軍
( ) 5
加藤寛治日記
続 ・現 代 史 資 料
海
み す ず 書 房
加藤寛治 日記 表紙
昭 和4年11月25日‐12月1日(88頁
参 照)
昭 和9年6月23‐24日(261頁
参 照)
昭 和...
38 downloads
1268 Views
19MB Size
Report
This content was uploaded by our users and we assume good faith they have the permission to share this book. If you own the copyright to this book and it is wrongfully on our website, we offer a simple DMCA procedure to remove your content from our site. Start by pressing the button below!
Report copyright / DMCA form
軍
( ) 5
加藤寛治日記
続 ・現 代 史 資 料
海
み す ず 書 房
加藤寛治 日記 表紙
昭 和4年11月25日‐12月1日(88頁
参 照)
昭 和9年6月23‐24日(261頁
参 照)
昭 和11年2月27‐28日(336頁
参 照)
凡
例
一 本 巻 に は 加 藤寛 治 日 記と 関係 文 書 ( 文 書 と 書 翰 にわ け て) を 収 録 し た 。
二 仮 名 遣 いは 原文 の ま ま と し 、 漢 字 や仮 名 遣 い の誤 用 や英 文 ・露 文 な ど の誤 表 記 、 意 味 不 明 ( 或 いは 誤 記 ) と 思 わ
れ るも のも 多 く は そ のま ま に す るな ど 、 な る べく 原 文 に近 い形 で の復 刻 を 目 指 し た が、 漢 字 は 、 新 漢 字 のあ るも の
は そ れ を 使 用 し、 日 記 の場 合 平 仮 名 片 仮 名 混 用 を 、 外 来 語 等 を 除 いて 平 仮 名 に統 一し、 濁点 、半 濁 点 のな い場 合 そ れ を 付 し た 。 ま た 必 要 に応 じ て 、句 読 点 を 補 った 。
三 ︹マ マ︺ や ︹ ︺ を 付 し た 傍 注 、 そ れ に す べて ︹ ︺ を 付 し たも の は編 者 によ るも の であ る。
四 日 記 中 の主 要な 人物 に つ い ては 、 原 則 と し て各 年 の初 出 の 際 に 、名 前 、 階 級 、 官 職 等 を 注 記 し た 。 階 級 に つい て は 陸 軍 の場 合 のみ 陸 軍 と 冠 し た 。尚 予備 役 、 後 備 役 と も 予 備 と し た 。
解
凡 説
例
目
記
次
︹ 砲 術 学 校 長 / 一月六 日、 第 五戦 隊 司 令 官 ︺
三四
日
大 正 七 年
︹ 出仕 ( 欧 米 出 張 ) / 八月 十 日、 海 軍 大 学 校 長︺
四一
Ⅰ
大 正 九 年
︹ 海 軍大 学 校 長 / 九 月 二十 七 日、 ワ シ ント ン会 議 全 権 委 員 首 席 随 員︺
二
大 正 十 年
︹ 軍令 部 次 長/ 六 月 一日、 第 二艦 隊 司 令 長 官 ︺
七五
六五
五二
震 災 日誌
︹ 軍事 参 議 官 / 一月 二十 二 日、 軍令 部 長 ︺
九〇
︹ 海 軍 大学 校 長、 ワ シ ント ン会 議 全 権 委 員 首 席 随 員 / 五月 一日 、 軍 令 部 次 長︺
昭 和 四年
︹ 軍令 部 長/ 六 月 十 一日、 軍 事 参 議 官 ︺
大 正 十 一年
昭 和 五 年
一一 三
一 六〇
︹ 軍事 参 議 官 ︺
昭 和 七 年
二〇二
昭 和 六 年
昭 和 八 年
昭 和 十 三 年
昭 和 十 二 年
昭 和 十 一年
昭 和 十 年
昭 和 九 年
四一 三
三七四
三二九
二八三
二四四
書
四 五七 文
昭 和 十 四 年 Ⅱ
六 覚 ( 東郷元帥談 、昭和 五年 三月十六 日)
五 会 議 ニ臨 む 態 度 ( 海軍大臣筆、 昭和 四年月 日不明)
四 東 郷 元 帥 之 御 答 え ( 加藤之所 要兵力説明 ニ付、昭和 四年十 一月十三日)
三 意
四 七一
四 六九
四 六八
四 六七
四 六六
四 六二
七 御 批 准 賛 否 (昭和五年)
四 七二
一 軍 備 制 限 問 題 対 策 ノ 件 (海軍大 臣、 昭和 四年 六月 二十八 日)
八 英 米 両 国 ニ於 ケ ル 倫 敦 条 約 履 行 ノ 状 況 ( 関根軍令部参謀稿、昭和六年七月十日)
四 七三
四 六四
九 五 ・ 一五 事 件 ト 我 海 軍 主 脳 部 ( 滝本信夫、昭和八年九月 二十日)
四七五
二 幣 原 と 会 見 ( 昭和四年 十月十 一日)
一〇 非 常 時 献 言 ( 伊藤利 三郎大佐、 昭和 八年十月十七 日)
四八〇
見 ( 昭和 四年 十 一月二日)
一 一 次 期 軍 縮 対 策 私 見 (石川信吾中佐、昭和八年十月 二十 一日)
二 四 ﹁ワ シ ン ト ン﹂ 条 約 廃 止 の 通 告 は 一日 も 緩 ふ す 可 か ら ず ( 昭和九年)
二 三 ﹁政 観 ﹂ 主 筆 佐 々 木 要 人 取 調 状 況 ニ関 ス ル 件 ( 東京 憲兵隊長 ・持 永浅治 、昭和九年九 月二十 日)
二 二 意 見 書 ( 山 下知彦大佐他、昭和九年九月七日)
二 一 聯 合 情 報 ( 昭和九年九月六日)
二 〇 在 外 武 官 電 報 ( 昭和九年八月九日、十日)
一九 潜 水 艦 廃 棄 回 避 ノ 私 案 ( 南鉄 太郎 、昭和九年 八月八日) 五
一八 岡 田 総 理 祝 賀 会 演 説 草 稿 ( 昭和九 年七 月 一日)
一七 海 軍 大 臣 挨 拶 ( 付 ・加藤 軍事参議官 の答辞、 昭和九年七月十六 日)
一六 華 府 条 約 ノ 廃 棄 通 告 ハ急 ガ ヌ ( 東京 日日新聞、 昭和九年六月九 日)
一五 軍 縮 対 策 私 見 ( 海軍大 将 ・末次信正、 昭和九年六月 八日)
一四 ソ連 視 察 報 告 ( 布施勝治 、昭和九年 一月)
一三 中 国 の 実 際 問 題 ( 許世鐸、 昭和 八年十 一月十八 日)
一二 新 彊 省 独 立 事 変 の 全 貌 ( 高木陸郎、 昭和八年十月 二十八 日)
五五七
五五六
五五三
五五一
五四九
五四六
四四
五四二
五三八
五三七
五三四
五〇 九
五 〇〇
四 九一
五六六
二 五 独 逸 提 携 ニ関 ス ル意 見 ( 山下知彦大佐 ・藁谷英彦少佐、昭和九年)
二 七
五六八
五六三
二 八 華 府 条 約 廃 棄 通 告 を 即 時 断 行 せ よ ( 昭和九年)
五七一
二 六 華 府 条 約 倫 敦 条 約 廃 棄 後 ノ建 艦 計 画 ( 山下知彦大佐 ・藁谷英彦少佐、昭和九年)
二 九 海 軍 軍 縮 会 議 予 備 交 渉 代 表 に 与 ふ る 訓 令 ( 昭和九年)
五七四
一九 三 五 年 の 意 義 (昭和九年)
三 〇 天 皇 機 関 説 排 撃 運 動 に 露 呈 し つ つあ る 二 大 矛 盾 を 指 摘 す ( 昭和十年四月二日)
三 四 噫 倫 敦 条 約 ( 年代 不明)
三 三 対 米 作 戦 一般 的 考 察 ( 年代 不明)
三 二 拓 務 省 ニ関 ス ル 論 議 ニ就 テ ノ 愚 見 ( 年代 不明)
三 一 序 文 草 稿 ( 昭和十年 頃)
五九〇
五八二
五八〇
五七七
五七六
五九七
三 五 元 老 西 園 寺 ( 年代 不明)
翰
五九五
書
三 六 覚 ( 年 代不明) Ⅲ
解
説
一
本 書 は、 ﹁加 藤 寛 治 日 記﹂ (大正七、九 ∼十 二年 、昭和四∼十 四年) と 加 藤 家 に残 さ れ た 関 係 文 書 (来 翰 お よ び 諸 書 類)
を 復 刻 す る も の であ る。 関 係 文 書 は 殆 ど が ロ ンド ン条 約 以 降 の も の で 、 か つ て私 は ﹃昭和 初期 政 治 史 研 究 ﹄ を 執 筆 し
昭 和 八 ・九 年 を 中 心 に︱
﹂ と し て、 ﹃東 京 都 立 大 学 法 学 会 雑 誌 ﹄ 第 十 巻 第 二 号 で紹 介 し た
た 際、 長 男 寛 一氏 か ら拝 借 し て ロ ンド ン条 約 問 題 に 関 す る も のを 利 用 さ せ て いた だ き 、 さ ら に そ の時 期 以降 の も の を ﹁ 加 藤 寛 治 関 係 文 書︱
( 書翰以外 のも のは東京 大学社会科学研究所 に寄贈 された)。 ロ ンド ン条 約 問 題 に 関 す る 加 藤 自 身 のも のと し て ﹃倫 敦 海 軍 条
約 秘 録﹄ が あ り 、 こ れ も 拝 借 し て利 用 し た が 、 こ れ は 昭 和 十 四年 に 書 か れ た も の で、 昭 和 三 十 一年 に寛 一氏 に よ って
謄 写 さ れ た も の であ った ( これは今回収録 しなか った)。 そ の時 に は 加 藤 寛 一氏 のも と に は 日記 は残 さ れ て いな か った 。
昭 和 五 十 四 年 に至 って、 か つて加 藤 の秘 書 的 な 役 割 を し て いた 坂 井 一位 ( 景南) 氏 が ﹃英 傑 加 藤 寛 治 ﹄ と いう 著 書 を ノ
ー ベ ル書 房 か ら 出 版 さ れ 、 そ れ に 氏 が 保 管 し て いた ﹁加 藤 寛 治 日記 ﹂ の 昭和 七 ∼ 十 一年 の抜 粋 が収 め ら れ た 。 早 速 寛
一氏 か ら連 絡 が あ り 、 そ の紹 介 で 坂 井 氏 にお 会 い し て 、 日 記 を 見 せ て頂 いた 。 日 記 は そ の後 寛 一氏 のも と に戻 り 、 そ
の コピ ーを 作 ら せ て頂 き 、 ま た そ れ を ﹁続 ・現 代 史 資 料 ﹂ の 一冊 と し て 刊行 す る こと の お許 し を 得 た 。 そ の後 、 仕 事
を 進 め て 、 大 体 の書 き 起 こ し を 終 わ った が 、 出 版 に当 た って、 鈴 木 淳 、 小池 聖 一、 田 浦 雅 徳 、古 川 隆 久 の 四氏 に加 わ
って頂 き 、 漸 く 完 成 に漕 ぎ 着 け る こ と が 出 来 た。 な お 、 昭 和 十 三、 十 四 年 の日 記 は 、 出 版 の 最終 段 階 にな って存 在 す
る こと が明 らか と な り 、 大 慌 て で追 加 し た も の であ る。
日記 の形 態 は 左 記 のよ う な も の であ る。 書 類 、 書 翰 に つ い ては そ れ ぞ れ に 注 記 し た 。
大 正 七年 分 は 、 縦 約 一七 セ ンチ で 一頁 に 二 日分 の欄 が あ る ロ シ ア製 の手 帳 に 縦 書 き 、 九 年 分 は 縦 約 一三 セ ン チ で 一
頁 に 一日 分 の欄 が あ る フラ ン ス製 の 日記 帳 に 横 書 き さ れ て いる 。 十 年 分 は キ ャ メル 社 (Camell & L Ca oi . )r L製 d tの d手 .
帳 ( 縦 一四 センチ弱 で、見開き 二頁に 一週間分 の欄 がある) に記 載 さ れ て いる 。 大 正 十 一年 分 は 二 冊 に 分 れ て い る。 概 ね 四
月 一杯 ま で は 縦 一三 セ ン チ弱 で 、 一頁 に 二日 分 の欄 が あ る ア メ リ カ製 の手 帳 に 概 ね 縦 書 き さ れ、 五 月 以 降 は 、 一部 の 日 程 等 は 両 者 に あ る が 、 主 に 十年 と 同 じ キ ャメ ル社 製 の手 帳 に書 か れ て いる。
大 正 十 二年 の 震 災 日 誌 は 、 縦 約 一六 セ ンチ の和 製 ノ ー ト に 五 七 頁 に わ た って縦 書 き さ れ て いる が、 こ の他 に 縦 一二
セ ンチ 強 の ノ ー ト に 、主 に 二 十 二 日ま で の 記事 を 四 二頁 にわ た っ て記 し た も の が 現存 し てお り 、 前 者 の基 に な った と 思 わ れ る (これは収録しなか った)。
昭 和 四 年 分 は縦 一三 セ ンチ のイ ギ リ ス製 の 手 帳 に記 載 さ れ て いる 。 見 開 き に 一週 間 分 の欄 が あ り 、 横 書 き で あ る 。
昭和 五年 は縦 約 一三 セ ンチ で 、 一頁 に 二 日分 の欄 が あ る博 文 館 のポ ケ ット 日記 帳 に 記 載 さ れ て いる 。
昭和 六年 か ら 十 四 年 ま では 、 同 型 の和 製 日記 帳 ( 仁寿生命保険株式会社 のも の) が 用 いら れ て おり 、縦 は 一四 セ ンチ 半 、
一頁 に 一日 の欄 が あ る。 こ の ほ か 、 昭 和 六 年 に は縦 約 一二 セ ン チ で 一頁 に 三 日分 の欄 があ る 日 本 無 線 電 信 株 式 会 社 の 手 帳 に雑 件 と 部 分 的 に 日記 を 記 し た も のも 用 いら れ 、 現 存 し て いる 。
大 正 十 一年 及 び 昭 和 六 年 のよう に 二冊 の 日記 ・手 帳 が存 在 す る場 合 、主 た るも のを 本 文 と し て 、 従 た る も の は *を 付 し て挿 入 し た 。
全 体 と し て 日 記 は 綺 麗 に書 か れ て いな い。 字 も 判 読 が 困 難 、 不 能 の部 分 も 少 な く な い。 重 複 し て いる 記 述 も あ る。
鉛 筆 書 き を し て 後 で 筆 や ペ ン で な ぞ った 部 分 も あ り 、 ま た後 に 書 き 加 え ら れ た ので は な い かと 思 わ れ る 部 分 も あ り 、
後 世 に残 す た め に 書 か れ た と いう 印 象 は な い。 本 日記 の利 用 に あ た って そ れ ら の点 に 留 意 す る必 要 が あ る だ ろう が 、
海 軍 の派 閥系 譜﹂
こ の 日記 の カ バ ー し て い る時 期 の 軍令 系 、 或 い は いわ ゆ る艦 隊 派 の中 心 人 物 の 記 録 は 今 のと こ ろ他 に存 在 し な い。 そ の意 味 でこ こか ら ど れ だ け の有 意 の歴史 的事 実 を抽 出 でき る か が 問 わ れ る であ ろう 。
尚 ﹃英 傑 加 藤 寛 治 ﹄ 所 収 の 日記 を も 利 用 し て秦 郁 彦 氏 によ って書 か れ た論 文 ﹁艦 隊 派 と条 約 派︱
︹ 三宅正樹編 ﹃昭和史 の軍部と政治﹄ 1、 昭和 五十八年 、第 一法規出版︺ は海 軍 部内 の派 閥 対 立 を 精 密 に分 析 し 、 ま た 麻 田貞
雄 氏 の ﹃両 大 戦 間 の 日米 関 係 ・海 軍と 政 策 決 定 過 程 ﹄ も 加 藤 寛 治 の大 海 軍主 義 が マハ ン の影 響 を 受 け た も の であ り、
加藤を中心 とする艦隊派が政策決定 に大きな役割を はたしたことを主張 しており ( 史料とし て前記 の ﹁関係文書﹂も用 い
小 笠 原 長生 日 記 を 通 し て︱
﹂ 一︱三 ︹ 未完︺ ( ﹃防衛 大学校 紀要﹄ 五十 一︱
られ ている)、 さ ら に 本 日 記 に も多 く そ の名 が 記 さ れ て い る小 笠 原 長 生 の 日記 を 基 に 田 中 宏 巳 氏 に よ って 書 か れた ﹁昭 和 七 年 前 後 に お け る 東 郷 グ ル ープ の活 動︱
五十三輯、昭和六十︱六十 一年) な ど が 本 日 記 理 解 のた め に 参 考 に な る で あ ろう 。 二
加 藤 に は 、加 藤 寛 治 大 将伝 記 編 纂会 ( 代表安 保清 種) 編 の ﹃加 藤 寛 治 大 将 伝 ﹄ ( 昭和十六年、同会刊) と いう 大 冊 の伝 記
があ る。 そ れを 参 照 しな が ら 、 以 下加 藤 の経 歴 を 追 い、 本 書 に収 録 し た 日記 等 に つい て若 干 の説 明 を 加 え て置 こう 。
加 藤 寛 治 は 明 治 三年 福 井 の加 藤 直 方 ・須 磨 子 の長 男 と し て生 れ、 明治 二十 四年 海 軍 兵学 校 を 卒 業 、 二十 七年 少 尉 に
任 官 し 、 日 清 戦 争 に従 軍 し た 。 二 十 九 年 十 一月 に 軍 艦 富 士 廻 航 委 員 に 命 ぜ ら れ てイ ギ リ スに 赴 き 、 三十 年 九 月 帰 朝 。
三 十 二 年 七 月 モ スク ワ駐 在 を 命 ぜ ら れ、 三 十 五 年 三 月 ま で駐 在 し 、 そ の間 同 地 に駐 在 し た 広 瀬 武 夫 少 佐 、 田 中義 一少
佐 と 知 り 合 った 。 三 十 六 年 少 佐 と な り 、 日 露 戦 争 で は 、 三 笠 砲 術 長 と し て黄 海 海 戦 に参 加 し た 。 四十 年 伏 見 宮貞 愛 親
王 の随 員 と し て イ ギ リ ス に出 張 し た。 そ こ で 山 本 権 兵 衛 大 将 に 随 行 し て、 日英 海 軍 軍事 協 商 の締 結 に参 画 し た 。 四十
二 年 五 月 か ら 四 十 四 年 九 月 ま でイ ギ リ ス大 使 館 付 武 官 。 こ の間 大 佐 。 海 軍 兵 学 校 教 頭 な ど を 経 て、 第 一次 大 戦 に は 、
伊 吹 艦 長 と し て特 別 南 遣 枝 隊 を 指 揮 し て、 オ ー スト ラ リ ア 軍 の ヨー ロ ッパ への護 送 の任 に 当 た った 。大 正 五 年 十 二 月
少 将 。 そし て七 年 一月 ウ ラジ オ スト ック 派 遣 の第 五 戦 隊 司 令 官 に 任 ぜ ら れ て、 同 地 の警 備 ( 居留民 の保護と聯合 国の多数 の軍需品 の確保) に当 た った 。
加 藤 が 石 見 に 乗 艦 し て ウ ラ ジ オ スト ッ ク に着 いた の は 、 一月 十 二 日 であ った が 、 そ の 二 週 間 後 の三 十 日か ら断 続 的
で はあ るが 、 日 記 が残 さ れ て いる 。 こ こで の活 躍 に つ いて も 、前 記 ﹃加 藤 寛治 大 将 伝﹄ ( 以下 ﹃大将伝﹄ と略) はか なり
詳 し い記述 を し てお り 、 こ の 日 記 の記 述 も 一部 が 引 用 さ れ て い る。 そ れ で も ウ ラジ オ スト ック で の居 留 民 、 他 の 諸 国
の軍 司 令 官 や外 交 官 、 そ れ に ロシ ア側 の人物 と の交 渉往 来 、 海 軍 大 臣 以 下 と の電 報 の往 復 ( 加藤には色 々不満があ ったよ
うである) が 記 さ れ て い る こ の 日記 が 十 分 に活 用 さ れ て いる 訳 で は な い。 八 月 二日 にシ ベ リ ア の チ ェ コ軍救 援 の た め ア
メリ カと の共 同 出 兵 の宣 言 が 発 せ ら れ 、 や が て第 十 二師 団 ( 大井成 元師団長) を 主 体 と し 大 谷 喜 久 蔵 大 将 を 司 令 官 と す
る 浦 塩 派 遣 軍 が 到 着 し 、 海 軍 も 有 馬良 橘 中 将 の率 い る第 三艦 隊 の主 力 が 派 遣 さ れ た 。 到 着 し た 陸 軍 と の摩 擦 の様 子 も
日 記 か ら 伺 え る が 、 ﹃大 将伝 ﹄ に は触 れ る 所 が な い。 九 月 四 日 海 軍 将 官 会 議 議 員 に 転 補 の辞 令 に接 し て、 後 任 者 の来 着
を 待 ち 、 九 月 十 九 日 に陸 路 ウ ラジ オ スト ック を 発 し て ( 途中不通箇所があり、 一旦ウ ラジ オスト ックに戻 ったりして)、 十 月
八 日に 東 京 に つ いて いる 。 こ の 日 ﹁大 臣 よ り 訓 戒 を 受 ﹂ け て い る 。 こ の出 兵 に つ いて の加 藤 の考 え は こ の 日 記 だ け で
は 明 か では な いが、 十 月 三 十 日 で終 わ る こ の年 の日 記 の末 尾 に 記 載 さ れ た メ モ の ﹁日 本 は 宜 し く 頭 と 腕 と金 で出 来 る
丈米 国と 平 和 的 に 競争 し て 遣 る べし で あ る﹂ は 、 注 目 さ れ る 。 ﹃大将 伝﹄ で も 尼 野 宛 三 月 五 日 書 翰 のな か で ﹁我 国 も 稍
く 眼 を 覚 し 多 少 積 極 手 段 を 取 るら しき も 、 兵 力 の動 く 前 に必 要 な る 資 本 と 商 業 が 前 進 し 居 らざ るを 以 て 、 や ゝと も す
れば 日 本 が 憲 兵 巡 査 の仕 事 に 使 は れ 、 英 米 が甘 き汁 を 吸 ふと 云 ふ 結 果 に 終 ら ん と す る なき や を 恐 る﹂ と し て いる のも
同様 で あ る 。 な お こ の書 翰 の末 尾 に ﹁政 府 を 革 へ、 原 内 閣 でも 造 つて遣 ら せ た し﹂ と あ る の も 注 目 し な け れば な ら な
いだ ろう 。 こ の第 五 戦 隊 司令 官 と し て の加 藤 の 行動 に つ い て は、 本 日 記 の共 同 編 纂 者 の 一人 で あ る 小 池 聖 一が近 刊 予
定 の ﹃日 本 海 軍 史﹄ 通 史 第 二巻 の 第 三 編 第 三章 第 五 節 の 一 ﹁第 五戦 隊 の ウ ラジ オ スト ック派 遣﹂ で 、 本 日記 と 戦 史 部 史 料 等 を も 利 用 し つ つ記 述 し て い る の で参 照 さ れ た い。
ウ ラ ジ オ スト ック か ら帰 った 加 藤 は 、 十 二月 横 須 賀鎮 守 府 の参 謀 長 と な る が 、 翌 八 年 六 月海 軍省 出 仕 と し て欧 米 出
張 の辞 令 を 受 け た 。 世 界 大 戦後 の欧 米 各 国 の 軍事 視 察 のた め で、 山 本 英 輔 大 佐 、 原 敢 二郎 中佐 、 川 路 俊 徳 機 関大 佐 、
加 藤 亮 一主 計 少 将 、 伍 堂 卓 雄 造 兵 大 佐 、 野 中 季 雄造 船 大 佐 、 小 島 政 治 軍 医 大 佐 と と も に七 月出 発 し た 。 帰 国 した の は
九年 六 月 で 、 そ の九 年 一月 一日 か ら 三 月 末 ま で の日 記 が 残 さ れ て いる 。 ベ ル リ ンを 出 て 、 イ タ リ ア、 フ ラ ン ス、 イ ギ
リ スに滞 在 し た 時 期 で 、 殆 ど が 短 い英 文 で 記 載 さ れ 、 情 報 量 は 多 く な い。 こ のと き の視 察 内 容 は 、 ﹃大 将 伝﹄ に 引 用 さ れ て いる皇 族 講 話 会 で の講 演 で知 る こと が でき る。
欧 州 か ら 帰 国 した 加 藤 は 、 海 軍 大 学 校 長 に補 せ ら れ ( 大正九年中将 に任 ぜられた)、 そ の在 任 中 の大 正 十 年 九 月 二 十 七
日 ワシ ント ン会 議 参 列 の全 権 委 員 首 席 随 員を 仰 せ 付 け ら れ た 。 こ の会 議 は 翌 十 一年 二 月 六 日 ま でか か った。 大 正 十 年
は 詳 細 では な いが 一年 分 の 日記 が 残 さ れ て お り 、 翌 十 一年 も 十 一月 ま で 、 記 載 さ れ て いる 。 従 って 日記 は ワシ ント ン
会 議 の時 期 を 一応 カ バ ー し て い る。 良 く 知 ら れ て い るよ う に、 加 藤 は 七 割 に 固執 し て全 権 の加 藤 友 三郎 海 軍 大 臣 と 激
し く 衝 突 し た が 、 日 記 に も 加 藤 大 臣 と の険 悪 な 状 況 を 示 す 記 述 や 批 判 も 見 ら れ る。 し か し 会 議 が 終 った 段 階 で憤 懣 を
示 す よう な 文 言 は 見 ら れ な い。 そ の頃 随 員 の清 河 大 佐 や野 村 大 佐 らか ら飲 酒 に つい て の忠 告 を 受 け、 ﹁多 謝 ﹂ し て い る
ワ シ ント ン会 議﹄ 上 巻 ( 昭和 五十 二
と いう エピ ソー ド も 記 載 さ れ て いる ( 後述 のように飲酒 に ついての記述 は後々まで続く)。 ﹃大 将 伝﹄ に は 加 藤 の ﹁軍 備 制 限 に 就 て﹂ と 題す る 、 こ の会 議 に つ い て の私 見 が 摘 録 さ れ て いる 。 ﹃日本 外 交 文 書 年) と 対 照 し な が ら 本 日 記 の記 述 を 見 て いく 必要 があ ろう 。
全 権 一行 と 別 に先 に帰 途 に つ いた が 、 途 中 船 中 で発 病 し、 三 月 二 日 に横 浜 に帰 着 し、 即 日 佐藤 病 院 に 入 院 し た ( ﹃大
将伝﹄ によ ると頭部痙疽 症と いうこと であ った)。 治 療 の結 果 退 院 し た の は 四 月 一日 で、 二十 五 日 に 大 学 校 に 出 勤 し た が、
五 月 一日 に は海 軍 軍令 部 次 長 兼 海 軍 将 官 会 議 議 員 ( 当時 軍令部 長は山下源太郎大将) に転 補 さ れ た 。 そ の後 の 日記 は 殆 ど
予 定 の メ モ のよ う な も の で、 それ も 十 一月 末 で終 って いる。 ﹃大 将 伝 ﹄ によ ると 、 加 藤 は こ の時 期 ﹁諸 信 号 書 及 び 電信
暗 号 書 改 正 並 に 艦 隊 操 縦 に 関 す る 諸 規 定 及 び 諸 要表 改 正﹂ と ﹁朝 野 に台 頭 し た 文 官 大 臣 問 題﹂ への 対 処 に努 力 し たと
いう が 、 残念 な が ら そ れを 示 す よう な 記 述 は 見当 た ら な い。
大 正 十 二年 六 月 一日 加 藤 は 第 二艦 隊 司 令 長 官 に補 せ ら れ た 。 こ の年 九 月 一日 関東 大 震 災 の 日、 加 藤 の ﹁統 率 せ る第
二 艦 隊 は 、 裏 長 山 列 島 に 在 り て、 竹 下 勇 大 将 統 率 下 の第 一艦 隊 と 共 に 恰 も 恒 例 検 閲 の実 施 中 であ った ﹂ ( ﹃大将伝﹄)。 こ
の 日か ら加 藤 は 詳 細 な 日 記 を 書 き 始 め て、 以 後 の佐 世保 帰 港 、 品 川 湾 回 航 、 救 護 活 動 を 記 した 。 こ の ﹁震 災 日誌 ﹂ は
﹃大 将 伝 ﹄ にも 若 干 の部 分 が 引 用 さ れ て お り 、 地 の文 も 多 く こ れ に よ って いる。 関東 戒 厳 地 域 勤 務 を終 え 、 十 月 六 日
加 藤 は 第 二艦 隊 を 率 いて 、品 川湾 を 出 て伊 勢 湾 に 向 か った ( 十月 十五日 に演習 を終 え て、翌 日横須 賀に入港し た)。 こ の前
後 か ら 記 述 は や や疎 に な るが 、 七 日宇 垣 の陸 軍 次 官 就 任 に 関 連 し て、 か つて ﹁予 と仝 性 格 之 人 物 な り﹂ と 言 わ れ た こ
と の記 述 ( 四日に病 気で面会 は出 来なか ったが宇垣を訪問して いる)、 ま た 翌 日甘 粕 事 件 に つい て甘 粕 の やり 方 の ﹁拙 の拙 ﹂
で ﹁日 本 式﹂ で な いと いう 批 判 、 或 いは 進 級 会 議 で大 臣 への批 判 ( 十月二十五日、二十六日) な ど 若 干 注 目 され る点 も あ る 。 そ の記 述 も 十 二 月 六 日 で 終 わ って いる 。
次 に 日記 が 残 さ れ て い る の は 昭和 四 年 に な って か ら で あ る 。 そ の間 加 藤 は 、大 正 十 三 年 十 二 月 一日横 須 賀 鎮 守 府 司
令 長 官 兼 海 軍 将官 会 議 議 員 に補 せ ら れ 、 更 に 十 五年 十 二 月 十 日 第 一艦 隊 司 令 長官 兼 聯 合 艦 隊 司令 長 官 に 親 補 さ れ 、 昭
和 二年 四月 一日 大 将 に昇 進 し た。 加 藤 は ﹁現 今 我 々 の感 覚 を 刺 戟 し ま す 所 の 日米 海 軍 軍 縮 問 題も 、 新嘉 坡 の問 題 も、
布 哇 の築 城 も 、 更 に 三 井 の フ ェデ ラル の無 線 通 信 独 占 権 、太 平 洋 の通 信 網 を 専 制 せ ん と す る 問 題 も 、 其 源 を 洗 ひ 、 赤
裸 々 の心 理 を 解 剖 し ま す れ ば 悉 く 日本 の死 活 に 関 す る極 東 一帯 の支 配 権 、 就 中対 支資 本 的 帝 国 主 義 の争 覇 戦 に天 王 山
の利 を 先 制 せ ん と す る の 準 備 に外 な ら ぬ こと は御 承 知 の通 り であ り ま す ﹂ ( 大正十 五年 六月 の皇族講 話会 での講 演。﹃大将
伝﹄ 八二三頁) と いう 強 い危 機 感 を 背 景 に 、 壮 烈 極 ま る 猛演 習を 行 な った が 、 そ の最 中 昭和 二年 美 保 関 沖 の演 習 で 軍艦
衝 突 事 件 が発 生 し 、 聯 合 艦 隊 司令 長官 た る 加 藤 も 財 部 を 査 問 委 員 長 と す る査 問会 に 付 さ れ た 。 昭和 三年 十 二月 十 日 軍 事 参 議 官 に 補 せ ら れ 、 海 上 で の勤 務 を 終 わ った 。
日記 は こ の 軍事 参 議 官 時 代 の 昭 和 四 年 に 始 ま り 、 以後 継続 的 に 書 か れ て いる。 恐 ら く 、 海 上 勤 務 の終 了 と いう こと
と 関連 があ る と 思 わ れ る。 新 年 が始 ま って直 に、 一月 二 十 二 日 に 加 藤 は 軍令 部 長 に 親 補 さ れ る。 こ の年 のそ の後 の 日
記 も そ う 密 で は な いが 、 岡 田 海 相 や そ の後 の財 部 海 相 へ の非 難 、 元老 の秘 書 原 田 熊 雄 か ら の情 報 受 理 や ( 五月 には近
衛 ・斎藤実 ・原田らと会合して いる)、 そ し て九 月 頃 か ら の ロ ンド ン会 議 で のこ れ ま で の 七割 を 主 張 し て の各 方 面 と の折 衝
( 全権は十 一月十四日 に出発す るが、加 藤は十 日彼等を接 待した 日 ﹁ 荒 天と 雨にて倫敦会議 の波 乱を思 はしむ﹂と 記した) な ど 、 政 治 問 題 と 関わ る位 置 にあ る こと を 示 し て いる 。
文 書 の 内 一∼ 五 は ロ ンド ン会 議 関 係 のも の であ る 。 一の閣 議 決 定 以 外 は 、 加 藤 の メ モ等 であ る 。 二 は 幣 原 外 相 と の
十 月 十 一日 の会 見 録 ( 日記に簡単な記 述があ る)、 三 は加 藤 自 身 の意 見 で あ ろう 。 ま た 四 は 十 一月 十 三 日 の加 藤 の説 明 に
対 す る東 郷 の答 を メ モ し たも の (この日 の日記記述はな い)、 五は 時 期 は 判 然 と し な いが 財 部 海 相 の メ モで あ ろ う 。
翌 昭 和 五 年 に入 って、 や や 記 述 は 密 にな る。 一月 か ら 硬 軟 両 派 か ら の働 き 掛 け の記 述 が 頻 繁 に な り 、 加 藤 も 自 己 の
意 見 を 牧 野 内 大 臣 に送 った り 、 末 次 次 長 を し て 随 員 の左 近 司 中 将 に 伝 達 さ せ た り し て いる 。 三 月 に 入 って斎 藤 実朝 鮮
総 督 の妥 協 論 が出 て き て 、 若 槻 全 権 の請 訓 も 届 き 、 二十 七 日 に は 加 藤 は 浜 口総 理 に 面会 し て 、 反 対 意 見 を 述 べ、 三 十
日 ﹁連 日苦 悶 自 決 を 思 ふ 事 あ り 。 而 か も 勇 を 鼓 す﹂ と 書 く 。 文 書 六 は 三 月十 六 日 の東 郷 の談 話 を メ モ した も のであ る 。
前 日全 権 か ら の請 訓 が 到 着 、 こ の 日 の日 記 に は ﹁軍 令 部 憤 慨 、 反 駁 を 用 意 す ﹂ と あ る が 、加 藤 が 東 郷 にあ った と いう
記 述 は な い。 回訓 発 出 、 反 対 上 奏 前 後 の 日 記 は そ れ ま で に 比 べる と か な り 詳 し い。 加 藤 は は っき り と 反 対 の態 度 を 表
明 し 、 四 月十 日 に は ﹁骸 骨 を 乞 ふ書 を 認﹂ め て い る。 しか し 四 月 一日 に ﹁死 諌 を 忠 告 ﹂ し に き た 末 次 次 長 に 必 ず し も
同 調 し て は お ら ず 、 六 日に は末 次 に ﹁政 治 団 体 に交 渉 を も たざ る 様 忠 告 ﹂ し て お り 、事 態 の推 移 を 静 観 し て い るよ う
に思 わ れ る。 九 月 二十 四 日 の記 事 に ﹁敵 味 方 ﹂ と あ る が、 こ の条 約 が 批 准 さ れ る ま で の浜 口内 閣を 中 心 と す る勢 力 、
そ れ に同 調 し た 財 部 大 臣 、 山 梨 次 官 、 岡 田 軍事 参 議 官 ら 以 下 の省 部 の上 層 部 ( 後 に条約派と言われ る)と 対 抗 し 、批 准 に
反 対 す る末 次︱ 中 村 な ど の 軍令 部 の部 下 、 小 笠 原 長生︱ 東 郷 元 帥︱ 伏 見 宮 、 平 沼︱ 竹 内 賀 久 治 、在 郷 の軍 人 た ち や右
翼 、 そ れ に 調 停 を し よ う と す る 山 本 英 輔 も 登 場 し て 、 そ れ ら と 連 絡 を 持 ち な が ら 動 いて いる 加藤 の姿 が 、 こ れ以 前 の
日記 と は違 って か な り 詳 細 に記 述 さ れ て いる 。 加 藤 自 身 は 五 月 七 日に 辞 意 を 大 臣 に 伝 達 させ て いる が 、 実 際 に 軍令 部
長 を 免 ぜ ら れ 軍事 参 議 官 に任 じ ら れ た 六 月 十 一日前 後 は 二 か 月 近 く 日 記 が 中断 し て お り 、 加 藤 の心 境 を 伺 う こと は出
来 な い。 加 藤 の後 任 は 秦 氏 によ れば ﹁ 条 約 派 に 近 い﹂ 谷 口 尚真 で あ った 。 な お 九 月 十 五 日 の記 述 で 三 月 三 十 一日 の 岡
田 と の会 談 、 同 二 十 二 日 の記 述 で 四 月 一日 の回 訓 に つ いて ﹁別 記﹂ が あ った こと が 判 る が 、 そ れ は いま の と こ ろ見 当 た ら な い。
条 約 批 准 の手 続 き の中 で 枢 密 院 への諮 詢 が 大 き な 山 であ った 。 そ の最 終 段 階 で の枢 密 顧 問 官 た ち の態 度 を 調 査 し た
結 果 を 杉 山 茂 丸 が 持 参 し た のが 文 書 七 であ る (日記九月十九 日に杉山来 訪 の記事があり、 二十 二日に ﹁杉山之 秘書来 る﹂ とあ
るのが それであ ろう)。 結 局 批 准 手 続 き を 終 わ った 段 階 で、 こ の問 題 を 大 き な き っか け と し た 浜 口首 相 暗 殺 未 遂 事 件 に つ
いて 加 藤 は 簡 単 に 記 述 し て い る。 条 約 が 批准 さ れ た 後 財 部 大臣 が 辞 職 し 、 安 保 が大 臣 に 就 任 し た 。 安 保 と は 長 い付 き
合 いであ り 、 ﹃大 将 伝 ﹄ に は ロ ン ド ン海 軍会 議 に海 軍 の最 高 顧 問と し て東 郷 元帥 とと も に 推 薦 し て 送 り 出 し 、 そ の ロ ン
ド ン滞 在 中 の安 保 に出 し た 書翰 が 二通 収 録 さ れ て いる 。 日記 に は安 保 大 臣 と 人 事 や 予算 に つ い て相 談 を し て いる こ と が 記 さ れ て いる 。な お安 保 に つ いて秦 氏 は ﹁敵 の いな い中 間 派 ﹂ と 評 価 し て い る。
昭 和 六 年 に 入 っても 、 小 笠 原 長 生︱ 東 郷 元帥︱ 伏 見 宮 、 平 沼︱ 竹 内 賀 久 治 と いう 人 間 関係 が 極 め て大 き な ウ エイ ト
を 占 め て いる 。 そ の他 薩 摩 雄次 を 介 し て、 ま た直 接 に 北 一輝 と の 関係 が 生 じ て いる のが 注 目 さ れ る。 平 沼 の 国本 社 の
関 係 も あ って陸 軍 の荒 木 貞 夫 、 真 崎 甚 三 郎 ら いわ ゆ る 皇 道 派 と の関 係 も 散 見 さ れ る。 伊 藤 利 三郎 、 町 田 進 一郎 、山 下 知彦 ( 源太郎 の息子) と い った いわ ゆ る艦 隊 派 の若 手 の名 前 も 出 てく る 。
六 月 中 下 旬 に ﹁︹ 伏 見宮︺ 殿 下 奉 戴 問 題﹂ に つい て の記 述 が 重 要 問 題 と し て 登 場 す る 。 内 容 は 日 記 で は 判 然 と しな い
が 、 こ の年 暮 に 閑 院 宮 載 仁 親 王 の参 謀 総 長 就 任 に対 応 し て 伏 見 宮 博 恭 王 を 軍 令部 長 に 推 戴 す る 問 題 が 重 大 問 題 化 し て
い るが 、 そ れと 関 連 し た こと と 思 わ れ る。 ﹃西 園寺 公 と 政 局﹄ に よ る と 、 翌 年 実 際 に そ の問 題 が 実 現 し た 段 階 で、 岡 田
啓 介 は 原 田 に対 し て次 のよう に 述 べて いて 、 問 題 が か な り 以前 か ら進 行 し て いた こと が 明 か であ る。
実は伏見宮 殿下が軍令部長になられ るに ついては、非常に困 つた事情 があ るのだ。それ には安保前大 臣、大 角大将等も こま
て、結局東 郷元帥 を担 いで、東郷元帥 の口から伏 見宮殿下を軍令部長 にと いふことを言は せた のであ つて、海軍大臣とし ても
りき つてゐるのだ が、例 の予後備 の連中 が、 ロンド ン条 約以来、ぜひ 軍令部 長に伏見宮殿下を持 つて来 よう とさかん に策動 し
には御怪我 のな いよう充分気を つけるから、と いふことで、大体にお いて皆が賛成したわけである。 ( 第 二巻 一九八頁)
東郷 元帥 の 一言には従はなければな らな いのである。それ で、実 はこれは甚 だ面白くな いことだ とは思ふけれども、まあ殿 下
な お こ の問 題 に つ いて は 、 田中 論 文 (一) 二 四︱ 二 五頁 を 参 照 され た い。
そ の他 海 軍 内 部 で は 財 部 に つ いて か な り 批 判 的 な 記 述 が 多 い の が注 目 さ れ る ( 三月六 日、 四月 二十八 日、八月 二十九 日
など)。 ま た 内 容 は は っき り し な いが 谷 口に 重 要 書 類 を 交 付 し たと いう 記事 な ど も あ る。 こ の年 の文 書 は 関 根 軍 令 部 参 謀 の作 成 し た 英 米 で の条 約 履 行 状 況 に つ いて の調査 一件 の み であ る 。
こ の年 前 半 は ロ ンド ン条 約 問 題 が 依 然 政 界 及 び 海 軍 の な か で 重 要 問 題 であ り 、 三 月 こ ろま で 関連 の記事 が 少 な く な
い。 浜 口前 首 相 が 八月 二十 七 日 に 死去 す るが 、 ﹁弾 創 之 外 恐 る べき 菌 に原 因 す と ﹂ と 記 し、 翌 日弔 問、 更 に次 の 日 の葬
儀 に参 列 し 、 注 目 を 浴 び て いる 。 な お 葬 儀 に ﹁岡 田来 らず ﹂ と わ ざ わ ざ 記 し て いる と こ ろに 人間 関係 に つ い て の加 藤
の見 方 が 伺 え る。 九 月 十 八 日満 州事 変 勃 発 、 以 後 、平 沼 、 荒 木 な ど と 閑院 ・伏 見 両 宮 に 働 き 掛 け る な ど 積 極 的 に こ れ
を 推 進 す る 立 場 を 取 り 、活 動 し て い る様 子が 伺え る 。 十 月 事 件 に つ いて は事 件 直 後 に情 報 が 入 って い る。 こ れ に つ い
ても 小 笠 原︱ 荒 木 と の接 触 が 見 ら れ る。 尚 こ の年 も 飲 酒 に つい て の記 事 が 数 箇 所 に 亘 って 出 て く る 。
昭 和 七 年 に 入 って、 日 記 は よ り 詳 細 にな る 。 こ の年 も 日 記 に現 れ て来 る 人 間 関 係 に大 き な 変 化 は 見 ら れ な い。 小 笠
原 を 通 じ て或 いは直 接 に 東 郷 元 帥 ・伏 見 宮 と 、 竹 内 賀 久 治 を 通 じ て或 いは 直 接 に平 沼〓 一郎 と 、 そ れ に薩 摩 雄 次 な ど
を 通 じ或 いは 直 接 に 北 一輝 と 、 そ の他南 郷 次 郎 、 千 坂 智 次 郎 な ど の予 備 、 後 備 の者 、 海 軍 首 脳 では 谷 口、 大 角 ( 犬養内
閣で海相 に就任、秦 氏によれば ﹁大角は元来が加藤 ( 友) 系 の人脈 で、 二次にわた る海相 に就任す ると急速 に艦 隊派 へ接 近し﹂ と い
う存在 であ った)、 山 本 英 輔 、 小林 省 三郎 、末 次 信正 、若 手 で は 石川 信 吾 、 伊 藤 利 三郎 、 町 田進 一郎 、 山 下 知 彦 な ど が 日
記 への主 た る 登 場 者 で あ る 。 真 崎 勝 次 や 荒 木 を 通 じ て真 崎 甚 三 郎 と も 接 触 し て いる 。 ま た こ の 日記 を 保存 し て いた 坂 井 一意 ( 後 一位) が 登 場 し 始 め る のも こ の年 であ る 。
こ の年 初 め に は 前 年 末 以 来 の伏 見 宮 の 軍 令 部 長 就 任 問 題 ( 谷 口問題とし て登場) が 記 述 の大 き な 部 分 を占 め 、 二月 二
日に 谷 口 か ら 伏 見 宮 に 部 長 の更 迭 が 実 現 し た こと で 一段落 し て い る、 続 い て は そ の次 長 問 題 で こ れ も 八 日 に 百 武 源 吾
か ら 高 橋 三吉 への更 迭 が 実 現 し て いる 。 こ の前 後 か ら山 梨 問 題 と 書 か れ て いる 問 題 が 日記 に出 現 す る 。 こ の時 は呉 鎮
守 府 司令 長官 で あ った 山 梨 は ロ ンド ン条 約 問 題 の時 は 次官 と し て条 約 締 結 に 尽 力 し た が 、 そ れと の関 連 で あ ろう 。 五
月 に は豊 田 の不 敬 事 件 と いう 問 題 が 出 てく るが 、 は っき り し な い。 し か し そ の 結 果 ロ ン ド ン海 軍 会議 に随 員 であ り 、
条 約 派 と 見 ら れ た 豊 田 貞 次 郎 は 軍務 局 長 を 止 め さ せ ら れ 航 空 本 部 出 仕 と な って いる 。 これ ら が 加 藤 ら に よ る条 約 締 結 者 ( 条約派) に対 す る 攻 撃 の結 果 で あ った こ と は 日 記 か ら 伺え る 。
前 年 来 の満 州事 変 の進 展 、 特 に 上 海事 変 の勃 発 ・苦 戦 の 記事 が 頻 出 す る。 ま た そ れ に 伴 う 日米 関係 の切 迫 に 関 す る
記 事 も 出 てく る 。 三 月 に は 東 久 邇 宮 を 満 州 都 督 にと いう 動 き も 記 さ れ 、 四 月 十 一日 に は 荒 木 陸 相 と 大 角 海 相 に対 満 政
策 に つ いて の 意 見 を 書 き 送 った と いう 記 事 が あ る が 、残 念 な が ら そ の内 容 は 日 記 か ら は 伺 い知 れ な い。 他 方 こ れ以 前
か ら であ ろう が 日 露 協 会 関 係 の 記事 が 多 く な り 、 大 使 ら と の往 復 の記 事 も 少 な く な い。 特 に 八 月 三 十 日 の大 使 と の会
談 の 記事 は 注 目 さ れ る。 加 藤 を 含 む 海 軍 の対 ソ関 係 に つ い ては 酒 井 哲 哉 ﹃大 正 デ モ ク ラ シ ー体 制 の崩 壊﹄ 第 二部 第 二
章 第 二節 (一九九二年、東京 大学出版会) が 優 れ た 分 析 を し て いる 。 ま た 九 月 こ ろ 日 仏 同 盟論 の 記事 があ る 。
四月 四 日 に 石 川 が 強 力 内 閣 説 を 説 き に 来 、 ま た 三月 二 十 三 日 に 竹 内 が 森 恪 が 政 友 会 脱 退 を 決 意 し て 平 沼 と 交 渉 し て
いると いう 情 報 を も た ら す な ど (平沼 とは何 回か会談し ている) と いう 状 況 の中 で 五 ・ 一五 事 件 が 勃 発 す る。 加 藤 は 早速
伏 見 宮 に 後任 海 相 に末 次 を 推 し そ の後 も 運 動 を 進 め 、 ま た 自 ら の海 相 説 も 流 れ た こ と を 記 し て いる ( 小笠 原日記によれ
ば、東郷 は加藤海相説 であ ったと いう ︹田中論文 ( 二) 四四︱四六頁︺)。 こ の前 後 北 一輝 、 竹 内 、 伏 見 宮 、 小 笠 原 、 真 崎 甚 三
郎 、 平沼 ら と の往 復 激 しく 、 次 期 主 班 、 次 期 海 相 を め ぐ って こ の グ ル ープ が活 発 に 動 いた こと を 示 し て い る。 結 局 彼
等 の意 に反 し て 斎 藤 内 閣 が 出 来 、 岡 田 が 海 相 と な った 。 そ の岡 田 に 加 藤 は ﹁人 事 を 注 意﹂ し て い る。 尚 六 月 二 日 に 町
田 ら 艦 隊 派 将校 ら が 五 ・ 一五 事 件 が加 藤 ・末 次 ら に累 を 及 ぼす こ と を 危 惧 し て の 運動 を 報 告 に来 て いる のも 注 目 さ れ
る。 以 後 も伊 藤 、 町 田ら の来 訪 記 事 が 少 な く な い。 ま た九 月 三 日 の石 川 信 吾 の小 林 躋 造 、 堀 悌 吉 の末 次 排 斥 の情 報 も
艦 隊 派 と 条 約 派 の対 立 感 情 の激 し さを 示 し て いる。 十 一月 か ら年 末 に か け て ﹁大 臣 問 題﹂ に 関 す る 記事 が 多 く 見 え る。
こ れ は 、 岡 田 自 身 が ﹁あ く る 年 に 一月 、 満 六 十 五歳 で 海 軍 のほ う も 停 年 に な る の で、 大 臣 の職 を 退 く こと にし た 。 私
を 留 任 さ せ るに 便 利 な よ う に 、 現 役 延 長 を 運 動 す る向 き も あ ったけ れ ど 、 こ ん な 悪 例 を 将 来 に 残 し て はな ら ん、 と 思
う し 、 引 っこ んだ ほう が い いと 思 った わ けだ ﹂ と 回 想 し て いる ( ﹃岡田啓介 回顧録﹄ 八〇頁) 問 題 で 、 留 任 問 題 、 辞 職 の
場 合 の後 任 問題 で部 内 が 揺 れ て いて、 加 藤 にも ﹁決 意 ﹂ を 求 め る動 き が 記 さ れ て い る。
昭 和 八 年 も 記 述 は前 年 同 様 比 較 的 詳 細 であ り 、 日 記 に 現 れ る 人 間 関 係 も 前 年 と 変 化 し て いな い。 一月 九 日 岡 田 か ら
大 角 に 海 相 が交 代す る 。 以 後 大 角 海 相 、 伏 見 宮 軍 令 部 長 、 高 橋 次 長 と いう 体 制 で進 む 。 一月 十 六 日 に千 坂 が き て ﹁始
め て予 に大 臣を 勧 む﹂ と あ り 、 又 翌 日 に は 石 川 信 吾 が 来 訪 し て ﹁少 壮 の元 帥 推 薦 を 伝﹂ え て い る。 後 者 は 恐 ら く 加 藤
を 元 帥 にと いう こ と であ った ろう 。 二 月 一日 小 笠 原 が 伏 見 宮 に ﹁平 沼 な れば 予 に 立 つべし ﹂ と 復 命 し た と いう のも 大
臣 の こと であ ろう 。 こ の平 沼 内 閣 を 加 藤 周 辺 の グ ル ープ は構 想 し て いた ら し い。 二 月 八 日 竹 内 が 松 方 乙 彦 が 床 次 と 平
沼 握 手 に成 功 と 告 げ 、 倒 閣 にか か る と 報 じ てお り 、 同 じく 竹内 の二 月 十 八 日 の 山 本 英 輔 と の会 見 斡 旋 依 頼 も そ う し た
構 想 の 一環 で あ った ろう 。 そ の後 暫 く 積 極 的 な 動 き は 記 さ れ て いな いが 、 六 月 六 日 に山 下知 彦 が 政 変 を 云 々し 、 末 次
を 推 挙 し て お り 、 六 月 十 四 日 に は高 橋 次 長 が ﹁元帥 問 題 に 付 大 角 考 慮 す と 告 ぐ﹂ は 、 こ れ ま た加 藤 の 元 帥 問 題 であ ろ
う ( 加藤を元帥にと いう問題が何時頃から始ま った のか判然としな いが、翌年三月十六 日に牧野伸顕内大臣 は鈴木侍従長 から ﹁ 海軍
一部に元帥設置 ( 加藤寛治を意味す る策動) の噂伝はり居 る旨内話﹂を得 ている。﹃牧 野伸顕 日記﹄ 五六九頁)。 一月 二 十 四 日 の記
事 に 山 本 英 輔 と ム ッ ソリー ニの評 価 で 一致 し 、 岡 田 、 大 角 、 高 橋 ら を ﹁決 意 に 乏 し ﹂ と 彼 等 に も の足 ら ぬ 感 じ を抱 い て いる ら し い記 述も 注 目 され る。
︹ 渉︺ 七 月 七 日 ﹁殿 下 よ り 省 部 互商 規 定 に 付 御 意 中を 承 は る ﹂ と あ り 、 以 後 こ の問 題 に つい て そ の改 正 を 推 進 す る 記 述 が
続 き 、 二 十 二 日 に内 定 の報 を 得 、 二十 六 日 に は 大 角 に ﹁労 を 謝 ﹂ し て いる 。 こ れ は九 月 二 十 一日 の ﹁非 公 式 軍事 参 議
官 会 議 、 軍令 部 条 例 改 正 の件 可決 し 、 統 帥 権 確 立 す ﹂ に続 く の であ ろう 。 ﹃西 園寺 公 と政 局﹄ に よ ると ( Ⅲ︱ 一一五頁)、
八 月 四 日 寺 島 軍 務 局 長 か ら 、 ﹁軍 令 部 長 の権 限 の拡 張 ﹂ を 目 指 し て、 ﹁加 藤 寛 治 大 将 だ の金 子 子 爵 だ のが 、 か れ こ れ 軍
令 部 に 都 合 の い ゝやう な憲 法 の解 釈 を し て し き り に 煽 て て ゐ ると いふ事 実 が あ る﹂ と聞 いて いる が 、 金 子 と の往 復 を 含 め て こ の 日記 の記 述 と 照 応 し て い る。
尚 加藤 は 憲 法 解 釈 に 関 し ては 、 ロン ド ン条 約 問 題 以 来 金 子 堅 太 郎 に依 存 し て き た ( 拙著三 三七︱ 八頁) が 、 そ の 関 係
は続 いて お り 、 書 翰 5∼ 11 及 び 14 ・15 ・18 ・20 ・23 ・24 は そ の時 代 のも ので あ る 。 そ の後 こ の年 一、 二月 に そ れ ぞ れ
一通 の書 翰 が あ る ( 書翰 37 ・38)。 こ れは こ の年 初 め の第 六 十 四帝 国 議 会 に お い て統 帥 権 問 題 が 議 場 の 問 題 と な った こ
と を 心 配 し て金 子 が 送 った も のと 、 そ れ に対 し て 加 藤 が ﹁兵 力 量 ノ決 定 ニ就 テ﹂ と 題 す る重 要 決 定 を 密 か に送 付 し た
の に対 し て 、 そ れ に感 謝 し て 返 送 し た 際 の書 翰 で あ る 。 こ の議 会 にお け る 統 帥 権 問 題と は 、 一月 二 十 三 日 の衆 議 院 本
会 議 で内 田 信 也 が ﹁統 帥 権 問 題 に 関 し 、 か つて故 浜 口首 相 は 、 兵 力 量 の決 定 は 政 府 にあ り 、 軍部 の意 見 は し ん酌 す れ
ば 足 れ り と 答 へ、 宇 垣 陸 相 も こ れ に 同 意 した が、 荒 木 陸 相 の意 見 如 何 、 ま た 今 回 の軍 縮 新 提 案 中 我 が 兵 力 量 は憲 法 第
何 条 の条 章 に よ り 何 人 の責 任 に お い て決 定 し た か 、 こ れ は 斎 藤 首 相 の答 弁 を 望 む﹂ と 質 問 し 、結 局 荒 木 か ら ﹁ロン ド
ン条 約 問 題 当 時 は い ろ いろ事 情 が あ つた であ らう が 、 こ の統 帥 権 問 題 に つ い ては 種 々議 論 が あ り 、 学 者 の憲 法 上 の意
見 も それ ぞ れ 異 つ て ゐ る やう で あ る 。 学 者 の所 説 の いづ れ を と る か は そ の 時 の情 況 にも よ る であ らう 。 私 一個 の考 へ
を 述 べ れば 、 兵力 量 の決 定 は 天皇 の大 権 に属 す る、 兵 力 量 の決 定 は 国 防 に絶 対 的 必 要 だ から 参 謀 総 長 、 軍 令 部 長 が こ
れ を 決 定 し そ の決 定 は 帷 幄 機 関 を 通 じ で 発 動 す る、 し か し 大権 の発 動 に つ いて は外 交 等 にも 関係 が あ る の で軍 部 と 政
府 と 慎 重 協 議 す る こと はも ち ろ ん 政 府 と の間 に 間 隔 が あ つて は な ら ぬ と考 へる﹂ と の返 答 を 得 て いる 。 他 方 、 斎 藤 は
﹁軍 縮 会 議 提 出 の方 針 は 軍 令 部 に お い て案 を た て政 府 の責 任 に お い て提 案 を な し たも の で あ る﹂ と 答 弁 し て い る ( ﹃朝
日新聞﹄ 八年 一月二十四日付夕刊)。 と こ ろ が 、 二 十 五 日 の ﹃朝 日﹄ は次 の よう に伝 え て いる。
二十三日衆議院本会議 にお いて政友会 の内田信也氏が統帥権 に関する質問 にお いて斎藤首 相と荒木陸相と の答弁 にお いて憲 法
上 の解釈 に多少 の相違 を発 見し、更に二十 四日の斎藤首相と 民政党桜内、富田両氏と の会見 にお いて斎藤首相が統帥権 に関し
ては政府は浜 口内閣当時 の浜口首 相並に宇垣陸相と 大体 の見解を同じくし てゐる旨 の言質を与 へたか の如く伝 へられた。右は
政友会側を相当刺激 した模 様である。従 つて予算総会 にお いて統帥権問題 に政友会 から再び問題化され るお それがあ る ので、
政府首脳部も これを憂慮 して憲法 上 の解釈に つき解釈 を 一つにす るため堀切法制 局長官 の手許にお いて慎重研究 の上、近く閣 議に諮 つて政府 の解釈 を決定 することにな つた。 そ し て、 こ の解 釈 に ついて 翌 二十 六 日 の同 紙 は 、
政府は統帥権 に関す る憲法上 の解釈問題 に ついて二十五日 の臨時閣議 の席上堀 切法制局長官から左 の如き趣旨 を説明、各関 係 の諒解を求むる所あ つた。
兵力量 の決定は政府と帷幄機 関との協 調によ つて成 立 つ、故 にその関係 において政府 は輔弼 の責を負ふ事 は当然 であ る。
な ほそ の細目説 明としては憲法第十 一条と第 十二条 とは各 独立 の条章 であ るが兵力量 の決定 の事 は軍事、外交 、財政等各方面 に関係を持 つてゐるからそれを統 一するには各方 面の協 調を 要する事 は当然 であ る。
と 報 じ て いる 。 こ こ に報 ぜ ら れ て いる 限 り で は 決定 は曖 昧 であ る。 しか も 同 紙 二 十 七 日付 夕 刊 は こ の結 果 政 友 会 幹 部
会 で統 帥 権 問題 に つ いて の自 由 質 問 を 禁 止 す る 旨 を 決 定 し た こと を 伝 え て お り 、 何 か 工 作 のあ った こ と を 伺 わ せ る 。
前 述 金 子 の後 者 の書 翰 に 同 封 さ れ て いる 、参 謀 総 長 、 海 軍 軍令 部 長 、 陸 軍 大 臣 、 海 軍 大 臣 の ﹁兵 力 量 ノ決 定 ニ就 テ﹂
の申 し 合 わ せ が あ る。 内 田 の 質 問 の直 後 に作 成 さ れ た も の であ ろう 。 こ れ は 昭 和 五年 の ロ ンド ン条 約 問 題 の 際 に海 軍
部 内 で 取 り 纏 め ら れ た 兵 力 量 決 定 に 関 す る覚 書 ( 拙著 一六七︱七 四頁) を く つがえ す 内 容 であ った。 こ の申 し 合 わ せ が
内 閣 と の関 係 でど う 処 理 さ れ た か 判 然 と し な い。 私 見 の範 囲 で こ の 申 し 合 わ せ に触 れ た も のは な い。 た だ 前 述 の ﹃西 園寺 公 と 政 局﹄ の記 述 にあ る海 軍 軍令 部 条 例 の改 正 に つな が って行 く の であ る 。
や山田三郎法務局長
を 要 求 し て い る。 九 月 二 十 日 の判 決 に つ いて は っき り した 記 述 は な い。 文 書
実 現 し な か った︱
三 月 山 梨 が、 九 月 谷 口が 予 備 に 編 入 さ れ て 、 条 約 派 の衰 退 が 記 さ れ る。 九 月 の五 ・ 一五事 件 の求 刑 に ﹁認 識 不 足 ﹂
こ れ も 実 現 は し て いな い︱
の感 を 抱 いた 加 藤 は、 石 川 らと 大 角 に 働き 掛 け 、 次 官 ( 藤田尚徳) の交 替︱ の罷 免︱
九 は 五 ・ 一五事 件 公 判 を め ぐ る ﹁我 海 軍首 脳 部 の伝 統 的 功 利 主 義 ﹂ を 批 判 し たも ので あ る が 、 筆 者 滝 本 信 夫 に つい て
は 判 ら な い。 九 月 二 十 七 日 の ﹁小 林 、 寺 島 問 題﹂ も 条 約 派 追 い落 と し に 関 す る問 題 で あ ろ う 。 これ は 大角 が 伏 見 宮 の
積 極 的 同 意 を 得 ら れ ず ﹁大 臣 が 決 意 す るな れ ば 強 て留 め ず ﹂ と いう こと であ った が 、 ﹁寺 島 を 病 気 と す る事 に既 に内 命
ず み﹂ と か なり 強 硬 手 段 を 取 った の であ った (軍務 局長から練習 艦隊 司令官、 そして軍令部出仕。 翌年四月予備役 編入)。 安
保 の進 退 も 十 月 に 問 題 化 し て い る。 こ の件 で は 真 崎 と も 連 絡 を 取 り 、 十 二月 十 六 日 に 安 保 が 大 角 海 相 に 辞 意 を 表 明 す る に 至 った こ と が 記 さ れ て いる (翌年 一月 予備役)。
文 書 一〇 の伊 藤 利 三 郎 の意 見 書 ﹁非 常 時 献 言 ﹂ は 、 五 ・ 一五事 件 公 判 に 対 す る青 年 将 校 の憤 懣 を 述 べ、 そ の対 策 と
し て事 件 の被 告 の心 情 に ﹁万 斛 の涙 を 瀝 ぎ﹂、 ﹁首 魁 を 一人 に 限定 し て断 然 之 を 死 刑 に 処﹂ し 、 そ の直 後 に 大 臣 は 辞 職
し て、 ﹁新 大 臣 は青 年 将 校 の信 望 を集 め大 な る機 略 と 強 き 信 念 と を 有 す る 将 軍 即 ち 末 次 中 将 ﹂ と し 、 首 脳 部 の大 異 動 を
行 い、 小 林 省 三郎 を 軍 務 局 長 と し 、 以 下艦 長 ク ラ スま でを 大 いに 異 動 さ せ よ と す る も の で、 艦 隊 派 を 海 軍主 流 に せ よ
と の意 見 であ る 。 こ の後 十 一月 十 五 日 に海 軍 の大 異 動 が 発 表 さ れ て い る。 こ の異 動 に つ いて そ の 日 の ﹃朝 日新 聞﹄ は 、 艦 隊 派 に 批 判 的 な次 のよう な 批 評 を 掲 げ て いる 。
今 回の海軍定期大異動は現 下の国際危機 に備ふ べき新陣営を建設 すると いふ重要意義 があ ると共に、大角海相 の最近 における
人事行 政が兎角 の不評を招 いてゐた事実 もあ つた ので、 一般 に多 大の注目をひ いてゐたが、 発令 されたと ころを見 るに可なり
常道を 離れて無理をし てゐる点も あり、必ずしも欠陥なしと は いひ難 い。即ち先 の寺島中将 問題に続 いて佐世保鎮守府 長官左
一部 の勢 力関係に押され て有用な 人材 を無批判 に閑地 に投 じたも のであ ると の批評もあり、部内 でも不満 の意をもら してゐる
近 司政三中将、第 一戦隊司令官堀悌吉 中将 ( 新) を何れも軍令部出 仕としたことなど は、 いはゆる ロンド ン条約派を排撃 する
向 も少くな いやう であ る。即ち ロンド ン条約 の責任者 は上層だけで止む べき であ るのに当時事務官 であ つたも のにまで責任を
問ひ精算 の刃を加 へることは徒ら に有用 の人材を失 ふ所以であると憂慮す るものが多 い。それに今回 の異動 で特 に注目を引 い
てゐ ること はいはゆる軍政系 統を閑却し て軍令系統 を重用し てゐる点 であ る。 これは部内統制上 いろ いろ複 雑な事 情があ つて のことであらうが、人事 行政 の大局から見れば決 して歓 迎すべき こと ではな い。⋮ ⋮
な お こ の異 動 で第 二 艦隊 司 令 長 官 であ った末 次 が 聯 合 艦 隊 司 令 長官 に 、 永 野 修 身 中将 が横 須 賀 鎮 守 府 司 令 長 官 に 、
前 任 者 小 林 躋 造 、 野村 吉 三 郎 が 軍 事 参 議 官 に補 せ ら れ て いる。 尚 こ の ﹃朝 日﹄ の評 は 、教 育 局 長 に 中 村 亀 三郎 、横 須
賀 海 軍 人 事 部 長 兼 横 須 賀鎮 守 府 人 事 部 長 に真 崎 勝 次 が 任 命 さ れた 点 に つき 、 少 壮 層 に 理 解 のあ る 点 か ら の人 事 と し て 批 判 的 であ り 、佐 世保 鎮 守 府 司令 長 官 に米 内 光 政 が任 ぜら れた 点 を 評 価 し て い る。
十 月 十 一日 の ﹁大 角 へ電 話 、 荒 木 と 協 力 の事 を 勧 む ﹂ と いう のは 、 五 相 会 議 の件 で 、 二 十 三 日 に は演 習 地 で荒 木 、
真 崎 と 会 談 し 、 以後 こ れ に 関 連 す る翌 年 度 予算 に つ いて 大角 海 相 を 伏 見 宮 らと 激励 し 、 十 二月 二 日 に至 って 陸 軍 の譲 歩 に よ って決 着 を 見 て いる 。
こ れと 関連 し て いる 文 書 一 一の 石 川 信 吾 か ら 十 月 二 十 一日 付 で提 出 さ れ た ﹁次 期 軍 縮 対 策 私 見 ﹂ も いわ ゆ る艦 隊 派
の こ の時 点 の長 期 的 な 見 通 し を 示 し て いる点 で重 要 な文 書 であ る。 ﹁我 が 満 蒙 政 策 と 米 国 東 洋 政 策 と の衝 突 ﹂ と いう 点
か ら 、 ﹁米 国 が 其 の伝 統 的東 洋 政 策 を 転 換 せざ る 限 り 軍 縮 協 定 の成 立 は不 可 能 ﹂ であ ると の情 勢 判 断 か ら、 次 期 軍 縮会
議 が決 裂 し て国 際 関 係 激 化 の 状 況 と な っても 正 義 を 主 張 す べ しと し 、 均 勢 主 義 、 主 力 艦 ・航 空 母艦 の全 廃 等 を 主 張 す
る こと を 提 起 し、 会 議 決 裂 し、 両条 約 が廃 棄 さ れ た 場 合 、 ﹁仮 令 米 国 が 敢 て 軍備 競 争 を 強 ひ 来 る こと あ り と す る も 、 十
数 年 後 に 於 け る 帝 国 の経 済 力 は 太 平 洋 に於 け る 我 が 戦 略 的 地 位 と 相 俟 つて 、 国 防 上 不 安 な き 軍 備 を 充 実 す る に充 分 な
る べき を 予 想 し ﹂、 当 面 五万 ト ン 級 の 戦艦 二 隻 、 二万 ト ン 級 の 巡 洋 戦 艦 の建 造 を 中 心 と す る国 防充 実 に よ って、 ﹁現 状
より も著 しく 製 艦 費 を 膨 脹 せ しむ る こと 無 く 、 一九 三七 年 以 後 約 十 年 間 の競 争 に堪 ゑ得 る ﹂ と 結 論 す る。
翌年 に な って か ら で あ る が 、 原 田 熊 雄 の記 す と こ ろに よ る と 、 近 衛 を 訪 問 し た と こ ろ、 ﹁正 月 に な つ てか ら 、 海 軍 の
山 下 大 佐 、 艦 隊 の参 謀 石 川 中 佐 、 大 西 少佐 と いふ 連 中 が や つて 来 て、 し き り に ﹃直接 行 動 によ つて 改革 を やら う ﹄ と
いふ やう な 強 い議 論 を し た さ う で、 ﹃な か な か 海 軍 も ま だ 収 ま つて を ら ん ﹄ と いふ やう な こと を 、 しき り に近 衛 が言 つ て ゐた ﹂ と いう 状 況 で あ った ( ﹃ 西 園寺 公と政局﹄第 三巻、 二 一一︱二頁)。 文 書 一二 、 一三 は 、 翌 年 の 一四 と 共 に諸 方 面 か ら 送 ら れ た 国 際情 報 であ る。
こ の年 も ソ連 大使 館 関 係 者 や 日 ソ協 会 関 係 の記 事 が 少 な く な い。 ま た 三月 一日 に 大 亜 細 亜協 会 発 会 式 に 出 席 し て い
る が、 以後 そ の関 係 の記 事 は見 ら れ な い。 尚 七 月 十 五 日 に 持 永 東 京 憲 兵 隊 長 、 真 崎 、 久 保 ら がき て ﹁重 要 報 告 ﹂ を し
た が 、 内 容 は ﹁別 冊 に詳 記﹂ し た と 記 し て お り 、依 然 ﹁別 冊﹂ が あ った こ と が 明 か で あ る。
昭 和 九 年 に入 る。 こ の年 一月 三 日 に ﹁三 日会 ﹂ の 記事 が見 え る 。 ﹁末 次 外 四十 余 名 、 大 盛 会 ﹂ と あ り 、 秦 氏 は ﹁加 藤
の もと に 結 集 し た 直 系 の艦 隊 派﹂ と 評 価 し て いる。 三 日 会 の名 は 昭和 十 二年 に も で てく る 。 そ の 他 の年 にも 概 ね 三 日
に 例会 、幕 僚 会 と い った 名 前 で 、 高 橋 三 吉 、 近 藤 信 竹 以 下 三 十 ∼ 四十 名 が集 ま って い るが 、 こ れ を 艦 隊 派 と と らえ ら れ るか ど う か や や疑 問 が あ る 。
日記 へ の登 場 人 物 は殆 ど 変 化 が な い。 新 年 そう そう か ら 問 題 にな って いる の は ﹁陸 軍内 之 暗 闘 、 私 闘 ﹂ で、 これ を
ひど く 心 配 し て い る。 こ れ は 十 二 月 に も 問 題 化 し て いる 。 これ は陸 海 軍 の協 同 の上 に後 述 の よ う に 平 沼 内 閣 を 構 想 し
て いた 加 藤 ら にと って ゆ ゆ し き 問 題 であ った ので あ る。 尚 これ に 関 し ても 十 二月 十 二 日 に ﹁別 冊﹂ に 記 載 と あ る 。 こ
の問 題 と 関 連 し て十 二 月 十 四 日 に真 崎 勝次 、千 坂 来 訪 し 、 ﹁真 崎 を 大 臣 にす ると 交 換 に甚 三郎 大将 の小 磯 と 妥協 案 に 賛 す ﹂ と あ る の は、 特 に重 要 な 記 事 であ る。
そ の真 崎 と の関 係 は こ の 年 に 入 ってよ り 密 接 に な って い る。 二 月 に 伝 え ら れ た 内 閣 の危 機 に 際 し て、 二 月十 八 日 真
崎 、 本 庄 、 林 の決 心 を 確 認 し 、 平 沼 内 閣擁 立 に 動 いて いる 。 山 下 知 彦 の強 力 内 閣 論 (二月 三日)、 平 沼 内 閣 と 後 任 海 相
問 題 で 伏 見 宮 や 東 郷 元帥 と 意 見 一致 ( 二月二十 一日)な ど の 記 述 も こ の内 閣 の危 機 と 関 連 し て の重 要 記 事 であ る 。 五 月
に 入 って 帝 人事 件 で 本 格 的 に 内 閣 の危 機 が 問 題 と な り 、 こ の時 も 真 崎 大 将 と と も に 平沼 内 閣 を 推 進 し て いる ( 六月二十
四 日)。 こ の 時 も 後 任 海 相 問 題 ( 末 次 か ) で 動 い て い る が 、 こ れ も 詳 し い こ と は ﹁別 冊 ﹂ に 譲 ら れ て い る 。 七 月 三 日 に 斎
藤 内 閣 が 総 辞 職 し て 、 動 き が 活 発 に な っ て い る が 、 翌 日 加 藤 ら の 予 測 し な か った 岡 田 啓 介 に 組 閣 の 大 命 が 下 った 。 恐
﹁時 事 懇 談 ﹂ を し て い る 。 又 こ
﹁艦 隊 建 白 ﹂ が 大 き な 問 題 と な っ て い る 。
ら く こう し た事 態 への対 応 に 関し て で あ ろ う 、 七 月 十 七 日 、 二 十 九 日に 真 崎 甚 三 郎 と の時 の後 継 内 閣 問 題 と 関 連 し て 、 七 月 二 日 以降
﹁実 は 最 近 、 伏 見 元 帥 宮 の 加 藤 、 末 次 両
書 翰 40 は 末 次 の こ の 問 題 に つ い て の 弁 明 が 主 た る 内 容 で あ る 。 こ の 問 題 に つ い て は 、 暫 く 後 に な る が ﹃西 園 寺 公 と 政 局 ﹄ が 詳 し く 述 べ て い る 。 そ れ に よ る と 、 八 月 一日 に 原 田 は 大 角 海 相 か ら
大 将 に 対 す る 御 信 任 が ほ と ん ど な く な った 。 そ の 原 因 は 、 加 藤 大 将 の 方 は 、 事 前 に 機 密 を 艦 隊 の 自 派 の 連 中 に 洩 ら し
( 第 四 巻 三 三 頁 )、 翌 日 小 林 躋 造 大 将
︹ 省 三郎 ︺ 少 将 一派 の 策 動 な ん か も 、 加 藤 大 将 と 関 聯 が あ る と い ふ こ
た り し て い ろ い ろ策 動 し た こ と で あ り 、 末 次 長 官 の 方 は 、 部 下 の 持 っ て 来 た 上 申 書 を そ の ま ゝ 軍 令 部 総 長 宮 に 提 出 し た こと な ど のた め であ る。 な お 満 州 に おけ る小 林
と で 、 小 林 少 将 ま で も 最 近 帰 朝 を 求 め ら れ て 非 常 な 戒 飭 を 受 け た ﹂ と いう 話 を 聞 き に 確 か め た と こ ろ 、 同 大 将 は 次 の よ う な 詳 細 な 話 を し た と いう 。
﹁まず 第 一に、 ど う も 中 央 は 、 軍 令 部 も 海 軍 省 も 軍 縮 に対 し て 頗 る 空 気 が 弱 い。 そ れ で 艦 隊 派 は 大 い に結 束 し て 強硬 な 態 度 を
六 月 二 十 日 に聯 合 艦 隊 が出 港 した が 、 そ の前 に加 藤 大 将 は第 一艦 隊 の艦 長 であ る町 田大 佐 を 呼 ん で、
と ら な け れば いか ん。 第 二 に 、 こ の 際出 来 る内 閣 は強 力 内 閣 でな け れ ば い か ん。 そ れ に は、 首 班 者 と し ては 自 分 が 宜 し い。﹂
と いふ やう な こ と を ま で暗 に 述 べ て、 ﹁ 第 二 艦 隊 の南 雲 大 佐 と 一緒 にな つて 、 聯 合 艦 隊 の各 艦 長 を 訪 ね 、 結 束 し て上 申 書 を 出
せ﹂ と 使 嗾 し た 。 そ こ で 町 田 大 佐 は 艦 隊 に 帰 つて、 南 雲 大佐 と 共 に 各 艦 長 を 歴 訪 し て 、 右 の 二 つ の こと を 慫 慂 し た と こ ろ、 第
﹁こ れ は 純 然 た る政 治 問 題 で あ る か ら 我 々 の関 す る こ と で は な い﹂ と 言 つて、 賛 成者 が 頗 る 少 い。 結 局 、 所 謂 穏 健派 の議 論 が
一の軍 縮 に つ い て強 硬 な 態 度 で行 け と いふ こ と は 、 大 体 に お い て皆 が 賛 成 し た け れ ど 、 し か し 第 二 の強 力 内 閣 云 々 に つ い て は、
勝 つた わ け だ 。 第 一の、 軍 縮 に 対 し て 強 硬 に行 け と いふ 軍 備 自 主 権 回 復 の主 張 は 、 ワ シ ント ン条 約 を 廃 棄 し て 、 いか に も 強 硬
に 見 え る 態 度 を 早く 示 せ 、 と いふ こ と で、 前 の ロン ド ン条 約 が 頗 る 軟 弱 に過 ぎ て 我 が 軍 備 の自 主 権 を 奪 は れ た か の如 く 考 へて
ゐ る 連 中 の考 であ る。 で 、 結 局 、 こ の軍 備 自 主 権 の 回復 と いふ や う な こと を 上 申 書 の 内 容 と し て、 それ に全 艦 隊 の艦 長 が 連 署
し て 、 大 臣 に渡 す た め に末 次 長官 に そ の取 次 方 を 依 頼 し た 。 そ こ で、 末 次 長 官 は こ れ を 大 臣 に 取 次 ぎ 、 同 時 に そ の 写 し の 一つ
﹁苟く も 聯 合 艦 隊 司 令 長 官 と もあ らう 者 が 、 か く の如 き 上 申 書 を 部 下 か ら 受 取 つた 場 合 に 、 唯 々 と し て こ れ を 大 臣 に 取次 ぐ こ
を 加藤 大 将 に 、 他 の 一つを 軍令 部 総 長宮 に お渡 し した 。 す ると 軍令 部 総 長 宮 は
と は甚 だ 不当 で あ る 。 か く の如 き 場 合 は、 寧 ろ 部 下を 戒 め て 、 ﹃ 自 己 の本 分を も つと 忠 実 に や れ﹄ と 言 つて 、 上 申 書 は自 分 の 手
許 にと ゞ め て お い て、 上 に取 次 ぐ こと を 断 るな り 、 取 次 が な い のが 当 然 で あ る のに 、 こ れ を 取 次 いだ こ と は け し か ら ん 。 ﹂ と 言 は れ て、 非 常 にお 怒 り にな つた 。
そ こ で 、島 田 軍 令 部 第 一部 長 が 佐 世保 に 行 つ て、 艦 隊 の参 謀 長 に 上申 書 の経 緯 を た ゞし た と こ ろ 、 豊 田 参 謀 長 は ﹁実 はあ れ は
加 藤 大 将 の指 示 に よ つて出 来 た 話 であ つて 、 我 々 の知 つた こと ぢ やあ な い﹂ と いふ こと だ つた 。 島 田少 将 は 、 帰 つて これ を そ
のま ゝ総 長 宮 に報 告 し た 。 殿 下 は 非 常 に お怒 り に な つ て、 直 ち に 加 藤 大 将 を 呼 ば れ 、 政 治 的 策 動 の甚 だ け し か ら ん こ と を 二度
ま でも 注 意 さ れ て、 な ほそ れ を 取 次 いだ 末 次 長 官 の行 動 に対 し ても 、 大 臣 か ら 訓 戒 を 与 へら れ た 次 第 であ る 。 かく の如 く し て、 加 藤 、 末 次 両 大 将 は 、 殿 下 の御 信 任 を失 ふ に 至 つた。
ま た こ れ よ り 先 、 加 藤 大 将 は 町 田 大 佐 を 呼 ん で、 上 のよ う な 趣 旨 を 指 示 す ると 同 時 に、 ﹃東 京 日日﹄ の久 富 ︹ 達夫︺政治部長に
も 同 様 の こと を 宣 伝 さ せ よ う と 慫 慂 し た 。 そ れ で ﹃東 日﹄ は 、 し き り に 軍 縮 に対 し て 強 い主 張 を す ると 同 時 に 、第 二 の点 即 ち 強 力内 閣 の必 要 を も 唱 へ、 加 藤 大 将 の出 馬 を 慫 慂 した の であ る。 ( 同 、 三 四︱ 三六 頁 )
木 戸 幸 一も 原 田 か ら こ の 話 を 聞 い て 八 月 二 日 の 日 記 に 記 し て い る ( ﹃木 戸 幸 一日記 ﹄ 上 、 三 五 〇頁 )。 原 田 に よ る と こ の
﹃牧 野 伸 顕 日 記 ﹄ 八 月 二 十 二 日 に も 原 田 の 情 報 と し て ほ ぼ 同 様 の 事 が 記 さ れ て い る ( 五 八 一頁)。
上 申 書 の写 は加 藤 の所 に も 送 ら れ た と あ る が 、 残 念 な が ら加 藤 家 に 残 さ れ た 文 書 に は存 在 せ ず 、 他 にも そ れ を 見 る こ と が 出 来 な い。尚
﹁種 々 の 点 よ り 観 察 し て 予 は 加 藤 海 軍 大 将 を 最 も 適 当 と 信 ず ﹂ と 述 べ 、 真 崎 も
こ の 情 報 は 、 い わ ゆ る 条 約 派 か ら の も の で あ る が 、 ﹃真 崎 甚 三 郎 日 記 ﹄ の 五 月 二 十 二 日 の 記 述 に よ る と 、 こ の 日 訪 問 し た 真 崎 に 、 平 沼 は、 組 閣者 と し ては
こ れ に 同 意 し 、 以 後 暫 く 加 藤 内 閣 運 動 を 推 進 し て い る 。 尤 も 加 藤 自 身 こ の こ と を 知 った の は 六 月 十 三 日 杉 山 茂 丸 か ら
で 、 十 八 日 に 平 沼 に 会 っ て 、 ﹁平 沼 予 を 助 け る 事 を 約 ﹂ し て い る が 、 二 十 四 日 に は 真 崎 に 会 い平 沼 を 推 し て い る 。 従 っ
て ど れ ほ ど 加 藤 自 身 が 次 期 首 班 の 可 能 性 を 考 え て い た の か 定 か で な い (こ の 問 題 に つ い て佐 々木 隆 ﹁陸 軍 ﹃革 新 派 ﹄ の 展
開﹂ ︹ ﹃近代日本研究﹄ 1︺が分析 して いる)。 な お ﹃西 園 寺 公 と 政 局﹄ に よ る と 、 十 五 日 に は、 中 川 小十 郎 の情 報 と し て、
加 藤 内 閣 論 を 、 平 沼 か ら 有 馬 良 橘 大 将 を 通 じ て 伏 見 宮 に申 し 上 げ る 、 ま た 樺 山 資 英 が 平 沼 の代 理 と し て 牧 野 内 大 臣 に
勧 め る と いう こ と を 、 ま た 二十 一日 に は そ の事 に は真 崎 、荒 木 、 林 も 賛 成 し て いる と いう 事 を 原 田 は 西 園寺 か ら 聞 い
てお り 、 二十 四 日 に自 ら 林 陸 相 に 会 って 加 藤 内 閣 論 を 聞 いて いる ( 第 三巻、 三三 三 ・三 三六頁)。
真 崎 と の 関 係 は 加 藤 の息 子 の孝 治 を 真 崎 が 仲 人 に な っ て武 藤 信 義 元 帥 の養 子 と す る と いう 問 題 で よ り 強 く な って い
る。 八 月十 八 日 の見 合 いか ら 十 二月 五 日 の結 婚 式 ま で、 ま た そ の後 も 頻 繁 な 往 来 が 見 ら れ る 。
加 藤 周 辺 の問 題 の 一つは加 藤 の海 軍 内 で の大 き な 背 景 にな って いた 東 郷 元 帥 が 五月 三十 日 に 死 去 し た こと で、 そ の
死 去 か ら 国 葬 ま で尽 力 し て い る様 子 が 記 さ れ て いる 。 尚 九 月 六 日 小 笠 原 著 の ﹃晩 年 の東 郷 元 帥﹄ の中 で加 藤 に充 分 に
触 れ て いる こと を 特 記 し て い る。 こ の小 笠 原 の ﹃晩 年 の東 郷 元帥 ﹄ も 本 日 記 の内 容 を 分析 す る 際 の 一つの手 が か り に な る も ので あ る 。
条約派 に対す る攻撃 は依然続 き、坂 野 ︹ 常善 少将︺ 失 言 問 題 に よ る 罷 免 ( 五月三十 一日、 六月 一日。尚 十月 二十六 日に
﹁ 堀 、坂 野問題解決す﹂とあ る。坂 野問題は ﹁ 新任 早々で知米 派 の坂野軍事普及部 委員長が記者 クラブで の会見 で、﹃軍人 の政治 不
干与﹄ を強調し、従 って ﹃海軍は宇垣内閣には白紙 である﹄と述 べた のが不用意な発言だと して、翌日解任 された﹂ と いう 事件であ
った ︹ 前掲秦 論文︺)、 出 光 ︹ 万兵衛 、侍従武官︺ 問 題 ( 十 一月。尚 これも詳細は別冊 に譲られ ている)な ど が 記 載 され て い る。
こ の年 の 最 大 の問 題 は ワ シ ント ン、 ロ ンド ン 両条 約廃 棄 の問 題 であ った。 こ の 問 題 に つ いて の記 載 は そ れ 以 前 から
散 見 さ れ る 。 前 述 の前 年 の石 川 の意 見 書 も そ う で あ る が 、 こ の 年 六 月 八 日 の末 次 の ﹁軍 縮 対 策 私見 ﹂ ( 文書 一五) も 艦
隊 派 の意 見 を 代 表 す る意 見 と 見 る事 が 出 来 る。 内 容 的 に は 石 川 のも のと ほ ぼ 同 一であ る。 文 書 一六 か ら 二九 ま で は条
約 廃棄 問 題 に関 す る も ので あ る。 そ の中 で 山 下 大 佐 以 下 の 建艦 及 び 改 造 の方 針 に 関 す る意 見書 ( 文 書二二)、 加 藤 自 身
の ワシ ント ン条 約 廃 止 に つ いて の意 見 ( 文書二 四)、 山 下 等 によ る ド イ ツと の提 携 に つ い て の意 見 書 ( 文 書二 五)、 同 じ
山 下等 の条 約廃 棄 後 の建 艦 計 画 ( 文書二六)な ど 艦 隊 派 の方 針を 示 す 重 要 な も のが 多 い。 し か も こ れ ら の多 く は そ の後
の海 軍 の政 策 に大 き な 影 響 を 与 え て い るよ う に思 わ れ る。
八 月十 一日 の大角 大 臣 の決 意表 明 、 九 月 七 日 の ﹁半 極 り﹂、 十 月 二十 九 日 の 元帥 府 への 諮 詢 、 ロ ンド ンで の海 軍 軍 縮
予 備会 議 が 始 ま り 、 十 一月 三 十 日 の加 藤 次 長 の 報 告 、 十 二月 十 一日 の伏 見 宮 へのお 喜 び の 言 上 、 十 五 日 の廃 棄 通 告 の
延 期 を 策す る外 交 官 たち の動 き に 対 す るご た ご た 、 十 九 日 枢 密 院 の 決議 、 二 十 一日 の閣 議 決 定 を 経 て、 二十 二 日 電 送
さ れ る ま で 記事 が 多 い。 そ し て こ の ワシ ント ン 、 ロ ンド ン両 条 約 廃 棄 が決 し た こ と を 東 郷 の墓 前 に 報 告 し た 加 藤 は 、 二十 四 日 ﹁出 省 、 大 角 海 相 に 引 退 の意 中 を 公 言 す 。 条 約 廃 止 の喜 と 共 に﹂ と 記 し た 。
こ の年 も 金 子 堅 太 郎 か ら の書 翰 が 二 通 あ る。 書 翰 41 に 出 て く る 洪 少 将 は、 ジ ュネ ー ブ 一般 軍 縮 会 議海 軍 代 表 と し て
出 席 し て いた 洪 泰 夫 少 将 の こと であ る 。第 二 のも の の内 容 の中 心 は 吉 田茂 大 使 のこ と であ る。 原 田 は 昭 和 九 年 十 月 八
日 に 警 視 総 監 か ら ﹁吉 田 大 使 が 今 度 各 国 を 廻 る こと に つ いて、 や はり 右 傾 の連 中 が しき り に策 動 し て 、﹃牧 野 内 大 臣 の
軟 弱 外 交 を 宣 伝 に行 く ん で、 国 を 誤 る も のだ﹄ と い ふ風 な こ と で 、 暗 殺 の計 画 が あ る 。 大 し た こと も あ る ま いけ れ ど
も 、 非 常 に 警 戒 はし て ゐ る﹂ ( ﹃西園寺 公と政 局﹄第 四巻九四頁)と いう 話 を 記 し て い る。 既 に 五月 にイ ギ リ スか ら 軍 縮 会
議 予 備 交 渉 申 し 入 れ があ り 日 本 政 府 は参 加 回 答 を 行 い、 六 月 か ら 始 ま り 、 一旦 行 き 詰 ま った 上 、 十 月 に 再 開 さ れ て い
た 。 山 本 五 十 六 が 海 軍代 表と し て ロン ド ン に派 遣 さ れ た の は こ の 時 で あ った 。 こ の 予 備交 渉 に 対 す る陸 海 軍 及 び 日 本
政 府 の方 針 及 び そ の 経 過 に つ い て は ﹃現 代 史 資 料﹄ 12に か な り 多 く の史 料 が 収 め ら れ て いる 。 十 一月 頃 に は 予備 交 渉
は行 き 詰 ま り つ つあ った 。 そ の時 期 に 吉 田 が ロ ンド ンに 行 った と いう 報道 は か な り 右 翼 を 刺 激 し て いた 。 十 月 頃 か ら
右 翼 団体 は ﹁華府 条 約 を即 時 廃 棄 せ よ﹂ と いう ス ロー ガ ンで 運 動 を 行 って いた 。 ﹃日本 及 日本 人 ﹄ 九 年 十 月 一日 号 は 、
先 の ス ロー ガ ン の題 下 に、 上泉 徳 弥 、 建 部 遯 吾 以 下 四 二 名 の論 文 を 集 め て 特集 を 行 い、 十 一月 一日 号 の記 事 は十 月 二
十 二 日 に 軍縮 問題 有 志 大 会 が 上 野精 養 軒 で開 か れ 、葛 生能 久 が 開 会 の挨 拶 を 行 い、 副 島 義 一が 議 長 に な り 、 山 路 一善 、
菊 池 武 夫 、 井 上 清 純 、 五 百 木 良 三 の四 人 が 講 演 を 行 い、 軍 縮 問 題 国 民 同 志 会 が 結 成 さ れ た こと を 報 じ て いる 。 年 末 が
近 づ く に従 って 運 動 は 激 し く な って いる 。 文 書 二 四 の加 藤 の原 稿 は 日付 が は っき り し な いが こ のよ う な 背 景 で書 かれ
た も の であ ろう 。 ま た こ こ に 出 てく る杉 森 の放 送 取 消 事 件 の こと は よ く 判 ら な い。 当 日 の ﹃朝 日﹄ の放 送 番 組 欄 に は
午 後 七 ・三 〇 、 講 演 ﹁軍縮 と 政 治 問 題 ﹂ 杉 森 孝 次 郎 、 と な って いる。 梅 崎 中 佐 も よ く 判 ら な い。 末 次 大 将 の放 送 は 何
時 あ った のか 判 ら な いが 、 こ の前 後 の時 期 の末 次 の各 所 で の講 演 の内 容 は 、 ﹃朝 日﹄ に も し ば し ば報 道 さ れ て いる 。 尚 、
こ の書 翰 の封 筒 表 に ﹁大 臣 、 次 官 、 次 長 、 必 要 ニ依 リ アト 加 藤 大 将 へ﹂ と あ り 、 こ の書 翰 が 海 軍 の中 枢 に 回覧 さ れ た こ と を 示 し て いる 。 ま た こ の書 翰 に つ いて の 長谷 川次 官 の意 見 が同 封 さ れ て い る。
こ の年 も 日露 協 会 、 ソ連 大 使 館 関 係 の記 事 が 散 見 す る 。 前 年 も そ う であ った が 、 相 変 わ ら ず 飲 酒 を 楽 し み、 ﹁酒 害﹂ ( 十二月十 八日) と いう 記載 もあ る 。
さ て翌 十 年 に 入 る 。 記 載 は 少 な く な ら な いが 、 前 年 の 目標 達 成 と いう こと も あ り 、 海 軍 お よ び 政 治 関係 の記事 は 暫
く 減 少 す る。 こ の年 二月 に海 軍高 等 技 術 会 議 議 長 を 命 ぜ ら れ 、 若 干 そ れ に つ いて の記 述 が あ るが 、 こ の 年前 半 は 目 だ
った 記 述 と し て は 天 皇 機 関 説 問 題 に つ い て三 月 以 降 記 事 が見 ら れ る 程 度 であ る。 そう 熱 心 に運 動 に参 加 し た 形 跡 は見
ら れ な いが 、第 一次 声 明 の後 八月 四 日 に 明 治 神 宮 に報 告 参 拝 を し て い る のだ か ら 、相 当 程 度 こ の問 題 に 関 わ って いた
こと は確 か で あ る 。 こ の問 題 に つ いて 文 書 三 〇 があ る ほ か 、 金 子 堅 太 郎 書 翰 があ る 。 四月 一日 のも のは 、 日 記 三 月 十
八日に逗子に金子を訪問 して ﹁ 美 濃 部 問 題 に談 ず ﹂ と あ る のを 受 け 、 金 子 が 自 己 の意 見 を 書 き 送 った も の であ る。 原
田も 五 月 二 十 四 日 に ﹁金 子 伯 か ら 総 理 の所 に憲 法 制 定 の 由 来 を 書 いた も のを 送 つ て来 て、 そ の 中 に 機 関 説 に 対 し て憤
慨 し て ゐ る 動 き が あ つた 。 ⋮ ⋮書 記官 長 に 電 話 で様 子を き く と 、 やは り ﹃さ う いふ 書 類 が 総 理 ま で 出 た 。 総 理 と 文 部
大 臣 と 陸 軍 大 臣 に送 つて来 た のだ ﹄ と の こと で ⋮⋮ ﹂ と 記 し て い る ( ﹃西園寺公と政局﹄ 第四巻 二五九頁) が 、 こ の書 翰 に 同 封 さ れ た も のと 同 様 な も の であ った ろう 。
ま た何 が 問 題 な のか 日記 か ら だ け では 不 明 だ が、 小林 省 三 郎 を め ぐ る 問 題 が し ば し ば 登 場 す る 。 海 軍 の中 で は、 そ
の 小林 や真 崎 勝 次 や山 下 、 石 川 、 そ し て末 次 と の行 き来 が多 いが 、 何 と 言 って も 加 藤 にと って 重 要 な の は伏 見 宮 の 信
任 であ った 。 尚 十 二 月 十 四 日 に実 現 し た 宮 と 平 沼 の 会 談 の斡 旋 も 注 目 さ れ る 。 こ れ ら の問 題と 次 に 述 べ る問 題と 関連
し て で あ ろう 、 坂 井 一意 のみ で な く 松 下権 八、 豊 田 久 二 、 実 川 時 次 郎 な ど の ﹁浪 人 ﹂ 的 人 物 の出 入 り が 多 く な って い る。
こ の年 最 大 の問 題 は陸 軍 の内 部 の激 し い派 閥 闘 争 であ り 、 そ れ に つ いて の記事 も 少 な く な い。 概 ね真 崎 ・荒木 ( とも
に時 々会見し て いる) グ ルー プ に近 いよ う に 思わ れ 、真 崎 と は 特 に 三長 官 会 議 の前 後 ( 七 ∼九月) 往 復 し て い る。 し か し
皇 道 派 一辺 倒 と いう 訳 で も な いよ う で、 例 え ば 、七 月 三 十 日竹 内 と 会 話 し 、 陸 軍 を 見 放 す と いう 竹 内 の言 に ﹁同 感 ﹂
し て おり 、 八 月 十 五 日に 真 崎 勝次 にあ ま り こ の 問題 で伏 見 宮 に お〓 り しな いよ う に と 注 文 し て いる し 、 こ の問 題 で伏
見 宮 が と った 行 動 に 対 し て お礼 を 申 し 上 げ て い るな ど 、 一応 陸 軍 の内 紛 に海 軍 が 巻き 込 ま れ る こと を 恐 れ て いた 形 跡
が 見 ら れ る 。 八 月 十 二 日 の永 田事 件 に 衝 撃 を 受 け て いる が 、 そ の後 十 七 日荒 木 と 会 談 し た 際 も ﹁妙 案 な し﹂ と いう こ と であ った 。
も う 一つの 問 題 は 前 年 来 の自 ら の進 退 問 題 であ った 。 伏 見 宮 、 末 次 、 大 角 海 相 らと こ の問 題 に つ いて往 来 が あ った
が 内 容 は記 さ れ て いな い。 た だ 元帥 問 題 や枢 密 顧 問 官 や 台 湾 総 督 な ど が 云 々さ れ た ら し い こと が 伺 わ れ る ( ﹃西 園寺 公
と政局﹄ は、五月二十日に原田は総理から、大角 の話とし て、伏見宮が ﹁加藤大将を大臣 の考 で元帥 にす るなら別だ が、自 分からは
絶対 に奏請するわ けには行 かな い﹂ と語 った ことを 記して いる ︹ 第四巻 二三六︱七頁︺。台湾総督問題 に ついても関連 の記事 があ る
︹ 同 二六四頁︺)。 十 月 四 日 に十 一月 二 日 の 退 役 の告 知 を 受 け 、 退 役 後 真 崎 ・平 沼 を 始 め 各 方 面 や伊 勢 神 宮 な ど に お 礼 の 訪 問 、参 拝 を 行 な って いる 。
な お これ 以 前 か ら であ る が 、 郷 里 福 井 関 係 の 記事 も 少 な く な い。 岡 田 啓 介 と の微 妙 な 関 係 も 郷 里 を 同 じく す る と い
う点 にあ る よう に 思わ れ る。 こ の年 は景 岳 会 関 係 、 橋 本 景 岳 展 覧 会 関 係 の記 事 が 目 に つく 。
昭 和 十 一年 に 入 って前 年 に 続 い て陸 軍内 の ご た ご た の記 述 が 続 く 。 山 本 英 輔 の内 大 臣 に 対す る警 告 書 に つ いて の情
報 が 入 って 来 て、 山 本 自 身 が 来 訪 し て説 明 し て いる 。 二 月 十 三 日 に は 荒木 と 夜 二時 間 に亙 って 懇 談 す るな ど 、加 藤 に
も ﹁時 局 大 い に逼 迫 す﹂ と いう 状 況 が 感 じ ら れ て いる (二月十七 日)。 そ し て 二 ・二 六事 件 当 日を 迎 え る 。 こ の 日加 藤
は 真 崎 と 共 に 伏 見 宮 邸 に行 き 、 一緒 に参 内 し た 筈 だ が、 日 記 に は 真 崎 の 名 は 出 て こ な い。 こ の 日 の行 動 に つ いて も
﹁別 紙 ﹂ に譲 ら れ て いる 。 こ の間 で注 目 す べき 記 述 は 二月 二 十 七 日 の ﹁加 来 来 る。 小笠 原 と 共 に末 次 に警 告 を 与 ふ る
こと を 依頼 す 。 ⋮ ⋮ 末 次 は殿 下 に 積 極 的 弾 圧 を 進 言 せ し故 也﹂ と いう 部 分 で 、聯 合 艦 隊 を 率 いて 二 ・二 六 事 件 を 鎮 圧
し よう と し た と いわ れ る末 次 と 、 皇 道 派 に 同 情 的 で あ った 加 藤 と の行 き方 の違 いを 示 し て いる。
こ の年 二 月 頃 か ら 伏 見 宮 進 退 問 題 で南 郷 、 大 角 な ど と 往 来 が あ り 、 二 月 二 十 七 日と 三 月 十 一日 には ﹁極 諌 ﹂ し て い
る 。 こ れ は 具 体 的 に な に を 指 し て い る の か 不 明 で あ る 。 こ の問 題 は 三 月 末 ま で続 い て いる 。 ま た 平 沼 に期 待 を か け る
こ と も 以 前 と 同 じ で あ る が 、 二 月 二十 二 日 に は会 談 し 、 他 力 主 義 と や や 批 判 的 であ る 。 二 ・二 六 事 件 直 後 内 大 臣後 任
に 平 沼 を推 し て いる ら しく ( 牧野 の辞職後 に後任 の件 でも 一月十七日に記述がある)、 そ れ を ま た 南 郷 や小 笠 原 と 伏 見 宮 に も
働 き 掛 け て いる ( 平沼 は結局枢密院議長 に就任した)。 こ の他 加 藤 は献 策 し たり 、 真 崎 問 題 でも 訪 問 し て懇 談 し た り 、 広 田
内 閣 への忠 告 を 依 頼 し た り ( こ の内閣 の成立過程 で ﹁倫敦会議 の反巨魁吉 田茂 を加 へるなど 元老 の認識尚未だ不 足﹂と して陸軍 が入閣を拒絶したこと を記して いる) と 、 平 沼 と の関 係 を 強 め て いる 。
真 崎 と は密 接 な 関係 を 結 ん で い た こ と は前 年 と 変 わ らな い。 し か し 二 ・二 六 事 件 後 、 三 月 八 日 に竹 内 か ら 真 崎 が
﹁絶 望 、 フ ハ ツシ オ 強 起 と 告 ぐ ﹂ と 聞 き 、 三 月 二 十 日 真崎 家 家 宅 捜 索 、 五 月 一 ・二 日病 気 見 舞 い、 七 月 七 日真 崎 収 監
( 加藤も 四月出頭を求め られ拒否 し、憲兵が来宅 して聴取 に応 じて いる)、 十 二 月 二 十 七 日 ﹁真 崎 大 将終 に 出 ず﹂ と いう こ と
で こ の年 を 終 わ って いる 。 こ の間 前 述 の よう に 平 沼 と 真 崎 問 題 で懇 談 し た り し てお り 、 真 崎 勝 次 と 絶 え ず 連 絡 を保 っ
て いる 。 残 念 な が ら そ の内 容を 記 し て いな い。 こ の他 十 月 か ら 十 一月 に かけ て松 下 権 八 、 長 島 隆 二 ( 小笠原長生も) ら
を 通 じ て 松 平 宮 相 と の 間 に 何事 か が あ った よ う だ が 日記 か らだ け で は 問 題 の内 容 が 伺え な い。 ま た 十 一月 か ら 十 二月 に か け て 陸 軍 と 新 聞 や 政 党 と の抗 争 に つ いて の 記事 が散 見 さ れ る。
退 役 し た と いう こ と で、 祝 賀 会 な ど の 記事 の他 、 五 月 二 十 二 日 に 竹 内 が 台 湾 総 督 な ど と いう 話 を 持 ち 込 ん で い る。
これ に は 八 月 三 十 日 小 林 躋 造 が就 任 し て い る。 海 軍 に 関 し て の記 述 は少 な く な って い るが 、 小林 躋 造 ・野 村 吉 三郎 の
﹁策 動 ﹂ ( 三月 八日) が 伝 え られ 、 逆 に小 林 省 三 郎 、 山 下 知 彦 、 真 崎 勝 次 ら の異 動 を 憂 いて いる 。 艦 隊 派 に対 す る 反 撃 が 始 ま った か のよ う で あ る 。
こ の年 も 日露 協 会 関 係 の記 事 が 散 見 す る 。 ま た 東 郷 寺 建 設 に 関 わ って の関 係 記事 も少 な く な い。
昭 和 十 二年 に 入 る 。 一月 三 日 三 日会 が 開 か れ 、 末 次 、 高 橋 ら 三 十 名 ば か り が集 ま って い る。 艦 隊 派 の会 合 と いわ れ
る こ の会 が こ の時 点 ま で開 か れ 、前 年 の対 立 にも 関わ ら ず 末 次 等 も 参 加 し て いる のは 注 目さ れ る 。 末 次 と の交 渉 は こ
の年 も少 な く な く 、 二月 十 五 日 の来 訪 に ﹁時 事 懇 談 激 励 ﹂ し てお り 、 七 月 二 十 日 に は 陸 軍 問 題 で電 話 を し 、 十 月 の 末
次 の近 衛 内 閣参 議 就 任 に つ いて も 了 解 し て い る し 、 そ の 末 次 が 加 藤 の枢 密 院 入 り を 近 衛 に進 言 し た と の情 報 も 入 って いる ( 十 一月 二十四日)。
平 沼 と の関 係 も 密 接 に 見え る 。 竹 内 が 往 来 し て いる が、 宇 垣 流 産 の際 、 小 笠 原 を 通 じ て ﹁蹶 起 の 勧 告 ﹂ を し た り
(一月 二十九日)、 七 月 十 三 日 には 訪 問 し て ﹁一時 問 計 語﹂ ってお り 、 七 月 三 十 、 三 十 一日 に も 早 川 鉄 治 を 通 じ て 蹶起 を
促 し た り し て い る。 獄 中 の 真 崎 に つい て であ ろう 、 一月 六 日 に長 男 秀 樹 氏 、 勝 次 と 相 談 し て いる が 、 そ の後 は頻 々 と
勝 次 が 訪 問 し て い る。 これ は 艦 隊 派 の活 動 家 と し て の部 分 も あ った であ ろう が 、 甚 三 郎 問 題 もあ った と 思 わ れ る (八月
十 五日には ﹁ 少 しくう るさし﹂と いう 記述も見える)。 九 月 十 三 日 の ﹁荒 木 へ電話 ( 真 崎 の頼 み に 依 る)﹂ と いう の も そう で
あ った ろう 。 九 月 二十 五 日 ﹁真 崎甚 三 郎 大 将 無罪 赦免 。 大慶 至 極﹂、 翌 日早 速 喜 び を 述 べ に 行 き 、 十 月 十 五 日真 崎夫 婦
が来 訪 し、 過 去 一年 半 の真 相 を 詳 し く 聞 い て いる 。 十 二月 二十 七 日 に も ﹁真 崎 大 将 来 訪 。 懇 談 約 二 時 間﹂ し て いる 。
こ の年 加 藤 は自 ら の 進 路 に つ い て色 々考 慮 を め ぐ ら し て いる。 五 月 六 日 に ﹁四囲 之 形 勢 予 に 迫 る。 予 不 関心 ﹂ と 記
し、 同 月 二十 日 の読 売 記者 の ﹁予 に 対 す る世 上 の期 待﹂ を 聞 き 、 や は り ﹁予 不 関 焉 ﹂ と 記 す 。 六 月 一日に は星 一か ら
﹁組 閣 を 勧﹂ め ら れ て いる し 、 十 一月 二十 四 日 に は前 述 のよ う に、 枢 密 顧 問 官 に つ いて の情 報 、 十 二月 三 十 日 に も 多
く の周 辺 の人 物 が枢 密 顧 問 官 就 任 に 関 し て ﹁奔 走﹂ し て いる こと が 記 さ れ て い る。 こ れ ら は いず れ も 結 局 は 実 現 し な か った 。
こ の他 前 年 か ら の日 露 協 会 関 係 の 記事 、 そ し て東 郷 神 社 ・東 郷 寺 建 設 に関 す る 記事 が 頻 繁 に記 さ れ て いる 。 陸 軍 批
判 の感 じ も 伺 え る。 八月 二十 六 日大 角 に ﹁重 大 進 言 を 為﹂ し た と いう 記載 があ る が 、 こ の内 容 は伺 え な い。
昭和 十 三 年 に 入 ると 日記 の記 述 に は か な り の変 化 が 見 ら れ る 。 一月 三 日 に 例 年 のよ う に例 会 が 開 か れ て い る が、 そ
の後 は いわ ゆ る 艦 隊 派 の 軍 人 や 予 備 の人 間 の出 入 り は 少 な く な って い る 。 一月 と 十 一月 に シ ナ事 変 対 策 の御 前 会 議 が
開 か れ た こ と を 記 し て いる が 、 シ ナ事 変 に関 し て何 等 か の行 動 を 起 こす と いう よ う な こと は読 み 取 れ な い。 む し ろ年
末 十 二 月 三 十 一日 に ﹁此年 為す 所 な し 、 救 国 の決 意 已 に 迫 れ る如 し。 嗚 呼 国 を 誤 る も の は陸 軍也 の声 中 外 に喧 し﹂ と
あ る よ う に 、 陸 軍 の行 動 に 批 判 的 であ った よう で あ る ( 四月十二 日にも ﹁ 陸 軍の不始末﹂と書 いて いる)。 二月 十 六 日 に 平
沼 荒 木 と 話 し 合 った真 崎 が 来 訪 し て ﹁救 国策 ﹂ と 政 変 への対 応 を 話 し 合 っ てお り 、 こ の グ ル ー プ で 平 沼 内 閣 を 期 待 し
続 け て いた ら し い が、 翌年 一月 実 際 に平 沼 への大 命 降 下 が あ った 際 、出 来 上 が った 平 沼 内 閣 は こ のグ ル ープ が期 待 し
て いた も のと は違 った も のと な って いた 。 後 述 のよ う に 加 藤 は前 年 か ら 病 気 勝 ち であ った 。 特 に 平 沼 内 閣 成 立 前 後 は
そ う で あ った が 、 十 三 年 中 殆 ど 顔 を 見 せ な か った 竹 内 賀 久 治 を 呼 ん で平 沼 に不 評 を 伝 え 、 ﹁撤 兵 問 題 に 就 て忠 告﹂ し 、 そ の後 内 閣 に 関 し て 一切 記 述 し て いな い。 松 下権 八等 の来 訪 も 少 な く な って い る。
十 三年 か ら 十 四 年 に か け て加 藤 が そ の全 力 を 投 入 し て いた のは 、 前 年 以 来 の府 中 の東 郷 寺 建 立 で、 建 設 会 の会 長 と
し て、 金 光 庸 夫 ・小 笠 原 長 生 副 会 長 ら と 奔 走 し て いた 。 他 の仕 事 の依 頼 に 対 し て も 、 ﹁東 郷寺 建 立 之 為 心 身 一杯﹂ ( 七
月二十五 日) と 断 り 続 け た ( 十月六日 の末次内相から の大 日本学院長就任依頼 に対 しても同様)。 尤 も 、 こ の件 で小 笠 原 の行 動
に や や不 信 を 持 っ て いた ら し いこと も 伺 わ れ 、 ま た こ の 問 題 で 小 笠 原 と 同 じ 位 登場 す る 真 崎 勝 次 と 小 笠 原 の不 協 和 に
も 悩 ま さ れ て い る こと が 日記 か ら 伺 え る 。 十 三、 十 四年 に 他 に 加 藤 の関 わ って い る の は、 前 年 来 の景 岳 会 関 係 ( 景岳全
集、トーキー の作成) であ る。 な お 四 月 四 日 に ﹁懐 旧録 ﹂ を貸 し た ( 十 日に返却 を受 けて いる) と いう 記 述 が あ り 、 こ れ が
自 身 の も のな ら 貴 重 だ が 現在 は 見 当 た ら な い。 な お 十 四 年 一月 九 日 か ら ﹁ 倫 敦 条 約 経 緯 日記 ﹂ を 纏 め て いる と いう 記 載 が あ る。 これ は 冒 頭 で触 れ た ﹃倫 敦 海 軍 条 約 秘 録﹄ で あ る 。
さ て 昭 和 十 三年 十 月 二十 二 日 に脳 貧 血 を 起 こ し 、 そ の後 も 時 に 不 調 を 日 記 に 記 し て いる が 、 十 四年 の 一月 七 日 に 宿
志 の前 述 ﹁倫 敦 条 約 経 緯 日 記﹂ の執 筆 のた め熱 海 の朝 夷 寛 次 別 荘 に赴 き 、 所 用 のた め 上 京 し た 外 は そ こ で執 筆 を 続 け
た 。 こ の間 不 調 の記 載 があ る が 、 二月 一日長 男寛 一氏 が 日銀 北 京 支 店 詰 と し て赴 任 す る のを 東 京 駅 に見 送 った のち 、
熱 海 に戻 り 、 ﹃大 将 伝 ﹄ に よ れ ば ﹁翌 二 日 深 更 に 及 ぶ ま で 一気 に其 の原 稿 を 書 き 上 げ て、 漸 く 其 の脱 稿 を 見 る に 至 つ
た﹂ と いう 。 と こ ろ が 三 日朝 、浴 後 に 卒 倒 し て 人事 不 省 に 陥 った 。 日記 は 二月 二 日、 ﹁快 晴﹂ で終 わ って いる 。 そ の後
治 療 の 甲斐 なく 、 二 月九 日薨 去 。 海 軍葬 が 築 地 本 願 寺 で営 ま れ 、 品 川 鮫 洲 海 晏 寺 の加 藤 家 墓 地 に 葬 ら れ た 。
本 史 料 の編 纂 刊 行 に 当 た って 、 先 ず そ の公 刊 を 許 可 さ れ た 加 藤 寛 一氏 に 厚 く お礼 を 申 し 上 げ る 。 ま た ご協 力 を 賜 っ
た 原 暉 之 氏 、 倉 本 理佳 氏 、 差 波 亜 紀 子 氏 、 野島 陽 子 氏 、 千 葉 功 氏、 田 中 悦 子 氏 、 山 口輝 臣 氏 、 大 久 保 文 彦 氏 、 山崎 有
恒 氏 、 小 高 尚 子 氏 の諸 氏 そ し て 出 版 社 側 か ら 最 初 に 担 当 し て 下 さ った 高 橋 正 衛 氏 、 代 って担 当 し て 下さ った 加 藤敬 事
氏 、 そ し て直 接 に仕 事 を し て下 さ った 石 神 純 子 氏 に、 記 し て謝 意 を 表 す る 。 ま た 本 解 説 執 筆 に 当 た って共 同 編纂 者 の 諸 氏 か ら の協 力 に も感 謝 の意 を 表 す る。
Ⅰ
日
記
( 大 正 七 、 九 ∼ 十 二年 、 昭 和 四 ∼ 十 二 年)
Honour
from
Suffolk
landing.
W.S.joined
on
L. .I Sshikawa.B& riR tu iss hian
術学校長 大 正 七年 ︹砲一月 ︺ 六 日、 第 五戦 隊 司 令 官
一月 三十 日 水 Funera ol f of
Suffolk, va if st ie trw ta ord cs o& nsK uy □ lS ai tl er
人 の苦 は 日 本 人 の同 じ く 之 を 別 つ処 と て 大 々 的 に輿 論 を 喚 起 す る
を 要 す 。 穏 和 □ 上 日 英 米 聯 合 干 渉 之事 を ほ のめ か す 。
露 と 交 歓 を 恢 復 す る は 此 一挙 に あ り 。
此 日 少 し く 不快 、 歯 痛 、 頭痛 あ り 。
独 捕 虜 、 過 派 よ り 銃 器 を受 け 、 ﹁ニ コ リ ス ク﹂ に て ﹁カ ザ ツ ク﹂
二月 二日 土
を射殺す。
午 后 日 本 人 の招 待 。 常 盤 に 行 く 。 例 之 通 に て 一泊 す 。常 習 尚 不 止 、 申訳なし。 h lf as 引a続 き︲ 温m暖 。t.
二月三日 日
午后池中 ︹ 健三、少佐、ウラジオストック駐在武官︺、 高 松 ︹ 公春、少佐︺ 、藤
田 ︹ 尚徳、中佐、先任参謀︺、 内 藤 ︹ 省 一、少佐︺等 会 合 。
telegram p rr eo fh ei rb ri it ni gon ta oo tf Mt ar na八 n時 si 帰t 艦す。
at
一月 三十 一日 木
Guard
Luncheon
de pes.Saw
thai tn ,i "t ei na tt ii rv ee ly 次 o長 f ︹ 山 B屋 r他 i 人t 、中将︺よ り 米 艦 に 関 す る 回 答来 る 。
Ambassa Vd eo rr y." strangenom tea us nu dr ee r, standab ! 温l 暖e。
churi &a pogranic Ih tun sa hi oa w. s i sh
ォーク艦長︺よ り き く 。 一昨 日 な り 。Barg よeり檣 橋 に 落 下 せり と
山内 ︹ 恭治、三菱合資会社浦塩営業部支配人︺と池 中 来 る 。
温二十二度。
二月四日 月
英 艦 に 射 撃 せ し も の あ り とPayne ︹Christo英 p海 h軍 e大 r 佐、R サu フsse﹁ lペ ,ー ン﹂ よ り 来 艦 の 都 合 問 合 せ来 る 。
二月 一日 金
東 京 に 山内 の行 く を送 る也 。
云 ふ。
引続温暖。両艦兵員に上陸を許可す。六十人宛午前午后二時宛と
午餐を倶にす。
ー ン﹂ な し と て 断 る 。
﹁ペー ン﹂ 来 り 、 ﹁スポ ー ト﹂ へ参 加 を 懇 請 す 。 未 だ 十 分 ﹁ト レ
す。 防 穀 令 ﹁ジ ヨ ル ダ ン﹂︹Jorda , 駐 n 華, 英J 公o 使︺ hが n 本 国 の 訓 令 に依 り 専 断 に決 行 せし も の の如 し 。 此 の利 害 は 日 露 共 通 な る を 以 て 、 露
温暖なり。
次 で 領事 館 に 趣 く 。 強 盗 に 関 し 請 訓 す 。
午 后 ﹁ペー ン﹂ と ﹁シ ヨ コ﹂ に 行 く 。
日 本 婦 人 一名 無 事 。 米 、 仏 人各 一名 強奪 に遭 ふ。 希 人同 上 。
名 の強 盗 侵 入 し 、 百 万 P ︹ ルーブル︺ の金 員 物品 を 奪 掠 し去 れり 。
三 日 午 前 二 時 ﹁スウ エト ラ ン スカ ヤ﹂ 旅館 ウ エル サイ ユに約 四十
二月五日 火
生︺来 り 、 大 に 快 談 す 。 西 伯 利 自 治 策 に 感 服 す 。
午前、島 田
三 十 二 度 、 結 氷 流 れ ず 、 一面 に 閉 塞 す 。
二月 九 日 土
〓〓
温 暖 、 三十 二度 、 南 風 。 艦 尾 始 め て陸 に 向 ふ 。
二村 、 原 口よ り 贈 品 あ り 。
青嶋着。
午后中嶋
﹁スポ ー ト ﹂ の 招 待 あ り 。
︹ 元太 郎、在 ニコラエフスク島 田商会店主︺、 緒 方
ス タ ヘー エ フ 。
︹ 参謀本部第二部長︺来 る 。
二月六日 水
︹ 正武︺陸 少 将
歯医者に行く。
午 后 、 領 事 館 に行 き 、 中 嶋 に会 合 す 。 島 田大 に 中 嶋 を 非 す 。
米領事午餐。 ︹池︺ 終 て常 盤 泊 。 帰 途 菊 地 ︹ 義郎︺に 英 領 事 よ り 、 ﹁イ マ ン ﹂ 克 薩 克 宣
︹整粛 、外務書記
午 后 外 人 会 合 を ﹁コー キ ン﹂ に 行 ひ 、 保安 に 関 し決 議 す 。 要領 を 得ず。
言 大 会 に 人 を 出 す 事 を 語 り 、 賛 助 を 求 む 。 ﹁ダ ン ロ ツ プ ﹂ ︹ 英陸軍少
二月 十 日 日
常 盤 に夕 飯 を や り 帰 る 。
佐︺。近 来 日英 の 中が 悪 いか ら ど う か しな く ち や行 か ぬ と 。
日本 人 に 智 を 与 へし も 効 果 な し 。
発 起 人 も 不 明 、 代 表 人 名 も 代 表 の ﹁オ ー ソ ライズ ﹂ な し 。
風あり、稍寒し。
島 田を 招 待 す 。 快 飲 す 。
︹マ マ︺
二月七日 木
物 資 の件 意 見 を 述 ぶ 。
紀 元節 。
二月十 一日 月
在 留 民 を 招 待 し て祝 賀 会 を 催 す 。 大 に歓 を 尽 す 。
遣 ても 良 いか何 日立 つと 高 松 を し て聞 か し む 。
電到着誤りし也。
午前坂部 ︹ 十寸穂︺陸中 佐 ︹ 参謀本部員︺来 り て、 西 伯 利 自 治 運 動 の経
十 時 A M ﹁ペー ン﹂ 来 る 。 ﹁アド ミ ラル チ ー﹂ と 電報 往復 を 報 じ 、
午后歯科医及領事 ︹ 菊池義郎、ウラジオストック総領事︺を訪 問 す 。
過を報告す。
防 穀 令 に 関 す る 遺 憾 を 語 る 。 実 は 昨 夜 ﹁ハル ビ ン﹂ より 右 解決 の
二月八日 金
且 つ英 に知 れ た る 事 を 田 中 義 一 ︹ 陸軍中将、参謀次長︺に電 せ り と 報
大臣 ︹ 加藤友三郎、大将、海軍大臣︺よ り 請 訓 之 電 来着 す 。
久 原 の橋 本 来 る 。 大 に 活 動 人 物 な り 。
二 月十 二 日 火
の領 事 団 会 議 に 労 兵 会 長 を 加 へ、 食 品 問 題 を 議 せ し事 に 付 意 見 を
珍 ら し き 寒 さ な り。 北 風 沖 五︱ 六 、 膠 州 ︹ 砕氷船︺四、 五 K の 外 出 ︹ 池︺ ず。上川 ︹ 上川丸、砕氷船︺巡 視 。 砕 氷 実 験 。 午 后 中 嶋 、菊 地と 昨 夕
二月十 五日 金
﹁ゴ ロ ス ・ブ リ モー リ ア﹂、 日 本 人 に 株 主 を 依 頼 せ ん と す 。
︹ Mendri V. n 元 , . 東洋学院講師︺が 十 分 腹 心 に あ ら ざ り し 為 め 、 英 に 内
午 后 歯科 山 口 に行 き 、 20 Pを 払 ふ、 后 中 嶋 に会 ひ、﹁メ ンド レ フ﹂
闘はす。
ず 。
通 せ し こと を 確 む。 縷 々陳 述 あ り 。
︹マ マ︺
結 局 彼 は 大 に煩 悶 し 、 ﹁コ サ ツ ク﹂ を 助 く る は 今 に し て 、 此 時 機
中嶋は食品問題を高等政策と混同す。
付 、 高松 心 当 は 病 気 な り と て巧 に逃 る 。 ﹁ダ ﹂ は 独 り 出 発 せ し 筈
早朝膠州入港す。
寒 。 午 前 七 時 (一) 二度 。
二月十六日 土
膠 州 、 ボ ス フオ ル東 口に 仮 泊 す 。 ﹁ク ウ レ ン コ フ﹂ と 会 見 す 。
なり 。
上 川 に 指 揮 官 を 乗 せ 試 砕 せ し む 。 二 尺 の 氷 中 に 入 り 、 一時 間 膠 着
﹁ダ ン ロ ツプ ﹂ より 、 午 前 十 一時 発 誰 か 行 か ぬか と 申 来 り し 由 に
を 失 せば 万 事 休 す と 電 せり と 聞 く 。
二月十 三日 水
次 長 へ右 警 告 す 。
す。
労 兵 領 事 館 に来 る。
二月十 四日 木
午 后 四 ・三 〇Capte .a Kn来 e訪 す 。
午 后 一時 半 ﹁シ チ ー ・ロ ンド ン﹂ 多 数 の露 将 卒 を 乗 せ 入 港 す 。
膠州砕氷実験。
切。三時半帰艦す。
午 后 ﹁ブ リ ンネ ル﹂ 午 餐 。 妻 は 露 人 に し て 本 人 も 帰化 せ り 。甚 懇
二月十七日 日
トック商務作業局長︺に 贈物 す 。浦 塩 近 状 電 す 。
﹁カ ラー ジ ン﹂ ︹ ウラジオスト ック商港務局長︺﹁ゲ セ フー ス﹂ ︹ ウラジオス
午 前 ﹁モ ー レ ー ﹂ 副 長 来 り 、 英 海 軍 よ りAll am tr tに e予 と 打 合
朝 日巡 視 、 午 后 機 関 部 。
浦塩近況発電。
す べき 訓 電 を 示 す 。
正 午 、 ﹁シ チー ロ ンド ン﹂ 出 港 。
Br innel P. 1 m.
石 見検 閲 。商 港 局砕 氷 船見 学 を許 す 。
青嶋発。
〃 。
上 川 送 別晩 餐 。
二月十八日 月
小学校長
〃 。
鍋島来訪。
内藤少佐
二月十九日 火 ︹ 働︺ ペー ン来 り 、 来 る 廿 八 日水 兵 解散 、労 動 者 工廠 占 領 、 水 雷 製 造 の
温暖。
支那領事答礼。
兼参謀︺来 浦 通 知 あ り 。
次官 ︹ 栃内曾次郎、中将︺よ り 返 電 来 る 。 田 中 ︹ 耕太郎︺少 将 ︹ 軍令部出仕
終日大に暖。
鳳山出港。
早朝より金井三郎来る。
温暖。雪降。
二月二十 日 水
暖。
柔 道 二段 ﹁ワ シリ ー ﹂ 来 る 。
露 日協 会 成 る。 露 人 四名 来 艦 。
露 水 、 態 度 大 に良 し 。 排 英 の気 分 見 ゆ 。
兵員 ( 石 見 ) 一六 十 名 上 陸 せ し む 。
夕刻より風邪、三十七、五。
二月 二十 四日 日
危 し と て抗 議 中 止 と な る 。
今 夜 領 事 団 会 議 あ り て、 亦 々防 穀 の事 を 英 に 迫 る 。同 時 に 生 命 に
﹁ワ シ リー ﹂ は 美 事 。 吾 は 二人 の形 を 行 は し む 。
﹁スポ ート ﹂ に柔 道 を 見 る 。
二月 二十 三日 土
惧を告来る。 午 后 領事 館 に 行 く 。
独 、 交 戦 状態 を 二 月 十 八 日 附 と し て宣 言 す 。
二月 二十 五日 月
八 時 鳳 山 入港 。
市 中 辻 演 説あ り 。
十 時 ﹁ペイ ン﹂ 来 る 。 昨 二十 四 日 日曜 英 水 兵 、 露 水 の為 め 本 願 寺
暖。
事 団 抗 議 中 止 、 戻 し方 を ﹁ホ ヂ ソ ン﹂ ︹Hodgs e r t onM ,c Rウ L oラ e bジ oオ d,
付 近 に て打 た れ 負 傷 し 、 金 員 を 奪 は れ た り と 。 之 に 対 し 抗 議 及 領
︹ママ ︺
二月二十 一日 木
午前常盤来る。
支 那 領事 新 旧 訪 問 す 。
ストック駐在英総領事︺に勧 告 す べし と 云 ひ 来 る 。
予風 邪 、 三 十 七 度 四。
田中 来 着 。
二月 二十六日
二月二十 二日 金 午 前 十 一時帰 艦 。
午 后 大 角 ︹岑 生、大佐、朝日艦長︺、藤 田と 常 盤 に行 き 、 会 食 す 。
終 日 不快 。
﹁サ ツ フオ ー ク﹂ 艦 長 、 副 長 、 機 関 長 を 呼 び 午 餐 。
火
水 兵 一隊 約 百 六 十 人老 中佐 の指 揮 下 に コー キ ン、 ヅ ロト イ 外 一軒
快方。
之 料店 又 コヒー 店 に 侵 入 し 、 将校 の 肩章 を 剥 奪 す 。 後 奏 楽 行 軍す 。
昨 夕 領事 団会 議 に て 例 の抗 議 提出 之 事 に決 す 。
︹ 池︺ 午 后 田 中 と 共 に 菊 地 を訪 問 し 、島 田を 伴 ひ、 常 盤 に語 る。 内 藤 来 る。
及鉄道問題を語る。
午 后 内 藤 又 来 り 、 ﹁ラ ヂ オ ノ フ﹂ の急 を 告 げ 来 る 。 ︹ 池︺ 午 后 上 陸 、 之 を 調 ぶ。 島 田、 菊 地 と 語 る 。
三月 五日 火
商 工同 盟 休 業 の広 告 出 づ 。
商 工 同 盟 休 業 の問 題 稍 緊 張 、 上 陸 。
二月 二十八日 木
二月二十七日 水
中嶋帰る ( 浦 に )。
北京 に ﹁リ ヴ オ フ﹂ ︹L'vov, . ︺ G 其e他 or ﹁g クi ダi シエ Eフ﹂ ︹Kuh d e va ,s
次 官 より 矛 盾 の電 来 る。
午 后 ﹁ペ ー ン﹂ 来 り 、 ﹁コサ ツ ク﹂ 援 助 の件 に 付 公 式 に 交 渉 し 来
日本 人 島 田 、 下 田 、 関 ︹ 竹三郎、島田商会店員︺来 る 。
る。右及排英に関し二電を出す。
三月 一日 金
次 長 よ り手 心 を 換 へ、 穏 和 派 を 助 け よ と 申 来 る 。
単 独 行 動 の件 。
入港 に付 、 発 電 及 意 見 。
内 藤 来 、 白 衛 隊 と の衝 突 を 警す 。 陸 戦 隊 上 陸準 備を 為 す。 藤 田を
正午田中少将出立す。
I . I .浦 ,潮商業会議所会頭︺、 副会 頭 及議 員数 名 捕 縛 さ る 。
今朝より全市商店 閉鎖す。商会議所 会頭 ︹ ツィンメルマンTs i mme r ma n .
N i kola 駐i 華ロシ Aア .公 , 使︺等 に 極 東 政 府 組 織 の電 来 る 。
三月二日 土
陸 戦 隊 上 陸 計 画 実 施 準 備 。 白 衛 隊 之 力 足 らず 武 器 五 千 挺 し か な し
三月 六日 水
露 日協 会 晩 餐 、演 説 す 。 ︹ 池︺ 菊地来訪。
と て発 動 止 む 。
﹁ ブ ル ー ク リ ン﹂ 入 港 。 午 后 一時 半 、 海 岸 に 繋 留 す 。
商 工 業 者 総会 。 ﹁アル テ ー ム﹂ 拘 禁 問 題を 抗 議 す 。
三月七日 木
米は領事館、英は東方を守る。市中険悪。
﹁ナイ ト﹂ ︹Kn ih g , tA ust i nM.米 , 海軍大将、アジア艦隊司令長官︺と 訪 問 交 換 。
藤 田 参 謀 を ﹁ペイ ン﹂ に 送 り 、 中嶋 の希 望 を 伝 ふ。
商 工 及商 業 会 議 所 団 隊 の 大 会 、 商 業 学 校 に 開 か る。 ﹁ツイ ンメ ル
暖 。 氷 、 雪 の如 く な る 。
し て 米 英 に 伝 へし む 。
三月三日 日 膠州出港。横須賀に向ふ。
マン﹂ 外 三名 は 日本 軍 上 陸 と 聞 き 直 に 釈 放 せ ら れ た り と 云 ふ 。
︹マ マ︺
三月四日 月
市中稍平穏。
鳳 山 入 港 せ し も 、 荷 揚 人 夫 之 干 渉 実 行 せ ら れざ り し 。 ﹁ ブ ル ー ク リ ン﹂ 艦 長 来 艦 し 、 本 日 ﹁ナ イ ト﹂ の ﹁ハルビ ン﹂ 行
第 二艦 隊 青 嶋 行 を 止 め 、 佐 世 保 に 止 る 。 ︹ リ︺ 野 砲 を ﹁エゲ ル シ エ ツド ﹂ 方 面 よ り 一番 河 方 向 に 移 す 。 警 戒 す 。
三月八日 金
大 臣 よ り 陸 戦 隊 機 宜 上 陸 の 電 来 る。
鳳 山丸 発 。
米 艦 の ﹁ボ ー ル﹂ に行 く 。 ︹ タ︺ ﹁バ ツタ フヒ ー ル ド﹂。 ﹁ス ワ イ ア﹂。
三月十 三日 水
露 革 命 一週 年 、 労 兵 閲 兵 式。
︹マ マ︺
肥 前 に 一中 隊 準 備 の報 あ り 上 陸 す 。
三月十四日 木 温暖。
市中平穏。
労農講和。
三月九日 土
中嶋 来 訪 、 十 一日 ﹁ハルビ ン﹂ に行 く と 云 ふ。
曇、霧あり珍しき事也。
市 中尚 ほ 閉鎖 。 妥 協 な ら ぬと 見 ゆ。
ア ルト ハウ ス来 艦 す 。 世 界 大 策 を 論 ず 。
午前九時頃、三艦隊永興着。最鄭重なる褒詞を送らむ。
三月十 五日 金
小 嶋 、 松 崎 を 断 る。
﹁コゼ ヨ フ﹂ ︹ 大佐︺右隊 長 と な り 、挙 兵 二 日 以内 に知 らす と 云 ふ。
白 衛隊 杳 と し て声 な し 。
﹁ド ム バ ツセ﹂ ︹ ロシア陸軍少将、前要塞司令官︺自 殺 す。
次官 よ り 再 び 注意 、自 重 の 電来 る 。
東 風 。 異状 な し。
氷 返 流 、艦 側 閉塞 す 。
三月十日 日 ﹁ナイ ト ﹂ 帰 艦 す 。
三月十 六日 土
奉 天 紀 念 日に 付 、 自 衛 団 に 講 話 す 。 常 盤 に 行 く 。 大 成 功 。 ﹁ド ム バ ツ セ﹂ を 吊 す 。
小 嶋 一行 来艦 。
三月十 二日 火
市 中 最静 穏 。
鳳 山 入港 。
三月十七日 日
米 の露 人 懐 柔 愈 盛 。 無 遠 慮 を 極 む 。
曇。
緒 方 の電 を 転 電 す 。
池中、三宅、小柳 ︹ 喜三郎、大尉︺来 る 。
次官に ( 刺 戟 的) 意 見 を 述 ぶ 。
氷去らず。
三月十 一日 月
十 一時 ﹁ド ム バ ツセ﹂ 葬式 に 列す 。
﹁ペ ー ン﹂ 来 艦 す 。
午 后 ﹁ナ イ ト﹂ を 訪 問 す 。
暖、但北風あり。
三月二十 二日 金
武技大盛。
﹁ナ イ ト﹂ 来 り 、 大 に論 ず 。 不 相 変 要領 を 不 得 。発 作 的 な り 。
午后武技競技。
三時 露 日協 会 に趣 く 。 東 京 外 交 調 査 会 。
高松 、 労兵 会 を訪 ふ 。成 功 を祈 る 。
氷多く流出。
に歓 を 通 ず と の新 聞 電 あ り 。
米 ﹁ウイ ル ソ ン﹂ ︹ ﹁ タイムス﹂露都特派員︺は 莫 斯 科 領 事 を 経 て 、 農 労
﹁ナ イ ト﹂ に 対す る 駁論 を 報 告 す 。
東 京 方 面 益 鈍 る。
三月 二十 三日 土
三月十八日 月
独 軍大 攻 撃 。
ウ エ ツジ ウ ー ド ︹Wedg , 英 w下 o 院o 議d 員、陸軍大佐︺M P 及 中 佐 ロバ ー ト
を出すと云ふ。
三月 二十 四日 日
上陸 各 艦 四分 一。
漁 業 の ﹁オ ー ク シ ヨ ン﹂ 壮 な り。 衛 兵を 出 す。
艦長と上陸し、本願寺及常盤に行く。
春 日和 。
三月十九日 火
ソ ン ︹Robe 駐r 華t 英公 s使 o館 n付 , 武官︺来 る 。 ﹁ペイ ン﹂ と 共 に 。
ウ エ ツヂ ウ ー ド 及 ロバ ー ト ソン、 坂 部 、 池 中 を 招 待 、 午 餐 。
三月 二十 五日 月
午 后 答 礼 す 。 鳳 山 来 る。 本 野 ︹一 郎、外務大臣︺板 挟 みと な り 、 辞 表
夕 刻 ﹁ブ ル﹂ の at hom eに 趣 く 。
山内 ︹ 封介、浦潮日報記者︺、 八 坂 、 橋 本 来 る 。
鳳山丸発。池中上京。
三月 二十日 水
近 頃 にな き 寒 さ な り き 。
す。
借 款 其 他 一切 の監 督 に列 国 共 同 委 員 を 置 く 、 而 し て各 国 よ り 出 兵
浦 塩 に招 集 し 、 与 国 の援 助 下 に西 伯 利 政 府 を 設 立 せ し め んと す 。
す 。 米 は、 不 干 の態 度 也 。
各 国領 事 団 よ り本 国 へ請 訓 し、 聯 合 兵 力 干渉 に付 請 ふ所 あ ら んと
東京 に 打 電 。徹 底 的 な るを 要す 。
三月二十 六日 火
露日夜会、雪風の為延引。
山口 ︹ 為太郎、ウラジオストック駐在副領事︺来 り 、 兵 力 干 渉 を請 ひ 来 る 。
り 。 郵 便 局 も 之 に同 じ 。
午 前 二時 頃 労 兵 は 電 信 局 を 抑 へ局 長 を 捕 縛 し 、 局 員 は同 盟 休 業 せ
珍しく降雪。
三月 二十 一日 木
義勇艦隊占領。
﹁ナイ ト﹂ の意 見 又変 り 、 憲 法 議 会 に出 席 せ る西 伯 利 の代 表 者 を
遥拝式。
長 官 より 数 々 の贈 品 あ り 。
威 嚇 す 。 無 事 収 る。
午 后 鳳 山 荷 揚 の為 め 小 事 故 あ ら ん と し 、 水 兵 を 埠 頭 に 揚 陸 せ し め
黒 龍 湾 に 砕 氷 実 験 の為 め 膠 州 に て趣 く 。
三月 二十七日 水
ア ラ ス、 ノ アイ ヨ ン破 る 。
四月三日 水
正 午 膠 州 を清 津 に出 す 。安 藤 便乗 。
四月 二日 火
鳳 山 に て 安藤 中佐 来 着 。出 兵 計 画 を 伝 ふ。 何 だ か妙 な り 。
三 池丸 発 、 6 A M。
四月 一日 月
三池 丸 に 日英 領 事 に密 願せ る露 人 男 女 九 名 を 乗 船 せ し む 。
三月三十 一日 日
御祭日。濃霧。
三池 丸 来 着 。 一条 ︹ 実孝、中佐、第三艦隊参謀︺来 る 。
﹁ブ ル ー ク リ ン﹂ 午 餐 。
三月 二十 八日 木
﹁ナ イ ト﹂ と ﹁コン フレ ン ス﹂ に兵 力 増 加 を 賛 し 、 第 三 艦 隊 主 隊
大相撲。 ︹ 池︺ 菊地夫婦来る。
ン﹂ に会 合 す 。
﹁ア ガ リ ヨ フ﹂ ︹Agar ,eウ vラ ,ジ Aオ .ス F ト.ック︺市 長 と ﹁ブ ル ー ク リ
に決 す 。
石 戸 事 件 に付 、 午 后 領 事 館 に 坂 部 等 と 会 議 し 、 独 断 上 陸 せ し む事
四月 四日 木
大毎記者来る。
急 派 の請 訓を 為 す 。
三月二十 九日 金
今 日は 大 部 考 へた り 。 但 し 他 に 良 法 な し 。
英 艦 五 〇名 我 に倣 ふ 。 米 は 不 関 。
天明 、 石 戸 の殺 害 に 対 し 、 陸 戦 隊 二個 中 隊 を 上 陸 せ し む 。
四月 五日 金
居 留 民 は連 名 、 総 理 と 外 務 大 臣 に 請 願 を 送 る。
次官 より 機密 五 二 号 に 対 し、 揚 陸 の 上事 故 終 らば 引 揚 よ と 依 命 の
( 次 長 より )、 直 に 三新 聞 に送 る。
電 来 る 。 愚 や 及 ぶ べ か ら ず。 寺内 ︹ 正毅︺首相 の対 露演 説来 着 三月三十日 土 曇。
万 事 ﹁ス ム ー ス﹂ に行 はれ た り 。
﹁アガ リ ヨ フ﹂ と 会 見 。 領 事 団 の兵 力 干 渉 の 請 訓 未 だ 返事 な し 。
領 事 館 及 市 民 大 に群 集 す 。 喧 噪 甚 し 。 但 し 布 告 の力 大 也 。
肥前 、 二駆 来 浦 を 半 途 に止 めら る。
布告を散布す。
﹁コゲ チ ー ブ﹂
◎次官より、増兵に対する返電来る。
﹁プ シ ユキ ン﹂ 夜 会 に 行 く 。
先勝。 Lunc heon with
﹁ニコ リ ス ク﹂ を 襲 ふ と の報 あ り 。
早 朝 よ り ﹁セ メ ノ フ﹂ ︹ S e men ' G or vig. o , 露 r陸 i軍 i大尉M 、反革命政権︺軍
露 士 亜 嶋 よ り 軍 馬 自 働 車 等 を 上 陸 し 、 一番 河 に 送 る 。
赤 衛 隊 動 員 し 、 一番 河 に 向 ふ 。
市中静粛。
Knight
前 夜 幸 に 無事 。
四月六日 土
本 日 は亦 案 外 に静 かと な れり 。 各 新 聞 大 に慎 重 を 旨 と す 。
四月十日 水
海 兵 団 に 三 百 人 帰 る 。 但 し 内 心 の 動 揺止 ま ず 。
陸上平穏に帰す。
連 日好 天 。
も 、 大 に 柔 かな り 、全 く 申 訳 。 四月七日 日
市 長 ﹁ゼ ム ス ト ウ オ﹂ を 訪 問 し、 挨 拶 す 。 午 后 抗 議 を 送 り 来 り し
石 戸 の葬 式 。
四月十 一日 木
午后上陸す。
﹁ペー ン﹂ 来 艦 。 土 曜 日 之 会 見を 約 す 。
﹁ロバ ー チ ン﹂ ︹ ロシア新聞 ﹁ ヂェニ﹂ 等三紙特派員︺と 会 見す 。
日士 官 三 、准 士 三 、 下士 卒 三 〇、 英 准 一、 卒 一〇 。 ナ イ ト、 ペ ー ン、 ア ル ト ハウ ス来 会 葬 す 。 盛 大 な る儀 式 な り し 。
今 夜 大 に哨 兵 を 射 撃 せ るも のあ り 。 警 戒 す 。
ク リ ス ト 及仏 式 。
次 官 より 出 兵 の見 込 な き 電 来 る。
臼 井 哲 夫 代 議 士 、 来 着 せ る由 。
鳳 山 来 る。 昌 谷 少 監 来 。
四月 八日 月
陸 上 野砲 の示威 運動 二 門。
給 与令 の 発表 。 四 月 一日付 。
大 朝 記 者 来 る 。 永井 栄 蔵。
四月十二日 金
之 は 領事 に托 す 。
﹁ロバ ー チ ン﹂ は 是 非布 告 を 出 せと 云 ひ 、 且 つ列 国会 議 を 勧 む 。
松田に布告文を訳さしむ。
中島 ︹ 喜代宜︺大 尉 ︹ ニコラエフスク駐在武官︺来 着 。 ﹁ハバ ロ フカ﹂ に 行
大 臣 に意 見 具申 す 。
く筈なり。
﹁ナ イ ト﹂ に会 見 し 、態 度 を 問 ふ。 絶 対 不 干渉 と 答 ふ。
露 鮮 人 の衝 突 あ り 。 未 来 を 憂 ふ。
各 領事 に 送 る筈 。
﹁ペー ン﹂ と 布 告 文 を 研究 す 。
申 込 み、 回 答 を 促 す 。
市中静粛。 ︹ 池︺ 英 米 仏 支 、 菊 地 と 共 に ﹁ゼ ム スト ウ オ﹂ に 外 務 大 臣 電報 の趣き を
四月九日 火
四月十 三日 土 四月十六日 火
労 農 は 各種 の偽 電 を 発 す 。
曇。風あり。
労 農 攻 撃 大 な り。
山 川 、 斎 藤 。 上 陸 し 、 坂 部 及 居 留 民 の代 表 者 等 と 会 合す 。
本 夕 を 以 て領 事 団 の弁 明 書 を 市 会 と ﹁ゼ ム スト ウ オ ﹂ に 送 る 。
( 英) に て 連 合 弁 明 せ んと □ □□ □ 英 領 事 作 製 之 回 章 中 ﹁ナ
露 駆 ブ ラー ルイ 出 動 し 、 ﹁ヂ オ メ デ ス﹂ に 入 る 。 労 農 大 に 悲観 し
領事
﹁ロ バー チ ン﹂ に 会 ひ 、 自 分 の布 告文 を 作製 せ し む。 而 かも 発 表
イト﹂大に故障を云ふ。
の可 否 を 大 に 研 究 す 。
列 国 の援 助 なき を 悟 る。 ︹ 池︺ 菊 地 来艦 す 。松 権 □正 に進 む べき を 話 す 。 個 人 と し て各 領 事 に は
四月十七日 水
か ら んと 答 たり 。 大毎 記者 と 語 る。
四月十 四日 日 午 前 ﹁ハヾ ロ フ カ﹂ 竹 内 、 山 田 来 る 。
晴天。
﹁シ ン ス ノ フア チ ヨ コフ﹂ よ り 日本 の好 意 を 求 め 誰 か を 通 じ 呉 と 頼 み し由 。 将 来 は積 極 的 の対 策 □ □ な す に 帰 着 す 。
丸 毛 莫 斯 科 領 事 電 あ り 。 予 と ﹁ナ イ ト ﹂ と 衝 突 し 、 圧迫 を受 け て 、
七 時 A M疾 風 出 発 す 。 山 川 、 斎 藤 出 発 。
︹マ マ︺
大 勢 過激 派 にあ り 今 后 列 国が 今 の態 応 を 保 た ば 終 に は 破 裂 之 外 な からん。
と 会 見 せむ と せ しも 、 来 ら ず 。
科 に発 表 せ り と 。 予 の 見 合 せ の 可な り し を 知 る。 ﹁ロ バ ー チ ン﹂
再 度 説 明 書 を 出 せ り と 云 ふ 。 浦 塩 よ り ﹁イ ルク ー ツク﹂ 電 を 莫 斯
判 し 、 圧 迫 さ れ 、 再 び 布 告 せ り と 云 ひ しを 以 て取 止 む。
﹁スパ ル ウ イ ン﹂ に 翻 訳 を頼 み しも 、労 農 が 予と ﹁ナイ ト﹂ と 談
居 留 民 の 奮 起 を促 す 。
四月十五日 月
四月十 八日 木 曇天。
海容 ( 艦 長林 建 挙 ︹ 海軍代将、沿海州中国軍司令官︺ )入港す。来訪す。
十 一時 支 那 軍 艦 を訪 問 す。 答 礼。
鳳山入港。午前六時。
仕 ( ロシア出張) ︺も 来 る。 午 后 四時 の 疾 風 に て 斎 藤 ︹ 七五郎︺大 佐 ︹ 第
領 事 団 布 告 を 新 聞 に 顕 は る 。 三 長官 より 懇 篤 な慰 問電 を 受 く。 答
青 嶋 入港 。 山 川 ︹ 端夫、海軍省参事官︺来 る。 米 内 ︹ 光政、中佐、軍令部出
三艦隊参謀長︺来 る。
電す。
せり。重要事件なり。
韓 人 の殺 害 事 件 に 付 日 本 領 事 館 の保 護 を 受 け ず と 労 農 に 事 情 通 告
︹ママ︺
の名 に て 訓 示す 。
領 事 館 に行 き 、 各 舎 営 を 巡 視 し 、 長 官 ︹ 有馬良橘、第三艦隊司令長官︺
﹁ステ ー ト メ ント﹂ に米 領事 故 障 を 云 ふ。 形 勢 混沌 。
農 民 大 会 勝 利 、 極 東 西 伯 利 統 一を 決 議 す 。市 会 ﹁ゼ ム ス ト ウ オ﹂
晴。
四月十九日 金
労 農 我等 領事 に 布 告適 用 せず と す。
四月 二十 四日 水
雨 。露 艦
四月 二十 三日 火
と 。
露 水 兵 巡 羅 し 、 ﹁ス ピ リ ツ ト ﹂ を 押 収 す る と 聞 く 。 労 兵 の 挙 な り
︹邏︺
は 不 遠 彼 等 の権 力 に 入 る べし 。
午 前十
一時
︹マ マ︺
﹁ク ラ ス ノ ス チ ヨ コ フ﹂ ︹Krasnosh (c Th oe bk i ) o , nA v sl oe nksandr
﹁ブ ラ ー ブ イ ﹂ 全 速 に て 出 港 す 。
右 電 報 す 。 朝 鮮 人 排 日 も同 断 。 領事 団 の布 告 は致 命 的 なり 。速 に
四月 二十日 土
せ ん。
陸 戦 隊 に公 平 な る べ し と注 意 す 。
発表す 。
密 文 書 ﹁ス ハノ フ﹂ に押 収 さ れ、 労 農 新 聞 及 ﹁ダ リ ヨ ー カヤ ﹂ に
下労 農 代 表 者 ﹁ゼ ム ス ト ウ オ﹂ 占 領 談 判 に行 く 。 西 伯 利 政 府 の秘
M. , 極東委員会議長︺﹁ウ ー ト キ ン﹂ ︹ Siut Fk ei dn o労 , t 農新N 聞. 主筆︺以
午 后 三 時 よ り ﹁ゼ ム スト ウ オ﹂ 大 会 あ り し も 、 大 に 静粛 、 僅 に 八
四月二十 五日 木
主 権 を 一に せ よ と 呼 号 す (フガ レ フ ︹Bu eg v Fa , .) I。 .形 ︺勢 過 派 に帰
票 の賛 あ り 。 他 は 棄 権 。
雨 天。
死 者 に 二 十 円 、負 傷 者 に 五 円を 見 舞 と し て送 る。
陸戦隊を巡視す。各指揮官に訓示。
午前 十 一時 ﹁ク ラ ス ノ﹂ 露 赤 衛 六名 に て ﹁ゼ ム ス ト ウ オ﹂ を 占 領
森 山 よ り ﹁ホ ル ワ ツト ﹂ ︹KhorvaL t, . 陸 ,軍 D中 m将 i、 t 中r 東i 鉄i 道長官︺に
す。
に 死す 。悼 に 不堪 。 川 崎 重 平 二水 は重 傷 な り し も 生 命 に別 状 な し。
る模 様 あ り 。
主 権 に 関 す る ﹁ゼ ム スト ウ オ ﹂ 会 議 続 く 。 西 伯 利 政 府委 員 続 々 来
今 夜市 会 占 領 の 風 評あ り し が静 なり 。 会 議 の み。
◎ 午前 四 時交 代 后第 四 中隊 二水 丸 田信 太 郎 は誤 発 銃 傷 に て舎 営 内
三名 は 英 領 事 館 に到 り 一応 日 本 領 事 館 に 来 れ り 。
四月 二十 一日 日
本 日 よ り 露 巡 羅 水 兵 顕 は れ ﹁ス ウ エ ト ラ ン ス カ ヤ﹂ 及 ﹁プ ラ チ
四月二十 六日 金
夜 日本 人 談話 会 に領 事 館 に臨 む。
関 す る電 来 る 。
ナ﹂ 館 等 を 巡 廻 し 、 夜 間 酒 類 を 通 行 人 よ り 取 上 ぐ 。
︹邏︺
四月 二十 二日 月
海 軍 大 臣 よ り 最 深厚 な る慰 問電 を 了 す 。 感佩 措 く 不 能 。
晴。
た る由 。 不 信 不 義 真 に言 に不 忍 。
市 の占 領 行為 な し。
﹁ホ ル ワ ツト ﹂ には 全 然 不 干 渉 の態 度 を 取 る べし と 参 本 よ り命 じ
午 前 白 耳 義 指 揮 官 を 訪 問 し 、 領 事 館 に行 く 。
烏 ス利湾 ﹁サ ラ ミ﹂澳 に 二十 一人 の殺 害 者 始 末 の為 め 軍 医 を 送 る 。
諾 し て進 む 。
堀 、 竹 内 来 り 、 居 留 民 を 代 表 し て請 願 電報 を 発 す る事 に相 談す 。
廿 八 日 の日 本 酔 人 事 件 新 聞 に 見 は る 。 困 た も の な り 。
to e tn ae k cessary
ma e sure 日英 米 領 事 浦 塩 退 去 せ よ と 労 農 政 府
五月 一日 水
曇。寒。鳳山入港。
﹁ホ ル ワ ツト﹂ 挙 兵 計 画 の詳 報 来 る。 次 長 より 。
新 聞 ﹁エジ エン シ ー﹂ を 頼 ま る。
﹁ロバ ー チ ン﹂ と 会 見 す 。
二名 。
﹁チ エク ス ロ ワー ク﹂ ︹ チェコスロバキア︺の 兵 五十 人 来 る。 将校 十
雨。万国労農祭なりしも静粛なり。
の通 知 、 新 聞 に 上 る 。
大 形 片付 す み。
naval o i c fe fr
﹁セ メ ノ フ﹂ 大 に西 進 す と 報 ず 。
四月二十 七日 土
to et □h
晴 。 ﹁ペー ン﹂ 来 り 、 仏 人 家 屋 差 押 の件 に 付 兵 力 行 使 を 相 談 す 。 領 事 団 に て はr ef er
を 来 り し 由 。 ﹁ナ イ ト﹂ は 領 事 な り と て 現 れ 、 上 陸 中 の日 英 に 頼 む と 云 へり と 。 予 は 改変 后 な れば 一先 新 主 権 に交 渉 し、 聞 か
す。
ざ れ ば 請 訓 す と 掛 合 ふ を 可 と す と 答 へた り 。 ﹁ペ ー ン﹂ も 同 意
丸 田 二水 葬 儀 。 四月 二十 八日 日
スロバキア軍団長︺来 訪 。 仏 領 事同 伴 す 。 外 交事 務 官 も同 行す 。
午 前 ﹁チ エ ツキ ﹂ 司 令 官 ︹ ショコロフShokor Vo la d i v mi ,r 陸, 軍少将、チ ェコ
午 前 十 時 ﹁ナイ ト﹂ 来 訪 し 、 例 の密 書 の件 申 訳 に 来 る 。
四月 二十九日 月
秘 密 団 の件 に付 英 米 仏 領 事 に 退 去 を 迫 り 来 る 。
市会に厳談す。
西 伯利 海 兵 団 ﹁コム ミ サ ー ル﹂ 委 員 長 に渡 す 。
午 前 一時第 一中 隊本 願寺 哨 兵 再狙 撃 さ る。
五月 二日 木
英B .J葬 .式 。
午 后 ﹁チ エ ツ ク﹂ 参 謀 長 ︹ ヂチェリヒスDi et ri , M ki hk sha 陸i 軍l 少将︺ Kを .,
ペイ ン公 式 答 礼 ( 葬 式) に 来 る 。
次 官 よ り 浦 塩 在 品 弾 薬 等 を 英 が武 力 阻止 の件 問合 せ来 る 。
﹁ナイ ト ﹂ 訪 問 の件 尋 来 る。
訪 問す 。 大 に悦 び 礼 を 尽 す 事 切 な り 。
す。
P︺ .捕 縛 さ る と の報 あ り て 、 我 領 事 団 に 抗 議 を 申 込 み 保 釈 を 要 求
﹁ポ グ ラ ニー チナ ヤ﹂ に 露 民 兵 長 ﹁カ ル ムイ コ フ﹂ ︹KalmyⅠ kv n oa v,
五月 三日 金
領 事 館 及 陸 戦 隊 を 訪 ふ。 香 取 、舞 鶴 に向 け発 。
四月三十 日 火
労 農 態 度 尚 不明 に て中 牢 に迷 ふ姿 也 。
靖 国 神社 大祭 遥 拝 式 。
当 地 外 電 暗 号 を 禁 じ 、 外 交 団 のは 一々□ □ 代 官 の検 閲 を受 く べし
晴 。時 事 播 磨 、 床 次 の友 人 東 来 る。
五月九日 木
午 后 石見 に陸 戦 隊 査 閲 訓 示 を 与 ふ 。
となす。
中 央 の不 甲 斐 な き を 恨 む 。
午 前 仏 在 東 京 ア ツタ ツ シ エ来 る。
五月四日 土
五月五日 日
五月十 一日 土
五月十日 金
パ ス ハ第 一日 。 一般 に 静 粛 。
午前九時第三、第四中隊帰艦、第三佐世保中隊上陸、士気旺盛。
平 穏 な れど も 、 ﹁ア ガ レ フ﹂ 等 は郊 外 に大 会 を 催 す 。
領 事 の平 佐 、内 藤 来 り 、 ﹁チ タ﹂ 談 を な す 。平 凡。
上 陸 の光 景 を 見 る。
晴。上陸、領事を訪問す。
五月六日 月
来 週 月 曜 市 会 奪 還 の挙 あ り と 云 ふ 。
東幸治来艦す。海老原 ︹ 啓 一、大佐、石見艦長︺と 夕 食 を 共 に す 。
鳳山着。
﹁ペー ン﹂ 午 后 来 艦 し ﹁フオ ー ド 、 チ ヤ プ レ ン﹂ セ ダ ンカ に遊 び、
五月十 二日 日
﹁パ ス ハ﹂ 第 二 日 。泰 平 なり 。好 天気 。
愛知 ︹ 萬五郎︺通訳 着 任 す 。
五月十三日 月
市 会占 領 に 付 、 市 団 隊 代表 者 より〓
﹁ア ミ ユ ニシ ヨ ン﹂ 問 題 一々請 訓 せ よ と 電 来 る。 唖 然 た り 。
朝 日 交代 取止 の 電来 る。
大 日 本 に革 命 の達 成 を 雷 呼 す 。
雨 天 。 入 港 以 来 の事 な り 。終 日寒 冷 。
会 合 す。
五月 七日 火
用 便 中 拳 銃 自 発 し て 死 亡 せ り と報 ず 。
堀 、 下 田来 り 、 相 談 す 。
Pe t rM.︺に 談 判 し 、 引 渡 し方 を 十 四 日 午前 十 時迄 に求 むと 云 ふ。
正 午 二 大 団 隊 の 代 表 者 市 会 に 行 き て、 ﹁ニキ フ オ ロ フ﹂ ︹ Nikiforov,
五月 八日 水
鳳 山 入港 。
﹁ペ ー ン﹂ 来 る。
赤 衛 市 会 を 乗 取 る。
鳳山発、青嶋着。
白 耳義 公 使 の夫 妻 訪 問 に来 る。
五月十 四日 火
白 耳義 公 使 を 訪 問す 。
肥前陸戦隊を送り来る。
五月十 五日 水
﹁ア ガ レ フ﹂ 退 去 し 、 市 民 大 会 を な す と 云 ふ 。 例 の虚勢 。
今 日よ り 第 三 、 第 四 中 隊 二個 分 隊宛 引 上 ぐ 。
英 ﹁サ ツ フオ ー ク﹂ 僧 の葬 儀 に参 会 す 。 ﹁ナイ ト ﹂ 大 将 も 会 見 。
﹁アガ レ フ﹂ す ご〓
白 耳義 公 使 一行 鳳 山 に て 日本 に行 く 。 五月 二十日 月 雨。寒冷。
騎兵二十騎計り警戒。
﹁ペー ン﹂ 答 礼 に 来 る 。
晴。
五月 二十 一日 火
帰る。
中 村謙 吉 外 一名 来 艦 、 ﹁マ ツウ エフ﹂ 印 刷 機 売 却 十 万 P の 事 を 話
午后陸戦隊を見廻る。
す。
過激派対応策を電す。
五月十六日 木
セ メ ノ フ敗 報 来 る 。
本 邦 商 船 荷 揚 人 夫 同 盟 し て船 内 人 夫 に 日支 人 を使 用 す る我 既得 権
冷気。 雨。 ﹁イ ン フル エ ンザ﹂ 流行 。
を 防 衛 せ む と す る に依 り 兵 力 擁 護 を 乞 ふ 為 め 各商 店 代 理 人 七 、 八
朝 日 二 百 人と な る。
人 来 る。 諭 告 し 、 止 を 不 得 助 の過 日 約 せ し が 、 労 兵 の尽 力 に て 午 后 二時 よ り 働 き つゝあ り 。
五月 二十二日 水
﹁デ モ ン スト レー シ ヨ ン﹂ 可 成 り多 人数 に て 大 に盛 な り しも 、実
午 后 仏 中 佐 パ リ ス ︹Ps a , M ra i e re iR be r t,仏陸軍中佐︺及 ア ン ド レ 来 訪 、
効 な く 、 ワイ〓
に て 終 る 。 但 し 極 平 和 的 な り と 云 ふ べき 乎 。
五月十 七日 金
﹁マツ ウ エ フ﹂ の印 刷 機 売 却 に 付 相 談 す 。 ︹ 池︺ 菊 地 大 に 消 極 的 にて 嫌 に な れ り 。
午 后 答 礼 。 領 事 館 に趣 く 。
仏 武 官 パ リ ス 、 ボ ム バ ニー ト 、 ツ エク ー ス ロワ ク士 官 、 ペ ー ン仏
機 関 長 等 と 見 物 に行 く 。
五月 二十 三日 木
此 日始 め て天 気 。
﹁レ ニ ン﹂ 政府 、 ア ナ ー キ ス ト に奪 は る の報 あ り 。
領事 等を 招 待 す 。 午餐 。
五月十八日 土
寒 冷 。 昨 日 の上 陸 に ﹁イ ン フル エンザ ﹂ に罹 り 、 三十 七 度 八 分 に
昨 今 天 候 寒 冷 。 ﹁イ ン フル エ ンザ﹂ 流行 す 。 一番 河 よ り 多 少 の兵 員 市 中 に 入 来 る 。
﹁サ イ アム﹂ 公 使 、 仏 、 ﹁チ エク﹂ 等 な り 。
﹁ブ ル ー ク リ ン﹂ 午 餐 。
五月二十 四日 金
至 る。 休 業 せず 。
マ︺
﹁チ エ ツ ク﹂ 兵 五 十 名 参 観 に 来 る 。
︹マ
領 事 夫 人 以 下 慰 問 袋 贈 与 之 口実 に 来 る 。 五月十九日 日 稀 な る荒 天 に て予 期 の ﹁デ モ ン ス ラ シ ヨー ﹂ 流 れ と な る 。
五月 二十 五日 土
陸 外 と 共 に次 官 に 発 電 す 。
午 后 領 事 館 に行 き 、 ﹁マツ ウ エ フ﹂ の印 刷 機 に 関 す る 打 合 を 為 し 、
艦 長等 一、 二番 河 偵 察 。
五月 三十日 木
女 王 殿 下御 整 婚 。
伏 見宮 に 御盛 儀 を祝 電 す。 ︹マ マ︺
少しく暖。晴。
上 陸 、 仕 払 に行 く 。
五月 二十 六日 日
次 官 に電 す 。
内藤来る。
机上射撃を行ふ。
六月 一日 土
︹マ マ︺
﹁ホ ル ワ ツト﹂ ﹁グ チ コ フ﹂ 等 の内 情 来 る 。
五月 三十 一日 金
﹁ペー ン﹂ 来 り 、 ﹁スト ア﹂ の現 状 を 報 告 す 。
﹁シ ンビ ー リ スク﹂ 等 抑 留 に付 説明 、 ﹁ゴ ー ロス﹂ に載 る。
久 し く 日本 よ り 報 道 な し 。 我 政 策 全 く 行 詰 り か 。
朝 日 の風 邪 大 に 減 ず 。
﹁シ ンビ ー リ ス ク﹂ 久 し く停 船 中な り しが 、 午 后 二時 出 港 す 。
少 しく 暖 。
六月 二日 日
日 本 に対 す る好 感 大な り 。
﹁チ エ ツク﹂ 大 運 動会 。感 嘆 す るも の多 し。
五月 二十 七日 月
船内運動会、陸上相撲。
寒 冷 。夕 八時 ﹁ソボ ツカ﹂ の兵 士 劇 を 見 る。
紀 念 日に 付 、 大 臣 、 長 官 に祝 電 。
朝雨、後晴る。
各 国代 表 者 に奏 楽 敬 礼 す 。
無事、泰平。
寒冷。
六月 三日 月
五月二十 八日 火
﹁ペー ン﹂ 来 り 、 軍 需 品 の保護 上 不相 変 談 あ り 。東 京 に電 す 。
常盤に招待あり。
終 日 大 に労 る 。
六月四日 火
英 米 支 仏 代 表 を 招 き午 餐 。
暖。晴。
華盛 頓 電報 に 、米 の折 合 出 兵 と 労 農 承 認 勧 誘 交 換 あ り 。 ﹁ゴ ー ロス﹂ ﹁ダ リ ヨ ー カ ヤ﹂ 共 に反 対 す 。 来る。
西 部 戦 況 日 に非 な り 。 ソ ア ソ ン、 ラ ン ス方 面 強 襲 上 陸 。 ﹁ロバ ー
〓 〓
チ ン﹂ に会 ふ。
の□ 名 。 五月 二十九日 水
晴。
六月五日 水 陸上泊す。
六月十 一日 火
鳳山入港す。
石 見 の三 機 兵 ︹ 岡本徳蔵、三等機関兵︺溺 死す 。 早朝 午 前 四時 頃 。
六月十 二日 水
但 し 風 声 に驚 く 。
﹁チ エ ツク﹂ 五 中 隊朝 日相 撲 に賞 と し て騎 銃 と 剣 を 贈 る。
六月六日 木 晴。
石見 検 閲 。
朝 日出 動 す 。
霧多し。
﹁セ メ ノ フ﹂ 隊 前進 沿 海 州 に 入 ら ん とす と て ﹁ポ グ ラ ニチ ナ ヤ﹂ 方 面 恐 慌 し 、 当 地動 員 武 装を 労 工 に命 ず 。
六月十 三日 木
鳳山出港。
濃 霧 。 石見 査 閲 、 訓 示 。
﹁ロバ ー チ ン﹂ の意 見 大 なり 。
長電を発す。
石見三機兵火葬。
︹ママ ︺
今 朝 前 二時 常 盤 に 手 入 れ あ り 。 第 三 中 隊 飛 出 し 赤 衛 二十 騎 を 捕 獲
﹁セ メ ノ フ﹂ の出撃 に 伴 ひ 、当 地 の ﹁カ デ ツト﹂蹶 起 の兆 あ り 。
六月七日 金
﹁ス ハ ノ フ﹂ ︹ Sukhan, oK vot na s i n t, A 浦.塩労兵 ソビ エト議長︺ ﹁ニ キ フ オ ロ
し、 取 調 は 開 放 す 。
フ﹂ ︹ Ni kifo ,r Po eM v t. , r 同副議 長︺ 領 事 館 に 来 り 、 ﹁カ ル ミ コ フ ﹂ の 支 援
中 立 地 帯 を 設 定 、 防 衛 の件 、 ﹁ペー ン﹂ と協 定 す。
に付 説 明 を 求 む 。
六月 十 四日 金
六月八日 土
晴 天。
陸 上 形 勢 、 稍 緊 張す 。
石 見 始 め て 出 動 。復 水 器故 障 し て港 外 に仮 泊 、 午 后 五 ・三 〇無 事 ︹ 港カ︺ 帰艦す。
領 事 館 に行 く 。
六月九日 日
シベリ ア臨 時政府閣 僚︺ と
﹁フ ヒ ヨ ド ロ フ﹂ ︹FedoVr.o A v来 ,艦 し 、 西 . ︺
﹁ア ル カ ヂ イ ・ ニ コ ラ イ ウ イ ツ チ ・ ペ ト ロ フ﹂ ︹ Petrovd ,i i Arka ,自 治
山 屋 其 他 の交 代 。
日 蝕 午 前 五 ・三 八 。 十 分 に 見 ら る 。
六月 十 五日 土
潜水競技。
出 動 の駆 逐 艦 帰 る 。
後 晴 天 。 稀 に 見 る の 天 気 に て 、我 海 軍 の吉 兆 を 祝 す 。 第 五 戦 隊 端艇 競 技 、朝 日 大 に 勝 つ。 六月十日 月
伯 利政 府 之件 に付 大 に語 る。 頗 る要 領 を 得 た り 。
﹁ペ ト ロ フ﹂ 領 事 に 会 ふ 。 霧。寒し。
六月十 六日 日
終日在宅す。
霧 。 連 日朝 日 の出 港 を 妨 ぐ 。
六 月 二十一 日 金
霧 深く 最寒 冷 。 五十 五度 に 下 る。
六 月 二十 二日 土
﹁チ エ ツク﹂ 音 楽 会 。
潜 水競 技 授 与 式 。
領事 館 坂 部を 訪 問す 。
六月十 七日 月
ム ストヴ ォ参事会議長︺、 ツ イ ン メ ル マ ン 、 同 秘 書 ゲ ゼ フ ー ス 、 セ メ シ
霧雨。 ︹ 池︺ 菊 地 晩 餐 に 於 て 、 ア ガ レ フ 、 メ ド ウ エ ヂ フ ︹Medve. dS e .v ,沿海 ,州 Aゼ
﹁ナイ ト﹂ の招 待 に て倉 庫 に ﹁ キ ネ マ﹂ を 見 る 。
六月十 八日 火
愛 知 を し て ﹁デ ル ベ ル﹂ ︹Derber 西, 伯P 利政 e府 t代 r 表︺I とa 会,見 せ しむ 。
コ ︹ ダリ ヨー カヤ新 聞記者︺、 ア ル カ ヂ ー ペ ト ロ フ 、 チ ー ベ ル ペ ト ロ フ ︹ 池︺ ︹ 天文台長︺等 十 名 、 本 職 、 菊 地 、
︹Ti rP b ︲ eetrV o. vT ︺ ,、 . カ ー メ ン スキ ー
朝 日査 閲。
霧。
終 日 不 快 の天 気 な り 。
雨。
坂 部 等 と 会 見 、 西 伯 利 政 府 の状 況 及意 見 交換 を 為 さ し め 、全 体 の
午 后 九 時 ﹁デ ル ベ ル﹂、 両 ﹁ペト ロ フ﹂ 坂 部 と 共 に来 艦 し 、 西 伯
霧 雨。
始めて晴天を見る。
利 政府 の計 画 を 語 る。 四百 万 の借 款 及 武 器 供 給 之 事 を 請 ふ 。
領 事 晩 餐 。英 領 事 、 艦 長 等 。 ︹ 池︺ 西伯 利 政 府 の件 に付 菊 地 と 語 る。 不 相 変 冷 淡 。
午 后 陸 戦 隊 を 訪 問 し 、 領事 館 に行 く 。
一致 を 見 る 。
坂 部 同 意 の電 発 之 事 に決 す 。
鳳山入港。
六 月 二十 三日 日
明 午 前 一時 帰 艦 。
藤 田 上 京 の電 。 即 日 即答 。 立許 。
六月十九日 水
六月 二十日 木
九 万発 の 小銃 弾 薬 を 乞 ふ。
朝 日 検 閲 、 訓 示 。 ﹁パ リ ス﹂ ﹁ペー ン﹂ 来 艦。 ﹁チ エ ツ ク﹂ 浦 塩 東
晴天。
六 月 二十 五 日 火
六 月 二十 四 日 月
部占領 ( 仮 ) 警 戒 配 備 及 日本 武 器 供 給 之 事 を 請 ふ 。 ︹ 池︺ ﹁ナイ ト﹂ 等 と 菊 地 晩 餐 。
石見出動し、大に水雷に成功す。 終日藤田派遣準備。
﹁チ エツ ク﹂ 之 あ るな ら む □ □ □ 過 激 派 を 一掃 す 。 要 塞 司 令 部 に
六月 二十九日 土
激戦あり。
晴。
六月二十 六日 水
ふ。
領事 団 に て 新 政権 の 会議 。
領事団会議。
露 駆 四 隻 の武 装 解 除 を 行 ふ 。
六月 三十日 日
西 伯 利 亜 海 軍 兵 と 四 駆 及 ﹁ヤ ー ク ー ト﹂ 武 装 解 除 を 行 ふ談 判 。
藤 田鳳 山 に て出 立。 ︹ リ︺ ﹁ペ ー ン﹂ 来 艦 。 ﹁エゲ ル シ エ ツド﹂ の銅 持 出 し の企 あ る に付 兵
七月 二日 火
﹁チ エ ツ ク﹂ ﹁ イ ル ク ー ツク ﹂ に遮 断 せ ら れ 、 一万 の俘 虜 立 と 伝
坂 部 来 る 。 領事 団会 議 。 ﹁チ エ ツク﹂ に武 器 を 供 給 す る件 。
力 警 戒 す と 申 来 れり 。 依 て急 を 見 ば 支 援 す と 答 へ、 一小 隊 を 準 備
懇願す。
浦塩 聯 合防 禦 之 事 を 議 す 。
午后 四 時 、 英 仏米 ﹁チ﹂ 陸 及海 代 表 会 議 に臨 む 。
﹁ペリ ー﹂ に同 件 を 話 し共 に ﹁ブ ラ ー ブイ ﹂ に行 く 。
七月 一日 月
す。
市 長 に 武 装 解 除 の 通 告 を ﹁ペ ー ン﹂ と 共 に 交 付 す 。 后 、 新 海 軍
六月 二十七日 木
今夜電幅湊す。
﹁ヂ オ﹂ ﹁ブ ロ ツ﹂ 夫 妻 来 艦 し 、 ﹁ヂオ﹂ は ﹁チ﹂ 軍 武 器 援 助 に 付
霧雨。
次 官 より 質 問 来 る。 七月三日 水
︹マ マ︺
朝 日出 動 せ し も 、 濃 霧 に て 無 効宜 し く帰 港 。 ﹁ナイ ト ﹂ よ り ﹁チ ﹂ 軍 の請 願 に 付 華府 へ報告 写 を送 る 。右 電申
武 装 解 除 のま ヽに 手 渡 す 事 決 定 す 。
露 駆 逐 艦 を 同 隊 司 令 に渡 す 。 但 し 武 器 は ﹁チ エ ツク ﹂ に 交 付 し 、
︹ リ︺ ﹁エゲ ルシ エ ツド﹂ の準 備警 戒効 あ り て搬 出を 見 合 せた り 。
す。
﹁デ ル ベ ル﹂ 待 ち し も 来 らず 。
七月四日 木
露 駆 の□ □ を ﹁チ﹂ 副 官 に 渡 す 。
令を領収委員となせり。
﹁アガ レ フ﹂ に駆 司 令 を 会 は せ し 結 果 、 大 に 捗 取 り 、 彼 直 に同 司
午 后 の 八時 半 之 を 申 渡 す 。 交 歓 を 彼 等 と 共 に す 。
六月 二十八日 金 晴。 ﹁ペー ン、 ダ ン ロ ツプ ﹂ 来 り 、 西 伯 利 政 府 員 に付 意 見 交 換 す 。 彼 等 は ﹁カ デ ツト﹂ 支 持 なり 。
米 独 立 祭 な る も 、 日 英 支 満 艦 飾 せ ず 。 米 の 一艦 の み 之 を為 す 。但 霧。
午 后 ﹁ブ ル ー ク リ ン﹂ に ﹁ヂ ト リ ツ ヒ﹂ ︹ チェコスロバキア軍参謀長︺
午 前 弾 薬 ﹁チ﹂ 軍 に供 給 之 許 可来 る。
﹁ ボ ル﹂ 葬 式 あ り て、 過 激 派 ﹁デ モ ン スト レー シ ヨ ン﹂ 壮 な り 。
し 両 艦 長 、 幕 僚 と 共 に 祝 意 を 述 べた り 。
の報告 を 聞 く 。 直 に 長文 報 告 す 。
救 護 班 之事 を 云 ふ 。米 の大 に 力を 尽 す事 を 。
﹁チ エツ ク﹂ を 協 同 軍 と す る 電 来 る 。 午 前 八時 より 露 駆 逐 艦 元 に復 す 。
午 后 ギ ル シ ヤ 、 ペー ン、 ブ ロ ツ、 ダ ンロ ツプ 来 り 、 右 の礼 及 更 に
より。
霧 。 ﹁チ エ ツク﹂ に弾 薬 補 充 の電 来 る。 外 務 大 臣 ︹ 後藤新平︺及 次 官
七月 五日 金
七月九日 火
一番 河 兵 舎 借 用 の約 束 成 る 。
次 官 よ り 懇 電 来 る 。 従 来 の説 明 な り 。
井出より弾薬九日中に達するの報あり ( 備 保 に)。
午 前 防 衛 配 備 之 会 議 に 基き 、 ﹁ウ リ ー ス﹂ 湾 に 哨艇 を 出す 。
霧。
七月八日 月
要 求 を 述 ぶ 。 ﹁ナ イ ト﹂ ﹁ア ル ト ハウ ス﹂ も 来 り 、 共 同 防 衛 の相 談
﹁チ﹂ 軍 に駆 の□ □ □ □ 反 対 す 。
を な し 、 直 に 会 議 を 開 く筈 。
三長 官 よ り 最 懇 篤 な る奨 励 の電 あ り 。
午 前 八時 石 見 を ﹁ア ムー ル﹂ 湾 に 出 す 。
﹁チ﹂ 葬 式 に行 く 。
︹マ マ︺
海 軍 救 護 班 急 成 さ れ 、 明 十 日舞 鶴 よ り 駆 逐 艦 に て来 る 。
﹁チ ヒ﹂ の負 傷 者多 数 来 り 、 ﹁ブ﹂ ﹁サ﹂ に収 容 す 。
︹マ マ ︺
﹁チ﹂ 軍 に 小 銃 弾 薬 約 二 十 五 万 発 を 復す 。 七月六日 土
七月十日 水
午 前 十 一時 ﹁ブ ー ク リ ン﹂ に 両 国 指 揮官 会 議を 開き 、 共 同防 衛 及
朝 日出 動 、 魚 雷 発 射 。
七月十 一日 木
歩兵大佐、シベリア駐在︺大 に窮 地 に陥 る。
領事 団 会議 、 ﹁ホ ル ワ ツト﹂ に対 す る抗 議 を 決 す 。 荒 木 ︹ 貞夫、陸軍
一部 を 引受 く 。
午前 ﹁ヂ ト リ ツヒ﹂ 及 ギ リ シ ヤ我 救 護 班 の事 を 語 り 、 海 軍 病 院 の
一、 ﹁パー マネ ント バ ンド ﹂ は 一番 及 第 一砲 兵 聯 隊 に 。
日
英
布 告 の決 議 を 為 し 、 午 后 二 時 よ り 開 始 す 。
米
支
鳳山 入港 、 藤 田帰 る。
・
・
・
二、 市 街 の ﹁パ ト ロー ル﹂
チ
七月七日 日
共 同 防 衛 地 区 分 担 を 会 議 す 。 米 一 ﹁チ ユル キ ン﹂ を受 持 つ事 と な 霧 。
朝風入港す。
七月十 二日 金
兵 舎 之 件 に付 誤 解 。
荒木、坂部、堀江、下田、岩瀬等来る。
す。
夕 刻、 機 関 長
晴 。
七 月十 六日 火
領 事 団、 聯 合 陸 軍代 表 者 を
病 院大 部 片 付 く 。 傷 者 来 ら ず 。
﹁ペ ー ン ﹂ 答 礼 に 来 る 。
朝 風稍 出 発 す 。
午 后 三時 五十 七 分 河 内 佐 伯 湾 に て突 然 中 央 部 よ り 爆 発 、 顛 覆 し 、
常 盤 に 一泊 。
﹁チ﹂ ド クト ル来 る。
る。
左艦腹を露出し居れり。
七 月十 七 日 水
︹ 保太郎 、大 尉、参 謀︺と 上 陸
﹁カ ル ミ コ フ﹂ ﹁ホ ル ワ ツト﹂ と 妥 協 を 報 ず 。
午 后 八時 ﹁チ﹂ 司令 部 に て ﹁ヂ﹂ の戦 報 を 聞 く 。
︹マ マ︺
︹ 八田重次郎、機 関大佐︺、岩 下
﹁カ ル ミ コ フ ﹂ に 送 る 決 議 す 。
浦 塩 着 后 満 六 ケ 月 、 青 嶋 にて 弾 薬 を ﹁チ﹂ 軍 に 届 け 、朝 風 に て救
午 前 帰 艦 。途 上 ﹁ヂ﹂ と ﹁ギ リ シ ヤ﹂ に会 ふ。
マ︺
護 員 を 仝 軍 に提 供 す 。
︹マ
午 后 ﹁チ﹂ 司 令 部 及 露 ﹁ペリ ー ﹂ に 会 見 す 。 ﹁エゲ リ シ エ ツド ﹂ 病 院 を 借 入 る 。
出 兵決 定 の 通信 次 官 より 来 る。
第 三水 戦 は 一部 舞 鶴 に 、 一部 は当 地 に来 る。
﹁ペイ ン﹂ コ ム モド ー ア に昇 級 す 。
七月十 三日 土
祝 意 を 表 し に趣 く 。
七月十 八日 木
植 松 大 尉 来 る。
霧 。 朝 日検 定 射 撃 の為 め 出 動 、 青 嶋 を 曳 的 艦 と す 。
七月十 四日 日
霧あり。
海 軍 大 臣 より 出 兵 の廟 議 決 定 の訓 令 来 る。
野 分を ﹁ボ ボ フ﹂ に偵 察 に出 す 。
廿 五 駆 逐 隊 入港 す。
七月十九日 金
大 臣 に報 告す 。
河 内 の 吊 辞を 述 ぶ。
﹁ナ イ ト﹂ 大 将来 訪 。
病 院 の掃 除 開 始 す 。
朝 風 荒 天 の為 め 引 返 す 。
朝風出港。
七月十 五日 月
七月 二十日 土
中嶋少将来訪す。
り 海 軍 指 揮 官 会 議 を 申 越 せ し も 先約 あ りと て 、朝 日艦 長 を 代 理 せ
正 午 ﹁ペ ー ン﹂ 来 艦 し 、 英 兵 来 之 事 を 語 る 。
東 京 よ り 出 兵 の電 来 ら ず 。
霧 。 朝 日出 動 見 合 せ 。
七月 二十 四日 水
しむ。
﹁ブ ルー クリ ン﹂ に 於 て ﹁ヂ﹂ 将 軍 の依 頼 な りと て ﹁ナ イ ト﹂ よ
午 后 五 時 ︹チ﹂ 傷 病 者 の為 め に慈 善 ﹁コン サ ー ト﹂ あ り 、 大 成 功 。
霧 。 第 一小 隊 を ﹁ア ス コ リド ﹂ に 偵 察 の為 め 送 る。 ﹁チ﹂ 兵 五 十
七月 二十 一日 日
番河に泊す。
仝 時 中 嶋 少 将 を 仝 道 し て ︹ナ イ ト﹂ 及 ﹁サ フオ ル ク﹂ を 訪 問 す 。
午前十時頃より晴。
七月 二十五日 木
午 前 中 嶋 に答 訪 す 。
大 田君 来 る。
﹁ヂ﹂ 将 軍病 院 を 見 舞 ふ。
名 を 搭乗 せ し む 。
駆 逐 艦 を ︹ボ ボ フ﹂ 及 ﹁レ チ ー イ﹂ 偵 察 に趣 か しむ 。 二小 隊 は 二
第 二 小隊 午 前 八時 入港 。
鳳 山 入港 。
七月 二十 二日 月
且 つ 一番 河 兵舎 に行 く 。
水 先 に 肥 前 の繋 留相 談 す 。
霧。朝日出動す。
七月 二十六日 金
中 嶋 一行 、 司 令 部 と し て陸 軍 を 代 表 す 。
午 后 三 時 頃 野 分 、 白 雪 無事 任 務 を 全 ふ し 帰 港す 。
中嶋 少 将 、 田中 弥 太 郎 等 来 訪 。
上 陸 、 中嶋 に会 ふ 。
﹁チ﹂ 負 傷 者 二 十 五名 、 病 者 二十 二名 収 容 す 。 午 后 之 を 見 舞 ひ 、
駆 逐 艦 を 哨 戒 に出 す 。
海 軍 工 廠 に聯 合 衛兵 を 出す 。
七月二十 七日 土
朝 日沖 か ゞり 魚 雷終 る 。
︹ペ ト ロ フリ﹂ と ︹ア ム ー ル﹂ に哨 戒 。 出 兵 一向 音 沙 汰 な し 。 内 閣 、 大 味 噌 付 。
七月 二十 八日 日
常盤宴会。
工廠 に ﹁スト ラ イキ ﹂ あ り と 聞 、 共 同 衛 兵 を 出 す 。 二十 名 。
昨 今 両 日 大 雨。
七月 二十 三日 火
﹁オ リガ ﹂ 湾 に 馬 賊 あ り 。 岡 村 農 商 務 技 師 の救 助 及 市 長 の願 に依
霧。
﹁ナイ ト ﹂ 晩 餐 。
り 駆 二隻 を 出 す 。
鳳 山 入港 。
七月二十九日 月
一泊 陸 上 。
夕刻帰艦す。
朝 日出 港 。
晴。出兵動員発表、開始八月四日。
八月 二日 金
イ ン﹂。
朝 日 の出 港 を 英 米 よ り 送 る 。 米 は 君 ケ代 を 奏 す 。英 は ﹁ロ ン グ サ
石見入港。
七月三十日 火
の件 。
八月 三日 土
出 兵 決 定 の電 来 る 。
夜間入港せず。
英 運 送 船 ピ ン スイ 入 港 に 付 、 第 一小 隊 ( 駆) を 出 し掩 護 せ し む 。
﹁アガ リ ヨ フ﹂ ﹁ロバ ー ト ソ ン﹂ ﹁ペー ン﹂ 来 訪 す 。
第 二 小 隊 駆 隊 を ﹁ア ムー ル﹂ 測 量 に 出 す 。
明 治 天皇 御 例 祭 。
﹁ブ ル ー ク リ ン﹂ 会 議 。 ﹁マー シ ヤ ル ロー﹂ の件 、 ﹁ホ ル ワ ツト ﹂
赤 十字 社 一行 来 る。 晴 。
平 岡 、 ト イ ス ラー 、 フ レー ザ ー 、外 二名 、 山内 等 訪 問 す 。
天明 ﹁ピ ン スイ ﹂ 入 港 す 。 英 兵 は 九 ・四〇 ﹁チ ﹂ 司 令 部 に 於 て分
第 一番 十 二師 団混 成 旅 団 は土 、 日よ り 著 始 め 全 部 は 動 員 后 十 九 日
日英 仏 支 代 表 者 立 会 ふ。
列 式 を 行 へり 。
七月 三十 一日 水
﹁ゴ ルシ コ フ﹂ 来 る 。
内地より何も来らず。
七 時 石 見 ﹁ス ラビ ア ンカ﹂ へ発 。 九 時 肥 前 着 し 、 海 軍 桟 橋 に繋 留
に て結 了す 。
八月 一日 木
日米 交 渉 不 一致 の電 来 る。
官 と す 。 午 后 一時 旗 艦 を 肥 前 に 変 更 す 。
て 日 英 会 議 の上 、 米 ﹁ア ン ス レー ﹂ ︹ 米副領事︺を し て詰 問 せ しむ 。 ︹ 拒︺ ﹁ナ イ ト﹂ は 彼 の 訪 問 を 許 絶 せ し も 、 ﹁スチ ブ ン﹂ ︹stevens,John
昨夜 ﹁ホ ル ワ ツト﹂ 支 那 兵 を 率 て来 ると の報 あ り 、 事 実 な るを 以
八月四日 日
﹁メ ド ウ ヂ エ フ﹂ 答 礼 に来 る。
︹マ マ︺
す。
雨、晴。
米派遣使節団団長、鉄道技師︺は 盛 に彼 に 依 托 し て鉄 道 電線 一本 を 約 取
十 時 ﹁ブ ル ー クリ ン﹂ 会 議 、 ﹁ヂ﹂ 将 軍 報 告 、 中 嶋 を 聯 合 軍指 揮
午 后 二時 朝 日出 港 。
せ り と 云 ふ 。 ﹁ペチ エ ンガ﹂ の契約 成 立 。
( 晴)。 日 本 宣 言 新 聞 に 顕 は る 。
中嶋防衛会議。 午 后 領 事 館 及 中 嶋 の ﹁ホ テ ル﹂ に行 く 。
之を担当す。米宣言来る。
浦 塩 戒 厳 令 見 合 せ 及 ﹁ホ﹂ 武 装 解 除 の件 通 告 に 決 し 、 ﹁ヂ﹂ 将 軍
午 后 五 時 ﹁チ﹂ 軍 司 令 部 に て ﹁チ﹂ の報 告 会 。
八月五日 月
八月十 一日 日
軍事 の警 戒 に極 限 し て ﹁ト ル スト フ﹂ の名 を 以 てす 。
リ ス、 ﹁ア ル ト ハウ ス﹂ ﹁ ダ ン ロ ツプ ﹂ を 委 員 と す 。
午 前 十 一時 ﹁チ﹂ 司 令 部 に於 て戒 厳 令 実 施 の可 否 相 談 、 中 嶋 、 パ
石見 を 迎 に出 す 。
( 濃 霧 )。
米 一万 出 兵 。 ﹁グ レ ー ブ ス﹂ ︹Graves,米 W陸 i軍 l ︺l 少i将 a指 m揮 S な. り,
八月六日 火
たる通告来る。
の取 極 め に 不係 強 て上 陸 、 一番 河 と 海 兵 団 に宿 す 。 不 体 裁 極 め た
台 中 、 筑 前 に て十 二師 司 令 部 及 第 十 四聯 隊 四個 中 隊 著 。 中 嶋 少 将
先月支払千五百廿五P ( 七 月 之末 内 藤 を 経 て)。
八月十 二日 月
午 后 一時 訪 問 し、 大 井 ︹ 成元、陸軍中将、第十二師団長︺と 談 判 、 明 日 の ︹ 無︺ □案 を 予定 通 に決 す 。 其 前 に、 変 更 を 申 来 り し 也 。 通 告 的 に不 礼
り。
午 前 十 時 、 ﹁ヂ﹂ 将 軍 御 別 れ に 来 る 。 之 よ り 戦 地 定 住 す と 。 目 下 ﹁英 ﹂ ﹁チ ﹂ は 堅 固 な 防 禦 陣 地 に 在 り と 云 ふ 。
八月七日 水 ︹ 池︺ ﹁チ ﹂ 幹 部 、 仏 ﹁ベリ ユ﹂、 中 嶋 、 菊 地 を招 待 し午 餐 。
晴 。 陸 軍分 列 式 。 師 団長 迎 接 式 。 午 前 九 ・四 五。
常盤に旅長と行く。今夜、支払残は之のみ。
﹁ペリ ー ﹂ ﹁ト ル スト ウ﹂ も 来 る 。
午 后 二時 陸 戦 隊 撤 退 式 に臨 む。
副官 遅 く帰 る。
夕 刻 より 大 雨。
八月十 三日 火
八月九日 金
﹁ペ チ エンガ ﹂ 問 題 、 飯 田 に 妨 げ ら れ危 し と 聞 く 。
千万 。
﹁ホ ﹂ 政 府 と 西 政 府 と 妥 協 開 始 。
八月八日 木
夕 陸 戦 隊士 官 以上 を 夕 飯 に呼 ぶ。 副 官 を 怒 ら す 。
︹ママ︺
仏 ﹁ア ンド レ ルボ ン﹂ 入 港 。 午 后 四 時 分 列 式 。 大 に喝 采 を拍 せ り。
仏艦 入港 し、 内 港 に泊 す 。
ド ロナ カ リ ン ス カ ヤ﹂ に会 ふ。
八月十 四日 水
夕 八 ・三 〇 ﹁ヂ﹂ 将 軍 よ り 夜 食 に招 か る 。 ﹁マリ ア ・ア レ キ サ ン
陸 軍 の ﹁ペ テ ン﹂ 頑 迷 。
八月十日 土
明 早 朝 台 中 著 の予 報 あ り 。 中 嶋 よ り 相 談 あ り 。 十 一日 は 日 曜故 、
晴。
仝中佐訪問す。英は終に来らず。
上 陸 は 十 二 日と す と 返 あ り 、 依 て 万 事 を 此 積 に て 定 む 。
午 后仏 艦 長来 る 。 八月 十 九 日 月
りたるらん。
風邪を感ず。
晴。
午 前 大 井 師 団 長 の 北 進 を 見 送 る 。 午 后 四 ・三 〇 米 軍 分 列 式 あ り 。
軍 司令 部 宇 品 発 。 八月十五日 木
相 撲 。夕 食 后 中嶋 と 語 る。 彼 大 に話 せ る に参 れ り 。
晴。
装具贅沢、志気は中等なり。
晴。
午 前 仏 艦 を訪 問 す 。
風 邪 に て不 快 。 終 日在 艦 す 。
八月 二十 日 火
八月十六日 金
軍 事 会 議 に 司 令 官 の決 心 を 示 す 。 態 度 良 好 と の評 判 な り 。
晴。
八 月 二十 一日 水
露 祭 日。
肥前石炭積。
米 陸 指 揮 官 ﹁ス タイ ア﹂ Ste y来 訪 、 ﹁ナ イ ト﹂ 大 将 仝 行 す 。 午 r
午 后 五 時 陸 戦 隊 を 乗 せ 、青 嶋 出発 す 。見 送 り 壮 な り 。
后答訪せり。
フ、 メド ウ エヂ エ フ、 松 平
︹ 恒雄、大 使館参事官 、浦潮派遣 軍政務部長︺、 ︹ 池︺ ︹ 鋭市 、大使館 一等書記官、浦潮派遣軍政務部員︺、 菊 地 等 を 午 餐 に 呼 ぶ 。
大 谷 司 令 官 の 為 、 ︹ナ イ ト ﹂ ︹ス タ イ ア ﹂、 コ ル ド ウ エ ル 、 ア ガ レ
木村
︹ 光衛、陸軍中将、浦潮 派遣軍参謀長︺、 中 嶋 、 稲 垣
晴。鳳山出港。
大雨。
由比
八月十七日 土
香港丸午后三時半着。石見を出し、大谷 ︹ 喜久蔵、陸軍︺大 将 ︹ 浦潮派
潮派遣軍参 謀︺ も 会 す 。
内 地 米 一揆 盛 な り 。
遣軍司令官︺ 一行 を 迎 ふ。
︹ 三郎、陸軍少将、浦
米 分列 式 取 止 めと な る。
八月 二十 二日 木
﹁セ ン ト ラ ル﹂ に 行 く 。
午 后 一番 河 装 甲 列 車 を 見 る 。 四 千 五 百 以 上 に き か ず 。
晴 。 追 々冷 気 催 。
八月十 八日 日
米 は海 陸 より 特 使 を 大 谷 大 将 に送 る。
晴 。涼 冷 の気 急 に来 る。
﹁ナ イ ト﹂ 進 ん で大 谷 大 将 を 司令 部 に訪 問 し、 指 揮 権 に関 し 申 出
﹁ハ ガ ツ イ リ ﹂ に て 露 兵 六 十 名 を 先 発 し 、 ﹁ウ ラ ヂ ミ ー ル ﹂
﹁ト ル ス ト フ ﹂ の 士 官 来 て 、 「テ チ エ ヘ﹂ の 打 合 を 為 し 、 午 后 二時
午前
午 前 十 一時 大 谷 大将 一行 上 陸 す 。
る事 あ り 。明 に米 国 の威 信 を 損 す る事 な く し て我 に移 せ り 内 訓 あ
八月 二十三日 金
三 井 、 久 原 の代 理 人 を 乗 せ 、 午 后 五 時 発 せ し む 。 ︹ 武︺ 竹内 ︹ 徹︺陸 中 将 ︹ 浦潮派遣軍司令部付︺来 訪 、福 井 の 人 な り。
湾 に て会 合 せ し む 。 之 が 為 め 石 見 に 藤 田参 謀 、愛 知 通 訳 官 及鈴 木 、
シベリア高等政務官︺来 訪 、 ︹ア ル ス ト ン ﹂ 仝 道 す 。
午前
肥前 よ り 甚 だ しと 云 ふ也 。
Suffk oに l 弾 薬 の 電 を出 す 。内 地 よ り 送 る と 云 ひ 来 る 。 実 は 石 見 、
八 月 二十 六 日 月
﹁サ ー 、 チ ヤ レ ス、 エ リ オ ツ ト ﹂ ︹ Eli ot, Char l e s,香港 大学副学長、在
今 夜 ︹プ レ シ ユ コ フ﹂ ︹ plh ek s , o Mi v k h ail中東 M 鉄. 道, 沿線ロシア軍司令官︺
に 入 ら し む 。 我 陸 軍 の入知 恵 な る事 瞭 々乎 たり 。 人心 頗 る 日本 に
午前稍く武装解除を了る。
后 常 盤 へ行 く 。
夕 松 平 、 木 村 を 呼 ぶ 。 日本 飯 、 入 浴 。
午 后 直 に答 礼 す 。
非なり。
﹁ク ウ デ タ﹂ を 行 ひ 、 ﹁ト ル ス ト ウ﹂ 軍 隊 を 解 散 し 、 自 己 の麾 下
石 見 首 尾 良 く 任 務 を 進 行す 。
﹁ホ ﹂ 松 平 に 会 つ て 大 に 右 を 愁 訴 せ り 。
八月 二十 七 日 火
石見任務を全ふし、帰港す。
小柳帰艦せず。
︹ゴ ー ロス﹂ ︹シ ビ ー リ スキ ー ・プ チ ー﹂ 共 に ︹セ メ シ コ﹂ の破
八月 二十四日 土
壊 を受 く 。
﹁ト ル スト フ﹂ 利 用主 義 に し て、 米 は大 谷 司令 官 の名 な ら ば 即 座
﹁ペ ー ン ﹂ 弾 薬 の請 願 に 来 る
(更 に )。
﹁ダ リ ヨ ー カ ヤ ﹂ 未 だ 出 で ず 。 ﹁セ メ ン コ﹂ 乱 暴 を 続 く 。
﹁ゴ ロ ー ス﹂ 稍 く 発 行 す 。
冷気、風多し。
︹バ ガ ツ イ ル ﹂ 帰 艦 す 。
﹁ヤ ー ク ー ト ﹂ ﹁ペ ト ロ パ ウ ロ フ ス ク ﹂ に 行 く 。
戦線報道なし。
午 后指 揮 官会 議 あり 。戒 厳 令 に関 し米 は非 露 人 実 行 之 主 義 、 英 は
﹁メ ンド リ ン﹂ 来訪 す 。
に 実行 を 進 む 。 ︹プ レ シ コ フ﹂ の武 装 解 除 衆 議 一決 す 。
八月二十 五日 日 霧 あり 。 ﹁チ エチ コ ヘ﹂ 殊 に甚 しと 云 ふ。 ︹プ レ シ コ フ﹂ 武 装 解 除 未 だ 実 行 せ ら れ ず 。 陸 軍 英 米 に 泣 付 く 。
八 月 二十 八 日 水 曇。
﹁プ レ シ コ フ﹂ は北 進 の為 め 味 方 兵 を 引 上 げ ん と 乞 ふ 。
午 前 松 平 と 領 事 を 訪 ふ。
午 后 五 時 日 チ米 兵 に て 武 装 解 除 を 強制 す 。 ︹プ レ シ コ フ﹂ 之 に 従
石 見赤 痢 擬 似 。
︹サ ツ フ オ ー ク ﹂ 弾 薬 問 題 。 内 地 よ り 送 る も 石 見 、 肥 前 に 供 給 を
ひ 、命 令 を 要 塞 司令 部 に発 す 。 領事館晩餐、我海陸及外交官団。
午 后 「グ レー ブ ス﹂ 少 将 訪 問 、 直 に 答 礼 。
赤 痢 患 者 に警 戒 中 。
晴。石見恒例検閲を行ふ。
八月 二十九日 木
激 に 不堪 。
午 前向井 ︹ 弥一 、少将︺侍 従 武 官 、 両 陛 下 の聖 旨 を 奉 じ て 来 着 。 感
晴。
九月 三日 火
エ﹂ も 来 る。
大 谷 大 将 ア ツト ホー ム に行 く 。 可 な り 盛 会 な り し 。 市 長 ﹁メド ウ
石 見 艦 長 の意 気 揚 ら ず 。
﹁ペー ン﹂ 大 に 困 る 。
許さず。
八月 三十日 金
午 后陸 上 、陸 戦 隊 跡 を 視 察 せ ら る。
晴。
九月四日 水
﹁ペー ン﹂ 代 将武 官 に敬 意 を 表 す 。
石 見 を 隔 離 の為 パト ロ リ ル沖 に 出 す 。 駆 逐 隊 を ﹁ロシ ヤ﹂ 島 よ り
晴。軍司令部を訪ふ。
引上ぐ。
大 倉 の用 人 来 る。
午 前 ﹁チ ユル キ ン﹂ 方 面 を 視 察 せ ら る。
九月 一日 日
后 ︹オ ケ ア ン ス カ ヤ﹂ に行 く 。 山 崎 外 二名 を 伴 ふ 。
午 前 雨 な り し も 、 「ロ ス キ ー﹂ 島 の米 ル カ病 院 及 ︹ノ ウ イ ツ ク﹂
九月五日 木
我 先 発 騎 兵 中 隊 ﹁カ ルム イ コ フ﹂ と 共 に ﹁ハ ヾ ロ フカ﹂ を占 領 す。
将官会議々員となる。電報来る。
﹁ペー ン﹂ に 武 官 に 代 り答 訪 す 。
八月 三十 一日 土
晴天。
天 長節 、 勅 語 奉 読 。
海 兵 団 の 野戦 病 院を 訪 問す 。
午 后 一番 河 兵 営 を 視 察 。
湾 を 視 察 せ ら る。
﹁スパ ル ウ イ ン﹂ よ り 米 兵 露 教 会 堂 を 占 領 し、 僧 侶 を 追 出 し、
後 、 ﹁チ ユル キ ン﹂ に廻 は る。
午 后 六 時 青 嶋 に て ︹ニコ ラ エフ ス ク﹂ に 向 け 発 、 小 柳 仝 地 に 転 ず 。
石見 無 事 呉 に向 け 発 す 。 見 送 あ り 。 駆 を 出 す 。
午 后 晴 天と な る。 瑞 兆 あ り 。
﹁プ ロ テ スタ ント﹂ 寺 院 と せ りと 聞 く。 以 下梅 崎 を し て偵 察 せ し めたるに事実也。
( 晴 )。
九月六日 金
九月 二日 月 晴。午前肥前巡視。 小沢分隊長冷淡。
軍令部長及大臣より祝電来る。 九月十 二日 木
湾 にあ り と の報 あ り 。
﹁ア ホ ー ツク﹂ 過 激 派 に抑 へら れ た るも の ︹ プ レオ ブ ラゼ ニア﹂
午 后 大 谷 司 令 官 を 訪 問 し 、 右 の件 を 伝 ふ 。
我 騎 兵 中 隊 洽 波 鎮 府 に 入 り 、 完 全 に 占 領 す と の報 あり 。
九月七日 土
派 掃 討 の 為 め 陸 兵 百余 名 を 載 せ派 出 す 。
居 留 人 民 よ り 常 盤 に て送 別 を 受 。
江守出張。
﹁ブ ラゴ エ﹂ 攻 撃 に 参 加 す 。
黒龍江派遣隊安着す。
松 風を ︹スイ フ ン﹂ に出 す 。
九月十三日 金
晴 。 廿 五 駆 逐 隊 を ﹁アム ー ル﹂ 湾 西岸 及 ﹁スイ フン﹂ 炭 坑 に過 激
九月八日 日
晴 。 ﹁ヂ ト リ ツヒ﹂ 部 下 と 告 別 に 来 る 。 郡司来訪。
晴。 ﹁スイ フン﹂ 及 亜 ム里 西 岸 派 遣 の駆 逐 隊 来 着 ( 帰 来 )。
夕 ﹁パ リ ス﹂ 晩 餐 。
支 那 海 容 午餐 に 招 か る 。
九月十 五日 日
黒龍江派遣隊準備。
午 后 二時 発 ﹁ブ ー チ エン コ﹂ の答 礼 に行 く 。 ﹁ブー ス﹂ 海 大 佐 来
天候 不 良 。
九月十四日 土
訪 。 夜 ﹁ナ イ ト﹂ 晩 餐 。
低 気 圧 日本 海 に在 り 。
九月九日 月
午 前 四 時 香 取 以 下 の 三 個 中 隊 ﹁ニ コラ エ フ スク﹂ を 占 領 す 。
九月十六日 月
晴 。 黒 龍 江 派 遣 陸 戦 隊 一ケ 中 隊 を ﹁ハヾ ロ フカ﹂ に 出 発 せ し む 。
九月十日 火
居留 民 一同 及総 領 事 を 招 待 す 。
大 谷 大 将 よ り 送 別 せ ら る 。晩 餐 。
天 候 の為 め 鳳 山 入 港 せ ず 。
曇。
午 后 五時 ﹁プ レ シ コ フ﹂ 兵武 装 返 還 。
単 独 P P Cに 廻 は る 。
江守久中佐 ︹ 肥前副長︺を 隊 長 と す 。
廿 五 駆逐 隊 の 野 分 、松 風 ﹁ニ コラ ヘ フス ク﹂ に急 行 す 。
九月十七日 火
午后退艦。 ﹁ プ ラ チ ナ﹂ 館 に 入 る。 夕 刻 再 び 申 継 の 為 め 肥 前 に 行
川原 ︹ 袈裟太郎、少将︺着 任 。午 前 八時 交 代 す 。
九月十 一日 水 ﹁ガ ド ロレ フ﹂ 外 一名 の露 人 を 呼 ぶ 。 午 食 。 午 后 白 雪 霰 を 発 進 、 ﹁ニコ ラ エ フ ス ク﹂ に 向 は し む 。
く。 夜 米内 、 内藤 、 岸と 飲 む。 九月十八日 水 ﹁プ ラチ ナ﹂ 館 に あ り 。
︹ 扞︺
﹁オ シポ フ スキ ー 、 ザ ト ン﹂ 海 軍 根 拠 地 を 見 る 。 談 判 好 結 果 、 大
晴、暖。
臣 に発 電 す 。 工場 及 水 兵 雇 役 の件 な り 。
師長 は作 戦 に 関す る外 軍 司 令 官 の命 を 受 け ず と 云 ふ 。
米 内 根 拠 地 之 件 に付 軍司 令 部 と 師 団 長 の杆 格 を 語 る 。
東京 に 電稟 す 。
砲 艦 其 他引 渡 纏 ら ず 。
夕 、 幕 僚 と 米 内 、 内 藤 を 常 盤 に呼 ぶ 。 明 日出 発 に決 心 す 。
岸 、 米内 仝 行 。
ル ウ イ ン﹂、気 象 台 長、 其 他 居 留 民多 数 の見 送 を 受 く 。
両参 謀 外 海 陸 多 数 見 送 る。
晴 。 午 后 一 ・三 〇哈 府 出 発 。 小 磯 、吉 村 ︹ 綱英、陸軍中佐、第十二師団︺
九月 二十 四日 火
江 守 支 隊 武 市 に着 の電 来 る 。 ﹁ブ リ ヤ ー ト ﹂ 延 着 。
﹁カ ル ミ コ フ﹂ と 会 見 す 。 彼 稍 や 税 沢 な ら ん と す 、 成 功 を 疑 ふ 、
︹マ マ︺
﹁ム ラビ ヨ フ﹂ 記 念 碑 、 師 司 令 部 、幼 年 学校 訪 問 、 見 物 。
九月二十 三日 月
前 途 ﹁ス パ ス コエ﹂ の状 況 全 く 不 明 。 九月十九日 木 午 后 〇 ・三 〇浦 塩 発 。 ﹁ナイ ト ﹂ ﹁パ リ ス﹂ ﹁ヂト リ ツ ヒ﹂ ﹁ギ ルシ
午前和泉と 撮影す。感深 し ( 床 虫 に 苦 む )。 初 夜 ﹁ニ コ リ ス ク﹂
二等 車 に て混 雑 甚 し 。
ヤ﹂ ﹁ ピ ラ ヨ ン﹂ ﹁ガ イ ダ﹂ ﹁ブ ロ ツ ス﹂、 大 谷 将 軍 、 中 嶋 、 ﹁ス パ
着。
之 よ り 一等 の混 合 。
受 く 。 十 時 半 頃 ﹁ニコリ スク ﹂ 着 。 不 相 変 要 領 を 得 ざ る を 以 て 浦
往 生 す 。 風 強 し 。 乗 換 后 ﹁マリ ツ エ フ スキ ー﹂ な る 会 計 の歓 待 を
曇 。 雨 あ り 。 ﹁エヴ ゲ ニ エ フス カ﹂ の 橋 梁 未 だ 全 通 せ ず 、 一時 立
九月 二十五日 水
昨夜来銘酊宿酔醒めず。
小 供 ﹁スト ウピ ン﹂ 見 送 る 。 可憐 也 。
九月 二十日 金 ﹁ス パ ス コ エ﹂ に て 小 磯 ︹ 国昭、陸軍中佐、第十二師団︺参 謀 の周 旋 に よ り 、 亥 汁 の昼 食 に 与 る 。 好 意 深 く 忘 れ ず 。
九月二十 一日 土
塩 直 行 に決 す 。
﹁ス パ﹂ 付 近 三 カ処 の破 点 を 徒 歩 す 。
午 后 八 ・三 〇 頃哈 府 着 。
〓
〓
大 井 師 団 長と 行違 ひ と な る 。本 日午 后 九 時 武 市 に向 け 発 。 ﹁ウ イ ヤ ゼ ム スカ ヤ﹂ の飯 盒 大 に 可 なり 。 九月 二十 二日 日
〓
2783
車 の 一等 ﹁リ ー ベ﹂ に 乗 換 へた り 。 四 十 P与 ふ 。之 は 大 に成 功な
午 前 四時 浦 塩 着 。 其 儘 一番 河 の ﹁デ ポ﹂ に 引 込 ま し め 直 に満 洲列
早 朝 帰 ﹁ホ﹂ す 。 九 三 円 。
寒大。
せり 。
﹁ヤ マト ホ テ ル﹂ に投 じ 、吉 江 と 金 龍 に飲 む 。 仝 副 官 二名 も 来 会
正午 長春 発 。午 后 八 ・二 〇奉 天着 。
りし。
十月 一日 火
九月 二十六日 木
十 時 半 発 、 川 原 、 愛 知 、内 藤 、 稲 垣 、坂 部、 荒 木 、 小 松 原 等 来 り
氏出迎。后者 の案内
迎ふ。
及佐藤哈府領事 の縁者小□
を 受 く 。 規 模 宏 大 、 町 内 欧 州 の市 街 な り 。 露 天 掘 坑 は 最 壮 観 な り
所長工学士□
午 前 六 時 十 五分 □ 貨 物 車 に て、 蘇 家 屯 乗 換 へ、 九 時 半 頃 撫 順 着 。 ︹ 欠︺ ︹ 欠︺
政 況 大 に変 り 、 ﹁ホ﹂ は ﹁オ ﹂ 西 政 府 と 結 び 、 極 東 太 守 た ら ん 形 勢 あ り 。 ﹁セ メ﹂ も当 地 にあ り と 。
九月 二十九日 日
佐 藤 見 送 に 来 れ り 。 杉 山 大 茶 代 の 奮 発を 頼 む 。
午 后 十 時 発 、 愉 快 な る 寝 台 車 あ り 。 静 に 愉 快 に 一夜 を 過 す。
夕 、 佐 藤 の招 待 。
無 線 電 信 等 見 る。
総領事 ︹ 佐藤尚武、在ハルビン︺ 、武内中将。
九月 二十 八日 土
食 す 。 不快 。
午 后 十 一時 着 。 哈 爾 賓 東 洋 館 に投 ず 。 日本 食 を 杉 山 の誘 引 に て外
昨 日 より 大 に暖 。 午 前 七 時 ﹁ムー リ ン﹂ に洗 面 す 。
九月二十 七日 金
十 月 五日 土
8-20am r a rive e So ul,d lg o ed to天 真 楼 。 千 代 本 に 行 く 。 大 に 飲 む 。
十 月 四日 金
義 州5 -3 Opm,left h Guis7-3 p0 m (Japantim e).
Stayed r a es ttu arant 芳.子 に 会 ふ 。left本 渓 湖 。11-35
十 月 三日 木
午 后 一時 発 、 本 渓 湖 に 向 ふ 。 四 時 着 。 ︹ 小島︺喜 久 馬 に 会 ふ 。
北 陵 に 行く 。
赤 塚 ︹正助、在奉 天総︺ 領 事 を 訪 問 す 。 答 礼 に 来 ら ず 。
午前吉江と撮影す。
十 月 二日 水
吉 江 来 る 。 ﹁ヤ マ ト ホ テ ル ﹂。
午 后 二 時 四 十 分 発 、 五 ・三 〇 帰 奉 す 。
き。
長 春 着 。 午 前 九 時 頃 迄 に 見 物 。寒 気 稍大 な り。 午 后 二人 に て開 花
Seoul.
﹁コル チ ヤ ツク﹂ 仝 車 中 。 四 ・五 〇 ﹁ニ コリ ス ク﹂ 発 。
に 入 り 一泊 す 。
am rr , iv a .
九月三十 日 月
出省。
十月九日 水
せ ざ れ り 。 風 邪 。 隆 、 □ 木 □ と食 。
午 后 二時 大 臣 、 部 長 等 に 会 ひ 、 大 臣 よ り 訓戒 を受 く 。意 見 を 発表
本 夫 人 のみ 。
午 前 八 ・四 〇 東 京 駅 着 。 赤 煉 瓦全 く来 ら ず。 親 戚 と 山 下夫 人 及橋
十月八日 火
最愉快なりし。
夜 行 に て 上 京 帰 る 。 米 原 に て岩 下 来 る。
宅 に 趣 き 、 夫 れ よ り 丸 山 に午 餐 し 、富 貴 楼 に継 と 会 ふ。
大 坂 に て功 と 尼 野 ︹ 源二郎︺、 川 村 来 る。 京 都 に 下 車 。 下 郷 ︹ 伝平︺
十月七日 月
午 后 六 時 下 関 に着 。 立雄 父 子来 る 。七 時 発 。
Ar ri ved pJ a n a 6 m,e ambark edI kim ar u.
十月六日 日
釜 屋 来 る 。 一向 に要 領 を 得 ず 。
ます。
拝 謁 、御 前 講 演 。
福 井 会 五時 、 講 話 。
十月十 六日 水
午前山本 ︹ 権兵衛︺大 将 ︹ 予備︺を 訪 ふ 。
と 山 口、 花 本 に飲 む 。
井出 ︹ 謙治、中将、軍務局長︺ 、安保 ︹ 清種、少将、軍令部第 一班長兼海大教官︺
十月十 五日 火
大 臣 水 交 社 に招 待 。 艦 隊 と 共 に 晩 餐 あ り 。
十月十 四日 月
昨夜之請求気に喰はず。
交詢社之招請断る。
十月十 三日 日
次官花月に。斎藤 ︹ 実︺大 将 ︹ 予備︺と 花 本 に 。
十月十 二日 土
伏見、東伏見両宮に御礼に行く。
十月十 一日 金
伏見若宮より賜物あり。
四 十 一期 会 を 断 る 。
を約す。
交 詢 社 よ り 突 然 明 十 一日 の 午餐 会 に出 席 を頼 ま れ しも 断 る。 次 週
東宮 ︹ 裕仁親王︺殿 下 、 伏 見 ︹ 貞愛親王、陸軍︺大 将 宮 、 東 伏 見 宮 ︹ 依仁
金時計拝領 。
7 Op -m 5 .悦 子 、 常 子 送 る 。 栄 一に大 に 将 来 を 励
親王、大将、軍事参議官︺及伏 見宮 ︹ 博恭王、中将、軍令部出仕︺に伺 候 、 拝
r ain. y LefS t e oul
謁す。
十月 二十 二日 火
( 雨)。
出省し奏上文を認む。
八 王 子 に清 遊す 。
十月十日 木
夕 刻 よ り 雨 降 る。
午 后 招 魂 社 に参 拝 。
午 前 岩 佐 氏 来 訪 。 午 餐 を 倶 にす 。
十月 二十四日 木
八 王 子 大 ︹た る み﹂、 星 雲 閣 、 一名 紅 葉 ﹁ホ テル﹂ より 帰 る。
十月 二十 三日 水
有 馬 中 将 八 ・四 〇着 。 出 迎 ふ 。
十月 三十日 水
花 月に 「 ギ ル シ ヤ﹂ を 呼 ぶ事 極 る。
津 留 来 る。
終 日書 物 。 講 演 準 備 。
十月 二十 九日 火
十月二十 六日 土
米 国 は主 と し て西 伯 利 の経 済 的 発 展 に 大 勢 力 を 注 ぎ つ ゝあ る 。 西
西 伯 利 の将 来 は 大 に開 発 せ ら る であ ろう 。
日本 新 聞 の誇 大 な る報 告 が 損 を 為 す 。
︹ 末尾メ モ欄︺
参謀総長 ︹ 上原勇作、陸軍大将︺ 、軍令部長 ︹ 島村速雄、大将︺紅 葉 の招 宴 。
十月二十 五日 金 ( 出 省)。 「ギ ル シヤ ﹂ 及 ︹ペト ロ フ﹂ を 帝 国 ﹁ホ テ ル﹂ に 訪 問 す 。 ︹ペト ロ フ﹂ 本省 に 来訪 。
赤坂 瓢 屋 に 福 田 ︹ 雅太郎︺参 謀 次 長 の 招待 を 受 く 。 宇 垣 一成 ︹ 陸軍少
に 兵 力 で独 逸 を 叩 き 、 東 に 西 伯 利 に て経 済 的 大 発 展 を や り 、 恐 ら
□ 子 出 発 、木 脇仝 行 。
将、参謀本部第一部長︺ 、中嶋 正武 、星野金吾 ︹ 陸軍中将︺ 、福 田、高柳
く 頭 と 腕 と 金 で 出 来 る 丈 米 国 と 平 和 的 に 競 争 し て 遣 る べし で あ る 。
く 戦 后 の米 国 と 云 ふ も のは 非 常 の力 を 増 す であ ろ う 。 日 本 は 宜 し
之 でも ゆ け ぬ 国 民 な ら 駄 目 な り 。 此 点 よ り 日 米 親 交 が 最 も 必 要 、
︹ 保太郎、陸軍︺少 将 ︹ 参謀本部第二部長︺ 、長尾 ︹ 恒吉、陸軍︺中 佐 ︹ 参謀本
海 軍省 に行 く 。
部庶務課長︺ 。
相 提 携 し て尠 く も 七 分 三 分 を 西 伯 利 の経 済 的 発 展 之 分 前 を 取 る事
が 出 来 れ ば 重 畳 で あ る 。 徒 ら に 米 国 の為 す 所 を 女 々 し く 悪 口計 云
︹ギ ル シヤ ﹂ 及 ﹁ブ ロ ツク ﹂ を 大 臣、 部 長 に 紹 介 す 。 ﹁ホ テ ル﹂ に て午 餐 。
は ず 堂 々と 真 剣 に 太 刀 打 す べし 。
す る ﹁チ エ ツク﹂ を 危殆 な ら し む る の み な らず 、進 む で聯 合 国 軍
た る 過 激 派 の為 す 所 、 全 然 聯合 国 に親 善 に し て 、之 と 作戦 せ んと
︹ 陰︺ ﹁チ エ ツク﹂ 今 回 の行 動 は 独探 の隠謀 益 甚 し く 、 之 に指 嗾 せ ら れ
日 本 艦 隊 行 動 の ﹁モー チ ー ブ﹂
十月 二十 七日 日 溝部来訪。 雨甚 し。 午 后 書 物 。
出省。 ﹁ ギ ル シ ヤ﹂ 招 待 の交 渉 。
十月 二十 八日 月
大 橋 と 紅 葉 館 に飲 む 。
は んが 為 め立 た る軍 隊 の自 衛 及 対 独 行 動 な り 。 政 治 上 何 等 の意 義
需品 の奪 取 にも 及ば んと す る形 勢 にあ り 。 而 か も 浦 塩 が 右 の如 き ︹ 態︺ 形 勢 を 防 止 し 能 はざ る不 安 の状 体 に全 然 沈 倫 せ る 危 殆 の形 勢 を 救
を 有 せざ るを 認 め全 く 軍 事 行 動 と し て ︹ 以下中断︺
CBMVO
大正九年
出仕(欧 米 出張) 〔 八月十日、海軍大学校 長〕
Commander L.DI.Mackinnon.
Dockyard RAS,H.H.Bruce.KCBMVO― HMS
Hercules(Reserve)
R,AdC,Corbett. 〔冒頭 日付なしの
CBCVO.
欄 〕
欧 州 視察紀行特ニ兵器会
社 等
フ オツシユと会見(三
月二
一月 五 日 月
日)(実)
GIC
Bally
Flat 一月一 日 木 New
Year
teresting
St
celebrated meeting
at Casino,Berlin.Past
night
of
1919
very
in
of―.
at
toast
for Japan.
Hotel
Prince
Luprecht 80人assembled.I
Dresden,stayed
Left
金
Dresden
returned
Hotel
Astria?
Treaty
Berli
Left
Captain―.
約す
Berlin.Downie
一月 十五 Tomkinson
ratified.
一月 十 四 日 水 此 日Tr契
Hood
Wilfred
Hous
一月 十日 土
一月 四 日 日 Hms
gave
Peace
一月 三 日 土 for
Reed
str.8.Alexander
一月 九日
meeting
Berlin
great
Mamsions
跡ではない 〕
一月二 日 金 Japan
Left
8
Georges
Arr.Cologne
。 met
日 木 9 am,luncheon
me
C-in-C
Sir
Came
brought
Robert.
to see
us
at Station,left
Cologne
6 P.M.
my
Julia
Nord.Stayed
Princess
Hotel.
Ford.
Scott.44
mansion Leinster
Brixton
gnos
Rd
Brinton
Paddington
2229.
に貢献せられし事は
会 に 於 て貴社の益
Left
々隆盛
此 に申す迄もなし
て製出さるゝ所
希 ふ 。 又 此 の政策を以
の殺
て一貫し
続 す べしと信ずる日英と同盟 く 精 鋭ならん云
々 に於
。予は
にして、理事始め各社員 人 の具が、愈精鋭
にし
「ゼ
て凡そ正
此 の主義
に於 日本
の降魔
の利刃も
社 のよく多き援助を乞ふ事切なり
Milan
by
二 月 十 日 火
一日 水
I thought so
pressed
moral.I
there
should
to
the
love
have be of
never
no my
war
dreamt between
country.Andthis
少将、練習艦 Diazz.Adm.Taore
二 月 十 二 日 木
。 此条件を承知せば予一
your
train,W
Sechi,&C.G.S一Gave
Horiuchi〔堀内三郎、
。
respect
evening
二 月 九 日 月
Hotel.General
English,I
is
Left
Minister
一月 二 十 八 日 水
heart
a.m.Very
二 月 八 日 日
二 月十
人 に て処置すべし
my
10
。
一月 十 九 日 月
as
Basel
等し
patney.
我 海 軍 に て覚書を破棄せざれば承知せず
you
Basel.Ar
metGrandHotel.
て成立し又今后も継
一月 十 八 日 日
raying
8 a.m.for
Arr.Roma,10a.m.Ishida〔石
の利刃たらん事を
に忠実なる て貴
此機
の驚くべき
義 人 道 に背き世界の平和を害す悪魔を征伏する
I love
Paris
Arr.MilanineveningstayedGrandHotel.
昆 社 が 此 大戦争
Hammersmith
done
二 月 七 日 土
4677.
一月 十 七 日 土
ニ ア ス 」を以
conduct.I
have
二 月 六 日 金 Left
11,grenshaw
to this
admiralty.
一月 十 六 日 金 Arr.Paris
me
country,I
of
bet
us.Yet
Ambassador's
Din.Presentation
class
of the
of Crown
state
二 月 十 四 日 土 Audience great
with
H.M.Long
honour.LeftRoma
even
Left
二 月 十 五 日 日 Arr.Spezia.Chief
of
the
Staff
Dreadnaught,&C‐in‐C,Cogni
and
Lt.Com.met
very
us
at station.Visit
jolly.Adm.Dinner
at
official
Paris
evening.
二 月 二 十 五 日 水 Bruxelles
arr.Morning.Visit
House.
二 月 二 十 六 日 木
二 日 十 六 日 月
Left
Left
Spezia
Consul
4-30
general
PM.Arr.Genoa Carcis
very
about
8-30
PM.Hotel
Bristol.
kind.
Ostende
(yser
Genoa.Arr.Nice
evening
9p.m.Stayed
Hotel
Continental.
Visit
for thanks.
Monaco.
二 月 十 九 日 木
二 月二
十 日 金
Visit
C‐in‐C&Ports
二 月二 Left
十
Barracks.Heavy
the
storm.Left
Toulon
5p.m.
Hotel.Dinner
at Hamazaki.
一日 土
Marseilles
Arr.Paris
evening
10a.m.La
arr.Paris.
二月 二十 四
6p.m.Lunch
minister&chief
of
日 火
with
Mr&Mrs
Hamazaki.
案内掛Commander
Peruase
Hotel.
Broadley.
General
Foch〔仏陸軍元帥
くtruth
only!Left
使館付武官
〕&other
Gare came
〕とm
Nor to
Nonaka〔野中季雄、造船大監 Genoa
日
二 月 二 十 三 日 月 Horiuchi
French
Hotel.
at dark.Hotel―.
二 月 二 十 二 日
1‐30p.m.Arr.Paris
三 月 二 日 火
Arr.Marseilles on
Brussel
三月 一 日 月
Nice,1‐30p.m.Arr.Toulon,4‐30p.m.Grand
shown
morning
river),Ronler□Mons,returned
Left
Flag
early
二 月 二 十 八 日 土
二 月 十 八 日 水
Left
Zeebrugge,Oste
二 月 二 十 七 日 金 Left
二 月 十 七 日 火 Left
Brux.Visit
by
strike.
三 月 三 日 水 Fine
but
cold.Broadley
letter 三 月 四 日 木
from
Home
cam
tel
Naval
personal
Committee
Slivt.Nonaka,Godo
arr.
三 月
Norway
House.Presided
by
Captain 三 月 十 日 水 Coffee.
五 日 金
Admiralty Came
broke
promiss
to apologize
not
to
at 11
understandable
by
see
us
on
ac.of
a.m.appointed our
ambassador
time.Most
simple
meeting.
Central
apology,
8‐55
said
politicians
see
only
Paddington
met
me,took
to
what
was,while
statesmen
see
2‐40p.m.Arr.Plymouth
what
8‐15P.M.
To
maintain
三 月 八 日 月
navy
Whitley
service).
Council.
①Shop Committee.
Captain
三月 十 Committee.
Council.
CB,H.M.S.Vernon
Torpedo
School.
Capt.AH
Warstell.
Capt.AR
Palmer.
use
university
Norgate.Morning
Whitley
at
Wh
MacIculan. B.□
beer.
Hotel
year
一日 木
Comm.RS
三 月 九 日 火
House
two
years
Fort□House.
Whitley Waistell
artifice
yards&2 yard
p
Smith.Whi
H.M.S.Vernon.
Committee.
④Admiralty
always
Gooden
Barracks.Ordnance
his.
C‐in‐C dinner.
②Departmental
peace
Commodore
private
③Yard
tra
R.adml.Watson.
wouldbe!Left Payne
5P.M.
Physical&Recreational
mind.
三 月 七 日 日 Burk
3297,Webster Victoria.
with
library R.adm.Huder
Payne.Left
Council
Yard
Plymouth
of
moderate Hill
M.2―12
knowledge.William& visited
10‐15a.m.Spirit
Committee.Dept.Committee.Shop
me.Called of
Grand Heroism. Committee.
cylinders. 1200
12"Guns each
HP,two 10
sets=24
deg.
training,fixed
loadi
(Diesel)□.Diesel
boat
turbine.Motors
350
Vernon.□K
class
K.9.25
knots
two
thousands,10000
REBELS'TIME‐TABLE
HP
H.P.10‐11K.
Midnight―Rebel
5 m
5
L.M.U.1‐30
training.
Troops
a.m.―Arrival
at
bega
the
三 月 十 二 日 金
himself
Dinner
10 a.m.―Proclamation
issued
has
that
C‐in‐C Burney.
Howard,afternoon.Eversed&Balygmont R.adm.Deut.Capt school)Submarine Ostome
Coluge.
Captain
Taylor.
Commander then
LD.Torp.search
Lear,attack off.often
control.
go
ceased
to exist,and
三 月 十 四 日 日 Left
to Fleet.
London
9‐15
on
years
sea
2 year
4 m.
I saw
sub.Lieut. lieut.2
years
on
at Vickers
locomotives,buildin
sea の後Special
courseに入
Hotel.McKachny
三 月 十 六 日 火
る 。
Left
submarine□special.
三 月 十 七 日 水
三 月 十 三 日 土
Lunch
coffee.
Interview
Tiger(H.M.S.)mast
head にR.F
topあり
dest.H.M.S.sharpshooter.Commander this
college
owing
New
scheme本分半分の賛否なり
Left
Portsmouth
。Visit
told to
1‐50.Arr.London
K.8とK9,L2,M3? 〔新聞切抜か
P.M.sleepers.
Cinearelia.Arr.Barrow&visit
Cowan.midship
2‐4
evacuate
Ebert
三 月 十 五 日 月
G.T.N.E.Sig 9ケ月as
Sub,for
Lt
Teacher(Submarine&Torpedo
Chancellor,and
Tier
decrease
me
Osbourne
they
of cadets.
are
by
going
Sir
Barrow
PM.Arr.Londo
Broadley,Downie外三 with
Walter
long
will
to they
for
prefer
open
1 1ord&1st thanked happy
4‐50
pm.Went&dined湖月
Downie
fo
continu
alliance.
。将来は折衷となるべしと。 会見day.加兵同行
1‐1/2 〕
1-15
。
came&lunched. champagne.5
cocktails
Brock曰く、英の財政上他に比して未だban
taxを以て吾人が戦争にpay しめ財政を破壊す
outせし故なり
。Loanは子孫を苦
Carlton□.Capt.Ctoo,D.N.O.
。
三 月 二 十 四 日 水 with
三 月 十 八 日 木 Cinema&Chinese but
Rest.I
what
and
I can
I admired
by
his
of
tell and
noble
and
he
what
himself
should
do
done with
三月十九 lunch
liked
him
should
I have to
quite
patriotic
German□.I
all
can't
you
and
done
ready
or
is
saving
this
under
for He
what
to
his take
rumour.I
my
paper
perfect
whatever,he
gentle about
navy
is
of
is entirely our
anything
thought be
say
say
straight
impressed country
me
and
□
responsibility must
own
says,
gentleman
for
repeat
responsibility
nothing
government.
1 cocktail.1
whisky.
THE London 三
1s per
quarter
recreation,Etc.―Chief admirals
tower,captains
t
tower,外
5.5 director
tower
tank
S.L
towerの下にtor
London
せるは
37×5000
ton 外160,000
SW 月二 十 三 日 火
MORE.The
Baker
St. Dorland
basinをc
1916‐9‐9□
二ケ年を要せり
fo□m
TO
room
Morning.
六ケ月にdestroyer
soda.
School GATE
fund
Return
〕を経て京着其他に滞在す電来
三 月 二 十 二 日 月 Harrow
Ships
room,decoding
土
1 cocktail.1
六日 金
三 日二十七日 土
〔良武、大佐、米大使館付武官
二十日
十
水線下にあるものAdmiral
直に其他を問返す。
三 月
三 月二
Rosyth.
Rosyth.
」と対抗するは吾人の急、之を
全ふするには独を助くるに在りと信ず。
る。
for
り 。又for
「ボルシエウイスト
米の上田
at lunch.Dinner大使
月二 十 五 日 木
Leave
that
and
日 金 alone
三
clines
三月二十八日 日 Agency,Ltd
16
Regent
Street
Lunch
Nicks&Anna来る筈
三 月二十九日 月 □74292
□、
。 □,over.
Invitation Lunch
Dinner
Garrick
Vickers.
六 万 屯
club,Garrick
St.1‐30
p. m.
Yoshida.
〔裏見返し欄 Charles
三 月 三 十 日 火 Dinner
Uyematsu.植
松 。
J.Greenwood.c/o 7.Colville
Miss Terrace
三 月 三 十一 日
Sunnydale. 32westwell
Tickner.
Bayswater.Jannette
Greenwood.
□.
S.W.
水
Liverpool,postponed. Biniestable
Sir
Philip,at
lunch.Mirror
of
Gentlemen.Smith?
〔 末 尾 ノ ート 欄 〕 Reparation
ship
G.B
70
Fr
11
Italy
10
Jap
8
U.S.A.
2(仏
Oldenburg
1
Cruiser
1
Destr.
3
、 以)
Eagle-air argus-Depot 安 社 にnew
shipあり
「プロパバガンダ
delay.
。
」八%は右の外(土耳古九千屯一)以上二
口合計
Rd.
〕
︹ 東京毎日新聞社社
軍大学校長 大 正 十 年 ︹海 九 月 二十 七 日、 ワ シ ント ン会 議 全 権 委 員 首 席 随 員︺
2 .D.H
.M.G. V C.O.
︹ 冒 頭 日付 な し の欄 ︺ 英 K.C 仏 c mman deur 以 大 崎 、 千 代 ケ 崎 六 四 五、 三条 公 邸 の隣 、 山 本 実 彦 長︺。
一月 十 日 月
K arfu en lk .
Iju ︹ 伊 i集 n院五郎、元帥︺dies.
No tt aendance towarcoll ege! 一月 十 三 日 木 Admira oh l f e t F ee l t 一月 十 五 日 土
Noattendt o coll egn e a o ccn ot uof
一月 十 六 日 日
佐 藤 病 院 に 行 く 大 に 良 好 の診 断 を 受 。
Furu en lk !
Fe ur naA ldm.Iju.in Cur e
一月 十 八日 火
︹ 友三郎︺大 将
︹ 海軍大臣︺Sp ee.ch
大 正 四 年︱ 九 年 戦 功 に 依 り 功 三 級 旭 日 重 光 章 及 金 一五 〇 〇 円 を 給
一月 二十 五日 火
ふ。
一月 二十 六日 水
講習結了。加藤
鮎 川 義 介 、 市 ケ谷 左 内 丁 三六 、 番 二八 七 六 。
Capa taS ii nr M ca ol lm aFs e rr .
ac津h留 id 、a 岩.下 、 内 藤 、 高 松 、
club So en f tai 5 Adm.Kato,Aa rim ︹ 有馬 良橘 、大
将︺, R.A.SaitoEhb,ia hraC ,aptH.
Invitan ta it oMaple
18ValeAven .Che ea l, s SW.
wnie a clltcaoe lg l e.
off.w Ci at lh l s Aa rk ia.
一月 二十 九 日 土 dam y.3 F1s r to l ast
一月 一日 土 Snowy
sirk eo ise hg ui sn bMajorMr . &sDo
一月 六 日 木 Kancho
一月 三十 日 日
松 平 忠 左 、 田 村 、 鈴 木 、 etc.愛 知 万 五 郎 一七 名 。
二月二 日 水
Vi sit大 森 with 孝 alsw oan tto see愛 憐 園 establim se hnt.
一月 九 日 日
Kojima.
Karfunkeler s s .uff Dr
松平慶 民子来り。小松
︹ 輝久︺ 侯
︹ 大尉、海軍大学 校甲種学生︺ の 供 奉 に 三 月 三 日 木
to
match
H.I.H.Cro wn Prince︹ 裕 仁 親 王︺ sta ts r graciog ul sa ln yd to on En
proge ri ag mh et i︲ g ths i
Kat oric ,c aompanibe yd Kasima. 三 月十 一日 金
︹ 井出謙治、中将︺と 語 る 余 地 あ
Japan ade vs era tb io su t Naval
れ ど も 、 宮 内 省 の 申 込 を 待 つと 。 頗 る co olな り 。 二月 三日 木
America 19 n1
付 き 相 談 を 受 く 。仝 行 し 別 れ て 次 官
Sno wing o fm r 10 aa bm out.
此 日 よ り 風 邪 に て苦 む。
pro .B ge rg ai mn M s ar.11︲12︲1 .3︲15
二月 五日 土
att.
6
Fine c, old
Spain aN val
四月 十 八 日 月 Uyeno.
二月 六 日 日 Fine.C aT la lk s ha i,Isaeo e, wf ar lk
四月 二十 日 水
二 P M水 交 社 講 説 。
四月 二十 三 日 土
百瀬 。
久邇 宮 。noon.
四月 二十 二 日 金
&anKoo 今 立 、 Seiye on k.
Ishi ag ki irony et o mah dim.
二月 七 日 月
p.m.
p.m 水.交 社 。
den wk .S oome
︹ 軍令部長︺2
kas ih go u se n e
Fine,cold. Vi sit
︹ 源太郎︺ 大 将
二月 九 日 水 山下 二月 十 日 木 法 友 club 銀 行 clu丸 b ノ 内5
五月 八日 日
四月 二十 七日 水
Tokio eki.
.
car,
a.m
二月 十 一日 金 9︲10
Die nr n.
Exib.
赤 十 字 lunc正 h. 午、芝公園。
Imp.luncheon
賢 所 赤 坂 、 三 河 や 、 武 田 。
五月 十 四日 土 P.M.&
上 野 Animal
eki.
Kamakur .a
五月 十 五日 日
地 学 協 会1
二月 十 三 日 日 Suag T mi e ay ig
(大 久 保 )。
二 月十 六 日 水 清 水
no. on
五 月 二十 一日 土 国 技 館 、12
て政 策 の□ 又 は 継 続 た る の傾 向 を 生 じ来 れ り 。 之 が自 然 と結 果 と
界 甚 不 明 に し て 国 際 関 係 の錯 綜 し 通 信 の 発 展と 共 に益 す 戦略 を し
く の場 合 、 軍 の之 に 当 る べき も のと す 。
し て国 家 が 最 后 通 牒 を 以 て 政 略 よ り 戦 略 に 移 ら ん と す る 時機 は多
稲毛?
殊に海軍は隠匿性を利用し、殊に戦争準備を完了し得るを以て開
五 月 二 十 二 日 日
五 月 二十 三 日 月
な る が故 に曖 昧 な る立 場 を 甘 受 す べか ら ず 。
リ ー ハンド ﹂ を 与 へお く と 共 に 長 官 も 亦 如 此 の時 機 に煢 単 し 栄 職
之 を 以 て大 本 営 は 適 当 の時 機 に 廟 議 を 一決 し 出 動 艦 隊 長 官 に ﹁フ
﹁コル ベ ツト ﹂
戦 の時 機 も 海 軍 に よ り て始 ら る ゝ事 多 し 。
C ategoIrmipcearlativ (国 es 家 )。
府 下 四 ツ木 初台 五 百 九十 四 今 立 裕 。
日清 、 日露 、浦 塩 。
孫子 3
Dialec弁 t証 ic 的。
綜合定
(p) hil
2
s.
第 一、 東 亜 、 印 度 の平 和 保 障 に 太 平 洋 を 加 ふ
日英 同 盟 条 件
( 頭 本) 本 田益 次 郎 。
Sparw ro
両国雀屋。
g eda
開 戦24h前 に出 発 す
反 定
万法精理
︹五 月 二十 五 日と 二十 六 日 の間 の方 眼 紙 十 五頁 ︺
海 予 協 会afternoon.
五 月 二十 四 日 火
造兵廠。
de i lo
1
(Aristos t )ele
polit 国i家c的 oa nnimal
Antithsesi
thesis
Esprit
定 人 はZoon
Thesis
R ocher.
呉 服橋 福 屋 。 □機部。 兵 は 国 家 の 大事 安危 存 亡 の □ □ る所 、而 か も政 略 と 戦 略 と は其 限
第 二、 支 那 の独 立 保 全 を 除 き 、 商 工 業 の機 会 均 等 之 義 を 加 ふ 第 三、 軍 事 協 約 を 除 去 す ( 国 際 連 盟 の精 神 に 違 反 す )
西洋人は社会より国家に飛ぶ。
9︲1a 5m . 10 月︱ 1
山 田着 二十 二 日 1︲32P
ざ る 侵 略 戦 に は 決 し て 勝 つを試 み ず 。 日 本 は 侵 略 国 に あ らず 、武
日 本 国 民 が 戦 争 に 強 き は 武 の精 神 に依 る 。故 に 大義 名 分 正 し か ら
外務大臣
山 田発 二十 二 日 4︲48P
の 精 神 に よ る 国 防 のみ 。故 に 列 国 が 正義 公道 に より 極 東 に自 由 競
pm
柘 植 着 二十 二 日 7︲50P
争 を 欲 し て 背 后 の 兵 力 を 廃 す る な らば 、 日本 も悦 ん で 之 に応 ず る
東 京 発 二十 一日 11
柘 植 発 二十 二 日 8︲50P
gens iと u abilで i競 t争 yし よ う 。
であろう。 裸 一貫 で
京 都 着 二十 三 日 12︲1 a4 m
Hel t
京 都 発 二十 三 日 Shoreo ham
岩 永 祐 吉
日本 電 報
国際通信
東 区︱
田中
陸軍
五 明□
外務
海老 名 一雄 新 聞
上 田 碩 三
山 縣 五 十雄 雑誌 記者
松廊下
上本町、河村、 山田桃水 悲北曲家
あ は ご 御 松
ke はy自 己 保 存 で あ る 。 故 に 個 人 を 包 容 す る 国 家 が
本 野 屋 、9 ︲23 人類生活 の
f 田o 代r 少 佐 歩
水揚酸千倍
松 島 軍 医
lie vを e忘 p れrinc西 i原 pl〃
〃
松 田 中佐 砲
let
古城
Securf ii t st y r と す る は 当 然 で あ る。 但 Securは itV yiolence
le iv&
v ioe lの e旧 nc 主 義 に よ らず と も amice abu lnd t a en rd siを n出 g来 る 事 は 英 仏 の如 し 。 希 く は米 諸君 は
ず に 吾 人 を し て 生存 せ し め ん が為 め に特 種 地位 を 認 め し めよ 。 日 本 人 は 個 人 よ り 国家 に 飛 び 、
予 は 全権 に あ らず 専 門委 員な り 。 故 に 政治 問 題は 予 の範 囲 外 な る
5
pow er s 大
prog.
}首席
のみ な ら ず 軍 人 と し て努 め て之 を 避 けざ る べ から ず 。 而 か も 予 は pr o □
Standing
Allect hnci
小 Subc jt es
軍
率 直 に 軍 縮 問 題 に 関 す る 所信 を 披 瀝す る事 を 得 べ し。
limit 問a題 tに i関 on し て は率 直 に 自 己 一個 人 の見 解 を 述
予 は 軍 人 な り 。 故 に 何等 外交 的 □念 を 用 ゆ る 能力 な し。 故 に所 掌 に属す る ぶ べし 。 唯 政 策 問 題 に 関 し て 同 一の 主 旨 に よ り其 の範 囲外 た るを
軍 首席︱ 9
Committee
軍 縮 は 吾 人 の最 も 歓 迎 す る 所 な り 。 大 統 領 の言 の 如 く ⋮ ⋮ と雖 尠
政 首席︱
承知されたし。
く も 強 渉 的 に 制 限 を 協 議 す る 事 は 予 一人 のみ な ら ず 、悲 く 対 国 民
5
全 般 の熱 望 す る所 な り 。 吾 人 は □ □ □ □ 国 人 の重 務 を も 成 す る と
Balfoは u何 rか 云 ふ 。
同 時 に彼 我 の諒 解 を 遂 げ 漸 次 逓 減 し て海 軍 力 を 以 て政 策 の具 と な す の思 想 を 根 絶 す る に至 ら ん事 を 希 望 。
Subject
all□&T.C
a
C ommie tte
政首 軍首
□ all
9
日程
言ヲ R慎 rム
議方法 )︱honestly (
F auk 4M u. z Pw .
五月 二十 七日 金
極東首席全権︱
日程 軍縮首席全権︱ (議 事方法)︱Subject
5
main standing
革 鋭を 擬 し て初 の相 談 を や る事 は 根 本 か ら 誤 だ 。 理 論 よ り も 実 行
222
と 感情 が 先 に立 つ。 人を 脅 か しな が ら、 協 定 し よ う と 云 ふ のは 強
5035,Roo m
迫 と 屈従 の他 何 物を も得 べ か らず 。
Gordon
Sato o Cma hsu Hotel □16 □8 st. K .Hanazono Os aka M ai Tn ei l Mc . ah ii n,
六月十 二日 日
紅 葉館 。
五月三十 日 月
佐 々木 、 高橋 来 る。
五月二十 八日 土
大学校送別。京橋
九月十 一日 日
水交社、森大佐。会議 ( 教 育) 午 前参 内 。
九月十日 土
小嶋。
九月九日 金
clu 銀b 行. 倶楽部 。
buil5 dP iM n. g
六月十六日 木
結 婚式 杉 山 、 古 川 。
九月十四日 水
九月十 五日 木
自 分 の 聞 た る 所 は 君 の云 ふ 所 迄 は進 む で 居 ら ぬ と 思 ふ 。Standin法 g友 Comme ie t 迄tな り と 思 ふ 。
帝 国 ホ テル 、 大倉 。 ︹ 欄外︺朝 学 校 。
七月十 一日 月 太 平 洋 会 議 の招 待 内 交 渉 。
坂 本奴 、 呉行 。
松︱ 平慶 民 氏邸 。
九月十 六日 金
八月 二十 八日 日 いさ は 。 八月 三十 一日 木
大 難 関起 ら ず し て 有利 に復 る
纏らず
紅葉館。
九月十 七日 土
ma ple.
雷 地 豫
本国堂。
地 雷 復
(Davidso in nnD er )
九月十九日 月
1P..M
九月 二日 金
lunch
︹ 依仁親王、大将、軍事参 議官︺。
二 〇 、 二 十 一両 日 中 午 前 に 東 伏 見 宮 へ 。
午前十時半東伏見宮
山 下 6 P、 田 中 家 。
九 月 二十 日 火
伊藤
館 山 御 安 着 。 大 慶 々 々 。 国 民安 堵 。 ︹ 九月三 日の次 のメモ欄︺ 中 村 、 山 下 よ り 問合 せ 。 中 村 へは 上□ 、 山 下 は 十、 十 四、 十 七 の外 は差 支 な し と 答 ふ 。 九月八日 木 山 崎来 る 。 11 A M。
呉、水交社。
松賢吾。
九 月 二十 四 日 土
参拝。
九 月 二十 三日 金
呉 へ向 発 。
九 月 二十 二日 木
福 井 会 6 P M。
九 月 二十 一日 水
陛下還幸なれば三時。
十 月十 二 日 水
領事 矢 田 ︹ 七太郎、在 サンフランシスコ総領事︺、 小 野 寺
st at ement
ArH ro .nolulu about 3PM .
十 月十
小 島 。
m ostlyeasは
十 月 八 日 土
passengers 頭 本 、 杉 村 、 伏 藤 、 上 田 、 岩 永 。
十 月 三 日 月
同 上 ︺1 19 、 田 路
Honol1 u0 lua.m.
able
franLke. ft
(朝 日 )。
&
& f eiw neatherprevailed.
十 月十 三 日 木
b wu et llss h ri op lla edl ite t .l
ot faet sme er ny e ttg x vo r eo md e, lya gree
made.
calm
︹ 坦 、 造 船 少 佐 、 同 上 ︺ 17 。
下村 、 二十 八迄 。
Echo
一日 火
九 月 二十 六 日 日
Exte rl ey m goow deather
呉発 。 九 月 二十 七日 火
M ayor Rolph R, adm. aH lsteG aedn,erW ar ligh領 t, 事 矢 田迎 ふ。
ancisco a.1 m1 .
十 月 十 八 日 火 Arr .SF ar n
十 月 十 九 日 水
DP ir na ni er rie
Chick. en
︹ 欄外︺ 政 策と 軍 備 の 関 係、 新 聞記 者 。
For
十 月 二十 一日 金
セプ シ ヨ ン。 先 づ 大 成 功 。 午 後 六 時 発 。
十 八 日夜 ホ ル ス テ ツド 晩 餐 、 十 九 日 ラ イ ト 陸 将 午餐 、 午後 市 庁 レ
山 口 の話
b wa ea dther.
︹ 大助、主計少佐、
十 月 一日 土
oil eq su tion.
Lunch□.
九 月 二十 八日 水
︹ワシント ン会議 全権
帰 京 、 四時 会 。
︹友三郎︺大 将
︹ 良武、 ワシント ン会議随員︺ 10 、 榎 本 、 武 井
Yokoh東 a郷 ma 、,井 上 、 加 藤
十 月 二 日 日
Postpe od n by
Left 委員︺。
堀田、上田
十 月 三十 一日 月
AM.Lim iti a ot n .
十 一月 十 五日 火
下打 合 せ、 修 正 。
総会。
PM.Far︲s E e t a rn .
十 一月 三 日 木
3 P.M .
Mr. Thomso3 n︲4.
十 一月 十 六 日 水
Geor eg se .n "t H Ie or l on me n a a ew l t rs i vNiSce."
十 ﹁月 四 日 金
10︲ 30 . am.Limitat第io 一n 回 分 科 会 。B 70 % を 発 表 す 。
Thomso .n 十 一月 五 日 土
11 .a m.分 科 会 質 問 。 調 査 の 為 め 散 会 。
eatty.
第 二回 分 科 会 。
News ReceptiE og ne v .d nr ie n ss.
4 p.m.Sub︲ Cm omi ee ttの 十 分 間 後 、 Roose evlt と会 見す。 妥協 を
十 一月 十 七 日 木
lunc永 h野
申込む。
十 一月 八 日 火
十 一月 九 日 水
十 一月 十 八 日 金
︹ 修身、大佐、駐米大使館付武官︺ (米 海 軍 laush )er
dinne ur byD .e
Po st
十 一月十 一日 金
上 田 Roose に 会 ひ 、 Mond ayを 約 す 。
十 一月 十 三日 日
Hughea snnoune s.
総会 始 め。
大 臣 と 抗 争す 。 十九 日 の会 見 談 を 話 し所 信 を 述 ぶ。
十 一月 二十 日 日
大 臣 、Balfou 加r藤 ,会 合 。Existi Sn tg rengのt止 hを 不 得 を 話 す 。
十 一月十 九 日 土
18Ie 日 n er t dtw pi rn obl ems.
Unknown
休
十 一月 二十 一日 月
daedserv ce i.
十 一月 十 二日 土
十 四 日 全 権 下 打 合 せ 、 十 五 日 総 会 の み 、 十 六 日 第 一回 分 科 、 十 七
CoontP zr ,atC th ,atwin, sm ey lf.
St ae t depme an rt に 会 合 。 HughSepseech . (Balf) ou (加 r藤 友)
Brianee s cp h
十 一月 十 四 日 月
日 第 二 回 分 科 、 ﹁ル ー ス ﹂ と 会 ふ 。 二 十 四 日 、 日 英 米 会 見 。
MaD ie nlgeate e e.Committ
R ha ows
receptM i. on
Army & Navy
ir
十 二月 一日 木
a
十 一月 二十 二日 火
D inner
ou of r . pro
米 回 答 来 ら ず 。 (本 日 午 前 迄 の 約 束 な り し )。
Balfo来 ur り 、 加 藤全 権 と 語 る 。
Offered
十 一月 二十 三日 水
Chatfi来 el るd。
L oan m .ps
Rowsha.P.Tokug ︹ 徳 a川 w家 a達、 ワシ ント ン会議全権委員︺。
十 二 月 二 日 金
9P.
B alfour,Hughes会 ,K 見a重 to 大と な る。 十 二 月 三 日 土
(夕 刻 米 回 答 来 る )。
1 P.M. 米 回 答 な き 為 め 午 後 四時 の会 合 延 期 す
Mr.Moore
十 一月 二十 四 日 木 米 回 答 の研 究 。
English
WW.. N.
十 二 月 四 日 日
見舞に来る。
十 二月七日 水
Sに t送 aる ti 。on
TSI P. .M 7 .︲30
十 一月 二十 五日 金
請 訓 発 。 予 も 亦重 大 電 を 発 す 。 □ □ 取次 ぐ 。 政友 会 電亦 仝 じ 。
1900
午 前Hill(Lt.comma) nd来eり r 、Chatfie 不l在d の 為 め meeg tin
Snowin g.
︹マ マ︺
を 10a.m.Monと da すy る 事 に申 来 る 。capta以 i上 nに s前 後 策 を 相 談 し決 定 す 。 海 軍 会 大 に酔 ふ。
上 田 をPrat とt英capta とi会 n合 せ し め 質 問 第 二 を 送 る 。 Pratt 終 日 大 苦 悶 。
十 一月 二十 六日 土
日本 の将 来 如 何 嗟 歎 。
Union
従 来 未 曽 有 の事 な り 。
tonnの a問 g題 eに あ ら ず 日本 を 恐 る の為 め と 明 言 す 。
十 二月五日 月
は
Dupo横 n田 を
十 一月 二十 八日 月
す。
米 回答 来 り、 29 のmeetiを n申 g来 り し も 、 調 査 の為 め 30 日に 延 ば
苦悶遣る方なし。 □板しば〓
火
十 二月六日 火
din ラn ウe シr ヤ。 8
Coontz
所 決 せ んと し て書 を 認 む 。
十 一月二十九日
十 一月三十 日 水
nava Ml . att.8P.
t onnageに付 bき as エi キs スパ ー ト 最后 の 通牒 。 I talian
大 臣 よ り 懇 々 諭 告 あ り 。夕 食 共 に す 。
Invited
十 二月 二十 二日 木
Adm.Acton
P.S Mh . or heh e am r. e
by
十 二 月 八 日 木
Du pon
十 二月 二十 三日 金
8
Chatfiとe山 ld 梨 会 見。 防 備 の事 を 内 談 す 。 ︹ 喜 重郎、米国駐箚特命全 権大使、 ワシ
Ne w Willard
( 幣 原
十 二月 二十 四日 土
four 始 bi てg会 ふ
ント ン会議全権委員︺ 始 め 出 )。
Su bmarine はr 困aる t。 io
日英米仏
十 二 月 九 日 金
L8 o︲ r 15 d . Lee
H icks( Congress)m8 Pa.Mn.
d□ in □n 。er
ne .w
︹ 欄外︺ 林 、 校 本 、 堤 。
for
十 二月 二十六日 月 Norule
leure o' ll c o . ck W. ashington
warfare
る べく 具 体 的 な ら ざ ら し め ん と す べし 。
簡 に し て精 神 に重 き を お き 国 民 が 責 任 を 感 ず る様 な やり 方 で、 な
Do dge
a大gに r. 進む。
P.M.
4Powers
8
十 二月 二十 五日 日 dinner
十 二 月十 日 土 Gridelon 十 二月 十 二 日 月 Mr.E.A. pS erry,R.914,d Wi .lliar 十 二月 十 三 日 月 l
国 際 公 法 の原 理 か ら 云 へば 何 ら も 議 論 あ る が 独 逸 の事 に 反 対 す る
unch□. club
1︲15P.M .
に は 全 然 仝 意 な る を 以 て其 事 に 反 対 す□
1︲15P .. M 十 二月 二十九日 木
太平洋防備。
十 二月三十日 金
解 決 法 は 支 那 問 題 に て 日 英 米eas□ t と でも 出 来 れば 別 の 問題 。
様 に た のむ 、 さ て実 行 。
十 二月 十 五 日 木
十 二月 二十七日 火
8
1︲30
Massachusetts.
China.
Ital .y
P.M.Shore. ham
Arrington山9 本0。 8.
P.M
十 二月 十 九 日 月 大 臣8 十 二月 二十 日 火 Adm.Acton
十 二月 二十 一日 水
Lafayette
P.M. Lampson
英8
Ho
十 年 後 の国 際 状 態 変 化 は 知 れ ず 、 此 場 合 に 変 更 す る事 あ る べし 。 独 露 の海 軍 は 如 何 に な る も 知 れざ る な り 。 五︱ 五︱ 三 で も 露 の 如
︹ 欄外︺ 小 村 侯 令 弟 九 月 三十 日香 取 丸 に て華 府 へ向 け発 、Seatle
何 によ り て。
を 経 由 、 予 等 一行 よ り 遅 れ着 す 。 佐 分 利 ︹ 貞男、駐米大使館参 事官、ワシントン会議随員︺( 夫 人 は 、 小 村 の妹 ) に 伝 ふ 。 支 那 問 題 今 日片 付 く も 明 日如 何 な る 事 が 起 る や も 知 れ ず 。
日米 間 に戦 争 起 ら ぬ と 云 ふ 保 証 な き 限 り 、 米 国案 の如 く 妥 協 す る 能 は ず 。 乞 ふ暫 く 政治 問 題 に 至 り 之 を 先 決 し て か ゝら れ たし。
一日 日 snow
大 正 十 一年︹
一月 A
war
for
connection
with
scrap
rule
and
increase.1
gun
question}
part
of
training
英仝意
American.
passed.Revolving
tonnage p la n
q u ali ty に 加 ふ 。
m .&p.m.Pan
一月 四 日 水 cold a .
aero︲carrier
gun
D eck︲protection F .Italian
第 二 十 八 条 、 第 二 十 九 条 の 問 題 。
of
meeting.Gun
resolution
of
hulk
replacas e o r foi rgi ln oa sl t
turret&ba をrbu e nt wt are like
&
of&ap ir r oc hi r ba i t f i o tn car.
U.S.i on ft wo ar. men
Av.
ChatfiU eld
carr wy hym? any guns,
thereby
to
a yn eda myself .
debate.H︹ an 埴 原i 正h直 a、 r外 a 務 次 官 、 ワ シ ント ン
wyoming
destro Blyo e cr kad &e.
P.M.1901
commerce
8
&
N.4 .agreed
Ur .e S u. lt no .
like
Lee
weak,but
Lord
of
Resolution
vessel
with
M.Conversion
Md rr ci he ant ar i af ni eel c ae r .r Cp hl at
ree p dla al c lemeG nt . re aA tgr de ebate
P .
a .m .Root
Di nner.Purestore
一月 六 日 金
quest ion
会議全権委員︺ 不 得 要 領 。
P.M .Root
ofcommandeering.Conversion
limitation
︹ 純 一、大 佐 、ワシ ント ン 会 議 海 軍 随 員︺問 題 に 付 き 話 す 。ware す 。
午 后definition,aerocaに rr 付i紛 er議 あ り 。 suf br o s.Un大 do 臣i清 ng河
Y es or dk et aT i l i sm
海 軍 大学 校 長 、ワ シ ント ン会 議 全 権委 員 首 席 随 員 五月 一日、 軍 令 部 次 長︺
in
Residence.New
ga nji t su
marine
Embassy
fine at U
up
into
ask rf e e s t o i qr ng u BAr i s e r p u t t i gai ns t t su bm arin e, pi ra cy ? ng
vessel
a. m.Naval
commerce des一 t月 or i ng 五y日 木 rain . Al l
Lee s ec tc r.d ap ip si c ng uss .
B.Fast m ee At di m ng ir .al's
of Home .大 使 邸 に て 正 月 祝 酒 。quie .t誰
purposes,especially happiness
of
. M.Yohaisiki
or
arming
rest.Pray
m il ta ry
about
day も 来 ら ず 。
reception.Hughes
building.Lord
suggestions .大 臣 ︹ 加 藤 友 三郎 、 大 将 、 ワ シ ント ン会 議 全
Navy
for
uncomplete
fixing
︹ 修 身 、 大 佐 、 駐米 大 使 館 付 武 官 ︺ 宅 に 集 りdinner.日 本
forward
meeting
Harding
一月 二 日 月 fine
Expert C hat fi eld 権委 員 ︺ 外 二 永 野
料 理 。 大 臣 大 に 歌 ふ 。
meet
一月 三 日 火 cold Expert
new
us.British
for completing
h el pe d
ship
loo (f ) p. hole
Proの pe 解r釈 来
Guine のa Papuaをfortiす fy る事 を た のむ 。
但 しNew
big
I ou f nd
とす。
p e ci al ly
ld&N.Y.Times
cold
to
curse
Ja f opar ntif . ri eca Pt ai co in fic
Proper: ds Ja a py s!shrew
begin
h( oDmienn2e1 大 rs, 臣 t. の)Sarraut,S nz c eh ra
Japan
Wor
re
Es
大 臣 、 ラ ウ シ ヤ 、 八 P 、 五 頭meeting.Tre のa Dt ry aft のdiscussion.
一月 十 一日 水 snow,very
午 后five
b条i約 g案 を 研 究 す 。
日 本 の 小 笠 原 と 大 島 を 自 由willに て 任 意 の 時 期 にdeclar せeむ
Bo a nr Katのo処 置 決 心 を 要 す 。
大Sに るo。 Boat rd 84 h .3 2 43 .20 り S. t弱 .n r
午 前officにeて30N °問 題 研 究 。 外 相 よ りJapan
一月 十 日 火
Reserve
Rooseve大 lt に驚 く 。 一月 七 日 土 1︲30 A.C.Miller,Federal a.m.Poisonous 可 ga 決s 。&
adviと seN ravy peopl e
Aeropl ane使 用 制 限 に 付Hughesの 説 明 あ り 。ItalはySubm.の 如 くcontro をl offerす 。P.M.Legal Baにs付 e 一悶 着 。 大 臣
b. ad
meetしdraft のdiscus をs為 す 。Naval の 血 色very 一月 八 日 日 snow 大 臣 8 P.M .Shorehar m essD .
at
Hu にlて kHughes とBalfou とr大 激 論 。aircraft
M rs.Roosevelt 来 る 。Harbour
一月十 二日 水
c arirer 形 勢 あ やう し 。
彼 共 に事 を 為 す能 はざ る の 人物 也 。
D 共 にcanceすl。Snowing
が 、Hughesのsharpneに ss てpassす 。 近 来 の 快 事 也 。 英 、 C 、
Reception,W.Hall.aircrの af 問t 題Ⅲca arに rて ie 大rに 心 配 せ し
1︲30 Shoreham,Chatfield.
一月十 三 日 金 cold
Re のn 問o題 wn に てmeetin をg
a.m.Rooseve来lり tBaseの 事 を 語 る 。 大 に 了 解 あ り 。 掉 尾 の
much headac he.
g a me な り 。
此 日条 約 委 員 会 あ り 。 予 は 列 席 せ ず 。 本 日 を 以 て 草 案 調 了 る 。Chatfield や る。
Di s cussion,'ae のr 使o 用p 制l限 a。 ne'
5 Big meeting.All
Vanderbilt 非 wi 常fの ew ,a er tm c.recept なiりo。 n
finiD si h ne ne d r. .B Ra o lo fs oe uv re ,lt
very加 c 藤o 全l権 d. のcraftをy知 る 。
Mr s.Walcott後 藤 Bに ar 信o 書n を た のむ 。 Chaの tluncheon.
Dou ebille,
一月 九 日 月
特 別委 員 附 托 と な る。
Acton も 来 る 。 大 臣Hughes とmeetす 。
draft
永 野宅 に て大 に飲 む 。
Treaty
Bal fou 加r藤 全 権 をvisi しt 、 太 平 洋 問 題 に て 大 にconceす s。 s
凶
一月十六日 月
○
昨 夜 深 更 三 A M迄 大 臣 を 待 ち 田 中 と 共 に 防 備 の 対 策を 大 臣 に 呈 す。
一月十 四 日 土
大 臣 決 心 、 外 相 電 訓 実 行 不 可 能 と 返 電 す 。 辞 職 の意を ほ の め か す。 凶
︹ワシ ント ン会 議随員︺ に 問 ひ 合 せ 来 る 。 依
︹ 国重、 陸軍︺ 少 将
Outl ine
of
History
Hughe愈 s 白 歯 を 顕 は し 、Board
of
二一ケ 条 も 無 論 上
refを eP re ek ni cn eg に起 し、
︹ 井出謙治、中将︺ 宛 三 頭 会 議 の 心 理 を 打 電 す 。
Defeati のs 夢t悟 め た る 乎 !!
︹マ マ ︺
一月十七日 火
陸 相 の 電 、小 笠 原と 大 嶋 の設 備 に付 加 藤 全 権 の電 に云 ひ す ぎ あ り
Societ にy行 く ba 。n 予qは ue 辞t して行かず。
Yam ︹ 山a 梨n勝 a之 s進 i、少 将、 ワシ ント ン会議 随員︺。 Di nne次 r官
Japan
with
York
︹陽太郎、 ワシント ン会議随員︺ に 打 合 せ 聞 き ち が ひ と 報 ぜ し む 。
しを田中 て 杉村 大 臣New Shopping
Society . Dinner
ci pa ti on. H.G.Wells . w i t h 上 田 ︹良武、大佐、 ワシント ン軍縮会議随員︺、 小 松 。 后 ちvarietyAnti に 行 く 。Japan 一月十 五 日 日 fine ○
日 本 の 一切 のconcessi をo sn tampせ ん と す 。
Uyeda.
r 破eる f。 er 米e大 n失 ce 望,。 art.Ⅳ
程 す べし 。
with
○
of
Dri ve
一月 十 八 日 水
Board
東 京 より 大臣 へ調印 拒 絶 の電 来 る。 Broadsi□ de
p. rest.Hughes
Prat t dinner.8 Go od
凶
e大 t成 c. 功 、大 に愉 快 。
一月 十 九 日 木 Roosevelt
FarE.Committee/wはoⅣrladrtの .削 除 に てHughesの 失 敗 を 攻 撃す。
東 京 よ りfortificの ate il oe ng 来.ら ず 。 大 臣 非 常 に 煩 悶 す 。Rain.
一月 二十 日 金 fine
○
米 海 軍 夫 婦者 を 呼 ぶ 。 大 に悦 ぶ。
wi末 th 次
凶
︹ 信正、大佐 、ワシントン会議随員︺。 Good
rest.
井川 ︹ 忠雄 、大蔵事務官、米国駐在︺ に 講 演 を 諾 す 。 大 臣 煩 悶 。 Di ne
一月 二十一 日 土
Di nnerMcGr ew.朝 大 臣 に 会 ふ 。 田 中 も 倶 に 在 り 。 □ □ Japa n
十 五人 会 あ り 、 全 権 は予 を 伴 は ず 。
idea
言を残す。
Ring を 買 ふ 。 12 5 $.
No business.No
大 雪 ○
大 雪 △ 戒
from
myselfYo a rb ko .ut
Di一 n八 n九 er 九.年 以 来 の 事 な り と 云 ふ 。 大 に 愉 快 。
Ci M o. ty,
三 〇 。 Kni ckerbockmeorvieの 天 井
WB. l air. Box 57 4,Kansas
海 軍 送 別 会 。 此 日 午 后 九︱
Carl
一月 二十 八 日 土
Galibrai
一月 二十 七 日 金
田 中 と 懇 談 す 。 次 官 よ り 廿 三 日 の 電 の 返 あ り 。 や ゝ好 望 。
江 副 ︹百合 一︺主 計 中 佐 来 り 東 京 談 を な す 。
good
Pr oper の慾 張 な り し事 を 大 臣 告 白 す 。 愈 拙 な り 。 外 調 を 呪 ふ所 御 話 し にな ら ず 。 彼 到 底 大 人 物 に あ ら ず 。
一
凶
一月 二十 六 日 木 ︹マ マ︺
山東問題愈上院に上り大に喧し。 東 京 よ り 電 訓 来 り 又 々 請 訓 を 促 す 。 言 語 同 断 な り 。 Mar yland の
○
M cGrew遠 方 に 驚 く 。 末 次 と nation la theatに erLincoを ln 見る。 一月 二十 二日 日 fi ne . 加 藤 全 権 Hughe s に 会 見 す 。 一 一A M 田 中 少 将 来 室 、 義 の不 品行 を 語 る。
sP e a r t lt e f tc . .
◎
夕 大 臣 Balfuo r に meetす 。 一月 二十 三 日 月 to
coll apseし 死 傷 無 数 、 近 来 の 大 惨 事 な り 。 Bt esquarr tに eあ り し
Engaged Quebec.
を 以 て名 士 も あ り 。
for
山 梨depart
○
大 臣 に 立 寄L i ncolnの 戒 を 与 ふ 。
日
一月 二十 九 日
本 日 大 に飲 む。 戒 を 要 す 。
凶
﹁ヒ ユ ー ズ ﹂ に 会 ひ し に Hardi gnと
一月 三 十 日 月
Dinner le . dC .ancel
For tif si ec ta tt li eo dn at15 commit teeE. ll si のtea に 行 き photoを
Adm.Knight
consult すと云ふ。
防備 問題応諾 の電来 り加全
l unを ch 約 す 。 M rs .□
very happy.末 次一 行 出 発 帰 朝 す 。
午 後Hughes 自 ら 加 藤 を 訪 問 し 、Riukiをu加 ふ る 事 を 申 来 る 。 又
凶
Al euti an を 除 く 形 勢 大 に 非 な り 。 一月 二十 四日 火 Engaged se lf. Ki ng etc. 最 盛 会 な り 。 上 田 夫 人 に watchを 買 ふ 。$140な り 。 Ki ng の sp ece hに 答 ふ 。 大 臣煩 悶。
送 る。
cold ◎
三 P M Hughe先sづK atoに 謝 し 、 Al iushas n lesI を 諾 し 、 三 ・三
一月 二十 五 日 水
1501,18st.French
attache.
Cocktai lparty を 催 す 。 朝 一 一時 deBon来 訪 、 告 別 す 。 悲 壮 の
lectur
settle
commiを t開 tき ee 決す。
○
Fortificatio .n
○ P Mよ り 十 五 人
一月 三十 一日 火 Dinner.Komatsu. Naの vr ae ldr ta rf e 山t a東 t問 . y題解決。
&
︹ 神威艤装員長︺。
&
riverside.
co.C 11 o6 rtland
report. 1916
二月 六 日 月 fogy
瀬 ︹ 貞次郎︺ 大 佐
Helm
park
Takata Drive
& 堀 D越 i、 nn 今e 村r 、.永 池 、 柏 木 大 に演 ず 。 柏 木
Lunch︱堤 、 小 松 、 今 井etc支 .店 長 を 加 ふ 。 四 P M 日 本Club に てlecture
PM,leave
N.Y.return堤W 夫a 婦s 、h娘 .、 H後 or 藤i 見kosi,
は 予 の 声 涙 交 下 る を 語 り 、 万 才 万 々 才 を 唱 ふ。 井 上 雅 二 も s peech す。
3︲25
questi をor n eso & lu t e nava r e火 aty 二l 月七t日
P.M.lunch.
Eastern
1︲30
︹ 正助、少佐、米駐在武官︺を 呼 ぶ 。
Lee,quarrel.
committee
Jusserand,Lord
W hole
二月 一日 水 navy
小 松夫 婦 、 杉村 外 二人 、 永 野 、 下村
&
Nov.12th.
Session.Far
Kni g th army Pl enary
from
送 る。
days
81
す。
二月 八日 水
安 眠す 。 本 日紐 育 に て清 河 よ り 酒 の忠 告 を 受 く 。
堤 より 紐 育 新 報 来 り 大 成 功 を 語 る。 汗 顔 。
過 去 を 偲 ふ夢 の 如 し。
大 臣 よ り9 00¥のbonuあ sり 。
大臣は晩餐に招かる。
二月 二日 木 rain
Kn igh よtりprese あnり t。
thanks.
後 藤 にtelephone
thanks.
堤 に telegram
小 松 夫 婦New
今 井来 る。packing.
Yoに r立 k つ。
二月三日 金
加全と私的晩餐。
9
5c
each,shirts
買 物o をfな す 。u tt rs uu nm ki9︲70 Pla 夫z 婦a。 .guest Ts
永 野、 大farewell
二月 九日 木
今 井 に $ 五 〇を 托 す 。 万 年 筆 の為 。
at
meet 廿i一 nケ g条 の宣 言 、 米 支 はreserす v。 e
N.York.Stay
$
3
each.
$ 0 ¥,$ p, ut ra sx e 9 12 8︲c 5,p ne en rcil
cockt をa 行iふ l。 meeting
二月四日 土 Pl e nary
W.for
二月 五日 日 Le ave
華 府 会 議 閉 会 す 。 堀 越 喜 重 郎 、 柏 木 、 今 村 幸 一郎 、 井 上 雅 二 、村
s
二月 十 日 金
き 、富 田と 古 庄 と 大 に痛 飲 す 。 警 戒 飲 酒 。
田中に呼ばれ、后 原 口 ︹ 初太郎 、陸軍少将、駐米 大使館 付武官︺ の 宅 に 行
二 月 十 五 日 水 Blue
Wh ole
Very
二 月 十 四 日 火
&
Rimball
Mrs.
&
in
sky
pure
sno
with
appetiw te f i .n A el .l
bln a ket
v sery
h no ew a. vy
kiよ に ndる ne 。sT srain
morning.Summit
heart'ts o n ol wy e. ad
sky,Snow
train.Good
a
Rocky
orange.
snow.
engine.Mr.Hamilton's by
motor
of
at
Saito.Hots e hl ing W to an.
600.i V oe us r. y
luxur
1 斎1藤 a. ︹ 博 m、 . 在 シ ア ト ル領 事 ︺、 竹 内 、 舟 木 外 数 名 見
Seattle
$
L e ft
caught.hee a. dach
c old,sea
moderate
state"R.101
tree 二 月 十 九 日 日
cold
V ery bright
ery
Ship l oses each voyage
by
about 00 40 0,$.
10︲20 Offgulf of Aleutian.Look round Engine Roo bm urn Bi og. n iler.Oil
V er y cold,makin1 g7.5 K .
二 月 二 十 日 月 v
風 邪 、 フ ル ン ケ ル 痛 む 。
Li tt l e
weat. her
送 る 。 s.s."Pine
二 月 十 八 日 土
集 り 。 Lunch
FM at ii ss ks.Coc lr 日a本t 人 会 。Great speech at Japan 一 Dk it na nie Cl 二u〇 b.〇 人 の
1 crate
二 月 十 七 日 金 rain
hours
on
and
Cl ean hands
day
fine & comfoe r .tabl
Blue
Visi tDeuty,Roosevelt,Rodgers,Pratt,Etc.
A pproach & cross
︹ 吉三郎、大佐、 ワシ
本 日 ほ ど 二 日酔 し た る事 な し 。 酒 気 芬 芬 。 野 村
Drove
二 月 十 六 日 木
田 中 、 原 口 、 古 庄 及 原 、 上 田 を 呼 びDineす 。
ントン会議随員︺大 に 予 を 戒 む 。 多 謝 。 加 藤 全 権 と P P C す 。 不 相 変 ︹ 酷︺ cool、 冷 刻 、 語 る に 不 足 。
&
ret ard 5
a.m.viN a.□ Florida
二月 十 一日 土 9
Mr.
dance.
Hicks
Mrs.Witmor Pe ri nc &ess s. aw
wi 岩 永th ︹ 裕吉、国際通信︺。
&
with
Verno日 n比w 野it ︹ 正 h治、少 佐、在米大使館付 武官 補佐官︺。
left
Mount
Baron Kato Visit
&
Gt.impression.Lunch M aryl and 二 月 十 二 日 日 Lunch with
W enttheater
VisitSaburo
P S外 m交 el 官l等 来 る 。 懇 切 な り 。
&
Washington .M 6︲ .40
by
Prat t,Ell大 i使 s, 、Blish
Lef t
Ch Pi .M c. ago
︹ 主計︺。
Hotel.Left
二月 十 三 日 月 ︹ 歯︺ 前 領 事 姉 羽 ︹準平︺、 今 領 事 桑 嶋 2. P ︲M4.0
deleg.
Stone
Ar.Chicago Stay Black
Many Chinese
二月 二十
cold.
not storm y.
一日 火
Sea i Brsk but
at to
neighbour
Miss
a. nnoy
apt.
Felt
catch
Karfunkel began
二 月 二 十 二 日 水
Head
I hate
my
Furunkel
today.
wor .se
from
二 月 二 十 三 日 木 Bed rest uncomfort. able
Courtney,veu rn y bea vr ua l bl ge e .r,
二 月 二十 八 日 火 rest
,very
moderate. observation.
very
better.
一行 。 但 し 堀 ︹ 悌 吉、中佐、 ワシ ント
大学 校 より 歓 迎会 の電 来 る。 断 る。 手 術 のた め 。 可 愛 の職 員 学 生
Bed
よ! Sea
Good
weather.
fine,sunny.
三 月 一日 水 Very
up 起.床 。
Beautiful Get
三 月 二 日 木
Arr.Yokoha出m迎 a. 多 数。華府
V ery 悪 寒 。
佐々木忠次、小笠原晴明、杉山。停車場も多数。島村
︹ 速雄、大将、
︹ 坦、造船大 佐、ワシ ント ン会議随 員︺ 見 へず 。 有 坂 来 る 。
ン会議随員︺、 田 路
Pass
︹ 加 藤定吉、大将、 軍事参議官︺、 名 和 ︹ 又 八郎、大将、軍事
軍事参議官︺、 加 定
参議官︺、 野 間 口 ︹ 兼雄、大将、 軍事参議官︺外 数 十 名 。 着 后 直 に 佐 藤 病
三月 三 日 金
院 に受 診 す 。 聊 か手 遅 れ 。 院 長 大 に心 配 す 。
土 居 博 士 、 佐 藤 三 吉 博 士 之 診察 を受 く 。手 術 危 険と 決 す。 但 し 二
三月 六 日 月
学︺博 士 は 少 し く 迷 ふ 。
佐藤
三 月 四 日 土 ︹ 肥︺ ︹ 三吉︺博 士 、 佐 藤 院 長 は 切 開 せ ざ る 事 を 主 張 、 土 居 ︹ 慶蔵、医
入 院 、 大苦 悶 始 る 。
二 月 二 十 六 日 日
Invit e Doctor.Very
180°・
二 月 二 十 四 日 金
painful.
二 月 二 十 五 日 土 k. ind
very
Tem p.101°.Bed.
appetite.
temp,but
furunkel
Temp.101°.still. Bed No
down
二 月 二 十 七 日 月 Slow
snow.
Bed rest. Li ttle
苦 痛 は 此 頃頂 点 に在 り 。
三月十 日 金
賀病院︺院 長 ( 横 )、 小 島 大 佐 、 皆 局 部 を 診 断 、 不 切 開 を 賛 す 。
医 務局長 ︹ 鈴木裕三、軍医中将、海軍省医務局長︺ 、平 野 ︹ 勇、軍医少将、横須
三月 八日 水
日 間計 り 院 長 も 切 開 に少 し く 傾 け り 。
三月 二十七日 月
目を失す。
激 思 想 取 締 方 案 衆 議 院 に握 潰 さ れ 之 亦 流 れ 、 床 次 ︹ 竹二郎︺大 に面
清 子 、 秀 雄 、 寛 一、 増 永来 る 。大 に快 方 。 貴 族 院 昇格 を 葬 る。 過
快方。
三月二十 六日 日 fine
三月十 八日 土
三月 二十九日 水
此 日始 て入 浴 、 約 卅 八 日 振 な り 。
中村、安藤来る。
三月 二十八日 火
苦 痛次 第 に緩 和 し膿 出 良 好 。
村上龍英、小松夫婦、常松大佐来る。
原敬来る。
三月 二十二日 水
此 日理 髪 。
三月十 一日 土
千 代 子 大 塚高 師 に行 く 。今 夜 中村 年 子惶 しく 来 訪 、 家 累 を 訴 ふ 。
三浦 ︹ 省三︺秘 書 官 来 る 。
佐 藤 三吉 博 士 来 る。
礼 を 知 らざ る女 なり 。
今 明 両 日杉 山 金 水 の料 理 を 送 る 。 高 木 東 太 郎 及 富 田 の従 弟︱
continues.
医 務 局 長、 山 本 英 輔 ︹ 少将、海軍省艦政本部第二部長︺ 、松 下、坂野、橋
weather
三月 二十五日 土 windy ︹ 膿︺ 少しく出濃す。
本 五雄 来 る。 志 賀 子 仝 断 。
cold
三月 二十四日 金 windy
藤田尚徳 ︹ 大佐、海軍省軍務局第二課長︺ 、吉田孟子 ︹ 少将、予備︺ 、 村 田巌
快 方 。very
彦来る。千代子午后帰る。
三月 三十 一日 金
千代子帰宅す。
。
孝次、寛卒業式、附中に入学す。
四月 一日 土
久 し 振rain.
三月 三十日 木
常松 ︹ 憲三、大佐、海軍省人事局第二課長︺と 中 村 良 三 ︹ 大佐、海軍大学校教 頭︺内 縁 の女 に 付 内 談 す 。 功 来 る 。
退院。
上田大佐午前訪問す。 Bar onKat風 o邪 。
松永来る。
鎮守府司令長官︺来 る 。
末次 、枝原、中里
pa .財 y部
︹ 彪︺ 大 将
for
yen
︹ 格 一︺大 将 ︹呉
Isao's
w
veu ryn b co am dfo ar nt dable.
ta h i t e er m. ca Y mo eu to ng
accordin Ag rr. to
offere
by
Shuzenji
will
︹ 佐世保鎮 守府 司令長官︺ 来 る 。
︹ 重次 、中将、海 軍省 軍需局長︺、 村 上
四 月 二 日 日
四月 十 日 月 cold
原 に 払 ふ 。¥23.50.
autoに て 行 く 。no
佐 田来 る 。
千坂
上 田 、 三 戸 にdocument をsわ た す 。
四 月 三 日 月
人力 。
Takarabe
︹ 智次郎、中将、海軍兵学校長︺、 吉 田 、 篠 崎 来 る 。
四月 四日 火 rain
四 月十 一日 火
p.m.Welcomed
3
Tokio about
Ca cb o m ien .et
autoに て 行 く 。 nopay.
10 a.m.left
Kikuya.Payment
140+30=170 .
Left
evening.Keiben
kind.
at
comfortable,very A rr. Fujiya,Yugawara
V ery
四 月 十 八 日 火
Yamamoto
四月 五日 水
Ki kuya
suited.room
says
人力。
station.Special
四月 六 日 木 cold Dent i stに 行 く 。
︹ 造兵大尉、横須賀 工廠造兵部員︺ 来 る 。
将 官 会 議 に 、 大 臣 の説 明 。 名和武 人力。
四月 二十 日 木
四 月 七 日 金 人力。
四 月 二十 一日 金
Return Tokio.Sato に B行 yo くi。 n
cold.
井上健 一 ︹ 医師︺ のmassageに 行 き 始 む 。
&
四 月 二十 二 日 土
raining
伍 堂 、古 川□ 、松 永 来 る。
四月 八日 土
四 月 二十 三 日 日
山 屋大 将 来 訪 。
c old
Di tto.
四月九日 日
Di tto 次.官 の 室 を 訪 ふ 。 大 角
︹ 岑 生、少将、横須賀鎮 守府付︺とmeetす 。
人力。
人 力 に て行 く 。 原 に 立 寄 る 。
︹マ マ ︺
后 八百 勘 の□ 城 氏 後 援 画 会 に行 き 抽籤 に て柏 鷹 を 得 、 吉 兆 な り 。 参 謀 長 、 水交 社 。
五 月 十 五 日 月
*大 臣 、 西 洋軒 。
小田切、田中家。
四月 二十 四日 月 Ditto.Raining.
五 月 十 六 日 火
(竹 下 、 安 保 )。
*二 PM 、 平 河 町 、 大倉 。
大塚附中、講話。
四月 二十 五日 火
windy.
出 勤 、 大 臣 に会 ふ。 大 学 校 に出 勤 。 宮 中 及 各 宮 に 伺 候 す 。 very
五 月 十 七 日 水
五月 二 日 火 大 学 校 に て 講 話 す 。 約 三 ・三 〇 。 八 百 勘 に て 職 員 会 。
五 月 二十 日 土
*服 務 。
福井会及紅葉館
華府会。
︹博恭 王、大将、軍事参議官︺。
五月 三 日 水
摂 政宮 に拝 謁 、 病 気 如 何 と 御 尋 あ り 。 感 激 に不 堪 。
launc 伏h見 宮
各 宮 に記 名 す 。
五月 二十 一日 日
*松 方 、 西 洋 軒 。
五月 二十 二日 月
*松 村 、 中 央 。
五月 六 日 土 山 口 、 井 手dinne.r 五 月 九 日 火 参 長 会 議 、 九 ・三 〇 A M 。
東宮
(一〇 A M 、 一時 間 半 ) 午后次官邸会議。
(大 臣 )。
︹ 児島惣次郎、中将︺、 精 養 軒 、 六 P M 。
* 講 演 、 東 宮 、 一︱ 三 P M 。
五月 二十 五日 木
*陸 次 官
五月 二十 四 日 水
* 二 P M、 海 援 。 花 月
五月 二十 三日 火
五 月十 日 水
(三 P M )。
九 ・三 〇 A M 御 座 所 。
* 小 石 川 一九 九
五 月 十 二 日 金
小 石 川 一九 八 。 五 月 十 三 日 土 有 終 会 、 一 ・三 〇 P M 、 講 。 六 P M 大 臣 、 山 口。
︹ 貴族院議長︺dinner.
水 交 社 、 大 臣 、 黒 潮 会 、 六 P M。
(安 保 )。
五月 二十 七 日 土
(新 旧 次 長 )。
紅葉館 * 五月 三十 一日 水 *徳 川 ︹ 家達︺公 六月 一日 木
六 月十 日 土 *佐 々木 招 待 。 六 月十 二 日 月
〇PM。
* 大 臣 、 水 交 社 、C︲training
(磯 村 )。
六 月十 三 日 火 *約 束
六 月十 四 日 水 * 埴 原 、 山 口 、 六・三 六 月十 五 日 木
*大 倉 。
*東 宮 、 六 PM 。
六 月 二十 四 日 土
* Engage.
六 月 二十 二日 木
*寺 島 、 山 口。
六 月 二十 一日 水
*盛 岡 。 中 央亭 ?
六 月 二十 日 火
*suda.
六 月 十 八 日 日
*小 松 君 。
六 月 十 七 日 土
Sq.Etc.
* 東 宮 午 后 一時 軍 令 部 御 出 仕 、 約 一h 一五 m 、 残 一五 分 を 謹 話 。
六 月十 六 日 金
六月 二日 金
a.m.︲no .on
*川 久保 。
図 演 、9
*花 月 。
(帝 劇 裏 )。
*品 川 、法 □ 会 。
六 月 三日 土
日 本club約 六 月 六日 水
* 部 長 、 仏 大 使 、 七 ・三 〇 P M 、 水 交 杜 。 六 月 七日 木
shib一 aP ta M,。
*東 宮 晩 餐 、 六 P M。 六 月 八日 木
次官 。
* 日 本club
本 局 四 一〇 〇 、 □ 内 八 六 。
*? 佐 野。
六 月 九 日 金
六月 二十 六日 月
Class
*海 防 義 会 、 五 P M。 六月 二十 八日 水 *酔 仙 亭 。 七月 三日 月 *殿 下 邸 適 宜 。 七月四日 火 *American
Banker's
Club
Dinner.Banker's
Class
Dinner.
総 理兼海相 ︹ 加藤友三郎︺午 餐 。 日 米 協 会recept米 i大 on 使. 。
*拝 謁 。
七 月 五 日 水
lu工 nc 業h倶 .楽 部 。
︹ 幣原喜重郎︺晩 餐 。
Mayor 外相
pa深 rt 川y岩.崎 。
* 博 覧 会 lunch.
七 月 六 日 木
幣 原garden 米大使晩餐。
o小 r野1 。1,
* 一P M 、 東 伏 見 宮 ︹依仁親王、大将、軍事参議官︺。
七 月 十 日 月
Engage,10 七 月 十 一日 火
*Engag銀 e行 倶 楽 部 、 四 P M 、 小 野 。 七 月十 二 日 水
* 一水 約 。
*大 学 校 。
七 月 十 七 日 月
七 月 二十 一日 金 *In. d
To .kio
七月 三十 一日 月 *Leave
clu 八b 月. 一日 火
Hara
Ho泊 t。 el
*大 廟参 拝 。
*桃 山参 拝 、都 ホ テ ル。
八月 二 日 水
島 津 二次 電 池 訪 。 平 野屋 、 浜 元 。
*Arr. Kure e &mbar三 k 日 月、 八 A M
八月 三日 木
訪問す。 議 員 一行 来 る 。
arr 佐.伯 、 三 P M 竹 下
*長 門 に 乗 艦 、 陸 奥 と 二隻 の射 撃 を 見 る。
八月 四日 金
Sakaguchi. 八月 二十 一日 月
君 に会 ふ 。 五 百 米 練 習 を な す 。 最 後 に 久 保 田 氏 と 競泳 、 そ し
*午 前 中 英 文 法 、 午 後 よ り 早 大 プ ー ルに 行 く 。 久 保 田 、 桑 原 両
て 勝 つ。 夜 兄 と 話 す 。 (午 前 中 久 保 田 氏 来 る )。 ︹ 別筆か︺
*Yamamoto.
八月 二十 二日 火
*洩 艇 協 会 。
九月 十 八日 月
九 月十 九日 火 *大 臣 、 水 交 社 、 以 太 利Libra七 .P M通 礼 。 九 月 二十 日 水 * 以 太 利 、 帝 劇 、 七 P M 、plane. 九 月 二十 二 日 金
* 和 田 計 器 会 社 、 Sperry.
*三 井 倶楽 部 。
十 月 三 日 火
*四 時 会 。
十 月 四 日 水
* Sperry ap l e m l cub.
十 月 五 日 木
十 月 十 日 火 *山 下 亀 、 田 中 家 。 十 一月 一日 水
十 一月 二十 五日 土
*日 比 氏 。
九 月 二十 三 日 土
*軍 令 部 会 。
*埴 原 、 次 官 邸 、 七 ・三 〇 P 。
*紅 葉 館 。 九 月 二 十 五 日 月 * 英 大 使 、 七 ・三 〇 P 。 九 月 二十 六 日 火 * 大 臣 官 邸 、Duff七 ・三 〇 、 通 礼 。 九 月 二 十 九 日 金
Di nner,帝 国 ホ テ ル 、 沼 沢 。
*伊 集 院 立 、 lunc商 h, 工club. 一二 ・三 〇 。
九 月 三 十 日 土 *P.Mr.Nis七 hi・三 〇 。 十 月 一日 日 十 月 二日 月
守府︺所 管 の 艦 を 主 と し て 東 京 湾 に 回 航 、 他 は 呉 に 於 て待 機 の急
1 伊 勢
2 比 叡
2 霧 島
1 陸奥
2〓 金 剛
徳 山 を 経 て 横 へ 十 八節 4 P発
〃
〃
同 右
同 右
呉 に待 機 直 航
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
十 八節 5 P発
二 十節 5 3.P M発
佐 世 保 を 経 て横 に 十 八節 午 后 五時 〃
午 后 五時 半 発
1 日 向
〃
二 十節
電 来 る。 計 画 は数 回 変 更 せ しも 右 の結 果 結 局 実 行 せ し 行 動 如 左 。
2 二 水 戦
?
二 十節
F 1〓 ︹ 第 一艦隊旗艦︺長 門横 須 賀 に急 航
大正十 二年九月 一日 土
呉 に直 航 待機
令部次長 震 災 日 誌 ︹軍 六 月 一日 、 第 二 艦 隊 司 令 長 官︺
聯 合 艦 隊 裏 長 山 列 島 に在 り て恒 例 検 閲 中 、 午 后 三 時 船 橋 第 一信 新
大 阪 に 直 航
〃
2 五 戦
?
1 三 戦
横に
呉に
佐世保を経て呉に
聞 電 報 の末 端 に於 て警 を 伝 ふ 。
若 宮
一、 二潜 水 戦 隊
1 一水 戦
爾 后 続 々 と し て船 橋 電 来 り 、 本 日午 前 十 一時 五 十 八 分 強 震 あ り ( 伊 豆 と 大 島 の中 央 に大 陥 没 起 り し が 震 源 な り と 後 に 知 る)。 東 京 、 横 浜 、 横 須 賀 の被 害 甚 大 、 東 京 大 火 、 横 須 賀 は 鎮 守 府 及 市 街 倒 潰 、横 浜 火 の海 と 化 す と 云ふ 概 報 を 得 。
に立 てり )
此 日大 惨 事 裡 に山 本 新 内 閣 成 立 す 。 成 立 前 (一日?) 会 議 中 な り
尚 ほ本 職 の所 断 と し て韓 崎 を 釜 山 に 回 航 せ し む ( 之は大に役
し 山 本 伯 其 他 は 水 交 社 の圧 潰 の為 め 辛 ふ じ て 生 命 を 免 る 。 一日 正
二日 日
長 門 は大 部分 受 信 せず 。 艦 隊 の行 動 に関 し何 等 の措 置 を 取 ら ざ る
午 前 に金 剛 は震 災 の被 害 容 易 な ら ざ る情 報 を 大 方 受 信 せ り 。 然 に
を以て参謀長 ︹ 中村良三、大佐、第二艦隊︺を 旗 艦 に使 は し 金 剛 の情 報
海軍省副官電傍受
午 の事 な る べし ( 新 聞 報)。
宛 日光 田茂 沢 御 用 邸
東 京 大 地 震 ナリ シ モ摂 政 宮 殿 下 御 無 事
に 至急 出 航 準 備 を 命 じ 4S は午 后 六 時 出 港 の 予定 を 為
を 伝 へし め協 議 、全 隊 東 京 湾 に引 還す べく 概 定 し 、 直 に司 令 官 以 上 を集 め
賢 所 御 無 事 ニア ラ セ ラ ル
さしむ。 午 后 二 時 頃聯 長官 ︹ 竹下勇、大将︺の全 隊 行 動 予定 変 更 の令 出 て之 と
両 陛 下 ノ御 模 様 承 ハリ タ シ 前后し海軍次官 ︹ 岡田啓介、中将︺の聯 合 艦 隊 順 航 取 止 め 、 横 ︹ 須賀鎮
5S 1SD
練 習 艦 隊 岩 手 、 浅 間 、 八 雲 は 三 日午 后 八 時 糧 食 搭 載 横 須 賀 へ、
︹ 磐︺
糧食満載を了り出港す。
出 雲 は今 早 朝 同 じ く 横 須 賀 に 向 ふ 。
( 無 論 御 無 事 ナ リ シ ハ慶 祝 ニ不堪 リ シ) 此 日 午 後 三 時 頃 、 裏 長 山 に 於 て 関東 長 官 ︹ 伊集院彦吉︺よ り 左 記 要
陛 下 よ り 千 万 円 の御 下 賜 救 済 の令 旨 を 給 は る 。
せ ら れ 母 宮 及 他 王 子 王 女 は食 卓 下 に 御 避 難 御 無事 。
小 田 原 御 別 邸 の閑 院 宮 第 四 王 女 御 圧 死 。 父 宮 は 天 井 よ り 難 を脱
死遊ばされ御介抱中之母君賀陽宮大妃殿下御重傷。
情 報 山 階 宮 武 彦 王 妃 殿 下 鎌 倉 御 別 邸 に て吾 妻 博 士 の御受 診 中 圧
旨 の伝 電 を受 り 。宛 山 本 首 相 。 九 月 二 日大 連 駐在 米 国領 事 ト共 ニ ﹁ヒ ユー ロ ン﹂ 艦 長 ケイ ガ ン、
ハ其 一部 ヲ喜 ン テ提 供 ス ヘキ旨 申 出 タ リ。 右 ノ次 第 ハ既 ニ米 全
ノ為 メ食 糧 運搬 其 他 ノ必 要 ナ ル応 急 手 段 ニ対 シ、 麾 下 全 艦 隊 又
松 方 公 、 家 屋 倒 潰 に 軽 傷 、 一時 間余 下 敷 と な り 、某 新 聞 記 者 に
タ ゴ ウ艦 長 兼 参 謀 長 ス タイ ン来 訪 シ、 東 京 強 震 ニ付 災 害 ノ救 助
ン﹂ ハ長春 方 面 ニ在 リ シ如 シ。
尚 ほ 虚 報 と し て 華 頂 宮 博 忠 王 、 及 島津 忠 重横 死 の件 あ り。
助けらる。
艦 隊 ニ伝 命 セ リ ト 附 言 ス。 電 文 ニ ヨ レ ハ、 長 官 ﹁ア ンダ ー ソ
華 府 米 海 軍省 は九 月 一日夜 、 亜 細 亜 艦 隊 長 官 に 出 動 命 令 を 発 せ る
東 京 方 面 下 町 の被 害 甚 大 。 死 者 十 五 万 人 、 倒潰 焼 失 家 屋卅 五万 、
旨 、永 野 ︹ 修身、大佐、駐米︺武 官 電 に て 知 る 。 米 標 準 時 と は 、 時 の 遅着 あ り と 雖 も 諜 報 の機 敏 に驚 く 。 如 何 な る方 法 によ り し や 取 調
本 所 方 面 の焼 死者 数 万 人 。
隅 田 川諸 橋 破壊 又 は焼 失 、避 難 民悉 く 溺 れ 又 は焼 死す 。 深 川、
三 越 、 帝 劇 、警 視 庁真 先 に焼 失 、 十 二 階倒 れ 呉服 橋 附近 最甚 し。
市役 所 調 。
同 上に居 住せ し人
大正十年調査百分比
64 %
べ んと す 。
64 %
︹ 欄外︺東 京 焼 失 戸 数 四 十 一万 戸
半晴
口百 五十 四万 七 千 人 三日 月
石原 ︹ 北夫、中佐︺副官 の 長男 大 腿骨 に重 傷 。 其 他 私 報 来 り 始 む 。
横 浜 全滅 。
船橋 無 線 局 に 不 逞鮮 人 三 百海 岸 より 上 陸 し襲 来 す と の危 急 電 を 発
航 海 中 天 候 曇 な り し も 幸 に 静 穏 、 航 速 早 く 伊 勢 、 日向 を 水 平 線 に 見 な が ら 同 行 す 。 夕 刻 済 州 島 北 方 水 道 に 入 る 頃 よ り 細 雨 、視 界 二
︹ママ︺
す 。無 根 の警 報 な り し も 所 長 ︹ 大森良三、大尉︺ の痛 心 察 す る に 余 り
四日 火
とな るを 憂 慮 せ しな ら ん。 海 軍当 局 の不 注 意 怠 慢 を 責 む る に足 る 。
あ り。 彼 命 を 惜 む にあ らば 当 時 の場 合 船橋 無 か り し せ ば 国 家 暗 黒
雨天
浬。
視 界 不 足 の為 め 古 志 岐 灯 台 を 見 出 さ ず 、 約 二 時 間 漂航 し 近接 一浬
︹ 欄外︺ 海 軍 の失 態 。
午 后 七 時 出 港 。 天 候 恢 復 。 釣 掛 灯 台 を 無 難 に見 出 し 平 易 に 東 航 す 。
半 に て灯 台 を 発 見 、 再 び 増 速 、午 前 八 時 佐 世保 入 港 。直 に 石炭 及 救 護 糧 食 を 積 む 。 軍 需 部 は 人 夫疲 労 のた め 十時 頃迄 石炭 を送 らず 。
五日 水
半晴
而 か も 兵 員 の働 き 目 醒 し く 午 后 六 時 迄 に 石 炭 千 二 百噸 、油 五 百屯 、
四 日午 前 七 時 徳 山 着
比 叡 霧 島 早 朝 呉 着
四 日呉 着
五日 午 前 〇 時 発 全 速 東 京 湾 へ
午 前 六 時 大 隅 海 峡 を 出 て都 井 岬 よ り 神 子 元 ︹ 島︺に定 針 す 。
一水 戦 五 日午 前 八 時 出 動 準 備 完 成
五戦 隊
濃霧后晴
午後潮岬附 ︹ 近︺に て出 雲 を 追 越 す 。 六日 木 ︹マ マ︺
金 剛徴 発 大 に成 功 し 、 村吏 及在 郷 軍 人団 、 青 年 団等 之 助 力 を 得 て
約 廿隻 を 徴 発 し 、九 日午 前 六時 迄 に金 剛 に集 合 す る事 と な る。 右
之 外 再 び 横 浜 よ り避 難 し来 れ る 団平 船 を 山 本 ︹ 弘毅、中佐、第二艦隊︺
参 謀を し て海 上 に要 し 、命 令 徴 発 、 三十 余 隻 を 金 剛 に連 れ来 る。
運貨 船 六 十隻
右 之外 海岸 司令 部 に て も数 隻 を 集 め得 て結 局、
具 、 死 体 の漂 流 を 見 る。 天 空 曇 重 四 顧悽 惨 の気 に 満 つ。 午 後 鎮 守
破 の為 め 鰍 ケ島 の外 点 灯 せ ず 。 東 京 湾 に 近 く に 従 ひ 、 大 木 材 、 家
石 原を 従 え 江 風 に て横 浜を 視 察 し詳 に惨 状 を 知 る。 山 城 、 春 日 二
貨 船 百隻 、曳 船 廿 五隻 に至 ら し めず んば 止 まず と 力 む 。 此 日単 独
を 得 、 大 成功 と 云 ふ べし。 中村 之 奮 闘大 に与 て力 あ り 。 中 村 は 運
曳船 十 五隻
府訪問 し、四時品川湾に回航す。参謀長は入港后直 に原 ︹ 鼎三、大
午 前 九 時 半 横 須 賀 に 入 る 。 御 前 岬 、神 子 元 ︹ 島︺は 点 灯 、 他 は 大
尉、第二艦隊︺参 謀 を 同 行 、 駆 逐 艦 に て東 京 海 軍 省 に 行 く 。 長 門 は
伊 勢 、横 浜派 遣 の聯 命 出づ 。 午 后 三時 山 階 宮 妃 殿 下、 東 久邇 宮 師
隻 の力 に て は不 十 分 な り。 3S 司令 艦 の急 行 を 必 要 と す 等 考 慮 の間 、
正 王 殿 下 の御 遺 体 を 御 迎 し、 陸揚 場 を 視 察 す 。 海 岸 司 令 官 を 長 門
五 日午 后 二時 著 、 品 川 に在 り 、 初 夜 参 謀 長 帰 艦 、 本 職 が 品 川 湾 の 救 護 用 品 陸 揚 及 港 務 一般 の総 指 揮 官 た る を 報 じ 、 直 に 在 泊 艦 長 を
艦 長 に命 じ 、 長 門 の 兵 員を 司令 部 用と す る こと に変 更 。 此 日よ り
河井 ︹ 退蔵、大佐︺富 士 艦 長 を 輸 送 指 揮 官 に 、
六 郷 川徴 発船 悉 く来 集 、 予定 数 を 得 。 此 日始 め て出 省 、 横 浜 の惨
九日 日
陸 揚捗 取 り始 む 。
︹ 合︺
招 致し 役 割 を 定 め 、
高橋節雄 ︹ 大佐︺長 門 艦 長 を 徴 発 指 揮 官 に 、
晴
扶桑艦長 ︹ 加々良乙比古、大佐︺を 桟 橋 掛 と す 。
意 見を 述 ぶ。 伊 勢 は 早朝 横 浜 に回 航 、 3S は十 日早 朝 同 地 に回 航 す
小 林を 急 行す る こと に献 策 す 。 大 臣 ︹ 財部彪、大将︺にも 会 ふ て種 々
状 を 述 べ小 林 ︹躋 造、少将、第三戦隊司令官︺ の将 旗 を 伊 勢 に掲 げ し め
第 三戦 隊 及 伊 勢 著 。 長 門 艦 長 の徴 発 毫 も 要 領 を 得 ず 、鉄 砲 玉 の 使
る 予定 。 午 後 海 相 、 内 相
晴穏
運 貨 船 と 曳 船 の不 足 に て陸 揚 捗 取 ら ず 、 大 に 焦慮 す 。
と な る 。 此 日 甲 板 上 よ り 横 浜 方 面 よ り 廿 四 五 隻 の団 平船 避 難 し 来
ら るゝ も如 何 と もし 難 く 、 当 分 雨 露 を 凌 ぐ 様 命 じ 帰 艦 す 。 家 族 無
計 り私 宅 を 顧 み る に 二 階大 破 し大 雨 に絶 ひ難 く 、 且 つ危 険 と も 見
七日 金
り 、 六 郷 川 に 進 入 す るを 認 め 、 徴 発 指 揮 官 を 金 剛 艦 長 ︹ 関干成、大
事 、但 し 一時 は 危 険 な り し と 云 ふ 。 功 、 明 久 共 に 無 事 。 小 笠 原
︹ 耐︺
( 後藤 ︹ 新平︺ ) 横 浜 に 至 る。 午 後 二 時 間
佐︺に 指 定 し 独 立 徴 発 を 命 じ 、 八 日 天 明 を 以 て 行 動を 命 ず 。 八日 土
艦 后 小林 司令 官 を 呼 び、 横 浜 に対 す る海 軍 之 遣 り 口 に付 意 見 を 述
︹ 長生、中将、予備、宮中顧問官︺は 二軒 共 全 焼 、 路 頭 に 迷 ふと 聞 く 。 帰
大佐︺を 委 員 長 と し 終 夜 捜 索 大 分 引 揚 ぐ 。
村 主 計 大 佐 以 下 四 十 六名 之 士官 兵 員 溺 死 す 。 比 叡 艦 長 ︹ 横地錠二、
午 后 一時 十 五 分 、 比 叡 之 発 動 機 ラ ンチ と 曳 船と 衝 突 し芝 浦 に て 野
︹邏︺
海 軍 に て 運 貨船 之 徴 発 に成 功 せ し為 め 陸揚 はど し ど し捗 取 り 、 陸
十 日 月
早 朝 米 船 ス ルガ 入 港 、 貨 物 及 客 用 自 動 車 十 数 台 及 多 量 之 油 を 搭 載
扶 桑 大 輸 送 清 水 へ。
十 二日 水
じ 行 は し む 。 此 日に て商 船 之 在 港 す る も の無慮卅 七 八 隻 と為 り 。
右 に依 り 霧 島 艦 長 ︹ 安東昌喬、大佐︺を し て芝 浦 水 道 整 理 及 巡 羅 を 命
︹ 欄外︺ 百卅 二人 乗 船 。
ぶ 。 要す る に 、 帝 国 大玄 関 の番 人と し て此 際 威 信 を 保 持 し大 災 厄 に遭 ふと も綽
軍 配 給 部 之 力却 て 不 足 と なり 、 桟橋 に 大渋 滞 大堆 積 を 来 た す こと
々 た る余 裕を 示 せと 述 べ、 且 つ横 浜 海 運 開拓 に努 力 を 促 す 。
と な り 、 此 日一 日 陸揚 を 中止 す る こと とな る ( 前 者 は十 時 より 雨
のな り と 云 ふ 。 之 よ り 先 き 小 林 よ り 、 本 船 は 至 急 出 港 を 要 す る に
し 来 る。 米 国 よ り 売 品 と し て持 来 り し も のを 米 官 憲 が 徴 発 せ る も
霧後晴
の為 中 止 のま ま ︹ ) ︺。 よ り て 参 謀 長 を 海 軍省 に 出 し 、 会 議 に参 ぜ
小雨
し め 陸 軍 を 督 励 し 、 二 個 大 隊 に て片 附 け し む る こと と な る。 こ こ
て大 に手 配 し 待 受 け 、 入 港 す る や否 や直 に兵 員 と 団 平 を 送 り し も
ても 速 か に空 船 と し 呉 れ と 米 指 揮 官 の頼 みな り と 無 線 あ り し を 以
B艦 長 不在 の為 め ﹁ス ルガ ﹂ 艦 長 は 荷 揚 を 承 諾 せ ず 、 遷 延 正 午 に
付 至 急 貨 物 を 陸 揚 し 、 止 を 得 ざ れ ば ﹁ブ ラ ツク ホ ー ク﹂ に 積 載 し
す る 予 定 な り し に 海 軍 は 僅 に 千 五 百 俵 し か揚 げず と 公表 す 。 之 を
及 び B艦 長 帰 艦 す る に より て稍 く 決 着 荷 揚 を 始 む 。 富 士 艦 長 大 に
に 不 当 な る は 、 七 日 頃 に 陸揚 の 米僅 に 千 五 百 俵 に し て他 は海 軍缶
本 日 の新 聞 に 掲 載 せ し を 以 て事 実 と 相 違す る こと と なり 、 大 に怒
残 念 が る。 東 条 寿 平 戸 に便 乗 、 無 事 神 戸 に向 ふ 。 山 本 盛 正 及 野 元
詰 、 ビ スケ ツト 其 他 の糧 品 な り し を 、 陸 軍 配 給部 は 二万 俵 を 陸 揚
る 。 米 ﹁ト ラ ン スポ ー ト ﹂ ブ ラ ツク ホ ー ク 、 米 、味 噌 、 ア ム ペ ラ
又逗 子 より 家 族 を 迎 え 来 る為 めと 聞 く 。
共 に芝 浦 より 来 り し も のな り 。 大 臣 は十 八駆 に て横 須 賀 視 察 、 之
氏 家 族 、 平 戸便 乗 待 受 の為 め本 艦 に来 り 予 の接 待 を 受 く 。 大 臣 と
等 を 積 み 青 島 よ り 入 港 す 。 訪 問 交 換 。 濃霧 中 に霧 島 、比 叡 入港 。 早朝霧后晴
︹ 欄外︺陸 奥 清 水 に大 輸 送 を 為 す 。
十 一日 火
﹁ブ ラ ツ クホ ー ク﹂ 積 品 陸 揚 、 陸奥 に 参 千 人 之輸 送 、午 后 六時 発
参謀長出省、
て交 渉 に かか る。
商 船 荷 揚 を 郵 船 、 大 商 等 に引 渡 す 件 交 渉 す 。 満 員 一致 、 軍 務 に
清 水 へ、 明 朝 帰 品 。 午 前 よ り 出 省 、 外 国 軍 艦 を 品 川 へ泊 せ し めざ る件 次 官 よ り 外 務 次 官 ︹ 田中都吉︺ へ通 牒 せ し む 。 以 上 は 以 艦 ﹁カ
陸揚 に兵 員を 使 用す る の不 利 追 々思 想 に顕 る。 警 戒 を 要 す と 注 意
ラブ リ ア﹂ 小 林 と の交 渉 のみ に て 入 品 し 来 り し故 な り。 米 駆 は 通 信 と 称 し 常 に 一隻 定 泊 、 外 船 の行 動 稍 無 遠 慮 と な る を戒 め ん為 也 。
云 ふ。
︹ 欄外︺ 米 駆 湘 南 を 活 歩 す 。 之 よ り 先 き 小 田 原 に 行 き た る も
す。
の もあ り し由 。
曇后雨となる
十 三日 木
通信 之 不完 全 極 ま れり 、 尚 ほ士 気 の沈 衰 に付 語 る。 一回 春 を 要 す 。
鬱 陶 し き 天 気 な り 。 陸 上 又 停 滞 し 、 陸 軍 全 く手 を 引く 。参 謀 長 上 京、大臣、畑 ︹ 英太郎、陸軍少将︺陸 軍 々務 ︹ 局長︺及 後 藤 内 務 に厳 談
し む 。驟 雨時 に襲 来 し陰鬱 を 極 む 。 米 長 官 は 不 日出 港 し 、 成 る べ
露艦 レ ニン 退散 、 但 し炭 水 を 給 し駆 逐 艦 を し て監 視 のまゝ 出 港 せ
︹ 欄外︺品 川 米 船 の指 揮 を 本 職 に 托 す 。
﹁ブ ラ ツク ホ ー ク﹂ 午 前 横 浜 に向 け発 。
引し、艦水雷艇に近藤 ︹ 寿 一郎、大尉︺参 謀 を 附 し 、 仏 大 使 館迄 同 行
へ通 牒 の趣 に 依 り 入 港 拒 絶 、 乗 艦 せ る コ ル マー 艦 長 の 依 頼 の み 承
す 。 正 午 頃 仏 艦 ﹁ア ルゴ ー ル﹂ 入 港 す 。 依 り て 海 次官 よ り外 次 官
せ し む 。 露 艦 レ ニ ン既 に 横 浜 に 入 り 盛 に 宣 伝 を 始 む 。
戒 厳 司 令 部 よ り 退 去 命 令 を 出 し 、 三 戦 隊 司 令官 と 共 に 港 外 に 放 逐 、
止 む 。 今 日迄
交 通杜 絶。 低 気 圧土 佐 沖 720 北上 す 。 品 川 方 面 波 高 く 積 込 作 業 を 取
十 五日 土
横 浜 に回 航 す べき 米 長 官 命 令 を受 た り 、 差 支 な き やと 問 ひ来 り 、
め 、 遠 洋航 海 を続 行 す べ し と内 報
九 日 を 以 て 司令 部 事 務 を 陸 上 に移 し、 内 海 に趣 き 教 育 に従 事 せし
コル マー ( 仏) 神 戸 に向 発 。参 謀 長私 用 上京 を 許 す 。 練 習 艦 隊 十
( 震 災 后 ) 連 日静 穏 の 天候 続 き し は真 に 天祐 な り と
荒天
第 一駆 隊 の 二隻 を し て追 撃 、 港 外 に 追 出 さ し む 。 三 戦 司 令官 は 怠
云 ふ べし 。 昨 十 三 日 軍務 局 長 ︹ 大角岑生、少将︺報 、 芝 浦 方 面 海 軍兵
く救 護 を妨 げ ぬ様 す べ しと 3S〓 報 告 。
慢 の嫌 あ り 。 米 駆 を 鎌 倉 、 逗 子 、 小 田 原 に 外 人救 護 の 口実 に て 巡
力 過労 に付 専 ら人 夫 を 使 用 し沖 人夫 共 荷 揚 の件 閣議 決 定 を 報 ず 。
︹ 欄外︺十 二 日午 后 横 浜 に 入 る。
ラ ツ クホ ー ク﹂ 艦 長 よ り ﹁ス ルガ﹂ 貨 物 陸 揚迄 待 ち 、 之 を率 いて
航 を 命 じ た る 如 き 之 れな り 。 本 省 大 に 不 満 な る も 尤 も な り 。 ﹁ブ
之 を 許 可 す 。 米 駆 尚 ほ在 泊 中 、 此 処 置 を 藤 田 ︹ 尚徳、大佐︺副 官 に
( 軍務 局長 )。
促 す 。 日没 后 仏 士 官 帰 来 、 十 二駆 司 令 艇 に て横 浜 に 送 る (コ ル マ
十六日 日
次快 晴 と な る 、幸 と 云 ふ べ し。 午 後 上 陸 、海 軍省 に行 き 次 官 と 語
﹁カ ー ム﹂ と なり し が、 五時 頃 より 再 強 吹 し次 第 西 方 に廻 はり 漸
颱 風 は 四 国 九 州 を 犯 し 東 京 湾 は 助 か る。 Ba r739 迄 下 り 午 前 二 時 頃
低 気 圧 七 三〇 ミ リ遠 州 灘 。 午 前 B艦 長 は 米 長 官 よ り 横 浜 回 航 の命
雨
を 受 た り と て暇 乞 及 荷 揚 の礼 に 来 る 。 米 駆 通 信 艇 二隻 入 品 、 直 に
り中里 ︹ 重次、中将、海軍省軍需局長︺を 驚 か せ ( 陸揚取止を命 令せり
雨驟
ー艦 長 ピ エ ル ・エ スト バ外 約 十 名)。
岡 大尉 を やり 外 務 宛 通 牒 を 手 交 す 。station なけ sれ hば i居 p る所
と 告 て)、 次 官 と同 車 し て 帰 宅 の 村 田 を 訪 ふ。 電 灯 も 点 じ 、 復 活
十 四日 金
な し と 云 ふ。 正 午 北 上 入 港 、 司 令 官 来 り 、 湘 南 地 方米 駆 巡航 監 視
気 分著 し 。一 泊 ( 始 て) す 。 一泊
( 始 め て家 に泊 る)。
の任 務 報 告 を 為 す 。 此 任 務 命 令 は 阿 蘇 を 経 て 六 時 間余 を 要 せ り と
十七日 月
副 社 長) 救 護 会協 議 会 嘱托 団 長 と なり 、商 船 荷 物 陸 揚 及配 給 の為
海 上 風 波 あ り 荷役 出 来ず 。侍 従 武 官 金 剛 に御 差 遣。 石井 徹 ( 郵船
二十 一日 金
半晴
次 官 と同 車 し て海 軍 省 に行 き 、 行 動 ( 艦 隊 の) を 決 す 。 二十 一日
晴
侍 従 武 官 を 迎 ふ ると 共 に艦 隊 は 固 有 に戻 る 。 川 村 の家 庭 悲 惨 。 午
よ り 引 継を 受 く 。事 の意 外 に 六 ケ敷 に驚 く。
一切 を 処 理 す る こ と と な り 、艀 船 掛 秋 山 某 と 共 に来 艦 、万 事 中 村
晴
后 帰 艦 す 。 商 船 荷 揚 海 軍 の手 を 放 す こと 之 議 追 々進 む 。 十 八日 火
二十二日 土
参 謀 長 上 京 、 廿 一日頃 を 以 て商 船 関 係 打 切 交 渉 を な す 。 第 一、 第
海 上 風 波 ﹁メー グ﹂ の荷 役 渋 滞 す 。午 前 十時 旗 艦 を 霧 島 に換 ゆ。
雨
二艦 隊 分 離 、 横 浜 と 品 川 に 別 れ 配 備 之 命 令 発 表 、 艦 隊 以 外 の艦 を
︹ 欄外︺大 沢 事 務 部 長 の意 を 伝 ふ 。
所 管 に戻 す 。
斎 藤 斉 来 艦 。 長 兄 ﹁プ レジ デ ント タ フト ﹂ に て 帰 朝 を 迎 の為 な り 。
行き部長 ︹ 山下源太郎、大将、軍令部長︺に 面 会 、 大 演 習 取 止 に 付 意 見
大佐︺等 来 る 。 十 一時 頃 上 陸 、 ス ロー ボ ー ト に て 困 る。 海 軍 省 に
外艦隊司令官 、 一水 戦 司 令 官 ︹ 長沢直太郎、少将︺ 、常盤艦 長 ︹ 副島慶 一、
大雨。木原 ︹ 清︺陸 少 将 ︹ 参謀本部第三部長︺ 、 野 村 吉 三郎 少 将 ︹ 第 一遣
一泊 、 明 朝 九 時 発 の 日向 に て行 く こと を 決 す 。 但 し ﹁タ フト﹂ は
︹ 欄外︺ 此命 令 廿 二 日を 以 て発 動 之 事 。
既 に横 浜 に在 り 。 此 日 ﹁ルー ズ ベ ルト﹂ 伝 を 読 み 大 に 感 ず る 所 あ
に し て 、此 際と 雖 も実 行 し 、止 を 得 ざ れば 艦 隊 は支 那 朝 鮮 に行 動
を 述 ぶ 。但 し慰 問 の意 な り 。国 防 は 一切 に超 越 す と は部 長 の精 神
を続 行 し 示威 す べ しと の意 見な り 。 山 下な ら で は云 は れ ぬ語 也 。
快晴
所 用后 摂 政 宮 、伏 見 博 恭 之 宮 に伺 候 す 。 侍 従 武 官 の御 礼 を 赤 坂 に
り 。 彼 の忠 誠 、 私 欲 な き 所 、 彼 の成 功 の基 な る を 知 る 。 十九日 水
( 品 川) を 協 議 せ し む 。 ﹁メイ グ﹂ 午 后 入
斎 藤 斉 を 日向 に て横 浜 に 送 る 。 川 村 ︹ 儀 一郎、中佐︺先 任参 謀本 省 に 出 す 。 商 船 集 合 の中 止
二十 三日 日
今立 裕 ︹ 新聞記者︺を 代 々木 に訪 ふ。
佐藤 長就 及 功 を 訪 ふ 。午 后 海 軍省 を 経 て帰 艦 。 風 波 高 く 荷 役 出 来
申 す 。 此 日竹 下も 長 門 へ帰 り 、 午 后 横 浜 に回 航 す 。 一泊 宅 に帰 る。
二十日 木
ず。福田 ︹ 雅太郎、陸軍大将︺戒 厳 司 令 官 辞 職 す 。 大 杉 栄 一家鏖 殺 事
港 す 。 積 載 品 雑 多 、 大 に 困 る 。 配 水 車 、 米 、 防 水 布等 百 般 一万噸
低 気 圧 台 湾 沖 に 在 り 、 東 京 地 方驟 雨 あ り 、 午前 中 里 来 り 大 に弁 明
件之責を引く 。
位あり、陸上益停滞す。
に努 む 。 参 謀 長 上 京 、 荷 揚 引 渡 之 交 渉 を 為 す 。救 護事 務 局 の 下 に
二十 四日 月
風
嘱 托 団 な る も 出 来 、 主 と し て 郵船 、 大 阪 商 船等 の 経験 者 より 成 り 、
小笠 原 の颱 風 東 京 湾 に来 り 七 三九 に低 下 、 風 力 廿 九 米 、 東 京 の被
曇
海 運 荷 揚 及 后 方 配 給 に任 ず る こ と と な る 。 ﹁メ イ グ ﹂ 貨 物 約 十 分
雨
揚 る。
三十日 日
小 雨 后止 む
害 想 像 に余 る 。 風 向 北 よ り 北 東 、 午 前 三 時 頃 尤 甚 し 。 低 気 圧 は 鹿
二十 六日 水
也。
陸 帰宅 。 ﹁メイ グ ﹂ 荷 揚 、 協 議 会 之 鈍 腕 に て 渋 滞 を 重 ぬ 、気 之 毒
平 沼 ︹騏一 郎︺法 相 木 曽 に て 神 宮 に 参 拝 、 震 災 報 告 を な す 。夕 刻 上
天明 よ り 風 向 西 に廻 り 静 穏 と な る 。
三日
孝 次 と 日比 谷 を 散 策 、 東 京 駅 に 至 る 。 夕 食 岡 と 松 山 と 共 に す 。
二日
策す。
見 る 。 大 破 使 用 に 堪 へず 。 帰宅 后 花 園 丁 の借家 を見 、神 楽 坂 を 散
午 前 九 時 金 剛 に 帰 復 す 。 正 午 上 陸 、安 東 之案 内 に て芝 園橋 に家 を
十月 一日
( 飯倉 ) 邸 に奉 伺 、夕 刻 帰 る。
大学校 寄贈之本 御礼を 為し、午 后東 郷元帥、山 階宮、東伏 見宮
功 宅 よ り 上落 合 之林 邸 を 視 察 す 。 午 后 五時 廿 分 強 震 あ り 道 動 く 。
午 前 海 軍省 に出 頭 、 大 臣 、 部 長 に 会 ふ 。 東 京 駅 に 昼 食 し て 帰 る 。
二十 五日 火
島灘より北海道を暴らす。
予新 宿 停 車 場 附 近歩 行 中之 を 感 ず 。 芝 浦 荷 物 渋 滞 に非 難 起 る。 市
水
曇
宇 垣 ︹一成、陸軍中将、教育総監部本部長︺宅 を 千 駄 谷 に見 る 。病 気 に て
晴
面 会 せず 。 午 后 ︹ 小島︺喜 久 馬 来 宅 。 三 時 帰 艦 す 。 実 業 団 之 配 給 及
晴
府 之攻 撃 盛な り 。
芦沢 ︹ 敬策、陛軍︺大 佐 ︹ 教育総監部庶務課長︺来 る 、 山 本 首 相 、 芝 浦 視
月
二十 七日 木
四日 木
察。
曇
孝 次 を 伴 ひ功 と 丸 ビ ル に行 昼食 す 。 地震 気 分な し 。午 后 中山 を 訪
火
ふ 。 落 合 を 不 可と 云 ふ。 ﹁台 湾 方 面 に 航 海 、 荒 天 に会 ふ べし 、 此 航 海 后 東 京 海 軍 省 に 戻 る べし﹂ と 告 ぐ 。 3S 横浜 に仕 事 を 協 議 会 に
二十八日 金
五日 金 半 晴 ︹ 治︺ メ ー グ指 揮 官 礼 に来 り 、 大 に岡 を 賞 す 。 竹 内 賀 久 次 ︹ 弁護士、国本社
陸揚 縦 覧 。
雨后晴
引継ぐ。
午 前 海 軍 省 を 訪 ひ 、 帰 艦 す 。 第 一、 第 二 艦 隊 十 月 五 日 以 て切 上 る
社員︺、 司法 大 臣 官 邸 に て 辛 酉 会 を ひ ら く も 行 き が た く 断 る。 壮 心
転 た 切 、家 庭 之 現状 も亦 憐 なり 。
事 決 定 、 但 し 第 五 Sを 十 日 頃 迄 残 す こ と 大 臣 之 懇 望 に よ り 同 じ く
六日 土
決 す 。 1Sは 佐 伯 に 、 2Sは 伊 勢 湾 に 行 く こ と と な る 。 二十九日 土
午前 五 時 出 港 、伊 勢 湾 に向 ひ 、 途 上潜 水 艦と 対 抗 を 行 ひ し も 不成
風
午 前 よ り 松 丸 に て隅 田 川 一帯 被 害 地 を 視 察 す 。 惨 状 他 よ り 甚 し 。
績 に 付 大 に 叱 責 す 。 入港 前 風 雨 あ り 、伊 良湖 水 道 外 に仮 泊 し 、 雨
雨
深 川 被 服 廠 地 を 弔 し 、 浅 草 寺 を 経 て帰 宅 す 。 浅 草 寺 五 重 塔 、 山 門
快晴日本晴なり
等 火 焦 の跡 も な し 。 真 に 一奇 異 と 云 ふ べし 。
晴 る る を 待 て入 港 投 錨 す 。 既 に 暗 し 。 低 気 圧太 平洋 を 過 ぐ 。
北西 に転 じ 西と な る。
午 后颱 風 益 す 熾 烈 、 4S は第 一錨 地 鳥 羽沖 に 仮 泊 、 中 心 は 土 佐 沖 よ
風
七日 日
小雨
地 方 風 北 西 、 小 波 あ り 、 曇 天 日 没 良 し 。 宇 垣 一成 陸 軍次 官 と な る。
下、 中 心 は清 水 に上 陸 。 十 時 ﹁マキ シ マム﹂ に て之 よ り 次 第 に 衰
ふ。 錨 地 は北 西 風 の時 怒 濤 ﹁ス ター ン ウオ ー ク﹂ を 洗 ふ ほ ど 也 。
り 北 々東 に進 み、 正 午 潮 岬 沖 に在 り 。 九 時 頃 当 地 七 三九 ミ リに 低
風雨
芦 沢 嘗 て 曰 く 、 予 と同 性 格 之 人物 なり と 。 八日 月
と 韓 崎 の み。 矢 矧 は 鳥 羽 に救 援 す る 能 は ず し て第 二錨 地 に 来 る 。
5Sも 午 后 二時 半 頃 第 二錨 地 に 着 、 1Sも 来 る 。 鳥 羽 に 残 る は 負 傷 艦
不甲斐なし。
台 湾 東 北 及 土 佐沖 之 低気 圧〓 徊 去 らず 、当 地 方 風雨 且 陰 欝 海 上 風 波あ り 。 若 宮 検 閲 及 霧 島 検 閲を 了 る。 本 日 甘 粕 ︹ 正彦、陸軍憲兵︺大
十 一日 木
風
尉 の 公 判 日 な り 。彼 れ の遣 口最 拙 、恐 く 物 議 を かも さ ん。 彼 何 故
晴
に自 殺 せざ り し か 。 大杉 の殺 し方 は拙 の拙 、縊 殺 し て井 戸 に投 じ
を忘 れ たり 。
無類之晴天なれども西風強吹。海上風浪甚し。参拝員上陸困難な
十 二日 金
神社沖。風潮大にして錨地進入困難。
晴 天 と な る 。 雨 や み北 西 風 強 吹 力 四︱ 五 。 午 前 十 時 錨 地 を 替 ゆ 。
九日 火
り し も 幸 に 怪 我 な く 、 水 戦 の 全 部 約 九 百 名 と 5S 4S の 残 を併 せ 千 四
( 妻 子 と共 に) 煉 瓦 を 投 ぜり と 云 ふ。 日本 式 な ら ず 。 伝 統 的 精 神
風雨 しき り に至 る。 連 日雨 。 陰 欝 限 な し 。 台 湾 沖 に 低 気 圧 去 ら ざ
百名程陸泊せしむ。
風
る に よ る。 比 叡 に総 天幕 を 張 ら し め 午 后 検 閲 、 雨 中 湿 るゝ も の多
晴
し、 新 少 尉 を 憐 む 。 夜 間 検 閲 も 了 る。 本 夜 一時 晴 。
午 前 出 動 4S の検 閲 了 る。 午 后 演 習 之 筈 な り し も 、 琉 球 沖 に 七 三 〇
の尊 ぶ る釼 の舞 を 拝 す 。 午 後 津 に至 り 柴 田 ︹ 善三郎︺知 事 を 訪 問す 。
予 は 幕 僚 と 共 に参 拝 、御 神 楽 を 奏 納す 。神 代 之尊 崇 愈 深 し。 義 家
︹ 欄外︺西 風 漸 次 衰 ふ。
ミ リ北 々東 に進 み来 り 、 八 時 頃 よ り 天 候 変 化 し咫 尺 を 弁 ぜ ず 、 依
病気 に て内 務 部 長 ︹ 鯉沼巌︺に会 ふ。
暴風雨
り て演 習 を 十 五 日に 延 す 。 三 十 五 号 潜 水 艦 、 鳥 羽 に て 若 宮 に 衝 触
十三日 土
十日 水
し 容 易 に離 れ ず 韓 崎 之 力 に て稍 く ( ホ ー サ ー) 離 る 。 彼 我 共 に 損
︹ママ︺
無類 の晴 天 と なり 、 海上 静 穏 に帰 す 。 4S丈 の参 拝 に止 む 。 晩 餐 会 、
二水 戦 二水 潜 中佐 以 上及 4S の副 長 。
堀江 ︹ 吉正、少佐︺( 岩下 ︹ 保太郎、少佐︺
害 少 な か り し は 幸 な り き 。 若 宮 、 韓 崎 艦 長 を 賞 信 す 。潜 水 の 士 気 弛 緩 と 認 む 。 三十 五 号艦 長
十 四日 日
5S1 SD参 拝 、 予 は看 護 術 競 技 に行 き 夫 よ り 二見 に遊 ぶ 。 午 后 よ り 天
曇
級 )。 ︹ 欄外︺ 風 向 は 日中 Eb yな り し が 日没 後 よ り 北 と な り 、次 第 に
十五日 月
予備 日但 し 休 と な る。
二十七日 土
鰻 会 、 憂 国 忠 言 、 伊 藤 司 馬 の文 を 大 臣 に 略 記 し 送 る 。
基 本 演 習 、 午 后 三 時 了 る 。各 隊解 列 所 属 に帰 る。 4S は登 舷 礼 式 を 二十 八日 日
候 急 変 、 大 雨 と な る 。 1S 5S の招 待 翌 二時 に 及 ぶ。
行ふ。日没頃より晴。
二十九日 月
帰艦す。
曇
十六日 火
進級会議参列将官、天機奉伺、管下状況奏上、各官伺候。
二十 二日 月
長官着京。
二十 一日 日
十二日 月
練 習 艦 隊 見 送 の為 帰 艦 、 即 日上 京 。
七日 水
三光 丁 家 屋修 理始 め 、松 浦 正次 に命 ず 。
六日 火
残 一万 円 四年 賦 な り 。 三 日 に広 瀬 に交 付 す 。 本 郷 前 田邸 に於 て。
上京。
無 類 の晴 天 と な り午 前 九 時 半 入港 す 。鎮 守府 訪 問 。午 后 長 門 入港 、
二十 三日 火
中村 ︹ 良三、大佐︺送 別午 餐 及参 謀 長交 代 の為 め帰 艦 す 。
十 一月 一日 木
靖国神社大祭。墓参、御墓を直す。
十三日 火
高 松 宮 御 便 乗 、 午 后 逗 子 に 村 上 、 釜 や 、 三 村 、 上 品を 見 舞 ふ。 鈴
二十 四日 水
飛行船に乗らんとして又天候に妨げらる。
木案内す。
進 級 会 議 、 少 佐 以 下を 終 る。 大 臣 午 餐 。
十四日 水
軍少佐、近衛歩兵第四連隊大隊長︺と 締 結 す 。 二千 九 百 六十 二円 を 前 納 す 。
二十 五日 木
二十 一日 水
安東 ︹ 昌喬、大佐、第二艦隊参謀長︺赴 任 、 中 村 退艦 す 。
本 日 附 、 三 光 丁 一二 八 家 屋 土 地 年 賦 買 求 契 約 を前 田 利 為 ︹ 侯爵、陸
中佐 以上 少 々之 議 論 あ り 、 但 し 予 の外 正 論 を 吐 く も のな し 。 鈴 木
︹ 二十 一日︺よ り 東 京 植 木 移 植 、 垣 根 造 方 。
十七日 水
迄 大 臣 に阿 す 。 総 理 午 餐 、 震 災 後 始 てな り と 云 ふ 。
二十五日 日
上京す。
大 佐 以 上 を 議 す。 小 倉 喜 明 ︹ 大佐、軍令部参謀︺之 事 を 詰 責 す 。 大 臣
二十 六日 金 ︹ 会︺ 午 后 一時 より 会 議 、 主 計 官 、 軍 医 官 以 下 。 散 開 后 長 官 以 上 集 り 、
二十六日 月
右了る。但廿四日は雨の為休。
二十七日 火
松浦人夫来り、屋根を直す。
今 明 日 、 松 浦 来 る 筈 な り し も 違約 す 。村 田 に憤 慨 す 。 十 二月 一日 土
二日 日
小畠 ︹ 錦 一郎、大佐、第二艦隊︺機 関 長 送 別 之宴 を 催す 。
の重 態 に 付 、 千 代 子 を 呼 ぶ 、 今夜 千 代 子 来 り 、 小島 に 一泊 す 。
正 午 、 小 島 隣 人 佐 藤 来 り 、 小 島 の危 篤を 報 ず 。直 に見 舞 ふ。 非 常
三日 月 千 代 子 帰 京 、 武 井 軍 医 大佐 を 頼 む 。 予 も午 后 六時 三 五 分 に て上 京 す 。 武 井 氏 非 常 に努 力 ﹁スト ー ブ﹂ を送 る 。 四日 火 ︹ 療︺ 帰 艦 。 小 島 、 武 井 氏 之 治寮 后 大 に快 復 す 。 元気 良 し。 五日 水
雨
午 后 砲 校 を訪 問 し 、 小島 宅 を 見舞 ひ 、小 康 と 認 め 上京 す 。 六日 木
松 浦 再 び 違約 す 。午 后 一時 頃 、海 軍省 より 使 来 り 、 今 朝 午 前 八時 二 十 分 小島 永 眠 の報 あ り。 依 て午 后 四 ・三 五品 川 より 帰 横 し 、 直 に 小島 に 至 る 。 道路 泥濘 膝 を 没す る に近 し、 立 雄 来 会 しあ り 、 十 時 帰艦 す 。
fine warm
calm m ionrniw ng i, nd c &old
参議官 昭 和 四年 ︹軍一事 月 二十 二 日、 軍 令 部 長︺
一月 一日 火
home.
午後歌舞伎に春日局を見る。 一月六日 日 実 、 孝 次return
一月七日 月 fine
寛 一の為 め 深 井 に 書 信 す 。
大貫 ︹ 安三、海軍省︺医 務 局 長 来 診 。 寛 一も 診 る 。
一月 八日 火
浮田 ︹ 秀彦︺中 佐 ︹ 聯合艦隊兼第 一艦隊参謀︺立 つ。
寒r中 奉 伺 、 宮 中 へ。 afte
一月九日 水 ︹ 折衷︺ 陸海 軍 会 、水 交 社 、 盛 会 、 二葉 亭 大 に努 む 。 和 洋 切 中 最 も 左 党 に
noon
一月十 一日 金 fine
千 代 金 比 羅 様 と 海晏 寺 に 詣 づ 。 軸 丸行 。
一月十日 木
今, 夜 よ り 三 宅 坂軸 丸 春 吉 の整 骨 に行 く 。 c wo ol rd s, tstoo rn m Niigata
適す。
but w vi en rd yy
参 内 、 宮 家 廻 り 、 Tatsuo寺 ,尾 、 正 之 等 来 訪 。
fine
寛 一 c aught i co nld bed. 一月 二 日 水 dist(3 r7 icm t/w sin )d .
38°.
homew hole. day.
Toyama at Kanichi
午前 ︹ 松平︺慶 民 ︹ 宮内事務官兼式武官︺子 と 立 雄 の身 上 相 談 、 宮 方 問 題にも及ぶ。午後軸丸行。
moderate
paclearceemony.
一月 三日 木 fine Attend
一月十 二日 土 fine co ntinuous wea gt oh oe dr
夕三金会、自治館に行く。重村朝鮮談。
に 診 察 を 受 く 。 血 圧120︲130.wonderful( 案h 外e) a 。lth
Afternoon s M he ri ij ni e o &npKirasa神 ma 経.痛 ら し く 感 じ 、 寺 尾
送 る。
warm
牧野 ︹ 伸顕︺伯 ︹ 内大臣︺に 大 久 保 ︹ 立、子爵、貴族院議員︺の 美事 訓 話 を fine
一月十 三日 日 fine weather
重村来談す。
一月 四 日 金 very
warm
龍 英 氏 来 る 。 水 交社 互 礼会 大 に盛 大 。 一月 五 日 土 finest 新 年 賀 宴 、参 内 。
一月 十 四 日 月 fin e
三越に行く。
て 軍事 参 議 官 会 。 此 日昭 和 六 年 度 ま で の補 充 計 画 に 付 閣 僚 連 署 の
8 P M親 任 式 、 鈴 木 ︹ 貫太郎、大将︺侍 従 長 と 同 時 な り 。 夕 大 臣 邸 に
︹マ マ︺
覚 書 を 示 さ る。 fn i e
横 須 賀 行 。 駆 逐 艦 無 線 操 縦 を 見 る 、 良好 。
一月 二十 三日 水
交 代 日。 御 陪 食 、 真 に光 栄 の限 り な り 。 午 後 遇 然 上 原 ︹ 勇作︺元帥
一月 十 五 日 火 fi ne
室 を 礼 訪 し 、 通 常 礼 装 に て海晏 寺 に 詣 づ 。 亡 父 の引 合 せ な ら ん と
一月二十六日 土 fine
久邇 ︹ 邦彦王︺大 将 宮 御 病気 。
一月 二十五日 金 fine
鈴 木 と 予 の為 め 官 邸 晩 餐 。
一月 二十四日 木 fine
副官云ふ。
一月 十 六 日 水 fin e (断 )。
宇川来る。
華 族 会 館 、 一水 会
︹ 清 種、大 将、軍事参議官︺、 山 下 ︹ 源 太郎、 大将、予備︺、 西 園
︹ 実、大将、予備、枢密顧
国 技館 に 相撲 を 見 る。 大 番 狂 はせ に て近 来 な き 熱 狂 。 夕 山 口 に招 かる。
問官︺、 安 保
珍 田 ︹ 捨巳︺侍 従 長 逝 去 。 後 任 問 題 起 る 。 斎 藤
︹八郎 、宮内省主馬頭︺等 。
一月 十 七 日 木 fin e
寺
一月二十 七日 日
新 浜 鴨 猟 、 少 数 の集 り 、獲 物少 し 。
安 保 と 軸 丸 に行 く 。
〇 ・三 〇 P久邇 大 将宮 崩 御 。 拝 訣 す 。
熱 海 に奉 伺 。
fn i e
朝 日 に寄 祝 を 書 く 。
一月 十 八日 金 fi ne
一月二十 八日 月
参 内 、 鴨 猟 御 礼 、 天 機 奉 伺 。 久邇 宮 御 本 邸 に 御 見 舞 す 。
故 久邇 宮 還 京 、 東 京 駅 に御 迎 す 。
雪降 る
連 日 no
此 日 元 日以 来 始 て湿 を 見 降 雪 。 午 後 よ り 始 り し も 日没 頃 止 む 。
rn aidayに 過 ぐ 。
軸丸行終り。 一月 十 九 日 土 c
次長 ︹ 末次信正、中将︺を 熱 海 に遣 は し 御 世 話 御 迎 す 。
loudw yeather今 年 始 め て
一月 二十 一日 月 fin e
柳 光 亭 、 海 相 ︹岡田啓介、大将︺。
一月 二十九日 火
︹ 欄外︺ 廃 嫡 仰 出 さ る 。
此 日 野 村 ︹吉三郎、中将、出仕︺、 千 坂 ︹ 智次郎、中将、予備︺来 訪 。
︹ 軍令部︺ 一班 報 告 を 受 。
1 P M大 臣 よ り 招致 を受 、 出 省。 軍 令部 長 の就 任 内 示 を 受 く 。
一月 二十 二 日 火 fin e
副嶋 ︹ 道正︺伯 令 息 告 別 式 に ︹ 代々木︺上 原 に行 く 。 (一〇 円) 霊 前
森 川 に て撮 影 。
紀元節。
二月十 一日 月 fine
来 客多 し 、末 次 々 長来 訪 す 。
雪止 み晴 れ来 る。
二月十四日 木 fine
へ 。
一月 三十 日 水 fi ne cold
御 通 夜 、 九 ∼ 一〇 P 。
一月 三 十 一日 木
九 ・二 〇 A山 田着 戸 田屋 へ。 参 拝 。 一泊 。
二月十 五日 金
九 ・五 〇 P発 山 田 へ。
cold
一班 、 二 班 報 告 。
三班報告、了。
一〇 A山 田発 、 京 都 を 経 て桃 山 へ。 参 拝 。 京 都 ホ テ ル、 休 。 九 ・
二月十六日 土
三 二 P発 帰 京 。
二月 一日 金 fi ne
二月十 七日 日
二月 二日 土 支那事情を三班岡より聞く。
九 ・ 一〇 A帰 京 。
始 て 降 雨 、 五 十 日振 なり 。
二月 三日 日 fi ne
二月十 九日 火
雨
fine
談 話会 。 立 花 ︹ 小一郎、陸軍大将、予備、貴族院議員︺会 葬 。
二月十 八日 月
二月 五日 火 fine
久邇 大 将 宮 御 葬 儀 。
二月 六日 水
二月 二十日 水
二月 四日 月 fin e
鈴 木 、 加 藤 披 露 別 れ 会 、 非 常 の盛 会 と な る 。 東 京 会 館 。
水戸行。
米 上 院 Cr一五 隻 案 を 可 決 す 。 fine
二 月 七 日 木
二月 二十 一日 木 市 役 所 に て募 兵 視 察 。
芝 田 屋 泊 。 孝 次同 宿 す 。 大 に よ ろ こ ぶ 。
公 会 堂 に知 事 以 下 二〇 名 を 招 く 。 午 後 発 帰 京 。
義 済会 へ御 下 賜金 、 御 礼 参 内 。
二月 九 日 土
二月 八 日 金 fi ne
済南交渉決裂す。
二月 二十 三日 土
fie n
二月 十 日 日 fin e
Nang柳 o光 ,亭 。
三月六日 水
必 親 展 書 を 以 て大 臣 に忠 告 す 。
山 梨 、 海 相 の政 治 行 動 に心 配 す 。
col wi dndy ry
伊集院 ︹ 五郎︺元 帥伝 記 相談 会 。
末次再び休む。
新 谷 弟 結 婚式 。
財 部 よ り 電 話 に て 一〇 P頃 奉 天 爆 破 の情 報 を 尋 ね 来 る 。
大風
二月二十 四日 日
入歯出来。
三月七日 木 fine
伏見 ︹ 博恭王︺大 将 宮 ︹ 軍事参議官︺出 省 。
小柳 ︹ 喜三郎、大佐、ソ連大使館付武官︺不 幸 。
特 検 の上 命 を 随 員 に 伝 へら る 。
早 朝 よ り 大熱 、 三九 ・二 。 下 □□ 腸 と頓 服 に て夕 刻 下熱 。 大 に千
寺 尾 氏 に 診を 受 く 。
代を心配せしむ。
島 崎死す。 二月二十 五日 月
三月九日 土
三月八日 金
fn i e
fn i e
大風
休 勤。 ︹濛︺
砂 塵曚 々 。
oko Wh e n a tm t oa E.nbut o js o e e
Kanj oi !nch
Yoko ts o s ue ke a eH ni a ad n rd i thank sph io t Aa fl t. ernoo tn
Went
午後 大 に寒 し 。 陸 軍 の遣 方 大 に整 然 た り 。海 軍も 真 似 るを 要 す 。
行幸 、参 列 、偕 行 社 の奉 祝 。
奉天記念日。
三月十日 日
Sonob ewit孝 h atY ︹騏一郎、男爵、枢密院副議長︺、 斎 藤 実 外 過 去 友 人 。
二月 二十 六日 火 柳光亭招宴、平沼
︹ 正直、駐米大使︺、 野 村 。
︹ 源 吾、少将、 軍令部 第 一班 長︺、 山 梨
大 成 功 、 野波 に快 飲 す 。 後 藤 、 埴 原 三月 三日 日 大 臣 官 邸 会 議 。 大 臣 、 予、 百 武
三月十 三日 水 fine
原田 ︹ 熊雄、西園寺公望秘書︺来 り 久 原 ︹ 房之助︺の秘 密 を 訴 ふ。
︹ 政三、中将、海軍省軍務 局長︺、 加 亮 ︹ 加
藤亮 一、主計中将、海軍省経理局長︺。
歯科 学 校 に第 二義 歯 を 頼 む 。
︹ 勝之進、中将、 海軍次 官︺、 左 近 司
三月 四日 月 dry
三月十 四日 木 U.S.comins g e. cr ta ery of米 大 使 館 員 。
総 理 晩 餐 。 Stim os n
山 口 に磯 村 、 柳 谷 、 土 方 、 沢 井 及 華 府 之 関 係 を 招 く 。 二次 会 野 波
三月 行 十く六。日 土
に
百 武 、 予 算 委 員 会 に て 作 戦 方 針 を 説 明 す 。 財 部 ︹彪、大将、軍事参議 官︺来 部 す 。 三月 五日 火 dry
visi
三月二十 日 水
談 話会 。
三月十九 日 火
井 上 辰九 郎 、赤 坂 花 屋 。
三月十 八日 月
原 田来 り 満 洲 に於 け る陸 軍 の積 極 的 行 動 を 報 ず 。
呉 潜 水 学 校 同 上 。 午 後 神 戸 に向 ひ 、室 屋 に東 条 及竹 崎 と飲 む 。清
三月 二十八日 木
江田嶋卒業式参列。
三月 二十七日 水
午前宮嶋岩惣に休む。
江 田 嶋 集会 所 泊 。 職 員 及trainin Cg ︲i を s n招 q. 待す。
四 P M発 神 崎 よ り 一二 P maizu水 r交 u社 泊 。
三月 二十九日 金
三月 三十日 土
子も仝席す。
三月二十 二日 金
軍令部会、湖月。
埴 原fre i nds を 山 口 に招 待 す 。
三月 三十 一日 日
maizu卒 r業 u式 。
航 空 会 社 、東 京 会館 。
三月 二十三日 土
井上 ︹ 良馨︺元 帥薨 去 、 二 ・二 四 P M 。
上 野 精 養 軒 に親 類 を 招 待 す 。 大 成 功 。 立 雄 大 に 努 む 。 後 町 田 の
四月七日 日
waiti にn 行g く。
帰京。
三月 二十四日 日
大臣官邸、吉川 ︹ 安平、予備︺ 、 古 川 ︹鈊 三郎、予備︺両 中 将 の 送別 。
四月十 八日 木
伊集院元帥会。
出 発 、 江 田 嶋 へ。
四月十九 日 金
行 幸 あ り 、 観 桜 御 宴 、 新 宿 御 園 。 細 雨。
御通夜に行く。
□野、杉並小学校に字を頼む。
︹マ マ︺
作間中佐来る。
有終 会 。寛 一日本 銀 行 書 記 に就 任 、 大 安 心 す 。 成 績 良 好 を 土 方 久
四月 二十 日 土
徴 ︹ 日本銀行総裁︺より 聞く 。 彼 又有 為 、 将 来 を 祝 し て止 ま ず 。
青 年 会 館 に民 謡 踊 を 見 る。
八 A M着 大 阪 。 住 友 北 浜 工 場 及 津 村 の鉄 工 場 を 見 、 一〇 P 発 宮 嶋
三月 二十 五日 月
に向 ふ。
四月 二十 二日 月
寛 一受 診 、 佐 藤 世 祐 病 院 。
三月 二十六日 火
四月 二十 三日 火
五 月 四 日 土
の み 。great
Gar ter奉 呈 式 、 宮中 大 晩 餐 会 、 大 臣 礼 遇 外 鈴 木 、 松 居 と 予 夫 婦
五 月 三 日 金
四月 二十 四日 水 fin e
very
Goz en shia 宮i中 武 場 、 御 馬 場 。
but tro snwgi nd
四月 二十六日 金
五 月 六 日 月 fi ne, c old, os "tf"r
fine
行 幸 、 靖 国神 社 一〇 A M。
Nakam ja i (LieuG te. n.) 正 武 came.Asket d o mnionateBar on
fn i e
肝臓 警 戒 。
五 月 五 日 日
G louces 公t le ur nch,大 臣 、 水 交 社 。
岡 田海 相 病 状 警 戒 、 自 分 も 用 心 す 。
四月 二十 五日 木
h nour!
靖 国 神 社 第 一日祭 。
慶 民 子 邸 dinn七 er ・三 〇 P?
Sai to as chief
大 将 会 、 6 P、 大 臣 官 邸 。
四月 三十日 火
天長 節 、 御 陪 食 。
四月 二十九日 月
?
四月 二十七日 土
五月九日 木 rain
待 、 菊 五郎 の ﹁ し ば い﹂ を 見 せ る。
尊重 す。総 理外相 ︹ 田中義 一、陸軍大将、予備︺、 グ 公 を 総 理 官 邸 に 招
省 部 補 充 問 題ま と ま る。 大 臣 に面 会 、 決 定 軍 諸 省 は 大 に軍 令 部 を
参 謀 長会 議 。
五月七日 火
Baroa nnd ns cu ol. tR ee dply t er af1O it n th s ,sa Si ad ito.
ps e rident
co 御l前 d試 .合。
九 ・ 一〇 A M ( 殿 下 )、 一〇 靖 国 神 社 、 正 装 。
五月 一日 水
oa fpa Jn︲Russn ia Society.I called no
晩住友別邸。
御 陪 食 、 一 一A集 合 、 検 閲 使 御披 露 。
五月十日 金 c
山 下?
八 A M Suff入 o港 l。 k
伏見宮家園遊会、午後。
五月 二日 木
五月十 二日 日
井上健 一 ︹ 医師︺に 書 を 送 る 。 金 暉 と 善 心 気 。
五月十 一日 土
海晏 寺 参 詣 す 。
old ai ,n r
断 る。 千 代 子 の み行 く 。 山 下 知 彦 養 家 披 露 也 。
三 P結 婚 式 、 寺 崎 。
Glouce公 s入 te 京r 。
五月十 三日 月
散歩。
五月三十 一日 金
の光 栄 且 つ体 力 試 験 な り し。 之 も緊 張 の賜 な り 。 七 P発 。
七 A M大嶋 元村 着 、御 上 陸、 三 原山 噴 火 口ま で登 山 供 奉 す 。 畢 生
田 辺 に向 航 海 中calm,cl後 ou 雨d 。y 但 し 御 予 定 総 て恙 な く 決 行 。
五 P 頃 よ り 晴 。 低気 圧 通 過 し終 る。 不 思議 と 云 ふ べ し。 六 P出 港 、
連 日露 の如 し
串 本 着 一〇 ・三 〇 P。 南 方 熊 楠 に会 ふ、 大 悦 び。
雨
五月十 五日 水
五月十四日 火
参謀長招待、上野精養軒。
初 瀬 会 、 二 P。
六月 一日 土
七 A M 田 辺着 。 九 A頃 より 降 雨 。生 徒 の相 撲 大 喝 采 。 行 司 小 野 生
大 臣 の dinner.
此 地方 ま れ の天気 。大 成 功 に て 了 る。
佐 藤 長 秋 長 女 結 婚 式 、 福 井 楼 、 三 P M。
中里?
六月二日 日
徒 評 判良 し 。
五月十六日 木
五月十 八日 土
六月三日 月
fine
柳 光 亭 、高 橋 、近 衛 ︹ 文麿︺公 、 斎 藤 実 、 原 田熊 雄etc芳 .沢 ︹ 謙吉、
五月 二十日 月
駐華︺公 使 。
樫 の崎行 幸 、 大 渫網 天覧 。砥 崎 御 取 止 め。 西 風 つよき に付 。 六月四日 火
fine
五月 二十七日 月
聖 上 御 出 発 、 大 阪 へ、 大 阪 防 疫 の為 御 延 期 。
大 阪 着 。無 類 の晴 天。 市 天感 喜 奉 迎 。 桃 山 荘 に入 る。 川 口金 蔵 主
八 ・ 一五 A M東 京 発 輦 、 横 須 賀 よ り 那 智 に て 八 丈 嶋 へ、 午後 よ り
六月 五日 水
人 大 に歓 迎 す。 今 夜 某 亭 に行 く 。奉 迎式 。
︹マ マ︺
五月 二十 八日 火
海 軍 記 念 日、 行 幸 、 無 類 の晴 天 。
低 気 圧 、 八 丈 嶋 に 近 づ き 荒 天 。 五 ・ 一五 P八 丈 嶋 御 著 後 長 門 へ御
青 年 団 十 二 万 人御 観 閲式 、盛 会 、了 て大 雨 。
cloudy
小雨
移 り 出 来 ず 、 那 智 に 御 一泊 。 夕 刻 作 戦 上 八 丈 嶋 の価値 に就 言 上 す 。
六月 六日 木 観 兵式 。
今夜 富田屋。
出 来 ず 、 神 湊 に回 航 御 上 陸 。 島 民 文 字 通 り 感 泣 す 。 全 路御 供 、瀧
六月 七日 金
五月 二十九日 水
にま で御 供 す 。 七 P出 港 大 嶋 へ。
大 阪 発神 戸 へ。
低 気 圧 北 に 過 ぎ 天 助 の如 く 晴 る 。 し か も 風 波 荒 く 八 重 根 に御 上 陸
五月三十日 木
六月 二十 九日 土
大 阪 住 友 を 見 、 八 ・四 〇 P帰 泊 す 。
福井県人会 。
九 A M発 東 京 へ。
内 閣総 辞 職 決 定 号 外 。
神戸泊。
六月九日 日
六月 三十日 日
六月八日 土
二 ・ 一五 P着 横 、 御 帰京 。
九 ・五 A M 帰 京 。
︹マ マ︺
六月十 一日 火
資源 動 員。 京 都 視 察 。大 阪 川 口泊 。
六月 二十 七日 木
八 ・四 五京 都 に向 け 発。
国史 回 顧会 創 立 。
六月 二十 六日 水
談 話会 、 五 ・三 〇 P 。
六月十 八日 火
正午 幹 部会 、 日 露協 会事 務 所。
六月十 五日 土
六P水交社。
六月十 四日 金
海相六P。
六月十 二日 水
五 P戸 山 学 校 。
小野渡英。
七 月 十 五 日 月
保科
七 月 十 一日 木
水交社、伏見宮、正午。
七 月 九 日 火
日独 協 会 、 工業 倶 楽 部 、 七 P。
七 月 八日 月
六 ・四 五 P 東 京 会 館 、 日 露 協 会 。
七 月 五日 金
山 口、 六 P。
七 月 三日 水
山 口、 六 P。
七 月 二日 火
trainin発 g 、s横 q須 . 賀 に見 送 る。
七 月 一日 月
六月 二十 八日 金
七 月 二十 二日︱ 二十 八 日 ︹ 記述なし、この間に次 の記述あり︺
一二 東 京 会 館 、 阪 谷 。
神 戸視 察 。 大 阪泊 。
支 那 暴 力 を 以 て 東 支 鉄 道 を 回 収 、 露支 国交 断 絶 、満 洲 里 に て小 衝
︹ 善四郎、少佐、海軍省人事局員︺、 星 ケ 岡 。
此 日宝 屋 に meet.
七月二十九 日 月
三隻 の 着手 起 工延 期 を 宣 す ︵ 廿 六 日? )。
潜 水 艦 及 母 艦 の建 造 延 期 を 声 明 、 ﹁フー バ ー﹂ 之 に答 へて 一万 屯
マク ド ル ナ ル ト 、 サ レ ー 、 ノ ー サ ン バ ラ ンド 、 八 五〇 〇屯 二隻 、
米 ﹁スチ ム ソ ン﹂ 調 停 の ﹁ジ エス チ ユア﹂ を 為 す 。
突。
保 津 川 を 下 り 嵐 山 ﹁ち ど り ﹂ に 晩 餐 を 為 す 。 一菊 ( 久 子) 大 に つ
未 明 栗 田 湾 □ 直 舞 鶴 に 行 き 、 一〇 ・五 〇 A の汽 車 に て 亀 岡 に 行き 、
八月九日 金
九 A出 港 、 5S、 4S の戦 技 と 夜 戦 を 見 る 。
八月 八日 木
艦。
午 前 境 と 美 保 関 の忠 魂 碑 に 参 拝 。 美 保 関 に て 歓 迎 さ る 。 衣 笠 に 乗
同行。
と む 。 九 ・五〇 P発 帰 京 。 財 部 、 安 保 、 竹 下 ︹ 勇、大将、軍事参議官︺
八月十日 土
七 月 中晴 天。 八月二日 金
貴 族 院 海 軍出 身 者 大 臣官 邸 に招 待 。
元帥 、 軍事 参 議 官 集 る。 軍縮 と 予算 。
八 ・四 五 P発 宝 塚 に向 ふ 。
出雲大社 ( 参 拝 ) を 経 て美 保 湾 の艦 隊 に 向 ふ 。
八月 四日 日
二十 日 以上 雨 降 ら ず 、 暑 気 甚 大 也 。
なる。
訓に外ならずと。予感泣す。
謝 せ ら る 。 且 曰 く 、 日 本 海 の 丁 字 戦 の如 き 、黄 海 々 戦 に て得 た教
東 郷 元 帥 に 御 礼 に 行 く 。 再 び 十 日 の 満 足 を 述 べら れ 、 予 の挨 拶 を
八月十 二日 月
た り と 。 地 下 に 瞑 す べし 。
如 き 始 め か ら あ の結 果 は 判 つて いた 、 黄 海 々 戦 の忠 勇 な る 戦 の 賜
帥 空 前 の speeを c為 hし 、 黄 海 々 戦 の 大 功 を 力 唱 さ る 。 日本 海 の
午前帰京。
八月 五日 月
八月十五日 木
黄 海 々戦 二 五年 記 念 会 を 水交 社 に 催 す 。 大 成 功 。 東 郷 ︹ 平八郎︺元
宝 塚 ホ テ ル に小 休 す 。 夕 川 口来 る。 小 酌 す 。
Zeppelin発B 。erlin
fine
一〇 ・五〇 P発 夜 行 、 大 社 に向 ふ 。
八月十 六日 金
八月三日 土
八月六日 火
Z雄 々 悠 々 Moscoの w北 を
妙 高 に て 軍縮 関係 者 を 招 待 す 。 大 成 功 。 但 し 財 部 の演 説 笑 ひ 物 と
午前大社参拝。夕松江。皆美館に泊す。高橋市長大に歓迎す。鳥
八月十 七日 土
pas すs 。
八月七日 水
取 と 島 根 の紀 念 塔 に 一〇 〇 円 宛 寄 附 す 。
八月十八日 日
Ura山 l脈 をpas sす 。
二 ・ 一八 P発 、 七 P上 野 着 。
一 一 ・四 五 A奏 上 、 昼食 を 賜 は る。
Zeppe桑 l港 i沖 nに現はる。
此陸 軍 々事 参 議 官 天機 奉 伺 。
八月 二十 七日 木
ps aす s。
八月十九日 月
廿 六 日 の天 明 ( 米 国 の) □ 船 ロ ス ア ンゼ ル着 、 三 日 間 に て 太 平 洋
Baikの a北 lを 悠 々
午 後 五 時 半 Zeppe雄 l姿 iを n 東 京 に 現 はす 。 自 宅 よ り 明 瞭 に 望 見 ︹マ マ︺
せ り 。 丸bilの l上 をfly しYokohaを ma 見 舞 へり 。
Dr.Wil夫 s婦 on 、 副 島etcを .上 野 精 養 軒 にinviす t。 eGreat
五 〇 〇 〇 mをcros sす 。 Ecke をn 招e 待rす 。
八月二十日 火 帝 国 ホ テル に て 四省 聯 合 Graf
笠 井 は 歌 舞 伎 に招 待 す ( 唐 人 御 吉 視 る)。
八月二十 一日 水 孝 治 、 実 と 霞 ケ 浦 に 行 き 一泊 す。
九月 一日 日
早 朝 帰 京 、 旭 小 学 生 徒 を 軍令 部 に 迎 ふ。
Zeppelin
尻 内 よ り 十 和 田湖 廻 遊 、 真 に 天 下 第 一の絶 景 な り 。 夕 、 中 島 旅館
九月 二日 月
青 森 に向 け 出 発 。
railの故 t障 ru にc てk 出 発g見 u合 id せe 。
八月二十 二日 木
八月二十 三日 金
八月二十 五日 日
Weath 始eる r。 や ゝ涼 。
九月四日 水
九 P発 戦 技 に 行 く 。
七 P東 雲 に 乗 艦 。
九月 三日 火
墓 参 。 三 ・ 一五 P Zeppe出 l発 in 、 太 平 洋 横 断 に 上 る 。 cloudy着 。 金 森 に 遊 ぶ 。
那 須御 用 邸 に 小演 習奏 上 の為 め上 野発 一 ・〇〇 P発 、 四 P黒 磯 着 。
昼間戦射 ( 水)。
新 那須 山楽 に投 ず。 金 谷 ︹ 範三︺陸 大 将 ︹ 軍事参議官︺同 行 。 ︹ メモ欄︺ 山 楽 主 人 は下 村 綾 次 郎 と 云 ひ 加 藤 斌 氏 の世 話 に な り
小雨
し 人と て懇 親 を 尽 す 。 下谷 上 車 坂 丁 一四。 又 た 村 田 の僕 安 田
九月六日 金
夜 二 水 戦襲 撃 。
夜 一水 戦 。
Line .
九月五日 木
ss
Pacific
の (下谷 九 二九 ) 女 子 あ り (ふと ん 屋 )。
cro
八月 二十 六日 月 78h58m
discuss
九月十 七日 火
正 三位 叙 位 賜 ふ。
九月十 六日 月
ぶ。
千 代 と新 歌 舞 伎 に光 秀 を 見 る。 吉 衛 門 上 々 の出 来 也 。 千 代 大 に 喜
Mac Dona渡 l米 d の公 表 。
鎌 田 来 り 急 電 を 齎 ら す 。 軍 縮 英 一五 、 米 一八 十 三 之 関 係 な り 。
九月十 五日 日
あ り 、京 都 を 語 る。 Azumaの y真 a 情 を 告 ぐ 。 呵 々。
望 月圭介 ︹ 衆議院議員、前内務大臣、政友会︺に赤 坂 中 川 に 招 か る 。 彼 情
九月十 四日 土
大蔵 軍縮 関 係招 待 、 大 臣 官 邸 。
九月十 二日 木
武 功 総会 。
九月九日 月
横 須 賀着 、 二 P 。
馬と安保を出す事。
元 帥 、 軍 参 を 始 め 、 軍 縮 の 報 告 。 大 臣全 権 の相 談 を 為 す 。自 身 出
九月 三十日 月
田 中義 一急 死 す 。 心 臓 狭 心 症 な り 。
九月 二十九日 日
作戦計画御裁可。
Kabuki
九月 二十八日 土
作 戦 計 画 は 部 長 交 代 に 付 元 帥 に御 下 問 。
九月 二十七日 金
上奏、作戦計画。
九月 二十六日 木
雅 叙 園 に 貴 院 研 究会 名 士 と 会 合 、 七 〇 %を 力説 す 。
九月 二十五日 水
博王 ︹ 伏見宮博英王︺兵 学 校 御 入 学 に 付 奉 送 す 。
九月 二十四日 火
海晏寺に参拝す。彼岸中日。
九月 二十 二日 日
六年 を 艦 長 に、 七 年 を 欧 洲 に。
大 尉 で そ のま ゝか)。 一は 最 下 、 舞 鶴 の 新 S D でも 宜 し、 昭 和 五 、
長 の 件 、 三 、 ︹山階宮︺ 武 彦 王 ︹大尉、軍令部出仕︺ の 件
英 大使dinner.
十月四日 金
田中政友会総裁葬儀。
十月 三日 木
御遷宮に付休日。
十月 二日 水
Cを i見 ne るm 。a
一、 ︹ 伏見宮︺博 義 王 殿 下 ︹ 大尉︺艦 隊1 SD艦 長 の 件 、 二、 御 附 武 官 年
横 須 賀 行 。 荒 天 に付 飛 行 延 期 、 水 交 社 に 一泊 。 海 相 ︹ 財部彪︺仝 泊 。
(少 佐 で 予 備 か
九月 二十 三日 月
英 長官 Weste( raiste W )l 来l部 e? ( Kent ). P
︹マ マ ︺
横 須 賀 防 空 演 習 を 見 る。 壮 烈 。 九 〇 全 機 混 戦 す 。
十月 五日 土
十 月十 七日 木
十月十 一日 金
邸 に て軍 縮 説 明 。 予 一場 の speeを c為 hし、 大 に効 果 あ り 。
山本 ︹ 権兵衛︺伯 ︹ 大将、予備︺其 他 内 閣 、 宮 中 、 枢 密 院 諸 公 集 る 。 官
十月十日 木
演 習 に関 し 上 奏 す 。
十月九日 水
左 内 、 村 田追 悼 、 臨 照 院 、 本 郷 区 役 所 の側 春 日局 之 菩 提 寺 也 。
十月七日 月
昼 大 臣 (メキ シ コ)、 晩 山 口 ( 英Waiste )r 。 P
十月六日 日
八 A演 習 開 始 。 二 時 頃 二 一潜 艦輸 送 船隊 を 発 見 、 襲撃 し 、位 置 を
十月 二十 一日 月
妙 高 に 乗 坐 す 。 伺 候 を受 く 。 午後 四 時 発鎮 海 へ。
十月 二十日 日
Maizu へr 。u
舞 鶴 着 。 一〇 ・五 〇 A 発 福 知 山 長 田 野 飛 行 場 視 察 。autに oて
十月十九日 土
品 川主 計 ︹ 京都府内務部長︺及鎌 田 友 人 と 瓢亭 に 。
京 都泊 。桃 山 、 男 山 拝 祈。 岩 清 水 と 奉 申 。
大 廟参 拝 。
十 月十八日 金
忘 れ 大 に 困 り し も後 送 し て安 着 す 。
一〇 A M 発 山 田 へ。 戸 田屋 泊 。特 急 一〇 A M ﹁ス ー ツ ケ ー ス﹂ を
早朝幣原 ︹ 喜重郎、外務大臣︺宅 を 訪 問 、 軍 縮 に就 き 詳 細 意 見 を 述 べ、
大臣晩餐、英長官。
彼 大 に 海 軍 の意 気 に 感 ず と 云 ふ 。 夕 参 謀 本 部 と 演 習 関 係 者 常 盤
報 告 す 。 此 時 5S は如 何 な る 処 置 を 為 せ し や 。船 隊 の critの ic 時al なり。
( 丸 の内 ) に会 し、 後 野 波 に行 く 。 龍 三 死去 。
三 P M鎮 海 著 、 伺 候 を 受 く 。
鎮 海 要 港 部 の伺 候 を 受 け 、 一〇 A 発 福 岡 へ、 六 P 著 。 陸 軍乗 船 を
十月 二十 二日 火
見 る。
軍縮 委 員 訓令 案 審 議 す 。 龍 三 の為 阿佐 谷 加 藤 孝 宅 に通 夜 す 。
十月十 二日 土
十月十 三日 日
十月 二十三日 水
と会見す。
八 A 3S の伺 候 を 受 け 上 陸 、 公 会 堂 に 鈴 木 ︹ 荘六、陸軍大将︺参 謀 総 長
辺 津 宮 参 拝 、 自 働 車 に て田 嶋 村 へ。 一時 間 半 、 道 路 良好 。
千代 代 理す 。曇 天 。 十月十 五日 火
龍 三 葬儀 。
華 府 寿 府 記念 会 。
学童に訓話。
講評会議。
十 一月 一日 金
一 一A M講 評 及 宴 会 。 午 後 二 時 発 、 嵐 山 に て夕 食 、 馬 場 を呼 ぶ 。
帰京、出部。
十月 三十 一日 木
りし。
十月 二十四日 木
正 午 第 二 期 演 習 開 始 。 此 頃 よ り N E 強吹 、 風力 一 一m。
十 一月 四日 月
三 A発 、 六 A M 沖 の嶋 着 。海 水 に沐 浴 参 拝 す 。 一生 の有 難 き 事 な
十月 二十五日 金
演習経過上奏。
10︲13 に接m 触. 、7赤 S大 、3 成S 功D 、、依 Hて G一
NE︲E
午後将官会議。
sea
時 演 習 中 止 、 戦 場 撃 り 飛 行機 大 活動 、 風濤 を 犯 し偵 察 、 横 一四水
十 一月 五日 火
heavy
上 機 終 に 墜 落 、 七 ・ 一五 P M 、 士官 二 、 下 士 一殉 ず 。壮 烈 を 極 む 。
将 官 会 議 第 二 日。
︹マ マ ︺
十月 二十六日 土
十月 二十七日 日
七 三〇m/の bL気 圧 、 紀 州 沖 。
P演 習 中 止 。
羽 黒 に て全 権 一行 招 待 。 荒 天と 雨 に て倫 敦 会 議 の波 瀾 を 思 は し む 。
十 一月十日 日
鴨 猟、 八 羽を 捉 ふ。
十 一月九日 土
佐 内 先 生 、 村 田追 悼 。
︹ 左︺
十 一月七日 木
無 比 の好 天 。
TG無 事 美 保 関 に 進 入 、 但 し 海 岸 浪高 く 、午 後 二時 迄 上陸 不能 、 四
第 三期 対 抗 好 結 果 に 終 る 。 海 上 視 四 万 以 上 、 波 静 。 八 P演 習終 結 。
ふ。 夜 帰 舞 、 白 糸 に 泊 す 。
小浜に佐久間艇長銅像を拝し、小休。今立 ︹ 裕、新聞記者︺に娘 に会
演 習第 一日。 五輪 党 山 之攻 防 、第 一師 団 大 に悪 道 に艱 み、 二時 間
十 一月十 五日 金
孝 治来 る 。
に泊 す 。
八 ・ 一五 A発 水 戸着 後 、 午 後 二時 十 分 奉 迎 の為 。 水 戸 、 塙 七 平 方
十月 二十九日 火
遅る。
十 一月十 四日 木
陸海研究会。
十 一月十 六日 土
十月 二十八日 月
十月 三十日 水
六 A舞 鶴 入 港 。
濃 霧 一〇 時 晴 。
演 習第 二 日、 那 珂川 の渡 河 戦 。 得。
元 帥 、 軍参 に 全権 訓 令 に 付 統帥 に 関 す る件 報 告 、上 奏 に付 仝 意 を
十 一月 二十六日 火
十 一月十 七日 日
十 一月十 八日 月
全権 訓 令案 に 付奏 上 す 。総 理も 仝 時 な り 。
総 理 晩 餐 、 送 別会 。 佐藤 尚 武 公使 と会 見 す 。
観兵式 、︹ 水戸︺高 校 に て御 賜 餐 。 此 日 天 候 に付 陸 軍将 校 を敬 服 せ
夕 柳光 亭 に て全 権 一行 送 別 。佐 藤 公 使 出 発 、 西 伯 利 経 由 。
演 習第 三 日。 太 田町 西 山 荘 附 近 。 牛 島 ︹ 省三︺知 事 に招 か る。
し む。
鈴 木 参 謀総 長来 部 、 軍縮 に付 海 軍 の決 心 を 聞 く 。
快晴
水 戸発 自 動 車 に て 一h 一五 m霞 空 ︹ 霞ケ浦航空隊︺に 着 す 。 ( 午後 浜
十 一月 二十 七日 水
細雨
口 ︹ 雄幸︺首 相 と 会 見 )
海 大 卒 業 式 。 大 臣 室 に於 て御 賜 宴 。
日本 晴
大 学 校 新 築 に付 御 下 問 あ り 、 恐 縮 す 。
fine 天s 皇t 日和
十 一月十九日 火
ヨ コ?
十 一月 二十九日 金
万事成功。鹿嶋神宮に御供す。御陪食。 霞航空隊奉迎。
午 前 浜 口首 相 来 省 来 部 。
十 一月 三十日 土
横 須 賀 砲 校 卒 業 式 に行 く 。
十 一月 二十日 水 霞 ケ 浦 に て八 ・ 一〇 A奉 送 、 帰京 。
堤と小島を招き小宴を設く。
十 一月二十 一日 木
軍 令部 留 送別 、喜 かく 、 日本 橋 、 書 を 認 め 主 人 に与 ふ 。
十 二月 一日 日
の為 也 。
十 一月二十 三日 土 ︹ 新︺ 午 后 五時 半 賢 所 に て神 嘗 祭 。 明 午 前 一時 迄 。 神 祭 典 の内 容 に 恐 懼
堤来る。堤正之 ︹ 男爵、大尉︺に注 意 文 を 送 る。
全 権 出 発 、Liberia三 ma Pr Mu 。. 細 雨。 東 京 駅 の見 送 盛 。皆 若 槻
す。
帝 劇 に 千 代 を伴 ふ。 大 に快 か り し。 大 倉 久 米 馬 妻 に会 ふ。
外 相 Dinn若 er 槻.︹ 礼次郎、民政党︺と 英 大 使 、 伊 大 使 、 仏 代 理 大 使 。
寒気凜烈。
紅 葉館 に杜 錫 珪 を 招 く 。大 悦 び。
十 一月二十 二日 金
十 一月 二十 四日 日 ︹ 珪︺ 支那杜錫桂、紅葉館、彼大に喜ぶ。
十 二月五日 木
十 二月三日 火
予 先 づ 大 臣 室 を 訪 ひ 、 彼 も 部 長室 に 答礼 挨 拶 す 。
十 一月 二十 五日 月
日 墨協 会 、水 交 社 。 十 二月 二十日 金
Imperial
星 ケ 岡 、 鎌 田 道 正 送 別 。 副官 夫婦 。
十 二月七日 土
松村菊雄 ︹ 中将、予備︺紅葉 館 に 予と 末 次 外 班 長 を 招 待 す。
練 習 艦 隊 の為 総 理 招 待 。
十 二月 二十六日 木
練習艦隊着。
十 二月 二十四日 火
墨公使を大臣官邸。
Hotel.
十 二月六日 金
十 二月九日 月
︹勇︺
新浜鴨猟、六羽。林 ︹ 権助、宮内省武部︺長官 と 加 藤 内 蔵 助 ︹ 宮内省式部 事務官兼主猟課長︺を 赤 坂 花 月 に 陸 海 合 同 招待 。 十 二月十日 水 天皇皇后両陛下より鴨七羽を賜ふ。 十 二月十 一日 水
︹ 貫太郎︺侍 従 長 に伝 言 を 乞 ふ 。
以 上御礼。奈 良 ︹ 武次、陸軍大将、侍従︺武 官 長 に 心 中 を 語 り 、 鈴 木
の意 思 全 然 吾 に 一致 す 。
金子 ︹ 堅太郎︺子 爵 ︹ 枢密顧問官︺と 会 見 、 会 心 の国 家 談 を 為 す 。 子 爵
高 橋 三吉 ︹ 中将、海軍大学校長︺講 話 大 に有 益 。 十 二月十 二日 木 特 に委 員 に新 聞班 を おく 。 外 事 新 聞 日本 記 事 。 華 府会 議 后米 海 軍戦 備 。 十 二月十 七日 火 興部庵。 十 二月十 八日 水 山 口、 杜 錫 珪 。 十 二月十九日 木
硬 軟 の戦 正 に ﹁ス タ ート ﹂ を 切 ら んと す る に似 た り 。
﹁ 古 賀 之 豹 変 後 日 に照 ら せ ﹂ 一月 二十 三日 木
今立 ︹ 裕、新聞記者︺に 行 き 馳 走 に な り 、 夕 刻 智 坂 ︹ 智次郎、中将、予備︺
一月 五 日 日
に語る。作戦計画に就て也。
園 寺) 之 憂 慮 を 告 げ 、 進 ん で 現 職 に あ る ま じき 意 見 を 軍 縮 に付 予
森 山 等 の行 動 を 緩 和 方 頼 み 来 る 。 此 日 彼 の言 と し て 、 最 高官
軍令部長 昭和 五年 ︹六 ︺ 月 十 一日 、 軍事 参 議 官
某 最 高 大官 の言 な り と て ( 西 園 寺 公 )、 鈴 木 ︹ 貫太郎︺侍従 長 来 り 、
森山 ︹ 慶三郎、中将、予備︺演 説 キ ヤ ツ ス ル に 累 せ ん事 を 恐 る、 依 て 予 よ り 森 山 に 書 を 送 る。 海 晏 寺 に参 ず 。
宅 に行 き 、彦 一郎 夫 妻 を 呼 び 両人 に送 ら れ 帰 る 。
一月 二十五日 日
( 西
一月 八日 水
此 間 岡 田 大 将 西 園寺 公 に招 致 せ ら る 。首 相 にも 口 説 か れ し様 子 な
鈴 木 侍 従 長 来 部 、 米 大 使 に 歓 迎 文 に 加 へて 反 省 を 強 要 す る件 に 付 、
陸 軍看 兵 式 に参 列 。
り。
︹ 千︺
一月十 五日 水
暖。
牧野 ︹ 伸顕︺内 大 臣 に 軍縮 所 見 を 送 る。
一月二十 九日 木
山口伍堂。
て紅 葉 館 に招 待 、 痛 飲 す 。 千 代 接 待 大 に 努 む 。
一月 三十日 木
牧 野内 府 に面 会 之 筈 な り し も 之 を 止 め、 意 見 書 を 送 り 警 告 す 。
今 村 氏 に招 か れ 国 技 館 へ。 夫 よ り 仝 氏 と 今 立 、 立 雄 を 予 が 主 人 に
一月 二十 一日 火
一月 二十二日 水
し 自 重 を 望 む 。 不 相 変 機 会主 義 な り 。
岡田 ︹ 啓介︺大 将 ︹ 軍事参議官︺来 り 予 に 忠 告 す る 所 あ り。 軍 縮 に 関
帝国議会解散となる。
忠告せし也。
之 は原田 ︹ 熊雄、西園寺秘書︺ の細 工 に て 三大 原 則 之 宣 伝 過 ぎ る事 を
岡 田大 将 、 西 園 寺 公 及 牧 野 内 府 と 会 見 之 始 末 を 語 る 。
一月 三十 一日 金
明治 座 之 浪 曲 に平 沼 ︹ 騏 一郎、男爵、枢密院副議長︺の招 を 受 く 。
︹マ マ ︺
倫敦会議会開。
古賀 ︹ 峯 一︺大 佐 ︹ 海軍省副官︺予 に 軍令 部 の強 硬 を 頼 み来 る。
二月二日 日
今 立 来訪 。
大久 保 ︹ 立、子爵、貴族院議員︺ に祝 品 を 送 る。
二月 一日 土
現 代 書 簡 、 神 田錦 町 一ノ 一九 、 誠 文 堂 。
二月十 一日 火
雨、 寒 。 新 橋 演 舞 場 に 千 代 を 伴 ふ 。
二月九日 日
左近 司 へ急 電 、 軍 令 部 之 決 心 を 伝 ふ 。
首席随員︺ へ急 電 を 報 ず 。 決 心 を 示 せ る 也 。
末次
帰京。
夜 館 山 木 村 旅 館 に 一泊 。
大雪。
紀 元節 。 大 快 。 紅 葉 に行 く 。
二 月 八 日 土
二月 三日 月
二月十 四日 金
︹ 欄外︺倫 敦 会 議 一向 に 進 捗 せ ず 、 小 問 題 に 愚 図 付 き ﹁マク﹂
大久保結婚式。
熊 崎を 金 子 子爵 葉 山 邸 に出 す 。
の手 腕 疑 は る。
大久保立、東京会館。
二月十五日 土
小 林 正 直 よ り 招 待 の件 也 。
小林三度違約す。
マ︺
︹ 信正、中将、軍令部次長︺来 訪 、 左 近 司 ︹ 政三、中将、 ロンド ン軍縮会議
二月 四日 火
熊崎大に満足す。
二月五日
二月十六日 日
︹マ
高松宮 ︹ 宣仁親王、中尉︺御 成 婚 。
米 キ ヤ ツ スル に 対 し 活 動 す 。
サ ウ エト 大使 。
A P ﹁ラ モ ント ﹂ に 本 職 名 を 以 て 七 割 非 認 の電 を 熊 崎 を 経 て 出 さ
マ︺
日米 協 会 。
露晩餐、大に貧弱。
しむ 。 山 梨 ︹ 勝之進、中将、海軍次官︺大 に驚 く 。
︹マ
高 松 宮 御 成 婚。
倫 敦 二 月 五 日 付 ﹁スチ ム ソ ン﹂ 新 提 案 を 為 し、 日本 之 七 〇 %を 一
二月十七日 月
︹マ マ ︺
二月七日 金
蹴し六〇%に踏み付く。輿論激昂。
二月十 八日 火
山梨 ラ モン ト電 に付 心 配 之 電 話 を 掛 け 来 る。 苦 労 症 な り。
マ︺
輿論激昂。
︹マ
山 梨 予 に忠 告 す 。 彼 の心 配 症 よ り な り 。
︹マ マ︺
倫 ド ン ﹁スチ ム ソ ン﹂ 新 提 案 を為 し 、 日 本 の七 % を 一蹴 す。
赤 城 夜 間 飛 行 に行 く 。 美 事 に 成 功 。
三月九日 日
三月十 日 月
高松宮御結婚御披露晩餐。
︹ 曾次郎︺中 将 ︹ 大将、予備︺ の親 戚 な り 。 安 場 の姉 。
午後 〇 時 五 十 分特 急 に て帰 京 。 大 熱 に苦 む 。
﹁キ ヤ ツス ル﹂ 東 京 空 襲 の米 海 軍 企 図 に付 幣 原 ︹ 喜重郎、外務大臣︺
三十 八度 。 風 邪 に苦 しむ 。
終 日在 宅 、 臥 床 。
富 永久邇宮 御 用掛と仝 席す。 瓜生 ︹ 外吉︺中 将 ︹ 大将、予備︺ 、栃内
に語 る 。
斎藤 ︹ 実︺子 爵 ︹ 大将、予備、朝鮮総督︺と 石 井 ︹ 菊次郎︺子 ︹ 枢密顧問官︺
三月四日 火
下 痢 。 横 浜 駅 の食当 り か 。
二月 二十四日 月
星 ケ 岡 に 下 郷 一家 を 招 待 す 。
頭重し。
三月十 三日 木
午后出勤。
三月十 二日 水
三月十 一日 火
を官 邸 に招 く 。 山梨 の細 工 に て斎 藤 子軍 縮 七 〇 %無 用 論 を 吐 き 、
後 下 郷 、 尼 野 と 花 本 と 紅葉 館 へ。
休勤。
︹マ マ ︺
衆 を失 望 せ しむ 。
三月十四日 金
二月 二十三日 日
永 楽 に 二次 会 。 丸 山 主 人 。
若槻 ︹ 礼次郎、ロンドン軍縮会議全権︺匙 を 投 げ た る報 告 に付 、 末 次 、 加
千 代 と 墓 参 。 横 浜 三 渓 園 に看 梅す 。
三月 六日 木
三 菱 に て海 防 六 〇 〇 馬 力 発 動 機 試 運 転 を 見 、各 務 原 に行 く 。
三月 八日 土
夜 十 一時 二十 分 。
名古屋に向け発。
三月 七日 金
三月十六日 日
外 務 よ り 海 軍 譲 歩 の宣 伝 突 如 新 聞 に 現 は る 。
夕 斎 藤 総 督 ソ大 使 を 招 か れ 、 之 を 助 く 。
右 に付 、 午 前 首 脳 会 議 を 部 長 室 に開 き し に、 山 梨 逃 げ 廻 は る 。
八吋 大 巡 六 〇 %、 SS 五万 二千 屯 。
若 槻 請 訓始 て来 る。
三月十 五日 土
マ︺
地久節。立食を賜ふ。
若 槻匙 を 投 げ た る報 告 来 る。 末 次 、 加 藤 一班 長 等 と 審 議 。
藤 ︹ 隆義、少将、軍令部第 一 班長︺と会 議 す。
下痢。
︹マ
礼装。
航 空 本 部 宴 会 後 、 ﹁得 月﹂ に 泊す 。
斎 藤 子 の軟 論 新 聞 に 現 は れ 大 に 害 あ り 。 寿 府 の報 復と 云 ふ 人あ り。 若槻 ﹁ス﹂ と 抗 論 。
大臣 之 特 電 来 り 請 訓 を 最 後 的 と 認 め ざ る 電 報 。
春季皇霊祭。
安 藤 結 婚 式 に招 か る。 千 代 仝 行 。 挨 拶 す 。
水町 ︹ 袈裟六︺氏 ︹ 枢密顧問官︺予 を 激 励 せ ら る 。終 始 予之 味 方 なり し。
三月二十 六日 水
浜口 ︹ 雄幸、総理大臣︺は 再考 す と 云 ひ しも 当 て にな らず 。
此 電 頗 る海 軍 に効 果あ り 。
( 日米 妥 協 案 に付 ﹁ 若 ﹂ は妥 協 にあ ら ず と 云 ふ)。
軍令 部 憤 慨 、 反 駁 を 用 意 す 。
軍縮 稍 々切 迫 し来 る。
東京復興式典賢所に於て。
三月 二十 一日 金
山本 ︹ 権兵衛︺伯 賢 所 に て特 に 予を 呼 び、 日 英仝 盟 締結 時 の例 を 引
三月 二十七日 木
浜 口首 相 と 午 後 三 時 総 理 官 邸 に 会 見 、 岡 田 大 将 仝 行 、 大 に 反 対意
き突 張 を忠 告 せ ら れ 、大 に意 を 強 ふす 。
﹁ギ ブ ソ ン﹂ 案 に 基 け る 海 軍之 対 案 を 外 務 に送 る。
三月二十 二日 土
新 聞 大 書 昨 日首 相 と 会 見 を 記 す 。 東 京 日 々は 若 槻 の重 大 な る 錯 誤
三月 二十 八日 金
を 非 難 す (最後 的 と す る事 に於 て)。
見 を 述 ぶ 。 岡 田も 重 大 な る結 果 を 警 告 せ り 。 大 臣 方 に 電 来 る 。
牧 野 内 大 臣 、 鈴 木 侍 従 長 と 会 見 、 其 軟 化 之甚 しき に驚 く。
松田 ︹ 源治︺拓相 ︹ 民政党代議士︺晩 餐 に招 か る。 糀 町 官 邸 。 金 谷 、 小
米 大 使 金 子 子 爵 に 日 米妥 協 案成 立 を暗 示 し、 子爵 を 驚 かす 。
君 側 の為 め にな ら ぬ 人 物 。
村 、 畑等 な り。
三月 二十 三日 日
三月 二十 四日 月
加藤隆義を葉山金子邸に出す。
午後 四 時 ﹁キ﹂ と 会 は れ し に、 意 外 にも 話 は 既 に進 み過 ぎ て協 定
に付 下相 談 を せ ら る。
金 子 子爵 逗 子 より 来 京 、 史 料 編 纂 会 に て ﹁カ ツ ス ル﹂ の面 談 申 込
之 は 二 十 三 日 の事 。
三月 三十日 日
社 に て鈴 木 は 予 の上 奏 に 付 早 ま らざ ら ん事 を 希 望 す 。 聞 置 く の み 。
英 大 使 高 松 宮 御 送 別 の宴 を 開 き 、 予 、 幣 原 、 牧 野等 招 か る 。水 交
永井柳太 郎 ︹ 外務政務次官、民政党代議士︺予 に会 見 を 求 め 、 水 交 社 に ︹ 三︺ て 会 ふ 。 愚 論 な り 。 此 日 三浦 省 一 ︹ 大佐︺之 告 別式 水 交 社 にあ り 。
三月 二十九日 土 ︹マ マ︺
纏 る 大 確 信 に 驚 け り と。 要 す る に ﹁キ﹂ と 幣 原 と 内 通 あ り し も の
本夜 海軍政務次官 ︹ 矢吹省三︺来 り 、 回 訓 の大 勢 を 説 き 政 府 の所 決
連 日苦 悶 自 決 を 思 ふ 事 あ り 。 而 か も 勇 を 鼓 す 。
ならん。
﹁財 部 ︹ 彪、大将、海軍大臣︺の意 図 始 て 判 る﹂。
三月 二十五日 火
此 日 上奏 の御 都 合 を 伺 ひ し に、 今 村 来 り 其 の前 に午 後 二時 侍 従 長
今夜 松 田拓 相 極 秘裡 に来 り ( 私 宅 へ) 予 の忠 告 を 受 け 驚 き 帰 る。
文終 に 示 さず 。
井、堀田 ︹ 正昭、外務省欧米局長︺両 人内 情 を 説明 す 。 而 か も 回 訓 の本
午 後 六 時 よ り 海 軍 、 外務 次 官 、次 長 、 政務 次 官 以 下幹 部 集 り 、 永
三月三十 一日 月
す 。 彼 れ 外 務 に 注 意 す べし と答 へ去 る 。
を 仄 か し 予 の自 重 を 求 む 。 予 は 責 任 あ る 回 訓案 を 早 く 示 せと 返答
四月四日 金 ︹ 頭︺ 国 民 大 会 代 表遠 山 満等 来 部陳 情 す。
国民大会。
政務次官礼に来る。
晴天なり。
賢 所 に参 ず 。
四月 三日 木
今朝粟山 ︹ 博、海軍︺参 与 官 ︹ 民政党代議士︺来 訪 、 予 を 慰 撫 す 。
帰部後新聞 ( 黒 潮 会 ) に意 見 発 表 す 。
が 面 会 を 求 め ら れ し と 告 ぐ 。 依 て官 邸 に 訪 ひ し に 、 種 々外 務 と
翌政 府 発 表 と 仝 時 に せ ん と す る 意 也)。
を 大 き く す るか ら 扣 え てと 云 ふ 。 依 て 明 一日 を 約 し 帰 る ( 上奏 を
めら る。 加 ふ る に本 日午 後 五時 迄 御 多 用 に 付 夜 も 却 て 目 立 ち 問 題
言及 し、 本 日 の上 奏 は社 会 的 に 影 響 す る 所 大 な る を 以 て差 扣 を勧
野村 房次 郎 ︹ 少将、予備︺来 り 、 部 内 之 説 区 々た る を 忠 告 す 。
四月 五日 土
上御 一人 に 及す 恐 れあ り 。
大事 の外 、外 交 上 又重 大 問題 を 伴 ふ て お る。 最 慎 重 にせ んと 累 を
に も 相談 せ ず誰 に も聴 かず 、 只御 深 慮 願度 事 は、 本 件 は 国 防 の重
加 藤 は 其 の 職責 の命 ず る 処 に従 ひ所 信 を 以 て進 む で居 り ま す 。 誰
四月 一日 火
﹁ア ツレキ ﹂ の事 を 語 り 、 軍 規 問 題 な ど 告 げ 進 ん で 作 戦 計 画 に 迄
( 回 訓 初 見 の 日) ︹ 首︺ 主 相 官 邸 に 岡 田 、 山 梨 と仝 行 、 回 訓 の 説 明を 受 く。 要 旨 平 凡 。 軍
日高 瓊 々彦 と 私 宅 に会 見 す 。
午 後 日高 瓊 々彦 氏 ︹ 老壮会会員︺来 訪 、 問 題 の重 大 性 を 説 く 。
四月二日 水
旨を 告 ぐ。 ( 末 次 死諫 を 忠 告 し来 る)
て 。 故 に 予 の 反対 は留 を 刺 す 。 岡 田 は海 軍 の態 度 に付 依 然 一貫 の
仝 意 し 難き 旨 明 言 す 。 予 よ り先 に 岡 田 は第 一に答 え た り 。 書 物 に
終日不快。
海軍陰謀之風説あり。
午 後 末 次 宅 に 趣 か ん と し て 新 宿 駅 に佐 々 木革 次 に会 ひ特 報 を 得 。
末 次 に 政 治 団 体 に 交 渉 を も たざ る 様 忠 告 す 。
四月六日 日
マ︺
午 前 十時 半 参 内 、 無 事 上 奏 を 了 る。 侍 従 長 、 武 官 長 、 警 戒 非 常 な
四月七日 月
︹マ
右 は 日本 倶 楽 部 其 有 力 貴 院 議 員 之 話 に し て表 迄 も 作 り あ り と 。
令 部 は 国 防 用 兵 の責 任者 と し て米 提 案 を 骨 子と す る数 字 は計 画 上
り。
鹿子木 ︹ 員信︺博 ︹ 九州帝国大学教授︺来 部 す 。
竹内賀久治来る。
四月九日 水
らず。
午 後 八時 竹 内 賀 久 治 ︹ 弁護士、国本社社員︺来 る 。 平 沼 男 の決 意 を 知
末 次 曰 く 、 日 高 は 金 を 要 求 せり と 。浪 人 の仲 間 なら ん か。
午前 伏 見 大 将 宮 に 回 訓実 況 を報 告 す。 御 清 聴 遊 ば さ る。
四月八日 火
見せしむ。
長 の 軟 弱 を憤 慨す 。午 後 四時 末 次 々長 、 日高 瓊 々彦 と 水 交 社 に会
小笠原長生 ︹ 中将、予備︺来 部 。 東 郷 元 帥 之 決 意 を 告 げ 、 鈴 木 侍 従
気 分少 しく 晴 る。
早朝 末 次 に意 中を 語 る。
四月十 五日 火
財 部 大 臣 十 七 日発 西 伯 利 経 由 帰 朝 の電 来 る。
末次も承知。
差 支 な し と の確 言 を 取 る事 を 予 に報 告 す 。
午 後 山 梨 、 末 次 問 題 に 付 浜 口と 会 見 、 部 内 限 り の問 題 と し て処 分
高 松 宮 霞 ケ関 離 宮 御 別 れ の宴 。
四月十 四日 月
星 ケ岡 に て下 郷 一家 を 招 く 。 後 花 本 と 紅 葉 館 に 行 く 。
四月十 三日 日
山 梨 再 び 末 次 之 事 を 相 談 し 、 戒 告 の条 件 に て 首相 と 相談 す 。
四月十 二日 土
若槻に云ひたり。
そ こ で次 策 の臥 薪 嘗 胆 に 出 し 也 。背 後 に 日 本あ るを 忘 る ゝ勿 れ と
一案 二案 三 案 と 準 備 す る も の也 。 三 国 干渉 の時 は、 到底 戦 へぬ、
の消 息 を 聞 く 。
山田 ︹ 三郎、海軍省︺法 務 局 長戒 告 案 を 示 す 。
中村 良 三 中 将 ︹ 軍令部出仕︺と 相 談 。
(十 四 日午 後 ) 森 山 来 部 。
日高 瓊 々彦 来 る 。
四月十日 木
降 雨 寒冷 。
末 広 に 下 郷 一家 と 会 食 。
午 後 小 笠 原 長 生 子 を 訪 問、 大 浦 問 題 と 八 代 ︹ 六郎︺男 ︹ 大将、予備︺
事 な し。
四月十 六日 水
会議経過を認む。 骸 骨 を 乞 ふ書 を 認 む 。
道 徳 的 □ 同受 。 四月十七日 木
末 次 に戒 告 を交 付 す 。
高 松 宮 御 見 送 の宴 。 □ □ の ﹁シ ネ マ﹂ を台 覧 に供 す 。
四月十 一日 金
やと 伯 の詰 言 稍 弱 し。
晴 。 午 前 山 本 伯 を 訪 ひ報 告 約 二時 間 、 海 軍 内 部 の結 束 も 完 か ら ず
斯 る 大事 は歴 史 に より 顧 みよ 。
四月十九日 土
花 房 来 り 研 究 会 の模 様 を 語 る 。
午後予備生徒砲術卒業者百余名を引見す。
云ふ意ならん。
予 の進 退 を 軽 し く せ ざ る 様 と 述 ぶ 。 言 語 荒 調 、 恐 ら く 止 め る なと
四月十八日 金 ︹ 酩︺ 晴。河 野 ︹ 董吾、少将、軍令部︺三 班 長 大 に銘 酊 し て部 長 室 に 来 り、
御 愉 快 気 に て慶 賀 に 不 堪 。
四月 二十 五日 金
有終会、午後六時。
梨 、 森 山 の質 問 に答 へて陳 述 覚 書 を 出 し 省 部 一致 と 欺 瞞 す 。
予備︺上 京 大 に 政 語 す 。 山 路 は 予 の上 奏 強 行 せざ り し を 難 ず 。 山
有 終 会 に 招 か れ 予 の所 感 を 述 ぶ 。 森 山 ︹ 慶三郎︺ 、 山 路 ︹一善、中将、
末 次 比率 に付 御 前 講 演 。
廿 四 日臨 時 議 会 開 院 式 。
末次出勤。
松蔭神社に参り、荒川堤に行く。
幣 原外 交 演 説 に暴 論 を 吐 き 物 議 朝 野 に囂 々た り 。
曇。議会本会議。 ︹ 芳︺ 吉沢 ︹ 謙吉︺仏 大 使 午 餐 。
四月 二十 四日 木
晴 。 東 日 、 軍 縮 関 係 軍 令 部 長 の態 度 重 大 と 記事 す 。
此頃末次鼻出血引籠る。
四月 二十 六日 土
四月 二十日 日
四月 二十 一日 月
吉岡範氏に水交社に招かる。
村 上 龍 英 に 上 奏 文 之 校 正 を 頼 む為 小 石 川林 丁 訪 問。 快 談 意 爽 なり 。
に頼まれ撤回を申込む。断然拒絶す。
前 八 時 岡 田 大 将 来 り 次 長 よ り条 約 反 対 の覚 書 を 通牒 の件 に付 山 梨
倫敦条約調印。
四月 二十 二日 火
山 梨 宛 条 約 に 仝 意 し 難き 覚 書 を 出 す 。次 長 よ り次 官 宛 。
上 野 に行 き 、 増 上 寺 の潜 艦 追 悼 会 。
上 奏 に対 す る結 果 は 枢 密 院 に て決 す と 云 は る 。
平沼男訪問、意見を交換す。最後迄踏止る責任ありと云ふ。予 の
四月 二十 七日 日
少 しく 詰 問 す 。
伊藤正徳 ︹ 時事新報記者︺の使 な り 。
十時頃、時事記者来る。
好 意 の訪 問 な り 。
日 々、 朝 日、 国 民 、 報 知 記 者 来 訪 す 。
︹マ マ ︺
高松宮殿御渡欧。蘇大使招待、紅葉K an。
軍縮 問題 朝 刊 を 賑 はす 。
看桜御宴。
四月 二十三日 水
︹マ マ︺
横浜に御見送す。盛大なる御出発。
晴。墓参す。
二十 七 日 の時 事 に 部 長 、 次 長辞 職 の報 出 づ。
晴。村上龍英来る。
四月 二十八日 月
末次又発病、出血。
星 ケ岡 に て中 村 ︹ 良三︺中 将 外 軍 令 部 員 を 招 く 。
五月 五日 月
統 帥 権 に付 語 る 。
佐 々木 ︹ 皇訓会会員︺ 、 一条 ︹ 実孝、公爵、大佐︺ 、千坂来る。
五月 四日 日
駒 沢 西沢 邸 に支 那 料 理 に招 か る。 大 歓 待 。 筍 の掘 立 を 貰 ふ 。
四月 二十九日 火
其 角 に道 源 権 治 外 艦 隊 旧 知 を 招 く 。
談 さ る。 仝 意 を 躊 躇 す 。
山下 ︹ 源太郎︺大 将 ︹ 予備︺来 部 、 財 部 を 辞 職 勧 告 の為 め 西 下 に 付 相
雨。看兵式御取止。
五月六日 火
統帥権に関し文書、山本、東郷、殿下、岡田、斎藤に出す。
﹁ジ ヤ パ ︹ ン︺タ イ ム ス﹂ は肖 像 を出 す 。
賜餐。
伏 見宮 より 御 召あ り 。統 帥 権 問 題 に付 御 下問 。
五月 一日 木
夜 千 坂 智来 り 懇 談 す 。七 時 頃千 坂 は侍 従 長 の所 にあ り 。
今立来る。
日 比 谷 廃 兵慰 安会 に 趣く 。
靖 国 神 社 大 祭 に参 列 。
四月三十 日 水
級 会 、 東 中 野 鈴木 屋 。時 、 しま 、 大 に歓 迎す 。
松下 ︹ 元、少将、海軍省︺人 事 局 長 に 予 の辞 意 を 財 部 に 伝 へし む 。 仝
留 任 を 勧 む 。 中 村仝 上 。
岡田大将来る。
晴。池田長康 ︹ 男爵、貴族院議員︺統帥 権 質 問微 に 入 る 。
五月七日 水
山 口に 野 田 の招 待 、 後 ち 田 中 家 に 行 く 。
子子爵に出す。
午後代 田橋荒井 ︹ 陸男、画家︺ の ﹁ア ト リ エ﹂ を 訪 問 す 。 特 使 を 金
山下大将再考之上中止と決せらる。
以 上 に付 千 坂 を 訪 問 す 。 仝 車 千 坂 、 山 下 大 将 を 訪 問 。
︹マ マ ︺
相撲天覧に陪す。
小笠 原 に電 話 、宮 家 に明 二 日伺 候 せし む 。 之 よ り 接 近 大 に 努 む 。
氏 鎮 海 を 経 て 京 城 へ。 五月八日 木
五月二日 金 雨。 軍令 部 対 参 謀 長 会 議 了 る。 上 野 に 招 待 、 盛 会 。 挨 拶 す 。 次 官
朝 千 坂 来訪 。
参 諜 長招 待 。
例 にな く はし やぐ 。
夕末 次 、 中 村 来 り前 後策 を 相談 せ し に依 り 、 予 の決 意 を 示 す 。 両
︹マ マ ︺
五月 三日 土
然り。
人仝意す。 ︹ 旦︺ 末 次 は 一端 出 し た 以 上 予 の決意 動 かざ ら ん事 を 切言 す 。
五月十 三日 火
糸 崎 丸 に陪 乗 の筈 な り し も 、 天 候 の為 取 止 む 。
仝 車 し て帰 る。 彼 の宅 に訪 問 す 。
高 尾 進 水 式 。 細 雨 あ り し も 美 事 に 進 水。 山 本 実 彦 ︹ 改造社社長︺と
五月十 二日 月
五月九日 金
夕 刊 、 財 部 に 不 利 のみ 、 日 々、朝 日 。
五月十 四日 水
議会閉会。
午 后 東 郷 元 帥 に 決 心 を 述 ぶ 。 財 部 が 帰 る 迄 待 てと 。
午 憲 法 五十 年 祭 。
伏 見 宮 に伺 候 仝 じ く 言 上 。 止 を 不 得 べし と 云 は る 。
演 説 す 。 永 井 柳 太 郎 合 説 、 大 に妙 。 夕満鉄、松坂屋。
水町袈裟 ︹ 六︺氏 来 部 す 。
千 坂 来 り 予 の決 意 に 仝 意 す 。
千 坂 来 る。 昨 日 の経 過 を 告 ぐ 。
五月十 五日 木
小笠原、伏見宮に伺候。
財 部 と 会 見 の節 の談 事 を 認 む 。
五月十日 土
京日日新聞記者︺は 自 白 す 。 但 し 霞会 に対 し て也 。
上 野 海 と 空 の博 へ。
(日 々) 財 部 に 付 第 一頁 全 幅 を 費 し 不 利を 詳 述す 。
南郷 ︹ 次郎、少将、予備︺ 、 小 笠 原 来 り 、 午 後 熟 談 。 海 軍 の形 勢 悪 化
軍 令 部 に秘 す べし 等 の密 電 を掲 ぐ 。 外 務 某 の言 明 と 久 富 ︹ 達夫、東
を 告 ぐ 。 鈴 木 が 殿 下 に 対 し 、 軍事 参 義 院御 諮 詢 あ ると も必 ず 自 分
五月十六日 金
翠松園、伊藤正徳、熊崎、小笠原を呼ぶ。
遠 藤 を 私 宅 に招 き 上 奏 書 を 認 め し む 。
浜 口、 東 郷 元 帥 を 訪 問 し 、 特 に 写 真 を 頼 む 。 心 中 見 え 抜 た り と笑
に 御 下 問 あ る 、 然 る とき は 西 園寺 、牧 野 の合 意 下 に実 行 せ し めざ
世話は受けぬと云はれし由。
る事 と な り 居 る か ら 御仝 意 なき 様 にと 申 上た る由 。 殿 下 は御 前 の
五月十 一日 日
国技館。
五月十七日 土
後 塩 崎 の招 待 。
は る。
本 田 予 に皈 伏 し 、 大 声 に て富 士 山 に向 ひ祈 祷 、 軍令 部 長 を 護 ら せ
湯地 ︹ 秀生︺少 将 ︹ 第三戦隊司令官︺ 、 吉 村 、 千 坂 、 時 事 某 、本 田 仙 太
玉 へ、 国家 安 泰 と高 唱 し帰 る。
松 村 の招 待 、 仝 じ く 。
郎来る。
北 一輝 電 話 来 る も 小 笠 原 に 頼む 。
大学生憂国青年来る。
花見紅南、直接行動に遭ふ兆ありと警告。
立 雄 方 に静 養 。
五月十 八日 日
五月 二十 六日 月
憲 兵 四谷 分 隊 長 来 り 警 戒 を 申 込 む 。 拒 絶 す 。
五月 二十 五日 日
醜状 を 告 ぐ 。
財部 出 勤 せ し も会 見 を 求 めず 。 小 笠 原 来 り 財 部 伏 見 様 へ申 上 た る
五月十九日 月
︹マ マ︺
財 部 下 の関 に て短 刀 を 突 き 付 け ら る 。
財部 統 帥 問題 に艱 む 。
五月二十 二日 木
小 笠 原 子爵 来 訪 。 八幡 大 菩 薩 之 白 檀 の御 像 を 贈 与 せ ら る 。
黒 潮会 員 来訪 。
財 部 と第 二次 会 見、 更 に決 意 を 語 る。
五月二十 一日 水
黒 潮会 に 局 面 展 開 、統 帥 権 集 中を 告 ぐ 。
五月二十日 火 ︹ 左︺ 佐 近 司 の詳報 を 聞 く 。 一行 伺 候 に来 る。 ︹ 刈︺ 草 苅 英 治 少佐 ︹ 軍令部員︺自 殺す 。
辞表を渡す。
午前 殿 下 に 伺 候 。
軍事 参 議官 会 議 の覚 書 に て 大臣 と 絶 縁 。
五月 二十 九日 木
財 部 、 東 郷 元 帥 と 宮 殿 下 に参 ず 。
伏 見 宮 殿 下 に 伺 候 し 海相 と 会 見 の次 第 を 言上 す 。
陛下静岡行幸奉送。
事を誓ふ。
財 部 と 会 見 、 第 十 二 条 が 軍 務 大 臣 と 軍令 部 長 の協 同輔 翼事 項 た る
水交社盛大。
紀 念 日。
五月 二十七日 火
引籠。
軍事 参 議官 参 集 。 大 臣部 長 一致 の 問題 を 決 す 。
東伏見宮邦英王御成年式。財部に会見を申込む。 ︹ 感︺ 岡 田大 将 寒 冒 。
五月 二十 三日 金
右 至急 に 開 か れ財 部 の策 動 と 見 る。 新 聞 一段 落 と 見 る。
財 部 帰 京 。8 3︲ 0 AM 。 事 務管 理 交 代 。
山 本英 輔 ︹ 中将、第 一艦隊兼連合艦隊司令長官︺来 り 妥 協 を 申 込 た る も 、
五月三十 日 金
午 後 三 時 半 よ り 官 邸 に て会 見 。
予 の輔 翼 の責 任 引 責 に 驚 き 問 題 な し と し て 帰 る 。
午 前 殿 下、 元帥 を 訪 問 し 、 覚 書 に付 含 を 乞 ふ 。 兵 力 量 の問 題 な り 。
五月 二十 八日 水
日比 谷 の戦 役 関 係 者 招 待 会 に 挨 拶 す 。
五月 二十四日 土
日 中 面会 を求 め て 不得 、彼 れ 閣議 に出 し 抜 く 。
本 夕官 邸 に て会 合。
午 後 殿 下 に 召 さ れ、 財 部 の強 行 を 聞 か る。
瓜 生 、 日高 、 有 馬 ︹ 良橘、大将、予備︺、栃 内 、 小 栗 ︹ 孝三郎、大将、予備︺ 、
予 備 大 将 よ り 招 か れ 回 訓 前 後 の 経 緯 を報 告 す 。末 次 、 一班 長仝 席 。
六月四日 水
竹下 ︹ 勇、大将、予備︺、 吉 松 ︹ 茂太郎、大将、予備︺、 百 武 ︹ 三郎、大将、予
低気圧之雨襲来、不止。
備︺ 、山屋 ︹ 他人、大将、予備︺ 、 野間 口 ︹ 兼雄、大将、待命中︺、 黒 井 ︹ 悌次
︹ 欄外︺午 後 山 本 英 輔 再 度 来 訪 す 。 ︹ 或は三十 一日か︺
冷気に易し。
五月三十 一日 土
末次来り、 部長毒殺 の計画を遠藤格 ︹ 少将、予備︺ の秘 報 と し て報
及川 ︹ 古志郎︺少 将 ︹ 軍令部第 一 班長︺政 府 の奉 答 文 を 持 来 る。 末 次 之
郎、大将、予備︺ 。
告 、前 後 策 を 講 ず 。参 謀 本 部 と協 同決 行 準 備 にか ゝる。
事を予より頼む。
朝 、 山 下亀 三 郎 来 り 、 伊 東 巳 代 治 伯 ︹ 枢密顧問官︺と 会 見 の事 を 秘
山 本 英 輔 中 将覚 書 の妥 協 に奔 走 の電 話 加 藤 隆 義 よ り 来 る。 明 二 日
遠藤格来り枢府関係に付問合はす。詳細を語る。
山 本 英 輔 調停 を 試 む 。
正 午 来 部 し て待 た れ た しと 云 ふ。
松 村 来 り 東 久 邇 宮 御 別 に 招 待 す 。 昇 之 紹 介 を 飛 島文 吉 に出 す 。
小 笠 原 来 る。
橋本徹馬 ︹ 紫雲荘主︺来り 侍 従 長 と 会 見 談 を 告 ぐ 。
八月 二日 土
早 々朝 山 本実 彦 来 る 。 予 の辞 職 の結 果 重 大 性 を 告 げ 反 省 を 促 す 。
六月二日 月
両 国 よ り 北 条 に 行 き 、 加 賀 に 乗 組 み 飛 行 機爆 撃 視察 。
八月 一日 金
山 本 、 大 角 ︹岺 生、中将、横須賀鎮守府司令長官︺来 り 、 覚 書 の訂 正 を 軍
八月 三日 日
談す。諾す。
令 部 の要 求 通 り 仲裁 、 大 臣を 仝 意 せ しむ 。 従 来 の慣 行 を 尊 重 す と
明石爆沈視察。成績余り良好ならず。
六月 一日 日
云 ふ事 に な る 。
午 後 三 ・五 〇 北 条 発 帰 る 。 実 も 帰 宅 す 。 元気 也 。
︹マ マ ︺
六月三日 火 ︹マ マ︺
立 雄 と 花 見紅 楠 を招 く 。
八月四日 月
又 山 田 法 務 局 長 、 内 田 に 末 次 の関 係 説 明 を求 め た る件 、内 田 が法 ︹ 廷︺ 庭 と 心 得 て 答 へた る 件 報 ず 。
陛 下 還 御 。参 謀 総長 と 会 談 。 伏 見 大 将宮 統 帥 権 に付 機 を 見 て奏 上
読 売 へ回 訓 に 付 大 臣 に 宛 た る 予 の電報 に 付 中傷 記事 出 づ 。
( 重 大事 項)
小笠原来訪。
の御 決 意 を伝 ふ 。 閑 院 殿 下御 意 見 全 く 一致 、 ( 伏見宮)と。
︹ 三︺ 遠 藤 友 二郎 来 り 長 談 す 。 怪 物 な り 。
佐 藤 令 息 死 去 に 付 通夜 。
八 ・ 一〇 ( 前) 東 京 駅 に 尼 野を 送 る。
八月九日 土
八月六日 水
向 ひ 宣 伝 を 戒 む 。 読 売 の記事 は 川 崎 の 宣伝 な りと 確 報 あ り 。
小林 ︹ 躋造、中将、海軍︺次官 よ り 川 崎卓 吉 ︹ 民政党代議士、法制局長官︺ へ
奉 答 文 問 題 起 る 。 政府 は 枢府 へ内 示を 渋 る。
安保 ︹ 清種、大将、ロンドン軍縮会議随員︺帰 朝 、 出 迎 す 。
八月五日 火
答文 偵察 也 。
一橋 に行 く。
八月十 二日 火
谷 口 に速 達 を 送 り 、 安 保 と 会 合 を 促 す 。
八月十 一日 月
小 島 喜 久 馬 来 る。
谷口 ︹ 尚真、大将、軍令部長︺宅 を 訪 ふ 。 不 在 。 我 孫 子 に 行 け り と 。
午後佐藤令息告別式。了て海晏寺に母上之墓拝。
津留雄三告別式。藤野代理す。
八月十日 日
︹ママ ︺
佐 々 木 は 政友 会 に 中島 の説 明 せ る飛 行 機 万 能 非 定 の事 、 内 田は 奉
佐 々木 革 次 、内 田信 也 ︹ 政友会代議士︺来 る。
安 保 の為 官 邸 午 餐 。
︹ママ ︺
財 部 予と の交 渉 を 弁 解 す 。
八月十三日 水
谷 口快 諾 し来 る 。
深 川 の 運 送 屋陳 情。
令 部 長 の仝 意 問 題 は確 証 あ り と 大 臣 え の電 を 件 の子 に 示 せ る 故 早
谷 口、 安 保 と 星 ケ 岡 に 会合 、 結束 を 謀 る 。
鹿 子木 博 士、 中谷 ︹ 武世︺ 、 天野 ︹ 辰夫︺ 、 勤 労 党 之 有 志 来 る。
合 点 せり と 云 ふ。
一ツ橋 歯 科 了 る 。
国民 ︹ 新聞︺の記 者 曰く 、 川 崎 は 一の電 案 を 握 り 、 之 さ え あ ら ば 軍
八月 七日 木
藤野来る。
小 林 曰く 、 川 崎 は 宣 伝 を 非 認 せ り と 。
早朝 尼 野敬 二郎 来 訪 、 寛 一に付 奔 走 す 。
本 日巨 頭 結 束 。
尼 野 、 寛 一と 懇 談 。
八月八日 金
此 日枝 原 ︹ 百合 一、少将、第 一航空戦隊司令官︺来 り 夕 食 を 共 に す 。 ︹ 酩︺ 加 賀 乗 艦 中 の銘 酊 を 忠 告 す 。 多 謝 す 。
孝来る。歯科学校に紹介す。
八月十四日 木
10y 。
尼 野 待受 け し も 他 泊す 。
内 田 信也 来 り種 々詳 談 す 。
正子下郷宅に行き泊す。 枢密院、政府と正面衝突。
終 日書 に親 し む 。
八月十 五日 金
一班 長 、 堀 ︹ 悌吉、少将、軍務局長︺、古 賀 等 。
夕 山 口会 。 予 の外 財 部 、 岡 田 、 安 保 ( 主 賓)、 谷 口 、 次官 、 次 長 、
終 日枢 府 説 明 材 料 準 備 。
暑気 。
枢府精査会あり。
志 村 の告 別 。
八月 二十八日 木 ︹ 亭︺ 実 、 仁 、 五 郎 を 連 れ 二 葉 邸 に 午食 す 。 廿 円 。美 味 。 一同 大 に喜 ぶ。
八月十 六日 土
藤 野来 る 。
寛 一之 我 侭 を 叱 す 。
八月二十 九日 金 枢 府 説 明 準備 。
八月十 七日 日
八月三十 日 土
新 歌 舞 伎 に浪 速 節 を 聴 く 。 米 若 最 良 。
八月十 八日 月
川 口余 蔵 来 り 午 餐 を 饗 す ( 宅 にて)。
吉 村 ・東 機 成 功 、立 川 に帰 着 す 。
浅草田原丁外、本店 ( 茗 )。
川 口に書 を 渡 す 。 角 に も仝 断 。
実と奴に午餐。美味也。
八月 二十日 水
く 。 谷 口予 の為 め 大 に 謀 る 。
海 軍 省 に 行 き 大 臣 、 部 長 に 会 ふ 。 財 部 大 に 達 観 、安 保 の決 意 を 聞
八月十九日 火
﹁孝 ﹂ 来 る。
然とも遠藤は信ぜず。又安保に予に其進退を明かにせよと云ふ。
元 帥 に 煮 へ湯 を 飲 ま し た と 云 ひ 合 へり と 。
遠 藤 曰 く 、 政 教 舎 外 右 派 の強 硬 者 は 予 を 非 難 し 、 谷 口に □ か れ て
金 子 子 に書 面 を 出 す 。
風 邪気 味 。
奥名 ︹ 清信、伏見宮付事務官︺来 る。
夕 遠 藤 格 来 り し 故 予 算 書 を 示 す 。 貸 与 す 。 田村 日 々、 角 都 来 る 。
小 笠 原之 処 に出 掛 し も 行 過 て帰 る。
八月三十 一日 日
︹マ マ︺
小 笠 原と 電話 、好 感 あ り 、 往 訪 を 約 す 。
枢 密 院 第 一回 精 査 委 員 会 開 く 。 ︹ 徐︺ 鋭 鋒 除 々 に顕 は る。 次 回 を 廿 三 日 と し 三 相 の外 説 明 委 員 を 加 へず 。
八月二十 一日 木
九月 一日 月
枢 府 精 査 会 に て 財 部 、 浜 口大 に 油 を 絞 ら る 。
︹ママ ︺
近 日 稀 な る 暑気 。 立雄 来 る。 読 売 そ ろ〓
盛田暁来る。
回 訓 の内 幕 政府 に 不利 な る点 を 曝 露 す 。 八月 二十 七日 水
九月四日 木
早朝 小笠 原 に違 法 に非 る限 り 枢 府 出 頭を 諾 す 。
以 上南 郷報 告 。
委 員長 より 予 の出 席 説 明 を 求 む 。
本 日 の枢 府 会 議 に て首 相 回 訓 に付 部 長 黙 諾 説 を 取 て 動 か ず 、 伊 東
九月 三日 水
竹内賀久治来り、右仝。
と し 拒 否 せ し が 、 勧 告 熱 烈 に 付 明 朝 迄 回 答 を 延ば す 。
勧 告 せ し が 、 予 は 勅 許 説 及 び 証 人 類 似 に て 軍参 出 頭 は穏 当 な らず
本 夕 、 山 下 、 有 馬 両 大 将 、 小 笠 原 来 り 、枢 府 に出 頭 説明 の件 切 に
九月 二日 火
日 々社 会 部 記 者 来 り 家 庭 訪 問 記 を 書 。
を促さん事を頼む。
午后安保大将訪問。山梨の秘語 ( 五 月 八 日) を 示 し、 小 林 に 反省
午 前久 富 来 る 。
九月九日 火
海 軍省 に 大臣 訪 ひ公 式 に枢 府 答 弁 を 詰 問 す 。
九月八日 月
有 馬大 将 の心 痛 を 報 告 す 。
南 郷来 り 大 臣 へ是 非 公 式 一言留 め を 刺 し お く の必 要 を 縷 述 す 。
九月 七日 日
読 売 に予 の変 節 云 々政 府 の宣 伝 を 枢 府 予 の為 同 情 す の記 事 あ り 。
九月十日 水 ︹訓 ︺
明治神宮を拝し海晏寺墓参。
︹ママ︺
日 々新 聞 以 上を 素 破 抜 く。
各 新 聞 (日 々、 朝 日 之 外) 予 之 手 記 な る も のを 掲 ぐ。 交 渉内 容 仝
九月 五日 金
枢府 対 政府 愈 正面 衝 突 、 形 勢 嶮 悪 。
大角 無 論 。
横 須賀 三 笠 二十 五 年 追 悼 会
九月十 一日 木
﹁日 々﹂ に千 代 と 予 の写 真 を 出 し 、 家 庭 訪 問 記 を 善 書 す 。
大 学 新 聞 弁 妄 、 予 に有 利 な り 。
右 に 依 り 新 聞 者 来襲 、 止 む な く 回請 内 容 覚 書 之 一切 を 語 る。 但 政 府 は 終 に 予 の出 席 を 拒 絶 せ り 。
部 曝 露 す 。 安 保 に会 ひ 、 出 省 、 谷 口に 会 見 。
汽車 中 安保 よ り九 日 山梨 の 秘話 を 話 せ る結 果 を 聞 く 。 谷 口 にも 示
枢 府 事 務 規 程 に 政 府 の外枢 府 は交 渉 不 可 能 とあ り 。
政 府 予 の出 頭 を 断 る 。
し 小 林 と 共 に 政府 と 大 臣を 警 告 す と 。
鹿 子木 、 平 田。
森 猛熊 。
枢 府 肩 す か し を 喰 は し 政 府 大楽 観 す 。 但 し危 機 依然 と 伝 ふ る も の
第 十 回 精 査 委 員 会 。 成 行 に 付全 紙 警戒 。
九月十 二日 金
︹マ マ︺
( 爆 沈 )。 財 部 、 谷 口、 安 保 来会 す 。
阿 部鶴 之 助 。
九月 六日 土
阿 部 は 河 合 の伝 言を 報 ず 。
九月十 三日 土
財 部 は 二 日 の上 奏 内 容 を 発 表 す 。
多し。 宅 に 送 る)。
黄海 記念 第 三 十 六 回 目 に参 集 す ( 幸 楽 に て。 日高 大 将 感 動 す 。 私
全紙伊東委員長を罵倒す。
九月十 八日 木
︹ 欄 外︺ 日 高 大 将 、高 橋 六 〇 〇 也 。
委 員 会 可決 し て全 紙 を 驚 か す 。 小 笠 原 、 阿 部 よ り 虚 報 な り と 伝 ふ 。
洋 々会 其 他 軍 縮 聯 盟 に て 財 部 、 谷 口を訪 問 す 。 予 の仝 意 問 題を 詰 ︹マ マ ︺
国民小泉来る。
殿 下 に伺 候 。
問 し 財 部 を し て非 定 せ し む 。
九月十四日 日
午 後 一時 小 笠 原 を 訪 ふ 。 有 馬 、 千 坂 、 南 郷 あ り 、鳩 首 昨 日 の急 転
金 子 ﹁キ ヤ ツス ル﹂ 会 談 曝 露 す 。
御 陪食 、特 命 検 閲 の為 。 午 前 安 保 と 谷 口を 訪 ふ。 谷 口 は枢 府 の批
九月二十日 土
九月十九日 金 ︹ 茂︺ 杉 山 乕 丸 来 り 敬 意 を 表 す 。 伊東 の 決意 を 語り 、枢 府 の内 情 を 話 す 。
を憂ひ、前後策に苦心す。
︹マ マ ︺
上野屋に行く。 ︹ 方︺ 憲 兵 来 り 行衛 を 尋 ぬ 。
九月十 五日 月
軍 縮聯 盟 の 問答 発表 。
遠 藤 格 来 り 、 三 月 三十 一日岡 田大 将 と 回 訓 に 付 打 合 せ を 為 し た る
准無 条 件 な るを 信 じ 、補 充 案 後 廻 はし と な ると 云ふ 。 安 保 には 軍
朝 日、 国民 、 補 充 問 題 の重 大 性 を 説 く 。
参 之 決 心を 固 む る様 告 た り 。
九月十六日 火
熱あり。
件 に付 心 配 し 来 る。 別 記 に あ り 。
遠藤に速達を送り横田 ︹ 喜三郎、東京帝国大学︺教授 の論 文 を 評す 。
終 日臥 床 。 政 教 社 三 名 予 に 蹶 起 を 促 す 。 荒 川 積 一等 一行 也 。
第 十 一回 委 員 会 に て浜 口議 会 に答 弁 の主 義 に 変 更 なき 事 を 明 言 す 。
政 府 強 硬 、 西 園 寺 に 密 使 飛 ぶ 。南 郷 より 水 町軟 化 、 其 処 置 な き や
九月 二十 二日 月
伊 東 委 員 長 よ り 確 め ら れ て也 。 前 言 を 覆 す 事 二 回 。
を聞き来る。
熱下り快方。
九月二十 一日 日
九月十七日 水
杉山之秘書来る。枢府の件也。
午 後 十 一時 頃 より 食 当 り 、 吐 瀉 す 、 大 苦 悶 。
在 郷 軍 人 雑誌 社 長 田安 虎 に 写真 を 貸 与 す 。
南 郷 来 り 、 杉 山 と仝 じ く枢 府 委 員会 の報 告 補充 問 題 に在 る事 を 告
久 富 、 高 橋 、 内 田来 る ( 新 聞)。
政府 硬化 、枢 府 軟 化 と 伝 ふ。
夕重村来り快談す。
賢 所 参集 。 午后 明 治神 宮 参 拝 。 大 に清 意 と な る。
九月二十 四日 水
南 郷 来り 、枢 府 情 報 を 齎 らす 。
笠 井 来り 悲 憤 す 。 ﹁ブ ド ウ﹂ を 賜 る。
十月 一日 水
岡 田 の態 度 不 可 解 也 。
電話、但し虚報ならん。
小 笠 原 を 訪 問 す 。 元帥 邸 異 状 あ り と 薩 摩 某 ︹ 雄、国民新聞社社員︺の
武 功 調 査 総 会 、 水 交 社 、慰 労 、 一同 大 に悦 ぶ。
谷 口を 訪 問 、 岡 田 と 共 に安 保 問 題を 大臣 に献 策 す 。
九月 三十日 火
九月二十九 日 月
敵 味 方 額 合 せ 、 江木 ︹ 翼、九月十日まで鉄道大臣︺大 に は し や ぐ 。 見 る
枢府本会議。
午 前東 郷 元帥 を 訪 問 す 。
に不堪。
条 約 御 批 准 と な る。
四 月 一日 の 回訓 に重 大 事 件 。 別 冊 。
九月 二十五日 木
小 笠 原 に 元帥 説 得 を 頼 む 。 来 訪 、 諾 さ る 事 を 告 ぐ 。 安 心 す 。
げ 、 原案 を 示 す 。
晴 。 午 前 阿 部 鶴 之 助 来 る 。 午 後 散歩 。
十月 二日 木
谷 口参 内 、作 戦 計 画 を 奏 上 す 。
九月 二十六日 金
安 保 の 件 に付 谷 口と 水 交 社 に会 合 、 後 岡 田 に会 ふ。
枢府最終委員会。
下 郷夫 婦 来 る。 式 場 等 相 談 す 。
神 宮参 拝 。
九月 二十 三日 火
谷 口 に意 見 書 を 送 る 。 上 奏 の件 な り 。
森 川秀 也 来 る。
九月 二十七日 土
崎 と 予 の 問題 に付 会 見 之 事 を 語 る 。 新 聞 に 注 意 を 表 す と 。
午 後 一時 大 臣 交 代親 任 式 。
直 に 殿 下 に御 報 告 。
十 一時 安 保 よ り 電話 、 今朝 午 前 三時 に急 転 直 下解 決 を 告 ぐ 。
早 朝奥 名 に電 話 し、 殿 下 に 岡 田え 御 督 促 を 願 ふ 。
九月 二十 八日 日
古市 ︹ 公威︺氏 ︹ 枢密顧問官︺を 尋 ぬ 。寛 一媒 酌 を た のむ 。
十 月三日 金
洗 足 に寛 一の借 家 を 見 約 束 す 。 午 後 素 子 来 る。 将 来 之 事 を 注 意 す 。
谷 口を 訪 問 。 岡 田、 安 保 も 来 り 大 に 世 上 の注 目 を 惹 く 。
丸 子多 摩 川と 神 田散 歩 。
殿 下 に 御 礼申 上 ぐ 。
谷 口上 奏 に仝 意 せ ず 。 政 府 と 交 渉 未 前 な れ ば 也 と 云 ふ 。 安 保 、 川
秋 高く 馬 肥 ゆ。
松 村 祝 一来 り 不 相 変 喃 々す 。
立雄努力感謝に不堪。
佐 々木 御 主 、 安 川 の嫁 来 り 大 に は し や ぐ 。
川 島 に 十 一月 五 日 の挨 拶 を た のむ 。
島 ︹ 令次郎、宮中顧問官、東伏見家︺別 当 之 好 意 に 依 る 。
東 伏 見 宮 大 妃 殿 下 に 拝 謁 、 寛 一結 婚 に 付 厚 き 御 言葉 を給 は る。 川
十月六日 月
素子快方。
夕 、 永 井 環 の歓 迎 会 。
下郷 を 訪 ひ三 越 に行 く 。 千 代 子 仝 伴 。
十月 五日 日
伏見宮、元帥、小笠原に送呈す。
竹 内 幸 次 郎 よ り ﹁メ ロ ン﹂ 四筥 来 着 。
十月 四日 土
浜 口陳 謝 す 。
参 拝 。 憲 兵 随 行 す 。 始 め て之 事 也 。
十月十 三日 月
本 日部 長 3Fを 視 閲 し 天 候 に苦 し む 。
今夜静粛。
午 后 六時 山 田着 、 戸 田屋 に泊 。 山 田駅 長 大 に好 遇 す 。
前九時発、超特急。
十月十 二日 日
安 保 に 人 秘意 見 を 送 る。
安 保 妻 、 鎌 田妻 来 り 、 寛 一に祝 物 を 送 る。
十 月十 一日 土
海 軍省 に行 き 出 張 之 事 を 告 ぐ 。 谷 口 に昨 夜 の ラ ヂ オ放 送 を 注 意 す 。 ︹ 博︺ ︹ 欄外︺ 斎 藤 隆 之 事 。
育 子来 り寛 一に晴 衣 を 祝 ふ。 今 立 来 る。
に 詣づ 。
小 笠 原 に 下 郷贈 の 元帥 書 に筥 書 を た のむ 。 海 軍 省 に行 き 、 海 晏 寺
備︺ 。
長 官 晩 餐 。白 川 ︹ 義則、陸軍︺大 将 軍 事参議官︺ 、中野 ︹ 直枝︺中 将 ︹ 予
正 午 乗 艦 、 長 門を 訪 問 し 日 向 に 泊 す 。 夕 中 村 ︹ 良三、第二艦隊司令︺
十月八日 水
︹ 欄外︺六 日読 売 浜 口 の陳 謝 を 問 題 と す 。
安保大将来訪 ( 4 P)、 人事 を談 ず 。
赤 城 に て視 察 、 招 か る 。
午後阿部鶴之助来る。
皮肉 止 ま ず 。
相撲あり。審判部員長門に移乗す。
山 田に て予 の評 判 大 な り と 小 児等 迄 さ ヽや く 。 昨 夕着 の 時 。
晴 。 二見 沖 在 泊 。
十月十四日 火
︹ 欄外︺快 晴 、静 穏 、 戸 田 屋主 人 予を 祝 す 。
十月九日 木
斎藤博 ︹ 外務省情報部長︺﹁ラ ヂ オ﹂ に無 責 任 の言 を 弄 す 。
三越 ( 新 宿) に 招 か る 。 立雄 夫 婦仝 行 。先 方 に て志 賀 子 に会 ふ 。
十月十 日 金
第 一発動 点 に向 ふ。 静 穏 。
十月十 六日 木
終 日読 書 。 孫 子 約 を 読 む 。
午 前 六時 出 港 、 3F全 部 也 。 天 候 快 晴 。
十月十 五日 水
の 横 駛 り 止 む 。 北 上 、2 9SD 合 同。
し 黒潮 に 追 は し め風 を 左 舷 に せ し に船 足 良 く 曳 綱 順 に進 む 。 ﹁阿 ﹂
NE と黒 潮 に て進 まず 。 正午 より 不 動 。 依 て夕 刻 艦 長 に す ゝめ Eと
十 月二十 二日 水
八 時 再 興 、対 抗 に移 る ( 決 戦 )。
午 前 六時 演 習 開始 。 天候 少 し く 下り 細 雨 。
十月十 八日 土
洋 中 読書 。快 晴 。 ﹁ ピ ツト ﹂ の偉 大 に感 ず 。
今夜発。
剣岬沖にて港務部に渡す。
難 航 の後 稍 々 午 後 二 時 横須 賀 着。
十月 二十四日 金
風 浪 尚 ほ 大 な り 。難 航 す 。
天 明 小 笠 原 の 北 方 に達 し 北2 0° にE 変針す。
午 後 より 雨止 む 。Eter依 l然 yと し て吹 く。
十月 二十五日 土
十 月 二十三日 木
8S3 SS等 の青 の東 捜 索 列 と 衝 突 す 。
午前八時四七京都着。
読書 、﹁ ピ ツ ト﹂、 大 に興 味 あ り 。
十 月十 九日 日
清 流 亭 に て 下 郷 一家 に 会 ふ 。
十月十 七日 金
赤 城 帝都 空 襲 成 功 、帰 都 勢 力 発 着 不 能 。 東 軍 予定 通 り 南 下 。
其 前 に 桃 山参 拝 。
十月 二十六日 日
連日快天。
晴 。 前 夜 之 雨 は れ 日 本 晴 。 大 成 功 裡 に看 艦 式 を 了 る 。
青 年 退 嬰 不 出。
4S 5S2 SD 近 接 。
桃山荘に行き例之通出発を延ばし富田屋に行く。
午 後 大 阪 に て 越 尼 野 を 訪 問 し 、神 戸 西 と き わ 別 館 に泊 す 。県 人会
午 後 阿 武 隈舵 機 故 障 に て北 上 と 衝 突 、 北 上 無 事 、 ﹁阿﹂ は 一番 砲
十月 二十七日 月
に頭を曲ぐ。
よ り 前 を 失 ふ 。 日 向曳 航 横須 賀 に向 ふ 。
一日滞 在 。 夕 発 帰 京 。
午 前 六 時鳥 島 北方 水道 。 戦期 切 迫 。
天 候 快 晴 、 ﹁ス コー ル﹂。
十月 二十 八日 火
十 月 二十日 月
十月 二十 一日 火
︹マ マ ︺
午前三時半演習中止。
午前帰宅。
仝 上 。 功 宅と 洗 足 に 行 き留 守 を見 舞 ふ。
十 一月八日 土
十 一月十日 月
十 一月九日 日
午 後 二時 官 邸 に て海 相 よ り 予 算 決 定 の説 明 を受 く 。
十月 二十九日 水
十月三十 一日 金
意見開陳、警告す。
安 藤 来 り 苦 衷 を 訴 ふ 。 直 に 出 省 、 谷 口に会 見す 。
進級会議。
決 定 、 三億 七 千 万 、 残 り 二千 四百 万 は 昭 和 十 二 、 十 三 年 に 繰 延 。
長官 管 下上 奏 、 了 て進 級 会 議 。
十 一月 三日 月
十 一月十 一日 火
此 日井 上 ︹ 準之助、大蔵大臣︺と 安 保 と の会 見 に て 予 算 決 定 、 午 前 一
明 治 節 。 寛 一荷 物 を 洗 足 に 送 る 。
寛 一夫 婦 披 露 会 を 京 都 に於 て行 ふ に付 、 千 代 、 立 雄 、 功 と 共 に 出
十月 三十 日 木
下郷より素子荷物来る。
発 す、 午 後 七 ・三 〇。
時。
十 一月 四日 火
午 前 元帥 を 訪 問報 告 、 大 に喜 ば る。 談 感 激 多 し 。
首 相 午餐 に 出席 断 る 。
鴨 猟 、 越 ケ谷 、 五羽 を 捕 ふ 、 魚 獲 も あ り 。
仝 上。
山 口 に川 口を 招 待 す 。
正 午前 吉 田 下 郷 家を 訪 問 し 、 祖 母を 見舞 。
連 日晴 天 。
後 清 流 亭 に て 午 餐 。 其 後丸 太 町 尼 野 本家 を 訪 ふ。
十 一月 五日 水
む 。式 后 下郷 喜 の余 り 築 地 に招 待 す 。
午 後 五 時 都 ホ テル 披 露 、古 市 氏挨 拶 し 、清 浦伯 答 礼 す 。 盛 大 。 午
大 阪着 。 大 阪 ホ テ ル に 小休 し 、尼 野を 訪 問 、礼 を 為 す 。
晴 天。
後 十 一時 発 帰 京 す 。
十 一月十 二日 水
十 一月六日 木
毎日、朝日記者大津より来る。
寛 一結 婚 式 、 工業 倶 楽 部 、 招 待 二 百 名 、 真 に 盛 大 。 安 保 海 相 、 川
寛 治礼 廻 はり 。 正午 素 子と 共 に昼 餐 を 供 す 。
十 一月十 三日 木
島 枢 府 顧 問官 懇 篤 な る挨 拶 を 為 す 。 古 市 公 威 博 士 媒 酌 、 懇 切 を 極
夕 九 ・四 五 分 両 人出 発 、見 送 る。
午前十時着、帰宅。
︹ 一︺
十 一月七日 金 ︹ママ︺
予算問題嶮悪。
十 一月十六日 日
浜 口狙 撃 せ ら る 。 東 京 駅 に て 西 下 の際 。
機校卒業式。
十 一月 二十 二日 土
十 二時 半 舞 鶴 着 、 水 交 社 へ。
す。
予は 西 行 、 嵯 峨 に て嵐 山 の紅 葉 を 見 、 千 鳥 に て 大 慰 安 、 単 身 独 遊
九 ・四〇 P列 車 に て 江 田 島 に 向 ふ 。 千代 仝 行す 。 記者 会 見、 大 阪
午前十時半、千代東上帰京。
毎 日、 実 を 称 揚 す 。
野 原桜 州大 に接 待 す 。
午 後 両 殿 下 に御 伴 東 上 。 天龍 寺 訪 問 、 京 都 青 年 展 覧 会 を 見 る 。
午 後 寛 一夫 婦 洗 足 に 帰 宅す 。 千代 、嘉 美 出 迎 ふ。
安保海相仝行す。
十 一月十四日 金
十 一月十七日 月
京都 ホ テル に 行 く 。
十 一月二十 日 木
寿太 郎 を 尋 ぬ 。
大 阪 よ り 大軌 に て奈 良 へ。 ﹁ホ テ ル﹂ 一泊 、 千 代 大 に喜 ぶ 。
十 一月十九 日 水
て東 上 。
午 後 宮 島 え 、 岩 想 に て夕 食 、 末 次 夫 婦 仝 席 。 本 夜 十 一時 の汽 車 に
実 八番 に て卒 業 す 。
祝 辞 を 述 べ成 功 。
兵学校卒業式。
立雄福井仝行。
侯爵霊柩を送る。
山崎貞武、横井俊之来る。
十 一月 二十六日 水
杉山、百武来る ( 夜 )。
高橋 ︹ 三吉、中将、海軍大学校︺校 長 後 よ り 来 る 。
大学校卒業生小島 ︹ 秀雄、少佐︺以 下 六 、 七名 来 る。
十 一月 二十五日 火
川島、下郷を訪ふ。
松平 ︹ 康荘︺侯 爵 邸 に 弔 問 す 。
十 一月二十 四日 月
新嘗 祭 に奉 列 。
午前 八 ・三 〇 帰京 。
金閣寺を訪ふ、好遇。
豆相大地震。
十 一月 二十 三日 日
午 餐 、 清 流 亭 。 銀 閣 寺 貫主 、 天龍 寺 管 長 来会 、 外 に民 政代 議 士 二
本 朝 午 前 四時 東 京 も 大 に震 ふ 。
夕 刻 宮 島 着 、 直 に 江 田島 え 、 集 会 所 に 夫 婦 泊 す 。
名あり、大に酔ふ。
十 一月十 八日 火
十 一月 二十 一日 金
連 日 晴 天 。 夕 刻 石 原 北夫 来 り、 予 と浜 口 の乖 離 を 心 配 す 。 来 月 の
十 一月 二十九日 土
海 軍 大 学 卒 業 式 、 御 陪食 。
十 一月 二十八日 金
洗足訪問、素子大に歓迎す。
十 一月 二十七日 木
夜 泰 麿 来 る。
小西 ︹ 干比古︺に浜 口 の和 解 を 頼 む 。
て見 送 ら ず 。 放 先 禅 師 に 書 を 送 り 、 長 浜 鋒 秀 館 に 元 帥 近 影 を 送 る 。
十 二月六日 土 ︹ 路︺ 下 郷 来 訪 、 快 談 。 夕 帰 蕗 見 送 る 。 午 後 行 違 寛 一も 来 り し が 先 約 に
訪、賑ふ。
古市夫人 、江口大尉、酒井 ︹ 茂吉︺中 佐 ︹ 軍令部副官兼艦政本部員︺等 来
寒気 甚 し く終 日籠 る 。
雨久 し 振 に 降 る 。
十二月二日 火
予 の為 め心 配 を済 す 。
千坂 を 訪 問 す 。
十二月 一日 月
薩 摩 雄 次 来 訪 、 大 に 気焔 を 挙 ぐ 。 予警 戒 自 重 を 答 ふ 。
寛 一、 素 子 来 る 。夕 会 食 す 。
書道 展 を 見 る 。
十 二月九日 火 ︹ 三︺ 荒 井 二回 目 。
彼 の厚 意 を 謝 す 。
二次 、 三 次 会 、 大 に 痛 飲 。
す。
荒井 二回目。松村多 雄 ︹ 龍雄カ、中将、予備︺予 と 安 保 を 山 口に 招 待
十 二月 八日 月
郎、少将、予備︺と 自 分 を 頼 む 。
藤野夫婦暇乞に来る ( 湯 地 )。 向 田 金 一少 将 ︹ 予備︺来 り 、 鹿 江 ︹ 三
荒 井 邸 に 肖 像 画 を 諾 し 、 三 時 アト リ エに 坐 す 。
小西来る。其他来客多し。
十 二月七日 日 ︹ 泰︺ 秦麿来る。
( 極寒)
二日 会 に 来 会 を希 望 す 。
十二月三日 水
宿 酔 の為 め 大 に 困 る 。
山 下 夫 人 淑 子 来 訪 、 媒酌 之事 を 頼 む。
午前 よ り 玉 川 辺 に散 歩 す 。 ︹ 溪︺ 谷 口豪 介 来 り 泰 麿 結 婚 に付 母 と 仝 居 の希 望 を 述 ぶ 。
十 二月十日 水
十 一月三十日 日
山 下家 を 訪 問 し豪 介 の希 望 を 述 ぶ。 仝 夫 人 独 裁 見 ゆ 。 泰 麿 も 仝 席
素 子 を 伴 ひ 海 晏寺 に参 詣 、 読経 し 、東 京 駅上 に て午 餐 、 洋 食 。
十 二月 四日 木
す。
談話会。
十 二月十六日 火 ︹ 九︺ 荒 井 八回 。
十 二月十 五日 月 ︹ 八︺ 荒井七回。
素 子 大 に働 く 。
勢大挙、晩餐大騒。
千 代 来 り 鮨 子 を 持 参 。 帰 宅 後 寛 一夫 婦 、 須直 、 秀也 、 直 子夫 婦仝
十 二月十四日 日 ︹ 七︺ 荒 井 アト リ エ の六 回 目 、 午 前 、 午 後 坐 す 。
立 雄 一家 、 中 村 夫 婦 に会 合 す 。 ︹ 溪︺ 谷 口、 母 堂 、 豪 介 来 る 。
夕 演 舞 場 に 新 国 劇 を 見 る 。 千代 子仝 道 。
十 二月十三日 土 ︹ 六︺ 五回 目 荒 井 。
十 二月十 二日 金 ︹ 酪︺ 金 谷 の招 待 、 赤坂 瓢 屋 、 大 に飲 み 銘 酊 し 、帰 宅 後 千 代 を 心 配 さす 。 ︹ 五︺ 荒 井 四 回 目 、 アト リ エ。
十二月十 一日 木 ︹ 四︺ 荒井三回目。
此日飲まず。
中 里 新 旧 大 臣 、 部 長 を山 口 に招 待 す 。
素子墓地を賞す。
法 務 局 に 出 頭 内 調 せ し に、 ﹁キ ヤ ツス ル﹂ 関 係 な り と 。 寺 尾 診 断
と し て訊 問 召喚 、 昨 二十 二 日夕 刻 来 る。 早 朝 山 田 法 務 に 相 談 し 、
東 京 地 方 裁 判 所 よ り 、 中 川 奇 三郎 外 一名 名 誉 棄 損 被 告 事 件 に 証 人
十 二月 二十 三日 火
作 間来 訪 、 土 産 物 を 贈 る。 会 食 、 快 談 す 。
千 代 、 仁 来 り 肖 像 を 見 る。
荒 井 十 二回 。
十 二月 二十 二日 月
十 二月 二十 一日 日
十 二月 二十日 土
挨拶演説成功。
十 二月十九日 金
荒井十回。
下郷母、素子来る。
松平康昌 ︹ 侯爵、貴族院議員︺招 待 、東 洋 軒 。
十 二月十七日 水
荒井 十三回 ( 本 省 行 )。
地 方 裁 判 所 より 証 人 と し て召 喚 状 来 る。
黒 田侯 鴨 猟 、 羽 根 田大 猟 、 三 羽 を 貰 ふ 。
荒 井 第 十 一回 。
溪 口泰 麿 と 山 下 淑 子 と 結 婚 、 媒 酌 人 と な る 。
見 る。
立 雄 来 る 。 夕 銀 座 ﹁天 プ ラ﹂ に 立 雄 を案 内 し 、後 ﹁レ ビ ユー﹂ を
十 二月十八日 木
松 屋 に行 き 三越 に て大 谷 加 代 え 利 子 の洋 服 を 送 る 。
熱 無 け れ ど 両 肩 痛 み 、鼻 喉 痛 む 。
十 二月 二十五日 木
風 邪 の気 味 に て休 養 。夕 刻 よ り 臥 に就 く 。
諒 解 、 口供 捺 印 の上 帰 さ し む 。
本 日山 口 予 審 判事 予 の私 宅 に 出 張 、 ﹁キ ヤ ツ スル﹂ 之 買 収 問 題 に ︹ 藤︺ 付 盛 田 暁 が 伊 東 正 徳 之 行 為 に 付 予 に 尋 ね し件 訊 問 、総 て 不明 と し
十 二月 二十四日 水
書を添え延期申込む。
荒 井 二百 円 と ﹁ 雄 飛 ﹂ の軸 を 贈 る。
光 延 を 送 る。
年末参内、記帳。
十 二月 三十日 火
鼻 加 答 児 頑 と し て不 去 。
熱 下り 稍 快 方 。
荒 井 親 切 に見 舞 に来 り 、 良 薬 を 送 る ( 鼻 薬)。
少 しく 快 方 。 吸 入 努 む 。
十 二月 二十九日 月
大 正 天 皇 御 四 十 年 祭 、 所 労 遠慮 す 。
︹マ マ ︺
荒井より見舞電話来る。
離床。散髪。 ︹ 険︺ 入浴 ( 冐 嶮 な り し も 無 事 )。
素子来る。 十 二月 二十六日 金 寺 尾 氏 に 診 察 た のむ 。 午 後 よ り 出 熱 、37 °. 。2 両 肩 痛 みに て 荒 井 を 断 る 。 素子来る。 飯塚に正宝奉加帳をわたす。 十 二月 二十七日 土 到 底 荒 井 の期 待 に そ ひ 不 得 を 以 て 一時 休 止 を 申 し や る。 本日絶頂三十七度九。 不 快 極 度 。 吸 入 数 度 、 大 に 効あ り 。 荒井来訪、親切也。 松菊忘年会を断る。 十 二月 二十八日 日
昭和 六 年
一月 一日 木
︹ 軍事参議官︺
降 雪 五寸 以 上
曇 天、 寒 気 厳 。 拝 賀 後 大 宮 御 所 、 海 軍 各 宮 に 拝 賀 す 。 午 後 よ り 降 雪 。 寛 一、 素 子 来 り 、 寛 一は 赤 倉 ス キ ー に 行 く 。 素 子 泊 す 。 始 め て なり 。 下 郷 に電 す 。
荒井陸男 ︹ 画家︺も 来 り 大 に 興 を 添 ゆ 。
一月 四日 日
暖
素 子 一泊 、 大 に加 勢 す 。
水交社新年宴会。 寛 一帰 宅 。 出 行 す 。
暖 珍 しき 春 日和
千代 と 穴守 に参 詣 す 。 品 川 駅 に 一時 以 上 千 代 を 待 つ。 天 〓 に て昼 食す 。 一月 五日 月
御 賜宴 に参 内 。後 荒 井 の ﹁ア ト リ エ﹂ に行 き 、 日 々経 済 記 者 阿部
と 談 ず 。 秀 也 、 新島 来 る 。
一月六日 火
夕小雪
荒 井 アト リ エ第 十 四 回 。
午 後 小 雨 、 時 々雪 。
終 日書 に親 しむ 。
孝治京都より帰る。風邪を注意す。
風 邪 の為 頭痛 激 し。 芳 峡 、 立 雄 、 寺 尾 来 る。
︹ 宗
マ︺
暖
素 子 来 る 。 少 し く 淋 し 云 々な り 。
寒 気
︹三郎︺憲 兵 少 佐 、 仝 令 兄 阿 部
雪
曇
一月 二 日 金
︹ 男爵、貴族院 議員︺、 三 浦
一月 七日 水 ︹マ
マ︺
荒 井 ア ト リ エ第 十 五回 、 殆 んど 完 成 。
終 日書 に親 しむ 。
︹マ
素 子来 る。 少 し く 淋 し 云 々な り 。
雨
寒気 大 。終 日 風 邪を 養 ふ 。 福原俊丸 孝︺六 中 校 長 来 り 、 慷 慨 す 。
稍暖
堤正之、岡田七男来る。寺尾大に酩酊す。 一月 三日 土 賢所参内。
千 代 山 下家 訪 問 。
一月八日 木
大 雪 稀 に 見 る所 也
中嶌 武 日米 戦小 説 を持 来 る。
観兵式御取止。
︹ 信竹、大佐、海軍省教育局員︺、 木 幡 ︹行、中佐、
同上︺、 久 保 ︹九次、中佐、同上︺、 酒 巻 ︹ 宗孝、 中佐、 横須賀航空隊 飛行 隊長︺、 ︹川︺ 岩 元、大河内 ︹ 伝七、大 佐、横須 賀鎮守 府付︺、 新 島 ︹信夫、少佐、 軍令部 出
例年之如く、高橋、近藤
仕︺、 秀 也 、 佐 藤 長 祐 父 子 来 飲 。 快 極 る 。 佐 藤 氏 に 画 を 贈 る 。
伊 集 院 元 帥 十 年 祭 に 付 華 族 会 館 に 招 か る 。後 松 菊 に 紅 葉館 に 招待
寒 中 奉 伺 。 後 井 上 眼 科 病 院 に 千 葉 断 一を 見舞 ふ 。
下 郷伝 平 氏 来 り 快 談 す 。 仝 人 明 朝 小 笠 原 子 爵 訪 問 之 打 合 せ を 為 す 。
昨 十 二 日山 陽線 二、 三等 急 行 脱 線 、 河 中 に墜 落 、 死 傷 二百 名 。
一月十 三日 火
初 夜 過 伊 藤 、小 林 及 高 須 ︹ 四郎︺大 佐 ︹ 駐英武官︺来 る 。 一泊 、 徹 宵
一月十 四日 水
岡田 ︹ 啓介︺大 将 母 堂 逝 去 に付 見 舞 ふ 。 供 物 を 為 す 。
御 茶 ノ水 歯 科 学 校 行 。
稍暖
さる。
飲明かす。
一月九日 金
真崎 ︹ 勝次︺少 将 ︹ 大湊要港部参謀長︺来 り 北 海 警 備 に 付 き 訴 ふ 。
再 び 風 邪 。 午 後 書 に親 し む 。
御 茶 ノ水 歯 科 学 校 ゑ。
暖
山本 ︹ 権兵衛︺伯 夫 婦 上 機 嫌 に て 予 と 語 る 。
宿 酔 、 前夜 酩 酊 。
大 臣 、 部 長 に意 見 具 申 を 勧 む 。
積 雪 銀 世 界
千 代 に 気 の毒 を感 ず 。
一月十 五日 木
荒 井 最 終 十 六 回結 了 す。 千代 仝 行 、大 に成 功 と 云 ふ。 道 路 泥 濘 。
下 郷 伝 平 に 寛 一転 勤 を 報 じ 、 京 都 、 大 阪 に 電 話 せ し む 。
寒 風大 なり 関 門大 荒 晴
刻電話す。
︹ 欄 外︺ 寛 一大 阪 日 本 銀 行 支 店 勤 務 の辞 令 を 本 日受 取 る 旨 夕
歯科学校行。
一月十 日 土
寒 気 大 晴 天
海 晏寺 に参 詣 、後 洗 足 に て馳 走 にな る。 千 代 、 孝 治 仝 行 。 素 子 大 に歓 待 す 。 一月十 一日 日
午 後 荒 井 ﹁ア ト リ エ﹂ に旧 幕 僚 を 招 く 。 阿部、松山 ︹ 茂力、少将、第五戦隊司令官︺来 り 、 後 山 口 に 招 待 す ( 予
水交社、陸海新年宴会。荒井来る。
日 々肖 像 画 の誤 伝 を な し 、 不 愉 快 極 る 。
一月十 二日 月
の失 策 な り と 云 ふと 語 る。 事 実 無 根 也 。
部司令官︺が山 梨 ︹ 勝之進、中将、佐世保鎮守府司令長官︺覚 書 に捺 印 せ し 事
真 崎令兄 ︹ 真崎甚三郎、陸軍中将、第 一 師団長︺は末 次 ︹ 信正、中将、舞鶴要港
交 渉 の件 疑 問 の筋 を聞 き 、未 だ か ゝる中 傷 を 為 す も のあ るを 慨 す 。
一月十六日 金 寒 冷 ︹ 今朝︺ 真 崎 少 将 来 り 、 七 田袈 裟 一少 将 ︹ 予備︺より 回 訓案 に対 す る 軍令 部
午後 四時小笠原 ︹ 長生、中将、予備︺を 訪 ひ、 天龍 寺 寄 附 行 為 の相 談
夕 寛 一、 素 子来 る。 廿 日寛 一丈 出 発 を 命 ず 。 快 諾 。 下 郷 母 来 京 、
主 人 )。
を為す。元帥 ︹ 東郷平八郎︺の首 筆 を乞 ふ 為也 。
晴
水 交 社 盛 会 、 予 一人 陸 軍 之 渦 中 に 入 り歓 迎 さ る 。宴 後 重 藤 ︹ 千秋︺
一月十七日 土
寛 一夫 婦 大 阪 之 移 住 の件 に就 てな ら ん 。 暖
陸大佐 ︹ 参謀本部支那課長︺来 り 、 □ □ 深 く語 る 。 写真 を 乞 は れ与 ふ。
入歯出来、僅に九円、工合最良。
軍縮 及 回訓 問 題 再 燃 の情 報 あ り 。
第 五十 九 議 会 開く 。
従 ふと 伝 へよと 答 ふ。 寒
国 民 に 回 訓 案 問 題 蒸 返 し あ る べき を 報 ず 。 ︹ 尾︺ 国技館 及柳光亭 に黒 田 ︹ 長成︺侯 ︹ 枢密顧問官︺及小 野 ︹ 実信、陸軍、予
一月 二十 二日 木
備︺大 将 を 招 く 。 羽 田 の返 礼 な り 。 大 臣 主 人 。
暖気
議会 三土 ︹ 忠造、前田中内閣︺蔵 相 の舞 台 。安 保 ︹ 清種、大将、海軍大臣︺
一月 二十 三日 金
答弁、初試。
柳光亭に於て少しく酔ふ、警戒を要す。 一月十八日 日
暖
下郷母来り大に喜ぶ。
素 子 来 る。 芦 屋 に家 を 見 出 した る電 来 る。 午 後 八時 二三 日 出 発 見
午 後 荒 井 ア ト リ エに行 く 。 肖 像 画 五百 円 を 開 口す 。 日本 銀 行 柏 崎
合 せ 之 電 来 る。 竹 内 よ り 警 戒 の書 信 来 る 。 財 部 ︹ 彪、大将、軍事参議
某 来 訪 、 寛 一電 話 を 伝 ふ。
一月十九日 月
長谷川清 ︹ 中将、艦政本部第五部長︺来 り 、 久方 振快 談 す 。
千代は洗足に行き手伝ふ。
問題 等 。
官︺を 四月 に退 か しむ る件 及 山 下、 有 馬 ︹ 良橘、大将、予備︺枢 府 入 り
義 歯 工 合 良 過 ぎ て少 し く 上 頤 を痛 む 。
予 は 一色 に 金 子 ︹ 堅太郎︺子爵 ︹ 枢密顧問官︺を 訪 ひ快 談す 。印 象 は 語
稀之暖気也
る 所 多 く し て 味 尠 し の嫌 ひ あ り 。
一月 二十 四日 土
夜 荒 井 画伯 来 る。 不相 変 自 慢 話 。
暖 春 の如 し
一月 二十日 火
鎌 倉 食 堂 に 小 食 す 。 江 ノ島 回 遊 を 取 止 む 。
千坂 を 訪 ふ。 不相 変 仝 情 す 。 彼 病 気 臥 床 す 。
治 之腕 時 計 を 購 ふ ( 十 七 円 五 十 銭 )。 帰 路 三 光 丁 に て 戸 山 学 校 教
素子妙 子 ( 母 ) と 共 に帰 阪 す 。
官 に会 ふ。 書 の礼 に来 れ る者 四名 。
景岳会。
一月 二十 一日 水
内 田信 也 ︹ 政友会代議士︺ 一九 三六 年 の比 率 を 提 げ 政 府 の虚 を 突 く 。
寛 一夫 婦 送 別 会 。
植村永孚中将 ︹ 予備︺危 篤 に 付 見舞 し て合 掌 し て礼 を 云 は れた り 。
下郷 兄弟 見 送 る。 菊 池 恭 三老 仝 車 、 不 相 変 元 気 也 。 大 勝 堂 に て孝 寒風
松純 ︹ 松村純 一、中将、予備︺御 茶 ノ水 順 天堂 病 院13 に7 居 る 。 面会 せ し
一月 二十 五日 日
安保明答す。
寛 一出 発 。
に 大 に 喜 べり 。
午 後 薩 摩雄 次 ︹ 国民新聞社社員︺来 り 、 二十 六 、 二 十 七 の 貴 族 院 に於
曇 寒
午後立雄新宅を訪ふ。 竹内重利 ︹ 中将、予備︺電 話 、 松 純 の 有 終 辞 任 を 相 談 す。 彼 の意 に
得 、 且 現 職 を 擲 つ事 は 大 命 に 待 た ざ る べか らざ る も 、 要 す る に 留
る べき を 告 げ 、 決 意 を 聞 く 。 予 は 上 御 一人 に 対 し 奉 る 外 説 明 し 不
一月二十 九日 木
々 語 れ りと 松 純 警 戒 を 語 る ( 補 充 問題 に付 )。
南郷 ︹ 次郎、少将、予備︺ 、 松 村 を 見 舞 ひ、 予 と 安 保 に 再 び 希 望 之 件
堂 に松 純を 見舞 ふ。
去 何 れ も 海 軍 の為 を 考 へて進 退 す と 答 ふ 。 尚 ほ 補 充 問 題 に 付 安 保
貴 院池 田 長康 男 回 訓 問 題 に て 予、 財部 、 岡 田、 山 梨 の責 任 及 第 二
午 前 伊 集 院 兼 誠 を 訪 問 し生 花 を 植 村 家 に送 しむ 事 を 伝 ふ。 後 順 天
の監 督 を 頼 む と 云 ふ 。 予 は 心 配 に 不 及 と 答 ふ 。 昨 年 十 一月 十 六 日
次 補充 計 画を 質 問す 。海 相 第 一は海 軍内 部 之 事 故 答 弁 不出 来 、 第
て井 上 清 純 ︹ 貴族院議員︺等 再 び 回 訓 前 後 之 軍 部 の態 度 に付 質 問 し 、
大 朝 に話 せ し 記 事 も 証 拠 と す る由 。
二 は計 画す る も今 発 表 不出 来 と 答 ふ。
当 時 の責 任 者 を 悉 く 引 張 り 出 す と 予 告 し 、 予 の 立 場 が余 程 困 難 な
洋 々会 、 恢 弘 会 は現 役 の上 級 将 校 を 一掃 す べし と 云 ふ と 。 又 予 の
植村 永 孚 中 将葬 儀 に会 葬 す 。
︹ 欄外︺池 田質 問 反 響 薄 し 。
晴
態 度 を 非 難 す るも の多 く 、 海 軍 の青 年 の声 望 は 稍 々予 を 離 れ ん と
小笠 原 より 電 話 、東 郷 元帥 予 の安 保 交 渉 に喜 ば れた り と 伝 ふ。
︹ 欄外︺ 下 件 別 冊 日 記 に 在 り 。 昭 和 九 年 度 よ り 第 二 補 充 計 画
す と 告 ぐ 。 毀 誉 に頓 着 せ ず と 答 ふ 。
晴 小地震あり。
一月三十 日 金
一月 二十六日 月
一月三十 一日 土
竹内 賀 久治 ︹ 弁護士、国本社社員︺来 る ( 午 後 一時 半 )。
暖 晴 昨 夜 小 雨
土 肥慶 蔵 博 士 ︹ 東京帝国大学名誉教授︺継 子 健 男 、 山 口銀 行 頭 取 二 女 享
を 出 す 事 大 蔵 省 に覚 書 交 付 の件 。
子と結婚披 露に招かる。千代仝行。牧野 ︹ 伸顕︺伯 ︹ 内大臣︺に 次 で 挨 拶 、 一演 説 大 に喝 采 を 拍 す 。
小 笠 原 電 話 に て安 保 の善 戦 を喜 ぶ 。
紅 葉 館 に 谷 口参 謀 本 部 員 招 待 、仝 席す 。
︹マ マ︺
津雲 ︹ 国利︺政 友 代 議 士 大 に活 躍 す 。
濃 霧東京湾 を覆ふ
大 阪 商 船 ﹁フラ イ ド﹂
二月 一日 日
元 帥 に も 電 話 に て 報 告 、 大 に喜 ば れ た り と報 ず 。
す
雨
一月 二十七日 火
晴
正午 小 笠 原来 り 、 第 二次 補 充 計 画 に 付 元 帥 の憂 慮 を 海 相 に 伝 へる べく 予 に伝 言 せ られ た り と 伝 ふ。
土方久徴 ︹ 貴族院議員、日銀副総裁︺長女 難 波 青 島 正 金 支 店 長 の告 別式
に行く。俵 ︹ 孫一 ︺商 相 と仝 時焼 香 す 。
植 村 永 孚 中 将 逝 去 に付 吊 問 す 。
英 彦 、 春 造 、 立雄 、 富美 栄 来 る 。
春 造 氏 に 海 軍 々医 学 生を 勧 む 。
︹ 欄外︺安 保 海 相 に 元 帥 伝 言 を 書 面 に し て 伝 ふ。 感 謝 の 返 あ
晴
り。 一月 二十 八日 水
糟 谷 に鯛 を 祝 ふ 。
実 友 人 二、 三 名 来 る 。
曇
二月 二日 月
降 雪 三 、 四寸
議 会 大 論 戦 予 想 、 予 算 問 題 、 第 二補 充 計 画 問 題、 奉 答 文 内 示問 題 二月 六日 金
千代銀行より三百円を受取り立雄に返却す。
曇
二月 三日 火
( 国務に非らずと幣原 ︹ 喜重郎、外務大臣︺強弁 す )。
宅野田夫 ︹ 大日本新聞︺雑 誌 ﹁新 聞 と 社 会 ﹂ に伊 藤 正 徳 ︹ 時事新報記者︺
予算 総 会 紛 擾 尚 ほ不 止 。
糟 谷 出 発 時 に遅 れ 見 送 を 止 む 。
ぬ人物なり。
し て 羽 二重 一反 を 賜 は る。
伏 見大将宮 ︹ 博恭王、軍事参議官︺よ り 昨 年 奉 呈 の ﹁メ ロ ン﹂ 御 礼 と
に 関 す る 予 の虚 談 を 掲 ぐ 。 曩に 予を 中 傷 し 今 又悪 用 す。 怪 しか ら
竹 内 よ り 七 日 の小 笠 原 と 会 合 を 三 月 に 延ば す と申 し 来 る。 荒 井 来 り 額 縁 代 卅 五 円 を 頼 む 。 五 十 円 を 与 ふ 。依 り て荒 井 の態 度
二月 七日 土
衆 議 院 大 乱 闘 、 終 に流 血 を 見 る。 議 会 非 難 の声 高 し 。 寒気又来 る
不 可 解 に 付 金 を 要 求 す る や 否 と 詰 す 。 肖像 に 関 し て は今 後 金 を 受
く 。松 浦 は鎌 田 より 詳 細 を き ゝ鎌 田 に仝 情 す 。
も 来 り 相 談 し、 長 谷 川 夫 婦 、 山 口、 松 浦 、 鎌 田 も 来 り 、 一切 を 聴
長谷 川 夫 婦 来 訪 、 鎌 田夫 婦 之 件 に付 急 報 す 。
二月四日 水
松 代 の態 度 急 変 は活 動 狂 。
取 ら ず と 云 へり 。
二月 一日 の回 天 時 報 に 宅 野 田 夫 再 度 予 の 中 傷 記事 を 載す 。 不 可許
中 野山 口家 に行 き 鎌 田を 呼 び 相 談 之 後 、 松 浦 ( 安 保 妻 の姉 の子 )
也。
に会 う 。
海 軍省 に行 き 谷 口 ︹ 尚真、大将、軍令部長︺ 、藤 田 ︹ 尚徳、中将、艦政本部長︺
粕谷 ︹ 宗 一︺大 佐 、 浅 間 艦 長 と し て 別 れ に 来 る 。
矢 霧 山 中 秀 夫 氏 よ り 書 之 礼 と し て 方 湖 筆 桜 討 叡覧 之 図を 贈 り来 る 。
曇
多 謝 々 々。
午 前 松 浦 来 り 松 代 之 事 に付 相 談 す 。 早 速 松 代 に来 宅 を 求 め 松 浦 仝
晴
︹ 欄外︺ 失 言 問 題 益 々 紛 糾 。
席 千代 よ り呉 々忠 告 せ しむ 。 頑 と し て応 ぜ ず 。 山 口兄 ( 鎌 田) も
二月八日 日
二月 五日 木
星 野 桂 吾 の満 鉄 問 題 開 剖 を 聞 く 。 明 快 骨 を 穿 つ。
︹マ マ ︺
国本社談話会、平沼 ︹ 騏 一郎︺会 長 の招 待 也 。 本多 ︹ 熊太郎︺の外 交 、
荒 井 画 伯 の招 待 を 断 る 。 夕 食 の用 意 ま で せ し 由 、 気 の毒 な り し 。
小 笠 原来 訪 、 幣 原辞 職 、内 閣 瓦 解 の情 報 を 齎 ら し 、 明 九 日貴 院 に
来 る。
雨 低 気 圧 不 快
午餐にと再話ありしも断る。
て 井上 清 純 質 問 し補 充 計 画 上 安 保 海 相 の明 言 を 求 む る件 に付 頼 れ 、
予 算 総 会 二日 流 会 、 幣 原 の失 言 崇 る 。 宮島大八氏に宅野田夫之事を尋ぬる書信を出す。
す 。見 込少 し。
仝 行安 保 を訪 問 、懇 談 す 。 夜 安 保 稍 嫌 々来 宅 を 求 め 松 代 の件 相 談
午 後 山 下 に 行 く 。 大 混 雑 。 大 将 に 面 会 、 大 に喜 び 元気 良 く語 ら る。
御着帯式に付拝賀、宮中並大御所。
井 上 清 純 貴 院 に て 補 充 計 画 を 質 問 す 。安 保 前 言 の 通り 答 ふ。
千 代 見 舞 に 山 下 家 を 訪 ひ 、 弁 松 十 円 分を 贈 る 。
︹ 欄外︺失 言 問 題 愈 々紛 糾 。 犬 養 ︹ 毅、政友会総裁︺乗 出 す も 不 調 。
安 保 は内 閣代 つても 補 充 問 題 大 丈 夫 と 元 帥 に答 ゑ差 支 な し と 云 ふ 。
本 年未 曾 有之 寒 気 3° C
失言問題妥協。
る。
小 島静 子 沼津 に て盲 腸炎 に て重 体 と 綾 子 より 書 面 来 る。 立 雄 に相
に 、 池 田 は 長 大 魁偉 の 男也 と 云 ふ 。
十 円)。 要 領 を 与 へず し て帰 え す。 不 平 頻 な り し。 新 島 に 確 め し
回 天 時 報 池 田 弘 来り ﹁日本 の進 路﹂ を 十 五部 売 付 たし と 云 ふ (三
孝来り深井英五 ︹ 日銀副総裁︺に紹 介 を求 む 。諾 す 。
二月十三日 金
実 、左 近 司 ︹ 政三、中将、練習艦隊司令官︺に招 か る 。
半晴半曇
恢 弘 会 、 洋 々会 乗 出 す 。 二月九 日 月 ︹マ マ ︺
千 代 下郷 母 子 訪 ふ。
午 後 荒 井 アト リ エに趣 き 肖 像 画 を 見 る。 彼 不 在 、 妻 君 に 会 ふ て 帰
此 日大 に 不快 之 事 あ り 、 警 む 。
政 教社 松 林某 ︹ 亮︺面会 を 求 む。 明 前 十 時 を 約 す 。
談。
大 雪 二尺
二月十日 火
二月十 四日 土
終 日書 を 認 む 。 寒 気 大 。 平 磯 沖 ( 神 戸 ) に て仏 船 和 汽 船 を 追 突 、
千 代 子 沼津 に小 島 静 子を 見 舞 ふ。 八 ・二 〇 A M に て立 つ。
午後安保を訪ひ鎌田問題に付相談す。
を再説せらる。
千 代 午 後 八時 頃 帰 る。 静 子 昨 夜 よ り 持 直 す 。 喜 久 馬 来 着 。
午 後 山 下を 見 舞 、 経 過 稍 良 。 自 働 車 往 復 、 岡 田 大 将 仝 行 帰 る 。
松 林 に新 聞発 表 を 断 る。
発 表 を 促 す 。 予説 得 、 諒 解 し て帰 る。
昨 夜 来 電 話交 渉 の結 果 政教 社 代 表 松 林 亮 、 荒 川 精 一、 入 江 種 矩 、 ︹ 方︺ 増 田 一悦 外 一名 来 訪 。 補 充 問 題 と 統 帥 権 の行 衛 に就 て語 り 、 予 に
雪溶 の為 道 路 泥 濘
溺者卅余名。
快晴
全 国 雪 、 暴 風 の結 果 也 o 二月十 一日 水
実も賢所参拝す。
賢 所 御 賜 餐 。 山本 伯 と 海官 邸 に 語 る。 吉 田 ︹ 茂、元︺外 務 次 官 の 愚
山下源太郎大将 ︹ 予備︺危 篤 の報 あ り 。多 田 ︹ 武雄︺中 佐 よ り 、依 て
二月十 五日 日
晴 稍 や暖
山 下大 将 益 良 好 と の報 あ り 。 昨 夕 竹 内 よ り 安 保 の態 度 を 憤 慨 の書 来 る。
直に見舞、明午前三時保科に送られて帰る。
晴 暖
注 射 し て 持 つ。 二月十 二日 木
山 下 の人 生 に 感 ず 。 人 は 斯 く あ り度 も の也 。 恨 ら く は大 将 の家 庭
び 功 績 調 査 を 為 す 。夕 刻 帰宅 。 形勢 を 待 つ。
午 後 山 下 大 将 を 見 舞 。 容 態 又 悪 、非 常 呼 集 を 行 ふ。 人 事 局 員 を 呼
朝 来 帰 宅 休 眠 中 、 午 後 五時 過 愈 山 下 大 将 危 篤 の報 に依 り 往訪 、 大
き ま る云 云 ﹂ に て途 切 れ ﹁判 つた か 〓
れ ば 失 望 す る に不 及 ︱
は残 念 な り 、 皆 一致 し て事 に 当 る の 日 来 ら ん﹂ ﹁心 を き め て か ゝ
安 保 を 星 ケ岡 に 訪 ひ 、 山 下 家 の為 宮 中 の奔 走 を 頼 む 。 安 保補 充 問
﹂ と繰返さる。
此句 予 に は聞 え ず﹂、 終 に ﹁一言 に し て
之 に 伴 はざ る を 。 徳 子 夫 人 の徳 全 か らず 。 而 かも 道 徳 問 題 にあ ら
将 に告 別 す 。 六 時 十 五 分 永 眠 。
二月十六日 月
曇
ざ れば可惜。
題緩和を頼む。
二月十九日 木
半晴
此 一言 の心 如 何 。
︹ 欄外︺ 黒 井 と相 談 、山 下家 万 一の準 備 を 命 ず 。
午 前 薩摩 雄 次 来 り 、 政 教 社倒 閣会 合 を 午 後 一時 に催 す 旨 報 ず 。 彼 は 表 面 に 立 た ず 出 席 す と 。尚 ほ 海相 の態 度 強 硬な ら ん事 を 希 望 す 。 割 合 に 真 面 目 な り 。 北 一輝来 訪 を許 せ よと 云 ふ。 諾 す 。 午 後 安 保 邸 を 訪 ひ 、書 を 残 し 、 山 下邸 を 見 舞 。
二月 二十日 金
の為 心 配 す 。 栃 内 不 相 変 づ う 〓
に行 き 幹 事 長 と し て処 理 す 。 納 棺 式 午 後 八 時 、 陪 柩 者 に 関 し 山 屋
一石 の御 蔭 に て 政 府 の内 情 天 下 に曝 露 せり 、 四 月 一日以 降 は 一点
午前十時山県 ︹ 有道︺侍 従 勅 使 と し て山 下 家 え 差 使 に 付 、 仝 家 に て
京都天龍寺管長関精拙上京に付下郷家を訪ふ。正午離去。山下家
の非 な し と 弁 ず 。 有 馬 大 将 の如 き も 一部 に 誤 ら れ 予を 誤 解 せ し に
奉迎、幣帛を拝受せしむ。
曇
付 大 に 弁 護 せ り と 云 ふ 。 終 て 海 軍士 官 は 正直 に過 ぎ 政治 に適 せず
午 後 四時 葬 儀 委 員 集 合 、 明 日 の打 合 せ を 為 す 。
二月十七日 火
と。
天 龍 寺 管 長 外 一名 下 郷 と 共 に 来 訪 ( 午 後 三 時)。
午 前 北 一輝 来 て 大 に 予 を 礼讃 す 。過 去 一年 間 の内 情 を 報 じ、 予 の
十 一時 頃 寺 田 、 増 田 、 小 山 田 の 政教 社 代 表 来 り 、 海 相 と 会 見 の結
し。財部省かる ( ?)。
果 が 予 の言 と相 違 甚 しき を訴 ふ 。 予 は真 にあ らず 、 議 会 的 説 明 な
の運 動 を 報 ず 。 加 藤 は 正 直 な り と 伝 へら る と 。 政 争 の具 と な る を
半晴
ら ん と 答 え 、 大 に 意気 投 じ、 彼 等 喜 ん で帰 る 。
午後 八時通夜、 千代子を伴 ふ。千坂 ︹ 智次郎、中将、予備︺倒 閣 連 盟
哀 しむ 。
細 雪 少 々寒 し
︹ 欄外︺今 夜 山 下 大 将 危 し と 報 ぜ ら れ 直 に 見 舞 、 一泊 す 。 二月十八日 水
二月 二十 一日 土
半 晴 又 降 雪
山 下大 将 葬 儀 、 海 軍 葬 、 午 後 二時 。 幹事 長 、 委 員 長 と し て 挨 拶 す 。 高円寺迄仝行。
の手 を握 り)、 演 習 と 軍縮 に 関 し 、後 者 に は 二 回慰 撫 の言 を 答 へ、 と 云 は る。 ﹁不 注 意 に て 条 約 を 此 に 至 ら し め た る
昨 夜 危険 な り し 山 下 大 将持 直 せ しを 以 て朝 来 帰 る。 大 将 遺 言 ( 予
大将有難 ふ〓
石 橋 夫 婦 高 円 寺 五分 前 に 到 着 す 。 両 人 と 黒 井 を 舟 町 に 送 り帰 宅 す。
久 し振 理髪 (三越 )。 神 田川 に鰻 を 食 す 。 少 し 酔 ふ 。 夜 散 歩 。
二月二十 五日 水
晴
貴 族 院 、 安 保 海 相 、 井 上 清 純 、坂 本 俊 篤 ︹ 男爵、中将、予備、貴族院議
山 下知 彦 代 理 寿 郎 、 星 野 孝 一礼 に 来 る 。 松 永 又 礼 に来 る 。 吊 問 之
風 邪 と し て来 訪 を 断 る 。 実 川 ︹ 時次郎︺ 、薩摩両人也。
二月 二十 二日 日
午後 原 田 ︹ 清 一、中佐︺人 事 局 員 来 る。 次 で 池 崎 忠 孝 之 本 屋 上 村 知
二月二十 六日 木 寒 ︹ 次︺ 午 前 薩 摩 雄 治 来 る。 書 を 渡 す 。
と。
小笠 原 電話 、 政府 は第 二補 充 計 画 を 海 軍 の面 目 の為 め 也 と 宣 伝 す
衆 議 院 減 税 委 員会 、 海 相 苦 戦 。
礼也。
原 田 に頼 み官 報 を 返 す 。
清 来 る 。賛 助 員を 頼 みし も 断 る。 大 日本 思 想 全 集 と か な り 。
︹ 欄 外︺書 を作 す 。
員︺氏 等 質 問 に戦 ふ 。
天龍 寺 管 長 下 郷 と 元 帥 に伺 候 す 。 小 笠 原仝 席 。 一行 大 に 光 栄 に 浴
寒 気 雪 時 化
す。
岡 田大 将 来 り 公 開 状 に付 予 に 注 意 す 。 心 配 に 不 及 と答 ふ 。
午前より今立裕 ︹ 新聞記者︺来 り 昼 食 を 共 に す 。
二月 二十 三日 月
ず る資 格 な き にも 不係 白 々 しく 硬 論 を 吐 く 。 四時 松 純 を 見 舞 ふ 。
軍令 部 会 報 に参 ず 。 財 部 、 岡 田出 席 。 財 部 駄 弁 を 弄 す 。 国 防 を 論
日本 新 聞 ﹁ 海 軍 の 不仕 鱈 ﹂ と 毒 付 く 。 実 行 予 算 を 吐 か さ れ た 事 也 。
二月二十 七日 金
快晴
遠藤 格 ︹ 少将、予備︺来 り 、 倒 閣 維 新仝 盟 の 回 章 に 付 今朝 高 等 刑 事
三 月 三 日退 院 す と 。
半晴
来 り 意 見 を 尋 た り と 告 ぐ 。 尚 ほ 洋 々会 首 脳 は 統 帥 権と 予 算を 穏 か
馬 淵夫 婦 来 る。 夫 人 は欧 米 に漫 遊 す と 。
︹ 欄外︺幣 原 、 大 口 ︹ 喜六、政友会代議士︺に 第 二 次 計 画 は白 紙 な
に 固め る意 見 な り と 告 ぐ 。 終 り て 五 月 廿 七 日 海 軍 協会 の 講演 を 予 に依 頼 、 諾 す 。
は自 認 □ 書 け と 云 ふ て帰 る 。 本 人 の思慮 は 深 か ら ずと 小 笠 原 よ り
予 に所 信 を 求 め ﹁日本 人 ﹂ に 一論 せ ん と 云 ふ 。 拒 絶 す 。 但 し実 川
午 後 二時 実 川 時 次 郎 来 、 二時 間 許 り 統 帥 権 と 補 充 問 題 に 就 て 語 り 、
に 及び 実 の処 補 充 問 題 の如 き 第 二義 と し て大 事 程 重 大 視 せ ず と 云
小笠 原来 り 安 保 の奮 発 を 望 む と 元 帥 伝 言 を 宣 ぶ 。 然 る に例 の大 事
⋮ ⋮。
仁寿 生 命 の総 会 宴 に招 か れ 大 に酔 ふ。 関 管 長 仝 席 す 。 帰 路 某 青 年
二月二十 八日 土
雨
聞く。
り と 云 ふ。
午後六時水交社、候補生招待。実帰宅。
ふ。 予 も同 感 と 答 ふ。
二月 二十四日 火
財部世辞を振まく。
千代 、志 賀 子 、 レイ 子、 立 雄 、 須 直 、 杉 山 明 久 ︹ 三井物産社員︺見 送
練 習艦 隊 地 中海 に向 け発 航 、 午 前 十 一時 半 。 予 は公 式 訪 問 。 財 部 、
る。
谷 口、 小林 ︹ 躋造、中将︺次 官 等 見 送 る。
三月 一日 晴
予 は 園 部と 馬 淵を 訪 ふ。 馬 淵 に餞 別 を 送 る。
下郷社長と なり弟引退 す。青木 ︹ 信光︺子爵 ︹ 貴族院議員︺及 某 貴 族
実 ラ グビ ー 対 慶 応 仕 合 。 三 浦 武 術 道 場 開 に欠 席 す 。 千 坂 よ り 電 話
正午 水 交社 に て長 官 の午 餐 を 受 く 。
院議員 ( 名古屋)重役となる。
あり、不在す。夕刻荒井、新谷夫婦、今立裕来る。荒井例に依り
寒 北 西 強
長坐す。
︹ 欄外︺実 早 朝 帰 艦 す 。
夜 田村 日 々来 り 、 政 変 の雲 行 急 な るを 告 ぐ 。
三月六日 金
寒 北 西 風
︹ 欄外︺実 帰艦 。
午前 十 一時 参 内 、 立 食 を 賜 は る。 終 て軍 令 部 会 報 。 谷 口と 枢 顧 及
三月 二日 月 早朝 千 坂 来 り 、 海 軍 省 の予 に対 す る不 平 あ る 由 報 ず 。 補 充 問 題 に
野 村 之事 を 談 ず。
晴
付 語 る。
井水 を し て有 明館 新 田義 民 に贈 物 す 。 リ ン グ 二、 のり 罐 詰 二。
午後 一時 軍令 部会 報 。財 部 白 ば く れ て 軍を 論 ず 。 大 笑 〓
午 後 下郷 夫 人 来 り 快 談 。 土 産 物 を 貰 ふ 。
友 に 非 らざ る 也 。 彼 の心 中 似而 非 な る 政事 家 を て ろう 。 大 臣 と し
七 高 の春 日某 来 る 。 大 道 無 門 の説 明 を 求 む 。 独 逸 人 に 与 ふ る 由 。 三月 三日 火
。予 の
風 邪 気 味 あ り 。 新 田義 民 夫 婦 長 男 義 則 と 共 に 来 る 。 小 島 喜 久 馬 来
て 軍 を 忽 せ に し 、今 軍参 官 と し て谷 口を 激 励 す 。 可 笑 〓
暖 温 度 上 る
り 書 を 与 ふ (元帥 盛 徳 至 善 )。
城拝賀。
。
夕 小 林 省 三郎 ︹ 少将、霞ケ浦航空隊司令︺少 時 来 り 、海 軍 士 気 統 一の憂
三月七日 土 暖 春 日 和 ︹ 欠︺ 午前 〇 時□ 分内 親 王 殿 下御 出 生 。 全 国 祝 賀 す 。 午 後 大 宮 御 所 、 宮
三月 四日 水
中村 ︹ 孝也︺歴 史 博 士 ︹ 東京帝国大学助教授︺来 る 。 山 本 伯 に紹 介 を 頼
を 述 ぶ。 所 感 を 語 り 秘 を 約 す 。
小笠 原電 話 、 予 の中 傷 に 付 元 帥 に 意 見 を 申 上 げ ( 栃 等 の策 動 露 骨
まる。
雨
の上 奏 は決 し て不 都 合 な し ﹂ と 語 ら れ た り 、 安 心 せ よ と 申 来 る 。
と な れ ば 反 対 に 一撃 す と 云 ふ 意 あ り )、 元 帥 は ﹁加 藤 の 六 月 十 日
晴 暖 天気 よ し
山 下 大 将追 憶 を書 す 。 三月 八日 日
今 立 来 る 。 不快 に付 冷遇 、気 の毒 なり し 。
書 を 糟 谷 の為 認 む 。 品 川 に散 歩 。
千 坂 来 り 前 日と 仝 じ 事 を 語 る 。
晴
︹ 欄外︺ 実 来 り 一泊 。 三月 五日 木
三月九日 月 谷 出 発 帰 る。
立雄 来 る。 千 代 、 今 立 と 功 を 訪 問 す 。 功 に三 浦 の書 を 齎 ら す 。 新
晴
山下大将廿日祭、有馬大将挨拶真摯。
晴
︹ 欄外︺ 元 帥 御 病 気 に て 面会 不 出 来。 三月十 五日 日
浜口 ︹ 雄幸︺首 相 始 め て 参 内 、 面 相 甚 悪 し 。
午 前 七 時頃 村 田附 近 火 事 、 直 に援 助 に行 く 。 幸 に類 焼 を 免 る。 午
曇
三月十日 火
香 七 円 五十 銭 を 贈 る。
後 一時 東 条 母 堂 告 別式 に 付 西 山 に行 く ( 三 軒 茶 屋 )。 了 て 上 野 に
三月十 六日 月
戸山学校行幸。参列す。
三月十 一日 水
午 前 安 保 邸 に て海 相 と 会 見 、 井 上 の私 信 発 表 及 び 倒 閣 維 新 仝 盟 の
千代海晏寺に参詣す。
理 髪 后 単 身 弁 当 を 携 ゑ久 地 梅 林 に 清 遊 す 。 梅 未だ 綻 びず 。 十 五 日
□檄 に 付注 意 を 述 ぶ。 共 に無 断 発 表 な れ ば 何 等 の権 威 も 責 任 も な
浮 世 絵 を 見 る。 柳 光 亭 女 将 死 去 の電 話 あ り ( 昨 日) た る に依 り 、
頃見時なりと云ふ。
し と 云 ふ。
曇 暖 夕 雨 降 る
三月十 二日 木
午後 晩 翠軒 に て平 沼 、小 笠 原、 竹 内 賀 久 治 及 元 大 阪 府 知 事 田辺 治
首 相 議 会 に 出 院 、 衰 弱 人 を し て 目 を 掩 は し む と 云 ふ。
東条 ︹ 英機、陸軍大佐、歩兵第 一聯隊長︺母 死 去 す 。
通と 会 合 、某 重 大 事 に付 相 談 す 。
暖
三月十 三日 金
三月十四日 土
も 世 界 を征 服 せ よと 。夕 方 より 降 雨あ り 。
に雄 飛 五大 洲と 書 き 与 へ、 他 二人 計 にも 書 す 。 一人 に は野 球 よ り
午 前 原 村梅 林 に独 遊 、小 学 児 童 と 談 ず 。 鉛 筆 に て飛 行 希 望 の少 年
暖 小 曇
晴
午 前 十 一時 半 宮 中 に 召 さ れ 酒 饌 を 賜 り 、 大 宮 御 所 に 奉 祝 す 。
川 村 タ ケ 死去 の 電あ り ( 尼 野及 川村 より )。
軍令 部 会 報 。 此 日午 前 井 上 清 純 は 予 の私 信 を 貴 族 院 に て 公表 、 新
岡 田 大 将 興津 に西 園寺 ︹ 公望︺詣 を 為 す 。 軍事 参 議 官 と し て不 謹 慎
三月十 七日 火
聞 に 発 表 す 。 結 果 却 て 彼 の目 的 に反 す 。 ﹁日 々﹂ 田 村 は 井 上 男 の
な り 。 西 公 に呼 ば れ た る 由 。 蓋 し 原 田 ︹ 熊雄、西園寺秘書︺の 細 工 な
︹ 欄外︺ 順 宮厚 子女 王御 命 名 式 。
千代 西 山 に東 条 を 吊 問 す 。
意が判らずと云ふ。
らん。
晴
に井 上 の不 徳 を 攻 む 。 小 笠 原 大 に 井 上 の為 に 弁 駁 す 。 新 聞 は 日 々
三月十 八日 水
午 後 伏 見 大 将 宮 に伺 候 。 小 笠 原 よ り 右 の旨 電 話 あ り 。 夕 刻 小 笠 原
早朝 谷 口を 呼 しも 不在 に付 、小 林 次 官 に岡 田大 将 西 園 寺 詣 を 警 戒
小 雨 強風 低 気 圧 長崎 松 尾 定 ( 女?)なる者面会を求む。
と 国 民 の外 問 題 にせ ず 。
す 。 元帥 之言 に文 官 を し て統 帥 干 与 の語 を 聞 か し た る も の也 と 。
画 を 非 認 せ し 首 相 の態 度 を 評 し て 正 直者 も 当 に な ら ぬ と 云 ふ。
久 方 振 の春 に 全 都 賑 ふ 。 首 相 経 過 宜 しき も 朝 日 で す ら第 二補 充 計
︹ 欄外︺参 内 。
︹マ マ ︺
小 林春 之 母 セ イ に学 校 用書 を 送 ら しむ 。
三月 二十 二日 日
首 相 登 院 詭 弁 を 弄 す 。 ﹁自 分 も 人 間 な れ ば 病 に て欠 院 す る も 不 得
東 都 散 策 に 酔 ふ 。 千 代 と 立 雄 宅 を 訪 ひ 午 餐 を 共 に す 。 快 云 ふ べか
晴 春 日和
止﹂ 云 々 と 言 は ずも が な の弁 なり 。 他 の場 合 と 違 ふ。 予算 総 会 大
らず。
混 乱 。 鳩 山 ︹一 郎、政友会代議士︺、 大 口 大 に首 相 を 責 む 。
の警 戒 を 忠 告 す 。
田村 よ り電 話 、 花 井 ︹ 卓蔵︺博 士 ︹ 弁護士︺と 奉 答 文 の 関 係 に 付 政 府
今夜 ○ 。
寒 気 又来 る 夕 小 雨
使 と し て来 る 。
三月二十 三日 月
三月十九日 木
岡 田大 将 来 訪 、 西 園 寺 公 訪 問 之 次 第 を 告 ぐ 。 公 は 加藤 の如き 熱 誠
日 々新 聞 に 田村 の好 意 に て花 井 と 之 関 係 を 冤と す 予 の憤 慨 談 と し
特 命 検 閲 使 の 内 命 を 受 く 。 阿武 ︹ 清、少将、海軍省︺人事 局 長 大 臣 の
之 人 も 必 要 だ と 、 又 た 軍 縮 の跡 始 末 に 対 し ど う 思 つて いた か と 語
て 記 す 。 小笠 原 より も電 話 あ り 、 元帥 に呼 ば れ て行 く と 、 元 帥 岡
此 の間 予 の為 心 配 の手 紙 を 送 り 来 る。
田 の西 公 行 を 難 ん ぜ ら る と 報ず 。
風
ら る。 よ り て軍 参 奉 答 文 の時 の如 く 巨 頭 一致 解 決 之 心 組 な り し と
談 )。
第二次計画抛棄せず延ばさずと海相言明 ( 国 民)。
晴
( 西 公 は 原 田を 狐 の如 し と 嘗 て 云 は れ た る 由 、 岡 田
軍令 部 会 報 ( 午 後 )、 殿 下 御 出 席 。
答 へた り と
夕 吉 田 一周忌 、 水 交 社 。 千 代 は私 宅 に訪 ふ。
マ︺
第 二次 計 画 に 関 し 条 約 の権 利 自 主 的 に 行 使 を 決 す と 昨 日首 相 貴 院
低 気 圧 風 十 三 米 嵐模 様
三月 二十四日 火
三月二十 日 金
に て言 明 ( 報 知)。 ︹ 竹︺ 鹿江 ︹ 三郎︺少 将 ︹ 予備︺来 り 、 広 瀬 軍 神 武 田 敷 地 の紛 擾 を 告 ぐ 。
︹マ
︹ 欄外︺ 西 園 寺 公 は 海 軍 内 部 の 模 様 を 聴 き た が り し 也 。 之 が
第 二次 計 画 抛 棄 せ ず 延 ば さ ず と 海 相 昨 日 貴 院 に て 言 明 ( 国 民)。
北 河 豊次 郎 、 川 口金 蔵 及令 夫 人、 十合 呉 服店 人 事 部 主 任 江 原 周 次
晴 春 来 る
為 め 岡 田 の 来訪 を 求 め たり と 岡 田 は語 る。
郎来訪す。
暖
小 笠 原 来 り 、 特 命 検 閲 使 に付 、 鈴 木 の妨 害 を 告 げ 、 不 都 合 な り と
晴
首 相 井 上 清 純 に第 二補 計 無 しと 答 ふ 。 床 次 ︹ 竹二郎︺不 信 案 上 程 、
三月 二十 五日 水
否決。 快晴
て、 元帥 も 御 仝 感 な るを 以 て、 予 に ﹁ふ んば り ﹂ を 要 求 す 。 財 部 ︹ 薦︺ 枢 府 顧 問 に政 府 よ り 推 撰 す と 。
三月 二十 一日 土 立雄来る。
千 坂 来 訪 、 洋 々会 の空 気 を 伝 ふ 。 ︹ 薦︺ 竹 内 後 命 平 沼 の言 を 報 ず 。 財 部 推 撰 せ ず と 云 ふ 。
︹ 薦︺ 安 保 海 相 に 財 部 枢 顧 自 撰 効 を 奏 し 政 府推 薦 確実 な るを 告 ぐ。 海 相 全く知らずと答ふ。
日露 協 会 川 角 氏 送 別 、 晩 翠 軒 。
快晴
中 島 直 熊 の告 別 式 に 浅 草 に 行 く 。
三月 二十九日 日
千代と松屋に行く。
小 笠 原 に も 電 話 し 右 の件 及 び 伏見 大 将宮 に内 大 臣等 帷 幄 人事 に干
吉田 ︹ 善吾、少将、軍令部︺二 班 長 来 り 小 笠 原 直 閲 不 可 能 之 事 を 報 告
渉 の不 都 合 を申 上 ら れ たく 頼 む。 石 原来 り 元山 分 会 旗 を 引 取 る。
す。
佐 藤 正 吾 に ﹁順 天者 存 ﹂ を 与 ふ 。
立雄 来 る。 小笠 原 より 電 話 、 明 朝 八 ・三 〇安 保 海 相 に会 ふ と 。 予
に来る。
土 浦 海 軍班 々 旗を 千坂 の紹 介 に て葉 梨 新 五郎 来 る。 千 葉 断 一氏 礼
三月 二十六日 木
の為 め也 。 好 意 深 謝 に 不堪 。
︹ 欄外︺ 安 保 予 の言 行 諒 解 の旨 答 ふ 。
孝 治と 三 越 に行 き ﹁レイ ン コート ﹂ を 購 ふ 。
貴 院 減 税 案 未 決 の為 め 会 期 二 日間 延 期 す 。 研 究 会 大 も め 。 浜 口首 ︹ 錬︺ 相 昨 日貴 院 に て水 野 練 太 郎 氏 質 問 に 答 え 、 第 二 計 画 は 具 体案 な き
三月三十 日 月
暖
も 昭和 十 一年 度 に於 て入 用 の金 に 就 ては 必 要 あ ら ば 増 税 で も 何 で
軍事 参 議 官 会 議 、 特 検 及 伊 仏 協 定 に関 し 。
晴
も し て海 軍 の要 求 を 充 す べし 、 只 増 税 す る か せ ん か は未 定 の今 日
小 笠 原 は海 相 に会 ふ筈 。
曇
北 河病 気 の為 め島 田行 を 止 む 。
︹ 延太郎︺中 将 ︹ 出仕︺予備 役 編 入 に付 礼 に来 る。
︹ 玉樹、中将、出仕︺、 平 賀 ︹ 譲、中将、艦政本部出仕︺ 、木 安、飯田延
*武 功 調 査 終 了 。 人 事 局 員 来 る。 清 河 ︹ 純一 、中将、出仕︺、 鳥 巣
葉 梨新 五 郎
市 外 原 宿 三 〇 七 電 話 青 山 八 二 五 〇
人、
土 浦 海 軍 班 の為 千 坂 の依 頼 に て 班 旗 に 尽 忠 報 国 を 認 む 。 右 の取 扱
三月 三十 一日 火
*財 部 関 西 に行 く 、 不 相 変 都 城 に公 務 を 利 用 す 。
曇
左 右 を 答 へ難 し 。 小金井に遊び功を訪ふ。寛病気。
晴
小 笠 原 よ り 浜 口 の白 状 を喜 び 来 る 。 松純 来 訪 。 三月 二十七日 金 軍 令 部会 報 。 小 笠 原伏 見宮 殿 下え 伺 候。 近 事 要 機 言 上 す 。 予 は 会 報 后 伺 候 所 見
晴
申 上 且 つ軍令 部 長 の□ り に付 御 意 を 伺 ふ 。 御自重を奉願。 議会結了。 三月 二十 八日 土
竹 内 を 呼 び 殿 下 の御 伝 言 を 平 沼 に 伝 ふ 。
四月五日 日
杉 山 は 風速 五十 一米 の暴 風 に飛 行 機 を 助 く 。
午前 九 時 十 五 分 一万屯 巡 洋 艦 鳥 海 美 事 に進 水 す 。 正 午 三菱 倶 楽 部
那 哲 学 教 授 な り と 。 敬 神 家 に て 学 問 あ り 。書 一及 三菱 の紀 念 菓 子
大 分 県 宇 佐 郡 宇 佐 町 生 の青 年 予 を 敬慕 し 話 し か く 。叔 父 は帝 大支
天気 次 第 に不 良 と な る
北 河 豊 次 郎 病 気 の為 め 島 田 行 見 合 は す 。
に て 御 陪食 。午 後 二 時 発御 召列 車 に陪 乗 。小 倉 より 拝 辞 し て、 午
マ︺
午 前 十 時 発 、 午 後 四時 過 刈 谷 着 。 無 線 ( 依 佐 美) 視 察 、 了 て 名 古
後 十 一時 別 府 米 屋 に 投ず 。 車 中 熊 本 五高 文 科 第 二学 年 時 枝 栄 太 、
晴
屋 ホ テ ル 。品 川 主 計 ︹ 愛知県内務部長︺依 佐 美 迄 来 り 大 に歓 迎 、 名 古
︹マ
四月 一日 水
屋 ﹁ 川 文 ﹂ に招 待 。 四月 二日 木 晴
快晴
午 前 九 時 名 古 屋発 、 四 日市 無 線 受 信 局 を 見 、 佐 伯 技 師 に会 ふ 。 昼
︹ 欄外︺今 朝 大 刀洗 強 風 の為 大 破 、 損 害 百 万 円 。
を与ふ。
四月六日 月
午後 帰 名 。 日本 陶器 と 御 幸 羅 紗 製 造 所 を 見 、 夕 刻 名 古 屋 ホ テ ル県
食 の接 待 を受 く 。
此 地 計 り は 晴 天 快 晴 。 亀 川 病 院 を 見 舞 ひ 看 海 寺 の桜 を 賞 し 、 鈴 木
晴
人 会 に臨 む 。
喜 世 院 長 と 米 屋 に て会 食 。 午 後 六 時 ﹁す みれ ﹂ 丸 に て 発 、 鳴 海 亭
午 後 七 時 発特 急 に て 下 関 へ。 四月三日 金
け り と 。 且 つ主 人 は福 井 県 人 也
夫 婦 見 送 り 、 見 事 な る菓 子 を 贈 る。 彼 義 侠 大 に 艦 隊 の為 に 気 を 吐
晴 無 類 の好 天気
午前七時 三田尻著、秋良 ︹ 朝之助、山口県人︺之 出 迎 を受 く る。 十 一
に 与 ふ 。 午 前 十 一時 半 神 戸着 、 川 西 社 長 、 小 野 寺 ︹ 恕︺機 少 将 ︹ 機
﹁す み れ﹂ 船 員 大 に歓 待 。書 を 認 む る事 多 し。 大 分 県 内 務 部 長 等
半 晴 寒 冷 神 戸 に降 雪 霰 全 国冬 に戻 る
撃 機 二機 の出 迎 を 受 け 、 搭 乗 、 大 村 飛 行 隊 に 行 く 。 □ □ 戦 闘 機 五
関少将、艦政本部監督官︺、 前 川 憲 夫 、 素 子 等 の出 迎 を受 け 、 甲 子 園 ホ
四月七日
千 代 の手 紙を 受 取 る。
︹ 欄外︺看 海 寺 小 嵐 山 也 。
て浮 桟 橋 に着 船 出 来 ず 。 以 東 稀 有 之 西 強 風 な り し。
( 鳴 海 高 岸 源 太 郎 )。 高 浜 暴 風 に
時 迄 快 談 、 酒 肴 を受 く 。 唐 墨 、筆 、 徳利 、 天 盃を 贈 る 。
晴 大 飛 行 日 和
午後六時武雄着、東京屋に泊。 四月四日 土
午 前 八時 半 佐 世保 着 、 山 梨 ︹ 勝之進、中将、佐世保鎮守府司令︺長官 、 市
機 編 隊 に て 護 衛 さ る 。光 栄 此 上 な し 。 ﹁二 十 分 ﹂ に て大 村着 、 訓
テ ル に て午 餐
長 、 要 塞 司 令 官 等 の出 迎 を 受 け 、 航 空 隊 え 、 隊 員 に 訓 示 。 了 て 攻
示、 多 大 の感 動 を 与 ふ。 午 後 三 時 五十 分 汽 車 に て長 崎 に 行 き 、 殿
( 素 子 仝 車 し て芦 屋 に 送 る)。 川 西 の ﹁シ ヨー ト﹂
下 に御 機 嫌 奉 伺 。 上 野 屋 に泊 。 富 貴 楼 の祝 宴 に 臨 む 。 作 向 、 戸 塚 、
( 大)。
飛 行 機 を 見 、 芦 屋 寛 一宅 に 寛 ろ ぎ 、夕 飯 の馳 走 を受 け 、歓 を 尽 し ︹ 池︺ て 午 後 八 時 半 神 戸 よ り 帰 京 す 。 菊 地 夫 人 、 寛 一夫 婦 、 川 西 、 小 野 ︹ 欄外︺杉 山 ( 佐 )、竹 田 ︹ 六吉、中佐、佐世保航空隊︺司令
河合 等 ( 中山友)と痛飲す。勝代。
午前八時東京着、軍医学校に荒木中将を見舞ひ帰宅す。
四月 八日 水
晴
寺 等 送 る。 前 川 に 香 料 十 円 を 与 ふ 。
来 に於 て は 子孫 を 思 ひ国 家 長 久 を 欲 す 。 故 に国 家 の不 生 不 滅 □ □
捨 て 、 国家 の永 遠 を 思 ふが 故 に、 過 去 に於 て は祖 先 を 追 慕 し 、 未
日本 国 民 は宗 教 上 過 去 未 来 の観 念 に狂 ぜざ れ ど も 、 己 身 の偶 然 を
秋 沢芳馬 ︹ 少将、予備︺結 婚 式 、 水 交 社 。 午 前 樺 太 忠 魂 移 霊 祭 の為
︹マ マ ︺
はず し て諸 般 の活 働 の前 提 た り し な り 。
午 前 寒 冷 午 後 悄 く快 復
︹マ マ ︺
下 郷 伝 平 に 魚 を 贈 る 。 千 代 子 歌 舞 伎 招 待 の礼 也 。 四月九日 木 終日揮毫、幸にも何人も不来。 渡 部 末 司 の息 武 美商 科 大 学 に 入学 成 功 の礼 に来 る 。
四月十 三日 月
め護 正 寺 陸 軍 墓 地 参 拝 、 第 一師 団 管 裡 。 ︹ 蜂︺ 近衛 ︹ 文麿、貴族院副議長︺ 、 原 田、 安 保 峰 龍 に 会 合 す 。
浜 口病 状 不良 の声 明 、内 閣総 辞 職 の報 新 聞 に喧 し 。 民 政 内 訌 に苦
大 村 航 空 隊等 の為 め書 を 認 む 。
浜 口内 閣 総 辞 職 、 鈴 木 ︹ 貫太郎︺侍 従 長 興津 に向 ふ 。
となる。
午 前 十 一時 特 命 検 閲 軍 事 参 議 官 会 議 、 東 郷 元帥 風 邪 の為 財 部議 長
寒冷
瀬田小学 ( 高等 ) 長 よ り書 の 礼 に根 □を 贈 ら る。
しむ。
政務 次 官 、 参 与 官 総 交 迭 (元海 軍を 除 き )。
︹ 辞︺
四月十 一日 土
西班 牙 共 和 革 命 、 皇 帝 、 皇 族 英 国 に蒙 塵 せ ら る 。
︹マ マ︺
四月十四日 火
暖
四月十 日 金
午前十時若槻 ︹ 礼次郎︺に 大命 降 下 、 閣 員 撰 定 。 宇 垣 ︹一成︺固持 、
午前鹿子木孟郎画伯荒井画伯と共に来る。
千代 と 稲 田堤 に看 桜 す 。 雑 踏 言 語 に絶 す 。
暖
午 後 大 宅 由 耿 及 立 正 大 学 勤 務 中 条 是 龍 来 り 、忠 魂 碑 揮 毫 に付 有 田
四月十六日 木
晴
晴
内 閣総 辞 職 の報 新 聞 に喧 し 。
南 ︹ 次郎︺陸 軍 大 臣 と な る 。
快晴
千代 安 保 邸 を 訪 ひ松 代 の復 帰 を 祝 す 。
午前 十 時半 参 内 、 昭和 六年 度 特 命 検 閲 御 沙 汰 書 を 拝 受 す 。
焼花瓶を送り来る。
千 坂 来 り 枢 顧 に付 語 る。 自 重 を 答 ふ 。
四月十 五日 水
安 保 に ﹁ハヾ ナ﹂ を 贈 る。 鈴 木 義 一の土 産 也 。 ︹ 勧︺ 軍令 部 会 報 に行 く 。 安 保 海 相 に会 ひ 自 重 を 進 む 。
加藤亮 一 ︹ 主計中将、海軍省経理局長︺来 訪 、 鎌 田 正 一、 松 代 と 共 に復
上 野 書 展 に行 く 。 見 る べき も のな し 。
曇
帰之礼に来る。良く説諭す。
東 郷 全 集 第 二巻 七 頁 に元 帥 乃 木 両 将 軍 共 影 の写 真 を 見 出 す 。 予 と
暖
︹マ マ︺
四月十 二日 日
元 帥 のは 五 頁 に 在 り た り 。
晴
仏教哲理七〇六頁。
午 後 一時 半 参 内 、 特 命検 閲 に付 奏 上 。後 東 郷 元帥 に報 告 。 金 子 子
四月十七日 金
清遊なりき。
千 代 と 浅 草 ﹁奴 ﹂ に 。 夫 よ り 西 新 井 大 師 、 荒 川 堤 に参 詣 、散 歩 す 。
四月 二十 三日 木
日露 漁 業 行 詰 る 。
明 治 神 宮 講 高 木 邦 忠 な る 者 よ り 顧 問 を 頼 み 来 る 。 副官 を し て 断 ら
千代大に喜ぶ。
晴
爵 の統 帥 権 に 関 す る 書 を 供 覧 す 。
四月十八日 土
しむ。
晴
佐 伯 町 会 議 員 、 航 空 敷 地 運 動委 員 来訪 。 明 日 再来 せ しむ 。
佐 伯 代 表 毛 利 子 爵 と 共 に来 る 。 栗 山 ︹ 博︺前 参 与 官 [民 政党代議士︺
寺 田稲 次 郎 訪 問 せ り 。 国 防 運 動 な り 。 四月 二十 四日 金
雨
告 別 に 来 る 。 次 官 も 前 に 来 れり 。 波多 野 ︹ 貞夫︺中 将 ︹ 艦政本部出仕︺
晩 翠 軒 、 平 沼 、 真 崎 (一師)、 荒木
小 笠 原 よ り 満 鉄 問 題 に 付 井 上 清 純 に 会 へと 云 ふ 。 一応 断 り し も 再
曇
来訪す。
年 将 校 の憤 慨 を 語 る 。 平 沼 は外 に事 を 構 へ内 を 抑 え よと 説 く 。 対
晴
曇後雨
露 一戦 の為 め 海 陸 結 束 を促 し 、 此事 成 れ ば東 郷 、山 本 を 促 し て君
四月 二十 五日 土
三 の懇 請 に諾 て 一両 日 中 に 来 る と 云 ふ 。
( 六師 )、 竹 内 、 田 辺、 陸 海 壮
側を清むと。
秋 沢 芳 馬 宅 に晩 餐 に招 か る 。 歓 待 到 ら ざ る な し 。 自 働 車 を 駅 よ り
稍々冷気
四月十九日 日
晴
帰す。土産を持返さしむ。
四月 二十 六日 日
減 俸 恩 給 改 正 の策 政 府 露 骨 にす 。 人心 の 動揺 を 如 何 。
快
石原北夫に元山班旗を渡す。 晴
高 木 陸 郎 来 る。 硯 を 約 す 。
四月 二十日 月
宿酔。
︹マ マ︺
看桜御宴。
一葉 落 ち 秋 の来 るを 知 る 乎 。
日魯 漁 業 三十 一銭 余 に て解 決 す 。
善 浦 小 学 の為 め ﹁護 国 基 ﹂ を 隷 行 に て書 す 。
四月 二十七日 月
晴 夜 細 雨
日露 漁 業 行 詰 る 。
国 民 社 に四 十 七 義 士 の遺 物 を 見 る 。打 入 始末 書 、大 石 の肉 筆 、 逸
三村 、 吉 岡 夫 人 来 る。
四月 二十 一日 火
品 也 。 画 帖 に ﹁誡 忠 深 々﹂ を 認 む 。
吉 村 幹 三郎 氏 を 見 舞 し て、 退 職 後 を 聞 き 仝 情 す 。
曇
四月 二十 二日 水
あ んま を 取 る。
夜新政務次官歓迎会。
山 本 英 輔 大 将 、 礼 に 来 る 。 杉浦 小 七仝 断 。
後有 終 会定 時 総会 の招 待 に趣 く 。 財部 九 州 の公 民 学 校 に付 き 知 れ
近 来 の暑気 々 分也 。 山 下家 之 形 見 の答 礼 。 秋 沢 芳 馬 に先 日 の礼 訪 、
四月二十 八日 火
千 代 不 在 中 洋 服 を 探 し 不 快 を 買 ふ 。 気 の毒 な り し 。
家ありし。
枝 原 一行 、 守 雄 に 会 ふ 。 何 処 に て も 誰 か に会 ふ 。 入 山 園料 亭 な る
村山水源地に遊ぶ。
五月 三日 日
四月二十 九日 水
五月四日 月
孝治と松竹に行く。
京 は 不 臣 な り と ﹁日 本 ﹂ 非 難 す 。
晴
切 つた る事 を珍 し気 に永 談 議 す 。 稚 気 笑 ふ に堪 へた り 。 有 馬 合 槌
晴 蒸 暑
を 打 つ。真 意 難測 。
西園寺、斎 藤 ︹ 実︺総 督 上 京 す 。 西 公 は 天 長 節 にも 来 ら ず 。 今 上
細 雨 な れ ど も 看 兵式 挙行 せ ら る。
中村 ︹ 良三、中将︺2F ︹ 第二艦隊司令長官︺来 る 。 艦 隊 訓 練 の実 況 を 告 げ 、
細雨
有終 会 、青 山 会館 。
賜餐、七盃頂く。
種 々参 考 と な る 談 あ り 。 昼 食 を 共 に す 。
︹マ マ︺
宮 中 に て 伊 藤 博邦 公 と 国情 を 慨 す 。
晴
晴
雨 中 新 宿 に 出 づ 。 千 代 子 と東 京 踊 見物 の筈 な り しも 止 む 。
五月 五日 火
立雄来る。
晴
日 英 ラヂ オ交 換 、幣 原英 語 に て演 説す 。 大愚 也 。 不 可 済 度 。 四月三十 日 木
晴
暖
五月六日 水
千代と上野博物館に国宝画を見る。明治座見物 ( 予 のみ)。
大掃除に付終日散歩。
雨
五月 一日 金
新 宿 駅 上 に て午 餐 、 夫 れ よ り 松 竹 へ。 新 島 と 竹 田 宮 ︹ 恒徳王、陸軍騎
参 拝 す 。東 郷 元帥 見 えず 。
在 郷 軍 人後 援 会親 授 式 に参 列。
兵少尉︺を 御 見 舞 申 上 ぐ 。
十年 祭 に
雨 に て ﹁メー デ ー﹂ 挫す 。
吉 原 飛 行 士 根 室 に て滞 留 、 千 島 列 島 暴 風 雨 と 伝 ふ 。
晴
五月二日 土
軍令部園遊会、水交社。
暖
在 宅 。 日 本魂 記者 に左 内 伝 を 貸 す 。 ︹ 戴︺ 楠 公 会 顧 問 推 載者 来 る。 小笠 原之 紹 介 な り し を 以 て諾 す 。 元 帥 名
秀也来る。
五月七日 木
誉会 長 、伊 藤 博邦 公会 長 な り。
晴
日 本魂 記者 大 石良 興 、京 橋 区桜 橋 南 側 。
小雨後晴
白岩某 ( 神 官 ) 東 郷 元 帥 給 仕 十 一才 の頃 と村 田 氏寿 ?
︹マ マ︺
五月八日 金 ( 断)。
綱女 横 須賀 よ り来 る 。 右会 水 交社
元 飛 行 機 搭 乗 員 大 島 に て 瀕 死 助 か り し 人 桜 田 弥 惣治 来 る ( 市吏員
五月十四日 木
日 の事 也 。 漂 流 七 時 間 )。
曇
元 機 関 兵 曹)。
︹ 欄外︺小 笠 原 八丈 代 検 閲 使 出 発 。
吉 原 飛 行 士 新 知 島 ブ ロト ン湾 沖 に 着 水 ( 濃霧 中 発動 機 停止 の為 )
軍令 部会 報 、 小槙 ︹ 和輔、少将、第二艦隊参謀長︺艦 隊 二年 制 を 強 説 す 。
雨 冷 し
山 下 大 将 追 悼 会 水交 杜 に て行 ふ。 予 、有 馬 、宇 佐 美 、 石 橋 、 伊 藤
奇 蹟 的 に救 助 船 に 助 け ら る 。 飛 行 中 止 、 気 の毒 也 ( 以上は昨十三
て語 る 。 快 男 也 。
乙 発 起 人 、参 会 者 約 四 百 人 。
五月九日 土
曇
海晏寺参詣。
五月十日 日
有馬、茶山、保科追悼談を為す。
秋沢、村 山 ︹ 銀吉、少将、予備︺ 、坂 本 ︹ 国重、大佐、予備︺ 、 新島、森 川
岡 田、 財 部 、 谷 口は 不 レ判 ら 、 海 軍 に 毒 す と 云 ふ べし 。
︹ 欄外︺ 五 郎 に ﹁スト ツプ ウ オ ツチ﹂ を購 与 ふ。
を招く、盛会。 太田千尋報告に来る。会費余りありと。
五月十 七日 日
早朝 大 雨あ り 。 松 村 より 招 待 ( 国 技 館 )、 明 後 十 七 日と 申 来 る 。
雨後ち曇
五月十 一日 月
午 前 水 交 社 、 郷 田小 学 校 友 会 。 ︹ 刈︺ 故 草 苅 少 佐 一年 祭 、 東 中 の猿 寺 。
五月十 五日 金
立 雄 宅 に て 一日を 過 す 。 静 寂 浅 酌 快 大 也 。 富美 栄 の親 切 に依 る 。
午後 国技 館 、松 村 昇 の招 待 、 安 東 、 高 橋 招 待 さ る。 山 口に 夕 食 。
︹ 欄外︺ 母 の命 日。
五月十 二日 火
国本社談話会を断る。
今夜 又 酩酊 、申 訳 な き 紛 失 。
小雨
航 空 研 究 所 視 察 。 陸 軍 の宮 殿 下 の外 、 財 部 、 岡 田 、 宇 佐 美 、 河 合 、
雨
井 上 等 来 る。 大 に得 る処 あ り 。
晩 翠軒 、 大橋 ︹ 忠 一︺哈 爾 賓
驟 雨模 様
土方 よ り来 信 、縁 談 を 頼 む 。
と 縁談 に仝 意 す 。
五月十 八日 月
終 日在 宅 。
吉 田 少 将復 命 す 。
雨後晴
夕 八尾 、 後 藤 、 木 昭 園 三 人 来 り 、 土 方 三 女 結 婚 之 相 談 す 。 八 尾 反
五月十 九日 火
領 事 招 待 、 日露 協 会 。 明 久 来 り 土 方
岡胤 信 氏 ︹ 工学博士、大林組顧問︺よ り 玉 島 桜 鯛 塩 む し 来 る 。
対す ( 渡 辺 子 爵 に)。
五月十 三日 水
小 池 毅 三郎 来 訪 せ し も 名 を 忘 れ 面 会 せ ず 。 元 法 務 官 な り し 人 也 。
吉村 退 職事 情 説 明 に 来 る 。
晴
三越 、 白 木 屋 散 歩 。 立 雄 来 る。 不 快 の為 失 敬 す 。
昨 日 に 引続 き 晴 天 に し て新 緑 輝 く 。 八時 発 、 湊 病 院 検 閲 、 了 て午
︹マ マ ︺
新 島 来 訪 。 布 施 三 須 男 爵 来 り 山 下 大 将 顕 徳 に 付 相談 す 。 桜 田 弥惣
午 後七時半 帰横す。菊 地寛 ︹ 作家︺、 久 米 正 雄 ︹ 作家︺ 、村松 を尋ね
後 二 時半 頃 下 田を 経 て帰 艦 。 見 送昨 日 の如 く 盛 也 。
治 来 り 書 を 与 へ鶏 卵 よ り 〓 油 を 取 る事 を 教 ゆ 。 ︹ 欠︺ 松 村 純 一及 新 魯 武 官 □ ︹ 前田稔︺中 佐 来 る 。
反俸 減 運動 愈 猛裂 。
来 ると云ふ。 ︹マ マ︺
五月 二十日 水
晴
杉 山 和 久 の為 め 平 和 恒久 を 認 む 。
五月 二十 五日 月
晴 驟雨 あ り
快晴
千 代 芦 屋 行 之 為 東 京 駅 に 行 く 。 銀 行 よ り 一〇 〇 円を 受 取 る 。
砲 校 、 工機 学 校 、 三笠 、 水 交 社 、 海 友 会 、 海 交 会 検 閲 。 管 内 中 少 晴
新島来る。 五月 二十 一日 木
五月 二十 六日 火
尉信号検 閲。
る。 鉄 道 省 妥 協 不 評 裡 減 俸 大 勢 定 る。 安 達 よ り 松 之 助 に調 査
*長 浦 □ 三頃 小 雨。 自 働 車 に て直 路 帰 京 す 。 千 代 も 仝 断 。 朝 帰
自 働 車 に て直 路 帰 宅 す 。
三時 頃 ス コー ルあ り 。
水 雷学 校 、 通信 学 校 。 市 村 大 に努 力 す 。
午 前 八 ・五 二 分 発 、 特命 検 閲 の為 め横 須 賀 に向 ふ。 予報 に 反 し 天 気 快 晴 。 横 須 賀 新 聞 は 予 の為 め 晴 れ の 入 横 と 特 記 歓 迎 す 。 山 県
雨 低 気 圧本 土 の南 北 に在 り
︹ 治郎︺神 奈 川 県 知事 申報 。 鎮守 府 の迎式 鄭重 な り。 本 日 書 類 調 べ。 五月 二十 二日 金
方 、 作 間よ り の書 面 あ り と 報 ず 。 奇 怪 至 極 、 直 に両 者 に書 信
早 朝 よ り 降 出 し 、鎮 守府 及 直 属各 部並 に 海兵 団検 閲 雨 中 に て行 ふ。
糺問す。 五月 二十 七日 水
夕学生諮問。
無 類 の絶 好 日和 な り 。
千 代 芦 屋 に向 ふ 。燕 に て 行 く 。 五月二十 三日 土
行 幸 。 東 郷 元帥 、 山 本 、 閣僚 四 、 五 、倉 富 ︹ 勇三郎、枢密院議長︺ 、徳
快晴
昨 日 の豪 雨 は 高気 圧 之 日本 北 西進 出と 共 に昨 午 後 六 時 頃よ り 夕 陽
川 ︹ 家達、貴族院議長︺ 、閑院 ︹ 載仁親王、元帥、参謀総長︺、 伏 見 大 将 、 久
邇 ︹ 朝融王、大尉、海軍大学校学生︺三 宮 殿 下 台 臨 。
快晴
( 小松 ︹ 輝久︺侯 ︹ 大佐︺艦 長 ) し、 館 山 航 空 隊 検 閲 、 正
を 顕 は し 、 九 時 頃 に は満 天 星輝 く 。早 朝 無 類 の好 天 に し て、 七 時 厳島 に 坐乗
吉 田孟 子 ︹ 少将、予備︺元 帥 揮 毫 擬 筆 筥 書 の新 聞 あ り 。
暖
午 帰 艦 、出 港 、厳 島 検 閲 の 上、 下 田 に 四 ・三 〇 入港 す 。 青 年 団 、
晴 南
男女 学 校生 徒 其他 有 志 出 迎 、国 旗 掲 揚 、 人 々脱 帽 敬 礼 す 。 村 松 青
五月 二十 八日 木
秋 沢 中 耳 炎 に て入 院 に 付 中 目 黒 共 済 病 院 に 見 舞 ふ 。 快晴
水 一行 を案 内 、平 野 屋 に投 宿 。 五月二十 四日 日
軍需 部 、共 励 会 、 下士 官 兵 集 会 所 、 共 済 病 院 。
六月二日 火
晴
南 の強 風 十 三 ∼十 八 米 、 霞 ケ 浦 有 名 の砂 風 。 飛 行 拍 め 目 に せ し む 。
灯 火 管 制 。 霞 ケ浦 下士 官 兵 集 会 所 焼 失 す 。 漏 電 の疑 あ り と 云 ふ 。
︹マ マ︺
午 前 九 ・五〇 上 野 発 、 霞 ケ 浦 え 十 一 ・二 四 着 。 小 学校 生 一五 〇 〇
管制美事。 快晴
名其他青年団等迎式盛也。
︹ 城︺
六月三日 水
茨城知事申報を読まず提出す。 *九 ・〇 一P横 須 賀 着 。
工廠 、 荒 木 ︹ 二郎、中将、横須賀工︺廠 長 脳 貧 血 。 午 前 午 後 海 兵 団武 技 検 閲 。
晴
千代之不快を聴く。 五月 二十九日 金
白川 ︹ 義則、大将︺陸 軍特 命 検 閲 使 来 る 。
六月四日 木
*共 済 購 買 所 。
港 務 部 、 刑 務 所 、 午 後 病 院 、 軍法 会 議 。
連 日天 候 に恵 ま る。
水 交 社 に て午 餐 。
綱女より漬物を送り来る。
軍港 に来 り 、 誰 何 さ れ逃 走 せし 為 外 国 人 乗 艇 と 間 違 ら れ 春 日 水 雷
午前長浦造船部、午後防備隊。 ︹ 助︺ 今 朝 宮 内 主 猟 課 長 加 藤 内 蔵 介 、 新 浜 御 猟 場 監 督 用 新 造 隼 丸 に て横
艇 及 飛 行 機 に て追 踪 、 品 川 台 場 沖 に て臨 検 を 受 け 唖 然 た り 。
晴
晴
士官以上試問、七十名。
五月 三十日 土
木曾に溺死者あり。
榛名、駆、潜、山城。
快晴
午 後 三 時 警 急 呼 集 、 警 備 隊 配 置 。 結 果良 好 。
六月 五日 金
無 類 之 飛 行 日和 に し て追 浜 検 閲 、 大 成 功 。 酒 巻 監 督 下 の戦 闘 機 艦
晴
五月 三十 一日 日
る同 時 三機 急 降 下 襲 撃 に し て、 一秒 の差 に て 三 機 交 る 〓
橋 掃 射 美事 な り 。 亀 井 ︹ 凱夫、少佐、横須賀航空隊飛行隊長︺の 工夫 に よ
*午 前 榛 名 、 駆 、 潜 、 午後 加古 。
金 剛 、 神 威 、 日 進 、 午 後木 曾 、 五 十鈴 。
機雷潜水艦を検閲す。
プ﹂を画き襲撃す。冷汗かく。午後第八駆、第九潜イ二三、二四、
﹁ルー
横 須 賀 公 卿 に 火 災あ り 。 五 十 鈴 優 良 、 評 判高 し 。 *前 金 剛 、 後 山 城 。
六月六日 土
ロ 二十 三、 二十 四 、 第 八 潜 ロ五 八 号 大 に 活 動 す 。 良 好 也 。
快晴
六月 一日 月
本 日も 亦 無 類 の好 天 。 検 閲 愈 順 調 。 一般 作 業 出 勤 検 閲 。 第 九 潜 、
晴 少 し曇
富 士 、 春 日 、 岩 手 、午 後 衣笠 、第 一、第 九 駆。 *前 富 士 、青 嶋 、後 春 日 。
工廠 、港 務 部 良 好 、 熱 あ り 。 六月十三日 土
千坂来り、殿下問題を語る。
書を認む。千代と歌舞伎座に趣く。千坂来る、特約。
晴
二 十 三 日 以来 好 天続 き 横 須 賀 恵 ま る。
六月十四日 日
六月八日 月
見 る。 名 士 の評 価 な るも の に不 快 を 感 ず 。
明治神宮参拝。殿下奉戴に付。千坂を訪問し上野松坂屋に書展を
六月十 五日 月
半晴
六月七日 日
本 日久 し 振 に て 雨 、 別 離を 惜 む に 似 たり 。
夕英彦、松山、須直来る。
半晴
午 前 講 評 、 訓 示 の上 帰 京 。 大 角 ︹ 岑生、大将、横須賀鎮守府司令︺長 官 以
内田 ︹ 康哉︺満 鉄 ︹ 総裁︺ 、江 口 ︹ 定条︺副 総 裁 。
快晴
大 津観 兵 式。 無 類 の好 天 に て総 人 員 五千 三百 名 、 飛 行 機 三十 三、
在宅。書を認む。検閲使附及厳嶋士官之為め。
下 安 心 の体 見 ゆ 。
雨
軍 鳩 数 百 、壮 烈 盛観 、 士気 頓 に振 ふ。
検 閲 使 附 一同 に 訓 示 ( 山 城)、悲 壮 の 所 感を 述 ぶ。
半晴
六月十六日 火
国本 社 談 話 会 断 る。
日蘇 協 会 廿 五年 例 会 、 閑 院 官 御 殿 に て開 会 、 茶 菓 を 給 は る 。
午 後 二時 元 帥 訪 問 、 宮 殿 下問 題 を 語 る 。
六月十日 水
* 一〇 ・四 〇 A発 帰 京 。
検閲終了、帰宅。
特命検閲覆奏。軍事参議官え披露。御陪食。
六月十 七日 水
新 島 来 り 書 を 受 取 る。
東京雨模様。
安 保 海 相 に会 見延 期 、 日曜 午 前 と す 。
斎 藤 総 督、 児 玉と 共 に辞 職 の新 聞 現は る。 後 任 宇 垣 説 高 し 。
秀也 を呼 び 廿 円を 与 ふ。 気 の毒 な り 。 孝 等 に返 事 来 ら ず 。
半 晴 雨夕 刻 よ り
六月十 一日 木
細 谷 来 る。
宇 垣朝 鮮総 督 と な る 。
半晴
高松宮 ︹ 宣仁親王、大尉、軍令部出仕︺秩 父 丸 に て御 帰 故 横 浜 に奉 迎す 。
谷山某斎藤写真師と仝行来訪。東郷元帥写真伝に就き序を懇願す。
入 梅 天気
感 深 し 。斎 藤 は晩 年 気 の毒 也 。 民 政 に売 られ た る観 あ り 。 六月十 八日 木
湊 院 長 よ り 海 相令 息 の養 生 に付 過 日問 合 せ の返 事 来 る。 日取 其 他
雨
書 き 与 ふ。 六月十 二日 金
要求如何。
高松宮え奉伺。
紅葉 館 に て特 検 一行 慰 労 会 、 五〇 円 を 寄 贈 す 。
伊藤博邦葬儀。
を 聴 き 、 夕 刊 に 軍 部 の非 難 と し て 記 述 す 。
令 部 長 の態 度 を 非 難 し 、 若 槻 内 閣 の ﹁ペ テ ン﹂ と 云 ふ。 予 の意 見
日 々久 富 ︹ 達夫、東京日日新聞記者︺来り 六 巨 頭 会 合 に 付 参 謀 総 長 、 軍
六月十九日 金
不 可解 の旨 久 富 来 り 報 ず 。 小 笠 原 に尋 ね し に早 速 元 帥 に 伺 ひ 、 上
元帥 海 相 を 訪 問 さ る。 不 在 の為 め 谷 口に 会 ふ て帰 去 せ ら れ し と 。
幸 鮨 へ。 予は 武 蔵 野 館 に ﹁モ ンブ ラ ン﹂ を 見 る 。 壮 惨 。
千 代 と 海 晏 寺 に詣 で、 父 母 両 位 の為 読 経 す 。 後 上 野 美 術 館 見 物 後
六月 二十 三日 火
安 保 海 相 、 松 村 純 一右 委 員 承 諾 。 晴
新 歌 舞 伎 に 見 物 、 シ ネ マ。
曇 入梅 天 気
山崎貞直来る。
原 より 依 頼 の某 大 事 也 と 。 談 話会 を 断 る。 六月二十 四日 水
曇 入 梅 天 気
久富又来 る ( 夕 刻 )。 明 朝 刊 に 一記 事 を 出 す事 を 報ず 。
﹁ハルピ ン﹂ 陳 列 館 長 。
十 一時 頃 より 川 口金 蔵 来 り 、 二時 過 迄 語 り 長 坐 す 。 予 の景 岳 先 生
六月 二十日 土
軍令 部 会 報 。 谷 口総 理 会 合 の非 を 悟 る 。 日 々痛 烈 に 攻 撃 。 日 露協
絶 筆 に 筐書 を 頼 む。 在 宅 。
札 幌 海 軍 班 至 誠 奉 公
新 潟 与 板 町 一其 徳
雨
曇 雨
会 幹 事 会 に行 く 。
六月二十 五日 木
止 むと 云 ふ。
夕 久 富 来 る。 軍 国 の為 め尽 し た る結 果 良 好 に付 一先 づ 之 に て 筆 を
︹マ マ︺
午後赤阪離宮御宴 ( 御 茶 )。 高 松 宮 ( 川 角 報 告 )。
彼 の報 に 岡 田 は 総 理邸 会 合 に賛 成 也 と 云 ふを 怪 し む 。 彼 近 頃 財 政
彼 の第 一世 の水 雷 長 な り 。
独 逸 大 使 館 ﹁エム デ ン﹂ 乗 員 の為 め 催 す 晩 餐 に 招 待 さ る 。艦 長 は
( 仏 教 会 館 主 任) 北 条尊 善
福 井 僧 侶 唯 仏 是 真
六月 二十 一日 日
山 本 悌 二郎 ︹ 政友会代議士︺に 会 ふ 。 訪 問 を 仮 約 す 。
六月 二十二日 月
寺 田直 三郎 に書 を 贈 る。 筆 の礼 也 。
紹 介 せ んと 云 ひし も 断 る 。
熊 谷 五郎 右 衛 門来 り 書 を 頼 む 。 政 友 会 海 軍 部 長 丹 下某 ︹ 茂十郎︺を
半 晴 時 々 に 驟 雨あ り
午 前安 保 海相 訪 問 、 宮 殿 下 に 関す る重 大 事 を 相 談 す 。
経 済 之 勉 強始 む と。 奇 怪 々 々 。
午 後 太 田 千 尋 来 り故 山 下大 将伝 記 に付 相 談 、 有 馬 、 宇 佐 美 、 石 橋 、
四竈 ︹ 孝輔︺中 将 ︹ 予備︺を呼 び 宇佐 美 勝美 氏 を 伝 記 委 員 の内 に及 び
小雨
六月 二十六日 金
香 坂 及 山 下 大 将 恩 顧 之 某 氏 に 金策 を 依頼 す 。伝 記 編纂 の為 也 。 四
鎌 倉 ﹁増 ﹂ 来 る。
晴
黒 井 及 び 予 、 松 村純 一を発 起 人と す る事 に相 談 す 。
竈 奔 走 大 方 見 込 あ り 。 宇 佐美 委 員 を 諾す 。
曇 蒸 暑
︹ 欄外︺□ □ え 御 製 、 雄 飛 五大 洲 。
楠 公 会 福 田 理事 に 近 衛 公 問 題 返事 を 出す 。
﹁是 真﹂ を 認 む 。
六月 二十七日 土
華 府 会 議 中 六 %譲 歩 の日 本 海 軍 電 ﹁デ サ イ フ ワー ﹂ せ る 記事 あ り と報ず。
晴
陸 軍 々制 発 表 、 態 度 強 硬 を 賞 揚 す る も のあ り 。 七月 二日 木
秀 也 ﹁ヤ ー ド レー﹂ の ﹁ブ ラ ツク チ ヤ ム バ ー﹂ 報 告 に 付 、 軍令 部
秀 也 の B ・C暗 号 解 読 に 付 報 告 あ り 。
下郷 を 訪 問 し 、 夜 赤 坂 辺 清 遊 す 。 酒 は 宜 し か ら ず 。
六月 二十八日 日
よ り 日本 華 府 会 議 関 係 暗 号 解 読 の 一節 を 受 取 る 。
暑
事 無 し 。 太 田 電 話 、 黒 井 は 三須 案 反対 と 云 ふ。 但 し香 坂 の寄 附 を
晴
増 大 せ し む べく 努力 す と、 又 中島 武 に頼 度 と 云 へり と 。
久富を呼び華盛頃に電報問合せしむ。
三越行 ( 新宿 )、 千 代仝 行 。
真麿来る。 六月 二十九日 月
し に 、 明 日 は 自 分 の方 都 合 悪 し と て 断 り 来 る 。
岡実 ︹ 東京日日新聞編集主幹︺面 会 を 求 め し も 今 日都 合 悪 く 明 日と 答 へ
晴 大 に 暑し 土用 明 け 例 年 よ り 四度 高 し
終 日 桜 谷 神社 奉 納額 を 認む 。
七月 三日 金
天 必 与 正義 神 必感 至誠
大 将 会 、 陸 相 当 番 、 大 角 の外 出 席 す 。
暑気甚し
熊 谷 五左 衛 門 に書 を 認 む。
午 前 蒸 暑 な り し も 午 後 三 時 頃 大 雷 雨 あ り て 清涼 を 増す 。
驟 雨 雷 鳴
久 富 え 注 意 の反 響 無 し 。
中 村 朝 鮮 武 徳 会 長 を 山 形 閑 紹 介 し 来 り後 援 帖 に 署名 を 求 め し も断
七月四日 土
楽 天 翁 見 閑 々
六月三十日 火
り、別に揮毫を与ふる約をなす。
立 雄 来 る 。前 年 季 利 子 一四 五 円を 渡 す 。
日 魯協 会 に河 井仝 人 之 東 支 鉄 道 悲 観 説 を 聴 く 。
右揮毫を認む。
晴
春 日主 税 来り 就 職 口を 頼 来 る。 独 語 な り 。
Bla( cH ker Cb he ar mt beO r. 著Y )ard七 l月 e六 y日 月
雨
竹 の内 来 訪 、 九 月 に 政 変を 予告 す 。 西 園寺 と の諒 解 も あ り と ?
鴻 の台 に 遊 び 妙 泉 閣 に 清遊 す 。
七月五日 日
秀 也 来 り B ・C を持 参 す 。
末 広 に行 く。 ﹁ゲ ツデ イ﹂ 美 事 に ﹁ベ ー リ ン グ﹂ を 突 破 し ﹁ハー ム﹂ 着 、 直 に 加 奈 太 に 入り 着 々紐 育 に近 づ く 。 晴
American
﹁ゲ ツデ ー﹂ 機 米 領 に入 り 紐 育 に 向 ふ。
七月 一日 水
秀 也 来 りThe
﹁ア ラ スカ﹂ ﹁ノー ム﹂ 通 過 の報 あ り 。 ﹁フ エー ア バ ン ク﹂ ﹁ノ ー
会 見 也 。 気 の毒 な る程 温 柔 。
ム﹂ に て飛 行 機 よ り 給 油 す ( 午 前 十 時 十 分 、 日本 時 間)。
行を諾す。 ︹ 欠︺ 新 聞 記 者 倶 楽 部 の代 表 来 り 高 松 宮 の 御 動 静 帖 を 売 付 け んと 七月十日 金
︹ 清信、伏見宮付︺事 務 官 を 呼 び 相談 、 松 平 子 爵 と 会 見 、 直 に軽 井 沢
松 平 子 爵 来 訪 、 久 邇 宮 別当 に 付相 談 さ る 。伏 見 宮 御 不在 に付 奥 名
す。
来 客 多 し。 春 造 、 寿 美 、 富 美 、 原 口夫 人 礼 物 を 持 ち 書 の礼 に 来 る 。
魯 国 大 使 送 別 会 、 斎 藤 子 爵 邸 に て行 は る 。 斎 藤 子 と 問 題 後 始 て 之
早 朝 本 多 来 り B ・C を 返 却 す 。
母 の命 日 に付 千 代 墓 参 す 。
吉 田村 青 年 団 より 羽布 重 を 送 り 来 る ( 書 の礼 )。
雨
立 雄 来 訪 。 彦 一郎 氏 小 島 の硯 を 届 く 。
中村 武 徳 館 長 来 り 予 の書 を 受 取 り 行 く 。
︹二︺
大 河 内 夫 妻 来 り ﹁メ ロ ン﹂ を 贈 る 。
雨 半 晴
太 平洋 横 断 機 ﹁ノ ー ム﹂ に着 陸 失 敗 す 。
喜 久 馬 に電 す 。 七月七日 火
土方 久 徴来 り 杉 山 世 喜 三縁 談 に付 懇 談 す 。
七月十 一日 土 雨 ︹ 二︺ 福井清水某 永井環 の紹介 にて来り、 八田裕次郎 ︹ 大佐、予備︺ の為
高橋 司 三来 る 。 日 々 に 入社 に付 、 政治 部 。
名 古 屋 守 国 会 組 合 長 与 呉 鋼 二、 稲 葉 宗 太 郎 の紹 介 に て 来 訪 、 書 を
め 元 帥 の 一筆 を相 談 に来 る 。断 じ て 不 可と す 。
元帥 訪 問 、 小 島 の硯 を 呈 し 、 回 向 院 の書 を 御 願 す 。
頼 む 。 例 之 物 質 的 利 用 ら し 。 筑 紫 の ﹁忠 孝 ﹂ 数 枚 を 見 る 。 予 に 忠
今 立 裕 に 景岳 会 の 評 議 員を 承諾 せ し め矢 板 玄 蕃 に通 知 を 出 さ しむ 。
軍令部会報。久米馬に礼に行く。
孝 七 枚 、 外 に彼 自 分 に三 枚 を 頼 む 。
七月 八日 水
下 郷 、 国 本 社 、 松 平 子爵 に ﹁メ ロン﹂ を 贈 る。 何 れも 大 謝 す 。 奈
今 立 裕 来 る 。 不在 と し て 不 会。 中 元を 贈 る。
を頼む。
且 つ回 向 院 の 請 願 元帥 揮 毫 の承 諾 を 報 じ、 十 月 七 日 の追 悼 会 準 備
二時 間 余 話 す 。 人 物 に付 稲 葉 に 問 合 は す 。
岡実来 り ( 午 前 ) 統 帥 権 問 題 に 付 意 見 を 尋 ぬ。 伊 東 ︹ 巳代治︺公
良 坂 本 某剣 道 無料 教 授揮 毫 懇請 の為 上京 ?
︹ 欄外︺ 平 壌 立 花朝 鮮 に て支 那 人 に朝 鮮 人 報 復 虐 殺 百余 人 。
︹ 枢密顧問官︺の 主 旨 政 党 の弊 予 防 に あ る を 説 き 、 海 相 不 在 な ら ざ
七月十 二日 日
雨 曇
れば 斯 様 な 問 題起 ら ず と 答 え 、 且 つ当 分 現 制 度 が 安 全 な り と 答 ふ 。
千代と末広に行く。
一条 等 の皇 訓 会 名義 に て 三 名 来 る 。 不会 。
終 日 雨 霖 雨 不止
米 横 断 太 平 洋 無 着 陸 シヤ ト ル発 空 中 給 油 し て午 前 三 時 ( 米 時) 飛
雨
出す。 七月九日 木
︹マ マ︺
仏直 航 機 ( 東 京 無 着 陸) 出 発、 巴 理。
役︺夫 婦 、 川 口、 富 田 屋 女 中 等 来 る。 寛 一に ﹁メ ロ ン﹂ 其 他 土 産
八 ・五〇 前 下 ノ関 着 、 小 倉 へ。 陸 軍 出 迎 、 八 幡 に自 動 車 。
七月十七日 金
を 与 ふ 。 古 市 よ り 白 鷹 二瓶 を 贈 ら る 。
立雄 来 る 。
三 田 尻 に て秋 良 に 白 鷹 を 残 す 。
雨霖 連 日 不止
理髪 。散 歩 。
七月十 三日 月
小松 隆 よ り ﹁メ ロ ン﹂、 石川 信 吾 ︹ 少佐、艦政本部部員︺よ り 仝 上 ( 多
八 幡 煙 幕 演 習 完 全 遂 行 。 工 場 之蔽 光 装 置 を 見 、 仝 所 に て午 餐 。 防
七月十 四日 火
七月十八日 土
旅 館 請 負 業 小 林 待 遇 懇 接 、 番 頭 益 田 大 に 斡旋 す 。
︹マ マ ︺
午後より雨
謝 々 々)。
空演習総監部、防衛司令部、兵器製造所及飛行場 ( 海岸 ) を 見 る 。
三越 に 千代 と 行 き 中 元買 物 を 為 す 。
宗 像 神 社参 拝 。 幡 掛 宮 司 折 尾 に 出 迎 ふ 。 祭典 に参 列 。 小学 児 童 、
又雨
少 司虎 三郎 よ り暑 中 見舞 菓 子来 る。
孝治小 川 ︹ 龍、軍医中将︺医 務 局 長 自 宅 を 訪 問 し ﹁メ ロ ン﹂ 二個 を 贈
青 年 団 に 訓 示 。 天 必 与 正義 、 天 必 感 至誠 。 昼 小倉 小 林 邸 に帰 り 午
餐 、 歓 待 を 受 。 午 後 四 時 の急 行 に て 別府 を経 佐 伯 に行 く。 町 長、
晴 午 後曇
る。 春 造 有 望 の報 を 齎 ら し 帰 る 。
小 田部 長 男 、 長 岡 儀 作 出 迎 ふ ( 途 中 迄 )。 午 後 十 時 乗 艦 、 足 柄 。
百武 ︹ 源吾︺中 将 ︹ 軍令部出仕︺艦 長外 旧 友 と 痛 飲 す 。 別 府 に 鳴 海 夫
雨
仏無 着 陸 機 ﹁ノ ウ オ シ ビ リ ー ス ク﹂ ﹁ イ ル ク ツ ク﹂ の西 二 百 粁 の ︹ 方︺ 深林 に て 不時 着 、 飛 行 機 行 衛 不 明 、 三 人 落 下 傘 に て助 る 。 七月十 五日 水
婦、米山夫婦出迎ふ。
七月十 九日 日 晴 ︹ 坐︺ 戦 技 視 察 。 長 門 に座 乗 。 近 日稀 の晴 天 に て、 射 撃 、 爆 撃 、 雷 撃 無
︹ 欄外︺暗 号 盗 読 問 題 日 々、 大 毎 に 大 々的 に 報 ぜ ら る 。
蘇 大使 送 別 、 東 京 会 館 、 会 費 五 円 、 永 井 ︹ 柳太郎、民政党代議士、外務 政務︺次 官 、 田中 郁 ( 元大使)等六十余名。
て 予を 賞 せ る 一筆 を 届 け ら る。 感 謝 に 不 堪 。
事終了。
山 下千 鶴 子 、 淑 子 、 秋 子 中 元 に 来 り 進 物 を 贈 る 。 大 将 の親 書 に し
高松宮、朝香 宮 ︹ 鳩彦王、陸軍少将、陸軍大学校教官︺ 、 久邇宮殿 御乗艦
御 見 学 。 財 部 、 岡 田仝 行 す 。潜 水 艦 雷 撃 肉 迫 過 ぎ 五百 米 と な り 艦
佐 々木 忠 次 郎 ︹ 東京帝国大学名誉教授︺を 訪 ひ ﹁メ ロ ン﹂ を 贈 る 。
事 最期 を送 る 。
神戸楠公会より電話あり、小笠原に移す。 七月十六日 木
夜 足柄 に泊 す 。大 臣 、部 長 一高 松 宮 に御 供 し て徳 山 よ り 帰 京 す 。
底 通 過 、 三 発 の中 一発命 中 、千 歳 沈 ま ず 。 太 刀 風 之 二聯 発 に て美
一P発 小 倉 へ、 防 空 演 習 視 察 。 ︹ 恪︺ 谷 口、 岡 田 仝 行。 森 格 ︹ 政友会代議士︺ 一行 朝 鮮 事 件 視 察 に 同 乗 し
曇
車 中 を 賑 は す 。 大 阪 に 寛 一夫 婦 、 古 市 六 之 ︹ 男爵、住友炭鉱常務取締
七月二十 三日 木
曇
孝 に 書 を 送 り 久 富 達 夫 に 紹 介 す 。 孝 一の 説諭 を 頼ま し む。
午 前 八 ・三 〇 東京 着 。 二 十 一日 の東 京 毎 夕 に孝 一の左 傾入 を 報 じ 、
他 両宮 一 ﹁ 駆 ﹂ に て別 府 へ。
午後久富来り暗号問題に付語る。
大 々的 に 加 藤 大 将 甥 と 大 活 字 す 。 千代 非 常 に心 配す 。
七月二十 日 月
七月 二十 四日 金
︹ 欄外︺射 撃 二 四 〇 発 の 二 十 一中 、 爆 撃 二 十 一発 の 五 中 、 雷
午 前 八時 谷 口、 安 藤 と 飛 行 ︹ 場︺予 定 地 視 察 、 佐 伯 へ上 陸 。 山 田
大 暑 に似 合 ず 稀 有 の涼 し さ な り 。 日 々ヤ ー ド レイ の著 書 を 載 せ 始
撃 三 発 一中 、太 刀 風 二発 二中 。
部 長等 堤 寺 に参 詣 。 正 午 過 別府 米 山 に投 ず 。 岡 田 は大 分 より 紅 丸
じむ 。
午 前 晴 午 後 雨 又 梅 雨 と な る
にて帰る。
七月 二十 五日 土
半 晴 冷
曇 冷 気
に心 配 す 。 鳴 海 の義 侠 心 感 ず べし 。 福 井 県 人 に て 報恩 之 気 分 あ り。
午 後 鳴 海 之 招 待 を受 、 大 に 歓 待 さ る 。 例 に 依り 痛 飲、 米 山 女 将 大
夕 西方 に遊 ぶ 。 七月 二十 六日 日
新 島 来 り 五 〇 円を 返 す 。
入 梅 や め霽 。 午後 西 尾と 川 口来 り 、終 日痛 飲 す 。 立 雄 来 る。
雨
作 れ り と 。 依 り て元 帥 の御 信 用 あ る 予 に 一見 を 乞 ふ と 。 元 帥 は 無
七月 二十七日 月
七月 二十 一日 火
論 御 来 遊 な し 、 今 年 春 の竣 工 な れ ば 将 来 も 六 ケ 敷 か ら ん と 答 ふ 。
出 血 不 止 。 午 後 川 口の案 内 に て 山 王 下 ( 溜池 ) 鳴 門 に 田 辺治 通、
午 前 甲 斐 大 蔵 の東 郷 閣 を 見 る 。 主 人 の懇 請 に し て 元帥 に 捧 ぐ る 為
午 後 六 時緑 丸 に て 帰 上 。 朝 香 宮 、 松 井 ︹ 石根、陸軍中将︺十 一師 長 、
半晴
村田 ︹ 省蔵︺O S K副 社 長 仝 船 。 鳴 海 女 将 大 分 迄 送 る 。 五〇 円 を 謝
岩佐 ︹ 禄郎︺憲 兵 少 将 ︹ 朝鮮憲兵司令官︺、 西 尾 及 松 野屋 幇 間 気 骨 者 と
川 口、 三 □ 社 荒 井 小 品 展 覧 会 に 違 約 す 。
二十 才 位 の□ 大 に 歓 迎 す 。
飲 む 。 出 血 の為 め 遠 慮 せ し も 歓 を 尽 し 、 九 時 頃 帰 る 。 小 僧 と 云 ふ
晴
礼 に 遣 はす 。 ︹ 欄外︺内 海 大 雨 、 霧 あ り 。 船 長 大 に 苦 む と 云 ふ 。
七月 二十 八日 火
半 晴 *入 梅 止 む
正 午 神 戸 着 、 殿 下 に 次ぎ 上 陸。 小 野寺 及某 主 計 少 将 、 山 本 盛 秀 之
七月二十 二日 水
出迎を受け、川崎え ( 川 口 も来 り 居 れり 、桟 橋 に)。 夫 に て午 餐 、
終 日書 。 元 寇 紀 念 館 長 阿 部 氏 の為 め 及 び 別 府 鳴 海 の為 。
夕 刻 川 口来 り 、 元帥 直 筆 日本 海 大 捷 の勅 語 を 表 装 せ んと 申 出 づ 。
敬 天愛 人 、 左 内 先 生 絶 筆 、 碧 静 を 認 む 。
天必 与 正 義 神 必 感 至 誠
晴
了 て 飛 行 機 工 場 を 見 、 初 乗 の本 社 自 働車 に て芦 屋 に行 く 。 東 条 夫 ︹ 池︺ 婦 、 菊 地 文 吾 来 り 、 素 子 大 に 心 配 す 。気 の毒 な り し。 午 後 八時 八 分 神 戸 よ り 帰 上 、 大 阪 に 川 口、 尾 野 、 西 尾 父 子等 来 り 夫 々 土産 を 贈らる。
勅 語 な る故 熟 慮 の上 断 る。 八月 二日 日
︹ 徐︺ 涼 風 除 々に 到 る 。
晴 暑 気 加 は る
太 田 千 尋来 り 報 告 、 山 下大 将 伝 に付 。 涼
に 感 謝 す 。 午 後 増 永 廉 三 来 り 母 を東 京 に伴 へり と 云 ふ 。請 に依 り 、
千坂来る。阿武 ︹ 清︺少 将 ︹ 海軍省人事局長︺来訪 、 人事 秘を 語 る 。大
晴
七月 二十九日 水
左内 先 生 絶 筆 と ﹁勝 而 戦﹂ を贈 る 。
夜 千 代 と 銀 座 に散 歩 す。 変 化 に驚 く。 ﹁デ カ ダ ン﹂ の極 と な る。
( 八 十 円)。 佐 藤 長 佑 氏 に も 荒 井 夫 人持 参 せ
大暑未到不順。 ︹ 男︺ 荒 井 陸 郎 氏 川 口 の求 め た る花 の油 絵 を 持 参 す 。 川 口に 之 を 報 じ 、
し処 不 在 に付 予 に 代 金 を 送 る と 報 ず ( 五 〇 円)。
直接代 金を送らしむ
其角 草 津亭 女 将 ( 弟 の妻 死す ) 二度 来 訪 せり 。 暑
八月 三日 月
﹁ロビ ン ス﹂ 機 又 々白 海 に て濃 霧 に挫 折 す 。
陸 軍米 華 と 満 蒙 問 題 に付 堂 々と 抗 戦 す 。
晴
晴
夕刻千代と国技館に散歩す。
冷
八月 四日 火
在宅 。 別事 無 し。
晴
﹁天 無 偽 ﹂、 上 山 ︹ 満之進︺前 台 湾 総 督 の画 に 讃 せ ら れ た る物 。
安 藤 栄 城 二年 前 の約 束 に 基 く 久 邇 宮 殿 下 御 染 筆 一軸 を 持 参 す 。
七月三十日 木
八月 五日 水
午 前 山 下 大 将 宅 に 夫 人 と 面 会 し 、 源 太郎 大 将伝 記 に就 き 内 部 殊 に 家 庭 的 のも のを 多 田 、 小 西 に 通覧 せ し め ら れ慶 夫 人 の仝 意を 得 、
早朝 竹 内 賀 久 治 来 り 、 平 沼 と 石 川 ︹ 岩吉、式部官、高松宮別当︺会 見 の
暑
海 軍 省 に 行 き多 田 に 之 を 伝 へ、 小 西 に も交 渉 を 依 頼す 。
取計を乞ふ。
晴
久 邇 宮 殿 下 へ御 染筆 御 礼 に 伺 候 。
千 代 と 湘 南 に行 く 。 千 代 は 馬 淵 と 園 部 に 、 予 は 千 葉 を 訪 ひ 馳 走 を
暑
七月三十 一日 金
受 け 、 自 働 車 に て長 谷 に 送 ら れ 、 原 宅 に て馳 走 を受 け 小 田 原 に て
晴
黒 井 に書 信 し 昨 日 の結 果を 報 ず 。 太 田 に は電 話 す 。 新 聞 そ ろ 〓
︹ 欄外︺陸 相 訓 示 に物 議 起 る。
帰 る 。 立 往 生 に 千 代 労 る 。 気 の毒 な り し 。
酒井茂吉中佐 ︹ 横須賀鎮守府横須賀海軍人事部員︺来訪 、 青 梅 よ り 香 魚 沢
世 論 な る も の ﹁ジ ヤ ー ナ リ スム﹂ の み 、 取 る に 足 らず 。
軍 部横 暴 を論 じ 出 て度 す べ か らざ る也 。
山 贈 ら る 。感 謝 に不 堪 。 酒 井 中 佐 よ り 特 検 横 須 賀 之 評 判 を 聞 く 。
晴 大 暑 と な る 本 夏 天気 と な る
午 前 小 笠 原 来 り 、 平 沼 、 石 川会 見 の相 談 を 為 し 、直 に 石川 官 舎 に
八月六日 木
八月 一日 土
趣き 、 明 七 日 と約 束 を全 ふす 。 好 意 感 謝 に不 堪 。
平素 之 大 切 を 感 ず 。
午 前 中 千 坂 中 将 来 る。 元 帥 伊 東 に 趣 か る ゝ筈 。
夕 国本 社談 話 会 、 支 那問 題講 演 。
晴なれども涼気あり
揮毫す。但し不如意。
︹ 朗︺ 藤村義郎 ︹ 男爵、貴族院議員、帝国養蚕組合会長︺其他 名 士 あ り 。 午 前 千 葉 断 一氏 来 る 。
千 代 と 新 国 劇 を 演 舞 場 に て看 る 。
暑
米 早 廻 り 機 無 断 ﹁ハバ ロ フ スク﹂ よ り神 威 岬 を 経 て室 蘭 、津 軽 に
晴
五郎 帰 宅 。 八月十 二日 水
飛 び 、 羽 根 田 よ り 立 川 に 来 る 。傍 若 無 人 。
下郷 母 来 訪 。
夕 立 、 雷 鳴 、 天候 稍 涼 し く な る 。
暑大
揮毫す。
八月七日 金
石 川 高 松 宮 別 当 平 沼 男 と 会 見 、午 後 七時 実 行す 。
八月十 三日 木
晴
午 前 十 時 千 代 下郷 母 を 東 京 駅 に 送 る。
涼
去 月 廿 九 日 発 送 鳴 海 宛 之 揮 毫 返事 来 らず 。
杉山老夫婦来訪。
安保に慨感を送る。
午 後 森 山 達 枝 来 訪 。 大 河 原 特 務 少 佐 代 理 題 字 を 求 め 来 る。
大暑
八月十 四日 金
八月八日 土
八 雲 十 五 日佐 世 保 着 の報 あ り 。
江 田島 瀬 戸 本 昌肇 ︹ 海軍兵学校書記︺に ﹁以 春 風 接 人﹂ ﹁天 ト 神 ﹂ と を送る。
涼 暑 秋 風
立 雄 来 る。 米 機 要 塞 地 帯 写 真 を 取 る 。 問 題 昂起 す 。
三 笠 大 河 原 特 務 少 佐 の為 ﹁ 至 誠 無息 ﹂ の 大 軸 を 用 意 す 。 ﹁至 誠 ﹂
竹 居光 積 氏 来 訪 。
も添 ゆ 。
夕方 散 歩 、外 濠 、飯 田橋 附 近。
話し大に為になれりと。
小 笠 原 よ り 電 話 、 石 川 昨 日 の礼 に 来 り 、 加 藤 大 将 に宜 し く 且 つ平
八月九日 日
八月十 五日 土
沼 と は 三時 間 計 り し み〓
在宅。新島帰京。
夕方理髪。
立 雄 家 族 来 る 。寿 美 子松 屋 に金 を落 し 、富 美 栄 直 に引 還 し取 戻 し
千代歯痛に艱む。
大暑
近 日来 の炎 暑 也 。 誰 も 来 ら ず 。
八月十日 月
来る。妙々。
暑気 又 戻 る
久 富 より ﹁ 米秘密室﹂を送り来る。三部。
海 晏 寺 を 御 許 し願 ひ家 に て香 華 す 。
大暑
国吉 、 市 来 、 部 内 話 御 機 嫌 伺 に 来 る。 良 き 人 物 。
八月十六日 日
暑
︹ 欄外︺練 習 艦 隊 佐 世 保 着 。
渡辺百太郎 ( 福 井) に 誠忠 凛 々 の 色紙 を 与 ふ 。
大暑
夕 食 後 散 歩 。 梁 川 庄 八を 見 る。
八月十 一日 火
村 田母 命 日。
︹マ マ︺
﹁リ ンヂ ー﹂ 機新 知 島 に滞 泊 、 発 動機 を 修 理す 。 八月二十 二日 土
百武 、 小 笠 原 来 訪 。 直 麿 来 る。
刑部 ︹ 斎︺主 計 中 将 ︹ 海軍経理学校長︺来 訪 、 金 子 子 爵 全 権 を 推 薦 す 。
晴
野□ の成 功 を 語 る 。
仁 正 子 頃 帰 る。
実 、孝 治 、仁 、 五郎 鎌 倉 に 一泊 が てら に行 く 。 ︹ 〓礫︺ 南 洋 庁 財務 課 長林 亮 氏福 井 県 坂 井 郡 浜 四郷 村 山 孝 車 渠 貝 を 贈 ら る 。
日高 参 謀 の好 意 に て届 く (八雲 便 )。
暑
飯 田中 将 の紹 介 と か に て中 島 某 軍 縮 問 題 を 聴 か ん と 電 話 す 。 不 在
八月 二十 三日 日
と答ふ。 八月十七日 月
早朝 海 晏 寺 に参 詣 す 。
晴
太田千尋、新島来訪。
実等帰宅。
八月 二十 四日 月
暑
晴
﹁リ ン デイ ﹂ 機 三度 国 後 に 着 水 す 。
暑
左 内 先 生 全 集 を 読 み 益 々 先 生 の 人 物 に敬 服 す 。
暑 甚 大 阪 九 十 六 度
田結 ︹ 穣、中佐、海軍省軍務局員︺よ り練 習 艦 隊 出 迎 に付 親 切 な る注 意 あり。 午後竹内賀久治来る。
リ ン デイ 根 室 着 、 各 新 聞 馬 鹿 騒 を な す 。
晴 大 暑
八月十八日 火
暑
夕米 村 ︹ 末喜、中将、予備︺、太 田 、 多 田 、 小 西 を 呼 び 山 下 大 将 伝 を
晴
始 て 曇 細 雨
小 笠 原 電 話 、 安 岡 正 篤 疑 は し と報 ず 。 八月十九日 水
八月 二十五日 火
作製に付合議す。
実午前八雲に帰る ( 十 時 頃)。
青 島支 那 人と 国 粋会 と 衝突 す 。 ︹マ マ ︺
﹁リ ンヂ ー﹂ 機 計土 居島 に 不時 着 、 海 上 に 一夜 を 明 か す 。
右本日付公報。
十 四 日 迄 、 水 校 、 通 信 学校 。
□ 砲 術 学 生 、 本 日 よ り 十 月 廿 四 日 迄 。 十 月 二 十 六 日 より 十 二 月 二
八月二十日 木
和田 ︹ 秀穂、大佐︺赤 城艦 長 負 傷 、 重 態 。
練 習艦 隊 着 、 千 代 、 仁 、 五郎 、 村 田、 小 笠 原 一同 出 迎 に 行 く 。
暑
実 大 元気 、 実 務 に成 績 優 秀 に て帰 る。
し。吾
﹁リ ンデ イ ﹂ 夫 婦 根 室 を 霧 中 に 発 ( 八 AM 頃 )。 午 後 一時 過 無 事
八月二十 六日 水 再 暑熱
霞 ケ浦 着。
暑大
八月 二十 一日 金
に 一人 の
安保 海相、小泉 ︹ 又次郎︺逓 相 出 迎 、 新 聞 御 祭 騒 ぎ に が 〓
夕 立 雄 夫 婦 、 富 美 栄 と 一家 と 会 食 、 後 ﹁モナ ミ﹂ に 行 く 。
左 近 司 中 将 答 礼 に来 る。
﹁リ ン デ イ ﹂ な き に 。
千坂来訪。
午 前 新 島 来 り 、 来 る 十 二 日 進 退 に付 相談 す 。 軍令 部 先 任 副 官 より 矢板、滋賀?
実 鎌 倉 杉 山 に行 く と 電 話 。 昨 夜 は 横 須 賀 の馬 淵 氏 に 泊 せ り と 。
雨来 る
此 日 雨始 め て降 り 快 清 。
八月三十 一日 月
︹ 欄外︺ 風 邪 に て 不快 。
聞 か れ た り と 。 依 り て 予 之 意 見交 代 を嫌 ふ と答 ゑ しむ 。 立雄来る。 本 日 デ ス ク整 頓 、 予 が 書 の揮 毫多 き に 驚 く ( 予自 ら)。
森 山 達 枝 来 り 、稲 田家 結 婚 縁 女 之 事 を 相 談 す 。 土 方 に紹 介 す 。 一
︹ 欄外︺終 日書 信 整 理。
木 ︹ 喜徳郎カ、枢密院顧問官︺の女 生 理 不能 の件 。
暑大
八月 二十七日 木
夜 千 代 と ﹁シ ネ マ﹂ を見 る 。
浜 口雄 幸 没 す 。 弾 創 之 外 恐 る べき 菌 に原 因 す と ( 昨午後三時五分 也 )。
九月 二日 水
半 晴 涼
此 日久 富 、 豊 田 外 一名 夕 刻 よ り 来 る と 約 束 せ し も来 ら ず 。
九月 一日 火
風 邪 に て 不快 。 終 日読 書 。 日本 国 民 人生 観 を 読 む 。
九月 三日 木
土 方 に 稲 田 の件 通 知 す 。
秀 也 来 り 会食 す 。
早朝滋賀貞来り景岳会に付相談す。
日本 橋 百 廿 二度
富 美 栄 、 東条 小 供 一同 来 る 。
今 上 陛 下摂 政 宮 と し て御 渡 欧 十 年 記 念 午 餐 会 、 閑 院 宮 台 臨 、 牧 野 、
大 暑 恐 らく 本 年 の最 大 暑 な り 九 十 一度
午 前 浜 口家 を 吊 問 す 。 民 政幹 部注 視 。丸 山 ︹ 鶴吉︺前 警 視 総 監 、 幣
一木 、 関 屋 ︹ 貞三郎、宮内次官︺ 、 二荒 、 三 浦 謹 之 助 ︹ 医学博士、東京帝国
八月二十 八日 金
原 等 叩 頭 す 。 上 山 満 之 進案 内 、礼 拝 。令 息 雄 彦 予を 霊 前 に紹 介 し
八月 二十九日 土
下腹 部 の ﹁さ し こ み﹂ を 憂 ふ。 灌 腸 す 。
午 前 小 笠 原 と 元帥 邸 に行 き 、 書 の御 礼 と 共 に ﹁メ ロ ン﹂ を 呈 す 。
大学名誉教授︺外 海 軍 関 係 、 盛 会 、 海 相 、 牧 野 の ﹁スピ ー チ ﹂ あ り 。
晴 ( 半)
て泣 く ( 加 藤 大 将 が 御 出 に な り ま し たと 云 ふ て泣 く)。
午 前 坂 正 臣 氏 告 別 式 に 榎 坂 町 五 に 行 く 。 南 郷 に会 ふ 。夫 れ より 海
冷 秋 風 吹き 始 め蘇 生 の 思を 為 す
軍省 に行 く 。 財 部 例 に 依 り 何 事 か 喰 ひ 付 き お れ り 。
千坂 来 り 予 に 自重 を 進 む 。 同情 を 集 め よと 云 ふ事 也 。
冷気
︹ 欄外︺左 内 先 生 回 想 を 記 す 。
在 ウ エ リ ン ト ン駐 在 商 工 省 貿 易 通 信 員 久 保 田 啓 蔵 、 野 田 ︹ 清︺大
九月 四日 金
八月 三十日 日 冷 秋 来 ら んと す 晴 ︹ 溪︺ 午 前 谷 口豪 介 来 る。 夫 婦 小 供 。 千 代 は ︹ 松平︺慶 民 子 ︹ 宮内大臣︺贈
佐 ︹ 軍令部第二課長︺の紹 介 に て来 り 談 話 中 、 キ ヤ ツ ス ル妻 の友 人た
正 午 よ り 浜 口前 総 理 葬 儀 に 列 す 。 岡 田 来 ら ず 。
の小 ブ ロンズ 人 形 を 男 子 に与 ふ 。
︹マ マ ︺
夕 小 笠 原、 荒 木 貞 夫 中 将 と 国 事 を 談 ず 。
種 の ﹁レ ポ ー タ ー ﹂ の妻 女 に 語 れ り と 云 ふ を 、 ﹁レポ ー タ ー﹂ が
る米 婦 人 が 本 年 二月 頃 ﹁ウ エル﹂ に 来 り 、 久 保 田 の友 人 た る 猶 太
告 た る も の に し て 、内 意 は警 告 也 と 語 れり と 報 ず 。
九月 七日 月
︹ 欄外︺実 帰 校 。
山 下知 彦来 る 。
を 持 参 せ し が 三百 万 で事 足 り 二 百 万 $ 残 れ り と 。 寝 耳 に 水 の 話 を
本 日 より 井 上 健 一 ︹ 医師︺に通 ふ。 腸 と 肩 に艱 む 。
久 保 田 に 話 せ り と 云 ふ 。 ﹁キ ヤ﹂ は 日本 輿 論 買 収 の為 め 五 百万 弗
聞 き 信 ぜ ざ り し が 、 日本 に 来 て 其 実 あ る ら しき を 知 り 驚 け り と 。
堤正 之 夫 婦 来 る。
半晴
又 日独 戦 前 英 国 が 大 坂 朝 日 を 買 収 し 輿 論 の親 独 的 な る を 転換 せ り
︹マ マ ︺
と 。 三 井 の某 重 役 確 か に 知 れ り 。
半 晴 小 雨
﹁サビ 代 ﹂ を 発 す 。 離 陸 千 八 百 米 を 要 せ し も 美 事 離 陸 、 ﹁ガ ソリ
本 朝 太 平 洋 横 断 機 モイ ル、 ア レ ン両 米 人 ク ラ ンナ 、 マツジ 号 に て
九月 八日 火
中村 大 尉 問 題 尚 ほ遷 延 す 。
︹ 欄外︺此 日 下腹 部 の ﹁さし こ み﹂ あ り 。
暑又来る
加 藤 祐 雄 の母 の告 別 、 千 代 行 く 。 九月五日 土
井 上 に通 ひ 夜 散 歩 す 。 腸 工 合 大 に 良 し 。
ン﹂ の積 載 量 ﹁レ コー ド ﹂ 破 也 ( 千 七 十 ガ ロ ン)。
他 死 傷 卅 名 に 及 ぶ 。 西村 大尉
湯池夫人来訪、贈物す。
午 前 五 時 半 体 操 中横 浜 在泊 之 能 登呂 ガ ソリ ン庫 爆 発 し 士 官 二死 其
一戸 ︹ 兵衛、陸軍︺大 将 ︹ 予備、帝国在郷軍人会長、九月二日没︺告 別 式 に 行
今 立 裕 来 り 、 景 岳 会 評 議 員 を謝 す 。
︹ 欄外︺ 伏 見 宮 に 奉 伺 。
湊 ︹ 直太郎、中将︺兵 校 長 ︹ 海軍兵学校校長︺来 訪 。 高 木 陸 郎 来 る 。 神 楽
張学良 稍や屈伏す 。土肥原 ︹ 賢二、陸軍︺大 佐 報 告 の為 め 帰 る 。 大
( 飛行 ) も 其 一人 也 。
く。
九月九日 水
未 だ 御 帰 京 不被 為 在 。
屋 中島 某熱 心 な る 日蓮 信 者 予 に帰 依 し て書 を 求 む 。 依 り て之 に与
小雨
馬 淵夫 妻 来り 午 餐 を 共 にす 。 土 産 を 貰 ふ 。
実 帰 宅 、 大 に元 気 。
ふ る に 仁如 海 を以 て す。
暑
九月 六日 日
︹ 欄外︺ 高 木 陸 郎 に 回向 院宛 元 帥書 を 渡す 。
茂手 木 八 百香 八丈 島 郵 便 局 長来 訪 、 小 笠 原 植 木 と 八 丈 ミ ル クを 贈
内 田、 江 口馬 賊 に襲 は る ( 東 日)。 ︹ 懼︺ 北 一輝 来 り 、 満 洲 問 題 よ り 日米 英 支 開 戦 の危 虞 を 説き 、 日 仏仝 盟
る。 好 意 可感 。 千 代 彼 の親 孝 行 に感 ず 。
九月十日 木
の急 務 を 説 き 、 三 時 間 余 に し て帰 る 。 竹 内 賀 久 治 、 陸 軍 経 理 局 長 が裏 切 者 な り と 云 ふ 。 ﹁予 が 語 れ り ﹂
仁海晏寺墓参。竹内賀久治来り、南陸相も東郷元帥に御面会を乞
晴 暑 再 来 と 心 配 せ し よ し 告 た る も のあ る に よ り 、 そ は竹 内 自 身 が加 藤 君 に
中島 鑄 作 に 正 義布 四 海を 与 ふ。 羽織 袴 に て来 る。
司中将来訪。
話す。 ︹ 〓〓︺ 下 郷 氏 来 り 午 餐 を 共 に し車 渠 貝を 贈り 長 浜 鋒 秀 館 に寄 贈 す 。 左 近
ひ 今 日 午 後 二 時会 見 之筈 に付 督 励 方 頼 む と 申 し来 り 、 小 笠 原 に電
九月十五日 火
矢 板 よ り 回 向 院 永 代 借 地 承 諾 の報 あ り 。
官 追 出 し 之 報 を 伝 へ意 見 を 尋 ね ら る 。 上 司 に進 言す べき 旨 答 ふ。
夕刻小西 ︹ 干比古、大佐、内閣資源局企画部第 一課長︺来 り 、 資 源 局 よ り 武
昭和会 ( 武 生) 飛 坂 某 来 り 、奉 書 紙を 贈 る。 去 年 十 月懇 請 之 書 を
天
曇
請 ふ と 。 依 つて神 之 聯句 を 与 ふ 。
小 笠 原 元帥 邸 よ り 帰 途来 訪 し、 結 果を 報 ず 。 南 は決 心 堅 し と 。 尚
午 後 五 ・三 〇 輔 仁 会 に て 景 岳会 評 議 員会 。 元帥 書 に 回向 院 住 職 大
平泉、滋賀、山田 ( 堤 の孫 )。
に 感 動 す と 、 地 券 を 渡 す 約 束 せ り 。福 田 ︹ 市太郎︺弁 護 士 大 に奔 走
十 月 七 日平 泉 ︹ 澄︺氏 ︹ 東京帝国大学教授︺講 演 を 諾 す 。 永 井 意 見 に て
大暑
ほ 之 に て元 帥 が 陸 海 総帥 の如 く な ら れ しを 祝 す 。
九月十 二日 土
公 開 に決 す 。
九月十 一日 金
茂 手 木 来 り 諄 々と し て孝 を 説く 。妻 子之 愛 を 云 ふ所 少 しく 度 を 過
九月十六日 水
せ り 。 今 立 を 紹 介 す 。 会 す る も の島 田 、 高木 、 永井 、 今立 、矢 板 、
たり。
慶 民 子 爵 に 十 月 七 日講 演 会 開 会 之 辞 を 頼 み 諾 せ ら る 。
大暑
秋 良 よ り 元 帥 書 拝受 歓喜 の 状来 る 。 元帥 之 御 礼 状 小 笠 原 に送 る。
午 前 竹 内 を 呼 び 注 意 を与 ふ 。尚 早 の 運動 に就 て也 。
川 口来 り 例 に 依 り 永 居す 。 不 面会 。 元帥 桜 井 駅記 念 碑 を 書 か れ た
井 上 に治 療 に 行 く 。 千 代 三 越 と 幸 鮨 に 。
涼気
る楠 公 之 訣 別 を 頌 せ ら れ た る 歌を 示す 。
安 保 に重 要 書 面 を 認 む 。
の大 演 習 中 止 と な る 。
夕 刊 所 報 英 海 軍 水 兵 減 俸 ﹁スト ライ キ﹂ を 報 ず 。 ﹁ク ロ マー チ ー﹂
九月十三日 日
仝 家 に祝 品 を 贈 る ( 鎌 田 家 出 産 祝 也)。
︹ 欄外︺実 帰 宅 。 一所 に散 歩 す 。
吉田 ︹ 豊彦︺陸 軍 大 将 ︹ 予備︺放送 。
暑 気 稍薄 ら ぐ
終 日 平 静 。 猪 野義 久 来り 明治 十年 の御 田 小学 校 成 績 表 を 送 る。
九月十七日 木
半 晴 涼
黄 海 々戦 紀 念 日 。 高 松 宮 殿 下 、 山 本 伯 、 斎 藤 実 氏等 百 六 十 一名 。
︹ 欄外︺朝 香 宮 十 一月 八、 九 日 の中 宗 像 神 社 に参 拝 せ ら る。
埴原正直 ︹ サンフランシスコ総領事︺夫 人 よ り 電 話 、 矢 板 玄 蕃 の申 込 に
安 保 に極 秘 親 展 例 之 大 策 を 送 る 。 私 邸 に て 夫 人 に 手 交 。 ( 井上行
夜散 歩 。
曇
九月十四日 月
休 み)
付尋らる。保証す。
午 前 明 治 神 宮 参 拝 。 千坂 を 訪 ひ左 内 感 激 文 を 送 る。 不 在 な り し。
︹ 方︺ 行衛 不 明 の 米 機 加 察 加 無 人 島 に不 時 着 、 無 事 。 仝 島 北 東 端 ナ ウ
り 色 紙 を 取 極 め 回向 院 に 行 く 。 関 屋 電話 面会 を 求 む 。来 る 。竹 内
確 む 。 元 帥 よ り 色 紙 一枚 を 得 て 帰 る 。今 立裕 山本 表 具師 と 共 に来
川 口午 前 午 后 来 り 元 帥書 のに せ 物 に落 胆 、小 笠 原 に見 せ愈 よ 之を
涼
アリ ン岬 の 西南 に当 る コイ ナ、 ブ リギ ン河 附 近 ノ無 人 島 (ア レ ン、
曇
関 屋 宮 内次 官 特使 遣 米 の 要 あ ると 云 ふ。 予 の説 明 に賛 す 。
︹ 欄外︺実 帰 校 。
仝上来る。 ( 川 口金 を 無 心す )
モイ ル 両 人)。 右 十六 日蘇 汽 船 ベー ルイ 、 ク ラ バ ロヴ 号 救 助 す 。 九月十 八日 金 薩 摩 雄 次 来 り 中村 事 件 の対 策 を 問 ふ。 対 露 決 算 を 第 一と し 米 の正 義 派 を 喚 起 し 日本 に対 し 積 極 的 行 動 を 牽 制 す べし と 答 ふ 。
*海 軍 が 平 時 より 現 地 に 居 つた らど う す る。 訓令 ( 政 府 の) な
りとて見殺しにするか。
小西 干 比 古 来 り 資 源 局 問 題 に付 報 じ 、 坂 本 俊 篤 に 会 見 を 頼 む 。 依 り て浅 田 ︹ 栄 一郎︺書 記 ︹ 内閣資源局属︺を し て之 を 周 旋 せ し む 。
晴
下 手を す れば 後 に至 つて陸 軍 に引 づ られ 国 軍か ら 恨 ま れ る。 九月二十 一日 月
本 日午 後 十 時 半 支 那 兵 満 鉄 線 を 爆 破 し 我 守 備 兵 を 襲 撃 し た ので 日
午前 竹 内 来 り 昨 夜 三 長官 会 議 后 荒 木 中 将 平 沼 と 会 見 を 話 す 。 午 後
支衝突。
永野 ︹ 修身、中将、軍令部次長︺ 、 小 林 に 会 ひ状 況 を 聞 き 、 殿 下 に 拝 謁
晴
九月十九日 土
申上ぐ。
マ︺
奉 天、 長 春 、 寛 城 子 諸 処 に 衝 突 起 り 我 軍 随 処 に 占 領 す 。 東 京 さ す が に緊 張 す 。
︹マ
関 屋来 訪之 事 も申 上 ぐ。
夕 北 一輝来 り 南 に内 閣畏 かく を 勧 む べく 申 来 る。 軽 く あ し ら う 。
。
朝 鮮 軍独 断 出 兵 す 。 条 約 に準 拠 し条 約 面 の兵 数 迄 増 兵 す と 称 す 。
寛 一帰 宅 。 実 仝 上 。 兄 弟 五人 揃 ふ 。 目 出 度 〓
野村 ︹ 直邦︺大 佐 ︹ 駐独武官︺独 よ り 帰 り 報 告 、 前 軍 令 部 長 と し て 。
*松 浦 ︹ 松見、少将︺ 一部 長 ︹ 艦政本部第 一部長︺特 派 大 使 、当 面 の問
内 閣 不統 一。
安 保 よ り メ ロ ンを 貰 ふ 。
陸 軍 の 一致 結 束 。
*土 匪 と 見 る べし 。
家 本 位 に歩 調 を 揃 へ武 威 を 損 せ ざ る様 陸 軍 協 力 す べき に 一致 す 。
三 ・三 〇 P M。 午 後 軍事 参 議 官 会 議 。 此 際 現 状 を 推 し て飽 く 迄 国
晴
題と ( 陸 軍政 権 ) 政 策 問 題 は 別 、 正 当 防 衛 の延 長 。
家庭写真。
財部 も 不思 議 に予 の持 論 に 賛 す 。 谷 口呼 返 し の問 題 あ り 。 一時 見
九月 二十 二日 火
小 笠 原 よ り 電 話 、 大 営 問 題 を 馬 賊 を 指 嗾 せ る 日本 陸 軍 の仕 事 なり
合す。
晴
支那法治国に非らず。
と て昨 日某 閣 僚 が 新 聞 記 者 に 語 り し を某 新 聞 記者 が参 謀 本 部 の某
九月 二十日 土
課 長 に 告 げ し に に が 笑 せ り と 報ず 。
竹 内 来 り 海 軍 の支 援 を 求 む 。 ︹ 欄外︺ 予提 議 容 れ ら る。
七 時 寛 一と 共 に出 発 西 下 す 。 演 習 総 監 と し て 谷 口に 代 る為 。
口と 引 継 ぐ 。 右 一行 は台 風 に追 はれ 五十 度 之 動 揺 に 近 藤 大 佐 血 を
大 阪 に 素 子 出 迎 ふ。 午 前 七 ・五〇 神 戸着 、 ﹁オ リ エン タ ル﹂ に 谷
雨颱風
*議 論 す る場 合 に□
九月 二十 三日 水
吐き 林 ︹ 容齋︺中 佐 ︹ 軍令部副官︺病 人 と な る 迄 に苦 し み し由 。 十 時
九月 二十六日 土
外 務 の裏 切 と 認 む べき 国 際 聯 盟 之 日 本 に 対 す る態 度愈 悪 化 、憂 慮
廿 分 発 、午 後 七 ・二 〇徳 山 著 、 燃 料 廠 長 、 秋 良 、 内 藤 、 松 政 等 之
晴
之余り之を竹内経由平沼に報じ最高会議を促す。
出 迎 を受 け 、 八時 帆 風 に て 出港 す 。 秋 良 に 元帥 書 を 渡 す 。 周 防 灘
内情を度外視するに決す。
午 後 十 時 荒 木 貞 夫 中 将 と 共 に平 沼 邸 に 会 合 、 閑 院 、 伏 見 両 宮 に 御
荒 波 、 予 も 少 し酔 ひ 早寝 す 。豊 後 水 道 より 天気 快 復 月明 と な る。
縋 り す る事 に 一決 、 深 更 帰 る。 ︹ 欄外︺ 下 郷 来 り 時 局 を 尋 ぬ。
* Cooper na .tio
台 風 徳 山 を 通 過 日 本 海 に 出 づ。 晴
父 上御 命 日。 九月二十 四日 木
晴 穏
九月 二十七日 日
美術伝統。
帆風交流機故障之為通信不出来。青軍所在地有明海に入り羽黒に
賢所 参 拝、 了 て小 笠 原を 尋 ね 、 西 園寺 呼 出 し に付 殿 下 之 御 力 を 拝 借す べく 、伏 見宮 に請 願 之 件 依 頼 、 直 に参 殿 御 快 諾 を 給 は る。 午
通 信 依 頼 。 爾 後 無 類 之 好 天 に て 夕 刻 鬼 界 島 飛 行 場 を 視 察 し 、 低速
︹マ マ︺
後 小 笠 原 、 荒 木 中 将 、 予と 四谷 宅 に会 見 、 荒 木 は陸 軍 に交 渉 を 約
午 前 八時 中 城 湾 着 、 陸 奥 に坐 乗 伺 候 を 受 く 。
晴天
学 務 部 長 知 事 代 理 と し て来 訪 、 知 事 と 共 に今 朝 東 京 よ り 帰 れ り 。
九月 二十 八日 月
に て中 城 湾 に向 ふ 。
す 。 予 と 小 笠 原 は 平 沼邸 に 到り 間談 、 明 日伏 見 宮 殿 下 へ伺 候 を 勧 め快諾。
保 障 し 国 利 国 権 を 擁 護 し帝 国 の国策 に順 応 し て 国家 の発 展と
* ︹二十 二︱二十四日 の欄︺帝 国 々 防 の本 義 は 帝 国 の 自 主 独 立 を
国 民 の福 祉 増 進 と を 図 る に 在 り 。
将、連合艦隊司令︺長 官 の招 待 前 に来 訪 、 大 に 詫 ぶ 。 依 り て明 三 十 日
半 晴 驟 雨
九月 二十 九日 火
住山 ︹ 徳太郎︺侍 従 武 官 仝 艦 。
九月 二十 五日 金
め 、 高 橋 大 佐 を し て答 礼 せ し め し に 大 に驚 き 、 正 午 山 本 ︹ 英輔、大
午 前 上 陸 の筈 な り し が行 違 と 知 事 よ り 先 訪 之 見 せ し め の為 め取 止
晴
午 前 水 交 社 に て金 谷 ︹ 範三、陸軍大将、参謀総長︺と 会 見 す 。 閑 院 、伏
輿 論 之 分 裂 を 見 れ ば 直 に 蓆 捲 し 来 る べし 。
見 両 宮 に拝 謁 言 上 を 約 せ し む 。 午 後 四 時 頃 電 話 に て 陸 海 軍 会 議 を 第 一段 と す る事 に申 来 る 。 予 快 諾 せ ず 。
陸奥士官以上及審判官に講演、坐談す。
1S赤 城 出 動 す 。 六 時 P M 1Sは 一小 隊 のみ 。
答訪を約す。
と す る赤 に 戦闘 序 列 之 為 割 中 し、 青 は 四分 五裂 と な る。〇 時 半 爾
東 方 に在 り と な し 、十 時 半 に至 るも 集 結 せ ず 、 十 一時 頃 3Sを 先 頭
発 見 、鳳 翔 爆 撃 を 受 け 廃 艦 と な る。 此 に至 るも 青 長 官 は 敵 を 遠 く
後 之 続 行 無 意 味 と 認 め演 習中 止 、 大 臣 命 令 通 り 各 部 隊 行 動 せ し む 。
︹ 欄外︺ 陸 奥 南 北 大 東 島 を 一周 す 。 意 外 の拓 け る に驚 く 。〓
演 習終 結 、 陸奥 鹿 児 島 に向 ふ。
基地なり。
半晴
少将、軍令部第 一班長︺及 幕 僚 と 共 に 那 覇答 礼 。 午 後 一時 半 帰 艦 す。
午 後 より 天候 不良 、 密 濃 降 雨 。 赤 城 戦 闘 機 三 台 不 時 着 、 人 命
九月 三十日 水
知事大に恐縮す。
無事。
午 前 六 時 3S1 SD1S の二 小 隊 出 港 、 午 前 七 時 半住 山 武官 、 及 川 ︹ 古志郎、
百円を救恤に贈る。□闘を見る。
樺山英輔、山本伯を促し牧野に説かしむ。
* 〇 ・三 〇演 習 終 了 。
午後三時出港、大東島に向ふ。
の干 渉 や れ ば 何 を 陸 軍 が起 す か知 れ ず 。 こ れ が為 め安 心 す る
* ︹ 二十八︱ 三十日の欄︺ 政 府 に絶 対 信 用 な し 。 下 手 に国 際 聯 盟
十月 三日 土
午 前 よ り 大 雨 、 夕 東 京 に て止 む 。 午 後 四 ・四 五 東 京 着 、 帰 る 。
2SD 5S の審 判 官 佐 世 保 よ り 合 同、 2SD之 独 断 不 専 行 を 憤 る 。 十月 四日 日 曇
午 後 七 ・ 一五門 司 着 。 駅 に て晩 餐 。 八 ・四 五馬 関 発 直 行 帰 京 。
部 長 等 見 送 る。 住 民 多 く 礼 す 。 感 ず べし 。
曇
最 高 会 議 を 開 く 事 急 務 。 陸 軍 を し て 閑院 様 に上 奏 を 願 ふ事 。
午 前 八時 鹿 児 島 着 、 十 時 上 陸 。 神 社 参 拝 之 上 十 時 五 十 分 発 、 内 務
北 東 風 十 乃 至 十 三米 曇
西 園 寺 は 平 沼 か 南 が宜 し か ら ん 。 元帥 及海 軍 が承 知 せず 。 十月 一日 木
午 前 四 時 演 習 開 始 、 赤主 力 は午 前 中 に鳳 翔と1 SS に発 見 せ ら れ爆 撃 ︹ 牽︺ 及 び 襲 撃 を受 、索 制 部隊 の 効果 無 し。 赤城勢力半減 ( 但 し 正 子 復 旧 )、 長 門 、 霧 島 共 に潜 水 襲 撃 各 六 発 ︹ 牽︺ 宛 を受 く 。索 制を 断 念 、赤 1F集 結 を 命 ず 。
晴 半 曇
* ( 最 高 会 議) 十月 五日 月
午 前 出 省 、 報 告 す 。 小 林 次 官 政 情尖 鋭 化 を 告 ぐ 。
*元 帥府 、 軍事 参 議 官 の意 見 陸 海 軍大 臣之 を □ む 。
午後 二 時 4S 3S 出港 。
小笠原に電話、帰京を報ず。
十月六日 火 晴 ︹ 権︺ 福 田 弁 護 士 今 立 裕 と 来 訪 、 回向 院 地 上券 仮 契 約 を 呈 す。 山 本 に 電
山 本 、 西 園寺 、議 長 、 副議 長 、総 理 、 外 務 、 大 蔵 、 陸 海 軍 大
北東強風
臣。 十月 二日 金 曇
赤 軍主 力 午 前 七時 過 集 結 、 直 に赤 城 爆 撃 に努 め 、 直 に 4S 3S鳳 翔 を
及 川少 将講 評 案 を 齎 らす 。
海晏 寺 墓 参 、 千代 は金 比 羅 様 へ。
内 閣危 し。
竹 内 来 り 中 川 と 会 見 を 請 ふ。 諾 す 。 軍 部 を 纏 め る人 物 に 就 て相 談
曇
景 岳 先 生 墓 前 祭 。 午 後 七 時 本 郷 仏 教 会 館 に て平 泉 博 士 講 演会 。 松
雨
話 し沢 田と 共 に 元帥 額 を 回 向 院 に 送 ら し む 。 六 二 円 。
平 子 爵 及 予開 閉 辞 を 述 ぶ 。 会 集 百 余 名 。 すと 。
十月 七日 水
午後軍参会議大臣報告。
十 月十 一日 日
曇
枢密院嶮悪、政府窮遂。
︹マ マ︺
竹内来り財部枢顧問題を相談す。
柳屋 卯 三郎 ( 先 日 の礼 に)、 大 湊 中 将 ( 青 軍 の講 評 に付 )、 佐 々木 ︹ 麻呂︺ ︹ ママ ︺ 革 次 、 中林 勝 麿 ︹ 史料編纂官︺ 、花見紅南、孝 ( 第 一番) 来 る。
来 客 多 き 日也 。 孝 子 息 之 不 幸 に仝 情 す 。 佐 々木 十 二 月 之 交 代 を 憂 ︹ 相︺ ふ。 中 村 訪 米 関係 を 祝 す 。 意 不 明 。 花 見 予 の想 は 再 び 活 動 の兆 著
晴 暑 気 来 る
しと 告 ぐ。
十月 八日 木
郎︺中 将 ︹ 練習艦隊司令官︺来 訪 。 矢 板 よ り 電 話 、 十 五 日午 後 五 時 自
高橋 三吉 ︹ 中将、海軍大学校長︺ 、 竹 内 賀 久 治 、 千 葉 断 一、 今 村 ︹ 信次
宅 に て晩 餐 を 約 す 。 山 本 擁 立 の評 あ り 。 江 木 、 伊 沢 、牧 野等 之陰
竹 内 電 話 、 十 三 日午 前 十 時 牧 野 、 平 沼 と 会 見 と 報 ず 。
十 月十 二日 月
︹ 欄外︺ 実 帰 宅 、 昨 日 よ り 。
謀と聞く。
講 評 会 議 。 殿 下急 に御 召 し 、 華 頂 侯 爵 家 事 件 に 付 妃 殿 下 と 共 に 御
片 山 礼 三 ハイ スピ ー ト 写 真 、 十 七 日 を 約 す 。 新 島 来 る。
曇
百武来訪挨拶す。大に喜ぶ。努力を勧む。
相談。
若 槻 重 臣 の間 を か け 廻 は る。
竹 内 来 る。 九 時 予 平 沼 と 会 見 、 遣 米 特 派 大 使 を 勧 む 。
に感激す。
中 村 、 山 口、 志 波 、 林 に書 を 与 ふ 。
雨
竹 内 来 り 、 牧 野 平 沼 に 会 見 を 求 め た る 話 を密 告 す 。
聖心 雄 手 莫 煩 悩 、 且 閑 々。 書 記 へ鈴 □ 売 地 。
十月九日 金
安藤 ︹ 昌喬︺中 将 ︹ 予備︺来 訪 、 黒 瀬 え 金策 之事 に 関 し失 策 を 謝 す 。
午 前 十 時 半 殿 下 御 召 に 依 り 演 習 状 況 と満 洲 問 題を 申 上 ぐ 。御 懇 話
気 の毒 也 。 減 俸 悲 劇 之 一。
十月十 三日 火 大 雨 颱 風 大 雨 ︹ 向︺ 回谷 院 住 職 水 野 了 石 父 子 、 檀 徒 総 代 礼 に 来 る 。
大 河 原 蔵 二、 竹 内 、 小 笠 原 、 竹 内 第 二 回 。 久 富 来 る 。
雨 に て秋 晴 を掩 ふ
十月十日 土
平沼牧野と会見、竹内之を報ず。
夕飯田橋散歩。
上海大恐慌 ( 軍 艦 派 遣 の為 )。南 陸相 声 明、 決 意 を 首 相 に交 付 す 。
田村来る。 *国 際 聯 盟 、 米 国 の態 度 、 最悪 の 場合 の 処置 、 陸 軍 の み の問 題
大石陸少尉来らず。
︹ 欄外︺ 関 屋 、 秩 父宮 様 帝 位 簒 奪 の 可 恐評 判 を 立 つ。 不 可恕 。
十月十 八日 日
築 地 一ノ六SU 商N 会片山礼三 ( 京 橋 二七 八 九 、 七 七 八 九)。
奥 名 を 経 て殿 下 に 陸 軍 の件 上 奏 。
で な い、 国 家 意 志 を定 め 特派 大 使を 出 す事 。 十月十四日 水
小 笠 原 よ り 電 話 、 陸 大 石 少 尉 の来 否 を 尋 ぬ 。 否 。
晴
午 前 十 一時 元 帥 軍事 参 議官 会 合。 午 餐。
下郷 大 朝 中 平 某 面 会 を 求 む ( 浦 塩 に 派 遣 員 ?)。
快晴
谷 口日 米 戦争 不 可 能 を 公 言 せ しを 以 て之 を 詰 り 注 意 す 。
朝 日壁 谷 珍 し く 来 る 。
︹マ マ︺
十月十五日 木
半晴
午後朝倉 ︹ 文夫︺氏 ︹ 彫刻家︺﹁ア ト リ エ﹂ に山 下 大 将 胸 像 を 見 分す 。
十月十九日 月
午 後 五 時 矢板 玄 蕃 、 平 泉博 士 を招 き 夕 飲 を 共 に し つ ゝ景 岳 会 相 談 。
︹ 欄外︺午 前 十 時 参 内 。 小 演 習 上 奏 、 大 東 島 に 付申 上 ぐ 。
竹 内 は 来 訪 を 絶 つ。
盟 に 入 ら ん と す と 。 竹 内 は 荒 木 の煩 悶 を 訴 ふ 。 山 田 は 、 陸 軍青 年
中平、山田 ︹ 三郎、海軍省︺法 務 局 長 来 る 。 中 平 は 朝 日 を 脱 退 し 右 聯
多 田中 佐 仝 行 。 夜 安 保 海 相 に 遣 米 特 派 大 使 の件 建 議 す 。 関 屋 に も
会す ( 園 遊会 )。
将 校 に 関 連 す る 海 軍 関 係 調 査 に 来 る 。 中 平 は朝 日 の卑 怯 に憤 る と
電 話 、 至 極 仝 感 実 行 に 進 ま ん と 云 ふ 。 斎 藤 、 金 子 を 擬 す 。竹 内 、
百 武 中 将 伏 見 様 に内 府 事 件 の御 詫 を 級代 表 と し て申 上 る為 め 相 談
云 ふ 。 右 傾 の脅 迫 に 慄 へし 也 と 。 米 輿 論 冷 静 、 国 聯盟 大 に の ぼ せ
晴 秋晴
に 来 る 。 殿 下 の思 召 も あ れば 角 立 ぬ様 に 予代 理 と し て参 殿 言 上 を
る。
十月十六日 金
頼む。
十月 二十日 火
午 後 水 交 社 に て 軍令 部 長 、英 長 ﹁ケ リ ー﹂ 氏 を 茶 に招 く 。 予 も 参
夕散歩す。
デ タ﹂ を 行 ふ ﹁プ ロ ツト﹂ に先 ち 憲 兵 隊 に保 護 収 容 さ る 。 東 京 各
今 朝午 前 四時 参 謀 本 部 酒 井 中 佐 外 二十 余 名 来 る廿 日を 期 し ﹁ク ウ
参 内 。築 地山 県真 建 社 写真 館 に。 撮 影 丁 寧 。 片 山 礼 三 番 頭 た り 。
十月十七日 土
後 我 国 貨 を 弗 に 換 へた る も の 一億 数 千万 円 に及 び 十 二 月迄 に は尚
談 話 会 へ、 土 方 日 銀 総 裁 財 政悲 観 を 説く 。 九 月 二 十 日英 金 輸 停 止
対 内 安 全 第 一策 と賛 す 。
竹 内 来 り 小 野 寺 の 活 動 を 報 ず 。 荒木 を次 官 に し金 谷を 止 め さす 事 、
千代と帝展に行く。
午前松山 ︹ 茂、少将︺航 空 本 部 長 挨 拶 に 来 る 。
快晴
陸 軍 航 空 隊 大 石 少尉 面会 を 求 む。 明 日再 電 話 を 約 す 。
聯 隊を 合 せ約 千余 人 の仝 意 あ り し と 。 君 側 の奸 を 除 く に 在 り 。
午 後 雨と な る
小 笠 原来 る。 薩 摩 雄 次 来 り 陸 軍問 題 を 語 る。
十月 二十 五日 日
聯 盟 日本 に反 対 決 議 す 。 日本 孤 立 。
孝 治 、 実 を 伴 ひ ﹁サ ツ ポ ロビ ー ル﹂ よ り 奴 に鰻 会 を 催 す 。 大 喜 也 。
実 鎌 倉 地 面 の秘 図 を 紛 失 し 心 配 す 。
十月 二十 一日 水
帝 都 館 に行 く 。
多からんと。
小笠原、竹内電話、荒木問題。
山 下源 太 郎 閣 下胸 像 の銘 を 記 す 。
後 八時 比 荒 木 中 将 訪 問 、 予 不 在 の 為 面 会 せ ず 。
福 田母 堂 告 別 式 に十 円 を 送 る 。
十 月二十 六日 月
快晴
松平子爵、平泉博士及予等を招かる。
午 前 銘 記を 書 す 。上 出 来 也 。
曇
昨 二十 日伏 見 両 宮 殿 下 神 奈 川 に て 自 働 車 に 衝 突 せ ら れ 玉 ふ 。御 見
雨
舞 に行 く 。
山 県 よ り 写真 を 贈与 す 。
右 後 海 軍省 に大 臣を 訪 ひ懇 談 す 。
十月二十 七日 火
午 後 一時 開成 中 学校 長告 別 式 に行 く 。
晴
の処 置 を 小 笠 原 に歎 願 せ り と 聞 く 。 荒 木 は 海 軍 が 昨 年 之 恨 の 如 き
午 前 十 時 半伏 見 宮御 召 伺候 、華 頂 侯 爵 家 々令 問 題御 相 談 を 受 く 。
十月 二十 二日 木
も のを 残 さ ゞ る様 願 ふ と 云 へり と 。 外 二 件 を 聞 く 。 第 一は 三 長 官
安 保 に 忠 告 、 撤 兵 問 題 を出 す べ か らず 。
小 笠 原 を 訪 問 す 。 荒 木 中 将 よ り 今 回 の青 年 士 官 問 題 に 付 海 陸 一致
辞 職 、 第 二は 金 谷 な り 。
日々に予の時局告出づ。
曇
午後東伏見宮御招宴。
千 葉 夫 人 来 訪 、 午餐 を 饗す 。
︹マ マ︺
仁 拳 闘 の為 め 腰 を 痛 む 。
十月 二十八日 水
仁 小 康 。 新 島 之 写真 に 署名 。 小池 、 山端 。
大将会、緊張せず。
快晴
参 拝す 。
十月 二十 三日 金
去 十 八 日 の保 護 禁 足 は陸 軍 の威 嚇 か も 不 知 、 慎 重 に取 調 之 要 あ り 。
午 前 山 端 祥 王 、 片 山 礼 三 来 る 。書 を 与 ふ 。 ︹ 複︺ 桑港写真を復写に渡す。
小 笠 原 より 電 話 。 小 野寺 一両 日待 て呉 れ 。
名 倉 に仁 を 。 荒 木 横 丁 治 療 に や る。 実 仝 行 。
十月 二十九日 木
晴
在 郷 軍 人 代 表 、 三 宅 、 加 古 の両 氏 来 る 。 満 洲 問 題 の決 議 也 。
晴
聯 盟決 議 を 突 き 付 け 政 府 動 揺 す 。
午 後 九 時 頃 保 坂 兵 太 郎 、 西 郷従 徳 ︹ 侯爵、貴族院議員︺外 第 十 師 管 下
︹ 欄外︺実 帰 宅 。
実 海晏 寺 に参 詣 。
十 月二十 四日 土
久 〓宮 ﹁ 青 蓮 宮 ﹂ 朝 彦 王 殿 下御 四十 年 祭 に参 し 、 正 午 御 陪 食 。
鴨 御 猟 五 羽 、 新 島 、 立 雄 に各 一羽 を 送 る 。
十 一月四日 水
末次中将、千葉夫人来る。
十 一月五日 木
快晴
午 後 二時 進 級 会 議 、 東 郷 元 帥 始 て欠 席 。 十月 三十日 金
土 肥 博 士 危 篤 に 付 見舞 。
雨
進 級会 議 第 二 日 、中 杉 、 糀 島 を 弁 護 し 、 中 杉 一人 を 昇 級 に復 活 す 。
晴
大 臣晩 餐 。山 梨 阿諛 す 。 谷 口耳 話 目 立 つ。 大 臣 に 注 意 す 。
雨
十 一月六日 金
﹁チ チ ハル﹂ 衝 突 。
終 日在 宅 。新 島 、森 孝 三来 る 。後 者 時 事 を 深 憂 す 。 尤 至 極 な り 。
晴
十月 三十 一日 土
土 肥博 士 逝去 す 。
陸 大 演 習 御 統 監 御 見 合 せ の内 議 見 は る。
会議。正午総理午餐。
正 午 大 臣 と語 る 。
宮 殿 下 へ伺候 、博 義 王御 方 に付 意 見 申 上 ぐ 。
山 下 大 将 胸像 除幕 式 。 予 の字 満 点 。
十 一月七日 土
午 後 最高 会 議、 安藤、 西 崎、 服部 の失 行を 聞 く。 可惜。 八 時 ( 夜)安保と懇談す。
行 幸 問 題 に殿 下 御 心 配 遊 ば さ る 。
谷 口 の密 談 目 に立 つ。 佞 物 な り 。
孝治を戒しむ。
十 一月 二日 月
西園寺公上京す。
佐 々木 夫 人 ( 玉 ) 来 訪 。 近 藤 信 竹 来 る 。 小 笠 原 、 竹 内消 息 な し 。
奥 名 来 訪 、 博 義 王 御 事 に付 語 る。
夕 刻 海 大 卒 業 生 に水 交 社 に て会 合 す 。
後 土肥 家 を 訪 ひ 、千 坂 を 訪 ふ。
御 奉 送 申 上ぐ 。
前 九 一五 快 晴
十 一月 一日 日
聖 上御 発輦 、 榛 名 に て佐 世 保 へ。 夫 れよ り 熊 本 へ行 幸 遊 ば さ る 。
十 一月八日 日
晴
安息す。
伏見宮に伺候、上奏に付御熟考を仰ぐ ( 行幸 問 題也 )。 正午仝殿下御招待、霞ケ関。
半晴
︹ 欄外︺ 明 治 神宮 に参 拝 す 。
富 士 に て 一P下 之 関 に 向 け 発 。 大 阪 に て 寛 一に 会 ふ 。 大 元気 、 千
十 一月九日 月
代 之 来 芦 に付 打 合 す 。
快晴
参内、御宴。
十 一月十日 火
十 一月 三日 火
実 来 る 。 夕 小 笠 原 清 明 氏 来訪 、料 理と 日本 海 々戦 図 を 贈 ら る。
晴
豊 田 豊 太 郎 に 題 辞 、 聖 心 雄手 莫 煩 悩 。
一泊 す 。 牧 山 ︹ 耕蔵、海軍政務︺次 官 ︹ 民政党代議士︺仝 行 、大 に驚 かす 。
午 後 三 時 五八 熊 本 発 、 三 田 尻 下 車 、 道 源 の招待 を受 け徳 山松 政 に
三 田尻 よ り 県 庁 自 働 車 に て 一時 間 半 、道 源 宅 に て 夜半 ﹁ふ ぐ﹂ 馳
午 前 七 ・三 〇 三 田 尻着 。 秋良 を 吊問 し 、十 一時 発 、 午 後 四時 二 日
走を受く。
市 着 、清 遊 す 。 小 野寺 ︹ 長治郎︺陸計 理局 ︹ 長︺仝 宿 、 快 談 す 。 十 一月十 一日 水
半晴
午 前 十 時 二 日市 発 、午 後 〇 ・五 八熊 本 着 。 岡本 氏 方 に投 宿 す 。 陸
十 一月十六日 月 晴 ︹ 廠︺ ︹ 廠︺ 午前徳山発、呉に広工敞を見、水交社に泊。工敞長と語る。
*晴 、 観 兵 式 。 秋 良 仝 行 す 。
十 一月十七日 火
御用達也。
午後三時奉迎拝謁 ( 行 在 所)。宮 方 廻 はり 。
甲 子 園 ﹁ホ テ ル﹂ に 行 く 、 泊 。
呉 発 、 江 田島 卒 業 式 、 答 辞 を 為 す 。
加藤神社に詣づ。
今 夜 静泊 。 十 一月十二日 木
設備其他大に良し。
宮 島 よ り 東 上 、 夜 九 ・ 一五 神 戸 着 。
陸 大 演 習 第 一日 。 ︹ 鹿︺ 山 賀 附 近 の戦 闘 西南 役 古 戦場 を 偲 ば し む。
雨 半 晴
午後 四 時 帰 宅 。 岡 村 ︹ 新太郎︺主 人 の案 内 に て 戸 下 温 泉 に 泊 す 。 大 に清遊。
芦屋に行き初孫を見る。素子大に健全。
曇
孫を ﹁ 寛 ﹂ と 命 じ 、 大 に祝 す 。
*快 晴 、 寛 一来 る 。 前 川 出 迎 ふ 。
雨 ︹ 氈︺ 早 朝 起 床 、 入 浴 。 阿蘇 登 山。 三 里 の山 道 坦 々毛 壇 上 を 走 る如 し 。
尼野と会食、静眠す。
十 一月十九日 木
快晴
*新 島 をfreeに す 。
十 一月十 八日 水
正 午 帰熊 。 演 習 第 二 日 。 龍 田 山 に陪 観 す 。 濃 霧 咫 尺 弁 ぜ ず 。 本 日
十 一月十三日 金
は 午 前 のみ 良好 に て 予 に幸 せり 。 本 夜 一条 、 菊 池 ︹ 武夫︺男 ︹ 貴族院議員︺ 、作間、前田等来り、岡村 の 接 待 を受 く 。 至 れ り 尽 せ り。
﹁寛 ﹂ 命 名 祝 宴 、 下 郷 母 子 、 尼 野 来 会 す 。 箕 面 公 園 初 音 に て 一酌 。
半 晴 雨 な り
第 三 日 。 練 兵場 付 近 。午 後 中 学 校 庭 に て講 評 。
十 一月 二十日 金
十 一月十四日 土
前 八 ・五 八大 阪 よ り 宝 塚 を 経 て舞 鶴 卒 業 式 に 殿 下 の御 伴 す 。仝 夕
帰 上 、 京 都 に て千 代 と 合 し 、 八 時 特 急 に て 東 上 す 。
本 日 午前 九 時 ﹁ 寛 ﹂ 誕生 、 母 子健 全 の 電報 を 受 取 。
曇
本 妙 寺 に参 詣 、 ﹁ 寛 ﹂ の武 運 長久 を 祈 る。 十 一月十五日 日
帰 京 。 寛 一に 為 替 八 十 円 を 送 る 。
十 一月 二十 一日 土
下 郷母 子 、 世 喜 三見 送 る。
十 一月 二十 六日 木
午 後 三 時 軍参 会 議 、 殿 下 の み御 列 席 、 元 帥 微 恙 欠 。
館 に答 礼贈 与 せ し む 。
新島 を し て 羽布 太 重 一匹 (五、 六 十円 ) 写真 と 共 に神 田佐 々木 旅
︹二︺
千 葉 よ り 電 話 、 逗 子 一五七 杉 山 え の求 婚 也 。
十 一月 二十三日 月
北 陸 ﹁タ イ ム ス﹂ 社 長 来 り 碑 文揮 毫 を乞 ふ 。
実 友 人 と 新 国 劇 に 行 き 共 に 四 谷 に泊 す 。
云ふ。
千 代 吉 祥 寺 に 行 き 正 明 の事 を 談 る 。 功 大 に 驚 く 。 始 め て 聞 けり と
竹内賀久治来り金谷之事を語る。
夜 明 久 氏 来 り 右 に 付 相 談 、 眼 と 名 古 屋 之 問 題 に て善 諾 な し。
加藤香を招き村田親子、富美栄に紹介す。
谷 口 に警 告 す 。 荒 木 、 小 林 の問 題 也 。 一誠 の件 も 仝 じ 。
蘇 五年 計 画 は 想 像 よ り 以 上 之 出 来 也 と 云 ふ 。
て ﹁ホジ ソ ン﹂ と 親 交 あ り 。 加 奈 太 の使 と し て露 支 視 察 の帰 途 也 。
Mackin
十 一月 二十 八日 土
益混沌。
海 軍大 学 卒 業 式 、 行 幸 。 後 本 省 に て御 陪 食 。 天 津 衝 突 、 対 支 形 勢
十 一月 二十 七日 金
快晴
十 一月 二十 二日 日
尼 野 より 電 、 孝 の来 否 を 問 ひ来 る。
看 菊 御 苑 。 千 代 横 浜 と 逗 子 、 鎌 倉 に行 く 。 千 葉 夫 人 よ り 又 電 話 。
下郷伝平来り昼食を共にす。
︹ママ︺
千葉夫人来訪、杉山に求婚を催促す。
午 後 五 時 賢所 参 内 、午 後 六時 より 八時 十 五 分迄 、 仝 十 時 四十 分 よ
大角水校 ︹ 水雷学校︺卒 業 式 に 脳 貧 血 を 起 す 。
加 藤亮 一来 る 。新 島 来 る。
作 間 来 り 富美 栄 と加 藤 香 婚 約 之 事 を 相 談 、 昼 食 を 共 に す 。
十 一月二十 四日 火
伊 藤 利 三郎 ︹ 大佐、海軍省電信課長︺、 小 林 宗 之 助 ︹ 大佐、海軍省出仕︺ 、町
十 一月 二十九日 日
て亡 命 の際 予 彼 女 を 助 け て 日 本 に 送 り し を 徳 と す 。
加 奈 太 来 の □ □ □ と 云 ふ。 ﹁ホ ジ ソ ン﹂ の妻 は 露 人 に し て浦 塩 に
Beに ll 大 臣 官 邸 に会 ふ。 浦 塩 勤務 の ﹁ス コ ツチ ﹂ に
雨 寒
り 翌午 前 一時 半 迄 。安 達 ︹ 謙蔵︺内 相 連 立 内 閣を 声 明 す 。
名古 屋与 呉鋼 二 に書 、忠 孝 、 四、 色 紙 二枚 を 与 ふ 。
田 ︹ 進 一郎︺、 河 野 と 千 葉 に 会 す 。 秀 也 も 加 は る。 後 柳 光 亭 に 、 夫
晴
北 陸 タ イ ム ス社 長 に河 濯 川 改 修 記 念 碑 を 書 き 与 ふ 。
よ り 浜 町 御半 に 。
土 方 久 徴 長 男 甘露 寺 ︹ 受長︺伯 爵 ︹ 東宮侍従︺と 結 婚 に付 披 露 会 に 趣
正 明旅 費 の電 尼 野よ り 来 る。 十 一月 二十 五日 水
く 。東 京 会館 、 午後 三 時 。
曇 岡村 新 太 郎 熊 本 より 上 京 す 。
相 浦 小 七 華頂 宮 家 令 を 申 込 む 。既 に決 定 せり と 答 ふ。
大 村講 話 の要 旨 。
日 比 野 に 明年 海 大 に て の話 を 諾 す 。
日 比 野、 千 坂 、 加 藤 香 、 山 口清 、 今 立 、 千 葉 母 嬢 来 訪 。 雑 踏 す 。
十 二月 一日 火
孝 治 と 幸 鮨 に行 く 。 美 味 。
十 二月六日 日
尼 野 に 箕 面 の杖 を 頼 む 。
正木 ︹ 宣恒、海軍造船︺、 大 佐 帰 隣 来 訪す 。 鯛を 贈 る。
実来る。
十 二月五日 土
話来る。断る。
加 藤清 忠 、 関根 大佐 の快 諾 に感 激 、 十 二 日 の午 餐 会 に 招 待 す と 電
中 平亮 、 森 園 豊 吉 戦 争 辞 典 版 行 に 付 金 の援 助 を 求 め 来 る 。 一笑 に
千 坂 不 相 変 要 領 不得 の 話を 為 し帰 る 。 予 に注 意 は難 有 。
百 武 次 長 来 訪 、 報 告 す 。 満 洲 に 就 て也 。
付 し帰 へす 。 田結 大 佐 襟 裳 艦 長 に。 出 京 特 務 機 大 尉 来 訪 。
十 二月二日 水
午 前 正 木 、 村 田、 加 藤 亮 を 訪 ふ 。
十 一月 三十日 月
秀 也 よ り ﹁ビ ル﹂ を 送 り 来 る 。
明久 来 り 猶 予を 乞 ふ ( 求 婚 )。
終 日不 快 。
世喜三より来信あり、聊か悲観さる。
鎌 田 正 一暇乞 に来 る。 上 海 陸 参 謀 也 。 賀 す 可 し 。
晴 暖
加 藤 香 暇 乞 に 来 る。 ︹ 造︺ 小 林 躋 三礼 に 来 る。 左 近 司 仝 断 。
松浦松見、和波 ︹ 豊 一、少将、艦政本部第五部長︺ 、紫安新九郎 拓務次官
十 二月三日 木
今 朝 佐 藤 長 裕 氏 心 臓 麻 痺 に て 死 去 。 夕 千代 と 吊 問 す 。 ﹁三十 円﹂
十 時 軍 参 々 集 、 殿 下 、 元帥 外全 員参 集 、 軍縮 対 策 を 聞 く 。
十 二月八日 火
久 富 、 永 井 、 川 口来 訪 、何 れも 不在 。
晴
晴 秋 晴 れ 快
寒
福 田弁 護 士 回 向 院 景 岳 碑 の借 地 代 追 徴 に 付 相 談 す 。 永 井 に 再 相談
鎌 田 八 ・二 五 P発 上 海 に。 見送 る。
十 二月 七日 月
晴
烈士 全 体 の保 護 に及 べと 云 ふ。
を頼む。
︹ 民政党代議士︺ 、 浦 塩 本 願 寺 住 職 歓 迎 会 の相 談 に来 る 。 松 岡 京 日社
香奠。
曇
晴 暖
長 来 訪 。 立 雄 親 子来 る 。加 藤 清 忠 日本 貿 易 協 会 の為 講 演 申 込 に来
久 富 来 り 陸 軍 の軟 化 を 憤 る 。
晴
る。関根 ︹ 郡平︺大 佐 ︹ 軍令部第五課長︺に 托 す 。仝 大 佐 午 後 来 訪 、 大
国際 聯 盟 悪 化 す 。
十 二月九日 水
に 有 益 、 十 四 日 の講 話 快 諾 。
晴
︹ 欄外︺揮 毫 。 呉〓 、 熊 本 、 呉 水 交 。 十 二月四日 金
千 坂 来 訪 、 閑 院様 総 長 之件 に付 海 軍之 処 置 相 談 す 。
横 須賀 汐 入 小 学 より 金 之 無 心 来 り 当 惑 す 。
半晴
十 二月十日 木
十二月十 五日 火
竟 子来 る 。
佐 藤 長 祐 葬 儀 参 列 す 。 夕 土 肥 博 士 五七 祭 招 宴 、 答 辞 を 述 ぶ 。
軍縮 全 権 鹿 島 立 見 送 る。 行 之 盛 な る帰 之 偲 ば る ゝ。
安 保 を 訪 ひ谷 口を 談 ず 。 後 小 笠 原 を 訪 ひ午 餐 を 倶 に し 帰 る 。
晴
安達反旗を翻し内閣大動揺。 十 二月十 一日 金
横須賀汐入小学校長、今井某と来訪、寄附無心に来る。千代応接。
半晴
終 日書 。 竹 内 を 呼 集 す 。 要 領 を 不 得 。
午 前 相 模 中央 社 長来 り偵 察 す 。断 然 はね 付 く 。
十 二月十 二日 土
吉武、千葉夫人来訪。千葉夫 ︹ 人︺不 相 変 執 拗 。 ︹ 蒋︺ 将 介 石 下 野 、 満 洲 出 兵 の議 上 る 。
十 二月十六日 水
内閣総辞職、各相辞表を出す。
北 一輝 来 訪 、末 次 、荒 木 を 勧 む。 仝 意 す 。
十 二月十七日 木
小 雨 曇
野田、岡 ︹ 新、中佐︺ 、 三並 ︹ 貞三、大佐、能登呂特務艦長︺軍 縮 一行 来 訪
閑 院 宮 参 謀 総 長 御内 諾 の 儀朝 日夕 刊 に 顕 れ ﹁セ ンセ ー シ ヨ ン﹂ を
︹ 欄外︺ 賢 所御 神 楽 に参 列。
す。
竹 内 来 り 之 の 実 を報 じ 急速 実 行 を 平 沼 の名 に て 予 に勧 告 を 頼 む 。
暖
今 立裕 来 訪 、 頻 り に入 閣 を 勧 む 。 軽 挙 せ ず と 答 ふ 。 ︹ 欠︺ 大 命 犬 養 に下 る、 高 橋 ︹ 是清︺大 蔵 を 承 諾 す と 日 々□ よ り 電 話 来
千 坂来 訪 、仝 問 題 に焦 慮 す 。
小林 来 訪 ( 省 三郎 )、心 配 させ た る礼 に来 る。
起す。
る。 十 二月十 三日 日
十 二月十 八日 金
雪
午前六時安保より電話、大角推薦を報ず。
早 朝 荒 木 陸 相 を 代 々幡 に尋 ね 、 閑 院 宮 参 謀 総 長 御 内 諾 を 確 め 、 安
寒
七 時 井 上 あ ん ま 来 訪 、 好 意 的 治 療 を受 く 。
保 に相 談 。 伏 見 宮 に 伺 候 御 内 意 を 伺 ひ 東 郷 元 帥 之 同 意 を 求 め 、 再
十 二月十四日 月
夜 千 坂 を 訪 ふ 。 小笠 原 此 日 大 に 元帥 に説 く 。
大 角 、 荒 木 の会 見 と な る 。
晴
満 洲 事 件 の火事 泥 書 生 二 来 る 。
び安 保 に報 じ 直 に安 保 よ り 大 角 海 相 に 相 談 、 遇 然 の暗 合 と て快 諾 、
海相 交代 。佐 藤 初 七 日祭 典 欠 席 。
元 帥 時 機 の問 題 に て少 しく こ だわ ら れた る が故 也 。
︹マ マ ︺
新 内 閣 親 任 組 閣 、 荒木 貞 夫 陸 軍 に相 た り。 大 角 海 相 と な る。
出 省 、新 海 相 に挨 拶 す 。 谷 口自 己 之 進 退 に付 漏 口す 。 意 中 不 可 測 。
此 日朝 刊 閑 院宮 総 長 の報 を 伝 ふ。 全 部 也 。
快晴
後ち安保邸を訪。
太 田覚 眠 ︹ 真宗本願寺僧侶︺歓 迎 会 、 幸楽 、 山 口 の旧 政務 次 官 招 宴 。
十 二月十九日 土
小 笠 原 、 千 坂 来 り 大 に語 る 。 谷 口 の不 評 甚 し 。
仁 海 晏 寺 に歳 暮 に行 き 参 詣 す 。
十 二月 二十 三日 水
安 保 よ り 大 角 、 紀 尾 井 町 と 元 帥 へ報 告 之事 及 決 行 明 約 の事 を 電 話
海相予備将官に軍縮問題陳述。 晴
十 二月 二十日 日
日露 協 会 、 斎 藤 会 長 来 会 。 談話会、坂西之話有たり。
す。
十 二月二十 四日 木
安 保 来 り 昨 十 八 日谷 口よ り 大 角 え 閑 院 宮 総 長 反 対 に 付伏 見 宮 の御
然 辞 意 撤 回 の事 を 申 出 た る に 由 り 、 大 角 窮 迫 、 本 問 題 一時 見合 わ
殿 下 に 伺 候 、 大角 言 上 の結 果 を 拝 聴 す 。 大 角 改 め て御 受 諾 を 願 ひ
口添 に て中 止 を 努 め 方 申 出 て既 に 御 内 奏 済 の旨答 え ら れ 、 午後 突
せを 申 来 る。
殿 下 は 来 春 軍 縮 問 題 の 紛糾 せざ る以 前 今 日 の如 く 人 心 の稍 や安 定
︹マ マ ︺
( 財 部 か 岡 田 の 入知 恵 か 、 谷 口 に辞 職 勧 告 せ よ と 迄 云 は る)、 前
午 後 宮 に御 断 り 元帥 に報 告 、 安 保 に深 夜 迄 語 る 。 元 帥 大 御 不 満 、
奥 名事 務 官 来 訪 す 。 酒 を 贈 ら る 。尚 博 義 王 殿 下特 型 駆 御 満 足 の件
海 相 午 餐 、 新 政 務官 披 露 。
せ る 時 な ら ば と 云 ふ条 件を 以 て答 え ら る。
十 二月二十 一日 月
に付高崎 ︹ 武雄、大佐、博義王付︺武官 軽 率 の事 を訴 ふ 。千 坂 より ﹁ 拳
晴
早 朝 安 保 に書 信 し 、 大角 、 谷 口 の態 度 の重 大 性 を 戒 む 。 安 保 、 大
後 策 に終 夜 眠 らず 。 先 づ 静 観 す る事 と す 。 鳴 呼 谷 口 の態 度 可 唾 棄 。
角に告ぐと約す。煩悶々々。
十 二月 二十 六日 土
多摩御陵参代。犬養、鳩山等代拝す。
雨
十 二月 二十 二日 火
午前千坂来り明治聖勅集を貸与す。
十 二月 二十 五日 金
︹ 欄外︺ 殿 下 軍令 部長 を 海 相 に御 受 諾 。
大 角 、 谷 口辞 意 撤 回 の動 機 を 言 上 、 差 扣 ゆ かと 言 上す 。
々服 膺 ﹂ を 送 り 来 る 。
︹ 弘毅︺駐 露 大 使 に 請 願 す 。
紫 安 新 九 郎 代 議 士 来 り 、太 田 覚 眠 の 叙位 に賛 成 を 求 む 。 諾 。 広 田
安 保 、 大 角 と 会 見 。 最 近 に 重 大 問 題 決行 の 決意 を 語 る。 来 春 を 期
小 笠 原 に電 話 す 。 延 期 の件 也 。
し 四方 円 満 に 必 ず 実 行 す る と 確 言 。 大角 の決心 中 々 固 いと 云 ふ。
竹 内 来 り 宮 様 問 題 陸 海 軍 仝 時 でな い方 が 良 いと 云 ふ 。 両 者 通謀 し
仝 時百武、小 林研蔵 ︹ 中将、予備︺谷 口 に 辞 職 勧 告 、 辞 意 撤 回 を 責 ︹ 悄︺ む と 云 ふ。 谷 口消 然 たり と 。
晴
た様 にな つて いか ぬ か ら 。
岡 田 の代 り に有 馬 良 橘 顧 問官 に内 奏 と 決 せ る旨 阿 武 来 り 大 臣 よ り
晴
国 本社 小 磯 ︹ 国昭︺陸 軍務 局 長 時 局 談 、 大 に快 美 あ り 。
真 崎次 長 は決 定 す 。
と し て報 告 す 。
一年 の回 顧 、 多 事 就 中 宮 様 問 題 に 於 て 然 り と す 。
十 二月 三十 一日 木
︹ 末 尾日付 なしの欄︺
原嘉道 ︹ 枢密顧問官︺仝 断 、 二 人丈 と 聞 く 。
示唆
大 勝 堂 に ﹁ロ ンジ ン﹂ 腕 時計 を買 ふ 28y 円也 。 五郎 の時 計 を 修 理 せ しむ。 陵逼
〃
十 一月 廿 二 日︱ 十 一月 廿 七 日
三 月 廿 二 日︱ 四 月 十 七 日
二月 廿 三 日︱ 三 月 七 日
晴
皆 川 国 次 郎 来 り 元帥 と 予 に揮 毫 を た の む。 十 二月 二十七日 日
〃
〃 七 年 一月 廿 六 日︱ 二 月 六 日
昭 和 六 年 十 二月 廿 九 日よ り 七 年 一月 七 日
立雄氏来る。
〃
井上治療三回目。
原 嘉 道 、 有 馬 良 橘枢 顧 発表 。 御親 任 。東 日 は岡 田 の落 撰 を 軍 縮 関
通信費、台所費は別
係 の 為 と 報 ず 。 財 部 と前 軍令 部長 と の 間 の 関係 、 枢 府 、 民 、 政 両 党に纏はり云々。 二十 五 日 錦 州前 進 に 付 米 国 の 注意 書 来 る。
四七 七 円 〇 〇 時事 、 日 々 、朝 日 、 国 民 、報 朝 刊広 告
山 下 葬 儀 費参 考
千 葉 に 行 き 医 科 大学 に 村 田春 造 氏 を 見 舞 ふ。
一七 八 ・〇 〇 神 官
三 〇 五 ・六 五 葬 儀 屋 仕 払 一式
雨後 晴
対 米 回 答 正 匪 区 別 不 可能 を 力 説す 。
十 二月二十 八日 月
小笠原電話。
宮 中奉 伺 、各 宮 回礼 。
十 二月二十 九日 火
三 二 ・〇 〇 自 働 車当 日 式場 高 円寺 往 復 共
三 九 ・五 〇 火 葬 場茶 代 共
六 二 ・二 五 弁 当 四 日 分毎 日 三 、 四十 人
九 三 ・〇 〇 青 山 斎 場 雑 費共
半晴
李 王 殿 下 御 分娩 祝賀 伺 候。
大 巡 の砲塔 に ﹁カ ウ ンタ ー ウ エー ト﹂ を 付 た 結 果 電 力 を 附 加 す る
船 底 塗 、特 駆 の ﹁リ ベ ツト﹂、 大巡 の振 動 、 増 速 標 準 。
* ︹ 末尾メモ欄 、但し揮毫 メモは除く︺
計 千 百 八 拾 円 四 十銭 也 。
元 帥 よ り 日本 海之 戦 画 と 讃 を 手 つ か ら 賜 は る。 ﹁皇 国 の 興 廃 此 一 戦﹂。美 事 也 。小 笠 原 に礼 を 書 く 。
下 郷京 都 に行 く を 送 る。
十 二月三十 日 水
蘇 大使 よ り ﹁カ ビ ア﹂ 贈 来 る。 一を 下郷 に贈 る 。
事 を 要 し 、 ﹁ダ イ ナ モ﹂ を 大 に せ ざ る 可 ら ず 。 之 が 為 め 甲 板を 切
○ 港 務 部 海底 の 硬化 投 棄 物 把 握 の不 良 化 。
○ 海 軍班 を 分会 又 は聯 合 分 会 と な す の急 。
波 多 野 の件 人事 局 長 の ﹁バ ツク﹂ を 要 す 。
○ 航 海 学 生 の素 質 低 下 、 練 習 艦 と な り し為 俄然 。
○筥崎岸壁震災崩壊。
○ 廃 棄 又 除 籍 艦 船 の 場 所塞 ぎ 。 阿蘇 、筑 摩 、S9410 夕立、卯月。
ド ル フヒ ン式 繋船 壁 。
開 く の 要あ るを 以 て兵 員 室 の附 近 無 防 禦 に定 め ん と す る 議 あ り 。
野 村 を 招 か ん と す る 一派 は彼 を明 年 の1 F長 官 に為 さん と 焦 る 由 。
○ 下 士 卒 家 族 患 者 の増 加 。
中 村 之 を 叱 し戦 時 の 要求 に応 ぜざ るも のは 断 る と 明 言 せ り と 。
断 じ て不 可 な り 。 今 の制 度 に て は 如 何な る志 士 も 暖 簾 に腕 と 云 ふ
○艦 船 部を 廃 し 予備 艦 隊 制 度 を 復 活 す る 事 。
○ 軍需 品 の改 良 整 理 。
○ 被 服 物 品 の統 一購 買 。
べし 。
材 料 及 諸 施 設 の標 準 化 及 機 械 化 。
工廠
保存 節 約と 教育 訓 練 の 関係 。
○ □ □ 勤務 の 辱職 者 及其 処 分。
風紀 掛 の監 督 法 。 ︹ 撰︺ 工事 予算 の杜 散 、 工数 を 技 手 任 せ 。
整 理 後 に 於 け る 工作 庁 軍 需 部 に於 る作 業 能 率 及 勤 務 の状 況 。
篠 崎 機 大 尉 の下 士 官 兵 人事 調査 に 関す る参 考 事 項。
工数 請 負 は 何 故時 間請 負 より も 可な る や。 初 級 士 官 に接 す る の機 会 は如 何 に し て作 る や。
○ 士 官 以 上 の基 本 部 教 育 如 何 。 思 想 的 教 育 、 人格 、 能 力 上 の権 威
信望。之より外結束を固くする途なし。
初 級 士 官 と 下 士 官 と の意 志疎 通を 得 る の途 如 何 。 ○徴戒刑罰 ( 行 刑) よ り も 防 止 。 逃 亡 、後 発艦 。
交代 の 頻繁 を 避 く る の万 遍 主 義 は万 遍 に弱 る 基 な り 。 豊 田 の ﹁ダ
内 容 充 実 は小 額 の経 費 に萎 縮 せ ず 最 大 の効 果 を 挙 ぐ る に在 り 。
○機関科に犯罪者多し。 防 止 の方 法
○ 第 八 駆 郷 田 喜 一郎
○ 山 城 艦 長 の答申 第 二 を 具 体 的 に 聞く 。
○五十鈴 ( 後 藤) 名 誉 章 。
○班 制 度 。
イ ヤ グ ラ ム﹂。
一、 上 官 の卓 抜 な る人 格 、 手 腕 、 識 見 よ り 生 ず る 権 威 。 二、 法 令 に 関す る知 識 を 普 及 せ し め 法 律 観 念 を 修 得 せ し む 。 ○ 工廠 の戦 時 増 員 二万 二千 人 。 公 出 張 者 を し て部 外 旅 、 工 場 の生
○ 出 師 準備 運輸 の 図 上演 習。
産 品 を調 べ しむ る事 。 之 に ﹁ノ ート ﹂ を 与 ふ 。
○ 無 線 電 信 所 故障 を命 じ命 令 を 八方 へ伝 へしむ 。
建 築 部 作 業費 の 現況 、勤 務 手 当 廃 止 の影 響
木 曾 の特 務 大 尉 と 兵 科 少 尉 。
12間 ポ ンプ 、 五 割 増 水 、一 万 八 千 屯 ( 掘 下 げhewを 大 に す)。
静岡県師範学校附属小学校四年生女子伊藤博子。
経理部 ︹ 諜︺ ○ 英 米 牒者 の 活動 。
横 須 賀 給 水 最 大 限 度 一万 五 千屯 。 ( 市 三 千 屯)
水源貯量三万二千屯とす。
○昨 年 十 月 以 来小 笠 原方 面 遊 覧 者 の急 増 。 ︹ 観︺ ○青 年 将校 の看 念 漠 たり 。 ( 履践密)
落差四万呎 ( 中津 川 と □ □)。
○沼 津 の機 中 佐 。 ○ 安 保 の息 借 家 あ り 。
首席 安 藤 ( 高橋)
次長 其ま ゝ
一案 次官 全権 小 林 ( 左 近 司)
る様 に す 。
日 本 の反抗 心 を静 め仕 舞 へば 仕 方 がな いと 云 ふ て全 部 を 譲 歩 させ
平 時 □ □ 戦 略 、少 き ﹁コ ンセ ツシ ヨ ン﹂ を 少 しづ ゝや らせ て段 々
日本 南 北 要 地
英 予 備 歩 兵 中 尉 ﹁エ フ ・フ アー デ ー ・ウ エ ツ
学 生 廿 四名
三育 学 院 ア ンド リ ユ ・エム ・ネ ル ソ ン
千葉 県 君 津 郡 神 納 村 字 市 原 山
宣教師養成 木更津
田方 郡 内 浦 村 寺 院
一F末 次 次長 二 F永 野 ( 中村)
グ﹂ ( 江 の浦 )。 米 米 主 と し て八 丈 、 小 笠 原 の防 備 状 況 、 近 海気 象 、佐 世 保 、奄 美
横鎮山梨 ( 藤 田) 千
大 島 の地 所 。 Keikinko ハsル hナ u (三︱ 四 〇) 本 艦 の そ ば 、 定 リ リ ユ ー 人Stow.
( 乙案)
艦本波多野 軍参へ 大角、山本 ( 休)
一F小 林
艦本
全権安藤 ( 高 橋)
アル ン□ 係水 雷艇 汽 □ を 命 じ 遅 る。 副 長 に届 け ず 。
二 F末 次
﹁ポ ツポ﹂
三 十 日東 京 に行 き 不在 者 二名 。
横山梨 ( 中 村)
首席加藤
防 備 隊 及 追浜 之 れ也 。
( 以 上 船 舶 日 誌)。
榛 名 の ﹁バ ル ヂ﹂ 一節 半 落 速 と な る。
然 れ ど も 軍 備 の 本質 上各 種 兵力 の 最善 な る按 排 は国 情 に応 じ 自 ら 動 す べか らざ る も のあ る を 以 て永 く本 条 約 に依 り 覊 束 せら る ゝは 国 防 上 頗 る 不 利 と す る処 な り 。 乃 ち本 条 約 期 間 の終 結 と 共 に帝 国 海 軍 の所 信 に 基き 最 善と す る方 策 に依 り 直 に 国防 を 完 備 す るを 要 す。 倫 敦 条 約 は 海 軍 は 無 論 之事 全権 も 政府 も完 全 なり と し て締 結 した る も のに な い事 明 也 。 乃 ち 、
一九 三 六 年 の改 定 を 保 留 す 。
一、 若 槻 全 権 の 最 後 の声 明 、 此 の 侭 で は 国民 は 不安 を 感 ず 、 故 に
二 、 海 相 の仏 伊 に 対 す る 安 全保 障 に対 し 、我 潜 水 艦 を 争 ひ し事 実 。
事。
三 、 浜 口が 潜 の不 足 を 認 め 他 の方 法を 以 て補 ふと 議 会 に明 言 せ る
昭和七年
︹ママ︺
陸 海 大 臣 上 奏 、勅 語 を 賜 は る。 水 交 社 交換 会 。 ︹ 松平︺慶 民 ︹ 式部次 長兼宮内事務官︺邸 訪 問 。
晴
︹ 欄外︺午 後 七 時 東 郷 ︹ 平八郎︺元 帥 自 邸 よ り 放 送 。 一月五日
晴
賜 餐 後 立 雄 を 訪 ひ 、 市村 夫 婦 に会 ひ痛 飲 す。 一月六日
新 歌 舞 伎 に 千 代 、富 美 栄を 伴 ふ 。佐 々木 玉 子脳 溢血 に て人 事 不正 、
一月 一日
一月七日
米 仏 英 の 干 渉 を伝 ふ 。
直 に 見 舞 に 行 く 、午 前 十 一時。
北満 之 壮 図 錦 州 に打 開さ れ んと し 、 四方 活 気 と 緊 張 と に て 元 日 を
米 国 詰 問書 を 発表 す 。
晴暖
迎 ふ。
稀 に 見 る暖 正 月 、 スキ ー連 大失 望 。
晴
参 内 、大 宮 並 各 宮 参 賀 。 村 田 へ。
佐 々 木 一族 来 着 。
一月 二日
雨
寺尾、立尾、小笠原来り、大に騒ぐ。今立追分を歌ふ。
一月八日
孝 治 を 佐 々木 に 見舞 は し め 、朝 鮮 リ ン ゴを 贈 る。
一月 三日
千代 横 須賀 馬 淵 に祝 に行 く 。 新 婚 夫 婦 の為 。
内 閣 総 辞職 、 大角 ︹ 岑生、海軍大臣︺に忠 告 す 。
榴 弾 を 玉車 に投 ぜ し も直 発 せず 、 宮 相 車 の 下 に て不 完 全 爆 発 。
午前 十 一時 四 十 五 分 頃桜 田 門外 警 視 庁 前 に て朝 鮮 人 某 精 巧 な る手
晴
十時 頃 より 晴 。 千 代 と 西 新 井 大 師 に孝 治 の厄 払 を 祈 願 す 。 帰 途 幸
参内 。暖。例 に依り幕 僚会、佐藤市 郎 ︹ 大佐、軍令部出仕︺、 高 橋 三
午 後 八時 廿 八 分佐 々木 玉 死去 。 直 に弔 問 す 。
鮨 に行 く 。 孝 治 憂 欝 神 経 過 敏 。
吉 ︹ 中将、海軍大学校長︺ 、近藤信竹 ︹ 大佐、軍令部第 一班第 一課長︺ 、久保、
晴
新 島 、 田辺 、 荒 井 来 り 盛 会 。 立 雄 大 に は し や ぐ 。
︹ 欄外︺ 参 内 、 御 見 舞 、 大 宮 御 所 、仝 断 。 一月九 日
晴
連 日無 類 之 好 天 気 、 好 正 月 。
竹内 ︹ 賀久治、弁護士、国本社社員︺来 り 犬 養 ︹ 毅、総理大臣︺ の留 任 を 報
一月四日
軍人 勅 諭 下 賜 五十 年 記 念 日。 出 省 、 大 臣 の勅 諭 捧 読並 に 訓 示 に参
ず。 新 島 来 る。 千 葉 ︹ 断 一︺ 。
晴
列す。
小笠原訪問、理事承諾を受く。
相談す。咄。 ︹ 社︺ 竹 内 来 る。 元 帥 及 小 笠 原 国 本 会 顧 問 及 理事 を 頼 み来 る 。
( 頸) に 異状 あ り 、 貼 薬
湿布す。
千代井上健 一 ︹ 医師︺に 治 療 を 始 む 。 動脈
予 佐 々木 邸 に 行 く 。 南 郷 ︹ 次郎、少将、予備︺と 谷 口 ︹ 尚真、大将、軍令部
晴
佐 々木 玉 法 要 。
一月十日
晴
大角 より 電 話 、 国 本 社 理 事 を 諾 す 。
終 日揮 毫 。 千 葉 断 一氏 来 り 求 婚 問 題 に 付 謝 す 。
一月十 五日 金
村松吉太郎死去に付広告連名を頼まる。諾。 ︹ 芳︺ 吉沢 ︹ 謙吉︺外 相 帰 朝 。
長︺問 題 を 語 る 。 反 感 意 外 に 驚 く 。
唯佛是真 ( 額)
海 晏 寺 墓 参 。 住 職 の為 書 二 を 贈 る 。
聖心雄手莫煩悩 ( 軸) 杉山明久 ︹ 三井物産社員︺来 り 千 葉 成 婚 問 題 を 断 る 。
宇 垣 ︹一成、陸軍大将、朝鮮総督︺留 任 之 新 聞 報 。
千代 、 村 松 吉 太 郎 宅 を 弔 す 。
大角 に 明治 元年 之 宸 翰 を 拝 書 し 送 る。
晴
一月十 一日
岡 田 よ り谷 口 の辞 意 を 大 角 に伝 ふ。
千 代 佐 々木 に行 く 。
軍事参議官︺の決 意 を 乞 ふ 。
千坂 ︹ 智次郎、中将、予備︺来 り 例 の重 大 問 題 に 付 予と 安 保 ︹ 清種、大将、
一月十 六日 土
晴
夕、末次 ︹ 信正、中将、第二艦隊司令長官︺来 り 快 談 す 。
本 日午 前 大 角 海 相 、 伏 見 ︹ 博恭王︺大 将 宮 ︹ 軍事参議官︺に伺 候 正 式 に
報告 す 。 二 十 一日 の解 散 後 又 は今 月中 遅 く も 紀 元 節 前 には 御 内 奏 、
( 吉 日 に付 ) 軍令 部 長 御 就 任 を 願 ひ御 内 諾 を 得 、 直 に東 郷 元 帥 に
安 保 に大 角 の言 を 確 む 。 廿 一日頃 と 考 え し が 少 し 延 る と 。
発 表 と 申 上 ぐ 。谷 口 は病 気 と 軍事 行 動 一落 着 に付 辞 任 再 申 、 且 つ
佐 々木 家 葬 儀 。 一月十 二日
晴
陸海 親 睦 会 、 戸山 学 校 。
殿 下 の御就 任 を歓 迎 せり と 。 予 は伏 見 宮 及 元 帥 邸 に 伺 候 、 御 話 を ︹ 社︺ 伺 ひ 祝 す 。 元帥 を 国 本会 顧 問 に推 戴 御 承 諾 を 受 く 。 晴
︹ 欄外︺ 殿 下 よ り 直 接 電 話 を 給 は る。 一家 其 光 栄 に驚 く 。 元
一月十 三日 水
安 保 を 訪 ひ谷 口問 題 を 談 じ 、 大 角 に勧 告 す る 事 に 決 す 。
帥 の意 を 聴 か れ た る也 。
一月十 七日 日
昨夜 雨 日中 晴
谷 口 、 糖 と痔 。
安保、大角と会見、重大問題保証を受く。今月中実行。
晴
谷 口え 勧 告 は大 角 か 安 保 が 行 ふ 。 一月十 四日 木
千坂 来 る 。 谷 口岡 田 ︹ 啓介、大将、軍事参議官︺を 通 じ て安 保 に進 退 を
明 治 神 宮参 拝 。昨 日 之吉 報 の御 礼 を 申 上 ぐ 。
一月 二十 一日 木
手中に在りとて荒木 ︹ 貞夫、陸軍中将、陸軍大臣︺に 注 意 を 頼 み 来 る 。
薩摩 雄 次 ︹ 国民新聞社社員︺来 り 七 面 鳥 を 北 一輝 よ り と し て届 く 。 直
千代 下 郷宗 訪 問。
一月十 八日 月
頭痛 あ り 、 胃 の 関係 なら ん 。風 邪 の気 味 。
午後 本 郷教 会 に参 列 す。 盛 厳 。
日 露 協 会 、 宮 川 駐 露 書 記 官 招待 に 会席 す 。支 那料 理 。
官︺最 後 通 牒 を 発 す 。
上 海 尖 鋭 化 、 能 登 其 他 海 軍 増 兵、 塩 沢 ︹ 幸 一、少将、第 一遣外艦隊司令
一月 二十 二日 金
千 代 と 幸 鮨 に 到 る 。 途 中 蟇 口を 落 す 。
帝国議会解散。
晴
千坂 を 慰 問す 。
に 下 郷 に贈 る 。
一月 二十三日 土
上 海 尖 鋭 、 塩 沢 不 相 変請 訓 病 に 罹 る 。
千 代 、 名 和 邸 訪 問 、 蟹 を 送 り 大 に喜 ば る 。
曇
晴
揮毫 大 に佳 、 気 分良 し。 ︹マ マ ︺
︹ 欄外︺天 子 一言絶 躰 な り 。 問 ふ も 愚 、答 ふ る も 愚 。鉄 舟 。 北 一輝 より 。
晴 井 上 健 一マ ツサ ー ジ 。
一月 二十四日 日
千坂、葛、真崎 ︹ 勝次、大佐、山城艦長︺ 、小林省 ︹ 省三郎、少将、満洲特務
大角風邪にて籠る。
晴
乞 ふ 。 諾 。 元帥 の御 署名 も あ り 。
一月十九 日 火
安保 に書 信 。 殿 下之 御 親 任 に付 注 意 す 。 安 保 は 北 条 よ り 帰 れ り 。
安 保 よ り 大 角 妻 君 よ り 昨 夜 電 話 あ 第 一歩 は 済 み だ と 。
機関長︺来 訪 、 夫 々 重 要報 告 を な す 。葛 は礼 也 。
森電三 ︹ 少将、予備︺来 訪 、 満 洲 慰 問 団 長 た る に 付 慰 問 帳 に署 名 を
秋良 及 広場 務 に発 送 す ( 揮 毫 )。
︹マ マ︺
豊 田 千葉 医 大 学 生 主 事 来 り 春 造 之 件 注 意 す 。
一月二十日 水
辛酉会、平沼
一月 二十 五 日 月
に 面 会 之 を伝 へた り と 。
︹ 騏 一郎 、枢密院副議 長︺ 来 る 。 陸 相 邸 、 盛 会 。 豊 田
︹ 武次、陸 軍大将、侍従︺武 官 長 よ り 内 奏 、 御 聞 済
︹ 英機、陸軍大佐 、参 謀本部編制動 員課長︺、 満 洲
︹ 貞
︹ 長 生、中将、 予備︺、 荒 木
上海 不穏 、 日支 人 衝 突 、 陸 戦 隊 緊 張 す 。
次郎、少将、軍務局長︺、 東 条
千 坂 例 之 爆 弾 三 百 個 之 報 を 為 し、 小 笠 原
殿 下 に大 角 胸 算 に関 し書 を 差 上 ぐ 。
及 上 海 を報 告 す。 決 意 は海 軍 に在 り と 云 ふも 少 し く 曖 昧 也 。
寒
薩 摩 雄 次来 り 、 昨 年 三 月 事 件 に 橋 本 ︹ 欣五郎︺陸 中佐 が 建 川 ︹ 美次、
明 日 の会 合 延 期 。
陸軍少将、参謀本部第 一部長︺ の名 刺 を 持 参 し 下 志 津 の歩 兵 学 校 より 手
安 保 よ り電 話 、奈 良
晴
榴 弾 三百 個 を 引 出 し 、 鈴 木 行 之 助 を 経 て大 川 一派 に 渡 し 、 未 だ 其
の報 あ り 。 万 々歳 。 大 角 よ り 本 件 を 殿 下 及 東 郷 元 帥 に報 告頼 ま る 一月二十九日 金
死 八名 、 負 傷 数 十 名 を 出 す 。 近 藤 、 内 田 両 少 尉 戦 死 者 の中 に 在 り 。 晴
と 。 明 日 二十 六 日実 行 を 告 ぐ 。
大角 、宮 殿 下御 任 命 を 来 月 五 日と 定 め 、 本 日御 允 裁 を 経 た り と 云
本省 に 見舞 及戦 死 者 に対 し 敬 意 を 表 し に 行 く 。
帝 都 上海 之 号 外 に て賑 ぎ 合 ふ。
ふ。
晴
︹ 欄外︺ 万 々歳 。
午 前 十 一時 軍 事 参 議 官 会 議 。 殿 下 熱 海 よ り 御 出 席 。東 郷 元帥 仝 上 。
一月 二十六日 火
小 林 少 将 は満 洲 問 題 細 と 力 と を 交 へ話 す 。 午 餐 後 豊 田 上 海 問 題 を
一月三十 日 土
上海 死傷 者 百数 十 名 に及 ぶ。
上 海事 件 に 対 し 英米 抗議 、 亜細 ︹ 亜︺艦 隊 急 航 す 。
一月三十 一日 日
上海益嶮悪。
︹マ マ︺
午 後 二時 神 宮 競技 場 に て、 閑 院 宮 ︹ 載仁親王︺殿 下参 謀 総 長 御 就 任 ︹ 頭︺ 感謝 式 、遠 山 満 、徳 富 蘇 峯 、柴 田 国士 館 長 等 主 宰 す 。
帥 以 下 幹部 に話 す 。 明晰 。
南 ︹ 次郎、陸軍大将、軍事参議官︺前 陸 相 満 洲 視 察 談 を 海 相 官 邸 に て 元
晴
話 す 。 大 角 出 省 、 閣 議 に て 一水 戦 と 陸 戦 隊 四 百 余 名 派 遣 を決 し 発
迎に来る。
令す。 ︹ 伏見宮︺博 義 王 殿 下 ︹ 中佐︺王 子 御 誕 生 。 馬 淵結 婚 披 露 、 来 賓 代 表 祝 詞 を 述 ぶ 。 園 部 わ ざ 〓 廿 八 日未 明上 海 占 領 に決 意 の電 、 塩 沢 よ り 来 る 。 ︹ 欄外︺ 安 保 大 将 殿 下 と 元 帥 に 大 角御 内 奏 御 裁 可之 件 報 告 す 。
久 邇宮 邦 彦 王 殿 下御 三年 祭 。
外 相 午 後 六 時 在京 英 米 大使 と会 見 、事 件 を 説 明 す 。 南 京 政 府 洛 陽
一月二十 七日 水
夕食 後 平 沼男 爵 訪 問 、 重 大 問 題 の決 定 を 報 ず 。
に 都 を 遷 す 。 情勢 頗 る 緊 張 。重 光 ︹ 葵、中華民国駐箚特命全権公使︺稍 く
晴
高 橋 三吉 中 将来 り柴 田 国士 館 長 よ り 部 長 交 代 問 題 を 聞 け り と て尋
ハ ルピ ン急 迫 、 我 軍 不利 。
上海に帰着す。
ね 来 る 。 厳 秘を 約 せ し む。
晴
︹ 欄外︺ 博 義 王 殿 下 御 王 子 誕 生 御 祝 詞 言 上 。
英 国 の態度 上 海 に 日 本 を推 し倫 敦 に之 を 排 す 。
一月二十 八日 木
早朝及川 ︹ 古志郎、少将、軍令部︺ 一班 長 に来 訪 を 求 め 注 意 を 促 す 。
揮毫。
二月 一日 月
晴
米 国 日米 外交 文 書 を 素 破 抜 く 。
上 海 列 国 日 支 首 脳 会 議 不 調 。 英 米 領事 は 北 四 川 路 の 日本 陸 戦 隊 撤
︹ 欄外︺英 巧 猾 。
︹マ マ︺
夕 張 及 一水 戦 上 海着 、 陸戦 隊 二千 と な る。 支 那 側 警 告 を 容 る 。 本 ︹ 上陸︺ 夜 上 海 陸 上我 海 軍之 警 備 に 入 る。 但 し 日本 租 界 の み。
正 子 上 海 陸戦 隊 列 国と 協 同 配備 に付 先 方 より 砲 撃 を 受 け 衝 突 、 戦
退 を迫 る 。塩 沢 一言 に拒 絶 す 。 尚 ほ請 訓 を 懇 請 せ ら れ 日本 に て反 二月五日 金
岡 田偆 一来 訪 、 ウ イ スキ ー を 送 る 。
戦 備 に付 大 角 に注 意 せ し む 。 直 に 実 行 。 予 之 許 に報 告 す ( 仝 意、
早朝紀尾井町に言上、出兵問題と戦備に付き。夫より岡田を訪ひ、
晴
対 ( 列 国 提案 に) の 返事 を 起 案 中 支 那又 砲 撃 す 。 依 つて塩 沢 は 大 掃 討 を 決 心 し 今朝 実 行 の筈 。午 後 一時 軍事 参 議 官 会 議 、 殿 下 も 熱
︹ 欄外︺ 大 海令 御 允裁 。次 長 交 代 の件 。
右 紀 尾 井 町 に報 告 。
午 後 大 角 に 会 ひ、 軍 令 部 人 事 を 相 談 す 。
海 よ り 御 帰参 会 遊ば さ る。
( 上海 ) 蔵 相 非 常 に悲 痛 す と 。 但 し 閣議 決 定
約 千 数 百 万 を 計 上 す と)。
晴
谷 口 、 元 帥 よ り 叱責 せ ら る 。 二月二日 火 出 省 。 陸 兵 増 兵 に付 発令。
可然 旨 奉 答 す 。 右 によ り 直 に決 裁 、 午 後 軍 参 集 に 大 臣 、 次 官 報 告
殿 下 に拝 謁 、 大 角 よ り 次 長 交 代 の申 出 あ り た る 事 を 承 は り 御 同 意
二月六日 土
︹マ マ︺
二月三日 水
す。
軍 令 部 長 交 代 、 全 海 軍 感喜 。
竹内賀久治喜に来る。
大 村 、 久 留 米 の前 遣 陸 兵 二千 余 名 4F に て佐 世 保 発 、 明 朝 呉 淞 着 の
上海益悲壮、負傷者続出、始より三百数十名に及ぶ。
松山 ︹ 茂、中将︺航 空 本 部 長 戦 備 不 足を 訴 に来 る 。
筈。
昨 夕 雨 今 朝晴
佐藤大佐、殿下訓示案を齎らす。
上 海 爆 撃 、 英 米 昂 奮 、事 態 急 迫を 暗 示す 。外 相 に卑 見 を 送 る。
上海総攻撃、英米調停案来る。
藤井斉 ︹ 大尉、加賀乗組︺飛 機 に て僚 友 一、 下 士 一と 共 に 戦 死 す 。
廠 総 務 部)、 馬 淵 女 婿 大藤 春 彦 、 浜 勇 治 大 尉 来 訪 ( 西 田の怪を解
二月 七日 日 晴 ︹ 溪︺ 秀 也 第 三艦 司令 部 附 と な り 一時 特 急 に て出 発 す 。 谷 口豪 介 ( 呉工
︹ 欄外︺ 政 府 出 兵 声 明 を 発 す 。
久富 ︹ 達夫、東京日日新聞記者︺来 訪 、久 し 振 り に て 上 海 之事 を 語 る。 外語支那科浜勇治大尉来り ( 早朝 ) 西 田 及 北 の 不 届を 報 ず。 予 の
二月四日 木
談 を 聞 き 憤 慨 し 彼 を 詰 責 す べし と 云 ひ 帰 る 。
軍 令 部 に て殿 下 に 伺 候 。
く)。
曇寒
正 午 水 交 社 に て練 習 艦 隊 送 別 会 。
呉淞 攻 撃 、 頑 強 抵 抗 。
て大 し た 事 な し と 云 ふ 。
二月 八日 月
晴
︹ 欄外︺ 上 海 呉 淞 へ陸 旅 上 陸 。
上 海 総 攻 撃 に て呉 淞 左 岸 砲 台 占 領 。 市 街 小 康 、 佐 藤 大 佐 の所 見 に
石川信吾 ︹ 少佐、軍令部第二班第三課参謀︺来 り 軍 令 部 の乱 脈 を 訴 ふ 。
午 後 一時 軍参 会 。
下 痢 に て苦 しむ 。
終 日 不快 。午 後 臥 床 す 。
二月十 二日 金
芳 沢 に賢 所 に て会 ふ。
休 臥 。 上 海 米防 備 地域 に我 爆 弾 落 下 、 支 那 人 五、 死 負 傷 十 五、 米
次長交代。
呉 淞 攻 撃 、 苦 戦 、 遠 巻 に決 す 。
抗 議 、我 陳 謝 、 了解 す と 云 ふ。
部長御訓示、大感動。
英米輿論緩和す。
南 支 日本 の 待機 に誇 り 益 増 兵 す 。
二月九日 火
み。
人也。斎藤 ︹ 実︺子 爵 ︹ 大将︺大 に 予 の 書 を 賞 せ り と 報 ず 。 汗 顔 の
千 葉 、佐 藤 、光 永 に書 五 を与 ふ 。千 葉 、 亀 戸小 学 及 仝 校 長 並 に 本
晴暖
し来 る。
村 瀬貞 ︹ 貞次郎、少将、予備︺名 古 屋 安 藤 □ 郎 の ﹁こ の わ た ﹂ を 持 参
高 橋 新 次 長 挨 拶 に來 る 。
二月十三日 土
晴
井 上 雅 次 東 拓 の吉 林 進 出 に関 し 援 助 を 荒 木 陸 相 に 助 言 方 懇 請 す 。
金沢第九師団上海着 ( 第 一梯 団) 上 陸 無 事 。
晴
仝 時 に ﹁ク ー デ タ﹂、 政 党 非 認 に 付 予 の意 見 を 聴 く 。
︹ママ ︺
井上 ︹ 準之助︺前 蔵 相 、 本 郷 選 挙 演 説 に 臨 ま んと し て 二 十 二才 の青
午前小笠原を訪問、山梨 ︹ 勝之進、中将、呉鎮守府司令長官︺問 題 を 談 ず 。 ︹ 親義侯︺ 元 帥 御 同 意 と 聞 く 。松 平義 親 候 ︹ 陸軍省嘱託︺の問 題も あ り 。
昨夜来降雪
二月十四日 日
井 上 雅 二 ブ ラ ヂ ル 珈琲 を 送 る 。 予 より 五郎 の事 を 頼 む。
二月十 日 水
年 に射 殺 さ る。
海晏寺墓参。
中将、軍務局長︺より 報 告 あ り 、 五時 解 散 。 大 に 人 目 を 惹 く 。
参 、元帥、海相官 邸に会合、大臣、豊 田、高橋、小磯 ︹ 国昭、陸軍
午 後 軍参 参 集 、 上 海 報 告 、 形勢 混沌 、満 洲 独 立 報 ぜ ら る。
二月十五日 月
第 二 梯 団 今 明 日 上 海着 の筈 。
在 宅 。 井 上 健 一来 る 。治 療 。
晴
午 後 二時 半 伏 見 、 梨 本 ︹ 宮守正王、大将、軍事参議官︺両 殿 下、 陸 海 軍
前 蔵 相 弔 問す 。 麻 布 三聯 隊 横 裏 也 。
晴
外 輿 論 稍 々緩 和 す 。
二月十六日 火
四省巨頭奉天に集る。
烏山梅林に散歩す。
神 宮 参 拝 、 吉 兆 。 千坂 を 訪 ふ 。
晴 快暖
二月十 一日 木
晴大寒
賢 所 、御 賜 餐 に参 す 。 上 海 小康 。 紀 元 節 を 祝 す 。 ︹ 戸︺ 新渡 辺 ︹ 稲造、貴族院議員︺松 山 に て暴 言 を 吐 く 。 日本 新 聞 。
千 代 と 松 竹 に 上 海事 件 を 見、 大 に感 ず 。
︹ 欄 外︺ 午 後 三 ・三〇 殿 下 に 拝 謁 、 ○ ○ 御 心 配 の事 と 申 上 御
国聯益横暴、佐藤 ︹ 尚武、ベルギー駐箚特命全権大使︺苦 戦 す 。
二月 二十 一日 日
晴
奮 起 を 願 い奉 る 。 御決 心 実 に 可 驚、 ○ ○戦 争 不 可避 は や る べ
安 保 夫婦 来 り 、 岡 田令 息 え 富 久 代 を 頼 ま る。 二月十 七日 水
し と 仰 せ ら る 。未 来 の事 をく よ 〓
千 坂 、新 島 来 る。 午 後 竹 内 来 る。
上 海苦 戦 、痛 心 す 。
晴
晴
国 際 聯 盟 益 横 紙 破 る。 上 海 大 に 面 倒 と な る 。 支 那 捷 報 に 酔 ふ と 伝
小 笠 原 に行 き 、 紀 尾 井 町 へ言 上 之 事 を 相 談 す 。
せず 現在 に善 処 せよ と 仰
し 呉 る。
午 前 熊崎 来 り ﹁ル ーズ ベ ル ト﹂ ︹ 元米大統領︺と 会 見 之 用 意 文 を 起 草
せらる。
ふ。 虚 伝 な り 。 山 田秋 甫 に墨 を 催 促 す 。 晴
二月十 八日 木
二月 二十 二日 月
末 次 佐 世 保 に て、 十 九 路 と 対 抗 之 現 方 針 を 無 謀 と 新 聞 に 声 明 す 。
増 兵問 題頻 々た り 。
山 下 大 将 一年 祭 、 水 交 社 に招 か る 。
新 聞 非 観 に傾 く 。
米村 ︹ 末喜、中将、予備︺来 り 午 餐 を 共 に す 。
佐 々木 六 郎 ︹ 東京帝国大学助教授︺ 、 寅 雄 、 大 阪 商 工奨 励 館 持 主 と 共 に
軍参会合、報告を受く。
深更陸、外、海相会議。
陸 軍 捗 取 ら ず 、 野村 ︹ 吉三郎、中将、第三艦隊司令長官︺よ り増 兵 電 来 る 。
︹マ マ︺
来 り 、 精 密 機 械 展 覧会 に 付省 副官 に紹 介 を 乞 ふ。 諾 。
晴
﹁ル﹂ 外 相 午 餐 取 止 、御 陪食 と な る 。 二月十九日 金 千 坂 、竹 内 来 る 。
二月 二十三日 火
晴
小川 ︹ 龍、軍医中将、海軍省︺医 務 局 長 脳 溢 血 に て 倒 れ 、午 後 八 時 死去 。
臨 時 閣 議 増 兵 に 決 す 。 宇 都宮 師 団 三 万 、 五 十隻 と す 。
﹁ル ーズ ベ ル ト﹂ 着 、 米 大 使 館 に投 ず 。 熊 崎 起 案 之 書 を 彼 に送 ら しむ。
上 海 膠 着 。 我 海 軍 機米 人 操縦 の 支那 飛行 機 を 打 落 す ( 米 人 は ﹁シ
ヨー ト﹂ に し て 日 本 に 来 れ る 人物 )。
下 郷 夫婦 、 予夫 婦 と 立 雄 を 築 地 灘 万 ﹁ス ツポ ン﹂ 料 理 に 招 待 す 。 ︹ 路︺ 上海 19旅 に最 後 通 牒 を 送 る。
小 川 を 見舞 ひ 、 吊金 十 円を 贈 る 。
晴
二月 二十日 土
二月 二十 四日 水
晴
︹ 欄外︺吉 沢 に 書 を 送 り 注 告 す 。
︹ママ︺
上 海 総 攻 撃 開 始 、 午 後 予 定 通 り の前 線 に 進 出 す 。
夜 通夜 に行 く。
東 郷 元帥 、 軍 令 部 長 、 大 臣 訪 問 。 外 務 大 臣 の茶 に ﹁ルー ズ ベ ルト﹂ 夫 婦 及 娘 と 会 ふ 。
軍参 々集 、 元帥 遠慮 。
二月 二十五日 木
小 川前 医 務 局 長告 別式 。
国 聯外 務声 明 の 強硬 に驚 く 。
全 部 、 陸 相 、 教育 総 監 及参 謀 次 長 。
伏 見宮 殿 下 軍令 部長 御 就 任 に付 晩 餐 に召 さ る。 海 軍 大 将 現 予 後 備
空前 の 形式 、 明快 、 強 硬 。 我 政府 対 抗 声 明 書 を 発 表 す 。
水 天 宮 に参 拝 す 。 出 征 軍 の成 功 と 外 交 の天 助 を 祈 る 。 北 一輝 祈 疇 、
とす。
官︺よ り 非 観 電 来 る 。 陸 軍 武 官 の 哀 訴 電 あ り 。 今 や 最 後 の 五分 間
二月 二十八日 日 晴 ︹ 正︺ 対 外 関 係 殊 に対 米 益 悪 化 憂 慮 に 不 堪 、 在 米 下村 忠 助 ︹ 大佐、駐米武
夕 、 高 橋 次 長 来 訪 、 国 家 意 志 決定 に 付相 談 す 。
塩崎来訪、菓物を送り来る。
三月四日と約す。
竹 内 来 り 、 平 沼 よ り 予 と 小 笠 原と 会 見 の相 談 を 持 来 る。 協 議 之 上
二月 二十九日 月
晴
外交無事と報ず。立雄来る。
︹ママ ︺
白川 ︹ 義則︺大 将 上海 軍 司令 官 とな る。 暇 乞 に来 り 殿 下 に拝 謁 。
雪 稀 有 の大 雪
上海総攻撃大に発展。 ﹁スチ ム ソ ン﹂ ﹁ボ ー ラー ﹂ に 答 へて 日 本 を 露 骨 に攻 撃 し 、 非 常 なる衝動を与ふ。
殿 下 御 召 、 兼 て 拝 顔 の奏 上 御 実行 の御話 あ り。
頭山 満 聖 餐 会 を 催 し 、 明 一日参 席 を 自 書 し 来 る も 礼 を 尽 し て 断 る 。
戦 争 の動 因 と な ると て反 対 を 表 示 す と 伝 ふ 。
し、 聯 盟 大 に緩 和 す 。 米 国 政 府 は 経 済 絶 交 は 世 界 の通 商 を 撹 乱 し
日本 よ り 本 月 十 九 日対 支 最 後 通 牒 の条 件 に て 停 戦 有 意 の申 込 を 為
聯 盟 調 査 委 員 一行 来 着 す 。
白 川 上 海 軍 司 令 官 と な り 、 午 後 一時 来 。
三月 一日大 場 鎮 総 攻 撃 に 決 す 。
銀世界
我 上 海 軍 大 成 功 、 海 軍 飛 行 機 杭 州 を 攻撃 、空 軍根 拠地 を 殲 滅 す 。
二月 二十六日 金
森山達 ︹ 枝︺驚 き 来 訪 、徳 富 の意 な りと て 形勢 を 尋 ぬ。
大場鎮より千二百米に陸軍接近す。
晴
︹ 欄外︺ 第 十 一師 上 海着 、 一部 呉 淞 よ り上 陸 。 三月 一日 火
第 十 一師 の t 3 は上 陸 天 候 に恵 ま れ 大 成 功 。
︹ 欄 外︺ 上 の御 決 心 堅 き を 御 話 あ り 。 最 善 を 尽 し て 天 祐 を 待
三 月 三 日 の聯 盟 総 会 に 日本 の態度 重 大 と な る 。
北風 急 に南 風 に変 ると 云 ふ奇 蹟 あ り 。
練 習 艦 隊 出 発 を 見 送 り 、 工廠 本 部 及 び 造 兵 部 に 爆 弾 工 事 を 見 る 。
二月 二十七日 土
第 九 師 総攻 撃 、 大 場 鎮 に迫 る。
晴
高 橋 次 長 に警 告 書 を 送 る 。
つべし と の御 語 。 感 激 に 不 堪 。
大 角 海 相 日独 協 会 に 招 待 の独 調 査 委 員 と 懇 談 之 為 参会 を 頼 み来 る。
三月二日 水
晴
諾 し、 当 日 の演 説 資 料 を 注 文 す 。
対 日 本 空 気 悪 化 し、 松 平 ︹ 恒雄、英国駐箚特命全権大使︺ 、佐 藤、吉 田
国 際 聯 盟 好 転 せ る も 、 我 総 攻 撃 に 驚 き気 早き 停 戦 の主 観 に捕 は れ
○安 保 大 将 上 海 に 出 発 す 。
〓戦 死 少 佐 、 青 山 祭 典 。
予 の演 説 草 稿 。
大歓呼。
陸 戦 隊 を 主 と し 、 陸 軍 の協 力 に て 呉 淞砲 台 占 領 。 日章 翻 る。 東 京
上 海 の敵 大 掃 討 に 成 功 、皇 軍 真如 、 南翔 等 占 領 。 午 前 八時 五分 我
三月 三日 木
幸 田喜 太 郎 来 り 、 松 坂 屋 の為 東 郷 会 を 開 く に 付 依 頼 し 来 る 。
久 富 に ﹁シ ユネ ー ﹂ 之 口述 を 送 る 。
午 後 古 市 夫 人 に千 代 と 共 に 下 郷 家 に 春 子 貰 受 方 申 込 む 。
参内、酒饌拝受。
三月六日 日
︹ 欄外︺ ﹁シ ヨー ト﹂ を打 墜 した 我 機 の将 也 。
︹ 茂、イタリア駐箚特命全権大使︺連 名辞 職 を申 来 る。 芳 沢心 痛 慰 撫 。 ︹ 廷〓︺ 上 海 察 庭 階 の十 九 路 其 他 総 退 却 。
午後二時陸海停戦発令。
晴
軍 事参 議 官会 議 。 殿 下 に 山梨 之事 を 申 上 ぐ 。
三月七日 月 曇 後 雨 ︹ 次︺ 日露 協 会 に於 て 田 中 清 二郎 ︹ 実業家︺満 洲 談 を 聞 き 、 本 協 会 の 蹶起
晴
墨 国 公 使 晩餐 、 米 陸 軍 補 佐 官 、独 書 記 官 等 と 好 話 す 。 ﹁ベチ ー」
を促がす。 ︹マ マ ︺
兄弟に会ふ。
J ・A に予 の ﹁シ ユネ ー」 博 士 に 与 へた る 口 述 記 載 さ る 。
満 鉄 を 一部 の鉄 道 機 関 し て 最 高 機 関 を 統 一せ し む 。
小 笠 原 に電 話 。
︹ 欄外︺上 海 愈 平 定 、 邦 人 歓 喜 。 三月四日 金
晴
平 沼 の招 待 、 小 笠 原 と 予と 二 人。
小 谷少 佐 ( 上 海 飛行 機 の勇 士 ) 葬 儀 の為 青 山 に行 く 。
三月五日 土
森孝三来る。
上 海 停 戦 中敵 襲 に遭 い再度 交 戦 の報 、 聯 盟 大 に動 揺 す 。
熊 崎 来 り 、 明 日 の日独 協 会 演 説を 原稿 す 。
満洲問題と日米関係也。
夕 、 国 本 社 に て 関根 ︹ 郡平︺大 佐 ︹ 軍令部第五課兼海軍大学校教官︺講 話 す 。
て然 り 。 阿 部 、 大 西 両 海参 謀 に謝 す る事 大 也。
陸 海 協 同 の理 想 的 な り し に 感 じ て報 謝す 。殊 に 七 了 口 の 上陸 に於
午後軍参会 、今村 ︹ 均︺陸 大 佐 ︹ 参謀本部付︺の上 海 報告 を 聴 取 す 。
団琢磨氏告別式。金子 ︹ 堅太郎︺子爵 ︹ 枢密顧問官︺を 弔す 。
三月八日 火
晴
上 海 又白 川戦 死 の虚 報 に騒 ぐ 。
︹ 欄外︺伏 見 大 将 宮 殿 下横 須 賀 戦 傷 者 を 見 舞 は る 。
団 琢磨 日 本橋 室 町 三井 銀 行 玄 関 に て狙 撃 さ れ 、 正 午 近 く 絶 命 。
三月九日 水
実 吉 総 監 告 別 式 に行 く 。
東 京 会 館 に ﹁シ ユネ ー﹂ 博 士 を 招 待 。
満 洲 国 建 国式 、 宣 統 帝 執 政 と な る 。
を仰がず専断せりと云ふ。
り 論定 さ る 、 井 伊 は 英 仏 聯 合 の 強 圧 を 恐 れ 国家 の為 めと し て勅 許
諚 を 仰 が ず し て 開 国 条 約 を 結 べ る事 が 天皇 重 き か 国家 重 き か に依
立雄来り風呂場之改造を世話す ( 大 工 来 る)。
三月十 四日 月
( 徳 富 は 四 十 七 士 は 四十 六 士 也 と の説 も 吐 け り)。
︹ 欄外︺加 餐 と 減 餐 大 に 興味 を 惹 く 。
満 洲 、 上 海 事 変 陸 海 軍将 士 戦 死 者 英 霊 及 び 若 越 郷 賢 祠 幟 に 揮 毫 す 。
晴
森 孝 三、 予 の 日独 協 会 演 説 に付 独 大 使 館 之 敬 服 を 伝 ふ 。 三月十 日 木
上。
曇
立 雄剣 道 天覧 予 備と し て出 場 。
許旨 を 以 て諭 し 還 へす 。 わ ざ 〓
神 戸信 藤 某 、 泉 水 兵 の為 め に決 死 隊 と し て招 集 を 歎 願 す 。 法 規 不
戸山学校行幸、感慨深し。武藤 ︹ 信義、陸軍︺大 将 ︹ 教育総監︺祝 辞 奏
今立裕 ︹ 新聞記者︺に 失 礼 す 。
に仝 意 せ
小笠 原 と山 梨 之事 を 電話 す 。約 二 週間 前 に番 町 不承 〓
此為上京奔走中なりと。
夕刻竹村伴吾逝去、渋谷松涛に見舞弔す。
ら れ た りと 。 林銑 十郎 ︹ 陸軍中将、朝鮮軍司令官︺と 権 衡 之 為 也 と 云 ふ。
晴
日露 協 会 に 藤 塚 ︹ 止父夫、陸軍︺少 佐 参 謀本部員 ( ロシア班)︺の露 士 亜
三月十 五日 火
三月十 一日 金
三月十 二日 土
夕 竹 村 に行 く 。 新 宿 精 養 軒 に て夕 食 。 佐 野 に 会 ふ 。昔 を 語 る 。
午前参部、山梨問題言上。後竹村邸より横須賀に行く。上海戦死
田中 と 明 日 斎 藤 子 爵 邸 会 見 を 約 す 。
観を聞く。斎藤会長仝席、倉知 ︹ 鉄吉、貴族院議員︺不 在。
下郷 へ明 日 来 訪 延 期 を 申 伝 ふ 。
山梨 進 級 の新 聞報 出 づ 。
三月十六日 水
者 葬 儀 参 列 の為 め ( 特 務 士 官 以 下 廿 六名 )。
︹ 欄外︺ 殿 下 に 山 梨 之 事 を 伺 ふ 。 考 へあ り と 御 答 あ り 。 大 臣
徳 富 蘇 峯 翁 古 稀 祝 賀 会 帝 国 ホ テ ル。 集 るも の 千名 近 し 。 牧 野 ︹ 伸 ︹ 内大臣︺ 顕︺内 相 祝 辞 を 朗 読 、 つか え 〓 で 見 苦 し 。 三 上 参 次 博 士 稍 や注 ︹ 弼︺ 文 的 態 度 に て 祝 辞 を 述 ぶ 。 井 伊 直 介 を弁 ず 。徳 富 曰く 、 日本 歴 史
三月十三日 日
小笠 原 来訪 、東 郷 元帥 へ山 梨之 件 詳 細 御 話 せ る旨 伝 ふ (不在 に て
夕 、蘇 大使 館 晩 餐 、 斎 藤 会 長仝 席 。
聞く 。
談 す 。 子爵 大 賛 成 。
午 前 十 一時 斎 藤 子 爵 邸 に 田中 清 次 郎 と 会 合 、 対 満 国 策 建 議 に 付 相
晴
は 殿 下 よ り 先 に 元帥 に 尋 ね たり と申 さ る。
を 説 く に は 総 て天 皇 を 中 心 と し て 諸 星 動 け る を 忘 れ て は な ら ぬ 、
千 代 に 伝 言 す)。
晴
安 政 の孝 明 天 皇 、 明 治 の明 治 大 帝 の如 し 、 故 に 一切 の論 断 の帰 結
海 相 の フオ ー ブ ス 送 別 会 に列 席 、 樺 山 ︹ 愛輔、貴族院議員︺の 米 談 を
は此 に持 来 す 也 、 故 に井 伊 の処 置 は 誤 れ り と な す 。 三 上 博 士 は 勅
小 笠 原 に電 話 し 昨 日 の来 訪 を 謝 す 。
三月十七日 木
詰込 学 問 の弊 此 に極 れり と 云 ふ べし 。
り 予に 不快 を与へ 、
千代 と 幸 鮨 に行 、 土 産 を 持 帰 り し に、 孝 治 学 業 の為 め に 神 経 高 ぶ
し 、( )2 項 の実 行 命 令 を 突 付 け 且 つ満 鉄 過 去 の 不埓 を 詰 り 〓然 た ら
司令 官 以上 上京 を 命 ず 。
上 海 々 軍 一部 凱旋 す 。佐 世 保 帰 還。
参 内 。 薩 摩 雄 次 家 内 に予 の揮 毫 を 渡 す 。
。孝 治泣 て誤 る。 可愛 想 な り。
しめ た り と 云 ふ。 江 口は 此 の資 金 を 調 達 に 上 京 せ る も 困 却 し 居 れ
松 竹 を 見 る 、 勝利 上 出来 。
晴
︹マ マ ︺
佐 々木 少 佐 来 訪 、 満 洲 に 関 し 重 要 報 告 を 為 す 。 小 林少 将 の 電 に 依
三月 二十 一日 月
帝 国議 会 開 会 ( 臨 時 )。
り と 、 佐 々木 語 る 。 関 東 都 督 に 東 久邇 宮 ︹ 稔彦王、陸軍少将、歩兵第五
三月 二十 二日 火
晴
り本庄 ︹ 繁、陸軍中将、関東軍︺司 令 官 と 満 洲 王 国 執 政 と攻 守 仝 盟 及( 2)
予を 激 怒 せレむ
鉄道、水路、港湾等委任に関する条約に調印し、満鉄幹部を招集
旅団長︺を 奉 戴 す る件 中 以 下 に て大 に進 み つ ゝあ り と 。 又 宮 殿 下 も
︹ 欄外︺ 満 鉄 兼 て 増 資 し て タ コ 配 に 使 ふ 。 今 一文 の 余 裕 な し
る 。斎 藤 子爵 の紹 介 に て静 岡某 来 る。
宮村 ︹ 暦造、少将、予備︺外 陸 予 備 将校 来 訪 、 軍 人 救 護 に 付 依 頼 に来
晴
御 心 にあ り と 。
と 語 ら る。 三月十 八日 金
へし む 。
佐 々木 少 佐 を呼 び満 洲 問 題 、都 督 問題 に付 元 帥 の意 向 を 小 林 に伝
晴
東 日始 め て 予 の ﹁シ ユネ ー」 に告 ぐ る 文 を 掲 載 す 。 標 題 を 変 更 し
立雄、土田来る。
散歩 。
三月二十 三日 水
﹁ 私 の所 感 ﹂ と 改 む 。 午 前 小 笠 原を 訪 ひ、 小 林 電 の事 を 語 る。 東 久 邇 宮 殿 下 の件 大 に 賛
十 一時 非 公 式 軍参 会 議 、 其 前 軍令 部 に伺 候。
三月十九日 土
付頼まる。 ︹ 恪︺ ○ 竹 内 来 り 、 森格 政 友 脱 退 之決 意 を 語 る 。平 沼 と 交 渉 の為 め秘 に
日 本 大 学 英 語教 師 木 村 権 吉 来 る 。 ﹁サ ブ コク ン ・イ ン ・ワー 」 に
晴 夜 降 雪
揮毫 十余 枚 。
成す。
東 日 ﹁私 の所 感 ﹂ の続 稿 を 了 る。
錦水に会合せりと云ふ。
晴
鳴 し印 刷 、外 国友 人 に配 布 せり と 。
名 古 屋松 林 に高 等 商 業 校 長 に謝 刺 を 送 る。 校 長 は 予 の論 文 大 に 共
2F 末 次 以 下 上 海 関 係 司 令 官 上 京 、 東京 駅 に 公式 出 迎 す。 侍 従 武 官
曇
三月 二十四日 木 晴 寒 風 肌 を 刺 す 冬 再 来
中央 公論 日米 海 軍巨 頭論 を 掲 ぐ 。 三月二十 日 日
正 午 御陪 食 。
御 差遣。
上海交渉停沌。
午後揮毫す。
す。
︹マ マ︺
日 露 協会 に 田 中清 次郎 と 会 見 す 。
三月 二十九日 火
千 代 、 三 越 に 行 き 、 千 葉 断 一祝物 を 送 る 。
晴
三月 二十五日 金
一誠 を 与 ふ。 又 写 真 を 与 ふ ( 玄 関 立 像)。
歯 科 学 校 行 。 福 井 武 生 の女 中 と 父 来 る 。 書 。観 音 妙智 力 と 貫之 以
正 午 霞 ケ 関 離 宮 、 伏 見 軍 令部 長 宮 殿 下 、末 次 中将 以 下を 召 され 賜 餐。夕、大臣晩餐。
新 島 来 り 書 を 求 む (国旗 掲 揚 竿 礎 石 )。
む 。枢 府 の秘 報 を 教 ゆ。 又 紀 尾 井 町 に浜 口告 白 の件 も 話 す 。
太 田耕 造 来 り 、 ○ 弁 護 之 件 に付 浜 口 の虚 言 を 証 明 せ ん 為 材 料 を 求
安 保 大 将 令 息 次 郎 昨 廿 四 日 鎌倉 に て 死 去 。 末 次 以 下 五司 令 官 講 話 、 末 次 中 央 統 制 の 不 備 を難 ん ず 。
三月三十 日 水
晴
安保邸弔問。
ら す 。 但 し 田 中 の情 報 は少 し く 不確 実 な り し。
三月 二十六日 土
矢板と平泉 ︹ 澄︺博 士 ︹ 東京帝国大学助教授︺来 り 、資 本 奉 還 、政 党 非 認
伊 藤 、 山 口実 ︹ 大佐、軍令部第二班第三課長︺、 町 田 、 阿 部 ( 日 々)、 林
田 中清 次 郎 よ り ﹁ポ グ ラ ニー チ ナ ヤ﹂ 方 面 之 警 告 あ り 、 高 橋 に知
晴
を 語 る。 青 年 を し て徒 死 せ し む る 勿 れ と 。 ︹ 昌︺ 安 東 尚 喬 中将 来 り 、 四月 卅 日結 婚 媒 酌 を 頼 む 。 中 将 令 妹 の娘 と 実
︹マ マ︺
井 飛 行 中 尉と 也 。
太 田耕 造 に 枢 府 要 秘 、 倫 敦 条 約 秘 録 を 示 す 。左 近 司 ︹ 政三、中将、海
入 湯 、 散 髪 、 ﹁国 威 輝 八 紘 ﹂ を 認 む 。
三月 三十 一日 木
に就て訴ふ。牧野、鈴木 ︹ 貫太郎、大将、侍従長︺辞 職 の噂 を 話 す 。 但
軍次官︺より 四月 廿 四 日 の勅 諭 下 賜 五 十 年 記 念 に 講 演 を 頼 ま る 。
某来り、伊藤より土産 ( 日 本 橋 千葉 の) あ り。 山 口大 に酩 酊 す 。
大 風砂 塵 濛 々
し西園寺 ︹ 公望、元老︺ の上京 に て 見 合 せ た りと 。
四月 一日 金
三月 二十七日 日
関 屋 の ﹁キ リ スト﹂ 化 を も 報 ず 。 ○ ○ に ま で 及 べ りと 奇 怪 な る事
千代 と 上 野 発 明 博 に行 く 。 孝 治 にも 同 所 に て会 ふ 。
村上貞 一 ︹ 著述業︺来 り 時 局談 を 為 し 、 山 本 ︹ 権兵衛︺伯 ︹ 大将、予備︺
を語る。
太 田 より 秘 書 の返 却 に来 る。
晴
下 郷母 、 寅 吉 来 る。 嫁 の事 を 失 望 す 。
夜散歩。
空 閑 少 佐 上 海 に て 仮 死 状 態 に て捕 虜 と な り 許 さ れ て 帰 後 自 殺 す
( 林 ︹ 大八︺大佐 ︹ 歩兵第七聯隊長︺戦 死 の地 点 に て)。 全 国 同 情 集 る 。
三月 二十 八日 月 雨 ︹ 長︺ 文 部 省 歯 科 学 校 に行 く 。 新 島 に永 井 満 少 佐 嘱 の大 字 ( 孝 敬) を 渡
歯 科 学 校 へ、 夫 よ り 日 露協 会 へ。
四月 二日 土
千代子逗子三村に悔に行く。
◎ 宮 殿 下御 召 し 、 種 々時 局 に付 御 下 問 。
竹内 来 る 。 国防 方 針 の 国策 を 話 し き か す 。
第 十 一師 団長 上京 、 出 迎 ふ。
四月四日 月
席 画 す 。 立雄 に 元帥 書 色 紙 (至誠 無 息 ) を 贈 る。
上龍英 ︹ 東洋高等女学校主︺夫 婦 、 志賀 子 、 英 彦 来 会 。盛 な り 。 芳 峡
午 後 六 時 よ り 下 高 井 戸村 自 宅 に於 け る新 築 祝 な り 。 下 郷 失 婦 、 村
四月九日 土
竹 内 来 り 不 相 変 海 軍 の態 度 を難 んず
可 侵 条 約 を 大 に 訴 ふ 。 ﹁アー リ ント ヌイ﹂
と 三 人 の み 。 ﹁ブ リ ヌイ ﹂ 之 馳 走 。 食事 、 日蘇 関 係 を 痛 論 す 。 不
夕 蘇 大 使 に 招 か る 。 夫 人 と 日本 語 通 訳 ( 驚 く べき 巧 な る) 書 記 官
同行、自働車。
三村錦 三郎葬告 別に逗子 に行く。安保、 大橋 ︹ 省、機関中将、予備︺
晴
四月三日 日
四月八日 金
今夕横井少佐を待ちしも来らず。
夕 、 石 川信 吾 来 訪 、 戦 備 に付 報 告 す 。 談 大 に進 み、 強 力 内 閣 之 必
増 永 廉 三 、高 橋 三吉 、寺 辺文 吉 来 。
雨曇
参内。
要を 力 説 す 。 石 川談 大 に壮 、 彼 将 来 あ る 人 物 也 。
歯科 に 行 く 。
七 日 の事 か 予 の御 召 と 仝 日 か。
晴寒
雨
日露 協 会 に 田中 と 会 見 。 対 満 政 策 を 荒 木 と 大 角 に 送 る 。
( 正木 言 )。
四月 五日 火
小笠 原 と電 話 、殿 下 より 山 梨 問 題 に付 東 郷 の意 見 を 聞 け と 仰 を 受
四月 六日 水
四月十日 日
晴
歯 科 学 校 行 。 尼 野敬 二郎 来 京 、 午 餐 を 共 に す 。
け復 命 の件 也 。
高橋次長来り、対満問題に付報告す。
千代 海 晏 寺 へ。
雨曇
千 葉 美 稔 子 結 婚 式 に来 賓 代 表 挨 拶 す 。
夕刻財部 ︹ 彪、大将、予備︺送 別 、 官 邸 。 部 長 殿 下 、 元 帥 御 欠 席 、 大
四月十 一日 月
晴
に淋 し 。
軍事 参 議 官 検 閲 会 議 。 晴
三村 錦 三 郎 ︹ 少将、予備︺白 木 屋 に て 卒 倒 死 去す 。 四月七日 木 歯科学校。
四月十 二日 火
対満会議。
級 会 、 宝 亭 。 長 崎 の君 、 東 京 の 里 。
下 郷 よ り 正 午 の相 談 あ り し も 宮 殿 下 御 召 に て断 る。 千葉失婦内祝礼に来訪。
伊佐嘉之為左内先生書簡 ( 予 之 手 写 ) に 一文 を 書 す 。 稀 有 之 出 来 。 蓋 し氏 寿 氏 之 加 護 と 思 ふ 。
平 田晋 作 来 り 、 海 軍 読 本 之 序 を 頼 ま る 。
四月十九 日 火
昨 夜 よ り 今 暁 大 雨 八 時 頃 よ り 晴
四月十 三日 水
看 桜 御 宴 。 千代 不参 、学 校 に行 く (四中 )。
伊佐 来 り書 を 与 ふ (予 の)。 時 乗 亦 龍 御 天 也 。
晴
歯 科 学 校 。 上 野 散 歩 。 白 木 屋 に行 く 。
五 郎 四 中特 別科 に辛 ふ じ て 入学 。
︹マ マ︺
満 洲 に て 軍用 列 車 爆 破 、 死 傷 者 百 余 名 。 四月十 四日 木
四月 二十日 水
歯科終了、十三円五十銭。
晴
軍事 参 議 院宮 中 御 開 会 。 伏 見 宮 殿 下御 主 宰 。
始 め よ り 廿 二円 弱 を 要 す ( 江 尻 先 生)。
晴
夕 、今 立 裕を 招 き 夕 食 を 倶 にす 。 新 島 と 。 四月十五日 金
曇雨
午 前 四 時 半 頃 附 近菓 子商 ﹁ク ハイ フト ー ス﹂ 出 火 、 ポ ンプ 四台 に
四月 二十 一日 木
夕 、 仁 と 講 演 試 演 。 仁 の注 意 に 感 服 す 。
﹁リ ツト ン﹂ 以 下 日支 軍 艦 に て入 満 す 。
斎藤総督、蘇大使夫婦、倉知及予夫婦等を招待す。
晴
て消 止 む 。
晴
歯科行。四円七十銭払ふ。 四月十六日 土
晴
四月 二十 二日 金
愛 宕 に首 相 以 下 閣 僚 ( 陸 相 、 逓 相 欠) 招 待 。 予 、 岡 田 、安 保 行 く。
に書 信 を御 頼 みあ り 、 早速 差 出 す 。
宮殿下御召、軍令部に て ︹ 伏見宮︺博 英 王 殿 下 之御 身 上 に 就 き 松 下
松村純 一 ︹ 中将、予備︺次 男 死去 に付 見 舞 。
夕 刻 帰 。 成 功 。 谷 口来 ら ず 。 大 角 態 度 軽 に 過 ぐ 。 艦内 規 律を 閣 僚
四月十七日 日
四月 二十三日 土
に示 さ ゞり し を 遺 憾 と す 。 艦 内 昇 降 及 刑 事 の横 行 也 。
花 日和 。 立 雄 来 る。
午 前 神 宮 参 拝 。 今 日 の 講 演 を 予 習 す。 此前 千 坂 来 り 平 沼 之 事 を 語
晴
伊佐 嘉 大連 よ り来 訪 に付 夕 飯 を 倶 にす 。 満 洲 顧 問 に 周 旋 を 依 頼 せ
曇
ら る 。仝 氏 よ り墨 其 他 珍 品 を 贈 ら る。
る 。 希 望 を 繋 ぐ事 大 。
午 後 六 時 日 比谷 公 会 堂 に て 講 演 。 予 第 一、 秩 父 宮 ︹ 雍仁親王、陸軍大 曇
森孝 三 父 子来 り乾 降 時代 の軸 物 を 贈 る。 四月十 八日 月
尉、歩兵第三聯隊第六中隊長︺両 殿 ︹ 下︺ 、 北白川宮 ︹ 永久王、砲兵少尉、近衛
野砲兵聯隊付︺御 台 臨 。 予 大 成 功 。 金 子 子 爵 軽 く 、 武 藤 渋 滞 。 」 と 学 校 用 ﹁発 至 誠﹂ を 贈 る 。
︱
五郎 来 会 。
歯科学 ︹ 校︺江 尻 氏 に 雄 飛 五大 州 、 至 仁 如 玉 、 竹 藤 先 生 に ﹁王 仁
立雄来訪。
松尾伝蔵来る。
上海協定好望。
司、 み の妻 、 豊 田、 有 馬 ︹ 良橘、大将、予備、枢密顧問官︺( 夫 婦 )。
紅 葉 館 、 サ ウイ エツト 大 使 一行 、 斎 藤 夫 妻 、 大 臣 、 予 夫 妻 、 左 近
午前十時御出門 ( 元 帥 病 気)。
群 馬 県 里 見 治 雄 に書 を 送 る。 教 員 之 勅 語 。
雨
御 勅 諭 下 賜 五 十 年 紀 念 祝 賀 、荒 木 、 大角 、 岡 田 、犬 養 出 役 。 大 角
四月 二十九日 金
四月 二十四日 日
式 辞 (小学 校 生 徒 の如 し)、 荒木 捧 読 ( 神 主 ﹁の り と ﹂ の如 し)
観兵式、御賜宴。
山 口儀 三郎 生 徒 隊 監 事 来 訪 、 若 宮 に付 松 下 へ通 信 の件 を 語 る 。
を頼 ま る 。出 省 大 角 に依 頼 、 仝 意 。 今 明 日 に会 ふ筈 。
笠 井重 治 ︹ 東京市会議員︺来 訪 、 渡 米 と 上 海 、 満 洲 行 に 付 大 臣 に紹 介
真崎 ( 海) 来 訪 。時 事 を 談 ず 。 午 前 午 後 也 。
聞 く 。 甚有 益 。
午 前 九 ・三 〇 、 軍 令 部 長 室 に て松 岡 洋 右 ︹ 衆議院議員︺の 上 海 談 を
四月二十五日 月
賜はる。
五月 一日 日 晴 ︹ 伯爵︺ 軍 人 後 援 会 有 効章 授 与 、 閑 院宮 邸 、清 浦 ︹ 奎吾︺子来 会 、御 菓 子を
野村邸を見舞ふ。
室井捨治、森寿子結婚媒酌。小雨。
例祭。
四月 三十日 土
植 田、 重 光 負 傷 。 野 村 、 重 光 重 傷 。
上 海 天 長 節 祝 賀 之 際 、 午 前 十 一時 半 頃 鮮 人 爆 弾 の為 め 白 川 、 野村 、
晴
と 学 童 の評 。 大角 昭 和 七 年 を 四年 と読 誤 る。 何 れも 貧 弱 遺 憾 。
四月二十 六日 火
午 前 室 井 中 尉 会 見 、森 彦 兵 衛氏 と 共 に礼 に来 り 、 二 〇 〇円 の鰹 節
晴
靖 国神 社 臨 時 大 祭 第 一日。
料を贈る。
山下知彦 ︹ 中佐、男爵、艦政本部員︺来 り 豊 田 の 驚 く べき 暴 言 を 聞 く 。
午後 室 井 中尉 夫 婦 来 り挨 拶 す 。 寿 子 の衣 裳 に驚 く 。
晴
千代 と 三越 に行 く 。
松 尾 に書 を 与 ふ。 左 内 先 生 詩 及 護 国 之 基 。
森彦 兵衛氏 ︹ 岐阜県立高山高等女学校校長︺来 る。 廿 九 日 を 約 す 。 不 在
四月 二十七日 水
五月 二日 月
小笠 原 に報 告 せ しむ 。
晴
に付 。
靖 国 神 社 臨 時 大 祭 第 二日 。 両 陛 下 行 幸 感 激 深 し 。参 列 の 光栄 を 担
部長 殿 下 に豊 田 の不 敬 事 件 を 言 上 す 。 高 橋 に 説 諭 激 励 す 。
松平慶民園遊会。
晴
ふ。
軍人 後 援 会 総 会 。 夕小雨
休日。理髪。 四月 二十八日 木
在宅 。 柴崎 ほ ろく 来 る。
五月三日 火
五月七日 土
小 島 喜 久 馬 と 昼食 を 共 に す 。
午 後 左 近 司 来 り 予 に 愁 訴 す 。大 義 名 分 を 誤 る勿 れと 答 ふ。
延 ば さ し め 直 に 岡 田 に事 情 を話 す 。 不相 変 老 獪 な り 。
午 前 千 坂 来 る 。其 前 に左 近 司よ り 面会 を 求 め ら れし によ り 午 後 に
小笠 原 来訪 。 豊 田事 件 を 元帥 に報 告 の為 也 。 諾 す 。 山 口之 帰 京 を
午前靖国神社遊就館開館式。
統帥 権 冒涜 、 不敬 事 件 。
待 つ。
午後伏見宮園遊会。
晴
武 蔵 野 学 院 長 揮毫 を 求 め来 る。 元帥 御 病 気 之 為 め 小 笠 原 の紹 介 状
夕、小島、立雄と会食。千坂二度来る。
晴
を 持 参 す 。 代 書 の意 、 恐 縮 す 。
紫安新九郎 ︹ 衆議院議員、立憲民政党︺太 田覚 眠 叙勲 の件 に付 来 る 。
︹マ マ︺
五月四日 水
千坂等小笠原邸に会合す。
晴 正午 後 暑 気
千 坂 、 村 松 三 男 、 竹 内 、 川 口来 訪 。
五月 八日 日
豊 田来 り し も 不 在 と し て面 会 せ ず 。 紙 切 に 詫 状 を 書 き 残 し 帰 る 。
雨
午 前 小 笠 原 は元 帥 邸 に 伺 候 し 正 午 電 話 に て 模 様 を 知 ら す 。 別 冊 の
午 後 四 時 山 口実 帰 京 之筈 。 ︹ 欠︺ 夕 、 千 坂 、 高 橋 、〓
、 山 下 、 石 川 、大 西、 山 口実 来 る。 豊 田問
題に付高橋より次長に公報す。
五月九日 月
如し。
五月 五日 木
早 朝 殿 下よ り 御 直 電 話 ﹁大 角 も 安 保 も 未 だ 来 ら ず 、 加 藤 の思 ふ 通
晴
午 前 八時 半 官 邸 に 於 て大 臣 と 会 見 、 公 式 に豊 田 暴 言を 告 げ 、次 で
り に進 んだ か﹂ と 御 尋 あ り 。 小 笠 原 報 告 の事 を 申 上 ぐ 。 寛 大 な る
︹ 欄外︺ 関直 彦 氏 に托 し、 清 正 人 形 を 寛 に 送 る。
私 見 を 語 り 大 決 心 を 促 す 。 後 に 本 件 安 保 に報 告 す 。午 後 四時 大角
御 思 召云 々 に対 し 夫 は 大 に違 ふ と 仰 せ ら る 。 殿 下 東 郷 邸 に 畏 く も
の 見 地 より 御 忠 告 あ り 、 元帥 直 に大 角 に面 会 御 思 召 を 伝 ふ 。 之 よ
御 台 臨 、 豊 田問 題 に付 御 仝 族 の聞 知 の場 合 事 却 て重 大 化 す べし と
曇
ると 答 へ帰 去 せり と 電 話 あ り 。
小 笠 原 を 訪 ひ 、 小 笠 原 よ り 大 決 心 を 促 さ れ 、斎 戒沐 浴 一両 日考 へ
たか 判 ら ぬと 言 ひし 由 、 不 届 至 極 也 。
を 御 答 へ申 上ぐ 。 以上 午 後 三時 半 参 殿 、 殿 下よ り 承 はる 。 感 激 の
を受 け全 一の注 意 を 受 け 、意 一決 、 十 一時 頃 再 び 殿 下 に 即 時 実 行
殿 下 より 御 注 意 あ り 、 再 考 致 す と 引 下り 、 入 ち が ひ に元 帥 の訪 問
り 先 き 大 角 、殿 下 に豊 田 の処 分 議 会 後 迄 東 郷 の仝 意 を 得 た 旨 申 上 、
豊 田 は大 角 の質 問 に言 葉 を に ご し 、 時 日 の立 て いる事 故何 を 云 ふ
︹ 欄外︺香 椎 ︹ 秀一 ︺中 将 ︹ 予備︺来 訪 、 予 の講 演 を 謝 し 陸 海 委
森山達枝来訪。
晴
員 より 謝 礼 ﹁せき れ い﹂ の番 ひを 贈 る。 五月 六日 金
極也。
帥 之 意 に従 ふと 答 ふ 。
と 頻 り に 陳 弁 す 。 自 分 の人 格 を 疑 ひ 玉 はざ れ
豊 田来 り 、 し ほ 〓
を 訪 ひ喜 を 別 つ。
明 治 神 宮 参 拝 、 御 礼 。 伏 見 宮 殿 下 の御 処 置を 御 報告 申 上げ 、 千坂
五月十日 火
東 日 ﹁フア ツシ ヨ﹂ 礼 讃 を 社 説 に出 す 。
五月十 五日 日
海 軍 に党 派 あ る を 慨 す 。
夕末次、真崎を呼び夕飯を共にす。
と 云 ふ。 予 は大 義 名 分 に従 て進 退 せ よ と 教 へ帰 へす 。
小 笠 原 午 後 三 時 来 り 仝 じ く 慶 賀 、 後 の相 談を 為 す 。支 那筆 を 贈 る。
千 代 と 三越 より 天 平 に 行 く 。
︹ 欄外︺ 予 元帥 邸 訪 問 一件 報 告 。 小 島 の筆 墨 壺 を 贈 呈 す 。
小 笠 原 に電 話 す 。
千代、実海晏寺参詣。
午 後 五時 半 より 仝 四十 五分 に 渉 り 首 相 官 邸 、 政 友 会 本 部 、 警 視 庁 、
晴
五月十 一日 水
牧 野内 府 邸 に陸 海 軍将 校 、 士 官 候 補 生 ( 陸) 十 八 名 手 別 け し て 襲
晴
軍事 参 議 官 会 議 、 上 海 停 戦 協 定 、 対 満 政 策並 に ゼネ バ 軍縮 を 聴 く 。
撃 、 首 相 重 傷 を 負 ふ。
︹ 欄 外︺ 殿 下 、 元帥 御 列席 。
︹ママ︺
午 後 一時 半 武 富 、 新 島 来 る 。 書 の礼 。
晴
出 省 、 殿 下、 大 臣 に御 見 舞 。 左 近 司 予 の報 知 ﹁ニ ユー ス﹂ を 気 に
五月十 六日 月
直 に 殿 下、 元帥 、 小 笠 原 に言 上 及 報 告 す 。
早朝 竹 内 来 る。 日糖 事 件 摘 発 を 報 ず 。
す 。 午 後 紀 尾 井 町 に参 殿 、 後 任 海 相 に 付 申 上 ぐ 。 末 次 御 快 諾 。 ︹ 倉︺ 竹 内 来 り 、 政 変 臨 時 議 会 後 を 得 策 と す る旨 西 園寺 に 蔵富 ︹ 勇三郎、
雨
豊 田 軍務 局 長 を 止 め ら る 。
五月十 二日 木
午後寺 島 ︹ 健︺少 将 ︹ 教育局長兼軍務局長︺来 り 挨 拶 す 。 心 と 人 と に注
予 の海 相 説 を 伝 ふ。
枢密院議長︺よ り 申 出 す と 云 ふ。 予 は 之 を 危 し と 答 ふ 。
五月十 七日 火
︹ 欄外︺ 聖 上 雨 降 つて 地 固 る の仰 せ 、 殿 下 より 承 は る。
岡 野報 知 を 呼 び 訂 正 を 掲 げ し む 。
意 し 部 内 の空 気 を 語 る。
晴
竹 内 に奮 起 を 促 す 。 五月十 三日 金
早 朝 千坂 来 り 末 次 推 薦 の相 談 を 為 し 奔 走 す 。
池 松 日 々来 り 国 本 社 の性 質 を 聞 く 。 大 日 本 主 義 也 と 告 ぐ 。 豊 田 は 不敬 事 件 の為 め止 め ら れ た り と 知 り 居 る 模 様 、 明答 せ ず 。
小 笠 原来 り 、殿 下、 元 帥 の仝 意 ( 保 留 は 総 理 の意 見 と 云 ふ 事) を
晴
夕 、 孝 治 、 実 と 天 平 に行 く 。 五月十 四日 土
得 たり と て末 次 の準 備 にか ゝる。
曇 午 前 竹 内 来 る。 北 一輝 来 り 内 閣 之 急 を 告 げ 、 予 に 決 意 を促 す 。 元
加来 ︹ 止男、少佐、横須加鎮守府参謀︺ 、大西来り末次推挙を高唱す。
小笠 原 より 電 話 あ り 、末 次 準 備 宜 し と 。
法曹 倶 楽 部 談 話 会 、 土方 ︹ 久徴、日本銀行総裁︺の談 を 聞 く 。
局 秘書 課 長橋 中 一郎 来 り 政 党 内 閣 非 認 の意 見 を 申 述 ぶ 。
此日品川主計 ︹ 宮城県内務部長︺来 り 十 六 日報 朝 刊 に 付 注 意 す 。 電 気
五月 二十 二日 日
平 沼 説 逆宣 伝 に 縮少 す 。急 激 な る国 家 主 義 を 恐 る ゝ也 。
小 笠 原 来訪 、 殿 下 之御 沙 汰 を 伝 ふ。 予 不覚 泣 て拝 す 。
らる。
殿 下 御 西 下 、 小笠 原横 浜 ま で御 伴 、 御 沙 汰 を 拝 し 元 帥 と 予 に伝 へ
元 帥 よ り 来 邸を 求 め ら る 。
︹ 欄外︺政 局 軍 部 の 為 め 不安 。
し た る後 な れば 致 し方 な し。 今 や陛 下之 御 心 配 之 非 常 な る時 資 格
元帥 西 園寺 と会 見 、刑 部 を 以 て御 留 申 上 し も 既 に約 束 を 電 話 に て
︹マ マ︺
来客 十数 名 。
待 てと 大 に注 意 す 。
五月十 八日 水
陸 軍 幼 年 学 校 三 年 生来 り 教を 乞 ふ。 上 田均 、 梅 田忠 恕 ( 十 八歳 )。
小 笠 原 、 千 坂静 観 に決 す 。
午 後 西 公参 内 、斎 藤 子爵 を 上 奏 奉 答 す 。 朝 野愕 然 。
な ど 考 へて は 居 ら れ ぬと 思 ふ て約 した 云 々。
北 一輝 電 話 、 陸 相 と 鈴 木 ︹ 喜三郎、内務大臣︺の 妥 協 説 に て陸 部 内 再
( 竹 内 曰く 、 予を 元 帥 に推 挙 せん と 云 ふ )
大動 揺 すと 告 ぐ。
早朝真崎 ︹ 甚三郎、陸軍中将︺参 謀 次 長 来 訪 、 大 事 を 告 ぐ 。 小 笠 原 と
五月十 九日 木
盤に招かる。
訪 問 後)。 夕 、 安 東 中 将 宅 弔 問 。 松 方 幸 次 郎 蘇 大 使 晩 餐 に 築 地 常
彼 れ 回 向 院 の会 合 を気 に す 。 小 笠 原 、末 次 の望 な し と 報 ず ( 元帥
組 閣 交 渉 中 。 正 午 舟 越 に岩 崎
晴
警備 司 ︹ 令︺部参 謀 、急 を 真 崎 に報 ず 。
共 に 紀 尾井 町 に行 く 。小 笠 原 は元 帥 邸 に行 き 元 帥 部 長 へ伺 候 と な
後 、 日本 橋 な か 井 ( ひ も の町) に行 く 。樺 山 資 英 仝 行 す 。 松 方 、
( 高 輪 ) 邸 に招 か る。 財 部 と 会 す 。
る 。 陸 軍物 情 恟然 、 政友 大 に驚 く 。
川上俊彦 ︹ 日魯漁業社長︺仝 席 。
曇 り 午 前 雨暖
五月 二十三日 月
小笠 原 と 昼食 。千 坂 来 る。 日 々、 報 知 、 都 来 る。
五月 二十四日 火
晴
犬養 葬 儀 。
竹内来り挨拶す。
殿 下 御 帰京 、直 に 電話 に て小 笠 原 への御 沙 汰 を 御 礼 言 上 す 。 只 々
︹ 欄外︺ 運転 手 。
平沼 を訪 問、 新 聞 に出 づ 。
五月 二十 日 金
西 園寺 上京 。
倉 富 其 他 巨 頭 西公 を 訪 ふ。 山 内 一次 、 山 本 、 東 郷 邸 に 使 す 。
感 激 之 外 な く 、 拝 謁 は差 拍 へま す。
晴
五月 二十 一日 土
組閣進捗。
午 後 小 笠 原 に行 く 。
小 笠 原真 崎 と会 見 を申 込 む。
夕 、 千坂 許 に行 く 。
五月 二十 五日 水
真 崎 行動 不 自由 に付 小 笠 原と 会 見取 止 む。
五月二十九日 日
晴
山 本 達雄 閣 員 の顔 振 れ と 組 閣 順 礼 又 は 原 嘉 道 ︹ 枢密院顧問官︺、 湯浅
水 校 教官 島 崎少 佐 来り 予 の奮 起 を促 す 。 霞 ケ浦 〓附 兼 教 官 小 園 安
︹マ マ︺
倉平 ︹ 会計検査院長︺の被 拒 絶 に 呆 れ 斯 様 な 内 閣 に て は 何 事 も 出 来 ず
午 後 軍令 部 長宮 殿 下 に拝 謁、 過 日小 笠 原経 由 御 沙 汰 之 御 礼 を 言 上
名 大 尉 及 横 〓 附相 沢 達 雄 大 尉 来 り 三 上 ︹ 卓、中尉︺ 一味 の左 傾 云 々 ︹ 枝︺ に 付 弁 護 す。 技 原 ︹ 百合 一︺少 将 ︹ 航空廠長︺来 り 懇 談 、 大 に 将 来 を
す。
と 辞 退 を 漏 し、 総 理 大 に驚 き 流 産 を ほ のめ か す 。
斎 藤 内 閣親 任式 、 高 橋 ︹ 是清、大蔵大臣︺ 、山本 ︹ 内務大臣︺、 小山 ︹ 松吉、
井 上 雅 二来 り満 洲 之 乱 脈 を 報 ず 。
民政大恐慌、幹部会を開き、後藤 ︹ 文夫︺と 南 弘 を 入 閣 せ し む る条
司法大臣︺ 、後藤 ︹ 農林大臣︺等 、 荒 木 留 任 、 岡 田 再 入 。
内 閣 政 民 政務 官 争 奪 に て醜 を 曝 露 す 。
予 に 頼 む 。 小笠 原 に行 く 事 を 勧 む。
一般 に評 判 良 か ら ず 、 次 善 、 三 善 内 閣 と 云 ふ 。
鳴 海主 人来 り別 府 より 鰕 を 齎 ら す 。 美 味 。
五月三十 日 月
斎 藤 子 の組 閣 振 り に呆 れ た る 也 。
立 雄 来 る。
五月 二十 六日 木
命 脈 短 し と 見 る も の多 し 。
件 に て稍 く 承 諾 す 。
白川死去。
五月 二十 八日 土
国 一致 内 閣 来 は 必 然 な る を 以 て 国 本 社 の自 重 を 望 む と 云 ふ 。
竹 内 に関 谷 の注 意 を 伝 ふ 。 関 谷 は 此 内 閣 到 底 見 込 な し 、第 二 の挙
松平、伊達 ( 宇和島)結婚式、東京会館。
陛 下行 幸 、 相 撲 取 止 め 。 白 川 邸 弔 問 。
午 前 岡 田海 相 と 会 見 、 人 事 を 注 意 す 。
五月 二十七日 金
清 河純 一 ︹ 中将、予備︺久 し ぶ り に 来 り 海 軍 問 題 主 と し て 人 事 と
六月 一日 水
徳 山 加 代 より 松 茸 来 る。 新 島 に頒 つ。
揮 毫 、鳴 海 に、 且 閑 々。
南弘 ︹ 逓信大臣︺等 大 元気 昔 を 語 る。
白 川 大 将 霊柩 著 京 、 出 迎 ふ。
小 笠 原 元帥 邸 より 来 る。
五月三十 一日 火
晴
午 前 佐 々木 革 次 ︹ 大佐、予備、中島飛行機︺来 る 。
五 ・ 一五事 件 に対 す る千 田 ︹ 貞敏︺中 佐 等 の困 惑 を 語 る 。
雨
小 笠 原 紀 尾 井 町 へ。
︹ 悄︺ 藤 田尚 徳 ︹ 中将︺次 官 と な る 。 左 近 司 逍 然 と し て 辞 任挨 拶 に 来 る 。
町 田進 一郎 大 佐 ︹ 扶桑艦長︺来 訪 、 五 ・ 一五事 件 に 付 予 及 末 次 に 累 の跋 扈 大。
六月六日 月 雨 連 日森 雨 入 梅 ︹ 意カ︺ 坂 井 一雄 来 り 満 洲 事 情 を 縷 述 す 。 悲 観 の み。 本 庄 其 任 過 重 、 浪 人
︹ 八︺ 松 下権 吉 来 る。 快 男 子な り 。 但 し 要 領 尠 し 。
を 及 ぼ さ ん事 を 憂 ひ 、 伊 藤 利 三 郎 大 佐 ︹ 海軍省電信課長︺等 大 に 立 た
早速 入 間野 ︹ 武雄、内閣総理大臣秘書官兼大蔵書記官︺に 紹 介 、 会 見 を 勧 む 。
雨
んと す と 告 ぐ 。 町 田 は 級 会 を 立 た し め て 海 軍 革 正 を計 ら んと 告 ぐ。
六月 二日 木
其 前 に 村 上 貞 一来 り 、 斎 藤 内 閣 組 閣 之内 幕 を 語 る 。前 途 悲 観 す 。
六月七日 火
駒 井 酒 池 に耽 溺 す と 云 ふ 。 雨
平 沼 を 加 へざ り し事 を 大 に 惜 む 。
晴
満 蒙 四頭 政 治 打 破 論 起 る 。 散歩。
小笠原来訪。福田雅太郎逝去。 六月 三日 金
六月 八日 水
下郷夫人来訪。
雨
白 川 大 将 陸 軍 葬 盛 大 、参 列 。
官邸晩餐会。
豊田、石川中佐に会ふ筈。
豊 田法 学 士 来 訪 、 又 満 洲 悲 観 談 を 為 す 。
了 て福 田 邸 に 弔 訪 す 。 ︹ 八︺ 藤 井 実 来 る 。 松 下権 吉 を紹 介 せ んと す 。 六月四日 土
夕 、 平 沼 を 尋 ね ん と せ し も 不 在 之 由 に付 取 止 む 。
晴
晴
曇
青山告別式。 ︹ 八︺ 藤井実 ( 元新 嘉 坡総 領 事 ) 来 り 、 松 下権 吉 を 紹 介 せん と 乞 ふ 。 諾 。
六月十日 金
日本危しを読む。
六月九日 木
平 沼信 者 に し て 西公 と 連 絡 あ り 、 予 に嘱 望 す る所 云 々を 述 ぶ 。
海 晏 寺 参 詣 。 書 を 見 る 。 見事 。自 分 な が ら 驚く 。
六月十 一日 土
雨
問 題多 し と告 ぐ 。
夕 、真 崎 勝次 来 訪 、 横 須 賀 方 面 の情 勢 を 述 ぶ。 法 務 官 の粗 漏 に 付
山本 ︹ 英輔、大将、横須賀鎮守府司令︺長 官 大 に努 力 す と 。
岡 田 、 福 井 県 人 貴衆 両 院議 員を 官 邸 に招 く 。
松 坂 屋 番 頭来 り 勅 語 を 返 却 す 。 六月 五日 日
六月十 二日 日
牟 田亀 来 り名 古 屋松 坂 屋展 の礼 を 述 ぶ。
日 露協 会 年次 会 、 閑 院宮 邸 伺 候 。
北 一輝 、 久 保 九 次 ( 午 餐 を 共 にす )。 ︹ 止︺ ︹ 吾カ︺ 加 来 留 男 、 石 川 信 夫 来 る。
雨
加 来 を 岡 田海 相 に紹 介 し 、 横 須 賀 事 情 を 陳 べし む 。
札 幌 麦 酒 に 行 く 。 墨堤 散 歩 。
官 邸 軍 参 会 。 予 と 大 角 と 谷 口。谷 口 は 血 圧 と糖 に 艱む 。
六月十七日 金
曇
後 日 を警 む 。
立雄に百十七円五十銭利子を払ふ。
曇
六月十三日 月
下郷 に 日高 大 将 の愛 好 す る ﹁ツイ 立 」 を 贈 る 。 下 郷 共済 会 に 送 る
海 相 舞 鶴 に行 く 。
曇小雨
千 葉 断 一夫人 来 り 夫 の遊 職を 訴 ふ。
六月十 八日 土
筈。
加 藤 内 蔵 介夫 人 来 り 財 政 難 よ り 千 円 の融 通を 申 込 む 。 ﹁ 孝﹂之所 在を聞く。
午前、買物。
坂 井 一意 来 り 満 洲 承 認 之 急 を 説 く 。 山 本 伯 野 心あ り と告 ぐ 。 六月十 四日 火
六月十九 日 日
加 藤内 蔵 介 に軸 の預 り 物 を 返 す 。 曇
夕 、千 代 と 神 楽 坂 に散 歩 す 。
石渡 秀 吉 来 り 、 福 部 神 社 ( 佐 賀 ) の額 書 を 依 頼 す 。 諾 。
橋 中 一郎 。 ︹ 欠︺ 橋 中 電 鉄 秘 書 来 り 、 陽 明 学 派 の□ と 会 見 を 勧 む 。 断 る 。
千 坂 、 田 中隆 成 検 事 を 伴 ひ来 り 時 局 談 を 為 す 。
山 本 英 輔 大 将来 り憂 慮 を対 露 対 米 に おき 警 告 す 。 言 切 々感 動 す 。
晴
帰 宅 後 報 知 よ り 電話 、 横浜 タ カ シ突 然 自 殺 の報 を 得 驚 く 。 夫 婦 共
六月十 五日 水
直 に書 す 。 右 外 天壤 無 窮 と 決 勝 不 可 謀 。
眠られず。
千 代 と 銀 座 に散 歩。
賞 せり と 語 る。 彼 等 の意 中 ?
六月 二十日 月
千 坂 来 り 語 る。
下 郷来 り 昼食 を 共 にす 。 来 る廿 七 日寅 吉 と 佐 久 間 大 将 孫 女 と 結 婚
阿部鶴之助来り ( 平 沼 を 訪 ふ) 平 沼 の 不適 を説 く ?
藤 井実 、 松 下権 来 り 松 下と 平 沼 と 会 見 之 事 を 話 す 。 平 沼 に 予 を 推
式 に 出席 を求 む 。 ︹ 介︺ 今 立 裕 来 り加 藤 内蔵 助 之頼 を 断 る事 忠 告 す 。
晴
︹マ マ ︺
石渡秀吉に書を渡す ( 来 訪 す)。
岡 田 歓 迎 会 ﹁ヒ ツチ﹂ す 。
新 聞 に昨 夕 の記 事 な し 。 前 後 策 を 講 ず 。
︹マ マ︺
新 島 来 り 北 海 道 視察 を 次官 よ り 同意 せ ら れ たり と 告 ぐ 。
れり と 。 孝 は 十 五 日附 近 小 出 の所 に 来 り ﹁ソバ﹂ を食 し 帰 れ り と。
千 代 阿 佐 ケ 谷 を 訪 ぬ 。 時事 記 者 も 昨 夜夜 間 屏 を 乗 り 越 へて 尋 ね来
雨
杉 山 予 の電 話 に て来 訪 ( 横 浜 よ り )。 警 視 庁 官 房 主 事 に 調 査 を 頼
六月十六日 木
小 西 約 の如 く 来 ら ず 。 横 浜 に 米 帰 朝 者 を 迎 に行 く と 云 ひ来 る。
みし も 何 処 にも 報 知 之 ﹁ニユー ス﹂ の如 き も のな し 。
水難救済会評議員会に行く。
空 中 大 爆 撃 を 見 る。
斎藤斎氏来り ( 夕 ) 国情 と総 理 の健 康 を 心 配 す 。 週 末 の静 養 と 共
豊田 ( 千 葉) 来 り 秋 の 国難 を 憂 慮 す 。
六月二十 一日 火
六月 二十七日 月
正 午 伏 見 宮 海 軍 凱旋 者 御招 き 。霞 ケ 関離 宮 。
東 伏 見 宮 依 仁親 王御 十年 祭 。
六月 二十六日 日
曇
に 御 上 へ接 近 を 忠 告す べく勧 告 す 。
の行 動 を 言 上 す 。
軍 事 参 議 院 へ。 特 命 検 閲 使 御披 露 。 了 て御 陪 食 。 ﹁リ ツト ン﹂ 等
雨
立雄直麿来る。
曇
小出より ( 孝) 無事 来 訪 の報 あ り。 又 ( 孝 ) 及光 江 より 詫 状 書 面
正午下郷結婚式、飯田町奉斎会。
晴
大 毎 日布 施 来 り 、 日 蘇 関 係 の事 を 尋 ぬ 。 対 米 に積 極 に進 めと 告 ぐ。
了 て大 松 閣 披 露 。 佐 久 間 一家 。 渡 辺 陸 中 将 、 永 江 機 大 佐 ( 佐久 間
六月 二十 八日 火
六月 二十 二日 水
︹ 欄外︺揮 毫 、 中 島 と 海 晏 寺 。
来る。
高橋次長来り近情報告す。
六月 二十九日 水
家 )。
六月 二十 三日 木
右 両 人 より 将 来 之 事 に付 頼 ま る。
午 前 小 笠 原邸 に千 坂 と 三人 会 合 。
曇 細 雨
便 乗 し 談 話 会 に 行 く 。 池 田 、 江 口 、 荒 木 、 土 方等 珍 客 あ り 。 田中
千 代 下郷 に祝 ひ に行 く 。 ﹁か つぶ し ﹂ と 細 一反 を 贈 る 。
下 郷夫 婦 礼 に来 り佐 久 間家 の土 産 を 贈 る。
散 歩幸 鮨 に行 く 。
晴
都吉 ︹ 中外商業新報社長︺満 洲 談 。 満 洲 指導 部 の 失 を 高 唱 す 。
直 麿 に忠 告 す 。 (15) 与 ふ 。 海 晏 寺 に 参 拝 せ し む 。
曇
終 日不 快 。 六月 二十 四日 金
る。諾す。
午 後航 空 本部 内 田 三郎 少 将 来 訪 し、 七 月 三 日若 越 会 に出 席 を 頼 ま
晴
午 前 九 ・四 〇、 野村 、 植 田 一行 凱 旋 参 内 、 近 来 の歓 迎 振 一将 功 成
六月三十日 木 晴 ︹ 嶋︺ 塩沢、島田 ︹ 繁太郎、少将、軍令部第三班長︺、植 松 ︹ 練磨、少将、潜水学校長︺
千代久し振りに功之処に行く。
講演。海軍省に行く。
万 卒枯 の感 深 し 。正 午 御 陪 食 。 夕 石 川 中 佐来 り 米 □ 減 提 案 を 警 告 す 。 巨 弾 反 投 を 教 ゆ 。
七月 一日 金
晴
大 宮御 殿 拝賀 。
佐久間伯爵夫人来訪。
六月二十 五日 土
秩 父 宮御 誕 辰会 参 賀 。
小 雨 全 国 大 雨
上 野精 養 軒 陸 海 軍凱 旋 祝 賀 ( 夕 )。
竹 内 来 り 平 沼 に 就 き 及 荒 木 を 紀 尾 井 町 に 伺 候方 注 意 す 。
昌︺侯 爵 ︹ 貴族院議員︺挨 拶 す 。 大 に 賑 ふ 。
岡 田海 相 就 任 祝 賀 仝 郷 人 会 、 東 洋 軒 、 会 者 百 六 十 余 名 、 松 平 ︹ 康
曇小雨
植松少将来訪。
七月九日 土
七月 八日 金
夕 食 後 ﹁オプ ン カ ー﹂ に て ﹁ド ライ ブ ﹂ す 。 大 に 楽 し 。
七月 三日 日
海 晏 寺 に母 の七 年 忌 法 事 す 。 水 交 社 に 午 餐 。 今 立 、村 田 立 雄 、 英
大雨
堤正之 ︹ 男爵、大尉︺来 訪 。
若 越 現役 在 郷 軍 人会 演 説 に 。
七月 二日 土
出光 ︹ 万兵衛︺少 将 ︹ 侍従武官︺来 り 憂 国 の談 。
る。
彦 、 須 直 、 直 子 、 寛 一夫 婦 、 た つ子 、孝 治 を 招 く 。 功 も 直麿 も 来
七月四日 月
七月十日 日
大角放言不体裁也。
辛酉会、農相官邸、荒木来会す。
曇
海 軍 部内 談 、 豊 田 の処 置 に付 疑 問 を 呈す 。 解 諒 す 。
軍事 参 議 官 会 議 。
下 郷 広 吉 夫 婦 披 露 、 仁 寿 講 堂 に於 て 盛会 、 千余 名 来 会 す 。
晴
軍令 部 長 宮殿 下艦 隊 特 命 検 閲 使 と 成 らせ ら る。
夕 、 寛 一、 孝 治 と幸 寿 司 に 行 く 。 半 晴小 雨
曇半晴
深夜 、森 山達 枝 、大 毎 日 々記 者 北 条 清 一と 共 に 来 訪 、 横 須 賀 某 駆
午 後 迄 続 会 、 五 ・ 一五事 件 報 告 、 山 田 の態 度 頗 る軽 率 。
七月十 一日 月
寛 一赤 羽 の ﹁ゴ ル フ﹂ に行 く 。素 子 四谷 功 を 訪 ふ。 午 後 千 代 、 素
七月十二日 火
暑気増大
逐艦 上 の 一大 虚 報 ? を 伝 ふ。 打 消 す 。 蜚 語 の大 な る に 驚 く 。
午 後 七 ・三 〇寛 一夫 婦 、寛 出 立 帰 阪 す 。 下郷 母 、 今 江 親 切 を 謝 す 。
七月 五日 火
七月 六日 水
竹 内 来 訪 、政 治 を 談 ず 。
御 岬 岬 陽 館 に行 く 。 園 部 を 呼 び 陸 軍 と 痛 飲 す 。
練 習艦 隊 を 迎 ふ。
晴
大暑
午 後 一 ・三〇 金 子 子 爵 統 帥 権 に関 す る講 演 を 軍 令 部 長 宮 御 殿 に て
子 を新 歌舞 伎 に案 内 す 。大 に 面白 し。
為す。東郷元帥、予、安保、大角其他大に感動す。
七月十 四日 木
栃内 ︹ 曾次郎︺大 将 ︹ 貴族院議員︺逝 去 、 盛 岡 に て。
孫 の愛 を 感 ず 。
暑
七月七日 木
森 山 より 謝 状 来 る ( 昨 夜 の粗 忽 に 就 て也)。
寛 一夫 婦 来 京 、 午 前 八 ・三 〇 著 帰 宅 す 。 寛 坊 大 に愛 ら し く 始 め て
宮 中 軍 事 参 議 官 会 議 、 艦 隊 特 命 検 閲 に 付決 議 。
七月十 五日 金
雨
立 雄 来 訪 、 一同 と 夕 食 を 共 に す 。
大 湊 へ。 水 交 社 に て 准 士官 以 上 に 講演 。 司令 官 々舎 に て馳 走 を 受 ︹ 欠︺ け 、 午 後 三 時 頃 駆 逐 艦〓 に て青 森 へ。 塩 谷 旅 館 に泊 。
小山無線電信所。 日 光 街 道 を 経 て 鬼 怒 川 温 泉 ド ラ イ ブ 。東 郷 、 福 田大 に歓 迎 す 。 加
晴
寛 死 去 、 千 代 芦 屋 へ急 行 之 電 来 る 。 何等 之 悲 事 。 七月 二十 二日 金
聊か哀愁を忘る。
︹マ マ ︺
七月 二十三日 土
雨
藤亮 一 ︹ 主計中将、海軍省経理局長︺、 石 原、 大 西 、 新 島 仝 行 。 七月十六日 土
筥 館 へ向 け 旅 行 継 続 、 正午 着 。 一時 発 、午 後 六時 登別 着 、 長 谷 川 、
鹿 江 に 頼 電 し 一〇 〇 円 を 芦 屋 に 送 る 。
三 笠 会 館 開 館式 。 ︹ 木︺ 御酒本 ︹ 幸吉︺真 珠 王 ︹ 御木本真珠店主︺来 訪 、鳥 羽 商 船 学 校 維 持 を 頼
丸 一等 製 鋼 所 員 之 歓 迎 を受 く 。
七月十七日 日
十 時 登 別 室 蘭 製 鋼 所 を 視察 。 山本 英輔 大 将 と共 に午 餐 之 饗 応 を 受
七月十 八日 月
岩 見 沢 に て名 和 将 軍 之 宿 せ る 旅館 に 小憩 、歓 迎 せ ら る。 軍人 会 へ
列。
け 、 午 後 発 根 室 に直 行 。岩 見 沢 、瀧 川等 在 郷 軍 人大 に喜 び駅 に整
雨
む 。 鳩 山 ︹一 郎、文部大臣︺に話 す と 云 ふ。
議定官に補せらる ( 七 月 十 六 日)。
参 内 御礼 、 賞勲 局 に挨 拶 。
十円寄附。
晴
栃 内 大 将 遺 骨 迎 に 上 野 に行 く 。
軍 令 部 長 宮 及大 臣 に伺 候 及旅 行 報 告 。
七月十 九日 火
に 一泊 。
午 後 二 時 根 室 着 。 公会 堂 に て 講演 。終 て 飛行 場 を 見 、 二美 喜 旅 館
曇蒸 暑
栃 内 告 別式 。
大 湊 に向 け 発 、午 後 一〇 ・二 〇。
守 屋 支 庁 長 、 湊 助役 、 柳 田等 大 に歓 迎す 。
半 晴 暑気
七月 二十四日 日
松 田 諒治 仝 車。
晴
松 村 龍雄 ︹ 中将、予備︺卒 去 に付 ( 本 日午 前 十 一時 ) 見 舞 。
七月二十 日 水
七月 二十五日 月
︹ 欄外︺千 八百 人 集 り 予 之 講 演 を 聴 く 。
日 高 大 将 薨 去 之 電来 る 。
令 官 、前 田 副官 と 出 迎 ふ 。同 宿 主 人 等 大 に歓 迎 す 。 涼 味 津 々。 歓
午 後 三時 頃浅 虫 着 、東 奥 館 に泊 。 河 野 ︹ 董吾、少将︺大 湊 ︹ 要港部︺司
談 す。
早 朝 根 室 発 、 厚 岸 に て 山本 大 将と 共 に狭 霧 之 艦 上 点 呼 に列 し 戦 友 ︹ 釧︺ に 訓 示 を 与 へ午 餐終 て 訓路 へ。仝 地 に て は佐 藤 ︹ 国司︺市 長 、 飯 島
濃霧
七月 二十 一日 木
支庁長、林 田市会議 ︹ 長︺等 の歓 迎 を 受 け 視 察 、 大 に有 益 。 晩 餐
晴
午 前 七時 頃浅 虫 発 、 田辺 より 下車 、 樺 山 飛 行 場 を 見 、 自 働 車 に て
明 治 大 帝 御 二十 年 祭 、 賢 所 参 集 。
夕 杉 山 明 久 来 る。 揮 毫 、 北 海 道 友 人 へ。
七月 二十六日 火
旧 老 臣 之 中 来 る者 金 子 子 爵 のみ 。
之饗応あり。近江屋に泊。揮毫。
午 前 九 時 半 訓 路 発 、 札 幌 、 小 樽を 経 て筥 館 に直 行 。
伊東巳代治、山本伯、財部不参、其心中や可知。
晴
橋 本 及 小 樽市 長 出 迎 ふ。 杉 山 喜 兵 衛 弟 令 息 と 共 に 来 車 。 ﹁コ ブ﹂
七月 三十 一日 日
︹マ マ︺
之大鉄を約す。
︹ 釧︺
堀 川 某 一族 に 会 ふ 。令 嬢大 に喜 ぶ。 室 蘭 より 仝 車 せし 也 。 福 岡 の
日高 家 へ水 物 を 供 ふ 。
午 前 下 郷 義 一夫 婦 来 る 。
平 山 に 電 話 、 青 木 子 爵 之 好 意 を伝 へ注意 を 促す 。
大暑九四度
幸村家か。 ︹ 欄外︺東 京 廿 一年 来 の大 暑 、 九 四 度 。
杉山より火鉢之木を送り来る。
晴
七月 二十七日 水
曇
八月 一日 月
珍 ら し く 此 日 曇 に て息 を つく 。小 笠 原子 来 り 予之 自 重 を 頼 む 。
︹マ マ︺
午 前 六 ・五 〇筥 館 着 、 七 ・三 〇発 。 鈴 木 政 友 総 裁 小 樽 よ り 仝 車 仝 船 す。
札 幌 杉 山 へ書 を 送 る 。
岩村 ︹ 兼吉、少将︺、山 口清 七 ︹ 少将︺予備 役 と な り 礼 に来 る。
正午 青 森 着 、 一 ・三 〇発 。 大 に暑 熱 。 鈴 木 松 島 に て下 車 。 七月 二十 八日 木
八月二日 火
霧後晴れ大暑
午 前 六 ・五〇 上 野着 、 帰 宅 。
午 前 明治 神 宮 参 拝 。
に付 及 び湊 自 身 身 上 に付 相 談 に来 る。
稍涼
日高 家 を 弔問 す 。
出 省 、 大 臣、 部 長 殿 下 に報 告 。
夕 、湊 乾 助 来 訪 、根 室 兄之 礼 を 述 べ且 つ鹿 野 某 級 員 五 ・ 一五 関 係
下郷 其 他 に書 信 並 に 祝 電 す 。 下郷 よ り 返 電 あ り 。
晴
千 代 子 海 晏 寺 へ相 談 に行 く 。
八月 三日 水
寛 一十 三 日上 京 之 書 信 来 る 。
平 山 敢 来 り 青 木 子 爵 に 満 鉄 入 の最 後 の援 助 を 懇請 す 。依 つて 一筆
朝 下郷 を 訪 問 す 。
大暑
す。
七月 二十九日 金
千代海晏寺に行く。
川上俊彦令息告別。
晴
八月 四日 木
揮毫。
大暑
各 方 面 書 信 。 三 国 青 年 団 長 に色 紙を 書 き 送 る 。 七月 三十日 土
梨 本宮 元帥 、 李 王 陸 中 佐 、 閑 院 若 宮 陸 大 尉 御 進 級 の賀 伺 。
八月 九日 火
︹ 欄外︺ 近 来 の冷 気 、 海 上霧 、 沖 晴 、 四万 以 上 の展 望 あ り 。
蔵、衆議院議員︺ 、床次 ︹ 竹二郎、衆議院議員︺ 、 水 野 、 徳 富 、 小 笠 原、 有
軍 令 部 長 宮 殿 下 の御 思 召 に て駒 井 之 話 を 聴 く 。 不 慎 傲 慢 大 事 を 托
駒 井歓 迎 宴 、 水 交 社 。 東 久 邇 宮 殿 下 台 臨 、 荒 木 、 岡 田、 安 達 ︹ 謙
馬 、高 橋 三吉 、 小 磯 、 東 条 、 外 一陸 軍 。
す る 底 の人 物 に あ らず 、稍 感 心 す る話 は 門 戸開 放 は 日本 語 熟 達 之
暑気又来 る
佐久 間家 訪 問 、芦 屋之 礼 を 云 ふ。
新 島 家 に礼 訪 、 絽 一反 を 贈 る。
の□ 也 。 晴
人 に 限 る 事 。 結 論 、 日 本海 軍 は 陸 軍を □ す 、之 を 見 付 れ ば こ つち
八月十日 水
晴
千 代 海 晏 寺 へ。
八月五日 金
夕 新 島 夫 婦 礼 に 来 る 。 立 雄来 る 。
竹 内 賀 久 治 、 薩 摩 雄次 来 る。
南 部 ﹁ロ ス ア ンゼ ル﹂ に 大 勝 。
竹内 、長谷川来 る。小笠原を訪 ひ田中光 顕伯 ︹ 維新史料編纂会顧問︺
颱 風 七 二 〇宮 崎 附近 を 襲 ふ 。
八月十 一日 木
晴
八月六日 土
宮 中廓 清 に付 尋 ぬ。
八月七日 日
午 前 竹 内 来 り 山 内 一次 に話 す事 を 相 談 す 。 平沼 仝 意 な り と 。
晴
加 藤祐 雄 、立 雄 来 る。 下郷 小 三病 む 。
日蓮 信 者 宮 原 六 郎 来 り 題 字 を 頼 む 。 諾す 。 知法 恩 国 の 四字 。
颱 風七 〇 〇奄 美 大 島 附 近 を 荒 し北 上 せ ん と す 。
新 島 交 代 し て磐 手 航 海 長 と な る 。 ︹ 欠︺ 浜□医甫代る ( 中 佐 )。
本 庄 よ り来 電 に対 し礼 電 を 発 す 。
宮治民三郎 ︹ 少将、予備︺来 り 国防 秘書 な るも のを 渡 す 。
八月十 二日 金
町 田大 佐 来 訪 、 海 相 之 部 内 人 事 縷 述 之 件 語 る 。 山 本 五 十 六 ︹ 少将、
小笠原紹介奥寿揮毫を頼む。
晴
武 富 大 佐 新 津 海 軍班 の班 旗 に 揮 毫 を 頼 み 来 る 。
豊 田 久 雄 満 洲 行 の為 め 来訪 す 。森 恪 と会 見 之 事 を 話 す 。
八月 八日 月
航空本部技術部長︺ の隠 謀 、 塩 沢 之 上 海 不信 ︵ 戦 線 も 病 院 も終 に 貝 舞
晴稍冷
揮毫 ( 武 富 、 大 西)。
午 前 五 ・四七 、 殿 下 に 陪 し 4S の阿 蘇 廃艦 射 撃を 見 る。 岡 田、 安 保 、
はず )。
曇
大 角 仝 行 。 4S成 績 、 艦 側 4 、 甲 板 4 、橋 2 、烟 突 2、 水 線 下 5 、
( 我 駆 逐 艦 に 対 し) の時 ︹ 惶︺ 何等 戦 闘準 備 を 為 しあ ら ず し て周 章 狼 狽 蒼 皇 抜 錨 逃 出 せ り と 云 ふ
︹マ マ ︺
潜 射 二発 見 事 命 中 沈 没 す 。 4S水 中 弾 に て 既 十 度 以 上 傾斜 。
堀 ︹ 悌吉、第三戦隊司令官︺ の呉 淞 砲 台 初 発
︹マ マ︺
竹 田宮 恒 憲 王 ︹ 陸軍騎兵少尉︺真 崎 参 謀 次 長 等 を 従 へ御 見 学 遊 遊 。有 馬 良 橘 来 る。
事 航 海 長 の話 し 。 八月十九日 金
八月 二十日 土
豊田来る。
晴
松 竹 合 名 会社 理事 向 山 庄太 郎 。新 富 座 主 管 。 八月十三日 土
晴 暑 又 来 る
暑
小槙 ︹ 和輔、軍令部出仕︺少 将 満 洲 里 に て病 死 ( 今 夜 )、心 臓 麻 痺 。
夜 半 よ り 大 下 痢 、 ソウ メ ンと 水瓜 な り。
午 後 西 尾 信 一来 る。 不相 変 熱 烈 。 八月十四日 日
晴
日比谷 公会堂、武 藤大将 送別之 夕に招か る。永井 ︹ 柳太郎、拓務大
︹ 欄外︺実 来 る 。
武 藤 大 将 一行 出 発 見 送 る 。
臣︺長 広舌 、徳 富 熱 演 。
八月二十 一日 日
八月十 五日 月
実 帰艦 。
立 雄満 洲 行を 報 告 に来 る。
終 日休 養 、大 に疲 労 す 。
大暑
筑 紫 出 発 、満 洲 へ。
浜 口を し て 小槙 家 を 吊 訪 せ し む。
武 藤 の為 小 山 法 相 官 邸 送 別 晩 餐 に 招 か る 。
晴
ロ スア ン ゼ ル、 水 軍大 勝 利 。
横 須 賀 出 口 に書 を 渡 す 。
八月 二十 二日
真 崎来 訪 、岡 田 の不 評 を 報 ず 。
午 後 小 槙 家 を 弔 問 し 、 日高 大 将 三 十 日祭 に 水 交 社 に 行 く 。 晩 餐 を
下痢 稍 や収 る。
晴 暑
八月十 六日 火
川 口来 る。 久 富 来 る 。
夜 来 雨 午 後 晴 稍 冷
森 孝 三、 直 方 と 渡 露 の為 来 る 。
松 竹 を 見 る。 八月十七日 水
花房太郎 ︹ 少将、予備︺死 去 。
辞す。
晴冷
軍事参議官参集。軍縮其他。 諸報告、午餐。
下 痢 未 収 、 寺 尾 に受 診 。
浜 口を し て花 房 弔 を 吊 訪 せ し む 。
大暑
四十 四 期 追 悼 会 。 山 下 大 将 以 下 及 同 級 員。 後 水 交 社 。 予 は時 局 所
都 、 角 記 者 来 る も 面 会 を 断 る 。 両 三 日後 と 約す 。
八月 二十 三日 火
鳥 居 卓 哉 少 佐 ﹁ロ ス ア ンゼ ル﹂ に て 自 働 車 衝 突 に て惨 死 す 。
感 を 述 ぶ 。 岩 村 大 に弁 ず 。岩 村 曰く 、 君 の毀 誉 褒 貶 は随 分 あ り と 。
午 後 四 時 頃 蘇 一等 書 記 官 兼 総 領 事 Vl adimi rGe l egu i akof f来 り 、
晴
円貨廿二弗に暴落す。
八月十 八日 木
白 井 女 史 礼 に来 る ( 志 賀 子と 共 に書 の)。
︹ ロヤ︺ ﹁ト リ ア ノ フ スキ ー 」 大 使 の会 見 希 望 を 述 べ、 来 週 火 曜 卅 日 を 約 す ( 午 前 十 時 )。 今 週 金 曜 と 云 ひ し も 病 気 故 と て延 期 せ し む 。
時 々驟 雨
︹ 欄外︺蘇 書 記官 来 訪 。
雨
午 後 海 晏寺 に行 き 寛 の墓 地 を 定 む 。 八月二十 八日 日
政 府 政友 衝突 、 見 る に 不堪 。
八月 二十 四日 水
伊 藤 利 三 郎 、 町 田進 一郎 来 り 、海 軍を 慨 談 す 。
午 後 山 崎貞 直 来 り、 博 義 王 殿 下 の御 身 上 に付 語 る。
平 泉 、 矢 板を 呼 び 、保 護 堂 を 督 促 す 。夕 食 を 共 にす 。
鹿 島伯 葬 儀 に参 列 。
千 代 、 仁 出 迎 ひ、 孝 治 と 共 に海 晏 寺 に寛 の遺 骨 を 送 り 安 置 す 。
山 口実 電 話 、某 所 に招 く。 断 る。
午 後 四 ・五 五孝 治 帰 宅 。
品 川主 計 満 洲 監 察 院 に招 聘 せ ら れ て行 く 為 告 暇 に 来 る 。 立 雄 を 会
右 寛 一に電 報 す 。
久 富 来 り 、 野 村 の米 行 新 聞報 を 尋 ぬ 。 不賛 成 と 答 ふ。
︹ 欄外︺小 浜 町 長 等 築 港 問 題 に付 来 る 。
は し む。 花 房太 郎 葬 儀 に 弔詞 を 読 む 。 乃後 会 々長 と し て。
立 雄 、 直 麿 来 る 。 立 雄 に餞 別 を 送 る ( 糟 谷 の 腰 か け)。
晴
加来少佐夕刻来る。
八月 二十九日 月
八月二十 五日 木
小槙少将遺骨着、出迎ふ。
晴
午 前加 藤 友 三郎 十年 祭 、青 山 墓 地 に行 く 。
通 夜 に 途 中 迄 行 き 番 地 を 忘 れ て 引 返 へす 。
右 一二 八。 左 一三 〇
無 線 、 品 川 送 別 を 明 二 十 六 日丸 の内 常 盤 に 開く 、 出 席 を 求 む 、 諾 。
血圧
竹 内 来 訪 、薩 派 の焦 燥 を報 ず 。
永野 ︹ 修身、中将、軍令部出仕 ( ジュネーブ軍縮会議全権委員) ︺帰 京 、品 川 主
晴大暑
橋中来訪せしも不在。
計発、送迎す。
八月 三十日 火
臨 時 議 会 に内 田 大 に気 を吐 く 。 ︹ 勇︺ 松村菊男 ︹ 中将、予備︺来 る 、 九 月 四 日 五十 日祭 ( 龍 雄 ) に招 待 す 。 八月 二十六日 金
雨
品 川 主 計 送 別 、 丸 の 内 常盤 。 十 五 、 六人 。 松 下 軍治 来 る。 不 相 変
午 後 二時 小 槙 葬 儀 、 吊 詞 を 読 む 。
予 の助 力 を 乞 ふ。 首 相 と 会 見 を 進 む 。
午 前 十 時 蘇 大 使 館 に 大 使 と 会 見 、 日蘇 関 係 悪 化 に 米 の運 動 を 語 り
午 後 四時 寛 埋 骨 、 大 に哀 し 、 下 郷 夫 婦 、 □ 子 、 予 夫 婦 、 仁 、 志 賀
元 帥 と 予 の推 賞 。 薩 摩 雄次 来 り ﹁ す る め﹂ を送 る。
八月 二十七日 土
鹿島 ︹ 萩麿︺伯 ︹ 大尉︺薨 去 。
豊 田よ り 電 話 あ り 、 情 報 。
子、立雄夫婦、須直来会。
曇小雨
山階宮 ︹ 武彦王、少佐、休職︺ へ御 弔 問 ( 鹿 島 伯 の為 )。
伊 藤 利 三郎 憂 海 之 手 紙 及 電 報 あ り 。
午 前 小 笠 原 へ行 き 、 千坂 と 三 人 に て語 る 。 氷 解 ( 加 来 談 )。 入 間
午 後 松 村 龍 雄 五十 日祭 追 憶 談 を 為 す 。
力を 頼 む。
九月四日 日 大 暑 ( 刑部に移す) 向田 ︹ 金 一、少将、予備︺ 、神 代 ︹ 護次、少将、予備︺来 り 海 洋 青 年 に 付 尽
の電を 持 参 す 。
野 に電 話 。
議 会 結 了。
大暑
玄 蕃 よ り 原 田と 交 渉 済 之 電 話 あ り 。
九月 五日 月
八月 三十 一日 水
夕 下郷 夫 婦 に呼 ば れ 星 ケ岡 に 行 く 。
岡 野俊 吉 中 佐 を 送 り 、 軍 令 部 長 宮 殿 下 に 拝 謁 懇 話 申 上 度 、 時 日 を
暑
立 雄 夫 婦 と 富 美 栄 、 大 に馳 走 さ る 。 九月 一日 木
伺 ふ。 御 諾 、 但 し 憂 ふ べき 御 態 度 あ り 、 何 人 か の中 傷 な き や を 憂
大暑
下郷 一家 其 他 多 数 見 送 る 。
午 前 九 時 燕 に て立 雄 満 洲 に 向 け 発 。
九月六日 火
九月 二日 金
九月七日 水
満 せ し めず と 。
雨
人 間 野 来 り 蘇 大 使 の件 を 予 よ り 聞 く 。
豊 田よ り 小 林 情 報 を 伝 ふ 。 曰 く 、 対 露 政 策 一致 但 し 止 め を さ す 、
ふ。 高 橋 次 長 小 林 を 推 薦 す る傾 あ り 。 不 可 解 。
夕、岡野 ︹ 俊吉︺中 佐 来 り ﹁ゼ ネ バ﹂ 行 に 付 暇乞 に 来り 、 大 に駒 井
満 洲 承 認 本 月 十 日よ り 十 五 日 の間 、 林 新 総 裁 最 も 不 評 、 帰京 後 帰
午 後 杉 本 敬 二郎 及 丸 白 の小 島 平 馬 孫 来 り 、 中 島 知 久 平 ︹ 衆議院議員、
大暑
を弁護す。
中島飛行機社長︺に 公債 売 の事 に 付紹 介 を頼 む 。確 諾 せず 。
に似 た る人 。 維 新 志 士 遺 績 保 存 会 創 立 及 回 向 院 の今 日あ る努 力 者
午 前 向 山 庄 太 郎 、 奥 寿 と 共 に 来 る 。 佐 藤 長 祐 之 知 人 に し て 人格 之
也 。 予 に 翁 の木 面 を 贈 る 。
曇冷
橋 中 来 り 不 相 変 政事 を 談ず 。 午前大橋省来る。
九月八日 木
晴
午 前 本 庄 満 洲 軍 司 令 官 着京 。 出 迎 壮 也。 引 続 軍事 参 議 官 会 議 。
神楽坂散歩。
九月三日 土
午 後 三 時 回 向 院 に て黎 園 先 生 墓 保 護 堂 建 設 に 付 黒 板 ︹ 勝美︺博 士
大暑
千 代 、 御 寿美 、 下 郷 に答 礼 す 。
歯科学校に行く。
夕 、 石 川 信吾 来 り 予 に 人事 之 決 心 を 促 す 。 井 上 成 美 ︹ 大佐、海軍大学
︹ 東京帝国大学教授︺ の話 を 聞き 、東 洋 軒 に て夕 食 を 共 に す 。 矢 板 、
平泉、永井環、原田、水野了石。
( 戸塚 ︹ 道太郎、大佐、軍令部第二班第三課長︺に )
校教官︺の 奇 怪 な る 談
を 報 ず 。 小林 と 堀 の末 次 排 斥 なり 。 尚 ほ奉 天佐 々木 よ り 本 庄 へ頼
豊 田 又 来 り慷 慨 す 。 ︹ 釧︺ 佐藤訓路市長来る。
九月九日 金
九月十 五日 木
日向 、 小 松 直 幹 に 吊 辞 を 読 む 。
今立来訪、揮毫を与ふ。
九月十四日 水
曇
殿下御病気御見舞。
満 洲 国承 認 、 内 外 歓 喜 。
雨
嶋 居 少 佐 告 別 式 に行 く 。
戸 塚 来 信。
午後岡本 ︹ 郁男︺予 少 将 来 訪 、 村 上 ︹ 格 一︺大 将 伝 記 に 付 尋 ぬ 。
雨
今立 を 呼 ぶ。 福 田弁 護 士 の談 に依 る。
雨 満 洲 は 晴
戸塚に左内先生遺稿を送る。
九月十日 土 曇 雨 ︹ 釧︺ 赤 坂 三島 ( 溜 池 ) に て佐 藤 訓 路 市 長 招 待 。 高 橋 、 一班 長 、 山 田 、
九月十六日 金
小雨
佐藤 ( 定)等也 。
奥 寿 、 山 本 開 作 来 り 維新 志 士追 悼 会 を 催 さ んと て意 見 を 問 れ、 平
︹マ マ︺
其 前 に 大 西来 訪 、特 検 に行 く 為 。
泉に紹介す。
九月十 七日 土
書 を 松 村 に認 む 。
午前松下軍治来る。
報知 飛 行機 淋 代 に滞 留 、 気 の毒 也 。
雨
散髪。
黄 海 々 戦 記 念 日 、 雨 中 に行 ふ。
曇
戸塚と論ず。 九月十 一日 日
今立裕来り揮毫を頼む。
仏輿論是非区々。
酔不覚。
九月十 二日 月 連 日雨 ︹ 諜︺ 次 長 に伊 藤 忠 兵衛 牒 報 を 交 付 す 。
米は沈黙、英は保守新聞親日。
以 、 独 日本 に 宜 し 。 但 し 仏 は 独 が 日 本 の真 似 を せ ん事 を 恐 る 。
連 日霖 雨
夕 石 川 来 り 戸 塚 の 昂憤 を 報 ず 。
訪 問 客 多 し 。 午 後 田中 検 事 来 り 藤 野 と 会 合 を 勧 む 。 諾 。
書 を 松 村 に 送 る。
聯 合 艦 隊特 命 検 閲 開 始。 住 吉 、 神 戸、 大 阪 湾 。 九月十三日 火
午 前 満 洲 事 件 記 念 日、 靖 国 神 社 に て慰 霊 祭 に参 列 す 。 内 外 狂 喜 。
冷気夕小雨
午前矢板玄蕃来り伊東工学之件相談す。 ︹ 紫︺ 村安新九郎来り叙勲問題行なやみを報ず。
本 庄 等 日 比谷 会 館 に て講 演 、 挨 拶 す 。
九月十 八日 日
午 後 六 時 戸 塚 来 り 大 に歓 談 す 。
雨
町 田之 事 を 報 じ 忠 言 を 可 と 云 ふ 。
下 郷 義 一来 り 仁寿 講 堂 に て講 演 を 頼 む 。 依 て関 根 大 佐 を 紹 介 す 。 早朝 □ □勤 来 る 。繁 忙 を 祝 す (予 より )。
﹁リ ー ド﹂ の仏 抱 込 運 動 新 聞 に 乗 る 。
帝都座を見る。終日雨。
小 雨降 り み 不降 み
訪 米 機 淋 代 を去 る 不能 、気 の毒 也 。
賢 所参 拝 。
九月二十 三日 金
竹 内 電話 あ り しも 断 る。
晴
銀座 散 策 。昨 日 の明 石鯛 一著 ( 昨 夕 ) 大 に美 味 。
久 し振 の晴 天也 。
九月十九 日 月
午 前 村 上 来 り 不相 変 政 変 を 語 る 。 斎 藤 与 七 翁 に 予 の書 を 渡 す 。
杉 山 明 久 来 る。
小 池 に梨 を 贈 る。 自 働 車 を 煩 は す 。
︹ 欄外︺ 設 計極 る 。
回向 院 に伊 藤 忠 太 工学 博 士 と 会 見 す 。
関根 と 交 渉 、 仁 寿 講 演 を 諾 。
夜 奥 名 事 務 官 と 語 る。 小晴
九月 二十 四日 土
秋晴
荒 木 兵 弼 氏 よ り 鮎 十 数 尾 を 贈 ら れ 、 及 川 に 分 つ。
午 前 千 葉 断 一来 り 土 方 訪 問 之 結 果 を 報 ず 。 談 稍 急迫 。 ︹ 調︺ 日米 訪 問 機 ( 報 知 ) 無 事 出 発 。 好 誂 子 。 午前 九 時 過根 室南 東 に在
九月 二十日 火 午 前 上 野 美 術 館 に 行 く 。 竹 葉 に て 鰻。
り。
碑 文 谷 一四 七 六 ノ 五佐 々木 耕 雲 方 高 橋 松 太 、 ﹁ 仲 谷 ド クト ル﹂ 之
夕 、 司 法 大 臣 官 邸 に て談 話会 。 日 仏仝 盟 を 提 唱 す 。 九月二十 一日 水
親 友 、 鼻 耳 咽 喉 科 仲 谷 よ り 「メ ロン﹂ 六 個を 携 へ訪 問 す (三個 腐
関根 大 佐講 演 、仁 寿 講 堂 、 大 成 功 。 夕 藤 屋 に招 待 。 下 郷 伝 義 、 千
︹ 欄外︺殿 下 御 召 御 懇 談 を 給 ふ 。
︹ママ︺
下痢 又 甚 し 。 注意 を 要す 。
敗)。彼 自 身 ﹁ネ ー ブ ル ス﹂ を 贈 る 。善 人 ら し。
半晴
竹内賀久治、妹尾 ︹ 知之︺中 佐 ( 加 奈 太 行)、安 立 武 生 郷 友 会 理 事 来る ( 後 者 は土 肥 博 士 小 伝 の為 也 )。
葉 、福 田 ?帰 途 来 訪 す ( 関 根 )。
︹マ マ ︺
日露 協 会 小 会 を 断 る ( 宮 崎 駐 仏 一書 )。
午 後 休 養 。 千 代 海 晏 寺 に 行 き 寛 一の 供 養 料 二 十 円 を 供 ふ 。
九月 二十 五日 日
九月 二十 二日 木
仁 に会 ふ。
散 歩 。 中 村 屋 に て ﹁カ リー ﹂ を 試 む 。
小晴
晩翠軒。
興 信 所 よ り 杉 山 世 喜 三 の事 を 尋 来 る 。
下郷 義 一来 る。 関 根 に 礼 之 為 也 。 ︹ 方︺ 報 知 日米 訪 問 機 行 衛 不 明 。
雨
本 日大 に 快 、 下 痢 止 む 。 千 葉 断 一来 り 土 方 に 紹 介 を 頼 む。 又 下 郷之 事 を 心 配す 。
晴
書 を 牧 山 の為 に 認 む 。 九月 二十六日 月
尾 崎 中 佐 十 五 日陸 海 軍 県 人 会 を 報 ず 。
﹁リ ツト ン﹂ 報 告 来 る。
根 室 柳 田 より ﹁バ タ﹂ 外 一来 る 。
十月 一日 土
稍 々雨 止 む 附 近 泥 濘
真 を 持 参 す 。 予 之 名 に て除 幕 式 に 花 環 を 献 ぜ り と 謝 す 。 供菓 を持
午 前 松 下権 八、 藤 井 実 来 る。
松 下来 る。 元 帥 之 御 音 信 を 伝 ふ 。 忠 告 す 。 松 浦 某左 内 先生 像 之 写
参せしに依り之を松下に与ふ。
秋晴快
景 岳 先 生 に付 墓 前 祭 報 告 文 を 用 意 す 。
終 日 景岳 先 生 の辞 世 の詩 を 認 む 。
十月 二日 日
福 井 商 業 松 浦 某 に熊 谷 三太 郎 の講 話 帰 省 を 断 る 。
︹ 欄外︺金 盃拝 受 す 。
千 代 と 水 源 池 之 散 策 。 ホ テ ル昼 食 。仝 名 之女 中 大 に歓 待す 。
九月 二十七日 火
小雨
午前特検御報告、宮中。
午前晴 御陪食、特命検閲。
十月 三日 月
午 前 矢 板 、 原 田来 る。
雨
九月 二十 八日 水
福 田弁 護 士 より 来 信 あ り 、 套 堂 の為 め 予 五 〇 円 を 負 担 す べく を 報
日米 機 尚 ほ不 明 。
日米 機 尚 見 ヘず 。
連 日雨 に 艱 む 。 元 帥 御 軽 症 。
﹁リ ツト ン﹂ 報 告 、 米 国 の外 区 々 の賛 否 あ り 、 米 国 は 総 て 反 対 。
ず 。余 は高 木 陸 郎 ︹ 中日実業副総裁︺の先 約 に委 す 。
雨
仁 、 友 人 十 一名 来 り 英 語 会 を 催 す 。 九月 二十九日 木
雨 午 後 晴
四時 会 、 三宅 、 千 坂 、 臼 井 等 来 る。 十 五名 。
十月 四日 火
後 散 歩 、 少 しく 過 ごす 。
元 帥 を 御 見 舞 し 、 島 連 太 郎 三 秀 舎 に 礼 訪 。 輔 仁 会 に て 景岳 会 評議
福 田 に回 向 院 敷 地 志 納 金 之 事 を 電 話 す 。
員 会 を 開 き 回 向 院 借 地 の件 一決 す 。
る。
福 井 熊 谷 三太 郎 ︹ 飛島組︺よ り 商 業 学 校 新 築 及 廿 五年 祭 に招 牌 を断
十月 五日 水
晴
竹 内 来 る。
福 田 、矢 板 来 り 回向 院 敷 地 に 付余 の 提案 を 謝 す 。 山 条 ︹ 山本条太郎、
︹マ マ ︺
坂 井 京 松 よ り 福 井 の大 鮎 来 る 。
衆議院議員、朝鮮紡績社長︺之 端 書 き に金 問 題相 談 あ り し も 予 は 拒 非 し 、
結 局高 木 と 予 に て負 担 す る こと ゝす 。 予 は 五〇 円 、 高 木 は 四百 十
雨泥濘
平 沼 に鮎 を 送 る 。
円。
九月 三十日 金
竹 内 、 豊 田、 実 川 来 り 、 日仏 仝 盟 、 経 済 提 携 を 説 。
山条 之 評判 悪 し。 ︹ 竹内︺
竹之 内 賀 久 治 わざ 〓
来 訪 、 予 之 進 退 に付 心 配 す 。 多 謝 々 々。 下
︹ 欄外︺ 例 の anti運 動 也 。 小 林 、 堀 ?
郷 より 松 茸 来 る。
︹ 八︺ ︹ 太︺ 松 下 権 平 来 る 。 写 真を 与 ふ 。今 立裕 、大 田耕 造 来 る。 浜 口副 官 来 る。平田敬詫に来る。
金 子 子爵 軍 令 部 に 部 長宮 殿 下 に 拝謁 す 。 夕 高 橋 次 長 より 電 話 あ り 、
実 川 よ り 電 話あ り 、午 前 午 後 不在 と 答 ふ。
晴
廟 議 一決 の必 要 に 関す る 注意 を 部 長 より 述 べ られ た る旨 報 す 。
沢 田 、左 内 先 生 の肖像 画 を持 参 す。
十月九日 日
森 猛熊 来 る。
村瀬定二郎来る。
晴
四谷 区方 面 委 員寄 附 金 請 求 に来 る。
真 崎 勝 次 、 石川 中 佐 来 る (一等 SS 工 事 問 題 )。 依 て 軍令 部 の最 高
十月 六日 木
浜中 来 る。
意 志 を決 せ よと 忠 告 す 。 十月十 日 月
千代 佐 久 間 男 爵 邸 に行 く 。
実 と 共 に 海 晏寺 参 詣後 天 平 に 昼食 す 。 水 野了 石師 来 る。 大 垣 に紹
夕 金 子 子爵 に呼 ば れ て行 く 。
実帰宅。
高 橋 次 長 来 訪 、 本 日大 臣 と大 に論 争 し終 に 軍令 部 編 制 更 捺 印 せ し
晴
の事 御 許 しあ り ( 右 は七 日早 朝 に御 沙 汰 あ り 、 電 話 に て決 す)。
金 子 子爵 の為 め奥 名 を 経 て殿 下 に願 ひ 明 後 八 日軍 令 部 に て 御 引 見
介 す。
め た り と報 ず 。 殿 下 の御 決 意 固 し、 金 子子 爵 言 上 之 件 牧 野 の阻 止
晴
四谷 方 面委 員 に 二十 円 の署 名 す 。
十月 七日 金
に及ぶ ( 重 臣会 議 を殿 下 より 奏 上さ れ ても 彼 が阻 止 す べし と )。
水 野 敷 地 の件 志 納 金 に て承 諾 す 。
十 月十 一日 火 晴 ︹ 造︺ 午 前 福 田弁 護 士 来 り 予 の速 記 を 持 参 す 。 上 出 来 。 午 後 太 田耕 三 に
︹マ マ︺
午 後 景 岳 先 生 七 十 四忌 辰 に 付 墓 前 祭 。 予 は 先 生 追 悼 談 を 為 す 。聴 ︹ 衆︺ 集 多 く 朝 比 奈 知 泉 、 中 村 甚 九 郎 等 見 ゆ 。 慶 民 子 、 岡 田 海 相参 拝 、
速 記 と左 内 先生 肖 像 画 を 貸 す 。
近来 の盛 会 也 。 福 田 に 五十 円 を 渡 す 。 敷 地 代 に 転 用 せ し む 。 残 余 は 山 本 条 太 郎 出
次 長 元帥 を 訪 問 し昨 日 予と 会 談 の事 を 報 ず 。 右 夕 刻 電 話 あ り 。 予
も 一両 日 中 に行 く 事 を 約 す 。
金 と 約 す (四 四 〇円 )。
揮毫 。
夕 、 金 子子 爵 邸 に行 き 殿 下 へ伺 候 の内 談 。 十月 八日 土
晴
実 業 之 日本 に東 郷 平 八郎 著 小 笠 原 長 生 註 と 題 す る 大 広 告 出 づ 。依
十月十 二日 水
晴
て小 笠 原 に注 意 し 元 帥 談 、 小 笠 原 編 纂 と 改 め し む 。 困 た も の也 。
す 。 及 廿 三 日福 井 景 岳 先 生 銅 像 除 幕 祝 電 を 頼 む 。
堀啓 三郎 ︹ 日立製作所監査役︺飛 島 ︹ 文吉、貴族院議員︺祝 賀 会 之 為 め 来 訪
犬 塚 俊 通 来 る 。 之 比 叡 発射 管長 、 し つかり 者 也 。 田中 智 学 の教 を
予 一言を 頼 ま れ 信念 外 交 と 最後 五 分間 を 述 ぶ。
︹ 芳︺ 午 後 五 時吉 沢 前外 相 為 松 岡 送別 会 、 日本 倶 楽 部 、 約 六 十 名 を 招 く 。
受し由。
小笠 原 を訪 問 す。 車 中原 田 に会 ふ。 墓 前 祭 の予 の講 演 に感 激 す 。
晴
午 前 九 ・五 二横 須 賀 水 校 実 験 に 向 け 発 、 狭霧 に て視 察 、新 式 魚 雷 。
十月十八日 火
笹 原 山 本 条 秘 書 来 る 。 飛 島 歓 迎 の挨 拶 を 頼 む 。 断 る 。
晴
大に感ず。
横須賀行、山本大将 ( 英 ) 外 艦 政 、 軍 令 部 、 大 学 校 仲 間 、 高 橋次
十月十 三日 木
午 後 井 上 辰 九 郎 妻 告 別式 に 行 く 。
午前 元 帥訪 問 。 五 ケ 月前 に 1F長 官 之 任 命 と 山 本 海 相 の決 意 を 聞 き
高橋次長に電話す。
長、長沢 ︹ 直太郎、中将、予備︺ 、釜屋忠 ︹ 忠道、中将、予備︺、 上泉 ︹ 徳彌、
中将、予備︺等 の 予備 士 官 将 軍 来 る 。
曇
夕 、 西 に散 歩 。 十月十四日 金
十月十 五日 土
江 口 夫婦 来 る。 天 盃を 以 て祝 す 。
今 立裕 来 り 上野 天 民 に 天 ぷら を 馳 走 す 。
竹 内 、 下 郷 、犬 塚 、 曾 和 ( 書 を 渡 す )、 浜 中 、 川 島 、 下 郷 秘 書 。
曇
十月十九 日 水
午 前 軍事 参 議 官 会 ︹ 議︺ 。
十 月二十 日 木
午後二時平沼を訪問す。
森 孝 三 、 佐 藤 国 司 釧 路 の 飛行 基 地収 客 を 報 ず 。
雨
午 後 徳 富 蘇 峯 、 村 田 家 訪 問 、 古 書 殊 に 小 楠 横 井 之手 紙 を珍 重 す。
夕 、 雅 叙 園 に 郷人 銃 後 軍 人 会 。
十月十 六日 日
飛島文吉貴族院議員祝賀会。
半晴
藤村 朝 大 に斡 旋 す 。
秋沢 ︹ 芳馬、大将、予備︺宅 に招 か る。 伊 集 院 、 吉 孟 ︹ 吉田孟子、少将、予
十月 二十 一日 金
雨
備︺、 田 代 、 大 橋 、 佐 野 ︹ 常羽、少将、予備︺と 予 也 。 秋 沢 に ﹁書﹂ の
午 後 一〇 ・五〇 発 、 下 郷 仝 行 ヘ 長 浜 を 経 て 福 井 に向 け発 。
屋 に随 伴 す 。
晴
名 古 屋 愛 知 時 計 及 三 菱 〓製 作 所 視 察 。 午 後 一 ・五 〇 発 、 北 河名 古
相 浦 小 一来 る 。
幅 を 贈 る 。外 に ﹁カ ス テ ラ﹂。 ︹ 井︺ 坂 本 一意 来 る 。島 崎 少 佐 来 訪 。
十月 二十 二日 土
晴
成 田 豊 島 師範 校 長夫 婦来 。
晴
佐藤国司釧路市長来る。 十月十七日 月 参内。
四 時 頃米 原 着。 下 郷 の出 迎を 受 け長 浜 に行 き 、 共 済 会 に て講 演 を
十月 二十八日 金
午後四時半演習中止。
午 前 一〇 ・五 五福 井着 。 途 中 松 尾 、 飛 島 の出 迎 を 受 け 、 飛 島 邸 に
十 月二十 三日 日
大 臣 は 上 京 、 大 角 は 大 阪 に 行 く 。 予 と 安 保 は 望 海 楼 に泊 。
午 後 三 時 半 発 駆 □ 池 に て和 歌 浦 に 回 航 、 大 臣 、 安 保 、 大角 仝 行 す 。
午前十時小松島着。
晴
為 す 。聴 衆 千名 近 く盛 会 。同 夜 下郷 家 に泊 、 懇 遇 を 受 く 。
休 憩 。直 に 足 羽 公 園 に行 き 景 岳 先 生 除 幕 式 に臨 む 。 口頭 祝 辞 を 述
十月 二十九日 土
晴
ぶ 。 望 月圭 介 ︹ 衆議院議員︺来 会 。
午 前 二 ・三 〇 望 海 楼 発 、 安 保 と 共 に 御 坊 に 至 り青 軍 の上 陸 を見 る 。
晴
午 後 一 一時 福 井 発 、伏 見 に向 ふ。
る 道 成 寺 あ り)。
朝融王殿下 ︹ 久邇宮、大尉、海軍大学校学生︺御 見 学 ( 此 地 附近 に 有名 な
十 月二十 四日 月
午 後 南 海 電 に て 大 阪 着 、 尼 野 之 案内 に て花 菱 に行 く 。富 田 屋 に 一
︹ 欄外︺福 井 着 。
午 前 五時 京 都 着 。 直 に伏 見 沢 文 に投 ず 。
晴
桃 山 御 陵 、 乃木 神 社 参 拝 。 三夜 荘 訪 問 、 井 上 竹 子 な る秘 書 の歓 待
泊。
未 明 桃 山 荘 に 。 午 後 九 ・五 〇 大 阪 発 。
晴
十月 三十日 日
十月三十 一日 月
︹マ マ︺
十月 二十 五日 火
午 前 九 時 東 京 着 、 帰宅 。
晴
を受 け、 後 に夕 飲 に沢 文 に招 待 す 。
午 前 法 隆 寺 、午 後 神 武 天皇 御 陵 参 拝 。 夕 刻 和 歌 浦 着 、 望 海 楼 に 泊
十月 二十 六日 水
午 前 十 時 山 県 中 佐 上海 事 件 の参 謀来 訪 、事 件 の発 端 と 爾 後 の経 過
十 一月 一日 火
頭 重 く 疲 労 甚 し 。 悔 ゆ る 所 大也 。
雨
す。
午 前 十時 那 智 に乗 艦 、 艦 長 田畑 ︹ 啓義︺大 佐 以 下 乗 組 員 の大 歓 待 を
を詳述す。
晴
受 く 。杉 山 六 三審 判 官 同 乗 す 。
天明 3Sと 陸 軍 一中 隊 潮 見 岬〓 場 を 占 領 す 。 余 り に 呆 気 也 。 但 爾 后
十月 二十 七日 木
報 ず。
大湊 ︹ 直太郎︺中 将 ︹ 舞鶴要港部司令官︺来 訪 、 軍 令 部 出 仕 次 で 退 役 を
岡新 ︹ 中佐︺英武 官 と な る 、挨 拶 に来 る 。
晴
正 午 演 習 開始 。
山 梨 大 将 、 藤巻 楠 公神 社 宮 司来 訪 。
の 3S の行 動 不 敏 にし て正 午 近 く 宿 毛 よ り 発 せ る〓 に 輸 送 船 隊 発 見
理髪 に行 く 。壁 朝 日記 者 珍 ら しく 来 訪 、 不 面 会 。
晴
夕 刻 由 良 湾〓 3Sを 発 見 す 。
せら れ、 赤 軍 2D 羽黒 、 足 柄 直 に 接 触 、 輸 送 船 隊 危 機 に 迫 る を 見 て 、
十 一月 二日 水
半 晴 寒
夕 、 ﹁葛 ﹂ 来 訪 、 苦 衷 を 訴 ふ 。
午 後 九 ・二五 発 大 阪 特 別 大 演 習 に 向 ふ 。 安 保 、 荒木 仝 車 。
十 一月九日 水
十 一月十日 木
雨
午後二時進級会議。
正午御陪食 ( 管 下 上奏 後)。
午 前 、 原 田 来 り 不 相 変 早 口 に て取 止 めな き 事 を 云 ふ。 豊 田待 てど
午 前 九 時 着 。 寛 一夫 婦 、 尼 野 其 他 多 数 之 見 送 を 受 け 住 吉 井 上 周
十 一月十 一日 金
︹ 欄外︺ 大 本営 伺 候。
井上若夫人好子、特派御駒大に世話す。
不得 処 也 。 夕 船 主 倶 楽 部 終 て帰 宅 。
陛 下 御 出 迎 の為 梅 田 に 行 き 、 此 途 中 群 集 突 破 二 回 、東 京 に 見 るを
午 後 二時 丸 山 小 学 に 行 き 講 演 、 大 に 感 動 を 与 ふ 。 四 ・二 五 大 元帥
午餐、西尾と尼野陪す。
︹ 山陽中央証券、日本簡易保険各社社長︺邸 に 投 ず 。
晴
も来らず。
午 前 雨 午後 晴
晴
夕 、 福 田 、 沢 田 来 り 山 条 よ り 五 百 円受 取 り 報 ず 。 十 一月三日 木 参内、御賜餐。 大将会。 十 一月四日 金 終日会議、午後六時終了。 夕、藤屋に菊池 ︹ 文吾、杉村倉庫取締役︺と本 多 に会 ふ 。 下 郷 に 尼 野 之 事 を 頼 む 。 尼 野 之 大 言 壮語 を 戒 め 地方 移 動 を 勧 む 。
夕 伏 見 宮 殿 下御 召 ( 宗 像 邸 )、 大 御 満 足 、 此 夜 大 に 酔 ふ て 又歌 ふ 。
演 習 第 一日、 天 理 、 無 理 の好 天 。
井 上 一家 大 に親 切 。
晴
殿下御賜餐、昼。
十 一月十 二日 土
十 一月五日 土
午前大佐以上、最高会議。
十 一月六日 日
伴 ひ帰 り 、 又 夫 を 送 り 帰 へす 。
某亭 ( 大 和 屋 某 号 ) に行 き 、 夫 れ よ り 井 上 邸 迄 両 人 ( 女 将 と) を
井 上 邸 に て午 餐 。 夕 住 友 小 倉 に 招 か れ 、 花 外 よ り光 香 を伴 ひ 帰途
小雨
夕、大臣官邸晩餐。
演習、志貴山方面、正午中止。
故松村龍雄追悼会。
午 前 晴 午後 雨
若林理之為書、立正安国。
午 後 三 時 土 方 三 女 結 婚 披 露 、 東京 会 館 。
十 一月十 三日 日
曇
寒
︹ 欄外︺ 御 風気 に て行 幸 御 取 止 。
此 日午 後 親 類 会 を 催 す ( 井 上 邸)。 晴
真崎来訪す。 十 一月七日 月
昨 夜 之 雨 晴 、 薪 浜 鴨 猟 、安 保 と仝 行 す 。 大 猟 十 三 羽。
午前六時発堺東方女子薬学校方面。 十 一月十 六日 水
晴
下御 満 足。 藤 井 、 松 下来 る。
午前 紀尾井町に伺候拝謁、宗像 ︹ 平之助︺に代 り御 礼 を 言 上 す 。 殿
( 閑 院 宮 御 代 聴 )、 大 楠 公
に勅 語 。 三時 十 分 御 発 車 。 今 夕 菊 池 文 吾 夫 婦 よ り 伊勢 屋 ( 三越近
一郎 聴 取 せり と告 ぐ 。
千坂 来 る。 豊 田 に 関 し横 須 賀 に て千 坂 が 黒 幕 な り と 再 語 す るを 彦
演 習終 結 、 堺 騎 兵 司 令 部 に て 御 前 講 演
く ) に ﹁ス ツポ ン﹂ 料 理 に招 か る 。 素 子 、 寛 一、 予 と 副 官 。 県 人
父 子之 忠 誠 を 語 る。 午 餐 、 大 浜 一力 楼 。 午 後 一時 二 十 五 分講 評 並
会 (一寸 顔 出 す )。 ︹ 欄外︺ 大 元 帥 陛 下 講 評 場 に臨 御 。
山本開作 ( 回向 院 関 係)。
豊 田少 将来 る 。大 に辞 を 低 ふす 。
︹マ マ ︺
中 学 校 々庭 。
朝 来大 暴 風雨 に て万 人 皆 御 代 臨 と 思 ひし に雨 中 御 閲 兵 、 四万 の将
十 一月十 四日 月
今立来訪、午餐を共にす。
三 井 清 三郎 来 訪 、 予 に 蹶起 を勧 む 。平 沼 擁 立 之 見 込 尠 き を 告 ぐ 。
十 一月十 七日 木
岡 新 出 立 、 千 代 見 送 る。
曇
︹ 欄外︺午 後 五 ・ 一〇 大 元 帥 陛 下 御 還 御 。
晴
卒 並 に陪 観 之 官 女 感 激 、 食 も 寒 も 忘 る ︵ 分 列 丈 御 中 止 )。
大 颱 風 七 二 四 ﹁ミリ ﹂ 之 高 圧
午 後 一時 御賜 餐 。尚 大 雨。
午 後 四 時 高 橋 と会 見 す 。
井 上 周 邸 饗宴 、 宮 田 屋之 秀 、 御 作 と 共 に来 る。
参 謀 総 長 宮御 招 宴 を 拝 辞 す 。
十 一月十八日 金
十 一月十 五日 火
十 一月十九日 土
夕 秀 也 夫 婦 来 る 。 晩 餐 を 倶 に し 、 富美 栄 と ﹁ド ライ ブ﹂ す 。
午 後 池 松 日 々記 者 来 る 。
午 前 軍 医 学 校 卒 業 式 参 列 。 高松 宮 台臨 。
午 前 粉 浜 小 学 に 講演 、 了 て 尼 野宅 へ。
坂 井 一意 来 り 真 剣 な る 語 を 交 す 。
︹ 欄外︺観 兵 。
井 上 之接 待懇 切 を極 む 。
午 後 一時 燕 に て 帰 る 。 真 崎、 菱 刈 ︹ 隆、陸軍大将、軍事参議官︺、 川 崎
晴
克 ︹ 衆議院議員︺仝 車 、 大 に 論 に時 を 忘 れ。
三越 に行 き 安 保 へ贈 物 を 定 む 。
高 橋 次 長 来 る 。 岡 田 留 任 の件 其 他 。
晴
予 の見 送 人 大 多 数 、 古 市 ︹ 六三、住友礦鉱常務取締役︺、 寛 一夫 婦 、 菊
夕 、 小 笠 原 よ り 電 話 あ り 、 明 二 十 日 護 国 義 勇 団 発会 式 に参 列 を頼
松竹を見る。
池 妻 を 始 め 、 井 上 両 夫 人 、 県 人会 、 西尾 、尼 野等 の友 人 多 し 。 川
︹ 欄外︺桃 山 御 参 拝 。
口も 来 る 。
午 前 海 軍 大学 卒 業 式 、白 金 へ。 正 午本 省 に て御 陪食 。
み来 る。 yes.
実 来 る 。 本 日 よ り航 空 実 科 講 習、 霞 ケ浦 に て開 始 。
晴
十 一月 二十日 日
十 一月二十 七日 日
午 後 九 ・二 五発 京 都 へ。 十 一月 二十 一日 月
午 前宗 像 夫婦 来 訪。
十 一月二十 八日 月
雨
午 前 八時 京 都 着 、 京 都 ﹁ホ テ ル﹂ へ。 夫 よ り 下 郷 を 訪 ひ 、 吉 田 の
午 後 一時 右紀 尾 井 町御 殿 に御 招 を 受 け御 懇 待 に感 泣 す 。
午 前 万 平 ﹁ホ テ ル﹂ に 宗像 を訪 ふ 。
快晴
野草 桜州 を 見 舞 ふ。 彼 感 激 、 関 孫 六 の銘 刀 を 贈 る 。 予 よ り 藤 公 の
右報告電話あり。
午 後 伊藤 清
美術館に書を見る。
( 東 京 より 仝 車 ) の案 内 に て浜 口 ︹ 富三郎、食料品罐詰商︺
病 魔 退散 の詩 を 与 ふ。
の罐 詰 工場 と木 綿 捺 紋 工場 を 見 、 清 水 寺 よ り 銀 閣 寺 に、 岡 崎 の鶴
横 須 賀 各 校 卒 業 式 砲 工 に て施 行 。 高 松 宮 ︹ 宣仁親王︺殿 下 ︹ 大尉︺ 、
十 一月 二十九日 火
︹マ マ︺
屋 に て夕 飲 の招 待 を 受 け 、夫 より 阿 津 満 家 に行 く 。
華項 ︹ 博信、大尉︺侯 御 卒業 。 午餐 会 、砲 校 。
十 一月三十日 水
晴
午 前 八 ・ 一八 岡 田 と共 に舞 鶴 に行 く 。 浜 口嵯 峨 迄 送 る。
十 一月二十 二日 火
俊馬潤と園部を訪ふ。
宗像平之助来り大に過去を語る。
快晴
ひ 海 相 問 題 を決 す 。大 阪 に寛 一夫 婦 、 京 都 に 下郷 一家 送 る。
機 校 卒業 式 終 て午 後 三 ・五〇 発 大 阪 に向 ふ。 車 中 殿 下 の御 話 を 伺
十 一月 二十三日 水
竹内来り内談。 ︹ 十二月冒頭の予定欄︺
晴
午 前 八 ・一五東 京 着 。
晴
午 後 五 時参 内 、 御 祭 に 列 す 。
昭 和 六 年 九 月 廿 日撮 影 家 庭 写 真 宗 像 平 之 助 氏 に 贈 る 。
半晴
寒 気 柔 か な り し 、 岡 田 、 内 田 、鳩 山 等 不謹 慎 。 十 一月 二十四日 木
午 前 早 々民 子 富 山 よ り 来 る 。
晴
十 二月 一日 木
一時 宗 像 を 見 送 り 、 予 家 族 の写 真 と 金 鳳 宿 献筆 、 瑞 雲 満 堂 、 祥 雲
半晴
霞 ケ 浦 航 空 隊 卒 業 式 。 軍参 は 予 一人 已 耳。 十 一月 二十五日 金
瑞気を贈り、井上宛写真を托す。
午後、久邇宮、山階宮伺候。
小休。午後栄屋より加藤 へ ( 望 月)。
午後雨
正子頃帰宅す。 十 一月 二十六日 土
夕銀坐、浅草散歩。 十 二月 七日 水
松 下権 八来 る。
︹マ マ︺
薩摩雄次来り、司法省事件を重大視す。
夕 枝 原 来 り 、 小 林 、 末 次 と 会 見 の始 末 を 報 ず 。 今 夜 寺 島 と 合 ふ 由 。
︹マ マ ︺
年 末 賞 与 七 一五 円 (一、 三 ) 浜 中 よ り 受 取 。
雨
十 二月 二日 金
晴
午後柴崎恵次来る。久邇宮附也。
植 木 屋 に表 の垣 を 修 理 せし む 。
半晴
十 二月 八日 木
十 二月九日 金
晴
民 去 る。 四谷 親 戚 に 行 く 。 十 二月 三日 土
午 前 早 々竹 内 来 り 真 崎 次 長 よ り ホ ロ ン バイ ル掃 討 上 奏 に 関 す る 密
晴
午前軍事参議官会議。
︹マ マ ︺
後 殿 下に 宗 像 御 礼 。
一〇 ・三 〇水 交 社 に て蘇 大 使 と 会 見 、 東 支 鉄 道 売 却 問 題 を 密 報 す
話を報ず。
揮毫、大洪水。
(予 に)。
夕、枝原来り妥協を解く。
曇
山崎夫婦来訪。 十 二月四日 日 午前山本英輔大将来り孝治の写真を要求す。
十 二月十日 土
︹ 欄外︺監 督 、 御 茶 ノ水 、 孝 治 外 套 、 電 車 に て ﹁ス パ ー ク ﹂
千代子琴平神社参拝。是真之大額字と神光照海之大軸を社務所に
曇 小 雨
午 後 九 ・二五 井 上 周 を 見 送 る 。
献 じ、 職 員 に如 安 。 一点 霊 光 照 古 今 雄 飛 五 大 洲 之 額 幅 を 贈 る 。
十 二月 五日 月
古市六三夫婦来る。公威氏 ︹ 東京帝国大学名誉教授︺の快 方 を 伝 ふ。
午 後 羽根 田 に谷 未 亡 人 五十 万 円 献 金 に成 る 艦 上 戦 闘 機 六 機 の命 名
晴 寒 来 る
午 後 二時 13駆 早 蕨 台 湾 北 方 に て 覆 没 、 稀有 の珍 事 、 生存 僅 か に十
式 に参 じ 、 徳 富 蘇 峯 宅 に礼 訪 す ( 小 楠 遺 稿 に )。
に焼 か る。
四名。
昨 夜 小 笠 原 よ り 電 話 、 枝 原 訪 問 、 予 之蹶 起 に 付意 見 を徴 す と 報 ず 。
午 前 小 笠 原 を 訪 ひ 、 千 坂 と 共 に 大 臣 問 題を 語 る。 予 の決 意 を 促 さ
十 二月十 一日 日
︹ 欄外︺ 実 来 る 。
笠井重治来訪、 ﹁ プ ラ ツト ﹂ 談 を 為 す 。
実帰隊、霞ケ浦。
曇
る 。 不 得 止 ば 立 つと 答 ふ 。
早蕨遭難に付省部を見舞。
十 二月六日 火
市村 ︹ 久雄︺少 将 ︹ 第五戦隊司令官)に 電 し 、 清 水 日銀 理 事 に 副 官 を 吊
真崎勝次来訪し、参謀次長殿下に拝謁意中詳述之旨報ず。
晴
訪 せ し む 。 道 木 大 尉 、清 水少 尉 の為 也 。
な んと な く 汗 ば む 暖 気 。
十 二月十 二日 月
午 前 、 松 下、 藤 井 実 来 る。 千 坂 と 会 合 、 仝 志 を 語 る。 訪 問 者 多 し 。
連 日晴 。
十 二月十 七日 土
日比野 ︹ 正治︺少 将 ︹ 軍事普及部委員長︺来 る 。
午後散歩 。
晴
終 日揮 毫 。
十 二月十八日 日
晴
小西干比古 ︹ 膠州特務艦長︺来 る 。 十 二月十 三日 火
午 後佐 々 木 玉 子 一週 忌 、雅 叙 園 に招 か る。 順 子 予 の秘 書 官 時 代 を
を 告 ぐ。
松 下 権 八来 り 、 明 朝 市 来 ︹ 乙彦︺前 日銀 総 裁 ︹ 貴族院議員︺来 訪 之 事
若 林 理 一家 三人 来 り 次 男 青 子 之 就 職 に付 相 談 を 受 く 。
森 恪 葬 儀 、 告 別 に行 く 。
十 二月十 四日 水
正 午 蘇 大 使 館 招 待 、 藤 田次 官 と 予 夫 婦 、 歓 待 を 極 む 。 露 士 亜料 理
九 ・三 〇 原 田 正 、 高 橋 三 郎 来 る 。 書 を与 ふ 。
十 二月 二十日 火
浜中来る。
馬 淵 夫 人 来 り 鯛 、 蝦 を 送 る o 午餐 を 供 に し快 談 す 。
午 前奥 寿 来 り 書 を 頼 む 。
十 二月十九日 月
︹マ マ︺
晴
正 午 日本 橋 末 広 に今 村 会 。 矢 野 、 武 智 、 石 坂 、 長 、 結 城等 十 一人 。
語 る 。 感 慨無 量 之如 し 。呵 々 。
晴
午 後 四時 全 国 大 学 教 授 聯 盟 発 会 式 、 外 交 団 ト ラ代 表 す 。 永 井 長 広
竹内 来 る 。
読 売 長 狭 よ り 山 梨 の首 相 官 邸 訪 問 と 首 相 の総 理 訪 問 を 伝 ふ 。 小 笠
晴
小 笠 原を 訪 問 、 殿 下と 元帥 往 復 の事 を 聞 く 。
原 病 中 な るも 相 談 す 。 田村 と 来 る 。 仝 問 題 。
︹マ マ︺
舌。
原 田 正 、 女 婿 と 来り 書 を頼 む 。
十 二月十五日 木 晴 ︹ 戴︺ 午 前 市 来 前 日 銀 総 裁 、松 下権 八 に伴 は れ来 訪 、 平 沼 推 載 に共 鳴 す 。
山 梨 伊 達 家 の為 め と 云 ふ て 首 相 官 邸 に 行 く 。
晴
若 林 理最 度 訪 問 。
彼 一二 週 前 に 平 沼 に会 へり。
十 二月 二十 一日 水
晴
晴
安 藤 陸 大 佐 来 り 学 生東 亜 聯盟 発会 式 之 事 に付 話 す 。
午 前 出 省 、 殿 下 に拝 謁 、 首 相 の元 帥 訪 問 に 付 奥 名 を 小 笠 原 之 処 に
︹マ マ ︺
飛島来り碑文を頼む。
派 せら れ 訪 問 の目 的 を 尋 ね ら る こと 及 西 園 寺 に 対 立 、 山 本 伯 を 使
十 二月十六日 金
ふ件 に関 し到 底 来 ら ざ る べき も 山 本 よ り 願 ふ て 来 れ ば 会 ふ と 仰 せ
の粋 也 。
晴
午 後 五 時 よ り 賢 所 に て 御 神楽 の 儀 に参 列。
小 林 薬 王 寺 住 職 来 り書 を 渡 す 。
定 ま ら ず 、 予 算 の見 込 確 実 な れば 辞 ると 云 ふ。
ら る 。 後 海 相 に 会 ひ 時事 を 談 じ留 任 問 題を 注 意 せ し に、 決 心 未 だ
久 保 九 一来 り 不 相 変 大 酒 一泊 す 。 誘 は れ て 宝 亭 に 行 く 。
十 二月 二十六日 月
岡 田煩 悶 、 籠 城 す と 。
小雨
寒甚し
対 露 不 戦 条 約 に 関 し ﹁ト リ ヤ﹂ の件 及東 支 問 題 ( 売 却 ) の報 告 す 、
十 二月 二十七日 火
小 畑 騎 大 佐 妙 な 皇 道 主 義 を 申 出 来 り 顧 問 の推 薦 を 乞 ふ 。
︹ 欄外︺官 邸 忘 年 会 に岡 田 の留 任 を 諷 す 。
岡 田 は 匙 を投 ぐ 。
午前秋良三男来る。
佐藤 ︹ 脩︺駐 支 大 佐 ︹ 駐支公使館付武官︺ 、 浜 口来 訪 す 。
終 日不 快 。
竹内 ( 昨夜)山本英輔之宅を尋ね来る。
久 保 帰 る。 一泊 大 に ﹁メー ト ル﹂ 之 後 。
午 後 二 時 殿 下 御 召 に 依 り 軍令 部 に 、 岡 田留 任 問 題 に付 御 下問 、 御
十 二月 二十 八日 水
晴
不 審 此 点 藤 田 と 相 談 す 。 原 田 、 元帥 の回答 を 岡 田 に報 告 す と 、 怪
高 橋 殿 下 の旨 を 受 て岡 田 訪 問 、 後 任 者 迄 奉 答 せ り と 電 話 あ り 。 高
十 二月 二十 二日 木
事 也 。 首 相 は 岡 田 と 連 絡無 し に 元帥 に会 せ し模 様 也 。
橋 は 藤 田と 協 議 す 。
秋良三男来る。
る。
機 命 名 式 。 高 松 宮 、 久 邇宮 台 臨。 馬 淵夫 人 目立 つ。努 力 に報 いら
午 前 海 大 へ図 演 研 究 を 聴 く 。 追 浜 〓 場殿 下台 臨 、午 後 横 須 賀 号 飛
十 二月 二十四日 土
半晴寒
山 口会 、 岡 田 大 に は し や ぐ 。
森猛熊来る。紹介状を約す。
景 岳 会 を 東 洋 軒 に 開 き 、 福 田 弁 護 士 の報 告 を 為 さ し む 。
十 二月 三十日 土
松 菊 の紅 葉 館 招 待 ( 市 子)。 ︹ 後︺ 一月 八 日中 里 返 礼 会 あ り と 御 藤 ︹ 章、少将、海軍省教育局長︺よ り 聞 く 。
ず。宮中及各宮、元帥廻礼。
に報 じ 伺 候 せ し め 、 元 帥 と 往 復 後 々 の事 ま で 意 の如 く な れ り と 報
午 前 十 時 紀 尾 井 町 に 伺 候 、 岡 田 の辞 意 云 々を 承 は る 。 直 に 小 笠 原
十 二月 二十九日 木
岡 田病 、 淀 橋 に引 籠 る。 辞 意 固 し 。
日米 論 を 与 ふ 。
十 二月二十三日 金 晴 寒 ︹ 欠︺ 午 前〓 来 る 。 本 日 の放 送 に 関す る 注意 を 与 へ ﹁ジ ヨ ン ソン﹂ の
富岡と昼食。
久 富 来 り 乞 ふ 。 小 林 に 難 波 謙 一の紹 介 を 与 ふ 。 岡 田 に見 舞 を 送 る 。
寒
賢所参拝。
宗 像 よ り 酒 来 る。
十 二月 二十五日 日
中里 ︹ 重次、中将、予備︺招 待 、 紅葉 館 、 財 部来 る 。
十 二月 三十 一日
土
暖 晴
第 一に 三 越 理 髪 。 四 方 無 事 。 買 物 に 行 く 。 本 年 の無 事 を 謝 す 。 今 夜 寛 の笑 ふ を 夢 む 。
昭和 八年
晴 無 比 の暖
元日
一月五日 木
晴 暖 夕 雨
新年宴会 賜餐、斎藤 ︹ 実︺首 相 ︹ 大将、予備︺勅 語 の 前 に 奉 答 文 を 読
み始 め 式 部 官 之 注 意 を 受 く 。 列 国 使 臣 の 前 大失 態 也 。 ︹ 池︺ 菊 地 夫 婦 と 安 子 を 送 り 菓 子 を 贈 る 。 寛 一夫 婦鎌 倉 、逗 子 に行 き 泊
一月六日 金
寒甚し
す。孝治大に快方。
岡田病気之為辞表を提出す。
高橋 ︹ 三吉、中将、軍令部次長︺よ り 右電 話 。 一月 一日 日
晴
一月七日 土
藤 田 葉 山 に使 す ( 首 相 へ)。 暖
参 内 朝 見 式 に列 し大 御 所 始 め 各 宮 伺 候 。
杉 山 明久 ︹ 三井物産社員︺、寛 一夫 婦 、 予と 千 代 を 東 劇 に招 待 す 。
︹マ マ ︺
愈 六十 四歳 之 春 を 迎 へぬ 。 寛 一夫 婦 息 才 に て帰 宅 す 。 午 後 下 郷 女
今 夜 (八 日 午 前 三 時 半 ) 素 子 腹 痛 、 大 に 驚 き 寺 尾 医 師 を 招 き 、
寒 曇
﹁ア ヘ ン﹂ 服 薬 せ しむ 。緊 迫 を 緩 む る也 。
甥 四 人 、 夫 婦 、 大 倉 彦 一郎 ︹ 大倉スマトラ農場取締役︺、 山 崎 貞 直 来 り
一月 二日 月
大 に飲 む 。 清 河 ︹ 純 一、中将︺も 来 会 。
晴
暖
一月 八日 日
︹ 欄外︺ 寒 入 に 付 参 内 、 伏 見 宮 ︹ 博恭王︺殿 下︹軍 令部長︺に 謁 す。
在 宅 。 松 平 に 家 族 の写 真 を 取 る 。 ︹溪︺
堤正之 ︹ 男爵、大尉︺ 、 谷 口泰 麿 夫 婦 、 一条 ︹ 実孝︺公 爵 ︹ 大佐、予備、貴
海 相 交 迭 、親 任 式 、 岡 田を 訪 問 、 見 舞 す 。
陸 軍始 観 兵 式 挙 行 。
寺 尾之 服 薬 効 果 あ り 、 素 子 も 決 意 、 九 時 の燕 に て帰 阪 す 。
︹マ マ︺
族院議員︺来 る 。 暖 晴
湊 守 三兄 弟 来 る。
一月 三日 火 参内。
実帰艦す。
寛 一夫 婦 無 事 帰 阪 之 電 来 る 。 依 つ て返 電 し 後 日 之 為 慎 ま し む 。
一月四日 水
一月九日 月
午 後 例 会 、 後 藤 、 藤吉 、 岩村 外 三 十余 名 、 盛 会 を 極 む。
水 交 社年 始 会 、 岡 田 ︹ 啓介、大将、海軍大臣︺欠 。
大 角 ︹岑 生、大将︺本 省 へ新 任 、 岡 田 待命 。
半晴
調布 に九 保 を訪 ふ 。山 本 夫 婦 来 り 、 山 下市 助 令 嬢 に就 き 熱 心 奨 む 。
内田嘉吉 ︹ 貴族院議員、日本電線電信社長︺之告 別 。
晴
作 間来る。
一月十四日 土
也。 快晴
実帰艦。末次中将来訪。
夕 下 郷 夫 婦 と 山 王 下富 貴 へ招 か る (天 ぷら )、 千 葉 、 古 市 六 三 ︹ 男
酒 井 駐 支 武 官 帰 任 来 訪 。 満 洲 支 那 問 題 に付 極 め て 明晰 に 説明 す 。
爵、貴族院議員︺、 予夫 婦。 夜枝原 ︹ 百合 一、中将、航空廠長︺来 り 、小 林 、末 次 ︹ 信正、第二艦隊司令長
氷 解 す る処 大 也 。
官︺提 携 を談 ず 。
千 代 枝 原 宅 を 訪 ふ 。 予 本 日 離 床 す 。 鼻未 癒 。
晴
一月十日 火
晴
琴 比 羅 様 百疊 敷 に 予 の 額 軸出 来 上 に て 千代 拝 見 し 来 る。 美 事 な り
一月十五日 日 風邪。 第 二艦 隊 出 動 。
( 是 真) ( 神 光 照 海)。
と。
春 造 、 湊 より 帰 り 礼 に来 る。
小雨
︹ 伏見官︺博 英 王 御 成 年 式 、 霞 ケ 関 離 宮 に 御 賜宴 。
稍暖
晴
( 正恒? ︹ 貴族院議員、住友合資会社代表社員総理事︺ ) より来信、 直 に 下 郷 に送 る 。
小倉 住 友
始 め て 理髪 す 。 川 口来 り 午 餐 を 共 にす 。
一月十 六日 月
揮 毫 。 諏訪 神 社 、 高 杉 、 向 山 へ、 及 西 尾 へ。
一月十 一日 水
一月十 二日 木
風邪之為鼻喉を痛む。
風 邪 に て重 く る し き も 正 午 海 相 の披 露 午 餐 に 官 邸 に行 く 。 殿 下
朝 枝 原 、 千坂 ︹ 智次郎、中将、予備) 、 竹 内 来 る。
︹ 伏見宮博恭王︺も 御 列 席 。 此 夕 の陸 海 新 年 会 ( 水交社)を断り養生す。
千坂始めて予に大臣を勧む。
細雨
寺 尾 に受 診 、 血 圧左 百 三十 五、 右 百 十 五 。
寒
一月十七日 火
曇
末広会。蘇大使晩餐、八十有余名、首相 ︹ 斎藤実︺ 、牧野 ︹ 伸顕、内大
稍暖
小笠 原 ︹ 長生、子爵、中将、予備、宮中顧問官︺と 電 話 、 昭 和 維 新 提 唱 会
本年特検に谷 口 ︹ 尚真、大将、軍事参議官︺の 不 可 を 語 る 。
石川信吾 ︹ 中佐、軍令部第二班第三課︺来 り少 壮 の 元帥 推 薦 を伝 ふ 。
一月十八日 水
臣︺其 他各 階 級 。
黒田 ︹ 長成︺公 ︹ 侯爵、貴族院副議長、枢密顧問官︺に 電話 し 古市 ︹ 龍雄︺機 ︹ 機︺ 少将 ︹ 艦政本部第二部長︺よ り の話 、 長 嶺 ︹ 公固︺騎 少 佐 の件 を 知 ら ず 。
曇 寒
今 朝 御 影 山 下夫 人よ り 志 賀 子 へ電 話 、 狂 気 じ み た り と 報 あ り 。 一月十 三日 金 終 日就 寝 。 実 帰宅 す 。 ︹ 侯︺ 黒田公爵家令? 久野某 ( 六十才位)来 訪 ( 予 の求 め に 依 り )、古 ︹ 長︺ ︹ 機︺ 市 紹介 の 永嶺 公 固騎 少 佐 の身 上 に就 き 資 料 を 与 ふ。 幸 子 令 嬢 の為
独 大 使 ︹Dr.E.A.V 特o 命r 全権 e大 i使 z ︺s 晩c餐 h会 . に招 か る。 一木 ︹ 喜徳
平 沼 ︹騏 一郎、枢密院副議長︺男 よ り 酒 五 本 来 る 。
に出 席 を扣 ふ 。 小 笠 原 は 行 く と 云 ふ 。
多門 ︹ 二郎︺中 将 ︹ 第二師団長︺を 上 野 に出 迎 ふ。
一月二十 三日 月
斎 藤 首 相も同 上。
召さる。
早朝 雪 晴
郎︺宮 相 不 参 に て間 誤 付 。
松 方 乙彦 ︹ 正義七男、樺太殖産代表取締役︺来 り 平 沼 擁 護 を 語 る。 本 人 平
曇 寒
一月十九日 木
議会、内 田信也 ︹ 衆議院議員、立憲政友会︺統 帥 権 問 題 と 第 二 次 補 充 計
沼 に も会 見 せり と 伝 ふ。
浜中来訪。 ︹ ゼ︺ セネ バ又 逆 戻 り 。 松 岡 ︹ 洋右︺等 奮 闘 す 。
︹ 貞夫、陸軍大将、陸軍大臣︺、 大 角 明 答 す 。 浜 口 の言 明 全 く 天 下 に 裏
画の有無、 尻尾 ( 第 一の) な り や 第 二 の 頭 な り やと 問 ひ、 荒 木
曇 暖
一月 二十日 金
快晴
九条 ︹ 道真︺公 爵薨 去 に 付大 宮 御 所 、 賀 陽 宮 ︹ 恒憲王︺及 九 条 家 に吊
一月 二十 四日 火
切 ら る。
九条公告別。
問す。
山本英輔 ︹ 大将、軍事参議官︺を 訪 問 す 。 淡 友 会 、 新 橋 東 洋 軒 。
堀 江 軍 務 局 員 特 検 上 奏 案 に就 而来 訪 。 加来 ︹ 止男︺中 佐 ︹ 第 一艦隊参謀︺来訪 、 写真 を 求 む 。
松方幸 ︹ 幸次郎、正義三男、松商会、松方日ソ石油販売所各合資会社代表社員︺築
国 本 社 講 演会 並 に 三 光 丁 三金 会 を 断 る。
地八百善に蘇大使を招くに付予も同席す。
山 本 ﹁ム ツ ソリ ニー ﹂ を ﹁憧 憬﹂ す 。 予 等 と 同 意 見 。 岡 田 、 大角 、
曇 稍 寒
高 橋 等 の心 中 決 意 に 乏 し と 云 ふ 。
一月 二十 一日 土
を迫る。
ゼ ネ バ 逆 転 、米 露招 請 撤 回条 件 之 下 に ﹁リ ツト ン﹂ 報 告 基 礎 討 議
帝 国議 会 開会 、 首相 一月 五 日 の失 態 に就 て は与 論 の向 ふ 処 に 従 ひ
晴
大亜細亜主義会合あり、不出。
寒
一月 二十六日 木
一月二十 二日 日
の 言質 を 得 た る旨 話 す 。
広 島 着 、 吉 川 旅 館 へ。 大 倉 亥 一郎 来 り 、 五 師 団 長 ︹ 二宮治重、陸軍中
近 来 稀 な る 大 寒 、 ○ 下 四度 。
雪
進 退す る と 云 ふ 驚く べき 不信 の言 を 為 す 。
午 後 六時 頃 より 降 雪 す 。
一月 二十七日 金
午 後 一〇 ・二 五 発 呉 へ。坂 井 ︹一意︺と松 下 権 八 送 る。 寒 甚 し。
散歩。
将︺向 山等 と 某 所 に 会す 。
大寒
小笠 原 よ り 電 話 、 小 林 省 三 郎 少 将 ︹ 満州特務機関長︺之 身 上 に 付 大 角
閑院 宮 ︹ 載仁親王、参謀総長、陸軍元帥︺蘇 大 使 送 別 之 為 御 晩 餐 会 に 予 を
聯 盟 に 対す る 強硬 態 度 決 定 、 ﹁ゼネ バ﹂ に回 訓 発 の新 聞 出 づ 。
森 猛熊 来 る 。
二月 一日 水
晴
一月 二十 八日 土
午後 小 笠 原 を 訪 ふ 。 重 要 情 報 ( 北 一輝 在 り )、 財 部 ︹ 彪、大将、予備︺
大阪 住 吉 区 々長 村 尾 静 明 来 る。
八時 A、 高 速 艇 に て呉 着 、 工 廠 を 見 る。 大 に 益 す る 所 あ り 。 午 後 ︹ 早︺ 草 蕨 合 同葬 儀 盛 大 、 及 後 会 々長 と し て吊 詞 を 読 む 。
平 沼 訪 問 の件 、宮 中 改革 と 内 閣引 受 の有 無 問 合 せと 云 ふ、 真 な り
今 朝 大 阪 駅 に井 上 周 一家 出 迎 ふ 。 好 意 感 謝 に 不 堪 。
右 了 て広 工廠 視 察 。 中 村 ︹ 良三、中将、呉鎮守府司令︺長 官 ら 招 待 。
と ( 四 谷 見 付 附 近 に て会 合 せ り)。 元帥 ︹ 東郷平八郎︺よ り 予 と 大 角
大寒
午 後 十 一時呉 発 広 島 へ。 翌 ○ ・四 五分 広 島 発 大 阪 へ。 西 尾 と ﹁モ
文 相 に軍 人 の有 力 者 ( 小 笠 原 説)、 特命 検 閲 の件 。
御 信 頼 の件 、 平 沼 な れ ば 予 に 立 つ べしと 、 殿 下 にも 復 命 せ し由 。
二月 二日 木
ー タ ー ボ ー ト﹂ 交 渉 修 理中 の為 取 止 む 。 下郷 よ り 電 報 来 り 大 阪 に
一月二十九日 日
午 前 軍 事 参 議 官 会 議 、 元 帥 病 欠 席 、 熱 河 問 題 と 聯盟 、 予 は 最後 之
て 会 合 を 希 望 す 。其 通 り にす 。
午 前 七 時 大 阪 着 、桃 山 荘 へ。
決 意 之 結 果 に付 半 腰 を 戒 め 重 大 な る 結 果 を 警 告 、 重 臣 会議 を 示唆
右 に付 高 橋 より 礼 之 電 話 あ り 。
晴
浜中を住吉に遣はし井上を訪問せしむ。
す。
笑和会旗揮毫。
晴
に酩 酊 す 。
午 後 下 郷 来 る 。 西 尾 、 矢 吹 来 り 、 例 に依 り 富 田 屋女 将 を 伴 ふ。 大
午 後 一〇 ・二〇 発 、 井 上 一家 又 見 送 る 。
二月 三日 金
古 市 と 電 話 、 小 倉 の上 京 を 報 じ 電 話 を 見 合 は す 。 下 郷 母 大 に 心 配。
竹内 賀 久 治 来 り 政 変 之 際 予 と 小 笠 原 に東 郷 、 山本 ︹ 権兵衛、大将、予
晴
一月 三十日 月
備︺和 解 之事 を 頼 む 。
晴
午 前 十 時 東 京 駅 へ。 午後 清 水 中 尉 青 山 葬 儀 。 夕 、 紅 葉 館 、 ﹁ト ロ
福 田 弁 護 士 景岳 会 の 為 回向 院墓 地 証書 を 持 参 す 。 新島 ︹ 信夫︺少 佐来 訪 。
ヤ ノ フスキ ー﹂ を 招 く 。 首 相 夫 婦 来 る 。
午 後 下 郷 と 仁 寿 に 会 ひ直 に 住友 銀 行 に小 倉 総 務 を 訪 ひ実 次 郎 之 事
金子 ︹ 堅太郎︺子 爵 よ り 来 信 、 統 帥 権 に関 す る心 配 之 意 を 述 べら る 。 一月三十 一日 火
晴
坂 井 一意来 り 国 同 の 企図 を 語 る。
を頼み快諾さる。
二月四日 土
晴
︹ 欄外︺聯 盟 彷徨 。
松 方 乙 彦 来 り 床次 ︹ 竹二郎、衆議院議員︺誘 致 の策 を 竹 内 ︹ 賀久治、弁護 士、国本社社員︺より 伝 ふ。 一笑 に付 し帰 す 。 大西少佐来る。
松方 幸 次 郎 に床 次 の件 話 す 。
正午 日 露協 会 ト リ ヤ ノ フス キ ー大 使 送 別 会 。 山 本 開 作 来 る 。
浜 中 来 り 昨 夕 関根 と米 大使 館 日本 人 某 と 会 見 之 事 を 告 ぐ 。
にて倒閣始むと告ぐ。
と 告 ぐ 。 尚 ほ十 三 日頃 よ り明 糖 問 題 と 柴 田 ︹ 善三郎︺書 記 官 長 問 題
︹マ マ︺
夕、散歩。
曇
秦豊助急死す。
二月 九日 木
奥 寿 来 る 。 小浜 町 長、 村 長等 拾 数 名 来 り 礼 を 述 ぶ。 寒
錦 水 会 を 断 る。 満 蒙 協 会 を 経 て 八 田 ︹ 嘉明︺満 鉄 副 ︹ 総︺裁 ︹ 貴族院議
晴
植 村 五郎 を 畔 高 慈 恵 病 院 学 務 部 長 に 紹 介 、 千 代 同 行 。
員︺の催 也 。 予断 る。
二月 五日 日
夕 、 松 林 才 二来 る 。
浜 中 来 る。
古市機少将来る。加藤久来る。
十 一時 関 根 来 り 、 昨 夜 之 資 料 を 述 ぶ 。
仁、功之宅に示唆を受けに行く。 ︹ 治︺ 大西瀧次郎 ︹ 中佐、加賀副長︺満 洲 よ り 来訪 。 二月六日 月
二月十日 金
暖
午 前 橋 本 一郎 ( 電 気 局) 来 る。
藤 井 、松 下来 る。 藤 井 よ り 米 大 使 館 日本 人 某 の秘 報 を 今 夕 昭 和 通
二月七日 火
功 来 る 。 天 平 を約 す 。
小 笠 原 千坂 談 を談 る 。
下郷に賜餐を送る。
御 宴 に 予 黒 田 公 と 共 に 最 上 席 を占 む 。光 栄何 ぞ堪 へん 。
︹マ マ ︺
新 島 少 佐 来 り 堀 河 辰吉 郎 之件 に付 心 配 し来 る。 彼 詐 偽 にし て 下郷
の清 水 組 ビ ル に て 聴 取 す と 聞 き 、 直 に 関根 ︹ 郡平、大佐、軍事普及部幹
二月十 二日 日
曇 寒
二月十 一日 土
夕、 千 坂 を 訪 問 、 牧 野 英 大 使 館 訪 問 と 宮 庭 外 交 の危 を 告 ぐ 。
事︺を 立 合 はし む る事 に軍 令 部 と 打 合 は す 。
館〓 隊進 中 佐 以 下 二 下士 葬 儀 参 列 。 安 藤 昌 喬 ︹ 中将、予備︺来 会 。
参内。文官尠し。
外 一名 よ り も 注意 あ り た る 人物 な り 。 予 は写 真 を 与 へし の み。
下郷 来 り 礼 を 云 ふ 。 寅 次 郎 に就 て也 。 下 阪 す 。
川 口来 り 魚 を 持 参 す 。
小笠 原 紹介 加 藤 久 来 る。 次 郎 長 会 に署 名 を 求 む 。 之 を 断 る 。
秦豊助告別、増上寺。
二月十 三日 月 午 後 竹 内 来 る。
晴
小林少将報告を聴く会、軍令部。
晴
池 松 日 々来 る 。
曇
関 根 清 水 組 ﹁ビ ル﹂ に 於 て 某 と会 見 す 。 二月八日 水
晴 竹 内 賀 久 治 来 り大 に楽 観 、 ︹ 松方︺乙 彦 、 床 次 と 平 沼 握 手 に成 功 す
向井忠晴 ︹ 三井物産常務取締役︺来 訪 、 重 役 と な れ る 礼 に来 る 。 杉 山
末 広 会 、吉 沢 も 来 る 。
二月十 四日 火
永井は久富 ︹ 達夫、東京日日新聞記者︺友 人 也 。
同 時 永 井 了 吉 、 藤 村 又 彦 、 鈴 木 報 来 り 、 脱 退論 の軟 化 を憤 慨 す。
悪 口と 政 友 擁 護 の為 南 郷 昨 夜 大 角 に会 見 す 云 々﹂。
友会︺代 議 士 の宣 伝 を 報 ず。 昨 夜 此 問 題 に て 奔 走 せ り と 。 ﹁ 元帥 の
竹内来り南郷 ︹ 次郎、少将、予備︺に付 江 藤某 ︹ 源九郎、陸軍少将、予備、政
降雪
之事 も 心 配 す 。
二月十七日 金
夕、荒井 ︹ 陸男、画家︺来 り 展覧 会 之事 を 話 す 。
午 後 川 口来 る。 六 玉 川 を 与 ふ 。
曇
重臣会議之報新聞に出づ。
小 笠 原 小 林 省 と 華 族 会 館 に て 会 ふ 。 今 夜 山 口に て 八 田 、久 富 、豊
夕 、 蜂 龍 に 飛 島 之招 待 を 受 。
小笠 原電話、来 二十二、三 日頃近衛 ︹ 文麿︺公 ︹ 貴族院議長︺と 会 見
田 の小 林 歓 迎 に 招 か る 。
︹マ マ︺
に付 参 会 を 乞 は る 。
金 子 子爵 に統 帥 権 に関 す る書 留 を 送 る。
今立裕 ︹ 新聞記者︺来 る。 村 田西 遊 記 外 二冊 ( 計 四冊 ) を 貸 与 す 。
晴
︹ 欄外︺ 午前 ト ロヤ ノ フ スキ 大使 告 別 に来 り 写 真 を 残 す 。 二月十 八日 土
晴 北 風 極 寒
午 前 豊 田久 二 ︹ 東京帝国大学学生部職員︺来 り 小 林 歓 迎 之 事 を 報 ず 。政
しむ。
竹 内 来 り 平 沼 と 山 本 英 輔 と 会 見 を 頼 む 。 二十 日柳 光 亭 に 於 て会 わ
二月十五日 水
談 多 し 。 十 七 日午 後 六 時 、 山 口。
三国 小 学 代 表 梅 田良 平 に 書 を 渡 す 。
高 橋 次 長 よ り電 話 あ り 、 山 本 伯 に手 を 出 す を 可 と せ ざ る 旨 云 々御
︹マ マ ︺
皆川園次郎来り経理学校に週旋乞ふ。
午 後 一時 浜 中 来 る。 次 で森 山 達 枝 、 藤 井 実 来 る 。
二月十 六日 木
二月十 九日 日
伝 言 と之 事 。
寒甚し
荒 井 の招 待 断 る。
藤 井 実 。 八 田満 鉄 。 今 立 裕 。 高 橋 守 雄 ( 元 警 視 総 監 )、熊 本 岡 本
夕 七 ・三 〇 ︹ 下郷︺伝 平 氏 ︹ 仁寿生命保険社長︺来 り 共 に 寅 次 郎 の礼 を
午後 下 郷妙 子来 る。 竹 内 より 再 三電 話 。
正午 候補 生 の為 め 大 臣 招 宴 、 水 交 社 。
特 命 の報 あ り と 御 告 あ り 。 後 重 臣 会 議 の御 相 談 申 上 ぐ 。
退 を 賭 し て やれ 、 倒 閣 に 頼 る べか らず 。
予 よ り 午 後 二 ・三 〇 柴 田徳 次 郎 ︹ 国士館長︺ へ忠 告 す 。 海 陸 両 相 進
軍 大 佐 の企 に付 。
の 為 元 帥 書 を た のむ 。 青 木 秀 一 ( 門 司 若 林 某 の 子)。 八 角 ︹ 三郎︺ ︹ 中︺ 少将 ︹ 予備、衆議院議員︺ 。小笠原電話、松村 ︹ 修己、澎湖島要塞司令官︺陸
晴
殿下より御召、山梨 ︹ 勝之進、大将、軍事参議官︺三 月 五 日頃 予備 の為
午 前 特 命 検 閲 の為 軍 参 非 公 式 会 議 、 元 帥 出 席 、 聯 盟 之 話 あ り 。
述 ぶ 。 聯盟 談 を 為 し安 心 を 与 ふ。
山 形 閑 来 り 、 文 学 士 村 野 外 牧 之 推 薦 を 品 川 に 一筆 頼 み 来 る 。
民 や来 る。 気 の毒 也 。悄 然 と し て 帰 る 。
午 後 原 田、 矢 板 、 山 田来 る。 套 堂 建 築 願 稍 く 撰 取 る 。
特 検 軍参 会 議 、 宮 中 。
二月 二十 四日 金
福 田 、竹 内 、熊 谷 問 題 を 心 配 す 。 明 日竹 内 よ り 平 沼 に話 す 筈 。
熱 河討 伐 発 表 。
聯 盟 四十 二対 一に て勧 告 案 議 決 、 吾 全 権 一同 退 席 す 。
寒
二月 二十日 月
閣 議 聯 盟 脱 退 を 議 決 、 重 臣 会 議 に 及 ば ず 。 平 沼 、 山 本 英輔 と 柳光
晴 稍 暖
関根 に電 話 、 成 田 報 酬 之 事 を 話 す 。
亭 に会 ふ。 小 笠 原 と 電 話 。
早蕨 殉職 者 之為 揮 毫 。
晴
二月二十 五日 土
﹁ 池 松 ﹂ 日 々来 り 脱 退 を 喜 ぶ 。
十 一時 浜 中 来 る。 又 々塩 瀬 之 班 旗 揮 毫 を 頼 む 。
議員、式部官︺、 小 笠 原 子 と ﹁ナ コ ン ツ ワ ン﹂ の企 図 に 付 相 談 。 二荒
午 後 六時 シ ヤ ム飯 塚之 案 内 に て帝 国 ホ テ ル に 二荒 ︹ 芳徳︺伯 ︹ 貴族院
晴
二月 二十 一日 火 ︹二︺
豊 田久 治 来 り 曰く 、 今 日 の国 難 を 誰 が 導 ひた 、 曰 く 内 に 政 党 の腐
伯 の意 見 積 極 、但 し急 が ぬ事 と す 。 近 衛 公 も 来 る筈 な り し が 風 邪
二月 二十六日 日
敗、 曰く 陸 海 軍将 官 の迎 合 、 曰 く 軍 縮 国 防 の欠 陥 、 外 に は 日 本 の
塩野 ︹ 季彦︺検事 正 ︹ 名古屋控訴院検事長︺より 好 意 あ る電 話 来 る。
の為欠。
九 ・ 一九事 件 也 、 然 るを 何 ぞ や、 此 悪 弊 の根 元 た る 政 党 を 清 算 せ
陸 軍 士 官 候 補 生 山 本外 一名揮 毫 を頼 に来 る 。
岡田大将来訪。
ず し て 再 び 政友 内 閣を 作 ら んと は。
国 旗 揮 毫 。 今 立 裕 よ り 電 話あ り 、差 扣 へと 答 ふ。
を 失 ひ、 朝 鮮 、 台 湾 を 失 ふ に 至 る 必 然 の勢 を 憂 ひ て 立 て る 者 即
廿 五 日 聯盟 総 会 危 しと 荒 木 の言 。
内 部 的 衰 弱 に乗 ず る英 米 の 圧迫 、 支 那 の侮 日、 之 を 放 置 せ ば 満 洲
竹内 来 る 。山 本 、平 沼 会 見 の報 也 。 小 笠 原 よ り 驚 く べき 電 話 来 る 。
二月 二十七日 月
新 島 、 田 辺 、 浜 口を招 待 す 、支 那料 理 。
晴 暖
政党 の宣伝 な り。 一蹴す 。
来栖 ︹ 三郎、外務省通商局長︺等 と 日 露協 会 に て支 那料 理 を倶 に す。 外
東郷 ︹ 茂徳、外務省︺欧 米 局 長 、 酒 匂 ︹ 秀一 ︺蘇 参事 官 、 宮 川 ︹ 船夫︺ 、
晴
三浦 某 来 る 。 談話 会 断 る。 二月二十 二日 水
暖 晴
洋 々 会 聯 盟 脱 退決 議 を海 相 に交 付 し非 公 式 声 明 を 為 す ( 海 軍 )。
晴
二月 二十 八日 火
務 の豹 変 を 警 告 す 。
今立裕。
福井坪川信三来る。
寒 曇
竹内 に 熊谷 三 太郎 之事 を 頼 む。 二月二十 三日 木
夜 戸塚 ︹ 道太郎︺大 佐 ︹ 軍令部第三課長︺来 る。
送る。
帰 路 杉 田 に 一酌 す 。老 婆 大 に歓 待 、唱 歌 す 。
火
寒厳
︹マ マ ︺
三月 一日 水
三月七日
夜 揮 毫 す 。 貴 兄 之 依 頼 に て 阿部 野高 等 女 及小 学 校 の為 に。
曇
満 洲 独 立 記念 日 。 石 川中 佐 来 る。
簡 牛 凡 夫 な る 者 平 沼 の紹 介 に て 来 訪 。 来 客 中 の為 玄 関 に て面 接 、
夜半より雪
大 亜 細 亜協 会 発会 式 東 京 会 館 に行 く 。
可成立派な人也。
曇
三月二日 木
後晴る
佐 藤 国 司 来 り 浜 口熊 嶽 之事 を話 す 。
雪
三月 八日
長城占領、 ︹ 張︺学 良 大 に 迫 窮 す 。
三月 四日 土
京 都 野 原桜 洲 葬 儀 に付 吊 電 す 。
午 後 東 日 の観 劇 会 あ り し も 断 る ( 遠 慮)。
状を極む。
古 市 機 少 将 来 り 黒 田 侯 の縁 組受 諾を 報 ず 。 浜 中来 り 要 務 を 告 げ 植
係を話す。
三月九日 木 晴 稍 や暖 ︹ 八︺ ︹ 二︺ 松下権吉来り 山本悌次郎 ︹ 衆議院議員、政友会︺売 国 事 件 、 島 清 蔵 関
後 九 ・四 五 出発 、 五郎 を し て見 送旁 村 田 に荷 物 を 頼 む 。
志摩清英 ︹ 中佐︺満 洲 通 信 参 謀 と な り 小 林 少 将 部 下 と な り 来 訪 、 午
石川中佐来訪。 ︹ 大佐︺ 真崎 ︹ 勝次︺少 将 ︹ 横須賀防備隊司令︺来 訪 。
水
午後井上雅 二 ︹ 海外興業社長、南洋協会専務理事︺来 り 外 交 不 振 を 嘆 ず 。
寒 曇
同意す。 三月 三日 金
百武 ︹ 源吾、中将、練習艦隊︺司令 官 来 訪 。
松 の揮 毫 依 頼 を 取 次 ぐ 。
午 前 二時 半 頃 東 北 三 陸 海 岸 大 震 災 、 大 海〓 起 り 釜 石 附 近 海岸 大惨
飾磨 救 難 団 旗 を書 く 。
作間、早川両氏来り、参考館問題を熟議す。
長 城 線 抵 抗 稍 大 (于学 忠 か)。
晴
稲 畑 勝 太郎 ︹ 貴族院議員、大阪商工会議所会頭︺古 稀 祝 記 念 品 を 持 参 す 。
三月十日 金
小 雨後 に 止 む
三月五日 日
偕行舎前、大盛会。
。
色紙に揮毫を頼み諾す。
明治座に千代と ︹ 市川︺左 団 治 を 見 る 。 増 田と 酒匂 に会 ふ。
夕 、海 相 晩 餐 、 岡 田大 将 送 別 。
寒 曇
皇軍長城に達す。
行 幸 、拝 謁 、 贈 餐 。
三月六日 月
寛 一次 男 午 前 十 時 出 生 、 目出 度〓
曇
中里 ︹ 重次、中将、予備︺来 訪 、 石 油 政 策 を 訴 ふ 。
練 習艦 隊 出 発 に付 不参 内 の 御 許 を 受 け 横 須 賀 に ﹁ド ライ ブ﹂、 見
山梨予備となり挨拶に来る。
云ふ。
三月十 一日 土 大 雪 ︹ 少︺ 早川 ︹ 幹夫︺中 佐 ︹ 第二艦隊参謀︺来 る 。 日 比 の 武 富と 諒 解 を 得 たり と
奉 天 大 捷 の 日に 出 生 を 祝 電 す 。
夕 、 荒 井 と 代 官 町 の味 覚 に 飲 む 。
三月十七日 金
川 口 の招 待 、 両 国 深 川 に管 野 大 蔵 と 飲 む 。
三月十 六日 木
を 渉 り て行 く 。 大 に 宜 し 。 楽 々園 の ﹁ホ テ ル﹂ 可 也 。
切 符 は青 梅 駅 よ り 梅 林 ま で自 働 車 の筈 な り し も 楽 々園 迄 乗 越 し 河
三月十 二日 日
三月十九日 日
千代不在、淋しさまさる。
三月十 八日 土
晴
朝 大 雨 後 晴
永 井 了 吉 之 自 働 車 運 転手 来り 宿 所を 尋 ぬ。 未 払 請 求 と か 。
富 国 徴 兵 保 険協 会 献納 飛 行機 命 名 式 の為 め大 井 中 島 飛 行 場 に行 く 。
芳 峡 来 り 関 西 名 士 の後 援 を 乞 ふ 。
晴
晴
午 前 川 口、 豊 田 来 訪。 川 口 より 鎌 倉 魚 を 贈 ら る。
快晴
夕 、 松村 に 行く 。
三月十 三日 月
原田より熱冷めて困まると云ひ来る。
矢板に電話せしに不敬之答あり。
長嶺少佐、古市少将来る。
文 江 、 風 邪 、 四 十度 、 寺 尾 を 呼 ぶ。
三月 二十日 月
︹ 欄外︺千 代 大 阪 に 立 つ、 燕 に て 。
夕 松 方 五郎 来 り 、 南 郷 、 小 笠 原 政 友 会 擁 立 に関 し 大 角 と 妥 協 す と
千代子帰宅す。
又 雪 寒
報 ず 。床 次 出 入 の薩 人 某 ( 前代議士なりと)極端に打消す。
山 梨 送 別 、 海相 邸 、 軍参 の み 。
富 美 栄 チヽ ハル市 長満 洲 人申 込 の事 に賛 成 し取 調 を 托 す 。
曇
松 村 家 葬 儀 、 青 山 、 立 役 と な る。
夕 千 代 、 富 美 栄 と 村 田 に行 き 慰 む。
快晴但寒
有馬 ︹ 良橘、大将、枢密顧問官︺ 、安保 ︹ 清種、大将、軍事参議官︺ 。 三月十 四日 火
三月二十 一日 火
千坂と電話、松方報告を打消す。
参内 。
晴 強風 砂 塵 を 飛 ば す
︹ 欄外︺殿 下 御 欠 席 御 伝 言 を 給 は る 。
末広会、無駄話多し、吉沢来る。
藤 井 来 る。
高橋次長外交談話会に話す。
富美栄帰宅す。御苦労。
快晴
晴
三月十 五日 水
三月 二十 二日 水
青 梅 線 吉 野 梅 林 に 行 く 。 留 守 中 花 本 よ り 予 夫 婦 に 電 話 あり と 云 ふ ( 立 会 川 ? )。
軍人後援会親授式。 三月 二十六日 日
東 洋 軒 に会 合 を 申 来 る。
午後松井石根 ︹ 陸軍︺中 将 ︹ 軍事参議官︺挨拶 に 来 る 。
を 伴 ひ幸 鮨 に行 き 、 伊 東 屋 に買 物 す 。 孝 治〓 々た り 。
孝 治 昨 廿 五 日を 以 て卒 業 試 験 終 了 、 大 に 安 心 す 。 夕 刻 千 代 と 孝 治
雨 寒 し
閑院宮殿下御親授、参殿。
夕、談話会、土方 ︹ 成美、東京帝国大学教授︺ の有 益 な る米 財 政 談 と 小
午 前 山 本 開 作 外 一来 る。
三月 二十 三日 木
景岳 会 幹 事 会 、 回向 院 工事 府 の許 可来 る。
大 詔喚 発す 。 人 心 平 静 。
聯 盟脱 退 に付 、 枢 府 決 議 通 告 。
雨 寒
三月 二十 七日 月
右 肩 の凝 甚 し 。
今 立裕 来 り し も 不在 に て帰 る 。
午 前 雨 午 後 晴
山 ︹ 松吉︺法 相 の長 野 県 小 学 校 教 員 赤 化 の 報 告 あ り 。
午 後 偕 行 社 、 軍人 後 援 会 総 会 、 閑 院 宮 殿 下 御 台 臨 に 陪 す 。 ︹ 侯︺ ︹ 長︺ 夕 、黒 田公 令 嬢 幸 子 姫 と 永 嶺 機 少 佐 と 結 婚 見 合 を 為 す 。 予 夫 婦 、 ︹ 長︺ ︹ 侯︺ 小 野夫 婦 、 古 市 、 永 嶺 、 黒 田公 親 子 、 久 野 家 令 出 席 す 。
仁 の夜 遊 に付 心 配す 。 三月二十 八日 火
雨後 晴 寒 大
軍 神広 瀬 ︹ 武夫︺中佐 の 紀念 日 。
坂 井 一意 来り 不相 変 慨 世談 を 為 す 。
清 水 より 新 喜 楽 に招 待 あ り し が 断 る。
午 前 原 田 と 山 田 来 る 。 藤 井 実 に紹 介 し清 水 組 に遣 はす 。
︹ 欄外︺海晏 寺 御 許 を 乞 ふ 。 雨
秋沢芳馬 ︹ 少将、予備︺来 り 結 婚媒 酌 を頼 む 。
曇
三月二十 四日 金
稍寒
三月 二十九日 水
山 本伯 夫 人危 篤 に付 千 代 と 見 舞 、 鳥 二 羽を 呈 す 。 伯 又 ジ ン臓 に て 衰弱すと。
今立裕来る。直麿之事もあり。 ︹ 知︺ 山下友彦来る。小畑 ︹ 敏四郎、陸軍少将、参謀本部第三部長︺と 会 見 談 。
三月 三十日 木
午 前 早 川 中佐 令 息 と 共 に来 る 。何 と なく 気 障 な 男 也 ( 早 川 の事 )。
午 前 浜 中 来 る。 高 木 陸郎 ︹ 東亜通商、南満鉱業社長︺来 り 再 支 那筆 を 贈
夕、枝原中将来る。
三月 二十五日 土
らる。
竹 内重 利 ︹ 中将、予備︺夫 人 死去 に付 副 官 を 吊 訪 せ しむ ( 告 別 式 に)。
午 後 中 央 気 象 台 に 荒 井 の展 覧 会 を 見 る 。 副 官同 道 。木 村 鋭 市 ︹ 日
山本伯夫人卒去、午後八時半。
晴
蘭会商代表顧問︺、 成 瀬 等 に会 ふ。 帰 途 の 際 宇 佐 、 学 生 来 る ( 時枝
香坂 ︹ 昌康、東京︺府 知 事 に書 信 、 礼 を 云 ふ。
栄)。
原 田正 の事 務 員 来 る 。
曇 冷 気 小 雨
鹿 子 木 博 士 来 る 。 竹 内 よ り 電 話 、但 し 不参 。山 田 より 廿 七 日月 曜
聯 盟 脱 退後 之 外 情静 穏 、米 仏 の新 聞 に南 洋 統 治 群 島 日本 之 外 何 れ
夕 、 海 相 と 官 邸 に 於 て会 見 。 金 子 子 爵 特 派 の 件 に 付談 ず 。快 諾 、
暖
四月五日 水
長崎県会議長岩永八之丞。
首 相 に 話 す と 。 五 ・ 一五事 件 の注 意 、 公 憤 と す と 。
晴
之 国 も 権 利 な し と論 ず るも のあ り 。 三月三十 一日
後、大将会、陸相、大に賑ふ。
雨
佐 々木 六 郎 ︹ 東京帝国大学教授︺来 り 予 を 大 兵 学 会 評 議 員 に 推 す 。 快
金
諾。
曇
四月六日 木
契 約 に付 幹 事 を 戒 む 。 玄 蕃 よ り 金 の調 達 調 ふ と 電 話 す 。
財局顧問︺参 会 す 。 後 金 谷 ︹ 範三、陸軍大将、軍事参議官︺を 見 舞 ふ 。
十時回向院套堂起工式、伊東忠太 ︹ 工学︺博 士 ︹ 帝国学士院会員、営繕官
四月 一日 土
︹ 欄外︺孝 治 目出 度 卒 業 、 優 等 。 義 彦 、 春 造 を 呼 び 小 宴 。
午 前 山 本 家 吊 訪 。伯 病 む。同 情 に 不堪 。 夕 、 通 夜 に趣 く 。
午 前 景 岳 会 評 議 員会 了 て 、 飛島 文 吉 を 訪 問す 。 不在 。 名 刺 を 残 す 。
次独り秀也。
午 後 岩 倉 具 視 公 之 劇 に下 郷 の招 待 を 受 け 、 東 伏 見 宮 妃 殿 下 並 に 御
曇
四月七日 金
景 岳 会︱
午 前 歯 科 学 校 に て受 療 速 捻 。
出 金 の件 。
午 前 浜 中 来 る 。 原 田 の使 に書 を渡 す 。
四月 二日 日 晴 ︹ 欠︺ 夕 散 歩 、 九 段□ 館 。
四月 八日 土
曇
親 戚 一同 並 に下 郷 親 族 大 多 数 参 会 、 歌 舞 伎 を 見 る 。 技 拙 也 。 左 団
山本伯夫人葬儀参列す。 暖
千坂を訪問す。
晴
賢所参内。
四月九日 日 雨 寒 ︹ 長︺ 黒 田、 永 嶺 結 納 。 午 後 松 山 夫 人 、 古 市 及 久 野 家 令 来 り 以 上 の報 告
月
関根大佐来り重要報告を為す。
四月 三日
岸 科 政 雄 来 る 。 息 子 の事 也 。
を為す。 雨
黒 田侯 大 満 悦 と 之 事 。
火
四月 四日
村 松 大 に評 判 良 し 。
午 前 小 笠 原 を 訪 問 、 套 堂 竣 工式 に元 帥 の来 臨 を 相 談 、 同 意 す 。
小雨
藤 井 実 、 今 立 裕 、 福 田 に契 約 書 の調 印 を 為 す 。 刑 部 ︹ 斉、主計中将、
四月十日 月
︹ 欄外︺ 桜 不 咲 。
奥 寿 来 る。 碑 文 を 頼 ま る 。 護 国 聯 盟 顧 問 を 断 る 。奥 賛 成 す。 夕 、 九 段 に○ を 与 ふ 。 浜中来る。 ︹ 長︺ 松山 ︹ 茂︺中 将 ︹ 航空本部長︺従 弟 と 共 に 来 る 。 永 嶺少 佐 の為 也 。
予備︺来 り 三 笠
( 八 月 十 日) 血 染 之 海 図 に跋 を 頼 み 来 る 。 上 野 航
大 の輸 出 を為 し 、高 速 飛行 の計 画 あ るを 告 ぐ 。 明 十 七 日海 軍 巨 頭
に 報告 す と 。斎 田某 主 関係 な り 。
古 市少 将 夫妻 、 桜井 省 三氏 来 る。 不在 。
海長之保存也。
四月十七日 月
曇
四月十 一日 火
寒気。
寒
午 前 十 一時 水 交 社 、 級 会 、 夫 婦 揃 大 に快 会 也 し 。
慈 恵事 務 長 に 答 礼 ( 五 郎 の 為)。
半晴
語 る 。何 れ も執 念 深 し。
午 後 山本 英 輔 氏 来 り 亦 又山 下 の縁 談 申 込 に付 志 賀 子 の悪 口云 々を
帰宅後鰻之件。
後、野間 口 ︹ 兼雄、大将、予備︺を 答 訪 す 。
四月十 八日 火
半 晴 雨 午 後 大 也
孝 治帰宅す。
千 代 と 下高 井 戸 富 美 栄 を 訪 ふ 。 桜 狩 り 後 稲 田 堤 に 行 き 京 王 閣 に て
四月十 二日 水
午 前 軍参 会 議 、 永 野 ︹ 修身、中将︺報 告 。
富 美 栄 大 に歓 迎 す 。
食事す。清快。
晴
黒田侯に答訪す。 四月十 三日 木
山 下中 佐 来 り 経 済 会 議 を 憂 慮 す 。 ︹ 八︺ 松 下権 吉 来 る。
晴
千代と上野に散歩、天民に行く。
四月十 九日 水
晴 ( 半)
四月十 四日
夕 、 寺 尾 兄 弟 来 る。
竹 内来 る 。有 望 なり と 。
浜中来る。
池 松 来 る 。 石 井 之事 を 話す 。
金
午 前 九 時 津 上 製 作 を 見 、 栖 鳳 に て 馳 走 に な る 。 孝 治 、 副 官 を伴 ふ 。
四月十 五日 土
松 山 中 将 来 り 、 中 島 信 一の件 に付 伊 藤 利 三 郎 大 佐 ︹ 軍令部第 一一課
晴
岸 科 大 に斡 旋 す 。
孝 治 任 官 、参 内 、 横 須 賀 に行 く 。
雨
秋 沢 三郎 結 婚 式 ( 桜 井 浜 江 と )、 目黒 邸 に行 く 。 媒 酌 。 大 に 快 也 。
四月 二十日 木
長︺に 取 調 を 依 頼 す 。
四月十六日 日
久 富 来 る。 豊 田電 話 、 明 日来 れ と 答 ふ 。
観桜御苑御取止め。
午前出省、部長殿下と大臣に出張報告後、東郷元帥を見舞ふ。
雨
沢 山 の 土産
( 手 製 料 理) を 貰 ふ。
福 島 縫次 郎告 別 。
千 代 と 飛 鳥山 、 上 野 に 花見 す 。
花曇
関 根 、 藤 井 来 り 、 日高 のイ リ ヂ ウ ム 鉱を ﹁モ ル ガ ン﹂ が 採 掘 、 莫
山 本 英 輔 大 将 写 真 を 還 へし に 来 る 。
低 気 圧去 り 天候 稍 々恢 復 す 。
四月二十 六日 水
四月 二十 一日 金
快 晴 と な り 十 一時 半 頃 名 瀬 着 。
四月 二十 七日 木
颱 風東 北 に去 る 。
半晴
福井更生会女史来る。
有終会 総会、寺島 ︹ 健︺軍 務 局 長 ︹ 中将︺の 講 演 を 聞 く。 食 事 に於
上 陸歓 迎 を 受 く 。
午 前 八 時 那 覇 着 。楢 原 館 に 小 憩 。 直 に 与 奈 原 に 至 り 金 剛 に 乗 艦 す 。 ︹ 里︺ 水野中佐同行。途中尚侯爵を訪ひ、首理城を見る。
晴
晴
て 予挨 拶 、 過 去 の礼 を 述 ぶ 。 山 地 ︹一善、中将、予備︺不 相 変 駄 弁 を
晴 冷
弄し冷かさる。
午 後 二時 発 那 覇 に向 ふ 。 海 上 晴 、 但 長 涛 あ り 。
各殿下に伺候。高松宮、伏見若宮、久邇宮 ︹ 朝融王、少佐︺1F 2F訪 問。
四月 二十 八日 金
新 島 母 堂 逝 去 、 菓 子 を 供 へ吊 訪 す 。
夕 、 志 摩 中 佐 を 招 き食 事 を共 に す。
同上答礼す。
四月 二十二日 土 午後 大 雨 雷鳴 後 晴 る ︹ 嶋︺ 島田 ︹ 繁太郎、少将、軍令部︺ 一班 長 来 訪 、大 本 営 条 例 改 正 の報 告 を 為 す 。
孝治帰宅。
晴
金 沢 の池 田 某書 の 礼 に来 る。 春 造 関係 也 。
四月 二十九日 土
四月二十 三日 日
午 前 小笠 原 を訪 問 す。 西 田税 に会 ふ。 但 し 語 ら ず 。
加賀にて奉祝。
八 時射 撃 、〓 垂 直急 降 下練 習 、利 根 爆 撃 予行 。
晴
︹ 欄外︺波 の 上神 社 に参 拝 。
新 島 母堂 告 別式 。 四月 二十 四日 月
四月三十日 日
晴
戦 技 視 察 之 為 燕 に て大 阪 へ。 甲 子 園 ホ テ ル泊 。
陸奥 に て 遙拝 式 。利 根 爆 撃 を 見 る。 午 後 内 藤 大 尉 の三 機 二 五〇 キ
南 風 強烈
井 上 の歓 迎 を 受 く 。 富 田屋 来 る 。
ロ六発 に て爆 沈 す。 内 命 中 弾 一、 水 中 弾 若 干 。 3S の射 撃 命 中 十 三 発 ( 発 弾 一八〇 )。
曇
午 前 芦 屋 に。
〓 六機 不 時 着 せ し も 一機 を 沈 め 他 は油 之 補 給 を 得 て帰 覇 す 。 ( 以
四月 二十 五日 火
満 佐 夫 を 愛 し 、 正 午 台 中 丸 に て那 覇 に 向 ふ 。 水 野 ︹ 準一 ︺中 佐 同行 。
上 は 二 日 1S之 射 撃 之 日な り 、 誤 )
五月 一日 月
晴 静 波 長 涛
︹ 欄外︺ 八 十 %命 中自 信 。
本夜低気圧船北を通過し動揺大、大阪出水山崩れ。 颱風発生大に警戒。 神戸福井県人会より電あり。
五月六日 土
晴
午 前 十 時 頃 名 瀬 着 。 出 迎 壮 也 。 此 日熊 本師 一留 大 隊 来着 、演 習 を
快 晴 日 本 晴
十 一時 発 鹿 児 島 に 向 ふ 。
為す。
二 十 二駆 之 射 撃 及 雷射 を 見 る 。
晴 雨 強 風
木 幡 行 司令 □□ 喜 ぶ。 五月 二日 火
五月七日 日
海上殊に静。
1S戦 射 、 濛 気 あ り し も各 艦美 事 なり 。 さす が に艦 隊 之 骨 幹 と 喜 ぶ 。 但 し 射 程 一万 八 千︱ 二 万 三 千位 。
絶 気 爽 快 。 午 後 四時 十 五 分 別 府 着 。
七 ・十 三 分 発 日豊 線 に て別 府 に 向 ふ 。 新 緑 し たゝ る 如 し 。 風 景佳
︹ママ︺
部 長 来 る。
午前 六時鹿児島 着。伊知地 ︹ 四郎、機関︺少 将 ︹ 予備︺出 迎 ふ 。 内 務
金剛之間接射撃良好。
雨
〓 六 機 不 時 着 。 主 力艦 随 伴之 必 要を 認 む。 五月三日 水 4S之 射 撃 日 な り し も 天 候 之為 見 合 せ 。 小林 ︹ 義治︺大 佐 の射 撃 盤 を 見 、 其巧 妙 に驚 く 。
五月 八日 月
米 屋 に 投 宿 。 鳴 海 の大 歓 迎 を 受 。 女 将 病 気 重 き に同 情 す 。
す )。 〓全 部
鳴 海 よ り 大 鯛 一貫 五 六 百 匁 のも の 二尾 を 贈 る 。
て大 阪 へ。
浦 川 病 院 に傷 病 者 を 見 舞 ひ 、 再 び 鳴 海 に 行 き 謝 礼 し 、 六 時 □ 丸 に
晴
五月四日 木
総 平 均 四 〇 % 。 中 に 四 六 発 四 六命 中 と 云 ふ妙 技 あ り 。
晴
美 事 の 快 晴 。 加 賀 飛 行 機 に て那 覇 〓基 地 小 録 に 着 陸 ( 金剛 を辞
風 月 に泊 。 小 林 、 末 次 、 井 上、 有 地 ︹ 藤三郎、男爵、造兵大佐、貴族院議
五月九日 火
生田 ︹ 定之︺昭 和 銀 行 頭 取 夫 婦 同 乗 、 快 談 す 。 昭 水 理 学 士 も あ り 。
( 鳳 翔 、 加 賀) 之 戦 技を 見 、 進 歩 之 大 に 驚 く 。 命 中
員︺を 招 き 痛 飲 。 後 井 野 ︹ 次郎、沖縄県︺知 事 等 も 加 り 大 盛 会 。 大 西
晴
と 〓青 年 士 官 会 に 行 き 快 飲 す 。
他 は井 上 と 尼 野 へ。 大 阪 ホ テ ルに 小 憩 、 寛 一と 天 ぷ 羅 に 快 談 す 。
午 後 一時 天保 山 着 、 宗 像 父 子 之 出 迎 を 受 け同 家 訪 問 、 大 鯛 を 贈 る 。
午 後 九 ・ 一五発 、 駅 に て見 送 り 壮 々也 。
半 晴 静 波
五月 五日 金
午前九時帰京。
︹ 欄外︺久 邇 宮 始 め て御 上 陸 。
正 午 知 事 の馳 走 。 ︹ 里︺ 午 後 四時 首 理 丸 に て那 覇 発 。 知 事 見 送 る 。 酔 て 眠 る 。
午 後 大 雷 雨。
晴
海上静快。
五月十 日 水
佐波 ︹ 次郎︺機 中 佐 、 佐 藤 録 少 佐同 乗 。
五月十 一日 木
晴
カト リ ツ ク僧 一人 あ り 。
共 に援 助 を諾 す 。
午 後岸 科 に 迎 へら れ て大 森︱
に津 上 と 会 同 、 後 藤 ︹ 文夫︺農 相 と
永 井 、 飛島 と 談 合 。
大 臣 、 次 官 、 次 長 に謝 訪 す 。
日記 者 を 山 本 英 輔 に紹 介 す 。
五月十 七日 水 午 後 小 雨 ︹ 敷︺ 国 技館 下 郷桟 式 に招 か る。 千 代 、 実 、 浜 口同 行 。
午 後 訪 問 者 多 し 。 豊 田、 石 川 、 新 聞 記 者 二名 。 大 毎 の サ ンデ ー毎
原 田正 来 る。
午 前 八時 頃後 藤 農 相 来 訪 、 津 上 の公 共 事 業 に支 援 を 頼 む 。 諾 。 後
殿 下御 帰 京 。 元帥 同 上 。
平泉より電話あり。回向院石碑移動を決裁す。 五月十 二日 金
三 井南 条 と電 話 し略 ぼ同 意 を 受 く 。 津 上 研 究 の為 三 井 資 本 に 入 る
晴
小 林 少 将 より 政 変 来 を 報 ず 。
も 研究 を 妨 げ ざ ら ん事 也 。
永 井来 信 、 飛島 の快 諾 を 報 ず 。
今 立 裕 来 り て矢 板 玄 蕃 之 窮 状 を 報 ず 。 依 り て ︹ 以下欠︺ 。
五月十 八日 木
千 代 と 幸 鮨 へ。 夕 、 藤 井 来 る 。 五月十 三日 土
曇
伊 藤 利 三郎 氏 来 る。 川 口来 る 。 鯛 を 贈 る 。
水 路部 落 成 に付 部 長 殿 下、 親 任 官 臨 場 視 察 。
晴
の局長以上、大臣、次 長、次官 ( 政 務 官 )、 参 与 官 及 予 と 山本 英
藤 山雷太 ︹ 貴族院議員、千代田信託取締役会長︺よ り 歓 迎 会 に招 か る。 省
軍事 参 議 官 会 議 、御 陪 食 。 ︹ 尾︺ 小野 ︹ 実信︺陸 大 将黒 田家 使 者 と し て来 訪 。 媒 酌 を 頼 ま る 。 快 諾 。
所社長、満鉄理事︺に書 信 。
岡 野 俊 之 、 今 立 、 作 間 来 る 。 作 間 の為 伍 堂 ︹ 卓雄、造兵中将、昭和製鋼
五月十九 日 金
輔大将。
五月十 四日 日
松 尾忠 二郎 播 磨 造 船 社 長来 り 快 談 二時 余 。
実、孝治帰宅。実友人少尉来り泊す。
実 、 仁 、 富 美 栄 、 浜 中 父 子 と 川 口に 招 か れ 、 東 劇 に 無 敵 艦 隊 を 見
午 後 東 郷 元帥 を 見 舞 ひ戦 技 を 報 告 、 大 に 喜 ば る 。 対 蘇 は 慎 重 な れ
夕 、奥 名 に招 か れ千 代 と 同 行 す 。
曇
る。 大 に面 白 し 。 俵 藤 主 事 大 に歓 迎 す 。 辰 巳 、 島 田 ︹ 正吾︺に握 手
晴
す。
と云はる。
五月十 五日 月
五月二十日 土
半晴
竹 内 来 る。
伏 見宮 殿 下 園遊 会 、 盛 大 。 殿 下御 機 嫌 殊 に麗 は し。
曇 後 快 晴 小 暑
千 住 回 向 院 に景 岳 会 協 議 、 石 碑 大 移 動 に 決 す 。
曇
永 井 、 飛 島 に再 要 求 、 五万 円 を 頼 む ( 計 飛 島 三 千 円 也)。 五月十 六日 火
実 と散 歩 。
竹 内来 り苦 衷 を 述 ぶ。
館 )。
五月 二十 一日 日
五月 二十六日 金
首 相 興津 に行 く 。
景岳 先生 套 堂記 を 書 す 。 史 料 編 纂 稲 葉 キ ヨ の手 本 を 写 す 。
山下与平に揮毫を認む。
曇
真 崎 大佐 来 り快 談 す。
聖上陛下行幸、大盛会、東郷元帥来会せらる。
五月 二十七日 土
半 晴 時 に 日 光 午 後 快晴
五月 二十二日 月
東 京 過 去 に見 ざ る海 軍 デー な り し 。 国 旗 を 掲 揚 。 海 軍協 会 に首 相
半晴
套 堂 記 之事 に 付 平 泉と 交 渉、 飛島 の名 を 加 ふ る事 に付 艱 む 。
套 堂 記 埋 置 の分 を 原 文 のまゝ 套 堂表 面 を 予 の方 針 に定 め飛 島 の名
演説す。
雨
を記入する事に平泉同意す。
晴
日露 協 会 評 議 員 会 。
五月二十 八日 日
孝 治 、 実 共 に在 宅 す 。
︹ 春 一、主計少将︺新 経 理 局 長 来 訪 。 森 猛 熊 、 原 田正 来 訪 、 套 堂 書 を
満 洲 国 公 使 丁 士 源 来 訪 す 。加 藤 亮 一 ︹ 主計中将、前経理局長︺、 村 上
上 海 陸 戦 隊東 京 行 進 、 靖 国 神 社 参 拝 、 壮 観 、 市 民 喜 ぶ 。
上 野書 展 を 見 、安 保 に会 ふ。
晴
五月 二十 三日 火
孝治、実帰横す。
渡 す 。 福 井 倶 楽 部 に欠 席 す 。
五月 二十九日 月
夕、江 口 ︹ 鱗六、中将、予備︺外 級 員 四名 来 り快 談 す。 小食 を 準 備 す 。
晴
出来。
午 前 刑 部 少 将 来 り 黄 海 々戦 血 染 之 海 図 に移 せ る 予 の跋 を 示 す 。 上
藤 井 、 松 下 来 訪 、 海 戦 と 上 海 戦 図 及 聯 合 艦 隊解 散 の辞
( 藤 井 へ)
元 帥 の讃 と 天 地 に 入 り光 栄 無 上。
を与ふ。 山崎貞直父子来る。
午 後 丁 士 源答 礼 。東 京 会館 同 上歓 迎会 に臨 む 。
原 田紹 介 の木 彫 師 伊 東 え 贈 物 之 模 型 を 持 参 す 。
函 館 三 島 の双 屏 風 之 字 十 二枚 を浜 中 に托 し鉄 道 便 に て送 る。 五月 二十四日 水
五月 三十日 火
曇
日露 協 会 事 務 所 にて 天 羽 、 緒 方 、 西 の為 め 支 那料 理。
伍 堂 令 嬢 結 婚 式 に招 か る。
晴
夜 花 園 町 交 番 に て失 策 。
午前 、古 市 夫 人来 訪 。
末 次 来 る。 大 西少 佐 より ﹁ハム﹂ を 貰 ふ 。
晴
実 来 る。
五月 二十 五日 木
水難救済会総会、伏見宮殿下御総裁台臨、予と大角臨席す ( 国技
午 前 十 時 露新 大 使 と 海 相 官 邸 に会 見 す 。
五月三十 一日 水
正 午 殿 下 御 召 、 ﹁テ ー ラ ー﹂ ( 米)午餐、高橋代行。
らる。
午 前 十 時 千 代 と 黒 田 侯 爵家 に 祝物 を 持参 す 。幸 子嬢 直 に答 礼 に来
晴
右 後 殿 下 に伺 候 、陸 軍問 題 御 憂 慮 。
此 日 日 露協 会 に て 田 中清 次 郎 と 会 見 ( 正 午 )、 蘇 関 係 に付 語 る。
︹マ マ︺
午 後 上 野 博 に千 代 と 同 行 す 。
夕 、慈 恵 大学 父 兄会 、 芝 賀 叙 園 に行 き 、 金 杉 校 長 の為 父 母 代 表 一
晴
日支 停 戦 協 定 成 る ( 午 前 十 一時 )。 六月 一日 木
︹ 欄外︺ ( 佐 々木 革 次 ︹ 大佐、予備、中島飛行機取締役︺来 り 津 上 に 付
言 す。
六月 六日 火
晴
伏見宮殿下御弟宮薨去。謹吊之為伺候 ( 中 野)。
石 原 同 行 鈴 木 主 税 孫 及同 親 類 一名 来 る 。
伏 見 宮 博 邦 王 御 葬 儀 、 護 国 寺 に参 列 す 。 小 笠 原 長 生委 員 た り 。
六月 二日 金
葉若秀雄、今立裕来る ( 四 日 を 約す )。
金 谷 範 三 大 将 昨 午 後 九 時 卒 去 、 六 十 一。 右 に付 今夕 通夜 す。 河合
午後 九時御通夜、財部、安保、百武、川島 ︹ 義之、陸軍中将、朝鮮軍司
午 後 中 野伏 見 宮 御 弟 宮 崩 御 に付 御 吊 問 。
汽 車 に て 八 ・二 五 発平 塚 行 、 午 後 三時 帰 京 。
藤 山 雷 太 園 遊 会 、 ﹁テー ラー﹂ 之 為 め也 。小 時 出席 す 。 伍 賀 ︹ 啓次
六月七日 水
山 下知 彦 来 り 政 変 云 々 、末 次 推 挙 を 頼 み来 る。
修学習業。
阿部高女より写真来る。
晴
葉 若 と 夕食 を 共 に し後 彼 は帰 る 。
︹ 操、陸軍︺大 将 ( 枢 顧) 大 に謝 す 。余 も 倫敦 会 議 之 謝 意 を 含 む。
注 意 す 。 直 に岸 科 を 呼 ぶ )。
晴
令官︺等 と 同 列 。
郎、大佐、軍令部先任副官︺よ り 藤 井 の件 聴 取 。 清 濁 併 呑 の要 あ り 。
六月三日 土
平塚化学研究所之毒瓦斯製作に感ず。
六月四日 日
伏見大将宮御出勤。
六月 八日 木
曇 午 後 より 小 雨
葉若、井上成美 ︹ 大佐、軍務局第 一課長︺と 満 洲 之 約を 得 て帰 阪 す。
今 立 、 原 田 と 套 堂 と 予算 に付 相 談す 。
午 後 福 井 市 立 商 業 学 校 長 田 巻 政 憲 代 理 同 校 教 諭 長 尾 陽太 郎 来 、 揮
午 前 十 一時 出 勤 。 部 長 宮 殿 下 へ吊 詞 を申 上 ぐ 。坂 井 一意 来 る。
晴
︹ 二︺
曇
熊 谷 三 太 郎 二百 円 を 寄 附 す 。 原 田持 参 、小 切 手 。 今 立 に近 藤 の 三
毫 之 礼 と し て 羽 布 重 一反 を 贈 る 。 直 に 礼 状 出 す 。
快晴
百円を渡す。
六月九日 金 晴
右 に 対 し芦 屋 及筑 土 八幡 へ礼 状 を 出 す 。 六月 五日 月
縮像を贈らる。
馬 淵 聾 唖 学 校 之 為 元 帥 書 を 依 嘱 す 。快 諾 。 小笠 原 予 に千 手 観 音 の
午 後 一時 金 谷 総 長 葬 儀 ( 青 山) に会 す 。午 後 三時 小 笠 原 を 訪 問 し 、
関 根 よ り 藤 井 の醜 聞 を 聴 く 。
正午末 広会。 ( 現 代 ) に浜 口重 雄僣 越 な る 予 の 批 評 を 掲 ぐ 。 彼 は
千 代 、 村 松 を 訪 ひ祝 物 を 贈 る ( 結 婚)。
肩 こり 甚 し 。
六月十 三日 火
レ ニ エ フ﹂ ︹ ソ連特命全権大使︺と 共 に態 度落 付 かず 。
米 探 た り し 人 物 也 。 夕 、 古 市 少 将 来 る。 豊 田 貞 次 郎 ︹ 少将、広工廠
晴
仁と銀座千疋屋 ( 伊 東 屋 下) に 行 く 。
長︺再 び 御 機 嫌 伺 ひ に来 る 。 六月十 四日 水
晴
歯 科 学 校 へ。
六月十日 土
を贈。
下 郷妙 子 来 訪 。
後止む
村花少時来訪、結婚式に付。
高 橋 次 長 来 訪 、 元帥 問 題 に付 大 角 考 慮 す と 告 ぐ 。 又 非 常 時 部 長 の
六月十 五日 木
午前小雨
横防水雷長より真崎に電話取次。
午 前 歯 科 学 校 へ。 帰 途 福 田市 太 郎方 を 訪 ひ 元 帥色 紙 ﹁ 奮励偏勉﹂
孝治帰宅、砲校教官に不平あり、依て左内訓を以て戒む。
下 郷伝 平 来訪 、 北海 道 出 張 之 為 め 久濶 を 述 べに 来 る。
曇
六月十 一日 日
岸 科 政雄 来り 佐 々木 革 次 並 に藤 田 に会 見 之 結 果 を 報 ず 。
細雨
再任 を 求 む。
孝 治 に左 内 先 生 守 訓 ( 村 田 祖 父 に 与 へた る も の) を 書 き 与 ふ 。
晴
歯科。
午 後 一時 より 回 向 院 套 堂 碑 復 旧 、 銅 版 埋 設 、 岡 田 、 島 田 、 志 賀 、
六月十六日 金
松 山 茂 夫 夫 人案 内す 。
細雨
福 田、 矢 板 、 今 立 、 沢 田、 原 田立 会 ふ 。 永 井 は 息 女 病 気 之 為 不参 。
六月十七日 土
入梅 気 味
夕刻帰宅 。
午 後 小 止 みと な り千 代 古 市 宅 に行 く 。 午 後 豊 田 ( 千葉)来る。 ︹ 長︺ 三 ・三 〇 よ り 尾 野大 将 及荻 窪 永 嶺 の新 宅 に答 礼 し、 母 堂 に会 ふ 。
六月十 二日 月
歯科全治。
晴
歯 科学 校 へ。 矢 板 に書 信 。 套 堂 落 成 式 。
午後羽仁 ︹ 三郎、陸軍︺少 将 ︹ 予備︺葬 儀 に 弔文 を 読 む。
奥 寿 電 話 面会 を 求 む 。 午 後 八時 と 答 へし も 来 ら ず 。
英 帝経 済 会 議 に演 説 す 。
孝治来る。大に機嫌良し。 午前曇
晴
横 須賀 市 長 三 上文 吉 、馬 淵 、 大 井 鉄 丸 、 鈴 木 県 会 議 長 来 訪 、 土 地
︹ 入︺
交 換後 の 不況 に 付助 成 金 の哀 訴 を 為 す 。
六月十八日 日
後晴
日 蘇 協 会 総 会 、 閑 院 宮 令 旨 、 了 て 御 茶 を 給 ふ。 首 相 出 席 、 ﹁ユー
午 前 九 時 発 黒 田 侯爵 家 へ千代 は幸 子姫 と 同行 、 予 は先 発 水 交 社 へ、
午 前 海晏 寺 墓 参 、 供 養 。
六月 二十 三日 金
六月十 九日 月
六月 二十四日 土
黒田侯大悦にて予に礼を云はる。
鮮魚を贈る。十二、三円。
小 雨 入 梅 天 気
十 時半 式 、 了 て 昼食 。午 後 茶 会 。 夕 、晩 餐 、 披 露 に演 説 。 井 上 哲
午 後 今 立 裕 来 る 。 黒 田 侯 邸 に て 長 嶺幸 子 里 開き 。古 市 と 両 人 に て
黒田長和男 ︹ 貴族院議員︺昨 日之 礼 に来 る。
長 嶺 母 堂 帰 国 に 付 千 代 見 送 り 、 つむぎ 一反を 贈 る。 午 後 長 嶺 新 夫
晴
次郎 ︹ 東京帝国大学名誉教授︺其 他 大 に喜 ぶ。
杉 山 、岩 永 八之 丞、 古 市 少 将 来 訪 、 礼 。
婦来訪。
午後 晴 暑
松 下権 八来 り 藤 井 の素 行 を 歎 ず 。
午 後 三時 歯 科 学 校 、 竹 花 に感 状 写 と 三笠 の血 染 海 図跋 を 送 る 。
六月 二十日 火
礼 装 、赤 坂 御 所 に拝 賀 、 酒饌 を 賜 ふ。 午 後 古 市 夫 婦 ( 少将)来る。
六月二十 五日 日
法 の食 事 を 学 ぶ 。帰 途自 働 車 に て 送ら る。
夕 、 上 馬 磯 野 宗 匠邸 に て吉 田孟 子之 懇 篤 な る招 待 あ り 。 日本 式 作
松 山 夫 人 、 長 嶺 母堂 来 訪 、 媒 酌 礼 、 ( 三越五〇)贈らる。
晴 暑
法相官 邸談話会、半沢玉城 ︹ 著述業︺の満 洲 談 を 聞 く 。 陸 軍少 壮 士
夕 、散 歩 。
山 口多 聞 大佐 ︹ 海軍大学校教官︺来 る。 軍 縮 之 決 意 に 付 相 談 す 。
官 の意 気 荒 く 内 地 の想 像 以 上 、 政 治 機 関 を 設 け 審 議会 と し て 中 央
孝治帰横す。
暑 晴
晴 暑
より 確 乎 た る政 治 方 策 を 示 さ ね ば な ら ぬ 、 日本 人 も 満 洲 人 も 怨嗟
六月二十 六日 月
す と 。 利 権 は 予 備 軍 人 へと 云 ふ 声 高 し 。 安 保 同 席 。 進ん で い
三土 ︹ 忠造、鉄道大臣︺、中島 に 景岳 先生 套 堂 竣 工式 に参 拝 を 約 せし む 。
︹ 欄外︺ 陸 軍 の態 度 は 満 洲 之 併 合 に 向 つて だ ん〓
蘇 ク レ ツト ニイ 帰 国 に付 告 別 に 来 る。 予 に親 を 持 是 非 暇 乞 し た し
原 田 に 電話 、 矢 板 之 緩 慢 を 怒 る。
六月 二十 一日 水
と 語 る。 彼 れ 七 十 以 上 老 夫 婦 の 一人 息 に し て洋 に 稀 な る 孝 心 者 な
る。
太 田耕 造 ︹ 弁護士︺紹 介 の 元樺 太 石 油 薄 井 久 男 来 り 大 に中 里 社 長 の
り。 ﹁ キ ー エフ﹂ に帰 り 将 来 日本 研 究 の指 導 者 た ら ん と す と 。
晴
非を鳴らす。
午 前 原 田 、 上 木 来 り 、 鶏 の木 彫 置物 届く 。 五十 円宛 二組 也 。 浜 中
六月 二十 二日 木
本 日暑 気 甚 し 。
努むと。
原 田急 速 幹 事 会 を 開 き 七 月 一日 決 行 に 決 す と 報 ず 。 平 泉 斡 旋 大 に
雨
来る。
六月 二十七日 火
晴 酷 似 暑
午後永井環 ︹ 地方技師︺令 嬢告 別 、 伝通 院 に行 く 。
陶 器 蝉 の花 瓶 持 参 預 る 。 亀 田 忠 直 な る 者也 。
平 泉 よ り 書 面 落 手 。 飛 島 と 山 条 に書 面 を出 す 。伊 東 へ謝 礼 の他 半
日 中 九 十 二 度 。 矢 板 と 稍 く連 絡 す。
夕 、 東 洋 軒 に伊 東忠 太 、 黒 板 勝 美 博 士 ︹ 東京帝国大学文学部教授︺を 招
大盛会。約百人集り奉告祭を行ふ。
相 、 岡 田大 将 、 香 坂 府 知事 、警 視 総 監 、 山 条 ︹ 山本条太郎︺等 来 会 、
明 二 日 又 明后 三 日再 行 と 云 ふ が明 答 せず 。
き 記念 品 を 贈 り 且 つ礼 を 云 ふ。 中 島 ︹ 知久平︺商 相 約 を 変 じ来 ら ず 。 半晴
日露 協 会 晩 餐 。 六月 二十 八日 水
浜 中に三土、中島、香坂 知事、警視総監 ︹ 藤沼庄平︺ へ回 向 院套 堂
揮 毫 。 永 井 昨 日 之 成 功 を喜 ぶ 。
酷暑。
七月二日 日
晴 暑気 甚
竣 工式 案 内 状 を 頼 む 。
七月三日 月
︹ 欄外︺ 大 成 功 。
小 笠 原 子爵 来 訪 、先 日 の魚 之 礼 を 尽 さ る。 元 帥 も 魚 を 好 ま る と 。
早 朝 小 笠 原 に 色 紙 を 持 参 す 。 忠 之 説 を書 す 。 午 後 六時 花 谷 に招 か
在 宅 。 原 田よ り 電 話 。
揮 毫 を 求 め ら る 。 恐縮 々 々。
七月 四日 火
六月 三十日 金
福田 ( 無線 ) に書 を 与 ふ 。高 橋 次 長来 訪 。
夕 、海 相 晩 餐 。
津田 ︹ 静枝、少将、旅順要港部司令官︺帰 京 凱 旋 、 東 京 駅 差 別 待 遇 を 為 。
稍 冷 梅 雨
る。 小 山 主 人 、 平 沼 と 野 村 同 席 す 。
曇 稍 冷
六月 二十九日 木 晴 暑 ︹ 次︺ 薩摩雄治 ︹ 国民新聞社社員︺友 人 中 島得 乗 来 り 予 の所 感 を 求 む 。 絶 対
原 田来 り 大 に 一日 の準 備 を 語 る。
進木 ( 佐藤 国 司 の友 人) 来 り 、筆 を贈 る 。
晴
竹 内 賀 久 治 来 る。 ︹ 次) 薩 摩 雄 治 紹 介 の〓 国 会 員 ? 三名 来 訪 、予 の徹 底 的 意 見 に 深 感 し 己
水野了石来る。
︹マ マ ︺
に断 。 彼 等 三 人〓 前 、 大 に 悟 つた と 。
の 非を 認 めた か 図星 を 突 か れた か し て恐 惶 逃 げ 帰 る。 署 名 も 何 も
平 ホ テ ル。
宗 像 夫 人 来 り 主 人 の病 気 な り し を 報ず 。 依 て 浜 口と 共 に見 舞 。万
小笠 原 の使 来 る。 色 紙 に印 を 捺 す 。
せず。 七月 一日 土
晴 暑
午 前 七 ・三 〇 今 立 裕 ︹ 来︺り 大 に矢 板 等 の心 配 を 告 ぐ 。 好 意 謝 す
七月 五日 水
晴 午 後 よ り 暑 気
正午 軍令 部 長 宮 殿 下御 召 。 津 田少 将 之 為 霞 ケ 関 離 宮 、 閑 院 参 謀 総
︹ 欄外︺次 長来 る 。
竹屋春光 ︹ 子爵︺氏 来 り 磯 野 の事 を 頼 む 。
べし 。
午後 二時回向 院套堂竣 工式、松 平康昌 ︹ 侯爵、貴族院議員︺、 三 土 鉄
軍事 参 議 官 宮中 会 議 、 特 命 検 閲 。
七月十日 月
晴
長宮 殿 下御 台 臨 、 種 々御 語 葉 を 給 はる 。
︹ママ ︺
満 蘇 鉄 道 問 題 尖 鋭 化 す 。 開 き 六 億 五千 万 円 と 五 千 万 円 と の差 。
夕 、 琴 平神 社 へ千 代 と 参 詣 す 。
千 代 海 晏寺 へ。 に中元を贈る。
︹ 欠︺
日露 協 会 晩 餐 会 。 蘇 大 使 並 に鉄 道 代 表 を 招 く 。 黒 田家 より 中 元。 下郷 、 保 科 、 奥 寿 書 を 頼 む 。□
高 橋 と 海 相 折衝 、第 二次 良 好 。 七月十 一日 火
小 雨 暑
熱海 森 某 より 干魚 を 贈 る。 熊 崎 、 メ ロ ン。 七月六日 木
の 礼 と し て 送り 来 る。
紀 尾 井 町 殿 下 へ伺 候 。 人事 、 統 帥 権 に付 御 参 考 に申 上 ぐ 。 わ ざ わ
午 後 黒 田侯 家令 来 り 、午 前 矢 板 来 る。 長 刀 一振 、 縮 緬 一疋 を 媒 酌
ざ 良 く来 て 呉 れ たと 御 沙 汰 。
松 下権 八中 元を 持 来 る。
今立 と 電話 、 原 田、 福 田 一の謝 礼 を 相 談 す 。
千代 万 平 ホ テ ル に宗 像 を 見 舞 ふ 。
揮毫。
午 前 十時 よ り 秘密 無 線 電 話 及 火 薬 之 報 告 。 午 後 津 田 司 令 官 の報告
七月 七日
山 下 知彦 来 る 。 不 穏 の 形勢 に付 心 配 す 。
養 也。
あ り。
三 時 、 今 立 法会 後 谷 中 緑荘 園 に て支 那料 理 。 本 園 大 に利 用 の価 値
雨 暑 午 後 四時 頃 豪 雨 雷 鳴
を 聞 く 。海 軍省 に て午 餐 、 弁 当 。 ︹ 渉︺ 殿 下 よ り省 部 互商 規 定 に付 御 意 中 を 承 は る。 大 角 に 注 意 を 願 ふ 。
七月 八日 土
ずと軽視す。
本 日 危険 な りと 噂あ り と 云 ふ。 予 は斯 る事 に て大 事 と な る べか ら
仁 、 富美 栄 及富 美 友 人女 子奉 天 に向 け発 、 午 後 九 ・四 五。 良 き 修
今 立 よ り 景岳 会 に付 電話 あ り と 。
午前 特命 検 閲内 議 、 元帥 出 席 。
七月十 二日 水
夕 、 岡 田 来 り矢 板 に付 語 る 。
最新長距離偵察〓に搭乗す。
晴
部 長 宮無 論 御 出席 、 但 し 午 餐 前 御 帰 殿 。 山 本 英 輔 大 将 検 閲 使 た る
横 航 空 隊 及 航空 廠 視察 。
七月九日 日
昨 十 一日 閣 議 を 目 当 、鈴 木某 一団検 挙 せら る 、数 十 名 。
晴 暑 大
べし 。
部 長 殿 下 、 大 臣 、 軍事 参 議 官 外 多 数 。 暑 気 に苦 し む 。
進木 代 表 に書 を 与 ふ 。福 田 の来 宅 を 乞 ひ矢 板 に付 助 言 を 頼 む 。
曇 稍 涼 し 午 後 大 雨
今朝 大慈 雨 、市 民 悦 ぶ。
原 田 来 る 。 大 に 柔 ら ぐ。
七月十三日 木
大暑
次 長 に 用兵 に 関 し 軍 政 の覊 絆 を 忠 告 す 。
平泉 に 警告 、 稍 や感 あ り 。
平泉 に 来訪 を 求 む 。
黒 田 家 へ礼 訪 。夕 、津 田歓 迎会 、 東 洋 軒 。
浜 中 来 る 。 某 人 の為 だ る ま の讃 を 乞 ふ。
高橋に電話す。
午 後 九 ・二五 宗 像 主 人 の病後 帰 西を 送 る 。京 都 に行 く筈 。
福 井 吉 田 郡 松 岡 小 学 校 長 の依 頼 に依 り 揮毫 す 。
り。
七月十七日
七月十 五日 土
七月十九日 水
熟眠す。
奥寿看劇券四枚を送り来る。
︹マ マ ︺
在 宅 。 今 立 よ り 電 話 、 永 井 訪 問 之事 。
晴 暑
蒸暑。次 長、寺島 ︹ 健、海軍省軍務局長︺交 渉 行 艱 む 。 安 保 を 調 停 の
稀なる蒸暑
昨約 に 依 り 平 泉来 訪 、懇 諭 す 。 辞 任 之 件 予 に 一任 す る事 と し 、 英
秘策を寺島考ふと憤慨す。
晴
彦 を 幹事 に加 ふ る事 を約 す 。 ︹ 補︺ 副島 道 正伯 来 り 、太 平洋 会 議 に付 海 軍 より 保 助 を 頼 み来 る。 断 り
本 多 氏 書 の礼 に 来 る 。
月
総 理 秘 書 に話 す事 と す。 夕 、入 間 野 に電 話 す 。
寺 崎 大 尉 次 女 を 保 子 と 命 名 し命 名書 を 与 ふ ( 保科 夫 人来 訪 に付 )。
︹ 欄外︺仁 一行 奉 天着 の電 、 昨 夜 。
今 立 中 元 に来 る 。矢 板 より 例之 件 挨 拶 を 受 く と 。
江 守 清 次 郎 を 経 て 中 村 に 書 を 与 ふ 。 五件 。
晴 暑
山本 伯 を見 舞 ふ。 脳 出血 な り と 。 安 東 と 共 に ﹁サ ンキ スト ﹂ を 送
七月十八日 火
七月十 四日 金
る。 ︹ 欄外︺英 彦 景 岳 会 幹 事 同 意 。
午 前 殿 下 軍 令 部 へ御 召 し 。 午 後 持 永 ︹ 浅治、陸軍憲兵大佐︺東 京 憲 兵
正 午 磯 村 、 向 井 と 日 本 工 業倶 楽 部 に会 合 、参 考 館 之 事 に付 語 る。
晴
隊 長 、 真崎 、久 保 来 り 重 要 報 告 を 為 す 。 別 冊 に詳 記 。
有望。
晴
松 下権 八来 り 八 月十 八 日頃 六百 名 の蹶 起 を 報 ず ?
夕 、 高 橋 次 長 来 り 、 元帥 へ報 告 之件 及 び大 角 態 度 不 鮮明 之 件 に付
︹マ マ︺
に非 定 せ るを 報 ず 。 大 に要 領 を 得 た り 。
夕 、寺本武治 ︹ 少将、出仕︺来 り 学 生 聯 盟 剣 道 大 会 長 に 付 学 生 代 表
大暑
永 井 、 岡 田 来 り 平 泉 、矢 板 、 今 立之 事 に付 語 る。
報 告 、 予 之 注意 に 依 り 直 に 大角 宅 に行 く 。
来 り書 を頼 む 。
半 晴 稍 涼
七月 二十日 木
︹ 欄外︺仁 一行 奉 天 着 。 七月十 六日 日
午 前 横 須 賀 。□
高 橋 次 長 に 鎌 田 を 通 し て 秘親 展 を送 る 。
︹欠︺
高橋 次 長 に電 話 、 明 日 の注 意 ( 夕 七 時 )。
孝 治 帰 宅 、 大 に語 る 。
早朝 敬 義 塾 に 至り 勝 負 を 見 大 に感 ず 。 寺 本 之 一流 見 る べき も のあ
︹ 渉︺ 互商 規 程 尚 ほ停 頓 す 。
軍 令 部 長宮 殿 下横 須賀 4F御 巡視 、 恐懼 感 激 に 不堪 。
七月二十 五日 火
午前 ﹁ 寛 ﹂ 一周 忌 に付 法 要 、 建 塔 式 、 海 晏 寺 最 も 鄭 重 に 行 ふ 。
七月 二十 一日 金
七月 二十六日 水 大 暑 流 汗 淋 漓 ︹ 渉︺ 午 前 大 角 海 相 に 省 部 互 商 改 正 の 労 を謝 す 。
元帥伊東に行かる。
早 朝 小 笠 原 を 訪 ひ 秘事 を 談 ず。
大 暑 且 紅塵 万 丈 戸を 開け 難 し
夕 歌 舞 伎 に行 く 。 千 代 、 須 直 、 直 子 同 伴 。 奥 寿 の案 内 也 。
午後 高 島 屋 海 軍展 覧 会 を 見 る。
殿 下 に拝 謁 、 山 口 三郎 之 事 を 承 は る 。 杉 村 陽 太 郎 ︹ 特命全権公使 ( ス
大 暑 連 日 の最 熱 日
夕 、島 崎 ︹ 利雄︺少 佐 来 り 五 ・ 一五事 件 被 告 に 付 大 に 語 る。
夕 、 田 村 日 々 記者 来 る。
午後 浜 口来 訪 、揮 毫 。
午前 厚木 来 り ﹁ボ ン﹂ を 贈 る。
七月二十 二日 土
午前七時過武藤 ︹ 信義、陸軍︺元 帥 ︹ 関東軍司令官兼特命全権大使兼関東長官︺
七月 二十七日 木
本 日未 経 験 の大 暑 、 頭 重 し 。
せり。
山 田、 英 彦 を呼 び 引 継 之 事 を 語 る 。 平 泉 と 電 話 ( 今 朝 )、 右 快 諾
イス出張)︺講 演 。 午 後 練 習 艦 隊 迎 へ新 島 に 魚 を 祝 ふ。 夕 、 今 立 、
大暑 午 後 驟 雨来 り 涼 を 送 る
大 暑 流 汗 に し た る。
次 長 よ り○ ○ の件 内 定 の報 来 る。 来 る 月曜 日本 極 り 之 由 。
新 京 に て薨 去 。
夕 島 崎 来 る。 軍 法 会 議 公 判 古 賀 の昨 日 の態 度 を 称 揚 す 。
浜中来る。荷物之相談。
散 髪 。 福 田弁 護 士 来 る 。 慰 問 也 。
細 雨 稍 涼
孝治帰宅。
晴又暑大
三 井 清 三 郎 来 る 。 予 の元気 を喜 ぶ 。 七月 二十三日 日
七月 二十 八日 金
在宅。 夕散歩。
五 ・ 一五事 件 公 判 開 始 、 古 賀 ︹ 清志︺は若 槻 ︹ 礼次郎︺と 財部 ︹ 彪︺を
直麿来る。
省 部 交 渉 稍 く 纏 れ る に 付 奥 名 を 経 て 殿 下 へ御 喜 と御 礼 を 申 上 ぐ 。
天 機 奉 伺 、 大 宮 御 所 、 閑 院 、伏 見 宮 。
七月 二十四日 月
菱刈 ︹ 隆、陸軍大将︺武 藤 の代 り と な る 。 新 聞 に 余 の悦 を 見 せ 不 評 。
り 東 洋 の形 勢 一変 せ る を 以 て第 二次 の再 改 定 を 要 せ ず や と 云 ふ 。
第 二次 補 充 計 画 を 為 し 立 てり と 答 へた り と 。 豊 田 は 満 洲 問 題 に よ
豊 田千 葉 舎 監 来 り 不 相 変 の話 を 為 す 。 大 角 と 会 見 の報 告 、 大 角 は
九 ・三〇 武 藤 元 帥 宅 訪 吊 ( 下 落 合 )。
浜 中 に荷 物 八個 を 頼 み 比 叡 に 発 送 す 。
曇 細 雨
父 の御 命 日 を 拝 す 。 最 大 暑 九 十 五度
痛罵す。
︹ 欄外︺孝 治 砲 校 修 業 了 。
六 ・三 〇 P 出 港 、 ﹁サ イ パ ン﹂ に向 ふ。
上 陸 。 大 に 天 然 の良 〓 地 な る に感 ず 。
晴
午 前 八 時 半 ﹁サ イ パ ン﹂ 着 。 風光 佳 。 人 口 二万 以上 、 内 琉 球 人 八
八月三日 木
原 田来 り 三谷 より 絽 を 送 り 来 る。
﹁ 佐 藤 、 東 ﹂。 ○ 福 井藤 島 神 社 宮 司来 り 顧 問 を 頼 む 。 断 る。
分 、 残 日本 人 及 土 人 (チヤ モ ー ル 、 カ ナカ)。 土 人 は従 順 な る も
宣 教 師 に ﹁ミ﹂ せ ら れ 早晩 独 又米 領 と な る と妄 信 す と 。 午 後 上 陸 。
半 晴 但 雨少 し 但 し 酷 暑
地 方 旱魃 に苦 し む。
御 巡 視 に 陪 す 。 〓 場 絶 佳 。 南 洋 興新 会社 の 拝借 地を 利 用 。夕 帰 艦 、
七月 二十九日 土
午 後 二 時 五 〇 横 須賀 に向 ひ、 四時 比 叡 に乗 艦 。 同 四時 半 軍 令 部 長
七 ・三 〇 発 ﹁ウ ル シ﹂ へ。
﹁チ ヤ モー ル﹂ は ﹁カ ナ カ﹂ を 侮 蔑 す る のみ な ら ず 、琉 球 人を も
宮 殿 下 比 叡御 乗 艦。 晴
軽蔑す。
七月三十日 日
曇
涼 風 大 に来 り 南 洋 と 覚 へず 。
八月四日 金
艦 内 蒸 熱 、久 し 振り 苦 し む 。
晴
芳 春 のま ぼ ろし 、 長 夜 楽 、 東 洋 風 。
七月 三十 一日 月
殿下御元気に敬服す。
( 六 十万 円を 要 す )。
八月 五日 土
殿下午餐に御召し。夕食に難有御言葉あり。
午 前 十 一時 小 笠 原 着 。 昼食 後 陸 上 〓 基地 視 察 扇 ケ 浦 防 備 隊 、 本 村 〓 受 信 所 視察 。
快晴
午 後 六 ・三 〇 発 硫 黄 島 に向 ふ 。
なら ず 。
ふと 艦 隊 側 に話 し 、 さ も あ ら ん 。 一同 日 焼 な く 、 比 叡 組 と 比 較 に
午 前 八時 半 ウ ル シ入 港 す 。 近 来 稀 の晴 天 に し て 酷 暑 も 本 日 始 て 味
各 宮 殿 下両 長 官 訪 問 、 日向 に座 す 。 午 後 四時 ﹁フ ラ ラ ツプ﹂ に 上
雨
蒸暑、起居に苦む。
陸。 博 義 王 殿 下 に島 に て拝 謁 す 。 土 人 の踊 奇 也 。 実 に 東 京 土 産 を
八月 一日 火
暑気甚し。
午 前 七 時 頃 硫 黄 島 〓 基 地 着 。 天 候 の為 め 上 陸 不 可 能。 島 を 一周す 。
送 る。 大 暑 の熱 甚 し き も 日陰 は 涼 風 あ り 。
十 四 日 の月 透 明 、 南 洋 の夜 景 絶 佳 也 。
八 ・三 〇 出 港 、 ﹁パガ ン﹂ に 向 ふ 。 飛 行 機 十 台 余 を 認 む。
八月六日 日
七十万円 ( 三 千 円 の見 積) を 要 す と 。 工事 困 難 、 風 の遮 蔽皆 無 。
八月 二日 水
半 晴 曇 勝 ス コー ル の結 果 昨 日に 比 し 大 に涼
午 後 五時 ﹁パガ ン﹂ 着 。 驚 く べき 良 〓基 地 、 且 つ大 な島 な り 。前
午 前 九 時出 動 、鳥 海 に て 4S の乙 種 射 撃 を 見 る。
驟雨
田 〓長 と し て活 躍 す 。
八月十 一日 金
晴
午 前 室 戸病 院 船 を 見 る。 不 潔 云 ふ べか ら ず 。
月、 峯 風 と 衝 突 。 幸 に人 命 に異 状 な し 。 二十 三 駆 隊 司 令 駆 鈴 木 田 。
一五 の山 田 之 事 と 云 ひ 呉 々 も 感激 に 不堪 。
尚 1S の 一番 隊 間 を 峯 風 外 一見 突 破 の事 あ り 。 危 云 ふ べか ら ず 。 原
殿 下 よ り 真 に 感 激 に 不 堪 御 慰 諭 を 給 ふ 。 一死報 恩 尚 ほ 不 足。 五 ・
八月七日 月
因 は駆 を 一万 屯 C rに仮 想 し前 哨 と し而 か も之 の 位 置 を左 右 夫 々換
午 後 一 ・三 〇出 港 。 水 戦 発 射 戦 技 午 後 六 時 開 始 。 海 上 静 穏 波 。 夕
午 前 七 ・三 〇 衣 笠 に 乗 り 1S の射撃 を 曳 的 艦 より 見 る。 ﹁ス コー ル﹂
位 せ る に生 ず 。 1S悉 く か ゝる駆 の出 現 敵 方 に あ る べき を 予 想 せざ
今 夜 、 稲 垣 、 福 田 、 牧 田 、 杉 山 六 来 訪 、 日向 の知 友 と 大 に快 談 す 。
に て 午 前 延 期 、 午 後 二 時半 頃 開始 し 、 三 万 五 六 千 より 二 万 二 三千
午 前 半 晴 午後 雨 小 低気 圧
之 間 に て 日 向 を 除 く 1S 三隻 集 中 、命 中弾 尠 くも 六 、七 発 、曳 索 折
八月十 二日 土
り し 。 探 照 灯 の照 明 度 に 過 ぎ 夜 戦 は 退 歩 と 云 ふ 。 驟雨勝
に酔 ふ 。 中 村 、 加 藤 、 有 馬等 。
断 、 大 に 意 を 強 す 。 沢 風 に 乗 換 へ、 七 ・三 〇 P M帰 艦 、途 中 動 揺
午 前 三 時 頃 入港 。 早 朝 町 田 ︹ 進 一郎、大佐、日向︺艦 長夕 月 に 趣 き 之
を 横 付 し (日向 に ) 修 理 に 着 手 す 。 此 以 為 模 範 的 也 。
晴
4S以 下 2F午 後 九 ・三 〇 出 動 。 八月八日 火
夜 半 小 川 、 小 田切 に起 さ る。 士 官 室 に 痛 飲 。 夕 月 艦 長 を 慰 む 。
晴
尿検査、糖分あり。 八月十 三日 日
〓 の外 進 歩 を 見 ず 。 2 Fの前 進 部隊 集 結乱 れ危 地 に 入 る。 1F又 た 緩
比叡横須賀着。
昨 夜 の低 気 圧 収 り 午 前 六 ・三 〇 1F 出 勤 、基 本 演 習 、 〇 ・三 〇 開始 。
二水 、 一水 、 SS等 の雷 射 あ り 、 九 時 頃 演 習 終 結 。 ﹁ウ ル シ﹂ に 入
慢、2 F の危 地 に 乗 す る の妙 機 を逸 し 、戦 果 不得 要 領 。
と造船官語る。
夕 月 修 理 大 に 進 む 。 町 田 艦 長 、 坂 上 ? 工作 長 大 車 輪 、 涙 ぐ ま し
﹁ウ ルシ ﹂ と 横 須賀 は同 経度 なり 、 0 14 E。
港、午前三時 ( 九 日)。
市村、有地、鈴木来る。
第 二駆 の1 SD 一番 隊 突 破 、 末 次 之 息 乗 艦 、 大 に危 か り し 話あ り 。小
︹ 欄外︺比 叡 御 同 行 、 夕 刻 分 離 帰 北 せ ら る 。 八月九日 水
快晴
暑 気 又 加 は る 。 午前 三 時帰 港 。
八月十四日 月
艦を大艦に仮想せし誤。
午 前 臨 戦 準 備 巡 視 の為 め 小 林 長 官 来 る 。 末次 来 訪 、 長時 語 る 。
快晴
有 地 来 り 山 崎 と 談ず 。 石黒 ︹ 利吉︺主 計 大佐 ︹ 軍需局第三課長︺盲 腸 の疑 あ り 。
小 林 小 艦 を 大 艦 に 仮 想 せ し 危険 を 告 ぐ 。
晴
八月十日 木
午 後 モ グ〓
島 に 上 陸 、 ウ ルシ 酋 長 に会 ふ 。
終 日 読書 、 勝 海 舟 に感 ず。
︹ 閉︺ 流 汗淋 滴 。船 長 のtoo mu にc 平h口す 。 ︹ 補︺ 正午 頃夕 月修 完 成 、 夕 試 運 転 、 尚 保 強 し 、 実 速 十 八 に 堪 ふ ( 回転
連 夜 両 軍 SS の行 動 不 活 溌也 。
ふ。
八月十五日 火
三 〇 頃 煤 煙 幕 下 に赤 5S 9S を 認 め 1S 砲 戦 開始 、敵 避 退、 日 没 に及 び
午 後 二 時 半 頃 よ り 両 軍 位 置 確 認 。青 前進 部 隊敵 同 上 に接 触 、 四 ・
球磨独り良く接触す。
両 軍 接 近 、 青 主 力 2F を 併 せ 北 上す 。 概ね 火 山 列 島 の中 央 東 偏 に向
廿 二 、 三 □)。大 成 功 、 大 に賞 す べし 。 小 林 にも 助 言 す 。
午 前 〇 時 より 〇 時半 1F 2F出 動 、 ウ ル シを 去 る。
燃料尽き七時頃演習中止。
驟 雨 雨 曇 大 に涼
ス コー ル 勝 。
黎 明 よ り 大 に涼 しく 助 か る。
八月十六日 水
青軍全部展開、天覧、〓空襲。
十時御召艦分列式位置に占位。
八月十九日 土
快晴
午 前 〇 時 演 習 開 始 、 十 四︱ 六 K 2F 24K 、 天明 赤 9S龍 驤 、 SD パガ ン空
午後三時半了。北行。
半 晴 晴 静 穏 暑熱 余 り 甚 し から ず
襲 、 六 時 頃 発 見 、青 前 進部 隊 間 に合 はず 、 加 賀 空 襲 不 可 能 の距 離
静 平 波 鏡 之 如
︹ 欄外︺ 天 顔殊 に御 麗 は し。
今 夕 士 官 室 会 に招 か る。
八月 二十日 日
夕、次室士官之為懐旧談を為す。
に在り。 ﹁パ ガ ン﹂ 〓 龍 驤攻 撃 せ る も効 果 微 弱。
アグ リ カ ン列 島 に て 補 給 を 了 す 。
赤 SS青 主 力 を 発 見 す 。 青 SS も東 京 湾 外 に赤 主 力 を 発 見 。 戦 況 余 り ︹ 摩︺ 発 展 せ ず 。 夕多 磨赤 主 力 に接 触善 戦 し 川内 級 と 刺 違 ふ。 青 駆 逐 艦
八月十七日 木
午後横浜に上陸、帰宅。
地 に就 。
午前九時半御召艦横須賀入港。全艦隊逐次木更津沖入港、準備錨
快晴
静 穏 。 青 主 力 ウ ラカ ス付 近前 進 部 隊 杳と し て消 息 な し。 赤 青 両 主
暑 気 甚 し。
八月 二十 一日 月
力相距る七百浬。明日決戦あらん乎。
殿 下御 帰 京 。
半 晴 晴
連 夜 安 眠 。 将 官 室 十 八 Kに は 不 係 眠 るを 得 たり 。
八月 二十 二日 火
︹ 欄外︺大 元帥 陛 下本 日比 叡 に て横 須 賀 御 発 艦 。
正 午 よ り 2F前 進 部 隊 を 引 返 し主 隊 も 反 転 す 。 ﹁ウ ラカ ス﹂ 付 近 に
暑気 甚 しく 南 洋 よ り 大 。
午 前 出 省 、 海 相 へ艦 隊 之 意 見 を 具 す 。 人 物 に 付 注 意 す 。
晴
て補 給 の為 な り と 雖 も 士 気 に 影響 す る事 甚 し。 今 夜 不相 変 静 穏 。
快晴
迅鯨廃艦、青しらみ潰しにやらる。 八月十八日 金
1F の 引 返 し 同感 す。
八月 二十七日 日
竹 内 二度 来 る 。 午 後 は 松 方 乙彦 を 伴 ひ 来 る 。 晴
紀 尾 井 町 に御 礼 。
不相 変 暑 大。
八月二十 八日 月
子 之 快 遊 を為 す 。
実 を 高 島 屋 海 軍 展 、 幸 鮨 、 帝劇 座 に慰 安 す。 千 代同 行 。 久 し振 親
浜 口拝 観 券 に付 配 意 大 也 。
連 日 の 暑気 尚 ほ 不去 。
晴
井 上 周 病 気 不 参 之 電 来 る。
福 田弁 護 士 、 今 立 裕 来 る。
八月二十 三日 水
下郷 に特 別 招 待 の電 話 、 帰 京 を 勧 む 。 拝 観 券 に 忙 殺 さ る 。
午 後 高 橋 次 長 と 懇 談 す 。 谷 口、 左 近 司 ︹ 政三、中将、佐世保鎮守府司令長
晴
荒 井 来 訪 、 券 二枚 を 与 ふ 。
官︺之 処 分 内 定 と 聞 く 。
八月 二十五日 金 快 晴 ︹ 宋︺ 観 艦式 大 成 功 、 武 威 堂 ︹ 々︺ 、 折 柄 問 題 の宗 子 文 ﹁プ レジ デ ント ・
井上周 ( 両 人) 病気 に て断 る 。
特別拝観券頒布に骨折る。
観艦式予行。
鹿 江 少 佐 来 訪 、 親 切 に 鰕 を 横 須賀 よ り持 参 す 。
八月 二十九日 火
荒井来訪、徳川 ︹ 義親︺公 問 題 。
竹内より書面。
大 角 の芝 居 と 云 ふ 。
︹マ マ ︺
艦 隊 式 場 に進 入 、 横 浜 市 大 勧 迎 。
ジ エ フ ハー ソ ン﹂ に て今 朝 警 戒 裡 に入 港 、 此 威 容 に圧 せ ら れ て終
鈴 木 鞄 店 に 行 き 、 岡 田 啓介 を 訪 ひ 、福 井 人 贈位 之 事 を 相 談 す 。
山岸 ︹ 宏︺ 、 三上 ︹ 卓︺統 帥 権 問 題を 再 論 す 。 古 賀 之 懺 悔 文 発 表 、
日在 船 、税 関桟 橋 よ り 拝 観 す 。
小 笠 原 弟 死去 之 由 。
晴
天為 真 に 可云 妙 玄 。
八月三十 日 水
八月 二十四日 土
千 代 は金 剛 よ り 、 五郎 は春 造 、 藤 江 と 佐 多 に て 拝 す 。 下 郷 三 、 佐
大 暑続 く 。橋 本 電気 局 員来 訪 、 時 事 を 談 ず 。
揮 毫 、 伊 地知 四郎 ( 鹿児島)依頼、谷山小学校之為。
晴
八月 二十六日 土
八月 三十 一日 木
晴
︹ 欄外︺公 判 証 拠 問題 に 入り 予 の名 出 現 す 。
々木 六 郎 一、 松 井 友 人 一、 大 倉 久 米 馬 三 男 一の特 別 拝 観 券 を 与 ふ 。
東条 ︹ 英機︺陸少 将 ︹ 兵器本廠付 ( 軍事調査委員長) ︺陸 軍 省 転 勤 に付 海 陸
早朝 小 笠 原を 訪 問 、 時 事 を 談 ず 。
晴
協 同 之 頼 に来 る 。
山 本 伯 を 促 す 件 再 三 番 町 よ り 試 み済 無 効 と 告 ぐ 。 南 陸 大 次 の政 変
快 晴 大 暑
川 口鮎 を 持 来 る 。
の方 法 に 就 而 也 。末 次 諾 す 。 九月四日 月
さ ず 司 令 よ り 人 事 局 長 へ処 置 を乞 ひ 、局 長 より 殿 下 へ申 上 る穏 便
昨 夜 正 午 よ り 悲 雨 あ り。 午 前 八 ・三 〇 海 相 官 邸 に て山 田 ︹ 三郎、海
には西園寺 ︹ 公望、元老︺第 一番 に番 町 に駆 付 べし と 云 ふ と 。
五事件 ( 教え 子 を含 む) に鑑 み辞 意 を 願 出 た り 、 依 て明 一日午 前
軍省︺法 務 ︹ 局長︺よ り 五 ・ 一五 及神 兵 組 之 報 告 。 終 て葉 山 に 天機
午 後 人事 局 長 ︹ 阿武清、少将︺来 り 、 去 廿 三 日谷 口よ り 病 気 と 五 ・ 一
発表すと。
奉伺、御賜餐。
晴 低 気 圧 来稍 涼 風 を 発 す 烈 風 二十 米 突
安東来訪。夕、下郷に星 ︹ ケ︺岡 に招 か る 。
平 安 に過 ぐ 。
九月五日 火
ツス ル対 牧 野 陰 謀 愈 明 白 と な る 。
到 来 非 常 に驚 き て問 ひ返 せ り と の秘 話 を 聞 く 。 松 方 、 金 子 、 キ ヤ
車 中 安 保 よ り 倫 敦 に て牧 野 が 日 米 協 定 成 立 を 内 報 せ り と の外 交 電
帰 京 、 谷 口 へ答 礼 。 奥 名 来 訪 、 痛 心 な り 。
︹マ マ︺
孝 満 洲 よ り 一時 帰京 。 ︹ 欄外︺揮 毫 。
末次、枝原来訪、昼食を供にす。
晴 暑 気 不 去
谷 口予 備 編 入 之 挨 拶 に 来 る 。
は神 戸 学校 へ揮 毫 之 礼 な り 。
午 前 町 田、 迫 木 、 坂 井 一意 、 森 電 三来 談 、 共 に 国 事 を 談 ず 。 迫 木
九月 一日 金
町 田大 佐 も 其 前 に来 り 早 く 帰 去 。 末 次 を 訪 は ん と す 。 行 違と な り
烈風、稍涼
しな ら ん。
晴
稍涼。熊谷 五右衛 門 ︹ 衆議院議員、福井︺、 伍 賀 副 官 、 松 下 権 八 ( 紅
九月六日 水
葉 館 会 、杉 村 陽 、 三 井貴 員 、松 下 ( 招 か る) 等 宇 垣 、 斎 藤 擁 立 之
実 帰艦 す 。
九月 二日 土
相 談) 報告 、 八角 三 郎 ︹ 中将、衆議院議員︺来 訪 。
此 日末 次 より 博 義 王 殿 下素 行 に付 重 大 事 を 聞 く 。
大 暑。 奥 名 事 務 官 末 次 中 将 を 訪 ひ博 義 王 殿 下 に付 協 議 后 来 宅 、 午
夕 、 伊 集 院 来 訪 す 。 末次 に 問合 せ若 宮 問 題 予 の意 見 の如 く な れり
谷 口 予備 役 発 表 。
餐 を倶 に し相 談 す 。 事 頗 る重 大 。 奥 名 の熟 慮 を 求 め て 帰 す 。
晴
来 訪 。荒 井 画伯 に陸 相 への紹 介 状 を 与 ふ。
と聞く。伊集院報告又同じ。
賀 の為 大 に 弁 護 す 。 島 崎 は 古賀 が 陸 軍 監 視 の為 獅 子身 中 の虫 とな
夕 、 仁 と 帝劇 の 活動 、 ヘル ・ビ ローを 見 る。 九月三日 日 晴
森 隆吉 氏 に幟 の書 を 渡 す。
午 前 理 髪 。白 根 弟 ( 浦 塩 関係 ) 約 に背 き 来 らず 。
る覚 悟 に出 た り と 云 ふ 。
九月七日 木 晴 稍 涼 ︹ 貸︺ 夕 、 島 崎 来 り 五 ・ 一五 に 付 懇談 。 金 子 子爵 統 帥 権 研 究 を 借 す 。古
今 夕 末 次 之 来 訪 を乞 ひ 懇談 。 以上 奥 名 の懇 願 によ り 長 官 の名 を 出
内田 栄 ︹ 読売新聞記者︺来 る ( 原 稿 に 付 )。 熊 谷 に 請 願 書 を 交 付 す ( 三 国愛 国僧 叙 位)。 午 前 川 原 宅を 吊訪 。
夕 、 浜 口来 り 詳 細 求 刑 報 告 を 為 す 。
午 後 磯 野 師 範 来 り 今 日 の求 刑 を 非 難 す 。 曇
五 ・ 一五事 件 求 刑 第 二 日 、 論告 。
九月十 二日 火
中 根 来 訪 、 若 宮 に 付 懇 切 に 相談 す 。 認 識 を 大宮 に申 上 呉 れと 頼 む 。
︹ 欄外︺ 伏 見 宮 殿 下 御 帰 殿 。 九月八日 金
塚 崎 大 に 山 本 検察 官 の論 告 を駁 す 。
晴 稍 暑
園 部 、馬 淵来 り 横 須 賀 聖蹟 に書 を 求 め大 井 の恐 縮 を 告 ぐ 。 市 幹 部
︹マ マ︺
予 に無 断 元帥 之 書 を 得 た る こと に恐 縮 し 此 度 の揮 毫 を 園 部 一人 に
夕 、 志 波 、 石 川 来 り 大 に 山 本 の統 帥 権 干 犯 非 認 を 論 難 、 対 抗 策 ︹ 講︺ を 構 ず 。 小 笠 原 よ り 二度 電 話 、南 郷横 須 賀 に急 行 す 。
横 須 賀 被告 級 友憤 激 大也 。
晴 稍 暑
九月 九日 土
九月十 三日 水
倚 頼 せり と 云 ふ ( 午 餐 )。
午 前 次 長 へ統 帥権 干 犯 に付 実情 調書 外 に 秘事 及 昭和 五年 五 月十 九
日 引責 辞 職 上奏 書 を 浜 中を 経 て次 長 に送 り 、 且 つ殿 下 の台 覧 を 乞
晴
原 田、 鏑 木 来 り 不相 変 原 田饒 舌 。
鏑 木 松 の盆 栽 を 贈 る。
奥名と電話す。森猛熊、多 田 ︹ 武雄︺中 佐 、 奥 名 来 訪 、 夜 遅 く ま で
ふ 。安 立実 之 助来 る 。今 立 来 る。
を 述 ぶ べしと 云 ふ。
博 義 王 殿 下 に付 相 談 す 。
石 川 は 軍令 部 中少 佐 の名 を 以 て裁 判 長 に注 告 の件 申 出 て次 長 之 を
正午 次 長来 り 部 長宮 、大 臣 の意 を 伝 ふ。 裁 判 長 に干 犯 問 題 之 遺 憾
九月十日 日
諾す 。
谷 口大 将 送 別 会 、 官 邸 。
千 代 海 晏 寺 へ。 竹 内 来 る。 横 浜 丸 仲 青 年 会 喜多 山 九 馬 揮 毫 之 礼 に
大 井外 一名 来 り 予 の揮 毫 を 受 取 る。
九月十 四日 木
︹マ マ︺
来 り 花 瓶 を 贈 る。
暑又帰る
早 朝 飛 島 来 訪 、 福 井 与 三 二宅 を 殿 下 へ御 用 立 の件 相談 。 早速 奥 名
浜中 を 呼 び 枢 府 審 査 会 報 告 を 次 長 に与 ふ 。 横 須 賀 論 告 、 福 田 庫 文
暑
九月十 一日 月
司。
晴
五 ・ 一五事 件 求 刑 第 一日、 山 本 ︹ 孝治︺検 察 官 涙無 き機 械 的論 告 を
豊 田久 、 満 洲 岡 村 の伝 言 を 伝 ふ 。 十 月 事 件 の海 軍 被 告 陳 述 の誤 に
︹ 欄外︺ 朝 田 、 浅 井 再 論 告 大 に 努 む 。
為 す 。 公 平 に見 ても 認 識不 足 。 朝 田 ︹ 肆六、大尉︺ 、 浅 井 大 に山 本 を
就 而 也 。 事 件 は岡 村 知 悉 す と 。 理 髪 に 行 く 。
晴
論 難 す 。 時 事 よ り 批 評 を 求 め し も 断 る 。 日 々 、報 知同 断 。
に伝 へ予 に御 任 せ を 乞 ふ 。 万 事 頼 む の御 返 事 あ り 。
午前奥名来りて報告す。
晴
九月十 八日 月
橋 に会 ふ。
靖 国 神 社 九 ・ 一八 慰 霊 祭 に 参 列 。 終 て 大 臣 、 部 長 殿 下 、 野村 、高
条 例 改 正 に付 軍 務 の反 抗 を 聴 く 。 午 後 予 引 退 の ﹁デ マ﹂ 飛 ぶ 。寺
雨 涼
明朝を約す。
島 の細 工な り と 。
九月十五日 金
塚 野 級 安 川 正 治 少 佐 、 三 上 級 井 口兼 夫外 大 尉 一名 来訪 、 級会 を 代
久 富 語 る。 爾 後 新 聞 記 者 に攻 め ら る。 悉 く 非 認 す 。 浜 中 、 石 川 慰
佐 々木 革 次 来 る 。 竹 内 よ り 電 話 。 秘 密探 偵 飯 野社 長面 会 を 求 む 。
表 し て陳 情 。
撫 に来 る。 安 川少 佐 に大 角 の意 中 を 告 ぐ 。 大 に 悦 ぶ 。
︹マ マ ︺
日 々記 者 に不 言 を 告 ぐ 。
報 知 記 者 志 岐 島 崎 の来 訪 な き や と 駆 付 く 。
何 れも 不答 。
と の会 見 な き や に付 聞 く 。
八 ・三 〇 A M大 臣 と 会 見 す 。 朝 日記 者 来 り 級 員 の動 静 、 大 臣 と 予
坂 井 一意 雲 丹 を 土 産 に来 る 。
ず や 、 之 を 黙 認 す れ ば 大 不 忠と 喝 破 す 。
陸 少 将 来 り 国 防婦 人会 加 入を 乞 ふ。 勅 諭 五十 年 勅 語 を 被 告 は 知 ら
千坂 来 る 。真 崎 を 紹 介 す 。 楠 豊 太 五 ・ 一五 に付 心 配 し 来 る 。 在 郷
九月十 九日 火
曇
奥 名 来 訪 。 千 坂 来 訪 、 予 に大 角 と 協 力 を 注 意 、 本 日 の行 動 を 聞 て
談 話 会 、 西 沢 送 別 、 司法 相 官邸 。
︹ 欄外︺﹁横 須 賀 予 審 のイ ンチ キ を 曝 露 す﹂
大 に安 心 す 。
小 笠 原 大 角 に忠 告 す 。 次 官 交 代 之件 躊 躇 す 。 山 田 ︹ 三郎、海軍省法務
晴
古市 来 り教 本 部復 活 を 説 く 。
九月十六日 土
飯 の 来 る 。 人事 興信 の訂 正を 求 む 。
局長︺を や め さ す 事 に は同 意 。
終 に 元 帥 え 昨 日大 角 と 打 合 せ 之事 報告 す 。
黄 海 々戦 紀 念 日。
め 五 ・ 一五公 判 の推 移 に付 注 意 す 。
十 一時 持 永 憲 兵 隊 長 ( 丸 の内 一七 一) 来 訪 、 最 も 親 切 に 海 軍 の 為
千坂と電話。
九月 二十日 水
び帰去す。
退 不 可 を 説 き に来 る 。 末次 、 市 村 等 の念 願 也 。 誤 報 と 聞 き 喜
︹ 欄 外︺ 後 藤 ︹ 章、少将、海軍省︺教 育 局 長 艦 隊 の意 を 以 て 予 に引
真 崎 大 佐来 訪 、失 礼 す ( 疲 労 、 睡 眠)。 池松来る。 ︹ 欄外︺大 角 海 相 元 帥 の名 を 借 り 訓 示 す 。
夕 真 崎 、 久 保 、南 雲 ︹ 忠 一、大佐、軍令部第 一班第二課長︺来 り 、 真 崎 を
午 前 九 時 山 崎 重 暉 予 の引 退 を 心 配 来 訪、 ﹁ク ラ ス﹂ 会 が 上 司 不 信
半晴
横 須 賀 思 想 掛 と 為 す 件 相 談 。 南 雲 、次 長 宅 に 行 く。 予 は大 角 に電
九月十七日 日
話 一決 。
小 石 川 斎藤 写 真 師 来 訪。 福 井新 聞 社 総 務 来 訪 。
任 ( 大 臣 を 併 せ て) 説 く 。
千坂より電話、大角、小林召還に決意すと。
竹 内 来 り 不 相 変 危 急 を 伝 ふ 。 横 須 賀 水 兵危 険 と 云 ふ 。
早 朝 千 坂 を 訪 ひ 昨 夜 の 結 果を 聴 く。 大角 と 予等 同 志 の結 束 成 ると
快晴
山下知彦上京。
告ぐ。
九月 二十四日 日
午前 ︹ 以下中断︺ 。
山 下 知彦 、 大角 と会 見 す 。
雨
今 立 裕 来 る 。 竹内 来 る。 荒 井来 り 荒 木 より 五 〇 〇円 貰 つた と 謝 す 。
午後 三 時非 公式 軍事 参 議 官 会 議 、 軍令 部 条 例 改 正 の件 可 決 し 、 統
夕 、 豊 田久 二来 り 小林 省 と 天 野之 関 係 を 心 配 す 。 彼 石川 と 会 ふ 筈
九月 二十 一日 木
は る。 海 相 感 激 御 礼 申 上 ぐ 。
九月二十 五日 月
帥 権 確 立 す 。 右 に依 り 予 立 て挨 拶 。 部 長 宮 殿 下 御 挨 拶 、 海 相 に 給
五 ・ 一五級 会 の意 志 に付 意 見 を 披 瀝 す 。 ︹ 首︺ 殿 下御 還 の後 省 部 主 脳 列 席 。
快晴
時 事 松 本 某 来 る。
に付 意 見 申 上ぐ 。 大 角 よ り 山 下之 言 を 主 観 し 殿 下 に 申 上 た る 事 判
午 前 十時 大 角 より 出 省 を 希 望 さ れ会 見 。 後 殿 下に 拝 謁 、 小 林 問 題
( 今夜 )。
安 川 、 朝 日、 井 口、 島 崎 来 る 。 礼 の意 味 。
午後再び大角と会見す。彼之意又動揺。千坂と電話交換。
明。
九月 二十 二日 金
山 下帰 呉 。
断 頭 台 に将 校 を 上 す 事 に 付 大 臣 知 ら ず と は 部 下 の信 服 を失 ふ 所以 。
国 民 に責 任 者 清 算 の社 説 出 づ 。
夕 松 菊 に招 か れ 紅 葉 に 行 く ( 安 保 も)。
晴
夕 竹 内 来 り 近 衛 擁 立 、末 次 支援 之 報を 急 告 す 。 長官 と し てあ る べ
九月 二十六日 火
からずと叱し帰す。 画 家 保 田 某 来 訪 、 有 馬紹 介 、清 廉 之安 売 。色 紙 を 贈 る。 小 笠 原 を
石 川 呉 に 急 行 す 。 小 笠 原 紀 尾 井 町 に 御 召 を受 け 東 郷 元帥 に使 す 。
快晴
訪 ひ 千 坂 に 相 談 す 。 夕 、 千坂 と 相 談 す 。
南 郷 横 須 賀 に 行 く 。 時事 松 元 に 憲 法制 定 之由 来書 を 貸 与 す 。読 売
︹ 欄外︺ 軍令 部 条 例 御 允 裁 。
本 日 訪 問者 多 し 。時 事 松 本 を 断 る。
内 田 に 大 学 校 講 演 を 貸 す 。 久富 、 池松 来 る 。福 田、 村 田、 山 田と
晴
九月二十 三日 土
会合 ( 自 宅)。
九月二十七日 水
晴
︹ 欄外︺景 岳 会 祭 祀 料 之 件 。
秋季 皇 霊祭 、賢 所 に於 て大 角 に重 要 相 談 す 。 後 千 坂 を 訪 ふ 。 今 夜 小笠 原 、南 郷 、千 坂 、 大 角 説 得 の筈 。 夕 、 時 事 松 本 来 る。 統 帥 権 及 軍 縮 に付 話 す 。
な ら ず 、 只 大 臣 が 決 意 す るな れ ば 強 て 留 め ず )。 大 角 謹 承 、 此 場
午 後 一時 海 相 と 会 見 、 小 林 、 寺 島 問 題 を 報 告 せ ら る 。 殿 下 御 同 意
引 か け ら れた 話 あ り 。 飼 犬 に噛 ま れ た る也 。
午 前 守 屋氏 来 り 時 局 懇 談 す 。 要 点 は御 前 会 議 、 宇 垣 一派 に 鈴 木 の
午 後 揮 毫 。 夕 、 千 代 と散 歩 、牛 込 活動 を 見 る。
午前、上野美術展、幸鮨。
十月 一日 日
高須 ︹ 四郎、大佐、東京軍法会議︺裁 判長 以 下東 京 に引 上 ぐ 。
陸 軍 安 田 憲 兵 に自 首 す 。
夕 山 本 英輔 大 将来 訪 、 山 田法 務 局 長 に就 而 語 る。
快晴
合是 非 一つ手 を 打 たざ る べ から ず 、 寺 島 を 病 気 と す る 事 に 既 に内
晴 夕 ス コー ル
午 後 一時 青 松 寺 に 於 て 故 草 苅 ︹ 正治︺少 佐 慰 霊 祭 、 花 輪 を 送 り 、 浜
る。福井新報代表も然り。
︹マ マ︺
命ず み と。
軍令部令実施。 十月 二日 月
福 田府 知事 に奔 走 す 。
九月二十 八日 木
宮 武 官 来 宅 、 義 済 会 の長 を 嘱 せ ら る 。 謹 諾 。
午 前 竹 内 賀 久 治 来 る 。福 井 人 と 号 す る義 足 の満 洲 ゴ ロ? 金 貰 に来
午 前 茅 原 華 山 父 子 来 訪 。竹 内 来 訪 し荒 木 の辞 意 、 陸 海 の結 束 、 元
十月 三日 火
曇
帥 の新 内 閣 御 推 薦等 に付 頼 む 。 予注 意 を 与 ふ。 ︹ 内︺ 午後光延東洋 ︹ 少佐︺来 り 華 府会 議 の打 幕 に付 予 の話 を 聞 く 。 五 ・ ︹ 態︺ 一五 に 付 明 日 ク ラ ス会 を 開 き静 観 の躰 度 を定 むと 。 浜 中来 訪 す 。
榎本 ︹ 重治︺参 事 官 来 り 軍 縮 之 放 任 危 険 を 説 。 ウ イ スキ ー 二 本 を 贈
︹ 欄外︺軍 令 部 条 例 公 布 。 ︹ 更︺ 練 習艦 隊 司令 官 交 迭 。
夕 、 六 本 木 大 和 に 日 露協 会 の集 合 。 橋 本 ︹ 又吉郎︺少 将 ︹ 予備︺と 顔
九月 二十九日 金
飛 島 、伊 井 子三 二 ︹ 福井市会議長、伊井組代表取締役︺来 る 。
ら る。
晴
夕、石川中佐来る。
中代拝す。
合せ。
早 朝 小 笠 原 を 訪 ふ 。 談 中 薩 摩 雄 次 よ り 小 笠 原 に 電話 あ り 。安 田事
阿 部省 之 助 来 る。
矢 田部 保 吉 シ ヤ ム公 使 来 訪 。
曇
件 拡 大 し 参 謀 本 部 の大 佐 、 大 尉 、 小 磯 等 の名 顕 は る と 報ず 。
刀 を 託す 。
浜 中 を し て府 中 に椰 子 蟹 の ﹁サ ムプ ル﹂ を 贈 呈 せ し む 。 小 山 に 長
右小笠原より大角秘書官に通知。
佐野 ︹ 常羽、少将︺伯 来 り 婚 儀 に付 相 談 さ る。
景岳 会 評 議 委 員 会 ( 輔 仁 会 )。 九月 三十日 土
十 月四日 水
晴
午 前 竹 内 来 る。 大 角 の変 化 を 訴 ふ 。
晴
午 後 南 の生 命 線 活 動 を 官 邸 に て大 角 と 見 る 。
し。
加来止男 ︹ 中佐、聯合艦隊参謀︺来 訪 、 不 在 。
十月九日 月
〇 ・三 〇霞 ケ 関離 宮 、英 長官 御 召 、 部 長 殿 下 午 餐 、 後 矢 田 部 公 使
十 月五日 木
坂 井 一意 、 小 林 踏 造 問 題 。
夕、真崎大佐来る。
早朝 橘 田、 今 立 、 村 田来 る。
今立来る。
を答 礼 す 。夕 、級 会 、宝 亭 。
午 前 十 一時 宮 内 省 に出 頭 し 宮 相 よ り 景 岳 会 へ祭 粢 料 五 十 円 下 賜 、
佐 々木 忠次 郎 に寿 を 認 む 。
佐 々木 忠 次 郎 ︹ 東京帝国大学名誉教授︺喜寿 祝 に軸 を 贈り 来 る 。 鯛 づく
直 に御 車 寄 に御 礼 、 慶 民 子 、 康 昌 侯 に 報 告 す 、 黎 園 会 に 電 報 、 半
向山 ︹ 庄太郎︺松 竹 理事 ︹ 松竹興業取締役︺来 り 、 明 十 日東 京 に 加 藤 清
長力来る。千代叱り帰す。
十月六日 金
千 代 、 実 金 刀 比 羅 宮へ 参 拝 、 孝 治 と 実 の武 運 長 久 之 為 清 酒 辰 馬 印
田耕 雲 斎 へ侍 従 御 差 遣 之 御 沙 汰 あ り ﹂ と 報 ず 。
岡 田大 将よ り ﹁ 本 多 侍 従 よ り 電 話 、 福 井 橋 本 左 内 、 梅 田雲 浜 、 武
金 刀比 羅宮 に白 鹿 一樽 を 奉 納 す 。 孝 治 、 実 、 武 運 長 久 祈 願 之 為 。
快晴
額を分送。
正を 見 る事 案 内 す 、 諾 。 実 に電 報 す 。
宮内 省 より 明 午 前 十 一時 出 頭 之 通 知 来 る。 景 岳 会 へ祭 祀 料 之 件 。
夕 、 漫 画 新 聞 長 力 、 画 家 岡 の孫 一来 り 詐 欺 に か ゝら ん と す 。 金 を
中 村 釧 太 、 江 守 来 る 。 ア ルバ ム を 賜 る 。
白 鹿 大 壱 樽 奉 納 。 実 は 海 晏 寺 へ参 詣 。
快晴
曇
与 へず 。
十月十 日 火
内田 ︹ 栄)読 売 来 り 、 印 税 之 礼 を 云 ひ 菓 物 を 送 る 。 原 田 技 師 来 り
午 後 向 山 の案 内 に て東 京 に 加 藤 清 正 誠 忠 を 見 る 。
マ︺
書 を 受 取 る 。 虎 門 琴 平 神社 宮 司交 代 に付 紛議 、 後 任 之 推 薦 を 頼 み
︹マ
長おさ読売来る。
来る。
十月十 一日 水
曇 小 雨
及川 ︹ 古志郎、少将、海軍兵学校長︺暇乞 に来 る 。時 事 松 元来 る。
快晴
末次来訪。
( 竹 内 を 経 て)。
早 朝 大 角 へ電 話 、 荒 木 と 協 力 の事 を 勧 む 。 快 諾 、直 に 荒木 に 伝 ふ 曇 小 雨
出光 ︹ 万兵衛︺少 将 ︹ 侍従武官︺来 り 上奏 阻 止 に 就き 論 ず 。
十 月七日 土
午 後 一・三 〇 景岳 先 生 七十 五年 祭 、 盛 会 、 祭 粢 料 下賜 報 告 。
長嶺夫婦来る。
十月十 二日 木
雨
︹ 欄外︺熊 生 ︹ 栄︺義 済 会 主 計 大 佐 ︹ 経理局第三課長︺引 継 に 来 る 。
実 帰 る 。佐 野約 を 忘 れ明 日延 期 す 。
曇
竹 内 来 訪 す 。 又大 角 問 題也 。 十月 八日 日
揮毫、日向之為。
午 前 松 元 時事 来 り若 槻声 明 に 意 見 発表 を 求 む。 謝 絶 す 。 ︹ 茂︺ 杉 山 席 丸 来 り 雄 弁 二 時 間 、 予 の決 意 を求 む 。
参内、賢所。
十月十七日 火
午 前 八時 真 崎 大 将 来 訪 、 大 角 の激 励 を 頼 む 。
若槻演説内容を変更す。
発 言 に て大 角 大 に 弱 る 。
向 山 と 、 佐 々木 に 礼 と 祝 を 贈 る 。
四時 、 松 純 ︹ 松村純 一、中将、予備︺を 訪 ひ 、 安 保 に 付 相 談 す 。
午 後 柴 田要 大 佐 来 訪 ( 艦 本 )。
晴
夕伍堂案内金田中に招かれ大に飲む。
山口 ︹ 鋭之介︺元 御 陵 頭 賢 所 に て大 言 す 。 統 帥 権 問題 云 々 。 是 非 不
︹ 欄外︺若 槻 名 古 屋 に て倫 敦 条 約 を 弁 じ 泥 仕 合 を 始 む 。 十月十 三日 金
明。 馬 場 検 事 総 長 と 高 論 す 。
雨
各 新 聞 若 槻 の古 証 文 を 嘲 笑 す 。 夕 刊 朝 田 大 尉若 槻 を訪 ひ 詰 問す と 。
杉山茂丸。 十月十 八日 水
日露 協 会 広 田 ︹ 弘毅︺外 相 祝 賀 の宴 を 催 す 。
午前 ︹ 以下抹消︺ 。
但し横須賀報は之を覆せり。
十月十 四日 土
雨
午 前 若 槻 対 策 に て考 慮 す 。
へ勧 告 を決 す 。
午後西伸六郎 ︹ 男爵、中将、予備︺結 婚 式 。 松 村 と 会 合 し更 ら に 安 保
曇
a v . d に経 済 往 来 の予 の論 訳 述 さ る 。
日比野 ︹ 正治︺少 将 ︹ 軍事普及部委員長︺来 訪 。 参 考 館 及 若 槻 に 関 し 民
雨後晴
午 後 豊 田、 杉 山 来 る。
十月十 九日 木
政 首 脳 部 説得 の件 を 語 る 。
午 前 大 臣 と 会 見 、 五 相会 議 之内 容 に付 激 励 す 。 松 純 安 保 に引 退 勧
米 シ ヤ ト ル校 長 よ り ﹁サ ンキ スト ﹂ 一筐 来 る 。
告 、 安 保 発 動 を有 馬 大 将 の 推 し後 事 を 憂 ひ 且 つ小 林 躋 造 を 庇 護 し
雨
宇 垣 ︹一 成、陸軍大将、朝鮮総督︺問 題 に て 小 笠 原 、 千 坂 、 本 郷 ︹ 房太郎、
十 月十 五日 日
寺 島 之 処 置 を 非 難 す 。 引 退 は考 へ居 る も 時機 を 待 つと 。 以 上 松 村
夕 佐 々木 忠 次 郎 喜 寿 宴 室 町 あ り 、 □ に 招 か る 。
陸軍大将、予備︺相 談 。
来 訪 報 告 せ ん と せ し も 不 在 な り し を 以 て 夕刻 同 宅 を 訪 ね 、 以 上 を
雨
向山 よ り鮮 魚 来 る。 直 に伍 堂 に分 与 す 。
聞 く 。 千 代 古 市 を 訪 ふ 。 勝 木金 刀 比 羅宮 司来 訪 。 十月 二十日 金
夕 、 小 笠 原を 訪 ひ、 要談 。
午 後 八 ・五 〇 真 崎 大 将 と 共 に 上 野 発 、 黒 部 峡 谷 に立 寄 る筈 なり し
川 口 来 訪 、書 を 頼 む 。 十月十 六日 月
半晴
午前 十 時 総 長 宮 殿 下御 召 、 安 保 進 退 に付 重 大 御 相 談 、 東 郷 元 帥 の
も秩 父宮 ︹ 雍仁親王、陸軍大尉︺の 福 井 左 内 墓 へ御 参 拝 の電 知 事 よ り
善 慶 寺 へ侍 従 御 差 遣 。
朝 倉 義 景 一向 僧 徒 三十 万 激 破 の御 前 講 演 あ り 、 大 に 感 ず 。
曇
十月 二十六日 木 時 雨 ︹ 龍︺ 九頭流川渡河戦、午前四時発。
︹ 欄外︺ 演 習第 二 日。
本 夕 、 岡 田、 大 角 、 安 保 を 柳 町 邸 に 招 く 、 一同 大 に 悦 ぶ 。
来 り 、 予 定 を 変 へ福 井 に 直 行 す 。 十月 二十 一日 土 午 前 六 時 三 田 市 通 過 、真 崎 と 別 れ 、 八時 金 沢 に て乗 換 へ、 一〇 ・
接 待 大 に努 む 。
夕 、 熊 野 邸 に 清 宴 。 金 沢 の安 子 綱 次 の 歓 待 を受 く 。木 田迄 送 り来
三 八 頃 福 井 着 。労 務 部 長外 多 数 出 迎 へ、 木 田村 柳 町 宅 へ着 。 川 口
今 立 、 福 岡留 子 ( 源 太 郎 、 昌 雄 ) 来 り 午 餐 を 共 にす 。
り 遅 く 帰 去 。 Kolgiku. ︹ 欄外︺演 習 第 三 日。
午後 松 平邸 に 閑院 宮 伺 候 、 高 松 宮 同 上 。 夜 。
高安にて講評。
福 井 天気
十 月二十 二日 日
浄 念 寺参 拝 。 十月 二十七日 金
正午 秩 父宮 御 着 、 午 後 二時 善 慶 寺 御 参 拝 、 仙 石 亮 と 共 に御 迎 す 。
足 羽 公 園 下 に て観 兵 式 。
月見 亭 に遊 ぶ。 中 村 良 三長 と 会 ふ。 十月 二十 三日 月
午後 高 等 工業 に て 賜餐 。
十月 二十 八日 土
午 後 旭 小学 に て撮 影 、松 尾 運動 す 。
好 天無 類
午 後 二 ・三 〇陛 下御 安 着 、 大 本 営 に入 ら せ ら る 。 拝 謁 。 各 宮 伺 候 。
夕 柳 町 宅 に て 別宴 。 妙 な S来 る。 撃 退 。
十月 二十 四日 火
午 前 十 一時 二十 分 福 井 発 。 多 勢 見 送 る 。 松 尾 来 ら ず 。
時雨
此夕 荒 木 、 真 崎 両 大 将 を 柳 町 に 招 き 正 子 過 ま で時 事 を 談 ず 。
午前十時高松宮善慶寺御参拝。予御出迎す。
午 後 三時 過 三 田市 着 。 宇 奈 月 延 対 寺 旅 館 に投 ず 。
半晴
此事 翌 日大 毎 夕 刊 に現 は れ ﹁セ ン セー シ ヨ ン﹂ を 起 す 。
夫より金津方面御統監に陪す。
夕 、 藤 田村 長 及 富 山 県 内 務 部 長 を 招 く 。
晴
夕 、 大 月 市 長 案 内 、 五 岳 に て 岡 田 、 大角 、 安保 、 飛島 、熊 谷 、松
李 王 殿 下御同 泊 。
時雨
尾、仙石等会宴。
時雨
︹ 欄外︺特 別 大 演 習 開 始 第 一日。 十月二十 五日 水
十月 二十九日 日
曇
午 前 七 時 松 岡 附 近 。 風光 明媚 。
殿 下 の御 従 に 登 山 。 軽 便 十 一哩 。 工費 五 百 万 円 。猿 飛迄 行 く 。危
︹ 欄外︺福 井市 御 巡閲 。
夫 よ り 永 平寺 に参 詣 す 。
午 後 八 時 半 発 、 殿 下 に 陪 し 三 田市 よ り急 行 に て 北 上す 。 宇 奈 月 よ
鐘釣温泉にて露天温泉を見る。
道なり。
出 光 来 る。 御 前 会 議 之 相 談 。 ︹ 赴︺ 実 佐 世 保 に趣 任 。
総理午餐。
進級会議了る。
午 後 五 ・三 〇 上 原 ︹ 勇作︺元 帥 訪 問 し 見 舞 ふ 。
十 一月 五日 日
晴
十月 三十日 月
午後七時朝香宮御通夜。
り参謀本部第二部長 ︹ 磯谷廉介︺同 泊、 同 行。
午前七時上野着、帰宅。
酒井茂吉 ︹ 中佐、横須賀鎮守府人事部員︺ 、久保、真崎来訪す。
雨
千代芦屋より帰る。
阿部 定 之 介 茶 人 来 る。
荒 木 陸 相 東 京 に て国 際 大 会 議 を 発 表 す 。
飛島 来 り書 を 頼 む 。
晴
十月 三十 一日 火
雨
十 一月七日 火
午後 内 田信 也 来 る。 夕 、 海 相 晩 餐 。 ︹ 赴︺ 実 佐 世 保 に 趣 任す 。
将官 会 議、 整 理 問 題。
十 一月 六日 月
午 前 軍 令 部 長 宮 に伺 候 、 安 保 問 題 を 言 上 す 。 ( 午 後 五時 十 五分 )
十 一月 一日 水
坂本 ︹ 陸軍中将︺六 師 団 長 熱 河 よ り凱 旋 、出 迎 ふ。
水 交 社 勝 木 新 宮 司 の披 露 に趣 き 勝 木 の為 一言 す 。
午前十時半特命検閲披露、山本大将長報告。
薩 摩 雄 次 来 り 佐 郷 屋 助命 之 運動 に 付相 談 す。
晴
朝 香宮 妃 殿 下御 大切 に付 奉 伺 す 。
十 一月八日 水
︹ 欄外︺ 陛 下 御 還幸 。
理 髪 。夕 、島 崎 、安 川 、出 口 三名 来 り 懇 談 す 。 大 に諒 解 、 予 よ り
午 前 小 笠 原 よ り 電 話 、 薩 摩 之 件 、 佐 郷 屋 之件 也 。
晴
曇
戒 む る 所 あり 。
竹内賀久治来る。
晴
正 午 総 長 宮 殿 下 御 賜餐 。
雨
十 一月二日 木
寒冷
上原元帥薨去。 十 一月九日 木
晴
午 後 進 級 会議 。 夕 、実 及 井 沢 、曙 航 海長 来 訪 す 。 十 一月三日 金
五 ・ 一五事 件 判 決 全 新 聞 安 心 を 伝 ふ 。 死 刑 を 免 ぜ ら れ 最 大 十 五年 、
早朝上原元帥を弔訪す。 晴
朝香宮妃殿下崩御、宮中 ﹁ 喪 ﹂ 仰 出 さ れ 一切御 儀 式 御 取 止 と な る。 十 一月四日 土
昼 功 、 千 代と 天 平 に赴 く 。
只 今後 之 注意 也 。
幸す。
朝 よ り 降 雨 之 為 千代 、富 美 栄横 須 賀 行 を 見 合 す 。 志 賀 断 行 、 大 に
十 一月十 六日 木
定期進級、異動発動。
午後晴
午後 熱 、 悪寒 三 七 ・三 、臥 床 す 。
潜艦 母 艦 大 鯨 進水 美 事 。 小 山法 相 名 演 説 を 為 す 。
午前 雨
真 崎大 佐 報 告 に来 る。
川 口 に 春岳 公 、巽 岳 公幅 二軸 、 柳 町 に写 真 と 親 書 を 与 ふ。
晴
浜 中来 る 。 十 一月十日 金
十 一月十 七日 金
快晴
東 朝 五 ・ 一五判 決 に付 被 告 の謙 譲 を 論 ず 。 軍 医 学 校 卒 業 式 。 雨
︹マ マ︺
憎 く や昨 日 の 雨。
半晴
十 一月十 一日 土
大谷 ︹ 登︺郵 船 副 社 長 に赤 坂〓 屋 、 夫 よ り 築 地 大 和 屋 に 招 か る 。
李 択 一、 岡 田某 、 石 川 信 吾 来 訪 。
快晴
町 田、 山 口実 来 訪 。
十 一月十 八日 土
吉岡 ︹ 保貞︺機 中 将 予 備 役 編 入 に付 来 。
千 代 下郷 を 東 京 駅 に 送 り 媒 祝 品 を 贈 る 。
訪問者多し。
岡 田 、加 藤 真 、津 田。 津 田 に失 言 。
松 豊 に礼 状 を 出 す 。 十 一月十 二日 日
快晴
充 子 内 親 王 殿 下 豊 島 園 へ御 葬 儀参 列 。
○午 後 七 時 総 長 宮 殿 下 御 召 、 予 算 に 付 海 相 の弱 音 を 御 心 配 激 励 せ
末次長官来訪、其他無数。小笠原紹介者鈴木来訪。 ︹ 並︺ 久 富 来 訪 (八浪 ︹ 東京日日新聞記者︺の件 )。
晴
津 上 、 三 井 の資 金 補 助 を 受 く る事 と な れ る 由 。 十 一月十 三日 月
十 一月十四日 火
を 訪 ひ 相 談 、 松 山 茂 に 智 慧 を 貸 す べく 頼 み 、紀 尾 井 町 に復 命 す 。
午 前 九 ・三 〇 大 角 を 訪 問 、 殿 下 の御 思 召 を 伝 へ、 高橋 次 長 ( 前)
十 一月十九日 日
千 代 、 富 美 栄 と 高 島 屋 義 士 展 覧会 に 行 、幸 鮨を 味 ふ。
快晴
晴
夕 、 久 保 を 招 き 夕食 を 共 に し 写真 を 送 る 。
午 後 帝 劇 に 仁 、 五 郎 、 本 庄 等 を 案 内 、 海 の生命 線 を見 る 。
ら れ た る件 に付 、 明 朝 大 角 方 に 慰 藉 に 行 く べく 御 下命 。
高 橋 次 長 を 経 、 大角 に 予算 問 題 の注 意 す 。
村 田 家 招 待 、 佐 々 木 忠 、 村 上 龍 、 今 立裕 、 予夫 婦 、仁 、 五郎 。
晴
東朝講読謝絶す。
正午上原元帥陸軍葬。
林 、 朝 田 、浅 水 、 井 口、安 川 、島 崎 外 一来 訪 、 五 ・ 一五 に付 謝 す 。
十 一月 二十 日 晴
予 被 告 の謙 譲 を 戒 む 。 十 一月十五日 水
午後帝都座。
議 に於 て最 後 之 破 綻 を 見 る 場 合 即 答 せ ず 保 留 し て予 に 報 告 し 、 直
午 前 総 長 宮 殿 下 に伺 候 、 御 決 心 を 承 は る 。 大 角 の決 意 を 是 認 し 閣
十 一月 二十 四日 金
晴
古 市 に予 算 単 価 注 意 す 。
経 理学 校 卒 業 式 。
く。
を話 せ しも 再 び両 相 の決 意 を 確 立 せ し む 。 千 坂 邸 訪 問 後 上 野 に 行
直 に千 坂 を 訪 ふ。 之 よ り 先 き 千 坂 も 早 朝 来 宅 、 陸 軍 協 同 に 付 確 信
に 軍参 会 議 を 開き 相 談 せ ず 通 告 す べ し と ( 辞 意 )。 恐 懼 に 不 堪 。
出 光 使 に書 を 渡 す 。
茶 菓 に挨 拶 を 述 べ主 計 を 激 励 す 。
十 一月 二十 五日 土
快晴
刑 部 よ り 荒 木 の心 配 を 聞 き 之 を 待 ち し も 予 算 会 議 の為 終 に 来 る を
自 働 車 に て横 須 賀 、 卒 業 式 。
十 一月 二十 一日 火
不得 。
小 笠 原 、 総 長 殿 下 に 召 さ れ 元帥 に使 す 。
十 一月二十 二日 水
十 一月 二十七日 月
今 夕 大 蔵 急 に 悪化 し事 時 危 期 に 入 る、
十 一月 二十六日 日
夕 、 山 本 、 安 部家 結 婚 式 、 けば〓
晴
大蔵 と 折 衝甚 困 難 。
大 角 泣 て 辞意 を 申 出 之 件 、 後 任 に小 林 を 不 可と す る件 也 。 右 の後
午前海大卒業。
︹マ マ ︺
雨後 曇
晴
しく 慎 重 を 欠 く 。
総 長 殿 下台 臨 。
午 前 十 一時 千 坂 と共 に 来訪 、荒 木 一課長 も 同 席 、 大 蔵 と の交 渉 を
正午省部御陪食。
晴
大角 首 相 に会 ひ 開き 直 ると 云 ふ。
聞 く 。 仙 石亮 外 七名 計 り 師範 移転 問 題 に て来 る。 岡 田と 相 談 す 。
大 角 興 奮 す 。 宮 相 、 宮 内 大 臣等 。
︹マ マ︺
此 日 程 来 客多 き 日 な し 。 浜 中 来り 国 防婦 人会 に就 き 報 告 、 明 日 の
晴
出席は見合す。
十 一月 二十 八日 火
霞 ケ浦 航 空 隊 卒 業 式 。 総 長 宮 殿 下 台 臨 。 式後 茶 菓会 場 来賓 代 表 祝
︹ 欄外︺総 長 宮 御 決 意 を 東 郷 元 帥 に 伝 へら る 。
告ぐ。
辞 を 述 べ信 長 の奇 襲 を 賞 揚 す 。 副 官 大 に 感 激 、 隊 員 歓喜 す と 二度
大角、高橋と会見、予算愈難関。
晴
予算愈難関に入る。
十 一月 二十九日 水
十 一月 二十 三日 木
日 々八 並 記 者 来 訪 、 ﹁武﹂ の意 に 感ず 。
午前中小笠原、千坂来り、大角問題を論ず。竹内賀久治来り、小
国 防 婦 人 会 関 東 大 会 あ り 、 出 席 せ ず 。新 聞 に出 席 と記 す 。
千 坂 よ り 電 話 、 大 角 に 触 れざ ら ん事 を勧 む 。
晴
壁谷裕之 ( 東朝)来り軍隊準備に付機関設置に付語る。
終 日 大 評 定 、 荒 木 の 評 判 大 に 悪 し。
松下権八来る。
笠 原 と 会 談 せ し む 。 竹 内荒 木 を請 合 ふ。
十 二月 三日 日
陸軍千万円海軍に融通す。
戸 塚 来 り 、 豊 田 久 二 の努 力 を 報 す 。
予算閣議成立、四億八千五百万。
十 一月三十日 木
理髪。直磨来る。
早 朝 千 坂 来 る 。 後 小 笠 原 を 訪 問 、 近 頃 之 礼を 述 ぶ。
晴
竹内奔走す。
予 算 会 議 大角 四 千 四 百 万 円 の査 定 に 不服 、更 ら に 三千 万 円 な け れ
報知夕 刊予と 小笠 原の行動 に注目し て記事を 出す。伊藤 金次郎
晴
ば 不 可 と し て 留 保帰 省 す 。
直 に 松 山 次 長 を 以 て 海 軍省 に 示 さ る 。
午 前 出 省 、 総 長 殿 下 並 に 海 相 に喜 を申 上 、 又 述 ぶ。 正午 特 検 御 陪
十 二月四日 月
午 前 殿 下 に 拝 謁 、 軍参 奉答 文 内 容 を 御 覧 に 入れ 、 御 記 憶 を 喚 起 す 。
荒 木 主 計 少 将 来 る 。報 知鈴 木 、 日 々永 滝 来 る。
食 、 後 元 帥 訪 問 、 奉 答 文 責 任 遂 行 を報 ず 。 大 に喜 ば る 。
正 午 日 々 楼 上 に て審 査 報 告 、 国防 は東 京 十 部 、 大 阪 十 部 を 引 受 く 。
と 云 ふ 。 陸農 と の協 定 に就 て は全 然 問題 と せず 。
早 朝 大 角 と 電 話 、 大角 興奮 、 海 軍至 上主 義 を 以 て単 価 に於 て争 ふ
十 二月 一日 金
78’000’000の1/24を 4海 ’軍 00 に0 与’ ふ0 と0 云0ふ。
︹ 欄外︺予 算 第 一日、 政 治 的 解 決 不 能 と な る 。
十 二月七日 木
殿 下 よ り奥 名 之 御 相 談 を受 く 。
軍参会議了て午餐。
行。
夜行 ( 九 ・二 五) に て 大 阪 に向 発 、 南 ︹ 次郎︺大 将 軍 事参議官︺同
十 二月六日 水
十 二月五日 火
晴
快晴
小 笠 原 よ り 大 河 原 の遠慮 を 頼 ま れ 直 に 大 河 原を 戒 む (元帥 揮 毫 )。
晴
松 下 よ り 首相 辞 意あ り の報 あ り。
夕 、 千 代 と 上 野 美 術 館 及幸 鮨 に 行 く 。
︹ 東京日日新聞記者︺に 電 話 及 書 面 、 小 笠 原 に紹 介 す 。
末次より電話来る。
夕、原五郎 ︹ 少将、艦政本部造兵監督官︺ 、 日比 野、 浜 中 来 る。
雨
蔵 相高 橋 之内 示 に 屈 せず 大 角 大 に戦 ふ。 為 に臨 時 閣 議 に 依 り 明 日
大 阪 着 、 師 団 長 以 下 の出 迎 を受 、 大阪 ホ テ ル泊 。
晴
再議となる。
午 後 一時 住 吉 に て 国 防婦 人会 総 会 。 二万 八千 の 閲団 、 了 て講 演 、
快晴
十 二月二日 土
我 日 本 の偉 大 な る 国 民性 に 付話 す 。
︹ママ ︺
夕 界 郎 の歓 迎 ( 助 成 会 )。
内 田 信 也 来 る 。同 じ く内 田読 売 来 る。 藤 井 実 来 り 琴 比 平 様 の御 宮 を拝しに来る。
桃 山荘 に泊 す 。 ︹ 朝日新聞切抜貼付︺ 南 、 加 藤 両 大 将 膝 を 並 べ て " 海陸共同"論
城 西 飛 行場 の 地鎮 祭 。
正午 寺 内 ︹ 寿一 、陸軍中将、第四︺師 団長 の灘 万 午 餐 会 、 了 て芦 屋 に行 く。
西 総本 部 の皇 国 興隆 祈 願 祭 に つ ヾく 同 会 創 立 記 念 大 会 に 出 席 のた
七 日午 後 零時 半 から 大 阪 住 吉 神 社 で行 は れ た 大 日 本 国 防 婦 人 会 関
山 本 伯薨 去 に 付 予定 を変 じ午 後一 時 燕 に て帰 京 、 寺 内 等 多 数 見 送
十二月九日 土
山本 ︹ 権兵衛︺伯薨 去 。
富 田 屋 、 二次 会 。
夕 、 大 阪倶 楽 部 に て 大阪 有 力 者 を 招 待 し、 原 少 将 に紹 介 す 。
め 加藤 海 軍、 南 陸 軍両 大 将 は 七 日午 前 八 時 五十 六 分 大 阪 駅 着 列 車
る。
﹃そ の証 拠 は 予算 解 決 ﹄ 打 揃 ひけ さ 来 阪
で寺 内 第 四師 団 長、 平 松 少 将 、 大 阪 首 席 海 軍 監 督 官 原 少 将 、 難 波
晴
神 国だ よ 、満 洲 事 変 こ の方 を 見 給 へ、 伸 び て行 く 日本 の姿 を 、 こ
突 破 し て 行く と こ ろ が 日本 の 日本 た ると こ ろだ よ ﹄。 ﹃君 、 日 本 は
う け て南 大将 も ﹃海 、 陸、 外 務 と 肩 を 組 ん で仲 よ く こ の非 常 時 を
事 変 費 のう ち 一千 万 円 を 海 軍 に融 通 し て く れ た あ れ さ﹄。 こ れ を
午 前 出 省 、 総 長 殿 下 に 拝 謁 、奥 名 問 題を 伺 ふ。 大角 に大 阪 談 を 為
十 二月十 一日 月
荒木、真崎 、本庄 ︹ 繁、侍従武官長︺ 、 渡辺 ︹ 錠太郎、軍事参議官︺ 、緒方 ︹ 阿︺ ︹ 勝 一、技術本部長︺、 安 部 ︹ 信行、軍事参議官︺。
大将会、 予、大角、小 林、安保、野 村 ︹ 吉三郎、軍事参議官︺海 軍、
千 代 海 晏寺 へ。
( 横)。
午後 川 島 令次 郎 ︹ 中将、予備、宮中顧問官︺来 訪 。 酒 井 婦 人 訪 問 す
総 長 殿 下 に 伺 候 。午 前 出 省 、大 臣 に会 ふ 。時 事 及大 阪 之 談 也 。
十二月十日 日
大 阪 に て塩 崎 の接 待 、崔 屋 に行 く 。
午 前 雨後 晴
大 阪憲 兵 隊長 そ の他 多 数 の出 迎 へを 受 け て来 阪 、 加 藤 大 将 は 大 阪
松 方 と仝 車 、 午後 九 時半 着 京 、 直 に山 本 邸 を 吊 問、 通 夜 す 。
﹃緊密 な 陸海 共 同 です な ﹄ と 京 都 か ら 食 堂 車 で椅 子 を 並 べて 仲 よ
ホ テ ル へ、南 大 将 は大 阪 愛 馬 会 を 視 察 後 住 吉 に赴 いた 。
﹃こ れ が 日本 の 強味 だ よ、 世 間ぢ や陸 軍 、 海 軍 と 別 々に 考 へる が 、
く 食事 中 の 両大 将を 訪 ね る。
な あ に持 場 が違 ふだ け で任 務 は同 じ だ よ ﹄ と 加 藤 大 将 が まづ 応 じ
ん ど の 軍事 予算 で僕 ( 加 藤 大 将) はも う一 九 三 五、 六 年 の危 機 も
す。
る 。 ﹃そ の証 拠 が あ れ だ け 揉 め 抜 い た 海 軍 予 算 も 荒 木 陸 相 が 満 洲
恐 ら く起 るま いと 思 つて ゐ る、 内 に備 ふ ると こ ろあ れ ば 変 な し だ 、
夕 、 山 本 家 通 夜 、 香奠 十 円 。
午 後 川 島令 次 郎 来 訪 。 酒 井 夫 人 来 る ( 横 )。
晴
日 本 の 軍備 は戦 争 の た め にす る んぢ やな いか ら な ﹄
晴
︹ 同日付 の日日新聞の切抜も貼付、略︺ 十 二月八日 金
十 二月十七日 日
晴
豊 田 久 二 、 松 下 権 八 、 生 沼 、 町 田 進 一郎 来 る 。 豊 田 に付 小 笠 原 に 電話す。
晴
夕 、 浦 部 、 浅 井 両 中 尉 来 る 。 夕 食 を 共 に し 、志 賀 子 、富 美 栄 を紹
山本 伯 海 軍葬 、吊 詞 を 読 む 。 一般 にさ び し 。 伯 に対 し 涙 な き 能 は ず。
十 二月十 二日 火
午後 愛 、木 昭 を伴 ひ 日本 橋 ひげ 天 に行 く 。 両 人 頗 る 歓 喜 す 。
介す。
十 二月十八日 月
小 林 省 三 郎 来 訪 、 予 の1F 問題を尋ぬ。
寿 美 子 奉 天 よ り 着 、 八 ・三 〇 A 、 千 代 、 富美 栄 迎 ふ 。来 宅 後 直 に
晴
結 婚 問 題 取 極 め 奉 天 に 電 す 。 水 交 社 に交 渉 、 二 十 三 日と 二 十九 日
松村 純 一を 訪 ひ安 保 問題 を 相 談 す 。
夕高 橋 三吉 氏 長男 結 婚 式 、 藤 原 英 三郎 氏 ︹ 中将、予備︺養 女 を娶 る 。
十 二月十 四日 木
を約す。
十 二月十 三日 水
安保 、 松村 談 、電 話 無 し。
綾 川武 雄 書 籍 の件 に付 来 訪 、 ﹁日 々﹂ に相 談 せん と 約 す 。
武富 、 浜 中外 一来 り 放 送 之 件 を 頼 む 。
十二月十 五日 金
松 下 権 八 来 り 実 川 と の会 談 を 陳 弁 す 。
十 二月十九日 火
山本伯十日祭 ( 不 出 席 、 放 送 局 行 の為 )。
午後愛宕山放送局を視察す。
晴
此 日松 村 安 保 を 訪 ひ 要談 、 安 保 大 に感 じ 涙 下 ると 。 松 村 之 苦 心 を
夕 、 有 馬 夫 婦 、 浦 部 、 志 波 、 浜 中 来 り 一同と 合議 、 円満 決 す 。
晴
察す 。
藤吉 中 将外 一予備 役 暇乞 に来 る。
の私 見 を 聞 き 、 安 保 大 将 の引 退 申 出 を報 ず 。去 る 十 六 日と 聞 く。
夕、小林 ︹ 宗之助、少将︺新 人 事 局 長 来 り 、 寺島 、左 近 司 問 題 に付 予
晴
笹 川春 二来 り 写真 を 乞 ふ。
在郷軍人 ( 福 井人 ) 会 。
十 二月十 六日 土
山 本 大 勲 位 を 偲 ぶ 放 送 、愛 宕 山 。 午後 七 ・三 〇 。小 笠 原第 一に成
十 二月 二十日 水
談話会を断り放送原稿を調ぶ。
豊 田 久 二 小 笠 原 に 面 会 、 海 軍 人事 を 云 ふ 。
晴
末次 中 将来 訪 、午 餐 を 共 にす 。
四 十 一期 級 会 、十 五 円を 祝 す 。
功 を 祝 し 呉 れ る 電 話 あ り 。 志賀 子 も仝 じ 。
曇 夜 雨
午前 小林 省 三郎 の講 話 を 聞 く ( 総 長 御 室 )。
午 前 新 島 に 骨 折乞 ふ 。
晴
武富 、 浜中 及新 放 送 掛 来 り 、 二十 日 の放 送 を 頼 む 。 小 笠 原 と 相 談 、
︹ 欄外︺ 放 送 。
諾す 。 安保 大 将海 相 に辞 意 を 表 す 。
十 二月二十 七日 水
晴
午 前浦 部 義文 、 富 田と 聖来 り 、立 雄 に会 ひ 、仝 行 下高 井 戸を 訪 ふ 。
久 保 、 浜 中 来 り 大 に努 む。
晴
連 日 の疲 に 予 の頭痛 甚 し 。
早 朝 千坂 を訪 ふ 。安 保 其 他 人 事 に付 語 る。 十 二月二十 二日 金
高 橋 中 将 来 訪 、 松 山 病 気 の件 に付 憂 慮 を 語 る。
十 二月二十 一日 木
午 前 九 時 より 大 学校 研究 会 。
十 二月二十 八日 木
晴
正 午水 交 社 、 殿 下御 招 宴 。
理髪。
晴
夕 、 中 川 之 軍令 部会 後 、福 井 楼 に大 角 、 松 山 、 町 田等 と 飲 む 。
午 後 浜 中 、 有 馬 来 り 大 に周 旋 す。
晴
皇 太 子 殿 下午 前 六時卅 九 分 御 誕生 。 大 内 山 に瑞 雲漲 る 。 富 美 栄 結
十 二月二十 三日 土
立雄、寿太郎来訪。
十 二月 二十九日 金
納 水交 社 に て行 ふ。 大 慶 々 々。 正 午 浦 部 外 十 五名 を 招 く 。
継 宮 明 仁 親 王 殿 下御 命 名 。鳥 海外 二隻 品 川沖 皇 礼 砲 。 全 国瑞 気 満 。
晴
十 二月二十 四日 日
浦 部 聖 、 富美 栄 結婚 式 。水 交 社 。媒 酌 、 高 橋 三吉 氏 夫 婦 代 古 市 龍
千代之為に鏡を買ふ。
八 田満 鉄 副総 裁 に招 か れ、 豊 田久 二、 津 田直 枝 、 久 富 と 梶 田 家 に
雄 夫 婦 。 孝 治 、 実 帰 京 、水 交 社 に出 席 。
晴
飲む。
十 二月三十日 土
海 晏寺 に 四 十 七 円 六 十銭 支 払 ふ。
午 前 千 代 と 三 越 に趣 き 富 美 栄 に サ ン ゴ帯 止 五十 円 を 購 ひ 贈 る 。
在宅。千代風邪。
午 後 加 藤 亮一 宅 を 見 舞 ひ 、 菓 物を 送 る。
晴 夕 雨
此日大に酔ふ。 十二月二十 五日 月
晴
午 前 浦 部 聖 来 る。 午 後 林 正 義 ︹ 中尉、予備︺来 り 懇 談 す 。 小 林 省 三
十 二月三十 一日 日
晴
郎 を 尋 ぬ 。島 崎 、井 口 、安 川 来 り 、 林 と 共 に食 談 、 大 に 悦 ん で帰 る。
晴
富 美 栄 。 寿美 、 浦部 逗 子 に行 く 。 十 二月二十 六日 火
久 保 、 浜 中 より 祝 品 来 る。 立 雄午 後 五時 奉 天 より 帰 京 。 松 波仁 一郎 招 待 、木 挽 町、 清 水 、 新 谷 に会 ふ。
昭和九年
陸軍大臣︺問 題 を 談 ず 。 東 郷 元 帥 不 治 之喉 頭 癌 に 付 小 笠 原 痛 心 。 関
根 ︹ 郡平、大佐、軍事普及部幹事︺ 、 園 田、 真 崎 ︹ 勝次、少将、横須賀人事部長︺ 来る。
一月五日 金
晴
孝 治 之為 外套 を 丸善 に求 め し む。 九 ・四 五 P発 帰 呉 。
実 帰宅 。 立雄 宅 富 美 栄 里帰 り 。 荒 木 陸 相病 む 。
下 高 井 戸 に行 く 、大 に酔 、 悔 大 。 風 邪 大 に 流行 。
晴 朗 吉 瑞 満
連 日晴
山 本清 来 訪 、伯 死去 の 際之 礼 と し て 反物 を 持 参 す 。
夜 末次 、 加来 ︹ 止男、中佐、聯合艦隊参謀︺来 訪 す 。
寛 一と ヤ ツ コに 昼食 、給 仕 満 。
一月 一日 月
︹ 東郷平八郎、大将︺、 佐 々 木 、 小 山 を 年 始 。
一月六日 土
元帥 陸軍大将、参謀総長︺、 元 帥
総 長両 宮 殿 下 ︹ 伏見宮博恭王、 元帥 海軍大 将、 軍令 部長、および閑院宮 載仁親王、
︹ 大倉商事常務取締役︺夫 婦 来 る 。
︹元陸 軍大学校教授︺ に 招 か る 、 清 瀬 。
下 郷 義 一外 親 族 来 る 。 大 倉 彦 一郎 横 井忠 吉
一月七日 日
荒 木を 電 話 に て 見舞 ふ 、秘 書 官 と 。 午 後 。 晴 寒
一月 二 日 火
晴
終 日在 宅 、 年 賀 状 認 め 。
風 邪之 心 地。 午 後 石 川 暇乞 に来 。 夕 下郷 義 一来 訪 、 中 里 に紹 介 を 頼 む 。 中 里と 電話 、 諾 。
晴
︹ 正義、 元中尉︺、 大 岸 二 度 来 る も 不 在 不 会 。
一月 三 日 水
林
寒 気 殊 に甚
林 、大 岸 来 り 二時 間 余 大 事 を 告 ぐ 。 要 は 陸 軍 之 暗 闘 、 私 闘 な り 。
一月八日 月
寛 一夕 八 時発 帰 阪。 ︹ 新聞記者︺一 寸 来 る 。 三 時 頃 よ り
︹ 信正、大将、聯合艦隊司令長官︺外 四 十 余 名 、 大 盛 会 。 浦
三 日会 、 末 次
風 邪 中 々去 らず 、鼻 喉 不良 。
伊 東芳 峡 早 く より 来 る 。 今 立 裕
午前出部、総 長宮殿 下及海相 ︹ 大角岑生、大将︺に 祝 詞
︹ 清種、大将、軍事参議官︺の件 話 あ り 。 予 の意 中 を 述 べ大 臣 に任 す と
御 召 に依 り 、 総 長 殿 下 に次 長 後 任 之 意 見 申 上 ぐ 。 大角 よ り 安 保
( 新 年 の)、
部 夫 婦 、 立 雄 夫 婦 、 細 谷 大 に働 く 。 酒 良 醇 に し て 必 し も 酔 は ず 。
晴 ︹ 貞夫、陸軍大将、
山本悌次郎 ︹ 衆議院議員、政友会︺御 召 御 用 談 あ り 、 大 角 引 続 伺 候 、
一月 四 日 木
︹ 長生、中将、予備︺、 田 辺 治 通
︹ 満洲国参議︺、 荒 木
寛 一帰 宅 す 。
小笠原
告ぐ。午後糟谷
︹ 宗 一、大佐︺、 町 田 、 長 谷 川
︹ 清カ、 中将、軍縮会議全権
一月十五日 月
晴
午 後 大 西 敬一 ︹ 少佐︺来 訪 、 菓 物 を 贈 る 。
副官 ︹ 浜中匡甫、中佐、加藤寛治副官︺来 、 逗 子 浦 部 に 林 之宿 泊 を報 ず 。
稍 曇 雨 な し 寒 稍 緩 く
一月九日 火
安 保 大 将 予備 役 発 表 。
マ︹マ︺
委員︺来 る 。 立 雄 夫 婦 、 浦 部 夫 婦 本 家 に 招 か る 。
松 菊 に 紅 葉 に 招 か る 。 小 栄 龍 之 人 形 踊 、 勝 吉 郎 之 歌等 豪 宴 なり 。
曇 寒
松村純 一 ︹ 中将、予備︺より 十 八 日国 技 に 招 待 。 一月十 六日 火
広 太 郎 な るも のあ り 。 晴 夕 雨
午 後村 上 、森 山 達枝 来 る。
午 前 総 長宮 殿 下 に伺 候 後 小 笠 原 へ答 礼 。
一月十日 水 午 後 五 ・二 五発 湯 河 原 天 野 屋 に 千 代 と 静 養 。
一月十七日 水
夕 談 話会 、宮 相 ︹ 湯浅倉平︺ 、 安 保 、 水 町 、 江 口及 法 相 ︹ 小山松吉︺ 。
立 雄 出 発 帰 奉 。 下郷 母 死去 、 伝 平 氏 ︹ 仁寿生命保険社長︺長 浜 に向 ふ を東 京 駅 に送 る。
午 前 浜 中 に 頼 み 森 山 之 交渉 を 周旋 せ し む。
晴
大倉 喜 七郎 ︹ 大倉組頭取︺母 逝 去 。
高橋 ︹ 三吉︺中 将 ︹ 第二艦隊司令長官︺神 戸 、 名古 屋 を受 持 つ事 と な る。
晴
一月十 一日 木
加藤隆義 ︹ 中将、前航空本部長︺松 山 茂 ︹ 中将︺に代 り次 長 と な る 。
熱 海 に 松 山を 見舞 ふ 。 再起 之 兆 な し。 天 野屋 静 閑 。 原 修 二郎 隣 室
出光 ︹ 万兵衛、少将、侍徒武官︺来 訪 、 宮 中 と 結 束 の為 連 判 状 を 作 成 し
上 に差 上 度 と 申 出 づ 。 不 可 を 諭 す 。
に在り。
揮 毫 。 日出 小 説 に 付 予 に 注 意 す 。
加 藤 亮一 ︹ 主計中将、予備︺夫 人 逝 去。 一月十 二日 金
晴
広 河 原 青 轡 荘 附 近 に 散 歩 、 浦 部 、富 美 栄 新 婚之 宿 也 。
午前長谷川 ︹ 清︺報 告 、 軍 参 々集 。
晴
一月十 八日 木
一月十 三日 土
晴
伊藤金次郎 ( 日 々) 非 常 時 海 軍 之 人 物 展 望 に 予を 中心 と す 。
云 へと 答 へ且 つ内 務 省 之 所 管 を 何 故 軍 令 部 に糺 す やと 反 問 を 命 ず 。
へ取 調 べ方 命 ぜ ら れ た る 話 を 聞 く。 ﹁プ ラ ツト ﹂ の レプ ラ イ 也 と
午後松村 昇 ︹ 東京商工会議所議員︺に 国 技 館 桟 敷 に 招 か る。 森 山 、 安
浜中 より 日出 日米 戦 争 序 文 に付 出 淵 之 過 敏 な る 上 奏 之 結 果 軍 令 部
一月十 四日 日
保 、 松 純 兄 弟 。後 金 田 中と 紅葉 に て盛 会 に招 か る。
千 代 と 熱 海 梅 園 に遊 ぶ 。
午 前 十 一時 二十 七 分 湯 河 原 発 帰 京 す 。
加 藤 亮 一家 を 吊 訪 す 。
伊 藤 金 次 郎 非 常 海 軍 之 人 物 展 望 第 二 日、 予 之 履 歴 を 詳 記 す 。
長 浜 下 郷 母葬 式 。 加 藤 亮 一夫 人 仝 上 、 青 山 。
晴
大倉 喜 七 郎 母仝 上、 護 国寺 。
千代 と 幸 鮨 に行 く 。
一月二十 五日 木
安 藤 正純 ︹ 政友会︺衆 議 院 に陸 海 両 相 声 明 を 攻 撃 す 。
夕 、 中 村 喜 三来 る。 其 前 竹 内 ︹ 賀久治、国本社社員︺来 り 中 島 ︹ 久万吉︺
極 寒 本 年 の最 大
に花 を 咲 か す 。
一月十九日 金
東郷元帥を見舞、荒木 ︹ 彦弼︺主 計 少 将 ︹ 海軍省経理局第 一課長事務取扱︺
軍紀 問 題 に て議 会 陸 海 軍 に突 掛 る。
商 工大 臣其 他 政 友 関 係 閣 僚 之 非 行 を 告 ぐ 。 時 事 に 記 述 あ り と 。
寒 気 に ふ るふ 。 夕 安 保 大 将 送 別 、 海 相 邸 、 総 長 殿 下台 臨 、懐 旧 談
贈 の大 か にを 呈 す 。 小 笠 原 に 仝 上 。
晴
藤田 ︹ 尚徳、中将︺次 官 に奥 名 ︹ 清信︺ の行 先 を頼 む 。
夕、荒井陸男 ︹ 画家︺の招 き に て 宝 塚 歌 劇 を 見 、 後 味 覚 に 行 く 。 千
横須賀赤城、殉難少佐□
清 河 来 り 夕食 を 共 にす 。
午 後 下 郷 桟敷 国 技を 見 る。 今 立裕 を 仝 行 す 。
一月 二十 一日 日
右 之 後 古 市 公 威 男 を 見 舞 ふ 。 千 代 も 後訪 、 ﹁ハム﹂ を 贈 る 。 ︹ 欠︺ 森 山 達 枝 来 り 、 三 月 十 日 山 田□ 神 宮 に て 講演 依 頼 に来 る。 諾 。
正 午 山 本 伯 五 十 日 祭 、 二 百 余 名 、 東 京会 館 に招 か れ 、宮 相 答 辞 。
一月 二十七日 土
栄 の葬儀に及後会を代表す。
一月 二十日 土
代同行。後f co.春 に 三 人 に て 行 く 。 之 が始 め て也 。
連 日晴 ︹ 欠︺
今 立 、 浜 中 来 る 。 午 後 五 時南 郷 、矢 田 両家 結 婚 式 。水 交 社 に招 か
一月 二十六日 金
る。
午前、藤森 ︹ 清一 郎︺大 佐 ︹ 駐満海軍部参謀長︺来 り 、 満 洲 の文 武 相争 、
晴 暖
大角挨拶す。
軍 の衰 弛 を 報 ず 。
午 前 松 下 権 八 来 り 元 帥 病 状 を 憂 ふ 。 心臓 の 弱り を 訴 へら ると 。
満洲国帝政発表。
一月 二十二日 月
三 宅 駿 吉 少 佐 夫 人令 息 海 兵 試 験採 用 を頼 に 来 る 。
晴
晴
荒木辞表を呈し突嗟に林 ︹ 銑十郎、陸軍大将、教育総監兼軍事参議官︺を 推
大 岡 某 カ ラ スミ を持 来 る 。
晴
薦 す 。水 際立 ち 内 閣 呆 気 に取 ら れ 痛 快 千 万 也 。
一月二十 八日 日
午 前 八 時古 市 公威 死去 。
晴
夕 、林 正 義 来 る。 訓 諭 し山 岸 姉 之 処 に泊 す と 云 ひ 帰 る 。 一月 二十 三日 火
晴
千 代 逗 子 に有 馬 、 浦 部 を 訪 ふ 。
一月二十九日 月
夕 、東 劇 に東 洋 母を 見 る。 ︹ 長︺ 浦 部夫 婦 来 る。 永 嶺 夫 婦 来 る。
午 前 千 代 と 古 市 家 を 吊 訪 す 。 予 一〇 、 寛 一、 五 。
晴
広瀬太次郎 ( 長 谷 川 清 妻 の親 戚 ) に 招 か れ 清 と 倶 に 築 地 田 川 に 行
晴
く 。 大 に酔 ふ 。 一月 二十四日 水
寿美子来る。 曇 寒
二月 三日 土
雪 積 寒 五 寸 位
午 前 浜 中 来 る。 午 後 二時 小 笠 原 を 訪 問 中 、 山 下 知 彦 ︹ 大佐、呉工廠総 ︹ 欠︺ 務部員︺ 、末□参謀来会、強力内閣に付語る。
一月 三十日 火 松 尾 伝 蔵 外 二福 井 旭 教 育 会 の者高 師 移 転 反 対請 願 之為 来 訪 。 三土
千代 五 〇円 出 銀 。
林 正 義 又帰 り 面 会 を 求 む 。 不 会 。
二月四日 日
を 動 か す べく 教 ゆ。 豊 田久 二 来 り 海 軍 の 沈 滞 を憤 る。 吉 村夫 婦 来
林 正義 来り 、 陸 軍 の内 情 を 報 告 し 、 最 後 の警 戒 を 乞 ふ 。 諭 し て帰
訪。 高 橋 長 官 出 港 に付 来 る。
晴
古 市 公 威 男 通 夜 に行 く 。 田中 館 、 有 坂 あ り 。
も未 然 防止 に努 む る は感 心 也 。
国 せ し む。 成 否 不明 。 彼 呉 、和 歌 山 を 往 来 、 陸 軍と 連 絡 す 。 而 か
午 後 竹 内 来 訪 、 正義 派 の内訌 を 聞き 唖 然 たり。 小 畑 ︹ 敏四郎、陸軍少
晴
一月 三十 一日 水
将、近衛歩兵第 一旅団長︺ の猛省 を要 す 。林 の警 言 は 元教 育 総 監 を 中 心
房 や帰 る。 可 憐 。 千 代 も 泣 く 。
午 前 南 条 金 雄 、岸 科 、 津 上 製 作 之 資 本 三 井 出 成 功 の礼 に 来 る 。
と す る 急 進 派 を 指 す こ と 諒 解 す 。 フア ツシ ヨ党 と 云 ふ は此 派 か。
晴
夕加来止男来る。
丸 ビ ル刀 剣 会 に兼 元 及 見 三 原 を 見 る 。
二月五日 月
鎌倉僧来る。
小 畑 は 此 派 よ り 孤 立 せ る 也 。南 は 問 題 に な らず 。
二月 一日 木
( 太 田声明
午 後 千代 と荒 井 ア ト リ エ訪 問 、 酒 其 他 を 送 る。 日比野 ︹ 正治︺少 将 ︹ 軍事普及部委員長︺来 訪 、 今 朝 の注 意
午 前 殿 下 に 伺 候 、奥 名 問 題 に 付藤 田 次官 の 口約 を 申 上 ぐ 。 日出 之
二月六日 火 晴
塩 崎 与 吉 来 り 酒 を 贈 る。 予 揮 毫 大 五枚 を 与 ふ 。 国 防 婦 人 会 之 為 。
に 対 す る 米 国 の 反響 駁 撃 の件 )。
序 文 に 就 て 御 注 意 あ り 。 次 に 軍縮 態 度 に 付 絶対 性 を さく べき 御 注
二月 七日 水
津上、岸料来訪、礼を述ぶ。
晴
意。 松下権八に書を渡す。
晴
夕三金会、三浦、高知之生活、吉武。
聯 通末 永来 り ﹁ル ーズ ベ ル ト﹂ と 予備 交 渉 の為 予 の本 意 を 聞 か ん
菊 地立 て大 に 中島 を 痛 む 。
とす。
曇 細 雨
明治神宮権宮 司 ︹ 秋岡保治︺外 一名 来 り 三 月一 日代 々木 青 年 会 館 靖
二月 二日 金
太郎 ( 名 古 屋 ) へ紹 介 状 を 与 ふ 。
千 葉 断 一、 佐 藤 市 郎 大 佐 ︹ 海軍省教育局第 一課長︺来 る 。 千 葉 に青 木 鎌
午 後 理 髪 。 モ ナ ミ に於 て水 城 未 亡 人 弟 に 会 ふ 。
国会 之 講 演 を 懇 請 す 。 諾 。 二月十 三日 火
方 も無 き 手 紙を 受 取 れり と 報 ず 。 深 川 細 井 云 々。
有馬夫人告別式に行く。
末次夫人来訪す。
明 十 四 日午 後 八 ・三〇 始 の 日蝕 を 気 遣 ふ 。
晴 午 後 曇
保 料夫 人 、 寺 崎 夫 人 来 る 。
練習艦隊乗員送別。
夕 、 三福 に千 代 と 夕 食 を 倶 に す 。
曇
山 本 伯 履 歴 編 纂 相 談 会 、 予 不参 。
二月十 四日 水
講 演 原稿 認 む 。
日蝕 ロ ワ ツプ 全 蝕 、 東 京 八 ・三 〇 始 約1/ 、3 九 ・二 八 甚 蝕 、 一〇 ・
晴
二九 終 。
二月八日 木
孝来る。久富 ︹ 達夫、東京日日新聞記者︺に紹 介 。
鎌田告別後両国に散歩。
中島商相辞職す。
︹ 欄外 に図あり、略︺
ライ ブ 、 油 壷 水 産 試 験 所 を 見 る 。後 浜 中宅 に て 昼食 。
晴
二月十五日 木
晴
日比 野 少 将 、 来 訪 。
二月九日 金
今 立 裕 、坂 井一 意 来 る。 新 谷 に紹 介 状 発 送 す 。 晴
午 前 十 一時 練 習 艦 隊 出 発 を 見 送 る 。 海相 珍 し く 来送 。 三浦 半 島 ド
二月十 日 土
金 子 伯 祝賀 会 を発 起 之為 め内 田、 原 口 ( 陸 中 ) に工 業 倶 楽 部 に招
二月十六日 金
衆 議 院 岡 本 ︹一巳、政友会︺対 鳩 山︹一郎、政友会︺尖 鋭 化 す 。
全 国 建 国祭 に 湧く 。
二月十 一日 日
鳩 山 問 題尖 鋭化 、内 閣危 し 。
集 の必 要を 述 ぶ 。
特 検 軍事 参 議 官会 議 、対 露 警 告 を 与 へ露 士 亜 研 究 海 軍独 自 情 報 蒐
晴
か る 。 有力 な る来 会 者 あ り 。 三好 三菱 功 の友 人 に会 ふ 。
鉄道 大 臣 に 回向 院 問 題を 頼 み計 画 課 長 に 主 務 者 を 会 は し む と 答 を
快晴
得。
山 下与 平 、 中村 □ 三 及柴 田依 頼 の小 学 校 よ り 贈 品 多 々来 る 。 ︹ 長︺ 千代 永 嶺 、 松 山 、 功 等 を 尋 ぬ。
二月十 二日 月
二月十 七日 土
仁、 養 子 の件 始 聞 く 。 三井 重 役 某 の事 。
︹ 欄外︺ 御 賜宴 。
午 後 伏 見 宮 御 殿 に祝 詞 記 帳 。
午前千坂 ︹ 智次郎、中将、予備︺を 訪 問 す 。 政 情 に 付 意 見 を 交 換 。
晴 風 寒 し
山 本 開 作 に電 話 、 回 向 院 問 題 に 備 へし む 。
午 後 二 六山 本 、 報 知 鈴 木 来 る。 平 沼 内 閣 に 付 偵 察 訪 問 也 。 山 本 は
晴
夕 小 笠 原 よ り 某 狂 人 予 と 小 磯 を 畿 り 彼 の弟 を毒 殺 せり と 云 々 の途
内閣倒壊に付確信す。
ると 総 長 宮 殿 下 の御 言 葉 に 恐 懼 す 。
︹ 伏見宮、東郷︺の御 意 中 余 等 の私 見 と一 致 す 。
海洋少年団長原道太来る。
二月 二十 二日 木
夕 、 小 笠 原 を 訪 ふ 。 平 沼 之 件 、 海 相 後 任 の件 等 相 談 す 。 両 元帥
午 後 多 門︹二郎、陸軍中将、予備︺告 別 、 山 下 ︹ 源太郎︺大 将 忌 日 に付 立
午 後 伊 東 巳 代 治 伯 の告 別 式 の為 本 願 寺 に 行 く 。 金 子 伯息 ︹ 武麿︺に
晴
山墓地に参詣。
会 ひ靖 国会 講 演 断 り 之 由 承 知 し 予 も 仝 じ く 断 る 。
二月十八日 日
夕、真崎 ︹ 甚三郎、陸軍大将、教育総監兼軍事 参議官︺と 電 話 、 本 庄 ︹ 繁、陸
浜 中 大 に 之 が 為 奔 走 、 所 謂 何 々会 の非 な る に 驚 く 。 内 田 信也 ︹ 衆
午 前 佐 藤 □ 松 来 る。 文 部 省 関 屋某 ︹ 龍吉、社会教育局長︺に付 推 賞 す 。
軍大将、侍従武官長︺の決 心 を 聴 く 。 林 同 断 。 共 に 平沼 擁 立 に 固 し。
晴 風 塵 万 丈
夜 小 笠 原 来 訪 、 政 情 に付 秘 話 す 。
議長︺接 近 を 心 配 す 。 予 仝 然 之 を 非 認 す 。
議院議員、政友会︺来 り 久 原 ︹ 房之助、同︺、 秋 山 の平 沼 ︹騏一郎、枢密院副
二月二十 三日 金
︹ママ ︺
二月十九日 月
千代 と 海晏 寺 参 詣 、 幸 鮨 に行 く 。
国 風会 宮島 某 上泉 の紹 介 に て本 売 に来 る。 拒 絶 。
理髪 。内 田 に妄 を 解 く 。
晴
小 笠 原 電 話 。 平 沼 、 鈴 木 連 繋 云 々。
晴
出 光 武 官 之 来 訪 を 乞 ひ政 変 に 際 す る 君 側 之 大 決 心 に付 依 頼す 。
孝帰満す。 二月二十日 火
晴
浅 野文籌 、本 田仙 太 郎 紹 介 に来 り 、 誠 意 以 て故 草 刈 少 佐 建 碑 に 付
午 前 十 一時 十 分 千 代仝 伴 参 内 。 千代 松 平 に て 写真 を 採 る。
二月二十四日 土
︹ 欄外︺皇 太 子 殿 下御 二ケ 月 御 祝 典 第一 日 。
此 日 午 前 六 時浅 間丸 に て浦 部 老 祖 母布 哇 より 着 、 富 美 栄 出 迎 す 。
す。
浜 中 来 る 。 歌 之書 を 頼 ま れ 富美 栄 に托 し手 本 を 牛 込 の先 生 に求 む 。
原 田 正来 り套 堂 保 護 に付 語 る。 尚 ほ福 井 行 に付 仙 石 へ紹 介 状 を 発
意 中を 述 ぶ。 松 永 中 佐 に紹 介 す 。
望 月圭 介 ︹ 政友会︺総務 を 辞 し 国民 に謝 す 。
浦 部 老 女 一行 村 田 邸 に泊 す ︵ 下高 井 戸)。
︹マ マ︺
寿 美 子 帰 満 。 大 阪小 学 校 代 表 二百 名 来 る件 。 楠 公 堂 福 田 某 よ り 電
晴
話 。 明 日 午前 十一 時 歌舞 伎 に行 く 。 予夫 婦 、 荒 井 、 伊 也 子 。 差 支
晴 風
︹ 欄外︺御 祝 典 第 二 日。 二月 二十五日 日
終 日書 写 ( 歌) 及 び 講 演 原 稿作 。
︹ 欄外︺小 笠 原 紀 尾 井 町 に 参 ず 。
竹内来る。
断。
二月二十 一日 水
晴
前 橋 中 来 る 。 十 一時 十 分 軍参 会 議 、宮 中 。 鳩 山 問 題宸 襟 を艱 し 奉
動とす。
午 前 省 出 、 奥 名 問 題 に 付 殿 下 に 言 上 。藤 田 次官 と 会 見 、 廿 八 日発
二月 二十六日 月
三月 四日 日
三月 三日 土
秀 也 来 る。
晴
初雪
中 川 に露 館 員 を 招 く 。
奥 名 来 り 、 衷 情 を 訴 へ予 に 感 謝 す 。
終 日書 。 訪 客 二、 三 。 和 田 豊 吉 に篆 額 を 与 ふ 。
午 後 日本 劇 場 に 輝 日 本 に 招 か る 。 千 代 、 仁 、 五郎 、浜 中 外 五郎 友
︹ 欄外︺祝 典第 三 日 。
人加藤。
予 の中 傷 に 付 心 配 。
小笠原子爵来訪。
三月 五日 月 寒 気 殊 に 甚
︹ 欄外︺祝 典 第 四 日 、一 万 二千 余 。
宮 城 前 自 働 車 に て埋 る 。
揮 毫 。 億 兆一 心 。 千 代 三 越 に 楠 公 展 を 見 る 。感 激 深 し 。 活動 も 稍
晴
二月 二十八日 水
竹 内 よ り 来 信 。 政 界 情 報 三 宅 敬治
小 西 来 訪 。 十 一時 よ り 千 代 と 武 州 大 沢 に観 梅す 。米 子 大 に斡 旋 す 。
三月七日 水
晴 寒
二月 二十七日 火
森彦兵衛兄弟来る。
三月六日 火
見 る べし 。
終 日書 を 認 む 。 夕散 歩 。
村上龍英 ︹ 東洋高等女学校主︺友 人 和 田 幽 玄 、 三国 内 田 之 為 に篆 額 を
参内拝謁。
藤 田 次 官 奥名 に 辞 職 注 意 、終 て 予を 訪 問 報 告 す 。 十 時 半 御 殿 に て
講演原稿認む。
奥 名 に 会 ひ決 意 を促 し 、直 に出 部 、 殿 下 に言 上 す 。
告 の ﹁タ イ プ ライ タ ー﹂ を 送 る 。 早 速小 笠 原 に転 送す 。
頼に来る。諾。恭倹積徳。 ︹ 五︺ ︹ 欄外︺御 祝 典 第 四 日。
三月 一日 木 晴
三月八日 木 曇 ︹ 辣︺ 入 間 野 に 電 話 之 アド バ イ ス、 今 政 界情 報 主 任 三宅 敬 治 の悪 埓 に付
晴
青 年 会 館 、靖 国 会発 会 式 。講 演 、 靖 国 の精 神 は 武 士 道 の精 神 也 。
注意す。
晴
満 洲 帝 王 宣布 に 付祝 詞 に公 使 館 に行 く 。 夕 、 東 京 会 館 大 晩 餐 会 。
て は第 二 の 五 ・ 一五事 件 起 る べ しと 注 意 に来 る。 彼 等 仝 志 は 予 に
国 体 擁 護 団 六 、 七名 来 訪 、 平 沼男 に 面会 後 の来 訪 にし て、 現 状 に
( 元時 事 社員 ) 之 予と 小 笠 原 誣
馬 淵夫 人 来り 書 を頼 む 。
浜中来訪。
晴
﹁神 々 し﹂ かり しと 告 ぐ 。
河合 ︹ 操、枢密顧問官︺予 に 本 日 の講 演 を 賞 む 。 某 陸 軍 予 備 少 将 は
三月二日 金
三月十 五日 木
午 後一 時 全 国優 良 青 年 団代 表 へ日本 精 神 に就 て講 話 を 為 す 。 午 前
大 阪 附 近 吹 雪 山 東 は 晴 れ
待 た ざ れ ば 救 ひ難 云 々と 語 る 。 予 の平 沼 に 全 然 合 一す る を 以 て 同
午 前 八 ・三七 発 、 一〇 ・五 〇宇 治 山 田着 、 参 拝 、 油 屋 に て昼 食 。
三月九 日 金 徳富 ︹ 蘇峰︺。
晴
氏 の意 見 は余 の意 見 な り と 思 へと 語 る 。
夕 戸 田 家 に て休 憩、 夕 飯 。 徳 富 翁 夫 婦 来 室 。
午 後 七 ・ 一〇発 、高 石 其他 日 々幹 部 と 帰 京 す 。
千代 上 高 井 戸 に行 く 。 小 笠 原 来 訪 。
講 演 大 成 功 、 徳富 大 に謝 す 。
書を認む。水谷耕喜在広島予備大佐来訪す。
三月十 日 土
三月十六日 金
晴 寒 本 年 の最 也
記念 日祝 典 に参 ず 。
寒 気 不 去 。 午 前 六 ・三 〇着 京 。
晴
殿 下御 西 下。
十時出省、大臣を見舞ふ。
晴
三月十 一日 日
晴
午後 九 ・二 五神 戸 に向 発 。
三月十七日 土
意見書を送る。
雨
午 前 十 時 閑 院 官 邸 に 於 て 軍 人 後 援 会 表彰 会 に出 席 。
三月十二日 月
午 後 二時 、 筥 館 三 島 義 堅 来 る 。 新 島 仝 行 。
午 前 四 時 友鶴 顛 覆 、 大惨 事 。 雨 中 な ほ 播麿 造 船を 視 察 、 夫 より 御 岬 某 青 楼 に昼 食 招 待 を 受 け 、
三月十八日 日
︹マ マ ︺
赤 穂 視 察 、 午 後 六 時 半 頃 神 戸着 、 ﹁オ リ エ ン タ ル﹂ に 投 ず 。 夫 よ
佐 世 保 に於 て友 鶴 殉 職 者 合 同 葬 儀 。 晴
り菊水と宝屋 ( オ) へ、菊 水 大 に歓 迎す ( 福 )。
千 代 と 久 慈 梅 林 、 夫 よ り 上 高 井 戸 に 富 美 栄 を 見 舞 ひ 、 三 福 に夕 食
半晴
早 朝 素 子 母 子 を 迎 へ送 り 、 一〇 ・三 〇神 戸 発。 総 長殿 下 に御 伴 す 。
三月十九日 月
す。
三月十三日 火
車 中 御 物 語 に 感 激 す 。 夕 、 呉着 、 水 交 社 、 長 官 ︹ 中村良三、中将、呉
午後頭痛、耳下痛。
晴
鎮守府長官︺晩 餐 。
伊 藤 利 三郎 、 坂 井 一意 、 奥 名 来 る 。
半 晴 寒
三月十四日 水
孝治大に元気。
下郷 妙 来 訪 、 千 葉 夫 人 来 る。 主 人 之 事 を 心 配 す 。
久 富 来 り 、 清 浦 の動 静 、 荒 木 の非 平 沼 等 悪 宣 伝 あ り と 報 ず 。
晴
〇 ・四 五呉 発 、 夕 八 ・四五 大 阪 着 。 桃 山 荘 へ 一泊 す 。
三月 二十日 火
午前十時半最上進水す。
︹マ マ︺
竹 ノ内 の電 に 依 る。 林 積 極 に 進 ま ん と の意 。
夕 、山 田 、村 田 、福 田景 岳 幹 事 来 る。
午後 長谷 川来 る 。
官 の 周旋 を頼 む ( 寄 附行 為 に付 )。 断 る。
副島 ︹ 大助、大佐︺兵 校 教 頭 来 り 参 考 館 建 設 に付 相 談 す 。 軍事 参 議
談 話会 、 断 。
し来る。
伊 藤 幾 久 次郎 、 江守 某 と共 に左 内 先 生 書 、 ペ ル リ上 陸 の画 を 持 参
藤 井 三 回 目 行 く 。 大 に快 方 。
近 江一 郎 ( 西 尾真 一友 人) に書 を 与 ふ。
三月 二十六日 月
午 前 九 段 軍 人 会館 落 成式 に参 会 す 。
三月 二十五日 日
藤井療治に行き大庭 ︹ 春雄、元海軍少尉︺に会 ふ 。
午 後 二時 全 国 在 郷 軍 人 代 表 者 八 百 余名 。
三月 二十四日 土
晴
晴
晴
曇 暖
新 宮 写真 師 大 肖 像 画 を 撮 影 せ んと 乞 ふ。 断 る。 ︹ママ︺
満 洲 特 使鄭 孝胥 東 京 歓 迎 盛 也 。
︹気 管 ︺
三月二十 七日 火
寺 尾 に診 察 を 受 けし に機 関 支 炎 、 水 張 れ あ り と 。 大 に 警 戒 す 。 風雨あり
軍神 広 瀬中 佐 閉塞 隊 戦 死 三 十年 祭 を 須 田町 銅 像 前 に 行 ふ 。
三月 二十 一日 水 参内 ( 賢 所 )。
調査 委 員 長 。 三月二十 八日 水
人事 局 長 東 京 駅 に来 り 、 山 下 、 藁 谷 ︹ 英彦、造船少佐、呉工廠総務部︺仝
午 後 一時 特 急 に て発 、 佐 世 保 へ急 行 。
晴
︹ 欄外︺人 事 局 長 ︹ 小林宗之助、少将︺よ り 内 報 、 千 鳥 型 水 雷 艇 外
荒 井 陸 男 の招 待 を 受 け中 島 に飲 む 。
晴
西尾 信 一友 人 近 江 一郎 来 り 、 題 字 を 乞 ふ 。 明 治 座 に行 。 三月 二十 二日 木
千 坂 よ り 電 話 、 清 浦 に 付 憲 兵 よ り も 情 報 あ り と 。 午前 小 笠 原南 郷 ︹ 次郎、少将、予備︺と 会 ふ 由 。 午後揮毫。寺尾に受診。
行 の心 配 を 告 げ 来 る 。
佐 世 保 着 後 直 に千 鳥 、 友 鶴 を 見 、 山 の晩 松 楼 に て米 内 ︹ 光政、中将、
午 後 二時 佐 世 保 着 。 山 下 、 藁 谷 下 の関 に て 仝 行 。
晴
三月 二十三日 金
神符。
佐世保鎮守府︺長 官 の招 待 を 受 く 。 大 盛会 。 後半 は 予 よ り 招待 す 。
︹ママ ︺
筥 館 三 島 義 堅 丸 焼 に 付 慰 問 品 を 贈 る 。鰹 節 、木 製 ボ ン、 菓 子 、 赤
三月 二十九日 木
右実行。
副官来訪。
晴
ラ グ、 毛 布各 一、 独 逸 行 の 時 英 国製 外 套 裏 毛 代 用 絹 糸 付 、 内 宮 御
直 麿 海 晏 寺 に参 り来 訪 。顔 色 不健 康 。
三月三十日 金
晴
夕 、 三 宅 坂 、 藤 井 百太 郎 療 法 に行 く 。
夕 、 水 交 社 に て 返礼 。 午後 八 ・三 〇発 鹿 児 島 へ。
午 前 加 賀 、 八 重 山を 見 、午 後 工廠 関係 及 艦 艇 長 の意 見 を 聴 く 。
午 前 七 ・三 五 大 阪 着 。 直 に藤 永 田 へ。 原 ︹ 五郎︺少 将 ︹ 造船監督官︺
四月四日 水
島 よ り 急 行 に て 大 阪 に 向 ふ。
の出 迎 を 受 、 岩 崎 谷 荘 に投 ず 。 美 加 大 に 歓 待 す 。
長︺( 戸 山 学 校 教 官 と し て予 の書 を 大 正 五 年 に書 き 与 へた る大 佐 )
午 前 七 時 鹿 児 ︹島︺着 。 某 聯 隊 長 ︹ 伊藤精司、陸軍大佐、歩兵第四十五連隊
三月 三十 一日 土
午 前古賀 ︹ 峯 一、少将、軍令部︺ 二部 長 の 来 訪 、 委 員 の 顔 振 之 報 告 を
四月 五日 木
五帰 京 す 。
へ。 午 前 十 一時 二十 五分 着 、 参 拝 。 京 都 を 経 、 燕 に て 午 後九 ・三
出 迎 へ、 川口 の番 頭 鋭 敏 に 来 迎 す 。 十 時 四 十 五 分 天満 発 桃 山 御 陵
晴 小 雨 大 に 暖
途中寒気大也。
午 後 二 ・三〇 自 働 車 に て志 布 志 へ、 五時 着 。 直 に 扶 桑 に 伺 候 し 、
大 臣 、 総 長 殿 下 に報 告 。
受 、直 に出 省 。 野村 ︹ 吉三郎︺大 将 ︹ 軍事参議官︺の査 問 報 告 を 聴 き 、
曇
金剛 にF 1長 官 ︹ 末次︺を 訪 ひ、 夕 食 を 供 せ ら る 。 各 司 令 官 の意 見 を
順 調 。 平賀 ︹ 譲、造船中将、予備、東京帝国大学教授︺委 員 長 嘱 托 と す 。
午後 一時 調査 会 に挨 拶 、発 会 。
曇
聴 く。 今 夜 霧 島 に 一泊 。
四月六日 金
曇
午 前 八 ・三 〇発
午 前 豊 田 来 る。 午 後 今 立 裕 、 戸 塚 ︹ 道太郎︺大 佐 ︹ 軍令部第二部第三課 ︹ 嶋︺ 長︺ 、島田 ︹ 繁太郎、少将、軍令部︺ 一部 長 、 又 戸 塚 来 る 。
四月 一日 日
伯 へ午 後 五時 着 。直 に航 空 隊 を 見 、 鳥 海 に行 き 長 官 以 下 司 令 官 と
朝 日朝 刊 、 報 知 夕 刊 査 問 の発 表 を 賞 揚 す 。
細雨
会 食 、 1F同様 意 見を 聞 く。 ︹ 雄︺ 大に有益。今夜高尾に泊。南雲 ︹ 忠一 、大佐、高雄艦長︺以 下乗 員 の大
四月七日 土
( 長 官 金 剛 に見 送 る) 志 布 志 よ り 都 ノ城 を 経 て佐
歓迎を受け大に酩酊す。
午前十時靖国神社臨時大祭委員長として委員に訓示 ( 社務 所)。
晴 寒 二月 の如 し
四月 二日 月
晴
午前七時発 ( 佐 伯)、 別 府 に 行 き 米 屋 に 泊 、 休 養 す 。 鳴海 大歓 迎 。
安 川少 佐 及外 一名 来 る。
今立 裕 、 関根 大 佐 、 志 摩 中 佐 。
平賀 委 員 に加 は る。 但 し 嘱 托 。
後 出 省 。 殿 下 に本 部 長 の件 、 人 事 局 長 よ り 後 任 者 の報 を受 く 。
掃 海 第 九 号 艇 に て午 前 八 時 別 府 発 、 艦 内 に て遥 拝 式 。
四月八日 日
晴
午 後 二 ・三 〇呉 着 。 直 に 長 官一 行 の出 迎 を 受 け 長 門 、 榛 名 、 十 三 、
千 代 と 上 野 に 夕食 す 。
四月 三日 火
今夜少しく過す。
十 四号 掃 海 艇 を 見 、 各 部 の意 見 を 聴 き 、 其 一同 を 予 よ り 水 交 社 に
晴
招待 。夫 より 長 官 に吉 川 に招 か れ 、 午 後 十一 時 発 、 正 子 四 五 分 広
竹内 賀 久 治 来 る。
午 前 、 新谷 夫 婦 、今 立裕 来 る。
千 代 と 上 野 に 行 く 。 午前 小 笠 原来 る。
四月十五日 日
上 野 に 独 歩 、 精 養 軒 に夜 桜 を 見 る 。
仝席 。
夕 、 田 中清 次 郎 に 麻 布 大 和 田 に 招 か る 。 山 本 英 輔 大 将 ︹ 軍事参議官︺
晴
講演 資 料 準 備 。 四月九日 月
晴
出省。山本 ︹ 幹之助、造船中将、艦政本部︺新 四部 長 、 阿 東 に諭 示 す 。
午前 八 時 自 働 車 に て 浦 賀 行 。 初 霜 時 雨 を 見 る 。 昼 永 野 ︹ 修身、中将、
雨
四月十日 火
横須賀鎮守府司令︺長 官 の招 待 、 園 田 ︹ 実、少将、同府︺参 謀 長と 仝 席 。
四月十 六日 月
一時 国 防 婦 人 会 総 本 部 設 立 式 、 社 会 々 館 ( 日 比 谷 )。 予 講 演 、 婦
後 大 鯨 及第 二駆 潜 艇 及 び 機 雷 実 験 部 視 察 。 五 ・ 一五 帰 宅 。
第 五部 分 科 会 。
人 泣 く も の多 し 。
六時 田 辺、 荻 原 の結 婚 式 披 露 宴 に 行 く 。
曇
夕 、 平 賀 外 造 船 官 を 上 野 精 養 軒 に 招 く 。一 同 大 に喜 ぶ 。
出勤。総会を十三日に延期す。
本 原 因 と 痛 論 す 。 艦 本 及 次 長 、 大 佐 以 上之 関係 者 に聴 かし む 。 古
午後谷村 ︹ 豊太郎、造兵少将、横須賀海軍工廠︺造 兵 部 長 、 工 廠 長 ︹ 村田豊 ︹ 計︺ 太郎、中将、同︺と 共 に 来 省 、 経 画担 任者 の 欠乏 が友 鶴 如 き 事 件 之 根
午 前 総 会 、 安 宅 、 十 三 掃 海 艇 、 駆 潜 艇 決 議 、 八 重山 修 正 。
四月十七日 火
細雨寒冷。
林 陸 相 弟 の為 に 辞 職 す 。
四月十 一日 水
晴
千坂を尋ね相談す。
賀二部長、長谷川中将、山下 ︹ 兼満、少将、艦政本部︺総 務 部 長 等 、 軍
︹ 欄外︺総 長殿 下横 須 賀 へ。
四月十二日 木
務局長 ︹ 吉田善吾、少将︺仝 断 。
四月十 三日 金
招く。
出省 。午 後 帝 室 博 物 館 へ。 夕 、 荒 井 之 ﹁アト リ エ﹂ に 行 き 山 下 を
四月十 八日 水
晴
出 省 。 小 笠 原 電 話 、 十 五 日午 前 来 ると 。
晴
陸 相辞 意 固 し 。
午 前総 会 、 八重 山 改 造 を 決 す 。 艦 政 制 度 改 正 案 提 出 、 未 決 議 。
四月十九 日 木 早朝 立 会 川 。
晴
晴
松 林 才 二来 る。 久 富 来 る。
雨 寒
細 雨霏 々と し て ふ る。 桜 色 付 く 。 四月十 四日 土
花 本 小 田原 よ り 帰 る。
晴 出省。平賀と会談。
御 講 演 を 拝 聴 す 云 々)。 苦 心 の甲 斐 あ り し を 喜 ぶ 。
午 後 七 ・三 〇 愛 宕 山 よ り 靖 国 臨 時 大 祭 に 付放 送 、大 成 功 。 大 阪西 ︹ 即︺ 尾 、 広 島 某 よ り 感 激 の電 報 速 時 に 来 る 。 西 尾 は 時 間内 に て ( 泣て
晴
四月 二十日 金
午 後 佐 野家 を 訪 問 、 伯 に 会 ふ。
家中大心配、榎本見舞に来る。
新宿御苑看桜会。終日不快。
マ︹マ ︺
午前出省、殿下より難有御言葉を拝受す。
午 前 大 楠 公 誕生 日、 九 段 軍 人 会 館 に て千 坂 主 宰 、 小 笠 原 の講 演 を
午 前 大 雨 曇 小 雨
四月二十 一日 土
聴き泣く。
勅 使 奉 迎 、参 拝 。九 ・三 〇 帰宅 。
晴
︹ 欄外︺ 臨 時 大 祭 第 一日 。
向 山 の招 待 に て歌 舞 伎 に 大 楠 公 父 子 訣 別 を 見 る 。 千代 、 仁 、 五 郎 、 浜中夫婦なり。海軍士官多し。
ラ ヂ オ放 送。 四月 二十 六日 木
午前出省。 晴
四月 二十 二日 日
靖 国神 社臨 時 大祭 委 員長 、 千六 百 六十 余 名 、 八時 A遺 族 に 挨 拶 、 ︹ 分︺ 大 部嗚 咽す 。
千 代 と 白木 屋 、 三 越 に行 く 。白 木 屋 に 予 の書 十 五円 に て売 物 と な
に書 を 乞 ふ。
裕 来 る。 坂 井 一意 、 福 田弁 護 士 来 り 、 水 戸 の藤 田 瓢 徳 利 を 贈 り 予
四月二十 三日 月
晴
船型 総会 、 厳 島 、 白 鷹 、 燕 、 千 鳥 級 決 定 、 此 日大 に 運 ぶ 。
るを見る。
晴
り 、 予 の ﹁ア レ ンジ ﹂ を 謝 す 。
陛 下 靖 国 神 社 へ行 幸 、 午 前 十 時 十 一分 、 委 員 長 と し て御 先 導 申 上
( 諾 )。
三越にて金太郎人形 ( 八 円 五 〇) を淑 子 に贈 る 。
外相 ︹ 広田弘毅︺と 電 話 、 豊 田 久 二 之為 面会 乞
有終 会 定 時 総 会 晩 餐 会 、 予答 辞 、 大 に感 動 を 与 ふ 。 友 鶴 事 件 に 就
四月 二十七日 金
て也 。
四月二十 四日 火
ぐ。
竹 内 来 り 、 南 と 和 合 の 可 能 を報 ず 。
出 省 、 午 後 大 臣 に会 う。
豊田
出省。
雨
無事 。 ︹ 左︺ 佐 内 先 生 書 簡 大 に 世 の注 意 を惹 く 。
日満 学 生 、 比 島 競 技 参 加 之 件 也 。
夕 、 市 来崎 、 荒井 会 同、 宅 に て 一杯 を 傾 く 。
早 朝 立 会 川 花 本 に 送 金 。 且 つ 一斗 樽 の松 竹 梅 を 送 る。 蟹 を 返 贈 し
四月 二十 八日 土
快晴
四月 二十五日 水
来る。
皆川来り御前試合に入撰を報ず。
井上 少 将 よ り 初 春 、 夕 暮 級 駆 及 一等 駆 の改 造 案 を 聴 く 。 殿 下製 図 御 巡 視 、 一同 感 激 す 。
一木 喜 徳郎 枢 府 議 長 とな る 。
晴
︹ 欄外︺連 光 寺 の聖 蹟 。 五月 四日 金
在 宅 。 講話 準 備。 ︹ 自︺ 松 下権 八久 し 振 に来 る 。 元帥 より 平 沼 へ持 重 を 勧 め ら ると 報 告 せ
宮 中 済 寧館 に 於 て武 術 天覧 試 合 に 召 さ れ参 内 。
午 前 花 曇 午 後 雨
り ( 平 に) と告 ぐ 。真 か 。
午 前 出 省 。 堤 亥 一郎 来 る。
四月二十九日 日 観兵式、御祝宴。
午 後 四時 直 会 祭 を 以 て臨 時 大 祭 無 事 終 了 。
陪 観 、〓 七 十 機 参 加 、 壮 観 な り し 。
四月三十日 月
三 福 に 夕食 。
晴
五月五日 土
午 前 八 ・三 〇靖 国 神 社 へ参 拝 。
小 笠 原 よ り 電 話 、 平 沼 に裸 にな れと 勧 む 。
在 宅 、 原稿 を 認 む 。 竹内 来 る。
雨 寒 冷
御 祝 宴 に参 内 、 感 激 。
夕 、 林 正義 来 る。 満 洲 へ行 く と 。
五月六日 日
下 郷 養 子 来 る 。 満 洲 に行 く為 。
晴
小笠 原 と明 後 午 前 を 約 す 。
竹 内 より 来 信 。 艦 本 部 長 の大 将 を 喜 ぶ 妙 な 処 あ り 。
五月 一日 火
雨 寒
総会 第 三、 初 春 改 造 案 決 定 。
五月八日 火
第 四 回 総会 。
晴
五月二日 水
出 省 。 次官 及 古賀 に 注意 す 。
五月七日 月
午前 小笠 原を 訪 問 、 出 省 。
午 後 長 谷 川 来 り 予 の 注意 を 聴 く 。
晴
大 臣 に初 春 改 造 を 報 告 す 。
夕秋沢 ︹ 芳馬カ、中将、予備︺之 招 待 に て伊 集 院 、 田代 、 村 上 、 大 橋
寒冬 之 如 し。
夕、 靖 国神 社 臨 時 大 祭 委 員 を偕 行 社 に招 く 、 二百 余 名 。 其 夜 星 野
晴
来 る 、快 談 。
等参 会 、料 理 之美 味 に驚 さ れた り 。
に成 り 風光 絶 佳 。 八王 子 小 学 校 生 徒 に 訓 示 す 。
五月九日 水 晴 ︹ 運︺ 千 代 と 上 野 公 園 に 国宝 展を 見、 古 人之 雲 筆 に驚 嘆 す 。 応 挙 の雲 龍 、
五月三日 木 晴 ︹ 光︺ 多 摩 明治 大 帝 聖蹟 記 念 館 に招 か れ 楠 を 手 植 す 。 田中 公 顕 翁 之 努 力
之 信 の山水
( 大 二幅 ) 最 も魅 惑 的 也 。
正午 錦 水 に満 洲 謝 外 交 代 表 と 仝 席 。 倉 地 の案 内 也 ( 日 魯 )。
五月十日 木
小笠 原電 話 不通 。 硯 の記 事 切 抜 来 る。
松純 に ﹁ ネ ー ブ ル﹂ を 送 る。
晴
出 省 。 総 長 殿 下 よ り 種 々御 言 葉 を 承 は る 。 五月十 六日 水
晴
国技 館 に松 村 の招 待 。 了 て金 田中 に行 く 。 晴
夕藤山雷太 ︹ 貴族院議員、研究会︺息 結 婚 式 、 豪 奢 を 極 む 。
五月十 七日 木
松 菊 、 先 日之 荒 井 宅 後 の行 動 に就 語 る 。
午後 末 次来 る 。
晴
五月十 一日 金
訪 問 、 意 見 を 交換 せ り。 海 の 不 甲斐 な き に歎 ず 。
に 招 か れ 近衛 に会 ふ 。呼 び寄 せ ら れた 形 也 。 因 に近 衛 は林 陸 相 を
本 日 午 前 八時 朝 食 会 と 号 し て 大 角 、 加 藤 ( 隆 )、 長 谷 川 は 原 田 邸
総 会 。 古 鷹 級 、 天龍 級 検 討 、 駆 潜 再 検 討 、 之 よ り 小 憩 、 五 月 中 会
五月十 二日 土
議 な し。
総 長宮 殿 下 園 遊会 、 幸 に細 雨 止 む 。
五月十八日 金
報 知 の鈴 木 、 二 六 の山本 来 り 長談 す 。
半晴
曲 田貞 次 郎 ︹ 少将、広工廠長︺ 、 山 下兼 満 交 代 に付 来 訪 す 。
出 省 、 昨 日 の原 田 問 題 に 付 長谷 川 に苦 言 を呈 す 。
晴
夕 、 中 田 、 江 口 、奥 ︹ 信一︺大 佐 ︹ 海軍省人事局第二課長︺来 る。 大 に酔
午 後 国 技 を 見 る 。 千 代 、 志 賀 、 晃 、 下 郷 秘書 。清 水 川 、玉 錦 絶 妙
雨
来 る 。 遅 く ま で快 談 。 五月十三日 日
五月十九日 土
︹ 欄外︺ 原 田 問 題 殿 下も 御 不 満 。
の取 組 、 清 水 優 勝 、 満 場 熱 狂 す 。
出省、次 長に注告す ( 原 田 に 付)。 大 に謝 し爾 来 近 寄 ら し めず と
( 雨 中 壮 烈)。 浜 中 来 ら ず と も 良 し と 告 ぐ 。 ( 品 川より電話 に答
横 須 賀 青 年 団 七 十名 来 り 予 の 訓示 を 乞 ふ。 次 代 の 国民 に就 而 話 す 。
ふ)。
晴
長浦航空廠長来る。
晴
五月 二十日 日
半晴
云 ふ。 ︹ 八︺ 松 下権 平 明 日高 橋 辞 職 之 報 を 電 話 す 。
五月十四日 月
晴
( 右 実 現 せず )。
豊 田 貞 次 郎 来 り 予 の忠 告 を 敬 聴 す 。
五月十五日 火
軍事参議官宮中会議、御陪食。
宝 塚 ﹁レビ ユー ﹂ を 見 、 銀 座 に 散 歩 。 読 売 、 時事 に会 ふ 。宝 塚 に
小笠 原来 訪 。
黒田 ︹ 英雄︺次 官 ( 大 蔵 ) 其 他 収 監 さ る。 帝 人 問 題 に 就 て也 。
出 省 。 正 午 濠 洲外 相 レ ー サ ム ︹Latham,J 之o 為h海 n相 午 G餐 re 。i 夕g、 ︺ 末 次 結 婚 式 、 山 下淑 子 の例 を 説 き し に参 会 者 泣 く も のあ り 。
は朝 日あ り 。 妙 に 新 聞 記 者 に 会 ふ 。 独 り 三 福 に て 食事 。
北海 道 ︹ 佐藤︺国司 元釧 路 市 長 。 晴
理 祝 詞 を 読 む 。 了 て 香椎 宮参 拝 。崇 に し て雅 。
仲 哀 天 皇 大 本 営 の蹟 あ り 。
午 後 七 ・三 〇 公 会 堂 に て 講 演 、 大成 功 、聴 衆 千 三、 四 百、 万 歳 を
五月二十 一日 月 在 宅 。夕 実 帰 宅 。
右 了 て 元帥 重 態 の報 あ り ( 松村 茂 の招 待 )。
唱 ふ る も の多 し 。
曇
杉山 明久 ︹ 三井物産社員︺ 、堤正之 ︹ 男爵、大尉︺ 、 加 藤 亮一 来 る 。 五月二十 二日 火 藤 井 実 、 南 郷 、 熊 本 妙法 寺 僧 侶 、 持 永 ︹ 浅治︺憲 兵 少 将︹東京憲兵隊
午前 九 時博 多 発 、 水 上機 に て内 海 経 由 、 十 二時 大 阪 河 口著 。 四王
曇 平 静
︹ 欄外︺午 後 六 時 東 郷 元 帥 重 態 の公 表 。
天 ︹ 延孝︺中 将 ︹ 陸軍、予備、帝国飛行協会専務理事︺外 二名 仝 乗 。 無 類 の
五月 二十八日 月
五月 二十 三日 水
好 天 、 気 流 絶好 、安 々と 渡 阪す 。 西尾 、 近 藤 等 出 迎 ふ。 此 日千 代
晴
出省 。 総 長 殿 下 に拝 謁 。
長︺ 、 国 民記 者 、浜 中 。
海員掖 済 会 参 列 。
も大阪着。
五月 二十 五日 金
午後 一時 陸 上機 に て 発。 再 び好 天、 好 気 流 に て午 後 三 ・二〇 羽根
晴
夕 、 三福 に家 庭 会 。
田著 。 大 井 川 の 不良 今 日丈 は無 。 着 後 直 に元 帥 邸 を 見 舞 、 拝 顔 す
︹ 欄外︺ ﹁ 度 々有 難 う﹂ の最 後 の御 一句 を 給 は る。嗚 呼 何 と 云
( 特 別 の御 取扱 、 親 類 にも 会 は れざ り し 時 )。 悲 歎 す 。
午 後 一時 特 急 に て発 、 福 岡 に向 ふ 。
ふ感 激 。
午 後 十 時 大 阪 に尼 野 、 川 口等 出 迎 ふ 。 五月 二十六日 土
晴
午 前 八時 五 〇分 下 ノ関 着 。 国 司 等 出 迎 ふ 。 市 長 及 元 尾 崎 東京 市 長
五月 二十 九日 火 驟 雨 あ り ︹ 侯︺ ︹ 旦︺ ︹ ママ︺ 陞授 候 爵 。 夫 より 元帥 の病 革 り 、 午 後 十 一時 半 一端 臨 終 近 か れ し
︹ 日本航空輸送株式会社 の飛行メモ貼付、略︺
も再 び活 気 を 得 ら れ、 小 康 と 見 て帰 宅 す 。
秘書 も あ り 、 門 司 よ り 共 同 漁 業 視 察 。〇 時 五 十 分 汽 車 に て 博多 へ
松 島 屋 に投 宿 。
二時 着 。 知 事 ︹ 小栗 一雄︺出 迎 ふ 。 陸 軍 官 憲 無 し 。
夕 、 知 事 の招 待 、一 方 亭 。
︹ 欄 外︺ 元帥 意 識 明 瞭 、 御 沙 汰 を 細 読 し 流 涕 滂沱 、 両 手 を 上
戴す ( 見 舞 客一 同 )。
元帥 手 を 上 げ て皆 さ ん御 馳 走 し て呉 れ と 云 ふ 意 を 示 さ れ 、 酒 を 頂
帰宿後大に盛大。 晴 暖
侍従長 ︹ 鈴木貫太郎︺勅 を 奉 じ て御 見 舞 。 葡 萄 酒 を 賜 は る 。
五月 二十七日 日
九 ・二 〇 A M筥 崎 神 宮 祭 典 に 列 す 。 十 二師 長 ︹ 大谷 一男、陸軍中将︺ 来 ら ず 。 旅 団 長 も 来 ら ず 。 伏 敵 門 前 海 浜 に て 大祝 賀 会 。 予大 臣代
午 前 六時 廿 五分 東 郷 元 帥 薨 去 。 御 年 八十 八 。 海 軍 生 活 六 十 四 年 。
五月 三十日 水
六月四日 月
通常 礼 装 に て参 列 。
財部 ︹ 彪、大将、予備︺醜 を 演 ず 。
今迄 は 入槽 な りき 。
午後 七 ・三 〇御 入棺 式 、 九 時 頃 終 る。
明 治卅 八年 の今 月 今 日 は勅 語 拝 受 、 佐 世 保 入 港 の日 な る も奇 し 。
午後 七 時半 より 霊 代 安 置 の儀 、 司 祭 長 及 第 、 有 馬 委 員 長 及 堀 切 副
て拝 礼 せら る。
一、至 誠 悟 真 の所 信 を 新 聞 に発 表 す ( 乞 は れ て)。
有馬 ︹ 良橘︺大 将 ︹ 予備、枢密顧問官︺国 葬 委 員 長 と な る。 予 は神 人 合
六月五日 火
半 晴 雨な し
︹ 欄外︺午 前 十 時 賜誄 の儀 、 勅 使 、皇 后 宮 使 、皇 太 后宮 使 。
財部 、 谷 口 に 説き 恥 を 晒 らす 。
委 員 長 大 に感 称 す 。神 助 に依 ると 云 ふ の外 な し 。
晴
︹ 欄外︺元 帥 薨 去 。﹁特 に 国 葬を 給 ふ﹂の御 沙 汰 。従 二位 に叙 す 。
夕 休 息 の為 帰 宅 す 。
五月 三十 一日 木
東 京市多摩 墓地を 提供、 予見聞 に行き決 定。地鎮 祭、工事 開始
晴 。東 郷 元帥 国葬 之 日、 前 夜 安 置 祭 后 に受 取 れ る祭 詞 長 文 に し て
十 分 間 以上 を 要す る も の、 千代 の助 に て練 習 、 葬 場 に て神 前 に謹
(四十 八坪 )。
読 、 誤 な かり し は神 助 の み。 放 送 全 国 に渉 り 、 糟 谷 、 下 郷 よ り 祝
民衆 之 整列 連 続 す 。疲 労 に 居眠 せ しを 恥 ず 。
司祭 長 の内 報 を 受 く 。
六月六日 水
午 後 六 時 納 棺 、 八時 棺 前 祭 、 御 通 夜 。
六月 一日 金
午前 八 時斂 葬 第 一日祭 、 権 舎 と 多 摩 墓 地 に於 てす 。
の菓 物 及び 料 理来 る。 午 後 多 摩 墓 地 埋 葬 式 。 日比 谷 よ り 墓 地 ま で
午前東郷吉太郎 ︹ 中将、予備 と 多 摩 墓 地 見 分 に 行 く 。
祭 詞を 昨夜 自 働 車 □ □ 忘 れ大 心 配 す 。 椀 も 良 し □ の注 意 に て早 朝
晴
市 会 満 場 一致 決 議 、 多 摩 墓 地 を 東 郷 家 に 提 供 す 。
持参 し 助 か る 。
坂野 ︹ 常善、少将、軍事普及部委員長︺失 言 、 新 聞囂 々た り 。
坂 野普 及 部 長 罷 免 せ ら る。
千代 、富 美 栄 と 葬 儀 活 動 を 帝 都 座 に見 る。
半晴
此日 ︹ 東郷︺彪 氏 ︹ 平八郎長男︺と 吉 太 郎 中 将 日 く 、 墓 地 に 就 き □ 義
西 尾某 突然 来 る。
六月 二日 土
六月七日 木
雨
出 しも ○ に て解 決 す 。
近藤 房吉 に電 し明 日来 れと 申 遣 はす ( 多 摩 墓 地 墓 守 の為 也)。 平賀 譲 出 発 に付 見 送 る。
晴
小笠原、彪君と多摩墓地見分、大に喜ぶ。
雨
東 郷 邸 礼 拝 者 日 々万 を 超 ゆ 。 六月 三日 日
英 国 其 他 葬 儀 参 列各 国 指 揮 官 午 餐
末 次 、 高 橋 長官 来 る 。 山本 実 彦 来 る 。不 会 。
牧 野 聯 通 来 り 時事 の 切 抜を 送 り来 る 。
( 大 臣 邸)、 其 後 G ・T ・S 之
六月十三日 水
︹マ マ ︺
加 来 は 外 相 に 好 遇 せ ら れ 、 閣議 を 延 ば し て聴 取 す と 報 ず 。
六月八日 金
午 前 五 ・三 〇 明 治神 宮参 拝 、 祈 願。
晴 暑 気 来 る
装 束 に て撮 影 す 。
権 舎 及墓 所 十 日祭 。
艦 艇性 能 友 鶴 委 員会 、 午 前 十 時 迄 。
六月九日 土
杉 山 に 語 れ り と 告 ぐ 。 中 川 は 杉 山邸 に待 機 中也 。
杉 山 茂 丸 来 り 、 去 九 日 平 沼 が 軍 部内 閣之 下積 と なり 死力 を 尽 す と
矢 荻 来 り 東 郷 元 帥 及 資 料を 交 付 す 。
七 時 千 坂 来 る 。 予 の胸 中 を 語 り、 小 笠 原 に告 げ しむ 。
半晴
午 後 四 ・三 〇 軍参 と 1・2 F長 官 談 話 会 。
午 後道 玄 坂 二葉 邸 に近 藤 房 吉 と 西 尾 信 一夫 婦 、 浜 中 副 官 と 午 餐 を
晴
共にす。
浦 部 夫 婦 を伴 ひ 海晏 寺 に参 詣 し、 天平 に て昼 食 。
六月十日 日
首 相 問 題 平 沼 の発 動 な る事 判 明 す 。
初夜、杉山又来る。
午 後 南 郷 、 千 坂 来 り事 情 承 知 。
晴
夕 、 活 動 に 国葬 儀を 見 る。
六月十五日 金
曇 名古屋講演準備。
︹ 欄外︺殿 下御 成 、 兵 営 寮 会 、 軍 医 学 校 。 終 て水 交 社 。
六月十 一日 月
艦 艇 総 会 、 新 水 雷 艇 、 長 門 其 他 。 制 度 問 題 に て は 艦艇 建 造手 続 に
曇
山 端 写 真 の使 に ﹁ア ル バ ム﹂ を 返 却 す 。
四 時 、二 木 博士 来 訪 、参 考 館 敷 地 に付 次 官 ︹ 長谷川清、中将︺に紹 介 す 。
町 田 大 佐 、竹 内 、 千 坂 、杉 謙 二 ( 八角 紹 介 )。
午 前 九 時 燕 に て発 、 二時 過 名 古 屋 着 。 熱 田 神 宮 に参 拝 、 志 那忠 に
曇 雨
て 一、 二部 長 ( 軍 令) の異 論 あ り 。 之 れ 丈 残 し 他 を決 議 す 。
投 ず 。 宮 司 の招 待 を 断 る 。 駒 井 のみ 出 席 ( 官 民 連 合)。
六月十六日 土
加 来 中 佐 、 日 比 野少 将 来 る 。 日 比 野 艦隊 に行 く 。
︹ 胤吉︺聯 通 ︹ 日本聯合通信︺来 る)。
千 客 万 来 に 忙 殺 さ る 。 作 間応 雄 ( 東 郷会 世 話 役 を 頼 み に来 る。 牧
熊谷五右衛門。
午 後 六 ・三 〇 公 会 堂 に て聴 衆 五 千 の前 に て 東 郷 元 帥 を 偲 び て と 題
し 、 一時 間 四十 分 講 演 。 前 例 な き事 な り と 皆 感 謝 す 。
知事等訪問し来らず、三辺 ︹ 長治︺と か 云 ふ 男 。
︹ 欄外︺杉 山 明 久 。
午後六時小笠原を訪問す。
六月十七日 日
晴
六月十 二日 火
半晴 外相に電話し加来中佐を面会せしむ。
六月 二十三日 土
禁足中と。
南 郷 談 に 陸 軍青 年 将校 の尖鋭 化 あ り 、 軍人 会 館 に集 り 首 領 二人 は
早 朝 竹 内 来 り 、 大 角 の決 意 を 尋 ぬ 。 小 笠 原 に て警 戒 さ る か ら緩 和
午 前 一〇 ・五 二 分特 急 に て帰 京 。
員、研究会︺も 仝 車 せり 。
林 陸 相と 仝 車
し て呉 れ と 頼 む 。
六月十八日 月
陸海軍大将会、席画を貰ふ。
六月 二十四日 日
千 代 と 海 晏 寺 に 両 親 之 供 養 、 読 経 了 て 、 三 福 に 昼食 。
晴
午 後 四 ・五 〇着 、帰 宅 之 上藤 山 に招 か れ金 田中 に 行 く 。 大 角 と 政
二 十 日 祭 無事 結 了 。
真 崎 大 将 と 語 り 、 孝 治 の礼 と 次 内 閣 首 班 に 付 予 の所 見 を 述 べ平 沼
( 浜 松 迄 )。 財 部 、 関 屋 ︹ 貞三郎︺前 宮 内 次 官 ︹ 貴族院議
務 次 官 よ り 。吟 詠 す。
午 後 総 会 、 第 三 分 科 を 将 官会 議 に て纏 め 、 四部 の切 願 た る計 器 部
を推す。
曇
曇
を 加 へ、 第 三 案 総 務 部 拡 張と 共 に決 議 す。
晴
午 後 五 時 小 笠 原 来 り 、 殿 下 之御 同意 、 大角 快 諾 の報 を 齎 ら す 。
六月 二十 五日 月
林 と 大 庭 来 る。 林 の就 職 を 頼 ま る 。
晴
夕 、 平 沼 と 会 見 す 。 平 沼 予 を 助 け る事 を約 す 。 六月十九日 火
野辺田 ︹ 重興︺少 将六 部 ︹ 艦政本部第六部長︺保 存 の礼 に 来 る。
坂 井 一意 来 り 軍 縮 対 策 と 後 継 内 閣 問 題 、 軍 部 内 閣 の尚 早 を 述 ぶ 。
副 官 来 る。 忠 勇 顕 彰 会 中 村 浜 作 中 将 ︹ 陸軍、予備︺来 る。 西 尾 俊 一
( 首 相 問 題 )。 小 笠 原 稍 や 早 飲 込 之 嫌 ひ あ り 。
午 後 一時 半 御 召 に依 り 軍 令 部 に 至 り 御 懇 篤 な る 御 注 意 を 拝 受 す
紹 介 の大 阪 時 事 記 者 来 る。
雨
六月 二十日 水
半晴
最 終 総 会 了 て委 員 へ訓 示 。 其 後 直 に 大 臣 、 総 長 殿 下 に報 告 す 。
六月二十 六日 火 午 前揮 毫 。
﹁ プ ラ ツト ﹂ 之 暴 言 夕 刊 に顕 は る 。 夕 小 笠 原 来 り し に依 り 殿 下 の御 思 召 を 告 ぐ 。 彼 感 激 、 予 に 共鳴 す 。
豊 田来 る 。人 事 に付 予 より 注 意 す 。
千 坂 来 り 重 大 問 題 に付 注意 を 予 に与 ふ。 小 笠 原 二十 四 日平 沼 に会
夕 末 沢少 佐来 る 。 岡 田 之件 心 配す 。
ひたりと伝ふ。
︹ 欄外︺艦 艇 性 能 調 査 委 員会 結 了 。
小 笠 原夫 人 に博 多 人 形 ま り け り を 贈 る 。
六月 二十 一日 木
晴
奥 多 摩 銀 鈴 に清 遊 し夜 半 帰 宅 す 。 青 梅 よ り 立 川 に ﹁ド ライ ブ﹂ す 。
晴
軍 参 々 集 。 福 田 よ り 艦 艇性 能 報告 。 殿 下御 出席 。 小泉 又吉 横 市 長
六月 二十七日 水
六月 二十 二日 金 晴 ︹ 長︺ 松 山 茂 、 永 嶺 夫 人、 南 郷 、 千 坂 、 副 官 、 藤 井 実 。
富 美 栄 海 軍 病 院 に 受 診 。 有馬 よ り浦 部 之 書 信 を 見 せ ら る。 感 ず べ
市 会 議 員 数 名 と 共 に 来 訪 、東 郷神 社 運 動 に来 る。
自信を得。新聞記者過敏となる。
殿 下 の御 召 に て末 次 を 弁 護 し 、 後 継 内 閣 並 に 海 相 に 付 御 意を 伺 ひ
艦 隊 所 轄 長 以 上 の建 言 日 々に 顕 は れ 物 議 。
海 相 招待 会 、東 郷神 社 其 他 に 関す る件 也 。 清 浦 座 長 。
元 帥 三 十 日 祭 。夕 刻 。
六月 二十八日 木
斎藤内閣総辞職。
千坂、南郷来る。
七月 三日 火
夕 、 サ イ ア ム視 察 団 の為 徳 富 主 宰 歓 迎会 、 東京 会 館 。
晴
し。
神 、 銅像 、 記念 館 の 三 に帰 し、 全 員 発 起 人 と な る。
平 沼 と 会 見 、 大 命 降 下 に 対 し 奉 る態 度を 約 す。 牧 屡 々来 る。
七月四日 水
山 本 二 六 、 松 元 時事 、 八並 日 々、朝 日某 、 竹内 。
曇
吉 村 幹 三郎 ︹ 元海軍法務官、製糸業︺氏 来 る。 六月二十 九日 金
岡田 ︹ 啓介︺大 命 拝受 。
暑大
来 客多 し 。牧 来 り真 崎 と 牧 野 会 見 之 事 を 報 ず 。
小 笠 原 、 千坂 、 南 郷 来 宅 。午 餐を 倶 に し前 後 策 を 講 ず 。 新 聞 記 者
曇 暑
松 尾 忠 二郎 来 訪 、林 之 事 を 相 談 す 。
殿 下 後 任 大 臣 に付 御 意 見 御 開 披 ( 別 冊)。大 臣 に 代 り 委 員 会 に 礼
午 前九 時 千坂 、 小笠 原 、南 郷来 る。 十 一時 出 省 。 殿 下 、 大 臣 に所
七月五日 木
︹ 欄外︺早 朝 紀 尾 井 町 伺 候 、 進 言 。 海 相 に 挨 拶 。
竹 内 落 胆 し 来 る 。坂 井 一意 及 電気 局有 志 、 後 図 を 激 励 す 。
牧 之 情 報 、 山 本 達雄 の 民 政内 閣 に 誤 ら る。
︹マ マ︺
午 後 六時 済 州島 沖 に て ( 卅 浬 ) 第 二水 戦 深 雪 、 雷 と 衝 突 、 深 雪 前
襲撃。
晴
︹ 欄外︺皇 太 后 陛 下 御 誕 辰 、 赤坂 離 宮 賜 餐 。
部 丈 を残 し沈 没 す 。
六月 三十 日 土
を 述 べ午 餐 。
信を述ぶ。
殿 下 、大 臣 に御 見 舞 申 上 ぐ 。
小 笠 原子 爵 予之 見 舞 に来 る。 予 の大 義 名 分 論 に 就 て 也 。 固 く な つ
夕 、 六時 頃小 笠 原真 崎 と 共 に急 遽 来 宅 し 、 青 年 士 官 予 の宅 を 包 囲
酷暑
組 閣行 艱 む 。 豊 田 ( 千 葉 ) 来 り 、 竹 内 の脱 線 を 注 意 せ し に 依 り 直
七月 六日 金
︹ 欄外︺部 内 少 壮 動 揺 す 。
晴 大 暑
て ると 千 坂 よ り 聴 く と 。
し 大角 も 同断 と 聞き 救 援 に来 れり と 。 実 川 の放 送 也 。 晴
戸塚 来 り 不 相 変 権 道 を 語 る。 七月 一日 日
晴 暑
日 々 八並 艦 隊 建 白 を 知 り 来 る 。 七月 二日 月
に 彼 を 招 き 取 消 さ し む 。横 須 賀方 面 へ、 予 の組 閣 に付 西 園寺 と 平
水町家訪問、吊慰す。
殿下に拝謁、長谷川之焦燥を戒む。
冷涼
︹ 欄外︺ 元帥 日記 に対 し所 感 を 認 む 。
沼 の交 渉 の件 也 。 夕、坂井来る。
七月十 二日 木
豊 田久 二来 り 佐 伯 に 行 く と 云 ふ 。 ○ ○ 慰 撫 之 為 。
曇 雨 冷
夕、千代と演舞場に巨人街と丹下左膳を見る。
暑 晴
床 次 一派 脱 党 入 閣 せ ん と す と 新 聞報 。
在宅。
七月十 三日 金
曇 涼
七月七日 土
長 谷 川 次 官 来 訪 、 軍 縮 方 針 を 示す 。
七月十 四日 土
午 後 一時 丸 ビ ル東 郷 元 帥 展 に 招 か れ 、 小 笠 原 に 会 ふ 。
佐 々木 革 次 ︹ 大佐、予備、中島飛行機取締役︺来 る 。 稍涼
七月十 五日 日
七月 八日 日 岡 田内 閣 成 立 。
東 日東 郷 元 帥 展 開 く 。
夕 、 高 橋 二長 官 夫 婦 来 る 。 艦 隊 建 白 の内 情 判 明 す 。
曇 涼
夕 、 下 郷 に永 楽 に 招 か る 。 来 島 武 彦 同席 。 七月九日 月
園 田昇 来 る。 書 を 頼 ま る 。
朝 日明 日 の軍 参 、 長 官 会 合 を 大 々的 に 伝 ふ 。
七月十六日 月
小雨
午 後 殿 下 御 召 、 参 殿 、 艦 隊 側 建白 書 に付 種 々御 下 問 に奉 答 す 。 長
午 前 九 時 末 次 大 将 来 り 懇 談 。 十 一時 よ り 軍 事 参 議 官 各 長 官 会 議 、
︹ママ ︺
谷 川 の軽 卒 に 出 る 也 。 今 立 と 午 餐 を 共 にす 。 仝 郷 人 、 岡 田 内 閣 祝 賀会 を 官 邸 に 開く も 出
軍縮 決 意 を 示 さ る。 予 一同 に代 り 答 弁 、 将 官 一人 新 聞 の注 目 大 也 。 ︹ 欠︺ □ の提 言 す る者 な し 。
曇 涼
席せず。
久 富 来 り 陸 軍 の不 可 解 の態 度 を 攻 む 。
曇
早朝平泉 澄博士 ︹ 東京帝国大学文学部助教授︺来 訪 、林 正 義 の未 成 と 云
答辞別書。
七月十日 火
ふ 事 及 予 の対 岡 田態 度 に 付 自 重 を 懇 切 に 勧 め来 る 。多 謝 々 々。
曇
牧 、 南 郷 、 千 坂 、 新 田義 貞 の歌 に 付 二名 ( 面 会 せ ず)、 浅 野 正 恭 。
七月十七日 火
︹ 欄外︺ 軍 縮態 度 決定 。
園 田武 彦 男 爵 揮 毫 の礼 に 来 る 。 川 口に 書 を 交 付 す 。 牧 聯 通 来 る 。
午後真崎大将を訪ひ時事懇談。
午 後 横 航 空 隊 葬 儀 に 行 き 帰 途 浜 中 宅 に寄 る 。 七月十 一日 水
曇
午後平泉博士を訪ひ夫より出省。
正 午 佐 世 保 入 港 、 池 月 に投 ず 。港 外 に て真 鶴 に合 し、 午 後 真 鶴 視
東 郷 家 五十 日祭 礼 宴 、 斎 藤 子 答 辞 を 述 ぶ 。
る。
夕 、 松 平 子 に祝 詞 を 述 る為 訪 問 、 子 爵 夫 婦 玄 関 に 出 迎 へ礼 を 云 は
五十 日祭 無 事 了 る。
七月十 八日 水
夜 雨多 し 、 入梅 模 様 。
旅館 の気 持 大 に好 し 。
車 に て 午後 二 時半 二 日市 着 。大 丸 旅 館 に投 ず 。 ﹁ハヤ﹂ 附 添 ふ。 ︹ 束︺ 大塚 ︹ 健人、主計大佐︺採 炭 所 長 ︹ 海軍燃料廠採炭部長︺を 招 き 清 遊 す 。
午前 四 十 三 号潜 水 艦 記念 塔 に登 り 、自 働 車 に て 早岐 に、 夫 よ り 汽
七月二十 三日 月
夕 、 晩 松楼 に 委 員 及 司令 、 艦長 、市 村 、 鈴 木 、 岩 村 等 を 招 く 。
察 、 艇 長 大 に 安心 の 入港 旨 報 告 す 。
九 時 よ り 赤 坂 三 島 に 秦 、 持 永 、 石 郷 岡 、 竹 内 と 塩 野 の送 別宴 に 臨
七月二十 四日 火
後 海 の素 封 家 に招 か れ、 七 卿 の御 忍 び 所 た り し 林 中 の亭 を 見 、 七
午 前 十 時発 大 塚 所 長 の案 内 に て採 炭 部 を 視 察 、 大 に歓 待 さ る。 午
半 晴 半 雨 蒸 暑
七月 二十日 金
竹 酒 を 供 さ る。
雨 午 後 曇 細 雨 霏 々た り
む 。 熱 談 。 秦 は 大 に 海 軍 の決 意 を 賛 す 。
海 の 八幡 神 社 参 詣 。
岡 田総 理 祝 賀 会 に激 励 演 説 を 為 す 。 評 判 宜 し 。 ︹ 子︺ 松平慶民了式部長官と為る。
七月十九日 木
曇
午 後 七 ・二〇 東 京 駅 発 西 下 す 。 大 津 に向 ふ 。
午 前 六 時 頃 大 津 着 。 下 郷 義 麿 、山 中 強 介 ? に 出 迎 へら れ 竹清 楼 に
今 夕 、 松 室 本 部 長 一行 の来 着 あ り 。 倶 に快 飲 。 ﹁ハヤ﹂ 大 に酔 ふ 。
曇
朝 食 。 夫 よ り 琵 琶 湖 一週 、 清 遊 に て 、夕 急 行 に て 呉 に向 ふ。 大 阪
七月 二十 五日 水
此夜 之 事 珍 談 多 し 。
︹マ マ ︺
より安達と山路来り船中にて同遊す。
七月 二十 一日 土
午 前 十 時 五十 五分 二 日市 発 、 門 司 に て昼 食 。
(ハル某 な るも の)。 ﹁ハヤ﹂ に書 画 帖 を 与 ふ 。
午 前 六 時 半 呉 着 。 水 交 社 へ。 山 下 知 彦 に 忠告 。藤 田長 官 来訪 、 百
午 後 四 ・三 〇別 府 着 。 紅 丸 舵 機 故 障 に て高 浜 よ り 引 返 せ し 為 一泊 。
竹清女将大に歓迎。
武 4F仝 上 。 八 時 初春 に て 発 、 戸塚 大 佐 、 阿 部大 佐 仝 行 。
正 午 発 、 紫 丸 。 見 送 人 、 加 藤 村 長 其 他 、 米 屋 夫 婦 、 SS 若 手 大 分 迄 。
七月 二十六日 木
大雨車軸を流す如し
午 後 豊 後 水 道 通 過後 天 候次 第 に 不良 、動 揺 実 験 好 適 。 船 暈 を 感 ず 。
米 屋 、 鳴 海 に招 か る。 謝 礼 且 つ新 婚 祝 と し て卅 円 贈 る 。
曇
浜中稍苦しむ。 七月 二十二日 日
船中清涼、海上平穏。大に愉快也。
晴 曇
午 前 六 時 頃 コシ キ半 島 附近 動 揺 大 、各 方 向 の波 浪 実 験 を 行 ひ、 結
驟 雨多 き 荒 天
果大に良好。
小 林 省 三郎 ︹ 少将、駐満海軍部司令官︺ 、 牧 胤 、 鈴 木 夫 人 、 豊 田久 吉 、
八 月 四 日を 頼 み に来 る。
午 前 出 省 。 大 臣 、 次 官 に会 ふ 。 八 月 四日 浜 町 福 久 。 午 後 山 本 開 作 、
七月 二十七日 金
︹ 欄外︺大 阪 防 空 演 習第 一日。
午 前 六 時 神 戸 着 。 明 光 塾 長 田 村 博 士 の出 迎 ( 監督 長 も 一寸 来 る)
七月三十 一日 火
山 本 開作 。
晴 大 暑
に て甲 陽 園 明 光 塾 に 至 り 、 巡 視 、 一場 の訓 示 を 与 ふ 。藤 井舎 監 、
冷 涼 雨
片山神戸新聞経済部長列席、大に感激す。右了て播半 ( 山 上) に
付 活動 之 要 。
午 前出 省 。 殿 下 に拝 謁 。加 藤 次 長 に注 意 、 海 軍 問 題 の部 外 対 抗 に
曇
て菓 物 馳 走 を 受 。 〓 屋 に満 佐 夫 を 愛 す 。 卅 分 に し て 甲 子 園 に 閑 院
夕、活動。
宮 殿 下 に伺 候 。 正 午 桃 山 荘 に入 る 。 夕 、 寛 一、 孝 と 食 を 共 に し 、
八月 一日 水
早 朝 電 話 に て 次 長 に 石 川招 致 之事 を 注告 す 。岡 田外 国 通 信 員 に海
師 団司 令 部 上 に て灯 火 管 制 を 見 、 帰 宿 。 西 尾 待 受 け つ ゝあ り 。 余
︹ 欄外︺第 二回 大 阪 防 空 演 習 。 呉 海 軍参 加 。
軍 問 題 を 説 明 す 。 不 得 要 領 な れ ど も 比率 非 認 は声 明す 。 小林 省 少 ︹ 撻︺ 将 、 南 郷 少 将 仝 時 来 、 大 角 鞭 達 を 痛 説 す 。 予 に 中傷 あ り と注 意 す 。
り に し つこ し。
市 民 間 に 不 平あ り 。
八月 二日 木
︹マ マ︺
七月 二十八日 土
に星 ケ岡 に 招 か る 、 快 。
陸 軍 大 角 の不 徹 底 を 慨 す と 告 ぐ 。 夕 、向 山 、 水 野 了杉 、 山本 開等
正 午 日露 協 会 に行 き ﹁ハルピ ン﹂ 学 校 経 費 の相 談 を受 く 。
晴 暑
午 前 八 時 師 団 司 令 部 、 夫 れ より 海 軍事 務 所 ( 中 ノ島 大 阪 ビ ル)。
ニア ス﹂ を 見 る 。 尼 野 ︹ 貴之︺来 。 御 仲 来 ( 留 守 )。 つく だ に を 送
二時 山 本 法 務 官 告 別 式 に行 く 。
晴 暑 稍 戻 る
午 後 住 友 製 鋼 の製 弾 及 附 近 大 阪製 鎖 之無 線 操 縦 飛 行 機 其 他 の ﹁セ
り 来 る。 七 ・二 五 大 阪 発 帰 京 。 〓本 部 長 ︹ 塩沢幸 一 、中将︺、 南 郷 三
来訪者。
夕 刊 ﹁スワ ン ソン﹂ の 二乃 至 三 %天 引 の暴 論 電 掲 げ ら る 。
郎 ︹ 次郎弟、実業家︺同 車 。
七月 二十九日 日
見 送 多 数 、 寛 一夫 婦 及 満 佐 夫 殊 に 愛 ら し 。
七 ・三〇 A暑 気 を 齎 ら し て東 京 に 入 京 。 帰 宅 。
す。
八月三日 金 晴 暑 ︹ 施︺ 午 、 千 代と 三福 へ。 布 世 、 平 田、 坂 井 よ り 電 話 あ り 。 揮 毫 に 消 日
晴 東 京 始 め て 也 と
真崎大将来訪、要談。
晴
広 瀬 太 次郎 、 長谷 川 の招 待 、浜 町公 園 北 側 富 久 屋 、 小 半 。
八月四日 土
報 知 朝 刊 に孝 治 の縁 談 見 は る。
曇 冷 涼
下 郷を 東 京 駅 に送 る。 七月 三十日 月
終 日在 宅 。訪 問 者 少 し 。
八月六日 月
之書 簡 長谷 川と 大 臣 に示 す 。
得難 物 を呉 れ てま こと に難 有 受 納 す と 御 仰 せ ら れ た り 。 坂 井 一意
官 と吉 村 元法 務官 と 三十 名 之 代 表 と し て紀 尾 井 町 に 伺 候 上 呈 す 。
夫 ︹ 彫刻家︺に 依 作 伏 見 宮 殿 下御 立 像 奉 呈 目 録 上 呈 の 為 、 長 谷 川 次
晴 大 暑 近 日 の大 暑 堪 へ難 し
吉村幹、布施、富岡 ( 立 体 写 真) 来 る。
︹ 欄外︺ 大 角 と 会 見 、 南 郷 少 将 、 千 坂 、 小 笠 原 予 の 為 め 陳 述
川口 ( 鮎 を 贈 り 来 る )。 斎 藤 実 全 権 た る の予 報 、 日 々夕 刊 に 顕 は る 。
崎 の軽 挙 を 戒 む 。
其 前 に 牧 来 り 予 に 対 す る ﹁デ マ﹂ を 注告 す 。 不快 無 極 。 荒 木 、 真
木村三重短現役之学校教員、真摯可愛。
終 日家 に 在 り 。
結 果 顕 はる 。 条 約 廃 止 決 意 之 言 明 を 受 く 。
午 前 十 時 半 大 角 海 相 の招 き にて 懇 談 。 南 郷 、 千 坂 、 小 笠 原会 見 之
八月十 一日 土
す。
浜 中 、 藤 野来 訪 、 煙 草 三 十 円、 ﹁リ プ ト ン﹂、 ﹁ウ イ ス キ ー﹂ を 贈
真 崎 少 将 夫 人 来 訪 、 千 代 と 孝 治 之件 に付 語 り 、矢 人 より 真 崎 に意
曇
らる。
を 伝 ふ る 事 と な る 。 早 朝真 崎 副官 十 九 日招 待 の名 刺 を 持 参 せ しも
八月七日 火
日 々 、朝 日 の社 会 部 記 者 来 る。 殿 下御 写 真 を 貸 与 す 。
延期せしむ。
八月十 三日 月
原 田技 師 来訪 、 回向 院套 堂 名 刺 入 石選 定 の件 也 。
晴
晴
夕 、 川 口来 り 大 書 を 乞 ふ。 数 枚 を 与 ふ。 良 印 肉 及 墨 ( 三 十 円) を
八月十二日 日
八月 八日 水
午 前 理髪 。神 楽 坂 菓 物 屋 に洋 食 。 後 三谷 を 訪 ひ ﹁ペー ﹂ す 。
晴 や ゝ涼 午 後 暑
贈 る。
大 日本 赤 子 会 佐 藤 光 水 、 水 物 を 持 参 、 書 之 礼 に 来 る 。
晴
晴
福 田弁 護 士 来 訪 、 仝 夫 人 成 瀬 某 よ り 菓 子 を 持 参 す 。 書 之 礼 也 。
晴 90° 最 大 暑
総 長 殿 下 の御 写 真 新 聞 に 掲 げ ら る 。
夕 、荒 井 来 訪 ( 今朝帰宅)会飲す。 曇 涼
終 日揮 毫 。 八月九日 木
1F 2F伊 勢 湾 発 。 八月十四日 火
午 後 二時 寛 永 寺 坂 下 朝 倉 氏自 宅 に 殿 下 御銅 像 を 下 見 分す 。
︹マ マ ︺
午 後 五 時 朝 日 新 聞 社 会 部 員来 訪 、今 日 黄海 々 戦記 念 追 憶 談 を 尋 ね
無事。揮毫。
八月十五日 水
無事。 曇
写 真 を 取 る 。 今 立 と 川 口 書を 取 り に来 る。 八月十日 金
午 前 十 一時半 黄 海 々戦 卅 年 記 念 且 つ軍務 御 精 励 を 祝 す る 為 朝 倉 文
八月十六日 木
八月 二十 一日 火
南 郷 少 将 愛 国 団 体 の為 松 本 楼 に 於 て 大 に努 む 。
副官来る。大西少佐来る。
八月十七日 金
高橋中将夫婦来訪。
千 代 子 村 田よ り 良 き 注 意 を 受 く 。
豊 田、 副 島 よ り 電 話 来 る 。 明 白 に 断 る 。
晴
軍事 参議 官 宮 中会 議 、 海 戦要 務 令 改 正案 に付 。 昼 認 めを 賜 は る。
午 前 七 ・二 五 上 野 発 、 陸 海 軍参 ︹ 議︺官 那 須 天 機 奉 伺 、 十 一 ・ 一
八月 二十 二日 水
晴 暑
午 後 五 時 明 治座 に 千代 、 実 、仁 を 伴 ひ新 国劇 を 見 る。
○ 黒 磯 着 、 直 に 御 用邸 に 奉 伺 、 拝 謁 、 昼認 を 賜 はり 、午 後 一 ・五
万 城 中 佐 に来 宅 を 乞 ひ 村 田 志 賀 子 に 紹 介 し 養 子 の作 法 を 聴 か し む 。
半 晴 稍 涼
七黒磯発帰京。
豊 田久 二及 島 崎 来 る。
晴 暑
総 長 宮 殿 下 上 奏 、 軽 井 沢 へ。
夕 五時 上 野翠 松 園、 武 藤 母 子 と 会 合 。 千 代 、 孝 治 、 予 、 真 崎 兄 弟
︹マ マ︺
孝治帰宅。 1F 2F入 港 、 横 須 賀 。
万 城中 佐 結 果 良 好 に感 。
失 婦。 ︹マ マ︺
八月十 八日 土
八月二十 三日 木
島 田少 将 来訪 、 軍縮 方 針を 報 告 す 。
晴
真崎、末次に電話す。 孝治武藤母堂及令嬢と会見結果良好。
曇 暑
真 崎 勝 次 、 園 田実 少 将 来 訪 。
支援を乞ふ旨答ふ。
て 貰受 の口 上 を 伝 ふ 。 予夫 婦 快 諾 、 武藤 家 の名 誉 を 発 揚 す る様 御
午 前 九 時 真崎 陸 軍大 将 武藤 家 使 者 と し て孝 治 を 武 藤 家 相 続 者 と し
八月十 九日 日
田 中 隆 三、 原 田 英 彦 、 山 田 一郎 、 山 本 ︹ 英輔︺大 将 ︹ 軍事参議官︺来
半晴
真 崎 大 将 に電 話 、 昨 日 の結 果 良 好 に付 見 合 の取 計 を 乞 ふ 。
末次大将来訪。
末 次 大 将 に書 信 。
万 城 見 中 佐 来 訪 打 合 せ 。鈴 木 報 知 来 る 。.
︹マ マ︺
訪。
八月二十 日 月
晴
南 郷少 将来 訪 。
副 島 道 正 伯 来 訪 、 予 の胸算 を 試 す 。
実帰艦す。牧来訪。
八月 二十四日 金
曇
︹ 欄外︺孝 治 、 実 海 晏 寺 へ、 夫 よ り 高 井 戸 へ。
実 帰艦 。 牧来 る 。武 井大 助 ︹ 主計少将、出仕︺( 午 後 )。
真 の為 め 来 る 。
人事局長。 日々渡部 ( 九 月 一日講 演断 る)。 朝 日 英 文 グ ラ フ某 写
中 根事 務 官来 る 。
正午出省。総長殿下に意見具申す。
午 前 千 坂 来 る。 明 日之 三人 会 合 に就 き 語 る。
斎 藤 米 大使 面 会 を 求 めた るも 断 る。 蘇 国 一等 書 記 官 又 仝 じ 。
︹マ マ︺
午前早万城見中佐来訪に付親類書扣を渡す。
五郎 帰 宅 す 。
揮 毫 (早朝 )。
八月 二十五日 土
曇
夕、仁、孝治と三福に会食。
八月 三十日 木
黎 明 雨 後 曇
同 じ く 土 産 品仝 大 将 直 々武 藤 家 に持 参 せ ら る。 万 城見 中 佐 仝 行 。
︹ 欄外︺ 殿 下御 出 勤。
午 前 九 時 孝治 武 藤家 に 到り 養 子縁 組 承諾 之 式 を 行 はし む 。 正 午 み
二時 浜 中 を 経 て返 却 す 。 浜 中 普 及 部 勤務 と 為 る 。
浜 中 副 官 よ り 次 官 之 秘 軍 縮 案 を受 取 り検 討 之 上 所 感を 加 へ、午 後
︹マ マ︺
午 前 八 時 真 崎 陸 軍 大 将 結 納 品 持参 来 訪 、幾 久 敷 受 納 、 加 藤 家 より
さ を と 共 に 元帥 墓参 に 趣く 。 町 田大 佐 第 一に祝 に来 訪 。 杉 山 明 久
八月三十 一日 金
よ り 同 じ く電 話 。 八月二十 六日 土
荒 木 主 計 少 将 、 朝 日 英 文 グ ラ フ。
雨 大雨 交 ゆ
雨
午 前 七 時 孝 治 帰 艦 す 。 武 藤 家 母 子 品 川 迄 見 送 て、 午 前 九 時 佐 々木
坂 井 一意 来 り 、 松尾 の焦 慮 を 語 る。
蘇 一等 書 記 官 之 電 話 を 断 り 日 露協 会 関根 に 頼 む 。
山 谷 一〇 二真 崎 大 将 邸 に礼 訪 す 。
牧 聯 通金 の無 心 を ﹁ヒ ン ト﹂ す 。
曇
午 後 武 藤 母子 来 訪 、 千 代 、 仁 を 紹 介 す 。
九月 一日 土
晴 暑 気
防空 演 習 。 ︹ 躊︺ 日 々社 説 華 府 条 約 廃 止 通 告 〓 躇 は ﹁ロジ ツ ク﹂ に 合 は ず と 述 ぶ 。
八月 二十七日 月
村 田 に礼 に行 き 品 物 を 贈 る 。
午 前 一〇 ・三 〇 武 藤 家 に 答 礼 す 。 千 代 仝 行 。 早朝 九 州 早 川 秀雄 、
大 々的 賛 辞 を 高 石 に送 る。
少将来訪。
衆 議 院 議 員 矢 野晋 也 ︹ 政友会︺来 る 。 甲 は 時 事 問 題 に て山 本 大 将を
午 後 六 時 よ り 防 空 演 習之 為 山 内 市 教 育 局 、 上 野 伊 勢 丹 (元)、 四
真 崎 大 将 に奉 天 よ り 来 信 、 満 洲 改 組 之 意 見 を 送 る 。 真 崎 、 園 田 両
八月 二十八日 火
谷 区 役 所 、 新 宿 伊 勢 丹 を 見 る 。 山 本 大 将仝 行す 。
紹介、乙は色紙に□書也。
午 前 小 笠 原 を 訪 問 、 経 文 を貰 ふ 。
半晴
三福に昼食。
︹ 欄外︺ 雨中 の防 空 。 雨
九月 二日 日
晴 暑
八月 二十九日 水
山 本 英 輔 、 加 藤 亮 一来 る 。
殿下御帰京。
午 後 二 ・三 〇 長谷 川次 官 来 訪 、 軍縮 案 を 懇 談 す 。 予 意 見 を 述 ぶ 。
し 丹 ざ く 及 画 帖 を 与 ふ 。 大 に 喜 び 電 話 に て能 婦 子 母堂 より も 謝 礼
色 紙 を 持 参 し 来 り 、 二 時 間 計 り遊 び 、千 代 と 親 む 。 可 憐 也 。 墨 流
東 郷 彪 氏 来 訪 、 粟 田 に 国安 之 銘 刀を 贈 ら る 。武 藤 三芳 子 単 独 に て
大 角 に 将来 を 警 告 、 主 と し て外 務 に 付 。
部 加 藤 、 島 田、 軍 務 吉 田 之 説 明 煮 へ切 ら ず 。
殿 下 御 帰 京 御 参 列 、 山 本 、 中 村 大 に 論 ず 。 軍 縮方 針半 極 り 。 軍令
午 後 六 ・三 〇 軍 事 参 議 官 会 議 。
九月七日 金
半 晴 蒸 暑
あり。
︹ママ ︺
相 撲 の額 、 堀 内 信 水 よ り 。
九月八日 土
午 後 二時 武 藤 能 婦 子 来 り 懇 談 す 。
下 郷 よ り案 内 、 藤 屋 に、 但 し差 支 あ り て取 止 、 料 理 を 送 り 来 る 。
予 の退 職 通 信 に付 竹 内 来 り 荒 木 の心 配 を 伝 ふ 。 之 を 取 消 す 。
半晴
九月 三日 月
雨 曇
午 前 出 省 、 殿 下 、 大 臣 、 次 長 に 軍 縮 問 題 を 承 は り 又聴 問 す 。 東 郷邸 に答 礼 す 。 ︹ 欄外︺ 軍 縮 上 の御 勅 許確 実 な ら んと す 。
聯合 情 報末 次 と 予 の 中傷 あ り 。 小 笠 原 に送 る 。 鄭 重 な る 返 信 あ り 。
午 後 荒 井 アト リ エを 訪 問す 。
九月五日 水
殿 下 小 松 島 に第 四 F御 検 閲 の為 東 京 御 発 。
九月十 一日 火
千代武藤家を訪問、入籍に付相談纏る。
九月十日 月
牧 来 る 。末 次 之事 を 注意 す 。 ︹ 躊︺ 朝 日 条 約 廃 止 通 告 〓 躇 の 不 可解 を 社 説 に詳 論 す 。
颱 風警 戒 但 し九 州 よ り 日本 海 に そ れ る
九月九日 日
浜 中 副 官 、 今 立 来訪 ( 佐 々木 革 次 に紹 介 を 乞 ひ来 る)。 ︹ 方︺ 浅 水 中 尉 〓 に て 行衛 不 明 。
夕 、 浜 中 よ り 政 観 と 云 ふ 雑 誌 に 悪 口あ り と て 之 を送 り 来 る 。
細 雨 曇
九月 四日
蒸 暑 。 外出 も 出来 ず 。 驟 雨勝 。
火
千代 と 帝 展を 見 る。 幸 鮨 に行 く 。
午 後 宗 像 馬 之 助来 る 。 シ エ フワ ド の良 犬 を 送 ら る。
九月六日 木 雨 冷 ︹ 方︺ 浅 水 中 尉 行 衛 不 明 、 佐 渡沖 に て夜 間 飛行 中 、嗚 呼 惜 む べ し。
右小笠原よりも知らせあり。
︹マ マ︺
光 雲観 音 宝 前 に忠 孝 を 謹 書 す 。
加 藤 亮 一に書 。 東 郷 大 内 寺 。
東京元帥百日祭、吉田神官司祭す。
持 永 憲 兵 隊 に電 話 す 。
雨 冷
番 町 及 多 摩 墓 地 に参 列 す 。
晴
午 前 原 田、 岡 某 来 り 。
晴
小 笠 原 著 晩 年 の東 郷 元 帥 に 五 ・ 一五事 件 の 予と 元帥 の 関 係を 詳 説 、
大阪坂上より白鷹を贈る。
海晏寺墓参す。
知己に感ず。右小笠原に謝す ( 電 話)。
千坂 、 南 郷 、 佐 々木 革 次 、 浜 中 。
昼食 を 共 にす 。
持 永 、竹 内 、 佐 久 間 夫 人 、 小 笠 原 。 持 永 は 宣 伝 を 憂 ふ 。 小 笠 原 と
早朝 よ り来 客 多 し。
九月十 二日 水
九月十 八日 火
民 政富 田幸 次 郎 又 は内 閣 新 官 僚 。
大倉 彦 一郎 宅 に祝 品 羽太 重 ( 卅 円 ) を 贈 る。
千住 回 向 院 に て 景岳 会 評 議 員会 。
黄 海 々 戦 四 十 週年 記念 日 、 水交 社 、座 談 会 。
九月十七日 月
武藤能婦、みさほ子。
︹マ マ ︺
佐久間正子夫人来訪。
満洲 事 件 三週 年 祭 、 靖 国 神 社 々前 、 参 拝 す 。
雨
︹二︺
小雨
真崎大将夫人来訪。
晴
山 本 開 作 来 る。 ワー ルド 新 井 某 。
聯 合 艦 隊 大 連 着 、 大 歓 迎 、 〓八 十 機 奉 天 に 編 隊 飛 行 す 。
薩 摩 雄 次 よ り 秘 情 報 来 り 、 小 笠 原 に転 送 す 。
午 後 賀 陽宮 御 帰 朝 奉 迎 。
終 日揮 毫 。
九月十九日 水
晴
浜 中 来 る。 人 事 局 長 に 書 を 送 る 。
九月十 三日 木
薩 摩 雄 次 よ り 電 話 。 予 之 為 大 に 尽 す 。 小 笠 原 に報 告 。
五〇 を 贈 る 。 見 送 り 人 十 名 位 あ り 。
又 雨 低 気 圧 七 二 五 琉 球 の沖 に 在 る 為
長谷川次官電話。予に注意す。不可解。 曇
午 前 九 時 下 郷 母 子 佐 賀 に 帰 省 す 。 千 代 見 送 り 、 チ ヨ コレ ー ト 二 、
九月十四日 金
九月 二十日 木
盛 也 。 但 し 山 本 少 し く 上 ぼ せ気 味 、 大 に托 す る に 不足 。
又 雨 昨 日 の如 し
朝 原 吾 一? 出 版 の件 其 他 に 付来 訪 す 。
午 後〇 ・五 二分 山 本 五 十 六 ︹ 少将、ロンドン軍縮会議出張︺出 発 、 見 送 ( 民 間 有 志 )。
宮 地 民 三 郎 来 る 。午 後 副官 来 る 。 千 坂 よ り 電 話 、 佐 々 木 要 人印 刷物 押 収 の件
坂 井 一意 来 り 去 十 七 日読 売 の中 傷 を 報 ず 。
松本忠太、梅崎中佐来る。
九月十五日 土
支 那 公 館 劉 田 甫 来り 予 に 土産 の美 な る絹 物 を 贈 る。
午 後 三 時 和泉 荒 川 ア ト リ エに sketす c。 h
午 前 出省 、大 臣 、次 官 に会 見 。
曇
正 午半 満 洲公 館 記念 会 、 午 餐 。
颱風 大 阪を 襲 ひ大 被 害
九月二十 一日 金
ワー ルド新 井 に書 を 与 ふ。 胆如 甕 よた 二枚 。
九月十 六日 日
大 阪 小 学校 倒 潰 し児 童 死傷 千 余 に上 る。 下関 急 行 京 阪 間 に て転 覆
晴 稍 冷
早朝 真 崎 少 邸 を 訪 ふ。
す 。東 京 可 なり 大 な り し も 幸 に北 にそ れ た り 。
︹マ マ︺
光 延 東 洋 、筥 館 三島 義 堅 。
大 阪 古 市 に見 舞 電 を 発 す 。
東 郷会 、水 交 社 、 海 相 主 宰 、 方 針 定 る。 刑 部 活 動 す 。
九月 二十 七日 木
熊 崎 量 治親 切 に 予を 岩 淵 に 説明 す 。
晴
其他書状。
九月二十八日 金
小笠 原 に、 ﹁ 光 ﹂ に使 を 出 す 。
夕 、仁 と看 劇 。
伏見宮付︺武 官 宛 御 見 舞 電 を 発す 。豊 田 始 め て 林 正義 と 伊 藤 に 会 ふ
加藤隆義電話、総長宮殿下御不例、右に付電報及松永 ︹ 次郎、大佐、
豊 田 久 二 、 浜 中来 る 。
晴
九月 二十 二日 土
小雨
平泉 博 士 来 訪 、 講 演 を 頼 む 。 小 笠 原 に 紹 介 す 。
浜 中来 る。
九月 二十九日 土
た る 由 報 ず 。 林 の 就 職 に 付 相談 に 来 る 。 半晴
九月二十 三日 日
晴 近 日稀 の晴 天
午前 上 野美 術 館 に至 り 、 精 養 軒 庭 園 に て小 休 、 帰 宅 す 。
十 時 コ ン テ ンポ 、 シ ヤ ベ ン、岩 淵 来り 二 時 間余 語 る。 詳 細 説 明 、
牧 来 る 、 冷 遇 し て 帰 へす 。 森 電 三 ︹ 少将、予備︺来 る 。
満足して帰る。
向田来る。
晴 天 快 気
原 田使 に字 を 渡 す 。 風岡 一雄 に ﹁天無 偽 ﹂。
参内 、 賢 所 。
九月二十 四日 月
午 前 秋 良 次 男 、隠 岐 来訪 、夫 に頼 ま れも のあ り 。 英 彦 君 奔 走 。
︹ 欄外︺松 永 武 官 よ り 返 信 あ り 、 殿 下御 平 静 と 。
岡 田 首 相 の海 陸 大 将 招 待 会 に 行 く 。
九月 三十日 日
晴
北 満 買 収 日 蘇 交渉 成 立之 新 聞 評。
平 附 近 の江 名 町 に 於 て 園 田 男 爵 建 立 之 増 田 、島 田 両少 佐殉 職 忠魂
九月 二十五日 火
千 代 、 光 紅 海 晏寺 に 行き 光 江幼 児 移葬 を 行 ふ。
小 雨 曇
坂 井 一意 来 る 。
横 長 官 一行 式 丈 仝 席 。
碑 除 幕 式 に 参 列 、 一条 公 、 福 原 男 、 其 他 貴 院 よ り数 名仝 行 、 盛会 。
十月 一日 月
夕 、 平 町 住 吉 旅 館 に 招 待 さ る 。 快 遊 。 一条 、 福 原 、 園 田 男仝 席 。
九月 二十六日 水
午 前 十 時 四十 分 平 発 、 助 川 駅 下 車 、 石 河 ︹ 英吉︺予 備 機 少 将 に 迎 へ
ラク 犬 を 宗 像 に 預 く 。
小 笠 原 来 訪 。 持 永 憲 兵 隊 長 来訪 。
ら れ 、 日立 ﹁モー ト ル﹂ 製 工 場 視 察 。 一条 公 仝 行 。 純 日 本 式 の 規
夕、山下徳子夫人来訪。
隠岐に旗及書を交付す。
晴
浜 中 来 訪 、 日 々パ ム フレ ツト 序文 見合 せ を乞 ふ 。ye s, 但 し普 及部
模と女工使用之盛なるに感ず。常盤館 ( 助 川) に て 夕 食 。 高 尾 工
雨
の名 を 以 て す る が 故 也 。
十月 八日 月
贈る。
福 田 、 英 彦 、 景 岳 会 之 事 。 忠 魂社 に 標 之 礼 に鏑 木 外 一名 来 り 物 を
十月三日 水
午 後 五︱ 六 時 、 2 ・ 1 F出 航 、 串 木 野 錨 地 に 行 く 。
孝 治 第 一水 戦 電 に乗 艦 す 。
を 訪 ひ、 了 て乗 艦 す 。
午 前 十時 武 雄 発 、 汽 車 に て 佐 世 保 に 行 き 、 佐 長官 ︹ 米内光政、中将︺
十月九日 火
十月十 一日 木
天明 串 木 野 着 、 仮 泊 。
半 晴 海 上 荒 波
晴
南郷少将と午餐を家に於て倶にす。
晴
午 前 龍 驤 視 察 、 午 後 自 働 車 に て大 村 航 空 隊 視 察 。
孝 治 第 二水 戦 司 令 部 と な る。
十月 二日 火
後 武 雄 に 一泊 。
半晴
橋 本 博 、 景 岳 光 生 墓 前 祭 に 出 品 を 頼 み 来 る 。英 彦 氏 に托 す 。
場 部 長 等 接 伴 。 六 ・二二 発 に て 帰 京 す 。
電 話 頻 々、 下 郷 、 浜 中 、 今 立 裕 、 江 守 、 伊東 菊 城 、高 松 主 計 中佐 、
午 後 四時 比 叡 出 港 。
井 上 雅 二南 米 よ り 帰 り 訪 問 す 。
雨
真崎少将。
今立裕来る。
十月十日 水
在 泊 。 一日演 習 準 備 。
曇 寒 し
午 後 一時 発 佐 世 保 に 向 ふ 。 大 阪 附 近 殊 に寒 し 。寛 一、 素 子帰 る。
十月五日 金
前川憲夫来る。 十月六日 土
十月十 二日 金
午 後 四時 出 港 、 前 進 す 。
予 は揮 毫 攻 め に奮 書 す 。
半晴
午 前 七 ・三 〇 三 田 尻 下 車 、 秋 良 を 訪 ひ 、 九 ・五 五 下 の 関 に向 ふ。
接 あ り しも 幸 に人 命 無 事 。 只 コ ロ基 地 に て第 一〓隊 一機 墜 落 し 小
之 よ り 青 軍 と 赤 軍 前 進 部 隊 と の攻 防 、 以 後 戦 壮 烈 。 初 夜 二 、 三触
海上強風
昼 食 、 山 陽 ホ テ ル。 佐 藤 市 郎 同伴 。 午後 二 時 門 司 発、 午 後 五時 武
午 前 三時 演 習 開 始 。 赤 城 飛 行 機 琉 球 コ ロ 〓基 地 爆 撃 成 功 。
十月七日 日
児 三名 惨 死 せ るを 惜 む 。
晴
雄 に 着 一泊 す 。
に伺 候 。
正子演習終結。
午 前 九 時 自 働 車 に て佐 世 保 に 行 く (一時 十 五 分)、着 后 直 に 比 叡
高雄に乗艦す。孝治と会ふ。 ︹ 造︺ 午 後 六 時 比叡 に て総 長 殿 下 之 御 招 宴 に陪 す 。 小林 躋 三 ︹ 大将、軍事
十月十 四日 日
晴 強 風 荒 波
︹ 欄外︺ 烟 幕濃 厚 此 又烈 榛 名 奮 闘。 参議官︺外 長 官 以 外 。
十月十九日 金
ほを見舞ふ。
午 前 永 井 、 福 田 、 英 彦 、〓 田 、 山 田等 景 岳 会 評 議 員 、 幹 事 来 り 墓
午前 八 時特 別 演 習 開始 。 展 開運 動 。 正 午 終 結 。 各 隊 大 阪 湾 に 向 ふ 。
午前 中各 隊 大 阪湾 に 入り 西 の宮 に泊 す 。 午 後 上 陸 桃 山 荘 に 行 く 。
十 月十 五日 月
前 祭 の報 告 を 為 す 。 皆感 謝 。 ︹ 八︺ 松 下 権 吉 来 り 急 遽 予 の自 重 を多 と す る旨 九条 公 の意 を 伝 ふ。
子 を 訓 す 。夕 寛 一夫 婦、 満 佐 夫 、 孝 治 来 る。
午前 尼 ケ 崎 関 西 ペイ ントを 見、 伊 勢 屋 に招 か る。 堤 一家 来 る。 文
十月十 六日 火
城東練兵場告別式。
十月 二十日 土
に送る。
浜 中 来 る 。 川 口 へ贈 物 の包 装 を 安 藤 七宝 店 に依 頼す 。 松 茸 を 書 記
晴 久 方 振 好 天
夕、菅野 ︹ 栄三郎︺税 関 長 と 川 口 に富 田 屋 に招 か る 。 西 岡 某 中 佐 に
無 類 之 好 天 午 後 よ り 風 出 づ
小事 件 あ り 。 帰荘 、 別室 に 眠 る。
午 後 九 ・二 五 大 阪 に 向 け 発 。
八 ・二 五 大 阪 発帰 京 。
午 前 九 時 大 阪 着 、 川 口に 迎 へら れ 桃 山 荘 へ立 寄 、 町 田外 数 名 の幕
曇 小 雨
末次 講 演 大成 功 。
堤 一家 、 寛 一其 他 送 る 。
僚 仝 宿 。 写 真 。 川 口に 花 瓶 を 贈 り 彼 の連 日 の好 意を 謝 す 。
八 ・二五 A M帰 京 。 東京 は 雨多 し と 。本 日寒 し。
十月十七日 水
西 之 宮 よ り 乗 艇 。 比 叡 艦 上講 評 (10 A M)。 正午 海 軍 七 百 名 御 賜
十月 二十 一日 日
て神 戸 に 向 ひ 、 夕 、 神 戸 ト アホ テル に 泊 す 。
晴 も や あ り
孝 一も 来 る 。
午 後 一時 看 兵 式 。 空 中 分 列 大 成 功 。 大 阪 二 百 五 十 万 熱 狂す 。 右 了
賢所御遠慮。
餐。部外者御見合せ。御菓子及盃を賜はる。
曇 雨
川 口不 相 変 歓 待 す 。
永 井 に電 話 、 礼 す 。
午 後 一〇 ・二五 大 阪 発 、 井 上 親 子 、 寛 一、 実 其 他多 数 見 送 る 。
快晴
夕千坂来る。小笠原と電話す。
十月 二十 二日 月
田崎 博 士 中 村 の釈 明 弁 護 に来 る 。
川 口、 西 尾 、 近 藤 等 に 角 座 と 柳 に招 か る ( 新 町)。
真崎来訪。
午 前 一〇 帰 京 。 南 郷 、 千 坂 来 る 。
半 晴 小 雨
竹内来り大策を述ぶ。
十月十八日 木
坂 井 一意 来 る 。
孝治帰宅。浦部聖来る。
晴
真崎夫人 ( 大 将) 来 る 。
1F 2F各 所 属 軍港 帰 着 。
︹マ マ ︺
海 軍 省 へ行 、 大 臣 、 次 官 に 会 ふ 。 後 陸 軍 々医 学 校病 院 に武 藤 み さ
十月 二十 三日 火 に思召さる。
午 前 十 一時 吉 村 幹 三郎 氏 、朝 倉 氏 仝 行 、 殿 下 へ御 像 献 上 、 御 満 足
右 了 て 両 人来 訪 、 予 に銅 像 を 贈 る。
午 前 曇 午 後 雨
相撲協会を訪ふ。末次、堀内に会ふ。
十月 二十 九日 月
参社祭典参列。
午 後 枝 原 来 る。 夕 真 崎 来 る。
軍事 参 議 官 非 公 式 会 。
晴
大 野中 学 校 内 山 進 来 訪 す 。 書 之 礼 也 。
伯 金 子談 殿 下 へ言 上 。
午後小雨
華 府 条 約 廃 棄 通 告 に関 す る元 帥 殿 下 御 諮 問 、 午 後 元 帥 府 へ御 諮 詢
十月 二十 四日 水 将 官 会 議 一日に し て結 了 。
御奏請。
夕 、 子心 会 、 佐 藤 、 荒 木 、 松 島 、 本 野 矢 人 等 、 盛 会 。
曇 兎 角 陰 鬱 雨 勝
十月 二十 五日 木
十月 三十日 火
夕 、 霞 ケ 関 離 宮 に 於 て 総 長 宮 殿 下 御 招 宴 。 松 村 繁来 訪 。
各長官管下状況奏上。
十月 三十 一日 水
晴
正 午 御 陪 食 。 高 速 戦 艦 と 〓 の威 力 並 に 友 鶴 型 の改善 を 上奏 す 。
鴨 猟 、 越 ケ谷 、 大 猟 、 五 (十) 四羽 、 衆 大 に 羨 む 。 大 角 大 に酔 ふ。 其 他 大 に乱 る 。 依 て殿 下 に 奉 対 不 敬 を 恐 れ 御 退 場
﹁一寸 と し た 所 の注 意 だ ね ﹂ と 仰 せ ら る 。
夕 、 邦 楽 座 に躍 進 日本 と 海 軍 な る 映 画 を 見 る 。 海 軍 士官 家 族多 数 。
午 後 朝 倉 の ﹁アト リ エ﹂ を 訪 問 す 。 浜 中仝 行 。 十月 二十六日 金
予千代、仁、五郎を伴ふ。帰途雨に会ふ。
雨
曇 夜 雨 と な る
午 前 九 時 最 高 進 級 会 議 、 堀 、坂 野 問 題決 す。 枝 原、 市 村 、 鈴 木 引
理髪。百武中将来る。
を奉願。
退 、 気 の毒 也 。
曇
正午総理招待。
十 一月 一日 木
大正九年歿︺追 憶 、 軍 医 界 の発 奮 を促 す 。
軍 医 学 校 卒 業 式 、 一場 の挨 拶 を 頼 ま る 。高 木 兼寛 氏 ︹ 元海軍軍医総監、
原五郎、高松 ( 礼 に) 来 る 。林 不在 中 に来 訪 。
寒冷 細 雨あ り
夕、松村茂娘結婚式。
横 須 賀 五 校 卒 業式 。
十月 二十七日 土
殿 下 よ り御 語 葉を 給 は る 。
夕 、 佐 々 木 革次 結 婚 。 大 雨 。
︹マ マ ︺
水交 社 に て食 事 后 金 子伯 を 訪 ふ。 大 に喜 ば る。
十 一月 二日 金
晴
十月 二十 八日 日
終 日 揮毫 、 二 十 数枚 。
晴 武藤 能 婦 子来 り打 合 せ。
大 に疲 る。 林 来 る も 有 馬 に 相 談 せ し む 。 困 り も の也 。
既 に欧 洲 に て見 た るも の也 。 了 て荒 井 、 浜 中 と ひ げ 天 に行 き 、金
夕 上 野 の某 社 に て ウ ーボ ー ト 及 澳 戦 艦 爆 沈 駆 潜 艇 の 映 画を 見 る 。
午 後 伏 見 宮 御 殿 に て 日 露 戦 役 三 笠 八 月 十 日 生存 者 御 招 宴 、御 歓 待
明治節参内。明治神宮大衆敬拝。
十 一月 三日 土
大 に付 政 府 と 協 議 処 理 す べし 云 々。 以 上 は 総 長 殿 下 元帥 府 御 決 議
意 を 書 面 に て持 参 せ し 事 を 報 じ 、 南 雲等 の憤 慨 を報 ず 、本 件 は重
観 菊 御 召 。 稲 垣 来 る 。 出 光 は 海 軍 に 、 陸 軍 は 陸 軍武 官 を し て 、御
十 一月 八日 木
村 に 一酌 す 。
晴
柳光亭、南洋会。
到れり尽す。感激云ふ所を不知。
晴
早 川 来 る 。 九 州 の動 を 説 く 。
から ぬ、 少 な く も 武 官 長 を し て 差 使 せ し め ら る べき も の なり 。
を 奏 上 の時 賜 ひし 御 言 葉 に し て 、 夫 を 覚 書 に し て持 参 すと は怪 し
続木、竹内重利 ︹ 中将、予備︺、 万 城 目 。
晴
十 一月九日 金
十 一月四日 日
午 前 五 時 半 よ り 午 後 九 時迄 清 遊を 極 む。 下 郷夫 婦 、曲豆彦 夫 婦 及 初
富士五湖廻り、二百三十哩九十里。
太 郎 、 川 島 と 運 転 手 高 橋 。 ﹁パ ツカ ー ド﹂ 毫 も 疲 労を 不 覚 。 食 慾
午 前 御 召 に 依 り 軍 令 部 へ、 博義 王 殿 下 之 御事 に 就而 懇 々と 御 依 頼
を 給 は る。 御 心 中 拝 察 、 感 深 し 。 謹 で御 請 申 上 ぐ。
晴
に 自 分 な が ら 驚 く 。吉 田 、猿 橋 、精 進湖 に て 予を 認 め 敬 意 を 表 す 。 十 一月五日 月
右 終 て出 光 事 件 を 申 上 ぐ 。 驚 く べき事 実 別 冊 に 。
晴
午 前 朝 倉 に 答 礼 。 総 長 殿 下 へ軍令 部 に御 礼 。
十 一月十日 土
晴
夫 よ り 紀 尾 井 町 へ御 礼 、帰 宅 。
正 午 出 発 、 前 橋 へ。 午 後 三 時着 。 陛 下を 奉 迎 。金 沢 知 事 官 舎 に泊
す 。 好 遇 致 り 尽 す 。 妻 君 春 子 、妹 繁 子 。
︹マ マ︺
吉 村 幹 三 郎 氏 来 訪 。午 前 朝 原 五郎 本 の事 に て来 る。
水 上 温 泉 の ﹁キ ヨ﹂ 待 す 。
︹マ マ ︺
夕 相 撲 奨 励会 招 待 、京 橋 小 松 へ。 ︹ 頭︺ 遠山満、堀内、石渡敏、山田陸槌 ︹ 陸軍中将、予備︺ 、土方寧、末次、
十 一月十 一日 日
晴
午 前 五 時 発 、 第 一日演 習 。
︹ 欄外︺前 橋 着 。
十 一月六日 火
午 後 よ り ﹁キ ヨ﹂ を 伴 ひ浜 中と 水 上温 泉 に行 く 。 四万 の先 清 水 ト
晴
海 軍 大 学 校卒 業 式 。 了 て海 軍省 に て御 陪 食 。
福 原 の 諸 氏也 。
石川 ︹ 信吾︺中佐 ︹ 第六戦隊参謀︺来 り 出 光 の重 大 干 渉 を 知 ら す 。
ンネ ル の側 風光 明媚 、但 し降 雪あ り 、 山 上 二尺 、 冬 は 一丈 以 上 に
︹マ マ︺
及 ぶ と 。神 峡 楼 は志 賀 亘妻 君 の経 営 也 と 。
晴
浜 中を し て出 光 問題 を 稲 垣 ︹ 生起、大佐、軍令部︺ 一課 長 に 問 は し む 。
十 一月七日 水
︹ 欄外︺午 後 二時 御 前 講 演 陪 聴 。
聖上陛下東北行幸、赤城御渡山。
午 前 七 ・ 一四 水 上 発 、 新前 橋 に て乗 換 、 九 時 大 本 営 に て御 前 講 演
演習第二日。
午 前 九 ・三 〇 岡 敬 純 大 佐 来 り 、 予 備 交 渉 経 過 を 報ず 。 牧来 る 。
十 一月十六日 金
久 富 、 八並 来 訪 、 軍 縮 を 心 配 す 。
理 髪 。 副 島 道 正 電 話 を 掛 し も 本 日 差 支 の旨答 ふ 。
定 期 異 動 発 表 、 井 上 、 継 松 、 日 比 野 礼 に 来 る 。 高橋 二 F C仝 上。
陪聴。
午 後 豊 田久 次 、 副 島 道 正 来 る 。
晴 風あ り 冷
関東平野の風冷し。
十 一月十 二日 月
午後三時頃終結。
川 島 来 り 、 二十 日進 水 式 の事 に 就 き 語 る 。仝 行 を 下 郷 に勧 め し め
晴
十 一月十七日 土
晴
其 夕 前 橋 嬉 し 野 に招 か る。 知事 夫 人案 内 、有 馬 馨 ︹ 中佐、軍令部員︺
欣諾す。
十 一月十 三日 火
終 日揮 毫 。 副 島 を 長 谷 川 に 紹 介 す 。
晴
をも呼ぶ。
演習第三日。午前五時半出発。
孝治より電報。
無 類 の好 天 に て観 兵 式 。
十 一月十四日 水
終 日来 訪 者 続 出 、 13人 に 及 ぶ 。
武 藤 能 婦 子 来 る。 孝 治 に 戸 籍 謄 本 と 電 報 を 送 る 。
策 を 定 め散 会 。
晴
村 田志 賀 子 来 り 祝 物 を 呈 す 。
十 時 半 高 崎 聯 隊 司 令 部 に て 賜 茶 、演 習壮 観 。 ︹ 撮︺ 午後二時半採影、三時講評。
十 一月十 八日 日
兵 四 万 五 千 、 機 械 兵 団 見事 、 騎 兵 の 大 □ 団 閲兵 、 飛行 機 も過 去 の
下郷 義 一夫 婦 来 る 。
午 後 上 野 に奉 迎 、 了 て朝 香 、 伏 見 両 宮 家 に 伺 候 す 。
曇
九 条 久 次 来 る。 火 鉢 弐 個 贈 る ( 予 に)。
︹マ マ︺
本夕、官舎にて夕食。
永 井 、 福 田、 〓 田 、 山 田 来 り 、 景 岳 会 の会 計 の不 備 を 報 じ 、 前後
演習に見ざる数にて約八十機分列す。
晴
今夜降雨ありしも翌朝晴。
御 賜 餐 後 、 午 後 一・四 〇 高 崎 発 、 熊 谷 に て 田島 旅 館 に 小 憩 、 夕
︹ 欄外︺ 陛 下御 還幸 。 十 一月十九日 月
五 ・三 〇 帰 宅 す 。 高 崎 よ り 熊 谷 間 一時 十 五 分 、 熊谷 、 新宿 間 一時 十 五分 、 全 路 坦 々
副 官 来 。 村 上 春 子 来 る。 晴
たる舗装に驚く。 十 一月十五日 木
十 一月 二十日 火
又大角に之を促す、諾。
荒 木 貞 夫 大 将 軍 縮 と 国 防 に 就 而 放 送 。 予 よ り電 話 に て礼 を 述 べ、
風 邪 に て不 快 。
曇
軍 艦 鈴 谷 進 水 式 、 三 台 之 自 働車 に て 下 郷、 曲豆彦 夫 婦 、 義 一夫 婦 、
加 藤 亮 一来 り 、 東 条 之 事 を 相 談 す 。
十 一月 二十六日 月
横 田 某 、 川 島 、 平 田 、 武 藤 母 子 及姪 、 予夫 婦 、浜 中 。 八聖 殿 を 見 、
十 一月 二十七日 火
松下権八?
浜 中 訪 問 。 水交 社 に て食 事 。夕 六時 半 武 藤 母と 帰 る。
晴
陸 軍 巨 星 南 、 荒 木 、 阿 部 、渡 辺 、 川島 、床 次 、児 玉 、 林 権 助 、 鉄
入 間 野 に 斎 藤 氏 のク リ スチ ヤ ン ・サ イ エ ン ス ・モ ニト ル へ之 談 に
付非難を注意す。今朝来訪。
雨
相 。 横 須 賀 接 待 大 に ま ず し 。 野村 吉 苦 言 す 。 ︹ 欄外︺美 事 な る進 水 。
千 坂 来 る 。 大 阪 村 尾 静 明 来 り 、 土 産 を残 し 去 る 。 五岳 老 女 来 る 。
十 一月 二十 一日 水
十 一月 二十八日 水
臨時議会開会。
孝治之土産準備、目録書き方。
晴
鈴谷。
竹 内 金 平 夫 人 来 訪 、 堤彦 一之 女 に付 千代 に相 談 す 。
孝 治 武 藤 家 相 続 に 付 川 島 、 下 郷 秘書 を宰 領 と し て道 具 一式 及 土 産
晴
夕 、 井 上 、 津 田 、 加藤 内 蔵助 祝 賀 、 東 洋 軒 。 慶 民 子 、 康 昌 侯 、 但
倫 敦 英 側 中 々 ﹁執 拗﹂ に 決 裂 を 予 防 す 。
物を送る。
晴
し 津 田 不参 、 玄 蕃 ず ぼ ら 顕著 也 。東 洋 軒 之 為 め の宴 之 如 し 。 十 一月 二十二日 木
真 崎 夫 人 先 着 、 電 話 に て 祝 意 を表 し 来 る 。
十 一月 二十九日 木
晴
︹ 欄外︺武 藤 家 へ道 具土 産 物 発 送 。
風邪。
午 後 二 時 半 殿 下 御 召 、出 光 問 題 に付 御 懇 話 を 給 ふ。
晴 暖
夕 小 笠 原 五 女 結 婚 式 、華 族会 館 、宮 相 答 辞 。 十 一月 二十三日 金
午 後 五 ・三 〇 賢 所 、 明午 前 一時 終 了。 風邪 気 味 。
晴
浜中来り五日宴会之打合せ。
小 笠 原答 礼 に 来 る 。 十 一月 二十四日 土
祝 物 続 々来 る 。 松 下 権 八 元帥 真蹟 明 治 天皇 御 製 を 孝 治 に贈 る為 来
訪、両人共不在にて欠礼す。
曇
十 一月二十五日 日
阿 部 宣 之 助 に 書 を交 付 す 。 ︹ 八︺ 松下権吉元帥書を送り来る。
藤 山 雷太 三 笠会 の為 園 遊会 を 開く 。 殿 下台 臨 。
終 日 閑 。 結 婚式 準 備 。 ︹ 健︺ 寺 島 健 一来 訪 、何 の為 に や 不明 。
雨 寒
午前真崎 ( 孝 治 仝 道 ) 大 野 、 豊 西 、 慶 応 病 院 、 松 菊 、 中 野 、本 庄
孝治武藤家訪問。
を訪問す。
十 二月四日 火
十 一月 三十日 金
朝 刊 に予 の記 事 散 見 す 。
大 工 に 二十 五 円 を 払 ふ 。
加 藤 次 長 と 電 話 、 倫 敦 会 議 に 異 状 な し 、 山本 より 数 字 問 題 に入 ら
寛 一夫 婦 、 今 雄 。
植 木 屋 入 る 。菊 池 恭 三 ︹ 貴族院勅選議員、大日本紡績取締役社長︺夫 人 逝 去 す 。
ん と 請 訓 せ し も 不 可 と 申 送 れ り 。枢 密 院 は 仏伊 の大 使 より 本 国 に
素子着す、午後七時。
晴
申 送 り た れ ば 返 信 あ り 次 第直 に枢 密 院 に か け議 会 中と 雖 も 諮 詢 せ
満佐夫。
初雪
ら る ゝ筈 。
孝治送別会。
孝 治 結 婚 式 。 午 後 二 ・三 〇 挙 式 、 午 後 六 時 披 露 、 来客 二 百 二、 三
十 二月五日 水
孝治祝客多し。
十名、 盛況、真 崎大 将媒酌披 露、奈良 ︹ 武次、男爵、陸軍︺大 将 ︹ 予
晴
千 代 藤 本 に 行 き 一五 〇 〇 円 を 当 座 に 戻 す。 十 二月 一日 土
川 口金 蔵 金 五 拾 円 切手 を 持参 す 。仝 人 に縮 緬 代 を 交 付 す 。
風邪稍快方。
大野 ︹ 豊四︺陸 軍 中 将 ︹ 予備︺夫 婦 来訪 。
︹ 新 聞切抜貼付︺
備︺答 辞 、 安 保 大 将 乾 盃 す 。
◇ 華 府 条 約 単 独 廃 棄 が 閣 議 で 決定 し た 三 日 、当 時 の海 軍側 首 席 随
晴
中村北米剣 士 ( 写 真 を 取 る、 電 通 写 真)、 宮 地、 松 村 夫 人 、 長 嶺
ゐた が 、 そ れ と 聞 いて 、 わざ 〓
員 だ つた 海 軍 大 将 加 藤 寛 治 氏 は 、 折 柄 、 風 邪気 味 で訪 客 を 避 け て
十 二月 二日 日
夫婦、遠藤行子。
軍 服 に著 か へ、感 想 を 求 め にく
孝 治 帰 宅 、 み さ ほ 出 迎 へ且 つ宅 ま で仝 伴 し来 る。
る訪 客 を 一々引 見 し 快 談
か にふ る へて ゐ る
◇ 大 将 の語 気 は 漸 く 熱 を 帯 び 、 そ の 手 は膝 に 固く 握 り し めら れ 微
◇ ﹁大 和 魂 は 地 下 水 だ 、滾 々 と し て 千 尺 の 地 下を 潜 つて押 へ切 れ
岡 田衆 議 院 に て大 口喜 六 ︹ 衆議院議員、政友会︺に 問 ひ 詰 ら れ 醜 態 を
十 二月三日 月
な いそ の力 は 、 い つか 地 上 に 噴出 し て、 遂 に滔 々 た る大 瀑 布 と な
極 む 。各 薪 聞 匙 を 投 ぐ 。
尼 野 来 訪 。 孝治 と 三福 に食 事 す 。
る のだ﹂ と 、 雄 弁 滔 々 、訪 客 は皆 こ れ でも 風邪 患 者 か と び つく り
半 晴 寒
華府 条 約 廃 止 通告 臨 時 閣議 に於 て決 定 。
( 凸版 ︹ 略︺は 加 藤 大 将)
右 に 付聯 合 通 信内 山林 之 助撮 影 に来 り 且所 感 を 尋 ぬ。 夕 中 外商 業 村合 正夫 小 僧 来 る。
十 二月十日 曇 後 晴
︹ 欄外︺ 臨 時 議会 終 了。
小笠原と陸軍問題に付電話往復。
晴
孝治夫婦休養。
十 二月六日 木
万 城 目 中 佐 土 産 物 を 武 藤 家 に 代 り持 参 す 。
上 野美 術 館 に書 を 見 る。 予 之 書 〓 の多 き を 省 見 。
孝 治 央 婦 出 立 、 呉 に 帰 る。 燕 に て 九 時 東 京 駅 発 、 見 送多 し 。功 も
午 後 軍 医 学 校 に て身 体 検 査 を 受 く 。 血 圧 高 く ﹁レ フレ ツク ス﹂ □
来 る。 万 城 目 、 浜 中 其 他 武 藤 家 。
十 二月七日 金
弱 、 大 に警 戒 せ し め ら る。
衆 議 院 に 政 友 クー デ タ 式 予 算 審 議 中 止 を持 出 し 、議 会 解 散 迫 る。
孝 治 夫 婦 、 武 藤 母 堂 知 友 答 礼 に 廻 る 。 午餐 に 夫婦 、 母堂 を 招 く 。
政 民 提 携 一夜 に 破 る 。
米 ス テー ト メ ント 飽 く 迄 現 状 維 持 を 主 張す 。
下落 合 訪 問 。 能 婦 子 夫 人 今 夕 立 。
護 国寺 武 藤 家 墓 参 。
晴 暖
夕 下郷 一族 よ り 氷 川 あ か ね 之 支 那 料 理 に 招 か る。
﹁二百 ﹂。
︹ 欄外︺ 軍 医 学校 初 診 。
寅吉長女病篤しと聞き妙子急帰す。
近 来 の寒 冷
寛 一帰 阪 に付 東 京 駅 に 送 る 。
十 二月十 一日 火
十 二月 八日 土
小 林 省 三郎 中 将 凱 旋 、 東 京 駅 に出 迎 ふ 。 右 了 て 軍 令 部 長 殿 下 に 廃
晴
予 風 邪 に艱 む 。 頭 痛 大 也 。
夕 、海 相 の歓 迎 晩 餐 ( 小 林 に対 し )。
関 干 城 之 告 別 式 及 び 山 本 伯 一年 祭 に 欠 席 し 、 菓物 を 呈す 。
小 笠 原 中 将来 訪 、 陸 軍問 題 に付 合 議 の要 を 切 言 す 。 明 日 予 と 小 林
棄 通告 の枢 府 会 議 開 催 に付 御 喜 び を 申 上 ぐ 。 次 官 、 次 長 へ仝 断 。
十 二月九日 日
と 会 見 の結 果 に待 た れ 度 と 申 上 ぐ 。
十 時小 林 省 三郎 中将 来 訪 、 林 陸 相 と 会 見 の結 果 を 報 告 に 来 る ( 別
十 二月十 二日 水
快 晴 暖
静岡渡辺庄太郎来る。
千代、素子高井戸村田に趣く。
素 子 吉 祥 寺 に 至 るも 留 守 、 十 一 ・三 〇 千 代 、 素 子 は 武藤 邸 に招 か
午 後 千 代 、 能 婦 子 真 崎 大 将 家 に 謝 礼 百 円 之 帯 を持 参 し 行 く 。真 崎
冊)。
晴 暖
家不在。
坂 井 一意 来 る。
︹ 欄外︺ 華 府 条 約 廃 止 通告 に 関 す る枢 密 院会 議 。
夕 、 孝 治 夫 婦 来 る。 暇 乞 也 。 色 紙 に 守 訓 を 書 し夫 婦 に 送 る 。
十 二月十 三日 木
る。
寿 美 子 満 洲 へ出 発 午 後 五時 。
晴
平 沼 男 爵 よ り 見 舞 カ ス テ ラ来 る 。
正 午 霞 ケ関 離 宮 に於 て小 林 中 将 の為 め 総 長 殿 下午 餐御 召 。
千 代 燕 に て京 都 へ下 郷 寅 吉 結 婚 式 に 会 す 。
十 二月十 八日 火
午 後 軍医 学 校 第 二回 診 、 血 圧 尚 ほ 高 し 。
今 夕 より 頭 痛 甚 し く 病 根 を 憂 ふ 。
夕 、 荒 井 画 来 り 、 普 及 部 の注 文 を 報 ず 。
︹マ マ︺
小 林 よ り 真 崎 大 将 と 会 見 の結 果 を 聴 く 。
真 崎 を 大 臣 にす ると 交 換 に 甚 三 郎 大 将 の小 磯 と妥 協 案 に賛 す 。然
真崎勝次、千坂来訪。
藤 井 療 治 第 二回 。 伊 藤 家 買 物 。
十 二月十四日 金
東 朝 、 東 日、 廃 棄 通 告 延 期 、 廿 七 、 八 日と 報 ず 。 警 戒 を 伝 へし む 。
南大将発、浜中送 る ( 自 分 為 病 不 行 )。
十 二月十九日 水
終 日 不快 、 病 臥 す 。
浜 中 に羅 紗 地 を 送 る。
頭痛 甚 しく 終 日臥 床 す 。 酒 害 を 認 む 。 感 ず 。
暖
藤 井 療 治 始 め 、 第 一回 。
らざれば危し。
南 郷 、 長 谷 川 に警 す 。
晴
勝 次 代 々木 大 将 宅 に 右 を 齎 ら す 。
賢所御神楽に参内。 ︹ 棄︺ 倫 敦 廃 告 通 告 延 期 の運 動 起 り 、 吉 田 、 佐 藤 倫敦 に集 る等 の報 に 、
十 二月十 五日 土
稍 快 方 に付 起 床 。
十 二月 二十日 木
枢 密 院 午 前 全 会 一致 を 以 て華 府 条 約 廃 棄 を 決 議 す 。
晴
千代帰宅す。
横 須 賀 青 年 将 校 金 沢 に 集 り 、 東 京 浜 町 いさ ご に 石 川 、 山 下 、 町 田、
血圧 を 調 ぶ。
夕、福井 ︹ 信立︺医 大 佐 ︹ 海軍軍医学校教官︺浜 中 及 看 護 婦 一来 り 抽 血 、
十 二月 二十 一日 金
晴 暖
﹁レ フレ ツ ク ス﹂ 少 し く 恢 復 、 ﹁ビ タ ミ ン﹂ の効 大 也 。
晴 暖
︹ 欄外︺ 天 皇 臨 御 、枢 府 決議 。
米 内 集 ま り 、 町 田は 高 輪 に 大 角 を 訪 問 し 、 大角 よ り 予 に 電話 来 る。
晴 寒
加 藤 に電 話 し 、 外 国 の力 に は 絶 対 に 応 ぜ ず と彼 の 確答 を 聞く 。 田中 清 二郎 来 る。 千 坂 仝 断 。
閣議 に て廃 棄 通 告 問 題 可 決 、 上 奏 、 御 裁 可 を 仰 ぐ 。
電 話 郊 外 通 話 料 払 延 方 の為 一晩 通 話 を留 め 、 一、 二 に伝 声 す 。
竹 内 の 好 意 に て立 花 押 尾 ︹ 医師︺之 注 射 を 受 く 。 ﹁ホ ル モン﹂ 也 。
晴 暖
十 二月十六日 日
国本社之差向け也。
代 々木 真 崎 大 将 に礼 訪 す 。 夫 れ よ り 大 将 会 。 十 二月十七日 月
午前寺尾、午後仝氏、血圧、百八十五、百六十。立花氏のは百六
晴
正 午 南 大 将 招 待 、 帝 国 ホ テ ル。
十 、 一九 十 也 。
︹マ マ︺
藤 井 第 三 回 、 時 計 誤 針 の為 上 に 遅 る 。
糟谷夫人来訪。
十 二月 二十六日 水
華 府 条 約 廃 止 通 告 愈 華 府 へ電 送 さ る 。
十 二月 二十 二日 土
日本 精 神 協 会 森 清 人 に原 稿 と 写 真 を 送 る。
斗大樽 ( 百 円) を 贈 る。 予 の敬 意 と 感 謝 を 酌 ま ん事 を 申 送 る。
園部 、 佐 藤 正 吾 よ り 魚 来 る。 国 本 社 へ ﹁な る み﹂ よ り 之 桜 正 宗 四
午 後 立 花 第 五回 。 竹 内 に会 ひ仝 車 し て帰 る。
晴 風 あ り 夜 寒 し
な る み 四斗 樽 を 贈 り 来 る ( 百 円 )。
︹ 欄外︺廃 止 通 告 閣 議 決 定 。
︹ 支︺ 藤井に仕払ふ、三円。
立 花 第 一回 。
午後多摩陵、東郷元帥墓前に報告、途 ( 帰) 小笠 原 に積 年 の援 助
石 川 長 垣告 別式
曇
を 謝 す 。 元 帥 遺 愛 の筆 を 貰 ふ 。
向善 。
午後 軍 医学 校 に検 査 を受 く 。血 圧 一八 五、 一八 三、 レ フレ ツ ク ス
晴 暖
( 蒲 田)、浜 中 代 理 。
立 花 来 診 注 射 第 二回 。
十 二月 二十 七日 木
立花第六回。浜中来訪。
晴 暖
武藤能婦子帰京す。
仁 、 海 晏 寺 に墓 参 。
十 二月 二十 三日 日
埴 原、 山 形 告 別 式 。
千坂 来 る 。 予 の決 意 ( 引 退 に付 ) を 告 ぐ 。 千 坂 の用 件 は 久 原 の軍
郎 に 送 る。
横 須 賀 敬 曜 会 に て 馬 淵 還 暦 寿 像 を 除 幕 す 。 右 に 付祝 電 を樋 口 宅 三
二筥 を 返 礼 す 。
ソヴ エト 大 使 よ り ﹁イ ク ラ﹂ 及 酒 を 贈 ら る 。依 り て直 に大 邸 林 檎
岩 淵 来 る 。 一月 号 の為也 。 資料 を与 ふ 。
部諒 解 運動 也 。
岩 淵 辰 雄 、 杉 並 区 堀 ノ内 一丁 目一三 九 。
暖
夕 、武 藤 夫 人 来 る。 呉 の報 告 。
午 前 出 省 、大 角 海相 に引 退 の意 中 を 公 言 す 。 条 約 廃 止 の喜 と 共 に。
十 二月 二十 八日 金
十 二月 二十 四日 月
次 で 殿 下 に拝 謁 、統 帥 権 問 題 及条 約 廃 止 の 二大 事 業 御 達 成 を 奉 祝 。
大 正 天皇 祭 、 所 労 に 付参 内 拝 辞。
十 二月二十 五日 火
十 二月 二十九日 土
浜中来訪。
静養。立花を休む。
東 郷 元 帥 未 亡 人 午 後 三 時 逝 去 。 危 篤 の際 御 見 舞 。 今 夜 御 断 り し て
晴
四 時芳 町 立花 注 射 に行 く ( 自 働車 )、 第 三回 。 血圧 一八〇 。
山 本 英 輔 大 将 よ り 見舞 電話 。
各 宮 家 年 末 祝 詞 廻 はり 。
曇 小 雨
夕、芳町立花注射 ( 自 働車 ) 第 四 回 。
第 二回 降 雪 ぼ た ん 降 り
下 郷 寅 吉 嬰 児 京 都 に て 死去 、 本 日葬 式 、 右 に付 電 吊。
立花注射第七回。 正午東郷家を吊訪、礼拝す。 午 後 七 時 千 代 仝 伴 通 夜 、 九 時 帰 宅 。 菓 子 一対を 供 ふ。
︹マ マ ︺
小倉師範教諭島崎進来る。 花 見 紅 南 来 り 予 の仕 事 尚 ほ あ る こ と 天命 あ りと 。 右 耳 之 上隆 起 に 光潤ありと。 ︹ 欄 外︺ 華 府 条 約 廃 止 華 盛 頓 ホ ワイ ト ハウ ス に 通 告 、 米 時 廿
晴
九 日 正午 、 日 本 時 卅 日午 前 二時 。 十 二月三十 日 日 孝 治 夫 婦 帰京 。 東 郷夫 人 告 別式 、多 摩 墓 地 埋 葬 。 立 花第 八 回 、羊 羹 、 十 五 円贈 る。 夕 、孝 治 夫婦 来 る。 曇 雨 寒 し
理髪 。 久 留 島 武 雄 来 り 、 下郷 仁 寿 制 度 改 善 、 人 物 淘 汰 に 付 注 意 を
十 二月三十 一日 月
予 に乞 ふ 。本 人 も歳 暮 の礼 に申 し た る由 。 富 美 栄 に 五 〇円 利 子 の内 渡 す 。
昭和 十 年
晴 寒 加 る
吉松 ︹ 茂太郎︺大 将 弔 問 。 一月 五日 土
晴 寒 気 例 年 に 増 す
新年宴会御取止め。
一月 六日 日
年賀状認む。
午後荒井 ︹ 陸男︺画 伯 訪 問 、 酒 を 贈 る 。
海相 ︹ 大角岑生、大将︺よ り 招 待 の大 将 会 ( 中 川 赤 坂) を 断 る 。
晴 寒 気 弥 増 す
菱 刈 大 将 帰京 に 付 出 迎 ふ 、 終 て軍 令 部 総 長 宮 殿 下 ︹ 伏見宮博恭王、元
一月 七日 月 一月 一日 火
小笠原 ︹ 長生、中将、予備︺子爵 よ り 出 世 魚 鯉 魚 到 来 に付 、 蘇 生 せ し
帥︺に伺 候 御 祝 詞 を 申 上 ぐ 。
快晴
昨 夜 来 の寒 雨 全 く 晴 れ 、 日 本 晴 れ と な り 、 大 日 本 帝 国 の瑞 祥を 兆
長生子
と。 一月八日 火
陸軍始御取止め。
晴
め 下 郷 を 経 て有 栖 川 宮 御 下賜 之 池 中 に放 養 す 。 元 気 恢 復溌 溂 た り
す。
大宇 宙 日本 ば れ や初 日 の出
宮 城、 大 宮 御 所 参 賀 、 並 に各 宮 拝 賀 。 下 郷 、 武 藤 、 村 田 に 回 礼 す 。
孝 治 、 み さ ほ来 る。
立花 ︹ 押尾、医師︺注 射 第 九 回 。
︹ 欄外︺聖 上 御 風 気 に て 宮 中御 式 御 取止 め。
下 郷 母 一周 忌 の為花 料 拾 円 送 る。
快晴
一月二日 水
下 郷 長 浜 に向 け 立 つ。
終 日在 宅 。市 中初 荷 で賑 ふ。 晴
一月三日 木
降 雨 寒 冷
晴 稍 暖
吉 松 大 将 海 軍 葬 に 付 陪 柩者 と な る 。
一月十日 木
一月九日 水
元 始祭 、 聖 上御 風気 に て御 代 拝 。 予も 所 労 に て賢 所 拝 遠 慮 す 。
晴天気分宜し。満洲孝来る。
一八 〇 、 一七 五 。 レ フレ ツク ス極 め て良 反 応 。
寒 の入 り に 付 参 内 記 帳 、 大 宮 御 所 共 。夫 よ り 軍 医 学校 に て受 診 、
晴
孝 治 夫 婦 呉 に向 け 発 、 千代 見 送 る。
一月四日 金
熱 海散 策 す。 雑 踏甚 し 。人 あ り 。 ︹ 華︺ ︹ 叫︺ 善 府 条 約 廃止 に 酔 ふ て意 気 盛 な る様 子を 見 快 哉 を 呼 ぶ 。
水 交 社 新 年宴 会 に行 く 。 酒 盃 を手 に せず 。
︹ 支︺ 立 花 第 十 回昨 年 の分 は始 め 来 診 二回 と 共 に 昨 年 内 に 注 射 料 ま で 仕
あり 、 之 又断 る。
東 亜 調査 会 の満 洲 臧 式 毅 一行 の講 演 会 を 断 る。 下郷 よ り 相 撲 案 内
晴
払 方 国 本 社 に て先 決 。 依 つ て予 は 本 年 分 二回 五 円 を 払 ふ 。 千代墓参す。
一月十 六日 水
馬淵 夫 人来 る。
中山 長 明 ︹ 少将、予備︺告 別 式 、 弔 辞 を 読 む 。
終 日揮 毫 。
快 晴 暖
町田 ︹ 進 一郎︺少 将 ︹ 第 一水雷戦隊司令官︺来 訪 、 あ ん ま を勧 む 。 一月十 一日 金
晴
一月十 二日 土
川 口来 る。
一月十七日 木
松村昇 ︹ 東京商工会議所議員︺娘 結 婚 披 露 に 招 か る 。 千 代 と 両 人 行 く 。
藤本 ︹ 喜久雄︺造 船 少 将 葬 儀 に参 列 す 。
高 島 屋 に 刀 剣 展 覧 会 を 見 る 。 山 本 英 、竹 下 に会 ふ 。
午後より吉野按摩を始む。千代と両人。
午 前 町 田少 将 来 る。
快晴
大谷登 ︹ 日本郵船副社長︺の山 口招 待 を 断 り ﹁カ ビ ヤ﹂ 一罐 を 贈 る。
中村 ︹ 亀三郎、中将︺練 習 艦 隊 司 令 長官 、大 河内 浅 間艦 長 、 参 謀 、 副
一月十 八日 金
佐 々木 要 人 ( 政 観 の怪 物) 此 の日 前 後 に 来 る 。 予 に 色 紙 を 頼 む 。 晴
官来る。
午前尼野 ︹ 貴之︺親 類 藤 森 夫 人 来 り 西 瓜 を 贈 る 。 日 の 丸 に 天壌 無 窮 を 書 き た る も のを 与 ふ 。
実来る。大に元気也。 一月十三日 日
午 後 第 二回 按 摩 。 千 代 と 共 に 。
晴
青 森 斎 藤 金 七 来 る 。 旗 に揮 毫 を 嘱 さ る。
陸 海 大 臣 よ り 現 役 、 予 備 の陸 海 軍 大 将 を招 か る 。
財部 ︹ 彪、大将、予備︺星 桜 会 之 必 要 を 説き 、 黒 井 ︹ 悌二郎、大将、予備︺ 、
︹マ マ ︺
佐野に電話、礼を述ぶ。
町 田 に揶 揄 さ る。 町 田生 防 を 切論 し 、 田 中 国 重 ︹ 陸軍大将、予備︺海
︹マ マ︺
一月十四日 月
軍 に て も 八 割 沢 山 之 説 を 為 す も のあ りと 一矢 を 放 ち 、 大 角 断 然 さ
晴 但 し 今 日迄 の極 寒
松 下権 八 に武 藤 元帥 と 予 の書 を 与 ふ。 国 葬 司 祭 長 の写 真 も 与 ふ 。
此 会 大 に 有 意義 也 し 。
此 日寒 気 甚 し く 頭痛 を 覚 ゆ。 為 斎 藤 金 七 日 の丸 に天 壌 無 窮 を 書 す 。
︹ママ ︺
る こ と 無 し と 断 言 す 。 今 更斯 様 な こ と出 来 ずと 。 雨
酒 井 母 堂 来訪 。 一月十 五日 火
一月十九日 土
晴 極 寒
︹ 欄外︺億 兆 一人 も 其 所 を 得 ざ れ ば 皆 な 朕 が 罪 也 。
に 旗を 書 き 与 ふ。 写 真 ( 予 の) も 与 ふ。
第 三 回吉 野按 摩 。
終 日 雨。 午 前 之 来 客 。 日本 精 神 協 会 森 清 人 外 一名 。 秋 田 斎 藤 金 七
岩 佐 重 一氏 ︹ 京城高等商業学校長︺来 り 昼 食 を 倶 に す 。
吉 野第 七 回 、 千代 休 。
一月二十 三日 水
晴 夕 方 よ り 寒 気 迫 る
松 村 昇 の桟 敷 に相 撲 見物 、 了 て金 田中 へ安 保 ︹ 清種、大将、予備︺と
馬 淵息 結婚 の為 千代 横須 賀 に行 く 。
千坂来る。
松 尾 伝 蔵 来 り 、 飛島 ︹ 文吉、貴族院多額納税議員、飛島組会長︺長 男 の媒 酌
共 に招 か る。 大 角 、 藤 山 、 高 橋 三 、 松 田 源 治 、 小 倉 敬 止 と会 す 。
一月二十 日 日
に 付 依 頼 し 来 る 。 不 釣合 と し て 一先 断 る 。
晴 稍 暖
堤 彦 一来 る。 村 田 に書 を 認 む 。 二人 同心 及 乾 健 坤 菊 。
寒 気 甚 し く久 し振 酒 を 試 む 。
午 後 五 時 高島 屋 名 刀 展を 見 る為 武 富 と 仝 行 す 。
帰 る。
佐 々木 要 人 来 り 大 に 悔 悟 を 語 る 。 予 意 に 介 せ ず 、彼 大 に安 心 し て
晴 寒 大
小 笠 原 電 話 、 香 取 、 鹿島 参 拝仝 行 を諾 す 。
第五回吉野。
一月 二十四日 木
按 摩 第 四 回 、 千 代休 む 。
千代武藤を訪問す。尼野重之 ︹ 貴之の子︺郵船 身 体 検 査 合 格 す 。
曇 寒
小 山 田仲 之 丞 ︹ 少将、予備︺来 る 。
一九 〇 に減 ず 。
軍医 学 校検 査 、 血 圧 又 上 昇 二 一〇 、 二〇 五 。 向 山 ︹ 美弘、軍医少将、 ︹ 瀉︺ 海軍軍医学校︺校 長 大 に 憂 ふ 。 原 因 不 明 也 。 依 て射 血 二 百 瓦 余 の後
一月二十 一日 月
一月 二十 二日 火
始む。
金 沢 正 雄 氏 を 千 駄 ケ谷 に訪 問 す 。 答 礼 の為 鴨 二羽 を 贈 る 。 酒 五 勺
晴
南郷 ︹ 次郎、少将、予備︺来 り 金 剛 山 遺 蹟 保 存 に 付 予 に書 を頼 む 。 薩摩、入江両人香取、鹿島神社 ( 国 防 祈 願 祭) に 参 拝 を 頼 み 来 る。
一月二十 五日 金
吉 野第 八 回 。坂 井 一意 明 日来 し。
諾 (二 月 四 日、 五 日也 )。 午後朝香宮御成年参賀。
本柳 一福 井 警 察 部 長 た る為 来 訪 、 紹 介 を 乞 ふ 。 諾 。
金沢正雄 ︹ 群馬県知事︺及 夫 人 来 訪 。 横 山 ︹ 助成︺東 京 府 知 事 友 人 福
大阪 原 田友 人 に至 誠 の大 書 を 与 ふ 。
坂 井 一意 来 り 金 剛 山 会 の 為 め 予 に 額 十 五枚 と 南 郷 に左 内 先 生 詩 、
松 尾 へと仝 じ 返事 し 、兎 も 角 も復 命 せ し む。
今立裕 ︹ 新聞記者︺来 り 又 飛島 長 男媒 酌 に付 松 尾 と 同 一之 事 を 頼 む 。
吉 野第 九 回 。
晴 稍 暖
吉 野第 六回 、 千 代 休 止 。
浜中 ︹ 匡甫、中佐、軍事普及部員︺来 る。
東 日講 堂 に高 石真 五郎 ︹ 大阪毎日新聞取締 ・主筆︺の満 洲 談 を 聴 く 。高
坂 井 に 一軸 を 頼 む 。 諾 す 。
︹ 欄外︺本 物 は 稀 也 。
等 技 術 会 議 々長 た る 新 聞 顕 る 。
国 安 ? 小 山 田談 。
竹内 ︹ 賀久治、弁護士、国本社社員︺来 る 。
意 を 話 し 、 夫 に て 差 支 な くば と 内 諾 す 。
長谷川 ︹ 清、中将、海軍︺次 官 来 り 、高 等 技 術 会 議 長 を 頼 む 。 予 の決
国神社にて頼みし由。
講話を警視庁保険科 長 ︹ 佐藤新︺より 頼 み し も 断 る 。 昨 年 荒 木 に靖
森清人来り造士館に箴規を求む。諾。
津上来る。
今 立 裕 来 り 飛 島 の件 再 度 懇 願 す 。 依 て松 尾 に 再来 を 求 め内 諾 す 。
竹 内 賀 久 治 紹 介 の高 幣 江 人 来 り 額 を請 ふ 。
津上稲荷大神之額を頼む。
一月 二十六日 土
飛 島 文 吉 来 訪 、 媒 酌 を 予 に 頼 む 。 諾す 。 三 月 廿 六 日 なり と 。
一月 三十日 水
向 山 来 訪 、 丹 波 の豆 を 贈 与 す 。 予 に 還 暦 揮毫 を 托す 。
午前揮毫。
吉 野 第 十 二 回。
夕、竹内来 る ( 三 十 一日 議 会 に 爆 弾 演 習 あ る べしと )。
武藤能婦子夫人来訪。
一月 二十九日 火
吉 野 按 摩 本 日休 止 。
大 角 に高 技 会 議 々長 之 件 諾 す 。
午後佐野 ︹ 常羽︺伯 ︹ 中将、予備︺を 訪 問 す 。
晴 稍 暖
吉 野 第 十 回 、 血 圧稍 下 る 、 百 八十 。 夕 食 、 実 、 千 代 と 三福 。 夫 よ
森清人に箴規五則を書与す。
阿部 ︹ 弘毅︺大 佐 高等 技術 会 議 に就 き 幹 事 と し て来 訪 。
晴 夕 方 よ り 寒
晴 暖
り活動。 ︹ 欄外︺実 帰 宅 。
本 日 官 報 に て 勅令 発 表 。
晴 や ゝ暖
暖
一月二十 七日 日
晴
一月三十 一日 木
吉野十三回。
吉野第十四回。
︹マ マ︺
故古 市 公威 一週年 忌 に付 菓 子を 贈 る。
午前 揮 毫 。牧 ︹ 胤吉︺聯 通 ︹ 日本聯合通信︺来 る。
理髪 。末 次 虎 次 郎 ︹ 大日本相撲奨励会理事︺相 撲 奨 励 会 之 事 に 付 来 訪 す 。
午 後 三時 藤 山 雷 太 ︹ 実業家、貴族院議員、研究会︺宅 に て 高 橋 三吉 中 将
二月 一日 金
マ︺
一月 二十 八日 月
吉 野第 十 五 回。
曇 寒 し
松 尾 伝 蔵 来 り 飛 島 長 男 の媒 酌 に 付 懇 請 す 。 成 金 風 を 極 力 遠慮 す べ
午 前 山 路 久 三郎 ︹ 大阪時事記者︺来 訪 。
︹マ
末 次 虎 太 郎 来 る。 相 撲 奨 励 会 に 就 て也 。
吉 野来 、第 十 一回 。
の 肝煎 に て書 道 会 、 大龍 禅 師 を 師 と す 。 藤 山 入 門 す 。 夕 食 藤 山 邸 。
しと 云 ふ条 件 に て内 諾 す 。
向 山 使 者 に書 二を 托 す ( 使 )。
暖
正午朝香若宮御成年式御招待。
吉 野測 血圧 百 七 十 五、 百 六 十 九 。
晴
末次 ︹ 信正、大将、横須賀鎮守府司令長官︺、 浜 中 と会 見 す 。
宮 では 五 日国 防 祈 願 祭 が 盛 大 に 執 行 さ れ る 、 これ に 列席 の陸 海 軍
非 常 時 突 破 のた め 千 葉 県 の武 神 香 取 神 宮 で は 四 日 午 後 か ら 鹿島 神
国 防 祈 願 祭 に将 星 の参 加
吉 野第 十 六 回 。
将 星 荒 木 前 陸 相 、 加 藤 海 軍 大 将 以 下 各 将 星 、 頭 山 満 翁等 は 午前 十
寒気大
海 軍 大 臣と 会 見 、高 技 議 長 の挨 拶 を 述 ぶ 。
二月 二日 土
十 一時吉 野按 摩 。
時 五 十 四 分 両 国 駅 発 香 取神 宮 に 向 つた ( 写真 ︹ 略︺は 列 車 中 の左
午 前 一〇 ・三 〇 銚 子 発 利 根 を 渉 り 自 働 車 に て鹿 島 神 宮 へ。 途 上 太
東京に比し七度乃至十度之差
堤正之 ︹ 男爵、大尉︺来 る。
田 新 田 の爆 撃 場 (二百 町 歩) を 視 察 。
暖
下 郷寅 吉 来 り京 都 支 店 長 と し て舞 鶴 工作 部 長 に紹 介 を 求 む 。 諾 与 。
午 後 式 後 自 働 車 に て霞 ケ 浦 〓隊 へ (一時 間 半)。 河 村 司 令 仝 行 、
快晴
よ り 頭 山 満 翁 、 堀 内 陸 軍 中 将 、 小 笠 原 海 軍 中 将 、 加 藤 海 軍 大 将) 火
衆議 院津 雲 大 に暴 露 戦を 仕 掛 く 。 満 洲 機 構 問 題 の警 察 官 綱 紀 紊 乱
歓 待 す 。 午 後 五 ・二二 土 浦 発 帰 京 。 此 地 に は 荒 木 、 鈴木 来 ら ず 。
( 吉野休)
二月 五日
午后 戸 祭告 別 式 。
大雪
午後 相 撲奨 励 会 の為 国技 館 行 。 二月 三日 日
の件 其 他 、林 陸相 大 に苦 む 。
寒気 甚 しく 積 雪大 。
吉 野第 十七 回 。
二月六日 水
予青訓、中学生徒、在郷軍人を閲兵す。
二月 四日 月
吉野第十八回。
本 日血 圧 右 一七 五、 左 一六 五 。
飛 島 文 吉 来 る。
晴 極 寒
真崎 勝次 ︹ 少将、横須賀警備戦隊司令官︺ 、中村藤吉 ( 米 ) 来 る。
午前 一〇 ・五 〇 分 両 国 より 佐 原 え 、次 で香 取 神 宮 に於 け る国 防 完
午 前 十 時 半 軍 人 会 館 に 於 て候 補 生 に 訓 示 。
吉野第十九回、血圧左百五十三、右百七十九。
快晴
成祈 願 祭 に 列 す 。 荒 木 ︹ 貞夫、陸軍︺大 将、 鈴 木荘 六 ︹ 陸軍︺大 将 ︹ 予
に臨 み 訓 示す 。
軍令部出頭。
快 晴 寒 し
二月七日 木
七時 佐 原 より 汽 車 に て銚 子着 、 灯 台 附 近 の暁 鶏 館 に泊 す 。 ま ん丸
︹マ マ ︺
備、枢密顧問官︺ 、頭山満其他 浪人主脳部、千葉県在郷 軍人分会長会
な る者 大 に は し やぐ 。
快 晴 稍 暖
飛島文吉、安井治兵衛 ︹ 福富興業社長︺両 家 兄 妹 来 る 。 成 田 ︹ 千里︺豊
二月八日 金
正午水交社海午餐会。
( 吉 野休 )
銚 子 大 に暖 也 。
︹ 新聞切抜貼付︺
吉 野 第 二十 三 回 。
尼 野 重 之 郵 船 に採 用 さ れ 、 父と 共 に礼 に来 る。
理髪。
式内 ( 格 式 の事) 鹿 蒜 神 社 の標 を 大書 す 。
理 髪 。 福 井 県 坂 井 郡 藤 野 真 一に 忠 魂 社 揮 毫を 書 す。
賢所並に御賜餐。
直麿 、 光 江 。
( 満 洲 文 部 総 務 の 位 置 に付 )。
島 ︹ 師範学校︺校 長 、 芳 尾 仝 教 諭 来 る 。 甲 は 媒 酌 に 就き 、 乙 は 頼 み
血 圧 左 一四 五 、右 一六九 。
二月九日 土
次 で三 ・二 二山 本 五 十 六 中 将 ︹ ロンドン軍縮会議出張︺を 迎 ふ。
午 後 一時 大 庭 ︹ 二郎、陸軍︺大 将 ︹ 予備︺告 別 式 。 夫 よ り 軍 医 学 校 。
森 清 人 来 る 。 松 山 紹 介 小 幡 俊介 来 る 。
雨 雪
二月十 二日 火
吉 野 第 二 十 一回 。
快 晴 稍 暖
吉野第二十回。
午前高技幹事 阿部弘毅 、戸塚 ︹ 道太郎︺ 、 阿 部 、 福 田諸 大 佐来 り 報
高 木 陸 郎 よ り 電 話 、 上 仲 某 に 通 し 、 明 十 三 日午 前 十 時 を 約 束 、 山
山本五十六帰京す。
軍 医 学 校 、 血 圧 右 一七 五 、 左 一七 〇 。
本 ︹ 英輔︺大 将 ︹ 軍事参議官︺を も呼 ぶ 。
を求む。
( 吉 五郎 ) 佐 世 保 より 来 る。 福 田某 に 面 会
告 。 十 五 日 の 高技 会 議 に就 てな り 。
豊田 ︹ 貞次郎︺少 将 ︹ 艦政本部総務部長︺来 訪 、 公 式 報 告 。 性 能 調 査 会
二月十三日 水
吉野第廿四回。
午後 三 時 旧水 兵 中村 某
決議 報 告 。
晴
井 上肇 治少 将 ︹ 艦政本部第六部長︺﹁ 昆 布 ﹂ を 持 参 す 。 薬 用 と し て予 に
五郎 海 晏寺 へ参 詣 す 。
二月十 日 日
米 飛 行 船 メー コ ン ﹁ロ スア ン ゼ ル﹂ に 不時 着 大 破 す 。 乗 員 無 事 ら
官に渡す。
震 、 水 害 也 。 峰岸 某 法 学 士 、初 対 面 に て来 る。 憂 欝 の様 子 也 。 副
午 前 上 仲 氏 を 呼 、 山 本 英 輔 大 将と 占 を 聴 く。 四 月 三 日を 戒 む 。 地
吉 野 第 廿 五 回 、右 一七 五 、左 一五 二。
村 田春 造 来 る。
し。
暖 小 雨
小島 喜 久 馬 来 、午 餐 を 倶 にす 。
夕、久富 ︹ 達夫、東京日日新聞記者︺来 る 、陸 軍問 題 。
送る。
松方幸次郎 ︹ 日蘇石油取締役会長︺来 訪 。 高 幣 江 人 、松 山 茂 紹 介 小 幡
二月十 四日 木
午後 三 時 海 相 邸 に行 き 高 技 会 議 打 合 せを 為 す 。
晴
俊 介 来 る。 不会 。
近 来 の暖 気
吉 野第 二十 二 回。 二月十 一日 月
四時 山 本 中 将 の報 告 を 聴 く 。 六 時 晩 餐 会 、 殿 下台 臨 。
副 官 来 る。 荒 井仝 行 宅 に来 る。
五 〇、ti 二p〇。
吉 野休 み。
末 次 虎 次 郎 来 る。
坂 井 一意 来 る。 書 を 交 付 す 。
早朝 実 帰 艦 。
晴
下 郷義 一夫 婦 来 る。
午 後 一時 半 高 技 会 議 第 一回 、 第 二 次 補 充 計 画 駆 逐 艦 朝潮 艦 型審 議 、
村 上春 子来 る。
二月十 八日 月
午 後 四時 半 終 了 す 。
吉 野 二 十 八 回。
晴 暖
夕 、 八並 ︹ 東京日日新聞記者︺来 る 。 山 本 全 権 の重 大 進 言 に 付弁 明 す 。
二月十九 日 火
二月十 五日 金
吉 野第 廿 六 回 。
昼久富、鈴木来れりと。
吉 野第 廿 九 回 。
暖
千 代 子 飛 島 に祝 品 を 持 参 す 。
晴
江 口代 理 不行 届 。 自 働 車 其 他 不 快 な り き 。
二月十 六日 土
豊 田久 次 来 る 。
小 島喜 久 馬来 る 。
前 川憲 夫 に紹 介 す。
早 朝松 村 豊記 岳 父櫛 山 次 郎 来 る。 女 婿 の就 職 に就 而 な り 。 川 西 、
満寿祭 ( 満 洲 ) に付 同 公 館 に行 き 、 正 午 水 交 社 総 長 殿 下 午 餐 御 賜
晴 暖
宴 、山 本 五十 六中 将 一行 の為 。
二月二十 日 水
千 葉 断 一夫 人 来 り し も 千代 待 兼 面 会 せず 。
︹ 欄外︺ 高等 技術 会 議第 一回。
榎本 ︹ 重治、海軍大学校教授︺参 事 官 来 る 。
午 前 八 時 発練 習 艦隊 出港 見 送 に行 く 。
晴
夕、矢板玄蕃来り左内先生講演会之相談を為す。
千 代 、 林 田 一家 十 一人 、富 美 栄之 厄介 にな る。
晴
午 後 三 ・三 〇 小 島 千 鶴 子結 婚 式、 丸 の内 会 館 の挙 式 に立 会 ふ。
総 長 殿 下 御 一行 、久 邇 宮 、朝 香 宮 御 一行 御 見 送 盛 也 。
実 帰 宅 、 浅 間 に酒 二樽 を 送 出 す 。
午 前 小 雨 後 晴 曇
吉 野第 廿 七 回 。 二月十 七日 日
二月二十 一日 木
吉野休。
吉 野休 み 。 稍 寒 し。
吉 野 卅 回 終 了 、 金 四 拾 円を 与 ふ 。
夕 、実 、 仁 、 五郎 、 千 代 を 伴 ひ村 田春 造 兄 弟 を 髯 天 に 招 く 。 荒 井 陸 男、 岡気 象 技 師 と 仝 席 、 同 所 に会 合 、 予 よ り 馳 走 と す 。 二 二 ・
予 一人 の み。
正午 王 寵 恵 の為 中華 民 国 公 使 招 待 、 帝 国 ホ テ ル、 粒 撰 也 。 海 軍 は
午 前 十 時 大 臣 、 総 長 殿 下 に高 技 会 議 の結 果 報 告 。
二月 二十六日 火
浦部聖来る。
竹 内 賀 久 治 来 る 。 佐 藤市 郎 少 将 ︹ 航空本部教育部長︺来 り筐 字 を 頼 む 。
病 気)。sala持 r参 yす 。
午後 よ り 雨
右 了 て永 安 ︹ 晋次郎︺主 計 中 将 ︹ 予備︺告 別 式 。
志 賀 子 来 る 。 英彦 来 る ( 要 領を 不得 )。
播 磨 造 船浦 日 代 理 相 原忠 正 揮毫 の礼 に来 り 羽太 重 を 贈 り 来 る。
︹二︺
二月 二十 二日 金
八 並 来 り 座 談 会 の事 を相 談 す 。朝 日 に断 り た る為 め仝 じく 断 る。
山路久三郎 ( 大 阪 時事 ) 来 る 。
横 航 空 廠 視 察 、 午 前 、 午 後 訓 示 を 与 ふ。
曇 午 後 雨
進 木 来 り 奈 良 漬 を 送 る。
末 次 長 官 の馳 走 を 受 く 。
午 前 品 川 主 計 来 訪 、 満 洲 と内 地 の 政情 に付 語 る 。
雨
小山田 ︹ 繁蔵︺中 将 ︹ 予備︺浜 中と 来訪 、 日本 刀 に 付快 談 、仝 時 に東
二月 二十七日 木
別 案 兵 員 座 談 会 を勧 む 。
午 後 二時 水 交 社 に て王 寵 恵 と 会 見 す 。 皇 道 精 神 を 説 き 聞 か す 。 荒
郷 元 帥 佩 刀 の研 仕 上 を □ る 。
晴
雨 中廠 自 働 車 に て送 ら る。
木 、真 崎 にも 会 見 せり と 云 ふ。
夕 、 京 橋 国 民 本 社前 河 野方 に て 下 郷 の 馳 走を 受 。北 河 、佐 久 間、
二月 二十 三日 土
小泉 海 軍 大佐 刀剣 の研 究 を 贈 与 の為 め来 る。
晴 暖
王 と の会 見新 聞 重 要 視 す 。
二月 二十八日 木
下郷各夫人。
午 前 十 一時 特 検 に 付 宮 中 軍参 会 議 。
快晴
︹ 欄外︺ 父 の命 日 。
好 天 に付 越 ケ谷 梅 林 散 策 。
小 泉 大 佐 に 書 を与 ふ 。
二月二十 四日 日
大 野 中学 校 内 田某 よ り 予揮 毫 ﹁ 克 忠 克 孝 ﹂ の額 写 真 を 持 参 す 。
午 後 川 口夫 婦 、村 田 志賀 子 及英 彦 縁女 夫 婦 来 り 、 四 月 一日指 揮 を
暖
頼む ( 磯 部 夫 婦)。
晴
二月二十 五日 月
此 頃 中 村藤 吉 への書 を表 具 師 に交 付 す 、 浅 草 ⋮ ⋮も 仝 断 、 両 者 共
朝 原 五郎 本 の事 に て来 る。 真 崎 大 将 に紹 介 を 頼 みし も 断 る 。 湯 浅 宮 相 に話 す 事 を 仮 約 す 。
使不届也。
北米 武 徳会 書 、和 田表 具店 、九 段 一九 〇 五。
︹ 三月冒頭 の予定欄︺
竹 下紹 介 の中 山 卿 紀 念 碑 運 動 委 員 来 る。 体 良 く 謝 絶 す 。 浜 中 に 渡 す。 浜 中来 る 。壁 谷 東 朝 記 者 来 り 、 座 談 会 に 出 席 を 頼 む 。 断 る ( 理由
南郷茂章を見送る。
坂 井 一意 来 る 。 末次 虎 次郎 来 る 。
近 日 稀有 之 寒気
三月 一日 金
午 後 よ り 寒気 を 及 ぼ す 。
三月六日 水
佐 藤市 郎 氏礼 に 来 る ( 揮 毫 )。 ︹ 茂︺ 南 郷持 章 ︹ 次郎長男、大尉︺暇乞 に来 る。 激 励 す 。
夕 、 発 熱 三 十 八 度 、 早 臥す 。
晴 暖
夕 刊 に 軍 縮妥 協 の ﹁フライ シ ヤ﹂ 作 為 電 顕 る。
清 河純 一午 前 四時 永 眠す 。
晴 寒
三月七日 木
加 藤 次 長 に 新 聞 座談 会 を注 意 す。
昨 夜 寝 汗 出 づ 。 起床 、 快 □ 灌 腸を 為 す。
寺 尾 に 受 診 、 血 圧 百 六 十 二 。 風 邪之 気 味 。
満 洲建 国 記念 日 に付 公 館 の晩 餐 会 に招 か る。 小 山 田繁 ︹ 蔵︺氏宅 に礼 訪 す 。
清 河家 吊 問す 。
武 富 、 浜 中来 る 。
浜 中 来 る 。 武 富 へ之書 二を 渡 す。
晴 暖
愛 媛 県 檜 垣 辰 次 郎 、 大 阪実 業 新 聞出 光 佳 之 助 、 富 山 県 在 郷 分 会 長
三月八日 金
三月二日 土
柳 清 利 作 に書 を 送 る 。
半 晴 曇
杉 山 明久 ︹ 三井物産社員︺来 る。
︹ 欄外︺下 郷 母 来 る 。
清 河 通夜 に行 、松 気 に 目黒 に て送 ら る。
三月九日 土
強風 久邇侯爵御告別式。
竹内来る。朝鮮より帰る。
三月三日 日
午 後 小 笠 原 を 訪 ひ し も 不在 。書 を 残 す 。 直 に電 話 に て礼 を 遣 はす
半 晴 細 雨 時 々
千坂 を 訪 問す 。 不在 。
英彦 写真 を取 り に来 る。
千代 下 郷妙 子 を 見 送 る。 午 後 十 時 発 帰 洛 。
( 彼 よ り)。
夕 千 代 と 三 福 に 供 に し 活動 を 見 る。
半 晴 午 後 小 雨
( 千坂 来 る。 予 の進 退 を 語 る。) ︹ 喜久︺ 今 立裕 、 小島 菊 馬 来 る。
安井母嬢来る。
三月 四日 月
午 後 一時 より 増 上 寺 清 河 葬 儀 に参 す 。
三月十日 日
︹マ マ︺
朝雨晴れ。
晴 暖 温 度 十 余 度 高 し
陸 軍 記 念 日 、 天皇 日和 とな る 。稜 威 赫 々。
︹マ マ ︺
小 笠 原 よ り 登 戸 、向 ケ 丘公 園散 歩 。
久邇 ︹ 邦久王︺侯 爵 昨 夜 薨 去 、 御 見 舞 に 伺 候 す 。 三月 五日 火
晴
久 邇 侯 爵 薨 去 に付 宮 中 、 皇 后 宮 に 奉 伺 記 帳 。
孝 治 、 み さを に通 信 す 。
鳥 取 県 多 額 納 税 者 米 原章 三 ︹ 貴族院識員、研究会︺を 伴 ひ 衆 議 院 議 員
三月十五日 金
晴 暖
◎ ﹁ラ ク﹂ 病 気 入 院 す 。
諾す。
矢 野晋也 ︹ 政友会︺来 り 、 四月 上 旬 仝 県 内 神 職 会 に 出席 を 頼 み 来 る。
半 晴 寒 又 帰 来
三月十 一日 月
竹 内賀 久 治来 る 。福 井新 聞 宇 野博 、 平 泉 ︹ 澄︺博 士 ︹ 東京帝国大学文学
高 木 陸 郎 来 り 矢 板 の提 案 、 講 演 会 中 止 を 申 出 づ 。 諾 。
部教授︺ の紹介 に て来 訪 、 写真 を 取 る 。平 泉 寺 内 大 楠 公 墓 碑 六 百 年
某来 る。
祭 顧 問 と な る を 諾す 。
門 司 隧道 阻止 運 動 の為 め 出 光 ︹ 佐三、石油商︺商 業 会 議 所 頭 及 若 林 理 ︹ 欠︺
の息赤 〓
末 次 虎 次 郎 来 る 。 田 結 に 優 勝 盃之 事 を 電 話 す 。
生 駒 会 、 長 谷 川 如 是 閑 、内 田 公使 、津 久 井 弁 護 士 。
飛 島 文 吉 来 る 。 山 梨 、 岡 田 、 木村 等 。
︹ママ︺
む。
孝 し多 田 ︹ 永昌、機関︺少 将 ︹ 航空廠科学部長︺を 訪 ひ 村 田立 雄 の事 を 頼
三月十 二日 火
晴
午 前 一〇 ・三 〇今 立 裕 と 沼 津 吉 江 の葬 儀 に参 ず 。 〇 ・四〇 着 、 松
森 山 達 枝 航 空 計 画 の 為 大 川 に 説 く べく 下 郷 に紹 介 を 頼 み に来 る。
三月十六日 土
晴 小 雨 あり 暖
前喜 久 馬宅 に 、夫 れ より 附 近 一時 計 の霊 南 寺 に 会 葬 す 。 曹 洞 宗 、
牧通信来る。少時談る。
︹ 欄外︺訪 問 先 電 話 続 出 、 悉 く 私 用 の頼 み 也 。
壮 重 、但 し吊 辞 多 く 二時 間 に 及 ぶ。 四 ・三 〇沼 津 発 帰 京 。 鈴 木 孝
井謙保 ︹ 特種製紙常務取締役︺及 喜 久 馬 長 男 の出 迎 を 受 け 、 上 香 貫 寺
雄 ︹ 陸軍︺大 将 ︹ 予備︺、大 野仝 中 将列 席 、 今 立 と 快 談 。
田結 よ り 相 撲 協 会 の為 め ﹁カ ツプ﹂ 提供 差 支 な しと 電 話 あ り 、 直
に末 次 虎 を 呼 び 之 を 知 ら す 。
真崎少将来る。
ラジ オ 新 規 取 替 、 ﹁ラク﹂ 犬 帰 る 。 其喜 び形 容 の外 な り。
晴
誠 意 只 々 感謝 に 不堪 。
三月十七日 月
三月十三日 水
午 後南 郷 来り 美 濃 部 問 題 の悪 化 に付 軍人 会 の情 勢 及 び 大 角 へ献 策
午 前 小 木 陸 軍 大 佐 福 井 よ り 来 る 。 不 在と 云 ひ 不会 。 中村 藤 吉 より
朝 十 時 小 笠 原 子 爵を 訪 ふ。 予 の為 め総 長 殿 下 に言 上 之 次 第 を 聞 く 。
の次 第 を 語 る 。
午後金子令息わざ〓
電話あり。
晴 風 あ り
夕 、 按 摩 。 大 に う な さ る。 三月十四日 木
る。 懇 談 之 を 久 ふ す 。
︹マ マ ︺
来訪。江藤源九郎 問題に付予の相談を聴 か
午前江藤源九郎 ︹ 陸軍少将、予備、衆議院議員、政友会︺及豊 田久 二来 る。
犬 の医 師 来 り ﹁ラグ ﹂ を 検 〓 す 。
晴
小 笠 原 よ り 電 話 、浅 野 一翁 の東 郷寺 に付 。
︹マ マ ︺
午 後 総 長 宮 殿 下 に 拝 謁 、御 機 嫌殊 に 麗 し。 美 濃 部 問題 を 申 上 ぐ 。
金 子電 話 、美 濃 部 は大 問 題 、 荒 木 、 徳 富 よ り 尋 ね ら れ し も 断 れ り 、
夫 人 、山 下知 彦 ︹ 大佐︺来 る。
理髪 、 持 永 ︹ 浅治、陸軍少将︺隊 長 ︹ 朝鮮憲兵隊司令官︺来 る ( 憲)。 武 藤
五郎 ﹁ス キ ー﹂ に行 く 。 午 後 ﹁ラ ク﹂ を 迎 に来 り 犬 医 宅 に 送 る 。
相 と 会 見 せ し む 。賢 所 に て 大角 と 打 合 せを 為 す 。
春 季 皇 霊 祭 、参 内 。 十 一時 真 崎少 将 来 る。 伏 見 宮 に付 旨 を 含 め 海
三月二十 一日 木
金 子 伯 の書 状 を 持ち 南 某来 る 。藤 公 秘録 の購 買 を 頼 む 。
中 根 よ り 大 宮 殿 下 へ申 上 た る件 電 話 あ り 。
本 日 寒 気 大 也 。 昨 日 と 雲 泥 の 差。 健 康 に影 響 大 也 。
夕 、 荒 井 来 り 、 三福 に 夕食 を 倶 にす 。
曇 寒 気 戻 る
加 藤 君 な れば 語 る云 々。 三月十 八日 月
三月二十 二日 金
予備、中島飛行機取締役︺仝 行 。 早朝 降 雪 に て寒 気 大 なり しも 午 後 より
午 前 九 時 上 野 発 、 太 田 の 中島 飛行 工 場を 見 る。 佐 々木 革 次 ︹ 大佐、
曇 寒 冷
午 前 福 井 小木 陸 大 佐 来 る。 舞 鶴 松 下 ︹ 元、中将、舞鶴要港部︺司 令 官 を
一F高 橋 ︹ 三吉、中将︺長 官 之 伝 言 と し て奥 田参 謀 、 岩 元 鼎 ︹ 大佐︺
昨 夜 よ り 降 雪 三 寸余
紹 介 、 予 の福 井 行 を 辞 す 。
機 参 謀 来 り 、 〓 の故 障 に付 詳 報 す 。 正 午 逗 子 に行 、 金 子 伯 爵 を 訪
て大 洗 ﹁ホ テル ﹂ に 行 く 。 天 気良 く 道路 又 良好 。 八十 哩 計 を 三時
晴 れ 無 風 に し て 暖 し 。 午後 二 時太 田 発自 働 車 に て 土浦 、 水 戸を 経
に て水 戸着 。 三 木 中 佐 出 迎仝 行 、 ﹁ホ テ ル﹂ に清 遊 。 下 志 津 〓学
問 、美 濃 部問 題 に談 ず 。 黒 龍 会 に明 日 の有 志 大 会 賛 成 を P ・Cす 。
上。
末 広会今村繁三 ︹ 汽車製造取締役︺に 二 百 円 送 る 。寺 崎 一〇 、 香 奠 仝
校長 ︹ 大江亮 一、陸軍中将︺全 泊 。 真 崎 、 石 橋 の 両 陸 軍仝 席 、 大 に飲
晴 暖
三月十 九日 火
三月 二十三日 土
む。
機 関 説撲 滅有 志 大会 上 野精 養 軒 に開 か る。 臼 井 哲 夫 、 徳 富 、 鈴 木
午 後 一時 軍人 後 援 会 親 授 式 に参 列 す 。
る 。 菊 池 海 中 佐 仝 席 。 午後 七 時 上 野 駅着 。 帰宅 す 。
午 後 常 盤 神 社 参 拝 、 宮 司 よ り 義 公 と 烈 公 の話 及 大 日本 誌 原稿 を 見
午 前 九 時 十 五 分 ホ テ ル発 友 部 に 行 き 、 飛 行 隊視 察 。仝 隊 に て 昼食 。
晴
少 将来 訪 。中 村 藤 吉 来 訪 。 成 田予 備 大 尉 ( 福井之人)来訪。
午 前 ﹁ラ ジ ウ ム﹂ の婦 人 二人 ﹁ラジ ウ ム﹂ 浴 菓 を 献 じ 来 る。 南 郷
梅 四郎 ︹ 三越常務監査役︺等 時 局 懇 談 会 を 催 し 予 に案 内 し 来 る ( 否 )。
午前松山 ︹ 茂︺中 将 ︹ 軍令部出仕︺令 息 と養 女 を伴 ひ病 中 の礼 に 来 る 。
雨 寒 冷
三月 二十四日 日
三月二十 日 水
今 立 裕 来 る 。 景 岳 会 幹 事 永 井 環 と 共 に 来 り 景岳 会 々報 を 報告 す 。
晴 暖
豊 田久 二 来 る 。
荻 窪 中島〓 製 作 所と 立 川格 納 の ﹁ ド グ ラ ス﹂ 機 を 見 、 大 に感 ず 。
矢 板 の件 仝 上 。
︹マ マ︺
本 日 雨 、 寒 冷 、 冬 の再 来 を 覚 は し む 。
午 後 四時 紀 尾 井 町 に中 根 と 要 談 、 若 宮 に遇 然 御 挨 拶 申 上 ぐ 。 真 崎 に電 、明 日来 宅 を 求 む 。 諾 。
午 後 功 狭 心 症 に て重 大 、 直 に 見 舞 、 五 郎 を仝 道 す 。
午前矢板玄蕃来り大に告白す。
三月 二十五日 月
午 前 飛島 夫 婦 、 安 井 母主 人 来 訪 、 媒 酌 の礼 に来 る。
三月二十九 日 金
露 カ ン ヂ ー七 円を 土 産 に送 る。
井上 周 家 族 を 東 京 駅 に送 る。 安 井 夫 婦 も 見 送 る。
千代 、村 田 に打 合 せ会 。 英 彦 来 る。
景岳 会 報 の揮 毫 。
高杉 ︹ 新 一郎、軍医中将、海軍省医務局長︺ 、福 井 ︹ 信立、軍医大佐、海軍軍医学
︹ 欄外︺松 山 中将 予 の進 退 に付 殿 下 の御 思 召 を 伝 ふ 。 感 激 す 。
校教官︺両 氏 を 煩 は し 大 効 あ り 、 功 喜 ん で 泣 く 。夜 遅 く 帰 る 。 千代
三時 中根 事 務 官 来 る筈 な り しも 風 邪 の為 断 る。
午 後 一 ・三 〇竹 内 友 次 郎 ( 政友)来り、美濃部問題を警告す。
大風
も 深 更 見 舞 て帰 る。
小 雨 曇
才 二、 須 直 、 孝 、 須 直 之 外 夜 直 す 。
飛 島 に本 件 報 告 す 。
孝 報 告 、 功 小 康 と 、 大 に安 心 す 。
三月 二十六日 火
午 後 福 井医 大 佐 に頼 み功 を 吉 祥 寺 に見 舞 ふ。 入 院 決 。 来 五 日と す 。
る 、旅 予定 に付 。
中根、加藤亮 一 ︹ 主計中将、予備︺。 午 前 之 混 雑 稀 有 之 事 也 。 副 官 来
三月三十 日 土
しむ。
司法 大 臣官 邸 談 話 会 、 李 択 一と 坂 西 之 話 を 聴 く 。 態 度 不 快 を 覚 へ
午 後 一時 本 願 寺 飛 島 繁 、 安 井 喜 久 代 の結 婚 式 、 了 て帝 国 ホ テ ル の
村 田志 賀 子 、相 川 夫 婦 来 る。
風あり暖気
披 露 宴 、 両 所 に て挨 拶 す 。 本 願 寺 に ては 訓 示 を 与 ふ 。 敬 に伴 ふ 愛 、
松山 英 子黄 疸 と 同 。
飛 島 文 吉 長 男 繁 婚 儀 本 願 寺 之 式 の為 予 媒 酌 の件 功 の為 心 配起 る 。
愛 に伴 ふ 敬 也 。 ﹁ホ テ ル﹂ 岡 田 首 相 祝 辞 を 述 ぶ 。 五百 卅 人。 内 田
午 後 総 長 殿 下 に拝 謁 伺 候 。 了 て吉 祥 寺 に 。 夫 よ り 小 石 川 輔 仁 会 の
三月 二十七日 水
前 田 氏 国旗 掲 揚 記 念 碑 文 を 頼 に来 る。
千代 と 村 田 に祝 詞を 述 べ に行 く 。
尼 野 、 佐 々木 忠 次 郎 ︹ 理学博士︺ 。
午前 十 時 飛島 家 に礼 訪 す 。 徳 主 人 不在 。 前 田利 乗 氏 、 笠 原 、 八並 、
雨 大 雪 寒
曇 小 雨
鉄相、衆 議院議長 ︹ 浜田国松︺ 、鈴木 ︹ 喜三郎︺政 友 ︹ 会総裁︺其 他 仝 党
三月三十 一日 日
景 岳 会 評 議 員 会 。 秋 に三 越 展 覧 会 を 決 議 す 。
四月 一日 月
晴
多 し。
横浜博覧会開会式不参す。
村 田 英彦 、 磯 部 正 雄 長女 安 子と 結 婚 式 、 村 田本 家 に於 て挙 行 。 了
晴
功 、 一進 一退 、 但 し 危 険 を 去 る 。
雨
小笠 原 靖道 、東 条 寿 、向 山 、原 田、 浜 中 来 る。 三月 二十 八日 木
井上周 ︹ 日本簡易火災保険社長︺夫 人 来 訪 、 菓 物 を 贈 ら る 。
四月七日 月
天皇 陛 下御 出 迎 、真 に東 亜之 曙 光 輝 く 。
満 洲皇 帝 入京 、満 都 奉 迎 。
四月 二日 火
午前 山 本英 輔 大 将宅 に て土 肥原 ︹ 賢二、陸軍︺少 将 ︹ 奉天特務機関長︺の
て築 地 二丁 目 八百 善 に於 て披 露 。
功 今 朝 の脈 不 正 と 聞 き ( 医 電 話 )、 午 後 見 舞 。 小 康 、 大 に 語 る 。
支 那談 を聴 く 。
安 井 に明 日 の招 き の礼 と し て魚 を 送 る 。
四月 三日 水
武藤家に祝詞を述る。
千 代 功 を 見舞 ふ 。症 状 危 険 と伝 へら る。
赤坂 離 宮 謁 見 式 、親 任 官 以 上。
四月八日 月
四月四日 木
四月九日 火
久 富 満 洲 に向 ふ 。 立 雄を 紹 介 す 。
浜中来る。
半晴
参 内 。 竹 内 来 る。 安 井 母 堂 来 る。
関根 ︹ 郡平︺大 佐 ︹ 軍事普及部幹事︺来 り 、床 次 一派 の 運動 を 報 ず 。
晴
千代 眼 の診 察 、 軍 医 学 校 へ。
晴
英彦 夫 妻 に訓 示 を 書 し送 る。
市川に清遊す。
千代 磯 部 に招 か る。
晴
︹マ マ︺
両人 来 訪 。
揮毫 。
午前、安井を礼訪す。
午 前 気 象 報 告 に 反 し 無 風 雨 の 天気 と な り 、 日満 両元 首 の観 兵 式 、
半 晴 後 曇
仁寿 四 十周 年 祭 。 日露 協 会 午 餐 。 夕 、 柳 光 亭 に招 か る 。 安 井 里 帰
午後 西 本 願 寺 阿武 中 将葬 儀 に列 す 。
衆皆感激す。
雨 之夜 晴 天皇 日和
り。 阿武 ︹ 清︺中 将 を 見 舞 ふ ( 重 体 )。 四月五日 金
四月十 日 水
風 南 東
雨中 に 不係 決 意 、 功 を 海 軍 病 院 に入 ら し む 。 此 決 意 大 に 当 り 功 元
雨
気付。
午 前 殿 下 御 召 し 、 一部 長後 任 に付 御 相 談 あ り 。 ︹ 伎︺ 午 後 歌 舞 技 に 満 洲皇 帝観 劇 に陪 す 。勧 進 帳 と 紅 葉 狩 。
雨
天候 夕 刻 より 快 復 、 晴 天 と な る。
平賀譲 ︹ 造船中将、予備、東京帝国大学工学部長︺祝 賀 会 に挨 拶 す 。
功を見舞ふ。
四月十 一日 木
晴
四月六日 土
来 客多 し 、 武 藤夫 人 来 り 来 十 三 日満 洲 国侍 徒 武 官 護 国寺 差 遣 に付
向 山 校 長、 福 井 大 佐 外 十 人 計 功 を 迎 ふ と 。 ︹ 伎︺ 午 後 六時 に寿 之 招 待 に て歌 舞 技 を 見 。
比叡 に て横 浜 御 着 、 直 に御 上 京 。
半晴 暖 時 細 雨
稀有 之 盛 典 。
竹内 来 り 本 心 を 語 る、 深 刻 。 ︹ 知︺ 午後 伊 地治 ︹ 清弘︺中 将 ︹ 予備︺葬 儀 、 吊 詞 を 読 む 。
立合 を 頼 む 、 諾。
四月十 六日 火
功 を 見舞 ふ 。
四月十五日 月
小 雨 曇
曇 寒 し
満 洲 皇 帝 御 離京 に 付奉 送 。
白 木 屋専 務 及 計 画 部 長 来 り 、 景 岳 会 展 覧 会 之 事 を 同 意 す 。
午 前 買物 。
曲 ぐ と 云 ふ。 川 口来 る、 揮 毫 の問 題 也 。 午 後 三 時 平 泉 博 士 来 る 。
午 前 八 ・三 〇 西 下す 。
を聞く。
午 前 十時 よ り白 木 屋 に展 覧 会 会 議 を 開 く 。 平 泉 博 士 に ﹁ プ ラ ン﹂
曇後晴
岡清 蔵 ︹ 白木屋︺ 、 宮 入 保 一。 四月十二日 金
四月十 七日 水
夕 飛 島文 吉 招待 、 ト ン ボ に行 く 。安 井 一家 も 呼 ば る。
平泉 寺 行 を 喜 謝 す 。 南 洋 之 某 判 任 福 井 県 人 ︹ 欄外に山本繁蔵と注記あ
雨 寒 最 寒
永 井 に 電話 、 十 七 日通 知 、 平 泉 之 快 諾 、 永 井 大 に 安 心 。 自 ら 膝 を
り︺来 る。 佐 々木 隆 一 ( 小 笠 原 親 類) 書 之 礼 物 を 持 参 来 訪 。
﹁ラ ク﹂ 犬 を引 取 る。 尚 病 弱 也 。
明 十 三 日午 後 四 ・三 〇満 洲 皇 帝 之 御 召 、 大 角 と 二 人 也 。 晴
飛島 文 吉 に水 甕 を 贈 与 す 。
四月十 三日 土
午 後 三時 満 洲 皇 帝 侍 従 武 官 を 故 武 藤 元 帥 墓 前 に 差 遣 は さ れ ﹁フ﹂
寒
四月十 八日 木
松 村純 一 ︹ 中将、予備︺卒 去 の為 鳥 取 行 を 延 期 す 。 午 後 五 ・ 一五 。
︹ 欄 外︺ 勅 語あ り 。
を 賜 ふ。 予 、 親 類 代 表 と し て立 合 ふ 。
四月十九 日 金
半 晴 寒
松 村 邸 世 話 、夜 通 夜 。
純 一葬 儀 。
午 後 五時 大 角 海 相 と 共 に 赤 坂 離 宮 に 謁 を 賜 ひ 、 武藤 家 之為 め 本 日 の御 礼 を 言 上 す 。 本 日 の謁 見 、 高 橋 、 斎 藤 、 広 田 、 財 界代 表 等 よ
午後 九時発鳥取に向ふ。矢野 ︹ 晋也︺代 議 士 ︹ 政友会︺見 送 る 。 感 激
米村 ︹ 章三︺貴 院 議 員 ( 多額)福知山に出迎。
午 前 七 時 京 都 着 、 福 知 山 経 由 鳥 取 へ。
快晴
四月十四日 日
り 抜 也 。 荒 井 画 伯 の皇 帝 肖 像 成 り 奉 呈 す 。
之 桜 園 にし て無 慮 万 に 近 く 、 加 る に 大 木 也 。 二 百余 年 の生 命 あ る
午 後 一時 四分 着 、 鳥 取 ホ テ ル。
晴
四月 二十日 土
之 様 子な り ( 予 の特 配 に)。
も のあ り 。
︹マ マ︺
近 日稀 の好 天 に付 千 代 を 伴 ひ 三 里 塚 に看 桜 す 。 従来 未 見 の大 規模
成 田 山 に参 詣 し 、 夕 新 宿 第 一劇 場 を 見 る 。終 日 之 興 大 、千 代 も亦
午 後 二時 鳥 取 県 下 神 職 会 に 挨 拶 、 小 講 演 、 天 皇 機 関 説 を 粉 砕 す 。
︹ 原︺
喜ぶ。
安 部 野神 社 其 他 参 拝 、 見 物 。 夜 有 志 の招 待 会 に 行 く 。
和 歌 浦 へ、望 海楼 に 一泊 。
四月 二十五日 木
晴 急 に暖 気 増 す
午 前 十 一時 十 五 分和 歌浦 東 駅発 、 四十 五 分 に て大 阪 天王 寺 着 、 午
︹ 欄外︺東 久 邇 宮 御 仝 泊 。
四月二十 一日 日
青木子爵夫婦、研究会員、菱 刈 ︹ 隆、陸軍︺大 将 ︹ 軍事参議官︺等 満 員 。
晴
中谷 ︹ 秀︺知 事 仝 行 。
片 岡 我 童仝 車 。
迫 学 務 部 長 途 中 に出 迎 ふ。
境 の蕨 記念 碑 に参 拝 。 米 子 に て市 長 歓 迎 。 飛 行 場 視 察 。 ︹ 原︺ 夕、 三朝 温 泉 着 、 一泊 。 米 村 仝 行 。
後 一時 燕 に て 帰京 。
村 長歓 迎す 。 知 事 の好 意 仝 行 を 望 みし も 予よ り 断 る 。
﹁ラ ツク ﹂ 帰 る 。
午後九時着京、帰宅。
在宅。 ︹ 溪︺ 谷 口豪 介 来 る 。 浜 中 来 る 。
岩 崎 旅 館 、 電 、 長 二番 、 一五番 。
鳥 取 県 三朝 温泉 依 山 楼
四月 二十六日 金
四月 二十七日 土
晴 天 暖
四月二十 二日 月 晴 ︹ 原︺ 午前 三朝 発 、 米村 国境 迄 見送 る。
司 令 官 訪 問 、 機 関 学 校 に て 訓示 。
靖国神社臨時大祭。
午後 三 時 四 十 分新 舞 鶴 着 。
夜 白 糸 宴会 に 臨 む 。
半晴
中村 ︹ 良三︺大 将 ︹ 軍事参議官兼艦政本部長︺仝 行 仝 列 ( 爆 薬 廠 査 閲 の為
半晴
夕、高木陸郎母堂福子刀自米寿祝に上野精養軒に招かる。高木之
四月 二十 八日 日
午 後 一時 白 木 屋 景 岳 会 。 矢 板 来 ら ず 。 口先 き 計 り 之 人 間也 。
孝心を賞し万才を音頭す。
晴
午前八時四五分舞鶴発。
四月 二十 三日 火
来 舞 中)。
十 一 ・三 〇 京 都 着 、 京 都 ホ テル 。
今 立 裕 来 る。
く 雨 に浸 る。 一同 感 激 。 岡 田、 大 角 、 内 田 失 態 。
天長 節 、 看 兵 式 。 稀 有 之 雨 あ り 。 御 湿 雨 恐 懼 、 各 宮 及 予 等 陪 観 悉
曇後雨
嵐山天龍寺花之家に夕食。
四月 二十九日 月
四月 二十 四日 水
︹ママ︺
寛 一夫 婦 、 満 佐 夫 、 下 郷 父 、 良 順 、 仁名 寺 ( 御 室) の桜 を 見 る。
午 前 七 ・三 〇 神 戸 へ向 け 発 、 八 ・四 五 神 戸 着 、 川 崎 〓 、造 船 視察 。
四月 三十 日 火
靖 国神 社 相 撲 、 不 参 、 副 官 を 遣 す 。
晴
昼 宝 亭 に て川 崎 と 神 戸 製 鋼 の招 待 。
晴 曇 半 々 襲 雨
︹マ マ︺
午 後 和 田少 将 の為 神 綱 視 察 。
中根 事 務官 結 婚礼 に 来 る ( 招 宴 に諾 の)。
午後 平 田晋 策 ︹ 著述業︺、 黒 崎林 蔵 大佐 来 。
靖 国 神 社 祭 、 八 ・三 〇参 拝 。
千 葉 豊 田久 二来 訪 。 小 林 省 三 郎 ︹ 中将、鎮海要港部司令官︺と 会 見 談 を
五月 五日 日
鵜崎博。
小 包 、 千 足 神 社 、 深 川 某 、 三 重 県 、 山 口喜 兵 衛 、 小 学 校 長 、 会津
晴
級会 、 夫婦 、未 亡 人 、継 子を 含 み近 年 稀 之 会 合 也 。 晴
報ず。宇 垣之件 最警戒 を要 すと。 ( 十 月 事 件 の 巨 怪 、 ﹁フ ハ シズ ︹ 廷︺ ム﹂ の巨 頭 許 す べか ら ず 、 三 上 も 之 を 公 言 す ( 法庭 に て))。夕 木
五月 一日 水 中根 結 婚式 、 学士 会 館 。
大に酔ふ。 五月六日 月
挽 丁 灘 万 に て、 高 杉 、 向 山 、福 井 神林 両 副官 、 松林 と 会 食 す 。
理髪 。 ︹ 築︺ 筑 地錦 水 に招 か る。 斎 藤 実 、 外 。
午 後 一時 荏 原 小 山 松 下 権 八 を訪 、 町会 代 表等 歓 迎撮 影 す 。
夕飯五郎と三福 ( 千 代仝 行)。
午 後 三 時 水 交 社 改 築 竣 工 祝 、祝 辞 を読 む 。
晴
五月二日 木
幸 鮨 に行 く 。
武藤母堂呉に向け発に付来訪。
晴
千代 と 上 野 国宝 展 を 見 る。
荒 井 画伯 来 る。 絵 の献 納 御 礼 の為 め。
五月七日 火
飛 島 文 吉 来 り 廿 二 日 福 井在 を乞 ふ 、断 る 。
晴
を依 頼 せら る。 安 部 眞 造 氏 。
東 郷彪 ︹ 侯爵、平八郎長男︺の 紹 介 に て安 部 来 る 。 軍 神 の書 巻 物 に 讃
五月 三日 金
夜 来 雨 晴 れ 快 晴 。午 前 十 一時十 五 分 野村 ︹ 吉三郎︺大 将 ︹ 軍事参議官︺
晴
国本 社 寺 島 柾 来 る。 予 の原 稿 と 彼 の出 版 題 字 に 就 て 也 。
午後 江 藤代 議 士 、豊 田久 二来 る。
軍参 会 議 に検 閲 の結 果披 露 、 了 て御 陪 食 。
五月 四日 土
平 田晋 策来 る 。書 を 与 ふ。
川島 令 次 郎 ︹ 中将、予備、宮中顧問官︺よ り 倉 吉 有 志 の為 め 揮毫 ﹁生 気
総長宮殿下園遊会。
五月 八日 水
友鶴 以 来艦 艇 性 能 改 善 と 飛行 機 之 不振 に付 奏 上 す 。
午前浜中来り浅井将秀案を相談す。来る六日水交社新築祝辞に就
午 前池辺 ︹ 主計中将︺経 理 学 校 長 来 訪 、書 を 頼 む 。安 部 ( 昨 日) に
六百 歳 ﹂ の依 頼 あ り 。
て也 。
晴
松 下 権 八来 る 。
小笠 原 より 電 話 、 九 日訪 問 を 約 す 。
軸 を 返 へす 。
晴 暖
川島と下郷と嵯峨花之家に書と歌を送る。
五月 九日 木
御 上 陸 記念 塔 除幕 式 の祝 賀 会 に招 かれ 、 山 口県 知 事 等 と 春 帆 楼 に
内田重成 ︹ 貴族院勅選議員、山陽電気軌道取締役︺等 の 出 迎 に て、 総 長 宮
佐伯 航 空 隊 に て昼 食 。 了 て 下 ノ関 直 行 、 午 後 六 時 過 着 。
︹マ マ︺
午 前 八時 三 〇 、宿 毛 発 佐 伯 に駆 逐 艦 に て送 ら る。 大 角 海 相 仝 乗 。
午 前 十 時 小笠 原を 訪 問 し、 東 郷 侯 爵 家 に 付 注 意 を 述 ぶ 。 終 て仝 道
会 す 。 二次 会 を其 直 前 の某 亭 に 開く 。
浜 中来 訪 。
渋 谷 に卸 し、 霞 ケ関 総 長 宮 殿 下 の米 ア ツ パ ム司 令 官 御 招 待 午 餐 宴
山 陽 ﹁ホ テ ル﹂ 泊 。
晴
に 陪す 。
晴
午 後 五 ・三 〇水 交 社 に大 将 を 招 く 会 に行 く 。 大 角 海 相 の披 露 也 。
迎。
炭 鉱 検 閲)。 正 午 徳 山 着 、有 志 出 迎 、 直 に駆 逐 艦 響 に 搭 乗 。 大 角
午前 十時過宮島 駅より乗 車。藤 田 ︹ 尚徳、中将︺呉 長 官 仝 車 ( 平壌
五月十 二日 日
五月十 七日 金
〇 二分 広 島 発 富 士 に乗 車 東 行 す 。
孝 治 夫 婦 の幸 福 を 喜 ぶ。 能 婦 子 夫 人 あ り 。 午 後 一〇 半 呉 発 、 〇 ・
午 後 、 千 福 を 視 察 し 、 武 藤 宅 に て予 のみ 小 憩 、 夕食 を 馳 走 さ れ 、
早朝 よ り 生 徒 起 床 を 見 、 夫 よ り 呉 に 趣 き 、 広 、 呉 工 廠 視察 。
晴
田島 兵 学 校 に 行 き 講 演 す 。仝 集 会 所泊 。 及 川 ︹ 古志郎、中将︺校 長歓
出 光 門 司 市 長 之 案内 に て 門 司視 察 、 了 て内 田と 長府 に行 く。 ︹ 撮︺ 途 中 記 念 塔 に て 採 影 、尊 攘 館を 見 て午 後 二時 過 発、 宮 島 を 経 て江
︹マ マ︺
五月十五日 水
半 晴 寒
竹 内 来 り 海大 に 於 け る金 子 伯 憲 法 講 義 を 返 却 す 。 五月十日 金
晴 暖
午 前 理髪 。午 後 十 一時 半 西 下す 。 五月十 一日 土
岩惣女将出迎ふ。
午 後 五 時 頃 宮 島 着 、 大 臣 一行 と会 合 。大 臣 は徳 山 へ、 予 は宮 島 に 参 詣 、 一泊 。
五月十六日 木
海相、 永野 ︹ 修身、軍事参議官︺、 中 村 ︹ 良三、軍事参議官兼艦政本部長︺各
午前 七 ・三 〇京 都 着 、桃 山 参 拝 。
雨
新緑滴る如し。
大 将、加藤 ︹ 隆義、中将、軍令部︺次 長 、 古 賀 ︹ 峯一 ︺少 将 ︹ 軍令部第二部
十時 半 発福 井 へ。 千 代 、 寛 一母 子 、 下郷 夫 人 、 山 中 、 良 順 等 見 送
る 。 永 井柳 太 郎 ︹ 衆議院議員、民政党︺と 同 車 。
晴
日比 野 ︹ 正治、少将、第三戦隊︺司 令 官 、 岩 下 艦 長 、 古 賀仝 艦 。
長︺等 仝 乗 。 一 ・三〇 発 、 夕 刻 六 ・三 〇 頃 宿 毛 着 。 榛 名 に 座 乗 す 。
午 後 二 ・二 五 福 井 駅 、盛 大 な出 迎 之 下 に 下車 。 直 に天 龍 寺 に参 詣
曇
五月十 三日 月
に行 く 。
し 、 夫 よ り 左 内 先 生 墓 地 へ。夕 五嶽 に て 飛島 宴 会 、 其 よ り 山 田家 雨
午 前 八 ・三 〇出 動 。 天候 の為 視 界 不 良 。 副 砲 の み射 撃 す 。
五月十 四日 火
午 後 七時 榛 名 に て大 角 海 相 招 待 、 司 令 官 以 上 各 大 将 。
千 代 京 都 よ り 来 る 。 来福 を 勧 む 飛島 之 熱 望 也 。
む。
国 防 協 会 第 二 次 総 会 。午 後 四時 市 公会 堂 に て 六 百名 之 歓 迎 会 に臨
五月十八日 土 雨 曇 ︹ 欠︺ 午前新田神社と□神社。
五月 二十四日 金
久富来訪す。
午前出省、殿下に報告。
五月 二十 三日 木
午後矢野馬吉少将 ︹ 予備︺ 、竹内、作間来訪。
五月十 九日 日
理髪。
佐 久 間 に 武 蔵 山 の為 め 土 俵 入 に 用 ゆ る書 を交 付 す。
午 前 八 ・三 〇 三 越 海 軍 展 を 見 る 。
晴
晴
予 は午 前 七 時 帰 宅 す 。
夕 芦 原 開 花 亭 に知 事 、 飛島 、熊 谷 之 招 待 を 受 け 、 一泊 す 。
午前 七 ・三 〇芦 原発 電車 に て勝 山 経 由 大 野平 泉 寺 大 楠 公 六 百 年 祭
半晴
に参 列 。松 平侯 、 子 、近 藤 ︹ 駿介︺知 事 、 室 枝 博 士 来 会 。 予 に 対 す
川島令次郎来る。浜中来る。
午 前 小 笠 原 を 訪 ふ 。 二 十 六 日 の挨 拶 校 正 の為 也 。
五月 二十五日 土
竹内来り秘書を尋ぬ。
五月二十日 月
午 後 佐 々木 高 志 来 る 。
( 大 聖寺 ) 吉 野屋 泊 。 本 日疲 労 甚 し 。
る歓 迎盛 ん、 感 激 に 不堪 。 午 後 五時 福 井 発 、 見 送 盛 。 六 時 半 頃 山
午 前 十 一時 山 中 発 石 動 下 車 。 東 山 見 村 小 牧 の 日本 電 力 ダ ム を 見 、
高橋 長 官夫 婦 来 る 。
中温 泉
富 山 着 、 富 山 ﹁ホ テ ル﹂ に投 ず 。
五月 二十 一日 火
予と 千 代 ひげ 天 に夕 食 。
予出 征 者 を 代 表 し挨 拶 を 述 ぶ。
午 後 一時 日露 出 征 軍 人大 会 、 在 郷 軍人 会 之 催 。 博 恭 王 殿 下 台 臨 。
晴
晴
斎藤 ︹ 樹︺知 事 之 歓 迎 二次 会 に 及 ぶ 。
五月 二十 六日 日
千代帰京、金沢より ( 飛 島 案 内)。
晴
大 聖 寺 より 飛 島 夫 婦 と 千 代 仝 車 、 金 沢 に て彼 等 下 車 す 。
午 前 九 ・三 〇 知事 を 訪 問 す 。 知 事 、経 済 部 長 ( 松岡 ︹ 四郎︺ )仝道、
晴
速 星 の窒 素 工 業 を 見 、 昼 食 後 広 貫 堂 の売 薬 、 不 二 越 高 度 ﹁ツ ー
晴
五月 二十 七日 月
今 立 か よ子 米 婦 人 を 伴 ひ 来 る。
蔵山全勝、吉兆なり。
新 成 水 交 社 に於 て各 宮 並 妃 殿 下 台 覧 相 撲 、 予 の揮毫 を 与 へた る武
海 軍 記 念 日、 行 幸 。
ル﹂ 会 社 を 見 る。 井 村大 に 説 く 。 了 て岩 瀬 築 港 、 ﹁ア ル ミ ニ ︹ ウ︺
午 後 大 雷 雨 降 雹 一銭 銅貨 大
ム﹂ 工 場 を 見 、 夕 食 に 知事 を 招待 。 八 ・三 〇 に て 帰京 の途 に つく 。 五月 二十二日 水 東京は昨日も降雹。
松下権八より九条 ︹ 久治︺公 の拝 受 、東 郷 元帥 御見 分 之威 仁 親 王 御 五月 三十日 木
千代、飛島を訪問、鮨を贈る ( 午 前 )。
晴
水 難救 済 会 総 会 、国 技 館 。
五月三十 一日 金
夕 、東 京 会 館 の東 郷 家 晩 餐 に招 か る 。
午 前 八時 東 郷 邸 元帥 御 一年 祭 、 了 て多 摩 墓 地 祭 。
晴
額 を 貰 受 、 本 人 夫 婦 持 参 す 。 巻 物 な り し を 九 条 公 よ り松 下 が戴 き
︹ 新聞切抜貼付︺
元 帥 に御 覧 に 入 れ 自 ( 松 ) ら 表 装 せ し め し も のと 云 ふ 。
け ふ の天 覧 相 撲 に武 蔵 山 が
加 藤 寛 治 大 将 が 揮 毫 の化 粧 廻 し で 晴 の土 俵 入 り
武 蔵山 を伴 ひ伊 藤 、 作 間礼 に来 る。 依 て写 真 を 取 り 色 紙 を 与 ふ 。
米 村末 喜 ︹ 中将、予備︺ 、 武 生 の大 井 某 来 る。 増 永 の使 也 。
糟 谷夫 人 わざ 〓
日本 海 々戦 大 捷 第 三 十 周 年 を 記 念 し て水 交 社 に 行 は る 天 覧 相 撲 に
上 村 勝 弥 之 芳 名 録 に 署 名す 。 両親 の 再教 育 と 云 ふ に就 て也 。
は 過 日横 綱 に推 薦 さ れ た 武 蔵 山 が 日 ノ下 開 山 横 綱 と し て の初 の土 俵 を 張 る が当 日着 す る晴 れ の横 綱 の化 粧 廻 し に は 特 に 海 軍 大 将 加
来 訪 、美 事 な る苺 を 持 参 す 。
藤 寛 治 氏 に依 頼 化 粧 廻 し 三枚 に ﹁ 尚 武 道 ﹂ の三 字 を 一字 づ ゝ揮 毫
の化粧 廻 しを 太 刀持 綾 昇 が ﹁ 道 ﹂ の化 粧 廻 しを 付 け 天 覧 に供 す る
六月 一日 土
水 光 楼 天 に 感 ず る も の之 に て 二 人 。
井 上 一次 ︹ 陸軍︺中 将 ︹ 予備︺銚 子 の ﹁ う に﹂ を届 け ら る。 暁 鶏 館 の
︹ 六月冒頭 の予定欄︺
晴 れ の 土 俵を 踏 む事 に な つて 居 る。 尚 武 蔵 山 の付 け る ﹁武 ﹂ の化
成 田 豊 島 師 範 校 長 外 二名 満 洲 青 年 教 育 云 々 の 問 題 に て芳 名 録 に 署
し て貰 ひ 露払 ひ笠 置 山 が ﹁ 尚 ﹂ の化 粧 廻 し を 横 綱 武 蔵 山 が ﹁武 ﹂
粧廻しは右側に ﹁ 第 三 十 回 記念 日﹂ 左 側 に ﹁ 横 綱 武 蔵 山 の為 加 藤
晴
寛 治 書﹂ と書 し て あ り ﹁ 武 ﹂ は武 蔵 山 の本 名 横 山 ﹁ 武﹂ の ﹁ 武﹂
名 を 求 む 。 寄 附 金 募 集 に 渉 る を 以 て 断 る 。 小 林喜 久 馬 の 紹介 に て
加 藤 良︱ 喜 作 の知 人 来 り 今 岡 女 史 の計 器事 業 に 紹 介 を 求 む 、謝 絶
︹ママ ︺
に 通 ず る 意義 深 い
す。
晴
五月 二十八日 火
午後揮毫。 晴
飛 島 主 人 午 前 、 仝 妻 午 後 来 訪 、福 井 行 の 礼 を述 ぶ 。好 意 却 て 恐縮 す。
六月 二日 日
千代 と 三越 、 夫 よ り 功 を 見 舞 ふ 。 大 に 快 方 を 喜 ぶ 。
今 立 裕 来 る。
幸 鮨 へ、夫 より 帝 国 座 へ。
松 波 、 柴 山 結 婚 に招 か る 。 徳 富演 説 冗 長 、 品位 を 損ず 。 岡 田、 宮
五月 二十九日 水
相 等 朝 野 の名 士 数 百 、 豪 奢 に 嫌 気 を 催 す 。
森 清 人 夫 人 、 満 鉄 社 員 上 村 某 来 り 、 両 親 の再 教 育 に賛 助 を求 む 。
飛島 に書 を 届 く 。
曇 細 雨 あ り 夜 雨
笠 井 重 利 来 る。 米 大 演 習 批 判 英 文 に 就 而 也 。
六月三日 月
議 長 、 田 沼 明 光塾 長 来 る ( 酒)。
木幡 ︹ 行︺大 佐 ︹ 鬼怒艦長︺来 る。 後 藤 ︹ 多喜蔵︺門 司 市 長 、 出 光 市 会
六月八日 土
晴
早朝 笠 井 来 る 。 英文 を 校 正 す 。
武 藤 母 堂 来 、 昼軽 食 す 。
曇
の為弁 解 努 む 。好 老 惜 らく は気 の み進 み己 を 測 ら ず 。 福 井 人 の欠
午 後 二 時白 木 屋 に於 て 展覧 会 第 三回 打 合 せ 会 。 永 井 強 吼 す 。 予 皆
時枝より電話。
永 井 環 と村 田 に行 、書 類 調 べ。 水 戸 原 田 八兵 衛 より 桃 井 生 ( 左内
其角主人に ( 福 縁姜 慶 ) を 与 ふ。
点 を曝 露 す。 而 かも 仕 事 は第 一若 輩 の及 ぶ 処 に 非 ず 。 七 月 十 三 日
六月四日 火
川 口に 書 を 渡 し 、 又 小木 某 へ書 を 托 す 。 ( 神武)
先 生) を条 氏 寿 へ秘書 発 見 す。
鎌 倉 鎌 倉 山長 井 わか も と 主 人 宅 に招 か る。 斎 藤 老 人 同 行 。 予 と は
経 理 学 校 長 来 訪 。揮 毫 を 渡 す 。
雨
福 井 、浜 中仝 乗 す 。
六月九日 日
第 四 回会 合 を 宣 す 。
主 人歓 迎大 に努 む。
晴
留 守 中 和 島 繁 夫 婦 書 之 礼 に、 川 口又 テー ブ ル掛 を 持参 す 。 柳 町 の
六月 五日 水
左 内 先 生之 為 め展 覧 会 用 短 篇 を も のす 。
今 立 来 る 、 長 居す 。
し。
( 左 近 司来 る 、 日 石油 社 長 た る に依 る) 留 守 と 号 し 、 気 の毒 な り
午 前 川 口来 る。 午 後 浜 中 来 る。
初夜 加 来 ︹ 止男、中佐、海軍大学校教官︺、 豊 田 久 二 来 る 。 加 来 懇 切 に 予
晴
安 井 母 堂 来 る。
之自 重 を 勧 む 。
贈物也。
金 子子 爵 受 爵 祝 、 八百 人 集 る 。
六月十 日 月
深 井 英 五 日銀 総 裁 就 任 に付 祝 詞 の為 訪 問 す 。
千代 水 交 社 に て海 軍 関係 之 妃 殿 下、 大 妃 殿 下 台 臨 之 午 餐 会 に 参 ず 。
曇
六月 六日 木
晴
秋田 ︹ 清︺前 衆 議 院 議 長 松 下 権 八 と 仝 行 し 来 る ( 六 、 七 日 か忘 る)。
ら る。
左 近 司来 訪 。 岡 野 俊 吉 大 佐 来 訪 。 墨 、 筆 、 毛 氈 、 画 箋 紙 二 巻 を 贈
六月十 一日 火
晴
牧、末次大将、笹原、大月夫婦息、軍医依托学生来る。
六月七日 金
終 日揮 毫 。
北 支 形 勢 逼 迫 す 。 但 し 兵 力 は 用ざ る 由 。
仁 米 国 行 に付 中 山 な る 者 の横 槍 に 憂 慮 す 。
村 上 教 一、 中 山 末 三山 本 伯 伝 記 資 料 蒐 集 之 為 来 る 。
晴 ス コー ル 霰 雨
神宮に参拝、思慮を錬らしむ。
孝 、 来 る 。 山 口伝 夫 婦 数 年 振 り に て息 子 就職 之 礼 に来 る。 理髪 の
晴 風 強 く蒸 暑 入梅 但 し 雨な し
留守に時枝来る。
六月十六日 日
六月十 二日 水
揮毫、熊野金吉之為。
半 晴 驟 雨
北 野 梧 道 書参 観 、 上 野 美術 館 に行 く 。
小 林 省 三 郎女 野 村 ︹ 了介︺大尉 と 結 婚 の式 に招 か れ 来 賓 代 表 演 説 す 。
夕 、 紅 葉 館 、 満 洲 丸会 に招 か る。 小 笠 原 、 財部 、 三宅 、 松 菊 、 黒
曇 南 之 暖 風 風塵 に 満 つ
吉野按摩を始む。千代も少し行ふ。
吉 野 第 二回 、 千 代 仝 前
六月十七日 月
古状整頓。
晴
田 公 等 盛 会 。余 興 に 英 人 (た) 之 落 語を 聴 く 。
中島武来る。
中 村 大 将 来 る 。 新 計 画 に 就 てや 。
六月十三日 木
竹 内 来 り 、 昨 今 之内 閣 軽視 と 北支 事 件 に付 、陸 軍策 動 之 甚 し き 語
中央公論牧野に書を与ふ。感激す。
約 二十 分 間 。
の頭 目 と 取 代 た る事 、 陸 軍 は 内府 を 信 ぜず 、 従 て 政府 を 信 ぜ ず 。
る 。 大 将 等 も 知 らず 、 林 は満 洲 に捕 虜 と な れ る事 、 鄭 孝 胥 と 馬 賊
六月十 八日 火
浜中外務交渉 ( 仁 の為)。
近日稀なる暑気例年より八度大なり
此先を心配す。
終 日整 頓 。
伊 左 婦 人 来 訪 、 書 を 渡 す 。忠 孝 。 海 大 学 校 図 演 、 海 相 招 待 、 1F 2F 司令 官 。
町 田少 将 、 松 下 来 る 。
孝 、 仁 の為 め 奔 走 。 昨 夕 よ り 大 に 努 む 。 文 部省 学芸 課 に会 ふ 。効
関 根 少 将 、 仁 一行 を 水 交 社 に 招 き 注 意 を 与 ふ 。
あり。
上 )。
晴
中山末三 ( 山 本 伯 伝 記)、 小林 省 三郎 来 る。 安 東 栄 城 、浜 中 来 る。
浜 中 来 る。
六月十四日 金
夕、中山又来る。
午 前 八 時 半 海 軍 図 演 、 午 餐 水 交 社 、 総 長 殿 下 (北 支 事 件 内 容 申
松下に筥書を交付す。
六月十九日 水
吉 野 第 三回 ( 千 代 行 は ず)。
る者 を 持 参 す 。 尼 野 に尋 ね よ と 命 ず 。
川 口 電 話 に て収 容 の新 聞 報 、 原 ︹ 五郎︺少 将 ︹ 造船監督官︺よ り 送 れ
不 二 越 社 長 来 る 。 明 夕 招待 せ んと 云 ひ し も 断 る。
吉 野 四 回、 千 代 共 。
晴
中央公論牧野武夫来り序文を乞ふ、断る。
六月十五日 土
夕、帝国館 ( 千 代 と)。
町 田少 将 乞 別 。 孝 来 る。 浜 中 に 会 見 。
晴 稍 冷
八 坂 よ り 釣 上 た る 鯛 を 持参 す ( 井村 荒喜 )。
内 田鉄 相 と 会 見 。 高 橋 秘 書 官 を 経 由 す 。 電 話 少 し く 不 快 。 大 臣 気
六月二十 三日 日
吉 野 七 回、 千 代 不行 。
千代 と 海晏 寺 に詣 で 、 父母 之 為 読 経 回 向 し清 心 に て帰 宅 す 。
吉 野休 止。
梅雨
取 る乎 。
一郎 夫 人 来 。 終 日整 頓 。
仁 問 題 稍 や進 む 。 浜 中 、 天 羽 に建 言 を 外 務 書 記 官 に 進 言 す 。 堤 彦
六月二十 四日 月
軍事 之前 提 也 。
坂 井 一意電 話 、 又 々 不在 と 告 ぐ 。 軍事 は政 治 之 延 長 な り 。 政 治 は
六月 二十日 木
武藤 夫 人 、斎 藤 金 七 、森 田 ( 洪 少 、 松 下権 八、 埼 玉 の酒 屋 ( 川端
晴
早朝 田結 と 神 社 問 題 に て電 話 す 。
外 一)、 将 代) 三友 博 士 を 伴 ひ来 る。
神 社 問 題 に て官 房 に 注 意 す 。
浜 中来 る。
揮毫
六月 二十 一日 金
六月二十 五日 火
吉 野 八 回 、 千 代休 。
飛島 之 為 記念 碑 揮 毫 。
雨
夕 、星 ケ 岡 に関 司 漁 夫 に招 か れ 高 橋 三 吉 と 松 林 才 二と 外 一名 。
吉 野 六 回、 千 代 不行 。
吉 野 九 回。
( 記念 碑 )。
孝 、浜 中 、 外 務 に奔 走 す 。
孝 、 渡 米学 生 の為 大 に働 く 。
飛島 友 人 吉 田某 来 る。 面 会 せ ず 。
皇太 后 御 誕 辰 、赤 坂 離 宮 御 召拝 謁 御 賜 餐 。 広 田外 相 、 内 田鉄 相 、
曇 午 後 始 め て降 雨
吉 野 五回 、 千 代 共 。
孝 来 る。
副島 ︹ 道正︺伯 に渡 米 学 生 之 件 頼 む 。
晴
中根 夫 人 、 商 師 馬 上 氏 、 米 沢 、 後 藤 来 る ( 講 演 に 付)、 断 る 。
午後浜中、飛島繁 ( 父 貴 族 辞 退 に 付 相 談 )。
六月二十 六日 水
曇 冷 飛島 来 る 。碑 文 を 与 ふ。
高橋 蔵 相 予 に 曰 はく 、君 蔵 相 にな つた 積 で助 け 玉 へ云 々。
六月 二十 二日 土
坂 井 一意来 り 長談 す 。南 郷を 難 ず 。
雨又止む半晴
午 前 飛 島 文 吉 氏 来 る。 碑 字 を 乞 ふ 。 副 官 来 る 。
長井真 琴 ︹ 東京帝国大学文学部︺教 授 来 り 、 仏 教 青 年 館 に付 署名 を 乞
終 日書 類 片 付 。
午 後 上 野精 養 軒 、 慈 恵 大 学 総 長 金 杉 英 五 郎 氏 祝 賀 会 、 盛 大 。 広 田
ふ 、 例 に依 り 断 る 。 晴 涼
予 は式 前 に帰 る。
六月二十 七日 木
外相も出席す。
石川 ︹ 信吾︺中 佐 ︹ 第二艦隊参謀︺出 艦 に付 来 訪 、 好 意 に 感 ず 。
昼千 代 と 幸 鮨 へ、 夫 より 予 は荒 井 を 訪 問 す 。
力を 乞 ふ。
午前 遠 藤 友 四郎 夫 婦 来 り 真 崎 引 退 を 中 心 と し 陸 軍 問 題 に て 予 の助
七月二日 火
御 聡 明 感激 に 不堪 。
午後 一時半 軍令 部 総 長宮 殿 に伺 候 。 陸 軍問 題 を 申 し 上 ぐ 。
七月 一日 月
孝 、 仁 と 外 務 に交 渉 。
六月二十 八日 金
八 王 子 中 町林 や蓬 莱 屋。
大垂見層雲閣 ( 浅 川 より )。
よ り 温 泉 に 浴 し帰 京 。松 少 々雪 辺変 化 を 見 る。
高 尾 山 十 三 洲 見晴 に 上 る 。 帰途 徒 歩 に て久 方 振 嶮 路 を 下 り 琵 琶 滝
曇
蒸暑
仁 一行 外 務 省 に招 か れ会 議 、 結 果 不 調 、 予 の予 言 と 合 す 。
午後 酒井 ︹ 武夫、大佐︺台 湾 ︹ 軍︺参 謀 来 る。 浜 中仝 道 南 方 経 営 に 付
七月三日 水
雨 夕 晴
語 る。 総 督 諷 示。
む。
︹マ マ︺
三越 献 納 飛 行 機 命 名 、 品 川 〓場 に於 て海 相 実 行 す 。
快 天 な り 。 馬 上 師範 教授 来 る。 中学 四年 問題 に就 て 予 の意 見 を 求
︹ 欄外︺ 関 西 、 九 州 、 大 豪 雨 、 流失 多 し。
晴 快
中島 渡 米 学 生 に寄 附 。
予 は 中 学 を 社 会教 育 の基 礎 と し て之 丈 に て社 会 に並 の生 活 を 為 し
学 校 、 士官 校 の 例)。
得 る事 、夫 以 上 は特 別 の余 裕 者 と 相 ま つて よく 五年 制 を 賛 ふ ( 兵
福田弁護士来る。
( 細)霧雨
︹ 豪雨に ついての新 聞記事 切抜貼付 、略︺
七月四日 木
六月 二十九日 土
行幸 に陪 観 す 。
午前陸士校卒業式。
颱 風 七 四 〇 、 小笠 原 より 北進 警 戒 、小 学 校 を 早 引 け と す 。
寛 一よ り 仁 の 為 百 円 送り 来 る。
実 川 時 次郎 来 り 軍 縮 と対 支 問 題を 談 ず 。 大 に話 せ る処 あ り 。
雨
下郷 無 事 ら し。
昨 夜 より 京 都 大 豪 雨 、 三 条 、 五条 始 め 加 茂 の橋 梁 概 ね 流 失 。 寛 一、
電報 見 舞 を 出 す 。
仁 よ り ﹁ダ ラ ー ラ イ ン﹂ 保 証金 千 円を 預 る。
暹 羅 公 使 新 喜 楽 に大 角 、 荒 木 、 松 岡 、 矢 田、 予 を 招 く 。
七月五日 金
竹内 友 次郎 来 り○ ○ 機 関 説 に付 陸 海 両 相 を し て首 相 之 声 明 強 請 を
晴
六月 三十日 日
予 と し て 促 進 す べく 頼 む 。 尚 ほ有 馬 ︹ 良橘︺大 将 ︹ 予備︺に紹 介 す
蒸 暑 堪 へ難 し 雨 あ り
久 留 米 出 水 危 し。 京 都 下 郷 よ り 電 報 、 無 事 。 但 し 寛 一、 杉 山 よ り は返 電 来 ら ず 。
( 頼 に よ り)。
荒 木 と 会 見 を 断 る。 夕 八 時 半 代 々木 真 崎 大 将 を 訪 問 懇 談 す 。 遠 藤 も来訪中。
牛込分会長中野才幸 ( 軍 医 中 佐) 外 二 名 来 り 山鹿 素 行 一五 〇年 祭
三菱、海軍、寄附 ( 学 生 用) 二 千 円 、 千 円 極 る 。
七月十日 水
仁 、 孝 外 学 生 に 渡 米 問 題 に て協 議 、午 後 外 務 、 文 部 等 主 務 に最 後
竹内来訪、陸軍人事重大事を報ず。
通 牒 を 送 る事 に 決 し 実行 効 果あ り 、先 方 より 委 員 を な だ む 。
七月六日 土 曇 雨 ︹ 欠︺ 外 務 調 査 部 第 三課 長 心 得 一書 ︹ 記︺官 宮 川 船 夫 来 訪 、〓 氏慰労
早 朝 千 坂 を 尋 ね 日米 学 生 会 之 為 め 大 倉 之 援 助 を 頼 む 。 千坂 直 に久
に講演を頼む、断り平泉を紹介す。 ︹ 長︺ ︹ 欄外︺ 永嶺 夫 人来 訪 。
会、来十五日。
米 馬 氏 を 訪 ひ更 に ︹ 大倉︺喜 七 郎 氏 ︹ 大倉組頭取︺を 訪 ふ 。 学 生 一行
京 都 に 見 舞 品 を 三 越 より 送 ら し む 。
岡 野 大 佐 来 訪 、 対 支 方策 を 懇話 す 。
安井母堂中元に帰る。
七月七日 日
十時千坂 来訪 ( 心 切 な り )。 喜 七 郎 邸 に趣 く 。 千 坂 三 度 来 り 、 喜
浜中君来り蝦を贈らる ( 豊 田 来 訪 す)。
千代墓参。
身 体 検 査 、 横 浜 へ。
半晴
防 空 演 習 、 雨 中 大 活 動 、 西 宮 辺 大 出水 。
午 後 豊 田 久 二 来 り 精 神 的 国 防 に就 而語 る 。
小 雨 時 々晴 夕 星 夜
午 後 八 時 真 崎 大 将 来 る 。 陸 軍参 議 官 会 に於 て荒 木 大 将 の十 月 事 件
真崎大将来り軍参入を報じ意見を交換す。苦衷を述ぶ。
七 郎 の承 諾 千 円 を 報 。
晴
に付痛烈に攻撃ありと云ふ。 七月八日 月
竹 内 賀 久 治 、 品 川 主 計 、新 潟海 軍班 代 理 、小 沢 中 佐 班 旗 書 札 、 近
七月九日 火
景 岳 会 を 自 宅 に 開 く 。 永 井 、 今 立 、 芦 田 、福 田 、村 田、 志 賀 。
竹内夜間に来る。
井 上 其 他 の学 生 を 戒 む 。
仁 、 大 倉 よ り 寄 附 を 学 生 会 の為 め受 取 る 。
晴
七月十 一日 木
︹ 欄外︺ 仁、 対 外 放 送 。
富美栄母子来る、愛らし。
松下 ( 内 大 臣 交 迭 を 報 ず )。 池 辺 主 計 中 将 、 上 田 仙 太 郎 、 竹 内 賀
千代と幸鮨に行く。
隣家丹羽 ︹ 七郎︺内 務 次官 を 吊訪 す 、 軍 服 。
久治。
藤房吉来、釜屋六郎 ︹ 中将、予備、日本遠海漁業取締役︺ の事 を 尋 ぬ、 非
七月十 二日 金
︹マ マ ︺
仁 の学 生 紛 擾 、 落 伍 者 の 反 対 運動 、井 上寄 附 金 出 資 を し ぶ る。
とす。
曇
仁 を 中 野 区 新 山 町 関 根大 佐 宅 に派 す 。 学 生 間 右 傾 派 の問 題 也 。
渡 辺 主 計 中 将 、 竹 内 賀 久 治 、 松 下権 八 、 上 田 仙太 郎 来 訪 。
曇 千 代 、 丹 羽 家 を 吊 ひ 神前 に供 菓 す 。
陸 軍 大 混 乱 。 内 大 臣 交 代 の予 報 松 下 齎 ら す 。
千代 、 大 倉 久 米 馬 、 彦 一郎 、 千 坂 を 訪 問 す 。
新 聞 真 崎 攻 撃 の陸 軍宣 伝 を 為 す 。
橋 中 一郎 、 真 崎 問 題 を 注 意 す 。
曇
七月十 六日 火
七月十 三日 土
川久 保 健 、 防 空 論 に来 り 書 を 頼 む 。
七月十 七日 水
信 、波 多 野中 将、 江 藤 源 九 郎 ( 真 崎 問 題 )。
然たりと云
政友 代 議 士 宮 沢 某 ︹ 裕カ︺美 濃 部 問 題 に 付 来 訪 、 要 を 得 た り 。 牧 通
三長 官 会 議 の内 情 陳 情 。
下郷 伝 平 ︹ 仁寿生命保険社長︺氏 来 り 懇 談 す 。
︹ 欄外︺ 水 高学 生 予 の話 を聞 く 。晩 餐 。
︹マ マ ︺
水 交 社 に て渡 米 学 生 を 招 む 。
真 崎 大 将 、 尼 野 、 竹 内 、 飛 島 繁 失 婦 、 謝 介 石 大使 、 孫 、 錯 、来 訪 。
小 山 田繁 葬 儀 に及 後 会 代 表 す 。
夕 、 孝 、 孝 一、 正 秋 。
小雨
仁 、 下 郷 を 訪 問 、 餞 別 三 百 円 を受 く 。
松 下権 八来 る。
大将会、山本英輔氏来訪すと。行違ひ。
千 代 、 五郎 を 伴 ひ 天 平 に 行 く 。
曇
ラ ンド ﹂ ?
仁 米 国 に向 け 発 、 ﹁プ レジ デ ント マ ツキ ンレ ー﹂、 帰路 ﹁ク リ ー ブ
白木屋、景岳会。 七月十四日 日
ふ。
陸 軍 々参 会 議 荒 木 悲 壮 な る 警 告 を 与 ふ 。 林 シ ヤ ー 〓
半晴
早 朝 千 坂 を 訪 ひ 先 日 の礼 。 理 髪 。 山県 ︹ 正郷︺大 佐 ︹ 横須賀鎮守府付︺、 品 川主 計来 る 。
八 ・三 〇 殿 下 に 拝 謁 、 陸 軍 問 題を 申 上ぐ 。
内 容 大 な る 禍 根 を残 す 。 閑 院様 の御 自 重 之 件 。
七月十五日 月
遠 藤 友 四郎 ( 夜 七 時) 来 る 。
真 崎 大 将 来 訪 。 昨 日 の軍参 会議 詳 報 せ ら る 。
殿 下 葉 山 へ趣 か る 。
横須賀卒業式に行く。
松下に書を与ふ。
時に細雨あり
︹ 欄外︺ 品 川主 計 殿 下、 大 臣 に満 洲 の秘 情 を 申 上 ぐ 。
斎 藤 福 井 市 長 、 加藤 孝 一来 る 。
平泉澄博士来訪、陸軍問題を尋ぬ。
七月十 八日 木
陸 軍 三 長 官会 議 大波 瀾 、林 陸 相 規 定 を 破 り 総 監 交 代 を 断 行 す 、 物
五 ・〇〇 浦 部 夫 婦東 京 駅 発 。富 美 栄 は奉 天 へ。
晴
情 騒然 。
真崎大将重要書を届く。
上 田仙 太 郎氏 慰 労 、 紅 葉 館 。
七月十九日 金
曇 強 震
別 室 に て清 遊 、 ti p二 〇を 与 ふ。
暑中 奉 伺 、 宮 中 並 各 宮 。
山谷と語 る ( 電 話 )、 国 民 之 記 事 を 告 ぐ 。
浜 中来 る。
竹内賀久治、牧来る ( 牧 に ﹁シ ガ ー﹂ を 与 ふ)。
本 日 頭痛 あ り 、暑 熱 之 為 か。
五味 の使 、 書 を 促 す ( 断 る)。
下郷 家 訪 問 す ( 千 代 と )。
陸軍問題愈悪化す。
七月 二十 四日 水
午後より冷風
安保 三女 腹 膜 に て危 篤 に付 見 舞 。 流 汗 に苦 む 。
千代 、 下 郷夫 人を 見 送 る為 東 京 駅 え 。
暑気
鹿島灘強震あり。
頭痛 に 不快 を 覚 ゆ。
︹マ マ︺
杉山茂丸長逝す。 七月 二十日 土
夕 、 小 笠 原 来 訪 、 陸 軍 問 題を 語 る。
雨
浜中 、 竹 内 、 武 藤 夫 人 、 加 藤 祐 雄 。 午 後 竹 内 再 度 来 る 。
仝 氏 よ り 鰻 十 数 尾 を 送 ら る 。小 笠 原清 明 に与 ふ。 七月二十五日 木
広瀬 太 次 郎 より ﹁メ ロン﹂ 二個 。
南 郷 次 郎少 将 来 る 。 午後 麻 布 一本 松 賢 崇 寺 に て松 村 純 一百 ケ 日祭
午後杉山茂丸邸吊問。
町 田少 将弟 に揮 毫 を 渡 す 。
み さ ほ 着 京 。 孝 治 伊 勢湾 に て艦 隊 に乗 艦 。
に列す。
曇 珍 しく 冷 気
有 明神 社 御 分 霊記 念 塔 表 記 す 。 七月二十 一日 日
晴 夏 来 る
長谷 川次 官 、真 崎 勝 次 、 品 川主 計 。
七月二十 二日 月
実、功を訪ふ。
夕、みさを来る。夕食を倶にす。
実 に 霞 ケ 関 離 宮 に 朝 香 、 久 邇 、 伏 見若 宮 殿 下 の御 招 宴 に参 ず 。
︹マ マ ︺
午前 八 ・三 〇 練 習艦 隊 入港 に付 千 代 、 五郎 、 横 須 賀 へ。 春 造 の為
日 々、 真 崎 の心 境 と 題 し 一文 を 草 す 。
晴 但 し涼
千 坂 に 田 中 隆 成 子息 兵 校 体 格試 験 に付 注意 す 。
七月 二十六日 金
午前 六 時真 崎 大 将と 電話 す 。 静 観 を 勧 む 。 ︹ 会︺ 千 代 海 晏寺 に寛 の法 回を 行 ふ (五 円)。
め 、 村 田 一同 出掛 く 。 両 人無 事 頗 る剛 健 、 実 は神 戸 艤 装 員 と な る 。
七月 二十七日 土
晴
午 後 杉 山 茂 丸 葬儀 委 員と し て立 会 ふ。
晴 涼
陸軍大異動発表。
ビ タ ミ ン欠 乏 。
十 時 護 国 寺 にて 武 藤 元 帥 三 周 年 法 要 。 正 午 ﹁言 問 ひ﹂ 弘福 寺 隅 田
一七 〇 、 一六 五
午前 八時紀 尾井町 に参殿、武官 に書類 を。次 に軍医学校 に体験 晴 大 暑来 る
実 上 機 嫌 、 村 田 に 行 く。 七月 二十三日 火
竹 内 に 電 話 、 静 観 を 注意 す 。
佐 々 木革 次 ︹ 大佐、予備、中島飛行機取締役︺来 訪 、 菓 物 を 贈 る 。
備︺と仝 車帰 る 。
茶 寮 に招 か れ精 進 料 理、 風味 大 に 宜 し 。 大 野 ︹ 豊四、陸軍︺中 将 ︹ 予
午後揮毫。
午 前 宮 城 に 御 礼 記 帳 後 海 相 に 挨 拶 。 武 藤夫 人来 る。
七月 三十 一日 水
酷暑
下 郷 よ り 新 聞 と 通 信を 送 り来 る。
に 理 想 の御 人 相 也 。
立 雄 、 千 代 と東 劇 に 雪 之 丞 を 見 る。 ︹ 欠︺ 左 内 先 生 の真 肖 像 、島 □ 黙 雷 氏 筆 の も の発 見 、福 田 より 届 く 。 真
︹ 欄外︺孝 治 □ □ に て不参 。
実帰艦す。
︹ 欄外︺海 相 に意 中 を 告 げ 随 時 離 役 差 支 な き 旨 申 出 ず 。
郎 少 将 に就 而也 。 軽 午 餐 を 倶 にす 。
末 次 大 将 の来 訪 を 乞 ひ胸 中 を 語 る。 主 と し て予 の身 上 と 小 林 省 三
総 長 殿 下 軽 井 沢 へ。
に 夕 立 雄 と 共 に 招 か る 。清 涼 大 に快 。
午 前 下 郷 伝 平 氏 来 訪 、 予 を慰 安 す。 夕 、星 ケ岡 納 涼 園を 約 す 。 右
八月 一日 木
海 相 曰 、 当 分 大 臣 に 任 さ れ た しと 。
殿 下 伊勢 湾 へ。 実 仝 じ く 出 発 。
晴 涼
荒木 、真 崎 、 川島 外 中 少 将 大 佐 多 し 。
田 中 隆 成 弟 隆 尚 の 兵校 体 験 に 付 矢 可部 ︹ 軍司︺軍 医 中 佐 ︹ 軍医学校監
八月 二日 金
七月二十 八日 日
事︺に頼 む。 千 坂 の親 友 の弟 な り 。
午 前 坂 井 一意来 る 。午 立 雄 、 千 代 と 幸 鮨 に、 夫 れ よ り 相 互 ビ ル の
海 軍 コク テ ー ル に行 く 。夕 、 立 雄 仁 寿 に て講 談 。
晴 風あ り 稍 涼 夕 雷 雨
晴 盛 暑
新 谷 夫 婦 来 る、 端 渓 硯 を 贈 る。
村 中 中尉
( 隆) 及主 計 パ ン フレ ツト 問 題 に て免 官 。
七月 二十九 日 月
晴 涼 風
田中 隆 尚 体 験 に及 第 、 矢 可 部 に 謝 す 。
八月三日 土
念 を罵る ( 期 待 に 反 せ し為 な ら ん)。 山 悌 意 想 外 に具 体 的 と 喜 ぶ 。
午後 雷雨
理髪 。午 後 安 静 。
政 府 国 体 明徴 機 関 ︹ 説︺排 撃 之 重 大 声 明 を 発 す 。 東 朝 政 府 の無 信
七月 三十日 火
孝 来 る。 新 谷 富 美 子来 る、 立 雄 三島 に行 く 。
暑 近 来 の大 暑 也
杉 山 に実 よ り 杖 を 贈 る。 五郎 持 参 す 。
早 朝 竹 内 賀 久 治 来 る、 陸 を 見 放 す ( 仝 感 )。
八月 四日 日
半 晴 涼
下 に ﹁四 ケ浦 う に﹂ 献 上 雲 丹 に就 て也 。
︹マ マ︺
村 田立 雄 満 洲 よ り 来 着 。
安 保 二女 福 代 告 別 式 に行 く 。 ︹ 町︺ ︹ 欄外︺ 中 根 より 紀 尾 井 長殿 下 の御 署 名 を 特 電 話 す 。 大 妃 殿
伏 見 総 長 宮 殿 下 菊 花 章 頸 飾 御 拝 授 に 付 祝 詞 言 上 に参 ず 。 予 に昭 和 六 年 九 年 之 功 に 依 り 金 盃 一個 を 賜 。 午後景岳幹事会、福田、芦田、村田。
明治神宮参拝、機関説排撃に関する政明声明を御報告す。
午 前 千 坂 を 尋 ね シ エリ ー 半 打 を 贈 り 、 彦 一郎 に も 分 送 を 頼 む 。
葉 山 に伺 候 。 天機 奉 伺 。
八月九日 金
副官 来 る 。孝 来 る。 涼 風 大 に清 し。
揮毫
( 忘 水 流 の為 )。
牧 来 り 予 の在 京 に敬 意 を 表 す 。
松 下権 八来 る。 八月十 日 土
︹マ マ ︺
斎藤 ︹ 実︺子 シ イ メ ン ス事 件 之 弁 明 を 為 し 醜 事 件 之 記 憶 を 新 に す 。
シ ヤ ト ル に 又 々 不敬 事 件 起 る。
晴
問 に 不 落 落 語 と は此 事 也 。 八月 五日 月
細雨
八 ・五 〇 A立 雄 帰 満 、 千 代 と 志 賀 子 、 予 三 人 見 送 る 。
松 下 権 八 、 田 中 隆 成 、 大 川内 、吉 村 幹 三 郎 ︹ 元海軍法務官、製糸業︺ 、
聯 合 艦隊 横 須賀 入港 。
曇 冷
正午 武 藤 夫 人 来 り 拳 銃 之 届 を 頼 む 。 金 鵄 功 一級 賜 金 参 千 円 之 内 千
福 田 父 子 、 大 阪 市 大 山 区 泉 尾 町 竹 の 町 一の 二 五 成 瀬 一郎 よ り の
八月十 一日 日
﹁オ コシ﹂ を齎 らす 。 書 の礼 也 。 田中 より 写 真 を 贈 る。
円を 瑞 典 政 子 に与 へ残 を 孝 治 預 金 と す る こ と に 孝 治 之 仝 意 を 得 た
森 山 達 枝 来 る。 石原 純 因 来 る 。
山 崎貞 直 来 訪。
りと告ぐ。
五郎 と 帝 都 座 に行 く 。 昨 四 日内 藤 九 市 死 去 に 付 徳 山 に 花 を 供 ふ 、
福 田息 に 景岳 会 小史 題名 を 与 ふ 。
曇 小 雨
電共 。 八月 六日 火
関 西 三度 大 洪水 。
台 湾 より 元 海 軍 下士 来 り 盆 を 贈 る。 好 々爺 也 。
曇 午 後 よ り 暑 気 加 は る
中村 亀 三郎 少 将 来 訪 。
総 長宮 昨 日午 後 より 軽 井 沢 へ。 終 日揮 毫 。
務局長︺に挨 拶 に 趣き 局 長室 に て永 田を 刺 す 。 生 命 危 篤 。
午 前八時陸中佐 ( 歩 兵 ) 相 沢 某 外 二名 、 永 田 ︹ 鉄山、陸軍︺少 将 ︹ 軍
曇
八月 七日 水
理 髪 。本 多 、時 枝 両生 徒 来 る。
八月十 二日 月
五郎 蒲 郡 友 人宅 に行 く 。
満 洲 よ り 帰 来 の東 夫 婦 来 る。
晴 予期 に反 し 涼
菱 刈 大将 挨 拶 に来 訪 。
小 笠 原 来訪 、今 朝 の永 田事 件 に付 相 談 す 。
五郎 と帝 国館 へ。
終 日涼 気 。
陸 問 題 に付 午後 五時 官 邸 に て海 相 と 懇 談 す 。
直 麿 休 養 に来 る。 遠 藤 直 子 来 る。
八月十 三日 火
曇 小 雨 冷 涼
八月 八日 木
晴 涼 み さを 来 り 午 後 ま で遊 ぶ。
午 前 浜中 来 る。
松 下権 八九 条 公 の言 を 伝 ふ。 大 宮 御 所 之 御 注 意 に て君 側 策 謀 ( 対
荒 木大 将 之来 訪 を 乞 ひ 陸 軍問 題 懇 談 す 。 妙 案 な し 。
雨 稍く 止 み青 空 時 に見 ゆ。
豊 田久 次 、坂 井 生徒 外 一期 生 徒 来 訪 。
林 御沙 汰 ) 空 し かり し件 。
園 顕雄 書 之 礼 に来 る。 四□ □ 也 。 石 原 純 因 に書 を 贈 り し に墨 場 必 携 を 贈 返 す 。
午 後 永 田鉄 山 宅 弔訪 。
小 笠原より電話 ( 紀 尾 井 町 へ進 言 之 件 )、 早 朝 よ り 4F へ御 出張 に
村 田寿 太 郎 妻 娘 来 る。
犬塚 ︹ 惟重︺大 佐 (軍令 部 ) 来 る。 陸 軍情 報 に就 而 也 。
雨
八月十 四日 水
付 未 済 之 旨 答 ふ。
谷 中朝 倉 邸 に招 か る。 快 也 し ( 天 王 寺 町 二 〇)。
︹ 欄外︺ 林 の上 奏 結 了 を 待 た ず 御 退 出 と 伝 ふ 。 林 に 御 督 励 の
独座幽篁裏弾琴復永嘯。 午 前 松 下権 八来 り 、 九 条 公 之 件 報 告 。 予 に 自 重 を 請 ふ 。
と 答 ふ。 高 橋 長 官 来 る。 午 餐 を 倶 に す 。
小林 省 三郎 少 将 之 来 訪 を 求 め陸 軍 問 題 其 他 懇 談 す 。 豊 田 来 る 。 小
日米 水 泳 第 二 日 。
八月十 八日 日
岡 田 は議 会 開会 中天 皇 機 関 問 題 之 答 弁 に 付 日 々平 沼 の意 見 を 求 め 、
ふ 。之 と 二長 官 談 話 曝 露 之 件 が 真 崎 に不 利 也 。
を 中止 す る代 り に、 林 の人 事 案 を 認 む べし と 云 ふ た 事 を 失 策 と 伝
初 め て雨 晴 れ天 日朗 也
中 根 事 務 官 よ り 電 話 、 何 か 之 事 を 中 根 を 経 て 軽 井 沢 へと 殿 下 の御
御 沙 汰 あ る筈 な り しと 。
言葉を拝受。
竹 内 来 り 真 崎 と 会 見 を 勧 めし も 当 分 不 可 と 答 ふ 。 要 は 弟 を 通 し て
小 笠 原来 り 密 談 。
林 と共 に新 宿 へ行 く 。 小 林 は楽 観 す 。 其 内 真 崎 が 林 と 自 分 之 交 代
八月十 五日 木
牧 野を 仝 意 せ し め て西 園 寺 に相 談 せ し に 西 園 寺 の反 対 に て破 れ た
︹ 欄外︺ 小 笠 原 東 郷 元 帥愛 用 の小 杖 を 贈 る 。
永 田告 別 式 に行 く 。
雨
真 崎 勝 次 来 る。 注 意 を 与 ふ ( 余 り に 紀 尾 井 町 に御 縋 りす る事 を )。
曇
今 立裕 、大 谷 登 ︹ 日本郵船社長︺よ り ﹁メ ロ ン﹂ 二個 来 る 。
八月十 九日 月
り と 。 之 は平 沼 を 一木 病 気 の際 枢 府 議 長 と 為 さ ん と せ し 交 渉 也 。
読 売 記 者 内 田来 り 陸 軍内 情 を 説 く 。
雨
シ ヤ ト ルよ り 大 北 日報 来 る。 竹 内 こ と よ り 来 信あ り 。
町 田少 将 来 る。
八月十六日 金
池 崎 忠 孝 来 る。 真 崎 少 将 某 憲 兵 の言 と し て 急 を告 ぐ 。
は之 始 め て也 。
日米 水 泳 日本 大 勝 す 。 幸 先 良 し 。 予 ラジ オ を 聴 取 す る に 熱 あ り し 曇
新 島 少 佐 勲 章 の礼 に 来 る 。 八月十七日 土
岡 本 末 子 横 死 の告 別 式 に吉 祥 寺 に 行 く 。 帰 途 朝 倉 を 訪 ひ 大 谷 登 よ
荒木 、林 に招 か れ 三時 間 も 痛 論 す 。
竹下 ︹ 勇︺大 将 ︹ 予備︺渡 米 。
︹ 欄外︺ 午 前 八 時 大 鶴 一羽 西 南 よ り 飛 来 し 、 吾 が 屋 上 を 通 過
り の ﹁メ ロ ン﹂ を 贈 り 刑 部 之 事 を 約 す 。 浦 部 来 り 一泊 す 。
竹内来り、例之如く焦る。
木 大 将 に紹 介 せ し に 帰 り 報 ず 。 陸 秘 報 に 就 而也 。
孝 治 来 る。 昼 食 を 仝 ふ し 快 談 親 し 、 千 代 大 に喜 ぶ 。犬 塚 大佐 を 荒
八月 二十日 火
八月 二十 四日 土
陸 軍 々参 会 議 永 田 問 題 を 議 す 。
荒 木 大 将 を 訪 問 、 二時 間 余 語 る 。 然 る に 荒 木 之 期 待 芳 し か ら ず 。
遠 藤 より 屡 電 話 あ り 。 午 後 橋 中 一郎 来 る 。
午 前 九 時 、 松 岡 満 鉄 総 裁 を 送 る 。 東 京 駅 に 集 る も の無 慮 千 以 上 。
八月 二十 三日 金
晴 天 暑
し 一声 高 く 予 を し て仰 視 せ し む 。 鶴 東 北 に 向 つ て飛 去 る 。
友 重 某 の福 井 県 の書 を 頼 む 。
理髪。
快 晴 暑 気 戻 る
孝治武藤帰宅。
横田 ( 小 笠 原) パ パ イ アを 持 来 る 。
午 後 軍参 会議 、 予 陸 軍 問 題 に付 深 憂 を 述 ぶ。
島 田 黙 仙 氏左 内 先 生 の画像 を 持 参 、相 談 せ ら る。 福 田仝 席 。
松 岡 総 裁 来 訪 。 北支 問 題 、 日 米 必戦 を強 調 す 。
八月 二十 一日 水
八月 二十五日 日
殿下軽井沢より御帰京。
真崎勝次来り大に非観を述ぶ。
舛 岡 軍 医 大 尉 相 撲 道 の題 字 の礼 に 来 る 。
千坂より ( 玉 不 琢 不 成 器)。 隣 人 近 藤 一日 予 の宅 に 来 る べし と 。
晴 大 暑
下 郷 夫 婦 、 武 藤 三 人 、 千 代 と 星 ケ 岡 納涼 園 に夕 食 す 。 涼 味 深 し。
不 二越 井 村社 長 より 鮎 十尾 贈 来 る。
坂 井 一意 来 り 南 郷 を 非 難 し 、 小林 省 の庇 護 を 予 に乞 ふ。
晴 暑
軍 縮 問 題 に付 英 の ﹁さ ぐり ﹂ に付 回 答 、 日本 の態 度 予 備 会 議 の通
午 後 二 時 殿 下 の思 召 に 依り 態 々 予 の報 告 を 聴 取 遊 ば さ る。 近 状 詳
々秘 の 御 話 を 承 はり 終 に最 後 の場 合 の御 決 心 を 承 はり 今 は其 機 来
国 策 に 関 し御 前 会議 を 開く べく 岡 田首 相 に御 内 命 あ る筈 云 々、 極
曇 大 □ 暑
︹マ マ ︺
り 不変 也 と 閣議 決定 、 岡 田逗 子 に高 橋 蔵 相 を 訪 ひ仝 意 を 得 上 奏 に
述。
︹ 欄外︺軍 縮 態 度 不 変 の閣 議 決 定 、 英 政府 に 通 牒す 。
決す。
曇 暑 気
ら ず と の仰を 拝 す。
八月二十 二日 木 大吉 日 (暦)。
本 日御 歓 待 を 辱 ふす 。 御 奥 は始 てな り 。
︹ 欄外︺ 殿 下 に 陸 軍 内 情 を 言 上 す 。
竹 居光 積 来 り 、 村 上 勇 士 (日本 人 此 こに 在 り の) の表 彰 不 徹 底 な り と て相 談 に来 る。 斎 藤 子 の教 化 団 体 に 依 る べく 忠 告 す 。
寺 辺 に書 を 送 る ( 伊 勢 津 )。
午 前 小 笠 原電 話 に て特 報 に付 断 を 云 ふ。 警 視 庁 の捏 造 也 と 。
晴 大 暑
八月 二十六日 月
八月三十 一日 土
雨
〇 、 一八 五 に昂 進 す 。
午 前 十 一時 半 軍医 学 校 に て眼 と 血 圧 診 察 。 眼 は 良 好 、 血 圧 は 一九
午 前 小 笠 原 子爵 と ( 来 訪 ) 懇 談 。 三長 官 問 題 前 後 中 紀 尾 井 町 の御
八月二十 七日 火
出 品 目 録 を 点 検 し午 後 七時 に 及 ぶ 。 予 は 早 々離 去 。
景 岳 会 展 覧 会 々合 、白 木 屋 。
の為 な り し 。
宮沢 ︹ 裕︺代 議 士 ︹ 政友会︺より 面会 を 求 め ら れ断 る。 之 は 揮 毫 依 頼
真 崎少 将 、犬 塚 大佐 来 る。
態 度 に感 激 し 小 笠 原 に自 重 を 乞 ふ。
エチ オピ ア東 半 部 の鉱 山 油 田 採掘 権 を英 米 シ ン ヂ ケ ー ト に譲 渡 す
驟 雨あ り
遠 藤友 四 郎来 る 。大 雨 に付 自 働 車 に て帰 へす 。
と の電 報 大 セ ンセ ー シ ョ ンを 起 す 。
陸 軍師 団 長を 集 め訓 示 す 、 平 凡 。
天 皇機 関 説排 斥 の為 全 軍在 郷 軍人 会 九 段 に て行 は る。 大 角 、 永 野
降 雨 涼 冷
九月 一日 日
列 す 。 陸 は 軍参 全部 也 。 予 は 不参 す 。
大 震 災 記 念 日 湿 め や か に 追 懐 す 。 予 は当 時 二 F C と し て裏 長山 列
半 晴 蒸 暑甚 し
八月 二十八日 水
福 井 図 書 館 長 に書 信 す 。
一日訪 問 者 も な し 。 静 寂 稀 有 之事 也 。
島に在り。
林 陸 相 辞 職 説 伝 は る 。後 任 植 田 ︹ 謙吉、陸軍大将、朝鮮軍司令官︺か 川 島 ︹ 義之、陸軍大将、軍事参議官︺か と 云 ふ 。
九月二日 月
千 坂 中 将 来 り 小 林 の事 を 頼 む 。 又 陸 軍 の情 報 を 尋 ね しを 以 て極 秘 に告ぐ。
颱 風 襲 来 、 太 平 洋 に 逸 走 す 。 大 雨 深 川方 面 浸水 。 雨 戸 開 け ら れず 。
八月 二十九日 木
裕 及 千 葉 来 る。
歯科学校始む。
九月 三日 火
冷気増す。下郷妙子京都に帰る。千代見送る。
又雨
予は少しく酩酊し居れり ( 愧 づ)。
揮 毫 に 一日を 暮 す 。 夕 方 晴 。
下郷 より 、 展 覧 会 々場 万 端 之 設 備 、 出 品 の運 搬 等 総 て 白 木 屋 に て
曇但雨止む
武 蔵 野 館 に空 画 を 見 る 。
負 担 す 、 回 向 院 之 方 は供 物 丈 。
颱 風 大 雨
東海道不通。
曇 雨
陸相 交 迭 川 島 代 る。 予期 の如 し 。 先 づ 可 な ら ん 。
︹マ マ︺
小 笠 原 に書 信 す 。
半 晴 曇 暑 し
九月四日 水
八月 三十日 金
松 下権 八来 る。
歯科。
午 後 景 岳 会 、 永 井 、 芦 田、 福 田、 今 立 集 る 。
午 前 八時 仁 ク リ ーブ ラ ンド 号 に て無 事 帰 朝 、 各 新 聞 成 功 を 報 ず 。
歯科休 。
九月九日 月
晴 大 暑
コー ヒ。
藤森 ︹ 清 一朗︺大 佐 ︹ 磐手艦長︺南 洋 統 治 群 島 視 察 談 に 来 る 。
床 次 邸 に行 く 。
九月 五日 木
柴 田徳 二郎 ︹ 国士館長︺来 り 徳 富 の言 を 伝 ふ 。
︹ 欄外︺ 陸相 交 代 。
橋 中 某 来 る。 川 島 就 任 の喜 也 。
赤 字 に 驚 く 勿 れ 、 対 支 工 作 の要 、 軍 の協 同 。
曇 霧
山下亀 ︹ 亀三郎、山下汽船社長︺欧 洲 の 形勢 に付 相 談 し来 る。 京 城 岩 佐 の紹 介 に て 小 石 川 区雑 司 ケ 谷 町 一 一〇 小 谷 泰 一 ( 写真
九月十日 火
午 前 歯科 第 四 回 。
九月六日 金
放送材料を認む。
御命日 ( 母 上) な れ ど も御 詫 す 。 雨 の為 申 訳な し 。
歯科行。
曇 暑 風 あ り 小 雨
館)、 岩 佐 重 一養 子 の兄 、 父 と 共 に 来 り 、 東 郷 神 社 写真 部 の周 旋
午 前 十 一時 半 陸 相 官 邸 に 答 礼 す 。
︹ 欄 外︺夕 川島 陸 相 来 訪 。
を乞ふ。
午 後 出省 、 殿 下 に 陸 軍 問 題御 礼 言上 。
仁 の為 松 森 と 大 倉彦 に 礼訪 す 。
半晴 暑気
殿 下 御満 足 御機 嫌 大 に宜 し。
九月十 一日 水
正 午 よ り床 次 葬 儀 に参 列す 。
曇
夕 山 下 に招 か れ て 山 口 に酌 む 。 令 息 仝 席 す 。
歯 科休 。
九月 七日 土
竹内 来 り林 辞 職 之 迅 き に驚 く 。 言 を 慎 重 にせ よ と 戒 め お く 。 放 送 原稿 。
晴 暑 大
三 部 長 に 浜 中之 事 を 頼 む 。
︹マ マ ︺
歯 科 第 五 回。
仁 を 千 坂 に遣 はす 。
牧 来 る、 九 条 公 の御 信 頼 予 に在 り と 報 ず 。 八 角 日 々来 る 。
孝 に先 考 之 御 歌 を 母 上 の孝 に 与 へら れ し 短 刀 に書 す 。
九月十 二日 木
九月 八日 日
歯 科 野 尻 先 生 終 る。
広 場 務 之 軸 物 を 返 却 す べく 英 彦 に 命 ず 。
曇 明 月 見 え ず
父 上 御 永 眠 数 日前 不 二麿 へと 題 し 読 ま れ た る も の 千 代保 管 す。
午 前 本 願 寺 に千 代 と 行 く 。
小笠原を訪問。
晴 大 暑
床 次 逓 相 逝 去 、 午 前 六 時 。 依 て 西 大 久 保 に 弔 問す 。
放 送 原 稿 成 る。
望月 ︹ 圭介︺逓 相 と な る 。 祝 詞 を 送 る 。
海 軍協 会 支 部 発 会 式 、 日比 谷 公 会 堂 。 ︹ 阿︺ 日 々講 堂 に て 謝 介 石 、 安部 賢 一 ︹ 東京日日新聞社編輯局副主筆︺の 講 演 、
黄 海 々戦 記 念 日、 水 交 社 。 高 松 宮 御 台 臨 。
仁 義 と は 日満 親 善 之 事 、 仁 は 日本 、 義 は 満 洲 、 孟 子 の 一国 内 之 仁
下郷 仁 寿 之 為 揮 毫 。
義 、今 は 日満 の仁 義 な り 。
九月十 八日 水
曇 小 雨
水 交社 山 内 万 寿 治 追 悼 会 に行 く 。
九月十 三日 金
九月十 四日 土
松 下権 八 、 五郎 之為 心 配を 為 し某 博 士 に紹 介 せ んと 云 ひ に来 る 。
東 京 会 館 東 亜調 査 会 晩 餐 、 謝 介 石 を 招 く 。
白 木 屋会 、 平 泉 、 矢 板 来 る。 珍 し く 多 し 。 最 終 会 と し 、 展 覧会 を
景 岳会 小 史 ﹁供 天覧 ﹂ 之物 届く 。
仁 寿 之 揮 毫 五十 枚 を 了 る。 森 清 人 詫 に 来 る 。
十 月 一日 より 仝 十 三 日と 改 む 。 英 彦 優 柔 不 断 。
九月十九日 木
浜 中 来 る。 読 売 内 田来 る。
午 後 四 ・三 〇 より 川上 俊 彦 葬 儀 、 告 別 式 。
古 市 千 穂 子 来 り 書を 乞 ふ 。
晴
曇 雨
会 場 監督 陸 軍将 校 某 を 頼 む こと 。
午 後 雨 豪 雨 あ り
笠 原 、矢 板 、 石 原 、大 石。
日米 学 生 男女 十 二名 来 る 。書 を与 ふ 。
武 藤 ﹁み さ を﹂ 著帯 祝 物を 贈 る 。
曇
千 坂 を 訪 問 、 仁 の為 礼 を 述 ぶ 。
九月十 五日 日
海 相 の暹 公使 招 待 会 に山 口に 行 く ( 美 声 、 八 重 三)。 大 角 、 長 谷
真 崎 大 将 、 豊 田 来 る。 小林 問 題成 と 報 ず 。 後 二 時 、 大 阪福 井 県 人 五 十名 渡 辺重 代 表 し来 訪 、 撮 影 す 。
歯科に行く。
川、矢田、田結、小島。
︹マ マ︺
満 洲 独 立 三 週年 に 付仝 公 館 に招 か る。 杉山来る。
︹ 欄 外︺ 午 後 二 時 宮 内 省 出 頭 、 宮 相 に会 ひ 献 上 の小 史 を 呈 す 。
豊 田 予 の問 題 に は 大角 、 小林 宗 苦 心 す と 語 る。
福 田仝 行 。
曇 小 雨 時 々
九月 二十日 金
九月十六日 月
功 夫 婦 始 て礼 に来 る ( 病 中 の)。
歯科。竹花第二回。松下権八来る。 午 後 景 岳 会 小 委 員 会 、 永 井 、 平 泉 、 芦 田 、橋 田、 山 田、 村 田、 白
半 晴 雨
杉 ( 白 木 屋)。 目 録 調 整 。 夕 五名 会 食 す 。 大体 眼鼻 付 く 。
千 代 古 市 を 訪 問 す 。 高 杉︱ 古 市 へ。
荒木彦弼主計少将 ︹ 艦政本部会計部長︺よ り 鮎 来 る 。 午後雨
武藤母子、増永兄嫁来り書を与ふ。 九月十七日 火
向山校長夫人 、駒城村長 ︹ 三沢金午︺と 農 学 校 長 を 伴 ひ書 之 礼 に 来
永 井 焦 慮 、 芦 田 を 説 得 、 展覧 会 の 用意 成 る 。
歯 科 竹 花 、 江 尻 両方 に か ゝる 。
九月 二十 一日 土
を知る。
今 立 裕 帰 京 、 今 夕 来 訪 。 林 前 陸相 、 葉山 に 於 て御 信任 を 失 ひ し件
ひ書 の礼 に 来 る 。
午 後 三 ・〇 〇 、 平 田 晋 策 、 砧 村 々 長 、 氷 川 神社 々 司某 他 三名 を 伴
福 田、 芦 田 、 村 田 、 白 木 屋 に 小 会 合 。
に就 而 也 。
る ( 校旗 )
九月 二十五日 水
白木屋白杉帰京す。
水 晶 風鈴 を贈 り 来 る 。
白 木 屋 に 交 付 、左 内 先 生 よ り村 田 へ軸 一。
雨 寒 冷
千 代墓 参 す。
金 比 羅 宮 、由 利 公幅 。
九月 二十 二日 日
蒲 ︹ 穆、陸軍︺中 将 ︹ 予備︺歓 迎会 、 品 川 と 同 乗 帰 る。
先 生 備忘 録断 行 。広 場 務 。
晴 蒸
永 井大 に努 力 す 。
豊 田久 二来 訪 、 種 々報 告 す 。
埼 玉県 下利 根 川洪 水 惨 害 大 也 。
終 日雨 に艱 む
武 藤 家 の紹 介 に て村 山 琢 一新 聞 蒐 冊 之 題 字 を 求 め 来 る 。
九月 二十 六日 水
品 川主 計 に秘 書 を 送 る。
午 前 坂 井 一意 来 る。
五郎 、 松 下 に案 内 せ ら れ て三 友 義 雄 博 士 を 訪 問 す 。 結 果 ?
九月 二十 三日 月
午 後 み さ ほ来 る。
晴 た れ ど も 蒸 暑 昨 日 に許 ら ず
︹マ マ ︺
七 五〇 颱 風 に 警 戒 、 幸 に 八 丈 島 南 方 を 通 過 。
竹 内 来 る 。 展 覧 会 の為 松 平 侯 爵 よ り 百 円、 横 山 彦 六 ︹ 陸軍中将、予
天皇 機 関説 之 為 法 相 窮 地 に陥 る。 内 閣 危 し 。
武藤能婦子来る。
備︺大 に働 く 。
霧 雨と な る。 湿 甚 し 。
副官来る。湯川と僧侶某 ( 今 小 路 了 園) 題字 を乞 ふ 。
本 日蒸 暑 甚 し 。
雨 稍 々小 降 と な る
美 濃 部 問 題 又 抬 頭 、 彼 の声 明 取 消 に依 る 。白 木 屋 に広 告 を す ゝむ 。
笠 原 に 白 木 屋 の出 品 監 督 を 電 話 す 。
七 五 の低 気 圧 に 四 艦 隊 惨澹 、 初 雪 、夕 霧 〓 部切 断 。
大 雨 七 五 ミ リ九 州 宮 崎 沖 に停 滞 し 九 州 大 に
九月 二十七日 金
荒 れる 東 京 午後 よ り 大 雨 車軸 を 流す 如 し。
九月 二十四日 火
秋 季 皇 霊 祭 、秋 分 に付 参 内 、 雨あ れ ど も 細 な り し 。
白 杉 に 山 田 秋甫 出品 。 先生 処 方 箋 を 渡 す 。
晴 参 内 前芦 田 、白 杉 来 る。 永 井 宅 に両 人 を 送 る。 日 々、 朝 日 へ広 告
十月二日 水
午後 白 木 屋 に 行 く 。 大成 功 と報 ず 。而 か も永 井 の急 性 に困 却 す 。
︹マ マ ︺
砧 村 氷 川 神 社 へ社 表 建 立 式 に 行 く 。
午 後 よ り白 木 屋 へ。 雨 天 な る も 可 也 の 入 場者 な り。 説 明 の 不 足を
福田幹事白木屋小者を馳走す。
雨
午 後 東 伏 見 宮 依 仁 親 王 殿 下 御 命 日 に付 召 さ る 。 旧 親 近 者 多 数 、 主 ︹マ マ︺
と し て武 官 也 。 仰 竹 会 を 設 創 す 。 注意す。
秋晴
十月 三日 木
九月 二十 八日 土
昨 午 後 4F大 惨 事 、 初 雪、 夕 霧 艦 首 切 断 さ る。
山 田 、村 田来 る。
前 九 時 岡 田首 相 白 木 屋 見 覧 。
殿 下御 直 拝 。
︹マ マ︺
浜 中 来 る。 4F 情報 、 大演 習 中止 、 特 別 演 習 の みと な る。
て松 平 子 爵 に寄 附 金 五 〇円 の礼 又 個 人 と し て約 束 の ﹁シ ガ ー ﹂ を
予 は出迎 ( 会 場 に て待 つ)、 以 後 大 臣 、 次官 を 海 軍省 を 訪 ふ 。 了
︹マ マ︺
白木 屋 陳 列 。 永 井 と 芦 田 と 小衝 突 、各 熱 心 の奔 り 也 。
送 る。
機関説問題又尻切れとなる。
午 後 横 須 賀 比叡 に伺 候 す 。 山 本 大 将 、 中 村 と 共 。
殿下武官より御見舞に返電来る。
十月 四日 金
横 須 賀合 同 葬儀 。
晴
九月 二十九日 日
る。
晴
景 岳 先 生 展 覧 会 永 井 と 芦 田 の主 張 扞 格 調 和 之為 午後 白 木 屋 に 詰切
松下、三友博士来る。
く 。 快 諾 。 大角 海 相 大 に 安心 せ る も の の如 し 。
午 後 海 相 よ り年 令 満 限 に 付 十 一月 二 日 退役 之 儀 官 邸 に て告 知 を 受
三 ・三 〇 紀 尾 井 町 よ り 御 召 し 。
晴
御言葉に先ち以上言上。殿下より慰諭之御言葉あり。
九月 三十日 月
山 本 大 将 来 訪 。 4F の惨 状 詳 報 を 聞 く 。
白木屋陳列準備稍く成り午後三時御修祓を為す。
来 客 多 し。
町 田 少 将 来 る 。 若 者 の軽 挙 を 静 む べく 依 頼 す 。
後 六時 か ら 霞 ケ関 の海 相 官 邸 に開 か れ た 、 伏 見 軍 令 部 総 長 宮 殿 下
加 藤 寛 治 氏 の慰 労 と 送 別 を 兼 ね た 海 軍 大 臣 主 催 の晩 餐 会 が 四日 午
五十 四年 の海 軍 生 活 を 終 へて勇 退 し た 海 軍 大 将
加藤大将送別宴
︹ 新 聞切抜貼付︺
日 々伊 藤 社 会 部長 来 、白 木 屋。 松平 侯 爵 に礼 訪す (一〇 〇 円寄 贈 之 礼 也 )。 晴
横 須 賀 被害 艦 船病 院 見舞 に 行く 。
足柄 、 鳳 翔 、 龍驤 、 陸 月 、瓏 。
十月 一日 火
白 木 屋 発会 、 徳富 蘇 峯 に懇 請 、来 覧 せ し む。
中 村 各 軍 事 参 議 官 、 末 次 横 鎭 長 官 、 長 谷 川 、 堀 田 両次 官 、 加 藤 軍
を 始 め 奉 り 当 の加 藤 大 将 、 大 角 海 相 、 山 本 、 小 林 、 野村 、 永 野、
午 後 七 ・三 〇左 内 先 生 の為 め 偉 大 な る 青 年 志 士 と 題 し放 送 す 。
︹ 話カ︺ 予 は白 木 屋 に行 き 午 餐 。 了 て芝 浦 よ り 比 叡 に 御 講 許 を 拝 聴 す 。
令 部 次 長 以 下 各 局 長 、 部 長 等 海 軍 首 脳 部 四 十余 名 出 席 、晩 餐 を 共
十月 八日 火
ド ー﹂ 酒 歓 迎 準 備 一挙 に 涸 る。
艦 隊 兵 員 半 舷 上 陸 、 好 天 に 恵ま れ市 中 大 盛 況 。 白 木 屋 屋 上 の ﹁ ブ
十月五日 土
矢 板 よ り 慶 民 子 の伝 言 が 二重 に 来 る 。
九 日景 岳 先 生 展 御 成 の旨 通 知 、 白杉 よ り も 通知 あ り 。福 田 に伝 ふ。
永 井 環 昨 夜 之 放 送 を 賞 揚 す 。 前 九 ・三 〇慶 民 子 より 高 松 宮 殿 下明
村上貞 一 ︹ 著述業︺来 る 。 山 本 伯 伝 記 の序 を乞 ふ 。
曇
に し て後 大 角 海 相 よ り 惜 別 の 挨 拶 があ り 加藤 大 将 の謝 辞 が あ つて
広 島 在 郷 軍 人 十 名 機 関 問 題 で 来 訪 、 態 度 慇 懃 、 礼あ り 。
︹ 欄 外︺ 成功 。
同九時散会した ( 写真 ︹ 略︺は当 夜 の会 合)
午 前 森 猛熊 陸 軍九 州 在 郷 軍 人代 表 来 り 、 機 関 説 撲 滅 に付 痛 言 す 。
南郷次郎来る。
晴
東条寿来り東 条英機 ︹ 陸軍少将、関東憲兵隊司令官兼関東局警務部長︺之 息 子 を 委 託 に 頼 む 。航 空 学 生 也 。
晴
︹ 欄外︺例 外 に急 は し き 日也 。
( 御 台 臨 御 菓 子 料 に就 て)。
十月九日 水
泉博士説明す。
午 前 九 ・三 〇高 松 宮 殿 下白 木 屋 展覧 会 御 成 り 、 約 二時 間 台 覧 、 平
右 了 て 予直 々高 輪 に御 礼 す
真崎 少 将来 る 。
午 後 豊 田来 る。
浦部 聖 来 る 。
艦隊 歓 迎第 二 日。 昨 今 両 日海 上 平 穏 。
十月 六日 日
植 木 屋 入り 始 む 。
晴
山本 大 将之 来 訪 を 乞 ひ予 の退 役 を 告 ぐ ( 大 西 中 佐 来 り 艦 隊内 情 を
十月十 日 木
富 美 栄 母子 奉 天よ り 安 着 。
松田 ︹ 源治︺文 相 白 木 屋 訪 、 展 覧 会 を 見 る。 永 井 等 無 智 に 驚 く 。
晴
に家 族 、 長 谷 川 次 官 展 覧 会 に 見 ゆ と 喜 び 来 る 。
齎 ら す)。 午 後 白 木 屋 講 演 会 大 成 功 。 永 井 柳太 郎 、 松 平 侯 子爵 並
機 関 説 又 燃 え 陸 海 両 相 矢 表 に 立 つ。
笠 原来 る。 書 を 依 頼 す 。
右 了 て海 晏 寺 墓 参 。
十月七日 月
十月十 一日 金
晴
第七十七忌 ( 放 送 六 分 余 る)。
町 田少 将 夜 来 る。
午 前 十 時 半 回 向 院 参 詣 。 午 後 墓 前 祭 、 岡 田首 相 参 拝 、外 二百 余 名 。
午 前 九 ・〇 〇 博 義 王 殿 下 白 木 屋 展 へ。 予 御 出 迎 御案 内 す 。真 崎少
曇 午 後 雨 近来稀有之天気なり。
浜 中 来り 、 予 より 退役 の顛 末 を 聴 き 感 動 せ し も の の如 し 。
午 後 真 崎 少 将 又来 訪 、 暇乞 の為 め。
将来 る ( 大 湊 へ)。
幽 閉 中 の書 )。
羽倉教尚氏と久邇宮大妃殿下に拝謁、御礼言上 ( 御 軸青 蓮 院宮 御
加来中佐来る。玉誠に感ず。
し来る。 十月十六日 水
曇
︹ 欄 外︺ 東 北 在 郷 軍 人 五、 六 名 、 岡 山 同 上 三 名 、 藤 岡 を 主 と
山下与平来る。広場務に書三 ( 二 筥) と 忠 魂 碑 之 文 字 を 托 す 。
山 田に 揮 毫 。 左 内 先 生 の詩 を 福 田 よ り 送 ら し む 。 晴 夜 雨 ︹マ マ︺
竹内賀久治来 る。 十月十 二日 土
上 ぐ 。千 代 も 予と 仝 行 御 案 内 申 上 ぐ 。 午 後 上 野散 歩 。
午 前 東 伏 見 宮 大 妃 殿 下白 木 屋 御 成 り 、 松 平 侯 爵 並 子 爵 炎 御 待 受 申
( 十名 )。
午 後 右 翼 団体 来 る の 予告 警 察 より 来 る。 夕 六 時 予 の不 在 中 に来 る
午前九時より軍令部、爾後艦本新主力艦々型説明。 ︹ 暦︺ 伏見総長殿下御還歴御誕生日に付祝詞言上す。宮家仝断。
午 後 軍 参 会 議 、 機 関 説 第 二 声 明 説 明 、 軍 縮 最 後 断 案 。浅 間 司 令 笠
晴
原来る。書を渡す。
宗 像 、小 林 結 婚 披 露 に行 き 答 辞 を 述 ぶ。 帝 国 ホ テ ル。 十月十 三日 日
本 夕 の 日 々夕 刊 に 徳 富 蘇 峯 景 岳 小 史 と 題 し ( 日 々だ よ り) に 寄 稿 す 。 名 文 に て多 謝 々 々。
県 ︹ 治郎︺元神 奈 川知 事 等 著 名 之 人 展 覧 。 午 後 四時 閉 会 式 。 白 木 屋
十月十七日 木
白 木 屋展 覧 会 閉 会 。午 前 に は湯 浅 宮 相 、 大 角 海 相 、 南 、 保 科 、 山
幹 部 山 下与 平答 辞 を 述 ぶ。
雨
福 田 、芦 田 に 一〇 〇円 宛 謝 礼 。
十月十 四日 月
十月十 八日 金
理髪。
町 田、 松 田、 大 角 、 湯 浅 大 に 展 覧 会 を 賞 め 、 左 内 先 生 礼 賛 を 極 む 。
神 嘗 祭 、 賢 所 に 参 ず 。 村 上 貞 一に 序 文 を 与 ふ 。
展 覧 会 出 品本 日 中 に返 却 す み。
午 前 千 坂 を 見 舞 ひ、 離 現 役 に 付 従 来 の好 意 を 謝 す 。
︹ 欄外︺展 覧 会 閉 会 。
芦 田文 学 士 礼 に来 る。
半晴
浜 中 来り 末 次 へ報 告 を 復 命 に来 る。 末 次 悲 壮 な 感 な り し と 云 ふ 。
正 午 野 村 大 将 来 訪 、 那 智 の砲 撃 問 題 に 付 予 の意 見 を 尋 ぬ 。
浜 中 勲 章 具 申 に 付 人 事 局 長 に 代 り 予 の功 績 を 調 べに 来 る 。
秋晴
予 の 出品 を 受 取 る 。
終 日書 揮 毫 、大 骨 折 。
( 展 覧 会 )。
曇
武藤元帥夫人来訪。 ︹ 富︺ 婦美栄佐世保に向け発。
八 百善 慰 労 会
十月十 五日 火
十月 二十 三日 水
半晴
十月十九日 土
靖国神社祭参拝。
快 晴 但 し 涼 爽
竹内より上奏文を送る。不賛成也。
了 て高 雄 山 と 大 垂 水 に 行 き 一里 余 徒 歩 、 足 試 を 為 す 。
十月 二十 四日 木
( 末 次 外各 軍 参持 廻 は り仝 意)。
午 前 午 後新 型 主 力 艦 基本 設計 高 技 会 議 、 平穏 裡 に了 る。 中 村 無 言
徳富蘇峯に礼訪す。
十月二十日 日
十月 二十 五日 金
午 後 進 級 会 議 、 中 佐 ま で了 る 。
正午御陪食、竹内来るに付警告す。
快晴
孝に十五円贈る。
午後 上 野梅 岡 美術 館 に 画を 見 る。
進 級 会 議 第 二日 に て了 る 。
快晴 稀 な る秋 晴 れ の 日
午後 十 時在 郷 有志 国体 明 徴 に付 来 訪 、 フ ハン フレ ツト を 残 し 帰 る 。
正 午 仏 海 将 之 為 め 殿 下賜 餐 。
昨 日 の如 く 日 本晴 れ 。
十月二十 一日 月
十月 二十六日 土
五 十 六 、 島 田 の事 を 談 ず 。
夕 、 鈴 木 義 一少 将 ︹ 中将、予備︺来 る 。 地 方 よ り 見 た る 海 軍 と 山 本
正午総長殿下御賜餐。
晴
面会せず。
聯 合 情 報を 下 郷 より 送り 来 る。 予 の 元帥 問 題 、 重 臣 云 々 の事 を 記
午 前 大 佐 将 官 内 示。 後 藤 ︹ 章︺中 将 之 引 退 を 惜 む 。 中 将 級 之 問 題
快晴
す 。 要 は 不実 行之 事 也 。
に 付一 言注 意 、 無 修 正 に て 通 過 せ し む 。
専 務 報 告 、 展 覧 会 入 場 者 七 十 五万 人 、 ウイ ンド ウ人 形 通 過 一時 間
水交 社 会 、卅 五名 、 景岳 全 集 編 纂 之 事 永 井 、 芦 田、 滋 賀 に 依 頼 す 。
町 田進 一郎 来 訪 。
次官 と 電話 、新 聞 コン ト ロルを 頼 む 。
十月 二十 二日 火
夕 、 広 瀬太 一郎 招 待 、 小笠 原清 道 上 京 に付 。
十 一時 小 笠 原来 訪 、好 意 不変 也 。
早 朝 千 代 横 浜 浜 中 宅 に 行 く。 午 後 三時 頃ま で強 雨 。
十月 二十七日 日
夕 、 大 臣 各 長官 招 待晩 餐 。
了 て上 野 刀 剣会 を 見 る 。
正午首相午餐会。
曇雨
長谷 川 次官 枢 顧之 事 を語 る 。並 に大 廟 参 拝 之 事 。
九千 八 百人 。
十 月二十 八日 月
快晴
今立 来 る。 全 集 に就 て也 。
夕 、 下 郷 を 仁寿 に訪 。
半晴
大雨
学生 素 人相 撲 に副 官 を 送 る。
夕 、 水 交 社 、 景 岳 会 礼 、 白 木 屋 並 に寄 附 者 。
蜂龍之長官会に列す。 ぐ。
午 前 十 時 出 省 、 大 臣 、 次 官 、 次 長 、 各 部 長 、総 長 殿 下 に御 礼 申 上
午 後 一時 半参 内 拝 謁 、 御 礼 言 上 。
浜 中 礼 に 来 る 。 書 、藤 公 の詩 、 絹地 を 与 ふ。
御 語 葉 を 賜 は る 。 賜 物 、 銀 花 瓶並 金 三 百 円 。
了 て各 宮 、 知 己 大 臣 を 歴訪 す 。
︹マ マ ︺
十月 二十九日 火
寛 一夫 婦 、 満 佐 夫 、孝 を招 き 予之 誕 生祝 を 為 す 。
晴
越 ケ 谷 鴨 猟 、 殿 下 台臨 、 予七 羽 。夕 、山 口、 式 部 長 官 以 下 主 猟 関 係全部。
︹ 欄外︺各 方 より 電 又 訪 問 者 多 し 。
津 上 大 魚 之 賜 物 を為 す 。
八 田 満鉄 及 小林 省 、豊 田仝 別 室 に会 す 。 快晴
十 一月三日 日
平 沼 を訪 は んと せ し が鎌 倉 に行 き 不 在 取 止 む 。 竹 内 来 り 不 相 変 。
十 月三十日 水
午 前 総 理 、 小 笠 原 、 元 帥 、多 摩 墓 地 、寛 一仝 乗 す 。 正 午 賜 餐 、 一
十月 三十 一日 木
退 役 に 付 金杯 一個授 与 之御 詮議 。
夕 、 千 代 、寛 一等 武 藤 を訪 問す 。
晴
く を 語 らず 。
夜 、 日 々菊 地 三郎 来 る。 写真 を 取 り 予 の所 感 を 聴 か んと せ し も 多
時 帰 宅 。 始 め て ﹁ハイ ヤ ー﹂ に乗 る 。感 深 し。
午 前 海大 卒 業 式 行 幸 に参 列 。 正 午 本 省 に て御 陪 食 。
十 一月四日 月
晴 快 爽
軍 医 学校 卒 業 式 行 幸 。
日 々 、 予 の退 役 に て感 傷 的 記 事 を 載 す 。 評 判 宜 し 。
金杯 下賜 ( 午 後 七時 )。
此 日訪 問者 多 く 仝 情 に感 ず 。
に 礼訪 。午 後 五時 松 平 子爵 へ断 り 訪 問 。 後 海 相 送 別 宴 。 殿 下 台 臨 、
半晴
午 後 竹 井 一郎 山 本 大 将 紹 介 に て来 り 長 談 す 。 村 上 貞 一来 る 。
午 前 明治 神 宮 御 礼 。 有 馬 ︹ 良橘︺宮 司 え 礼 訪 す 。 了 て真 崎 大 将 其 他
午 前 七 ・三 〇寛 一夫 婦 、 満 佐 夫 来 着 す 。 ︹ 渓︺ 牧 、 松 下、 谷 口泰 麿 其 他 離 現 役 見 舞 者 多 し 。
十 一月 五日 火
快晴
孝 □ □ 五十 余 年 の労 苦 を 慰 す 。
午 前金 杯 下 賜 御 礼之 為 め 参 内 。 奈 良 ︹ 武次、男爵、陸軍︺大 将 ︹ 予備︺
十 一月 一日 金
直麿手紙。
に礼 訪 す 。
半 晴 午 後 雨
予多 感 之答 詞を 述 ぶ。
徳 富 蘇 峯 特 別 慰 藉 の書 を 送 る 。 ︹ 欄 外︺ 今 朝 各 新 聞 一斉 に 予 の勇 退 を 報 ず 。 好 意 あ る 書 き 方
午 後 十 一時 伊 勢 に向 け 発 。
正 午 過 浅 草 奴 に寛 一夫 婦 及 万 佐 夫 、 千 代 を 招 く 。 晴
也。 十 一月 二日 土
行、懇切を極む。
予 定 を 替 へ直 行 帰京 す 。久 し 振り 二等 車 の 混雑 に乗 る。
寛 一帰 洛 。
午 後 八 時 帰京 。 川島 自 働車 を 以 て 出 迎 ふ 。
晴
十 一月六日 水
十 一月十日 日
十 一月九日 土
午 前 十時 山 田着 。 戸 田屋 を 経 て参 拝 。 退 役 奉 告 参 拝 は稀 な り と て
午前下郷に電話、礼。
晴
大 に喜 ば れ 丁重 に 取扱 は る。 午 後 三時 発 電 車 に て 八木 よ り 奈 良 月
正 午 よ り 虎 の門 金 刀 比 羅 宮 に 御 礼参 拝 。 勝 木宮 司 の馳 走 を 受 く 。
下 郷伝 平 氏 来 訪 。 畝 傍 御 陵 参 拝 を 約 す 。
日 亭 に投 ず 。村 田寿 太 郎 及家 族 出 迎 ふ。 今 夜 下郷 よ り 電 報 、 明 日
十 円 御 玉 串 料 。 了 て 海 晏寺 参 拝 、 御 報告 。
晴
の予 の招 待 を京 都 吾妻 屋 に用 意 す と 。 多 謝 。
快 晴 秋 日 和
一先 づ 戸 田 屋 に 休 憩 、 同 十 一時 か ら 両神 宮 に参 拝 退 官 奉 告 を な し 、
夕 刊 既 報 = 六 日 午 前 十 時 十 四 分 山 田 駅着 で来 田 の加 藤 寛 治 大 将 は
蕨便乗殉職士官内縁婦人来る。
蘇 峯 会 相 沢 氏 来 り 十 二月 七 日 の講 演 を 頼 む 、 諾 。
議中介、対立関係が妃宮殿下に及ぶを憂ふ。
小 笠 原 中 将 国 防 婦 人 会 と 愛 国 婦 人 会 の合 同 相談 を受 く 。 小 原を 院
品川主計来り墨壺及安眠覆を贈る。
十 一月十 一日 月
仝 夜 ﹁皆﹂ 来 る 。 ︹ 新聞切抜貼付︺
戸 田 屋 で 昼 食 の上 午 後 三 時参 急 宇治 山 田 駅 発 で奈 良 に向 つた、 同
加藤大将参宮
夜 は奈 良 一泊 、 八 日 橿 原 、 桃 山 両 宮 に参 拝 ( 写真 ︹ 略︺は 神 宮 参
十 一月十 二日 火
十 一月七日 木
る。
安 保 大 将 中 牟 田之 令 嬢 を 紹 介 縁 談 に 来 る 。 且 つ予 に 祝 意 を表 せ ら
歯科学校行。
晴
拝 の加 藤 大 将)
午前八時月日亭発県自働車にて畝傍御陵参 拝。下郷わざ 〓 東京
永 野大 将 。 四 一、 二、 三、 四期 代 表 来 る 。 柴 田 、 大 西 、 矢 野 ? 。
晴
よ り 来 会 参 拝 す 。 夫 よ り 仝 車 、 桃 山参 拝 。京 都 瓢 亭 に 昼食 、 ﹁ 皆﹂
井出 ︹ 謙治︺大 将 ︹ 予備︺来 る 。
日 々新 聞 今 尾 来 る。 相 当 人 物 也 。
夕 、 ト ンボ に て飛 島 招 待 。
仝 席 す 。 午 後 踊 を 見 、 阿 津 満 家 に 酒 井 大 佐 、 西 尾 、 近藤 外 下 郷 三
十 一月 八日 金
十 一月十 三日 水
人 を 招 く 。 原 差 支 あ り て不参 す 。 盛 会 な り 。
午前嵯峨駅北宗像半之助 ︹ 宗像商会社長︺を 見 舞 ふ 。 大 に喜 ぶ 。 十 一
平沼 ︹ 騏 一郎︺男 爵 ︹ 枢密院副議長︺を 訪 問 す 。
晴
時 京 都 発 、 大 津 南 郷 堰 堤 に て昼 食 。
晴 彦 根 多 賀 神 社 に延 命 参 拝 。 楽 々園 に 投 ず 。 山 中 強 三 、 下 郷 良 順仝
十 一月十八日 月
此 夜腹 痛 に苦 し む。 ひ げ 天 の余 波 の如 し 。
予 答 辞 、 百 円寄 贈 。
十 一月十 四日 木
夕 、 奥名 夫 婦来 訪 す 。
在 宅 。 下 郷京 都 に行 き 不在 に付 訪 問 を 止 む 。
一五 〇 。
腹 痛 止 み寺 尾 に受 診 、何 に も な し。 食 さ わ り と 云 ふ。 血 圧 一四 〇、
寒来 る
松村 菊勇 ︹ 中将、予備、石川島造船所社長︺来 り 、 廿 五日 を 約 す 。
に深 し 。
夕 刻 千 代 風 邪 の気 味 。
晴
四 〇 、 四 一、 四 二 、 四 三期 の謝 恩 会 、 会 す る も の七 十 余 名 、 感 殊
十 一月十九日 火
午 後 二時 歯 科 完 了 。
十 一月十 五日 金
費 用 一〇 〇 円也 。
も共にす。
夕 、糟 谷 、 浜 中 、新 島 、藤 野夫 婦 を 上野 翠 松 園 に招 く 。 鹿 月 夫 婦
千 代少 し く 風 邪 。
雨
佐 世 保 四 〇期 会 晩 松 楼 より 謝 恩 電 を 送 る。
予大に快気。
秀 也 乞 暇 に来 る。 忠 告 を 与 ふ 。
十 一月二十 日 水
伊 藤 芳峡 来 る。 田 辺治 通 ︹ 満洲国参議︺に紹 介 を 与 ふ 。
十 一月十 六日 土
午 後 一 ・三 〇 殿 下 に御 写真 御 礼 。 北 支 事 件 御 憂 慮 。 大 臣 にも 会 ふ。
十 一時 松 尾 ( 神 戸) 来 り明 光 塾 の礼 を 述 ぶ。
午 前岩 淵 雑誌 記者 来 る 。
半晴
大 阪 海 軍 同志 会 に激 励 電 を 送 る。
三 越 に靴 を 注 文 す 。
全 権 一行 午 後 三時 発 。
英 米 大 に 注意 す 。
曇 稍 々暖
夕 、 ひげ 天 に千 代 と 行 き 、 千 坂 次 男 に会 ふ 。
普 及 部と 矢 可部 に書 十 一枚 、 二枚 与 ふ 。
千代臥床す。
晴
夕 、荒 井 陸 男夫 婦 二嬢 と 予と 千 代 、 銀 座 裏 中 島 に 行 く ( 荒 井 の招
浜 中 夫 婦 礼 に来 る。 杉 山 明 久 来 る。
十 一月十 七日 日
武 藤能 婦 子帰 京 。
下 郷帰 京 す。 妙 子 より 京 都 千 枚 漬 を 貰 ふ 。
午 前福 田耕 、豊 田久 二 、竹 居 光 積 。
十 一月二十 一日 木
晴
望 月 に つぐ みを 送 る 。
夕 、 大 角 、 末 次 、 中 村 等 四十 余 名 の予 に対 す る 謝 恩 会 を 紅 葉 館 に
十 一月二十 二日 金
雨
待 也 )。
開 か る。 感 謝 に不 堪 。
曇
夕 、 紅 葉 館 幕 僚 謝 恩 会 、 四十 七 名 、 中 村 大 将 挨 拶 懇 切 状 を 極 む 。
を 加 る の件 。
千 坂 来 り 三 件 頼 む 。内 十 七 日結 婚 式 の件 あ り 。 同 志 三人 会 に末 次
加 藤 久 に 画 帖 を書 き渡 す 。
大佐、予備︺、秋 沢 ︹ 芳馬、少将、予備︺ 。
備︺、吉 田 清 ︹ 清風、中将、予備︺ 、大橋 ︹ 省、機関中将、予備︺ 、坂本 ︹ 重国、
夕 、 鮫 洲 川 崎 屋 、 級会 、 五 円会 、安 保 、 渡 辺、 村 上 ︹鋠 吉、少将、予
下 郷 伝 平 、 其他 来客 多 し 。
市 村 中 将 、佐 多 少 将、 町 田少 将。
午前 黒川 乙太郎、横 井忠吉 ︹ 元陸軍大学校教授︺ 、住 山 ︹ 徳太郎︺少 将
十 一月 二十七日 水
千代下郷を訪問。
省 書 記 官 、 秘 書 官 等 博 士 の大 学 徒 弟 出身 者 七 、 八 名 。
清水に行、井坂 ︹ 豊光︺外 務 政 務 次 官 外 、 外 務文 化 事 業 関 係 、 司法
夕 、 松 波 仁 一郎 ︹ 法学︺博 士 ︹ 全国大学教授連盟会長︺の 招待 に て木 挽 町
理髪。
十 一月 二十六日 火
松 菊 、 山 口招 待 、 安 保 の三 人 。
︹ 第八戦隊司令官︺来 訪 ( 書 を 乞 ふ )。
曇
晴
福田来り忠魂碑をたのむ。
武富邦蔵 ( 本 )、 相 浦 小 七 ( 書)。
竹居光積来る。
十 一月 二十 八日 木
福 井 小 学 校 教 員 八 、 九 名 福 田 耕 引 率 邸 前 に 来 る。
夕 笠 原 、 山 本 結 婚 式 。 久 し 振 関 重 忠 に 会合 。 予万 歳 を 唱 す 。
本 日所 労 御 断 。
維 新 記 者 来 る。 正 月 号 に就 て也 。
寛 一東 京 に転 任 の電 来 る。
松 下権 八来 り 台 湾 行 風 評 を 報 ず 。
午 前 七 時 五十 九 分 親 王 殿 下 御 降 誕 、 直 に 参 賀 、 両 御 所 。
曇
十 一月 二十三日 土
曇
久堅丁に永井環を尋ぬ。
相沢に講演断る。
諸 方 電 話 多 し 。 断 る。
佐 々木 革 次 ( 昨 年 二 月 廿 三 日結 婚 式 に 約 す)。 岩 淵 、 平 田来 る 。
吊 問、 香 一〇、 午 前 三時 古 市 母 堂 逝 。
晴
十 一月 二十四日 日
十 一月 二十九日 金
梅沢大佐なる者予に面会を求む。断る ( 病 気)。
永井環、森孝三来る。
晴
武藤能婦子来る。
︹ 篠塚義男、陸軍︺少 将 。
午 後 荒 井 陸男 を 訪 ひ函 館 海 戦 画 を 評 す 。 鮨 之 馳 走 を 受 く 。
︹ 企画部長︺□
︹ 欠︺ 黒 川 巳太 郎 、 資 源 局
十 一月 二十 五日 月
千代 、 和 泉 に 岡 田氏 借 家 を 見 、 直 に寛 一に知 ら す 。
十 一月三十日 土
雨
予、千坂を訪問す。後井出を尋ね、保科を尋ぬ。
増 田義 彦 、森 山 達 枝 、 和 波 ︹ 豊一︺中 将 ︹ 出仕︺、 塩 崎 与 吉 (不相 変
晴 土 産 を 持 参 す )。
二 年を 知 る 。
夜 古 市 母 堂 通夜 に趣 き 工学 之 老 人 と 古 に談 ず 。 万 歳 の由 来 明 治 廿
景岳 全 集 再版 に 付 評議 員会 を 宅 に 開催 す 。 今 立 と 夕 酌 。
十 二月 五日 木
終 日揮 毫 。
上 田良 武 、 森 山 達 枝 来 る 。
十 時 半 澄 宮 邸 へ。 夫 よ り 宮 中 参 内 、 三 笠 宮 に 拝 謁 。 了 て 午 餐 。
午前園部彦長氏わざ〓
十 二月二日 月
昨 日松 山 茂 夫 人 死 去 。 右 訪 吊 す 。
止 に同 意 の声 明 あ り )。 UP の逆 宣 伝 也 。
大 日斉 老 来 訪 、 子 息 仝 道 。
晴
千 坂 母 嬢 、 丹 羽武 五 郎 等 来 る。
横須賀より来る。
十 二月 一日 日 曇 寒気 来 る 午 後 冷 気 徹 る ︹ 務︺ 午 前 九 時 青山 斎 場古 市 母堂 葬 儀 に列 立、 委 員 を 努 む ( 千 代 参 拝 )。
義宮正仁親王御命名式参賀。
︹ママ ︺
午後湯地先生、徳広佐 吉 ( 佐 賀 事 情 に 有 益 な る話 を 聞 く)、 高 松
崇 仁 親 王 御成 年 式 、 三 笠宮 之御 称 号 宣 下 。 ︹ 赴︺ 日 比 野 少 将 上 海 へ趣 任 之為 来 訪。
十 二月六日 金
︹マ マ ︺
公春子 ( 大久 保 立 に貴 員撰 挙 之周 旋 を 頼 む )。
午 餐 に酒 饌 を 賜 は る。
久 富 来 り 長談 。 新年 号 を諾 す 。
午 前 小 笠 原 を 訪 ふ。 不在 。 筥 書 を 元 帥 愛 笏 に頼 む 。
義 宮 正 仁 親 王 御 命名 に 付 、 今 明 日 拝 謁差 許 さ れ 、 午餐 を 賜 ふ 。 予
十 二月三日 火
十 二月 七日 土
武 藤 夫 人来 る。 美 術 学 校 金 工科 彫 金 部 吉 村 博 。
大 阪 時 事 石井 晃 来 る。
快晴如春 日
は明日。
竹 内 招 待 、 赤 坂 、 三島 検 事 総 長 、 渡 辺、 荒 木 陸 大 外 二名 也 。
晴 稍暖
倉賀野 ︹ 明︺少 将 ︹ 予備︺紹 介 富 山 県高 岡 市 住 基 督 青 年 会 牧 師 中 村
美 術 館 に書 画 展 を 見 る。
︹マ マ ︺
森 山 、 上 田良 武 ︹ 中将、予備︺下 郷 に会 見 。
某 来 る 。 啓 発 録 を与 ふ 。
永 野 全 権 の虚 電 来 る。 長 谷 川 に 確 め 、 久 富 に 即 報 す ( 中に潜艦廃
千 代 原 宿 之 家 見 分 に 行 く 。 村 田春 母 子礼 に 来 る。
作 間 大 佐 に書 を 渡 す 。
高松夫人来訪。
明朝 前 一 ・三 〇帰 る。 ︹ 止︺ 加 来 留 男来 る。 長 談 。
晴 風
富 山 県 高 岡市 三 富 町 中 村蔵 人 。
夕 、 千 代 と幸 鮨 に 。 夫 れ よ り ﹁シ ネ マ﹂。
十 二月 八日 日
午 前 七 ・三 〇寛 一着 京 。 予 、 五郎 、仁 出 迎 へ。 帰 宅 後 千 代 と 和 泉
夜 来 細 雨後 晴 暖
晴
住山に書を与ふ。
快晴
夕、荒井来る。 十 二月四日 水
村上結婚式に行く。
神 戸福 井 県 人 谷 口某 外 十 五名 来 訪 。 彰 徳 状 を 読 み 酒 半 樽 を 贈ら ︹ 撮︺ る。 採 影 。
借家を見分、之を決す。
早朝中根事務官と電話。午前九時殿下より先にして平沼御召し の
十 二月十 三日 金
雲堂病院 ( 駿 河 台 ) に町 田少 将 を 見 舞 。
十 二月十 二日 木
晴 寒 来
午 前 十 一時 今 川 橋 日本 ﹁ ビ クタ ー ﹂ ラ ヂ オ吹 込 に行 く 。 右 了 て杏
晴 寒 来
本 頁 居 眠 の為 書 き 改 む 。
八並 来 り 原 稿 を 渡 す 。
御 沙 汰 下 る。 直 報 敬 承 。 日 々原 稿 認 む 。 熊 崎 量 治 来 る 。
曇
十 二月十 四日 土
十 二月九日 月
午 後 一時 平 沼 紀 尾 井 町 に 伺 候 す 。
午 前 軍 令 部 に て殿 下 に 拝 謁 。 平 沼御 引見 を乞 ひ御 快 諾 。 同時 に雲 上之御心配を拝聞、恐懼す。
晴
午後平沼を訪ひ之を報じ、打合はす。
午 後 予 は岡 日本 ビ ク ター 重 役 及 浜 中 と 子 安 海 岸 会 社 工 場 視察 。 夕 、
来 る 、 往 時 を 談 ず 。 平 田 よ り 電話 、 国 に帰 ると 云 ふ。
︹欠 ︺
夕□
晴 極 寒
正 午 長 谷 川 次 官 来 り 枢 顧 の超 過 ( 鈴 木 と有 馬 、鈴 木 両 陸) を 報 じ
寛 一移 転 、 下 郷 妙 子 、 川 島 等 加 勢 に 来 る 。
山 下 知 彦 来 り 、 廿 八 日 を 約 す 。 五 P糀 丁 宝 亭 。
十 二月十 五日 日
小笠原子、元帥愛用如意に箱書持参。
素子、満佐夫帰京。
松 岡 満 鉄 総 裁 の晩 餐 に 招 か る ( 下 六 番 丁 四 七 六 清 洲 亭)。
寒
倫敦会議始る。
晴
︹ 欄外︺寛 一出 勤 。 十 二月十日 火 日 々新 年 号起 案 。
に渡 す。
千 代 和 泉 の寛 一宅準 備 、 岡 田家 主 を 訪 問 。 午 後 海 晏 寺 。 ︹欠 ︺
否 は 保 留 す と 答 ふ 。 小 林臍 、 野村 の 何 れ か を推 す 。荒 木 、大 角 授
書を有馬大将紹介之□
十 二月十 一日 水
爵 の件 も 相 談 を 受 く 。
平 沼 を 訪 問 し 昨 日 の経 過 を 聴 く 。
本 日 も 来 訪者 多 し 。 退役 以 来 静 閑 な し。 ︹ 長︺ 中 村 海 大 校 長 、矢 野 四 十 三期 、永 嶺 夫 人 、 中 村 虎 猪 、 浜 中 、 佐 藤
十 二月十六日 月
寒
夫 人 、矢 野晋 也 。
東 伏 見 宮 妃 殿 下 御台 臨 。
晴
弥 生会 に 竹 下と 招 か る。 竹 下駄 弁 と ま で行 か ざ るも 一寸 か ぶ れ 気
水交社仰竹会
理 髪 。 大 野 陸 中 将来 訪 、 国防 婦人 会 に付 話 す 。 新 田□ 利 雄 。
味 也 。 早 辞 し て帰 る。
( 斎 藤 伯 外 二十 名 計 、会 一〇 円 す み)、 四 十 三 期 廿
晴 極
台総 ︹ 台湾総督︺ の問 題 を に ほ わ す 。 予 其 の案 に賛 す る も 自 分 の諾
三 島 に仕 払 三 二 円。
寛 一両 親 子 来 る 。 満 佐 夫 半 日 遊 ぶ 。愛 極 り な し 。
竹内来る。真崎勝次風邪にて不来。
日 々新 年 号 久 富 に 郵 送 す 。
年会 。
名 誉 も 不 要 、 金 も 不 要 。 幸 に 弱 点 な き を 以 て 天 下 に 濶歩 を 喜 ぶ 。
寛 一 ( 三 人) 来 る 。 十二月十七日 火
曇 雨 寒 気 酷
午後より雨にて極寒。
寛 一来 る。 素 子 と 親 類 廻 は り 。 満 佐 夫 一人 祖 父 母 と 遊 ぶ 。
十 二月 二十 二日 日 晴 寒
日 々原 稿 久 富 に 郵 送 す 。
晴 大 に暖
十 二月十八日 水
直麿病気報告、痛恨。
千 坂 喜 美 子 の結 婚 式 に招 か る 。
和 泉 之 寛 一宅 を 見 舞 及 荒 井 宅 に 礼 訪 。
十 二月 二十 三日 月
八並 より 第 二校 正 を 受 取 る。
素 子 、 満 佐 夫 、 千 代 と幸 鮨 に 行 く 。
揮毫 。
井 上 海 中 将 二度 電 話 あ り 、 不 在 。
十 二月十九日 木
十 二月二十 四日 火
下 郷妙 子 、 岸 科 、 小 林 省 三郎 、 加 藤 孝 外 書 の依 頼 等 来 客 多 し 。
午 前 新 谷 俊 蔵 メキ シ コ油 田 に付 、 伊 井 与 三 二 揮 毫 に 付 ( 菓 物)。
午 前 小 田急 に て伊 東 に 、古 屋 支 店 に て 昼食 。 夕 熱 海 横 磯 寿 楽 荘 に
晴 稍 寒
竹 居 光 積 、 村 上 日本 人 表 彰 決 定 に付 。
泊 。 夕林 屋 支店 に 。
原 田正 来 り 、 松 下 に 就 き 報 告 す 。
小林 省 三郎 重 大 事 を 報 ず 。
暖 に し て冬 を忘 る 。 晴
晴
池 田成 彬 ︹ 三井合名会社常務理事、日銀参与︺至 急 面 会 を 求 む る 由 。
十 二月 二十五日 水
︹マ マ︺
鳴 呼 天 下 の危 期 真 に来 れ り。
寿 楽 荘 に 一日 を 過 す 。 揮 毫 。 雇 人 の ぶ婆 良 く 世話 す 。
暖
支 那 に 注込 四 千万 円 。 十二月 二十 日 金
一〇 ・四 五 熱 海 発 小 田 急 に て 帰 京 。 直 に仁 寿 を訪 ひ 下 郷 に謝 す 。
十 二月 二十六日 木
牧野 ︹ 伸顕︺内 大 臣 辞 職 。
稍冷
千 代 、 松 屋 と 和泉 へ。素 子 母子 渋 谷 に。 予、 松 屋 に書 を 見 に行 く 。
斎藤子内大臣となる。硬派非難多し。
晴
但し不見当揮毫。 午 前 奄 見 大 島 角 谷 中 佐来 る 。加 教 土地 押 収 成 功 之 件 。
十 二月 二十七日 金
下 郷 社 員 に 四斗 樽 正 宗 を 贈 る 。
小 雨 寒
寺 岡 よ り 不 快 之書 状 来 る 。執 念 深 し。
晴 半寒
大 角 、 安 田 結 婚 式 に 招 か る 。本 庄 、荒 木 、大 角 授 爵 。 十 二月 二十 一日 土
浅川? 放送局員原稿を送り来る。
武 藤 夫 人 来 る。
昭和 十 一年 丙 子 之 歳 は 如 何 。
美事な物也。
旧幕 僚 諸 君 より 金 屏 風 を 贈 ら る。 安 着 。 ( 価 二〇 〇 円 以 上 と 云 ふ)
雨 最 寒
終 日礼 状 発 送 。 十 二月 二十八日 土 実 帰 宅 。 放 送 局 浅 川 に 原 稿を 交 付す 。 夕 、 水 交 社 に て 山 下催 し の会 に 趣き 訓話 す 。 一同 大 に喜 ぶ。 末 次 少将 。
︹マ マ ︺
と︱
午 後 半 晴 夕 雨 止 む
下 郷 義 一来 り 仁寿 に孝 を 迎 る こと 相 談 。 会 計 課 長 え 也 。 十 二月二十 九日 日
久 富 来り 輝 く 日本 大阪 博 の副 総 裁 を 依 頼 さ れ 諾 す 。 八並 来 る 。 下 郷 の高 橋 自 働 車 に て御 歳 暮 廻 り 。
晴 にし て最 温 暖
夕 、実 と 天 平 に行 く 。 十 二月 三十日 月
向山、水野了石遺蹟保存会復興に就き相談に来る。 佐藤市郎氏酒三本を持ち来訪。 末 次 夫 人 来 訪 。 楠 豊 太 来 り 書 之 礼 物 を 贈 る 。 山 下夫 人 よ り 千 代え 贈品を持参。 淑 子 妹 と 共 に 来 る 。 幼 児 二人仝 行 。 武蔵山より服紗を贈る。
晴 暖
本日贈答品多し。下郷に速達を送る。 十二月三十 一日 火
好 天 気 の 卅 一日 。 予 の 六 十 六才 も 過ぎ 行 く 也 。 家 庭 一同 無 事 、 喜 に 不 堪 。 理髪 。 明 日 の放 送 原稿 を 整 理す 。
昭 和 十 一年 一月四日 土
春暖之如し。
男 ︹ 画家︺、 市 来 崎 、 山 崎 、 鳥 越等 二 十名 計 。
水交社互礼会。
予 之 放 送 と 日 々論 文 好 評 ( 森山、近藤常松 ︹ 少将、予備︺、有 馬 良橘 ︹ 大将、枢密顧問官︺ )。
春暖
仁寿新年会、但し不参、素子行。 一月五日 日
下郷に酒肴、天盃を贈る。
参内。高橋自働車を用ゆ。
殿 下 よ り 中 根 を 経 て 病 気 段 々 快 方 に 付 心 配 す る な と 御 諚あ り 。感
晴 暖 春 之 如 し
一月 一日 水
激に不堪。
春 暖 去 り 酷 寒 来 る 北 風 強
最寒
根之事も話し、返却を断らしむ。 ︹ 戴︺ 八並 ︹ 東京日日新聞記者︺来 り 、 廿 日 に 大 阪 奉 載 式 え 臨 場 を 頼 み 来 る 。
川 島 、 浜 中 に 京 都 阿 津 満 屋 払 九 九 円 を 返 却 に 来 る と 電 話 あ り 。彦
午 前 六 時 氷 点 下 三 度 、 近 日 の最 低 温 度 也 。 終 日 年 賀 答 状 を 認 む 。
一月七日 火
事を頼む、快諾。
午 前 十 一時 三 井 物 産 に 向 井 忠 晴 ︹ 三井物産常務取締役︺を 訪 問 、 仁 之
一月六日 月
午 前 七 ・三 〇 放 送 。 幸 先 良 き 元 旦 を 迎 ふ 。
(は じ か み ) く ち ひ ら く
神武天皇御製謹話。 瑞 々 し久 米 之 子 等 が 垣 本 にう ゑし 薑 我 は忘 れ し 打 てし やま む
晴 暖
曇
予 の論 文 軍 縮 の根 本 義 、 東 日、 大 毎 に 掲 載 。
宮家廻礼。
一月 二日 木 孝治帰京。 一月 三日 金
諾す。千代和泉に行く。
本 日所 労 。 西 尾 来 る。
福井農学校、久 の ( ?) 来 り 、 岡 田 ︹ 啓介、大将、総理大臣︺之 代 り に
︹ 慶 一、少将、予備︺乱 る 。
一月八日 水
晴なれども寒気厳し
︹ 欄外︺年 賀 之 返 し に苦 し む 。
忠魂碑を頼む。断る。
幕僚会盛会、市来崎
︹ 信竹 、少 将、軍令部
実 帰 呉 。 午 後 三 時 、 孝 治 、 寛 一来 る 。 高橋 三 ︹ 三吉、中将、聯合艦隊兼第 一艦隊司令 長官︺、 近 藤
︹ 清 一、少将、第 三艦隊参謀 長︺、 浮 田 ︹ 秀彦、 大佐、潜水 学校長︺、 荒 井 陸
第 一部長︺、 浜 中 、 鎌 田 、 大 河 内 、 後 藤 、 市 村 ︹久雄、中将、予備︺、 岩 村
陸 軍始 晴 天 に付 御 実 行 ( 予 不 参)。
一月十 二日 日
帝都 座 に千 代 と行 く 。
近藤 ︹ 駿介︺、 金 ケ 崎神 社 六 百年 祭 の為 め来 る。 島 崎 中 佐 。
重村義 一 ︹ 少将、予備︺、 水 戸 春 造 ︹ 少将、第二艦隊参謀長︺、 福 井 知 事 、
曇 寒
終 日年 始 返 書 に没 頭 す 。 下 郷伝 平 氏 ︹ 仁寿生命保険社長︺と 孝 と 直 話 。
朝 倉 工 房 祭 に 招 か る 。 千 代仝 行 。吉 村 夫 婦 を 伴 ふ。 正 宗 一斗 樽 を
午 後 小 田 急 に て熱 海 寿楽 荘 へ。
末次 ︹ 信正、大将、軍事参謀官︺よ り 電 話 、 予定 方 針 通 りと 。
回 訓 発 送 、 閣 議 結 了 、御 裁 可 。
朝倉に寄贈す。
在 郷 一師 代 理 海 軍機 大 佐 十 四 日 に第 一師 在 郷 軍 人 大 会 の為 め 講 演
︹マ マ ︺
を 頼 み来 れ るを 断 る。 感激す。
一月九日 木
千 代 後 よ り 来 り 一泊 。
︹ 欄外︺ 殿 下 御 出 勤 に 付 余 に 御 語 葉 を 給 は る 。
中根 より 電話︱
武藤 能婦 子、関 根 ︹ 郡平︺大 佐 ︹ 伊勢艦長︺来 訪 。 其 他 諸 方 よ り 電 ︹ 夥︺ 話 顆 し 、 皆断 る 。竹 居 十郎 煩 也 。
晴
出 迎 に 付 帯 同 。 緑 風 荘 に 夕 食 を 共 にす 。 高価 可 驚も
晴 暖 稍
赤井 ︹ 春海︺陸 中 将 ︹ 予備、帝国在郷軍人会審議員︺代 某 楠 公 会 に就 き 来
のあ り 。
川島わざ〓
一月十三日 月
る。不面会。
半 晴 極 寒
千坂 ︹ 智次郎、中将、海軍兵学校長︺に 聞 けば 取 合 ふ べ から ず と 。
一月十四日 火
終 日寿 楽 荘 に て大 阪 講 演 原 稿 を 認 む 。 千 代 夕 方 六 ・四 五 小 田 急経
津田 ︹ 静枝︺ ( 中 将) ︹ 予備︺と 共 に祝 賀 せ ら る。 予 は 円 満 退 役 之為
午 前 一〇 ・四 五 に て帰 宅 。 夕 東 洋 軒 に て 大 谷 ︹ 登、日本郵船社長︺、
稍 暖 晴
一月十日 金
一月十 五日 水
由 に て帰 京 す 。 大 に 慰 安 を 与 ふ 。
神 戸 坂 口の怠 慢 を責 む ( 谷 江 長 に倍 す)。
倫 敦 決 裂 の日 々号外 出 づ 。
午 後 梅 崎 、 浜 中 来 り 、 二 十 一日 の 大 阪大 会 に臨 場 を 懇 請 す 。 諾 。
曇 寒
千 代 、 素 子 母 子 海 晏 寺 へ。
但し海相に注意を促さしむ。
坂 井 一意 来 り 、新 外 交 手 段 に付 長 谷 川 ︹ 清、中将、海軍次官︺ 、高橋、
極寒
也。
岡 田 に進 言 、 岡 田は 大 賛 成 と 報 ず 。
一月十 六日 晴
竹 井 十 郎 又 来 る 。 ﹁無 断﹂、 面 会 せ ず 。 予 は 理髪 に て 不在 。
坂 井 一意 来 る 。
野田 ︹ 清︺少 将 ︹ 軍事普及部長︺、 大 阪 大会 講 演 に 付 海相 の伝 言 を 齎 ら
晴
千代、真崎 ︹ 甚三郎、陸軍︺大 将 ︹ 軍事参議官︺宅 に訪 問。
一月十 一日 土
講演原稿。
らす。
す 、 諾 。 下 郷 義 一廿 五日 京 都 講 演 と 孝 採 用 の報 を 伝 平 氏 に代 り 齎
話 し、 赤 十 字 社 支 部 内 科 医 長 山 崎 幸 八 氏 の診 察 、 注 射 大 に 効 あ り 、
午 後 和 歌 浦 望 海 楼 に宿 、 発 熱 の為 和 歌 山 衛 生 課 長 中 山 福 富 氏 に 電
参列。
浜 中 よ り 電 話 、 大 阪 市 民 大 会 の講 演 会 実 行 と 決 し 、浜 中 随行 す と。
一月十七日 金
順 に至 つて最 も 静 粛 、 感 動 の様 見 ゆ。 約 一時 三 十 分 、 一同 驚 歎 す 。
尼 野附 添 公 会 堂 に講 演 す 。 聴 衆 七 千 、 空 前 の事 な り と 驚 く 。 予 の
昨 夕 発 汗 の為 大 に快 方 、 平 温 と な る。 午 後 山 崎 博 士 、 中 山 課 長 、
一月 二十 一日 火
ま さき 日 々快 活 に仝 伴 す 。 彼 れ 九 州 吉 田 之 一族 、 豪 傑 肌 也 。
発 汗 、 頗 る効 あ り 。 湯 衣 五枚 を 取 り か ゆ 。 尼 野 敬 二 郎 来 る 。
高 輪 台 小 学 校 鈴 木 に 校 歌 を 書 き 遣 は し 有 馬 大 将 に 紹介 す 。松 村 昇 ︹ 米井商店社長︺の相 撲 見 を 断 る 。
田中 清 二郎 よ り斎 藤 ︹ 実︺子 ︹ 大将、内大臣︺ の後 任 相 談 、 高 橋 を 推
大 成 功 なり 。
孝 を 明 治 神 宮 に誓 は し む 。
す。
今 夜 安 静 を 迎 ふ。
和歌浦風強く寒し
下郷 妙 子 来 る 。
近 来 稀 の酷 寒 外 堀 凍 結
武蔵山病気休業す。
晴 寒
一月 二十 二日 水
れ、 尼 野、 ま さき 、 浜 中 を 伴 ふ 。
午 後 一時 燕 に て大 阪 発 、 寒 風 に多 勢 見 送 る。 塩 崎 に 伊 勢 屋 に 招 か
下郷 の電 に依 り 、 沼 津 に て単 独 下 車 。 浜 中 と 別 れ 、 熱 海 寿 楽 荘 に
寒酷
ホ テ ル泊 。
一月十九日 日
西 尾 信 一等 之 指 導 に て少 年 団 、 国 防 同 志 会 、 其 他 の出 迎 あり 。
泊 す 。 川島 出 迎 、 其 夜 帰 京 。
午 前 九 時 燕 特 急 に て大 阪 に 向 ふ 。 日 々 ま さ き 、 浜 中仝 行 、新 大 阪
風 邪 気 味 に付 一行 之 外 断 り 、 崔 屋 に 夕 食 。 富 田 屋 来 る 。 押 し掛 女
晴
晴
政子 の真 砂 に 二次 会 、 政 子 の浦 島 を 聴 く 。 夫 よ り 宝 屋 を 訪 ひ し も
午 後 五 ・三 〇神 戸福 井 県 人 会 に常 盤 華 だ ん招 か る。 盛 会 を 極 む 。
十 一時 沼 津 より 燕 に乗 車 、 千 代 東 京 に 帰 る ( 良 順 京 都 駅 に 来 る)。
一月 二十 四日 金
伊 藤 一二 の竹 下会 に断 る。 風 邪 の為 也 。
梅 林 に散 策 。 夕 、 千 代 来 り 御 馳 走 を 齎 ら す 。
一月 二十 三日 木
○ 田代 巳代 治 卒 去 。
︹ 名刺貼付︺
房也。
山崎幸八
日本 赤 十 字 社 和 歌 山 支 部 病 院 内 科 医 長 医 学 博 士
一三 一五 ︹ 書込み︺ 和 歌 山 市 今 福 一七 四 ノ五 一月 二十日 晴 寒 気 凜 烈 三 十 八 度 五 分 ︹ 戴︺ 大毎主 催博覧会 に東久邇 宮 ︹ 稔彦王︺殿 下 ︹ 中将、軍事参議官︺推 載 式
会 、 サ ンキ スト 十 八 個 を 贈 る 。
︹マ マ ︺
不 開 、 依 て 兵 庫 の某 亭 に 行き 酔 ひ 眠 る。
正 午 上 野 精 養 軒 に て古 市 男 爵 三 週 年 祭 招 待 あ り 、 精 進 料 理 桜 井博
︹ 欄外︺席 上 小 講 を 為 す 。
谷 江 長 、 加 井 、 坂 口、 右 近等 大 に努 む。
一月 二十九日 水
晴 暖
士 の見 立 に 依 ると 、 料 理 人 も 腕 あ り 。
忠魂碑揮毫。
雨
本 日 始 め て 雨 と な る 。 午前 六 時、 兵 庫 より 自 働 車 に て大 阪 に行 き 、
小笠原 ︹ 長生、中将、予備、宮中顧問官︺紹 介 之 某 蘭 印 問 題 に て 来 る 。 ︹ 丞︺ 千代と幸鮨に。後雪之上変化を見る。
一月二十 五日 土
夫 れ よ り 汽車 に て京 都 へ、京 都 ﹁ホ テ ル﹂ に泊 。 午 後 清 流 亭 に て 講演 ( 約 三、 四十 人)。 終 て崔 屋 に大 宴 会 の馳 走 、 夫 よ り 万 亭 に
︹ 欄外︺素 子 母 子来 る。
四 人 を 連 行す 。 実 の為 礼 を 述 ぶ。 夕 九 時 着 。 川 島 に出 迎 はれ て帰
一 ・三 六 京都 よ り燕 に て帰 京 。濠 洲 より 佐 々木 の親 戚 仝 車 、 小 供
角 ︹ 岑生、大将、海軍大臣︺訪 を 約す 。
午 後 三 時 千 坂 と 小 笠 原 邸 に 会合 、 予 の意 中を 告 げ 、 千坂 明 一日大
予 真 向 よ り 自 主 独 往 せ よ と 答 ふ 。 天 与 の機会 を 逸す る 勿 れと 告 ぐ 。
晴 寒 風 肌 を 裂 く
一月 三十日 木
る。
半晴
一月二十 六日 日
寒 気 又 来 る 。 午 後 千 坂 を 訪 問 、 海 軍 人事 を相 談 す 。
て 大番 振 舞 、 夫 より 阿津 満 屋 に泊 。 大疲 労 す 。
テル に 昼 食。
午前下郷 ( 主 人)、良 順 、 馬 場 と ﹁ド ラ イ ブ ﹂ し 坂 本 上 琵 琶 湖 ホ
一月 三十 一日 晴 酷 寒 ︹ 井︺ 午 前 小 笠 原 よ り 電 話 、 川 島 某 僧 侶 来 り 、 満 中 々 佐 に 付 頼 む処 あり 、
○ 田代 葬 儀 に 千代 代 拝 す 。
二月 一日 土
晴 寒 又 甚 し
三 田 尻社 長逝 去 。
揮毫。松下権八来る。 松田 ︹ 源治︺文 相 急 死 す 。
︹ 欄外︺ 日吉 神 社 参 拝 。 一月二十 七日 月
山 本 英 輔 大 将 来り 、 牧 野 ︹ 伸顕︺、 斎 藤 に警 告 せ る 書 に 付 説 明 に来
晴 稍 暖
秋 良 へ吊 電。 二 十円 を 送 電 す 。 浜 中 取 扱 。
寒甚
午 後 田代 遺 族 を 弔問 す 。
二月二日 日
る。
湯地 ︹ 秀生︺中 将 ︹ 予備︺に金 刀 比 羅宮 豆 ま き 代 理を 託 す 。 原 口 死去
晴
真崎 ︹ 勝次︺少 将 ︹ 大湊要港部司令官︺来 り 山 本 英 輔 ︹ 大将、軍事参議官︺の
に付弔訪す。
一月 二十 八日 火
行動を報ず。
二月三日 月
極寒 十 一時 杏 雲 堂 病 院 に 町 田 ︹ 進 一郎、少将、軍令部出仕︺を 尋 ね 妻 女 に 面
湯地中将来る。 二月 七日 金
為 政 友 会 三十 年 の生 活 か ら 退 く 。 衝 動 大 也 。
曇 午 後 小 雪
寒気に引籠る。 揮 毫 の責 を 果 す 。
せ よと 、 仝 意 見 の旨 答 ふ。
午 後 六時 堀 越 善 重 郎 招 待 、 山 口。 倫 敦 会 議 左 右 両 派 外 実 業 家 十 七 、 ︹ 藤︺ 八名 、 松 本 帰 英 を 中 心 と す 。 大 島 伯 鶴 江 東 新 平 談 を 以 て 諷 刺 、 最
午 前 川 原 怪 僧 来 り 満 井 の件 に 付 小 笠 原 と の交 渉 を 尋 ぬ 。 自主 独 往
も 感動 す 。 若 槻 ︹ 礼次郎、貴族院議員︺、 財 部 ︹ 彪、大将、予備︺苦笑 す 。
末次来り書を乞ふ。
二月 四日 火
牧 ( 新通)聯合社長、本社を解散し立候補す。其為め?
金 刀比 羅 宮 豆 撒 年 男 を 湯 地 氏 に 頼 む 。
松 本 、 川 崎 克 、 若 槻 、 財 部 、 串 田、 三 井 ? 、 安 保 ︹ 清種、大将、予
午 後 二時 よ り 五 十 年 来 の大 雪 一尺 三 分 九 厘
午 前 千 代 金 比 羅 宮 に標 石 揮 毫 を 献 納 す 。
田 ︹ 利為︺侯 ︹ 陸軍中将、参謀本部第四部長︺ 、 山 口、 松 平 等 来 会 。
備︺ 、 竹下 ︹ 勇、大将、予備︺ 、野村 ︹ 吉三郎、大将、軍事参議官︺、 田島 、 前
︹マ マ︺
曇 小雪 みぞ れ交 り 也
午 後 原 口葬 儀 に参 列 す 。 千 代 も 告 別 に行 く 。 松 田 文 相 葬 儀 。
二月八日 土
大 雪 に て交 通 悉 く 止 る。 看 劇 客 劇 場 に眠 る 。 積 雪 稀 有 之 事 也。 湯
千 代 予 に 代 つて 賢崇 寺 法 会 に行 く 。
地 中将 予 の代 理 真 に気 の毒 に不 堪 。 末 次 之 為 揮 毫 す 。
︹マ マ ︺
今 立裕 ︹ 新聞記者︺来 る、 推 薦 状 に就 て也 。
快 晴 稍 暖
南 条村 忠魂 碑 文 を渡 す 。
二月 五日 水
揮 毫 。 黒 崎林 蔵 大佐 来 る。
昨 夜 の大 雪 に て劇 場 旅 館 と 仕 す。 看 劇 のま ゝ帰 宅 出 来 ず 多 く 雑 居 寝 すと 云 ふ珍 現 象 。
孝 に 五 郎 身 上 を 頼 む 。 困 つた も の也 。 二月九日 日
み 来り 書 を受 取 る。
孝に五郎の説諭を頼む。
末 次書を 取りに来ら ず。角、井上 ︹ 継松︺中 将 ︹ 軍令部出仕︺夫 人 の
竹内賀久治 ︹ 弁護士、国本社社員︺来 る。 大 日 本 新 聞 に 予 の乗 出 云 々
晴
中 傷す 。 平 田晋 策 ︹ 著述業︺告 別 式 に浜 中 代 理 し 砧 村 に 行 。
二月六日 木
千 坂 を 見 舞 。 去 四 日 の豆蒔 後 脳 溢 血 に て半 身 不随 、言 語 不明 、 食
二月十日 月
堀 越善 重 郎 来 り 二 百 円 を 景岳 会 に寄 附す 。
正 午 寛 一夫 婦 、 満佐 夫 、 千代 、 五郎 、孝 と ひげ 天 に行 く 。
海 大 教 頭 来り 講 話を 頼 む。
半 晴 寒
小 時待 ち 暖を 見 て 通知 の旨 答 ふ。
二月十 一日 火
物不通。
︹ 欄外︺理 髪 。
千 坂浅 草 の豆蒔 に疲 臥 す 。
晴
半 晴 夕 降 雪
鵜沢総明 ︹ 貴族院議員、明治大学総長︺相 沢 ︹ 三郎︺中 ︹ 佐︺弁 護 の徹 底 の
京 会 館 。 仁 寿 講 堂京 都 踊 に 千 代 、武 藤 、 寛 一等 見 物 す 。
賢 所 拝 。 寒 気 大 な り し も之 に堪 ゆ 。 賜餐 。 午 後 高 石結 婚 式 披 露 東
不 参) 小 笠 原 長 生 子 と 千 坂 中 将 と は 浅 草 の観 音 様 に そ れ〓
千 坂 中 将 の倒 れ た 夜 加 藤 寛 治 大 将 は 芝 金 刀 比 羅 宮 の 年 男 に ( 風邪
ゐ る。
二月十二日 水
ら 帰 宅 、 愛 孫 を 相 手 に 豆 撒 き の 光 景 を物 語 つて ゐ るう ち 九時 ご ろ
六 六 の自 宅 に 送 ら れ 自 動 車 を 途 中 で 降 り 猛 吹 雪 に 幾度 か 転 び な が
原 子 の親 戚 に 当 る 三 浦 義 次 子 の自 動 車 で 渋 谷 区 幡 ケ 谷 本 町 三 の 三
豆撒
小笠原来り、荒木 ︹ 貞夫、陸軍大将、軍事参議官︺に注 意 を 頼 む 。
き の年 男 と し て赴 いた が 、 当 夜 、 豆 撒き を 終 つた 千坂 中 将 は 小 笠
午後二時南郷 ︹ 次郎、少将、予備︺と 小 笠 原 宅 に会 見 。 大角 に 注 意 を
晴
福井 ︹ 信立︺軍 医 大佐 ︹ 軍医学校教官︺に 千坂 診 察 を 依 頼 す 。
促 す約 束 。南 郷 諾す 。
舞 ひ 、 加 藤 大 将 は 特 に 福 井 軍 医 大 佐 を 迎 へて手 厚 い治 療 を 加 へた
こ の報 を 聞 いた 加 藤 大 将 と 小 笠 原 子 は愕 然 と し て 翌 五 日病 床 を 見
急 に 発 病 し た のだ 。
が 、 そ の後 も 毎 日 加 藤 、 小 笠 原 の 両 将 軍 は 寸 暇を 得 て は 見舞 ひ 、
晴
武 藤能 婦 子夫 人 呉 に向 け発 。
小 笠 原 、 並木 に 秘書 六件 交 付 。 竹 内 賀 久 治 来 訪 を 求 め 荒 木 に 付 相
二月十三日 木
談す。
愛 を 示 し 、 千 坂 家 を は じ め 関 係者 を 感激 さ せ て ゐ る。
所 用 のあ る 時 は 両 家 の夫 人 が 代 つて 見舞 ふ と いふ 涙ぐ ま し い友 情
( 十 円)。
二月十五日 土
横 井 母堂 告 別 式
午 後 山 下 大 将 五 周年 忌 、 山 下 四郎 二 十年 忌 、立 山 墓 地 に参 拝 す 。
午 後九 時 荒木 大 将之 来 訪 を 受 け、 懇 談 十 一時 に 及 ぶ 。 二月十 四日 金
晴 暖
〇 ・三 〇堀 越 善 重 郎 を 見 送 り 、 千 代 と 幸 鮨 に行 く 。
其 前 に 千 坂 を 見 舞 ふ 。 ﹁日 々﹂ に 千坂 と 年 男 云 々 の記 事 あ り 。
川 原 よ り 電話 あ り 。
力﹂ と 軍 縮廃 棄 に就 き 述 ぶ 。感 に泣 く。
夕 、 水 交 社 、 山 下 一家 追慕 宴 に招 か る。 予追 悼 辞 を 述 べ ﹁ 同心協
末 次 夫 人来 訪 。 ︹ 新聞切抜貼付︺
加藤大将と小笠原子
病む千坂中将 に " 年 男 " の友 情
二月十六日 日
晴
生 子と 一緒 に年 男 と な つて豆 撒 き を し て 帰 り 愛 孫 を 相 手 に 炬 燵 に
福 井県 大 野出 身 木 村 正夫 一向 満 洲 に て農 業 の為 予 に色 紙 を 乞 ふ 。
︹ 欄外︺南 郷 大 角 に 会 ひ 痛 告 す 。
入 つて雑 談 中 脳 溢 血 症 状 を 起 し 十 四 日に 至 る も 快 復 思 は し か ら ず
同 心協 力 、忠 信 誠 敬 を 与 ふ。
予備 海 軍中 将 千 坂 智 次 郎 氏 は 四日 の節 分 の夜 浅 草 観 音 で 小 笠 原 長
爾 来 食 物 が のど を 通 ら な い の で注 射 と 滋 養 浣 腸 で 栄 養 を と つて ゐ
寛 治親 子来 る。 孝 と 揮 毫 。
︹マ マ︺
る が何 分 六 十 九 歳 の老 体 と て家 人 を 初 め 親 し い友 人 達 は 憂 慮 し て
話 し 、 予 に 一両 日静 観 を 勧 む 。 南 郷 談 徹 底 す 。
之 事 を 報 告 す 。 次 で小 笠 原 、 南 郷 来 り 、 南 郷 と 大 角 会 見 之 結 果 を
午 前川原僧 来り湯浅 ︹ 倉平、宮内大臣︺ 、鈴木 ︹ 貫太郎、侍従長︺に会 見
二月十 七日 月
揮 毫 意 之 如 く な らず 。
え 伺 候 一両 日 見 合 せ之 件 。
南 郷 に 電 話 及 び速 達 、 昨 日 之 件 、 伏 見 宮 ︹ 博恭王、元帥、軍令部総長︺
午 前 理髪 。 千坂 を見 舞 。
二月二十 日 木
曇 寒 再 来
午 後 一時 千坂 軍 医学 校 に入 院 に付 世 話 す 。 無 事 着 院 せ り と の報 来
二月 二十 一日 金
千 代 和 泉 に 行 く 。 中 根 よ り 電 話来 ら ず。 来 訪 之 約 束 遷 延 す 。
晴 暖
る。
晴 大 寒 風 強
竹 内来 り 良薬 を 贈 与 す 。 大 谷 来 り 時 局 を 談 ず 。 形 勢 大 に 逼 迫 す 。
午 後 軍 医 学 校 に 千坂 を 見舞 ひ 、 且 予 の診 察 を 受 く 。 向 山 ︹ 美弘︺校
二月十八日 火
名誉教授︺を 銃 撃 し、 僅 に 足 を 傷 け 己 れ 重 傷 、 愚 甚 し。 ﹁ ピ ス ト ル﹂
福岡人 小山某 ︹ 十壮、大統社福岡工業塾舎監︺、 美 濃 部 ︹ 達吉、東京帝国大学
頭すと。
竹 内 来 り 荒 木 之 軟 を 伝 ふ 。 大 阪 強 震 。揮 毫 す。 真 崎 明 日公 判 に出
撰挙開票。寒気甚し。
長 ︹ 軍医少将、軍医学校長︺懇 切 を 極 む 。抽 血 一五 〇 グ ラ ム。 大 に注 意
二月 二十 二日 土
晴 平年 よ り六 度 之 暖
を受く。大阪之結果? ︹ 溪︺ 谷 口豪 介 来 る ( 夜 八 時)。
午前南郷来り、秘書を返却す。
︹ 欄外︺林 ︹ 銑十郎︺陸 大 将 ︹ 軍事参議官︺公 判 に 召 還 さ る 。
中 根 事 務 官 と 語 る 。 清 栖 夫 人 大患 、 殿 下毎 夕 御 見 舞 。
午後平沼 ︹ 騏 一郎、枢密院副議長︺を 訪 ふ 。 不 相 変 他 力 主 義 。
に て巡 査 に 打 た る 。
︹マ マ ︺
談話会を断る。野村之軍縮談ある為。
半 晴 寒 風
梅花を岸科 ︹ 政雄、中将、予備、津上製作所常務取締役︺に托 す。
の懐 柔 を 憂 ふ。 傍 系 を 忌 避 せ ら る ゝに 至 れ り と 。
夕 中 根 事 務 官 来 り 、 殿 下 御 進 退 に付 予 の意 見 に 全 部仝 意 す 。 大 角
深夜 大 雪と な る。
曇 寒 再 来 す
何事 も大 角 にと 云 ふ結 果 にな れ り 。 ○ ○ を 動 か す に は 大 角 の決 意
二月十九日 水
大角深く考慮、最高人事に付殿下に申上たりと。
を 固 む る より 外 な しと 。
午 前 十 時 南 郷 、 小 笠 原 来 り 、 昨 夜 南 郷 と 大 角会 見 の様 子 を語 る 。
午 後 浜 中 に電 話 、 中 根 と も 電 話 し 直 に 午 後 二時 大 学島 園 医科 に清
選挙 政友 惨 落 、民 政 と 三十 一票 の差 と な る。 二月二十 三日 日
キ ス ト及 石川 屋 菓 子 を 献 ず 。
昨夜 午 前 二時 頃 より 大 雪 、 正午 頃 一尺 五寸 に及 ぶ。 前 回 よ り 甚 し 。
栖 夫 人 を 御 見 舞 ひし 、 伏 見 大 妃 殿 下 に 拝 謁 御 懇話 を 給 は る 。 サ ン
熊 〓量 治 見 舞 に来 る。 血 圧 の薬 を 教 ゆ 。
又 々大 雪 早 朝 既 に 四、 五寸 と な る
夕 貴 院 三井 来 訪 す 。 長 談 。 荒 木 内 閣 。
雪 に 発病 し 雪 に 逝く 、 雪 の因 縁 又 深 しと 云 ふ べし 。
午 後 六 時 半 千坂 智次 郎 軍医 学 校 に て逝 去 す 。 可 惜 。 其 降 雪 益 甚 し 。
岡田 ( 擬) 淀 橋 に 引 取 ら る 。
午 後 荒 木 を 訪 問 し後 ち 軍令 部 に 伺 候 。極諫 申 上 ぐ 。
二月 二十七日 木
実 際 此 日 に 岡 田 脱出 せ し也 。
寒 冷
午 後 八時 千坂 幡 ケ谷 に帰 る。
二月二十 四日 月
○ 夕 小 笠 原来 る 。
終日憂鬱。
午 前 八時 千坂 宅 へ。 道 路 積 雪 困 難 を 極 。 十 一時 紀 尾 井 町 に 伺 候 、
加来 ︹ 止男、中佐、海軍大学校教官︺来 る 。 小 笠 原 と 共 に 末 次 に警 告 を
︹ 欄外︺清 栖 様 夫 人 。 伏 見 宮 第 二 王女 御 崩御 。
御 弔問 申 上 ぐ 。
与 ふ る事 を依 頼 す。
晴 稍 暖
夕 千代 と 千 坂 に通 夜 す 。
深夜 再来 、事 既 に 遅 しと 報 ず 。
二月二十 八日 金
末 次 は 殿 下 に積 極 的 弾 圧を 進 言 せ し 故 也 。
解 決 遅 々 。別 紙 。
晴 寒 気 尚 不 去
問 題言 上 す 。
陸 軍参 と 行 動 隊 幹 部 と 交 渉 、 一人 の勝 安 房 な し 。
二月 二十 五日 火
午 後 有 地 十 五郎 少 将 ︹ 水雷学校長︺来 る。 南 郷 少 将 又 来 訪 に応 じ 、
江藤 ︹ 源九郎、陸軍少将、予備、衆議院議員︺は 楠 公 精 神 を 説 き 一味 幹 部
午 前 十 一時 殿 下御 召 に て ( 御 交 代 に 就 き) 紀 尾 井 町 急参 殿 。重 大
今 朝 之 結 果 懇 談 、 之 以 上 神 意 に 任 す こと ゝす 。
起 し 、 斎 藤 内 大 臣 、 岡 田 首 相 、 高橋 ︹ 是清︺蔵 相 を 襲 ひ之 を 即 死、
午 前 五時 陸 軍 栗 原 、 林 中 少 尉 、 野 中 、 村 中等 の卒 ゐ る千 二 百名 蹶
二月 二十六日 水
しむ。
之 ( 政 党 ) 之 禍 根 を 説 か し む 。 且 つ予 に 内 相 勧 告 の誤 て る を 説 か
午 前 、 南 郷 と 平 沼 と 会 見 せ し め 、 一君 万 民 之 大 義 を 貫 き 議会 対 立
に自 決 を 促 す 。
又雪
素子母子来る。富士見町医者に千代と同行之帰途也。
鈴木侍従長を重傷せしむ。
二月 二十九日 土
︹マ マ︺
六 ・三 〇 頃 右 花 園 交番 派 遣 之 巡査 よ り報 告 を 受 け 、 直 に直 々 に電
午 前 六 時 頃 よ り 警 備 司 令 官 の各 個 諭 告 功 を 奏 し 続 々帰 順 。午 後 四
八時頃より降雪
話 に て 伏 見 総 長 宮 に 御報 告申 上 、参 殿 至急 御 参 内 を 御 勧 め申 上 、
を 隠 蔽 せ し な り 。挙 世 驚愕 狐 に つま ま れ た る如 し。
即死 の岡田首相忽 然とし て顕はる。今迄松 尾 ︹ 伝蔵、大佐︺な り し
︹ 輝三、陸軍大尉︺は 一人 先 に自 刃 す 。
曇 寒
八 時 頃 御 参 内 被 遊 。 以 下 別紙 。
時 頃 全 く 平 定 に 帰 す 。 野 中 等 幹 部 刑 務所 に 収容 自 決を 促 す。 安 藤
千 坂 葬 儀 不参 す 。 此 日 七 時 頃 大角 に 電話 せ し に今 朝 早 出 不在 と 答 ふ。 ︹ 欄外︺戦 時 警 備 令 布 告 。
小 笠 原 終 日 内 大 臣 問 題 に奔 走す
( 平沼 を 訪 問 )。 枢 顧 活 動 を 促 す 。
坂 井 一意 来 る 。
午 前 次 官 よ り 予 に 対 す る 中 傷 あ り と の女 性 的忠 告を 電 話 し来 る。
不届至極。彼も岡田醜ならん。依て直に田結 ︹ 穣、大佐、海軍省首席副
︹ 欄外︺山 の手 附 近 警 備 を 解 く 。 夜半 ま で向井 ︹ 弥 一、中将、予備︺と 岡 田 問 題 を 相 談 す 。 近 藤 少 将
官︺を 呼 び、 廿 九 日以 後 之 予 の心 配 が 海 軍 の長 老 岡 田 に在 る こと
三月 一日 日
八方 より 電 話 来 る。 松 下 権 八 最 迅 速 に 確 報 を な す 。 松 平 ︹ 恒雄︺宮
退 て考 へ之 を 健 康 之 理 由 に て拝 辞 す 。 夕 刻 ま で 此 問 題 に て 持 き り 。
を 警 む。 竹 内 、 小 笠 原 来 る。 近 衛 ︹ 文麿、貴族院議長︺大 命 を 拝 受 し
︹マ マ ︺
竹 下大 将 (岡 田 に 付)。 午 前 大 塚 ︹ 幹︺大 佐 ︹ 剣崎艤装員長兼高崎艤装員
日 中晴 夕 よ り 又 々 雪
の注 告 に 依 る 。 海 軍 及 国 民 精神 の 動揺 に就 て也 。 市 村 中 将 来 る。
長︺ 、尾崎主税来る。
相 、 湯 浅 内 大 臣 の報 あ り 。 近 衛 の拝 辞 に て 烟 散 す 。 猪 野 毛 利 栄 ︹ 二︺ ︹ 衆議院議員︺礼 に来 り 羽太 重 を 贈 る 。
枢密院議長︺、牧 野を 愈 憤 ると 。
松 下 権 八 来 り 憤 慨 す 。 且 つ 曰く 、 近 衛 将校 西 園寺 、 一木 ︹ 喜徳郎、
午 後 浜 中 、 小 笠 原 、 南 郷 来 る 。 坂 井 一意 来 る 。 小笠 原 紀 尾井 町 に 伺 候 、 内 大 臣 に就 て申 上 ぐ 。
三月 五日 木
三月 二日 月
中村虎猪 ︹ 大佐、予備、南洋石油取締役︺を 横 須 賀 よ り 呼 び 寄 せ 永 野 に
晴 酷 寒
夕 、 斎 藤 子 爵 通 夜 に趣 く 。 夫 人 の気 丈 に 感 ず 。
午 前 十 時 半 清 栖 伯 夫 人 青 山 斎 場 葬 儀 。 伏 見 宮 両 殿 下 御 直 拝 。 予参
予告 注意 を 依頼 す 。横 須 賀 中 学 校 卒 業 中 に て電 話 の中 村 呼 出 し 耳
晴 寒
尾伝 蔵 大 佐 を 弔 ふ。
目 を 惹 く と 。浜 中 来 る 。竹 内 来 る。 加 来 大 佐 来 る。
列 了 て午 後 二時 故 斎 藤 内 大 臣 密 葬 を 送 り 、 鈴 木 侍 従 長 を 見 舞 、松
永 野 海 相 に 極 ま る 。午 前 神 戸 に無 事 帰 朝 を 祝 電 す 。
︹ 欄外︺呉 みさ を 女 子 を 分 娩 す 。 洋 子 と 命 名 す 。
予 一切 面 会 を 謝 絶 す 。
午後三時広田 ︹ 弘毅︺外相 総 理と な る。 御 受 す 。 全 市 唖 然 た り 。
午 後 三時 半 西 園寺 ︹ 公望、元老︺入 京 、 直 に参 内 。
三月 三日 火
晴 稍 暖
午前 十時 南 郷少 将 の来 宅 を 乞 ひ、 平 沼 邸 に往 訪 対 政 党 及 人 事 に就
三月六日 金
寒し
き献 策 せ し む 。其 以前 坂 井 一意 を 呼 び 、 万 一之 心 掛 の為 め 対 社 会
晴
問 題 を 研究 せ しむ 。
︹ 元イタリア駐在大使︺を 加 へる な ど 元 老 の 認 識 尚 未 だ 不 足 と て陸 軍
寺内 ︹ 寿 一︺陸 相 ︹ 陸軍大将︺ 、 広田外相、組 閣之精神 が軍 部圧迫 に ︹ 魁︺ 在 り 、 旧 閣 僚 を 入 れ 朝 日 社 長 を 加 へ、 倫 敦 会 議 の 反 巨 塊吉 田茂
中村 虎猪来り 小林 ︹ 躋造、軍事参議官︺、 野 村 の重 大 策 動 を 報 告 、 直
首 脳 部 の結 束 意 見 と し て 入 閣 を 拒絶 す 。
正午 松 尾大 佐 葬 式 に列 す 。 午 後 三時 南 郷 来 り 今 朝 の報 を 為 す 。 八
晴 尚 寒 如 此 は近 年 にな き 事 也
並来 り内 大 臣確 立 と 本 社 の電 話 を 齎 ら す 。 中 根 に問 合 せ し に 知 ら ず。 三月四日 水
広 田終 に 組 閣 難 に 陥 入 る 。
右翼大憤慨、川島 ︹ 義之、陸軍大将︺陸 相 の自 殺 説 伝 ふ 。
に永 野を 車 中 に 迎 へ急 告 す 。
頼 み来 る 。
午 前中 村 虎 猪 来 り 報 告 す 。 良 好 。 竹 内 神 経 過 敏 と な り 平 沼 弁 解 を
午 後広 田内 閣 五 日 目 に し て成 立 上 奏 。
三月十日 火
親 任 式 、 午 後 八時 。
三月七日 土
陸 軍記 念 日遠 慮 、 記 念 式 取 止 む 。 遺 憾 之 極 み也 。 各 省 大 臣 交 代 。
午 後 五時 永 野 全 権 帰 着 、 東 京 駅 に 出 迎 ふ 。
広田、寺内交渉永引く。
晴 稍 暖 風 あ り
午 後 よ り 形 勢 良 転 、広 田 陸 軍 の 要求 を 入 れ組 閣成 立 の気 運 強 化 す 。
ライ ン国 境 風 雲 急 也 。
初閣議。
曇
故 千 坂 中 将 二 七 日 祭 、 予 弔問 と 挨 拶 を 述 ぶ。 衆 感 動 せ る如 し。
素子母子来る。
夕石原大佐 ( 海) □ 弁 護 。
積 ら ず。
殿下に極諫せんとす。
三月十 一日 水
、十時頃より大雪となる。但し水気多く
亦 大 雪 寒 大 初 夜 止 む
山 本 英輔 大 将来 訪 、南 洲 の書 類 二を 返 却 す 。 三月八日 日
組 閣尚 ほ行 悩 み、 海 軍 、 陸 軍 次 官 、 軍 務 局 長 ま で本 部 に 招 致 せ ら
午 前 中根 事 務官 来 訪 、 殿 下御 進 退 に付 深憂 を 語 る。 昨 夕 予 より 拝
午 前 八時 頃 より ち ら 〓
る。
伺 を 願 出 し 処 一両 日待 て と 言 は れ し に気 付 く 。
晴 稍 暖
竹 内 来 訪 、 真 崎 大 崎 絶 望 、 フ ハツシ ヨ強 起 と 告 ぐ 。 平 沼 は 飽 く ま
閉 院 宮御 留 任之 新 聞報 あ り 。 以 て の外 也 。
︹ 欄外︺税 務 署 に届 、 五、八 〇 二円 ( 十 一年 度 収 入 )。
で楠 公 精 神 を 固 守 す と 。 予 大 賛 成 と 答 ふ 。
平沼 枢 府 議 長之 報 八並 齎 らす 。 一木 、 広 田を 訪 ふ 結 果 也 。
︹ 欄外︺ 広 田組 閣 又延 期 す 。
千代 と 松 竹 に行 く 。
︹マ マ︺
真崎、山本英之脱線を警戒す。
三月十 二日 木
平 沼 枢 府 議 長 之 決 定 新 聞 に顕 は る。
晴 午 後 曇 暖 春 来 り 初 む
独 ロカ ル ノ条 約 を 破 り ﹁ライ ン﹂ 侵 入 。 昨 夜 来 雪 止 晴 稍 暖
午 後 広 田首 相 、 平 沼 を 訪 ひ 決 定 。
三月九日 月 理髪。
︹ママ︺
午 前 十 時 真 崎 勝 次 よ り 長 距 離 電話 、 石 原 ︹ 莞爾︺陸 軍 ︹ 大佐、参謀本部
ロ カ ル ノ条 約 破 棄 に 付 欧 州 の雲 行 嶮 悪 と な る 。
作 間 応 雄 来 る。
本 日殿 下 よ り 御 召 し 無 し 。
作戦課長︺が 日本 の満 洲 化 を 策 し陸 軍 の 総 意 な ど と 云 ふ は 危 し と 報 ず。
三月十 三日 金
曇 小 雨 春 雨 気 分 草 木 も 生 き 反 る如 し
︹軍事参 議官 兼艦 政本 部 長、三 月十 七日よ り予 備︺ 外 数 名
︹マ マ ︺
︹ 省 三郎 、中将、鎮海 要港部 司令官、三 月十六 日より軍令部 出仕︺、 山 下
︹ 良 三︺ 大 将
知 彦 、 真 崎 等 之 異 動 也 )。
(小 林
中村
午前 十時 紀 尾 井 町 に 中根 氏 と 熟 議 す 。 大 角 の喰 込 み 甚 し き に 驚 く 。
終日書を揮毫す。
春気 分始 め て来 り 蘇 生 の思 す 。
御 進 言を 中 根 に托 す 。
晴 寒
︹ 欄外︺仁 始 め て三 井 物 産 輸 出 科 に 入 勤 す 。 大 に 満 足 す 。 三月十 七日 火
出仕︺、島 崎 、 大湊 来 る。
平沼 枢 府 議 長 親 任 式 。
午 後 品 川主 計 ︹ 前満洲国監察院長代理︺来 る 。
揮毫 。
午前森雷 三 ︹ 少将、予備︺ 、 坂 井 一意 、 午 後 大 橋 省 ︹ 機関中将、艦政本部
三月十 四日 土
仁病 気 。
夕 寛 一と 共 に荒 井 陸 男 之 晩 餐 に 招 か る 。
昨 夜 来 比 羅 目中 毒 、 全 身 麻 疹 、 痒 ゆ さ に 不 堪 転 々す 。
三月十 八日 水
曇 暖 急 に来 る
午 前 山 本 大 将 の来 訪 を 乞 ひ、 真 崎 大 湊 之 電 話 を 伝 へ、 軍 令 部 意 之
伊賀 智 先生 来 り書 之 礼 と 共 に 五郎 之 指 導 に付 懇 談 。
晴 小 風
急 転 に 不審 を 抱 く 。
仁病 気 に付 寺 尾先 生 之注 意 あ り 。
︹二︺
平 沼 に 羽太 重 最 上 卅 円 位 を 祝 ふ 。
午 後 発 熱 三七 ・八。 小 笠 原 来 る 。
三月十 五日 日
浜 中来 る。
早朝 向 山校 長 ( 軍医 ) 礼 に来 ら る。
三月十 九日 木
之 よ り 二 日計 寺 尾 の注 射 を 受 け 、 夫 れ よ り 佐 藤 病 院 に行 く 。
近 来 にな き 好 日曜 な り 。 寛 一夫 婦 、 満 佐 夫 来 る 。 終 日 家 庭 之楽 み
寺 尾 に受 診 す 。 血 圧 降 下 に驚 く 。
あり。
五郎 新 潟 より 帰 る。 菓 子 一筥 を 送 る。
揮 毫 に 没頭 、 忠 魂 碑 を 書 。
晴 寒 又来 る
午後千代、素子母子三越に行く。
三月 二十日 金
吉 岡家 七回 忌 に付 陶 々亭 に招 か る。 答 辞 。
晴 春 暖
平穏無事。 光延東洋中佐 ︹ 第三航戦首席参謀︺来 訪 、 面 会 せざ り し は 遺憾 な り し 。
晴 稍 暖
取 次 の軽 視 に 依 る 。 依 て 早 速 書 面 に て 詫 び す 。米 産菓 実 及 ウ イ ス
杉 下 電 話 。 四王 天 ︹ 延孝、陸軍中将、予備、帝国飛行協会専務理事︺取 調 、
真崎甚家宅捜索之事を報ず。
晴 稍 寒
三月十六日 月
午 後 原 田、 岡 新 ︹ 大佐、木曾艦長︺ 、浜中来る。
キ ー 二本 を 贈 る 。
午 前 竹 内 来 り 、 山 下 知 彦等 之 進 退 を 憂 ふ 。 止 む なき 哉 。
今朝 日々に予之台湾総 督予言を載 す。山本条太 郎 ︹ 貴族院議員︺危
三月 二十 四日 火
晴 暖
岡 之 言 殿 下 に関 す る 事 多 し 。 予 之 憂 慮 段 々適 中 す 。
久 地梅 林 に独 遊す 。
篤 に付 見舞 。
千 代 三 田慶 応 前 に て ﹁オ ー ト バ イ﹂ に追 突 され 腰を 痛 む 。
南 郷 少 将 来 る。
三月 二十 一日 土
揮毫 。 午前 常 行会 、 要 人来 る。
浜 中 辞 令 発 表 、 メキ シ コ武 官 。
賢 所 参 拝 。 下郷 自 動 車 。
小 林 省 三郎 中 将来 る 。青 年 将校 之 問 題也 。
小雨
新閣僚其他顔見世之如し。 ︹ 国︺ 午 後 竹 内 、 松 下権 八等 来 る。 不 相 変 話 な り 。 竹 内 黒 本 社 維 持 に 付
寛 一及 母 子来 る。
予 に相 談 す 。 予危 む 。
午 前 品 川 主 計 、 佐 々木 勝 成
三月 二十五日 水
半晴 寒 又来
三月二十 二日 日
題あり。
︹ 欄外︺千 代 の寺 尾 診 察 始 め 。
午前 北 白 川 宮 ︹ 永久王、陸軍砲兵中尉、陸軍野戦砲兵学校学生︺及 竹 田 宮 ︹ 恒
芝浦町会に標石文字 ( 国 威 宣揚 ) を与 ふ 。 鮮魚 大鯛 其 他 を 贈 り 越
晴 暖
徳王、騎兵中尉、騎兵第 一連隊付︺ へ。 夫 よ り 本 願 寺 故 斎 藤 内 大 臣 葬 儀 接
す。
塩 崎 来 訪 、 鮮 魚 を 贈 る。
伴 に当 る。
午前 南 郷 来 り 曰 く 、 大角 よ り電 話 に て来 訪 之 都 合 を 尋 来 れ る に付 、
寒 尚 不 去 、 昨夜 み ぞ れ降 る。
三月二十 三日 月
佐 々木 革 次 ︹ 大佐、予備、中島飛行機取締役︺二 男 結 婚 式 に 招 か る 。
三月 二十六日 木
山条逝去す。
頃 ま で不 眠 。
五 郎 予 科 卒 科 。 昨 朝 四 時 に 帰 宅 す 。余 り に 頻 繁 に激 怒 し午 前 二時
( シ ヤ ト ル)、 中 村 虎 猪 来 る 。 夫 々問
長 野在 田 中 ( 千坂 夫 人) 屡 々電 話 す 。 飛 島 福 井 刑 務 所 に収 容 さ る 。
中村は今日小林省中将に面会すとて引返す。
自 分 よ り 進 ん で訪 問 、 三時 間余 も 語り 大 角 の告 白 を 聴 け り と 報 ず 。
晴
福 田 耕 選挙 の為 也 。
大 角 も 殿 下 の御態 度 変化 に 同感 す と 。
山本条太郎家弔訪。
晴 寒 霜 あ り
小林省 ︹ 三︺郎 中 将 、真 崎 少 将 来 る。 倶 に大 悟 す 。
五郎 悔 悟 。
過 敏 、 予 に 対 す る デ マを 云 々
佐 々木 結 婚 式 盛 大 。 長 谷 川 又 た 〓 す。
午 後 四 時 大 臣 官 邸 に 永 野 と重 要協 議 し 、紀 尾 井 町 に中 根 を 訪 ひ懇
︹ 欄外︺永 野も 殿 下御 実 力 過 信 に同 意 す 。
議す。
三月三十日 月
松岡洋右 ︹ 南満洲鉄道会社総裁︺より 電 、山 本 条 葬 儀 参 列 之 礼 也 。
五 郎 三 友 氏 へ礼 に行 く 。羊 羹 を 土 産 と す 。
三月二十 七日
午 前 早朝 寛 一女 子出 生 、 母 子無 事 、 愛 ら しと 。
晴 稍 暖
孝 叔 父 に 五郎 に 訓戒 を 頼 む 。
浜 中 中 佐 千代 の ﹁レ ー ント ゲ ン﹂ を 軍医 学 校 に持 参 し 入 院 と 決 す 。
金
松 下権 八来 り 世 上 予 の病 気 を 伝 ふと 。 予 曰 く 、 之 れ 俗 物 撃 退 策 な
鹿 目夫 人 見舞 に 来訪 。坂 井 一意 他 用 に て来 る。
下 郷 夫妻 見舞 に来 る。
りと 。
晴 寒 又来 る 烈 風十 三、 十 四米 突
菊 池 恭 三氏 ︹ 貴族院議員、日本レイヨン社長︺来 り 、 財 界 の不 安 に 付 予 の
真 崎勝 次 少 将来 訪 。
午 後 町 田少 将未 亡 人 を 弔慰 す 。
晴 愈 春 と な る
( 寺 尾 今 日 限り 来診 止 む)
三月 二十 八日 土
午 前 満 佐 夫 来 り 一日暮 らす 。
三月三十 一日 火
意 見 を 尋 ぬ。 予 曰く 、 誠 意 あ れ ば 安 全 な り と 。
松 下権 八来 り 海 軍 の動 揺 を 報 ず 。
松 平家 告 別式 に行 く 。
午 後 浜 中 来 る。
千 代 レ ー ン トゲ ン異 状 無 し 。 ︹ 欽︺ わ かもと長尾欣弥 氏 ︹ 製薬業、わかもと青年学校主︺来 る 。 長 尾 学 校 創
午 後 五郎 、 マサ オ、 予 三人 千 代 を 見 舞 。
午 前 十時 千代 軍 医学 校 病 室 に入 室 す 。
立 顧 問た る為 の願 也 。 諾 す 。
永 井、 今 立 、 芦 田病 室 に見 舞 ふ。 多 謝 す 。 酒 井 、 浦 夫 人 千 代 を 見
三月 二十九日 日
夜 品 川主 計 来 訪 懇 談 す 。
村 田志 賀 子、 村 上春 子 千 代 を 見 舞 。
晴 大 に 暖
芦 田 以人 来 る。 山 条 弔 詞 を 齎 ら す 。
千 代 レ ー ン トゲ ン治 療 、 自 宅 に て簡 易 也 。 内 出 血 な し 。
寛 一親 子 来 る。 賑 か 也 。 浜 中 見 舞 に 来 る 。
舞 ふ。
午前松平 ︹ 康昌︺侯 ︹ 貴族院議員︺母 堂 弔 訪 ( 廿 七 日午 後 九 時 卒 去 )、
四月二日 木
晴 暖
松平康荘未亡人逝去。
坂 井 一意 妻 千 代 を 見 舞 ふ。
風邪肺炎なり。
午 後 町 田進 一郎 少 将 告 別 、 青 山 に行 く 。
四月 一日 水
三友 博 士 見 舞 に来 ら る 。 水 菓 子 を 贈 ら る 。
正 午 よ り 増 上 寺 山 本 条 太 郎 葬 儀 に 県 人 代表 焼 香 す 。
終 日寒 し。
快 晴 愈 春 気 分
杉 山 英 子 来 り 大 橋 某 技 研 へ照 会 を 頼 む 。
寺 尾病 院 を 見 舞 ひ、 帰 途 予 を 訪 ふ 。 二度 。 血 圧 百 四十 八 、 百 五 十
曇 稍 寒 細 雨
松平侯通夜を為す。
午 後 和 泉 町を 訪 ひ、 妙 子 夫 人 に会 ひ 礼 を 述 ぶ 。 次 で荒 井 を 訪 問 。
五 、 大 に悦 ぶ。 彼 親 切 な る中 老 也 。
南 ︹ 次郎、陸軍︺大 将 ︹ 参謀本部付︺帰 京 す 。 予、 村 田、 加 亮 ︹ 加藤亮 一、
某 通 信 社 長 大角 の後 に仝 じ ﹁タ ク シ ー﹂ に乗 り 運転 手 より 聞 け り
に て 玉 川 方向 に 遁走 す と伝 ふ 。
と。
憲 兵 二名 予 の安 否 を 尋 ね に来 る。 從 属 の者 な り と 。 不 明 な り 。 ︹ 災︺ ︹ 欄外︺ 女 孫 無事 息 才 。 長嶺 男生 。
り 上 野 に散 歩 す 。
主計中将、予備、日本飛行代表取締役︺を訪 ひ 、 千 代 見 舞 之 礼 を 述 ぶ 。 独
雨
四月 三日 金
脳貧 血 、 坂 井 一意 を 心 配 せ し む 。 血 圧 一八 〇、 一六 〇 。
鈴 木 侍 従 長参 内 す 。
折 角 の祭 日雨 に失 望 。 午 前 揮 毫 。 仁 、 千 代 を 見 舞 。 千 代 の見 舞 、 高 木 陸 郎 ︹ 南満鉱業社長︺
四月 七日 火
代理 ( 果 物 一籠 )、須 直 、直 子 、□ つ子 。富 坂 来 る、明 日 に延 ば す 。
町 田十 日祭 に菓 物 を 供 ふ。
晴 暖
五郎 と 仁 と 間 違 へ叱 責 、 五郎 憤 慨 す 。 兄 之事 を訴 ふ 。
夕長谷川、実相寺結婚、東京会館。
秀 子病 院 に遣 はす 。
別府 鳴 海 より 車 海 老 二十 一尾 来 る 。 光 枝 、 素 子 に 及 荒 井 に 分 配 す 。
四月四日 土
浜 中 分 袂 に来 る。
︹ 欄外︺ 賢所 参 集 不参 。
午前富坂長右衛門父子 ( 福 井 今 立 郡)、 亀 谷慎 一来 る 。
南 大将 帰 朝 す 。 宇 垣 ︹一成、陸軍大将、朝鮮総督︺新 聞 評 あ り 。 阿部 擬
快 晴 稍 暖
午後千代を見舞ひ、理髪。
せら る。 近江 大 溝福 井 弥 平 ︹ 福井弥平商店代表取締役︺よ り鮎 つく だ 煮
細雨
今 日千 代 之 見 舞 者 。 長 谷 川夫 人 、浜 中 夫婦 、愛 子 。
四月 八日 水
来 る。
〇 ・五 五浜 中 を 東 京 駅 に 見 送 り 、 夫 よ り 千 代 を 見 舞 ふ 。 浜 中病 室
快晴 暖
予 受 診 、 一九 〇 、 一八 〇 。
仁 、 五郎 病 室 に 見 舞 、 ふ と んを 送届 。
四月五日 日
荒 井 に菓 物 を 贈 る 。
に来 る 。 ︹ 二︺ 浜 中 へ贈 物 。 羽 太 重一 疋、 カ ン ヂ ー ( 佐 々木 よ り の分 )、 羊 羹 、 鮎 の佃 煮 。
午 後 一時 発 川 島 と 横 浜 に 行き 、 午後 三 時発 秩 父丸 に 浜中 一家 を 見 ︹ 欽︺ 送 る 。 わ か も と 長 尾 欣 弥 夫 婦 同 行 。夕 酩 酊す 。
晴 風 夜 雨
久富 ︹ 達夫︺日 々 ︹ 東京日日新聞記者︺来 る。 大 阪 行 を 断 る。
快 晴 暖
四月九日 木
四月 六日 月
蟇 口紛失 、 三 越 に て落 せ し乎 。 ︹ 長︺ 光 枝 に頼 み永 嶺 に祝 絹 紅 白 を 贈 る。
坂 井 一意 、松 下権 八、 大 角 二 ・二六 の 五 ・四 〇頃 ﹁タク シ イ ー ﹂
四月十日 金
午 前 東 久 邇 宮 殿 下 に 随 行 、 博 覧会 開 場式 に 臨 む 。
四月十五日 水
前 川 に 気 の毒 な り し 。
ホ テ ル に て 電 車 関 係 県 人 会 の歓 迎 に臨 む 。 尼 野 、 続 木 ︹ 篤次郎、主
午 後 五郎 海 晏寺 へ、 予 は金 比 羅 様 □ 、酒 の馳 走 あ り 、 社 標 之 大 字
午 後 花 外 の日 々招 待 、 殿 下 台 臨 に 陪 し 、後 魚利 之 県 人会 に招 か れ
南条 ( 元 せ ん べ い屋) 牛 肉 を 贈 る。
を見る、大好評。
大 に酔 ふ 。 西 尾 に 送 ら れ て乗 車 東 上 。 車 中 伍 堂 ︹ 卓雄、造兵中将、予
計大佐、予備、大阪電力重役︺、 近 藤 、 西 尾 割 込 む 。
千 代 を病 院 に見 舞 ふ 。
備、昭和製鋼所社長︺に 会 ふ 。
四月十六日 木
晴 寒 午 前 雨 後 晴
藤 野 少佐 よ り射 撃報 告 を 借 る。
武藤 ( 大)、 芦 田 ( 小) よ り ﹁カ ステ ラ﹂ 来 る。
孝 淀 橋 郵 便 局 に徒 労 す 。 十 一日 より 交 付 の間 違 也 ( 恩 給 の件)。
西 下 旅 費 全 部 日 々支 弁 す 。
病 院 を 見 舞 ひ 、 麻布 賢 崇寺 松 村 純 一の 一週 忌 に参 ず 。 虎 屋羊 羹 大
半 晴 午 後 よ り 快 晴
福 井 農林 学 校使 来 る。 既 に送 り 済 の後 也 。 忠 魂 碑 之 件 也 。 四月十 一日 土
筥を供ふ。
曇 午 後 晴
︹マ マ︺
午 後 稲 田 堤 に看 桜 、後 少 しく 酩 酊 、 南 下逍 遙 す 。
小笠原と電話。
曇
孝 に 依り 恩給 一、 二、 三 月分 受 取 。
四月十七日 金
半 晴 寒 し
千 代 之 入室 料 四 十 五 円を 送 る。
午前理髪。
︹マ マ︺
五郎 の乗 車 券 二 十 八 円。
午 後 上 野 へ行 。 夕 山 口に 山 下 亀 ︹ 亀三郎、山下汽船社長︺、 結 城 ︹ 豊太郎、
雨
四月十 三日 月
四月十八日 土
歌舞 ︹ 伎︺座 に 仁 寿 之 招 待 。 風 雨 大。 劇 面 白 か ら ず 。 他 の招 待 に
午 前 六 ・三 〇 長 野高 女 校 長清 水謙 一郎 来 り 悲 憤 す 。
日本商工会議所会頭︺、 大 谷 と会 合 す 。
藤 内 作 治 郎 、 松 田与 三吉 、 井 ノ 口清 、 山 内 富 蔵 、 伊 部 啓 助 、 松 井
佐 藤 六 平 大 佐 来 り著 書 に 題字 を頼 む 。
信 晴 、山 岸 正治 、 高 倉 佐 吉 、 出 村 仙 一、 豊 崎 正 男 、 林 与 作 、 土 田
十 四 日阪 神 電 車 福 井 県 人 会 、 出 席 者 。
有 間 、土 谷 外 代 治 、 野 田全 法 、 安 井 忠 太 郎 ( 阪 神 電 鉄 重 鎮)。
十 時 小 笠 原 を 訪 ひ 、夫 人 に 千代 見 舞 之礼 を 述 ぶ。 ︹ 池︺ 午 後 中 村 虎猪 、 菊 地武 徳外 一来 る。
行 く べ か らず と 思 ふ。
四月十 四日 火
秋 良克 之 助来 り 、松 之 助翁 の軸 二 、 セ ヨ ウ タ ン 一を 贈 る ( 形見別
半晴
燕 に て大 阪 輝 く 日本 大 博 に行 く 。 八 並 日 々随 行 す 。
け 也)。
小 曇 晴 れ 好 天
夕 着 、 甲 子 園 ホ テ ル。 井 上 周 ︹ 日本簡易保険社長︺其 他 不 相 変 之 出 迎 。
四月十九日 日
午 前 雨 午 後 晴
も 思 ひ 出 さ る ゝ。
馬淵 夫 人来 訪 、 大 鯛 二尾 を 持 参 す 。 村 田、 孝 、 和 泉 、 千 代 に 別 つ。
孝 と 五郎 昨 夜 会 見 、 孝 説 諭 す 。 十 円 を 五郎 に 与 ふ 。
終 日在 宅 揮 毫 。
晴
︹ 欄外︺ 真 崎 大 将 喚 問 。
午 後 快 晴 と な り 人 出 急 に 増 加 す 。 寛 一、 満 佐夫 来 り 、寛 一と 伊 勢
美味稀也。
四月二十 二日 水
丹 に食 事 し 、 予 一人 御 夏 清 十 郎 を 見 る 。 愚 な る も のな り 。見 る に
夜 来 風 雨 、 花 は 嵐 に散 れ り 。 ﹁ 夜 半 に 嵐 の吹 か ぬ も のか は﹂ 之 句
不堪。
︹ 欄外︺ 真 崎 大 将 昨 夜 憲 兵 司 令 部 に出 頭 、 訊 問 を 受 く 。 怪 々
事 也 。 右 に付 本 日勝 次 来 訪 報 告 す 。 四月二十 三日 木
晴
五郎 又 夜 深 し 。 再 度 の叱 責 を 加 ふ 。 午前 三 時半 ま で 眠 ら ず 。
午 前 真 崎 少 将 来 る。 兄大 将 今 日ま で三 日間 訊 問 の事 を 告 ぐ 。
四月 二 十日 月
午 前 日露 協 会 に 呼 ば れ 会 頭 代 理 を 懇 請 せ ら る 。 近 衛 公 を 嘱す る条
晴
件 に て 一時 諾 。
血 圧を 取 る。 一八 四、 一七 〇。 夕 有 終 会 に参 列 、 晩 餐 。
午後千代を見舞。
憲 兵 司令 部 血 迷 ふ。
正 午 東 郷 会 会 長 、 副 会 長 互撰 、阪 谷 ︹ 芳郎、貴族院議員、専修大学総長︺、
夕海相晩餐、各海大将招かる。財部愚問を発す。
本庄 ︹ 繁︺大 将 ︹ 予備︺転 役 挨 拶 に来 る。
有 馬 に決 す 。
五郎 三 度 夜 深 し 、 垣 を 越 え て 帰 宅 。 但 し 十 一時半 に は帰 る旨 電話
四月二十 四日 金 晴 ︹ 課︺ 午 前 七 時 真 崎 少 将 来 る。 八時 憲 兵 特 高 科 長 ( 姓名別冊)より分隊
せり 。 愈 不 可 解 。
晴
︹ 欄外︺ 八並 礼 に来 る。 四月 二十 一日 火
千 代 に 四 〇円 送 る。 黒 崎 同 行 者 を 断 る 。
竹 内 の来 宅 を 求 め 真 崎 少 将 の憂 心 を 告 ぐ 。
覧、署名を求む。諾。憲兵恐縮、態度を改む。
に て来 る。 午 前 予 の説 明 を 終 へ、 午 後 清 書 。 予 青 山 よ り 帰 宅 後 一
( 四谷 ?) に出 頭 を 求 む 。 断 乎 拒 絶 。 彼 れ 上 官 に伺 の上 九 時 三 名
佐藤六平大佐、黒崎大佐に書を与ふ。
五郎 の件 に付 孝 を 呼 ぶ 。
夕 荒 井 陸 男 来 る。 大 谷 よ り 山 下 肖 像 之 揮 毫 依 頼 を 聴 く と 報 じ 大 に
に行 。
奥 、 加 □ □ 来 訪 。 景 岳 会 長 と し て広 瀬 太 次 郎 ︹ 白洋舎監査役︺告 別 式
午 前 小 雨 午 後 暴 風 雨 夕 止 む
五郎 孝 伯 父 に 会 ふ 。
四月二十 五日 土
喜 ぶ 。 山 下与 平 依 頼 景 岳 先 生 像 。
福井、小木陸大佐 ( ?)来り揮毫を頼む。
午 後 世 田 谷 に真 崎大 将を 訪 ふ。 盲 腸 に て陸 軍 々医 校 に 入 院 中 不 在
午 前 理髪 。
に 付夫 人 に会 ふ 。
雨 天 に付 平沼 行 を 見 合 す ( 真 崎 の為 め )。 午 後 よ り 暴 風 雨 。
伊 勢 丹 の屋 上 に 酌 器 の 満を 曳 く。 級 会 。 夫 人多 く 出 席 、 千 代 を 慰
午後 三 ・三 〇頃 千代 退 院 帰 宅 。 元 気 良 く 家 内 あ か る し 。
の礼 也 。
八 並 礼 に 来り 予 に感 謝 す る事 大 也 。 息 篤 美 に端 午 の節 句 祝 、 色 紙
午 後 平 沼 を 訪 問 し 、 大 将喚 問 之件 に付 注 意 を 促 す 。 夫 は 出 来 ざ る
四月 二十六日 日
軍 医 学 校 に 真 崎 大 将 を 見 舞 ふ 。 花籠 を 贈 る 。
五月 二日 土
する人多し。
る。 村 上 よ り 花 、 筍 を 贈 ら る 。 好 意 感 謝 に 不堪 。
半晴
事 、 若 し 検 察 官 が や る に し て も礼 を 尽す べき 事 を 答 ふ。
秋沢 ︹ 芳馬、少将︺、坂 本 婦 人 、村 上鋠 吉 ︹ 少将、予備︺ 、千代を見舞 は
晴
寛 一、 満 佐 夫 来 る 。
五月 三日 日
快晴
午 後 よ り 玉 川 の村 上 、 南 郷 を 訪 ふ 。 村 上 に は 昨 日 の礼 也 。
曇 半 晴
春 暖 を 味 ふ為 め 単 身 村 山 、 山 口貯 水 池 に 遊 ぶ 。 入 山 園 に午 餐 、 稍
四月 二十七日 月
や酩 酊 す 。 電 車 山 崎 に 会 ふ 。 新 緑 大 に 良 し 。 山 口貯 水 池 又宜 し 。
玉川 園 より 丸 子 附 近 を 散 歩 す 。
出 口陸 少 将 の同 伴 者 ) 面 会 せ ず 。 秋 沢 よ り
五月五日 火 半 晴 ︹ 蒲︺ 堀 切 菖 布 見 物 に行 く 。快 飲 す。
筍三本来る。
( 東 京 と若 越 二名︱
本 日訪 客 、 安 保 夫 人 、 松 代 嬢 、 真 崎 勝 次 、 志 賀 子 。
晴 温 気 大 也
五月四日 月
曇 小 雨 あ り
四月 二十 八日 火
晴
真 崎、 村 上貞 一 ︹ 著述業︺ 、 竹 内 、 坂 井 一意 等 来 る 。 四月二十九日 水 天 長節 。 十 一時 参 内 、 小 皿を 又持 帰 る。
八並夫婦来訪。
千 代 大 に 快気 、 予も 久 方 振 朗 と な る。
竹 下 、 藤 野等 に 電話 し 、藤 野 君之 世 話 に て遠 藤 ︹ 喜 一︺書 記 ︹ 大佐、
曇
侍従武官︺に 依 り 小 皿 を 大 膳 に 返納 す 。
五月六日 水
素子、満佐夫来る。
四月三十 日 木
夕談 話会、内 大臣 も来会。 新入会 司法 大臣 ( 林 ︹ 頼三郎、貴族院議
頭 事 務 取 扱 就 任 御 礼 に 行 く 。 内 幸 町 に 行 き 関 根 の同道 を求 む 。事
午 前 一〇 ・半 、 閑 院 宮 ︹ 載仁親王、元帥、参謀総長︺御 殿 に 日 露 協 会 々
品川主計来る。三方村運動員来る。
曇
員︺ )、 料 理 あ け ぼ の ( 虎 之 門)。 島 津 公 に村 上 の頼 を 告 ぐ ( 偉 人権 兵 衛 頒布 の件 )。
晴 涼
( 右 宮 中 に て の事)。 五月 一日 金
五月十 一日 月
城東区聯合分会海軍部長来。
福 井 南 条 郡 糠 小 学 校 長 に ﹁誠 心﹂ の額 を 与 ふ ( 水 島基 )。
五月七日 木
日 々 に於 け る板 垣 ︹ 征四郎︺関 東 軍参 謀 長 講 演 、 松 平 侯 爵 礼 会 東 洋
務 官 ﹁谷﹂ に 会 ひ 言 上 を頼 む 。
酒 井老 夫 人、 松 村 夫 人 千代 見 舞 。
軒 に 開 か る 。 岡 田 不参 。 己 を 知 る も の也 。
三越 ( 新 宿) に ﹁オ バー﹂ を 求 む 。
南 大 将 転官 挨 拶 に来 る 。珍 ら しき 事 也 。
永 井 環 回 向 院 見 分 、 原 田 同行 、其 結 果 一時 見合 はす 。
﹁ハル ビ ン﹂ より 右 に付 電 報 来 る 。
揮 毫 に 日を 暮 らす 。
五月十二日 火
福 井 県 三方 郡 八村 長 三 宅 市 良 外 一来 る 。 次 官 に 紹 介 す 。
五月 八日 金
農 家 に 六才 ま で養 は れ 、維 新 と な り 江 戸 に戻 る や母 には 死 別 、 父
ふ 医師 之 弟 子藤 岡? に伴 は れ、生 れ 落 る や房 州 将 門 山 に 伴 は れ 、
午 前 小 笠 原来 訪 、慶 応 三年 将 に明 治 に入 ら んと す ると き 、 今 と 云
日 露協 会 に て午 餐 、幹 事 会 。
晴 暑気 来 る
加藤久、向山庄太郎 ︹ 松竹興業取締役︺、本 間 軍医 中佐 、佐 藤市 郎 ︹ 少
晴
夕 、新 宿 劇 場 に延 見 子 劇 を 見 、 大 に感 ず 。 劇 界 の弊 終 に 彼 女 之 出
晴
世 を 阻止 す る乎 。
将、呉鎮守府参 謀長︺夫 人 。向 山 よ り 玉 子 焼 、 漬 物 。 薩 摩 雄 次 ︹ 国民新
は仙 台 、青 森 に亡 命 し函 館 ま で行 き 、 大 勢 挽 回 し 難 き を 見 て榎 本
曇
聞社社員︺ の紹 介 者 に 題 字 ﹁誠 忠 ﹂ を 与 ふ 。 大 に 感激 す 。
と 別れ 僧 寺 に隠 る、 以 後 官 界 に入 ら ず 節 を 守 り 死 ぬ 迄 人 に 会 は ず 、
小 笠 原 壱 岐 守 と し て閣 老 ( 老中)外国掛りとなり山内、春岳等 の
血 圧 一七 五、 一七 〇 。 ︹ 欄外︺ ﹁ 本 間 ﹂。
信を得たり。
︹ 欄外︺真 知 子 八幡 詣 で 、妙 子と 来 宅 す 。
晴
上野に散歩す。
御宮参り。
五月九日 土
出口 ︹ 永吉︺少 将 ︹ 予備︺に 書を 渡 す。
五月十日 日
武藤夫人来訪。
午前理髪。家大掃除。
晴 午 後 曇 天 気 悪 く な る
海 晏 寺参 詣 。 品 川 に 平 野 国臣 の神 武 必 勝 論 を 求 む 。
英 大 使 館 附ピ ゴ ツト 少 将 来 信 、 ド ム ゼ ル 之書 信 之 交 付 せ ん為 訪 問
五月十 三日 水
飛島 夫 人 、佐 野 ︹ 常羽︺伯 ︹ 少将、予備︺ 。
せ ん と す と 。 以 上 田 結 に托 す 。
福 井 総 務 部 長 松 崎 陽 一、 海枝 、吉 田 通来 訪 。
川 田 鉄弥 ︹ 高千穂商業高校校長︺より 袴 地 を 礼 贈 す 。
大角帰京す。
晴
望 月圭 介 ︹ 衆議院議員︺孫 と 来 訪 ( 不 在 )。
半 晴 涼 気 大
五月十 九日 火
曇
五月十 四日 木
合せ。 光枝来る。
加 藤久 、 関東 郷寺 住 職 来 。 関 根 日露 協 会 幹 事 来 。 廿 二 日 の総 会 打
田 中検 事 来訪 。
午 前 本 阿 弥 光 遜 高 木 買 取 之 物 の筥 書 を 頼 み に 来 り 、 予 の国 安 と 貝
千 葉 断 一、 森 清 人 来 る。
五月 二十日 水
三 原を 手 入 に持 還 る。
高 木 氏物 之 筥 書 を 了す 。
午 前 十 時 小 笠 原 を訪 問 、 廿 三 日之 辞 打合 せ 、加 藤 久 に交 付 す 。
曇 午後 よ り晴
永 野 に詰 寄 ら る 。 陸海 激 昂。
曇 午 後 晴
昭 和 第 一商 業 校 長 松 本 直 富 の紹 介 に て 来 り 、蘭 印 問 題 を 慨く 。 南
五月 二十 一日 木
素子母子来る。
方 発 展 の急 務 を 強 調 す 。 好 漢 也 。 左 内 啓 発 録 其 他 を 与 ふ 。
曇 蒸 しあ つし
津村 ︹ 重舎︺(中 将 湯 ) ︹ 津村順天堂代表取締役︺貴 院 議 員 軍 人 侮 辱 に て
五月十五日 金
末 次 大 将 、 森 清 人 、 原 田外 二 ( 景 岳 会 之 件 )、 城 東 区 海 軍 兵 ( 旗
新 潟 之 機 関 兵 山 本 某 伊 東 祐 亨 氏 其 他 の書 画 帖 持 参 。 安 保 に 紹介 す 。
訪客多し。
号 を 渡 す)。
半晴
津村貴院を辞す。
五月 二十 二日 金
村 上貞 一、 橋 本 博 。
曇 時 々小 雨
五月十六日 土
午 後 墨 堤 、上 野 に散 歩 す 。
沢 秘書 引受 、 小 笠 原 顧 問た り )。
小笠 原来 訪 、 東 郷寺 設 立 委 員 長 た る 事 を 予 に頼 む ( 星 野 錫 一元渋
小 笠 原 子 爵 古 稀 祝 賀 会 委 員 長 と し て 歌舞 伎 座 に行 く。 来 会 者 千 七
夜半大雨、午前九時頃より止む。
五月二十 三日 土
川 口鯛 を 持参 、 調 理 し て 予夫 婦 に呈 す 。
小 笠 原 に 祝 品と 書 を 贈 る ( 寿 、松 島 )。
竹 内来 る 。 予之 台 湾 総 督 を 問 題と す 。
鳥 取女 学 校 長 書 之 礼 に紙 ( 書簡用)を持参す ( 不 会)。
八 並、 本 阿 弥 ( 筥 書 及 揮 毫 を 渡 す )、 真 崎 勝 次 、 浜 中 夫 人 、 加 来 大 佐 、 松 下権 八 等 来 訪 。 皆 時 事 を 憂 ふ 。
加 藤久 よ り電 話 、 廿 三 日 の挨 拶 今 泉 引 受 た り と 。
五月 二十四日 日
曇 寒 冷
五月十八日 月 半 晴 但 し寒 気 不去 ︹ 摩︺ 午 前 十 時 妙 子 を 東京 駅 に 送 り 、多 麻 川 園 に散 歩 す 。
午 前 西 尾 、 近 藤 外 二名 来 訪 。 天 盃 に て 馳 走 す 。 大 に喜 ぶ 。午 後 国
五月十 七日 日
吉村幹三郎 ︹ 吉村製系取締役︺来 訪 、 長談 す。
雨 午 後 甚 し
八百 、 予 の開 会 の辞 好 評 。
雨
加来大佐出張に付来訪。
五月 二十 八日 木
︹ 欄外︺ 三 十 一回 記念 。 ( 九 州 ) 宗 像 神 社 へ電 。
晩 翠 軒 露 語 研 究 者 の会 。 鈴 木 要 三 郎 に 会 ふ 。 会 す る も の二 十 名計 、
技館に松村昇 ︹ 米井商店社長︺に 伴 は れ て 見 物 。 双葉 山、 清 水 を 堂 々 と 破 り 、 全 勝 、 満 場 割 る ゝが 如き 歓 喜 。 右 了 て金 田中 に招 か る。
雨 寒
久 方 散 欝 。 昇 の好 意 真 に感 ず べし 。 佐 藤 先 生 も 来 る ( 順 天 堂 )。
午 後 寛 一宅 へ及 荒 井 宅 訪 問 。
午前小笠原礼に来る。
筥 館 三島 よ り 明 日 の 元帥 祭 に供 物 を 頼 む 電 あ り 。 軍 令 部 藤 野 に 依
刑 部 来 り 横 須 賀 三 笠 へ之 不 参 を か こ つ。
夕 今 立 来 て小 林 よ り 予 の台 湾 行 を 勧 む 。 竹 内 来 る 。
連 日入 梅 気 味 、 寒 冷 に過 ぐ 。
曇 寒
夕 青 山 会 館 建 武 義 会 講演 会 に て 小 笠 原 及 黒 板 ︹ 勝美︺博 士 ︹ 東京帝国
頼す。
五月 二十九日 金
島 田元 次 郎 等 浦 塩 飲 仲 間 多 し 。
大学文学部教授︺講 演 を 聴 く 。 建 武 中 興 之 頓 挫 は 、 忠 を 竭 し て其 功 に
五月 三十日 土
半晴
誇 り 、 或 は 野 心 を 包 蔵 せ る 尊 氏 之 悪 逆 之 為 め 僅 か 二年 間 に て破 れ
東 郷 元帥 御 三年 祭 、 麹 町 仝 故 邸 に 祭 典 あ り 、 参 列 す 。
五月 二十五日 月
予大に酔ふ。
た る事 、 維 新 之 当 時 も 似 た り と 今 日 を 慨 す 。 黒 板 氏 の警 告 に感 ず 。
︹ 欄外︺小 笠 原 より 元 帥 書 之 贈 与 を 受 く 。 但 し 表 装 之 為 め 持
金 刀比 羅講 中 代 表 と 神 官 秦 来 る 。 虎 門 内 藤 に 紹 介 す 。
午 後 二時 城 北 ( 今 立 帯 同 )。
雨 寒
小 笠 原 子 爵 二十 三 日 の礼 に 元 帥 書 を 贈 る 。
帰 る。
五月 三十 一日 日
夕 食 、 今立 と 伊 勢 丹七 階 に於 てす 。
新 京 の 元水 兵 小 松 兼 松 来 り 陳 情 ( 商 権 不 振 に 付 )。
真崎 少 将来 訪 、近 状 報 告 。
雨 寒
五月 二十六日 火
曇 時 々小 雨
横 須 賀 に於 て東 郷 元 帥 遺 髪 斎 納 式 ( 但 し 不 参 す)。 五月 二十七日 水
雨
水 交 社 の記 念 会 。 伏 見 大 将 宮 、 久 邇 宮 ︹ 朝融王、少佐、軍令部出仕︺台
晴 暖
寛 一来 訪 、満 佐 夫 胃 加 答 児 、心 配 す 。 時 枝 、 栄 太 来 る。 六月 一日 月
久方 振 晴 天 、暖 気 加 は る。
(元帥 詣 )。
臨、 右 了 つて 有 馬 大 将 の車 に て竹 下 大 将 と 共 に 多 摩 墓 地 に参 詣
湯 川来 り本 を 齎 ら す 。 彼 れ 近 頃 他 ( 南 郷 等 ) を 中 傷 す るを 以 て不 会。
横須 賀 の海 軍 の朝 放 送 大 に宜 し 。
午後谷 口 ︹ 尚真、大将、予備︺を 下 落 合 に 見 舞 ひ 、 後 武 藤 家 を 訪 問 老
花 園 神 社 大 鳥 居 額 の字 を 見 る。 埼 玉 県 川 口町 金 山 町 二 ノ三 二 六 〇 山崎 寅 蔵 の作 也
( 予 の書 )。 風邪 の薬 、 神 宮 表 道 東 側 薬 舗 龍 精 堂 ?
六月六日 土
石 原 北夫 血 圧 の薬 を 持 参 来 訪 。
午前 十 時花 園 稲荷 神 社 大 鳥 居落 成 及予 手 記 社 額 除 幕 式 に臨 む 。
夕 景散 策 。
六月 二日 火
霊 夢 御 礼 。 明 治神 社参 拝 、 感拝 す 。
婦 人 に会 ふ。 能 婦 子 不 在 。
黎 明 雨あ り し も 朝 よ り 晴 れ 、 明 朗 と な る 。
古屋主人に書を交付す。
晴
堀内文次郎 ︹ 中将、予備、満蒙学校長︺ 及 豊 道 慶 神 氏 ( 号春海) 泰 東 ︹ 戴︺ 書 院 顧 問 の堆 載 に来 る。 福 井 大 佐 、 副 官 と 来 診 、 血 圧 一七 五 に 喜
本阿弥より刀を返送す。
福 井 稲 葉 少 佐 遺 族 に碑 銘 を 認 め 送 る 。
ばる。
松永盛氏来る。
晴
糟谷 ︹ 宗一 ︺少 将 ︹ 予備︺苺 を 沢 山 に持 参 せ ら る。
今 立 来 り 虎 の門 紹介 之 不成 功 を 語 る 。
六月三日 水
儀を出す。
午 後 寺 崎 少 佐 来 る 。 花 園 神 社 牛 曳 の山 車 扁 額 之 礼 に 来 る 。 二 回 祝
午 前 福 田市 太 郎 を 訪 ふ 。
六月七日 日
晴 記 念 の日
斎藤武五郎氏 ( 日 本 電 力) 統 制 問 題 に付 予 の意 見 を問 ふ 。
城東 海 軍班 三十 余 名 来 り 撮 影 す 。
午後 山 脇春 樹 ︹ 山脇高等女学校長︺来り 予 の出 馬 を 勧 む 。
新 島 中 佐 来訪 。
熊 崎 量 氏 来 る 。 内 田 勇 次 熱 海 古 屋 主 人 来 り 題字 を 乞 ふ 。
加 藤 久 来 る。 委 員 長 感 謝 状 之 事 な り 。 面 白 か ら ず 変 更 せ し む 。
晴
本 田仙 太 郎 使 に書 を 渡 す 。
曇
六月 八日 月
半晴
( 堀 越喜 重 郎 告 別 式 に行 く )。
千 代 軍 医 学 校 に て X試 験 好 成 績 。
六月 四日 木
高橋大将来訪す。
( 来客)松下権 八。山屋 ︹ 他人、大将、予備︺夫 人 。 新 島 。浅 草 僧 侶
意外昂進に驚く。
( 小 笠 原 紹 介) 断 る 。浅 草 寺 清 水 谷 恭 順 。 寺 尾 来 り 血 圧を 取 る。
六月九日 火
( ブ ド ウ)、 木 幡 、 真 崎 少 将 来 る。 長 時 語 る 。
午 前 鈴 木 要 三郎 ( 双 葉 会 の為 )、 本 田 仙 太 郎 ( 書 之 礼 )、 佐 藤 市 郎
木幡 は 十 二 日帰 ると 云 ふ。
伯、東郷、山下三人に就而語る。
雨 冷 気
花 園神 社 々掌 新 宿 睦 会 代 表 礼 物 を 齎 し 来 る。 謝 絶 し 之 を 奉 納 せ し
午 前 中 島 少 佐 、 海 軍 教 本 の依 頼 に て 、 逸 話集 作 製之 為 来 る 。山 本
六月五日 金
警視庁高等課 ( 特 高 ) 宇 田 尚 道 、 須 直 の紹介 に て来 る 。救 国 の途
晴 暖
む ( 商 品券 ら し)。
前 田 に 平 野 の 碑文 を 渡 す 。
根也 。
は し め 、社 会 全 般 に 対立 関係 を 助 成 し 人 々理 と 利 を 争 ふ今 日 の禍
立法 と 行 政 の截 然 た る区 分 より 外 な き を 語 る。 政 争 の弊 親 子 を 闘
六月十五日 月
川 口来 訪 に 付 共 に 幸 鮨 に 試食 す 。直 麿 来 る 。
小 笠 原 古 稀 祝 賀 会 返 礼 、 水交 社 。 予来 賓 に代 り 謝 辞 を 述 ぶ。
野村兼 ( 野 依) に 扇 面 、 中島 武 に 原稿 を 返 す 。
( 倉知 ︹ 鉄吉、貴族院議員︺、 田中 )。
連 日快 晴 雨 に欠 乏 す
正 午 日 露協 会 に 会 頭 の件 相談
村 上 貞 一来 り書 を受 取 り 還 る 。
晴
市川 ( 三笠 の) 石井 武 治 の為 八月 十 日 の 三笠 座 談 会 の件 に 付 来 る 。 六月十日 水
小 笠 原 子爵 態 々 来 訪 、 元帥 七 十 三才 之 揮 毫 孫 子 の語 を 特 に表 装 し
六月十 六日 火
今立 紹 介 神 官 に依 り 左 内 先 生 護 持 金 毘 羅 大 権 現 神 符 御 宮 を 開 き 、
秋 良 克 之 助 来り 三 田 尻秋 良 之 形 見と し て梅 田雲 浜 と 秋 良 桃 処 ( 克
其貴 重 を 見 出 す 。 一切 今 日皆 無 の物 と 言 ふ。 神 官 祈 祷 。
之 助 祖 父) 之寄 書 を贈 る 。
快晴
今 立 裕 、松 下権 八 、真 崎 勝次 。 松 下重 大 事 を 報 告 す 。
て 先 日古 稀 祝賀 会 委 員 長 之礼 と し て贈 ら る。
神 官 来 り 供 物 を 収 め 還 る。
法 相官邸談話会 、小幡 ︹ 酉吉、貴族院議員︺支 那 国民 性 に 就 き 語 る 。
晴
真 崎 少 将来 る。 武 藤 夫 人 来 る。
支 那 人 と は 一切 之 交 渉 現場 限 り 、報 恩 を 期 待 す る は愚 之 極 、 支 那
加藤 久 来 訪 、 扇面 を 持 参 す 。
午後仰竹会茶話会。
六月十 一日 木
晴
扇面 揮 毫 、 大 苦 心 。 六月十 二日 金
を 知 らざ る も の の 言 ひ分 也 。
︹ 欄外︺ 日 本 は疵 政 あ れ ば 之 を 矯 正 す 、 支 那 は 決 し て之 を 為
理髪 。 郵 便 局 に金 鵄 年 金 受 取 に 行 く 。 関 根 斉 一来 訪 。 加 藤 久 嘱 扇 面 揮 毫 終 る。
さず 、ど ん底 ま で や ら し て革 命 で ひ つく り 返 す 。
革命 ま で やり ぱ な し 。○ 修 理 せ ず に、○ 利 己 一点 張 、 ○ 仕 方
六月十 七日 水
晴
六月十 三日 土
がな い、○ 其 場 限 り 、 ○ 義 理 も 跡 を ひか ず 、 ○ 死 を 恐 れ ず 虚
寺尾、血圧百九十、百八十 ( 左)。
言を 平気 で 云 ふ。 ○ 掛 引 を 最 後 ま で や る。
亀 谷 慎 一来 り 長 談 す 。
︹マ マ︺
諾し、会則を作製を主宰す。
至 誠 山 東 郷 寺 建 設 の為 め 小 笠 原 に 頼 ま れ 東 京 会 館 に 於 て委 員 長を
加藤、関 ( 僧)に送られ帰宅す。
夕 堤遺 族 を 柿 の木 坂 に弔 す 。 香 奠 一〇 円 。
○ 堤 正之 ︹ 男爵、少佐︺急 死 す 。
晴
星 野 に会 ふ 。 詳 細 三 輪 よ り 話 す 事 に す 。 六月十 四日 日
晴 佐 々木 勝 成 来 り 加 藤 久 に 付 注 意 す 。
真 崎 勝次 来 り 中根 と 会 見 之 次 第 を 語 る。 戒 厳 司 令 部 告 示 問 題 也 。
六月十 八日 木
揮毫。
松下権八、加藤久来る。
六月 二十 三日 火
山本海晏寺礼に来る。
田結 よ り 電 話 あ り 、 ピ ゴ ツト 尚 ほ 予 の全 快 を 待 つと 云 ふ 。
加 藤 喜 一邸 を 弔 問す 。 村 田 に立 寄 る。
直方先考御命日。
晴
午 後 五時 堤 邸 に慰 問。 長 谷 川 次 官 之 車 に て帰 る。 加 代 子 来 る。
六月 二十四日 水
正 之 遺書 を 見 る ? 多 き は遺 憾 也 。
寛 一来 る。
堤 正 之 葬 儀 、 青 山 斎 場 、 千 代 始 め て外 出 、 会 葬 す 。
六月十九日 金
淀橋郵便局に恩給証書を托し預金とす。
尉 ( 沖 島 水 長)。
主計、安東昌喬 ︹ 中将、予備、大同電気製鋼所相談役︺夫 人 、 福 島 栄 吉 大
佐 々木 忠 次 郎 ︹ 東京帝国大学名誉教授︺ 、小 玉呑象 ( 立 雄 紹 介 )、 品 川
曇 細 雨
晴 暑 甚
堤 に生 花 を 贈 る。
三輪 と 東 郷 寺 檀 家 某 来 り 副 会 長 陸 軍 の指 定 を 乞 ふ 。
六月 二十五日 木
久し振 雨
竹 内 電 話 、 午 前 不 在 と 答 ふ。
皇 太 后 御 誕 辰祝 賀 御 取 止 。
六月 二十日 土
六月 二十六日
理 髪 。 松 下 権 八 来 る 。 扇 面揮 毫 。
曇
日蝕 北 海 道 女 満 別 、 成 功 す 。
防 護 団 に拾 円 寄 進 す 。
午 前 小 笠 原 に礼 に行 く 。 夫 人 に 会 ふ 。
六月 二十 一日 日
高石 ︹ 真五郎、大阪毎日新聞社取締役︺、 笹 川 ︹ 良 一、国粋大衆党総裁︺外 一名
前 祭 に参 じ 、御 殿 に て午 餐 を 賜 は る 。
晴 夕 大 雨 草木 湿 る
小 林 省 三 郎 に亀 谷 と 会 見 之 書 信 を 出 す 。
仰 竹 会 一同 ( 小笠 原欠 ) 常盤 松 御 霊 舎 祭 に 、夫 れ より 護 国 寺 御 墓
東 伏 見宮 依 仁親 王 殿 下御 十 四年 忌 。
午 前 小 雨 後 晴
孝 来 る。
海 晏 寺 に 父 母 孫 の為 読 経 。 予 の外 寛 一夫 婦 、 満 佐夫 、 孝 、 仁 、 五
輝 く 日本 博 の礼 に来 り 、 記念 品 と し て 一〇 〇円 を 贈 る。 辞 退 せ し
半晴
郎。帰途藪そばに伴ふ。
も 孝 と相 談 、孝 の考 と し て明 日高 石 に挨 拶 受 取 る事 と す 。 但 し 書 晴 暑 来 る
小雨
小 林 少 将 よ り 電 話 、 亀 谷 の件 快 諾 す 。 六月 二 十 二日 月
六月 二十 七日 土
生 某 に与 ふ 。
午 前 岩 佐 重 一氏 ︹ 京城高等商業学校長︺来 り 午 餐 。
千代始めて床上を為す。 真 崎 来 る 、 焦 燥 の気 見 ゆ 。
人 、鈴 木 茂 平 の婿 也 。
夕花 長 に招 か る。 福 本 某 、 岩 佐 之 親 友 と 会 食 。 福 本 は 横 田 、 同 夫
夕 新 国 劇 某 来 り 沢 正 追 悼 に付 き 頼 みあ り。 謝 絶 す 。
︹ 欄外︺寛 一宅 と 荒 井 宅 訪 問 。
井 上 継 松 夫 人 来 訪 。美 事 な る 鮎 を 送 ら る。 武 藤 家 に 別 つ。
︹ 福本栄作 ( 東京地方塩業株式会社常務取締役) の名刺貼付︺
七月四日 土
村 松 小時 来 る。 七月 五日 日
︹マ マ︺
浅 草 サ ツポ ロビ ー ル に。 夫 よ り 掘 切 に行 。
小晴
真 崎 少 将来 る。 近 況報 告 す 。
曇 蒸 暑
六月 二十 八日 日
と て 憤慨 す 。刑 部 之 言 も食 言 と なす 。
午 前 小笠 原 立寄 る 。 予 刑部 之 頼 を 告 げ し に大 に最 初 の決 定 に違 ふ
降 雨 多 量 近 来 稀 天 地 大 に湿 ふ
サ ラ リ ー マン の休 日 スポ イ ル。
( 小額 なが
久 富 詫 に来 る。
雨 冷 涼
川 口鮎 を 持 参 す 。 書 四枚 を 与 ふ 。 六月 二十九日 月 久 富 に 電 話 、 商 品 券 之 処 分 を 告 ぐ 。 学 資 に与 ふ る事 ら )。
行 動 軍幹 部 処 刑 決 定 の報 松 下 よ り 開 く 。
夕 寛 子親 子 来 る。
熊崎量吉不変之誠を捧ぐ。
雨 涼 気
家 内 二階 整 頓 。
七月 六日 月
六月 三十日 火
静岡斎藤より来信。
七月 一日 水
加 藤 久 、 坂 井 一意 来 訪 。
刑部来り弁疏す。大角を動かせと注意す。
雨 冷 寒 七 月 之 空 と も 不 思 は れ
佐 々木 甚 兵 衛 ( 福 井) に 書 を 発 送 す 。
午 前 松 下 権 八 来 り 陸 又 不 穏 を報 ず 。
七月七日 火
雨
午 後 千 代 と 満 佐 夫 を 見舞 、 大 に快 方 。
午前東郷寺三輪、富田来訪。望月圭介に紹介す。
日露 協 会 に て倉 知 、 八 杉 、 田 中 と 新 会 長 に 付 相 談 。 了 て 軍 医 学校
曇後晴
予三越に行。 七月二日 木
に 受 診 、 二百 十 二 、 取 血 百 五 十 瓦 。
又 雨 梅 雨本 格
在宅 。 夕 刑部 来り 東 郷家 番 町邸 宅 の件 に付 予 に嘆 願 す 。
真崎大将収監之報あり ( 小 笠 原)。 村 中 ︹ 孝次︺之 口 述 に依 ると 。
午 後 よ り 晴 暑 気 加 は る
七月三日 金
帝 都 事 件 判 決 本 日 午 前 二 時 発表 、 死 刑 十 七名 、内 常 人 四名 。
七月八日 水
小 雨 曇
︹ 欄外︺此 日頭 痛 甚 し 。
鈴木 要 三郎 、 田中 栄 三、 景 岳 先 生 之 映 画 作 製 相 談 に 来 る。 芦 田、 滋賀 に紹 介 す 。原 田技 師 来 る。 相 沢 死刑 執 行 ( 午 前 五時 )
終 日 静 養 。 田 中 清次 郎 に倉 知 の態 度 を 難 んず 。 以 上 両 人 本 日閑 院
︹ 新聞号外切抜貼付︺
三 輪 、富 田 、望 月を 訪 問紹 介 す 。
真 崎 勝 次 、南 郷 次郎 来 訪 ( 共 に不 会 見 )。
丹 生 誠 忠 、坂 井直 、 田 中勝 、中 島 莞 爾 、 安 田優 、 高 橋 太 郎 、 林 八
香 田 清 貞 、安 藤輝 三 、栗 原安 秀 、 竹嶌 継 夫 、 対 馬 勝 雄 、 中 橋 基 明 、
去 る 七 月 五 日 死 刑 の 判決 言渡 しあ り た る
十 二 日 午後 六 時 陸 軍省 発表
けふ死刑執行さる
訪 問後 ? 来 訪 せ るも 不面 会 。
宮 殿 下 に 伺 候 、 近衛 推 挙 の御 報 告 申 上 ぐ 。
飛 島文 吉 ︹ 飛島組会長︺来 訪 、 盆 の御 中 元 反 物 二を 贈 る 。
は 本 十 二 日 そ の刑 を 執 行 せ られ た り
郎 、 渋 川善 助 、水 上 源 一
雨
南 郷来 る 。 不会 見 。 七月九日 木 竹 内 賀 久 治 、 小 笠 原 夫 婦 見 舞 に来 る。
川 口来 り 写真 に署 名 し遣 はす 。
午前 飛島 、 安 井 両家 を 訪 問 す 。
松 下権 八 、真 崎 勝 次 、武 藤 夫 人 。
七月十日 金
行動 隊 幹 部 十 五名 執 行 。 村 中 他 一名 未 行 ?
坂 本 龍 馬之 讃 を 認 む 。 宗 像 二男 之 為 。
雨
光枝海晏寺代参。直麿も参詣す。
加 藤 久 、 関東 郷 寺 住 職 見 舞 に来 り ﹁メ ロ ン﹂ を 贈 る 。
真崎勝次 ( 午 後 )、 三輪 、 富 田 見 舞 に 来 る 。 村 上 春 子 来 る 。
荒 井 個 人展 覧 会 、 工業 ク ラ ブ。
雨大 に降 る 梅 雨 不 止
七月十 三日 月
七月十 一日 土
今立裕来。
晴
新 谷 妻 来 る。 メキ シ コ油 田 好 況 と 告 ぐ 。
野村 兼 吉 、 作 間 左 馬 太 家 夫 人 、 村 上 龍 英 。
七月十 四日 火
孝 、 直 麿 を 大 阪 堂 ビ ル ﹁カ ウ ン タ ー﹂ に 世 話 す 。
久 し振 日光 輝 く 。 理 髪 。
千 代 下 郷 家 を 訪 ふ。
下郷 夫 婦 下 落 合 に 家 を 見 立 寄 。
工業 倶 楽 部 荒 井 個 人 展 へ行 く 。
千 代 恩 給 に使 す 。
逗 子 千 葉 断 一と 電 話 。 直 麿 件 。
晴 快
岸 科 来 る 。 永 野 に忠 告 を 求 む 。
佐 々木 勝 美 米 オ レ ンジ 持参 し 来 る 。
三輪 、 富 田 来 る。 不 在 。 右 に付 小 笠 原 に 速 達 忠 告 す 。 夕 武 藤 夫 人 来 る。
佐 々木 忠 次 郎 来 る 。
晴
倉 知 よ り 近 衛 の情 報 来 らず 。 七月十二日 日
七月十九 日 日
晴 大 暑 九 十 度 を こ ゆ
午 前 大 雷雨 。 三越 の避 雷 針 に落 つ。 全 市 廿 余 ケ所 落 雷 。 温 度 急 下
晴
七月十五日 水
堤 正 之 三 十 五 日祭 に 招 か る ( 水 交 社 )。
( 水 交 社)。
三 ・三 〇 よ り 高 松 宮 殿 下 を 奉 始 海 大 学 生 二 ク ラ ス総 員 に 講 演 す
午後 犬 塚太 郎 少 将告 別。
晴
寺 尾 来 る。 血 圧 、 右 一八 〇 、 左 一八 五 、 不 可 解也 。
晴 暑 来
七月 二 十 日 月
す。
﹁ミ グ レ ニン﹂ 良 し 。
松 下 権 八来 る 。 村 中 、 磯 部 執 行 明 日 頃 と 伝 ふ 。 気 分 少 し 良 好 、
七月十六日 木
夕 、 一六 〇、 一六 五、 余 り 下 る のに 驚 く 。
真 崎 勝 次 来 る。 休 養 、 大 に気 分 良 し 。
晴
︹ 欄外︺防 空 演 習 始 る。 七月 二十 一日 火
晴 暑
松 下 権 八 来 る 。 松 平 宮 相 の硬化 を 告 ぐ 。
寺 尾謝 礼 五 〇 円 、 ウ イ ス キ ー上 壱 本 。 七月十七日 金
夕星ケ岡に千代、実を伴ふ。 実、武藤宅訪問。
高 木 陸 郎 筥書 之 礼 に来 る。 伊 豆山 相 模 屋 ﹁ 平 野 某 ﹂ に依 り 高 木 別
﹁エ ルナ モ ン﹂ 注射 薬 、 三 共 薬店 。
荘 使 用 を 申 出 づ 。多 謝 す。
景 岳 会 会 報 に付 相 談 会 。
晴 暑
酒井茂吉大佐 ︹ 大阪艦政本部監督官︺来 訪 。
七月 二十 二日 水
七月十八日 土
佐 賀 宇 都 宮 大 佐 の紹 介 に て佐 賀 人 二名 来 る。 真 崎 大 将 見 舞 の為 也 。
二 ・二六 事 件 御 報 告 、 賢 所 参 集 す ( 参 内)。 小 笠 原 に会 ふ 。
解戒厳令る。百四十三日間也。
防空 第 三夜 。
委 托 学 生 に 付 、五 郎 官 報 に 見 え ず 、失 望 す ( 十 六 日 発 表 せ られ た
宇垣弘 之書 ( 喜 多 某 の督 促 の 件 に 付 )、 右 に依 り 加 藤 久 を 喚 寄 せ
七月 二十 三日 木
実 と 幸 鮨 に行 く 。
処理せしむ。山崎と加久と之関係にて既に払済之由。
野 口某 外 一名 佐 賀 青 年 学 校 教 諭 来 る。 武 藤 夫 人 、 南 郷 次 郎 、 加 藤
り )。
福 田市 太 郎 来 る ( 桃 を 贈 る)。 返 礼 に 支 那 古 墨 及筆 を 呈 す 。
久 及 同 兄 、 関 係僧 来 る。
喜 多 某 之 内 容 証 明 書 来 る 。 小 笠 原 祝 賀事 務 所 電話 料 云 々 に付 。
実帰宅。
実 と 共 に伊 豆 山相 模 屋 に至 り 休 養 す 。
晴 暑 九 十 度
長谷 川 次 官 予 の見 舞 を 兼 ね 五郎 之 断 り に 来 る 。 千 代 高 杉 局 長 に 謝
晴 大 暑
す。
寺島 水道 に て 間宮 、 五十 五 SS損 傷 。
五 ・三 〇 P実 を伴 ひ熱 海 町伊 豆 山 相 模 屋 に行 く 。 九 州 方 面 颱 風 。
意見を聴く。
午前橋本 ︹ 虎之助︺陸 中 将 ︹ 予備︺来 り 日 露協 会 に 付 陸 軍 露 士 亜 通 の
七月 二十九日 水
大 暑 九十 六度
夕刻 より 関東 曇 と な る。
七月二十 四日 金
助成 機 関と し 、蘇 関 係 の為 め に は協 会 内 に 一の ﹁セ ク シ ヨ ン﹂ を
置 と し て は当 分 此 ま ゝと し 、好 機 蘇 関係 を 断 ち 純 文 化 経 済 之 研 究
力 な る ﹁スパ イ﹂ 証 拠あ る 人物 あ り。 此 のま ゝ発 展 却 て有 害 、 処
一偏 務 的 な る の み な らず 会 員中 上 田半 三 ( 通 信 社 ) の如 き 其 他 有
伊 豆 方 面大 雨 。 雨 中 に実 と 高 木 別 荘 を 見 分 。
置 き 、 小 数 人 に依 り て 蘇 と 連 絡 せ し む る 事 、 ﹁モ ス コー﹂ の文 化
関東 大 雨
午 後 晴 れ。 万 平 に昼 食 。 男 装 之 女 に不 快 を 抱 く 。
︹ 欄外︺相 模 屋 に 一泊 。
夕 一〇 ・五 四熱 海 発 、 実 佐 世 保 に帰 る 。 此 度 之 清 遊 を 大 に 喜 び 、
し 工 場 資源 を 調 ぶ。 尚 ほ ﹁ハルビ ン﹂ 陳 列 所 を 莫 斯 科 に延 長 し 有 ︹ 諜︺ 力 な る 牒報 と 商 工進 出 の機 関た ら しむ るを 可 と す 。
上 田 某 は 犯 罪 の確 証 あ り ( 憲 兵 握 る)。 蘇 は 北 満 物 資 交 付 を 利 用
協会 の如く す 。本 会 に は近 寄 ら し ︹ め︺ざ る事 。
晴 大 暑
︹ 欄外︺ 伊 豆 山 泊 、相 模 屋 。
命 の洗 濯 と 謝 す 。
七月 二十 五日 土 前 九 ・五 五熱 海 発 帰 宅 す 。 本 日大 暑 。
相 模 屋 大 に廉 也 。
小笠 原来 訪 、伊 藤 博 文 公 書 二を 貸 与 す 。
素 子母 子来 る。
雅叙 園 に午 餐 。
武藤 夫 人来 訪 。孝 治 と 真 崎 勝 次 少 将 訪 問 。 終 て丸 子 玉 川 へ。 目 黒
七月 三十 日 木
七月 三十 一日 金
大 暑 九 十 五度
大暑、静養、在宅。訪問者なし。
七月 二十六日 日
大暑近来稀也
︹ 欄外︺今 直 に 蘇 も 除 外 す る は 角 立 つ故 、 良 き機 会 を見 る事 。
七月 二十七日 月
上野 動 物 園 ヒ ヨ ウ逸 出 、 大 騒 ぎ 。 数 百 の銃 隊 上 野 付 近 を 包 囲 す 。
松 下 権 八来 る。 孝 治 帰 京 。 仁 、 五 郎 出 迎 ふ 。 夕食 を 倶 に す 。夕 無 風難堪、蚊又た出づ。
孝 治 帰 呉 、 千 代 見 送 る。
大暑
田結 大 佐 来 り 、 仏 レジ ヨ ンド ノー ルの 叙 勲受 否 を 問 ふ 。 大角 は 予
晴
の意 見 に 従 ふ と 。 予 は 海 軍 の意 見 に 任 せ受 領 す と 答 ふ 。
八月 一日 土
仁 寿 に貴 重 品 を 預 け 入 る。
前 八 ・ 一〇 千 代 、 五郎 、 秀 を 伴 ひ 伊 豆 山 高 木 別 荘 雲 洋 亭 に 入 る 。
大暑
武 藤 元 帥 三 年 祭 、 護 国 寺墓 前 祭 。 千 代 、素 子と 参 列挨 拶 す 。
監理人平野勇太郎夫婦世話す。
七月 二十八日 火
午 前 真 崎 大 将 夫 人 、 後 勝 次 少 将来 る 。
八月十日 月
晴
横 須 賀 三 笠 追 悼 会 出 席 を 辞 し 、 五 円 玉串 料 ト シ テ市 川 中佐 に頼 む 。
午 前 驟 雨 涼 し
一日 中 涼 風 あ り 、 驟 雨 。 日本 海 に高 気 圧、 小 笠 原 に低 気 圧 の変 調
八月二日 日
八月十 二日 水
夕 寛 一、 満 佐 夫 来 る 。
風 光名 媚 凉気 人 に爽 快 を 覚 へしむ 。
に て 熱 海 始 関東 一帯 二 十 三度 に 下 る 。秋 模 様 に て近 来 の番 狂 は せ と云ふ。
四百 米 に ﹁メ デイ カ ﹂ 又 々勝 つ。
千代郵便局より卅円受取る。
八月十 三日 木
曇 涼
八月三日 月
八月十 四日 金
川 島 秘 書 下 郷 代 理 と し て見 舞 に 来 り 品 々贈 る 。
海 大 講 演 の校 正 再書 。
新 聞 始 め て 来 る 。 涼 気 の 為 め 元気 満 つ。相 模 屋 、 平 野勇 太 郎 宅 訪
昨夜来之不快全癒、快爽を覚ゆ。
此両 三 日残 暑 最 烈 。
残暑
問。 八月四日 火
曇 午 後 日を 見 る
五郎 帰 京 。 海 大 原 稿 成 る 。
千 五 百米 予撰 優 勝 。 決 勝 に油 断 す な 。 百 米 、 四百 皆 然 り 。 油 断負
夕熱海散歩。
也。
快 晴 夏 帰 る
京 都 下 郷 に礼 状 を 出 す 。
八月 五日 水
午 後 少 しく 温 度 上 る 。
伯 林 オ リ ムピ ツ ク大 敗 。 伊 豆 山 着 以 来 始 め て 暑 を 感 ず 。
八月十 五日 土
南次郎台湾総督発表。
小 笠 原 より 心 尽之 食 料 品 来 る。 直 に懇 書 礼 状 を 出 す 。
少 しく 冷 風
八月六日 木
半晴
午 後 晴 れ しも 驟雨 あ り 。 暑 気 稍 下 向 す 。
﹁オ リ ツムピ ツク﹂ 伯林 大 会 閉 会 。
暑気 稍 大
二 百 米 平泳 、 千 五 百 長泳 に葉 室 優 勝 し、 水 泳 覇 辛 ふ じ て維 持 さ る 。
半晴
八月七日 金
八月十六 日 日 ︹マ マ︺
終 日読 書 。 散 髪 。
釣 堀 へ。
田島 ︹ 直人︺、 原 田 ︹ 正夫︺の 16米 跳 飛 優 勝 に て新 聞 賑 ふ 。 八月八日 土
秀、光交代す。
︹マ マ ︺
初島 に龍 宮 船 に て遊 ぶ。 東 京 三越 実 村 夫 婦 と 遇 然 同 行 。 午 後 一 ・
八月十七日 月
晴 稍 涼
三 〇 頃 帰 る 。 初島 小 学 校 長 大 に歓 迎 す 。
真 崎 少 将 、 関 根 、 下 郷 鉢 合 せ に て来 り 大 取込 、 妙 な 廻 はり 合 せ也 。
曇 冷 風来 る 伯 林 水 泳競 技 初 日 。
餐 に誘 は れ し も 真 崎 之 為 断 は る 。
関根 哈 爾 賓 学 校 問 題 を 報 告 す 。 関 根 菓 物 を 持参 す 。 下 郷 同 断 。午
末 次 虎 次 郎 、斎 藤 武 五郎 来 訪 。 甲 は 普 選 廃 止 に 、 乙 は 電 力 国 営 反
午 前 多 田 一□ ( 伊 豆 山 の成 功 者 ) 来 訪 す 。
対 に付 進 言 。 末 次 は首 相 を □ □ □ に 説 く と 。
晴
八月十 八日 火
晴 暑 大
稍 冷 気 。 農 作 無 雨 に憂 色 あ り 。
八月 二 十 四日 月
初 夜 大 雨 。 千 代 、 光 熱 海 へ散 歩 、 幸 に 濡 れ ず 。
晴
早朝川島、高橋運転手来 る ( 仁 寿)。
八月十九日 水 連 日雨 降 ら ず 。 田 圃 艱 む 。
小島静子、小島すなお両人来る。
孝 治 紹 介 の飯 塚 聖 林 画 伯 予 之 書 之 礼 に 来 り 、 鶴 の幅 一を 贈 る 。余
晴 涼
八月 二十日 木
り上出来ならず。
松下権八来り壮語。昼食を共にし帰京す。
午 前 加 藤 久 、 関 東 郷 寺 住 職 外 若 僧 一名 来 る 。 水 瓜を 持 参 す 。
元 水 兵 坂 元武 夫 の案 内 に て 某 女 官 の 新 宅 を 見 分 す ( 借家 とす る
︹マ マ ︺
会 す 。 松 井 謙 保 遇 然 来 会 、 大 に 歓 を 尽 し 、 明午 前 二 ・ 一〇沼 津 よ
夕 、 立 雄 氏 満 洲 よ り 佐 世 保 を 経 て 来 訪 、 夕食 を 倶 に し 三島 常 盤 に
晴 残 暑 大
︹ 欄 外︺ 毎 日 来 客 に苦 しむ 。
由 )。
り帰豆す。松井沼津まで送る。
八月 二十 五日 火
七 三 〇 ミ リ颱 風 南 大 東 島 に 現 は る 。
此両三日訪客に忙し。
千 代 恩 給 之 内 三 十 円 受 取 る 。 千 代 と 共 に夕 相 模 屋 に 晩餐 を 取 る 。
雨 後 晴 雨 十 分 な ら ず
八月 二十 一日 金
成 都 に於 て大 毎 記 者 某 他 四 名 殺 傷 さ る 。 問 題 重 大化 せ ん と す。
蒸 暑 夕 よ り 雨 夜 中 大 雨
終 日草 取 り 、 庭 内 清 浄 化 す 。
八月 二十六日 水
千 代 大 に 喜 ぶ。
二十 九 日帰 京 の準 備 也 。
小 雨 大 に蒸 し 暑 し
約 半 ケ 月 振 の雨 来 る 。 但 し 十 分 な ら ず 。 立雄伊豆に滞在。
午 前 松 井 謙 保 と 立 雄 来 る 。 松 井 よ り鮮 鯛 一尾 を 贈 ら る。 美 味 。 相
八月 二十七日 木
八月 二十 二日 土
共に快飲す。 ︹ 石︺ 松井磐根 ︹ 陸軍︺大 将 ︹ 予備︺南 総 督 を見 送 り後 来 訪 す 。 高 木 陸 郎 氏
平 野 勇 太 郎 来 り 揮 毫 を 相 模 屋 の為依 頼 を受 。
半 晴 蒸 暑
半 晴 昨 日 よ り も 蒸 暑 湿度 多 し
も 引 続 き 訪 来 。 今 日 も来 客 の鉢 合 せ也 。
終 日立 雄 を 待 つ、 来 ら ず 。 八月 二十 八日 金
夕 仁 来 る 。 夜 半 と て 聊 か 見出 し に苦 めり と 。 千 代 は 仁 の靴 音 に て
晴 暑気 戻 る 夕 大 雨
彼 の近 き に 来 れ る を 知り 迎 え 入 る 。 八月 二 十 三日 日
ぶ。
向 け 見 送 り 、 山 路 伊 豆 山 神 社 に 詣 で坂 路 を 下 り 帰荘 す 。健 脚 に喜
午 前 立 雄 来 る。 東 京 又 暑 気 戻 る と 。 午 後 二 ・三 〇 予 は 彼を 沼津 に
介す ( 諾 )。 夕 佐 藤 病 院 に治 療 。
村 田 英彦 来 る。 豊 島 道 場 開 き に臨 場 を 求 む 。 断 り 、 有 馬 大 将 を 紹
素 子 母子 磯 部 に受 診 す 。
日 中 大暑 。 坂 井 一意 来 る。
八月 三十 一日 月
寛 一来 る 。素 子 母 子 一泊 。
日中 蒸 暑 夕 よ り 大 雷 雨 涼 気 来 る
以上 に湯 送 料 毎 月 八円 を 含 む と 。
坂 本 武 夫 来 り 女 官 の別 荘 一年 契 約 す れ ば 四五 円 に て 宜 し く ( 月)
九月 一日 火
曇 小 雨 涼
平野 へ、 福 寿 海 無 量 、 福 生 於 清 約 。
揮 毫 、 相 模 屋 雲 影 飛 鶴 □ 雨 (ヨ) 無 □ □ 人 、 水 光 接 天 。
森岡 ︹ 二朗︺ ( 元青 森 県 知 事 ) 台 湾 政 務 長 官 と な る 。
午 前 高 木 陸 郎 を 訪 問、 謝 礼 と し て銀 製 煙 草 盆 を 贈 る 。
晴 東 京 、伊 豆 山 共 に蒸 熱 伊 豆 山 九 三度
︹ 欄 外︺ 坂 元 、 貫 至誠 、誠 の 一□、 多 田、 呑 天無 偽 。 八月 二十 九日 土
富 山井村荒喜 ︹ 不二越鋼材工業社長︺よ り 鮎 来 る。 小 笠 原 に七 尾 を 贈
九月 二日 水
る。
稀有と云ふ
午 前 荒 井 画 伯 を 見 舞 。 千 代 も 同 断 。 松 下、 名 取 針 造 に紹 介 大 に 努
午 前 平 野及 大 工 一名 来 り 荷 物 整 へ、 多 田 よ ひ 一□ も 見 舞 に 来 る 。
む 。午 後 予 一人 市 ケ谷 見 附 名 取 に行 き 治 療 す 。 大 に 快 。 荒 井 躊 躇
蒸 熱 午 後 驟 雨
一ケ 月之 感 興 大 也 。
午 後 二 ・二 五熱 海 発 帰 宅 。 相 模 屋 養 子 、 平 野 夫 婦 見 送 る 。 頗 親 切 、
す 。 長谷 川 に荒 井 之 為 救 助 を 求 む 。 宮 古 、 函 館 海 戦 画 之 補 綴 四 〇
〇 円 也 に就 て也 。 長谷 川 諾 。 金 額 ? に付 速 達 を ﹁長 ﹂に 送 り 額 を
浜町 佐 藤 病 院 に腫 物 を 診 察 乞 ふ 。
示す。
揮 毫 を 多 数 に残 す 。 八月 三十日 日
九月 三日 木
晴 大 暑 九 十 三 、 四度
松 下 権 八 来 る。 末 次 の件 九 条 ︹ 道秀︺公 ︹ 貴族院議員︺に 申 出 、 伏 見
早朝 荒 井 夫 人を 次 官 許 へ、 三 〇 〇円 を 受 取 ら し む 。
蒸 暑 夕 立 雷 鳴
小林 躋 造 大 将 台 湾 総 督 発 表 。
宮 に御 伝 せ る旨 報 告 す 。
午 後 佐 藤 若 先 生 わ ざ〓
鈴 木 某 陸 士 の母 来 り ﹁フア ン フ レ ツト ﹂ を 示 さ ん と す と 。 予 不 在
飛島 知 人 実 の縁 女 を 橋 渡 す 。
小 笠 原来 り 歌右 衛 門 三世 の碑 字 を 予 に托 す 。
午 前 佐 藤 病 院、 正 午 名 取 へ腫 物 電 熱 療 法 、 切 開 せ ず 。
夕関住職えびを持参す。面会せず。
来診。
坂 本 の 関と 云 ふ?
に付 帰 る。
寛 一及 母 子 来 る。 会 食 。
袴 羽織 書 生 を 伴 ふ車 内 婦 人 あ り 。
仏 大 使 館 に授 勲 の礼 、 了 て佐 藤 病 院 に。
尚喬より岐阜 の鮎十余尾来る。
夕 小 笠 原 に歌 右 衛 門 之 碑 字 を 持 参 す 。 真 崎 勝 次 仝 席 。
午 前 松 平 慶 民 子 に景 岳 全 集 編 纂 に 付 滋 賀 に 代 り 礼 訪 、 子 爵 に会 ふ 。
を伴ひ会長たら ︹ ん︺事 を 願 ふ 。 拒 否 し 署名 丈を 与 ふ。
塩 崎 より 美 事 な る ア レキ サ ンド リ ア 二筐 来 る。 一を 小 笠 原 に 贈 る 。
□
真崎少将来訪、政談す。
名 取 に光 子を 遣 はし 謝 礼 其 他 五円 と 藤 公 詩 文 を 送 る 。 金 は 受 取 ら
半 晴 蒸 熱 夕 又 雷 雨 涼 を齎 ら す
佐 藤 病 院 治 療 、 昨 日 の如 く 電 熱 化 膿 を 促 す 。
ず 。多 謝 す 。 奇 人也 。
九月四日 金
夕 頭 重 し 。 孝 も 来 訪 、 甚 し く 頭 痛 を 訴 ふ 。 雷 雨 来 り 涼 風起 る。
午 前 福 田 市 太 郎 国 旗 国 産 運 動 者 、 県 人 職物 業 者 ( 武 生 の 人) 二名
理髪。伊勢丹、鮨。
九月九日 水
半 晴 霧 蒸 暑
不 相変 蒸 熱 に苦 しむ 。 夜 殊 に甚 し 。
︹ 欄外︺ 佐 藤 に て 摘 出 、 少 し 痛 む 。
九月 五日 土
午 後素 子 母 子来 る。
半 晴 蒸 熱 不 止
名 取 第 三 日。 電 熱 療 三 回 。
飛 島 よ り 九 頭龍 川鮎 三 十余 尾来 る。 返 礼 と し て塩 崎 送 り の ﹁ア レ
名取を休む。
午 前 佐 藤 病 院 に、 夫 よ り 名 取 針 療 に 行 く 。 名 取 の治 療 少 し く 荒 し 。
キ サ ンド リ ヤ﹂ (小 笠 原 へのと 同 じ く 一筐 八円 位 ) を 贈 る。 妻 君 よ り の電 話 礼 あ り。
︹マ マ ︺
荒 井 よ り 名 取 治 療 を 諾 し 来 る 。 暫 ら く 待 てと 命 ず 。 彼 れ 決 心 せ り 。
夕松竹に行く。
︹マ マ︺
寛 二、 松 下来 る。 名 取 にも 行 け り と 、 九月 六日 日
荒 井 陸 男 、寺 尾 に鮎 を 贈 る 。
近 日来 の蒸 熱
佐藤、名取を休む。宅療。膿心出づ。
九月十日 木
曇 稍涼
終 日歌 右 衛 門 之 碑 を 認 む 。 物 にな ら ず 。
午 前 原 田 、 松 下 来 る 。 松 下 に名 取 に 礼金 五 円を 渡 し手 渡 を 乞 ふ。 千代海晏寺に墓参す。
松下荒木之決意を語る? 也。
晴 暑 大
宅在揮毫 。 九月七日 月
荒 井 陸 男 夫 婦 名 取 よ り 帰 路 立 寄り 礼 を述 ぶ 。
佐 藤 に行 く。
千 葉 県吉 田村 特 志献 金 、平 山 美 代 之 兄、 同 完 山 に至 誠 動 天 地 の行
午後揮毫 。
九月十 一日 金
晴 暑 尚 続 く
草 二枚 と官 庁 書 額 ( 完 山 送 付 のも の) 一切 を 書 留 小 包 に て送 付 す 。
マ︺
富山富士製鋼井村社長来る。
︹マ
村 上鋠 吉 之 来 訪 を乞 ひ 東 郷 寺 会監 督 を依 頼 す 。 晴 大暑
手数なり。 九月八日 火
夕 雨 始 め て冷 気 を 齎 ら す 。
長谷川より荒井陸男之中傷を聞く。
景岳会幹事会を小石川輔仁会に開く。予出席を断る。
朝 冷 昼 前 後 暑 気 あ り
千代千坂を千駄ケ谷に訪ふ。
( 光 顕寺 之為 )。
日清 役 黄 海 々戦 記 念 日、 水 交 社 へ行 き 、 帰 路 市 城 崎 を 連 れ 戻 る 。
曇 八 月 以 来 始 め て の冷 気 爽快 を 覚 ゆ
九月十七日 木
( 歌右 衛 門 二 男) 来 る。
中 村 吉 右 衛 門 、 波 野 辰 次郎
晴 稍涼
午 後 千 代 を 宮 村 に 遣 は し銀 盆 の記 名 なき を 確 む 。 後 ち 幸 鮨 に行 く 。 荒井発熱と報ず? 九月十二日 土
﹁ピ ゴ ツト ﹂ よ り 面 会 を 申 込 し も 断 る 。 九月十 八日 金
高木陸郎来る。 島崎中佐、武藤夫人来訪。
午 前 田中 清 治 郎 来 る 。 協 会 の事 に 付 揮毫
九月十三日 日
九月十九日 土
晴
松 下 権 八 名 取 之 診察 料 を 返却 し来 る 。
午前佐藤病院、之にて了る。
終 日揮 毫 。 昨 日 と 合 せ 三 十 枚 を 仕 上 ぐ ( 福 井光 顕 寺 之為 )。
曇 小 雨
上 野 院 展 、精 養 軒 に て 山 田 に会 ふ。 夕 孝 来 る。 宗 像 代 理 人 に坂 本
夕千代と三越に行き ( 幸 鮨 に も) 飛 島 に 出 産 之 祝 物を 贈 る 。
九月十四日 月
九月 二十日 日
晴
竜 馬 の 讃 を交 付 す。
明 光 塾 田村 、 松 下 権 八 、 柴 田弥 一郎 ︹ 大佐、軍令部出仕︺ ( 欧 米 へ)、
石川中佐、加藤久来る。共に懇談。
曇
村 上鋠 吉 来訪 。
鄭重。
飛島繁 ︹ 飛島組社長︺長 女 成 子 七 夜 に 付 九 段 同 氏 邸 に招 か れ 晩 餐 、
晴 暑尚 不去
荒 井伊 豆 山 に行 く。 九月十 五日 火
予 よ り 銀 製 ベビ ー セ ツト を 贈 る 。 十 七 ・五 円。
有 坂〓 蔵 ︹ 中将、予備︺来 る。
九月十 六日 水
九月二十 二日 火
左 内 先 生 画 像 の讃を 認 む 。
在 宅 。 夕 千 代 仁 寿講 堂 へ。
九月 二十 一日 月
田 中清 次 郎 に付 日露 協 会 解 散 を 勧 告 し、 倉 知 の卑 怯 を 責 む 。 ︹ 伎︺ 午 後 須 直 、千 代 を伴 ひ歌 舞 技 に行 く 。
松 下権 八 来 る。 夕 古 河 商 業 校 長 、 福 井 県 人 生 駒 某 来 り 講 演 を 乞 ふ 。
下郷寅吉 ︹ 伝平長男、日本生命保険京都支店長︺夫 婦 、 小 供 、 真 崎 少 将 、
加 久 よ り 関 こ う よう と 東 郷 元 帥之 関 係を 聴 く。 ︹ 珍︺ 雨 稀 しき 冷 気 肌寒 し
断 る。
晴 か ら風 強
福 井秀 康 公 建 立 、 村 田墓 地 光 顕 住 職 予 に 書 を 乞 ふ 。 寄 付 金 の礼 と
小 林省 三 郎 来 る 。
曇
し て 三十 枚 を 頼 ま る。
司 法省 内 談話 会 へ出 席 。
仁 の部 下野 蒜 某 来 り 松 の盆 栽 を 贈 る。 書 の礼 に し て 感 激 大 也 。
杉山明久 ︹ 三井物産社員︺ 、品川主計。
田中 清 次 郎 に有 田 ︹ 八郎、外務大臣︺と 予 の談 話 を 知 ら す 。
午 前 堀 内 信 水 君 の為 め 跋 を 認 む 。
松田 ︹ 道一 ︺元 大 使 ︹ 宮内省御用掛︺の談 あ り 。 九月 二十三日 水
晴 秋 晴
参 内 。 伏 見宮 へ奉伺 。 日 の出 社 員 大 久 保 奈 夫 に ﹁ 左 内 之 国策 ﹂ を
晴
九月 二十 八日 月
︹ 欄外︺ ﹁賢 所 に て の話﹂。
千 代 、 ウイ ク タ ー十 周 年 記 念 に 予 の代 り と し て東 劇 に行 く 。 大 に
晴 昼稍 暑
九月 二十四日 木
面 白 かり し と 。
与ふ。
電 話 に て 新潮 社 に 大 久 保 を 尋 ね督 促 す 。 ︹マ マ ︺
夕、大東京に影画を見る。
の批 評 を 送 る。
堀 内 に跋 を 送 る。 松 波 ︹ 仁 一郎、全国大学教授連盟会長︺に ﹁盲 の垣 覗 ﹂
九月二十 九日 火
晴 日 中 暑あ り
鹿 蒜 小 学 へ幟 旒 揮毫 之事 。
午 前 今 立裕 来 り 飛 島 に就 き 報 告 す 。 福 田耕 を 動 かす こと 。
九月 二十五日 金 堀内中将 ( 文 三 郎) 来 る 。
半 晴 午 後 雨
国体博を見る。
末 次 夫 人来 る 。亀 谷 慎 一来 り長 談 す 。
午前 飛島 失 人 来 る 。 注意 を 与 ふ 。
半晴
松 下権 八来 る 。 平 沼 に付 報 告す 。
九月三十 日 水
夕降 雨 。九 時 月出 づ 。
石原北夫来る ( 不 在)。 ﹁日 の出 ﹂ に 左 内 の日 本 国 策 を 与 ふ ( 大 久 保康 夫)。
九月 二十六日 土
石 原 来 る 。 景岳 会 に 付親 切 に 語 る 。
曇 午 後 雨
福 井 在 郷 乃 木 将 軍 感 状 所 有 者 岩 村 次 郎 作 来 り 書 を 乞 ふ。 ﹁ 積善 余
秀 の妹 来 る 。 秀 に 代 る 也 。
慶 ﹂ の軸 を 与 ふ 。
理髪。其留守 に井上源太大佐来 る ( 約 束 を 忘 る)。 沢 田 嘉 寿 種 大
仲秋 明 月時 々 全 見 す 。
﹁ク ル バ ンガ リ﹂、 加 藤 久 来 る 。
佐来る。
坂 井 一意 来 る 。 尾 崎 税 ( 著 書 の件)。
十月 一日 木
坂 井 一意 、 真 崎 勝次 少 将 来 る 。
曇
日露 協 会 に行 く 。 橋 本 中 将 、 倉 知 、 田 中 清 。
九月 二十七日 日
支那関係緊迫。
雨 颱 風 の玉 子 の如 き も の来 る
本 田仙 太 郎 、 九 州 中 野 昇 を 仝 伴 し 来 る 。
本 田仙 太 郎 海 晏 寺 に 来 訪 す 。 昨 日 の予 の懐 旧 談 に 感 激 せ る 也 。
山 本 英 輔 大 将 予 を 見 舞 に 来 る 。 一時 間余 時 事 を 談 ず 。
を 書 し た る も のを 交 付 す 。 君 大 に喜 ぶ 。蓋 し最 貴 重 の品 な る べ し。
今 朝 侍 従 長 交 代 の新 聞 ( 各 ) 報 一斉 に 顕 は る。 松 下之 を 憂 ひ ( 候
颱 風起 生 、警 戒 。 十 月二日 金
補 者 に 就 而) 来 る 。
大平洋沿岸大警戒
堀 哲 山 本 伝 記 の為 め来 訪 。 相 談 役 た ら ん 事 を 乞 ふ 。 諾 。 時 枝 大 学
十月六日 火
朝 は無 風 、 正 午 頃 よ り 強 風 と な り 雨 多 量 。 漸 次 暴 風 化 す 。 然 れ ど
午 前 三笠 宮 ︹ 崇仁親王︺殿 下御 祝 詞 の為 参 殿 す 。 大 宮 御 所 又 同 じ 。
十月 三日 土
千代和泉丁に行く。
石 原 北 夫 来 り 景岳 会 に 付大 に努 む 。
祝 賀会 あ り 。 岡 田遠 慮 す 。
揮 毫 。 夕 東 京 会 館 に於 て松 平侯 、猪 野 毛 、 松 井 命 中 将 ︹ 工兵監︺の
雨 716 の颱 風 大 東 島 附 近
生 来 る 。加 藤 久 来 る。
も 予想 より は弱 し。 夕 方 の天 候 気 遣 は る 。 多 分 房 総 半 島 に 上 陸 か
十月七日 水
曇 半晴
千 代大 倉 彦 一郎 氏 ︹ 大倉商事取締役︺に礼 訪 す 。
又 は其 南 方 通 過 か。
午 後 三 時 よ り 千 住 回向 院墓 前 祭 。 挨 拶 。 永 井其 他 の忠 実 を 賞 す 。
雨 颱 風 相 模 灘 沖 6 71
時 枝 の為 め川 崎 造 船 吉 岡 ︹ 保貞、川崎造船所艦船工場所長︺に 紹 介 状 を 認
金 六 円 玉 串料 と し て納 む。
曇 時 々 小 雨
め送 る。 夕 仁 の送 れ る切 符 に て ﹁カ ブ キ ﹂ に 行 き 吉 右 衛 門 の劇 見
松 平 両爵 不参 、 侯爵 代 理来 る 。
四時 会 。
恒 雄之 意 中を 告 ぐ。 日蔭 に て尽 力 を 告 げ し む 。 本 日之 会 見 少 し く
午 前 松 下権 八 。 長島 隆 二 (P M推 挙 に来 る、 不 適 の旨 断 る) 松 平
十 月八日 木
猪 野毛 利 栄参 拝 す。
割 る ゝ如 き 好 日和 、 人 出 多 し 。
真 面目なり。鈴木要三郎、東郷吉太郎 ︹ 中将、予備︺ ( 東 郷家買収調
近 来 の秋 晴
物 なり 。 颱 風 房 総 の南 方 を 通 過 し 本 土 に 沿 つて 北 上 す 。
堀 内 嘱 の巻 物 へ揮 毫 。
停 に付 予 の意 見 を 尋 ぬ)。
十月 四日 日
千代東松原真崎を訪ふ。
十月 九日 金
半 晴 稍 蒸 暑
夕 四時 坂 本 俊 篤 ︹ 中将、予備︺ 、 三宅 雄 次 郎 の 両先 輩 出 席 外 級 員 十 二
十月 五日 月
不在 中 向 山 来 る。
午 後 松 下 の為 御 製 揮 毫 、 大 全 紙 。
書 を 与 ふ。
晴
名 。 燃 料 と 支 那 問 題 に 花 咲 く 。 北 海 道 大 荒 れ 、御 統 監御 中 止。
虎 門金 刀 比羅 宮 大 祭 に参 列 。 供 物 饗 膳 を 戴 く 。 竹 内 早 朝 に 来 る 。
侍 従 長 後 任 、 新 聞 報 。 安 保 、 大 角 、 野 村 を排 す こ と 甚 し 。
晴
札 幌 装 飾 悉 く 吹 飛 ば さ る 。 ﹁七 一〇 ミ リ﹂。
松 下 権 八 来 る 。 堀 内 文 次 郎 君 を 訪 問 し 、 山 県 元帥 之巻 物 に 予 の跋
鴻 の台 に遊 ぶ 。 華 之 家 、 鴻 月 。
十月十 四日 水
快 晴 秋 晴
十月十日 土
十月十 五日 木
関 根 主 事 来 る 。 廿 一日 日露 協 会 の晩 餐 会 に 同 意 す 。
竹 内 賀 久 治 に書 を 与 ふ 。
長谷川浩に讃 ( 予) 画 を 返却 す 。
海 晏 寺参 詣 。 其 前 に 隠 岐 紹介 の後 藤 某 前代 議 士来 る 。 不相 変 推 薦
陽水力電気代表取締役︺、 今 成 慈 孝 、 中 出 武 次 ( 吉田孟子 ︹ 少将、予備︺)、
熊 谷五右衛門 ︹ 衆議院議員︺ 、関精拙 ︹ 臨済宗天龍寺住職︺ 、 藤岡芳蔵 ︹ 山
半晴
状 な り 。 断 る も 執 念 づ よ く 頼 む に 依 り 序 文 を 諾す 。
晴
千代満佐夫と豊島園に行く。仁寿運動会也。
十月十 一日 日
と粟を持参す ( 夫 婦 揃 て)。 羊 羹 を 礼 と す 。 ︹ 池︺ 菊 地 武 徳 紹 介 之 日満 之 理事 某 来 る 。 不 面 会 。 小 笠 原 と真 崎 に ﹁メ
福 井 県 奉 耕 者 石 倉伊 右 衛 門 、 同池 端 幸 一、 増永 廉 三紹 介 に て新 穀
晴
五 十嵐 岩 見 ( ド モリ)。
満 佐 夫 千 代 と 安 眠。 早 朝 花 園 神 社 に予 と 二人 参 詣 す 。
ロ ン﹂ を 送 る 。
十月十六日 金
寛 一と 石神 井 日銀 運動 会 に行 く 。
安保松代子告別式に参列す。千代参拝。
︹ 欄 外︺ 満佐 夫 始 め て宿 り 。
小笠原子と大阪之女と女婿来訪、書之礼也。
寛 一と夕 食 を 倶 にす 。
半 晴 曇
早朝 孝 来 る 。 ﹁パ ラ オ﹂ 某 に就 き 。
関根主事来る。
小笠 原岐 阜 に立 つ。
半 晴 幸 に雨 な し
十 月十 二日 月
関 、加 藤 久 、 病 気 見 舞 と し て来 る。
理髪。竹内、真崎来 る ( 要 談 )。 両 人 後 荒 木 大 将 に 趣 く 。
素 子 母 子来 る。
十月十七日 土
孝 友人 ( パ ラ オ 之事 業 者) を 軍令 部 藤 野副 官 に紹 介 す 。 ︹ 欽︺ 長 尾 欣 弥 の安 着 を 祝 ふ 。 P ・C を出 す 。
千代恩給受取に二時間余待せらる。
半晴
烏 山 海 老 塚 氏 邸 梧 竹 展 覧 会 を 見 、梧 竹 先生 の 霊筆 に心 神 を 浄 す 。
宮内省梅園方竹 ( ぎ よ う 正)。
十 月十八日
雨 寛 一夫 婦 、 満 佐 夫 来 る 。
賢 所 (不参 )。
十月十 三日 火
十月十九日 月
︹ 欄外︺ 三 田綱 丁 一。
午前松下権八 ( 御 製 を 与 ふ)。
平沼を訪問、重要談。広田首相に忠告を約せしむ ( 自 働 車往 復 )。
雨 冷
午 後 実 村 夫 婦 (三越 ) 来 る 。
雨
素子来 る ( 快 方 )。
午 後 田 園 調布 市 川機 中 将告 別 式 、 雨中 電 車 。
一枚 田 画 子 、 油 絵 を 持 参 す 。
︹ 誌︺ 雑 紙 南 北 に ﹁スチ ム ソ ン﹂ 観 を答 ふ 。 P ・C の短 書 なり 。
十月 二十日 火
而也。
十月二十 四日 土 快 晴 ︹ 朗︺ 日 本精 神 協 会 小 池源 太 郎 を 台 湾 森 岡 二郎 に紹 介 す 。 詔 勅 謹 解 に就
東 条 に 拝 観券 一。
藤 野 、森 川 に拝 観 券 を 頼 み 五枚 入 手 す 。
午 前 真 崎 勝 次 来 る。 終 日鎮 海 法 務 官 の為 揮 毫 。
登 別第 一滝 本 、 南 清 吉 来 訪 。
﹁メ ロン﹂ 黒 田 ︹ 長成︺侯 ︹ 枢密顧問官︺ 、 藤 野 寛 、 下 郷 へ。
夜 竹内 賀 久 治 来 る ( 平 沼 よ り 帰 途 )。
菊 池 と 井 上 子 息 に拝 観 券 を 送 る 。
午 後 下 郷来 り 油 絵 を 見 る ( 購 入 を 諾 す )。
事 如 元 き を 冀 ふ 。 諾 す 。 川 口来 る 。
午前村瀬 ( 清河 ︹ 純 一︺中 将 ︹ 予備︺親 戚) 来 る 。塾 聯 盟 之 会 老 た る
十月 二十 一日 水
元 伊 吹 前 砲 塔 旋 回 手 中 川 岳 曳 来 る 。 懐 旧 の情誘 ふ 。依 て ﹁ 誠心﹂
十月 二十 五日 日
三代 中 村 歌 右 衛 門 記 念 碑 除 幕 式 。 予 篆 額 を 書 す 。
南 郷次 郎 、 秋 沢 来 訪 。 村 松 春 水 に 書 を 与 ふ 。
午 前 雨 午 後 晴 颱 風 北 太 平 洋 に 逸 す
下郷 、 大 臣 よ り 招 待 さ る ( 艦) 愛 宕 へ。
加 藤 亮 一来 る 。 〓 社 辞 任 之報 。
を与ふ。
晴 秋 ば れ
午後駐蘇太田 ︹ 三郎︺、 重 光 ︹ 葵︺両 大 使 の為 晩 餐 会 を 主 宰 す 。 主 人
一枚 田 、 作 間 夫 婦 来 り 油絵 を 修 正 す 。
五 郎 又 酔 ふ 。 朝 波多 野 外 一名 に 送 ら れ て帰 る。 内 玄 関 の障 子 を 破
曇 稍 涼
と し て挨 拶 す 。 ︹ 欄外︺陛 下 奉 送 、 観 艦 式 御 親 閲 の為 也 。
壊 す 。 ﹁大 嗟 歎 之 至 り也 。嗚 呼 予 の罪 か﹂。
千 代 、 素 子 母 子多 摩 川 園 へ。
松 下孫 に自 動 車 玩 具を 贈 る。
十 月二十 二日 木 晴 ︹ 長︺ 松 下権八 ( 宮 相 談 に 就 て、 永 島 と 松 平と 会 見 談 に付 て 也)、作 間 応雄
吉 兵衛 門来 訪 。 明 日 の出 席 を 頼 む ( 不 参 )。
( 東 郷 元帥 油 絵 を 持 参 す と 告)。
支 那 交 渉 ﹁デ ツド ロ ツ ク﹂ に 近 し 。
早朝 孝 を 呼 び 絵 に就 而 話 す 。
半 晴 午 後 雨
井 上 閑 、 塩 崎 よ り 拝 観 券 の礼 状 来 る 。
十月 二十 六日 月
揮 毫 、 少 し く 疲 る。
快晴
中村歌右衛門 ( 三 代 目) 百 年 記 念 に 付 招 か る ( 不参 )。
十月 二十 三日 金
参拝 ( 不)御許しを願ふ。 ︹ 長︺ 永 島 隆 二 よ り 電 話 、 松 下 を 通 し て 予 の 注意 を 感 謝 す 。
一枚 田、 作 間 油 絵 を 仁 寿 に 持 参 し 三 百 円 を 受 領 。
蘇 大 使 晩 餐 会 を 辞 し倉 知 を し て 代 理 せ しむ ( 重 光 送 別 也 )。
晴
十 一月 一日 日
快 晴 秋 晴
満佐 夫 と動 物 園 に行 く。
十月 二十七日 火
泰東書院晩餐会、水交社、小笠原主宰、帰途車を供せらる。
夕 、 血 圧 240 220 に驚 く 。 ︹ 電池︺ 加 藤 久 、 関 、 京都 の吉報 を 齋 ら す 。島 津 二池 電主 人 、内 貴 染 料 、
仁 、横 浜 ア パ ー ト に移 る。
千 代 、 吉 祥 寺 功 へ。 神 田 嘉 瑞 穂 来 る 。 画 帳 に 書 を 与 ふ 。
師田 ︹ 庄左衛門︺請 負 人 ︹ 師田組代表社員︺( 福 井 人 ) 等 の出 金 内 諾 を報
田 中隆 義 来 る 。 三井 の仁 の先 輩 也 。
十月 二十 八日 水
ず。
日満 協 会 理 事 都 筑 〓 鎮 書 を 頼 む 。
重 光 駐 蘇 の為 め 外 相 午 餐 会 、 ユー レ ニ エ フ、 太 田 、 倉 知 、 田 中 、
十 一月 二日 月
午前芝鶴挨拶に来る。
樺山 ︹ 資英、貴族院議員︺ 、 田中 都 吉 ︹ 中外商業新報社社長︺等 陪 賓 。
午前理髪。午後小笠原を訪問す。次に軍医学校にて受診。血圧2 20 、
神 戸 大 観艦 式 、神 戸霧 之 為 行 進 観 艦 式 視 野極 少 、 但 し 十 時 頃 より
十 月二十九 日 木
十 一月 三日
石 原 外 三 名 三笠 刀 の筥 書 を 頼 み に来 る 。
千代古川を訪ふ。
抽 血 す 、 501 G。
快晴
千代 南 郷を 訪 ふ。 夕 奥 名 夫 婦 。
散 ぜ る 如 し 。 大 阪湾 之 早朝 は大 に考 へ物 也 。
晴 冷 気 風 強 し
橋 本 博 来 り 、 左 内 先 生 軸 に筥 書 乞 ふ。
午 後 池 上 本 門 寺 に 歌 右衛 門碑 を 見 分す 。 予之 字 ﹁門﹂ 少 しく 内 股
関、 加 久 来 り 写 真 を 取 る。 天 盃 一組 宛 与 ふ 。 三輪 、 富 田 退 会 を 命
参 内 、 十 一時 賜 餐 。
晴 霞
なりき。
加 藤 正雄 来 る。 祐 雄 の病 気 に就 而 。
ず。
快晴
素子母子来る。 十月三十日 金
晴
松 下 権 八 、 村 上 貞 一。
十月 三十 一日 土
加 藤 隆義 中 将 ︹ 第二艦隊司令長官︺来 る 。
釧 路 市 長佐 藤 ︹ 国司︺来 訪 。平 沼 男 に紹 介 す 。 快 諾 。
十 一月四日 水
半晴
上 野 博 物 館 に東 洋 陶 器 を 見 。
徳 富 秘 書 並 木 来 ら ず 。 直 に祝 賀 会出 席 を断 る ( 速 達 端 書 )。
千代 、素 子 山谷 の 借家 を 見 る。
此 日頭 痛 疲 労 甚 し く 顔 色 悪 し 。
千 代 軍 医 学 校 へ。
晴 稍 寒 午 暖
眠気 甚 しく 早 寝 す 。 下痢 あ り 。
東郷安来る。
千 代 和 泉 町 へ。
作 間応 雄 、 坂 井 一意 来 る。
十 一月 五日 木 十 一月十 日 火
逗 子 開成 中 学校 長鹿 江 三郎 来 る。 揮 毫 四を 与 ふ。
曇
午 後 福 井 軍医 大 佐 来 診 。 驚 く べき 血 圧 低 下 、 水 銀 170 、 普 190 。 用心
に 加 藤久 を仝 息 季 穂 之 家 に遣 は し諒 解 せし む ( 関 仝 行 )。
武 生 町 長 土 生氏 東 郷寺 寄 附 金 に付 師 田請 負 人 之 為 質 問 に 来 る。 直
夕 海 晏寺 へ。後 紅 葉 館 、 東 郷 安 ︹ 貴族院議員、日本無線電信社長︺之 招 待 。
曇 寒
に て斯 く 変 化 あ れ ば 大 丈 夫 と 云 ふ。 但 し 腎 臓 に 注 意 さ れ 、 ﹁スト ー ブ﹂ を 急 造 に仝 意 す 。
十 一月十 一日 水
雨 寒 し
午 後 十 時 重 光 出 発 見 送 る。
来訪 。
千 代 慈恵 へ。高 木 に会 見 。 八並 、 東 郷 安 、 福 田耕 、 井 上 、 関 夫 人
半 晴 暖
蘇 峯 祝 賀 会 出 席 断 る。 並 木 の打 合 せ な き を 以 て也 。 十 一月六日 金 松 下権 八来 る。
︹ 経宇、予備︺両 大 将出 席 す 。
二葉亭 に て二葉 会。平生 ︹ 釟三郎︺文 相 ︹ 貴族院議員︺ 、 荒木、 町田 ︹ママ ︺
松 下権 八 、京 都 島 津 代 表 安 立 、 師 田 等 と 共 に小 笠 原 、 関 、 加 久 来
十 一月十 二日 木
満 佐 夫 宿 る 。素 子 か ぶき ゑ。
満 佐 失 と 伊 勢 丹 ヘ聖 遊 す 。
十 一月七日 土
る 。指 導 精 神 を 示 す 。
新 聞 上 政 党 の陸 軍 反 感 起 る 。
伏 見 宮 園 遊 会 雨 に て御 延 期 。
午 後 、岸 科 来 り 、 津 上 退 去 の事 を 報 ず 。
晴
福井県参事会員山田静、長谷川次官紹介にて書 ( 八 幡 神社 額) 之
曇 冷 気 午 後 雨
礼 に銀 カ ツプ 三 個 を 贈 り 来 る 。
ピ ゴ ツト来 り ﹁ド ムゼ ル﹂ 之 書 を 手 交 す 。
快晴
猪 野 毛 利 栄 来 る。 ︹欠︺ 下郷 案 内 に て道 源 ( 徳 山) と□ に 招 か る 。
十 一月九日 月
村 田春 造 之 為 茅 場 丁 松 山 医 院 に 千 代 と 仝 行 、 縁 女 貰 受 。
十 一月十 五日 日
晴
勝 股 来 る。 題 字 を 与 ふ 。 真 崎 勝 次 少 将 、 加藤 久 、松 下権 八 (縁女
松山医師父来礼。
晴
十 一月十 四日 土
十 一月十 三日 金
加藤祐雄病死。
堀 内 、 関 夫 人 大 津 よ り 来 る。
十 一月 八日 日
曇 暖
午 後 加 藤 祐 雄 葬 儀 告 別 式 。 二 時 よ り伏 見 宮 園 遊会 。
高 尾 山 紅 葉 清 遊 、 快 適 。 夕 刻 帰 る。
之 事 )。 山 口 高 一 ( 南 多 摩 中 氷 川神 社 へ三 笠 剣 奉 納 者) 来 り 、 鱒
長 谷 川 次 官 来 訪 。 セ ロリ 、 サ ンキ スト を 送 る 。 床 次 弟 山 本 大 将 紹
晴 暖
と野菜を持参す。
介 に て来 る 。 十 一月 二十日 金
仏 鳥 人 シヤ ビ ー 佐 賀 県 背 振 山 に 墜 落 、 重 傷 す 。 本 日 午 後 六 時 頃 。
〇、 大 した こと 無 し と 云 ふ 。
午前 杉山世喜 三 ︹ 医学博士、日本特殊硝子工業他取締役︺来 診 、 血 圧 二 〇
十 一月十六日 月
十 一月二十 一日 土
加 藤 久 の電 話 あ り 。
端夫 ︹ 貴族院議員、日本国際協会副会長︺の大 平 洋 会 議 を 聴 く 。
夕 、談 話 会 、林 法 相 、 小 山 ︹ 松吉、法政大学総長︺、 土方 、 余 に て山 川
聞 を 騒が す 。 ︹ 隠︺ 山 端 と 其 友 人穏 岐 の人 来 る。 書 を 与 ふ 。
﹁シ ヤビ ー﹂ 之 遭 難 と 尾 去 沢 ダ ム崩 潰 の為 千 余 名 の死 傷 者 の報 新
晴 寒
秀也女急死。龍子と外二児熱に病。 古川結婚式、水交社。
秀也女子告別式、谷中埋葬 ( 後 一時)。 千 代 参 会 す 。
早朝 実帰 宅 す。
英 彦 、 春 造 礼 に来 る 。
床 次 弟 を 下郷 に紹 介 す 。 十 九 日午 前 と 約 。
福 井 大佐 来 宅 。 血 圧計 測 並 注 射 を 受 く 。 好 意 多 謝 。
大 谷 登 代 理 松 田 郵 秘書 来 る 。 廿九 日夕 を 約 す 。
告 に 不 平 の旨 小 笠 原 よ り 電話 注 意 あ り 。
三 輪 、富 田 来 る 。弁 護 人を 伴 ふ 。病 気 と 号 し会 はず 。 加 藤 久 之 勧
小 雨 曇
八並 外 一名 来 る。 予之 寄 書 に就 て也 。
早朝 向 山庄 太 郎 氏 より 鰕 来 る。 依 頼 之 揮 毫 を 使 に持 た し 還 ら し む 。
十 一月十 七日 火
千 代 実 と 三 越 に 行 き 予 の外套 を 約す 。幸 鮨 に も行 。
快晴
長谷 浩 友 人 と 来 り 扇 面 に揮 毫 を 乞 ふ。 揮 毫 す 。
山端 瑞 玉来 る 。成 功 報 告 之 為 也 。
十 一月 二十二日 日
快晴
千代 山 下夫 人 と 二葉 女 校 に行 く 。
坂 元 由 太 夫 来 る 。 三 井 信 託也 。
十 一月十八日 水
加 藤 久 、 関 来 る 。 依 て 予 が 辞 意 を 以 三 輪牽 制 に努 し む。
村 上鋠 吉 少 将 見 舞 に 来 る 。
斎 藤 明 来 る 。 興 津 鯛 を 持参 す 。 啓 発 録 を与 ふ 。
︹マ マ︺
同 仁 会 藤 岡 芳 蔵外 一名 来 る 。部 落 問題 に就 而 也 。
午 後 秋 沢 を 訪 礼 し 、 灘 万 に て 野依 辰治 之 招 待 に行 く 。 石塚 市 長 、
末次息来る。
晴
高橋大将来る。
高橋敏太郎、松林才二 ︹ 三井銀行文書課長︺会 す 。快 全 な り し 。
曇
午前理髪、伊勢丹。
十 一月 二十 三日 月
晴 寒 し
颱 風 八丈 島 東 方 、 東 京 強 風 あ り 。
雨
十 一月十九日 木
午前木村喜七 ( 知 多 郡 大 高 小 学 校) 来 る 。 左 内 先 生 に 関 す る 小 冊
午 前 真 崎 勝 次 、 ﹁日 々﹂ 黒崎 某 。 午後武藤夫人来る。
を与ふ。感激して帰る。 武 藤 夫 人 姪 と 共 に 呉 へ。 千 代 、 実 、満 佐 夫 見 送 る。
︹ 欄外︺ 海大 卒 業 式 。
十時小林局長に会はしむ。
く。欠席。 ︹ 長︺ ︹ 二︺ 午 前 松 下 権 八 、 永島 隆次 と 松 平宮 相会 見 之模 様 を 報 ず 。
午 後 一時 山 本 伯 伝 記 委 員 会 高 輪 山 本 清 ︹ 権兵衛長男、中佐︺邸 に て開
十 一月 二十四日 火
持 ち 嫁 の 世 話 に来 る。 午 後 志 摩 ︹ 清英︺大 佐 ︹ 軍令部第八課長︺ 、加藤
千 代 古 市 母 堂 一年 祭 の為 め 上 野 精 養 軒 に 招 か る 。 松 下 権 八 写 真を
十 一月 二十 八日 土
川 口金 蔵 来 る。
新 田養 子 ﹁了 ﹂ 夫 婦 来 る 。 双 玉 に 感 ず 。 幸 福 な れ 。
十 一月 二十七日 金 曇 午 後 よ り 雨 寒 ︹欠 ︺ 真 崎 勝 次 少 将 、 堤 級〓 追 悼 号 に 付 。
新 島 少 佐 人事 局 転 補 に付 来 訪 。竹 居光 積 氏来 る。
︹ 欄外︺新 嘗 祭 拝 不参 を 届 出 。
松 下 権 八 、 川 口金 来 る 。
巽屋主人、美那子来る。
ムビ ル﹂ 宛 書 を 渡 す 。 夜 正 之 来 る 。 明朝 を 約 す 。
久来 る ( 彼 れ 困 惑 の兆 )。 実 英 大 使 館 に使 し ﹁ ピ ゴ ツ ト﹂ に ﹁ド
晴 暖
竹内賀久治来る。
晴
加 藤 久 富 田 と の会 談 を報 じ 、大 に 折 ると 報 ず 。
千代堤宅を訪ふ。実仝行す。
三 越 仮 縫 。 山 田 隆 規 に書 を 与 ふ 。 十 一月 二十五日 水
三 輪 来 り 、 千 代 と 門 前 に て行 違 ふ 。
晴 稍寒 し
千 代 馬 場 に 答 礼 、 五 〇 円 と軸 を 送 る。
小 笠 原 来 り 予 の進 言 を 諾 す 。
変 化 な し 。 秋 良 真 之 助 に 元帥 書 の 証明 副 書 を 与 ふ。
桑島等。
の伝 言 を 為 す 。 直 に 面 会 、 時 局 の急 に 付 き 予 の意見 を徴 す 。
十 一月二十六日 木
志摩大佐来る。
十 一月 二十九日 日 快 晴 暖 ︹ 長︺ 三 輪 外 二名 来 り 東 郷 寺 建 設 会 長 中 止 を す ゝむ 。 松 下 来 り永 嶋 隆 二
素子、満佐夫来る。 ︹ 忙︺ 此 日 来 客 其 他 に急 が し。
揮毫。
午前 寺 崎少 佐 来 り 同 氏 より 土人 面 、 煙 草 、 菓 物 、 浜 中 々佐 よ り 珈
十 一月三十日 月
藤野少佐 ﹁ ピ ゴ ツト﹂ ﹁ド ム ビ ル﹂ 返 書 の英 訳 を 持 参 せ ら る。
琲 、 サ ボ テ ン等 送 り 届く 。 好 意 多 謝 。
午 前 小 笠 原 、 加 藤 久 、 関 三 名 に て東 郷寺 建 設会 解散 に決 し、 処 置
曇 稍 寒
瀬 谷 和 一、吉 田 、妻 女 に助 けら れ 予 の揮 毫 五枚 を 受 取 に来 る 。 自
を特高に相談せしむ。
晴 暖
夕 、 新 喜 楽 、 大 谷 登 招 待 、 長 谷 川 主賓 。 松 平康 昌 、慶 民、 津 田、
身 面 会 、書 を 与 ふ 。 関管 長 、 藤 岡 外 一名 同 仁 会 問 題 に て来 る 。 明
鮫 島素直少佐 ︹ 聯合艦隊通信参謀︺の妻 女 金 借 に 来 る 。 級 会 に 相談 せ
せ る も のを 持 参 、 証 明 を 乞 ふ 。
白 鳥 勝介 な る者 ケ イ ラ ク美 術 会 よ り 予 の忠 信 誠 敬 之 二色 紙 を 軸 と
午 後 三 時 長谷 川 出立 。 見送 り 了 て紀 尾井 町 へ奉 伺 、 中 根 不 在 。 帰
十 二月五日 土
見 え す く 。依 て 小笠 原 に電 話 し 三輪 の直 談 を 聴 か し む 。
村 上鋠 吉 来 る 。加 藤 久 、 関来 る。 三輪 の承 諾 を 報 ず る も 不 純 の気
志 村勘 兵 衛、 題字 之 礼 に来 る。
十 二月 一日 火
と 云)。
人 を 招 致 し 面前 に て 問 題之 解 決、 理事 以 下総 辞 職 を 誓 は しめ た り
宅 後 小 笠 原 来訪 し 、東 郷寺 問 題を 一決 す ( 但 し 今 朝 三輪 、 富 田両
晴 暖
よと 命 じ帰 す 。
午 前 村 田春 造 之 祝 に行 く 。 色 紙 ( 雄 飛 ) を 贈 る。 次 に関 、 峯 島 、
夜寒く霜降。
快 晴 暖
加 来 中佐 来 訪 。 大 湊〓 司 令 と し て。
加 久 来り 種 々懇 請 す 。 浦 川と 相 談 せ し む 。
十 二月六日 日
快晴
寛 一親 子 を招 き 自 宅 に て ﹁ 実 ﹂ を 祝 す 。 五郎 ﹁ 禁酒﹂を認む。
東 郷 寺 に付 村 上鋠 吉 来 訪 。 田結 転 補 に付 来 る。
昨夜より霜始めて降る。
千 代 、 実 、 下 女 二逗 子 に 行 く 。 ﹁ト ラ ツク﹂ に 実便 乗 す 。
晴 暖
十 二月 二日 水
午後仁帰宅。五時二人幸鮨に行く。十二円。
春造氏礼に来る。
午 前 田 中清 次郎 来 る。 日 露協 会 に就 て相 談 。
浦 部 今 朝 八 時 大 阪 発 逗 子 に 行 き 同 居 頼 む と 電話 あ り たり 。逗 子橋
晴 稍 寒 し
︹マ マ ︺
政 党 と寺 内 と の 懇 談会 無 事 、 一時 鎮 静 す 。
十 二月七日 月
本 に電 話 し 実 に 報 し 。
連 日快 晴 稍 や寒 し
中 尾 八郎 大 佐書 を 頼 み に 来訪 。
﹁実﹂ 海 晏 寺 へ。 住 山 ︹ 徳太郎︺中 将 ︹ 海軍省教育局長)進 級 之 礼 。
十 二月三日 木
竹内省吾 ( 山端 紹 介) へ題字 。
富 田 の関 係 を 清 算 す 。
夕 小 笠 原 来 訪 。 東 郷 寺 建 設 会 理事 長 以 下 総 辞 職 、 竹 田組 、 三輪 、
二郎、大将、予備︺を 見 舞 ふ 。
︹ 勝之進、大将、予備︺、 浅 井 ︹ 正次郎、少将、予備︺と 協 議 、 了 て黒 井 ︹ 悌
午 後 山 本 伯 伝 記 に 付 清 邸 に行 く 。 野 間 口 ︹ 兼雄、大将、予備︺ 、山梨
加 藤 久 よ り 解 決 良 好 之 電 話あ り 。
今 立 裕 、 加 代 子 、 昌 雄 の妻 来 り 加 代 問 題 を 相 談 す 。
藤野少佐交代挨拶に来る。
英 皇 帝 突 如 シ ンプ ソ ン夫 人 関 係 に て 退位 近 し と の報 新 聞 を 賑 はす 。
十 二月 八日 火
五 郎 に 付 ﹁実﹂ 心 配 す 。
小 笠 原兼 松 京 王 社 長 と 会 見 、 予 の代 理 と し て也 。 東 郷 彪 ︹ 貴族院議
晴 寒 気 酷 し
十 二月四日 金
快 晴 暖
早 朝 山 本 大 将 と 長 谷 川 を 訪 問 す 。 長 谷 川明 五 日出 発 に就 て也 。
千代逗子より帰宅す。
員、内匠寮御用掛︺に 二 万 円 を 渡 す 。
全 頁 を 此 ニ ユー ス に費 す 。
寛 一来 る。 張 学 良 兵 変 を 起 し 蒋 介 石 を 監 禁 す 。 全 支 大 動 揺 。東 京
十 二月十 三日 日
枢 府 に て政 府 窮 遂 せ ら れ 政 変 近 き に 在 り と 。真 に 国 の危 機 也 。
十 二月九日 水
元帥 愛 好 地 を 東 郷 寺 に予 の名 義 に て登 記 す 。 府 中 町 長 桑 田 佑 栄 、
午 前 十 時 福 田市 太 郎 子 息 を 参 謀 と し 加 久 と 府 中 の登 記 所 に 行 き 、
十 二月十 四日 月
佐藤市郎少将夫婦来訪。
小 雨 暖
山 本 伯 三 年 祭 風 邪 の為 断 る 。
小 笠 原 、 真 崎 来 り 山 本 英 輔 擁 立 を 相 談 す 。 予 、真 向 に 不適 と 答 ふ。
中里 重 次 来 る。 建 設 会 鈴 木 地 価 標 準 八 千 五百 円 に て 登 記 料 二 百 有
晴
読 売 内 田 来 り 陸 軍 の近 状 を 報 ず 。 真 崎 大 将 に対 し て は楽 観 也 。
晴 寒 酷 降 霜
森 清 人 来 り ﹁母 ﹂ 之 正 月 号 に 寄 書 を 乞 ふ 。
夕 宝 亭 に て平 沼 男 爵 古 稀 祝 品 に付 相 談 。
余円。
十 二月十 五日 火
今立昌雄兄弟来り長談。午餐を共にす。
十 二月十 一日 金
野 依 結 婚式 に 行き 宗 像 息 に会 ふ。
十 二月十 六日 水
蘇漁 業 条 約 を 認 る事 明言 す 。 外 務 面 目 丸 潰 れ 。
蒋介 石 生 死尚 ほ 不明 。
晴 寒
十 二月十日 木
揮 毫 。 千代 真 崎 大 将 宅 を 訪 ぬ。 夫 人 不 在 。
︹ 欄外︺ 上 の御 信 任 楠 公 之 如 き 人を 要 す 。
千 代 海 晏 寺 に詣 づ 。
午後仰竹会、病気不参す。
千 代 下 郷 、松 林 、向 井を 訪 ふ。
曇 寒 し
満佐雄来り泊す。
八並 日 々来 る。
満智子見舞。荒井画伯を訪ふ。満佐雄仝行、又た連れ帰る。
夜 下 郷 来り 、孝 之 越権 に付 訴 ふ。
︹ママ ︺
夕 東 伏 見 宮 妃 殿 下よ り 御 見 舞 電 話 を 給 は る 。 恐 懼 に 不 堪 。
十二月十 七日 木
千 代 花 見 に占 す 。林 大 将女 に就 而 也 。
加 藤 久 来 る 。 蒋介 石 生存 と 伝 ふ。
晴 暖
十 二月十 二日 土
富美 栄 母 子 来 る 。
晴
満 智 子 発 熱 三 十 八度 余 。 腹 に 風 引 と の事 。
伏 見宮 より ﹁サボ テ ン﹂ 御 嫌 な れ ど も 確 に 預 り 置 く と の御 沙 汰 細
晴 暖
谷 より 伝 ふ。 恐 懼 す 。
松 下 及時 事 松 元来 る。
寺 尾 注 射 、 百 七 〇 、 百卅 八 、稀 有 空 前 之 事 也 。
雨
夕 実来 る 。
午 後満 佐 夫 と 伊 勢 丹 に行 き 屋 上 に遊 ぶ。
十二月二十 二日 火
十 二月十 八日 金
加 代 正式 に結 婚 を 諾 す 。
に 一決 。
今 立裕 、 山崎 某 女 、 加 代 、 千 代 と 相 談 。 中 川 を 横 須 賀 に 派 す る 事
朝 極 寒 し 午 前 よ り 晴 暖
東 郷寺 建 設契 約 に署 名 す 。 帥 田と な り 。
午 前山 脇 女 校 長来 り 、 林 大 将 令 嬢 に就 き 好 意 あ る周 旋 せ ら る 。
終 日気 温 に艱 ま さ る。 平 年 よ り 十 五、 六 度 上 昇 す 。
十 二月二十 三日 水
浦 部 と 三 人痛 飲 す 。 富 美 栄 大 に世 話 す 。
六 月 頃 之 温 度 外 套 を 脱 ぐ
朝 日展 に行 き しも 何 も 不 見 。
午 前 三和 銀 行 宛 昌 雄 より 千 五百 円 の小 切 手 来 る 。 直 に 当 座 預 金 と
中 川節 、 馬 淵 に使 す 。
晴 暖
加 藤 久 に与 ふ。 向 ふ 三 ケ年 之 契 約 也 。
午 後 加 代 子、 今 立 と 見 合 之 相 談 す 。 先 方 白 井 茂 秋 葉 原 駅 長 、有 望
十 二月十九日 土
十 二月 二十 四日 木
晴 稍 寒
也。
し 三百 円を 受 取 る。 午 後 逗 子 に行 き 実 宅 に 泊 す 。
午 後 園 部 彦 長 翁 来 る 。 白 井 茂 と 加 代 子 見 合 を 為 さ し む 。 園 部大 に
江 の島 散 歩 。 電 車 中 渡 辺 特 務 に会 ふ 。
曇 小 雨
東 郷 彪 氏 に実 印 を 渡 す 。
助 力 、 今 立 裕 外 白 井 側 女 子 二 名 。 園 部 、 今 立 と会 食 す 。
静 か に晩 餐 。 富 美 栄 の世 話 に な る 。
晴 暖
実 、 寛 一来 る 。 加 代 子 大 に 主 張 を 明 か に す 。 信教 と 血統 に就 て也 。
百 五十 円 也 二 十 六 日 結 納
三和銀行より受領。
金 壱 阡 五百 円 也 十 二月 二 十 三 日
今立加代
︹ 別紙貼付︺
今 立 昌 雄 よ り 承 諾 の電 来 る 。 ﹁電 見 た 、 承 知 、 頼 む﹂。
雨
小笠原来り予も珈琲を贈る。 五郎 の遅 帰 に 怒 る 。 十 二月 二十日 日
有 泉 少 佐 来 訪 。 正 之 の追 悼 を 与 へ ﹁篠 原﹂ 少 佐 縁 談 之 事 を 話 す 。 賛成す。
内
五円 也 祝 儀 ( 酒 肴)
加 久 来 り 東 郷 寺 設 計 二 分 契約 安 立と 結 ぶ。 十 二月 二十 一日 月
二円 也 自 働 車 手 へ
降 雪 温 度急 下 寒 気 大 也
午 前 、 東 条 寿 、 松 下権 八 来 る 。
馬 淵 夫 婦 横 須 賀 よ り 白 井 家 に て午 餐を 供 す。
四円 二 十 銭 也 尉 斗 物 品 代 ( 結 納)
今 立 三 雄 来 り 、 加 代 子 の 為 め詫 び、 進 捗 を 乞 ふ。
右 白 井 家 よ り 結 納 金 参 百 円受 取 る 。
夕千代真造の結納祝ひに行く。
昌 雄 よ り 返 電 、 小 切手 を 送 る。
﹁目出 度 結 納 交 換 す 。 祝 す ﹂ 加 藤 。
福 井 昌 雄 へ電 報
百 円 加 代 平 常 衣 及 小 遣 と し て渡 す 。
十二月二十三日
二 十 円加 代 へ。
十 二 年 一月 十 三 日
五 〇 〃〇 〇
︹ 偕︺ 階 行 社 二 一四 円 六 二 銭 馬 淵 へ
二 〃〇 〇
計 二六 六 円 六 二 銭
雑 費
二〇 〇 円
◎ 今 立 裕 へ前 途
十 二月 二十 五日 金
六 六 、 六 十 二銭 渡 し
三 越払
午前帰宅す。
差引
金 九 百 七 十 八 円 九 十 五銭
衣桁 、市 川 より ト ラ ツク代
吉 井商 店 帯 代
(二十 六 日)
一、 百 二 十 三 円
晴 暖
一、 十 二 円 七 十 銭 雑 費 加 藤 立替
一、 五 円
曇 稍 寒
松 下引 受 く 。
午 後 松 下来 り 和 歌 山 広 田伊 左 雄 之 女 に付 報 告 、 林 大 将 之 方 を 断 る。
雄 に電 す 。
午 前 十 一時 馬 淵 夫 婦 媒 酌 結 納 交 換 。 加 代 、 今 立 裕 立 会 ふ 。 直 に 昌
十 二月 二十六日 土
新 島 信 夫 来 る。 福 田市 太 郎 息 歳 暮 を 持 参 し 来 る 。 ︹ 中︺ ︹ 赴︺ 日比 野 ︹ 正治︺少 将 ︹ 駐満海軍部司令官︺来 る。 満 洲 趣 任 之 為 。
計 壱 千 七 百 七 十 一円 〇 七 銭 差引残二十八円九十三銭也
一月 二 十 一日
切手卅円
土産物代
晴 暖
林 大尉 来 り 予 に 桜 川小 学校 の為 揮 毫 を 依 頼 す 。 夕 荒 井 一家 来 る。
本 田主 計 生徒 、坂 井 海 兵生 徒 来 る。
松 下権 八 来り 山 脇 に林 令 嬢 断 之 件 報 告 す 。 真 崎 大 将 終 に出 ず 。
十 二月二十 七日 日
蒋 介 石無 事 南 京 に生 還す 。
満 佐夫 来 る。 泊 。快 也 。
夕 浦 部 一家 来 る。 夕 食 を 共 にす 。
◎
二百 円 也
買 物 三 円 六 十 二銭 二十 三 日 今 立 裕 へ
小遣として
加 代 へ渡 す 為 五十 円 也 昌 雄 へ 一月 二十 六 日 今立家勘定
晴 暖
︹ 欄外︺満 佐 夫 一泊 。 寛 一来 る。
( 正 義)
十 二月二十八日 月 加 代 子 来 る 。 千 代 と 衣 服 之 用 意 に 三 越 へ。何 事 も な し。 山 脇 氏 よ り写真来る。
晴 寒
久原 ︹ 房之助、衆議院議員︺起 訴 さ る 。 亀 川隠 匿罪 に依 る。 十 二月二十 九日 火
晴
理 髪 に 行 く 。 午 後真 崎 勝次 氏 来 る 。 千代武藤家に行く。 年末拝辞。 十 二月三十 日 水
午 前 七 ・ 一〇孝 治帰 京 。 千代 出 迎 ふ 。武 藤 夫 人 及 姪 仝 車 し来 訪 。 み さ を 、 洋 子 之 風 邪 に て見 合 す。 千 代 花 見 に 写真 持参 。 和歌 山 広 田令 嬢及 第 す o 松 下 に通 知 す 。 孝 治 と晩 餐を 倶 に し 、 千代 、孝 治 和 泉 丁 に行 く 。
曇 雨模 様 寒 し
︹ 欄外︺年 末 拝 止 。
早朝 松 下 来 る 。 家 歴 を与 ふ 。
十 二月三十 一日 木
昭 和 十 二年
行く。
快晴
松浦松見中将 ︹ 予備︺谷 村 の娘 の 写真 を 貰 受 来 訪 。 感 謝 余 り あ り 。 一月五日 火
新 年宴 会 に 召 さ れ 天 盃満 飲 、快 気 満 。
沢田 ︹ 虎夫︺大 佐 ︹ 軍令部第三課長︺わ か も と の為 松 平 写 真 館 に 予 を 伴
ひ 撮影 す 。 六枚 念 入 影 写。
孝 治出 立 、千 代 、仁 と 東 京 駅 に て見 送 る。
一月六日 水
暖 六月 之 始 め に似 た り
巽 家 馬 場美 那 に ﹁はく たか ﹂ 一斗 樽 を 贈 る。
満 佐夫 昨 夕 より 一泊 、 爺 之 好 き 友 た り 。
外 套 な く し て外 出 、 汗 を 覚 ゆ。
曇 天な れ ど も 稀 有 の暖 気
のど かな る春 日 に参 内 拝 謁 、 宮 家 廻 は り 、 下 郷 、 佐 藤 誠 、 武 藤 家 、
一月 一日 金
村 田家 年 始 。 実 帰 宅 、 孝 治 、 寛 一と 嬉 々た り 。 家 門 の春 目 出 度 し 。
夕真崎 ︹ 甚三郎、陸軍︺大 将 ︹ 予備︺長 男 ︹ 秀樹︺ 、仝勝次君 ︹ 少将、予備︺
と 来訪 、甚 三郎 大 将 身 上 に付 相 談 す 。
寒風吹き曇
一月 二日 土
夜 小 笠 原清 明 を 訪 ふ 。
終 日在宅。年賀 状を認 む。静穏。柳 川 ︹ 平助、陸軍︺中 将 ︹ 予備︺来
冬気分復来す
一月七日 木
帝 都座 に行 く 。
一月 三日 日
る。
武 藤 夫 人 、今 立 加 代 、仝 義 姉 、昌 雄 男 ( 長 男 ? 入 学 の為 也) 等 来
曇 寒 し
訪 。 但 し 不在 にし て会 は ざ り し は 残 念 な り し 。
賢 所 参 入 、 三 殿 御 祭 に侍 す 。 夕 三 日会 、末 次 ︹ 信正、大将、軍事参議官︺ 、高橋 ︹ 三吉、大将、軍事参議官︺
一月 八日 金
真崎、竹内 ︹ 賀久治︺来 り 相 談 す 。
宮 城前 に於 て観 兵 式 。
晴 午 後 よ り 寒 気
両 大 将 外 旧 戦 友 約 三 十 余 名 。 鳴 海 送 大 関 大 に 役 立 つ。外 に 川 口 の
竹内賀久治来り、荒木 ︹ 貞夫、陸軍大将、予備︺談 、 平 沼 ︹ 騏一 郎、枢密院
鯛 、 鈴 木 重 義 の浜 焼 興 を 添 ふ 。
議長︺談 を 報 告 。
千 代 、 松 浦 松 見 中 将 に礼 訪 す 。
一月 四日 月
今立裕 ︹ 新聞記者︺来 り 昼 食 を 共 に す 。 昌 雄呼 寄 せ に仝 意 す 。
晴 小 春 日 和 也
正 午 水 交 社 互 礼 会 。 柳 川 中 将 を 訪 ふ 。 転 居 に 付名 刺 を郵 送 す。
馬場美那来訪すと云ふ。
夕 武 藤 家 に て兄 弟 会 、 寛 一夫 婦 、 実 、 仁招 か る。 予 千代 と 幸 鮨 に
一月九日 土
千 代 、 飛島 を 訪 問 す 。慰 問 の為 也 。
原 田 技 師 来 る 。年 始 之為 也 。
晴
終 日 揮 毫 に 従事 す 。
加 代 子 来 る 。 不 相変 無作 法 也。 国技館始る。熱狂景気。
晴
一月十 日 日
一月十六日 土
中尾文三に書を出す ( 和 歌浦 )。
寺尾 ︹ 医師︺注 射 、 血 圧少 し く上 昇 、 一九 〇。
理髪 。 千代 海 晏寺 参 り、 予虎 の門 金 刀 比 羅 宮 参 詣 。
晴 暖
仁 来 る 。仁 友 人 より 和歌 山 広 田伊 左 雄 よ り 之 問 合 せ を 伝 ふ 。 孝 来
水 交 社 に東 郷 寺 に 関 す る会 合。
兼光、穴水熊雄 ︹ 富国セメント、京王電気軌道、大日本電力等社長︺ 、小笠原、
晴 暖
一月十 一日 月
る 。 仁寿 に付 語 る 。
︹ 穴水熊雄 ( 東京市 麻布区宮村町七 一番地 ・電話赤坂 七六九番) の名
実帰宅。
加 藤 久 懇 談 す 。 加藤 又手 違 、衝 点 予 に帰 す 。
晴 寒 風 少 し 吹 く
( 内 貴 清 兵 衛 )。
松 下 来 る 。実 及 一族 の 写真 を 渡 す 。
一月十 二日 火
坂 井 一意来 る 。加 藤 久
今 立 、 中 川 、 加代 子 を説 く 。
一月十 七日 日
米内 ︹ 光政、大将、聯合艦隊兼第 一 艦隊司令長官︺等 三十 名 。
浦 塩 会 、 大 角 ︹岺 生、大将、軍事参議官︺ 、 藤田 ︹ 尚徳、大将、軍事参議官︺ 、
晴 暖
午後 満 佐 夫 来 り 一泊 。伊 勢 丹 に行 く 。 仁 帰 宅 す 。
松下来る。
刺貼付︺
林正義 ︹ 中尉、予備︺来 り 書 を 受 取 る。 額 一。 為 桜 川 小 学 校 及 本 人 、
松 下来 り書 を 受 取 る。
二軸 。 一月十 三日 水
晴 寒 気 稍 増 す 風 あ り
真崎 、坂 井 来 る 。 小 林省 ︹ 省三郎、中将、予備︺、 民 政 、 政 友 幹 部 を 水
一月十 四日 木
午 前 竹 内 来 り 平 沼 の賀 事 を 相 談 す 。
時 も な が ら の 好意 謝 す る に余 り あ り 。 安 保 も 仝 行 す 。
国 技 館 に松 村 昇 君 ︹ 米井商店社長︺の招 待 、 了 て金 田中 に招 か る。 毎
晴 暖
一月十 八日 月
満佐 夫 を伴 ひ動 物 園 に、 夫 よ り 聚 楽 に て昼 弁 当 を 与 ふ 。 大 喜 び 也 。
一月十九日 火
晴 暖
交社 に招 き 懇 談 す 。 東 朝 第 一頁 に特 記 す 。
予も 小供 に 還 る。 千 代 、 満 佐 夫 を 和 泉 町 に送 る。
加 藤 久 来 る 。 中 川節 夫 婦 来 る。
馬 淵 夫 人来 る 。 千代 功を 訪 ふ。
曇 午 後 雨
坂 井 一意 報 告 に来 る。
晴 暖
武 生 増 永 廉 三早 朝 に来 訪 。 一月十 五日 金
一月 二十五日 月
曇 寒
干 犯 の非 難 あ り 。
松 下 、真 崎 、坂 井 一意 。宇 垣組 閣難 局 、陸 軍 の態 度 不 可許 、 大 権
川 口来 る。 和 歌 山 行 を 約 す 。 一月 二十日 水
曇
午 前 より 今 立 昌 雄 来 る。
一月 二十 一日 木
今 立 裕 、 末 次虎 太 郎 ︹ 衆議院議員、政友会︺来 る 。
組 閣 渋滞 す 。
寒 晴
正 午 川 口と 中 島 教 一を 水 交 社 に 招 き 午 餐 を 倶 に す 。 夕 ﹁隅 田 ﹂ に
夕 曙 荘 へ勝 木 宮 司 に招 か る。
一月二十六日 火
招 かる ( 浅 草 橋 場 )。
一月 二十七日 水
一月 二十 二日 金
夕品川主計 ︹ 元満洲国監察院長代理︺来訪 。
陰 欝 の空 気 全 市 に 満 つ。 陸 軍 宇 垣 反 対 の声 明 を 発 す 。 三 月事 件 也 。
曇 寒 大
千 代 市 川 に行 く 。
今立裕来り予に勧むる所あり。
午後白井父子、加代子、中川、今立を招き、加代を祝福す。
帝 国議 会 二 日間 停 会 被 仰 出 。 寺 内 ︹ 寿 一、陸軍大将、陸軍大臣︺と 浜 田
午 前 十 一時宇 垣 、 内 府 ︹ 湯浅倉平︺と 会 見 、 組 閣 難 に 付 報 告 。 終 日
議 会 停 会 。 松 下権 八来 る。
尼野と孝治に揮毫を送る。
晴 極寒
国松 ︹ 衆議院議員、政友会︺と 正 面 衝 突 の結 果 也 。
一月二十 三日 土 半 晴 ︹ 偕︺ 階行 社 に て加 代 結 婚 式 を 行 ふ。 小 栗 元横 須 賀 市 長 祝 辞 を 述 ぶ 。 加
一月 二十八日 木
曇
代 洋 服 に ご て つく。 昌 雄 怒 る。
小 雨 寒
昌 雄 白 井 と 横 須 賀 に 馬 淵 を 訪 ふ 。 謝 礼 持参 。
内 閣 総辞 職 。
正 午 村 田 に 行 く 。 春 造 結 婚 式 に 奉告 文 を 読 む 。午 後 四時 水 交社 に ︹ 撮︺ て採 影 、 了 て結 婚 披 露 宴 。 宇垣愈組閣難に陥る。
晴
寛 一、満 佐 夫 来 る 。
一月 二十九日 金
寺 内 平 沼 に無 条 件 推 薦 の電 話 あ り と 坂 井 一意 報 告 す 。
一月二十 四日 日
午前十時湯浅 ︹ 倉平︺内 府 平沼 議 長を 訪 ひ 興津 に行 く 。
午 前 十 一時 宇 垣 参 内 大 命 拝 辞 す 。
小笠原と同時に坂井来り重要進言す。
曇 小 雨
松 下 、坂 井 一意 、 八並 、 田村 、真 崎 勝 次 、 三井 ︹ 清 一郎︺貴 院 ︹ 元陸 軍主計総監、貴族院議員︺、 四谷 警 察 竹 内 某 来 る 。何 れ も政 変 に就 て也 。
参す。
午 前 小 笠 原 来 訪 、 相 談 の上 平 沼 を 訪 は し め 、 蹶起 の勧告 を な す 。
湯浅内府直に興津に行く。
︹マ マ︺
仲 谷 房太 郎 友 人藤 岡精 四郎 羅 府 より 仲 谷 好 意 を ﹁オ レ ンジ ﹂ を 持
宇 垣 一成 ︹ 陸軍大将、予備︺に 大命 降 下。
真崎 、松 下、 坂 井 等 来 訪 頻 也 。
林内 閣 成 立 、親 任 式 。
二月 二日 火
雪降 り 寒 大
八並 日 々来 る 。
友 人 伍 堂卓 雄 商 工 、鉄 道 大 臣と な る。 林 之 竹 馬 之 友 な り と 。
終 日 揮 毫 。林 、結 城 ︹ 豊太郎、大蔵大臣︺ 、伍堂、塩野 ︹ 季彦、司法大臣︺ 、
虎 之 門 内藤 に 明 日之 不参 を 断 る。
米内 ︹ 光政、海軍大臣︺に祝 詞を 出 す 。
︹ 欄外︺林 ︹ 銑十郎、陸軍︺大 将 ︹ 予備︺に 大命 下 る。
末次 虎 太 郎 に祝 書 ( 軸 を 送 る)。
一月三十 日 土
節分追灘祭。
曇 後 小 雨
松 下 権 八 、坂 井 一意 、竹 内 賀 久 治 。
二月三日 水
金 刀 比 羅 宮 豆 撒 に 不参 。 千 代代 参 す。 光 枝 仝 行 。 予 久 地 梅 林 に清
晴 暖
白 井 茂 、加 代 子 、 下 郷実 彦 。 末次 と 電話
遊す。
( 激励 す )。
南郷次郎 ︹ 少将、予備︺来 る 。
千代代拝之事読売に記す。 二月四日 木
千 代 松 島 家 の里 帰 り に行 く 。
鈴 木 要 三 郎 。 茅 原 華 山 来 り 書 を 交 付す 。
晴 暖
一月三十 一日 日
末 次 に 電 話 、 入 閣 を 勧 む 。 諾。
林 大 将 陸 海 両 相 に 交 渉を 始 む。 又渋 滞 。 今 立 裕 来 る。
二月 五日 金
山 田康 彦 慰 労 会 、 水 交 社 、 景岳 会 長 と し て 卅 円 を礼 書 す 。
晴 暖
千 代 と 幸 鮨 に 。 夫 れ よ り 帝 都座 に 行く 。
晴 暖
今 立 昌 雄 予 夫 婦 不 在 中 に 来 訪 、加 代結 婚 の礼 百 円を 贈 る。
( 二度 )、 有 泉 ︹ 龍之助︺少 佐 、 竹 内 母 子 ( 羅 府 )、 遠 藤
( 書 を 頼 む )。 下郷 豊 彦 よ り 大 額 、 鈴 木 要 と 仝 一の 嘱、
松下、真崎 教 三夫 婦
千代市川に行き昌雄に袴地を贈る。
其 他 続 々進 捗 。
春 造 氏 来 訪 、 終 日揮 毫 。
二月七日 日
夫 よ り 逗 子 実 宅 に行 く 。 午 後 千 代 来 着 。
午 前 横 浜 根 岸 に 浜 中 留 守 宅 を 訪 ひ 、 妻 女 に 会 ふ 。次 で 杉 田梅 林 へ、
晴 寒
二月 一日 月
二月六日 土
既 に交 付 済 と 返 す 。 彼 れ 恐 縮 す 。
夜山本英輔大将 ︹ 予備︺来 訪 。
松下権八来る。揮毫。
昌雄帰福す。
半晴
陸海両相受諾、中村孝太郎 ︹ 陸軍中将、教育総監部本部長︺ 、 米 内 光 政。
湯川、柴崎両人来り揮毫を求む。
二月 八日 月
雨あり
曇
早川鉄治 ︹ 横浜護謨製造監査役︺に 贈 物 す 。 厚 礼 す 。
富 美 栄 母子 来 る。
晴 暖
午 後 末 次 大 将 来 る。 時 事 懇 談 激 励 す 。
二月十 五日 月
寛 一、 満 佐 夫 来 る (一泊 )。
昨日に仝じく揮毫す。
晴 風 あ り
漢 口泰 麿夫 婦 、 小 供 、山 下 秋 子来 る。
二月九日 火 ( 四 円 也 と )。 数 々
増 永 廉 三 態 々 福 井 よ り 実 之 縁 談 に 付 来訪 。
午 前 十 一時 過 志 賀 子 自 働 車 に て 新 宿 よ り 来 訪
晴 暖
二月十日 水
之 持参 あ り 、多 謝 す 。
二月十六日 火
植 久 告 別 式 増 上 寺 に、 千 代 代 香 十 円 を 供 ふ 。 彼 妻 女 感 泣 す と 。
晴 風 あ り 寒 し
午 前 三 崎 に ﹁ド ライ ブ﹂ す 。 夕 実 級 友 宮 崎 、 鳥 巣 ︹ 玉樹、中将、予 備︺、 市 来 崎 ︹ 慶 一、少将、予備︺ 、 清 水 を 伴 ひ夕 食 を 倶 に す 。 正 子 近
晴 稍 寒
二月十七日 水
午 前 よ り 満 佐 夫 を 伴 ひ上 野 へ、 夫 よ り 聚 楽 に 昼 食 し 帰 る 。
坂 井 一意 来 訪 、 加 藤 亮 一に 紹 介 す 。
午前山脇氏来り予望を報告す。
衆 議 院 尾 崎 行 雄 痛 烈 に 陸 軍 を 難 ん ず 。 あ る 妻 君 の横 暴 を 近 人 は 陸
早朝 雨後 晴
く 散 会 す 。 宮 崎 俊敏 。
不参 御 断 申 上 ぐ 。
軍 と 揶 揄 す と 。 又 陸 軍 勝 手 気儘 の政 談 発 表 を 陸 軍 刑法 問 題 な りと
二月十 一日 木
藤 沢 経由 帰宅 す 。
攻む。
︹ママ︺
仁 帰宅 、 明 早朝 帰浜 す 。
晴 暖
夕 刻 千代 も仝 上 。
二月十八日 木
午 前 満 佐 夫 を 連 れ 和 泉 町 へ、夫 よ り荒 井 を訪 ふ 。
小 雨 暖
仁寿 舞 踊会 不出 。 二月十 二日 金
岩下保太郎少将 ︹ 聯合艦隊参謀長︺横 病 院 に て卒 去 。
夕 刻奥 沢 之 遺 族 を 弔 問 、 一〇 円 香 奠 。
雨 寒
二月十 三日 土
二月十 九日 金
坂 井 一意 、大 橋 省 来 訪 す 。 坂 井 は 福 井 人 絹 の招 聘 に応 ず 。
議会 平 静 。
半晴
日支 関係 を 聴 く 。 痛 切 感 深 し 。
午後東 亜調査会 ( 日 々) に 於 て須 磨 ︹ 弥吉郎︺南 京 総 領 事 の南 京 と
読書 、 得 る 所 あり 。 ︹ 嶋︺ 夕奥 沢 岩 下 通夜 、島 田 ︹ 繁太郎︺中 将 ︹ 軍令部次長︺に送 ら る。 車 中 真 晴 暖
二月十 四日 日
寛 一、 実 、 仁 帰 会 す 。
崎 大 将 を語 る 。 ︹ 欄外︺仝 情 。
孝 、 松 下来 る ( 竹屋春光 ︹ 子爵︺令 嬢 媒 介)。 揮毫 ( 末 次 虎 太 郎 紹 介 、 角 力 の為)。
晴 暖
二月 二十 六日 金
今 立 裕 に招 か れ大 森 へ。 夫 よ り 新 谷 の招 き に て 築 地 別 け 田 中 へ。 ︹ 飲︺ 痛 飯 す 。 小 管 外 一妓 送 り 来 る。 白 金 よ り 迂 回 す 。
二月 二十日 土 岩 下少 将 葬 儀 参 列 、 三 時 半 迄 、 千 代 も参 拝 す 。
曇
末 次 虎 太 郎 来 り 政 友 会 の前 途 を 憂 ふ 。
二 ・二 六 一周 年 。 午 後 二時 斎 藤 ︹ 実︺子爵 邸 へ千 代 と 慰 訪 。 夕 水
二月 二十 一日 日
竹 内 賀 久 治 来 り 平 沼 と 会 見 を 乞 は る。
今立裕来訪。
備、貴族院議員︺悼 辞 を 述 ぶ 。
交 社 追 悼会 、 四 百 五 十 余 名 、 湯 浅 内 府 、 坂 本 ︹ 俊篤︺男爵 ︹ 中将、予
今 立 、 孝 、 早 川 鉄 治 、 松 下 権 八 来 訪 。 早 川 な る ほ ど快 老 人 なり 。
夕 紅 葉 館 、 日露 協 会 之 為 、 ハルピ ン永 駐 ソビ エ ツト 総 領 事 主 賓 。
︹ 欄外︺実 、 仁 、 五郎 珍 ら しく 仝 会 食 す 。
末 次 大 将 に紹 介 を 乞 は る、 諾 。
二月 二十 二日 月 晴 暖 ︹ 代︺ 午 前 八幡 通 ( 大 官 山 ) 早 川 鉄 治 を 訪 ふ 。 松 下 に 遇 会す 。
小包 ( 書 ) 紀 倍 神 社 々標 、 外 に 啓 発 録 五冊 を 送 る ( 牧 野 吉 兵 衛)。
晴 暖
午 後 大 森 亀 谷 慎 一来 り 時 事 を 談 ず 。
二月二十 八日 日
晴
曇 夕 方 よ り 雨
中島資朋来り縁女之紹介す。
夕 紅 葉 館 、 仁 寿招 待 、本 多 熊太 郎 ︹ 元特命全権大使︺ 、関管長、堀 ︹ 丈
実帰 宅 。
井上 雅 二 ︹ 秘露棉花社長、南亜公司取締役︺(四月 十 日結 婚 式 )、 加 藤 久 。
二月二十 七日 土
富 士 会 の建 花 筒 一人 十 円 ( 八 十 円 )。
村 田志 賀 子 、 川北 来 り 縁 女 に付 相 談 。
理髪 。
夫︺陸中 将 ︹ 予備︺ 。
曇 春 暖
千代 海 晏 寺 と 高 橋 三 吉 邸 を 訪 ふ。
金子 ︹ 堅太郎︺伯 に書 信 す 。
二月 二十 三日 火
山本英輔大将来 る ( 夕 食 後 )。
予 千駄 ケ谷 千 坂 宅 を 訪 ふ (一周 忌 )。
三月二日 火
山崎 女 史 来 り 加 代 子 を 訴 ふ。
︹ 理学︺博 士 ︹ 東京帝国大学教授︺之 旅 行 談 を 聴 く 。
午 前 揮 毫 。午 後 丸 の内A1 に佐藤安之助 ︹ 陸軍少将、予備︺と 三宅 驥 一
曇 稍 寒 し
右 に付 水 交社 に招 か る 。 黒 井 ︹ 悌二郎、大将、予備︺、 小笠 原 、南 郷 外
曇 小 雨
三月 一日 月
向山庄太郎 ︹ 松竹興業取締役︺来 訪 、 土 産 持 参 す 。 曇 春 暖 変 調 を 思 は し む
千坂 ︹ 智次郎︺ 一族 。 二月 二十 四日 水
午 前 品 川 主 計 、 松 下権 八、 荒 井 陸 男 ︹ 画家︺ 、 藤 井 就 華 (元明 光 塾 監 )。
二月 二十 五日 木
真 崎 勝 次 来 り 不相 変 激 談 す 。
小 林 省 三 郎 少 将 来 り 先 月 来 の経 過 を報 ず 。彼 小 林 と 提 携 し 、 平 沼
四日 に 説 諭 す る こ と に約 す 。
今 立 裕 と協 議 、 中 川 節を 今 立宅 に呼 び 香 代 子 の近 状 を 詳 述 、 来 る
千 代 、 実 と 東 劇 に 行 く 。 今 立 の 計 画 と し て深 田 両親 及澄 子 を 遠 望
ふ。
白 井 茂 よ り 電 話 、 中 川 よ り の速 達 を香 代 は主 人 に示 さ ゞり しと 云
向 山 庄 太 郎 、 今 立 裕 、 小 木 津 大 佐 、 渡 辺 俊 、本 田仙 太 郎 。
せしむ。
と 密 接 往復 、 近 日拓 相を 期 すと 。 是 れ平 沼 も 林 に申 込 みた り と 。 三月三日 水
三月八日 月
三月四日 木
山 崎 、 千葉 両女 史 来 る 。
加 藤 久 来 る 。 小 笠 原 に 再交 渉 を 促 す。
大東京を見る。
雨
真 崎 少 将 、加 藤久 ( 書 を 渡 す )。
千代中川節を訪問す。
松 下権 八来 り 、竹 屋令 嬢 に就 て又 勧 む 。
三月九日 火
半晴
千 代 和 泉 町 へ桃 之 祝 に行 く 。
午後 銀 座 三越 に新 国劇 沢 正 に与 へた る予 の書 を 見 る 。 後 幸 鮨 へ。
午前 内 田 剛 蔵 来 る 。 正 午 向 山 庄 太 郎 仝 道 逗 子 葉 山金 子 ︹ 堅太郎︺伯
晴 暖
千代 、満 佐 夫 仝 行 す 。 予 は武 蔵 野 館 に ﹁タ ンネ ン ベ ルグ ﹂ を 見 る 。
を 訪 問 。 回向 院烈 士 遺 蹟 保 存 会 復 興 の仝 意 を 求 め 快 諾 せ ら る。 帰
寛 一来 訪 。
朝 降 雪 後 止
聊 か羊 頭狗 肉 。
途赤 羽 橋春 岱 像 楼 に夕 食 を 供 せら る。
午 前 千 代神 田今 立 裕 を 訪 問 、 東 劇 の礼 と 五円 観 劇 料 を 返 却 す 。
マ︺
今立 裕 、武 藤 夫 人 来 る。
三月五日 金
︹マ
武藤 夫 人来 訪 す 。
本 田仙 太 郎 電 話 、 明 日 に譲 ら し む 。
三月十 日 水
晴 冷 気
田中 清 次 郎 来 訪 、 吟 爾 賓 学 校 増 築 に 付 相 談 す 。
理髪 後 小 笠 原 へ。 後 海 晏 寺 へ参 詣 す 。 揮 毫 。 三月十 一日 木
曇
和 泉 町 に満 佐 夫 を 送 り 届 け 、 荒 井 アト リ エを 訪 ふ 。 三月六日 土
と 打 合 せ之 為 め暫 く 待 た れ た し と 今 立 の返 に よ り 待 。
本 日雨 多 く 寒 冷 也 。
︹マ マ︺
午 前 香 代 子 に 関し 千 葉 来 る。 今 立 に電 話 、 昌 雄 招 致 の相 談 、 中 川
雨 風
地久節、参内、酒饌を頂く。 ︹ 助︺ 松 下 権 八、 町 田徳 之 介 ︹ 二徳商会、町田絲店、東京人造絹絲各社社長︺来 る 。
馬 淵 夫 婦 来 訪 、 夕 飯 を 供 に し 、 香 代 子 問 題 を 相 談 す 。 山 崎 女 子仝
晴 暖
実帰宅。千代、川北女史之学校に行く。
会。 雨 冷 気
西銀座惨火。 三月七日 日
三月十 二日 金
昌 雄上 京 しな が ら顔 も 出 さ ず 市 川 に寄 り た るま ゝ今 夕 帰 国 す 。
三雄 に再 三電 話 せし も 不 応 、 不 可 解 至 極 也 。 夕 両 国 に 散 歩 す 。
に 不係 来 らず 。
経済調査局理事︺ の撰 挙 に 投 票 す 。 千 代 東 京 駅 に 行 く も 昌 雄 電報 の 約
午 前 今 立 と 電 話 、 香 代 子 問 題 に 付 中 川 と 三 人 会 合 す 。但 し 午後 二
三月十 七日 水
三雄 香 代 を 訪 ひ 説 き 伏 せ ら る 。
時 頃 よ り 香 代 、 三雄 を 呼 寄 せ 、 中 川 よ り 質 問 せ し む 。香 代 頑 強 に
香 代 問 題 に付 裕 君之 来 訪 を 煩 はし 、 昌 雄 之 不 敵 な る来 状 を 示 し 相
曇 寒
逆 襲 し 、 中 川 、 今 立 大 に怒 り し も 予 の調 停 に て 一先 香 代 に 陳謝 今
談 す 。 呆 然 た り 。昌 雄 は置 手 紙 し て昨 夜 帰 国せ し 也 。 今 立 番 頭 市
夕 より 寒 気 増 す
後 を 誓 は しめ 、 三雄 を 仝 行 せ し め て白 井 に 再 考 を 求 め し む 。
雄 を 呼 寄 せ し も 行違 と な り 終 に来 ら ず。
淵 に 報 告 し 、 国 元 に は 為替 と 共 に絶 交 状 を 送 る。 午 後 速 達 に て 三
川 に使 せ し も 三 雄 不在 に て 要領 を 不得 。 昌 雄 の態 度 に付 中 川 、 馬
晴
昌雄 を 電 報 に て呼 寄 す 。
三月十 三日 土
千 代 和 泉 丁 を 見 舞 。 満 佐 夫 を 伴 ひ 帰 る。
︹ 欄外︺千 代 志 賀 子 に 竹 屋 へ交 渉 を頼 む 。
午 前 千代 と 両 国 に散 歩 、 伊 勢 丹 に小 食 、 帰 宅 す 。
半晴
昌 雄 よ り 返 電 、 ﹁父 の意 見 纏 り 次 第 行 く ﹂。
三月十八 日 木
預 金 の残 り 廿 五 円 也 。
午 後 一時 四十 分 秩 父 宮 両 殿 下 御 出 発 に 付 御 見 送 す 。
午前小栗 ( 大 将 の令 兄 ) 来 訪 。
曇 寒 気 甚 し く 氷柱 園 に 立 つ
三月十四日 日
孝来訪。
午 前 雨 夕 晴 る
午 前 山 崎 又 来 り 白 井 の 絶望 と 香 代 引 取 に付 申 込 む 。 昌 雄 に再 電 す 。
寛 一、 満 佐 夫 来 る 。 午 後 帰 宅 す 。
中島 武 来 る。 題 字 を 与 ふ 。
紫 雲 荘 違 勅 問 題 を 提 げ て陸 軍 攻 撃 を 本 日 の読 売 に 大 書 す 。
︹ 渙︺ ︹ 欄外︺ 五 ケ条 御 誓 文 喚 発 七十 年 記 念 。
林首相及金子伯放送。
晴 寒 大
三月十九日 金
昨 夜 よ り 濃 霧 朝 晴 る
三月十 五日 月
中 川節 今立 許 に行 き 香 代 之 件 相 談 。
鈴 木 要 三郎 来 り ﹁ 沃 度 之 元 ﹂ を 贈 る。
午後 千 代と 高 島 屋 に 、夫 より 幸 鮨 へ。 佐 々木 お さ 子 、 奥 名 夫 人 に
午 前 松 下 来 る。 午 後 松 下 豊 子 ( 竹 屋 子 爵 の親 類) を伴 ひ 再訪 、令
会ふ。
嬢 之 事 に付 千 代 と 懇 談 。 本 件 志 賀 子 も 鍋 島 夫 人 に 話 す筈 。 今 立 千 代 より 電 あ り 。 依 て源 太 郎 に督 促 の電 を 発 せ し と ころ 、 昌 雄 稍 く
昨 夕 よ り 五 郎 帰 らず 、 困 つた言 ふ より 外 な し。
三月二十 日 土
曇 小 雨 寒
上京 の返 電 あ り 。 三月十 六日 火
晴 暖
早 朝 七 時 塩 町 小 学 校 に 道 家 斉 一郎 ︹ 専修大学常務理事、経済学部長、東亜
福 井 県 三 国 港 東 尋坊 之 雄島 へ架 橋 出 来 に付 ︹ 以下欠︺ 。
三月 二十六日 金
夜孝治、みさを親子来る。
三月二十 一日 日
を 聴 く 。 急 調 に し て 感 動 を 生 ぜ ず 。洗 練 に遠 し 。
真 崎 少 将 来 訪 、 不 相 変 陸 軍 問 題 也 。午 後 新橋 演 舞 場 に春 野 の浪 曲
晴 暖 夜 寒 し
寛 一、 実 帰 宅 。
春 季皇 霊 祭 、 賢 所参 集 す 。
晴
午 後 荒 井 アト リ エに近 藤 信 竹 ︹ 中将、軍令部第 一部長︺、安 富 と 伊 吹 画
三月 二十七日 土
満佐夫下痢。
午 後 一時 よ り 千 駄 ケ 谷松 平侯 爵 邸 、忌 年 祭 に行 く 。
千 代 和 泉 町 へ。
晴
を 検 す 。 荒 井 の 馳走 あ り 。 稍 酔 気 分 と な る。 三月二十 二日 月
右 了 て 和泉 町 へ行 く 。
晴
村 上貞 一 ︹ 著述業︺ 、 山 崎 女 史 来 る。
三月二十 八日 日
荒 井 に礼 状 を 出 す 。
三月 二十 三日 火
水交 社 に家 族 会 。 下 郷妙 子 を 招 く 。 武 藤 夫 人 国 防 婦 人 会 用 務 に て
香 代 子横 須 賀 馬 淵之 厄介 と な る。
朝 九 時 小 笠 原 を 訪 ひ、 墨 二挺 を 贈 る 。 実 之 軸 之 讃 に謝 す る為 也 。
不参 。
晴 春 の 日と な る
午 後 千 代 、素 子 、 満 佐 夫 御 彼 岸 に 海 晏 寺 詣 。
素 子 母 子 不参 、 千 代 見 舞 に行 く 。
伏 見 宮 園庭 主 事 来 り 種 々助 言す 。
夕 食 に寛 一を 招 じ 、 川 口よ り 明 石 鯛 之 美 味 あ り 。
鵜 飼 重 惇 氏 より 桜 二本 来 る。
晴 暖
三 国雄 島 橋 之 揮 毫 を 板 橋 小 倉 に 交 付 す 。
晴
満 佐 夫 ﹁は し か ﹂ と 断 定 、 千 代 、 真 智 子 を 連 れ 来 る 。
武 藤 夫 人 、 下郷 矢 人 礼 に 来 る。 奥 寿 医 師 を 伴 ひ 来 る 。 頼 ま ず 。
三月 二十九日 月
理髪。 雨
今 立 裕 、竹 屋 春 光 子 爵 の為 め 縁 談 申 込 に 来 る 。
三月 二十四日 水
︹昤︺
雨 天 之 為 山 条 の 一年 忌 、 水 交 社 の 聴 講を 止 む 。終 日北 玲 吉 之 雑 誌 を読む。
満智子を連れ来る。をとなしく可愛らし。 三月 三十日 火
( 昭和 十 三年 ) に付 報 告 す 。
千 代 武 藤 家 に 。 正 午 孝 治 来 宅 、 予 と 供 に幸 鮨 へ。
福 井 藤 島 神 社 宮 司 来 訪 、 六 百 年祭 三月 二十五日 木
真智子真にをとなし、可愛そうなり。
︹ママ︺
午 前 七 ・ 一〇 孝 治 夫 婦 着京 、 千代 と 共 に出 迎 ふ。
松下権八来る。
晴
武藤夫人姪に会す。
雨 降 午 後晴 曇
金崎神社宮司来訪す。
口 ( 酒 を 持 参 、 書 を 頼 む )。
近 藤 正 之 一家 、 松 下 権 八、 山 田 忠 治 少 将 ︹ 予備︺ 、 佐 賀 、 山崎 、 野
三月 三十 一日 水
山 田忠 治少 将 に書 を 渡 す 。
午前 満 佐 夫 を 見 舞 ひ 上 野 に花 見 。
四月 五日 月
之助 力 を乞 ふ 。快 諾 。 波 多 野家 に申 込 む 。
波多 野 ︹ 二郎︺子爵 ︹ 大佐、予備︺令 嬢 之 件 に 付 武 富 ︹ 咸一 ︺少 将 ︹ 予備︺
実 帰 宅 。武 富 少 将 よ り波 多 野令 嬢 の写 真 送 ら る。
晴
本 田仙 太 郎 ( 金 主 を 頼 む 。 金 の心 配 計 り は 断 る と 応 酬 せ し に 彼 れ
小 笠 原 長生 子 来 る 。
晴
泣 か ん計 に謝 し、 読 経 し て帰 る )。
夕 、 帝 都座 に 。
四月 一日 木
四月六日 火
晴 稍 涼
夕 多 田新 二結 婚 、 千 代 と 学 士 会 館 に行 く 。
真 崎 、 加 藤 久 来 る。
晴
夕 造 船協 会 四 十 年 記 念 祝 賀 会 。 伏 見 宮 ︹ 博恭王︺御 台 臨 之 所御 見 合
午 前 よ り 政 治 博 見物 。 ︹ 色︺ 正 明 来 る 、 式 紙を 与 ふ 。
晴
せと な る。 理由 不 明 。 日 々、 政 治 博 不 参 。 四月二日 金
四月七日 水 晴 暖 春来 る ︹ 次︺ 今 立 裕 、 真 崎 勝 治 、 松 下権 八来 る 。亀 谷 より 電 話 あ り 、逗 子 行 と
真崎、岩倉、宇 田 ( 特高 )、 堤 清 二郎 等 来 る 。 堤 に書 を 渡 す ( 小 学校 用 額)。
称し断る。
神 風 号 ﹁カ ルカ ツタ﹂ に向 ふ 。
終日揮毫。
四月三日 土
四月八日 木
晴
神武 天皇 祭 、 賢所 不参 申 上 ぐ 。 麻 布 写 真 師 来 り 、 去 日水 交 社 の家
午前田中清次郎来り報告す。
夕海 相 の大 将会 に行 く 、 予算 説 明 。
族写真拡大を 贈る。猪野毛利栄 ︹ 外務政務次官、衆議院議員、政友会︺来
午 後 隅 田 公 園 満 開 の桜 を 見 、 ﹁奴﹂ に て鰻 、有 楽 座 に活 動 を 見 る。
寺 西 支 那 通 の 代 理と し て 日本 新 聞 記 者 二名 来 る。 要 求 を 断 る。
四月四日 日
神 風 機 ア テネ 発 、 欧 洲 時 間 午 後 三 時 倫 敦 着 の予 定 、 全 航程 九 十 四
午 前 武 富 少 将 来 訪 、 波多 野 令 嬢 の仝 意 を 齎 ら す 。
四月九日 金
神 風 機 ア テネ 着 、 世 界 之 興 味 を 惹 く 。 日 本機 の 大成 功 慶 賀 に 不堪 。
半 晴 午 後夕 雨
る 。 推薦 を 乞 ふ。
橋本才輔 ︹ 大佐、予備、大日本武徳会剣道教士︺夫 人 夫 君 の立 候 補 相 談 に
時 間 の予 想 也 。 全 記 録 を 破 る 。
雨 寒 し
寛 一来 る 。
来る。
終 日 雨 寒 し
実帰る。
真崎来る。千代、波多野令嬢を遠見す。
四月十五日 木
晴
四月十日 土
夕 川 口に 招 か れ 隅 田 に 荒 木 弟 と 痛 飲 す 。
晴
千代 演 舞 場 に 下 郷 に招 か る。
夕 井上 雅 二息 結 婚 式 に招 か る。 東 京 会 館 。
晴
千 代 少 し 不 快 。 川 口を 経 西 尾 へ書 。 ︹ 筍︺ 加 藤 友 一に 書 を 与 ふ 。 苟 二 本 持参 す 。
四月十六日 金
亀 谷 慎 一来 り 長 談 す 。
四月十 一日 日 晴 絶 好 の花 日和 ︹ 欽︺ 下 郷、 孝 、初 太 郎と 仝 道 鎌 倉 山 長 尾 欣 弥 ︹ 製薬業、わかもと青年学校主︺ 別邸 へ、夫 より 釜焼 に 、夫 より 熱 海 大 野 屋 の評 議 員 会 総 会 に 列 し 、
京 城新 田 つね 来 訪 、 写真 と 菓 物 を 贈 る。
三 里塚 に 行き 夕 刻 帰 る 。
四月十 二日 月
寛 一来 り 、 仁 と 三 人 相 談 す 。
四月十七日 土
む 。 彼 れ 酒 乱 、 前 後 を 忘 る ゝも の ゝ如 し 。
五郎 又 泥 酔 、 明 三 時 に 帰 宅 。 予 激 怒 し 痛 責 す 。 全 く 予 を絶 望 せ し
小笠原帰京、有馬に面会す。
晴
終 列車 に て帰 る 。
午 後 十 一時 み さを 出 立 帰 呉 す 。
晴
佐 久 間 、 石原 、 前 田陸 予中 佐 。
五郎 母 に謝 す る も 幾 度 な る を 知 ら ず 。 千 代 も 絶 望す 。
終日不快、頭痛す。
半晴
四月十 三日 火
晴
本 日 訪 問 客 特 に 多 し 。 松 下 、 川 口 、 内 田 剛 蔵 外 一名 、 加 藤 亮 一
四月十八日 日
之 身 上 に付 頼 む 。 快 諾 。 依 て予 も 又 書 面 厚 礼 す 。
午前千代高木喜寛氏 ︹ 男爵、医学博士、東京慈恵会理事︺を 訪 問 し、 五郎
午 後 実 帰 宅 。 武 富 仝 行 、 波 多 野 家 に 家 族 、令 嬢 と会 見 、意 を 交換
︹ 主計中将、予備、日本飛行機代表取締役︺ 、( 松 平 家 へ献 灯 之 為)、 佐 賀 横
疑 あり 。
尾 青年 、清 河 ︹ 純一 、中将、予備︺夫 人 (タ マ子 )。 忙 殺 疳 生 ず 。 ︹ 為︺ 東 海 列 車 混 乱 す 。 ﹁み さ を ﹂ 無 事 。 貨 車 脱 線 の為 。 而 か も 人 意 的
す。
三井 ︹ 清 一郎︺貴 族 院 議 員 ︹ 元陸軍主計総監︺来 訪 。 訳 の判 ら ぬ 話 を 為
山 下知 彦 ︹ 男爵、大佐、予備︺( 大 阪 立 候 補 を 推 薦 之 件 )。
松下権八来る。
竹 屋 春 光 子 爵 来 る 。 令 嬢 に 関 し 辞 を 厚 ふ し て 予 より 辞 退す 。
す。全諒す。
夕 刻 波 多 野 二郎 子 爵 来 訪 、 令 嬢 之 事 並 に 親 戚 に 就き 赤 裸 之 話 を為
晴
四月十九日 月
す。結果良好。六時幸鮨に千代と三人会食す。
暖
四月十 四日 水
晴
石 原と 福 田 タ ク ジ (石 原 の親 戚 ) 来 訪 。
東 郷彪 氏 ︹ 平八郎長男、侯爵、貴族院議員︺来 る。 武 藤 能 婦 子 来 る。
晴
︹ 欄 外︺ 高木 氏 五郎 を 説諭 す 。
山 田忠 治 氏 に書 を 渡 す 。
四月 二十日 火
四月 二十三日 金
を乞 ふ 。
雨 寒 冷 也
午 前海晏寺墓参 。安保 ︹ 清種、大将、予備︺に 訪 問 、 来 る挙 式 に 挨 拶
荒 井 友 人 美 術 学 校 教 授 一氏 義 良 来 る 。
題討議。了 て豊田 ︹ 副武、中将︺軍 務 局 長 講 演 を 聴 き 、 有 終 会 総 会
午 後 一時 財部 大 将等 の 発起 に て水 交 社 に大 将 会 。 陸 海 軍 倶 楽 部 問
に臨 む 。
晴
午 前 賢 崇 寺 住 職 藤 田 俊 訓 山東 省 の日 本 僧 侶 を 同行 し 来り 寄 附者 に 与 ふ る為 予 の書 を 乞 ふ 。 諾 。
四月 二十 四日 土
武 富 夫 人 、 向 山 、 松 下、 勝 木 、 加 藤 久 、 一氏 義 良 等 来 る 。
武富夫人来訪。
夕 秋 沢 に招 か る。 夫 人 之 手 料 理 巧 妙 。 村 上 、 坂 本 、 伊 集 院 、 大 橋
内 田 剛 蔵 之 友 人 特 高 川 満 恵 正 来 る 。内 田 の為 の書 を 托 す 。
館)。
今 立 来 訪 。 午 後 近 衛 公 及 細 川 公 結 婚 披 露 の茶 会 に 行 く ( 東 京会
千 代 、 実 の縁女 に 付志 賀 子 に報 告 す 。
と 予也 。
実之為め記書 ( 親 類 書 其 他 )。
千代 まち 子を 連 れ磯 部 へ。午 後 熱 下 る。
夕新島少佐来訪、親切に世話せらる。準備万端遺憾なし。
奥 寿 来 る、 不 面 会 。
晴
四月二十 一日 水
四月 二十 五日 日
勝木 ︹ 源次郎︺少 将 ︹ 予備︺井 坂 之 為 め 揮 毫 を 乞 ふ 。 諾 。
︹ 欄外︺電 報 に て実 を 呼 ぶ 。
連 日 晴 。 本 日 も 来客 多 し 、武 富 少 将 夫 婦 、 藤 岡 ( 京 都 ) 外 一名 、
夕 水 交 社 に て実 見 合 ひ之 為 波 多 野親 子 三名 、 武 富 夫 人 、 志 賀 子 、
揮毫す。
雨
前 原 謙治 中 将 ( 〓 関係 起 業 )、坂 井 一意 、 園部 老 。
寛 一、 予夫 婦 、 新 島 ︹ 信夫︺中 佐 と 会 食 ( 支 那 料 理 )。
午 前 和 泉 町 に満 佐 夫 を 見 舞 ふ 。
理髪 。
妻 加 藤 家 之 結 納 を 持参 、 波多 野 家 に 行 き 、 夫 れ よ り 加藤 家 へ両家
吉 日に 付 波 多 野 家 と 結 納 取 交 せ を 為 す 。午 前 十 時 武 富邦 茂 少 将夫
四月 二十六日 月
佐 賀 県 谷 川 毅 一之 両 親 来 り 男 之 碑 銘 揮 毫 を 請 ふ 。 諾 。
午 後 武 富 少 将 宅 に媒 酌 依 頼 、 次 而 右 京 町 波 多 野 家 に 次 女 孝 子 婚 約
取交芽出度整ふ。千秋万歳。
曇 正 午 よ り 雨 稍 強 し 寒 涼
に趣 く 。 千 代 仝 行 。
媒 酌 人 へ酒 肴料 金 五 円 及 菓 子 二 筐 。
四月 二十 二日 木
午前波多野子爵夫妻之来訪、婚約申出を受く。鄭重也。
松 下 祝 に 来 り 元帥 書 も約 す 。
晴
水 交 社 に 五月 十 五 日を 約 束 す 。
五月 一日 土
曇
吉 田 ︹一 ︺医 中佐 ? 耳鼻 大 家 。
雨
四月 二十 七日 火
武 藤夫 人 、松 下権 八 、末 次 夫 人、 関根 幹 事 。
香 代 之 件 に付 山 崎 来 る 。
道 家当 撰 す 。実 新 婦 と 千代 看 劇 。
︹マ マ︺
靖 国神 社 臨 時 大 祭 。 細 雨 、 幸 にぬ れ ず 。 両 陛 下 御 参 拝 、 予 も参 列
夕 柳 橋 は や し に 招 か る 。 下 郷 も来 会 す。
︹マ マ ︺
井坂 来 る。 書 を 与 ふ。 鮮 魚 を 齎 ら す 。
す。
午 後 満 佐 夫 日 本 橋菊 池 病 院 に 入 院 、 直 に 見舞 に行 く。
五月 二日 日
高杉 ︹ 新 一郎、軍医中将︺医 務 局 長 に 世話 を掛 る事 大。
千代飛島を訪問し、菊池病院に行く。
今 立 に香 代 之件 電 話 、 直 に中 川 宅 に今 立 訪 問 、 午 後 二人 同 列 に て 来 る 。結 局 今立 、 中 川 両 人 に て秋 葉 原 に白 井 と 会 見 、 直 談 す 。
武 富 来り 揮 毫 ( 旗 ) を 乞 ふ。
夕 談 話会 、 林首 相 祝賀 。 林 、 小 山、 秋 月、 安 保 、 内 藤 、 深 井 、 塩
午 後 一時 国 技 館 国 防 婦 人 会 に 列 す 。 武 藤 夫 人 の懇 請 に 依 る 。
雨
野、小原、松田 ( 外)。
五月 三日 月
実、波多野母子仝行、逗子、鎌倉に行く。 半 晴 驟 雨
四月 二十八日 水
村 田よ り 祝 品 〓 笥 来 る。
晴
安 井 治 兵 衛 二 十 三 回 忌 に 招 か る 。東 京 会 館 。
武 富 夫 人 、 加 藤 久 、 村 田安 子 、 大 村 母 子 。
天長節日和
大 村 母 は 石碑 銘 記を 頼 む。
四月 二十九日 木
五月四日 火
午 後 黒 井 大 将 葬 儀 に列 す 。
四月 三十日 金
理 髪 。 三 越 に 五 月幟 を 購 ひ 、満 佐 夫 を 見 舞 ひ、 贈 る。 大 喜 也 。
天長節、好天参内、新宮館にて撮影。
午 前 七 時 塩 丁 第 二小 学 に投 票 ( 道 家 斉 一郎)。
水 交社 級 会 、 予 一人 行 く。
夕 荒井 画伯 来 る 。伊 吹 之 油 絵 に付 注 意 す 。
黒 井 邸 弔 訪 。 逗 子 に行 き ナギ サホ テ ルに て実 の ﹁ク ラ ス メー ト﹂
千 代 は吉 祥寺 へ。
参 内 、 賜 饌 を 千 代 自 身 松 下 に 持 参 す 。 老婆 感 泣 す 。
約 三十 名 に講 話 す 。 三時 間 に渉 り ﹁ク ラ ス﹂ を 驚 か す 。
松 林 重 〓 氏 老 逝 す 。 夜 す な を と 弔 問 す。
黒井 ︹ 悌次郎︺大 将 急 死 す 。
飛島 文 吉 より 祝 物 、 鄭 重 を 極 む 。
五月五日 水
今 立 裕 祝 に 来 る 。 金 十 円券 。
晴
晴
英 大使 、 徳 川 家 正、 豪 洲 代 表 等 和 泉 荒 井 アト リ エを 訪 ひ 、 伊 吹 之
曇
画 を見 る 。 ︹ 欄外︺本 件 放 送 さ る 。
五月六日 木
千 代 縁 女 荷 物受 取 之 為 鎌倉 に 行 。
露之送別会也。
夕 二葉 亭 に て 二葉 会 、 平生 ︹ 釟三郎︺前 文 相 其 他 二十 数 名 、 宮 崎 駐
山脇春樹 ︹ 山脇高等女学校長︺来 訪 、 時 局 問 題 に 付 予 に 注意 を 促 す 。 五月十 一日 火
鈴木要三郎来る。
暗 示 あり と 云 ふ 。拒 否 。
午 前 波多 野家 よ り荷 物 を鎌 倉 実 寓 居 に送 る。 千 代 式 を 以 て迎 へ饗
晴
真崎夫 人 ( 甚 三郎 大 将 ) 来 訪 。
応 す 。 今夜 千代 鎌 倉 に 一泊 す 。
快晴
午 後 松 林 老 告 別 式 に立 合 ふ。
松 下来 り 内 府 と 会 見 之 模 様 を 語 る。
夕 飲 に招 か る。
︹マ マ︺
午 後松 村 昇 氏 ︹ 米井商店社長︺之 招 に て 国技 館 へ。 右 了 て金 田中 に て
晴 ︹マ マ ︺
五月 八日 土
上 り 小 坊 子 を 与 ふ。
飛島 孫 女 御 宮 参 り よ り 来 る。 御 紋 章 入 銀 ボ ン〓
波 多 野来 訪 。
午前安立、加藤久来る。
二個 と 加 賀 の起
四 囲 之形 勢 予 に迫 る。 予 不関 心 。 五月 七日 金
ル。 松 下、 松 島 不 二、 馬 淵 夫 人 等 来 訪 す 。
東 伏見 ︹ 慈洽︺伯 、 亀 井 ︹ 茲常︺伯 ︹ 二女保子︺御 整 婚 披 露 、 帝 国 ホ テ
午 前 真 崎 勝 次 、 内 田剛 ( 怪 文 書 持参 )、 隠 岐 町 長 ( 書 之 礼) 来 る。
千代帰宅。
五月十 二日 水 晴 ︹ 戴︺ 英 国皇 帝 載 冠 式 、 足 柄 参 列 。
千 代 逗 子 よ り 実 の移 転 を 助 け 、 鎌倉 島 村邸 に て世 話 にな り 、後 九
名古屋県人会長来る。
五月九日 日
正 午 外 相 午 餐 、 ユ レ ニ エ フ送 別 。
晴
時過帰宅す。
千 代 逗 子 に行 く 。 実 の引 越 準 備 之 為 也 。
孝 子 今 朝 鎌 倉 に 行 き 手 伝 ひ 云泊 す 。
午 前 武 富 夫 婦 並 に 子息 来 訪 。
孝 治 帰 京 来 宅 、 実 結 婚 式 に 立 会 之為 也 。
晴
五月十 三日 木
正午藤原銀次郎 ︹ 貴族院議員、王子製紙等社長︺邸 に て ﹁ユウ レ ニ エ フ﹂
安井治兵衛 ︹ 福富工業社長︺態 々 断 り 来 る ( 十 五 日欠 )。
晴
夕 日露 協 会 ユウ レネ フ送 別会 。 予挨 拶 す。 盛 会 也 。
之 為 午 餐 会 に招 か る 。豪 奢 之 宴 也 。
五月十四日 金 洋室天井紙張り。
午 前 半 晴 午後 小 雨
夕 寛 一、 実 来宅 。 五月十 日 月
高橋 ︹ 三吉︺大 将 失 人来 訪 、 明 日 欠席 を 報 ず 。
晴
武 富 氏来 り 席 次 打 合 せ。 波 多 野 に加 藤 家 の荷 物 を 托 す 。
五月十 五日 土
五月二十日 木
三 井清 三郎 来 訪 、 政 談 す 。
礼 物 を 持 参 武 富 に謝 礼 す 。
午 前 波 多 野を 訪 問 、 先 日 の答 礼 を 為 し 、 夫 人 と 仝 車 、 予 と 千 代 は
武 富 邦 茂 少 将 媒 酌 に て、 実 、 孝 子 結 婚 式 。 水 交 社 に て 四 家 併 而 百
午 前武 富 夫 婦 礼 に来 る。
蘇 大 使 茶 会 。 千 代 山 脇 を 訪 問 、 写 真 を 返却 す 。
廿 九 名 。 安 保 大 将 来 賓 総 代 頗 る 加 藤 家 之 為 め 礼 讃 。 鈴木 大 尉 級 を
天 野 敬 二郎 及孝 と ひげ 天 に行 く 。
五月十 六日 日
正 午 海 軍 館 開 館 式参 列 。
神 風機 帰 着 、成 功を 祝 す。
五月 二十 一日 金
杉 山 世喜 三 ︹ 医学博士、日本特殊硝子工業他取締役︺来 り 診 察 良 好 と 断 ず 。
快 晴 日 本 晴
代 表 挨 拶 。 頗 る盛 会 に て十 時 頃 ま で続 く 。 新 夫 婦 は 九 ・ 一五 列車
午 後読 売 内 田来 り 予 に対 す る世 上 の期 待 を 告 ぐ 。 予 不 関 焉 。
午前 波多 野夫 婦 来 る。
波 多 野 家 を 訪 問 、 水 交 社宴 会 費 一半 を妻 女 に手 交 す 。
半 晴 風 あ り
に て湯 河 原 天 野屋 に行 き 一泊 。
藤 井 実 、 松 下権 八来 る。
夕、ネバ会、佐藤 ︹ 尚武︺外 相 、米 内 海相 祝 賀 宴 。
下郷寅吉夫婦暇乞に来る。
五月 二十 二日 土
雨
寛 一来 る 。
五月十七日 月
今 立 来 訪 に付 香 代 之 処 置 を 頼 む 。
晴
午 前 六 ・四 〇 豊 彦 、 ( 下郷)伊勢 子と倶に、予と千代、 静岡県島
亀 谷 慎 一来 る 。 政 談 す 。
曇 小 雨
予 満 佐 夫 を 見舞 ふ 。
田北河豊次郎 ︹ 大阪工業薬品社長︺五 男 豊 久 と 鳥 居 信 平 ︹ 台湾製糖取締役
晴
兼農事部長︺長 女 す み ゑと 之 結 婚 式 に 媒 酌 人 と し て 趣 く 。 十 一 ・三
︹ 欄外︺ 実 夫 婦 里 開き 、 日 本橋 偕 楽 園。
夕 日本 橋 偕 楽 園 に行 く 。 予 一家 総 出 。
波 多 野 家 に新 夫 之 土 産 物 包 を 持 参 せ し む 。
実夫婦海曼寺に報告之上帰宅。
︹ 福泉酒造取締役︺夫 婦 同 じ く 同 列 す 。 夜 大 東 館 に 一泊 。 下 郷 も 来 り
〇 着 。 午 後 挙 式 了 て静 岡 浮 月 楼 に 披 露 宴 に 臨 み 挨 拶 す 。 杉 山 晃
曇
五月 二十 三日 日
五月十 八日 火
正 子 京 都 に立 つ。
実 夫 婦 親 類 廻 礼 、 下 郷 自 働 車 を 借 用 す 。 午 前 八 時 よ り 後 五 ・三 〇
半晴
朝 食 了 て 日本 平 に 登 り 、 又 市 内 の 浅 間 神 社 に 詣 で 、〇 ・〇八分 準
寅 吉 夫 婦 を 東 京 駅 に見 送 る。
急 に て帰 京 す 。
晴
迄。 五月十九日 水
伊 勢 丹 に て理 髪 。
午 前 川 口 、 小 西、 猪 野伺 候 に来 る。 夕 大 森 偕 楽 園 に招 か る。
﹁馬 淵 よ り香 代 之件 通信 ﹂ あ り 、 直 に中 川 節 に速 達 に て転 送 す 。
千 代慈 恵 之 父 母会 に行 く。 東 京 会 館 。
加 藤久 、松 下権 八、 松 浦 某 。
雨
五月 二十 四日 月
川島 来 り 菊 池 之 写真 を 本 庄 家 に持 参 せ し む 。
五月二十九 日 土
仙 石亮 紹 介 福 井 報 徳 会 幹 事 大 丸 栄 次 郎 外 一名 来 り 、仝 会 廿 年史 編
関根 主 事 来 る。 恰 爾 賓 陳 列 館 敷 地 之 件 に 就 て也 。
実夫婦帰鎌す。
纂之為題字を乞ふ。諾。
五月 三十日 日
雨
午 後 四時 北 河 豊 次 郎 夫 妻 、仝 新 郎 、 新 婦 媒 酌 の礼 に 来 る 。
午前七時頃省線武蔵小金井より多摩墓地に故元帥御命日に参詣す。
帰 宅 と 同 時 に真 崎 来 る。 夕 千 代 と 報 知 講 堂 に 人 形 を 見 、 幸 鮨 に 行
曇 後 晴 久 し 振 青 空 を 見 る
夕 北 河 に 帝 国 ホ テ ルに 招 か る 。 五月 二十 五日 火
く。
晴
今 立 裕 香 代 に付 中 川 、 白 井 と 会 見 之 報 告 に来 る。 馬 淵 に右 通信 す 。
五月 三十 一日 月
之 為 め慰 安 揮毫 之 親戚 (瓜生 の) 女 史 来 る。
終 日 揮毫 。 大村 女 史来 て 墓碑 揮 毫 を 乞 ふ。 瓜 生 ︹ 外吉︺大 将 ︹ 予備︺
五月 二十六日 水
湯 浅 内 大 臣 例 に 依 り 興 津 へ。
寛 一と 夕 食 。
六月 一日 火
松 下、 真 崎 来 り 警 す 。
曇
今沢 ︹ 正冬︺予 備 軍 医 少 将 来 り 長 談す 。
内 閣 総 辞 職 。 世 人 狂 気 之 沙 汰 と 云 ふ 。 平 沼 、 近 衛 説 盛也 。
小 笠 原帰 京 、 電 話 す。 京 都 未 定 。
午後大命近衛 ︹ 文麿︺公 に 下 る 。
曇後 雨
八並来る。
寛 一夫婦 来 る。 光 枝 来 る 。
此 日予 を 訪 問 者 、 小 栗 盛 一、松 下 、 八並 、坂 井、 猪 野毛 、 三井 清 三郎 ( 貴)、 真 崎 。
晴
真 智 子 理髪 、奇 麗と な る。 五月 二十 七日 木
星 一︹ 星製薬社長︺よ り書 あり 、組 閣を 勧 む 。
細 雨 露 模 様
海 軍 記念 日、 行 幸 。 双 葉 山 横 綱 初 土 俵 入 。
大 村 女史 に 碑銘 を交 付 す
( 竹 内 伍 長 の為 )。
子之 件 頼 む 。
快晴
故 松村龍 雄 ︹ 中将︺の 碁 友 之 子 藤 田青 年 神 勅 な り と て 白 シ ヤ ツ之
六月二日 水
千 代本庄 ︹ 繁、陸軍︺大 将 ︹ 予備︺宅 訪 問 、 菊 池 文 吾 ︹ 九州商事社長︺養
細 雨 つゆ 模 様 連 日 雨 に な や む
島 村 末 子 よ り新 鮎 外 品 物 二、 三贈 ら る。
五月二十 八日 金
午 前 小 笠 原 を 訪 ひ北 河 依 頼 の元 帥 書 之 鑑 定 を 乞 ふ 。 落 第 。
来訪 者 、向 山使 志 垣、 斎 田隆 治 、 向 山 本 人 外 二名 、 山 崎 女 史 。
分割 統 一せ ら れ んと 云 ふ 。諭 し て明 治 神 宮 に参 拝 せ し む 。
ら ず 、故 に米 国と 戦を 避 け、 西 を 討 伐 せ よ 、 世 界 は 日米 独 三 国 に
海相 た れと 真 面 目 に語 る。 且 つ曰く 、 日本 は 東 に 向 て戦 争 す べか
と 加 藤 に て為 し遂 ぐ べし と 、 組 閣 も 四 日ま では 出 来 ず 、 其 時 予 は
ま ゝ自 転 車 に て来 り 、 世 界 統 一之 神 勅 来 る 六 月 四 日に 降 下 し 近 衛
実 夫 婦 の厄 介 に な り 大 に 馳 走 す る 。
午 後 鎌 倉 西 御 門 に 島村 夫 人 を 訪 ひ礼 物 を 贈 る 。
六月八日 火
原 田 松 本 家 へ建 立 の鳥 居 図 面持 参 。
大 橋 省 ハイ キ ング 誘 に 来 る 。
連日梅雨気味。
六月七日 月
午前車中に白井と会ひ ( 馬 淵 に 行 く 途 中)、昌 雄 の書 簡 ( 七 日付 )
雨
晴 又 雨 梅 雨始 る乎
夕 、 荒 井 と夕 食 を 倶 にす 。
に 就 き 其 他 相 談 、 白 井 の自由 行 動を 諾 す 。
輔 仁 会 に 回 向 院 套 堂 の大 額 を 送 る 。
晴
六月四日 金
六月九日 水 午 前 小 雨 午 後 よ り 稍 々晴 ︹ 支︺ 三越に四四九円仕払ふ。
六月三日 木
近 衛 内 閣成 る。 馬場 ︹鍈 一︺内 相 問 題 と な る。
千代まさ夫を見舞。
組 閣 第 二 日 。松 下権 八、 布 哇 宮 司父 子 、 田中 清 次 郎 、 武 藤 夫 人 。
午 後 京橋 公 会堂 に 於 て向 山 庄 太 郎 、 皇 太 后 陛 下よ り 下賜 蒔 絵 硯 筥
晴 暑気 始 る
之 栄 光 祝 賀 会 、数 百 人集 る。 予祝 詞 を 述 ぶ。 了 て 日本 橋 偕 楽 園 に
終 日静 閑 、 訪 客 も な し 。
六月五日 土
六月十日 木
美味至極、早速礼状を出す。
安藤栄蔵 君 ︹ 京都商工会議所副会頭、安藤商店代表取締役︺よ り 枇 杷 来 る。
晴
招かる。
古 市 翁 銅 像 除幕 式 ( 帝 大 工学 部 校 庭 )。
午 前 園 部 子息 仁 に 示教 を 乞 ひ に来 る。 午 餐 を 仁 と 共 にせ し む 。
六月六日 日
正 午 よ り 日露 協 会 幹事 会 。 会 後 之改 革 方 針 に 就 而協 議、 会 則改 正
六月十 一日 金
忠魂碑大物揮毫。
晴
実 夫 婦 来 る 。憲 一夫婦 と 共 に会 食 す 。
松下権八来る。
今 立 裕 、 仁 の縁女 を 取次 来 る。
案研究す。
曇
春 造 上 海 行 に付 暇乞 に来 る。
古市六三 ︹ 男爵、住友炭礦常務取締役︺夫 婦 除 幕 式 挨 拶 に来 る。
晴
松 島 父 君 来 る 。 午 後 十 一時春 造 之上 海 行 を 送 る。 マ︺
銀座散歩、写真を見る。 ︹ 司令官︺ 留守中真崎と ︹ 前︺朝 鮮 憲 兵 隊 長 持 永 ︹ 浅治、陸軍少将、予備︺来 る。 ︹マ
実 波 多 野 を 経 て 帰 る 。春 造を 見 送 る 。 予少 しく 風 邪 之 気 味 。
霊 泉 寺 和 泉 屋 に 一泊 清 遊 す 。 前 八 ・三 〇 準 急 に て午 後〇 時 五十 分
大 橋 之 計 画 に て村 上 、 秋 沢仝 行 四 人 上 野 駅 よ り 信 州大 屋 駅 下車 、
信越線。
浦部夫婦離去す。安立之為揮毫。
真崎赤坂より電話す。波多野と会飲中也と。予辞して不行。
を 乞 ふ。 ︹ 長︺ 午 後 永 嶺 公 固夫 婦 小 供 三 名 来 る 。
午 前 八時 万 世 橋 須 田町 二 ノ十 九 、 広 嶋 屋 に 灸 医 新 庄 谷 啓 造 に 治 療
半晴
大 屋 着 、 電 車 に て丸 子 へ、 夫 よ り自 働車 に て 雲泉 寺 へ (一円 五十
奥 寿 に観 劇 切 符 を 返 却 す 。
六月十 六日 水
銭 )。 汽 車 新 宿 よ り 通 し を 便 と す 。 ﹁プ ラ ツト フオ ー ム﹂ に先 入 を
灸治を始む。
半 晴 午 後 曇 涼 し 夜 寒気 を 覚 ゆ
許す ( 二 円 六 十 銭)。 三等 に て 行 く 。
六月十 二日 土
宿 大 に 歓 迎 す 。 一泊 三 食 二 円 五 十 銭 也。 低廉 気 の毒 な る ほど な り 。
松 下 権 八来 る。
曇 後 雨 大 驟 雨
午 後 四時 駒 込 吉 祥 寺 に 於 て堤 正 之 ︹ 男爵、故人、少佐︺ 一年 祭 に参 ず 。
六月十七日 木
円。揮毫す。
大雨篠を衝く如し。新庄谷之為揮毫す。
灸 治 第 二回 。
夕 三 ・三 〇 分 上 野着 を赤 羽 よ り池 袋 に出 、新 宿 に帰 り 、 三越 に て
快晴
理髪す。
武藤夫人来り昼食す。
六月十三日 日
夕 ガリ ブ レ ー 夫 婦 米 海 武 官 夫 婦 之 為次 官 ︹ 山本五十六、中将︺よ り 金
午 前 九 ・三 〇 霊 泉寺 発 一〇 ・四 〇 之 下り に て帰 京 。茶 代 五円 、 三
田中に招かる。
小笠原、加藤久西下し福井に行く。
点灸第三日、書を与ふ。 ︹ 撮︺ 斎藤明来り写真を採る。
曇
六月十八日 金
荒井五反田病院に入院す。
晴
留 守 中 秘 書を 真 崎 に渡 す 。
午 前堀 内 ︹ 三郎︺中 将 ︹ 予備︺紹 介 之 新 潟 渡 辺師 来 る。
六月十四日 月
午 後末 次 大 将 之視 察 談 を 東 京 会 館 に聴 く 。
点 巨 灸 第 四 日 、 主 人 報 酬 を 断 るを 以 て 五 円 菓 子料 と し て贈 る。 其
晴 暑 気 加 は る
六月十九日 土
他書三枚 ( 内 長 生 の家)。
晴
坂 井 一意 来 る 。 六月十五日 火
荒井陸男十二支腸潰瘍にて五反田病 院に入院に付 見舞。仝夜荒井 夫人早速礼に来る。
︹マ マ ︺
る 。 予 に 頼 む 。 増 永 廉 三来 る 。 堤 安 芸 子 ︹ 堤正之未亡人︺、 岩 下 未 亡
岸科 ︹ 正雄、中将、予備、津上製作所常務取締役︺留 任 勧告 の為 め 三 好 広 来
人 、浦 部 夫 婦 、 加 藤 久 。
満 佐 美 軍 医 学 校吉 田 ︹一 ︺医中 佐 に受 診 。 ︹ 瀉︺ 午後 予福井 ︹ 信立、軍医︺大 佐 ︹ 軍医学校教官︺ に受 診 、 200 19?、 射 血 五
理髪 。
〇 瓦 す 。 ﹁イ オ ン﹂ 放射 浴 。
晴 暑 気 加 は る
満 智 子少 しく 発 熱 す 。 ︹ 撮︺ 午 前 点 灸 。 新 庄 谷 と 採影
堀田夫人大阪より来訪。
六月 二十日 日
夫 婦 、 五 郎と 読 経 に侍 し、 水 交 社 に て午 餐 、 一同 大 に 喜 ぶ 。
留 守 中 加 藤 久 来 り 師 田 之 土 産 物 を 持参 す 。
日露 協 会 、 不 参 す 。
( 広 島 屋 )。 後 海 晏 寺 に 行 き 千 代 、 寛 一
新 庄 谷 今 夕帰 呉 す。 六月二十 一日 月
晴
今 朝 風 邪 、 三 十 七度 三 分 、心 地悪 き を 以 て臥 床 す 。
水交社、景岳会幹事会。
軍医 学 校 に て ﹁イ オ ン﹂ 吸 収 。 豊 田 貞 二 郎 夫 婦 に会 す 。
晴
六月 二十六日 土
夕 方 第 一劇 場 に向 山 之 案 内 に て奈 良 丸 を 聴 き 大 に 感 ず 。
晴
千 代 生 花 を持 ち 荒 井 を 見舞 ふ 。
点 灸 の衝 動 に や 不快 。
六月二十 二日 火
此 日 小 笠 原 福 井 と 武 生 に て 講 演 の筈 。
曇
六月 二十七日 日
り)。
大 谷 幸 四郎 中 将 ︹ 予備︺告 別 式 、 五郎 青 松 寺 に 代 拝 す ( 明 日 の誤
東 伏 見 宮 殿 下十 五年 御 祭 典 、 風 邪 に て不 参 す 。
六月 二十 八日 月
晴
満智子帰宅す。愛忍び難し。 六月 二十 三日 水
湯川、柴崎熊助、鈴木要三郎、飛島繁。
父 上 御 命 日。
国士 館 江 上 ( 夏 期 講 習 之 為 め 、 但 し 断 る)。
松村 豊 記 二 男来 る。 小 倉 敬 止 に紹 介 す 。
雨
雨
黒 龍 江 乾 岔 子 南方 に 蘇砲 艦 侵 入 不法 射 撃 に対 応 、 日満 軍 一隻 を 撃
六月三十日 水
︹ 乾岔子事件地図貼付、略︺
﹁イ オ ン﹂ 休 止 。 今 立裕 来 る。
六月二十 九日 火
千代 風 邪 。
﹁イ オ ン﹂ 取止 め。 揮 毫 。
曇 小 雨
千 代 和 泉 町 を 見 舞 ひ 、 真 智 子 の愛 に 惹 か る 。 香 代 子 稍 く 市 川 の兄 之 許 に帰 り 予 夫 婦 に詫 状 を 寄 す 。 真 偽 ( 本 心 の) 不 明 。
晴
寺 尾 診 察 、 血 圧 210 200。 六月 二十 四日 木
午 後 より 発 熱 三七 度 八分 、 不 快 頭 重 く 臥 床 す 。 午 前 寺 尾診 察 210 901 。
晴
発 汗 不快 、 但 し食 欲 不変 。 六月二十 五日 金
山内 な に わ に招 か る 。福 井 の 了源 寺 住 職 に福 井 帰 省 当 時 之 感 を 聴
飛島 文 吉 曽 祖 父 三十 三 回忌 に招 か れ千 代 と 共 に番 町 へ。 夫 よ り 芝
沈 し他 を 損 傷 逃 走 せ し む。 「セ ン セー シ ヨ ン﹂ あ り 。
午 前 軍 医 学 校 、 イ オ ン、 後 190 187。
七月 五日 月
寛 一夫 婦 来 る。 寛 一腹 工 合 悪 し と 言 ふ 。 ﹁パ ナ マ﹂ を 与 ふ 。
帽子を買ふ。
乾 岔 子事 件 外 交 々 渉 に 入 り 列 国注 目 す 。 ブ リ ユ ツ ヘル極 東 乾 岔 子
七月 一日 木
千代 、古 川 ︹ 三郎︺中 将 ︹ 予備︺訪 問 。
七月 六日 火
る。 中 旬 出 立 。
午 後 二時 橋 本 ︹ 虎之助、陸軍︺中将 ︹ 予備︺満 洲 国 参 議 と な り 告 暇 に来
晴 暑 最 高 八 十 八 度
く 。 予 の 十 六才 之帰 省 談 に感 ずと 。
に急行す。
揮毫 。夕 散 歩 。
雨
千代風邪にて臥床。
吉 田奈 良 丸 、 向 山 庄 太 郎 外 二名 。
七月 二日 金
島飛行機取締役︺ 、中元。
末次 ︹ 信正、大将、予備︺夫 人 ︹ のぶ︺来 訪 。 佐 々木 革 次 ︹ 大佐、予備、中
村 上 貞 一来 る 。 明 八 日 の大 将会 に 出 席 を 懇 願 せ し も 拒 絶 。
七月七日 水
晴 雨 な し 大 暑
白 木 屋 白 杉 来 る。
晴 六十 年 振 の大 暑 三十 四度
揮毫。
夕 大 川 子 息 作 歌 の舞 謠 、 築 地 と ん ぼに 招 か る 。 佐 藤 達 吉 博 士 、 下
理髪。 ︹ 欠︺ 真崎勝次、小笠原 ︹ 長生︺に就 て警 。 〓 主 計 大 佐 書 の礼 に 来 る 。
曇 雨 止 む
郷と 別 室 に快 談 す 。
晴 曇 半 ば す 但 し 暑 気 大
七月 八日 木
武 藤 み さを 帰 京 、 母堂 仝 行 、素 子 駅 に出 迎 ひ代 理 す 。
昨 日よ り 聊 か凌 ぎ 良 し 。
小 林 省 三郎 中 将 来 る。 加 藤 久 始 め て報 告 に来 る。 不 相 変 不 進 捗 。
半晴
白 杉 に揮 毫 を 渡 す 。
七月三日 土
千代快気。
乾 岔 子事 件 に 付 ﹁リ トビ ノ ブ﹂ 譲 歩 撤 兵 を 諾 す 。 風 雲 稍 く 収 る。
武 藤 み さ を 来 る 、洋 子と 共 に 。
七月 九日 金
村 上主 催 の 陸海 大 将会 紅 葉 館 に 開く 。 予不 参 す 。
放 送 局 に 八 月 二日 の原 稿 を 交 付 。
哈 爾 賓商 業 陳列 館 主 川角 忠雄 、 関根 と 来訪 。
菊 池 文吾 矢 婦令 嬢 来 る 。
曇 午 後 驟 雨
七月四日 日
孝来る。松下権八来る。
三 時 頃 雷 鳴 、落 雷 、 大 雨 。
晴暑
松井謙保 ︹ 特種製紙常務取締役︺来 り 落 款 を 乞 ふ 。
上 野 に書 展 の観 賞 、 得 る 所 あ り 。
予伊 勢 丹 へ。
行く 。
午 前 白 木 屋 四 万 六千 日観 世 音 祭 参 詣 、 千 代 と 同 行 。 千 代 海 晏 寺 に
七月十 日 土
孝と孝 友人□ 晴 涼 気
来り 十七 日の両国花火 に招待す。
寛 一出 勤 、 胃 下垂 と 診 定 、 幸 に他 に異 状 な し 。
熱無 し 。
午 後 一時 平 沼 男 を 訪 問 、 一時 間計 語 る 。
東郷寺関住職来る。不面会。
ぎ帰鎌す。事変準備之為也と。
午 前 武 富 夫 人 、 孝 子 来 る 。 実 演 習 地 よ り 帰 宅 之 電話 あ り 。孝 子急
曇 涼
午 後 飛 島 中 元 に来 り 、 公 共 事 業 に 名 を 残 し た し と 相 談 す 。
夜 波 多 野夫 婦 来 訪 。
七月十 三日 火
熊崎来り対支蘇関係を憂慮す。
夕武藤能婦子来る。 ︹ 欠︺
実 艦 隊 に 乗 組 む 。 一週 間 の予 定 。
七月十 四日 水 曇 小 雨 午 ︹ 赴︺ 後 橋 本 虎 次 郎 中 将 満 洲 国 参 議 と し て趣 任 に 付 見 送 る 。 倉 知 、 関
福井昌雄に最後通牒電報す。
鈴要、坂井来る。 ︹ 赴︺ 橋 本 虎 之 助 中 将 満 洲 国参 議 と し て趣 任 に付 星 ケ岡 に て晩 餐 会 。 倉
七月十 一日 日
午 後 横 須賀 に 馬 淵 、 園 部 に 対 し香 代 の挨 拶 を 為 す 。 大 に歓 待 さ る。
七月十五日 木
叱す。不快。 菊池文吾 ︹ 支︺ 来 る 、 雨 之 為 自 働 車 を 給 す 。新 宮館 主 に十 円仕 払 ふ 。
松 下 代 理 に 揮 毫 を 渡 す 。 半 端 且 つ予 に 無 断 手 交 せ し に 依 り 千 代 を
根 、 八杉 、 筑 紫 ︹ 熊七︺陸 中 将 ︹ 予備︺等 。
知 、 関根 、 八杉 会 食 す 。
︹ 欄外︺北 支 出 兵 決 議 。
千代 武 藤 宅 に到 る。
千 代 買 物 に松 坂 屋 へ。
半 晴 午 後 夕 立 夜 大 雨
満 佐 夫 、 満 智 子 来 る。
東 海 道 出水 、 中 野方 面豪 雨 、 四谷 下町 方 面 晴 天 。
半 晴 時 々 驟 雨
昌雄より返電来らず、不届至極也。
寛 一胃 痛 に付 見 舞 、 軍 医 学 校 福 井 大 佐 に 受 診 せ し め し が幸 に軽 微 。
松 下権 八来 る、 小 泉 予 備 海 大 佐 □ □ 之 著 述 を 贈 る ( 来 訪)。
七月十 六日 金
曇 驟 雨 模 様
予 見 舞 に 行 き 自 働 車 に て送 る 。
素子、満佐夫来る。
︹ 欄外︺ 増 兵 発 動 。
千代、武富、波多野訪問。
霖雨頻也。
晴 稍 涼
政 府 北 支 行 動 に 付全 国各 機 関 に協 力 を 求 む 。全 諾 。
東 郷 彪 氏 来 り 番 町 邸 引 渡 十 八 万 円 に て 片 附 くと 報 ず 。
七月十 二日 月
北支尚ほ挑戦的。
七月十七日 土
加 藤 亮 、 原 田技 師 来 る 。
千 代 安 井 へ中 元 に 行 く 。
不 連 続線 去 り久 々振 好 天と な る
午 前 高 橋 三吉 大 将 来 訪 、 北支 を憂 ふ 。
七月 二十 三日 金
晴 暑 気
夕両国に散歩、花火を見る。
午 前 伏 見 宮 中 根 事 務 官 之 来 訪 を 受 け 、 時 局 に 付 殿 下 の御 重責 を 促 し奉 る。 同 感 。
五相 参 議 最 後 之 決 意 を 固 む 。 晴
午 後 紀 尾井 町、 久 邇 宮 、 大 野 ︹ 豊四︺陸 軍 中 将 ︹ 予備︺告 別 式 。
七月十八日 日 満佐夫、満智子来る。可愛さ大也。
理髪 、 了 て向 島 に麦 酒 。 ︹ 色︺ 帰宅後淀橋社会局之為式紙卅枚を認む。
七月十九日 月
七月 二十五日 日
茅原美山電話。
上 海 陸 戦 隊 員 宮崎 水 兵失 踪 、支 那 人 に拉 致 さ る。
颱 風 九 州 に 近づ く 、 七 三 〇 ミ リ。
晴
七月二十 四日 土
千 代 、素 子、 満 佐 夫 鎌 倉 実 宅 に行 く 。
颱風九州に上陸。
晴
石 原北 夫 来 る 。 小 供 新 聞 之 啓 発 録 序 文 を 与 ふ 。
北 支 小 田 原 評定 。
午 前 町 田徳 之 助 氏 来 る 、 神 武 大 勝 論 印 刷 を齎 ら す 。 議会開院式。
晴 凉 風
西 大久 保 借家 寛 一之 為 め約 定 、 月 六 〇円 。
海 軍 々事 参議 官 会議 。
快晴
大谷登 ︹ 日本郵船社長︺よ り大 ﹁メ ロ ン﹂ 来 る。 七月二十日 火
七月 二十六日 月
又本 日 午後 六 時 北平 広 安 門 に て我 兵 攻 撃 を 受 け 入 城 兵 之 一半 締 出
北支 形勢 愈 々 逼迫 。
晴
真崎勝次来る。坂井仝上。
を与 ふ 。
今 朝 北 平 天津 間之 廊 房 に て通 信 隊 衝 突 、 飛 行 機 出 動 爆 撃 、 大 損 害
︹ 欄外︺ 臨 時議 会 開院 式 。
末 次 大 将 と 電 話 、 陸 軍 之 対 立 意 見 を 報 ず 。 海 軍指 導力 な し。
支 那 南 京 回 答 傲 慢 無 礼 、 武 力 解決 之 外 なき に迫 る 。
夕談話会。 七月 二十 一日 水
曇
北支 要 領 を 不 得 。 内 田剛 蔵 見 舞 来 る。
晴
さ れ 入 城 兵危 地 に陥 る。 七月二十 七日 火 晴
七月 二十 二日 木
麹 町 区 内幸 町 一ノ 六 帝 国 海 軍社 編輯 部 橘 川馨 来 り 、 予 の原 稿 を 渡
真 崎 論 告 求 刑 四年 と 伝 ふ 。
寺 尾 より 見 事 な る蘇 鉄 来 る。
又満 洲 牡 丹江 省寧 安 中 村 部 隊 長 中 村 明 人 氏 ︹ 陸軍大佐、歩兵第二四連隊
す。 分配す。
向 山 房 州 に 於 て釣 上 た る魚 、鰕 沢 山 に持 参 す 。 波 多 野 、 寛 一等 に
八月 二日
理髪 。
午 前 七 時 一分 愛 宕 山 に放 送 、 約 十 九 分 間 、 大 に 評 判 宜 し 。
長︺( 予 の海 大 校 長 時 代 陸 大 生 ) 之 懇 書 に 答 え 神 武 必 勝 論 を 送 る 。 七月 二十 八日 水
村 田志 賀 子 、 松 下 権 八等 よ り 電 話 あ り 、 大 に 祝 さ る 。 予 も 努 力 之
晴 大 暑
支那駐屯軍司令部声明書を出し最後的決意を示す。
晴 蒸 暑
北平城外掃討戦開始、〓大に活動。
八月 三日 火
甲斐ありしを喜ぶ。
七月三十 日 金 晴 ︹ 治︺ 早 川鉄 次 氏来 り 時勢 を 談 ず 。 一時 間 余 。
天津苦戦。
杉山 ︹ 元︺陸 相 両 院 に通 州 邦 人 虐 殺之 報 告 を 為 す 。 天 人 共 に激 怒 。
長︺の友 山 下 弥 七 郎 来 る 。 時 局 談 。
福井県足羽郡小学校長前田広井野毛の紹介にて来る。
晴 大 暑
七月 二十九日 木
了 て 平沼 に 蹶起 を 促 す 。
豈 支 那 人 の み な ら ん哉 。杉 山自 身 其 の責 を 負 ふ べし 。
晴
実 卒 業 、 暗 号 解 読 之 為 本省 詰 と な る 。仮 り に波 多 野家 に宿 せ しむ 。
天津 、 通 州苦 戦 。
福 井 県 三方 郡 八村 長 三宅 市 良 に催 促 す 。
八月四日
晴 大 暑
ブ ライ ア ン 親 友 、 上 田 良 武 ︹ 中将、予備、ヂエツトプレーン航空機研究所社
実 海 軍省 当 直 、 暗 号 掛 。 傷 ︹ 色︺ 痍 軍人 、 出 征 者 家 族 に淀 橋 区 長 外 慰 籍 会 を 開 く 。 予 式 紙 五 十 枚
千代 大 倉 彦 一郎 を 訪 ふ ( 答 礼 )。 暑
福 島 県 江名 町青 年 団 代 表 根 本 栄 嗣 来 り 、 廿 九 尺 之 幟 に 揮 毫 を 乞 ふ 。 ︹ 色︺ 向 山 庄 太 郎 来 り 、 式 紙 に書 を 乞 ふ 。 五 枚 を 諾 す 。
晴
を寄送す。
松 下権 八 来 り 、 早 川 鉄 治 が 昨 日予 と 会 見 後 平 沼 を 訪 ね 蹶起 に付 厳
七月 三十 一日 土
談を報ず。
八月 五日 木
菊 池 恭 三翁 来 る ( 午 後 一時 )。 晴 大 暑
通 州 反 乱 之 為 め 吾 軍 苦 戦 、 日 本 男女 虐殺 之報 伝 は る。
根 本 栄 嗣 来 り 熱 心 な る 準 備 を 報 ず 。 大 幟 揮 毫半 諾 す 。
千 代 上 野 精 養 軒 に 花 嫁 著 付 万 国 教 育 会 へ公 開を 見 に行 く 。
寛 一 一家 西 大 久 保 に 移 転す 。 八月 一日 日
志賀子指導。
晴 暑
南 郷茂 章 ︹ 次郎長男、大尉︺、木 幡 行 ︹ 大佐、横須賀防備隊司令︺来 る。
八月六日 金
晴 暑 大
実 夫婦 来 る。
根 本 泰 束 書 院 と 相 談 之 上 下 書 を 持 来 る。
威霊光萬古
む。
さ れ ん こ とを 乞 ふ。 予 の注 意 に依 り 予 の名 前 を 加 入 す る こと 取 止
松 下権 八来 り 母 之 永 眠を 報 じ 端 書 広 告 に友 人 と し て予 の記 名 を 許
大 内 寺 僧 侶 服 部 、 小 笠 原 胸 像 之 名 号 を 頼 に来 る 。
松 下 権 八礼 に来 る 。
幟大書完成す。
鈴木要三郎来り軍神指揮刀筥書を交付す。
八月十 一日 水
晴 涼
加 藤久 来 る 。
帝 国 海 軍記 者 来 る。
︹ 欄外) 五郎 海 晏 寺 へ。 みさ ほ 来 る。 実 来 る 。
千 代 と 共 に荏 原 小 山 松 下宅 を 弔訪 す 。
八月十 二日 木
晴 少 ス コー ル 夕 降 雨
根 本 あ わ び 数 十 箇 持参 す 。
午 前 小 笠 原 来 訪 。 後 高 橋 大 将来 り 中央 之 乱 脈 を 訴 ふ 。 深 憂 に不 堪 。
八月 七日 土
松 下 通 夜 に 千 代 と 趣 く 。 生 花 十 五 円 、香 五 円 、孝 治 、 実 より 各 五
晴 暑 大
円。
幟出来。﹁ 神 ﹂ の 大 さ に 付小 笠 原 の注 意 を 謝 す 。
布 哇 神 官 川崎 正 郷来 る。 揮 毫 を 与 ふ。
稍 涼
八月 八日 日
の親 切 に 感 ず 。
夕 松 林 の案 内 に て 猿 之助 劇 を ﹁歌舞 伎 ﹂ に 見 る 。千 代 仝 行 。 才 二
根 本 及 江 名 町 青 年 団 員 三名 幟 を 持 参 。 夕 下 郷 に 星 ケ岡 納 涼 に 招 か る。 本 多 、 菊 池 ( 老 )、 北 河 、 内 貴 等
八月十三日 金
晴 連 日 雨 な し 暑 大
午前帝国海軍社に原稿を渡す。
外 社 員 と 二十 余 名 計 。 右 不 在 中 波 多 野 大 佐 来 る 。 八月 九日 月
海 晏 寺 山 本 宗 源 娚 の山 本 海 兵 生 徒 を 伴 ひ 来 る 。 訓 言 と 色 紙 を 与 ふ 。
八月十 四日 土
実 の嫁 を 初 報 せし 松 浦 友 治 来 る 。 揮 毫 を 乞 ふ 也 。
曇
江名 町幟 大字 之 為 根 本 並 に青 年 団 員 往 来 す 。 午 後 二時 五郎 ( 武藤
上 海 に て愈 陸 戦 隊 の銃 火 を 報 ず 。
八月十日 火
幟 を 引 取 る。
真崎勝次来る。仝時根本来宅、幟揮毫を引渡す。
家 代 理) を伴 ひ 松 下家 告 別 式 に行 く 。 ︹ 大山︺ 上海陸戦隊附山本 ︹ 勇夫︺中 尉 ︹ 陸戦隊第 一中隊長︺及 自 働 車 運 転 手 水
五 郎 海 委 寺参 詣 。
晴 稍涼
兵 ︺名 ︹ 斎藤要蔵、 一 等水兵︺保 □隊 に射 殺 さ る。
本 日 よ り 福 島 県 江 名 町 役 場 根 本 栄 嗣 代表 と し て 五 ケ村 の請 願 に依
根 本 一行生 う に、 貝を 持 来 る。
内 田剛 蔵 四谷 刑事 時 局を 尋 ぬ。
晴 大 暑
る諏 訪 神 社 幟 を 大 書 す 。 丈 二 十 九 尺 、 巾 三 尺 八 寸 七 分 。 神徳垂千秋
北 一輝 、 西 田 税 死 刑 、 亀 川 ︹ 哲也︺無 期禁 錮 発表 さ る 。 予 と小 笠 原、
財部、野間 口 ︹ 兼雄、大将、予備︺欠 席 す 。
夕米内海相予後備大将、軍事参議官を招待し対支経過を語る。
上 海 支 那 飛 行 機 大 荒 に飛 び 爆 弾 を 落 下 せ る も 我 に 損 害 を 与 へず 。
鎌 倉 取 止 め 。 夕 松 島 不 二来 訪 す 。
八月 二十日 金
北 一輝 、 西 田税 、 村 中 ︹ 孝次︺ 、磯部 ︹ 浅 一︺之 刑 執 行 。
安 全 カ ミ ス リ伊 勢 丹 に求 む 。
村 田 、加 亮 を 訪 問 す 。
大川内、長谷川留守宅を見舞。
晴 稍 涼
山本英 ︹ 英輔、大将、予備︺、 真 崎 之名 出づ 。 ︹ 欄外︺千 代 鎌 倉 に行 く 。
行す。
浦 部 聖 上 海 陸 戦 隊 長 と し て 第 一線 に向 、 午後 十 一時 発 佐 世 保 に急
高 射 砲 弾 米 艦 オ ー ガ スタ 旗 艦 に落 下、 水 兵 一名 即死 、 十 八名 重 軽
晴 大 暑
仁 鎌倉 に 行 く 。
傷。
八月十五日 日
十 四 日 我 〓杭 州 、広 徳 を爆 発 し敵 〓基 地 を 壊 滅 す 。 二十 余 機 爆 破
八月二十 一日 土
晴 稍 涼
す。
( 書 面) 千 代 高 井 戸 に行 く 。
富美 栄 より 電話 、 高 井 戸 に引 越 す 事 に取 極 、 村 田立 雄 に知 ら す 。
真 崎 来 り 午 餐 を 倶 にす 。
晴 暑
真 崎 来 訪 、少 しく う る さし 。 ︹ 欄外︺ 理 髪 。
高 島 屋 に行 く 。
午 後 根 本 来 り 江 名 町 の喜 を 報 ず 。
八月十六日 月
千 代 に速 達 を 出 す 。 福 井 農 学 校 之 為 揮 毫 を 持 来 る 。 山 田 篤 。但 し 返事 せず 。
八月 二十 二日 日
午 後 始 め て 驟 雨 来 万物 蘇生 す
最 炎 暑 九 七 度
八月十七日 火
︹ 欄外︺幟 好 評 。
千代帰る ( 満 佐 夫 と 共 に)。
八月 二十 三日 月
真崎鉄甲胸当を浦部に持来る。浦部聖に送る ( 二 十 三 日 送)。
坂 井 一意 来 る 。
晴 暑 最 大
仁帰る ( 鎌倉 に 三 日 間)。 八月十八日 水
本 日 黎 明 陸 軍 先 遣 部 隊 上 海 に 敵 前 上 陸 す 。 海 陸 協 同 成 功。 先 づ
近来 稀有 之 暑 九 十 六 度 (二階 )
午 前波 多 野を 訪 問、 実 に会 ふ。 夕 寛 一、 素 子 来 る 。
晴 大 暑 再 来
加 藤久 来 り安 立 に付 報 告 。
八月二十 四日 火
目出度し。
慰 問袋 二 個 ( 三 円余 ) を 四谷 区 に納 む 。 晴 稍 暑 減
〓
八月十 九日 木 内 田剛 蔵 来 る。
朝 野新 聞社 長前 田義 雄 来 り 時 局 を 尋 ぬ。 感 服 し て帰 る。 要 領 を 得 た人間也。
鎌 倉 実 宅 島 村 に托 し 波 多 野 に 引 揚 ぐ 。
直 麿 に ﹁大 楠 公﹂、朝 鮮 に軸 。
晴 連 日酷 暑
晴
支 那 飛 行 機 四 機 呉 淞 沖 米 商 船 P ・フー バ ー に爆 弾投 下 、重 軽 傷九
( 理 髪)。
八月三十日 月
八月 二十 五日 水
晴 大 暑
夕 真 崎 勝 次 少 将 来 訪 、 陸 軍 の分 裂 よ り 上 海 事 件 の収 拾 に 付 痛 心 す 。 八月 二十六日 木
名。
大 角 ︹岺 生、大将、軍事参議官︺を 訪 ふ。
午後 揮 毫 。
午 前 九 時 久 方 振 大角 を 訪 ひ重 大 進 言 を 為 す 。
八月二十 七日 金
真 崎 勝 次 氏 来 り 当 局 激 励 も 無 駄 に付 当 分 沈 黙 を 勧 む 。
九月 一日 水
孝 来 る。 終 日無 柳 。
晴 稍 涼
八月 三十 一日 火
新 島 中 佐 之 世 話 に て 横 須賀 行 、 上 海 に て戦 死 三十 七名 之 合 同 葬 儀
晴 大 暑
我 飛行 機 英大 使 ヒ ユー ゲ ツセ ン之 自 働 車 を 掃 射 し 重 傷 を 負 は す 。
に列す。
川 口 に来 訪 を 求 め大 阪 之 世 話 を 頼 む 。 以 上 東 郷 寺 の為 。
晴 稍 涼 風 あ り
出 発 紀 尾 井 町 に 伺 候 、 中根 に 会 ふ 。
晴 朝 夕 涼
︹ 欄外︺ 夜 安 眠 す 。 九月 二日 木
千 代 武 藤 邸 に 、 次 で 高 井 戸 に 富美 栄 を 尋 ぬ 。
志 垣久 次 郎 ( 向 山 の知 人 、前 日 々社 会 部 ) 来 る。 見 舞 の み。
午後 わ かも と 、 沢 田 ︹ 虎夫︺大佐 ︹ 軍令部第三課長︺外 一名 。
今朝之新聞に顕はる、英国冷静。
関根 日 露来 る 。満 洲 より 帰 り て 。
上 海 英 長 官 英 大 使 の不 注 意 を 公 言 す 。 八月 二十 八日 土
尼 野 嘱 の 大 字 揮毫 。
九月三日 金
晴 大 暑
山 本 英 輔 大 将 、 高 橋 三 吉 大 将 、 加 藤 久 (二度)。
赤 坂 丹 後 町 の藤 野 寛 、 下 大 崎 鎌 田 道章 の留 守 宅 を 見舞 ふ 。
晴 暑 気 又 来 る
軍不 安 之 憂 慮 に付 山 本 大 将 に語 る。
五 反 田 下 車 北 へ十 町 計 り 、 学 校 ら し き 白 亜 のビ ル ヂ ング 之 正 面 よ
︹ 欄外︺芝 公 園 大 会 ( 対 支 )。
安 足 正 に回 答 す 。 ︹ 厚︺ 山 岡重 ? ︹ 陸軍中将、第 一〇九師団長︺宇 都 宮 留 守 師 団 に命 ぜ ら る 。 陸
横 浜亀井信次郎 ︹ 横浜商工会議所議員、亀井商店社長︺よ り 白 シ ヤ ツ五 枚
すぐ左 ( 判 り 悪 し)。
り 右 へ左 え 二、 三 丁 、 右 の坂 を 登 り 又 右 へ、 突 当 り左 の坂 を 上 り
書 之 礼 に送 り 来 る。
晴 大 暑
︹ 欄外︺ 実 、 孝 子 、 素 子 母 子 来 る 。 八月二十九 日 日
孝 子来 る 。 ﹁ビ ク タ ー﹂ より 軍 歌 の推 薦 状 を頼 み に 来 る。 梅 崎 に 九月九日 木
今立 裕 来 。 帰 来 始 め て也 。
議会閉会。
晴 暑 午 後 驟 雨 雷 鳴 大 に 冷 気 を 生 ず
相談せしむ。
千代 高 島 屋 よ り 大 川 内 、 武 藤 、 村 田春 造 に 慰 問 品 を 送 る 。 聖 へは
九月四日 土
上海戦況進転せず。
別送。
加藤久来る。不在。
我 飛 行 機 二十 台 を 失 ふ と 報 ず 。 支 は 百 九 十余 台 。
︹ 欄外︺議 会 開 院 。
加 藤 久 に安 立 の書 面 を 送 る 。
午後再来。
蘇 聯 我 漁 船 掌 捕 二 十 八隻 、 人 員 百 数 十名 。
晴
荏 原 区 小 山 町在 軍 人 、松 下 に率 ゐ ら れ来 訪 。 出 征 軍人 送 り 之 幟 旗
九月十日 金
海 曼 寺 参 拝 、 了 て高 橋 大 将 を訪 ふ 。 不在 。
小 雨 颱 風之 影 響 冷 気
に 揮毫 を 頼 む 。 九月五日 日
金 刀 比 羅宮 参 拝 。
晴 暑気
大 旗揮 毫 。神 武 必勝 。
国粋 義 勇 飛行 隊員 藤 吉 男 に出 征 に付 神 武 必 勝 を ﹁日 の丸 ﹂ に 書 す 。 実来 り 昼食 す 。
晴 暑 気 大 寝 苦 し
九月 六日 月
九月十 一日 土
夕 寛 一の案 内 に て素 子 、 満 佐 雄 、 千 代 と 予 と 幸 鮨 に 夕 食 す 。
千 代 、 孝 子 を 伴 ひ武 藤 家 を 訪 ふ 。 仝 時 大 額 ﹁ 存 一誠﹂ 二 葉を 佐 賀
颱風 北 陸 道 沖 を 通 過 ( 七 二七 ミ リ) 之 余 波 也 。
大 雨 強 風
小学 ( 尋 高 各 一) の為 め 送 ら し む 。
水交社、景岳会役員会。
大暑
九月七日 火
首 相 、 内 相 、 文 相 日比 谷 に て演 説 す 。
晴
真 崎 勝 次 、 松 下 外 在 郷 兵 数 名 来り 、 神武 必 勝 の大 幟 を 受 取 る。
九月十 二日 日
夜は涼気
午 後 亀 井 慎 一来 り 痛 論 す 。
無事。
右に対し祝電を発す。
晴
外 相 英 国 に 回 答 す 。 英 大使 の負 傷 之 件 也 。
小 笠 原 大 阪 よ り 東 郷 神 社 と 東 郷寺 に 就而 放 送、 予 の名 を 出 す 。
九月八日 水
九月十三日 月
晴 暑
永井環来る。
午 前加 藤 久 来 る 。
理 髪 。 真 崎 三 越 ま で来 る。
荒 木 へ電 話 ( 真 崎 の頼 み に依 る)、 不 在 。
晴 日 中 は尚 お 暑気 あ り
小 笠 原 子 大阪 へ。 ﹁ビ ク タ ー﹂ に推 薦 状 を 交 付 す 。
向 山来 り 書 の礼 に美 事 な る鮮 魚 を 贈 る (二十 五 、 六 円)。
九月十九 日 日
日 露協 会 幹事 会 。
九月十八日 土
半 晴 稍 暑
富 美 栄 母 子来 る。 帰 途 向 山 へ書 の署 名 を 諾 し 送 る 。
末 次 紹 介 に て福 田 良 三 ︹ 大佐、那智艦長)の 兄 来 る 。清 正 公 御 肖 像 を
雨
川 口酔 心 五本 を 持 参 す ( 小 山 よ り)。
上 海 進 展 、 陸 海 両 軍 聯 絡 成 る。
飛島 に出 資 の内 容 を 有 す 。 軽 諾 せ ず 。
秋来る
東 郷寺 に受 立 す る件 也 。未 聞 な るを 以 て確 答 せ ず 。
晴
九月十 四日 火
横 須 賀 飛行 機 百 数 十 東 京 訪 問 、 靖 国 神 社 遥 拝 す 。 壮 観 に し て 市 民
上 野 に朝 倉 彫 塑 を 見 る。 後 鉄 斎 翁 書 画 を 見 る。
半 晴 稍 暑
九月十 五日 水
の意 を 強 せ しむ 。
九月 二十日 月
︹ 欄外︺ 防 空 結 了 。 仲 秋 可 惜 雨 。
我 海 軍南 京 大 爆 、敵〓 三十 余 機 を 撃 墜 す と 。
上海市政府占領、邦人安堵す。 東郷神社地鎮祭。 直 麿 手 術 要 之 書 信 来 る 。 尼 野 に 電 及 航 空 郵 便 に て 頼 む 。孝 も 同 上 。
午 前 靖 国 神 社 に て戦 勝 武 運 長 久 祈 願 祭 に 詣 づ 。 首 相 、 閣 僚 、 陸 海
長谷川 ︹ 清、中将︺第 三 ︹ 艦隊司令長官︺南 京爆 撃 に 付 声 明 、 外 交 団 に
且 つ千 葉 に頼 む 。嗚 呼 不 幸 な る 弟 よ 。
将星、予備は予と山屋 ︹ 他人︺大 将 ︹ 予備︺。
晴曇相半ばす
右 了 て社 務 所 に て荒 木 大 将 と 懇 談 す 。
暑気あり
立 退を 要 求 す 。 米 即 時 実 行 、 ソは 頑 守 、 英 之 に 似 た り 。 晴
九月 二十 一日 火
一〇円 を 前 田利 乗 に托 す 。 曩 に防 空 演 習 に も 一〇 円 を 寄 附 す 。
三光 町 分 会 員 よ り 寄 附 申 込 あ り 。 餞 別 を 断 り 出 征 家 族 慰 問 と し て
真 崎 来 る。
宮 相 へ秋 季 皇 霊 祭 不 参 御 届 。
六十度
尼 野 と 電 報 往 復 、 千 葉 明 日 大 阪 着 の上 一切 決 す る こ と 。
雨 急 に 寒 冷
小 笠 原 よ り 電 話 、 感 謝 す 。 風 邪 と 之事 。 九月十六日 木
近藤房吉より電話。
海晏寺地鎮祭、断る。
加藤久来る。 九月十七日 金
荒井陸男逗子より鮮魚を釣還り二尾を送り来る。
九月 二十 二日 水
曇 午 後 雨
黄 海 々戦 紀 念 会 。 松 下 来 る 、 文 部省 に 就 而阯 は 正 しと の証 明を 報
ふ)。
内 田剛 蔵 、 向 山 庄 太 郎 ( 敵 国 降 伏 の予 の書 を 映 画 に 出 す 件 諾 を 与
雨 寒 冷
告 す 。 足 跡 の意 、 址 趾 は 通 せ ず と 云 ふ 。
午後富美栄を訪ふ ( 千 代仝 行)。
直 麿 大 阪 に て 入 院 す 、 不幸 な る 弟也 。 ︹ 欄外︺防 空 演 習 第 一日。
秋季皇霊祭拝辞不参御届。
九月 二十 三日 木
向 山 庄太 郎来 り、 国際 劇 ︹ 場︺之 切 符 五 枚 を 贈 る。 綾 登 の為 め
十 月 一日 金
前 川広 之為 揮 毫 。
夕 実来 る 。
晴 高 温
福 田市 太 郎 、 飛 島 繁 ︹ 飛島組社長︺夫 婦 、 熊 崎 。
英 反 日 熱潜 水 艦 と支 那 ﹁ジ ヤ ン ク﹂ 問題 を 悪 用 す 。
﹁廻 は し﹂ に揮 毫 ﹁ 振 武﹂ を 頼 ま る。 午 後 書 き 終 る。
雨冷
英大使負傷事件円満解決す。
晴
蒋 介 石 南 昌 に避 退 の報 あ り 。
十月二日 土
九月 二十 四日 金
向 山 に ﹁振 武﹂ を与 へ、酒 三本 切 符 の礼 に添 ふ。
晴 稍く 秋 晴
揮毫。
久 邇 宮 へ弔 礼 記 帳 、 了 て 下 郷 を訪 ひ 、梨 子 一箱 を 送 る。
夕 田畑 、 川 口外 一名 と 白 山 柳 川 亭 に 招 か る 。 少 し く 酔 。
十月三日 日
内田剛蔵、小栗。
十月四日 月
晴
九月 二十 五日 土
九月 二十 六日 日
十月五日 火
晴
多 摩 川砧 村 若 素 少 年 学 校 に訓 話 す 。
午 前 加 藤 久 、 品 川主 計 、 八並 ︹ 東京日日新聞記者︺( 大阪講演を頼む、
晴
午 前 九 時 真 崎 甚 三郎 大 将 無 罪 赦 免 。 大 慶 至 極 。
国 際 劇 場 に実 夫 婦 、 千 代 、仁 を伴 ふ 。
午後伏見宮博義王殿 下 ︹ 中佐、第三駆逐隊司令︺上 海 島 風 に て御 軽 傷 御
但 し 断)。
晴 秋 来 る
証 拠 不十 分 に付 無 罪 と 発 表 。
見舞 之 上 、真 崎 大 将 邸 に喜 を 述 べ に行 く 。 千 代 子 別 に 酒 と 鳥 を 持
晴
十月六日 水
半晴
参 し行 く 。
千 代 吉 田 孟 子 宅 の夫 人 会 に 行 く 、山 下正 武 夫 婦 の為 め 。
寛 一風 邪 、 熱 あ り 。寺 尾 の 注意 あ り 、 予見 舞 に行 く 。
半 晴 夕 雨 蒸 暑
千葉 断 一来 る。 九月 二十 七日 月
十月七日 木
雨
日 露協 会 第 三 十 一回 総 会 、 規 約改 正全 会 一致 可決 、 蘇 会 員 一名 も
十月八日 金
︹ 講釈師、政治家︺講 演 。 終 に水 交 社 晩 餐 。
景岳先生第七十九周忌法要並墓前 ︹ 祭︺ 、 了 て白 木 屋 に て伊 東 痴 遊
晴
直 麿 より 細 々手 紙 来 る。 東 京 三浦 に帰 り た し と 申 し 来 る 。 半晴
坂 井 一意 、藤 井 実 、 酒 井 老 母 、 以 上 来 訪 。 尼 野 よ り 手 紙 来 る 。
九月二十 八日 火
連 日 天候 雨 勝
秋冷
直麿 の件 謝 礼 之 為 千 代 逗 子 、 千 葉 及 横 浜 浜 中 留 守 宅 を 見 舞 。 九月二十九 日 水 九月三十 日 木
終日雨、寒冷。
来らず。
松 下 権 八 。 小 林 勝 利 出 征 に付 揮 毫 を 与 ふ。 松 原茂 ( 雑 誌 宇 宙 )。
十月十四日 木
安 保 大 将 参 議受 諾 に 付 電 話 し 来 る 。
加 藤 久 来 り 関 問 題 に付 予 の注 意 を 承 け 帰 る 。 小 笠 原 に 電話 急 速解
十月十 一日 月
千代、志賀子、鉄子、東条晃、清明氏令嬢、清水川引退相撲を見
海晏寺参詣。松平家奉献鳥居を見、虎之門に参詣す。
十月十 日 日 晴
向 山 庄太 郎 来 る。 松 下権 八仝 上 。
園田実 ︹ 男爵、少将、予備︺逝 去 に付 通 夜 に 行 く 。 香 筥 五 円 。
十 月九日 土
十月十六日 土
牧 来 り 塩 野 法 相 の計 画 を 語 る 。 予 軽 く 応 酬 す 。
中 根 事 務 官 に書 信 す 。
語 る。 真崎 ︹ 相︺ 大将 夫 婦 久 方 振 来 訪 。 大 将 より 過 一年 半 の真 想 を 詳 細 聴 取 、 ︹ 穽︺ 軍法 会 議 之 非 道 、 故 意 之 陥 穿 に驚 く 。
午 後 末 次 を 答 訪 、夫 人 に会 ふ。 末 次 は昨 日 の釈 明 に 安 心 す と 夫 人
十 月十 五日 金
末 次 大 将 近 衛と の 関係 を 詳 細 語 る。
経 由)。
末 次 大 将参 議受 諾 に付 来 訪 、右 に付 太 田耕 造 に軽 挙 を 戒 む ( 竹内
晴
下 郷 妙 子 寛 一宅 を 見舞 ふ 。
決を促す。下郷妙子来る。
荒 木 大 将 来 る。 好 意 謝 す るに 余 り あ り 。
半晴
午 後 太 田耕 造 ︹ 弁護士︺来 る 。末 次 に付 心 配 を 語 る。 依 て末 次 に電
千代寿美子を迎に行く。安着。
晴
雨
晴
話 、 事 既 に 内 諾 の程 度 と 聞 き 静 観 せ し む 。
る。 向 山 之 案 内 也 。
揮毫。
十月十 二日 火
神 嘗 祭 、 賢 所参 集 。
十月十七日 日
素 子 青 山 南 町 六 ノ 一三 四 沢 崎 病 院 に 入 院す 。
寛 一又 風 邪 に て引 籠 る 。
参 議 内 定 。 海 軍安 保、 末 次 、 陸 軍 宇 垣 ︹一成、陸軍大将、予備︺ 、荒木
伊 勢 神 宮 へ御報 告 。参 集 者 多 し 。
雨
其他 。
午 後 明治 神 宮祈 願 祭 に参 列、 了 て荒 木 大 将 に答 訪 。
︹ 欄外︺寛 一出 勤 。
真崎 来 る。
松 下来る。
柳川 ︹ 平助、陸軍︺中 将 ︹ 第十軍司令官︺来 訪 ( 不 在)、 上 海 出 征 之 由 。
雨
み さを 来 る 。 十月十 三日 水
曇 細 雨
松 下来 り 予 之 為 め 語 る。
富美栄男児を生む。九百匁以上。
波 多 野 に看 劇 券 四枚 を 送 る 。 向 山 之 招 待 券 也 。
︹ママ ︺
十月十八日 月
十月 二十 三日 土
雨 寒 し
柳 川 中 将 答 訪 。 素 子 を 沢 崎 病 院 に 見舞 ふ ( 満 佐 雄を 伴 ふ)。
寛 一寺 尾 宅 へ受 診 に行 く 。 尚 ほ 一周 間 養 生 を 勧 め ら る。
日本 橋 区 本 町 三丁 目稲 畑 商 店 支 店 内 石 勝 美 波 留 。
晴 暖
妙子、松下君平来る。末次を紹介す。 十月十九日 火
日 露協 会 に て 予を 理事 長 に推 薦 す 。
︹マ マ︺
寛 一を 訪 ひ、 寺 尾 を 尋 ね 煙 草 を 送 る 。
稲 畑 代 理 石 勝 に書 を交 付 す 。 みさを来る。
雨 寒 甚 し
元部 下水 兵 石毛 源 蔵 栗 を 持 参 す 。
稲畑 ︹ 勝太郎、貴族院議員︺代 理 高 梨 光 司 来 る 。
小林 省 三郎 少 将 来 る。
波 多 野 一家 四名 を 歌舞 伎 へ招 待 券 送 り本 日看 劇 す 。
寛 一之 為 高 円寺 四 ノ五 三 四 部 長 杉 浦 畊 作 氏 ︹ 日本銀行審査部長︺方 に
十 月二十日 水
靖 国 神 社 参 拝 、 佐 賀 江 頭 の献 餅 を 社 務 所 に 供 す 。 武 藤夫 人 来 る 。
波 多 野 夫 婦 、 孝 子 昨 日 の看 劇 之 礼 に 来 る 。
十月 二十四日 日
飛 島 来 り 在 役 三 人 へ ﹁シ ヤ ツ﹂ と孫 に 人形 を 贈 る。
︹マ マ︺
松本 忠太 兄弟 及 梅 崎 中 佐 来 訪 。 松 本 よ り 有 田焼 茶 碗 を 贈 ら る 。
挨 拶 、 寛 一見舞 状 之礼 に 行く 。
加 藤 久 来 る。 根 本 ( 江 名 町) 来 る 。
山 崎 貞 直 駒 橋 艦 長 と し て来 訪 。
寛 一益 々良 好 。
半晴
荒 井 陸 男 、 加 藤 久 、 沢 田 嘉瑞 穂 ( 鮎 十 二尾 ) 来 訪 す 。
十月 二十 一日 木
木幡大佐来訪す。
晴
根本来る。幟格納筐に箱書き頼み来る。
寛 一熱 下 る。 孝 子 、 千 代 、 満 佐 雄 三 人 に て 見 舞 、 中 村 屋 に 昼食 。
晴 暖
夕 下 郷 之 招 待 に て歌 舞 伎 座 に 吉 ︹ 右︺衛 門 之 清 正 を 見 る 。 千 代 仝
晴
︹ 欄外︺大 場 鎮 陥 落 。
寛 一、 真 智 子 を 伴 ひ素 子を 見 舞 ふ、 病 院 。
十 月二十 五日 月
伴。
加藤久来る。
千 代村 田 へ見 舞 に行 く 。
十月 二十 二日 金
千坂夫人関之件に付注意に来る。
加 藤 久 来 る。
寛 一大 に快 方 。 松 下来 る。
十月 二十六日 火
杉 浦 氏答 訪 に来 る。 曇
加 藤 久 に 速 達を 出 す。
晴 暖 大 阪 桃 園 小 学 之 為 揮毫 。
鈴 木 要 三 郎 来 訪 、 平 生 よ り 来 月 一日 午後 二 時 予 及 び 田 中と 会 見 の
寿美子、築野父礼に来る。
東 郷 寺 山 門 寄 附 の約 諾 を 得 。
伏 見 宮 令 子 女 王 薨 去 に 付 御 弔 問 、 次 で 飛島 父 子を 訪 問 。 飛島 より
十月 三十 一日 日
夕 、 彦 、木 脇 来 る。
列 者 五 百余 名 と 云 ふ。 安 保 、 山 屋 等 海 将 十 数 名 。
府 中 東 郷寺 起 工式 予 不参 、 電 報 す 。 夕 加 藤 久 来 り 報 告 、 無 事 、 参
十月 三十日 土
半晴
約を得来る。
快 方 に向 ふ。 見 舞 者 多 く 混 雑 す 。
血圧 二 〇 〇 (三友 )。
曇 寒 し
今 夕 頭 痛 劇 し く 、 血 圧 二 四 〇 に 上 る 。寺 尾 を招 き 服薬 、 稍 く 眠 る。
松 下、 三友 博 士 、 南 郷 次 郎 、 千 坂 長 男 、 下 郷 妙 子 。 晴
稀有之苦痛なり。 十月 二十七日 水
田中 清 次 郎 と 平 生 元 文 相 に面 会 す 。 郵 船 ビ ル。
十 一月 一日 月
曇
本 日 小 笠 原 と 約 せ し 会 見を 断 り臥 床 。
高島七郎右 ︹ 衛︺門 ︹ 福井銀行取締役︺来 訪 す 。
午 後 小 笠 原 見 舞 に 来 る 。 明 日 之水 交 社 会 を 辞 す 。 小 笠 原引 受 く 。
師 田来 訪 、 餅 を 送 る。
夕 田中 清 次 郎 に辞 表 を 電 話 す 。
飛 島 之 件 内 示 。 病床 に て客 殿 工費 金 光 引 受 く る事 小 笠 原 口述 す 。
十 一月 二日 火
今 夜 又 々 頭痛 に 苦 み寺 尾を 招 き 服 薬 す。 十月 二十八日 木
高島 七郎右 ︹ 衛︺門 、 加 藤 久 、 松 下権 八 、 午 後 川 口、 飛 島 来 る 。
曇
午前向山 ︹ 美弘、軍医少将︺軍 医 学 校 々 長 、 神 林 ︹ 美治、軍医︺大 佐 ︹ 軍
福 井 方 面 募 集 問 題 を 急 が ざ る件 。
晴
医学校教官 ( 内科主任) ︺来 診 、 懇 切 を 極 む 。 血 圧 一八〇 、 一七 五 に降
﹁イ オ ン﹂ 吸収 器を 貸 与 せ ら る。
る 。 不 思 議也 。
十 一月 三日 水
雨
水 交社 会 不参 。 高木 □ 軍医 少 佐 夕 刻 来 診 。 眼球 拡 大 注 射 之 上 眼 底
軍医 学 校 答 礼 。
明 治 節 宮 中 拝 賀 、 了 て明 治 神 宮 参 拝 。
川 口、 監 事 を 諾 す 。
出 血を 検 査 、 異 常 な し 。
高島七郎右衛門を招き懇談す。
今 夕 頭痛 止 み安 眠す 。 十 月二十九 日 金
川 口 に電 話 連 絡 せ し む 。 来 十 日 福 井 に て会 合 を 約 せ し む 。
晴
大 に快 方 に向 ふ 。
伏 見宮 令 子女 王豊 島 園御 葬 儀 、千 代 参 列 す 。
︹ 欄外︺九 国条 約 国会 議 日本 不参 加 。
気 分 好 快 。 寛 一と 会 食 す 。
下 郷妙 子 見舞 に来 る。
可とす。
鈴 木 要 三 郎来 訪 、去 一日 の 平生 と 之 会 見 に付 相 談 す 。 万 事 放 送 を
仰 竹 会 不参 。 小 笠 原 に依 頼 す 。
十 一月四日 木
真崎少将来る。千葉夫人来る。
十 一月九日 火
しむ。
夕 二葉 会 、 平 生 元 文 相 外多 数 。 予 出 席 、昔 語り を為 し 一同を 感 ぜ
十 一月八日 月
に 参 詣 、 岡 本 故 〓 中 尉 の両 親 、未 亡 人 及 孫 女 に会 ふ 。
曇 雨
雨 寒 し
加 藤 久 来 訪 。 高 島立 替 之件 川 口 に て直 接 相 談 之 上 予 の決 裁 を 求 め
満 佐 雄 水 痘 に か ゝる 、 軽 症 。
曇
し む に定 む 。
佐 藤 国 司 釧 路 市 長 ﹁サ ケ﹂ を 持参 す 。但 し 彼 よ り 服装 云 々 に て面
寒
向 山 校 長 、 本 間 副 官 両 人 又 々礼 に 来 る 。 ﹁イ オ ン﹂ 器を 持 参 使 用
会を扣ふ。
を 勧 め ら る 。 恐 縮感 謝 。 ︹ 欄外︺九 国 会 議 ブ ラ ツセ ルに て混 迷 、 笑 止 千 万也 。
十 一月十 一日 木
晴 風 あ り
十 一月十日 水
︹ 欄外︺寺 尾 。
寺 尾 中 絶 後始 め て来 る 。
みさ を 来 る 、 洋 子 に 人 形 を 与 ふ 。
海晏寺参詣 ( 予 一人)、 中 村 屋 に ﹁ボ ル シ チ﹂。
細 雨 憂 欝
午 前寺 尾 来 る 、 血 圧 二 二 〇 ?
十 一月五日 金
午 後 下 郷 妙 子 、築 野親 夫 婦 、 孝 子 外 寛 一の保 険 社 員 女 来 る。
瓜生大将薨去 ( 小 田 原 に て) に付 午 後 日暮 里を 訪 吊す 。
晴 暖
満 洲 治外 法権 撤 去 せ ら る。
午 前 蓮 岡 陸 大 佐 来 る 。 佐 々 木 忠 之 紹介 。 不 相変 本 の売 付 也 。 断 る。
︹ 欄外︺寺 尾 。
寺 尾 よ り 寛 一の 病状 、 原 因を 聴 く 。
神 林 大 佐 礼 に 来 ら る 。 恐縮 。
金 光庸 夫 ︹ 衆議院議員︺に書 状 出 し督 促 す 。
十 一月十 二日 金
快晴
山本悌二郎 ︹ 政友会顧問、日独協会、畜産協会各会長︺より 時 局 相 談 会 に招
実来り夕食を倶にす。
十 一月六日 土
待 あ り し も案 内 今 日 の事 故 断 る 。 小笠 原 に書 状 。
小雨
皇 軍 柳 川 三個 師 、無 事 杭 州 金 山 湾 並 に乍 浦 に上 陸 、 浦 東 に急 進 す 。
田 中清 之 辞任 を 送 る。 田中 無 断 北 支 に行 く 。
濃 霧之 天 祐あ り 、但 し急 潮 と 大 干 満 差 の利 害 あ り し と 。
素 子 を 見 舞 ひ幸 鮨 に て 夕食 、 千代 仝 行 す 。
浦 東 南 市 、南 翔 我 軍 の 手 に 入 る。 上海 始 め て朗 かと な る。
晴 快 夕 雨
︹ 欄外︺第 三 軍 上 陸 、 十 一月 五 日 天 明 。 十 一月七日 日
十 一月十 三日 土
半晴
午 前京 王 に て多 摩 霊 地 下車 、 東 郷 寺 建 設 地 を 視 察 後 、 元 帥 御 墓 地
十 一月十九日 金
半晴
午前加藤久、牧来る。
午 前 小 笠 原 来 訪 、 同 車 し て 水 交 社 に 趣き 、金 光 、加 久 と 東 郷寺 に
付 相 談 す 。 爾 今 一、 三 水 曜 会 合 を 約 す 。
満 佐 夫 七 五 三 、 明治 神 宮 へ、 千代 仝 行 。 海 軍服 大 に似 合 ふ。 後 素
坪 川 来 る 、梅 崎 に紹 介 す 。
十 一月十 五日 月
十 一月 二十 一日 日
松浦 ( 区 議 推 薦)、 佐 藤 国 司 釧 路市 長来 る。
加 久 約 に 背 き 来 ら ず 。速 達 に て金 光 に名 刺 を 送 る。
予 ま さ お と 国 技 館 に事 変 展 を 見 る 。
千 代 、 志 賀 子 水 交 社 に 〓 之 講演 を 聴く 。
晴
午後瓜生大将葬儀、陪柩す。 十 一月十 四日 日
子 を 訪 問 す 。 予 村上 龍 英 ︹ 東京商科大学予科教授︺に答 礼 、 上 野 散 歩 。
午 前 七 ・ 一〇孝 治 着 、村 田 志賀 子 、武 藤 一家 、 実 夫 婦 等 出 迎 。
半晴
松 下 権 八 、 大 本 営 幕 僚 に 就 き 世 評 を告 ぐ 。 十 一月 二十日 土
村 田安 子 、鉄 子 来 る 。
午後孝治夫婦来る。
快 晴 暖
松 平慶 民 子 ︹ 式部長官︺歓 迎 、 学 士 会 館 、 岡 田 ︹ 大将、予備︺ 不 相 ︹ 洒︺ 変 泗 々 出 席挨 拶 す 。
本 日付 、 孝治 呉鎮 附 、春 造 第 一SS司 令 部 附 ( 佐 世 保)。
十 一月十 六日 火
十 一月 二十三日 火
多 野 夫 婦 、 村 田 、志 賀 、鉄 子も 加 は る。
正 午 武 藤 一家 を招 き 午餐 を 共 に す 。夕 幸 楽 に武 藤 よ り 招 か る。 波
晴
晴
武 藤能 婦 子来 る 。
十 一月 二十 二日 月
午 前渋 谷 猿楽 町金 光 を 訪 ふ。 懇 談 一時 、 諒 解 す ( 東 郷 寺 に関 す )。
晴
松 下来 る 。
午後揮毫 。
新 嘗 祭 、 賢 所 不参 。
十 一月十 七日 水
夕 川 口に招 か れ大 森 楽 々と 隅 田 に会 す 。 吉 田、 中 島 ( 大 佐 )。
午 後孝 治 呉 に向 け 発 ( 三 ・〇〇)。
山 端 写 真 、 中 村藤 吉 ︹ 浜松木材等社長、浜松商工会議所議員︺来 る。
晴
〓 母 飛龍 進 水 式 、横 須 賀 。
孝 治 電 報 誤解 、 波 多 野主 人 、 実 夫 妻 、 予 、 千 代 、 ま さ を 、 武 藤 母 、
十 一月二十 四日 水
快晴
み さを 、 洋 子 、 廿 一日前 九 ・三〇 と 判 明 す 。 加 藤 久 来 る 。
夕、松下権 八来り、秋 田清 ︹ 衆議院議員︺ の発 言 に て 末 次 が 近 衛 に
晴
午 後 海 晏 寺 献 鳥 居式 参 列 。 十 一月十 八日 木
会 ひ 予 の推 薦 を為 せ りと 伝 ふ ( 枢 顧 の件 也 )。
午後より雨
夕 五 ・三 〇小 笠 原を 訪 問 の事 約 束 せ し も 、 雨 天 を 気 遣 し か 小 笠 原
十 一月二十 五日 木
晴 朝 霜 ふ る
より 明 十 九 日水 交 社 行 の前 十 一時 に 予 を 尋 ぬ る 旨 取 消 し 来 る 。
長。
日独 放 送 交 換 、 永 井 柳 太 郎 ︹ 衆議院議員、立憲民政党幹事長︺ 、 独宣 伝 部
日独 伊 防 共 協 定 一周 年 祝 賀 会 、 後 楽 園 及 東 京 会 館 、 盛 大 。
夕 、 波多 野夫 婦 、実 夫 婦 、 寿 美 子 、 予夫 婦 渋 谷 二葉 亭 に て送 別 会 、
伏 見 宮 、久 邇 宮伺 候 。
軍 医 学 校 へ挨 拶 に行 く。 向 山校 長 、本 間 副 官 答 礼 に来 訪 す 。
十二月 一日 水
布 哇 原 田常 太 郎 を 伴 ひ柴 山 ︹ 昌生、男爵、少将、予備︺ 、 真 崎来 る 。 東
美味 に 皆喜 ぶ 。
晴
終 日揮 毫 。 十 一月 二十 六日 金
快晴
夕談話会、荒木大将時局談。
郷寺 寄 附 の為 也 。 寺尾来診。
︹ 欄外︺ ア レキ サ ン ダ ー 原 田 ホ テ ル館 主 、 土 木 建 築 請 負 業 、
快晴
妙 子 来 り ま さ おを 帯 同 す 。
原 田常 太 郎 、 ホ ノ ル ル市 北 キ ン グ街 八 八 四。
十 一月 二十 七日 土 国士 館 員 揮 毫 を 頼 む 、 諾 ( 優 勝 旗 )。
十二月二日 木
今立、山本大将。
寺 尾 診 察 、 200 、 205。
快 晴 夕 寒 来 る
終 日揮 毫 。
加藤 久 、来 木 定 行 来 る。
村 田春 造 午 後 七 ・三 〇帰 京 す 。
十二月三日 金
快晴
川 口、 小笠 原 に会 ふ 。
十 一月 二十 八日 日
加藤 豪 新 田 公 六 百年 祭 之 為 め来 談 (二 日之 事 )。
快晴
千代 直 麿 を 訪 ふ。
午 後 一時 世 田 ケ谷 国 士 館 剣 道 大 会 ( 小学生)を見、訓言を与ふ。 ︹ 魄︺ ︹ 太︺ 気魂、大刀先美事也。少年と思はれず。
晴 寒 加 は る
十 時半 下丸 子精 機 会 社 国旗 掲 揚 式 に臨 み、 東 京 会 館 に て午 餐 を 受
十二月四日 土
く 。 三 好 、岸 科 会 す 。
晴
十 一月 二十九日 月
東 亜 調査 会 平 井北 支 文 化 支 那代 表 之 為 九 日歓 迎 会 に出 席 を 頼 み来
成 田千 里よ り 野菜 と 鯉 を 送 り 来 る ( ?)。
夕 、 海 相 之 華 府 委 員 会 、市 橋 ス タ ン フオ ー ド 教 授 中 心 ( 山 口)。
本間 ︹ 正人︺軍医 中 佐 。
十 一月 三十日 火
国 士館 代表 二名 礼 に来 る。
十二月 五日 日
る。
晴 連 日暖
末次欠。
午 前 牧 、 松 下、 午 後 みさ を 、 岸 科 、 加 藤 久 ( 書 五 十 余 枚 渡 す)。
鈴木 要 三郎 、 二葉 亭 より ﹁ザ コー ス カ﹂ 並 に礼 物 を 持 参 す 。 横 井
晴 寒 気 増 す
み さを 呉 に向 け出 発 、 後 十 一時 。
俊 之 、 鹿 目 善 輔 。 二葉 亭 に額 を 与 ふ 。 君来る。
夕 紅葉 館松 菊 招待 、 安保 と 予 。
黒田公御見舞に行く。
晴 寒 霜 降 結 土
寛 一、 ま さ を 来 る。 十 二月 六日 月
晴 殊 に暖 気
十 二月十 一日 土
真 崎 少 将 、 加 藤 亮 一母 堂 。 児 玉 ︹ 清雄︺男 ( 伯 と 別 関 係) 寄 附 金募
( 後 九 時 ) 佐 世 保 に向 け 発 、 来 十 五 日再 び 横 須 賀 転 艦 之 為 ﹁孝
本 朝 より 寒 気 増 大 。 実
集之為画を売に来る、笑止、断る。
南京 陥落 迫 る 。
十 二月十 二日 日
寺尾注射。
森電三 ︹ 少将、予備︺来 る 、 対 英 問 題 也 。
銚子小学校之為書を頼み来る。
波多 野 夫 人 、 武藤 夫 人 、台 湾 の山 田耕 作 、柴 田要 治 郎 ( 元 外 務 )。
昨夜 四竈 ︹ 孝輔︺中 将 ︹ 予備、伏見宮別当︺逝 去之 旨 山 下 家 より 通 知 あ
晴
子﹂ 之 仝 行 を 取 止 む 。 武 藤 夫 人 見 送 る。
宮 崎 某 、 山 田 某 来 る 。あ る 企 画 に加 は ら ん事 を 乞 ふ、 断 る。
居 相 政弘 来 り 、 讃 を 乞 ふ、 仝 時 に 一幅 を 予 に贈 る 。
十 二月 七日 火
国 粋 大 衆 之 杉 浦 来 り 書を 乞 ふ 。
藤 野寛 中 佐 父君 来 訪 。
久 我 正 。 武 富 少 将 、 銚 子 小 学 校 長 外 二名 と 共 に 書 之 礼 に来 る ( 発
福井学務部長、藤島宮司外数名奉賛会之為め来訪。南尋小学校長
本庄大将 ( 戸 田良 縁 成 立 に 付)。
十 二月九日 木
る 件 に 付 真 剣 に 議 論 、 予 に採 決 を委 任 す 。依 て 回向 院 及 明治 神 宮
夕 、 水 交 社 景岳 会 、文 部 省教 科 書 に左 内 先 生御 肖 像 に記 事 を 加 ふ
午 後 高橋 大 将 を 訪 問 す 。
十 二月十 三日 月
夜 千 代と 吉 祥 寺 四竈 宅 に 通夜 す 。
功 二度 来 る 。硯 を 予 に贈 る。 予 は支 那 墨 を 与 ふ。
晴 暖
十 二月八日 水 晴 寒 ︹ 長︺ 佐分大三 ( 書 礼)、 加 藤 久 、 永 嶺夫 婦 、新 田 公藤 島 神 社 宮 司来 る 。
至 誠 之 大 書 )。
に参拝之上決することに約す。
り 、 六十 二才 。
風 邪 に て会 は ず 。
北支 文 化 使 節 歓 迎 之 為 、 東 京 会 館 へ。
千 代 藤 本 ﹁ビ ル ブ ロー カ ー﹂ へ、 及 び 年金 受 取 。
晴 稍 暖
軍人 会 館 に て藤 島 神 社 奉 賛 会 。
南京陥落公報来る。
晴
荒 木 と 予外 数 十 名 、 林 ︹ 権助︺男 爵 、 中 里 。
米砲艦爆沈、外相米大使に陳謝。
半晴
理髪 後 本 庄 大 将 へ答 礼 。
十 二月十日 金
軍 令 部 総 長 に 拝 謁 、 右仝 。
午 前 十 時 海 軍 大 臣 、 次官 え 南京 陥 落 の祝 詞を 述 ぶ。
十 二月十四日 火
午後武富邦茂を訪ひ嘱之揮毫を届く。
真 崎 、 松 下 来 る。
十 二月十 八日 土
安 保 に田 代 三 男 の紹 介 を 託 す 、 南 洋 興 発 へ。
近藤電話、軍人会館。
十 二月十五日 水
浦部聖凱旋す。鈴要来訪。
十 二月十九日 日
飛 島 に歳 暮 ア ル バ ム、 ウイ スキ 二本 。
晴 暖
午後四竈中将告別式 ( 千 代 仝 行)。
午 前 回 向 院 と 明 治 神 宮 に 霊 感を 拝 祈す 。 墨仙 画 伯 之 肖 像 を 採 る こ
台 湾 総 督 府 専 売 局 長 福 井 県 人 今 川 淵 氏 来 る 。 初 対 面 、 カ ラ スミ持
晴
坂 井 一意 、 加 藤 久 、 豊 田久 治来 る 。
爾 後 銀 座 松 屋 へ。 夫 よ り 四谷 地 久 庵 に 。
と に 決 意 。 芦 田 文 学 士文 部 省 に行 く 。
参。
晴 暖
左内先生肖像に付平泉澄 ︹ 東京帝国大学文学部教授︺に相 談 す 。
日 々八 並 来 り 予 に 寄 書 を 請 ふ 。 即 答を 扣 ゆ 。
夫婦も期待外れにて帰る。
十 二月十七日 金 晴 稍 寒 ︹ 長︺ 午 前 九 時 永 嶺 夫 人 の呉 行 を 見 送 り し も 間 違 に て 来 らず 。古 市 龍 雄
八並 ( 日 々) 来 る 。 寄書 を 渡す 。
夜 林 正 義 、 大 庭 来 る 。 平 生 に 紹 介 を乞 ふ 。考 慮 す 。
牧 ︹ 胤吉︺( 通 信) ︹ 日本聯合通信社長︺来 る 。
柴田要次郎、川 口 ( 酒 酔 心 持参 )。
国粋大衆党杉浦代理に書を渡す。
十 二月十六日 木
午 前 小 笠 原 来 訪 。 大 楠 公 桜 井 駅 訣 別 之 画讃 を 持参 。
十 二月 二十 二日 水
馬場前内相卒去 ( 五 十 九)。
孝 治 、 本 間 軍医 中 佐 に 揮 毫 発 送 。
十 二月 二十 一日 火
午 後 吉 祥 寺 に功 を 訪 ひ 文 支 筆 墨 紙 を 与 ふ 。
午前揮毫。
十 二月 二十日 月 晴 右 左 寺 尾 、 二 一〇 、 一八〇 ( ?)。
佐 賀 県 藤 津 郡 多 良 村 西 村 啓 よ り ﹁マ ルポ ロー﹂。
雨
飛島夫人来る。
別 府 鳴 海 よ り 大 関 の大 樽 来 着 、 並 に 電 報謝 す 。
素子帰宅す。稍良好。
晴 暖
福井県。
夕、小笠原長生を訪ひ、唐筆墨を贈る。
東 郷 寺 建 設 会 、 穴 水 、 筧 、 川 口、 真 崎 、 小 笠 原 。筧 、 大 に 会務 に
晴
松 下権 八 来 る。 風 雲 深 憂 す 。
晴
南京入城式。田代三男来る。
村 田寿 美 子帰 奉 す 。
真 崎 大 将 来 訪 。懇 談 約 二時 間。
付痛論。
午 後 武 藤家 訪 問 、 帰 宅後 千 代と 幸 鮨 に行 く 。
晴 寒
十 二月二十 三日 木
早 朝 佐 藤市 郎 少 将 ︹ 海軍大学校教頭︺来 訪 、 感 謝 す 。
十二月 二十 七日 月
田 辺治 通 ︹ 満洲国参議府副議長︺ 、 秋 沢 夫 人 、 加 藤 久 、 坂 井 一意 外 来 訪
晴
者多 し 。
二、 三 万 円 東 郷 寺 の為 め 都 合 す 、 尚初 約 十 万 円 を請 合 ふと 確 言 の
夕 、 加 藤 久 来 り 、 本 日 小 笠 原 、真 崎と 金 光 訪 問 、来 月十 五 日頃 に
夕 、茅 場 町其 角 に川 口、 真 崎 、 田畑 と 会 飲 す 。
去 る 十 日 武藤 家 応接 間 に盗 賊 入 る。 被 害 尠 しと 能 婦 子 夫 人 よ り 電
十 二月 二十四日 金
に礼 状 出 す 。
村 松 小 時 、 関 根 (日露 協 会)、 引 頭 。 宗 像 使 酒 を 持 参 す 。 半 之 助
十 二月 二十 八日 火
旨報ず。
話あり。
内田剛蔵に書 ( 雄 飛 五 大 洲)。
武 藤 能 婦 子 、 木 幡 行 少 将 来 る。
寒 気 大 晴
向 山 庄 太 郎 、 新 潟 某 青 年 団 の為 額 ( 大) ﹁誠 忠﹂ を 与 ふ 。
夕仁と有楽座に新国劇を見る。
牧宏安来る。金子伯に紹介状を出す。
大掃 除 之為 小 田急 に依 り 熱 海 に清 遊 す 。
十 二月 二十九 日 水
十 二月 二十 五日 土
秋 田 清 酒 一斗 を贈 り 来 る 。
人来る。
駅前 食 堂 に真 崎大 将 に会 ふ 。夕 刻 帰 宅 。 留 守 中 真 崎 少 将 、 末 次 夫
午後 雨 寒 冷
真 崎 少 将 に書 信 す 。
大正 天皇 祭 、 参 内 、 賢 所 へ。
京都藤岡芳蔵 ︹ 山陽水力電気代表取締役︺仝 断 。
晴
千 代 買 物 に行 く (三越 )。
午後 江之 島 を 経 て鎌 倉 孝 子 之 着 帯 祝 宴 に、 波 多 野 夫 婦 及 妹 子 二 名
午後雨
と 予夫 婦招 か る。 大 に愉 快 な り し。
一月 分 寺 尾 注 射 。
晴 日 中 暖 朝 寒 冷
十 二月 三十日 晴 曇 暖 気
政府 対 米 回答 。 十二月二十 六日 日
南 郷 等 予 の為 め 奔 走 之 事 あ る を 告 ぐ ( 枢 顧 の件)。
正 午 真 崎 少 将 来 り 金 光 と の会 見 に 付 報 告 し 、有 馬 大 将 、小 笠 原、
加 藤 久 を 呼 び 安 立 問 題 に 付 方法 を 示 す 。
平 沼 男 邸 に 猪肉
夕 寺 尾 来 る。 160、 170。 注 射 す 。
( 朝 鮮 中村 より 到 来) を 贈 る。
午後仝男を訪問、懇談す。
( 理 髪)。
夕伊佐寿来る。
十 二月 三十 一日 金
晴 寒
野 間 口、 川 口、 伊 佐 父 子 、 今 立 裕 等 来 訪 者 中 々多 し 。 川 口に 土 耳 古 二筥 、 七 面 鳥 を与 ふ 。 ︹ 平︺ 下郷伝兵衛 氏 ︹ 仁寿生命保険社長︺来 る 。 寒 気 甚 し 。 少 し く 風 気 味 、 大した事なし。
昭和十三年
午後、例会 。近藤信竹 ︹ 中将、軍令部第 一部長︺ 、高橋 ︹ 三吉、大将、軍事
参議官︺ 、 岩 村 、 新 島 、 九 保 、真 崎 ︹ 勝次、少将、予備︺ 、 波 多 野、 向 山 、
実 夫 婦 、 寛 一親 子 等 相 変 ず 。 賑 ふ 。 細 屋 良 く 働 く 。
近 藤 中 将 よ り 対 支 行 動 一時 小 休 と 聞 く 。 英 米 聯 合 之 恐 な り と 。
一月 四日 火
連 日晴 天 寒 大
夜 自 働 車 使 用 数 名 を 送 る。
四方 拝 参 拝 、 寒 気 夜 来 厳 。
一月 一日 土
新年宴会、御取止。
一月五日 水
呉 、洋 子 入 院 す と 。
風 邪気 味 鼻 悪 し 。
八並 ︹ 東京日日新聞記者︺に送 る。
長 野県 上 高 井 郡 仁 礼 小 学 校 長 竹 内 誠 治 よ り 元旦 寄 書 の讃 辞 来 る 。
各宮、下郷 ︹ 伝平、仁寿生命保険社長︺ 、佐藤誠、飛島 ︹ 文吉、飛島組会長︺、
南郷茂章 大尉 ︹ 蒼竜分隊長︺凱 旋 、 来 訪 。 輝 く 談 話 を 交 ゆ 。 吉 兵 衛
曇 午 後 ま で 小 雨
武 藤 、 村 田、 波 多 野 。
門丈恰も年始に来り大尉に紹介せしに彼れ感泣す。夕、清水川引
退之挨拶と予之揮毫之礼に来る。外数名来客あり、賑ふ。
晴
メ キ シ コ浜 中 ︹ 匡甫︺々佐 ︹ メキシコ駐在武官︺よ り 賀 電 来 る。
午 後 よ り 寛 一、 実 夫 婦 小 供 、 秀 也 来 る。 円 楽 、 秀 也 羨 喜 す 。
湘南風強く寒し
今立弟 ( 市川)詫に来る。
晴 天
一月二日 日
川 口来 り 元 帥 書 、 返 却 す 。
戦捷 ニ明 ク ル新 年 ヲ祝 シ尊 堂 之 万 福 ヲ祈 ル
横 浜 に 浜 中留 守 宅を 訪 ひ、 遙 々 メ キ シ コより 祝 電 之 礼 を 述 べ、 令
一月六日 木
稍暖 連 日晴 天 に て乾 燥 す 。
( 青 山 )、自 働 車 。武 藤 夫 人 、 村 田 俊 彦
︹ 欄外︺ 目 出度 人 物来 訪 之 日 。
鎌 倉 に 島 村 婦 人 を 見 舞 ひ 、令 息 夫 婦 に会 ふ 。
松山 茂 ︹ 中将、子備︺告 別 式
息 に 電 報 を与 ふ 。御 一同無 事 之書 状 を依 頼 す 。
八幡宮参詣し帰宅す。
久振 に来る。
︹ 欄外︺中 村 福 助 夫 妻 新 年 伺 候 。
末次 ︹ 信正、大将︺内 相 に 紹介 を 頼 む 。
吉田 ︹ 善吾、中将︺聯 合 艦 隊 長 官 祝 訪 問 せ ら る 。
晴 稍 暖
菊池文吾 ︹ 丸川商事社長︺親 子 来 る 。 一月 三日 月
元始祭参集、遠慮。
快 晴 寒 大
支 那 事 変 対 策 御 前 会 議 、 午 後 二時 よ り 宮 中 に 於 て 、 平 沼 ︹ 騏 一郎︺
一月十 一日 火
理髪。
武藤 夫 人呉 に急 行 す 。 洋 子 見 舞 之 為 也 。 痛 心 す 。 松 下 権 八 、 小 西
枢 府 議 長思 召 に依 り 参 列 。
晴 暖
加亮 ︹ 加藤亮 一、主計中将、予備、日本飛行代表取締役︺養 子寺 田家 結婚 式 に
一月七日 金
学 士 会 館 に千 代 、 予 、 上 野 シ ユウ 楽へ 。
干比 古 ︹ 大佐、企画院調査官︺来 る。
夕 、 末 次 内 相 之 招 待 に て紅 葉 館 に行 く 。 不 明 の理 由 に て高 橋 三 吉
晴 暖 但 風 強
一月 八日 土
中 将と 有 馬 ︹ 良橘︺大 将 ︹ 予備、枢密顧問官︺と 少 し く 気 色 ば む 。
山 下知 彦 ︹ 大佐、内務大臣秘書官︺へ、 村 田 俊 彦 紹介 之 速達 を 送 る 。
綾 登 、 向 山 、 揮 毫 の礼 に来 る。
平年 より 三、四
陸 軍始 看 兵 式 御 親 閲 。
﹁ 厳 祥 致 福 ﹂ の額 を 与 ふ。
晴 風 強 し 近 来 稀 の 大 寒
上野泰東書 院、夫より山 本英輔 ︹ 大将、予備︺見 舞 。 夕 、 丸 の 内 精
十 低 し 風 邪 大 流 行
養軒 、 高木 陸郎 ︹ 中日実業副総裁︺氏 之 支 那 事 情 を 聴 く 。
一月十 二日 水
︹ 欄外︺御 前 会 議 。
明 治 神 宮 参 拝 、 祈 願 。 近 藤 中 将 夫 人 、 曙 亭 主 婦 及 春 子来 る。 曙 に
末 次 乕 太 郎 来 る。
一月九日 日
高木 の 講話 早 口 に て聴 取 れ ず 。
山 下知 彦 に電 話 速 達 の返 事 を 求 む 。
午後船橋浅井将秀葬儀及告別式に立会ふ。
山 本湯 河原 へ湯 治 、 不在 。
晴 暖 夕 寒
し む。
海 軍次 官 之 好 意 に て自 働 車 に て送 ら る。 途 上 吉 村 元法 務 を便 乗 せ
一月十日 月
一月十 三日 木
柴 田 要 治郎 来 訪 を 断 る。
共 に感 謝 至極 と。
千代 、 小笠 原夫 人 を 見 舞 ふ 。
福 田耕 ( 朝 ) 来 り 矢 本 多 之 為 歎 願 書 に連 署 を 乞 ふ 。 断 る 。福 田 も
徳島 県 弘 田 臥 石 ( 居 相 主 計 大 佐 紹 介 ) 之 為 桜 井 駅 訣 別 之 画 に讃 す 。
牧山圭秀 ︹ 朝鮮新聞社取締役︺結 婚 祝 と し て 拝 毫 幅 額 を 贈 る 。 両 親 と
元老 を 煩 はす に 不堪 と 思惟 せ り と 告 ぐ 。 従 て申 訳 に来 れ る 也 。
二組 。 明治 天皇 御 製 、 こ わ か れ の 。
し帰 れ り と 電 話 あ り ?
村上 ︹ 銀吉︺少 将 ︹ 予備︺ 、 親 戚 の 海兵 入 学 之 青 年 ( 六尺余)を連 れ
加藤 久 来 る 。
村 田俊 彦 、 内 相 閣 議 之 為 め 面 会 不 可 能 と な り 、 山 下 秘 書 官 に 面 談
来る。
寒 気 朝 最 酷 近 来 の極 寒
千 代 、素 子、 歌 舞 伎 に 川 口 の案 内 を 受 く 。 予 、 断 る。
一月十四日 金
稍暖
晴 寒
( 神 社 の朝 ) 仁 の為 め ﹁ ネ ク タイ ﹂ を 三越 に購 ふ。 勅 題 の好 み也 。
福永 恭 助 上 海 より 帰 り鎌 倉 より 鯛 二尾 持 参 す 。
島 田寿 海 、 土 産持 参 来 る 。
関根 大 佐来 訪 懇談 二 時 。
綾 昇 、 双葉 山 に敗 る 。
午 後 満 佐 夫 を 伴 ひ高 島 屋 小 供 博 覧 会 へ。
一月十 五日 土
一月十 九日 水
内 田剛 蔵 来 り 、 末 次 之 評 判 を 告 ぐ 。
新 宮 館 主 人 、 仁 の写 真 を 持 参 す 。
理髪。安保 ︹ 清種、大将、予備︺に 会 ふ 。
晴 暖 気
対 支 方 針 、 大 本 営 と 連 絡 会 議 了 て、 午 後 八 時 近 衛 ︹ 文麿︺首 相 よ り
晴 殊 に 暖
奏上。
揮 毫 、 蒲 田 署 長 に 大 中 額 揮 毫を 与 ふ 。 日 中 十 五度 、 稀 有 の暖 気 今
夜 始 め て降 雨 、 乾 燥 空気 を 柔 ら ぐ 。
晴 風 あ り
︹ 欄外︺ 対 支 態度 決定 。 一月十六日 日
小笠原 ︹ 長生、中将、宮中顧問官︺に 電 話 督促 す 。
国 技 館 へ松 村 昇 ︹ 米井商店社長︺之 招 待 ( 安 保 と)。
一月 二十日 木
︹ 欄外︺暖 衣 一枚 不用 。 三、 四月 頃 の気 温 也 。
来 客 多 し 。 山 本 大 将 、 病 気 快 方 之 礼 に来 ら る 。 村 上 銀 吉 紹 介 海 兵
坪 川信 一に展 覧 品 返 却 に来 る。
生徒 ( 鑑 也 ) の父 来 る。 礼 物 を 持 参 す ( 横 地 光 雄 )。
加 藤 久 、 愚用 に て来 る。 断 る。
夕 ﹁ト ンボ ﹂。 夫 よ り 巽 屋 へ、 稍 酩 酊 。 武 蔵 山惜 敗 。
雨 天 地 湿 ふ
実 夫 婦 、 寛 一夫 婦 、 マサ オ来 る。
曇 暖
︹ 欄外︺金 光 に電 話 す 。 風邪 に て臥 床 と 夫 人 の答 。 一月 二十 一日 金
満 佐 夫 高 橋 鼻 耳 咽喉 に受 診 。 最 早 全 治 の望 な し と 。 残 念 な り 。 東 日、 大毎 、築 地 田 中 家 へ招 待 。 荒 木 ︹ 貞夫、陸軍︺大 将 ︹ 内閣参議︺
武 蔵 山 引 籠 る 。 休 業 気 の毒 な り 。
関令弟 ( 精 拙 ︶ の渡 支 に 付 色 紙 を 頼 に 来 る ( 精 朗)。
︹ 欄外︺ 千 代 、海 晏寺 に 詣づ 。
加藤久を招き安立事件を托。
一月 二十 二日 土
晴 連 日 の晴 天 に乾 燥 甚 し
︹ 欄外︺ 対 支 方 針 発 表 。
と 二人 也 。
一月十 七日 月
帝国議会開会。
真 崎少 将 来 る。 夕 帝国 ホテル。牧山耕 蔵 ︹ 衆議院議員︺男 圭 秀 の 結 婚 式 に 臨 み 、 両
鈴 木 之 使 に 八代 之 画 を 渡 す 。
曇 暖
家 の 万歳 を提 唱 す。
松 下 権 八、 木 幡 行 ︹ 少将、予備︺ 。浦賀造船顧問。
村 上 好 意 の肖 像 画 を 持 参 す ( 下 絵 也)。
永井 ︹ 柳太郎︺逓 相 、 藤 沢 ︹ 幾之輔︺枢 顧 ︹ 枢密顧問官︺予 の声 を 礼 讃 す 。
晴 夕 曇 寒 し
今夜 政党 員多 し 。 一月十 八日 火
一月二十 七日 木
晴 朝 寒 午 暖
村 田立 雄 、 来 京 、 来 訪 。 昼 食 を 倶 にす 。
御 田小 学 校 長 荻 原 美 忠 揮 毫 を 頼 に来 る 。
一月 二十 三日 日
竹屋春光告別式 ( 予 一人 )。
︹ 欄外︺議 会 開会 。
村上龍英 ︹ 東京商科大学子科教授︺氏 及 友 人 に 揮 毫 を 送 る 。
午後、上野、浅草散歩。
晴 暖
内 田剛 蔵 、 八 杉 貞 利 ︹ 東京外国語学校名誉教授︺ ( 協 会 問 題)。
一月 二十 八日 金
飛島 、 安 井 を 橋 渡 の柿 本 博 士 の告 別 式 ( 中 根 岸 )、 千 代 会 葬 す 。
中村藤吉 ︹ 浜松木材社長︺兄 弟 、 梅 を 礼 に 持 参 す 。
晴 暖 朝 寒
今 夕 、 日比 谷 公 会 堂 に 松 岡 洋 右 獅 子 吼 す 。 真崎少将より電話あり。師田之来否を尋ね来る。 ( ノ ー)
る。 寛 一仝 上 。
杉 山 明久 ︹ 三井物産社員︺ 、 三池 支店 長 と し て赴 任 に付 、 千 代と 見 送
晴 暖
夕、松 村昇、松村 菊勇 ︹ 中将、予備、石川島造船社長︺を 紅 葉 館 に招 き
一月 二十四日 月
紀 念 の香 爐 を 贈 る 。
千代十五号会夫人会、白木屋。 荒井 ︹ 陸男︺画 伯 来 る 。
交渉。中島知久平 ︹ 衆議院議員︺説 得 。
加 藤 久 来 る 。 真 崎 少 将 、 佐 々木 革 次 ︹ 大佐、予備、中島飛行機取締役︺に
関精朗に色紙を与ふ。
晴 暖
︹ 欄外︺今 夜 吉 夢 。 畏 し 。 一月 二十五日 火
晴 暖
一月 二十九日 土
︹ 欄外︺荒 井来 り 、神 戸 へ発 。
午 前 真 崎 少 将 東 郷寺 に 関 し心 配 し来 る。
木 幡 少 将 、 中 村 藤 吉 兄 弟 、 松 下 権 八 、 今 立 裕 、 加 藤久 、 石 原 北夫 、
午 後 八 並 鏈 一来 り 、参 議 の 噂 を報 ず 。
愛 宕 下 署 に揮 毫 を与 ふ 。
半 晴 午 後 よ り 小 雨 夕 よ り 初 雪
村田立雄、松村昇 ( 礼 に 来 る)。 一月 三十日 日
一心 一気 、 一剣鎮 海 颱 午 後 千 駄 谷竹 屋 春光 氏 を 弔拝 す。
揮毫。
夕 、 実 夫 婦 来 る 。 実 は 二 月 一日 出 動 。
中 耳炎 に て昨 朝 逝去 。 ︹ 欄外︺双 葉 山 、 玉 錦 を 敗 り 五 十 三 捷 の栄 冠 に 浴 す 。
一月三十 一日 月
真崎、加久と電話。
初雪止み天地清美。
快 晴 暖 夕 べ より 寒 風 と な る
風 強 し 。 夕寒 。
一月 二十六日 水
神 宮参 拝 。吉 夢 に答 へ奉 る。 午 後 千 代 富 美 を 伴 ひ直 麿 を 見 舞 ふ 。
千 代 、 安 井 と 波多 野 を 訪 問す 。
晴 暖
五 時 千代 と 幸 鮨 へ。
取 り 、師 田 に渡 せり と 電 話 あ り 。 内 一万 円 は 立 替 へ。
真 崎 少 将 之 尽 力 に て少 将 に師 田、 加 藤 久 仝 行 、 金 光 よ り 二万 円 受
真 崎 少 将 来 る。 不変 の心 配 、 感 激 に不 堪 。 小 笠 原 の本 心 を ? す 。
御田小学校に書を交付す。
午後揮毫。
を聞く。
午 前 外 務 省 、 ニ ュー ジ ー ラ ンド 総 領事 郡 司喜 一氏来 訪 。 予 の 述懐
満佐夫咽喉を痛む。看護婦を招く。
村 上 母堂 午 後 一時 逝 去 。 二月 一日 火
二月六日 日
夕 、 岩 村 博 来 る 。 北 支 水道 に 従事 す と 。
晴 寒
千 代 、村 上 に、 予も 午 後 弔訪 。
半 晴 曇 細 雨
荒井 ︹ 賢太郎︺枢 府 副 議 長 逝 去 。
村上龍英母堂告別之礼に来る。 午 後 上 野 へ散 歩 、清 遊 。
晴 寒
二月 二日 水
二月七日 月
満 佐 夫 咽 喉 を 痛 む 。 見 舞 に 行 く 。 屡 々之 小 児病 困 つた も の也 。
愛 宕 下署 長 、 四谷 警 察 部 長 窪 田 に書 を 与 ふ 。
村 上 母堂 葬 儀 に付 午 前 よ り 千 代 と 参 列 。 午 後 二時 に 及 ぶ 。
曇
川 口、 小 西 より の明 石 鯛 を 持 参 す 。
高島庄左衛門、真崎少将来訪。
︹ 寿 一、陸軍大将、北支那方面軍司令官︺之 不 評 、 在 支 兵 士 の 堅 確 、 山 東
午 前 内 田 剛 蔵 、 支 那 帰 り 張 宗 園 の嘱 託 関 田某 を 案 内 来 訪 。 寺 内
の純 日 本 化 等 に 付 語 る 。
立雄氏と試食。
二月 三日 木
若 素 相 談 役 、 三 多 摩 壮 士 (元)、 中 溝 多 摩 吉 来 る 。 十 八 日政 党 解
中 村 藤 吉 、 揮 毫 受 取 に来 る。
川 口、 郵 船 の好 遇 を 謝 す 。
消 声 明 式 に 出 席 を求 め 来 る 。 即答 断 る 。
晴
午 後 工業 倶 楽 部 主 事 中 村 の案 内 に て立 雄 、 富 美 栄 外 一女 、 予 と 千
︹ 欄外︺ 高 島 に 元 帥 書 を 手 交 す 。 川 口来 る。 安 井 の 為 、 書 を
代 、 演 舞 場 之 新 国 劇 に招 か る 。
与ふ。
晴 日中 稍 暖
二月八日 火
二月 四日 金
午 前 、 真 崎 、 川 口、 加 久 来 り 相 談 。
午 後東 日 に 谷 ︹ 正之︺公 使 の事 変収 拾 の講 演 を聴 く 。平 々 凡 々 。
連 日 又雨 無 く 、 空 気 乾 燥 。
松 下権 八 来 り 南 風 吹 来 不 遠 と 伝 ふ。
夕 、 千 代 と 立 雄 と幸 鮨 に 、 夫 よ り 立 雄 に 招 か れ ﹁ト ンボ﹂ へ。 大
晴 暖
晴 暖
満 佐 夫 咽 喉 故 障 、 声 出 ず 。 高 橋 先 生 を 招 く 。 困 つた も の也 。
二月九日 水
に酔ふ。 曇 午 後 雨
大 記 念 碑 揮 毫 大 に骨 折 る。 二月 五日 土
かく。
午 後 真 崎 少 将 来 訪 。 小 笠 原 と 三 人重 大協 議 に決 し、 電 話 を 並 木 に
午 前 近 藤 房 親 戚 杉 村伸 来 る 。
古市六 三 ︹ 男爵、帝国鉱業開発副社長︺( 酒 を 持 参)。
村 田立 雄 、 真 崎 勝 次 ( 辞 意 を 漏 す)。
川満憲正 ( 警 視 庁) に 書 を 与 ふ 。
立雄と夕食、自宅。
千 代 、 寛 一宅 に泊 、 孫 を 世 話 す 。
飛 島 文 吉 執 行 猶 予 の礼 に来 る。
晴 暖
二月十日 木
内 祝 の品 物 と 酒 を 贈 る。
千 代 、 下 郷 宅 へ。
立 雄 と 海 晏 寺 へ。
風 強 し 晴 天 な れ ど も 外 寒 し
夕 、 新 谷 に招 か れ 、 浅 草 馬 道 、 金 泉 に 快 遊 。
二月十 五日 火 午前理髪。
︹ 欄 外︺午 前 七時 、 素 子 女 子分 娩 。
今 立裕 、 墨を 持 来 る。
晴 暖
二月十 一日 金
品 川主 計 令 息 ︹ 太郎︺ 、酒を持参す。蟹を返礼とす。
武 藤 夫 人来 訪 。
紀 元節 参 内 。 賢 所 参 集 。 御 代 拝 。 皇后陛下御直拝。
二月十 二日 土
末 次内 相 夫 人来 訪。 四 月 三 日令 息 結 婚 式 宴 に参 列 を 求 む 。 諾 、 挨
荒 木 に 会 ひ し結 果 なり 。
真 崎大 将 来訪 。 政変 説 と 救 国策 に就 き 予 に相 談 す 。 昨 夜 、 平 沼 と
暖 快 晴
内 田剛 蔵 、 郡 司 喜 一 ( 秘 書 を 交 付 、 洋 書 共)。
拶 に付 留 保 。
二月十 六日 水
午後真崎少将と仝行。小笠原を訪ひ重要相談す。
前 田稔 大 佐 来 る。 八 雲 艦 長 計 二に 付 注 意 。
立 雄 、 下 郷 に招 か る 。 日独 協 会 ( 文 化 ) と 共 に某 所 に。
晴 暖
青年将校之犠牲奉公を託す。
沢 崎 病 院 に素 子 を 見 舞 ふ 。 千 代 仝 じ 。
生 保 険 社 員某 来 る。
巽 家会 明 日と な る。 真 崎 に 通知 す 。 今 立 裕 に 、書 を 渡 す 。
晴 小 春 日和
下 郷夫 人 来 る。 二月十 三日 日
二月十七日 木
添 島 某 国 体 問 題 の為 に 来 る ( 断 る)。
午 後 依 田耕 一 ︹ 内外編物業務取締役︺氏 の案 内 に て 蒲 田く つ下 工 場 を
福田市太郎来る。電話頻々。
雨 寒 冷
立 雄 、浦 部母 子来 る。
午 後 大 宮 八幡 神 社 参 詣 後 、 上 野聚 楽 へ。
曇 雨と な る 低 気 圧
今 夜満 智 子来 泊 せ し が発 熱 。 二月十 四日 月
見。
今 立 裕 来 る、 書 を 与 ふ 。 村 上 銀 吉 嘱 は 武 久 肖 像 画 主 、 予 の書 の礼
景 岳 先 生 、 西 郷 翁 併 立 し、 国 定 教 科 書 入 画 像 を 持 参 す 。 聖 。
晴 暖
新 築 之 部 屋 、 大 に快 。
午 後 五 ・二 五、 三島 着 。 自 働 車 に て長 岡 大 和 館 へ泊 。 立 雄 の歓 待 。
立 雄 と 長 岡 に 向 け 発 (三 ・ 一五分)。
夕 、 巽 屋 に 小 松 隆 、 村 田 立 雄 、 真 崎 勝 次 、会 同 。
晴 暖
に来 る。
二月十八日 金 ( 久 方 振 )、 立雄 。
防 共 護 国 団 二百 余 名 宛 、 政 本 民 政 本 部 を占 領 す 。但 流 血 な し。
内 田 剛 蔵 、 川 満 、 松 下 、 竹内 賀 久治 千代、病院に素子を見舞。
二月 二十 四日 木
午 前 松 井 謙 保 迎 に来 り 。
晴 寒
二月十九日 土
加藤久来る。
十時頃松井謙保来る。揮毫。
招 き に て常 磐 に 痛 飲 後 、 古 奈 白 石 館 に 行 く 。 松 井 同 行 し 送 り 届 て
正 午 頃 長 岡 を 去 り 三 島 松 井 の特 種 製 紙 工 場 を 見 、 長 尾 、 谷 専務 之
離去す。
午 後 村 上鋠 吉 宅 を 下 北 沢 に訪 ひ書 を 呈 す。 晴 帆 画 伯 にも 一幅 。
二月 二十日 日
松菊邸を村上付近に見出す。
十 一時 、 千 代 と 下 高 井 戸村 田邸 を 訪 ひ 、立 雄 一家 聖 大 尉 と 共 に真
晴 寒 冷
崎 、 山 口 両 海 陸 少 将を 歓 待。 時 事 を 談 ず 。
︹ 欄外︺常 磐 に又 招 か れ 午 餐 竹 松 仝 行 。
立 雄 の好 意 、 至 れ り 尽 せ り 也 。
午 後 四 ・三 八 、 松 井 、 立 雄 に 別 れ 三 島 発 帰 京 。
晴 暖
二月 二十五日 金
竹 松 、 大 に歓 待 す 。
晴 外 寒 し
立 雄 又宅 ま で 送 り 来 る 。 此 日 寒稍 厳 し 。 二月二十 一日 月
二月 二十六日 土
奥 村 石 工 に宮 本 の 石碑 字 を 渡 す 。
午 前 九 ・三 〇 。 柳 川 ︹ 平助、陸軍︺中 将 ︹ 第十軍司令官︺を 迎 へ、 山 階
晴 寒
中村 藤 吉 外 二名 来 る。
宮 ︹ 武彦王、少佐、予備︺に 伺 候 す 。
真 崎 。村 田 ( 立 ) 来 る。 晴 暖
十 一時 頃 よ り 千 代 と 共 に 道 塚直 麿を 見舞 ふ 。直 麿 危 篤 な り しも 、
二月 二十 二日 火 素 子 退院 す 。
予 を 意 識 し て喜 ぶ 。
午 後 斎藤 家 三年 祭 に 弔訪 後 、 大 倉 山 太 尾 梅 林 へ。
晴 暖
二月 二十 三日 水
夫 よ り 又直 麿 を 見舞 。 須 直 、 千 代 、 孝 と 看 護 す 。 医 師 と 会 合 。 明
立 雄 、千 代 と 幸 鮨 へ。
先 考 御 命 日、 福 田市 太 郎 氏 。
朝 迄 の寿 命 と 直 麿 を 診 断 す 。 不 幸 な り し 弟 よ 。
夕 、 千代 と山 下知 彦 夫 人之 通 夜 に行 く 。 往 タ ク シ、 復 井 口自 働 車 。
午 前 、 山 階宮 大 妃 殿 下御 葬 儀 に付 、 豊 島 岡 へ参 列 。
三月四日 金
◎ 午 後 九 ・二 五、 直 麿 永 眠 す 。 蒲 田 三 浦 小 七 宅 に て 。 二月 二十 七日 日
に 電話 、 注意 す 。
午 前 、 山 本記 者 、末 次 内 相 之 為 め 来 る。 之 に依 り 予 自 身 大 臣 官 邸
晴 天 小 春 暖
午前 ﹁ 孝﹂来り、直麿処置打合せ。蒲田に行く。愛、光枝追行。
晴 寒 冷
千 代 、高 田南 蔵 寺 に行 き 交 渉 す 、 夕 刻 。
二月 二十 八日 月
来る。
午 後 、 山 下 千鶴 子葬 儀 に千 代 と 参 列 、 予 は終 迄 立 列 す 。 寺 崎 岳 司
光 枝 。 戸 塚 二 丁 目 下車 乗 合 便 利 、 自 働 車 学 習 院 下。
午 前 、高 田南 町南 蔵 院 に直 麿 之 初 七 日墓 参 。 千 代 、 □ 、 須 直 、 孝 、
直 麿 遺 骸 桐 ケ谷 に て荼 毘 に付 し 、 高 田南 町 南 蔵 院 に 納 骨 。
中村 ︹ 良三︺大 将 ︹ 予備︺時 事 を 憂 ひ来 訪 。
晴 暖
孝 、す な お、 千 代 立 会 ひ、 南 蔵 院 に は 、 寛 一、 秀 也 、 愛 子 加 は る 。
松 下権 八 留守 中 に来 る 。刑 事 窃 盗 取 調 に来 る。
千 代 、寛 一、 仁 、 蒲 田 に行 く 。 正 子 頃 帰 宅 。
三浦 老 婆 に 三十 円、 外 直 麿 遺 品 全 部 を 与 ふ 。
晴 暖
午 前 、 山 本 元 記 者 再 び 来り 、内 務 に付 懇 談 す 。 河 原 老 揮 毫 頼 み来
三月五日 土
︹ 欄外︺来 客 多 し 。 松 浦 結 婚 媒 介 来 る 。
寺 に 経料 、孝 一〇、 千 代 五、 外 、 卒 塔 婆 料 若 干 。 医者 其 他 、 支 払 一切 百 数 十 円 と な るも 、 孝 の努 力 大 也 。
る ( 弥 三 郎)。向 山老 同 上 、松 尾 忠 、 神 戸よ り 来 訪 。
真 崎 少 将 来 訪 、 東 郷寺 に付 忠 告 。 三月 一日 火
晴 暖
孝 来 る、 武 藤 夫 人 、藤 井 夫 婦 来 訪 、 初 対 面 也 。
日 比谷 公 会堂 高 石真 五郎 復 命 講 演 。
三月六日 日
真 崎宅 に 果物 を 贈 る 。
山 田 秋 甫 、新 田 卿 誕生 地之 碑 文 を 頼 み に来 る、 諾 。
夕 、 馬橋 山 下家 に 弔問 す 、 山 下千 鶴 子 逝 去 に 付 ( 本 日午 前 一時)。
三月 二日 水
越ケ谷 ( 武 州 大 沢 下車 ) 梅 林 に行 き 、名 古 屋安 東 次 男 夫 婦 に会 ふ。
車 中 、向 山 、 国府 田夫 婦 に会 ふ。
午 前 、真 崎 少 将 来 る。
帰 途 、 真 崎少 将 宅を 訪 ひ、 西 郷青 年 に会 ふ。 小 笠 原 と 真 崎 之 今 朝
快 晴 小 春 日和
午 後 二時 、華 族 会 館 に て東 郷 寺 建 設 会 。 金 光 、 小 笠 原 、 真 崎 、 加
晴 暖 春 日和
藤 久 、会 合 。 予 は ワ ザと 不参 し、 真 崎 氏 の代 弁 を 乞 ふ 。
会見談を語る ( 小笠 原 に 予を 訪 ひ、 諒 解 を 求 む べき 進 言 )。
雨 稍 や寒
小 笠 原 は 早速 訪 問す と 言 ひ し由 な るも 、 来 らず 。 三月七日 月
小笠 原 の無 責 任 を 報 ず 。
曇 午 後 細 雨
久 地 梅林 へ。京 王 閣和 泉 屋。 三月三日 木
午 前 、 師 田 、東 郷寺 客 殿 工事 継 続 嘆 願 に来 る。 牧 、 石 原 来 る 。 新 田 卿碑 文 認 む 。 師 田 に 工事 費 捻 出を 命 ず 。 ( 金 光 の外 に)
曇
︹ 欄外︺千 代 、 満 佐 夫 を番 町 小 学 に 帯 同 す 。
殿 と 維 持 費 の心 配 を 約 す 。 外 に 吉 田 茂 理事 長之 問 題 。
三月十 二日 土
午 前 理 髪 。 田 中 検 事 、 近 藤 房 吉 、 中 村藤 吉 、荒 井 夫 人 、 福 井 五 嶽
曇 午 後 細 雨
面艦隊兼第三艦隊司令長官︺ へ書 面 を 出 す 。
高 岸 外 一名 来 る ( 別 府)。 以 上 の為 め 上 海 長 谷 川 ︹ 清︺中 将 ︹ 支那方
三月十 三日 日
︹ 欄外︺独 逸 、 オ ー スト リ ヤ を 合 併 す 。 英 仏 手 出 し 不 得 。
三井 重 役 多 し 。
夕、千代と共に弔訪、二〇円を供ふ。
午前八時、松林夫人、大学病室に於て逝去。
女 将 来 る。
曇 寒 細 雨
七 〇〇円
収 入 年 四 三 五 〇円
三月八日 火
三月十日
内 田 剛 蔵 、松 下 権 八 、 来 る。 所得税申告
曇 寒来
差 引所 得 金 額 四 〇 四 〇円
計 五 〇 五 〇 円控 除 一〇 一〇円
恩 給 月 三 六 二 円 五 〇 年 金
︹マ マ︺
四 谷 税 務 所宛
新島中佐上海帰り之復命内報。
三月九日 水
仁、静岡近藤伊太郎女と見合す。但し、白紙。今立中介。
三月十 四日 月
︹マ マ ︺
千 代 、 三 越 へ。
独墺合併宣言。
予 、 藤 井 慶 三 、 村 上 龍 英 、 三 井銀 行 ︹ 経理課長︺松 林 才 二 に答 礼 。
降 雪 寒 冷
松 林 才 二妻 之 告 別 式 に参 列 、 才 二及 親 戚 に 代 り 、 挨 拶 す 。
三月十日 木
高 島 屋 に て夕 食 、 帰 宅 す 。
無 事 。 川 島 に托 し 、 菊 池 文 吾 に 祝 品 を 贈 る 、 舶 来 織 物 。
曇 寒
千 代 、 大 学 病 院 に松 林 夫 人 を 見舞 ふ 。寒 雨 に難 む 。
今 立 帰 る。
︹ 欄外︺寛 一来 る 。
今 立 裕 、 直麿 之 弔 問 に 来り 、香 奠 を 供 ふ 。
寒冷、午後雨となる。
河 原 翁 に色 紙 、 千 原 に揮 毫 、 隠 岐 同 上 、 井 村 荒 喜 ︹ 不二越鋼材工業社
山 口 三郎 少 将 来 訪 、 予 、 午 後 大 倉 山 太 尾 公 園 に 観 梅 す 、 盛 開 美 観 。
孝 子 来 る。 千 代 、 末 次 家 の祝 に 行 く 、 祝 物 持 参 。
晴 夜 寒 冷
三月十 五日 火
三月十 一日 金
喜楽より鯛を贈る。
曇
長︺来 る 。
の外 に 栗 本 ( 桐 材木 屋) 其 他 へ寄 付 金心 配 し、 合 計 二十 万 円 迄 客
午 後 一時 、 小 笠 原 来 り 、懇 談 二時 間 。小 笠 原、 金 光 、 師 田 の努 力
午 前 、 真 崎 少 将 来 る 。 東 郷寺 問 題諒 解 、 平 理事 と し て努 力 す と 約
三月十六日 水
海 晏 寺 に彼 岸 中 日 の参 詣 す 。 千 代 と 満 佐 夫 仝 伴 、 幸 鮨 に 行 く 。
に来 る。 感 謝 す 。
島 田墨 仙 翁 来 り 、 予 に県 人 会 之 心 配 を 告 げ 、 代 表 と し て 炙 を勧 め
晴 夜寒
す。
館 へ行 く 。 送 迎 先 方 よ り 。
午 後 二時 、 北 米 武 徳 会 皇道 学 院新 築 地鎮 祭 之為 、 天沼 ( 荻窪)同
石 原 外 一名 来 り 、東 郷 会 々 長 之挨 拶 を為 す 。
三月十七日 木
夕 、 帝 国 ホ テ ル菊 池 案 内 親 族 会 之 又 豪 華 、 鳴 呼 可 惜 。 菊 池老 洒 脱 。
す。
正午、下郷招待。愛宕山嵯峨野に豪奢なる親族会。馬場皆子周旋
三月二十二日 火 雨 彼岸後 の春雨情緒
真 崎 少 将 来 る。
晴
五郎 帰 宅 す 。
千 代 、 花 見 紅 南 へ。
福井経済新聞代表に書。
三月十八日 金
孝 子 来 る。
菊池夫婦を東京駅に送る。
三月 二十 三日 水
松 下 権 八来 る。
武 藤 夫 人 も 招 か る。
晴 暖 春 日 和
予 、 荒 井 宅 。 夫 よ り 久 地 梅 林 へ。
本所業平橋川島得佑、書之礼に妻女を遣はし、酒二本贈与す。井
橘 姫 之 頌 徳 記 に予 の題 字 を 頼 み 度 と 稲 葉 元 邦 来 る 、 諾 す 。
曇 雨 と な る 少 し く 冷 気
風 間 少 年 団 代 表 、 来 廿 一日 少 年 団 五 十名 を 連 れ来 る こと を 頼 む 。
三月 二十 四日 木
︹マ マ ︺
宮内大臣 ︹ 松平恒雄︺ へ御 届 を 出 す 。
上某之友人なり、井上依頼之書三を渡す。
三月十九日 土
理髪 。
晴 暖 春 日 来 る
中村藤吉答礼。
亀 谷 慎 一、 久 々 にて 来 る 。
を 内 報 す 。 直 に古 市 千 穂 子 に知 ら せ 、 南 平 台 野 村 宅 に 礼 訪 せ し む 。
午 後 雨
終 日揮 毫 、 北 河 氏 よ り 近 藤 家 之 詳 報 来 る 。
午前 、野村 ︹ 吉三郎、中将、予備︺学 習 院 長、 電 話 に て古 市 孫 之 入 学
三月 二十日 日
晴
夕、加藤久来る。
警 察 より ピ ス ト ル検 査 に来 る、 弾 丸 共 。
午 後 、 古 市 母 子 礼 に来 る。
三月 二十 五日 金
晴 暖 例 年 に 比 な し
三月 二十 一日 月
正午 頃 、 降 雹 す 。
菊 池 恭 子 と 戸 田 忠 儀 結 婚 式 、 東京 会 館 。 豪 奢 を極 め ヒ ンシ ユク す。
午 前 、 堤 彦 一来 る 、 令 嬢 結 婚 の報 告 。
晴 曇 相 半 す 降 雹 十 一時 、 淀 橋 少 年 団 五 十 名 来 る 、 訓 示 を 与 ふ 、 小 学生 程 度 也 。
素子母子安否之為、下郷に電話す。
婦 人倶 楽 部 之 為 め、 満 佐 夫 、 真 知 子 と 写 真 を 撮 る ( 庭 にて )。
来 る 五 日福 井 行 の宿 を約 束 す 。
藤島 神 社宮 司報 告 に来 る。 井 上 龍 吉 ( 向 島 元 陸 兵) 書 の礼 に 来 る 。
三月三十 日 水
警察 よ り ﹁ ピ ス ト ル﹂ 検 査 、所 有 届 に捺 印 す 。
三月 二十 六日 土
目 黒 茶 リ ョウ に 下 郷 之招 待 。後 、 関根 と 巽 家 に行 く 。
揮毫。
今 立 裕 、 下郷 妙 子 、 寅 吉 妻 。
北 京 玉 泉 山 と 黄 河 の水 、寺 内 送 り し水 に て茶 会 。
小 笠 原 来 訪 、 東 郷 寺 に就 て也 。
横地鑑也 ( 海 兵 生 徒 ) 入 学 出 発 に付 、 父 と 倶 に 来 る 。
三月三十 一日 木
飛島 文 吉 揮 毫 頼 に来 る。
牧 野吉 兵 衛 来 る。
終 日昨 夜 の宿 酔 。
長沢順作 ( 井 上 龍 吉 友 人 、 深 川 区 議) 酒 二 本書 礼 に持 参 す 。
晴
稲葉 元 邦、 大 角 ︹ 岑生︺大 将 ︹ 軍事参議官︺ へ紹 介 を 求 む 。
飛 島 に 前 山 への書 を 送 る 。
石原 来 り 、 来 月 四 日を 約 す 。
川 口 電 話 し来 る。
四月 一日 金
晴
夕 、 松 林才 二 の好 意 に て千 代 と ﹁か ぶき ﹂ に行 く 。 三月二十 七日 日
午 後 、 松 井 石根 ︹ 陸軍大将︺宅 を 訪 問 し 、 明 二 日 歓 迎 会 ( 村上貞 一
夕、水交社景岳会 ( 岡田 ︹ 啓介、大将、予備︺出 席)、 石 原 、芦 田 激論
︹ 著述業︺主 会 ) に 欠 席 を 謝 す 。
晴
名古 屋 木村 元 一年 現役 小 学 教 員 外 二名 、 仝 じ く 教 員 来 訪 。 呉 桜 会
晴
之為海軍省に出頭之帰路。 以 太 利 特 使 一行 大 歓 迎会 、 小 石 川 スタ ヂ ア ム。
す。
午 後 六 時 、 東 京会 館 大晩 餐会 千 二 百余 名 。
尼 野 に大 軸 を 鉄 道 便 に て出 す 。
雨
三月 二十八日 月
四月 二日 土
渡 辺卓 哉 、 書 礼 と し て鯉 を 持 参 す 。
佐 賀 、 山 崎 一夫 来 る 。 風 邪 に て 不 面会 。渡 辺 日本 精 神 協 会 理 事 長 に書 を 渡 す 。
に千 原 国 策 の招 待 を 受 く 。 二 次 会 富 士 見 町 三楽 に新 谷 、千 原 、蓮
川 口、 小 笠 原 を 訪 問 後 来 る。
後 藤 繁 来 り 、 景 岳 先 生 の書 を 渡 す 。
晴
夕、松方幸次郎 ︹ 衆議院議員︺ 、 園 田武 彦 、 新 谷 俊 蔵 、 孝 等 と 柳 光 亭
井 外 一名 仝 伴 す 。 三月 二十九日 火
山脇 ︹ 春樹、山脇高等︺女 学 校 長 来 る。
真 崎 、 副 島 を 紹 介 に来 る ( 東 郷 寺 之 為 )。
半 晴 曇 細 雨
真 崎 少 将 、 本 田仙 太 郎 。
る。 笠 井 康 治 来 る。
今 立 裕 、 石 原 、 芦 田之 問 題 に 付 来 る。 松 浦 又 仁 の縁 女 問 題 に 付 来
太 郎 一妻 女 来 る。
米 、 加 羅 、 仲 谷 房 太 郎 よ り 珈 琲 三 罐 を 持 参 、 仝 じ く 米 国 帰 の西 川
其 気 分 に て 将来 も頼 む 、 君 ( 加 藤 ) と 自 分 と 正 面 衝 突 な ど や つた
終 、 君と の 関係 に於 て は 、真 崎 に申 した る如 き 心 持 絶 対 に持 た ず 、
云 ふ 、従 て 副島 の件 全 諾 す 。
よ り 大 に戒 飭 さ れ た る こと を 漸 愧 す 。 加 藤 久 は彼 自 ら 宣 告 せ り と
ら 天 下 の物 笑 ひ也 、真 崎 が筧 の話 を せ しよ り 事 始 り 、 真 崎 の攻 撃
⋮ ⋮ 。全 体 に就 て悔 悟 し 、将 来 も 忠 告 し呉 れ と 。
余 り 甚し かり し ( 小 笠 原 一人 を 悪 者 に す )、 憤 慨 の ぼ せ た り と
四月 三日 日
四月 六日 水
晴 風 あ り 強 し
神 武 天皇 祭 賢 所 参 集 、 拝 辞 。
改 造 社 二十 周 年 、 山 本 実 彦 ︹ 改造社長︺ 、三縁亭。
千 代 、 寛 一家 族 と 上 野 に 行 く 。
真 崎 、 副 島 を 紹 介 之 為 、 小 笠 原 を 訪 ふ 、 其態 度 に 呆 れ て来 る 。
四月 四日 月
ず )。 夕 、電 車 に て帰 宅 す 。
東 郷 寺 客 殿 棟 上 式 、 本 門寺 酒 井 日 慎 猊 下 外 数 僧 読 経 ( 金光 来ら
国魂 神 社 に参 詣 、 東 郷 寺 の成 功 を 祈 る。
晴 風 あ り
夕、末次、山内結婚式。
十 時 頃 より 京 王 に て多 摩 墓 地 に参 拝 。 故 元 帥 に祈 願 、 了 て府 中 大
午 前 理髪 。
早 朝 、 芦 田伊 人 来 り 、 石 原 に 就 き 不 平 を 述 ぶ 。
四月 七日 木
気 先 明朗 。
る。
︹ 佐藤︺国 司 釧 路 市 長 来 り 、 末 次 内 相 に 紹 介 を 求 む。 本多 仙 太 郎 来
晴
満 都 桜 咲 き 揃 ふ。
井村荒喜来り、小学校 ( 郷 里) 用 大 額 を 与 ふ 。
次 で上 野 看 桜 、 満 開 也 。
午 前 七 ・ 一〇重 村 遺 骨 向 に東 京 駅 へ。
曇 寒 し
午前、山脇を訪ひ、懐旧録を貸与す。
午後、本多主計候補生 ( 卒 業 に 付) 真 崎 来 る 。
夕 、 千 代 と 重 村 宅 に弔 問 す 。
︹マ マ︺
近 藤 茂 、 酒 一斗 を 贈 り 来 る 、 松 下 よ り 苺 ﹁ウ イ ク ト リ ア﹂ 之 上物
︹マ マ︺
也。
晴 暖
四月 八日 金
四月五日 火
付者也。
今 立 裕 及 □ 県 社 八幡 神 社 之 標 、 揮 毫 を 頼 み に 来 る 。 某 氏 景 岳 会 寄
菊 池 夫 婦 来 り 、 千 代 に敦 賀 の帯 を 贈 る 。
小 笠 原 と 対 談 、 昨 日 の真 崎 談 に 付 、直 接 会談 す 。
小 畑 勇 吉 元製 糖 重 役 。
︹ 欄外︺ 予 の中 傷 。
真 崎 、 小 笠 原 の脱 線 を 語 る 。
小 笠 原 大 に 短 気 を 悔 ひ 、 御 学 問 所 時 代 、 山 川 と 山県 と 間違 へ元帥
四月十 三日 水
筧 と 会 見 、 五 千 円 之約 束 す 、但 し客 殿 に加 へざ る こと を 条 件 と す 。
半晴
午 後 一時 、 松 平 侯 爵 家 祖 先 大 祭 、 葵 会 通 知 に 依 り参 拝 、後 、 富美
午 後 、 磯 村 豊太 郎 を 見 舞 、懇 談 二時 間 に し て 帰 る 。彼 大 に喜 ぶ。
せしむ。
午 前 、京 王 六 階 建 設会 事 務所 に真 崎 、 副島 、加 藤 久 を 立 会 ひ引 継
田村 忠 雄 来 る ( 酒 例 に依 り )、 以 上 礼 に 唐 筆 墨 を 送 る 。
四月十四日 木
曇
河田烈 ︹ 貴族院議員︺来 り 、 東 亜 文 化 顧 問 を 頼 む 、 不 得 止 諾 す 。
午 前 、 小 畑 勇吉 ︹ 須賀商事常務取締役︺に 八幡 神 社 の社 碑 揮 毫 を渡 す 。
四月九日 土
栄 宅 に行 き 鉄 子 、 東 条 藤 江 と を 伴 ひ 、 三 井 之 倶 楽 部 に 行 き 帰 る 。
午後、加藤久を呼び引導を渡す。
山 脇 よ り 懐 旧 録 返 却 に来 る。 松 下 権 八 、 山 本 英 輔 大 将 。
四月十日 日
吉岡、三村、湯浅、田代未亡人来る。
牧通信社長、放送局植村敏夫 ( 来 廿 九 日 放 送 依 頼)。
四月十五日 金
午後にかけ、千代と小金井に桜見す。
晴
真 崎 勝 次 来 る、 夕 、 学 士 会 館 に て堤 、 古 市 結 婚 式 。
宮川照治来る ( 日 清 戦 争 丁 汝 昌 降伏 之 号外 を 贈 れ る 人)
千 代 、 海 晏 寺 へ、 午 後 二時 重 村 告 別 式 に参 立 す 。
武藤能婦子 ( 満 州 よ り 帰 京 に 付)。
四月十 一日 月
金 光 に電 話 ( 南条 ︹ 金雄、三井常務理事︺と 語 る の件)。
放送原稿を用意す。
福 井 に写 真 を 贈 る 。
晴 風 寒
千 代 、 仁 寿 に招 か れ 歌 舞 伎 に行 く 。
田村 へ唐 筆 墨 を 送 る、 本 多 仙 太 郎 に書 。
終 日雨 、 近 頃 稀 な る寒 気 。
四月十六日 土
晴
荒 井 カ ム ベ ラ丸 よ り 無 線 あ り 、 直 に返 信 す 。
午 前 、 山 脇 春 樹 を 東 京 駅 に送 る、 万 博 勧 誘 の為 、 濠 州 に向 ふ。
千 代 、 藤 井 に行 く 。 次 で武 藤 宅 を 訪 ふ 。
雨 寒 気 再 来
夕 、 松 林 に灘 万 に 招 か る 、 三 井 系 野 依 ︹ 秀市、帝都日日新聞社長︺外 三
牧 ︹ 胤吉、日本聯合通信社長︺来 る 。陸 軍 の不 始 末 深 憂 に不 堪 。
山本 恭 介 ? (元記 者 ) 来 り 、 杉 山 ︹ 元、陸軍大将︺陸 相 の醜 を 報 ず 、
四月十 二日 火
村 田寿 太 郎 帰 る 、 息 、 恂 来 る 。
四月十七日 日
終 日 二十 九 日 の放 送 準 備 。
村 田寿 太 郎 来 り 、 一泊 す 。
夕 、 千 代 、 仁 と 予 三 名 幸 鮨 へ。
晴
名。
米内 ︹ 光政、大将、海軍大臣︺の令 嬢 に付 、 大 湊 の高 橋 に尋 ぬ。 磯 村 の
山 本 庄 輔 、 末 次 と 会 見 之 結 果 と 政 変 之 機 迫 ると 報 ず 。
晴
依 頼 に依 り 心 付 く 。
晴 暖
坂 井 一意 来 る。
実 の先 生 、 田 口福 司 郎 鯖 江 高女 校 長 と し て 転 任 に付 来 訪 、多 謝 す 。
終 日、 放 送 原 稿 準 備 。
末 次 信 義 夫 婦 、 古 内 外 務 書 記 官 夫 婦 、 礼 に 来 る 。古 市 六 三 来 る 。
四月 二十 三日 土
夕 、有 終 会 総 会 に招 か る。
真 崎 少 将 来 訪 、 明 日よ り 九 州 廻 はり 。
み さ ほ 、洋 子帰 京 、直 に来 宅 。
庵 崎 芳 国 潮 会 員 来 る、 講 演 を 頼 みし も 断 る 。
小雨
孝治殊に実之恩師也。 四月十八日 月
後 楽 園 カ ン徳 亭 に於 て、 森 清 人 の詔 勅 講 演 、 三 上参 次 出 し や 張 過
晴 暖
中村藤吉 ( 揮 毫依 頼)、前 田 利 乗 北支 慰 問 出 張 の 暇乞 。
て時 間 を 超 過 し 、 森 の講 演 中 途 に て 閉 会 。 学 者 の学 者 ぶ る に 憤 る 。
四月 二十 四日 日
武 藤 姪 、 隆 子 結 婚 式 披 露 に 千 代 のみ 行 く 。
四月十 九日 火
波多野、孝子と昼食、快飲す。
福 岡 、 山 下 正 雄特 務 大尉 来 る、 八並 来 る ( 寄 書 の件 、 但 断 る)。
牧 通 信 来り 、 政変 を 語 る。
大谷 ︹ 登︺郵 船 社 長 来 り 、 内 部 粛 正 に 付 、 末 次 内 相 に 電 話 紹 介 を
千 代 、 田 口 鯖 江高 女 校 長を 送 る ( 東 京 駅)。
午後 理髪 、 上 野国 防 博 を 見 る。
頼む。
小 豆 島 紀 念 碑 揮毫 之 礼と し て 石灯 籠 寄 贈 之 為 見 分 に来 る。
晴
放送 準 備 。
小 笠 原 よ り 三 井南 条 、金 光 に寄 付金 承 諾 之旨 内 約 す と 報 ず 。
晴 暖
寛 一夫 婦 来 る。
外 務鈴 木 皓 仁 青年 来 り 、 日 の丸 に揮 毫 を 乞 ふ。 元部 下 石毛 某 来 る。
半 晴 暖
四月二十日 水
四月二十 五日 月
宮沢 ︹ 裕︺衆 議 員 ( 三 原 山 登 山 之 時 内 相 望 月 秘書 官 ?)、 同 郷 人 と
中村 藤 吉 、松 下権 八 、牧 通信 、 副 島 来 る。
﹁メ キ シ コ﹂ より 帰 来 の都 留 、 池 田来 る。
晴
雨
四竈 ︹ 孝輔︺夫 人 来 る。
共 に来 る。
四月 二十 六日 火
四月 二十 一日 木
晴 暖
山 口 三郎 陸 少 将 来 る。
昨 夜 之 雨残 り なく 晴 れ、 靖 国 神 社 百 万 、 陛 下 行 幸 、 重 臣 以 下 参 列 (予も 亦 )。
秋元 ︹ 春朝︺子 爵 ︹ 貴族院議員︺ ( 会 長) 之 招 き に依 り 国 防 博 を 見 る 、 正午上野精養軒に千代と両人にて軽餐を取り帰る。
みさ ほ、 洋 子 、 奉 天 某 夫 人 ( 武 藤 夫 人 の弟 の妻) 来 る 。奥 村 佐吉 、
末次と電話、大谷と面会を約す、直に大谷に知らす。
小 豆 島 宮 本 の為 め 石 灯 籠 を 寄 贈 し 来 り 、 自身 監 督庭 内 に立 つ。感
真崎少将来り、会談す。
曇
留守中、牧、松下両人来る。 四月二十 二日 金
謝 余 り あ り 、 色 紙 及 額 面 一を 与 ふ 。
に 下 郷 へ送 る 。京 王 副島 に書 を 送 る。
時 枝 青 年 応 召 暇乞 に 来 る 。
理髪。
晴 暖
四月二十 七日 水
鳥居両親来る。
五月 一日 日
小 笠 原 、並 木 に 電話 、 加 藤 久 之 来 訪 を 迫 る、 来 ら ず 。 副 島 と 電 話 。
満 佐 夫 祝 福 、 楠 公 父 子 桜 井 駅 訣 別 の画 を 贈 る 。
曇
武 藤夫 人 姪 、良 人高 杉 と 来 る ( 礼 也 )。
五月 二日 月
︹ 奥村名刺貼付、書込み︺ 石 灯籠 瑞気 満 及色 紙 四を 与 ふ。
磯 部 栄 一、 河 田 烈 の使 に来 る 。大 角 、大 倉 を 紹 介 し、 高 飛 車 に追
物 )。 閣 下 ( 予︶ は 担 が れ た と 世 人 は 申 し て 居 り ま す 。
渡 辺 求 ? 来 り 、加 藤 久 に就 き 所 感 を 述 ぶ ( 何をす るか判 ら ぬ人
四月 二十八日 木
り哀 願 す。 五 十銭 を 車 賃 と し て与 ふ。
川 口来 る、 加 藤 久 の中 傷 を 告 げ 厳 責 を 命 ず 。 某 敦 賀 人 ( 刑余)来
周旋。
小 笠 原 訪 問 之 際 某 人 よ り 巨 額 之 寄 附 見 込 を 語 る 旨 報 ず 。 但 し 金光
午前副島来訪電話不達を謝す。
曇 風 あ り
ひ返す。
( 予 ) 予 は覚 悟 の上 也 、 但 し 加 久 如 き は 問 題 に 非 ら ず 、 随 意 処 置
晴
す べし と 。
今立 、 橋本 博 来 る。
午前 内 田剛 、 二十 九 日放 送 原稿 を 乞 ふ。 与 ふ。 午 後 又 副 島 来 り 二
晴 快 天
割 の件 は書 の揮毫 に 就 て の み記 事 あ り 。 但 し決 議 に至 らず 。
予 一人 隅 田堤 に散 歩 、 吾 妻 橋 畔 之 宅 に て 会 食 せ し 。 四月 二十九日 金
五月三日 火
雨 昨 夜 来 風 強 し
電報 電 話 之 感 謝 来 る。 村 田、 本 田仙 太 郎 、 西 尾 信 一、 神 戸 杉 村 の
午 前 七 ・〇 一分 ﹁日本 国 民 の忠 節 に就 て﹂ 放 送 大 に 感 激 を 与 へ、
午 前 永 井 老 来 り 景岳 全集 刊 行 に 付 周 到 な る計 画 を 報 ず
五月四日 水
ぶ ( 不 明)、 向 山 庄 太 郎 等 、 就 中 本 田 曰 く 、 在 京 中 、 過 去 未 曾 有
宗 像 夫 人 、 佐 々木 六 郎 夫 人 来 る 。 予 の写 真を 乞 ふ 。 署 名 し て 与 ふ。
曇
四月三十 日 土
鈴 木 一意 改 造 座 談 会 に 出 席 を 乞 ひ 来 る 。 断 る 。 永 井 使 、池 村 来 る 。
山 本 清 次 女 千 代 子 と 大倉 喜 六 郎 と 結婚 披 露 に行 く。 帝 国 ホ テ ル。
山 本清 ︹ 権兵衛長男、中佐︺家 に祝 品十 八 目白 粉 入を 贈 る。
雄 飛 五大 洲 の大 軸 に題 書 す 。
と親 ら 来訪 感 謝 す 。 寛 一も 来 り 喜 ぶ。
内 田 剛 蔵 及 支 那帰 関 田 ? 来り 、支 那 問 題悲 観 を 痛 論 す 。 渡 辺 等 来
晴 暖
り 、 加 藤 久 排 斥 に仝 感 、 痛 説す 。 小笠 原 が喰 ひ 入ら れ つ ゝあ る こ
安 保 、 山 本 勝 と 四人 也 。
夕 、 松 菊 の招 き に て紅 葉 館 に 行 く 。 ( 不 会)、 奥 寿 他 一名 来 る 。 大 谷 登 よ り 浜 鯛 来 る。 直
と 仝 感 す 。 山 田 秋 甫 、 写 真 持参 大 に成 功 を感 謝 す 。 柴 田要 次 郎
夕、級会、水交社、夫婦。
早 朝 根 本 報 告 に来 る。
五月五日 木 曇 ︹ 河︺ 長谷川、大川内 ︹ 伝七、少将、前上海陸戦隊司令官︺凱 旋 に 付 東 京 駅 に出
︹ 欄外︺孝 治 着 。 孝 治 夫 婦 来 る ( 午 後 )。
迎ふ。盛迎なりし。
五月十日 火
村 田 より ツ ヽヂ 二本 来 る。 晴
午 後 一時 、 嘉 納 治 五郎 先 生 告 別 式 講 道 館 。
後 小 石 川 坂 下 町 嘉 納 治 五 郎 邸を 弔 す 。
真 崎 少 将 来 る。 午 後 副 島 来 る 。 千 代 、 海 晏 寺 へ素 子 と ま ち 子 と参
夕 、 孝 治夫 婦 、寛 一夫婦 孝 子等 を 招 き 夕 餐 を 倶 にす 。 仁 仝 席 す 。 ︹ 河︺ 長 谷 川 司令 長 官 、 大 川内 司令 官 及 長谷 川参 謀 長 来 訪 。 藤 野 副 官 倶
石 原 よ り 電 話 。 永 井 老 肺 炎 に て 面 会 謝 絶 と 。 尚 某 よ り 東 郷 寺 へ寄
川 口 に電 話 。 帰 京 せ る 小 笠 原 行 を 頼 む 。
五月十 一日 水
詣す。 ︹ 阪︺ 万国博抽籖坂谷 ︹ 芳郎︺男 ︹ 貴族院議員、専修大学総長︺二 千 円 に 当 る 。
に 来 る 。好 意 多 謝 。
付 百 円 を 小 笠 原 に送 る と 付 言 す ( 並 木 へ加 藤 久 に 渡 す な と 電 話
五月六日 金 曇 ︹ 河︺ 早 朝 大 川内 司 令官 来 訪 。 松 下来 り 柳 川 、 小畑 、堀 之 復 活 を 伝 ふ。
川 口 よ り 電 話 。 小笠 原旅 行 中も ﹁ 大 阪 行 たし 。﹂
五月七日 土
五月十 二日 木
揮 毫 。 牧 を 叱 り 還 へす 。
す )。
晴
選 ヤ に 仕払 ふ 。 56 ¥
志賀 子 の紹 介 、宮 原小 次 郎 書 ﹁ 修 道 保 治 ﹂ の礼 と し て魚 を 持 参 す 。
永 井 環 肺 炎 見 舞 に 行 き 慰 撫 す 。 回 々教 会 堂落 成 式 各 回教 国代 表 多
五月八日 日
福 井 新 田神 社 宮 司 、 加藤 亮 一と 来 る。 講 演 断 り 福 井 行 未 決 。
稲 荷 神 社 之 揮 毫を 為 す 。
千 代 と 新 宿 一平食 堂 に夕 食 す 。
曇 午 後 日出 づ
右を 長谷 川 中 将宅 に贈 る ( 自 働 車 )。
江名 町例 祭 に出 席 を 乞 は れ し も 断 る。
晴
内 田剛 蔵 来 り 原稿 を 返 す 。 直 に石 川 島 造 船 野 中 経 彦 に 郵 送 す 。
数来朝す。
代拝、根本栄嗣。
五月十 三日 金
雨
午 後 十 一時 孝 治 夫 婦 帰 呉 す 。 千 代 見 送 る。
午 後 市 川 に散 歩 。 田甫 を 良 と す 。
午前 川 口来 り真 崎 之 不 平を 陳 ぶ。
午後 川 口 、 小笠 原 に行 く 。
晴
真崎帰京す。 五月九日 月
今立 裕 来 る。
曇 金 光 に電 話 す 。 不 達 。
真崎、秋 沢 ︹ 芳馬、少将、予備︺ 、南 郷 ︹ 次郎、少将、予備︺ 、 木 幡 来 る。
五月十四日 土
晴
小 笠 原 よ り 電 話 、 十 五 日 夕来 訪 すと 。
武 藤 夫 人 及 富 田 小 登喜 来 る。
よ り 選 定 せり と 報ず
飛島 文 吉 来 り 山 門之 寄 附 発 表 を 諾 す 。 福 井 飛 島 宅 は 岡 田 大 将 に 市
渡 部 よ り 電 話 今 夕 八 時 加 久 に会 ふ と 報 ず 。
五月十 八日 水
之事を告知す。
師 田及 河 内 来 る 。 予 の福 井 行 き を 打 合 は す 。 右 同 人 に加 藤 久 放 逐
雨
南 郷 より ﹁ク ル バ ンガ リ ﹂ 放 送 之 談 と 共 に 小 笠 原 の不 信義 を憤 る
阪 在 郷 陸 少佐 題字 を 貰 に来 る。 真 崎 少 将 来 る。
︹ 欄外︺孝 子 男 子 を 誕生 す 。 午 前 二時 。
大 谷 登 真 崎 と会 見す 。
( 困 り 居 る如 し)。 予 の紅 屋 行 は当 れ り 。 大
話を聴く。
晴 連 日好 天
花 園神 社 へ揮 毫 を 届 く 。 五月十 五日 日 小 笠 原 に忠 告 を 与 ふ。
五月十九日 木
高 知 県 皇 道 会 主 事 国 沢 巌 穂 態 々上 京 。 二 十 九 日 ( 四 月) 之 予 の 放
渡 部 求︱ 小 笠 原 代 理 と し て 加 藤久 に 辞表 へ署名 捺 印 せ し む。
送 に感 激 を 述 ぶ 。 揮 毫 を 乞 ふ 。 諾 。 渡 部 、 小 笠 原 と 真 崎 に会 見 す 。
真 崎 大 将 、 今 立 裕 来訪 。
午 後 小 笠 原 来 り 、 徹 底 的 に加 藤 久 問 題 を討 議 し、 結 局 ﹁ 久﹂を会
素子、よし子を連れ来る。
よ り 駆 逐 に仝 意 す 。 ク ルバ ンに 対 し て は種 々 陳弁 せ しも 要 領 を 不
半 晴 暖
佐 藤 国 司 を 吉 田建 築 局 長 に紹 介 す 。 五月二十日 金
得 。 最 後 に余 に 最 後 の妥 協 を 求 む 。 曇
午 後 、 波多 野家 及孝 子 、武 彦 の初 顔 を 見 に行 く 。 後 荒 川 病 院 ( 市
午 前 、内 田剛 蔵 、真 崎 少 将 、 下郷 義 一 ( 満 州 行 に付 ) 来 る。
五月十六日 月
川 口 の招 待 に て赤 坂 表 町 常 盤 園 に 晩 餐 。
ケ 谷) に 佐 々 木 忠次 郎 氏を 見舞 。
小 笠 原 の み加 は る。
坂 井 一意 来 る 。
夕 、 金 光 庸 夫 来 訪 。 三 井 三 菱 寄 附 問 題 に付 懇 談 す 。
川 口大 阪 に向 ふ。
五月 二十 一日 土
高 知 県 国 沢 に 書 及 司 祭 長 写 真 を渡 す 。
細 雨 入 梅 之 如 し
感ず。
南条金雄に電話、面会を求む。差支ありと。小笠原、金光に之を
五月十 七日 火
渡 辺 求 、 小 笠 原 と会 見後 来 訪 詳報 す 。筧 も 中途 より 来 会 。 加 藤 久
報ず。
午 前 石 川島 造 船 野中 経 彦 予 の放 送 原 稿 之 校 正 に来 る。 用 意 周 到 に
之 離 脱 を 喜 ぶ 。 渡 辺 は 午餐 を 予と 倶 に し午 後 二時 離 去 。 小 笠 原 の
細雨
依 頼 に 依 り 、 代 理 と し て 加 藤 久 に 辞 表提 出 を勧 告 を 約 す 。
午 後 八 ・三〇 東 京 発 福 井 。 新 田郷 六 百 年 大 祭 に参 列 。
今 立 来 る。 牧 通 信 、 近 衛 内 閣 之 急 を 報 ず 。
渡 部 求 と 会 見 に付 電 話 及 来 訪 行 違 。 気 の毒 な り し。 午 後 仰 竹 会
五月二十 六日 木
夕 、今 立裕 来 る。 夕 食 を 倶 にす 。
午 後 七 ・三 〇弔 訪 す 。
午後 二時、佐 々 ︹ 木︺忠 次 郎 薨 去 す 。 委 員 長 及 友 人 総 代 と な る 。
(五円 ) 藤 山 雷 太 邸 。
晴
御 堀 、 松 島 、 日 々木 村 と 三 人 来 り 、 来 る 二 十 八 日 、 隅 田 川 大競 漕
五月 二十 二日 日
会 之 会 長 に推 戴 す 。 諾 。
午 前 八 ・五五 福 井 駅 着 。 知事 以 下多 数 出 迎 、 月 見 亭 に小 憩。 十 時 、
晴
藤 島 神 社 大 祭 に 臨 む 。 松 平 侯 子爵 、 岡 田 大 将参 列 。正 午 五 ケ岳 に
木戸 ︹ 幸 一︺厚 生 省 。
宇 垣 ︹一 成、陸軍大将︺外 相 、 池 田 ︹ 成彬︺蔵 兼 商 工 相 、 荒 木 文 相 発 表 。 ︹マ マ︺
て昼 食 。 一時 、 公会 堂 に て直 会 。 予 一場 の挨 拶 を 述 ぶ。 夕 、 開 花 亭 之 県 市 合 同宴 了 て 月 見亭 熊 谷市 会 議 長 宴 、夫 れ より ア ワ ラ紅 屋
五月 二十七日 金
察 。 正午 市 橋 頭 取之 招 待 、 了 て茶 席 に て有 力 者 に 時 事 談 を 為 し 東
午 前 九 時 頃 ア ワ ラ発 、 室 田小 学 校 に て講 演 、 了 て島 崎 織 物 工 場 視
五月二十 三日 月
田 中光 顕 伯 、 面会 を 求 む。 今 明 日差 支 之 旨 回 答 。 御 老 躯 を 憂 ひ 予
千 代 、 佐 々木 へ通夜 、 予 、疲 労 に付 不参 。
日 々主 宰 隅 田 川 大短 艇 競技 会 々長 と し て久 し振 り 骨 折 る。 終 日。
五月二十 八日 土
川 口、 渡 辺 来 訪 、 夕 、 佐 々 木 を訪 ひ 、経 過 を聞 く 。
晴
に 投 宿 す 。高 島 仲衛 門 の夫 婦 来 る。 今 夜 快 遊 、 日中 の忙 を 慰 す 。
海軍記念日。海軍祝賀取止め。
︹ 欄外︺仰 竹 会 。
赤 十字 分 院 及 陸 軍病 院 に傷 病 者 を 見 舞 ふ。
郷寺 建 設 に付 援 助 を 依 頼 す 。 大 成 功 。
之 方 よ り参 上 す べき 旨 答 ふ。 先 方 一先 御 遠 慮 。
佐 々木 忠 次 郎 博 士 葬 儀 委 員 長 、 終 日。
曇 細 雨
午 後 五 ・ 一五福 井 発 。 知 事 以 下 多 数 の見 送 を 受 東 京 に 向 ふ 。 平 泉
五月 二十四日 火
赤 星 鉄 馬 夫 婦 留 守 中 来 訪 。 令 息 出 征 之 為 め 予 之 書 に 対 し 自 釣 の太
晴
半晴
博 士 仝 車 、 金 沢 に て坂 井 一意 仝 じ く 、 両 人 に て 寝 台 の 心 配 を為 し
五月二十九日 日
午前七時上野着。直に帰宅。
快晴
呉稍く安眠す。猪野毛 ︹ 利栄、衆議院議員︺ 、途中まで。
品川主計 ( 書 三)、 武 富 夫 人 、 波多 野 子爵 来訪 。
午後多摩墓地故元帥拝礼に行く。
晴 風 砂 塵 を 捲
五月 三十日 月
鯛 二尾 を 持 参 す 。
五月 二十五日 水
ロ ー マイ ア夕 食 。 理 髪 。
晴
波 多 野 夫 人 入 院 、 咽 喉 の為也 。
小 笠 原 に 電 話 す 。 川 口帰 京 。午 後 小 笠 原を 訪 問す 。
副島 来 り、 昨 三 日金 光 と 彼 と 会 見 之 事 を 語 る。
六月四日 土
晴 暑 気
午 前 田 中 光 顕 伯 代 理 高 井 徳 次 郎 来 り 明 治 大 帝 聖 蹟 記念 館 之為 め 理
本 日午 前 小 笠 原 子、 金 光 と 会 見 之 旨 、 子 爵 よ り 電 話 あ り 。
︹ 欄外︺ 実 来 り 、 夕 食 。
事 た る こと を 頼 ま れ 記 名 調 印 す 。
小 笠 原 よ り 電 話 。 渡 辺 と 之 会 見 、 参 内 の為 め 四 、 五 日延 期す と 。
高 井 徳 次 郎 青 山 南 町 三 ノ六 一 ( 青 山 三 九 九 一番 )
六月五日 日
夕 、山 口三郎 陸少 将 来 る 。 晴
五月 三十 一日 火
半 晴 半 暑
山 本 正 三 、 末 次 問 題 に 付 、 川 内 、 師 田 秘 書 来 る 、 副島 来 る 。
花 園神 社 信者 数名 、 予 の揮 毫 之 礼 に来 る 。雷 電 稲 荷 神 社 信 者 来 り 、
福 井 倶楽 部 之 長谷 川 中 将 及 長谷 川 陸大 佐 歓 迎 祝 賀 会 。 時 枝 夫 婦 来
礼 物 を 残す 。
る。
六月 一日 水
六月六日 月
東 郷 寺 寄 附 三 井 三 菱 今 日回 答 之 旨 小 笠 原 よ り 電 話 。
荒 木 文 相 に答 礼 。 柳 川 中 将 に 弔 訪 後 、 京 王 事 務 所 に 真 崎 、 副 島 と
鈴木要、真崎夫人 ( 大 将)、 秋 沢芳 馬 夫 人来 訪 。
下郷 伝 平 珍 ら し く 来 訪 す 。
会見。
市橋保治郎に書を送る。
六月 二日 木
晴 暑 気 大
︹ 欄外︺美 味 。挨 拶 す 。
実来る。孝子離床す。
近隣喜□より鯛来る。
渡部求来る。
六月七日 火
晴 半 暑
青 山 南 町 佐 々木 へ初 七 日之 為 野 菜 を 送 る 。 夕 、 京 橋 区 宝 町 ア ラ ス
午 前 松 下権 八来 る。 夫 より 上 野 戦 争 美 術 展 に行 き 、 傑 作 揃 に 感 ず 。
六月八日 水
晴?
高 島 屋 に て倫 敦 時 代 の 石井 に会 ふ 。
藤島神社宮司礼に来る。
晴
カ に招 か る。 予 一人 、 千 代 断 る。
小 笠 原 へ電 話 。 不在 。
川 口に 招 か れ 、 日 本 橋 ク ラブ に 古 市 六 三 と 会 食 後 、 新 橋某 所 に 二
曇 小 雨
千代、伊東乙次郎夫人告別式。
真崎少将来る。
六月 三日 金
晴
上 野幸 鮨 支 店 に て本 田仙 太 郎 を 認 む 。
次会。 揮毫。
午 後 小 笠 原と 電 話 。 一両日 中 金 光 と 会 見 、 三井 寄 附 問 題 速 決 を 彼
六月九日 木
雨 入 梅
より 約 す 。 ︹ 三︺ 午 後 五 ・三 〇寺 垣猪 造 中 将 告 別 式 に参 ず 。
に 命 ず 。 三 十 六 歌 選 の寄 附也 。
渡 部 求 の提 案 に 付 、 村 松森 造 氏 の 水交 社 会 を十 三 日後 四時 と 副 島
川 口、 小 笠 原 と 会 見 。 三 井 寄 附 の決 定 を 督 促 す 。
真 崎 大 将 よ り 鮎 十 九 尾 贈 ら る 。美 味 至極 也 。
上 、 東 郷 寺 に寄 附 せ ん と す 。 三 、 四 十 万 円 の価 値 あ り と 。
其 他 、 徳 大 寺 家 宝 物 を 見 る 。 了 て 夕 食 の馳 走 を 受 く 。 右 は売 却 の
午 後 四時 水 交 社 に て、 渡 部 求 の尽 力 に 依 り 、 村 松 氏 の三 十 六 歌 選
松 下 来 訪 。 柳 川 復 活 の報 を 伝 ふ 。
六月十 五日 水
敬 服 す と 。 汗 顔 々 々。
雨 入 梅 続 き
六月十 四日
茶話会。
午 前 三 越 銀 座 支 店 に 名 士 書 画 展 を 見 る 。 予 の色 紙 一枚 六 十余 円 。
火
午 後 井 村 荒 喜 来 る 。 天 長 節 放 送 に 感 ず 。 友 人 某 、 予 の頭 脳 明 晰 に
︹マ マ︺
六月十日 金
武 藤 夫 人 来 訪 。 千 代 と 夕食 。
後 二 時 東 郷 寺 工 事 見 分 の 為 め 、 飛 島 、 川 口 を 案 内 。 川 口立 寄 る
入 梅 雨
新 田公 六 百 年 祭 関 係 員 の為 、 銀座 ニ ュー グ ラ ン ド に於 る松 村 侯 爵
川 口よ り 電 話 、 大 阪 行 を報 ず 。 十 三 日 ? 十 五 日 に は帰 る。
雨 入 梅 時 々大 雨
今 立 へ立 寄 り 長 座 、 夕 食 。
P をa 与rふ 。 千代、仁、実と看劇。
( 宅 へ)。 ウイ スキ ー Old
真崎、小笠原、師田 ︹ 庄左衛門、師田組代表社員︺待受 く 。
晴
福 井 新 聞 社 長 今 村 七 平 来 る 。書 二を 与 ふ。
六月十 一日 土
実来り夕食を倶にす。
六月十六日 木
武運長久
市 橋 保 治 郎 氏 、 酒 井 伊 四郎 ︹ 鯖江撚糸織物社長︺氏 と 仝 行 来 、 共 に東
入 梅 又 雨
四 谷 区 役 所 之 為 め 祈 願幟 二を 揮毫 す 。
郷 寺 に協 力 、 川 口も 会 同 せ し む 。
石 井 周 寿 牛 込 八 幡 町 会 長揮 毫 を頼 み に来 る ( 心 無 一塵 )。
大 野 太 熊 神 宮 志 願 に て 来訪 、 好機 末 次 に紹 介 頼 む と 。
六月十 二日 日
六月十七日 金
小 笠 原 に警 告 、 金 光 と は 電 話 及 び 速 達 に 連 絡す 。
之 写 真 版 筆 跡 二を 送 る 。
中 村 藤 吉 タ コ マ日 本 語 学 校 長 、 娘 外 令 嬢 一を伴 ひ 来 る 。東 郷 元帥
福 井 集 金 の打 合 せ を 為 す 。
曇 雨
皇威宣揚
渡 辺 卓 哉 洋 カ ンを持 参 、礼 に 来 る 。外 一名 を 伴 ふ。
︹マ マ︺
鈴 木 要 三 郎 来 る 。 小 笠 原 に 十 五 日東 郷寺 に来 る こと を 電 話 。 副 島
川 口、 酒 井 之 為 め に 案 内 、 東 郷寺 に 行 く 。
入 梅 大 雨
に 速 達 を 出 す 。 飛島 接 待 の為 なり 。
二十 円 。
高 島 七 郎 右衛 門 、仝 仲 右衛 門 に書 信 す 。 雨 入梅 続 き
佐 々木 勝 成 寄 附 を 心 配 し 、 百 数 十 円 を持 参 す。 東 条 寿 来 る。 二 百 六月十三日 月
川 口を 福 井 に特 派 す 。
多謝 々々。
明 鑑を 乞 ふ書 状 差 出 し方 懇 願 す 。 諾 。
夕 、渡 部 求 、 村 松 と 画 家 を 伴 ひ来 り 、 杉 ︹ 栄三郎︺帝 室 博 物館 長 に
久 し 振 の晴 ( 半) 雨 止 む
内 申 込 五十 円 三枚 。 横 浜 旅 館 五 十 円 。 外 十 円 現 金 。
午 前 師 田、 川 内 、 副 島 、 小 笠 原 と 談 判 す 。 午 後 小 笠 原 、 金 光 と会
六月十 八日 金
見 。 予 と 三人 の名 前 に て岩 崎 久 弥 に 依 頼 状 を 出 せ り と 電 話 。 川 口
枝原 ︹ 百合 一 ︺中 将 ︹ 予備︺来 る。 原 五郎 之 為 め ( 次 官 に譲 る)。 馬
曇
も 又小 笠 原 と 談 判 。 形 勢 急 を 増 す 。 効 果 あ り 。 ︹ 河︺ 夕 、 山 口会 、 大 谷 登 の招 待 。 松 平 侯 子 爵 二 名 外 、 長 谷 川 、 大 川内
渕 夫 人 、若 夫 人 、息 三名 来 り 大 鯛 を 贈 ら る。 千 代 不 在 。
六月二十 三日 木
中 心 に て、 岡 田、 加 亮 、 井 上 継 松 、 荒 城 ︹ 二郎︺中 将 ︹ 予備、日本製鉄
千 代海 晏 寺 へ参 詣 、 読 経 。
︹ 欄外︺ 予 の最後 通 牒 の動 き 。 曇 雨 な し
十 五 川 口邸 に遣 はす 。 神 戸 、 森 安 長 松 学 校 揮 毫 之 為 来 る 。
夕 、 別 府 高 岸 来 り 鯛 に 鰕 沢 山 持 参 す 。 鯛 一尾 平 沼 男 に 、 ﹁エビ ﹂
取締役︺ 、大角、山梨 ︹ 勝之進、大将、予備︺等 盛 会 也 。
六月十九日 日
早 朝 小 笠 原 よ り 岩 崎 久 弥 に 申 込 の件 、 前 記 之 通 り 電 話あ り 。 田 中
午後より 雨
︹ 欄外︺ 鯛 の豊 年 。 一日 に 三 尾 来 る 。 六月二十 四日 金
午 前 小 笠 原、 並 木 に電 話 す 。 明 廿 五 日又 は 二十 七 、 八 、 九 之 三 日
曇
六月 二十日 月
光 顕伯 に久 弥 に書 状 差 出 方 、 高 井 同 伯 秘 書 に 托 す 。
内 に岩 崎 と 会 う こと に金 光 と 打 合 せ た り と 。
雨
風 邪 三十 七 、 二。 臥 床 す 。 六月 二十 一日 火
︹ママ︺
品 川主 計 夫 婦 来 り 、 書 之 礼 羽太 重 一返 を 贈 る。
︹二 ︺
夕 、康 昌侯 招宴 ( 自 邸)。 長 谷 川 、 岡 田 、 大 谷 、 加 藤 亮 、 原 田 ︹ 雄︺ 熊男 ︹ 貴族院議員、西園寺公望秘書︺ 。
皇 太后 御 誕辰 大 宮 御 所 賀 参 し、 了 て伏 見 宮 へ記 帳 、 奉 伺 御 機 嫌 。
( 小 笠 原 と 両 人 分 )。
真 崎、 川 口来 訪 。 川 口 に 福 井 行 を 頼 む 。 諾 旅 費 三 〇 〇 円 支 給 す
並木を経、小笠原に岩崎と会見を督促す。 ︹ 欠︺ 山 本 英 輔 大 将 の骨 折 に て、 水 交 社 に 元 ア フガ ン公 使□ の中 央 亜
関根、関精 拙 ︹ 臨済宗天龍寺住職︺ 、 道 源 、良 順 外 、 内 務 土 木 課 長 、
夕 、 下 郷 之招 き に て愛 宕 下嵯 峨 野 へ。
真 崎来 。
外 二名 。
晴
曇 小 雨
細 談 を 聴 く 。 真 崎 兄 弟 、 柳 川 中 将 、 勝 田主 計 、 樺 山 資 英 ︹ 貴族院議
六月 二十 二日 水
六月二十 五日 土
員︺ 。 昼 食 を 馳 走 さ れ 午 後 四時 に及 ぶ 。 頗 る 有 益 。
小笠原より電話。来廿七日頃岩崎と会見を報ず。
六月二十 六日 日
曇
田中 伯 秘 書 高 井 氏 よ り 電 話 。 伯 よ り 岩 崎 へ書 面 差 出 之事 報 ぜ ら る 。
満知子と伊勢丹に行く。
白 木 屋 よ り 日露 役 展 出 品 を 受 取 る 。
る に付 、実 行 す と ( 金 光 帯 同)。
小笠 原 電話 。 明 一日 三菱 商 事 よ り 、 金 光 と 共 に来 社 を 求 め ら れ た
熊 谷 離 京 。 川 口 に 一万 円 寄 附 を 約 す 。
晴
川 島 秘 書 、 京 都 東 洋 花 壇 谷 愛 之 助 を 伴 ひ 来 り 書 を 乞 ふ 。 直書 す 。 六月 二十七日 月
六 月 十 三 日 ﹁リ ユシ コ フ﹂。
︹ 七月冒頭 の予定欄︺
外 務 鈴 木 皓 二来 り 、 書 記 と 共 に、 予 の国 際 会 議 観 を 聴 き 帰 る。
小笠原、岩崎久弥と会見、寄附金を依頼。田中光顕伯に謝電及礼
ユー ス也 。 反 ス タ ー リ ン の自 己 保 安 之 為 也 。
ゲ ペウ 大 将 、 間島 国境 より 越境 逃 亡 、 満 警 に抑 留 さ る。 世 界 的 ニ
東伏見宮御祭典。御墓所祭差扣。
川 口皈 京 来 訪 。
七月 一日 金
状。
三菱 商事 三好 の呼 出 に て 、 小笠 原 、金 光 会 見 。 東 郷 寺 問 題 の質 疑
説明を為せりと。
に答 へ諒解 を 得 。 了 て南 条 を 両 人 に て訪 問。 秘 書 に会 ふ て仝 様 の
曇 雨 な し
別府 米 屋 夫 婦 来 る。
熊 谷 三太 郎 ︹ 第五十七銀行頭取︺に 電 話 。 柳 光 亭 に 招 く ( 二 十 九 日)。
六月 二十 八日 火
元 帥 御 在 世 中 神 と な る こ と 御断 の件 。
雨 水 嵩 増 大 を 憂 ふ 夕 よ り 大 雨
午 後 二時 渡 部 求 来 訪 。 村 松 への書 を 渡 す 。 根 津 、 小 笠 原 の会 見 督
寺 之 方 は 部 下 の 将 兵 、並 に 幾千 の 露兵 の菩 提 を 弔 ふ こと な れ はと 仝意さる。
徳感 念 を 扶 植 す 。 彪 煩 悶 す と 。
三 好 之 に 感 じ 、然 ら ば寺 の方 が 大 切だ と 答 へし由 。
促 。 昨 夕渡 部 、 東 郷 彪 ︹ 平八郎長男、貴族院議員︺に 地所 高 価 売渡 の道
三井 清 三郎 、 大 同 和 蔵 来 る。
真 崎 来 る 。 偏 見 あ り し を 以 て駁 す 。
熊 谷 三太 郎 招 待 の件 に付 、 川 口 の心 配 を 煩 は す 。
七月 二日 土
又 々 雨 出水 を 憂 ふ
六月二十九 日 水
大 雨 出 水
東 海 道 線 不通 。青 山 一帯 電 話 不 通 。
午 前 小 止 み な り し も 、午 後 より 又 霖 雨と なり 、出 水 を 心 配 す 。 東 海道又危し。 副島来る。
( 川 口 と 共 に)、 一万 円 記 帳 を 諾
大 雨 霖 淫 六 十 年 来 と 午 後 稍 く 晴 れ 天 日 を
夕、 熊 谷 三 太 郎 を 柳 光 亭 に招 き せしむ。 六月 三十 日 木
午 前 大 雨 午 後 よ り 小 雨 夕 止む
豪 雨 に 不 係 、 海 晏 寺 に 母 上 十 三 回 忌 の法 要を 営 む。 僧 侶 六名 鄭 重
七月三日 日
出水 の為 麻 布 谷 町 三 井家 裏 牛 高 崕 崩 壊 、 埋 没 死 者 あ り 。
なり。
見る
菊池 文 吾夫 婦 より 紅 葉 館 に招 待 、 断 る。 寛 一夫 婦 行 く 。
海 晏寺 へ十 五 円 。寛 一より 五 円。
水 交 社 に て午 餐 。
千 代 、 寛 一、 素 子 、 満 佐雄 、真 智 子 、孝 、光 枝 、 須 直 、 仁 、 五郎 、
七月八日 金
花園神社々司礼に来る。
真崎、副島来る。
す )。
七月四日 月
池 田 は 病 気 不参 、湯 浅 ︹ 倉平︺内 府 、 秋 月 、 堀 、 岸 本 、 小 山 、 林 、
談 話 会 。 宇 垣 、 荒木 、 池 田 入 閣祝 賀 会 。 但 し宇 垣 は急 に差 閊 へ、
曇
水 交 社食 事 、車 代共 約 五十 円 。
福 井 寺 西 ゆ う の為 め 揮 毫 、 夕 刻発 送 す。
功 夫 婦 より 、 昨 日 の法 要 不 参 之 詫 状 と 共 に 拾 円 供 物 料 を 届 く 。
野 村等 。荒 木 の み来 る 。
午 前 十 時 頃 よ り 雲 間 に 日光 を 見 る
安 井老 夫 人 来 訪 。 中 元 之 為 也 。
七月九日 土
昨 夜 中大 雨
松 林才 二 より 供 物 あ り 。右 に付 吉 祥 寺 松 林 老 夫 人 に礼 状 を 出 す 。
下 郷寅 次 郎 召 集 に付 、 日 の丸 に神 武 、 別 に ﹁サ ム ハラ﹂ と 書 し 送
午 後 一時輔 仁 会 に て、 島 田画 仙 筆 文 部 採 用 の左 内 先 生 御 肖 像 を 見
七月 五日
後 三越 、 高 島 屋 へ行 き 帰 る。
分 。其 聖真 に敬 歎 す 。
晴
る。
関 東 水 害 稍 く 収 る。 反 対 に 神 戸 大 出 水 、 山 の手富 豪 家 屋 全 滅 。住
晴 暑 夕 小 雨 蒸 熱
友吉左衛門 ︹ 住友本社社長︺氏 邸 大 部 流 失 。
予 の 一代 記 の画 を 贈 り 来 る 。 感 激 に 不 堪 。
静 岡斎 藤 明 氏 よ り 母 上 十 三 回 忌 の供 物 料 拾 円 、 及 小 学 生 筆 母 上 と
火
千 代 と 二葉 鮨 に 行 く 。 花 園 神 社 事 変 一年 祭 之 為 、 幟 二 流 を 書 す 。
七月十日 日
晴
千 代 海 晏 寺 に 詣 で武 藤 夫 人 に 会 ふ ( 参 詣 せ ら れ た る も の)。 夕 、
村 松 こと き 来 り 、 母 之 霊 前 に 拝 す 。 供 物 あ り 。
七月六日 水
村松ことき宅に礼訪す。
曇 蒸 暑
午 後 本 田 仙 太郎 来 り 、 軍 人会 館 慰 霊祭 に挨 拶 を 乞 ふ。 拒 絶 せし に、
外交秘話を訂正す。
︹ 欄外︺母 上 御 命 日
佐藤釧路市長来る。
七月十 一日 月
十三回忌
彼 れ 興 奮 暴 言 を 吐き し も 、諄 々説 諭 之 結 果 、 大 に悔 悟 謝 罪 し て帰
曇 涼
る。 七月七日 木
小 笠 原 より 電 話 。 総 会 暫 く 待 た れ 度 と 。
真 崎少 将 来 る 。神 戸森 安 に小 学 校 採 用 大 額 及 小 額 一を 与 ふ。
午 前 九時 事 変 一周 年 武 運 長久 祈 願 祭 に付 、 靖 国 神 社 参 拝 。
川 満 警 視 庁 付 来 る。
夕散歩 。
晴
本 田仙 太 郎 電 報 及 電 話 に て謝 罪 し 来 る ( 仏 神 の加 護 を 祈 る と答 謝
山 口陸 少 将 ( 三 郎) に神 武 必 勝 及 サ ム ハラを 富 美 栄 を 経 て送 る。
今 立 裕 来 る。 夕 、 幸 鮨 へ ( 千 代 と 満 佐 雄)。
小 笠 原 に通 信 す ( 三 井 、 三 菱 之 件)。
寺 尾医 院 に て受 診 。 ﹁タ ン パ ク﹂ 多 し と 注 意 さ る 。
真 知 子 麻 疹 にか か る 。 不 憫 至 極 也 。
︹二︺
明 日出 征 之 筈 。 静 岡斎 藤 明 之 供 物之 礼 羽太 重 二 反 ( 九 円 ) を 送 る。 七月十 二日 火
晴
夕鈴木晧仁 ( 外務)氏に随感録校正を渡す。
帰 途 村 田を 訪 ふ。
( 返 信 )。 注 意 を 促 す 。
晴
︹ 欄外︺此 両 三 日 一日 の違 ひあ り 。
副 島 来 る 。 税 務 所 に地 所 之 証 明 を 托 す 。 平 沼 男 爵 に真 崎 之 露 士 亜 革 命 経 過 を 送 る 。 予 の親 書 添 。
七月十 七日 日 午 前小 笠 原 に速 達
夕 、 帝 都 座 へ。
渡 辺 求 、 村松 同 伴来 訪 。
晴
寺 尾 来 訪 。 尿 の 結 果糖 あり と 。注 意 を 重 ぬ。
七月十 三日 水
南 郷 茂章 戦 死 之 報 。
夕 、 海相 招 待 時 局 説 明 ( 各 海 軍 大 将 )。 財部 、 山 本 英 抗 論 笑物 と なる。
鳴 呼 天 下 の至 宝 、 茂 章 大 尉 戦 死 之 報 達す 。
七月十八日 月
︹ 欄外︺ 一日 の違 ひか 。
夜市来崎来る。
高 島 庄右 衛 門来 訪 。 ︹ 欄外︺理 髪 。
七月十九日 火
午後千代子吉岡夫人と仝行弔訪す。田中芳未亡人礼に来る。
晴 暑
晴
郷 周 吉 来 る 。依 て事 務 所 に連 行 、高 島 、 真 崎 理事 長 、 副 島 に紹 介
東 京 と 打 合 せ之 為 、福 井市 橋 紹 介 の東 郷寺 寄 附 金 募 集 依 頼 人 、 東
午 前 朝 刊 に依 り 南 郷 茂 章 の戦 死 を 知 り 、 直 に 上 野 毛 に 電並 に直 訪
晴
し 、 真 崎 を し て 三 福 に て 昼食 依 頼 。
七月十 四日 木
川 口帰 京 。 今 夕 高 島と 副 島を 馳 走す 。 感 心 な り 。 多 謝 す 。
慰問す。訪客多し。皆痛惜す。
七月 二十日 水
午 前 晴 午 後夕 雨
小笠原留守と電話。 七月十 五日 金
午 前 軍 医 学 校 に福 井 大 佐 に 受 診 す 。 血 圧 一二〇 弱 、 血 液 検 査 尿 異
孝 子母 子来 る。 七月 二十 一日 木
晴 暑
状 なし 。 別 に心 配 要 せ ず と 言 は る 。
晴 暑
東 郷 周 吉 、 高 島 、 副 島 、 多摩 東 郷寺 見 分 。午 後 四時 高 島 、 川内 、
晴 稍 涼
東郷、 副島等 小笠原 と会見。夕 、東郷帰 国 に付来訪之 時大雨。 ﹁副 島 無 能 ﹂。 孝 子 来 る。 七月十六日 土
午 後 真 崎 来 訪 。 総会 督 促 を 依 頼す 。
川 口に 電 話 。 小 笠 原 へ戒 告 頼 む。
川 口と 電 話 。 新 ハ ルビ ン学 校 長 三 毛 一夫 陸 中 将 来 る。
石原、小笠原と会見。
七月 二十六日 火
半晴 時 々 雨 あり
平 沼 男 へ電 話 。 明前 九 時真 崎 少将 訪 問を 諾 せし む 。
半晴
石 原 来 り 、 小 笠 原 と 会 見 の事報 告 す 。
福井市長に大額、鉄道便にて発。
晴 暑
孝 に 南 郷 茂章 へ供 花 を 頼 む 。 七月 二十 二日 金
︹ 欄外︺ 理髪 。 七月 二十七日 水
真 崎 来 る 。 平 沼 男 と 会 見 を 世 話 し 、 明 二 十 三 日前 九 時 を 約 諾 せ し
午 前 護 国 寺 に於 け る武 藤 ︹ 信義、陸軍︺元 帥 五 年 祭 に参 列 。 供 花 供
福井市長より礼電あり。
果す。
む。
七月 二十三日 土
七月 二十 八日 木
揮毫大字福井公会堂如意ならず。
千 代 、 鎌 倉 に 孝 子 母 子 を 送 り 同行 、手 伝 ふ 。
午 前 十 一時 磯 村豊 太 郎 ︹ 貴族院議員、北海道炭礦汽船会長︺氏 と オ フ ヒ ス
晴
真崎少将、平沼男と会見。
晴 涼 風
夕、市川散歩。
一万 円 位 を 出 す な ら んと 。
に て会 見 。 東 郷 寺 寄 附 金 に 付 、 三 好 に 電 話 偵 察 を乞 ふ 。
晴
七月 二十四日 日
川 口、 小 笠 原 の不 誠 意 を 憤 る。
其 前 真 崎 少 将 来 り 、 辞 任 の決 意 を 漏 ら す 。
川 口に 電 話 、 小 笠 原 と 交 渉 を 頼 む 。 揮毫為福井市役所。
晴
鯖 江 田 口福 司 郎 校 長 へ再 揮 毫 発 送 。
七月 二十九日 金
青 島 、 大 田 徳 太 郎 、 中 村 重 一の紹 介 に て 来 訪 。 ﹁メ ロ ン﹂ を 贈 る 。
雨
古市六三より電話あり。学習院之礼。 七月 二十 五日 月
七月 三十日 土
川 口来 らず 。
午 前 より 水 交 社 に於 て東 郷 寺 幹 部 会 、 順 調 に 進 む 。 川 口、 真 崎 大
午後高橋大将、真崎少将来訪。
ま る 。 東 郷 寺 建 設 之 為 心 身 一杯 の故 を 以 て 断 り 、 平沼 男 を推 す 。
に努 力 す 。 筧 京 王 始 め て 五千 円 支 出 を 諾 す 。 高 島 上 京 出 席 。
田中 盛 秀 ︹ 中将、予備︺来 り 、 山 本 ︹ 権兵衛︺伯 銅 像製 作 に付 会 長を 頼
服 承 し て帰 る 。
川 口 に御 紋 章 付 ボ ンボ ン 二 こを 与 ふ。
渡部求来る。
黒 田 侯 爵 家 よ り 暑 中 見 舞 。 メ ロ ン二 。
晴 涼
揮毫福井市役所之為。
小笠原、金光 ( 出 席)。 来 月 三 日 再 び 三 菱訪 問 を約 す 。
蘇満国境、嶮悪。
川 口、 小 笠 原 に会 見 せ し む ?
八月 四日 木
︹ママ ︺
師田に仝情多し。
終 日、 満 佐 夫 、 満 智 子 遊 ぶ 。 小 笠 原 よ り 電 話 二 回 。金 光 、 明朝 帰
半晴
︹ 欄外︺福 井 市 長 礼 電 に次 き 懇 な る 礼 状 を 送 り 来 る 。
京 、 早 速 三 井 三 菱 交 渉 の件 報 ず 。
向 井 均 依 頼 の墓 標 を 書 き 与 ふ 。
川 口、 京 都 へ出 発 。
晴
七月三十 一日 日
晴
午 後 三 田 南 寺 町 三 八 、 岸 科 政 雄 を 訪 ひ 、南 条 に寄 附之 件 交 渉 を 頼
八月 五日 金
大 東 京 を 見 る。
小 笠 原 電 話 。 金 光 之 留 守 中 、 三 井 三 菱 代 理 人 よ り金 光 宛 一万 円宛
コレ ー トを 贈 る。
午 前 、 東 横 に て横 浜 □ □ へ電 車 。 浜 口中 佐留 守 宅を 見舞 ひ 、 チ ヨ
之 寄 附 申 込 来 り 、 金 光 大 心 配 。 直 に 予 と 三 人 之 連名 に て 三好 に会
( 第 七 病 棟 歯 科 室 )。
む。快諾。
晴
午 前 今 立 裕 来 る 。 石 原 之事 心 配す 。 八月 一日 月
真崎理事長、辞任届を受領す。
見 を 求 め、 相 談 す と 。 尚 ほ 、 奈 良 某 に 予 約 の 寄 附を 頼 めり と 。
陸 軍 々医 学 校 に 於 て 、 竹 花 先 生 に受 診す
副 島 来 る 。 筧 に 五 千 円受 取 件 、小 笠 原 に相 談 せ し む。
八月六日 土
晴
︹ 欄外︺京 王 より 五仟 円、 東 郷 会 に受 取 る 。
真崎辞任届小笠原に転致す。 川 口来 る 。 左 内 先 生 映 画 関 係者 田 中外 二名 、 石 原と 仝 行 し来 る。
外 務 鈴 木 晧 仁 、 来 る 。 予 の説 を 聴 く 。 堀内 ︹ 謙介︺次 官 鞭 撻 を 督 促
向 井 均 紹 介 、 秦 秀 雄 来 る 。 墓 標 之 礼也 。
す。
副 島 来 る。
︹ 欄外︺ 岸 科 来 訪 。 三 好 之 三 井 偵 察 を 報 ず 。 三 菱 と 両 家 一万
八月二日 火
孝 子 、 呉 行 之 相 談 あ り 。仝 意 す 。
円 宛 。 三 菱 之 説 得 に 三 井 の努 力 を報 ず 。
大阪小西某 ( 金 融業 ) 夫妻 及 親類 娘 一を 案 内 し、 川 口、 多 摩 東 郷
佐 々木 勝 成 来 る 。 22 ¥ 、 副 島 に 渡 す 。
雨
寺に行。
夕 、 武 藤 夫 人 、 波多 野 大 佐 来 り 、孝 子 呉 行相 談 。明 七 日午 後 一 ・
帰 路 、 水 交社 に て茶 を 供す 。 予、 仝 席 。
三 〇 のさ く ら に て 行 か し む る事 に 決す 。
半 晴 時 々 細 雨
八月三日 水
︹ 欄外︺小 笠 原 晴 明 、 岐 阜 鮎 三尾 送 り 来 る 。 美 味 極 大 。
金 光 、 出 水落 橋 之為 帰京 不出 来と 、 小笠 原 より 電 話 あ り 。 三 井 三 菱 之 不 況 を知 ら し 、督 励す 。
午 前 晴 午 後 驟 雨並 雨 夕 多 し
本日より、猪野毛之為め色紙三百枚書始む。 八月十 一日 木
八月七日 日
副 島 、 渡 部 外 二 名 、 童 話 之 先 生 、 天 野 雉 彦 、 野 村伝 四 郎 翁 。 川 口
晴
一〇 ・三 〇孝 子母 子 、呉 に向 発 。 京 都 乗 換 へ。 明 八 日前 、 六 ・三
海兵生徒 ( 清 明 の紹 介 生 徒 ) 来 る 。
八呉 着 。波 多 野 父娘 、武 藤 夫 人 、 千 代 、 予、 み つ送 り 世 話 す 。
後 八 時 頃 、 小 笠 原 よ り 電 話 。 渡 辺 等 の速 達 に 煩 悶 、 笑 止 千 万 也 。
金蔵、復命、島津に五千円成功。
八月八日 月
金 光 差 支 へ、 三 好 と 不 会 見 を 報 す 。 速 達 は 渡 辺 の 詰 問 状 な り 、内
雨
桑 原晴 民□ 来 る。 ﹁ 克 忠 克 孝 ﹂ 之 大 字 を 与 ふ。 私 費 会 堂 之 為 。
新 宿 駅 昼食 、帰 宅 。 川 口 より 電 報 。 京 都 田中 不 在 、 懇 談 不 出 来 。
松 下権 八来 り 、対 独 交 渉 ﹁ 対 ソ作 戦 協 同 に付 ﹂ 断 は ら れ た る 件 、
容を予に示す。渡部依頼速達、淀橋より下女に出さしむ。午後五
︹ 欄外︺ 川 口帰 京 。
時 、 色 紙 百 五十 枚 揮 毫 了 る 。
理髪。横浜滋賀貞に速達を出す。
宇 垣之 失 敗 。
卅 日 の 日記 と 本 年 四 月 四 日、 五 日 の 日記 を 郵 送 す 。
渡 辺等 来 り 、 小笠 原之 不 人 格 に付 懇 々報 告 す 。 昨 年 十 月 廿 六 日、
鈴 木 要 氏 より 、水 瓜 六個 来 る。
晴 朝 夕 秋 涼 日 中 のみ 夏 ら し
夕 、 千 代 と 幸 鮨 へ。
八月十 二日 金
八月九日 火
揮 毫 色 紙 、 約 二百 枚 に 及 ぶ 。 ︹ 支︺ 副 島 来 り 、 師 田 へ京 王 五仟 円 仕 払 之 事 を 容 れ 、 名 刺 に 記 入 、 筧 に
師 田組 へ、 筧 よ り 五仟 円 を 渡 さ し む 。
高島 屋 へ散 歩 、 昼食 。
届けしむ。
︹ 欄外︺小 笠 原 晴 明 に 礼 状 を 出 す 。
夕 、 猪 野毛 利 栄来 る 。大 野勝 山 両 郡戦 死者 三百 名 慰 霊 祭 に、 予 の
師 田組 へ五千 円 仕 払 、 領 収 証 を 取 る 。 副 島 保 管 。
雨 湿 気 午 後 晴
出席 を乞 ふ 。 病気 之 為断 り 、色 紙 三百 枚 を 約 す 。
孝 子 母 子安 着 。
満智 子 に夏 衣 を購 ひ 、帰 る 。
晴
布 哇 原 田之 依 頼 に て布 哇 布 教 師 穀 蔵 禅 成 来 り 、 多 摩 東 郷 寺 を 見 分
八月十 三日 土
副島案内。
晴
母上御命日。
真 崎 来 る。 今 夕 を 以 て、 猪 野 毛 利 栄 之 為 色 紙 三 百 枚 書 了 。 十 日 午
八月十 日 水
石 原 、 副島 、 小笠 原 、金 光 、南 条 と 会 見 。小 笠 原、 報 告 に来 る。
半 晴 午 後 曇 雨 夜 大 雷 雨
黒潮 会 同 人 、 写真 班 と 十 二 、 三名 来 り 、 懐 旧 談 を 乞 ふ、 夕 刊 所 載 。
八月十 四日 日
前 よ り 四 日間 也 。 ︹ 欄外︺黄 海 々戦 記 念 日。
石 原 と 相談 之 結 果を 鈴 木 要 に通 知 す 。 万 才 を 国 元よ り 喚 寄 る件 。
に 私 せ ん と す る論 を 排 し 、喪 主 及 両親 、海 軍級 会 幹 事 に制 限 す 。
典 委 員 長 と な り 、 主 と し て 広告 之 連名 に付 注 意 し茂 章 少 佐 の名 誉
午 後 二 時 よ り 南 郷 氏 邸 に て 、来 十 九 日告 別 式 準 備 委 員 会 。 予 、 祭
本 日、 川 内 、 事 務 所 に 来 る と 。
原に会ひ打合せ。
副 島 に電 話 。 報 に 曰 く 、 昨 日 小 笠 原 、 金光 と 打合 せ 、 川 口 も小 笠
満 佐 夫 、真 智 子 、 終 日遊 ぶ 。
八月十 五日 月
て挨 拶 を 述 ぶ 。 参 拝 者 多 数 。 永 井 逓 相 、 松 平 宮相 等 あり 。夕 、 副
午 後 一時 よ り 、 青 山 斎 場 に 於 て 南 郷 少 佐慰 霊 祭 。 予 、委 員 長と し
八月十九日 金
柳 川 中 将 女 婿 除 州 に て 戦 死 に 付 、 本 日 告 別 式参 列 す 。青 山 祭場 。
︹マ マ ︺
仁と演舞場に行く。
本 日 を 以 て 、 色 紙 三 百枚 揮 毫 捺 印 了 る。 去 十 日 より 六 日間 。
島。
晴
此点 満 足 、 衆 も 服 す 。
東 郷 寺 事 務 所 、 移 転 す 。 石 原 に 電話 交 渉 。
横 須 賀 合 同 葬 儀 。 南 郷少 佐 其 中 に在 り 、依 て参 列 す ︵ 午 後 〇 ・二
更に継ぎ足す。
グ﹂ を 為 す 。 三 分 に て 足 ら ず 、 四 分半 位 に て ﹁カ ツ ト﹂ と な り 、
午 前 八 時 、 豊 島 園 富 士 スタ ヂ オ に 、 左 内 先 生 映 画 の ﹁ プ ロ ロー
八月十六日 火
仰 出 さ る ﹂ を ﹁仰 付 ら る ﹂ と 誤 り し は 惜 む べし 。鈴 要、 今 立、 素
午前、帝都 座に予 の ﹁ プ ロ ロー グ ﹂ 試 写 。 上 出来 な る も 、 ﹁ 合祀
八月 二十日 土
を求め来る。諾。
石 原 、 田 中 来 り 、 ﹁プ ロ ロー グ﹂ 上 出 来 、 明 日帝 都 座 に 予 の試 閲
会長捺印す。
金 光 よ り の三 菱 、 三 井 宛 一万 円 宛 の要 望書 簡 を持 参 す。 請 取証 に
晴
東郷寺事務所、移転。
二 発)。
子、千代来会。
曇 小 雨
世 田 谷 深 沢 四 丁 目 長 尾欽 弥 、松 坂 屋 ハオ リ ハカ マ夏 物 贈 来 。 礼 状
猪 野 毛 来 り 、 色 紙 三 百枚 を受 取 り 、欣 而 帰 る。 中村 藤 吉 、 米 在 之
八月十七日 水
三 井 三菱 よ り 二万 円 を 受 取 り ( 副 島 、 川 内 出 掛)、 即 座 に川 内 、
猪野毛より揮毫三十枚を乞ふ。断る。
夕、天治北米武徳会剣道を見、訓示す。
晴
出す。
某新聞記者 ( 籾 川 一剣) を 伴 ひ来 り 、出 版 剣 道 大 鑑 の 題号 之 書 を
八月 二十 一日 日
師 田組 に 二万 円 を 渡 し 、 領 収 証 を 取 る 。
晴
乞 ふ 。 内 容 を 見 る に 、御 尊 貴之 尊 顔あ り 。勿 体 な しと て謝 絶 。 彼
田中 光 顕 伯 に 礼 状 を 出 す ( 岩 崎 久 弥 へ勧誘 之 礼)。
橋 本 博 、 来 る 。 書 を 乞 ふ 。 妙 な 人物 也 。
晴
等 大 に 恥 て 、 再考 。
終日雨
石 原 来 る 。 映 画 ト ー キ ー や り直 しを 督 促 す 。 八月十八日 木
岸科 、磯 村 に礼 状 。
る。
向山庄太郎 ︹ 松竹興業顧問︺ 、 房 州 よ り 又 、 魚 を 持 参 す 。 三島 義 堅 来
渡 部 、 天 野 雉 彦 来 る 。 副 島 、 礼 状 のサ イ ンを 求 め 来 る 。
( 礼 電 報)。
︹ 山本五十六、中将︺に 偽 らざ る 所 感 を 聴 け 、 と 答 ふ 。 富 山 井 村 荒 喜
より大鮎二十余尾来る。時森良穂 ( 元 主 計 大 佐) 持 参
南 郷 より 礼 状 。
八月 二十七日 土
田 中伯 秘書 高 井徳 次 郎 に電 話 。 三菱 三井 寄 附 二万 円 の件 報 告 す 。
連日雨大に艱ます
八月二十 二日 月
晴
石 原と 電話 。 ト ー キ ー再 試 を 約 す 。
小笠 原 に南 条 金 雄 之 三好 広 宛 書 簡 写を 送 り 、 警 告 す 。 右 書 は 、 両
八月 二十 八日 日
下郷帰京す。新国劇より案内、明日を約す。
︹マ マ︺
社 の 非 認 せ ん と せ し を、 予 の頼 み に て稍 く 一万 円 宛 に漕 付 た るを
半 晴 時 々雨
報 し 、 予 に挨 拶 せ し も の 。
五郎 、 千 代 と 新 国劇 に行 く ( 川 口 に 会 ふ 、 新 宿 に て︶。 ﹁ ト ーキ
薗 部 清 父 及 佐 々木 勝 成 来 る。 書 の礼 也 。 招 待 あ り し も 断 る 。
晴
八月二十 三日 火
八月 二十九日 月
イ ﹂ に書 を 渡 し 、 三十 日を 約 す 。
午 前 、 山手 ビ ルに事 務所 を 訪 ひ 、 副島 に指 令 し筧 に名 刺 を 頼 む 。 了 て 、 真 崎 勝 次少 将 宅訪 問 ( 不在 )。
夕 、仁 寿 に 下郷 を 訪 ふ。
真 崎 少 将 来 る。 霖 雨 続 き 、 不 快 也 。
雨
海 晏 寺 墓参 。 品 川 駅 に て午 餐 、帰 宅す 。 八月 二十四日 水
晴
午 前 八 ・三 〇 、 大 森 上空 飛 行機 衝 突 、 死 傷者 百余 名 近 来 の大 惨 事 。
八月 三十 日 火
雨尚 ほ止 ま ず
連 日 、 入梅 之 如 し。 不 快 極 る。
石 原 より 、 ﹁ト ーキ ー﹂ 来 月 二 日 に延 期 を 伝 ふ 。
八月 二十五日 木
夕 、 舗仁 会 に て福 井 万 才 を 会 員 に示 す 。
半 晴 時 々 細 雨
菊 池 父 子 来 り 、 仁 之 配 偶 を 世 話 す 。 佐 々 木 勝 成 に 大書 を渡 す 。
プ ロ ロー グ 延期 。
揮毫、まさを事務所に使せしむ。
﹁シホ セ ﹂ に神 武 必 勝 、 為 薗 部 清 。
( 陸少将息)出征、
又 大 雨頻 り に降 る 颱 風 上 陸 帝 都 大 暴 風 な
保 科 夫 人令 嬢来 り 、千 人 針を 乞 ふ。 野 田利 根 夫
八月三十 一日 水
下 郷 妙 子来 る。
三島 来 ら ず 。 岡 山 郡 奥 野 薫 小 学 校 教 員 に 書 を 送 る 。
曇 細 雨 夕 雨
︹ 欄外︺ 理髪 。 阿部 大 将と 会 ふ。 八月 二十六日 金
明 一日午 前 八時 発 と伝 ふ 。
り
件 と 共 に、 三 井 礼 状 に不 記 入 と す 。
副 島 来 報 。 根 津 霊 廟 の件 、 予 よ り 警 告 に 色 を 成 す と 、 依 て 飛 島 之
中島 資朋 ︹ 中将、予備︺、 山 本 伯 建 碑 に 付 相 談 に来 る。 海 大 臣 次 官
颱風近付く、警戒。
川 口金 蔵 来 る 。 日本 海 に 抜 く 。
第 二颱 風 、 七 二〇 、 七 一五 、 岡 山 に 上 陸 。 但 、 被害 は幸 に軽 し 。
今 立 裕 、 石 原 北 夫 、 真 崎 少 将 、 福 井 日報 記者 来 る ( 玄 関 に て教 を
内先生、対顔之場。
滋 賀 貞 、 万 才 を 難 ず 。独 り 天狗 な り 。
九月 一日 木
九月六日 火
受 く )。 今 立 、 左 内 全 集 問 題 。 石 原 、 ト ー キ ー追 加 、 三 条 公 と 左
下 郷 に 鮎を 贈 る、 七 尾。
午前 、 永 井老 を訪 ひ 、懇 談 。 予 に福 井 帰 省 記 之 詳 密 な るも の示 さ
り を 頼 ま る。 福 井 行 に て不 在 と な る 由 。
牧 ﹁ 通 信 ﹂ 来 る。 武 藤 夫 人 、 来 訪 。 孝 治 之 上 京 に 就 て、 三 光 丁 泊
午 前 不 定 午 後 日光 を 見 る
九月 二日 金
揮毫発送。
夜 来 暴 風 朝 より 晴
二十 年 振 之 大 暴 風 、 風 速 卅 米 。 颱 風 横 浜 の西 方 に 上 陸 、 八 王 子 に
れ 、 感 歎す 。
猪 野 毛 夫 人 、 鮎 十 三 尾を 持 ち 、色 紙 之 礼 に来 る ( 遺 族 感 泣 す と )。
突 進 す 。 被 害 船 舶 に多 く 、 帝 都 暗 黒 化 し 、 諸 電 軌 停 止 。 三 光 町 宅
南 郷少 将、 来 訪 。 不在 、 気 の毒 。
朝 晴 れ し も午 後 又 雨 困り 入 る
塀 倒 れ、 杉 二本 倒 る。 被 害 可 也 早 速 修 理 に か ゝる 。
九月 七日 水
午 前 、 ト ー キ ー 再 唱 、 大 成 功 。 三 分 十 秒 。 千代 と 予 は 、夕 、 下村
又 々雨
野 田利 根 夫 之 出 征 を 同 宅 に 見 送 る 。 神 武 必 勝 之 扇 子 を 与 ふ 。
夫 人 通 夜 に 行 く 。 松 菊 、 主 と し て 世 話す 。伊 集 院 、佐 野 、吉 田清
九月八日 木
揮 毫 、 金 沢 人事 部 之為 。
半晴
九月三日 土
田村 日 々、 高 橋 深 川 海 軍 班 長 上 海 亡児 白 ダ スキ 隊 一水 の墓 標 揮 毫
小島喜久馬、別府より硯を送り来る。
庭、稍く片付く。
を頼みに来る。
九月四日 日
実夫 婦 来 る 。 昼食 後 、帰 鎌 す 。
稍 く 雨晴 れ 曇
午 後 二 時 、 下村 夫 人告 別式 に 列す 。
副島来る。
風 ︹ 中将、予備︺来 会 。 秋 沢 、 松村 純 夫 人 、仝 上 。
永 井老 人 、今 立裕 より 電話 。 ﹁ト ーキ ー﹂ と 全 集 に 付 、 心 配 す 。
滋 賀 、 石 原 に速 達 す 。
九月九 日 金
久 方 振 快 晴 颱 風 強 烈 な るも の関 西 に 向 ふ
午 後 、 南 郷 茂 章 四十 九 日に 付 、 水 交 社 に て仝 家 の招待 茶 菓 。 小 笠
午 前 、 南 郷 次 郎 態 々来 訪 。 依 て小 笠 原 之 変 節 に 付 、 縷 々渡 部 述 の
自 身 は 加 納 先 生 二代 目 と 嘱 せ ら れ 、 不 得 止 立 つ べし と 告 ぐ 。
弾 劾 と 共 に語 る。 彼 れ 諒 解 。 機 を 見 て小 笠 原 に 告 げ 忠 告 す と 答 へ、
晴
原 しき り に世 辞 す 。
晴後曇
﹁チ ルピ ツ ツ﹂ に 記 念 品 を 贈 る 。 森孝 三 に托 す 。 九月 五日 月
向 山 庄 太 郎 来 り 、 日 の丸 に 揮 毫 す ( 山 田恭 一之 為)。 石 原、 西 郷
真 崎 夫 人来 訪 。副 島 理事 、 沢 田嘉 瑞 穂 大 佐 来 る。 夕 刻 、 四 ・四〇 。
九月十 四日 水
晴 防 空 第 三 日
邸 に ﹁ロケ ー シ ヨ ン﹂ を 頼 む と 電 話 し 来 る 。
六時 、空 襲 管 制 、 漏 火 (二 階) に付 忠 告 せ ら る。
孝 治 着 京 。 千 代 、 迎 に行 く 。
武藤 一行、 往 来 止 め之 為 、夕 食 (三人 ) 後 帰 る 。
晴
九月十 五日 木
九月十日 土
倒木多し。植木屋来らず。
武藤 孝 治、 館 山 に乗 艦す 。
海晏寺墓参。樹木二本倒る ( 去 る 一日 の暴 風 に て)。 其他 寺 院内 、
右 了 て、 演 舞 場 に 仁 之 招 き 、 千 代 と 予 と 三 名 快 的 也 し 。
京 浜 電 車 信 号 不 明 の 為 、追 突。 百余 名 之 死傷 者 出 づ 。
な す 。 総 て 生身 な り し 。
防空 第 四 日 実 戦 模 擬
夜 、 丹 羽武 五郎 よ り 電 話 、 上 京 を 報 す 。 先 例 を 警 戒 す 。 精神 に 異
向 山 庄 太郎 氏 より 黒 鯛と 外 新 鮮 極 る魚 三 尾贈 ら る。 夕 の ﹁ 洗﹂と
チ ヤ ンバ レ ン、 ヒ ツ ト ラ ー 、 午 前
︹ 欄外︺ 理髪 。
状なき乎?
九月十 一日 日
態 々 ﹁ヒ﹂ の荘 園 を 訪 ふ 。
( 日 本 時 ) 一時 会 合 。 ﹁チ﹂、
千 代 、 鎌 倉 に行 く 。
世 界 に 大 ﹁セ ンセ ー シ ヨ ン﹂ を 惹 起 す 。
晴 快 晴
午後、飛島を訪問。元帥、書之筥書を渡す。後、銀座鳩居堂にて
九月十六日 金
水 筆 ﹁洗 心 ﹂ を 購 ふ 。
千 代 、 み つ、 腹 痛 に て 臥 床 。
曇 午 後 十時 防空 演 習終 了
九月十 二日 月
晴 防 空 第 一日
午前、矢板玄蕃来り、左内全集出版に関し詳細報告す。永井より
九月十七日 土
︹ 欄外︺夜 、 大 雷 雨 。
午後、内垣夫人告別式。
午 前 、 内 田 来 り 、 一昨 朝 、 末 次 内 相 に 面 会 を 得 た る事 を報 ず 。
丹 羽武 五郎 来 り 、 不 相 変 不 作 法 。 午 餐 に酒 を 要 求 し 、 帰 に ﹁ハイ
も右電話。
ヤ ー﹂ を 要 求 す 。 態 度 不 快 。
晴 黄 海 々 戦 記念 日
武 藤 夫 人来 訪 。
水 交 社 家 族 会 、 活 動 を 見 る 。 富 美 ま さ を 外 二女 伴 ふ 。
午 後 五 時 、 景 岳 会 、 輔 仁 会 に て 開 く 。 永 井 、 石 原 、芦 田 、福 田 正 、
晴 連 日好 天 防 空 第 二 日
島 連 太 郎 、 矢 板 玄 蕃 、 村 田 英 彦 、 及 山 本 新主 事 、福 田市 太 郎 、今
副 島 に小 笠 原 督 促 を 命 ず 。 九月十 三日 火
立欠席。 晴
人事 部 二課 長 、 鈴 木 憲 一、 高 橋 上 海 白 襷 隊 一水 之 父 に 墓 誌 を 渡 す 。
九月十八日 日
多 田大 佐 、 礼 に来 る ( 揮 毫 )。
揮 毫 、 富 士 山 麓 浅 間 神 社 へ。
九月十 九日 月
半晴
佐 々木 操 子 と 懇 話 す 。
海 軍 参 考 館 。 夕 、 水 交社 、南 郷家 の招 待 。来 賓 代 表 演 説 す 。
南 郷 少 佐 戦 死 之 日 、 浅 の 総 一之 慰 霊追 慕 。
真 崎 勝 次 、 副 島 、 石 原 来 る 。 坂 井 一意 来 る 。
九月 二十 三日 金
満智子来り、泊。
揮毫大額。
十 一時 呉 に 向 ふ 。 健 康 美 に 喜 ぶ 。
感謝 に 不堪 。 八時 半 、仁 帰 宅 を 待 ち 、 直 に新 橋 第 一ホ テ ルに 明 久
杉 山 明 久来 り 、仁 之 件 に付 不容 易 配慮 を 告 ぐ 。 仁 の転 勤 に 就 て也 。
す。
秋 季 皇 霊 祭 賢 所参 集 、 不参 。
九月 二十四日 土
丹 羽 武 五 郎 、 又 電 話 を 掛 く 。 本 気 之 沙 汰 に非 ら ず 。
神田高橋病院に満佐夫を見舞。
曇
副島 来 り 、 小 笠 原 と会 見 之事 を 報 ず 。 夕 、浦 部 聖 大 尉 来 り 、 会 食
氏を 訪 は し め 、東 京 駅 に見 送 ら し む 。
遠 藤 友 四 郎 、 弟 子 某 と 倶 に 来訪 、 長談 す 。武 富 夫 人 、玄 関迄 。
揮毫 終 日。
小 河内 村 々長 ﹁ 小沢市平﹂来り、揮毫之礼物を持参す。
九月二十 日 火
佐 々 木 勝成 に 小 学 校 大 額 を 渡 し 、坂 井 一意 大 西 郷之 書 ( 予 の) と
午 前 、 村 山 貯 水池 に 散策 。
九月 二十五日 日
名 古 屋 、 青 木 農 青 年 、 屡 来 訪 。 今 日 も断 る。
終 日 雨 颱 風 八 丈島 に 近 づ く
杉山 、九 ・四 〇、 離 京 。
来廿 四 日秋 季 皇 霊 祭 不参 御 届 出 づ 。
筥書を渡す。
雨 終 日降 る
西芝 浦 町 会 代 表 来 り 、 ﹁国 威 宣 揚 ﹂ 之 文 字 を 頼 み来 る。 国旗 掲 揚
憲 一、 海晏 寺 に参 詣 す。
渡 部 求 来 る。 十 月 一日之 大 国 会 不 参 に 付 、 祝 辞 代 読 を 約 す 。
九月 二十 一日 水
東 郷寺 寄附 勧 誘 状 を 送 る。
伊 井与 三 二 ( 福 井 市 青 年 団 長) に忠 魂 之 家 門 標 を 書 き 送 り 、 仝 時
諾。
三 越篁 某 、 三重 県 度 会 郡豊 浜 村 東 西尋 常 小 学 校 へ大 額 を 頼 来 る。
夕 刻 ま で快 晴 夕 大 雨暫 時 に し て止
塔之為也。
下村 延 太 郎 、 礼 に来 る。
晴
佐 々木 勝 成 、 某 小 学 校 の為 、 揮 毫 を 頼 み 来 る 。
快晴
︹ 欄外︺五 郎 、 午 前 二 時 、 友 人 を 連 れ 帰 る 。 大喝 、 落 涙 す 。 九月 二十 六日 月
正午 、 二幸 に軽 食 。 夫 よ り 高 島 屋 書 展 へ。 後 、 三 越 に 帽 子 と ﹁マ
古 河 の 野村 元水 兵 来 る。 梨 を 持 参 す 。
に新 谷 之 招 き 、 草 間 と 仝 行 。 正 子 帰 宅 、 久 し 振 り 。
夕 、 松 方 之 招 待 、 柳 光 亭 。 草 間 、 孝 、 新 谷 外 一名 。 了 て 浅 草 、 泉
九月 二十 二日 木
半晴 孝 治 、 館 山 よ り 帰 来 、 来 宅 。 夕食 を 共 に し 、 武藤 宅 に行 き 、 後 、
満智子泊す。
ント ﹂ を 購 ふ 。 十 八 円 と 四 十 八 円也 。
ま る。 男 爵 では 不 可 。 財 閥 を 擁 護 せ さ れ ば 国家 之 大事 業 出来 ず 。
え られ 岩 崎 、 三 井 之 陞 爵 に付 、 徳 富 ︹ 蘇峰︺、 田 中 智 学 に交 渉 を 頼
之 為 め 新 設 せ ら れ た るも の也 云 々。 又 牧 野 が 西 園 寺 ︹ 公望︺に自 薦
又 内 大 臣 の歴 史 を 語 ら る。 三 条 公 之 太 政 大 臣 を 止 め る と き遣 り 場
曇 小 雨
明治大帝に御信任なかりしを語らる。
九月 二十七日 火
運動 し て始 め て大 臣 と な り
牧 通 信 来 る 。 午 後 、 小 島 喜 久 馬 来 る 。 小時 に し て 離去 。 今 夕 、 又
談 約 二時 間 に し て辞 去 帰 京 。
曇
十月二日 日
別府に向ふと。 九月 二十八日 水
婦 人倶 楽 部 写真 班 来 り 、 千 代 と 満 智 子 、 よ し子 と 共 に 写 さ る 。
晴
に将 校 婦 人 会 入 会 を 促 す 。
朝 石 原 、 今 立 来 る。 黒 木 大 将 未 亡 人 及 洋 婦 人 ( □ ?) 来 訪 。 千代
午 後 雨 蒸 暑 夏 再 来 流 汗 にあ へぐ
今 立裕 、 高橋 病 院長 を 訪 ひ 、満 佐 夫 に就 き 意 見 を 徴 す 。 先 づ 〓
帝 都座 に て左 内 先生 ト ー キ ー試 写 、 下郷 一族 も 来 観 、 可 な り 良 好 。
十 月三日 月
安心と。
晴
下 郷伝 平 夫 妻 。 満 佐 夫 病 気 不 良 、 大 に心 配 す 。
石 原北 夫 、 副 島 。
九月 二十九日 木
チ エ コ問 題、 四巨 頭 会 議 に於 て協 定 、 チ エ コを 圧 迫 す 。 哀 れ を 止
十月四日 火
九月三十 日 金
常光 ( 太 田 覚 眠 友) 来 る ( 揮 毫 の件)。
十月五日 水
に 見 透 さ る 。 川 口 来 り 小笠 原 に付 愁 訴す 。 風 邪之 為 四時 会 欠 席 す 。
午 前 、 中 林女 史 夫 婦 来 り 予 言 めき た る談 を 為 す 。 急 所 を はづ れ 予
雨
め し は ﹁チ エ コ﹂ 也 。 他 力 本 願 の覿 面 の罰 也 。
市来崎 ︹ 慶一 ︺少 将 ︹ 予備︺を 経 て志 岐 重 吉 大 佐 に、 満 佐 夫 之 治 療 を
真崎、副島、孝子母子、並夫人。
︹ 欄外)宇 垣 辞 表 を 提 出 す 。 外 務 、拓 務 、首 相 兼摂 。
依 頼 。快 諾 さ れ 、 十 二時 半 高 橋 病 院 に趣 か れ、 実 試 。 満 佐 夫 、 心
景 岳 会 新 評 議 員 を 矢 板 等 を し て 丸 内 精養 軒 に招 か し む 。
晴 暑
良 く 眠 る と 。 千 代 立 合 ふ。
曇
富 美 栄 来 り 、 禁 酒を 勧 め ら る 。
ワカ モト
コレ カ ラ ス グオ イ デ ヲ コウ
二 二 タ マガ ワ 五四 コ三 、 五 五
サ ワダ
ト
副 島 来 る 。 切 符 を持 参 す 。
︹ 欄外︺ 寺 尾 。
コ三 、 五 八
満佐夫経過、稍良。
半晴
寛 一来 る 。 稍 安 心 せ る 如 し 。 十月 一日 土
午 前 一〇 ・三 〇 東 京 駅 よ り 蒲 原行 、 田 中光 顕伯 を 訪 ふ。 快 活 に 迎
十月六日 木
千代、高橋病院を見舞ふ。
松 下 権 八、 今 立 裕 来 る 。
晴
早 朝 、 今 立裕 。 午前 九 ・三 〇末 次 内 相 来 訪 、大 日本 学 院 長 た ら ん
十月十日 月
︹ 欄外︺ 寺 尾 不 来 。
晴
新 谷 俊 蔵 、 石原 、 矢 板 来 る 。 ﹁ト ーキ ー﹂ 買 上 之 為 熱 海 下 郷 に 電
千 代 海 晏寺 と金 比 羅 宮参 詣 、 予大 に快 方 。
︹ 欄外︺ ( 寺 )。
話 、 オ リ ヂ ナ ル千 円 を 会 社 に て買 上 ( 仁寿)景岳会に寄付す。早
福 田市 太 郎 見舞 に絵 を 持 参 す 。
こ と を乞 ふ 。東 郷寺 の為 断 る 。尚 ほ時 局 談 に時 を 移 す 。
丹 羽武 五郎 よ り 大 鮎 十 尾 、 尼 野 よ り 松 茸 頗 る 沢 山 に 送 り 来 る 。
速 石 原を 仁 寿 に遣 は し 滋 野 専 務 よ り 金 を 受 取 ら し む 。
真崎 少 将来 る 。
十月十 一日 火
︹ 欄外︺ ( 寺)。 ト ー キ ー 予 の面 目立 つ。 寛 一来 る。 十月七日 金
風 邪 気 味 尚 不 去 。 藤 井 実 来 る。
晴
景 岳 先 生 第 八 十 回 忌 辰 墓 前 祭 了 て白 木 屋 に 先生 ト ー キ ー 発表 。
︹ 欄外︺寺 尾来 る 。 十月十 二日 水
曇
予 朝 来 発 熱 ﹁タ ン﹂ に 血 を交 ゆ 。今 年風 邪 の徴 と 、依 て 回向 院 参
川 口帰 京 せ し も 風 邪 に て不 来 。
血圧百七十。
風邪大に快方。
列見合す。
南 郷夫 人 来り 礼 訪す 。
◎ 皇 軍 南 支 に 無事 敵 前 上 陸 、 待望 を 満 た す 。
雨
夜 、 石 原来 り 報 告 、 感 謝 す 。
雨 冷 気
︹ 欄外︺ 寺 尾 不 参 。
石 原 北 夫 氏来 る 。
十 月十 三日 木
半 晴 臥 床
︹ 欄外︺寺 。 西 郷 侯 来 詣 す と 。
三十 七 度 付 近 の熱 あ り 不 快 、 但 血 圧 は 百 六 十 五 に 下 る 。
風 邪殆 んど 全 快 。
十月 八日 土
副島と病床に会ふ。
終 日寒 冷 。
曇 小 雨
寺尾より菊花来る。
午 前 、 川 口を 見 舞 ひ 、 理髪 。 川 口 へ小笠 原 への忠 告 を 頼 む。
十月十四日 金
︹ 欄外︺寺 尾 ( 終 )。
常 光 と 太 田覚 眠 へ寄 書 其 他 を 与 ふ 。 芝浜より揮毫之礼鮮魚来る。
快 晴 稍 快 方
︹ 欄外︺ ( 寺 )。
血 タ ン尚 ほ 去 ら ず 。
十 月九日 日
雨 寒 気
高橋三吉大将来訪。 十月十五日 土
川 口来 り 昨 日之 小 笠 原 と 会 見 之 結 果 頗 る好 調 に て心 か ら 誠 意 努 力
諾。
を 誓 は しめ た り と 報 ず 。 而 し て来 月 勿 々 に総 会 を 開 く 為 、 其 以 前
に小 笠 原 に於 て宗 門 の方 を 決 定 せ し め 、 理 事 長 問 題 其 他 に 付 金 光
千 代 高 橋 病 院 へ。 川 口金 蔵 昨 日之 礼 に来 る ( 予 の 見舞 に)。
に早速懇談 す べ ︹ き︺こと 約 せ り と 云 ふ 。 尚 、 師 田 も 仝 席 し 、 客
近 頃 に な き寒 気
十月十六日
日
終 日 在 宅 。 川 口、 小 笠 原 に 面 談之 筈 。
十月 二十 一日 金
颱風大 雨
午後晴
︹ 欄外︺ 師 田 の約 言 、 客 殿費 之 事 を 決 す 。
たり と 云 ふ。
殿之 費 用 は当 分 問 題 と せ ら れざ ら ん こと を 会 長 之 為 め 進 言 せ し め
半 晴 寒 気残 る 明 日 より 暖 来 ると 放 送
坂井登、時枝弟 ( 二 人 兵 学 校 卒業 ) 来 る 。 十月十七日 月 神 嘗 祭 風 邪 に て不参 御 届 す 。 尼 野 重 之 、仝 三 郎 礼 に 来 る 。
し浸 水 一万 余 戸。
午 前 七 時 頃 暴 風警 戒 せ しも 野島 岬 より 太 平 洋 に それ 、 助 か る。 但
小 雨 寒 終 日 曇
伏 見宮 ︹ 博恭王、元帥、軍令部総長︺殿 下 御 召 に て総 長 殿 下 に 拝 謁 、 難
十月十八日 火
有 御 言葉 を 賜 はり 御 直 々 に故 博 義 王 殿 下之 御 棺 前 に拝 顔 を 賜 は る。
川 口よ り 電 話 。 小 笠 原 不 相 変 居 所 を 不 明 に す 。 依 而 電報 会 見 を 求 めしむ。
( 御 言葉 ) ﹁ 御 前 は遠 慮 し て 居 ると 申 す が 、 予 は何 と も 意 に止 る事
感 激 に 不堪 。
夕 刻 、 川 口来 り 、 小 笠 原 よ り 返 電 あ り 、 明 十九 日 午前 会 見す と 。 十月十九日 水
晴
昨 夜 来 の曇 雨 晴 。 靖 国 神 社 御 親 拝 之 天 候 感 応 、 遺 族神 之 恵 み に 感
︹ 欄外︺ 七 二 〇 之 颱 風 正 さ に東 京 湾 に 上 陸 せ ん と し、 辛 ふ じ
なき に依 り 、何 時 で も話 し に来 い。今 日 は自 分 が案 内 し て博 義 に
て免 る 。
対顔 せ し む べし﹂ と 仰 せ ら る。
伏 見 宮 博 義 王 殿 下 今 朝 午 前 二 時 、 御 喘息 之 猛 烈 な る御 発 作 に て 薨
泣す。
去、以上に依り参殿、弔意を申上ぐ。
小 笠 原 、 久 し 振 に て来 訪 。 川 口 の 言 の如 く に 陳 謝 的 和 解 を
予参列盛儀を拝す。
川 口、 小 笠 原 と 会 見 。 好 結 果 を 報 ず 。 但 し 予 は ? 也 。
曇 夕 雨
求 む 。 中島 知 久 平 寄 附確 か なり と 言 ふ。 十月 二十 二日 土
安富 正 子之 結 婚式 に 招 か れ 、和 田真 一と 両人 に祝 辞 を 述 ぶ。 伊 吹
︹ 欄外︺向 山 兵 少 将来 る。
夕幸鮨 へ ( 千 代 と)。
十月 二十日 木
時代 を 追懐 す 。
曇 雨
早 朝 中 根 事 務 官 へ電 話 。 紀 尾 井 町 へ御 弔 詞 言 上 之 取計 ひ を 頼 む 。
然 る に東 京会 館 に て 開宴 前 より 軽 度 の脳 貧 血 に て認 識 モ ウ ロ ウと
川 内 来 り 小 笠 原 と 堀 宗 務 院 幹事 と 之 交渉 を報 告 す 。好 結 果。 小 笠
柴 田 要 治 郎 来 る 。 不 審 な る 態 度也 。
原 に 予 と 中 島 知 久 平 と 会 談 し 好 結 果 を 電話 す 。
( 但 し 急 行 之 為 )。 今 夜 頭 痛 甚 こと 昨 年 之 発 作 に 似
な り 、辛 ふ じ て有 楽 町 より 省 線 に て帰 宅 せ しも 、 新 宿 を 乗 越 し て 中野迄行過ぐ
︹ 欄外︺◎ 漢 口攻 略 大 本 営 発 表 。 午 後 五時 完 全 占 領 。
上野文展、白木屋展に行く。
十月 二十八日 金
曇 雨
た り 。寺 尾を 呼 び 、 眠 り薬 に て稍 く 眠 る。 前 一時 頃 。
午 前 、 柴 田 要 治 郎 来 訪 後 、 海 相 、 次 官 、 軍令 部 次 長 ︹ 古賀峯 一、中
十 月 二十三日 日 頭 痛稍 く 止 む 。
十月 二十四日 月
晴
満 智 子稍 く看 護 す 。愛 愈 加 は る 。
満 佐 夫之 手 紙来 る 。
︹ 欄外︺昨 夜 熟 睡 。
勅語陸海軍に賜はる。
全都祝賀行列昼夜続。
午後、千代、まさ子と高橋病院を見舞。
将︺に漢 口陥 落 之 祝 意 を 述 ぶ 。
快晴
寺 尾来 る 。 別 に 異状 な し。 終 日臥 床 。
御 通夜 之 為 七 ・三 〇︱ 九 ・〇 〇紀 尾 井 町 。
曇 夕 夜 雨
︹ 欄外︺ 聖 上 二重 橋 に御 馬 上 市 民 に 対 せ ら る。
理髪。
御 通夜 七 時を 七 ・三 〇 と 誤 認 遅参 恐懼 す 。
十月 二十九日 土
千 代 、 海 軍 々医 学 校 に 飯 田 中 将 を 見 舞 。午 後 予 も 見舞 ひ 、大 に喜
頭 痛 全快 。
ばる。
半 晴 夜 雨
市中旗行列漲る。
十月 二十五日 火
高 島 屋 に 夕飯 。
帝 都座 に 戦 画を 見 る 。
漢 口之 一角 、 海 陸協 同占 領 す 。
︹ 欄外︺波 多 野 訪 問 。
有 田 再 び 外 相 と な り 、 八 田 嘉 明 拓 相 に親 任 。
本 日午 後 四時 三 十 分市 街 東 北部 。
十月三十日 日
雨
十月 二十六日 水
午 前 、 今 立 裕 、 新 谷 之 代 り に 来 り東 拓総 裁 に黒 田 ︹ 英雄︺元大 蔵 次
官 推 薦 を 頼 む 。 難事 な る を 以 て答 へ、直 に 同 男を 訪 問 、 黒 田を 予
快晴
伏 見 宮 博義 殿 下 御葬 儀 、護 国寺 参 列 。 十月 二十七日 木
之 友 人 と し て 頼 む 。 心 良 く 快 諾 。 今 日 、 八 田来 訪 之 筈 に付 、 話 し
快晴
井 村荒 喜 来り 、熊 之 胃 一塊 ( 熊 一匹 分) を 予 に贈 る。 頗 る貴 重 之
置 く と 好 都 合 に 運 ぶ 。 帰 宅 せ し に 、 今立 、新 谷 来 訪 。 右 を 告 ぐ 。
︹マ マ︺
も の也 。 予 の 血 圧を 憂 るも の感 謝 に 不堪 。
両人雀躍す。
千 代 、飯 田 へ弔訪 。
曇
久 し 振 、金 光と 電 話す 。
予 は 初夜 よ り飯 田 に 通夜 す 。
十 一月四日 金
十月 三十 一日 月
午 後 、村 上鋠 吉 、松 村 菊 勇 に答 訪 す 。 何 れ も 不 在 。
︹ 欄外︺渡 辺 等 来 り 、 又 、 不 愉快 な る 小笠 原談 を 持 出 す 。
午 前 、隠 岐 敬 次 郎 紹 介 、 伊 東 呉 服 店 之 為 め 元 帥 書 鑑 定 を 乞 ふ 。 間
下 北 沢 下車 が良 し 。
を 気 遣 は れ て小 笠 原 を 使 は さ れ 、 翌 日、 予 を 自 ら 電 話 に て 呼 れ て
午 前 八時 、 日本 銀 行 理 事 島 居 庄 蔵 氏 来 訪 。 寛 一仝 行 。 中 北 支 へ出 ︹ 六︺ 張 に 付 、寺 内 、 及 川、 及 、 畑 俊 一大 将 に紹 介 を 頼 む 。 下 郷 にも 右
半晴
違 な く立 派 也 、 但 、 筐 書 を 断 る。 副 島 と 渡 辺 来 り 小 笠 原 之 中 傷 を
十 一月五日 土
喚 寄 せら れ、 慰 問 の件 も 間 違 な り し を 明 か に す 。 大 将 の 態 度 を失
申 送 り寺 内 に紹 介 を 頼 む 。 其 為 、 川 島 来 る。 渡 辺 求 よ り 揮 毫 奉 納
晴
一五 之際 、 青 年 将 校 日記 之 事 よ り 元 帥 之 心 配 を 煩 は し 、 予 の安否
聴 取す 。 午 後 、 川 内 ( 聴取者也と云ふ)を呼び真否を糺す。五 ・
ひ た る如 き 話 を 絶 対 に打 消 す 。
之 電 来 る。
千代 と 予 、飯 田中 将葬 儀 に参 列 す 。
︹ 欄外︺夕 、 新 谷 の招 き 、 黒 田 と 会 す 。 赤 坂 若 松 と 浅 草 泉 。 新 谷 、 大 に酔 ふ 。
夕 副島 来 る 。川 口宅 よ り 、 金 蔵 氏 明 六 日夕 、 大 阪 発 皈 京 と 申 来 る 。
︹ 欄外︺釧 路 飛 行 場 落 成 に 付 、市 長 へ祝 電 。
不可。
十 一月 一日 火 曇 ︹ 東︺ 井 上 一次 ︹ 陸軍中将、予備、東亜振興会理事長︺、 安 藤 正喬 ︹ 中将、予備︺、太 田陸 少 将 、 東 亜 振 興 会 顧 問 を 頼 み に 来 る 。 諾 。 下郷之大川家族招待会 に臨む ( 紅 葉 館 )。 牧 野 周 一な る 者 の実 戦
晴
十 一月 六日 日
朝 、 真 崎 来 る。
漫 談 を 聴 く 。 頗 る真 剣 な る 観 察 談 に て 、 衆 皆 感 動 す 。 海 軍 の 溯江
寛 一来 る。 寺 内 、 畑 、 及 川 に 日銀 島 居 庄 蔵 氏 の為 、 紹介 状 を 認 む 。
東 郷 元帥 御 肖 像 、 東 郷 寺 寄 贈 者 本 間 秀 岳 来 り 、 画 を 示 す 。 秀 逸 。
︹マ マ ︺
作 戦 、 機 雷 掃 海 之 壮 烈 、 盧 山 之 攻 略 、 土 師 部 隊 之 悪 戦等 也 。 十 一月 二日 水
大 阪 川 口帰 京 せ ず 、 留 守 宅 を 通 し 帰 宅 を 督 促 す 。
半晴
北 河 一家 よ り 歌 舞 伎 に 招 か る 。 千 代仝 行 。 近 来 の 上出 来也 。
夕 、 下郷 妙 子 来 る。
︹マ マ ︺
予 の誕 生 日祝 ひ の如 し 。 但 し 遇 然 。 石原、山本来る。
晴
十 一月七日 月
夜 、 川 口帰 宅 。
十 一月 三日 木
東 郷 寺 に於 て理 事 会 出 席 者 、 会 長 、 小 笠 原 、 堀 田 蓮 総務 、 川 口 、
雨
神 宮 参 拝 。 小 笠 原 と 会 見 、 意 中 無 礙 に 談 し大 に 諒解 を 戻す 。
右 に依 り 愈 山 門 工 事 飛 島 之 寄 附 を受 く る件 発 表 。 副島 振 はず 不 評
引渡之細目、其他好結果。
川 内 、 金 光 子 息 。 堀 の発 言 、 関珖 陽 之 処 分 、 日蓮 宗 之 肩 入、 客 殿
午 前 、 海 相 よ り 大 将 招 待 、 漢 口、 広 東 攻 略 戦 報 告 ( 官 邸)。
十 一月十 二日 土
永 井 、 滋 賀 に予 の十 日 の挨 拶 を 送 ら し む 。
て也 。
快 晴 強 風
晴
判。
養 生 館 に て滋 賀 講 話 及 ﹁ ト ー キ ー ﹂。
午 前 十 時 福 井 倶 楽 部 秋 季 会 。 陸 斎 木 少 佐 の報 告 ( 戦 況) 了 て 午 餐 。
十 一月十 三日 日
後 左 内 先 生 ト ー キ ー。 技 手 不良 。
︹ 欄外︺ 画家 本 間秀 岳 会 す 。 元帥 御 肖 像 奉 納 。
渡 辺 武 実 夫 婦 来 る。
十 一月 八日 火
晴
満 佐 夫 退 院 。 真 知 子 泊 る。
千 代 、 ま ち 子を 伴 ひ 、 三越 に ﹁オ バ ー﹂ を 物 色 。
今 立 郡神 明小 学 校 長 、 大井 武 と 供 に来 り 杣 山 城 址 之 碑 文 を 乞 ふ 。
半晴
福 田市 太 郎 、 牧 宏 。 夜 、 川 口来 る。 十 一月九 日 水
口呆 れ 、 予 に訴 ふ 。 予、 真 崎 と 相 談 し、 十 一、 十 二月 分 の俸 給 全
稍 く 熱 下 り 夕食 味あ り ( 軍 人会 館 の ド ラ フト)。
早 朝 よ り 風 邪 、 三 十 七 度︱ 五 分。 不快 臥 床 、 食 欲 な し 。 午 后 発 汗 、
十 一月十四日 月
︹ 欄外︺寒 気 三十 日早 く 来 る 。 西 伯 利 風 也 。
諾。
部 を 給 し 引 退 せ し む る こ と に決 す 。
○寺尾来る。
川 口より 副 島 に減 給 を 申 談 せ し に、 不 服 に て百 円 呉 れ と の答 に 川
今 立 、松 下 、亀 谷 来 る。
川 口、 飛島 を訪 ひ 、山 門 工事 十 一万 円弱 に て寄 附 を 受 く る事 、 公
山 下 よ り 電 話 、 明 十 五 日 か 十 七 日 か 来訪 す と 報 ず 。
晴
式申込、快諾。 快晴
十 一月十日 木
元 帥 御 肖 像 画 家 本 間 某 来 る 。 予 の 写真 を 乞 ふ。 辞 す 。
十 一月十五日 火
︹ 欄外︺向 島 直 井 カ ツ マサ小 笠 原 の債 務 を 密 告 す ( 電 話)。
真 崎 に 副 島 へ辞 任 勧告 を 頼 む 。快 諾 。
並木を呼び向島直井勝正 ( 未 知 ?) より 之 電話 を 伝 ふ。 急 処 置 を
晴 稍 暖
管 せ し む 。 仝 時 、 東 郷 寺 建 設会 より 元帥 軸 物 一巻 、 熊 谷 に贈 る。
川 口、 熊 谷 事 務 所 よ り 太 三郎 名 義 に て 三千 円受 取 事 。 彼 を し て保
景 岳 会 に て左 内 全 集 出 版 に付 、仝 郷有 力 者 を 招 き 懇 談 成 功 狸 に散
川 口帰 京 来 訪 。
の祝 拝 之 帰 路 来 訪 。 品 物 を 贈 る 。
( 小 笠 原 関 係 )。 飛 島 夫 人 、 母 子 、 二女 を 伴 ひ 七 ・五 ・三
警告す 晴
開、二千余円立どころに集まる。 十 一月十 一日 金
午 後 一時 、 川 口、 小 笠 原 、 大 阪 、京 都 に出 発 。東 郷寺 寄 付 に関 し
中 華経 済 視 察 団之 為 、 東 亜 調 査 会 之 茶 会 に行 く 。 王 子 恵 、 名 演 説 を為す。
村 田英 彦 孫 女 死去 に付 、 千 代 、 文 江 通 夜 に 行 く 。
中 村藤 吉 に 元帥 家賜 与 之 宝 剣 を 貸 与 す 。 即 日返 納 。 今 夜 よ り前 歯 痛 む。
︹ 欄外︺風 邪 良 化 。
十 一月二十 一日 月
佐藤市郎 ︹ 中将、旅順要港部司令官︺来 る。
川 口に副 島 へ宣 告 を 命 ず 。 真 崎 にも 電 話 、 不 相 変 シ ミ ツタ レ と 伝
十 一月十 六日 水
中 村藤 吉 、 酒気 を帯 び 来 る 。
山 下亀 ︹ 亀三郎、山下汽船社長︺ 、 風 邪 に て本 日 の彼 の来 訪 を 断 る 。
十 一月十 七日 木
歯科学校。
十 一月二十 二日 火
真 崎少 将 来 る 。
川 満警 視 庁情 報 掛 来 る 。
歯 科学 校 に て治 療 を 受 く。
晴
ふ ( 副 之事 )。 ︹ 中︺ 佐 藤少 将旅 順 要 港 部 に立 つ。 千 代 見 送 る。 富 実 栄 来 る 四 人 。
○ 午後 副島 来 り 、心 良 く 引 退 を 申 出 す 。
晴
二 ケ 月 分 の退 職 俸 に喜 ぶ。
千 代 、 志 喜 へ。
大河内某に ( 神 武 必 勝)。
十 一月二十 三日 水
夕 、 仁 、 千 代 と 有楽 座 に新 国劇 。
晴
村 田家 に 弔訪 、 五 円玉 串 料 を 供 ふ 。
今立来る。
孝、朝鮮より帰る。
晴
午 後 、 千 歳船 橋 に山 梨 勝之 進 大 将 を 訪 て ﹁リ ン カ ー ン﹂ 一巻 を 返
十 一月十八日 金
却。
新 谷 来 る 。 中村 藤吉 、在 米 、 日本 医 を 同 行 し て来 る。
十 一月十九日 土
夜 十 一時 下 郷 を 送 る 。
下 郷 一行 北 支 へ発 。 紹 介状 数 通を 与 。
実 来 る 。 一平 に 夕食 、 千 代 と 三 人 。
歯科学校。
小雨
十 一月 二十四日 木
佐 々木 勝 成 及某 人 ( 書 の揮 毫 の礼 に) 来 り 、 紅 葉 鉢 一個 美 事 な る
十 一月 二十五日 金
晴
夜 、 ニ ユー ス映 画を 見 る。
も のを 贈 る。 午 後 丸 ノ内 中 央 亭 に慶 民 子 の両 息 、 海 軍 に 在 る 人 、
新 谷 来 り 、 黒 田 之 好 望 を報 す 。
晴
並に ︹ 松平︺康 昌 侯 ︹ 内大臣秘書官長︺の息 大学 入 の 祝賀 を 葵 会 に て開
歯科学校。 晴
く。︹ 松平︺慶 民 子 ︹ 式部長官︺父 子 の態 度 不 遜 な り 。 十 一月二十 日 日
︹蔵︺
午 後横 須 賀 小松 に て 千 代と 共 に千 葉 次 女 の結 婚 披 露 宴 に招 か れ 、
阪商船社長︺、 阿 部賢 一、荒 井 と 打 合 せ会 好 況 。
午 前 十 一 ・三 〇華 族 会 館 に て徳 川家 正 氏 招 待 午 餐 、 村 田 省 三 ︹ 大
十 一月二十 六日 土
別 席 に て 長谷 川 長官 、 馬渕 、 園部 と 痛 飲 す 。
晴
歯 科 学 校 、川 口来 訪 。
麻 布 谷 町 八、 石川 忠 次 郎 、 供 餅 紅 白 。 久 国 神 社 々司 ? 。
午 後 荒 井 、阿 部 賢 一来 る。
十 二月二日 金
晴 猪 野毛 に 祝物 を 贈 る 。
岸 科 政 雄 逝去 。
十 一月二十 七日 日
夕 、彼 よ り 電 話 答礼 。
防 空 第 二 日 晴
川 満来 り 、渕 上 知 事 に藤 公 之 詩 を 与 ふ。 夕 、 実 夫 婦 、 武 彦 来 り 、
︹ 欄外︺防 空 第 一日 。 午 前 八 時 開 始 。
寛 一夫 婦 親子 と 外 食 す 。
伏 見 大 将 、 宮 附 武官 と な る 。
新島来る。
︹ 欄外︺御 前 会 議 ( 二 十 七 日 ?)。 対支 大 方 針決 定 。
川 口よ り 電話 、熱 海 へ招 待 。
今 立 来 る 。 山 本 正 三来 る 。 晴
十 二月三日 土
快晴
歯 科 学 校 、 三 越 、 伊勢 丹 。
午 前 八時 防 空 解 散
午 後 川 口 之案 内 に て熱 海 に行 。 大 野屋 に 一泊 大 に歓 待 を 受 く 。 中
十 一月二十 八日 月
島 夫 婦仝 宿 し 又歓 迎 なり 。
晴
夕 、 岸 科 家 通 夜 、 三 好 廣車 に て送 る 。 十 二月四日 日
晴 午 後 曇
山 本 大 将 来訪 。 十 一月二十 九日 火
在 シ ヤ ト ル 市 川 博意 、 木村 憲 司 より 居留 民特 志 家 六十 六 名 ( 西村
︹マ マ︺
文 利 筆 頭)。 より 東 郷 寺 寄 附 金 壱 百 六 十 二弗 (五 八 八 円 〇 二銭 )
︹マ マ︺
午 前 熱 海 発 、筥 根 一週 、芦 之 湖 舟 遊 、 筥 根 ホ テ ル に て午 餐 、 午 後
︹マ マ︺
四 ・三 〇 帰宅 。 清遊 也 。中 島 妻 女 の明 朗 振 に驚 く 。 元 S也 。
住 友 銀 行 小 為 替 に て 送 り来 る 。 晴
長沢某に筐書を渡す ( 毛 靴 下 礼物 )。
独 コ ンド ル機 四 十 六時 間 に て伯 林 より 立 川 に飛 来 す 。
野 上 来 る 。 川 口之使 と し て ﹁シ ヤ ト ル﹂ 為 替 を 渡 す 。
十 一月三十 日 水 歯科学校。
福 井 県 人 。 四 谷 警察 署 長来 訪 伺候
( 新 任 )。
鈴 木 憲 一、 野 上 理事 。
十 二月五日 月
快晴
佐 々木 勝 成 に 扇 面 を 与 へ ﹁シ ヤ ト ル﹂ 之 件 深謝 す 。 山本正三来訪。
加 藤 隆義 中 将 、 軍事 参 議 官 と し て上 京 来 訪 せら る。
快晴
平田 ( 神 田)、神 宮 之紹 介 に て来 訪 者 あ り 断 る。 十 二月 一日 木
猪 野毛 祝 宴 に て鈴 木 喜 三郎 令 息 、 山 岡 万 之 助 、 柳 生 某 に 会 ふ 。 挨
岸 科 家 代 表 と し て令 息 及 高 橋 寿 太 郎 少 将 外 二名 来 礼 。
猪 野毛 結 婚 披 露 式 、 帝 国 ホ テ ル。
乎断はる。
伊 藤倉 次 郎 、 平 田神 田宮 司 之 紹 介 に て来 る。 不 相 変 の奉 加 也 。 断
松 下権 八 、 西 郷 ( 真 崎 友 人 ) 来 る。
軍 人会 館 に て高 石、 久 富 、 横 田之 第 一線 及 仏 領 印 度 、 香 港 之 実 況
十 二月九 日 金
快 晴 寒 気 増 加
シ ヤ ト ル木 村 に礼 手 紙 を 出 す 。
拶代表を為す。
感 謝状 写 を受 取 。
岸 外務 秘書 官 よ り、 荒 井画 濠 州 寄 贈 に付 、 外 相 よ り 大 商 船 村 田 宛
神 田 に て 湯池 中 将 に会 ふ。
報 告を 聴 き 、 上 野を 散 歩 し帰 る。
伊 東 芳 峡 来 り 、 大 連 神 社 之 為 末 次 内 相 之 讃 一筆 を 懇 請 す 。 依 て 末
十 二月十 日 土
快晴
山 本英 輔 大将 、 仁 之 結 婚 に付 申 来 ら る。
次 夫 人 に頼 み状 添 伊 東 を 西 窪 に使 は す 。
十 二月六日 火
川 口 、 小笠 原、 金 光 と 会 見 す 。
快 晴 但 し寒 風 吹 き 荒 む
芝 浦某 よ り 又 国旗 掲 揚 竿 支 柱 に揮 毫 を 頼 み来 る 。
千 代 海 晏 寺 へ。 ︹ 蔵︺ 予山本海次官 を訪ひ、外相 ︹ 有田八郎︺に 傚 ひ、 村 田省 三 宛 海 相 之
千 代と 幸 鮨 に行 く 。
感 謝 状 を 頼 む 。 快諾 。 本 日 早朝 より 入営 に て市 中 大 雑 踏 。 帰 途 荒
本 日訪 客 殊 に多 く 、 今 立 、 真 崎 、 千 坂 親 信 ︵ 中島 対三井出 資 の
井 を訪 ひ 徳 川 、 岸 に 電 話報 告 す ( 次 官 の答 )。
件) 其 他 雑 人 二 。
快晴
︹ 欄外︺千 代 歯 科 学 校 に て 抜歯 す 。
千 代歯 科 学校 へ。
十 二月七日 水
川 満 電話 。東 条 英機 外 陸 軍 の転 任 を 報 ず 。 多 田 参 謀 次 長 又 仝 じ 。
伊 藤 芳 峡 、 村 瀬 金次 郎 四 男 熱 田 より ﹁ 神 武 ﹂ 之 団旗 之 礼 、 写 真 二、
十 二月十 一日 日
曇
猪 野毛 利 栄夫 婦 礼 に来 る。
新 巻 一。
︹ 欄外︺仁 の友 人 結 婚 問 題 周 旋 に 来 る 。
石 原 を 呼 び、 ﹁ト ー キ ー ﹂ の内 情 に付 、 注 意 を 頼 む ( 鈴 木要、田
山 岡重 厚 帰 る。
中 へ)。
飛 島 文 吉 来 訪 、 歳暮 に 反物 二 反 (百 五十 円 以上 )、 小 西 干 比 古 。
七 面 鳥 一尾 。 晴
高 木 陸 郎 よ り 大 羊羹 、 小笠 原清 明取 次 、 高 岡外 高 松 田よ り と し て
十 二月十 二日 月
快晴
︹ 欄外︺終 日書 類 探 し 、 大 に疲 る 。
大雪。
十 二月八日 木
山 本 伯夫 妻 五年 祭 に付 、 山 本 家 に参 拝 。
千 代 飛 島 へ返 礼 七 面 鳥 羊羹 新 潟 石上 神 社 氏 子惣 代 、 鈴 木 謙 治 、 社 殿 合 天 井 へ揮 毫 を 頼 み 来 る 。
近藤 信 竹 中 将 、 5F長 官 と な り 、 挨 拶 に来 る。 明 午 後 一時 発 。
国 司釧 路市 長 来 る。 石狩 川 新 巻 持 贈 。
川 口来 り 、 日蓮 宗 と 相 談 纏 り た る事 報 告 す 。
向 山 嘱 之 揮毫 大軸 、 教 育 勅 語 。
十 二月十 七日 土 曇 寒 ︹ 赴︺ 午 後 一時 、近 藤 信竹 中 将 5F長 官 と し て趣 任 に付 、 東 京 駅 に見 送 る 。
十 二月十 三日 火
東 亜 振 興 会出 席 を断 る 。
晴
川 口金 蔵 皈京 午 後 四時 来 訪 。
十 二月十 八日 日
宗 像 より 酒 一筥 、 三好 廣 よ り も 一瓶 ( 中 大 )。
夕 、 三福 に千 代 と 行 く 。
千 代 鎌 倉 に 実 を 見舞 ふ 。
晴
川 口、 反物 を 喜 ぶ。
曇
予 散 歩 、 向島 と 奴鰻 。 初夜千代帰る。
︹ 欄外︺仁 之 為 後 藤 国 亥 代 理 百 武 定 一来 る 。夕 五時 。
芝 浦鈴 木 に 国威 宣 揚 と 二宮 尊 徳 先 生 之 像 記 を 渡 す 。
十 二月十 九日 月
風 ア リ晴
仁 寿 に 要 書 調 べ後 下 郷 、孝 、 川島 と 喫 茶 ( 東 宝 側 )。
藤山雷太 ︹ 貴族院議員︺逝去 。 之を 弔訪 す 。
十 二月十四日 水
向山に書を渡す。
(マサ ヤ ス) 来 り 、 後 藤 よ り 娘 を 当 家 の仁
十 二月 二十日 火
︹ 欄外︺仁 、 後 藤 国 亥 と 東 京 会 館 に 会 見 。
今立裕来る。
後 藤女 、 橋渡 、 大 西某
晴
に 嫁 す る を得 ば 、幸 栄也 と 伝 言を 持 来 る。 十 二月十五日 木
真 崎 少 将 紹 介 村 上 民 蔵 書 を乞 ふ 。 小 品書 き 与 ふ 。
午前松下権八来る。 海軍異動。
曇 小 寒
実 、 通 信 学 校 教 官 と な る 大慶 。
小林省三郎中将 ︹ 予備︺来 り 、 枢機 の 秘話 を 伝 へ、憂 慮 す 。
十 二月十六日 金
贈 ら ん と す 。 予 堅 辞 問 答 し 末 、 一先 彼 の手 許 に 預 る事 に納 得 せ し
た ず 。 尽 力 を 約 す 。 別 に 臨 み 、 彼 の事 業 成 功 ﹁男 に為 つた﹂ 祝 を
山 下 亀 三 郎 進 ん で 来 訪 、 東 郷 寺 に 付 、 予 の相談 を受 け、 表 面 に立
千 代 武 富 へ行 、 蟹 五 束 を 贈 る 。
福井県知事 ︹ 中村與吉郎︺と 福 井市 長 に 石 原 の紹 介 状 発 す 。
午 前 石 原 来 る 。 紹介 状 に 署 名 す。
む。
︹ 欄外︺連 日 雨な し 。 空 気 乾 燥 風 邪 に 注 意 。
古 市 六 三 紹 介 之 人 物 鮎 を 持参 す 。
晴 暖
午 後 早 川 鉄 之 助 来 訪 、 時事 を 談 ず 。
武 藤 邸訪 問 。 不在 。
為 す。廿八日に ﹁ 仁 ﹂ を 自 邸 に招 く と 云 ふ 好 意 振 也 。
高 島 屋 に て午 餐 後、 丸 ノ内 に 磯 村 豊 太 郎 氏 訪 問 。 ﹁仁 ﹂ 之 相 談 を
を 残 す (不応 答 に付 )。
午後福井信玄、磯村曲 豆太 郎 、 武 富 邦 茂 を 訪 問 し 、 飯 田 延 太 郎 之 五
武 藤 夫 人 、 不在 を詫 来 る 。
十 二月二十 七日 火
︹ 欄外︺ 孝 来 る 。仁 寿 を退 く 報 告 、 又朝 鮮 に行 く 報 告 す 。
十 日祭 之 為 、 水 交 社 に招 か れ 、 故 人 を 偲 ぶ 。 一談 を 試 む 。
十 二月 二十 一日 水
午 前 雨 午 後 晴
雨
十 二月 二十 二日 木
午 前 八 時 五 十 分 、 小 田急 に て小 田原 経 由 熱 海 に て昼 食 し 、 伊 東 よ
十 二月 二十八日 水
快 晴 寒
午 前 十 一時 藤 山 雷 太 告 別 式 に行 く 。 自 働 車 之 不 敏 之 為 帰 路 大 に 困 る。
晴 此 日大 に寒 し。 熱 海 も 然 り 。 見 高 のみ 暖 。
正午 水交 社 に て東 郷会 財 団法 人 成 立 発 会 式 に招 か る 。
六十五銭。
り 乗 合 に て 、伊 豆 見高 温 泉第 一滝 本 に投 宿 。 乗 合 二時 間 余 、 一円
静 養 暖 。 女 主 人 大 に 歓 迎 、 秀 子 給仕 す 。
曇 夕 雨
十 二月二十 三日 金
真崎大将来訪すと ( 不 在 中)。
福 井 東 郷来 り、 寄 附金 状 況を 報 告 す 。 予 の書 三、 色 紙 二を 与 ふ 。
談話会、深井 ︹ 英五︺、林 頼 三郎 両枢 顧を 祝 す 。
主婦喜之余り宿料不求。依て新築祝として、五円、女中に二円、
晴
宿 料 は 僅 か 三 円 、 酒 二本 、 ビ ー ル二 本 之 代 を 求 め ず 。
十 二月 二十九日 木
︹ 欄外︺夕 、 仁 、 磯 村 宅 に て歓 迎 を 受 く 。
予 も 会合 。 十名 計 り。 内 大臣 仝 席 。 添 田 嘱 十 名 余 に 揮 毫を 認 む。
理 髪 、 二 幸 へ。
十 一時 二十 一分 、 乗 合 にて 発 、 大 雑 踏 に て 伊 東 迄 立 尽 す 。 近来 の
半晴
一気 即 成 之 書 に 捺 印 。
十 二月 二十四日 土
山 下 に ﹁行 善 者 福 至﹂ 統 軸 を 贈 る 。
体力試験也。夕熱海着。 ︹ 平︺ 下 郷別 荘 に行 く 。 伝 兵 衛 氏 風 邪 に て 臥 床 、 三 十 八 度 以 上 。 静養 を 快晴
すすむ。
十 二月 二十五日 日
大 正 天 皇 祭 、 九 ・三 〇 参 内 。 賢 所奉 拝 。
京都婦人某看護す。
十 二月三十日 金
寒気大
︹ 欄外︺小 田 原 午 后 六 ・三 〇急 行 。
夜 八時 帰 京 。
午後矢板と福井県学務部長来る。
晴
靖 国 神 社 に就 て也 。 十 二月 二十六日 月
午 前 波 多 野 邸 へ訪 問 。 酒 、 蜜 柑 を 贈 る 。 了 て本 郷 八 田嘉 明 に答 訪 、 途 中 岡 新 ︹ 少将、第四艦隊参謀長︺邸 に名 刺
松 下 来 り 、 内 閣 の急 を 告 ぐ 。 陸 軍 町 尻 ︹ 量基、少将︺軍 務 局 長 外 二 名 軍機 書 類 紛 失 之 為 停 職 。 世 人 大 に疑 ふ 。 東京 横 須 賀 間 の電車 中 なり 。 午後磯村と真崎 ︹ 甚三郎︺大 将 ︹ 予備︺を 礼 答 訪 す 。
晴 大 寒
真 崎 大 将 、 長 岡出 発 間 際 に面 会 す 。 十 二月 三十 一日 土
︹マ マ︺
別条 な し 。早 く 臥 床 す 。 千代 大 車 輪 に て撤 宵 大 掃 除 , 丈 夫 さ に驚 く 、 来 年 六 十 一才 也 。 良 く 妻と し て 予を 助 け 呉 れた り 。 何 れ の 日か 之 に 報 ひ ん 。 冀 く は 、
︹ 欄外︺ 此 年 為 す 所 な し。 救 国 の 決 意 已 に 追 れ る 如 し 。 嗚 呼
健 在 百歳 の寿 を 保た ん こと を 。
国を 誤 る も の は陸 軍也 の声 中 外 に喧 し 。 敵 も 味 方 も 。
昭 和 十 四年
風 邪 全快 。 近衛 内 閣総 辞 職。
平沼 ︹ 騏 一郎︺男 に 大命 降 下 す。 従 て来 訪 者 多 し 。
小林省 三郎 ︹ 中将、予備︺内 閣 の 不 評 を 報 し来 り 、 予 に平 沼 へ警 告
を乞 ふ 。 竹内 賀 久 治を 招 き 、 此旨 伝 へしむ 。殊 に撤 兵 問 題 に就 て
忠告す。真崎 勝次 ︹ 少将、予備︺ 、 坂 井 一意 、 川 満 ( 警 )、 亀 谷 慎 一
酔 て 来 る 。 平沼 、前 内 閣 の 据膳 に座 す と て 不 評也 。
一月五日 木
曇 極 寒
組閣本部を法相官邸とす。 ︹ 悲︺ 松 下 権 八 奇 し く も 来 ら ず 。宛 は づ れ に 非観 せ しな ら ん。
新 年 宴会 御 取 止 。
曇
午後、今立来る。
半晴
朝 見 式 天 皇 陛 下 臨 御 了 て各 宮 ( 海 軍)、 下 郷 、 村 田 、 平 沼 へ祝 詞 。
一月 一日 日
午 後 寛 一親 子 、 森 川 一同 来 る 。
快 晴 寒
猪野毛利栄 ︹ 衆議院議員︺来 る 。
一月六日 金
終日在宅静養す。
寺尾 ︹ 医師︺診 察 、 二 二〇 注 意 。 賀 状 認 、 海 軍 部 内 来 客 多 し 。 終 日
下 郷 妙 子 来 る 。 予 、 伊 藤 家 へ買 物 。 夕 、伊 勢 丹 に て食 事 。
早朝久雨後晴
在宅。
石原、野上来る。
一月 二日 月
然 る に午 後 よ り 頭 痛 甚 し く 臥 床 す 。
頭痛稍快方。
一月七日 土
磯 村 豊 太 郎 へ祝 物 を 大 井 を し て 呈 せ し む 。
実 来 る。
聞 記 者 、 二、 三十 名 包 囲 す と 。
仁 に 電 話 、 町 田 大 将告 別 式 代 理 せ し む 。
一月八日 日
山 山 海 楼 前 朝 夷 別 荘 に 入 大 歓 迎 を受 く 。
午 後 二 ・ 一〇 千 代 と 熱 海 へ発 車 中 、 朝 夷 に 会 ひ 世 話 を受 け 、 天神
晴
一月 三日 火
晴寒
元始 祭 所 労 不 参 。 松 下 来 り 急 を 報 。 但 し 平 沼 悠 々金 沢 に 在 り 。 新
波 多 野礼 訪 。 千 代 も 不 在 。
朝夷夫婦帰京す。
晴
近衛 ︹ 文麿︺内 閣 総 辞 職 。
半 晴 寒
書類整理。夕、買物に出る。
一月 四日 水
(一月 四 日午 前 発 表 )。
温泉 鉄 管 凍 結 す。 朝 湯 不能 と な る。
一月 九日 月
て 身 の幸 と な れ り 。
予 も 三 十 七 歳 、 寛 一も 三 十七 歳 、 予 は英 国 と 海 大 を 犠 牲 にし て却
寛 一、 北 京 駐在 と な る幸 先良 し 。 予 の露 国 駐 在 に似 た り と 云ふ 。
素 子 、 熱 海 下 郷 に 行く 。
快 晴 熱 海 に珍 らし き 寒
倫 敦 条 約 経 緯 日 記 整 理 始 む 。 海 相 官 邸 、 重 臣 へ説 明 と ( 十 月十
午後 三時頃、山 下亀三郎 ︹ 山下汽船社長︺使 来 り 例 の ﹁預 り 物 を 送
一月十三日 金
︹ 欄外︺浦 部 、 立 雄 と 会 合 の為 め 一日繰 上 発 。
寛 一も 英 仏 を捨 て支 那 に 大成 す べし。
日) 其 翌 十 一日幣 原 ︹ 喜重郎︺と 会 見 談 よ り 書 き 起 す 。 感 慨 無 量 。 聖 大 尉 又戦 地 に行 く と 。
朝湯 可 能と な る。
曇 な るも 寒 気 大
千代 、東 京 に帰 る。
る﹂ と て 封 書を 届 く 。 電話 に て 千代 より 之 を 高 輪 留 守 宅 へ報 す 。
一月十 日 火
東京 、富 美 栄 電
連 日 の筆 記 に稍 疲 労 、按 摩 を 取 る。 一円 也 。
晴 寒 し
留守 の 下女 に 五円 、 爺 に 二円 遣 わ す 。 千 代 の土 産 代 り と し て。 千
︹ 欄外︺禁 煙 始 。 京 城 天 真 楼 主 人 、 注 意 に 感 ず 。
夕 、 五 ・三 〇 3 d rに て熱 海 に簡 に し て便 。 駅 前 に て夕 食 、 八 ・二〇 頃 帰 宿 。素 子 、 熱 海 下 郷 へ。
一月十四日 土
快晴
散髪 す 。稍 暖 。昨 夜 咳 甚 し売 薬 を 求 む 。
下 郷 と 電 話 す 。 山 下亀 三郎 と 新 谷 に書 信 。
皇 后 陛 下御 着帯 拝賀 、 不在 京 の故 に扣 ず 。
一月十 一日 水
代帰 り て淋 し さを 感 ず 呵 々。
浦部 聖 特 別 陸 戦隊 を 率 い○ ○ ○ 出 征 の為 め 明 日呉 に 向 ふ と 。
午 後 、 不 図 吐き 気 を催 す 、海 岸 に散 歩 し ﹁ス タ ウト ﹂ を 飲 み恢 復
曇 大寒
千代 、 高 井 戸 に行 く 。
す。
晴 東 京 寒 風 吹 荒 む
一月十 二日 木
一月十五日 日
仁 、 六 ・三 六 分着 。来 泊 、機 嫌 良 し 。
午前 、 熱海 発 小 田 原 より 小 田急 に て帰 京 。 動 揺 甚 し く 、 吐 気 を 催 す。
一月十六日 月
仁 と 倶 に梅 園 に 六 分咲 の梅 を 見 る。 午 後 、 仁 帰 宅 。 鮨 を 食 し 帰 る 。
快晴 熱 海 風な し 暖 し
二幸 に て午 食 。帰 宅 一 ・三 〇頃 。 夕 、 工 業 倶楽 部 に て磯 村 嗣 子 結 婚 式 に行 く 、 水 野錬 太 郎 ︹ 貴族院議
血 圧 高 ま る 如 し 。便 通 を 欠 く 。
秘 記 大 に捗 取 る 。
晴
員︺来賓 を 代 表 す 。
へ予 よ り 軍艦 拝 観 の切 符 を 貰 ひし 昔 話 を 為 す 。 予 、 大 臣 秘 書 官 の
予 の前 に木 戸内 相 据 はり 、 彼 の学 習 院 時 代 、 加 藤 完 吉 大 佐 と 間 違
一月十 七日 火
寒風
頃 な ら ん。
急 に て上 京 、 車 中 、 山 下亀 、 大 倉 喜 七 郎 ︹ 大倉組頭取︺ に会 う 。 着
昨夜 一睡 も出 来 ず 。 頭重 く 然 か も 連 日通 じ な し 。 依 て 八 ・五 五 准
一月 二十三日 月
二 十 七 日帰 呉 の由 に 付、 帰 路立 寄 を 伝 へしむ 。
仁 と素 子 よ り東 京 電 話 、 孝 治 明 二十 三 日着 京 す と 。
謝 す 。 同時 、東 郷 寺 寄 付 の件 確 約 す 。 他 の汽 船 会 社 へも 奔 走 す と 。
︹マ マ︺
京 直 に寺 尾医 院 へ。 血 圧 240 ( 右 ) に驚 き 直 に射 血 百 瓦 。
晴
立 雄 、 富 美 栄 と 成 田 山 より 帰 路立 寄 る。
一月 二十四日 火
駅 前 朝 日館 泊 、 日 生 の有 末 より 電 話 、 且 つ マン ヂ ウを 贈 り 来 る。 快晴
一月十八日 水
元花本梅 ( 有 末) 来 り 、 終 日 懐 旧 談 を為 す 。彼 、 又 一種 の女 侠 な
午 後 より 降 雪
福 井 寺 西 ユウ 来 る 。仝 人親 類 の息 某 金 沢 医 大 短 期 現 役 軍 医 志 願 の
り 。 正 午 、 山 王 ホ テ ルに 昼 食 。 朝 夷 夫 人 も幸 い仝 席 す 。
上 京 。 不少 面倒 を かく 。
援 助 を 得 度 と て ワザ 〓
立雄 、 明後 二十 六 日迎 に来 ると 。
三島 よ り 立 雄 の使 常 磐 艦 の S来 り 直 に 帰 る 。 食 品 持参 す 。
梅 は 駅 前 朝 日館 に 泊 す 。
夕 、 降 雪 中 、 千 代 を し て 上 野 駅 に 送 ら し む 。 ラ ツセ ル音 に警 告 を 受け湿布す。
一月 二十 五日 水
晴 珍 き 暖
終 日臥 床 。 暖 気 本 日限 り と 伝 う 。
寛 一よ り手 紙 来 る。 下 郷良 順 よ り 電 話 。
一月十九日 木
正午 より 再 び 寒 気 猛 な ら んと 。
寒気大也
血 圧 二 〇 〇、 一八 〇 に減 ず 。
晴
村 田 立 雄 昨 夜 、 駅前 朝 日館 に泊 り 、 早朝 、別 荘 に来 訪 。 予 と 千 代
一月 二十六日 木
夕 、散 歩 す 。 曇 寒 し近 来 の極 寒 也
安眠す。 一月二十 日 金
を 促 し 韮 山 富 士 見 荘 の 分 譲 地見 分 、 了 て仝 荘 に泊 。 昼、 夕 食 、 長
寺 尾 は 胸を 診 し、 西 下差 支 な し と 云う 。 依 て夕 五 ・三 〇 准 急 に て
倉仝席す。
夕、孝治来り同泊、大に喜ぶ。
熱 海 へ。
一月 二十七日 金
快晴
一月 二十 一日 土
午 前 十 時 二十 二分 、 三 島 発 帰 京 。
便通大に良復。
大 寒 。 但 し 昨 日 の東 京 よ り は暖 か し。
晴
午 後 、 散 歩 、 ゴ ムを 購 ひ に 行 く 。
一月 二十 八日 土
孝 治 は立 雄 と 常 盤 に行 き 、 午 後 四時 沼 津 発 帰 呉 す 。
作 間長 女 結 婚 式 。 小 演 説 。
晴
一月 二十 二日 日
快晴
午前、東山 ( 駅 付 近 ) の山 下 亀 三 郎 邸 を 訪 ひ 、 由 利 公 正書 詠 船 の 歌 を 贈 る。 旧 臘 のプ レゼ ント と 交 換 に 意 な く 、 彼 、快 く受 け 且 つ
一月 二十九日 日
晴 風 あ り
一人 五 円。 十 三人 と 子 供 二人 に て約 百 円 。 高 橋 に 十 円 を 礼 す 。来
上 野精 養 軒 に於 て寛 一送 別 会 。 高 橋 猛 吉 大 に 勉 強 。 料 理 大 に 良 し 。
賓 下郷 妙 子 、 村 田志 賀 子 、 立 雄 、 浦 部 婦 美 栄 、 村 上 龍 英夫 婦 、寺
一月 三十日 月
半 晴 後 曇 寒
尾 不 二夫 、 仁 、 五郎 。
浅 草 区 田島 町 二十 四医 学 博 士 荒 井 内 科 医 院 の 注 射を 受 く 。廣 瀬春
晴
江 、 名 和 琴 子 の推 薦 也 。 一月 三十 一日 火
松 下 権 八久 振 に て来 る 。 午 後 、 川 口金 蔵 、矢 ノ倉 加 藤 医博 士 宅 に て関珖 陽 外 二 ( 弁 護 士) と 個 人 之 資 格 に て会 見 。東 郷寺 問 題を 聴 く 約 四時 間 。 夕 、 寛 一宅 に て晩 餐 会 。 予 、 千 代 、 五郎 と寛 一夫 婦 、 大 に馳 走 す 。 二月 一日 水 晴 ︹ 赴︺ 午 後 一時 半 、 寛 一北 京 に 趣 任 す 。 功 も珍 ら し く 見送 る。 銀 行 員 多 数、武藤能 婦子、志賀子、藤 井 ( 外 務 )、 寺 尾 、 北 河 豊 彦 夫 婦 、 山内 ( 京 都 下 郷)、 千 葉 夫婦 。 夕 、荒 井医 院 へ七 ・四〇 熱 海 へ発 。
二月二日 木
快晴
素 子 、 ま さ お 、 熱 海 よ り寛 一と 仝 行 。 真 智 子 は千 代 と 熱 海 に留 る 。
Ⅱ
文
書
海 軍 大 臣
一 軍 備 制 限 問 題 対 策 ノ 件
昭 和 四 年 六 月 二 十 八 日 閣議 承認
( 海軍大臣、昭和四年六月二十八日)
参 酌 ス ル ノ案 ヲ研 究 シ 、 何 時 ニテ モ提 示 ス ル ノ 用意 ア リ。
( 二) 米 国 ハ海 軍 力 ニ比 較 スル ニ排水 量 以外 ニ艦 齢 、 備 砲 ノ 口径 等 ヲ
( 三) 軍 縮 事 業 ハ今 ヤ 制 限 ト 云 フガ如 キ 消極 的態 度 ヲ捨 テ積 極 的 ニ大 減 縮 ニ向 ツ テ邁 進 スベ キ ノ時機 ニ達 セ リ ト認 ム 。
米 国 ハ従 来 ノ如 ク 現 存 条 約 ノ相 対 的状 態 ヲ維 持 ス ベ キ更 ニ低 キ
軍 備制 限 問 題 対 策 ノ件 最 近 英 米 両 国 ガ 相呼 応 シ テ 海 軍 軍縮 問題 解 決 ノ基 礎 ヲ打 開 セ ント
割 宛 噸 数 ヲ モ受 諾 スル ノ用 意 ア リ 。
シ ム ル コト 最 モ肝 要 ナ リ ト 認 ム 。
宜 帝 国 ノ所 信 ヲ宣 明 シ テ予 メ会 議 ニ於 ケ ル帝 国 ノ地 歩 ヲ安 固 ナ ラ
シ テ会 議 ヲ主 宰 シ 自 案 ノ主 張 ニ急 ナ ル ヲ常 ト セ ル米 国 ガ 、今 次 国
ト 云 フ ニアリ 。 之 レ由 来 国 際 聯 盟 ノ圏外 ニ立 チ主 要海 軍 国 ヲ招 請
(五) 米 国 政 府 ハ各 国 ノ海 軍 ノ需 要 ( ネ ー ヴ アル 、 ニーヅ ) ハ相 対 的 ナ リ ト ノ信 念 ヲ有 ス ル モ ノナ リ 。
(四) 軍 縮 ハ例 外 ナ ク 一切 ノ艦 艇 ニ及 ボ ス ヲ要 ス。
試 ミ ツ ツ ア ル ハ周 知 ノ事 実 ニシ テ 、 之 ニ伴 ヒ海 軍 軍備 制 限 会 議 開 催 ノ機 運 ハ着 々熟 セ ント シ ツ ツア リ 。此 時 ニ際 シ帝 国 亦 速 ニ之 ニ
抑 々海 軍 軍 縮 問 題 ニ対 スル 現 下 ノ気 運 ハ、 本 春 寿 府 ニ開 催 ノ軍 縮
際 聯 盟 ヲ中 心 ト シ 且 他 ノ主 張 ヲ モ容 認 スル ノ余 地 ヲ 示 シ テ 軍縮 ノ
対 ス ル方 策 ヲ定 メ朝 野 一致 之 ニ基 キ テ内 外 ノ輿 論 ヲ指 導 シ、 且 機
準 備 委 員 会 ニ於 ケ ル米 代表 ﹁ギ ブ ソ ン﹂ 氏 ノ声 明 ニ端 ヲ発 ス。
実 行 ニ就 キ 列 国 ニ協 力 ヲ慫 慂 セ ル モノ ニシ テ 、 之 レ 将 ニ新 大 統 領
ナリ ト ノ見 解 ヲ捨 テザ ル モ、妥 協 案 ト シ テ仏 国案 ニ主 力 艦 、 航
其 後 英 国 労 働 党 内 閣 ノ成 立 ニ ヨリ 軍 縮 問 題 ニ対 スル気 運 一層進 ム
度 ヲ示 セリ 。
ニ対 ス ル真 意 遽 ニ窺 知 シ 得 ザ ル 所 ナ ル モ、 概ネ 一般 ニ真 摯 ナ ル態
﹁フー ヴ アー ﹂ 氏 ノ対 軍 縮 政 策 ノ 一端 ト 認 ム ベ ク 、他 海 軍 国 ノ 之
今 其 ノ中 海 軍 軍 備 制 限 ニ関 ス ル モノ ノ要 旨 ヲ示 セ バ左 ノ如 シ。
空 母 艦 以 外 ノ各 艦 種 別 間 ニ 一定 百 分 比 ノ融 通 ヲ認 ム ル ノ修 正 ヲ
(一) 米 国 ハ従 来 ノ艦 種 別 制 限 ガ 海 軍 軍 縮 ノ簡 単 、 公 平且 実 際 的 方 法
加 ヘタ ル モ ノ ヲ討 議 ノ基 礎 ト シ テ受 諾 スル ノ 用意 ア リ。
ヤ、 米 政 府 ハ着 々英 米 関 係 改 善 ヲ基 調 ト スル 軍縮 促 進 ノ 画策 ヲ進 メ、 新 駐 英 ﹁ド ー ズ﹂ 大 使 ハ赴 任後 直 ニ英首 相 ﹁マク ド ナ ル ド﹂ 氏 ト 会 商 シ テ海 軍 問 題 商 議 ノ実 際 的 端 緒 ヲ開 キ、 次 デ吾 松 平 大 使 ノ諒 解 ヲ求 メタ ル後 、 茲 ニ去 ル十 八 日 次 ノ 要旨 ノ声 明 ヲ ナ セ リ。
軍 備 制 限 ニ関 ス ル帝 国 ノ方 針
軍備 ヲ縮 小 シ国 民 ノ負 担 軽 減 ヲ計 リ 以 テ世 界 平 和 ノ維 持 ニ寄 与
一、 軍 備 制 限 ニ対 ス ル帝 国 ノ態 度
セ ント ス ル崇 高 ナ ル企 画 ニ対 シ テ ハ帝 国 ハ真 摯 ナ ル態 度 ヲ以 テ
雖 然 列 国 間 ノ軍 備 制 限 ハ公 正 且 合 理 的 ナ ラザ ル ベ カ ラ ス。 且 又
列 国 ト 協 調 ス ル ニ努 ム ヘシ 。
及 ボ セ リ。 目 下 第 一ノ必 要 ハ世 界 平 和 ノ 好 愛者 ガ協 力 ニ依 ル ニ
ノ ニシ テ、 若 シ夫 レ国 家 自 衛 上 安 全 確 保 ヲ期 シ 得 ラ レ ザ ル如 キ
特 殊 ノ国 情 ニ在 ル国 家 ニ対 シ テ ハ之 ガ 国 情 ヲ充 分考 慮 スベ キ モ
﹁ケ ロ ツグ 、 パク ト ﹂ ノ批 准 ハ世 界 平 和 ノ 国際 討 議 ニ大 変 化 ヲ
ル ニア リ テ、 今 ヤ 主 要 海 軍 国 ハ速 ニ海 軍 軍 縮協 定 ニ達 スル事 ヲ
ニア ラ ザ ル モ ノト 認 ム。
縮小 案 ハ、 世 界 的 軍 備 縮 小 ナ ル大 事 業 ノ真 目 的 ヲ達 成 スル 所 以
非 ザ レ バ其 ノ目 的 ヲ達 シ 得 ザ ル事 ヲ深 ク 自 覚 シ テ目 的 ニ適進 ス
ト専 門 家 ト ヲ交 ヘタ ルタ メ失 敗 セ ル ニ鑑 ミ テ 之 ヲ変 更 シ 、各 国
帝 国海 軍 軍備 ハ 一ニ受 動 的 ニ国 家 ノ自 主 独 立 ヲ擁 護 ス ル ヲ目 的
二 、帝 国海 軍 軍備 ノ 目標
急 務 ト ス。 而 シ テ将 来 ノ軍 縮 商 議 ノ方 法 ハ、従 来 委 員 ニ政治 家
ハ別 々 ニ専 門 家 ヲ シ テ海 軍 力 比 較 ノ物 差 ヲ決定 セ シ メ、 之 ヲ実 際 ニ使 用 シ妥 協 点 ヲ見 出 シ条 約 ノ成 案 ヲ得 ル事 ハ政 治 家 ヨリ成
防 ノ コト タ ル ヤ 国家 ノ安 全 ヲ離 レ テ之 ヲ論 ス ベカ ラザ ル コト 勿 論
蓋 シ 軍縮 問題 ノ 政治 的 解 決 ハ素 ヨリ 其 ノ所 ナ リ 。 然 レ ド モ軍 備 国
之 ヲ以 テ 足 レ リ ト スル モ ノ ナ リ。
維持 確 保 スル ニ必 要 ナ ル兵 力 ヲ保 有 ス ル ヲ絶 対 必 要 ト シ、 且 ツ
海外 ニ仰 ガ ザ ル ベ カ ラ ザ ル特 殊 国 情 ニ鑑 ミ、 須 要 ナ ル交 通 線 ヲ
的作 戦方 針 ノ 要求 ヲ充 シ得 ルト 同 時 ニ、 吾 国 民 生 活 必 需 資 源 ヲ
ト シ 、素 ヨ リ何 等 侵 攻 的 意 図 ヲ有 ス ル モ ノ ニア ラズ 。 従 テ自 衛
ニシ テ 、 即 チ他 日会 議 ニ臨 ム ニ方 リ テ ハ、 一面 世 界 ノ平 和 維 持 ト
ル委 員 ノ任 務 ト ス ベキ ナ リ。
国 民負 担 軽 減 ノ タ メ列 国 ニ協 調 シ テ協 定 ノ成 立 ニ努 力 ス ル ノ用 意
海 軍 ニ対 シ 尠 ク モ 七 割程 度 ノ兵 力 ヲ必 要 ト認 ム。
ルト 雖 、 其 ノ主 要 点 ヲ要約 ス レ バ 、保 有 兵力 量 、 比 率 及 兵 力 ノ
シ テ実 行 容 易 ナ ル ヲ期 スル ヲ要 ス。而 シ テ其 ノ内 容 ハ多 岐 ニ亘
制 限 方 式 ノ決 定 ニ関 シ テ ハ制 限 目 的 ノ趣 旨 ニ合 シ且 簡 明 正 確 ニ
三、制限方式
而 シ テ右 ノ 目 的 ヲ達 成 ス ル ニ ハ、 補 助 艦 ニ関 ス ル限 リ世 界 最 大
アル ト共 ニ、 他 面 軍備 ノ本 旨 ヲ閑 却 シ テ国 防 ノ不 安 ヲ招 キ 国 家 発 ︹ 覊︺ 展 ノ前 途 ニ永 ク 覇束 ヲ遺 ス ガ如 キ 虞 ナ カ ラ シ ム ル ノ覚 悟 ア ル ヲ要 ス。 叙 上諸 般 ノ情 勢 ニ鑑 ミ帝 国 ハ左 記 方 針 ニ則 リ機 宜 必 要 ノ方 策 ヲ講 ズ ル ヲ適 当 ト 認 ム。
内 容 ノ三 件 ヲ協定 スル コト ニ帰 着 ス ベ シ 。
而 シ テ此 等 三 件 ハ、 各 国 特 殊 ノ国 情 ヲ参 酌 シ 国 家 安全 ノ 平等 ヲ
ニシ テ実 ハ合 理 的 ナ ラズ 。 且 之 ガ 実 際 ノ適 用 ハ頗 ル 困 難 不 確 実 ナ リ。
力 、 其 ノ他 ノ能 力 要 素 ヲ加 味 ス ル ノ案 ハ、 一見 妥当 ナ ルガ 如 ク
保 有 兵 力 量 ニ関 シ テ ハ、 軍 備 制 限 ノ趣 旨 ニ基 キ 軍 備 ノ 縮 減 ヲ期
ノ尺 度 ト ス ル ヲ最 妥 当 ナ リト ス ル ニ帰 ス ベシ 。
結 局 排 水 量 若 ク ハ排 水 量 ニ艦 齢 ヲ加 味 セ ル モ ノ ヲ以 テ勢 力 比 較
期 ス ル ノ精 神 ヲ基 調 ト シ テ決 定 セ ラル ベ キ モノ ナ リ 。
ス ル ニ努 メ苟 モ拡 張 ニ亘 ル如 キ コト ナ キ ヲ要 ス。
( 昭和四年十月十 一日)
ら 、 か ゝる 不幸 を 見 さ る内 ニ、 閣 下之 努 力 ニて両 者 之 疎 隔 を 見 さ
︹ 註︺海軍用箋九枚にタイプ印書。
国全 部 協 力 シ テ之 ヲ 開催 進 行 セ シ メザ ル ベカ ラザ ル モ ノト 認 ム。
協 定 ス ル ハ妥 当 ナ ラズ 。 会 議 ハ直 接 利 害 関 係 ヲ有 ス ル主 要 海 軍
四 、海 軍 軍備 制 限 問 題 ハ、 其 ノ性 質 上 二 、 三 強 大 国 ノミ ニテ 討 議
比 率 ニ関 シ 帝 国 ハ量 的 不 平 等 ヲ認 ムル ノ不 得 已 ル 現状 ニア ル モ 国家 自 衛 平 等 ノ主 義 ニ則 リ 国 防 的 平 等 ヲ期 セ ント スル モノ ナ リ 。 保 有 兵 力 ノ内 容 ニ関 シ テ ハ二十 糎 砲 搭 載 巡 洋 艦 以 上 ノ 大 艦 ハ特 ニ比 率 ヲ重 視 シ、 軽 巡 洋 艦 以 下 ノ小 艦 及 潜 水 艦 ニ於 テ ハ自 主 的 所 要 量 ヲ主 ト シ テ考 慮 ス ベキ モ ノナ リ 。
幣 原 と 会 見
海 軍力 測 定 ノ尺 度 ハ合 理 的 且 簡 単 ナ ル ヲ可 ト ス。 備砲 口径 、速
二
幣 原と 会 見
本 問 題 之成 否 は 閣 下之 双肩 ニ繋 る こと 大 な るも のあ る は 何 人 も 疑
る様 致 度 主 旨 ニて参 上 せり 。
なき 所 な るを 以 て 一肌 抜 か れ ん こと を 切 望 す 。
昭 和 4年 10 月 11 日 今 度 之 軍縮 交 渉 ニ就 て は幸 ニ外 務 、 海 軍 ノ協 同 か 実 ニ完 全 ニ出 来
此 機会 ニ昨 日之 軍令 部 長之 私 見 を 更 ら ニ ﹁エ ム フ アサ イ ズ﹂ す れ
タ ー ト﹂ を 切 る場 合 、 万 一意 見 之 衝 突 でも あ つ て反 目 を 新 聞 ニ乗
我 海 軍 の補 充 計 画 は往 年 之 八 八計 画 之 為 メ ニ補 助 艦 は 非 常 ニ破 と
は 如次 。
︹マ マ︺
いが 順潮 ニ進 み ツ ヽあ るは 真 ニ国 家 之 慶 事 な り 。 今 や 一息 で ﹁ス
て 、 予備 交 渉 も 松 平 、 出 淵 両 大 使 之 骨 折 で未 た 先 方 之 確 答 は 得 な
じ ら る ゝ様 ニな ると 、 再 ひ華 府 会 議 の失 敗 を 繰 返 へす 様 ニな る か
自 分 も 就 任 後 親 シく 実 際 を 調 へて非 常 ニ驚 き た る 位 な り 。 之 を御
一月 近 く 英 京 ニ不 在 す る 事 であ る 。 此 大 事 な 場 合 ニ今 マデ 之 行
せ る様 ニし て貰 ひた い。吾 々 か 一番 危 ぶ む 処 は ﹁コ﹂ も ﹁ド ﹂ も
セ メテ会 議 の期 日丈 で も交 渉 の経 過 如 何 ニよ つて は弾 力 性 を 持 た
と す る英 米 の約 束 も あ るか ら 、 吾 々海 軍 は 此 ニ大 ニ力 を 得 、 飽 ク
話 す ると 、
ガ ヽリ を放 擲 し て松 平 を オイ テ ケボ リ ニし てを く 事 であ る。
迄 も 予備 会 議 で七 割 問 題 の カ タを 付 る覚 悟 を し て居 る 。 故 ニ今 度
開 戦 当 時 交 通 線 や空 襲 の防 禦 は 殆 ん と 空 虚 ニす る か 、然 ら さ れ は
米 国 人 之 評 ニ独 逸 人 は スポ ー ツで最 後 ニ必 す 折 れ る。 之 は世 界 戦
な り 、 主 戦 部 隊 の バ ラ ン スを 失 せ る こ と 甚 し き も あ り た る 処 へ、
主 戦 部 隊 の勢 力 を 始 め よ り 分 散 せ さ る 可 か ら さ る 如 き破 目 ニな り
争 ニも 予 言 し た 通り 根 強く ヤ ツタ ラ倒 れ た と 云 ふ て居 るか ら 日本
華 府 条 約 ニて六 割 を 強 ら れ 愈 薄 弱 と な れ る を 以 て 、 爾後 極 力補 助
勝 也 。 自 分 が 云 ふ 迄 も 無 く 、 之 か ら の支 那 問 題 は 所 謂幣 原 外 交 で
も 見 ク ビ ラレ ヌ様 ニ仕 た い。
ツト﹂ さ せ て貰 ひた い。
米 国 と 提 携 し て ヤ ツ テ貰 ふ こと を 熱 望 す る か 、 彼 の エ コ ノミ カ ル
東 郷 元 帥 も非 常 ニ之 を 心 配 し て、 最 後 ニは決 裂 を も 辞 せす と 云 ふ
之 回答 ニは此 点 を 抜 り な く 、 全 権 が 立 ツ前 ニ是 非 先 方 ヲ ﹁コ ム ミ
ペネ ト レ ー シ ヨ ン は中 々止 む ま い。
ニ遭 ひ今 尚 多 大 之 不 足 を 感 シ 居 れ り 。
カく し て利 権 が 政 治 問 題 と な り ソ コ ニ暗 闘 が 起 り 、 米 国 のダ イ ハ
てをられる。
兵 力 の充 実 ニ努 め し も 、 根 が 掛 値 な し 主義 の上 ニ毎 回議 会 之削 除
ー ド か云 ふ如 く 支 那 問 題 は 海 軍 之 力 で強 行 す へシ と 云 ふ も のす ら
華 府会 議 は 立 ち あ が り が悪 か ツた為 終 始 彼 の後 手 と な つた。
一万 屯 全 盛 は 工 業力 弱 き我 国 ニ不利 。
雑件
あ る は注 意 す へき 処 也 。 故 ニ幣 原 外 交 を 平 和 的 ニヤ る ニも 、 将 又
海 軍 は 陸 軍 と 異 なり 一日 一朝 ニ出 来 ス。 積 年 の教 育 ニ待 タ サ ル 可
最 後 の突 張 り を 為 す ニし ても 、 我 は 彼 の畏 敬 す へき 何 物 か を 持 て
る こと は出 来 ぬと 思 ふ。
居 らね は足 下を 見 ス カ サ レ て、 米 国 流 之 ﹁ハイ ハ ンド﹂ を 予 防 す
の諒 解 あ る が 為 也 。
ら す 。 陸 軍 之 如 く 人 夫 ニ鉄 砲 で は 出 来な い。
幣原曰く。
海 軍 の苦 心 は美 保 関事 件 ニて も 明瞭 。而 か も士 気 衰 へさ る は挙 国
右 の様 な 次 第 であ るか ら 、 外 交 の ﹁バ ツ ク﹂ と し ても 最 後 の国 防
で、 何 を 云 ふ ても 表 面 ニ顕 は れ る数 が 問 題 の核 心 と な る の であ る 。
と し ても 七 割 は実 ニ絶 対 の数 で、 今 か ら 考 へれ は 余 り ユト リ のな
ニ奮 闘 す へく 決 心 し 堅 く 部 下 ニ覚 悟 を命 シ あり 。尚 ホ ﹁メ モ ラ ン
予 は 日 本 海 軍 の意気 ニ感 シ 此 士気 を 衰 ゑ さ せ ぬ様 吾 々も 外 交 戦 争
海 軍 の戦 略 配 備 は陸 軍 と 違 ひ秘 さ れ な い艦 の数 で 推 定 出 来 る も の
い初 手 を 打 ツた も のと 後 悔 し て居 る 。 ソ コデ 昨 日 も 閣 下 之 云 は れ
ダ ム﹂ は 止 メた り 。 会 議期 日 延期 は 既 ニ三 ケ 月 以後 な れ は宜 し く
た 如 く ド ウ シ テ モ本 会 議 前 ニ此 問 題 丈 は 諒 解 を ツケ テオ ク コト ヲ 必 須 条 件 と 考 ふ る の で、 加 之 別 紙 ニも あ る 如 く 非 公 式 交 渉 を 第 一
海 軍 省 ニも 交渉 し て 云 ふ た後 な れ は 六 ケし 。 但 し 七 割 を ヨビ 交 渉
以 上 昭 和 四 年 十 月 十 一日
九 百 卅 六 年 ニ延 ハ ス事 、 仏 ハ之 ニ ハ合 意 ス ヘシ。
見
( 昭和 四年十 一月 二日)
助艦 協 定 ニ失 敗 ス ル コト ア ル モ主 力 艦 タ ニ縮 小 ス ル ヲ得 ハ軍 縮
( 3) 主 力 艦 ハ縮 小 ノ余 地 ア リ テ其 ノ効 果 ハ補 助 艦 ヨ リ モ大 。 若 シ 補
レ ハ譲歩 ノ余 地 ハ絶 対 ニナ シ。
鉛筆で ﹁ 清書 スミ﹂ とあり。
︹ 註︺ 巻紙 に墨書。但し ﹁ 幣 原と会 見﹂ は裏 に青鉛 筆書。その脇に赤
上富 士 前 幣 原 邸 ニて
で 極 め る こ と は 英米 も ヤ ツ タ ノ ダ カ ラ 日本 も 出 来 ヌ筈 な し と 云 ふ て 回 答 ニ書 か せ る 積也 。
ラ ン ス﹂ ヲ為 ス事 。 今 回 ノ提 唱 ニテ 一層有 利 なら ん。 之 に テ濠 州
財 部 ニも 仲 介役 と し て 必 要 ナ レ ハ韮 島 又 ハ濠 州 に不 戦 ﹁ア シ ユ ア
4︱ 11︱ 2
意
と 米 国 之 口 ヲ抑 ヘ、 而 シ テ 十 八 、 十 五、 十 二 ト シ 、 潜 水 艦 ハ千
三
意 見
海 軍 ノ態 度 ハ明 ナ ル モ政 府 ノ態 度 明 瞭 ヲ欠 ク 為 国 民 ハ帰 趨 ニ迷
一、 政府 ノ態 度 ヲ明 ニス ル コト。
(4) 潜 水 艦 ハ廃 止 ニ不 同 意 ナ ル ノ ミ ナ ラ ス防 備 上 所 要 量 ヲ必 要 ト ス。
目 的 ノ大半 ヲ達成 シ得 ル コト。
出 国論 ノ統 一ニ大 ナ ル障 碍 ヲ ナ ス ヘシ。
三 、 閣 議 ニ於 テ 訓令 ト 共 ニ決 定 ス ヘキ重 大 問題
ヒ ツ ヽアリ 。 此 ノ 間外 国 ノ宣 伝 盛 ナ ル為 放 任 ス ルト キ ハ群 疑 百
予 備 交 渉 ニ入 ラ ント スル此 ノ際 、 適 当 ノ形 式 ニテ政 府 ノ態 度 ヲ
(1 ) 是 非 共 会 議 ヲ纏 メ ント セ ハ態度 軟 弱 ト ナ リ テ英 米 ニ付 ケ込 ル ヘ
ス。
( 2) 万 一決 裂 ノ場 合 ニ ハ我 公 明 ナ ル 心事 ヲ天 下 ニ声 明 ス ル ト共 ニ、 国 力 ノ許 ス範 囲 ニ於 テ 軍 備 ヲ充 実 シ 、敢 テ建 艦 ノ競 争 ニ加 ハラ
シ 。 飽 迄 強 硬 ニシ テ会議 ノ決 裂 ヲ辞 セ サ ル ノ覚 悟 ヲ以 テ ス ヘシ。
表 明 シ 、内 外 呼応 シ テ 目的 ノ貫 徹 ヲ期 ス ヘキ ナ リ。 二、 表 明 ノ要点 (1) 我 主 張 ハ体 面 論 ニ ア ラ ス又 懸引 ニア ラ ス 。若 シ斯 カ ル期 待 ヲ以 テ会 議 ニ臨 ム モノ ア ラ ハ失 望 ス ヘキ コト。 (2 )我 主 張 ハ他 国 ヲ脅 威 スル コト ナ ク 専 ラ自 衛 ノ見 地 ニ立 ツモ ノ ナ
(3)声 明 ノ 要点
備 ヲ保 有 ス ル ニ在 リ 。斯 カ ル自 衛 的 軍 備 ヲ目 標 ト ス ル我 七 割
イ 、我 主 張 ノ 要点 ハ他 国 ヲ脅 威 セ ス又 他 国 ノ脅 威 ヲ受 ケ サ ル軍
東 郷 元 帥 之 御 答 え
シ 。 既時 ノ友 好 関 係 ノ存 続 ス ル限 既 定 計 画 以 上 ニ出 ツ ル コト
ロ、 帝 国 ハ協 定 ノ 不成 立 ニ籍 口 シ テ海 軍 拡 張 ニ出 ツ ル ノ意 思 ナ
ナ ク 、為 シ得 ル 限 リ之 ヲ縮 小 セ ント ス ル モ ノ ナリ 。
( 加藤之所要兵力説明ニ付、昭和四年十 一月十三日)
要求 カ 英米 ノ 同意 ヲ得 サ リ シ ハ頗 ル遺 憾 ト ス ル所 ナ リ 。
四
場 合 七 割 以 下 ニ補 助 艦 迄 も 引 下 る と 云 ふ事 は 絶対 ニ同意 出 来 ぬ。
か ら 同 意 し た 。 事 実 ソウ ナ ツ テ来 た か ら安 心 し て 居 た が 、今 度 之
主 力 艦 六 割 は 不 安 であ ツた が 補 助 艦 之 増勢 で 其失 を 補 ふと 云 ふた
元帥 之 御 答 え
題 を 起 す へき 不 安 が あ る 。 ソウ し て 支 那自 身 之力 で は決 し て之 を
兵 力 之 集 中 は 何 之 為 か と 云 え 。 支 那 問 題 を 見 よ 。 到 る処 に 国際 問
な ら 、 布 哇 や新 嘉 波 ( 韮 島 と 云 は れ た る も 此 意 な ら ん) 之 防備 ヤ
東 洋 之 平 和 は 忽 ち 乱 れ る。 英 米 が 口 ニ不 戦 を 唱 え 国 際聯 盟 を 云 ふ
那 は禍 根 であ る 。 日 本 之 武 力 が 畏 敬 す へき も の で は な く な つた ら
如何な る美句を用ヰ ても ( 不 戦 と か 国 際 聯 盟 を 指 す)、 将 来 之 支
出 来 な い。
外 交 官 は 稍 も す れ は 政 治 的 ニ ﹁六 ・五﹂ と か ﹁六﹂ と か ニ妥 協 せ
十 一月 十 三 日加 藤 之 所 要 兵 力 説 明 ニ付 東 郷 元帥 邸 ニ於 て
ん と す る か も 知 れ ぬ が 、 之を 決 し て 聞 て は な ら ぬ。
米 の過 去 之 歴 史 的事 実 を 認 め其 保 有 勢 力 ニ考 慮 し た から で はな い
主 力 艦 ニし てさ え 対等 均 勢 な る へき も のを 六割 ニ許 した の は、 英
を 任 地 限 り 之 大 将 と し て 、 常 に 支 那 問 題 ニ牛 耳を 取 ら んと す る内
衝 で無 事 ニ収 つた 場 合 は 殆 ん と 無 い。米 国 が少 将 を 派 し な がら 之
危 険 が 伏 在 す 。 今 迄 之 様 子 を 見 る ニ斯 様 な場 合 外 交 官 の 口舌 之 折
処 理 し 得 す 、 何 時 も 日 英 米 三 国 之 厄介 に な ら で は済 ます 。 此 コ ニ
か 。 然 る ニ今 日 は 華府 会 議 之 場 合 と 異 なり 、 我 巡 洋 艦 は 立 派 ニ英
心之容易良く〓
﹁本 件 財 部 海 相 ニも 言 ふ て置 た と後 ニ語 れ し様 覚 ゆ﹂
米 ニ比 し主 力艦 以 上之 高 率 を 持 て居 るも のを 、 尚 ほ謙 遜 し て許 す
日 本 の財 政 経 済 危 シ と て 英米 ニ頼む 処 大な り と 云 ふも 、 日本 が 相
注 意 す べし 。
限 り 之 最 小 限を 掛 引な し に主 張 した か ら ニは 、 一歩 も 退 く こと は
当 ニ恐 れ ら れ る 場合 ニの み頼 み ニな る の で、 日本 が 弱 し と 見 れ は
仕 方 ガ ナイ 。 一歩 譲 レ ハ又 一歩 譲 ラ セ ラ レ テ 限 リ ナ イ。
六 ・五 デ 英 ニ許 シ タ ラ、 夫 レ ナ ラ 云 、 或 ハ五 ト 云 フテ コラ レ テ モ
( 此 点 殊 ニ強 く 云 は れ た り)
ら ぬ 。 ド ウ カ ス ルト 国 民 を 誤 ら し め は せ さり しか と 予は 心 配 す 。
る 丈 之 貫 目 が 肝 心 な り 。 世界 平 和 は結 構 、 且 ツ万 人 之 声 な る こと
一層 反 対 ニ逆手 ニ出 ら れ んも 計 り 難 し。 頼 む ニは 頼 み ニ応 せ し め
幣 原 の ﹁ラジ オ﹂ 之 如 く な れ と表 と 裏 があ る 。幣 原 は ア ヽ云 は な
会 議 ニ臨 む 態 度
英 国 政 府 の 軍 縮 招 請 の 目的 は、 招請 文 ニ明 記 しあ る 如 く 、 ﹁華
( 海軍大臣筆、昭和四年月日不明)
れ は な ら ん か も 知 れ ん が 、 吾 々 は其 裏 を考 へ用心 堅 固 ニせね は な
五
海 軍 大 臣筆
二項 ニ規 定 せ ら れ た る 問 題 の準 備 竝処 理﹂ ニ在 り 。 其 何 れ を 主
府 条 約 ニ規 定 せ ら れ さ る艦 種 を 考 究 す る為 該 同 条 約 第 廿 一条 第
る旨 明 記 し あ つテ、 其 真 意 は 予 備 交 渉 ニ於 て完 了 せ さ る 限り 之
従 つて英 国 政 府 ニ於 て補 助 艦 問 題 ニ付 先 ツ会 議 を 為 さ ん こ と を
府 ニ於 ても 同 様 意 見 を 開 陳 せ ら る ゝを 得 は幸 な り﹂ と 附 言 せ り。
ニ関 し追 而 何 分 の見 解 を 閣 下 に 通 報 す る 意向 に し て 、 日本 国 政
﹁英 国 政 府 は 会 議 ニ於 て 討 議 す る を適 当 な り と 思考 す る諸 問 題
於 て、
と し 何 れ を 従 と す へき 筋 ニ非 る が 、尚 英 国政 府 を 其 の招 請 文 ニ
会 議 ニ臨 む 態度
め 対 英 回 答 ニ於 て 、
イ 、 補 助 艦 比率 問 題 は帝 国 政府 之 最 重 き を 置 く 処 にし て、 之 か 為
﹁特 ニ重 要 な る 問 題 ニ関 し て は 其 最終 的決 定 之 為 会 議 ニ提 出 せ ら る ゝに 先 ち 英 国 政府 及 本使 間 ニ非 公式 会 談 を 続 行 完 了 せ
を 議 題 と な さ ゞら ん と す る に 在 り 。 故 ニ総 括 的 及 二 十 珊砲 巡洋
へく 、会 議 ニ関す る諸 問 題 ニ関 し ては 帝 国 独 自 之 見 解 よ り 申 出
提議 す る こと あ り と す るも 必 す し も 之 ニ追 従 す る 之 必 要 な か る
む こと を 切 望 す ﹂
原案 ﹁ 絶 対 ニ﹂ 之 を 避 く る こと と 致 度 。
る ニ何 等 妨 け なか る へし 。 但 し 之 か 為 め 英 国 政 府 之 諒 解 を 得 る
艦 比 率 問題 ニ関す る限 り 予 備 交 渉 未 完 了 の侭 会 議 ニ臨 む こ と は
ロ、 ニ関 し、
覚
尚 外 相 之 意 見 之 如 く 軍事 費 縮 減 上 直 接 且 つ大 な る 効 果 あ る 主 力
如 く 努 む る は勿 論 な り 。
なり。
す る のも 、 進 ん て 他を 侵 す之 意 なく 唯 退 て自 ら衛 る ニ専 ら な る
日 本 が 最 強 海 軍 国 ニ対 し 均等 を 要求 せす し て其 七 割 程 度 ニ甘 ん
( 備 考 ) 補 助 艦 ニ於 ては 之 を 縮 少 せむ と す る も 自 ら 限 度 あ り て
ツプ ﹂ を 益 す減 価 せ し め ツ ヽあ り 。 之 十 ハ十 ニ用 ゐ ら れ七 割 之
( 註) 海 洋 之 移 動 自 由 性 と 交 通 船 之 発 達 は距 離 之 ﹁ハ ン デキ ヤ
之 実 証 に し て 、 七 割主 張 は何 れ 之 国を 脅 威 す るも の ニあ ら さ る
艦 ニ関す る こと を 先 ツ議 す る こと ゝし 、 会 議 紛 糾 之 虞 大 な る 補 ︵ 原「 致度」 ) 助 艦 之 こと は之 を 後 廻 は し ニす る こと ニ努 力 し た し 。
大 々的 縮 少 ニ応 し得 る余 地 ニ乏 し 。 之 れ 英 ニ於 て殊 ニ甚 し か ら
脅 威 た ら さ る こ と 明白 也 。
在 る 之 感 を 懐 く 。 帝 国 海 軍 累 次 之 壮 烈 な る 犠 牲 は 之 か為 也 。
六 割 之 制 限 は 国 民 ニ甚 し き 不 安 を与 へ、為 メ ニ常 ニ脅 威 之 下 ニ
主力艦
ん。 是 れ防 備 上所 要 之 配 備 を 為 し 用 兵 上 適 当 の編 制 を 維 持 す る
不得 已 なり 。 故 ニ参 加 国 ニし て万 一英 米 現 協 定 以 下 大 々的 ニ縮
為 必 要 な る の みな らす 、 平 時 の警 備 在 外 邦 人 保 護 等 の要 務 之 為
少を 為 す の意 あり と せ は、 軍縮 上 最効 果 多 く 且 つ純 攻 撃 的 な る
国 際 の平 和 は 相 互 ニ相 安 心 す る ニ在 り 。 国 民 か常 ニ不安 を 感す
覚
( 東郷元帥談、昭和五年三月十六日)
ノ﹂と書入れあり。
主 力 艦 ヲ六 割 ニシ タ ノ ダ カ ラ巡 洋 艦 ハ是 非 七 割 ヲ取 ラ ナケ レ ハナ
元帥談
︹ 註︺ 冒頭に ﹁ 別紙之次第 ヨリ財部海相之自書 トナリ外相 ニ送 レルモ
る 如 き は 国 際 親 善 ニ実 を 挙 る 所 以 ニ ア ラ ス。
主力 艦 之縮 少 ニ 一段 之努 力 を 強 調 す るを 可と せ ん。 以 下 若 槻 全権 外 部 ニ対 す る説 明 軍 縮 之 基 調 ハ何 国 て も脅 威 を与 へさ ると 同時 ニ何 れ 之 国よ り も
六
脅 威 を 受 け さ る程 度 な ら さ る へか らす 。
覚 五 、 三 、 一六
ラ ヌト 云 フ ノ ハ自 分 ノ主 張 ダ 。
デ之 ガ絶 対 最 少 限 デ之 ヨ リ引 カ ヌト云 フ コト ヲ聞 タ カ ラ承 知 シタ 。
自 分 ハ七 割 デ モド ウ カト 思 ツ タ ノ ダ ケ レド 、 今 迄 ノ行 掛 リ ト 訓 令
( 財 部 ハ良 ク判 ツ ト ル筈 ダ ト繰 返 シ テ云 ハル︶
亜 米 利 加 ガ 大 型 巡 洋 艦 ヲ六 割 ニ押 シ 付 ケ向 フ三年 迄 (一九 三 三年
フ態 度 デ ヤ ツト ル コトダ カ ラ、 一分 ガ ド ウ ノ 二分 ガ ド ウ ノト 云 フ
要 ス ル ニ七 割 ト云 フ事 ガ 満 タ サ レ ナケ レ ハ国 防 上 安 心 出 来 ヌト 云
米 第 一艦 起 工 之 年 ヲ云 フ︶ 七 割 強 デ 行 ク カ ラ 日本 ニガ マン セ ヨト 云 フカ 。
小 サ ナ懸 引 ハイ ラ ナイ 。
ソウ シ テ米 国 ハ十 八 隻 ヲ条 約 ニ書 ク ノ カ 。 ソ ンナ 事 ハ不 可 解 ナ 遣 方 デ ハナ イ カ 。 一度 書 キ物 ニ約 束 シ タ ラ 取
ヤ レ。 以上 ハ浜 口 ニモ幣 原 ニモ自 分 之 堅 イ 希 望 ダ ト 云 フ テ伝 ヘ テ 呉 レ。
向 フガ聴 カ ナ ケ レ ハ断 乎 ト シ テ引 上 ル ノ ミ。 此 態 度 ヲ強 ク云 フ テ
幣 原 之 腹 ハド ウ カネ 。 文 官 ハト カ ク遠 キ 将 来 之 事 ヲ心 配 セ ス、 目
返 シ ガ ツカ ヌ。
年 後 ニド ウ ナ ルカ 判 ラ ヌ。
吾 々 ニ最 モ大 切 ナ ノ ハ今 ヨリ モ三 年 後 之事 ダ 。 国 際 関 係 ノ事 ハ三
三 年 後 ニ六 割 ニサ レ テ ソウ シ テ 之 ヲ戻 ス ニ又 々論 争 セネ ハ出 来 ヌ
前 之 事 ヲ甘 ク片 附 様 ト ス ル カ ラ困 ル。
緒 方 ニ御 伝 言
︹ 註︺ 巻書に墨書 。冒頭に赤鉛筆 で次のよう な書 入れがあ る。
右 ニ対 シ次 官 之 過 日 ノ説 明 ヲ述 ベ オキ タ リ。
﹁ 次 デ外 務 之 譲 歩 説 ニ就 而 困 ツ タ モ ノダ ト 云 ハル﹂
様 ナ 事 デ ハ危 ナ イ 。 一度 屈 シ タ ラ 二 度 ト 取 返 ヘサ レ ヌ事 主 力 艦 六 割 ノ通 リ ダ 。 コンナ 事 ハ全 権 モ良 ク承 知 シ テ 行 ツタ筈 ダ 。 コチ ラ ガ始 メ カ ラ 三
全 権 ノ過 去 ノ努 力 ニ至大 ナ ル必 ス良結 果 ヲ齎 ラ スト 考 フ。 例 ヘ主
割 ヲ譲 歩 シ テカ ヽツ テイ ル ノ ニ向 フガ 大事 ナ 巡洋 艦 ニ何 モ譲 ラ ヌ
ニモ却 テ夫 ガ 為 メ ニナ ル 。 破 レ タ ト テ 大 拡 張 ニ ハナ ル ノ デ ナ イ カ
ナ ラ ハ、 ソ レ デ ハ致 シ 方 ナ イ ト 云 フテ 帰 テ来 ル計 リ ダ 。 日本 ノ為
張 通 ラ ス不 調 ニ了 ツ テ モ国 家 ノ為 メ ニ喜 フ ヘキ 事 ト 思 フ。
?
ラ財 政 上 心 配 ハイ ラ ヌ。
七 御 批 准 賛 否 ( 昭和五年)
御批准賛否
5 黒 田
長成
11 石 黒
政 章
致
忠 恵
3 久保田 健治郎
12 松 室
錠次
10 山 川 健 次 郎
大将
13 富 井
公威
4 黒 田 長成
大将
7 河 合
健 治 郎
8 荒 井 賢 太 郎
6 田
1 伊東巳代治
9 水 町 袈 裟 六
委員
譲
2 金子堅太郎
〓
6 河合
14 桜 井
栄吉
5 田 7 荒井賢太郎
15 古 市
〓
〓
︹ 鉛筆書込み︺ 田 昌 ノ外 ニ息 子鉄 道 省 ノ 一局長
( 大 病) 併 し 出 る
反旗 ( 政 府)
可否同数 の時
17 福 田雅 太 郎
( 政府)
〓
9 山川健次郎
16 鎌 田
個人賛否 の権あり
( 腎臓重態)出られぬ
( 政府)
8 水町袈裟六 顧問官 1 平沼副議長
良 平
19 石 井 菊 次 郎
18 九 鬼
健 三
0 倉富議長 2 伊東委員長
20 岡 田
( 大患)出られぬ
〓
3 金子堅太郎
21 石 原
隆 一
4 久保 田 譲
22 鈴 木 貫 太 郎 千之
( 政 府) 特 ニ勅 許
二人
十四人 ( 石 黒を 含 む)
23 江 木 1 純 枢 府 本 位
3 〓
十 三人
四人
三人
出 られぬ
2 大 患 者
4 純 政府
国
隻
A 純 枢 府 〓 を 合 し て 十 七 人
B 純 政 府 〓 を 入 れ ず し て 十 七 人
C 若 し 〓 を入 れ る 時 は 政 府 側 二 十 人
一 隻
D 若 し 〓 を 入 れ ざ る 時 は枢 府 側 十 四 人 ︹ 茂︺ ︹ 註︺封 筒は別封筒と思わ れるが ﹁ 御批准賛否、杉 山乕丸持参、枢府 秘報﹂ と書き込まれて いる。
逐
艦
艦
﹁ス ルー プ﹂ 水
( 昭 和 六 年 三 月 軍令 部 秘報 参 照)
隻
一 隻
八
四
隻
隻
﹁註﹂、 目 下建 造 中 ノ モ ノ 六隻 ヲ算 ス
潜
三
﹁註 ﹂、 目 下 建 造 中 ノ モ ノ駆 逐 艦 十 四隻 ニ上 ル
駆
嚮 導 駆 逐 艦
﹁ 註 ﹂、 目 下建 造 中 ノ モ ノ中 型 二、 建 造着 手 ノモ ノ 二隻
五、〇〇 〇噸 級 巡 洋 艦
(関根 軍令 部 参 謀 稿 、 昭和 六 年 七 月 十 日)
( 昭 和 六︱ 七︱ 一〇稿 )
英 米 両 国 ニ於 ケ ル倫 敦 条 約 履 行 ノ状 況
八 英 米 両 国 ニ於 ケ ル倫 敦 条 約 履 行 ノ状 況
5 政 府 大 臣
一、 英
(イ) 主 力 艦 ノ廃 棄 倫 敦 条 約 ニ依 リ 廃棄 若 シ ク ハ改 装 ニ決 シ タ ル戦 艦 四隻 及 巡 洋 戦 艦 一隻 ハ既 ニ全 部 役 務 ヲ解 キ該 作 業 実 施 中 ナ リ
二
(ロ) 補 助 艦 艇 ノ建 造 本 年 度 建 造 ニ決 シ タ ル諸 艦 左 ノ如 シ ﹁リ ー ンダ ー﹂ 級巡 洋 艦
一 隻
テ之 ヲ議会 ニ提 出 シ タ ル モ嚮 導 駆 逐 艦 一及 駆 逐 艦 十 隻 ノ建 造
駆 逐艦 一、 駆 逐艦 一〇、 潜 水 艦 四合 計 十 八隻 ノ建 造 計 画 ヲ樹
倫敦 条 約後 航 空 母艦 一、 航 空 巡 洋 艦 一、 六吋 巡 洋 艦 一、 嚮 導
艦
砲 一 隻
艇
一 隻
門
案 ノ ミ 成立 シ其 ノ他 ノ諸 艦 ノ建 造 案 ハ議 了 ス ル ニ至 ラズ シ テ
尚米 国 政府 ノ 企 図 シ ツ ツア ル補 助 艦 補 充 計 画 ハ 一九 三 一年 ヨ
来議 会 迄 持 越 サ レ タ リ
二十 二隻
水 雷 学 校 用 機 雷 敷 設 艦 航 計 二、 米 国
( 終)
リ 同 四 四年 ニ亘 リ 代 換 及 新 造 ヲ含 ミ 合 計 八 五 〇 、〇 〇 〇 噸 建
造費 一、二 六 〇 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇弗 ニ上 ル モ ノ ナ リ
( 滝本信夫、昭和八年九月二十日)
︹ 註︺海軍用箋にタイプ印書。
・ 一五 事 件 ト 我 海 軍 主 脳 部
( イ) 主 力 艦 ノ廃 棄 倫 敦 条 約 ニテ廃 棄 若 ク ハ改 装 ニ決 シ タ ル戦 艦 三 隻 ハ目 下 該 作 業進行中 ナリ
五
( ) ロ 補 助 艦 艇 ノ建 造
九
︹マ マ︺
ニ於 テ朗 読 シ安 価 ナ ル涙 ヲ流 シ テ政 党 者 流 ニ媚 ビ 、 吾 人 ヲシ テ其
︹マ マ︺
心 情 ノ陋 劣 ナ ル苟 モ武 人 タ ル者 ノ態 度 ニ ア ラザ ル ヲ思 ハシ メタ リ 。
ヲ見 ル ヲ遺 憾 ト ス。 即 チ 五 ・ 一五事 件 ノ我 勇 士 ノ獄 中 日 記 ヲ議 会
然 レド モ其 主 脳 部 ニ至 リ テ ハ我 海 軍 ノ伝 統 的 巧 利 主 義 ニ終 始 ス ル
フ ニ巧 ミ ニシ テ政 治 的 懸 引 ニサ ヘモ 長 ジ 所 謂利 巧者 多 ク、 従 テ確
由 来 我 海 軍 一般 ノ気 風 ハ社 交 的才 能 ニ富 ミ外 国 語 ヲ操 リ洋 食 ヲ喰
而 シ テ当 時 吾 人 ハ該 日記 ノ真 偽 ニ付 キ 多 大 ノ疑 ヒ ヲ懐 キ タ リ 。 蓋
昭和 八年 九 月 二 〇 日
滝本信夫
乎 タ ル信 念 ニ乏 シ ク 断 乎 タ ル 決 意 ニ至 リ テ ハ甚 ダ シ ク 欠 ク ル所 ア
シ我 勇 士 ハ慎 重 ナ ル研 究 ト十 分 ナ ル熟 慮 ニ依 リ其 決 意 ヲ固 メ而 シ
五 ・一五事 件 ト 我 海 軍主 脳 部
リ ト 解 シ ツ ヽアリ シ ニ、 五 ・ 一五 事件 ニ依 リ 其青 年 将 校 ハ帝 国 軍
ニ共 鳴 ス ル所 ナ リ。 我 勇 士 ハ所 期 ノ 目的 ヲ完 全 ニ遂 行 シ 得 ザ リ シ
テ後 始 メ テ断 行 セ ラ レ タ ル モ ノ ニシ テ、 其 志 想 行 為 ハ吾 人 モ亦 大
︹マ マ︺
ス ル ヲ得 タ リ。
人 ト シ テ完 全 ナ ル大 和 魂 ヲ保 有 セ ル ヲ知 リ 、 吾 人 ハ大 ニ意 ヲ強 フ
件 ノ如 キ 誠 忠 無 比 ノ行 動 ニ出 デ 得 ザ ル ベ キ ヲ思 ヒタ レ バ ナ リ 。然
シ テ前 非 後 悔 ノ意 ヲ表 明 ス ルガ 如 キ 軽 薄 者 流 ハ決 シ テ 五 、 一五事
ヲ遺 憾 ト ス ル ノ心 情 ハ之 レ有 ルベ シ ト 雖 ド モ、 僅 カ ニ 一年 ナ ラズ
信 頼 ス ル ヲ得 ズ 。 未 ダ 巧 利 主 義 ニ堕 セザ ル純 真 誠 忠 ナ ル将 校 ハ各
ノ ヽ如 シ。 従 テ其 言 行 総 テ誠 意 ヲ欠 ク。 茲 ヲ以 テ部 内 ハ主 脳 部 ヲ
則 我 海 軍主 脳部 ハ武 人 ト シ テ最 モ忌 ム ベキ 巧 利 主 義 ニ終 始 ス ル モ
的 巧 利 主 義 ヲ見 ル。
判 廷 ニ於 テ遂 ニ其 真 相 ヲ暴 露 セ リ。 此 所 ニモ亦 海 軍 主 脳 部 ノ伝 統
︹ママ ︺
ル ニ該 日記 ハ今 回 ノ公 判 ニ於 テ偽 作 ニ係 リ 海 軍当 局 ノ 一時 ヲ糊塗
志 ニア ラザ ル ナリ 。 巧 利 主 義 ニ堕 シ タ ル 我海 軍主 脳部 ハ此 見 易 キ
ス ル モ ノナ レ バ、 此 大 主 旨 ヲ没 却 シ タ ル 随策 ハ断 ジ テ 我勇 士 ノ意
ノ負 担 ス ベキ モ ノ ニシ テ、 当 該 大 臣 ハ原 ヨリ 軍 事 参 議 官 ノ大 多 数
ス ル ニ足 ル。 若 シ罪 ア リト セ バ這 ハ社 会 ノ不 良 分 子 及 海 軍 主 脳 部
法 律 ヲ超 越 シ タ ル崇 高 ナ ル誠 忠 無 比 ノ行 動 ハ古 今 ヲ通 ジ テ亀 鑑 ト
等 勇 士 ノ 一意 君 国 ニ報 ズ ル ノ赤 誠 ハ神 人 ヲ シ テ泣 カ シ ム ル ニ足 リ 、
︹マ マ ︺
セ ンガ 為 メ ノ小 策 ニ過 ギ ザ リ シ ヲ暴 露 シ タ リ 。 恐 ラ ク 海 軍主 脳部
リ。 五、 一五事 件 ノ我 海 軍将 校 ハ唯 此 経 過 ヲ執 リ シ ニ過 ギ ズ 。 之
自 信 ンズ ル所 ニ向 テ突 進 ス ル ノ止 ムナ キ ︹ニ︺ 至 ル ハ自 然 ノ数 ナ
道 理 サ ヘ モ解 ス ル ノ誠 意 ヲ欠 ク モ ノナ リ 。検 察 官 ノ論 告 ニ対 シ、
︹マ マ︺
ハ斯 ク ス ル事 ガ 我 勇 士 ノ為 メ ニ有 利 ナ ル ベキ ヲ信 ジ タ ル モ ノ ナ ラ
艦 隊 乗 込 ノ 一将 校 ハ憤 慨 ノ極自 刃 シ タ ル ヲ伝 ヘ、横 須 賀 ニ於 ケ ル
ノ連 帯 責 任 ナ リ。
︹ママ︺
ン。 然 レド モ我 勇 士 ノ心 情 ハ 一ツ ニ我 大 和 民 族 ノ覚 醒 ヲ促 サ ント
ク ラ ス会 ノ会 合 ニ於 テ尋 常 ナ ラ ザ ル空 気 ヲ醸 モ シ喧 囂 ヲ来 シ 、遂
富 メ ル者 ハ産 ヲ守 ル ニ急 ニシ テ又 情 ヲ忘 レ、 高 位 高 官 ノ者 ハ其 地
︹マ マ ︺
ニ大 臣 ノ訓 示 ト ナ リ 東 郷 元 帥 ノ意 ノ アル 所 ヲ附加 シ テ伝 フル ニ至
東 郷 元 帥 ハ歴 史 的 国 宝 ト シ テ 万 人 ノ等 シ ク尊 敬 愛 慕 ス ル所 ナ リト
晏 如 タ ルガ 如 キ ハ吾 人 ノ 甚 ダ 了解 ニ苦 ム所 ナ リ。
タ ル モ ノ ニ ア ラズ シ テ何 ゾ ヤ 。如 此 キ無 能 者 ニシ テ尚 大 臣 ノ職 ニ
巧 利 主 義 ノ如 キ ハ国 ヲ誤 リ我 海 軍 ヲ毒 ス ル モ ノナ リ 。
ノ士 ニ待 タザ ル ベ カ ラザ ルナ リ 。 無 策 ハ大 策 ナ リ 。 小 策 ヲ弄 スル
乏 シ カ ラズ 。 時 ハ非 常 時 ナリ 。 之 レ ニ処 ス ル ハ誠 意 アル 年 少 気 鋭
皆之 レ ﹁ 表 面 ノ飾 リ ニ過 ギ ザ ル ベ シ﹂。 海 軍 部 内 新 進 有 為 ノ 士 ニ
部 ニ依 リ テ統 率 セ ラ ル、 我 海 軍 如 何 ニ精 鋭 ナ ル艦 船 ヲ備 フト 雖 モ
︹マ マ ︺
雖 モ要 スル ニ既 ニ過 去 ノ 人 タ リ 。 然 ル ニ事 ア ル毎 ニ大 臣 ガ自 己 ノ
︹マ マ︺
レ ル等 、 我 海 軍 部 内 ノ統 制 寔 ニ憂 慮 ニ耐 ヘザ ル モ ノ ア リ。 大 臣 ハ
バ忸 怩 タ ル モ ノ ア ラ ン。 無 誠 意 ニシ テ部 下 ニ信 頼 セ ラレ ザ ル主 脳
位 ヲ獲 ル ニ汲 々ト シ テ、 国 家 ヲ忘 ル。 我 海 軍 主 脳 部 各 自 深 ク 省 ミ
政 策 ニ之 レ ヲ利 用 ス ルガ 如 キ ハ元帥 ヲシ テ有 終 ノ美 ヲ完 フセ シ ム
新 聞 紙 ノ伝 フル所 ニ依 レ バ、 十 九 日 ノ閣 議 ニ於 テ 海 軍 大 臣 ハ部内
︹マ マ ︺
東 郷 元 帥 ノ援 ケ ヲ得 ル ニ ア ラザ レ バ其 職 責 ヲ 尽 シ得 ザ ル ヲ暴 露 シ
ル所 以 ニ ア ラザ ル ナ リ 。 吾 人 ハ当 該 大 臣 ノ利 己的 精 神 ニ出 デ タ ル
︹マ マ︺
統 制 上 何 等 不 安 ナ キ ヲ確 信 シ タ リ ト 。 前 ニ ハ議 会 ニ偽 リ 獄 中 日 記
ヲ読 ミ テ涙 ヲ流 シ 芝 居 一幕 ヲ演 ジ 、 且 部 内 ニ不 穏志 想 ヲ懐 ク 者彼
︹マ マ︺
之 等 陋 策 ヲ悪 ム 者 ナ リ 。 而 シ テ之 レ亦 我 海 軍主 脳 部 ノ伝 統 的 巧 利
等 勇 土 以 外 一人 モ無 キ ヲ断 言 シ テ衆 愚 院 ノ大 喝 采 ヲ拍 シ タ リ 。 而
︹マ マ ︺
ロ ンド ン会 議 後 草 刈 少佐 ノ憤 死 ノ内 容 ヲ秘 シ テ今 日 ニ至 レ ル モ公
主 義 ノ 一表 現 ニ外 ナ ラズ 。
シ テ之 等 ハ皆 唯 一時 ヲ糊 塗 シタ ル陋 策 ニ過 ギ ザ リ シ ヲ実 証 シ タ ル
︹註︺ 釜 山 市 大 庁 町 二 ノ 一七 、 滝 本 信 夫 よ り 東 京 、 海 軍 省 、 軍 事 参 議
昭和 八年 九 月 廿 日記 ス
五 ・ 一五 事 件 ノ被 告 タ ル青年 将 校 ノ 忌 憚 ナ キ 陳述 ガ 国民 ノ感 激
二、 下 士 官 兵 ノ心 的 動 揺
ル モ ノ アリ 。
我 海 軍 ノ現 状 ハ右 ノ 通 ニシ テ 、 仔細 ニ直 視 ス レ バ尚 一層 深 刻 ナ
座 候 云 々。
ノ事 ヲ尽 ソウ ト ハ実 ニ目暗 蛇 ニオ ヂズ ニテ仕 方 モ ナイ 儀 ニ御
ズ 、 日 本 ノ 大体 、諸 国 ノ事 情 モ更 ニ弁 ヘモ無 、 ソ ウ シ テ天 下
( 伊藤利三郎大佐、昭和八年十月十七日)
官 、 終 尾官 房 へ﹂ と 書 き 込 ま れ て いる 。
裏 に ﹁大 臣 、 次 官 、 部 長 、 次 長 、 加 藤 参 議 官 、 安 保参 議 官 、 山 本参 議
官 殿 宛 の封 筒 中 。 罫 紙 に カ ー ボ ン紙 を は さ ん で 書 いた も の 。 ま た封 筒
今 日、 閣 議 ニ於 ケ ル此 確 言 果 シ テ幾 何 ノ価 値 アリ ヤ 。 国家 ノ非 常 時 ニ際 シ確 乎 タ ル信 念 ヲ有 セ ズ 、 為 スベ キ ヲ為 サズ 、
︹マ マ︺
断ズ ベ キ ヲ断 ゼズ 、 些 ノ誠 意 ナ ク陋 策 ヲ之 レ事 ト シ 偸 安 姑息 逡 巡 遅疑 部 下 ニ信 頼 セ ラ レザ ル主 脳 部 ニ依 リ テ統 率 セ ラル ヽ海 軍 ヲ有
伊 藤 利 三郎 大 佐
非 常 時 献 言
スル我 帝 国 ノ 将来 ハ吾 人 ノ憂 慮 ニ耐 ヘザ ル所 ナ リ 。
一 〇
非常 時 献 言
昭和 八年 一〇 月 一七 日 一、 方 今 部内 ノ情 勢 ハ明 治 維 新 ノ直 前 文 久 二年 春 ノ薩 藩 情 勢 ニ似
当 時 ノ形 勢少 年 国柄 ヲ弄 シ候 姿 ニテ事 々物 々無 暗 ナ事 ノ ミ出
タ リ 。 当 時 大 西 郷 ガ某 人 ニ与 ヘシ書 中 ニ曰 ク、
ル勢 ニ成 リ 、 ⋮ ⋮所 謂誠 忠 派 ト唱 ヘ候 人 々 ハ是 迄 屈 シ居 リ候
デ 候 テ 、 政府 ハ勿論 諸 官 府 一同疑 惑 イ タ シ、 為 ス処 ヲ知 ラザ
ル ベク 、 次 デ 峻 厳 ナ ル検 察官 ノ論告 ヲ読 ム ニ及ビ 思 ハズ 閉 息 シ
テ 口 ヲ結 ビ シ ナ ルベ シ 。 然 ル ニ青年 将 校 ノ 一部 ハ結 束 シ テ其 ノ
同 情 ヲ沸 騰 セ シ メタ ル事 実 ヲ見 テ 下士 官 兵 ハ心 中 快 哉 ヲ叫 ビ タ
不 当 ヲ鳴 ラシ 、 大 臣 ハ其 ノ事 ニ与 ラズ ト 云 ヒ 、 間 モ ナ ク新 聞 記
口 ニ勤 王 ト サ ヘ唱 ヘ候 ヘバ忠 良 ノ モ ノ ト心 得 、 サ ラ バ勤 王 ハ 当 時 如 何 ナ ル 処 ニ手 ヲ付 ク ベ キ ヤ、 其 道 筋 ヲ問 詰 メ候 ヘバ、
者 ノ伸 ビ 候 テ、 先 ヅ 一口 ニ申 サ バ世 ノ中 ニ酔 ヒ候 案 梅 ニテ、
訳 モ分 ラ ヌ事 ニ テ、 国 家 ノ 大体 サ ヘ斯 様 ノ モ ノ ト明 メ モ出 来
ニ徴 シ 明 カ ナ リ 。
ラ彼 等 ノ 間 ニ此 傾向 ヲ生 ゼ ル ハ、 最 近 同 隊 江 口大 尉 ノ上 京 陳 述
勢 ノ必 然 タ ル 帰 趨 ニシ テ 、 現 ニ大湊 警 備 駆 逐 隊 ノ如 キ ニ於 テ ス
官 兵 タ ル モ ノ其 ノ心裡 ニ 一大動 揺 ヲ来 タ サ ザ ル ヲ得 ン ヤ。 是 理
事 ハ差 止 メ ラ レ、 各種 ノ流 言蜚 語行 ハル ル ニ到 テ ハ、 彼 等 下士
得 テ会 議 ヲ終 レ リ。
斯 ク テ 原 案 ハ破 レ タ ル モ、 多 数 ノ意 見 ニ依 リ無 意 味 ノ決 議 文 ヲ
用 ナ リ 。 必 死 ノ覚 悟 ヲ以 テ 之 ニ臨 メ バ 一人 ノ力 ニテ 可 ナ リ。
此 ノ際 青 年 将 校 ヲ鎮 撫 スル ニ ハ吾 人 ノ会 合 モ大 臣 ノ声 明 モ無
ズ。
軍令 部 大 佐 級 ハ斯 ク ノ如 シ。
若 シ夫 レ海 軍省 其 ノ他 ノ大 佐 級 ニ到 リ テ ハ殆 ンド 何 等 ノ関 心 ヲ
三 、 下士 官 兵 ハ既 ニ心 的 動 揺 ヲ来 セ リ。 其 ノ直 接 上 官 タ ル 青 年 将 校 ノ 一部 ハ結 束 シ テ内 面 運 動 ニ奔 走 セリ 。 此 ノ二事 ハ少 ク モ青
持 タ ザ ル ガ如 シ。
真 ニ熟 慮 ヲ要 ス ル ノ秋 ナ リ ト 存 ゼ ラル 。
シ ト拝 察 ス ル モ、 事 態 ハ重 大 ニシ テ時 局 ハ切 迫 セ リ 。
思 ヒ ヲ此 処 ニ致 サ レ、 来 ル ベキ 判 決 ヲ以 テ 一切 ヲ善 処 セ ラル ベ
五 、観 ジ 来 レ バ 一ト シ テ寒 心 ニ堪 ヘザ ル ハナ シ 。 勿 論 上 司 ハ日夜
年 士 官 全 部 ノ疑 惑 ヲ物 語 リ、 同 時 ニ各 所 轄 長 ノ無 為 無 力 ヲ反映 ス ル モ ノ ニア ラズ シ テ何 ゾ ヤ 。 四、 然 ラ バ中 央 ノ情 況 如 何 。 軍 令 部 二課 長 ハ上 意 ニ依 リ 部 下 ノ 一参 謀 ヲ世 話掛 ト シ テ青 年 将 校 ヲ指 導 セ シ メ、 課 長 亦 横 須 賀 ニ出 張 、彼 等 ト折 衝 セ リ。 某 日
六 、 聞 ク 、 最 近 青 年 将 校 ノ 一部 ニ説 ア リ 。
此 ノ際 大 臣 ヲシ テ統 帥 権 干 犯 ノ事 実 ヲ確 認 セ シ メ テ之 ヲ声 明
同 課 長 ノ発 議 ニ依 リ 課 長 会議 ヲ開 ク 。 同 課 長 曰 ク、
ハ左 遷 セ ラ レ タ リ 。
大 臣 ハ論 告 ニ与 ラズ ト 云 フ。 果然 、当 局 タ ル 軍務 局 ノ 一課 長
又 練 習 艦 隊 司令 官 ニ栄 転 セ ル 局長 ハ忽 チ免 職 セ ラ レ タ リ。 之
セ シ メザ レバ 、 青年 将校 ヲ鎮 静 セ シ メ難 シ、 ト テ、 決議 文 ノ 草 稿 ヲ読 ム。 第 三課 長 之 ニ賛 ス。 小 官 慨 嘆 ニ堪
然 ル ニ新 局長 新 一課 長 ハ所 謂 軍務 系 ノ人 ナ リ。 人 事 行 政 ノ方
レ 皆 結 束 運動 ノ効 果 ニア ラズ ヤ。
斯 ク ノ如 キ ハ徒 ラ ニ難 キ ヲ上 ニ強 要 ス ル モ ノナ リ 。 但 シ 之 ヲ
針 ハ依 然 ト シ テ変 ラズ 。 吾 人 ハ更 ニ結 束 シ テ海 軍 ノ為 一層 追
ヘズ 。疾 呼 シ テ 曰 ク、
敢 テ セ ザ レ バ時 局 ヲ収 拾 シ難 シト セ バ非 常 ノ覚 悟 ヲ要 ス。 諸
撃 セ ザ ル ベ カ ラズ 云 々。
コト ア ラ ンカ 、 遂 ニ ハ収 拾 シ 得 ザ ル ニ到 ラ ン コト ヲ深 憂 ス ル モ
ノ ミ ナ ラズ 、 万 一斯 カ ル思 想 ガ 下 士官 兵 ノ 間 ニ拍 頭 スル ガ如 キ
ラ ニ彼 等 ノ意 ヲ驕 ラシ メ、 益 々下 克 上 ノ悪 風 ヲ増 大 スル虞 アル
故 ニ若 シ判 決 ニシ テ意 外 ノ減 刑 ニ及 ブ ガ 如 キ コト ア ラ ンカ 、徒
君 ニ果 シ テ此 ノ決 心 ア リヤ 。 一座 声 ナ シ。 小 官 次 デ曰 ク、
レ全 軍 結 束 シ テ戦 備 ヲ講 ズ ル ノ非常 時 ニア ラズ ヤ 。故 ニ刻 下
問 題 ノ統 帥 権 ハ既 ニ確 立 セ ラ レ テ将 来 ニ不安 ナ シ 。 今 日 ハ之
︹ママ︺
ノ問 題 ハ過 去 穿 索 ニ ア ラズ シ テ切迫 セ ル 現実 ナ ラ ザ ル ベ カ ラ
ノ ナ リ。 七 、 然 ラ バ 之 ガ対 策 如 何 。
﹃即 チ包 荒 ノ宏 量 ヲ以 テ 天 下 ニ有 リ ト ア ラ ユル各 党 派 ヲ悉 ク大
明 治 大帝 ノ侍 講 元 田永 孚 先 生 ノ御 進 講 録 中 ニ曰 ク、
海 腹 中 ニ包 容 シ 給 ヒ 、 例 ヒ 暴論 激 行 ア ル モ泰 然 悠 然 ト シ テ之 ニ
名 ヲ斬 ラシ メ、他 ヲ本 国 ニ幽 閉 シ テ之 ヲ収 拾 セ リ。 所 謂 伏 見 寺
田 屋 事 件 ニシ テ薩 藩 ノ結 束 此処 ニナ リ遂 ニ維 新 ノ 原動 力 ヲ ナ セ
シ ハ 一ニ久 光 此 時 ノ英 断 ト 後年 大 西 郷起 用 ノ宏 量 ニ依 ル モ ノ ト 謂 ハザ ル ベカ ラズ 。
泰 和 既 ニ已 ニ其 ノ根 ヲ固 ク スル ナ リ 。
聖 徳 衆 庶 ノ 脳 髄 ニ感 覚 スル ニ於 テ ハ、 言論 ヲ仮 ラズ シ テ 天 下 ノ
ザ ル ノ所 以 ト 、大 義 ノ為 ニ ハ泣 テ馬 稷 ヲ斬 ル ノ止 ム ナキ 理 由 ト
テ 軍 人 ノ本 分 、 軍 紀 ノ森 厳 ヲ説 キ 、 私 情 ヲ以 テ之 ヲ抂 グ可 カ ラ
テ其 ノ所 信 ヲ敢 行 ス ル ニ到 レ ル心 情 ニ万 〓 ノ涙 ヲ瀝 ギ 、 一転 シ
シ テ止 ム ニ止 マレ ヌ大 和 魂 ヲ発 揮 シ、 ア タ ラ有 為 ノ身 命 ヲ擲 チ
( 第 一) 五 ・ 一五 事 件 ノ判 決 文 ニ ハ、 被 告 ガ 国 家 ノ前 途 ヲ深 憂
九、対策
若 シ 夫 レ時 勢 人 情 ノ赴 ク 処 、 或 ハ傲 慢 強 硬 ノ体 ト ナ リ 、 或 ハ脆
処 シ 、 皆 其 ノ 思 フ処 言 フ処 ヲ残 リ ナ ク尽 サ セ給 ヒ、 寛 仁 大 度 ノ
弱 萎 微 ノ姿 ト ナリ 、 如 何 ト モ為 ス ベカ ラザ ル ノ日 ニ ハ、 断然 馮
ヲ叙 説 シ 、首 魁 ヲ 一人 ニ限定 シ テ断 然 之 ヲ死 刑 ニ処 ス ベ シ。
但 シ 新 大 臣 ハ青 年 将 校 ノ信 望 ヲ集 メ 大 ナ ル機 略 ト 強 キ 信念 ト ヲ
存ズ 。
( 第 二) 右 判 決後 大 臣 ハ成 ル ベ ク 速 ニ辞 任 セ ラ ル ル ノ 要 ア リ ト
︹マ マ︺
河 ノ大 勇 ヲ用 ヒ給 ヒ テ天 下 耳 目 ノ及 バ ザ ル処 ノ大 事 功 ヲ挙 行 シ
事 カ之 ア ラ ン哉 。
有 ス ル将 軍 即 チ 末 次 中 将 タ ル コト 。
給 ヒ、 雷 霆 ノ威 ヲ振 ヒ給 ヒ テ天 下 人 心 ヲ畏 服 シ 給 フ、 亦 何 ノ難
天 下 国家 ノ泰 和 ヲ保 持 ス ル、 唯 ダ 此 ノ包 荒 馮 河 ノ聖 徳 ニ在 ル耳 。
シ テ人 心 ヲ新 タ ニシ 、 次 デ 一藩 勤 王 ノ 大義 ヲ宣 布 シ テ統 制 ニ従
先 ヅ 小 松 帯 刀 、 大 久 保利 通 ノ如 キ 小壮 有 為 ノ 人材 ヲ要 路 ニ抜 擢
ル ヲ以 テ万 難 ヲ排 除 シ テ実 現 セ ラ レザ ル ベ カ ラズ 。 之 ガ 為 内 閣
ノ場 合 ニ ハ非 常 ノ手 段 ヲ要 ス。 刻 下 ノ事 一ニ本 件 ノ成 否 ニ関 ス
勿 論 内 閣 及 政 党 ノ 関係 上 之 ガ 実 現 ニ ハ多 大 ノ困 難 ア ラ ン モ非 常
フ ル ノ根 本 義 ナ リ。
本 件 ハ所 謂 馮 河 ノ大 勇 ヲ振 ヒ速 ニ全 軍 ヲ結 束 シ テ 焦 眉 ノ 急 ニ備
( 註)
然 レ ド モ大 臣 ノ位 ニ居 リ其 ノ責 ヲ負 ヒ君 上 ト 其 徳 ヲ 一ニシ 其 力 ヲ合 ハ ス ニ非 ザ レ バ 其功 ヲ成 シ難 シ云 々。﹄
フ ベキ ヲ厳 命 シ 、
八 、 之 ヲ歴史 ニ徴 スル ニ、時 局相 似 ノ文 久 二年 ノ春 、 島 津 久 光 ハ、
大 西 郷 ノ言 葉 ガ 其 ノ統 制 ヲ紊 スト 認 ム ルヤ 断 乎 ト シ テ 之 ヲ流島
倒 ル ル モ海 軍 ノ統 制 ニ ハ代 ヘ難 シ。
推 薦 スル ノ大方 針 ヲ樹 立 スベ シ 。
( 第 三) 新 大 臣 ノ擁 立 ヲ契 機 ト シ、 爾 今 大 臣 ハ元 帥 参 議 官 之 ヲ
ニ処 シ、 之 ニ憤 慨 セ ル過 激 派 数 十 名 ( 西 郷 従 道 、 大 山 巖等 維新 ノ元 勲 多 ク此 中 ニア リ) ガ 他 藩 ノ志 士 ト 結 ンデ 暴 発 セ ント ス ル ヤ久 光 之 ヲ容 ル サズ 、 直 ニ死 士 八 名 ヲ遣 ハシ テ断 然 其 ノ首 魁 数
軍 人 軍 属 ヲ統 督 ス ベ キ大 臣 ガ内 閣 組 織 者 ノ召 呼 ニ応 ジ テ就 任 ス
思 フ ニ軍務 局長 ノ職 タ ル 同局 任 務 ノ広 般 複 雑 ニ鑑 ミ、 努 メ テ高
ノ人 選適 当 ナ ラ ザ リ シ結 果 ト 謂 ハザ ル ベ カ ラズ 。
之 レ 主 ト シ テ 同局 長 ノ指 導 宜 キ ヲ得 ザ ル ニ職 因 スト 雖 、 実 ハ其
ニ於 ケ ル統 帥 権 問 題 ノ如 キ 、 其 他 凡 百 ノ悪弊 皆 其 ノ 因 ヲ此 処 ニ
幣 原 外 交 ノ所 謂 無 抵 抗 主 義 ニ禍 セ ラレ タ ル南 京 事 件 及 倫敦 条 約
ノ結 束 ヲ破 壊 ス。
研 究 ノ方 針 ヲ授 ケ テ其 ノ進 捗 ノ状 況 ヲ聴 取 シ 、 其 ノ促 進 ニ鞭撻
近 来 軍令 部 ニ於 テ、 次 長 ハ毎 週 少 ク モ 一回 課 長 以 上 ヲ集 メ時 々
物 ヲ起 用 ス ル ヲ要 ス。
ズ 。 非 常 ノ今 日 ニ於 テ殊 ニ然 リト ス。 之 ガ 為 ニ ハ大 器 果 敢 ノ人
︹マ マ︺
ル ガ如 キ従 来 ノ有 様 ニテ ハ、 上 元 帥 ヨ リ下 一卒 ニ至 ル迄 縦 貫 ス
セ ル有 形無 形 ノ影 響 ハ遂 ニ海 軍 ヲ意 外 ノ窮 地 ニ導 ク ニ到 レ リ。
ベ キ脈 絡 ハ此処 ニ中 断 ト ナ ル ハ勿 論 、 自 然 大 臣 ハ閣 議 ニ引 摺 ラ
( 註)
レ機 宜 ノ措 置 ヲ モ断 行 シ難 キ コト ア ル ニ到 ル ベ ク、 又 不 知 不 識
シ テ機 宜 ノ措 置 ニ遺 算 ナキ 様 揮 身 ノ努 力 ヲ敢 ヘテセ ザ ル ベ カ ラ
所 大 局 ヨ リ全 般 ヲ見 下 シ テ事 ノ緩 急 軽 重 ヲ定 メ課 長 以 下 ヲ督 励
発 ス ル モ ノ ニシ テ、 速 ニ此 禍根 ヲ 一掃 セ ザ レ バ 、例 ヘ海 軍 ノ伝
ヲ加 ヘ、 為 ニ全 員 活 躍 シ テ着 々諸 般 ノ戦 備 ヲ進 メ ツ ツア リ 。其
︹ママ ︺
ノ間 ニ高 級 将 軍 ノ政 党 関 係 ヲ生 ジ テ建 軍 ノ本 旨 ヲ紊 リ 、 延 テ 軍
統 精 神 ヲ云 々シ 、 屡 々訓 示 ヲ重 ネ テ和 衷 協 力 ヲ望 ム モ 、百 年 河
ノ異 常 ナ ル努 力 其 ノ空 前 ノ成 果 ニ ハ真 ニ感嘆 措 カ ザ ル モ ノ ナ リ。
到 ラ バ中 央 ノ威令 厳 ト シ テ 行 ハレ 、海 軍 ノ更 新 、 戦 備 ノ整 頓 、
軍 省 ヲ磐 石 ノ如 カ ラシ メ、 一方 軍令 部 ト相 呼 応 シ テ善 処 ス ル ニ
故 ニ此 ノ際 小 林 少 将 ヲ軍 務 局 長 ニ起 用 シ 、末 次 大臣 ト相 俟 テ海
清 ヲ俟 ツ ニ等 シ カ ルベ シ 。 ︹マ マ︺
( 第 四) 来 ル ベキ 大 移 動 ニ ハ少 ク モ左 記 人事 行 政 ノ革 新 ヲ断 行 ス ベシ 。
期 シ テ待 ツ ベキ ヲ確 信 スル モ ノ ナ リ。
非 常 ノ今 日島 津 久 光 ノ大 西 郷起 用 ノ大 見 識 ニ倣 ヒ、 死 中 活 ヲ得
或 ハ小 林 少 将 ノ起 用 ニ ハ種 々 ノ支 障 ア ラ ン カト 存 ゼ ラ ル ル モ、
ル ノ 大機 略 ヲ以 テ非 常 ノ英 断 ニ出 デ ラ レ ン コト ヲ熱 望 ス。
( 註)
( ) 一 軍 務 局 長 ハ高 所 大 局 ヨリ勇 断 果 決 シ得 ル非 常 ノ人 物 、 即 チ小 林 省 三 郎少 将 ニ変 更 スル コト。
軍務 局 ハ大 臣 ノ幕 僚 機 関 ト シ テ軍 政 百 般 ノ事 務 ヲ統 轄 ス ル処 ニ
此 際 中 央 ニ ハ専 心 部 内 ノ統 制 ニ留 意 ス ル人 ナ カ ルベ カ ラズ 。 而
( 註)
補 佐 セ シ ム ベ シ。
参 大 佐 ヲ据 ヘ、 専 ラ海 軍 全 般 ヲ見 渡 シ テ部 内 統 制 ニ関 シ 大 臣 ヲ
(二) 当 分 の 間海 軍省 先 任 副 官 ニ海 上 ノ経 験 充 分 ニシ テ識 見 ア ル古
シ テ 、 之 ガ為 同局 ニ ハ各 ク ラ ス ノ上 位 ニア ル俊 才 ヲ集 メ、 名 実
的堕 風 ヲ生 ジ 、 其 ノ権 力 ノ盛 大 ハ又 自 然 軍 務 局 万 能 ノ 弊 習 ヲ結
共 ニ中 央 ノ首 脳 部 ヲ ナ ス。 従 テ其 ノ責 任 ノ重 大 ハ自 然 自 重 保 守
ビ 、 其 ノ究 極 ス ル処 曩 ノ大 本 営 条 例 ノ改 正 及 今 次 ノ 軍令 部令 其 他 ノ改 正 ニ対 ス ル無 益 ノ論 難 固 執 ト ナ リ 、 一方 所 謂論 告 問 題 ノ 不始 末 ヲ惹 起 シ、 大 臣 ノ幕 僚 機 関 ト シ テ 機 宜 ヲ誤 リ 、其 ノ波 及
近 来 ノ如 ク海 上 ノ経 験 浅 ク且 停 年 少 キ 副 官 ニ テ ハ部 内 全 般 ノ見
シ テ其 ノ人 ハ海 軍 省 先 任 副 官 ヲ以 テ最 モ適 当 ナ リ ト 認 ム ル モ、
﹁然 リ全 部廃 艦 ナ リ﹂
﹁七戦 隊 全 部 廃 艦 ナ リ ヤ﹂
﹁七戦 隊 ハ廃 艦 ナ リ﹂
ノ 同 戦隊 ヲ砲 撃 中 ナ ル コト明 瞭 ナ リ。
当 時 視界 内 ニ ハ七 戦隊 ノ外 敵 影 ナ シ。 且砲 ノ指 向 ヲ見 テ モ 日向
透 シ ツカズ 、 自 然 後 任 副 官 ト 同 様 机 上 ノ事 務 ニ ノミ 捕 ハレ 統 制 ニ関 シ テ大 臣 ヲ補 佐 シ難 シ。
ザ ル ベ カ ラズ 。 固 ヨ リ不 充 分 ノ人 員 ヲ以 テ広 汎 ノ配 員 ヲ行 フ現
所 ヲ方 針 ト ス ル モ、 非 常 時 ニ在 リ テ ハ作 戦 本 位 ノ適 材 適 所 ナ ラ
ナ ル ベ キ ナ リ。 即 チ平 時 ニ於 テ ハ人 物 養 成 ノ見 地 ニ依 ル適 材 適
人事 行 政 ハ平 時 ニ於 ケ ル方 針 ト 非 常 時 ニ於 ケ ル方 針 ト ハ自 ラ異
開 始 スル モ ノ アル ベ キ ヲ以 テ 之 レ亦 通 報 ノ 要 アリ 。
ニ セズ )。 又 演 習 ニ於 テ ハ廃 艦 ノ 宣 告 ヲ知 ラ ザ レ バ 当 然 射 撃 ヲ
ノ要 アリ ( 二番 艦 以 下 ハ聯合 受 信 ノ 関 係上 旗 艦 ノ如 ク情 況 ヲ審
期 ニ於 ケ ル 敵 一箇 戦 隊 ノ 全滅 ハ味方 士 気 ノ発 揚 上 速 ニ隊 内 通 信
之 ヲ実 戦 ト スレ バ 日向 ノ射 撃 ハ事 実 生 起 ス ル コト ナキ モ、 緒 戦
ク 、 直 ニ七 戦隊 ノ 廃艦 ヲ通報 ス ベ キ ナ リ。
故 ニ司令 部 ト シ テ ハ此 ノ 場合 何 ヲ射 撃 シ居 ル ヤト 問 フノ必 要 ナ
状 ニ於 テ ハ、 此 ノ方 針 ヲ徹 底 セ シ ム ル コト ハ不 可 能 ナ ラ ン モ、
ス。 他 意 アリ ト セ ザ ル ベ カ ラズ 。 一事 ガ 万事 ナ リ 。斯 カ ル遣 リ
参 謀 長 ノ明 敏 ナ ル 斯 カ ル 真 理 ヲ知 ラ ザ ル ノ筈 ナ シ。 知 テ之 ヲ為
( 註)
( 三) 非 常 時 ニ於 ケ ル人 事 行 政 ノ方 針 ヲ確 立 シ テ艦 隊 ニ活 力 ヲ賦 与 ス ベ シ。
ニ之 レ ガ現 状 如 何 。
ア ラズ 。
(ロ) 本 年 ノ主 力 艦 々長 ハ 日向 艦 長 ヲ除 ク ノ外 作 戦 本 位 ノ適 材 ニ
カ ル ベシ 。
方 ニ テ ハ司 令 部 ノ権威 ニ関 スル ノミ ナ ラズ 、 将士 ノ 心服 ヲ得 難
少 ク モ艦 隊 ノ主 要 職 員 ニ ハ必 ズ 実 現 セ ラ レザ ル ベカ ラズ 。 然 ル
(イ) 本 年 ノ聯 合 艦 隊 参 謀 長 ( 最 近 軍務 局 長 ニ転 任) ハ長 官 輔 翼 ノ資 ニ乏 シ 。 ( 註) 本年 六 月、 小官 日向 ニ乗 艦 、 聯 合 艦 隊 ノ基 本 演 習 ヲ見 ル。 廿 三
本 件 ハ各 艦 ノ成 果 ニ依 リ 極 メ テ明 白 ナ リ 。
( 註)
思 フ ニ今 日 ハ艦 隊 ノ骨 幹 タ ル主 力 四 艦 ノ戦 闘 力 ヲ均等 ニ向 上 セ
日油 谷 湾出 港 、 翌 廿 四 日午 前 甲 乙 両軍 ノ前 衛 衝 突 シ 、 日向 ハ敵 第 七艦 隊 ノ 一艦由 良 ノ廃 艦 宣 告 ヲ傍 受 ス。 須 叟 ニシ テ七 戦 隊 ヲ
シ ム ル コト 肝 要 ニシ テ、 之 ガ 為 ニ ハ其 ノ艦 長 ニ ハ乗 員 ヲシ テ士
気 自 ラ振 フ如 キ 海 上 ノ経 験 者 ヲ撰 ビ 、 其 ノ中 ヨリ 特 ニ和 衷 協 力
前方 ニ見 ル 。 日向 直 ニ中 口径 砲 ヲ 以 テ之 ヲ射 撃 ス。
﹁其 ノ艦 ハ何 ヲ射 撃 シ ツツ ア リ ヤ﹂
全 隊 ノ成 績 ヲ挙 グ ル ニ努 ム ル如 キ 性 格 者 ヲ選 定 スベ キ ナ リ 。
忽 チ 旗 艦 ト ノ 間 ニ左 ノ無 線 電話 ノ交 換 ヲ聞 ク。
﹁敵 七 戦 隊 ヲ砲 撃 中﹂
日向 以 外 ノ三 艦 長 ハ夫 々人 材 ニ ハ相 違 ナ カ ラ ン モ、 非 常時 ニ於 ケ ル其 ノ適 所 ハ此 処 ニ ア ラズ シ テ他 ニ ア ルベ シ 。 ( 終︶
︹註 ︺ 表 に ﹁加 藤 大 将 閣 下 、 内 密 親 展﹂、 裏 に ﹁伊 藤 大 佐 ﹂ と 記 し た 封
筒 中 にあ り 。 和 罫 紙 に墨 書 。
由)
我 ガ満 蒙 政 策 ト 米 国 東 洋 政 策 ト ノ衝 突 ハ、 満 洲 事 変 ヲ機 ト シ
(理
( イ) 軍 縮 協 定 成 立 ノ算 ナ シ。
( 石川信吾中佐、昭和八年十月二十 一日)
昭 和 八年 一〇 月 二 一日
石川信吾中佐
一 一 次 期 軍 縮 対 策 私 見
次期軍縮対策私見 参考
愈 最 後 ノ清 算 ニ向 ヒ急 転 シ ツ ツ ア ル処 、 今 日 ニ到 ル迄 米 国 ガ
其 ノ東 洋 政 策 ノ転 向 ヲ考 慮 セ シ何 等 ノ事 実 ナキ ノ ミナ ラズ 、
意
極秘 注
本 対 策 中 、 次 期 軍 縮 会 議 決 裂 シ 昭 和 十 二年 以降 各 国自 由 ニ製 艦
彼 ハ財 政 上 異 常 ノ困 難 ア ル ニ拘 ラズ 却 ツ テ海 軍 兵 力 ノ充 実 ヲ
テ辞 セザ ル ノ決 心 ヲ如 実 ニ示 シ ツ ツ アリ 。
ヲ行 フ コト ト ナ リ タ ル場 合 ノ我 ガ 軍備 計 画 ハ、之 ヲ来 ル ベキ 危
夫 レ故 ニ、 米 国 ハ其 ノ渡 洋 作 戦 上 必 勝 ノ自 信 ヲ失 フ如 キ 条 約
テ、 其 ノ伝 統 的 東 洋 政 策 ヲ擁 護 ス ル為 ニ ハ実 力 ニ訴 フ ル モ敢
蓋 シ 帝 国 ハ今 ヤ次 期 軍縮 会 議 ヲ機 ト シ テ襲 来 セ ント ス ル興 廃 ノ
改 訂 案 ニ対 シ テ ハ、 右 提 案 ガ 比 率 主 義 ニ依 ルト 否 ト ニ拘 ラズ
始 メト シ東 洋 進 攻 作 戦 ニ必 要 ナ ル諸 般 ノ準 備 ヲ進 メ ツ ツ アリ
危機 ヲ克 服 スル為 、 軍事 、外 交 、 財政 其 ノ他 内 外 諸 般 ノ政 策 ヲ
断 然 之 ヲ拒 否 ス ベキ コト 明 ナ リ 。
局 ニ対 応 セ ンガ為 是 非 共 必 要 ト スル当 面 ノ 軍備 計 画 ト混 同 シ テ
此 所 ニ集 中 ス ベキ 秋 ナ ル ガ故 ニ、右 危 局 克 服 後 ノ情 勢 ニ於 テ効
考 フ ル コト ナ キ ヲ要 ス。
果 少 キ ノ故 ヲ以 テ当 面 ノ危 機 ニ備 フベ キ 軍備 ノ欠 陥 ヲ等 閑 ニ附
然 ル ニ帝 国 ノ満 蒙 経 略 ハ国 家 死 活 ノ問 題 ニシ テ 、 既 ニ寸毫 モ
帝 国 ノ国 策 ヲ擁 護 ス ル為 、 倫 敦 条 約 ノ覊 絆 ヲ脱 シ 米 海 軍 ニ対
後 退 ヲ許 サ ザ ル事 情 ニ在 ル ヲ以 テ 、 次 期 軍 縮 会議 ニ於 テ ハ右
シ得 ザ ル ハ贅 セズ シ テ明 ナ ル ヲ以 テ ナ リ。 一、次 期 軍縮 会 議 ノ情 勢 判 断 (一) 会 議 ニ関 スル 予 測
シ 国 防 上 不 安 ナ キ 兵 力 ヲ整 備 シ 得 ル協 定 ニ到 達 ス ル コト絶 対 決
活 路 ヲ求 ム ル カ ノ二者 何 レ カ ヲ選 ブ ノ余 儀 ナ キ情 勢 ニ遭 遇 ス
シ テ其 ノ 国 策 ヲ放 棄 シ自 滅 ノ 運命 ヲ甘 受 ス ル カ、 戦 ヲ賭 シ テ
日 米 両 国 ノ関 係 右 ノ如 ク 、帝 国 ハ次 期 軍縮 会 議 ニ於 テ戦 ハズ
ト 共 ニ、 特 ニ満 洲 事 変 以 来 国 内 ニ更 生 シ ツ ツ アル 大衆 的 新 興
ヲ見 ル時 会 議 決 裂 ノ責 任 帝 国 ニ在 ラザ ル コト ヲ明 ナ ラ シ ム ル
シ国 際 関 係 俄 ニ激 化 ス ル コト ア ル モ、 正 義 、 人 道 ニ立 チ テ之
定 成 立 ノ望 極 メ テ少 キ ヲ予 メ覚 悟 シ 、 仮 令 会 議 ノ決 裂 ヲ機 ト
以 上 ノ情 勢 ニ鑑 ミ、 次 期 軍 縮 会 議 ニ対 ス ル帝 国 ノ方 針 ハ、 協
(二) 判
ベ キ コト 明 ナ ル ヲ以 テ、 米 国 ガ其 ノ伝 統 的 東 洋 政 策 ヲ転 換 セ
精 神 ノ指 導 ニ深 ク 留 意 シ 、 万 一ノ場 合 ニ対 スル 国 民精 神 ノ動
ニ必 要 ナ リ 。
ザ ル 限 リ 軍縮 協 定 ノ成 立 ハ不 可能 ナ リト 認 ム。
二、 次 期 軍 縮 対 策
員 準 備 タ ル ノ意 味 ニ於 テ遺 憾 ナ キ ヲ期 セ ザ ルベ カ ラズ 。
シ。
( ロ) 会 議 ノ決 裂 ヲ機 ト シ太 平 洋 ニ於 ケ ル国 際 関 係 ハ激 化 ス ベ
整 然 、 以 テ内 国 民 ノ理解 ト 正義 心 ニ投 ジ、 外 多 数 小 国竝 ニ平 和
案 ハ、従 来 ノ事 務 的行 懸 等 ハ 一切之 ヲ抛 擲 シ 、公 正 ニシ テ 理路
前 項 情勢 判 断 ニ基 キ 、次 期 軍 縮会 議 ニ於 テ主 張 スベ キ帝 国 ノ提
論 者 ノ支 持 ヲ得 ル モノ タ ラ ザ ル ベ カ ラズ 。
由)
ニ臨 マント シ、 支 那 ハ米 国 ト 密 接 ナ ル連 繋 ヲ保 チ テ抗 日 戦 備
米 国 ハ東 洋 政 策 ノ解 決 ノ為 和 戦 両 様 ノ構 ヲ以 テ次 期 軍 縮 会 議
右 ノ主 旨 ニ依 リ帝 国提 案 ノ骨 子 ニ就 テ 私見 ヲ述 ブ レ バ左 ノ如 シ。
(理
ヲ進 ム ルト 共 ニ更 ニ英 露 等 ヲ モ合 セ 対 日 世 界 戦 ヲ誘 発 セ シ メ
︹ママ︺
(理
由)
( ) 一 比率 主 義 ヲ放 棄 シ均 勢 ヲ主 張 ス。
ント ス ル企 図 ヲ有 ス ル コト 略 明 ナ ル ノミ ナ ラズ 、 英 露 両 国 亦 此 ノ機 ニ於 テ日 本 ノ堀 起 ヲ未 然 ニ阻 止 セ ント シ テ 隠 ニ陽 ニ米 支 ヲ指 導 シ ツ ツ ア ル等 ノ情 況 ニ鑑 ミ 、 次期 軍 縮会 議 ハ単 ナ ル
当 局 ニ在 ル責 任 者 ノ主 観 ニ依 リ テ ノ ミ決 定 シ得 ル モ ノ ニシ テ、
( イ) 想 定 対 手 国 兵 力 ニ対 シ主 張 ス ベキ 某 比 率 ノ当 否 ハ、 用 兵
ニ実 質 上 附 帯 的事 項 ト シ テ論 議 セ ラ ル ベキ コト彼 ノ華 府 会 議
米 支 ノ論 争 ヲ中 心 ト シ 、 軍縮 問 題 ハ南 洋 委 任 統 治 領 問題 ト共
ヲ他 ニ理 解 セ シ ム ル コト ハ勿 論 、 説 明 ス ル コト サ ヘモ不 可 能
既 ニ数 学 的 理 論 ヲ離 レ兵 術 的 信 念 ニ基 ク モ ノナ ルガ 故 ニ、 之
海 軍 兵 力 ニ関 ス ル協議 ニ非ズ シ テ支 那 問 題 ニ関 ス ル 日本 対 英
ニ於 ケ ル実 績 ト 概ネ 軌 ヲ 一ニス ベ シ。 之 ヲ要 ス ル ニ、次 期 軍縮 会 議 ハ我 ガ満 蒙 政 策 ノ成 否 ヲ岐 ツ重
ニ係 ラズ 絶 対 不 動 ノ モ ノナ リ ト 称 シ 難 キ ニ於 テオ ヤ 。
ナ リ。 況 ンヤ 用 兵 当 局 者 ノ信 念 其 ノ モ ノガ 必 ズ シ モ人 ト 時 ト
ル ベ キ モ ノ ナ ル ガ故 ニ、 同会 議 ノ決 裂 ト共 ニ戦 争 ノ危 機 ハ急
ル ノ惧 少 カ ラズ 。 若 シ 此 ノ如 キ 弱 点 ヲ包 蔵 スル 主 張 ヲ貫 徹 セ
夫 レ故 ニ、 比 率 主 義 ヲ以 テ会 議 ニ臨 ム コト ハ内 外 ニ敵 ヲ受 ク
大会 議 ナ ル ト共 ニ、太 平 洋 ニ対 ス ル国 際 的 争 覇 戦 ノ緒 戦 ト 見
迫 シ来 ル モ ノ ト覚 悟 セザ ル ベ カ ラズ 。
ン ト シ テ会 議 ヲ決 裂 ニ陥 レタ ル場 合 ニハ、 会 議 決 裂 ノ結 果 当 然 予期 ス ベ キ危 局 ニ対 シ国 民 精 神 ヲ動 員 ス ル ノ効 果 薄 弱 ナ ル ヲ免 レズ 、 又右 ノ情 勢 ガ 因ト ナ リ再 ビ 憂 フ ベキ 政 治 的 解 決 ヲ 強 ヒ ラ ル ル ノ危 険 頗 ル大 ナ リ。 (ロ) 不脅 威 、 不 侵 略 ハ不戦 条 約 ノ精 神 ニシ テ 又平 和 維 持 上 不 動 ノ鉄 則 ナ リ 。 而 シ テ太 平洋 ヲ挟 ミ テ 互 ニ不 脅 威 、 不侵 略 タ リ 得 ル 軍 縮 方 式 ハ均勢 ノ外 何 モ ノ モ ナ シ。 (ハ) 独 立 国 家 間 ノ国 防 権 ハ平等 ナ ラ ザ ル ベ カ ラズ 。
日
六 六 〇 、〇 〇 〇
三 九 六 、〇 〇 〇
主力艦、航空母艦廃 止 ニ依 ル縮小量
〇
〇
一五 九 、 一五 〇
補助艦均勢 ニ依 ル増 加量
六 六 〇 、〇 〇 〇
六 六 〇 、〇 〇 〇
二 三 六、八 五 〇
差引縮小量
米
六 六 〇 、〇 〇 〇
国別
英
国 ノ自 由 ト ス。
(三) 艦齢 内 保 有 艦 船 ノ総 排 水 量 ヲ制 限 シ、 其 ノ艦 種 別 内 訳 ハ各
但 シ各 艦 種毎 ニ艦 型 及 備砲 ノ 大 サ ヲ制 限 ス。
軍 備 ノ効 率 ヲ増 大 シ 最 経 済 的 ニ国 防 力 ヲ充 実 シ 得 セ シ ム ル為
由)
ニ ハ、 各 自 国 ノ国 情 地 勢 等 ニ適 合 ス ル如 ク 艦種 別 兵 力 量 ヲ選
( 理
圧 下 ニ兢 々タ ラザ ル ヲ得 ザ ルガ 如 キ 条 約 ヲ締 結 スル ハ、独 立
定 ス ル ノ要 ア リ。
彼 ハ我 ニ対 シ 絶 対 安 全 感 ヲ享楽 シ 、 我 ハ事 毎 ニ彼 ガ脅 威 ノ重
国 家 ト シ テ断 ジ テ容 認 ス ベカ ラザ ルト コ ロナ リ 。
( 理
由)
保 有 シ得 ル コト ト ス。
(四) 艦 齢 超 過 艦 ハ速 力 及 砲 力 ヲ適 当 ニ減 ジ 、 制 限 外 ト シ テ之 ヲ
況 ン ヤ、 太 平 洋 ニ於 ケ ル国 際 政 局 ハ満 洲 事 変 ヲ機 ト シ テ 一大 転 回 ヲ遂 ゲ、 今 ヤ東 亜 全 局 保 全 ノ責 任 ハ 一ニ掛 リ テ帝 国 ノ双 肩 ニ在 ル ニ於 テ オ ヤ。 (二) 主力 艦 、航 空 母艦 全 廃 ヲ主 張 ス。 ( 理 由)
均勢 ( 英 、 米 条 約 兵 力 ヲ基 準 ト ス) ヲ実 施 シ タ ル場 合 ノ縮 減
倫 敦 条 約 兵 力 量 ヲ基 礎 ト シ 、 主力 艦 、航 空 母艦 全 廃 、 補 助 艦
(ロ) 防 備 用 又 は雑 役 用 ト シ テ制 限 外 艦 船 ノ新 造 ヲ必 要 ト ス ル
保 有 ニ依 リ対 手 国 ヲ脅 威 ス ル ノ惧 ナシ ト 認 ム 。
殊 ニ速 力 、 砲 力 等 ヲ適 当 ニ減 ズ ル ニ於 テ ハ、 右 制 限外 艦 船 ノ
撃 力 ノ増 加 ヲ意 味 ス ル モ ノ ニ非ズ 。
モ ノガ 即 艦 齢超 過 艦 ナ ル ヲ以 テ 、 之 ヲ保 有 ス ル コト ハ何 等 攻
(イ) 建 造 後 長 期 ヲ経 テ 戦列 部 隊 ノ任 務 ニ堪 ヱズ ト認 メ ラ ル ル
量 左 ノ如 シ 。
現規 程 ハ不経 済 至 極 ノ モ ノ ナ ル ヲ以 テ、 艦 齢 超 過 艦 ヲ以 テ之
(イ) 実 質 的 大 縮 小 ト ナ ル ヲ以 テ大 イ ニ国 民 ノ負 担 ヲ軽 減 ス。
( ロ) 最 攻 撃 的 ナ ル艦種 ヲ廃 止 スル コト ハ、 不脅 威 、 不 侵 略 ノ
( 艦 齢 超 過 艦 ヲ保 有 スル場 合 今 次 提 案 ノ第 二次 補 充 計 画 ヨ リ
等 所 要 ヲ充 足 ス。
主 旨 ニ合 致 シ 、 軍 縮 ノ精神 ニ適合 ス。 (ハ) 小 海 軍 国竝 ニ 一般 平 和 主 義 者 ノ支持 ヲ得 ル コト疑 ナ シ。 (ニ) 均 勢 主 張 ノ 一理 由 ト ナ ル。
節 約 シ得 ベキ 製 艦 費 ハ 一億 数 千 万 円 ニ達 スベ シ) 三 、 寿 府 軍 縮 会 議 ニ対 ス ル帝 国 提 案 ノ処 理
合 ノ我 国 防 ニ及 ボ ス影 響
四 、会 議 決 裂 シ華 府 及 倫 敦 条 約 ヲ廃 棄 シ テ自 由 競 争 ト ナ リ タ ル場
ル ル者 ア ル モ 、 此 ノ如 キ ハ 一ノ事 大 思 想 ニ捉 ハレ タ ル恐 怖 感 ニ
ニ堪 ヱ得 ズ シ テ結 局 米 国 ニ屈 ス ル ノ外 ナキ ニ至 ル ニ非 ルヤ ヲ惧
会 議 決 裂 セ バ直 ニ日米 軍備 競 争 ヲ誘 発 シ、 日本 ハ遂 ニ其 ノ負 担
過 ギズ 。
テ、 此 ノ際 一応 同 会 議 ヨリ 撤 退 シ 、 之 ト 共 ニ帝 国 提案 モ撤 回
( ) 一 今 次 寿 府 軍 縮 会 議 ノ不 成 功 ニ終 ルベ キ ハ既 ニ明 瞭 ナ ル ヲ以
ス。
現在竝 ニ近キ 将 来 ニ於 ケ ル 日米 両 国 ノ地 位 ハ、 大 戦 後 米 国 ガ 世
界 ニ君 臨 ス ル カ ノ如 キ 観 ア リ シ当 時 ト ハ大 イ ニ其 ノ趣 ヲ異 ニ シ、
ヨリ ノ督 促 アリ タ ル ニ拘 ラズ 未 ダ 聯 盟 ノ審 議 スル ト コ ロト ナ
近 年 帝 国 ノ文 化 ハ長 足 ノ進 歩 ヲ遂 ゲ 、 其 ノ産 業 ノ発 達 ニ伴 ヒ我
蓋 シ 帝 国 提 案 ハ提 出 以 来 既 ニ数 ケ 月 ニ及 ビ 、 此 ノ 間帝 国 代表
ラズ 、 而 モ欧 、 亜 両 方 面 ニ於 ケ ル 国 際情 勢竝 ニ聯 盟自 体 ノ機
右 ハ今 後 ニ於 ケ ル帝 国 諸 政 策 ノ基 調 タ ル ベキ モ ノ ニシ テ、 若 シ
能 ハ該 案 提 出 当 時 ニ比 シ 著 シ ク 変化 シ タ ル ヲ以 テ 、 此 ノ 際聯
此 ノ点 ニ関 シ懐 疑 的 ナ ル モ ノ ア リト セ バ、 ソ ハ断 ジ テ帝 国 ヲ更
ガ製 品 ガ世 界 到 ル処 ノ市 場 ヲ席 巻 シ ア ル勢 ハ実 ニ現 代 ノ偉 観 ニ
(二) 現 提 案 ハ軍 縮 条 約 ノ成 立 ニ依 リ 日 米 関 係 ガ大 イ ニ緩 和 セ ラ
生 セ シ ム ル所 以 ニ非 ル ナ リ。
シ テ、 特 ニ満 蒙 ノ経 略 ニ依 リ帝 国 ハ此 所 ニ画 期 的 膨 脹 ヲ遂 ゲ ツ
ルベ キ コト ヲ考 慮 ニ入 レ 、 互 ニ不脅 威 、 不 侵略 ヲ信条 ト ス ベ
夫 レ故 ニ仮 令 米 国 ガ 敢 テ軍 備 競 争 ヲ強 ヒ来 ル コト アリ ト ス ル モ、
盟 軍 縮 会 議 ト ノ関 係 ヲ清 算 シ 、 新 ナ ル情 勢 ニ対 応 シ得 ベ キ自
キ 軍 縮 ノ精 神 ニ ハ適 合 セ ザ ル コト アル モ 、 尚従 来 ノ行 掛 上条
十 数 年 後 ニ於 ケ ル帝 国 ノ経 済 力 ハ太 平 洋 ニ於 ケ ル我 ガ 戦 略 的 地
由 ノ立 場 ヲ保 留 ス ル ハ、 聯 盟 脱 退 ヲ通告 セ ル帝 国 ト シ テ極 メ
約 ノ成 立 ヲ容 易 ナ ラシ メ ント スル 見 地 ヨリ 敢 テ均 勢 ヲ主 張 セ
ツア ル ノ事 実 ヲ忘 ル ベ カ ラズ 。
ザ リ シ モ ノナ リ 。
ヲ 予想 シ、 当 面 会 議 ノ決 裂 ニ依 リ 生 起 ス ル コト ア ル ベキ 軍 備 競
位 ト相俟 ツ テ、 国 防 上 不 安 ナキ 軍 備 ヲ充 実 ス ル ニ充 分 ナ ルベ キ
テ至 当 ノ処 置 ナ リ ト 認 ム 。
然 ル ニ、 現 下 極 東 ノ時 局 ハ海 陸 両方 面 ニ於 ケ ル 国防 ヲ密 接 不
ニ依 リ 陸 軍 ニ関 スル 有 効 ナ ル 軍縮 協 定 ノ成 立 ハ殆 ン ド 不 可能
可 分 ノ モノ タ ラシ メ、 且 露 国 ノ 現 状竝 ニ独 逸 ノ 国 際聯 盟 脱 退
ク、 一九 三七 年 以 後 約 十 年 間 ノ競 争 ニ堪 ヱ得 ルヤ 否 ヤ ヲ検 討 セ
争 ニ対 シ テ ハ、 現 状 ヨ リ モ著 シク 製 艦 費 ヲ膨 脹 セ シ ム ル コト 無
(イ) 現 有 主 力 艦 ト 威 力 段 階 ヲ異 ニ ス ル大 戦 艦 ヲ建 造 ス。
) ( 一 勢 力 比 較 ノ尺 度 ヲ変 更 ス。
バ足 レ リ。
ト ナ リ 、 帝 国 陸 正 面 ノ安全 感 ハ到底 之 ヲ保 証 シ得 ザ ル ニ至 レ リ 。 右 ノ事 情 ニ鑑 ミ 、 海 正 面 ニ於 ケ ル帝 国 ノ兵 備 ハ愈 々他 ヨ リ 何等 ノ脅 威 ヲ モ受 ケ ザ ル モノ タ ラ シ ム ル コト帝 国将 来 ノ国 防上絶対必要ナリ。
三 十節 以 上
戦 何 レタ ル ヲ問 ハズ 既 ニ 一段 落 ヲ告 ゲ タ ル後 ナ ル ヲ以 テ、
工 期 ハ 一九 四 〇 年 以後 ニシ テ 、 日米 間 ノ逼 迫 セ ル情 勢 ハ和
ニ ノ ミ準 備 スル コト ナ キ ヲ憂 フル者 ア ル モ、 之 等 戦 艦 ノ竣
又 ﹁パ ナ マ﹂ 運 河 ヲ拡 張 スル コト ナ ク 、大 戦 艦 ヲ太 平 洋 岸
力 二 十吋 ニ近 キ モ ノ九 門
此 ノ情 況 ニ於 テ米 国 ガ 尚ホ 太 西 洋 ノ 国 防 ヲ等 閑 ニ放 置 シ得
約 五 〇 、〇 〇 〇噸
速 砲 二 万米 以 上 三 万 八千 米 以 下 ニ於 テ ハ現 有 四十 糎
排 水 量
要目標準
主 禦 砲 弾 ニ対 シ絶 対 安 全 ナ ル コト
ニ移 動 シ 得 セ シ ム ル 「パ ナ マ」 運 河 ノ存 在 ニ頼 ム ト コ ロア
ニ集 中 シ テ晏 如 タ リ 得 ル ハ、 必 要 ニ臨 ミ急 速 ニ之 ヲ太 西 洋
ベシ ト 予 想 スル ハ当 ラズ 。 現在 ト雖 モ彼 ガ全 艦 隊 ヲ太 平 洋
︹マ マ︺
防
炸 薬 量 五 〇 〇瓩 ノ魚 雷約 十 発 ノ命 中 ニ対 シ安 全
︹マ マ︺
ナ ル コト
二、 会 議 決 裂 ニ当 リ 、 大 戦 艦 建 造 ノ 機 先 ヲ制 スル モ ノ ハ必
ル ハ疑 ナ キ ト コ ロナ リ 。
然 我 ガ海 軍 ナ ルガ 故 ニ ( 之 ガ 為 予 メ諸 般 ノ 準 備 ヲ完 成 シ置
隻 一二 五 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇 円
価
単
建 造 隻 数 二 建 造 費
二 五 〇 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇 円
ノ比 率 ヲ回 復 ス ル ハ容 易 ノ業 ニ非ズ 。
ク モ ノ ナ リ)、 立 チ 遅 レ タ ル 米 海 軍 ガ 我 ヲ 凌 駕 シ テ十 対 六
二隻 分
モ ノト ス)
ヲ計 画 ス ル コト ナキ ヤ ニ就 テ ハ、 現 代 造砲 技 術 ヨリ 見 テ 、
米 海 軍ガ 直 ニ我 ガ 新 造 戦 艦 ヲ圧 倒 ス ル ニ足 ル 大威 力 ノ戦 艦
( 建 造 上 必 要 ナ ル諸 準 備 ハ昭 和 十 一年末 迄 ニ完 了 シ 置 ク
右 戦 艦 完 成 ノ暁 ハ、 主 力 艦 兵 力 比 較 ノ尺度 ハ根本 ヨリ変
ガ忽 チ米 国 ノ為 ﹁ノ ツ ク アウ ト ﹂ セ ラ ル ルガ 如 キ コト ハ想
次 期 会 議 決 裂 後 直 ニ建 造 ニ着 手 セ ラ ルベ キ 戦 艦 ノ 備 砲 ハ、
革 セ ラ レ、 対 米 現 有 勢 力 比 六 割 ハ 一躍 我 ガ方 ノ絶 対 優勢
像 シ得 ザ ル ト コロ ナリ 。
概 ネ 二十 吋 ヲ以 テ可 能 限 度 ト ス ベク 、 従 ツ テ我 ガ 新 造 戦 艦
一、 ﹁パ ナ マ﹂ 運 河 ノ拡 張 及浚渫 ヲ必 要 ト ス。 而 シ テ右 工
ニ帰 ス。 而 シ テ米 国 ガ 之 ニ対 抗 シ 従 来 ノ 優勢 ヲ獲 得 ス ル
事 ハ恐 ラ ク両 三 年 ニテ完 成 ヲ見 ルベ シ ト雖 モ、 工事 ニ直接
フ ( 太 西 、 太 平 両 洋 ニ所 要 ノ船 渠 ヲ設 ク ル外 、 ﹁ハ ワイ﹂、
三、 根 拠 地 施 設 ノ改 修 ニ就 テ彼 ハ我 ニ比 シ 一層 ノ困 難 ヲ伴
為 ニ ハ、 多 大 ノ困 難 ヲ伴 フベ キ コト左 ノ如 シ 。
必 要 ナ ル経 費竝 ニ工事 中 運 河 ノ航 行 ニ多 大 ノ支 障 ヲ来 シ 、
) ( ロ 米 海 軍 現 有 甲 級 巡 洋 艦 ノ価 値 ヲ喪 失 セシ ム ル ニ足 ル巡 洋 戦艦 ヲ建 造 ス。
比 島 等 前 進 根 拠 地 ノ施 設 ヲ改 ム ル ヲ要 ス)。
︹マ マ︺
之 ガ為 蒙 ル ベキ 直 接 間 接 ノ経 済 的 損 失 等 ヲ考 慮 スル 時 ハ、
ヲ克 服 シ テ其 ノ希 望 ス ルガ 如 キ 優 勢 ナ ル艦 隊 ヲ短期 間 内 ニ
米 国 ト シ テ ノ苦 痛 甚 大 ナ ル モ ノ アル ヲ免 レズ 。 之等 ノ 障 碍
整 備 ス ル コト ハ極 メ テ困 難 ナ リ 。
主要 要目
ル 軍備 ヲ行 ヒ ツ ツア ル モ ノ ナ リ。
力
一万 米 以 上 二万 五 千 米 以 下 如 何 ナ ル 距 離 ニ於 テ
十 二吋 砲 十 二門
約 四 〇節
ト コロ ナ リ) ニ対 シ約 二万 五 千 噸 不 足 ス。
条 約 協 定 兵 力 ハ帝 国 国 防 上 ノ所 要 ( 当 時 帝 国 ガ 既 ニ現 有 セ シ
今 其 ノ 顕著 ナ ル モ ノ ヲ例 示 セ バ左 ノ如 シ 。
砲
約 二 〇、〇〇 〇 噸
速
禦
排 水 量
主
然 ル ニ右 二万 五千 噸 ヲ維 持 ス ル ニ必 要 ナ ル建 造費 ハ年 額 平 均
(イ ) 潜 水 艦 協 定 兵 力 ノ不 足 ニ依 ル損 失
防 モ 八吋 砲 弾 ノ攻 撃 ニ対 シ 絶 対 安 全 ナ ル 外 、炸 薬
千 噸 ノ建 造 費 合 計 一二 五、〇 〇 〇 、〇 〇 〇 円 、 之 ヲ艦 齢 十 三 年
約 九 、六 〇 〇 、〇 〇 〇 円 ( 建 造 費 噸 当 リ 五 、〇 〇 〇 円 、 二 万 五
建 造 隻 数 二隻
ニ平均 ス) ニシ テ、 一、五 〇 〇 噸 級 潜 水 艦 十 五 隻 ヲ整 備 ス ル
五〇 〇瓩 ノ魚 雷 数 本 ノ命 中 ニ堪 ヱ得 ル コト
所 要 費 用 単 価 約 六 〇 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇 円
ザ ル ニ至 ル。 而 シ テ米 国 ガ 此 ノ 新 艦種 ニ於 テ 再 ビ我 ガ海
殺 シ、 米 海 軍 甲 巡 ノ優 勢 ハ兵 力 比 較 上 大 ナ ル意 義 ヲ有 セ
右 巡 洋 戦 艦 ノ出 現 ハ、 現 有 甲 巡 ノ兵術 的 価値 ヲ著 シ ク減
概 算 ス ル ニ、 初 度 設 備 費 ト シ テ八 〇 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇 円 、 維持
以 テ出 来 得 ル限 リ補 填 ス ル モ ノト シ 、 此 ノ場 合 ノ所 要 経費 ヲ
而 シ テ右 潜 水 艦 保 有 量 ノ不 足 ニ依 ル国 防 上 ノ欠 陥 ハ航空 隊 ヲ
年 ノ建 造 費 維 持 費 合 計 約 一四 、九 〇 〇 、〇 〇 〇 円)。
モ ノト セ バ其 ノ維 持 費 年 額 約 五、三 〇 〇 、〇 〇 〇 円 ナ リ (一ケ
軍 ヲ凌 駕 シ 、 其 ノ欲 ス ル比 率 ヲ獲 得 スル 為 ニ ハ多 大 ノ期
費 年 額 三 四、〇 〇 〇 、〇 〇 〇 円 ヲ要 シ 、 維持 費 ノ ミ ニテ モ潜 水
二隻 分 合 計 約 一二 〇 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇 円
間 ヲ要 ス ベキ ハ、 若 シ倫 敦 条約 ノ拘 束 ナ カ リ セ バ我 ハ何
艦 所 要 兵 力 保 有 ノ場 合 ノ二 倍 以 上 ニ達 ス。
次 計 画 六 ケ 年 ト ス)
実 施 ス ベキ 我 ガ 海 軍 補 充 計 画 私 案 ( 第 一次 計 画 四 ケ年 、 第 二
(三) 自 由 製 艦 競 争 ト ナ リ タ ル 場 合 、 一九 三 七年 以後 約 十年 間 ニ
﹁次 期 軍 縮 対 策 ﹂ ノ項 参 照
得 ベシ 。
ノ建 造 数 ヲ減 ジ 、 其 ノ経 費 ヲ戦 列 部 隊 艦船 ノ 建造 ニ振 リ向 ケ
(ロ) 艦 齢 超 過 艦 ヲ防 備 兵 力 ニ充 当 ス ル コト ト セ バ 、 防備 艦 船
等 特 別 ニ製 艦 費 ヲ増 加 スル コト ナ ク シ テ 一九 三 七年 迄 ニ 甲 巡 十 八 隻 ヲ整 備 シ 、彼 ハ今次 失 業 救 済 費 ニ依 リ建 造 セ ント ス ル空 巡 四 隻 ヲ総 テ 甲 巡 ニ振 リ向 ケ タ リ ト スル モ、 尚 且 二十 二 隻 ヲ整 備 シ 得 ル ニ過 ギズ 。 其 ノ隻 数 比 率 ハ十 対 八 、 二ナ ル ニ想 到 セ バ 思 半 ニ過 グ ル モ ノ ア リ。 況 ン ヤ
ヲ甲 巡 ニ振 リ 換 フル コト 困 難 ナ ル ニ於 テ オ ヤ。
彼 ハ渡 洋 作 戦 ニ於 テ 空 巡 ヲ必要 ト スル 関係 上 、 其 ノ全 部
( 二) 効 率 高 キ 軍 備 ヲ為 ス。 帝 国 ノ現 状 ハ条 約 ノ拘 束 ニ依 リ 已 ム ヲ得 ズ 効 率 悪 キ 不 経 済 ナ
艦
艦 種 戦 戦
排
水
量
五 〇、〇 〇 〇 二 〇、〇 〇 〇
一〇、〇 〇 〇
二 〇、〇 〇 〇
巡
巡 一、七 〇 〇
隻 第 一 次 (四ケ 年 ) 二
二
第 二 次 (六 ケ 年 ) 三 二
二
数 計 五 四 一
四二
一
二六
四
一六
三二
第 二次計画
建
造
費
一二 〇 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇
三 七 五 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇
上
単
二
三
一四 〇 、〇 〇 〇、〇 〇 〇
同
種
一二 五 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇
隻数
艦 艦
六 〇 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇
四
価
戦 戦
七 〇 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇
七 〇 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇
巡
三 五、〇 〇 〇 、〇 〇 〇
一
巡
航空母
一六 八 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇
二 二 一、〇 〇 〇、〇 〇 〇
空
一四
二六
六 三 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇
八、五 〇 〇 、〇 〇 〇
一九 二 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇
一、一五 七 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇
七
一二、〇 〇 〇 、〇 〇 〇
額
九 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇
潜
総
駆逐艦 巡
計
大型潜 合
年 度 割 平均 所 要 額
( 四) 前 項 補 充 計 画 実 施 ノ場合 昭 和 十 二年 度 以 降海 軍 予算 推 定
八 年 度 予 算 経 常 費 総 額 一八 〇 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇 円 ニ対 シ 、 既
○経常費
〇 〇、〇 〇 〇 円 、 空 巡 二隻 ノ 建 造 ニ伴 フ飛 行 機 約 五十 機 分
設 航 空 隊 及 艦 船 搭 載 飛 行 機 ノ充 実 ニ要 ス ル 経 費 約 二 五、〇
〇 〇 〇 、〇 〇 〇 円 、 其 ノ他 人 員 充 実 ニ要 スル 経 費 等 ヲ考 慮
ノ維 持 費 五 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇 円 、 艦 船 維 持 費 ノ増 額 約 二 〇 、 二 五〇 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇
シ、 昭 和 十 五年 度 迄 ノ平 均 年 額 約 二五 〇 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇 円 。
費
二 一
四
造
一 一
〇
建
単
又同 年 度 以 降 昭 和 二十 二年 ニ至 ル間 ニ於 テ ハ、 更 ニ空 巡 四
上
一二 五 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇
一二〇 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇
算
駆逐艦
空
航空母
予
二 、〇 〇 〇
要
潜水艦
所 第 一次計画
同
種
一三六 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇
二
艦
二
隻数
艦
一六
価
戦
八 、五〇 〇 、〇 〇 〇
六 〇 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇
隻 及 航 空 母 艦 一隻 ノ建 造 ニ伴 フ維 持 費 ノ増 、 毎 年 平 均 一〇 、
廃 棄 シ 又軽 巡 戦 隊 ヲ廃 止 ス ル関 係 上 大 ナ ル膨 張 ナ ク 、 約 一
〇 〇 〇 、〇 〇 〇 円 ヲ加 フ ル モ艦 船 維 持 費 ハ扶 桑 級 金 剛 級 ヲ
一三 二、〇 〇 〇 、〇 〇 〇
戦
駆逐艦
六 三 八 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇
一 一
計
潜
額
合
巡
一六 〇 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇
一二 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇
巡
総
年 度 割 平 均 所 要 額
〇 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇 円 ノ 増 加 ト 見 レ バ充 分 ナ ル ベ ク、 此 ノ間
縮 条 約 存 続 ノ場 合 ニ比 シ 特 ニ増 大 ス ル ノ 惧 ナシ 。 ( 別表条 約
年 度 以 降 十 年 間 ノ所 要 海 軍 予 算 ハ概 ネ 左 表 ノ如 ク ニシ テ 、 軍
年度
約 二 四〇 、〇 〇 〇、〇 〇 〇 円
約 二七 〇 、〇 〇 〇、〇 〇 〇 円
約 五 一〇 、〇 〇 〇、〇 〇 〇 円
自昭和十六年度毎 年度平均額 至 二十 一年度
約 二 一〇、〇 〇 〇 、〇 〇 〇 円
約 二 五 〇、〇 〇 〇 、〇 〇 〇 円
約 四 六 〇、〇 〇 〇 、〇 〇 〇円
自昭和十 二年度毎 年度平均額 至同 十 五年度
計
防 ニ及 ボ ス利 害
五 、主 力 艦、 航 空 母 艦 全 廃 、 補 助 艦 均 整 ト ナ リ タ ル場 合 、 我 ガ 国
合
臨 時 費
経 常 費
事項
存 続 ノ場 合 ノ所 要 予 算 参 照 )
ノ経 常 費 年 額 ハ約 二 七 〇 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇円 ナ リ。 ○臨時費 製 艦 費 ハ昭 和 十 五 年 度 迄 平 均 年 額 一六 〇 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇 円、 爾 後 同 二 十 一年 度 迄 一九 〇 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇 円 ヲ要 ス。航 空 隊 ニ関 シ テ ハ、 今 期 補 充 増勢 計 画 ノ完 成後 ハ当 分 陸 上航 空 隊 ヲ増 設 ス ル コト ナク 、 専 ラ海 上 航 空 兵 力 ノ 充実 ニ力 ヲ尽 ス ヲ可 ナ リト 認 ム ル ヲ以 テ、 臨 時費 ト シ テ ハ特 ニ多 額 ノ経 費 ヲ必 要 ト セズ 。
彼 ハ戦 略 的攻 撃 ヲ企 図 シ我 ハ戦 略 的 守 勢 ヲ持 ス ル関 係 上 、 主 力
右 ノ外 水 陸 設 備 費 年 額 約 二〇 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇 円 。 艦 船 改 装 費 、 特 定 修 理 費 等 合 計 年 額 約 一五 、〇 〇 〇 、〇 〇 〇
戦 略 的 条件 ノ下 ニ均 勢 ナ ル 海 上兵 力 ヲ以 テ作 戦 ス ル コト等 ヲ考
円 、 軍需 品 整 備 費 其 ノ他 約 一五、〇 〇 〇 、〇 〇 〇 円 、 臨 時 費
慮 ス ル時 、 我 方 ニ国 防 上 何等 ノ 不利 ヲ来 サ ザ ル ベキ ヲ確 信 ス。
艦 、 航 空 母艦 ノ全 廃 ハ作 戦 上彼 ノ苦 痛 大 ニシ テ我 ガ 苦 痛 少 キ コ
( 註 ) 昭 和 十 二年 度 以 降 ニ於 テ ハ、 兵 力 比 較 ノ 既存 尺
又 一万 噸 級 ヲ骨幹 ト スル 海 軍 兵備 ハ、米 国 ノ如 キ大 工業 国 ヲ対
ト 、 我 ハ陸 上 航空 兵 力 ノ活 用容 易 ナ ル コト、 以 上 我 ニ有 利 ナ ル
度 ヲ破 壊 ス ル為 新 型 艦 ノ建 造 ニ力 ヲ尽 ス関 係 上 、 既 成 艦
手 ト シ テ事 端 ヲ発 シ タ ル 場 合 、彼 我戦 時 製 艦 能 力 ノ懸 隔 ニ依 リ
二十 一年 度 迄 約 二 四〇 、〇 〇 〇、〇〇 〇 円 ナ リ 。
船 ニ対 スル改 装 費 ノ要 求 ハ大 イ ニ減 ズ ベ ク、 又 今 次 ノ危
著 シ ク 彼 ノ戦 時 兵 力 ヲ増 大 スル コト ナ キ ヤ ヲ惧 ル ル者 ア ル モ 、
総 計 年 額 昭和 十 五年 度 迄 約 二 一〇、〇 〇 〇 、〇 〇 〇 円 、 爾 後
機 ニ対 応 ス ル為 官 有竝 ニ民 有 軍事 工場 ノ設 備 ハ拡 張 セ ラ
現 代 ノ精 鋭 ナ ル 一万 噸 巡 洋 艦 ハ彼 ノ大 工 業力 ヲ以 テ ス ル モ尚 其
ノ建 造 ニ 一年 数 ケ 月 ヲ要 ス ル ヲ以 テ、 此 ノ間 勝 敗 ノ大 勢 ハ既 ニ
アル ヲ以 テ 、 将 来 軍 需品 ノ平 時 貯 蔵 額 ハ燃 料 等 特 殊 ノ モ ノ ヲ除 キ 現行 規 程 ヨリ減 額 セ ラ ル ベ キ ヲ以 テ、 之 等 ニ要
リト ス ル モ、 之 ヲ実 戦 ニ使 用 シ テ其 ノ 威 力 ヲ発 揮 セ シ ム ル ニ ハ、
決 ス ル ノミ ナ ラズ 、 戦 時 急 造 ニ依 リ多 数 ノ艦 船 ヲ竣 工 セ シ メ タ
レ 、其 ノ 工作 法 モ大 量 製 産 ニ適 ス ル如 ク研 究 ヲ進 メ ラ レ
スル 経費 ハ本 項 予想 額 ヨ リ 一層低 下 ス ル公 算 大 ナ リト 認
竣 工 後 相 当 長 期 ニ亘 ル訓 練 ヲ必 要 ト スル ガ故 ニ、 戦 時 有効 ニ使
ム。 之 ヲ要 ス ル ニ、 条 約 ヲ廃 棄 シ自 由 製 艦 ヲ行 フ場 合 、 昭和 十 二
会 議 ヲ中 心 ト ス ル内 外 諸 般 ノ情 勢 ヲ達 観 シ 、 次 デ来 ル ベ キ危 局
尚 目 下 ノ情 勢 ハ、 学 究 的 机 上 論 ニ捉 ハル ル コト ナ ク 、次 期 軍縮
時 兵 力 ト 大 差 ナ キ モ ノト 認 ム 。
用 セ ラ ル ル兵 力 ハ、主 力 艦 ヲ廃 止 シ タ ル後 ト雖 モ依 然 ト シ テ平
新 興精 神 ヲ捕 捉 ス ル ニ足 ル モ ノナ ル コト 最 緊 要 ナ リ。
簡 明 ニシ テ理 路 整 然 、 以 テ外 列 国 ニ対 峙 シ テ惧 レズ 、 内 国 民 ノ
此 所 ニ於 テ カ、 同 会 議 ニ於 ケ ル帝 国 ノ主 張 ハ、 正 義 ニ立 脚 シ 、
員 ス ル ヲ主 眼 ト セザ ル ベカ ラズ 。
ヲ前 ニシ テ紛 争 ヲ内 ニ求 ム ル ノ愚 ニ堕 ス ベキ コト 明 白 ナ リト 謂
慮 ニ依 リ テ ノ ミ策 定 セ ラ レ ン カ、 其 ノ結 果 タ ルヤ 重 大 ナ ル危 局
若 シ内 外 諸 般 ノ政 策 ニシ テ右 新 興 精 神 ノ動 向 ヲ無 視 シ 事 務 的 考
論
ノ清 算 ト 国 運 将 来 ノ発 展 ヲ策 スベ キ 秋 ナ ル ヲ忘 ル ベ カ ラズ 。 六、結
フベ シ。
満 洲 事 変 ヲ転 機 ト ス ル帝 国 大 陸 政 策 ノ展 開 ハ、 近 年 ニ於 ケ ル我
夫 レ故 ニ、次 期 軍縮 会 議 ニ ハ 「 主力艦、航空母艦全廃、補助艦
況 ンヤ会 議決 裂 シ 又当 面 ノ危 局 モ 開戦 ニ至 ラズ 依 然 陰鬱 ナ ル情
ガ 国産 業 貿 易 ノ異 数 ナ ル躍 進 ト 相俟 ツ テ、 帝 国 ヲシ テ 現 代 世 界
勢 ノ 下 ニ日米 自 由製 艦 競争 ヲ惹 起 シ タ リ ト ス ル モ 、我 ガ方 ニ於
ノ驚 異 ト 嫉 視 ノ中 心 ニ座 セ シ メタ リ 。
ヲ挙 ゲ テ伝 統 的 日本 精 神 ト 其 ノ国 是 国 策 ヲ忘 却 シ 、 遂 ニ華 府 及
テ ハ条 約 存 続 ノ場合 ニ比 シ 特 ニ製 艦 費 ヲ増 大 セ シ ム ル コト ナ ク
ルモ ノ ナ リ 。
倫 敦 会 議 ヲ経 テ遂 ニ敗 北 民 族 ト シ テ ノ道 程 ヲ辿 ル ニ非 ルヤ ヲ危
国 防 ノ安 固 ヲ期 シ 得 ルノ ミ ナ ラズ 、 仮 ニ国 防上 不安 ア ル条 約 ヲ
均 勢﹂ ヲ我 ガ提 案 ノ骨 子 ト シ テ主 張 ス ル コト最 適 当 ナ リ ト信 ズ
惧 セ ラ レ シ ガ、 満 洲 事 変 ニ依 リ幸 ニ覚 醒 シ、 今 ヤ 更 生 ノ 一途 ニ
継 続 ス ルガ 如 キ コト アリ ト セ バ 、 之 ガ対 策 ト シ テ 再ビ 航 空 隊 ノ
ハ、戦 後澎湃 ト シ テ侵 入 シ 来 レ ル自 由 主 義 思 潮 ニ惑 溺 シ 、 上 下
邁 進 シ ツ ツア ル モ ノ ナ リ。
増 勢 、 制 限 外 艦 船 ノ充 実等 別 表参 考 表 ニ加重 スル莫 大 ナ ル海 軍
顧 ル ニ、 欧 洲 大 戦 ノ波 瀾 ニ乗 ジ 投 機 的 繁 栄 ニ陶 酔 セ シ 我 ガ 国 民
如 ク次 期 軍縮 会 議 ヲ機 ト シ テ展 開 セ ラ ル ベキ ヲ以 テ、 同 会 議 ニ
経 費 ヲ要 ス ル ニ至 ル コト 必 然 ナ ル ニ於 テ オ ヤ 。 ( 終)
然 リ而 シ テ此 ノ如 キ 更 生 日本 ノ興 廃 ヲ決 ス ベキ 危 局 ハ、 既 述 ノ
処 スベ キ帝 国 ノ対 策 ハ、次 デ来 ル ベキ 局 面 ニ対 シ国 民 精 神 ヲ動
一 二 新疆 省 独 立 事 変 の 全 貌
( 高木陸郎、昭和八年十月二十八日)
次
第 一 新疆省に於ける政変 の原因
目
第 二 新疆省 に於け る回教徒 の地位
啓
最 近 、 新 疆 省 に 於 け る事 件 の続 発 は 、支 那 の 不統 一、 即ち 中 央 政
第 三
粛
府 の無 力 を 遺 憾 無 く 中 外 に 暴 露 せ る も のに有 之 、南 京 政府 が派 遣
四分 五裂 の新疆省各派勢力
せ る 羅 文 幹 も 何 等 収 拾 の成 算 つか ず 、 恰 も事 変 前 の満 洲情 勢 を彷
第七
第六
宣慰使黄慕松 の新疆入と六月二十七日事変 の発生
馬仲英軍 の新疆侵入
臨時省政府 の政綱
臨時省政府 の組織
第五 南京 派の活 躍と 四月十 二日の政変
第八
第 四 極端 なる金樹仁 の愚民政策
新 疆 省 が 満 洲 国 々 防 上 に 最 も重
第九
彿 せ し む るも のあ り と 謂 は れ 候
偶 ま 左 の如 き 情 報 を 入 手 致 候 間 、 不 取 敢 御 拝具
高木陸郎
南京政府 の対新疆策と無力 の暴露
( 目次終り)
新疆省事 変は前省 長楊 増新並 に其の養 子にして後継者た る金樹仁
第 一 新疆省 に於 ける政変 の原因
( 附表) 四月十 二日事変以後 の新疆省各派勢力一覧表
第十 一 結論、満洲国と新疆省 の関係並対策
第十
要 な る地 帯 な るを 想 へば 、 日、 満 両 国 政 府 は 速 に 之 が 対 策 を 樹 つ る の要 あ り と 被 存 候 内 覧 に供 し度 、御 公 表 無 之 様 願 上 候 昭和 八年 十 月 二十 八 日
加 藤 寛治 殿 新 疆 省 独 立事 変 の 全 貌 一、 新 疆 省 に 於 け る 事 件 の続 発 は 支 那 の 不統 一、所 謂 中央 政府 の 無力を遺憾なく中外に暴露せり ( 本 文) 二、 新 疆 省 は 満 洲 国 々防 上 最 重 要 の 地 帯 な り 、 政府 当 局 は 此 点を 認 識 し て速 か に 新 疆 経 営 百 年 の大 計 を 樹 立 す る を 要 す ( 結 論)
古
人
商業は天津人主とす
一三 〇 、〇 〇 〇 準〓 爾 草 地 に 遊 牧す
蒙
の 二代 に 亘 る 過 去 十 四 ケ 年 間 の 極端 な る漢 尊 回卑 の批 政 に端 を 発 せ り 而 し て 今次 暴 動勃 発 の直 接 原 因と も称 す べき は 一九 三 〇年 省
三 〇 、〇 〇 〇 満 人 は 各 地 主 要 都市 に 西蔵 人
に 於 て は 土 地 商 租権 を 有す 白
は 少 数 の喇嘛 僧 の み
満 人 及 西 蔵 人
五 〇 、〇 〇 〇 蘇 聯 人 最 多 数 を 占 め 伊 梨 地 方
の三 県 に 分 割 せ ん と し 回 教徒 の 猛烈 な る 反対 に会 ふ や哈 密 回 教 王
長 金 樹 仁 が 新 疆 省 の 東 部 要 衝 た る哈 密 県 を 哈 密 、 宜 吾 ︹ 、︺宜 木
在 留 外 国 人
聶 滋 爾 の領 地 並 に 県 下 回 教徒 の耕 地 を 没収 し 之を 甘 粛 省 より 避 難 し 来 れ る 漢 人災 民 に 給与 せ し の み な ら ず 一九 二九 年 度 の地 租 を も
関 係 よ り 蘇 聯 、 印 度 、 ア フガ ニ スタ ン、 土 耳古 、 波 斯 等 各 国人 の
由 来 新 疆 省 に は 漢 満蒙 回 蔵 の支 那 五族 は其 の 地理 的 歴 史 的 経 済 的
第 二 新 疆 省 に 於 け る 回 教 徒 の地位
化するに至りたるものなり
ず
天 山 北 路 の草 原 地 方 に 後 者 は 天 山 々 中 に 遊 牧 す支 那 語 は殆 ど解 せ
キ ルギ ス人 は 更 に之 を 哈 薩 克 人 、 布 魯 特 人 に 分 つ前 者 は 主 と し て
語 を 主 と し 支 那 語 を 解 す る も の少 し
に ﹁タ バ ー ン﹂ 即 ち 布帛 を 纏 え る を 以 て こ の名 あ り 言 語 は 土 耳古
回 教 徒 の内 纏 頭 回 と 称 す る は 一名 喀 什〓 爾 人 と も呼 ば れ常 に 頭 上
露 人 は 軍 人多 し
在 留 者 少 な か ら ず 亜 細 亜 民族 雑 居 地 の称 す らあ る程 な るが 就 中 回
不 法 徴 収 せ し 結 果 哈 密 一帯 の 回 教徒 の不満 の爆 発 と なり 遂 に暴 動
教 徒 大 多 数 を 占 め 全 省 人 口 の七 割 強 に 達 し 軍事 上 経 済 上 侮 り 難 き
漢 回 人 は 支 那 回 教 徒 中 最 も 漢 民 族 化 し 巧 に 支 那 語 を 操 る外 衣食 住
に成功せり茲に於て回教徒軍は恰も鳶に油揚 を浚はれたるの感あ
により疾風迅雷的に政変を惹起し金樹仁 の下野を強要し政権獲得
迪化を包囲し当に其 の目的を達せんとし秋南京政府 派新 人の策動
逐 は回教徒 の主動に係り新疆回教軍は本年二月下旬長駆して省 城
︹マ マ︺
回教徒暴動発生以来新疆省は四分五裂の状態を呈す抑も金 樹仁 駆
第 三 四分 五裂 の新疆省各派勢力
団結力と相俟 て漢人 の勢力と結抗状態にあ り
︹マ マ ︺
に散 存 す る回 教 王 を中 心と し て回 教 徒民 軍 の組織 あ り其鞏固 な る
︹マ マ ︺
共 に殆 んど 漢 人 と 択 ぶ 所 な し 東 干 人 又 は 回 乾 と も 呼 ば る 即 ち新 疆
布
勢力を有す
分
地 に住 居 す
回 一、二 五 〇 、〇 〇 〇 其 の内 七 割 内 外 は 天山 南 路 各
人 口概数
新 疆 省 住 民 の人 種 的 分 類 に 関 し て は 統 計 の拠 る べき も の無 しと雖
頭
種
省 全 人 口 二百 五 十 五 万 の内 回 教 徒 は 約 二 百 万 の数 に 達 し今 尚各 地
纏
人
も 新疆 省 事 情 に 精 通 せ る も のゝ 言を 綜 合す る に大 略 左 の如 し
回
四 〇 〇 、〇 〇 〇 主 と し て 天山 北路 各 地 に定 住
三 〇 〇 、〇 〇 〇 天 山 北路 草 原 地 方 及 一部 は 天
す キ ルギ ス人
四 〇 〇 、〇 〇 〇 各 地 に散 在 す 甘 粛 湖 南 人 多 し
山 々 地 に 遊牧 す 人
教 漢 回 人 徒
漢
団 は遂 に暴 徒 化 し 哈 密 県 衙 門 を 襲 撃 せ り 県 長 龍協 鱗 師 長 劉希 曹 は
没 収 せら る ゝや憤 然蹶 起 し 金 樹 仁 討 伐 の師 を起 し た るも 蓋 し偶 然
直 ち に金 樹 仁 に 急 を 報 ず ると 共 に援 兵 の派 遣 を 求 め 且 つ武 力を 以
り 爾 来 新 疆 省 内 に 於 け る 政 情 は 益 々複 雑 化 し 回 教徒 民族 の内 キ ル
の 一族 和 加 尼 牙 孜 を 迎 へて ﹁パ シ ヤ﹂ と 呼 び ﹁伊斯 蘭 ﹂ 帝 国 を創
て暴 徒 鎮 圧 に努 め 反 抗 す る回 教 徒 は 勿 論 良 民 に 対 し て す ら 秋毫 も
一九 三 一年 末 金 樹 仁 の虐 政 に 堪 忍 袋 の緒 を 切 ら し た る 回教 徒 の 一
立 し 之 亦 独 立 を 宣 言 せ り か く て 新 疆 省 の政情 愈 混沌 た るも のあ り
仮 借 す る所 無 く 殺戮 を 以 て報 復 手 段 と せ り 事 変 発 生 当 時 迪 化 よ り
にあ ら ざ るな り
附 表 は各 派 の現 勢 力 を 表 示 せ し も のと す
哈 密 に急 行 せし 省 防 軍 並 に劉 希 曹 軍 が 如 何 に 蛮 行 を 敢 て せ し か に
ギ ス人 は 独 立 し て ﹁阿 爾 泰 共 和 国﹂ を 組 織 し て新 政権 と の 関係 脱
第 四 極 端 な る金 樹 仁 の愚 民 政 策
離 を 声 明 し 又 喀 什〓 爾 を 中 心 と す る 纏 頭 回 は哈 密 回教 王、聶 滋 爾
金 樹 仁 の暴 君 振 り は 想 像 以 上 に し て 言 語 同 断 な る も のあ り 其 一二
関 し南 京 軍事 委 員 会 新 疆 特 派 員 陳 中 は 左 の如 く 報 告 せ り
り金 樹 仁 は最 初樊 の主 張 に迎 合 す るが 如 き 態 度 を 示 し て其 歓
な る暴 政 に憤 慨 し 之 を 暗 殺 し 新 疆 省 政 治 の刷 新 を 謀 ら ん と せ
る 者 無 し か く て事 変 は愈 々拡 大 し 遂 に漢 回 両 族 は 相 敵 視 し 互 に
全 省 の 人 民 は 一と し て妻 子 を 抛 棄 し戈 を 持 し て金 樹 仁 に反 せ ざ
民 を 区 別 せざ る に より 皆 起 つて反 叛 せり 過 去 二年 間 に 於 て新 疆
其 惨酷 不 仁 の状 は言 語 に絶 す るも のあ り 人 民 は 軍 隊 が 叛 徒 と 良
﹁軍旅 到 る処 屠 殺 一空 に帰 し 各 村 落 は 荒 涼 と し て死 屍 野 に 遍 く
例を列記 せんに
心を 買 ひ 一日彼 を 招 待 せ し が 宴 酣 な ら ん と す る に 及 び 衛 兵 を
一、 一九 二九 年 時 の新 疆 交 渉 員樊〓 南 は 前 省 長 楊 増 新 の非 人道
し て彼 を拉 致 せ し め断 首 の刑 に処 し未 だ 生 血 の滴 る 其 首 を 宴
殺 戮 す る の状 態 を〓 醸 せり 一九 三 二年 冬 季 に至 り ては 其 形 勢 更
も 占 領 せ り こ れ が 為 め 天 山南 路 の交 通 は杜 絶 せり
に 悪 化 せ り 回 軍 は 十 二 月 十 三 日鄭 善 を 占 拠 し次 い で又 吐 魯 番 を
︹〓︺
会席 上 に て披 露 せり と 云 ふ
金 樹 仁 は 急 報 に 依 り て 哈密 よ り討 伐 軍を 派 遣 せ し が鄭 善 に至 る
二 、前 省 長楊 増新 の 死後 金 樹 仁 に対 し 一大 敵 国 の感 あ り し 新 疆 回 教 徒 の首 領 馬福 興 に対 し ても 又宴 会 に名 を 借 り て招 待 し 馬
変 が 容 易 に 成 功 せ し も 彼 の信 望 全く 地を 払 ひ た る結 果 と 見 る外 無
く も 彼 を 蛇蝎 の如 く 嫌 悪 し殺 人省 長 を 以 て呼 ぶ に至 れ り 今 次 の政
す る に 足 ら ん故 に 新疆 省 に於 て は単 に 回教 徒 の みな ら ず 漢 人 の多
之 等 は 其 極 端 な る 例 証 な る が 以 て金 樹 仁 の 日常 と 政 治 一般 を 知 悉
南 部 の阿 克 蘇 、 喀 什〓 爾 ( 疏 勒) 和〓于〓 の消 息 は完 全 に断 絶
しむ ( 中 略) 鄭 善 吐 魯 番 平 定 せ し も 托克 遜 焉耆 相 継 いで失 陥 し
達 せ り 無辜 の良 民 に し て 此 惨〓 を受 く実 に 人を し て痛 心 憤 恨 せ
と し て山 中 に 逃 避 し 飢 餓 と 寒 気 の 為 め 死 す る者 更 に 二千 余 人 に
区 々た る 小 域 は 為 に 刀 下 に 死 す者 四 千余 人 に達 し婦 女 子 は娃 々
の時 旅 長 熊 発 有 ( 甘 粛 省狄 道 人) は命 を 奉 じ屠 殺 三 日 に 及 べり
︹〓︺
福 興 を 首 め当 日宴 会 に列 席 せし 者 一同 を 全 部 虐 殺 せ り
く 殊 に人 種 的 偏 見 よ り す る彼 の 回教 徒 排 斥 は之 れ 亦 人 道 を 無 視 せ
︹〓︺
る も のあ り 即 ち 哈 密 を 中 心 と す る 回 教 徒 が祖 先伝 来 の領 地 耕 地 を
拉 致 し て兵 と な し 軍 隊 式 商 民 団 を 組 織す る事 を 強 要 し人 民 は其
せ り 此 の 四面 楚 歌 の内 に あ り て金 樹 仁 は迪 化 に於 て漢 人 を 強 制
住 民 は 商 民 団 に 参 加 し 前 線 に 赴 く か 餓 死 を 待 つ外 無 く進 退維 れ谷
つ省 防 軍 の多 数 の帰 還 は 糧 食 の欠 乏 を 加 速 度 に 増 加 せ し た め 一般
新 政 権 樹 立 運 動 は 斯 る 環 境 の内 に 着 々計 画 を 進 め ら れ迪 化 城内 外
ま り 金 樹 仁 に 対 す る 怨嗟 の声 俄 か に 昂 ま り 遂 に 四 月 十 二 日 の 政変
の人 心 金 樹 仁 に 離 反 す る に 及 び 易 々 と し て 成 功 せり 主 謀 者 と 目 せ
を惹起せり
然 れ ど も 省 政 府 当 局 の圧 迫甚 し き に 比 例 し 回教 徒 の 団結 愈 々鞏 固
ら る ゝ人 物 は 南 京 軍 事 委 員 会 特 派 員 陳 中 、 迪 化 県 長 兼中 央 党 部 特
業 に安 ん ず る 能 はざ る に 至 れ り
に し て各 地 に 打 倒 金 樹 仁 の峰 火 揚り 爾 来 回 軍 は漸 次 其 勢 を 盛 り 反
派 新 疆 党 務 指 導 員 陶 明〓 、 中 央 党 部 特 派 員 宮碧 澄 、外 交 部 新 疆 弁
此 の時 人 心 の向 背 は 唯 に 纏 頭 回 の み な らず 漢人 も亦 其 肉 を 食 す
し 本 年 二 月 二十 七 日 遂 に 省 城 迪化 を 包 囲 せり茲 に於 て省 城 と 外 部
第 五 南 京 派 の活 躍 と 四月 十 二 日 の政 変
と の連 絡 は 完 全 に 断 絶 し 城内 に は糧 草 尽き 外 部 よ り の援 兵 絶 望 に
バ ラチ ン スク 駐 在 総 領 事 牟 維潼 等 の 南 京派 新 人連 に し て満 洲国 よ
事 処 秘 書 趙 得 寿 、 欧 亜 連 絡 航 空 処 迪 化 弁事 所 々 長李 笑 天 、 元 セ ミ
る の思 ひ あ り た り﹂ ( 天 津 大 公 報 一九 三 三 、 六 、 一 一日所 載 )
し て人 民 の驚 慌 は 其 極 に 達 し 坐 し て 死を 待 つの情 勢 と な れ り 此 の
回 軍 は 僅 か に数 支 里を 後 退 し た る の み にし て省 城 の危 機 は 依 然 去
る に 至 れ り 省 防 軍 の帰 還 に より て迪 化 は 一時 的 危 急 を 脱 し た る も
托 克 遜 、 長 子 山等 に於 て 又 々虐 殺 を 敢 行 し 犠 牲 者 二千 余 名 を 算 す
に 成 功 し 急 を盛 世 才 に報 ぜり 然 る に省 防 軍 の 一部 は其 帰 還 に際 し
還 を 求 む る 為 め 決 死 隊 を募 り 二 月 二十 九 日回 教 軍 の重 囲 を 脱 す る
当 局 と は 全 然 別 個 の行 動 を採 り 吐 魯 番 方 面 に出 動 せ る省 防 軍 の帰
と 不 満 を 招 き 彼 等 一部 有 志 は省 政府 当 局最 早 頼 む に足 ら ず と な し
人 種 的 闘 争 に 油 を 注 が ん とす る 此 の種 蛮 行 は 城内 智 識 階 級 の失 望
省 城 の安 全 を 期 す べき 省 政府 当 局 が無 能 無 策 徒 ら に漢 回 両 民 族 の
関 又 一空 に 帰 せ り
殺 掠 奪 せ し め し が 為 に 良 民 の殺 戮 せ ら る ゝ者 千 五百 余 名 に達 し 西
漢 人 軍 隊 に 命 じ 纏 頭 回 民 の密 集 居住 地 た る西 関を 三 日間 に 亘り 虐
向 つて 逃 亡 せ り 斯 く て新 疆省 は完 全 に独 立 を 見 る に至 れ り
戦 を 演 ぜ し も 交 戦 約 二 時 間 に し て揚 軍 大敗 し金 樹 仁 又伊犁 方 面 に
省 防 軍 揚 正 中 部 を 率 いて 反抗 し 来り 独 立 軍と の間 に 猛烈 な る市 街
し 其 後 混 雑 に 乗 じ 変 相 し て 城外 に逃 走 せ し が 翌十 三 日午 前 二時 半
れ 反 動 派 に よ り 下 野 の声 明印 鑑 交 附 の 二条 件 を 要 求 せら れ て承 諾
勇 気 無 く 蒼惶 と し て 省 政 府 を 脱 出第 一公安 局 に潜 伏 中 を 発 見 せ ら
し て予 定 計 画 を 遂 行 せ り 省 長金 樹仁 は事 変 突 発す る や何 等 反抗 の
金 樹 仁 の弟 金 樹 信 を 逮 捕 監禁 し て 人質 と し午 后 五時 に至 り 易 々と
政 機 関 に 対 し 突 如 攻 撃 を 開 始 先 づ省 政府 衛 隊 の武 装 解 除 を 断 行 し
名 と し て軍 隊 を 要 所 に 集 合 せ し め午 后 一時 に 至り 城内 外 の重 要 軍
議 を 開 催 し 挙 兵 に 関 す る 諸 般 の協議 を な し 十 二 日 早朝 に は練 兵 を
見 て挙 兵 せ り 之 よ り 先 四 月 十 日 陰謀 派 は 県 政府 衙 門 に於 て 秘密 会
り 遁 入 せ し 東 北 救 国 軍 及 白 露 軍 を 買 収 し て 四 月 十 二 日機 熟 せり と
︹ママ ︺
秋 に 当 り 金 樹 仁 は 依 然 反 省 せ ず余 威 を 示 さ んと 欲 し甘 粛 省 出 身 の
ら ず 重 囲 に 陥り て 以来 住 民 は其 家 よ り 一歩 を 出 ず るを 許 さ れ ず 且
第六 臨時省政府 の組織
三 、 人 民 の結 社 、集 会 、出 版 、言 論 等 の自 由 を 認 容 す
を廃除す
︹マ マ)
四 、金 樹 仁 政府 の人 民 に対 す る種 々 な る非 法 非 人 道 の束 縛 政 策
︹マ マ︺
茲 に於 て独立派は翌十三 日各界代表を召集し て臨時省政府維持委
八、外交は中央に帰す
七 、 農 民 を幇 助 し 農 村 経 済 を 富 裕 化 し集 体 化 せ し む
五 、 交 通 を 発 展 し各 民 族 及各 地帯 生 活水 平 を 調整 す
易会 を 組 織 し臨 時 省 政 府 主 席 及 督 弁 並 に委 員 に 左 の諸 氏 を 推 挙 す
劉文龍 ( 元教育庁長)
九、党化教育を施行す
六 、礦 山 を 開闢 し 新疆 の経 済 を し て 富裕 化 自主 化 を計 る
臨 時主 席
陶明 越 (元迪 化 県 長 )
盛 世 才 (元省 防 軍 総 指 揮 )
ると 共 に迪 化 城内 外 の治 安 維 持 を 東 北 救 国 軍 に 一任 す る の案 を 決
臨 時督 弁
議 通過 せり
省 政府 秘 書 長
一〇、 財 政 は中 央 の統 一に帰 す
︹マ マ ]
全 人 口 の七 割 強 が ﹁コー ラ ン﹂ を 唯 一無 二 の信 状 と す る 回 教 徒 を
中 ( 元 軍事 委 員 会 特 派 員 )
督 弁 処参 謀 長
牟 維潼 、
軽 率 に南 京 式 体 裁 の みを 整 へんと せ る に吸 々 た る は笑 止 と 云 ふ の
る所 に し て従 而 新 政権 が今 次 事 変 の根 本 問 題 の探 究 に触 れ ず し て
陳
委 迪 化 臨 時 警 備 司令 鄭 潤 成 ( 東 北救 国 軍旅 長 )
陳
呉 謁宸 、
以 て占 む る新 疆 省 に於 て国 民 党 教 化 を 宣 揚 せ るは 最 も 注 目 に値 す 鄭潤成、
宮碧澄、
々多 難 な る を 思 は す も の あり
外 な く彼 等 に し て 国 民 党 々化 に 浮身 を や つさ ん か新 疆 省 は前 途 愈
委員 ( 三 十 七 名) 盛世才、 李笑天、
陳 継善 、
新 編 第 三 十 六 師 長 馬 仲 英 は 哈 密 一帯 回 教 徒 の要 請 を 容 れ ﹁中央 ﹂
極 に 達 し 哈 密 、 鎮 西 、 鄭 善 地 方 の 防 務 皆無 と な り し に乗 じ 甘粛 省
︹〓︺
二 月 下 旬 省 城 迪 化 は 回 軍 の 重 囲 に 陥 り 金樹 仁等 省 政府 当 局 の狼 狽
︹マ マ︺
劉文龍、 趙得寿、
善、
中、
陶 明〓 、
閻
、
李〓
慶、
朱瑞堤、
張
賓、
第 八 馬 仲 英 軍 の新疆 侵 入
格米里 張明遠、
倫、 張得勝、
通
藍彦寿、
買母提恩第克、
賀徳元、
聶滋爾、
阿不多哈買提、
大亨、
魯
溶、
陳得立、
李
音、
董光鎮、
徳木丁車徳恩、
の命 な り と 称 し 金 樹 仁 の討 伐 民 衆 の苦 痛 解 除 を ﹁ス ロー ガ ン﹂ と
干鎮 国 、
胡
巴 平 古 特 、裘
屠 文沛 、 肯、 満素爾、 巴彦 克 気 格 、
し て新 疆 省 侵 入 を 企 て回 教 徒 の熱 狂 的 歓 送 裡 に 三 月 下 旬 哈 密 出 発 、
馬鴻 祥 、
臨 時 省 政府 の組 織 成 る や当 局 は直 ち に安 民 の布 告 を な す と 共 に 一
第 七 臨 時 省 政 府 の政 綱
の武 器 弾 薬 多 量 を 押 収 せり 師 長 馬 仲 英 は か く て 五月 五 日自 ら 馬 を
て進 撃 を 開 始 せ り 北 路 軍 は 四月 二十 日木 塁 河 を 占 領 し 同 地 に 貯 蔵
沿 途 各 地 に於 て回 教 徒 民 軍 を 合 し つ ゝ両 路 に 分 ち 省 城 迪 化 に 向 つ
一、各 民 族 は 政 治 経済 教育 上 に於 て 一律 平 等 と す
面 迅 速 な る 治安 の恢復 を 企 図 し左 記 十 項 の新 政綱 を 発 表 せ り
二 、 各 地 官吏 の選 挙 及 考試 は省 出 身 地 及 民族 の界 限を 分 たず
五 月 下旬 に は殆 んど 無 抵 抗 の状 態 に て吐 魯 番 、 托 克 遜 の両 地 を 奪
を 相 次 い で攻 略 す る に成 功 せ り 南 路 軍 は 四 月 二十 日鄭 善 を 恢 復 し
陣 頭 に進 め督 戦 に努 め 五月 下 旬 には 古 城 子 、 孚 遠 、 三 台 の各 県 城
参 謀 次 長 黄 慕 松 を 新 疆 宣 慰 使 に 任命 し 急遽 出 発 せ し む る事 に せり
め 新 疆 政 情 の 真 相 調査 並 交 戦 軍 双方 の首 脳 部 に 調停 せ し む る為 め
る 事 大 な り 依 つて 南京 政 府当 局 は 之 が 善後 方 針 の決 定 に資 す る為
泥 泉 に於 て遭 遇 し 両 軍 の主 力 戦 と な れ り 省 防 軍 は 東 北 救 国 軍 及白
自 ら 督 弁 を 自 称 す 斯 く て六 月 十 一日 盛 世 才 の指 揮 す る 省 防 軍 と 滋
るを 以 て六 月 十 日両 路 軍 は大 挙 し て迪 化 に 進 攻 せ り 此 時 馬 仲 英 は
△ 中 央 大 学教 授
△ 立法 院 委 員
△ 軍 政 部 参事
△ 黄 河 水 利委 員 会 副委 員 長
虎
桐
臣
王曾 善
李 英華
王応楡
︹〓︺
回 せり茲 に於 て馬 軍は 省 城 迪 化 包 囲 の形 と な り 志 気 大 いに 振 ひ た
宣 慰 使 随 員 一行 左 の 如 し
露 軍 を 前 線 に配 し 飛 行 機 亦 参 加 し て空 陸 よ り 猛 攻 の結 果 慓 悍 を 以
銭
一行 は 十 二名 の 大 一座 に し て数 回 に 分ち 飛 行 機 及 陸 路 に て出 発 せ
△ 北 平古 物 陳 列 所 長
り 黄 慕松 は 六 月 六 日漸 く 飛行 機 に て南 京 発 同 日甘 粛 省 城 蘭 洲 着 今
て鳴 る流 石 の回 教 軍 も 激 戦 一昼 夜 の後 大 敗 せ り 省 防 軍 は 回 軍 の敗
新 疆 宣 慰 使 黄 慕 松 一行 迪 化 に 着 両 軍 首 脳 に 停 戦 を 提 議 せ し を 以 て
次 事 変 の 黒幕 の 一人 た る宮 碧 澄 と 会 見 し て事 情 を 聴 取 し 六 月十 五
△ 張誠 △ 夏仲 毅 △ 王俊 生 △高 長柱 △楊 乗〓 △艾 沙
馬 仲 英 は 六 月 十 七 日附 に て軍 事 行 動 停 止 を 通 電 し 一に 中 央 の処 置
退 す るを 追 ふ て十 六 日古 城 子 に 之 を 包 囲 せ り 恰 か も 南 京 政 府 特 派
を 待 つ旨 を 声 明 し 軍 を 率 いて 木 塁 河 に 後 退 せ り 七 月 下 旬 現 在 に 於
日 迪 化 に 到 着 し真 相 調 査 中 六 月 二十 七 日劉 文 龍 、 盛 世 才 は突 如 従
名 を 逮捕 し 反逆 罪を 以 て 即決 銃 殺 に処 す と 共 に黄 慕 松 に対 し ても
来 よ り迪 化 駐在 の南 京 政府 代 表 格 た る陶 明〓 、 陳 中 、 李 笑 天 の 三
軟 禁 処 分 に 附 せり 右 に対 し劉 盛 両氏 は南 京 政 府 に対 し左 の如 き 弁
に〓 敗 せ し と 雖 も 回 教 民 軍 の背 景 侮 り 難 き も のあ り 引 続き 督 弁盛 世 才 と 対 峙 の形 に あ り
け る馬 仲 英 軍 は 尚 附 表 の如 く 哈 密 以 下 八 県 を 占 拠 し 滋 泥泉 の 一戦
第 九 宣 慰 使 黄 慕 松 の新 疆 入 と 六 月 二 十 七 日事 変 の 発 生
明 と 要請 を な せり
を 討 議 す る に 当 り 日 本 代 表 に よ り て支 那 の 不統 一を 指 摘 せ ら れた
長 、 モ ス コー大 学 出 身 、 広 田大 使 暗 殺 を 計 画 せ し こと あ り 発
会 主 任 )彭 昭賢 ( 中央党部特派員、元国民政府内政部統計司
﹁ 中 央 ﹂ は速 か に陳 立 夫 ( 中央執行委員、中央党部組織委員
確 証を 得 たり 依 つて銃 殺 せ り
﹁陶明〓 等 は省 政 府 を 転 覆 せ んと す る陰 謀 を 企 て つ ゝあ り た る
四月 十 二 日 の政 変 馬 仲 英 軍 の迪 化 進 撃 等 の事 変 の 発 生 に 関す る各 種 の報 道 は 満 洲 事 変 に 次 ぐ の重 大 事 変 と し て 世 界各 国 就 中 日蘇 英 米 仏 等 の諸 国 朝 野 の注 目 を 惹 く 所 と な れ り殊 に 南京 政府 は本 年 一
る に 対 し 支 那 代 表 は 支 那 に は 中 央 政府 厳 乎と し て存 在 せ る旨 を 力
覚 し て蘇 聯 よ り 退 去 処 分 に附 せ ら れ た る人 物) 劉 光 ( 参謀本
月 国 際 聯 盟 が ﹁リ ツト ン調 査 団﹂ の 報 告 書を 基 礎と し て満 洲 問題
説 し て反 駁 せ し 関 係 上 新 疆 事 変 の発 生 に より て 国際 的 体 面 を 失 す
部 第 一庁 長 、 陸 軍 中 将) 張鳳 九
日も 速 か に正 式 任 命 方 発 表 し 以 て人 心 の安 定 を 計 ら れ ん 事 を 要
一部 の 権 力者 が 権勢 を 壟断 せ んと す る にあ るも のな れ ば 之 が 禍 根
其 後 の報 道 に よ れば 陶 明〓 等 は黄 慕 松 を 迎 へて新 疆 省 内 乱 続 発 は
微 々た る軍 閥 に対 し てす ら 南 京 政 府 は 国 家 中 枢 機 関 と し て の最 大
右 の豪 語 は 明 か に南 京 政 府 を 胴 喝 せ る に 等 し き も のに し て 地 方 の
痒 を 感 ぜ ざ れ ば 省 政 治 は 自 己 の自 由 意 思 に よ り て 処 理 す る のみ
し 但 し 政 府 が 右 提 議 を 容 認 せ ざ る場 合 にあ り ても 実 際 上 何 等 痛
( 新疆省政府南京駐在代表)
一掃 の根 本策 と し て新 疆各 派 勢 力 の代 表 を 網 羅 し 軍事 委 員 会 分 会
侮 辱 を 蒙 る と 共 に 国 家 の不 統 一を 中 外 に 曝 露 せ り と 云 ふ を 得 べし
請す然らば ﹁ 中 央 ﹂ の意 旨 を 乗 承 し 省 政 維 持 の為 責 任 を 負 ふ べ
の組織 を 建 言 せ し に盛 世才 の激 恕 す る所 と な り て犠 牲 と な り た る
而 か も廬 山 会 議 の結 果 は 八 月 一日 の行 政 院 会 議 に 於 て 左 の如 く 決
を 派 し真 相 調査 を請 ふ﹂
も の ゝ如 し 元 来 陶、 陳 、李 の 三名 は 四月 十 二 日事 変 の張 本 人 にし
定 直 ち に政 府 命 令 を 以 て発 表 せ り
任 新 疆 省 政 府 委 員 兼 新 疆 辺 防 督 弁
任 新 疆 省 政 府 委 員 兼 主 席
盛世才
劉文龍
︹マ マ︺
て 劉盛 両 氏を 臨 時主 席 及督 弁 に推 挙 す る に 関し 斡 旋 し 其 の功 によ
な り而 か も陶 等 の南 京 政府 部 内 に有 す る勢 力 を 以 て宣 慰 使 の新 疆
︹マ マ︺
り て夫 れ 々 々省 政府 秘書 長 、 督 弁 署 参 謀 長 に抜 擢 せら れ た る 人 物
入 を機 会 に新 疆 省 の ﹁ 中 央 ﹂ 化 を 即 行 せ んと 欲 し 極 刑 に処 せ ら れ
張培元
た る次 第 なり 蓋 し 六 月 二十 七 日事 変 は盛 世 才 等 現 省 政 府 当 局 が 新
陸軍新編第八師長
任新疆省政府委員兼伊犁屯懇使
態 度 を 有 す る こと を 表 示 せ し も の に し て新 疆 省 ﹁中 央 ﹂ 化 反 対 を
口弐 百 五拾 五 万 の内 二 百 万 を 擁 す る 回 教 徒 の存 在 を 政 府 当 局 は 全
右 の結 果 新 疆 省 に は 今 後 三 巨 頭 政 治 の実 現 を 見 る 次第 な る が 全 人
疆 省 に於 け る封 建 勢 力 の存 続 には 如 何 な る犠 牲 を も 顧 みざ る 強 硬
堂 々宣 明 せし に異 な ら ざ る点 に注 目 を 要 す 第 十 南 京 政 府 の対 新 疆 策 と 無 力 の曝 露
第 十 一 ( 結 論) 満 洲 国 と 新 疆 省 の 関 係 並 に 対 策
の将 来 も 亦多 事 な り と 云 ふ を 得 ん か
頓 挫 を 来 し新 規 蒔 直 し の必 要 に迫 ま ら る ゝに 至 れ り 依 而 行 政 院 長
満 洲 国 と 蘇 聯 両 国 間 に 不幸 に し て 干戈 を 以 て相 見 ゆ る の 緩急 の場
然 無 視 す る の態 度 に 出 て 新 疆 省 政 治 の 禍 根 を 将 来 に存 せ り新 疆 省
汪 兆 銘 は 七 月 四 日附 を 以 て黄 慕 松 一行 に 対 し 帰 京 を 電 命 せ り 黄 氏
六 月 二十 七 日事 変 の発 生 は 南 京 政 府 の新 疆 宣 慰 策 に 根 本 よ り齟齬
は 一部 随 員 と 共 に飛 行 機 に て七 月 二十 二 日帰 京 し 対 策 協 議 の為 め
べき は 識 者 の言 を俟 た ずと も 明 か な る事 実 と せざ る べ か らず 此 の
合 ﹁ザ バ イ カ ル﹂ 一帯 に 於 て 日 満 聯 合 軍 と 蘇聯 主 力 軍 の 決戦 あ る
場 合満 洲 国 側 は 蘇聯 軍 牽制 のた め蘇 聯主 力 軍 の後 方 を攪 乱す ると
恰 か も 開 会 中 の盧 山 会 議 に 出 席 の為 め 二 十 五 日 南 京 発 会 議 に 出 席 せ り 黄 氏 の帰 京 に際 し 盛 世 才 は 南 京 政 府 当 局 に 対 し 左 の伝 言 方 を
西 比利 亜 鉄道 を扼 す る と共 に 之を 中 断す る事 の効 果的 な る は之 亦
同 時 に 場 合 に よ り て は 一部 遊 撃隊 を 編成 し外 蒙 又 は新 疆 方 面 より
政 府 は 劉 文 龍 、 盛 世 才 を 省 長 督 弁 と す る 新 疆省 政 府 の 改 組 を 一
依頼せり即ち
策 戦 用 兵 上 必 要 欠 く 可 か らざ る方 法 た らざ る べ か らず 但 し戈 壁 を 横 断 し 西 比 利 亜 鉄道 を 中断 す る に は多 大 の 困難 伴 ふも 新 疆 省 に根
( 省 城 )、 阜 康 、 孚遠 、 奇 台 、 昌 吉 等 迪 化 を 中
心とする数県を地盤とす。兵力、合計約五千 ( 露 人 帰化 軍約 一
迪化
四月 十 二 日事 変 以後 に 於 け る 新疆 省 各 派 勢 力 一覧
千)飛行機、十台 ( 内 四 台 破 損) 主 要 将 領 は 、新 疆省 辺 防督 弁
△盛 世 才
のあ り
拠 を 求 め 之 が 実 現 を 期 す る は 比較 的 容易 に し て 一層 効 果 的 な るも
如 上 の結 論 に 備 ふ る 為 満 洲 国 は 予算 の許 容 す る範 囲内 に於 て新 疆
更 に南 京 政 府 によ り 正 式 に督 弁 の任 命 あ り 。 而 し て南 京 政 府 の
さ れ た る臨 時 省 政 府 維 持 委 員 会 の推 挙 によ り 就 任 し 、 八 月 一日
︹マ マ ︺
り た る機 会 を 利 用 し て発 生 し た る 四月 十 二 日事 変 の結 果 、 組 織
と す る回 教 徒 聯 合 軍が 、 省 城 迪 化 を 包 囲 し 、 金 樹 仁 の苦 境 に 陥
( 註 ) 南 京 派 の策 謀 と 旧 東 北 軍 の援 助 を 得 て 、 馬 仲 英 軍 を 盟主
主 張 し、 蘇 聯 と は 常 に 不 即 不 離 の関 係 に あ り 。
劉 希 曹 、 黎 某 、 張 治 資 。 南 京 政府 の干渉 排 斥を
盛世才、師長
一、 日満 青 年 を 新 疆 省 に 留 学 せ し め各 方 面と の連 絡 を 策 す ると
経 営 百 年 の大 計 を 樹 立 す る の要あ り 即ち
共 に 一日 緩 急 の場 合 に 備 ふ る こ と 二、 新 疆 省 に お け る 回 教 徒 、哈 薩 克 、 蒙古 族 等 を操 縦 し遊 撃 隊 組 織 の素 地 を 作 り 置 く こ と
干渉 を 排 し て 五月 二十 七 日事 変 を 断 行 す 。 旧 東 北 軍 と 同 盟 し 現
三 、 以 上 の方 法 に よ り 万 一の場 合 新 疆 省 内 に直 ち に 飛 行場 を 獲 得 し 得 る やう 計 画 を 進 め 置 く こ と 此 の場 合 平 時 に 於 て新 疆 内
迪 化 、 伊 梨 街 道 に沿 ふ迪 化 、 呼 図 壁 、綏 来 、
沙 湾 、烏 蘇 、清 河 の各 県 を 地 盤 と す 。 兵 力 、 合 計 約 三千 。 東 北
△ 旧東 北救 国 軍
に 回 教徒 聯 合 軍と 抗 争 中 な り 。 蘇 聯 よ り 武 器 を 購 入 し つゝ あ り 。
の蒙 古 王 或 は 回 教 王 と 密 接 な る 関 係 提 携 を 策 し 置 く こと 四、 日本 政 府 の援 助 を 得 て隴 海 海 鉄 道 又 は 平綏 鉄道 を 速 か に 新 疆 に延 長 す る やう 方 策 を 講 し 以 て満 蘇 両 国 開 戦 の場 合 新 疆 省 を 有 力 な る蘇 聯 主 力 軍 の後 方 攪 乱 策 源 地 と す べき こ と
反 満 抗 日救 国を 主 義 と し 、蘇 聯 と は 不即 不 離 。
( 註) 一九 三 二年 満 洲 国 の討 伐 に会 ひ 、蘇 聯 領 土 に於 て武 装 を
救 国 軍 旅 長 鄭 潤 成 を 将 領 と す 。
解 除 せ ら る 鄭 は新 疆 に 遁 入 し た る馬 占 山 、 蘇炳 文 、 王 徳 林 、 李
而 し て第 四項 実 現 の場 合 には 支 那 と 攻 守 同 盟 実 現 の必 要 あ り
政府 が依 然 覚 醒 せず 以夷 制 夷 の方 針 を 捨 てず 反 満 抗 日策 に 浮 身 を
極 東 平 和 百 年 の大 計 より す るも 右 は必 要 な る 手 続 な る が 若 し 南 京
や つす に於 て は北 支 政 権 樹 立 に積 極 的 援 助 を 与 へ速 か に 新 疆 鉄 道
杜 の旧 部 下 に し て 、盛 世才 と 同盟 し て 、 回 軍と 抗 争 中 な り 。 ︹ 托︺ 哈密 、 鎮 西 、 木 塁 河 、 七角 井、 吐 魯 番 、 比 克 遜 、 焉 △ 馬 仲 英
の敷 設 を実 現す べき なり
耆 、 庫 車 、 拝 城 の各 県 を 地盤 と す 。兵 力 、 合 計 約 五千 。 主 要 将
而 し て新 疆 省 に お け る 日満 両 国 の 軍事 的 策 謀 を 容 易 な ら し む る 為
領は、新編第三十六師長
聶 滋 爾 、 同前
め に は 新疆 省 が 現在 の如 く 各 派 勢 力 対 立 状 態 に継 続 せ ら る ゝこと
馬 仲 英 、討 逆 軍 司令
も亦 好 ま しき 条 件 た らざ る べか ら ず
防 司令 和 加 尼 牙 孜 、 回 軍 師 長 魁 、 義 思坎 旦 爾 、 買 甫 思 。
馬光雲、回軍騎兵師長
鉄占
回教 徒 の新 疆 、 各 民 族 の平 等 待 遇 、 省 民 の痛 苦 解 除 を 政 綱 と す る回 教 徒 派 な り 。 蘇 聯 と の関 係 は 不 即 不 離 。 ( 註 ) 甘粛省新編第三十六師長にして哈密回教王、聶滋爾を擁
( 註) 伊犁 駐屯 の省 防 軍 師 長 と し て 、 今次 の 政変 に は 不 干渉 態
陳 中 、迪
李 笑 天 は 既 に銃 殺 せら れた る
政治 的 策謀 を事 と し 、 軍事 委 員 会 特 派 員
陶 明〓 、 迪化 飛 行場 長
度を持す。
化 県長
△ 南京 派
宮 碧 澄 、彭 昭 賢 、 元
趙得寿なり。
政治 、 軍事 、外 交 に 関す る 一切 の ﹁ 中 央 ﹂ 化 の実 現 を 目 標 と し 、
総領事
( 註 ) 陳 中等 の南 京 派 人 物 が 黒 幕 と な り て金 樹 仁 駆 逐 に成效 す
専 ら蘇 聯 の活 動 を 監 視 せり 。
牟 維潼 、 外 交 部 新 疆 弁 事 所 秘 書
し 纏 頭 回 の要 請 に よ り て金 樹 仁 の駆 逐 を 標 榜 し て 挙 兵 す 。 馬 は
が 、 現在 の 主 要 人物 は 、 中央 党 部 特 派 員
新 疆 省 督 弁 と 自 称 し 、 纏 頭 回 全 部 を 背 景 と す る 勢力 は 侮り 難 し 。
旧阿山道各県 ( 主府 は 承化 県 城) を 地盤 と す。
金 樹 仁 の下 野 後 は 政 権 獲 得 を 目 指 し て 盛 世才 軍 と対 抗 中 な り 。
る や 、新 疆 省 の ﹁中央 ﹂ 化 を 策 謀 し た るも 、 盛 督 弁 等 の自 派 に
△阿 爾 泰 共 和 国
不利 な るを 知 り 、 更 に馬 仲 英 を 操 縦 し て盛 世 才 勢 力 牽 制 を 図 り
馬 福 明 も 加 担 せ る が如 し)
兵力、未詳 ( 但 し 塔 城 の回 軍 師 長
一、 回 教 徒
人 口、 約 一百 二十 五万 人
新 疆 省 に於 け る人 種 並 に人 口 の分 布
省 に於 け る急 進 派 の陰 謀 組 にし て、 現 に宮 碧 澄 は そ の主 領 な り 。
た る為 め、 陳 中 等 三名 は 五月 二十 七 日逮 捕 銃 殺 さ れ た り 。 新 疆
民 族 自 決 を 主 義 と す る 回 教 徒 派 に し て 、 蘇聯 の 援助 あ り。 ( 註) 阿 爾 泰 山 脈 南 部 の準〓 爾 草 地 に 遊 牧す る哈 薩 克 族 を 糾 合 し 、 今 次 の政 変 に 乗 じ て 独 立を 宣 言 せ り 。新 疆 蒙 古 族 と蘇 聯 政
( 疏勒)を将領とす。
唐才
疏 勒 、莎 車 、 阿克 蘇 、和〓 、 于〓 の各 県 ( 主府
府 の後 援 を 有 す 。 △伊 斯 蘭 帝 国
鉄米爾
は 喀 什〓 爾) を 地 盤 とす 。 兵力 、 合計 約 三千 。 回 軍師 長 明 ( 和〓 ) 回 軍 騎 兵 師 長
天 山 南 路 各 地 に 住 居 す 。 一名 喀 什〓 爾 人 と も 呼 ば れ 、 常 に 頭
全 省 人 口 の約 五割 は 実 に纏 頭 回 と な す 。 其 の内 の七 割 内 外 は
( イ) 纏 頭 回
( 註) 新疆 省 纏 頭 回 のメ ツカ喀 什〓 爾 を 中心 と す る各 地 の回 教
上 にタ ー バ ン即 ち 布帛 を 纏 へる を 以 て此 の名 あ り 。 言 語 は 土
民 族自 決を 標 榜す る 回教 徒 派 に し て、 蘇 聯 の援 助 あ り 。
徒 が 、 哈密 王 聶滋 爾 の 一族 た る和 加 尼 牙 孜 を パ シヤ に推 戴 し て
耳 古 語 を 主 と し 、 支 那 語 を 解 す る 者 は尠 し 。 支 那 回 教 徒 中 に 伊 梨道 各 県を 地 盤 と す 。 兵 力 、 合 計 約 二千 。 張 は 伊
( ロ) 漢 回 人
人 口、 約 四 十 万 人
の存 在 せ る は 全 部 纏 頭 回 と す 。
於 て文 化 の程 度 は 最 も 進 歩 せ り 。 今 な ほ 各 地 に 回 教 王 な る 者
独立 を 宣 言 せ しも の なり 。 △ 張培 元
梨屯 墾 使 兼 新 編 第 八師 長 な り 。 保 境 安 民を 政 綱 と し、 蘇 聯 の援 助 を 受 く 。
民族 化 し東 干人 は 回〓 と も 呼 ば る。 巧 に支 那 語 を 操 る 外 、 衣
主 と し て 天山 北 路 各 地 に定 住 す 。 支 那 回 教 徒 中 に 於 て最 も 漢
食 住 とも 殆 ど漢 人と 択 ぶ所 な し 。 (ハ) キ ル ギ ス人 人 口、 約 三十 万 人 天 山 北路 の 草 原 地方 及 び 一部 は 天山 々地 に遊 牧 す 。 哈 薩 克 及
人口、約十三万人
於 て は 天津 人 が 最 も 活 躍 せ り。 三 、 蒙 古 人
祖 先 伝 来 の準〓 爾 牧 地 は 今 や殆 ど 哈 薩 克 族 の蹂躙 に委 し居 る の 状態なり。
満 洲 人 は 清 朝 当 時 に 官 吏 又 は 軍 人 と し て 赴任 し 来り た る者 の 子
人 口、 約 三 万 人
支 那 語 を 解 す る も の少 く 、喇嘛 教 を奉 じ 、牧 畜 を 生 業 と す 。
孫 が 定 住 せ る も のに し て 今 な ほ 各 主 要 都 市 附 近 に 居住 す。 衣食
四、 満 人 及 西 蔵 人
々 地 帯 に 遊 牧 せ り 。 阿 爾泰 共 和 国 の主 体 はキ ルギ ス人 中 の哈
び 布 魯特 の二族 に 別ち 、前 者 は 天山 北路 以 北 に、 後 者 は 天 山
薩 克 族 に し て牧 地 接触 せ る 関 係 より 蒙 古 人 の後 援 を 得 るが 如
( 八 、 一 一、 一八)
中 国 の実 際 問 題 ( 民 国 二十 二年 十 月 )
許 世 鐸
考 へら る ゝに就 き 、 左 に謄 写 し て御 参 考 に 供 す
( 許世鐸、昭和八年十 一月十八日)
︹ 註︺ タイプ印書 。
外は殆ど存在せず。 ( 了)
住 、 言 語 と も に 支 那 化 す 。 西 蔵 人 は 極 め て 少 数 に し て喇嘛 僧 以 人 口、 約 四 十 万 人
し。 二、 漢 人
各 地 に 散 在 す 。 地 理 的 関 係 よ り 甘 粛 人 が 最も 多 数 な る が、 左 宗
中 国 の 実 際 問 題
棠 の新疆 征 服 以 来 は 湖 南 人 の定 住 せ る者 も少 か らず 。 商 業 上 に
一 三
右 は 、 支 那 に於 け る 現 在 政 界 の或 る 有 力 者 が 、 許 世 鐸 な る変 名 を 以 て発 表 し た る 論 文 大 要 を 翻 訳 し 、
認識 の肯綮 に中 るも の尠 か ら ず 。 殊 に 日 本 人 に 対
在滬 大 村 得 太 郎 氏 よ り 送 来 せ る も のに し て、 其 の
す る希 望 の如 き は 、 大 に 傾 聴 に 値 す る も のあ り と
て 理 想 に 走 り 、 小 乗を 軽 ん じ て大 乗 に就 き 、 具体 を 避 け て抽 象 に
登 る の 類 と も な る 。由 来 、我 が東 洋 思想 は動 もす れば 実 現 を 忘 れ
て 定 め ら れ た 国 是 は或 は 痴 人 の夢 と なり 、 或 は梯 子な く し て 天 に
の理 想 は 其 の 国 の国 是 を 定 め る 。 此 の場 合 そ の国 の 現実 を 無 視 し
△ 理 想 は 実 現 か ら
劣 つ て ゐ る の みな ら ず 、 今 や我 国 人 に 近 代 企 業 の経 営 能 力 有 り や
代 的 産 業 も 極 め て微 々た る も の で、 工 業 技 術 は 先 進 国 に 比 し 遥 に
古 来 殆 ど 進 歩 の跡 な く 、 今 猶 ほ 手 工 業 時 代 に 沈 淪 し つ ゝあ る 。 近
国 は如 何 、 百 人 中 の八 十 人 は 無 教 育 者 で は な いか 。 産 業 に 就 て も
先 進 国 に見 る も 百 人 中 九 十 乃 至 九 十 五人 を 下 ら な い。 而 し て 我 中
事 世 界 一位 で百 人 中 、 有 教 育 者 は 九 十 人 の比 率 であ る 、 之 を 欧 米
る多 数 民 衆 の文 化 程 度 果 し て如 何 、 東 隣 の 日本 は 教 育 の普 及 せ る
世 界何 れ の 国 か 理想 な から ん 、而 し て 一国
堕 す る の 弊 な し と し な い、 現代 中 国 の病 根 の如 き も 亦 た 個 中 に其
無 し やが 問 題 と さ れ つ ゝあ る 実 状 で は な いか 。 交 通 を 見 よ 。 米 国
は 実 に 鉄 道 二十 五万 哩 、 小 国 日 本 に 於 て す ら 二 万 五 千 哩 を計 上 す。
の因 を 発 す る 所 甚 だ 少 し と し な い。 是 に 於 てか ﹁中 国 の実 際 問
然 るに 亜 洲 の 一半 を 擁 す る 我 国 に 僅 か に 七 千 哩 と は どう し た事 か
題﹂ な る 題 目 は真 に時 弊 に的 中 した も のと 云 ふ べき であ る。 △ 先 づ 現実 を見 よ
実 に交 通 の整 備 は 四 百 余 州 統 一の先 駆 で あ る 。粤 漢線 が 完成 す れ
あ る呻 吟 と 囁〓 と を 聞 け 、 そ こ には 一切 の呪 咀 と 怨 嗟 と が 汝 等 の
半 句 の 口外 を 許 さ な い。 耳 を 歌 て ゝ市 井 と 巷 間 と 田 園 に 満 ち つ ゝ
だ 曾 て立 たざ る我 国 に於 ては 時 の為 政 に対 す る不 平 と 不 満 は 一言
飢 餓 の民 は何 処 に行 き 、 流 離 の民 は 何 処 にか 依 ら ん 。 古 来 人 権 未
猶 至 り つ ゝあ る 、 此等 に対 す る国 家 的 対 策 は 何 処 にあ り や。嗚 呼
ず る 国 軍 は今 何 処 にあ り や、 内 乱 と 天災 と 匪 害 は 相 次 で至 り 今 も
趣 旨 で は な い、 只何 れ の国家 も 国 民 も自 国 の 現実 と 自 己 の欠 陥 に
ゐ る事 を 認 めざ る を 得 な い。 此等 を 今 此処 に列 挙 す る の は本 論 の
こ に 幾多 の改 造 や改 革 や艾 除 す べき 弊 風 や が数 限 りな く 存 在 し て
で あ ら う か 。 此 の外 近 代 文 明 国家 の列 に加 は ら ん が為 め に は、 そ
と 教 育 と は 現 代 の中 国 で は 、 よ り 先 決を 要 す る 現実 の 問 題 で な い
命 成 つ て六 ケ 年 、 何 処 に 鉄 道 が 敷 設 さ れ た か 、 実 に 此交 通と 産 業
と な り 、 土 匪 も 影 を 潜 め 、 其 の代 り 産業 は 大 に 勃 興す る 。 国 民 革
中 国 の実 際 問 題 に就 て論 ぜ んと す るも のは
其 の好 む と 好 ま ざ る と に 拘 ら ず 、 中 国 の有 り の儘 の現 実 に 就 て
ば 広 東 の独 立 は 困 難 と な る 。 交 通 さ へ開 通 す れ ば 反 政府 軍 も廃 業
耳 朶 を 打 つであ ら う 。 然 し 最 早 此 等 の腐 敗 と 混 乱 と 靡 乱 は 世 界 的
盲 目 な る 限り 、 憐 れ む べし 、救 は れざ る 国家 と なり 国 民 と な り て
︹マ マ︺
四 百余 州 を 支 配 す る中 央 政府 は今 何 処 にあ り や、 中 国 の国 防 に 任
卒 直 に 反省 し て見 る事 を 要す る。 政 治 は如 何 、 軍 事 は 如 何 、 中 国
に余 り にも 周 知 の事 実 だ 、 予 は茲 に そ の 一端 を 挙 げ て読 者 の真 卒
進 ん で我 国 の対 外 問 題 に 一瞥 を 与 へる であ ら
︹マ マ︺
な る反 省 心 を 喚 起 す れ ば 予 の目 的 は 足 る のだ 。
△ 見 よ 此 の 国難
残 る の外 は な いであ らう 。 其 の他 の二 、 三 に 就 て 見 る も 、 近
代 文 明 国 家 と し て最 も 必 要 な る 中 国 の経 済機 構 は如 何 、貨 幣 か ら
は東 四省 を 屠 り 、 天津 、青 島 に頭 を擡 げ 、 上 海 で我 れ の腹 部 に懐
う 、 正 に 国難 時 代 であ る事 は誰 し も 異 論 はあ るま い。 日本 の侵 略
△交 通 、 産 業 、 教 育 は 急 務
度 量 衡 に 至 る ま で 尽 く 不 統 一そ のも のな らざ る は な い。 四億 を 誇
に罹 り つ ゝあ る 。 我 国 の心 臓 部 に 巣 喰 ふ 紅 軍 の猖獗 に 至 つて は 三
剣 を 擬 し た 形 だ 。 蘇 聯 の侵 略 は 外 蒙 の外 、 近 時新 疆省 亦 其 の毒 牙
つた 日本 の如 き こそ 、 現 在 好 運 の波 上 に 乗 じ つ ゝあ る も のと 云 ひ
時 、国 を 開 い て約 四百 年 の米 国 と 、 過 去 三 百 年 の鎖 国 か ら 醒 め 来
も 容 易 に打 倒 し 得 る も の では な い、 静 か に 東 西 の歴 史 を 通 観 す る
会 し て 興隆 し 来 つた 国 家 は 他 の何 国 が 如 何 に 之 を 打 倒 せ ん と す る
得 る であ らう 。 さは 云 へ吾 人 は固 よ り 運 命 を 過 信 し 、 或 は 之 に 盲
てし ても 推 察 は 十 分 であ る。 又 た 西 蔵 が 英 の爪 牙 に 罹り つ ゝあ る 事 は 日既 に久 し い。 近 来 更 に 欧 米 白 人 種 の経 済 侵 略 は 、 平 和合 作
べき 努 力 の途 は残 さ れ てあ る事 を 知 る。 只 遺 憾 乍 ら 中 国 が 未 だ 運
従 す る も の で はな い、 そ こ に自 ら の力 を 以 て自 ら の運 命 を 開 拓 す
年 越 し の討 伐 は 却 て紅 軍 の勢 力 を 増 大 し つゝ あ る 。 此 の 一事 を 以
の仮 面 を 被 つ て捲 土 重 来 し つ ゝあ る 。 見 よ 剣 を 按 ず る も の、覆 面
る。 内 憂 外 患 交 々至 ると は至 に 中 国 今 日 の現 状 の為 め に 作 ら れ た
の 外 は な い。
命 の後 光 を 享 受 す る時 代 に到 達 し て居 な い事 丈 け は 卒 直 に認 め る
︹マ マ︺
せ る も の、 媚 を 献 ず るも の、 真 に百 鬼 夜 行 、 陰 患 四 伏 の 状 態 であ
文 字 であ る の で はな いか 。
は 、 眼 を 転 じ て 現代 世 界 に動 き つ ゝあ る重 大 な る動 向 に 注 意 を 向
△ 世 界 的 動向 を 見 よ
こ ゝま で卒 直 に自 己 を 反 省 し て来 た 吾 人
△ 国 運何 れ にか 廻 れ る
中 国 の現 実 を 反 省 す る に 当 つて 、 対 内
的対 外 的 以外 に、 自 国 の 国運 が 如 何 に廻 り つ ゝあ る か に 就 ても 一
一、白 色 人種 栄 華 の維 持 策
け ねば な ら な い、鄙 見 に よ れば 其 の動 向 に左 の 三 つが あ る。
ら 見 て も 答 へ得 ら れ な い。若 し夫 れ好 運 一度 其 の国 に廻 ら ば 興 隆
如 何 に 贔負 目 に 見 る も 、 正 に 中 国が 好 運 の波 頭 にあ り と は 史 実 か
す る も の で は な い。今 や好 運 は何 れ の 国家 に廻 り あ る やと 問 は ば 、
あ つた と 云 へよう 。 固 よ り 三百 歳 を 以 て中 国 盛 衰 の周 期 率 と 断 定
約 五 百年 、 此 の内 前 後 の 百年 宛 を 除 いて 三百 年 は 中 国 の衰 勢 期 で
図 を 領有 し 中 国 の極 盛 期 を 画 し た。 斯 く の如 く 元 清 両 極 盛 期 の間
下 つて 明朝 振 はず 、次 で清 朝 起 ち 康 煕 帝 に至 つ て再 び 広 大 な る 版
力 は 実 に其 の領 土を 欧 洲 の大 半 に伸 べた 。 然 し 其 の後 勢 威 漸 次 に
命 律 の支 配を 受 け つ ゝあ ると 云 ふ にあ る。 元 朝 に 於 け る 中 国 の勢
は 有 色 民 族 中 只 一人 気 を 吐 き つ ゝ、 優越 な る生 産 品を 以 て世 界 の
枯 渇 か ら 救 つて 長 く 牛 乳 に し て搾 取 し やう と 云 ふ にあ る、 其 の 二
対 策 を 論 じ つ ゝあ る や う だ 、 其 の 一は何 等 か の方 法 で有 色 民 族 を
は 今 日 迄 彼 等 が 享受 し て 来 た 栄華 文 明を 持 ち続 け る為 め に 二 つの
が 近 年 世 界 大 不 況 の 原 因 の 一と な つて ゐ る のだ 。 そ こ で白 色 人 種
び 、 近 年 と な つて は 其 の購 買 力 が枯 渇 し て しま つた、 実 は此 一事
る 。 処 が 斯う し た永 い間 の被 搾 取 か ら し て遂 に有 色 人 種 が 乾 枯 ら
血 を 以 て 燦爛 た る彼 等 の所 謂文 明 社 会 生 活 を 行 ひ つ ゝあ る の であ
つゝ あ る のだ と 云 ふ 以外 の何 も の で もな い。 云 は ゞ有 色 人 種 の膏
億 の欧 米 白 色 人種 を 以 て 爾 余 十 一億 の有 色 人 種 を 支 配 し 搾 取 し
如 何 に 維 持 せ ん かと 云 ふ事 であ る。 見 よ 今 日 の文 明 と は 何 か 、 五
第 一は白 色 人 種 独 占 の文 明 を 向 後
と 云 ふ意 味 は何 れ の国 家 又は 民 族 も 其 の栄 枯 盛 衰 は 人 力 以 外 の運
考 察 を 要 す る。 凡 そ民 族 又は 国 家 の興 亡 隆 替 は 一種 の哲 学 であ る
の気 運 は 勃 然 と し て其 の 国家 に 発祥 し 、人 口 は繁 殖 し、 人 材 は 輩
︹マ マ ︺
出 し 、 文 物 は 興 隆 し 、 国 威 は揚 り 国勢 は張 る 、故 に 一度 時 運 に際
に あ る のだ と 云 ふ に あ る 。 斯 の如 き 暗 流 は 世 界 の舞 台 裏 に低 迷 し
と 奮 起 は 次 か ら 次 へと 起 つて 来 る で あ らう 、 日本 虐 め は 正 に此 秋
市 場 を 脅 威 し つ ゝあ る 日 本 を 、 此 儘 に棄 て 置 けば 有 色 民族 の蹶 起
至 つた の であ る。 こ れは 英 国 の オ ツ タ ワ会 議 に 基 く 政 策 の実 行 、
囲以 外 の他 の ブ ロ ツ ク経 済 と 激 烈 な る生 存 競 争 を 行 は んと す るに
補 ひ、 以 て自 給 自 足 の新 天 地 を 作 為 し 、 斯 く てそ の経 済 的 勢 力 範
的 勢 力 範 囲 を 建 設 し 、 そ の範 囲 内 に於 て相 互 に有 無 相 通 じ 長 短 相
欧 大 陸 合 衆 国 政 策 、 其 の 一部 分 の現 れ た るダ ニ ユー ブ 諸 国 の経 済
︹マ マ ︺
つ ゝ、 或 は 世 界 経 済 会 議 と な り 、 或 は 政治 外 交 的 合 従 連 衡 運 動 と
蘇 俄 の 二次 に 亘 る 五 ケ年 計 画 、 米 国 の復 興 政 策 、 仏 国 の提 昌 す る
二、 対 立 よ り 合 同 へ
△国 難 打 開 の道 あ り や
聯 盟 等 を 見 れば 明 か であ るか ら 敢 て茲 に細 説 せ な い事 にす る。
第 二 は対 立 より 合 同 への動 向 であ る、 最
な り つ ゝあ る ので あ る 。
近 史 を 通 観 し て 見 る と 、 此 の 一世 紀 間 に 於 て 人種 を同 じう し 、文
以 上 極 め て有 り の儘 に我 国 の現 実 に就
化 の系 統 を 同 じ う す る も のは 、次 第 に 分 裂 か ら合 同 へ、 対 立 か ら
て冷 静 に又 た 沈 着 に、 中 国 の現 実 と 其 の力 量 の何 であ るか を 三省
て述 べ当 今 世 界 の主 な る動 向 に就 て語 つた 筆 者 は、 我 が 中 国 が 此
三思 し 、所 謂 国難 の種 々相 が果 し て如 何 の性 質 を 有 す るも の であ
の環 境 に於 て、 此 の 現実 を 以 て、 我 が 国 難 を 打 開 す る に、 果 し て
イ タ リ ー は 固 々 ラテ ン民 族 に 属 す る 為 め 、 欧洲 大 戦 が漸 次 深 刻 化
る かを 仔 細 に検 討 し 、 過 去 の歴 史 と 現 在 の環 境 に対 す る国 際 的 意
合 流 へと 転向 し つ ゝあ る 。 例 を挙 ぐ れば 嘗 て 三 十有 余 の 小 国 に 分
す る に つれ て 決 然 三 国 同 盟 を 脱 し て 、 ゲ ル マ ン民 族と 勇 敢 に戦 つ
識を 明 確 に認 識し 、 而 し て 一切 を 現 実 の前 に清 算 せ よ 。 然 ら ば そ
裂 し て ゐ た ド イ ツは 、 ド イ ツ民族 の生存 権 が脅 威 さ れ た為 め起 つ
た 。 更 に 又 た ロシ アを 中 心 と し た ス ラブ 民 族 は 、 バ ル カ ンより 中
こ に実 際 的 に し て且 つ合 理 的 な る中 国 の進 路 は 坦 々と し て展 開 さ
の命 題 に答 へる であ らう 、 即 ち 中 国 は 須 ら く 一歩 を 退 い て、 極 め
央 アジ アに 亘 る 諸 邦 皆 団 結 し て ソ聯 邦を 組織 し 、 欧 亜 に 亘り 全 世
るゝ であ ら う 。 斯 く 実 際 的 立 場 から 考 へて見 た 時 、 吾 人 は 人 種 的
如 何 の道 あ り や の大 問 題 に逢 着 す る事 と な つた 。 筆 者 は 言下 に此
界 を 赤 化 し 、 第 三 イ ンタ ー ナ シ ヨナ ル の 下 に全 人 類を 支 配 せ んと
にも 、 文 化 的 にも 、 地 理 的 にも 、 東 亜 の 天地 に於 て、 公 正 な る東
てド イ ツ連 邦 建 設 の運 動 に 熱 狂 し 全 ドイ ツ帝 国 の基 礎 を 確 立 し て
の野 心 を 抱 蔵 し てゐ る 。 観 じ 来 れ ば 人種 と 文化 を 同 じう す るも の
優 に 欧 洲 の覇 権 を 獲 得 す る に 至 つた 。 又 た カ ブ ー ル に統 一さ れ た
は 次 第 に 団 結 し て 、各 自 の 生存 の基 礎を 確 立す る為 め に協 力 す る
亜 に於 て亜 洲 と 共 に生 く べき 中 国 であ り 中 国 民 であ る事 を 、 一切
亜 の友 邦 と 手 を 携 へ、軈 て は全 有 色 民 族 解 放 の為 め 毅 然 と し て東
の根 本 観 念 と し て意 議 す べき であ る。
と 云 ふ事 が 、 世 界 の大 勢 と な り つ ゝあ る 。 三 、 経 済 ブ ロ ツク
△中 日 関係 の 一検 討
︹マ マ︺
で あ る 。 吾 人 日 常 の経 済 生 活 戦線 は 又 た其 の競 争 激 甚 を 加 へ つ ゝ
最後 に 来 る も のは経 済 ブ ロ ツク の確 立 運動
あ る 。 茲 に 於 て か 世 界各 国 は 同 民族 或 は 同 じ利 害 関係 に立 つ民族
発 見 以 来 の世 界 歴 史 は、 一言 以 て之 を 蔽 へば 、 白 色 人 種 の世 界 侵
史 を 顧 れ ば 十 五世 紀 末 コロ ンブ ス の米 洲
の国 家 は 相 互 に協 力 し て 所 謂 ブ ロ ツク経 済 を確 立 し以 て 一の経 済
一挿 話 が あ る 、 嘗 て 広 東 に 於 て 同 地 学 生 団 に依 つて排 日貨 運 動 が
略 政 策 が 何 故 に 中 国 全 土 を蓆 捲 し 得 な か つた か 。 茲 に 引 用す べき
リ ツピ ン以 東 に も 以 北 に も 及 び 得 な か つた か 、 恐 る べき 帝 露 の侵
略 史 であ る 。 白 色 人 種 を 以 て す る 東 亜 へ の侵 略 が 何故 安 南 と フイ
他 共 に認 め て居 る 所 で中 国 人 が いく ら 之 を 否 認 せ ん と し て も 最 早
一に列 し、 何 と 云 つても 東 亜 民 族 を 領 導 す る 指 導 者 で あ る事 は自
要 点 は 次 の如 く であ る 。 ﹁日 本 は 大 戦 以 来 一躍 世 界 三 大 海 軍 国 の
べき であ ると 云 ふ 事 に関 し て 一外 人 は 斯 く 観 察 し つゝ あ る 、 そ の
平 和 は其 の安 定 によ つ て生 ず る ﹂ と 云 ふ 原 則 か ら 見 て 某 英 人 が 云
展 も 極 端 に阻 止 さ れ て居 り ﹁民 族 の生 存 権 は 平 等 で あ つて 人 類 の
計 画 さ れ た 一日、 故 孫 文 先 生 が 其 の学生 の 群集 に向 つて 説 か れ た
あ る が 老 大 、 日既 に 久 し い為 め 其 の門 扉 は 破 れ其 の墻 壁 は壊 れ白
つた 如 く ﹁ 世 界 は 余 り に 日本 の みを 虐 め 過 ぎ た ﹂ ので は あ る ま い
れた 事 は三 国 干 渉 の比 では な く 、 又 た 年 々増 加 す る 人 口 の大 陸 発
昼 賊 徒 の侵 入 を 防 ぎ 得 な い、 只 一つそ こ に東 亜 の番 犬 あ つて白 賊
か。 東 亜 の指 導 者 た る 日本 の衰 微 は 結 局 有 色 人 種 の滅 亡 を 意 味 す
世 界 が 許 さ な い。 然 るに 過 去 の華 府 、 倫 敦 両 会 議 で 日 本 の圧 迫 さ
の侵 入 を 阻 止 し つ ゝあ る 。 然 る に 諸 子 は 此 の道 理 を弁 へず に こ の
るも の であ ると 同 時 に其 の自 強 更 生 は 有 色 民 族 解 放 の暁 鐘 で あ り 、
一節 に次 の 如 き 言 葉 があ る 。 ﹁中 国 は 実 に 地 大 物 博 の 独 立 国 で は
や﹂ と 。 又 た 七 月 号 の独 立 評 論 に 清 華 大 学 の蒋 教 授 が発 表 さ れ た
客 年 来 我 国 は 侵 略 者 の為 め に 関 税収
番 犬 に 食 物 さ へも 与 へず 却 つて 之 を 叩出 す と は 果 し て何 の心 ぞ
△欧 米 の援 助 果 し て如 何
入年 額 約 四千 万 元 を 強 奪 さ れ つゝ あ る のみ な ら ず 、 仇 貨 排 斥 を 行
黎 明 であ る訳 だ ﹂ と 。
ひ つ ゝあ る為 め 、 却 つ て我 国 の企 業 界 は 意 外 の苦 境 に 立 つと 云 ふ
論 文 中 に は 次 の如 き 文 字 が 記 さ れ て あ る。 ﹁ 現 在 世 界 中 の白 人 の
丈 け であ る 。 中 国 と 日 本 は 同 文 同 族 であ る 上 に 近代 史 の趨 勢 か ら
桎梏 を 受 け て居 ら ぬ 所 と 云 へば 隆 々 た る 日 本と 半 死半 生 の中 国と
云 へば 其 の利 害 を 同 じ く し て 居 る 訳 であ る 。若 し 両 国合 作 し て白
奇 現 象 に当 面 し つ ゝあ る 。 此 等 の補 填 と 救 済 か ら し て 第 三 国 か ら
し其 の借 款 は 何 れ に使 用 さ れ る のか 、 果 し て 我 国 と 我 国 民 を 此 の
借 款 を す ると 云 ふ 事 は 政 府 と し て誠 に 余 儀 な い事 で も あ ら う 。然
難 境 と 苦 界 か ら 救 ひ 出 し 得 るも の であ る のか 。 今 日 何 等 の 目 途 な
いか 、 真 逆 に 中 国 人 は 第 二 の印度 た り 比律 賓 た る事 を 希 ひ、 甘 ん じ て白 人 の奴 隷 と な る 事 を 好 む 訳 で はあ る ま い。 日本 の 最近 六七
人 の勢 力 を 極 東 か ら 駆 逐 す る 事 が 出 来 れば 両 国 の利 益 で はあ るま
十 年 来 の進 歩 は 吾 人 の羨 望 に 堪 へざ る所 であ る 、 日露 の役 に黄 人
此 の苦 味 を 最 も 永 く 味 ひ つ ゝあ る も のは 中 国 で は な いか 。 更 に 又
く し て巨 額 の金 品 を 貸 し てく れ る 様 な 国 は な い、 借 款 亡 国 と 云 ふ
た 近 頃 国 聯 の技 術 合 作 と 云 ふ 味 方 が 入 つて 来 て 蘇浙 両省 を 模 範 省
熟 語 は 、 今 は 戦 債 と 云 ふ も のに よ つて 西 洋 に も 存在 し つゝ あ る が 、
が 中 国 の経 典 書 画 に 対 す る尊 敬 と愛 着を 有 す る等 の点 か ら見 て、
日本 で見 る 所 に 依 れ ば 民 衆 の勤倹 に し て 秩 序を 守 る事 、 智 識 階 級
両 国 は 真 に 兄 弟 の国 た ら ね ば な ら ぬ と考 へら れ る﹂ 更 に 又た 東 亜
に仕 上 げ る と か 伝 へら れ つ ゝあ る 、 然 し 吾 人 は 国聯 が 欧 洲 の 天地
種 の為 め に 大 いに 働 いて 呉 れ た事 も 吾 人 は 認 めね ば な ら ぬ。 私 が
は 今 や 一変 局 に あ る 、 而 し て 此 の変 局 は 早晩 平 常 軌 道 に 調整 さ る
員 団 の随 員 に 参 加 し て 同 行 中 の 一人 アー ス氏と 相 携 へて暗 中 大 に
頃 中 国 に 縁 あ る 人 だ が 果 し て 如何 の 人物 な の か、曩 に リ ツト ン委
命 を 双 肩 に 担 つ て来 る 人 が 誰 あ らう ライ ヒ マン氏 だ 。 此 の人 は近
際 的 に 果 し て 幾 何 の援 助を 期 待 し得 る であ らう か 。 而 し て其 の使
に 平 和 の殿堂 と し て役 立ち つ ゝあ る事 は認 め るが 、 此 の東 亜 へ実
△結 論 は各 自 の胸 底 に
救 民 を 云 ふ 資 格 のな いも の であ る 。
論 に媚 び 、奸 邪 を 恐 れ て 俗 論 に 就 く が如 き は 、 既 に根 本 的 に救 国
成 果 を 期 待 し 得 べき も のな る を 要 す る 。 固 より 信念 を 外 に し て世
も せ よ 、 熱 と 誠 と を 以 て 献 身 的 に 之 に当 れば 、 必 ず や救 国救 民 の
て、 必 ず 具 体 的 実 行 弁 法 を 伴 ひ 、 之 が実 現 に は相 当 の困 難 あ る に
上来筆者は極めて真剣なる態度を以て、
活 躍 し た 人 物 で、 云 は ゞ此 の両 人 は 一行 中裏 面 の 立役 者 であ つた
の資 料 と 引 例 と 史 実 と を 読 者 の前 に提 供 し た 、 恐 ら く 爛 眼 に し て
我 国 と 我 国 民 の正 に踏 む べき 軌 道 の撰 択 に 必 要 な る 、 可 な り多 く
国 五千 年 の歴 史 も又 た 東 洋 の思 想 も 将 た 又 た 民 族 性 の何 た る か も
今 は掩 ひ難 い事 実 であ る。 所 謂 る 国 聯 の技 術 援 助 な る も のが 、 中
と し て此 の両 人 によ り 計 画 的 に 仕 組 ま れ た も ので あ る と 云 ふ事 は、
で あ る 。 只 茲 に 一言 の附加 す べき 事 は、 中国 現 下 の重 患 と は 、 外
各 位 の判断 と各 位 の 信ず る 理論 に よ つて作 為 さ れ る事 を 望 む も の
の断案 を読 者 に押 売 り せ んと す る にあ る の では な い。 結 論 は 読 者
位 の胸 裡 に帰 納 し得 た ことゝ 思 ふ。 実 は 筆 者 の意 図 も 亦 筆 者 自 身
聡明 な る読 者 は、 筆 者 の断 案 を 待 つこと な し に 、 各 自 の結 論 を 各
︹炯︺
のだ 。 か のリ ツト ン報 告 中 に 満 洲 を 国 際 管 理 に せ よと 記載 し てあ
︹マ マ ︺
る が、 之 は他 日中 国 全 体 を 挙 げ て 国 際管 理 下 に 置 か ん と す る前 提
知 つて ゐ な い此種 の人 物 に よ つて指 導 さ れ 、 而 も 何 と 云 つて も 関
れ て ゐる 、 外 政 に も 弁 舌 の雄 に は多 士 済 々 で 、 陸 軍力 は兵 数 に於
交 の不 振 で も な く 、 外力 の 侵 入 で も な い、況 や 国土 の 不足 でも 物
て世 界 一で あ る 。 但 だ 内 に 興 国 の気 魄 な く 、常 に夷 を 以 て夷 を 制
係 の浅 か ら ぬ隣 強 日本 を 除 外 し て、 果 し て如 何 な る建 設 が 事 実 に
△真 の 救 国 救 民
し 、 遂 にそ の夷 に 制 せ ら る ゝを 悟 ら ず 、 徒 ら に 老大 国 の伝 統 に眩
資 の不 足 で も な い。 実 に 国 土 は 過 大 、 人 口 は過 多 、 物 資 は 死蔵 さ
つゝ あ る 救 国救 民 な る 文字 に 就 て そ の真 意 を 判 然 せし め置 く 必 要
惑 せ ら れ て無 自 覚 と 無 反 省 に 陥 り 名 を 求 む る に のみ 急 に し て 実を
於 て行 は れ る で あ らう か、 中 国 の実 際 問 題 と 云 ふ見 地 か ら 考 へて
が あ る 。 所 謂 る 救 国 救 民 運 動 が 、無 反省 に実 行 不 可能 の空 理 空 言
作 る に疎 く 、 国 内 常 に不 統 一と 不 平 和 と 不 秩 序 の現 状 を続 け つ ゝ
疑 な き 能 はざ る 所 であ る。
を 掲 げ て、 或 は 政 権 争 奪 の工 具と な り 、或 は 示威 運動 に よ つて大
問 題 に触 れね ば 筆 鋒 が収 ま ら な く な つた 事 を 覚 へる 。 前 段 に 引 用
茲 に 吾 人 は 従 来 我 国 に滔 々と し て称 へら れ
衆 の自 由 意 志 を 束 縛 し 、 或 は 美名 に 匿 れ て 強奪 団体 と な り進 ん で
△再 び 中 日関 係 を 検 討 す
あ る事 に存 す る。
し た蒋 教授 の論 文 の 日本 観 中 には 日本 人 の吾 々 に対 す る 態 度 を 欧
筆 者 は 最 後 の段 に 於 て 今 一言 、 中 日
の名 に反 す る 害 国 害 民 の行 為 で あ つて 、 法 治 国 に 於 て は 其 の存 在
私 利 団 体 と 化 し 遂 に 私 腹 を 肥 や す の職業 団 体と な る が如 き は、 其
国的 信 念 と 公 正 な る 研 究 的 批 判 か ら 割 り 出 さ れ た 思 想 運 動 で あ つ
を 許 さ れ な いも の であ る 。 吾 人 の所 謂 る 救 国救 民 は 、 純 潔 な る愛
ても 如 何 と も な し 能 は ざ る 過 去 の愚 痴 や 怨 言 は 、 幾 百 回 繰返 し て
中 国 の実 際 問 題 を 考 へるも のに あ つ ては 、 有 形 を 以 て も 無形 を 以
と し ては 云 ふ べき こと 余 り に 多 き に 苦 し む も の で あ る 。 併 し吾 人
敬 意 を 禁 じ 能 は な いも の であ る。 近 年 の中 日 関 係 に就 て は 、筆 者
い。 但 し 教 授 の隣 邦 人 に対 す る 寛 大 な る 道 義 心 に 対 し て 心 中 私 に
者 は蒋 教 授 の如 く 直 に感 激 性 を 以 て 日本 の平等 待 遇を 礼 讃 し 得 な
半 数 は 中 日共 存 の真 意 義 に 徹 底 し て ゐな い事 を 確 言 し 得 る故 に筆
過 渡 時 代 にあ る の であ つ て、 日本 人 の有 識 階 級 の内 に 於 て も 、約
逐 年 改 善 され つゝあ るは 事 実 であ る が 、 鄙 見 に よ れば 今 日 は尚 ほ
の 長あ り と 自 信 す るも の であ る、 而 し て 日本 人 の対 中 国 人態 度 は
る事 を 論 じ て居 ら る ゝ。 日本 智 識 に 於 て 筆 者 は 蒋 教 授 よ り は 一日
日合 作 は容 易 く 実 現 せ ね ば な ら な い筈 な のに事 実 は 全 く 之 に 反 す
米 人 のそ れ に比 較 し て其 の平 等 待 遇 に 感 激 し 、 個 人 的 に 云 へば 中
し て 二 、 三 の苦 言 を 呈 す る であ ら う 。
いの で はな いか 。 今 や筆 を擱 か ん と す る に当 り 、 東 隣 の友 邦 に 対
よ つて 国民 経 済 の疲 弊 と 痛 苦 を 深 め る の愚 挙 と 痩 我 慢 は あ り 得 な
し て 軍費 を 浪 費 す る様 な 事 は起 り 得 な い。 又 た 不 合 理 な る 排 貨 に
様 に な る の で はあ るま いか 、 斯 く て こそ 相 互 の間 に 無 名 の師 を 起
関係 に移 り 、 而 し て権 力 的 争 執 は 漸 減 し 、 共 同 の利 害 は 一致 す る
は過 去 の政 府 対 政 府 、 権 力 対 権 力 か ら 民 衆 対 民 衆 、 経 済 対 経 済 の
調 は 両 民族 の真 剣 な る共 存 共 栄 に存 す る ことゝ な り 、 交 渉 の主 体
に新 た な る気 運が 生 れ出 ぬ であ ら う か 、 斯 く な れ ば 中 日関 係 の基
なす ﹂ と 云 つた やう な指 導 原 理 に改 む るな ら ば 、 中 日 両 民 族 の間
長文 化 し て ﹁政治 は 国民 の生 活 を 安 定 す る事 を 以 て 最 高 の道 徳 と
し所 謂 政治 の経 済 化 と 云 ふ理 論 に依 つて、 権 力 な り と 云 ふ 哲 学 を
んと す る は敢 て妨 げ な い。 只苟 も 指 導 者 た ら ん も のは 真 の親 切
一、 日本 が 隆 々た る現 在 の国 力 を 以 て東 亜 の指 導 者 の地 位 に 立 た
云 ふ 車 を 挽 い て進 み つゝ あ る 二 頭 の 馬 で あ る、 両 馬 相 食 み 相 争
て侵 略 を 免 れ 得 た と 云 ふ が 、 他 面 か ら 之 を 見 れ ば 古 来 東 亜 に 中
な る指 導 者 であ つて欲 し い。 見 よ 東 亜 は 日 本 と 云 ふ 番 犬 が あ つ
見 ても 空 念 仏 以 上 の何 も ので も な い。 由 来 、 中 日 両 国 は 亜細 亜と
は ゞ車 は 果 し て何 処 に か 行 く であ ら う 、 中 日相 和 せず んば 亜細 亜 は何 処 にか 動 く であ ら う 。 吾 人 の 真 に考 ふ べき 点 は此 辺 に存 す る
て維 持 さ れ て来 た の では な いか 。 日 本 も 真 逆 に 東 亜 の 番犬 を 目
ゐ る の では な いか 。 今 日迄 の東 亜 は 実 に 中 日 両 国 の存 在 に よ つ
少 の研 究 を し た 事 が あ る 。 一体 、 両 国 二 千年 間 の 歴史 に徴 し て考
的 と し て強 大 を 致 し た の では あ る ま い。 日 本 は 嘗 て東 亜と 云 ふ
国 の存 在 し た 事 に よ つ て、 東 亜 の天 地 と 東 亜 の文 明 は 残 さ れ て
へるに 、 両 国 の政 治 は 略 ぼ 其 の発 達 の起 源 と過 程 を 同 じう し て ゐ
見 地 に立 つて東 亜 民 族 の為 め に 如 何 な る 指導 を し て 呉 れ た か 。
の では な いで あ ら う か 。 筆 者 は嘗 て 中 日 両 国 の 政治 哲 学 に就 て多
る こと が ら 、 其 の政 治 哲 学 が 同 じ く ﹁政治 は権 力 なり ﹂ と 云 ふ伝
日両 国 間 に 起 つた 大 小 の外 交 繁 争 な る も の は 、白 色 人種 の 侵 略
最 近 史 に 於 け る 中 日戦 争 か ら 今 春 の北 支 停 戦協 定 に 至 る ま で 中
︹ママ︺
統 を 以 て来 り 又 た 現 に 進 み つゝあ る 。 両 国 が斯 の 政治 哲 学 を 固執
政 策 か ら 学 ん だ 、 時 代 錯 誤 的 外 交 と権 力 の 圧迫 以外 の 何も の で
︹ママ︺
す る 限 り 、 両 国 間 の争 執 は 絶 ゆ る事 を知 ら な いであ ら う 、 権 力 は 常 に 押 し つ押 さ れ つ鉢 合 は せ を演 じ て已 ま な いか ら であ る。 今 若
歴 史 と 其 の唇 歯 輔 車 的 関 係 か ら 両 民 族 は 平等 的 立場 に 置 か る ゝ
る事 は誰 し も 認 め る 、 果 し てそ う と す れ ば 中 国 と 日本 は古 来 の
と 云 ふ事 が 根 本 観 念 な る を 要 す る 。 顧 れ ば 中 日 親善 共存 共 栄 は 、
種 であ る事 は 両 国 共 存 共 栄 の最 も 自然 的 な 最 も 好都 合 な事 であ
つて 日本 に 声 援 し た 。 然 る に 其 の 後 米 国 に 中 国移 民排 斥 運動 の
あ り 得 た か 。 嘗 て 米 国 に 於 て 日本 移 民排 斥 問題 が火 の手 を 揚 げ
起 つた 時 、 日本 及 び 日本 の在 米 居 留 民 は 如 何 の態 度を 取 つた か 、
そあ れ寸 分 の進 展 のな い のは 何 故 か 。 其 の主 な る 原 因 は 中 日 戦
其 の文 字 が 掲 げ ら れ てか ら 歳 既 に 久 し い、 然 る に 今 日 迄 退 歩 こ
た 当 時 、 中 国 及 在 米 華 僑 は 大 に 日 本 側 に 同 情 し 反米 の言 論 を 煽
一言 半 句 も 発 言 せ な か つた のは 果 し て 如 何 な る 理 由 に よ る の か 。
固 よ り 同文 同種 と は 云 へ民 族 性 や社 会 性 や風 俗 習 慣 を 異 に し て
争 以 来 の、 両 国 の不 平 等 感 に生 立 つ て ゐ る事 は 疑 な い所 で あ る 。
︹マ マ ︺
民 国 十 三年 、 北 京 に 開 か れ た 関 税 特 別 会 議 で 、 日 本 が抜 駈 的 に 、
は、 当 時 中 国 の感 謝 に値 す る所 であ つた 。 併 し 後 日 手 を 焼 いた
中 国 に対 し て関 税 自 主 権 を 回 収 せ し め る 用 意 が あ る と呼 んだ 事
地 に 共 存す る も の であ ると 云 ふ根 本 原 則 を 、 切 実 に天 下 に表 明
る も のであ り 、何 処 迄 も 同 一文 化 の内 に同 人 種 を し て東 亜 の天
二 、 日 本 は中 国 を支 配 せ んと す るも の でな く し て、 指 導 せ ん と す
は 云 つた 事 が あ る 、 中 国 人 の 勝 れ た る は 個 人 と し て ゞあ り 、 日
中 日両 国 人 の間 に 現 示 さ れ つ ゝあ る 日 常 な の で はな いか。 或 人
智 を 見 て 罵 倒 し 他 は 安価 な る 優 越 感 に憤 激す 。斯 の如 き も の が
善 智 は 敬 す べし と の情 誼 も 生 れ る 。然 る に何 ぞ や片 方 は他 の無
真 の共 存 は 期 し 得 ら る ゝの で は な いか 、斯 く て こ そ無 智 は 教 へ
ゐ る のだ か ら 、共 存 せ ん が為 め に は ﹁ 郷 に入 つては 郷 に従 へ﹂
し て も ら いた い。 凡 そ 一民 族 に於 け る政 治 的 支 配 力 は、 其 の民
本 人 の優 れ る所 は 国 家 組 織 に あ る 、 然 る に 此 の両者 が 相手 を 評
の観 念 も 必 要 であ る が、 片 方 が 他 を 見 る に彼 は 東 亜 に於 て共 存
族 に は 生 滅 の鍵 で あ る 。 中 国 の如 き 特 殊 の政 治 組 織 と 社 会 性 に
す る時 に は 、 日 本 人 は 必 ら ず 中 国 国 家 組 織 の不 統 一を 挙 げ 、 中
以外 に列 強 を 向 ふ に廻 し て中 国 の為 め に 何 を 庇 つて く れ た か 。
生 き つゝ あ る 国 民 に あ つて も 、 政 治的 支 配力 が他 民 族 の手 に握
国 人 は必 ず 日本 人 個 人 の無 能 力 を 挙 ぐ 、 斯 く て 着 眼点 は相 互 に
様 な 素 振 り を した のは 見 上 げ た 態 度 と は 云 へな か つた 。 あ の時
ら る ゝは 、 民 族 的 死 滅 以外 の何 も ので も な い。 故 に民 族 救 済 を
相 手 の優 勝 点 を 見 ず し て劣 敗 点 を のみ 見 る 。 見 よ 両 国 毎 日 の新
す べき 吾 等 の 同胞 な のだ 、 ﹁四海 同 胞 は 先 づ 近 隣 の同 文 同 種 か
名 と し て他 国 が 中 国 の政 治 支 配権 を握 る事 は即 ち 中 華 民族 を 滅
聞 な るも のを 、 長 を 挙 げ ず し て短 を 発 き 遂 に 相 互 に 毛 を 吹 いて
ら だ﹂ と 云 つた やう な指 導 精 神 が相 互 の 頭 の内 に働 ら い て こそ
亡 さ せ る事 な のだ 。 中 国 は 他 民 族 に統 治 さ れ た方 が幸 福 だ と は
庇 を 求 め 、 或 は 虚 像 を 仮 想 し て之 に 向 つて 咆 哮 す 。 何 処 に 善 隣
総 て が欧 米 と 一緒 にな つて、 中 国 を 依 然 た る 従 来 の白 人 鉄 蹄 下
往 々耳 にす る 言 葉 であ る が 、 歴 史 の新 ら し い、文 化 の浅 い、 小
に置 か んと し た白 色 人 種 の御 先 棒舁 き では な か つた か 。
数 の民 族 な ら 委 任 統 治 も 其 の例 は あ る が 、 中 国 に対 し て斯 う し
の邦 交 あ り 、 何 れ に共 存 の相 互 意 識 が あ り 、 何 処 に 又 、 何 時 の
︹マ マ︺
た 考 を 抱 く 事 は そ れ 自 体 に 一顧 の価値 な き 謬 見 であ る 。 同文 同
て ゝ東 空 よ り 映 発 し来 るそ の声 を 聞 け 。 そ こに 日 本 全 国 民 のあ
り 、 或 も の は 門 戸を 過 つた ゞけ の中 国 評 であ つた り 、 或 も のは
の 中 国観 を見 る に 、自 国 を標 本 と し て の中 国 の短 所 の列 挙 であ
名 の つく 絶 対 少 数 階 級 や苦 力 車 夫 と 名 の つく 少 数 階 級 の みを 見
時 に か 感 情 の融 和 が 期 待 さ るゝ で あ ら う 。 深 夜 静 に 耳 を欹 側
て 、 全体 の中華 民 族論 を な し、 此 の間 に絶 対 多 数 を 擁 す る良 民
の間 か ら 捏 ち 上 げ た中 国観 であ つた り 、 或 も のは 政 客 や軍 閥 と
共 存 の大 道 は両 国 の経 済 問 題 に存 す る 、 既 に経 済 問 題 と な ら ば 、
階 級 を 度外 視 し て ゐ る、 甚 しき は全 く 盲 目 的 な中 国 観 であ る場
実 地 を見 、 実 際 に 交 つた も の で なく し て、 単 に地 図 の上 と 簿 書
武 装 し て商 売 はな し得 ざ る道 理 であ る 。 古 来 日本 は 武 を 以 て立
合 さ へあ る 。加 之 、 中 国 で華 語 を 巧 に語 る外 国 人 は却 つ て白 色
り のま ゝの声 を 把 握 し 得 る であ ら う 、 而 し て 其 の声 は 果 し て 吾
ち 、 今 も 尚 ほ武 を 以 て世 界 に雄 飛 し つゝ あ る 、 武 の真 意 は戈 を
人種 に多 く 、 華 人 と親 交 あ る外 人 も現 在 で は却 つて白 色 人 種 に
人 の為 め中 日共 存 の実 現 に役 立 つべき 性 質 のも ので あ る か 否 か 。
止 む る にあ る、 世 上 番 犬 を 置 く は近 隣 も 亦 御 蔭 を 蒙 る 所 で あ る 。
︹マ マ︺
但 し其 の 恐 るゝ 所 は往 々 にし て近 隣 が そ の番 犬 に 咬 ま る ゝにあ
多 い。 日 本 人 は嘗 て白 色 人種 を 異人 な ど 蔑 視 した け れど 其 の後
同 一文化 系 統 で あ つて も、 相 当 の差 異 を 生 ず るは 自 明 の理 であ
本 の如 き 絶 海 の島 国と 、 中 国 の如 き 大 陸 国 と にあ つ ては 例 令 へ
と 伝 統と 自 然 的 環 境 と に培 は れ た国 民 性 が 存 在 す る。 そ れ が 日
づ 国 民性 か ら始 む るを 順 序 と す る。 凡 そ何 れ の国 に も 其 の歴 史
し く 自 己 頭 上 の蠅 を 忘 れ た 類 で あ る 。
語 に 得 意 と な り つ ゝ、 中 国 人 の洋 人接 近派 を 責 る が如 き も 、 正
近 は 忽 ち に し て 倍 加 す る であ らう 。 日 本 人自 ら洋 人を 敬 し 、洋
語 の半 分 を 中 国 語 に 代 へた ら 、 同文 同種 の恩 恵 と 中 日両 国 の接
日 本 人 が 洋 人 に 対 す る 敬 意 の 一部を 割 いて之 を中 国 人 に移 し洋
敬 意 を 払 い、 而 し て洋 語 を語 るを 得 意 と す る か に見 へる、 若 し
は滔 々 と し て白 色 人種 崇 拝 に趨 いた、 中国 に居 ても 洋 人 に多 く
る 、番 犬 の檎 縦 は時 を 以 てせ ね ば な ら な い。
る 、 而 し て其 の差 異 の善 悪 美 醜 と は 決 し て絶 対 のも の では な い、
三、 日 本 人 は真 に 中 国を 正 解 す る事 を 要 す る、 中 国 を 知 る に は 先
厳 密 に 其 の 美醜 を 決す る為 め に は、 彼 我 両 国 民 を 其 の歴 史 と 環
実 に 此 の失 は れ た る安 全 保障 を如 何 に 打立 て行 く べき か に就 て
ても 、 今 日程 信 用 の失 は れ た る 時 代 は な い、就 中 欧 洲 の如 き は
喘 ぎ つ ゝあ る 。 東 亜 の天 地 に 於 て も 、 此 の 両 三年 間 に 日本 のな
四 、 日本 は 国 際 信 用 を 恢復 す る を 要す る 、思 ふ に欧 米 の 天地 に於
古 く 国 土 大 に 、 剰 へ複 雑 した 中 国国 民 性 の如 き にあ つては 、 之
し た 行 為 に 依 つて 、 信 用 は 地 に 堕ち 相 互 の安 全 保 障 は失 は れ ん
境 の裡 に 置 換 へて 見 る の でな け れば な ら な い。 群 盲 が 犬 を 捕 へ
を 判 断 す る も の往 々に し て群 盲 の象 に 類す るも のな しと し な い。
と し つ ゝあ る 。 由 来 、 日 本 は 東 洋 の 君 子 国 と 自称 し 、特 有 の武
て 犬 と 判断 す る は 易 いが象 を〓 し て象 を 判 断 す る は難 い。 歴 史
のポ イ ント を 把 握 し 之 に 対す る に適 当 の雅 量 を 以 て せば 、雙 互
士 道 を 以 て天 下 に 誇 示 し つ ゝあ つた 。然 る に今 日其 の君 子 道 と
何 れ の国 民 性 た る を 問 はず 、 二 三 の ポイ ン ト は必 ず 存 す る。 此
の意 志 の疎 通 は水 道 の水 の如 く であ る であ ら う 。 由 来 、 日本 人
そ し て其 の度 毎 に 日 本 の為 め に 惜 し み 、東 亜 の為 め に失 望 した 、
幾 度 か 日 本 の為 め に 計 つた 此 の 人 達 の 尽 力を 無 惨 に蹂躪 さ れた 。
階 級 に し て 日 本 に 同 情を 有 す る 人 達 は 、 日本 の 不信 に よ つて、
し な いか 、 否 今 や 既 に 地 を 払 つて ゐ る、 余 の知 れ る中 国 の有 識
武 士 道 は如 何 。実 に 世 界 の各 地 に 鼎 の軽 重 を 問 はれ つ ゝあ り は
日本 の亜 細 亜 主 義 の指 導 原 理 は 如 何 な る も ので 思 想 的背 景 は如
れ た やう な 、 古 臭 ひ異 国 名 の主 義 を 東 亜 に 引 用 し て 来 た の か 、
於 け る今 日 に於 て何 故 に 一八 二 三 年 米 国 大 統 領 に よ つて創 め ら
此 処 に中 国 側 最 大 の不 賛 意 が 横 は る 、 而 已 な らず 日本 は東 亜 に
容 は 寧 ろ 日本 主 義 であ つ て、 中 日共 存 主 義 に 立脚 し て ゐな い。
の諸 国が 協 力 し て東 亜 に国 を な さ ん と す る 企 図 に は 理 論 上 賛 同
何 様 な も の であ る のか 、 現 代 の世 界 的 大 勢 か ら 推 論 し て 、 東 亜
せざ る事 を 得 ざ るも の であ る が 、 其 の亜 細 亜 主 義 が 日本 主 義 の
の信 用 恢 復 は 、 独 り 日 本 の為 め のみ な ら ず 、東 亜を 将 来 の 戦 禍
押 売 り であ り 、 そ れが 時 代 のか け 離 れ た 、 而 か も 外 国 か ら の輸
之 れ 実 に 余 の眼 前 に 見 る事 実 で あ つた のだ 。 世 界 に於 け る 日本
か ら 救 ふ べき 基 根 を な す も ので あ る 。 余 は敢 て 茲 に 此事 を 断 言
い。 茲 に於 て か 亜細 亜 モ ン ロ ー主 義 は 宜 し く 名 を 正 し 実 を 入 れ
入品 た る モ ン ロー主 義 であ る限 り 、 吾 人 は 断 じ て賛 成 は 出 来 な
し て置 く 。 五、 亜 細 亜 モ ン ロー 主 義 を 排 す 。 日本 に 依 つて 提 唱 さ れ つゝ あ る
( 布施勝治、昭和九年 一月)
︹ 註︺タイプ印書。
換 へて出 直 す べき であ る。
亜 細 亜 モ ン ロー 主 義 に 就 ては 、 既 に 各 言 論 機 関 に 於 て 完膚 な き 駁 論 の数 々が 掲 げ ら れ て ゐる か ら 、 茲 に絮 説 を 差 控 へる が 、 要
ソ聯 視 察 報 告
す る に 日本 に於 て生 れ た 所 謂 る 亜 細 亜 モ ン ロー 主 義 は 、 其 の内
一 四
親 し く 会 つ て、 そ の抱 懐 す る と ころ を た ゝく 機 会を 得 た の で あり
け れ ば な り ま せ ぬ 。 私 は 幸 ひ に し て 、 こ の 三 人 の ﹁リ ー ダ ー﹂ に、
ま す 。 私 が 、 こ の三 人 に 会 つて 得 た 印 象 を 卒 直 に申 し ます と 、 三
昭和 九 年 一月 於 東 京 布 施 勝 治 革命 の露 西 亜 は 、 幾多 の ﹁リ ー ダ ー﹂ を 輩 出 しま し た が 、 そ の中
人 の中 で も 、 ﹁レー ニン﹂ が 頭抜 け て 偉 らか つた こ と は 云 ふ ま で
︹マ マ ︺
﹁レ ー ニ ン﹂、 ﹁ト ロ ツキ ー﹂ 及 び ﹁ス タ ー リ ン﹂ の 三人 を 挙 げ な
でも 、 最 も 傑 出 し た ﹁リ ー ダ ー﹂ は誰 か と言 へば 、 申 す 迄 も な く
ツキ ー﹂ の長 所 を つき 合 せ た やう な 大 人 物 で あ つた と 思 ひ ま す 。
も、 識 見 に お き ま し て も 、 彼 は 恰 か も 、 ﹁スタ ー リ ン﹂ と ﹁ト ロ
ー﹂ の 二人 を 合 せ た やう な 偉 さ の人 であ つた 、 性 格 に お き ま し て
もあ り ま せ ん。 ﹁レー ニン﹂ は実 に 、 ﹁ス ター リ ン﹂ と ﹁ト ロ ツキ
ー﹂ の領 袖 の中 で、 第 一人 者 であ つた こと は 争 は れ ぬ 史 実 であ り
憂 へると 云 ふ点 に おき ま し て は、 彼 は た し か に ﹁ボ リシ エ ウイ キ
と が 出来 た かど う か は、 大 き な 疑 問 であ り ま す が 、 人 に 先 んじ て
こ と が出 来 な か つた。 或 は、 彼 が長 生 き し ても 、 後 れ て楽 し む こ
た 。 唯だ 、 彼 は革 命 半 ば に し て 死 んだ の で、 人 にお く れ て楽 し む
ま す 。彼 が 、晩 年 御 承 知 の如 く 、 不 治 の病 に 罹 つて 、 再 び 起 つこ
そ こ で、 ﹁レー ニン﹂ の卓 越 し た 点 は 、多 々あ る ので あ り ます が 、 私 が 、彼 に お い て、 ﹁ボ リ シ エウ イ キー ﹂ の領 袖 と し て特 に偉 ら
水兵 が 反乱 を 起 した と 云 ふ の に、 要 塞 と は全 く か け 離 れ た 農 村 の
の鼻 先 にあ る 小 いさ な島 の上 にあ る要 塞 であ る。 そ し て、 そ こ の
を 鳴 ら し た の であ り ます 。 ﹁ク ロン ス タ ツ ト﹂ は ﹁ペト ロ グ ラド ﹂
ト﹂ の水 兵 の反 乱 是 れ 即ち 農 村 反乱 の徴 であ る﹄ と 叫 ん で、 警 鐘
乱 を 起 し た こ と が あ る 。 そ の時 ﹁レ ー ニ ン﹂ は ﹃﹁ク ロ ン スタ ツ
嘗 て 、 ﹁ソヴ エー ト﹂ 革 命 の 初年 、 ﹁ク ロ ンス タ ツト ﹂ の水 兵 が 反
袖 中 でも 、 頭 抜 け て 卓 越 し て 居 た と 思 ひ ます 。
て、 ﹁レー ニ ン﹂ は 、 幾 多 傑 物 揃 ひ の ﹁ボ リ シ エウ イ キ ー ﹂ の領
即 ち 先 見 の明 が な け れ ば な ら ぬ と 云 ふ て 居り ま す が、 こ の点 に於
リシ エウイ キ ー﹂ は 、 ﹁リ ー ダ ー﹂ と いふ も のは ﹁プ ログ ノ ーズ ﹂、
ー﹂ の争 覇 戦 は 、 一見 二 人 の個 人的 勢 力 争 ひ であ るか の やう に見
た の で あ り ま す 。 と こ ろ で、 こ の 「ス タ ー リ ン﹂ と ﹁ト ロ ツキ
九 二五 、 六 、 七 年 に か け ま し て 、 こ の 二 人 は鎬 を 削 つて覇 を 争 つ
が 亡 く な つた のは 一九 二 四 年 の 春 の こと であ り ます が、 そ の後 一
キ ー﹂ が 、 す つく と 起 つて、 大 喧 嘩 を 始 め ま し た 。 ﹁レー ニン﹂
よ ﹁レー ニ ン﹂ が 亡 く な る と 、 果 し て ﹁ス タ ー リ ン﹂ と ﹁ト ロ ツ
の動 揺 を ひ き お こし は せ ぬ か と 憂 へた さ う で あ り ま す が、 いよ い
ー リ ン﹂ の対 抗 で、 党 の内訌 勃 発 、 ひ いて は ﹁ソヴ エー ト﹂ 政府
ー ﹂ の 間 に 、 大 動 揺 が 起 る﹄ と 云 つて、 ﹁ト ロ ツキ ー﹂ と ﹁ス タ
ー ﹂ と ﹁ス タ ー リ ン﹂ と が 喧 嘩 し 、 そ の 結 果 ﹁ボ リ シ エウ イ キ
即 ち 彼 は 屡 々側 近 者 に 向 つて ﹃俺 が 死 ん だ ら 、 き つと ﹁ト ロ ツキ
ト﹂ 政府 の前 途 の為 め に、 心 か ら 憂 へて居 た こと が 一つあ り ま す 。
と が 出 来 な く な つた 頃 ﹁ボ リ シ エウ イ キ ー﹂ の将 来 、 ﹁ソ ヴ エー
百 姓 が 一揆 を 起 す 前 徴 で あ る と は ま こと に 意 外 な 予 言 で、 最 初
え ま す が 、 私 は こ の 二人 の争 ひを 以 て単 な る個 人 的 勢 力 争 の みと
﹁ 先 を 見 透 す 力 ﹂ ﹁先 見 の明﹂ であ つた と 思 ふ の で あり ま す。 ﹁ボ
か つた と 見 た 点 は、 何 か と申 せ ば 露 語 の ﹁プ ログ ノー ズ ﹂、 即 ち
﹁レ ー ニン﹂ の乱 打 した 警 鐘 の真 意 が 、 誰 に も わ か ら な か つた ほ
﹁レ ー ニ ン﹂ の ﹁プ ログ ノー ズ﹂ が 見 事 当 つた の で あ り ま す 。
る 団体 であ るだ け に、 彼 等 の 一挙 一動 に は 、 必 ら ず 理 論 的 根 拠 な
元来 ﹁ボ リ シ エウイ キ ー﹂ は、 一定 の主 義 主 張 を も つ て立 つ てゐ
見 る べき で な いと 思 ふ。
﹁レ ー ニ ン﹂ は か く し て 、 東 洋 式 の 言葉 を も つ て申 せ ば 、 所 謂
き を 得 な い の であ り ま す 。 ﹁スタ ー リ ン﹂ と ﹁ト ロ ツ キ ー﹂ の争
ど で あ る。 け れ ど も 、 間 も な く 、 各 地 に 農 民 の動 乱 が 起 つた 。
「 人 に先 ん じ て憂 ひ 、 人 に 後 れ て 楽 し む ﹂ と 云 ふ 大 政 治 家 で あ つ
の ﹁スタ ー リ ン﹂ に 対 す る攻 撃 点 の 一つで あ る が 、 こ の 「スタ ー
ミ ユ ニ ス ト」 で あ る と 同 時 に、 ﹁イ ンタ ー ナ シ ヨ ナ リ スト ﹂ でな
リ ン﹂ の ﹁識 見 が 狭 く て ﹁ナ シ ヨナ リズ ム﹂ の範 囲 に 限 ら れ て 居
覇 戦 も 、 一面 二 人 の勢 力 争 ひ であ つた と 同 時 に、 他 の 一面、 ﹁ス
恰 度 ﹁ト ル コ﹂ の旧 都 ﹁ス タ ンプ ー ル﹂ に参 り ま し た と こ ろ、 そ
る ﹂ こと 、 即 ち ﹁ト ロ ツキ ー﹂ の最 も 力 を 入 れ て攻 撃 し て 居 る点
け れ ば な ら ぬ の であ る が、 ﹁ス タ ー リ ン﹂ は ﹁イ ン タ ー ナ シ ヨ ナ
こ に ﹁ト ロ ツキ ー﹂ が、 露 西 亜 か ら 追 は れ て亡 命 し て ゐた の であ
が 、 私 の観 る と こ ろ、 事 実 却 て ﹁スタ ー リ ン﹂ の ﹁ト ロ ツキ ー﹂
タ リ ニズ ム﹂ 対 ﹁ ト ロ ツキ ズ ム﹂ の理 論 闘 争 であ つた と 見 な け れ
り ま す 。 私 は 早 速 久 し 振 り で、 亡 命 の ﹁ト ロ ツ キ ー﹂、 失 意 の
に 対 し 、 ﹁ス タ ー リ ニズ ム﹂ の ﹁ト ロ ツ キズ ム﹂ に 対 し て 、勝 利
ル﹂ の知 識 を も た ぬ 。 彼 の眼 界 は ﹁ナ シ ヨナ リズ ム﹂ の狭 い範 囲
﹁ト ロツキ ー﹂ を ﹁ス タ ンプ ー ル﹂ に近 い ﹁マル モ ラ﹂ 海 の ﹁プ
を 占 めた 主 な る 原 因 と な つた の であ り ま す 。 ﹁スタ ー リ ニズ ム﹂
ば な り ま せ ぬ。 然 ら ば 、 こ の 二人 の理 論 闘 争 は 、 如 何 な る 論 点 で 、
リ ン キ ポ﹂ 島 で、 訪 ね た の であ り ま す 。 そ の時 ﹁ト ロ ツキ ー ﹂ は
と ﹁ト ロ ツキ ズ ム﹂ の理 論 に 就 き ま し ては 、 二 三 著 書 も 出 て 居 り
を 出 てな い。従 つて 彼 の主 義 主 張 も 、 ﹁ナ シ ヨ ナ リズ ム﹂ に偏 す
私 に向 つて、 盛 ん に ﹁ス タ ー リ ン﹂ を 罵 倒 し ま し た 。 即 ち 彼 曰く
ま す が 、 要 す る に ﹁ト ロ ツキ ズ ム﹂ は 、 世 界 革命 を 第 一と し 、 露
争 つた の で あ る か 。 ﹁ト ロ ツキ ズ ム﹂ と は 何 に か 、 ﹁ス タ リ ニズ
﹃﹁ス タ ー リ ン﹂ は真 ん 中 の途 を 行 く ﹁セ ント リ ス ト﹂ で あ る。
西 亜 問 題 を 第 二 に 考 へて居 る や う に 思 は れ ま す 。 即 ち ﹁ト ロ ツキ
る 傾 き が あ る。 ﹁ボ リ シ エウ イズ ム﹂ は 、 当 然 ﹁ イ ンタ ー ナ シ ョ
﹁ス タ ー リ ニズ ム﹂ は ﹁セ ント リズ ム﹂ であ る。 而 し て真 ん 中 の
ー ﹂ の いふ と こ ろ によ り ま す と 、 露 西 亜 のや う な 農 業 国 で は 、 到
ム﹂ と は何 か と 云 ふ問 題 が 、 起 つ て来 る わ け であ り ま す 。
途を 行 く者 は 、必 ず 、左 と 右 の両 方 か ら 、 押 し 潰 さ れ てし ま う に
底 ﹁ソ シヤ リズ ム﹂ の建 設 は 出 来 な い。 だ か ら 露 西 亜 の 革 命 は 速
﹁ナ シ ヨナ リズ ム﹂ に 傾 いて 居 る﹄。 こ れ が 、 即 ち ﹁ト ロ ツキ ー﹂
決 つて 居 る ⋮ ⋮﹄ 然 し、 ﹁ス タ ー リ ン﹂ は 押 し潰 さ れ るど こ ろか 、
か に、 之 を 各 国 に 延 長 し 、 以 て世 界 革 命 迄 で 漕 ぎ つけ な け れ ば な
ナ リズ ム﹂ で な け れ ば な ら ぬ ので あ る が、 ﹁スタ リ ニズ ム﹂ は 、
先づ 左 を た ゝき おと し、 つい で右 を 抑 へて、鞏 固な 独 裁 権 を 把 握
ら ぬ 。 ﹁ト ロ ツキ ー ﹂ の ﹃パー マネ ント ・レ ヲリ ウ シ ヨ ンの 原 理﹄
﹁モ ス ク ワ﹂ から 、 近 東 及 び 西 欧 羅 巴 各 国 を 歴 遊 致 し ま し た が 、
し た の であ り ます 。
を 検 討 し て見 る と 、 彼 の主 張 は 要 す る に ﹁マルキ シ ズ ム﹂ の ﹁赤
私 は、 此 の前 、 即 ち 昭和 四年 に 、 露 西 亜 へ参 り ま し た 時 、 序 でに
も 一つ、 ﹁ト ロ ツキ ー﹂ の ﹁ス タ ー リ ン﹂ に対 す る攻 撃 点 は、 ﹁ス
﹁赤 い露 西 亜」 だ け の存 在 は 、 到 底 長 続 き 出 来 な い。 ﹁ 赤 い露 西
と 白 と は 両 立 し 得 な い﹂ と 云 ふ 根 本 原 則 を 、 文 字 通 り 厳 格 に 考 へ、
タ ー リ ン﹂ が 国 家 主 義 に 傾 いた と 云 ふ こと で あ り ま す 。 即 ち ﹁ト﹂ 氏 の 云 ふと こ ろ に より ま す と 、 ﹃﹁ス タ ー リ ン﹂ は、 極 め て
亜 」 の存 在 を 続 け る意 味 に於 ても 、 此 の 「赤 い革 命 ﹂ を 世 界 に 向
識見 の 狭 い男 であ る 。彼 に は世 界 の大 勢 が分 ら な い。 彼 の識 見 は ︹マ マ︺
露 西 亜 一国内 限 ら れ て居 る。 元来 ﹁ ボ リ シ エウイ キ ー﹂ は ﹁コン
界 革 命 な ど いふ ﹁ユー トピ ア﹂ に向 つて盲 進 す るよ り 、 先 づ 、 露
を 見 る と 、 な か な か 世界 革 命 は お いそ れと 成 功 しそ う も な い。 世
ヤ リズ ム﹂ を 建 設す る こと は、 十 分 可能 であ る。 一方 各 国 の状 勢
ア﹂ は 大産 豊 富 で自 給自 足 が出 来 る。 従 つて ﹁ロシ ア﹂ で ﹁ソシ
農 業 国 で あ る。 産 業 の 発 達 、 甚 だ 後 れ て 居 る。 け れ ど も ﹁ロシ
全 然 こ れ と 反 対 の 見 地 に立 つた 。 即ち 、 彼 曰く ﹃成 程 、 露 西 亜 は
居 つた 如 く感 ぜ ら れ る の であ り ま す 。 と こ ろが ﹁ス タ ー リ ン﹂ は 、
産 を あ げ て 、 そ の宣 伝費 に使 つて も かま わ ぬと 云 ふ やう に考 へて
の腹 の底 を 叩 いて 見 ると 、彼 は世 界革 命 の為 に は、 露 西 亜 の全 財
つて 、 延 長 し な け れ ばな ら ぬと 云 ふ にあ る。 否 な ﹁ ト ロ ツキ ー﹂
れ 、 不 勉 強 であ つた のと 、 も 一つは 欧 洲 大 戦争 の為 に 、露 西 亜 の
な 遺 産 を 相 続 し た 。 然 し ﹃﹁ヅ アー」 時 代 の政 治 家 は 、 放 漫 に流
即 ち 革 命 に よ つて 、 彼 等 は ﹁ヅ アー」 か ら ﹁ロシ ア﹂ と 云 ふ 大き
初 、 よ く ﹁ヅ アー の遺 産﹂ と 云 ふ 言 葉 を つか つた こと であ り ます 。
摘 し て置 き た いと 思 ふ こ と は 、 ﹁レー ニン﹂ 等 が 政 権 を 握 つた 当
此 の 「ロシ ア﹂ の無 尽 蔵 な 天 産 に 就き ま し て 、 私 が こ ゝに 一寸 指
自 給 自 足 が 出 来 る﹄ と 云 ふ こ と で あ る 。
る 、 産 業 の発 達 が 非 常 に お く れ て 居 る 、 併 し 天 産無 尽蔵 の 国 で、
拠 であ り ま す 。 第 二 は 、 ﹃﹁ソヴ エー ト﹂ 聯邦 は 、成 程 農 業 国 であ
と であ る 。 と いふ 点 、 そ れ が 即 ち ﹁スタ ー リ ニズ ム﹂ の第 一の論
︹マ マ︺
西 亜 一国内 に 於 て ﹁ソシ ア リズ ム﹂ の建 設を 試 やう ﹄ 即 ち ﹁一国
﹁ヅ アー の遺 産﹂ も 手 の つけ や う が な いほ ど 紊 乱 し て ゐ る 。 厄介
財 政 経 済 が 、 滅 茶 苦 茶 に な つて し ま つた 。 そ こ で 折 角 相 続 し た
は 、 ﹁ス タ ー リ ン﹂ の 説 け る如 く 、 四 つ の啀 み合 が あ る。 第 一、
の増 殖 も は か ら ず 、 ま た そ れ が ど れ 程 あ る か さ へも 調 べず に 、安
政 治 家 は 、 裕 福 な 中 に 育 ち 、 現 状 に 満 足 し て ゐ た の で 、 そ の 財産
ても ど え ら い豊 富 な 財 産 で あ る こ と が わ か つた 。 元 来 帝制 時 代 の
な 遺 産 を 相 続 し た も のだ﹄ と 云 つ て彼 等 は頻 り に ﹁ ヅ ア ー の遺
戦 勝 国 と 戦 敗 国 の間 の啀 み 合 。第 二、 戦 勝 国 同 志 間 の啀 み合 。 第
逸 を貪 つて ゐ た ⋮ ⋮ と 云 ふ や う な 傾 き が あ つた が 、 ﹁ボ リ シ エウ
﹁スタ ー リ ン﹂ の ﹁一国内 ﹁ソ シ ヤ リズ ム﹂ の建 設 の原 理 ﹂ を 検
内 社 会 主義 建 設 の 原 理﹂ が 、 こ ゝか ら生 れ出 て来 た の であ り ま す 。
三 、 強 い国 と そ の 殖 民 地 と の 間 の啀 み合 。最 後 に、 第 四、 資 本 階
イ キ ー ﹂ は 、 こ れ に 反 し て 、 み な 酸 いも 甘 いも噛 分 け た苦 労 人揃
「ヅ アー の遺 産﹂ を あ と に な つて よ く 調 査 し て 見 る と 、 そ れ はと
級 と 労 働 階 級 と の 間 の階級 闘争 。斯 く し て、 資 本 主 義 の各 国 はお
ひ であ る だ け に 、 政 権 を 握 つて か ら と いふ も の は 、 そ の手 に こ ろ
産 ﹂ に 対 し て不 平 と 悪 口を な ら べた も ので あ り ます 。 然 る に こ の
互 ひ 同 志 の間 で 、啀 み合 つて居 て 、当 分 協 力 一致 し て ﹁ 赤 い露 西
げ 込 ん で来 た ﹁ヅ アー の遺 産﹂ を 悪 口を 並 べ乍 ら も 、非 常 な 興味
の各 国 は 互 ひ に啀 み 合 つて 居 る 。詳 しく 云 へば 、 資 本 主 義 国 間 に
亜」 に 対 し 、 西 伯 利 出兵 当 時 の如 き 討 赤 十字 軍を お こす こと は到
を 以 て、 ど れ 位 の値 打 のも のか ⋮ ⋮ と 其 の資 源 の 調査 に、 非 常 な
討 し て 見 る と 、 こ れ に は 、 二 つの根 拠 があ る。 一つは ﹃資 本 主 義
つて 居 る 間 に 、彼 等 ﹁ボ リ シ エウ イ キ ー﹂ は、 露 西 亜 にお い て、
力 を 入 れ た ので あ り ま す 。 十 月 革 命 の 初 め 頃 の こと であ り ま す が 、
底 出 来 な い状 態 に あ る 。 そ こ で、 彼 等 白 色 国 が、 互 ひ に喧 嘩 し 合
一つ の社会 主 義 国 を 建 設 し て見 やう 。 そ れ は、 ま た 十 分 可 能 な こ
家 であ つた 。 そ し てそ の次 が 統 計 学 者 と 地 質 学 者 であ つた ⋮ ⋮ と
て 一番 最 初 に頭 を 下 げ さ せ た のは 、 誰 か と 云 ふ と 、皮 肉 に も 銀 行
彼 が 頭 を 下 げ て頼 ま ねば な ら ぬ も のが あ つた 。 ﹁レー ニ ン﹂ を し
ヨア﹂ 階級 を あ げ て敵 に廻 し た が 、 そ の敵 と 目 す る 階 級 の中 に も 、
﹁レ ー ニン﹂ が ﹁ソ ヴ エート ﹂ 政 権 確 立 と 共 に 、 全 国 の ﹁ブ ルジ
スプ ラ ン﹂ に注 意 を 向 け ら れ た 。 そ し てた し か 、 日 本 に 帰 ら れ て 、
る も の を作 ら れた 。 それ 程 、 調 査 と 云 ふ も のに 大 き な 興 味 を 持 つ
な 調査 機 関を 設 け、 ま たゝ しか 東 京 市 長 時 代 に は、 市 政 調 査 会 な
な こ と で 、伯 が満 鉄 総 裁 に な ると 、 東 亜 経 済 調 査 会 と 云 ふ 大 規 模
し く 研 究 し て 帰 へら れ た の であ り ま す 。 後 藤 伯 の調 査 好 き は 有 名
東京と大阪 で ﹁ ゴ スプ ラ ン﹂ と 云 ふ題 で、 講 演 を さ れ た や う に 、
た伯 の こと であ り ま す か ら 、 露 西 亜 に 参 ら れ る と 、 先 づ こ の 「ゴ
行 家 に 頭 を 下 げ た か 。 ﹁ボ リ シ エウ イ キ ー﹂ は革 命 の劈 頭、 先 づ
云 ふう そ の やう な 話 が 伝 は つて 居 り ま す 。 何 故 ﹁レ ー ニ ン﹂ は銀
何 よ り 先 き に 全 国 の銀 行 を 差 押 へた 。 し か し抑 へて見 た が、 さ て
こ に高 碌 を も つて招 聘 し た 国 内 有 数 の統 計 学 者 を 集 め た の で あ り
記 憶 し て 居 り ま す 。 ﹁レ ー ニ ン﹂ は ﹁ゴ ス プ ラ ン﹂ を 設 け て 、 そ
建 設 の当 初 に於 て ﹁ゴ スプ ラ ン﹂ と 云 ふ 機 関 を 設 け た 。 ﹁ゴ スプ
質 学者 で あ る 。御 承 知 の如 く ﹁レ ー ニン﹂ は ﹁ソヴ エー ト ﹂ 政 府
そ の次 ぎ に ﹁レ ー ニ ン﹂ が 頭を 下げ て頼 んだ のが 、 統 計 学 者 と 地
ん だ と 云 ふ 話 が 、当 時 ﹁ペト ログ ラ ー ド﹂ で頻 り に伝 へられ た 。
を 握 つた ば か り の ﹁レ ー ニ ン﹂ は先 づあ る銀 行 家 に、 相 談 を 持 込
に は 、 銀 行 経 営 の経 験 を も つた者 が な い。 そ こ で 、皮 肉 にも 政 権
る 。 然 し ﹁ゴ スプ ラ ン﹂ に は 勿論 立 派 な統 計 が出 来 て ゐ る に 、相
き 、 ど う も 色 々 の数 字 が あ つて ど れ が 正確 な の か 分 ら な いの で 困
隠 す の で、 分 ら ぬ 点 が 多 い。 例 へば 五 ケ 年 計 画 に 関 す る 統計 の如
ン﹂ の統 計 は 政 策 上 秘 密 主 義 を と つたゝ め か 、 時 々適 確 な数 字 を
専 門 家 が 見 て、 驚 く べき 程 正 確 で あ つた 。 た ゞ近 頃 の ﹁ゴ スプ ラ
ま す 。 実 際 革 命 初 年 の ﹁ソヴ エー ト ﹂ の統 計 は 、 当 時 欧 洲各 国 の
︹マ マ︺
そ の銀 行 を ど う し て よ い か 分 ら な い。 ﹁ボ リ シ エウ イ キー ﹂ の中
ラ ン﹂ と 云 ふ の は、 日本 語 に訳 し て、 国 家 計 画 局 、 即 ち 日本 の内
そ の次 に ﹁レ ー ニ ン﹂ は 地 質 学 者 に 対 し ても 高 禄 を も つ て、 ﹁ソ
違 な い ので あ り ます 。
ヴ エー ト﹂ 政府 の為 に 、資 源 の調 査 を し て貰 ひ度 いと 頼 んだ 。 実
︹マ マ︺
閣統 計 局 の やう な も の であ り ま す が 事 実 は も つと 内 容 の大 き いも
﹁五 ケ年 計 画 統 計 ﹂ な るも のが あ り ま す 。 そ の統 計 表 の 一つに 、
の であ る 。 申 す 迄 も な く 、 ﹁コ ン ミ ユ ニズ ム﹂ は 所 謂 「 合 理的 に
資 源表 が あ り 、 そ れ が 大 体 帝 制 時 代 に 発 見 さ れ た 資 源 と 、 ﹁ソヴ
い成 績 を 挙 げ た。 今 、 私 の手 許 に ﹁ソヴ エー ト ﹂ 政府 で作 つた
を 根 拠 と し て、 計 画 的 に 経 済 を 進 め て行 か な け れ ば な ら ぬ 。斯 う
エート ﹂ 革 命 以 後 に発 見 さ れ た 資 源 と 二 つ に分 け てあ る 。 両 者 を
際 ﹁ソヴ エー ト﹂ 政府 の地 質 調査 は、 こ の十 五 ケ年 間 、 素 晴 ら し
し た 建 前 か ら ﹁レー ニ ン﹂ 等 が 政権 を 握 る や 、先 づ そ の劈 頭 に於
比 較 し て見 る に、 大 体 十 分 の 一が 帝 制 時 代 、 十 分 の九 が 革 命 後 に
仕 組 ま れ た る 経 済 ﹂ の建 設 を 目 的 と し て ゐる 。 而 し て そ のた め に
て、 ﹁ゴ スプ ラ ン﹂ と 云 ふ機 関 を 設 け た 。 こ の 「ゴ スプ ラ ン﹂ に
は 、 先 づ 正 確 な 統 計 が 必 要 で あ る 。 正 確 な 統 計 を 作 り 、 そ の統 計
つき ま し て は 、 後 藤 伯 が 先年 訪 露 に 際 し 、非 常 な 興味 を 持 たれ 詳
イ ・ロー グ﹂ 位 が 、 主 な るも の であ り ま し た が ﹁ソヴ エー ト﹂ 政
れ てお り ま す 。 ま た 鉄 にお き ま し ては 、 従 来 南 露 西 亜 の ﹁ク リ ヲ
の炭 田 で、 同 炭 田は そ の埋 蔵 量 の豊 富 な 点 で 、 実 に 世 界 一と 云 は
即 ち 、 一方 資 本主 義 国 は 、 御 互 ひ に喧 嘩 し合 つて居 る の で、 彼 等
ます。
な い筈 は な い⋮ ⋮と 云 ふ の が ﹁ス タ ー リ ン﹂ の力 強 い主 張 であ り
聯邦 に あ る ⋮ ⋮ こ れだ け の 天産 があ る以 上 、 ど んな 建 設 でも 出 来
に お いて は全 世 界 に生 え て 居 る樹 木 の 三分 の 一は ﹁ソヴ エー ト ﹂
エウイ キー 」 自 身 が 予期 し た よ り も 、 よ り 以 上 ﹁ヅ アー の遺 産 ﹂
府 の 時 代 に な り ま し て か ら 、 ﹁ウ ラ ル﹂ の 南 端 に ﹁マグ ネ ツト ﹂
は到底 ﹁ 赤 い露 西 亜」 を攻 め る やう 余 裕 をも た ぬ。 他 の 一方 、 露
の豊 富 な こと がわ か つて来 た 。 而 し て此 の天 産 が 無 尽 蔵 で あ る 。
山 と 云 ふ鉄 山 の 開拓 に着 手 し ま し た 。 こ の山 は 全 山 鉄 と いは れ て
西 亜 国 内 に 於 て は 無 尽 蔵 の資 源 が あ る 、 従 つて 、資 本 主 義 国 の包
発 見 さ れ た こ と に な つ てゐ ま す 。 即 ち 石 炭 は帝 制 時代 、全 国 の埋
ゐ る程 、莫 大 な鉄 鉱 が埋 蔵 さ れ て ゐ る。 そ れ か ら 銅 は 、 従 来 露 西
囲 の中 にあ る 一つ の国 、 即ち 露 西 亜 に於 て、 ﹁ソシ ヤ リズ ム﹂ を
蔵 量 が 、 一千 四 五百 億 噸 位 のも ので あ ら う と いは れ て 居 た の が 、
亜 で は 、 産額 百 万噸 以内 で、 国内 の 需用 にも 足 り ず 、 外 国 か ら 輸
建 設 す る こと は 十 分 可 能 であ る⋮ ⋮ こ れ が 即 ち ﹁ス タ ー リ ニズ
の根 拠 とな す の であ り ま す 。 石 炭 あ り 、 鉄 あ り 、 石 油 あ り 、 材 木
入 し な け れば な ら ぬ こと にな つて居 た の であ り ま した が 、 革 命 以
ム﹂ の新 原 理 な ので あ る 。 即 ち ﹁スタ ー リ ニズ ム﹂ は全 然 「ト ロ
豊 富 であ ると 云 ふ こと こ そ、 私 が 以 て 「ス ター リ ニズ ム﹂ の第 二
後 踏査 の結 果 、 そ の 埋蔵 総 量 千 四 百 万噸 と 計 上 さ る ゝに至 り ま し
ツキ ズ ム﹂ と 正 反 対 の方 向 に 向 つて 居 る ので あ り ま す 。扨 て ﹁ス
に ﹁ソヴ エー ト ﹂ 政 府 の踏 査 に 力 を 入 れ た のは 、 ﹁ク ズ バ ツ ス﹂
た 。 石 油 に至 つて は 、 ﹁ソヴ エー ト﹂ 政 府 が 、 最 も 力 を 入 れ て、
ター リ ン﹂ は ﹁ト ロ ツキ ー ﹂ を 向 ふ に 廻 し て 、 大 いに 理論 闘争 を
革 命 後 十 五年 間 踏 査 の結 果 、 一萬 億 噸 あ る こ と が 発 見 さ れ た 。殊
そ の資 源 の 開 拓 に 、 腐 心 し た と こ ろ で、 幾 多 の新 らし い産 地 が 発
た ゝか は し 、 到 頭 ﹁ス タ リ ニズ ム﹂ を も つて 、 ﹁ト ロ ツキ ズ ム﹂
こ ゝに お い て、 彼 は 今 迄 唱 へて来 た 所 の理 論 、 即 ち ﹁スタ ー リ ニ
を 征 服 し、 愈 々わ が 手 に、 ﹁ソヴ エー ト ﹂ 全 聯 邦 の政 権 を 握 つた 。
バタ ン﹂ の油 坑 の如 き 、 発 掘 の当 初 、 一昼夜 の噴 出油 量 、実 に 一 万 五 千 噸 乃 至 二万 噸 に 達 す る と 云 ふ 勢 ひ 、 ま こと に 石油 国難 の 日
見 さ れ 、 殊 に 、 昨 年 始 め て試 掘 し た ﹁ジ ヨウ ル ジ ヤ﹂ の ﹁ロ ツ ク
本 か ら 見 て、 羨 し い極 み と 云 は な け れ ば な り ま せ ん。
な け れば な ら ぬ、 そ れが ま た 政 治 家 と し て の当 然 の義 務 で あ つた
わ け で あ り ま す 。 然 ら ば 、 ﹁スタ リ ニズ ム﹂ は 如 何 に し て こ れ を
ズ ム﹂ 即ち ﹁一国 内 の社 会 主 義 建 設 可 能 ﹂ の原 理 を 実 際 に 断 行 し
実 現す べき か。 こ の 原理 の実 現 に当 り 、 最 初 の具 体 案 と し て立 て
﹁レ ー ニン﹂ は 偉 ら か つた 。 彼 が 革 命 の劈 頭 に 於 て 、 地 質学 者 に
んだ の はま こと に烱 眼 と 云 は な け れ ば な り ま せ ん 。 そ し て こ の十
ど う か ﹁ソヴ エー ト ﹂ 政 府 を 助 け て資 源 の調査 を や つて く れ と 頼
た の が 、即 ち 今 日世 界 の問 題と な つ て ゐ る 五 ケ年 計 画 な の であ り
か く の 如 く 、 資 源 の 開 発 に 力 を 入 れ た 点 か ら 考 へて見 ま し て も
五年 間 に於 け る地 質 調 査 の結 果 は 、 立 派 な 成 績 で あ つて ﹁ボ リ シ
ま す 。 私 は こ の ﹁スタ ー リ ン﹂ の 五 ケ年 計 画を 検 討 し て、 先 づ そ
五 ケ年 計 画 は、 要 す るに 軍 備 充 実 の計 画 であ る と 断 定 し て 居 る の
か ど う か 。 此 の問 題 に 対 し 、 各 国 の軍 部 で は 勿 論 ﹁ソヴ エー ト﹂
であ り ま す 。 併 し 理 論 上 か ら 申 せ ば 、 私 が 以 上 縷 々申 述 べ ま し た
れ には 二 つ の大 方 針 が あ る と 思 ふ のであ り ま す 。 そ の第 一は 、 五 ケ 年 計 画 は ﹁ソシ ヤ リ ズ ム﹂ の基 礎 工事 を築 き あ げ るも の であ る
接 の 目 的と し て ゐ るも の でな い筈 であ り ま す 。 然 し 、 第 一次 五 ケ
﹁ソ シ ヤ リズ ム﹂ を 建 設 す るた め の計 画 であ つ て、 軍 備 充 実 を 直
年 計 画 は ﹁ソ シ ヤ リズ ム﹂ の基 礎 工 事 のた め に 、 重 工 業 に 重 き を
やう に 五 ケ年 計 画 は ﹁ス タ リ ニズ ム﹂ の原 理 、 即 ち 一国 内 に 於 て
第 一次 五 ケ年 計 画 が 立 てら れ た の であ り ま す 。 而 し て 凡 そ 最 初 の
と 云 ふ こと 。 そ の第 二は 五 ケ 年 計 画 は 非 常 な 急 テ ンポ超 ﹁スピ ー
計 画 が 、 先 づ 基 礎 工 事 を 目 的 と す る も ので あ ら ね ば な ら ぬ こと は
関係 か ら、 事 実 軍 備 を 充 実 す る 結 果 と な るは 、 必 然 の こと で 私 は
置 いた、 而 し て重 工 業 は概 し て軍 事 工 業 と 同 じ も の であ る と 云 ふ
ド ﹂ で進 め な け れ ば な ら ぬ と 云 ふ こ と 。 こ の二 つの大 方 針 の 下 に
るか 。 ﹁ス ター リ ン﹂ も 申 し ま し た や う に 、 ﹁ソヴ エー ト﹂ 露 西 亜
当 然 の こ と で あ る が 、 ﹁テ ン ポ﹂ を し か く 急 ぐ のは 何 のた め で あ
の最 も 卓 越 した 政 治 的 手 腕 が 認 め ら る べき であ る と 思 ふ ので あ り
重 工業 の大 発 展 に眼 目を お いた と こ ろ、 そ こ に ﹁スタ ー リ ン﹂ 等
ます 。
寧 ろ ﹁ソシ ヤ リズ ム﹂ の基 礎 工 事 と 、 軍 備 の充 実 と を 結 び 付 け 、
戦 はふ と 云 ふ の であ る か ら 、 ど う し ても ﹁レー ニ ン﹂ の 標語 の如
の産 業 状 態 は 、 欧 米 先 進 国 に 比 し て 、 少 く と も半 世 紀 遅 れ て 居 る。
く 、 欧 米 先 進 国 に追 付 き 、 これ を 追 越 さ な け れ ば な ら ぬ 。 そ の為
年計 画 完成 の報 告 演 説 を 試 みま した 。 そ の報 告 の中 に、 彼 が 特 に
昨 年 の春 ﹁ス タ ー リ ン﹂ は、 共 産 党 幹 部 大 会 に 於 て、 第 一次 五 ケ
し かも こ の国 に ﹁ソ シヤ リ ズ ム﹂ を 建 設 し て、 資 本主 義 の経 済 と
め に は並 足 では いか ぬ 。 駈 足 で行 か な け れ ば な ら ぬ 。 即 ち 、第 一
一段 声 を は り 上 げ て気 焔 を あ げ た 一節 が あ る 。 即 ち ﹁ス タ ー リ
次 五 ケ年 計 画 は超 「スピ ー ド﹂ で進 め な け れ ば な ら ぬ 。 最 大 の ﹁テ ンポ ﹂ を 以 て、邁 進 し な け れ ば な ら ぬ 。 そ こ で第 一次 五 ケ 年
れ も今 見事 に 出来 上 つた﹂ ⋮⋮ 。 これ は露 西 亜 の原 語 では な か な
ン﹂ 曰 く 、 ﹁露 西 亜 に は 、 以 前 飛 行 機 工 業 が な か つた 、 然 る に 今
か 巧 妙 な 対 句 で、 ﹁ス タ ー リ ン﹂ の 獅 子 吼 が こ の 一節 に 及 ぶ や満
計 画 は、 一方 ﹁ソ シ ヤ リズ ム﹂ の基 礎 工 事 を や る ので あ つて 、 同
﹁ソ シ ヤ リズ ム﹂ の基 礎 工 事 と し て、 第 一次 五 ケ 年 計 画 は 、 主 と
場 総 立 ちと な つて 霰 の如 き 拍 手 を 弁 士 に浴 び せ かけ た の であ り ま
そ れ があ る。 前 に は化 学 工業 が 全 然 な か つた 、 然 る に今 では そ れ
し て重 工業 に力 を 入 れ 、 軽 工 業 を 放 任 す る 方 針 を と つた 結 果 、 こ
す 。 と こ ろ で 此 の 飛行 機 工業 、 化 学 工業 、 自 動 車 工 業 の三 つは 、
が 立 派 に出 来 て ゐ る 、前 に は、 自 動 車 工業 が な か つた 、 然 る にそ
の計 画 は、 一面 か ら 見 て軍 備 充 実 の計 画 であ る か の如 く 考 へら れ
五 ケ 年 計 画 は 、 非 常 に 無 理 な 計 画 と な つ た ので あ り ま す 。 殊 に
る やう にな つた 。
明 ら か に 軍 備 充実 と密 接 関 係を 有 す る事 業 であ る こと は申 す 迄 も
時 に他 の 一方 、 最 大 速 度 の駈 足 で 、 走 ら な け れ ば な ら ぬ 。従 つて
而 し て ﹁ソヴ エート ﹂ 五 ケ年 計 画 は 、 事 実 軍 備 充 実 の計 画 で あ る
工事 と 云 ふ て居 る の であ り ま す 。化 学 工 業 は 主 と し て ﹁モ スク
備 充 実 の事 業 と は いは な い、 矢 張 り ﹁ソ シヤ リ ズ ム﹂ 建 設 の基 礎
な い、 然 し ﹁ ボ リ シ エウイ キ ー ﹂ は 、 必 ず し も 之 れ を 以 て 単 に 軍
や 鍬 で 働 ら く 個 人農 を征 服 し やう と 云 ふ も の。 即 ち 此 の 「ト ラ ク
共 同 経 営 にう つす 運動 の ﹁ 武 器 ﹂ であ つて、 機 械 の力 を も つて鋤
動 即ち 農 業 の共 同経 営 化 、 農 村 に於 け る個 人 農 を 圧 迫 し て これ を
タ ー﹂ 工業 の完成 す る時 は 、即 ち 全 聯 邦 の農 村 共 営 化 の大 成 す る
馬 力 の ﹁ト ラク タ ー﹂ を 五 万台 づゝ 製 作 す る こと にな つて居 る。
時 であ る。 ⋮ ⋮ かう いふ 意 気 込 で 、 ﹁ソヴ エー ト﹂ 政 府 は ﹁ト ラ
そ れ か ら 昨 年 春完 成 し ま し た ﹁チ エリ ヤ ビ ン ス ク﹂ の 工場 で は、
ワ﹂ を 中 心 と し 、 先 づ 四千 万 ﹁ル ー ブ ル﹂ 乃 至 五 千 万 ﹁ル ー ブ
二 三 ケ所 ば か り 出 来 た の であ り ま す 。 是 等 の化 学 工場 で は主 と し
六 十 馬 力 と 云 ふ 大 型 な ﹁ト ラク タ ー﹂ を 、年 に 四万 台 製 作 す る 予
ル﹂ 位 の資 本 金 を 以 て、 大 規 模 の 工場 三 ケ所 程 建 設 し ま し た 。 そ
て 硫酸 、 ﹁ア ン モ ニア﹂ な ど と 云 ふ人 造 肥 料 を 製 造 し て 居 る 、 そ
定 で あ り ま す 。 こ の 「ト ラ ク タ ー﹂ の車 両 が無 軌 道 式 にな つて居
ング ラー ド﹂ と ﹁ハリ コ フ﹂ の 両 工場 に おき ま し て は、 年 に十 五
れ は 勿論 、農 業 の発 展 を 計 るも の であ る こと は 申 す 迄 も な い。 然
り ま し て、 ど ん な 険 阻 な 山 野 で も 、 は い上 れ る やう に な つて 居 る。
ク タ ー ﹂ 工 業 に対 し て 甚 大 の力 を 注 いだ の であ り ま す 。 ﹁スタ リ
し 此 の 人造 肥 料 を 作 る材 料 は 、 同 時 に毒 瓦 斯 を 製 造 す る 材 料 と も
一寸 見 た と こ ろ 、 立 派 な ﹁タ ンク﹂ であ り ま す 。 ﹁ト ラ ク タ ー﹂
ニキ ー﹂ 化 学 工場 が 落 成 し 、 続 い て南 露 西 亜 と 中 部 西 伯 利 に も 、
な る 、 即 ち農 業 と 軍事 の両 方 に兼 用 す る こと が 出 来 る やう に な つ
は 石 油 を た いて 動 く 自 動 車 であ る 。 か く し て ﹁ソヴ エー ト﹂ 政府
れ から ﹁ヲ ル ガ﹂ 河 の支 流 た る ﹁カー マ﹂ 河 の沿 道 に も ﹁ベ レズ
て 居 ると 云 ふ 説 があ り ま す 。
る こと は 云 ふ ま で も あ り ま せ ん が 、 併 し ま た 同 時 に こ の 「ト ラ ク
自 動車 工 業 に付 いて は ﹁モ ス ク ワ﹂ に ﹁ア モー 」 と い ふ大 き な 工
ター ﹂ が 自 動 車 と 同 様 、 軍事 上 に も役 立 つこと は 云 ふま でも あ り
は 自 動 車 と ﹁ト ラク タ ー﹂ 工 業 に 力 を 入 れ て 居 る 。 而 し て そ れ は
の自 動 車 を 造 つて ゐ る。 此 の 「ゴ リ キ ー ﹂ の自 動 車 工 場 は 、 ﹁デ
ません。
勿 論 農 村 開 発 の為 め 農 業 の社会 主 義 化 の為 め に や つて 居 る の であ
ト ロイ ト﹂ の ﹁フオ ー ド﹂ 工場 に範 を と つて建 設 した も の で、 非
斯 く し て ﹁ス ター リ ン﹂ は 軍事 工 業 と ﹁ソシ ヤ リズ ム﹂ の基 礎 工
ニー ・ノ ヴ ゴ ロ ツド﹂ 即ち 今 の ﹁ ゴ リキ ー﹂ 市 の 工場 で は乗 客 用
常 に 大 規 模 な も の で 、 一ケ年 十 四万 台 製 造 す る設 備 が 出 来 て ゐ る
場 が あ る 。主 と し て 荷 物自 動 車を 製 造 し て居 る。 それ か ら ﹁ニヂ
と の事 で あ り ま す 。 も う 一つは ﹁ヤ ロス ラ ー ヴ リ﹂ 工場 であ り ま
事 と を 巧 み に 結 び 付 け て 居 る 。 唯 だ 飛 行 機 工業 だ け は ま さ か農 業
が 、 し か し 飛 行 機 工 業 も 亦 明 ら か に矢 張 り農 業 の為 め だと い つて
開 発 の為 め であ る と は 言 ひ に く か ら う と 考 へら れ る の であ り ます
居 る の であ り ま す 。 即 ち ﹁ソヴ エー ト﹂ 聯 邦 で は 近 年盛 ん に 飛行
エー ト ﹂ 政 府 は ﹁スタ リ ン グ ラ ー ド﹂ ﹁ハ リ コ フ﹂ 及 び ﹁チ エ リ ヤ ビ ン スク﹂ の 三 ケ所 に大 規 模 な ﹁ト ラ ク タ ー﹂ 工場 を 設 け た 、
す が 、 そ の製 造 能力 は は つき り 致 し ま せ ん。 これ と 同 時 に ﹁ソヴ
此 の ﹁ト ラ ク タ ー﹂ と 云 ふ の は御 承 知 の如 く 、 ﹁コル ホ ー ズ ﹂ 運
機 を 農 業 そ の他 の生 産 事 業 に使 つて居 る。 即 ち 種 蒔 き や 害 虫 駆 除 、
み に 結 付 け た と こ ろ に あ る ので はあ り ま す ま いか 。 と こ ろ で 私 は
し ま し た やう に 、 ﹁ソシ ヤ リズ ム﹂ の基 礎 工 事 と 軍 備 の充 実 を 巧
な い。 何 故 な れ ば 、 ﹁ス タ リ ニズ ム﹂ の本 尊 た る ﹁スタ ー リ ン﹂
肥 料 投 下 、 山 火 事 の消 防 、 ﹁マ ラ リ ヤ﹂ 蚊 の駆 除 、 魚 卵 の運 搬 、
自 ら が 、 私 に も 親 しく ﹃私等 は ﹁レ ー ニン﹂ の弟 子 であ る 、総 て
只 今 度 々 ﹁スタ リ ニズ ム﹂ と 云 ふ名 称 を 繰 返 し使 ひ ま し た が 、 露
府 は ﹁オ ソ アヴ イ オ ヒ ム﹂ ( 航空 化 学 協 会 ) な る も のを 設 け て 航
﹁レ ー ニ ン﹂ 先 生 か ら 習 つた の であ る 。私 等 は ﹁レ ー ニ ニズ ム﹂
西 亜 へ行 つて 見 ま す と ﹁スタ リ ニズ ム﹂ と 云 ふ 言葉 さ へ誰 も使 は
空 及 び 化 学 工 業 が 、 如 何 に 産 業 開 発 上 、 重 要 な も ので あ る か 又 如
を 継 承 し て ゐ る の で あ る﹄ と 申 し ま し た やう な 次第 で 、 ﹁スタ ー
であ る か は つき り 致 し ま せ ん の であ り ま す が 、 ﹁ソヴ エー ト﹂ 政
何 に 大 き な 成 績 を 挙 げ て居 る か を 、 盛 ん に 宣 伝 し て 居 る ので あ り
氷 流 及 海 獣 の探 査 等 々 に使 つて居 る 。 た ゞそ の成 績 は ど ん な も の
ま す 。 斯 様 な 次 第 で ﹁ソヴ エー ト﹂ 政 府 は 五 ケ 年 計 画 に よ つて
さ が 、 認 め ら れ る ので あ り ま す 。 実 際 ﹁ボ リ シ エヴ イ キ ー﹂ は 一
付 け た と こ ろ、 そ こ に ﹁スタ ー リ ン﹂ 等 の 政 治 的手 腕 のあ ざ や か
や つて居 る 。 ﹁ソシ ヤ リズ ム﹂ の 基 礎 工 事 と 、 軍 備 の充 実 と を 結
ズ ム﹂ もま た ﹁レ ー ニ ニズ ム﹂ から 出 て、 一つの新 らし い主 義 を
ム﹂ か ら 出 て、 一つ の新 ら し い主 義 を 創 建 し た 如く 、 ﹁ス タリ ニ
け れ ど も 、 私 の 見 る 所 、 丁 度 ﹁レー ニ ニズ ム﹂ が ﹁マ ル キ シズ
リ ニズ ム﹂ と 云 ふ 別個 の 原 理 の存 在 を 認 め て ゐな いの であ り ま す 。
定 の ﹁イ デ オ ロヂ ー﹂ に 立 つて ゐ る の で 、常 に 原 則 、 理論 に つ い
ニ ニズ ム﹂ は如 何 な る主 義 か と 云 ふ問 題が 起 つて来 るわ け であ り
形 成 し た も の で あ る 。 然 ら ば ﹁ス タ リ ニズ ム﹂ と は 何 か 、 ﹁レ ー
﹁ソ シヤ リ ズ ム﹂ の基 礎 工 事 を 築 き あ げ る と 同 時 に 軍 備 の充 実を
て や か ま し く 論 ず る 、盛 ん に 理論 闘争 を や る 、 し か し 同時 に 、他 の 一方 ﹁タ ク チ ツク ス﹂ に も非 常 に重 き を置 いて居 る 。 こ れ は、
ん御 覧 に な つた こと ゝ思 ひ ま す が 、 ﹁レ ー ニ ニズ ムと は 何 ぞ や﹂
ー リ ン﹂ は次 の やう に定 義 を 下 し て居 り ま す 。 これ は 書 物 で皆 さ
曰 く ﹃﹁イ ン ペリ ア リズ ム﹂ 及 び ﹁ プ ロレ タ リ ヤ ﹂ 革 命 時 代 に 於
ま す が 、 ﹁レ ー ニ ニズ ム と は 何 ぞ や﹂ と 云 ふ 問 題 に対 し て ﹁ス タ
は い つも 理論 と 、 戦術 の 両方 に 、 ほ ゞ 同 じ程 度 の重 要 性 を 置 い て
け る ﹁マルキ シズ ム﹂ であ る。 特 に ﹁プ ロ レ タリ ヤ ﹂ 独 裁 政 治 の
革命 以 来彼 等 の や つて来 た 所を 御 覧 に な つても 分り ま す が 、 彼 等
い。 世 の 中 の こと は 、 理論 通り に行 く も の でな い。 愈 々実 際 に於
居 る 。如 何 に 理論 に 長 し て も、 戦 術 が駄 目だ つたら 何 事 も 出 来 な
う とし ても、色 々の障碍 があ つて、紆余曲 折を免 れぬ。 そこ で
れ を 認 め て 居 ら ぬ の で あ り ま す か ら 、 ﹁スタ リ ニズ ム﹂ の 定 議 は
然 らば ﹁スタ リ ニズ ム﹂ と は 何 ぞ や。 ﹁ス タ ー リ ン﹂ 自 ら が 、 之
﹁セ オ リー ﹂ と ﹁タ ク チ ツ ク ス﹂ で あ る﹄
﹁ 戦 術 ﹂ が 肝 腎 だ 、 ﹁タ ク チ ツク ス﹂ が 必 要 だ と 云 ふ の で あ る。
な い ので あ り ま す が 試 み に 、 私 を し てそ の定 義 を 下 さ し め る な ら
て、 之 を 行 ふ時 に は 、な かな か 理 論 通 り に行 か ぬ。 真 つ直 ぐ 行 か
﹁ス タ リ ニズ ム﹂ に お き ま し て も、 ﹁タ ク チ ツ ク ス﹂ が あ る 。 而
ば ﹁ス タ リ ニズ ムと は何 ぞ や﹂ 曰 く ﹃﹁ イ ン ペリ アリ ズ ム﹂ の 懐
︹マ マ ︺
し て ﹁ス タ リ ニズ ム﹂ の最 も 大 き な 「タ クチ ツ ク ス﹂ は 、 只 今 申
ま した やう に 、 ﹁ス ター リ ン﹂ は、 資 本 主 義 国 は御 互 に啀 み合 つ
た ゞ 「ボ リ シ エヴ イ キ ー﹂ は確 か に さう 見 て ゐ る。 即 ち 先 程 申 し
資 本 主 義 が 下 り 坂 に あ る か ⋮ ⋮ と 云 ふ事 は、 大 き な 問 題 であ る。
置 き ま す が 、 ﹁イ ン ペリ ア リズ ム﹂ が 果 し て今 懐 疑 時 代 にあ る か、
た な ら ば 、 当 らず と も遠 か らず と 思 ふ。 唯 だ こ ゝに御 断 り を し て
建 設 す る ﹁セ オ リ ー﹂ と ﹁タ ク チ ツ ク ス﹂ であ る﹄ と 、 斯 う 申 し
特 に 資 本主 義 国 の包 囲中 の 一つの 国 に お い て ﹁ソ シ ヤ リズ ム﹂ を
疑 時 代 、資 本 主 義 の 下り 坂 時 代 に於 け る ﹁レー ニ ニズ ム﹂ であ る 。
ヴ エー ト﹂ 経 済 の全 局 か ら 見 た な ら ば 、 幾 多 の欠 陥 が あ つて 無 条
大 成 功 であ つた と 云 つ て差 支 な いと 思 ふ 。 即 ち 五 ケ 年 計 画 は ﹁ソ
ば 、 ﹁ソヴ エー ト﹂ 第 一次 五 ケ 年 計 画 は 少 く と も 軍 事 上 か ら見 て
す が 、 私 が 実 際 現 地 で見 て来 た 結 論 を 、 極 く 端 的 に 申 し ま す な ら
ひ、 或 人 に 聴 き ま す と 、 ﹁大成 功 だ﹂ と 云 ひ、 色 々 意 見 が あ り ま
五 ケ年 計 画 の成 績 に 就 き ま し て は 、 或 る 人 は ﹁全 然 失敗 だ﹂ と 言
在 は 最 も 面 白 い時 に 投 じ た ので あ り ま す 。
を 告 げ 、 昨 年 か ら 第 二 次 五 ケ 年 計 画 に 移 つた ので 、 私 の 露 西 亜滞
た の であ り ま す 。 丁 度 一昨 年 末 を 以 て 、第 一次 五 ケ年 計 画 が終 り
ケ 年 計 画 と 云 ふ も のが 、 ど ん な 成績 を 上 げ た かと いふ問 題 であ つ
件 で大 成 功 と は 云 へな いか も 知 れ ぬ 。 け れ ど も 軍 事 上 か ら 見 た な
て ゐ る、 そ し て 彼 等 の陣 営 を 見 る と 、 何 処 で も 不 景気 だ 、資 本 主
等 は 到 底 協 力 し て ﹁赤 い露 西 亜」 に ぶ つか つて 来 る やう な力 はな
ン﹂ の演 説 の 一節 に も 、 ﹃前 に な か つた 飛 行 機 工 業 が 出 来 た 。 自
らば 、確 か に大 成 功 と 云 はな け れ ば な り ま せ ぬ 。 前 述 ﹁スタ ー リ
義 の世 界 は 経 済 危 機 に 瀕 し て 居 る 。 非 常 に 困 難 な状 態 にあ る 、彼
﹁ イ ン ペ リ アリ ズ ム﹂ は 明 ら か に 懐 疑 時 代 に は 入 つて 居 る 、 資本
動 車 工業 が 出来 た 。而 し て化 学 工業 が 出 来 た ﹄ と 云 ひ、 ま た ﹃従
い の だ ⋮ ⋮ と 云 ふ やう な こ と を 申 し て 居 る やう な わ け で 彼 等 は
来 国 防 上幾 多 の欠 陥 を も つて ゐ た ﹁ソ ヴ エート ﹂ 聯 邦 は 、 此 の五
準 備 が 出 来 た 。若 し 五 ケ年 計 画 を やら な か つた な ら ば 、 殊 に五 ケ
主 義 は已 に 下り 坂 にあ る ⋮ ⋮ と 見 て ゐる 。 そ の当 否 は 別 問 題 であ
年 計 画 に 於 て重 工業 の 振 興を 図 らな か つた な らば 、 ﹁ソ ヴ エー ト ﹂
ケ年 計 画 の 結果 、 イ ツ何 時 何 処 から 攻 め て来 ても 、 これ に 対 し て
の 下り 坂 時 代 に於 け る ﹁レー ニ ニズ ム﹂ で あ る 、 特 に 資 本 主 義 国
聯 邦 は 恐 ら く今 日 の支 那 、即 ち 何 等 独 立 した 軍事 工業 を 持 た な い
り ま す が 、 彼 等 は 確 に ﹃資 本 主 義 は 下 り 坂 に あ る 、 其 の次 に と つ
の包 囲中 で、 一つの国 にお い て ﹁ソ シヤ リ ズ ム﹂ を 建 設 す る ﹁セ
支 那 のや う な 国 に な つた であ らう ﹄ ⋮ ⋮ 云 々と て ﹁ス タ ー リ ン﹂
十 分 抵抗 の 出来 る 軍備 が 出来 た。 あ ら ゆ る現 代 の新 式 武 器 を 作 る
オ リ ー﹂ と ﹁タ ク チ ツ ク ス﹂ であ る⋮ ⋮ と の定 義 が 下 し 得 る と 思
自 ら 第 一次 五 ケ 年 計 画 が 軍事 上 に於 て 、大 成 功 であ つた こと を 確
﹁ス タ リ ニズ ム﹂ は ﹁ イ ン ペ リ アリ ズ ム﹂ の懐 疑 時 代 、 資 本 主義
ふ の であ り ます 。
信 し て ゐ る の で あ り ま す 。 ﹁ス タ ー リ ン﹂ の演 説 で 、 も 一つお 話
て 代 る べき も の は ﹁ソシ ヤ リ ズ ム﹂﹄ だ と 信 じ て ゐ る。 そ こ で
の成 績 は如 何 。 私 は 一昨 年 の秋 に露 西 亜 に参 り ま し て、 一年 間 滞
し て置 き た い のは 昨 年 の春 、 ﹁コル ホ ー ズ ﹂ 突 撃 大 会 に 於 け る 獅
然 らば 此 の 「ス タ リ ニズ ム﹂ を 基 礎 と し て立 案 さ れ た 五 ケ 年 計 画
在 し ま し た が 、 そ の 間、 最も 大 き な 興味 あ る題 目 は 此 の第 一次 五
万 の人 民 を 指導 督 励 し 、 以 て 大 建設 の 断行 に邁 進 し て居 る ⋮⋮ と
申 し ま し た 無 尽 蔵 の 天 産 資源 を材 料 と し 、他 方 従 順 な る 一億 六千
強 力 無 比 の共 産 党 を背 景 と す る ﹁ソヴ エー ト﹂ 政府 が、 一方 先 程
々た る 党 首 と し て の権 威 あ る 大 演 説 と 云 は な け れば な ら ぬ 。実 際
る﹄ 云 々と て 厳 し く 党 員 を 叱 り つけ た の で あ り ま す 。 ま こ と に堂
ら ぬわ け であ る 。 即 ち 党 員 諸 子 の努 力 が 足 り な か つた 為 め であ
は 必 然 、 ﹁ソヴ エー ト﹂ 政 府 及 び 共 産 党 自 身 の責 任 でな け れば な
居 な が ら 、 尚 ほ 且 つ農 村 政 策 を 遂 行 し 得 な か つた と す れ ば 、 そ れ
ど 強 い力 を 持 つた 政 党 は な い。 斯 か る 強 い政 権 、 強 い力 を 持 つて
ト ﹂ 政 府 ほ ど 強 い権 力 を 持 つた 政 府 は な い。 ま た 露 西 亜 共 産 党 ほ
敗 の責 め を 負 は な け れ ば な ら ぬ 。 何 故 な れ ば 、 世 界 に ﹁ソヴ エー
つた 。 併 し 失 敗 の責 任 は 農 民 に は な い。 我 等 共 産 党 員 自 ら 此 の失
ー ズ ﹂ 突 撃 員 大 会 に 於 て、 明 ら か に ﹃我 等 の農 村 政 策 は 失 敗 に 終
であ り ま す 。 こ の農 村 政 策 の失 敗 に就 い て、 ﹁ス﹂ 氏 は ﹁コル ホ
々う ま く 行 か な い こと は ﹁ス ター リ ン﹂ 自 ら 告 白 し て 居 る と こ ろ
て、 将 来 も 引 続 き 五 ケ年 計 画 を 繰 返 し 繰 返 し 続 け て行 く な ら ば 、
題 に つ いて新 聞 紙 上 にも 書 き ま し た 通 り 、 今 日 の やう な 勢 ひを 以
らう か と 云 ふ問 題が 自 然 起 つて来 る の であ り ま す が 、 私 は此 の問
と 繰返 さ れ て行 つた 暁 、 一体 ﹁ロシ ア﹂ はど んな 国 にな る の であ
進 す る の で御 座 いま す から 、 此 の 五 ケ年 計 画 が 第 一、 第 二、 第 三
府 が無 尽蔵 の 天産 を 材 料 と し 、非 常 な ﹁スピ ー ド﹂ で大 建 設 に邁
か も 此 の 五 ケ年 計 画 は 、先 程 申 しま した やう に、 強 力 な 政党 と 政
ら れ る 。 又続 けざ るを 得 な いこと に な つて 居 る の であ り ま す 。 し
ケ 年計 画 、第 二次 計 画 のあ と に は直 ぐ第 三次 第 四次 の計 画が 続 け
す る こ とゝ な る 。従 つて第 一次 五 ケ年 計 画 の次 ぎ に は、 第 二次 五
が な く な り 、 そ の結 果 ﹁ソヴ エー ト」 経 済 は、 非 常 な 危 機 に直 面
り 止 め た と す る な らば 、其 の 技師 や労 働 者 、機 械 等 が使 ひと こ ろ
の他 も 沢 山 出 来 て し ま つた 。若 し 此 の 五 ケ年 計 画を 中 途 でば つた
に 建 設 専 門 の 労 働者 や 技 師 が多 数 養 成 さ れ 、 ま た 建 設 用 の機 械 そ
と 思 つて も や め ら れ な い。 即 ち 、第 一次 五 ケ年 計 画 の完 成 と ゝも
な い状 態 に あ る 。 た と ひ ﹁ソヴ エー ト﹂ 政 府自 ら こ れを 止 め やう
間 を 区 切 つて 、 計 画 を た て る の で あ つて 、 五 ケ年 経 過 と 同時 に 、
云 ふ の が 今 日 の ﹁ソヴ エー ト﹂ 聯邦 の 現状 な の であ り ま す 。 従 つ
結 局 ﹁ソ ヴ エー ト」 聯 邦 は 将 来 丁 度 今 日 の米 国 の やう な 国 に な る
子 吼 であ り ま す 。 私 は ﹁ス タ ーリ ン﹂ の最 近 の演 説 中 で、 此 の演
て 此 の 五 ケ年 計 画 は露 西 亜 の 国力 増 進 上 極 め て甚 大 な 意 義 を 持 た
であ ら う ⋮ ⋮ と 云 ふ 予 想 を 下し た の であ り ま す 。 勿 論 米 国 は 資 本
説 程 出 来 のよ い演 説 は な か つた と 思 ふ 。 御 承 知 の如 く ﹁ソヴ エー
ざ る を得 な いの で あり ま す。
主 義 の ﹁白 い国 ﹂、 露 西 亜 は ﹁ソ シ ヤ リズ ム﹂ の ﹁ 赤 い国﹂ で、
つも いく つも く り か へさ る べき も のであ つて 、 又 継続 せざ る を 得
然 ら ば 此 の 五 ケ年 計 画 の 将来 は如 何 。 単 に 五 ケ年 計 画 と 申 し ま す
そ の主 義 制 度 に お き ま し ては 、 全 然 色 彩 を 異 に し て ゐま す が 、 併
新 ら し い五 ケ 年 計 画 に 移 る ので あ り ま す 。 即ち 五 ケ年 計 画 は いく
と 、 何だ か 五 ケ年 で、 す べ て が完 成 す る やう に考 へら れ る の であ
し 資 源 豊 富 で、 且 つ大 規 模 の産 業 国 と し ては 、 露 西 亜 は 結 局 米 国
ト ﹂ 政 府 にと つて、 最 大 の難 関 は 農 村 政 策 であ る 。 農 村 政 策 が 中
り ま す が 、事 実 は全 然 さう でな く 、 五 ケ年 計 画 は 要 す る に 五ケ 年
のや う な 国 に な る の で は な いか 。 ⋮ ⋮併 し、 一体 あ の貧 弱 な 露 西
そ の意 味 の通 信 を さ か ん に 大 毎 紙 上 に 寄 せ た ので あ り ま す が 、 果
々﹂ 左 へ々 々と 進 ん で 、 左 のド ン底 ま で 行 く と 言 ふ観 測 を 下 し 、
そ こ で愈 々 「ソヴ エー ト﹂ 政 府 が 出 来 上 る と 、 今 度 は 世 界 の識 者
し て三 月 革 命 の後 に 、 十 月 革 命 が お こり 、 ﹁ケ レ ン スキ ー﹂ な ど 、
は ﹁ソ ヴ エー ト﹂ 政 権 は三 日天 下 に終 る 。 あ ん な 乱 暴 な 連 中 が ど
亜 が 、 ど う し て 米 国 の や う な 国 にな れ る か。 露 西 亜 が米 国 の やう
露 西 亜 問 題 を 取 扱 つて 居 る ので あ り ま す が 、 今迄 に 露 西 亜 に対 す
う し て 政 権 を 支 へ得 やう 。 途 中 で ぶ つ斃 れ る に違 ひ な い。 ﹁シ ベ
な 国 に な る と は 狂 つて ゞも な け れば 言 へな いこと であ る。 布 施 は
る ﹁プ ログ ノー ズ ﹂ 即 ち ﹁見 透 し﹂ に 就き ま し て 私 は 一度 も誤 ら
リ ア﹂ 出 兵 が 企 てら れ た のも 要 す る に ﹁ソ ヴ エート ﹂ 政 府 を 三 日
し た の であ り ま す 。
な か つた と 信 ず る 。 私 は 欧 洲 大 戦争 のた し か 第 一年 目 の末 であ つ
天 下と 見 た か ら であ つた。 併 し私 は最 初 か ら ﹁ソヴ エー ト﹂ 政 府
革 命 の大 風 に吹 き 飛 ば さ れ て、 こゝ に ﹁レー ニ ン﹂ の天 下 が 出 現
たと思 ひますが、 ﹁ 結 局 露 独 の 妥 協 か ﹂ と 題 す る 一つ の 通信 を 、
は 相当 長 続き す る。 少 くと も そ の 可能 性 を 多 量 に持 つて居 ると の
と ん で も な いこ と を 言 ふ ⋮ ⋮ と 仰 し や る方 があ る か も知 れま せ ぬ。
大 阪 毎 日新 聞 紙 上 に 載 せ た こと が あ る 。
意 見 で あ つた 。
し か し 、 これ は 少 々 手 前 味 噌 か も知 れ ま せ ぬ が、 私 は 二十 年 来 、
右 ﹁ 結 局 露 独 の妥 協 か ﹂ と 題 す る 通 信 は 、 要 す る に 欧 洲 大 戦争 が
当 時 私 は 度 々 此 の 問 題 に つ いて、 日本 の要 路 の方 々 に質 問 さ れ た
﹃何 故 君 は ﹁ソヴ エー ト﹂ 政 府 を さ う観 る か﹄ と 反 問 さ れ た の で、
長 く 続 く と 、 露 西 亜 で革 命 が 起 き る 。 そ し てそ の革 命 の結 果 、 露
﹃そ れ に は 勿 論 幾多 の理 由 が あ る 。 そ の 理 由 の 一つを 申 せば ﹁ボ
こと が あ り ま し た 。 そ の都 度 私 は ﹁ソヴ エー ト﹂ 政府 は なか 々 々
の後 、 こ の記 事 が外 国新 聞 に掲 載 さ れ 、 私 は 一時 親 独 記 者 の嫌 疑
リ シ エ ウイ キ ー ﹂ に は 不 文 律 の 道 徳 があ る 。 丁 度 日本 の 武士 に 武
西 亜と 独 逸 と の 間 に、 単 独媾 和 が 成 立 す る 。 そ れ で欧 洲 戦 争 が 幕
を受 け 、当 時 露 国官 憲 から 圧迫 を 受 け 、 旅 行 中 列 車 か ら ひき 下 さ
士 道 あ り 。 満 洲 の馬 賊 に す ら 馬 賊 道 ⋮ ⋮ 緑 林道 な る も の があ る如
三 日 天 下 で 倒 れ る やう な 政 府 で は な いと 答 へま し た が 、 す ると
れ て 三 日 ほど 監 禁 さ れ た こと さ へあ り ま す 。 然 し 幸 か 不 幸 か こ の
す 。 そ れ が欧 洲 戦 争 の第 一年 目 の末 であ つた の であ り ま す が 、 そ
通 信 の予 想 通 り 露 西 亜 に 革 命 が 起 り 、 そ の革 命 の結 果 、 ﹁ブ レ ス
ター リ ン﹂ 道 と 云 へま せ う 。 而 し て こ の 「レ ー ニ ン﹂ 道 の 二 三 例
く ﹁ボ リシ エウ イ キ ー ﹂ に は ﹁レー ニ ン﹂ 道 が あ る 。 今 日 は ﹁ス
を 閉づ る こと ゝな ら う ⋮ ⋮ と 云 ふ やう な こと を 書 いた の であ り ま
ト ・リ ト ウ スク﹂ で露 独 単 独媾 和 が 成 立 した 。 ま た 革 命 の劈 頭 に
はた ま た 夫 婦 の仲 でも 敵 に 廻 し て これ と 戦 ふ 。 私 は ﹁モ スク ワ﹂
を あ げ るな ら ば 、 彼 等 は 主 義 主 張 を 異 に す る と 、 親 で も 兄 弟 で も
お き ま し て 、 三 月革 命 後 の露 西 亜 は結 局 ど こ に落 着 く か 、 多 く の 人 は 露 西 亜 の 革 命 は 、 如何 に左 傾 し ても ﹁ケ レ ン スキ ー﹂ 程 度 の
で主 義 主 張 が 合 は な か つた 為 め に 、 親 子 が 別 れ 、 妻 が 夫 を 殺 し 、
穏 和 社 会 主義 に 落 着 く であ ら う。 日 本 の 識者 の多 数 も 概 し てさ う 云 ふ観 測 を 下 し て ゐ た 、 併 し 私 は ﹁ロシ ア﹂ の 革 命 は ﹁ぐ ん 々
た か ﹄ と 聴 いた そ う であ り ま す 。 高 柳 将 軍 は ﹃﹁ラゾ ー﹂ が ど う
エー ト ﹂ 側 の 代 表 が 高 柳 将 軍 に 会 ふ や否 や ﹃﹁ラ ゾ ー 」 を ど う し
な つた か 知 ら な い﹄ と は つき り 答 へら れ た 。 そ こで ﹁ボ ル シ エウ
戦 会 議 が始 ま り皇 軍 の代 表 高 柳 将 軍 が 同 地 に や つ て来 た 。 ﹁ソヴ
そ の代 り 同 志 の間 に於 ては あ く 迄 情 誼 が 厚 い。 私 は 一九 二〇 年 、
兄 弟 互 ひ に戦 ふと 云 ふ やう な 筋 書 の悲 劇 芝 居 を 度 々見 ま し た 。 か
あの ﹁ 赤 い露 西 亜﹂ に這 入 つて、 滞 在 三 ケ月 の後 ﹁モ ス ク ワ﹂ か
イ キ ー ﹂ も ﹁ラゾ ー ﹂ は 死 ん だ も のと あ き ら め ﹁ラ ゾ ー ﹂ が 已 に
く の如 く 主 義 が 違 へば 親 族 故 旧 と雖 も 、 敵 と し て戦 ふ の であ る が 、
ら ﹁シ ベ リ ア﹂ に出 て 帰 国 す る途 中、 ﹁ウ エ ル フネ・ ウ ー ジ ン ス
の北 鉄 交 渉 が 、 昨 年 の何 月 か ら です か 長 ら く 停 止 さ れ て、 し か も
いと 云 ふ や う な こと で、 結 局 私 を 放 免 し た ので あ り ま せ う 。 今 度
な か 々 々再 開 さ れ な い。 広 田外 相 が 頻 り に 気 を 揉 ん で そ の再 開 に
死 ん でし ま つた と す れ ば 、 布 施 を 人 質 に 抑 へた と こ ろ で 仕 方 が な
さ れた の です が 、 そ の抑 留 中 の こと 、 あ る 日憲 兵 、 警 官 、 軍 隊 の
苦 心 し て 居 ら れ る やう で あ り ま す が 、 ﹁ロシ ア﹂ 側 が ど う し て も
ク﹂ に着 き ま し た時 、 私 の乗 つて居 る客 車 が 列 車 か ら 外 さ れ 、 同
聯 合 組 織 の 一隊 が や つて来 て、 私 の客 車 を 包 囲 し 荷 物 と 身 体 の検
応 じ な い。 而 し て北 鉄 交 渉 停 頓 の原 因 は 何 であ るか と 云 へば 、 や
駅構 内 の片 隅 に抛 り 込 ま れ た 。 そ れ から 二週 間 程 、 あ そ こに 抑 留
査 を 始 め た。 着 物 の縫 目、 靴 の裏 迄 で調 べら れ た 。 調 べ ても 写 真
つぱり 北 鉄 幹 部 の ﹁ソヴ エー ト ﹂ 役 員 が 満 洲 官 憲 のた め に 捕 へら
交 渉 再 開 に応 ず る こと が 出 来 る か 、 と い ふ の で頑 張 つて居 る の で
機 以外 、何 にも 抑 へら れ るも の は、 無 論 な か つた の であ り ま す が 、
あ り ま す 。 斯 く し て彼 等 の同 志 に対 す る情 誼 は 頗 る 厚 い、 そ れ が
れ て、 投 獄 さ れ た 、 自 分 の同 志 が 投 獄 さ れ て ゐ る の に、 ど う し て
ル フネ ・ウ ー ジ ンス ク﹂ で 二 週間 程 抑 留 さ れた 。 何 が 原 因 で抑 留
あ つた ら し い。否 な 抑 へるも のが な く ても 、 な ほ且 つ私 は ﹁ウ エ
さ れ た か 、 最初 さ つぱ り 分 ら な か つた の です が 、 あ と で 分 つた 所
﹁レ ー ニ ン﹂ 道 あ る が 故 に 、 ﹁ボ リ シ エウ イ キ ー﹂ の 政 権 は 相 当
即 ち ﹁レ ー ニ ン﹂ 道 の 一つな の であ る 。 そ こ で 私 は 斯 く の 如 き
何 か抑 へた ら そ れを 口実 に私 を 牢 獄 に ぶち 込 ま う と 云 ふ段 取 り で
の幹 部 の 一人 ﹁ラゾ ー﹂ と 云 ふ 男 を 逮捕 し たと いふ説 があ り ま し
に よ り ま すと 、 当時 ﹁ウ ラ ジ オ スト ー ク﹂ でわ が皇 軍 が 、赤 色 軍
ー﹂ を 救 ひ た いと 云 ふ 切 な る 希望 か ら 、彼 等 は 大毎 記 者 布 施 を 人
た るも の が 、物 質 慾 に迷 う て、 収 賄 す る の不 当 な る こと は 云 ふま
また 、 ボ リ シ エウイ キ ー は、 特 に収 賄 罪 を 悪 みま す 。 共 産 主 義 者
へて今 や第 十 七年 目 にあ る の であ り ま す 。
エー ト﹂ 政 府 は そ の後 存 在 を 続 け 、 昨 年 の十 一月、 十 六 週 年 を 迎
質 にと つて 、 ﹁ラ ゾ ー ﹂ を 助 け て や ら う と 考 へた ので あ り ま す 。
でも あ りま せ ん。 が 、 こ ゝにあ る役 所 で 二人 の官 史 が 、 共 謀 し て
長く 続 く と 云 ふ やう な こと を 申 した の であ り ま す 。 果 し て ﹁ソヴ
そ れ で 私 の身 辺 を検 査 し 、牢 屋 に ぶ ち込 む計 画 であ つた ら し いの
た が ﹁ソヴ エート ﹂ 側 で は ﹁ラゾ ー﹂ は ま だ生 虜 り に な つて ゐ る。
で あ る が 丁度 私 が ﹁ウ エル フネ・ ウ ー ジ ン スク﹂ に抑 留 さ れ て 居
収 賄 し 、且 つそ の 一人が 共 産 党 員 であ つて、 他 の 一人 が 党 員 でな
即 ち 生 き て 居 る と 見 た の であ り ま す 。 そ こ で何 と か し て ﹁ラ ゾ
る 間 に 、 同 地 と ﹁チ タ﹂ の 中 間 ﹁ゴ ンゴ タ﹂ と 云 ふと こ ろ で 、休
て 、之 を 告 白 し、 速 か に改 め る勇 気 が あ る か 、 否 か に あ る 。 こ の
る の であ るか ら 、幾 多 過 失 は 免 れ が た い。 要 は 、 た ゞ過 ち を 知 つ
こ ろ に よ りま す と ソ ヴ エート 革 命 は、 歴 史 に前 例 のな い こと を や
気 ﹂ を 讃 賞 し 、 奨励 し た こと であ る。 ボ リ シ エ ウイ キ ー の いふ と
ー ニン道 の適 例 は、 革 命 の初 年 レ ー ニンが ﹁過 失 を 告 白 す る の勇
罰 に 附 せ ら れ た のと 、 同じ 趣 き が あ る やう に思 は れ る 。 も 一つ レ
罪 を 犯 す と 、 切腹 を 仰 せ つけ られ 、 町人 だ と 却 つて往 々寛 大 な 所
軽 いの が 通 例 と な つて 居 る 。 そ れ は恰 も 、 昔 わ が 封 建 時 代 武 士 が
いと 仮 定 し ま す 、 こ の 収賄 に 対す る 罰 は前 者 に重 く し て、 後 者 に
対 し て は 、敵 と雖 も 、 敬意 を 払 ふ の であ り ま す 。 これ も 私 が 一九
に は前 述 の 通 り 、 レ ー ニ ン道 な る も のが あ つて、 勇 気 あ るも の に
義 の批 判 な れ ば 異議 は な いの であ り ます 。 寧 ろ ボ リ シ エウイ キ ー
いて は 、 決 し て こ れ に 対 し含 む も の で はあ りま せ ん。 是 々非 々主
攻 撃 す る た め の悪 口で な く 、 悪 いと こ ろを 指 し て悪 いと なす に つ
彼 等 に は 相 当 太 ツ腹 な と こ ろ があ つて 、 悪 口 で も そ れ が ロ シ アを
ボ リ シ エウ イ キ ー は 、 私 の観 る と こ ろ 、 そ ん な に ケ チ で はな い。
見 当 が 外 れ て ゐる と 思 ふ 。
判 を 理 由 と し て、 二 度 目 の入 露 を 拒 む と 云 ふ やう な こと は 、少 々
露 を 許 し た 人 に 対 し て、 単 な る ソヴ エー ト 国情 に 関す る 厳 し い批
いて 居 ると 、 向 ふか ら ブ リ ウ ムキ ンと 云 ふ先 年 独 逸 大 使 ミ ル バ ツ
︹ママ ︺
エウイ キ ーた る資 格 が な い。 思 ひ 切 つて ﹁我 過 て り﹂ と 告 白 し 、
勇 気 が な く てそ の過 失 を か く し 、 瀰 縫 糊 塗 す る や う で は 、 ボ リ シ
二〇 年 に訪 露 し た時 の こと であ り ま す が 、 モ ス ク ワ の市 中 を あ る
さ つさ と 改 め て こそ 、 レー ニ ン主 義 者 で あ る と 云 ふ の で あ り ま す 。 か の戦 時 共 産 時 代 の行 詰 り に 当 つて 、 新 経 済 政 策 に 転向 し 、 国家
﹁何う し て、 ブ リ ウ ム キ ン の やう な 大 罪 人 が 、 自 由 放 免 さ れ て ゐ
フ伯 を 暗 殺 し た 下 手 人 が や つ て来 る 。 そ こ で 同 行 の 共 産 党 員 に
る の か 、私 は夙 く に彼 は銃 殺 され た も のと 思 つ て ゐた﹂ と たづ ね
資 本 主 義 に向 つ て ﹁戦 略 的 退 却 ﹂ や つた 如 き は 、 こ の ﹁過 ち を改 め る勇 気 ﹂ を 最 も 大 胆 に 発 揮 し た も のと 云 は な け れ ば な り ま せ ん 。
ま し た と こ ろ、 ﹁あ んな 勇 気 のあ る男 は 、 殺 す のが 惜 し いか ら 、
死 刑 を 免 じ て や つた のだ ﹂ と 云 ふ の で、 私 は 一驚 を 喫 し た ので あ
わ が 識 者 の間 に は ロシ アか ら 帰 つて 来 た人 達 の話 は 信 用 が 出 来 な い、あ まり 悪 く
り ま す 。 ボ リ シ エウ イ キ ー に は そ う し た と ころ が あ り ま し て 、 ソ
然 し た ゞ ﹁赤 い ロシ ア﹂ が 嫌 いだ と 云 ふ と こ ろ か ら 、事 実を ま げ
ヴ エー ト の現 状 を と ら へて、 よ いと こ ろ を よ いと ほ め 、 悪 いと こ
て ロシ ア の悪 口を 云 ひ は や す も の に 対 し て は 、あ くま で こ れを 悪
いふ と 、 次 ぎ の入 露 に 際 し て 、 ソヴ エー ト 側 で、 入国 の査 証 を
と 云 ふ 説 が多 い のであ り ます 。勿 論 ソヴ エー ト政 府 の外 国 人 に対
み 、 再 び ロシ アに 入 れ やう と し な い のであ り ま す 。私一 個 にお き
し て く れ ぬ 、 そ こ で よ いと こ ろば か り話 し て、 悪 いと こ ろを か
す る 入 露査 証 に は 、中 々 八釜 し い手 続 き が あ つて、 容 易 に許 可 し
ろは 悪 いと 直 言 す る 勇 者 に 対 し て は 、敬 意 を は ら つて 居 り ます 。
ま せ ん 。 ま た実 際 ロシ ア に対 し て敵 意 を 表 示 し た も のに 対 し て、
ま し て は 、 最 初 か ら 、 ソヴ エー ト ・ロシ ヤ に対 し て、 厳 格 な る是
くしてしまふ
入 露査 証 を 拒 絶 し た例 は多 々あ る の であ り ま す 。 然 し 已 に 一度 入
偏 頗 のな い公 正 な 立 場 に たゝ ね ば な り ま せ ん 。 私 は こう し た信 念
ま す 。 而 し て正 し き 理 解 を 得 る に は 、 先 づ そ の相 手 国 に対 し て 、
を 打 ち 樹 てる に は 、 先 づ そ の国 に 対 し て 正 しき 理 解を 必 要 と 致 し
て居 る も ので あ り ま す 。 お よ そ 或 る 一つの 国 に対 し て正 しき 政 策
場 に 立 つ てこ そ 、 始 め て 公 正 な 理解 と 観測 を 下 し得 るも のと 心 得
々非 々主 義 を と つて 一貫 し 来 つた も の であ り また 実 際 さう した 立
赤 であ る。 革 命 の初 め に、 露 西 亜 では ﹁赤 大 根 ﹂ と 云 ふ 言 葉 が 流
つて も 、 そ れ は た ゞ 上 つ皮 だ け の こと で 、 ﹁心﹂ は 依 然 と し て 真
あ りま す 。 然 し 私 は当 時 露 西 亜 か ら帰 つて 、 ﹁ロ シヤ ﹂ は白 く な
﹁ 赤 露 白 化 説 ﹂ な る も のが 、 世 界 の識 者 間 に 、 お こ つて 来 た ので
い露 西 亜 ﹂ が ﹁白 く ﹂ な り つゝ あ る のだ ⋮ ⋮ と 云 ふ ので 、 こ ゝに
は結 局 再 び ﹁白 く ﹂ な る、 ﹁ボ リ シ エウイ キ ー﹂ 自 身 の手 で ﹁ 赤
の上 に 大 き な 成 績 を あ げ た が 、 此 の調 子 で 行 く と ﹁ 赤 い﹂ 露 西 亜
の如 く 上 つ皮 だ け赤 く て、 中 味 は白 い、 そ こ で、 ボ リ シ エウ イ キ
を も つ て、 従 来 ロシ ヤ 問 題 を 取 扱 つて 来 た も の で あ り ま し て 、 将
ーは ﹁ 赤 大根 に 対 し て警 戒 せ よ﹂ と 叫 んだ も の であ る が 、 新 経 済
し いやう な顔 を し て ゐた も の に つけ た 代 名 詞 で、 丁 度 ﹁赤 大 根 ﹂
﹁レ ー ニ ン﹂ 道 が あ る が故 に 、 ﹁ボ リ シ エウ イ キ ー ﹂ の政 権 は 相
政 策 以後 の 露 西 亜 は 、全 く 赤 大根 の 正反 対 で、 上 つ皮 は 白 いが 中
行 した 。 それ は即 ち 主 義 者 でな い者 が 共 産 党 に 入 つて 、 主 義 者 ら
当 長 く 続 く と い ふ観 測 を 下 し た の であ り ま す 。 果 し て ﹁ソヴ エー
味 は 赤 い。 ﹁ソ ヴ エー ト﹂ 露 西 亜 が 、 如何 に 新 経 済 政 策 を 進 め て
来 も 亦 こ の方 針 で進 ま う と 考 へて 居 る の で あ り ま す 。
ト﹂ 政 府 は重 ね て申 し ま す が 、 そ の後 依 然 存 在 を 続 け 、 今 年 は そ
話 は横 道 に外 れ ま し た が 、 私 は ボ リ シ エウ イ キ ー に は 以 上 の如 き
の第 十 七 年 目 にあ る の であ り ま す 。
に 向 つ て邁 進 し た ので あ り ま す 、 か く し て ﹁ロシ ア﹂ は白 く な る
も 、矢 張 り ﹁ 赤 い露 西 亜﹂ と し て残 るも の であ ると な し 、一 九 二
ど こ ろか 、 愈 々こ れ か ら ほ ん と う の ﹁ 赤 い国﹂ に な ら んと す る勢
五 年 に 帰 つた 時 、 さう いふ意 味 の 通 信を 新 聞紙 上 に発 表 しま し た 。
げ て 、 一般 の経 済 状 態 が著 しく 好 く な つた 時 であ り ま し た 、 そ の
にあ り ま す 。 そ こ で 私 が 今 度 帰 つて 、 露 西 亜 が 五 ケ年 計 画を 幾 つ
そ の次 ぎ に起 つた の は ﹁ソヴ エー ト ﹂ 政 府 が 新 経 済 政 策 を や り 出
翌 一九 二 五年 に も、 私 は ﹁ロシ ヤ﹂ へ参 り ま し た が 、 新 経 済 政 策
も 幾 つも 繰 返 し て 行 つた 暁 、 米 国 の如き 大 産業 国 に な る と 云 ふ や
し た結 果 ﹁ロシ ヤ﹂ は ﹁ 白 く な つた か ど う か ﹂ と 云 ふ 問 題 で あ り
は 益 々好 成績 を あげ 、 国内 産 業 の生 産 力 はぐ ん 々 々増 進 し て来 ま
へし ﹁ソシ アリ ズ ム﹂ の 建 設 て ふ 標 榜 の 下 に、 五 ケ年 計 画 の遂 行
し た 。然 し こ の新 経 済 政策 と 云 ふ の は、 国 家 資 本 主 義 であ つ て、
う な こと を 申 す と 、 誠 に 気 狂 ひ じ み た や う に 、 聞 え る か も知 れ ま
果 し て ﹁スタ ー リ ン﹂ の時 代 と な る や、 新 経済 政 策 を 根 本 か ら 覆
共 産 主 義 で は な い。 ﹁ソ シ ア リズ ム﹂ で な く て、 キ ヤピ タ リ ズ ム
であ り ま す 。 既 往 二十 年 間 の私 の対 露 観 の正当 で あ つた こ と か ら
せ ぬ が 、 斯 う し た 予 測 を 下 し ま す に 就 て は 、 相 当 研 究 を し た積 り
﹁モ スク ワ﹂ を 訪 ひま した 。 丁 度 新 経 済 政 策 が 愈 々其 の効 果 を 挙
で あ つた ので あ り ま す 。 そ れ で新 経 済 政 策 実 施 後 の ﹁ ボ リ シ エウ
ま す。 私 は 一九 二 四年 の 二月 、 即 ち ﹁レー ニン﹂ が 死 ん だ 直 後 に 、
イ キ ー﹂ は資 本 主義 に 転向 し た。 な る ほど そ れ に依 つて経 済 復 興
ン﹂ を 評 し て ﹃彼 は 識 見 が 狭 い、 ﹁ イ ン タ ー ナ シ ヨ ナ ル﹂ に 対 す
扨 て私 は 今 日 の 御 話 の劈 頭 に於 て ﹁ト ロ ツキ ー﹂ が 、 ﹁スタ ー リ
す る の であ り ま す 。
ふ こと を 念 頭 に お いて、 今 後 の露 西 亜を 観 て行 か れ ん こと を 切 望
推 し て 、 今度 も さう し た ﹁ ポ ツシビ リ テイ ﹂ が 幾 分 でも あ る と 云
﹁イ ンタ ー ナ シ ヨナ ル﹂ の 活 動 は殆 んど 指 摘す る に足 る も の があ
年 以 前 に 蒔 い た 種 の萌 え であ り ま し て 、 同 年 以 後 に 於 け る 第 三
云 ふ のが 今 で も 時 々 問 題 に な り ま す が 、 こ れ は主 と し て 一九 二 八
に な つた ので あ り ま す 。 勿 論 世 界各 国 到 る と こ ろ 、共 産 党 事 件 と
本 部 と 称 す る 第 三 ﹁イ ンタ ー ナ シ ヨナ ル﹂ の活 動 が 、俄 に消 極 的
め て や り 、 ま た 若 い党 員 の 教育 と 養 成 を や つて 居 ると 云 ふ位 に過
﹁モ スク ワ﹂ に 集 つて 居 る 世 界各 国 の共 産 党 の領 袖 を 合 宿 所 に泊
ぎ な いと 云 は れ て 居 る の で あり ま す 。 革 命 の初 年 、 ﹁ボ リ シ エ ウ
り ま せ ん 。 第 三 ﹁イ ンタ ー ナ シ ヨナ ル﹂ は 今 日 のと こ ろ で はた ゞ
こと を お 話 し ま した 。 実 際 ﹁スタ ー リ ニズ ム﹂ は ﹃一国 内 の ﹁ソ
る 理解 を もた な いだ か ら彼 の眼 界 は ﹁ナ シ ヨナ リ ズ ム﹂ の狭 い範
シ アリ ズ ム﹂ 建 設 ﹄ を 標 榜 し ﹁ト ロツ キ ー﹂ の言 つた 通り 、 ﹁ナ
イ キ ー﹂ が 世 界各 国 に そ の赤 い手 を ふり 廻 した こと はか く れ も な
囲 に限 ら れ て しま つた ﹄ と い つて ﹁スタ ー リ ン﹂ を 冷 笑 し て ゐ た
シ ヨナ リズ ム﹂ に傾 い て来 ま し た 。 元 来 ﹁ボ リ シ エウ イ キ ー﹂ は
に 於 け る第 三 ﹁イ ン タ ー ナ シ ヨ ナ ル﹂ の仕 事 は 何 であ つた か 、 そ
い事 実 で あり ま す が 、 今 日 で は実 際 のと こ ろさ う した ﹁赤 い手 ﹂
れ は独 逸 の共 産 党 代 表 ﹁ク ラ ラ ・ツ エト キ ナ﹂ 婆 さ ん と 、 日本 の
原則にお いて ﹁ 赤 ﹂ と ﹁白 ﹂ と は 両 立 し 得 な い、 ﹁ 赤﹂ が ﹁ 白﹂
ても 露 西 亜 一国 に止 ま る べき も ので は な い、 こ れ を 世 界 に 延 長 し
共 産党 代 表 片 山 爺 さ ん ⋮⋮ こ の 二人 の老 人 を 赤 色 広 場 に 葬 つた こ
は あ ま り 働 いて 居り ま せ ん。 即ち 第 三 ﹁ イ ン タ ー ナ シ ヨ ナ ル﹂ の
な け れ ば な ら ぬ と いふ 見 地 に 立 つて ゐ る 。 従 つて ﹁ボ リ シ エウ イ
と そ れだ け であ る﹄ な どゝ や ゆす るも のが あ る 位 であ り ま す 。 片
存 在 は非 常 に薄 弱な も の にな つて居 る。 た と へば ﹃一九 三三 年 度
キ ー﹂ は 、 理 論 上 ど う し て も ﹁イ ンタ ー ナ シ ヨナ リ ス ト﹂ で な け
そ の一 つに帰 す るも の であ る 。 従 つ て ﹁ロシ ア﹂ の革命 は どう し
れ ば な ら ぬ の であ る が 、 ﹁ス タ ー リ ン﹂ は 、 ﹁一国 内 社 会 主 義 建
しく 死 んだ やう であ る。 私 は 昨 年 の ﹁メー デー ﹂ の時 で あ つた と
山 潜 氏 は晩 年 健 康 も 勝 れな か つた せ いか 、 実 際 気 焔 が 上 ら ず 、 淋
を 赤 化 す るか ﹁白 い世 界 ﹂ が ﹁赤 い ロシ ア﹂ を 白 化 す る か 、 二 者
シ ヨナ リ ズ ム ﹂ に 転 向 し て し ま つた 。 而 し て こ の ﹁ソヴ エー ト﹂
設 ﹂ と 云 ふ 新 原 理 の 下 に、 ﹁ イ ンタ ー ナ シ ヨナ リ ズ ム﹂ か ら ﹁ナ
桶 を 担 が せ て葬 ら れ た こと は 、 ま あ 片 山 氏 と し て は 、 死 所 を 得 た
に青 ざ め て全 く 元 気 が な か つた 。 併 し 彼 が ﹁スタ ー リ ン﹂ 等 に 棺
も のと 言 へま せ う 。
思 ふ、 片 山 氏 に会 つた のが 最 後 であ るが 、 そ の頃 已 に 病 人 のや う
り ま す 。 即 ち ﹁ソヴ エー ト﹂ 政 府 が ﹁ス タ ー リ ニズ ム﹂ の ﹁一国
政 府 の ﹁イ ンタ ー ナ シ ヨナ リ ズ ム﹂ か ら ﹁ナ シ ヨナ リズ ム﹂ への
内 社 会 主 義 の 建 設﹂ の新 原 理 に よ つて 立ち 、 そ の結 果 ﹁ナ シ ヨ ナ
斯 様 な 次 第 で 当 然 ﹁イ ン タ ー ナ シ ヨ ナ リ ス ト﹂ で あ る べき 筈 の
転 向 は 、 現 下 の国 際 関 係 か ら 見 て ま こ と に 大き な 出 来 事 な の であ
リ ズ ム﹂ に 転 ず る や 、 そ の ﹁ 赤 い手 ﹂ を 引 込 め、 世 界 革 命 の参 謀
﹁国 際 異 端 者﹂ だ と 云 つて 露 西 亜を 憎 ん で 居た 資 本 主 義 の列 国 が 、
つ い数 年 前迄 で 、 露 西 亜 は ﹁ 赤 い国﹂ だ 怪 しか ら ぬ国 だ 、 厄 介 な
而 し て そ の結 果 ﹁ 赤 い手 ﹂ があ ま り 働 ら かな く な り 、 世 界 各 国 が
﹁ナ シ ヨナ リズ ム﹂ に 傾 いた こと は争 はれ ぬ目 前 の事 実 であ る 。
﹁ボ リ シ エウ イ キ ー﹂ が 、 ﹁ス タ ー リ ニズ ム﹂ に 依 つて 、 急 に
は 消 極 的 国 家 主 義 か ら 他 日 資 本 主 義 国 に 於 け る が如 き 積 極 的 国家
義 は 、 何 時 迄 でも 今 ま で のやう に 、消 極 主義 の も の であ る か 、或
軍 部 の間 に 起 つて 来 た 問 題 は 、 こ の 「ソヴ エー ト﹂ 政府 の 国家 主
各 国 か ら 親 し ま れ る ので あ り ます 。併 し こ ゝに列 国 識 者 間 、 殊 に
露 西 亜 が 、 国 家主 義 に移 つて 国内 の建 設 に力 を 集 中 す ると 、 却 て
り ま し た 頃 、 最 も 大 き な 国 際 的 出 来 事 は 、 仏蘭 西 が露 西 亜 に接 近
列 国 ま で、 だ ん 々 々親 露 政 策 に 傾 いて 来 た 。殊 に 私 があ ち ら に 居
があ り ます が 、此 の ﹁ス タ ー リ ン﹂ の声 明 こそ 、 今 日 の ﹁ソヴ エ
﹁ウ エル シ ヨク﹂ と雖 も 、 何 人 にも 譲 ら な い﹄ と 獅 子 吼 し た こと
他 国 の領 土 は、 一か け も 欲 し く な いが 、 同 時 に 聯 邦 の領 土 は 、 一
先 年 ﹁ス タ ー リ ン﹂ は、 第 十 六 次 共 産 党 大 会 に 於 い て、 ﹃ 我等 は
ふ こと であ り ま す 。
し 、 同 時 に 仏 蘭 西 の保 護 下 に あ る 波 蘭 も 亦 親 露 政 策 に 変 つて 来 た
ー ト﹂ 聯邦 対外 政策 の 一大 ﹁モ ツト ー﹂ と な つて居 る の であ り ま
主 義 の方 向 に向 つ て行 く やう な こと が あ り は せ ぬ か 、 どう か と 云
こと であ り ま す 。 斯 やう な 次 第 で 、 露 西 亜 の対 西 欧方 面 に 於 け る
す。
俄 か に そ の態 度 を 変 へ、 段 々 露 西 亜 に接 近 し て来 る やう にな つて
国際 関係 、 国 際 地 位 は著 し く 好 く な つ て来 た 。 西 南 方 面 の隣 国 と
私 は 一昨年 秋 日 本 か ら 、浦 潮斯 徳 を 通 つて、 莫 斯 科 に参 り ま した
来 た 。 実 際 独 逸 は 云 ふ ま で も なく 、 仏蘭 西 、伊 太 利、 英 吉 利 等 の
は、 殆 んど 全 部 と 不 可 侵 条 約 を 締 結 し 、 更 に ま た 昨 年 春 の倫 敦 会
が 、 一年後 再 び 莫 斯 科 か ら 、浦 潮 斯 徳 を 通 つて 、 日本 に帰 つて来
の趣 き を 異 に し て ゐ る のに 私 は 一驚を 喫 し た の であ り ます 。 一昨
ま し た 。 と こ ろ で 一昨 年 秋 の浦 潮 と 、 昨 年秋 の浦 潮 と 、ま る でそ
二 重 、 三 重 に平 和 の 保 証 を 築 き 上げ た 。 ﹁ソヴ エート ﹂ 政府 の外 交 は 、実 に昨 年 度 に お い て、 と んと ん拍 子 の大 成 功 を 遂 げ た ので
議 を 機 と し て侵 略 国 定 義 協 定 を 締 結 し 、 西 及 び 南 方 国 境 に お いて 、
あ り ま す。 而 し て そ れ は要 す る に ﹁ソヴ エー ト ﹂ 政 府 が ﹁ス ター
る で病 人 の やう な 感 じ が し た の であ り ま す 。 と こ ろ が 、 一年 経 つ
つた 。 極 度 の不 景 気 で 、 物 資 が 欠 乏 し 、 道 行 く 人 の 顔 を 見 て も ま
て昨 年 の秋 、 再 び 同 じ 浦 潮 に 来 て見 る と 、 今 度 は 非 常 な 景 気 で 、
年 秋 、 私 が 浦 潮 に 参 り ま し た 時 は 、 浦 潮 は 実 に 惨憺 た る状 態 にあ
元 来 資 本 主義 国 に 於 け る 国 家主 義 は 、動 もす れば 帝 国 主 義 、 侵 略
リ ニズ ム﹂ に よ つて 、 ﹁イ ン タ ー ナ シ ヨナ リズ ム﹂ か ら ﹁ナ シ ヨ
主 義 に 傾 く を 常 と す る 。 而 し て資 本主 義 国 に於 け る 国際 主 義 は却
々な 商 品 が 現 は れ て来 た 。 殊 に驚 いた のは 、 市 の人 口が 急 激 に 増
物 資 が ど し 々 々殖 え て来 る。 昔 の ﹁チ ユー リ ン﹂ 店 のあ と な ど色
ナ リ ズ ム﹂ に 傾 いた 結 果 に外 な ら ぬ の であ り ま す 。
て、 多 く の 場 合 、 平 和 主 義 傾 向 を 有 す る の で あ り ま す が 、 ﹁ソヴ
加 し、 且 つ浦 潮 の守 備 兵 が 、 従 来 陸 兵 であ つた のが 、 い つ の間 に
エー ト ﹂ 政 府 の国 際 主義 は ﹁ 赤 い手﹂ で 世 界を 掻き 廻す の で 、同 政 府 が 国 際 主 義 を や り 出 す と 、各 国 か ら 憎 ま れ る 。 こ れと 反 対 に
けと も欲 しく な いが 、 ソ ヴ エー ト聯 邦 の領 土 も 、 一か け と雖 も 何
に 、 広 い幕 が 張 つてあ つて 、其 の幕 に ﹃我 等 は他 国 の領 土 は 一か
の玄 関 に 、 銃剣 を 持 つた水 兵 が番 兵 を し て ゐ る、 其 の建 物 の中 腹
ト ラ ン スカ ヤ﹂ 街 の真 中程 に、 大 き な 黒 い建 物 が あ る。 其 の建 物
か 、 水 兵 に 変 つて し ま つた こと であ る。 浦 塩 の大 通 り 旧 ﹁ス ウ エ
つ て力 あ つた 事 は 云 ふ迄 も あ り ま せ ぬ が 、然 し 、之 等 の出 来 事 は
満 洲 に 於 け る 露 満 紛 争 等 が 、 ソヴ エー ト 政府 の 対 日硬 化 にあづ か
態 度 に 打 つ て変 つた ので あ り ま せ う か 。 勿論 北 鉄交 渉 の停 頓 、北
府 の対 日 政 策 は 、 何 う し て 斯 様 に 、 平 和 親善 の方針 か ら 、 強硬 な
愈 々憂 ふ べき 状 態 に 瀕 し た ので あ り ま す 。 然 ら ば 、 ソヴ エー ト 政
最近 の 一年 間 、 即 ち 私 が 莫 斯 科 に 滞 在 し てゐ た 一年 間 、 日 露 関 係
州を 固守 す る決 意 を 、 表 明 し た も のに 外 あ り ま せ ん 。
重 大事 実 にあ ると 思 ふ の であ り ま す 。
が 、 此 の 最 近 の 一年 、著 し く良 好 と な つて来 た ⋮⋮ と 云 ふ 三 つ の
の 実 力 が充 実 さ れ 、 且 つ、 之 れと 同時 に ( 第 三) 其 の国 際 的 地 位
五 ケ 年 計 画 が 、或 る 程度 の成 績 を あ げ 、 之 に依 つて ( 第 二) 国 防
ので は あ り ま せ ん 。 根本 の 原 因 は 、要 す る に ( 第 一) ソヴ エート
は頗 る多 事 であ り ま し た 。 一昨 年 秋 、 私 が 莫 斯 科 に 到 着 し た 頃 は 、
一昨 年 か ら 、昨 年 に かけ て の 一年 間 、 ソヴ エー ト政 府 は 、 第 一次
直 接 の原 因 に は 相 違 無 か つたと し て も 、根 本 の 原因 と 見 る程 のも
恰 も 日露 国 交 好 転 の絶 頂 時 で、 当 時 ﹁ホ ロ ンバ イ ル﹂ 事 件 に 際 し
五 ケ年 計 画 か ら、 第 二次 計 画 に移 る に当 り 、 国 内 経 済 上 の 一大 危
いてあ る。 こ れ は申 す 迄 も な く 、 ソヴ エー ト 政 府 が 、 飽 く 迄 沿 海
て、 ソ ヴ エー ト 側 のと つた 好 意 的 斡 旋 、 松 岡 全 権 の露 国 入 り に 対
人 に も 譲 ら ぬ﹄ と 云 ふ前 述 ﹁ス タ ー リ ン﹂ の モ ツト ー が 大 き く 書
さ る親 善 関 係 を 呈 せ し め た ので あ り ま す 。 其 の後 、太 田 大使 、 酒
す る露 国 官 辺 の懇 切 な る 態 度 は 、 両 国 の国 交 を し て 、 未 だ 曾 て 見
譲 渡 を 提 議 す る に 至 り ま し た 。 而 し て 昨 年 八 月 に は、 更 に竿 頭 一
み、 遂 に ソヴ エー ト 政 府 に お いて 、 聯 盟 の招請 を 拒絶 し 、 又 北鉄
通し た 、 然 し 他 の 一方 、 国 民 は 疲 労 困憊 の極 に 達 し 、 殊 に 無 理 な
で、 成 る程 一方 では 、 大 規 模 な 工 場 が 落 成 し た 、 鉄 道 や 運 河 が 開
五 ケ年 駈 け 通 し に駈 け て来 て ﹁ ゴ ー ル﹂ に達 し た ⋮ ⋮ やう な も の
機 に立 ち ま し た。 第 一次 五 ケ年 計 画 が 終 つた ⋮ ⋮ と 云 ふ こ と は 、
歩 を 進 め て 、 通 商 関 係 増 進 の為 め 、 実業 視 察 団 の交 換 を やら う で
ナ では 飢饉 を さ へ突 発 す る に 至 り ま し た 。 昨 年 の ロシ アは 、 一面 、
輸 出 を や つた 結 果 、 国 内 物 資 の欠 乏 愈 々甚 だ し く 、 遂 に ウ ク ライ
匂 参 事 官 の来 任 と 共 に 、 両 国 の折 衝 は 、 各 問 題 に 亘 つて 順 調 に進
は な いか と いふ 所 迄 で 、 漕 ぎ 付 け た の であ りま す が、 恰 も 、 其 の 頃 か ら 、 急 に ソヴ エー ト 側 の 対 日態 度 が硬 化 し、 遂 に怪 文 書 発 表
襲 は れ た のと 、 時 を 同 じ う し て 、 他 の 一方 、 ウ ラ ル で ﹁チ エリ ヤ
にし た 。 具 体 的 に 申 せ ば 、 一方 、 ウ ク ラ イ ナ の 百姓 が 、大 飢 饉 に
大 き な セ ンセ ー シ ヨ ンを捲 起 し、 あ る気 早 な 欧 洲 某 国 の新 聞 社 の
ビ ン ス ク﹂ の ト ラ クタ ー 工場 、 ﹁スウ エ ル ド ロ フ スク﹂ の重 工業
大 建 設 が ど し 々 々竣 工 し た と 同 時 に 、 他 の 一面 、物 資 欠乏 其 の極
如 き は 、 莫 斯 科 特 派 員 に 向 つ て、 ﹃日 露 開 戦 次 第 、 直 ち に 従 軍 記
機 械 工 場 が竣 成 し 、 又 北 海 で は 、 ﹁ベ ロ モ ー ル大 運 河﹂ が 開 通 し
事 件 を 惹 起 す る に 至 り ま し た 。怪 文 書 事 件 は、 当 時 莫 斯 科 でも 、
者 と し て 、 戦線 に赴 く べ し﹄ と の電 命 を 発 し た 程 で、 日露 国 交 は
わ け で 、 こ ゝに 、 ロシ ア 視 察者 の意 見 が 、悲 観 と楽 観 の 両極 端 に
大 成 功 、 ソヴ エー ト 連邦 の 経済 的 大発 展 を認 めざ るを 得 な か つた
ト 聯 邦 危 機 に 瀕 す と な し 、後 者 の みを 観 たも の は、 五 ケ年 計 画 の
た ⋮ ⋮ 而 し て 、前 者 のみを 観 た も の は 五 ケ年 計 画失 敗 、 ソ ヴ エー
にな り ま し て、 そ ろ 々 々、 第 一次 五 ケ年 計 画 の無 理 押 し の結 果 が
現 し た か の印 象 を 私 に与 へた の であ り ま す 。 と こ ろが 、 昨 年 の夏
ら 、 昨 年 始 め に掛 け て の ロシ ア は全 く 戦 時 共 産 時 代 の ロ シ アを 再
か も 五 ケ年 計 画 無 理 押 し て行 詰 つた 時 に投 じ た の で、 一昨 年 末 か
良 く な つて行 く の に驚 いた 位 であ り ま す 。 然 るに 今 度 の訪 露 は 恰
一九 二九 年 の三 度 の訪 露 で、 私 は ソヴ エー ト 聯 邦 の国 状 の年 毎 に
め ら れ たと 同時 に、 昨 年 の農 作 は非 常 な 豊 作 であ つた 。 露 西 亜 は
緩 和 さ れ、 第 二次 五 ケ年 計 画 に 入 つて から 、 大 分 ﹁テ ンポ ﹂ も 緩
わ か れ てし ま つた ので あ り ま す 。 し か も 、 両者孰 れも 事 実 を 根 拠
苟 も ソヴ エー ト 聯 邦 に 対 し て 、 正 当 な る 理解 を 打ち た て 、其 の上
と し た 観 測 な ので 、 一概 に 之 を 否 定す る 訳 に は 行き ま せ ん。 然 し
に、 正 当 な る 対 策 を 確 立 せ ん と 欲 す る も のは 、 決 し て 、物 の半 面
に 陥 る 。 即 ち露 西 亜 で は 、農 作 の豊 凶 に は何 時 も 大 き な 差 があ る
に豊 作 であ る。 其 の代 り 、凶 作 と な ると 、 こ れま た 全 国 的 に凶 作
の で あ り ま し て 豊作 の年 は非 常 な好 景気 を 呈 す る。 古 い話 であ り
御 承 知 の如 く 広 い平 らな 国 であ り ま す から 、 豊 作 と いふ と 全 国 的
私 は 或 る人 か ら ﹁今 度 の滞 露 一年 中 一番 感 心 し た こ と は 何 か﹂ と
ま す が 、 日 露 戦争 で ロシ アは莫 大な 軍費 を 使 ひ、 し かも 負 け戦 で
のみ を 観 て 、 速 断 し ては な ら ぬ 。 光 明 面 と 、 暗 黒 面 と の両 面 を併
問 は れ た 時 、 即 座 に ﹁ソヴ エー ト 政 府 が ウク ライ ナ の飢饉 と 云 ふ
あ つた 。 然 る に 、 あ の 日 露 戦争 の直 後 、 二年 間豊 作 が続 いた。 二
せ 観 て始 め て論 断 を 下 さ ね ば な ら ぬ と 思 ふ ので あ り ま す 。 そ こ で 、
如 き 大 障 碍 に直 面 し 乍 ら 少 し も そ れ に 気 を 取 ら れ る事 無 く 既 定計
に 徴 し て も 露 西 亜 に と つて 、 農 作 の 豊 凶 が 如 何 に甚 大 な 問 題 であ
画 の遂 行 に向 つ て邁 進 し た 事 であ る﹂ と 答 へ、 寧 ろ ウ ク ライ ナ の
る か を 推 す 事 が 出 来 る と 思 ふ ので あ り ま す 。 と こ ろ が ﹁ボ リ シ エ
のみ な ら ず 、 更 に 国庫 に 剰余 金 を残 す ことゝ な つた ⋮ ⋮ 此 の 一例
在 の ﹁ヂ エネ レ ー シ ヨ ン﹂ が 犠 牲 にな る べき だ ﹂ と 云 ふ 彼 等 の信
年 間 の豊 作 だ け で 日 露 戦争 に使 つた 軍費 を 全 部償 ふ こと が出 来 た
念 は、 依 然 と し て強 い力 と な つて ゐ る の であ り ま す 。
つた 。 そ こ で、 昨 年 の八 月 頃 か ら 国 内 の形 勢 は 、 が ら り と 変 つて
ウイキー﹂悪運強しとでも申しませうか、昨年は非常な豊作であ
いた の であ り ま す 。 実 際 ﹁未 来 の ﹁ヂ エネ レー シ ヨ ン﹂ の為 に 現
斯 く し て昨 年 の 八 月 頃迄 の ソヴ エート 露 西 亜 は 、 実 際 国 を 挙 げ て 、
大 飢 饉 の裏 面 に ソヴ エー ト 経 済 政 策 の成 功 原 因 を 見 出 し た事 を 説
非 常 な 困難 状 態 にあ つた 。 私 は 革 命 後 の露 西 亜 には 、 六 度 行 つた
つた 。 店 へ行 つ ても 中 々物 が 買 へな い。 一月 頃 は 十 日 も 二 十 日 も 、
来 た 。 一昨 年 末 と 昨 年 の春 、 我 々外 国 人 で も 、 随 分 生 活 は 苦 し か
て、 す き 焼 き を 御 馳 走 し やう と し ても 肉 、 葱 が 買 へな か つた こ と
肉 を 食 ふ こと が 出 来 な か つた 。 独 逸 あ た り か ら 、 友 人 が や つて 来
の であ り ま す が革 命 の初 年 、 即 ち 一九 一七 年 か ら 一九 二〇 年 頃 迄
は申 す 迄 も あ り ま せ ぬが 、 然 し 新 経 済 政 策 を 布 い てか ら 、 ぐ ん 々
の所 謂 ﹁ 戦 時 共産 時 代 ﹂ の露 西 亜 が非 常 な 窮 乏 状 態 にあ つた こと
々経 済 状態 が 良く な つた の であ り ま し て、 一九 二 四、 一九 二 五、
欠乏 が 起 る 、 飢饉 が始 ま る の であ つて、 政 府 が 少 し でも 輸 出 を 手
必 要 な も の迄 で輸 出 し て しま ふ、 国民 の食 扶 持 迄 出 す ⋮ ⋮ そ こ で
計 画 の為 に 、機 械 を 輸 入す る、 其 の機 械 の代 金 支 払 の為 に国 内 で
欠乏 、 飢饉 が起 つた りな ど しま す の は、 要 す る に外 国 か ら 五 ケ年
い ので あ り ま す 。 ロシ ア は実 に 天産 無 尽 蔵 、 そ れ で尚 ほ且 つ物 資
拾 は う と し な い。 実 にど う も露 西 亜 の資 源 ほど 羨 ま し いも の はな
つて 居 つた ら 競 つて 拾 ふ の であ る が 、昨 年 の秋 は、 転 つて居 ても
遂 ひ 此 の間 迄 な か つた こ と であ る 。第 一転 つて も居 な か つた 、 転
の街 に ぢ や が た ら 芋 が 転 つて 居 つて も拾 はな い、斯 ふ 云 ふ こと は
ぼ れ て道 路 に 転 つて 居 る 、 そ れ を 誰 も拾 ら はう と しな い。 莫 斯 科
で来 る 、 荷 物 自 動 車 でや つさ 々 々 々と持 ち込 ん で来 る 。 そ れ が こ
作 と 云 ふ と 、 何 で も 豊 作 で 、 芋 の 如き も 、方 々 か ら莫 斯 科 へ運 ん
が あ る 。 と こ ろが 、 秋 に な る と 、 ど し 々 々物 資 が殖 え て来 た。 豊
西 亜 の某 地 療 養 所 で 休 養 中 であ る﹂ と 云 ふ の で あり ま した 。 ヲ ロ
行 き の説 を 打 消 し た の であ り ま す 。 ﹁ヲ ロシ ー ロ フ氏 は 欧 羅 巴 露
時 ソヴ エー ト 外 務 省 は 特 に 私 共 を 招 いて 、右 ヲ ロシ ー ロ フ氏極 東
新 聞 紙 上 に ヲ ロシ ー ロ フ氏 は 極 東 に 来 た と 云 ふ 報道 が載 つた 。当
か ら 、 突 然 姿 を 消 し た 。 何 処 へ行 つた か 分 ら な い、 す ると 日本 の
を 切 つた と 云 ふ 説 が あ り ま す 。 ヲ ロシ ー ロ フ氏 が昨 年 の夏 莫 斯 科
極 東 赤 色 軍 の陣 頭 に 立 つ て、 其 の指 揮 に 当 る で あ らう ﹂ と 大 見得
外 な ら ぬ 。 東 支 鉄 道 の権 益 擁 護 の為 め 、 いざ と いふ 時 は拙 者自 ら
色 軍 のあ る のは 何 の為 であ る か 一朝 有 事 の時 に 、 日 本 と 戦 ふ 為 に
ロ シ ー ロ フ氏 は 断 乎 と し て、 之 に 反 対 し た 。 彼 は 閣 議 で ﹁極 東赤
ー ト閣 議 に東 支 鉄 道 を 売 ら う と 云 ふ 問 題 が 出 た 時 、 陸 海 軍 総 長 ヲ
エー ト赤 色 軍幹 部 であ る と 云 ふ 説 が あ り ま す 。 即 ち 昨 年 春 ソヴ エ
の勢 と 申 さ な け れ ば な り ま せ ん 。 殊 に 対 日 強 硬 論 の急 先 鋒 が ソヴ
月 七 日 の革 命 記念 日 の午 前 十時 で あ り ま し た。 ﹁ウ ラ ヂ オ ﹂ の駅
シ ー ロ フ氏 の極 東 行 は事 実 か 、 否 か は 別 と し ま し て 、極 東 に於 け
に 着 き ま す と 、今 観 兵式 が始 ま つたと 云 ふ の で、 交 通 遮 断 、 荷 物
る ソヴ エー ト 国 防方 針 が 、 最 近 急 に 強硬 方 針 と な つた こと は蔽 ふ
やう に 、自 動 車 工業 が出 来 た 、 飛 行 機 工 業 が 出 来 た 、 化 学 工 業 が
を 駅 に 預 け た まゝ 市 中 へ出 た の であ り ま す 。 す ると 金 角 湾 の上 空
加減 す ると 直 ぐ物 資 が出 て来 る。 殊 に豊 作 と 来 た の であ り ま す か
出来 た、 何 処 から 突 かれ ても 、 之 に抵 抗 す る 丈 け の準 備 が 出 来 た 。
に は 五 十台 の 飛行 機 が、 編 隊 を 作 つて飛 ん で ゐ る。 し か も そ の五
ら 、 サ アー 大変 ⋮ ⋮莫 斯 科 ば か り で はな い、 浦 潮 斯 徳 の やう な 極
同時 に他 の 一方 では 、 列 国 と の国 際 関 係 が 、 対 日 関 係 を 除 く 外 、
十台 の 中 の 三 十余 台 ま で が ﹁ソ ヴ エート ﹂ 赤 色 軍 の、 最 も 誇 り と
べか ら ざ る 事 実 で あ り ま す 。
殆 んど 全 局 に 亘 つて、 平 和 親 善 を 促 進 し 、 西 南 隣 接 国 と は 、 不 可
し て 居 る重 爆 撃 機 で 、あ と の十 余 台 が 偵 察 機 であ る 。 陸 上 に は 水
私 が 、 昨 年 秋 ﹁モ スク ワ﹂ か ら ﹁ウ ラ ヂ オ﹂ に来 た のが 恰 度 十 一
侵 条 約 を 締 結 す る、 米 国 と の国 交 を 回 復 す る 、 仏 蘭 西 と の親 交 が
一方 に於 て は 、第 一次 五 ケ年 計 画 の完 成 に依 つて先 程 申 し ま し た
益 々密 接 にな つて来 る。 こ ゝに 於 て、 ソヴ エー ト 政府 が 唯だ 一つ
兵 隊 の外 に、 ﹁タ ン ク﹂ 隊 や 、 機 関 銃 隊 等 の 特 科 隊 が 、 次 ぎ か ら
東 の は て迄 で 、物 資 がど しど し 現 れ て来 た 。
険 悪 状 態 に在 る極 東 方 面 に 対 し て、 力 を 入 れ 出 し て 来 た の は 必 然
面 倒 にな つて は、 ど んな こと にな るか わ か ら ぬ 。 サ アー と 云 ふ 場
私 の顔 を 見 る や 、 ﹁今度 は 死 ぬ 覚 悟 で 来 た 、 日露 の 関係 が 、 こ う
任 さ れ ま した の で、 私 は早 速 総 領 事 を 御 訪 ね し ま し た 。 総 領 事 は
七 日 ﹁ウ ラ ヂ オ﹂ に着 いた の です が 、 そ の翌 日渡 辺 新 総 領 事 が 着
の犠牲 に な る外 な いと 云 ふ やう な 覚 悟 を し て居 る。 私 は 、 十 一月
﹁ウ ラ ヂ オ スト ー ク﹂ に於 け るわ が在 留 民 は、 一朝 事 あ れ ば 事 変
を や つて 居 ると 申 す 外 な いの であ り ま す 。 斯 様 な 次 第 であ ま す か 、
が 攻 め て 来 た な らば 、何 時 で も喧 嘩 は買 ひま せ う ﹂ と 云 ふ身 構 へ
云 ふ 有 様 で 、要 す る に今 日 の ﹁ウ ラヂ オ ﹂ の状 態 は 、 ﹁も し 日 本
艇 の不凍 根 拠 地 を築 いて 居 ると か 、 色 々物 騒な 風 説 を 持 ち 切 り と
入 さ れ て 居 る と か 、 湾 口の ﹁ル ス キ ー ・オ ス ト ロ フ﹂ 島 で、 潜 水
し た 。 そ れ か ら 最 近 ﹁ウ ラ ヂ オ﹂ へ盛 ん に ﹁セ メ ント ﹂ と 鉄 が 輸
次 ぎ と 、 市 中 を ね つて 行 く光 景 、 な かな か素 晴 ら し い勢 であ り ま
ヴ エー ト﹂ 政府 の 対 日 政策 が わづ か 一年 間 に、 親 善 方 針 から 急 に
も 、 こ ゝに あ る の で あ り ま す 。 殊 に 最 近 我 が 一部 要 路 者 間 、 ﹁ソ
民 族 興 亡 史 の実 証 す る と こ ろ で 、 わ が識 者 の最 も 憂 慮 し て ゐ る点
武 力 を 他 国 に 対 し て 用 ひ た く な る 。 こ れ は古 今 東 西を 問 はず 、 各
と 、 疑 を 容 れ ま せ ん 。 而 し て 凡 そ 、 国家 が 強く な ると 、 兎 角 そ の
進 め て行 つた な ら ば 、 ﹁ロ シ ア﹂ は 国 家 と し て非 常 に 強 く な る こ
指 揮 し 、 如 何 な る 犠 牲 も も のと も せ ず に ぐ ん 々 々 此 の計 画を 押 し
一方 無 尽 蔵 の天 産 を 材 料 と し 、 他方 従 順 な る 一億 六千 万 の人 民 を
⋮ ⋮ 強 力 な 権 力 を 把 握 し て ゐ る 共 産 党 及 び ﹁ソヴ エー ト﹂ 政府 が、
の 五 ケ 年 計 画 を いく つも いく つも 繰 返 し 、 進 め て 行 つた な ら ば
を ぐ ん 々 々増 進 す る も ので あ る と 云 ふ こ と を申 し ま し た 。実 際 こ
く 、 容 易 に 安 逸 な 生 活 を ゆ る さ ぬ が 、 し か し 一方 国家 の力 は こ れ
ト ﹂ 政 府 の五 ケ 年 計 画 は 、 そ の実 行 中 は 露 西 亜 国 民 の負 担 が大 き
あ る 日本 に と つて 由 々し い問 題 な のであ り ます 。 私 は ﹁ソヴ エー
問 題 で、 特 に ﹁ソヴ エー ト﹂ 露 西 亜 と 、 ﹁デ リ ケ ー ト﹂ な 関 係 に
々繰 返 し て 行 つた暁 、 国力 の 増進 に つれ て 、消 極 的 国 家 主 義 か ら 、
マ︺
合 は生 命 を 投 げ 出 す 決 心 であ る。 元 来 私 は ﹁ウ ラ ヂオ ﹂ で育 つた
強 硬方 針 に変 つた こ と か ら推 し て、 将来 五 ケ年 計 画 を 幾 つも 々 々
積 極 的 国 家主 義 にう つる か も知 れ ぬ ⋮⋮ と の予 測 を 下す やう な 向
︹マ
⋮ ⋮云 々と て、 悲 壮 の決 心 を 披 瀝 さ れ た の であ り ま す 。
外 交 官 だ 。 ﹁ウ ラ ヂ オ﹂ で死 ぬ な ら 本 懐 の至 り で何 等 遺 憾 は な い﹂
か し此 の ﹁ナ シ ヨ ナ リズ ム﹂ は 極 め て消 極 的 のも ので あ る 。 即 ち
た ゞ こ ゝに 、特 に申 述 べ て おき 度 いこと は、 原 則 論 か ら 申 せ ば 共
き もあ る こと は 決 し て偶 然 と は云 へな い の であ り ま す 。
私 は先 程 ﹁ス タ ー リ ニズ ム﹂ は ﹁ナ シ ヨ ナ リズ ム﹂ に 傾 いた 。 し
い ⋮ ⋮ と 云 ふ 消 極 的 国 家 主 義 であ る 。 け れ ど も 此 の ﹁ソヴ エー
自 国 の領 土 は 誰 にも 譲 ら な いが 、 そ の代 り 他 国 の領 土 も 欲 し く な
べく 、 武 力 戦 に よ る べき で は な いと 云 ふ こ と で あ り ま す 。 元 来
﹁コン ミ ユ ニズ ム﹂ は申 す 迄 も な く 、 経 済 に根 拠 を 置 い て居 る 、
産 主義 者 た る ﹁ボ リ シ エウイ キ ー﹂ と し て は、 当 然 経 済 戦 に よ る
従 つて 原 則的 に申 せ ば 、 彼 等 は資 本 主 義 と の勝 敗 を 決 す るに 当 り 、
ト ﹂ 政 府 の消 極 的 国 家 主 義 は 、 い つ迄 も 消 極 的 で あ らう か 。 或 る
極 的 国 家 主 義 に か は る ので は な いか ⋮ ⋮ と 云 ふ 問 題 が 列 国 当 局者
時 機 が 到 達 し た な ら ば 、 消 極 的 国 家 主 義 か ら 、 更 に 一歩 進 ん で積
間 に起 つ て来 た と いふ こと を 述 べま し た 。 こ れ は ま こと に重 大 な
設 可能 の 原理 も 、 先 づ 露 西 亜 一国 内 に於 て、 立 派 な ﹁ソシ ヤ リ ズ
も の であ る。 ま た ﹁ス タ リ ニズ ム﹂ の ﹁一国 内 ソシ ヤ リ ズ ム﹂ 建
此 の 二 つの経 済 組 織 の優 劣 に 依 つ て、 最 後 の勝 敗 が 決 せ ら る べき
であ る。 即 ち 資 本 主 義 の経 済 が よ いか 、 共 産 主 義 の経 済 が よ いか 、
武 力 に依 る べき でな く 、 当 然 経 済 戦 に 依 つ てこ れ を 決 す べき も の
世 界 の何処 に向 つて攻 勢 を 取 る か 、諸 般 の情 勢 から 推 し て考 へる
に よ り ま す と 、 斯 や う な 時 期 が 来 た 場 合 、 ﹁ソヴ エー ト﹂ 聯 邦 は
云 ふ 説 が お こ つて居 る の であ り ま す 。 而 し て同 論 者 の云 ふ と こ ろ
らば 、 そ れ こ そ資 本 主 義 の白 色 世 界 にと つて の 一大 脅 威 と な る と
エー ト﹂ 聯 邦 が右 の如 き 方 向 に進 ん で行 く やう な こと ゝな つた な
ンタ ー ナ シ ヨナ リズ ム﹂ に立 ち か へる の では な いか 。 万 一 ﹁ソヴ
ヤリ ズ ム﹂、 立 派 な ﹁ 赤 い家 ﹂ を 建 て れば ⋮ ⋮ そ し て そ の ﹁ 赤 い
最も有 効 な宣 伝 であ る﹂ と 演 説 し た 如 く 、 露 西 亜 で立 派 な ﹁ソ シ
んに わ が 国 へや つて来 る。 彼 等 にわ が建 設 を 見 せ て やる こと が 、
亜 か ら 、 漸 次 ﹁シ ベ リ ア﹂、 土 耳 機 斯 坦 、 即 ち 西 か ら 東 の方 に向
か の身 構 へを し て ゐ る 。 第 二 、 国内 建 設 に お いても 、 欧 羅 巴露 西
締 結 し 、 平 和 の保 証 を確 立 し 、 以 て東 の 一方 に対 し て攻 勢 を と る
し て は 飽迄 平 和 政策 を 取り 、ま た 西南 隣 接 国と 悉 く 不 可侵 条 約 を
︹マ マ︺
ム﹂ を 建 設す る、 さ す れば 、 こち ら か ら 手 を 出 さ な く ても 、 隣 り
一、 ﹁ソヴ エ ー ト﹂ 政 府 は そ の国 際 政策 に 於 て、 西南 両 方 面 に対
と どう も東 に向 つて 来 さう に見 へると 云 ふ の であ り ま す 。 即 ち 第
家﹂ が 実 際 よ い建物 であ るな らば 、 こち ら か ら 強 ひな く ても 、 隣
﹁ト ル ク シ ブ﹂ 鉄 道 が 敷 か れ 、 ﹁ウ ラ ル﹂ の鉄 と ﹁ク ズ バ ツ ス﹂
つ て 動 き つゝあ る 、 第 一次 五 ケ年 計 画 の 重 要 な る 事 業 と し て、
︹マ マ︺
等は外 国 人 へ人を 派 遣 し て宣 伝 す る必 要 を 認 め な い。 外 国 か ら 盛
の 国 々 は こ れ に做 ふ やう にな る。 嘗 て ﹁ス ター リ ン﹂ が ﹁も う 我
り の も のは 、 競 う て 之 に做 ふ であ らう 。 さす れ ば 、 武 力 を 以 て世
で あ り ま す 。 併 し な が ら 、世 の中 の こと は、 と か く 原 則 通 り に ゆ
れ た 。 も う 一つ露 西 亜 の建 設事 業 中 注 目 す べき こと は 、電 化 事 業
の石 炭 を 結 び つけ た 新 ら し い石 炭 及 び 鉄 鉱 工業 の根 拠 地 が建 設 さ
︹マ マ︺
界 赤 化 を や る 必 要 は な く な る ⋮⋮ と 云 ふと こ ろ に立 脚 し て ゐ る の
か ぬ 。 ﹁セ オ リ ー﹂ と ﹁プ ラ ク チ ー ス﹂ は 往 々 相 背 馳 す る も の で
エプ ル﹂ の発 電 所 であ る 。 是 は 五 十 何 万 ﹁キ ロ ワ ツト﹂ の 大 発電
所 で、 第 一次 五ケ 年 計 画 の事 業 中 最 も 大 き な事 業 であ りま す 。米
であ り ま す が 、 第 一次 五 ケ 年 計 画 の電化 事 業 は 、主 と し て ﹁ド ニ
国 の ﹁クー パー ﹂ と 云 ふ 有 名 な 水 力 電 気 の権 威 者を 招 いて 、 やり
あ る 。 ま た 実 際 ﹁ソヴ エー ト﹂ 聯 邦 が 軍備 充 実 し て、 飛 行 機 が 出
は 已 に 仏 国 に 次 いで 世 界第 二 位を 占 む る に 至 つた ⋮⋮ そ こ で、 原
来 る 、 自 動 車 が 出 来 る 、毒 瓦 斯 が 出 来 る 、 飛行 機 で は ﹁ロ シ ア﹂
則 は 経 済 戦 で 決 す る と 云 ふ こ と に な つて ゐ ても 、 いざ 決 戦 と 云 ふ
五 ケ年 計 画 の電 化 事 業 中 の最 大 な る は ﹁ヲ ルガ ﹂ 河 の電化 計 画 で
ま し た も の で、 一昨 年 竣 工 を 告 げ た ので あ り ま す 。 而 し て 第二 次
あ り ま す 。 ﹁ド ニエプ ル﹂ 発 電 所 の建 設 に当 つた 技 師 や労 働 者 は
実 際 に 直 面 す る と 、 矢 張 り そ の武 器 を 用 ひ 、武 力 に依 つて世 界 赤
悉 く ﹁ヲ ル ガ﹂ 河 に移 さ れ 、 目 下 盛 ん に そ の設 計 準 備 を 急 いで 居
化 を やり 度 く な る と 云 ふ こ と に な る 。 さう す ると 結局 ﹁ス タ リ ニ
ナリ ズ ム﹂ に 進 み 、 更 に そ れ が 一歩 進 ん で 、 ま た 再び も と の ﹁ イ
ズ ム﹂ の消 極 的 ﹁ナ シ ヨナ リ ズ ム﹂ は 、 い つか は積 極 的 ﹁ナ シ ヨ
の各 工 場 悉 く そ の最 大 能 率 を 出 し て 、ど し 々 々 ﹁ト ラ ク タ ー﹂ を
グ ラー ド ﹂ ﹁ハリ コ フ﹂、 ﹁レ ニ ング ラ ー ド﹂ ﹁チ エリ ヤビ ン ス ク﹂
製 作 し あ の広 い聯 邦 の全 土 に 亘 つて 、活 躍 す る ⋮ ⋮ そ の時 が 丁 度
﹁ア ンガ ラ﹂ 発 電所 計 画を 中心 と す るも の、 但 し ﹁ア ン ガ ラ﹂ 発 電 所 計 画 は まだ 発表 さ れ てあ り ま せ ぬ。 け れ ど も ﹁ソヴ エー ト ﹂
こ の第 三 次 計 画 の終 り 頃だ と 云 ふ こ と にな つて居 る の であ り ま す 。
る ので あ り ま す 。次 いで第 三次 五 ケ年 計 画 の電 気 事 業 は 主 と し て
当 局 者 の豪 語 す る 所 に 依 り ま す と 、 ﹁ド ニ エプ ル﹂ 及 び、 ﹁ヲ ル
露 関 係 の危機 の 切迫 す る は 一九 四 二年 で は な い かと 云 ふ やう な 説
ここ に お いて 神 経 過敏 な 人 達 の 間 に は、 一九 四 二年 頃 が 即 ち 露 西
さ へ起 つて来 た わ け で あり ます 。 併 し ﹁ソ ヴ エー ト﹂ 政 府 が 五 ケ
ガ﹂ の 両 発電 所 の建 設 に依 つて得 た 経 験 を 基 礎 と し て、 更 に 此 の
源と す る ﹁ア ン ガ ラ﹂ 河 の水 力 を 利 用 す るも の で、 同 河 は 水 量 年
年 計 画 の成功 に 心傲 つて 、消 極 的 国家 主 義 から 積 極 的 国 家 主 義 に、
て 一九 三 六年 が 、 対米 関係 の危 機 到 来 す る時 であ ると す れ ば 、 対
中変 らず 、 か つ非 常 の急 流 で、 冬 にな つ ても 、 凍 ら な い。 ま こ と
更 に ま た 国 際赤 化 政策 に進 むと 云 ふ やう な こと は、 私 は 敢 て信 じ
亜 が 、 消 極 的 国 家主 義 か ら積 極 的 国家 主 義 に移 る時 であ る。 而 し
に水 力 電 気 に はも つて来 い の河 であ る。 而 し て ﹁ア ンガ ラ﹂ 河 発
や う と は 思 ひ ま せ ぬ が 、 し か し万 一左 様 な 事 態 と な つた と し た な
二 大 発 電 所 より も、 も つと よ り 大 規 模 な 発 電 所 を 建 設 す る 計 画 だ
電所 の完 成 が 中 部 西 伯 利 及 び 蒙 古 方 面 の工 業 発 展 に 対 し て 如 何 に
ら ば 、 結 局ど う な る か 、若 し ﹁ソ ヴ エー ト﹂ 聯 邦 の新 ら し い ﹁イ
と のこ と であ り ま す 。 ﹁ア ン ガ ラ﹂ 発 電所 は ﹁バイ カ ル﹂ 湖 を 水
﹁ソヴ エート ﹂ 政 府 は 革 命 の当 初 来 十 六 年 余 り 平 和 政 策 の 一枚 看
甚 大 の意 義 を も つか は、 今 か ら 想 像 に 余 り あ る の で あ り ま す 。
ンタ ー ナ シ ヨナ リズ ム﹂ が、 世 界 の 一角 に ぶ つか つ て来 る。 し か
の﹂ と す れ ば 、 そ の 結 果 、 ﹁ソヴ エー ト﹂ 聯 邦 は 日本 、 若 く は 英
も そ の鉾 先 が ﹁ 中 央 亜 細 亜 を 根 拠 と し て東 の方 に向 い て来 る も
吉 利 に ぶ つか る事 にな る。 そ し て 日本 若 し く は 英 国 と 衝 突 し た 結
て、 積 極 的 国 家 主 義 にか は る と 云 ふ やう な こ と が あ る と す れ ば 、 そ れ は恐 らく 第 三次 五 ケ年 計 画 が 終 つた 頃 で あ ら う 。 而 し て そ の
果 、 一敗 地 にま みれ た な ら ば 、 折 角 建 設 し た ﹁一国 内 の ソシ ヤ リ
板 で押 通 し て来 ま し た が 、 他 日も し こ の平 和 政 策 を か な ぐ り 捨 て
積 極 的 国 家 主 義 の攻 撃 正 面 は 東 方 であ ら う ⋮ ⋮ と 云 ふ や う な 説 の
ズ ム﹂ も亦 瓦 解 す る こと にな つ て来 る訳 であ り ま し て、 私 は さ や
う な ことゝ な れ ば 、 わ が 日本 にと つて、 非 常 に 厄 介 な 事 態 と な る
る ゝの であ り ま す 。 第 三次 五 ケ年 計 画 の終 る のは 、 一九 四 二 年 で あ り ま す が 、 そ の 頃
ば かり で な く 、 ま た 同時 に 、 ﹁ソヴ エー ト﹂ 聯 邦 にと つても 、 不
有 力 に伝 へら れ て ゐる のは 、 即 ち 前 記 の事 由 に よ る も の と 考 へら
第 一露 西 亜 の人 口が 二億 万 人 に 達 す る 。 第 二 ﹁ア ンガ ラ﹂ 河 の発
測 の窮 地 に陥 る やう な こと にな ら ぬ と も 限 ら な いと 思 ふ ので あ り
一昨 々 年 頃 の こと で あ つた と 思 ふ の で す が 、 ﹁ソヴ エ ー ト﹂ 政 府
ます。
電 所 が 出 来 上 る 。 第 三化 学 工場 で 製 造 さ れ る 人 造 肥 料 が 殆 んど ﹁ソヴ エー ト ﹂ 全 聯 邦 の ﹁ソウ ホ ー ズ﹂ 及 び ﹁コル ホ ーズ ﹂ の農 場 に配 給 さ れ る 。 同 時 に第 四 ﹁ト ラ ク タ ー﹂ 工 場 が 、 ﹁ス タ リ ン
ズ ﹂ が出 来 た ⋮ ⋮け れど も 余 り に ﹁コルホ ー ズ ﹂ 運 動 を やり 過 ぎ
無 理 押 し に 、 押 し て 見 た 、 そ の結 果 予 想 以 上 多 数 の ﹁コ ル ホ ー
農 村 に 派 遣 さ れ、 非 常 な 辣 腕 を ふ る つて 、 ﹁コ ル ホ ーズ ﹂ 運動 を
は ﹁コル ホー ズ ﹂ 運 動 の強 制 励 行 を や つた 、 共 産 党 員 が 全 聯 邦 の
ソヴ エー ト官 憲 が 、 彼 等 か ら 見 て 、資 本 主 義 、 帝 国主 義 の新 聞 記
か ら ヘ ンな 目 を も つて 見 ら れ る こと であ り ます 。
さ れ 、 し か も 日 本 へ帰 りま す と ﹁ 赤 くな つて来 た﹂ と て、 各 方 面
本 主 義 の手 先 ﹂ ﹁ 帝 国 主 義 の廻 は し 者﹂ と し て、 一挙 一動 を 警 戒
験 し ま し た こと は ﹁ 赤 い ロシ ア﹂ へ行 く 度 毎 に、 先 方 か ら は ﹁資
のこ と 、 殊 に 、 私 の 一九 二 〇 年 の 入 露 は 西 伯利 出 兵真 際 中 の こ と
者 と し か 考 へら れ な い私 に 対 し て 、 警戒 の 眼を み は る の は、 当 然
た ゝめ 他 の 一方 農 民 殊 に ﹁ク ラ ー ク﹂ ( 富 農) の反 対 運 動 に ぶ つ か り 、 ﹁ソヴ エー ト﹂ 政 府 の農 村 政 策 は 一時 非 常 な 危 機 に 瀕 し た
而 し て 今 、 私 は こ の ﹁スタ ー リ ン﹂ の ﹁モ ツト ー﹂ を 以 て 逆 に
な﹂ と 云 ふ有 名 な ﹁モ ツト ー﹂ を 発 し大 いに全 党 員 を 戒 めま し た 。
単 騎 侵 入 す る こと は 、 ま こ と に 無 敵 法 極 ま る 冒 険 で 、 運 が わ る け
無 条 約 国 、 主 義 制 度 を 異 に す る 国 、 否 な 交 戦 中 の敵 国 に 向 つて 、
終 始 監 視 の目 が 光 つ てゐ た こと を 申 す ま で も あ り ま せ ん 。実 際 、
で、 いは ゞ敵 国 に 侵 入 し た わ け で あ り ま す か ら 、 私 の身 辺 に対 し、
︹マ マ︺
こ と が あ る。 そ の 時 、 ﹁スタ ー リ ン﹂ は ﹁成 功 に 酔 ふ て 眩 暈 す る
﹁スタ ー リ ン﹂ 始 め ﹁ソヴ エー ト﹂ 政治 家 を 戒 め た いと 思ふ 。 彼
し て いふ 、 私 は ﹁スタ ー リ ン﹂ の言 葉 を 以 つて ﹁スタ ー リ ン﹂ 初
却 つ て ﹁ソヴ エー ト ﹂ 聯 邦 を 危 地 に 陥 れ る も の で あ る。 私 は 繰 返
険 な る 極 東 方 面 に選 ぶ と 云 ふ やう な こ とゝ な つた な らば 、 そ れ は
に進 み 、 殊 に そ の攻 撃 正 面 を ﹁ソヴ エー ト﹂ 聯 邦 にと つて最 も 危
積 極 的 国 家 主 義 に 移 り 、 再 び 赤色 ﹁イ ン タ ー ナ シ ヨナ ル﹂ の運 動
ねま し たが 、 あ る 日停 車 場 のプ ラ ツト ホ ー ムに 立 つ て ゐま す と 、
九 二 四年 の入 露 の機 会 に、 私 は 久 し 振 り で レー ニング ラー ド を 訪
偵 だ と 云 ふ やう な 猜 疑 の目 を も つ て見 ら れ る こと で あ り ま す 。 一
ロシ ア﹂ に侵 入 し ま す と 、 先 方 か ら 新 聞 記 者 は 看 板 で 実 は 軍事 探
に私 の最 も 痛 切 に体 験 し ま し た こと は 、 無 理 を 押 し 切 つて ﹁赤 い
れば 、 大 庭柯 公 氏 の轍 を 踏 む や う な こ と に な る ので あ り ま す 。 殊
︹マ マ ︺
等 は 五 ケ 年 計 画 の成 功 に酔 ふ て眩 暈 し、 そ の消 極 的 国 家 主 義 か ら 、
め ﹁ク レ ムリ ン﹂ の政 治 家 を 戒 め た い ﹁諸 子 は 五 ケ年 計 画 の成 功
最 後 に、 私 一個 に関 す る こと では あ り ま す が 、 こ の機 会 に お いて 、
私 は ﹁何故 ホ ル コー ヴ ニ ツク ( 大 佐 ) と 呼 ぶ の か﹂ と 詰 問 し ま し
で す が 、内 々 ソヴ エー ト側 の密 偵 を つと め て ゐた 男 であ り ま す 。
人某 氏 であ り ます 。 同氏 は本 職 は エスト ニア の新 聞 記 者 であ る の
け る も の があ る の で、 振 り か へ つて見 ま す と 、 旧 知 の エ スト ニア
皆 様 の お耳 に入 れ 、 御 諒 解 を 得 てお き 度 いと 思 ふ こと が あ り ま す 。
た と こ ろ 、彼 は ﹁ あ な た は ゲ ー ・ペ ー ・ウ ー の ブ ラ ツ ク ・リ スト
後 ろ か ら ﹁ホ ル コー ヴ ニ ツ ク ・フー セ ー﹂ ( 布 施 大 佐 ) と呼 び か
そ れ は、 ロ シ ア の如 き ﹁色 ﹂ の つ いた 国 を 対 手 と す る 新 聞 記 者 の
に酔 ふ て眩 暈 し ては な ら ぬ ﹂と 。 之 れ を 以 て 、 本 日 の お 話 の 結論
立 場 が、 如 何 に苦 し いも の であ る か と 云 ふ こと であ り ま す 。 革 命
に ﹃日 本 陸 軍 騎兵 大 佐﹄ と 載 つて 居り ま す よ ﹂ と 笑 ひ乍 ら 答 へた
と 致 し た いと 思 ひま す 。
後 の ロシ ア は、 私 は前 後 六 度 参 つ て居 り ま す 。 そ の間 、 具 さ に 体
国 か ら の帰 朝 者 ﹂ と し て諸 方 面 か ら 注 意 人 物 扱 ひ さ れ る ので あ り
か れ る の であ り ま す が 、 一度 日本 に 帰 つて 来 る と 、 今 度 は ﹁赤 い
を 監 視 さ れ 、 い つ何 時 ど ん な 目 に あ ふ か さ へは か ら れ ぬ 危 地 に 置
か く の如 く 、 赤 露 に あ つて は 、 軍 事 探 偵 の嫌 疑 の下 に 、 一挙 一動
の であ り ま す 。
す が 、 勿 論 そ れ は従 来 通 り新 聞社 の命 令 に より 、新 聞 記 者 と し て
二 九 及 び 一九 三 二年 の 四度 に わ たり 、 ロシ アを 訪 ね た の であ り ま
激 励 さ れ た の で あり ま す。 そ の後 私 は 一九 二 四 、 一九 二 五、 一九
た 時 は 、 僕 が 君 の保 証 人 に な つて や らう ﹂ と 云 は れ、 大 い に私 を
大 将 は ﹁な る ほ ど そ の 苦衷 は お察 しす る。 将来 そ んな 誤 解 を 受 け
で 困 り ま す﹂ と て前 述 の如 き 苦 衷 を 述 べ た の であ り ま す 。 す ると
のみ に 止 ま ら ず 、 ま さ に そ の正確 な る報 道 、 正当 な る 理解 に よ つ
特 派 さ れ た の で あ り ま し て 、 他 に何 等 特 別 の使 命 を 帯 び たも の で
て 、 対 手 国 に 対 す る 政 策 を 是 正 す る ぐ ら ゐ の抱 負 を も つて起 た ね
ます。
心 か ら 喜 び と 謝 意 を 表 さ れ 、 特 に 部 員 と と も に 一席 歓 迎 の宴 を 設
大 正 九 年 ﹁赤 露 入 り ﹂ の冒 険 旅 行 を 終 り 、 日 本 に 帰 つて 来 ま し た
け ら れ た の であ り ま す 。 開 宴 前 、 私 は 簡 単 な 赤 露 視 察 談 を 講 演 致
は な ら ぬ と 信 ず る も ので あ り ま し て 、毎 度 の訪 露 に当 り 、私 は常
は な か つた の で あり ま す が 、 然 し 私 は ロシ ア の如 き 特 殊 な 国 に派
し ま し た が 、 そ の席 には 上 原 参 謀 総 長 も 列 席 さ れ 、 中 々突 つ込 ん
に 右 の如 き 信 念 を も つて 、 そ の新 聞 記者 と し て の 職責 の遂 行 に当
遣 さ れ た 場 合 、 新 聞 記 者 の 使命 そ の も の が 、単 に ニ ユー ス の報 道
だ 質 問 を さ れ た こと は 、 今 な ほ 私 の記 憶 に 残 つて 居 る ので あ り ま
つた ので あ り ま す 。 而 し て 、 従 来 七 回 に わ た る訪 露 に当 り 、 そ の
ワ特 電 に よ つ て、 始 め て ﹁赤 露 ﹂ の真 相 を 窺 ふ こ と を 得 た と て 、
す。
いこ と は 、 前 述 の通 り で あ り ま し て 、 こ の点 私 の 心 ひ そ か に聊 か
対 露 観 測 に お いて 、 未 だ 曾 て 一度 も 、 見当 をあ や ま つた こと の な
時 、 当 時 の参 謀 次 長 福 田大 将 は 、 私 の大 毎 、 東 日 に 寄 せ た モ スク
﹁日露 関 係 は 、 た と ひ西 伯 利 派 遣 軍 を 撤 し ても 、 国 交 回 復 は な か
そ の後 、 私 は 二、 三 度 福 田 大 将 に お 目 に かゝ り ま し た が 、 大 将 は
つゞき 、 ロシ ア へ入 つて、 ソヴ エー ト 政 情 の研 究 に 当 る こと は 、
つて君 の やう な 新 聞 記 者 が 、 自 由 な 立 場 を 利 用 し て、 今 後 も 引 き
り ま す 。 そ の頃 、 も う 少 し で 、福 田 大 将 に 保 証方 を お 願 ひ し やう
つた ら し い﹂ と 云 ふ や う な こ と を 、 参謀 本 部 へ報 告 さ れ た の で あ
駐 在 武 官 本 庄 将 軍 が ﹁布 施 は カ ラ ハ ンと 仲 が よ い。ど う も赤 く な
が 少 く な い ので あ り ま す 。 た と へば 、 私 が 北京 に ゐ た 頃 、当 時 の
﹁赤 い ロシ ア﹂ へ出 入 し た た め 、 一方 で は 色 々 誤 解を 受 け た こ と
啻 に新 聞 界 のた め の みな ら ず 、 実 に邦 家 のた め に 貢 献 す る と こ ろ
得 意 と し て ゐ る と こ ろ であ り ま す 、 然 し 、 か く の如 く 頻 繁 に 、
甚 大 であ ら う ﹂ と 申 さ れ た の で、 私 は ﹁新 聞 社 か ら 命 令 が あ れ ば
であ つた こ と が 判 明 し 、 大 将 を 煩 は さ ず に 済 ん だ の で あ り ま す 。
か と 思 つた ほ ど で あ つた ので す が 、 幸 に し て 右 の報告 が 全 く 誤 解
々 々容 易 な こと でな く 、 且 つ ﹁赤 い国 ﹂ 対 手 のこ と で あ る か ら 、
い つでも 出 か け る つも り です が 、 一つ困 る のは 、 あ ま り 度 々、 赤
軍服 を 着 た も のが 、 ロ シ アに 入 る こと は 、 当 分 不 可 能 と 思 ふ 。 従
い国 に入 ると 、 日本 へ帰 つ て来 て ﹁あ い つは 赤 だ ﹂ と 云 は れ る の
満 洲 国 にと つて 、 最 も重 大 な る国 際 問 題 は、 対 露 関 係 であ る 。
のこ と 、 東京 か ら帰 阪 した ば かり の本 山 氏 は、 私 を 自 邸 に招 か れ
ま こ と に 寂寞 の感 に 堪 え な いの であ りま す 。今 日各 位 の御 招 待 に
大 将 逝 き 、 次 いで 本 山 氏 の訃 報 に接 し 、 私 は 二 人 の知 己 を 失 ひ、
とゝ な つた ので あ り ま す 。 然 る にあ ち ら へ行 つて ゐ る 間 に、 福 田
であ つ た の で、﹁一 ケ 年 以 内﹂ と 云 ふ 期 限 付 き で 、 出 か け る こ
ては あ ま り す ゝま な か つた のです が 、大 恩 人 の本 山 氏 か ら の勧 説
一度 ソヴ エー ト対 策 をあ や まら ん か、 満 洲 国 の存 在 を 危 ふ く し 、
よ り 、 今 回 視 察 の結 果 並 び に 既往 体 験 の 一端 を 御 報 告 申 上 げ る機
云 々と て、 く り か へし 懇 切 に 勧 め ら れま し た の で 、自 分 一個 と し
わ が 対 満 政策 を根 本 か ら覆 へす に 至 る かも 知 れ ぬ。 こ の事 に 就
会 を 得 ま し た こ と は 、 光 栄 且 つ幸 せ とす る と こ ろ であ り ま し て、
私 が 一昨 年末 六 度 目 の赤 露 入り を 試 みま し た のは 、 前 の大 毎 社 長
いて は 、東 京 で 軍部 及び 外 務 の要 路 者 と も 懇 談 し 、 右 の結 論 に
故 本 山 氏 の切 な る勧 説 に 因 つたも の であ り ま す 。 一昨 年 夏 あ る 日
到 達 し た わ け であ る 。 つ いて は御 苦 労 だ が 、 君 はも う 一度 ロ シ
将 来 と も 御 指 導 御 鞭撻 を 切 望 す る次 第 であ りま す 。 ︹ 註︺ タイプ印書。
ア へ行 つて も ら ひ度 い。 そ し て ロシ ア か ら帰 つた 上 で満 洲 国 へ
如 実 ニ示 ス モノ ナ リ 。
竟 軍 縮 ノ目 的 又 ハ理 想 ナ ル モ ノ ハ 一ノ空 想 ニ過 ギ ザ リ シ コト ヲ
( 海軍大将 ・末次信正、昭和九年六月八日)
海 軍 大 将 末 次 信 正
軍 縮 対 策 私 見
行 つた な らば 、色 々得 ると こ ろ があ ら う と 思 ふ⋮ ⋮
一 五
軍 縮対 策 私見 一、 軍 縮 ノ実 績
低 比 率 国 ヲシ テ全 然 守勢 ニ立 ツノ外 ナ ク 、攻 守 ノ自 由 ハ総 テ高
ハ軍 備 上 国 情 ニ応 ジ テ当 然 必 要 ト ス ル自 由 裁 量 ノ余 地 ヲ奪 ヒ、
比 率 国 ニ委 セ シ ム ル コト ト ナ リ 、 此 ノ条 約 ノ存 在 ス ル限 リ我 国
第 一ニ国 防 安 固 ノ点 ヲ顧 ル ニ、艦 型並 ニ比率 ヲ拘 束 ス ル現 条 約
ノ目 的 ト シ テ 、) ( 一国防 ノ安 固、 ( 二) 国民 負 担 ノ軽 減 、 (三) 世界恒久
ラズ 。 倫敦 会 議 ノ 際 、全 権 ニ与 ヘラ レ タ ル訓 令 ノ冒 頭 ニ、 軍 縮
平 和 ノ 確立 ノ 三 ケ条 ヲ掲 ゲ ア リ。 然 ル ニ是 等 ノ目 的 ハ不 幸 ニシ
防 ハ永 久 ニ不 安 ヲ免 レ ザ ル ベ シ。 斯 ル条 約 ハ 一日 モ速 ニ之 ヲ廃
軍 縮 対 策 ハ現存 条 約ニ 対 ス ル正 確 ナ ル認 識 ヨ リ出 発 セザ ル ベ カ
テ実 現 セ ザ ル ノ ミ ナ ラズ 皮 肉 ニモ 一々裏 切 ラ レ ツ ツ ア リ。 是 畢
国 民 負 担 ノ軽 減 ハ既 ニ国 防 ノ不 安 ヲ感 ズ ル 限 到 底 之 ヲ期待 シ 得
棄 シ独 立 国 家 ト シ テ ノ国 防 自 主 権 ヲ恢 復 セ ザ ル ベ カ ラズ 。次 ニ
シ テ 極東 ニ偏在 シ 、 国防 上極 メ テ有 利 ノ位 置 ヲ占 ム ル我 独 特 ノ
スル コト無 キ確 信 ア ル コト ヲ理 解 セ シ メザ ル ベ カ ラズ 。 而 シ テ
率 高 キ 軍備 ヲ以 テ有 効 ナ ル国 防 ヲ按 画 シ、 断 ジ テ競 争 ノ弊 ニ堕
地 形 ト 国情 ト ニ鑑 ル ト キ ハ決 シ テ其 ノ策 ナキ ニア ラズ 。 既 ニ中
之 ガ 具体 策 ハ軽 々 ニ発 表 ヲ許 サ ザ ル ベ キ モ、 欧 米 ノ雄 国 ト 懸 隔
央 ニ於 テ モ条 約 不成 立 ノ 場合 如 何 ナ ル自 主 的 軍備 ニ出 ツベ キ カ
ベ ク モ ア ラズ 。 現 ニ軍 備 ハ制 限 外 艦 艇 並 ニ航 空 機 ノ 拡 張 ヲ余 儀
ニシ テ何 ノ負 担 軽 減 ゾ 。
ナ ク サ レ、 勢 ノ趨 ク処 底 止 ス ル所 ヲ知 ラザ ラ ント ス。 此 ノ 如 ク
軍 縮 ニ依 ル恒 久 平 和 ノ確 立 ノ如 キ 痴 人 ノ迷 夢 ニ過 ギ ザ ル ハ、 国
ニ付 相当 研 究 ヲ累 ネ 居 ラ ル ル コト ト信 ズ 。
束 無 キ 自 由 軍 備 ヲ認 ム ル案 。
(七) 言 論 ヲ取 締 リ 徹 底 的 ニ之 ヲ管 制 スベ シ 。
害 アリ テ 一利 無 シ 。
(六) 全 権 ニ与 フ ル訓 令 ハ明 白 一点 ノ疑 義 ナ カ ラ シ ム ベ シ 。 接 衝 ノ余 地 ヲ与 ヘンガ 為 メ、 我 求 ム ル 処 ヲ曖 昧 ニ スル ハ百
接 衝 ノ基 準 タ ラシ ム ベ シ 。
ノ国 策 ト シ 、 之 ニ依 リ テ 内 国 論 ヲ指 導 シ テ 結束 ヲ固 ウ シ 、外
(五) 軍 縮 対 策 ハ 一日 モ速 ニ之 ヲ決 定 シ 、勅 裁 ヲ仰 ギ テ確 乎 不動
(四) 曩 ニ寿 府 会 議 ニ提 出 セ ル 永 野提 案 ハ、 此 ノ際 速 ニ之 ガ撤 回 ヲ通 告 ス。
極 メ テ困 難 ト ナ リ 、 噬 臍 モ及 バ ザ ル ベ シ 。
万 一此 ノ 時 機 ヲ逸 スル ト キ ハ、 爾 後 ノ接 衝 ニ於 テ意 志 表 示
(三) 華府 条 約 廃棄 ヲ本 年 中 ニ通告 ス。
︹マ マ︺
(二) 次善 ノ策 ト シ テ ハ左 記 軍 縮案 ノ成 立 ヲ期 ス。 各 国 共 通 ノ最 高 限 度 ヲ定 メ、其 ノ範 囲 ニ於 テ艦 型 比 率 ノ拘
( ) 一 現存 条 約 ハ之 ヲ廃 棄 シ無 条 約 無 拘 束 ヲ 最 上 ト ス。
三 、 軍 縮 対 策 要旨
際 情 勢 ノ現 状 ガ 最 雄 弁 ニ立 証 ス ル所 、 今 更 贅 言 ノ要 ナ カ ラ ン。 斯 ク矛 盾 撞 着 ニ充 チ国 防 ノ安 固 ヲ保 障 シ 得 ザ ル現 条 約 ハ速 ニ之 ヲ廃 棄 シ テ不 当 ノ覊 絆 ヲ脱 シ 、 更 始 一新 ノ国 策 ト 呼 応 シ テ 独 立 国 本 来 ノ面 目 タ ル自 主 的 国 防 ニ復 帰 セ ザ ル ベカ ラズ 。 来 ル ベキ 軍 縮 会 議 ハ正 ニ其 ノ好 機 ナリ 。 尚 現 条 約 ノ帝 国 ニ及 ボ セ ル害 毒 ノ如 何 ニ深 刻 惨 烈 ナ リ シ カ ハ、 海 軍 ノ不 統 制 、 国 論 ノ分 裂 、 五 ・ 一五 事 件 、 友 鶴 事 件 ニ依 リ 一 見 明 瞭 ナ リ。
条 約 ヲ廃 棄 セ バ直 ニ英 米 ト ノ建 艦 競 争 ヲ惹 起 ス ベク 国 民 ハ到 底
二、 自 由 軍 備 ノ検 討
其 ノ負 担 ニ堪 ヘザ ル ベ シト 憂 慮 ス ル モ ノ アリ 。 惟 フ ニ此 ノ種 ノ 杞 憂 ハ現 条 約 ノ慣 習 ニ由 来 ス ル ガ如 シ。 条 約 ノ規 定 ニ依 リ 艦 型 ヲ縛 リ更 ニ低 比 率 ノ拘 束 ヲ受 ク ル我 国 ト シ テ ハ、 否 応 ナ シ ニ条 約 全 量 ヲ建 造 セザ ル ヲ得 ズ 、 夫 ニテ モ尚 不 安 ヲ感 ズ ル故 ニ、 制 限 外 ニ迄 及 ボ シ ツ ツア ル現 状 ヲ 目撃 セ ル部 外 者 ガ 条 約 ノ廃 棄 即 建 艦 競 争 ト即 断 ス ル ハ 一応 無 理 カ ラ ヌ コト ナ リ。 右 ノ誤 認 識 ヲ是 正 ス ル ハ海 軍 目 下 ノ最 大 急 務 ナリ 。 之 ニ対 シ テ ハ、 艦 型 比 率 ノ拘 束 ヲ脱 却 ス レ バ我 特 殊 ノ国 情 ニ適 応 ス ル最 能
聞 ク 、 平等 権 ヲ確 保 シ得 バ、 自 発 的 ニ向 フ何 年 間 低 比 率 ヲ守 ル
ル モ、 兵力 量 ハ約 八割 程 度 ニ協 定 セ ン ト ス ル ノ 一案 ア リト 。 又
仄 聞 スル ト コ ロ ニ依 レ バ 、 軍備 権 平 等 ノ原 則 ハ之 ガ成 立 ヲ期 ス
ハ、 西 太 平洋 ノ海権 ヲ掌握 スル我 海 軍 ノ儼 然 タ ル実 力 ニ恃 ミ タ
屈 セ ズ 米 国 ノ恫 喝 ヲ退 ケ テ 陸 軍 ヲシ テ後 顧 ノ憂 ナ カ ラ シ メ タ ル
シ メタ ル ハ主 ト シ テ 陸 軍 ノ功 績努 力 ニ帰 スル モ、 聯 盟 ノ抗 議 ニ
問 題 ニ対 シ 一層 真 剣 ナ ラ ザ ル ベ カ ラ ザ ル ハ言 ヲ俟 タズ 。
レバ ナ リ 。 此 ノ海 軍 力 ノ消 長 ニ関 スル 軍縮 問題 ガ満 洲 問 題ト 表
ズ 、 勢 ヒ幾 分 タ リ ト モ比 率 ヲ儲 ケ ント ス ル縁 日 商 人 的 懸 引 ニ堕
世 上或 ハ現状 維 持 ヲ以 テ平 和 維 持 ノ唯 一ノ手 段 ナ リト 信 ズ ル モ
ノ声 明 ヲ為 ス ノ案 ア リ ト。 若 シ果 シ テ然 リト セ バ是 レ平 等 ノ仮
シ、 其 ノ見 苦 シ ク且 惨 メ ナ ル コト 到 底睹 ル ニ忍 ビ ザ ル モ ノ アル
ノ ア リ。 惟 フ ニ現状 維 持 ハ現 ニ有 利 ノ位 置 ヲ占 ム ル英 米 ノ如 キ
面 ヲ被 リ テ低 比 率 ヲ甘 受 セ ント ス ル モ ノ ニシ テ、 倫 敦 会 議 ノ二
ベ シ。
既成 大 国 ノ常 套 語 ニシ テ、 新 進 気 鋭 ノ帝 国 ニ於 テ之 ヲ鵜 呑 ニシ 、
ニ之 ト 不 可 分 ナ ル ノ ミ ナ ラズ 、国 防 上 更 ニ直 接 且 深 刻 ナ ル軍 縮
其 ノ他 右 ニ類 似 ノ腹 案 ヲ以 テ多 少 譲 歩 スル モ是 非会 議 ヲ纏 メン
彼 等 ノ拡 声 器 タ ルガ 如 キ ハ事 態 ヲ解 セザ ル ノ甚 シ キ モ ノナ リ 。
裏 因 果 不 可 分 ノ モノ タ ル ハ何 人 モ容 易 ニ首 肯 シ得 ルト コ ロナ ル ︹ 賭︺ ベ シ 。 果 シ テ然 ラ バ満 洲問 題 ニ国 運 ヲ堵 シ タ ル我 国 ト シ テ、 啻
ト ノ肚 ニテ臨 ムト キ ハ、 容 易 ニ我 ガ 肚 裏 ヲ観 破 サ レ 、 必然 倫 敦
万 一次 ノ 軍縮 会 議 ニ於 テ退 嬰 的 態 度 ニ出 デ 倫 敦 会 議 ノ失 態 ヲ繰
ノ舞 ニ終 ル ベキ ハ予見 ニ難 カ ラズ 。 最 善 ノ場 合 或 ハ平 等 ノ虚 名
会 議 ノ醜 態 ヲ繰 返 シ テ軍 民 ノ憤 激 ヲ買 ヒ、 延 テ五 ・ 一五事 件 以
ヲ獲 ル コト ア ラ ン モ、 実 質 ハ依 然 艦 型 ト 低 比 率 ノ拘 束 ヲ脱 シ 得
上 ノ不 祥 事 ヲ激 発 ス ル無 キ ヲ保 セ ザ ル ベシ 。
ニ至 ラ バ協 調 論 者 ノ期 待 ハ裏 切 ラ レ、 列 強 ノ経 済 的 圧迫 ハ却 テ
ノ ミ ナ ラズ 、 満 洲 ノ支 持 ス ラ困 難 ト ナ ル ベシ 。 而 シ テ事 既 ニ茲
益 々熾 烈 ヲ加 フ ル ニ至 ル ベシ 。 蓋 シ ﹁ 貿 易 ハ国 旗 ニ伴 フ﹂、経
返 ス コト ア ラ ン カ、 帝 国 ノ威 信 地 ニ墜 チ 啻 ニ支 蘇 ノ軽 侮 ヲ買 フ
ノ大 方 針 ヲ堅 持 シ 、 之 ニ立 脚 シ タ ル 対案 ヲ以 テ会 議 ニ臨 ミ 、若
済 的 発 展 ノ国 威 ト 併 行 ス ル ハ歴 史 ノ実 証 ス ルト コ ロナ レ バ ナ リ 。
之 ヲ要 ス ル ニ、 国 防 ノ自 主 権 ヲ恢復 シ 国防 ノ安 全 感 ヲ確 立 スル
ベカ ラズ 。
︹ 註︺海 軍用箋 にタイプ印書。
議 ニ於 テ 述 ベ タ ル 意 見 ノ 原 稿 ナ リ 。
附 記 本 稿 ハ六 月 八 日 海 軍 大 臣官 邸 ニ於 ケ ル 軍事 参 議 官 会
( 昭和九、六、八)
シ 容 レ ラ レズ ンバ 潔 ク 脱 退 スベ ク 、 聊 カ モ未 練 ラ シ キ態 度 ア ル
現 下 時 局 ノ中 心 ヲ為 ス モ ノ ハ満 洲 問 題 ナ リ。 今 後 ハ海 軍 軍縮 ガ
四、 時 局 ト 軍 縮
漸 次 重 大 化 シ 、 満 洲 問 題 ト相 併 ビ テ時 局 ノ 中心 問 題 タ ル ベ シ。 然 ル ニ此 ノ両者 ハ実 ハ本 来 同 一物 ニシ テ、 一ハ其 ノ表 ヲ示 シ他 ハ其 ノ裏 ヲ語 ル 不 可 分 ノ 関係 ニ在 リ。 蓋 シ満 洲 ヲ シ テ今 日 ア ラ
昭和 九︱ 六︱ 九 ( 外 務 次 官 ノ言 )
東 京 日 日新 聞 記 事
ラ コレ ニ対 シ ワガ 外 務 首 脳 部 ニオ イ テ目 下 考 慮 シ ツ ツ アル 極 メテ
約案 ノ有 効 ナ ル作 成 ハ不 可 能 ノ事 情 ニ ア ルカ ラデ ア ル、 サ リ ナ ガ
ナ ント ナ レ バ華 府 条 約 ノ廃 棄 ナ クシ テ軍 備 平 等 権 ヲ確 認 ス ル新 条
一六 華 府 条 約 ノ 廃 棄 通 告 ハ 急 ガ ヌ ( 東京日日新聞、昭和九年六月九日)
華 府条 約 ノ廃 棄
新協 定 不 調 ノ 暁 デ モ 遅 ク ナ イ
通告 ハ急 ガ ヌ
約 存 廃 ニ対 シ 日 本 ガ 如 何 ナ ル 意 思 ヲ表 示 スベキ カ トイ フ コト ヲ 遅
テ重 大 案 件 ト ナ ツテ ヰ ル議 題 ハ華 府 条 約 廿 三条 ノ規 定 ニヨ リ同 条
次 期 軍 縮 会議 ヲ控 ヘテ 目 下外 務 、 陸 、海 軍 三省 聯 合 協 議 会 ニオイ
見 キ ハメ ル マデ本 件 ハ不 問 ニ付 シ廃 棄 ノ通 告 ヲ発 ス ル コト ナ ク
ア ツ テ予 備 会 談 並 ビ ニ次 デ行 ハル ベキ 合 議 的 予 備 会 商 ノ経 過 ヲ
カ ル ベキ 予 備 会 談 ノ進 行 ニヨ ツ テ大 体 予 測 シ 得 ラ レ ルト コ ロデ
イ 憾 ミガ ア ル、 次 期 軍 縮 本 会 議 ノ成 否 ハ近 ク ﹁ロ ンド ン﹂ ニ開
シ異 常 ノ衝 動 ヲ与 ヘ外 交 ノ駈 引 上 必 ズ シ モ最 善 ノ良 策 ト イ ヒ難
日本 側 自 ラ進 ン デ華 府 条 約 廃 棄 ノ責 ヲ執 ル コト ハ締 約各 国 ニ対
穏便 ナ ル妥 協 案 ハ
ク モ本 年 末 十 二 月 卅 一日 マデ ニ決 定 セネ バ ナ ラ ヌ運命 ニ置 カ レ テ
シ テ次 期 軍 縮 会 議 ニ臨 ミ万 一会 議 ガ 協 定 ニ達 ス ル場 合 ハ新 条 約
外 務 首 脳 部 ノ意 向
ヰ ル コト デ 、 本 件 ハ来 ル ベ キ ﹁ロ ンド ン﹂ ノ 予備 会 談 ニオイ テ モ
ノ本 文 ニ新 条 約 ガ ﹁ロ ンド ン﹂ ﹁ワ シ ント ン﹂ 両 条 約 ニ代 ル ベ
内 ニオ イ テ 華 府 条約 ノ廃棄 ヲ通告 スル ノ ガ ワ ガ方 ノ態 度 ヲ闡 明 シ
ヲリ 、 ワガ 海 軍 ト シ テ ハ前 記第 廿 三 條 ノ 規定 ニ ヨリ ソ ノ 予告 期 間
年 末 マデ ニ廃 止 通告 ヲ米 國 政府 ニ送 付 セネ バ ナ ラ ヌ コト ト ナ ツテ
有 効 期 間 タ ル 一九 三 六 年 十 二 月 卅 一日 ヲ起 算 点 ト シ 二年 前 即 チ本
軍 計 画 樹 立 ノ上 ニ最 大 限 一年 以 内 ノ遅 延 ヲ見 ル ニ過 ギ ヌカ ラ強
七 年 ノ 一定 期 限 ニ至 ツ テ華 府 条 約 ガ 消 滅 ス ル ノデ ア ルカ ラ新 海
多 少 時 日 ヲ遷 延 ス ル モ 一九 三 五年 ノ 一定 期 限 ヨリ 二年 後 タ ル三
不 幸 ニシ テ会 議 ガ決 裂 ス ル場 合 ニ臨 ミ初 メ テ廃 棄 ヲ通 告 ス レバ
キ コト ヲ有 権 的 ニ協 定 ス レ バ華 府 条 約 ノ如 キ ハ自 然 消 滅 ス ル、
︹マ マ︺
ル、 華 府 条約 第 廿 三 条 ニ ヨレ バ 同条 約 ヲ廃 止 シ スル場 合 ニ ハ ソノ
場 合 ニ ヨリ 主 要 ナ ル 討 議 題 目 ノ集 点 ト ナ ル 可能 性 ア ル ト コロ デ ア
主 張 ヲ貫 徹 ス ル ニオ イ テ 最 モ効 果 的 デ ア ル コトイ フ マデ モ ナイ 、
ヒ テ年 内 ニ廃 棄 通 告 ヲ爲 ス危 険 ヲ冒 ス必 要 ナ シト シ テヰ ル点 ハ ヰル
決定 サ レ ル筈 デ ア リ 対内 的 ニモ 関係 各 方 面 ノ最 大 関 心 事 ト サ レ テ
( 付 ・加藤軍事参議官の答辞、昭和九年七月十六日)
︹ 註︺海軍用箋にタイプ印書。
注 目 ニ値 スル
海 軍 大 臣 挨 拶
ルガ斎 藤 駐米 大 使帰 朝 後 遅 ク モ十 月 ゴ ロ ニ ハソ ノ採 否 ガ 最 後 的 ニ
本 件 ハ未 ダ ソノ 帰著 スル ト コロ ヲ 予測 シ得 ラ レ ヌ案 件 ト サ レ テヰ
一 七
極秘
国 ヲ挙 ゲ テ 確乎 不 動 ノ方 針 ヲ 以 テ進 マネ バ ナ リ マセ ン。 為 之 昨
軍 軍 備制 限会 議 ハ最重 大 ナ ル モ ノ デ ア リ マシ テ、 海 軍 ハ素 ヨ リ
意 ヲ要 スル コト ハ勿論 デ アリ マ スガ、 就 中 明 年 開 催 サ レ マス海
軍 政 燮 理 ノ 大任 ヲ拝受 致 シ マ ス ニ就 テ ハ、 私 ト シ テ ハ相 当 ノ決
一、 不 肖 今 回 図 ラズ モ 岡 田内 閣 ニ留 任 致 ス コト ト ナリ 、 時 局 重 大
秋 開 催 サ レ マシ タ ル所 謂 五大 臣会 議 ニ於 ケ ル 軍備 制 限 問 題 ニ関
)
ノ 秋 引 続 キ重 責 ヲ荷 フ コト ニナ リ マシ タ ニ就 テ ハ、 特 ニ諸 官 ノ
シ 海 軍 側 提 案 ニ係 ル申 合 事 項 ニ付 テ、 留 任 受 諾 ノ際 岡 田大 将 ノ
海軍大 臣挨拶
御 助 力 ニ依 リ責 務 ヲ全 フセ ン コト ヲ冀 フ次 第 デ アリ マス。
昭和 九 、七 、一六 (於 大 臣 官 邸
私 ハ曩 ニ前 閣 僚 ト共 ニ辞 表 ヲ闕 下 ニ奉 呈 致 シ タ ノデ ア リ マスガ 、
確 認 ヲ求 メ其 ノ 趣 旨 ニ付 同意 ヲ得 タ次 第 デ ア リ マス。
限会 議 ヲ明 年 ニ控 ヘ既 ニ之 ガ予 備 交 渉 モ其 ノ端 ヲ啓 キ タ ル今 日 、
ズ 略 々其 ノ立案 ヲ終 ル状 況 デ ア リ マシ テ、 陸 軍、 外 務 省 及 大 蔵
其 ノ主 要 ナ ル点 ハ概ネ 研究 完 了 ヲ告 ゲ、 其 ノ他 ノ モ ノ モ遠 カ ラ
二、 明 年 ノ 海 軍 軍 備 制 限会 議 ニ関 スル海 軍 ノ対 策 ニ付 キ マシ テ ハ、
其 ノ後 組 閣 ノ 大命 ヲ拝 セ ル 岡 田大 将 ヨ リ留 任 ヲ懇 望 セ ラ レタ ノ
徒 ニ 一身 ノ安 キ ヲ偸 ム ベキ ニ非 ザ ル ヲ惟 ヒ、 菲 才 ヲ顧 ミズ 留 任
シ テ 先般 内 定 致 シ マシ タ ル次 期 軍備 制 限 会 議 ニ対 ス ル重 要 ナ ル
省 等 関 係 ノ向 ヘノ協 議 モ 目 下進 捗 中 デ ア リ マス。 本 日 ハ海 軍 ト
デ ア リ マ ス。依 テ深 ク国 家 内 外 ノ情 勢 ヲ稽 ヘ、 殊 ニ海 軍 軍 備 制
ヲ御 承 ケ ス ル旨 回答 致 シ タ ルト コロ、 畏 ク モ去 ル八 日 辞 表 ヲ御
対 策 デ ア リ マス ル
下渡 シ ニナ ツタ ノ デ ア リ マス。 海 軍 ニ取 リ テ モ亦 国家 ニ取 リ テ モ重 大 ナ ル此 ノ時 ニ際 シ 、 再 ビ
( ) 一 帝 国 提 案 ノ骨 子
出 ヅ ル コト ガ 最 適 当 ト スル次 第 デ アル ト考 ヘ マス。
コト ニ内 定 シ タ ル次 第 デ アリ マシ テ 、 夫 々 関 係 ノ向 ト交 渉 中
帝 国 ノ方 針 ト シ テ概 ネ 過 般内 報 サ セ マシ タ ル如 キ趣 旨 ニ依 ル
右 ノ如 キ 見 地 ニ基 キ 、 海 軍 ト シ テ ハ次 期会 議 ニ臨 ム ニ当 リ 、
ノ 二点 ニ付 テ其 ノ要 領 ヲ説 明 シ 、 以 テ諸 官 ノ充 分 ナ ル御 諒 解 ヲ
デ アリ マス。 之 ヲ再 言 スレ バ 、
(二) 華 府 海 軍 軍 備 制 限条 約 ノ廃 止 求 メ テ置 キ タ イ ト 思 ヒ マ ス。
(ロ) 攻 撃 的 軍 備 ハ極 力 之 ヲ縮 減 シ 、 防禦 的 軍 備 ヲ整備 シ テ、 各 国 ヲ シ テ攻 ム ル ニ難 ク 守 ル ニ不 安 ナ カ ラシ ム ル ヲ本 旨 ト
( イ) 各 国 ノ保 有 シ 得 ベキ 兵 力 量 ノ 共 通 最 大 限度 ヲ規定 シ 、 大 軍 縮 ノ精 神 ニ依 リ 之 ヲ低 下 スル コト 、
帝 国 提 案 ノ骨 子 ニ付 テ、 輓 近 艦 船 兵 器 及 航 空機 ノ進歩 発 達 ノ趨 勢 、 隣 接 国 タ ル蘇 支 両 国 ノ政 治 的 軍事 的 情勢 、 特 ニ蘇 国 ノ極 東 ニ於 ケ ル海 空 軍 及 支
ニ各 国 ノ政 治 的 経 済 的 動 向等 ハ、帝 国 海 軍 軍 備 ノ整 備 上 重 大
那 空 軍 ノ増 勢 、 更 ニ英米 海 軍根 拠 地施 設 ノ増 備 強 化 ニ加 フル
ス ル コト 、
的 安 全 ヲ期 ス ル コト 最 緊 要 ナ ルト 信ズ ル次 第 デ ア リ マス 。
条 約 ノ廃 止 ヲ通 告 シ マシ テ、 次 期 会 議 ニ ハ全 然 白 紙 ノ 状 態 ニ
点 デ ア リ マス。 之 ガ 為 本 年 中 成 ル ベ ク速 ニ華 府 海 軍 軍 備 制 限
上 ノ不 安 ヲ除 去 ス ル コト ハ、 現 下 ノ情 勢 ニ於 テ 最 重 要視 スル
華 府 倫 敦 両 条 約 ノ不 利 ナ ル拘 束 ヨリ 脱 却 シ テ 一日 モ早 ク 国 防
華 府 海 軍 軍 備 制 限 条 約 ノ廃 止 ニ付 テ、
ノ 二項 デ アリ マス。
ナ ル影 響 ヲ与 フ ル コト ニナ リ マシ タ 。 帝 国 海 軍 ト シ テ ハ、 次 期 海 軍 軍 備制 限 会議 ニ臨 ム ニ当 リ、 徒 ニ従 来 ノ経 緯 ニ膠 着 ス ル コト ナ ク 、前 ニ述 ベ マシ タ ル諸 般 ノ
之 ガ 為 、 当 局 ト シ テ ハ各 種 ノ 方 面 ヨリ 慎重 研 究 ヲ重 ネ タ ル結
於 テ公 正 ナ ル主 張 ヲ ナ シ、 協 定 ノ成 立 ス ルト 否 ト ニ拘 ハ ラズ 、
情 勢 ヲ考 慮 シ、 国 防 上 ノ堅 実 ナ ル権 利 ヲ獲 得 シ、 帝 国 ノ恒 久
果 、 次 期 会 議 ニ於 テ ハ実 質 的 ニ英 米等 ト 均等 ノ権 利 ヲ獲 得 シ
ト ガ国 防 上 有 利 ト ス ル所 デ ア リ マス。
確 実 ニ昭 和 十 二年 初 頭 ヨリ 帝 国 ニ適 切 ナ ル軍 備 ニ着 手 ス ル コ
尚 次 期 会 議 ニ対 ス ル方 針 ト シ テ根 本 的 ニ新 ナ ル要 求 ヲ出 スノ
フ ス ル コト ガ 困 難 デ ア ルト 云 フ結 論 ニ到 達致 シ タ ノ デ ア リ マ ス。
置 ク ニア ラザ レ バ、 国 防 ノ安 固 ヲ将 来 ニ確 保 スル ノ 重責 ヲ完
然 シ テ此 ノ均 等 ノ要 求 ハ、 一方 大 軍 縮 ノ主 張 ト併 セ テ茲 ニ公
ハ之 ヲ基 礎 ト ス ル カト 云 フ コト ハ適 当 デ ハアリ マセ ン。 又 同
会 議 ニ仏 伊 両 国 ヲ参 加 セ シ メ、 主 力 艦 、 航 空 母 艦 ノ問 題 ヲ徹
デ ア リ マス カ ラ、 華 府 海 軍 軍 備 制 限 条 約 ヲ改 定 ス ルト カ 、 或
底 的 ニ論 議 協 定 シ得 ル コト ニス ルタ メ ニ モ、 会 議 前 廃 止 通 告
正 妥 当 ナ ル 軍備 制 限 ノ提 案 ト ナ リ 得 ル ノデ アリ マシ テ、尚 軍
攻 撃 的 兵 器 ヲ廃 減 シ、 他 方 防 禦 的 兵 力 ヲ充 実 スル ノ 原 則 ヲ具
縮 ノ基 準 ト シ テ 一般 軍 備 制 限 会 議 ニ於 テ承 認 セ ラ レ タ ル所 ノ
体 的 ニ協 定 シ、 以 テ軍 備 制 限 会 議 ノ究 極 的 目 的 達 成 ノ方 途 ニ
係 ノ向 ト交 渉 中 デ ア リ マス。 *
ヲナ ス コト ガ緊 要 ト認 メ ル次 第 デ ア リ マシ テ、 本 件 モ目 下 関
モ屡 々申 述 ベタ 事 デ アリ マ スガ 更 メテ 言 及 致 シ タ ル 次第 デ アリ
ニ期 待 ス ベキ 所 頗 ル大 ナ ル ヲ感 ズ ル 次 第 デ アリ マ ス ノデ 、 従来
之 等 ノ点 ニ関 シ マシ テ実 施 部 隊 ニ居 ラ ルル各 長官 方 ノ注意 指導
ハ厳 ニ之 ヲ慎 ム ベキ コト 亦申 迄 モナ イ コト デ アリ マ ス。
マス。 今 後 ノ指 導 取 締 ニ付 テ 充 分 ノ御 配慮 ア ラ ン コト ヲ希 望致
ノ モ ア リ マス ガ、 条 約 廃 止 ニ伴 ヒ此 ノ条 項 ノ消 滅 ス ル コト ハ
シ マス。
尤 モ 防備 制 限条 項 ノ如 キ 、 帝 国 ト シ テ尚 有 利 ト 認 メ ラ ル ル モ
大 局 上已 ム ヲ得 ザ ル所 ト考 ヘテ居 リ マス。
渉 ニ不利 ヲ来 ス コト ナキ ヲ保 セ ザ ル次 第 デ ア リ マス カ ラ、 更
テ交 渉 ヲ諾 シ タ ル事 ト ナ リ 、 全 然白 紙 ノ状 態 ニテ 公 正 ナ ル主 張
ハ、 華 府 条 約 第 廿 三 条 ノ精神 ニ依 リ 、 華府 制 限条 約 ヲ基 礎 ト シ
故 ニ予 備 交 渉 前 ニ廃 止 ノ通告 ヲ為 サズ シ テ会 議 ニ参 加 スル ト キ
︹ 註︺和 紙に謄写印刷。なお本文中 *を 付した頁 の余白に次 のような 加藤 の書込みあり。
之 ヲ以 テ御 挨 拶 ヲ終 ル コト ト致 シ マ ス。
為 念 附加 ヘテ置 キ マス ガ、 右 方 針 ハ未 ダ 閣 議 ノ決 定 ヲ経 ル ニ 至 ラズ 、 従 テ内 奏 ヲ モ済 セ テ居 リ マセズ 、 内 外 ニ表 明 シ タ 次 第 デ モ ア リ マセ ヌ故 、 事 前 ニ部 外 ニ漏 洩 ス ル ガ如 キ コト ガ ア
メ テ何 分 ノ義 ヲ申 上 グ ル迄 ハ飽 ク迄 極 秘 ノ取 扱 ト ナ シ置 カ レ
ヲ為 ス ヲ不 得 。
ツテ ハ啻 ニ各 部 ト ノ交 渉 ノ妨 ゲ ト ナ ル ノ ミ ナ ラズ 、 対 外 的 交
度 イ ノ デ ア リ マス。
ト思 ヒ マス。
言 御 答 ヲ申 上 ル コト ヲ御 許 シ 願 ヒ 度 イ ト存 ジ マ ス。
ト ハ多 大 ノ苦 痛 ヲ感 ズ ル 所 デ ア リ マ スガ 、首 席 者 ト致 シ マシ テ 一
華 府 条 約 以 来 当 面 ノ責 任 者 タ ル 私 ト シ マシ テ 此 ニ言 ヲ呈 シ マ ス コ
︹ 加藤軍事参議官 の答辞︺
尚 目 下倫 敦 ニ於 テ進 行 中 ノ予 備 交 渉 ニ関 シ テ ハ其 ノ概 要 ヲ後 程 軍務 局 長 カ ラ説 明 サ セ ル コト ニ致 シ マス。
時 局 重 大 ノ折 柄 、 殊 ニ来 年 ノ軍 備 制 限 会 議 ヲ控 ヘ、 海 軍 ガ 確 乎
大 正 十 一年 華 盛 頓条 約締 結 以来 我 国海 軍 ノ禍 根 ト ナ リ士 気 ノ振 興
三 、次 二部 内 一般 ノ指 導 ニ就 キ 此 ノ機 会 ニ 一言 附 加 ヘテ置 キ タ イ
ニ邁進 ス ベキ ハ申 迄 モ ナキ コト デ アリ マスガ 、 此 ノ間 ニ於 テ国
ニ誤 用 サ レ 悪 用 サ レ マシ タ ル 比率 主 義 撤 廃 ノ件 其 他 ニ付 畏 ク モ 軍
上 形 容 スベ カ ラザ ル 影響 ヲ蒙 ラ セ ラ レ マシ タ所 ノ 軍備 制 限 ノ基 調
タ ル信 念 ノ 下 ニ真 ニ協 力 和 合 、 上 下 一身 ト ナ リ 全 力 ヲ挙 ゲ テ之
ニ軌 ヲ越 ユル ニ至 ル コト ナキ ヲ保 シ難 イ ノデ アリ マ ス。
ヲ承 ハリ マシ タ ル事 ハ吾 々 ノ大 ニ意 ヲ 強 フス ル所 デ ア リ マス。
令 部 総 長 宮 殿 下御 臨 席之 下 ニ大 臣 閣 下始 メ上 司 ノ御 決 意 ノ ア ル処
ヲ憂 ヒ世 ヲ慨 ス ル ノ士 ガ 各 種 ノ言 動 ニ出 デ、 勢 ノ赴 クト コ ロ遂
テ ハ軍紀 ヲ根 幹 ト シ生 命 ト ス ル ノ デ アリ マ スカ ラ、 仮 令 其 ノ動
然 シ 本 主張 ノ貫徹 マデ ニ ハ尚 ホ第 一ニ閣議 ノ決 定 、 上 ノ御 裁 可、
其 ノ衷 情 ハ諒 ト ス ベキ モ ノ ナキ ニア ラザ ル モ、 特 ニ軍 隊 ニ在 リ
機 純 ナ ルト ス ル モ所 謂 目 的 ノ為 ニハ手 段 ヲ択 バ ザ ル ガ 如 キ コト
当 局 ノ惨 澹 タ ル御 苦 心 ヲ要 ス ル モ ノ実 ニ測 ルベ カ ラザ ル モノ ア ル
内 外 輿 論 ノ指 導 等 前 途 尠 カ ラザ ル難 関 ヲ控 ヘ、 大 臣 閣 下 始 メ主 務
制 シ タ ノ デ ア リ マシ テ、 過 去 ヲ顧 ミ マス ト、 四 囲 ノ事 情 ハト モ角
ズ 、 優 勢 ナ リ シ我 補 助 艦 勢 力 ヲ 五、 五、 三 ノ比 率 ニ協 定 ス ベ ク強
国 ハ最 初 ノ主 張 タ ル 現有 勢 力 主 義 ヲ忘 レ タ ル如 ク ニ放 擲 シ テ顧 ミ
シ テ 一定 ノ 世 界標 準 ノ 下 ニ兵力 決 定 ノ自 由 ト 云 フ事 ヲ争 ハナ カ ツ
ト シ テ 禍 ノ基 ハ華 府 会 議 ニ在 リ 、 国防 自 主 権 獲 得 ノ大 方 針 ヲ確 立
タ ノ ハ吾 々 ノ 此 上 モ ナ キ 不覚 デ ア リ マシ テ、 以 上 ノ経 過 ヲ申 述 マ
ニ我 海 軍 部 内 ノ統 制 、 士 気 ノ興 敗 ニ関 シ 、 又 陸 軍 ヲ モ含 ム 対支 対 満 政 策 ノ死 活 ヲ左 右 ス ル如 キ 重 大 影 響 ヲ及 ス モ ノデ アリ マ スカ ラ、
ベキ ハ推 察 ニ難 カ ラザ ル所 デ アリ マ ス。 一方 本 主 張 ノ 成 否 ハ第 一
本 日御 指 示 ノ御 方 針 ハ真 ニ絶 対 的 ノ モ ノト 申 ス ベク 、 全 ク背 水 ノ
レ、 我 海 軍 ヲシ テ 云 ハウ様 ナ キ 混 乱迷 霧 ヨリ脱 出 シ テ白 日 ヲ見 ル
スサ エ モ苦 痛 ヲ禁 ジ 能 ハザ ル次 第 デ ア リ 、
ヲ得 ル ニ至 ラシ メ ラ レ ント シ マ ス事 ハ欣 懐 ニ堪 ヘザ ル次 第 デ ア リ
夫 レ等 ノ ﹁ガ ン﹂ ガ 今 日 ニ至 リ 中央 ノ御 英断 ニ ヨツ テ之 ヲ切 取 ラ
ク 一絲 乱 レザ ル結 束 ヲ 固 メ、 最 後 迄 吾 々 一同 モ其 ノ責 任 ヲ負 ヒ之
マ ス。
ラ、 私 共 一同 ハ申 ス ニ及 バズ 全 海 軍 ガ 一致 協 力 シ テ目 的 ヲ達 ス ベ
ヲ果 ス覚 悟 ヲ以 テ進 マネ バ ナ ラ ヌト 存 ジ 、 各 軍 事 参 議 官 閣 下 並 ニ
斯 様 ニシ テ自 主 的 ニ定 メ、 国家 経 済 ニ応 ジ テ伸 縮自 在 ナ ル兵 力 ヲ
陣 ヲ布 タ ル ニ等 シキ 立 場 ニ我 海 軍 全 体 ガ 臨 ンダ 次 第 デ アリ マ スカ
ト存 ジ マス。
ニ依 リ 、 例 ヘ想 定 敵 国 ノ何 分 ノ 兵 力 ナ リ ト雖 モ必勝 ヲ期 シ得 ル事
得 マ ス ルナ レバ 、 我 海 軍 ハ失 レ ニ ヨリ 生ズ ル 士 気 ノ 振 興 ト自 信 ト
各 長 官 閣 下 ノ御 異 存 ナ ケ レ バ之 ヲ以 テ大 臣 閣 下 ヘノ御 答 ト シ タ イ
フ事 ヲ各 将 ニ言 告 。
入れが末尾にある。
︹ 註︺海 軍罫紙に加藤寛 治の字 で墨書。なお鉛筆 書で以下 のような書
日露 戦 役 ノ如 ク ナ ラ ント存 ジ マ ス。
︹ 書込み︺ 満 場 異 議 ナ シ 。 故 ニ之 ヲ以 テ大 臣 ヘ ノ答 ヘト スト 云
今 後 ノ交 渉 上 、 又輿 論 ノ教 育 上 、 尚 ホ御 参 考 ニ比 率 ト 云 フ語 句 ノ 生 ジ タ由 来 ヲ申 セ バ、 抑 モ海 軍条 約 ノ始 リ デ ア ル所 ノ華 府 会 議 ニ
ヲ無 能 視 シ 、 十 月 □ 所 謂 真 フ ア ツシ ヨ ニ接 近 スル ノ 恐 レ 明 カ ニ
岡 田 内 閣 成 立 以 来 予 ヤ 真 崎 ニ潜 行 的 ト ナ レ リ 、 近 寄 ラズ 、 吾 々
於 キ マシ テ ハ現有 勢 力 ヲ基 調 ト ス ル事 ノ外 比 率 ヲ以 テ協 定 ス ルナ ド ノ コト ハ全 然 認 メ ラ レ テ居 ラ ナ カ ツ タ ノ デ アリ マシ テ、 現 有 勢
青 年 士 官 ノ動 キ ハ疑 心 暗鬼 カ ラダ 、 艦 隊 入 港 ノ
( 前) 各 長 官 ハ真 剣 ニ部 下 ヲ指導 ス ル事
大 臣 ノ決 意 ヲ含 ム 本 日 ノ方 針 ヲ速 カ ニ部 下 ニ徹底 セ シ メ
力 ノ比 較 ガ 六割 ニナ ル ト カ七 割 ト ナ ルト カ ノ争 議 ガ ア ツ タ ニ過 ギ ズ 、協 定 ノ基 調 ハ飽 ク迄 モ現 有 勢 力 ヲ以 テ ス ル事 ニ米 国 自 ラガ 主
時 ヲ戒 ム
張 シ タ ノ デ ア リ マシ タ。 然 ル ニモ係 ハラズ 米 国 ハ言 論 機 関 ヲ以 テ 日 英米 ガ 現有 勢 力 ト無 関係 ニ五、 五、 三 ノ比 率 ヲ基 調 ト シ テ協 定
( 後 ) 閣 議 決 定 ノ遅 延 ハ部 内 統 制 ニ危 険 ナ リ 、 期 日 ヲ
シ タ如 ク ニ世 界 ヲ印 象 付 、 当 ノ 日本 デ ス ラ モ之 ニ附 随 シ テ疑 ハザ ル ニ至 リ マシ タ ノ デ ア リ マス。 斯 様 ニシ テ倫 敦 会 議 ニ及 ンデ 、 米
定 メシ ム ル事
新 聞 三派 ニ別 ル、 普 及 部 長 ニ真 崎
険
一歩 ヲ誤 レバ 大 臣 末 次 ノ有 力 者 ガ斃 ル 後任 ノ危
之 ト 関 連 シ政 務 次 官 ノ不 設 置 、 又 秋 ニ延 バ ス事
( 昭和九年七月 一日)
︹マ マ︺
国 運 之 危き こ と 累卵 之如 し と書 か れ てあ り ま す か、 カ ク ノ如 き 七
一八 岡 田 総 理 祝 賀 会 演 説 草 稿
岡 田 大 将 カ 此 の重 大 時 機 ニ当 ツ て総 理大 臣 之 重 任 を 拝 受 せ ら れ ま
る之 運 命 に在 ツた 戦 友 と し て衷 心 よ り 御 喜 を 申 上 る も ので あ り ま
た如 く 私 共 も 啻 ニ同 郷 之 一員 と し て のみ な ら す 永 年 死 生 を 倶 ニす
く参 内 之 為 め家 門 を 出 でら れ ん と す る に臨 み承 は る だ に 悲 壮 な る
を 双肩 に担 ふ へく 立 たれ た 岡 田大 将 は 宰 相 之 印 綬 を 拝 受 せ ら る へ
さ る如 き 感 に打 た る ゝの であ り ま す 。 如 斯 国 情 之 下 に国 運 之 起 伏
十余 年 前 の事 ト雖 も アナ ガ チ過 去 之 歴 史 と し て観 過 し 去 るを 許 さ
す が、 単 に御 祝 詞 を 申 上 る の みで は 聊 か 岡 田 閣 下 ニ対 す る誠 意 を
御 覚 悟 之 語 ば を 残 さ れ た と 云 ふ こと を 拝 聞 致 し ま し た が 、 な る 程
し た こと に就 き まし て ハ只 今 松 平 侯 爵 よ り 縷 々御 祝 辞 が あ り ま し
欠 く 之 感 も 御 坐 り ま す る の て此 場 合 甚 だ 僣 越 と は存 し な か ら吾 々
ソウあ る へき 事 と 私 は独 り 私 か に 御 心 中 を 酌 ん で無 限 之 感 慨 に 耽
も のは 恰 も幕 末 当 時 之 如 く 憂 ふ へき も の真 ニ尠 か らさ る こと は 詳
熟 ら〓
建 武 中 興 之 昔 よ り 幕 政 衰微 の頃 に 至 る ま で 藩公 を 始 め若 越 両州 の
て非 常 に因 縁 之 深 いも のが あ る 。
第 一ニ心 に 浮 ひ ま し た のは ド ウ も 若 越 両 藩 と 国 難 と は 不 可 分 に し
︹マ マ︺
の真 摯 な る心 持 を 表 示 す る 一端 と 致 し ま し て少 し く 私 の 所感 と 共
け ツた の であ り ま す 。 其 の感 じ を 卒 直 に 申 し ま す れ は 、
述 を 要 せ さ る 所 であ り ます 。
志 士 仁 人 の多 く が 常 に 勤皇 に 志 し勤 皇 之 為 ニ身 を 犠 牲 に し 一ニ皇
︹マ マ ︺
に岡 田 閣 下 へ之 期 待 を 申 上 る こ と を 御許 し 願 ひ た いの であ り ま す 。
当 時 ノ記 録 ヲ見 マス ト 即ち 内 は 三百 諸 侯 が 各 其 の心 を 異 ニし て互
室 之 為 め 忠 誠 を 励 ん で 止 ま な か ツた こと は 歴然 た る事 実 であ る。
今 日 之 国 情 を 深 思致 しま す る に 、我 国之 内 治 外 交 と 云 ふ
に 猜疑 排 擠 し幕 府 其 措 置 を 失 ひ て 天 下騒 然 た り 、 外 は 英 仏 之 強 国
殊 に幕 府 失 政 の 重大 時 機 に当 り ま し て
︹マ マ︺
が印度 及支那 に加 ゑた る余力を以 て我国に臨まんとして虎視眈 々
め 以 て内 外 の 政 を 更 始 一新 し て左 袵 ( 外 人 の) 之 辱 め を 受 げ さ
援け越前 の前中将乃チ春岳 公をして大老職 に任 し幕府を補佐 せし
孝 明 天 皇 御 自 ら 詔 を 下 し 給 は り ま し て 一橋 刑部 卿 を を し て大 樹 を
之 を 行 へは 何 事 か 振 興 せ さ ら ん と 申 さ れ て 居 る こと は 千古 不磨 の
気 、 教 育 、 兵 制 、 財 政 ニせ よ 総 て 国 祖 御 垂 示 の 尚武 之 国是 ニ基 き
朝 歴 世 沿 革 盛 衰 は 皆 此 尚 武 の道 之 盛 衰 ニ関 て ゐ る。 君徳 ニせ よ士
り ま し て左 内 先 生 は 是 を 以 て我 日 本 建 国 以来 の 国是 な りと 申 し本
︹マ マ︺
ら し む へし 之 れ 万 人 の望 み 、 恐 ら く は違 ひ な から んと ま で仰 せ ら
る のは 国 論 之 不 統 一と 夫 れ ニ伴 ふ 対 外 工 策 之 動 揺 であ り ま し て 軍
遺 訓 と 存 し ま す 。 私 共 か 一九 三 五 、 六 年 を危 機 と し て 心 配 し ます
れ た な ら は 蓋 し 御 感 激 は 真 に 深 いも の があ ら れ た であ らう と 云 ふ
々堂 々た る 道 義 と 主 張 の下 ニ邁 進 し ま し た な ら は 、 利 害 打算 を 中
民 之 上 下が 真 ニ本 問 題 の重 要 性 を 認 識 し 国 家存 亡 之 問 題 と し て 正
縮 問 題 や満 洲 問 題 之 成 否 は 一ニ繋 ツて 国 内 之 結 束如 何 に在 り 我 国
︹マ マ︺
︹マ マ︺
れ た 有 り 難 き 綸 言 を 拝 し 横 井 小楠 を 相談 役 と し て 大政 の掌 理 ニ立
こと であ り ま し た 。
︹マ マ︺
た れ た 春 岳 公 之 御事 蹟 な ど を 若 し 岡 田大 将 が ア ノ場 合 に想 起 せら
斯 様 な 感 し か ら 致 し ま し て 私 は 今 夕 岡 田 閣 下 に捧 けま す る御 祝 詞
本 左 内 先 生 之 如 く 新 興 日 本 の勃 々 た る向 上 精神 を 代表 し て輔 弼 の
ハ元 より ノ コト支 那 ノ抗 日侮 日 ヲ モ屏 息 セシ ム ル ニ至 ル テ アリ マ
際 関 係 殊 ニ日米 関 係 ノ如 ク ニナ リ我 国 ノ威 信 ヲ高 メ テ満 洲 ノ安定
て問 題 之 落 着 を 見 る ニ至 る べき こと 、 聯 盟 脱 退 ヤ 上 海 事件 後 の国
る こと を 自 覚 し 、 結 局 両 者 ノ間 ニ不 幸 な る 結 果 を 招 く に 至 ら す し
御 重 任 に忠 誠 を 抽 ん で ら れ 依 り て 以 て 国内 人心 を 統 一し挙 国 一致
シ ヨ ウ コト ヲ信 シ テ疑 は ぬ の であ り ま す 。 以 上 己 を 揣 ら す 段 々と
心 と す る相 手 国 と し ては 戦 争 を 賭 し て ま でも 争 ふ は余 り ニ高 価 な
の力 を 以 て外 囲 の荊 棘 を 切 り 開 き 黎 明 の日 本 を導 く へく 春岳 公 や
之 裡 ニも 前 ニ申 し ま し た 如 き 閣 下 の悲壮 な る御 決 意 のあ ら れ る こ
左 内 先 生 の遺 志 の遂 行 大 成 に 死 力 を 御 尽 し ニな ら ん こと を念 願致
こと を 切 ニ御 願 致 す 次 第 であ り ま す 。
非 礼 の申 上 様 ニ就 き ま し て は、 私 の衷 情 御 諒 察 之 上 御 宥恕 あ ら ん
と を も 祝 す る 意 を 含 み、 冀 く は 其 御 決 意 が 春 岳 公 之 如 く 又 た 橋
す 次 第 であ り ま す 。
︹ 註︺ 便箋に墨書 。
ド ウ考 へま し ても 今 日 の国 難 を 乗 り 切 り ま す ニは 左内 先 生 の 信念
︹ママ ︺
之 如 く 忠 実 と 尚 武 と を 国 家 の棟 と し 梁 と し て 改 造 す る よ り外 な い と 存 し ま す 。 今 日 の語 は で申 せ は 乃 ち 綱 紀 粛 正 と 国 軍 の 振 興 であ
一九 潜 水 艦 廃 棄 回 避 ノ 私 案
( 南鉄太郎、昭和九年八月八日)
満 洲 国 ノ成 立 ヲ予 想 セズ 。
数 字 ヲ是 認 ス ベキ モ ノト 仮定 シ 潜 水 艦 五 万余 噸 ニテ 足 リ シ モ ノ
従 テ仮 ニ当 時 ノ情 勢 ニ於 テ我 国 ニ必 要 ナ ル 国 防力 ト シ テ条 約 ノ
我 国 ハ未 ダ 満 洲 国 ノ共 同 防 衛 ノ責 任 ヲ負 担 セ ザ ル時 代 ナ リ キ。
ハ補 助 艦 ・潜 水艦 ノ 制 限 ナ リ。 ワ シ ン ト ン条 約 ハ千 九 百 三 十 四
一、 ワシ ント ン条約 ハ主力 艦 ・航 空 母艦 ノ制 限 ニシ テ、 倫 敦 条 約
ル責 任 上 最 早 ヤ 当 時 ノ数 字 ヲ以 テシ テ ハ、 到底 両 国 ノ 国防 ヲ全
ト 仮 定 ス ル モ、 少 ナ ク ト モ現 在 ニ於 テ ハ満 洲 国 ノ防 備 ヲ担 任 ス
南 鉄太郎
年 末 日 迄 ノ廃 棄 通告 ニ ヨリ 千九 百 三十 六年 十 二 月 三十 一日終 了
潜 水 艦 廃 棄 回 避 ノ 私案
シ 、 倫 敦 条 約 ハ千 九 百 三 十 六年 十 二 月末 日 ニ当 然 終 了 ス。
フ ス ル コト 難 ク 、 潜 水 艦 ニ付 テ モ二 万余 噸 ノ 廃棄 ハ直 ニ国防 ノ
欠 陥 ヲ生 ズ ル ニ至 リ シ モ ノナ リ 。
ハ極 力 其 主 張 ヲ堅 持 シ 、 潜 水 艦 ニ付 テ モ現有 勢 力 ノ廃 棄 ヲ取止
五、 以 上 ノ次 第 ナ ル ヲ以 テ千 九 百 三 十 五 年 ノ 軍 縮会 議 ニ於 テ我 国
ハ現 有 潜 水 艦 ノ廃 棄 問 題 ナ リ ト信 ズ 。
二、 而 シ テ 之 等 条約 ノ実施 ニ ヨリ差 当 リ我 国 ノ最 モ苦 痛 ト ス ル所
保 有 シ 得 ベ キ 潜 水 艦 ノ噸 数 ハ五万 余 噸 ナ リ。 而 シ テ現 有 勢 力 ハ
三 、 倫 敦 条 約 ニ ヨリ 我 国 ガ 千 九 百 三 十 六年 十 二月 三十 一日 ニ於 テ
メト ナ ス ベキ 協 定 ヲ成 立 セ シ メザ ル ベ カ ラズ 。
六 、 然 ル ニ、 若 シ 右 会 議 ニ於 テ 我 ノ欲 スル如 ク協 定 成 立 セ ザ ル ト
七 万 余 噸 ナ ル ヲ以 テ 二 万余 噸 ノ潜 水艦 ハ其 以 前 千 九 百 三十 六 年 十 二 月 三 十 日 迄 ニ処 分 セ ラ ル 、コト ヲ要 ス ル ナ リ。 然 モ新 ナ ル
日千 九 百 三 十 六 年 十 二 月 三 十 一日 其 一日 ノ為 ニ、 二 万噸 以 上 ノ
キ ハ、 千 九 百 三 十 七 年 以 後 無 制 限 ト ナ ル ベ キ潜 水 艦 ガ僅 ニ其 前
廃 棄 ヲ見 ザ ルベ カ ラザ ルガ如 キ 解釈 ヲ生 ジ 、 常識 ノ 上 ヨ リ 不合
条 約 ノ成 立 セ ザ ル 限 リ 千九 百 三 十 七年 一月 一日以 後 ニ於 テ ハ潜
理 ナ ル コト 勿 論 ナ ル モ、 条 約 ノ文句 ニ捕 ハレ タ ル解 釈 ト シ テ此
水 艦 ノ保 有 ハ無制 限 ナ ル ヲ以 テ 、倫 敦 条 約 ニヨ リ テ 二万 噸 ノ潜 水 艦 ヲ廃 棄 セ ザ ル ベ カ ラ ザ ル ハ唯 千九 百 三十 六年 十 二 月三 十 一
結 果 ヲ見 ザ ル ベカ ラズ 。
日 ノ当 日 唯 一日 ノ 為 ナ リ 。 四 、 省 ル ニ、 ワシ ント ン条 約 当 時 ハ勿 論 、 倫 敦 条 約 当 時 ニ於 テ モ、
七 、 今 新協 定 成 立 セズ 、 不合 理 ニモ唯 一日 ノ為 ニ現 有 ノ潜 水 艦 二 万 余 噸 ヲ廃棄 スベ キ解 釈 ヲ文 理上 止 ム ナ シト セ バ、茲 ニ又 条 約
条 約 違 反 ヲ以 テ 我 国 ヲ責 ム ル コト能 ハザ ル ベ シ。 之 レ最 後 ノ妙 案ナリ。
許 シ 、単 ニ其 間 ニ挟 マル唯 ノ 一日 ノ為 ニ二万 余 噸 ノ廃 棄 ヲ強 制
十 、 之 ニ対 シ テ ハ国 際信 義 ノ上 ヨ リ不 信 ノ行 動 ト認 メ ラ ル 、恐 ア
セ ント スル ガ如 キ ハ反 ツテ国 際 信 義 ヲ無 視 シ徒 ニ条 約 ノ文 言 ノ
ノ文 理解 釈 ト シ テ 、此 不合 理 ナ ル結 果 ヲ除 去 シ得 ベキ 妙 案 ナキ
八 、倫 敦 条 約 ハ千 九 百 三十 六 年 十 二月 三 十 一日 ニ於 テ保 有 ス ベカ
上 ニ拘 ハリ テ事 情 ノ変 化 に伴 フ 一国 ノ国 防 ヲ危 フ セ ント ス ル モ
リ ト ナ ス論 者無 キ ニ非 ズ 。然 レ ド モ締 約 国 ガ千 九 百 三十 六 年 十
ラ ザ ル限 度 ヲ示 シ、 其 超 過 保 有 ニ対 シ テ ハ廃 棄 ノ方 法 ヲ規 定 セ
ノ ナ ル ヲ以 テ暴 ニ酬 ユル ニ暴 ヲ以 テ ス ル訳 ニハ非 ザ レド モ、 合
ニ非ズ 。何 ゾ ヤ 、保 有 制 限 数 量 以 上 ノ艦 船 ノ第 三 国 ヘノ譲 渡 処
リ。
法 的 艦船 ノ譲 渡 処 分 ニヨ リ条 約 ノ文 言 ニ違 反 ス ル コト ナ ク 実 際
二 月 三 十 日迄 保 有 ヲ許 シ 又千 九 百 三十 七 年 一月 一日以 後 保 有 ヲ
然 レ ド モ廃 棄 ハ超 過 シ テ保 有 ス ル コト ヲ前 提 ト スル モノ ニシ テ 、
ノ 必 要 ニ応 ゼ ン ト ス ル モ ノ ナ レ バ、 何 等 国 際 信 義 ノ背 反 ト 認 ム
分之ナリ。
期 限以 前 ニ保 有 艦 船 ノ超 過 ナ キ 以 上 廃 棄 処 分 ノ必 要 ナ キ コト 当
ベ カ ラ ザ ル ナ リ。 加 フル ニ現 存 軍 縮 条 約 ハ締 約 当 時 満 洲 国 ノ存
モ ノ ニシ テ今 日 ノ実 情 ニ添 ハズ 。 当 然 改 訂 セ ラ ル ベキ ニ拘 ハラ
在 ナ ク、 我 国 ノ国 防 ハ満 洲 国 防 衛 ノ責 任 ヲ担 任 セ ザ リ シ 時 代 ノ
ル数 量 ニ減 少 シ タ ルカ ハ別 ニ制 限 ス ル規 定 存 セ ザ ル ナ リ 。 ワ シ ント ン条 約 第 十 八 条 ハ其 条 約 ニ ヨリ テ 処 分 ヲ要 スル 軍艦 即
然 ナ リ。 而 シ テ如 何 ナ ル事 由 ニ テ保 有 数 量 ガ 廃 棄 ヲ必 要 ト セ ザ
チ主 力 艦 及 航 空 母 艦 ニ就 テ ノ規 定 ナ リ 。 現 ニ其 第 十 五 条 乃 至 十 七 条 ニ於 テ非 締 約 国 ノ為 ニ新 ニ軍 艦 ヲ建 造 スル コト スラ是 認 ス
ノ必 要 ニ応 ゼ ント シ、 合 法 的 解 釈 ニ ヨリ 合 法 的 譲 渡 処 分 ヲ為 ス
ズ 偶 々他 ノ締 約 国 ガ其 改 訂 ノ協 定 ニ応 ゼ ザ ル結 果 止 ム ナ ク 実 際
モ ノ ナ レ バ何 ノ国 際 信 義 背 反 ノ理 ア ラ ンヤ 。 断 ジ テ之 ヲ行 ヘバ
ル点 ヨリ 見 ル モ当 時 ノ制 限 外 ノ軍 艦 ノ譲 渡処 分 ヲ禁 止 ス ル趣 旨 ニ非 ザ ル コト 明 ナ リ ト 云 フベ シ 。
鬼 神 モ之 ヲ避 ク。 何 ゾ 躊 躇 ヲ用 ヒ ンヤ 。
ア ル艦 船 ヲ第 三 国 ニ譲 渡 シ 以 テ 廃 棄 スベ キ艦 船 ヲ減 少 ス ル コト
成 ル ベ ク遅 ク実 行 シ、 其 準 備 工 作 ト シ テ ハ当 然廃 棄 セ ラ ル ベ キ
十 一、 唯 事 ヲ行 フ ニ謀 ハ密 ナ ル ヲ宜 ト ス。 従 テ満 洲 国 ヘノ 譲渡 ハ
従 テ締 約 国 ハロ ンド ン条 約 ニ ヨリ 将 来 廃棄 セ ザ ル ベ カ ラ ザ ル 恐
ハ条 約 ノ禁 止 セ ザ ル所 ナ リ 。 九 、 果 シ テ然 ラバ 我 国 ハ満 洲 国 防 備 ノ責 任 上勢 力 ノ維 持 ヲ必 要 ト
バド ル、 ア ルゼ ンチ ン等 ニ譲 渡 シ 軍 縮 条約 ノ解釈 上 譲渡 処 分 ヲ
差 支 ナシ ト ス ル実 例 ヲ作 リ 置 キ 、然 ル 後 最後 ニ適 当 ノ時 期 ヲ選
艦 船 ノ若 干 ヲ無 償 又 ハ之 ニ近 キ 価 格 ヲ以 テ 支 那 、 シ ヤ ム 、 サ ル
満 洲 国 ニ譲 渡 シ満 洲 国 ノ保 有 ス ル勢 力 ヲ併 セ テ共 同 防 備 ノ責 任
ビ 満 洲 国 へ譲 渡 ス ル ヲ以 テ最 モ賢 明 ナ ル方 策 ナ リ ト信 ズ 。
ス ル ニ拘 ハ ラズ 条 約 ノ文 理 解釈 条 保有 スル コト ヲ得 ザ ル艦 船 ハ
ヲ果 ス コト ヽスレ バ 可 ナ ラ ン。 之 ニ対 シ如 何 ナ ル締 約 国 ト 雖 モ
九 一〇
(七 二 二 )
8
在米館附武官
華府発 着
在 外 武 官 電 報
一五 一五 一〇 一〇
K O T
消印、芝局、九年八月八日。
ハ 日本 ト シ テ ハ現 行 条 約 ヲ其 儘 維持 ス ル コト ハ絶 対 不 可能 ナ リ ト
ニ依 リ 求 メザ ル ベ カ ラ ザ ル コト ヲ確 信 スト 云 フ、 之 レ ニ対 シ小 官
﹁アリ ユー シ ヤ ン﹂ 及 ビ ﹁サ モ ア﹂ ノ ﹁ホ ー チ フイ ケ ー シ ヨン﹂
軍 ノ相 対 比 ガ 現在 以 下 ト ナ ル ニ於 テ ハ之 レ ガ補 ヒ ヲ比 島 、 布 哇 、
ル ベ ク断 ジ テ大 ナ ル変 更 ナ シ ト判 断 ス ト、 尚 右 ノ場 合 ト 雖 モ米 海
又 ハ大統 領 ニ於 テ妥 協 ス ル コト ア リ ト ス ル モ ﹁ス ライ ト リ ー﹂ ナ
米 海 軍 ト シ テ現 在 比 率 ヲ譲 歩 ス ル ノ不 可能 ナ ル ヲ説 キ 万 一政 府 カ
( 昭和九年八月九日、十日)
︹註︺ 和 紙 に カ ー ボ ン写 。 封 筒 表 、 四 谷 区 三 光 町 一七 、 加 藤 寛 治 様 。
八
二 〇
封 筒 裏 、東 京 市 荏 原 区 戸越 町 、 弁 護 士 南 鉄 太 郎 。
九一
極秘
グ﹂ ニ於 テ相 互 ニ 一致 点 ヲ見 出 ス ヲ得 ザ ル ニ於 テ ハ本 会 議 ニ於 テ
タ ル 所 、 彼 レ ハ全 然 同 意 ナ ル旨 ヲ 述 ベ ﹁イ ン ホ ー マル ト ー キ ン
観 察 ス ル所 果 シ テ米 国 ノ態 度 ガ 右 ノ如 シ ト セ バ会 議 ノ不 成 功 ハ明
第 三部 長
八 日 午 前 二 時 間半 ニ亘 リ 小官 ﹁スタ ン レ イ﹂ 大 将 ト 相 互 ニ個 人 ノ
白 ナ ル ニ依 リ寧 ロ効 果 ナ キ 無 益 ノ論 争 ヲ試 ミ ル ノ愚 ナ ル 旨 ヲ述 ベ
資 格 ニテ 軍 縮 問 題 ニ付会 談 ス 、 之 レ ニ先 立 チ小 官 ノ謂 ハン ト ス ル
平 和 ニ影 響 ス ル処 甚 ダ 大 ナ ル ニ依 リ、 寧 ロ次 期 会 議 開 催 ニ関 シ 何
機 密 第 一〇 八番 電 ( 其 ノ 一、 二、 三、 四、 五)
所 聴 取 シ タ キ 箇 所 其 他 ヲ書 類 ト シ テ 六 日 予 メ手 交 シ置 キ タ リ、 尚 ︹ 双︺ 本 会 談 ノ内 容 ハ相 方 之 レ ヲ発表 セ ザ ル旨 約束 シ タ ル ヲ以 テ絶 対 極
シ テ 日米 仮 令 ﹁パ リ テ ー﹂ ト ス ル モ米 国 ニ執 リ何 等 ノ不 安 ナ ル処
等 カ ノ 工作 ヲ必 要 ト ス ベ シト 追 加 セ リ、 又 小 官 ハ国 防 ノ意 義 ヨリ
下 村 大佐 ヨ リ
秘 ニ保 タ レ度 、
当 然 相 互 ニ輿 論 ヲ刺 戟 シ 日米 国 交 ニ害 ア ル ノ ミナ ラズ 延 テ ハ世 界
会 談 前 同 大 将 ハ小 官 ノ同 意 ヲ以 テ情 報 局 長 ヲ同 席 セ シ ム 、彼 レ ハ
ヲ指 摘 し 、 未 ダ 米 国 ハ 日本 元 首 ニ対 シ 斯 ノ如 キ 暴 言 ヲ敢 テシ タ ル
従 テ 日米 ノ海 軍比 ハ現 比 率 ハ愚 カ 一対 三 ニ維 持 ス ル コト 米 国 ト シ
コト 無 シ、 斯 ノ如 キ 些 々 タ ル事 ガ 昂 ジ テ大 戦 前 独 仏 ノ如 キ 情 況 ニ
ナカ ル ベキ ニ何 故 斯 ク 現 比 率 ヲ固 執 スル ヤ ト ノ 問 ヒ ニ対 シ、 結 局
ヲ維 持 スル ノ必 要 ナ キ ヲ説 明 シ、 或 ハ米 国 ハ吾 人 ノ想 像 ス ル ﹁オ
至 ル コト ヲ恐 ル、 真 ニ 日米 ノ親 善 ヲ欲 セ バ相 互 ニ他 ヲ尊 敬 ス ル コ
テ ハ容 易 ナ ル ベ シト 述 ベ タ リ、 最 後 ニ彼 ハ新 聞 紙 上 ニ於 ケ ル無 益
ー プ ン ・ド ー ア﹂ 以 上 ノ コト ヲ考 慮 シ居 ル ニ非 ズ ヤト 追 及 セ ル処 、
ト 必 要 ニシ テ 日本 国 民 ノ 一部 ニ ハ之 等 ノ点 ニ於 テ ﹁シ ンセ ー ヤ﹂
米 海 軍 ノ目 的 ハ ﹁ナ シ ヨナ ル ポ リ シ ー﹂ ノ支 持 遂 行 ニア リ ト謂 フ、
彼 レ ハ領 土 ヲ防 禦 スル ハ海 軍 ノ使 命 ナ リ ト述 ベ タ ル ヲ以 テ、 仮 令
ナ ル刺 戟 ハ国 交 ニ至 大 ノ影 響 ア ル ニ依 リ 極 力 之 ヲ避 ケ 度 ク 、 特 ニ
万 々 一ニ モ日 本 ガ 比島 攻略 ヲ企 図 シ タ リ ト ス ル モ其 ノ背 後 ニ米 大
ナ ラザ ル ヲ遺 憾 ト ス ル旨 ヲ述 ベ、 新 聞 ノ取 締 ニ関 シ 良 策 ナ キ ヤ ヲ
数 日前 田中 明 倫 会 長 ガ布 哇 ニ於 ケ ル大 統 領 ノ演 説 ヲ非 難 セ ル コト
海 軍 ト ノ艦 隊 決 戦 ヲ予期 スル時 斯 ノ如 キ ハ甚 ダ 拙 劣 ナ ル戦 略 ナ リ
小 官 ニ質 問 セ リ、
ル ニ於 テ ハ何 等 日 米 衝 突 ノ機 会 ナ キ ニ依 リ 強 ヒ テ 日本 ニ対 シ優 勢
ト 述 ベ タ ル ニ、 彼 ハ依然 ト シ テ 日本 ガ比 島 ヲ攻 略 ス ベ シト 述 ベ、彼
ハ レタ ル モ何 等 感 情 ヲ刺 戟 ス ルト コ ロナ ク 談 笑 ニ終 始 セ リ 、 小官
以 上 会 談 ハ極 メ テ卒 直 ニ行 ハ レタ ル ヲ以 テ相 当 突 込 ミ タ ル 議 論 現
依 ツ テ小 官 ハ極 東 ニ於 ケ ル 単 ナ ル 経 済的 ﹁オ ープ ン ・ド ー ア﹂ ナ
ハ小官 ヲ次 長室 ニ導 キ太 平 洋 ノ掛 図 ヲ示 シ ツ ツ 日本 ガ 台 湾 、 朝 鮮 、
我 加州 ヲモ併 呑 ス ル ヲ懼 ル旨 ヲ述 ベ タ リ、 又華 府 会 議 ヨ リ ハ倫 敦
歎 スル ト 共 ニ、軈 テ 日本 ハ支 那、 比 島 ヲ併 呑 シ 三、 四十 年 後 ニ ハ
米 国 ハ現 比 率 ノ著 シ キ 変 更 ヲ受 諾 スル 意 志 ナ ク 従 テ協 定 成 立 ノ 公
関 シ 小 林 武 官 ト 一致 セ ル観 察 ナ リ 、
渡 米 以 来 各 方 面 ニ於 テ見 聞 シ 又 得 タ ル印 象等 ニ鑑 ミ 左 記 ハ軍 縮 ニ
︹マ マ ︺
満 洲等 ト 漸次 膨 張 シ 来 レ ル コト ヲ指 摘 シ其 ノ発 展 ノ目 覚 シサ ニ驚
会 議 ニ於 テ比 率 ヲ高 メ 又次 期 会 議 ニ於 テ ハ更 ニ之 ヲ高 メ斯 ク シ テ
算 著 シ ク小 ナ リ 、 故 ニ其 不 成 立 ヲ前 程 ト シ テ 之 ニ善 処 スル如 ク外
ニ 、
交 及 ビ 軍 備 諸 般 ノ準 備 ヲ進 ムル ノ要 アリ ト 認 ム 、尚 左 記御 参 考迄
一、 現 比 率 維 持 ノ交換 条件 ト シ テ 或 ハ比島 海 軍根 拠 地 ノ放 棄 ヲ提
小官 ハ然 ラ バ何 等 カ ノ所 謂 不 戦 条 約 等 ニ依 リ之 ヲ救 済 ス ル ノ方 策 ナ キ ヤ ト質 問 セ シ ニ、 彼 ハ日本 ガ 九 ケ国 条 約 ヲ蹂躪 シ 国 際 聯 盟 ニ
数 十年 後 ニ ハ日米 反 対 ノ比 率 ヲ要 求 ス ル ヲ恐 ル ル旨 ヲ述 ベタ リ、
於 テ ハ全 世界 ガ挙 ゲ テ難 詰 セ ルト キ 独 リ 之 ヲ押 切 レリ 、 要 ス ル ニ
議 ス ル コト ナ キ ヲ保 セズ 、
程 懸 念 ニ及 バズ ト ノ印 象 ヲ有 スル モ ノ多 シ、 輿 論 指 導 ニ関 シ特
ハ軍 部等 一部 ノ意 見 ニシ テ最後 ノ土壇 場 ニ急 変 ス ベ キ ヲ 以 テ左
二、 華 府 及 ビ 倫敦 会 議 ノ 歴 史 ニ鑑 ミ 現在 日本 ノ 軍縮 ニ対 ス ル輿 論
リ進 ン デ兵 ヲ用 フ ル モ ノ ニア ラザ ル旨 ヲ繰 返 シ 、 又 米 国 民 ハ平 和
尚 本 会 談 中 日本 ガ ﹁ア グ レ ツ シイ ブ ﹂ ナ ラザ ル限 リ断 ジ テ米 国 ヨ
ニ留 意 スル 必 要 を 認 ム 、
リ、
吾 人 ト道 義 観 念 ニ於 テ異 ル処 ア ル ヲ以 テ之 ヲ信 ズ ル能 ハズ ト 答 ヘ
ヲ好 ム モ 一度 他 ノ挑 発 ニ遭 遇 セバ 造 艦 競 争 ヲ辞 ス ル モ ノ ニ非 ズ 、
八
二
官
九
次 長
軍事参議官 九
次 第 七 四番 電
九日
二 一三 〇 三 〇 NG B 倫 敦 発着 ( 七九 四) 8
在英館 附武官
コト 明 ト ナ レリ 、 然 ル ニ英 ハ仏 ノ 三 千噸 五吋 半 ノ嚮 駆 ハ条 約 上 巡 洋 艦 ト 看 做 ス、
( 九 〇 〇)
予 備 会 議 ニ基 礎 的 海 軍 政 策 ニ関 シ 各 国 ヨリ コウ ハイ ノ 問 題出 デ シ
三
一〇
在英館附武官
二 一二 一三 二 二 BG N 倫 敦 発着
為 関 係 者 間 ニ ハ悲 観 的 空 気 アリ 。
八
長
官
軍事参議官 九
次
次
第七五番電
﹁バ イ ウ オ ー タ ー﹂ 所 説
九 日 ﹁テ レ グ ラ フ﹂
我 海 軍 明 年 度 予 算 ニ対 スル論 評 ﹁テ レ グ ラ フ﹂
海 軍 予 備 会 議 ハ手続 ノ 問 題 ニ限 ラ レズ 或 ル程 度 専 門 事 項 ニ入 リ タ
日本 海 軍 予 算 ノ増 大 ハ米 ノ大 建 艦 計 画 ノ反動 ナ ル ベ シ、
ル ハ半 公 式 ニ認 メラ ル 、 其 ノ 主 ナ ル ハ主 力 艦 関係 ノ問 題 ナ リ、 主 力 艦 二万 五 千 噸 乃 至 二 万 二 千噸 、 巡洋 艦 七千 噸 ノ英 案 ヲ米 ハ支
﹁ヘラ ルド ﹂
持 セ ズ 、 米 代 表 ハ主 力 艦 三 万 五 千噸 、 巡洋 艦 一万 噸 ヲ 固執 ス、 英 案 ハ原 則 ト シ テ日 、 仏 ノ承 認 スル 所 ナ ル モ米 ト ノ妥 協 ノ望 ミ殆 ド
日本 農 民 ハ大 軍 備 費 ノ為 ニ飢 餓 ニ迫 リ 一揆 ヲ起 サ ント シ ツ ツ アリ 、 ︹ママ ︺
無 キ ガ 如 シ 、 米 海 軍 ハ二 種 ノ三 万 五 千 噸 主 力 艦 ヲ希 望 ス、
一〇 一
四
日本 ノ財 政 ハ危 機 ニ頻 ス ベ シ、
八
軍事参議官 九
〇 一九 五二 五 二 BG N 倫 敦 発着 ( 九 〇三 ) 6
其 ノ 一ハ比 較 的 低 速 十 六 吋 十 門 以 上 ノ戦 艦 、 他 ハ高速 十 四吋 巡 戦 ナ リ、両 者 ハ米 ノ太 平 洋 作 戦 ニ不 可 欠 ノ モ ノト 認 メラ ル 、
旨 ヲ説 明 セ リ、 然 ル ニ潜 水 艦 ノ縮 減 無 ク テ ハ倫 敦 条 約 ヲ 一九 三 六
PIETOR ハ訪 I 英 中 仏 ノ 潜 水 艦 政 策 ヲ説 明 シ 其 ノ縮 減 ノ困 難 ナ ル
年 以後 ニ延 バ ス コト ハ不 可能 ト ナ ル ベ シ、 右会 談 中 仏 ハ大型嚮 駆 ヲ巡 洋 艦 ト ナ ス条 約 上 ノ提 議 ヲ承 認 セ ザ ル
局 限 セ ラ レタ ル今 日 英 国 商 品 販 路 開 拓 ノ 余 地 無 キ ヤ ヲ確 ム ル為 本
満 洲 国 ノ不 安 ハ漸 次 収 マレリ 、 依 ツ テ地方 状 況 ヲ研 究 シ市 場益 々
使 節 派 遣 ニ決 セ ル モ ノ ナリ 、
在英館附武官
長
官
BRITISH ハI 満N 洲D国 US ニ実 TR 業IESス ベ シ、
満 洲 国 ニ於 ケ ル英 国 ノ企 業 ハ日本 ト ノ友 誼 的 共 同 ニ依 リ 益 々 発 展
次
OF
次
FEDERATION
第七六番電
日英 間 ノ実 業 上 ノ了 解 ヲ進 ム ル コト ハ満 洲 国 ノミ ナ ラズ 全 極東 ニ
THE 使 節 派 遣 ニ決 シ 同 使節 ハ商 工業 団体 ト友 誼 ヲ結 ブ為 日本 ニ立 寄 ル
参 議 官 の 閑地 に就 か し め んと す るも の であ るけ れ ど も 、 解 す る者
︹ 註︺ タイプ印書 。
好 結 果 ヲ齎 ラ ス ベシ 。
( 昭和九年九月六日)
ベキ 旨 発 表 セ リ 、 ( 大 使電 参 照)
一 聯 合 情 報
右 ニ関 シ ﹁タ イ ム ス﹂ ( 十 日) 曰 ク 、
二
◎ 海 軍 部 内 対 立 の煽 り で
は こ れ は 只単 な る表 面 の理 由 に過 ぎ ず 、 事 実 は 這 回 上 京 に際 し 大
と す る重 臣方 面 及び ロ ンド ン条 約 派 の感 触 を 害 した の みな ら ず 、
亜 細 亜協 会 の会 合 席 上 で試 み た講 演 の内 容 が甚 だ し く 薩 派 を 中 心
聯 合艦 隊 司令 長官 と し て即 時 華 府 条 約 廃 棄 通 告 を せね ば 国 防 の責
一席 の講 演 重 臣 方 面 に 衝 動
末次聯合艦隊司令長官更迭か
ン条 約 派 と の対 立 的 情 勢 の激 成 に ま で発 展 す る に 至 つた こ と は事
華 府 条 約 破 棄 問 題 が 延 い て海 軍 部 内 の ロ ンド ン条 約 派 と 反 ロ ンド
を 抱く 者 が○ ○ 方 面 の然 る べき 有 力 者 にも 可成 り 多 いと いはれ 、
任 を負 ふ 能 はず と断 言 した こと は如 何 にも 不穏 当 であ ると の見 解
ち 同 司令 長 官 は 明 日 の海 の生 命 線 を 守 ら し む る 意 味 に 於 て 暫 ら く
る 限 り 、 海 軍 部内 の 大勢 は 大角 海 相 初 め艦 隊派 の意 思 に よ つて左
同 時 に こ の種 の 意見 を 代表 す る者 の見 解 に よ れば 、 本 問 題 に関 す
︹マ マ︺
転 任 説 も 必 竟 これ が 現 は れ の 一ツで あ る と 見 ら る ゝに 至 つた 。 即
実 であ るが 、 昨 今 伝 へら る ゝ末 次 聯 合 艦 隊 司 令 長 官 の軍事 参 議 官
静 養 せし む る要 あ り と の理 由 に 基 き 来 る 海 軍 大 演 習 の終 了 後 軍事
て は 岡 田内 閣 出 現 の目 的 は 大 半 没 却 さ れ た も のと し て こ れ を非 議
右 さ れ つ ゝあ るも の ゝ如 く 解 釈 さ れ る 結 果 と し て 、 見 やう に よ つ
る﹂ と の発 言 が あ つた 結 果 、 直 ち に これ を 現 関 東 軍 司 令 官 問 題 に
官 よ り 在 満 政 治 機 構 改 組 問 題 を 中 心 と し て ﹁要 は 人 の 問 題 で あ
で はな いかと も いは れ ては ゐ るが 、 し か し 一部 に は 早 く も 南次 郎
結 び付 け、 終 に菱 刈 司 令 官 の辞 任 説 ま で 持 ち 上 る や う に な つた の
大 将、 荒 木 貞 夫 大 将 が 後 任 司 令 官 と し て 推 さ れ て ゐ る と も 伝 へら
せ んと す る空 気 も あ り 、 末 次 司 令 長 官 転 任 説 は 以 上 政 界 上 層部 面
◎加藤寛治大将も
の情 勢 が 反 映 し た も の であ ら う と 解 さ れ て 居 る 。
る ゝに至 つた 、 若 し 万 一斯 か る事 が 実 現 す る と せ ば 今 回 の司令 官
の 選任 は対 露 政 策 と も 密 接 な 関 係 あ り 、 一般 に 注 視 さ れ て ゐ る の
後 備 役 編 入 の風 説 ま た 一方 軍 事 参 議 官 加 藤 寛 治 大 将 に つ いて も 年内 に後 備 役 に編 入
も 当 然 であ ら う 。
権 を 利 潤 の対 象 と し 、 高 率 配 当 の宣 伝 を な し て プ レミ ア ムを 稼 ぐ
近 来 流 行 す る満 洲 投 資 株 の売 出 し は 多 く は 前 途 不 明 な る 満 洲 国 利
古 田氏 一派 は 近 く 失 脚 か
満洲煙草会社を乗取る
◎ 大 山 斐 瑳 麿 君 の凄 腕
す る事 に内 定 し て ゐる と 伝 へら れ て ゐる が 同 大 将 は ロ ンド ン条 約 派 の巨 頭 であ り 、 今 日直 ち に これ を 後 備 役 に 廻 す こ と が 出 来 る か ど う かは 疑 問 であ るけ れ ど も 、 或 る 方 面 に 於 て は 同 大 将 が 現役 将
も あ り 、 旁 々 こ の際 これ を 断 行 せ ん と す る 積 り ら し い。 但 し 万 一
官 と し て存 在 す る こと を 以 て部 内 統 制 上 不 便 尠 な か らず と 見 る向
右 の 人事 異 動 が 艦 隊 派 の輿 論 に よ つ て阻 止 さ る ゝが 如き 事 あ る場
田慶 三、 帝 国 海 上 の岩 崎 恒 次 郎 氏 等 の手 に よ つて 計 画 せ ら れ た る
事 を 目的 と す るも のが 多 いが 、 そ の中 の 一つと し て昭 和 石 炭 の古
満 洲煙 草 会 社 は資 本 金 百 二十 万 円 を 以 て先 般 設 立 、 総 株 数 二 十 四
合 は潔 く 大 角 海 相 を 引 退 せ し め 小 林 躋 造 大 将 を後 任 に推 さ うと し
◎ 陰 見 去 来 遂 に消 し 難 き
て ゐ ると 見 る べき 節 も あ り 、 今 後 の動 向 は 非 常 に 注 目 さ れ て ゐ る 。
万 株 中 十 八万 株 を 縁 故 者 募 集 、 二万 株 を 発 起 人 引 受 、 四 万 株 を 市
部 内 外 に伝 はり 、 而 か も そ の都 度 何 時 も 風 の やう に 消 え 去 つて ゐ
も な く伝 へられ 、 そ の後 機 会 あ る毎 に こ の風 評 は 満 洲方 面 よ り 軍
菱 刈 関東 軍 司令 官 の更 迭 説 は 同 司 令 官 赴 任 後 間 も な く 何 処 か ら と
業 合 併 を 申 込 んだ が 、 満 洲 煙 草 側 では 未 だ 事 業 認 可 も受 け ぬ も の
満 洲 国 に おけ る煙 草 営 業 認 可 の運 動 を 起 し つ ゝ満 洲 煙 草 に 対 し事
売 捌 人 に し て東 京 商 業 会 議 所 副 会 頭 た り し 大 山 斐 瑳 麿 氏 が 同 じ く
て盛 ん にプ レ ミ ア ム の釣 上 げ を 試 み て居 た 、 然 る に 一方 元 煙 草 元
場 公募 と し、 近 き 将 来 にお け る満 洲 国 の煙 草 専 売 制 施 行 を 宣 伝 し
た も のだ が、 最 近 又復 同 司 令 官 が ﹁病 後 重 任 に 耐 え ず﹂ と の理由
一派 は 例 の 一流 の辣 腕 を 以 て満 洲 煙 草 の不 確 実 な る 事 を 猛 烈 に 宣
と 合併 す べき 理 由 な し と し て 一言 の下 に 拒 絶 し た 、 そ こ で 大 山 氏
南 ・荒 木 両 大 将 等 後 任 の噂
菱 刈 関東 軍 司 令 官 辞 任 説
て ゐ る。 勿 論 こ れ は過 日 の軍 事 参 議 官 会 議 の席 上 一、 二 有 力参 議
を 以 て辞 任 を 申 出 でた と 噂 さ るゝ に 至 り 相 当 各 方 面 の話 題 に 上 つ
不 拘 、 肝 腎 の払 込 期 日 ( 八 月 二十 三 日) と な る や プ レ ミ アム 目当
者 応 募 約 十 倍 、 公 募 約 三 倍 と いふ 好 成 績 を 以 て 募 入 を 終 つた に も
伝 し 、 プ レ ミ ア ム叩 落 し の運 動 を 始 め た ので 折 角 株 式募 集 は 縁故
将 来 に 於 て完 全 に大 山 派 の乗 取 ると こ ろと な る べく 、 古 田氏 等 は
重 役就 任 等 の条 件 を 以 て結 末 と な つたが 斯 く な る上 は同 社 は近 き
山 氏 に妥 協 を 申 込 み合 併 並 に大 山 氏 によ る 十万 株 引 受 け 、 同 氏 の
斯 て会 社 側 も如 何 と も す る能 はず 、 多 大 の屈 辱 を 忍 ん で数 日前 大
資 金 不 足 か ら会 社 は流 産 に終 る べき 重 大 危 機 に当 面 す る に至 つた 、
︹マ マ ︺
に募 入 せ る縁 古 者 株 主 が 殆 ど 逃 げ てし ま つて 払 込 に 応 ぜ ず 、 止 む
( 山 下知彦大佐他、昭和九年九月七 日)
呉海軍工廠
海軍 機 関大佐
製鋼部 二階堂海軍機 関大佐
電気部 向 山 海 軍 造 兵 大 佐
造機部 梯
造船部 庭 田 海 軍 造 船 大 佐
失 脚 し て 何物 も 得ざ る 結果 と な るも のと 見 られ て居 る。
を 得 ず 徴 収 日 を 一週 間 延 期 し て八 月 三 十 日 と し て も そ の 成 績 漸 く
意 見 書
七 割 、 残 る三 割 は 遂 に会 社 側 の負 担 と な つて 仕舞 つた ゝめ 、茲 に
二 二
昭和 九 年 九 月十 日
山 下 大 佐
砲熕部 今 井 海 軍 造 兵 大 佐
加藤大将閣 下
水雷部 渡 辺 海 軍 造 兵 大 佐
松下呉海軍工廠長殿
別紙 意 見 ヲ今 般 呉 工廠 長 ニ提 出 、 廠 長 ヨ リ上 司 ニ伝 達 方 願 出 デ申
︱ 終︱
確固タ ル建艦及改造 ノ方針 ヲ明示サルル ノ要 アリト信ジ、茲 ニ意
現下 ノ非常時局 ニ際シ、左記理由 ニヨリ速 ニ帝国海軍 ノ決意竝 ニ
意見上申
前略
昭和九年九月七 日
( 別 紙 添 )
出 候 ニ付 、為 御 参 考 写送 附 申 上 候 。
極秘
総務部 山 下 海 軍 大 佐
見 ヲ上申 ス。 記
刻 々 迫 リ ツ ツア ル 昭和 十 一、 十 二年 ノ非 常 時 局 ハ、 不 幸 ナ ル友
鶴事 件等 アリ タ ル モ之 ニ関係 ナ ク急 速 ニ近 接 シ ツ ツ ア リ。 此 ノ
対 スル 一般 ノ 判断 及 目 下海 軍 ノ要 望 シ ツツ ア ル既 存 条 約 破毀 通
然 ル ニ重 大 ナ ル時 機 刻 々 ニ近 迫 セ ル昨 年 末 議 会 ニ於 ケ ル時 局 ニ
至 ラ ント ス。
意 ヲ体 シ皇 国 ノ為 全 力 ヲ尽 シ来 リ年 ヲ閲 ス ル コト既 ニ三ケ 年 ニ
果 タ シ 以 テ 万遺 憾 ナ キ ヲ期 ス ル如 ク訓 ヘラ レ、 小 官 等 ハ皆 其 ノ
カ ラ ザ ル ヲ以 テ 、艦 隊 ナ ル ト陸 上 ナ ル ト ヲ不 問 各 緊 張 シ テ分 ヲ
機 ニシ テ 、 之 ガ突 破 ニ際 シ帝 国 海 軍 ハ直 接 其 ノ衝 ニ当 ラザ ル ベ
従 来 大 臣始 メ 上 司 ノ 訓示 ニ於 テ、 昭和 十 一、 十 二年 ハ帝 国 ノ危
堪 へザ ル所 ナ リ 。 以 下 其 ノ状 況 ヲ詳 述 ス。
急 速 ニ講 ズ ル ニ ア ラズ ンバ由 々敷 事 態 ヲ惹 起 スル モ ノト 憂 慮 ニ
結 果 ニ立 チ 至 ル ベ キ コト 明 ナ リ ト認 ム ル所 ニシ テ、 之 ガ 対 策 ヲ
然 ル ニ呉 海 軍 工 廠 ノ工事 現況 ヨリ推 定 スル時 ハ誠 ニ寒 心 ス ベキ
ト 思 考 ス ル所 ナ リ 。
日 之 ガ 為 整 備 時 期 ヲ延 期 スル コト ハ絶 対 ニ許 ス ベ カ ラザ ル モ ノ
暗 礁 タ リ シ ハ十 二 分 ニ認 ム ル所 ナ ル モ 、非 常 時 局 ニ変 化 ナキ 今
ニ大 改 正 ヲ必 要 ト スル ニ至 リ タ ル ハ、 重 大 時 機 突 破 ニ対 シ 一大
部 艦 船 ノ 改 装 及計 画変 更 ヲセ ザ ル ベ カ ラ ザ ル ニ至 リ、 整 備 方 針
全 機 関 ノ全 能 力 ヲ発 揮 シ テ努 力 中 ナ リ シ ガ 、会 友 鶴 事 件 ハ大
︹たまたま︺
重 大 時 局 ニ即応 スル為 、 艦船竝 ニ出 師 準 備 ノ整 備 ニ対 シ我 海 軍
告 即 時 断行 ニ対 ス ル各 方 面 ノ態 度 ハ、 果 シ テ国 家 ト シ テ決 意 ア
一、帝 国 海 軍 ノ 決意 ヲ速 ニ明 示 サ ル ル ヲ要 ス。
リ ヤ 否 ヤ ニ関 シ疑 惑 ヲ抱 カ シ メ ラ ル ル所 ニシ テ、 更 ニ海 軍 ニ関
現 状 ノ儘 推 移 スル 時 ハ其 ノ結 果 ハ次 ノ如 ク ナ ル ベ シ。
( ) ハ 製 品 ノ著 シ キ 不良 粗悪 其 ノ理 由 次 ノ如 シ 。
( ) ロ 非常ナル予算ノ不足
(イ) 完 成 期 ノ 著 シ キ 遅 延
スル 限 リ ニ於 テ モ 、今 日尚 艦 船 改 装 計 画 ノ樹 立 未 定 、 補 充 計 画 建 艦 計 画未 確 立等 ノ事 実 ハ、如 上 国内 一般 状 勢 同 様 ニシ テ、 諸
︹マ マ︺
テ再 ビ 倫敦 会 議 ノ徹 ヲ覆 マズ 我 主 張 ノ貫 徹 セザ ル場 合 ニ ハ如 何
︹マ マ︺
訓 示 ト 照合 シ 憂慮 ニ堪 ヘザ ル所 ニシ テ、 来 ル ベキ 軍 縮 会 議 ニ於
ナ ル迫 害 アル モ祖 国 ノ為 決 裂敢 テ辞 セ ザ ル ノ決 意 ノ 下 ニ前 進 シ
下 ヲ督 シ テ 此 ノ 大 難事 業 ヲ遂行 スル ノ時 、真 ノ決 意 ヲ内 ニ包 蔵
力 艦 改 装竝 ニ補 充計 画 中 ノ重 要艦 船 ノ建 艦 ヲ促 進 ノ為 、聊 モ
昭 和 八 年 国 際 聯 盟 脱 退 後 ノ 整 備 ノ期 日 ヲ十 二年 初 期 ト シ、 主
(イ) 完 成 期 ノ著 シ キ 遅 延 ヲ来 ス原 因
シ テ コ ソ真 ノ緊張 ヲ求 メ得 ル コト ヲ考 フレ バ、 其 ノ決 意 ア ラ バ
ツ ツ アリ ヤ 否 ヤ疑 ナ キ能 ハザ ル所 ナ リ。 小 官 等 自 ラ ハ勿 論 、 部
之 ヲ明 確 ニ示 サ ル ル コト ハ緊急 ナ リ ト 認 ム ル所 ニシ テ、 小 官 等
コト ト ナ リ 、 努 力 中 友 鶴事 件 ノ為 非 常 ナ ル 工事 ノ 遅延 ヲ来 シ
余 裕 ナ キ 計 画 ヲ確 立 シ 、 ア ラ ユル手 段 ヲ講 ジ テ之 ニ即 応 ス ル
タ ル ノ ミナ ラズ 、 一大 計 画変 更 ヲ余 儀 ナ ク セ シ メ ラ レ タ リ。
ノ望 ンデ歇 マザ ル 所 ナ リ 。 一、 速 ニ確 固 タ ル 建 艦 及改 造方 針 ヲ明示 サ ル ル ヲ要 ス。
此 ノ切 リ ツ メタ ル計 画 遂 行 中 ニ斯 ル事 項 ノ 発 生 ハ小官 等 工事
ル額 ニ達 シ居 ル コト明 ナ リ。 斯 カ ル大 ナ ル予 算 ヲ消 化 シ ツ
大 部 分 公 休 日出 業 ヲ加 算 ス ルト キ ハ決 シ テ看 過 ス ベカ ラザ
ツア ル モ艦 船 整 備 ニ対 シ テ ハ大 ナ ル進 捗 ヲ見 ズ 。
担 当 者 ニト リ テ霹靂 ノ 一打 ヲ受 ケ タ ル 心 地 セ シ モ 、尚 此 難 関 突 破 ニ全 力 ヲ挙 ゲ 来 レリ 。然 レ ド モ友 鶴事 件 後 六 ケ 月 ニ至 レ
ノ引 受 価 格 ハ註 文 予量 ヲ超 過 ス ル コト ハ明 確 ナ リト 認 ム ル
品 製 作 工場 ハ既 ニ飽 和 ノ域 ニ達 シ、 余 力 少 キ ノ ミナ ラズ 其
場 ヲ極 度 以 上 ニ利 用 セザ ル ベ カ ラザ ル モ、 現 況 ニ於 テ軍 需
(2 ) 斯 ク切 リ ツメ来 レ ル今 日 ニ於 テ ハ、 已 ム ヲ得 ズ 外 部 工
ベキ カ 、 唯 焦 慮 ニ駆 ラ レ其 ノ日 暮 ノ 作 業 ヲ スル外 ナ キ状 況 ナ
多 々 ア ル ニ於 テ ハ、 如 何 ニシ テ此 ノ 重 大 ナ ル 難 工事 ヲ遂 行 ス
所 ナ リ。
ル今 日尚 各 艦 ノ完 成 期 未 定 ニシ テ且計 画 ニシ テ 不 明 ナ ル モ ノ
リ 。 切 リ ツ メタ ル計 画 ニ於 テ 已 ニ数 ケ 月 ヲ空 フス 。 最 早非 常
ヲ急 グ為 製 品 ノ質 ノ低 下明 ニシ テ、 既 ニ最 近 艦 隊 ヨ リ ノ故 障
幹 部 ノ 不 足 ハ之 ヲ充 分 ニ監 督 ス ル能 ハズ 、 其 ノ上 非 常 ニ工事
臨 時 職 工 ノ大 部 分 ハ素 人 ニシ テ能 率 ノ低 下著 シキ ノ ミ ナ ラズ 、
( ハ) 製 品 ノ著 シ キ不 良 粗 悪 ヲ来 ス原 因
(3) 斯 カ ル理 由 ニヨ リ結 果 ハ非 常 ナ ル予 算 不 足 ヲ来 ス ベ シ。
手 段 ヲ採 ル外 ナ キ ノ状 況 ニ立 チ 至 レ ル 今 日 、 今 ニシ テ須 ラ ク 決 意 ノ ア ル完 成 期 及 適 確 ナ ル 計 画 ヲ示 サ ザ レ バ 、 口 ニ非 常 時 ヲ唱 フ ル モ之 ニ即 応 ス ル コト ハ絶 対 ニ不 可 能 ナ ル ベ シ 。 ( ) ロ 非 常 ナ ル予 算 ノ不 足 ヲ来 ス原 因
ハ、 七 月 現 在 ニ於 テ職 工 ノ 一万 八 千 七 百 五 十名 ニ対 シ 既 ニ
( 1) 不 確 実 ナ ル予 量 ニ ヨリ テ増 員 セ ラレ タ ル臨 時 職 工 ノ数
事 故 多 キ ノ報 ア リ タ ル ニヨ ル モ明 ナ ル所 ナ リ。
( 終)
九 千 七 百 七 十 二名 ニ及 ビ 、 尚 増 員 シ ツ ツ アリ 。 然 モ全 体 ノ 増 服 業 ノ為 ニ支 給 セ ル賃 金 ハ本 給 ノ 一四 、 二 % ニ及 ビ 之 ニ
﹁政観 ﹂ 主 筆 佐 々木 要 人 取 調状 況 ニ関 ス ル件 報告 ( 第 二報 ) 通牒
( 東 京 憲 兵 隊長 ・持 永 浅 治 、 昭和 九 年 九 月 二十 日)
二 三 ﹁政 観 ﹂ 主 筆 佐 々木 要 人 取 調 状 況 ニ関 ス ル件
東憲高第 二五〇八号
東 京 憲 兵 隊 長 持 永 浅 治
( 九 月 十 三 日東 憲 高 第 二 四 二七 号 参 照 ) 昭 和九 年 九 月 二 十 日
籍 東 京 市 世 田 谷 区太 子堂 三 七 五
リ酒 色 ヲ好 ミ殊 ニ政 治 情 報 蒐 集 ノ為 メ政 治 家 方 面 ノ人 物 ト 屡 々
性 極 メ テ強 情 ニシ テ文 章 ニ巧 ミ ナ ル モ自 負 心 強 ク 且 ツ反 抗 心 ア
待 合 料 亭 ニ出 入 数 日間 料 亭 ニ過 ス コト アリ 素 行 不 修 ナ リ 二、 交 際 人 物
永年警視庁高等係 ( 政 治 ) ト シ テ勤 務 シ タ ル関 係 上 警 視 庁 、 新
本 出 生 地 青 森 県弘 前 市 植 田 町 二 一
満 洲 事 変 以 来 軍 部 ハ盛 ニ政 治 的 ニ進 出 シ テ 其 ノ鼻息 荒 ク 三 月 事
三、 ﹁政 観 ﹂ 発 行 ノ動 機
其 ノ人 名 等 ニ関 シ テ ハ 一切 語 ラ ス
楽 部 ニ親 交 者 多 ク又 陸 海 軍 将 校 間 ニ モ交 際 人 物 ア ル模 様 ナ ル モ
聞 記 者 方 面 ニ交 際 アリ 特 ニ各 新 聞 社 編 輯 部 主 要 人 物 並 ニ記 者 倶
政 観 社 主 筆 佐 々木 要 人
現住 所 東 京 市世 田谷 区 三軒 茶 屋 町 一〇 四
明 治 二十 八年 五月 二十 五 日生
件 十 月 事 件 五 ・ 一五 事 件 等 軍 部 ヲ背 景 ト スル 不 詳事 件 ハ相 次 イ
右 者去 ル 九 月 一日発 行 ノ ﹁政観 ﹂ 第 二十 一号 ニ於 テ全 面 ニ亘 リ陸 海 軍 最高 首 脳部 ノ名 誉 ヲ毀損 延 テ 軍 ノ統 制攪 乱 ノ虞 レ ア ル記 事 ヲ
達 シ 流 石 ノ政 党 モ此 ノ軍 部 ノ態 度 ニ憤 激 ヲ蔵 シ ナ カ ラ モ表 面 何
掲 載 シ タ ル事 実 ノ内 容 ハ既 報 ノ通 リ ナ ル カ九 月 十 五 日本 人 ヲ渋 谷
等 為 ス事 ナ ク 全 然 気 力 ヲ失 ヒ 全 国 ノ 大 新 聞 亦 軍 部 ノ 弾 圧 ニ屈 シ
ハ頻 々ト シ テ乱 レ飛 ヒ政 党 財 閥 特 権 階 級 等 ハ不 安焦 燥 其 ノ極 ニ
明 シ タ ル ニ依 リ憲 兵 ハ彼 レ ノ誤 認 ノ点 ヲ 一々指 摘 ス ルト 共 ニ軍 ノ
テ沈 黙 ヲ守 リ 軍 部 ノ横 暴 ハ真 ニ傍 若 無 人 ノ感 ヲ呈 セ リ 此 ノ情 勢
テ勃 発 シ 他 面 ニ於 テ ハ皇 軍 青 年 将 校 ノ名 ヲ以 テ スル 所 謂 怪 文 書
被 害 等 ヲ説明 シ テ反 省 ヲ促 シ ナガ ラ懇 々ト 説 諭 シ タ ル処 彼 ハ軽 挙
下 ニ於 テ生 来 ノ義 人 的 性 格 ヨリ 此 ノ 強 大 ナ ル 軍 部 ノ 非 違 ヲ攻 撃
ニ対 スル 認識 極 メ テ 不 足 ノ結 果 感 情 的 ニ執 筆 シ タ ル モ ノ ナ ル事 判
盲 動 ヲ今 更 ノ如 ク後 悔 シ改悛 ノ情 顕 著 ナ リ心 境 著 シク 変 化 シ タ ル
憲 兵 分 隊 ニ同行 名 誉毀 損 罪 ト シ テ捜 査 中 ノ処 該 記 事 ハ本 人 カ 軍 部
ノ意 味 ニテ ﹁ 政 観 ﹂ 第 二十 一号 記 事 ノ訂 正 ヲ為 ス旨 誓 ヒ
彼 ハ来 ル 二十 五 日頃 ﹁ 政 観 ﹂ 第 二十 二号 ヲ発 行 シ テ誠 心 誠 意 謝 罪
ニ於 テ決 然 昭 和 八 年 九 月 一日旬 刊 雑誌 ﹁政観 ﹂ 第 一号 ヲ発 行 其
ア ル折 柄 時 偶 々 軍 民 離 間 ノ声 明書 問 題等 惹起 セ ル等 ノ事 ア リ茲
シ 軍 ニ反 省 ヲ促 ス コト コ ソ信 ヲ天 下 ニ蒐 ム ル 所 以 ナ リ ト痛 感 シ
ノ手 初 メ ニ当 時 ノ陸 相 荒 木 大 将 ヲ攻撃 スル ニ至 レ リ
始 末 書 並 誓 約 書 ヲ提 出 シタ リ 依 ツテ本 件 ノ処 分 ヲ留 保 シ九 月 十 七 日皈 宅 セシ メ爾 後 ノ行 動 ヲ監
記
ハ絶 対 ニ無 ク 従 ツテ 他 人 ヨリ資 金 ノ供 給 ヲ受 ケ タ ル コト全 然 ナ
本 人 ハ自 己 ノ信念 ニ基 キ 独 立独 歩 シ ア ル者 ニシ テ背 後 的人 物 等
四 、 背 後 的 人 物 並資 金 関 係
視 中ナリ
左
其 ノ状 況 左 記 報 告 ﹁ 通牒﹂ ス
一、 本 人 ノ性 格 及 素 行
受 ケ ア ル事 ハ概 ネ 推 知 セ ラ ルヽ 処 ナリ 然 レ共 此 点 ニ就 テ ハ未 タ
受 ケ タ ル事 実 ア リ タ ル等 ヨ リ見 ル モ或 者 ヨリ 精 神 的 支 持 後 援 ヲ
シ ト強 弁 シ ア ル モ某 方 面 有 力 者 ノ共 鳴 ヲ受 ケ 現 ニ支 援 ノ申 出 ヲ
皇 軍 ニ対 シ 重 大 ナ ル 損害 ヲ与 ヘタ ル モ ノ ナ リ殊 ニ海 軍 ハ来 ル ヘ
毀 損 シ 大 ニシ テ ハ軍 ノ統 制 団結 ヲ破 壊 シ 且陸 海 軍 ヲ乖 離 ス ル等
毒筆 ヲ振 ヒ タ ル モ ノ ニシ テ 小 ニシ テ ハ軍 人個 人 ノ名 誉 ヲ甚 シ ク
該 記事 ハ何 等 拠 ル 処 ナ ク皇 軍 ニ対 ス ル皮 相 ノ観 察 ヨ リ感 情 的 ニ
スル 処 ア リ 軍 部内 ノ実情 ニ通 セ サ ル結 果 認 識 ヲ誤 リ 居 リ シ事 ニ
シ テ 其 ノ責 ヤ 極 メ テ重 キ 旨 ヲ諭 シ タ ル 処 同 人 ハ深 ク自 己 ヲ 反省
次 大 将 ヲ攻 撃 シ タ ル カ如 キ 軍 ノ 戦 斗力 ニモ 関係 ス ル重 大問 題 ニ
キ 国 際 危 局 ヲ前 ニシ テ 必 死 ノ演 練 ヲ続 ケ ア ル際 其 ノ首 脳 タ ル末
口 ヲ緘 シ テ語 ラ ス具 体 的 状 況 ヲ知 悉 ス ル ヲ得 ス
レ ノ今 日迄 ノ経 歴 及 行 動 並 ニ取 調 ニ対 ス ル態 度 等 ヨリ 判 断 ス ル
記 事 ノ出 所 ニ関 シ テ ハ絶 対 ニ口 ヲ緘 シ ア リ テ詳 カ ナ ラサ ル モ彼
気 付 翻 然 悔 悟 シ テ 今 迄 ノ 不 始末 ヲ詫 ヒ九 月十 六 日始 末 書 ヲ提 出
五 、 ﹁政観 ﹂ 記 事 ノ出 所
ニ都 下各 新 聞 社 ノ政 治 記 者 、 各 省 記 者 倶 楽 部 及 政 党 、 警 視 庁 、
1、 衆 議 院 議 員 総 員
約 二〇 〇 部
約 二〇 〇 部
約四三〇部
本 人 ハ前 記 ノ 如 ク改 悛 ノ情 顕 著 ニシ テ 次 号
八 、 憲 兵 ノ処 置
( 九 月 二十五 日発
対 シ テ誠 心 誠 意 今 迄 ノ 誤 リ ヲ謝 罪 ス ヘシ ト洩 シ 居 レ リ
日 頃 発 行 ノ ﹁政 観﹂ 第 二 十 二 号 ヲ以 テ 其 ノ心 境 ヲ発 表 シ読 者 ニ
シ 更 ニ翌 十 七 日誓 約 書 ヲ提 出 セ ル モ ノ ニシ テ尚 来 ル九 月 二十 五
内 務 省 方 面 ノ知 人 ヨ リ出 テ タ ル モ ノ ニ非 ラサ ルヤ ト 思 料 セ ラ ル 六 、 ﹁政観 ﹂ 第 二十 一号 ノ配 布 状 況
2、 貴 族 院 議 員 中 主 ナ ル者
発行 部 数 二千 部 ニシ テ其 ノ配 布 先 左 ノ如 シ
3、 政治 浪 人、 院 外 団 、 右 翼 団 体 方 面
約 一〇 〇 部
シ皇 軍 全 体 ニ対 ス ル侮 辱 記事 ト モ認 メラ ル 故 ニ如 斯 犯行 者 ニ
( )一 、 本 件 ハ個 人 ノ名 誉 ヲ毀 損 ス ルノ ミ ニ止 マ ラ ス軍 ノ 統制 ヲ紊
九、所見
リ
ヲ以 テ九 月 十 八 日 一先 ツ本 人 ヲ皈 宅 セ シ メ 爾 後 ノ行 動 監視 中 ナ
( 軍令 部 、 海 軍 省 ノ局 課 長 )
約 一〇 〇 部
行) ﹁ 政 観 ﹂ 紙 上 ニ於 テ謝 罪 ノ意 思 ヲ発 表 ス ル コト ヲ約 シ タ ル
5 、海 軍方 面
( 主 要 人 物 及会 社 ノ社 長 等 )
八〇 部
6 、 財界 方 面
約三〇〇部
而 カ モ本 罪 ハ親 告 罪 ナ レ ハ被 害 者 之 レ ヲ告 訴 セ ンカ 軍 最 高 首
法 規 タ ルヤ 僅 カ ニ刑 法 第 二 百 三 十 条 ノ名誉 毀 損 ノ 罪 ア ル ノミ
約
7 、全 国新 聞社
約三〇〇部
約三〇〇部
8 、官 界 方 面 ( 各 省 局 課 長 地 方 長 官 )
4、 陸 軍方 面 ( 主 ト シ テ全 国 聯 大 隊 長 )
9 、 購読 者
本 人 ハ前 記 ノ如 ク 最初 ハ確 固 タ ル信 念 ノ基 ニ国 家 的 見 地 ニ立 脚
脳 者 ト 微 々タ ル 一記 者 ト ノ論 争 ト ナ リ 軍 ノ威 信 ヲ失 墜 スル ノ
対 シ テ ハ断 固 ト シ テ之 レ ヲ排 除 セ サ ル ヘカ ラサ ル モ其 ノ制 裁
シ テ執 筆 シ タ ル モ ノ ニシ テ憲 兵 隊 等 ヨ リ彼 是 干 渉 セ ラ ル ヘキ 筋
七 、憲 兵 ノ取 調 ニ対 ス ル態 度 並 ニ心 境
合 ノ モ ノ ニ非 ラ ス ト主 張 シ頗 ル横 柄 ナ ル態 度 ヲ持 シ居 リタ ル モ
要ト ス
事 件 ニ対 シ テ ハ適 切 ナ ル 処 置 ノ根 拠 ト ナ ル ヘキ法 ノ制 定 ヲ必
適 用 困 難 ナ リ依 ツ テ本 件 ノ如 キ 軍全 体 ニ関係 ヲ有 ス ル カ如 キ
売 禁 止 処 分 ニ附 セ ント ス ル モ法 文 ノ精 神 上遺 憾 ナ カ ラ之 レ カ
結 果 ト ナ ル ノ虞 レ アリ サ リ ト テ 新 聞 紙法 第 二 十 三条 ニ依 リ発
メ軍 ニ関 係 ア ル出 版 物 ノ取 扱 ヒ ニ対 シ テ ハ其 ノ専 門 的智 識 ヲ
キ ニ至 ル ヘシ 故 ニ将 来 内 務 省 検 閲 課 に 陸海 軍 将校 ヲ兼 務 セ シ
斯 ク テ ハ将 来 此 ノ種 軍 ノ被 害 アル 場 合 袖手 傍 観 スル ノ 已 ム ナ
遺憾ナ リ
ノ先 例 ニ拘 泥 シ テ遂 ニ我 カ 要 望 ヲ容 ル ヽニ至 ラ サ リ シ ハ甚 タ
ニ対 ス ル人 身 攻 撃 ト 同 一視 ス ルカ 如 キ 口 吻 ヲ洩 シ 単 ニ事 務 的
以 テ之 レ ヲ処 理 セ シ メ軍 ノ危 害 排 除 ノ完 璧 ヲ期 ス ル ノ要 ア リ
幸 ヒ本 人 ハ憲 兵 ノ取 調 ニ依 リ心 境 ニ変 化 ヲ来 シ ﹁ 政 観 ﹂ ヲ通 シ 被 害 者 タ ル軍 首 脳 部各 個 人 ノ名 誉 ヲ恢 復 セ シ メ爾 後 皇 軍 ノ
此 ノ機 会 ニ陸 海 軍 当 局 ヨリ 其 筋 ニ之 レ カ実 現方 交 渉 ヲ切 望 ス
発送先
来 年 之 軍縮 会 議 は ﹁ロ ンド ン﹂ 条 約 の第 二 十 三 条 の第 二 項 に依 り
﹁ワ シ ン ト ン﹂ 条 約 廃 止 の通 告 は 一日 も 緩 ふ す 可 か ら ず
業 を進 展 せ し め﹂ 云 々 の目 的 之 遂 行 であ る か ら 来 年 之 会 議 は ﹁ワ
に 掲 記 さ れ てあ る ﹁﹃ワ シ ント ン﹄ 会 議 に依 り 開 始 せ ら れ た る 事
を 開催 す べ し﹂ と 云 ふ こと が 記 入 し てあ る 、 乃 ち 倫 敦 条 約 の前 文
内 地台 湾 各 隊 長
為 メ努 力 セ ン コト ヲ誓 ヒ 居 ル ヲ以 テ暫 ク同 人 ノ自 発 的 行 動 ヲ 監 視 シ タ ル 上善 処 スル ヲ有 利 ト 認 ム ︹マ マ︺
ス コト ノ 重 大 ヲ説 キ内 務 当 局 ニ発 禁 処 分 方 再 三交 渉 シタ ル モ
司 令 官
(二) 、 憲 兵 ハ本 件 カ 軍 規 ノ推 持 軍 ノ統 制 軍 ノ士 気 ニ悪 影 響 ヲ及 ホ
関司 ︵ 各 隊) 朝 司 ( 各隊)
隊下乙
軍 ノ 特 異 性 ヲ理 解 セ サ ル内 務 当 局 ハ本 件 ヲ前 文 相 鳩 山 一郎 氏
二 四 ﹁ワ シ ン ト ン ﹂ 条 約 廃 止 の 通 告 は 一日 も
開 か れ るも の であ るが 、 最 も 注 意 す べき は 、 右 之 条 文 中 に は ﹁ 本
シ ン ト ン﹂ 条 約 を 軍 縮 会 議 の中 核 と し 之 を 根 底 と し て 開 か る ゝも
緩 ふす 可 か ら ず ( 昭和九年)
条 約 の目 的 を 遂 行 す る新 条 約 を 作 成 す る 為 め 千 九 百卅 五年 に会 議
然 白 紙 状 態 に於 て至 公 至 正 な る 軍 縮 事 業 を 協 議 せ ん が 為 め に は 、
擾 の禍 根 と な つた る ﹁ワシ ント ン﹂ 条 約 の束 縛 よ り 離 脱 し て 、 全
故 に 不 合 理 にし て東 洋 に 於 け る 我 日本 の威 信 を 毀 損 し 却 て 日支 紛
の であ る こと 疑 ふ の余 地 は な い ので あ る 。
条に掲げられたる、
況 ん哉 昨今 之 蘇 国極 東 海 軍 の情 勢 は愈 ﹁ワ シ ン ト ン﹂ 条 約 二十 一
議 に臨 まね ば な ら ぬ 大 不利 に逢 着 す る であ ら う 。
れ て 明年 の会 議 に於 て は ﹁ワ シ ン ト ン﹂ 条 約 の拘 束 下 に明 春 の会
以上 之 会 議 は来 年 之 ﹁ロ ン ド ン﹂ 条 約 を 基 と す る会 議 と 別 物 と さ
本 条 約 ノ有 効期 間 中 何 レ カ ノ 締 約 国 ニ於 テ海 軍力 ニ依 ル防 衛 ニ
此度 の 予 備 交 渉 と 雖 も 荷 も ﹁﹃ワ シ ン ト ン﹄ 条 約 の目 的 を 遂 行 す る新 条 約 を 作 成 せ ん が為 め ﹂ 開 か る べき 本 会 議 の予 備 交 渉 な る 以
ヲ受 ケ タ リ ト 認 メタ ル場 合 ニ於 テ ハ締 約 国 ハ該 国 ノ 要求 ニ基 キ
関 スル 自 国 安 全 ノ要 件 ガ 四 囲 ノ状 況 ノ 変化 ニ依 リ重 大 ナ ル影 響
本 条 約 ノ規 定 ヲ再 議 シ 且 相 互 ノ協 定 ニ依 リ 之 ガ修 正 ヲ為 スノ 目
上、 其 の前 路 に於 て 明白 に ﹁ワ シ ント ン﹂ 条 約 の廃 止 を 通 告 し 置
的 ヲ以 テ会 議 ヲ開 催 ス ベシ
か ざ れ ば 、 ﹁ワ シ ン ト ン﹂ 条 約 の束 縛 を 容 認 し て参 加 し た る こ とゝ な り 、全 然新 た な る出 発 点 か ら協 議 に取 掛 る に大 な る 矛 盾 を
ン﹂ 条 約 廃 止 の通 告 は 一日を も 緩 ふ す べか ら ざ る こと 今 更 喋 々を
と あ る条 項 実 現 の急 務 を 感 ず る も のあ る に 於 て を や。 ﹁ワ シ ン ト
来 た す べし 。 尚 ほ よ り 重 大 な る は 、 ﹁ワ シ ン ト ン﹂ 条 約 は 一九 三 四年 中 に廃 止
海軍造船少佐 藁谷英彦
海 軍 大 佐 山下知彦
( 山下知彦大佐・藁 谷英彦少佐、昭和九年)
︹ 註︺ 便箋に墨書。
要 せ ぬ の であ る。
の通 告 を 為 さ ね ば 、 一九 三 六年 十 二 月 卅 一日 以降 にも 効 力 を 有 し 、 日本 か 又 は 締 約 国 の 一国 が 廃 止 の 通告 を 為 し た る場 合 に は米 国が
︹マ マ︺
其 通 告 を 受 領 し た る 日よ り 一年 以 内 に 締 約 国 全 部 が会 議 を 開 いて
独逸提 携 ニ関スル意 見
二 五 独 逸 提 携 ニ 関 ス ル 意 見
前 後 策 を 講 ず るこ とゝ な つ て居 る か ら 、 日 本 の通告 ガ 遅延 す れ ば
極秘
要ナリト認ム
独 逸 ト 提 携 シ テ 軍 縮会 議 及 ビ来 ル ベキ 危 機 ニ備 フ ル コト緊
勢 力 ヲ有 ス ル野 心 家 ハ其 ノ政 権 ノ獲 得 保持 ノ為 何 レ モ遠 交 近攻 ノ
我等 軍 人 ト シ テ世 界 ヲ敵 ト ス ル モ敢 テ恐 ル ル処 ナ キ モ、 戦 ハズ シ
挙 ツテ腐 心 ヲ要 ス ル処 ナ リ。
ム ベ キ ハ夙 ニ予期 セ ラ レ ツツ ア ル処 ニシ テ、 之 ガ 対 策 ニ ハ全 国 民
ノ 予想 、聯 盟 脱 退 ノ効 力 発 生 ハ我 国 ヲ シ テ重 大 ナ ル危 機 ニ臨 マシ
ル 国 際 関 係 ノ 緊張 ハ遂 ニ国 際聯 盟 ノ脱 退 ト ナ リ、 軍 縮 会 議 ノ決 裂
力伸 張 ヲ充 分 ナ ラ シ メ ザ ル 可 カ ラズ 。 然 ル ニ満 洲 事 件 ニ端 ヲ発 セ
シ 、 我 国 防 ヲ安 固 ニシ 、 以 テ正 ニ世 界 ニ雄 飛 セ ント ス ル我 国 ノ国
来 ルベ キ 軍 縮 会議 ハ華府 倫 敦 ニ於 テ締 結 セ ル条 約 ヲ根 本 的 ニ改 訂
本 国 ニ於 テ 国際 間 ノ紛 議 ア リ テ他 国 ノ脅 威 ヲ受 ク ル コト ア ラ ン カ、
キ モ ノト覚 悟 セ ザ ル ベ カ ラズ 。 唯 彼 等 ハ皆 遠 隔 ノ地 ニア リ、 若 シ
帝 国 ノ利 害 ト背 反 シ ソノ対 支 政策 ハ常 ニ我 国策 ノ遂 行 ヲ阻 害 ス ベ
然 ラバ 英 米 露 仏 伊等 従 来 対支 関心 ヲ有 シ居 ル 国家 ノ利 害 ハ常 ニ我
明ナリ。
ル策 謀 ハ総 テ其 ノ根本 義 ニ於 テ 我 国策 ト相 反 ス ベキ モ ノ ナ ル コト
領 土 的 進 出 ヲ企 テ ツ ツ アリ 。 此等 対 支 関心 ヲ有 ス ル 国家 ノ按 劃 ス
ハ、 唯 一ノ残 サ レ タ ル 競争 地 ナ ル支 那 ニ対 シ 、政 治 的経 済 的 並 ニ
然 シ テ全 世 界 ノ植 民 地 ヲ分割 シ テ其 ノ勢 力 下 ニ収 メ タ ル欧 米 諸 国
ヲ立 ツ ル等 ヲ常 套 ノ手 段 ト スレ バ ナ リ 。
策 ヲ執 リ 欧 米 諸 国 ヲ利 権 ヲ以 テ 誘 ヒ 他 力本 願 ニ依 リ殊 更 ニ排 日策
テ敵 ヲ圧 シ得 レ バ策 ノ上 乗 ナ ル ヲ知 ル ヲ以 テ、 此 処 ニ独 逸 ト 提 携
到底 東 洋 ニ進出 シ テ、 ソノ勢 力 ヲ分 割 ス ル ノ余 裕 ナキ ニ至 ル ベシ 。
論
シ テ 軍縮 会 議 ヲ有 利 ニ導 キ 危 機 突 破 ニ効 果 ア ラシ メ ン コト ヲ切 望
故 ニ我 国 ガ 欧洲 ノ 一国 ト結 ビ 彼 等 ヲ牽 制 ス ル 工作 ニ成 功 セ バ総 テ
緒
ス ル所 ナ リ。
現在 ノ時 局 ニ於 テ我 国 ガ欧 洲 ノ 一国 ト 提 携 ス ベキ コト ノ最 モ必 要
ノ 国 際 関係 ヲ我 ニ最 モ有 利 ニ転 換 セ シ メ得 ベキ コト 必 セ リ 。 コ レ
軍縮 会 議 ト云 ヒ危 機 ト 云 フ モ之 ヲ要 ス ル ニ我 帝 国 ノ東 洋 ノ盟 主 タ
欧 洲 ノ 一国 ト 提 携 ス ル必 要
ル ノ位 置 ヲ確 保 シ、 欧 米 列 強 ヨリ 脅 威 ヲ受 ク ル コト ナ ク 我 国 策 ヲ
提 携 ス ベキ 国 家
ナ ル 理由 ト 認 ム ル所 ナ リ。
欧 洲 ノ 一国 ト提 携 ス ル ニ当 リ如 何 ナ ル国 家 ヲ撰 定 ス ベキ カ 、 先 ヅ
遂 行 ス ル上 ニ於 テ重 大 ナ ル影 響 ヲ有 ス ル ヲ以 テ重 視 ス ル ニ外 ナ ラ ズ 。 日清 、 日露 ノ 二大 戦 役 ニ於 テ我 国 運 ヲ賭 シ 、 又 満 洲 問 題 ニ世
我 帝 国 未 ダ今 日 ノ隆 盛 ヲ見 ザ ル時 、 日英 同 盟 ヲ結 ビ タ ル モ先 年
一、 日本 ヨ リ強 大 ナ ラザ ル国 家 タ ル ヲ要 ス。
既 ニ解 消 シ タ ル ハ、 周 ク知 ラ レタ ル処 ニシ テ、 此 ノ事 実 ヲ検 討
之 ヲ論 述 セ ント ス。
隣 邦 支 那 ハ過 去 ハ云 フ ニ及 バズ 将 来 モ我 国策 遂 行 ニ障 碍 ト禍 根 ヲ
界 四十 二 ケ国 ヲ対 手 ト シ 国 際 聯 盟 ノ脱 退 ヲ敢 行 シ タ ル モ、 此 ノ国
生 ズ ベキ コト 疑 ナ シ 。 何 ト ナ レ バ 支 那 ハ其 ノ 国 土余 リ ニモ広 大 ニ
ス ル ニ、 日英 同 盟 ハ我 ヨリ 働 キ カ ケ シ モ ノ ニ非ズ シ テ 、 英 国 ガ
策 遂 行 上 已 ム ヲ得 ザ ル手 段 ニ過 ギ ズ 。
シ テ、 其 ノ統 一ハ事 実 上 不 可 能 ニシ テ 、 内 紛 絶 エズ 、然 モ各 地 ニ
以 テ之 ニ対 抗 ス ル ノ自 信 少 カ リ シ ヲ以 テ、 英 国 ノ申 シ 出 ヲ欣 然
モ ノ ト考 フル所 ナ リ。 然 シ テ当 時 我 国 モ露 国 ノ脅 威 ヲ感 ジ 独 力
我 ヲ利 用 シ テ支 那 ニ於 ケ ル勢 力 ヲ扶 植 セ ンガ 為 接 近 シ 来 リ タ ル
要 ス。
何 者 ヲ犠 牲 ス ル モ敢 テ辞 セ ザ ル気 慨 ト決 意 ヲ有 ス ル国 家 タ ル ヲ
府 モ国 民 モ充 分 ナ ル 国 家意 識 ヲ有 シ 、其 ノ独 立 、存 立 ノ為 ニ ハ
欲 セ ザ ル ハ既 ニ述 ベ タ ル所 ナ ル モ 、 仮令 国力 我 ニ劣 ル ト モ、 政
ガ如 ク欧 洲 大 戦 後 更 ニ 一段 ノ光 輝 ヲ増 ス ニ及 ビ 、 我 ハ最 早 英 国
応 諾 シ タ リ。 然 ル ニ再 度 ノ戦 捷 ニ依 リ我 国 ノ発 展 ハ旭 日 ノ昇 ル
ヲ必 要 ト ス。
五 、 我 ノ与 フル モノ ア ルト 共 ニ彼 モ亦 喜 ンデ 之 ヲ受 ク ル 国家 ナ ル
提 携 ノ 真 目 的 ハ我彼 ノ 国策 ヲ支 持 シ 、彼 モ亦 我 国 策 ヲ援 助 ス ル
ノ走 狗 タ ル ニ甘 ズ ル能 ハザ ル ノ ミナ ラズ 英 国 モ我 発 展 ヲ嫉 視 ス ル ニ到 リ、 彼 我 互 ニ期 待 ス ベキ 何 物 ヲ モ有 セ ザ ル ニ到 レリ 。
ニア ル ハ勿論 ナ レ ド モ、大 国 タ ル我 帝 国 ハ提 携 ニ際 シ先 ヅ 彼 ニ
モ欲 スル 処 ナ ル ト共 ニ喜 ン デ 我与 フル処 ヲ受 ク ル 国家 タ ル ヲ要
与 フル 処 ナ カ ル 可 カ ラズ 。然 シ テ コ ハ目 下 ノ情 勢 ニ於 テ彼 ノ最
ス。
ケ ル英 国 ト其 ノ地 位 ヲ同 ジ ウ ス ル モ ノト セ ザ ル ベカ ラズ 。 然 ラ バ我 ヨ リ進 ン デ提 携 ヲ求 ム ル国 家 ハ我 ヨリ 弱 小 ナ ル ヲ要 シ 、 然
今 我 国 欧 洲 ノ 一国 ト 提 携 ヲ策 ス ル ニ当 リ 我 ハ日 英 同 盟 ノ際 ニ於
モ我 提 議 ヲ欣 然 受 諾 ス ル モ ノ ナ ル コト 必 要 ナ リ 。
ケ ル其 ノ国 家 ノ要 求 ガ 我 国 ト 一致 ス ルカ 少 クト モ相 反 セ ザ ル モ
本 提 携 ガ 軍縮 会 議 及 危 機 突 破 ヲ目 的 ト ス ル限 リ 、 軍 縮 会 議 ニ於
論 述 セ ント ス。
ト スル ニ当 リ欧 米各 国 ノ国 際 関 係 ニ就 キ、 小 官 等 ノ観 察 ス ル処 ヲ
前 章 ニ於 テ 記 述 セ ル各 種 条 件 ニ該 当 ス ベキ 欧 洲 ノ 一国 ヲ撰 定 セ ン
欧 洲各 国 ノ 国 際 関係
ノ タ ル コト ヲ必 要 ト ス ル ノ ミ ナ ラズ 会 議 ノ進 行 如 何 様 ニ変 化 ス
欧 洲 大 戦 ハ、 英米 仏伊 露 ト独墺 ト ノ争 ナ リ シ モ、 戦 後 十 数 年 ヲ経
二、 国際 間 ノ利 害 我 国 ト 一致 ス ル モ ノ ナ ル コト ヲ要 ス。
ル ト モ国 際 間 ノ利 害 我 ト 一致 シ、 途 中 ニ テ寝 返 リ ヲウ タ ルル ガ
ハ周 知 ノ コト ナ リ 。 此 間 依然 ト シ テ敵愾 心 ヲ有 シ総 テ ノ点 ニ於 テ
タ ル今 日 ニ於 テ ハ、媾 和会 議 ノ 結 果生 ジ タ ル 小 国 ガ 此等 諸 国間 ニ
終 始 一貫 相 対立 シ ツ ツア ル ハ独 仏 両 国 ナ リ 。
介 在 シ 、 頗 ル複 雑多 岐 ナ ル 関 係 ヲ生 ジ僅 カ ニ平衡 ヲ保 チ ツツ ア ル
日英 同 盟 ニ於 ケ ル 日、 英 ノ如 ク、 提 携 ノ初 期 及 終 期 ニ大 ナ ル 変
如 キ惧 レ ナキ 国 家 ナ ル コト ヲ必 要 ト ス。
化 ヲ生 ズ レ バ提 携 破 棄 ス ル モ亦 止 ム ヲ得 ザ ル コト ナ レ ド モ軍 縮
ヘタ リ ト 信 ジ 居 タ ル モ 、独 逸 ノ復 興 ノ意 気 ハ物 凄 ク着 々国 力 ヲ回
仏 国 ハ聯 合 諸 国 ノ 援助 ニヨ リ 戦 勝 チ得 、独 逸 ニ完 全 ナ ル打 撃 ヲ与
三、 提 携 ハ永 続 セ シ メ得 ル国 家 ナ ル ヲ要 ス。
ベ カ ラズ 。
其 ノ 成行 ヲ見 ル ニ媾和 条 約 ニテ聯 合 国 ハ独 逸 ノ有 ス ル海 外 ノ殖 民
復 シ テ 、 再 ビ重 大 ナ ル脅 威 ヲ感 ズ ル ニ至 レ リ。
会 議 中 及 危 機 解 消 前 ニ提 携 ノ破 ル ルガ 如 キ 惧 ア ル国 家 ヲ撰 定 ス
我 提 携 ス ベキ 国 家 ガ 其 ノ国 力 強 大 ニシ テ我 ニ優 ルガ 如 キ モノ ヲ
四、 自 己 ノ存 立 ノ為 強 烈 ナ ル主 張 ヲナ ス国 家 タ ル ヲ要 ス。
ナ ラズ 、 之等 戦勝 国 ハ大 戦 中産 業 施 設 ヲ過 度 ニ膨 脹 セ シ メタ ル結
ナ レ バ 英 仏 伊等 ハ大 戦 ニ際 シ米 国 ニ莫 大 ナ ル戦 債 ヲ作 リタ ル ノミ
シ テ反 ツテ 戦 勝 国 タ ル英 米 仏 ニ最 モ大 ナ ル影 響 ヲ与 ヘタリ 。 何 ト
ー シ ヨ ン﹂ ヲ生 ジ徒 ラ ニ独 逸 国 民 ニ反 抗 心 ヲ生 ゼ シ メ タ ル ノ ミ ニ
逸 ヲ極 度 ノ疲 弊 ト 混 乱 ニ陥 レ世 界 各 国 其 ノ例 ヲ見 ザ ル ﹁イ ン フ レ
得 ザ ル賠 償 金 ヲ賦 課 セ リ 。然 ル ニ斯 ク ノ如 キ 極 度 ノ制 裁 ハ戦 後 独
地 ヲ全 部 放 棄 セ シ メ、極 端 ナ ル 軍備 ノ縮 少 ヲ行 ハシ メ到 底 支 払 ヒ
ス ル国家 ハ欧米 中 独逸 一国 ナ リ ト断 ズ ル ヲ得 。
ス ル所 ナ リ 。 即 軍 縮会 議 ニ於 テ 軍備 平 等 ノ我 主 張 ヲ最 初 ヨ リ支 持
伊 ハ常 ニ対 仏 同 比 率 ヲ主 張 ス ル モ果 シ テ撤 廃 迄 主 張 ス ルヤ 疑 問 ト
仏 ハ独 逸 再 軍備 ヲ阻止 セ ンガ為 既存 条 約 ノ改 訂 ニ ハ絶 対 反 対 ニテ
強 硬 ナ ル 態 度 ヲ緩 和 セ ンガ為 或 程 度 ノ独 逸 再 軍備 ヲ許 サ ント シ 、
日 本 ヲ飽 ク 迄抑 圧 セ ント スル態 度 ニ出 ヅ ベ ク、 独 逸 ニ対 シ テ其 ノ
然 シ テ軍 縮 会議 ニ対 スル 此等 諸 国 ノ主 張 ヲ推 察 セ ン ニ英 米 ハ勿 論
一方 独 逸 ハ此 ノ 国 際 情 勢 ヲ ヨ ク 観察 シ テ 次 第 ニ強 腰 ト ナ リ 、 ﹁ヒ
領 ノ景 気 回復 策 ハ賠 償 金 ﹁モ ナ ト リ ウ ム﹂ 迄 宣 言 ス ル ニ至 レ リ。
スル ヲ認 識 セ ル結 果 ﹁ヤ ング﹂ 案 ﹁ド ーズ ﹂ 案 ヲ生 ジ 次 デ米 大 統
景 気 ノ声高 キ ヲ聞 ク ニ至 リ各 国 モ独 逸 ノ破 滅 ハ自 国ノ 存 立 ニモ関
ノ ニシ テ 、 黄 金 ノ波 ノ中 ニア リ ト考 ヘラ レ タ ル米 国 ニ於 テ ス ラ不
ト ナ レル ヲ以 テ ナ リ 。世 界経 済 ノ 恐慌 時 代 ハカ ク シ テ出 現 セ ル モ
ニ瀕 シ 、 之 ガ 回復 ニ ハ独 逸 ノ復 興 ト其 ノ賠 償 金 ノ支 払 ガ 必 要 条 件
聯 盟 脱 退 ヲ敢行 セ ル我 帝 国 ノ強 キ支 持 ニ満 腔 ノ謝 意 ヲ表 ス ベキ ハ
ス ル処 ニ非 ザ ル 強 硬 ナ ル態 度 ヲ 示 シ ツ ツア ル独 逸 ガ 、 同 ジ ク国 際
主 張 ノ為 ニ ハ、 軍 縮会 議 ヲ脱 退 シ欧 洲 各 国 ヲ対 手 ト ス ル モ敢 テ辞
成 ル ノ後 、 我危 機 ニ当 リ 我 ヲ全 面的 支 持 シ得 ルヤ 否 ヤ ハ、 自 己 ノ
テ我 主 張 ヲ支持 シ 得 ベ キ コト ハ既 ニ述 ベ タ ル通 リ ナ リ。 更 ニ提 携
現 在 ノ独 逸 ガ 我 国 ヨリ 強 大 ナ ラ ザ ル ハ云 フ迄 モ ナ ク軍 縮 会 議 ニ於
観 察 シ テ 、 独 逸 ガ 提携 ノ条 件 ヲ具備 ス ル ヤ否 ヤ ヲ検 討 セ ント ス。
前 章 ニ於 テ大 戦後 ノ欧 米 国際 関 係 ヲ論 ジ タ ル ガ更 ニ独 逸 ノ現 状 ヲ
独逸 ハ提携 ノ条 件 ヲ具備 ス
ツト ラー﹂ 氏 政権 ヲ握 ル ニ至 リ国 民 ニ強 固 ナ ル国 家 主 義 思 想 ヲ宣
果 之 等 ハ需 要 ノ激 減 ニ ヨリ何 レ モ収 支 相 償 ハズ 総 テ ノ企 業 ハ破 滅
布 シ 先 ヅ 国境 ノ観 念 ナキ 猶 太 人 ヲ徹 底 的 ニ排 斥 ス ルト 共 ニ強 化 セ
セ ント 企 ツ ル ニ非 ザ レ バ彼 ノ利 害 ト 我 ノ利 害 衝 突 ス ベキ 理 ナシ 。
疑 ヒナ ク 、 然 モ独 逸 ガ欧 洲 ノ覇 権 ヲ掌 握 シ テ、 進 ン デ東 洋 ニ進 出
相 当 好 意 ヲ有 セ ル英 国 ト ス ラ正 面 衝 突 モ敢 テ辞 セザ ル態 度 ヲ執 リ
シ テ 、 独逸 ノ 再 軍備 ヲ 阻止 セ ン ガ為 ニ ハ、 軍 縮 会 議 ニ於 テ、 従 来
独 逸 ノ斯 ク ノ如 キ態 度 ニ最 モ脅 威 セ ラ ル ル ハ云 フ迄 モ ナク 仏 国 ニ
込 ナ キ ヲ知 ル ヤ直 チ ニ軍縮 会 議 ヲ脱 退 セ リ。
軍 備 制 限 ノ撤 廃 ヲ ソノ綱 領 ニ掲 ゲ、 国 際 聯 盟 ニ於 テ主 張 貫 徹 ノ見
ー﹂ 氏 一個 ノ力 ニテ成 レ ル モ ノ ニ非 ズ シ テ、 元 来 独 逸 国 民 ニ斯 ク
ヲ得 テ急 ニ独 逸 ガ 強 化 セ ルガ 如 ク 見 ラ ル ル モ、 コ ハ ﹁ヒ ツ ト ラ
意 識 ヲ有 シ 、驚 ク 可キ 国力 ノ回 復 ヲ示 セ リ。 最 近 ﹁ナチ ス﹂ 政 権
打 撃 ヲ受 ケ タ ル ニ係 ラズ 、依 然 不屈 不撓 ノ忍 耐 力 ト 強 力 ナ ル国 家
然 シ テ 大 戦前 世 界統 一迄 確 信 シ居 タ ル独 逸 国 民 ハ戦 後 斯 ク ノ如 キ
即 チ 欧米 諸 国 中 最 モ提 携 ノ永 続 性 ア ル国 家 ナ リト セザ ル ベカ ラズ 。
︹ラ ︺
ル 輿 論 ト独 逸 無視 不 可能 ナ ル他 国 ノ弱 点 ヲ利 用 シ テ、 賠 償 金 不 払 、
ツ ツ アル ハ最 近報 道 セ ラ ル ル如 シ。
ニ朝 鮮 人 ノ来 襲 ナ ル流 言ニ 周 章 狼 狽 セ ルガ 如 キ 日本 人 ニシ テ果 シ
一切念 頭 ニナ ク合 法 的 二利 権 ノ ミ追 及 セ リト セ バ如 何 。 大 震 災 時
住 シ 、 大 企業 会 社 ハ勿 論 小 ナ ル商 店 迄 実 権 ヲ掌 握 シ国 家 ノ利 益 等
シ キ モ ノ ナ リ 。試 ニ我 東 京 大 阪 等 ノ大 都 市 ニ支 那 人 ガ 多 数 帰 化 居
ラズ 、 我 国 ニテ 誤 リ タ ル 人道 主 義 者 ガ悪 評 ス ル ガ如 キ 不 謹 慎 モ甚
過 ギ ザ ル ハ多 少 独逸 ニ滞留 セ ル者 ナ レ バ 了解 シ得 ル処 ナ ル ニモ係
猶 太 人 排 撃 ノ如 キ モ永 キ 間 ノ独逸 国 民 ノ永 年 ノ輿 論 ガ実 現 セ ル ニ
ナ ル コト 疑 ナ シ 。其 ノ他南 京 政府 ノ註文 ニ依 ル 兵 器製 作 量 モ相 当
海 軍 潜 水 艦 計 画 主 任 ﹁テ ツ ヘル﹂ 博 士 ノ計 画並 ニ指 導 ニ依 ル モ ノ
キ モ ノ ニシ テ、 最 近 浦 塩 ニ テ組 立 テ タ ル 小 型潜 水 艦 モ大 戦 中 ノ独
云 フ ニ及 バ ズ 砲 機 銃 飛 行 機 等 ノ兵 器 ニテ 露 国 ニ送 付 セ ル 量 ハ夥 シ
リ。 小 官 等 ノ知 ル範 囲 ニ於 テ モ露 国 ノ 五 ケ 年計 画 ノ非 戦 闘施 設 ハ
全 ク相 反 ス ル露 国 ニ対 シ テ モ販 路 ヲ求 メ ツ ツ アル ハ周 知 ノ事 実 ナ
ニ於 テ苦 シ ミ ツ ツ ア ル処 ナ リ。 故 ニ之 ガ 解 決 ノ為 ニ ハ主 義 ニ於 テ
時 中 ノ産 業 施 設 ノ極 端 ナ ル拡 張 ト 生 産 過 多 ハ特 ニ現 在 ノ不 況 時 代
制 シ、 賠 償 金 問 題 解 決 ニ最 モ得 ル処 ア ル ハ明 カ ナ リ 。
テ従 来 ノ独 逸 民 族 ノ如 ク隠 忍 シ得 ル ヤ否 ヤ 疑 ナ キ 能 ハズ 。
多 キ コト 想 像 スル ニ難 カ ラズ 。 露独 不 侵 略 条約 ノ如 キ モ露 国 ノ註
ノ如 キ 気 風 ト 気 慨 ア リ シ ニ依 ル モ ノ ニシ テ偶 々 時 宜 ニ適 シ タ ル
彼 等 独 逸 国民 ガ猶 太 人 ノ ア ラ ユル方 法 ノ反 対 ヲ押 シ切 リ ツ ツ之 ヲ
文 保 持 ノ為 締 結 シ タ リ ト スル モ 不 思 議 ナ ラズ 。
戦 後 不 抜 ノ努 力 ニヨ リ斯 ク ノ如 キ 復 興 ヲ示 シ タ ル独 逸 ニ於 テ モ戦
排 撃 シ 国家 ノ存 亡 ヲ守 リ ツ ツ ア ル其 ノ祖 国 愛 ト 堅 忍 不 抜 ノ精 神 ハ
然 モ軍 備 ノ 過 度 ナ ル制 限 ニ依 リ陸 海 空 軍 ノ 軍人 ハ云 フ迄 モ ナ ク 、
﹁ナ チ ス﹂ ノ政 策 ガ 国 民 ノ歓 迎 スル 処 ト ナ リ タ ル ナ リ。
以 テ頼 ム ニ足 ル ニ非 ズ ヤ。 之 ヲ要 ス ル ニ独 逸 ハ我 提 携 ノ条 件 ヲ具
関 係 兵 器 軍 需 品 製造 技 術者 ニ到 ル迄 、其 ノ技 術 保 持 ト生 活 ノ為 露
以 テナ リ 。 然 ル ニ ﹁ナ チ ス﹂ ハ賠償 金 不 払 ヲ其 ノ 政 綱 ノ第 一ニ掲
問 題 ト 関 聯 シ 英 仏 伊 ノ反 対 若 ク ハ戦 債 不払 ヲ惹 起 スル惧 レ ア ル ヲ
リ ウ ム﹂ ヲ宣 言 シタ ル モ永 久 的 放棄 ノ意 志 ヲ表 明 セズ 。 コレ戦 債
如 シ。 米 国 大 統 領 ハ賠 償 金 取 立 ノ不 可 ナ ル ヲ認 メ 一時 的 ﹁モ ラ ト
現 下 ノ独 逸 ニ テ最 モ重 要 ナ ル ハ賠 償 金 問 題 ナ ル ハ既 ニ述 ベ タ ル ガ
レ シ独 逸 猶 太 人 ヲ純 正 ナ ル独 逸 人 ト 区 別 シ猶 太 人 ノ勢 力 ノ満 洲 国
発 展 ヲ 阻止 ス ル ヲ得 策 ト ス。 勿 論 此 際 ニ於 テ従 来 混 合 シ テ考 ヘラ
ス ル ガ如 キ コト ヲ防 止 ス ル ト共 ニ満 洲 ニ於 ケ ル英 米 支 露 ノ経 済 力
独 逸 資 本 及独 逸 国民 ニ対 シ テ優 先 権 ヲ与 へ独 逸 ガ 我 対 手 国 ヲ援 助
国 ノ為 無 視 ス ル能 ハザ ル処 ナ リ。 依 テ此 機 会 ニ於 テ満 洲 国 ニ於 テ
此等 ハ総 テ 間接 直 接 ニ露 支 ノ兵 力 ヲ増 大 セ シ ム ル モ ノ ニシ テ、 帝
︹マ マ︺
ベ ント ス。
備 ス ル モ ノ ニシ テ且 提 携 方 策 モ極 メ テ容 易 ナ ル コト 章 ヲ改 メ テ述
ゲ 支 払 ノ意 志 ナ キ コト ヲ表 明 ス。 我 国 モ賠 償 金 ヲ取得 ス レ ド モ其
ニ入 ラ ザ ル様 留 意 ス ル ヲ要 ス。
ラ レ ツ ツア リ 。
支 其他 弱 小 国 へ或 ハ指 導 員 ト シ或 ハ軍人 ト シ技 師 ト シ テ、 雇 傭 セ
ノ額 極 メ テ僅 少 ニシ テ 、 我 財 政 上 問 題 ニス ベ キ モ ノ ニ非 ズ 、 依 ツ
且 又 満 洲 国 軍 隊 ノ建 設 及 維 持 上 独 逸 軍 部 ト 密 接 ナ ル連 絡 ヲ取 リ 彼
提携方策
テ先 ヅ 列 強ニ 率 先 シ テ賠 償 金 放 棄 ヲ宣 言 セ バ独 逸 ハ他 ノ列 強 ヲ牽
ニ不 足 ス ル処 ハ満 洲 国 ノ名義 ヲ以 テ行 ハシ メ彼 ノ欲 ス ル技 術 維 持 ヲ助 ク ル ヲ要 ス。 例 ヘバ満 洲 ノ航 空 路 ノ 一部 又 ハ無電 台 等 ノ建 設
社 製 ナ リ。
ノ ニシ テ其 ノ実 施 ハ猶 研 究 ヲ要 スト 雖 モ、 小官 等 ノ関 係 スル 海 軍
置 ハ極 メ テ重 要 ナ ル モ ノ ニシ テ 、未 ダ我 海 軍 ニ於 テ ハ研 究 モ セ
ヲ止 メ、 直 接 方 位 盤 ヨ リ自 働 的 ニ作 動 セ シ メ ツツ ア リ。 此 ノ装
﹁ド イ ツチ ラ ン ド﹂ 号 ニテ ハ砲 塔 ノ旋 回 俯 仰 ヲ追 尾 式 ニテ行 フ
二、 砲 塔 自 働 旋 回 俯 仰 装 置
関 係 ニ於 テ モ独 逸 ニ註 文 シ テ彼 ヲ援 助 シ 猶 且 我 ノ益 ス ル モノ 少 カ
ハ予 想 ニ過 ギ ザ ル モ三 十 万 円 程 度 ノ モ ノ ナ ル ベ シ。
ラ レ ザ ル モ ノナ レ バ 一、 二艦 ニ対 シ装 備 実 験 ノ価 値 ア リ。 価 格
ヲ許 可 ス ルガ 如 シ。 斯 ク ノ如 キ ハ重 大 ナ ル国策 ノ 一部 タ ル ベ キ モ
ラズ 。
独 海 軍 ノ砲 戦 指 揮 装 置 ハ転輪 ヲ主 用 シ 頗 ル合 理的 ニシ テ確 実 簡
三 、 砲 戦指 揮 装 置
次 ニ具 体 的 ニ少 シ ク詳 述 セ ン。 我 海 軍 ノ提 携 方 策
単 ナ ル モ ノ ノ如 シ 。 我 海 軍 ノ モ ノ ハ可 成複 雑多 岐 ナ ル ヲ以 テ此
我 海 軍 ト シ テ ハ新 任 独 逸 大 使 館 附 武 官 ﹁ウ エ ンネ ツケ ル﹂ 中 佐 及
機 会 ニ一式 購 入 研 究 ス ル ヲ要 ス。 此 価 格 モ全 ク 不 明 ナ ル ガ 五 十 万 円 程 度 ト 想 像 ス。
我在 独 大 使館 附 武官 ヲ通ジ 直 接 独 逸 海 軍 ト 密 接 ナ ル連 絡 ヲ保 持 ス
﹁ウ エ ンネ ツケ ル﹂ 中佐 ハ過 般 呉 軍港 見 学 ニ来 リ タ ル際 会 見 セ ル
ル ヲ要 ス。
四、 ﹁デヰ ー ゼ ル﹂ 機 関
﹁デヰ ー ゼ ル﹂ 機 関 ハ我 国 ニ於 テ モ長 足 ノ進 歩 ヲナ シ 、 大 鯨 ヲ
諸 官 ニ頗 ル友 好 的態 度 ヲ示 シ 大戦 中 ノ経 験 及新 造 戦 艦 ﹁ドイ ツ チ
ヨ リ購 入 ノ要 ナ カ ル ベキ モ、 独 逸 ニ於 テ ハ、 M、 A、 N社 ニ テ、
初 メ ト シ続 々主 機 械 ニ使 用 セ ラ レ ント シ ツ ツ ア レ バ強 ヒ テ独 逸
ラ ンド﹂ 号 ノ 内 容 ニ就 キ 何等 包 ム 処 ナ ク 説 明 シ 、各 方 面 ニ多 大 ノ
バ、 最 モ適 当 ナ ル人 物 ナ リ ト 信ズ 。 然 シ テ 我海 軍 ト シ テ ハ独 海 軍
製 造 セ ル機 械 ガ ﹁ドイ ツ チ ラ ンド ﹂ 号 主 機 械 ト シ テ既 ニ実 用 ニ
感 動 ヲ与 ヘタ ル モ ノ ニシ テ 、 将 来 日 独 海 軍 ノ友 好 ヲ強 調 シ居 タ レ
供 セ ラ レ成 績 良 好 ナ リ ト ノ コト ナ レ バ 一二基 購 入 ス ル モ無 駄 ナ
ラズ 。之 ニ要 ス ル費 用 ハ ﹁ライ セ ン ス﹂ ヲ含 ミ三 百 万 円 乃 至 五
一、 標 的 船 無 線 操 縦 装 置
百 万 円 ト推 測 ス。
ヲ通 ジ 左 記 ノ註 文 ヲ発 ス ル ヲ可 ト ス。
標 的 船 無 線 操 縦 装 置 ハ我 海 軍 ニ於 テ モ横 須賀 ニ於 テ 実 験 ヲ了 シ 、
五 、航 空 用 ﹁デヰ ー ゼ ル﹂ 機 関
技 研 ニテ研 究 中 ニ テ摂 津 ニ対 シ 計 画 中 ナ リ ト ノ コト ナ レ ド モ独 逸 海 軍 ニテ ハ既 ニ数 年 前 ヨリ ﹁ツ エー リ ンゲ ン﹂ ナ ル標 的 船 ヲ
購 入 シ 目 下 航空 廠 ニ於 テ 計 画 研究 中 ニテ 不 日純 日本 製 品 ノ出 現
航 空 用 ﹁デ ヰ ー ゼ ル﹂ 機 関 ハ曩 ニ独 逸 ﹁ユン カ ー﹂ 社 ヨ リ 一基
ヲ見 ル ベ キ モ ﹁ユ ンカ ー﹂ 社 ノ モ ノ ハ ﹁ル フト ハン ザ﹂ 社 ニテ
実 用 ニ供 シ射 法 其 ノ他 ニ多 大 ノ経 験 ヲ有 シ ツ ツ アル ヲ以 テ 、 此
ナ ラズ 。 価 格 ハ百 万 円 程 度 ナ ル ベ ク電 気 装 置 ハ ﹁ジ ー メ ン ス﹂
際 一式 ノ註 文 ヲ発 シ彼 ノ経 験 ヲ モ合 セ テ取 リ 入 ル ハ決 シ テ無 駄
一基 十 五 万 円 位 ト 記 憶 ス。
コト ナ レ バ猶 数 台 購 入 シ 実 用 試 験 ヲナ スモ 不 可 ナ ラズ 。価 格 ハ
定 期 航 空 ニ盛 ニ使 用 セ ラ レ ツ ツ アリ 、 其 ノ 成 績 モ良 好 ナ リ ト ノ
益 セ シ ム ル コト 肝 要 ナ リ。
歩 セ ル技 術 ヲ輸 入 セ シ ム ルト 共 ニ適 当 ナ ル註 文 ヲ発 シ、 彼 ヲ モ
テ ハ独 海 軍 ノ斡 旋 ニ依 リ、 日本 光 学 工業 等 ト 提 携 セ シ メ彼 ノ進
光 学 兵 器 類 ガ独 逸 品 持 ニ優 秀 ナ ル ハ周 知 ノ事 実 ニ シ テ 先 年 モ
レ タ ル モ ノ ヲ取 リ又 ハ彼 ニ註 文 ス ル等 ノ方 法 ヲ講ズ ル ヲ要 ス。
ナ ル関 係 ト ナ ル ニ従 ヒ漸 次 此 等 ノ技 術 上 ノ微 細 ノ点 ニ入 リ 彼 ノ優
ヨ リ改 善 研 究 セ ラ レ タ ル モ ノ少 カ ラザ ル模 様 ナ レバ 独 海 軍 ト 緊 密
右 以 外 ノ飛 行 機 機 関 銃 潜 水 艦 等 ニ関 ス ル モ ノ ニシ テ、 大 戦 ノ経 験
﹁ツ アイ ス﹂ 社 ヨリ ﹁ス テレ オ﹂ 式高 角 測 距儀 ヲ 四基 購 入 シ タ
六、光学兵器類
ルガ 爾 後 日 本 光 学 工 業 ニテ 製造 セ シ メ ンガ為 内 密 ニ同 社 ノ技 師
以 上 論 述 セ ル ガ如 ク目 下 ノ時 局 ニ於 テ帝 国 ガ 独 逸 ト 結 ブ コト ハ最
論
モ有 効 且 容 易 ナ レ バ速 カ ニ実 行 ニ入 リ 来 ル ベキ 軍 縮 会 議 ヲ有 利 ニ
結
術 上 ノ指導 ヲ受 ケ 又 ハ協 力 セ ント スル ニ非 ズ シ テ、 彼 ノ技 術 ヲ
導 キ 危 機 ニ備 ヘラ レ ン コト ヲ切 言 ス。 ︱
ヲ派 遣 セ ル コト アリ 。従 来 我海 軍 ノ海 外 註文 ニ対 ス ル方 針 ハ技
盗 ミ 取 ラ ント スル ガ 如 キ感 ナ キ ニシ モ非 ズ 。 斯 ク ノ如 キ ハ曝 露
終︱
セ ル暁 彼 ヲ失 望落 胆 セ シ ム ル ノ ミ ナ ラズ 猜 疑 心 ヲ生 ジ 遂 ニ ハ悪
︹ 註︺海 軍用箋 にタイプ印書。
論
( 山 下 知 彦 大 佐 ・藁 谷 英彦 少佐 、 昭 和九 年 )
緒
ヨリ 脱 却 シ 現 行 比率 ヲ打 破 シ 軍備 平等 権 ノ確 立 ヲ期 ス﹂ ト 強 硬 ニ
明年 ニ迫 リ シ 軍 縮会 議 ニ対 シ 、帝 国 ハ ﹁既存 条 約 ノ 不利 ナ ル拘 束
主張 シ ツ ヽアル モ 、 之 ガ協 定 実 現 ノ公 算 ノ少 キ コト ハ万 人 ノ認 ム
海 軍 大 佐 山下知彦 華府条約倫敦条約廃棄後 ノ建艦計画
海軍造船少佐 藁谷英彦
華府条約倫敦条約廃棄後 ノ建艦計画
二六 華 府 条約 倫 敦 条 約 廃 棄 後 ノ建 艦 計 画
感 情 ヲ抱 カ シ ム ル ニ到 ル ベ シ。 依 ツテ ﹁ツ アイ ス﹂ 社 等 ニ対 シ
極秘
従 来 ノ 一主 力 艦 ニ相 応 ス ル モ ノ タ ル ヲ障 ゲ ズ
之 ガ実 現 ニ ハ、 我帝 国 ノ主 張 ノ正 当 ナ ル所 以 ヲ天 下 ニ宣 明 シ 国 民
機
主
銃 四 十粍 機 銃
高角 砲 十 二 、七 糎 砲
副
雷 十 八 吋魚 雷 同時 発 射 数
砲 十 四 糎砲
砲 十 八吋 又 ハ廿吋 砲
十 二基
四十 本
廿八門
廿 四門
十 二門
以 上 ノ 方針 ニ ヨリ テ按 劃 ス ル攻 防 速 力 最 小 限 度 ノ要 求 左 ノ如 シ。
一致 ノ支 援 ヲ受 ク ル ト共 ニ、 廃 棄 後 当 然 生 ズ ベキ 建 艦 競 争 ニ対 シ
魚
六基
テ臨 マザ ル ベ カ ラズ 。 帝 国 ノ主 張 ヲ貫 徹 セ ン ニ ハ先 ヅ 既 存 条 約 廃
ル 処 ナ リ 。然 モ実 現 ス ル ニア ラズ ン バ会 議 ヲ脱 退 ス ル ノ決 意 ヲ以
確 固 タ ル 建艦 計 画 ヲ樹 立 セ ザ ル ベ カ ラズ 。
飛 行 機 戦 闘 機
九基
一、 攻 撃力
然 ル ニ小 官寡 聞 ニシ テ 之 ガ対 策 ニ就 キ何 等 計 画 ア ル ヲ知 ラズ 。 寔
観 測 機
棄 ノ決 心 ヲナ サ ザ ル ベ カ ラズ 。 即 予 備 交 渉 ニ入 リ タ ル今 日、 速 ニ
ニ憂 慮 ニ堪 ヘザ ル処 ナ リ。 小 官 等 中 央 ノ計 画 資 料 ヲ何 等 参 考 ト シ
攻 撃 機
廃 棄 ノ 通 告 ヲナ シ吾 態 度 ヲ明 カ ニセ ザ ル ベ カ ラズ 。
得 ザ ル 配 置 ニ アリ 。 対策 按 劃 ハ非 常 ニ杜 撰 ナ ル ベキ モ敢 テ 一案 ヲ
三基
十六個
三十 基
四十 門
作 成 シ参 考 ニ資 セ ント ス。
偵 察 機
爆 雷 投 射 台 一、 防 禦 力
一万 五 千 米 ニ テ十 六 吋砲 弾 ニ対 シ完 全 ナ ル防 禦 ヲ有 セ シ ム
火薬庫防禦
一噸 爆 弾 ニ対 シ完 全 ナ ル 防禦 ヲ有 セ シ ム 機械室防禦
二万 五 千 米 ニ テ十 六 吋砲 弾 ニ対 シ完 全 ナ ル防 禦 ヲ有 セ シ ム 水中防禦
二十 五 節
八組
六 十 糎 二本 命 中 ス ル モ沈 没 セ ザ ル モノ
力
掃 海 具 一、 速
計 ( 常 用 ノミ)
計 画 ノ根 本方 針 華 府 、 倫 敦 条 約 ノ成 立 ニ依 リ 、 反 ツテ我 建 艦 計 画 ヲ困 難 ニシ、 其 ノ為 主 力 艦 改 装 ニ第 一次 、第 二次 ノ 補充 計 画並 ニ航 空 隊 ノ増 設 等 頗 ル能 率 悪 シ キ 計 画 ヲナ シ 、 莫大 ナ ル経 費 ヲ要 シ タ ル ニモ係 ラズ 、 遂 ニ ハ友 鶴 転 覆 事件 ヲ惹起 シ テ全 艦 艇 ノ性 能 ニ不 安 ヲ感 ズ ル ニ到 リ タ ル苦 キ 経 験 ニ鑑 ミ 、該 条 約廃 棄 後 ノ建 艦 計 画 ハ最 モ合 理 的 ニ シ テ、 且 最 モ経 済 的 ナ ラ ザ ル ベ カ ラズ 。 即小 官 等 ノ提 唱 ス ル根 本 方 針 ハ次 ノ如 シ 。
ノタ ル コト
一、 新 主 力 艦 ハ既 成 主 力 艦 ヲ以 テ シ テ ハ決 シ テ撃 沈 シ能 ハザ ル モ
ル コト
一、 新 主 力 艦 ハ既 成 主 力 艦 ニ比較 シ 得 ザ ル攻 撃 力 ヲ有 ス ル モ ノ タ
一、 新 主 力 艦 ハ攻 防 速 力 等 ノ合 理化 ヲナ シ 、要 ス レ バ数 隻 ヲ以 テ
本 艦 ハ固 有 ノ兵 装 聯 装 十 二、 七 糎 高 角 砲 二 基 、 四 聯 四 十 粍機 銃
十 八 節 ニテ 一万 五 千海 浬
一、 航 続 力
四基 ヲ有 ス ル ニ止 メ、 現 在 ノ航 空 母 艦 ト 同 様 ノ 一段 ノ 飛 行機 格
ニ ハ四十 節 以 上 ノ速 力 ヲ有 シ 十 八 吋 魚 雷 二 本 ヲ搭 載 シ テ 四 万 米
納 庫 及 飛 行 甲 板 ヲ有 シ、 前 記 三 十 基 ノ 飛 行 機 ヲ搭 載 ス。 猶艦 側
ノ航 続 力 ヲ有 ス ル ﹁ハイ ド ロプ レー ン﹂ 二 十 隻 ヲ搭載 ス。
ヲ以 テ、 之 ヲ次 ノ六隻 ニ計画 セ ント ス 。 一隻
防 禦 ハ無 防 禦 ト シ 、 之 ヲ補 フ ベク 速 力 三 十 三 節 ト シ 、 全 部 又 ハ
斯 ク ノ如 キ 莫 大 ナ ル要 求 ヲ 一艦 ニ マト ム ル コト ハ勿 論 不 可能 ナ ル
主 砲 艦
一隻
一部 ノ主 機 械 ヲ ﹁デ イ ー ゼ ル﹂ 機 関 ト シ テ所 要 ノ航続 力 ヲ保 持
四隻
セシ ム。
副砲 艦
即 上 記 六隻 ヲ以 テ 主力 艦 一隻 ト考 ヘ、 前 記 ノ攻 防 速 力 ヲ次 ノ如 ク
附 属 艦
分 配 セ ント ス。
一、 本 計 画 ハ六 隻 ヲ以 テ 一隻 ノ主 力 艦 ニ要 求 スベ キ 性能 ヲ分有 セ
本 計 画 ノ価 値
本 艦 ハ三 万米 ニテ測 的 開始 、 二万 八千 米 ニテ射 撃 開 始 、 酣 戦 距
一、 主砲 艦
ハ容 易 ナ リ ト 信 ズ 。
即 主 砲 艦 ハ之 ヲ五 万 噸 附 近 ノ モ ノト スレ バ 、 単 ニ十 二 門 ノ主 砲
シ メ ント ス ル モ ノナ ル ヲ以 テ、 其 ノ要 求 厖 大 ナ ル ニ係 ラズ 計 画
ト 僅 少 ナ ル対 空 砲 ヲ装 備 ス ベキ モ ノナ レ バ 、 其 ノ 大部 ノ 重量 ヲ
離 二 万 五 千米 ヨリ 一万 八千 米 ト ス ル艦 ニシ テ、 前 記 主 砲 ヲ三 聯
ノ ミ ト ス。
四砲 塔 備 装 シ 、他 ハ高 角 砲 二聯 四基 、 機 銃 四聯 四基 ヲ備 装 ス ル
防 禦 ハ前 記防 雷 具 ヲ除 キ タ ル完 全 ナ ル防 禦 ヲ有 セ シ ム。
防 禦 ニ用 フ ル ヲ得 ベク 、 完 全 ナ ル 防 禦 ヲ施 シ得 、 然 モ米 海 軍 之
︹マ マ ︺
ニ対 抗 スベ キ 戦 艦 ヲ建 造 セ ン ニ ハ、 巴奈 馬 運 河 ヲ開鑿 スル カ 、
速 力 ハ廿 五 節 、 航 続 力 ハ十 八 節 一万 五 千 海 浬 ト シ 、 主 機 械 ハ ﹁デイ ー ゼ ル﹂ 機 関 ヲ用 フ。
副 砲 艦 四隻 ハ全 部 同 型 ニシ テ、 各 二聯 十 四糎 三 基 、 十 二、 七 糎
装 ノ 要 求 ナ キ ヲ以 テ計 画 ハ困 難 ナ ラズ 。
副 砲 艦 ハ五 千 噸 ノ 巡 洋 艦 ト 殆 相 似 ノ艦 タ ル ベ ク 、 コレ 又他 ノ兵
太 平 太 西 両 岸 ニ我 ニ倍 数 ノ戦 艦 ヲ備 フル ヲ要 ス。
高 角 砲 二 門、 爆 雷 投 射 台 四台 ヲ装 備 ス。
附 属 艦 ハ約 一万 五 千 噸 ヲ以 テ スレ バ 、 現在 ノ新 航 空 母 艦 ニ比 シ
一、 副砲 艦
防 禦 ハ掃 海 具 各 二個 ヲ装 備 ス ル ノ ミ ナリ 。
テ計 画 遥 ニ容 易 ナ リ 。
ク ル モ其 ノ為 メ他 ノ性 能 ニ重 大 ナ ル影 響 ヲ与 フル コト ナ シ。
弁 慶 ノ 七 ツ道 具 式 ヲ止 メ 、 非 常 ニ能 率 ヨク 、 且多 少 ノ損 害 ヲ受
一、 之 ヲ用 兵 上 ヨリ考 察 ス ル ニ、従 来 ノ我 海 軍 ノ艦 艇 ノ如 ク所 謂
防 禦 不 足 ヲ補 フベ ク速 力 ハ三 十 三 節 ト ス。 主 機 ハ 一部 又 ハ全 部 ﹁デイ ーゼ ル﹂ 機 関 ト シ、 十 八節 一万 五 千 海 浬 ノ航 続 力 ヲ保 持 セ シ ム。 一、 附 属 艦
シ 得 ベ シ ト確 信 ス ル所 ナ リ。
然 モ将来 計 画 ハ兵 器 ノ進 歩 ニ伴 ヒ、 常 ニ コノ様 式 ヲ以 テ建 艦 セ バ、
一、 各 艦 ノ性 能 極 端 ニ合 理 化 シ アレ バ 各 兵 器 ハ スベ テ 其 ノ 全 能力
︱ 終︱
ヲ発 揮 シ得 ル様 配 置 ス ル コト ヲ得 、 然 モ兵 装 簡 単 ナ レ バ 単 純化
論
他 国 ガ如 何 ニ厖 大 ナ ル建 艦 計 画 ヲ ナ ス ト モ敢 テ恐 ル ル ニ足 ラズ 。
結
︹註 ︺ 軍 軍 用 箋 に タ イ プ 印 書 。
ノ 目的 ヲ達 シ得 テ建 造 費 少 シ 。
帝 国 ハ軍 縮 会 議 ノ覊 絆 ヲ脱 ス ルト 共 ニ、 本 艦 群 二 群 ヲ建 造 セ バ 、
一九 三 五 年 の 意 義 ( 昭和九年)
既 製 ノ各 艦 ト共 ニ英 米 何 レ ノ海 軍 ニ対 シ テ モ充 分 対 抗 シ 之 ヲ撃 破
二 七
際 列 国 に提 示 さ れ る こと にな る かも 知 れ ぬ。 然 し な が ら 軍 縮 会 議
は 今 回愈 々 国策 化 さ れ た の で或 は来 る十 月 再 開 さ れ る予 備 会 議 の
げ次 で之 を 関係 当 局 に提 示 し爾 来 荐 り に折 衝 中 であ つた が 該 対 策
置き 而 も 之 と 同時 に 軍縮 の理 想 を 実 施 し得 ると こ ろ の対 策 を 練 上
鑑 み 慎重 に 研究 調査 を 重 ねた 後 国家 生 存 権 の絶 対 平 等 観 に基 礎 を
来 年 愈 々海 軍 々縮 会 議 が 開か れ る。 我 海 軍 は 夙 に 事 態 の重 大 性 に
蒸 し 返 へす に 過 ぎ ず 折 角 安 定 に 近 づ き つ ゝあ る東 洋 を 再 び 混乱 に
を 討 議 し た な ら ば 結 局 一昨 秋 か ら 昨 春 に 亘 る 聯 盟 に 於 け る 紛糾 を
保 障 と し て同 様 の軍事 協 定 を 行 ふ のが 本筋 で はあ る が唯 政 治問 題
でも な い。 元 来 先 づ 無 脅 威 不 侵 略 の政 治協 定 を遂 げ 而 し て後 之 が
に は 関 係 な し と 観 た か ら で は な く 又 政 治 問 題 の討 議 を 恐 れ た か ら
前 の諒 解 は あ る やう で あ る が 、 之 は 決 し て 海 軍 問 題 が 政治 や外 交
討 議 を 回 避 し や う と す る 腹 で あ り 既 に 之 に 就 いて各 国と の 間 に事
の興 廃 を 左 右 す る 重 大事 件 で あ る か ら だ 。 勿 論 日本 は政 治 問題 の
の前 途 は多 難 であ る 此 の 際吾 人 は 一般 国民 諸 君 に対 し て決 意 と 忍
る。
陥 れ る 虞 が あ る か ら 殊 更 に 問 題 を 軍事 協定 丈 け に 限 定 し た の で あ
一九 三 五年 の意 義
耐 と を 要 望 す る次 第 であ る。
凡 そ 軍 備 は 外 交 の後 楯 であ り 支 柱 で あ る 。 昔 徳 川 方 が豊 臣 方 を 強
今 回 の会 議 は名 は 軍縮 会 議 であ る け れど も 国民 諸 君 は決 し て之 を 単 純 な 海 軍 会議 で あ る と 考 ヘて はな ら ぬ。 蓋 し同 会 議 は 実 に国 家
制 し て 先 づ 総濠 を埋 め さ せ而 し て後 に難 題 を 吹 き 掛 け た のと 同 筆
の際 に は 総 括 八 割 を 主 張 し た 丈 け で 何故 も つと 以前 に 日 本 は 軍備
の際 に は 補 助 艦 の総 括 七 割 を 主張 し 一昨 年末 寿 府 の 一般 軍縮 会 議
質 的 に対 等 以 上 の兵 力 を 保 有 し 得 た こ と か ら 徒 ら に 列 国 に刺 戟 を
法 で 後 楯 を 除き 支柱 を去 れば 外 交 と 云 ふ牙 城 に迫 る のが 最 も 名 案
与 へる こと を 不 利 と 考 へた か ら 極 め て 控 え 目 な 提 案 を 試 み た の で
いが そ れ は 当 時 に 於 け る 列 国 建 艦 量 と 日 本 の そ れ と を 比 較 し て 実
後 楯 を 除 去 し た 後徐 う に 政治 問 題を 持 出 し有 無 を 言 は せず 日本 が
あ つて敢 て軍 備 権 の平 等 と 云 ふ 観 念 を 持 た な い訳 で は な か つた 。
権 の平 等 を 基 調 と し た 提 案 を 行 は な か つた か﹂ と 云 ふ か も知 れ な
折 角 世 界 戦争 中 成 し 遂 げ た対 大陸 発 展を ス ツカ リ清 算 し て仕 舞 つ
で あ る 筈 だ 。 此 の点 を 狙 つた の が華 府 会 議 で先 づ 軍備 問 題 を 討 議
た ので あ つた 。 即 ち 華 府会 議 は 日 露 戦争 以後 十 数 年 間 に於 け る 日
ろ退 嬰 的 提 案 でさ へ列 国 の容 る と ころ と な ら な か つた ので あ つた 。
名 を 棄 て実 を 採 る のを 賢 明 な り と し た 迄 で あ つた 。 然 し 斯様 な 寧
し 五 ・五 ・三 の比率 を 基 調と し た 軍縮 条 約 を 成 立 させ 以 て支 柱 や
本 の対 外 関 係 の総 決 算 で あ つた 。
然 る に最 近 列 国 殊 に 米 国 は 条 約 限 度 迄 の建 艦 を 計 画 し 着 々 之 を 実
我 海 軍 と し て は 仮 令 そ れ が 主 力艦 と 航空 母艦 と であ つて海 軍力 全
行 し つ ゝあ る の で 日本 は 所 謂 第 二次 補 充 計 画 を 完 全 に 実 施 し て も
の対 米 比率 は 六割 三分 見 当 と な り 彼 我 の均 衡 は 全 く 破 れ る の であ
で承 認 し た 訳 では な く 太 平 洋 に 於 け る 防 備 制 限条 約 が成 立 し た こ
る 。幸 に し て華 府 条 約 は 日本 が 期 を 逸 せ ず 廃 棄 通 告 を 行 へば 一九
部 でな い にし た と こ ろ 五 ・五 ・三 の比率 で 縛 ら れ る こと を 無 条 件
あ つた 航 続 力 は 驚 異 的 増 加 を 来 し た こ と は 航空 が 顕著 な 発達 を 遂
三 六年 末 で解 消 し 又之 と 同 時 に倫 敦 条 約 は自 働 的 に 満 期 と な り 一
其 の完 了 期 た る 一九 三六 年 末 艦 齢 内 兵 力 の対 米 比 率 を 八 割一 分 に
げ た こと と 相 俟 つ て 日本 は 七 割 程 度 の海 軍 力 で は 到底 国 土 の 防 衛
九 三 五年 即 ち 来 年 会 議 が 開 かれ る の であ るか ら 日本 は 此 の機 会 に
保 ち 得 る に過 ぎ ず 其 の後 米 国 の保 有 兵 力 量 は 急 激 に 増 加 し 一九 三
が 不 可 能 にな つた の であ る 。
於 て 是 非共 国防 の安 全 感 を 確 保 し得 る新 条 約 を 結 ぶ こと に し な け
と 及 補 助 艦 は 無 制 限 に 建 造 出 来 る と 云 ふ こ とを 条 件 と し て列 国 軍
尚又華府会議直後東洋各地に於ける排日侮日運動は頓に熾烈を加
れば な ら ぬ の であ る が今 回 は 一九 三九 年 を 目 前 に控 え 躊 躇 す れ ば
備 の内 容 に大 な る変 化 が な い限 り 当 分 国 防 の安 固 を期 し 得 る も の
へ之 が 為 に 日本 は 莫 大 な 損 害 を 蒙 つた 。 欧 米 国 人 中 に は 之 を 以 て
二度 と 来 な い好 機 会 を 逸 す る こと と な る から し て従 来 の やう に外
の所 謂 ウ エル ・バ ラ ン スト ・フ リ ート が 出 来 上 る訳 であ つ て 日本
直 接 間 接 華 府 会 議 の結 果 であ ると 認 め て 居 る も のも 相 当 あ る や う
国 に気 兼ね など し て 居 る 訳 に行 か ぬ。 須 く 行 懸 り や情 実 な ど には
九 年 にな れ ば 華 府 会 議 以 来 多 年 米 国 海 軍 が 待 望 し て居 つた と ころ
であ るが 吾 々と し ては 華 府 会 議 の際 海 軍 力 の劣 比 率 を受 諾 せざ る
と 考 へた の であ つた 。 と こ ろ が 其 の後各 国 が保 有 す る主 力艦 は漸
を 得 ざ る破 目 に陥 つた こと が 与 つ て力 あ る も のと 認 めざ る を 得 な
一切拘 泥 せず 最も 率 直 大 胆 に所 信 を 披 瀝 し正 々堂 々之 が 貫 徹 に努
次 現 代 化 さ れ て 日本 が 国 防 の安 全 感 を 依 托 す る 最 も重 要 な 要素 で
いの であ る。 世 人 は 或 は ﹁そ れ 程 既 存 条 約 が 不 利 な ら ば 倫敦 会 議
避 出 来 る 然 し 其 の手 を打 てば 国際 関係 は当 然 悪 化 す る であ ら う か
るが 一九 三 五 年 の会 議 で手 を打 てば 一九 三九 年 の危 機 は容 易 に回
率 直 に 言 へば 日 本 の国 防 が 最も 急 殆 に瀕 す る の は 一九 三九 年 であ
なければならぬ。
突 破 し 得 る と す る な らば 縦 令多 少 負 担 が増 し たと て我 慢 し て貰 は
左 程 懸 念 す る に は 及 ば な い。尚 又 之 に依 つて 一九 三九 年 の危 機 を
行 ひ 国 家 の財 政 を 極 度 に 圧 迫 す る やう な こと は避 け 得 るか ら し て
造 艦 競 争 が 起 る 訳 のも の で な く 此方 は 国情 に 即 した 自 主 的 軍 備 を
が な い ので あ る 。 然 し な が ら縦 令 無 条 約 と な つた と て そう 急 激 に
対 手 国 の頑 迷 な 態 度 に 依 つて 不 可 能 であ ると す れば そ れ は致 し方
力 す べき で あ る 。 若 し斯 様 に し て も満 足 す べき 条 約 を 結 ぶ こと が
あ る 。 吾 人 は 国 民 が 打 つて 一丸 と なり 此 の難 局 打 破 に邁 進 せ ん こ
で あ ら う 。 此 の 意 味 か ら 一九 三 五年 は極 め て重 大 意 義 のあ る年 で
り多 大 の犠 牲 を 払 つて 成 就 し得 た 一大事 績 は 恐 らく 水 泡 に帰 す る
り 再 び 倫 敦 会 議 当 時 の失 敗 を 繰 返 へす な らば 折 角 過 去 三年 間 に亘
か む と し つ ゝあ る ので あ る が若 し 来年 の 軍縮 会 議 に其 の対 策 を 誤
迄 も 敢 てし て遂 に 満 洲 問 題 を 解 決 し 更 に支 那 問 題も 解 決 の緒 に就
つ て我 国 民 は 曩 に 挙 国 一致 満 洲 及 上 海 の 両事 変 に善 処 し聯 盟 脱 退
感 は 失 は れ 一九 三 九 年 は 正 に 其 のク ラ イ マ ツク ス に達 す る の であ
次 日本 海 軍 力 は 相 対 的 に 低 下 す る こ と に なり 年 と共 に 国防 の安 全
年 の意 義 は 自 ら 明 瞭 と な ら う 。 前 述 し た やう に 一九 三 七年 以 後 漸
つ て 一九 三 九 年 に 如 何 な 危 機 に 直 面 す る か ゞ 判 明す れば 一九 三 五
九 三九 年 の危 機 突 破 は 決 し て 不 可 能 で な いと 云 ふ こと にな る 。従
む 為 に直 面 す る 危 機 で あ る 。 故 に 之 を 突 破 す る こと が 出来 れば 一
︹マ マ︺
ら 出 来 得 る 限 り 海 軍 軍備 を 充 実 し 国防 力 を 向 上 さ せ て置 く 必 要 が
と を 切 望 す る も ので あ る 。
( 終)
あ る 。 而 も 時 は 正 に 経済 国 難 の真 中 であ る関 係 か ら 海 軍 々備 の充
︹ 註︺海軍用箋にタイプ印書。
実 は 容 易 な こ と で は な いか ら 国民 は 一九 三 五年 の危 機 た る 所 以 を 先 づ 諒 解 し 確 乎 た る 決意 を し なけ れば な ら ぬ と 云 ふ のが 吾 人 の主 張 で あ つた 。 一九 三 五年 は危 機 であ るが 一九 三九 年 の危 機 を 免 れ
愈々来年軍縮会議 が開かれるのであ るが此 の際世人 の注意を喚起
二 八 華 府 条 約 廃 棄 通 告 を 即 時 断 行 せ よ ( 昭和九年)
華府条約廃棄 通告を即時断行せよ
る。 第 一は華 府 条 約 であ る が 何 故 に 同 条 約 が 結 ば れ た か 先づ 其 の
し た い の は既 存 軍縮 条 約 程 不 都 合 な も のは な いこ と に 就 いて ゞあ
軍力 は戦 闘 力 と 云 ふ点 か ら 観 れ ば 殆 ん ど 同 日 の論 で な く 日 米 両 海
を 組 成 す る艦 船 の素 質 次 第 であ る。 であ るか ら し て 当 時 の日 本 海
軍力 の比 率 は寧 ろ 日本 が 十 で米 国 が 六 であ つた か も 知 れ な い ので
可能 の 国柄 であ るか ら 国 民 の大 部 分 は 海 洋 の必 要 な こと も 海 軍 の
由 来 を 検 討 す る必 要 が あ る 。 華 府 会 議 の際 に 米 国 代表 は ﹁日 本 の
有 難 味 も 一切 知 ら な い為 に国 会 議 員 等 も 海 軍 予 算 に 賛 成 し て帰 へ
な か つたか と 云 ふと 素 々米 国 は 大 陸 国 で而 も 或 る程 度 迄 自 給 自 足
の主 張 は 通 ら ず 太 平 洋 の防 備 制 限 と 補 助 艦 ( 巡 洋 艦 、 駆 逐艦 、潜
れば 次 回 の選 挙 に は得 票 が 減 ると 云 ふ 状 態 であ つて 一般 に 議 会 は
あ る。 何 故 米 国は 十 の海 軍 力 でも 戦 闘 の役 に 立 た ぬ も のし か 持 て
水 艦 ) は 無 制 限 に建 造 出 来 る こと の 二 つ の条件 附 で遺 憾 な が ら所
海 軍問 題 に不 熱 心 であ る。 従 て 三年 計 画 で軍 艦 を 造 ら う と し ても
は ﹁ 六 で はな い七 であ る﹂ と 応 酬 し て抗 弁 大 に努 め た が 遂 に 日 本
謂 五、 五、 三 の比 率 を 受 諾 し た ので あ つた 。然 し な が ら 当時 の米
海 軍力 は米 国 の十 に 対 し て六 であ る ﹂ と 言 ひ 出 し た の で 日本 代 表
国 海 軍 力 は十 であ る と 言 つ ても 戦 闘 艦 と 駆 逐艦 丈 け で あ り殊 に 戦
割 の兵 力 し か 持 た ぬ やう にす る には ど う す れ ば よ いか ﹂ と 種 々魂
そ れ は 五年 計 画 にな つた り 十 年 計 画 にな つた り す る の であ る 。
胆 を 砕 いた 挙 句 、 軍 縮 会 議 を 開 い て海 軍 力 の内 容 即 ち 単 艦 の素 質
そ れ故 に 日本 が 自 由 に建 艦 を 行 つた の では 米 国 の東 洋 進 攻 陣 は 何
を 横 断 し て東 洋 の海 面 に 進 出 す る こ と が 出 来 る為 に 必 要 な大 航 続
を 一定 のも のと し 且 五、 五、 三 の比 率 を 以 て 日本 を 縛 り 附 け や う
闘 艦 は 所 謂 超 弩 級 艦 と か 弩 級 艦 と か 名 の附 く も の が 二 十余 隻 あ つ
力 を 持 つて居 るも のは 僅 に 三 隻 に 過 ぎ な か つた 。由 来 海 軍兵 力 と
た け れ ど も 日露 戦 争 以 後 十 数 年 間 に 区 々 の計 画 に 依り 徐 々 に建 造
云 ふも のは 各 種 の艦 艇 か ら 成 つて 居 り 其 の内 の 一種 か 二種 丈 け で
と し宣 伝 と 外 交 術 と に依 つて無 理 矢 理 に 日本 に 条 約 を 押 し つけ た
し て米 国が 漸 進 的 の建 艦 に依 り 東 洋 進 攻 陣 を 完 成 す る 迄 日 本 は 六
は 如 何 に沢 山 持 つ て居 つて も 作 戦 が 出 来 る も の で な いこ と は素 人
の であ つた 。
時 にな つた つても 完 成 は し な い の であ る 。 そ こ で彼 等 は ﹁何 と か
も 判 る 理 窟 であ る。 斯 様 な 海 軍 力 で は東 洋 進出 は 到底 不 可能 であ
日本 は何 故 に海 軍 を 必 要 と す る か と 言 へば 東 洋 に 於 け る 唯 一の安
ル ト の支 持 を 受 け て完 成 し た 彼等 の伝統 的 作 戦方 針 であ る太 平洋
る。 換 言 す れ ば 米 国 は 噸 数 か ら 言 へば 十 の海 軍力 を持 つて居 つた
さ れ た も の であ るか ら 粒 が 揃 は ず マ ハ ン の発案 に 成り ル ーズ ヴ エ
け れ ど も 戦 闘 の役 に は 立 た ぬ も ので あ つた のであ る。 之 に反 し て
に於 てを や であ る。 米 国 は 五 でよ いが 日本 は 三 でな け れ ば な ら ぬ
国家 でも 其 の国 防 は 自 主 的 でな け れ ば な ら ぬ 。 況 ん や 皇 国 の国 防
と 云 ふ理 由 が 何 処 に在 る か 。 米 国 は 日 本 に 対 し て国 防 力 を 割 当 る
定 勢 力 と し て の体 面 と 安 全 感 と を 得 た いか ら であ る 。 由 来 何 れ の
ても 国 防 の任 を 担 ふ に 足 る も ので あ つた 。当 時 噸 数 が戦 闘力 の総
権 利 が 何 処 に在 る か 。 而 も 割 当 てら れ た 兵 力 を 見 よ 、 六 割 と は 名
日本 の海 軍 力 は 噸 数 か ら 言 へば 仮 令 そ れ が 六 であ つて も 七 であ つ
て全 海 軍 力 の噸 数 と 云 ふ 意 味 で な い全海 軍力 の優 劣 は内 容 即 ち 之
和 を 表 は す と 云 ふ 観 念 が あ つた が 之 は個 々 の艦 船 に就 いて ゞあ つ
則 に依 つて 三割 六分 の戦 闘 力 を 有 す るに 過 ぎ な いで は な いか 。
許 り であ つて内 容 を 全 然 同 じ も のに し て あ る 為 に 夫 の 自 乗 比 の 原
知 れ ぬ が之 は頗 る間 違 つた 観 念 で海 軍 力 の骨 幹 た る 主 力 艦 を 縛 つ
条 約 さ へ更改 す れば 華 府 条 約 は其 の儘 でも よ い やう に 考 へる か も
ふ の が該 条 約 の建 前 であ る こと を 決 し て軽 視 し ては な ら ぬ 。 倫 敦
置 いて こ そ初 め て物 が 言 へる の であ る。 国 際 会 議 に 於 て は 旗 幟 を
米 国 の官 民 は ﹁軍縮 条 約 を 結 ぶ こと は 外 国 の援 助 を 得 て 東 洋 進 攻
鮮 明 に せ よ、 外 交 上 の懸 引 と か 何 と か 言 ふ 程 危 険 な こ と は な い。
て 居 る の は華 府 条 約 であ る。 倫 敦 条 約 は 言 はゞ 枝 葉 の問 題 だ 。
今 迄 日本 は後 生 大 事 に条 約 を 守 つ て来 た のは 衷 心 米 国 と の親善 を
実 は廃 棄 通告 を 出 す のが 最 も 重 要 な 外 交 工 作 で な いか 、 外交 工 作
予 備交 渉 に し たと こ ろ 五十 歩 百 歩 だ 華 府 条 約 廃 棄 の通 告 を 出 し て
庶 幾 ふか ら であ つた 。 然 る に 彼 等 は 華 府 条 約 を 完 成 す る 為 に倫 敦
と は米 に必 ず しも 御 世 辞 を 並 べる こと 丈 け では な く 対 手 の耳 に 入
て然 ら ば 条 約 が な け れ ば 東 洋 進 攻 陣 は 完 成 し な い訳 で は な いか 。
条 約 を 結 び 今 や大 規 模 な 造 艦 計 画 を 樹 て 来 る 一九 三 九年 迄 に名 実
陣 を 完 成 す る のも 同 様 であ る﹂ と 放 言 し て居 る そ う で あ る が 果 し
共 に東 洋 進 攻 陣 を 完 成 し や う と し て 居 る ので あ る 。 由 来 寡 を 以 て
軍備 権 の自 主 平 等 を 主 張 す る のは 勿 論 だ が 速 か に 不 平 等 条 約 の束
り 易 い やう に我 主 張 を 説 明 し 納 得 さ せ る こと で あ ら ね ば な ら ぬ 。
縛 か ら 脱 却 す る のが 何 よ り も急 務 だ ︹。︺ 之 を 行 は ず し て 予 備 交
に し てあ る の であ る 。 彼 等 に 条 約 限 度 の海 軍 力 を 完 成 す る 気勢 の な か つた 過 去 十 数 年 間 は 条 約 が あ つ ても 実 は 其 の 効 力を 発揮 し て
渉 に臨 ま う と す る趣 意 は薩 張 判 ら ぬ 。 堂 々廃 棄 通 告 を 行 ひ 而 し て
衆 を 破 る のは 皇 軍 の本 領 であ る が 既 存 条 約 は そ れ が 出来 な いやう
居 らな か つた の であ る 。 然 し 今 や 完 成 期 は 見 え た 、 苟 も 血あ り 涙
後 日本 の主 張 を 示 す べき であ る。 斯 く し て こそ 初 め て 日 本 国 民 の
陰 謀 が あ つた と 云 ふ 噂 が あ り 、 某 国 の要 人 等 の 腰 が 据 ら ず隣 接 諸
あ り 皇 国 の大 使 命 に 目 覚 め た 日本 人 と し て ど う し て 之を 坐 視す る
国 も 共 に来 年 の会 議 の結 果 日本 が 屁 古 垂 れ る の を 待 つて 居 ると 云
三 五︱ 六年 の国 際 危 機 を 契 機 と し て 日 本 の覊 絆 を 脱 し やう と 云 ふ
に は来 年 の会 議 迄 該 通 告 を 待 つ べし と か 今 秋 予備 交 渉 が 再 開 さ れ
真 の決 意 を 固 め さ せ る こと が 出 来 る ので あ る 。 現 に某 地 に は 一九
る の であ るか ら 其 の経 過 を 見 る 迄 待 つ べし と か種 々無 分 別 な放 送
一九 四 〇年 迄 延 期 す る やう に 導 か う と真 面 目 に努 力 し て 居 る形 跡
ふ説 が あ る では な いか 。 そ れ 許 り で な い米 国 側 で は条 約 を 此 の儘
こと が 出 来 やう ぞ 。
を 行 ふ も のが あ るが 廃 棄 通 告 を 行 は な いで 来 年 の会 議 に臨 んだ と
今 や華 府 条 約 の廃 棄 通 告 を 行 ふ べき 最 初 の機 会 は 近 づ いた 。世 間
す れ ば 先 方 で は 日本 の腹 を 見 透 か し ﹁日本 は 華府 条 約 の存 続 を 希
る。 世 間 には 太 平 洋 防 備 制 限 条 約 の廃棄 は 日本 に 不利 な る が如 く
吹 聴 す るも のも あ る け れ ど も 要 塞 は 如何 に 増勢 さ れ ても 其 の弾 丸
が あ る 。 慎 重 考 慮 と か 称 し て 此 の手 に 乗 つた ら そ れ こ そ 大変 であ
は 日本 に 届 く 訳 では な く根 拠 地 が 如 何 に 拡 張 さ れ ても 問 題 でな く
五、 五 、 三 の比 率 は 華 府 条 約 で 決 つて 居 る の であ る から 比 率 更 改 の理 由 は 一切 認 め ぬ﹂ と 高 飛 車 に 出 る か も知 れ ぬ。 廃 棄 通 告 が な
望 し て居 るも のと 認 め る 。 倫 敦 条約 は 素 々華 府 条 約 の延 長 であ り
け れ ば 来 年 の会 議 で 華 府 条約 に 関 係 す る事 項 は討 議 され な いと 云
此 の艦 隊 が 日本 を 脅 威 し な いや う に な つた な らば 何 等 心 配 はな く
る。 日本 の海 岸 に 近 接 し 得 る も のは 此 の艦 隊 であ る から だ 。 若 し
日本 を 脅 威 す る も のは 該 要塞 下 に 匿 れ 又 は根 拠 地 に居 る艦 隊 であ
の際 遅 疑 逡 巡 は 禁 物 で あ る 。 要 は 断 の 一字 あ る の み であ る 。
過 ぎ ぬ之 で 感 情 を 害 し た と す れ ば 害 し た 方 が 悪 い ので あ る。︺ 此
て絶 対 に条 約 違 反 で は な く 唯 単 に条 約 上当 然 の権 利 を 履 行 す る に
︹ 書入れ︺ な い決 し て心 配 はな い の で あ る 。 ︹ 尚 又 廃 棄 通 告 を 行 つた か ら と
︹ 註︺ 冒頭 に ﹁ 小官単独 ノ計ラ ヒナ ルモ外交時報 社 ニ交渉大山卯次郎 博士 ノ名 ニテ発表 スル コト ヽナレリ﹂と の書入 れと、 ﹁ 関根﹂ の印あ り。海軍用箋 にタイプ印書。
( 終)
な り 又 若 し 条 約 が 結 べな け れ ば 此 の 艦 隊を 撃 破 す る準 備 を 講 ず れ ば そ れ で充 分 であ る。 重 ね て 言 ふ 廃 棄 通告 を 即時 発す れば 総 て の 禍 根 を 芟 除 し 得 る の であ る。 外 国 に 刺 激 を 与 へる こ とを 虞 れ る か も 知 れ ぬが 英 仏 共 に既 存 条 約 に は 厭 き 厭 き し て 居 る のであ る か ら 縦 令 米 国 と 調 子 を 合 せ て彼 是 言 ふ と し ても そ れ は 彼等 の本 心 で は
二、今次予備交渉 の複雑を極む へき に鑑 み帝 国政府は閣 下の御努
得る範囲に於る同会議 の目的達成を容易な らし めんとす るに在り
会議に対する帝国主 張 の貫徹を 図ると共 に帝国 々防 の安 固を期し
行ひ各 関係国 の立場 及主張を 明かな らし め以 て昭和十年海軍 々縮
二 九 海 軍 軍 縮 会 議 予 備 交 渉 代 表 に 与 ふ る 訓 令 ( 昭和九年)一
昭和十年海軍々縮会議 予備交渉 に於け る
意せる所以 のも のは今次海軍交渉が重 大事 項にして且迂余曲折 の
一、帝国が本年五月英国政府申 入に係る海 軍予備交渉 の開始 に同
依り訓令 の範囲内 ニ於 て迅速且適切なる措置を採 り交渉 に善処 せ
尚交渉 の機微な る へきに鑑み其 の折衝振 に関しては閣下の裁量 に
し ては首席海軍専門委員 の意見を徴せられ度し
の根本方針其 の他本訓令の趣旨を体 せられ、又海 軍専 門事項 に関
力 に期待する処大なるものある処右 折衝 に当り ては後掲海軍 々縮
予想せらる ゝに鑑み右交渉に依り関係国民の輿論を無用 に刺戟激
帝国代表に与 ふる訓令
化せしむるを避くると同時に関係国代表と充 分な る意見 の交換を
を 承 認 せ し む る に全 力 を 尽 さ れ た し
今次 海 軍 々 縮 交渉 ニ於 て帝 国 は 国 家安 全 の為 必 要と す る限 度 の
らるべし
軍備 を 有す る の権 利 は各 国斉 しく 之 を 享 有 し各 国 々防 の安 全 感
帝 国 政 府 の根 本 方針 如 左
り た る処 本 年 十 月 頃 よ り 再 開 せ ら る へき 予 備 交 渉 ニ於 て は 未 解 決
を害 す る こと なく 不脅 威 不 侵略 の 原則 を 確 立 せ んと す るも の に
三 、手 続 上 の問 題 ニ関 し ては 既 に 主 要 関 係 国 と 一応 意 見 の交 換 あ
の事 項 に付 ても 我 方 主 張 を 貫 徹 す る に努 め ら れ 度 し
而 し て 之 が協 定 ニ当 り て は 軍縮 の精 神 を 発 揮 す る為 右 限 度 を 小
四、 英 国 政 府 ニ於 て所 謂 海 軍 々縮 の実 質 問 題 の討 議 方 を 再 三 我 方
な ら し め 且 つ攻 撃 的 兵 力 は之 を 極 力 縮 減 し防 禦 的 兵 力 は 之 を 整
へき 兵 力量 の 共通 最 大限 度 を 規 定 す るを 根 本 義 と す
我 方 に 述 へた る所 と 之 間 に は 相 当 懸 隔 あ り と 認 め ら る ゝに 付 て は
備 し 以 て各 国を し て攻 む る に難 く 守 る に不 安 な か ら し む る を 基
し て 大 海 軍 国 間 ニ於 け る 軍 縮 の方 法 ︹ と︺し て各 国 の保 有 し 得
閣 下は 予 備 交 渉 再 開 の劈 頭 に 於 て 米 国 政 府 ニ於 て も 実質 問 題 ニ付
礎 と せ さ る へから す 之 が 為 高 度 軍 備 国 は 他 に 比 し 一層 大 な る 犠
ニ希 望 し 来 れ るも 米 国 政 府 ニ関 し ては 必 す し も 然 ら す し て 従 来 米
充 分 な る論 議 を 行 ふ の意 あ る こ と を 明 確 に せ ら れ 以 て交 渉 方 法 に
国 当 路 者 の在 米 帝 国 大 使 に 説 明 せ る 所 と 倫 敦 に 於 て 米 国 代 表者 の
遺 漏 な き を 期 せ ら る へし
牲 を 提 供 す へき は 勿 論 な り
七 、前 記 根 本 方 針 の論 議 に関 聯 し 必 要 に 応 し 前 記 根 本 方 針 を 前 提
尚 帝 国 と し て は 米 国 が 万 一実 質 問 題 ニ付論 議 を行 は さ る 場 合 ニは 英 国 ニ対 し て も 右 論 議 を 行 は さ る 意 向 な り
と し左 記 含 み之 上 具 体 的 問 題 ニ関 す る交 渉 を 開 始 せ ら る べし
(ロ) 航 空 母 艦 は 之 が 全 廃 を 主 張 す
(イ )主 力 艦 は会 議 対 策 と し て之 が 全 廃 を 主 張 す る こと を 得
五 、 今 次 海 軍 々縮 交 渉 ニ於 て 帝 国 政 府 は第 六 号所 載 根 本 方 針 に 則 り 兵 力 に 関 す る 公 正 妥 当 ニし て 帝 国 々 防 の安 固を 期 す る に 足 る新 協 定 を 遂 け 内 は 成 る へく 国 民負 担 の緩 和を 図 り外 は各 国 間 の平 和 親交を増進せ ︹ し︺ む る こ と を 期 す る も の なり 而 し て既 存 海 軍 々
々 防 を 不 安 な ら し む る が 如き 協 定 を 締 結 す る が如 き こと は帝 国 の
縮 減 し 艦 種 毎 に各 国 ニ対 し 割 当 量 を定 め 帝 国 及 米 国 ニ対 し右 割
此 の場 合 主 力 艦 、 航 空 母 艦 、 及 甲 級 巡 洋 艦 ニ付 き て は 極力 之 を
乙級 巡 洋 駆 逐 艦 及 潜 水 艦 ト 共 に 一括 し て総 噸 数 を 以 て 制 限 す
(ハ) 主 力 艦 、 航 空 母 艦 存 置 の場 合 に 於 ては 右 両 艦 種 及 甲 級 巡 洋 艦 ハ
到 底 容 認 し 能 は さ る所 也
当は同量とす
備 制 限 実 施 期 間 満 了後 我 方 ニの み 不利 な る拘 束 を 持 続 し 又 は帝 国
六 、 今次 海 軍 々 縮交 渉 ニ関す る左 記 帝 国 政 府 の根 本 方 針 は 我 方 の
主 力 艦 、 航 空 母 艦 を 全 廃 す る 場 合 亦 之 ニ準す
る こ と を 要 求 す る も のな る も 要 す れ は右 協 定 兵力 の内 容 ニ応 し
( ) ニ帝 国 政 府 は 国 防 上 成 る へく 早き 時 機 に 於 て新 協 定 兵 力 に 到達 す
極 め て重 要視 す る所 に し て其 の審 議 は最 も 慎 重 を 要 す る 次 第 な る を 以 て英 米 等 の主 張 の真 意 並 に我 方 に対 す る態 度 の趨 向 を 窺 知 す る に努 む る と共 に我 が 根 本 方 針 を 提 示 し 関 係 国 特 に英 米 を し て之
︹マ マ︺
一定 期 内 に遂 次 該 兵 力 に到 達 す るを 目 途 と し 協 定 す る こ ︹ と︺ を考慮し得
先決 問 題 ハ来年 ノ会 議 ヲ華 府 会 議 ノ延 長 ト ナ ス ヤ条 約 廃 止 後 一年
二
以内 ニ行 フ ヘキ会 議 ト ナ スヤ否 ヤ ノ腹 也 ? ︹ 鉛筆書︺
︹ 余白 のメモ︺
に持 越 し又 は 本 会 議 不 開 催 に導 か ん と す る 事 態 ニ立 到 る や も 知 れ
八、 予 備 交 渉 の情 況 如 何 に 依 り ては 中 途 に て 交 渉 を 打 切 り本 会 議
さ る処 今 次 交 渉 終 止 之 体 様 如 何 は 爾 後 の国 際 情 勢 に 影 響 す る こ と
側 ニ対 し て は 状 況 ニ応 し我 方 主 張 の主 要 目的 が 英 米 二 国 ニ在 る旨
も の な る こ と を充 分 説明 し英 米 を し て了 解 せ し む る に努 め 又 仏 伊
置き 我 方 主 張 が 現 下 我 が 国 民 の熾 烈 な る要 望 と な り 居 る点 に 出 る
極 め て機 微 な るも のと な る へき ニ付 交 渉 の中 心 を 先 ツ英 米 両 国 に
る次 第 ニて我 方 今 次 の主 張 と 関 聯 し 帝 国 の右 二国 に 対 す る 立 場 は
府 制 限 条 約 は之 を 廃 止 す る の止 む な き に 到 る べき こ と を 関 係 各 国
交 渉 ニ於 て先 ツ以 て帝 国 政 府 の軍 縮 に 対 す る 根 本 方 針 に 照 ら し 華
げ 以 て世 界 平 和 の確 立 に 貢 献 せ ん と す る も のな り 。 従 て 今 次 予 備
る こと を 欲 す る ニは 非 ず し て 関 係 国 間 に 公 正 妥 当 な る 新協 定 を遂
方 ニ於 て は 之 が 廃 止 を 為 す も 海 軍 々 備 縮 少 に 関 す る協 定 を 為 さ ゝ
張 に 鑑 み 昭 和 十 一年 末 限 り 之 を 廃 止 す る 帝 国 政府 の方 針 な る処 我
海 軍 々備 制 限 ニ関 す る華 府 条約 は 今次 海 軍交 渉 ニ対 す る帝 国 の主
華府 海 軍 々 備 制 限 条 約 取扱 方 ニ関 シ 昭和 十年 海 軍 軍縮 会 議
甚 大 な るも のあ る へき か 故 に此 等 の場 合 ニ於 て我 方 会 議 対 策 の大
を 説 明 し 仏 伊 両 国 間 之 関 係 ニ付 て は直 接 関係 国 の間 ニ適 当 な る妥
代 表 者 に印 象 せ し む る を 適 当 と 認 む る ニ付 我 方 今 次 の主 張 が 現 下
予 備 交 渉 帝 国 代表 ニ与 フル 訓令
協 点 を 見 出 さ る ゝこ と ニ付 何等 の 異議 を 有 せ さ る旨 を 可然 説 明 し
国 民 の熾 烈 な る要 望 に 基 く も のな る こと 従 て帝 国 政 府 と し ては 本
局上 ニ不利 を 招 来 せ しめ さ る様 特 に警 戒 せ ら る へし
置かれ度し
年 中 に同 条 約 廃 止 通 告 を 為 す と 決 定 し 居 る 次 第 な る も 他 方 帝 国 は
九 、 仏 伊 両 国 間 の兵 力 均 等 問 題 は 未 た 解 決 を 見 す し て 今 日 に 至 れ
十 、 本 訓 令 之 趣 旨 以 外 に 亘 る事 項 及本 訓令 の 趣旨 に拠 り難 き 事 項
係 国代 表 に 説明 せ ら れ 局 面を 右 ニ導 く 様 努 力 相 成 度 し。
に於 て は輿 論 の緩 和 に資 す る の効 果 尠 から さ る へき こと を 適 宜 関
之 を 廃 止 し次 て各 国協 力 し て新 条 約 の成 立 に努 む る の形 式 を 採 る
は今 日迄 之 を 差 扣 へ居 る実 情 に し て此 の際 関 係 国 側 の合 意 に依 り
出 来 得 る 限り 友 好 的 且 効 果 的 に 予備 交 渉 を 行 は む と 欲 し 廃 止 通 告
に関 し ては 随 時 請 訓 せ ら る へし ︹ 註︺便箋 に墨書。 * 欄外 に ﹁此の根拠﹂ ( 赤鉛筆書) とあり。 ** 欄外に ﹁ 条約延期 ノ警戒?﹂ ( 墨書)とあり。 *** 欄外 に ﹁ 我国 ノ武 の思想 ニな し﹂ ( 墨書) とあり。 ** ** 欄外 に ﹁何故 ニ全部 一括 せさる﹂ ﹁ 総括 ナレ ハ各国 ノ任意 ナラ ス﹂ ( 赤 鉛筆 書)とあ り。
右 に 対 し 関 係 国 中特 に米 の如 き は相 当 難 色 を 示 す も のと 予 想 せ ら
也。 ︹ 註 ︺ 便 箋 に墨 書 。
る ゝも 英 国 側 一部 ニ於 て は華 府 制 限条 約 の存 続 に異 論 あ る も の ゝ 如 し 。 他方 廃 止 通告 後 二年 に は締 約 国 全 部 に 関 し 同 条 約 の廃 止 を
* 欄 外 に ﹁通告 之 効 果 発 生 後 一年 以内 ニ ハ会 議 ヲ開 催 セ サ ル ヘカ ラ
と あ る。
止 後 一年 以 内 ニ行 ふ へき 華 府 条 約 廃 止 ノ会 議 と な る ﹂ ( 赤 鉛筆 書)
*** 欄 外 に ﹁前 段 の 如 く 導 く 結 果 は明 年 会 議 は 全 然 新 た な る条 約 廃
** ﹁(会 議 ノ性 質 カ ワ ル)﹂ と 赤 鉛 筆 で 書 込 み が あ る 。
サ ル﹂ (赤 鉛 筆 書 ) と あ る 。
見 る べき も の な る が 、故 に寧 ろ爾 後 の交 渉 を 友 好 的 雰 囲 気 裡 に 進 展 せ し む る の点 に 思を 致 し各 国 共 同 し て昭 和 十 一年 末迄 に 本 条 約 を廃 止 す る に 同意 す る様 勧 説 せ ら れ 度 し 。 尤も 右 交 渉 の結 果 関 係 国 が 我 方 提 議 を 応 諾 せ さ る 場 合 、 若 く は其 諾 否 の態 度 不 明 な る場 合 ニは 帝 国 政 府 は 本 件 に 関 し 帝 国 独自 の見 解 ニ依 て本 年 末 迄 ニ適 当 ノ時 期 ニ於 て 廃 止 通 告 を為 す へき は 勿論
三 〇 天 皇 機 関 説 排 撃 運 動 に 露 呈 し つ つあ る 二大 矛 盾 を 指 摘 す ( 昭和十年四月二日)
愴 惶 と し て之 が 庇 援 に 当 り つ つあ る 岡 田啓 介 総 理 以 下 の閣 僚 等
は 要 す る に 昭 和 幕府 の番 頭手 代 に過 ぎ ぬ。 おぞ ま し く 至 尊 輔
天皇 機 関 説排 撃 運動 に露 呈 し つ つあ る 二大 矛 盾 を 指 摘 す 抑 々 所 謂 天皇 機 関 説 は 明治 御 一新 の不 徹 底 輔 弼 の奇 貨 に 乗 じ 、
而 し て 斯 の 昭 和幕 府 就 中 政党 に取 て代 り 財 閥 官 僚 と 結 托 し て自 ら
弼 の重責 に 背き つ つあ る 不臣 不忠 の高 官 であ る。
し来 れ る 国体 原 理 冒涜 の徒 党 た る特 権 層 、 政 党 、 財 閥 、 官 僚 、 学
の 不 逞 私意 を 以 て ( 畏 く も 上 を 挟 み奉 り て) 天 下 に 号 令 独 裁 せ
爾 来 六 十年 に 亘り 畏 くも 上 の絶 対 を 犯 し 奉 り 万 民 の平 等 を 蹂 躪
者 等 の所 謂 昭和 幕 府 が自 ら の兇 逆 不 逞 を 偽 装 欺 瞞 せ ん が た め 西 洋
昭和 幕 府 の変 形 、 延 長 であ る。 是 亦 上 の絶 対 を 犯 し 奉 り 万 民 の平
んと す る所 謂 フア ツシ ヨ ( 維 新 、 改 造 を 標 榜 し つ つあ る 集 団) 亦 一木 、 美 濃 部 等 を 首 魁 と す る 全 国 四 万 の学 士 会 員 は 要 す る に 昭
等 本 質 を 蹂 躪 せ んと す る不 逞 の私 意 で あ る 。
より 借 用 し来 れ る鎧 上 の法 衣 であ る 。
和 幕 府 の スピ ー カー であ る 。
る ゝや
偶 々 天 皇 機 関説 問 題 が 挙 国 厳 浄 のた め の 神 与 の契 機 と し て 恵 ま
り つ ゝあ る。 正 に頭 か く し て尻 か く さ ず で あ る 。茲 に 吾曹 の態 度
=政 権 奪 取 陰 謀 に 過 ぎ ぬ こと を 自 ら の狂 奔 を 以 て 急 速 に 曝 露 し来
昭和 幕 府 に迫 る。 吾 人 の進 路 上 を 阻 む も のは 国 賊 であ る 。 何 人
吾 人 は 天皇 機 関 説 問 題 を 提 げ て 一匕直 ち に 深 く 大 逆 不 逞 の本 拠
新 羅 を 降 す る の要 諦 は 三韓 を 討 滅 す る に 在 る 。
を 厳 明 す る。
の本 質 を 蹂躙 し 来 れ る 反 国体 原 理 不 逞 の主 犯 の 一員 た る政 党 自
そ れ 自 身 特 権 層 、 財 閥等 と 結托 し て 上 の絶 対 を 犯 し万 民 平 等
一、 政 党 自 身 排 撃 運 動 を 喚 き始 め た
身 が 而 も 彼 美 濃 部 を 勅 選 に 推 薦 せ る 連 中 が 今 俄 か に 之 が排 撃 を
関 説排 撃 を 狂 奔 す る単 な る倒 閣= 政 権 奪 取 の陰 謀 に過 ぎ ざ る 政
一方 又 そ れ自 ら の兇 逆 不逞 の結 托 徒 党 を 解 消 せ ず し て 天 皇 機
党 及 び フ ア ツシ ヨの妄 動 を 断 乎 排 拒 す る、 是 れ こ そ真 正 維 新 の
と 雖 も 容 認す るを 得 な い
二、 フ ア ツ シ ヨ自 身 排 撃 運 動 に 狂 奔 し て あ る そ れ自 身 反動 と し て
賊 なり 、 今 や挙 国厳 浄 の 天機 であ る、 之 に参 ぜ んと す る の士 は
喚 く に到 つ ては 退 潮 期 に 没 入 せ る 政 党 の憐 む べき あ がき な りと
起 り つ ゝ遂 には 政 党 に 取 て代 り 財 閥 官 僚 と 結 托 し て そ の〓 を独
は 云 へ正 し く 一大 矛 盾 で あ る 。 有 り 体 に 云 へば 同志 討ち で あ る 。
占 しあ は よ く ば 天 下を 私 断 独 裁 せ ん と 企 み つ ゝあ る 処 のそ れ自
先 ず そ れ 自 ら の 一身 ・ 一党 の 不逞 私 意 を 解 消 厳 浄 せら る べし 。
︹ 註︺騰 写印刷。赤鉛筆に て書 込み ﹁一〇︱四︱三ノ名古 屋消印 にて 大臣私宅に送付 発信人無 記名﹂。
昭和十年四月二日
身 反 国 体 原 理 の不 呈 徒 党 た る ﹃変 形﹄ 天 皇 機 関 説 思 想 行 為 の集 団 フア ツ シ ヨが 排 撃 運 動 に狂 奔 し てあ るこ と は 正 し く 一大 矛 盾 であ る。 有 り 体 に云 へば 猿 の尻嗤 ひ であ る 。 両 々相 下ら ざ る大 矛 盾 であ る。 果 せ る 哉 。 政党 も フア ツシ ヨも 実 は そ れぞ れ の算 盤 に於 け る単 な る倒 閣 運 動
有る へかさることを心配し不必要 に危惧を抱く譬喩 であ ツて此度
諺ニ疑心暗鬼 と云ふことあり事物之認識 不足推理之不徹底等から
詳 述 され た も の で之 を 一読 す れ は 容 易 に条 約 廃 止 通 告ニ 関 す る 危
本 書 は 上 述 之 如 き 疑 心 暗 鬼 の蒙 を 啓 く 為 め 最 も 親 切 に ⋮ ⋮ 之事 を
看 察 し 日本 ノ処 置 を 異 な り と し て居 ら ぬ ニ見 テ モ明 カ テ ア ル。
電 さ れ ても 其 反 響 は 予 想 外 ニ尠 く 米 国 な ど で も都 て 冷静 に事 態 を
( 昭和十年頃)一
の華府条約 廃止之通告ニ関す る我 が国内 一部之言議も之 に似た る
惧 の無 用 であ る こと が 判 明 す る であ ろう 。 此 ニ本 書 を 編 纂 さ れ た
三 一 序 文 草 稿
れ ニ外 な ら な い。
所なきやを憂 ふるものである。
現 に我 政 府ニ 於 て過 般 廟 議 決 定 之 事 が 新 聞 に 載 せ ら れ て 世 界 へ転
元来華府条 約廃止の通告 之如き は同条約第廿 一条と第廿 三条 ニ依
現 存 比 率 主 義 に 依 る海 軍 々備 制 限 を 撤 廃 し て 新 た に 合 理 的 方式 に
二
︹ 註︺ 冒頭に ﹁関根 大佐 浜中副官 一覧 之上使用之事﹂と鉛筆書。
日 々新 聞 社 之 労 を 多 と し 一言 以 て序 と す ( 終)
ノ二年前は元より のコト本条約 の有効期 間中海 軍力 に依 る防衛 ニ
て明白 に示されて居る所 の締約 国之権利 であ ツて条約 ノ期限満了 関 スル自国安 全之要件 が四囲の状 況の変化 に依り重大な る影響を 又は廃止之要求通告 が出 来る様ニ な ツて居るので帝国政府が現存
の華 府 条 約 を 廃 止 す る こと は 熱 烈 な る 我 国 民 の総 意 と な り 既 ニ廟
依 る 軍縮 案 を 提 議 す る為 め 比 率 主 義 のよ ツ て来 れ る 根 源 で あ る 所
受けたりと認めたる場合には何 時でも本条約之規定を 再議修正し
比率主義に依る海軍制限を撤廃 して新 た ニ合 理的方式 に依 る軍縮
ツた こと は 真 に 国 家 の 一大 慶 事 と 云 は ね は な ら ぬ 。
議 も 此 こ に 一決 し て帝 国 代 表 に 訓 令 を 交 付 し 不 日 出 発 之 運 ひ と な
案を提唱することに決定 した以上比率主義 の依 って来 れる根源 で ある所 の華府条約は当然廃止せらる へき ものであ ツて其 の間何等
然 る に尚 ほ 一部 人 士 之 間 に於 て は 同 条 約 之 研 究 推 理 之 不 足 に 依 る
議論 の余地がな いに係らす単に締約 国ニ対す る感情上 の危惧 から 通告之時機 に就て彼 れ此れ心配する者 のあるは全く疑心暗鬼之夫
外 に尠 く 米 国 な どニ 於 て も余 り ニセ ン セ ー シ ヨ ンを 起 さず 格 別 日
決 之 事 が 新 聞 に 掲 載 さ れ 夫 が 世 界 ニ転電 せ ら れ ても 其 反 響 は 予想
に類 す る 一種 の錯 覚 と 思 は し む る こ と は 過般 我 政 府 ニ於 て廟 議 一
と 見 ら る ゝ不 必 要 の懸 念 あ り て慎 重 と 云 は ん より は寧 ろ疑 心 暗 鬼
之 無 用 な る こと が 判 明 す る であ ろ う 。茲 に本 書 を 編 纂 さ れた る 日
さ れ て居 る の で之 を 一読 す れ は 容 易 に条 約廃 止 通告ニ 関す る危 惧
本 書 は 上 述 之 如 き 疑 心 暗 鬼 之 蒙 を 啓 く為 め 最 も 親切 に ⋮ ⋮を 詳 述
︹ 註︺便箋 に墨書。
々新 聞 社 之 労 を多 と し一 言以 て 序 とす 。
本 の 処 置 を 異 な りと し て 居 ら ぬ ニ見 ても 明 か であ る。
満 洲 国 ノ独 立 ハ厳 然 タ ル事 実 ナリ 然 ル ニ拓 務 省 カ 満 鉄 附 属 地
二右 ニ対 ス ル満 洲 国大 使 館 軍 部 等 ノ意 見
三 二 拓 務 省 ニ 関 ス ル 論 議 ニ 就 テ ノ 愚 見 ( 年代不明)
拓 務 省 ニ関 ス ル論 議 ニ就 テ ノ愚 見 第 一 拓 務 省 ト 満 洲 国 ト ノ関 係 ニ関 ス ル論 議
拓 務 省 ハ官 制 ノ定 ム ルト コ ロ ニ依 リ 関東 庁竝 満鉄 ニ対 シ監 督
ヲ無 視 ス ル モ ノ ナリ
ル カ如 キ ハ満 洲 国 ヲ 一植 民 地 扱 ス ル モ ノ ニシ テ 満 洲 国 ノ独 立
ヲ根 抵 ト シ テ満 洲 国 ノ領 土 内 ニ マテ其 ノ権 限 ヲ及 ホ サ ント ス
権 ヲ有 ス ル関 係 上 満 鉄 附 属 地 ノ 行 政権 ニ付 指 揮 監 督 ノ権 限 ヲ
拓 務 省 ハ宜 シ ク満 洲 国 ノ領 土 ヨリ 手 ヲ引 キ 満 鉄 附 属 地 ニ付 テ
一現 在 ニ於 ケ ル拓 務 省 ト 満 洲 国 ト ノ関 係
有 ス ル コト ハ現 行 制度 ノ 下 ニ於 テ ハ固 ヨリ当 然 ノ コト ニ属 ス
モ将 来 ニ於 ケ ル治 外 法 権 徹 廃 ノ準 備 ト シ テ 適 当 ノ機 関 ニ其 ノ
︹マ マ ︺
ル モ近 来 拓 務省 ハ此 ノ 地 域 ニ跼蹐 ス ル コト ヲ甘 セ ス更 ニ進 ン
監 督 権 ヲ移 譲 シ 関 東 州 ニ局 限 ス ヘキ モノ ナ リ ト ノ意 見 ナ リ
(1) 満 洲 国 ノ独 立 ハ厳 然 タ ル事 実 ニ属 ス拓務 省 カ其 ノ施 政 ニ容 喙 セ ント スル ハ固 ヨリ 当 ラ ス何 等 カ ノ新 ナ ル機 構 ニ依 テ満 洲
三 右 ニ対 ス ル愚 見
テ満 洲 国 全 体 ニ対 シ テ積 極 的 ニ進 出 セ ント ス ル ノ傾 向 ア リ例 ヘ ハ満鉄 監 理官 ヲ増 員 シ テ満 洲 全 鉄 道 ニ付 テ ノ監 督 権 ヲ執 ラ
セ シ メ ン ト スル カ如 キ 或 ハ移 植 民 問 題 ニ付 テ満 洲 国 内 ニ モ積
国 ト 帝 国 ト ノ 関 係 ヲ合 理化 スル コト 最 モ喫 緊 ナ ル コト ニ属 ス
ント スル カ如 キ或 ハ附 属 地警 察 権 ヲ附 属 地 以 外 ニモ之 ヲ進 出
極 的 ニ進 出 セ ン ト ス ル カ如 キ 是 レナ リ
(二) 満 洲 国 ハ独 立 国 ナ ル モ我帝 国 ト特 殊 ノ 関係 ニア ル コト 右 ノ事 実 ニ即 シ テ 之 ヲ考察 セ サ ル ヘカ ラ ス
(2)唯茲 ニ将 来萬 々 一満洲 国 ト我 国 ト ノ関 係 カ悪 化 ス ル カ如 キ
即 チ 我 中 央 政 府 ニ於 ケ ル機 関 ニ付 テ ハ
︹マ マ︺
最 悪 ノ場合 ヲ予想 スル ニ於 テ ハ満 洲 国 ヲ全 然 外 国 扱 ト シ附 属
ロ現 状 ノ儘 ト シ 置 ク ニ如 カ スト ノ意 見 ア リ 一応 理 由 ア ル カ如
(ロ) 在 満 洲 国 帝 国機 関 ト シ テ ハ関 東 軍 司 令官 ノ 下 ニ凡 テ ノ機 関 ヲ集 中 スル ヲ可 ト ス即 チ 一 元主 義 ヲ採 リ大 使 ヲ兼 任 ス ル
(イ) 総 理 大 臣 直 轄 ノ下 ニ ﹁対満 洲事 務 局﹂ ト モ称 ス ヘキ機 関 ヲ置 ク コト ト ス ヘシ
地其 ノ他 ニ於 ケ ル行 政権 ヲ徹 廃 ス ル コト ハ極 メ テ危険 ナリ 寧
キ モ満 洲 国 ト 我 国 ト ノ 関係 ハ今 ヤ殆 ント 渾 然 帰 一不 可 離 ノ コ
キ事 態 ノ発 生 ヲ回避 セ サ ル ヘカ ラ ス又 萬 々 一此 ノ如 キ 最 悪 ナ
ト ニ属 シ我 帝 国 ノ運 命 ヲ賭 シ テ モ 両者 ノ関 係 ヲ悪 化 ス ル カ如
ル事 態 カ発 生 シ タ ル場 合 ニ於 テ ハ唯 僅 カ ニ附 属 地 ニ於 ケ ル行
ル事 実 ニ鑑 ミ 強 テ大使 ヲ置 キ 所 謂 二 元主 義 ヲ採 リ複 雑 化 ス
制 度 ヲ採 ラ ス前 述 満洲 国 ハ独 立 国 ナ ル モ帝 国 卜特 殊 関係 ア
種 ノ政 務 ヲ総括 セ シ ム ヘシ
ル ノ必 要 ナ シ其 ノ 組織 ハ軍 司令 官 ノ 下 ニ事 務 総 長 ヲ置 キ 各
政権 ヲ維持 シ タ レ ハ卜 テ其 ノ関 係 ヲ確 保 ス ル ニ於 テ効 果 アリ ト ハ信 スル ヲ得 ス (3)満 洲 国 ト我 国ト ノ 関係 ニ付 一般 国 民 ハ勿 論 識 者 ノ間 ニ於 テ モ前 項 ノ如 キ 謂 ヒ知 ラ ヌ不安 ノ空 気 ア ル コト ハ否 認 ス ル コト
ニ 一 段 明瞭 ニシ 且之 ヲ確 保 ス ル コト ヲ必 要 ナ リト 思 惟 ス小 生
依 テ 此 ノ際 対 満 政策 改 新 ノ機 会 ニ於 テ先 以 テ両 国 ノ関 係 ヲ更
満 洲 国 領土 ヨリ拓 務省 カ手 ヲ引 ケ ハ満 足 ス ル状 勢 ナ リ然 レト
セ ント スル ノ 意見 ナ シ
ノ理 由 ナ キ コト ヲ主 張 スル意 見 熾 烈 ナ ル モ強 テ拓 務 省 ヲ廃 止
満 洲方 面 ニ於 テ ハ拓 務 省 カ満 洲 国 ノ問 題 ニ関 シ容 喙 ス ル コト
第 二 拓 務 省 ノ 存 廃 ニ関 ス ル論 議
ノ 愚見 ト シ テ ハ此 ノ際 一刀 両断 帝 国 ト 満 洲 国 ト 保 護 条 約 ヲ締
モ 愚 見 ヲ以 テ ス レ ハ我 国全 体 ト シ テ之 ヲ観 察 シ テ拓 務 省 ノ機
ヲ得 サ ル コト ニ属 ス
結 シ完 全 ナ ル保 護 国 ト シ此 ノ根蔕 ノ下 ニ各 般 ノ施 政 ヲ為 ス ヲ
構 ニ相 当 ノ変 革 ヲ加 フル ノ 必要 ア ル ヲ認 ム ル者 ナリ
ル 理由 ハ 一ハ朝 鮮 、台 湾 、 関東 州 、 樺 太 及 南 洋 等 ノ外 地 カ 著
拓 務省 カ幾 多 ノ変 遷 ヲ経 テ 昭和 四年 再 ヒ設 置 ヲ見 ル ニ至 リ タ
一拓 務 省 ノ 設 置 セ ラ レ タ ル 理由
最 モ 可 ト信 ス ル モ対 外 関 係 上 之 ヲ敢 テ シ難 キ 事 情 アリ ト セ ハ 暫 ク 現 行方 針 ヲ執 ル コト ト セ ン而 シ テ両 国 間 ニ秘 密 協 定 ア ル
シ又 経 済 関 係 ニ付 テ ハ特 ニ両国 ノ関 係 明 瞭 ナ ラ ス此 ノ際 経 済
シ ク 拡 大 シ タ ル ヲ 以 テ之 カ連 絡 統 制 ヲ図 ル上 ニ於 テ独 立 ノ 一
ヤ ニ聞知 ス之 ヲ公 表 シ テ国 民 ヲ安 堵 セ シ ム ル モ 一方 策 ナ ル ヘ
協 定 ヲ為 ス等 之 ヲ明 瞭 ナ ラ シ ム ル コト ヲ緊 要 ト ス
省 ヲ設 置 ス ル ヲ必 要 ト シ タ ル ニア ル モ最 モ重 大 ナ ル理 由 ハ如
此 拡 大 シ内 地 ト ノ利 害 カ最 モ密 接 ナ ル ヲ以 テ専 任 ノ大 臣 ヲ置
) (吾 4 対 満 政 策 ノ実 行 機 関 ノ組 織 ニ付 テ ハ ) ( 一満 洲 国 ハ我 帝 国 ノ 一部 ニア ラ サ ル コト
キ外 地 ノ利 害 ヲ代 表 シ テ閣 議 ニ於 テ之 ヲ主 張 シ之 ヲ貫 徹 セ ン ト スル ニア リ タ リ拓 務 省 設 置 以 前 ニ於 テ ハ総 理 大 臣 監 督 ノ下 ニ拓 殖 局 拓 殖 事 務 局 等 ヲ置 キ 閣 議 ニ於 テ ハ総 理 大 臣 カ 外 地 ノ 利 害 ヲ代 表 シ タ レト モ稍 モ ス レ ハ徹 底 ヲ欠 ク ノ嫌 アリ 此 ノ弊 ヲ打 開 シ テ専 任 大 臣 自 ラ閣 議 ニ於 テ外 地 ノ利 害 ヲ代 表 ス ル コト カ即 チ拓 務 省 設 置 ノ眼 目 ナ リ シ ナ リ
拓 務 省 ノ設 置 後 拓 務 当 局 ハ閣 議 ニ於 ケ ル 利 害 代表 外 地 間 ノ連
二近 来 拓 務 省 ノ存 廃 カ 問 題 ト ナ リ タ ル理 由
絡 ノ如 キ 事 項 ニ満 足 セ ス外 地 ニ対 シ 監 督指 導 ノ権 ヲ執 ラ ント
各 局 ヲ廃 止 スル コト
(ハ) 政 務 官 ハ 一人 ニ テ足 ル 但 シ各 省 カ従 来 ノ儘 ナ ラ ハ二 人 ニ テ モ可 ナ リ
(イ) 現在 ノ如 キ 監督 権 、発 案 権 ヲ廃 ス ル コト
(2) 拓 務 省 ノ 対外 地方 針 ヲ改 ム ル コト
(ロ )外 地 ノ事 項 ニ付 テ ハ外 地 ノ意 見 ヲ尊 重 シ テ 原案 ヲ其 ノ儘
受 入 レ 中央 政府 ト ノ交 渉 ニ付 テ ハ外 地 ト 協 調 之 ヲ援 助 シ テ
外 地 意 見 ノ実 現 ヲ期 ス ル コト
属 領 事 務 大 臣 Secretary
of
State
for
for
for
Indi
the
the
( 3) 英 国 ニ於 ケ ル実 例 ヲ見 ル ニ閣 員 中 ニ
State
State
シ 更 ニ進 ン テ 一般 外 地 ノ施 政 ニ関 シ 発 案権 ヲ握 リ 其 ノ監 督 権
of
of
ア リ各 主 管 地 ノ利 害 ヲ閣 議 ニ代 表 セリ 然 レト モ其 ノ ﹁スタ
殖 民 地事 務 大 臣 Secretary
ッ フ﹂ ハ極 メ テ少 ク况 ンヤ 各 外 地 ニ対 シ 監 督 権 、 発 案 権 ヲ
印 度 事 務 大 臣 Secretary
表 シ テ主 張 スル コト ナ ク 又往 々 ニシ テ 閣議 ニ於 テ尊 重 セ ラ レ
ヲ強 化 セ ント シ 茲 ニ外 地 ト 利 害 ノ 衝 突 ヲ来 ス ニ至 リ タ リ 而 モ
サ ル コト 尠 カ ラ ス其 ノ存 在 ハ外 地 ノ為 利益 ト ナ ラ ス寧 ロ障 碍
ス ヘキ ナリ
執 リ外 地 ト 利 害 ノ衝 突 ヲ見 ルカ 如 キ 事 例 ナキ ハ大 ニ参 考 ト
歴 代 ノ拓 務 大 臣 カ 無 力 ニシ テ 閣 議 ニ於 テ充 分外 地 ノ 利害 ヲ代
ト ナ ル ト ノ批 評 アリ 茲 ニ拓務 省 存 廃 ノ議 論 ヲ生 ス ル ニ至 リ タ
︹ 註︺満洲採金株式会社用箋 にタイプ印書。冒頭 に ﹁ 極秘御返送奉願﹂ と書込みあり。
( 了)
ル モノ ト ス 三拓 務 省 ノ 合 理的 変 改 方 策 (1) 拓 務省 ノ機 構 ヲ次 ノ如 ク改 ム ル コト ( イ) 拓 務 大 臣 ( ) ロ大 臣 ノ幕 僚 ヲ事 務 次 官 ノ外 現 在 ノ官 房 各 課 ノ程 度 ト シ
三 三 対 米 作 戦 一般 的 考 察 ( 年代不明)
ノ為 メ敵 ノ空 襲 ニ先 チ 吾 レ ヨリ 決 戦 ヲ強 イ敵 飛行 機 母艦 ノ奇 襲 ヲ
故 ニ青 軍 聯 合 艦 隊 司 令 長官 ト シ テ ノ決 心 ハ我 国情 ニ顧 ミ帝 都 防 衛
神 的 ニ屈 伏 セ シ ム ル事 ヲ得 ヘシ
青 軍 ノ作 戦 計 画 及 ヒ行 動 ハ帝 都 ノ空 襲 防 御 ヲ放 棄 ス ル カ少 ク モ重
対米 作 戦 一般 的 考 察
要視 セ サ ル程 度 ニ於 テ 可能 ナ リ 乃 チ
ナ キ場 合 ニ限 ラ ル ヘシ 赤 軍艦 隊 ハ南 方 諸 島 以 東 ノ海 面 ヲ制 シ主
止 シ 横 須賀 防 備 隊 ヲシ テ 二 百 乃 至 二 百 五 十浬 ノ内 圏 ヲ而 シ テ艦 隊
之 ヲ以 テ青 軍 ノ 配備 ハ東 京 ヲ中 心 ト ス ル 五百 浬 圏 外 ニ於 テ敵 ヲ阻
ヲ不 得﹂ ト 語 リ シ ハ日 本艦 隊 ノ 阻 止 ヲ 予想 セ ル確 証 ナ リ
皇 居 大本 営 ノ 国家 中 枢 機 関 ヲ安 全 地 帯 ニ移 動 シ 東 京 ヲ敵 飛 行 機 ノ
力 ハ 一進 一退遠 ク 飛行 機 圏 外 ニ在 リ テ補 給 シ 飛 行 機 母 艦 ヲ以 テ帝
航 空 兵 力 ニテ 右 以外仝 距 離 ノ外 圏 ヲ防 衛 ス ル如 ク計 画 セ ラ サ ル ヘ
ニ ﹁日 本 艦 隊 ガ 対米 七割 ノ 勢力 ア ル 間 ハ飛行 機 母艦 ノ奇 襲 ヲ行 フ
都 ノ 空 襲 ヲ繰 返 ス ヘキ ノ ミ ナ ラ ス優 秀 ナ ル飛 行 機 ヲ有 ス ル赤 軍 ハ
カ ラ ス 概 念 如左 ︹ 次頁図︺
行 フ ヘキ余 裕 ナ カ ラ シ メ サ ル ヘカ ラ ス ﹁ プ ラ ツ ト﹂ ガ ﹁リ ード ﹂
強 テ 西方 ニ進 出 ス ル事 ナ ク シ テ巧 ニ大 阪 名 古 屋 等 ノ空 襲 ヲ行 フ ヘ
焼夷 ニ委 スト モ社 会 民心 ノ動 揺 ヲ始 メ惹 テ ハ革 命 的 擾 乱 勃 発 ノ虞
シ 換 言 セ ハ青 軍主 力 ニ ハ強 テ決 戦 ヲ求 ム ル事 ナ ク シ テ日 本 ヲ精
三 四 噫 倫 敦 条 約 ( 年代不明)
噫 倫 敦 条 約 (元老 重 臣 ノ罪 萬 死 ニ当 ル)
一〇 、 倫 敦 条 約 ノ重 要 ナ ル責 任 者 ( 生存 者)
一
一
リ、 之 ニ刺 戟 セ ラ レ タ ル幣 原 外 相 ハ恐 怖 ノ余 リ 直 チ ニ浜 口首 相 ヲ
競 争 ヲ ナ ス コト ハ不 利 デ ア ル﹂ 旨 ノ書 簡 ヲ交 附 シ テ我 国 ヲ恫 喝 セ
ヲ訪 問 シ ﹁日本 ハ本 条 約 ノ不 成 立 ニ ヨリ 招 ク ベキ 英 米 相 手 ノ建 艦
(一) 昭 和 五年 三 月 二十 一日 チ レー 駐 日 英 国 大 使 ハ外 務 省 ニ幣 原外 相
一 二
一、 英米 ノ 恫喝
四
一、 英 米 ノ恫 喝
二 、 統帥 権 干 犯
六
次
三 、 牧 野 内 府 、鈴 木侍 従 長 、斎 藤実 氏等 ノ策 動
目
四 、 財 政 的 欺 〓 ノ暴 露
訪 問 シ重 大 協 議 ヲ遂 ゲ タ リ。
一、 草 刈 少 佐 ノ自 刃
九 、 ロ ンド ン条 約 回 訓 以 後 ノ重 大 結 果
八 、 浜 口首 相 襲 撃 事 件
七 、 若 槻 全 権 以 下 ノ 行 賞
一一
一一
一一
一 〇
一 〇
一 〇
英 米 ノ恫 喝 タ ル ﹁英米 ノ対 日悪 化 ト製 艦 競 争 説 ﹂ ニ屈 服 シ タ ル モ
モ竟 ニ之 カ事 実 ナ ル コト ヲ認 メ テ ロ ン ド ン条 約 ノ成 立 ハ主 ト シ テ
タ リ 、電 報 ハ三 月 三十 一日付 ロ ンド ン発 電 ナ リ。 而 シ テ我 外 務 省
(三) 右 英米 ノ恫 喝 ハ四月 一日回 訓 発 送 当 日東 京 日 日新 聞 ニ爆 露 サ レ
部 ト会 見 セ り。
書 簡 ヲ交 附 シ且 ツ其 ノ夜 都 下新 聞 社 首 脳 者 ヨ リ成 ル 二十 一日会 幹
ヲ告 ゲ殊 ニ米 国 ノ対 日感 情 悪 化 、 財 政 援 助 ノ悪 影 響 ヲ指 摘 シタ ル
八
五 、 議 会 ニ於 ケ ル浜 口首 相 、幣 原首 相 代 理 ノ放 言 ( 其 一例) 七
二、 山 下 源 太 郎 大 将 ノ遺 言
一一
六 、 軍事 参 議 官 会 議 ノ 経 過
三 、 山 川 健 次 郎 男 ノ最 後
一 二
シ ﹁ 米 国 空 軍 ハ東 京 ヲ爆 破 ス ル力 ヲ有 ス ル迄 ニ発 達 シ テヰ ル﹂ 旨
(二) 三 月 二十 一日キ ヤ ツ ス ル駐 日米 国 大 使 ハ同 シク 幣 原 外 相 ヲ訪 問
四、 青 年 将 校 ノ蹶 起
︹マ マ ︺
五、 其 他 ノ襲 撃 事 件
幣 原外 相 ノ意 見 通 リ作 成 セ シ メ タ リ、 四月 一日午 前 八 時 三十 分 首
斯 ク テ 浜 口首 相 ハ国 際 協 調 ノ精 神 ヨ リト 云 フ美 名 ノ下 ニ回 訓 案 ヲ
岡 田大 将 ノ 召集 ニ安 東 航 空 本 部 長 、 中村 軍令 部 出 仕 ハ応 セ ス。
霞 ケ 関 ノ外 務 省 ハ英 国 ノ外 務 省 デ アル カ 米 国 ノ 外 務省 デ ア ル カ 、
ノ ナ ル コト ヲ自 白 シ タ リ、 当 時 徳 富 蘇 峰 氏 ハ痛 憤 シ テ 曰 ク
幣 原 外 相 ハ何 レ ノ国 ノ外 相 デ ア ルカ 、 我 等 ハ改 メテ吟 味 ス ル 必
案 ヲ承 認 ス ル 回訓 ヲ作 成 シ本 日閣 議 ニカ ケ決 定 ノ上 直 チ ニ上 奏
﹁政府 ハ国際 協 調 ト 国民 負 担 軽 減 ヲ目 的 ト シ テ若 槻 全 権 ノ請 訓
ニテ会 見 シ タ ル ニ首 相 ハ
相 ノ申 出 ニ依 リ加 藤 軍令 部 長 、岡 田参 議 官 、 山 梨 次 官 ハ首 相 官 邸 三 月 二 十 七 日 附東 京 日 日 新 聞
要 ヲ感 ズ ト
二、 統 帥 権 干 犯
リ。
海 軍 当 局 殊 ニ軍 令 部 ハ若 槻 全 権 ヲシ テ今 一応 再交 渉 セ シ メ ン ト セ
ラ レ タ ル 以上 已 ム ヲ得 ザ ル旨 ヲ述 ヘタ リ之 レ何 ノ権 限 ニ基 キ 発 言
反 対 ナ ル旨 ヲ明 言 セ リ 岡 田参 議 官 ハ首 相 ニ向 ヒ政 府 ニシ テ決 定 セ
ト挨 拶 シ 原案 ヲ提 示 セ リ
軍令 部 長 ハ原 案 ヲ 一瞥 シ テ直 チ ニ絶 対
然 ル ニ外 務 当 局 ハ若 槻 全 権 ノ ﹁是 ハ最 後案 ナ リ﹂ ト ノ意 見 ノ 附 シ
シ タ ル カ ヲ怪 マサ ル モ ノ ナ シ
シ 回 訓 シ タ シ﹂
ア ル ヲ見 テ最 早 交 渉 ノ余 地 ナ シ ト 認 メタ リ 。
リ漸 ク帷 幄 上 奏 ヲ ナ シ
等 ノ為 メ前 日上 奏 ノ機 ヲ阻 止 セ ラ レ本 日再 ビ 果 シ得 ス翌 二 日 ニ至
(一) 昭 和 五 年 三 月 十 五 日 若 槻 全 権 ハ松 平 、 リ ー ド 両 氏 ノ自 由 討論 ノ 結 果 生 レタ リ ト 称 ス ル米 国 案 ニ付 イ テ本 国 政 府 ニ請 訓 ヲ仰 ケ リ 、
政 府 ハ其 ノ回 訓 ニ際 シ テ統帥 権 ヲ無 視 セ リ
ト 明 言 シ 首 相 ハ ﹁趣旨 分 ツタ﹂ ト答 ヘタ リ
壊 スル モ ノナ ル ガ 故 ニ之 ヲ骨 子 ト スル 回 訓 ニ ハ絶 対 反対 デ ア ル﹂
免 シ軍 令 部 出 仕 ニ転 補 セ リ
擁 護 ス ル為 メ末 次 軍 令 部 次 長 並 ニ山 梨 次 官 ヲ六 月 十 四 日附 本 職 ヲ
激 烈 ヲ極 メ財 部 海 相 ヲ見 殺 ニセ ハ内 閣 瓦 解 ノ端 ト ナ ル ヲ虞 レ之 ヲ
回訓 決 定 ニ絡 ム政 府 ト 軍部 ト ノ抗 争 、 軍 部 内 ノ軋 轢 ハ 日 ヲ逐 ヒ テ
陛 下 ニ対 シ奉 リ 重 大 意 見 ヲ上 聞 ニ達 セ リ
而 シ テ加 藤 軍 令 部 長 ハ鈴 木 侍 従 長
三 月 十 九 日 加 藤 軍 令 部 長 ハ浜 口首相 ヲ訪 問 シ ﹁ 米 国案 ハ国 防 ヲ破
メ回 訓案 ニ対 スル 海 軍案 ノ 承 認 ヲ得 二 十 五 日 同案 ヲ山 梨 次 官 ノ手
加 藤 軍 令 部 長 ハ末 次 次 長 ノ転 補 ニ絶 対 反 対 シタ ル モ海 相 ノ内 奏 ニ
三 月 二 十 四 日 軍 令 部 長 ハ海相 官 邸 ニ元帥 、 軍事 参 議 官 ノ会 同 ヲ求
依 リ如 何 ト モ ナ シ難 ク遂 ヒ ニ己 レ モ断 然 辞 職 ヲ決 意 シ 同 日午 前 十
而 シ テ加 藤 軍令 部 長 ハ岡 田大 将 ト同 行
ヲ経 テ外 務 省 ニ交 付 セ リ
リ
会 議 ノ統 帥 権 ニ関 ス ル決 議 及 其 覚 書 一切 ヲ上 奏 シ 骸 骨 ヲ乞 ヒ奉 レ
ニ手 交 委 託 セ ル上 奏 文 ノ内 容 ニ其 後 ノ事 情 特 ニ元 帥 、 軍 事参 議 官
時 四十 分 参 内 シ今 秋 行 ハル ヽ大 演 習 ノ計 画 ヲ奏 上 セシ 後 曩 ニ海 相
二 十 七 日 再 度首 相 ヲ訪 問 シ テ 海 軍案 ノ 三大 原 則 死守 ヲ高 調 説 明 ス
﹁ 自 分 ハ是 非会 議 ヲ成 立 サ セ タ イ決 裂 セ ハ勢 ヒ製 艦 競 争 ヲ惹 起 ス
然 ル ニ首 相 ハ
此ノ
ル﹂ ト答 ヘタ リ 。 一方 岡 田啓 介 大将 ハ海 相 官 邸 ニ山 梨 次 官 、 小 林 艦 政 本部 長 、 野村 軍令 部 出仕 ヲ召集 シ鳩 首 協 議 ヲ遂 ゲ タ リ
尚 議 会 及 枢密 院 ニ於 テ 暴露 サ レ タ ル統 帥 権 干 犯 問 題 ハ次 ノ如 シ
ノ質 問 ニ対 シ
( ) 一浜 口首 相 ハ昭 和 五年 五 月 十 三 日貴 族 院 本 会 議 ニ於 テ花 井 卓 蔵 氏 ﹁而 シ テ ソ ノ条約 ノ内 容 ヲ成 ス所 ノ海 軍兵 力 量 ニ対 シ マシ テ ハ、
然 ル ニ之 レ明 ニ浜 口首 相 ノ虚 言 ニシ テ 軍令 部 長 ト ノ意 見 一致 ハ絶 対 ニナ シ。
軍 令 部 ハ回 訓 案 ニ対 シ テ ハ当 初 ヨリ 反 対 意 見 ヲ有 シ 現 ニ加 藤 軍令
タ ガ 之 ヲ聴 取 シ 、 之 ヲ尠 酌 シ、 然 ル上 ニ於 テ政 府 ガ 責 任 ヲ以 テ
シ 、 而 シ テ 十 分 ニ之 ヲ尠 酌 ヲ致 シ タ ト言 フ コト ハ屡 々申 シ マシ
即 チ 浜 口首 相 ハ 一方 帝 国 議 会 ニ於 テ ハ傲 然 ト シ テ 統帥 権 干 犯 ノ事
断 ジ テ同 意 シ タ ル事 実 ナ キ﹂ 旨 ヲ言 明 シ タ リ 。
尚 加 藤 大 将 ハ枢 密 院 審 査 最 中 即 九 月 八 日 ニモ ﹁回 訓案 ニ対 シ テ ハ
毫 モ変 化 ハナ イ ﹂ ト 言 明 シ 居 レ リ 。
ノ所 信 ト シ テ米 国 案 ヲ骨 子 ト スル 兵 力 量 ニ ハ同意 出来 ナ イ コト ハ
部 長 ハ四月 二 日 参 内 退 出 後 モ ﹁但 国 防 用 兵 ノ責 任 ヲ有 スル 軍令 部
之 ヲ決 定 シ タ リ ト 云 フ コト ハ具体 的 ノ問 題ト シ テ明 瞭 ニ屡 々申
是 ハ軍 部 ノ 意 見 ヲ無 論聴 取 スル必 要 ガ有 リ マス、 之 ヲ聴 取 イ タ
シ テ 居 リ マ ス、 此 ノ コト ハ只今 ノ花 井 君 ノ御 発 言 ニ対 シ特 ニ繰
ノ意 見 一致 シ タ モノ ト 認 メ テ直 ニ之 ヲ同 日 ノ閣 議 ニ付 シ政 府 ト シ
ト 再 三 意 見 ノ交 換 ヲ行 ヒ 四 月 一日 ニ最後 ノ協 議 ヲ遂 ゲ シ結 果 両 者
内 府 ノ内 意 ニ ヨリ鈴 木 侍従 長 ハ伏 見 宮 殿 下 ニ会 議 ノ 不 可 ナ ル コト
ニ手 ヲ延 ハシ 内 大 臣 牧 野伸 顕 氏 、 宮内 大 臣一 木 喜 徳 郎 氏 ト通 謀 シ
ナ リ ト ノ宣 伝 ヲナ シ テ国 民 ヲ惑 ハシ 之 レ ト 共 ニ裏 面 ニ策 動 シ宮 中
政 府 ハ政 府 軍 部 各 異 ル意 見 ヲ上 聞 ニ達 スル ハ宸 襟 ヲ悩 シ奉 ル モ ノ
ヲ察 知 シ 事 態 重 大 ナ ル ヲ以 テ軍事 参 議官 会 議 ヲ奏 請 セ ント セ シ所
(一) 軍 令 部 長 ハ首 相 カ 米 国 案 ニ基 キ 回 訓案 ヲ決定 スル考 ヘナ ル コト
三 、 牧 野 内 府 、 鈴 木 侍 従 長 、 斎藤 前 首相 ノ策 動
ニ対 シ 裏 書 キ シ タ リ 。
ト ノ書 面 答 弁 ヲ手 交 シ 浜 口首 相 ノ 議 会 ニ於 ケ ル統 帥 権 干 犯 ノ主 張
弁 ハ陸 軍 大 臣 ト シ テ異存 ナ シ﹂
﹁ロ ンド ン条 約 上 ノ兵 力 ノ決定 ハ政府 ニア リ ト ノ総 理 大 臣 ノ答
意 ナ ルヤ ﹂ ト ノ書 面 質 問 ニ対 シ 同 年 五 月 五 日 予算 総会 席 上
(三 )又 当 時 ノ宇 垣 陸 相 ハ政 友 会 ノ 内 田 信也 氏 ノ ﹁宇 垣 陸相 モ之 ニ同
飜 シ 加 藤 軍 令 部 長 ノ同 意 アリ ト 認 メタ ル 旨 偽 言 セ リ 。
陛 下 ノ御 諮 詢府 ニ対 シ厚 顔 ニモ前 言 ヲ
実 ヲ広 言 シ 他 方 長多 ク モ
昭 和 五年 五 月 十 四 日貴 族 院速 記 録 第 十 四号 一八三 頁
返 シ テ明瞭 ニ申 シ テ 置 キ マ ス﹂
ト言明シタリ。 右 言 明 ニ ヨリ 民 政党 ノ 浜 口内 閣 ハ自 ラ統 帥 権 干 犯 ノ事 実 ヲ明 瞭 ニ 自 認 シ 兵 力 量 決 定 ニ付 キ 軍部 ノ同 意 ヲ要 セ ザ ル コト ヲ主 張 シ タ リ。 尚 右 決 定 ニ付 キ 、 軍 部 ト 政府 ト ノ意 見 ガ 一致 シ居 リ タ ル ヤ否 ヤ ノ 質 問 ニ対 シ テ 、 浜 口首 相 ハ明 答 ヲ 回避 シ タ リ。 (二) 然 ル ニ政府 ハ其後 右議 会 ノ 言明 、 主 張 ヲ放 棄 シ、 兵 力 量 決 定 ニ 付 キ 、 軍 部 ノ 同 意 ヲ要 スル旨 ヲ明 カ ニス ル ニ至 レ リ、 即 チ昭 和 五 年 八 月 二 十 三 日 枢密 院審 査 委 員会 席 上 ニ於 テ枢 密 院 ノ追 求 ニ会 ヒ
テ ノ正式 決定 ヲ行 ヒ 上奏 御 裁 可 ヲ経 テ回 訓 ナ セ シ﹂ 旨 ヲ説 明 シ、
タ ル浜 口首相 ハ ﹁回 訓案 ノ兵 力 量 問 題 ニ付 キ当 時 ノ加 藤 軍令 部 長
枢 密 院 ハ結 局 此 ノ説 明 ヲ諒 ト シ テ審 査 ヲ了 セ ル モ ノナ リ
奏 ニ出 ス ル コト ヲ決 意 シ 一方 政 府 ハ伏 見 宮 殿 下 卅 一日 呉潜 水学 校
茲 ニ於 テ軍 令 部 長 ハ軍 事 参 議 官 会 議 ノ不 可 ナ ル コト ヲ悟 リ 帷幄 上
ヲ申 上 ケ テ之 レ ヲ抑 制 セ リ
デアル。 ﹂
ト ヲ考 ヘタ ラ ヨ カ ロウト 思 フ、 一個 ノ体 面 ヨ リ国 家 ノ方 ガ 大 切
ダ。 小 ツポ ケ ナ感 情 問 題 ニナ ン カ捉 ハレ ナイ デ少 々 ハ国 家 ノ コ
モ ノ ハ見 タ。 大 体 加 藤 部 長 ハ間 違 ツ テ居 ル コト ヲ考 ヘテヰ ル様
﹁兵 力 量 ノ 決 定 ハ言 フ迄 モナ ク 政府 ト 軍令 部 ト ノ協 議 ノ上 決 メ
更 ニ曰 ク
卒 業 式 ニ御 名 代 ト シ テ台 臨 遊 サ ル ヽ御 不 在 ヲ狙 ヒ四 月 一日 ノ 閣議 ニ於 テ回 訓 ヲ決 定 セ ント ス ル模 様 ナ ル ヲ察 シ 卅 一日 参 内 ス ヘク 宮
ル ノデ 軍 令 部 ノ意 見 ニ政府 ガ 同意 シ ナ ケ レ バ ナ ラ ヌモ ノ デ ハナ
中 ノ御 都 合 ヲ奉 伺 セ リ然 ル ニ内 大 臣 ハ侍 従 長 ヲシ テ同 日 侍 従 長 官 官 舎 ニ軍令 部 長 ヲ招 致 シ テ之 レト 会 談 セ シ メ其 機 会 ヲ奪 ヘリ 翌 四
テ居 ル。
イ 。 憲 法 ノ発 布 以 来 兵 力 量 ノ 決定 ハ スベ テ コノ方 針 デ ヤ ツテ 来
今 度 ダ ツ テ協 議 ガ 有 ツタ ノ ニ違 ヒナ カ ロウ シ 、 ソレ ニ軍令 部 ガ
月 一日 ノ御 都 合 ヲ奉 伺 セ ル ニ其 日 モ ﹁ 御 都 合 悪 シ﹂ デ 結 局 二 日午
府 ノ女 婿 吉 田外 務 次 官 活 動 シ テ首 相 ノ回 訓 ヲ遂 ケ シ メ タ リ
セ ラ レ ル モ ノデ ハナイ 。 条 約 ガ 枢 密 院 ニ御 諮 詢 ニナ ルト 委 員 会
不 服 ダ カ ラト 云 ツ テ国 家 ノ財 政 ヲ顧 ミ ナ イ デ 、 本 当 ノ国 防 ガ 達
前 十時 ニ参 内 帷 幄 上 奏 ヲナ セ リト 雖 モ事 既 ニ時 機 ヲ失 セ リ其 間 内
又 軍令 部 長 ノ 更 迭 ニ付 イ テ ハ元帥 即 チ東 郷 元帥 ニ御 下 問 ニ相 成 ヲ
京 城 特 電 昭 和 五年 六 月 一日東 京 朝 日新 聞
デ多 少 質 問 ガ ウ ル サカ ラ ウガ 問 題 ハナ イ 。﹂
相 当 ト ス ル旨 奏 上 スベ キ ニ拘 ラズ 牧 野内 府 ハ故 意 ニ之 ヲ避 ケ テ 軍 令 部 長 ト 対 立 関 係 ニ ア ル財 部 海相 ニ御 下 問 ア ル ベ キ旨 ヲ奉 答 セ リ
(二) 斎 藤 前 首 相 ハ当 時 朝 鮮 総 督 ト シ テ加 藤 軍 令 部 長 ヲ更 迭 セ シ ム ル コト ニ決 意 シ谷 口大 将 ヲ朝 鮮 ニ呼 ビ 寄 セ テ置 キ 財 部 大 将 ノ帰 途 即
日御 裁 可 ア ラ セ ラ レ谷 口尚 真 大 将 親 補 サ レタ リ 。
依 ツ テ海 相 ハ午 後 四 時 二十 五 分参 内 シ 軍 令 部 長 更 迭 ヲ内 奏 シ 十 一
約 一億 三 千 七 百 万 円 ニ上 ル ニ ヨリ 主力 艦 及ビ 補 助 艦 ニ於 テ総 計 四
五 百 五 十 円 ト 見積 リ 一ケ年 額 二 千 七 百 五 十万 円 、 五 ケ年 分 ト シ テ
制 限 ニ依 ル 縮 小噸 数 約 五 万 ト ン ニ付 キ ソノ 一ケ年 ノ維 持 費 噸 当 リ
大蔵 当 局 ノ 概算 ニ依 レ バ主 力 艦 代 艦 建 造 中 止 ニ依 ル建 造 費 及 ビ 維
(一) ロ ンド ン条 約 ガ我 国財 政 上 ニ及 ボ セ ル絶 対 的 効 果 ニ付 キ 当 時 ノ
四、 財政 的 欺 〓 ノ暴 露
チ 昭和 五年 五月 十 六 日朝 鮮 通 過 ニ際 シ之 ヲ官 舎 ニ立 寄 ラ シ メ打 合
億 弐 千 万 円 以 上 ノ巨 額 ニ達 スル負 担 ヲ国 民 ノ負 担 ヨリ免 カ レ シ メ
( 昭 和 五 年 六 月 十 日) 而 シ テ後任 ニ ハ予定 ノ如 ク谷 口大 将 ヲ推 シ ︹ 輔︺ タ ル モ ノ ナリ 牧 野 内 府 ノ補 弼 ハ私 曲 アル モ ノト 云 ハザ ル ベ カ ラ ス
セ ヲ為 セ ル モ ノ ナ リ。
得 ベシ ト 云 フ ニ アリ 。
(二) 又 我 国 財 政 ノ現 情 ハ甚 ダ シク 財 源 難 ニ陥 ツ テ居 ル コト 故 財 政計
持費 ノ 節約 額 ハ五 ケ年 分 ト シ テ総 計 約 二億 八千 六百 万 円 、 補 助 艦
更 ニ斎 藤 前 首 相 ハ身 親 ラ海 軍先 輩 ノ地 位 ニ有 リ ナ カ ラ大 胆 ニ モ統 ︹マ マ︺
帥 権 干 犯 ヲ卒 先 シ テ公 言 セ リ 、 曰 ク ﹁ 加 藤 軍令 部 長 カ ラ直 接 手 紙 ハ来 ナイ ガ 軍令 部 長 ノ意 見 ト 云 フ
シ 補 充 計 画 ノ財 政 的 実 現程 度 及ビ 方 法 ヲ決 定 ス ル ニ非 ザ レ バ具 体
ニ付 キ テ ハ、 今 後 明 年 度 予算 編成 ノ 際 ニ於 テ海 軍側 ト 正 式 ニ交 渉
(三 )而 シ テ ロ ンド ン条 約 実施 ノ 結 果 ハ、相 当 程 度 ノ減 税 ヲ断 行 シ得 ル コト 確 実 ナ ル モ如 何 ナ ル程 度 、如 何 ナ ル税 目 ニ於 テ実 現 ス ル カ
此 ノ財 源 ハ海 軍 ノ補 充 計 画 及 ビ減 税 ノ財 源 ニ充 当 シ テ決 シ テ歳 入 ︹ 補︺ 欠 陥 ノ保 填 等 ニ ハ使 用 セ ザ ル 方針 ナ ル旨 ヲ モ言 明 シ居 レ リ。
モ之 ヲ増 額 シ テ 五ケ 年 分 ト シ テ約 五 億 八 百 万 円余 留 保 シ テ居 ル モ、
画 上 ニ於 テ ハ、 建 艦 費 ノ留 保 財 源 ト シ テ 、 前 政友 会内 閣 時代 ヨリ
与 党 民 政 党 、 及 之 ニ雷 同 シ タ ル 陸 海 軍 ノ 一部巨 頭其 他 大 新 聞 及 ビ
時 、 本 条 約 ヲ以 テ 一大 成 功 ト ナ シ タ ル 元老 重 臣 及 ビ時 ノ内 閣 及 ビ
失 敗 ヲ演 ジ タ ル モ ノナ ル コト ヲ確 認 セ ザ ル ヲ得 ズ 、本 条 約 締 結 当
充 計 画 ノ巨 額 ナ ル ヲ見 ル ニ及 ヒ ロ ンド ン条 約 ハ我帝 国 ト シ テ 一大
国 民 ヲ モ愚 弄 シ 尽 シ タ ル罪 軽 カ ラ スト 云 フベ シ 、 吾 人 ハ第 二次 補
浜 口総 理 大 臣 、 井 上 大 蔵 大 臣 、 幣 原 外 務 大 臣 ハ勿 論当 時 ノ 海 軍 大
ラズ 強 ヒ テ上 下 ヲ欺 瞞 セ ンガ タ メ ニ浜 口内 閣 ガ 計 画 シ タ ル虚 偽 ノ
曩 ノ 一億 三 千 四百 万 円 ノ減 税 計 画 ノ如 キ ハ全 ク ソ ノ余 地 ナ キ ニ拘
計 画 ヲ公 表 シ タ リ、 即 チ初 年 度 九 百 余 万 円 、 平 年 度 弐 千 五 百 万 円
減 ナ リ ト シ テ 昭和 六 年 度 ヨ リ 昭和 十 一年 度 ニ亘 ル六 ケ 年 間 ノ減 税
シ 、残 余 一億 三 千 四 百 万円 ヲ ロンド ン条 約 ニ基 ク、 国 民 負 担 ノ軽
内 三億 七 千 四 百 万 円 ヲ右 条 約 ニ基 ク欠 陥 補 充 ノ第 一次 計 画 ニ充 当
爾 来 政府 ハ ロ ンド ン条 約 ニ由 リ生 ジ タ ル剰 余 財 源 五億 八 百 万 円 ノ
然 ニ恬 然 ト シ テ 恥 ナ キ ハ日本 精 神 ヲ解 セ サ ル ノ徒 タ ルカ 故 ナ ル ベ
等 ハ至尊 ニ対 シ奉 リ テ 一日 モ其 地 位 ニ晏 如 タ ル ヲ得 サ ル ヘキ ナ リ
論 ヲ俟 タ サ ル ナ リ、 此 ノ故 ニ倫 敦 条 約 ノ成 立 ニ関 与 セ ル元 老 重 臣
テ経 済 的 ニシ テ 最 モ効 果的 ナ ル海 軍力 ヲ養 フ コト ヲ得 タ リ シ コト
若 シ 夫 レ我 三 大 原 則 ヲ固持 シ テ帝 国 ノ国 防 計 画 ヲ貫 徹 セ ン カ極 メ
所 謂 国 際 協 調 主 義者 等 ハ何 ノ顔有 ツテ我 ガ 上 下 ニ見 ヘン ト ス ル カ、
臣 マデ参 加 シ テ至 尊 ヲ欺 キ 奉 リ 、 枢 府 及 ビ 帝 国 議 会 ヲ瞞 着 シ 一般
大 陰 謀 ナ ル コト 明 ト ナ レリ 。
ヲ〓 過 シ 去 リ シ モノ ナ リ。
的 実 数 ハ判 明 ス ル ヲ得 ズ ト テ 明答 ヲ与 ヘズ シ テ議 会 並 ビ ニ枢 密 院
六十 余 万 円、 砂 糖 消 費 税 ニ於 テ八 百 余 万 円 、 織 物 消 費 税 ニ於 テ 四
之 ヲ地 租 法 ノ改 正 ニ依 リ テ千 八十 余 万 円 、 営 業 収 益 税 ニ於 テ 四 百
五 、議 会 ニ於 ケ ル浜 口首 相 代 理 ノ放 言 ( 其 一例)
シ。
百 十 万 円 ニ割 当 テタ リ。 然 ル ニ何 事 ゾ 次 年 度 予算 ニ於 テ 大 蔵省 ニ 提 出 セ ラ レ タ ル海 軍 予 算 ナ ル モ ノ ヲ観 ル ニ極 メテ 彪 大 ナ ル モ ノ ニ
﹁ 首 相 、 外 相 ノ演 説 ハロ ンド ン条 約 ノ兵 力 量 デ 一切 国 防 上 ノ危
険 ハ無 イ ト 断 定 シ テ居 ル モ用 兵 ニ当 ツ テ居 ル 軍 令 部 長 ノ回 訓 後
(一) 昭和 五年 四月 二十 五 日 ノ衆 議 院 本 会 議 ニ於 テ犬 養 氏 ハ次 ノ質 問 ヲ試 ミ タ リ、 曰 ク
ク ロ ンド ン条 約 ニヨ ル欠 陥 ニ対 スル 第 二次 補 充計 画 タ ル ベ キ コト
ノ声 明 書 ニ依 ルト 此 ノ兵 力 量 デ ハド ンナ コト ヲシ テ モ国防 ガ 出
シ テ実 ニ七 億 六 千 万 円 ノ巨 額 ニ及 ベリ 、 即 チ 内 二 億 五 千 万 円 ハ経
ガ 明 ラカ ニサ レタ リ 。 果 シ テ 然 ラ バ ロン ド ン条約 ニ基 ク補 充 計 画
来 ナ イ ト 断 言 シ テ居 ル。 何 レガ 真 カ﹂
常 費 ニシ テ他 ノ 五億 余 円 ノ大 部 分 ハ軍 事参 議 官会 議 ノ奉 答 文 ニ基
ナ ル モ ノ ハ減 税 ハ愚 、 更 ニ国 民 ノ負 担 ヲ加 重 シ タ ル モ ノ ニシ テ、
国 議 会 ニ対 シ 国 防 上 ノ責 任 ハ政府 ガ之 ヲ負 フ ( 君 主 ニ対 シ テ責
﹁海 軍 々 令 部 長 ノ声 明 云 々 ト 言 フ コト モ有 ツ タガ 然 シ ナガ ラ帝
ト 試 ミ ソ ノ結 果 谷 口軍 令 部 長 ハ海相 ノ旨 ヲ含 ミ新 国防 計 画 ヲ作 製
テ新 任 軍 令 部 長 ノ手 ニ ヨリ 新 国 防計 画 ヲ樹 立 シ テ御 諮 詢 ヲ仰 ガ ン
詢 ヲ奏 請 サ レ タ シ ト ノ希望 アリ タ ル タ メ 政府 ハ財 部 海 相 ヲ督 励 シ
ト シ テ兵 力 量 ヲ取扱 ヘ ル条 約 ナ ル故 成 ル ベ ク海 軍 ノ最 高 機 関 ノ諮
ニ御 諮 詢 ヲ奏 請 セ ント 欲 シ 居 リ タ ル所 枢 密 院 ノ大 勢 ハ同 条 約 ハ主
ヲ負 フ ニ ア ラザ ル 点 注 意 ヲ要 ス 即機 関説 ナ ル コト明 ナ リ) 此 ノ
之 ニ対 シ 浜 口首 相 ハ次 ノ如 ク答 弁 ナ シ居 レ リ。
度 協 定 シ タ 条 約 案 ニ記 載 シ テ ア ル条 約 ノ保 有 勢 力 ニ依 ツテ帝 国
会 議 ヲ経 ル必 要 アリ ト テ耳 ヲ傾 ケ ザ リ キ 。
シ 軍令 部 、 海 軍 省 ノ聯 合 会 議 ノ決 定 ヲ経 テ 谷 口 軍令 部 長 ヨリ伏 見
財 部 海 相 ハ七 月 五 日海 相 官 邸 ニ岡 田 参 議 官 、 谷 口軍令 部 長 、 加 藤
大 将 宮 及 ビ 東 郷 元 帥 ニ諒 解 ヲ求 メタ ル所 意 外 ニ モ 一応 軍事 参 議 官
右 答 弁 ニ依 リ 文 官 大 臣 タ ル 浜 口首 相 ガ 而 カ モ議会 ニ対 シ 国防 ノ責
ノ国 防 ハ極 メ テ 安 固 デ 有 ル ト 言 フ コト ヲ責 任 ヲ以 テ申 シ 上 ゲ
任 ヲ負 フ コト ト ナリ 且 大 胆 ニ モ国 防 ノ安 固 ヲ保 証 シ 居 ル コト ヲ見
参 議 官 ノ会 同 ヲ求 メ タ リ。
ル﹂
ル ベキ ナ リ。
二 、 千 九 百 三 十 五年 ノ海 軍会 議 ニ提 出 ス ベキ 帝 国 海 軍 ノ方 針 。
一、 軍令 部 立 案 ノ新 国防 計 画 ノ内 容 及 ビ 立 案 ノ方 針 。
席 上谷 口 軍令 部 長 ヨ リ
スル政 府 ノ所 信 ヲ訊 シ タ ル ニ対 シ ﹁首 相 代 理 ト シ テ コ ノ条 約 ヲ以
等 ニ付 キ 説 明 シ タ ル ガ何 等 決 ス ル所 ナ ク物 別 レト ナ レ リ。 カ ク テ
(二) 更 ニ又 幣 原 外 相 ( 首 相 代 理 ) ハ昭 和 六 年 二月 三 日 第 五 十 九帝 国 議 会 予算 総 会 ニ於 テ政 友 会 中 島 知 久 平 代 議 士 ノ ロ ンド ン条 約 ニ対
テ 日本 ノ 国防 ヲ危 フク ス ル モ ノト ハ考 ヘナイ ト 言 フ意 味 ハ申 シ マ
七 月 六 日 午前 十 一時 半 ヨリ 再 開 シ タ ル ニ加 藤 参 議 官 ハ
ノ見 地 ヨリ 補 充 計 画 ヲ論 難 シ 何 等 結 論 ヲ得 ル コト ナ ク散 会 シ更 ニ
異 ニ依 リ 不 完 全 デ アリ 且 ツ経 済 的 軍 備 ニ反 スル コト
二 、 潜 水 艦 ノ欠 陥 ヲ航空 機 ニ依 リ 補 ハ ント ス ル モ両 者 性 能 ノ差
リ 補 ハ ント スル モ戦 略 上 ヨリ 見 テ欠 陥 ア ル コト
一、 新 補 充 計 画案 ニ於 テ 八吋 砲 巡洋 艦 ノ劣 勢 ヲ 六吋 巡 洋 艦 ニ依
シ タ 。 現 ニ コノ条 約 ハ御 批 准 ニナ ツ テ居 リ マス、 御 比 准 ニナ ツ テ
陛 下 ニ帰 シ奉 ル モ ノ ナ リト シ テ囂 々 タ ル世 論
居 ルト 言 フ コト ヲ以 テ ロン ド ン条 約 ガ国 防 ヲ危 フ ク ス ル モ ノデ ナ ︹ 輔︺ イ ト 云 フ コト ハ明 デ ア リ マス﹂ ト 放 言 セ リ、 而 シ テ此 答 弁 ハ補 弼 ノ責 任 ヲ忘 レ責 ヲ
ニテ紛 擾 ヲ重 ネ シ ガ 漸 ク 十 三 日 ニ至 リ外 相 ノ取 消 シ ニ依 リ解 決 セ
七 日三 度 目 ノ 四巨 頭 会 議 ヲ開 キ 論 議 シ タ ル モ条 約 ノ 兵力 量 ニ開 ス ︹ 礁︺ ル根 本 論 ニ遡 ル ニ至 ラバ 忽 チ 暗 焦 ニ乗 リ 上 ゲ テ 進 マズ 一方 岡 田 大
ノ非 難 ヲ招 キ 竟 ニ議 会 ハ此 ノ後 一週 間 ニ亘 リ幣 原 外 相 ノ放 言 問 題
ル コト 周 知 ノ如 シ 。
政 府 ハ英 米 両 国 ガ 既 ニ倫 敦 海 軍条 約 ニ付 キ審 議 ヲ開始 シ 一方 外 務
午 前 岡 田大 将 ノ帰 京 ヲ待 ツ テ第 四 次 巨 頭 会 同 ヲ開 催 、 兵 力 量 ト 補
将 ハ八 日特 命 検 閲 使 ト シ テ出 発 ス ル ノ余 儀 ナ キ ニ至 リ 七 月 十 四 日
六 、 軍 事 参 議 官 会議 ノ経 過
省 ニ於 テ モ条 約 説 明 書 ノ準 備 完 了 シ タ リ ト テ、 一日 モ 早 ク枢 密 院
議 官 会 議 ヲ開 催 、 当 日 ハ伏 見 大 将 宮 殿 下 、 東 郷 元 帥 モ 列 席 正式 ニ
開 ケ准 公 式 軍 事 参 議 官 会 議 ヲ開 ク コト ヽナ リ 、 二 十 一日 非 公式 参
充 計 画 ニツキ 論 議 十 五 日、 二十 日 ト 会 同 ヲ重 ネ 竟 ニ局 面 疎 通 ノ途
ム ニ入 ル ヤ突 如 腹 部 目 ガ ケ テ射 撃 セ ル モ ノ アリ 、 首 相 ハソ ノ場 ニ
ニ於 ケ ル陸 軍特 別 大 演 習 陪 観 ノ タ メ西 下 セ ント シ テプ ラ ツト ホ ー
犯人 ハ愛 国 社 員 佐 郷 屋 留 雄 ニシ テ軍 縮 会 議 ニ対 スル 浜 口内 閣 ノ態
昏 倒 、 次 イ デ帝 大 塩 田外 科 ニ入 院 セリ 。
﹁ロ ンド ン条 約 ハ国 防 用 兵 上 如 何 ナ ル影 響 アリ ヤ﹂ ノ奉 答 文 作 製 ヲ議 題 ト シ各 員 ソ レゾ レ所 見 ヲ披 瀝 シ東 郷 元帥 ハ ﹁ 条 約 兵力 量 ハ
九 、 ロ ンド ン条 約 回 訓 以 後 ノ重 大 結 果
度 処 置 ニ憤 激 ノ結 果 ナリ 。
以 上 ノ如 ク ロ ンド ン条 約 ノ締 結 ハ当 時 政 府 ノ主 張 セ ル如 キ 世 界 平
国 防 用 兵 上 欠 陥 アリ 此 ノ欠 陥 ハ航 空 機 及 ビ ソノ他 ノ制 限 外 兵 器 ニ 依 ル モ完 全 ニ補 充 ス ル コト 困 難 ナ リ﹂ ト頗 ル強 硬 意 見 ヲ主 張 シ 一
ヲ著 シ ク不 利 ナ ル立 場 ニ陥 ラシ メタ ル コト 一点 疑 問 ノ余 地 ナ キ所 ナリ 。
和 ノ貢 献 及 国 民 負 担 ノ軽 減 ノ二 大 目 的 ヲ全 ク裏 切 リ我 内 外 ノ情 勢
茲 ニ於 テ先 覚 ノ深 憂 国 民 ノ 公 憤 ハ踵 来 シ物 情 漸 ク 騒然 タ ル ニ至 ル。
方 ニ ハ補 充 計 画 ニ就 テ政府 ノ 確 タ ル 言質 ヲ得 ル必 要 ア リ シ ニ依 リ
夜 首 相 、 外相 、 海相 、鉄 相 、内 相 、緊 急 会 合 シ財 部 海 相 ヲ シ テ述
交 渉 ヲ開 始 ス ル ニ至 レ リ 、 政府 ハ形勢 ノ重 大 ナ ル ニ鑑 ミ 二十 一日
ベ シ ム ル 政府 ノ 言質 ニ就 キ協 議 セ リ、 次 デ 二十 二 日 ノ午 前 ノ第 二
其 ノ著 名 ナ ル事 例 ヲ挙 ク レ ハ下 ノ如 シ。
五 年 五 月 二 十 日払 暁帰 京 ノ途 次 自 刃 ス ル ニ至 レ リ
(一) 海 軍 々 令 部参 謀 草 刈少 佐 ハ ロン ド ン条 約 ノ締 結 ニ就 キ痛 憤 禁 シ 難 ク 財 部 海相 ヲ途 中 ニ擁 シ私 ニ決 意 セ ン ト シ テ果 サ ス昭 和
次 非 公式 参 議 官 会 議 ハ政府 ノ意 嚮 ヲ確 メ御 諮 詢 ニ対 ス ル奉 答 文 ヲ 決 シ 二 十 三 日午 前 十 時 ヨリ宮 中 ニテ正 式 参 議 官 会 議 ヲ開 キ 奉 答 文 ヲ確定 セ リ、 東 郷 元帥 ハ谷 口 軍令 部 長 ヲ帯 同 葉 山 御 用 邸 ニ伺 侯 シ テ議 決 文 ヲ捧 呈 シ会 議 ノ経 過 ヲ委 曲 上 奏 ﹁用 兵 作 戦 上 支 障 アリ﹂ ト 断案 ヲ下 シ海 軍部 内 ノ論 議 ハ 一段 落 ヲ遂 ゲ タ リ 。
(二)海 軍 大 将山 下源 太 郎 氏 ハ人格 識 見 倶 ニ萬 人 畏 敬 ノ的 ナリ シ コ ト 周知 ノ所 ナ リ 而 シ テ ロ ンド ン条 約 ノ就 ル ヤ病 床 ニ アリ テ
深 憂 措 ク能 ハス為 メ ニ死 期 ヲ早 ム ル ニ至 リ シ コト ハ同 僚 知 己
七 、 若 槻 全 権 以 下 ノ行 賞 倫 敦 条 約 ハ右 ノ如 キ 有 害 ナ ル モ ノナ リ シ ニ拘 ラ ス浜 口内 閣 、内 府 、
ノ均 シ ク惜 ミ タ ル所 ナ リ
彪
若槻礼次郎
協 力 一致 本 問 題 ノ解 決 ニ当 リ 違 算 ナ キ ヲ期 セ ラレ タ イ﹂ ト ノ
ナ ク唯 ﹁ 帝 国 海 軍 ノ前 途 ハ誠 ニ寒 心 ニ堪 ヘナ イ 海 軍 ノ諸 星 ハ
氏 ハ臨 終 ニ際 シ 言 私 事 ニ亘 ル コト
宮 相 ハ左 ノ如 ク行 賞 ヲ奏 請 セ リ 特 授 男 爵
財
切 々 タ ル遺 言 ヲ述 ヘテ後 事 ヲ托 セ ラ レタ ル 次 第 ナ リ 。
部
授 旭 日銅 花 大 綬 章
松 平 恒雄
ナ ル ヤ審 査 員 ト シ テ国 防 、 経 済 等有 ユ ル方 面 ニ亘リ寝 食 ヲ忘
( 三) 枢 密 顧 問 官 山 川 健 次 郎 男 ハ ロ ンド ン条 約 カ枢 密 院 ニ御 諮詢 ト
授 旭 日大 綬 章 賜 金 盃 一組 八 、 浜 口首 相 襲 撃 事 件
浜 口首 相 ハ昭 和 五 年 十 一月 十 四 日午 前 九時 東 京 駅発 ニテ 岡山 県 下
レ テ研 究 セ ラ レタ ル 結 果断 然 ト シ テ 反対 セ ラ ル ヽニ至 レ リ
ナ ル モ此 外 因 ヲ惹 起 サ セ シ 所 謂 井 上 財 閥 ノ欺懣 酷 迫 ハ勿 論 前
例 セ ハ前 記 統 帥 権 干 犯 問 題 ハ血 盟 団 被告 等 ノ 一斉 痛 撃 スル所
雄 弁 ニ語 ル所 ナ リ
ニ至 リ シ コト 家 人 門 生 等 ノ憂 慮禁 シ 得 サ リ シ所 ナ リ キ 純忠
其後
億 四千 萬 円 ノ借 換 問 題 ニ付 英 米 側 ノ恫 喝 ニ会 ヒ タ リ ト ノ噂 ノ
年 来 専 ラ喧 伝 セ ラ レ居 タ ル昭 和 六 年 一月 一日 満 了 英貨 公債 二
︹マ マ︺
竟 ニ其 畢 生 ノ事 業 タ ル明 治 戌 辰史 モ筆 ヲ投 シ テ顧 ミ ラ レ サ ル
而 モ条 約 案 カ 枢 密 院 ニ於 テ 可 決 セ ラ ル ヽヤ怏 々 ト シ テ楽 マス
間 モ ナ ク病 ヲ得 テ帝 大 病 院 ニ入 院 サ レシ カ 竟 ニ起 タ ス
英米 ハ日本 ノ借 換 要 求 ヲ拒 絶 セ ント ノ放 送 ヲ試 ミ輿 論 軟 化 ヲ
因 タ リ シ ナ ラ ン即 チ若 シ ロ ンド ン条 約 カ 円 満 成 立 セ サ ル場 合
如 キ 正 ニ井 上 準 之 助 団 琢 磨 ノ如 キ 金 融 資 本 閥 ノ狙 ハレ タ ル 一
(四) 海 軍少 壮 将 校 ノ全 面 的 蹶 起 ト ナ リ 諸 種 ノ不 穏計 画 カ伝 ヘラ レ 内 外 ノ神 経 ヲ痛 ク刺 戟 ス ル ニ至 レリ 即 チ 其 ノ 一例 ト シ テ 霞 ケ
所ナリキ
策 シ タ ル ナ ト我 国 輿 論 ヲ弥 上 ニ刺 戟 シ タ ル コト 否 定 シ 得 サ ル
至 誠 一世 ノ儀 表 タ ル男 ノ偉 容 ハ再 ビ 仰 キ 得 サ ル ニ至 レ リ
浦 海 軍 飛 行 隊 ニ於 テ ハ後 年 五 ・ 一五 事 件 ノ立 役 者 タ リ シ 藤 井
而 シ テ 血 盟 団 ノ 結 束 サ レ シ所 以 ノ モ ︹ 註︺ 騰写印刷。
( 生存者)
富 井 政章
岡 田 啓 介
石 井 菊 次郎
西 園寺 公 望
実
一木喜 徳 郎
野村吉三郎
小 林 躋 造
幣 原喜 重 郎
彪
若槻礼次郎
藤
一成
牧 野 伸 顕
斎
部 宇 垣
財
鈴 木 貫 太 郎
一〇 、倫 敦 条約 ノ重 要 ナ ル責 任 者
(七) 五 ・ 一五事 件 ノ 軍 人常 人 側 ノ主 張 モ亦 ロンド ン条 約 ニ対 ス ル 憤激 ニ アリ シ コト裁 判記 録 ニヨ リ明 カ ナ ル所 ナ リト ス
少 佐 等 同志 ノ活 発 ナ ル運 動 ト ナリ 条 約 締 結 当 時 ノ如 キ 山 梨 海 軍次 官 ニ面接 シ テ辞 職 勧 告 ヲ敢 テ シ タ ル コト 近 時 世 ノ所 謂 下 尅 上 ノ実 相 ヲ伝 ヘタ ル モ ノ ア リキ 。
ヲ呼 ヒ当 時 民 政党 内 閣 ノ 軍部 制 圧 ニ反 抗 ス ル ノ勢 漸 ク強 ク竟
更 ニ海 軍少 壮 将校 ノ 蹶起 ハ必 然 的 ニ マタ 陸 軍 少 壮 将 校 ノ憤 起
ニ ハ満 洲事 変 ノ経緯 ヲ見 ル ニ至 リ シ コト 明 ナ ラ ン。 (五 )昭 和 五 年 十 一月 十 四 日 浜 口首 相 襲 撃 事 件 ハ余 リ ニ著 明 ナ レ ハ 略ス (六) 昭 和 七 年 二 月 九 日 小 沼 正 ハ井 上準 之 助 ヲ狙 撃 シ 同 三 月 五 日菱
ル ヽ ニ至 リ シ モ ノナ リ
沼 五 郎 ハ団 琢 磨 ヲ狙 撃 シ 茲 ニ所 謂 血 盟 団 ノ全 貌 ハ明 ミ ニ出 サ
ノ ハ其 ノ主 因 ハ実 ニ ロ ンド ン条 約 ニ暴 露 サ レ シ重 臣 財 閥 政党 者 流 ノ国 事 破 壊 ニ対 シ 痛 憤 シ タ ル モノ タ ル コト ハ裁 判 記 録 ノ
三 五 元 老 西 園 寺
元老西園寺
( 年代不明)
チ テ共 和 政府 ヲ樹 立 セ リ西 園 寺 ノ外 遊 ハ此 ノ如 キ 革 命 時 代 期 ニ属
セ ル ヲ以 テ不 識 ノ間 危 険 思 想 ニ滲 染 セリ 西 園 寺 帰 朝 ノ翌 年 即 明 治
シ テ自 ラ其 社 長 ト ナ リ筆 ヲ執 リ テ道 徳 ノ自 由 政 治 ノ自 由 等 不 穏 思
十 四年 三 月中 江 兆 民 等 ト自 由 主 義 宣 伝 ノ為 メ東 洋 自 由 新 聞 ヲ創 刊 一
ヲ諭 ス モ 之 ニ服 セ ス却 テ固 ク職 ヲ続 ケ ン コト ヲ主 張 セリ 三 条 岩 倉
想 ヲ皷 吹 セ リ 三条 実 美 等 主 上 宸 襟 ヲ悩 マセ給 フ ニヨリ 退 社 ス ヘキ
其 一
三
次
四
目
二 西 園寺 内 閣 ト英 米 追 随 外 交
一 東 洋 自 由 新 聞 ト 西 園 寺 ノ思 想 及 違 勅 問 題
三 西 園寺 内 閣 ト社 会 主 義
リ 漸 ク 退 社 セ リ然 レ ト モ上 奏 文 ヲ捧 テ自 見 ノ正 シキ ヲ奏 上 シ 且 東
ノ 如 キ勅 命 ヲ給 フ西 園寺 激 怒 セ ル モ致 方 ナ ク シ テ 四月 十 二日 ニ至
洋 自 由新 聞 ハ其 社 告 ヲ発 シ テ ﹁ 西 園 寺 ハ身 ハ同 社 ニア ラ スト 雖 ト
等 明治 天皇 ニ奏 上 シ 四 月 八 日西 園 寺 ハ宮 内 省 ヨ リ召 喚 セ ラ レ左 掲
五
モ其 心 ハ常 ニ本 社 ニア リ テ従 来 ヨ リ 又 一層 ノ勉 強 ア リ﹂ ト ノ広 告
四
六
ヲナ セ リ 茲 ニ於 テ物 論 沸 騰 シ 井上 毅 ノ如 キ ハ左 ノ如 ク激 語 ヲ発 セ
五
六 西 園寺 ノ違 勅
七
四 第 二次 西 園寺 内 閣 ト無 能 外 交
七 西 園 寺 ト住 友 、 原 田、 伊 沢
八
五 西 園寺 内 閣 ト軍 縮
八 単 独 元老 ノ弊
其 二
九 西 園 寺 ノ皇 室 ニ対 ス ル思 想
リ
ヲ免 レ ス広 告 ニシ テ 虚構 ナ ラ ハ広 告 者 ハ不応 違 ノ罪 ニ処 セ ラ ル
西 園 寺 氏 已 ニ勅旨 ヲ受 ケ テ 尚 ホ広 告 ノ如 キ事 実 ア ラ ハ違 制 ノ罪
ヘシ 内 勅 タ リ ト モ天 皇 立 憲 ノ国 ニ於 テ宮 内 卿 ヲ経 テ伝 ヘラ レ タ
一、 東洋 自 由新 聞 ト西 園 寺 ノ思 想 及 違 勅 問 題 其 一
十 三 年 十 月 三 十 三 歳 ヲ 以 テ帰 朝 満 十 ケ年 青 年 期 ヲ仏 国 ニ於 テ悠 遊
ル命 令 ニ故 違 スル ハ刑法 ニ触 ル ル モ ノ ナ リ若 又 勅 ニ背 ク モ罰 ヲ
西 園 寺 ハ明 治 四年 一月官 費 ヲ以 テ 二十 四歳 ニテ仏 国 ニ留 学 シ明 治
セ リ 当 時 ナ ポ レ オ ン 三世 普 仏 戦 争 ニ敗 レ テ社 稷 ヲ失 ヒチ エー ル立
蒙 ラサ ル モノ ハ宮 内 卿 其 責 ニ任 ス ヘシ 其 後 此 事 ニ関 シ 社 員 ハ拘 引 セ ラ レ 東京 裁 判所 ニ於 テ懲 役 七 十 日 ニ 処 セ ラ レ西 園 寺 モ亦 刑事 課 ノ 取 調 ヲ受 ケ タ リ 然 ル ニ竹 越 与 三 郎 ハ其 著 ﹁陶 庵 公﹂ ニテ幸 ニ政府 ニモ 人無 キ ニア
東京京橋尾張町 二丁目十四番地
社
長 西 園 寺 公 望
東洋自由新聞社
備考
発起人総代 松 田 正 之
セ リ 実 ニ許 シ 難 キ 暴 言 ナ リ ト 謂 フ ヘシ
西 園寺 公望 ハ四 月 十 二 日社 長 ヲ罷 ム
東 洋 自 由 新 聞 ハ明 治 十 四年 三月 十 八 日発 見
ラ ス シ テ斯 ル岡 ツ引 ノ様 ナ 議 論 ハ取 上 ラレ スシ テ済 ミ タ ル旨 ヲ記
ヲ主 張 シ 以 テ国 歩 ノ進 捗 ヲ図 ル ニ ア ル旨 ヲ述 ヘタ リ 之 レ 明 カ ニ
資 料 近 代 日本 史 明 治 十 四年 史 二頁
三 七 六頁
宮 内
卿
徳 大寺 実 則
関 東 総 督 ノ機 関 ヲ縮 少 シ テ都 督 府 ト ナ シ 軍 政 署 ヲ廃 シ テ軍 人 ノ満
経 営 ニ容 喙 ス ル ハ不 都 合 ナ リ ト ノ英 米 ノ抗 議 ヲ受 ケ 之 レ ニ怖 レ テ
ル ヲ理 由 ト シ テ之 ヲ放 任 シ タ ル ノミ ナ ラ ス日 本 ノ軍 人等 カ 満 洲 ノ
コト アリ 我 国 軍 人 激 昂 セ リ ト 雖 ト モ西 園 寺 ハ日 本 ニ法権 ヲ有 セ サ
日露 戦 争 中 日 本 ニ好 意 ヲ有 セ シ 支 那 人 ヲ支 那 政府 ニ於 テ 検 挙 セ ル
二 、 西 園 寺 内 閣 ト 英 米 追 随外 交
正 三位 西 園寺 公望 殿
八日附
主上思召 ヲ以テ退社 可為致 御内勅 之有乃チ自実 則御内達 候也
先般東 洋自由 新聞発行 ニ付貴 下其社 長 ヲ担任 セラル趣右 ハ
新 聞 集成 第 四巻
新 聞 ハ六 月 ニ至 リ 三 十 四号 ヲ重 ネ タ ル ノ ミ ニテ廢 刊
又 東 洋 自 由 新 聞 ノ発 行 ニ当 リ 西 園 寺 ハ左 掲 ノ如 ク 君 民 共治 ノ 旨趣
天 皇 機 関 説 以 上 ノ不 敬 語 ナリ ト ス前 述 違 勅 ノ事 案 ヲ以 テ 之 レ ヲ美
一木 喜 徳 郎 ノ学 説 ニ酌 メ ル ノ ミナ ラ ス又 実 ニ遠 ク 西 園 寺 ノ思 想 ヨ
濃 部 博 士 ノ詔 勅 批 判 論 ト 照 応 ス ル ニ美 濃 部 博 士 ノ 学 説 ハ其 淵 源 ヲ
考
リ流 出 セ ル モ ノ ナ リト 謂 ハサ ル ヘカ ラ ス
○参 東洋自由新聞広告
抑 本 紙 ハ国中 同 志 相 与 ニ協 力 シ テ発 行 ス ル モ ノ ニシ テ人 性 自 由 本 源 ヲ論 述 シ君 民 共 治 ノ旨 趣 ヲ主 張 シ以 テ国 歩 ノ進 捗 ヲ図 ル ニア リ而 シ テ内 府 県 人 民 事 業 ノ景 況 意 嚮 ノ情 状 ヲ報 道 シ 外 欧 米 諸 国 現今 実 地 ノ事 情 ヲ詳 記 シ且 ツ広 ク江 湖 諸 彦 ノ投 書 ヲ 採 録 セ ン ト欲 ス庶 幾 ハ大 方 ノ諸 君 其 発 見 ノ 日 ヲ竢 テ陸 続 購 求 ア ラ ン コト ヲ 但 シ来 ル 十 八 日第 一号 発 行 二十 三 日 ヨ リ第 二号 以 下 引 続 キ 発行 ス
洲 経 営 ニ対 ス ル発 言 権 ヲ奪 ヘリ
モ西 園寺 ハ取 合 ハサ リ シ為 メ西 園 寺 内 閣 ハ倒 レタ リ
明 治 三十 四年 五 月 二十 日 社 会 主 義 者 片 山 、幸 徳 、 河 上 、安 部 等 社
タ ル西 園 寺 ノ罪 ナ リト ス
ア ラ ス彼 カ遂 ニ大 逆 事 件 ヲ惹 起 ス ル ニ至 レ ル ハ彼 等 ヲ増 長 セ シ メ
園 寺 ノ同 志 中 江 兆 民 ノ子 分 ナ レ ハナ リ 幸 徳 ヲ寛 容 ス ル ハ故 ナ キ ニ
幸 徳 秋 水 ハ西 園 寺 系 ノ人 物 ナ リ 蓋 シ 幸 徳 ハ東 洋 自 由 新 聞 以 来 ノ 西
会 民 主 党 ヲ作 リ タ ル モ桂 内 閣 ハ之 ヲ禁 止 シ解 散 ヲ命 セ リ明 治 三十
三、西園寺内閣ト社会主義
六 年 日露 関 係 ノ切 迫 ト 共 ニ社 会 主 義 ノ 取 締峻 烈 ト ナ リ堺 枯 川 、幸
支 那 ニ革 命 起 リ 清 朝 亡 ヒ満 洲 人 到 ル 所 ニ虐 殺 セ ラ レ 人 間 最 大 ノ惨
明 治 四十 四年 八 月 三 十 日第 二 次 西 園 寺 内 閣 成 立 セ リ 四 十 四 年 十 月
四、 第 二次 西 園 寺 内 閣 ト 無 能 外 交
モ総 テ其 発 行 ヲ禁 止 セ リ
事 ヲ見 タ リ是 ヨリ 先 光 緒 帝 ト 西 太 后 ト 時 ヲ同 フシ テ 崩 シ醇 親王 ノ
徳 秋 水 ノ経 営 ニ係 ル平 民 新 聞 ノ 発 行 ヲ禁 止 シ爾 来 名 称 ヲ変 更 ス ル
ヲ示 シ テ社 会 主 義 取 締 ヲ寛 大 ニ ス ヘキ コト ヲ明 ニシ社 会 主 義 思想
桂 内 閣 倒 レ明 治 三 十 九 年 一月 七 日 西 園寺 内 閣成 立 ス ル ヤ施 政 方 針
四年 秋 黄 興 、 黎 元 洪 等 革 命 ヲ起 セ リ 袁 世 凱朝 命 ヲ受 ケ テ 討 伐 ニ向
ヒ却 テ敵 ト 通 シ テ皇 帝 ニ退 位 ヲ迫 ル 当 時 元老 ハ隣 国 ニ共 和 政府 ノ
子 溥 儀 皇 位 ニ即 ク則 チ 宣 統 皇 帝 ナ リ 歳 僅 ニ五 歳朝 威 地 ニ落 ツ四 十
樹 立 ス ル ヲ傍 観 ス ル ハ我 国 ニ害 アリ ト 認 メ 忠 告 スル 所 ア リ タ リ ト
ニ対 ス ル取 締 ヲ 一変 シ テ 其 甚 タ シ カ ラ サ ル モ ノ ハ実 行 運動 及 結 社
ニ合 併 シ テ日 本 社 会 党 ト ナ リ 三 十 四年 五 月 ニ ハ片 山 、 幸 徳 、 木 下 、
党 モ堺 枯 川 、 深 尾 韶 ノ 日 本 社会 党 モ共 ニ許 可 セ ラ レ此 ノ両 党 ハ更
ノ自 由 ヲ許 ス ニ至 レリ 茲 ニ於 テ樋 口伝 、 西 川光 二郎 等 ノ 日本 平 民
河 上 、 西 川 、 安 部等 社会 民 主党 ヲ組織 スル ニ至 レ リ
雖 ト モ西 園 寺 之 ヲ顧 ミ ス四 十 五 年 二 月 十 一日 袁共 和 政府 ヲ作 リ 政 ︹ 簒︺ 権 ヲ纂 奪 セ リ識 者 挙 テ西 園 寺 内 閣 ノ 無 為無 能 ヲ悪 罵 セ リ
此 ノ如 キ 状 態 ナ リ シ ヲ以 テ 社会 主 義 思想 ハ忽 チ延 蔓 セ リ幸 徳 秋 水
モ取 締 十 分 ナ ラ サ リ シ為 メ 同 月 足尾 銅 山 ニ坑 夫 ノ大 罷 業 起 リ警 察
一声 ヲ挙 ケ 四 十 二年 二 月 七 日同 所 ニ於 テ赤 旗 事 件 ヲ起 セ ル モ何 レ
ニ ハ早 ク モ神 田錦 輝 館 ニ於 テ ﹁パ ー リ ア メ ン タ リズ ム﹂ 否 認 ノ第
絡 ヲト リ 大 ニ勢力 ヲ拡張 シ 三十 九 年 六 月 五 日帰 朝 シ同 月 二十 八 日
ナ リ 大 正 元 年 十 二 月 二 十 日桂 太 郎内 府 ノ職 ニ在 リ ナ カ ラ大 命 ヲ拝
幄 上 奏 ヲナ シ テ辞 表 ヲ捧 呈 セ リ 大 正 元年 十 二 月 五 日内 閣 総 辞 職 ト
ヲ増 設 セ ント 欲 シ 之 ヲ閣 議 ニ計 ル モ容 レ ラ レ サ ル ヲ 以 テ直 チ ニ帷
リ 上 原 陸 相 ハ之 ヲ承 諾 セ ル モ其 節減 セ ル 二 百萬 円 ヲ以 テ 二箇 師 団
第 二次 西 園 寺 内 閣 ハ政 費 節減 ト 同時 ニ軍事 費 ノ節 減 ヲナ サ ント セ
五、西園寺内閣ト軍縮
力 ヲ以 テ鎮 撫 スル コト罷 ハス宇 都 宮 聯 隊 ノ出 動 ヲ見 ル ニ至 レ リ
ハ三 十 八 年 十 一月 横 浜 ヲ出 発 シ テ米 国 ニ渡 航 シ内 地 ト 彼 地 ト ノ連
之 レ ト 前後 シ テ高 橋 作 衛 博 士 米 国 ヨ リ帰 リ米 国 ト 内 地 ト ノ幸 徳 秋
其二
桂 カ 宮 中 ヨリ 出 テ ヽ内 閣 ヲ組 織 スル ヤ之 ヲ 不都 合 ナ リト シ テ憲 政
六 、 西 園寺 ノ違 勅
ス貞 愛 親 王 殿 下 内 府 ニ就 任 セ ラ ル
水 一派 ノ 連 絡 策動 ヲ黙視 ス ル ノ 不 可 ナ ル コト ヲ力 説 セ リ山 県 有 朋 桂 太 郎 等 ハ彼 等 ヲ 一網 打 尽的 ニ検 挙 セ ン コト ヲ西 園 寺 ニ求 メ タ ル
擁護 運動 起 ル大 正 二年 二月 五 日衆 議 院 ニ於 テ内 閣 不 信 任 決 議 案 ヲ
与 ル モ亦 然 リ蓋 伊 沢 ハ曾 テ香 川 県 知 事 タ リ シ時 代 ニ別 子 銅 山 ノ争
カ セ ル モ亦 之 レ カ為 ナ リ伊 沢 多 喜 男 カ常 ニ重 臣 ブ ロ ツ ク ノ密 謀 ニ
ノ兇 死後 又 若 槻 大 命 ヲ拝 セ ル ニ拘 ラ ス犬 養 ノ兇 死 後 鈴 木喜 三 郎 大
提出 セ リ 二月 九 日停 会 ヲ命 セ ラ ル加 藤 高 明 ノ発 案 ニ ヨリ 陛 下 ノ御
命 ヲ拝 ス ル ヲ得 ス シ テ ﹁シイ メ ン ス﹂ 事 件 ニ醜 聞 ノ噂 アル斎 藤実
係頗 ル濃 密 ナ レ ハナ リ加 藤 高 明 ノ死 後 若 槻 其 後 継 総 理 ト ナ リ 浜 口
ル モ聖 旨 ヲ遵 奉 ス ヘキ ヲ命 セ スシ テ却 テ 一時 ノ感 情 ニ迷 ハス 正 シ
会 総 裁 タ リ然 シ テ西 園 寺 ハ代 議 会 ニ臨 ミ 勅 語 ヲ拝 セ ル旨 ヲ告 ケ タ
ヲ奏 上 セ リ又 枢 密 院 議 長 ハ歴 代 副 議 長 ノ昇 格 ヲ以 テ 常 例 ト セ ル ニ
議 ヲ鎮 圧 シ 以 テ住 友 ニ功 ヲ立 テ ヽ以 来 今 日 ニ至 ル マテ住 友 ト ノ関
ト 確 信 ス ル所 ニ進 ム ヘシ ト 論 セ リ 茲 ニ於 テ水 戸寛 人 予定 ノ方 針 ヲ
拘 ラ ス倉 富 ノ後 任 ニ平 沼 ヲ昇 格 セ シ メサ リ シ ハ西 園寺 、牧 野 、斎
力 ヲ拝 借 シ テ議 会 ヲ切 抜 ケ ント セリ 二月 九 日 御 召 ニ ヨリ 西 園寺 参
以 テ進 ム ヘキ ヲ主 張 シ 全 員 拍 手 シ テ之 レ ニ和 シ議 会 ハ十 二 日 マテ
内 拝 謁 ヲ給 ヒ シ ニ議 会 ノ態 度 ヲ変 ス ヘキ 勅 語 降 ル時 ニ西 園寺 政 友
停 会 ヲ続 ケ ラ レ院 外 騒 擾 起 リ 十 一日 桂内 閣 ハ辞 表 ヲ捧 呈 セ リ西 園
ニ基 ク モ ノ タ ルヤ 明 ナ リ 伊 沢 ハ常 ニ曰 ク 平沼 、鈴 木 以外 ナ レ ハ何
ノ招 ク所 ナ リ シト 雖 ト モ其 一因 ハ確 ニ伊 沢 、 原 田 、木 戸等 ノ讒 訴
ル ニ至 レリ 西 園 寺 ハ自 系 ヨリ幸 徳 秋 水 ヲ出 セ ル ノ ミ ナ ラ ス勅 語 故
内 閣 ニテ モ可 ナ リ ト 元 老 重 臣等 ヲ擁 スル ニア ラ スシ テ何 ソ此 ノ如
藤 等 ト 平 沼 、 鈴 木 等 ノ思 想 上 の相 違 ( 自 由 思 想 ト皇 室 中心 主 義 )
違 セ ル コト 二 回 ニ及 ヘリ其 思 想 タ ル ヤ美 濃 部 、 一木 ノ徒 ト何 等 選
キ 傲 語 ヲ発 ス ル ヲ得 ンヤ
寺 ノ違 勅 事 件 ハ識 者 ノ間 ニ大 問 題 ト ナ リ 同 氏 ハ政友 会 総 裁 ヲ辞 ス
ム所 ナ シ
伊 沢 ノ平 沼 及 鈴 木 ニ反 対 スル ハ故 ナ キ ニ アラ ス平 沼 検 事 総 長 、 鈴
木 司 法 次 官 ノ時 代 ニ大浦 兼 武内 相 ト シ テ議 員 買 収 ノ〓 職 事 件 起 リ
七 、 西 園 寺 ト 住 友 、 原 田、 伊 沢
リ 之 レ 彼 カ 両 者 ニ銜 ム所 以 ナ リ 又宇 垣 カ 軍人 仲 間 ノ間 ニ蛇 蝎 ノ如
西 園寺 ハ大 阪 財 閥住 友 ノ親 戚 ナ リ先 代 住 友 吉 左 衛 門 ハ其 実 弟 ニシ
ク ニ嫌 ハレ 居 ル ニ拘 ハス常 ニ総 理 ノ候 補 者 ト ナ ル ハ 一ハ民 政 系 ニ
ノ政 治 的 没 落 ト ナ リ 伊 沢亦 連 座 シ テ職 ヲ辞 セ サ ル ヲ得 サ ル ニ至 レ
リ 住友 ノ ﹁ド ル﹂ 買 ヲ ナ セ ル コト 三井 以 上 ナリ シ モ新 聞 ノ攻 撃 ヲ
大 浦 其 主 謀 タ リ伊 沢警 視 総 監 ト シ テ其 謀 議 ニ参 与 セ ル ヲ以 テ大 浦
受 ケ サ リ シ ハ井 上 準 之 助 カ西 園 寺 ヲ憚 リ タ レ ハナ リ 西 園 寺 ノ東 京 、
シ テ重 臣 ブ ロ ツク ト 思想 ヲ同 フ ス ル所 ア ル ニ因 ルト 雖 ト モ其 主 ナ
テ当主 ハ其実 甥 タ リ 西 園寺 八郎 ノ女 ヲ以 テ当 主 ノ妻 ト ナ セリ ト 聞
京 都 、 興津 、 御 殿 場 等 ノ住 宅 ノ莫 大 ナ ル費 用 ハ全 部 住 友 ノ支 弁 ス
ル モ ノ ハ伊 沢 、 原 田 、木 戸等 ノ策 動 ニ基 ク モ ノ ナリ ト ス
ケ リ 政党 モ政 治 家 モ住 友 ヲ薄 遇 ス ル コト 能 ハサ ル ハ之 レ カ為 メナ
ル所 ナ リ 原 田熊 雄 ハ住 友 合 資 会 社 ノ社 員 ナ リ 何 ノ能 力 ナ キ ニ拘 ラ
明治 維 新 ノ 元勲 山 県 、 大 山 、 伊 藤 、 松 方 等 在 世 当 時 ニ於 テ ハ数 人
八、 単 独 元 老 ノ弊
ナ ク シ テ機 密 事 項 ニ参 与 シ 目 ニ余 ル行 動 ア ル モ答 ム ル モノ ナ キ ハ
相 抗 制 シ テ独 断 ニ陥 ル コト ナカ リ シト 雖 ト モ元 老 相 継 テ歿 シ 松 方 、
ス貴 族 院 議 員 タ リ且 老 公 ノ信 用 厚 ク 宮 門 顕 門 ニ自 由 ニ出 入 シ権 限
住 友 及 元 老 ト 関 係 ア レ ハナ リ 中 川 小 十郎 、 近衛 文 麿 ヨリ モ幅 ヲ利
十 六 人 ヲ選 出 スル ニ三 千 三 百 三 十 九萬 円 ノ巨 大 ナ ル金 銭 ヲ要 シ落
( 五 萬 円 ニ テ ハ落 選 七萬 円 ナ レ ハ当 選 ) ノ通 語 ヲ生 シ定 員 四百 六
ナ シ ト ナ シ 爾 来 其 所 信 ヲ実 行 シ タ リ選 挙 ノ大 弊 ヲ醸 生 シ五 落 七 当
権 ノ 移 転甚 タ 簡単 ニシ テ別 ニ数 人 ノ元 老 ヲ設 ケ テ相 談 ス ル ノ必 要
大 政党 ヲ作 リ多 数 党 代 ル代 ル政 治 ニ当 ル コト 英 国 ノ如 クナ レ ハ政
本皇 室 ヲ安 泰 ナ ラ シ ム ル所 以 ナ リ天 皇 親 政 論 ノ如 キ ハ迷 信 ナ リ 二
裁 ト ナ リ 元老 ノ弊 甚 シキ ヲ致 セ リ彼 惟 ク英 国 ノ政 体 ヲ模 ス ル ハ日
リ タ リ西 園 寺 之 レ ニ反 対 シ テ其 実 現 ヲ見 ス松 方 歿 シ 完 全 ニ元老 独
ヲ山 本 権 兵 衛 伯 及 時 ノ枢 府 議 長 ニ迄 拡 張 セ ン コト ヲ計 リ 御内 裁 ア
西 園 寺 ノ ミト ナ レ ル時 松 方 ヨリ 西 園 寺 ニ対 シ 御 下 問 ヲ受 ク ル範 囲
野 等 ハ之 レ ヲ容 レ ス却 テ政 党 人 タ ル 若 槻 、高 橋 等 ノ意 見 ヲ多 ク採
レ テ西 園 寺 邸 ニ趨 カ レ 其 意 見 ヲ開 述 セ ラ レ タ リ ト雖 ト モ 元老 、牧
掛 ケ タ リ ト 雖 ト モ山 本 伯 ハ意 見 ノ 発表 ヲ拒 ミ東 郷 元帥 ハ怒 ヲ 忍 ハ
惶 ト シ テ 為 ス所 ヲ知 ラ ス始 メ テ 山 本伯 、東 郷 元帥 ニモ相 談 ヲ持 チ
常 々之 レ ニ反 対 シ 来 リ タ リ シ ト雖 ト モ 五 ・ 一五事 件 起 ル ニ当 リ蒼
唱 セ ルモ ノ アリ シ ト 雖 ト モ 元老 牧 野等 山 本 伯 、 東 郷 元 帥 ヲ憚 リ テ
リ 従来 元老 ト 牧 野等 ノ 国家 ヲ誤 ル ヲ恐 レ数 々重 臣 ノ御 前 会 議 ヲ提
益 々其 塁壁 ヲ固 フシ テ私 曲 ヲ改 メ サ ル ハ悪 ミ テ モ尚 余 リ ア ル所 ナ
大失 敗 タ リ シ コト明 ナ リ宜 シ ク恐 懼 シ テ骸 骨 ヲ乞 フ ヘキ ニ拘 ラ ス
レ ニ連 ル 一木 喜 徳 郎 、 鈴 木 貫 太 郎 、 斎 藤 実 、 高 橋 是 清 等 ノ献 替 一
ニ至 リ同 中 将 ヲ厚 遇 シ ツ ツ ア ル ハ之 レ果 シ テ何 事 ヲ語 ル モ ノナ リ
用 シ テ斎 藤 実 ヲ奏 上 ス ル ニ至 レリ 斎 藤 実 ノ 如 キ ハ ﹁シ イ メ ンス﹂
ヤ然 シ テ斎 藤 内 閣 ノ政 治 的 成 績 如 何 彼 ハ忽 チ 製 鉄 所 合 同 、 金 鋼株 、
事 件 ニ於 テ松 本 和 中 将 ヨ リ金 十 萬 円 ヲ収 受 セ リ ト ノ風 評 アリ 今 日
政 治 ノ悪 風 ニ感 染 セ シ メ引 テ党 争 ヲ激 甚 ニシ 政 友会 ノ為 ス所 ハ民
帝 人株 ノ売 買 等 ノ事 件 ヲ続 発 セ シ メ テ世 人 ノ疑 惑 ヲ高 メタ リ 日 本
レリ 政 党 ト 財 閥 ト ノ悪 縁 之 レ ニ因 テ生 シ 寒村 辟 諏 ニ至 ル マテ買 収
政党 之 レ ヲ痛 罵 シ之 レ ヲ破 壊 セ サ レ ハ止 マサ ラ ント ス両者 相 克 シ
選 者 ノ費 用 ヲ累 算 セ ハ其 幾 何 額 ニ達 スル ヤ計 リ知 ル ヲ得 サ ル ニ至
世 ヲ挙 ケ テ政 権 争 奪 ニ没 頭 シ巡 査 ハ勿 論 税 務 員 、 小 学 教 員 、 小使
土鉄 相 、鳩 山文 相 ノ所 謂 帝 人 事 件 等 ヲ惹 起 シ テ倒 レ サ ル ヲ得 サ ル
ニ至 レリ斎 藤実 モ 亦 二十 何 萬 円 収 受 セ リト ノ風 評 盛 ナリ 蓋 シ怪 異
銀 行 、台 湾 銀 行 、 大 蔵 省 首 脳 部 、 高 橋 是 清 ノ身 辺 、 中 島 商 相 、 三
ハ神 鋼 株 ニ在 リ ト 雖 ト モ斎 藤 内 閣 ハ之 レ ニ干 渉 シ テ之 レ カ検 挙 ヲ
ニ至 ル マテ政 党 化 セ シ メ世 人 ヲシ テ選 挙 ノ勝 敗 ト 金 銭 収受 ノ 外 ニ
庸 人幣 原喜 重 郎 ノ如 キ モ ノ ヲ以 テ尚 ホ元 老 内 府 等 ノ愛 好 ス ル所 タ
興味 ヲ感 ス ル コト ナ カ ラ シ ム ル ニ至 レ リ
ル ハ彼 カ 三菱 ノ婿 ナ レ ハナ リ此 ノ故 ニ賄 賂 周 ク行 ハレ政 治 ノ運 行
圧 迫 シ 以 テ事 ナ キ ヲ得 タ ル カ如 シ
月 事 件 ヲ起 シ 井 上 日 召等 又 死 ヲ決 シ テ起 チ血 盟 団事 件 、 五 ・ 一五
ヲ奉 ス ル者 ノ如 キ ハ迷 信 家 ナ リ ト シ テ 一笑 ニ付 スル ヲ常 ト セ リ彼
染 シ且 議 会 中 心 主 義 ノ欧 風 ノ政 治 ヲ以 テ 至善 ト ナ シ皇 室 中 心 主 義
冒 頭 ニ書 セ ルカ 如 ク 西 園 寺 ハ仏 国 ニ留 学 シ テ自 由 民 権 ノ思 想 ニ感
九 、 西 園 寺 ノ皇 室 ニ対 スル 思想
一ニ金 銭 ニ ヨリ テ決 セ ラ ル綱 紀 地 ニ落 チ便 佞 ノ徒 跳 梁 シ正 義 ノ士
事 件 、 神 兵 隊 事 件 等 続 々 発 生 シ 今 日 ニ至 リ大 小 十 六事 件 関 係 者 二
面 ヲ蔽 フテ 走 ル ニ至 レ リ 茲 ニ於 テ少 壮 軍 人先 ツ怒 リ三 月 事 件 、 十
百 六 十 名 ノ多 キ ニ及 ヒ タ リ事 茲 ニ至 リ タ ル ハ元老 及 牧 野内 府 及 之
カ牧 野 、 一木 、 斎 藤 、 伊 沢 、 民 政 党 ノ如 キ 議 会 中 心 主 義者 ヲ好愛
キ者 政治 ノ指 導 者 タ ル ニ於 テ ハ日本 帝 国 ハ日本 精 神 ヲ失 ヘル残 骸
者 ニシ テ議 会 中 心 主 義 ヲ奉 シ 日本 精 神 ノ理 解 ナキ モ ノナ リ此 ノ如
ナ リ 要 ス ル ニ西 園寺 、 牧 野、 一木 、 斎 藤 、 若 槻 ノ如 キ ハ欧 化 思 想
ト化 シ去 ラ サ ル ヲ得 ス之 レ決 シ テ吾 人 ノ甘 受 シ得 ヘキ ニ ア ラサ ル
ス ル所 以 ナ リ従 テ皇 室 ヲ思 フ コト 薄 ク 春 夏 秋 冬 京 都 、 興津 、 御 殿
ヤ 言 ヲ俟 タ ス
場 ニ遊 臥 シ平 時 絶 対 ニ天 機 ヲ奉 伺 セ ス政 変 ア ル モ上京 スル コト少 ク至 尊 ノ御 使 ヲ遠 地 ニ受 ケ テ座 シ テ御 下 問 ニ奉 答 セ リ 大 正 十 二年
( 年代不明)
︹ 註︺ 騰写印刷。
九 月 一〇 日関 東 大 震 災 アリ 帝 都 焼 尽 人 心 動 揺 流 言 四方 ニ起 ル 山本
覚
内 閣 ハ元 老 ニ天 機 ヲ奉 伺 ス ヘキ ヲ注 意 セ ル モ遂 ニ奉 伺 セ サ リ シ由
三 六
す るも 、 漸 減 作 戦 は 単 艦 優 力 正 攻 と 潜 水 艦 之 数 量 に 待 つに 非 ら
充実は絶対性を有す ( 昭 和 五年 五 月 第 二 艦 隊 南 洋 巡 艦 実 験 に 徴
さ れ は 不 可能 事 な る 立 証 あ り )。
︹ 表題 下に赤鉛筆 で左 の三行書込 み︺ 本 問 題 之 如 き は 軍 首 脳 と し て は所 信 に忠 な る へから す 。 然 ら され
五 、 更 ら に 今 回 之 如 き 事 情 の下 ニ協 定 之 結 果 、 部内 士 気之 沈 退 及
のな る こと は 論 外 と し )
且 つ持 久 力 な き こ と よ り 、 恒 定 防 禦 兵 力 と し て 信 頼 し 難 き も
( 財 力 上 米 国 と 対 抗 不 可 能 な る こ と 及 ひ 戦 術 上 利 用範 囲 狭 く
を 免 れ す 。 実 行 難 予 想 以 上 ニし て 恐 ら く 所 期 ニ反 せ ん 。
確 固 た る 保 証 な け れ は 架 空 の計 画 と 了 り 、 国 民 を 欺 瞞 す る の 議
て補 勢 す る こと は 一時 変 通 之 応 急 策 と し て 一見 可 な る か 如 き も 、
四、 暫 定 期 間 協 定 以 外 之 兵 力 を 以 て 補 ふ こ と 、 即 ち 航 空 兵 力 を 以
は 国 を 誤 る へし 。 軍 務 に 対 し吾 人 は政 治 的 関 心 あ る へから す 。 一九 三 五年 に 三 大 原 則貫 徹 の確 保 な け れ は批 准 す へか ら す 。 覚 一、協 定 兵力 は 軍令 部説 明書 之 如 く作 戦 計 画 上 重 大 な 欠 陥 を 免 れ す 。殊 に潜 水艦 之 縮 減 は致 命 的 打 撃 な り 。 二、 仏伊 に対 す る安 全 保 障 ニ依 り 英 米 増 艦 之 場 合 、 我 海 軍 が 潜 水 艦 撰 択 之 自 由 を 失 ひし 如 き は甚 しき 国 情 無 視 な り 。 三、 我 国情 並 に地 利 的 地 位 、 作 戦 海 面 之 推 断 よ り 大 巡 と 潜 水 艦 之
一九 三 五 年 之 低 下 兵 力 を 以 て 次 期 会議 に 臨 む我 国 の 不利 、 英 米
ニ於 て主 張 弱 はし 。 軽 巡 噸 数 よ り の融 通 は 決 し て 認 め さ る
︹ 廷︺ イ 、 日本 は大 巡 と 潜 水 艦 と に 於 て 拡 勢 と な り 世 界 輿論 之法 庭
ロ、向 ふ 六 ケ年 間之 小 康 ニ依 り 国 民 之 軍 事 忌 避 気 分 一層 濃 厚
へし。
輿 論 之 圧 迫 ニ基 く 国 民 精 神 之 弛 緩 等 を 考 ふ る 時 は 、 五年 後 の 国
と な り 、英 米 之言 論 盲 従 と な り 、 当 時 之 英 米 の現 有 勢 力 之
情 頗 る憂 慮 ニ不 堪 こと のあ る と 共 に 、 我 海 軍 の 一大受 難 を 予 想 せ さ るを 不 得 。 之 に依 り 予 は 、 寧 ろ免 れ 難 き 国 難 を 軽 き ニ於 て ︹マ マ︺
乗 切 る覚 悟 を 以 て、 国 際 的 安 全 保 証 な き 本 条 約 を 破 棄 し て 挙 国
︹マ マ ︺
ニよ り精 神 的 国 防 之実 を 挙 るを 勝 れ り と 信 す るも の也 。 ︹ 赤鉛筆書込 み︺○ 国 際 的 安 全 保 証 無 き 本 条 約 を 破 棄 し ⋮ ⋮
イ 、 米 国 は 協 定 之 新 勢 力 を 充 実 し 現 状維 持 ニて他 を 強 圧す る
一九 三 五 年 之 日 米 関 係 予 想
之利点あり。 ロ、 潜 水 艦 之 徹 底 的 縮 減 を 以 て軍 縮 之旗 幟 と し我 国之 増 勢 を
︹ 註︺ 巻紙に墨書。
賭 し て我 国 之 縮 減 を 威 嚇 し 来 る 虞 大 な り 。
由 な ら し む る工 場 状 体 ニ在 る を 以 て 、 却 て 米 国 よ り 決 裂 を
︹マ マ ︺
ハ、 一九 三 五年 会 議 之 決 裂 は 今 日 以 上 ニ米 国 之 製 艦競 争 を自
き 確 信 あ り と 云 へり 。
一九 三 五 年 之 会 議 に 於 て は 更 ら ニ日本 海 軍を 縮 減 せ し む へ
﹁アダ ム ス﹂ 海 軍 卿 は華 府 に於 て某 上 院 議 員 之 質 問 ニ答 ゑ、
へし 。
新鋭 な る に頓 着 せす 、 日本 之 ﹁より 以 上 ﹂ 之 軍 縮 を 歓 迎 す 日
臥 薪 嘗 胆 自 主 独 往 、 之 か為 め ニ享 る士 気 之 振 興 と 国 民 の義 憤 と
米 抑 圧 す へし 。
ハ、造 艦 工事 殆 んと 完 了 し 会 議 決 裂 之 場 合 製 艦 競 争 に 十 二 分 之余 地 を 生 す 。
Ⅲ
書
翰
1 牧 野伸 顕書 翰
拝復 御来示之如 ク連 日の□
︹昭 和 4年1 月 14 日︺
御同慶之至 ニ奉存候。然 ハ先般偶
閣 下之 思 出 話 と し て語 リ聞 せ 申 候 処 、 一同 痛 ク感 ニ打 た れ 申 候 。
然 承 はり し□ 弟 ニ関 ス ル逸 話 ニ付 テ ハ其 後 兄 弟 団 欒 之 序 ニお ひ て
らす候 ては 一家 ニ取り てハ極
今 又御 演 説 之 筆 記 改 め て御 恵 贈 ニ預 リ弥 難 有 拝 受 仕 候 。 御 承 知 通
本 人 ハ早逝致候為 め事蹟も未た□
牧野伸顕
め て貴 重 な る事 実 ニ有 之 、別 し て仕 合 ニ存 候 こと に 御 坐 候 。 茲 ニ 厚 ク御 礼 申 上候 。 先 ツ ハ右 迄 。 匆 々拝 具 一月十 四 日
加 藤大 将 閣 下 ︹ 註︺封筒 表、東 京市四 ツ谷区 三光町十七、加藤寛治 殿、親 展、 スタ ンプ4︱ 1︱14。封筒裏、鎌倉 ニて、 一月十 四日、牧野伸顕。
2 徳 富 猪 一郎 書 翰
︹ 昭和4年1月23日︺ 謹 啓 今 般 御栄 転珍 重 ニ奉 存 候 。 ︹ 紀︺ 天 下 安危 一繋 于老 閣籌 略 、切 角 御 精 励 奉 祈 候 。 慶 長 勅 版 日本 書 記 複 製 一部 奉 呈 候 。微 衷 御 看 取 是 仰 。 匆 々不 乙。 昭 和 四 年 一月念 三
加藤閣下侍史
you
has
2
猪 一郎
I
had
a
of
journ
ours,
the
for
car
pleasu
always
ep
the
friendship
shall
the
Wilson.
from
friends
October,1929.
of
I
since
and
yours,
am
renewing
have
pleasant
sincerely
success,I
and
old,to
very
day
Grafton
returned
mutual
just
through
now
Dr.George
years
being
of
Annapolis,Maryland,
︹ 註︺封筒なし、 21書翰に同封されて いる。
Admiral:
of
other
Roosevelt,who
a
the
other
of
Washington,but
the
recollection
a
too
greatest
country
get
been
Nomura
in
seeing
I
has
the
past.
beautiful the you
︹ 昭和4年 10月 2日︺
老 生 も 高 等 失 業 者 と相 成 候 。御 一笑 可被 下 候 。
dear
3 プ ラ ツ ト 書 翰
My
just
heard
have
and
Colonel
I
been
1922
of
pleasant
in
number
has
very
day,before
what
opportunity
very
you
East
being
It
the
the
a
knowing
had
mind there.I
my
some
renewing
your
in Wishing
formed
Most
W VP:dlg. Admiral
︹u︺ Hirohara
you
for
Admiral:
thank
dear
of
of
2
1929.
among
1922
Admiral
in
Chief
︹ 昭和4年 11月13日︺
W.V.Pratt,U.S.A.Commander
Staff,
F leet,U.S.S.TEXAS. Naval
4 末 次 信 正 書 翰
Japanese
舌代
︹マ マ ︺
声 明 ノ内 容 ニ関 ス ル御 所 見 ニ付 篤 ト 推敲 ヲ重ネ 候 処 、先 々 ノ コト
ニ付 原 案 ノ方 安 全 ナ ル ヘク 、 強 テ 改
ヲ余 リ 細 カ ク 書 キ 上 ク ル ハ反 テ 自 縄 自 搏 ノ嫌 ア ル ノ ミ ナ ラ ス、 対
談eサdル ヽ ハa 至t極 結構 th el eg es
ナリ ト ノ コト 。 以 上
in
末次
the
Unit
o
keepin
of
山 梨 所 見 、 事 重 大 ニ付 熟 慮 ノ時 日 ヲ与 ヘ ラ レ度 、 部 長 ヨリ 総 理 ニ
ルト ハj別 紙eノ whム en I セ en oy d程度カト存候。
モe至 大nノ 影響 October,w内 hi的 chニr mi ds meア ル事 柄 in
be
一 十a三 I月c n 日 understand
︹ 註 human i︺ ty封 ,筒なし。
conviction
firm
support
invaded."
our
子r 堅 太 翰e invad5 e 金 no t郎 o 書b
and
delegates.I
十 Conference,becaus e
will
Staff,
Imperial
W.V.PRATT.
N aval
you
Washington
letter
26November
T okyo,
General
Kato,I.J.N.,Chief
kind in
that
London
our
to
will
justice
with of
you
tradition
cooperation
coming
learn
days
your
︹参 考 、 プ ラ ッ ト へ の 返 書 、 昭 和 4 年 11 月 26 日 ︺
Tokyo.Japan.
I
My
to
pleasant
of
the
also
glad to
noble
friendly
hope
defence,"neither
sincerely
your
your
country
very
company.
I
respect
on
your
I am
your
from
and
t rust
and n ational
W ith hearty wishes for your success as well as that i tself on which peace of the world depends︹ . 昭 和 4 年 11 月 28 日︺ Iremain, 無用ナル軍縮会議( 十 月倫 敦 発 行 ナ シ ョ ナ ル ・レ ヴ ュー誌 所 論) Most sincere 英米 l両 y国 ハy 各o 自所 u要rノs 海, 軍力 如 何 ヲ知 悉 ス。 英 国 側 ニテ米 国 ニ Hiroharu 向Kヒa﹁ t 貴o 国. ノ欲 スル丈 ケ 造艦 セ ヨ。 我 国 ニモ欲 ス ル丈 ケ造 艦 セ
シ メ ヨ。 吾 人 ハ貴 国 ト 対等 タ ル コト ヲ期 セ ス。 又 尺度 若 シ ク ハ
我 海 軍 ノ目 指 ス所 ノ敵 国 ニア ラ ス。 吾 人 ハ戦 争 ヲ厭 忌 スル コト
他 ノ手 殺 ニテ相 互 ノ艦 船 ノ大 小 ヲ測 ラ ン コト ヲ思 ハ ス。貴 国 ハ
共、 切 抜 き 差 出 申 候 。 草 々頓 首
封 入之 外 字 新 聞 ハ只 今 到 着 之 分 ニ付 、 或 は已 ニ御 一見 と は 存 候 得
宜 布 、何 れと も 御 指 定 次 第 ニ任 せ 可申 候 。
堅太郎
貴 国 ニ譲 ラ ス。 吾 人 ハ不 戦 条 約 ヲ調 印 セ ル 他 諸 国 ニシ テ 之 ヲ恪
十 二 月七 日
守 ス ル限 リ此 ノ盟 約 ヲ恪 守 ス ヘシ L ト 言 明 セ ハ、 公 式 非 公式 ノ 交 渉 ハ之 ヲ避 ク ル コト ヲ得 ヘク 、 此 ノ辺 ニテ 吾 人 ハ米 国 ト相 当
加 藤 大将 閣 下
尚 以 会 見 之 時 刻 は 三時 半 よ り と 御 思 召 被 下度 候 。 其 後 な れ は 小 生
ノ国 交 ヲ樹 立 シ得 ベシ 。 軍 縮 協 定 ノ交 渉 ハ徒 ラ ニ際 限 ナ キ 闘 論 ヲ誘 致 シ時 ニ或 ハ英 国 側 ノ危 険 ナ ル 譲 歩 ニ終 ル ヘキ 虞 ナ シ ト セ
展、 スタンプ 4︱12︱ 9。封筒裏、神奈川県三浦郡葉山村、子爵金子 堅太郎。封入新聞 は見当らな い。
︹ 註︺ 封筒表 、東京市 四谷区三光 町十 七、海 軍大将加藤寛治 殿、必親
は何 等 の要 用 無 之 候 。 堅太 郎
ス云 々。 此 論 は頗 る興 味 あ る も のと 存 候 間 御 一読 被 下 度 候 。 加藤大将殿 ︹ 註︺ 封筒表、東京市海 軍省、海軍大将加藤寛 治殿、急親展、 スタン プ 4︱ 11︱2 8。封筒裏、神奈川県三浦郡葉山村、子爵金 子堅太 郎。
7 金 子 堅 太 郎 書 翰
︹ 昭和 4年 12月 13日︺
小 生 兼 而 よ り 取 調 候 事 と 符 合 し 実 ニ寒 心 ニ不堪 候 。就 而 ハ 一日緩
を 簡 単 明 瞭 ニ御 記 述 相 成 誠 ニ有 益 な る 書 類 と奉 深 謝 候 。 其所 記 は
拝 啓 只 今 御 恵 贈 被 下 候 米 国 東 洋 進 出 策 一読 候 。 彼 国 の東洋 政 略
せ し め、 其 余 勢 に附 け 込 み彼 差 別 待 遇 之 移 民 法 を 通 過 せ し め て 帝
閣之 腰 弱 ニて終 ニ帝 国 之 外 交 を 誤 ま り 、 米 政 府 を し て成 功 を 謳 歌
は内 閣之 決 心 如 何 ニ有 之 候 。 御 承 知 之 如 く 華 府 会 議 ニ於 け る 原内
を 熟 読 し益 々人 意 を 強 か ら し め 、 憂 国 之 念 大 ニ軽 減 致 候 。 唯 此 上
ニ対 し前 途 之 曙 光 を 発 見 す る の感 を 懐 き 、 又 帰 荘 後 御 恵 与 之 秘 書
6 金 子 堅 太 郎 書 翰
々御 高 話 拝 聴 仕 度 存 候 間 、 自 然 来 十 一日 御 閑 暇 ニ有之 候 得 ハ御 会
国之 名 誉 を 傷 け 、 次 て満 洲 問 題 ニ不 法 之 容 喙 を な し 候 義 実 ニ奮 慨
極 秘 昨 日 は態 と 御 来 訪 殊 ニ有 益 な る 御 高 説 を 拝 聴 し 、 倫 敦 会 議
見 仕 度 候 。 小 生 は 当 日午 後 一時 半 よ り 三 時 半迄 虎 の 門維 新史 料 編
之 至 ニ候 。 就 而 ハ今 回 の倫 敦 会 議 ニは 前 回 ノ覆 轍 を 踏 ま す 、 断乎
︹ 昭和 4年 12月 7日︺
纂 局 ニ出 勤 致 居 候 間 、 其 方 ニ御 電 話 ニ而 御 返事 奉 願候 。 其電 話 は
我 主 張 を 貫 徹 為 致 度 候 。 若 し 彼 米 国 ニ於 て承 認 せ さ れ ハ会 議 を 不
︹マ マ︺
又御 都 合 次 第 ニ而 ハ拙 宅 (一番 丁 三 十番 地) ニて 御待 受 致 候 而 も
銀 座 四 二三 二 ニ有 之 候 0 場 所 は 御 指 示 次 第 其方 ニ罷出 候 而も 宜 布 、
成 功 に 終 ら し む る も 我 罪 にあ らす 、全 く 米 国之 我 儘 ニ有 之 候 。
that
by
Japan's
a
demand
for
different
70
view
to
received
as
officialdom.
was
inquiry
per
is
cent
being
the
of
the
held
the
by
st
o
Cast
Japanese
whether
by
ap
Ministe
unanimous
Foreigh
obtained
Shidehara,
and
Baron
Japan said,
view
Discussions
optimistic
" There
have
been
being
the
cent
by
Needed
held
was
craft."
demand
auxiliary
70︲per
case,
they
appeared
to
They
seemed
the
Nav
the
on
misund
had
Japan
necessity
have
insistence
to
bargaining.
absolute
for
end
in
the
that
an
room
not
believe
firm
of
inspired by th circles say:
signs
of Mr. Castle here is emanationg from naval
The
Direct
proposal to dispatch Mr. Castle as during the time of the arms parley.
colleagues. After obtaining Imperial to the State Department, on the sam
coun Tc ui el sday
is
America's
Japan's
although
tates in auxiliary vessels is not a trading poi 只 今 外 字 新 聞 を 見 る に 封 入之 記事 有 之候 。 米 国 政 府 も 我 海 軍 之 七︹ママS︺
割 論 之 案 外 強 剛 な る に 驚き 俄 然 臨 時 大使 を 任 命 派 遣 せ しむ るも の と 被存 候 。 是 れ 米 国 政府 之 慣 用手 段 ニ有 之 候 。 我 権 力 地 内 に飛 ひ 込 み 来 る は宛 も 夏 の 虫 之 愚 に 似 たり 。 可喜 、 呵 々。 此 上 は東 京 に 於 て 我等 一致 団 結 し て 彼 の請 求を 説 破 し、 我 海 軍之 持 論 を 貫 徹 せ し む る 好 機会 到 来と 存 候 。 只懸 念 な る は内 閣 の態 度 ニ有 之 候 。 彼 等 は 常 ニ最後 に 於 て 腰 を抜 か し て敗 を 取 り 、 以 て帝 国 之 威 信 を 失 墜 せ し め 候 間 、 今 回 は 断 々乎 と し て帝 国 本 来 之 軍略 を 貫 徹 す る事 尤 も 緊 要 ニ有 之 候 。 之 を実 現す る は全 く 海 軍軍 人 之 一致 団 結 ニ有
堅太郎
之 候 間 、 何卒 為 邦家 十 分御 尽 力 熱 望 す る所 ニ御 坐 候 。 草 々頓 首
昭和四年十二月十三日 加藤 軍 令部 長 殿 閣 下
COMIN
of
Recognitiso ntioo fofJta pU ann sStS nr cee i tgyJapi n's ec ns he it' ed ati es gar rd in an cent
Japan's
America's
70
that
per belief
" Such
ut was prompted by national pride, leaving Tbo Secure Concessions
receiW vo ed wd ith gk re in ee re tio th app ou it ntmt eh nt ul ma eatco ntc sss nes. B e
AtemT po t
Assistan tbaS eac rret aer y Am ss do se ms
it
American
CASTL GE'S
Sees
WELCOMES
︹ 別紙、新聞切抜︺ TOKYO Office Demand
Navy Ratio LESS
Believe
have
Path Jr.,
Parley
Quarters
OPTIMISTIC
OTHERS Some
circles
Seeing
that
o fali Szt toe shesUp re aa ti n,ofat ne i
Castle,
T en e Nra yeous. bh ee rv on
rle ar ye ts oe rc ef et ct th
William
Mr.
ovn esrv ein pc re if ou ec we h. as
recogniit o f, t heeUnU idtS etd Ssts aet s to Go eerc nom sis in nceo re th in te ate ee ms hv av me en tt o,t
comintg na vea hat th il r the
the implying
during
official
Smooth of
J apan's
as
Japan it
to takes
Ambassador Office
with
tht ah t e situation
apparently
is
the
on
the
with
the
Ja Panese G overnm ent
when
dispatct hhe
co
requirem ents,it iS said. Because
CaStl e' s presence in T okyo ocers,
defense
welcomes the dispatch of the specialAm bassador.
whichMr.
untry's m inimum
h ere
c onvenience ent
of this
of
金 子 堅 太 郎 書 翰
郡葉 山村 、子爵金 子堅太郎 。
8
︹ 昭和4年12月17日︺
先 つ日 米 協会 に て晩 餐 を催 し 、食 後 対 米 七 割 之 理 由 を 詳 細 演 述 し 、
又 ハー バ ー ド 倶 楽 部 に て は晩 餐 後 懇 談 的 ニ其 理 由 を 無 忌 憚 陳 述 す
て開 催 せ し め 、 又 ハー バ ー ド倶 楽 部 は小 生 会 長 な るか 故 ニ小 生 ニ
る こと 必 要 と存 候 。 日 米協 会 晩 餐 之 儀 ニ付 て は徳 川 会 長 ニ交 渉 し
ニ而 、 小 生 よ り は 三 十 年後 の卒 業 生 な れと も、 同 窓 の関 係 ニ而 小
而 開 催 之 事 ニ取 計 ら は せ 可申 候。 又 カ ツス ル大 使 は同 大 学 之 出 身
生 は 無 腹 蔵 陳 述 勧告 し 得 る 便宜 有 之 候間 、 此機 会 を 利 用 し て十 分
帝 国 之 立 場 を 説 明 す る こ と 緊 要と 存 候。 然 る に右 多 様 の措 置 を 取
る には 先 つ内 閣 之 決 心 如何 ニ有 之 候 。此 七割 を 最 後 迄 固守 す る決
ニ而内 閣之 決 心御 確 定 被 下度 候 。 其 場 合 ニ至 ら は
に ては 、 小 生 か 如 何 程 奮 発 し ても 徒 労 と 相 成 候 間、 其 辺 御 熟 慮 之
心 無 之 、 最後 之 土 俵 場 に て華 府 会 議 之覆 轍 を 再 踏 す るが 如 き 腰 弱
the conference
would
veresd indisarmam ent affairs
Jap anese G overnment,it is reported,is that the presence
to
hopes t o
老 whico hns cti上 tu t兄 es之 御 尽 力
Japanese Gove rn m en t fure t rh w i th aJ pans 'sin ec re demand,
︹ 註︺封筒表、東京市四谷区三光町十七、海軍大将加藤寛 治殿、書留 、 秘密親 展、 スタンプ 4︱ 12︱ 13、 4︱ 12︱14。封筒裏、神奈川県三浦
those
te h success
in
for the smooth con si deration J apan and thr ough
the G ovm ern
negotiations
warranting
h ave a far reachingeff ect
t o
this
needed
com e
attitu de.
conclu de fr om has deep
貴 書 拝 読 、 御 高 見之 通 り臨 時 大使 着 京 之 上 は大 々的 運 動 を な し 、
the A m erican
d isagree
induced
butthey
ha s
here,
and this b elief
is
te h Un ited States G overnm ent
Mr.C astle
J apan' s
agree
direct
officialdom
pr. oblem.."
handle
important,
on
to etl him
di spatch
view s,
J apan's fi rm
to
and because of
concession
L ondon
Jap an' s
Governm ent believes
Tokyo
this
Government
Ambassador
of
Japanese
Would
United States
sections
a special
other
of
from
the
V iews
t o
conference
te h conference
the N avy O ffce that the attitdue at
r espects.
that
those diff erent
G overnment
or failr ue of the
other to
think s
According apparentl y te h c onferenc e at
r elieve
h as app oin ted the special Am bassador
progress of it n egotiations Prai sed
t eh y say,to
te h A m erican Gov ernm ent
nasty a step, therefore,
Negotiations
be too
Aid to would
dir ect
It Cast le that
understandingof a Jpan' s 70︲per ecnt dem and.
the despatch of Mr. sym pathy or
position of
Although such suppositions are being indulged in by official circles' the
convenient
l eading posts in the A dministration,
in T okyo of M r.C astl e,an official
very
and occupying one of the prove
open s.
Wash ingt on
Throughth e spec ialAm bassa dorth e acquain t
堅太郎
小 生 は 粉 骨 粋身 再 ひ 日 露 戦争 中之 如 く 活 動 奮 闘 可 致 候 。 先 は 御 答 迄。草々頓首
昭和四年十二月十七日 加藤軍令部長殿閣下 ︹ 註︺封筒 表、東 京市 四谷区 三光 町十七、海軍大将加藤 寛治殿、必親 展、 スタ ンプ4︱ 12︱ 18。封筒裏、神奈 川県 三浦郡葉山村、子爵金子 堅太郎。
9 金 子 堅 太 郎 書 翰
︹ 昭和 4年12月21日︺ 拝 啓 只 今 アド バタ イ ザ ー 新 聞 一見 候 処茲 ニ封入 致 候 記 事 有 之 候 。 已 ニ御 一読 之 事 と ハ存 候 へと も 郵 送 仕 候 。 此 記事 ニ依 れ ハ今 回 之 倫 敦 会 議 ニ付 ても 米 国 政 府 之 内 部 及 ひ 派 遣 代 表 間 ニも意 見 之差 異
Strong
editorialpri nted
of the
to
intima te d
fon r
of the
N avy
is
a
ashington
the
l ater added a
by
an
eventual
administra
feels
in
have ht e
an
that he
r ebuke to that
of
Editorial
members
troubt l he e among
and
"make
in the W
Secretary
not nv iited to particpiate in
S ecretary
Sti m son strongly
Disad van
Rebuke
FRO M W ASHIN GT ON
一二 月 二 一 日 付 ジ ャ パ ン ア ド バ タ イ ザ ー 切 抜 ︺
Journal
STI M SON INDIG NAN T A T CRITI CIS M
︹ 別 紙 、
PA PER
Secretary of
the Japanese. T he
an
intended
given
advance
government t b he efore
in
our
Conference
cause
ever
conference."
to
discredit
Five︲Power
deliberately
descri bed as
State
Prelimin Ca on rv y ersatio sn S een
ADAMS OBJE CT
Secretary ofSta t e Giv es Conferenc e SECRETA RY
U.S..
Hi s A bsence from
Sti m son morning
the
try
h as
newspaper,andas w Persum ed to
serverest
naval
to
Cabinet,to
thus
te h N avy
ad m inistered
of his A dministration should not be ignored.
Hoover, w ho
American
Secret ary of
was
t h e W ashington Post that
19 ︱
M ALIC IOU S M O V E
tageous to C A LLED
Nipp on D em po︲United P ress
i n
W ASHIN G T O N, D ecem ber denied reports publi shed
w ith
feel s slighted because he discussions
N avy A dam s the
Colonel
m em ber of the A m erica n delegation.
P ost this
delegates
有 之 候 儀 明 瞭 と 相 成 候 。 若 し 其 結 果 米 国 代 表 間 の 不 統 一ニ立至 候
Hoover
to
A m erican
an
was one of the
approaching
's
P resident
to
the
得 ハ、 今 回 も 亦 不 成 功 ニ了 る 歟 も 難 計 被存 候 。就 而 ハ其 底 意 を 以
of
Japanese delegation,and
l eader
T he
form ed editori al crit ci ism
approval of Presi dent
tion
T he rebuke
breakdown
て近 々着 京 之 臨 時 米 国 大 使 と 談 判 し 、 我 帝 国 之決 心 を 示 す事 緊 要
堅 太郎
と 存 候 。 何 卒 内 閣 及 ひ 海 軍 々人 ニ十 分 其 旨 御 説 示被 下度 切望 之 至 ニ不堪 候 。 草 々頓 首
十 二月 廿 一日夜 加 藤 海 軍 々令 部 長 殿 閣 下
by
Colonel
Stimson,declaring
entirely
did
not
feel
in
the
conversations
participate
Navy
information
printed
in
the
Post
was
Secretary
Secretary
in
said."The
the
least
slighted
with
truth
was
because
the
I was
Japanese
exactly
the
not
asked
delegates,"
the
this
contrary."
Presence
in
the
The
WASHINGTON,December the
19.一The
conversations
broken
between
today
which
as
the
Mr.Stimson
The
has
at
that"it
the
was the
States
to
are
to
that
be
the
delegates
that
of
Americans
size
to
of
the
would
be
relative a
counsel
vastly
political is
to
be
shape
of the
into
the
Navy
future an
should
of
our
exchange
Takarabe,it
is
not
with
some
uneasiness
strength
of
bargain
with
the
be
take
naval expected
with
the
minimized,if
not
Text
part
in
scuh
editorial conferences
Mr.Stimson
views
with that
and
such
the
goes
other entirely
an
cause
dissension
representatives
could
as
may enter
Admiral hold
main
contention
of
which
was
Given Service
of
Post
State
Stimson's
criticizing
among
the
him
American
r
for
not
delegates
delegation:一 attention
their
this
morning
Adams
has
Japanese "lt
that
which
from
been
called
dwells
certain
delegates is
quite
make the
before
upon
conferences who
clear
to and
editorial,the
M
people
the
Mr.Morrow
expert
Americans
on,"if which
Is
Secretary
Replies this
by
American
and
Special
attempt Stimson
the
WASHINGTON,December
United
own."
Angry
participants chosen
been
before
"My
navy....When of
to
befor
had
humiliate
Rengo
reassured ,"the
Secretary
delegates
American
Japanese
public
the
Government
Government
Navy
editorially
disregarded. "The
w
that
American
that to
Post
Secretary
look
and by
naval
was
Washington
conversations,declared
the
of
said
exception.
determined
expert
surface
Japanese
in
non‐attendance
say
that
unruffled
and
editorial
Wakatsuki‐Stimson
needless
Navy
an great
the
proposition
powers,and
American
of
taken
Post,criticizing
Adams
upon
the
result
apparently
Adams
conversations he
American
Rengo
Navy
delegates,Mr.Stim
which
among
Urged
the
Japanese
morning's
the
the His
of
with
"Icertainly
to
the
false.
are
that
on
the
de
troubleamong
members the
of Japanese
the
P
breakdown
of the London
conference.
Adams Helped in Choice "The utter falsity of the statement that the Japanese
delegates
have
is evident
if I recount
indicated that they
Secretary
would
Adams
and
myself
and
Mr.
Adams
himself
be represented
attempt
to humiliate
American
and
Government
cause before
dissension
among
representatives
of
become
my
wishes.
against "The
truth
conference and
, in usual courtesy, also determined
Adams,
who
undertake
make
that
myself. "Every matters
was
consulted
by me, suggested
of such
of the
a foreign
Government"
that some
through
and
before
the conference
right to oppose American
has its right of any and
views
the Washington
to the limitation of arms,
people
approve
in their Government
any
as it pleases upon
attempt
Post
has
the
its full
but I don't believe that the
to humiliate
before the representatives
and
cause
dlssension
an
Old
of
of
One
the
Secretary
Washingto
of
between
the
old
Ever
since
so
the
Navy
ahead naval
had
expired,
there the
Administration
to
of foreign governments." disarmament
a
n
famous"ya
by
ten‐year
against
in
now
the
ment
the
the
American
negotiations or
to
complaint
Geneva and year
newspaper
at
subordinated
other members Adams
arrived division
criticism
an
the members
selected by Mr.
the
wise
Conflict The
to limit our number.Secretary
it, and our delegates were
exactly
were
to
an
"We
is
about
by
suggested
some other member of our delegation take his place. "Ibelieve that the American people will not approve
has
and
the fact
by three persons only at the preliminary discussions. American participants in the conversations were chosen
"The
Conference
Mr.Hugh began
to
of
confe
the holiday, was
practic
Hoover
r
exclude
th
conference
whic
offing. Mr.Adams, of "I
the
read
Secretary Washington this
my
absence
gates
and
the
morning's
cates
of Post,
at Japanese
the
Navy,
in
a
editorial certain delegates
also
formal of
took
the
conferences who
cognizance
statement Washington between are
on
of
which
their
Post, the way
the
editorial
President
reads:一 which
American to
the
service indi
with
this
dele
But
the
London
President
Hoover
was
should
have
view reacations became
the
at
anyth
authorities in so
the
N
pronounce
Hoover
was
compelled
appointing
the
the
American
Jones
and
further
Admiral on
this
all
behind
of
Rear‐Admiral
to
go.
he
is
on
so
because
that
the
this
stage
was
as
regarded
Navy
The
American
of
one
P.
unmistakable
as
a
Department.
of
was
he to
in
who
adviser
was
made
not
the
subject
who
Secretary
State
does
not terms.
attempted
to
very
most as
guns
cruisers
Hoover
the
Charles
F.
and,
finally,
the
sought
General Hughes,
Chief
the
delegate.
provided
of
of
Naval Jones
that
the
a
you
but
the
simple
was
Mr.
Adams'subsequent
"Lion
T
House, On
of
because , and
the
to
work
adjectives,
equal the
to
so
manner. of
Operations.
to
consented
to
Secretary
of
win
agreement
of
element
State Mr.
such
Cotton
feasibl
friction in
there
the
are
Adams and London
A
thes
Department
promptitude at
int
Mr. it was
and a
and
came
but
possibility
discounted
Sec
eye
however,
Department
States
The an
whenever
The
Rear‐Admiral United
Adams
the
occasion,
Mr.Hoover,Mr.Cotton
President,
like.
with
recent
twinkling
the
that
manner
meddle
disparaging
one
is
the
to
another
communicated fix
think
truth
amer"by not
yard‐stick
and
the
offi
made
of
not
aid
of
of
had
the
factor
Rear‐Admiral
delegation
full‐fledged
Board
meeting
Cotton
that
a
guns
J
Pass
orders
ten‐thousand‐ton
were
six‐inch
e
the
surface
many
Mr.
has
Admiral
was
turn,
competent
or
said"Cotton,
in
mere
how were
mounting
Mr.
a
recent
and
so‐called in
a
declined
White
was
not
At
latter
The
who,
He
Work
after
manner.
at the
going
to
officials, scrap
services
gave
churlish
Hoover
been
o
hesitate
Department
the
to
he
invented
the
has
sought
Administration
as
of
to a
a
President The
crisis,
followed an
is
reason
mathematics
Admiral
what
first
delegation,
he
Navy
regarded
ton the
the
the
six‐inch‐caliber
of
of at
consternation
Chairman
and
Hilary
was the
by
members
Rear‐Admiral
to
Navy"revolt"was
naval
7,000
pow‐wows
Navy
the
idea
the
Jones
A.T.Long,
serve
list, and
Gibson.
mounting
Navy,
it
the
6,000 or
Big
to
retired
since
baffling
cruisers
family
ranking
advisers
President
adviser
treated
Mr.Hugh
indicated
such
official
the
something
the
Hoover
more
out
as
Administration
reveals
as
had
also
of of
Pratt
Jones'"revolt"caused
it to
his
one
Caustic
the
communicated
At
the
When
Jones
Admiral
many
P.
about
scenes.
Administration
the
among as
appointment
of
came
the
As
part
Commander‐in‐Chief
this
peace Navy
Consternation
on
and
the
William
the
Caused
all
seek
of
delegation.The of
sop
How
to
Secretary
vic may in will
such be
then
never
ratify
whatever
agreement
is
made."
︹註︺ 封 筒 表 、 東 京 市 海 軍 々令 部 、 海 軍 大 将 加 藤 寛 治 殿 、 秘 親 展 、 ス タ ンプ 4︱ 12︱ 22。 封 筒 裏 、 神 奈 川 県 三 浦 郡 葉 山村 、 子爵 金 子 堅太 郎 。
1 0 金 子 堅 太 郎 書 翰
︹ 昭和 5年 2月 25日︺
二 月廿 五 日 加 藤 軍令 部 長 殿 閣 下
︹ 註︺ 封筒表、海軍省軍令部 、加 藤軍令 部長殿、至急必親 展、 スタ ン プ 5︱ 2︱ 25。封筒裏、麹町区 一番丁三十番地、金子堅太郎。
極密
11 金 子 堅 太 郎 書 翰
議 も 困難 之 様 ニ見 受 候 間、 先 夜 米 大 使 と の談 話 之 結 末 之 一章 丈 内
︹ 昭和 5年 2月 28日︺
楽 部 ニ而 米 国 大 使 カ ツ ス ル氏 を 招 待 し て晩 餐 会 を 催 し 、食 後 互 ニ
貴 書 拝 読 。 実 ハ拝 顔 可 申 上 と 存 居 候 へと も 、 目 下 之 倫 敦 会
無 腹 蔵 談 話 致 候 。 尤 談 話 前 ニ今 夜 之 談 話 ハ 一切 新 聞 ニ洩 れ さ る様
た る は 不得 策 ニ而 、夫 れ か為 ニ種 々困 難 な る問 題 を 惹 起 し た る に
密 貴 台迄 申 上置 候 。其 口気 ニ依 れ ハ、 今 回 之 会 議 ニ比 率 を 持 出 し
御 病 気 之 由 御 大 事 ニ御 静 養 之 程 奉 祈 候 。 昨 夜 ハー バ ー ド 倶
互 ニ秘密 を 守 る約 束 を な し、 又 大 使 と し て談 話 す る に 非 ら す 全 く
拝啓
ハー バ ー ド大 学 の同 窓 生 と し て自 由 に且 つ隔 意 な く 致 す事 と 前 提
よ り 書翰 到 着 し た れ ハ 一読す る に、 米 国 は迚 も 日本 之 七 割 ニ同 意
之 様 ニ見受 申 候 。 然 る に 一昨 日在 倫 敦 之 米 国 全 権 一行 中 之 一米 友
り 、 更 ニ講 究 し て 再 ひ会 議 を 開催 す る こと 得 策 な ら ん乎 と の意 見
平洋 上 に於 け る 日米 関 係 を 論 究 した る歴 史 よ り 説 き 起 し 、 日露 戦
す る 模様 無 之 、 双方 之 意 見を 綜 合 す れ ハ今 回 は未 結 了 ニて散 会 し
依 り 、 今 回 は各 国 互 ニ其 主 張 す る所 を 吐 露 し 未 結 了 之 儘 会 議 を 終
争 後 に於 け る太 平 洋 上 の勢 力 範 囲 を 内 約 し た る事 を 略 述 し 、 又 移
更 ニ会 議 を 開 く こ と得 策 歟 と被 存 候 。 先 は内 密 貴 兄 之 御 参 考 迄 。
し て 、明 治 二十 二年 以 来 小 生 か ハリ ス ン大 統 領 、 ク リ ー ブ ラ ンド
民法 通過 之 非 理 不法 を 摘 発 し 、 又華 府 会 議 に 於 け る 米 英 密 約 之 圧
大統 領 及 び ル ーズ ヴ ヱ ル ト大 統 領 に至 る迄 右 三 人 と 屡 々会 見 し 太
迫 非 道を 概論 し て 、今 日之 倫 敦 会 議 に論 及 し てカ ツ ス ル氏 之 反 省
草 々頓 首
二月 廿 八 日
堅太郎
を 求 め候 処 、 同 氏 も頗 る 困却 之 態 度 な り し も 、 其 答 弁 ニ依 れ ハ倫
加藤軍令部長殿閣下
敦会 議 の 結末 も稍 々推 測 す る に足 る乎 と 被 察 候 。 其 詳 細 は 老 兄 ニ 限 り 開 陳致 度 候 間 、近 日 拝顔 之 節 万 々 可申 上 候 。 先 は 要 領 の み。
親展、 スタ ンプ5︱ 2︱ 28。封筒裏 、神奈 川県 三浦 郡葉山村、子爵金
︹ 註︺封筒表 、東京市四谷区 三光町 一二八、海軍大将加藤寛治殿、必
草 々 頓首 堅太郎
子堅太郎。
12 安 保 清 種 書 翰
昭 和 五 年 三 月 三 日 倫 敦
極秘
︹ 昭 和 5年 3 月 6 日︺
要 ス ル ニ表 面 上 各 国 間 ノ均 等 又 ハ比 率 ヲ云 為 シ テ、 永遠 ニ亘 ル各
国 ノ 国防 自 主 権 ヲ制 限 ス ルガ 如 キ 方 法 ニ拠 ラズ 、 或 ル 一定 期 間 ヲ
限 リ各 国 ノ国 防 安 全 観 ヲ動 揺 セ シ メザ ル最 小 限 ノ保 有 量 ヲ約定 シ 、
Compヲ e避 ti ケt ンi トoス nル ノ主
旨 ヲ以 テ飽 迄 我 主 張 ノ貫 徹 ヲ期 セ ント スル モ ノ ニ外 ナ ラズ 。
此 期 間 ニ於 ケ ル相 互 ノ Bui l ding
小 生 ハ今 度 ノ会 議 ガ 簡 単 ニ纏 ル モ ノト ハ思 考 シ 居 ラズ 。 若 シ纏 リ
得 ル モ ノト ス レ バ大 躰 以 上 ノ如 キ 主 旨 ヲ以 テ 適当 ニ按排 セ ル案 ニ
夫 レ ハ扨 テ置 キ ト シ テ、 今 度 ノ全権 ノ内 デ真 ニ国家 ヲ背 負 ツテ芝
拠 ル ノ外 見 込 ナ キ モ ノト ノ信 念 ヲ有 ス ル モノ ナ リ 。
居 ノ打 テ ル ノ ハ先 ツ 一人 者 ト シ テ首 席 ヲ推 スノ外 ナ カ ラ ン 。然 モ
清種
拝 啓 二 月 五 日 附 御 芳書 正 ニ拝 誦 。 正義 ニ立 脚 セ ル我 国主 張 ノ枉
談 判 ガ 愈 ヨ ク ライ マ ツク ス ニナ ツテ 、 首席 ガ泰 然 ト シ テ居 ル ノ ニ
加 藤 盟 兄
ル迄 、 洵 ニ条 理 ヲ穿 チ友 情 ニ溢 レ テ ノ懇 々 ノ御 説 示 毎 時 モ ナガ ラ
ク 可 ラザ ル根 本義 ヲ始 メ ト シ 、内 地 ニ於 ケ ル 国論 機 微 ノ情 勢 ニ至
ロ慮 ト ス ル モノ ナ リ 。 勿 論今 日 ノ処 我 四全 権 共 我 主 張 ノ 三大 要 項
ニ付 テ ハ 一歩 モ譲 ラザ ル ノ決 心 ヲ以 テ終 始 セ ラ レ ツ 、ア ル次 第 ナ
側 ノ取 巻 ガ 反 ツ テ軟論 メイ タ 進 言 ナ ド スル ニ至 ル コト ナキ ヤ ヲ寧
早 速 御 返 電致 置 候様 ナ次 第 ニ候 ガ 、仰 ノ如 ク会 議 ハ今 ガ最 モ大 切
ルガ 、 其 愈 ヨノ 土 壇場 ニ於 テ ハ首席 ト雖 ト モ 、或 ハ潜 水 艦 ナ リ何
難 有 、 厚 ク 御 礼申 上 候 。
ノ 時 機 ニテ 、 一歩 ヲ誤 レ バ実 ニ我 国家 将 来 ノ為 取 返 シ ノ付 カ ザ ル
ナ リ 幾 分 ノ綾 ヲ付 ケ テ 総括 的 七割 ト大 局 上 ヨ リ ノ利 分 ヲ贏 チ得 テ
右 ニ対 シ 恰 モ御 返 辞 相 認 メ ン ト ス ル処 ニ更 ニ極 秘 一番 電 受 領 乃 チ
失態 ヲ醸 ス ニ到 ル ベ ク ト折 角 努 力 罷 在 候 処 ニ有 之 候 。
話 ヲ纏 メ ント スル腹 デ 居 ラ ル ヽヤ モ図 ラ レズ 。 此 辺 特 ニ留 意 警 戒
テ 到底 纏 ル 見込 ナ キ コト明 カ ナ ル如 キ 場 合 ニ ハ、 寧 ロ会 議 決 裂 必
実 ハ二 月 五 日 ニ米 最初 ノ提 案 ニ接 シ、 十 二 日 ニ我 提 案 ヲ彼 ニ致 シ 、
ヲ呈 シ 居 リ、 其 間小 生 ハ 一私 案 ヲ具 シ、 我 主 張 ハ 一歩 モ枉 ケ ス然
ズ シ モ辞 セズ ノ意 気 込 ヲ以 テ敢 然 ト シ テ主 張 ヲ強 調 ス ル、 夫 レ ハ
十 七 日 ニ日英 米 三 国 三全 権 ノ会 合 ア リ。 席 上 我 全 権 ヨ リ我 主 張 ヲ
カ モ何 等 カ フオ ー ム ノ異 ツ タ モ ノ ヲ準 備 シ置 キ 、 交 渉 ノ基 礎 案 ト
誰 ニデ モ出 来 ル芸 当 ナ ル ガ、 若 シ夫 レ彼 我 ノ主 張 ガ 極 メ テ細 微 ノ
一躰 会議 ニ於 テ彼 我 ノ主 張 ガ大 ニ懸 隔 シ居 リ、 少 々位 譲 リ タリ ト
ス ル ノ 切要 ヲ述 ヘテ全 権 ニ説 ク所 アリ 。 目 下 松 平 ヨリ 其 一私 案 ト
程 度 迄 折 合 ヒ今 一歩 ト 云 フ様 ナ揚 合 ニ夫 レ デ モ決 裂 ヲ 一 ﹁リ ス
ヲ要 スル点 ナ リ ト 思考 ス。
シ テ米 ノ ﹁リ ード ﹂ ニ内 示 シタ ル モ ノ ( 英 首 相 ニ モ内 示) 即 チ 之
ク﹂ ト シ テ 一分 一厘 絶 対 不 譲 ノ 一点 張 ニテ押 シ通 ス ベキ カ 、 或 ハ
充 分 強 調 シ テ 別 レ ラ レ シ侭 、 其 后 ハ双 方 ト モ不 言 ノ裡 ニ静 観 ノ姿
レナリ ( 先 方 モ別 ニ ﹁リ ー ド﹂ ヨリ 米 ノ私 案 ヲ我 ニ提 示)。 右 ハ
英 首 相 マ ク ド ナ ル ド 固 ヨ リ 微 賎 ヨ リ起 リ シ 大 宰 相 ノ 器 タ ル ニ
ハ難 キ ノ嘆 ア ル ヲ奈 何 セ ン哉 ト 云 ヒ度 ト コ ロ ニ候 。
ヤト 掛 念 シ ツ ヽア ル モ ノナ リ 。 善 断 善 処 ノ妙 諦 、 言 フ ハ易 ク 行 フ
小 生 ハ此 処 数 日カ 十 数 日 カ ノ内 ニ此 難 関 ノ峠 ガ 到 来 ス ル ニ ア ラズ
ス。
モ難 シト ス ル所 デ ア リ、 又 タ 極 メ テ冷 静 ノ達 観 ヲ要 ス ル点 ナ リ ト
立 ツ テ右 ス ベキ カ 左 ス ベキ カ ヲ決 ス ル ノガ 、 当 面 責 任 者 ニ取 リ 最
ル程 度 ノ若 干 ノ交 譲 ヲ以 テ話 ヲ纏 メ ルカ ト 云 フ此 機 微 ノ分 支 点 ニ
我 主 張 ノ中 ノ敦 レ カ ニ幾 分 ノ色 気 を 見 セ テ、 大 局 上 首 肯 スル ニ足
レ ト 云 フ身 ノア ル 所 ナ キ ハ笑止 ノ 限 リ ナ レ ド 、感 湧 ク侭 ニト切 レ
寸 暇 アル毎 ニ筆 ヲ執 リ遂 ニ四 日ニ亘 リ テ筆 ヲ擱 ク。 顧 レ バ別 ニ之
堂 ニ満 チ 、 此 処数 日 危機 大 ニ迫 ル ノ感 ア リ。
協癖 ノ漲 ル モア リ 、 ヒ タ押 シ ノ 一派 モ ア リ、 山 雨到 ラ ン ト シ テ風
我方 ニ於 テ モ外 面 ハ 一律 一躰 ノ 強 硬 ニ装 ハレ ア レド 、内 心 ニ ハ妥
ヲ示 シ テ 我 水 心 ヲ誘 ヒ ツ ヽア ル ハ事 実 ナ リ。
テ 話 ヲ纏 メ ント苦 慮 シ ツ ヽア ル ハ之 ヲ諒 ト シ得 ベ ク、 頻 リ ニ魚 心
尤 モ米 国 側 ハ英 国 側 ヨリ遥 ニ妥 協 ニ熱 心 ニシ テ 、 目 下何 ン ト カ シ
反 ツテ 優 レ リ ト スル モ 一方 ノ 見様 ナ リ 。
三 月 六 日 正午 認
ニ綴 リ シ モ ノ 、幸 ニ御 推読 ヲ祈上 候 。
〓
︹マ マ︺
相 偉 ナキ モ、 到 底 往 年 華 府 会 議 ニ見 シ ﹁フ ユー ス﹂ ノ 快 腕 ト ハ及
為 邦 家 切 ニ御 自愛 ヲ祈 候 。 敬 具
︹マ マ ︺
ビ モ付 カズ 、 招 請 国 ノ亭 主 役 ト シ テ日 米 間 ノ 難 問 ヲ斡 旋 調 訂 セ ン
︹マ マ ︺
ト ス ルガ 如 キ 意 図 モ誠 意 モ之 ヲ伺 フ ニ由 ナ ク 、 ヒタ ス ラ米 ノ鼻 意
l.
to
the
H.
London
Conference,
46
Via
Grosvenor
Tok 封y 筒o 裏,︹ 印J 刷a ︺pan
Naval
Kato,
︹ 註︺封筒表、東京市麹町区霞ケ関、海軍々令部、加藤海軍大将閣下、
W.
Delegation
13 水 町 袈 裟 六 書 翰
なお内封筒があ り、表に ﹁ 極秘、加藤 寛治様、安保清種、 私親 展﹂ 、 裏 に ﹁三月六日﹂ とあり。
London,
気 ニ気 兼 シ テ、 事 毎 ニ其 言 ニ聴 キ 、 陽 ニ ハ英 米 ノ コ ン モ ン フ ロ ン
N 派aノ v専 y横 ヲ抑 制 シ テ 国
Japanese
私必親展、Admiral
Big
Square,
ト ヲ以 テ日 仏 ヲ圧 迫 スル ノ専 横 ヲ飽 迄 避 ケ ツ ヽアル ノ 素 振 ヲ衒 ヒ ナガ ラ、 陰 ニ ハ隠 密 裡 ニ英 米 相 結 ンデ 我 ニ強 請 セ ント スル ノ 跡 歴
︹マ マ︺
然 タ ル モ ノ アリ 。 一方 米 首 席 タ ル ﹁スチ ム ソ ン﹂ 温良 玉 ノ如 キ 紳
モ ナ ク、 更 ニ況 ンヤ 猛 虎 ノ如 キ
士 ニシ テ大 ニ我 ニ対 シ同 情 ヲ有 ス レド モ、 別 ニ経 倫 モナ ク 切 レ 味
︹マ マ︺
テ我 ニ臨 ム モ ノ、 米 提 案 ニ何 等 斟 酌 寛 容 ノ跡 ナ キ 固 ヨリ 怪 ム ニ足
際 協 調 ニ精 進 セ ント ス ル ノ銕 腕 モナ ク 、 唯 其 云 フガ侭 ニ繰 釣 ラ レ
拝啓
︹ 昭和5年3月15日︺
シ タ ル妥 協 論 果 シ テ 現 ハレ 来 リ タ ル ヤ ノ 記事 今 朝 ノ各 新 聞 紙 ニ掲
ロ ンド ン会 議 方 ニ c ris 点eニ近 カ ント シ テ予 テ窃 ニ懸 念 致
兎 ニ角 今 ノ情 勢 ニ テ ハ我 三 大 要 項 ノ何 レ ニ於 テ モ 一歩 モ譲 ラズ 其
載 有 之 、遺 憾 千万 之 儀 ト存 候。 嘗 テ高 論 ヲ承 リ タ ル我 カ国 防 上 ノ
ラズ 。
ル ヲ得 ヘク 、 寧 ロ今 日 彼 我 主 張 ノ懸 隔 大 ナ ル 侭 ニ打切 リ ト スル ヲ
侭 押 通 スト 云 フ コト ハ到 底 英 米 ノ同 意 ヲ得 ル コト 望 ミ 難 シ ト 断 ス
礼 す る に 至 り 、 皇 国 之 威 厳 は 亡 失 す る こ と
堅 太 郎
ゝ相 成 候 間 、 何 卒 為 日
要求 ノ最 低 限 タ ル比 率 七 割 ハ最 早 軍 部 或 ハ政 府 ノ方 針 ト 申 ス如 キ
三 月 十 七 日
本 帝 国 十 分 御 尽 力 被 下 度 熱 望 之 至 ニ 不 堪 候 。 草 々 頓 首
バ 、 万 々 一此 ノ信 念 ニ動 揺 ヲ及 ホ ス如 キ 事 実 相 生 シ 候 ト キ ハ、 其
程 度 ノ 問題 ニテ ハ無 之 、 既 ニ国 民 的 信 念 ト 相 成 候 モ ノ ニ有 之 候 得
加 藤 軍 令 部 長 殿 侍 曹
尚 以 先 日 宮 中 ニ 而 山 梨 次 官 ニ 面 会 之 節 、 小 生 と 米 国 大 使 と の 談 話
ノ結 果実 ニ測 ル ベ カ ラザ ル モ ノ可 有 之 、 差 向 キ 独 立 擁 護 ノ覚 悟 ト
打 明 被 下 度 候 。 但 し 是 は 御 意 見 次 第 之 事 也 。
Jan.3 1 and by
reading
any
a m
an
know
M arch
79 1 ,30
t eth
ita ,s Ic er tainand
nothing abou
ha e r bot h
fro f f m ico ia al nd
qs e u tion s i n ot th e Naval, but i ts bas ic
not; butI
n toe tll youWhetherour Governm ent
o uts i der and
compromie sor
ashington Con ferenc e an d (2 ) Immigration
t ehreal te htwo;(1 )W
Sov re eignty,
ac st oon f t a erth e
E artq h ueke in ap Jan.
m os tunmercifu l
in i tsbay,whichare
h l d oW ei︲Haie ︲ iW ad n
viol t e aChin es e
Japanto return to China,Chin︲t au and
nation la ca am li ties ofth e
h ardes tand th e
vio lat ion fo Chinee s Soe vr eignty.
w arsh pitoent eran d anchor
same time f orBria tin to
R ai l Way, becaus e th ey
com pel l ed
Tokio,
ニ申 上 置 候 間 、 御
自 尊 心 ヲ傷 ケ 、終 ニ ハ国 体 尊 厳 ノ信 念 マテ モ相 薄 ラキ 可 申 、 世 態 ︹ 丈︺ 人心 一度 此 ニ陥 ラ バ其 ノ更 ニ転 シ テ何 処 ニ趨 ク ベキ ヤ 想 像 ス ル仗
︹ 別 紙 ︺
know,I
actualcondi ti on f o LondonConfe rence. .
I rec eiv ed you r l ett er
M y dearMr.︲
greatest
The second i s th e
equal ylth e
th e right of Bri tish
buti t al lowed atth e
Tsinanand Chin︲ au t
Law.The first
ques tion s are
uno f ficiao l urs cethat
Wi l lagree t o
Cabinet'spi oniot nh ,ee r fo re Ican
As you
unders tan d th e
of
(ハ ー バ ー ド 倶 楽 部 ニ 而 ) は 閣 下 よ り 聴 取 之 事
ケ ニテ モ肌為 メ ニ粟 ヲ生 ス ル ヲ覚 ヘ申 候 。 野 生 ハ前 掲 新 聞 記 事 ノ 全 ク 訛 伝 ナ ラ ン事 ヲ祈 ル ト 同時 ニ、 万 一ノ場 合 ノ深 憂 ヲ尊 台 ニ披 瀝 シ 、 尊台 御 初 ノ御 力 ニ依 リ テ前 陳 ノ如 キ恨 事 ヲ防 キ 得 ラ レ ン事
袈裟六
ヲ希 ヒ申 候 。 平 生 之 御懇 意 ニ任 セ テ忌 憚 ナキ 一言 何 卒 御 海 恕 被 下 度候。敬具 三 月 十 五 日 加藤老台
14 金 子 堅 太 郎 書 翰
先 日 本 邸 ニ而 御 面 話 之 後 直 ち ニ在 倫敦 之 米 国代 表 者 ニ別帋
︹ 昭和 5年 3月 17日︺
︹ 註︺封筒 表、市内 四谷 区三光 町 一七、加藤寛治 殿、親 展、 スタ ンプ 5︱ 3︱ 15。封筒裏、市外渋谷 町神 山五五、水 町袈裟六。
拝啓
之 如 き 秘 密 書 状 ヲ西 伯 亜 経 由 ニ而 郵 送致 置 候 。 其後 之 経過 ハ如 何 な る歟 。 今 朝 之 新 聞 ニ依 れ は 、 先 般 も 内 話致 候 通り 外 務 省 ニ而弱
ニ而 屡 報 す るか 如 き こと 有 之 候 得 ハ、 将 来 は 凡 て米 国 之膝 下 ニ拝
根 を 吐 き 海 軍 省 と 意 見 を 異 に す る 由 。 果 し て 世 評 之如 く 日本 全 権
be
two
of
honor,
made
she
any
々頓 首
u np ea an t送aり nd hu rt 右 御l参 考s迄 御 申上 候 。其後之形勢如何哉憂慮
consent
thes支 e 無 tw es ti ns 之o限q りu御 垂 示o被 下度願上候。草
feel
willingly
of
to
can
amendment
Japanese
before
an
the
therefore
treatments
Japan
Conference.
to
Naval
shown
the
first
national
These th e must proposal
as
ニ不 堪 候 。 御差
堅太郎
friend.
America
constant
smoothly
step
as
its
1 6 本 多 熊 太 郎 書 翰 as my best and
settled
follow
you
are
will
questions
to
confidential
question
these
三月廿 二日 ︹s ︺ Upon these circumstances, my own opinion is to take no decition 加藤軍令部長殿閣下 upon the Naval Conference this time, but leave for the future to consider ︹ 註︺ 封筒表、東京市 四谷区三光町、加藤海 軍大将殿、秘親展 、スタ over again the present condition of Japan, England and America; ンプ 5︱ 3︱22。封筒裏、神奈川県三浦 郡葉山村、子爵金 子堅太郎。 satisfactory to the three countries,
is
entirely
Naval
when
the
and
This
desires.
Yours
即 ち 七 割 要 求 ヲ放 棄 す る も のな り 。 凡 そ 此種 の ﹁ 留 保 ﹂ ハ事 実 上
飾 り あ る も 、 要 す る に 一片 の空 文 的 フオ ル ミ ユウ で 問 題 ヲ打 切 る、
回 の会 議 に 際 し 我 立 場 ヲ有 利 に導 く た め﹂ 云 々 など 形 容 詞 沢 山 に
交 吏 僚 ノ月 並 的 窮 策 と し て 考 え 得 ら る ゝ処 なり 。右 記事 に は ﹁ 次
今 朝 の朝 日 所 報 ﹁留 保 条 件 ヲ付 し て 日米 妥協 案 承 認﹂ 如 何 に も外
持 力 戦 に 信 頼 し 兎 ニ角 之 よ り 予 定 ノ旅 程 ニ上 ら んと す る処 に 候。
sincerely, ︹ 昭和 5年 3月2 7日︺ kaneko 敬 啓 時 局 存 外 切 迫 の模 様 憂 心 〓 々 ニ堪 え さ る も 、 軍 部諸 公 の堅 Kentaro
︹ 註︺封筒表、東 京市四谷区 三光 町、海軍大将加藤寛 治殿、秘親展、 スタンプ5︱ 3︱ 15。封筒裏、神奈川県三浦郡葉山村、子爵金子堅太 郎。
15 金 子 堅 太 郎 書 翰
主 張 の放棄 た る こ と は外 交 通 ノ 何 人 も諒 認す る 処 に し て、 要 は セ
ー ヴ フ エー ス的 窮 策 ニ て、 対 手 の容 認Suf f er enceを 得 る ま でな
︹ 昭和 5年 3月22日︺
り 。 現 に 大 正 四 年 の日支 交 渉 に も ﹁ 我 要求 第 五款 は後 日 の友 誼 的
先 刻 電 話 に て申 上 候 在 英 米 国 全 権 一行 之 友 人 よ り 今 朝 八 時
moment.
Can' oて u体 h .去 ら んと す る は 月並 的 外 交 官 殊 ニ我 霞 ケ 関連 保t 留yに よe くl 葬pり
viる ta tも o知 f u事 r実 eなg r t on はl 何人 るu 処tノ りo 。o Kd not t yel r Pa obl e miを 此s 種. の空 文 的
拝啓
critical
Agreement
着 の電 信 は、 昨 二十 一日午 後 七 時 倫 敦 発 に て、 其 電 文 は 左 之 通 リ
a
proposed.
交 渉 に 保留 す﹂ と の 文句 に て打 切 り た る も、 事 実 放 棄 に終 はり た
is
Favorad b e c l i s eion
ニ御 座 候 。
This
ノ持病 的 常套 な り。 断 し て今 回 の如 き 国 家 の重 大 事 局 之 処 理 に斯 る 小 切 細 工を 容 るす べき にあ らず 。 何 卒 ﹁廿 一ケ条 第 五 款 の保 留 は 如 何 な 成 行 に な り し ? ﹂ ﹁か ゝる 保 留 は事 実 問 題 の放 棄 な る哉 ﹂ と 云 ふ点 に対 し 切 に首 相 の注 意 を
﹁外 に弱 き も の は内 に も 弱 は し﹂。 何 卒 彼 等 の狡 智 の裏 面 ニ何 等
追 求 せ ら れ 度存 上 候 。
一片 の骨 す ら な き を 看 破 せ ら れ 、 断 乎と し て彼 等 懦 夫 に有 効 的 警 策を加えられんことを切願仕候。
三月廿七日朝
先 ハ出 発 途 上 取 急 き 一言 仕 度 。敬 具
1 7
M y dear
リ
so
テ イ
Kat o T hank you
ツ ト
、
レ ジ
with t he
ナ
ル ド
No re. I
・ ヨ ー
ク 書
mus t
翰
sit down at
t eh f ee lts
cor na g tulati ons.
13,A pri l1930
︹ 昭 和 5 年 4 月 13 日 ︺
&
SoI
w ante d one of
muchr y fo our rem embrance
&do nothi ng.
s idewin d I am too ol d! for 3 years
then by a
I am not very Pl eas ed but
Chatham
I am
sure he
oldf ri end, CaPtain
&
Yoursever
Jpanese fri ends
good time you gave
&m y
&the extraordin ar y
th kin I sha sl hl a nl el verseeJapan
o fJapan
v er y busy
s een my
li ek your appoi nt m ent.
I hav e
w ell t & hatyou sure t hat you keep
Ihopeyou are I am
o nce or twice.H e seem s tobe
本多熊太郎
Toyoda
加藤老閣史席 ( 昨 日 の拙 書 御 高 覧 被 下 候 事 と 存 候 。 )
gl dato
&
get home again
wi ll be
us all.hat e
I often think
﹁鹿 児 島 、 宮 崎 、 大 分 、 岡 山 、 津 山 の国 本 講 演 に 於 て ﹁太 平洋 問
︹ 註︺封筒表 、軍令部、加藤大 将閣 下、秘、親展。﹁米国ト協 約 ニ留意
題 ﹂ の題 下 に軍 縮 問 題 ニ付 熱 弁 を 振 ふ つも り に 候 。 ﹂
agai n.
&all y mvery bestwishes .
ス ヘキ点、﹁ 留保﹂ ノ解﹂ と赤字書込 みあり。封 筒裏、東京市外 上目 黒東山 一、 一〇 二、本多熊太郎、電話青山三一五番。
G oodbye
Reginald
Ha ir ru oh a K t o,H.I.J N. .Chiefofthe aN val
Generalt aS ff,Tok i o.Japan.
︹ 註 ︺ 封 筒 表 、 A dmiral
18 金 子 堅 太 郎 書 翰
ノ為 所 信 ニ邁 進 サ ル ヽ決 意 表 示 ノ方 便 ト シ テ、 一身 ヲ賭 ス ルト ノ
極 言致 度 モ ノ ニ有 之 候 。 是 レ単 ニ紙 上 ニ テ諒 承 、 恐 ラク 君 国前 途
ラ 、 カ ヽル 暴言 ヲ敢 ヘテ致 ス。 辞 余 ノ微 意 御 賢 察 ノ上 、 特 ニ御 寛
御 尊 慮 ト 恐察 致 候 。 如 何 ナ ル御 衷 情 ナ ルヤ 察 知 ス ルダ ニ恐 悚 ナ ガ
元 来 鈍物 菲 才 ニテ 、 回 訓措 置 ( 特 ニ統 帥 権 問 題 ) ノ当 否 ヲ鑑 別 ス
恕 賜 ハリ 度 候。
︹ 昭和 5年 4月 15日︺ 昭和 五年 四 月十 五 日
黙 過 致 シ 難 キ 処 ニ有 之 候 。
一時 ヲ糊 塗 セ ント スル 人 々 アル ニ於 テ ヤ。 吾 人憂 国 ノ志 ア ル者 ノ
言 辞 ヲ弄 シ 閣 下 ノ人格 ヲ涜 シ 心情 ヲ無 視 シ、 且 ツ衆 民□ 眼 ノ 下 ニ
ル 見 識 モ無 之 、 且 ツ其 ノ 是非 曲 直 ヲ論 難 ス ル ヲ許 サ ル ヘキ 筋 合 ニ
拝 啓 昨 日於 霞 関 離 宮 之 高 話 は 言 は 簡 にし て語 は 単 な れ と も 意 味
誰護明治
深 遠 、 為 邦 家 御 奮 励 奉 渇 望 候 。 依 て帰 来 一詩 を 賦 し 候 間 供 貴 覧
自今列国論争裏
モ無 之 候 得 共 、 一体 ﹁一身 ノ感 情 ト カ 、誤 解 云 々」 ト カ ノ欺 瞞 的 時事 有 感 倫 敦 樽 爼 又貽 憂
候。
華 府折 衝 陥詭 謀 聖 帝献
ニ忠 ナ ル所 以 ニ ア ラ ス。 平 時 ニ於 テ 至 誠 以 テ 恪勤 精 励奉 公 ス ル モ
抑 モ干 戈 相 交 ヘ ル秋 ニ方 リ 、 身 ヲ鴻 毛 ノ軽 キ ニ任 スル ノ ミ ガ 国君
忠 ニ外 ナ ラズ 。 況 ンヤ 今 般 ノ如 キ 将 来 国家 ノ安危 存 亡 ニ係 ル重 大
渓水堅
︹ 註︺封筒 表、東 京市海軍 々令 部、海軍大将加藤寛 治殿、必親展、 ス
加藤賢兄 タ ンプ5︱ 4︱ 15。封筒裏 、神奈川県 三浦 郡葉山村、 子爵金子堅太郎。
レ候 。 コノ意 味 ニ於 テ閣 下 ノ如 キ 崇 高 ナ ル人 格 、 英 邁 ナ ル 力 量 ア
事 ヲ卜 ス ル際 、 一意 至 誠 職 責 ヲ善 処 スル モ亦 大 忠 ナ リ ト 思 料 セ ラ
ル方 ヲ其 ノ局 ニ仰 ギ シ コト ハ、 国 民 ノ斉 シ ク 意 ヲ強 ウ シ 安 ジ テ 可
然 処 ニ有 之 候 ニ不 拘 、 何 故 自 ラ積 極 的 ニ職 ヲ退 カ ント セ ラル ヽヤ 。
ニ 一切 ヲ ナ ス リ ツケ テ自 分 ニ ハ関 知 ナキ 風 ヲ装 ヒタ リ 。 元 来 主 従
旧套 ( 昔 ノ大 名 ⋮ ⋮ ノ自 己 ノ 一命 ニ関 ス ル破 目 ニ立 到 ルト 、 家 来
19 平 井 憲 龍 書 翰
︹ 昭和 5年 5月 28日︺
苟 ク モ回 訓 当 時 ヨ リ 一意 君 国 ノ将 来 ヲ憂慮 セ ラレ 、 其 ノ 至 誠未 ダ
識 平 ニ御 寛 シ被 下 度 候 。 陳 者 過 般 閣 下 ニ ハ御 辞意 アル旨 ナ ル モ 、
未 ダ 声 咳 ニ接 ス ル栄 ヲ不 得 一介 ノ野 人 ヨリ 、 突然 撫 辞 呈 上 ノ没 常
ロ当 然 ナ ル カ 如 ク ニ) 未 ダ 脱 セ ズ 、 且 ツ自 我 的 ニ趨 ク 易 キ 現 今
ハ ソレ ヲ踏 ミ台 ニ出 来 ル特 別 ノ人 間 ノ様 ニ思 ヒ、 而 カ モ平 然 ト 寧
第 ニテ之 ヲ見 捨 テ ル権 利 ヲ持 チ、 イ ザ ト ナ レ バ家 来 ヲ殺 シ テ自 分
関係 ニ於 テ家 来 ダ ケ ニ絶 対 ニ服 従 ス ル義 務 アリ テ、 主 人 ハ都 合 次
︹マ マ︺
粛 啓 初 夏 万 陽 ノ折 柄 益 御 清 栄 枢 機 御 鞅 掌 ノ 段 、為 邦家 慶 賀 候 。
表 ハレ サ ル ニ自 ラ辞 意 ヲ表 明 サ ル ヽコト ハ、 余 リ ニ功 利 的 ナ リ ト
シ テ自 己 ノ大 信 念 ニ邁 進 ス ル ニハ多 大 ノ努 力 ヲ要 ス ル コト ニ有 之
乎 ト 順風 ニ陶 酔 セ ント ス ル人 ア ル時 世 ⋮ ⋮ 其 ノ威 圧 ニ堪 エ毅 然 ト
恬 然 ト其 地 位 ヲ保 持 シ、 自 他 共 ニ欺 キ 天 地 神 明 ニ逆 ヒ ツ ヽモ得 々
⋮ ⋮権 威 地 位 ヲ悪 用 シ テ自 己 ノ過 失 ヲ モ部 下 ニ転 嫁 シ以 テ自 ラハ
遅 カ ル ベ キ 。 兵家 ノ所 謂退 却 以 テ攻 勢 ヲ図 ル戦 法 コソ真 ニ妥 当 ノ
束 ナ シ ト ノ御 思 召 シ ア ル時 ニ、屑 ク 闕 下 ニ骸 骨 ヲ乞 ハレ テ寧 ンゾ
ヲ糾 明 シ 、然 ル 後 誤 解 又 ハ コノ マ ヽニテ ハ将来 重 責 ヲ果 ス コト 覚
ムト モ大 海 ノ水 ハ恒 ニ青 碧 ニ テ大 盤 石 、 微 カ モ大 海 タ ル 面 目 ヲ傷
チ大 小 ノ清 濁 流 ヲ併 呑 ス ル為 ニテ、 而 カ モ如 何 ナ ル 濁 流 ガ 注 ギ 込
左 眄 ス ル ニ於 テ ハ何 ヲカ 為 ス ヘキ カ ノ蒼 海 ノ大 ヲナ ス所 以 ハ、 即
行 ス ル ハ大 丈 夫 ノ採 ル ヘキ 筋 合 ト 認 メ ラ レ、 区 々 タ ル批 判 ニ右 顧
ク モ世 俗 ノ些 々 タ ル毀 誉 褒 貶 ヲ意 ニ介 セ ス、 自 己 ノ信 念 ノ下 ニ言
国家 ノ進 退 ハ容 易 ナ ラ サ ル コト ニ候 。
忍 の 二字 ﹂ ニテ御 再 考 願 上 度 、 人 一人 ノ進 退 ハ敢 ヘテ易 々タ ル モ
ル ヽ閣 下 、今 一番 ﹁ 駈 け出 す 心 の駒 を 引 き と む る 手 綱 と な せ よ 堪
バ スノ自 由 ニ駈 ル ガ如 キ実 状 ニ有 之 。 大 道 無 ニ玄 ノ心 境 ニア ラセ
ル レ バ拘 束 ノ垣 モ ナ ク坦 々 タ ル ﹁ア ス フ ア ルト ﹂ 道 ヲタ キ シ ー 、
ト モ思 ハレズ 、 人生 到 ル処 ニ青 山 ア リ、 一度挂 桂 冠 以 テ省 外 ニ出 ラ
静 思 スル ニ軍令 部 否 海 軍関 係 ノ ミ ニ太 陽 ノ照 覧 ア ラ セ ラ ル ヽモ ノ
方 策 カ ト 思惟 セ ラ レ候 。
付 ケ サ ル如 ク ニ。
候 ヘド モ、 盤 根 錯 節 ニ遭 ヒ真 ニ利 器 ヲ分 ツ破 目 ニ アリ ト 慮 リ 、 苟
至 誠 奉 公 以 テ他 意 ナ キ 閣 下 、 乍 申 疎 渺 々タ ル 巷 説 ニ拘 泥 セ ラ ル ヽ
国 ニ御 奉 公 遊 ハサ ル ヽ様 、 神 カケ テ奉 専 祈 候 。 唐 突 撫 辞 ヲ呈 シ 尊
兎 ニ角 国 家 ノ安 危 ニ係 ル此 秋 ニ方 リ十 二分 ノ御 自 重 、 以 テ至 誠 君
慮 ヲ煩 ハシ候 ヘ共 、 微 意 御 嘉 納 下 サ レ候 ハヾ幸 甚 。 尚 左 ノ先 賢 古
︹マ マ ︺
コト ナク ⋮ ⋮ ﹁大 凡 君 子 与 君 子 以 同 道 為 朋 、 小 人与 小 人 以 同利 為 朋 、 此 自 然 之 理 也 ﹂ ト ノ先 哲 ノ鍼 言 当 ニ然 リ 。 己 ニ便 利 ナ 人 ヲ善
哲 ノ鍼 言 ヲ捧 ゲ 、 閣 下 ノ御 多 幸 ト 邦 家 ノ安 泰 ヲ偏 ニ奉 祈 候 。 恐 惶
平井憲龍
人 ト シ己 ニ不 便 ナ 人 ヲ悪 人 ト シ 、都 合 ヨキ時 ノ朝 ノ味 方 モ利 害 ノ
防 州 赤 子 山 □ ノ出 身
頓首 五月 二十 八 日
為 忽 チ夕 ノ仇 敵 ト ナ リ 、 何 レ モ自 己 ノ立場 ヲ本位 ト シ テ排 他 的 ニ 出 ル人 々 ノ通 有 性 アル ニ鑑 ミ 、 唯恃 ム 所 ハ神 冥仏 護 ト自 己 ノ ミ。 自 己 ノ信 条 ノ下 ニ言 行 ス ル ヲ第 一義 ト シ 、唯 々 タ ル 百臣 、 一ノ忠
二伸 乍 失 礼 私 ノ道 楽 的 作 品 、 竹 ノ柱 懸 、 鉄 道 便 ニテ 記 念 ト シ テ
加藤軍令部長閣下玉案下
ト 其 ノ熱 情 何 レ ガ 強 キ 乎 。豈 不 肖 ノ如 キ 一夫 野人 ノ ミ ナ ラ ンヤ 、
諫 ノ士 ニ及 ハサ ルガ 如 ク 、 百 万 ノ 阿諛 者 ヨ リ モ 不肖 一人 ノ苦 諌 者
七 千 万 ノ同 胞 中 慷 慨 憂 国 ノ士 幾 何 カ ア ラ ン。
ヘ直 接 御 送 リ 致 度 ニ付 、 乍 御 多 数 執事 ノ方 ヨリ葉 書 ニテ ヨ ロシ ク
御 送 呈 申 上 度 候 得 共 、 軍 令 部 宛 ニ テ ハ却 ツ テ御 迷 惑 不計 ニ付御 邸
御 住 所 折 返 シ 御 一報 被 下 度 、 御 受 納 ノ上御 処 世指 針 ノ 一端 ニナ シ
︹マ マ ︺
按 ズ ル ニ コ ノ難 局 ニ際 シ 閣 下 ヲ措 テ他 ニ義 勇 奉 公 以 テ善 処 ス ル方 ナ キ コトヽ 愚考 セ ラルヽ ニ付 、 必ズ 辞 意 ヲ翻 サ レ、 若 シ誤 解 ア リ
下 サ レ候 ハヾ望 外 ノ至 リ 、 何 分 本 日 紙 上 ニテ 御辞 意 ア リ ト 承 リ 取
︹マ マ︺
ト セ バ正 々道 々 心 情 ヲ披 瀝 シ 、或 ハ可然 手 続 措 置 ヲ履 ミ事 理 曲 直
急 キ塗 墨 焼 付 ノ為 メ、 出 来 栄 エ頗 ル見 苦 シ ク相 成 候 段 、 幾 重 ニモ 御詫ビ申置候。 記 一、 天 将 ニ大 任 ヲ コノ 人 ニ降 サ ン ト スル ヤ、 必 ズ 先 ヅ 其 ノ心 志 ヲ
モ ノ ハ必 ズ 救 ハ ル ヘシ 。 コレ 神 仏 ノ御 心 ナ リ
一、 人 々失 望 ス ル コト 勿 レ、 求 ム ル モ ノ ハ必ズ 与 ヘラ レ 、苦 シ ム
ナ ル反 対 ニ会 ツ テ萎 縮 シ テシ マウヤ ウ デ ハ、 現 下 ノ激 烈 ナ ル競
一、 確 固 不 抜 ノ決 心 ガ ア ツ テ モ愈 決 行 ス ル ニ方 リ 躊 躇 逡 巡 シ 〓 カ
リ
争 場 裏 ニ家 ヲ成 シ名 ヲ立 テ成 功 ノ殿 堂 ヲ占 メ ル コト ハ不 可 能 ナ
︹マ マ︺
ル レ バ馬 ヲ斬 ル、 劫 火 燃 エ八風 吹 ケ ド モ動 ゼズ 、 天柱 砕 ケ地 維
百 折 撓 マス勇 往 邁 進 、 他 ヲ顧 ミ ス、 人 触 ル レ バ人 ヲ斬 リ、 馬 触
一、 吾 人宿 志 達 成 ノ為 ニ ハ、
其 ノ 為 ス所 ヲ払乱 ス。心 ヲ動 カ シ性 ヲ 忍ビ 、 其 ノ能 ク セザ ル所 ( 左 氏 春 秋 ニヨ リ)
苦 シ メ其 ノ筋 骨 ヲ労 シ 、其 ノ体 膚 ヲ餓 ヤ シ其 ノ身 ヲ空 乏 ニシ行
ヲ曾 益 スル 所 以 ナ リ 。 一、 憂 キ コト ノ尚 此 上 ニ積 レ カ シ 限 リ ア ル身 ノ力 試 サ ン ( 熊沢 蕃 山)
テ フ気慨 ヲ以 テ 、 万雑 ヲ排 シ 一途 ニ目 的地 ニ突 進 ス ル ノ ミ。
︹マ マ︺
拆 ク ル モ驚 カ ス 、泰 然 自 若 ト シ テ宿 志 達 セズ ンバ敢 エテ已 マズ ( 李 斯)
匆々
乱筆多謝
( 大 □ 深 □)
一、 断 ジ テ行 ヘハ鬼 神 モ避 ク
( 南 洲)
一、 何 ノ ソ ノ岩 ヲ モ透 ス桑 ノ弓
一、 責 ニ遇 ヘバ遇 フホ ド 益 意 志 ハ堅 固 ニナ ル
( 班 超)
20 金 子 堅 太 郎 書 翰
元帥 参 議 官 会 同 之 結 果 ハ兼 而 御 垂 示 之 通 り ニ相 成 欣
先 例 ニ有 之 候 。
ニ有 之 候 。 明 治 四十 年 明 治 大 帝 之 聖 断 を 下し 賜 り た る古 今 不動 之
喜 ニ不堪 候 。 是 れ 憲 法 之 精 神 ニテ何 人 も 干 犯 す る こと 能 は さ る所
極 秘 拝 啓
︹ 昭和 5年 5月31日︺
裏、山 口県玖珂郡余田村、平井憲龍、五月二十八日晩 。
︹ 註︺封筒 表、東京市海 軍々令部、加藤軍令部 長閣下、御直披 。封筒
他 見 必ズ 御 辞 退申 上 候
一、 虎 穴 ニ入 ラズ ン バ虎 児 ヲ得 ズ
以 下作 者 ノ信 条
( 勝 海 舟)
一、 宜 シ ク身 ヲ困 窮 ニ投 ジ 実 力 ヲ死 生 ノ際 ニ磨 ク ヘキ ノ ミ
一、 失 意 ハ自 滅 ヘ勇 気 ハ成 功 ヘ 一、成 功 ノ道 ハ唯 一ツア リ不 変 ノ志 コ レ ナ リ
一、 人生 ノ 目 的 ハ過 分 ノ富 有 ヲ保 ツヨ リ モ寧 ロ精 神 ノ富 ト霊 魂 ノ 強 ト ヲ得 ル ニ在 リ 一、 正義 正道 ヲ踏 ンデ 大道 ヲ闊歩 スル者 ハ 一生 ヲ 不遇 ニ終 ル者 ガ
﹁常 ニ気持 ノ ヨイ コト ヲシ テ﹂、
多 イ ガ 吾 人 ハ、
﹁尠 シ デ モ気 持 ノ悪 イ ト 思 フ コト ハ 一切 シ テ ハナ ラ ヌ﹂
所聊 感を賦し供貴覧候。
帷幄籌成定国防 聖断 古 今 明憲 章
廟堂 覆奏 乏 財襄
回顧明治四十年先例恭賦
先 皇 軫 念 諮 元帥
五 月 三 十 一日 加 藤 軍令 部 長 殿 閣 下
渓水生
︹ 註︺封筒表 、東 京市四谷区 三光 町十七、加藤海 軍大将殿、必親展、 スタンプ5︱ 5︱31。封筒裏、神奈 川県 三浦郡葉山村、子爵金子堅太 郎。
21 徳 富 猪 一郎 書 翰
︹ 昭和 5年 6月12日︺
蘇 峰迂 人
猪
謹啓 別帋 不取 敢 相 認 め 差 出 申 候 。 尚 其 中 ニ拙 筆 相 認 め 可 入 貴 覧 候。 勿 々不 一 昭和 五年 六 月 十 二
加藤大将閣 下
家 散 千 金 酬 士 死 身 留 一剣 答 君 恩
︹ 註︺封筒 表、東京市 四谷 三光町十七、加藤寛治様 、 スタ ンプ 5︱ 6 ︱ 12。封筒裏、東京市京橋区日吉 町民友社 、徳富猪 一郎。
2 2 差 出 人 名 な し書 翰
加藤寛治殿 閣下
閣 下 ハ吾 々 ノ活 模 範 デ アリ マ ス
閣 下 ア ル間 我 海 軍 モ意 ヲ強 ウ ス ル ヲ得 マ ス
吾 々 ハ我 海 軍 ノタ メ否 我 帝 国 ノ タ メ
閣 下 ガ 飽 ク迄 モ奮 闘 セ ラレ ン コト ヲ 熱 望 スル モ ノデ アリ マ ス
吾 々 ハ自 由 ニ意 思 表 示 モ出 来ズ
フ ル次 第 デ アリ マ ス
︹ 昭和 5年 6月 16日︺
大 臣 或 ハ政 党 ノ ナ ス所 ヲ傍 観 セネ バ ナ ラ ヌノ ガ残 念 デ ア リ、 又憂
頓首
吾 々 ハ何処迄 モ 閣 下 ノ所 信 ニ賛 成 ス ル モ ノ デ ア リ、 而 シ テ又 財 部 大 臣 ノ所為 ニ
大 ナ ル 不満 ヲ有 ス ル モ ノ デ ア リ マス
終 リ ニ閣 下 ノ益 々壮 健 ニシ テ
奮 闘 下 サ ラ ン コト ヲ重 ネ テ オ祈 リ申 上 マス
︹ 註︺ 封筒なし。
23 金 子 堅 太 郎 書 翰
︹ 昭和 5年 7月4日︺
拝 啓 連 日 之 陰 雨鬱 陶 敷御 坐 候 処益 御清 康 奉賀 候 。扨 倫 敦 条 約 も
ハ左 之 件 々 内 々御 垂 示 被 下 度 願 上 候 。
弥 枢 密 院 ニ御 下 附 相 成 、 近 日 精査 委 員会 も 被 開 候事 と 存 候。 就 而
第 一、 全 権 ニ御 下 附 相 成 候 三 大 原 則 ハ軍 令 部 よ り 帷幄 上奏 し た る
右 は 今 回 之 会 議 ニ必 要 な る に 付 御 差 支無 之 候 ヘ ハ内 密 御 垂 示被 下
第 二 、 是 は 内 閣 ニ而 起 草 決 定 し た る も の な る乎 。
も のな る 乎 。
候。
度候。草々頓首
拝 啓 陳 者 小 生 先 日よ り 十 余 日間 旧 里 福 岡 ニ参 リ 昨 今 漸 く 帰 京 致
御 退 職 前 後 之 情 況 は 上 泉 、 内 田両 氏 よ り 詳 細 承 り 候 。 男 子 は 其 言
堅太 郎
容 れさ る時 ハ其 職 ニ殉 す る こと 古 来 日本 武 士 之 特 性 也 。 今 回 之 御
2 5 回天 時 報 社
書翰
池 田 弘 ・香 渡 信 ・片 岡 駿
ヘバ、 此 際 断 乎 と し て条 約 を 破 棄 す る こ と 可 然 と 奉 存 候 。 而 も 右
世 間 に ハ相 不 変 俗 論 横 行 仕 り 居 り 候 ヘ共 、 国 家 の将 来 を 静 観 仕 候
々閣 下 の重 大 責 任 相 加 り 来 る 事 と 奉 存 候 。
扨 て枢 府 に 於 け る 先 日来 の精 査 会 の様 子 を 観 察 仕 候 ヘバ 、 今 後 愈
謹 啓 倫 敦 条 約 問 題 に 就 い て ハ愈 々御 高 配 の儀 為 邦 家 感 激 在 罷 候 。
︹ 昭和 5年 8月31日︺
8︱ 1、 5︱ 8︱ 2。封筒裏、神奈川県三浦郡葉山村、子爵金子堅太 郎。
︹ 註︺封筒表、東京市 四谷区 三光町十七、海 軍大将加藤寛治殿、書留、 必親展、 ︹ 赤字書込 み︺ ﹁ 三大原則 帷幄 上奏之問合 せ﹂、 スタンプ5︱
八 月 一日
態 度 は 実 ニ感 服 之 至 ニ不 堪 候 。 将 来 老 兄 之 御 尽 力 を 要 す る こ と 多
堅太郎
枕頭幾度
加藤大将閣下
帝国経綸誰与語
々 可有 之 ニ付 十 分 静 養 相 成 候 様 熱 望 之 至 ニ御 坐 候 。 拙 詩 を 賦 候 間
互競 兵 量 窺 極 東
御 笑 読 被 下度 候 。 時事有感 巡洋戦闘又航空 夢英雄 何 れ其 内 拝 顔 万 々可 申 上 候 。 草 々頓 首
七月 四日 加藤大将閣 下 ︹ 註︺ 封筒表、東京 市四谷区 三光 町、 加藤 寛治殿、急親 展、スタ ンプ 5︱7︱ 5。封筒裏、神奈川県三浦郡葉山村、子爵金子堅太郎。
24 金 子 堅 太 郎 書 翰
︹昭 和 5年 8 月 1 日︺
ニ就 き て ハ今 後 閣 下 の御 高 配 こ そ 重 要 な る 関 係 を 有 す る こ と 可相 成 、 何 卒 断 乎 た る 御 処 信 の御 貫 徹 、 只 管 国 家 の為 め 祈 上 候 。忠 誠
て 統帥 大権 の確 立を 期 せ ら れ んと す る閣 下 の至 誠 純 忠 も 水 泡 に帰
せ んと す る や の虞 あ り 。加 之 政府 の宣 伝 に 巧な る 、新 紙 ハ 一様 に
閣 下 の 人格 に於 ても 言 ふ に 忍 ひ さ る も のあ りと 言 明 せり と 。 斯 の ︹ 賭︺ 如 き悪 意 に出 つる所 為 を 此 の儘 黙 止 せ ら れ 候 て ハ折 角 一身 を 堵 し
へ共 、 心 あ る 国 民 ハ閣 下 を 支 持 仕 り 居 り 候 次 第 ニ御 座 候 。
の士 、 先 覚 者 ハ いづ れ の世 ニも 俗 論 の排 撃 を 受 く る も の に 御 坐 候
閣 下 の 黙 諾を 伝 へ つ ゝあり 。 惟 ふ に 是 れ 閣 下を 無 告 の地 位 に置 て
毒 殺を 企 図 す る も の に あ ら す し て何 そ や 。 今更 申 迄 も な く 統 帥 権
信
弘
あ ら ん か 、 政府 の買 収 宣伝 ハ天 下を 風靡 し 、 正義 遂 に伸 ふ る の機 ︹ 賭︺ な か ら ん と す 。 閣 下 か 予而 の御 覚 悟 に よ り 一身 を 堵 せ ら る ゝは 恐
て 閣 下 の 一言 を 待 て り 。 此 の 際 万 一黙 し て成 行 に委 せ ら る ゝこと
敬具
社 長 池 田
駿
問 題 は 当 時 軍令 部 長 た り し も の ゝ諾 否 如 何 に係 れり 。 天 下 は挙 り
香渡
に出席を強要す。
む 。 説 明 曖 昧 な る に 於 て ハ飽迄 突 込 む 。 ︹ 壅︺ 一、 結 局 海 相 か 軍令 部 長 の 真 意を 雍 塞す る を 理由 と し て枢 府 会 議
一、新 紙 か 軍令 部 長 の 黙諾 を 伝 ふ る を根 拠 と し て 海相 の 説 明を 求
ら く 今 の時 な ら んと 愚 考仕 り 、左 に卑 見 の 一端 を 申 陳 候 。
片岡
回 天 時報 社
右 御 願 ま で如 斯 御 座 候 。
八 月 卅 一日
加藤寛治閣下侍史
︹ 註︺ 封筒表、四谷区 三光 町 一二八、加藤寛 治閣下侍史、 スタンプ 5
追 伸 九 月 一日号 の回 天 時 報 御 一読 賜 り 度 願 上 候 。 ︱8︱ 31。封筒裏、東京市赤坂区青山南町六丁目拾七番地、回天時報 社、池田弘、香渡信、片岡駿、八月卅 一日。
を要求す。
一、 出 席 を 承 諾 せ さ る に 於 て ハ、 曩 に 大 臣 宛 送 付 せ る書 類 の 取次
拝啓
併 な か ら 従 来 の経緯 に 鑑 み 愚 見 万 に 一も 間 違 な し と確 信 致 候 儘 、
毎 度 な か ら 小 生 の申 上 る処 ハ頗 る直 截簡 明 に て尊 厳を 冒 す処 不尠 、
一、 現 職 を 辞 し て所 信 を 天 下 に 公表 す る こ と 。
2 6 末 次 信 正 書 翰
求 に拘 ら す 政 府 は 閣 下 の出 席 を 拒 絶 し た る 趣 、 是 丈 け な ら は 笑 つ
極 て 露 骨 に 信 す る 所 を 披 瀝致 候次 第 に御 坐 候。 希 く ハ 一時 の逡 巡
天 子 を 欺き た り と の結 果 と な る 。 直 に 海 相 の 所 断を 迫 る。
一、 以 上 両者 共 に 承 諾 を得 さ る に 於 て ハ、 斯 の如 く ん ハ加 藤 ハ聖
て我 慢 も 致 す へき の処 、 最 信 す へき 筋 の情 報 に 依 れ ハ、 海 相 ハ閣
︹ 昭和 5年 9月 7日︺
下当 時 の所 信 言 動 を 自 己 の所 信 と ハ自 ら 別 箇 に 披 露 す へき 地 位 に
に よ り 悔 を 千 歳 に 貽 す な か ら ん こ と を 。 冒涜 の 罪重 々茲 ニ御 詫 申
郷 里 に て法 要 を 済 し 昨 夜 帰 京 仕 候 。 新 紙 に 依 れ ハ枢 府 の要
在 る に拘 ら す 、 暗 黙 の承 認 を 得 た り と の首 相 の答 弁 に 輪 を か け 、
上 候 。草 々拝 具 九 月七 日
加 藤 大 将 閣 下侍 史
末 次信正
︹ 註︺ 封筒表、 四谷 区三光町、加藤寛治 閣下、至急必親展。封筒 裏、 上荻窪 八九 五、末次信正。
27 鹿 子 木 員 信 書 翰
︹ 昭和5年 9月8日︺
加藤 寛 治 大 将 閣 下侍 史
二 伸 閣 下 軍令 部 長 当 時 、 電 報 に て差 上 げ ま し た 和 歌 は 、 今 尚 ほ 私 の閣 下 に対 す る祈 願 です 。
狼と 獅 子 の お ど し に おぢ も せ で国 護 る君 を 神 や守 ら む
28 末 次 信 正 書 翰
︹ 昭和5年 9月17日︺
拝 啓 取 急き 一筆 申 進 候。 信 す へき 情 報 に よれ ハ、 富 井 顧 問 官 の
反 対 に よ り審 議 不能 の決 議 は 一票 の差 に より 不 成 立 の形 勢 と な り 、
や 将 に 一死 君 国 に殉 ず べき 時 に当 面 し つ ゝあ る の です 。 私 は 、 諸
で す 。枢 密 顧 問官 諸 公 、 並 に凡 て の責 任 の地 位 に あ る人 々は 、 今
子を 擁 し奉 り、 そ の売 国的 亡 国 的 非 違 を 強 行 せ ん と し つ ゝあ る の
国奴 と売 国時 流 新 聞を 擁 し、 右 に西 園 寺 、 牧 野 等 を 通 ふ し て聖 天
る やう に観 測 さ れ ます 。 浜 口等 の徒 輩 は、 左 に、 二百 七 十 余 の売
そ の後 、 時 局 は益 々険 悪 な 容 易 な ら ぬ 破 目 に向 つ て進 展 し つ ゝあ
が た く御 礼 申 上 げ ま す 。
と せ ハ、 余 剰 財 源 な き 限 り 国 防施 設 の閑却 を承 認す る こと と 相 成
せ ら る へき も のに あ ら す 。 万 一左 様 の理由 に し て 是認 せ ら る べ し
申 迄 も な く 国 防 所 要 経 費 ハ保留 財 源 ( 況 し て紙 上) に より て左 右
官 を 召 集 し て 軍 部 の 決 心を 強 硬 に主 張 せ ら る ゝ必 要あ り と 存 候 。
も のと 被 存 候 に 付 、 此 際毫 も 仮借 す る処 な く、 要 す れ ハ再 度 参 議
当 時 決 議 の精 神 に 反 す る の み な らす 、将 来 の国 防 を 危 殆 に陥 る ゝ
参 議 会 の意 嚮 を 軽視 し 財 政事 情 に の み傾 聴 す る嫌 あ り 。 斯 く て ハ
案 に よ り て決 然 抗争 の外 な き 次 第 に 候。 海 軍省 及 軍令 部 当 事 者 ハ
委 員 の 努 力 も 水 泡 に帰 し遺 憾 無 限 に 候 へ共 詮方 無 之 、 此 上 ハ補 充
結 局 可 否 の審 議 に進 む の外 無 之 事 情 の 下 に有 之 由 に候 。 忠 誠 な る
公 が 、今 や 将 に 、 此 の 一事 を 肝 に銘 記 せら れ ん こと を 祈 念 し て 已
り 、 亡 国 の端 を 開 く も のと 可 申 、 軍 国 の 大事 今 日 に在 り と 愚 考 す
謹 呈 過 日 は御 妨 げ致 しま し た の に、 縷 々御 高 教 を 賜 は り 、 あ り
まざ る も の であ り ます 。
る 次 第 に 候 。 況 ん や 統 帥権 問 題曖 昧 裡 に葬 ら れ ん とす る 現状 に於
に 欠 か さ る 最 後 の御 努 力 千 祈 万祷 之 外 な く 候。
て ハ、 条 約 破 棄 に邁 進 す る 以 外方 法 無之 候 。何 卒 千仭 の功 を 一簣
先 達 而御 貸 与 を 頂き ま し た新 聞 紙 切 抜 、 乍 失 礼 、 郵 便 を 以 て、 御
鹿子木員信
送 り 申 上 げ ます 。 昭 和 五年 九 月 八 日
不取 敢 要 点 の み。 余 ハ拝 眉 の節 に 譲 候 。 草 々拝 具 九 月 十 七 日夜
加 藤 閣 下侍 史
末次
︹ 註︺ 封筒表、 四谷 三光 町、加藤寛治閣 下、親展。封筒裏、上荻窪 八 九 五、末次信正。
29 関 根 郡 平 書 翰
30 山 本 悌 二 郎 書 翰
︹ 昭和 5年 9月23日︺
拝 啓 政党 が動 い て は却 て御 邪魔 にな る べ しと 考 へ我 慢 し て沈 黙
ハヤ是 が 最後 な り 。 軍部 にし て若 し 竟 に 政 府 の圧 迫 、 新 聞 の宣 伝
を 守 り 居り 候 処 、問 題 は愈 々枢 府 よ り 逆 戻 し て軍 部 へ移 れ り 。 モ
に降 服 し て腰 を 折 るが 如 き あ ら ば 万 事 休 矣 な り 。 鉄 火 の間 に 身 を
捐 る は容 易 な る べき も 、 平 時 に在 り て沈 思 熟 慮 の結 果 深 き 決 心 を
廿 二 日夜
悌
以 て身 を 君 国 に捧 ぐ る は大 丈 夫 に あ ら ざ れ は 能 く す る 所 に あ ら ず 。
加藤賢台
此 の国 難 に際 し て小 生 は深 く 尊 兄 に期 待 す 。 妄 言 多 罪
謹啓 ︹ 健︺ 先 日は 図 ら ず も 御 英 姿 に 接 し 建 斗 的 精 神 を 振 作致 し申 候 。
︹ 昭和 5年9月 22日︺
却 説 其 節 御 下 命 の論 策 起 案 致 候 へ共 、 果 し て 閣 下 の御 希 望 に添 ふ
江 南 一角 陸 沈 時 趙 宋 朝 廷 無 策 施 安 逸 夙 忘 三 戦 備 山 河 空 曝 万
や否 や 、 兎 も 角 も 三 通 御 覧 に 入 れ申 候 。 本 多 氏 最 近 著 作 を 発 表 せ ら れ た る由 憲 兵 の報 告 に 見 え候 。 是非 御
悌
長 袖 談 兵 事 更 危 武 穆 廟 前 遺 恨 涙 興 亡
夫 屍 牝 鶏 報 暁 人 同 笑 定後復何為
参 考 に 相 成 る べき も のと 存 候 。 敬具 関根 生
九 月 二 十 二 日
時事有感録読宋史旧作拝呈。
先 は 不 取 敢 要事 のみ 。
加 藤 将 軍 咲 正
︹ 註︺ 封筒表、 四谷区 三光町十七、加藤寛 治様、 親展、 スタ ンプ 5︱ 9︱2 3。封筒裏、上目黒五本木、山本悌二郎。
加藤大将閣下 ︹ 註︺ 封筒表、四谷区三光町 十七、加藤軍事参議官 殿、海軍省副官、 親展、﹁関根参謀寄書﹂と書入れあり。
31 末 次 信 正 書 翰
︹ 昭和 5年 9月27日︺
32 山 本 悌 二 郎 書 翰
聞 く 所 に 依 れ ば 海 軍 が 強 く 原案 を 固 執 す れ ば 政 変を 来 す 恐あ り 、
︹ 昭和 5年 11月 8日︺
後 継 内 閣 が 果 し て 海 軍 に 有 利 な る や 測 り 難き が 故 、多 少 の 細 工を
︹ 前欠︺
詢 奏 請 と 同 時 に既 に済 居 るも のと の前 提 に基 き 居 候 処 、 其 後 の研
し て も と 云 ふ 意 見 が 軍 部 側 に 可 な り 流 行 の由 。 果 し て事 実 な らば
拝 啓 昨 夜 ハ失 礼 仕 候 。 其 節 申 上 候 卑 見 ハ、 政 府 の批 准 奏 請 ハ諮
ハ大 臣 の署 印 を 要 す るも のと 確 聞 致 候 。 果 し て然 ら ハ補 充 計 画 の
究 に依 れ ハ枢 府 通 過 を 待 て更 め て批 准 を 奏 請 す る も のに て 、 之 ニ
観 念 の下 に 主 張 す る 限 り俯 仰 天 地 に 恥 つる 所 あ る べき 筈無 く 、 一
下 に 陸 軍 案 が 首 尾 善 く 通 過 せ し 前 例 も あ り 、 軍 部 が 鞏 固 な る責 任
其 の信 念 の薄 弱 な る 実 以 て 慨 嘆 の外 無 く 、 海 軍 の 将 来 も 思 ひ 遺 ら
と被存候。
二 内 閣 の起 伏 の如 き 固 よ り 意 に 介 す る に 足 らざ る な り 。 必 ず 主張
れ 申 候 。 嘗 て 陸 軍 の問 題 に て 西 園 寺 内 閣 が 倒 壊 し て 次 の桂 内 閣 の
万 一軍令 部 長 にし て此 点 を 観 過 せ ら る ゝ様 の こと あ り て ハ、 奉 答
貫 徹 の期 あ る は 信 じ て 疑 は ず 。 併 し 此 の信 念 か 無 い位 な ら ば 始 よ
に て、 之 と 同 時 ニ部 長 の猶 予 上 奏 あ ら ハ軍 部 と し て遺 漏 な き も の
文 及 上 奏 を 経 た る内 令 の明 文 に 照 ら し 、 再 ひ 統 帥 権 干 犯 問 題 を 惹
確 立 を 見 さ る限 り 大 臣 を し て署 名 せ し め さ る こと か 第 一着 の急 務
起 す るも のと 被 存 候 ニ付 、 取 急 卑 見 追 加 致 す 次 第 に 候 。 右 要 件 の
十 一月 八 日
ら さ る 所 に 御 坐 候 。 妄 言多 罪
方 か 宜 し か る べく 、 暗 黒 不 公 明 の小 刀 細 工 は 軍 部 の 威 信 の 為 め執
り 折 れ る 所 に て 奇 麗 に 折 れ て 、 第 二 次 の第 三 次 の と 未 練 を 残 さ ぬ
九月廿七 日 末次
み。 乱 筆 御 用 捨 願 上 候 。 草 々敬 具
加 藤 大 将 閣 下侍 史
ヘタ な 陰 謀 が ま し き 事 を せ ず と も 、 政 友 内 閣 の下 に は 財 政計 画 の
山本
建 直 し と 同 時 に 海 軍 補 充 計 画 も 軍 部 側 の満 足 出 来 る 程 度 に 実 行 す
加藤閣下
也、谷 口カキ センタレハ財部 ハ 一指 モソメラレス、谷 口ノ立場 ハ飽ク 迄兵力 量覚書デ行 フ ヘシト元帥 ノ御 一言 ヲ乞 フ﹂。封筒裏、 上荻窪、
︹ 註︺封 筒表、四谷区三光町、加藤寛治 閣下、親展急 、 ︹ 鉛筆書込み︺ ﹁元帥 ニ、兵力量 ノ決定 ハ軍令部長ト大臣ト意見 一致シ アルヘキ モノ
末次信正。
︹ 註︺封筒 表、四谷区 三光町十七、加藤寛治 様、親展、速達、 スタン
る確信あることだけは御承知置可被下候。
プ5︱ 11︱ 8。封筒裏 、十 一月八日、東京市外上 目黒 五本木、山本悌 二郎、電話青山 五、六五八番。
33 山 本 悌 二 郎 書 翰
︹ 昭和 5年 11月9日︺
と 答 弁 す るな ら ん 。 反 対 党 は ソ ンナ 雲 を 攫 む 様 な 馬 鹿 気 た 予 算 に
賛 成 す る能 はず と 意 気 り 立 つ ても 、 結 局 提 出 さ れ た る 第 一次 計 画
ガ大 切 の点 な り ) 第 二次 計 画 な るも の は政 府 は 之 を 実 行 す る意 志
案 だ け は 通 過 す る こと 固 よ り 疑 無 き 所 に御 坐 候 。 然 れ ど も (コヽ
あ り と 声 明 した る の み に て其 の財 源 を 示 さ ず 、 議 会 は 財 源 無 き 意
志 表 示 だ け を 聞 以 て之 を 聞 流 し にし た る の み に て、 双 方 と も 拘 束
な け れば 全 然 未 知 数 に属 す るも のと 相 成 可 申 候 。 ソ レに ても 海 軍
は実 行 出 来 るも の か出 来 な いも のか 、 昭 和 九 年 の其 時 に ナ ツ テ見
側 が宜 しと 云 ふな らば 吾 亦 何 を か云 む や。
も 受 け ず 責 任 も 無 き 事 と な り 終 り 可 申 、 随 て第 二次 計 画 な るも の
ず 、 一言 御 許 し 可 被 下 候 。
拝 啓 直 今 又 々情 報 に接 し 候処 、 帝 国海 軍 ニ取り 誠 に危 機 一髪 の
政 府 は 第 二 次 計 画 に 関 し て 今直 ち に之 を 公表 す る こと を 肯 ん ぜざ
る も のな らば 、 此 際 之 を 認 め し め て予 算 上 の継 続 事 業 と し て確 定
兎 も 角 第 一次 、 第 二次 を 包 括 し て始 め て補 充 計 画 の全 部 を 構 成 す
場 合 の様存 じ 候 。 国 防擁 護 者 の熱 心 な る 一人 と し て黙 視 す る能 は
る も 、 議 会 に て は 之 を声 明 す べし と ま で 譲歩 せ りと の事 。 海 軍側
し置 かざ れ は、 海 軍 に取 り て は臍 を噬 む の悔 を 遺 し 可申 候 。 ソ ウ
に 於 て 是 に 満 足 し て 妥協 す る が如 き こ と あ らば 取返 し の付 か ぬ大 失 敗 を 招 き 可 申 候 。 政 治 眼 と 財 政 眼を 以 て視 れ ば 、 政府 の 言 分 は
の怨 府 と な る べ しな ぞ の オド シ文 句 も 御 耳 に 入り 可 申 候 へど も 、
強 く 出 れば 政変 を 来 す の恐 あ り なぞ の説 も あ る べく 、 海 軍 か国 民
国防 安 危 の前 に は政 変 何 かあ ら ん や。 国民 は 又た 外 に減 税 の途 あ
見 へ透 き た る ト リ ツク に 外 な ら ず 、 実 以 て 言 語 同断 と 申 す の外 無
る に拘 らず 、 ソレ は差 置 以 て海 軍を 犠 牲 に し て負 担 軽 減 を しよ ふ
く 候 。 海 軍 が 是 に 瞞 着 さ る ゝか 如 き こ と あり と せば 帝 国 々防 の為 め 容 易 な ら ざ る 結 果 を 生 す べく 候 。
と す る 政府 に同 情 し て海 軍を 怨 む る ほど に無 理解 で は無 之 候 。
今 回 の所 謂 る 第 一次 計 画 が 議 会 に 提 出 さ れ た る 時 、議 会 は先 づ、
政 局 が 一転 す れば 今 回 の補 充 計 画も 完 全 に成 立 実 行 の見 込 あ るも
のを 、何 を 苦 む で色 々 の小 刀細 工を し て不 完 全 と 不 安 全 を 忍 ん で
コ レは 倫 敦 条 約 ニ依 り 生 じ た る 欠 〓 補 充 の 全 部 なり や 、 モ ウ是
此 の 政局 の 下 に 一時 を 糊 塗 せ んと す る や。 海 軍当 局 の真 意 全 く 諒
れ だ け に て アト の要 求 を 出 す こ と無 き や如 何 、 と の質 問 あ る べし 。 政 府 是 に 対 し 始 め て 第 二次 計 画 のあ る こ とを
十 一月九 日夜
解 いた し兼 ね候 。 不悉
山本
声 明 す べし 。 ソ コで 政 府 に 対 し て 議会 は 、 ソ レな ら ば 第 二 次 計 画 の財 源 は 用意 あ り や 、 と 質 問 す べし 。 政 府 は 固 よ り 財 源 の用 意 無き が 故 、 財 源 は 其 時 に至 り 之 を 調 達 す べく 最 善 の努 力 を 尽 す べし 、
加藤 閣下 議会 前 今 日 ノ 発表 の如 き は尚 更 以 て ナ ン の拘 束 力 も 無 之 候 。 ︹ 註︺ 封筒表 、四谷三光町、加藤寛治 様。封筒裏、上目 黒五本木、山 本悌 二郎。
益 々多 事 多 難 、 厳 寒 氷 の如 き凜冽 さ を 必 要 と 致 し 候 折柄 、 閣 下益
﹂ と頬を赤く し
々御 壮 健 に て国 民 の前 に 時 折 り 勇 姿 を 御 現 し 被 下 一同意 を 強 ふ し 、
昨 朝 東 京 駅 頭 に て群 る 国 民 が 、 ﹁加 藤 大 将だ 〓
て 叫 ぶ 期 待 の声 を 各 所 に 聞 き 非 常 な る喜 び に 打 た れ 候 。 国 民 の 間
に も 時 難 に し て 真 の武 将 を 衷 心 よ り 敬 慕 す る 念 の 熾 烈と な り しを
︹マ マ ︺
ロ ンド ン条 約 当 時 と 比 較 し て 為 邦家 意 を 強 ふ 致 し 居 り 候 。
謹 啓 陳 は 閣 下益 御 健 勝 に被 為 在 候 御 事 と 奉 賀 候 。 過 般 病 気 帰 国
を堅く致し居り候。
に 進 み つ ゝあ る を 看 取 す る を 得 、文 武 国 日 本 のた め に 一層 の決 心
34 宮 田 茂書 翰
︹マ マ ︺
小 生 の如 き 曾 て 官 録 を 得ざ る も のな れ ど微 力 を 国事 に致 す 者 は 民
之 節 は多 大 の御 同 情 に預 り 難 有 御 礼 申 上 候 。 其 后 着 々病 ひ も 快 方
東 郷 元 帥 次 第 に 老 いら れ 候 折 柄 閣 下 は 帝 国 海 軍 の 至宝 であ ると 共
衆 の声 に 風 雲 の動 き を 際 す る事 緊 切 、 時 運 次 第 に 大 義名 分 の確 立
に趣 き 目 下 の処 は 何 か と 就 業 も 出 来 得 る様 相 成 誠 に 嬉 敷 考 へ居 候 。
に 国 民 期 待 の標 的 に 御 座 候 。 健 康 に 一段 の御 留意 を 願度 、 国民 の
︹ 昭和 5年 11月 9日︺
佐 世 保 方 面 に て 一活 動 致 す 考 に て参 居 り 、 何 れ 就 業 上 は 詳 細 御 報
一員 と し て 切 望 仕 り 候 。
却 説 先 般 は 御多 忙 中 無 礼 に も御 揮毫 を 依 頼 し 早速 御 容許 を 賜り 難
有 拝 受 仕 り 候 。 早 速御 礼 に参 上 可 仕 予 定 の 処 、 二 三 時局 に 於 て裏
宮田 茂
申 上 べく も 、 先 は 不 取 敢 御 礼 旁 御 詫 申 上 度 如 斯 御 座 候 。 恐 惶 頓 首
十 一月 九 日
日 東 京 駅 頭 に末 次 将 軍 を 迎 へ、 同所 に て 閣 下 の温 顔 を見 て喜 び 候 。
面 に 活 動 す る事 有 之 候 た め参 上 す る を 遠慮 致 し 居 り 候。 さ れど 昨
︹ 註︺ 封筒表、東京市 四谷 区三光町 一七、加藤 寛治閣下、 スタンプ 5
加藤大将閣 下
御 揮 毫 は 一枚 と し て無 駄 に せず 、拙 宅 故 郷 の 父 母宅 及鎮 守 の社 、
と 陸 海 軍と の信 頼 を講 演 し 、併 て同 郷 の後 輩 と し て 大先 輩 た る 閣
し 、 小生 帰 郷 し 将 軍 よ り 御 願 せ し次 第 を話 し 、時 局 に於 け る 日本
謝 意 を有 す る点 を 御 認 め 被 下度 候 。神 社 と 講 堂と の揚 額 式 を 挙 行
等 の御礼 も 出来 ざ るを 悲 し み 候 へ共 、精 神 的 に は 万金 にも 価 す る
す る 予定 に 候 。疲 弊 の極 度 にあ る寒 村 民家 の事 に て 閣 下 に対 し何
勇 士 の宅等 の宝 物 と し て 永久 に 保存 可仕 、 近 日中 に 小妻 持 参 帰 郷
︱ 11︱ 9。封筒裏、佐世保市三浦町四七、三好方、宮田茂、十 一月九 日。
35 薩 摩 雄 次 書 簡
︹ 昭和 7年 3月 25日︺ 謹 啓 時 下 春 暖 相 催 し 候 得 共 、 邦 家 の前 途 、 内 外 共 に 混沌 を 迷 ひ
下 の重 大 な る存 在 性 を 話 し た く 存 じ 居 り 候 。 此 に 謹 而 御 礼 申 上 併
拝啓 今般議会に於て統帥権問題起 り内 閣も種 々考 究し法制 局 ニ
少し異りたるのみ ニ候。就而 ハ此際十分確定 致度候間大角 海相と
而其解釈を新聞 ニ出し候。然るに其旨 趣之矢 張浜口内 閣之答弁と
追 而 昨 日、 粗 品 果 物 御 届 け 申 上 候 処 御 受 納 賜 り 難 有 存 じ 候 。
て閣 下 の益 々御 勇 健 を 祈 上 候 。
有 之 候 ヘ ハ、 此 際 も 甚 懸 念 致 候 間 、 十 分 陸 相 之 意 見 を 確 め 被 下度
のに し て 陸 軍 に は 関 係 無 之 と 冷 淡 に 答 弁 し て 統 治権 を 顧 み さ る事
︹マ マ︺
当時陸軍大臣之意見は倫敦会議 ニ於ける兵力量は海軍 ニ関するも
御協議之上荒木陸相とも談合被成下度候。併し陸軍は浜口内 閣之
雄次
頓首 弥生念 五日 辱愛生
存候。今日又々不得要領之答弁を是認すれは先年御尽力被下候儀
38 金 子堅 太 郎 書 翰
堅太郎
安 神 仕 候 。 是 ニ而 浜 口内 閣 之 不 法 之 弁 解 及 ひ 之 を 説 き 勧 め た る 曲
拝 啓 陳 は 統 帥 権 ニ関 す る重 要 極 秘 之 決 定 御 送 附 被 下 一覧 、 大 ニ
︹ 昭和 8年 2月19日︺
︹ 註︺ 封筒表、東京市 海軍省、海軍大将 加藤 寛治殿、急、極 密親 展、 スタンプ8︱ 1︱ 27。封筒裏、神奈川県三浦郡葉山村、子爵金子堅太 郎。
加藤大将殿侍曹
癸 酉 一月 廿 七 日
愚 見 申 上 候 。匆 々頓 首
尽 力 奉 願 候 。 何 れ 近 々出 京 御 相 談 可 仕 候 得 共 、 急迫 之 事 故 以 書 中
下 も 親 し く 小 生 を 被 為 召 御 下 問 被 成 候 事 故 、 天 皇 大 権 擁 護 之 為御
も 水 泡 ニ属 し 候 間 、 御 注 意迄 申 上 候 。 已 ニ此 儀 ニ付 而 ハ伏 見 宮 殿
書
︹ 註︺封筒なし。
願
︹ 昭和7年5月20日︺
加 藤 寛 治 将 軍閣 下
36 奉
奉 願書 現 下重 大 時 局 ニ際 シ閣 下 ノ如 キ高 潔 ノ士 ニ非 レ バ祖 国 日本 ヲ救
( 特 ニ名 ヲ秘 ス)
元 閣 下 ノ 訓陶 ヲ受 ケ タ ル 一兵 曹
︹マ マ︺
ヒ能 ハズ ト存 シ候 何 卒 御 奮 闘 ア ラ ン コト偏 ニ願 上 候 昭 和 七年 五 月 二 十 日
海 軍 大 臣 加 藤寛 治 閣 下
37 金 子 堅 太 郎 書 翰
︹ 昭和8年 1月27日︺
学者 の 邪 説も 消 滅 致 し、 皇 軍之 基 礎 も 確 立 し 御 同 慶 之 至 ニ不 堪 候 。
堅太郎
昭和 八年 一月 二十 三 日
御返却奉願
御 来 示 之 如 く 原 案 は 御 返 却 致 候 間 御 査 収 被 下 度 候 。 草 々頓 首
癸酉 二 月十 九 日
兵 力 量 ノ決 定 ニ就 テ ︹ 写︺
︹ 別紙︺
加 藤 海 軍大 将 殿 玉 几 下
極 秘
陸 軍大 臣印 海 軍大 臣印
参 謀 総 長 印 海軍 々令 部 長 印
兵 力 量 ノ決 定 ニ就 テ
︹ 昭 和 9 年 6月 24 日 ︺
必 親 展 、 ス タ ンプ 8︱ 2︱ 19。 封 筒 裏 、 神 奈 川県 三浦 郡 葉 山 村 、 子 爵
39 南 郷 次 郎 書 翰
金 子 堅太 郎。
極秘
拝 啓 一昨 日 ハ御 邪 魔 仕 候 。 本 日 得 た る 其後 の情 報 左 の如 く 候 間
六 月 廿 四 日 早朝 概 ネ 信 ズ ヘキ 筋 ノ情 報
御参考迄御報申上候。
事 件 更 ラ ニ拡 大 ノ情 勢 ニ アリ 、 為 メ ニ中 間報 告 或 ハ遅 延 セ ン?
蓋 シ 其 後 訊 問 ノ結 果 大 震 災 後当 時 ノ台 銀 、鈴 木 ノ震 災 手 形 問 題 ニ
部 長 之 ヲ立 案 シ 、其 決 定 ハ此帷幄 機 関 ヲ 通 シ テ行 ハル ル モ ノ ナ
絶対 必 要 ノ 要素 ナ ル ヲ以 テ 、統 帥 ノ幕 僚 長 タ ル参 謀 総 長 、 軍 令
兵 力量 ノ決 定 ハ天皇 ノ大 権 ニ属 ス。 而 シ テ兵 力 量 ハ国 防 用 兵 上
心 人 物 ハ郷 男 爵 ニシ テ郷 ハ勿 論 貴 族 院 研 究会 中 ノ幹 部 級本 問 題 ニ
又製 鉄 所 問 題 ハ尤 モ重 大 ナ ル影 響 ヲ我 ガ 上 流 社 会 ニ及 ボ シ 、 其 中
本 悌 次 郎 氏 ハ本 問 題 ニ大 ナ ル関 係 者 也 。
話 シ合 ヒ入 札 問 題 ニ及 ブ ベ ク、 後 者 ノ金 額 ハ莫 大 也 。 政 友 会 ノ山
及 ビ 、 又 小 磯 中 将 ト 満 鉄 副 総 裁 八 田 氏 ト ノ間 ニ行 ハレ タ ル 満 鉄 ノ
リ。
又黒 田 ヨ リ明 糖 問 題 ニ関 シ 徐 々 ニ自 白 シ ツ 、ア ル現 状 也 。 政 府 ハ
触 レザ ル モ ノ ハ小 笠 原 長 幹 伯 、 前 田 利 定 子 ノミ ナ リ ト 。
兵 力 量 ノ 決定 ニ就 キ テ次 ノ如 ク見 解 ノ 一致 ヲ見 タ リ。
然 レ ト モ 此事 タ ル ヤ 固 ヨ リ 政治 特 ニ外 交 、 財 政 ト モ密 接 ナ ル連
︹ 二︺
繋 ヲ保 タ シ ム ヘキ モノ ナ ル カ故 ニ其大 権 発 動 ノ 最後 的 決 定 前 ノ
コト ヲ希 望 セ リ ( 小 山 ヲ経 テ) ト ノ コト 。
当 然 収 容 セ ラ ル ベキ 中 島 前 商 相 ヨリ 政 党 関 係 者 ヲ先 キ ニ収 容 セ ン
林 検 事 総 長 、 和 仁 検 事 長 ハ強 硬 論 者 ナ ル モ ( 徹 底 的 ニ処 断 ノ意 味
ニシ テ 、 両者 間 ニ扞格 ヲ見 ル ヘキ モ ノ ニア ラ ス。 之 レ統 帥 及 内
也)、 検 事 正 、 控 訴 院 長 等 ハ軟 論 派 ナ リ ト ノ コト 。
手 続 ニ於 テ ハ政府 ト 十分 ノ協 調 ヲ保 持 シ慎 重 審 議 ス ヘキ ハ勿 論
閣 ノ 円 滑 ナ ル輔 翼 輔 弼 ノ責 任 ナ リ。 而 シ テ現 ニ斯 ク ノ如 ク実 行
要 之 昭 和 ノ最 大 疑 獄 問 題 ト シ テ発 展 性 充 分 ニシ テ、 之 レ ニ対 スル
セ ラ レ ア ル モ ノ ト ス。 ︹ 註︺封筒表、東京市四谷区三光町一七、海軍大将加藤寛治殿、書留 、
南 郷次 郎
今 後 民 意 ノ動 揺 、社 会 ノ秩 序 維 持 等 ニ関 シ為 政 者 ト シ テ ハ至 大 ノ 関 心事 ト 被存 候 。
六月二十四日夜
右不取敢御報申上候。拝具
加藤寛治閣下 ︹ 註︺封筒 表、四谷区三光 町 一七、加藤寛治様、親 展、スタ ンプ 9︱ 6︱25。封筒裏、東京市世田谷 区玉川上野毛 町五八、南郷次郎、電話 玉川六三。なお次 の書翰 が封筒中 にあ るが同 日のも のかどうか判然と しな い。 ︹ 惨︺ 陰 滲 ナ ル内 閣 ノ永続 ハ誠 ニ困却 仕 候 。此 場 合 軍部 ニ於 テ解 決 ヲ与 フ ル ヨリ 外 ニ手 段 無 之 候 。彼 等 ハ犯 罪事 実 ア ル ヲ 以 テ後 継 者 ニ之
︹ 別紙︺ 陸軍 ノ所報
三土忠造
鈴木喜三郎
岡崎邦輔
宮脇長吉
金光庸夫
松野鶴平
前田米蔵
山 口義 一
永井柳太郎
中島弥団治
堤康 次郎
一宮 房次郎
桜内幸雄
川崎卓吉
民政
鳩山 一郎
名川侃市
政友会
島 田俊雄
︹ 昭和 9年 7月 7日︺
外十名
拝 復 駆 逐 艦 衝 突 事 件 誠 ニ申 訳 無 之 、 重 而 か ゝる 不幸 を 見 さ る様
外十八
浜 田国松 岡 田忠彦
神 か け 念 願 罷 在 候 。 但 艦 隊 之 士 気 ハ聊 も 沮喪 す る こと なく 実 戦 に
40 末 次 信 正 書 翰
ル者 ア ル ヲ以 テ、 此 場 合 ハ他 人 ノ 内 閣 ニ譲 リ 以 テ充 分 ニ検 挙 セ シ
再 降 下 ヲ計 画 致 ス次 第 ナ ル ヲ以 テ 、 現内 閣内 部 ニ疑 問 視 セ ラ レ タ
必 要 な る訓 練 ハ飽迄 励 行 之 意 気 に 燃 居 候 間御 安 心被 下度 候 。
レ ヲ洗 ハ ル ルト キ ハ自 己 ノ危 険 ヲ感 スル ヲ以 テ 、 居据 リ ト カ又 ハ
メ、 以 テ身 ノ明 リ ヲ立 テ ル ニ如 カ スト 理由 ヲ以 テ、 軍 部 大 臣 カ総
︹マ マ︺
辞 職 説 ヲ強 調 セ ハ再 降 下抔 アリ得 ヘカ ラ ス候。
来 候 ヤ 不 明 ニ付 単 独 辞 職 ハ御 見合 被 下候 様 願度 ト存 候 。
予 而 よ り 軍 縮 問 題 に 関 し 部 下指 導 を特 に 重視 す る小 官 ハ、 熟 慮 之
候。
か け 候 趣 誠 ニ恐 縮 に 不 堪 次 第 に 候 処 、 当 時 之 実 情 ハ左 之 通 ニ有 之
而偖 所 轄 長 連 署 之 上 申 書 に 関 し 色 々憶 測 行 ハれ 殿 下 に も御 心 配相
政 民 両 党 代 議 士 ニシ テ収 賄 セ リ ト 噂 セ ラ レ 候 人物 ハ別 紙 ノ通 リ ニ
又 軍 部 大 臣 ノ先 ツ辞 職 ハ如 斯 無 恥 ノ内閣 ニテ ハ如 何 ナ ル事 ヲ仕 出
有之候。
上 寺 島 水 道 集 会 後 六 月 十 八 日聯 合 艦 隊 之 司令 官 を会 同 し、 部 下指
導 上 之 参 考 と し て過 日 の軍 事参 議 官 会 議 の大勢 か 五相 会 議 之 決議
通 り 略 落 着 せ る を 殿 下 は 申 上 る ニ及 ハす 大 臣 も 共 ニ確 乎 た る信 念
と ハ後 期 集 合 後 今 日迄 皆 無 に 有 之 候 。
尚 又基 本 長 会 報 云 々 ハ全 然 無 根 之 風 説 に て基 本 長 を 会 同 し た る こ
あ ら す、 司令 官 会 同と ハ直 接 関 係 無 き も のと 今 以 て確 信 罷 在 候 。
見 の 透徹 と いひ文 章 の精 練 と 云 ひ決 し て 一朝 一夕 ニ成 り し も の ニ
ハ多 人数 の連 署 ニ手 間 取 り し か為 に外 なら す と 被 存 候 。 小 官 ハ意
申 書 の成 案 あ り し も の の如 く 、 其 の提 出 の 司令 官 参 集 の後 なり し
他 言 す へき も のに あ ら す と 堅 く申 含 置 候 。当 時 既 に 所轄 長官 ニ上
要 の資 料 な り と 信 す る か 故﹂ に 司 令 官 限 お 咄 す る次 第 に て濫 り ニ
述 ヘ、 最 後 に 本 件 ハ要 す る に ﹁諸 官 か 部 下 指 導 之 肚 を決 め る に 必
を 堅 持 せ ら る ゝこと 、 尚 聯 合 艦 隊 長 官 た る 自 己 の私 見 の要 旨 を も
扨 病 気 療 養 中 ニは有 之 候得 共 憂 国 之 情 ニ不堪 拙 詩 口吟 致 候 間御 笑
は 御 序 之 節 軍 令 部 長 宮 殿 下 に も御 内 申奉 願 候 。
適 当 之 人 物 を 其 首 席 ニ御 選 定 被 下 候 様 熱 望 之 至 ニ不堪 候 。 此 愚 見
五六 両 年 之 軍 縮 ニて海 軍 之 現 況 を 熟 知 し 将 来 之 政 治 を 達 観 し た る
た る事 ニ御 坐 候 。 御 面 会 之 節 篤 く 御 礼 被 下 度 奉 願 候 。 就 而 は 三 十
あ らす 、 軍事 的 は勿 論 政 事 的 にも 十 分 研 究 有 之 人 意 を 強 か ら し め
同少 将 之 談 話 は数 年 外 国 ニ滞 留 せ し 外 交 官 よ り 聞 き 得 へき も の に
々有 益 な る談 話 を 聞 き 欧 洲 之 形 況 実 情 を 知 り 感 謝 之 至 ニ不 堪 候 。
拝 啓 先 日 は 早 速洪 少 将 ニ御 伝 へ被 下其 翌 日態 々葉 山 ニ御 来 訪 種
昭 和 十年 十 一年 軍 縮会 議 有 感
弱肉 常 争 如 餓 鷹 隣 邦 無 不有 誰 憎
自 求 軍拡 他 軍縮 横 暴 此 際 須 糾 懲
堅 太郎
読被下度候。
要 す る に潜 行 運 動 に因 る軍 紀 の紊 乱 を 未 然 ニ防 遏 せ ん と せ る婆 心 か 予 期 せ さ る事 態 を 惹 起 せ る も のに て 何 共 恐 縮 之 至 に御 座 候 。事 実 右 様 の次 第 、 偏 ニ御 諒 察 願 上 候 。
其二
北 米 声 明 驚 四囲 日英 反 対 是 耶 非
不 取 敢 要 件 のみ 。 暑気 日 々相 加 ハり 候 折柄 遥 ニ閣 下 の御 健 康 を祷
七 月 七 日夜
筒裏、神奈川県葉山町、伯爵金子堅太郎。
︹ 註︺封筒表、東京市海軍省、海軍大将加藤寛治殿閣下、必親展、﹁ 大 臣供覧、大角印﹂ ﹁アト、十九 日正午 迄浜中副官﹂と書 込みあり。封
加藤大将閣下
十月六日
乞斧正
り 候 。匆 々 敬 具
末次信正
使 臣 報 国 好 時 節 宇 内 平 和 一転 機
加 藤 大 将 閣 下侍 史 ︹ 註︺ 封筒表、東京 四谷区三光町 一七、加 藤寛治閣下、 至急 親展、 ス タンプ 9︱ 7︱7。封筒裏、軍艦金剛、末次信正。
41 金 子 堅 太 郎 書 翰
︹ 昭和9年10月6日︺
42 金 子 堅太 郎 書 翰
す る英 米 の外 交 官 等 は彼 の側 面攻 撃 を 以 て華 府 倫 敦 両会 議 に於 て
我 代表 を 圧迫 屈 服 せ し め た る慣 用手 段 を 再 現 せ し め んと の策 略 と
被 存 候 間 、 何 卒 此 際 は 熱誠 以 て帝 国 海 軍 の 為 に御 尽力 奉 願候 。 又
梅 崎 中 佐 の放 送 は タ イ プ、 ラ イ タ ー に て浄 写 し、 且 つ英 文 に反 訳
一読 せ は 始 め て 我 海 軍 之 方 針 を 諒 解 し 、 従 来彼 等 か種 々 之宣 伝 に
し て 松 平 、 山 本 両代 表 に 郵 送 し 、 又 之を 駐外 之 我 公大 使 にも 送 り 、
︹ 昭和 9年 11月 17日︺
て 誤 解 し た る事 を 発 見 す る な ら んと 確信 致 候。 今 日之 時 局憂 慮 に
拝 啓 先 日は 久 振 御 高 話 を 拝 聴 し 病 気 も 軽 快 を 感 し 候 段 奉 謝 候 。
し居 候 。 此時 に当 り 吉 田大 使 は 出 発 之 際 大 角 海 相 に対 し 今 回 は 単
堪 へす 、 聊 愚 見 を 略 記 し て 奉 供 御参 考 候 。 余 は 拝 眉之 節 ニ譲 り申
且 つ欧 米 之新 聞 に掲 載 せ し め ら れ度 存 候 。 此議 論 は実 に 天地 に恥
に露 独 に滞 留 し 他 国 には 赴 か さ る 旨 を 誓 約 し た る 言 葉 に 背 き 、 一
候 。 是 は 兎 も 角 華 、 倫 両条 約 之廃 棄 は 一日 も速 に 政府 之 意 見 を 決
ち さ る 公 議 正論 に し て 一点 之 批難 す へき 余 地な く 、之 を 欧 米 人 が
昨 日 は 巴 里 に赴 き 仏 外 相 と 面 談 し 、 又 今 朝 之 新 聞 に依 れ は 英 京 に
定 し 枢 府 に 御 諮詢 相 成 、 其 議 決 を 以 て 英 米 政府 に 通報 し て軟 弱外
軍之 意 見 に反 対 す る こと 能 は す 、 専 ら 側 面 よ り 種 々な る 姦 策 を 施
赴 き 松 平 大 使 に会 見 し 広 田 外 相 之 意 見 を 伝 達 し た り と あ り 。 是 れ
交 を 束 縛 す る こと 目 下 之 緊 急 と 存 候 。 先 は 要 用 迄 。 勿 々 頓首
然 る に昨 今 軍 縮 問 題 之 雲 行 甚 た 険 悪 と な り 、 英 米 は 正 面 よ り 我 海
に蟠 居 隠 伏 し た る軟 弱 外 交 官 等 の画 策 に て側 面 よ り 軟 化 せ し む る
昭 和 九 年 十 一月 十 七 日
堅太 郎
全 く 大 角 海 相 を 欺 き た る行 為 と 被 存 候 。 御 承 知 之 通 り 従 来 霞 ケ 関
加藤大将閣下
手 段 に て は無 之 歟 。 是 よ り 先 き 米 国 政 府 は 満 洲 の門 戸 開 放 を 無 視 し たり と 。尤 も 俗 受 良 き 口実 を 以 て我 帝 国 を 側 面 よ り 攻 撃 を な し 、
依リ アト加藤大将 ヘ﹂ と書込みあり。
43 長 谷 川 清 書 翰
大将閣下 極秘
︹昭 和 9年 ︺
︹ 註︺封筒表、東京市 四谷区 三光町、海軍大将加藤寛治殿、極密親展。 ﹁ 大臣印 ︹ 大角︺、 ( 次官)印 ︹ 長 谷川︺、 ( 次長)印 ︹ 加 藤︺、必 要 ニ
其 他 種 々 の宣 伝 を 以 て欧 米 人 を 煽 動 し 、 今 や我 海 軍 は 内 外 両 面 よ り 敵 を 受 け実 に憂 慮 に堪 へさ る次 第 に有 之 候 。 又 昨 晩 之 杉 森 教 授 の放 送 取消 之 如 き は本 人 が新 聞 に 発 表 し た る所 を 見 れ は 別 に 差 支
な る か如 く、 然 る に杉 森 に代 り 放 送 した る梅 崎 中 佐 之 意 見 は 実 ニ
あ り と は 不被 存 候 。 之 を 先 夜 末 次 大 将 の放 送 に 比 す れ は 遥 に 穏 和
正 々堂 々 た る帝 国之 海 軍 の大 方 針 に て正 理 公 道 に 基 き 国 家 固 有 之 権 利主 張 に し て 、米 英 は勿 論 如 何 な る列 国 と 雖 も 反 対 す る余 地 無 之 、依 て 此方 針 を 以 て 軍縮 問 題 を 解 決 せ は、 東 洋 は勿 論 世 界 之 平 和 を確 保 す るも のな り 。 然 る に陰 謀 姦 策 を の み外 交 之 秘 訣 と 誤 信
舌 代 書翰 中 に 誤 解も あ る様 に 候。
長谷川生 ︹ 同封︺ 秘密
堅太郎再行
天 皇 機 関 説 に陥 り た る 原 因 は 二 ツあ り 。
贈 呈
様 な る が)。 仏 独 へ行 かぬ と は申 さ れ ざ り し 。 御 含 み 迄 。 第 一
吉 田 大使 ハ大 臣 に従 来 色 々誤 解 も 受 け 居 る に就 き 英 京 に ハ予 備 交
尚 条 約 廃 棄 の件 ハ松 平 代 表 よ り 仏 伊 に 話 し 、 其 回 答 あ り 次 第 、 代
天皇 機 関 説 は、 憲 法 第 一条 日本 帝 国 は万 世 一系 の天 皇 之 を 統 治 す 、
加藤海軍大将閣下
表 より 之 電 を 俟 ち て 一切 の国 内 手 続 き を 取 る 段 取 り と な り 居 り 、
又第 四条 天皇 は 国 の元 首 に し て統 治 権 を 総 攬 す 、 の 二条 起 草 の沿
渉 之 済 んだ 頃 に参 る積 り と 申 さ れ た り ( 既に目下倫敦に着き居る
中 央 が腰 が グ ラ ツキ 居 る如 き 風 評 ハ全 然 デ マと 御 承 知 被 下 度 、 海
革 と 其真 髄 を熟 慮 せさ る に起 因 す 。 抑 我 々起 草 者 か 此 二 条 を 起 草
も の なれ は、 世 人 若 し 此 二条 を 熟 読 せ は 天 皇 機 関 説 の如 き 僻 説 を
す る に当 り 深く 日本 の国 体 と 歴 史 を 研 究 考 慮 し て後 成 案 を 得 た る
軍と し て常 に外 務 を 促 進 中 に 有 之 候 。 御 含 み 迄 。 ︹ 註︺ 42書翰に同封。 42書翰 を加藤大将 に返却 の際副えられたも のと 思われる。
唱 ふ るも のあ ら ん や。 依 て学 者 にし て我 憲 法 を 解 釈 せ ん と 欲 せ は
先 つ北畠 親 房 の神 皇 正 統 記 、 藤 田東 湖 の弘 道 館 記 述 義 及 ひ 会 沢 正
志 の新 論 を 研 究 せ さ る へか ら す 。 若 し 此 三 書 を 研 究 し た る な ら は
伊 東 巳代 治 及 余 三 人 に 於 て憲 法 を 起 草 し 又 之 を精 査 審議 せ し 六 ケ
44 金 子 堅 太 郎 書 翰
拝 啓 先 日 は 遠 路 御 来 訪 且 御高 話 拝聴忝 奉 存 候 。偖 天皇 機 関説 に
年 間 、 未 た 曾 て天 皇 機 関 説 の如 き 不 敬 の言 語 は勿 論 想像 だ も浮 は
天 皇 機 関 説 な と 口外 す へき 筈 な し 。 又 伊 藤 公 主 宰 の下 に 井 上毅 、
付 愚 見 概 略 記 述 申 し 候 間 、 御贈 り 申 上 候 間御 一覧 被 下度 候 。 本 問
︹ 昭和 10年4月1日︺
題 は 今 日 の如 き 喧 敷 相成 候 上 は枢 密 院 官 制 第 六条 に依 り て御 諮 詢
一句 だ も 我 国 体 と 歴 史 に 背 反 す る か 如 き こ と な か ら し め んと 戦 々
さ り き 。 加 之 我 々は 明 治 天 皇 の深 遠 宏 大 な る 叡慮 を奉 戴 し て 一言
兢 々努 め た る も のな り 。
相 成 、 将 来 の禍根 を 一掃 す る の 必 要有 之 候。 新 聞 之 報 す るが 如 く 司 法 、 内 務 両 省 に 於 て 瀰 縫策 に て解 決 す るも のと は 不 存 候 間 、 何
陪 席 の上 同 人 に向 ひ 日本 の 政治 問題 に 関 し意 見 を 徴 せら れ た る時 、
召 さ せ ら れ 午餐 を 賜 は り た る後 、中 の島 の御 茶 屋 に於 て大 臣 参 議
ら る ゝ際 、 明 治 十 二年 七 月 七 日 米 国前 大統 領 グ ラ ン トを 芝 離 宮 に
又 明 治 天 皇 は皇 祖 皇 宗 の偉業 を 継承 し 其遺 訓 に拠 り 政治 を 実 行 せ 堅太郎
卒 十 分 其方 針 を 取 る様 御 尽力 被 下度 候 。 勿 々頓 首
四 月 一日 加藤大将閣 下
同 人 は種 々 の 意 見 を 言上 し た る内 の 一項 に、 貴 国或 亦 近 き 将 来 に
の政 治 を 主 宰 し た る 人 な る の み な ら す 、 彼 の 戦 争 は米 国 の憲 法 の
言 葉 な れ と も 同 人 は 前後 八 ケ年 間 米 国 の 大統 領 と し て南 北戦 争 後
旧 来 の慣 例 を 基 本 と し て起 草 せ し め給 へと、 此 の
プ ユー デ ンス) 云 ひ専 ら 憲法 、 国 際法 等 に適 用す る も のな り 。 現
も の に し て 、他 の 一は 歴史 的 法 律 学 (ヒ ス ト リ カ ル、 デ ユー リ ス
ユー リ スプ ユー デ ン ス) と 云 ひ、 民 法 、 商 法 、 刑 法 等 に応 用 す る
法 律 学 に は 二種 あ り 。 一は哲 学 的 法 律 学 (フヒ ロ ソ フ ヒカ ル、 デ
第二
陥 るは 必 然 の事 な り 。
不備なるより生し五ケ年間兄弟相闘争し数十万の人血を流したる
に 英 国 の憲 法 問 題 は哲 学 的法 律 学 の論 理を 以 て推 究 し て は其 真 想
於 て 憲 法 制定 の 時機 来 る な ら ん 、故 に貴 国 の憲 法 は 日本 の歴 史 と
激 戦 に総 指 揮 官 た り し 人 の言 葉 と し て深 く 大 御 心 を 感 動 せ し め た
を 解 訳 す る こ と は 能 は す 、 唯 歴 史 的法 律 学 に 依り て 始 め て 其真 想
一 言は外 国 人 の
り 。 依 て明 治 天 皇 は明 治 十 七 年 三 月 伊 藤 伯 に 憲 法 起 草 の大 命 を 下
を 解 得 す る こ と を 得 る も の な り 。 何 と な れ は 英 国 の 憲法 は 欧洲 大
にあ ら さ れ は 憲 法 の条 項 を 解 訳 す る こと 能 は す 。 之 に 反 し 欧 洲 大
し給 ひた る際 日本 の憲 法 は国 体 を 基 本 と し て起 草 せ よ と 仰 せ ら れ
陸 の憲 法 は多 く は仏 国 大 革 命 に依 り 人 民 集 合 の勢 力 を 以 て君 主 制
たり 。
き 大 学 に 入 り憲 法 及法 律 は只 其 紙面 の文 字 を 読 む に止 り 、 深 く 各
を 廃 し 新 た に政 府 を 創 設 し 専 ら 人 民 の権 利 を 尊 重 す る 目 的 を 以 て
にし て英 国 の憲 法 は 即 ち 英 国 の歴 史 な り 、 故 に 其 歴 史 を 研 究 す る
国 特 種 の憲 法 政 治 発 達 の歴史 を 専攻 せ す、 帰 朝 の後 未 熟 の学 識 を
陸 の諸 国 の如 く 成 文 の法 典 な く 英 国 の歴 史 と 密接 結 合 し た る も の
以 て 我 憲 法 を 解 訳 す る が 故 に 欽 定憲 法 の真 髄 を解 得 す る こと を 得
王位 にあ れと も 統 治 の実 権 な し。 然 る に我 日本 憲 法 は 明 治 天 皇 の
制 定 せ ら れた るも のな り 、 故 に仮 令 ひ名 は 君 主 制 な れ と も 皇 帝 は
又我 学生 は高 等 学 校 及 ひ大 学 に於 て 日本 の歴 史 及 ひ 国 体 を 深 く 研
す 、 只 皮 相 の解 訳 を な し て終 に 天皇 機 関 説 の 如き 誤 を唱 ふ る に至
究 せ す 、 又半 知 半 解 の外 国語 の素 養 を 以 て卒 業 後 直 ち に欧 米 に赴
る 。 今 日此 等 学 者 等 か 天 皇 機 関 説 を 主 唱 し た りと て攻 撃 難 詰す る
は学 生 の大 学 に進 入 す る 準 備 は 専 ら 高 等 学 校 に 於 て之 を 司 と る 。
直 ち に 我 欽 定 憲 法 を 解 訳 す る か故 に 、往 々 其真 髄 を知 ら す、 曲 解
講 究 し 其 論 理 を 以 て各 条 項 を 解 訳 す る学 究 法 を 修 習 し て帰 朝 し 、
熟 読 研 究 せす 渡 欧 し て 欧洲 大 陸 の憲 法 を 哲 学 的 法 律 学 に依 り 之 を
の憲法 の比 にあ ら さ る なり 。 然 る に我 学 生 は 日本 の国 体 及 歴 史 を
然 る に聞 く 所 に依 れは 高 等 学 校 に於 ては 外 国 歴 史 十 に 対 し 日本 歴
又 は 誤 解 に 陥 る も のな り 。 若 し 彼等 に し て 始 め よ り 英 国 に赴 き 其
深 遠宏 大 な る叡 慮 を 以 て欽 定 せら れ た るも の にし て彼 の欧 洲 大 陸
史 二 なり と 。 此 の如 く 自 国 の歴 史 を 軽 んし て外 国 の歴 史 に 重 き を
憲 法 を 歴 史 的 に 講 究 し た る な ら は 今 日 の如 き 誤 解 に 陥 る こ と な か
は 抑 も 亦 末 也 。 何 んそ 基 本 を 責 め さ る 乎 。 彼 学者 を し て 此 僻 説 に
置き た る結 果 は 日本 帝 国 の国 体 を 知 ら す 終 に外 国 の思 想 と 学 説 と
陥 ら しめ た るは 我 教 育 制 度 か 基 本 を 作 り た る な り 。 其 制 度 に 依 れ
に 傾 く に 至 る 。 是 れ今 日 天皇 機 関説 の如 き 誤 り た る論 説 を な す に
も な く 又 其 論 説 を 弁 護 す る の必 要 も な く 又価 値 も な け れと も、 唯
併 せ て之 を 弁 明 せ ん と 欲 す 。 是 れ 美 濃 部 を 攻 撃 せ ん と 欲 す る意 趣
我 々か 憲 法 起 草 の当 時 十 分 研 究 審 議 し て 成 案 を 得 た る 実 況 を 述 へ
著 書 憲 法 精 義 を 一読 し た れ は 実 に 用 意 な ら さ る 意 見 を 知 る に 依 り
偖 本 問 題 は美 濃 部 達 吉 の憲 法 論 よ り 発 生 し た る も のな る か 故 に 其
誤 り た る も のな り 。
ら し め た るな ら ん。 之 を 要 す る に 天皇 機 関 説 は 其 出 発 点 よ り 已 に
の 政治 家 と会 談 し て憲 法 政 治 の精 神 は学 説 と 実 際 と に依 り て慎 重
伯 林 に 二 ケ年 滞 在 し 、 独墺 の憲 法 学 者 を 招 き 其 講 義 を 聞 き 又 彼 国
る ゝ二 ケ 年前 即 ち 明 治 十 五年 三 月憲 法 取 調 の勅 命 を 奉 し て渡 欧 し
起 草 す る こ と を 得 ん や 。 況 ん や伊 藤 公 は憲 法 起 草 の大 命 を 拝 せ ら
政 治 の精 神 を 誤 り 又 其 理 解 の足 ら す し て奚 ん そ 我 日本 帝 国憲 法 を
す 、 又 其 理 解 の足 ら ぬ こ と な し 。 若 し伊 藤 公 及 ひ 我 々 四 人 か憲 法
そ の 三 は凡 て成 文 法 規 の文 字 は そ の起 草 者 の思 想 の表 現 てあ つ
周密 に 調査 研 究 せら れ た る に於 てお や。
今 日は 曾 て憲 法 制 定 の大 命 を 奉 し其 事 業を 主 宰 せ ら れた る伊 藤 公
実 況 と其 精 神 を 略 述 し伊 藤 公 等 は美 濃 部 か 其 著 書 の序 文 に列 記 し
法 の文 字 に付 ては 我 々は 欧 文 と 漢 字 と を 対 照 し 深 思熟 考 し て 将 来
右 の如 く 我 々起 草 者 の錯 誤 又 は 疎 漏 を 指 摘 し て 居 る 。 然 れ と も 憲
て起 草 者 の誤 解 又 は 疎 漏 は そ の文 字 に 錯 誤 又 は 不 備 を 生 せ し む
た る か如 く 誤解 し 又 は疎 漏 を な した る にあ ら さ る こと を 弁 解 せ ん
錯 誤 又 は 疎 漏 の責 を 免 か れ ん と 苦 心 し て 決 定 し た り 。 例 せ は統 治
は 逝 き 又 之 に参 画 し た る 井 上毅 、伊 藤 巳代 治 も亦 此 世 を 去 り 独 り
と 欲 す。 若 し美 濃 部 が 云 ふ如 く 伊 藤 公 を 始 め 我 我 三 人 か 誤 解 し 又
権 、 総 攬 、協 賛 等 の文 字 の如 き は 即 ち是 な り 。殊 に協 賛 の二字 は
る こと を 免 れ な い。
は疎 漏 を な した るも のと せは 我 々は 献 替 の任 を 辱 か し め 明 治 天 皇
我 々に 於 て 始 め て製 造 し た る文 字 な り。 其 の 原 語 は英 語 の アプ ル
余 のみ残 存 し た れ は 、残 存 者 の義 務 と し て 死者 に代 り 起 草 当 時 の
欽 定 の不 磨 の大 典 を 汚 か し 奉 り 罪 万 死 に 相 当 し 実 に 恐 懼 愧 死 す へ
ー バ ル 又 は コ ンセ ン ト と 云 ふ なり 。従 来 此 の 原語 を 承 諾 又 は承 認
位 地 に置 く の嫌 ひあ り 。然 れと も 我 天皇 と 外 国 の帝 王 と は其 尊 威
き も のな り 。
権 力 に於 て霄 壌 の差 あ り 。 故 に我 々 は熟 考 後 協 賛 の新 文 字 を 造 り
と 反 訳 せ り。 是 れ即 ち 議 会 を 主 動 者 の位 地 に置 き 皇 帝 を 受 動 者 の
そ の 一は ( 前 略) 国 体 を 理 由 と し て 現在 の 憲法 的 制度 に 於 け る
今 其 序 文 に依 れ は 、
君 権 の万 能 を 主 張 す る か如 き は全 然 憲法 の精 神 を 誤 る も の であ
た り 。 是 れ議 会 は御 下附 の議 案 を 協 議 し て賛 同 す る の意 味 に し て、
抑 我 憲 法 は 八 年 問 の調 査 研 究 を 経 て起 草 せ ら れ 、 案 成 る に 至 り て
承 諾 又 は承 認 す る の意 にあ ら さ る こと を 明 瞭 に し た り 。
伊 藤 公を 始 め我 々 は 日本 の国 体 と 歴 史 を 真 髄 骨 子 と し又 欧 米 の憲
特 に枢 密 院 を 新 設 し 十 ケ 月 間 の審 査 熟 議 を 経 て 制 定 せ ら れ た り 。
る。
法 及 ひ憲 法 発 達 の 歴史 並 に憲 法 に関 す る学 説 等 を 精 査 研 究 し て我
然 る に 美 濃 部 は 此 憲 法 に 対 し ﹁法 を 解 す る 者 は そ の誤 を 正 し そ の
そ の二 は 立憲 政 治 の精 神 に付 て の 理解 の足 ら ぬ こと であ る。
憲 法 を 起 草 した れ は決 し て憲 法 政 治 の精 神 を 誤 り た るも の にあ ら
米 国 に於 て は 国務 長 官 プ レイ ン、 又 ハー バ ート 大 学 憲 法 教 授 サ ヤ
与 し忌 憚 なき 意 見 を 聴 取 し て帰 朝 せ よ と 命 せ ら れ た り 。 依 て余 は
の後 彼 国 の政 事 家 及 ひ憲 法 学 者 其 他 の碩 儒 に英 訳 の帝 国 憲 法 を 附
六 月渡 航 の途 に上 り た り 。 出 発 に 際 し 伊 藤 公 は 余 に 向 ひ 欧 米 到 着
たり。
た り と も 此 の 日本 憲 法 以 上 に は 起 草 す る こと 能 は す と 賞 讃 せ ら れ
し 今 日新 興 国 に 於 て 憲 法 を 起 草 す る に 付 我 々 に 其 任 務 を 嘱 せ ら れ
て欧 米 諸 国 の憲 法 の不 備 欠 点 を 鑑 み ら れ た る卓 見 と 云 ふ へし 、 若
此 の如 き 憲 法 を 起 草 せ ら れ た る 伊 藤 伯 は 独 逸 の憲 法 を 研 究 し 併 せ
日本 の国 体 と稍 々 同 し) を 基 本 と し て 立 憲 政治 を 施 し 来 り た り 、
説 を参 酌 し て 憲 法を 起 草 し た れ は 此 の如 き 完 全 な る成 績 を 挙 け ら
ー 、大 審 院判 事 ホ ー ム ス、 又英 国 に於 て は前 内 閣 大 臣 にし てオ ツ
余 は 帰 朝 の後 伊 藤 伯 を 大 磯 の別 荘 に 訪 ひ 、 欧 米 の政 治 家 及 ひ 憲 法
れ た り 、 殊 に 日 本帝 国 憲法 第 一条 、第 四条 に於 て 日本 の 国体 を 基
ク ス フオ ー ド大 学 教 授 ヂ エイ ム ス、 プ ライ ス、 同 総 長 ア ン ソ ン、
学 者 の批 評 を 報 告 し た れ は 、 伊 藤 伯 曰 く 、 予 は 君 か 今 日 の報 告 を
欠 を 補 ふ の用 意 か 無 け れ は な ら ぬ ﹂ と 放 言 し て 自 ら 博 学 を衒 ひ た
同 教授 ダ イ セ ー 、 又 ケ ンブ リ ツチ大 学 教 授 セ デ ウイ ク、 仏 国 に於
聞 く 迄 は実 に戦 々兢 々と し て如 何 に欧 米 人 か 我 憲 法 を 批 難 す る 歟
礎 と し て 天皇 の大権 を 明 記 せ ら れ た る は 我 英 国 の 立憲 政治 の方 針
て は 巴 里 大学 憲 法 教 授 ル ボ ー ン、 独 逸 に於 て は ゲ チ ン ゲ ン大 学 教
と 待 ち 居 た り 、 今 其 報 告 を 聞 き 始 め て責 任 解 除 の思 ひ を な し た り 、
るは 憐 笑 す る に堪 へれ り 。
授 イ ヤ リ ング 、墺 国 に 於 て は 上院 議 長 ク ル メ ツキ ー及 ひ ウイ ー ン
依 て明 日は 上 京 参 内 し 陛 下 に拝 謁 を 願 ひ 憲 法 起 草 の責 任 解 除 を 乞
明 治 二十 三年 の冬 期 に於 て第 一回 の帝 国 議 会 を 開 会 す る に 依 り 、
大 学 教 授 スタ イ ン等 に 英 訳 の憲 法 を 贈 与 し 、忌 憚 なき 批 評を 乞 ひ
ひ奉 ら んと 云 ひ て喜 はれ た り 。 其 翌 日上 京 し て拝 謁 せ ら れ た り 。
ンダ メ ンタ ル、 ポ リ チ カ ル 、 プ リ ンシ プ ル 、 オ ブ 、 イ ング ラ ンド 、
た れ は 、 何 れ も 長文 の意見 書 を送 り たり 。今 一々 之を 陳 述す るを
超 え て数 日陛 下は 余 を 召 し て欧 米 巡 遊 及 ひ欧 米 人 の憲 法 批 評 を 一
と 異 身 同 体 な り 、 即 ち 英 国 は ﹁英 国 の基 礎 的 政 治 の元 則 ﹂ (フア
省 き た れ と も 何 れ も 皆 な憲 法 を賞 讃 せり 。殊 に英 国 に於 け る憲 法
時 間 に 亘り 御 聴 き 遊 はさ れ た り 。
其 開 会 以 前 の準 備 及 ひ議 院 内 部 の組 織 等 百 般 の事 務 に 付 欧 米 諸 国
学 の泰 斗 に し て 欧 米 人 も憲 法 の権 威 者と 認 め た る アン ソ ン及 ひ ダ
議 院 の実 況 を 調 査 す る為 に政 府 は 余 に欧 米 派 遣 の命 を 伝 へ、 同 年
イ セー 両 教 授 の批 評 は 尤 も 有 益 な る 意 見 な りき 。 其批 評 に 曰く 、
天皇 機 関説 を 主 唱 し て耻 ち さ る か如 き は如 何 な る動 機 に出 てた る
に美 濃 部 は起 草 者 は立 憲 政 治 の精 神 を 知 ら さ るも のと 妄 断 し 、 又
乎。 彼 は欧 洲 留 学 中 右 に列 記 した る憲 法 学 者 と 面 接 し 日本 憲 法 を
是 れ我 憲 法 起 草 の実 況 と 欧 米 政 治 家 及 憲 法 学 者 の意 見 な り 。 然 る
り 希 臘 、 羅 馬 其 他 各 国 の憲 法 史 料 と も 云 ふ へき も のを 蒐 集 し て憲
研究 し た る こと あ る乎 。 若 し有 り と せ は此 の如 き 謬 説 を 口外 す る
日本 帝 国 は 立 憲 政 治 を 施 行 す る に 当 り幸 運 な る 国 家 なり 、欧 米 諸
法 を 制 定 実 施 し た れ は 其 不 備 欠 点 多 き か 為 に 幾多 の改 正 を な し 、
国 は 既 往 二百 年 聞 に 於 て憲 法 を 制 定 す る に 当 り 其 材料 乏 しき に依
又 憲 法 学 も 漸 次 発 達 し た る 今 日に 於 て、 先 進 国 の事 実 と 憲法 の 学
こと無らん信す。 昭 和 十 年 三 月 廿 六 日 葉 山 恩 賜松 荘 に て
伯爵金子堅太郎誌
︹ 註︺封筒表、東 京市 四谷区 三光 町、海 軍大将加藤寛治殿 、書留、極密 親展。封筒裏、神奈川県葉山町、伯爵 金子堅太郎 。 スタンプ 10︱4︱ 1。意見書はタイプ印書。
45 藤 原 銀 次 郎 書 簡
︹ 昭和 11年 2月13日︺ 拝 啓 先 夜 は 図 らす 拝 眉を 得 て段 々御 高 説 拝 聴 の好 機 を 得 候 段 何 よ り仕 合 且光 栄 とす る所 ニ御 座 候 。 大 阪 公 会 堂 ニ於 け る御 講演 筆 記 ヲ送 リ被 下委 細 拝 読 仕 候 。 御 趣 意 は 紛 々拝 察 仕 候 。 国 家 の前 途 ニ付 深 く御 考 察 被 遊 、 憂 国 の赤 心 定 め て 大 阪 市 民 も 感 動 致 候事 と 存候 。 尚 又 御 演 舌 中 小 生 の事迄 御 引 用被 遊 候 段 終 生 の名 誉 と し て唯 々感
日本 財 政 の現 状 は 世 人 の憂 ふ る 如 く 悲 観 の要 は 決 し て 無 之 、 否 近
謝仕候外無之、謹て御礼申候。
に記 載 有 之 、 巻 頭 の 一章 は 先 般 小 生 か ラジ オ に て放 送 せ る 原 稿 ニ
年 稀 れ に見 る好 事 情 に有 之 数 字 を 上 け て 一々 説 明 致 た る も の別 冊
日本 の富 並 ニ財 政 上 の事 を 貧 弱 ニ考 居 候 も のは 日露 戦 争 当 時 の頭
有 之 、 御 少 閑 の節 御 一読 の栄 を 得 候 はゝ 何 よ り 仕 合 と 存 候 。
ニて 、今 日 は余 程 々 々進 歩 致 居 候 事 ハ数 字 の上 ニも 明 ニ有 之 候 。 此点 は 吾 々 も実 ハ ツイ先 頃迄 ハ先 入 の観 念 ニと ら は れ 居 候 処 、 昨 年米 国 巡 遊 の 結 果 深 々と 日本 の現 代 の国 力 は 左 程 貧 弱 のも の ニあ
ら さ る事 を 確 知 仕 候 次 第 に 御 座 候 。 併 し 外 国 貿 易 ニ於 て も 何 分 英
国 の 三分 ノ 一ニ及 は さ る 程 度 ニ付 一日 も 早 く 対 等 の地 位 ニ達 す る
様 国 を 挙 け て必 死 の努 力 を 尽 く し 度 希 望 仕 居 候 。 万 事 ハ其 内 更 ニ
藤原
拝具
拝眉 の機 を 得 万 々可 申 上 候 。 不 敢 取 右 御 礼 旁 如 斯 ニ御 座 候 。
二 月 十 三 日
︹マ マ︺
加藤老大人閣下
尚 々 御 演舌 原 稿 ハ御 帰 し致 候 間御 入手 被 遊度 願 上候 。
︹ 註︺封筒表、加藤海軍大将閣下。封筒裏、二月十三 日、藤原銀次郎。
編 伊 藤
隆
者
略
歴
〈 い と う ・た か し〉1932年
東 京 に 生 れ る.1958
年 東 京 大学 文 学 部 卒 業.東 京 大 学 名 誉 教 授.現 在 亜細 亜 大学 教 授.著 書 『 昭 和 初 期 政 治 史 研 究 』(東 京 大 学 出 版 会, 1969),『 昭 和 期 の 政 治 続 』(山 川 出 版 社,1993) .共 編 『小 川 平 吉 関 係 文 書 』(み す ず 書 房 ,1973)『 伊 藤 博 文 関 係 文 書 』(全9巻,塙 書 房,1973‐81)『 現 代 史 資 料44,(み す ず 書 房,1974)『 続 ・現 代 史 資 料4』(み す ず 書 房, 1983)『 重 光 葵 手 記 』(中 央 公 論 社,1986)『 牧 野伸 顕 日記 』 (中央 公 論 社,1990). 鈴 木 淳 〈 す ず き ・ じ ゅ ん〉1962年 学 教 養 学 部 助 教 授. 小 池 聖 一
生 れ.現
〈こ い け ・せ い い ち 〉1960年
在
東 京大
生 れ.現
在
外務
生 れ.現
在
東京
省 外 交 史 料 館 勤 務. 田 浦 雅 徳
〈 た う ら ・ま さ の り〉1953年
大 学 大 学 院 博 士 課 程 在 籍. 古 川 隆 久
〈 ふ るか わ ・た か ひ さ〉1962年
島 大 学 総 合 科 学 部 講 師.
生 れ.現
在
広
続 ・現代 史資 料 5
海
軍
加藤寛治 日記
伊 藤 隆 他編
1994年8月15日
印刷
1994年8月25日
発行
発 行 者 小 熊 勇 次 発 行 所 株 式 会社 み す ず書 房 〒113 東 京 都文 京 区本 郷3丁 電 話 3814‐0131(営 業)3815‐9181(本
本文 印刷 所 三 陽社 扉 ・口絵 ・函 印 刷 所 栗 田 印刷 製 本所 鈴 木 製 本 所
〓1994Misuzu Printed ISBN 落 丁
目17‐15
社)振 替 東 京0‐195132
Shobo in Japan
4‐622‐02655‐4
・乱 丁 本 は お 取 替 え い た し ま す