ペー ジ、 鏡 味 明克 ・第 三巻 一六︲七 ペー ジ、 楳 垣 実 ) 命
(﹃ 方 言 学 講 座 ﹄第 二 巻 二 七 八 ペー ジ、 上 野 勇 ︶ に も あ る 。 埼 玉 県 の 東 部 と 群
( 同上 ) に は 、 見 ヤ ッ セ と い う 言 い 方 も あ る 。
令 形 の 書 カ ッ セ ー ・見 サ ッ セ ー は 埼 玉 県 馬県邑楽 郡
( 奈 良 ・和 歌 山 ・津 ・敦 賀 ) が さ
(﹃ 方 言学 講 座 ﹄ 第 三 巻 一七 ペー ジ、 楳 垣 実 ) と な る 。 見
( ﹃日
( 吉 田 澄夫 ﹃ 近 世 語 と近 世 文 学﹄ 二三
( 広 戸 ﹃山陰 方 言 の 語法 ﹄ 五 九 ペー ジ) 、 愛 媛 県 の 宇 和 ・大 洲 の 方 言
(小 浜 )、 ⋮ ⋮ ナ ル (伊 勢 ・丹 波 ・丹 後 ) な ど
﹁⋮ ⋮ な さ る ﹂ の 転 も 広 く 行 わ れ て い る 。 近 畿 地 方 で は 書 キ ナ ハ ル ・見 ナ ハ ル ら に⋮⋮ナア ル ナ ハ ル ・見 ナ ル は 出 雲 を 中 心 と す る 山 陰 地 方
本 の方 言 区 画﹄ 四 五 五︲六 ペー ジ、 杉 山 正世 ) に も あ る 。 書 キ ナ ル は 新 潟 県 の 高 田 地 方
(﹃山陰 方 言 の語 法 ﹄ 五九 ペー ジ ) 、 九 州 の豊 日 方 言
( 藤原 ﹃ 方言学﹄
八 ペー ジ) に も あ る と い う 。 中 国 地 方 で は 、 岡 山 ・広 島 の 書 キ ン サ ル ・見 ン サ ル が 著 名 で あ る が 、 こ れ は 、 但 馬 (﹃ 方 言 学 講座 ﹄ 第 三 巻 一七 ペー ジ ) に も あ り 、 石 見 地 方 四三 四 ペー ジ) に も 広 が っ て い る 。
京 都 で は 書 カ ハ ル ・見 ヤ ハ ル の 言 い 方 が 盛 ん で 、 大 阪 で 普 通 の 書 キ ハ ル ・見 イ ハ ル は 、 書 キ ャ ハ ル ・見 ヤ ハ ル
( ﹃方 言学 講座 ﹄ 第 二巻 一七 六 ペー ジ、 北 条 忠 雄 ) や 岩 手 県
﹁行 か し
( 同 三 八 ペー ジ) で は 書 キ ナ ッ テ
( ﹃ 近 畿 方 言 の 総合 的 研究 ﹄ 四 二 ペー ジ ) に
(﹃ 青 森 県 の方 言 ﹄ 一二 五 ペ ー ジ) は こ れ を
(﹃日本 の方 言 区 画 ﹄ 一六 八 ペー ジ、 小 松 代 融 一) に も あ る そ う だ 。 弘 前 に は 以 前 、 行 カ サ ハ リ マ ス カ と い う 言
の転 で、 そ の 変 化 で あ る が 、 書 カ ハル は 遠 く 秋 田 県 本 荘 市 伊 達領
い方 が あ った そ う で、 た だ し 、 こ の語 源 に つ い て は 、 此 島 正 年 ゃ る ﹂ の 変 化 か と 言 って い る 。
紀 伊 や 伊 賀 で は 、 オ 書 キ ナ シ テ と い う 命 令 法 が あ り 、 泉 南 ・淡 路 ・徳 島
も 及 ぶ 。 東 は 長 野 県 の各 地 ( 青木 ﹃ 信 州 方 言 読 本﹄ 三 六 ペ ー ジ) に あ り 、 上 高 井 方 面
と いう 形 に な って い る 。 長 野 県 の 更 埴 ・長 野 ・水 内 お よ び 飯 田 一帯
(同三九 ペー ジ) に は 、 ク ン ナ イ と い う 言 い 方
﹁ス シ 食 い ね え 、 酒 飲 み ね え ﹂ の ネ エ の 母 形 で あ る 。
があ り 、 こ の ナイ は ナ サイ の転 と 見 ら れ る 。 こ のナ サイ は ナ サイ マ セ の 下 略 であ ろう 。 な お、 こ のナ イ は 、 虎 造 の浪 曲 に 出 てく る
江 戸 時 代 に は 、 ま た 、 ﹁勧 進 舞 を 見 さ い ﹂ な ど と い う 時 の、 ﹁⋮ ⋮ さ い ﹂ と い う 形 が あ り 、 こ れ も ナ サ イ の 変 化
( 此
﹁退 か い ﹂ ﹁放 さ い ﹂ と 同 源 と 考 え た 。 こ の 方 は 今 、 愛 媛 県 の 渭 南
(﹃日本 の方 言 区 画 ﹄ 四五 八 ペー ジ、 杉 山 正 世) に あ る と い い 、 東 の 方 で は 岩 手 県 伊 達 領 や 青 森 県 の 上 北 ・三 戸
と 見 る 見 方 も あ る 。 た だ し 、 楳 垣 実 は これ を 地区
( ﹃ 方 言 学 講 座﹄ 第 二巻 二 二 二 ペー ジ、
( ﹃ 方 言学 講 座 ﹄ 第 三 巻一三 八 ペー ジ、奥 村 三 雄 )
島 ﹃青森 県 の方 言﹄ 一二 七 ペー ジ) に も あ る と い う 。 仙 台 の ケ サ ェも ク レ ナ サ ェの 転 斎 藤義 七郎 ) と 見 ら れ る 。 昔 の ﹁⋮ ⋮ 遊 バ セ ﹂ は 、 京 都 か ら 山 城 ・丹 波 南 部 か ら 、 滋 賀 県 各 地
に か け て 、 オ 帰 リ ヤ ス な ど の ヤ ス に な っ て 残 って い る 。 愛 知 県 名 古 屋 近 傍 に も あ る が 、 こ こ は 、 そ の 中 間 の 形 、
( 藤原 ﹃ 方言学﹄四三四ページ)に特 微 的 であ り 、 北
( 同 五 二八 ペー ジ、 此島 ﹃ 青 森 県 の方 言﹄ 一二 四 ペー ジ ) と 、 長 野 県 の 更 埴 ・水 内 地 方
﹁オ 書 キ ア ル ﹂ 式 の 語 法 、 こ れ は 南 で は 薩 隅
( ﹃ 近 畿 方 言 の総 合 的 研究 ﹄ 四 三 ペー ジ、 楳 垣 実 ) に も あ る と い う 。
オ 帰 リ ヤ ス バ セ と いう 形 が 使 わ れ て い て、 略 し て オ 帰 リ ヤ スと も 言わ れ 、 変 化 の経 路 を 示 し て いる 。 富 山 県 の福 光 地方 ﹁書 く ﹂ に 対 し て
で は 岩 手 県 と 青 森 県 の旧 南 部 領
( 藤原 ﹃ 方 言 学 ﹄・青 木 ﹃ 信 州 方 言 読 本 ﹄ 五 五ペ
﹁オ ミ ル ﹂ と い う 式 の 語 法 、 こ れ は 、 愛 知 県
﹃堀 川 波 鼓 ﹄ の ﹁必 ず 我 を 恨 み ゃ る な ﹂ と 同 じ 語 法 と 見 ら れ る 。
( ﹃ 方 言学 講 座﹄ 第 四巻 二 八九 ペー ジ、 後 藤 和彦 ) で は 、 書 キ ャ ッ と い う の が ﹁書 く ﹂ の 尊 敬 態 と い う 。
( 青木 ﹃ 信 州 方 言読 本 ﹄ 四 七 ペー ジ) に 行 わ れ て い る 。 鹿 児島県 下
﹁書 き ゃ る ﹂ の 転 で あ ろ う か 。 と す る と 、 近 松 の
少 し ち が う が 、 ﹁書 く ﹂ に 対 し て ﹁オ カ キ ル ﹂、 ﹁見 る ﹂ に 対 し て
三 河 東 部 か ら 長 野 県 の 下 伊 那 ・木 曾 の 南 部 と 、 と ん で 愛 媛 県 中 部 以 西
ー ジ ・武 智 ﹃ 愛 媛 の方 言 ﹄ 二 ペー ジ) に あ る 。 オ イ デ ル の使 用 範 囲 は も っと 広 い 。
( 藤原 ﹃ 方
( ﹃日本 の方 言 区 画 ﹄
芥 川 龍 之 介 が 切 支 丹 物 に 愛 用 し た オ ジ ャ ル は 、 以 上 の 地 方 以 外 に 、 秋 田 県 下 と 伊 豆 の 新 島 ・八 丈 島
言 学 ﹄ 五 二 七 ・五 六三 ペー ジ ) に あ る 。 オ ジ ャ ル の も う 一 つ の前 の 形 の オ デ ア ル は 、 岩 手 県 南 部 領 一六 八 ペー ジ、 小 松代 融一︶ に あ る 。
(﹃ 近 畿 方 言 の総 合 的 研 究 ﹄ 五 二 ・五 二 八 ペー ジ、
ま た ち ょ っと ち が う が 、 書 イ テ ヤ ・書 イ テ カ の よ う な 形 で 、 敬 意 を 表 わ す 言 い方 は 、 京 都 府 の 丹 波 ・口 丹 後 、 若 狭 の 西 部 各 地 と 、 兵 庫 県 一帯 か ら 山 口 県 ま で あ り 、 四 国 の 今 治 付 近
( 此島 ﹃ 青 森 県 の方 言 ﹄ 一二 六 ペー ジ ) に も あ る と い う 。
﹃ 方 言 学 講座 ﹄ 第 三巻 の 一七︲ 八ペ ー ジ、 一三 九 ペー ジ、奥 村 三 雄 ・二 〇九 ペー ジ 、 山名 邦 男 ) に も 及 ぶ 。 た だ し 、 書 イ テ ヤ は 地方 に よ り書 イ テ ジ ャと な り、 こ れ は 青 森 県 三 戸 地 方
ゴ ザ ル は、 藤 原 与 一 ( ﹃ 方 言 学 ﹄ 五六 七︲八 ペー ジ ) に よ れ ば 、 滋 賀 県 か ら 北 陸 の 富 山 ・石 川 ・福 井 の 三 県 、 三 重 ・
( ﹃ 方 言学 講 座 ﹄ 第 二巻 三 五 七 ペー ジ 、 鏡 味 明 克 ) で は
奈 良 二 県 の 南 部 、 東 北 地 方 の う ち 山 形 ・宮 城 ・福 島 県 東 部 、 中 国 の 伯 耆 ・出 雲 地 方 、 九 州 の 佐 賀 ・大 分 方 面 に 活 発 であ る。ま た、愛知 県方 面
( ﹃ 方 言学 講 座 ﹄ 第 四 巻 一七 二 ペー ジ 、 都築 頼 助 ・二三 二 ペー ジ、 秋 山 正 次 ) で は 行 キ ゴ ザ ル
﹁書 イ テ ゴ ザ ル ﹂ の よ う な 形 で 広
く 用 い ら れ 、 福 岡 県 ・熊 本 県
の よ う に 動 詞 に 直 接 付 け て 言 う と い う 。 ゴ ザ ル は 、 マ ス と 融 合 し て ゴ ザ ン ス ・ゴ ザ ス ・ガ ス な ど と な っ て い る 地 方 が 多 い。
﹁わ し に は な ぜ 言 は ん せ ぬ ﹂ ( 近松 ﹁ 曾 根 崎 心 中 ﹂) 、 ﹁川 様 嬉 し う 思 は ん し ょ ﹂ ( 同 ﹁冥 途 の飛 脚 ﹂) な ど に お 馴 染 み の
( ﹃近畿 方 言 の総 合 的
(﹃ 方 言 学 講 座﹄ 第 三巻 一三 九 ペー ジ 、奥 村 三 雄 ) 、 四 国 で愛 媛 県 の 島 嶼 部
﹁ん す ﹂ は 、 ま た 分 布 が 広 い 。 三 重 県 ・滋 賀 県 の 湖 北 と 湖 西 ・若 狭 の 西 部 、 奈 良 ・和 歌 山 な ど 研 究 ﹄ 四 一ペー ジ) 、 丹 波 ・若 狭 ・越 前 の 一部
(﹃ 方 言 学 講 座 ﹄第 三巻 三 八 七 ペー ジ、 山崎
( ﹃ 方 言 学 講 座 ﹄ 第 二 巻 一七 六 ペー ジ 、北 条 忠 雄 ) に 書 ガ ン シ ュ と い
( 武 智 ﹃愛媛 の方 言 ﹄ 一ペー ジ ・﹃ 日 本 の方 言 区 画 ﹄ 四 五 一ペー ジ、 杉 山) と 、 高 知 県 良 幸 ) に ひ ろ が り 、 北 の方 で は 秋 田 県 の 能 代 ・山 本
( ﹃近畿 方 言 の
( ﹃日本 の方 言 区 画﹄ 三 五 九 ペ ー ジ、 愛 宕 八郎 康 隆 )な ど
う 形 が あ る 。 こ れ ら は 一 ・二 段 系 の 動 詞 に つく と 、 見 ヤ ン ス の よ う な 形 に な る 。 和 歌 山 県 の 竜 神 村 総 合 的 研 究 ﹄ 四 〇 〇 ペー ジ 、村 内英 一) や 石 川 県 の 能 登 の 外 浦 東 部
﹁ん す ﹂ も 、 そ の も と は 、 ﹁さ ん す ﹂ ﹁し ゃ ん す ﹂ か ら 転 じ て 出 来 た
に は 、 見 サ ンセ のよ う な 形 も あ る そ う だ 。 古 形 であ る 。 四 段 活 用 に つく
( ﹃ 方言
( 山 崎 久之 ﹃ 国 語 待 遇 表 現 の研
( 武 智 ﹃愛媛 の方 言 ﹄ 一ペー ジ ) や 埼 玉 県 入 間 地 方
(﹃ 方言
(﹃日本 の方 言 区 画 ﹄ 二 一 一ペー ジ、 飯 豊 毅 一︶な ど に あ る 。 青 森 県 三 戸 地 方
究 ﹄) と い う 。 書 カ サ ン セ と い う 言 い 方 は 、 愛 媛 県 の 島 嶼 部 学 講 座﹄ 第 二巻 二 七 八 ペー ジ 、 上 野勇 ) 、 宮城県
( 此 島 ﹃青森 県 の方 言﹄ 一二 六 ペー ジ) に は ﹁オ 書 キ ャ ン セ ﹂ と い う 言 い方 が 老 人 語 に あ る と い う 。 山 口 県 の 萩
学 講 座﹄ 第 三 巻 二 八六 ペー ジ 、前 川秀 雄 ) に は 、 ﹁入 リ ャ サ ン セ ﹂ と い う 語 法 が あ る と い う が 、 連 用 形 に つ く と こ ろ か
( ﹃ 方 言学 講 座 ﹄ 第 三 巻 一七 ペー ジ、楳 垣 実 ) と い う 。 東
﹁な ん す ﹂ は 、 洒 落 本 の ﹁聖 遊 廓 ﹂ な ど に 用 例 が あ る が 、 鳥 取 県 の 東 伯 や 米 子 で 見 ナ ン ス の
ら 見 て 語 源 は ナ サ ン セ の転 と 思 わ れ る 。 ﹁な さ り ま す ﹂ の 転
よ う に 用 いら れ て い る 。 見 ナ サ ン ス と い う 一段 古 い 形 も あ る
( 青木 ﹃ 信 州方 言 読 本 ﹄ 四 四 ペ ー ジ) に 書 キ ナ ン シ と い う 穏 や か な 命 令 の 言 い 方 が あ る 。 下
﹁お ﹂ を 伴 っ て 使 わ れ る 言 い方 が あ る 。
( ﹃ 方 言学 講 座 ﹄ 第 二巻 一七 六
(﹃ 近 畿 方 言 の総 合 的 研 究 ﹄
(藤原 ﹃ 方 言学 ﹄ 五 三 二 ペー ジ) に 、 タ マ ワ リ ヤ レ と い う の が
( 同 四六 ペー ジ) に は 、 オ ク ン ナ ン シ ョと い う
国 で は 長 野 県 の佐 久 地 方 伊 那 ・木 曾 地 方
尊 敬 表 現 に 受 給 表 現 の加 わ っ た も の と し て 、八 丈 島
( NHK ﹃ 全 国 方 言 資 料 ﹄ 第 四 巻 一八 三 ペー ジ ) 、 とん で秋田 県
あ っ て 、 古 風 で あ る 。 こ の 変 化 は 各 地 に 多 く 、 ﹁書 イ テ タ モ レ ﹂ と い う 形 は 南 近 畿 の 辺 境 五 二 ペー ジ) 、 滋 賀 県 ・福 井 県
( NHK ﹃ 全 国 方 言資 料 ﹄ 第 六巻 ) で は タ モ イ と な っ て い る 。
(﹃ 信 州 方 言 読 本 ﹄五 四 ペ ー ジ) と 千 葉 県 の 山 武 ・長 生 郡
( 斎藤
(﹃ 近 畿 方 言 の総 合 的 研 究 ﹄ 二 一〇 ペー ジ ) の タ イ も こ の タ モ イ と 同 源 で あ ろ う 。 こ の タ イ は 、 金 沢
ペー ジ、 北 条 忠 雄 ) に あ り 、 鹿 児 島 県 滋 賀県 犬 上郡
( ﹃分 類方 言 辞 典﹄ 七 一八 ペー ジ) と 長 野 県 の 下 高 井 郡 南 部 正 に よ る) に あ る 。
( 藤原 ﹃ 方 言学 ﹄ 四 三 四 ペー ジ) は 、 タ マ ワ リ マ セ と い う 形 の 転 と 見 ら
( 金沢 ﹃ 阿 波 言葉 の語 法 ﹄ 一〇 七 ペ ー ジ︶、 秋 田 県 の タ ン シ ュ ・タ ン エ (﹃ 方言学講座﹄第二
鹿 児 島 県 方 言 に 特 徴 的 な タ モ ン ス ・タ モ ス れ る。 徳 島 県 美 馬 郡 の タ モ セ
﹁召 さ る ﹂ の 転 と 見 ら れ る 。 盛
( ﹃日本 の方 言 区 画﹄ 一六 八 ペ ー ジ 、 小 松 代 融 一) に あ る 。 秋 田
(﹃ 方 言学 講 座 ﹄ 第 四巻 一七 三 ペー ジ、 都 築 頼 助 ) に は 、 ⋮ ⋮ テ オ シ ツ ケ ラ レ ー と い う 表 現 が あ る 。 ﹁仰 せ
巻 一七 四 ペー ジ、 北 条 忠 雄 )も 同 じ 起 源 の も の で あ ろ う 。 九州 久留米 つ け ら れ よ ﹂ の 転 と い う 。 ﹁御 覧 ず る ﹂ は 、 盛 岡 方 言
﹁起 キ メ シ ャ ル ﹂ が あ り 、 こ れ は
( ﹃日本 の方言 区 画 ﹄ 一六 八 ペー ジ、 小 松 代 融 一) で は ミ サ ル と い う 形 に な っ て い る 。
( ﹃ 方 言学 講 座﹄ 第 二巻 一七 六 ペー ジ、 北条 忠 雄 ) に は 岡方言
沖 縄 に 、 ⋮ ⋮ ミ ソ ー レ と い う 由 緒 あ り げ な 尊 敬 表 現 が あ る 。 金 城 朝 永 は 、 ﹁召 し 居 れ ﹂ の 転 と 解 し た 。
﹁⋮ ⋮ て 遣 わ す ﹂ は 、 書 イ テ ツ カ サ レ ・⋮ ⋮ テ ツ カ イ ・⋮ ⋮ テ ツ カ ハ レ と い う 形 で 、 兵 庫 県 の 赤 穂 付 近 ・淡 路 か
( 藤原 ﹃ 方 言 学 ﹄ 三 〇 七 ペー ジ ) に 、 四 国 で は 徳 島 県
( ﹃ 方 言 学 講 座 ﹄ 第 三 巻 三 一七 ペー ジ、 宮
ら 西 に ひ ろ ま り (﹃ 方 言 学 講 座 ﹄第 三 巻 一九 七 ペー ジ、 山名 邦 男 ・﹃近 畿 方 言 の総 合 的 研 究 ﹄五 三 一ペ ー ジ)、 中 国 で は 岡 山 ・ 広 島 ・鳥 取 県 下 と 石 見 地 方
(﹃ 方言学講座﹄第
( 藤 原 ﹃方 言 学 ﹄三 〇 八 ペ ー ジ) で は ⋮ ⋮ テ ツ カ
( 広 戸 ﹃山 陰方 言 の語 法 ﹄ 六 二 ペー ジ) で は ⋮ ⋮ テ ツ カ
城 文 雄)・愛 媛 県 の 中 央 部 と 高 知 県 ( 藤原 ﹃ 方 言学 ﹄ 三 〇 七 ペー ジ) に 行 わ れ 、 九 州 の 豊 前 ・豊 後 地 方 四 巻 一七 三 ペー ジ 、都 築 頼 助 ) に 及 ぶ 。 鳥 取 県 の 東 伯 ・西 伯 地 方
イ と 変 化 し 、 兵 庫 県 の 西 南 部 か ら 香 川 県 ・愛 媛 県 東 部 と 徳 島 県 西 部
( ﹃ 近 畿 方 言 の総 合 的 研 究﹄ 五 三 一ペー ジ、 楳 垣 実 ) に は 、 ﹁書 イ テ ハイ リ ョー ﹂ と い う 言 い方 が あ る と
と 変 化 し て い る。 淡 路島と徳島
(﹃ 九 州 方 言 の基 礎 的 研
﹁拝 領 ﹂ で 、 こ れ ま た 古 風 で あ る 。 こ の 言 い方 は 、 ハイヨ ー と い う 形 で 九 州 の 筑 後 地 方 と 熊
( 東 条 操 ﹃分類 方 言辞 典 ﹄ 七 二 五 ペー ジ) に も あ る 。
いう 。 ハイ リ ョ ー は 本県
﹁⋮ ⋮ ま す ﹂ の 形 に つ い て は 、 そ の 一 つ前 の 形 ⋮ ⋮ マ ッ ス が 九 州 の 筑 前 ・筑 後 ・肥 前 ・肥 後
究 ﹄) に 広 く 分 布 し て お り 、 そ の 古 形 で あ る マ ラ ス が 甑 島 に あ る 。 ﹁ま す ﹂ の 連 体 形 は 、 ⋮ ⋮ マ ス ル と い う の が 古
( 武智 ﹃ 愛 媛 の方 言﹄ 二 ペー ジ) に さ か ん な ⋮ ⋮ マ ス ラ イ も 、 マ ス ル ア イ の 変 化 と いう 意 味 で 古
形 で あ る が 、 現 在 で も 使 う 人 が あ る 。 私 の 知 って い る 範 囲 で は 佐 佐 木 信 綱 ・久 松 潜 一氏 な ど 。 地 方 的 く せ で あ ろ う か。 愛 媛 県 の 西 部
風 を 存 す る。
糸 井 寛 一に よ る と 、 国 東 半 島 の突 端 の 地方 で教 エテ オ ク レ ソ ー のよ う に 連 用 形 に つい て 依 頼 を 表 わ す ソ ー が あ
る と いう 。 糸 井 ( ﹃ 大 分県方言 の旅﹄第三巻九 七ページ)の 説 く よ う に 、 ソ ー エ の 略 で、 昔 の ﹁候 へ﹂ の 変 化 か も し れ な い。
丁 寧 表 現 で は ま た 、 八 丈 島 に ﹁致 す ﹂ が 残 って いて 、 ⋮ ⋮ オ ジ ャリ イ タ ス のよ う に 使 う 。
沖 縄 の 首 里 (﹃ 方言学講座﹄第 四巻 三四七 ページ、上村幸雄) では 、 丁 寧 体 は ユナ ビ ー ン ︵ 読 みま す ) のよ う に 動 詞
連 用 形 に ⋮ ⋮ ア ビ ー ンと いう モ ル フ ェー ム を 付 け て表 わ す 。 ⋮ ⋮ ア ビ ー ンは 、 ﹁待 る﹂ の後 身 と 考 え ら れ て いる 。
三 方 言 に 残 る 前 代 の 語 彙 (1) 天 体 ・気象 関 係の語 彙
語彙 の面 に つ い て は、 何 よ り東 条 操 編 の ﹃全 国 方 言 辞 典 ﹄ に負 う と こ ろ が 絶 大 で あ った こ と を ま ず お 断 りし な け れ ば な ら な い。
さ て 、 最 初 は 天 体 に 関す る 語 彙 で あ る が、 ま ず ﹁月﹂ を ツキ ヨと いう 地方 があ る 。 東 京 都 下 の伊 豆大 島 元 町 で 、
こ れ は ﹃万 葉 集 ﹄ の ﹁今 宵 の つく 夜 明 ら け く こ そ ﹂ の ﹁つく よ﹂ の伝 統 だ。 静 岡 ・山 梨 で は オ ツキヨ サ ンと いう 子 ども の言 葉 に 残 って いる ら し い。
星 で は 、 大 阪 ・神 奈 川な ど か な り の各 地 で ﹁流 星 ﹂ を ヨ バイ ボ シ と いう 。 これ は ﹃枕 草 子﹄ の ﹁星 は ﹂ に出 て く る名 前 だ 。 ﹁明 星 ﹂ を 大 分 でキ ラボ シ と いう のも 古 そ う だ。
岡 山 市 で ﹁青 空 ﹂ を ア オ グ モ と いう が 、 こ れ は ﹃万 葉 集 ﹄ の ﹁青 雲 の たな び く 日す ら ⋮ ⋮﹂ を 思 い起 こ さ せ る 。
ケ シキ と いう 言 葉 で、 石 川 ・熊 本 で 空 模 様 を 表 わ す と いう 。 こ れ も 古 典 で お な じ み の言 葉 だ。 志 摩 地 方 に は ア メ
ガ シ タ と いう 単 語 が あ り、 古 風 な ひ び き を も って い る が 、 これ は ﹁天 ﹂ と いう 意 味 だ そ う だ。
気 象 に な る が、 ﹁雷 ﹂ を ナ ルカ ミ と いう の は 、 こ れ ま た ﹃万 葉 集 ﹄ に 出 てく る 言 葉 だ 。 広 島 方 言 や 伊 豆 な ど で
いう 。 石 川 県 江 沼 郡 で は た だ カ ミ と いう が 、 こ れ は ﹃ 竹 取 物 語 ﹄ や ﹃源 氏 物 語 ﹄ の ﹁明 石 ﹂ の巻 を 思 い起 こさ せ
る 。 冬 、 雪 の降 る前 に鳴 る 雷 を 、 飛 騨 や 福 井 で ユキ オ コシ と いう が 、 こ れ は 、 ﹁納 豆 す る と ぎ れ や 嶺 の ゆ き お こ し﹂ と いう 丈 草 の俳 句 に 見 え る。
不時 の通 り 雨 を 、 ワ タ ク シ ア メ と いう こ と は 新 村 出 の随 筆 に 見 え 、 西 鶴 のも の に 見 ら れ る懐 し い言 葉 で あ る が、
箱 根 と 栃 木 にあ る 。 そ れ を ソ バ エと いう の が ﹃万 葉 集 ﹄ に あ る が 、 今 、 西 日 本 に かな り 広 く 分 布 し て いる 。
新 潟 県 で は ﹃万 葉 集 ﹄ に 出 てく る ハダ レを 、 ほ ろ ほ ろ 降 る 雪 の意 に使 って いる 。 古 典 で これ を ﹁ま だ ら ﹂ と 訳
す こ と のま ち が いを 教 え る 。 京 都 で 、 大 風 雨 を シダ ラ テ ンと いう が 、 これ は 、 浄 瑠璃 の ﹃忠 臣 蔵 ﹄ に ﹁用 意 に持 つや袂 ま で鉄 砲 雨 のし だ ら てん ﹂ と あ る 、 あ れ だ 。
﹁風﹂ で は 、 富 山 の アイ ノ カ ゼ と いう の が ﹃万 葉 集 ﹄ に ﹁越 の俗 語 に東 風を 安 由 乃 可 是 と 謂 へり ﹂ と 言 う そ のま
ま で 、 よ く 一六 〇 〇 年 を も ち こ た え た も のと 感 心 す る 。 秋 田 と 富 山 で 西 南 風を ヒ カ タ と いう のも 、 ﹃万 葉 集 ﹄ に
例 が あ る 。 静 岡 や 千 葉 で ﹁東 北 風﹂ を ナ ライ と いう のは 、 西 鶴 の ﹃五 人 女 ﹄ に出 てく る 。 熊 本 で ﹁旋 風 ﹂ を シ マ
キ と いう のも 古 い語 であ る 。 兵 庫 県 赤 穂 郡 で、 朝 吹 く 東 のそ よ 風 を ア ラ シ と 言 う のも 古 風 であ る 。 八 丈 島 樫 立 で は 凧 あ げ によ い程 度 の 風 の こと だ そ う だ 。
﹁地震 ﹂ を ナ イ と いう の は 古 語 ﹁な ゐ ﹂ を 伝 え る も の で、 仙 台 ・常 陸 ・高 知 ・南 島 な ど 各 地 に あ る。 ﹁つら ら ﹂
を 宮 城 ・岩 手 方 面 で タ ルヒ と いう のは 、 ﹃源 氏 物 語 ﹄ ﹁ 末 摘 花 の巻 ﹂ の ﹁朝 日 さ す 軒 のた る ひ は 溶 け な が ら ﹂ の タ ル ヒ の名 残 り だ。 関 東 西 部 では 、 広 く タ ッペ と いう 形 で 残 って いる 。
海 に 入 って、 愛 知 県 で 潮 の満 ち は じ め を シ オ サ イ と いう の は 、 ﹃万 葉 集 ﹄ の ﹁潮 騒 に いら ご の島 辺 漕 ぐ 船 の﹂
の ﹁潮 騒 ﹂ で 、 三 島 由 紀 夫 の小 説 の題 名 に 用 いら れ た 。 島 に は ﹁小 波 ﹂ を サ サ ラ ナ ミ と いう 言 い方 が あ る と いう 。 岩 手 県 釜 石 市 に は 、 海 上 の暴 風 雨を 言 う シ マキ が残 って い る。
(2時)間 ・地 理関 係 の語彙
時 間 関 係 の語彙 を 拾 う と 、 八 丈 島 で 早 朝 を ト ン メ テ と いう の が断 然 古 風 だ 。 ﹃枕 草 子 ﹄ 巻 頭 にあ る ﹁冬 は つと
め て ﹂ の、 あ の ﹁つと め て ﹂ だ 。 南 島 八重 山 で は シ ト ゥ ム チ と な って いる 。 ﹁夜 明 け ﹂ を ヒ キ ア ケ と いう 兵 庫 県 の 言 い方 も 古 そ う だ 。
京 都・ 仙 台 な ど で夜 を ヨサ リ と 言 う のは 、 ﹃竹 取 物 語﹄ にあ る 言 い方 で あ る 。 長 野 ・三 重 で ヨサ と いう のは そ
の 略 で 、 清 元な ど に出 て く る 。 山 形 ・石 川 な ど では ﹁今 夜 ﹂ の意 味 だ 。 昨 夜 を 仙 台 で は ヤ ゼ ンと いう が 、 こ の 言 い方 は 狂 言 の ﹁瓜 盗 人 ﹂ に 出 てく る 。
﹁夜 一夜 ﹂ の方 は 、 江 戸 では 後 に 音 変 化 を 起 こし て 、 ﹁よ っぴ て﹂ と な った 。
東 北 方 言 で ﹁一日じ ゅう ﹂ を ヒ ヒ ト ヒ と いう のは 、 ﹃土 左 日 記 ﹄ に ﹁日 一日、 夜 一夜 ﹂ と 使 わ れ て いる あ れ だ 。
﹃全 国 方 言 辞 典 ﹄ に よ ると 、 一昨 夜 を キ ノ ー ノ バ ンと 言 う 地 方 が 非 常 に多 い。 な ぜ か と 疑 問 に 思 う 人 があ る か も
し れ な いが 、 これ は 古 い時 代 に は 一日 の切 り方 が 今 と ち が って いて 、 日 が沈 ん だ 時 に 一日 が は じ ま った こ と に よ
る 。 し た が って、 こ れ は ま ち が った 言 い方 で は な く 、 古 い日 本 の 言 い方 であ る 。 吉 町 義 雄 が注 意 し た が、 ﹃大 鏡 ﹄
に 見 え る菅 原 道 真 の詩 で は 、 ﹁去 年 の昨 夜 ﹂ と あ る べき と こ ろ 、 ﹁去 年 の今 夜 ⋮ ⋮ ﹂ と 詠 ん で い る。 ﹃平 家 物 語 ﹄ に は 、 ﹁昨 夜 ﹂ と あ る べ き と こ ろ に 、 ﹁こ よ ひ﹂ を 用 いた 例 が あ る 。
暦 関 係 の語 に入 る が 、 京 都 あ た り の人 が ﹁ 晦 日﹂ を ツモ ゴ リ と いう の は 、 関 東 人 に は 古 風 に 聞 こ え る。 ﹁つご
も り ﹂ の音 変 化 だ 。 京 都 か ら 愛 知 県 な ど に か け て は 、 オ ー ツ モゴ リ (大 み そ か ) と いう 語 も 生 き て いる 。 大 阪 で
は ﹁大 晦 日 ﹂ を キ ワと いう が、 これ は ﹁際 の 日和 に 雪 の気 遣 い﹂ と いう 惟 然 の句 に 用 例 が あ る 。 愛 知 や 熊 野 地方 に は セ ッキ と いう 語 が 残 って いる 。
和 歌 山 で ﹁去 年 の冬 ﹂ を フ ユド シと いう のは 、 西 鶴 の ﹃一代 女 ﹄ に ﹁こち の お亀 が 冬 年 二 三 日わ づ ら う て死 ん
だ が ﹂ と いう 例 のあ れ であ る。
地 理 的 語彙 に入 る と 海 を ワタ と 言 った のは 、 南 島 八 重 山 で バタ と し て 残 り 、 静 岡 や 岡 山 では ワ ダ と し て 残 って
いる 。 ウ ラ は 長 崎 県 で 入 江 や港 を 言 う 語 と し て残 ってお り、 ツは 、 山 口 ・島 根 で 交 通 の便 がよ いと いう 意 味 を コ
コ ワ ツ ガ ヨイ と いう 言 葉 で表 わ し て い る。 ﹃万 葉 集 ﹄ の東 歌 の ﹁す か 辺 に 立 て る 貌 が 花 ﹂ の ス カ は 、 各 地 で 砂 丘 そ の他 の意 味 で残 って いる 。 ﹁横 須 賀 ﹂ な ど の スカ も こ れ であ る 。
柳 田 国 男 の ﹃地 名 の研 究 ﹄ を 見 る と 、 今 の諸 方 言 に見 え る 種 々 の 地 形 を 表 わす 語 彙 は古 い 日本 語 を 伝 え る も の
と 言 う 。 湿 地 を 表 わ す ムタ や ク テは 九 州 方 面 の ﹁大 牟 田 ﹂、 愛 知 県 地 方 の ﹁長 久 手 ﹂ そ の他 の地 名 に 残 って いる 。
二 つ の 丘隆 に は さ ま れ た 低 地 は 、 中 世 の日 本 人 に 好 ま れ た 地 形 だ そう であ る が 、 関 東 と そ の周 辺 で ヤト と い い、 西 日本 で タ ニと いう 。 九 州 で は サ コと いう の が そ れ を 表 わす 古 語 だ と いう 。
﹁奈 良 ﹂ の語 源 にな った ナ ラ と いう 語 は 、 平 地 と いう 意 味 で 、 西 日本 各 地 で 用 い て お り 、 傾 斜 地 を 意 味 す る ヒ ラ
も 、 生 き て 用 いる 地 域 が多 い。 ﹃神 代 紀 ﹄ に ﹁天 の いは く ら を お し は な ち ﹂ と あ る イ ワク ラ は 、 奈 良 ・和 歌 山 方 面 で岩 の ガ ケ の意 味 に使 って いる 。
﹃万 葉 集 ﹄ 東 歌 の ﹁足 柄 のま ま の小 菅 ﹂ に 出 る ﹁ま ま ﹂ は 、 今 関 東 と そ の周 辺 に ガ ケ と いう 意 味 で残 って いる 。
﹁ま ま の手 古 奈 ﹂ の ﹁ま ま ﹂ も こ れ だ った 。 ﹃古 事 記 ﹄ に出 て く る ﹁山 のた わ よ り ﹂ と あ る タ ワ は 、 今 四国 や 熊 本
で ト ー と いう 山 頂 を 意 味 す る 言 葉 と し て 残 って いる 。 ﹃日 葡 辞 書 ﹄ に タ ワと あ る 。 山 の尾 根 や 連 峰 を オ と いう 地 方 は 、 奈 良 県 吉 野 郡 ・飛 騨 地方 な ど 山岳 地 方 に 多 い。
古 典 の ﹁た き ﹂ は 川 の流 れ の急 な と こ ろ ぐ ら い の意 だ と 言 う が、 岐 阜 県 揖 斐 郡 で は今 も そ う いう 意 味 に 使 って
いる 。 用水 路 や 井 堰 を イ デ と いう 地 方 は 多 い。 ﹃狂 言 記 ﹄ の ﹁水 掛 聟 ﹂ の ﹁こ れ は いか なこ と 。 井 手 が 切 り 落 し
て あ る ﹂ の ﹁井 手 ﹂ で あ る 。 小 流 を 各 地 で セ セ ナ ギ と いう のは 、 ﹃類 聚 名義 抄 ﹄ に 見 え る 語 で、 ﹃太 平 記﹄ には セ セ ラ ギ と し て 出 てく る 。
対馬 で広 場 を ヒ ロミ と いう が、 こ の言 葉 は ﹃平 家 物 語 ﹄ に 出 て く る。 ヤ ブ を オ ド ロと いう の は ﹃ 増 鏡 ﹄ の ﹁お ど ろ が 下 ﹂ で 知 ら れ て いる が、 近 畿 ・四 国 方 面 で生 き て 使 わ れ て い る。
赤 土 を ハニと いう 習 慣 は 千 葉 県 印 旛 郡 に 残 って お り 、 砂 を マサ ゴ と いう の は 長 崎 県 壱 岐 島 に、 小 石 や 砂 を マナ ゴ と いう の は 千 葉 ・静 岡 そ の他 各 地 に残 って い る。
新 開 地 を 青 森 ・秋 田 と 種 子 島 で ア ラキ と いう の は 、 ﹃万 葉 集 ﹄ に 見 え る語 彙 、 ﹁荒 木 田﹂ と いう 苗 字 も こ れを 語
源 と し て いる。 徳 島 で ハリ と いう のも 動 詞 ハル から 出 た 古 い語彙 であ ろ う 。 茨 城 な ど で、 種 な ど を つけ る 小池 を
タ ナ イ と いう が 、 ﹃拾 遺 集 ﹄ に ﹁わ が た め は 種 井 の水 は ぬ る け れ ど ﹂ と 出 て いる ﹁種 井 ﹂ と 見 ら れ る 。
新 潟 な ど で 、 ﹁も っと 西 へ寄 せ れ ば い い が 、 ライ チ がな い﹂ な ど の よ う に 余 地 を ラ イ チ と 言 う が 、 ち ょう ど 同
じ よう な も の が 、 ﹃狂 言 記 ﹄ の ﹁富 士 松 ﹂ に ﹁松 を 植 ゑ る ほ ど の ら いち があ る ﹂ と 出 て く る 。 ﹁庭 ﹂ を セ ン ザイ と
いう 地 方 は 奈 良 ・福 井 な ど 、 さ ら に 他 の地 方 で は 菜 園 の 意 味 に な って いる 。 ﹃源 氏 物 語 ﹄ な ど で お な じ み の ﹁前
栽 ﹂ であ る 。 新 潟 ・高 知 な ど で 内 庭 を ツ ボ と いう 。 こ れ も ﹃古 今 集 ﹄ の ﹁か む な り の つ ぼ﹂ な ど と あ る 、 あ の ﹁つぼ﹂ であ る。
石 段 を 神 戸 や 熊 本 な ど でキ ザ ハシと いう のも 古 め か し い感 じ を も つ。 垣 根 を 静 岡 ・新 潟 ほか 東 日 本 の各 地 で ク
ネ と いう が 、 狂 言 の ﹁瓜 盗 人 ﹂ に 、 ﹁ 腹 も 立 つ、 く ね を も 引 き 抜 いて や ら う ﹂ と あ る。 奈 良 県 で墓 の周 囲 の 垣 根
を 特 に イ ガ キ と いう が 、 これ は ﹃万 葉 集 ﹄ の ﹁千 早 ふ る 神 の いが き も 越 え つべ し ﹂ の ﹁いが き ﹂ で あ ろ う 。
奈 良 で火 葬 場 を ヒ ヤ と いう が 、 こ の語 は ﹃和 泉 式 部 集 ﹄ に 出 てく る 。 墓 を 愛 知 ・和 歌 山 な ど で ム シ ョと いう の
は 、 謡 曲 の ﹁隅 田 川 ﹂ に ﹁か の 人 の墓 所 を 見 せ 申 す べ し﹂ と あ る 、 あ れ で あ る 。 群 馬 そ の 他 で、 墓 地 を ﹁卵 塔 場 ﹂ と いう のは 一九 の ﹃膝 栗 毛 ﹄ に出 て く る 。
( 3) 植物 関係
ニワ ト コ の こと を 奈 良 県 や 岡 山 県 な ど で タズ ノ キ と いう 。 これ が ﹃古 事 記 ﹄ の歌 謡 ﹁山 た づ の迎 へか 行 か む 待 ち に か 待 た む ﹂ の ﹁山 た づ の﹂ に解 釈 を 与 え た 。
﹃古 事 記 ﹄ の歌 謡 の ﹁垣 本 に 植 ゑ し は じ か み 口 ひび く ﹂ と あ る ﹁は じ か み﹂ は 今 の ﹁山 椒 ﹂ だ ろ う と いう 。 と す
る と 、 こ れ は 大 分 で 言 う そう だ 。 ま た 、 大 分 県 で ミ カ ン の 一種 を カ ブ ス と い って いる の は 、 ﹃和 名 抄 ﹄ に 見 え る
﹁加 布 知 ﹂ ( 枸 橡 ) であ ろ う 。 沖 縄 では カ ー ブ チ ( 橘正 一 ﹃ 全国植物方言集﹄による)と いう 。 柚 子 を 今 、 関 西 地 方 で
一般 に ユー と いう が 、 これ も 古 色 であ る 。 杏 を 長 野 県 更 埴 地 方 で カ ラ モ モ と いう が、 これ は ﹃古 今 集 ﹄ の物 名 歌 に ﹁か ら も も の花 ﹂ と 出 て いる 。
ネ ム ノ キ を 佐 渡 や 長 崎 県 北 松 浦 郡 で ゴ ー カ ノ キ と いう の は 、 ﹃古 今 六 帖 ﹄ に 見 え る ﹁昼 は 咲 き 夜 は 恋 ひ ぬ る が
ふ く わ の 木 ﹂ を 思 い起 こさ せ る 。 楢 の 木 を ﹁は は そ ﹂ と いう の は ﹃古 今 集 ﹄ に ﹁佐 保 山 の は は そ の紅 葉 ﹂ と 見 え
る が、 今 、 和 歌 山 県 や 島 根 県 石 見 地方 な ど で ホ ー ソと し て 、 富 山 県 入 善 地方 や 愛 媛 県 大 三 島 な ど では ホ ー サ と し て 残 って いる 。
葡 萄 、 ま た は 山 葡 萄 を エビ と 呼 ぶ 言 い方 が 山 梨 県 や 岐 阜 県 に あ る が 、 こ れ は ﹃和 名 抄 ﹄ に 見 え る ﹁え び か づ
ら ﹂ の伝 統 を 引 く 。 色 に いう ﹁え び ち ゃ色 ﹂ のも と だ 。 あ ま り有 名 では な いが 、 山中 に自 生す る 食 用 果実 、 シ ラ
ク チ を 東 北 で広 く コク ワと いう の は、 ﹃ 宇 治 拾 遺 物 語 ﹄ に 例 が あ る 。 果 実 を 一般 に モ モと いう 習 慣 が 全 国 に 亙 っ
て か な り広 く 見 ら れ る が、 こ れ は ヤ マ モ モ のよ う な 名 前 の果 物 が あ る と こ ろ か ら 見 て 、 日本 語 の古 い 一般 的 な 傾
向 だ った ろ う と は 柳 田 国 男 の説 だ った 。 ち ょう ど ヨ ー ロ ッパ語 で 、 ア ップ ルが 果 実 一般 を さ す 、 あ の役 を にな っ て いた わ け だ 。
﹁松 ﹂ に つ い て は 、 焚 火 の燃 料 にす る 場 合 に特 に ﹁ご﹂ と 呼 ば れ た こと は、 す で に ﹃宇 津 保 物 語 ﹄ に 見 え 、 芭 蕉
に も ﹁ごを た いて 手 拭 あ ぶ る 寒 さ かな ﹂ と いう 句 が あ る 。 愛 知 県 を 中 心 と し てそ の 周 辺 に行 わ れ て いる 。
草 に 入 って 、 ﹃万 葉 集 ﹄ の ﹁寺 井 の上 の か た か ご の 花 ﹂ のカ タ カ ゴ が 橘 正 一の ﹃全 国 植 物 方 言 集 ﹄ に よ る と 、
新 潟 県 や岩 手 県 に残 って い る。 同 じ ﹃万 葉 集 ﹄ の ﹁君 が た め 山 田 の 沢 に ゑ ぐ 摘 む と ﹂ の エグ は ク ログ ワイ と いう
植 物 の こ と だ そ う であ る が、 ヘゴ と な って 千 葉 県 に 残 って いる と か。 秋 田 県 で は エゴ と いう も っと 古 い形 で残 っ
て いる が、 こ れ は ク ワイ の 異名 だ そ う だ 。 東 京 中 野 区 の ﹁江 古 田 ﹂ と いう 地 名 な ど は 、 ク ログ ワイ の 生え て いた 田 であ ろう か 。
群 馬 県 勢 多 郡 で マ コ モを カ ツ モと いう が、 こ れ は 、 ﹃ 古 今 集 ﹄ で ﹁か つ見 る ﹂ の序 詞 に 使 わ れ て いる ﹁花 が つ
み ﹂ を 連 想 さ せ る。 テ イ カ カ ズ ラを 壱 岐 で マサ キ カ ズ ラ と い い、 伊 豆 三 宅 島 で マサキ ズ ル と いう のは 、 ﹃古 今 集 ﹄
に ﹁ま さ き の か づ ら 色 付 き に け り ﹂ な ど と あ る のに 相 当 す る と いう が ど う で あ ろう か。 今 、 ﹁ま さ き の か づ ら ﹂ と いう 植 物 は 別 に ち ゃん と あ る 。
タ ンポ ポ を 大 分 で フ ジナ と いう の は、 ﹃和 名 抄 ﹄ に ﹁不 知 奈 ﹂ と 見 え る 言 い方 で 、 ど う も 大 分 と いう と こ ろ は
古 い植 物 名 報 告 の多 いと こ ろ であ る 。 今 、 グ ジ ナ と いう 地 方 は多 い。 ヨ ナ メ を 九 州 北 部 で ハギ ナ と いう のは ﹃万 葉 集 ﹄ に ﹁野 の 辺 のう は ぎ 過 ぎ に け ら ず や ﹂ と あ る ﹁う は ぎ ﹂ の転 であ ろう 。
﹃万 葉 集 ﹄ の ﹁ひ し ほ酢 に ひる つき か て て﹂ と あ る ﹁ひ る ﹂ はネ ギ ・ニラ ・ニ ン ニク な ど の 総 称 と いう が 、 宮 城
方 面 で ネ ギ の意 味 に、 愛 知 や 鹿 児島 で ニン ニク の意 味 で 使 って いる 。 今 の ﹁ね ぎ ﹂ は 古 く は た だ キ と も 言 った 。
佐 渡 で ね ぎ の苗 を キ ナ エと いう の は 、 これ の名 残 り と 見 ら れ る。 ネ ギ を ネ ブ カ と いう 言 い方 が 全 国 的 に あ る が 、
蕪 村 の句 に ﹁易 水 にね ぶ か 流 る る 寒 さ か な ﹂ と いう 、 ﹁ね ぶ か ﹂ であ る 。 ネ ギ を 中 国 ・九 州 方 面 で ヒ ト モ ジと い
う の は 女 房 詞 に由 来 す る由 緒 あ る名 で あ る 。 千 葉 県 山 武 郡 地 方 で は ニラを フ タ モ ジ と 呼 ぶ。
西 日 本 で広 く カ ボ チ ャを ボ ブ ラ と いう の は、 南 蛮 語 に 由 来 す る も の で、 や は り古 いと いえ ば 古 い。 瓜 が 熟 し て
落 ち る のを 熊 本 県 菊 池 郡 で ホ ゾ チ と いう が、 こ の語 は ﹃古 事 記﹄ に 見 え る か ら 由 来 が こと に 古 い。 ガ ガ イ モ と い
う 野草 の実 を 長 野 県 東 筑 摩 地 方 で コガ ミと いう の は、 これ も ﹃ 古 事 記 ﹄ に 出 る ﹁か が み﹂ の転 に相 違 な い。
中 国 地 方 で広 く イ タ ド リ を タ ジ ナ ・タ ジ ッホ な ど と いう の は 、 ﹃ 反 正 即 位 前 紀 ﹄ に 見 え る古 い ﹁多 治 比 ﹂ の転
で、 古 形 だ ろ う と は 東 条 操 の説 だ った 。 広 島 ・山 口 の 一部 で サ イ タ ナ と いう の は、 ﹃後 拾 遺 集 ﹄ の ﹁ま だ う ら 若
き さ いた づ ま かな ﹂ の ﹁さ いた づま ﹂ の名 残 り であ ろう 。 ギ シギ シ を 秋 田 で シノ ハと 言 い、 岡 山 や 大 分 で シー シ
ー と いう のも 、 ﹃和 名 抄 ﹄ な ど に あ る シ と いう 古 名 か ら 出 て いる 。 北 海 道 の 山 に ﹁後 方 羊 蹄 山﹂ と 書 い て シ リベ シと 読 む の があ る 。 あ の 語末 の シ であ る 。
ト ウ ガを カ モ ウ リ と いう のも ﹃本 草 和 名 ﹄ に 見 え 、 古 称 で あ る 。 ヘチ マを 鹿 児島 でイ ト ウ リ と いう の は、 ﹁糸 瓜 ﹂
ホ ウ セ ンカ を 各 地 で ツ マク レナ イ と いう の は 、 昔 こ の 花 で爪 を 紅 く 染 め た 名 残 り で古 名 と いう 。 近 畿 そ の他 で
と いう 漢 字 のあ て方 か ら 見 て 古 そ う だ 。 ﹁や ど り ぎ ﹂ を 三 河 地 方 や 福 島 県 中 部 で ホ ヤ と いう のは ﹃和 名 抄 ﹄ に 出
て い る ホ ヨ の後 身 で、 こ れ ま た 古 い。 ﹃平 家 物 語 ﹄ の ﹁那 須 与 一﹂ の 条 の ﹁ま る ぼ や 摺 った る 鞍 置 い て﹂ の ﹁ま る ぼ や ﹂ の ﹁ほや ﹂ は これ だ と いう 。
麻 を 栃 木 県 ・広 島 県 の 一部 な ど で オ と い い、 滋 賀 県 仰 木 で 特 にそ の皮 を ソ と いう のも 古 い歴 史 を し のば せ る 。
サ ト イ モを 短 く イ モと いう 習 慣 は 、 群 馬 県 勢 多 郡 そ の他 に あ る が、 こ れ も ジ ャガ イ モ ・サ ツ マイ モ渡 来 以前 の
日 本 語 の 姿 で あ った。 ム カ ゴを 長 野 県 や 会 津 で イ モ ノ コと いう の は 、 ﹃平 家 物 語 ﹄ の ﹁祇 園 女 御 ﹂ の章 に 見 え る 平 忠 盛 の歌 ﹁いも が 子 は 這 ふ ほ ど に こ そな り に け れ ﹂ を 思 い起 こさ せ る 。
富 山 県 で 稲 の ひ こ ば え を シト デ と いう 。 古 語 の ﹁ひ つぢ ﹂ の転 と 見 ら れ る 。 和 歌 山 県日高 郡 と 塵 児 島 と で、 竹
の節 と 節 と の間 を ヨま た は ヨー と いう 。 ﹃ 古 今 集 ﹄ に ﹁な よ 竹 のよ な き がう へに ﹂ と 言 う あ の ﹁よ ﹂ で あ る。 奄 美 の喜 界 島 で は ユと 変 化 し て いる 。
﹃土 左 日 記 ﹄ に ﹁いも じ ・あ ら め も ﹂ 云 々と 出 て く る あ れ だ 。 高 知 県 で は 特 に 乾 し た も のを 言 う と いう 。 タ ケ ノ
沖 縄 の宮 古 島 で大 根 を ウ プ ニと 言 う の は ﹁お ほね ﹂ の転 であ る 。 ズ イ キ を 、 伊 豆 御 蔵 島 で イ モ ジ と いう の は 、
コを 八 丈 島 で タ コー ナ と いう の は ﹃源 氏 物 語 ﹄ の ﹁横 笛 ﹂ の巻 に ﹁た かう な ﹂ と し て 例 が 見 え る 。
ワラ ビ を 和 歌 山 県 日 高 郡 で ホ ド ロと いう のは 、 ﹃方 丈 記 ﹄ に ﹁わ ら び の ほ ど うを 敷 き ﹂ と いう 部 分 で お な じ み
で あ る 。 当 時 は わ ら び の成 長 し て食 用 にな ら な く な った も の の こと だ った 。 ウ ラ ジ ロを 京 都 ・和 歌 山 でホ ナ ガ と
いう のは 、 近 松 の ﹃ 氷 朔 日 ﹄ に ﹁穂 長 のす す を う ち 払 い﹂ と 出 て く る 形 であ る 。 ツク シ は 、 ﹃源 氏 物 語 ﹄ に ﹁つ
く づ く し ﹂ と いう 形 が 出 て く る が 、 今 、 京 都 や 神 戸 に こ の言 い方 が 残 って い る。 ツク ツ ク ボ ー シと いう 地 方 は さ ら に 広 い。 ﹁茸 ﹂ は 、 近 畿 地 方 に か な り広 く ク サ ビ ラ と いう が 、 ﹃ 宇 津 保 物 語 ﹄ に 例 があ る 。
神 戸 や 三 重 県 の志 摩 地 方 で ア ラ メ を 、 福 井 県 大 飯 郡 な ど で ワカ メを 、 大 阪 府 泉 北 郡 な ど で ヒ ジキ を 、 メ ー と か メ と か いう のも 古 称 で あ る 。
ま た 、 ど の植 物 と いう こと で は な く て、 梢 を ウ レま た は ウ ラ と いう 言 い方 が、 これ は全 国 的 に 分布 し て いる 。 高 知 で細 長 く 小 さ い木 を ズ バ エと 言 って いる の は 、 古 語 の ﹁ず は え ﹂ であ る。
(4動)物 関係
﹃万 葉 集 ﹄ 巻 十 六 に ﹁何 と か か ん と か こ と ひ の鞍 の 上 の瘡 ﹂ と いう ナ ンセ ン スな 歌 が あ って 、 こ の ﹁こと ひ﹂ は
牡 牛 の こ と だ と 言 わ れ る が 、 こ れ は 今 畿 内 ・中 国 ・四 国 に コ ット イ と し て 、 ま た 岐阜 ・新 潟 な ど に コ ッテ ウ シ と
し て 残 って いる 。 ﹁鹿 ﹂ は、 埼 玉 県 秩 父 地 方 ・丹 後 ・但 馬 地 方 な ど で広 く シ シ と い い、 仙 台 ・奈 良 ・香 川 県 小 豆
島 な ど で カ ノ シ シと いう が 、 いず れ も 古 い呼 び 方 で あ る 。 鹿 児 島 や 南 島 では 、 牛 肉 な ど の肉 が シ シ と 呼 ば れ る 。
牡 馬 を コ マと 呼 ぶ習 慣 は 、 青 森 県 か ら鹿 児 島 県 ま で 全 国 的 に 分 布 し 、 ﹃日 葡 辞 書 ﹄ に 見 え る 子 馬 を ト ー ザ イ と
呼 ぶ 習 慣 も 、 千 葉 県 山 武 郡 や愛 知 県 南 設楽 郡 な ど に あ る 。 馬 の毛 色 で は 、 カ ワ ラ ゲ と いう 呼 び 方 が、 大 分 県 や 鹿 児 島 県 の 肝属 郡 にあ る 。
京 都 や 長 野 で犬 の 子 を エノ コ ロと 呼 ん で いる の は 、 狂 言 の ﹁二 人 袴 ﹂ に ﹁ゑ の ころ を も 飼 う て 下 さ れ い﹂ と あ
る の の名 残 り で あ る 。 千 葉 県 や 岐 阜 県 揖 斐 郡 な ど で ﹁猫 ﹂ を コ マと 呼 ぶ の は 、 古 語 ﹁ね こま ﹂ の上 略 で あ ろ う 。 奥 羽 に は ﹁猿 ﹂ を マシと 呼 ぶ 言 い方 が 広 い。 ﹁ま し ら ﹂ の下 略 と 見 ら れ る 。
﹁狐 ﹂ を 高 知 と 伊 豆 八 丈 島 で ヨ ル ノ ヒ ト と いう のは 、 近 松 の浄 瑠 璃 ﹃天 鼓 ﹄ に 出 てく る ヨ ル ノ ト ノ と 関 係 が あ ろ
う 。 ﹁鼠 ﹂ を ヨメ ガ キ ミ と い った こ と に つ い て は 芭 蕉 の ﹁餅 花 や か ざ し に さ せ る 嫁 が 君 ﹂ の句 で 知 ら れ る が 、 現 在 群 馬 県 碓 氷 郡 や愛 知 県 北 設楽 郡 な ど に 残 って いる 。
アナ グ マを 愛 知 県 北 設 楽 郡 や 広 島 県 芦 品 郡 で マミ と いう のも 、 古 名 のは ず で あ る 。
鳥 で は セ キ レイ が ﹃神 代 紀 ﹄ の ひ め は じ め の条 に 、 ﹁に はく な ぶ り ﹂ と いう 語 で お 目 見 え す る が 、 こ れ が そ の
ま ま 佐 渡 島 で使 わ れ て いる と は 古 風 であ る 。 大 分 県 速 見 郡 で は オ シ エド リ と いう そ う で あ る 、 ﹁と つぎ 教 え 鳥 ﹂
の略 であ ろ う か 。 オ シ ド リ に対 し て、 種 子島 に オ シ ノ ト リと いう 言 い方 が あ り 、 古 色 を た た え る。 カ イ ツブ リ を
千 葉 県 で ミ オ と い い、 岐 阜 県 大 垣 や 長 野 県 東 筑 摩 郡 で ミ ヨと いう のも 、 古 語 ﹁に ほ ﹂ の転 化 で あ る。
狂 言 ﹁富 士 松 ﹂ で、 キ ツ ツキ を ケ ラ ツ ツキ と 言 って いる が、 こ の言 い方 は 今 静 岡 県 と 島 根 県 にあ る。 カ ワ セ ミ
は 昔 ソ ニド リ と 呼 ば れ 、 ﹃古 事 記 ﹄ の 歌 謡 に ﹁そ に 鳥 の 青 き み け し ﹂ と あ る が 、 今 、 ソ ナ と いう 呼 び方 に か わ っ
て、 宮 城 ・福 島 に 残 って いる 。 ﹃源 平 盛 衰 記 ﹄ な ど に 緑 の 黒髪 を 形 容 し て、 ﹁翡 翠 のか ん ざ し﹂ と 言 って いる が、 ヒ スイ と いう 言 葉 は カ ワセ ミ の意 味 で今 鹿 児島 県 の薩 摩 地 方 に残 って いる 。
柳 田 国 男 は ﹁雀 ﹂ は 古 語 で ク ラ と 言 った と 見 て お り 、 ﹁つば く ら﹂ の ﹁く ら ﹂、 ﹁四 十 か ら ﹂ ﹁山 が ら ﹂ な ど の
﹁か ら ﹂ も 関係 あ り と し て いる が 、 そ の ク ラ と いう 名 前 は 南 島 に 行 わ れ て い る。 ま た 雀 を イ タ ク ラ と いう 言 い方 が 近 畿 地方 の南 部 に 分 布 し て いる 。
鶏 の卵 は 古 く ﹁か ひ ご﹂ と 呼 ば れ た が 、 高 知 県 長 岡 郡 と 沖 縄 の与 論 島 で、 今 でも 卵 を カ イ ゴ と いう 。
蛇は ﹃ 枕 草 子 ﹄ な ど に ﹁く ち は な ﹂ と 見 え る が 、 こ の名 称 は 今 関 西 方 面 に広 ま って いる 。 ナ ガ ム シは 静 岡 ・岩
手 な ど で言 う が 、 こ れ も 忌 み 言 葉 と し て 古 そ う だ 。 アオ ダ イ シ ョウ は津 軽 で ア オ ナ ブ サ と いう 。 こ のナ ブ サ は 古
い蛇 の名 称 だ った と 柳 田 が想 定 し た こ と は 先 に ふ れ た 。 蛇 のぬ け 殻 を 和 歌 山県 や 岡 山 県 児 島 郡 でキ ヌと 言 う のは 、 ﹁衣 ﹂ の古 称 が 残 った も のだ 。
蛙 に つ い ては 、 ヒ キ ガ エ ルを 熊 本 県 菊 池 郡 や 福 岡 県 三 井 郡 で タ ンガ ク と 言 う の が 、 ﹃万 葉 集 ﹄ の ﹁谷 ぐ く のさ
渡 る き は み ﹂ の ﹁谷 ぐ く ﹂ を 伝 え る も のと し て有 名 だ 。 戦 争 中 、 私 は 東 京 都 下 の青 梅 地方 に疎 開 し て いた と き に、
一般 の 蛙 は カ エル で 、 カ ワ ズ と いう 場 合 には 特 に カ ジカ を さ す こ とを 知 った が 、 これ も ﹃万 葉 集 ﹄ の使 い方 を 今
に 踏 襲 し て い る例 だ 。 神 奈 川 県 津 久 井 郡 や 奈 良 な ど でも 、 カ ワズ は カ ジカ だ と いう 。
魚 に 移 る と 、 ﹃万 葉 集 ﹄ 巻 十 七 に 、 ﹁つな し と る 氷 見 の江 過 ぎ て﹂ と あ る 、 ﹁つな し ﹂ は コノ シ ロの幼 魚 だ と い
う が、 中 国 ・九 州 や 大 阪 に こ の言 い方 が 残 って いる 。 東 北 地 方 で は ニシ ンを カ ド と 言 う が 、 こ れ は ニシ ン の卵 を
カ ズ ノ コと いう 、 そ の カ ズ に な ま る前 の姿 だ ろ う と いう 。 和 歌 山 県 や 淡 路 島 方 面 で ク ロダ イ を チ ヌと いう 。 これ は ﹁茅 渟 の海 ﹂ (=今 の大 阪湾 ) の語 源 に も な った古 語 であ る 。
隠 岐 地 方 で は ワ ニと いう と 、 フカ の こと だ そ う で、 こ れ は 因幡 の白 兎 が 隠 岐 へ渡 る 時 にだ ま し た 動 物 で あ る 。
以 前 の人 は ﹃ 出 雲 風 土 記﹄ の ﹁わ に ﹂ と いう のを 爬 虫 類 の ワ ニの こと と 勘 ち が いし た よ う で、 私 ど も が 大 正 ご ろ
小 学 校 で習 った 国 定 教 科 書 には 、 ウ サ ギ が ク ロ コダ イ ル属 の上 を と び は ね て いる 絵 が 書 いてあ った 。
な お 、 魚 の鱗 を 、 岐 阜 県 益 田 郡 で オ ロク ズ と い って いる の は、 古 い ﹁う ろ く づ﹂ の名 残 り で あ る 。 東 日 本 な ど
で広 く コ ケ ・コケ ラと 言 って いる のは 、 柳 田 が 古 い日本 語 であ る と 考 え た こ と 、 前 に 述 べ た。
生 魚 を 奈 良 ・岐 阜 な ど で ブ エ ン と いう の は 、 ﹁無 塩 ﹂ の意 味 で、 ﹃平 家 物 語 ﹄ の ﹁猫 間 ﹂ の 章 で 、 木 曾 義 仲 が
﹁何 も 新 し き 物 を ﹃ 無 塩 ﹄ と 言 ふ と 心 得 て﹂ と あ る、 あ の ブ エ ンで あ る 。 関 東 と 離 れ て 三 重 な ど で魚 の 切 れ は し を ラ ク サ ク と いう が、 こ の語 は ﹃下 学 集 ﹄ に 見 え る。
虫 類 に 入 る と 、 奥 羽 南 部 から 茨 城 に か け て ト ンボ を ア ケズ と いう の が ﹃雄 略 紀 ﹄ の歌 謡 ﹁あ き づ 早 や 食 い﹂ の
﹁あ き づ ﹂ であ る と し て有 名 であ る。 こ の歌 は 、 以 前 ア キ ツと 読 ま れ て いた が 、 方 言 の形 も 一つ の資 料 に な って、
ツが 濁 って読 ま れ る よ う に な った。 こ の言 い方 は 南 島 地 方 にも あ り 、 周 圏 論 の 一つ の資 料 に 用 いら れ る 。
﹃万葉 集 ﹄ の ﹁す が る 少 女 ﹂ の ﹁す が る ﹂ は 、 平 安 朝 時 代 、 都 で は す で に 使 わ れ な か った と み え て、 鹿 の こ と と
解 さ れ た が、 今 も 奥 羽 と 山 梨 県 奈 良 田 郷 で使 わ れ て お り 、 ウ ェスト の細 いジ ガ バ チ の こと であ る 。
コオ ロギ とキ リ ギ リ スは 昔 と 今 と でさ す も のが 逆 に な った と 言 わ れ る が 、 山 梨 県 と 埼 玉 県 南 埼 玉 郡 か ら 北 奥 方
面 で は 、 今 でも コオ ロギ を キ リ ギ リ スと 呼 び 、 北 奥 の秋 田 県 由 利 郡 ・岩 手 県 紫 波 郡 で は キ リ ギ リ スを コー ロギ と
呼 ぶ か ら 、 完 全 に平 安 朝 式 だ 。 マ ツ ム シ と スズ ム シ に も そ う いう 方 言 があ る か も し れ な い。
﹃堤中 納 言 物 語 ﹄ の ﹁虫 め づる 姫 君 ﹂ で は、 カ マキ リ を ﹁い ぼ じ り ﹂ と 呼 ん で いる が 、 今 神 奈 川 県 と大 分 県 でイ
ボ ジ リ と 言 い、 ま た イ モ ジ リ ・ボ ー ジ リ と 呼 ぶ 地 方 も あ る 。 伊 勢 で バ ッタを ネ ギ ド ノ と 言 う が、 こ れ は 近 松 の ﹃弘 徽 殿 鵜 羽 産 屋 ﹄ に 出 てく る 。
カイ コを 東 日 本 で は か な り 広 く オ コと 言 った り 、 八 丈 島 で コナ と 言 った り す る のは 、 古 く た だ ﹁こ﹂ と い った
名 残 り で あ る。 ﹁蛾 ﹂ を 、 こ れ ま た 全 国 的 に各 地 で ヒ ルま た は ヒ イ ルと いう の は 、 ﹃霊 異 記 ﹄ の 訓 釈 に 蚕 の 蛾 を ﹁ひ ひ る﹂ と 表 記 し て いる のを 伝 え て いる 。
前 に 述 べた サ バ エ= ウ ンカ の説 は いか が で あ ろ う か 。 サ バイ は 佐 賀 で ウ ンカ 、 高 知 では ア リ マキ の こ と と な っ
て いる 。 ﹃和 名 抄 ﹄ に は 、 シ ラ ミ の 卵 を ﹁岐 佐 々﹂ と 注 記 し て いる が、 こ の 言 葉 は 、 キ サ ザ と し て茨 城 県 真 壁 郡
に、 キ サ ジ と し て金 沢 や 和 歌 山 県 に 、 キ サ ダ と し て千 葉 ・栃 木 ・群 馬 の諸 県 に残 って いる 。
也 有 の ﹃鶉 衣 ﹄ の ﹁百 虫 譜 ﹂ に は 、 ヤ ス デ を ﹁を さ む し ﹂ と 言 って いる が 、 これ も 関 西 の ど こか に残 って いそ
う だ。 蜘 蛛 の巣 は 古 く ﹁く も の い﹂ と 呼 ば れ た が 、 最 近 よ く 歌 わ れ る 徳 島 県 祖 谷 の民 謡 ﹁糸 引 き 歌 ﹂ に 出 てく る
と こ ろ を 見 る と 、 あ の 地方 に残 って いる の で あ ろ う か 。 岡 山 県 や 熊 本 県 で は ク モ ノ エと 言 わ れ る 。 ま た 青 森 県 野 辺 地 地 方 と 隠 岐 島 で はイ ガ キ と 言 わ れ て いる 。
ヤ ド カ リ は ﹃本 草 和 名 ﹄ に ﹁か み な ﹂ と あ り 、 今 ゴ ー ナ と いう 形 で千 葉 県 か ら 長 崎 県 に及 ぶ 各 地 に行 わ れ て い
る。
貝 類 に 入 る と 、 ﹁海 螺 ﹂ を ツブ と 言 う こ と が ﹃和 名 抄 ﹄ に 見 え る が 、 北 奥 で今 も 使 う ほ か 、 全 国 的 に タ ニシ の
意 味 に使 って い る。 巻 貝 や 田 螺 を ミナ と いう の は 、 長 崎 県 五 島 や 鹿 児 島 県 甑 島 な ど の離 島 に あ る が 、 これ は ﹁に
な ﹂ の転 で 、 古 い。 折 口信 夫 は ﹁水 無 月 ﹂ の語 源 を 説 明 し て 、 こ の貝 の出 現 や 殻 の形 で年 の占 いを し た 習 慣 が あ って、 ﹁蜷 月 ﹂ と 言 ったも のだ ろう と 説 いた。
カ タ ツム リ に 関 し て は 、 柳 田 が ﹃蝸 牛 考 ﹄ の中 で 、 ツブ ラ あ る いは ナ メ ク ジ と いう のを 古 称 と し て い る が 、 ツ
ブ ラ の方 は ツブ ラ メ と いう 形 で 、 九 州 の各 地 に、 ま た ツボ ロと いう 形 で埼 玉県 南 埼 玉 郡 に 行 わ れ て いる 。 ナ メ ク ジ と いう 言 い方 は 、 これ ま た 九 州 各 地 と 山 陰 地方 に 分 布 す る 。
キ シ ャゴ を シ タ ダ ミ と いう のは 、 ﹃古 事 記 ﹄ の歌 謡 に 出 てく る が 、 今 は 佐 渡 の ほ か 福 井 県 越 前 海 岸 に あ る 。 ﹃万
葉 集 ﹄ の戯 訓 ﹁いぶ せ く も あ る か﹂ で有 名 な 、 カ メ ノ テを ﹁せ ﹂ と いう 言 い方 は 、 伊 豆 三 宅 島 ・島 根 県 浜 田 な ど
地 方 で ガ ゼ と いう の は 、 ﹃催 馬 楽 ﹄ に ﹁御 肴 に は 何 よ け む 、 鮑 、 さ ざ え か、 か せ よ け む ﹂
に残 って い る。 ナ マ コを た だ コー と いう の は 、 佐 渡 下海 府 にあ り 、 これ も 古 形 であ る。 ウ ニを 奥 羽 そ の他 沿
と 出 て き て いて 、 これ ま た 古 い言 葉 であ る こ と が 知 ら れ る 。
(5) 人 体と 生 理
﹁頭﹂ を 南 島 八 重 山 で ツブ ルと いう のは 、 ツム リ の転 、 長 野 で コーベ ツ と いう のも ﹁か う べ﹂ の変 化 で あ る こ と、
前 に 述 べた 。 富 山 県 か ら 石 川 県 に か け て は 、 コーベ は ﹁額 ﹂ の 意 味 だ と いう 。 秋 田 県 北 秋 田 郡 で は 、 ﹁頭 ﹂ が コ ッ ペと な り、 ま る でド イ ツ語 の よう だ 。
東 北 地 方 で ﹁頭 ﹂ と ﹁額 ﹂ を ナ ズ キ と 言 う のは 、 ﹃今 昔 物 語 ﹄ に ﹁脳 ﹂ の古 語 と し て 出 て い る ﹁な づ き ﹂ であ
る。 ﹃ 膝 栗 毛 ﹄ で は ア タ マの意 味 にな って いる。 ﹁禿 頭 ﹂ を 岡 山 県 を 中 心 と し てキ ンカ ア タ マと 言 う の は 、 也 有 の
﹃鶉 衣 ﹄ に 出 て いた 呼 び方 で あ る 。 ツム ジを ツ ジ と いう の は 西 鶴 の ﹃二代 男 ﹄ に 出 てく る が 、 今 は 静 岡 県 か ら 島 根 ・愛 媛 県 に 至 る 地 域 に 広 く 行 わ れ て いる 。
﹁目 ﹂ を 東 北 地 方 と 北 海 道 、 と ん で伊 豆諸 島 で広 く マナ コと いう のは 、 古 い 日本 語 を 伝 え て いる 。 た だ し 、 も っ
と 古 い ﹁目 ﹂ と いう 単 語 を 使 って いな いこ と に注 意 。 大 阪 で 言 う フ タ カ ワ メは 二 重 ま ぶた の こと で 、 西 鶴 の ﹃武
道 伝 来 記 ﹄ に 出 てく る。 岐 阜 ・香 川 な ど にあ る メ タ タ キ (=ま ば た き ) は ﹁め た た く ﹂ と いう 動 詞 と し て近 松 の
﹃丹 波 与 作 ﹄ に出 て く る 。 ヤ ブ ニラ ミ の意 味 の ヒ ガ メ は富 山 ・長 野 な ど にあ る が 、 ﹃新 撰 字 鏡 ﹄ に出 た 語 彙 で あ る 。
口に関し ては、 ﹁ 前 歯 ﹂ を 広 島 県 府 中 ・島 根 県邑 智 郡 な ど で ム カ バ と 言 う が 、 これ は 、 ﹃平家 物 語 ﹄ で源 義 経 を
形 容 す る 言 葉 の中 に ﹁む か ば の殊 に さ し 出 で て﹂ と使 わ れ て いる 。 ミ ツク チ を イ グ チ と いう こと は、 淡 路 島 や美 濃 梅 原 にあ る が 、 これ も 古 い言 葉 のは ず だ。
顎 に つ い て は 、 ﹁下 顎 ﹂ を ア ギ ト と いう の が 西 日本 に か な り 広 ま って お り 、 ア ギ と いう 地 方 も あ る が 、 ﹃和 名
抄 ﹄ に 見 え る 言 葉 だ 。 奥 羽 や 中 国 ・四 国 で ひ ろ く オ ト ガ イ と 言う のも 、 近 松 の ﹃ 寿 の門 松 ﹄ な ど に出 て く る 。
上 肢 に進 む と 、 ﹁腕 ﹂ を カイ ナ と いう 地 方 が 大 阪 ・仙 台 等 に あ り 、 著 名 な 古 語 で あ る 。 薬 指 を 南 島 で ナ ラ シ と
いう のは 、 ﹃和 名 抄 ﹄ の ﹁な な し の およ び ﹂ の ﹁な な し ﹂ の転 と 見 ら れ る 。 ﹁腋 臭 ﹂ を 茨 城 県を 中 心 と し て ワキ ク
サ と 言 う の は、 ﹃万葉 集 ﹄ の ﹁穂 積 の朝 臣 の わ き く さ を 刈 れ ﹂ を 思 い起 こ さ せ る 。 新 潟 で は ア イ ク サ 、 八 丈 島 で は ワク サ と な って い る。
﹃天草 本 伊 曾 保 ﹄ に 下腹 を 意 味 す る ﹁ほ が み ﹂ と いう 言 葉 が出 て く る が、 これ は フカ ミと な って南 島 で 用 いら れ
て いる 。 ヒ ップ を 埼 玉 県 入 間 郡 や 淡 路 島 でイ シ キ と 言 う の は、 ﹃浮 世 風 呂 ﹄ に 用 いら れ て お り 、 ま た ﹁いし き あ て﹂ と いう 語 の中 に 残 って いる 。
﹁胃 ﹂ を 意 味 す る ﹁も の は み ﹂ は ﹃名 義 抄 ﹄ な ど に見 え る が、 岩 手 県 で は 今 、 特 に 鳥 獣 の 胃袋 の意 味 に 用 いら れ
て いる 。 ﹃万 葉 集 ﹄ で ﹁み な の わ た ﹂ な ど と いう 腸 の意 味 の ﹁わ た ﹂ は 、 奄 美 大 島 で は ﹁腸 ﹂ の意 味 に、 南 島 与
﹁北 海 の 荒 礒 に き び す を 破 り て ﹂ と 綴 り 、 ﹃笈 の 小 文 ﹄ に ﹁く び す は 破 れ て 、 西 行 に ひ と し く ﹂
﹁胃 ﹂ の 意 味 に な っ て い る 。
﹃幻 住 庵 の 記 ﹄ に
﹁か か と ﹂ を し き り に キ ビ ス ・ク ビ ス と い って い る 。 キ ビ ス は 全 国 的 に 分 布 し 、 ク ビ ス は 、 兵
論島 では
とし るし、芭蕉 は 庫 ・香 川 な ど 瀬 戸 内 海 地 方 に 分 布 し て い る 。
足 の 指 の ま た を 大 隅 南 部 で ア ナ マ タ と い い 、 八 丈 島 で 、 足 の 裏 を ア ナ マタ と いう の は 、 例 は 知 ら な い が 、 古 風
﹃愚 管 抄 ﹄ な ど に ﹁は は く ろ ﹂ と いう 形 で 出 て い る が 、 今 、 静 岡 県 庵 原 郡 ・長 野 県 南 佐 久 郡 で は ハー
で あ る 。 ヘ ノ コ ・フ グ リ ・ツ ビ の 類 は 、 全 国 的 に 残 存 し て お り 、 枚 挙 に い と ま が な い 。 ホ ク ロは
ク ロと 言 っ て お り 、 山 梨 ・群 馬 で は ソ バ カ ス の 異 名 に 転 化 し て い る 。 ﹃和 名 抄 ﹄ で コ ブ の 異 名 だ った フ スベ は 、
新 潟 ・群 馬 か ら 静 岡 ・愛 知 に 至 る 各 地 で 、 ホ ク ロ の 異 名 と し て 用 い ら れ て い る 。 関 東 東 北 部 か ら 奥 羽 南 部 で は ホ
﹁も が さ ﹂ は 、 今 高 知 県 や 九 州 各 地 に 用 い ら れ て お り 、 ミ ッチ ャ は ム ッチ ャ ・メ ッ チ ャ と も
ソ ビ 、 会 津 で は 特 に ヘソ ビ に な って いる 。 ア バ タを 言 う 古 語
﹁あ か が り ﹂ の 転 で
な っ て 、 関 西 地 方 に 広 く 広 ま っ て い る 。 ﹁み っ ち ゃ ﹂ は 、 西 鶴 の ﹃男 色 大 鑑 ﹄ に ﹁み っち ゃ づ ら ﹂ と い う 用 例 が 見 え る 。 イ モ と いう 地 方 も 多 い 。
ア カ ギ レ を 八 丈 島 で ア ッ カ リ と い う の は 、 ﹃神 楽 歌 ﹄ の ﹁あ か が り 踏 む な し り な る 子 ﹂ の ( 稲 垣他 編 ﹃ 奈 良 田 の方 言 ﹄) で は 老 人 が ア カ ガ リ と い う そ う だ 。
﹁ま ま な き ﹂ は 、 今 や は り 東 北 各 地 に 見 出 だ さ れ る 。 肺 結 核 の 古 名 、 ロ
﹁し は ぶ き ﹂ は シ ャ ブ キ と な っ て 、 東 北 各 地 に 用 い ら れ る 。
﹁つ ﹂ と 言 った が 、 こ れ は 今 、 奈 良 田 郷 で ツ バ キ の 意 味 で 残 って お り 、 ヨ ダ レ の 意 味 で 三 重 ・和 歌
ある。 山梨県奈良 田郷 唾 液 は古 く
山 ・島 根 に 行 わ れ て い る 。 セ キ の 古 名 ド モ リ の古 名 、 ﹃ 新 撰 字 鏡 ﹄ に見 え る
ー ガ イ は 、 和 歌 山 県 ・山 口 県 で 使 わ れ て い る 。 今 、 仙 台 や 和 歌 山 で の ぼ せ る こ と を キ ア ガ リ と 言 う が 、 ﹃ 徒然 草﹄ の ﹁気 の 上 る 病 ﹂ か ら 想 像 す る と 、 古 い 単 語 で あ ろ う 。
大 便 を 意 味 す る ﹁は こ﹂ は 、 ﹃宇 治 拾 遺 ﹄ の 笑 話 ﹁は こす べ か ら ず ﹂ で 知 ら れ て いる が 、 三 重 県 や 淡 路 島 な ど
に残 って い る。 小 便 を 意 味 す る ﹁ゆ ば り ﹂ は、 イ バ リ の 形 で、 会 津 や 徳 島 で寝 小 便 の意 味 に、 鹿 児 島 で 猫 の小 便 の意 味 に 用 いら れ て い る。
(6人 )間 関 係
子供 の古 名 ﹁わ ら べ﹂ は 、 今 鹿 児 島 に 残 って いる 。京 都 と 能 登 で ワ ロと いう が 、 ﹁わ ら は ﹂ の転 であ ろ う 。 奥
羽 で言 う ワ ラ シ は ﹁わ ら は衆 ﹂ の転 で あ ろ う 。 男 の 子を ワ コサ マと いう の が奥 羽 一帯 に あ る が 、 ﹁若 様 ﹂ の転 で
あ ろう か 、 ﹁吾 子 様 ﹂ で あ ろう か 。 女 の 子 は 、 八丈 島 で メナ ラベ と いう 優 美 な 言 い方 を す る が 、 ﹁め のわ ら は べ﹂ の転 で あ ろ う 。
﹃常 陸 方 言 ﹄ に よ る と 娘 子 を テ コと いう の が 茨 城 県 にあ った と 言 う が 、 ﹁ま ま の て こ な ﹂ の ﹁て こ﹂ の末裔 かも
し れ な い。 山 形 県 村 山 地方 では メ ノ コと いう が 、 これ は ﹃伊 勢 物 語 ﹄ に 用 例 が あ る 。 メ ロと いう 地 域 は 広 い が、
﹁め わ ら は ﹂ の転 と 見 ら れ る。 ﹃沙 石 集 ﹄ に 見 え る 。 ヒ メ も 各 地 で 少 女 の意 味 に用 いら れ て いる 。 ﹁上﨟 ﹂ か ら 来 た ジ ョー ロ ッ コは 伊 豆大 島 で用 いて いる 。
ニサ イ を 九 州 方 言 で青 年 の意 味 に 用 いる が、 近 松 の ﹃博 多 小 女 郎 ﹄ に ﹁薩 摩 二 歳 ﹂ と いう 用 例 があ る 。 ﹁青 二
才 ﹂ の二 才 も こ れ だ 。 生 娘 を オ ボ コと いう 言 い方 が埼 玉 県 そ の他 に あ る が 、 これ ま た 近 松 の浄 瑠 璃 に た び た び出 てく る 。
近 松 の ﹃心中 二 枚 絵 草 紙 ﹄ に、 赤 ん 坊 を ﹁や や ﹂ と 言 って いる が 、 こ れ は京 都 ・福 島 ・熊 本 な ど 各 地 にあ る。 ﹃四 谷 怪 談 ﹄ で ミ ツゴ と 言 って いる 。 こ の言 い方 は 岡 山 にあ る 。
兄 は セ ナ と いう 言 い方 が 関 東 か ら 奥 羽 に か け て か な り 広 く あ る が 、 こ れ は 、 ﹃伊 勢 物 語 ﹄ で ﹁く た か け のま だ
き に鳴 き て せな を や り つる ﹂ と あ る 、 夫 の意 味 の ﹁せ な ﹂ の残 存 であ る。 中 で、 福 島 県 信 夫 郡 では 若 い男 の こ と
だ そう だ 。 私 は 、 小 学 校 の上 級 の時 に 、 東 京 の中 を 本 郷 か ら 今 の杉 並 区 成 田 東 に移 った が 、 ま だ 農 家 の多 い こ の
あ た り では 、 当 時 弟 を シ ャテ イ と いう 言 い方 が 残 って いた 。 分 布 は 広 か ろう 。 ﹃源 平 盛 衰 記 ﹄ に出 て く る ﹁舎 弟 ﹂ だ。
兄 弟 姉 妹 を 兵 庫 な ど で、 オ ト ド イ と いう の は 、 ﹃平家 物 語 ﹄ に 、 ﹁祇 王 祇 女 と て お と ど いあ り ﹂ と あ る 言 語 だ 。
奄 美 大 島 で ﹁妹 ﹂ を オ ト ト と いう の は ﹃古 今 集 ﹄ に 例 を 見 る 古 い用 法 であ る 。 末 子を 西 日 本 で広 く オ ト ゴ と 言 い、
静 岡 ・長 野 な ど で オ ト ッ コと 言 う が 、 ﹃落 窪 物 語 ﹄ に 用 例 があ る 。 オ ト と いう 地 方 も あ る。 対 馬 で は 、 ﹃永代 蔵 ﹄ に見 え る サ シ ワ タ シ ノ イ ト コと いう 言 葉 を 今 も 使 って いる 。
大 分 で夫 婦 を イ ノ セ と 言 う そ う で 、 ﹁妹 背 ﹂ の転 と す れ ば、 これ ま た 古 い。 関 東 で 一時 代 前 に妻 を メ と 言 って
古 色 を 保 った そ う で あ る が、 今 は ど う で あ ろ う か 。 茨 城 県真 壁 郡 で 、 後 妻 を ウ ワナ リ と 言 い、 こ れ は 神 武 歌 謡 の 用法だ。
主 婦 を オ カ ッサ マと いう のは 、 岐 阜 ・長 崎 な ど に あ る が、 ﹁お か た さ ま ﹂ の転 で、 ﹁お か あ さ ま ﹂ が出 来 る 前 の
形 だ 。 オ カ タ は 静 岡 ・仙 台 そ の他 にあ る 。 大 阪 や 三 重 の オイ エサ ン ・オ エサ ン、 山 口 県 のオ ゴ ー サ マ、 九 州 な ど
の レ ンチ ュー な ど 、 いず れ も 中 世 の、 あ る いは 近 世 の文 芸 作 品 上 に活 躍 し て いる ﹁奥 様 ﹂ ま た は ﹁お か み さ ん ﹂ にあた る言葉だ。
大 分 で親 類 を ウ カ ラ と 言 う の は 、 ﹃万 葉 集 ﹄ に ﹁う か ら は ら か ら ﹂ と あ る あ れ で 、 格 別 に 古 い。 京 都 や 鳥 取 な
ど で、 ルイ と 言 う のは 、 ﹃源 氏 物 語 ﹄ の ﹁須 磨 ﹂ の巻 の ﹁類 広 く む す め が ち に て﹂ と あ る 、 あ の ﹁類 ﹂ だ 。 大 分
で は 親 戚 を ユカ リ と も 言 う そう で、 これ ま た ﹃源 氏 物 語 ﹄ の ﹁須 磨 ﹂ の巻 に 用 例 が あ る。 兵 庫 で 一族 を ヨシ ミ と
言 う の は、 ﹃ 平 家 物 語 ﹄ に 用 例 が 見 え る。 奥 羽 各 地 で オ ヤ コと 呼 ぶ の は 、 近 松 の ﹃夕 霧 阿 波 鳴 門 ﹄ に出 てく る 。
﹃竹 取 物 語 ﹄ に、 ﹁け ご ﹂ と いう 単 語 が眷 属 の意 味 に 使 わ れ て いる が、 これ は今 岡 山 にあ る 。
そ の他 、 近 松 や 西 鶴 の作 品 で 恋 人 の意 味 の ﹁ね ん ご ろ ﹂ と いう 言 葉 が 長 野 や 鹿 児 島 で 用 いら れ て お り 、 ﹃柳 樽 ﹄
で愛 人 の意 味 の ﹁お き せ ん ﹂ と いう 言 葉 は 、 こ れ は ﹁妾 ﹂ の意 味 で 奈 良 な ど で 用 いら れ て いる。 奄 美 大 島 で愛 人
を カナ シ と 言 う の は 、 ﹃万 葉 集 ﹄ の東 歌 の ﹁か な し け 子 ら の布 干 さ る かも ﹂ の ﹁か な し ﹂ で 、 滅 法 古 い。
﹁う ば ﹂ は 群 馬 県 碓 氷 郡 で オ チ と いう のは 、 近 松 の ﹃丹 羽 与 作 ﹄ な ど に出 て く る ﹁お ち の人 ﹂ の略 であ ろ う 。
職 業 の呼 び方 に 移 れ ば 、 沖 縄 首 里 で 医 者 を ク ス シと 言 う の が ﹃土 左 日記 ﹄ や ﹃徒 然 草 ﹄ を 思 い起 こさ せ る 。 長
野 で ﹁き こ り﹂ を ソ マと いう のも 由 緒 あ る 言 葉 で あ る が 、 これ は ほ か でも 言 いそ う だ 。
行 商 人 を 茨 城 ・福 島 そ の他 で ボ テ フリ と いう のは 、 西 鶴 の作 品 に 見 え 、 岡 山 ・愛 媛 な ど で フリ ウ リ と いう の は
芭 蕉 の 句 に 出 て く る 。 兵 庫 県 美 方 郡 で 便 利 屋 を サ ンド と いう の は 、 飛 脚 の 呼 び 方 の転 用 だ 。
遊 女 ・娼 妓 の 類 を 大 阪を は じ め 畿 内 でオ ヤ マと いう の は 、 近 世 上方 文 学 で お 馴 染 み の言 葉 で あ る 。 壱 岐 で芸 妓
酌 婦 の 口入 仲 買 人 を ハ ン ニ ンと いう のは 、 ﹁判 人 ﹂ と 書 い て 、京 伝 の作 品 に現 わ れ る 。
﹃浜 荻 ﹄ と いう 本 では 、 仙 台 で 山賊 を ヤ マダ チ と 言 った そ う であ る が 、 こ れ は ﹃徒 然 草 ﹄ で出 く わ す 単 語 であ る。
乞 食 を ホ イ ト ー と いう 地 方 は 奥 羽 か ら 九 州 に 亙 る が、 ﹁陪 堂 ﹂ と いう 禅 宗 の 語 か ら 転 じ た と 言 わ れ る 。 九 州 の
﹁五 つ木 の 子 守 唄 ﹂ で は 、 カ ンジ ンを ﹁貧 乏 人 ﹂ の意 味 に使 って い る が 、 ﹁乞 食 ﹂ の意 味 に使 って い る 地 も 広 く 、 これ ま た 仏 家 で 寄 付 を も ら って歩 く 行 為 を いう ﹁勧 進 ﹂ か ら 出 た 。
性 格 を 表 わ す 単 語 で言 う と 、 京 都 を は じ め 畿 内 で 律 気 な 人 を 言 う マト ー ド は 、 ﹃幸 若 ﹄ の ﹁ 烏 帽 子折﹂ に用例
が あ る 。 兵 庫 や 滋賀 で、 物 事 を 念 入 り に す る 人 を ネ ンシ ャと いう のは 、 ﹁念 者 ﹂ で 、 浄 瑠 璃 に 用 例 が あ る 。
不正 不 義 の人 を 高 知 で マイ ス と いう の は 、 ﹁売 僧 ﹂ の転 で、 狂 言 に 用 例 が あ り 、 埼 玉 や 伊 豆 で ﹁う そ つき ﹂ を
マ ンパ チ と いう のは 、 黄 表 紙 に 用例 を 見 る。 愛 知 な ど で ﹁怠 け 者 ﹂ を ナ マカ ワと いう のは 、 也 有 の ﹃ 鶉 衣 ﹄ に見
え る ﹁な ま か は の 蔵 人 ﹂ の残 存 であ る 。 ﹃霊 異 記 ﹄ に、 清 盲 を ﹁あ き じ ひ﹂ と 出 し て いる が、 仙 台 で ア キ ジ と 言 って いる の は、 そ の転 であ ろ う 。
﹃太 平 記 ﹄ に 弱 いく せ に か ら 威 張 り を す る も のを ﹁お に み そ ﹂ と 言 っ て いる が 、 今 、 岡 山 ・愛 媛 な ど にあ る 。
﹃浮 世 風 呂 ﹄ に ﹁へげ た れ ﹂ を ﹁ば か ﹂ の意 味 に 使 って い る が 、 こ れ は 今 大 阪 ・三 重 な ど で 使 って いる 。 同 じ 本
の中 に、 ﹁も う ろ く ﹂ と いう 語 を 無 頼 漢 の意 味 だ と 説 明 し て い る が 、 こ の 用 法 は 徳 島 に 残 って いる 。
洒 落 本 ﹃辰 巳 之 園 ﹄ に 酩 酊者 を メ レ ンと 言 って いる が 、 こ れ は 大 阪 と 対 馬 に あ る そ う だ 。
語彙 は こ のあ と 、 衣 食 住 ・労 働 ・信 仰 ・遊 戯 な ど の項 目 に 触 れ 、 次 い で動 詞 ・形 容 詞 な ど に及 ぶ つも り で あ っ
た が 、 紙 数 も す で に 制 限 を 越 え 、 執 筆 の締 切 も 過 ぎ た の で こ こ で筆 を お く 。 筆 者 の趣 旨 か ら 言 って動 詞 ・形 容 詞
な ど の基 本 的 な 語 彙 は 多 く の名 詞 の語 よ り も 重 ん ず べき であ る が 、 他 の機 会 に ゆ ず ら ざ る を え な いこ と を 残 念 に 思う。
Ⅳ
祖 語 から伝 わ った性 格 に つ いて
日 本 語 の性 格 は ど う し て で き た か
言語 的成 因 そ の 一︱
一体 日本 語 の性 格 は ど のよ う に し て でき た も のだ ろ う か 。 わ た し は こ こ でそ の 成 因 を 大 き く 二 つに 分 け て考 え
よ う と 思 う 。 一つは、 言 語 的 成 因 であ り、 も う 一つは 非 言 語 的 成 因 であ る 。 非 言 語 的 成 因 に つ い て は 別 に述 べ て
ある ( 本著作集第 一巻所収 ﹁日本文化と日本 語﹂他) の で、 こ こ では 言 語 的 成 因 だ け に つ いて 述 べ る。
言 語 的 成 因 には ま た 二 つのも のが あ る。 一つは、 日 本 語 が いわ ゆ る 祖 語 か ら 受 け 継 い だ 性 格 であ る 。 言 語 を 人
間 に た と え れ ば 、 親 か ら 譲 り受 け た 遺 伝 子 のよ う な も のだ 。 もう 一つは 、 日本 語 な る も の が 成 立 し て 以 後 、 交 渉
に よ って他 の言 語 か ら 受 け た 影 響 であ る。 人 間 で いえ ば 、 家 族 や 友 人 か ら 受 けた 感 化 のよ う な も の と 言 え よ う か 。
容 易 に変 化 し が た い性 格 だ ろ う と いう こと であ る。 た だ し 、 具 体 的 に 現 在 の 日本 語 の性 格 のう ち のど れ
日 本 語 は 祖 語 か ら ど のよ う な 性 格 を 伝 え た か 。 第 一に 考 え ら れ る こと は 、 それ は 、 音 韻 と か 文 法 に 関 す る基 本 的 な︱
が そ れ か と いう こ と に な る と、 こ れ は 、 は な は だ む ず か し い問 題 だ 。 英 語 や フラ ン ス語 の場 合 に は こ の問 題 は 簡
単 に 答 え ら れ る が、 日 本 語 の場 合 は 、 不 可 能 に近 い。 な ぜな ら ば 、 日本 語 は 世 界 に お け る 系 統 不 明 の言 語 の 一つ
で あ り 、 日本 語 の 祖 語 が ど の よ う な も ので あ る か と いう こ と は 、 現 在 の言 語 学 界 の総 力 を あ げ ても 、 ま だ 臆 測 の 域 を 出 な いか ら であ る 。
日 本 語 の系 統 の問 題 に つ い て は 、 実 にさ ま ざ ま の 説 が 出 て いる 。 多 少 誇 張 し て 言 え ば 、 今 ま で 日本 語 は 、 地 上
の あ ら ゆ る種 類 の言 語 と 結 び つけ て 考 え ら れ た 。 こ れ は 、 日本 語 は ど の 言 語 と も 決 定 的 に は結 び つけ ら れ な か っ
た こ と を 示す も のだ 。 そ れ ほど 日本 語 は 独 特 の言 語 であ る 。 が、 従 来 出 て いる 日本 語 の系 統 説 のう ち で は 、 北 の
朝 鮮 語 に 結 び つけ 、 さ ら に ア ジ ア大 陸 北 部 に 行 わ れ て いる ア ル タ イ 語 に結 び つけ る学 説 が最 も 権 威 あ るも のと し て 認 め ら れ て いる 。
わ た し も 一往 こ の説 に従 う こと に す る 。 そう す る と 、 日 本 語 を 朝 鮮 語 な ら び に ア ルタ イ 語 と 比 較 し て そ こ に共
通 に 見 いだ さ れ る よ う な 性 格 は 、 一往 祖 語 から 日 本 語 に 伝 わ った 性 格 の候 補 者 と 見 る こ と にな る 。
東 大 教 授 藤 岡 勝 二 博 士 は 、 ﹁日本 語 の位 置 ﹂ と いう 論 文 (﹃ 国学院雑誌﹄ 一四の八 ・一〇 ・一一所載)で 日本 語 の ア ル タ イ 語 と 共 通 な 性 格 と し て次 の十 三 か条 のも のを あ げ た 。 一 語 頭 に 子 音 が 二 つ並 ば な いこ と 二 r音 が語 頭 に 立 た な い こと 三 冠 詞 のな いこ と 四 文 法 上 の性 のな いこ と 五 動 詞 の変 化 の性 質 六 語 尾 の接 辞 の 性 質 七 代 名 詞 の変 化 のな いこ と
ha のv 如eき も の のな いこ と
八 語 の 関 係 を 示 す 助 詞 が後 に 付 く こ と 九 助 動 詞 的 のto
十 形 容 詞 に 比 較 を 示 す 変 化 のな い こと 十 一 問 の 文 章 の語 序 が 肯 定 の 文 の語 序 と 変 わ ら な い こと
十 二 接 続 詞 の使 用 が 少な い こと 十 三 文 章 成 分 の排 列 の 順序
こ れ は 祖 語 か ら 伝 え ら れ た 日 本 語 の特 色 に つ いて の博 士 の考 え と み て よ い であ ろ う 。 た だ し 当 時 博 士 が 、 こ の
特 色 を 数 え た のは 、 日 本 語 が ヨー ロ ッパ 語 と 同 系 だ と いう 論 が 横 行 し て お り 、 そ の論 を 破 る 必 要 があ った た め だ
った 。 そ のた め に、 こ の十 三 か 条 は 、 ウ ラ ル︲ ア ルタ イ 語 と 共 通 であ り 、 と く に イ ンド︲ ヨー ロ ッパ 語 と 違 う 性
格 を 数 え たも のだ った 。 そ こ に は 、 ヨ ー ロ ッパ語 に は な いと 言 う だ け で 、 と く に 日本 語 ・ア ルタ イ 語 に お け る 共
通 の ︿特 色 ﹀ だ と か いう ま で に は 主 張 でき な い性 格 も 多 く 含 ま れ て いる こと は 注 意 す べき で あ る 。 た と え ば 、 第
十 条 と し てあ が って いる ︿形 容 詞 に 比 較 を 示 す 変 化 のな い こ と ﹀ な ど と いう の は 、 ヨー ロ ッパ 語 に、 比 較 を 示す
変 化 のあ る こ と の方 が 珍 し い特 色 であ って 、 日本 語 に こ のよ う な 比 較 を 示 す 変 化 のな い こ と は 確 か で あ る が、 と
く に 取 り 上 げ て 日本 語 の特 色 と いう ほ ど のも の で は な い。 こ ん な こと か ら 、 か つて 日 本 語 南 方 系 説 を 説 く あ る学
者 は 、 博 士 の十 三 条 を 批 評 し て こ のう ち の 半 数 以 上 は イ ンド ネ シ ア 語 に も 見 いだ さ れ る か ら 、 これ は 北方 説 を 支 持 す る 条 項 で は な いと 反 駁 し た ほ ど であ る 。
そ れ で は、 右 の条 項 の中 で、 日本 語 と ア ルタ イ 語 の注 目 す べ き 一致 点 は ど れ であ る か 。 文 法 の面 で いう と 、 そ
の第 一は 、 第 五 条 の動 詞 の変 化 形態 の類 似 で あ ろ う 。 日 本 語 の動 詞 は 、 学 校 文 典 で 誰 でも 習 って 知 って いる よ う
に 、 語 尾 が変 化 し て、 終 止 と か 連 体 と か 連 用 と か いう 職 能 の違 いに 応 じ る 。 いわ ゆ る ︿動 詞 の活 用 ﹀ が これ であ
る 。 こ の特 色 は 朝 鮮 語 に 見 いだ さ れ 、 等 し く 満 州 語 ・蒙 古 語 ・ト ル コ語 に 見 いだ さ れ 、 そ れ ら を 結 び つけ る 有 力
な キ ズ ナ であ る 。 と く に 、 連 用 形 な いし 中 止 形 と いう 形 の存 在 の 一致 は 、 他 の言 語 に は あ ま り 多 く 見 ら れ な いこ
と ら し い。 とす る と 、 も し ア ル タ イ 語 を 祖 語 で あ る とす る な ら ば 、 祖 語 か ら 伝 え ら れ た 性 格 の最 も 著 し いも の の 一つ であ ろう 。
第 十 三 条 の 文 章 の成 分 の配 列 の 順 序 は 、 た し か に 現代 の ヨ ー ロ ッパ の諸 語 や 近 く の中 国 語 や 東 南 ア ジ ア の諸 語
と は 違 い、 日 本 語 ・朝 鮮 語 と ア ル タイ 諸 語 と の共 通 点 であ る 。 が、 泉 井 久 之 助 博 士 (﹃ 世界 のことば ・日本 のこと ば﹄
八三ページ) に よ る と 、 こ れ が 世 界 の諸 言 語 を 通 じ て 最 も 多 く 見 ら れ る 語 序 で あ る と いう 。 現 に ヨー ロ ッパ 語 で
も 、 ラ テ ン語 は こ の順 序 が 正 規 だ った と いう し 、 今 でも イ ンド 語 は 、 ヨー ロ ッパ 語 の 系 統 に属 し な が ら 、 こ の語
序 を 用 いる 。 日本 語 の隣 人 で 、 日本 語 と 同 系 と は 認 め が た い アイ ヌ 語 も 大 体 こ の語 序 を 持 つ。 そ う す る と 、 これ
は 日本 語 の特 色 と す る 場 合 に 、 大 分 割 引 き し た 上 で認 め な け れ ば な ら な い。 第 六 条 の 語 尾 の接 辞 の性 質 、 第 八 条
ha のv ごe と き も の のな いこ と 、 と は 、 ﹁⋮ ⋮ ヲ モ ツ﹂ と いう 言 い方 よ り ﹁⋮ ⋮ ガ ア ル﹂
の語 の関 係 を 示す 助 詞 が後 に 付 く こ と 、 な ど も 、 第 十 三 条 と 同 じ よ う な も の であ る。 第 九 条 の助 動 詞 的 のto
の言 い方 を 好 む事 実 の指 摘 で あ ろ う か 。 そ う す る と 、 こ れ は 中 国 語 ・ベ ト ナ ム語 ・ア イ ヌ語 に は 見 ら れな い性 格
ゆえ 、 か な り 注 目 す べ き 日 本 語 と ア ルタ イ 諸 語 と の共 通 点 か も し れ な い。 し か し こ れ も 考 え て み る と 、 中 国 語 で 、
﹁我 有 父 親 ﹂ と いう 場合 、 ﹁有 ﹂ は は た し て 他 動 詞 であ ろ う か 。 も し 他 動 詞 な ら ば 、 ﹁有 山 有 川 ﹂ と いう よ う な 場
合 、 ﹁有 ﹂ の主 語 は 何 か と 問 いた く な る が 、 ち ょ っと 返 答 に 困 る 。 そう す ると 、 ﹁有 ﹂ は 実 は ア ル のよ う な 自 動 詞
で、 父 親 や 山 や 川 が主 語 であ り、 ﹁我 ﹂ は 、 場 所 格 のよ う な も の で は な か ろう か 。 ﹁雨 ガ 降 ル﹂ を ﹁降 雨 ﹂ と 言 い、
﹁春 ガ 来 ル﹂ を ﹁立 春 ﹂ と いう 性 格 か ら 見 る と 、 中 国 語 で は 、 無 意 志 動 詞 の主 語 は動 詞 のあ と に 立 つと いう 法 則
があ る よ う に 思 わ れ る 。 そ う す る と 、 ﹁⋮ ⋮ ヲ モ ツ﹂ の形 を 持 た な い と いう のは 中 国 語 に も見 ら れ る 性 格 で、 日
本 語 な ど が持 つそ れ ほ ど 特 徴 的 な 性 格 と は 言 え な く な り そ う だ 。 と 、 こ れ は 、 ア ルタ イ 語 か ら 伝 来 し た 日 本 語 の 特 色 だ と も 断 言 でき な い こと にな る 。
十 三 条 のう ち 、 冠 詞 のな い こ と 、 文 法 上 の性 のな い こと 、 代 名 詞 の変 化 のな いこ と 、 接 続 詞 の使 用 が 少 な いこ
とな ど は 、 東 ア ジ ア の言 語 に広 く 見 ら れ る こと で、 こ れ ら は 日 本 語 の特 徴 と し て 、 と く に 目 に 立 つこ と でも な い。
問 の文 章 の 語序 の問 題 は 、 む し ろ 変 る と いう こと が ヨー ロ ッパ 語 の特 殊 性 を 表 わ す も の で、 変 わ らな いと いう の は 日 本 語 の特 徴 を 表 わ す も の で は な いだ ろ う 。
次 に 音 韻 の 面 で は 、 r音 が語 頭 に 立 た な いと いう のは 、 日本 語 と 朝 鮮 語 ・ア ル タ イ 諸 語 のお も し ろ い 一致 で 、
蒙 古 語 な ど でも 数 あ る 子 音 の中 で r音 だ け が 語 頭 に立 た な いの だ か ら 、 こ れ は た し か に特 徴 と す る に 足 る 。 た だ
し 惜 し む ら く は、 日 本 語 に は r音 のほ か に 1 の音 がな い の に対 し て 、 ア ルタ イ 諸 語 で は 、 1 音 と r音 と 両 方 そ な
わ って い て、 1 の音 の方 は 語 頭 に立 つ。 日本 語 の ラ行 子 音 は 、 r音 と 言 え ば r音 だ が 、 1 音 だ と 言 え ば 1 音 だ と
も 言 え る 。 そ う す る と 、 日本 語 で は 、 む し ろ、 いわ ゆ る 流 音 が 一つし か な いと いう 点 が注 目す べき 特 徴 と いう こ
も っと 正 確 に は 、 これ ら の三 言 語 が 系 統 的 に 関 係 がな いと 考 え て は 早 計 で あ る こ
と にな る 。 これ は ア イ ヌ語 に あ て は ま り 、 朝 鮮 語 にあ て は ま る。 服 部 四 郎 博 士 の ご と き は 、 こ の三 つ の言 語 が 同 系 統 で あ る 可 能 性 を 論 じ て︱
と を 論 じ て 、 そ の 一つ の根 拠 と し て こ の事 実 を 数 え ら れ た く ら いで あ る 。 次 の、 語 頭 に子 音 が 二 つ並 ば な いと い
お い て は そ う でな か った と いう の が通 説 で あ る が 、 広 韻 時 代 には す で に 語 頭 に 子 音 は 二 つ並 ぶ こ と は な く な って
う こと は 朝 鮮 語 ・ア ルタ イ 語 の みな らず 、 他 の 諸 言 語 にも 多 く 見 ら れ る 事 実 であ る。 中 国 語 のご と き も 、 太 古 に
いる 。 現代 の諸 方 言 は な お さ ら であ る。 そ う す る と 、 こ れも 、 祖 語 か ら 伝 わ った 性 格 だ と あ ま り 強 く 主 張 す る こ と は でき な い。
音 韻 に つ い て注 目す べき は、 藤 岡 博 士 が 、 ア ルタ イ 諸 語 に は 見 ら れ る が 日本 語 に は 見 ら れ な い性 質 と し て あ げ
た ﹁母 音 調 和 ﹂ の 現象 であ る。 博 士 が こ の ﹁日本 語 の位 置 ﹂ を 書 か れ た 時 に は 、 日本 語 に は 母 音 調 和 の傾 向 な し
と書 か ざ る を 得 な か った が 、 そ の後 小 倉 進 平 博 士 に よ り 、 朝 鮮 語 に こ の事 実 があ る こ と が 、 そ う し て 橋 本 進 吉 ・
有 坂 秀 世 ・池 上 禎 造 氏 ら に よ って 、 過 去 の 日 本 語 に 母 音 調 和 の現 象 のあ った こ と が 発 見報 告 さ れ た の であ る 。 す
な わ ち 、 いわ ゆ る ︿上 代 の特 殊 仮 名 遣 ﹀ お よ び そ れ の発 展 であ る く音 節 結 合 の法 則 ﹀ が そ れ で、 こ れ は 、 発 表 以
来 、 日 本 語 を ア ルタ イ 語 に 近 づ け る 大 き な 条 件 と し て 、 学 界 で 旋 風 を 巻 き 起 こし た 。 日本 語 の母 音 調 和 の法 則 は
ト ル コ語 や 蒙 古 語 に見 ら れ る よ う な 強 力 な も の で はな い。 ま た 母 音 調 和 は ア ル タ イ 語 以 外 に も 、 イ ンド の ム ンダ
語 の 一種 であ る サ ンタ ー リ ー 語 や ア フリ カ の ス ワ ヒ リ 語 な ど いく つ か の 言 語 から 存 在 が報 道 さ れ て いる 。 し か し
男 性 母 音 と 女 性 母 音 と さ ら に中 性 母 音 と が 対 立 し て いる よう す な ど が 非 常 に よ く 似 て いる と いう こと で、 日 本 語
他 の言語 から 受け た影 響
と ア ル タイ 語 の 一致 は 尊 重 す べき も の で あ る 。 祖 語 か ら 伝 え ら れ た特 徴 の 一つに 数 え て し か る べき であ る 。
言語 的成 因 そ の 二︱
次 に、 日 本 語 が他 の言 語 か ら 影 響 を 受 け て獲 得 し た 特 徴 に は ど の よ う な も のが あ る か 。 日本 語 は 、 有 史 以 来 中
国 語 か ら 多 く の影 響 を 受 け た こ と は 、 隠 れ も な い事 実 であ る 。 チェ ン バ レ ンは 、 日本 人 の生 活 で 中 国 の影 響 を 受
け な いも のは 、 入 浴 の習 慣 ぐ ら い のも のだ と 言 った 。 こ れ は 極 端 であ る が、 言 語 の面 で 中 国 の 影響 を 受 け た こと
は 、 あ ら ゆ る 文 化 部 面 にお け る のと 平 行 的 な こ と で 、 当 然 の こと だ った 。 と く に 文 字 に お い て は 、 中 国 の文 字 を
カ ナ タ ナ ・ひ ら が な が こ れ であ る︱
日用 の便 にし て いる 。 つま り ﹁影 響 を 受 け た ﹂ と いう よ り も ﹁日 本 の
輸 入 し 、 そ れ を 日本 で 日本 語 に 適 合 す る よ う な 使 い方 を 案 出 し 、 さ ら に 中 国 の文 字 を も と に 新 た に 文 字 を 作 り ︱
文 字 は 中 国 の文 字 の直 系 であ る ﹂ と 言う べき であ る 。
こ の こ と か ら 、 日本 語 は 世 界 で少 数 の、 漢 字 と いう いわ ゆ る ︿表 語 文 字 ﹀ を 使 用 す る 言 語 と いう 特 色 を 得 て い
る 。 そ の書 き 方 が縦 書 き を む ね と し 、 行 を 右 か ら左 に追 う 点 も 横 書 き に な れ た 欧 米 人 を び っく り さ せ る。 モ ラ エ
ス ( ﹃日本精神﹄)は 、 こ の こ と を 、 ﹁日 本 の本 の第 一ペー ジ は 、 我 々 の本 の最 終ペ ー ジ に当 り、 我 々 の本 の第 一ペ
ー ジは ⋮ ⋮ ﹂ と 言 って 表 現 し た 。 最 近 中 国 では 漢 字 を 書 く に あ た り、 横 書 き を 本 式 と し た よ う す で あ る。 そ う す
る と 縦 書 き を 主 と す る 国 語 は、 世 界 で 日 本 語 と 朝 鮮 語 と があ る の み と いう こ と に な った ら し い。
マリ オ ・ペイ の ﹃言 語 の 話﹄ は 世 界 の諸 言 語 の特 徴 を そ れ ぞ れ 平 明 に 述 べ て お り 、 重 宝 な 本 で あ る が、 英 語 の
特 色 と し て つ づり 字 の面 倒 な こ と を あ げ 、 これ よ り む ず か し い つづ り を 持 つ言 語 は 中 国 語 と 日本 語 あ る のみ と 言
った 。 中 国 語 の つづ り 字 と は 言 う ま でも な く 漢 字 で あ り 、 日 本 語 の つづ り 字 と は 、 漢 字 ・カ ナ の 併 用 を 言 う 。 こ
の二 つを 比 較 す る と、 中 国 語 は 一語 の書 き 方 は 大 体 一定 し て お り 、 一つ の文 字 は 原 則 と し て読 み方 は 一つし か な
い。 日本 語 では 、 一語 の書 き方 は 、 ヒト ・ひと ・人 のど れ で も が あ や ま り で は な いと さ れ る よ う に 、 一様 で は な
い。 ま た 一つ 一つ の漢 字 は 、 多 く は 中 国 式 の読 み方 か 、 日本 式 の読 み方 の 二様 を 持 ち 、 そ の中 国 式 ・日本 式 も 時
に は 二様 三 様 あ るも のが あ り、 き わ め て 複 雑 な 用 いら れ 方 を す る 。 ︿音 読 ﹀ ︿訓 読 ﹀ と 言 って や かま し い の が そ れ
だ 。 昔 、 日本 に 来 た イ ェズ イ ッ卜 の宣 教 師 は 、 日 本 の漢 字 の 使 い方 を 見 て、 ﹁信 者 を 苦 し め る た め の悪 魔 の発 明
だ ﹂ と 言 った と いう 。( 市河三喜 ﹃ 旅 ・人 ・言葉﹄ 一五九 ペー ジ) こ れ に似 た 使 い方 は、 太 古 の バ ビ ロ ニア 人 の間 と 、
十 六 世 紀 に ス ペイ ン人 に 滅 ぼさ れ た メキ シ コ の ア ズ テ ック 人 の間 に行 わ れ て いた こ と が知 ら れ る だ け で 、 今 の 世
の中 に は た え て 類 例 を 見 ず 、 日本 語 の最 も 著 し い特 色 と な って いる 。 こ れ は 中 国 語 の影 響 下 に 生 れ た 日 本 語 の特
色 の最 大 な も の であ る。 な お 、 中 国 の字 に よ る 日本 語 の表 記 と いう 変 則 的 な 用 字 法 使 用 の結 果 生 じ た、 オ ク リ ガ ナ ・フリ ガ ナも 他 に類 を 見 な い純 日 本 的 な 現 象 であ る 。
次 に 、 漢 語 が 輸 入 さ れ た こと は、 日 本 語 に お び た だ し い抽 象 的 な 意 味 を 持 つ語 彙 を 与 え るよ う に な った 。 日本
語 は ﹁忠 義 ﹂ ﹁孝 行 ﹂ そ の他 多 く の語 彙 を 得 て 、 未 開 人 の 言 語 を 大 幅 に 引 き 離 し た 。 し か し 、 漢 語 の輸 入 に よ る
日本 語 の性 格 上 の影 響 と し て は 、 も っと 他 の 面 が 注 目 さ れ る 。 一つは 、 同 義 語 の増 加 で あ る 。 ﹁ア ス ﹂ と ﹁明 日 ﹂、
﹁ア サ ッテ ﹂ と ﹁明後 日 ﹂、 ﹁ア ク ル ヒ﹂ と ﹁翌 日﹂ のよ う な 対 立 は 、 き わ め て 形 式 的 な 意 味 を 持 つ語 に も 同 義 語
が 見 ら れ る 点 で、 英 語 な ど と は だ いぶ 違 う 。 ロド リ ゲ ス は ﹃日本 大 文 典 ﹄ に お い て、 日本 語 の特 色 の 一つと し て、
ヤ マト コト バと 漢 語 と いう 、 二 重 組 織 の言 語 であ る こと を あ げ て いる 。 そ れ と も う 一つ、 日 本 語 は 漢 語 の お か げ
で 同 音 語 が 増 加 し た 。 よ く 話 題 に の ぼ る こと であ る が 、 コー セ イ と いう 語 が三 十 いく つあ り 、 セイ シと いう 語 が
二 十 いく つあ る 。 こ れ は 、 漢 語 に こと に 多 く 見 ら れ る 。 そ の 他 、 ヒト リ ・フ タ リ ・三 人 ・ヨ人 ・五 人 ⋮ ⋮と いう
よ う な 、 種 々 の点 で 体 系 に 不 規 則 な 点 が で き た のも 、 漢 語 の輸 入 の影 響 の結 果 であ る 。
漢 語 の輸 入 は 日本 語 の音 韻 の 面 に も いく つか の特 色 を 与 え た 。 そ の注 目 す べき も のと し て 、 ハネ ル音 ・ツメ ル
音 が あ る。 単 に 音 声 学 的 に見 れ ば 、 ハネ ル音 は 一種 の鼻 音 にす ぎ ず 、 ツメ ル音 は 一種 の長 子 音 であ って 、 そ れ ほ
ど 珍 し いも の で は な い。 し か し 、 音 韻 論 的 に、 と く に そ の機 能 の 上 か ら こ の音 を 見 れ ば 、 これ ら は と も に そ れ 一
つで優 に 一つの 音 韻 論 的 音 節 を 作 る と いう 点 で 非 常 に 注 目 す べき で あ る 。 そ れ も 、 ハネ ル音 の方 は ま だ 、 広 東 語
や 、 ア フリ カ の スダ ン諸 語 や メ キ シ コ の ミ シ テ コ語 な ど に 同 類 が 見 ら れ 、 珍 し く も な い。 ツメ ル音 の方 は 聴 覚 的
効 果 ゼ ロであ り な が ら り っぱ に 一つ の音 節 を 形 成 す る と いう 点 、 き わ め て珍 奇 な 存 在 で あ る。
さ て 、 日本 語 は 、 中 世 以 後 、 ヨー ロ ッパ語 の影 響 を 受 け た が、 中 でも 英 語 の影 響 が大 き か った 。 これ も 日 本 語
の性 格 を 多 少 変 え た 。 と く に、 それ ま でな か った 文 明機 関 を 表 わ す 名 詞 を 多 く 輸 入 し た り ま た 新 造 し た り し て、
未 開人 の言 語 と の違 いを ま す ま す 大 き く し た こと は、 見 のが せな い。 し か し 、 と く に 興 味 のあ る の は、 文 字 体 系
がま す ま す 複 雑 の度 を 増 し た こと で あ る 。 ヨー ロ ッパ 語 の影 響 を 受 け て、 日 本 に は 、 漢 字 ・カ ナ と いう 縦 書 き を
本 来 と す る 文 字 の ほ か に 、 ア ラ ビ ア 数 字 ・ロー マ字 と いう 横 書 き を 本 来 と す る 文 字 が 輸 入 さ れ た 。 こ の結 果 、 日
本 の文 字 の書 き 方 は 、 縦 書 き と 横 書 き と を 併 用 す るよ う にな った わ け であ る 。 こ れ は す で に相 当 な 変 革 であ る。
と く に 注 意 す べき は 、 横 書 き の場 合 で、 従 来 漢 字 ・カ ナ にお いて は 右 か ら 左 へ書 き 連 ね る 習 慣 が あ った 。 そ こ へ
左 横 書 き の ロー マ字 ・ア ラ ビ ア数 字 の使 用を は じ め た の で、 漢 字 ・カ ナ ・文 字 を 左 書 き にす る 風 も 起 こ り 、 そ の
た め に 、 一時 は 横 書 き に は 右 横 書 き と 左 横 書 き と が並 び 行 わ れ る よ う にな った 。 わ れ わ れ が 町 の看 板 を 読 む時 に 、
ど っち か ら 読 む べき か 一時 と ま ど った も ので あ った が 、 これ は文 字 生 活 上 珍 し いこ と であ る。 昔 エジプ ト の文 字
は、 右 縦 書 ・左 縦 書 ・左 横 書 ・右 横 書 と いう 四 つの方 法 を 混 乱 し て書 か れ た と いう が 、 日本 語 の書 き方 も そ れ に 近 か った 。
終 戦 後 、 左 横 書 き が 強 力 に行 わ れ て、 横 書 き はす べて 左 か ら と いう こ と にな った が 、 縦 書 き の方 が 右 から 行 を
追 う 習 慣 が 改 ま って いな い の で 、 縦 書 き 標 題 の上 に 小 さ い文 字 を 二字 横 に 入 れ る よ う な 場 合 に 、 ち ょ っと し た 抵 抗 を 感 じ さ せ ら れ る。
以 上 に述 べ た 日 本 語 が中 国 語 から 受 け た 影 響 は 、 有 史 以 後 の そ れ だ った 。 し か し 、 お そ ら く 有 史 以 前 に も そ う
いう 影 響 は あ った に ち が いな い。 た だ し それ が 何 であ る か は 明ら か に し が た い。 そ う し て も し 、 そ の こ ろ中 国 語
の影 響 が あ った と す る な ら ば 、 それ と 同 じ よ う に 中 国 語 以 外 の他 の言 語 の影 響 も あ った こと と 思 わ れ る。
日本 人 は 、 多 く の民 族 が ま じ って で き た 雑 種 民 族 だ と は 人 類 学 者 の定 説 であ る 。 日本 古 代 文 化 も ま た 多 く の文
化 の複 合 であ る 。 終 戦 後 間 も な く の こ ろ 、 雑 誌 ﹃民 族 学 研 究 ﹄ に 岡 正 雄 ・八幡 一郎 ・江 上 波 夫 ・石 田 英 一郎 の四
氏 によ る ﹁日本 民 族 の起 源 ﹂ と いう き わ め て 雄大 な 展 望 を も った 座 談 会 が載 った こと が あ る 。 戦 争 中 は 、 日 本 民
族 の由 来 や 国 家 の成 立 な ど に つ いて の科 学 的 な 研 究 発 表 が さ し と め ら れ て いた 。 そ れ が は じ め て 公 開 さ れ た わ け
な の で 、 実 に 目 のさ め る よ う な 好 読 物 だ った 。 こ の記 事 が そ の後 詳密 な 注 を 付 し て単 行本 と し て 世 に出 た こ と は
嬉 し い こと であ る が 、 こ こ で の結 論 によ る と 、 古 代 日本 文 化 を 構 成 し た 要 素 の中 に は 、 (1北 )方 ア ジ ア ・朝 鮮 を
通 し て は い って 来 た ア ル タ イ 系 の文 化 の ほ か に、 大 き く 、 (2東 )南 ア ジ ア ・朝 鮮 南 部 を 通 し て は い って 来 た オ ー
スト ロア ジ ア系 の 文 化 と 、 (3イ )ンド ネ シ ア ・メ ラ ネ シ ア方 面 か ら は い って 来 た オ ー スト ロネ シ ア 系 の 文 化 が 大
き く 取 り 上 げ ら れ て い る。 だ と す る と 、 そ う いう 民 族 の 言 語 も ま た 日 本 語 の成 立 の上 に な ん ら か の影 響 を 与 え た
こと と 思 わ れ る。 す な わ ち 中 国 語 と 並 ん で、 朝 鮮 語 ・モ ンク メ ル諸 語 、 チ ベ ット ・中 国 語 族 の諸 語 、 イ ンド ネ シ
ア 諸 語 な ど は そ の有 力 な メ ン バー であ る 。 こ れ ら の言 語 は ど のよ う な 影 響 を 日 本 語 の上 に 残 し た のだ ろ う か 。
そ の 具 体 的 な 内 容 に つ いて は 、 ち ょ っと 見 当 は つか ぬ 。 し か し 、 こ の考 察 で は 前 節 で 日 本 語 は ア ルタ イ 語 系 統
だ と いう 仮 定 に立 つと 約 束 し た 。 と す る と 、 ア ルタ イ 諸 言 語 には な く 、 中 国 語 ・イ ンド ネ シ ア諸 語 、 東 南 ア ジ ア
諸 語 お よ び 朝 鮮 語 に あ る よ う な 性 格 で 、 日本 語 に 古 く か ら 見 ら れ る よ う な も のが あ る な ら ば 、 そ れ は 、 日本 語 が
そ う いう 言 語 か ら 影 響 を こう む って で き た 性 格 だ と いう 可能 性 があ る 。 今 、 こ のよ う な 観 点 にた って 、 日本 語 の 性 格 を 再 検 討 す る と 、 ど の よう な 性 格 が 浮 び上 って く る か。
大 野 晋 氏 の ﹃日本 語 の起 源 ﹄ は 、 日本 語 の系 統 を 北 方 系 で あ る こ と を 認 め な が ら 、 音 韻 構 造 の点 で、 南 方 系 統
の言 語︱
と く にポ リ ネ シ ア の影 響 を 受 けた と 推 定 し て 話 題 を 提 供 し た 。 た と え ば ア ルタ イ 語 ・朝 鮮 語 は 、 音 節
少 な く と も 上 代 の日 本 語 で は す べ て の音 節 が 母 音 で終 る 、 いわ ゆ
s) yl のl 言a 語bだlっ eた 。 日本 の近 隣 を 見 渡 す と 、 開 音 節 の言 語 の例 と し て は ハワイ か ら ニ ュー
の終 り に 子 音 が 来 る 。 と こ ろ が、 日 本 語 は︱ る 開音 節 (open
ジ ー ラ ンド に わ た って行 わ れ て いる ポ リ ネ シ ア 族 の言 語 が典 型的 な も の だ 。 日本 語 が ア ル タイ 語 の よう な 閉 音 節
った と いう の で あ る 。
を 持 った 言 語 か ら 、 開 音 節 の言 語 に 脱 皮 す る た め に は、 ポ リ ネ シ ア語 の よ う な 言 語 の影 響 を 受 け る こ と が 必 要 だ
日 本 語 が ポ リ ネ シ ア 語 の影 響 を 受 け て、 開 音 節 の言 語 に な った と いう 考 え は 、 早 く 明 治 時 代 に 、 新 村 出 博 士
(﹃ 言葉 の歴史﹄八 ページ) に よ って 提 唱 さ れ た こと が あ る 。 岡 正 雄 氏 は 、 上 に あ げ た 座 談 会 で 、 日 本 語 に そ う いう
性 格 が あ る の は 、 モ ル ッカ 諸 島 の西 北 に ひ ろ ま って いる 北 ハル マ ヘラ 語 と の関 係 が考 え ら れ な い か と 言 って いる 。
大 野 氏 の南 方 語 基 底 論 は 、 そ の線 に 沿 った 論 で、 氏 の創 説 で は な い が、 日 本 語 で 母 音 調 和 が な ぜ衰 滅 し て い った か を 、 や は り 南 方 語 音 韻 基 底 説 に よ って 説 明 し て見 せ た 点 に新 し い点 が あ る 。
と も あ れ 、 南 方 語 の 影 響 を 受 け て 日本 語 の音 節 組 織 が 変 化 し た と 考 え る こと は 、 一説 と し て 尊 重 し て い い。 た
だ し 、 ポ リ ネ シア 語 は 日本 語 と 同 じ よ う な 音 韻 構 造 を 持 って いる が、 そ の分 派 で あ る メ ラ ネ シ ア語 や イ ンド ネ シ
ア 語 が そう いう 構 造 を 持 た な い のは ち ょ っと 変 であ る 。 と す る と 、 ポ リ ネ シ ア 語 と の類 似 は 、 古 く こ の東 南 ア ジ
ア の海 に は 、 開 音 節 の言 語 が行 わ れ て いて 、 そ の発 音 基 底 が 、ポ リネ シ ア 語 にも 残 り 、 日本 語 にも 残 った と 説 明 し た 方 が い い の で はな いか 。
元 来 、 開 音 節 組 織 の言 語 は、 東 南 ア ジ ア の各 地 に 見 ら れ る よ う であ る 。 た とえ ば 、 野村 正 良 氏 に よ る と 、 中 国
の奥 地 にあ る サ ニ語 が そ う ら し いと いう 。 江 実 氏 に よ る と 、 ニ ュー ギ ニア の パプ ア 人 の言 語 も そう だ と 言 わ れ る 。
中 国 語 の中 で も 、 地 理 的 に は 日本 に 一般 に 近 いと こ ろ に行 わ れ て い る 現 代 の上 海 語 は 、 開 音 節 語 と 紙 一重 の言 語
で あ り 、 時 々 日本 語 と 注 目 す べき 一致 を 見 せ る ビ ル マ語 な ど も 、 あ と 一歩 で 開音 節 の仲 間 入 り を す る よ う な 音 節
組 織 を 持 って いる 。(﹃ 世界言語概説﹄下巻 )︱ 洋 の に お い がす る こ と はた し か であ る 。
ど っち に し て も 、 日 本 語 の開 音 節 性 は 、 東 南 ア ジ ア も し く は 太 平
て 、 日本 語 の音 韻 組 織 の上 にポ リ ネ シ ア 語 系 の 影 響 があ った こと を 推 定 し て いる 。 た と え ば 、 いわ ゆ る流 音 と し
さ て 、大 野 氏 の ﹃日 本 語 の起 源 ﹄ は 、 そ れ 以外 の点 でも 、 ポ リ ネ シ ア語 の 音 韻 組 織 と 日 本 語 のそ れ と を 比 較 し
て 日本 語 に は rl のう ち の 一種 し かな い点 な ど で あ る 。 し か し 、 実 は これ は 先 に 述 べ た よ う に 、 極 東 ア ジ ア の言
語 に広 く 見 ら れ る特 色 であ る。 あ る いは 中 国 語 ・ベト ナ ム 語 ・ビ ル マ語 も こ の例 に 入 れ て い いか も し れ な い。 そ
う す る と、 日本 語 ア ルタ イ 系 説 に立 つ限 り 、 こ れ も 周 辺 言 語 の影 響 が あ った と 見 てよ さ そ う だ 。
音 韻 組 織 に関 連 し て 、 日本 語 の ア ク セ ント の問 題 も 考 慮 さ れ て い い。 ア ル タ イ 語 は原 則 と し て 、 音 の高 低 ・強
弱 によ る 語 義 の区 別 が な く 、 つま り 、 ア ク セ ント を 持 た な い言 語 であ る 。 し か し 、 日本 語 は 周 知 のよ う に 高 低 ア
ク セ ント を 持 つ。 元 来 高 低 ア ク セ ント は 、 中 国 語 ・ベト ナ ム 語 ・タイ 語 ・ビ ル マ語 な ど の東 南 ア ジ ア の諸 言 語 に
最 も 顕 著 に 見 ら れ る 性 格 であ る 。 イ ンド ネ シ ア 語 の中 で は、 マライ 語 な ど に は な いと いう が 、 フ ィリ ピ ン諸 島 の
タ ガ ログ 語 に 高 低 ア ク セ ント が 見 ら れ る と いう か ら 、 ほ か に も 見 つか る か も し れ な い。 朝 鮮 語 も 、 今 の京 城 方 言
に こそ 失 わ れ て い る が 、 服 部 四 郎 博 士 (﹃ 藤岡勝二博士還暦記念論文集﹄)に よ る と 、 南 方 朝 鮮 語 に は 見 い だ さ れ る と
の こと であ り 、 諺 文 制定 当 時 の 朝 鮮 語 に 、 高 低 ア ク セ ント が あ った と いう こ と は 河 野 六郎 氏 (﹃ 朝鮮学報﹄第 一輯) に よ って認 め ら れ て いる 。
音 韻 か ら 文 法 に移 れ ば 、 日本 語 が ア ル タ イ 諸 語 と 異 な り 、 周 辺 の諸 言 語 と 共 通 の性 格 を 持 つ例 は た く さ ん あ る 。
こ れ ら は こ と ご と く が影 響 によ る発 生 か どう か は 判 定 で き な いけ れ ど も 、 少 な く と も あ る も のは 影 響 を 受 け た 例
と 見 て よ いだ ろ う 。 な お 注 意 す べき は これ ら は ほと ん ど す べ て 朝 鮮 語 にも 共 通 な こ と だ 。 思 う に 日本 語 と 朝 鮮 語 と が平 行 的 に そ れ ら の影 響 を 受 け た と 見 る べき だ ろう 。
た と え ば 、 日 本 語 の特 色 と し て有 名 な ︿敬 語 ﹀ の 現 象 がそ う だ 。 朝 鮮 語 の敬 語 は 日 本 語 に劣 ら ず 複 雑 であ り 、
中 国 語 ・ベ ト ナ ム語 ・タ イ 語 ・ビ ル マ語 等 東 南 ア ジ ア の諸 言 語 は いず れ も 敬 語 表 現 を も って い る。 R ・ベネ デ ィ
ク ト に よ る と 敬 語 表 現 は 、 太 平 洋 諸 民 族 に普 遍 的 だ と いう 。 イ ンド ネ シ ア語 に 属 す る ジ ャヴ ァ 語 は 、 と く に そ の
複 雑 さ で有 名 で 、 宮 武 正 道 氏 に よ る と 、 七 階 級 の使 い分 け が あ る と いう か ら 、 こ の点 は 日 本 語 ハダ シ であ る 。
敬 語 表 現 と 密 接 な 関係 を 持 つ丁 寧 体 、 いわ ゆ る デ ス マス体 の存 在 、 これ も 東 南 ア ジ ア的 であ る。 敬 語 表 現 に 比
べ て 、 そ の存 在 は 多 く は な いが 、 朝 鮮 語 に 見 ら れ 、 イ ェス ペ ルセ ンに よ る と ビ ル マ語 と ジ ャヴ ァ語 にあ る と いう 。
と考 え れ ば 、 日本 語 と 東 南 ア ジ ア の言 語 と は 関係 があ った と 言
た だ し 、 日本 語 で こ れ が でき た のは 、 平 安 朝 以 後 ら し い。 こ の点 、 影 響 が あ った と ち ょ っと 言 いが た いが、 日 本 語 に は そう いう 文 体 が 発 生 す る素 地 があ った︱ え る か も し れ な い。
次 に ﹃現代 支 那語 学 ﹄ の著 者 デ ン ツ ェル ・カ ー は 、 最 も 論 理 的 な 言 語 と し て 中 国 語 を 激 賞 し た が 、 こ れ だ け は
中 国 語 の欠 点 だ と 言 った 助 数 詞 の存 在 、 あ れ も 東 南 ア ジ ア的 な 性 格 で あ る 。 細 長 いも のを 数 え る に は 、 一本 ・二
本 ⋮ ⋮ と い い、 平 た いも のを 数 え る に は、 一枚 ・二枚 ⋮ ⋮ と いう 類 。 こ れ は、 日 本 語 ・中 国 語 の ほ か に、 朝 鮮
語 ・ベト ナ ム語 ・モ ンク メ ル語 か ら マラ イ 語 に わ た って 見 ら れ る と いう 。 こ れ も 周 辺 の言 語 か ら の影 響 が考 え ら れ る 。 こ れ は 、 日本 の場 合 、 有 史 以 後 中 国 語 か ら 影 響 を 受 け て、 一層 複 雑 化 し た 。
そ の他 文 法 関 係 で は 名 詞 や動 詞 ・人 称 の区 別 を す る 変 化 のな い こ と 、 数 区 別 を や かま し く 言 わ な い こ と 、 が 、
朝 鮮 語 ・中 国 語 ・ム ンダ 語 ・ベト ナ ム 語 ・モ ンク メ ル語 ・マ ライ ポ リ ネ シ ア諸 語 に共 通 に 見 ら れ る 。 こ れ は 、 ア
ルタ イ 語 で は 蒙 古 語 や ト ル コ語 にあ る と ころ か ら 考 え る と 、 これ ま た 、 日本 語 は 周 囲 の言 語 の 影響 を 失 った も の で あ ろう か 。
右 の ほ か に、 指 示 に 用 いら れ る 語 彙 が 、 近 称 ・中 称 ・遠 称 に分 か れ て いる点 が 、 大 野 晋 氏 に よ って南 方 語 の影
響 だ ろ う と 考 え ら れ て い る。 こ の三 つ の別 は 、 日 本 語 の ほ か に朝 鮮 語 ・ベ ト ナ ム語 ・タ イ 語 ・ム ンダ 語 お よ び ア
イ ヌ語 に 見 ら れ る。 し か し 中 国 語 に こ の区 別 のな い こと は 注 意 す べき であ る。 ま た 、 ア ル タイ 語 のう ち ト ル コ語
に は こ の区 別 があ る と いう 。 そ う す る と 、 これ は 、 南 方 諸 言 語 の影 響 と は 見 ら れ な い かも し れ な い。 ま た 、 日 本
語 にお け る 三 称 の区 別 も 、 あ る いは 有 史 以 後 でき た も の で は な い かと いう 疑 いも 、 か から な い で は な い。
﹃万 葉 集 ﹄ の 謎 は 英 語 でも 解 け る
し て 、 ヒ マラ ヤ 山 麓 の レプ チ ャ族 を 訪 れ る べし と いう 壮 挙 も 提 案 さ れ た や に聞 く 。 専 門 の 言 語 学 者 ・国 語 学 者 た
安 田 徳 太 郎 博 士 の ﹃万 葉 集 の謎 ﹄ は大 評 判 であ る 。 博 士 の手 並 み に魅 せ ら れ た 知 識 人 の間 に は、 探検 隊 を 組 織
ち は 、 さ す が に冷 静 で 、 服 部 博 士 や 大 野 教 授 あ た り か ら 、 安 田博 士 の方 法 論 に つ いて 批 判 が 出 た 。 が 、 し かし 、
そ の説 く と こ ろ は 、 あ ま り 正 攻 法す ぎ て、 博 士 の信 念 を 動 かす に は 至 ら な か った ら し い。
思 う に、 安 田 セ オ リ ー を 破 る に は 、 何 ぞ玄 人 芸 を 用 いん や 。 安 田 流 に向 か う に は や は り 安 田 流 が よ ろ し い。 昔 、
マイ ダ ス王 は 手 に 触 れ るも のを 悉 く 黄 金 に換 え る 術 を 授 か った。 安 田 ド ク タ ー の振 う メ ス は、 日本 語を 片 端 か ら
レプ チ ャ語 に換 え る 魔 力 を も つ。 私 は そ の メ スを 借 り て 、 ︽万 葉 集 の謎 は 、 レ プ チ ャ語 で 解 釈 さ れ る と 同 じ 程 度 に、 英 語 でも 解 釈 でき る︾ こと を 証 明 し よ う と 思 う 。
は じ め に お断 り し て おく こと は、 私 は 別 に ︽だ か ら 、 日 本 語 と 英 語 と は 同 じ 系 統 だ ︾ と 言 お う と いう 意 志 は 毛
頭 な い こと であ る 。 英 語 を え ら ん だ のは、 一つは 、 英 語 が た ま た ま 今 の 日本 人 に 一番 親 し い外 国 語 だ と いう こ と
によ る 。 そ れ か ら も う 一つは 、 英 語 な ら ば 、 私 が ど のよ う に 巧 妙 に 論 理を 運 ん でも 、 私 に 釣 ら れ て 、 日本 語 と 英
語 と が 同 源 だ と 信 じ 込 む 向 き は 万 々あ る ま いと の安 心 感 に よ る 。 も し 、 社 会 的 な 事 情 が ち が って いた ら 、 私 は 、 フ ラ ン ス語 で、 中 国 語 で、 あ る いは 、 ロシ ア 語 で 、 ﹃万 葉 集 ﹄ を 解 く であ ろ う 。
以上を前 書き として実演 にとりか かる。
安 田 博 士 は 、 民 間 の 俗 語 の 解 釈 か ら 入 った か ら 、 そ れ に な ら え ば 、 ま ず 、 博 士 は ア カ ン は レ プ チ ャ 語 の
﹁自 分
の 考 え と 一致 し な い ﹂ と い う 単 語 だ と 言 わ れ た 。 そ れ な ら 、 こ ち ら は 、 俗 語 の オ ジ ャ ン は 、 英 語 の ア ジ ャ ン
(adjour延 n︱ 期 す る ) だ と 行 こ う 。 延 期 す る こ と は オ ジ ャ ン に な る こ と だ 。 と 同 時 に 、 一時 流 行 し た ア ジ ャ パ ー
﹁処 置 な
(pap) er のパーだ。 だか ら、 ジ ャンケ
と いう 単 語 は 、 コ メ デ ィ ヤ ン伴 淳 氏 と や ら の 発 明 と いう の は ウ ソ で、 こ の オ ジ ャ ン に、 手 を ひ ろ げ て し ﹂ の 表 情 を 表 わ す パ ー を つけ た も の だ と い う こ と に な る 。 で は 、 な ぜ 手 を ひ ろ げ る こ と を パ ー と いう か 。 これ は 英 語 の ペ ー パ ー
﹁五 つ﹂ が パ ン ガ ー と な って い る 、 そ れ が ジ ャ ン ケ ン の パ ー に な った と 言 わ れ る が 、 英 語 説 の
ン の時 に 、 ﹁紙 ﹂ を パ ー と い う の だ 、 と は い か が 。 安 田 博 士 に よ る と 、 レ プ チ ャ 語 の 近 く に ア ッ チ ャ 語 と い う の があ って、 そ こ で 方 が は る か に 見 事 では な いか 。
(goods 品︱物 ) か ら 来 た と し た ら ど う だ ろ
( か ら っぽ ) か ら 来 た と 言 わ れ る 。 が 、 に ぎ り
﹁か ら っぽ ﹂ と い う の は 変 だ 。 そ れ よ り も 英 語 の グ ッ ズ
つ い で に ジ ャ ン ケ ン のグ ー は 何 か 。 博 士 は 、 レプ チ ャ語 のグ ン し めた形を
( chop︱ き ざ む )+ ﹁切 る ﹂ の合 成 語 で あ る チ ョ ッキ リ
(は さ み ) の 略 語 だ 。 チ ョ ッ キ リ は 、 ﹁五 千 円 チ ョ
う 。 チ ョキ は ? 博 士 は 、 レ プ チ ャ 語 で 、 ジ ャ ピ ・ ツ (鋏 の 両 刃 ) だ と 言 わ れ る 。 英 語 で 説 明 す れ ば 、 こ れ は チ ョ ップ
(zo )、 rタ コカ イ ナ で、 一
ッ キ リ ﹂ と いう よ う な 時 に 、 今 で も 使 う 。 ﹁は さ み で 裁 断 し た よ う に ﹂ の 意 味 で 、 は し た の な い こ と に な る︱ と や れ ば 、 グ ー チ ョキ パ ー も 英 語 で 解 け て し ま った 。
チ ュー ・チ ュー ・タ コ ・カ イ ・ナ も 、 博 士 は レ プ チ ャ 語 の 、 チ ョ ン (zo )、 n チ ョル
つ 、 二 つ、 ⋮ ⋮ の 意 味 だ と い わ れ る 。 そ の 伝 に 習 え ば 、 こ れ は 英 語 で 、 ﹁two,twタ o, コカ イ ナ ﹂ で あ る 。 そ の 証
﹁汁 ﹂ は 、 レ プ チ
拠 に 、 子 供 た ち は 、 ﹁チ ュー ・チ ュー ・た こ か い な ﹂ と 唱 え る と き に 、 お は じ き な ど を 一 つ ず つ 数 え る こ と を せ ず 、 一回 に 二 つ ず つ組 に し て 数 え て い く で は な い か 。
安 田 博 士 は 、 開 巻 第 一ペ ー ジ に 、 日 本 語 の ﹁売 る ﹂ は 、 レ プ チ ャ 語 のul に 同 じ 、 日 本 語 の
(selに l同 )じ く 、 日 本
﹁失 敗 ﹂ の 意 、
(de) wに 似 て い る 。 博 士 は 、 ミ ソ ッ パ の ミ ソ は 、 レ プ チ ャ 語 のnyitか ら 来 た
ャ 語 のsil に 似 て い る と 言 わ れ た 。 そ れ な ら ば 、 日本 語 の セ リ 売 り の セ リ は 、 英 語 の セ ル 語 の ﹁つ ゆ ﹂ は 、 英 語 の デ ィ ユー
と さ れ る が 、 これ は お よ そ似 も や ら ぬ 。 そ れ く ら いな ら 、 ミ ソは 、 ミ ソ ヲ ツケ ル の ミ ソ で 、 も と は 英 語 の miss 。か ら 来 た も の と 応 じ た い 。
博 士 は 、 レ プ チ ャ 語 の チ ュー は 何 、 誰 の 意 味 で 、 ﹁何 チ ュ ウ こ と を す る ﹂ の チ ュウ は そ れ が 残 った と 言 わ れ る
﹁何 と 言 い ま し て も ﹂ は 、 東 京 人 で も
が 、 こ れ は ま こ と に 強 引 。 英 語 のsayが 、 ち ゃ ん と 日 本 語 に 入 っ て い る の で 、 長 野 県 の 犀 川 流 域 の 方 言 で は 、 ﹁何 と 言 った ﹂を ﹁何 セ ー ッ タ ﹂ と い う 。 舘 野 守 男 前 N H K 解 説 員 の 愛 用 語
﹁こ と あ げ ﹂ の
﹁こ と ﹂、 日 本 は 昔 か ら 言 挙 げ を 卑 し む 国 柄 で 、 ﹁say て
﹁何 セ ﹂ つま り ﹁ナニsay﹂と いうこ と が あ る。 こ と わ ざ に 、 ﹁せ い て は こ と を し そ ん じ る ﹂ と い う の は 、 ﹁急 く ﹂ と 解 釈 す る の は ま ち が い で 、 ﹁こ と ﹂ は は 言 葉 を し そ ん じ る ﹂ と 言 った も の だ 。
( 貧 ) ・ポ ン (貧 ) ・ポ ン ( 貧 ) か ら 転 じ た と いう が、 いか に 母 音 ・
﹁乏 し い ﹂ と い う 意 味 の 合 成 語 で 、 こ の 種 の 同 意 語 の 合 成 語 が 日 本 人 に 好
子 音 の 変 り や す い レ プ チ ャ 語 だ か ら と 言 っ て も 、 こ の 結 び つ け は 苦 し い 。 ス カ ン ピ ン は 英 語 のscant (ス カ ン
俗 語 、 ス カ ンピ ンは 、 博 士 に よ る と 、 ス ー
ト )・pic n h (ピ ン チ ) で あ る 。 つ ま り
ま れ た こと は、 博 士 自 身 が 至 る と こ ろ でも 力 説 し て お ら れ る 。
ey かeら !来 た も の 、 ﹁ば
( tongue こ︱と ば ) と か ら 来 た と す る
﹁冗 談 も 言 い か げ ん に し て く れ ﹂ の ﹁冗 談 ﹂ を 、 安 田 博 士 は 、 レ プ チ ャ 語 のlyop(リ ヨ ップ ) か ら 来 た と さ れ る が 、 こ れ も 無 理 で 、 こ れ は 英 語 の ジ ョー ク(jo ke︱ ふ ざ け た ) と タ ン グ
an
﹁さ ﹂ は 、 英 語 の 会 話 の 文 末 に 多 く 使 わ れ るsir で あ る と コジ つけ ら れ 、 日 常 語 は 、 片 端 か ら 英
方 が は る か に 無 難 だ 。 ﹁こ う いう 考 え は 危 い ﹂ と いう 時 の ア ブ ナ イ は 、 英 語 のHave かげた 話さ﹂ の
﹃万 葉 集 ﹄ に 入 る が 、 ま ず こ の manyosと hu いう 名 が 、 レプ チ ャ語 で あ る さ き に、 英 語 で あ
語 で解 釈 さ れ る こ と に な る。 さ て、 こ の へん で
・シ ョ ー の
﹁多 く の ﹂ の 意 味 、
フ ァ ッシ ョン
る 。 こ の 綴 り を よ く 見 ら れ た い 。 最 初 にmanyと いう 部 分 が あ る が 、 こ れ は 言 わ ず と 知 れ た
次 の〓 は 、 英 語 の ode の 略 で 、 ﹁頌 歌 ﹂ の こ と 、 shu は shew で 、 こ れ は 、 今 の show︱
シ ョ ー の 古 語 だ 、 と は コ ン サ イ ス 英 和 に も 載 っ て い る 。 つ ま り 、 ﹁た く さ ん の頌 歌 の 陳 列 ﹂ の 意 で 、 巻 一あ た り
に 、 御 用 歌 人 の 柿 本 人 麿 等 の 宮 廷頌 歌 を 集 め て あ る と こ ろ か ら 、 こ の 名 が 出 た と や る こ と が で き る 。
﹁海 の 底 ﹂ の 意 に な り 、 ワ タ ナ カ と な る と
﹁海 の 中 ﹂ に な る 。 こ の ワ タ は 英 語 の waterだ。 随 っ て 、 ワ
こ の 調 子 で 本 文 を 読 め ば 、 ﹃万 葉 集 ﹄ 二 十 巻 は 至 る と こ ろ 英 語 の 氾 濫 だ 。 代 表 的 な 万 葉 語 、 ワ タ は 、 ワ タ ノ ソ コと な る
タ ツ ミ はwater+海 で 、 安 田 博 士 お と く い の 重 ね 言 葉 の 例 で あ る 。 柿 本 人 麿 の 歌 の ﹁志 賀 の 大 ワ タ よ ど む と も ﹂
の 大 ワ タ も 、 ﹁多 く の 水 ﹂ で 、 随 っ て 、 こ れ を 、 ﹁大 き く 入 り く ん だ と こ ろ ﹂ な ど と 解 釈 し て い た 国 文 学 者 は 何 を 考 え て いた か と いう こ と に な る 。
こ れ も 代 表 的 な 万 葉 語 、 恋 し い 男 性 を 表 わ す セ ナ は 、 英 語 の seno( r セ ニ ャ︱ 紳 士 ) で あ る 。 と し た 方 が 、 博
士 の よ う に ヒ マラ ヤ 地 方 の ケ パ か ら 来 た と す る よ り ず っと 自 然 だ 。senoが rも と ス ペ イ ン 語 起 源 で あ る こ と は 、
博 士 の 引 か れ た ケ パ が 、 レ プ チ ャ 語 で は な く て 、 チ ベ ット 語 で あ る の と 同 じ こ と だ 。 ま た 、 日 本 語 で セ ナ と セ ニ
こ れ は 、 昔 、 英 語 に 貞 潔 な 女 性 と い う 意 味 のimoと い う 単 語 が あ っ て 、 そ の 名 残 り だ 。 昔 、 英
ャが 通 う こ と は 、 セ ニ ャナ ラ ンを セ ナ ナ ラ ンと も いう 例 で 明 ら か であ ろ う 。 イ モ は 、︱
語 にimoと いう 単 語 が あ った 証 拠 に 、 シ ェ ー ク ス ピ ア の 戯 曲 のCymbeliの n中 e に Imoginと い う 名 の 、 婦 道 の 鑑
と も い う べ き 女 性 が 登 場 す る 、 と 説 い た 方 が 、 博 士 の よ う に 、 ﹁イ モ は 、 も と も と 妻 や 娘 の 意 味 だ っ た が ⋮ ⋮ ﹂ と さ れ る よ り 、 ず っと 真 実 ら し か ろ う 。
﹃万 葉 集 ﹄ の 巻 頭 を 開 け ば 、 雄 略 天 皇 の 御 製 が 出 て く る 。 が 、 こ の 雄 略 天 皇 は 、 実 は 英 語 名 で 、 ユウ リ ャ ク は 英
語 の ジ ユ リ ア ス(Juliuの s) 宛 字 だ 。 ﹁天 皇 ﹂ は 、 Caes erで あ る か ら 、 け っ き ょ く 、 ﹁雄 略 天 皇 ﹂ は ユ リ ウ ス ・シ
ー ザ ー の 意 味 で あ る 。 c が k に も sに も な る の は 英 語 の 常 で あ る か ら 、 ス が ク に な る 変 化 は 、 と が め る に あ た ら
な い。
﹁に ひ ば り 筑 波 ⋮ ⋮ ﹂ の
barr( iニ er ュー バ リ ァ )、 つ ま り 、 新 し い ト リ デ だ 。 今 、 常 磐 線 の 列 車 に 乗 っ て 利 根 川 を
﹁に ひ ば り ﹂ は 、nyim( 太 陽 )、 bar( 大 き い ) だ と さ れ る 。 そ の 手 に な ら え ば 、 ﹁に ひ
安 田 博 士 に よ る と 万 葉 の 謎 は 三 つ あ り 、 枕 言 葉 ・東 歌 ・防 人 歌 だ と い う 。 そ う し て 、 例 え ば 、 東 歌 の 枕 言 葉
ば り ﹂ は 、 英 語 のnew
渡 った と こ ろ に 、 ﹁取 手 ﹂ と いう 駅 が あ る が 、 あ す こ に 、 昔 、 エ ゾ 、 今 の ア イ ヌ 人 を 防 ぐ た め の ト リ デ が あ った 。
﹁新 し い ト リ デ を キ ズ ク ﹂ と い う 意 味 で
﹁筑 波 ﹂ の 枕 言 葉 に な っ た も の だ 。 ニ ュー を ニー と な ま った の は 、 茨
の ち に 中 央 政 府 の 権 力 の 拡 張 に と も な って 、 も う 少 し 北 に 新 し い の を 作 った 。 こ れ が 今 の 新 治 郡 で あ る 。 そ う し て
城 県 は 、 昔 は こ の へ ん ま で ズ ー ズ ー 弁 の 地 帯 だ った か ら で 、 今 で も 、 ﹁牛 乳 ﹂ を ギ ー ニー と 発 音 す る 地 方 だ か ら 、
こ の ぐ ら い の な ま り は 当 然 で あ る 。 も し 、 土 地 生 え ぬ き の 人 を つ か ま え て 、 ﹁新 治 ﹂ と 言 わ せ 、 注 意 深 く 耳 を す
ま せ る な ら ば 、niiba とr言 i った あ と で 、 か す か に 、 ア と も エ と も つ か ぬ 音 が ひ び く の を 聞 く だ ろ う が 、 こ れ は 昔 の発 音 を 伝 え た も の であ る。
同 様 に 、 ﹁や ま と ﹂ に か か る 枕 言 葉 、 ﹁そ ら み つ﹂ も 英 語 だ 。 ﹁そ ら ﹂ はsolar( 太 陽 の ) で 、 ﹁空 ﹂ と い う こ と
ば も 、 実 は 、 こ れ か ら 出 来 た 。 ﹁み つ﹂ は mi。・ sで s、 な く な る こ と 、 つ ま り ソ ラ ミ ツ は 今 の 日 蝕 だ 。 ヤ マ ト は
﹁yammerの オ ト ﹂ の 意 味 で 、 ﹁悲 し む 声 ﹂ の 意 、 そ の ひ び き が た ま た ま 国 名 の ﹁大 和 ﹂ と い っし ょ だ った の で 、
ソ ラ ミ ツ ヤ マ ト と し ゃ れ た の だ 。 日 蝕 の 時 に い か に 上 代 の 日 本 人 が 悲 し ん だ か は 、 ﹃古 事 記 ﹄ に 出 て く る 、 ア マ テ ラ ス オ オ ミ カ ミ が 天 の 岩 戸 へ隠 れ た 時 の 伝 説 が 示 す と お り で あ る 。
つま り
﹁悲 し い 島 ﹂ の 意 味 と 解 す る 。
な お 、 安 田 博 士 は 、 佐 渡 が 島 に レ プ チ ャ 語 のsad ( 寒 い ) を あ て て 、 ﹁寒 い 島 ﹂ の 音 と さ れ た が 、 佐 渡 を 寒 い 島 と は 、 オ ケ サ 節 の 文 句 に も 出 て 来 な い 。 こ れ は 、 英 語 で い うsadの 島︱
佐 渡 は 、 来 い と 言 う た と て 、 横 町 の 酒 屋 へ酒 買 い に 行 く よ う に 、 ち ょ っく ら ち ょ っと は 行 け な い島 で あ り 、 順 徳
院 が 、 も も し き や 古 き 軒 端 の シ ノ ブ グ サ に 昔 を 忍 ば れ た 島 、 安 寿 ・厨 子 王 の 母 が 失 明 し て 粟 穂 の す ず め を 追 った
島 ⋮ ⋮ で 、 ま こ と に悲 し い島 であ る 。
最 後 に 、 安 田博 士 は 、 上 代 の恋 愛 歌 を 重 視 し て、 そ の レプ チ ャ語 によ る解 釈 を 多 く 試 み て お ら れ る が、 これ ら も 英 語 で 簡 単 に解 け る 。
い や ぜ る の、 あ ぜ の こ ま つ に、 ゆ ふ し で て 、 わ を ふ り み ゆ も 、 あ ぜ こ し ま は も
﹃常 陸 風 土 記 ﹄ に あ る ナ カ サ ン ダ ノ イ ラ ツ コ が 、 歌 垣 で 相 手 の 女 性 に 詠 み か け た と い う 歌 、
(on) が 、 オ ン ド リ に お け る よ
(und) er の イ ラ ツ コ ﹂、 つ ま り 、 女 泣 か せ の イ ラ ツ コ と い う
こ の 歌 の 博 士 の解 釈 は 、 あ ま り に も 美 文 調 で 、 素 朴 真 率 だ った 上 代 日 本 人 の 歌 に は ふ さ わ し く な い 。 第 一に 作 者 で あ る 、 ナ カ サ ン ダ ノ イ ラ ツ コ は 、 ﹁泣 か す ア ン ダ
異 名 を と った そ の 道 の 達 人 で あ る 。underが 女 性 を 意 味 す る こ と は 、 そ の 反 対 の
﹁歌 垣 ﹂ の 間 か ら か い ま み 、 そ の ほ こ り と す る 逸 物 を 、 ニ ュ ッと 突
う に、 男 性 を 意 味 す る 事 実 か ら も 容 易 にう な ず け よ う 。 こ の女 泣 か せ のイ ラ ツ コは 、 相 手 の女 性 を
﹁木 綿 四
see⋮ の t意 he 味 と を か け た も の 、 ﹁わ を ふ り ﹂ の ﹁ふ り ﹂ は 、 英 語 のfr eeで あ っ て 、 物 件 を 突
﹁あ ぜ の こ ま つ に ﹂ ま で は 、 ﹁ゆ ふ し で ﹂ に か か る 序 、 ﹁ゆ ふ し で ﹂ は 、 国 語 学 者 の いう
き 出 し た 。 つま り 、 ﹃太 陽 の 季 節 ﹄ の 冗 談 版 、 い や 、 上 代 版 で あ る 。 そ の 時 、 歌 った 歌 が 右 の ﹁い や ぜ る の ⋮ ⋮ ﹂ だ 。 そ の意 味 は 手 ﹂ の 意 味 と 、you
き 出 す こ と で あ る こ と は 、 今 、 下 世 話 に 、 該 物 件 を 自 由 に 開 放 す る 意 味 のフ リ と いう こ と ば が 残 っ て い る こ と で
知 ら れ よ う 。 つま り 、 歌 の 意 味 は 、 ﹁あ な た は 私 の こ の り っぱ な 物 件 を 見 て も 、 な び か な い か ﹂ と い う 、 ア プ レ 諸 君 は だ し の、 き わ め て大 胆 率 直 な 求 愛 の表 出 であ った 。
think,のa ごr とrし ow(体 が 燃 え て く る と ど
一般 に 、 上 代 の 日 本 人 が 性 行 為 に 対 し て 直 情 径 行 型 で あ った こ と は 、 ﹃ 古 事 記 ﹄ の イ ザ ナ ギ ・イ ザ ナ ミ の 結 婚 の 伝 説 の 一 コ マ で 知 ら れ る と お り 。 ち な み に 、 当 時 、 日 本 に は"sex
う に も な ら な い)"と いう こ と わ ざ が あ った が 、 こ れ が 、 あ ま り 、 露 骨 す ぎ る と い う の で 、 ﹁セ キ ヒ ン 、 ア ロー が
ご と し ﹂ と 体 裁 よ く 改 め た のは 、 後 世 の道 学 者 のさ か し ら であ った 。 ﹁キ シ ン矢 の ご と し ﹂ と いう こ と わ ざ は 、
セ の音 を 落 し て、 ア ローを 同 意 語 ﹁矢 ﹂ に換 え た も ので 、 同 じ 起 源 を も って いる、 と は いか が です か 。
こ の調 子 で説 い て いけ ば 、 ﹃万 葉 集 ﹄ 二 十 巻 を 英 語 で説 く こ と は 朝 飯 前 であ る が、 こ れ は そ の は ず で、 安 田博 士 の手 法 を ま ね れ ば 、 ﹃万 葉 集 ﹄ は 地 球 上 の何 語 で も 解 釈 で き る の で あ る 。
こ こ で 考 え て いた だ き た い。 私 は た ま た ま ﹃万 葉 集 ﹄ を 解 く に 英 語 を も ってし た か ら 、 ど な た も 問 題 にな ど さ
れ な か った であ ろ う が、 も し 、 私 が 、 結 び つけ た の が 英 語 で は な く て、 ニ ュー ジ ー ラ ンド の マオ リ 族 の言 葉 や 、
メキ シ コ の マヤ 族 の言 葉 で あ った ら 、 ど う だ った ろう か 。 中 に は 、 あ る いは と 誘 い込 ま れ る 向 き も あ った ので は な か ろ う か 。 安 田 博 士 の ﹃万 葉 集 ﹄ の解 釈 は 、 言 わ ば そ の類 のも の であ った 。
安 田 博 士 は、 し き り に 、 万 葉 人 は 漫 才 精 神 が 横溢 し て い る と 論 じ て いら れ る が 、 博 士 の論 文 自 身 も 、 は な は だ
漫 才 調 で あ る。 巻 を 措 く あ た わ ず と いう 魅 力 の 一つは そ こ にあ る 。 も っと も 、 時 に 、 国 文 学 者 を 無 為 無 能 と の の
し って 万 歳 を 叫 ん で いる と こ ろ は 、 漫 罪 調 で も あ り 、 も し こ れ が 世 の中 に ひ ろく 読 ま れ て 、 万 財 を き ず か れ た の な ら ば 、 多 少瞞 罪 調 の傾 向 も な し と し な い。
Ⅴ 新村 出博 士 の ﹃ 国 語 学 概 説﹄
明 治 三 十 七 年 十 月 か ら 翌 三 十 八 年 の 六 月 にか け て 、 新 村 出 博 士 は 、 東 京 帝 国 文 科 大 学 の若 き 助 教 授 と し て 、 日 本 で 最 初 の ﹁国 語 学 概 説 ﹂ お よ び ﹁国 語 研 究 法 ﹂ を 講 ぜら れ た 。
新 村 博 士 は 、 明 治 三 十 二 年 に同 大 学 の博 言 学 科 を 首 席 で卒 業 、 す ぐ 大 学 院 に進 ん で三 十 七 年 七 月 に 満 期 退学 、
八 月 に同 大 学 助 教 授 を 命 ぜ ら れ、 九 月 に 開 講 さ れ た の が こ の講 義 だ った 。 雑 誌 ﹃言 語 研 究 ﹄ 五 十 四 号 に ﹁新 村 出
先 生 略 譜 ﹂ と いう も のが 載 って いる が、 そ の中 に、 ﹁明 治 三 十 七 年 十 月 二 十 五 日 東 京 帝 国 大 学 国 語 国 文 学 第 一講
座 分 担 ヲ命 ス﹂ と 出 て いる の が こ れ であ る 。 新 村 博 士 は そ の大 学 院 在 学 中 、 上 田 万 年 博 士 の指 導 のも と に、 豊 富
な 蔵 書 を 誇 る 国 語 学 研 究 室 ・言 語 学 研 究 室 で、 内 外 の文 献 を 渉 猟 し 、 読 破 す る こ と 満 五 年 、 こ の講 義 は 最 初 に そ
の成 果 を 問 う 機 会 だ った 。 気 力 も 自 信 も 満 ち た みず み ず し い講 義 であ った こと と 想 像 さ れ る 。
例 え ば 、 随 筆 選 集 ﹃思 い出 の
金 田 一京 助 が こ の講 義 に 魅 了さ れ 傾 倒 し た こ と は、 第 三 者 と し て 見 る と こ っけ いな く ら い で、 私 は息 子 と し て 、 そ の底 な し の 賛 美 を 何 回 聞 か さ れ た か 分 か ら な い。 京 助 は 、 機 会 あ る ご と に︱
人 々﹄ に 収 録 さ れ て いる ﹁現 代 国 語 学 産 み の親 ﹂ ﹁国 語 学 の 二名 著 ﹂ な ど 、 機 会 あ る ご と に そ の講 義 に対 す る 賛
辞 を 述 べ て いる 。 殊 に新 村 博 士 が 逝 去 さ れ た と き 、 博 士 が 会 長 を 務 め て お ら れ た 日 本 言 語 学 会 で は、 ﹃ 言 語研究﹄
の第 五 十 四 号 を 新 村 博 士 の追 悼 号 にあ て、 そ の巻 頭 の文 章 を 副 会 長 であ った 金 田 一京 助 に執 筆 さ せ た が 、 そ の文
章 ﹁鳴 呼 新 村 出 先 生 ﹂ は、 最 初 か ら 最 後 ま で そ の時 の講 義 を 追 懐 す る 言 葉 に 終 始 し て いる 。 一ペー ジ に も 満 た な
い文 章 の中 に ﹁名 講 義 ﹂ と いう 語 を 六 回 も 繰 り 返 し て いる が、 いか に傾 倒 が 激 し か った か が 知 ら れ よ う 。
京 助 は 後 自 分 が 大 学 で講 義 を す る よ う にな った が、 そ の講 義 に 出 席 し た 人 た ち が 口 を そ ろ え て 言 う 言 葉 は 、 京
った こ と であ る。 あ れ は、 新 村 先 生 の講 義 の癖 のま ね で 、 自 分 も 新 村 先 生 のよ う な 講 義 を し た い気 持 ち か ら し て
助 は学 生 の顔 な ど は 全 然 見 ず 、 教 室 の後 ろ の壁 の天 井 よ り わ ず か に 下 が った あ た りを 見 つめ て 話 を 続 け る 癖 があ
いる のだ と 、 私 に 告 白 し た こ と があ る 。 成 功 し た か ど う か は 分 か ら な いが、 や は り傾 倒 の深 さ を 物 語 る 一端 で は あ る。
京 助 に よ れ ば 、 当 時 、 一級 上 の 言 語 学 の ク ラ ス に、 橋 本 進 吉 ・小 倉 進 平 ・伊 波 普 猷 の諸 氏 が あ り 、 こ れ がま た 、
そ ろ って 新 村 博 士 の講 義 の影 響 を 受 け た 、 だ か ら そ れ ぞ れ 国 語 学 ・朝 鮮 語 学 ・琉 球 語 学 を 選 ぶ よ う にな った の だ
と 、 こ れ ま た 口癖 のよ う に 言 って いた 。 こ れ も 真 偽 は 別 と し て、 京 助 が そ う 言 って いる 以 上 は 、 これ ら の上 級 生
も 恐 ら く 新 村 博 士 の講 義 に 歓 喜 し 、 そ れ を 賛 嘆 す る 声 を 惜 し ま な か った ので あ ろう 。
博 士 の こ の講 義 は 一週 間 三 時 間 ず つだ った と いう 。 つま り 、 普 通 の授 業 よ り 一時 間 多 か った わ け で あ る が、
﹁ 鳴 呼 新 村 出 先 生 ﹂ に よ る と 、 二 日 に わ た って 三 時 間 であ った と いう 。 そ う し て 、 一年 間 の講 義 のう ち 、 総 論 は
ヨー ロ ッパ の 言 語 学 史 と 日 本 の国 語 学 史 、 各 論 は 国 語 の音 韻 論 と 文 法 論 と で、 文 法 論 は 未 完 だ った と 言 う 。 ﹁国 語 概 説 ﹂ と ﹁国 語 研 究 法 ﹂ と 両 方 を 含 め た も の であ ろう 。
前 に あ げ た ﹁新 村 出 先 生 略 譜 ﹂ と いう も の に よ る と 、 明 治 三 十 八 年 六 月 六 日 に、 ﹁国 語 国 文 学 第 一講 座 分 担 ヲ
こ の講 義 を 進 め た か 詳
免 ス ﹂ と あ る。 これ は こ の年 の六 月 に 授 業 が 終 った こ と を 表 わ す も のと 見 ら れ る。 と す る と 、 国 語 概 説 は 三 月 ご
朗 読 調 で か、 演 説 調 で か 、 話 し 掛 け 調 で か︱
ろ に で も 終 って 、 そ のあ と 六 月 ま で 、 国 語 研究 法 に 切 り 変 え ら れ た も の で あ ろ う か。 次 に 、 新 村 博 士 がど の よ う な 様 式 で︱
細 に は 分 か ら な い。 私 が東 大 で 受 け た授 業 で は、 橋 本 進 吉 博 士 は 、 一語 一語 学 生 が正 しく 筆 記 で き る よ う に、 ゆ
っく り ゆ っく り 口 に さ れ 、 話す と いう よ り は 、 御 自 身 の ノ ー ト を 読 ん で ゆ か れ た 。 金 田 一京 助 の方 は 大 意 を と る
し か な いよ う に、 こ れ は か な り 自 由 に 話 し て行 った 。 新 村 博 士 は ノ ー ト か ら う か が う と、 ま た 京 助 の講 義 の仕 方
を も と に し て 考 え る と、 自 由 に し か し ゆ っく り 話 し て ゆく 方 だ った ろ う と 思 う 。 京 都 大 学 で新 村 博 士 の言 語学 の
講 義 を 聴 か れ た 泉 井 久 之 助 博 士 によ る と 、京 都 大 学 の新 村 博 士 の講 義 ぶ り は そう だ った と 言 わ れ る 。 と す る と 、
今 、 も し京 助 以 外 の、 同 時 に講 義 を 聴 か れ た 方 のノ ー ト が見 つか った 場 合 、 比 較 し て み た ら か な り 違 った 文 章 に な って いる も のと 想 像 す る 。
な お 、 京 助 のノ ート は 、 国 語 概 説 に関 す る 限 り、 大 部 分 は 文 語 体 で書 か れ て いる 。 と 言 って 、 博 士 が 文 語 体 で
話 さ れ た と は 思 わ れ な い。 これ は京 助 が博 士 の話 を 頭 の中 で 文 語 に直 し て 筆 記 し た の であ ろ う 。 今 の若 い学 生 諸
君 に は ち ょ っと 想 像 し に く いかも し れ な いが 、 明治 の ころ の学 生 は 、 文 章 と いう も のは 文 語 で書 く も のと 思 って
お り 、 話 し 言 葉 を 逐 一文 語 体 に直 す こと は ご く 容 易 だ った 。 何 し ろ 当 時 は 学 校 の教 科 書 はす べ て文 語 体 、 毎 日読 む 新 聞 の文 章 も 文 語 体 に 統 一さ れ て いた 時 代 であ る か ら 。
さ て 、 京 助 は こ の講 義 のど こ に そ ん な に感 心 し た のだ ろ う か。 京 助 は ﹁国 語 学 の二 名 著 ﹂ の中 に新 村 博 士 の講 義 を 追 懐 し て 言 って いる。
新 村 博 士 は ま だ 文 学 士 、 助 教 授 であ ら れ た 。 し か し 、 そ の国 語 学 概 説 を 一週 三 時 間 ず つ承 って、 は じ め て学
問 と いう も のを う か が い知 った 。 学 説 に 対 す る 批 評 的 態 度 、 資 料 に臨 む 批 判 的 態 度 、 それ を 表 現 す る 客 観 的 態 度 、 す っか り 新 し い世 界 を 見 せ て いた だ け た の で あ る 。 ⋮ ⋮
こ れ は は な は だ 抽 象 的 な 言 い方 で あ る が、 要 す る に、 生 ま れ て 初 め て学 問 と は ど う いう も の か を 教 え ら れ 、 そ
の楽 し さ を 味 わ い、 同 時 に そ の厳 し さ に 身 を 引 き し め た ので あ る。 京 助 は そ れ ま で 旧 制第 二高 校 で 、 Y 氏 とO 氏
か ら 国 語 の講 義 を 聴 いて いた 。 が 、 Y氏 のも の はき わ め て低 調 であ った よ う で、 O 氏 の方 は P 音 考 の反 論 を 書 い
た こ と か らも う か が わ れ る よ う に 、 意 気 こ そ 激 し か った が、 頭 が 固 か った 。 そ の後 で、 広 い視 野 に立 ち 、 柔 軟 な
考 え 方 によ る 、 新 村 博 士 の国 語 学 の概 説 を 聴 いた の で、 干 天 下 の大 地 が 慈 雨 を 吸 収 す るよ う に、一言一 句 を 感 銘 深 く受け 入れたも のと思われ る。
当 時 、 国 語 学 の研 究 書 と し て は 、 文 典 に は す で に大 槻 ・松 下 ・山 田 の も の が出 て お り、 国 語 学 史 と し て は、 保
科 孝 一の ﹃ 国 語 学 小 史 ﹄ と いう 、 当 時 と し て は ま こ と に 詳 し いも のを 見 る こと が で き た 。 そ の他 、 岡 倉 由 三 郎 の
﹃日本 語 学 一斑 ﹄ は 簡 単 で は あ る が ﹁国 語 学 概 説 ﹂ であ り 、 上 田 万 年 博 士 にも 論 文 集 ﹃国 語 のた め ﹄ 二冊 が あ っ
た 。 し か し 、 京 助 は高 校 時 代 は 文 学 の方 に 熱 心 だ った の で、 当 時 は ま だ 大 学 に 入 学 し た て で こ う いう も の は ろ く
に 読 ん で いな か った 。 そ のた め に 驚 き が殊 に 大 き か った の かも し れ な い。 一年 上 級 の橋 本 博 士 等 は、 そ の点 、 京
助 ほ ど は 大 き な 感 動 は 受 け な か った こと と 想像 さ れ る 。 し か し 、 こ の ノ ー ト から う か がわ れ る 博 士 の 明 快 ・簡 潔
な 解 説 、 当 時 の最 も 進 ん だ 言 語 学 の考 え 方 に よ る内 外 古 今 の文 献 の批 判 、 さ ら に、 時 に大 胆 に し て時 に 細 心 な 、 新 し い学 説 の 発 表 に は 心 ゆ く も のを 感 じ た に 違 いな い。
京 助 にと って 、 初 め て 聴 いた 国 語 学 の講 義 が 、 こ の新 村 博 士 のも の であ った こ と は ま こ と に 幸 福 で あ った 。 こ
の 講義 は ま ず 西 欧 の言 語 学 史 か ら始 ま る が、 初 め て聴 く こ の内 容 は 一字 一句 新 鮮 だ った ろ う し 、 そ の後 を 、 し か
し 、 そ う いう 壮 大 な 西 洋 の学 者 の 扱 い でも 、 こ と 東 洋 語 の こ と に な る と 素 人 同 様 のも の で、 こ こは わ れ わ れ 日本
人 の 研 究 にま つと こ ろ が 多 い こ とを 言 い、 わ れ わ れ は 彼 ら の言 語 学 の短 を 補 って や る こと が で き る はず だ と 結 ぶ。
こ れ に は 当 時 の若 い学 生 た ち は 大 き な 励 みを 感 じ た こ と であ ろう 。 た く みな 説 き 方 で あ った。
序 論 では も う 一つ、 国 語 史 学 の資 料 と 補 助 学 科 の章 が す ば ら し い。 こ こ で 限 界 は 言 語 学 以外 の分 野 に ぐ っと 開
か れ る が 、 当 時 こ れ だ け の こと を 知 る た め に は 随 分 た く さ ん の文 献 に目 を 通 さ な け れ ば な らな か った と こ ろ で、
そ れ を こ の よう に要 領 よ く 教 え ら れ た こ と は 感 謝 す べき であ った 。 私 は こ の新 村 博 士 の講 義 が あ って か ら 三 十 年
の後 に 、 東 大 で博 士 の 御 講 義 を 聴 か れ た 橋 本 教 授 と 小 倉 博 士 のそ れ ぞ れ ﹁国 語 学 概 論 ﹂ と ﹁言 語 学 概 論 ﹂ を 受 講
し た 。 橋 本 博 士 のも の は 定 評 のあ った も ので 、 手 堅 いり っぱ な も の であ った が、 補 助 学 科 に つ い て の注 意 と いう
よ う な 章 は な く 、 新 村 博 士 の に 比 べる と 狭 さ が感 じ ら れ る 。 小倉 博 士 のも のは 、 博 士 にも と も と や る気 がな か っ
た 講 義 だ った そ う で、 ご く 低 調 な も のだ った 。 国 学 院 大 学 や 早 大 で行 わ れ た 京 助 の言 語 学 の講 義 は、 こ う い った
も の に対 す る 関 心 が 橋本 氏 な ど よ り も 強 か った よ う で あ る が、 これ は新 村 博 士 の 影 響 を 強 く 受 け た せ い であ ろ う 。
本 論 に 入 れ ば 、 系 統 の論 か ら 始 ま り、 諸 国 語 か ら の影 響 、 国 語 史 へと 進 む。 こ れ ら の研 究 、 殊 に 国 語 史 の 研 究
は 、 新 村 博 士 以 後 、 大 正 ・昭 和 に な って 大 い に進 展 し た が、 当 時 は そ の黎 明期 で あ る 。 当 時 ど の本 を 見 ても 書 い
て な い、 日 本 語 に つ い て の重 要 な 事 柄 の大 筋 を 叙 述 し た こ れ ら の章 は 、 国 語 学 史 的 に大 き な 意 味 を 持 つ。 京 助 ら
の受 け た 感 銘 の大 き か った ろう こと も さ る こと な が ら 、 日本 の国 語 学 史 は 、 こ のあ た り、 書 き 直 し が 要 求 さ れ る
の では な か ろ う か。 国 語 学 史 の本 と いう と 、 叙 述 を 江 戸 時 代 の末 ま で で終 え る も の が多 いが 、 重 要 さ か ら 言 った
ら 、 む し ろ 明 治 以 後 の方 がよ り 重 要 な は ず であ る 。 こ のあ た り の記 述 が 従 来 少 な いと いう のは 、 分 か り にく か っ
た こと が 多 か った ので あ ろ う が 、 今 度 高 木 四 郎 氏 の力 によ り 、 こ の新 村 博 士 の 国 語 学 概 説 のノ ート の活 字 化 と 、
さ ら に そ れ に先 立 つ、 上 田 万 年 博 士 の大 学 で の 言 語 学 概 説 ・国 語 学 史 のノ ート の活 字 化 と が 行 わ れ 、 いず れ も 教
育 出 版 株 式 会 社 か ら 出 版 さ れ る こと に よ って、 明 治 ご ろ の国 語 学 研 究 の、 従 来 分 か ら な か った いろ いろ な こ と が 明ら かになる ことと期待す る。
音 韻 史 や 文 法 史 の章 に 入 る と 、 そ の後 昭 和 期 に 入 って特 に 研 究 の進 ん だ 分 野 の こと と て 、 ま だ 不 完 全 な 部 分 も
多 く 、 時 に は ば か ば か し いと 思 わ れ る 思 い違 いも あ る 。 が 、 こ の講 義 の行 わ れ た 年 代 を 考 え れ ば や む を え な い で
あ ろう 。 そ れ よ り も 、 いち は や く 当 時 ま だ 反 対す る 学 者 の多 か った 上 田 万 年 博 士 の P 音考 を 理解 し 、 新 鮮 な 解 説
を 行 って いる と こ ろを た た え る べき であ ろ う 。 私 は こ の 辺 り を 読 み、 こ ん な に 早 く こ のよ う な こ と を 明 ら か に し て お ら れ た のか と 、 驚 く こ と が 始 終 であ る 。
橋 本 博 士 が ﹃吉 利 支 丹 教 義 の研 究 ﹄ で発 表 さ れ た の が最 初 だ と ば か り 思 って いた 。 が、 新 村 博 士 は こ の講 義 の中
室 町 末 期 のキ リ シ タ ン資 料 で は 、 日本 語 に開 合 二 種 類 の oの長 音 が あ った こ と が知 ら れ て いる が 、 私 は こ れ は
で ち ゃ ん と こ の事 実 に 触 れ て お ら れ る 。 室 町 時 代 の国 語 資 料 と し て 、 ﹁抄 物 ﹂ と いう も の が あ る こと 、 こ れ は 湯
沢 幸 吉 郎 氏 の ﹃室 町時 代 の言 語 研 究 ﹄ が 学 界 に紹 介 し た も のか と 思 って いた が、 や は り こ の講 義 の 中 にそ の重 要 性 が説 か れ て いる 。
古 代 の 上 下 二段 活 用 の動 詞 が 近 代 に は 一段 活 用化 し た 、 そ の原 因 に つ い て は金 田 一京 助 が ﹃国 語 音 韻 論 ﹄ の中
で 、 活 用 形 の中 で連 用 形 の︲i ま た は︲e 、 と いう 形 が 用 いら れ る こと が 断 然 多 いた め に連 体 形 や 已 然 形 の︲u が類 推
で i 、 eと な った と説 き 、 そ の思 い つき を 誇 って いる 様 子 で あ る が、 こ の説 も ま た こ の講 義 の中 に 出 て く る。 私
は 東 条 操 教 授 編 の ﹃日 本 方 言 学 ﹄ の中 で 、 東 日本 諸 方 言 のう ち に 、 ﹁走 る﹂ ﹁始 め る ﹂ のよ う な 動 詞 に パ シ ル ・パ
ジ メ ル の よ う に p 音 を 用 いる 地 域 が あ る と し て、 八 丈 島 と 静 岡 県 の 一部 が あ る こ と を 記 し、 後 に 千 葉 県 にも そ
答、 唇﹂と言う
の例 を 知 って 満 足 し て いた が、 博 士 は こ の講 義 の中 で、 茨 城 県 に そ う いう 例 があ る こと を 報 じ て お ら れ る の は 、
私 の怠 惰 を 戒 め ら れ る も の であ る 。 後 奈 良 院 の謎 に ﹁母 に は 二 度 逢 う が 父 に は逢 わ な いも の︱
のが あ り、 そ の心 は、 当 時 ﹁母 ﹂ の発 音 がfawaだ った か ら と 解 す るも の が あ る。 こ の 解 は だ れ が 初 め て し た の
か も 分 から な か った が 、 こ の講 義 に よ って これ が本 居 大 平 に さ か の ぼ る こと を 知 った のも お も し ろ か った 。
以 上 のよ う に 見 てく る 時 、 こ のノ ー ト の 出 版 は 、 明 治 以 後 の国 語 学 史 を 考 え る 場 合 、 き わ め て重 要 な 資 料 で あ
る と 思 わ ざ る を え な い。 ﹃ 新 村 出 全 集 ﹄ 全 十 五 巻 が 筑 摩 書 房 か ら 出 る 時 に、 そ の内 容 見本 の パ ン フ レ ット の中 に、
金 田 一京 助 の 名 に よ る ﹁待 望 の 全集 ﹂ と いう 一文 があ った 。 そ こ では 終 始 こ の講 義 を た た え、 最 後 に、
編 集 の方 々 の御 努 力 に よ って 先 生 の ノ ー ト のよ う な も の でも 見 出 さ れ 、 再 構 成 さ る こ と に な った ら 、 日本 の
国 語 学 史 上 へ多 大 の寄 与 にも な る こと 疑 いな い。
と あ る 。 これ は 、 実 は こ のと き 京 助 は す で に 老耄 激 し く 、 父 が書 き た い と 思 って いる こと を 私 が 付 度 し て 書 いた
の であ る か ら 、 こ こ の論 の証 拠 と す る こと は気 が 引 け る が 、 し か し 、 こ の ノ ー ト が単 な る 古 いも のを 喜 ぶ 骨 董 趣 味 でな い こと だ け は 強 く 断 言 し てよ いと 思 う 。
こ の講 義 は、 今 右 に引 いた ﹁待 望 の全 集 ﹂ の文 によ って も 知 ら れ る よ う に 、 そ の ノ ー ト が残 って いる こ と を 私
は 最 近 ま で知 ら な か った 。 全 集 が企 画 さ れ て いる こ ろ、 父 に存 在 を 尋 ね た の であ った が 、 返 事 が あ いま いだ った。
が、 父 の死 後 、 そ の書 だ な の本 を 整 理 し て いる 時 に 思 いが け な く ほ こ り に ま み れ て出 てき た も の であ る 。 え び茶
色 の ク ロー ス の 表 紙 を つけ て製 本 し てあ った 。 本 の傷 み ぐ あ いか ら 見 る と 、 卒 業 し て か ら も 時 折 見 返 し た も の ら
し く 、 勉 強 の資 と も し 、 ま た 自 身 の講 義 の参 考 にし た も の のよ う であ る。 も っと も 、 ス ペ ー スが あ る に も か か わ
ら ず 、 中 にあ と か ら の書 き 込 みも そ ん な に は な く 、 誤 り も 特 に 訂 正 し た あ と も な いと ころ を 見 る と 、 製 本 し た だ
け で満 足 し て し ま って、 あ ま り 見 る こと も な く 、 あ る いは 早 く し ま い忘 れ て し ま った のか も し れ な い。 が 、 こ れ
を 今 活 字 にす る こ と は 亡 父 と し ても 決 し て 不本 意 で はな いと 思う 。 殊 に 父京 助 の新 村 博 士 に 対 す る 並 々で な か っ
た 傾 倒 ぶ り を 思 い起 こす 時 、 新 村 博 士 の講 義 が 自 分 のノ ー ト に よ って出 る と いう こ と は 、 無 上 の感 激 に ひ た る の で はな か ろ う か 。
橋 本 進 吉 博 士 の生 涯
一 学 窓 を 巣 立 つま で は じめ に
今 、 国 語 学 は 、 日 本 の文 化 諸 科 学 のう ち で 、 相 当 進 ん だ 線 を 行 って い る。 そ れ は、 九 学 会 連 合 の学 会 別 の発 表
スピ ー チ を 聞 いて いて も は っき りわ か る 。 そ の原 因 はど こ に あ る か 。 研 究 の範 囲 が 限定 さ れ て いる こと 、 そ れ も
あ る が 、 学 問 の基 礎 の部 分 が 単 純 な 単 位 か ら 出 来 て いる構 造 体 であ る こと 、 そ のた め に 、 研 究 の性 質 が前 の学 者
の仕 事 が し っか り し て いれ ば 、 そ れ を も と に次 々 の学 者 が着 実 に積 み 重 ね て 行 け る こ と が 大 き い。 こ の意 味 で、
こう いう 学 問 の体 系 を 作 り 出 し た 学 者 と し て、 国 語 学 に お け る 橋 本 進 吉 博 士 の存 在 は き わ め て重 要 であ る 。
敦賀 と橋 本家
橋 本 進 吉 博 士 は、 明 治 十 五 年 十 二 月 二 十 四 日、 ク リ ス マ ス ・イ ヴ の 日 に福 井 県 敦 賀 郡敦 賀 町 晴 明 と いう と こ ろ で 誕 生 し た 。 今 の敦 賀 市 相 生 町 であ る。
敦 賀 は、 古 く 崇 神 天 皇 の御 代 に任 那 の王 子 ツノ ガ ア ラ シ ト が上 陸 し た と こ ろ と 伝 え 、 中 古 は 渤 海 の官 船 が 来 航
し た 港 町 だ った 。 博 士 の息 、 研 一氏 の思 い出 に よ れ ば 、 戦 前 、 東 京 か ら 敦 賀 行 き の夜 行 国 際 急 行 列 車 に乗 って 朝
着 く と 、 霧 の立 ち こ め た 港 湾 に ウ ラ ジ オ 行 き の巨 大 な 汽 船 が 停 泊 し て お り 、 街 を 歩 け ば ロシ ア文 字 の看 板 のか か
った 店 が 幾 つも 見 ら れ た と いう 。 京 都 に近 い、 裏 日本 で は 珍 し い、 国 際 都 市 の 一つだ った 。
橋 本 家 は 敦 賀 の名 家 で 、 江 戸 時 代 のは じ め、 三 代 続 いた 画 家 を 出 し た 。 初 代 の喜 雲 は 、 鷹 の絵 を 得 意 と し た ば
か り で な く 、 鷹 の飼 い方 に も 詳 し か った の で 、 城 主 は感 嘆 し 、 中 橋 町 の橋 の袂 に住 ん で いる と こ ろ か ら ﹁橋 本 ﹂
の姓 を 賜 わ った と 伝 え る。 四 代 目 の 元亮 は 絵 師 を や め て 、 医 者 に転 じ 、 以 後 医 業 を 継 いで 、 博 士 の父 、 謙吉 に至 った と いう 。( 注1︶
謙 吉 は 、 天保 七 年 、 敦 賀 の岡 本 家 に 生 ま れ た。 幼 い時 に 父 に死 別 し た の で、 独 力 で苦 学 し て、 何 人 か の人 に つ
い て医 学 を 学 び、 橋 本 家 に 養 子 に 入 った と いう 。 明 治 二 年 に 東 京 に 出 、 大 学 医 学 校 病 院 で オ ラ ンダ 医 学 の内 外 科
を 勉 強 し 、 英 国 医 官 のウ イ ルズ と いう 人 に つ いて 、 鹿 児島 の病 院 へ行 った こ と も あ った と い い、 ま た 漢 方 の医 学 を も 修 め た そ う だ 。 いろ いろ の語 学 を 勉 強 し た こ と であ ろ う 。
た め に、 昼 飯 に はあ ん こ ろ餅 を 頬 張 って 、 そ れ で す ま す と いう こ とも あ った と いう 。 し か し 、 身 体 強 壮 と いう 方
のち 、 敦 賀 に 帰 り 、 敦 賀 病 院 の院 長な ど を つと め た が、 名 医 と いう 評 判 で、 患 者 があ と か ら あ と か ら 詰 め か け 、
っぱ ら 、 母 堂 さ わ の手 一つで 養 育 さ れ た わ け であ る 。( 注2)
では な く 、 明 治 十 九 年 七 月 に 他 界 し た。 進 吉 博 士 は 、 時 に 数 え 年 五 歳 、 今 風 に 数 え れ ば 三 年 九 ケ 月 で、 あ と は も
賢 母 のもと で
博 士 に は も と 二人 の姉 があ った が 、 と も に早 世 し た の で、 母 一人 、 子 一人 の 母 子 家 庭 であ った 。 私 の父 、 金 田
一京 助 の 思 い出 によ る と 、 大 学 時 代 、 友 人 と し て や は り ま だ大 学 生 の博 士 の家 を 訪 ね る と、 さ わ 刀 自 は 明 る い性
格 の人 で、 お 茶 な ど 入 れ な が ら 、 楽 し そう に わ き に座 し て いる 。 話 が た ま た ま 博 士 の こ と に 及 ぶと 、 こ の 子 はフ
リ の悪 い子 でと 言 って 、 ま る で 子 供 扱 いで あ る 。 博 士 は 嬉 し そ う に か ら か ら と 笑 って、 そ こ に は ほ ん と う の隔 て
な い、 親 子 の親 し さ が感 じ ら れ 、 愛 情 の薄 い母 親 を も った 京 助 に は 、 非常 に羨 ま し か った と 言 って いた 。
博 士 は、 敦 賀 の就 将 小 学 校 と いう の に 入 学 し た が 、 こ こ は 今 の敦 賀 西 小 学 校 に あ た り、 博 士 の顕 彰 碑 が立 って
いる 。 博 士 は こ こ に 規 定 よ り 一年 早 く 入 学 し た ら し い。 年 齢 に 比 し て 利 発 な 子 供 だ った こ と が 窺 わ れ る が、 一日
も 早 く 成 人 さ せ た いと いう 母 堂 の気 持 も 働 いた こ と であ ろう 。 一年 生 の時 に、 早 く も 英 語 を 勉 強 さ せ た と いう か ら 、( 注3)当 時 と し て は 珍 し い教 育 マ マだ った 。
当 時 は、 尋 常 小 学 校 は 普 通 は 四 年 ま で で 、 高 等 小 学 校 の三 年 を 経 て中 学 校 へ進 ん だ が、 そ の翌 年 に 規 定 が か わ
り 、 二年 で 中 学 校 へ進 む こと が でき た 。 金 田 一は 、博 士 と 同 年 の生 ま れ であ る が 、 三 年 を 経 て中 学 校 に 入 った か
ら であ ろう か 、 東 大 で は 博 士 よ り 一年 下 の学 級 に いた 。 と に か く 博 士 は 、 こ こ で ま た 一年 得 を し た わ け であ る 。
中 学 校 は京 都 府 中 学 校 、 のち の京 都 府 立 一中 へ入 学 し た と いう が 、 こ れ は 敦 賀 に は 中 学 校 が な か った か ら で 、 さ
わ は ひと り っ子 の教 育 のた め に 、 遠 く 京 都 の地 へ旅 立 た せ た わ け であ る 。 時 に 明 治 二 十 八 年 、 博 士 十 四 歳 の 時 だ った 。
博 士 は国 語 と 英 語 は さ ぞ よ く 出 来 た に ち が いな いが 、 数 学 も 得 意 だ った と 推 測 さ れ る。 研 一氏 に よ る と 、 氏 の
中 学 時 代 、 博 士 は数 学 の勉 強を 見 てく れ た が 、 因 数 分 解 の問 題 な ど 、 実 に 楽 し そ う に解 いて み せた と いう 。 同 じ
言 語 学 者 で も 、 代 数 は ク ラ ス の平 均 以 下 だ った と いう 金 田 一な ど と は 、 ち が って いた の だ 。
京 都 で の住 居 は、 母 堂 の姪 の家 で、 二 年 か ら は 母 堂 も こ こ に 移 って 来 て、 ひ と ま を 借 り 、 母 子水 入 ら ず の 生 活
だ った 。 母 堂 は 、 こ こ で中 学 生 の博 士 に お 茶 や お 花 を 教 え 、 ま た 、 馬 を 習 わ せ よ う と し た と いう 。 あ い にく 博 士
は 馬 は 嫌 いで 乗 ら な か った が、 そ の代 り に 伊 勢 湾 ま で出 掛 け て 、 観 海 流 の水 泳 を け い こさ れ た と いう 。( 注4)三 里
半 の遠 泳 に合 格 し 、 看 護 法 も マ スタ ー し て 、 中 級 の 免 状 を も ら って いる 。 博 士 の褌 一本 の 姿 は ち ょ っと 想 像 し に く いが 、 と に か く こ れ は 特 筆 す べき こと で あ る 。
三高 から東 大 へ
のち の東 大 文 学 部 を
博 士 は 明 治 三 十 三 年 、 京 都 府 中 学 校 を 卒 業 、 旧 制 三 高 の文 科 に進 ん だ が、 終 始 、 優 秀 な 成 績 を 修 め 、 悠 々と し
た 三 年 間 を 送 った こ と であ ろ う 。 明治 三 十 六 年 、 三 高 を 卒 業 、 東 京 帝 国 大 学 文 科 大 学 校 ︱
こ れ は 当 時 と し ては 、 相 当 な 勉 強 家 だ った こ と を 思わ せ る 。 言 語 学 科 は、 旧 名 を 博 言 学 科 と い い、
目 ざ し た が 、 東 大 を 志 望 し た 理由 は 、 ﹁ 京 都 大 学 に は 言 語 学 科 がな か った か ら ﹂ であ った と いう 。( 注5)言 語 学 科 に 進 み た い︱
当 時 そ こ へ入 学 し た ら 最 後 、 た く さ ん の外 国 語 を 習 わ な け れ ば い けな い こと に な って いた か ら であ る 。
博 士 は、 国 語 学 史 の上 で、 上 田 万 年 の業 績 を 高 く 評 価 し て い る。 明 治 三 十 一年 、 上 田 は、 ﹃帝 国 文 学 ﹄ と いう
雑 誌 に ﹁P 音 考 ﹂ と いう 論 文 を 発 表 し た 。 恐 ら く 高 校 時 代 、 勉 強 家 の博 士 は 、 こ の論 文 を 読 ん で意 欲 を そ そ ら れ 、
志 望 を 決 し た にち が いな い。 博 士 は 日本 の国 語 学 史 上 に新 し い時 期 を 画 し た も の と し て、 二 つ の業 績 を 挙 げ て い
る が 、 一つは 契 沖 の ﹃和 字 正 濫 抄 ﹄ であ り 、 一つは 上 田 の こ の ﹁p音 考 ﹂ であ った 。 強 い感 動 を 受 け た こと が し のば れ る。
国 語 学 を 研 究 す る た め な ら ば 国 文 学 科 に 進 む 道 も あ った の だ が 、 そ っち へ進 ま な か った のは 、 上 田 が そ の教 授
で あ った 以 外 に、 在 来 の国 学 の 伝 統 を 引 く 国 文 学 者 の研 究 に は 、 魅 力 が感 じ ら れ な か った ので あ ろ う 。 こ のあ た
り 、 生 ま れ 故 郷 が国 際 都 市 敦 賀 で あ った こ と 、 そ れ か ら 父 君 が 幾 つか の外 国 語 を 修 め て いた、 そ う いう こと か ら 影 響 が あ った に ち が いな い。
博 士 は そ う いう わ け で 、 明治 三 十 六 年 、 東 大 の言 語 学 科 に 入学 し た 。 ち ょう ど そ の折 、 小 倉 進 平 と 伊 波 普 猷 も
言 語 学 科 へ入 学 し てき た 。 東 大 の言 語 学 科 に 三 人 も 新 し い学 生 が 入 学 し た のは 珍 し い こと だ った 。 教 壇 に は 上 田
の ほ か に、 新 進 の新 村 出 が いた 。 ま さ に 日本 の言 語 学 が 大 き く 飛 躍 せ ん とす る 時 代 で あ った 。 ま こと に よ い時 代 に、 天 は 博 士を 東 大 に進 め た も ので あ る 。
上 田 万 年 と新 村 出 の講 義 は 、 学 生 た ち を 日本 語 の歴 史 研 究 と 日本 語 系 統 論 の研 究 に 駆 り 立 て た 。 そ の こ と から
伊 波 は 琉 球 語 の 研 究 に志 し 、 小 倉 は 朝 鮮 語 の解 明 に進 ん だ 。 ま た 一年 お く れ て 仲 間 に 加 わ った 金 田 一京 助 も 、 そ
の機 運 に そ ま って 、 アイ ヌ 語 に 取 り 組 ん だ 。 こう いう 中 で 日 本 語 の歴 史 の 研究 に む か った の が、 四 人 のう ち の博
士 であ った こと 、 これ は 国 語 学 にと って 最 大 の幸 せ であ った 。 ま た 同 期 の国 文 学 科 に は 、 そ の こ ろ 親 交 のあ った
亀 田次 郎 が お り 、 豊 富 な 家 産 を 投 入 し て 、 国 語 学 書 を 次 々に 買 いあ さ って いた 。 博 士 が 文 献 に深 い興 味 を 示 し た の は、 そ の刺 激 も あ る いは あ った かも し れ な い。
国 語学 者 に
東 大 在 学 三 年 、 三 十 九 年 の七 月 に博 士 は 卒 業 し た が、 こ の時 、 恩 賜 の銀 時 計 と いう も のを 受 領 す る 栄 誉 に 輝 い
た。 こ れ は 言 語 学 科 の みな ら ず 、 文 学 部 全 体 で最 優 秀 の成 績 を 修 め た わ け で、 日 ご ろ の勉 強 のあ と が 偲 ば れ る 。
卒 業 論 文 は ﹁係 結 び の起 源 ﹂ と いう 内 容 だ った そ う で、 金 田 一京 助 に よ る と、 そ の内 容 を 清 書 す る 前 に博 士 は 、
難 点 があ った ら つ っこん でく れ と 前 書 き し て、 全 文 を 読 み 聞 か せ た。 が 、 一段 一段 ま った く 感 服 さ せ ら れ、 一言 の横 や りを 入 れ るす き ま も な か った と いう 。
博 士 は大 学 を 卒 業 し て、 大 学 院 へ進 み 、 こ こ で 、 日本 語 の 構 文 論 を 研 究 テ ー マに 選 ん だ 。 そ の間 、 ﹃万 葉 集 ﹄
の東 歌 の助 詞 ﹁が﹂ に対 し て し ば し ば ﹁家 ﹂ と いう 字 が書 か れ て お り 、 ま た 、 巻 五 にも そ う いう 例 が 見 つか った
と ころ か ら 、 当 時 ﹁け ﹂ と いう 格 助 詞 が あ った の で は な いか と いう 疑 問 を 懐 き 、 ﹁け﹂ と 読 む あ ら ゆ る 万 葉 仮 名
の例 を 集 め て みた と ころ 、 当 初 の予 想 に 対 し て は 何 も 得 る と こ ろ はな か った が 、 ニケ リ ・ケ ム ・ケ ラ ン ・今 日 の
場 合 に 用 いら れ る 万 葉 仮 名 と 、 ﹁竹 ﹂ や ﹁酒 ﹂ の場 合 に 用 いら れ る 万 葉 仮 名 と の 間 に は っき り し た 区 別 が あ る こ
と を 知 り 、 さ ら に、 ﹁き ﹂ ﹁こ﹂ ﹁ひ﹂ ﹁み ﹂ ﹁め ﹂ に も 、 そ う いう 使 い分 け が あ る こと が 明 ら か に な った 。 こ れ は
何 か わ け が あ る ぞと 思 った の が 、 博 士 の 業 績 と し て有 名 な 上代 仮 名 遣 い の発 見 の端 緒 であ る 。
博 士 が大 学 を 卒 業 し て か ら の 経 歴 は、 ﹁橋 本 進 吉 博 士 略 伝 ﹂ ( 注6)で 大 体 を 窺 う こと が でき る が 、 大 学 院 へ通 う
かた わ ら 、 ま ず 明 治 大 学 の経 営 す る 経 緯 学 堂 と いう と こ ろ で、 在 日 中 国 人 留 学 生 に 日 本 語 を 教 え た 。 後 年 、 博 士
は筆 者 を 日華 学 院 と いう 同 じ よ う な 学 校 に推 薦 し て 下 さ った こ と が あ った が 、 そ の時 、 自 分 も 若 い こ ろ中 国 人 を
教 え て 日 本 語 を 反 省 し 勉 強 に な った か ら ⋮ ⋮ と 言 わ れ た 。 博 士 の日 本 語 の文 法 研 究 な ど には 、 こ の時 に 得 ら れ た も の が 反 映 し て いる であ ろ う 。
ま た 、 四 十 一年 、 一時 文 部 省 の国 語 調 査 委 員 会 の補 助 委 員 を つと め た が、 翌 四 十 二 年 三 月 、 東 京 帝 大 文 科 大 学
の助 手 に 任 ぜ ら れ た 。 こ れ か ら 上 田 万 年 教 授 のも と に、 十 八 年 と いう 長 い間 の助 手 生 活 に入 る の であ る。
結 婚 と住 居
大 正 二 年 、 博 士 は 正 夫 人 と 結 婚 し た が、 時 に 博 士 は 数 え 年 三 十 三 歳 であ る か ら 、 当 時 と し て は 、 こ と に ひと り
息 子 と し て は 、随 分 晩 婚 だ った 。 母 堂 は 、 こ の ひと り息 子 の結 婚 を 、 ど ん な に早 く と 待 ち こ が れ て いた こと であ
ろう 。 そ れ が こ ん な に 遅 く な った のは 、 博 士 が た く さ ん の本 を 買 いた い のに 、 助 手 の給 料 が あ ま り に も 安 く 、 そ の本 が 買 え な く な る のを お そ れ た か ら だ 、 と は 堅 実 な も の であ る 。
正 夫 人 は、 旧 姓 関 目、 京 都 の上 賀 茂 神 社 の社 家 の 生 ま れ だ った 。 博 士 と 姻 戚 関 係 の家 だ った と いう か ら 、 博 士
今 の鴨沂 高 校 の出 身 、 色 白 く 、 や や 面 長 の、 典 型 的 な 京 美 人 であ った こと は 、 八 十 歳 を 超 え た 今
も 高 校 生 時 代 な ど 、 ち ら っと 見 て 、 可 愛 い娘 だ な と 思 って いた 間 柄 だ った か も し れ な い。 京 都 の名 門 校 、 京 都 府 立 第 一高 女︱
の風貌からも 十分想像 できる。
当 時 は 花 も 恥 じ ら う 十 八 歳 。 し か も 、 こ れ が 夫 に 仕 え て 貞 節 無 比 、 母 堂 は 、 ひ と り の男 の 子 を 育 て た 母 親 と し
て、 こわ い姑 だ った と 思 う が、 よ く これ に 仕 え 、 博 士 を ひた す ら 研 究 に 向 か わ せ 、 家 庭 で は 釘 一本 打 た せ ず 、 そ
う し て 、 春 枝 ・研 一 ・弘 子 ・淑 夫 と いう 四 人 の子 供 を り っぱ に 成 人 さ せ た の であ る か ら 、 あ っぱ れ 賢 夫 人 であ る 。
国 語 学 者 夫 人 と し て は 、 新 村 出 夫 人 、 山 田 孝 雄 夫 人 が 賢 夫 人 と し て の 名 が 高 いが 、 も う 一人 、 橋 本 夫 人 を 数 え
て 、 三 夫 人 と 言 って 然 る べ き で あ ろ う 。 博 士 の結 婚 は お そ か った が、 よ い配 偶 者 を 探 りあ て た の は慶 賀 に た え な い 。
博 士 は結 婚 し て、 新 居 を 大 学 に 近 い本 郷 浅 嘉 町 七 〇 番 地 に 定 め た が、 博 士 は結 局 逝 去 ま で 、 こ こ か ら あ ま り 遠
く へ移 ら ず 同 じ 町 内 に 住 ん で いた 。 当 時 こ のあ た り は 寺 の 多 いと こ ろ で 、 ま た落 合 直 文 の浅 香 社 があ り 、 若 い歌
つま り 近 所 を 三 回 転 居 し た が、 こ れ は 孟 母 を ま ね た と いう こ と では な く 、
人 を 集 め て いた 。 博 士 は こ のあ と 、 同 じ番 地 のす ぐ 近 く の家 に 移 り 、 ま た 、 そ のあ と 、 同 町 六 三 番 地 の家 に移 り 、 さ ら に同 番 地 の近 く の家 に移 った︱
家 族 が増 え 、 集 め た本 が 増 え 、 狭 く 感 じ た た め に引 き 移 った のだ と いう 。( 注7)
最 後 の家 は 純 日本 風 の 二階 屋 で 、 そ こ の二 階 を 書 斎 と し て 、 き ち ん と 正 座 し て 原 稿 を 書 いて いた 。 注 意 す べき
は 、 これ はす べ て貸 家 住 いだ った こと で、 今 の中 堅 国 語 学 者 が 、 自 分 の 地 所 に 不 燃 不 倒 の 巨 大 な 書 庫 を 建 て、 そ
のわ き に冷 暖 房 つき の豪 壮 な 書 斎 を 構 え て勉 強 し て いる のと は 、 大 き く ち が い、 ま こと に 質素 な も のだ った 。
石橋 を叩 いて渡らず
博 士 に は、 助 手 の時 代 に 世 話 す る 人 があ って 、 東 洋 大 学 と 東 京 女 子 大 の講 師 にな った が、 こ う いう も の の収 入
は 、 た か が 知 れ て いる 。 博 士 は 、 助 手 の 間 、 時 間 を フ ル に使 って 勉 強 に いそ し ん だ 。 そ う し て、 着 実 な 研 究 を
次 々と 公 表 し て 行 った 。 慎 重 な 人 を 俗 に石 橋 を 叩 いて渡 る と 形容 す る が、 博 士 は 、 石 橋 を 叩 いて 渡 ら ず と 批 評 さ
れ た 人 であ る。 確 実 と 思 わ な け れ ば 、 そ の 研究 を 活 字 に し な い。 だ か ら そ の発 表 さ れ た も の の数 は 決 し て 多 く な
い。 し か し 、 一度 発 表 し た も の は、 お そ か れ 早 か れ 、 そ のま ま 学 界 の定 説 に な った こ と は 改 め て 賛 嘆 す べき であ る。
二 助 手 下 積 み 時 代 初 期 の労作
橋 本 博 士 の 著 述 目 録 は 、 博 士 の 還暦 を 祝 賀 し て出 版 さ れ た 、 橋 本 博 士 還暦 記 念 会 刊 行 の ﹃ 国 語 学 論 集 ﹄ に載 っ
て いる 。 そ れ に よ る と 、 博 士 は東 京 帝 大 の助 手 を 勤 め て いた 時 代 に 半 数 以 上 の論 文 を 書 い て いる 。 最 初 の発 表 は、
明治 四 十 三 年 七 月 の ﹁極 楽 願 往 生 歌 ﹂ で あ り 、 次 に は 、 四 十 三 年 九 月 ∼ 十 一月 の ﹁﹃が て ぬ ・が て ま し﹄ 考 ﹂ が 続く。
﹁極 楽 願 往 生 歌 ﹂ は 、 和 讃 の 一種 の解 読 で 、 論 文 と いう ほ ど のも の で はな い。 次 の ﹁﹃が て ぬ ・が て ま し ﹄ 考 ﹂
は、 ﹃万 葉 集 ﹄ にし ば し ば 現 れ る ﹁が て ぬ ﹂ ﹁が てま し ﹂ と いう 語法 のな り立 ち 、 意 義 を 解 明 し た も の で、 これ が
博 士 の処 女 論 文 だ 。 博 士 は こ こ で、 ﹃万 葉 集 ﹄ の 時 代 に ﹁ま し じ ﹂ と いう 助 動 詞 が あ った と 想 定 し、 従 来 ﹁あ り
が てま し も ﹂ と 訓 じ て いた 語 法 を 、 全 部 ﹁あ り か つま し じ ﹂ と 訓 み 改 め る こ と を 提 唱 し て い る。 そ の論 考 は 従 来
の説 を 逐 一吟 味 し 、 次 に 証 拠 を あ げ て 自 説 を 提 出 す る と いう 方 法 で 、 そ の場 合 、 感 情 に 淫 せ ず 、 し っか り し た 証
拠 だ けを 淡 々 と し た 態 度 で あ げ て ゆ き 、 断 定 す べか ら ざ る も の はし いて 深 追 いし な いと いう 、 ま こ と に模 範 的 な
論 証 の仕 方 であ った 。 こ れ は のち の博 士 の書 か れ る も の に も 広 く 見 ら れ る特 色 で、 多 く の後 進 が 慕 って模 倣 し よ う と し た も の だ った 。
当 時 ﹁が てま し も ﹂ と いう 訓 は 、 誰 一人 疑 う 人 が な く 、 歌 壇 の巨 匠 連 も そ の語 法 に よ って 和 歌 を 詠 ん で いた も
のだ った 。 そ う いう と こ ろ へ、 若 造 の無 名 学 者 が ま った く の新 訓 を 提 出 し た ので あ る か ら 、 無 視 し た 人 も 多 か っ
た が、 別 に 反 論 す る 人 はな く 、 折 口信 夫 が ﹃口 訳 万 葉 集 ﹄ で ま ず 採 用 し 、 大 家 では 井 上 通 泰 が、 新 著 の ﹃万葉 集
新 考 ﹄ の中 に率 先 し て、 こ の新 進 学 徒 の新 訓 を 採 用 し て、 一般 を 驚 か し た と いう 。( 注8)
博 士 は こ のあ と 、 ﹁奈 良 朝 語 法 研 究 の中 か ら ﹂ ( 大正十四年) 、 ﹁﹃こ と さ け ば ﹄ の ﹃こ と ﹄ と 如 の ﹃ご と ﹄﹂ ( 昭和十
五年)な ど を 発 表 し て いる 。 いず れ も 発 表 直 後 、 学 界 の定 説 と し て 重 ん ぜ ら れ た も の であ る が、 博 士 が 特 に ﹃万
葉 集 ﹄ の 言 語 に関 心を 向 け た のは 、 日本 語 の古 い姿 を 明 ら か にし よ う と いう 気 持 の現 れ だ った と 想 像 す る 。 ﹁奈
良 朝 語 法 研 究 の中 か ら ﹂ は 、 ﹁ず は ﹂ と いう 連 辞 の解 釈 であ った 。 そ の他 活 字 に は な ら な か った が 、 金 田 一京 助
に よ れ ば 、 ﹁つ つ の語 源 ﹂ の解 釈 で 、 動 詞 ﹁す ﹂ の 終 止 形 を 重 ね た も のと 説 く 発 表 が あ って 、 上 田 博 士 が ほ め た と いう 。( 注9)
書 誌 学 研究 と当時 の研究室
これ に続 く 論 文 と し て は、 慶 政 上 人 と か 、 安 然 和 尚 と か、 高 丘 親 王 と か 、 仏教 僧 の伝 記 に 関 す る も の が 多 く 並
ん で いる 。 当 時 、 日 本 語 学 の 研 究 と いう と 、 歴 史 的 研 究 以 外 に は考 え ら れ な か った が、 前 代 の 日本 語 学 の 研 究 は 、
仏教 僧 のう ち に進 め た 人 の多 い こと か ら 、 そ の基 礎 的 研 究 を 思 い立 った も の で あ った 。 こ れ ら は 今 、 ﹃橋 本 進 吉 博 士 著 作 集 ﹄ の第 十 二 冊 に 収 め ら れ て いる 。
ま た 、 博 士 の初 期 の論 文 に は 、 書 誌 学 的 研 究 も 多 い。 ﹁東 京 文 科 大 学 国 語 研 究 室 所 蔵 の仮 名 日本 紀 に 就 て﹂ ( 大
正四年)・﹁古 葉 略 類 聚 砂 の錯 簡 に つ いて﹂ ( 大正六年)・﹁信 瑞 の浄 土 三 部 経 音 義 集 に 就 い て﹂ ( 大正四年)な ど で あ る 。
これ は当 時 、 国 語 研 究 の助 手 と し て の 一番 大 き な 仕 事 が、 上 田 万 年 の指 示 の ま ま に研 究 室 の本 を 整 備 す る こ と で、 そ の副 産 物 と し て 生 ま れ た も のだ った 。
当 時 の 東 大 の国 語 研 究 室 の 状 況 に つ いて は 、 そ の こ ろ学 生 だ った 東 条 操 が ﹁助 手 時 代 の橋 本 博 士 ﹂ と いう 思 い
出 を 書 い て いる 。( 注1) 0そ れ に よ る と 、 研 究 室 は 、 東 大 の正 門 を 入 って並 木 道 の右 側 の と っ つき に 建 って い た 古
色 蒼 然 た る 二 階 建 て の洋 館 の中 にあ った と いう 。 そ う し て こ こ は上 田教 授 ・保 科 助 教 授 ・吉 岡 講 師 のう ち の上 田
教 授 だ け が 利 用 し 、 そ の控 え 室 と いう の に は、 教 授 が欧 州 か ら 持 ち 帰 った 言 語 学 関 係 の洋 書 がず っし り詰 ま って お り 、 教 授 は そ の真 中 にあ った 安 楽 椅 子 で紫 煙 を く ゆら し て いた と いう 。
こ の控 え 室 の東 側 に 、 ド アを 通 じ て 行 か れ る広 い へや があ り 、 そ れ が 研 究 室 の図 書 閲 覧 室 で、 そ の閲 覧 室 の手
前 の半 分 に は 学 生 のた め に 机 や 椅 子 が塩 梅 さ れ 、 奥 の半 分 に 助 手 席 が あ って 、博 士 は 一番 奥 の席 に いた と いう 。
そ う し て そ の壁 面 に は 数 万 部 の国 語 学 関 係 の図 書 が 埋 ま って いた と いう か ら 大 変 な も ので あ った。( 注1) 1
も っとも 保 科 孝 一の思 い出 に よ る と 、 国 語 研 究 室 の図 書 費 の予 算 は 一年 五 百余 円 であ った が、 当 時 は 、 本 居 宣
長 の ﹃詞 の玉 緒 ﹄ は 七 巻 で五 十 銭 、 同 じ く ﹃漢 字 三 音 考 ﹄ な ど は 三 十 銭 と いう よ う な 値 段 であ った の で、 あ る 年 、
京 都 か ら 大 阪 ま で買 出 し に出 掛 け 、 大 阪 の鹿 田 書 店 と いう のに 半 日す わ り こ ん で 国 語 学 関 係 のも のを あ さ って み た が 、 三 十 円 ぐ ら いし か 買 う も のが な か った そ う だ 。( 注2 1)
博士 と書籍
博 士 にと って こ のよ う な 研 究 室 の助 手 に な った こ と は 、 助 手 と いう 名 こそ 不 足 だ った か も し れ な いが 、 本 が 何 よ り 好 き な 博 士 に は き わ め て望 ま し い地 位 だ った 。
博 士 が人 並 み 以 上 に本 が 好 き だ った こ と は 著 名 な こ と で、 正夫 人 に よ る と 、 博 士 が 外 へ出 て買 って 来 る も のと
言 って は 、 本 以 外 のも のは ち ょ っと な か った と 言 う 。 浅 嘉 町 の住 居 は、 押 入 れ の中 ま で買 った 本 で 一杯 と な り 、
ま た 、 博 士 は そ れ を ま っす ぐ に き ち ん と 積 ま な け れ ば気 がす ま ず 、 時 々 出 し て、 は た き で埃 を 払 い、 乾 いた 布 で 拭 く 、 そ の掃 除 が 大 変 な も のだ った と いう 。( 注1) 3
来 客 が あ って 、 何 か 本 を 見 せ よ う と いう 場 合 には 、 博 士 は 夫 人 に命 じ て 、 そ の本 は 二階 のど の本 箱 の右 か ら 何
番 目 ぐ ら い にあ る と 言 って 、 大 体 あ た って いた と いう が 、 私 のよ う な い い加 減 な 人 間 は 、 ど の話 を 聞 いて も 舌 を 巻 く ば か り であ る 。
家 で 買 う 本 に は 限 度 があ った が、 東 大 の国 語 研 究 室 の 方 は 相 当 高 額 のも の でも 、 大 学 の 予算 で買 え る 。 大 正 十
二 年 の 関 東 大 震 災 で こ の研 究 室 は 一度 蔵 書 のす べ てを 失 った が、 そ の後 の 回 復 は 著 し く 、 私 が 大 学 へ入 学 し た 昭
和 九 年 ご ろ は、 東 大 の国 語 研 究 室 と いえ ば 、 国 語 学 に 関 す る か ぎ り 日本 一の貴 重 書 の宝 庫 に な って いた 。 当 時 博
士 はす で に教 授 に な って お ら れ た が 、 そ の研 究 室 の主 と し て、 一番 奥 の椅 子 に席 を 占 め て お り 、 博 士 の座 る後 の ブ ック ケー ス に は 、 特 に滅 多 に見 ら れ な い貴 重 な 本 が ぎ っし り 収 ま って いた 。
私 が 三 年 生 に な った あ る 日、 卒 業 論 文 を 書 く 資 料 を 探 し に 研究 室 を 訪 ね て見 る と 、 扉 に は 鍵 が か か って お ら ず 、
室 内 に は 誰 も いな か った 、 こう いう 時 と ば か り 、 こ っそ り 博 士 のう し ろ の本 棚 の本 を 片 端 か ら 引 っ張 り 出 し て 披
見 し て 、 眼 福 を ほし いま ま にし た。 と 、 ち ょう ど 学 生 の席 に 戻 って いた そ の時 、 ふ い にド ア が あ いて 博 士 が 入 っ
と いう の があ る が 、 そ
て 来 ら れ た 時 に は 、 肝 が つ ぶれ る ば か り驚 いた 。 日本 の民 話 に 、 山姥 に 追 い か け ら れ た牛 方 が、 逃 げ て 一軒 の家
を 見 つけ 、 隠 れ て いる と 、 そ こ が 実 は 山姥 の家 だ った の で、 山 姥 が外 か ら 入 って 来 た ︱ の 山姥 を 見 た 牛 方 の よ う な 気 持 だ った 。
幸 い、 学 生 の席 に 戻 って いた と こ ろ だ った の で 、 う つむ い て ほ か の本 に 目を さ ら し て いる と 、 博 士 は後 を ふ り
む い て、 本 棚 を 点 検 し てお ら れ る 。 こ ち ら は 物 蔭 に 身 を ひ そ め て いる 牛 方 の 心 境 であ る 。 私 は本 を 元 の よう に収
め た つも り だ っだ が 、 や は り いけ な か った のだ ろ う か。 凛 と し た 声 で、 ﹁こ の本 を いじ り ま し た か ? ﹂ と 問 わ れ
る 。 私 は ﹁拝 見 さ せ て 頂 き ま し た ﹂ と答 え 、 雷 が 落 ち る のを 覚 悟 し て いた と ころ 、 博 士 は な お も 、 点 検 を 続 け て
お ら れ る よ う す だ った が、 そ れ な り に 黙 って しま わ れ た 。 じ っと 内 心 の怒 り を お さ え た の で は な か ろう か 。 い っ
そ 、 高 声 で 叱 り 飛 ば さ れ た のに ま し て こ の沈 黙 は 私 にと って 恐 ろ し か った 。 私 は 卒 業 し て か ら も 、 同 級 の林 大 な
ど と ち が い、 ま る で 信 用 が な か った が 、 あ れ は あ あ いう 時 のや り方 が祟 った のだ ろう と 思 う 。
上代 仮 名遣 いの発見 と報 告
博 士 が こ の こ ろ 発 表 し た 論 文 は、 多 く は手 が た い狭 い範 囲 の深 い研 究 で あ る が、 こ れ ら 地 味 な 研 究 の中 に燦 然
と し た 光 を 放 って いる の は 、 大 正 六 年 十 一月 、 ﹃ 帝 国 文 学 ﹄ に発 表 さ れ た ﹁国 語 仮 名 遣 研 究 史 上 の 一発 見 ﹂ であ
る 。 こ れ は 著 名 な 上 代 仮 名 遣 いを 発 見 し 、 は じ め て 学 界 に 報 告 し た 論 文 で 、 ﹃万 葉 集 ﹄ や ﹃古 事 記 ﹄ な ど の上 代
の文 献 では キ ケ コ ソト ⋮ ⋮ の十 三 の 音 節 に 甲 乙 類 の仮 名 の遣 い分 け が 見 ら れ 、 これ は そ の こ ろ発 音 がち が って い
た から だ と いう 考 証 であ る 。 た ま た ま 江 戸 時 代 に 石 塚 竜 麿 と いう 学 者 が いて そ のち が い の存 在 に気 付 いて いた こ と が 明 ら か にな った の で、 そ の功 績 を 顕 証 し た 形 で 書 か れ た も の であ った 。
ら で はな か った が 、 私 な ど だ った ら 、 石 塚 が同 じ こ と に気 が 付 いて いた こ とを 知 った ら 、 思 わ ず 、 チ ェ ッ! と
博 士 が 十 三 の仮 名 遣 いに気 付 か れ た のは 、 前 に 触 れ た よ う に大 学 院 の時 代 で あ って、 決 し て 石 塚 の本 を 見 た か
舌 打 ち し て 、 そ の存 在 を の ろ った と こ ろ だ ろ う 。 し か し 博 士 は 先 人 の発 見 に 対 し てよ く 礼 を 尽 く し 、 自 分を 抑 え
て 竜 麿 を 称 揚 し て いる 態 度 は ま こと に立 派 で、 わ れ わ れ 後 進 の襟 を 正 さ し め る も の があ る 。
博 士 は、 こ の こ と を 雑 誌 に発 表 す る に 先 立 ち 、 国 学 院 大 学 の国 文 学 会 と いう と ころ で、 そ の趣 旨 を 口述 発 表 し
た が 、 上 代 の 日本 語 に 母 音 が 八 つあ った と いう 説 は 、 当 時 は ま こと に奇 想 天外 で あ った 。 ま た 、 博 士 が 慎 重 な 態
度 で結 論 を は っき り 出 さ な か った こと も 災 いし て 、 三 十 人 ば か り の聴 衆 のう ち 、博 士 の考 え に 賛 成 し た の は 、 三
矢 重 松 と 金 田 一京 助 と 安 田 喜 代 門 の三 人 だ け のよ う だ った と いう 。 そう し て国 史 学 者 の 山本 信 哉 が 、 五 十 音 図 を
破 壊 す る と は 以 て の外 だ と 反撃 し た 側 に 一同 の心 は 傾 いた そ う で 、 こ の輝 か し い発 見 も 、 は な は だ 不 遇 で あ っ た 。( 注14)
博 士 は こ の日 の発 表 で、 こう いう 甲 乙 二 類 の区 別を 弁 え る こ と は 語 源 説 の研 究 や 語 義 の解 釈 に役 立 つと し て 、
﹁上 ﹂ と ﹁神 ﹂、 ﹁日 に け に ﹂ と ﹁朝 に け に ﹂ の 区 別 を 説 いた と いう 。( 注15)原 稿 の方 に は そ の よ う な 記 述 が な く 、
そ の代 わ り に 竜 麿 以 後 の人 た ち の こ の方 面 の研 究 の こ と に触 れ 、 ま た 自 分 がそ れ に 気 付 いた動 機 な ど を の べ て い る。
上代 仮名 遣 い研究 の発 展
講 義 の中 で、 こ の 二類 は 母 音 の ち が い によ る も の であ ろ う と 述 べた と 言 う 。(注 6) 1さ ら に、 昭 和 七年 度 の ﹁国 語 音
博 士 は 、 こ の甲 乙 二 類 の音 価 の 区 別 に つ いて は、 のち に昭 和 二 年 に至 り 、 東 大 の ﹁国 語 音 声 史 の研 究 ﹂ と いう
声 史 ﹂ の講 義 ( 注17)の中 で甲 類 は i ・ e ・oの音 節 であ った のに 対 し 、 乙 類 は 函ui・ueの ・よ uo う な 音 節 で あ った
か と し、 昭 利 十 七 年 の ﹁国 語 音 声 史 の 研 究 ﹂ と いう 講 義( 18)で は 甲 類 は そ のま ま と し 、 乙 類 は そ れ ぞ れ〓i・ 〓 〓 ・φ と いう 音 節 では な か った か と いう 考 え を 発 表 し た 。
ま た 博 士 は 、 こ の研 究 の応 用 と し て、 後 に ﹁﹃と ほ し ろ し ﹄ 考 ﹂ ( 大正十四年)で 語 釈 の研 究 を 試 み 、 ﹁上 代 の文
献 に存 在 す る 特 殊 の仮 名 遣 と 当 時 の 語 法 ﹂ ( 昭和 六年) で動 詞 の活 用 に つ い て の 新 し い考 え 方 を 発 表 し 、 いず れ も
学 界 の定 説 を 修 正 し た 。 同 じ こ ろ発 表 し た ﹁上 代 に於 け る 波 行 一段 活 用 に就 いて ﹂ も 、 こ の上 代 仮 名 遣 い の 一つ
の応 用 で 、 上 代 に は ハ行 の 上 一段 活 用 の動 詞 はな く 、 そう 見 え るも のは 実 は 上 二 段 活 用 の動 詞 だ った と いう こと
を 証 明 し た も の で 、 そ の論 証 は 実 に 見事 で あ る。 博 士 の文 章 は 決 し て 文 学 的 と いう も ので は な いが 、 こ こ に は 一
分 のす き も な い論 文 の美 し さ と いう も のを ま ざ ま ざ と 見 せ つけ る 好 個 の名 品 とな って いる 。
と に かく 、 博 士 の上 代 仮 名 遣 い の発 表 は 、 上 代 の日 本 語 の性 格 の重 要 な 点 を 明 る み に出 し た も ので 、 文 法 ・語
訳 ・語 源 の解 釈 に役 立 つ点 が大 き く 、 こ と に 昭 和 に な って か ら 、 有 坂 秀 世 ・池 上 禎 造 によ って、 上 代 の 日本 語 に
は 一種 の 母 音 調 和 の 現 象 が 確 め ら れ 、 系 統 論 の研 究 を も 刺 激 し た こと は 広 く 知 ら れ る と こ ろ であ る 。 日本 語 研 究 史 を 広 く見 渡 し た 場 合 、 屈 指 の 重 大 な 発 見 の 一つで あ った 。
欝 然 た る大家 に
博 士 は ま た 助 手 在 任 時 代 、 いろ いろ な 仕 事 の手 伝 いを た のま れ た 。 最 も 早 いも のに ﹃校 本 万 葉 集 ﹄ の仕 事 があ
る 。 明 治 四 十 五 年 七 月 、 文 部 省 に 設 け ら れ た 文 芸 委 員 会 か ら 依 嘱 さ れ た ﹃万 葉 集 ﹄ の定 本 の作 成 だ った 。
これ は 、 かね て ﹃万 葉 集 ﹄ の研 究 を 畢 生 の志 と し て いた 佐 佐 木 信 綱 の要 請 に よ って 参 加 し た も の で、 博 士 は 、
自 分 は 万 葉 集 を 専 門 に研 究 す る 人 間 で は な いが 、 自 分 の古 代 の仮 名 の研 究 の た め に協 力 す る む ね を 、 容 を あ ら た め て 承 諾 し た と いう 。( 注19)か た いこ と であ る 。
こう し て 大 正 十 三 年 に、 厳 正 な や り方 で聞 こ え た 博 士 の協 力 のも と に、 後 世 に 誇 り 得 る ﹃校 本 万 葉 集 ﹄ と いう
学 術 的 業 績 が生 ま れ た こと は 、 慶 賀 す べき こ と だ った 。 博 士 は ま た 、 佐 佐 木 信 綱 の ﹃ 南 京 遺 文 ﹄ そ の他 の本 を も
共 編 し て いる 。 ま た こ の仕 事 の縁 で 新 村 出 ・佐 佐 木 信 綱 と と も に 、 ﹃ 契 沖 全集﹄ ( 昭和 三年) の 編 集 を し 、 下 河 辺 長 流 や契 沖 の研 究 を 試 み て いる 。
博 士 は さ ら に 、 大 正 五 年 、 上 田 万 年 と 共 著 で ﹃古 本 節 用集 の研 究 ﹄ と いう も のを 出 し 、 これ が博 士 の最 初 の著
作 と な って い る。 博 士 にす れ ば これ は 別 にや り た く て や った 仕 事 で は な く 、 上 田 に命 ぜ ら れ た も のだ と いう 。 い
か にも 博 士 にし て み れ ば 、 こ の こ ろも っと 面 白 い研 究 課 題 を た く さ ん か か え て いた であ ろ う 。 が 、 こ の よ う な 研 究 を し て い るう ち に 、 名 は 助 手 であ る が 、 博 士 は鬱 然 た る 国 語 学 の巨 匠 と な った 。
私 の在 学 時 代 、 国 文 学 ・国 語 学 の 研 究 室 の 助 手 を 、 学 生 は ﹁先 生 ﹂ と 呼 ん で いた 。 当 時 国 文 学 の副 手 だ った 鶴
見 誠 は気 さ く な 人柄 で、 ﹁君 た ち は 我 々を 先 生 と 呼 ぶ が、 あ れ は勘 弁 し て も ら いた いな ﹂ と 発 言 し て 、 私 た ち も
拍 手 し た 。 と 、 国 語 学 の助 手 だ った 岩 淵 悦 太 郎 は、 ﹁あ れ は 橋 本 先 生 が 助 手 だ った 時 代 か ら 、 あ あ いう 習 慣 に な
って いる のだ ﹂ と つけ た し て 、 一座 白 け た こ と が あ った 。 が、 た し か に十 年 以 上 も 助 手 の地 位 に い て、 研究 室 の
本 を 扱 って い て は 、 橋 本 博 士 は ﹁先 生 ﹂ と 呼 ば れ て 当 然 の学 者 にな って いた の であ る。
模範 的 な宮 仕え
一体 、 橋 本 博 士 の国 語 研 究 室 の助 手 と し て の 勤 め ぶ り は ど のよ う で あ った か 。 関 東 大 震 災 のあ と の こ ろ博 士 の も と に副 手 と し て働 いた筧 五 百 里 に は 、 こん な 思 い出 があ る と いう 。
東大 に あ った 国 語 研 究 室 は 大 震 災 で 不 幸 にも 焼 失 し た の で、 そ のあ と 東 洋 文 庫 の 一室 を 借 り 、 そ こ で ふ だ ん は
博 士 も 筧 も 書 籍 の整 理な ど を し て いた 。 市 電 に 乗 って 十 五 分 ぐ ら い の距 離 のと こ ろ で あ る 。 ち ょう ど 東 大 の卒 業
生 の 口頭 試 問 が 行 わ れ る 日 だ った が 、 朝 、 筧 が東 洋 文 庫 へ行 く と 、 博 士 は も う 来 て い て、 ﹁藤 村 先 生 が 君 に 用 が
あ る か も 知 れ な い。 東 大 へ行 き な さ い﹂ と 言う 。 急 いで 電 車 に乗 り 、 東 大 の文 学 部 へ行 って み る と 、 事 務 長 が い
て 、 ﹁き ょう は あ な た に は 用 はな いよ う です よ ﹂ と 言 う 。 す ぐ 、 東 洋 文 庫 に 引 き 返 し て、 博 士 に そ の 旨 を 報 告 す
る と、 博 士 は、 ﹁藤村 先 生 が そ う 言 わ れ た の か﹂ と 言 う 。 ﹁い いえ ﹂ と 答 え る と 、 ﹁事 務 長 に 何 が わ か る も のか 、 も う 一度 行 って 来 い﹂ と 言 わ れ た。
あ わ て て東 大 へ駈 け つけ る と 、 東 大 の門 か ら ち ょう ど 、 国 文 学 科 の副 手 の守 随 憲 治 が 出 て来 る と こ ろ だ った 。
筧 を 見 て ﹁ど こ へ行 く ﹂ と 尋 ね る。 こ れ これ と 答 え る と 、 守 随 は ﹁今 ぼく は 、 藤 村 さ ん か ら 用 が な い、 と 言 わ れ
て 帰 る と こ ろ だ。 君 な ど に 用 は あ り っこな い。 い っし ょ に そ の へん で つき あ え ﹂ と 言 う 。 筧 も 心 が 動 いた が 、 断
って 東 洋 文 庫 に 帰 り 、 博 士 に報 告 す る と 、 博 士 は ﹁藤 村 先 生 に お 逢 いし た か ﹂ と 念 を 押 す 。 筧 は これ こ れ と 答 え
る と、 博 士 は声 を 荒 ら げ て 、 ﹁守 随 な ど が わ かる も の か、 も う 一度 行 って 、 藤 村 さ ん に じ か に 逢 って 確 か め て 来 い﹂ と 言 う 。
筧 は 三 度 、 東 大 ま で出 掛 け て み る と 、 も う 口 述 試 験 が 始 ま って 、 研 究 室 の扉 が 閉 ま って い る 。 そ こ で、 ま た 東
洋 文 庫 ま で引 き 返 し て そ の旨 を 博 士 に 伝 え る と 、 博 士 は ﹁君 は自 分 を 何 だ と 思 って いる 。 副 手 と いう 大 学 の職 員
で はな いか 。 そ れ な ら 中 へ入 って い いは ず だ 。 な ぜ 、 藤 村 先 生 に 逢 って来 ん ? ﹂ と 叱 ら れ た 。 こ う し て筧 は 、 東
洋 文 庫 か ら 東 大 ま で、 足を 運 ぶ こ と 四 回、 や っと 藤 村 に逢 い、 来 意 を 告 げ る と 、 藤 村 は に っこ り 笑 い、 ﹁今 日 は 君 に は 用 は あ りま せ ん ﹂ と 言 った と 言 う 。
筧 は 疲 れ は て て 東 洋 文 庫 に 戻 り、 博 士 に そ の 旨 を 報 告 す る と 、 博 士 は ﹁だ か ら 言 わ な い こと で は な い。 早 く 藤
村 先 生 に お 逢 いす れ ば よ か った のだ 。 君 は ば か だ か ら 無 駄 足 を 踏 ん だ ん だ ﹂ と 言 って 、気 の毒 な こ と を し た 、 と
も 、 御 苦 労 さ ま と も 言 わ れ な か った と いう 。
何 と 官 僚 的 な 、 と 今 の人 は 思 う だ ろう か 。 そ の ころ の 職務 に 忠 実 な 助 手 は そう いう も のだ った 。
筧 によ る と 、 筧 が博 士 の家 へ行 って 、 公 の人 事 の話 を し て いる 時 、 部 屋 に夫 人 が 入 って 来 る と 、 話 を ぴ た っと や め た そ う であ る。 模 範 的 な宮 仕 え ぶ り だ った 。
吉利 支 丹教義 の研究
博 士 が 助 手 であ った 時 代 の最 後 に 書 いた 労 作 は 、 ﹃吉 利 支 丹 教 義 の 研 究 ﹄ で あ った 。 こ れ は 、 大 正 八 年 に 初 稿
は 出 来 上 が って いた と いう が 、 序 文 は 大 正 十 五 年 、 刊 行 は 昭 和 三 年 で 、 推 敲 のあ と が 偲 ば れ る。( 注20)東 洋 文 庫 蔵
のキ リ シ タ ン文 献 ﹃ド チ リ ナ ・キ リ シ タ ン﹄ を 全 文 紹 介 し 、 国 語 学 的 な 研 究 を し た も の で、 厳 正 な 翻 字 と 言 い、
ロー マ字 で表 記さ れ て い る 日 本 語 の音 価 の推 定 は 、 のち のキ リ シ タ ン文 献 を 扱 う 人 々の模 範 と な った 。
と に か く こ の研 究 によ り 日 本 語 の歴 史 のう ち で 音 韻 の 最 も 明 ら か な の が、 室 町 時 代 と いう こと に な り、 そ の前
後 の時 代 の音 韻 も これ を も と にし て推 定 す る こ と が で き る よ う に な った 。 博 士 は の ち に、 ﹁国 語 音 韻 の変 遷 ﹂ と
いう 論 考 を 書 く に あ た り、 ﹃万 葉 集 ﹄ そ の 他 によ って 知 ら れ る 、 上 代 の音 韻 体 系 を 述 べ、 現代 ま で の中 間 時 代 と
し て室 町 末 期 の音 韻 体 系 を と り 、 そ の中 間 の時 期 の変 遷 を 推 定 し て いる が、 ま こと に 見事 な 出 来 であ る。
私 は 昭 和 十 八年 、 国 語 の ア ク セ ント 史 を は じ め てま と め 、 ﹁国 語 ア ク セ ント の史 的 研 究 ﹂ と いう のを 書 いた が 、
そ の時 、 ﹃ 補 忘 記 ﹄ に よ る 近 世 初 期 の ア ク セ ント 体 系 と 、 ﹃類 聚 名 義 抄 ﹄ によ る 院 政 時 代 の ア ク セ ント 体 系 を 述 べ、
あ と 中 間 の時 代 に お け る変 遷 を 述 べ る 方 法 を と った 。 こ れ は ま った く 博 士 の 音 韻 史 の方 法 を 服 部 四 郎 博 士 を 通 じ
て教 わ り 、 そ れ に 見 習 った も のだ った 。 も し こ う いう お 手 本 がな か った ら 、 ど のよ う に 記 述 し た ら よ いか 、 途 方 にく れ た であ ろう 。
な お、 こ の ﹃ 吉 利 支 丹 教 義 の研 究 ﹄ では 、 古 いポ ルト ガ ル語 を 読 み 解 か ね ば な ら ず 、 ひと り 二 階 の 一室 に こも
って 困 難 な 仕 事 を し て いた が、 た ま た ま そ の こ ろ年 老 いた 母 君 が 病 の床 に つき 、 正 夫 人 と 女 中 が そ ば に看 病 し て いた が 、 深 夜 時 々心 細 そ う に ﹁進 吉 を 呼 ん で お く れ 。﹂ と 言 った と いう 。( 注2 1)
賢 母 と い って も 、 母 一人 、 子 一人 の間 柄 で 、 体 が 弱 ってく る と そ ば に い ても ら いた か った の であ ろ う 。 助 手 の
身 分 に 甘 ん じ 、 こ の ﹃吉 利 支 丹 教 義 の研 究 ﹄ を 書 いて いた こ ろ が 、 博 士 に と って 一番 苦 し い時 代 であ った 。
東 大 の助教 授 に
博 士 は 昭 和 二 年 、 十 八 年 の助 手 の生 活 を 送 った 時 、 数 え 年 四 十 六 歳 に な って いた 。 そ の時 上 田 万 年 が 定 年 を 迎
え て 退 官 し 、 博 士 は そ のあ と を 襲 い、 二月 十 二 日東 京 帝 国 大 学 助 教 授 の辞 令 を も ら い、 そ の四 月 から 教 壇 に立 っ
た 。 講 師 を 一躍 飛 び 超 え た の であ る 。 そ の こ ろ 、 保 科 孝 一が博 士 よ り 上 に い て講 師 を し て いた 。 博 士 は 保 科 が 上
田 のあ と を 襲 う の では な いか と 思 って いた 。 も し 、 保 科 が 助 教 授 に な る よう だ った ら 、 自 分 は 上 田 に 辞 表 を 出 す
つも り だ った そう であ る。 悲 壮 な 覚 悟 であ る。 これ は金 田 一京 助 に も ら し た 言 葉 に よ って し る す が、 上 田 は そう
いう 博 士 に、 そ の年 の 二 月 十 二 日 の前 日ま で 全 然 意 中 を も ら さ な か った と いう 。 他 の邪 魔 が 入 って は と いう 用 心 のた め と も 思 う が 、 随 分 お 人 の悪 い方 であ った 。
今 思 う と 、 上 田 万 年 と いう 人 は、 新村 出 に は 逸 早 く 学 位 を 与 え て京 都 大 学 に 推 薦 し 、 若 手 で は 東 条 操 を 可 愛 が
って いた 。 博 士 は 淡 泊 な 江 戸 っ子的 な気 質 を 喜 び 、 橋 本 博 士 のよ う な 石 部 金 吉 と い った 純 粋 の学 者 タイ プ の人 に 対 し て は 、 好 意 を あ ま り寄 せ な か った よ う であ る 。( 注22)
さ て、 博 士 は の ち 九 年 に な って、 東 大 に提 出 し た ﹁天 草 版 吉 利 支 丹 教 義 の 用 語 に つ い て﹂ と いう 論 文 で 、 藤 岡
勝 二 の審 査 で文 学 博 士 号 を 与 え ら れ た。 これ は、 さ き に 昭和 三 年 二 月 に出 版 し た ﹃吉 利 支 丹 教 義 の研 究 ﹄ の 一節 であ る。
博 士 は本 が 出 来 て か ら 博 士 号 を 受 け る ま で六 年 も か か って いる 。 金 田 一の 談 に よ る と 、 金 田 一が 博 士 に 、 あ の
本 を 藤 岡 先 生 に提 出 し た ら ど う だ と 、 あ る 日勧 め た のだ そ う だ 。 す る と 博 士 は答 え て、 自 分 も そう 思 って い つか
先 生 に相 談 し た 、 そ う し た ら 、 ﹁出 し た か った ら 出 す が い い﹂ と の お 返 事 で、 こ れ はあ ま り感 心 し て お ら れ な い
のだ ろう と 思 い、 ま だ 提 出 し て いな い、 と 言 わ れ た そ う だ 。 金 田 一は 驚 い て、 自 分 が 以 前 、 ﹃ユー カ ラ の研 究 ﹄
を 書 いた 時 に、 藤 岡 先 生 に相 談 し た ら 同 じ 返 事 だ った 。 自 分 は 出 し た か った か ら 遠 慮 な く 出 し た。 そ う し た ら 博
士 号 が も ら え た 。 あ な た も だ か ら 出 し た 方 が い い、 と 言 った 。 博 士 は 喜 ん で そ の言 葉 に 従 い、 昭 和 八 年 に な って
提 出 し 、 学 位 を も ら った の だ と 言 う 。 こん な こ と で 博 士 は、 金 田 一を 徳 と し て いた よ う で 、 のち に 金 田 一が停 年 の 一年 前 、 国 語 学 科 の教 授 に し ても ら え た の は、 そ の報 いだ った かも し れ な い。
金 田 一に よ る と 、 藤 岡 は 、 う っか り論 文 の提 出 を 勧 め て、 教 授 会 で 否 決 さ れ る と 、 自 分 の立 場 が な く な る。 そ
こ で論 文 を 書 いた 人 間 の自 由 意 志 で提 出 し た と いう 形 に し た く て、 ﹁出 し た け れ ば 云 々﹂ と 、 言 った の だ ろ う と
言 う 。 先 の、 博 士 の助 教 授 昇 進 を そ の直 前 ま で上 田 が秘 密 に し て いた 件 と い い、 こ の藤 岡 のや り方 と い い、 こ れ こそ 官 僚 的 の見 本 であ った 。
痛恨 事
と に かく 、 保 科 は 上 田 と い っし ょ に職 を 退 き 、 博 士 が 国 語 学 の助 教 授 と なり 、 研 究 室 の元 首 と な った が、 残 念
だ った の は 、 博 士 が 助 教 授 を 命 ぜ ら れ る直 前 に、 母 堂 が 病 い高 じ て逝 去 し た こ と であ る。 母 堂 はど ん な に こ の 日
を 待 って いた こと か。 孝 心 の篤 い博 士 に と って そ れ は 生 涯 で の痛 恨 事 で あ った で あ ろ う 。
三 国 語 学 最 高 の 地 位 に 東 大 での講 義
昭 和 二 年 二 月、 橋 本 博 士 は 上 田 万 年 のそ の場 の思 い付 き と も 思 わ れ る よ う な 突 然 の指 名 で、 東 京 大 学 文 学 部 助
教 授 を 命 ぜ ら れ た 。 そ う し て そ の 翌 々年 に は教 授 にな った 。 雌 伏 の助 手 時 代 は 長 か った が、 こ のあ た り は と ん と ん 拍 子 の出 世 であ る 。
そ れ は い いが、 助 教 授 と な る と 、 週 二 回 の授 業 を 担 当 し な け れ ば な ら ぬ。 教 授 とな れ ば も う 一回 ふえ る 。 相 手
は 天 下 の秀 才 を も って任 じ て いる 東 大 の学 生 ど も であ る 。 最 初 の年 な ど は 二 か 月 で そ の予 習 を し な け れ ば な ら な
か った と は 相 当 の難 行 であ る 。 し か し 、 博 士 に は 助 手 時 代 の蓄 積 が あ った か ら 、 そ の最 初 か ら 見 事 上 田 の期 待 に 答 え る名 講 義 を し た の であ る 。
博 士 の東 大 に お け る 講 義 題 目 は 、 た と え ば 橋 本 博 士 還 暦 記 念 会 編 ﹃国 語 学 論 集 ﹄ の巻 末 に載 って いる。 東 大 の
講 義 とも な れ ば、 毎 週 新 し い研 究 を 発 表 す る こ と で、 本 来 き わ め て 苦 し いこ と であ る 。 そ れ も 翌 年 は テ ー マを 変
え て行 く のだ か ら 、 ま す ま す 大 変 な こ と であ る 。 し かし 、 博 士 に は そ れ ま で 積 み重 ね て 来 た 、 永 い間 の 研 究 の実
績 で、 少 し も 支 障 を 来 さ ず 、 毎 年 ほ と ん ど 休 講 も な く 、 そ う し て 用 意 し た 予 定 の半 分 ぐ ら い で学 年 末 を 迎 え る の
が 常 だ った 。 博 士 のあ と を 継 いだ 時 枝 誠 記 が豪 放 な 性 格 か ら でも あ った が、 十 二 月 ご ろ にな る と 講 義 を や め てし ま った のと は 大 き く ち がう 。
博 士 の講 義 は、 週 三 回 だ った 。 三 回 のう ち 、 一回 は月 曜 の午 後 の 二 時 間 で 、 ﹁国 語 学 概 論 ﹂ と ﹁国 語 学 史 概 説 ﹂
を 一年 お き に講 じ 、 も う 一回 の水 曜 の午 前 の 二 時 間 は ﹁国 語 音 声 史 ﹂ ﹁て に を は の研 究 ﹂ ⋮ ⋮ と いう よ う に 、 毎
週 新 し い講 義 題 目 を 用 意 し た 。 五 年 ぐ ら い の周 期 で、 前 の も のと 同 じ 題 目 が 掲 げ ら れ る こと があ る が 、 内 容 は す っか り 面 目 を 改 め 、 勉 強 ぶ り が よ く わ か った 。
﹁国 語 学 概 論 ﹂ の講 義 は 、 ﹃岩 波 講 座 ・日 本 文 学 ﹄ のう ち の ﹁国 語 学 概 論 ﹂ が 大 体 そ の大 要 で あ る 。 これ は 博 士
の考 え る国 語 学 の内 容 と そ の 研 究 方 法 を よ く 示 し て いる が、 日 本 語 と いう ラ ング の研 究 で あ り 、 時 枝 のも の と は
は っき り 異な って、 言 語 生 活 ・言 語 教 育 ・言 語 政 策 のよ う な も のは 排 除 し 、 いか に も 体 系 的 に が っち り し た 国 語
学 だ った 。 ﹁国 語 学 史 概 説 ﹂ の方 は、 こ の三 月 に ﹃橋 本 進 吉 博 士 著 作 集 ﹄ の 一冊 の中 に 収 め ら れ て 出 版 さ れ た が、 き わ め て 詳 し いも ので 、 江 戸時 代 の末 ご ろ で終 わ って いた 。
国語 学演 習
し かし 、 博 士 の講 義 の中 で 断 然 著 名 だ った の は、 毎 週 木 曜 日 の午 前 中 の時 間 に 行 わ れ た 国 語 学 演 習 であ る。 服
部 四郎 ( 注23)・大 野晋 ( 注24)な ど 、 機 会 が あ る ご と に 口を 揃 え て激 賞 し て いる こ と は よ く 知 ら れ て いる と お り で あ
る 。 これ は毎 年 テキ スト を 変 え 、 十 人 ∼ 二 十 人 ば か り の学 生 を 相 手 に国 語 史 の研 究 を 特 訓 す る も ので あ った が 、
テ キ スト の 一字 一句 を 精 密 に検 討 し て ゆ く と こ ろ に 特 色 があ り 、 二 週 間 ・三 週 間 を か け て た った 一つ の単 語 の意 味 を 明ら か に し て 終 わ る と いう こと も 稀 で は な か った 。
私 が 入 学 し た 昭 和 九 年 度 の テ キ スト は富 士 谷 成 章 の ﹃あ ゆ ひ 抄 ﹄ で あ った が 、 ま ず 、 最 初 に こ の成 章 と いう 名
は 何 と 読 む か と いう こと で、 四 週 間 が費 さ れ た のは 驚 いた。 結 局 通 説 の シ ゲ ア ヤ は 退 け ら れ 、 ナ リ ア キ と いう 平
凡 な 読 み方 が よ いと いう こ と に な った が 、 こう いう 場 合 、 学 生 た ち は 小 学 生 並 み に指 名 さ れ 、 正 し い答 が 得 ら れ
な い時 に は 次 々 に 順番 がま わ り 、 でき な い学 生 は満 座 の中 で 恥 を かく の が常 で あ った 。 し か も そ の指 名 が い つ回
ってく る か 順 序 はま った く 不定 で あ る ので 、 ま じ め な 学 生 た ち は 週 に 一回 の演 習 の予 習 のた め に、 一週 間 のあ い て い る時 間 全 部 を あ て た も の だ った 。
二 年 目 の時 は ﹃万 葉 集 ﹄ が テ キ スト だ った が、 こ の時 も 最 初 は 本 文 を さ し お い て、 巻 末 に つ いて い る仙 覚 の跋
文 の解 釈 か ら は じ め た 。 こ れ で 一学 期 は 完 全 に つぶ し た が 、 例 え ば 、 こ の中 に ﹁異 説 且 千 ﹂ と いう 句 があ る 。 こ
の ﹁且 千 ﹂ と は ど う いう 言 葉 だ と いう こと にな って私 が 指 名 さ れ た 。 こん な 言 葉 は今 の ﹃日本 国 語 大 辞 典 ﹄ にも
載 って いな いく ら い であ る か ら 、 当 時 の ﹃ 大 日本 国 語 辞 典 ﹄ や ﹃大 言 海 ﹄ に は 影 も 形 も な い。
私 は ﹁わ か りま せ ん ﹂ と う な だ れ て いる の み で あ った が 、 次 に指 名 を う け た 鈴 木 一男 と いう 一年 上 級 の学 生 は、
そ れ は ﹃類 聚 名 義 抄 ﹄ の何 の巻 の何 枚 目 の表 に あ り ま す 。 ﹁且 千 ト ハチ チ ハカ リ ナ リ ﹂ と あ り ま す 。 ﹁チ ヂ バカ リ
ナ リ の意 味 でし ょ う か ら 、 た く さ ん と いう 意 味 だ ろ う と 思 いま す ﹂ と 答 え た 。 ﹃類 聚 名 義 抄 ﹄ はま だ 観 智 院 本 の
複 製 本 も 出 て いな い ころ の 話 で 、 こう いう 本 を 引 く 人 は学 者 の中 にも あ ま りな か った 時 代 であ る。 私 は ﹃類 聚 名
義 抄 ﹄ と いう 辞 書 は 、 アク セ ント の資 料 に な る と いう こ と は 承 知 し て いた が、 そ う いう 語 釈 に役 立 つ こと を は じ め て知 り 、 そ れ を 引 用 し た 鈴木 に感 心 し た 。
と 、 博 士 は 、 そ れ で 意 味 は わ か った と し て、 何 か ほか に 用 例 は な いか と 言 う 。 す る と、 鈴 木 と同 級 の加 納 協 三
郎 と いう 勉 強 家 が い て、 ﹁厳 島 神 社 の願 文 と いう も の に 出 て い ま し た ﹂ と 言 って 、 同 神 社 の 賑 いを 述 べ る 中 に
﹁朝 に 詣 つ る も の且 千 ⋮ ⋮ ﹂ と いう よ う な 一句 が あ る こ と を 報 告 し た 。 こ れ に よ って 当 時 ﹁且 千 ﹂ と いう 単 語 が
あ った こ と は 確 実 にな った 。 が 、 そ れ に し ても 一体 、 彼 は ど う し て こう いう も のを 見 つけ た のだ ろ う 。 ﹃群 書 類
従 ﹄ のよ う な も のを 片 端 か ら 見 て 行 く と 見 つか る だ ろ う か と 思 い、 そう いう 意 欲 の起 こら な い自 分 は これ は つき あ いき れ な いと 嘆 く ば か り であ った 。
毎 週 そ ん な 風 に過 ぎ て ゆ く の で 、 学 生 の中 に は わ ざ わ ざ 金 沢 文 庫 ま で本 を 見 に 行 く も の も あ り 、 あ る 学 生 は京
都 の知 人 に た のん で調 べさ せ 、 そ の返 事 の 手 紙 を 読 み 上 げ る こ と も あ る と いう 風 で 、 と に かく 学 生 の勉 強 は 大 変
さ き ほど の
と に か く 他 の 学 者 では ち ょ っと 真 似 の出 来 な い演 習
だ った 。 が 、 今 に し て 思 う と、 博 士 自 身 は 学 生 に も ま し て 準 備 を し な け れ ば な ら な い わ け で、︱ ﹁且 千 ﹂ の時 も 、 博 士 は も っと 別 の文 献 の例 を 示 さ れ た ︱ だ った 。
国 語法 要説
橋 本 博 士 が東 大 教 授 と な り 、 二、 三 年 た った ころ 、 日本 で最 初 の国 語 ブ ー ムが 起 こ った 。 す な わ ち 、 は じ め て、
国 語学 を 扱 う 辞 典 、 藤 村 作 編 の ﹃日 本 文 学 大 辞 典 ﹄ が 生 ま れ 、 ま た 、 国 語 学 に 関 係 し た 講 座 類 ﹃岩 波 講 座 ・日本 文 学 ﹄ と 明 治 書 院 の ﹃国 語 科 学 講 座 ﹄ が 世 に出 た 。
戦 後 で は 、 昭和 三 十 年 前 後 と 昭和 四 十 五 年 ご ろ が コト バブ ー ム ・日 本 語 ブ ー ム と言 わ れ る が 、 第 一回 の 日本 語
ブ ー ム が 起 こ った のは 、 こ の昭 和 六 、 七 年 ご ろ であ る。 戦 後 の 日本 語 ブ ー ム は 言 語 学 と ペ ア だ った が、 こ の時 期
のも のは ま だ 国 文 学 と ペア に な って いた か ら、 日本 語 ブ ー ムよ り は 国 語 ブ ー ムと いう 方 が ふさ わ し いが、 と に か く 、 そ う いう 辞 典 ・講 座 類 は 必 ず 橋 本 博 士 に執 筆 を 依 頼 し て来 た 。
ま ず ﹃岩 波 講 座 ・日本 文 学 ﹄ で は 、 博 士 は 昭 和 七 、 八 年 に ﹁国 語 学 概 論 ﹂ ( 上 ) (下 ) を 執 筆 し た 。 前 に ふれ た
も の が そ れ であ る 。 ﹃国 語 科 学 講 座 ﹄ の方 に は 、 博 士 は 九 年 に博 士 の 文 法 体 系 を 説 い た ﹁国 語 法 要 説 ﹂ を 執 筆 し
た 。 さ ら に翌 十 年 には 雄 山 閣 の ﹃国語 国 文 学 講 座 ﹄ と いう も の が 出 て 、 ﹁国 語 学 研 究 法 ﹂ を 執 筆 し て いる 。 そ う
し て 、 ﹃日本 文 学 大 辞 典 ﹄ に は 、 ア ク セ ント ・あ め つち ・いろ は 歌 ・韻・ 韻 学 か ら は じ め て、 国 語 ・国 語 学 ・国
語 学 史 ⋮ ⋮ な ど 、 重 要 な 項 目 七 〇 ば か り を 解 説 し て お り 、 いず れ も 博 士 の学 問 体 系 を 表 わ し て 細 心 の 記 述 であ っ た。
講 座 に 執 筆 し た 中 で、 最 も 大 き な 意 義 を も つも の は ﹁国 語 法 要 説 ﹂ であ る 。 こ れ は 、 こ の こ ろ は ま だ 日 本 に は
な か った 形 式 主 義 の文 法 で 、 ま ず 、 文 を 定 義 し て、 文 は 必 ず そ のあ と で 音 が 切れ る、 そ う し て そ の終 わ り に は、
特 殊 な イ ント ネ ー シ ョ ンを 伴 う と いう よ う な こと を 述 べる 。 ま た 、 意 味 の上 か ら は 必 ず し も 切 れ 目 で は な いが 、
音 の 切 れ 、 つづ き を 考 え て 、 ︽文 節 ︾ と いう 単 位 を 提 唱 し た 。 以 下 、 品 詞 の 分 類 で は 、 も っぱ ら 形 態 と 機 能 を 重 ん じ 、 意 味 は暫 く あ いま いな も の と し て問 わ な い行 き方 であ る。
こ の行 き 方 は 、 そ の こ ろ 大 き な 権 威 を も って いた 山 田 孝 雄 の 文 法 と は ち が い、 そ の精 神 に お い て、 ア メ リ カ の
ブ ルー ム フ ィー ル ド の構 造 主 義 と 同 じ 種 類 のも の であ る。 博 士 と ブ ルー ム フ ィー ルド の間 の関 係 は 興 味 あ る 問 題
で あ る が 、 博 士 は勉 強 家 だ か ら 、 ブ ル ー ム フ ィ ー ルド のも のを ひ そ か に 読 ん で いた の だ ろ う と いう 説 と 、 博 士 は
頭 の い い人 だ か ら 、 ブ ルー ム フ ィー ル ド のも のを 読 ま な く て も あ のく ら いの こ と を 考 え つ いた で あ ろ う と いう 説 と が あ る。
小 さ いこ と であ る が 、 動 詞 ・形 容 詞 に つ い て は 、 山 田 孝 雄 の、 ︽用 言 に は 陳 述 性 あ り︾ と の考 え を 改 め て 、 動
詞・ 形 容 詞 の意 味 は動 作・ 状 態 と 、 ︽そ の動 作 が行 わ れ る・ そ の状 態 に あ る ︾ と いう 意 味 の叙 述 性 か ら 出 来 て い
る と いう 創 見 は す ば ら し か った 。 助 詞 の 分 類 も 、 自 立 語 の 分 類 に 平 行 的 に 行 った 点 、 見 事 であ り、 後 の助 詞 分 類 の定 説 と な った 。
学 校 文法 の基礎
と ころ で、 博 士 の文 法 と 言 え ば、 一般 社 会 に 大 き な 影 響 を 与 え た も の と し て、 昭 和 七 年 、 冨 山 房 か ら 出 版 し た
﹃新 文 典 別 記 ﹄ (初 級 用 )、 十年 の ﹃新 文 典 別 記 ﹄ ( 上 級 用 ) を あ げ な け れ ば な ら な い。 これ は博 士 が 六 年 に ﹃新 文
典﹄ ( 初 級 用 )、 八 年 に ﹃ 新 文典﹄ ( 上 級 用 ) と いう 中 学 生 に 国 文 法 を 教 え る文 法 教 科 書 を 出 し た 、 そ れ を 教 室 で
教 え る 際 の教 師 用 の参 考 書 であ った 。 教 科 書 の方 は 、 紙 面 そ の他 の制 約 が あ り 、 ま た 全 般 的 に そ れ ま で の学 校 文
典 か ら は な は だ し く 乖 離 し た も の は 許 さ れ な い の で、 そ れ ほ ど 特 色 のあ る も の で はな か った が 、 そ の ﹃別 記 ﹄ が
至 れ り 尽 く せ り の 出 来 で、 教 室 で文 法 を 教 え る た め に は 絶 好 の虎 の巻 であ った の で評 判 を 呼 び 、 年 々博 士 の ﹃新
文 典 ﹄ を教 科 書 と し て 採 用す る 中 学 校 が ふえ 、 昭 和 十 年 代 に な る と 日 本 全 国 の中 学 校 の大 部 分 が これ を 使 う こと に至 った 。
元 来 、当 時 は 中 学 校 の文 法 の授 業 は大 槻 文 法 で 教 え る こ と にな って いた が、 大 槻 文 法 で は 割 り 切 れ な い部 分 が
多 い。 ﹁こ の﹂ と か ﹁あ ら ゆる ﹂ と か いう 語 の品 詞 を 言 う こと が で き な い。 ま た ﹁静 か に﹂ ﹁元 気 に ﹂ を 副 詞 と す
る のは い いと し て も 、 ﹁静 かな ﹂ ﹁元気 な ﹂ と いう 形 の 説 明 が でき な い。 ﹃ 別 記 ﹄ は そ う いう 点 に 配 慮 を し て 述 べ
てあ る の で、 ﹃新 文 典 ﹄ を 使 う こ と で、 文 法 の 不 得 手 な 中 学 校 の 国 語 の教 師 は 、 ど のく ら い救 わ れ た か わ か ら な い 。
戦 後 、 文 部 省 で 国 語 の教 科 書 を 一新 す る時 に 文 部 省 に いた 岩淵 悦 太 郎 に 命 じ て 、 国 定 の 文 法 教 科 書 を 新 た に 書
き お ろ さ せ た。 岩 淵 は 戦 前 の ﹃新 文 典 ﹄ が よ く 普 及 し た こと を 考 え て、 橋 本 文 法 に よ る新 し い文 法 体 系 を 考 え 、
そ れ に よ る 文 法 の教 科 書 を 編 集 し た 。 こ れ が 現 代 で も 使 わ れ る 学 校 文 法 の規 準 であ る 。 ︽文 節 ︾ を 説 き 、 形 容 動
詞 ・連 体 詞 を 立 て 、 代 名 詞 を 落 と し て名 詞 の 一種 と し 、 動 詞 の補 語 の類 を 一斉 に連 用 修 飾 語 と し 、 ﹁象 は 体 大 な
り﹂ の類 は 述 語 節 と し て 説 く も のが これ であ る 。 こ れ に つ いて は 、 今 あ ま り にも 形 式 的 な と いう 批 判 も 多 い。 し
か し 、 ぼん く ら の教 師 で も 一往 文 法 教 育 が こ な せ る よ う にな った の は こ の教 科 書 のお か げ で、 博 士 の文 法 教 育 へ の 功績 は 大 き い。
と に かく ﹃新 文 典 ﹄ が よ く 売 れ た の で 、 一年 間 の印 税 は 二 万 円 ほど 入 った と いう 。( 注25)当 時 の教 授 の 一ケ 月 の
俸 給 は 二百 五 十 円 であ った か ら 、 これ は 相 当 の額 で あ った が 、 博 士 は 死 ぬ ま で節 約 し た 生 活 を 持 し て お ら れ た 。
体 が 弱 いこ と を 考 え て 、 箱 根 に 別 荘 を 探 し て い た が 、 少 し 前 か ら は じ ま って いた 戦 争 が激 し く な って 、 別 荘 ど こ
ろ の騒 ぎ で は な く な り 、 そ れ を 果 た さ な いう ち に 亡 く な った のは 、 返 す 返 す も 惜 し いこ と だ った。
最高 権威 に な っても
博 士 が所 属 し て いる 東 大 の国 語 学 科 は 、 制 度 の上 では 国 文 学 科 と い っし ょ に な って国 文 学 科 と 呼 ば れ て いた 。
こ れ は 文 学 部 のう ち で は 、 英 文 学 科 と 並 ん で学 生 の最 も 多 い学 科 であ る 。 昭 和 十 一年 に な る と 、 そ れ ま で 国 文 学
科 全 体 の そ の役 にあ った 藤 村 作 が 停 年 で や め て、 博 士 が そ のあ と を 襲 って、 国 文 学 科 全 体 の主 任教 授 と な った 。
当 時 博 士 以 外 の国 語 学 者 と し ては 、 大 槻 文 彦 はす で に鬼 籍 に入 り、 新 村 出 と 山 田 孝 雄 と 吉 沢 義 則 と が健 在 であ
った が 、 新 村 と 吉 沢 は 研 究 の第 一線 か ら す で に 退き 、 山 田 一人 が 新 し い研 究 を 続 け て いた が 、 国 語 学 の三 大 部 門
の 一つ であ る 音 韻 論 に は素 人 も 同 然 で、 上 田 万 年 の ﹁P 音 考 ﹂ も 理 解 し て いな い状 況 だ った 。 いわ ん や 、 博 士 の 明ら か に し た 上代 仮 名 遣 いに は 全 然 無 関 心 で あ った 。
こ んな こと か ら 、 博 士 は 昭 利 十 八 年 東 大 を 退 官 す る ま で、 名 実 と も に 国 語 学 界 を 指 導 す る 日 本 一の 国 語 学 者 で
あ った。 昭 和 十 九 年 国 語 学 会 が 創 立 さ れ た 時 、 初 代 の会 長 に推 さ れ た の は当 然 であ った 。 国 語 学 会 で は 会 長 と 呼
ば れ た の は 、 こ の 初 代 の橋 本 博 士 だ け で、 二代 以 後 の人 は 時 枝 誠 記 以 下 、 代 表 理事 と いう 名 に 甘 ん じ た 。 博 士 が いか に国 語 学 界 で 重 ん じ ら れ て いた か 知 る べき で あ る。
し か し 博 士 は こう いう 地 位 を 占 め る よ う にな って も 、 .研究 以 外 に 目 を 向 け る こと は ほ と ん ど な か った 。 大 学 に
き ち ん と 出 勤 し 、 講 義 や 教 授 会 の時 間 以外 は 黙 々と し て 研究 室 の机 の前 に向 か い、 用 談 以 外 は隻 語 も 発 し な い風
だ った と いう 。︵26 注)子 息 の 研 一氏 に よ る と 、 博 士 は 大 学 か ら 割 合 早 い時 間 に 戻 ってき た と いう か ら 、 途 中 で 寄 道
を す る よ う な こと は ほ と ん ど な か った ら し い。 そう し て そ の 足 で書 斎 に こも り、 わ ず か に 食 事 の時 だ け 出 て 来 て
家 族 と 顔 を 合 わ せ る だ け で、 あ と は 書 斎 に 入 って深 更 に 及 ぶ と いう 風 で あ った と いう 。( 注2 7)
︱鬼 と 言 って失 礼 な ら ば 研 究 の権 化 だ った 。
と と て は 、 わ ず か に上 等 な 煙 草 を く ゆ ら す く ら いだ った 。 き ょう は 日曜 だ か ら と 言 って家 族 そ ろ って散 歩 に出 る
博 士 は お 酒 を 楽 し む で な し 、 芝 居 を 観 る で な し 、 物 見 遊 山 にも 出 掛 けず 、 釣 り や 、 玉 突 き を 遊 ば ず 、 楽 し む こ
こと も な か った と いう 。 博 士 こ そま こ と に研 究 の鬼 だ った
こう いう こと か ら 博 士 は 客 が 来 て無 駄 話 を す る こと を 非 常 に嫌 った 。 用 談 も な る べく 玄 関 口 で す ま せ る の が普
通 だ った。 私 の在 学 中 、 博 士 のと こ ろ へ何 か話 し に 行 った 学 生 は 、 十 分 以 上 いる と 、 博 士 は 戸 の方 を さ し て ﹁も う 帰 り たま え ﹂ と 言 わ れ る と いう の が 一般 の評 判 に な って いた 。
私 よ り 一年 上 に、 加 藤 と いう 風 来 坊 が いた 。 言 語 学 の学 生 であ った が 、 そ れ が あ る時 、 き のう 博 士 のと ころ へ
行 って 一時 間 愉 快 に 話 し てき た 、 そ れ で も 帰 れ と 言 わ れ な か った ぞ と 自 慢 し た。 私 ど も 一同 驚 いて 、 こう いう 加
藤 の よ う な 変 わ った 男 の話 は 、 博 士 も お も し ろ が る の か と 感 に 堪 え 、 多 少 羨 ま し いよ う な 気 持 で いた 。 ち ょう ど
そ の 日 が ﹁助 詞 の研 究 ﹂ の講 義 の 日 だ った 。 講 義 が は じ ま り、 ﹁か ら ﹂ と いう 助 詞 に 名 詞 のよ う な 用 法 が あ る と いう 例 を あ げ る と て、 博 士 は ち ょ っと 考 え て か ら 、 き のう は朝 か ら お 客 攻 め だ った
と 言 わ れ た 。 洋 ら ざ る 感 想 だ った ので あ ろ う 。 授 業 中 で あ る か ら 大 声 で笑 う わ け に は いか な い。 あ と で加 藤 は み ん な か ら 冷 や か さ れ 頭 を か か え た こ と 、 言 う ま でも な い。
非 常時
博 士 は こう し て 、 国 語学 の最 高 峰 の位 置 に立 った が、 し か し 、 社 会 状 勢 は 博 士 に と って必 ず し も 幸 せ に は 働 か な か った 。 日本 は 実 り のな い戦 争 の泥 沼 に の め り こ み つ つあ った か ら であ る 。
博 士 は 、 国 語学 は ひ と え に 日本 語 に 関 す る真 理 の追 求 を す べき も のと 信 じ て いた 。 し か し 、 戦 時 体 制 に な る と、 国 語 政 策 に関 す る 博 士 の意 見 を 徴 す る こと も 多 く な った 。
昭和 十 七 年 、 日 本 文 学 報 国 会 と いう も の が結 成 さ れ る や 、 博 士 は 国 文 学 部 会 の部 長 に就 任 さ せ ら れ た。 これ は
全 国 の国 語 ・国 文 学 者 を 率 い て、 よ く 報 国 の誠 を 尽 く す よ う に と の使 命 を も た せ ら れ た の であ る が 、 博 士 と し て
は 迷 惑 な 話 で、 東 大 国 文 学 科 の主 任教 授 であ る 関 係 で渋 々引 き 受 け さ せ ら れ た の であ ろ う 。
博 士 は 几 帳 面な 責 任 感 の強 い人 で 、 大 学 時 代 も 欠 勤 な ど よ く よ く の場 合 で な け れ ば し な か った 人 であ る 。 必 ず
会 合 に は 出 席 し、 部 会 員 と 、 漢 字 制 限 や 表 音 仮 名 遣 いな ど を 論 じ た が 、 メ ン バー の中 に は 国 体 の護 持 と伝 統 仮 名
遣 い の保 持 を 結 び 付 け て、 変 更 す べか ら ざ る こ と を 熱 っぽ く 論 じ た 人 も あ った ら し い。 上 代 仮 名 遣 いな ら 別 の こ
と 、 国 語 問 題 は国 語 学 の外 の分 野 と考 え て いた 博 士 に と って は、 あ ま り 身 が 入 ら ず 、 時 間 の空 費 を か こ って いた こ と が 多 か った こ と であ ろ う 。
昭 和 十 八年 十 二 月 二 十 日 、 博 士 は 還 暦 を 迎 え 、 東 京 の学 士 会 館 で盛 大 な 祝 賀 会 が 催 さ れ た 。 全 国 の国 語 学 者 が
集 ま り 、 こも ご も 立 って 博 士 の 学 問 と 人 と な り を 讃 え 、 ま こ と に 盛 んな こと であ った 。 が 、 報 国 会 を 代 表 す る 久
米 正 雄 は 、 博 士 の国 語 政 策 へ の協 力 を 感 謝 し た の は 時 節 がら で 、 博 士 と し て はく す ぐ った い思 いを し た こ と で あ
ろ う 。 ま た 日 本 女 子大 の学 長 の女 性 は 、 今 や 戦 争 ま す ま す 激 甚 な る 日を 迎 え て いる 、 こ の分 では 若 い男 子 はす べ
て 銃 を と って 第 一線 に 赴 き 、 国 語 学 は あ と に残 った 女 子 が担 当 す る であ ろ う と 言 った が、 何 か 博 士 のよ う に書 斎
に こ も って 研 究 に つと め る こ と は 時 勢 にあ わ な いこ と だ と 言 わ ん ば か り の印 象 を 与 え た 。
な お 、 橋 本 博 士 と 日 本 女 子大 と は 、 ち ょ っと そぐ わ な い感 じ がす る が 、 も とも と 日本 女 子 大 は 成 瀬 と いう 校 長
が 、 議 会 の抵 抗 にあ いな が ら、 男 子 な み の大 学 へ の移 行 を 目 ざ し 、 文 部 省 と 折 衝 し な が ら 、 専 門 学 校 か ら の脱 皮
を は か って いた 。 大 学 で は 橋本 博 士 が 早 く か ら 講 師 と な って いた こ と を 幸 いと し 、 東 大 停 年 後 は 、 文 学 部 長 に し た り し て 、 縁 は深 か った 。
後 継者を
そ の こ ろ 博 士 に と っても う 一つ、 希 望 ど お り に な ら な か った 事 と し て 、 東 大 の国 語 学 の後 継 者 に つ いて の こと があ った と 思 う 。
博 士 が 国 語 学 の教 授 にな った 時 、 博 士 が教 壇 で教 え た 第 一回 の卒 業 生 、 岩 淵 悦 太 郎 を 助 手 に 任 命 し た 。 岩 淵 は
博 士 と 同 じ よ う に 国 語 音 韻 史 を 専 攻 し 、 そ の学 風 は 実 証 に 徹 し て お り 、 か た わ ら 書 誌 学 に も 深 入 り し て、 は た 目
には 博 士 の ひな 型 を 見 る よ う に見 え て 、 ま こ と に好 個 の後 継 者 と 思 わ れ た 。 博 士 に仕 え る 態 度 も 至 れ り 尽 せ り の
観 があ り 、 誰 も そ れ を 疑 わ な か った。 し か し、 博 士 に は 岩 淵 の研 究 が 博 士 以 上 に出 る こ と のな い のを 不満 に思 っ た ら し い。
博 士 は 自 分 の後 継 者 と し て は 、 岩淵 よ り 一年 お そ く 言 語 学 科 を 卒 業 し た有 坂 秀 世 に 白 羽 の矢 を 立 て た。 博 士 は
有 坂 を 呼 ん で意 向 を 正 し た こと があ った と いう 。 が、 有 坂 は 胸 を 病 み 、 到 底 教 授 を 引 き 受 け が た い こ と を 述 べ て 辞 退 し 、 博 士 は こ れ を 非常 に残 念 が って いた と いう 。( 注28)
博 士 は 第 三 の候 補 と し て 、 当 時 京 城 大 学 の教 授 を し て いた 時 枝 誠 記 に 目 を つけ た 。 博 士 の行 き 方 と は 全 く ち が
う が、 昭 和 十 五 年 、 ﹃国 語 学 言 論 ﹄ と いう 大 著 を 出 し て い る。 博 士 は 時 枝 に 命 じ て そ れ を 東 大 へ提 出 し て学 位 を
請 求 す る よ う に 勧 告 し た 。 時 枝 は喜 ん で論 文 を 提 出 し た が 、 これ は教 授 会 で 心 理 学 の桑 田 芳 蔵 か ら 思 いが け な い 物 言 いが つき 、 博 士 は こ れ を 通 す た め に意 外 な 苦 心 を し た と いう 話 が あ る 。( 注29)
そ れ は と も か く と し て、 結 局 時 枝 は 文 学 博 士 と な った の で、 橋 本 博 士 は そ の学 位 と 著 述 を 資 料 と し て 、 自 分 の
後 任 の教 授 にす え た 。 時 枝 は お よ そ博 士 と 学 風 そ の他 の ち が う 人 で あ る。 学 界 は そ の意 外 さ に 驚 き 、 一方 博 士 の や り方 を 公 正 だ と た た え た も のだ った 。
し か し 、 時 枝 は博 士 の期 待 を 外 れ る よ う な こ と を し き り に し た ら し い。 昭 和 十 八 年 に な る と 国 際 文 化 振 興 会 と
いう と ころ で、 外 国 人 向 け の日 本 語 の辞 典 の 編集 を 計 画 し た 。 博 士 を 監 修 者 に 戴 き 、 時 枝 を 編 集 主 任 と し た 。 博
士 は平 常 会 議 に 列席 せ ず 時 枝 に 任 せ て いた が、 博 士 があ る 時 や って 来 て、 時 枝 の議 事 に 対 し て は な は だ 不機 嫌 で 帰 って 行 った と いう 。
そ の 時 の会 議 は 、 そ こ に あ が った 個 々 の語 彙 の品 詞 を いか に記 入す べき か と いう こ と だ った そ う だ 。 時 枝 は そ
の会 議 のあ と 東 大 へ来 て、 私 ど も 大 勢 の後 輩 が いる と こ ろ で、 そ の 話 を し 、 ﹁今 日 は 先 生 い つ にな く 不 機 嫌 だ っ
た 。 あ れ は 道 ば た で 馬 の糞 で も 踏 ん づ け て来 た ら し い﹂ と 言 って 呵 々大 笑 し た 。 ま こ と に 豪 傑 の風 情 があ った 。
し か し 私 は そ の時 、 博 士 が 不 機 嫌 にな った 理由 を 直 感 し た 。 恐 ら く 大 ま かな 時 枝 は 、 自 分 がす っか り 文 法 的 処
置 も 任 さ れ た と 思 って 、 自 分 の主 義 に よ って ﹁こ の﹂ は代 名 詞、 ﹁静 か ﹂ は 体 言 と いう よ う に き め て事 を 運 ん で
行 った のだ ろ う 。 そ こ には 博 士 が 多 年 か か って 到 達 し た 品 詞 分 類 論 に 対 す る考 慮 は 全 然 な か った。 博 士 に と って
そ れ は ど ん な に悲 し い こと だ った ろ う 。 そ の 日博 士 は 自 宅 に 帰 り 、 自 分 のあ と を 時 枝 に ゆ ず った こ と に つ いて 複
別
雑 な 思 いに 駆 ら れ た の では な か ろ う か。
永
昭 和 十 六 年 に は じ ま った 世 界 大 戦 は、 十 八 年 ご ろ にな る と 漸 く 日本 の不 利 が 明 ら か とな り 、 ア メ リ カ の空 襲 に
よ って博 士 の住 ん で い るあ た り も 、 い つ焼 夷 弾 や 爆 弾 が 落 と さ れ る か わ か らな く な って 来 た 。 近 所 の人 は つて を
頼 って 安 全 な 地 方 へ疎 開 し て ゆ く 。 こ う いう 実 際 的 な 方 面 に な る と、 学 問 の 道 に ひた す ら 打 ち 込 ん で来 た博 士 は 貴 重 な 数 多 の蔵 書 を 抱 え て 、 い か にす べき か 、 途 方 にく れ る ば か り だ った 。
そう いう さ 中 、 昭 和 十 八 年 十 二 月 に は 、 長 男 の研 一氏 が 学 徒 出 陣 と いう 名 目 で強 制 的 に大 学 を 中 途 退 学 さ せ ら
れ 、 敦 賀 の 兵営 に 入 隊 す る こと にな った 。 博 士 も こ の時 は 研 一氏 を 送 って 珍 し く 敦 賀 ま で出 掛 け た 。 し か し 、 敦
賀 へ行 って、 兵 営 ま で の道 を 研 一氏 と 並 ん で 歩 き な が ら 、 博 士 は ほ と ん ど 口 を き かな か った と いう 。 ど う いう 口
を き い てよ いか わ から な か った ので は な か ろ う か 。 営 門 の前 へ着 く と 、 ま だ 規 定 よ り 三 十 分も 前 だ と いう の に、
何 ぐ ず ぐ ず し て い る の だ 、 と 研 一氏 は 中 へ呼 び こま れ て し ま った 。 研 一氏 は 営 門 へ入 って か ら 後 を 振 り 向 いて み た が 、 博 士 の姿 は 見 え な か った 。 そ れ が最 後 の父 子 の別 れ だ った と いう 。( 注30)
戦 争 中 は 配 給 制 度 と い って 一般 の人 た ち の食 物 はす べ て お か み か ら 支 給 さ れ る こと と な った 。 し か し 、 そ れ は
ま ず いも のば か り で、 そ の 分量 も 少 な す ぎ た 。 で、 多 く の家 庭 では ヤ ミ と 称 し 、 ほ か の方 へ手 を ま わ し て知 り合 いか ら 食 物 を 公 定 価 格 よ り 高 いお 金 で購 入 し て飢 を し の いで いた 。
が、 博 士 は き ま じ め な 性 格 か ら 、 一切 ヤ ミ のも のを 買 う こ と を し な か った と いう 。 出 来 る だ け 食 を き り つめ て
生 活 を し て いた 。 終 戦 後 そ う いう 配 給 だ け で食 生 活 を ま かな って い た 裁 判 官 が栄 養 失 調 で 死 ん だ ニ ュー ス が新 聞
に 出 た が、 橋 本 博 士 の場 合 も そ う いう う わ さ が流 れ た も の だ った 。 謹 厳 な 博 士 に は 全 然 考 え ら れ な い こと で は な か った 。
昭 和 十 九 年 、 博 士 は外 を 歩 く の に 、 杖 を つ い てお ら れ た 。 そう し て階 段 を 登 る のは こと に大 義 そ う だ った 。 博 士 の体 は 随 分 弱 って お ら れ た ろう と 想 像 さ れ る 。
昭 和 二 十 年 一月 下 旬 、 東 京 に何 回 目 か の空 襲 があ り 、 本 郷 駒 込 一帯 が 焼 け 、 漢 字 音 学 者 大 島 正 健 の家 でも 蔵 書
が燃 え た 。 博 士 の浅 嘉 町 の家 か ら 五 百 メ ー ト ル ほど のと こ ろ で あ る 。 博 士 のと こ ろ で は 、 蔵 書 の ごく 一部 を 、 大
野 晋 が 預 か って 埼 玉 県 の蕨 へ持 って 行 って いる だ け で 、 あ と は、 ま だ 家 の建 て こ ん だ 町 中 の家 に 置 いて あ る 。 博 士 は 次 に は お前 の家 も そ ん な 風 に し て や る ぞ と 宣 告 さ れ た よ う な 気 がし た 。
一月 三 十 日 、 そ の前 日 か ら 博 士 は 風 邪 で 臥床 し て いた 。 午 前 九 時 ご ろ容 態 が悪 化 し て、 正夫 人 は か か り つけ の
医 師 を 迎 え に 行 った 。 そ の往 診 が お そ く な り 、 十 時 に 診 察 し た 時 は 、 す で に こと 切 れ て いた 。 医 師 の 見 立 て は 脳
出 血 、 ま こ と に あ っけ な い こと だ った 。 行 年 六 十 二 歳 であ った。 私 ど も 教 え 子 の 者 ど も が も う 少 し 博 士 の体 を 心
配 し て あ げ て いた ら 、 あ ん な こ と に は な ら な か った ろ う と いう 後 悔 の念 し き り であ る 。
博 士 の葬 儀 は 、 そ ん な 時 期 で き わ め て簡 素 に せざ る を 得 な か った 。 私 た ち は 葬 儀 に 参 加 し な が ら い つ敵 機 が 空
襲 し て く る か わ か ら な い不 安 な 気 持 だ った も の であ る 。 博 士 の葬 儀 は 神 式 で 営 ま れ 、 祖 父 の代 ま で の菩 提 寺 、 敦
徳
賀 市 内 の来 迎 寺 と いう 寺 に 葬 ら れ た 。 法 名 は 顕 真 院 進 阿 明 証 居 士 と 申 し 上 げ る 。
遺
昭 和 二十 年 八 月 、 日本 に平 和 が 蘇 る や 、 時 流 に お も ね ら ず 、 ひ た す ら 真 理 の追 求 に つと め た 博 士 の 学 徳 が、 改
め て な つかし く 思 い出 さ れ た 。 博 士 は 原 稿 を 活 字 にす る こと が 少 な く 、 出 版 さ れ た本 も 戦 争 中 に 焼 け た り し て、 国 語 学 者 でも 博 士 の本 を 訂 め て 入 手 し て読 み た いと 思 う人 が 多 か った 。
昭 和 二 十 一年 、 博 士 の学 恩 を 受 け た 人 た ち 、 博 士 の学 徳 を 慕 う 人 た ち が集 ま って 、 橋 本 進 吉 博 士 著 作 刊 行 委 員
会 と いう も の が 出 来 、 翌 年 そ の第 一冊 と し て 岩 波 書 店 か ら ﹃ 国 語 学 概 論 ﹄ が 刊 行 さ れ た こ と は け っこう な こと だ
った。 そ の売 り出 し が 予 告 さ れ て いた 冬 の 日 の 朝 、 ま だ 開 店 し な い岩 波 書 店 の扉 の前 に は 時 な ら ぬ 人 の 列 が作 ら
れ 、 そ こ には 名 だ た る 学 者 の顔 も 見 ら れ 、 先 生 も ? 君 も ? と いう 声 が聞 か れ た の は 橋 本 博 士 の著 作 集 な ら で は の 風 景 だ った 。
こ の著 作 集 に は 生 前 著 作 と し て 公 表 さ れ たも の以 外 に 、 大 学 で の講 義 筆 記 のノ ート の類 ま で 刊 行 す る こ と が 予
定 さ れ 、 次 々 と 出 版 さ れ て いる と いう こと は、 国 語 学 と いう よ う な 地 味 な 学 問 で は普 通 に 考 え ら れ な いこ と で、 改 め て 博 士 の大 き さ が 偲 ば れ る 。
( 注 1) こ のあ た り 杉原 永 綏 ﹁橋本 家 の こと ﹂ ︹橋本 進 吉博 士 顕彰 碑 建 立 事 務 局 編 集 発 行 の ﹃ 橋 本 進 吉 博 士 を 偲 ぶ﹄ 所 収 ︺ 五 五− 六 ペー ジ によ る 。
( 注 5) ﹃橋本 進 吉 博 士著 作 集 ﹄第 三 巻 ﹁文 字 及 び仮 名 遣 の研 究 ﹂ の巻 末 に添 え られ た 大 野 晋 の解 説 文 二九 七−八 ペー ジ によ る 。
( 注 2 ・3 ・4) こ のあた り 橋本 正夫 人 の語 る ﹁ 家 庭 の中 の橋 本 先 生﹂ ︹( 注 1 ) と同 じ 本 に所 収 ︺ 四 三−七 ペー ジ に従う 。
( 注 6) 橋本 博 士 還 暦 記念 会 編 ﹃ 国 語学 論 集 ﹄ に掲 載 。 ( 注 7) こ のあ た り 、 橋本 研 一氏 よ り教 示 。 ( 注 8 ・9 ) 金 田 一京 助 ﹁ 橋 本 博 士 と公 明 と 友誼 ﹂ ︹﹃ 国 語 と国 文 学 ﹄ 二 二巻 五 号 所載 ︺ によ る。 ( 注 10 ・11) 東 条 操 ﹁助手 時 代 の橋本 博 士 ﹂ ︹( 注 8) と 同 じ文 献 所 載︺。 ( 注 12) 保 科孝 一 ﹃ あ る国 語 学 者 の回想 ﹄ 五 二−三 ペー ジ によ る。
( 注 13) 橋本 正夫 人 の語 る ﹁ 家 庭 の中 の橋 本 先 生﹂ ︹( 注 1 )と 同 じ 本 に所 収 ︺ 四 九−五 一ペー ジ に よ る。 ( 注 14 ・15 ) 安田 喜 代 門 ﹃ 国 語 の本 質 ﹄ 七 ペー ジ 以下 に よ る。 ( 注 16) 大 野 晋 ﹃ 上 代 仮名 遣 の研 究﹄ 一二七 ペー ジ。 ( 注 17) ﹃橋本 進 吉 博 士 著作 集 ﹄ 第 六巻 ﹁国 語 音 韻史 ﹂ 一五九 ペー ジ 。
( 注 18 ) ( 注 17) に あ げた 文 献 の二三 二 ・二 四 〇 ペー ジ によ る 。 二 四 二 ペー ジ で は〓 ・〓 ・〓 (= φ) とな って いる。
( 注 19 ) ﹃ 橋 本 進 吉博 士 著 作集 ﹄ 第 三 巻 ﹁文字 及 び仮 名遣 の研 究 ﹂ の巻 末 に 添 えら れ た 大 野晋 の解 説 文 によ る。
( 注 20 ) ﹃ 橋 本 進 吉博 士 著 作集 ﹄ 第 十 一巻 ﹁ キ リ シタ ン教 義 の研 究﹂ の巻 末 の亀 井 孝 の解 説を 参 照 。 ( 注2 1) ( 注 13 ) と 同じ 文 献 の四 八−九 ペー ジに よ る。 ( 注 22 ) 伊 藤 慎 吾 ﹃ 忘 れ 得 ぬ 国文 学 者 た ち﹄ 三六 七 ペー ジを 参 照 し た。 ( 注 23 ) 服 部 四 郎 ﹁わた し の方言 研 究 ﹂ ︹﹃ 方 言 学 講 座﹄ 第 一巻 二 五 五 ペー ジ︺な ど 。 ( 注2 4) 大 野 晋 ﹁ 教 室 に於 け る橋 本 先 生 ﹂ ︹﹃ 国 語 と 国 文学 ﹄ 二 二 巻 五号 所 載 ︺な ど 。 ( 注 25 ) 橋 本 研 一氏 か ら の教 示 によ る 。 ( 注 26 ) 東 条 操 ﹁助 手時 代 の橋本 博 士 ﹂ ︹ ﹃国 語と 国 文学 ﹄ 二五 三 号 所載 ︺ によ る。 ( 注2 7) 橋 本 研一 ﹁父を 懐 う ﹂ ︹﹃( 注 1) と同 じ 本 に 所 収︺ 三 六−七 ペー ジ。 ( 注 28 ・29) 金 田一 京助 の談 によ る。 ( 注 30 ) ( 注 27) の文献 の三 三 ペー ジ以 下 に、 感 動 的 な 文 で綴 ら れ て いる。
記
題 が よ か った よ う で 、 多 く の方 々 に 読 ま れ 、 四 〇 刷
後
一、 本 巻 に は 単 行 本 と し て 刊 行 さ れ た ﹃日 本 語 ﹄ 上 下 、
あ れ を 出 し た 時 は 、 他 日 あ の ほ か に 、 文 法 のう ち
以 上 も 版 を 重 ね る こ と が で き た こ と は 幸 せ だ った 。
めた。
﹃日 本 語 セ ミ ナ ー 5 日 本 語 の あ ゆ み ﹄ の三 冊 を 収
の形態 論 と、 それ から 文字 論を書 かな ければ と思 っ
か った こ と を 補 い 、 上 ・下 二 巻 と し て 、 再 び 各 位 の
の 歳 月 を 過 ごし て し ま った 。 今 、 こ こ に書 き 足 り な
て いた。 が、 ほか の こと にかま け て いて、三 〇年 も
使 用 さ れ て いる が 、 本 書 所 収 の 著 書 が 執 筆 さ れ た 当
一、 本 書 に は 今 日 の 視 点 か ら 差 別 表 現 と さ れ る 用 語 が
と を 考 え る と き 、 お も は ゆ いも の があ る。
前 に お目 見えす る こと は、 三〇 年も 経過 し て いる こ
い、 画 一的 な 統 一は と ら な か った 。
一、 本 書 の 表 記 法 は 原 則 と し て 、 そ れ ぞ れ の底 本 に 従
し て いな い こ と を 考 慮 し 、 発 表 時 の ま ま と し た 。
時 の時 代 状 況 、 お よ び 著 者 が 差 別 助 長 の 意 図 で使 用
( 新 赤 版 三、 二 月 刊 ) 二
五 七) 年 一月 刊 。 昭 和 六 十 三 年 、 岩 波 新 書 の新 赤 版 と
﹃日 本 語 ﹄ は 岩 波 新 書 二 六 五 と し て 昭 和 三 十 二 (一九
り で あ る が 、 何 分 不 勉 強 の 老 骨 に 鞭 打 って し た こ と
た と こ ろ が あ る 。 そ れ を でき る だ け 反 映 さ せ た つも
た くさ ん の新研 究 が出 た。 私自身 も 多少考 え を変 え
三 〇 年 の 間 に は 、 こ の方 面 の 学 界 の進 歩 が 著 し く 、
し て上 ( 新 赤 版 二、 一月 刊 )・下
で、不 備な 点 が多 いことを 恐れ る。
*
冊 の 改 訂 新 版 が 刊 行 さ れ た 。 本 書 の 底 本 は 新 赤 版 であ
旧 版 の時 は 、 読 ま れ た 各 位 か ら 、 た く さ ん の お 手
そ の他 、 著 書 の 上 で 、 ま た 口 頭 で 教 え を 受 け た 方 々
は それ を反 映さ せた はず であ る が、ど う であ ろう か。
紙 を いた だ き 、 誤 ま り を 正 す こ と が で き た 。 新 版 に
る 。 同 書 ﹁あ と が き ﹂ を 掲 げ て お く 。
﹃日 本 語 ﹄ の 旧 版 を 世 に 問 う た の は 、 昭 和 三 二 年 の 一月 だ った 。 類 書 が な く 、 ま た 、 ﹃日 本 語 ﹄ と いう
こと にお断 りし てお きた いことは 、 旧版を 出し て
(一九 八 三) 年 八 月 、 筑 摩 書 房 よ り 刊 行 さ れ た 。 同 書
﹃日 本 語 セ ミ ナ ー 5 日本 語 のあ ゆ み ﹄ は 昭 和 五 十 八
*
以 後、 私 は東京 外 国語大 学 と上智 大 学 に勤め 、 日本
の ﹁あ と がき ﹂ は 次 の と お り 。
の学 恩 に深謝す る 次第 であ る。
語 学 を 講 じ た が 、 学 生 諸 君 に は毎 年 のよ う に ﹁日 本
た ら、 懐 かしさ に堪えな いであ ろう 。
だ 時 の 感 銘 は 忘 れ ら れ な い。 も し 名 乗 り 出 て 来 ら れ
ー ト か ら ヒ ン ト を 得 た も の で 、 あ の レポ ー ト を 読 ん
﹁お 茶 が 入 り ま し た ﹂ の 美 し さ は 、 学 生 諸 君 の レポ
え ば、 下巻 の巻 末 近く にあ げ た 日本 人普 通 の表 現
学 生 諸 君 の 名 前 は い ち い ち お ぼ え て いな いが 、 例
であ る。
せ 、 こ の中 か ら 勉 強 で き た も の が 実 に 多 か った こ と
や っと これ だ け のも の に な った が 、 時 間 を か け た 割
と 選 ん で いる う ち に 、 す っか り 遅 く な って し ま った 。
手 に 書 いた も の が 多 い。 こ れ も 駄 目 、 こ れ も ど う も
てみ ると、 どう も特 殊な 問 題 に ついて、 専門 家を 相
の は た く さ ん あ る と 思 っ て いた が 、 改 め て 読 み 返 し
に ま と め る 予 定 で 、 日本 語 の歴 史 に つ いて 書 いた も
こ れ は ﹁日 本 語 の 歴 史 ﹂ に つ い て 書 いた も の で 一冊
度 の ﹃日本 語 の あ ゆ み ﹄ は ち ょ っと 停 滞 し た 。 私 は 、
こ の シ リー ズ も 、 前 巻 ま で は 調 子 よ く 出 た が 、 今
語 と 他 国 語 と の比 較 ﹂ と いう 題 の レポ ー ト を 提 出 さ
そ の他、 原稿 を執 筆 しは じめ てか らも 、疑 問 の箇 所 に つ い て い ろ い ろ 教 示 を 受 け た が 、 一人 名 を あ げ
毎 度 の例 に 従 って 、 こ こ に 集 め た も のを 紹 介 さ せ 、
合 いに、出 来栄 え はは たし てど んなも のだ ろう か。
て頂く なら ば︱
昔の日本語 ・今 の日本語
昭和 三十 七年 ︱ 四十年 ご ろ、 三省堂 か ら辞 典 のP
三 十 七 年 改 訂 の ﹃明 解 古 語 辞 典 ﹄ の巻 末 に 添 え た
を前 にし て何度 か使 った原稿 を整 理したも の。昭 和
R の講 演 で出掛 け たとき に、 高 ・中学 校 の先 生 がた
る な ら ば 、 北 京 外 国 語 大 学 勤 務 の 彭 広 陸 氏 か ら の中 国 語 の 恩 恵 は 大 き か った 。 こ の本 を 出 す に 当 た っ て、 清 書 を 引 き 受 け て 下 さ った 米 谷 悦 子 さ ん 、 高 松 暁 美 さ ん ほ か の方 々 に 、 そ れ か ら こ の本 の 出 版 に つ い て 終 始 尽 力 し て 下 さ った
金 田 一春 彦
岩 波書 店 の坂巻 克 巳氏 に、改 め て御 礼申 し上 げる。 昭 和 六 三年 二月 一 一日
べた。活 字 にす る のは今 回が 最初 であ る。
﹁古 典 語 解 釈 のし お り ﹂ を 解 説 す る よ う な 気 持 で 述
黛 敏 郎 氏 が 取 り 上 げ て 、 華 や か で盛 り 沢 山 の番 組 を
よ く 、 テ レ ビ 朝 日 の番 組 ﹁題 名 の な い音 楽 会 ﹂ で は 、
現代 国 語 の性 格
な って いて、 欲 し い と 言 って 下 さ る 方 が 多 い の に 、
ー ド の よ う に は 売 れ な か った と 見 え て 、 今 は 絶 版 に
作 っ てく れ た 。 し か し 、 こ の レ コー ド は 一般 の レ コ
昭 和 三 十 八 年 一月 、 ﹃ 国 文 学 ・解 釈 と教 材 の研 究 ﹄
そ の 都 度 お 断 り し て いる のは 残 念 で あ る 。 こ の 解 説
そ の 発 音 で 古 典 を 朗 読 す る こ と が あ る 。 日本 でも そ
外 国 で は 、 言 語 学 者 が 古 い時 代 の発 音 を 考 証 し て 、
紫式部は ﹃ 源 氏 物 語﹂ を ど う 発 音 した か
し 訳 な い。 こ こ で 使 った テ キ ス ト に は 、 玉 上 琢 弥 氏
一般 の方 に は 不 親 切 な 文 章 にな って し ま つた の は 申
業 の 国 語 学 者 各 位 を 頭 に置 い て 書 いた の で 、 か た い 、
文 章 と い っし ょ に 解 説 書 に 載 った も の で あ る が 、 同
文 は 池 田 氏 の ﹁レ コ ー ド に な った 源 氏 物 語 ﹂ と いう
と いう 雑 誌 の 第 八 巻 第 二 号 に 発 表 し た も の。
う いう こ と が でき な いだ ろ う か 、 と いう 相 談 を 、 コ
の ﹃源 氏 物 語 評 釈 ﹄ を お 借 り し た 。
ん に 実 演 し て も ら い、 監 修 と 解 説 は 池 田 弥 三 郎 氏 と
説 書 で あ る 。 レ コー ド の 吹 込 み は 、 女 優 の 関 弘 子 さ
顔 ・須 磨 よ り )﹂ と い う レ コ ー ド を 作 った 、 そ の 解
二 月 と 三 十 五 年 十 一月 に 出 し た 、 そ れ の上 巻 の巻 頭
を る ・小 沢 正 夫 諸 氏 と 共 編 のも のを 、 昭 和 三 十 四 年
巻 が ﹃平 家 物 語 ﹄ に 当 てら れ 、 高 木 市 之 助 ・渥 美 か
岩 波 書 店 の ﹁日 本 古 典 文 学 大 系 ﹂ の第 32巻 、 第 33
﹃平家 物 語﹄ の言 葉
﹃ 源 氏 物 語﹄ ( 夕
ロム ビ ア の 村 上 雅 也 君 と いう 人 か ら 受 け て、 ﹁平 安
二 人 で 担 当 し た が 、 私 の古 音 復 元 の 仕 事 に時 日を 要
に の った 解 説 の 一節 で あ る 。 私 は 古 語 辞 典 は 以 前 に
朝 日 本 語 復 元 に よ る 朗 読 ・紫 式 部
し 、 依 頼 を 受 け て か ら 二 年 か か って 、 昭 和 四 十 七 年
編 集 し て いた が 、 注 釈 書 と いう も の を 書 い た の は こ
れ が 最 初 で 、 渥 美 氏 が め ん ど う な 本 文 の考 訂 を 担 当 、
の試 み は お も し ろ そ う だ と いう 声 が か か り 、 四 十 六
小 沢 氏 が文 学 的 な 、 私 が 語 学 的 な 方 面 を 分 担 し て 注
三 月 に や っと 日 の 目 を 見 た 。 そ の間 、 N H K か ら そ
し た り し て 、 多 少 話 題 に な って いた 。
釈 を 行 い、 高 木 氏 が 総 括 さ れ た が 、 よ い勉 強 に な っ
年 の 三 月 の N H K の放 送 記念 日 に は そ の 一部 を 披 露
レ コー ド が 出 来 て か ら も 、 関 さ ん の朗 読 は 評 判 が
も 同 じ で あ る こと 、 あ と か ら 気 が つ い た 。
た 。 五 一六 ペー ジ の ﹁はづ か し ﹂ の用 法 は 現 代 語 で
そ の こ ろ 前 か ら 患 って い た 父 の容 態 が 急 に 改 ま り 、
そ の 一週 間 ぐ ら いあ と だ った か と 思 う が 、 ち ょ う ど
こん な こ と を し ゃ べ って後 味 が 悪 か った 。 今 度 こ の
稿 が 見 つか り 、 手 を 入 れ て 活 字 化 す る こと に し た 。
シ リー ズ に 適 当 な 文 章 を 探 し て いる う ち に 、 放 送 原
あ る い は 、 第 三 巻 に 入 る べき も の だ った か も し れ な
伊 吹 一氏 の見 解 に 対 し て︱
﹃ 文 藝 春 秋 ﹄ の 昭 和 三 十 九 年 十 二 月 号 に ﹁日 本 語 は
﹁ 荒 海 や﹂の句 の文 法︱
乱 れ て いな い﹂ と いう 一文 を 寄 せ た と こ ろ 、 多 く の
い。
﹃日 本 語 ﹄ に 寄 せ ら れ た 反 論 へ の お 答 え と し て 四 十
口承 資 料︱
江戸 の言 葉
目 見えす る はず であ る。
ナ ー﹂ の第 六 巻 [ 本 著 作 集 第 二巻 所 収 ] で、 再 度 お
う 本 と し て 刊 行 さ れ た が 、 今 度 の こ の ﹁日本 語 セ ミ
続 編 と い っし ょ に 筑 摩 書 房 か ら ﹃新 日本 語 論 ﹄ と い
五 月 に 刊 行 さ れ た ﹁講 座 国 語 史 ﹂ の第 一巻
長 大 な 分 量 に な った が 、 大 修 館 か ら 昭 和 五 十 二 年
国語史と方言
料 ﹂ だ った 。
与 え ら れ て 書 い た 原 稿 で あ る 。 題 は 短 く 「口 承 資
て東 京 堂 か ら 刊 行 さ れ た ﹃国 語 学 大 辞 典 ﹄ に、 題 を
葉﹂ と 同様 に、 昭和 五十 五年 九月 、国 語学 会編 と し
﹁日 本 語 セ ミ ナ ー ﹂ の 第 三 巻 に 揚 げ た ﹁社 交 の 言
日本 語 の 古 い発 音 を 伝 え るも の︱
反 論 を いた だ い た が、 そ の う ち 、 伊 吹 一氏 が 、 雑 誌
年 六 月 、 ﹃日 本 語 ﹄ の 第 五 巻 第 五 号 に 発 表 し た も の
昭 和 四 十 九 年 十 月 、 ﹃江 戸 っ子 ﹄ と い う 雑 誌 が 創
総 論 ﹄ に 求 め ら れ て 執 筆 し た も の。 ﹁理 論 篇 ﹂ と
だ った 。 ﹁日 本 語 は 乱 れ て い な い﹂ は の ち に 、 そ の
刊 さ れ た と き に、 頼 ま れ て そ の創 刊 号 に 書 き お ろ し
﹃ 国 語史
た も の だ った 。
書 く 時 に 、 動 詞 や 形 容 詞 に 触 れ る べき だ った が 、 紙
べ て し ま った の が 気 に か か る。 ま た 、 も と の原 稿 を
﹁資 料 篇 ﹂ と で 、 ま った く ち が った 方 向 の こ と を 述
昭 和 四 十 六 年 十 一月 五 日 、 N H K の 何 の 番 組 で あ
数を 費す ことを考 え て、 そ こま で筆を 及 ぼさな か っ
私 の ﹁膝 栗毛 ﹂ 鑑 賞
った か 、 録 音 し た 放 送 原 稿 で あ る 。 放 送 さ れ た の は 、
ー ジ 、 二 一六 ペ ー ジ [ 本 書 五 八 七 ペ ー ジ、 五 八 八 ペー
き く 訂 正 し た 箇 所 が あ る 。 一六 一ペ ー ジ 、 一六 二 ペ
る 。 な お 、 前 の原 稿 に は 時 に 不 備 が あ って 、 今 度 大
裕 が な く て書 け な い 。 こ れ は 甲 斐 性 の な いこ と で あ
た 。 今 度 は 当 然 書 いて い いは ず で あ る が 、 時 間 の余
七 月 号 に 投 稿 し た も の で、 依 頼 さ れ て書 い た 原 稿 で
て お け な い と 思 って 、 ﹃文 藝 春 秋 ﹄ の 昭 和 三 十 一年
も 現 れ た 。 こ れ で は 専 門 の国 語 学 者 と し て は ほ う っ
族 の 住 ん で いる と こ ろ へ出 掛 け よ う と いう 企 て な ど
があ り、 伊 藤整氏 な ど、 探検 隊を 組ん で レプ チ ャ民
な ら ば 、 害 は な い が、 世 間 に は こ れ を 真 に 受 け た 人
一読 者 か ら こ う いう 手 紙 が 一通 舞 い込 ん で 来 た の に
お も し ろ か った と 言 って 下 さ った 方 が 多 か った が 、
は な く 、 投 稿 が 採 用 さ れ た も の だ った 。
ジ 、 六 二九ペ ー ジ] あ た り が そ れ で あ る 。
日本 語 の 性格 は ど う し て でき た か
め の国 語 講 座 ﹂ 第 一巻 に 掲 載 さ れ た ﹁日 本 語 の 特
昭和三 十三 年六 月、 朝倉 書 店刊 の ﹁ 国 語 教 育 のた
の言葉 かも しれ ま せん。 し かし 、地 理的 に見 て、
ま し た 。 仰 言 る と おり 日 本 語 と 英 語 と は 同 じ 起 源
先 生 の御 論 文 、 ま こと に博 学 ぶ り に 敬 意 を 表 し
は ど う 答 え て い いか わ か ら な か った 。
こ の セ ミ ナ ー の 第 一巻 に ﹁日 本 語 の 特 色 と そ の 研
色 ﹂ と いう 文 の 一部 で あ る 。 こ こ よ り 前 の部 分 を 、
究 ﹂ と いう タ イ ト ル で 掲 載 し た 。
説 に 引 か れ ま す 。 ど う ぞ 一層 こ の方 面 の こ と に つ
レプ チ ャ語 と 日 本 語 と 同 系 だ と いう 安 田 博 士 のお ﹁万葉 集﹄ の謎 は 英 語 でも 解 け る
いて研究 を 加え られ ます ことを祈 り 上げま す。
り と 住 む レプ チ ャと いう 弱 小 民 族 の 話 す 言 語 は 日 本
る 本 で あ った 。 そ の内 容 は 、 ヒ マ ラ ヤ 山 麓 に ひ っそ
本 語 や 国 語 学 へ世 間 の 関 心 を 向 け て く れ た 功 労 の あ
東大で ﹃ 国 語 学概 説﹄ を開 講さ れ たが、 そ の教筵 に
新村 博 士 は明治 三十 七年 か ら三 十八年 に かけ て、
新 村 出博 士 の ﹃国 語学 概 説 ﹂
﹃万 葉 集 の 謎 ﹄ は そ の 年 の ベ ス ト セ ラ ー と し て、 日
昭 和 三 十 年 十 一月 に 出 た 安 田 徳 太 郎 医 学 博 士 の
語 と そ っく り で、 こ と に ﹃万 葉 集 ﹄ の難 解 の 個 所 は
か った 、 あ れ のお 蔭 で 自 分 は 国 語 学 ・言 語 学 の道 に
侍 し た 金 田 一京 助 は 、 あ の よ う な り っぱ な 講 義 は な
進 ん だ と いう こ と を 、 繰 返 し 述 べ て いた 。 京 助 の 歿
す べ て こ の言 語 で 解 釈 で き る と いう 趣 旨 のも の だ っ た 。 落 語 の脚 本 で も 読 ん で い る つも り で 読 ん で いる
た そ れ の ノ ー ト と 覚 し き も の が 出 て 来 た の で、 こ れ
後 、 そ の書 斎 の 本 を 整 理 し て い た ら 、 京 助 が 筆 記 し
で 、 私 も 及 ば ず な が ら そ う いう 行 き 方 を し て 来 た つ
だ けを 基礎 にし て、 積 み上げ て ゆく研 究態 度 が好 き
ほ ん と う に客 観 的 に 見 て 確 か であ る と 思 わ れ る 事 実
文を 書 き、大 学 に提出 し て卒 業し た。 私 は、博 士 が、
も り で あ り 、 私 に と って は 名 実 共 に学 問 上 の 恩 師 で
は 国 語 学 史 上 の 重 要 な 資 料 で あ る と 重 い、 信 光 社 の
あ る 。 昨 年 創 刊 さ れ た 雑 誌 ﹃日本 語 学 ﹄ か ら 頼 ま れ
高 木 四 郎 氏 を 煩 わ し て複 刻 し 、 教 育 出 版 か ら 刊 行 し て も ら った 、 そ れ の 解 説 文 で あ る 。 こ の復 刻 本 は 昭
私 は 昭 和 九 年 か ら 十 二 年 ま で の三 年 間 、 橋 本 博 士
橋 本進 吉 博 士 の 生涯
何 か と 御 教 示 いた だ い た 橋 本 研 一氏 に 謝 意 を 表 す る 。
度 こ こ に収 め る にあ た り 、 か な り の部 分 を 訂 正 し た 。
て 発 表 し た も の であ った が 、 不 備 の点 が あ って 、 今
て、今 年 の二 月号 から 四月 号 にかけ て、 三回 に分 け
和 四 十九年 九 月に刊 行さ れ た。
に つ い て 国 語 学 を 学 び、 橋 本 博 士 の 指 導 のも と に 論
金 田 一春 彦 著 作 集 第 四 巻
二〇〇 四年 五月 二十 五 日 第 一刷
著 者 金 田 一春 彦 発行者 小 原 芳 明
発行所 玉 川 大 学 出 版 部
〒 一九 四︲八 六 一〇 東京 都 町 田 市 玉 川学 園 六︲一一 ︲
2004
Printed
T E L 〇 四 二︲七三 九︲八九 三五 F A X 〇 四 二︲七三 九︲八九 四〇 htp t :// wwt w a. m ga awa.acu .j pp/sisetu/ 振替 〇 〇 一八 〇︲七︲二 六 六六 五
印刷所 図書 印刷 株式 会社
落 丁本 ・乱丁本はお取 り替 え いたします。
C3380
Kindaichi
4︲472︲01474︲2
〓 Haruhiko ISBN