ブ ラ ウ ン 管 のな か の 子 ど も 文 化
デ ィズ ニ ー ラ ン ド 化 す る 都 市
遊 園 地 の ユ ート ピ ア
メ デ ィア 天 皇 制 の 射 程
序章 情報消費社会のリアリティ
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ブ ラ ウ ン 管 のな か の 子 ど も 文 化
デ ィズ ニ ー ラ ン ド 化 す る 都 市
遊 園 地 の ユ ート ピ ア
メ デ ィア 天 皇 制 の 射 程
序章 情報消費社会のリアリティ
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31
5
リ アリ テ ィ ・ト ラ ン ジ ット 目 次
Ⅰ
テ レ フ ォン のあ る 風 景
Ⅱ
Ⅲ メ キ シ コ シ テ ィか ら の現 在
メ デ ィア の な か の 世 紀 末
﹁情 報 ﹂ と し て の 身 体
われわ れ自 身 のなか のオウ ム
179
159
140
119
Ⅳ
F・L・アレン﹃ オンリ︱・イエスタデイ﹄・読む
J・ボードリヤール﹁ 消費社会の神話と構造﹄を読む
﹁孤 独 な 群 衆 ﹂ D・リースマン﹃ 孤独な群衆﹄を読む
到 来 す る 大 衆 消 費 社 会
消 費 す る
モ ノ た ち の 語 り の な か で
あとが き
225
235
8 24
6 2 5
BOO K D ESIG N :秋 山 伸
序章 情報消費社会のリアリティ
流動化する時代 のなかで
こ こ に、 一九 九 四年 か ら九 五年 に かけ て起 き た性 質 も背 景 も ま ったく 異 な る 二 つの ﹁反 乱﹂
が あ る。 一方 が 起 き た のは、 九 四年 一月 一日、 メキ シ コ最南 端 のチ ア パ ス州 にお いて であ る。
こ の日、 チ アパ ス の先 住 民 と農 民 千 数 百 人 が武 装 蜂 起 し、 州南 部 の主 要 都 市 を 次 々に占 拠 し た
のだ 。 同 日を 期 し て発 効 す る メキ シ コのN A F T A ︵北米自由貿易協定︶加 盟 に反 対 し、 メキ シ
コの民 主 化 と チ アパ スにお け る農 民 の劣 悪 な 生 活状 態 の改 善 を 訴 え て のこと であ った。 不意 を
の ニ ュー スが 、 全 世界 の メデ ィア の関心 をさ ら った こ と は記 憶 に新 し い。 第 Ⅲ部 で詳 し く述 べ
衝 か れ た政 府 は大 量 の軍 隊 を 現 地 に派 遣 し、 ま た空 爆 を開 始 す る。 そ し て こ の ﹁先 住 民反 乱 ﹂
る よう に、 こ の ﹁チ ア パ ス の反 乱 ﹂ は、今 世 紀 初 頭 の革 命 以来 のナ シ ョナ リズ ムをな しく ず し
に し、 北 米 の資 本 主 義 に自 ら従 属 し て いこ う とす る メキ シ コの現 在 に国 民 的 な レベ ルで問 いを
突 き つけ る こ と にな った。 実 際 、 事 件 以来 、 メキ シ コ人 はく り返 し こ の反 乱 の意 味 に つい て論
じ、 そ の こと で自 ら の立 場 を鮮 明 にし て い った。 当 時 、 た ま た ま メキ シ コで生活 を し て いた 私
も 、 こ の反乱 を めぐ る メキ シ コの人 び と の意 識 変 化 の現 場 に立 ち会 う こと と な った。
よ ると 見 ら れ る地 下 鉄 サリ ン事 件 が 起 き た。 本 書 の第 Ⅱ 部 の諸 論 文 は、 いず れも こ の ﹁オ ウ ム
と ころが 、 日本 に帰 国 し、 一年 も 経 な いう ち に阪 神 大 震災 が 起 き 、 や が てオ ウ ム真 理 教 団 に
の反 乱 ﹂ に つ いて、 事 件 か ら数 ヵ月 間 、 日本 の メデ ィアが 異様 な 興 奮 状 態 に陥 る な か で書 かれ
た。 ﹁チ ア パ ス の反 乱﹂ が 、 ﹁革 命 ﹂ や ﹁国 民 国 家 ﹂ を な し く ず し に し な が ら 増 殖 し て い く
﹁ 豊 かな 社 会 ﹂ に対 し、 現 実 の貧 困 と 差 別 を 生 き る周 縁 の民 が 挑 ん だ真 摯 な戦 い であ った と す
るな らば 、 ﹁オ ウ ム の反 乱 ﹂ は、 ま さ にそ の ﹁豊 か な 社 会 ﹂ のた だ な か で、自 己 のリ アリ テ ィ
をバ ブ ル的 に拡 張 し て い った若 者 たち が 、 そ の拡 張 さ れ た リ アリ テ ィと 国 家 や社 会 の現 実 と の
調 整 可能 な関 係 を 自 ら 破 綻 さ せ て い った帰 結 であ ったよ う に思 わ れ る。 そ し て ま た、 前 者 が多
少 とも メキ シ コ国 民 にと って の覚 醒 の契 機 を含 ん で いた の に対 し、 後 者 は、 狂 騒 す る マス メ
デ ィアが た れ流 す 情 報 洪 水 のな か で、 ﹁フ ァ シズ ム的 ﹂ と し か 言 いよ う のな い自 閉 的 な ﹁国 民
せ て い るよ う に見 え る。
感 情 ﹂ が刺 激 され 、 オ ウ ム教 団が 陥 った のと相 似 的 な さ ら な る虚 構 の世 界 へと 人 び とを 向 かわ
こ の本 は、 九〇 年 代 中 葉 に起 き た これ ら 二 つ の反 乱 に、 少 な か らず 触 発 さ れ なが ら まと めら
れ た も の で あ る 。 実 際 、 二 つ の反 乱 は 、 さ ま ざ ま な 意 味 で 対 照 的 で あ った 。 一方 の ﹁オ ウ ム の
反 乱 ﹂ は 、 ま さ し く 今 日 の情 報 消 費 社 会 の シ ス テ ム の 中 心 部 か ら 、 こ の シ ス テ ムが 向 か い つ つ
あ る 脱 物 質 化 と 無 菌 化 、 そ の帰 結 と し て の カ タ ス ト ロ フ ィ ー ︵ハル マゲ ド ン︶ を 先 取 り す る よ
う な 仕 方 で 現 わ れ た 。 こ の 反 乱 は 、 後 述 す る ボ ー ド リ ヤ ー ル が 言 う 意 味 で 、 ハイ パ ー リ ア ル で
あ り 免 疫 不 全 的 で も あ る 現 代 社 会 の身 体 と 欲 望 の暴 走 で あ っ た 。 ボ ー ド リ ヤ ー ルが ラ シ ュデ ィ
ら ゆ る 呪 わ れ た 部 分 の根 絶 、 否 定 的 な も の の美 容 整 形 手 術 な ど が 徹 底 し す ぎ て 、 計 算 さ れ た 管
事 件 に つ い て 述 べ る よ う に 、 ﹁予 防 衛 生 、 自 然 の 準 拠 枠 の廃 絶 、 暴 力 の 隠 蔽 、 暴 力 の 萌 芽 と あ
理 体 制 や 善 の言 説 と し か か か わ ろ う と し な い社 会 に お い て、 悪 は 、 ウ イ ル ス的 で テ ロ リ ス ト的
な あ ら ゆ る 形 態 に 変 身 し て 、 わ れ わ れ に つ き ま と う ﹂ の で あ る ︵﹃ 透 き と お った悪 ﹄ 紀 伊 國 屋 書 店 、
一九 九 一年 ︶。 そ れ に 対 し 、 ﹁チ ア パ ス の 反 乱 ﹂ は 、 こ の 社 会 の シ ス テ ム の 周 縁 部 か ら 起 き て い
る。 メ キ シ コ で は 、 国 民 国 家 の 形 成 を 通 じ 、 よ り 徹 底 的 な 先 住 民 の土 地 の 収 奪 が 進 ん だ 。 同 時
に 今 日 で は 観 光 が 、 人 び と の生 活 を グ ロー バ ルな 商 品 経 済 に 従 属 さ せ て い る 。 こ こ に お い て 反
乱 は、 近代 に よ って アイデ ンテ ィテ ィを剥 奪 さ れ てき た他 者 たち の、 主体 性 の奪 回 闘争 と し て
繰 り 広 げ ら れ た の で あ る 。 明 ら か に 、 ﹁チ ア パ ス の 反 乱 ﹂ に は 、 ﹁オ ウ ム の 反 乱 ﹂ が 最 初 か ら
欠 落 さ せ 、 以 後 も 消 去 し つづ け た 自 ら の存 在 の根 拠 へ の 探 究 が あ る ︵こ の対 照 が 、 各 々の ﹁反 乱 ﹂
の首 謀 者 と 目 され る 、麻 原 彰 晃 の過 剰 にむ さ く るし く 父 性 的 な 風体 と 、副 司令 官 マ ル コ スの女 性 的 と も い
え る しな や か な風 貌 の対照 にも逆 説 的 に表 わ れ て い ると述 べた ら 言 いす ぎ であ ろう か )。
だ が 、 こ う し た 対 照 の 一方 で 、 こ れ ら の出 来 事 が と も に 、 八 〇 年 代 末 以 降 、 現 代 世 界 の各 地
で顕 在 化 し つ つあ る カ タ スト ロフ ィー のヴ ァリ エー シ ョン であ った こと も事 実 であ る。 実 際 、
こ のと ころ わ れ われ は数 多 く の ﹁崩 壊 ﹂ に、 そ れま で自 明 で、 厳 然 た る所与 の前 提 であ る か の
よう に思 わ れ てき た秩 序 が流 動 化 し、 溶解 し て いく 過 程 に立 ち会 ってき た。 た と えぽ こ こ で、
ち ょう ど 十年 前 、 一九 八 五年 頃 のこと を 思 い返 し て みよ う 。 ゴ ルバ チ ョ フが ソヴ ィ エト連 邦 の
政 権 の座 に つき 、 国 内 で は電 電 民 営 化 によ り N T Tが 誕 生 し た。 筑 波 で科 学 万博 が 開 催 さ れ る
最 中 、 日航 ジ ャ ンボ 機 が 御巣 鷹 山 に墜 落 、 五百 二十 人 の命 が 失 われ ても いた。 前 年 から こ の年
にかけ てグ リ コ ・森 永 事 件が メデ ィア の関 心 を ひき 、 豊 田商 事 の永 野 会 長が 自 宅 に つめ かけ た
報 道 陣 の目 の前 で刺 殺 さ れ、 ロ ス疑 惑 の三浦 和 義 が 殺 人 容 疑 で逮 捕 され たり と い った事 件 も起
き て いた。 そ し て翌 年 には、 ソ連 で チ ェル ノブ イ リ原 発 の大規 模 事 故 が 発生 し て いる。 東 西冷
戦 構 造 崩壊 への動 き が 足 ど り を速 め、 日本 国内 は本 格 的 な バブ ル経 済 に向 か う な か、 メデ ィア
化 さ れ た リ アリ テ ィや 劇 場型 犯 罪 が 蔓 延 し、 さら に テ ク ノ ロジ ー信 仰 の欠陥 を悲 劇 的 な 形 で示
す よう な事 件 も 相 次 い で いた。 麻 原 が オウ ム教 団 を 結 成 し た のも こ の頃 であ る。
れな が ら も、 同時 にバブ ル経 済 のも と で の コ マー シ ャルな 日常 を謳 歌 す ると いう 二重 の リ アリ
つま り 、 八〇 年 代 半ば 頃 に は、 一方 では 九〇 年 代 に つなが る よう な 諸 々 の崩 壊 の兆 候 が 現 わ
テ ィが 存在 し て い た よう に見 え る。 さ しあ た り は、 宮 台真 司 の言 いま わ し を援 用 し て、 前 者 を
﹁核 戦 争 後 の共 同 性﹂ に つな が る終 末 論 的 リ ア リ テ ィ、後 者 を ﹁終 わ ら な い 日常 ﹂ のリ ア リ
テ ィと 呼 ん で お い ても い い ︵﹃ 終 わりなき日常 を生き ろ﹄筑摩書房、 一九九 五年)。 こ のよ う な 錯 綜
し た状 況が 、 九 〇 年 代 以降 、 ど の よう に変 化 し て い った のか は 一概 に は断定 でき な い。 だが 、
少 な く と も崩 壊 への兆候 が 時 代 意 識 の前 面 に浮 上 し てき た こ と は間違 いな いよう に思 わ れ る。
国 内 的 には昭 和 天 皇 の死、 国際 的 には ベ ルリ ンの壁崩 壊 と いう 、 と も に八九 年 に起 き た 二 つ の
出 来 事が 、 こう し た時代 の風 景 を 象 徴 し た こ と は いう ま でも な い。 ち な み にこ の八九 年 には、
海 外 では中 国 の天 安 門事 件 や東 欧 の社会 主 義 体 制 の崩 壊 が 、 日本 では リ ク ルー ト事 件 か ら宮 崎
勤 の逮 捕 ま でが 起 き、 激 動 に向 か う世 界 情 勢 と閉 塞感 を 強 め る国 内 情 勢 の対 照 が と り わ け 目
立 って いる。 九 〇 年 代 に入 り、 湾 岸 戦 争 、 ユー ゴ スラヴ ィ ア内 戦 、 ソ連 崩 壊 など が 次 々 に起 こ
り、 日本 でもバ ブ ル経 済 の崩 壊 、 五 五年体 制 の崩 壊 、 そ し て阪神 大 震 災 と オ ウ ム事 件 と いう よ
う に、 そ れ ま で自 明 と さ れ てき たも の の限 界が 露 呈 し、 次 々 に崩 壊 に向 か った。 た し か に多 く
の重 要 な 事件 や変 化 が 、 こ の数 年 間 に集 中 し て起 き て い る のであ る。 そ れ では い った い現 在 、
崩 れ 去 り つ つあ る のは い かな る リ ア リ テ ィな のか。 あ る いは こう し た変 化 にも か か わら ず 、 何 が ﹁終 わ ら な い日常 ﹂ と し てわ れわ れ を 取 り巻 いて い る のか。
﹁ 虚 構 ﹂の時 代 の リ アリ テ ィ
見 田 宗 介 は 、 最 近 の著 書 の 冒 頭 で 、 戦 後 日 本 の リ ア リ テ ィ感 覚 の 変 容 を 、 ﹁理 想 ﹂ の 時 代
﹁ 虚 構﹂
︵一九 四 五∼ 六〇 ︶、 ﹁夢 ﹂ の時 代 ︵一九 六〇 ∼ 七〇 年 代 前 半 ︶、 ﹁虚 構 ﹂ の 時 代 ︵一九 七 〇年 代 後 半 ∼ 九
〇︶ と い う 三 つ の時 期 に 分 け て い る 。 見 田 に よ れ ば 、 ﹁理 想 ﹂ に 生 き よ う と す る 心 性 と
に 生 き よ う と す る 心 性 で は 、 リ ア リ テ ィ へ の志 向 が 逆 転 し て い る 。 一方 で 、 ﹁理 想 ﹂ は 現 実 化
す る こと を求 め る の であ り、 理 想 に向 か う欲 望 は、 ま た 現実 に向 かう 欲望 でも あ る。 そ れ に対
し、 ﹁ 虚 構 に生 き よ う と す る精 神 は、 も う リ ア リ テ ィを愛 さ な い。 一九 八 〇年 代 の日 本 を 、特
にそ の都 市 を特 徴 づ け た のは、 リ ア リ テ ィ の ﹁脱 臭 ﹂ に向 け て浮 遊 す る ︿虚 構 ﹀ の言 説 であ り、
表 現 で あ り 、 ま た 生 の技 法 であ った ﹂。 こう し た な か で、 ﹁ 終 末 論 ﹂ と ﹁や さ し さ﹂ と いう 一
九 七 四年 の 二 つの流 行 語が 、 こ の時 代 の感 性 の基 調 を 示 す言 葉 と な って い った。 そ し て文 学 は 、
田中 康 夫 の ﹃な ん とな く 、 クリ スタ ル﹄ ︵一九八 一年︶か ら吉 本 ば な な の ﹃キ ッチ ン﹄ ︵一九 八八
年︶ に至 るま で、 六〇 年 代 の ﹁夢 ﹂ の時 代 に突 出 し て いた 狂暴 な も の、熱 いも の の余 儘 を そ ぎ
落 と し純 化 し な が ら 、 終 末 の感 覚 と ﹁や さ し さ﹂ の さ まざ ま な ヴ ァリ エー シ ョンを 表 現 し て
い った。 や が て 八〇 年 代 を 通 じ、 家 族 や友 人 、恋 人 と の最 も 基 底 的 な 関 係 性 ま でが 、 一種 の
﹁虚構 ﹂ と し て感 じ ら れ る よう にな って い った ︵﹃ 現代 日本 の感覚と思想﹄講談社学術文庫、 一九九 五 年︶。
大 澤 真 幸 は、島 薗 進 、 石 井 研 士、 そ れ に筆 者 を含 め た座 談 会 のな か で、 こ の見 田 の議 論 に基
づ き なが ら ﹁オウ ム の反 乱 ﹂ の現代 史 的 な 位 置 に ついて論 じ て いる。 彼 は、 見 田が 示 し た 三 つ
の時 期区 分 のう ち、 ﹁夢 ﹂ は ﹁理 想 ﹂ と ﹁虚 構 ﹂ に引 き 裂 かれ る よう な 二重 性 を持 って い る の
で、 本当 に基 本 的 な のは ﹁理 想 ﹂ の時 代 と ﹁虚 構﹂ の時 代 の対 立 な のだ と述 べ る。 そ うす ると 、
一九 七 二年 の連 合 赤 軍事 件 が ﹁理 想﹂ の時 代 と ﹁虚 構﹂ の時 代 の蝶 番 のよ うな 位 置 にあ った の
に似 て、 オ ウ ム事 件 は ﹁虚 構 ﹂ の時 代 の極 限 に現 わ れ た現 象 と し て位 置づ けら れ る。 オ ウ ム の
人 び と の実 践 が 、 劇 画 的 であ ったり 、 オ タク っぽ か った り、 ヴ ァー チ ャ ル であ ったり す る のは、
し てイ メー ジす る のも 、 同 様 の理 由 から 来 て いる。 と いう のも 、 ﹁虚 構 ﹂ を 生 き る精 神 は、 現
彼 らが ﹁虚 構 ﹂ の時 代 を生 き 抜 い てき た から に ほか な らな い。 オウ ムが 自 分 たち を ﹁国家 ﹂ と
実 に準 拠 す る こと や 、自 分 た ち の実 践 を現 実 に定 着 さ せ て いく こと に関 心 を 示 さな い。 む し ろ、
現 実 に非関 与 的 で完 全 に自 己完 結 した 世界 が 指 向 さ れ る のであ り、 こ のよ う な世 界 のイ メ ージ
が ﹁国 家 ﹂ と し て のオ ウ ム のな か に結 実 さ れ て いく の であ る ︵ 島薗 ・ 石井編 ﹃ 宗教 ・ 消費・メデ ィア﹄
春秋社、 一九九六年︶。 そ し てオ ウ ム の ﹁終 末 ﹂ は、 こ のよ う な ﹁虚 構 ﹂ の時代 が 行 き つく臨 界
面 を 示 し て い た。 いう な れ ば 、 ﹁終 わ ら な い日常 ﹂ と ﹁終 末 ﹂ は、 ほ と ん ど 区 別 でき な い連 続
面 に存 在 し て い る のであ って、 わ れ わ れ は 一九 八〇 ∼九 〇 年 代 を 通 じ、 虚 構 化 さ れ た 現実 感 覚 のな か で数 々の ﹁ 崩 壊﹂ と ﹁終 末 ﹂ を 生き てき た の であ る。
し たが って、 おそ ら く 問題 の本 質 は 、 わ れ われ の リ アリ テ ィ感 覚 の社 会的 な構 造 そ のも の に
あ る。今 日、 世 界 経 済 秩 序 や 国際 関 係 に歴 史的 な変 動 が 起き 、 ま た 日本 の官 僚 主 導 型 社 会 シ ス
テ ムが 明 ら か な構 造 疲 労 に達 し て い る に せ よ、 わ れ わ れ が こ こ で問 題 にし た い のは、 見 田が
﹁虚 構﹂ の時 代 と 呼 ん だ 一九 七 〇 年 代 後 半 か ら現 在 に至 る時 代 のリ ア リ テ ィ の社 会 的 な 編 制 で
あ り、 そう し た な か で ﹁日常 ﹂ と ﹁終 末 ﹂ が 同 時的 に生 き ら れ て いく状 況 の布 置 であ る。 し か
も 、 ここ で忘 れ てな ら な い のは、 こ のわ れ われ の日常 をす っぽ り 覆 って いる か に見 え る リ アリ
テ ィのさ まざ ま な 場所 には、 実 は無数 の亀 裂 が 走 って いる と いう 点 だ。 た とえ ば 中 沢 新 一は、
﹁現 代 の世 界 には、 分 厚 い ﹁ 底 ﹂ のよう な も のが あ って、 そ れが リ ア ルの侵 入 を ふ せ いで いる﹂
のだ と言 う ︵﹃ リ アルであること﹄ メタ ローグ、 一九 九四年︶。 こ の ﹁ 底 ﹂ が 抜 け て いく よ う な瞬 間
が 、 たと えば ベ ルリ ンの壁崩 壊 であ り、 あ る いは冒 頭 で ふれ た先 住 民 の反 乱 であ った。 オ ウ ム
事 件 が 、 はた し て ﹁底 ﹂ に穴 を穿 つ試 みだ った のか、 そ れ と も い っそう ﹁ 底 ﹂ を厚 く し て いく
動き であ った のか に つい て は即断 でき な い。 いず れ に せ よ、 八〇年 代 末 以 降 に起 き てき た の は、
こ のよ う な リ アリ テ ィ の ﹁底 ﹂ に亀 裂 が 走 って いく 諸 過 程 と 、 そ れ を 修 復 し、 い っそう 厚 い
﹁底 ﹂ で時 代 の リ アリ テ ィを組 織 し て い こう と す る諸 々 の動 き と の、 さ まざ ま な レ ベ ル で の衝 突 であ った。
こ の衝 突 は、 た ん に 国境 地 帯 にお いてば かり でな く、 学 校 の教室 でも 、 人 工的 な 風景 の続 く
郊外 でも 、 メデ ィ アが 形 づ く る情 報 環 境 のな か でも起 き て い る。 な か でも 学 校 は、 八 〇年 代 を
通 じ 、 こ う し た リ アリ テ ィ闘 争 が 展 開 し て いく 中 心 的 な 場だ った の では な いだ ろう か 。 栗 原彬
によ れば 、 登 校拒 否児 の存 在 は 一九 六 〇年 代 から知 ら れ て い たが 、教 育 の管 理 化 が進 ん だ 七〇
年 代 後半 から 急 増 し 、 八〇 年 代 を 通 じ て増 え つづ け たと いう。 七 〇年 代半 ば から の教 育 の管 理
化 と し ては、 学 校 への主 任 制 の導 入 や偏 差 値 に よ る選 別 シ ステ ムや マル特 制 度 の導 入 と い った
現 象 が 挙げ ら れ る。 こ のよ うな シ ステ ム の動 き に対 応 し て、 学 校 でも 、家 庭 でも 、 七 〇年 代末
から 能力 主義 と管 理 主義 の包 囲 網 を 断 ち切 ろう とす るか のよ う に子 ど も た ち のア ク テ ィ ング ・
アウト ︵ 表出行動︶が 噴 出 した 。 校内 暴 力 、 家 庭 内 暴 力 、 い じ め、 非 行 、 登校 拒 否 、自 殺 ︱︱ 。
これ ら は ﹁か ら み つく管 理 のまな ざ し に対 し て ﹁良 い子 ﹂ を演 じ て い る自 分 と、 ま な ざ しか ら
離 脱 した いと望 ん で い るも う 一人 の自 分 と の葛 藤 の自 己 提 示 であ った﹂。 そ し て 八〇年 代 以降 、
こう した 動き は社 会 に受 け 入 れ ら れな いま ま内 向 し、 ﹁いじ め﹂ と ﹁自殺 ﹂ に示 さ れ るよ う な、
閉 鎖 性 を構 造化 す る方 向 へと 転 化 し て い った ︵﹃人生 のドラ マトゥルギ ー﹄岩波書店、 一九九四年︶。
ひ と こと で言 えば 、 一九 八〇 年代 の日本 社 会 を 覆 って い った のは 、自 己完 結 的 に組織 さ れ た
﹁虚 構 ﹂ の ﹁や さ し さ﹂ の世界 のな か に自 ら を閉 ざ し て いく よ う な社 会 の リ アリ テ ィであ った。
本 書 の第 Ⅰ部 が 照 準 し て いる のも ま た 、 こ のよう な ﹁虚構 ﹂ のリ ア リ テ ィの諸 側 面 に ほか な ら
な い。 と ころが こ の リ ア リテ ィは、 そ れ が社 会 全 域 を 貫徹 し て いく 過 程 にお いて、 シ ステ ム の
は、 たと え ば デ ィズ ニー ラ ンド的 な現 実 感覚 か ら オ ウ ム真 理 教的 な現 実 感 覚 への転移 のな か に
中 心部 にお いて も、 周 縁 部 にお いても 構 造 的 な崩 壊 現 象 を 生 じ さ せ つ つあ る。中 心部 で の崩 壊
も 、電 話 回線 網 や テ レビ ゲ ー ム の画面 のな か に構 成 さ れ るヴ ァー チ ャ ルな リ ア リ テ ィ の危 うさ
のな か にも 見 る ことが でき る。 他方 、 周縁 部 から の崩 壊 は、 チ ア パ ス の反 乱 に見 ら れ た よ うな 、
グ ローバ ルな情 報 ネ ット ワー クを 逆 手 にと った、 新 し い マイ ノ リ テ ィ の異議 申 し立 て戦略 のな
か に見 る こ とが でき よ う。 む ろ ん、今 日 の情 報 消 費 社 会 の シ ステ ム は、 こ のよう な崩 壊 の局面
を 内 包 し なが らも 、 そ う簡 単 に ﹁豊 かな 社会 ﹂ のリ ア リ テ ィ の日常 に対 す る 拘束 力 を 低 下 さ せ
るわ け では な い。 高 度 化 す る リ アリ テ ィの管 理体 制 と、 そ こ に生 じ て いく 無 数 の亀 裂 や崩 壊 は 、
いず れ も グ ローバ リ ゼ ー シ ョンと ハイブ リ ッド化 の様 相 を 強 め つ つあ る今 日 の社会 にお いて、 混淆 しな が ら 対抗 しあ う 複 雑 な力 の束 な の であ る。
シ ステムの免疫不全
以 上 で述 べ てき た よう な 観 点 を含 め、 今 日 の情 報 消費 社 会 のリ ア リ テ ィ に つ いて、 これ ま で
最 も 精 力 的 に議 論 を展 開 し てき た のは ジ ャ ン ・ボ ード リ ヤ ー ルであ ろう 。 ボ ード リ ヤ ー ル の消
費 社 会 論 に関 し ては、 第 Ⅳ部 で詳 論 し て い る の で こ こで は触 れ な い。 さ しあ た り、 こ の序章 で
言 及 し てお き た い のは、 ご く 最 近 の彼 の言 説 に つい てであ る。 たと えば 彼 は、 最 近 の マル ク ・
ギ ヨー ムと の対 談 のな か で、空 港 か ら空 港 へと 移 動 し 、飛 行 機 を 乗 り 継 いで何 年 も 世 界 を 旅行
し つづ け た 女性 の話 を持 ち出 し て いる。 ﹁彼 女 はず っと 旅 行 中 だ ったが 、 そ の旅 行 は軌 道 の上
だ け のも のだ った から 、 そ れ は軌 道 を めぐ る宇 宙 旅行 のよ うな も の で、 た い へん強 烈 な存 在感
を あ たえ る 地球 と いう 惑 星 と の関 係 に お い ても 、 完 全 に領 土 喪 失 状 態 にあ ったと 言 ってよ い﹂。
いう ま でも な く、 ボ ード リ ヤ ー ルが こう し た例 を 持 ち 出す の は、 現 在 のわ れ われ が 置 かれ て い
る状 況 の暗 示 と し て であ る。 今 日 で は、 ど のよ う な旅 行 も 、 到 達 す べき 月標 や知 り 合 う べ き人
び と と い った準 拠 を 持 つ以 上 に、 連 続 的 な 軌 道 上 の純 粋 な移 動 、 いわば 乗 り換 え = ト ラ ンジ ッ
ト に還 元 さ れ つ つあ る。 わ れ わ れ は こ の旅 な ら ぬ ト ラ ンジ ット のく り返 し のな か で、 属領 性 の ひ そ かな喪 失 と 不在 に魅 惑 さ れ て いる。
人 び と は い つも 旅 行 し て いるが 、 抵 抗 感 と か、 ど こ か に上陸 す る感 じ はも う存 在 し な い。
自 分 の領 土 を 失 う 感覚 が 持 続 し て い るだ け だ。 も ち ろ ん、 あ る 場所 から べ つの場 所 へ移 行
す る 必 要 性 を と も な って 、 で あ る 。 と い う の も 、 こ の種 の旅 行 は じ っさ い、 そ の 固 有 の空
間 を 消 費 し つく す か ら だ 。 た え ず 場 面 を 更 新 す る 必 要 が あ る の だ 。 こ の点 で 、 本 来 の 欲 望 、
を も た な く な る ︵﹃ 世 紀 末 の他者 た ち﹄ 紀伊 國屋 書 店、 一九 九 五年 ︶。
本 来 の エネ ルギ ー は 、 転 送 機 械 に 自 分 を ま か せ て し ま い た いと いう あ の 欲 望 ほ ど の 重 要 性
む ろ ん、 ボ ー ド リ ヤ ー ルが 指摘 し て いる のは 、 た ん な る空 間 的 な移 動 性 の問 題 では な い。 む
し ろ彼 は、 わ れ わ れ の時 代 にお け る他 者 性 の消 失 と リ アリ テ ィの内 閉化 に つい て語 って いる の
だ。 ﹁宇 宙飛 行 士 たち が 地 球 のま わ り を 回 り は じ めた と き から 、 誰 も が ひそ か に自 分 自 身 のま
わ り を 回り はじ めた﹂ と、 ボ ード リ ヤ ー ルは言 う 。 こ のとき から ﹁超越 と無 限 性 を めざ す す べ
て のも のが 、急 に方 向 を変 え て、 環 状軌 道 に移 行 し はじ め る。 知 識 、 技 術、 認 識 は、 そ の企 て
にお いて超 越 的 であ るこ と を や め、永 遠 の環 状 軌 道 を 回 り は じ め る﹂。 こう し て、も は や 国 民
国 家 の枠 組 にも 、 個 人 の主体 性 にも 回 収 不能 な横 断 的 な 全 体 性が 、 セ ック ス、 マネ ー、 情 報 の
あ ら ゆ る領 域 に お い て大 陸 を越 え 、 爆 発 す る のであ る。 したが って、 現 代 世 界 は た ん にト ラ ン
ス ・ナ シ ョナ ルであ るだ け では な い。 政 治 は ト ラ ン ス ・ポ リ テ ィ ーク に、 経 済 は ト ラ ン ス ・エ
コノ ミ ー に、性 は ト ラ ンス ・セ ク シ ュア リ テ ィ へと変 貌 し、 す べ てが 横 断 的 で普 遍的 な平 面 に
収 斂 す る であ ろ う。 こ こ で はも は や、 いかな る言説 も他 の言 説 の隠喩 と な る こと が な い。 隠 喩 を 可能 にす るよ う な 否定 性 が 、 す で に消 滅 し てし ま って いる のであ る。
と こ ろが 、 こ のよ う に否 定 性 を 抹消 し てあ ら ゆ る関係 を肯 定 性 の記 号 操作 へと置 換 し、 そ う
し て消 毒 され た記 号 を全 地 球 規 模 で流 通 さ せ て いく 過程 は、 やが て恐 る べき 結 果 を も たら す こ
と にな る。 す な わ ち 、自 己免 疫 性 の持 続 的 で 不可 逆 的 な低 下 と いう 事態 であ る。 シ ステ ムは自
ら の否定 性 を 悪 魔 払 いす る こ とを 通 じ、 ﹁ 癌 の、 つま り自 分自 身 の細 胞 を 喰 い つくす 肯 定 性 の
転移 の危 険 を 、 あ る いは細 菌 が 駆 逐 さ れ て用 のな く な った抗 体 に よ って喰 い つく され るウ イ ル
ス性 の危 険 を 冒 し て いる ﹂。 た と えば 、 ﹁コンピ ュー タ ・ウ イ ル スは、 全 世界 を駆 け めぐ る情報
の、危 険 な透 明 度 の表 現 であ り、 エイ ズ は、 セ ック スの危 険 な透 明 度 の、 全 人間 集 団 の規 模 へ
の拡 散 であ り、 ク ラ ッシ ュは、 さ まざ ま な経 済 現 象 お よ び生 産 と交 換 の解 放 の基 礎 そ のも のと
な った諸 価 値 の高 速 度 で の流 通 の、 危 険 な透 明 度 の表 現﹂ な のであ る。 これ ら のウ イ ル ス性 の
崩 壊 過 程 は、 シ ス テ ム の外 から や ってく る の で は な い。 シ ス テ ムが 否定 的 な 他 者 を 消 去 し て
い った帰 結 と し て、 シ ステ ムそれ 自 体 の自 己言 及的 な 運 動 の中 心 部 から 発 生 し、 増 殖 し て いく の であ る ︵﹃ 透きとお った悪﹄ ︶。
ボ ード リ ヤ ー ルの こう し た議 論 は首 尾 一貫 し たも の で はあ るが 、 同 時 に彼 が他 者 性 の消 失 に つい て次 のよ う に述 べる とき 、 あ る種 の限 界も 感 じ な いわ け では な い。
わ れ わ れ は他 者 を発 見 し、 探 索 し、 ﹁発 明 す る﹂ た め の狂宴 の最 中 に い る。 差 異 の狂 宴
だ 。 両面 性 を も つ、 イ ンタ ー フ ェイ ス的 で、対 話 型 画 面 的 な売 春 斡 旋 業 。疎 外 の鏡 の向 こ
う 側 に行 って しま え ば 、 構造 的 な差 異 は、 モー ド や風 俗 や文 化 のな か で無 限 に増 殖 し はじ
め る。 む き だ し の他 者 性 は終 わ った。 人 種 、 狂 気 、貧 困 、 死 な ど の ハード な 他 者 性 は 終
わ った。 ほか のあ らゆ る部 分 と 同 じ よ う に、 他 者 性 は市 場 の、 需 要 と 供給 の法 則 の支 配 下
に お かれ 、珍 し い商 品 にな った。 ⋮⋮ 他 者 性 の鉱脈 は底 が 見 え て いる。 わ れわ れ が 、 ほ か の天 然 資 源 同様 、 他 者 を 使 い尽 く し て し ま った の であ る ︵ 同書︶。
本 当 に、 ﹁終 わ った﹂ のだ ろ う か。 ボ ード リ ヤ ー ルの い つも なが ら の レ トリ ックは 認 める に
し ても 、 ﹁人 種 、 狂 気 、貧 困 、 死 な ど の ハード な 他 者 性 は終 わ った ﹂ な ど と 、 た と え 論 理 的 な
展望 と し ても 言 え る の であ ろう か。 ここ でボ ー ド リ ヤ ー ルは 、自 分 が 仕 掛 け た 論 理 の罠 に自 ら
捕 え ら れ て いる の では な いだ ろう か。 た し か に彼 は、 こ のよ う に述 べ た後 、 今 度 は ﹁ラデ ィカ
ルな 他者 性 ﹂ と いう概 念 を持 ち出 し 、 一度 は死 な せ た他 者 た ち の死 骸 に再 び 生命 を ふき こ ん で
い る。 し かし な が ら 、 そ れ で は い った いど のよ う に し て、 ち ょう ど バ タイ ユの ﹁呪 わ れ た部
分﹂ に相 当 す るよ う な ﹁他 者 性 ﹂ が 再 び 出 現 可能 とな る のか に つ いて、 説 明 は 必ず しも 明 瞭 で
はな い。 ﹁ラデ ィカ ルな他 者 性 ﹂ と は、 前 述 し た シ ステ ムの免 疫 不 全 のウ イ ル ス的 兆 候 の こ と
な の か。 そう だ と す る な ら、 なぜ こ の シ ステ ム の綻 び を ﹁他 者 性﹂ と呼 ぶ のだ ろ う か。 あ る い
はボ ード リ ヤ ー ルは、 こう し た シ ステ ム内 部 か ら過 剰 に発 生 す る抗体 的 な ﹁他 者 性 ﹂ を超 え て、
﹁われ わ れ の文化 ﹂ と和 解 不能 な他 者 を 外 部 に想 定 し て いる の であ ろ う か 。 そ う だ とす るな ら 、
そ の よう な ﹁外 部 ﹂ は、 い った いど のよう にし て担 保 可能 と な る の であ ろ う か。
こ の よう に考 え てく ると 、 シ ステ ムの免 疫 不 全 を め ぐ るボ ード リ ヤ ー ル の議 論 の袋 小 路 を突
破 し、 他 者 性 を め ぐ る議 論 の地 平 を切 り 開 い て いく た め に は、 ど う や ら 問題 の立 て直 しが 必要
ら し い こ と が わ か っ て く る 。 一方 で は レ イ モ ン ド ・ウ ィ リ ア ム ズ か ら ス チ ュア ー ト ・ホ ー ル へ
と 展 開 し て い く カ ル チ ュラ ル ・ ス タ デ ィ ー ズ の流 れ と 結 び つき な が ら 、 他 方 で は フ ー コー の権
力 論 を 基 礎 と し 、 さ ら に グ ラ ム シ や ラ ク ラ ウ の文 化 ヘゲ モ ニ ー 論 の影 響 も 受 け な が ら 、 近 年 、
エド ワ ー ド ・サ イ ー ド や ジ ョ ン ・ト ム リ ン ソ ン な ど に よ っ て 展 開 さ れ て き て い る 文 化 と 帝 国 主
義 を め ぐ る 議 論 、 あ る い は や は り サ イ ー ド や ジ ェイ ムズ ・ク リ フ ォ ー ド ら に よ る ﹁ 旅 す る知 ﹂
に つ い て の洞 察 は 、 こ う し た ボ ー ド リ ヤ ー ル の 限 界 点 を 突 破 し て い く 、 よ り 確 実 な 方 向 性 を 示
唆 し て く れ て い る 。 残 念 な が ら 、 ﹁ポ ス ト コ ロ ニア リ ズ ム﹂ や ﹁カ ル チ ュラ ル ・ ス タ デ ィ ー ズ ﹂
の名 の も と に 八 〇 年 代 末 以 降 の英 米 圏 で 展 開 さ れ て き て い る 知 的 潮 流 に つ い て 概 括 す る こ と は 、
本 書 の射 程 を完 全 に超 え て いる。 し か しな が ら 、 た とえ ば ク リ フ ォー ドが 九 〇 年 にイ リ ノイ大
学 で 開 か れ た カ ル チ ュラ ル ・ス タ デ ィ ー ズ に 関 す る シ ンポ ジ ウ ム で述 べ た よ う に 、 近 年 の人 類
学 批 判 の 言 説 か ら は 、 ロ ー カ リ テ ィ と グ ロ ー バ リ ズ ム の遭 遇 の な か で の協 働 や 対 抗 、 支 配 、 調
整 を 、 住 ま う こ と と 旅 す る こ と の交 錯 と 調 整 の 過 程 と し て 記 述 し 直 し て いく 関 心 が 浮 上 し て い
る の で あ る ︵C l i f ford ,J. ,〝 Traveli ngCul t ures , 〟L.Gros sberg et .al .eds . ,Cul t ur alSt udi e, sRout l e dg e,
1992︶。 グ ロー バ ル な 移 動 性 の 世 界 は 、 必 ず し も 普 遍 的 な 肯 定 性 の環 状 軌 道 と そ の外 部 か ら 浸
透 す る エキ ゾ テ ィ ッ ク な 他 者 と い った 二元 論 的 構 図 に帰 着 す る わ け で は な い。
ト ラ ン ジ ッ ト ・ゾ ー ン
グ ローバ ルな移 動 性 と ポ スト コロ ニア ルな他 者 性 を めぐ る こう し た近 年 の議 論 の展開 を背 景
と しなが らも 、 こ こ で言 及 し て おき た い の は、本 書 のタ イ ト ルにも含 ま れ る ﹁ト ラ ンジ ット﹂
と いう 言葉 に つい て であ る。 た と えば 今 福 龍 太 は、 現 代 社 会 のな か で ﹁住 む ﹂ こと と ﹁移 動 す
る﹂ こと は、 ます ます 経 験 と し て区 別 でき な く な ってき て いると 述 べ る。 現 代 人 の居 住 は そ れ
自 体 、 全 面的 に移 動 、 す な わ ち マス ・ト ラ ンジ ット の存 在 に依存 し て いる。 現 代 は、 移動 の論
理 の上 によ う や く危 う い定 住 の形 式 を 獲 得 し て い る の であ る。 ﹁わ たし たち の 日常 生 活 のな か
で自 動 車 が持 つ意 味 は、 す で に通 勤 や買 い物 のた め の機 能 的 な 道 具 であ る と いう 以 上 に、 あ る
種 の文 化 的 テ ク スト の書 き 込 み の行為 に加 担 す るた め の 一つ の手 段 へと変 化 し つ つあ る。 わ た
し た ち の都 市経 験 は、 文 字 言 語 と し て紙 の上 に書 き つけ られ る前 に、 き わ め て巧 妙 か つ集 合的
な や り方 で、 車 の日常 的 な 操 縦 感覚 と見 馴 れ た車窓 の移 動 風 景 と し て書 き 込 ま れ て しま って い
る のだ 。 こう し て、 ド ライ ヴ ィ ング ・シー ト に体 を沈 め て車 を 運 転 し なが ら都 市 の上 に描 く ト
ラ ンジ ット の軌跡 そ のも のが 、 わ た し た ち に と って の都 市経 験 を 語 る エク リ チ ュー ル へと 近 づ
い てゆ く﹂ ︵﹃ク レオール主義﹄青 土社、 一九九 一年︶。 そ し て こ の車 の車 窓 風 景 は、 やが て容 易 に 広告 写真 のワ ン ・シ ー ンにも 、 テ レビ 画面 の映 像 にも 転 化 す る であ ろう 。
今 福 に よれ ば 、 こ のよう に移 動 性 によ って張 ら れ て いく空 間が 重 要 な のは、 ポ スト コロ ニア
ルな 現代 社 会 で は、 文化 の居 場 所 が 固 定的 で 同質 的 な 社 会空 間 か ら流 動 的 で ハイブ リ ッドな コ
ン タ ク ト ・ゾ ー ン へと 移 行 し つ つあ る か ら で も あ る 。 彼 は 、 ニ ュー ヨ ー ク と プ エ ル ト リ コ の サ
ン フ ァ ンを 結 ぶ 深 夜 の 直 行 便 で 展 開 さ れ る 哄 笑 と コ ミ ュ ニケ ー シ ョ ン の 世 界 を 描 い た ル イ ス ・
サ ン チ ェ ス の 小 説 ﹁エア バ ス﹂ を 例 に し な が ら 、 ア メ リ カ 国 籍 を 持 ち な が ら も ア メ リ カ 社 会 か
ら の疎 外 者 で あ る プ エ ル ト リ コ人 た ち に と っ て 、 彼 ら の主 体 性 は い つも ニ ュー ヨ ー ク と プ エ ル
ト リ コの 間 に宙 づ り に な っ て い る と 論 じ る 。 エ ア バ ス と いう ト ラ ンジ ット の空 間 は 、 ま さ に そ
う し た 彼 ら の浮 遊 感 を ス ト レ ー ト に表 現 す る 。 ﹁プ エ ル ト リ コ人 の生 存 の意 識 は 中 間 的 であ り 、
非 帰 属 的 で あ る 。 だ か ら こ そ 、 コ ン タ ク ト ・ゾ ー ン と し て の深 夜 の 空 港 待 合 室 と 飛 行 機 の 機 内
に お い て 、 彼 ら の も っと も 昂 揚 し た 生 も 営 ま れ る ﹂ こ と に な る 。 ト ラ ン ジ ット の 空 間 と は 、
デ ィ ア スポ ラ の 主 体 が せ め ぎ あ う 、 文 化 の 混 淆 と 対 立 、 調 整 の現 場 な の で あ る ︵ ﹁デ ィア スポ ラ の楽 園 ﹂、 ﹃ 10+ 1﹄ No.1、 一九 九 四年 ︶
ル ・ヴ ィ リ リ オ の速 度 論 は も ち ろ ん の こ と 、 グ ロ ー バ ル な 移 動 性 や ポ ス ト コ ロ ニア ルな 他 者 た
鉄 道 と 駅 、 ハイ ウ ェイ 、 エ ア ポ ー ト と 空 路 と い った ト ラ ン ジ ッ ト ・ゾ ー ン に 関 し て は 、 ポ ー
ち と の遭 遇 を め ぐ る 近 年 の 多 く の議 論 と 結 び つけ て お く こ と が で き る 。 ヴ ィ リ リ オ に よ れ ば 、
今 日 の社 会 に あ って 、 都 市 と は 一時 停 止 の場 で あ っ て、 そ こ に は 居 住 可 能 な 交 通 し か 存 在 し な
い ︵﹃ 速 度 と政 治 ﹄ 平 凡社 、 一九 八 九年 ︶。 住 ま う こ と は 、 絶 え 間 な い交 通 の な か に こ そ 見 い だ さ れ
なけ れば な ら な い のだ。 こう した 指摘 を踏 まえ て片 木篤 は、 現 代 都 市 の構成 に と って の ト ラ ン
ジ ッ ト 概 念 の重 要 性 を 強 調 し て い る。 片 木 は た と え ば 、 鉄 道 、 水 路 、 道 路 、 橋 、 空 路 な ど に 注
目 し なが ら 、 近 代都 市 が 、 これ ら のイ ン フラ に支 え ら れ た交 通 の場 と し てデ ザ イ ンされ てき た
過 程 を 描 写 す る ︵﹃テ ク ノ スケ ープ﹄ 鹿 島 出 版 会 、 一九 九 五 年 ︶。 そ し て 多 木 浩 二 と 大 澤 真 幸 は 、 こ
う し た 認 識 も ひ き 継 ぎ つ つ、 ト ラ ンジ ッ ト 空 間 と し て の エア ポ ー ト に お け る 主 体 の位 置 を 問 題
に し て い る 。 十 九 世 紀 に 鉄 道 が ﹁非 常 な 長 距 離 を 、 従 来 で は 考 え ら れ な い ほ ど の 短 時 間 で 、 し
か も 規 則 的 な 速 度 で 踏 破 し た と き 、 鉄 道 が 張 り め ぐ ら さ れ て い る 領 域 の 全 体 は 、 単 一の 原 理 に
よ って 統 括 さ れ た 普 遍 的 な 均 質 性 を 有 す る 空 間 ﹂ と な った 。 だ が 、 こ の 均 質 空 間 の 普 遍 性 は 、
少 な く と も 鉄 道 の 時 代 に は い ま だ 十 分 に 展 開 さ れ て い た わ け で は な い 。 こ の普 遍 性 は 、 そ れ 自
体 が 一個 の特 殊 性 、 す な わ ち 首 都 と い う 中 心 を 持 ち 、 国 境 に よ って 境 界 づ け ら れ た も の で あ っ
た 。 や が て こ の境 界 は 、 エ ア ポ ー ト が 全 地 球 を ネ ッ ト ワ ー ク 化 し て いく な か で 溶 解 す る 。 エ ア
ポ ー ト は 、 任 意 の ネ ー シ ョ ン の 外 部 にあ り 、 ど こ に も 帰 属 し な い ゼ ロ地 点 で あ る 。 同 時 に 、
﹁エ ア ポ ー ト に お け る 主 体 の自 由 で 孤 独 な 身 分 は 、 権 力 の完 全 な 管 理 下 に 置 か れ て い る ﹂。 だ が
こ の権 力 は、自 ら の帰 属 点 を 持 たな い空 虚 な 権 力 で あ る。 こ の エ アポ ート にお い て、 語 る身
体 = 主 体 は 、 語 ら れ た 主 語 の う ち に 掬 い 取 り え な い ﹁残 り 滓 ﹂ と し て 集 積 し て い く の だ ︵ ﹁エ アポ ー ト論 ﹂、 ﹃1 0+ 1﹄ No.2、 一九九 四年 )。
す で に今 福 が 論 じ て い た よ う に、 ネ ー シ ョ ン の 外 部 と し て の エ ア ポ ー ト や 空 路 は 、 ﹁ど こ で
﹁居 住 ﹂ の 空 間 で も あ る 。 上 野 俊 哉 は 、 サ イ ー ド や ク リ
も な い 場 所 ﹂ と いう 以 上 に 、 ア イ デ ン テ ィ テ ィが 宙 づ り に さ れ 、 デ ィ ア スポ ラ の身 体 が 輻 輳 し な が ら 意 味 を 発 生 さ せ て いく 新 た な
フ ォ ー ド 、 ホ ミ ・バ ー バ な ど の ﹁旅 ﹂ に つ い て議 論 を 参 照 し な が ら 、 ﹁デ ィ ア ス ポ ラ ﹂ ﹁エグ ザ
イ ル﹂ ﹁避 難 民 ﹂ な ど の 存 在 の ロ ケ ー シ ョ ン か ら 現 代 の都 市 世 界 を 思 考 し 直 す こ と を 提 案 し て
いる。占 領 と移 住 、 侵 略 や測 量 、 旅 行 や観 光 、 貿 易 や 通 信 な ど の形 態 を と って たが い に拮 抗 す
る空 間的 実 践 の総 体 を 文化 と し て捉 え るこ と、 住 む こと と旅 す る こと の相補 的 で 可逆 的 な 関係
を 練 り あげ 、 そ の可 動 的 な生 に即 し た認識 主 体 を 構 想 す る こ とが 必 要 な の であ る。 こ のよ う に
述 べ る上 野 は、 空 港 の トラ ンジ ット ・ゾ ー ン のよう な 、 誰も が ﹁避 難 民 ﹂ と し て見 え てく る空
﹃ 10+ 1﹄No.4、 一九九五年︶。 こ の場合 、 ト ラ ンジ ット ・ゾ ー ンと は 、 た ん な る グ ローバ ルな移
間 か ら、 新 た な 共 同 性 の形 式 を 組 み上 げ て い く 可 能 性 に つ い て論 じ て い る ︵ ﹁空間 の政治学﹂、
動 の中継 地点 と いう 以 上 に、 それ ま で のネ ー シ ョ ンの準 拠枠 が 緩 み、 異 質 な ジ ェンダ ーや エス
ニシテ ィ、階 級 な ど が 流 動性 のな か で重層 的 に交 錯 す る 非決 定 性 の場 な の であ る。
﹁ト ラ ンジ ッ ト﹂ と い う 言 葉 を こ の本 の タ イ ト ル に用 い た の は 、 ひ と つ に は こ こ に 挙 げ
本 書 の意 図 と構 成 私が
て き た 論 者 た ち の ポ ス ト コ ロ ニア ル な 主 体 性 を め ぐ る議 論 の展 開 と 、 本 書 の 、 と り わ け 第 Ⅲ 部
に 示 さ れ る 問 題 関 心 を 結 び つけ て お き た か っ た か ら で も あ る ︵も っとも 、 ﹁リ アリ テ ィ﹂+﹁ト ラ ン
ジ ット﹂ と いう タイ ト ル形式 には、 黒 川創 の好 著 ﹃リ ア リ テ ィ ・カ ーブ ﹄ ︵ 岩 波 書 店 、 一九 九 四年 ︶ から の
無 意 識 の影 響 が あ った かも し れ な い︶ 。 だ が 、 こ こ で の観 点 か ら す る な ら ば 、 こ の よ う な グ ロ ー バ
ルな 移 動 性 の な か で 交 錯 す る 主 体 の 多 層 性 と いう 認 識 に 加 え 、 こ の ﹁ト ラ ン ジ ット ﹂ と い う 言
葉 に は 、 さ ら に 二 つ の 含 意 を 付 与 し て お き た い。 手 元 の 英 和 辞 典 で 引 い て み て い た だ け れ ば す
ぐ にわ か る こと だ が 、 t ransi tと い う 単 語 に は 、 運 送 、 通 路 、 通 過 な ど と い っ た 前 述 の空 間 的
な 移 動 性 の ほ か に 、 変 化 、 経 過 、 推 移 と い う よ う な 、 よ り 一般 的 に は t ransi ti on の 語 で 示 さ
れ る 時 間 的 な 移 行 性 の 意 味 が 含 ま れ て い る。 さ ら に 言 え ば 、 transi tが 形 容 詞 化 し た transi
の 、 一時 的 な 、 な ど の 意 味 が あ る 。 つ ま り 、 ﹁リ ア リ テ ィ ・ト ラ ンジ ッ ト﹂ と は 、 グ ロ ーバ リ
t i ve に は 、 移 行 的 な 、 中 間 的 な と い っ た 意 味 が 、 transi tory に は 、 移 ろ い や す い 、 つ か の ま
ゼ ー シ ョ ン の な か で 越 境 し 、 交 錯 し 、 ネ ー シ ョ ン の リ ア リ テ ィを 溶 解 さ せ な が ら せ め ぎ あ う 複
数 の 主 体 の積 層 を 指 し て い る と いう だ け で な く 、 八 〇 年 代 か ら 九 〇 年 代 に か け 、 拡 大 し て ぎ た
情 報 消 費 社 会 の リ ア リ テ ィが 変 質 し 、 不 安 定 な 領 域 へと 推 移 し て いく 時 間 的 な プ ロ セ ス を も 含 意 し て いる のだ。
いう ま で も な く 、 こ の 二 つ の 次 元 は 独 立 し て は お ら ず 、 相 互 不 可 分 に 相 関 し て い る 。 水 嶋 一
﹁わ れ わ れ は 、 過 去 と 現 在 、 同 一性 と 差 異 性 、 内 部 と 外 部 、 排 除 と 包 摂 、 定 住 と 移 住 な ど が 複
憲 が 現 代 の多 文 化 状 況 と 差 異 の文 化 政 治 学 に つ い て 論 じ た 精 度 の高 い論 文 で 述 べ て い る よ う に 、
雑 に絡 み 合 った 、 移 行 = 移 乗 の 瞬 間 の た だ 中 に い る 自 分 を 見 出 し て い る ﹂ の で あ る 。 水 嶋 は こ
こ で、 ﹁ポ ス ト モ ダ ニズ ム ﹂ や ﹁ポ ス ト コ ロ ニ ア リ ズ ム ﹂ な ど の ﹁ポ ス ト ﹂ が 、 単 純 な 継 起 性
﹁現 在 ﹂ と は 、 ﹁単 線 的 か つ 同 質 的 な
や 対 極 性 を 意 味 し な い こ と を 強 調 し て い る 。 わ れ わ れ の 時 代 は 、 ﹁時 の 関 節 が は ず れ て い る ﹂ ︵ハム レ ット︶ の で あ っ て 、 諸 々 の ﹁ポ ス ト﹂ が 織 り な す
連 続 性 のう ち の 一点 と し て 位 置 づ け る こ と の 不 可 能 な 、 分 裂 し 分 散 し 脱 臼 し た 時 ﹂ な の で あ る
︵﹁ 旅 す る文 化 、転 位 す る人 文 学 ﹂、 山 田慶 児 ・阪 上 孝 編 ﹃人 文 学 の ア ナ ト ミー﹄ 岩 波 書 店 、 一九 九 五 年︶。
ち ょう ど ﹁ト ラ ンジ ット﹂ の空 間 的 な 重層 性が 、 時 間 的 な重 層 性 も 孕 まざ るを えな いよう に、
﹁ポ ス ト﹂ の時 間 的 な分 裂 性 は、 空 間 的 な 分 裂 性 を 内 包 し て いる。 わ れ わ れ は、 こ のよ う な
﹁ポ スト =ト ラ ンジ ット﹂ と いう 接 頭 辞 に よ って し か表 現 でき な い流 動 す る リ アリ テ ィ の連 続
体 の な か で、 ま た そ う し た流 動 性 を情 報 と 商 品 の流 通 シ ス テ ム へと 回収 し、 ﹁消 費 者 ﹂ な り
﹁受 け 手 ﹂ な り ﹁国 民﹂ な り の アイ デ ン テ ィテ ィの内 部 に ﹁わ れ わ れ の現 在 ﹂ を 編 制 し て いく
情報 消 費 社 会 の リ アリ テ ィ のな か で、 同時 代 的 な 生 を営 み つづ け て いる のであ る。
う に記 述 し て いく こ とが でき る のか。 ﹁ト ラ ンジ ット﹂ と いう 語 に含 ま れ る 三番 め の含 意 は、
そ れ で は い った い、 空 間 軸 と 時 間軸 が 絡 まり あ う こ の社 会 の ﹁現在 ﹂ を、 わ れ わ れ は ど のよ
こ の同時 代 の記述 と いう 点 にか か わ って い る。 も う 一度 、 英 和 辞 典 で transi tの項 を 引 いて み
て いた だ き た い。 そ こ には これ ま で述 べ た 二 つ の意 味 と は別 に、 測 量 用 語 と し て の ﹁ト ラ ン
ジ ット﹂ に ついて の説 明 が あ る はず であ る。 ﹁ト ラ ンジ ット ・コンパ ス ︵転鏡儀︶﹂、略 し て ﹁ト
ラ ンジ ット﹂ と は、 水 平 角 と 鉛直 角 を 測 る測定 機 械 のこ とを 指 し て いる。 水 平 軸 と鉛 直 軸 の周
囲 に自 在 に回転 でき る望 遠鏡 を装 置 し たも の で、 工事 現 場 な ど で の測 量 に は欠 かせ ぬ機 械 であ
る。 これ は、 ま ったく の比喩 で はあ るが 、 わ れ わ れが 同 時 代 の現 実 に つい て ﹁測 定﹂ を し て い
くと き にも、 こう し た水 平軸 と鉛 直 軸 を自 在 に行 き 来 しな が ら現 象 の変 化 を 見 据 え て いく、 あ
る種 の ﹁ト ラ ンジ ット﹂ 的 な視 線 が 必 要 であ る。 ﹁水 平軸 ﹂ と は、 ボ ード リ ヤ ー ルが そ の消 費
ド から メキ シ コシテ ィの北米 化 ま で、 記 号的 な シミ ュレ ー シ ョン の論 理 はわ れ わ れ の社 会 の リ
社 会 論 に要約 し た よう な 、 記 号的 な社 会編 制 のこ と であ る。 皇 太 子成 婚 や 東 京 デ ィズ ニー ラ ン
アリ テ ィを グ ローバ ル に横 断 し て いる。 他 方 、 ﹁鉛 直 軸 ﹂ と は、 そ のよ う な ハイ パー リ ア ルな
世 界 を生 き て い る諸 主体 を垂 直 方 向 に貫 き 、 自 己 完 結 的 な リ ア リ テ ィ に亀 裂 を走 ら せ、 そ れ を
崩 壊 さ せ て いく よう な運 動 のベ ク ト ル であ る。 両 者 は今 日 、 周 囲 の 日常 のリ アリ テ ィ のな か に、
画 然 と は 分離 でき な いよ う な仕 方 で折 り重 な り、 縫 いあげ ら れ て いる。 したが って、 われ わ れ
が 同 時 代 のリ アリ テ ィを 記述 す る に は、 こ のよ うな 何 層 にも絡 ま った文 化 の記 号 学 と政 治 学 の
のだ 。 これ が 、 こ の本 の タイ ト ル に込 めら れ た も う ひ と つの含 意 であ る。
交 錯 を 、 ひと つひ と つの事 例 分析 を通 じ て丹念 にト ラ ンジ ット測 量 し て い ってや る必 要が あ る
さ て、 こ こま で で ひ と と おり 、 こ の本 の意 図 に つ いて説 明 した の で、 本 書 の構 成 に つい ても
概略 を述 べ てお く こと に し よう 。 す で に述 べ た よう に、 こ の序 章 に つづ く第 Ⅰ部 に収 録 し た諸
論 文が 問 題 に し て いる のは、 自 己 完結 的 に組 織 さ れ た ﹁虚 構 ﹂ の ﹁や さ し さ﹂ の世 界 のな か に
自 ら を閉 ざ し て い った 現代 日本 の消費 社会 的 リ アリ テ ィ に つ いて であ る。 冒 頭 の ﹁メデ ィア天
皇 制 の射 程 ﹂ で は、 皇 太 子成 婚 儀 礼 に注 目 し つ つ、 松 下 圭 一の いう 大 衆 天皇 制 を メデ ィア天 皇
いて検 討 し て いる。 ﹁遊 園 地 の ユー トピ ア﹂ と ﹁デ ィズ ニー ラ ンド 化 す る都 市 ﹂ で は、 八〇 年
制 と し て位 置 づ け 直 し 、皇 室 フ ァミ リ ー のイ メージ が 大 衆的 に受 容 され て いく 歴 史的 契 機 に つ
代 の都 市 風 景 を代 表 す るも のと な った東 京 デ ィズ ニー ラ ンド に焦 点 を据 、 兄な が ら 、消 費 社 会 の
都市 のリ ア リ テ ィと空 間 戦 略 に ついて考 察 し て いる。 ﹁ブ ラウ ン管 のな か の子 ど も文 化 ﹂ で は、
八〇年 代 のテ レビ ゲ ー ムに つな が る 子 ども の メデ ィ ア文 化 の展 開 を 、 六 〇年 代 のテ レビ ア ニメ
から の連 続 性 と し て捉 え 返 し て い る。 ﹁テ レ フ ォ ン のあ る 風景 ﹂ で は、 若 者 た ち の生 活 空 間 へ
の電 話 の浸 透 に つ いて考 え て いる。 メデ ィア天皇 制 、 東 京 デ ィズ ニー ラ ンド 、 テ レビ ゲ ー ム、
電話 と い った 、 と り わけ 八〇 年代 か ら九 〇 年 代 にか け て何 かと 話 題 を呼 んだ 生 活 風景 の断 片 を
扱 いなが ら 、 これ ら の論 文 は、 いず れも 現 代 日 本 の情 報 消 費 社会 のな か で、 メデ ィ アに媒 介 さ
れ なが ら 自 己 完結 的 に編 制 さ れ て いく リ ア リ テ ィ の諸 相 を 問 題 にし て いる。
ウ ム真 理 教事 件 を扱 って いる。 まず 、 ﹁わ れ わ れ 自 身 のな か の オ ウ ム﹂ で は、 オ ウ ム教 団 の人
第 Ⅱ部 は、 こう し た情 報 消費 社 会 的 リ ア リ テ ィ の自 爆 的 現 象 と し て、 一九 九 五年 に起 き た オ
び と に おけ る知 識 のあ り 方 に焦 点 をあ てな が ら 、 八 〇年 代 日本 の情 報 消 費 社 会 的 リ アリ テ ィと
オ ウ ム教 団 の若 者 たち が 自 ら を社 会 から 隔 離 し つ つ構 築 し て い った宗 教 的 リ ア リ テ ィと のあ い
だ の連 続 性 に つい て考 察 し て い る。 次 の ﹁﹁情 報 ﹂ と し て の身 体 ﹂ で は、今 度 は オ ウ ム教 団 の
修 行 シ ステ ムや教 祖 の言 説 に見 ら れ る身 体 戦 略 に焦 点 を あ て、 そ れ ら と現 代 日本 にお け る若 者
た ち の身 体意 識 の変 容 と の関 係 に つい て考 え て いる。 こ れら に対 し、 第 三 の ﹁メデ ィ ア のな か
の世 紀 末 ﹂ では、 ﹁オ ウ ム の反 乱 ﹂ に対 す る 日本 社 会 の側 の反 応 に焦 点 を 据 え て い る。 マ ス メ
デ ィ アのな か でオ ウ ム事 件 は いか な る語 ら れ方 を し て い った のか 、 そ こ に は い かな る ステ レオ
タイプ 化 さ れ た イ メー ジが 介 在 し て いた の か、 と い った点 を 考 え よ う と し て い る。
第 Ⅲ部 は、 ﹁メキ シ コシテ ィか ら の現 在 ﹂ の 一論 文 か ら成 って いる。 こ の論 文 は、 私 と そ の
家 族 が 一九 九 三年 秋 から 九 四 年春 ま で の半 年 あ ま り、 メキ シ コシ テ ィです ご し た生活 を背 景 に
し て いるが 、 同時 に現 在 のグ ローバ リ ゼ ー シ ョンや現 代 都 市 の変 容 に つ いて の基 本的 な展 望 を
示 し たも のと も な って いる。 と く にこ の論 文 で は、 メキ シ コ シテ ィ におけ る ア メリ カナ イ ズ さ
れ た消 費 文 化 の氾濫 と市 内 の各 所 に広 が る スラ ムと の、対 立 と いう より は絡 まり あ い入 り組 ん だ 関係 を描 き 出 そ う と し て いる。
最 後 に第 Ⅳ 部 は、 フ レデ リ ック ・L ・ア レ ンに よ る ﹃オ ン リ ー ・イ エ スタ デ イ ﹄ ︵一九 三 一
よ る ﹃消費 社 会 の神 話 と 構造 ﹄ ︵一九七〇年︶ と いう 、 ほぼ 二十 年 ご と の間 隔 を置 い て出 版 さ れ 、
年︶、 デ イ ヴ ィ ッド ・リ ー ス マンに よ る ﹃ 孤 独 な群 衆 ﹄ ︵一九五〇年︶、 ジ ャ ン ・ボ ード リ ヤ ー ルに
現 代 消 費 社 会 の理解 に重 要 な貢 献 を し てき た三 つの著 作 に つい て、 八〇 年 代 以 降 の現 代 日本 社
会 の状 況 を 踏 ま え なが ら 解 説 し た も のであ る。 これ は、 第 Ⅰ 部 か ら第 Ⅲ部 ま で の、今 日 の情 報
消 費 社 会 の諸 々 のリ ア リ テ ィを直 接扱 った諸 論 を 、 いわば メタ の レベ ルか ら、 消 費 社 会 を め ぐ る言説 の系 譜 のな か に位 置 づ け直 す と いう 意 味 を持 って いる。
本書 に収 録 した そ れぞ れ の論 文 は、 いず れも そ れ が発 表 さ れ たと き の時代 状 況 や言 論 動 向 に
しも 妥当 し なく な って いる部 分 も な いわ け では な い。 し かし なが ら 、 こ のよ う な執 筆 時 の文脈
強 く 文脈 づ け ら れ な が ら書 か れ たも の であ る。 論 文 によ って は、 現 在 から 見 返す とも はや 必ず
も 含 め、私 自 身 が 考 え てき た こ と と時 代 と の交 差 の痕 跡 を残 し て おく こと も 重 要 と思 い、 多 く
の章 で修 正 は最 小 限 にと ど め初 出 の時 期 を タ イ ト ル の下 欄 に示 す こ と にし た 。 た だ し 、 ﹁デ ィ
ズ ニー ラ ンド 化 す る都 市 ﹂、 ﹁ブ ラウ ン管 の な か の子 ど も 文 化 ﹂、 ﹁テ レ フ ォ ン のあ る風 景 ﹂ の
三 つ の章 には 、 か な り大 き な 修 正 を施 し て い る。 こ れ は、 時 代 と のず れ と いう より も 、初 出 時
の原 稿 の内 容 的 な 不出 来 に由 来 し て お り、 原 則 から の若 干 の逸 脱 と し てご容 赦 い ただ き た い。
︶
東 京 デ ィズ ニー ラ ン ド ( 共 同通 信 社 提供
メデ ィア天皇制の射程
﹁皇 太 子成 婚 ﹂ と いう 言葉 か ら、 わ れ わ れ は まず 何 よ り も 戦 後 日 本 史 のあ る時 点 で起 き た、
ひ と組 の カ ップ ル の結 婚 を 連 想 す る。 それ は、 天 皇制 が 最 も 強 力 な イ デ オ ロギ ー効 果 を発 揮 し
て いた 明治 や 大 正時 代 の皇 太 子 の結婚 で は な い し、 そ の結 婚 の顛 末 ま でも含 め て話 題 に事 欠 か
な いイ ギ リ スの チ ャ ー ルズ皇 太 子 と ダ イ アナ の結 婚 でも な い。 ま し てや 今 日、 こ う し た原 稿 を
書 い て いる直 接 の原 因 であ る東 宮 徳 仁 と小 和 田雅 子 と の結 婚 の こと でも な い。 ﹁ 皇 太 子 成 婚﹂
と いう 言葉 は、 現 代 日本 人 に と って、 お そ ら く は ひと つの固有 名 詞 と し て存 在 し て いる。 そ し
て こ の固有 名 詞 が 指 示 す る のは、 や はり あ の 一九 五 八、 九 年 に起 き た現 天 皇 明 仁 と正 田美 智 子 と の婚 約 を めぐ る フ ィーバ ーと成 婚 イ ベ ン ト のこ と に ほ かな ら な い のだ 。
こ の結婚 は、 高 度 成 長 に向 か う戦 後 日本 社会 の ﹁離 陸 ﹂ を 印 象づ け なが ら 、 近 代 天皇 制 の転
7月
1993年
換 を特 徴 づ け た出 来 事 と し て、 ま た テ レビ 画 面 のな か に 日本 人 の欲 望 が 囲 い込 ま れ て い った最
初 の画 期 と し て、 き わ め て重 要 な 歴史 的 意 味 を持 って い た。 そ れ か ら 三十 四年 後 、 いま起 こ ろ
う と し て い るこ とも 、 おそ ら く は こ の五 八、 九年 の出 来 事 の ひと つのヴ ァリ エー シ ョン にすぎ
な いであ ろ う。 こ の小 論 で は、現 在 の時 点 から こ の固有 名 詞 と し て の ﹁皇 太 子成 婚 ﹂ を振 り返 り、 解 釈 し直 し て いく た め の いく つか の糸 口を 探 ってみ る こと にし た い。
﹁ 大 衆 天皇 制 ﹂ の 誕 生
一九 五 八、 九 年 の皇 太 子成 婚 に際 し 、多 く の同 時 代 の言 説 は、 一方 で は皇 室 の ﹁民 主 化 ﹂ を
無 批判 に讃 え、 他 方 では戦 前 的 な 天皇 制 の復 活 を嫌 悪 し 、 いず れ に せ よ こ の戦後 的 状 況 に対 す
る適 切 な認 識 を 示 し え な か った。 そう し た な か で、 現 在 でも な お検 討 に値 す る議 論 を展 開 し た
の は松 下圭 一であ る。松 下 は、 五 八年 から 翌年 にかけ て の皇 太 子妃 ブ ー ムが 、戦 前 ま で の天 皇
制 と は根本 的 に異 な る構造 に基 づ く も の であ る こと を強 調 し た。 そ れ に よ れば 、 ﹁現 在 よ みが
え り つ つあ る天 皇 制 は、 絶 対 君主 制 でな い こと はも ち ろ ん、 一九世 紀 ヨー ロ ッパ に展 開 さ れ、
日本 でも 大 正デ モク ラ シー時代 に指 向 され た制 限 君主 制 でも な い。 いま や天 皇 制 は、 大衆 君主
こ とを 、 現 在 、 は っき りと 戦 中 派 の実 感 を こ え て 認 識 し な け れ ば な ら な い﹂ ︵ ﹁大衆天皇制論﹂、
制 へと 転 身 し なが ら、 ﹁大 衆﹂ の歓 呼 のな か から 、新 し い エネ ルギ ーを 吸 収 し つ つあ ると いう
﹃ 中央公論﹄ 一九 五九年 四月号︶。
松 下 は 、 こ う し た構 造 的 な変 容 を遂 げ た 戦後 日本 の天 皇 制 の こと を ﹁大 衆 天 皇 制﹂ と呼 ん で
いく のだ が 、 そ こ で主 張 さ れ る のは 、 ﹁現 御 神 ﹂ と し て の天 皇 を 頂 点 とす る天 皇 制 か ら 、 ﹁ス
ター﹂ と し て の皇 室 を焦 点 と す る 天皇 制 への転 回 であ る。 こ の転 換 は 、皇 太 子妃 や 成 婚 パ レー
ド に対 す る大衆 の態 度 と メデ ィ ア の報 道 姿 勢 のな か には っき り現 わ れ て いた。 今 日、 人 び と は
﹁皇 太 子 の パ レ ード を ﹁オ ガ ミ﹂ に行 こ う と は 思 わ な い。 大衆 は 現 在 ﹁ミ﹂ に行 こ う と いう の
であ る﹂。 こう し た 大 衆 の態 度 に応 じ 、 メデ ィア も ま た ﹁積 極 的 に 彼 と彼 女 を スタ ー化 し て
い った ﹂。 と く に ﹁皇 太 子 妃 に つい ては、 気 狂 じ みた スト リ ップ 化 が みら れ た﹂ と松 下 は言 う。
﹁皇 太 子 妃 の趣味 、 ク セ、 書体 か ら、 ヒ ップ 九 一・四 セ ンチ、 バ スト 八 二 ・六 セ ン チ、 そ れ に ち
ぢ れ 毛 であ る こ とま で、 一斉 に暴 露 し てし ま った。 これ ら の こと は、 皇 太 子 妃 の ス タ ー価 値 を
上 昇 せし める た め に行 わ れ た の であ る﹂。 た と えば ﹃明 星﹄ は、 スタ ーな ら ぬ正 田美 智 子 の カ
レ ンダ ーを付 録 に つけ 、 ﹁正 田美 智 子 さ ん に似 た女 性 探 し﹂ と いう懸 賞 募 集 ま で行 な って いる。
そ こ にあ る の は、紛 れ も な く ﹁﹁私 も 美 智 子 さ ん﹂ と いう 意 識 な の で あ る﹂。 皇 太 子 妃 の 写真 は、 か つて の よう な ﹁御 真 影 ﹂ では な くブ ロ マイド と な った のだ 。
松 下 は ま た、 皇 太 子妃 決 定 の報 道 が ﹁平 民﹂ と ﹁恋 愛 ﹂ と いう 二 つの シ ンボ ル によ って枠 づ
け ら れ て い た こ と に注 目 す る。 一方 で、 ﹁平 民 ﹂ は 、 ﹁貴 族 階 級 対 平 民 階 級 と いう か た ち で の
ブ ルジ ョア革 命 期 にお い て意 味 をも った言 葉 であ り、 今 日 で は平 民内 部 の階 級 分化 こそが 重 要
であ る﹂ にも か か わら ず 、 ま た正 田家 が 、 典型 的 な 日本 の資 本 家 階級 の家 系 であ る にも か か わ
らず 、 皇 太 子妃 の ﹁平 民 ﹂ 性が メデ ィアを 通 じ て繰 り返 し強 調 さ れ て いく。 他 方 で、皇 太 子妃
の選 考 は、 当 人 た ち の意 志 と いう 以 上 に、 小泉 信 三ら皇 室 ブ レー ンに よ って企 てら れ て い た に
も か か わ らず 、 自 由 な ﹁恋 愛 ﹂ の側 面 が強 調 さ れ て いく 。 こ のよ うな 言 説 が結 像 す る の は、 大
衆 の 日常 的 欲 求 の 理想 と し て の皇 室 の ﹁家 庭﹂ と いう イ メー ジ で あ る。松 下 に よ れ ば 、 こ の
﹁家 庭 ﹂ イ メー ジ こそ は大 衆 天皇 制 の中 核 的 シ ンボ ルであ る。 そ れ は 、 ﹁か つて の家 族 国 家 思 想
に みら れ る ﹁家 族 ﹂ では な いこ と はも ち ろ ん であ る。 スタ ー の モダ ンな ﹁家 庭 ﹂ こ そが 、 脱 政
治 化 し た皇 室 の政 治 的 存 在 理 由 と な る。 ⋮ ⋮ 皇 太 子 の家 庭 は ﹁恋 愛 ﹂ に よ って 成 立 し た ﹁平 民 ﹂ 的 な家 庭 ﹂ でな け れば な ら な か った のであ る。
松 下 の議 論 の要 諦 は、 大衆 が 皇 室 を 羨 望 す る こ のよう な 大 衆 天皇 制 の誕 生 が 、 ま さ し く 旧来
の絶 対 的 な天 皇 制 の崩 壊 によ って解 き 放 た れ た力 の効 果 と し ても た ら され たと 考 え た点 にあ っ
た。 いわ く、 ﹁日本 にお け る大 衆 天 皇制 の条 件 は、 敗 戦 によ る 天皇 神 格 の否 定 と新 憲 法 の成 立 、
なら び に 旧天 皇 制 の権 力 ・思想 機 構 によ って 抑 圧 さ れ て いた 大 衆 社 会 状 況 の急 激 な露 呈 であ
る﹂。 す な わち 、 戦 前 の天皇 制 を支 え て いた 権威 の ヒ エラ ルキ ー の崩 壊 は、 こ の国 に 一気 に大
衆 社 会 状 況 を も た ら し た。 と こ ろが こ の大 衆 社 会 は、 そ のま ま 一切 の権 威 を否 定 し て価 値 の平
準 化 され た状 況 を全 域 化 さ せた わけ で はな く 、 皇室 を スタ ー の聖 家 族 と し て国 民 が 羨望 し、 こ
のまな ざ し の虚 焦 点 に理 想 の ﹁ 家 庭 ﹂ と いう イ メ ージが 結 像 され て いく と い った求 心 的 な価 値
の投 影 シス テ ムを誕 生 さ せ て い った。 逆 に言 え ば 、戦 後 の皇 室 は こう し た新 し い価 値 秩 序 に い わば 便 乗 す る こと によ り、 自 らが 生 き 残 る活 路 を 開 いてき た の であ る。
被 写体 と し て の皇 室 フ ァミ リ ー
以 上 のよ う な、 日本 型 大衆 社 会 論 と し て の天皇 制 論 と も 言 う べき 松 下 の議 論 は、今 日 の観 点
から 一九 五 八、 九年 の出 来事 を捉 え返 そう と す る とき 、 な お 有 効 な ひ と つ の出 発 点 を 示 し て い
る。 実 際 、 ﹁現 御 神 ﹂ から ﹁ス タ ー﹂ へと いう 転 回 は、 当 時 か ら 松 下 以 外 にも 多 く の論 者 に
よ って指 摘 さ れ て いた。 たと えば 遠 藤 周作 は、 五九年 四月 の成 婚 パ レ ード の観 察 記 のな か で、
﹁ 集 ま ってき た群 衆 の表 情 は、 率 直 に いえ ば シ ョーを 見 にく ると いう 感 じ であ った。 シ ョーを
身 に く ると い って悪 け れば 、 いわ ゆ る ミ ッチ ーと皇 太 子 とを 、 さ な が ら 人気 あ る スタ ーを 眺 め
る ご と く眺 め て い たと い って よ い﹂ と 述 べ て い る ︵﹃サンデー毎 日﹄ 一九 五九年四月 二十 六日号︶ 。
こ の成婚 式 は、 ﹁天 のひ つぎ の御 子 のご 結 婚 式 では な く 、 は っき り いえば 、 最 高 の上 流家 庭 の
豪華 な婚 姻 を 羨 望 を も って眺 め る以 上 の意 味 は な か った と 思 う﹂ と いう わ け であ る。
同 様 のこ と は、 当 時 の雑誌 に掲 載 さ れ た いく つか の写 真 か らも 察 す る こと が でき る。 た とえ
ば 、 そ のな か の 一枚 は 、皇 太 子夫 妻 を 乗 せ た馬 車 と それ を 歓 呼 で 迎え る群 衆 を 撮 って いる のだ
が 、 興味 深 い のは、 群 衆 の多 くが 沿 道 の商店 の 二階 から 皇 太 子 夫妻 を見 下 ろ し て い る点 であ る
︵図 1︶。 天皇 や将 軍 、 あ る いは大 名 の行 列 を群 衆 が 迎え ると いう こと は、 歴 史 のな か で さ まざ
ま に繰 り 返 さ れ てき た であ ろ うが 、 こ の よう に群衆 が 権 威 の シンボ ルを上 から 見 下 ろ す よ う な
か た ち で迎 え る と いう のはき わ め て稀 な こと であ る。 し かも 、 こ の写真 を撮 って い る カ メ ラは、
皇 太 子夫 妻 はも ち ろ ん、 両 人 を 迎 え て いる群 衆 より も高 い位 置 にあ る。 つま り、 こ のと き 天皇
図 2
図 3
図 1
家 は、 国民 を上 から 俯瞰 す る中 心 点 と し て の特 権 的 な 地位 を完 全 に失 ってお り、 被 写 体 と し て
の受 動的 な位 置 に甘 んじ て いる の であ る。 そ し て、 天皇 家 を眺 め る国 民 を、 さ ら にま な ざ し て
いく 特 権的 な視 点 は、 む し ろ マスメデ ィ アが 動 員 し た大 量 のカ メラ群 のな か に取 って代 わ ら れ
て い る のだ。 も う 一枚 の写真 はさ ら に象 徴的 であ る。 デ パ ート の エスカ レー ター の脇 に皇 太 子
夫 妻 を モデ ル にし た テ ニ ス姿 の マネ キ ンが置 か れ、 それ を エス カ レー タ ー に乗 った買 物 客 たち
が 見 下 ろし て いる ︵図 2︶。 国 民 的 シンボ ルと し て の ﹁御 成 婚 ﹂ は 、 こ こ で は 完 全 に大 衆 的 消 費 のた め の モデ ルと し て位 置 づ け られ て い る の であ る。
柏 木 博 は、 こう し た点 に関連 し て、 皇 室 写 真 を め ぐ る戦 後 の変化 に つ いて興 味 深 い指 摘 を行
な って いる ︵﹃情報支配﹄社会評論社、 一九九〇年︶。 柏 木 が 注 目 す る のは、 成 婚 から 十 一年 後 に撮
影 さ れ た皇 太 子 一家 の写真 であ る。 そ の 一枚 は、 庭 にテ ーブ ルを 置 き 、皇 太 子妃 が 紀 宮 と 二人
で椅 子 に座 って い る場面 を撮 って いる。 注 目さ れ る のは こ のテ ーブ ル セ ットが ﹁ど う や ら アー
リ ー ・ア メリ カ ン スタイ ル のも の であ る こ と﹂ と、 空 い て いる椅 子 に スヌ ーピ ー のぬ いぐ るみ
を座 ら せ て いる こと であ る。 つま り、 こ の母 子 の写真 には 、 ﹁戦 後 の ア メリ カ ン ・ウ ェイ ・オ
ブ ・ライ フを実 践 し て い る家 族 のイ メ ージ﹂ が 映 し出 さ れ て いる のであ る ︵図 3 ︶。
柏 木 は、 こ のよう に皇 太 子 一家 を ア メ リ カ的 な フ ァミ リ ー のイ メー ジ とし て提 示 し て いく よ
う な写 真 の登 場が 、 肖 像 写真 的 な撮 影 方 法 から スナ ップ シ ョ ット的 な撮 影 方 法 への移 行 とも 対
を なす 出 来 事 であ った こと を 示唆 し て いる。 カ メ ラと被 写 体 が 対 面 す る肖 像 写 真 の場 合、 被 写
体が カ メラ によ って対象 化 さ れ る と いうだ け でな く、 被 写 体 が カ メ ラを まな ざ す 、 あ る いは そ
の写 真 を 見 る 人 び と を 逆 に対 象 化 し て い く と い う 契 機 を 含 ん で い る 。 か つ て の御 真 影 で は 、 写
真 の な か の 天 皇 が 、 そ の 前 に整 列 し た 無 数 の 国 民 と 彼 ら の 生 き る 国 土 を ま な ざ し て い た 。 と こ
ろ が 、 ス ナ ップ シ ョ ッ ト の 場 合 に は 、 た と え 相 手 が 天 皇 家 で あ った と し て も 、 被 写 体 は あ く ま
で ま な ざ さ れ る 対 象 で し か な い。 聖 な る イ メ ー ジ は 日 常 化 さ れ 、 消 費 可 能 な オ ブ ジ ェと な る 。 柏 木 が 指摘 す る よう に、 これ は広 告 写 真 の世 界 であ る。
に 結 び つ い て い た こ と を 想 起 さ せ る 。 実 際 、 一連 の ﹁御 成 婚 ﹂ を め ぐ る フ ィ ー バ ー の ハイ ラ イ
以 上 の こ と は 、 一九 五 八 、 九 年 の成 婚 イ ベ ン ト が 、 戦 後 日 本 に お け る テ レビ の 発 展 と 不 可 分
ト と な った 五 九 年 四 月 十 日 の 成 婚 パ レ ー ド に 対 す る テ レビ 局 の 中 継 体 制 は 凄 ま じ か った 。 そ れ
は ま ち が い な く 日 本 初 の 、 そ し て 世 界 的 に 見 て も 五 三 年 の エ リ ザ ベ ス女 王 の 戴 冠 式 に連 な る よ
う な 、 ご く 早 い段 階 の、 テ レ ビ に よ る 本 格 的 な メ デ ィ ア イ ベ ン ト であ った のだ 。 成 婚 パ レ ー ド
の テ レビ 中 継 は 、 N H K 、 日 本 テ レビ 、 K R T ︵ 現 ・T BS ︶ の 三局 が た が い に 競 い あ い な が ら
行 な っ た が 、 各 局 と も 四 十 台 前 後 ず つ、 計 百 二 十 台 も の テ レビ カ メ ラが 総 動 員 さ れ 、 パ レ ード
の沿 道 の 至 る と こ ろ に 並 ん で い く 。 テ レビ カ メ ラ と ス タ ジ オ を つな ぐ 中 継 車 も 可 能 な かぎ り 動
レ ビ 局 だ け で 四 台 の ヘリ コプ タ ーが 報 道 合 戦 に参 加 し た 。 ま た 、 こ の と き 各 局 は 、 通 り 過 ぎ て
員 さ れ 、 各 局 と も 十 数 台 の 中 継 車 を 沿 道 の 要 所 要 所 に配 置 し て い った 。 沿 道 の上 空 か ら は 、 テ
い く 馬 車 を 並 行 し て カ メ ラ で 追 い か け 、 皇 太 子 夫 妻 の表 情 を ク ロ ー ズ ア ップ で 撮 ろ う と 、 沿 道
の随 所 に テ レ ビ カ メ ラ を 乗 せ た ト ロ ッ コを 走 ら せ る レ ー ル を 敷 設 し て い った 。 前 述 の 三 局 の
レ ー ル は 、 の べ 一 ・五 キ ロ に も 及 ん だ と い う 。 さ ら に 各 局 は 、 高 さ 五 、 六 メ ー ト ル の 大 型 ク
レー ン の上 に カ メラを据 え つけ 、 馬 車 の行列 を俯 瞰 的 に撮 影す る仕 組 みも導 入 し た。 これ ら は いず れ も、 こ のと き 初 め て映 画 から テ レビ に取 り 入れ ら れ た手 法 であ った。
高 橋 徹 ら の東 大 旧 新 聞 研究 所 の調 査 グ ル ープ は、 当 時 、 こ の成婚 パ レード を め ぐ る テ レビ と
大 衆 の結 び つき に つい て総 合 的 な 調 査 を行 な って い る ︵﹁テ レビと 〝孤独な群衆〟﹂、﹃放送と宣 伝﹄
一九五九年 六月号︶ 。 高 橋 ら は、 テ レビ が ブ ラ ウ ン管 のな か に、沿 道 で の見 物 体 験 を は る か に超
え る イ メージ を 構成 し、 視 聴 者 の ﹁天 皇 制 感 情 ﹂ に強 烈 な影 響 を 与 え て いく 点 を 強 調 し た。 す
な わ ち、 ﹁沿道 で のパ レード の見物 人 は ﹁現実 の モ ノ﹂ に接 しなが ら、 そ れ は 八・八粁 の全 行程
にお け る 一点 で の接触 にす ぎ な い。 そ れ に対 し て ︵テ レビ で︶﹁再 現 さ れ た現 地﹂ は、 ヒー ロー、
ヒ ロイ ン のク ローズ ア ップ と、 そ れ に熱 狂 す る群 衆 の モ ー シ ョン の連 続 であ り、 そ れだ け つか
の間 の現物 接 触 以 上 の感 銘 を さ そう にちが いな い。 加 う る に、 オ ーデ ィオ は 一画 面 か ら 一画 面
への橋 を か け、 パ レード の全体 的 構 造 と ム ード の醸 成 を 一貫 的 に完 成 す る﹂。
高 橋 ら は 、 こ のよう な 沿道 のイ ベ ント見 物 に対す る テ レビ のイ ベ ント視 聴 の勝 利 を 、 パ レー
ド の沿 道 筋 に当 た る地 域 の居 住者 を 母集 団 と す る約 六百 世 帯 の テ レビ視 聴 に つい て の サ ンプ リ
ング調 査 を 行 な う こ と で確 か め て いる。 それ に よれば 、 彼 ら の家 庭 は いず れも 沿 道 に近 接 し て
いた にも か かわ らず 、家 族 の 一人 でも パ レード 見 物 に出 かけ た者 が あ った家 庭 は、 全 体 の約 一
七 パ ー セ ン ト にす ぎ な い。 大半 が 、 ﹁恵 ま れ た 地 理 的 至 近 性 と いう チ ャ ン スを 放 棄 し て、 ﹁再
現 さ れ た現 地 ﹂ に向 か いあ った の であ る﹂。 し か も、 そ のよ う な選 択 を 彼 ら が 行 な った理 由 と
し て挙げ る のは、 沿 道 は大変 な人 混 みが 予 想 さ れ る から と いう よ う な、 テ レビ にと って は ﹁消
極 的﹂ な理 由 より も 、 む し ろ沿 道 では 一部 し か見 ら れ な いが テ レビ だ と 全容 が 見 られ る から と
か、 テ レビ に は ア ナウ ンサ ー や解 説者 が つ いて い て、 直 接 ﹁目 で見 る﹂ 以 上 のこ とが 分 か るか
ら と い った、 テ レビ にと って より ﹁ 積 極 的 ﹂ な 理 由 な の であ る。 これ は、 成婚 イ ベ ントを 通 じ 、
メデ ィ アに よ るド ラ マタ イ ゼ ー シ ョンが 、 民 衆 の直 接 経験 への欲 求 に対 し て勝 利 を お さ め た こ と を意 味 し て い る の では な い かと 、高 橋 ら は推 測 し て いる。
の日本 人 に と って、 テ レビ局 が 編 集 し た祝 祭 的 な 場 面 の画像 の連 続 体 を 、 全 国 の各 家 庭 が 個 別
高 橋 ら の調 査 が 明 ら か に し て い る のは、 一九 五 八、 九年 の皇 太 子 成 婚 フ ィ ーバ ーと は、 多 く
に消費 し て いく テ レビ体 験 であ ったと いう こと であ る。実 際 、 四月 十 日 の パ レー ドを テ レビ で
視 聴 し た人 の数 は、 お よ そ千 五百 万 人 に上 ったと 推 定 さ れ て いるが 、 実 際 に沿 道 で パ レード を
迎 え た 人数 は 五十 万 人あ ま り にす ぎ な か った。 大 衆 天 皇制 の誕 生 を 象 徴 す る イ ベ ントと し て の
皇 太 子成 婚 は、 まず 何 よ りも テ レビ の映像 空 間 のな か に成 立 し て い た の であ る。 そ し て、 こ の
映 像 空 間 の構 成 原 理 と し て、 当 時 最 も 重 視 さ れ た のが 、 馬 車 のな か の皇 太 子 夫 妻 の ク ローズ
ア ップ で あ る。 実 際 、 テ レビ 各 社 は、 少 し で も 長 い時 間 、 晴 れ や かな 二人 の表 情 を ク ローズ
ア ップ で撮 影 す る こ と に多 大 の努 力 を は ら って い った。 たと え ば N T V は、 ﹁お 二人 の ア ップ
を !﹂ の合 言 葉 で カ メ ラを配 置 し 、報 道 全 体 を 貫 く 柱 にし た と いう 。 そ のた め に前 述 のよ う な
レー ルが 各 所 に敷 か れ、 大 量 の テ レビ カ メラが 投 入 さ れ て い った。 ク ローズ ア ップ さ れ た 画像
は、 周 囲 の コ ンテ ク スト から 切 り 離 さ れ、 それ 自 体 で消費 可能 な記 号 と し てブ ロマイド 化 さ れ
る。 ここ に姿 を 現 わ し て いる のは、 世紀 の スタ ー であ る 二人 の姿 を 少 し でも身 近 に見 せ て いこ
う と す る 、 前 述 の ス ナ ップ シ ョ ッ ト と も 同 様 の ま な ざ し で あ る 。
日本 型 大 衆 社会 と 日常 と し て の 天皇 制
大 衆 天皇 制 と は、 同 時 に メデ ィア天 皇 制 な いし は テ レビ 天皇 制 であ る。 松 下 は 、 こ の新 し い
権 威 の シ ス テ ムが 、 敗 戦 によ る天 皇 神 格 の否 定 と新 憲 法 の成 立 によ っても たら さ れ た と考 え た。
高 橋 ら は、 そ れが ﹁一般 民 衆が 心 の底 から 寄 せ て いる天 皇 制 への価 値 態 度 に支 え ら れ た も ので
は な く、 マス ・コミそれ 自 身 が作 りだ し た ﹁ブ ー ム﹂ のう え に支 え ら れ た ﹁フ ィク シ ョン﹂ に
すぎ な い﹂ と批 判 し た。 それ は ﹁あ ま り にも 短 期 的 な ヴ ィジ ョンのう え に身 を支 え 、 あ ま り に
も 危険 な橋 上 で の ア ク ロバ ット で カ ッサイ を 博 そ う と し て いる﹂。 こ の場 合 、大 衆 天皇 制 は、
危 機 に瀕 し た天 皇 制 の延 命 策 と し て メデ ィ アに よ って仕 掛 け ら れ た泡 沫 的 な虚 構 にす ぎ な い こ
と にな る。 松 下 は、 大 衆 天皇 制 の射 程 を も う少 し長 く 考 え て いたが 、 それ でも そ の起 源 を 戦 後 日本 の特 殊 的 な状 況 に求 め て いた こと に変 わ り は な い。
だ が 、 大 衆 天皇 制 的 な 言 説 戦略 は、 本 当 に戦 前 ま で の天 皇 制 が崩 壊 し た後 に、 はじ めて 登場
し てき たも のな のだ ろう か。 ひ ょ っとす る とむ しろ 、 わが 国 の天 皇 制 は 、す で に戦 前 から 大衆
天皇 制 = メデ ィア天皇 制 と し て の契 機 を内 包 し て いた ので は な いだ ろ う か。 そ し て戦 後 の大衆
天皇 制 は、 現 代 日 本 の大 衆 消 費 社 会 のな か に、 天 皇 制 的 な権 威 の供 給 シス テ ムが 内 在 化 さ れ 、
メデ ィア化 =情 報 技 術化 さ れ て いる こと を 示 し て いる の では な いだ ろう か。
こう し た点 から 、 ここ で最 後 に言 及 し ておき た い のは 、 大正 から 昭 和 への代 替 わ り に関 す る
中 島 三 千男 の実 証 的 研究 であ る。 中島 は そ のな か で、 大 正 天皇 の死 去 に際 し 、天 皇 の容 態 を 気
づ か い、 看 病 を 行 な う皇 后 や皇 太 子 、 天皇 家 の人 び と の ﹁人間 味 あ ふ る る姿 ﹂ が メデ ィアを 通
じ て意 識 的 に国 民 に宣伝 され て い った こと を 明 ら か にし て い る ︵﹃ 天皇 の代替 りと国民﹄青木書店、
一九九〇年︶ 。 た し か に こ のと き の皇 室 の描 かれ方 には、 夫 や 親 に仕 え る皇 后 や皇 太 子 の、 文字
通 り 戦 前 の ﹁家 族 国 家 観 ﹂ 的 な イ メージ と いう 面 も あ ったが 、 同 時 に こ のと き か ら 、 ﹁両 親
︵天皇 ・皇后︶ を中 心 と し てそ れ を取 り巻 く 子 ど も た ち ︵ 東宮 ・ 高松宮 ・秩父宮︶あ る いは内 親 王 ︵ 大
正天皇 の兄弟︶ たち の親 思 い ・子 思 い・兄弟 思 い の情 の交 換 、 ﹁フ ァミ リ ー﹂ のイ メージ ﹂ も 押 し
出 さ れ はじ め て いた。 第 一次 大戦 後 の世 界 的 な 君 主制 の崩 壊 のな か で、危 機 を感 じと った 日本
の支 配 層 は、 す で にこ の頃 から 旧来 の超 越 的 な 君 主 と し て の天 皇 で はな く、 ﹁平 民 ﹂ の ﹁家 庭 ﹂
の モデ ルと し て の天皇 家 のイ メージ を 普 及 さ せ て いこう と考 え は じ め て い た の であ る。 ﹁大 正
天皇 の病 気 も 、 国民 統 合 ・動 員 の核 と し て の皇 室 が冷 た い堅苦 し いも の では なく 、 一般 国 民 の
家 庭 と 同様 に血 の通 う、 親 子 ・兄弟 の愛 情 に富 んだ暖 か いも の であ ると いう こと を 売 り 込 み宣 伝 す る、 絶 好 の チ ャ ン ス﹂ に ほか な ら な か った 。
駆 は、 す で に 一九 二〇年 代 あ たり か ら現 わ れ はじ め て いた。 それ を 明瞭 に示 す のが 、 昭 和 天皇
そ し て、 天皇 家 の儀 礼 と マ スメデ ィ アの 一体 化 と いう点 でも 、 一九 五 八、 九 年 の出 来事 の先
の大礼 と ラジ オ の全 国的 な 放 送 網 と の関 係 であ る。 大 正十 五年 、 前 年 に開始 され た東 京 、 大阪 、
名古 屋 の三 つの独 立 し た ラ ジ オ局 か ら の放 送 を 強 引 に統 合 し た 日本 放 送 協 会 ︵NHK︶は 、 こ
の昭和 三年 の ﹁大礼 ﹂ にま にあ う よ う に全 国 中 継 放送 網 の開 設 を急 ピ ッチで進 め、 つい に大 礼
直 前 の十 一月 五 日、 東 京 、 名 古 屋 、 大阪 、 広 島 、 熊本 、仙 台 、 札 幌 を結 ぶ全 国放 送 網 を 完成 さ
せる のであ る。 そ し て翌 日 から 約 二十 日 間 に わ たり 、 天皇 が 東 京 から京 都 に行 幸 し、 御 所 で大
嘗 祭が 催 さ れ、 東京 に戻 ってく るま で の模 様 が 、 逐 一電波 で全 国 に伝 え ら れ て いく こと にな っ
た。 こ の間、 ﹁家 庭 婦 人 ・子 ども の時 間 はな るべ く ﹁大 礼 ﹂ 奉 祝 にち な ん で選 択 す る こと、 ﹁大
礼 ﹂ にち な む記 念 講 演 を連 続 し て放 送 す る こと﹂ など が 局 の方 針 と し て決 めら れ 、 ま た大 礼 記
念 事 業 と し て の ラジ オ体 操が 創 始 され て い る。 わが 国 の放 送 は、 テ レビ に お い ても、 ラジ オ に お いても 、 天皇 制 と深 く か かわ り なが ら 発 展 し てき た のであ る。
今 日、 わ れ わ れ は な お こう し て大正 期 に形 成 さ れ 、戦 後 にな って確 立 し て い った メデ ィ ア天
い るひ と つの結 婚 が あ る。 こ の結 婚 のな か に スタ ー の誕生 と いう より も 、恵 ま れ た環 境 のな か
皇制 の呪縛 から 自由 にな って は いな い。 た とえ ば いま 、白 々し さ のな か で演 じ られ よう と し て
で育 ち 、前 途 有 望 な 才能 あ ふ れ る ひと り の日本 人 女 性 の挫 折 と 限界 を 読 みと って し まう の は私
だ け では な か ろう 。 こ の三 十年 あ まり 、 天皇 家 は華 麗 な スタ ー の聖 家 族 と し て の地位 を相 対 化
さ せ てき た。 七 〇年 代 以 降 、 そ の補 完 項 と し て多 く の芸 能 タ レ ント の結 婚 式 が メデ ィ ア のな か
で聖 化 さ れ てき たが 、 最 近 では そ れす ら も 日常 化 さ れ、 断 片 化 さ れ て いる よう に見 え る。 現 代
の多 く の 日本 人 、 と く に若 い世代 は、 天 皇 家 に対 し てか つて のよ う な憧 れ の感 情 は抱 い て いな
い。 だが 、 そ れ でも な お こ の国 の政 府 は式 の当 日 の六月 九 日を 国 民 の祝 日 と し て儀 式 化 し 、 メ
デ ィ アは 五 八、 九年 の出 来 事 とだ ぶ ら せ なが ら 、 し かも当 時 以 上 に画 一的 な態 勢 で国 民 の関 心
を焦 点化 し よ う と し て い る。 そ し て大 衆 も 、 少 な く と も 表 面 的 に は、 テ レビ のな か の ﹁国 際
化 ﹂ す る皇 室 に エー ルを 送 る こと であ ろう 。 か つて松 下 が 論 じ た ﹁大 衆 天 皇 制﹂ の現 在 を 捉 え
る に は、 こ の 一見 矛 盾 し た状 況 を 明 ら か にし て いく 必要 が あ る。 こ の国 の マス メデ ィ ア の発 展
と軌 を 一にし なが ら 、 大 正期 に萌 芽 し、 戦後 の ﹁民 主 化 ﹂ のな か で 全面 的 に開化 し た天 皇 制 と
は、 い った い いかな る天 皇制 な のか。 こ の問 い に対 す る答 えが 、現 在 ま でを 射 程 にお さ め る仕
方 で明 ら か にさ れな け れば な ら な い。 そ のた め には、 たと えば こ こ で は十 分 に論 じ ら れ な か っ
た戦 後 日本 に おけ る幻 想 の審 級 と し て の ﹁ア メリ カ﹂ に つい て、も っと 考 察 し て いく 必要 が あ
る。 ま た 、 五九 年 の成婚 パ レード の モデ ルと な った 一九 五三年 のイ ギ リ スで の エリザ ベ ス女 王
の戴 冠 式 と そ こ で テ レビが 果 た し た役 割 に つ いても 検 討 し て いく べき であ ろ う。 こ のよう な 、
世 界 史 的 な コンテ ク ス ト のな か で戦後 の天皇 制 を捉 え 返 す と き 、 旧来 の天 皇 制 批判 の焼 き 直 し
で はな く、 現 代 日本 の消 費 社 会 的 状 況 に直 結 す る よう な 視 点 か ら、 も う 一度 、 いまも 作 動 し つ
づ け て いる メデ ィア天皇 制 =現 代 日本 社会 の 一側 面 が 明 ら か にな る よう に思 う の であ る。
遊 園地 の ユートピ ア
デ ィズ ニー ラ ン ド時 代 ﹁な にが 始 ま る ん だ い? ミ ッ キ ー ﹂
一九 八 一年 十 一月 二 十 三 日 、 朝 日 ・読 売 両 紙 を 飾 っ た 東 京 デ ィズ ニ ー ラ ンド の 全 面 広 告 に は 、
二年 半 後 の オ ー プ ン に 向 け て 工 事 の 進 む 会 場 を バ ッ ク に 微 笑 み か け る ミ ッキ ー マ ウ ス の 姿 が
あ った 。 ﹁﹁愛 ﹂ と ﹁夢 ﹂ と ﹁冒 険 ﹂ で 、 世 界 中 の 人 び と に 親 し ま れ て い る デ ィ ズ ニ ー の 空 想
on
の世 界 。 そ れ を そ の ま ま 地 上 に 再 現 し た ア メ リ カ の デ ィズ ニー ラ ン ド と 、 ウ ォ ル ト ・デ ィ ズ
ニ ー ・ ワ ー ルド 。 誰 も が 一度 は 行 っ て み た い と 思 っ て い た こ の ﹁T he H appi est Pl ace
Earth﹂ が 、 い ま 、 日 本 にも 実 現 し よ う と し て い る の で す ﹂。 ミ ッ キ ー は 冒 頭 の 問 い に 答 え る
6月
1989年
か のよう に こう 語 って いた。 これ 以降 、協 賛 企 業 によ る広 告 も 含 め、 こ の ﹁夢 と魔 法 の王 国﹂
のイ メー ジ は、 種 々 の マス メデ ィアを 通 じ て宣 伝 さ れ 、 人び と の意 識 に確実 に浸 透 し て いく よ
う にな る。 そ し て 一年 半 後 の 八 三年 四月 十 五 日、 同 ラ ンド のオ ープ ン当 日 に は、 ﹁ほ ら 、 夢が
き こえ る﹂ と いう コピ ー を背 に、 シ ンデ レラ城 の前 に集 合 し た何 千 と いう こ の ﹁王国 ﹂ の住 人 たちが 私 たち を 笑顔 で 迎 え て いく こと にな る の であ る。
東 京 デ ィズ ニー ラ ンド の開業 と そ の後 の人 気 は、 八 〇 年 代 の 日本 を象 徴 す る 出来 事 で は な
か った か。 オ ープ ン直 後 の 一ヵ月 余 は客 の出 足 も 鈍 く、 一部 の週刊 誌 には ﹁﹁夢 の国 ﹂ か ﹁借
金 地 獄﹂ か﹂ と ま でさ さ や か れ た同 ラ ンド だが 、 夏 頃 か ら 入 園者 も 連 日六 万 人 を超 え る よう に
な り 、多 いとき に は 一日 九 万数 千 人 を 記録 す る。 一年 間 の入 園者 数 も 毎 年 一千 万 人 を超 え 、 経
営 す る オ リ エ ン タ ル ラ ンド 側 の 期 待 ど お り 、 い や そ れ 以 上 の成 績 を 挙 げ て い く のだ 。 と り わ け
夏 休 み に 全 国 か ら 若 者 た ち が 押 し 寄 せ る ほ か 、 韓 国 ・東 南 ア ジ ア か ら の 旅 行 客 も 多 く 、 い ま や
東 京 デ ィ ズ ニー ラ ン ド は 日 本 の デ ィ ズ ニー ラ ンド と い う よ り も ア ジ ア の デ ィ ズ ニー ラ ンド と し
て 知 ら れ る よ う に な った 。 こ う し た な か で 、 一九 八 八年 に は 、 同 ラ ンド の南 側 の海 沿 い に 、 四
つ の リ ゾ ー ト ホ テ ル群 と 七 千 人 収 容 の 音 楽 ホ ー ルも オ ー プ ン し 、 こ の 一帯 は 単 な る 遊 園 地 の 域
を は る か に超 え た 都 市 型 リ ゾ ー ト 空 間 と し て東 京 湾 岸 の ウ ォ ー タ ー フ ロ ン ト 開 発 の拠 点 の ひ と つと な り つ つあ る よ う だ 。
こ の よ う な 動 き は し か し 、 決 し て 東 京 デ ィ ズ ニー ラ ンド 周 辺 だ け に限 定 さ れ た 現 象 と い う わ
け で は な い。 東 京 デ ィズ ニ ー ラ ン ド の成 功 に触 発 さ れ る か の よ う に、 長 崎 オ ラ ンダ 村 や 新 日 鉄
が 北 九 州 市 に建 設 中 の ス ペ ー ス ワ ー ル ド 、 サ ン リ オ に よ る 多 摩 サ ン リ オ コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン
ワ ー ルド な ど 、 新 し い テ ー マ型 レ ジ ャ ー ラ ン ド が 次 々 に 建 設 ・構 想 さ れ 、 こ れ ま で の レ ジ ャ ー
ラ ンド のあ り 方 を 大 き く 変 貌 さ せ は じ め て い る。 あ る い は ま た、 八 七 年 以 降 、 こ のと こ ろ 市
制 ・県 制 百 年 を 記 念 し て 各 地 で 開 催 さ れ て い る 地 方 博 覧 会 も 、 こ う し た 一連 の動 き と 密 接 に か
か わ り あ っ て い る よ う に見 え る 。 た と え ば 、 八 八 年 か ら 九 〇 年 に か け て 開 催 な い し 開 催 予 定 の
﹁観 光 ﹂ ﹁デ ザ イ ン﹂ ﹁食 ﹂
主 な 博 覧 会 を 挙 げ て み て も 、 ﹁な ら ・ シ ル ク ロ ー ド 博 ﹂ ﹁世 界 デ ザ イ ン博 ﹂ ﹁ア ジ ア 太 平 洋 博 ﹂ ﹁国 際 花 と 緑 の 博 覧 会 ﹂ な ど 、 最 新 の テ ク ノ ロ ジ ー を 用 い な が ら も
﹁緑 ﹂ 等 の テ ー マを 軸 と す る も のが 増 加 す る 傾 向 に あ る 。 む ろ ん 、 物 語 性 や 演 劇 性 と い った 点
で はデ ィズ ニー ラ ンド ほど の巧妙 さ は望 む べ く も な いが 、 基 本的 な狙 いと し て は 一連 の新 し い
テー マ型 レジ ャー ラ ンド と同 様 の方向 に向 か って い る の であ る。
問題 と な る のは 、 こ う し た レジ ャ ー ラ ンド や博 覧 会 の動向 が 、 いかな る社 会的 な戦 略 を 内 包
し 、 わ れ われ の欲 望 を ど う開 発 し、 編 成 し て いこう と し て いる のか、 と いう こ と であ る。 しだ
い に明 ら か にな るよ う に、 いま問 わ れ よ う と し て い る の は、 た ん に東 京 デ ィズ ニー ラ ンド の問
題 では な いし、 レジ ャ ーラ ンド や 博 覧 会 だ け の問 題 でも な い。 む し ろそ こ には、 今 日 の私 たち
一九 七 〇年 代 半 ば 以 降 、 そ し てと りわ け 八 〇年 代 以 降 、 わ が 国 の都 市 は大 き な 構造 的 変 容 を遂
の生 活 を覆 い つ つあ る消 費 社 会 の リ ア リ テ ィ全 体 に通底 す る 問題 が 内 包 さ れ て いる のであ る。
げ て いる。 デ ィズ ニー ラ ンド は、 こう した 問題 を照 射 し て いく た め の格 好 の素 材 のひ と つな の
だ 。 こ の ﹁王 国 ﹂ が い かな る時 間 ・空 間 的 な構 成 を と って い る のか、 ま たそ れ が なぜ 、 八〇 年
代 を 通 じ てこ れだ け の人 気 を集 め る よう にな った のかを 考 え る こと に よ って、 現 代 日本 の消 費
社 会 が作 動 さ せ て い る都 市戦 略 に つい て、 基本 的 な見 通 しを 得 る ことが でき る の では な いだ ろ う か。
都市 とし て の デ ィズ ニー ラ ンド
ウ ォ ル ト ・デ ィ ズ ニー に つ い て書 か れ た 書 物 は数 多 いが 、 た ん な る 賞 賛 で は な く 、 彼 が つ く
り あ げ た 世 界 の総 体 を 学 問 的 な レ ベ ル で 問 題 化 し た の は 、 お そ ら く リ チ ャ ー ド ・ シ ッ ケ ル の
﹃デ ィ ズ ニー ・ヴ ァ ー ジ ョ ン﹄ が 最 初 で あ ろ う 。 同 書 の な か で シ ッ ケ ル は 、 デ ィ ズ ニー ラ ン ド に
対 す る 知 識 人 た ち の論 議 に ふ れ な が ら 次 の よ う に語 って い る 。
デ ィズ ニー ラ ン ド と そ れ が 誘 発 し た 新 し い プ ロジ ェク ト が 、 デ ィ ズ ニー の晩 年 の 、 あ る
い は 生 涯 の精 神 的 エネ ルギ ー の最 も 大 き な 部 分 を 占 め て い た こ と は 指 摘 し て お く のが 公 正
で あ ろ う 。 ⋮ ⋮ こ のデ ィ ズ ニー ラ ン ド への 強 い 関 与 は 、 結 果 と し て 二 つ の こ と を 示 し て い
る 。 ま ず 、 デ ィズ ニー の才 能 の 基 礎 は 、 最 初 か ら 、 一般 に考 え ら れ て い る よ う な 芸 術 的 表
現 の ﹁天 才 ﹂ な ど で は な か っ た の だ 。 も し 彼 が そ も そ も 何 ら か の 天 賦 の 才 を も って い た の
だ と す る な ら ば 、 そ れ は 技 術 的 な 革 新 を 利 用 す る こ と に 向 け ら れ る も の で あ っ た。 し た
が って 、 デ ィズ ニ ー ラ ン ド が 何 を 成 し 遂 げ た の か を 的 確 に要 約 し た の は 、 文 学 的 知 識 人 な
ど で は ま った く な く 、 ジ ェー ム ズ ・ ロ ー ズ と いう 名 の 都 市 計 画 お よ び 都 市 開 発 の専 門 家 で
あ った 。 ⋮ ⋮ ロ ー ズ は 事 態 を き わ め て簡 潔 に 要 約 し た 。 ﹁今 日 の ア メ リ カ に お け る 都 市 デ
ザ イ ン の最 も 偉 大 な 作 品 は デ ィ ズ ニー ラ ン ド で あ る 。 そ の達 成 し た こ と を め ざ し た こ と と
の 関 係 で 考 え て も み る が い い﹂ ( Schi ckel,R. ,TheDi s nw y Ve rs on i,Si monandSchus t er,1 968 ︶。
こ の ﹁都 市 と し て のデ ィズ ニ ー ラ ン ド ﹂ と い う 認 識 は 、 デ ィズ ニ ー ・プ ロダ ク シ ョ ン の パ ン
フ レ ット で も 強 調 さ れ て お り 、 マー ク ・ゴ ット デ ィ ナ ー は こ こ か ら 、 ロ サ ン ゼ ル ス と デ ィ ズ
ニー ラ ンド と い う 二 つ の ﹁都 市 ﹂ を 、 移 動 、 食 事 、 服 装 、 家 屋 、 娯 楽 、 社 会 統 制 、 経 済 、 政 治 、
家 族 の九 つ の 次 元 で対 照 さ せ て い る 。 こ の よ う な 対 照 に は 、 高 度 に 非 日常 化 さ れ た デ ィズ ニ ー
ラ ンド の神 話 性 と そ れ を 取 り 囲 む 都 市 そ のも の の機 能 性 の対 照 が 同 時 的 に 要 約 さ れ て い る
﹁虚 構 の ﹂ 都 市 、 他 方 が
﹁現 実 の﹂ 都 市 と い う よ う に 二
︵ Got td i ener,M . ,〝Di s neyl and:A Ut opi an Ur ban Space, 〟 Urban Li f e ,Vol .11,No.2 ,198 2 ︶。 デ ィ ズ ニー ラ ン ド と ロサ ン ゼ ル ス は 、 一方 が
一九 七 一年 、 フ ロリ ダ に 建 設 さ れ た デ ィ ズ ニー ワ ー ル ド 、 と り わ け そ の E P C 0 T セ ン タ ーが
分 さ れ る わ け で は な く 、 と も に 幻 影 化 さ れ る 都 市 現 象 の異 な る 顕 れ な の だ 。 そ し て こ の こ と を 、
雄 弁 に表 明 し て い る こ と は 改 め て 指 摘 す る ま で も な い で あ ろ う 。 必 要 な の は 、 デ ィズ ニ ー ラ ン
ド を 一時 の娯 楽 の 場 と し て ま じ め な 分 析 の外 部 に 括 り 出 し て し ま う の で は な く 、 そ れ 自 体 、 現 実 の都 市 戦 略 が 作 動 し て い る 表 象 の 場 と し て 認 識 し て い く こ と で あ る 。
こ の よ う な 観 点 か ら デ ィ ズ ニー ラ ン ド を 概 観 す る と き 、 ま ず 目 に つく の は そ の空 間 的 な 自 己
完 結 性 で あ る 。 デ ィズ ニー ラ ンド で は 、 建 物 、 土 手 、 木 々等 の障 害 物 に よ っ て内 側 か ら は 外 の
ンド の 場 合 、 そ こ を 周 遊 し て い る 人 び と は 決 し て自 分 が 浦 安 と い う 町 の片 隅 に い る こ と を 意 識
風 景 が 見 え ず 、 園 全 体 が 周 囲 か ら 切 り 離 さ れ て 閉 じ た 世 界 を 構 成 し て い る 。 東 京 デ ィ ズ ニー ラ
しな いし 、大 都 市 東 京 の郊外 に いる こと す ら忘 れ て いる であ ろ う。 人 び と の視 界 のな か に外 部
の異 化 的 な 現 実 が 入 り 込 む 可 能 性 は 最 大 限 排 除 さ れ 、 演 出 さ れ る リ ア リ テ ィ の 整 合 性 が 保 証 さ
れ て いく の だ 。 こ れ は た ん に 視 覚 的 な 景 観 だ け で な く 、 園 内 と 外 部 を 分 離 し よ う と す る 諸 々 の
操 作 に よ っ て も 支 え ら れ て い る 。 ル イ ・ マラ ン は 、 デ ィ ズ ニー ラ ン ド の駐 車 場 と 入 場 券 売 場 が 、
﹁ 車 と 貨 幣 と の 二重 の 中 性 化 、 そ し て そ れ ら の ︿ユ ー ト ピ ア的 な ﹀ 他 者 へ の 転 化 ﹂ と い う フ ィ
ル タ ー 的 な 役 割 を 担 って い る こ と を 指 摘 す る 。 人 び と は 駐 車 場 で 車 を 放 棄 し 、 入 場 券 売 場 で貨
幣 を 放 棄 す る こと に よ って、 園 内 で の ユー トピ ア的 な 意 味 作 用 のた め の記 号 を 手 に 入 れ る
︵ ﹃ユートピア的なもの﹄法政大 学出版局、 一九九 五年︶。 さ ら に観 客 は、 園 内 への弁 当 ・酒 の持 ち込
み を禁 止 さ れ、 そ の落 と し た ゴ ミも ﹁カ スト ーデ ィ ア ル﹂ と呼 ば れ る掃 除 係 が 直 ち に拾 って い
く から 、 デ ィズ ニー ラ ンド の園内 で は常 に完 全無 欠 な無 菌 状 態 が保 た れ る のであ る。
デ ィズ ニー ラ ンド の自 己 完 結的 な構 成 は従 業 員 た ち にも 貫 かれ て いる。 彼 らを ﹁キ ャ スト﹂
と 呼 ぶ 言 い方 が 象 徴 的 に示 し て い る よ う に、 ﹁園 内 のあ ら ゆ る も のが シ ョー であ り 、 毎 日が
シ ョー の初 演 ﹂ であ る と いう のが 、デ ィズ ニー ラ ンド の基 本 的 な 考 え方 であ る。 職 場 に応 じ た
約 四百 種 の マ ニ ュア ルは綿 密 に計 算 さ れ た上 演 のた め の シナ リ オ であ り 、 キ ャ スト た ち は決 め
ら れ た衣 装 を 身 に つけ、 所 定 の台 詞 を 、所 定 の身 振 り で語 り か け て いく 。 し かも 、 舞 台 裏 と職
場 は ト ンネ ルで つな が れ、 各 場 面 は明 確 に区 分 され て い るか ら、 状 況 撹 乱 的 な要 素 が 混 入 し て
ンの いう表 局 域 と裏 局域 の分 離 が 徹 底 さ れ る こ と に より 、 パ フ ォー マー の印 象操 作 を最 も 容 易
観 客 に矛盾 し た印 象 を与 え る 可能 性 は最大 限排 除 さ れ て いる。 つま り、 ア ーヴ ィ ン ・ゴ ッ フ マ
な ら し め る よう な仕 掛 け が セ ット され て いる のだ。 そ し て、 こ のよ う に セ ットさ れ た上 演 のな
か に身 を置 く とき 、 観 客 も ま た キ ャ スト た ち と と も にド ラ マを 演 じ る俳 優 と化 し、 ﹁ね ず みが
罠 に捕 え ら れ る よう に自 分 の役割 に捕 え こま れ 、 そ う と は知 ら ず イ デ オ ロギ ーを 帯 び た劇 中 人 物 と し て疎 外 さ れ て しま う の であ る﹂ ︵マラン、前掲書︶。
俯瞰する視線 の排除
以 上 の よ う な デ ィズ ニー ラ ンド の 空 間 的 構 成 で 、 特 に 注 目 し な け れ ば な ら な い の は 俯 瞰 的 な
視 線 の排 除 で あ る 。 デ ィ ズ ニー ラ ン ド 内 の諸 々 の障 害 物 は 、 園 内 か ら 外 を 見 通 せ な い よ う に す
る だ け で は な い。 そ れ ら は ま た 、 園 内 に お い て 観 客 が 個 々 の領 域 を 超 え て 端 か ら 端 ま で 見 渡 す
こ と を で き な い よ う に も し て い る の だ 。 ワ ー ル ド バ ザ ー ル、 フ ァ ン タ ジ ー ラ ン ド 、 ア ド ベ ン
チ ャ ー ラ ンド 、 ウ ェ ス タ ン ラ ンド 、 ト ゥ モ ロー ラ ンド の 各 領 域 は 、 そ れ ぞ れ 独 立 し た 世 界 と し
て 閉 じ ら れ て お り 、 相 互 に浸 透 し て 暖 昧 な 領 域 を 形 成 す る こ と も な い し 、 他 方 、 す べ て を 見 渡
す よ う な 特 権 的 な 視 点 の存 在 も 、 ︵少 な く と も 観 客 には ︶認 め ら れ て い な い の で あ る 。 同 様 の こ
と は 、 個 々 の ア ト ラ ク シ ョ ン の レ ベ ル で も 指 摘 でき る 。 ト ゥ モ ロ ー ラ ンド に あ る 一部 の 例 外 を
除 き 、 デ ィズ ニ ー ラ ン ド の ア ト ラ ク シ ョ ン を 秩 序 づ け て い る の は 、 そ れ ぞ れ 完 結 し た 場 面 の
シ ー ク エ ン ス で あ り 、 決 し て ア モ ル フ ァ スな 混 沌 で も 、 パ ラ デ ィグ マ テ ィ ック な 眺 望 で も な い。
に出 る こ と は な い。 む し ろ 彼 ら は 、 キ ャ ス ト た ち と と も に 、 場 面 ご と に ﹁そ こ の人 物 ﹂ に な り
観 客 た ち の ま な ざ し は 、 個 々 の領 域 や 場 面 が 提 供 す る 物 語 の な か に封 じ 込 め ら れ 、 そ こ か ら 外
き り、 与 え ら れ た役 柄 を 演 じ て いく よ う要 請 さ れ て いる のであ る。
こ の よ う な 空 間 的 な 構 成 原 理 の 徹 底 は 、 十 九 世 紀 以 来 の遊 園 地 の 歴 史 の な か に 置 い て み る と
き 、 あ る 変 質 を 示 し て い る よ う に 思 わ れ る 。 と い う の も 、 も と も と 博 覧 会 の強 い影 響 下 に 成 立
し た 遊 園 地 に と っ て、 俯 瞰 す る 装 置 は 自 身 の 主 要 な 構 成 要 素 の ひ と つ で あ った か ら だ 。 塔 や パ
ノラ マ、 気 球、 観 覧 車 や 水 族館 と い った十 九 世紀 に大 衆 化 し て い った 一連 の娯 楽装 置 は、 あ る
共通 の意 志 、 す な わ ち特 権 的 な中 心 から 周 囲 の世 界 を俯 瞰 し て、 お のれ のま な ざ し のも と に組
織 し て い こう と す る意 志 が 、 同時 代 の大 衆 文 化 と さ まざ ま な 仕 方 で 融 合 し、 交 錯 す る こと に
よ って生 み 出 さ れ て き た も の であ る。 高 山宏 が 多数 の例 を 紹 介 し な が ら 示 し て いる よ う に、
﹁広 が る世 界 を 一望 の下 に、 と いう 欲 望 はあ ら ゆ る レヴ ェルで世 紀 末 の ルナ パ ー ク ︵ 遊 園地︶ と
し て の世 界 に姿 を現 し た﹂ のだ ︵百 の中 の劇場﹄青土社、 一九 八五年︶ 。 そ れ は デ ィズ ニー の世 界
と の対 比 で言 う な らば 、 む し ろジ ュー ル ・ヴ ェルヌ の世界 の物 質 化 であ った。 世 界 は こ の俯 瞰
す る視 線 の下 で、 さ まざ ま な 眩 量 を と も な って ミ ニチ ュア化 さ れ て いく。 ﹁地 球 上 ヲ縮 メ テ、
此 一苑 ノ内 ニ入 レタ ル思 ヒ ヲナ ス﹂ と書 いた の は、 一八 七 三年 に ウ ィー ン万 国博 覧 会 を 訪 れ た
岩 倉 使節 団 の 一行 だ が 、 こう し た世 界 の俯瞰 と ミ ニチ ュア化 への欲 望 こそが 、 博 覧 会 と 遊 園 地
を 一線 で結 ん で いた の であ る。 一八九 三年 の シカ ゴ万 国 博覧 会 で登 場 し た フ ェリ スの大 観 覧 車
が 、 後 に コ ニー アイ ラ ンド に移 され 、 見 世物 と し て人 気 を 呼 ん で い った こと は、 こう し た十 九 世 紀 末 にお け る パ ノ ラ マ的視 線 の娯 楽 化 を象 徴 的 に示 し て いる。
む ろ ん、 デ ィズ ニー ラ ンド 以前 の遊 園 地が 、 こ のよう な 俯 瞰 す る視 線 の みを機 軸 と し て いた
わ け でな いこ と は いう ま でも な い。 世 紀 末 か ら 今 世 紀 初 頭 に か け て圧 倒 的 な 人 気 を 誇 った
ニ ュー ヨー ク郊 外 の コ ニー アイ ラ ンド は、 多 く の点 でデ ィズ ニー ラ ンド の先 駆 と 見 な せ るが 、
そ の人 気 を 支 え て いた の は、 シ カゴ万 博 の ミ ッド ウ ェイを さら に増 幅 さ せ た よう な カ ー ニバ ル
的 な興 奮 、 ﹁ 観 客 を完 全 に ひきず り こ み、 日常 的 な関 心 や 抑制 か ら 一挙 に連 れ去 る こ と にな る、
上 :コ ニ ー ア イ ラ ン ド 下 :浅 草 六 区
じ め さま ざ ま な俯 瞰 装 置 が存 在 し たが 、 コ ニー アイ ラ ンド の魅 力 の本 質 は、 む し ろ 別 のと こ ろ
行 動 的 で、 強烈 な 一連 の娯楽 ﹂ の魅 力 であ った。 た し か に こ こ にも 、 フ ェリ スの大観 覧 車 を は
にあ った。 行楽 客 た ち は、 ﹁サ ー フ ・ア ベ ニ ューを遊 園 地 にむ か って歩 い て行 った り しな が ら 、
ぞ くぞ くす るよ う な 可能 性 に みち た特 別 の領 域 に入 り こ ん で い る自 分 を感 じ と って いた。 それ
は、 ほ か の状 況 のも と で なら 白 眼 視 さ れ る こと にな る タ ー プ の行 動 や社 会 的 な相 互 作 用 を奨 励
す る、 独特 な環 境 であ った。 ⋮ ⋮ こ の娯楽 セ ンタ ー では、 状 況 に よ って規制 され る慣 例 的 な儀
礼 作 法 は中 断 され て いた ﹂。 ジ ョン ・E ・キ ャ ソ ンは こ のよ う に述 べ、 コ ニー アイ ラ ンド の遊 園
で、 さ まざ ま な乗 物 によ って群 集 を 思 い通 り に集 散 さ せ る能力 を発 達 さ せ て い った こ とも 指 摘
地 群 が 、 こう し た無 秩序 な自 由 と向 う みず な解 放 と いう 幻 想 を人 び と に抱 かせ なが らも 、 他方
し て い る ︵﹃コニー ・アイランド﹄開文社、 一九八七年︶。
ア メリ カ で コ ニー ア イ ラ ンドが そ の繁 栄 の絶 頂 にあ った頃 、 わが 国 で近 代 的 な 俯瞰 の視 線 と
民衆 娯 楽 的 な エネ ルギ ーが 遭 遇 し 、 めく る めく光 彩 を放 って いた のは浅 草 であ る。 す で に拙 著
﹃都 市 のド ラ マト ゥ ルギ ー﹄ で論 じ た よ う に、江 戸 以 来 の庶 民 的 な 盛 り場 と し て の浅 草 は、 明
治 十 五年 以 降 の公 園 地改 造 事 業 を 経 て、 見 世 物 的 な 要素 を内 部 に囲 い込 ん で いき な が ら も 近代
的 な 要素 を消 化 し て いく新 し い興 行空 間 へと変 貌 す る。 こ の浅 草 に、 ま さ に前 述 し た腑 瞰 装置
の典 型 と も いえ る十 二階 のパ ノ ラ マ館 が 開業 す る の は明 治 二十 三年 の こと。 同年 に上 野 で開催
され た第 三 回内 国 勧 業 博覧 会 の いわば 副産 物 であ った。 これ ら の装 置 が 浅 草 に出現 し た こと は、
前 田愛 も 指摘 し た よう に、 わが 国 の民 衆 的 な身 体 感 覚 が あ る地殻 変 動 を起 こし はじ め て いた こ
と を 示 し て い る。 す な わ ち、 隔 た り と広 が りを も った視 界 を 新 時 代 の快 楽 と し て提 供 す る ﹁高
尚 な見 世 物 ﹂ が 、匂 いや触 覚 を な か だ ち にす る ﹁下 等 の見 世 物 ﹂ を 周縁 に押 しや り 、 こう し て
﹁体 性感 覚 の抑 圧 を 代 償 に、 視 覚 の は た らき を 一方 的 に発 達 さ せた 近 代 の ﹁制 度 ﹂が 、 娯 楽 の
世 界 にも 浸 透 し は じ め﹂ た の であ る ︵ ﹁塔 の思想﹂、前 田愛・加藤秀俊 ﹃ 明治 メデ ィア考﹄中公文庫、 一
九八三年︶ 。 し か しな が ら 、盛 り場 と し て の浅 草 の本 領 は、 こ のよ う な ﹁高 尚 な 見 世物 ﹂ を、 変
幻自 在 で旺 盛 な 民衆 的 エネ ルギ ーが う ち に取 り 込 み 、溶 解 さ せ、 な し くず し に し て い ってし ま
う と こ ろ にあ った。 明治 大 正 期 の浅 草 は、 権 田保 之 助 が 的 確 に要 約 し た よ う に、 ﹁一種 の因果 関係 が 支 配 し 、 一種 の法 則 が 行 わ れ て いる﹂ 別 世界 だ った の であ る。
り組 み、 そ れが 提 供 す る パ ノ ラ ミ ック な眺 望 を 、 カ ー ニバ ル的 な 興 奮 と混 沌 のう ち に溶解 さ せ
コ ニー アイ ラ ンド と浅 草 六 区 は 、 とも に博 覧 会 に登場 し た腑 瞰 装 置 を見 世 物 の 一部 と し て取
て いく特 異 な 祝 祭 性 の磁 場 を も って い た。 だ が 、 デ ィズ ニー ラ ンド で は、 こ の よう な パ ノ ラ
ミックな 眺 望 への欲 望 も 、 カ ー ニバ ル的 な 乱痴 気 騒 ぎ への渇 望 も姿 を消 す 。 デ ィズ ニーラ ンド
のな か にわ れ わ れが 見 いだ す のは 、超 越 し たり 逸脱 し た りす る こと ょ りも 移 動 し 、 周遊 す る こ
と への欲 望 であ り、 眺 め 回す こと よ りも 自 分 を演 じ分 け る こと への欲望 であ る。 そ れ は いわば 、
で夜 空 を バ ック にカ ク テ ルを 飲 む、 そう し た自 分 を演 じ る感 覚 に近 い。 伊 藤 俊 治 の指 摘 す る よ
東 京 タ ワ ー の上 か ら遠 々と 広 が る東 京 の街 を 見 下 ろす 感 覚 で はな く 、 む し ろ超 高 層 ビ ル のな か
う に、 ﹁十 九世 紀 初 頭 に パ ノ ラ マ館 が 獲 得 し た、 遠 く から 、 全 体 と し て、 対 象 化 す る静 的 な 眼
差 し﹂ は、 やが て視 点 が 多 様 化 し、 ﹁様 々な シー ンで パ ッチ ワ ーク さ れ た 二十 世 紀 末 のS FX
映 画 の シ ミ ュレ ー シ ョ ン ・シ ー ン の よ う に ﹂ 流 動 し は じ め る の だ ︵﹃ジ オ ラ マ論 ﹄ リ ブ ロポ ー ト、
一九 八 六年 ︶ 。 こ の よ う な 視 点 の多 様 化 と 流 動 化 は 、 一方 で は ﹁脈 絡 の な い 視 覚 体 験 が 液 状 に 流
れ だ す 混 沌 と し た 状 態 ﹂ へも 向 か う で あ ろ う け れ ど も 、 同 時 に そ れ ら が 断 片 化 し た 場 面 の連 続
の な か に封 じ 込 め ら れ て いく 可 能 性 に つ い て も 目 を 凝 ら し て お く 必 要 が あ る 。 デ ィズ ニー ラ ン
ド が 示 し て い る の は 、 ま さ に そ う し た 可 能 性 で あ る。 そ こ に は 、 浮 遊 す る ま な ざ し を 浮 遊 さ せ
た ま ま 出 口 のな い世 界 に幽 閉 し 、 し か も 封 じ 込 め ら れ た こ と を 意 識 さ せ な い で お く よ う な リ ア リ テ ィを め ぐ る 戦 略 が 隠 さ れ て い る 。
失われる時間軸
周 知 の よ う に 、 東 京 デ ィズ ニー ラ ンド は 、 各 々が 世 界 と し て 完 結 し た 五 つ の領 域 か ら 構 成 さ
れ て い る 。 ま ず 正 面 入 口 か ら 入 っ てす ぐ の ワ ー ル ド バ ザ ー ル に は、 ハリ ウ ッド の セ ット の よ う
な 今 世 紀 初 頭 の ア メ リ カ の街 並 み が 再 現 さ れ て お り 、 通 り 沿 い に 、 映 画 館 、 宝 石 店 、 時 計 店 、
洋 服 店 、 レ ス ト ラ ン 、 カ フ ェな ど が 並 ん で い る 。 カ リ フ ォ ル ニア の デ ィ ズ ニー ラ ンド で は ﹁メ
イ ン スト リ ー ト U S A ﹂ と 呼 ば れ て い る こ の部 分 は 、 デ ィ ズ ニー 自 身 が 少 年 時 代 を 過 ご し た ミ
ズ リ ー 州 の 小 都 市 マ ル セ リ ン に あ った 街 路 の理 想 化 さ れ た コピ ー で あ る。 観 客 た ち は こ の 通 り
を 通 る こ と で デ ィズ ニ ー 自 身 の少 年 時 代 を 追 体 験 し 、 そ う す る こ と で 彼 が つく り あ げ た 世 界 の
ユー ト ピ ア 的 な 語 り 手 へと 自 ら を 転 換 さ せ て い く のだ 。 ワ ー ル ド バ ザ ー ル を 抜 け る と プ ラ ザ が
あ り 、 周 囲 に ア ド ベ ン チ ャ ー ラ ン ド 、 ウ ェス タ ン ラ ンド 、 フ ァ ン タ ジ ー ラ ンド 、 ト ゥ モ ロー ラ ンド の 四 つ の領 域 が 放 射 状 に 並 ん で い る 。
ロ ー ラ ン ド の間 に は 、 明 確 な 記 号 論 的 対 立 が あ る 。 ま ず ウ ェ ス タ ン ラ ンド で は 、 ト ム ソ ー ヤ 島
容 易 に気 づ く よ う に、 こ のう ち アド ベ ンチ ャー ラ ンド と ウ ェス タ ンラ ンド 、 そ れ に ト ゥ モ
のま わ り を 蒸 気 船 マ ー ク ト ウ ェイ ン号 が め ぐ り 、 そ び え 立 つビ ッグ サ ンダ ー マウ ン テ ンを 鉱 山
列 車 が 駆 け 抜 け て いく。 こ こ に は開 拓 時 代 の ア メリ カ西 部 の フ ロ ンテ ィアが 広 が って い る。
ウ ェ ス タ ン ラ ンド が 国 内 的 な フ ロ ン テ ィ ア な ら 、 ア ド ベ ン チ ャ ー ラ ン ド は 地 球 規 模 の フ ロ ン
テ ィ ア であ る 。 ジ ャ ン グ ル ク ル ー ズ や カ リ ブ の海 賊 を は じ め 、 こ こ に は 熱 帯 ジ ャ ン グ ル の世 界
が 続 い て い る 。 そ し て ス ペ ー ス マウ ン テ ン や キ ャプ テ ン E O を 人 気 ア ト ラ ク シ ョ ン と す る ト ゥ
モ ロ ー ラ ン ド は 、 い う ま でも な く 宇 宙 の フ ロ ン テ ィ ア で あ る 。 ス ピ ルバ ー グ や ル ー カ ス のS F
映 画 に 登 場 す る よ う な ス ペ ー ス ・テ ク ノ ロジ ー の世 界 が そ こ に あ る 。 つま り 、 こ れ ら 三 つ の ラ
ンド は 、 そ れ ぞ れ 国 内 / 地 球 / 宇 宙 と い う 各 レ ベ ル で の ア メ リ カ 人 に と っ て の ﹁未 踏 / 未 開 / 未 来 ﹂ の フ ロ ンテ ィアを 模 造 し たも のな のであ る。
重 要 な こ と は、 た し か に ウ ェスタ ン ラ ンド が ア メリ カ の過 去 か ら の隔 た り を、 ア ド ベ ン
チ ャ ー ラ ン ド が 未 開 の 世 界 か ら の 隔 た り を 、 ト ゥ モ ロ ー ラ ン ド が 未 来 的 な 世 界 に向 け て の ヴ ィ
ジ ョ ンを し め し て い る の だ と し て も 、 こ れ ら は 決 し て ﹁未 開 か ら 文 明 へ﹂ と い う 線 形 化 さ れ た
時 間 軸 上 に並 ん で い る わ け で は な い こ と で あ る 。 む し ろ そ れ ら は 、 相 互 の 時 間 的 な 関 係 か ら 解
き 放 た れ て、 た ん に 空 間 的 に並 置 さ れ て い る にす ぎ な い 。 た と え ば 、 ウ ェ ス タ ン ラ ン ド のビ ッ
グ サ ン ダ ー マウ ン テ ン と ト ゥ モ ロ ー ラ ン ド の ス ペ ー ス マ ウ ン テ ン は ま っ た く 同 型 的 で あ り 、
ウ ェ ス タ ン ラ ンド の イ ンデ ィ ア ン と ア ド ベ ン チ ャ ー ラ ン ド の原 住 民 、 そ し て ト ゥ モ ロ ー ラ ン ド
の 宇 宙 人 も 、 ア メ リ カ 人 の植 民 地 主 義 的 な 視 線 の前 で 相 同 的 な 位 置 に 置 か れ て い る 。 そ こ に は
発 展 と い う 歴 史 的 な 軸 は 存 在 せ ず 、 た だ 同 じ 構 造 の 反 復 の みが 存 在 す る の だ 。 人 び と は ﹁冒 険
の ま わ り を め ぐ り 、 冒 険 は エピ ソ ー ド の 開 始 と 終 了 ︵両 者 は 同 一であ る︶ の 間 を め ぐ り 、 エピ
ソ ー ド は す べ て の ラ ンド に 共 通 す る 定 型 的 な 円 舞 を 踊 っ て ﹂ い る。 彼 ら は 常 に 同 一の閉 ざ さ れ
た 時 間 の な か に と ど ま る のだ が 、 こ の閉 鎖 性 は 、 個 々 の ア ト ラ ク シ ョ ンが 提 供 す る 見 せ か け の 移 動性 に よ って隠 さ れ て いる。
こ の点 を 考 え る に は 、 残 さ れ た も う ひ と つ の フ ロ ン テ ィ ア の模 造 空 間 、 す な わ ち ﹁幻 想 ﹂ の
フ ロ ン テ ィ ア と し て の フ ァ ン タ ジ ー ラ ン ド に つ い て 考 察 す る 必 要 が あ る。 実 際 、 ワ ー ル ド バ
ザ ー ル と フ ァ ン タ ジ ー ラ ン ド を 結 ぶ 軸 は 、 デ ィ ズ ニー ラ ン ド の構 成 に お い て 中 心 軸 を 成 し て い
る 。 ミ ッキ ー マウ ス や ド ナ ル ド ダ ッ ク 、 白 雪 姫 や ピ ノ キ オ 、 ピ ー タ ー パ ン 、 シ ン デ レ ラ な ど 、
デ ィズ ニ ー の世 界 を 担 う 登 場 人 物 た ち が 次 々 に 現 わ れ る こ こ は 、 デ ィ ズ ニー ラ ン ド の意 味 論 的
な 心 臓 部 な の だ 。 こ こ に お い て 、 映 画 や テ レ ビ や コ ミ ッ ク を 通 じ て 世 界 中 に 広 ま った デ ィズ
ニ ー の イ メ ー ジ と デ ィ ズ ニー ラ ン ド は 融 合 し 、 想 像 力 を 身 体 性 の レ ベ ル で 捉 え る の だ 。
デ ィ ズ ニー の フ ァ ン タ ジ ーが 、 ﹁人 生 を 偽 り 伝 え る ﹂ も の で あ り 、 そ の 無 邪 気 な 表 情 の 下 に
狡 猾 な イ デ オ ロギ ー 的 抑 圧 を 隠 し て い る こ と を 最 初 に指 摘 し た 一人 が 、 一九 六 五 年 の ロ サ ン ゼ
ル ス ・タ イ ム ズ 紙 上 に デ ィ ズ ニー 批 判 の 論 評 を 載 せ た E ・C ・セ イ ヤ ー ズ で あ る 。 彼 女 は 、 デ ィ
ズ ニー のな か に伝 承文 学 の卑 俗化 と創 作 作 家 に対 す る 不遜 な 改 竄が 認 め られ る こと を厳 し く批
の構 成 と シンボ リ ズ ムを 台 無 し に し て し ま う 、 と いう の であ る ︵ ﹁ウ ォルト ・デ ィズ ニーの功罪﹂、
判 し た。 デ ィズ ニー は昔 話 を 甘 く し、 登 場 人 物 た ち を過 度 に可 愛 ら し くす る こと によ り、 昔 話
﹃ 世界﹄ 一九 六七年 二月号︶。 実 際 、 デ ィズ ニー の描 く 登 場 人 物 た ち は、 現 実 のそ れ らが も って い
る暴 力 性 や 性的 な要 素 を 一切 剥 奪 され 、 ﹁可愛 ら し い﹂ だ け の存 在 へと 中 性 化 さ れ て いる。 た
と えば 、 ﹃ピ ノキ オ﹄ の場 合、 コッ ローデ ィ の原 作 に は見 ら れ たピ ノキ オ の反 抗 性、 ジ ェペ ッ
ト爺 さ んか ら逃 げ 出 し、 学 習 と労 働 の美 徳 を 説 く コオ ロギ に槌 を投 げ つけ て殺 し 、勤 勉 を 拒 否
し つづ け る ピ ノキ オ の、 そ し て彼 を ヒー ロー にし て いく 子 ど も た ち の反 抗 的 な遊 び の世 界 は骨
抜 き にさ れ 、 ピ ノキ オ はた だ従 順 で無 力 な 可愛 ら し い少 年 へと馴 化 され て い る の であ る。
﹃ 白 雪 姫 ﹄ の場 合、 事 態 はも っと 深 刻 であ る。 こ こ で は原 作 の童 話 に対 す る よ り構 造 的 な 改 変
初 の長編 ア ニメー シ ョン映 画 と し て 一九 三 七年 に封 切 ら れ 、特 別 アカデ ミ ー賞 ま で受 賞 し た
が 行 な わ れ て いる のだ。 も とも と グ リ ム兄弟 に よ って採 集 さ れ た こ の フ ォー ク ロアは、 民 話 に
は しば しば 見 ら れ る貴 種 流離 譚 型 の死 と 再生 の物 語 であ った。 継 母 の王 妃 に嫌 わ れ、 森 に放 逐
され た 王 女 は、 そ こ で危 う く 死を 逃 れ て 一寸 法 師 た ち の庇 護 を受 け る。 あ る語 り伝 え で は、 王
女 は洞窟 のな か に住 む 人喰 い の 一寸 法 師 た ち のと こ ろ に捨 てら れ た とな って いる よ う に、 彼 ら
の正 体 は 異界 に住 ま う 山 人 であ り、 王 女 は こ こ で ヴ ィク タ ー ・ター ナ ー の いう境 界 的 状 況 に置
かれ る のだ。 王 女 の生存 を知 った王 妃 は、彼 女 を殺 害 しよ う と し て繰 り 返 し 罠 を仕 掛 け て いく。
第 一は、 胸紐 に よ る絞殺 であ り、 第 二 は、毒 を塗 った櫛 であ り、 第 三 は、 毒 入 り の林 檎 であ る。
の毒 入り 林 檎 によ る死 から 蘇 生 し た 王女 は、 王 子 と 結ば れ て無 事 に王 国 へと帰 還 す る。物 語 は
そ し てそ のた び に、 一度 は死 んだ はず の王 女 が 一寸 法師 た ち の力 で蘇 生 す る のだ 。 つい に第 三
最 後 、 白 雪 姫 を いじ め た王 妃 が真 赤 に焼 け る鉄 の上靴 を履 か せら れ 、 悶 え なが ら踊 り 狂 って死 ん で いく 壮 絶 な 場面 で終 わ って い る。
﹃ 白 雪 姫 ﹄ と 同型 の物 語 は、 王 妃 を 王 に、 王 女 を王 子 に変 え る な らば 世 界 中 の フ ォー ク ロア
のな か に見 いだ す ことが でき る であ ろ う。 デ ィズ ニー は こ のよ う な通 過 儀 礼 の形式 に よ る物 語
の構 造 を文 字 ど お り 台無 し に し て しま う。 まず 彼 は、 こ の物 語 か ら暴 力 的 な 場 面 を 一切 排 除 す
る。 狩 人が 王女 の代 わ り に猪 の子 を 殺 し、 証拠 にえ ぐ り 出 し た肺 臓 と肝 臓 を 塩 づ け にし て 王妃
に、 す な わ ち毒 入 り林檎 だ け に減 ら され てし ま う。 他 方 、 一寸 法 師 た ちも そ の異 形 性 を奪 わ れ
が 食 べる 場面 や、 王 妃 が 狂 い死 ぬ場 面 は全 面的 にカ ット され 、 王 女殺 害 の企 みも 三 つか ら 一つ
て可 愛 ら し い小 人 に変 身 し 、 そ れぞ れ名 前 ま で与 え ら れ て いわば ペ ット化 され る。 そ の結 果 、
迫 害 す る王妃 と死 に晒 さ れ る王 女 、 そ し て異 人 と し て の 一寸 法 師 と いう物 語 を 構 成 す る 三 つ の
極 のバ ラ ン スが 崩 され 、 王 妃 と 王 女 の関 係 が 背 景 に退 く代 わ り に、 王 女 と小 人 や森 の動 物 た ち 、
そ し て彼 女 を最 終 的 に危 機 から 救 う 王 子 の役 割 が ク ローズ ア ップ さ れ る のだ。 こ こ にあ る のは
も は や、 死 と 再 生 の民 話 的 時 間 では な く、 可愛 ら し さ のな か に包 まれ て王 子 の到 来 を 夢 見 る 少
女 の フ ァ ンタジ ー の時 間 で し かな い。 結局 のと こ ろ、 デ ィズ ニー の白 雪 姫 は、 一度 たり と も 王 国 か ら追 放 はさ れ な いし、 死 と 遭 遇 も し な い のであ る。
こ のよ う に し て、 デ ィズ ニーが つく り あげ た フ ァン タジ ー の世 界 の構 造 的 意味 が しだ いに明
ら か に な る 。 デ ィ ズ ニー が 排 除 す る の は 、 外 部 の 他 者 と そ れ が 可 能 に す る物 語 的 な 生 成 す る 時
間 で あ る 。 デ ィズ ニ ー の世 界 は 変 わ ら な い。 そ の 登 場 人 物 た ち も 、 出 来 事 も 、 常 に 一定 不 変 の
﹁可 愛 ら し さ ﹂ の な か に包 ま れ て い る の だ 。 ア リ エ ル ・ド ル フ マ ン と ア ル マ ン ・ マ ト ゥ ー ラ ル
は 、 こ う し た デ ィ ズ ニー の世 界 の 時 間 構 造 の内 閉 性 を 鋭 く 衝 い て い る 。 彼 ら は 、 デ ィ ズ ニー の
と の否 認 が 、 た ん な る 偶 然 で は な い こ と を 次 の よ う に 強 調 す る 。
作 品 に は 実 の 両 親 の 不 在 と い う 特 徴 が 見 ら れ る こ と に 注 目 し つ つ、 こ こ に 示 さ れ る 生 ま れ る こ
デ ィズ ニー のキ ャ ラク タ ーが機 能 す る た め に は、 現 実的 で具 体 的 な 可 能 性 のす べ てを 切
り す て、 個 人 の歴史 を抑 圧 し、 そ れ ゆ え に死 を 予 兆 さ せ る誕 生 と死 そ のも のと のあ いだ で
の展開 や、 そ の間 で の個 々人 の変 化 を抑 圧 す る こと が 必要 な のであ る。 これ ら のキ ャラ ク
ター は、 生 物 学 的 な行 為 のな か に巻き こ ま れな い存 在 であ る た め、 不死 性 を身 に まと う 。
だ か ら、 冒 険 の途中 でど れ ほど の危 難 に苦 し めら れ ても 、 肉体 的 な 苦 痛 から は自 由 な ので
あ る。 キ ャラ ク タ ーか ら実 際 上 の過去 を と りあ げ 、 ま た さ ら に彼 ら が 自 分 の置 か れ て いる
状 況 を疑 問 視 す る可能 性 をと り あげ る こ と で、 デ ィズ ニーは彼 らが い つも ひた って いる世
界 の外 へと 出 て いく た め のた った ひと つの展 望 を 消 す 。未 来 は彼 ら に は不 用 であ る。 現 実 は 不変 な のであ る ︵﹃ ド ナルド ・ダ ックを読む﹄晶文社、 一九 八四年︶。
こ の指摘 は、 直 接 には デ ィズ ニー の コミ ック に対 し てな さ れ た も のだ が 、 デ ィズ ニーラ ンド
に つい ても ま ったく 同 じ ことが 当 て はま る。 デ ィズ ニー ラ ンド を支 配 し て い る のは絶 えざ る現
在 の反 復 であ る。 そ こ には 過 去 も な け れ ば 未 来 も な い。 ﹁過 去﹂ や ﹁未 来 ﹂ の相 貌 を ま と った
現 在 が 不 断 に再生 産 され て い るだ け な のだ 。 観客 た ち は、 あ ら ゆ る 大陸 、 あ ら ゆ る時 代 を観 光
し、 熱 にう か さ れ た よう に移 動 し つづ け る にも か か わら ず 、 常 に同 一の時 間 のな か にと ど ま っ
て いる の であ る。 見 かけ 上 の風景 の多 様 性 が 、 構造 的 な同 一性 を 覆 って いる。
消費社会 の都市戦略
以 上 で 述 べ て き た よ う な デ ィ ズ ニー ラ ン ド の 空 間 ︱ 時 間 的 構 成 は 、 遊 園 地 と し て の デ ィ ズ
ニー ラ ンド だ け に 限 定 さ れ た 事 柄 であ ろ う か 。 冒 頭 で も ふ れ た よ う に 、 デ ィ ズ ニー ラ ン ド は 決
し て 一時 の 娯 楽 の 場 と し て 現 実 の 外 にあ る 遊 園 地 な の で は な い。 デ ィズ ニ ー ラ ン ド は 都 市 で あ
る。 そ れ は 、 か つ て 博 覧 会 が 近 代 都 市 の ひ と つ の モデ ル と な った の と も 似 た よ う な 意 味 で 、 消
費 社 会 の 都 市 の モデ ル と な り つ つあ る の で あ る 。 と す る な ら 、 ﹁デ ィ ズ ニー ラ ン ド と は 、 ︿実
に 、 そ こ にあ る の だ ﹂ と い う ジ ャ ン ・ボ ー ド リ ヤ ー ル の 主 張 も 、 彼 一流 の 誇 張 的 表 現 と ば か り
在 す る ﹀ 国 、 ︿実 在 す る ﹀ ア メ リ カ す べ てが 、 デ ィズ ニー ラ ン ド な ん だ と い う こ と を 隠 す た め
は 言 え な い で あ ろ う 。 彼 は 続 け て 、 ﹁デ ィ ズ ニー ラ ンド は 、 そ れ 以 外 の場 こ そ す べ て 実 在 だ と
思 わ せ る た め に 空 想 と し て 設 置 さ れ た 。 に も か か わ ら ず ロ サ ン ゼ ル ス全 体 と 、 そ れ を と り 囲 む
ア メ リ カ は 、 も は や 実 在 で は な く 、 ハイ パ ー リ ア ルな シ ミ ュレ ー シ ョ ン の 段 階 に あ る ﹂ と 言 う
︵﹁シミ ュラークルと シミ ュレーション﹄法政大学出版局、 一九八四年︶。 ま ったく 同 様 のこ とが 、 東 京
と そ れを と り 囲 む 日本 に つい ても 言 え は しま い か。 デ ィズ ニー ラ ンド を めぐ る戦 略 は 、 いま や
区別 が つかな いよ う なも の にな ってき て い る の では な いだ ろう か。
消 費 社 会 に広 く浸 透 し て おり 、 現代 都 市 の リ ア リ テ ィは、 しだ い にデ ィズ ニー ラ ンド のそ れ と
た とえ ば 、 一九 七 〇年 代 以 降 、渋 谷 を はじ め各 地 で次 々に展 開 さ れ て い った西 武 資 本 によ る
空 間 演 出 の場 合 、 そ の核 にあ る のは ﹁ホテ ル性 、 劇 場性 、 バ ザ ー ル性 を核 と し て そ こ に生 ま れ
る ﹁界 隈 性 ﹂ の飽 く なき 追 求 であ る﹂ と いう 。 彼 ら が行 な った商 業 開 発 の多 く は、 既 存 の賑 わ
い に連 続 的 に では な く、 それ ま で の地域 の構 成 と は ま った く異 質 な 領 域 を 出現 さ せ て い る。池
袋 でも、 渋 谷 でも 、新 所 沢 でも 、 西 武資 本 の演 出 す る空 間 は、 近 接 す る旧来 の商 業 地 域 に対 し
て閉 じ ら れ て いる のだ 。 そ し て こ の空 間 は、 しば しば ﹁街 ﹂ と名 づ け ら れ、 ﹁ステ ージ 性 ﹂ を
ンド イ ッチ ロード ﹂ ﹁オ ルガ ン坂 ﹂ な ど 、 ﹁街 ﹂ の道 々 には 異 国 風 の響 き を も った名 前 が つけ
キ ー ワー ド にさ ま ざ ま な 演 出 が 施 さ れ て いく 。 渋 谷 の場 合 、 ﹁公 園 通 り﹂ ﹁スペイ ン通 り﹂ ﹁サ
ら れ 、 ま る で外 国 の都 市 か ら切 り 抜 い てき た か のよう な書 割 り的 な風 景 が 演 出 さ れ て い った。
こう し て周囲 の環 境 か ら ﹁街 ﹂ を 分 離 し、 個 々 の装 置 や 出来 事 を見 る場 ・見 せ る 場 と いう 状 況
を つく り 出す た め に セ ットし て いき 、 ﹁街 ﹂ 全 体 を ひ と つ の巨大 な 劇 場 にし てし ま う こと 、 こ
れ が 彼 ら の狙 いで あ った。 ﹁す れ ち が う 人 が 美 し い︱︱ 渋 谷 ・公園 通 り﹂ と いう渋 谷 パ ル コの
オ ープ ニング ・キ ャン ペ ー ンは、 こ の よう な資 本 の戦 略 を 要 約的 に示 し て いる。
西 武資 本 によ る都 市 演 出 を考 え る う え で、 も う ひ と つ重 要 な のは 、 ﹁街 =都 市 空 間 ﹂ の セグ
メ ン ト化 で あ る 。 彼 ら は 言 う 。 ﹁ま ず 、 街 に セ グ メ ン ト さ れ た マー ケ ッ ト だ け が 集 ま る と いう
こ と が 必 要 で あ る 。 ⋮ ⋮ み ん な の 街 と い った 町 内 会 的 な 概 念 は か な ぐ り 捨 て な け れ ば な ら な い。
似 た 者 同 士 を 集 め る こ と で価 値 観 は 増 幅 さ れ 、 ち ょ っと 違 う 価 値 観 を 同 化 す る 。 そ し て そ の街
グ メ ン ト マー ケ ッ ト を 得 る こ と が で き る。 ⋮ ⋮ す る と 今 度 は 、 そ の マ ー ケ ッ ト を 離 さ な い 、 離
な り の 強 い価 値 観 を も つ に 至 る の で あ る。 街 が こ う し た 価 値 観 を 持 つ こ と に よ って 、 初 め て セ
さ な いど こ ろ か よ り 強 め て い く こ と が 必 要 に な って く る 。 そ れ に は 、 街 自 体 が 感 性 に な る べ き
で あ る 。 ⋮ ⋮ こ う し た 街 こ そ メ デ ィ ア と し て の要 素 を 備 え た 可 能 性 のあ る 街 メ デ ィ ア と な る ﹂
︵﹃ア ク ロス﹄ 一九 八 三年 四月 号 ︶ 。 こ の よ う な 認 識 の も と で、 彼 ら が 演 出 す る ﹁街 ﹂ は 、 す べ て が
一所 か ら 総 覧 で き る よ う な 旧 来 の 百 貨 店 型 の も の で は な く 、 テ ー マ別 に セ グ メ ン ト さ れ た 箱 型
﹃ポ パ イ ﹄、 ﹃ぴ あ ﹄ な ど の カ タ ログ 雑 誌 を は じ め と す る セ グ メ
空 間 の重 層 的 構 成 と いう 形 態 を と る よ う に な る 。 そ の際 、 各 々 の空 間 と ﹁感 性 ﹂ の 対 応 を 媒 介 し て い く のが 、 ﹃ア ン ア ン﹄ や
ン ト 化 さ れ た メデ ィ ア な のだ 。 こ れ ら の メデ ィ ア は ﹁ 街 ﹂ で人 び と が 何 を着 、 何 を 観 、何 を食
べ る か に つ い て の 台 本 を 提 供 し 、 断 片 化 し た 空 間 を ス ト ー リ ー 性 を も った シ ー ク エ ン ス と し て
つな ぎ 合 わ せ て い く 。 こ う し て 、 街 = 空 間 / 街 = メ デ ィ ア/ 街 = 感 性 と い う 三 つ の レ ベ ル が 連
動 し な が ら 人 び と の 都 市 に対 す る テ イ ス ト を セ グ メ ン ト し 、 場 面 の連 続 の う ち に彼 ら の 身 体 と 自 己 意 識 を 捕 え 込 ん で い く 一連 の メ カ ニズ ムが セ ッ ト さ れ る のだ 。
地 域 が 育 ん でき た 記 憶 の 積 層 か ら ﹁街 ﹂ を 離 脱 さ せ 、 閉 じ ら れ た 領 域 の 内 部 を 分 割 さ れ た 場
面 の重 層 的 な シ ー ク エ ン スと し て劇 場 化 し て い く こ と 、 そ の 際 、 さ ま ざ ま な レ ベ ル の メデ ィ ア
を 活 用 し て ﹁街 = 都 市 空 間 ﹂ そ のも の を メ デ ィ ア の 複 合 体 と し て 位 置 づ け て い く こ と ︱ ︱ 。 こ
う し た戦 略 は 、 い ま や 消 費 社 会 の都 市 環 境 に広 く 浸 透 し は じ め て い る 。 お そ ら く 、 そ れ を よ り
一般 的 な 形 で 示 し て い る の は 近 年 の シ ョ ッピ ン グ セ ン タ ー な の で は な い だ ろ う か 。 船 橋 の ﹁ら
ら ぽ ー と ﹂ に し ろ 、 尼 崎 の ﹁つ か し ん ﹂ に し ろ 、 あ る い は最 近 で き た 新 神 戸 の ﹁ O PA ﹂ や 市
川 の ﹁ニ ッ ケ ・ コ ル ト ン ・プ ラ ザ ﹂ で も 、 いず れ も エ ン タ ー テ イ メ ン ト 性 に あ ふ れ た 複 合 的 な
﹁ 街 ﹂ の建 設 が め ざ さ れ て い る 。 0 P A の場 合 、 仕 掛 人 た ち は ま ず 、 ﹁商 業 空 間 を ク リ エイ テ ィ
ヴ に 、 ド ラ マ チ ッ ク に 、 そ し て 既 成 商 圏 の 枠 を 破 る 商 業 観 光 の 具 現 化 を 目 指 し 、 デ ィ ズ ニー ラ
ンド の も つ集 客 性 と 頻 度 の高 い リ ピ ー ト 性 に注 目 し た ﹂ と い う 。 デ ィズ ニ ー ラ ン ド 的 な 空 間 演
出 を ﹁商 業 観 光 ﹂ と い う 形 で 生 か し て い こ う と 、 各 階 ご と に ﹁江 戸 ス ピ リ ッ ツ﹂ ﹁ニ ュー ヨ ー
ク ・ スピ リ ッ ツ﹂ ﹁パ リ ・ス ピ リ ッ ツ﹂ ﹁ト ウ キ ョ ー ・ ル ー ト 2 4 6 ﹂ な ど の ﹁テ イ ス ト ﹂ を 基
調 に し た 演 出 が な さ れ 、 内 部 も ﹁横 丁 あ り 、 路 地 あ り と い う 迷 宮 感 覚 ﹂ で 構 成 さ れ て い る よ う
だ 。 ま た つ か し ん の 場 合 も 、 ﹁都 会 ﹂ と ﹁下 町 ﹂ と い う 二 つ の 領 域 構 成 が な さ れ 、 内 部 に ス ポ ー ツ施 設 か ら 教 会 ま で を 取 り 込 ん だ モ ー ル空 間 を 形 成 し て い る 。
た だ し 、 こ の よ う な 動 き は 北 ア メ リ カ 大 陸 の 諸 都 市 の方 が 、 規 模 ・内 容 の 両 面 で は る か に 徹
底 し て い る こ と を つけ 加 え て お こ う 。 な か で も 一九 八 五 年 に 第 三 期 工 事 を 終 え た カ ナ ダ の ﹁ウ
エ ス ト ・ エド モ ン ド ・ モ ー ル﹂ は 、 全 天 候 型 の 閉 ざ さ れ た 巨 大 空 間 の内 部 に 、 イ ベ ン ト ホ ー ル
を 兼 ね た ア イ ス パ レ ス、 数 々 の ア ト ラ ク シ ョ ン の 並 ぶ フ ァ ン タ ジ ー ラ ンド 、 帆 船 と 潜 水 艦 で 遊
べ る デ ィプ シ ー ア ド ベ ン チ ャ ー ラ ン ド 、 波 打 ち 際 に 熱 帯 の 風 景 が 広 が る ワ ー ル ド ウ ォ ー タ ー
パ ー ク 、 小 型 の ゴ ル フ コー ス、 ニ ュー オ リ ンズ の 街 路 を 模 し た バ ー ボ ン ス ト リ ー ト や パ リ の街
路 を 模 し た ヨ ー ロ ッパ ブ ルバ ー ド 等 々 を 包 み 込 み 、 新 し い エ ン タ ー テ イ メ ン ト ・ モ ー ル の空 間
を 実 現 さ せた 。 そ し て これ に触 発 さ れ る か のよ う に、 ア メ リ カ でも 各 地 で エン タ ー テイ メ ン
ト ・モ ー ル の 建 設 が 進 め ら れ て お り 、 フ ロ アご と に 異 な る 雰 囲 気 が 演 出 さ れ た り 、 デ ィズ ニ ー
ラ ン ド と 同 様 の フ ァ ソ タ ジ ー の世 界 が 取 り 入 れ ら れ た り も し て い る 。 こ う し た 傾 向 は わ が 国 の
場 合 、 ま だ 部 分 的 に し か 見 ら れ な いが 、 将 来 的 に は 日 本 で も シ ョ ッ ピ ング セ ン タ ー と レジ ャ ー
ラ ン ド を 結 合 さ せ た よ う な 巨 大 商 業 空 間 が 各 地 で姿 を 現 わ す こ と に な る の で は な い だ ろ う か 。
そ のとき 、 消 費 社 会 的 な都 市 の リ ア リ テ ィ のす べ てを 戦 略 的 に演 出 し て いく よ う な 複 合 エ ン
タ ー テ イ メ ン ト 空 間 の な か で 、 都 市 を め ぐ る 人 び と の幻 想 は 完 全 に 内 部 化 さ れ 、 自 己 完 結 的 に 上 演 さ れ て い く こ と に な る の か も し れ な い。
隔離された夢空間都市
そ れ にし ても 、 い った い いかな る身 体 =リ アリ テ ィ感 覚が 、 一九 八〇 年 代 を通 じ て広 が って
い ったデ ィズ ニー ラ ンド か ら消 費 社 会 の都 市環 境 に 至 る 一連 の戦 略 を 支 え 、 そ れ を貫 いて い る
へと 中 性 化 さ れ て しま って いる こ とを 見 た。 お そ ら く こ の ﹁可愛 ら し さ﹂ は、 デ ィズ ニー の世
のであ ろ う か。 われ わ れ は す で に、 デ ィズ ニー の登場 人 物 た ちが 、 ただ 可 愛 ら し いだ け の存 在
界 と現 代 日本 の都 市 文 化 を ひと しく 包 ん で いる規 範 であ る。 た と えば 山 根 一眞 は 、 ﹁変 体 少 女
文 字 ﹂ と彼 が 呼 ぶ 、 少 女 た ち の丸 みを 帯 び た字 体 が 、 一九 七 四年 頃 から 全 国 的 に誕 生 し、 七 八
い﹂ の構造 な ので はな いか と指 摘 し て いる ︵﹃ 変体少女文字 の研究﹄講談社、 一九 八六年︶。 ﹁かわ い
年 頃 から 急 速 に普 及 し は じ め て いる こと を検 証 し て、 そ の背 景 の ひ と つ にあ る のが ﹁か わ い
い﹂ と はも とも と 、 小動 物 や幼 児 な ど の自 立 でき な い存 在 に対 す る親 しさ の形容 詞 と し て使 わ
れ てき た。 それ が 七 〇年 代 半 ば 頃 から 若者 た ち の意 識 を 強 迫観 念 的 に捉 え はじ め た のだ 。 少 女
たち は、 ﹁か わ い い﹂ 文 字 を書 き 、 ﹁かわ い い﹂ 小物 を 集 め、 ﹁か わ い い﹂ キ ャラ ク タ ーた ち と
接 す る こ と で、 自 分 も ﹁かわ いく ﹂ な り 、自 己 の存 在 感 を 希 薄 化 さ せ て幻 想 の共 同世 界 ︵﹁ 夢
と魔法 の王国﹂!︶ の住 人 と し て他 者 と の境 界 のな い人 間関 係 を つく って いく 。 逆 に言 え ば 、 こ
の共 同 世 界 への参 加 資 格 が ﹁かわ い い﹂ な の であ る。 ﹁か わ い い﹂ も のは す べ て ひと ま と め に
取 り 込 ま れ 、 ﹁かわ いく な い﹂ も の は ﹁関係 な いから ﹂ と 、視 界 の外 に排 除 さ れ る。
ほど 残 酷 な 貌 を潜 ま せ て い る のか も し れな い。 デ ィズ ニー ラ ンドが 周 囲 の環 境 から自 ら を徹 底
と す れ ば 、 こ のよ うな ﹁かわ い い﹂ の文 化 は 、 そ のあ っけ ら か ん と し た表 情 の下 に、意 外 な
的 に隔 離 し た よ う に、 若 者 た ち自 身 も ま た、 不 快 な現 実 を はじ めか ら視 界 の外 に排 除 し て自 己
完 結 的 な 世 界 を構 成 す る のだ 。 そ し て隔 離 さ れ た 共 同世 界 の内 側 で、自 己 と他 者 と の距離 は意
味 を失 い、 何 ら葛 藤 のな い無 菌化 さ れ た状 況 が 生 き ら れ て いく 。 問 題 は、 こう し た無菌 化 さ れ
た状 況 を 絶 えず 拡大 さ せず には お か な い構 造 的 な 機 制 であ る。 お そ ら く 、 ﹁か わ い い﹂ こ と へ
の こだ わ り そ のも の は、 問 題 の布 置 から す る な らば 表 層 の意 識 の機 制 の ひ と つ にす ぎ な い。
﹁か わ い い﹂ に つ い て指 摘 し た のと ま った く 同 様 のこ と を 、 ﹁ナ ウ﹂ や ﹁オ シ ャ レ﹂ や ﹁キ レ
の構 造 、 ﹁か わ いく な い﹂ も のや ﹁ダ サ イ﹂ も のや ﹁キ タ ナイ﹂ も の に対 す る排 除 の構 造 を 内
イ﹂ と い った こと への固 執 のな か に見 いだ す こと も でき るだ ろ う。 こ れ ら はど れ も、 あ る排 除
包 し て いる の であ る。 それ で は、 こ のよう にし て人 び と のまな ざ し を無 菌 化 さ れ た リ アリ テ ィ
のな か に封 じ込 め て いく戦 略 、 す な わ ちデ ィズ ニー ラ ンド から 消費 社 会 の都 市 戦 略 一般 ま で に
通 底 し て いる こ の戦 略 を有 効 な ら し め て いる の は、 い った い い かな る機 制 な のか。
八 〇年 代 に おけ る東 京 デ ィズ ニー ラ ンド の人 気 と消 費 社 会 的 な 一連 の都 市 演 出 が 、 同時 代 の
日本 の経済 的 繁 栄 、 と り わけ ﹁世 界都 市﹂ と し て の東京 の発 展 と不 可 分 に結 び つ いて いる こと
は改 めて指 摘 す るま でも な い。 東 南 アジ アや南 アジ アか ら の外 国人 労働 者 の問 題 に象 徴 さ れ る
よう に、 わが 国 の産 業経 済 は、 高 度 成 長期 ま で は国 内 的 な規 模 で展 開 し てき た 二重 構 造 を 、 い
まや 世 界 シ ステ ム レベ ル にま で拡 張 さ せて いる。 注 意 し てお か なけ れば な ら な いこと は、 いか
に ﹁生 産﹂ か ら ﹁消 費 ﹂ への転 換 が 語 ら れ 、 工業 都 市 的 な リ アリ テ ィが 非都 市的 なも のと し て
背 景 に押 し や ら れ よう と も、 世 界 シ ステ ム レベ ルで見 た 場 合、 われ わ れ の時 代 は ます ま す 高度
な資 本 主 義 的産 業 化 を 、 生活 のあ らゆ る場 面 に わ た って徹底 さ せ て い ると いう事 実 であ る。 そ
し て こう し た な か で、 役 に立 た な いも の、 生産 的 な 価 値 も 消費 的 な価 値 も 持 た な いも のは、 生 活 世 界 の内 部 で意 味 を 失 い、 ﹁廃 棄 物 ﹂ と し て視 界 の外 に排 除 され て いく。
あ る意 味 で資 本 主 義 は、 絶 えず そう した ﹁不 用﹂ で ﹁有 害﹂ な外 部 を 排 除 し つづ け る こと に
よ って、 こ こま で成 長 ・拡 大 し てき た のかも し れ な い。 し かし なが ら、 か つて近代 は、 こう し
た選 別 と 排 除 の論 理 と並 ん で、進 歩 と救 済 の論 理 と でも 呼 ぶ べき も のを 不可 欠 の構 成 要 素 と し
て含 ん で いた。 ﹁不用 ﹂ で ﹁有 害 ﹂ なも のと し て排 除 さ れ る 外 部 は 、 同時 に ﹁救 済 ﹂ さ れ る べ
き ﹁遅 れ た﹂ 存 在 であ った。 そし てま さ に こ う し た外 部 の時 間 化 =内部 化 こ そが 、 ブ ルジ ョア
たち に排 除 され たも のた ちを ﹁他 者 ﹂ と し て言 説 化 す る こ とを 可能 な ら し め て い た のだ 。換 言
す るな ら、 文 明 の進 歩が 社 会 を 救 済 し、 排 除 の メ カ ニズ ムを解 消 す ると いう信 仰 が 、 逆 に排 除
そ のも のを正 当 化 す る、 そう し た逆 説 的 な構 造 が そ こ にはあ った。 未来 の ユー ト ピ ア から 照射
さ れ る光 が 闇 を 照 ら し、 そ の照 ら さ れ た 闇 を、 そ の かぎ り で人 び と は受 容 し てき た の であ る。
それ に対 し て現 代 は、 そ う し た進 歩 と 救済 の論 理 の成 立基 盤 そ のも のを ポ スト モダ ン的 な フ ェ
イズ へと移 行 さ せ、 変形 し て いく 。 未来 に向 け て の時 間軸 は解 体 さ れ 、 そ こ に存 在 す る のは 断
片 化 さ れ た現 在 の絶 えざ る更 新 だ け であ る。 こ のよう な状 況が 出 現 した と き、 わ れわ れ は 、 排
な い か。無 限 に増 殖 し つづ け る内 部 化 さ れ無 菌 化 され た世 界 のな か に、 自 ら のま なざ しを 閉 ざ
除 され つづ け る存 在 に対 し ても は や自 信 た っぷ り の救 済 的 な視 線 を も つこと は でき な い の では
し て いく方 向 に む か い つ つあ る ので はな いだ ろ う か。
現 代 日本 の都 市 文 化 を 覆 って いる ﹁かわ い い﹂ こと や ﹁オ シ ャ レ﹂ な こと へのこだ わり は、
こ のよう な 時 間軸 が 解 体 し た状 況 に対 す る 、 ひ と つの防 衛 的機 制 な のかも し れ な い。 現 在 日本
人 の多 く が 享受 し て いる ﹁ 豊 か さ﹂ は、 自 然 に対 す る、 そ し てま た第 三世 界 に対 す る無 数 の収
奪 と排 除 の結 果 な のだ が 、 わ れ わ れ はそ う し た こ とを し つづ け る何 ら正 当 な 権利 を持 って は い
な いし、 ま たそ のこ とを う す う す は知 って いる。 そ の際 、 私 た ちが 選 択 し て いる のは、 私 たち
自 身 が 排 除 し つづ け て い るも のた ち を でき るだ け 見 な いよ う にし て、 ﹁夢 と 魔 法 の王 国 ﹂ のな
か に自 分 を 溶 か し 込 ん で いく こと であ る よう にも 見 え る。 そ し て こ の ﹁王 国﹂ は、 ﹁救 済 ﹂ で
はな く、 む しろ ﹁忘 却 ﹂ のメ カ ニズ ムを有 効 に作 動 さ せ て いく た め に、 ま す ま す内 部 の物 語 を
多 様 に流 動 化 さ せ、 そ のゆ ら ぎ のな か に人 び と のま なざ しを 封 じ 込 ん で いる の であ る。
消 費 社 会 と は、 ひ と つの巨 大 な 忘 却 の メ カ ニズ ムな のか も し れ な い。 新 し い都 市 の風 景 を
次 々 に演出 し、 人 び と の欲 望 を そ こ に誘 いなが ら 、 同時 にそう した 風景 の由 来 を 忘 れ さ せ て い
く 。 私 た ちが いま何 処 に いる のか、 何 処 か ら来 た の か、 そ し て何 処 に行 く のか、 そ う し た問 い
は こ こ では 意味 をな さ な い。 私 た ち は強迫 観 念 的 に無 菌化 さ れ た現 在 のな か に逃 げ 込 み、 そ の
現 在 が 絶 えず 相 貌 を変 化 さ せな が ら 繰 り 返 さ れ て いく 。 今 後 、 たと え 一個 の遊 園 地 と し て の
デ ィズ ニー ラ ンドが 時 代 遅 れ にな る ことが あ る と し ても 、 そ れ を素 材 に これ ま で論 じ てき た よ
う な都 市 の リ アリ テ ィを めぐ る戦 略 は、 さ まざ ま に形 を 変 え なが ら消 費 社 会 日本 の都 市 環 境 を 支配 し て いく こと にな る の で はな いだ ろう か。
デ ィズ ニーラ ンド化する都市
﹁デ ィズ ニー ラ ンド 都 市﹂ と いう 言 説
都 市 は デ ィズ ニー ラ ンド化 す る︱︱ 。 そ んな 言 説 を 、 こ のと こ ろず いぶ ん と 目 にす るよ う に
な った。 一九 八 三年 春 に開業 し た東 京 デ ィズ ニー ラ ンドが 相 変 わ ら ず驚 異的 な観 客 動 員 を 記録
し つづ け て いる の に影 響 さ れ て か、 デ ィズ ニー ラ ンド を モデ ルと し て これ か ら の都 市 の姿 を見
通 し て い こう と いう の であ る。 そう 書 い て いる私 自 身 、 デ ィズ ニー ラ ンド に つ いて考 え る こと
が 現 代 都 市 の消 費 文 化 を 捉 え て いく と き にき わ め て有 力 な糸 口とな る こと は何 度 か指 摘 し てき
た。 ただ し、 そ の場 合 、 私が 主 張 し た か った のは、 デ ィズ ニー ラ ンド が 現代 資 本 主 義 が つく り
だす 都 市 の消 費 社 会 的 リ アリ テ ィを 集 約的 な か たち で示 し て お り、 こ の空 間 を批 判 的 に分析 し
6月
1992年
て い く な ら ば 、 消 費 社 会 に張 り め ぐ ら さ れ て い る 権 力 の メ カ ニズ ム と わ れ わ れ の 日常 的 実 践 と の結 び つき が 多 少 な り と も 明 ら か に な る だ ろ う と い う こ と で あ っ た 。
し か し な が ら 、 こ の と こ ろ マー ケ テ ィ ン グ や 都 市 計 画 の 立 場 か ら な さ れ て い る ﹁デ ィズ ニー
ラ ンド 都 市 ﹂ を め ぐ る 言 説 に は 、 そ の よ う な 批 判 的 視 点 は 感 じ ら れ な い 。 た と え ば 、 都 市 の未
来 像 の ひ と つ と し て デ ィズ ニ ー ラ ンド 型 都 市 を 挙 げ 、 デ ィズ ニー が 、 ハイ テ ク を 駆 使 し た 参 加
型 の未 来 都 市 を 創 造 し た こ と を 高 く 評 価 す る 人 び と 。 あ る い は 、 デ ィズ ニ ー ラ ン ド を ア ミ ユー
ズ メ ン ト 型 の集 客 装 置 の 理 想 型 と し て 捉 え 、 こ れ に 倣 っ た 都 市 空 間 の 演 出 法 を 商 業 施 設 の な か
に適 用 し て い こ う と す る 人 び と 。 そ し て ま た 、 東 京 デ ィズ ニ ー ラ ン ド の人 材 教 育 や 商 品 管 理 の
シ ス テ ム に 、 こ れ か ら の サ ー ビ ス業 の進 む べ き 姿 を 見 よ う と す る 人 び と 。 東 京 デ ィ ズ ニー ラ ン
ド が 、 幕 張 メ ッ セ、 臨 海 副 都 心 、 M M 21 な ど と と も に東 京 湾 ウ ォ ー タ ー フ ロ ン ト 開 発 の拠 点 と
な っ て成 果 を 挙 げ て い る 点 を 評 価 す る 人 び と 等 々︱ ︱ 。 いず れ も デ ィ ズ ニー ラ ンド を モデ ル と
し て 、 今 後 の都 市 づ く り を 積 極 的 に進 め て い こ う と 論 じ る も のば か り であ る 。
し か も 、 こ れ ら の 個 々 の主 張 は 、 そ れ 自 体 で 自 立 し た 言 説 と い う よ り も 、 都 市 の 未 来 を こ の
よ う な 仕 方 で 語 ら せ て い こ う と す る 強 力 な イ デ オ ロギ ー 的 磁 場 の な か で 言 説 化 さ れ て き て い る
よ う に 思 わ れ る 。 た と え ば 、 私 は 以 前 、 あ る 雑 誌 で 、 都 市 の テ ー マパ ー ク化 現 象 に 関 す る イ ン
タビ ュー に答 え た こ と が あ る 。 そ の と き 私 は 、 デ ィズ ニ ー ラ ンド 的 な 演 出 を 都 市 に 取 り 込 ん で
い こ う と す る さ ま ざ ま な 傾 向 が 存 在 す る こ と 、 こ れ ら の ポ ス ト モダ ン的 な 傾 向 は 、 都 市 空 間 全
体 が マ ー ケ テ ィ ン グ の 論 理 に 従 って 編 成 さ れ る よ う にな っ て き て い る ひ と つ の現 わ れ で あ る こ
る いは他 者 性 を 忘却 さ せ て い こう とす る傾 向が 見 ら れ る こと な ど を ひ と つの批判 と し て指 摘 し
と 、 そ のよう な 都市 で は、 消 費社 会 的 な リ アリ テ ィに馴 化 さ れ え な い ヒトや モ ノ の異 質 性 、 あ
た。 と こ ろが 記 事 にな って み る と 、 ﹁街 づ く りも テ ー マパ ー クづ く り も 、消 費 者 が そ こ に盛 り
込 ま れ て いる ﹃ 物 語 ﹄ に共 鳴 でき る か否 かが 、 成功 の鍵 を 握 る﹂ な どと 言 葉 じ り だけ が 用 いら
れ、 発 言 の意 図 と は逆 に、 ま る でデ ィズ ニー ラ ンド 的 な 都 市演 出 を私 が 奨 励 し て いる か の よう な書 き 方 が さ れ て し ま った の であ る。
こ のと き だ け で は な い。最 近、 上 野 動 物 園 の人気 低 落 に ついて聞 かれ たと き にも 、 私 は再 び
同 じ よう な 経験 をす る こと にな った。 こ のとき は、 今 日 の上 野動 物 園 を めぐ る問 題 点 と し て、
上 野 地 区 が 地域 と し て の 一体 的 な まと ま り を失 ってき て いる こ と、 動 物 園 に対す る都 会 人 の関
心 の減 退 が あ る とす るな ら 、 そ れ は臭 い の拒 絶 と か清 潔 志 向 と い った要 因 と 関係 が あ りそ う な
こ とを 指 摘 し 、 そ の関 連 で上 野動 物 園 の博物 学 的 な 展 示 シ ス テ ムと最 近 の水 族館 の環 境 体 験型
の展 示 シ ステ ムと の違 い に ついても 語 った 。 と こ ろが 、 記 事 では発 言 の主 た る論 点 は省 略 さ れ、
﹁上 野動 物 園 は観 客 を非 日常 の世 界 に いざ な う だ け の物 語 性 に欠 け て い る﹂ と、 私 が 強 調 し た
こと にな って いた。 つま り 、 デ ィズ ニー ラ ンド風 に演 出 さ れ た 水族 館 や 動物 園が 今後 の ト レ ン ド であ ると 、発 言 し た か のよ う な のであ る。
ふう に使 わ れ て いる の かも し れず 、 こう し た こ と に いち いち腹 を立 て て い ても始 まら な いか も
新 聞 や 雑 誌 の記 事 のな か で引 用 され る ﹁識者 の談 話 ﹂ な ど と いう も の は、 だ いた い は こ んな
し れ な い。 し か し、 見 過 ご ぜな いの ば、 こ の よう な 言 説 / の圧 力 が 、 よ り 広 い社 会 的 基 盤 を
も っ て い る ら し い こ と で あ る 。 都 市 は デ ィ ズ ニー ラ ンド 化 す る 、 あ る い は デ ィ ズ ニー ラ ンド 化
し な け れ ぽ な ら な い と い う 了 解 が 、 こ の 日 本 に は 無 意 識 的 に だ が 広 く 存 在 す る よ う に感 じ ら れ
﹁ 今 日 の ア メ リ カ に お け る 都 市 デ ザ イ ン の 最 も 偉 大 な 作 品 は デ ィズ
る の だ 。 い や 、 そ れ は 現 代 日 本 社 会 だ け で は な い か も し れ な い 。 か つ て 、 ア メ リ カ の都 市 計 画 家 ジ ェー ム ズ ・ ロ ー ズ が
ニ ー ラ ンド で あ る ﹂ と 語 っ た よ う に、 デ ィ ズ ニー ラ ン ド を 都 市 や 社 会 の モデ ル に し て い こ う と
い う 志 向 は 、 日 本 に 限 ら ず 、 現 代 の 高 度 情 報 消 費 社 会 に広 く 遍 在 し て い る よ う に も 見 受 け ら れ
る の で あ る 。 し た が っ て 、 い ま 必 要 な の は 、 こ う し た イ デ オ ロギ ー 的 言 説 と そ の実 践 的 空 間 と
し て の デ ィ ズ ニー ラ ンド が 、 わ れ わ れ の 意 識 や 感 覚 に ど の よ う な 作 用 を 及 ぼ し て い る の か を 冷
徹 に 読 み 解 い て い く こ と で あ り 、 ま た こ の よ う な 作 用 が 、 現 代 社 会 の い か な る 権 力 のあ り よ う
と 結 び つ い て い る の か を 綿 密 に 分 析 し て い く こ と で あ ろ う 。 つま り 、 デ ィズ ニ ー ラ ン ド を 明 日
の都 市 や 社 会 の モ デ ル に し て い こ う と す る 、 そ の よ う な わ れ わ れ 自 身 の社 会 的 リ ア リ テ ィ の構 造が 解 明 され て いか な け れば な ら な い のであ る。
シミ ュラ ー ク ル と し て の都 市
デ ィズ ニ ー ラ ン ド 都 市 を め ぐ る 言 説 の 多 く が 注 目 す る の は 、 た し か に 現 代 都 市 の な か で 、
﹁デ ィ ズ ニー ラ ン ド 的 ﹂ と し か 言 い よ う のな い風 景 が 増 殖 し て い る 現 象 であ る 。 エド ワ ー ド ・レ
ル フ は 、 デ ィズ ニ ー ラ ンド を 典 型 と す る よ う な ﹁実 在 の地 理 的 環 境 と は ほ と ん ど 無 関 係 な 歴 史
や 神 話 、 現 実 、 幻 想 の シ ュー ル ・リ ア リ ス テ ィ ッ ク な 組 み 合 わ せ か ら つ く ら れ た 、 不 条 理 な 合
成 さ れ た 場 所 ﹂ の拡 大 を ﹁デ ィ ズ ニ フ ィ ケ ー シ ョ ン﹂ と 呼 ん だ 。 こ の よ う な 風 景 の デ ィ ズ ニー
ラ ン ド 化 は 、 単 に個 々 の遊 園 地 だ け で な く 、 今 日 で は 世 界 中 の 広 い 地 域 で 見 ら れ る よ う に な っ
て き て い る。 レ ル フ は 、 そ の い く つ か の 例 を 挙 げ な が ら 、 デ ィ ズ ニ フ ィ ケ ー シ ョ ン が 、 ﹁今 日
の 西 洋 文 化 の 主 流 か ら み て項 末 な 限 ら れ た 皮 相 的 な 現 象 ﹂ な ど で は ま った く な い こ と 、 そ れ は
﹁自 然 と 歴 史 と を 客 観 的 に 支 配 で き る と い う 信 念 を 大 衆 的 か つ キ ッ チ ュに 表 し た も の﹂ で あ る こ と を 強 調 し て い る ︵﹃場所 の現 象 学﹄ 筑 摩 書 房 、 一九 九 一年 ︶ 。
レ ル フも 指 摘 す る よ う に 、 風 景 のデ ィズ ニ ー化 は 、 一九 八 〇 年 代 を 通 じ 、 欧 米 でも 日 本 で も
確 実 に進 行 し て き て い る。 そ の 最 も 顕 著 な 例 は 、 デ ィ ズ ニ ー ワ ー ル ド の あ る フ ロ リ ダ の都 市
オ ー ラ ン ド に 見 る こ と が で き よ う 。 そ こ で は 、 ﹁レ ス ト ラ ン、 ホ テ ル 、 商 店 、 そ し て ゴ ル フ
コー スま で も す べ て が テ ー マ パ ー ク か 、 少 な く と も テ ー マ に な ろ う と し て い る。 ク リ ス マ ス用
の小 物 を 売 る 店 は ク リ ス マ ス ワ ー ル ド と 呼 ぽ れ る 。 こ こ に は 、 バ ー ゲ ン ワ ー ル ド も 、 フ レ ア
ワ ー ルド も 、 ベ ッド ル ー ム ラ ンド も 、 ウ ォ ー タ ー ベ ッド ル ー ム ラ ンド も あ る ﹂ と いう 。 人 び と
は 、 中 世 風 の レ ス ト ラ ン で 、 馬 上 の騎 士 を 前 に 火 で 灸 っ た 肉 を 手 づ か み で食 べ、 セ ン ト ・ア ン
ド リ ュー ス の ゴ ル フ コ ー ス を 複 製 し た コ ー ス で ゴ ル フを 楽 し み 、 多 様 な ス タ イ ル の住 宅 で 生 活
す る 。 こ こ で は も う 、 ﹁デ ィ ズ ニー ワ ー ル ド が ど こ か ら 始 ま っ て ど こ で 終 わ る の か 、 は っき り
し な い﹂ ︵﹃TI M E ﹄ 一九 九 一年 五 月 二十 七 日号 ︶。 都 市 の 日 常 全 体 が デ ィズ ニー ラ ン ド に な っ て
し ま った な ら 、 デ ィズ ニ ー ラ ンド は 、 も う 外 に 対 し て 閉 じ な く て も い い の で あ る 。
お そ ら く 、 こ れ と 基 本 的 に は 同 じ こ と が 、 一九 七 〇 年 代 以 降 の 日 本 で も 起 き て い た の で は な
い だ ろ う か 。 た と え ば 、 こ う し た 動 向 を 先 取 り 的 に 示 し た 例 に 、 東 京 ・渋 谷 公 園 通 り 界 隈 に お
け る パ ル コ の空 間 戦 略 が あ る 。 東 京 デ ィズ ニー ラ ン ド が 開 園 し て 間 も な い頃 、 次 の よ う な 発 言
が あ る 雑 誌 で な さ れ て い た 。 ﹁デ ィズ ニ ー ラ ン ド に 入 っ て す ぐ 通 る の が デ ィズ ニ ー大 通 り 。 一
九 〇 〇 年 代 の ベ ル ・ エポ ッ ク 風 な 建 物 が 建 ち 並 ん で い る わ け だ が 、 ど う も 見 た こ と が あ る よ う
な 気 が す る と 思 っ て い た ら 、 いま 気 が つ い た が 、 な ん の こ と は な い、 渋 谷 の ス ペ イ ン通 り だ 。
日 本 だ け が な い。 そ う い う 意 味 で は 、 デ ィ ズ ニー ラ ンド の 部 分 的 小 規 模 展 開 は 、 す で に 準 備 さ
清 里 の ペ ン シ ョ ン 大 通 り と い っ て も い い。 ス イ ス風 あ り 、 ド イ ツ風 あ り 、 ス ペ イ ン風 あ り だ が 、
れ て い た と いう わ け だ ﹂ ︵﹃ 潮 ﹄ 一九 八三年 八月 号 ︶。 七 〇 年 代 か ら 八 〇 年 代 に か け て 展 開 さ れ た 、
渋 谷 に お け る パ ル コの 空 間 戦 略 は 、 周 辺 地 域 に 対 し て 閉 じ ら れ た 領 域 を パ ッ ケ ー ジ 化 し 、 こ れ
を 劇 場 化 し て い く こ と を めざ し て い た 。 そ し て 、 そ の結 果 と し て 出 現 し た の が 、 見 事 にデ ィズ ニ フ ィ ケ ー ト さ れ た ハイ パ ー リ ア ルな 都 市 の 風 景 で あ っ た 。
こ こ で 重 要 な の は 、 デ ィズ ニ ー ラ ン ド と 現 代 ア メ リ カ の都 市 風 景 と の、 そ し て 七 〇 年 代 以 降
の渋 谷 ・公 園 通 り に代 表 さ れ る よ う な 現 代 日 本 の都 市 と の表 面 的 な 類 似 性 で は な い 。 表 面 的 な
ラ ン ド の よ う な 空 間 と い う わ け で は な い。 そ れ に も か か わ ら ず 、 デ ィズ ニ ー ラ ン ド と 渋 谷 ・公
形 態 と いう 点 だ け か ら い う な ら ば 、 パ ル コが 渋 谷 に創 出 し よ う と し た の は 、 決 し て デ ィ ズ ニー
園 通 り な ど と の 間 に は 、 リ ア リ テ ィ の 成 り 立 ち と い う 点 で構 造 的 な 連 続 性 が 認 め ら れ 、 こ の 点
を こ そ 問 う て いく 必 要 が あ る の で あ る 。 そ れ は 、 一言 で い う な ら ば 、 こ れ ら の空 間 が 場 所 的 な
リ ア リ テ ィ に 基 づ い た 地 理 的 な 広 が り と し て 存 在 し て い る と い う よ り も 、 む し ろ メ デ ィ ア的 な
リ ア リ テ ィ の 三 次 元 化 と し て 存 在 し て い る 点 に 由 来 し て い た 。 実 際 、 デ ィ ズ ニー ラ ン ド は 既 存
の遊 園 地 の 新 し い ヴ ァ リ エ ー シ ョ ン と し て 生 ま れ た の で は な く 、 ウ ォ ル ト ・デ ィズ ニ ー自 身 の
想 像 力 の 必 然 的 な 帰 結 と し て 、 そ れ ま で の 遊 園 地 と は ま った く 異 質 な 発 想 のも と に 生 ま れ た も
の で あ っ た 。 デ ィ ズ ニー は 、 そ の 生 涯 を 通 じ て 自 ら の表 現 メデ ィ ア の技 術 的 な 可 能 性 を 拡 張 し
つづ け て き た 。 動 か な い 漫 画 か ら 動 く ア ニ メ ー シ ョ ン へ、 音 の な い ア ニ メ ー シ ョ ン か ら 音 の
入 った ア ニ メ、 そ し て カ ラ フ ル な 長 編 ア ニ メ へ、 さ ら に は 二 次 元 の 映 画 か ら 三 次 元 の デ ィ ズ
ニー ラ ン ド へと い う 一連 の 変 化 は 、 デ ィズ ニー の 想 像 力 に お い て ま った く 連 続 的 で あ った 。
デ ィ ズ ニー ラ ン ド は そ の本 質 に お い て 、 旧 来 の 遊 園 地 よ り も 映 像 の 世 界 に は る か に 近 い の であ る。
つ の 入 口 し か 設 け な か った 。 こ れ は 、 ﹁入 口 を い く つも 作 れ ば 、 客 は 園 内 で 方 向 感 覚 を 失 って
た と え ば 、 デ ィ ズ ニー は 多 く の 遊 園 地 業 者 の 助 言 に 反 対 し て 、 デ ィズ ニ ー ラ ンド に た だ ひ と
し ま う 。 ど の 客 も 同 じ と こ ろ か ら 出 入 り さ せ 、 デ ィズ ニ ー ラ ンド で の 一日 を ひ と つ の ま と ま っ
た 体 験 と し て 演 出 し た い﹂ と い う 考 え か ら で あ った 。 デ ィ ズ ニー に と っ て、 ラ ンド の 入 口 は 映
画 の導 入 部 と 同 じ 意 味 を も っ て い た 。 し た が っ て 、 入 園 者 た ち が 入 口 の ゲ ー ト を 通 っ て ま ず 目
に す る 巨 大 な ミ ッキ ー マウ ス の 顔 を し た 植 え 込 み 花 壇 は 、 ち ょう ど 映 画 の 冒 頭 に 登 場 す る 映 画
会 社 の シ ンボ ル マ ー ク と 同 じ 役 割 を 担 って い た 。 そ し て こ こ か ら 、 人 び と は 映 画 セ ッ ト そ っく
り の シ ョ ッピ ング モ ー ル を 行 き 来 す る こ と にな る 。 そ こ に は 古 き ア メ リ カ の 小 都 市 を 思 わ せ る
三 階 建 て の 店 々が 、 ま る で 舞 台 上 の書 割 り の よ う に 並 ん で い る 。 し か も こ れ ら の 店 々 は 、 階 の
高 さ が 一階 部 分 は 通 常 の建 物 の 八 分 の 七 、 二 階 が 八 分 の 五 、 三 階 が 八 分 の 四 と 、 全 体 と し ても
通常 よ り小 さ く 、 し かも 上 に いく にし たが って遠 近法 的 に小 さ く な って いる のだ 。 これ ら の工
夫 に よ り 、 人 び と を 日 常 的 現 実 か ら 遊 離 さ せ て 郷 愁 の世 界 に 誘 い 込 む こ と が 可 能 に な る。 そ う
し て い つ し か 、 人 び と に は こ の よ う な 映 画 ス タ ジ オ 的 な 風 景 の方 が 、 外 部 の雑 然 と し た街 並 み よ り も リ ア ル に 感 じ ら れ る よ う に な っ て い く の で あ る。
こ の よ う に し て 人 び と は 、 デ ィズ ニ ー の映 画 を 観 る の と 同 じ よ う に 、 あ る い は スピ ル バ ー グ
や ル ー カ ス の映 画 を 観 る の と 同 じ よ う に、 デ ィ ズ ニー ラ ン ド の ア ト ラ ク シ ョ ン を 味 わ う の で あ
る 。 ア ト ラ ク シ ョ ン か ら ア ト ラ ク シ ョ ン へ の移 動 は 、 ス ク リ ー ン か ら ス ク リ ー ン への 移 動 、 あ
る い は 大 ス ク リ ー ン の テ レ ビ の前 で チ ャ ン ネ ル を 選 択 し て い く 行 為 に な ぞ ら え る こ と が で ぎ る 。
そ し て 、 ち ょ う ど 映 像 の世 界 の S F X に 対 応 す る か の よ う に 、 デ ィズ ニー ラ ン ド で は 、 オ ー
デ ィ オ ア ニ マト ロ ニク スと い う コ ン ピ ュー タ制 御 の自 動 人 形 が 置 か れ 、 実 物 と 虚 構 の常 識 的 な
区 別 を曖 昧 にし て い る。 人 び と は、 書 割 り 的 な街 並 みが 続 き 、自 動 人 形 たち が 話 し か け るな か
を 一見 自 由 気 ま ま に 動 き 回 る こ と で 、 い つし か 知 ら な い う ち に デ ィ ズ ニー ラ ン ド と い う 巨 大 な ス ク リ ー ン に 吸 い込 ま れ て い る の で あ る 。
﹁少 し ず つ、 し
そ し て 、 あ る 意 味 で 同 様 の メ デ ィ ア性 が 、 渋 谷 ・公 園 通 り な ど の場 合 に も 指 摘 で き る 。 パ ル
コは 公 園 通 り を 演 出 し て い く 際 、 街 角 の あ ち こ ち に ス ト リ ー ト フ ァ ニ チ ュア を
か し 常 に 何 か し ら 変 化 し て い る と い う 状 況 を 来 街 者 に見 せ る ﹂ よ う に設 置 し て い った 。 書 割 り
的 な 舞 台装 置 を 徐 々に変 化 さ せ て いく こと によ り、 絶 えず 新 し い場 面 や 風 景 を現 出 さ せ て い っ
たわ け だが 、 こ の よう な や り方 は、 近 代的 な意 味 で の都 市 計 画 と いう より も 、映 画 スタジ オ の
セ ット作 り の発 想 に近 い。彼 ら は通 り に異 国風 の響 き を 持 った名 前 を つけ 、 街 全体 を ﹁劇 場 =
スク リ ー ン﹂ に組 み込 ん で い った。 実 際 、 彼 ら は ﹁高 感 度 人 間﹂ が ぶら ぶ ら 歩 く こと のでき る
街 の こと を 、 ﹁メデ ィ アと し て の要 素 を そ な え た、 可 能 性 のあ る街 メ デ ィ ア﹂ と 呼 び 、 こ の
街 = メデ ィ アを人 々の趣 味 =感 覚 に従 って セグ メ ント化 し て いく こ と の重 要 性 を 強調 し た ので
あ る。 こう し た発 想 は、 ち ょうど 同じ 七 〇 年代 、 こ の国 の雑 誌 の世 界 が 広 告 と も 結 び つき なが
ら急 速 に セグ メ ント化 し て い った過 程 と パ ラ レ ルであ った。 デ ィズ ニー ラ ンド が 映像 の世 界 の
三次 元 化 と し てあ ったと す るな らば 、 渋 谷 ・公 園通 りを はじ めと す る都 市 の街 並 みは 、 いわば 同時 代 の雑 誌 のグ ラ ビ ア広告 の三次 元化 と し て出現 し て い った の であ る。
デ ィズ ニー ラ ンド 化 す る 社会
と こ ろ で 、 デ ィ ズ ニー ラ ンド が 現 代 文 化 と 深 く 結 び つ い た 空 間 で あ る こ と を 最 初 に 指 摘 し た
も の の ひ と つ に 、 ダ ニ エ ル ・J ・ブ ー ア ス テ ィ ン の ﹁疑 似 イ ベ ン ト ﹂ と し て のデ ィズ ニ ー ラ ン
ド と いう 議 論 が あ る 。 彼 は 、 複 製 技 術 革 命 以 来 、 ﹁イ メ ー ジ の 大 量 生 産 は 、 わ れ わ れ の想 像 力
に も 、 わ れ わ れ の も って い る 真 実 ら し さ の概 念 に も 、 さ ら に は 日 常 的 経 験 の な か で 真 実 と し て
通 用 し て い る も の に も 、 革 命 的 な 影 響 を お よ ぼ し た ﹂ と し て 、 こ う し た 複 製 メデ ィ ア が つく り
出す
﹁事 実 ﹂ の こ と を ﹁疑 似 イ ベ ン ト ﹂ と 呼 ん だ 。
現 代 の ア メリ カ人 の観 光客 は、 疑 似 イ ベ ント でも って経 験 を 満 た し て い る。 彼 は世 界 が
本 来 提 供 し てく れ る以 上 の珍 し いも のと、 見 な れ たも のと を 同 時 に期 待 す る よう にな った。
本 来 、 一生 か か って や る よう な 冒険 を 二週 間 のう ち にや れ るよ う にな り、 生 命 の危険 を冒
し て初 め て味 わ え る よう な スリ ルを危 険 を 全 然 冒 さ な いで味 わ え る よ う にな ったと 信 じ る
に至 った。 エキ ゾ テ ィ ックな も のも、 見 な れ た も のも、 注 文 通 り に作 る こと が でき る と期 待 す る よう にな った ︵ ﹃幻影 の時代﹄東京創元社、 一九六四年︶ 。
疑似 イ ベ ント化 さ れ た世 界 で は、 人 び と は ﹁現 実 によ って イ メージ を 確 か め る の で はな く 、
イ メ ージ によ って現 実 を 確 か め る た め に旅 行 す る ﹂。 そ し て、 こう し た人 び と に と って、 デ ィ
ズ ニー ラ ンド ほど みご と に期 待 され た風景 が 演 出 さ れ て いる空 間 はな い の であ る。 実 際 、 そ こ
で は、自 然 が 人 工を 模倣 し、 本 来 は平 面的 な はず の映 画 の原作 が 立 体 化 さ れ て いる。
こう し た指 摘 は、 デ ィズ ニー ラ ンド と 現代 社 会 と の構 造的 に通 底 す る関 係 を捉 え て いく 出 発
点 を 示 す も のだ が 、 若 干 の留 保 も 必 要 であ る。 す な わ ち 、ブ ー ア ステ ィン の場合 、疑 似 イ ベ ン
トが 問 題 にな る のは、 そ れ が メデ ィ アが つく り 出 す イ メージ の世 界 に人 び と を閉 じ込 め、 ﹁現
実 ﹂ を疎 外 し て し まう から であ る。 つま り 、 こ こ で は ﹁疑似 現実 ﹂ と ﹁現 実 ﹂ の対立 が 前 提 と
され 、 後 者 の視 点 から 前 者 の氾濫 が 非 難 さ れ て いる。 と ころ が 、 デ ィズ ニー ラ ンド にお いて、
こ の よ う な ﹁本 当 の/ 模 倣 の﹂ と い う 区 別 は 、 は た し て 意 味 を も ち う る で あ ろ う か 。 デ ィズ
ニー ラ ンド は 、 こ の よ う な 参 照 関 係 が も は や 意 味 を 失 っ た と こ ろ に 成 立 し て い る の で は な いだ
﹁ 偽 の﹂ 現 実 と し て で は な く 、 そ う し た 参 照 関 係 を 失 効 さ せ て し ま う よ う な リ
ろ う か 。 デ ィズ ニー ラ ンド で 経 験 さ れ る さ ま ざ ま な ヴ ァ ー チ ャ ル な 風 景 は 、 何 ら か の ﹁真 の﹂ 現実 を模 倣 し た
ア リ テ ィ と し て 立 ち 現 わ れ て い る よ う に思 え て な ら な い。
こ の よ う な 視 点 か ら ウ ン ベ ル ト ・ エ ー コは 、 ブ ー ア ス テ ィ ン の 議 論 を 、 む し ろ ボ ー ド リ ヤ ー
ル の シ ミ ュ レ ー シ ョ ン 論 に近 い 方 向 へと 発 展 さ せ て い る 。 彼 は 、 デ ィズ ニ ー ラ ン ド と 蝋 人 形 館
を 対 照 さ せ 、 両 者 の 質 的 な 違 いを 強 調 す る 。 す な わ ち 、 蝋 人 形 館 で わ れ わ れ が 目 に す る の は 、
﹁現 実 ﹂ の 完 壁 な ま で の再 現 で あ る 。 そ こ で 大 切 な の は 、 人 形 を 実 際 の人 物 へ限 り な く 近 似 さ
せ て い く こ と で あ る 。 だ が 、 デ ィ ズ ニー ラ ン ド で重 要 な の は 、 こ う し た 現 実 と の参 照 関 係 で は
な い。 デ ィズ ニー ラ ンド は 、 空 想 を 完 壁 な ま で に 再 現 す る の で あ って 、 現 実 を 再 現 す る の で は
な い の で あ る 。 人 び と は 、 ﹁本 当 の﹂ ワ ニや カバ を 見 よ う と 思 った ら 、 動 物 園 に行 く で あ ろ う 。
だ が 、 あ る 意 味 で 、 デ ィズ ニー ラ ン ド の ﹁ジ ャ ン グ ル﹂ で 作 動 す る ワ ニや カ バ は 、 動 物 園 の ワ
ニや カバ 以 上 に ﹁本 当 ら し い﹂ か も し れ な い 。 と い う の も 、 そ れ ら は 現 実 を 模 倣 し て い る の で
は な く 、 人 び と の こ れ ら の動 物 や 自 然 に対 す る 幻 想 を 投 影 し 、 刺 激 し て い る のだ か ら 。 デ ィ ズ
ニ ー ラ ン ド に お け る ﹁本 当 ら し さ ﹂ は 、 あ く ま で 自 己 準 拠 的 な の で あ る 。 そ れ は 、 テ ク ノ ロ ジ ー が 自 然 以 上 の リ ア リ テ ィを 生 み 出 し う る こ と を 教 え て い る 。
エー コは こ の よ う に 述 べ 、 ま す ま す ハイ パ ー リ ア ルな 次 元 に転 移 し つ つあ る ア メ リ カ と 現 代
文 明 に お い て 、 こ う し た デ ィズ ニ ー ラ ンド 的 な リ ア リ テ ィが 拡 散 し つ つあ る こ と を 指 摘 し て い
る 。 近 代 が 、 絶 え ず 他 者 的 な 領 域 に 向 け て お の れ を 拡 張 し 、 こ れ を 検 閲 し 、 飼 い慣 ら し 、 内 部
化 し て い く 運 動 で あ った と す る な ら ば 、 デ ィズ ニー の フ ァ ン タ ジ ー と そ の儀 礼 セ ン タ ー と し て
﹁外
の デ ィ ズ ニー ラ ン ド が 示 し て い る の は 、 こ の持 続 的 な 運 動 の臨 界 面 で あ る 。 デ ィ ズ ニー ラ ンド
を 生 み 出 し て い っ た 社 会 は 、 す で に あ ら ゆ る も のを 内 部 化 し て し ま っ た が ゆ え に、 も は や
部 ﹂ の 現 実 に 準 拠 し た り 、 み ず か ら の 自 足 す る リ ア リ テ ィ に亀 裂 を 走 ら せ る よ う な 他 者 の 異 質
性 を 認 め て い く こ と が で き な い。 デ ィズ ニ ー ラ ンド は 、 何 ら か の外 部 の現 実 に 言 及 す る の で は
な く 、 そ う し た 外 部 性 そ の も の を 幻 想 的 に 擬 制 す る 。 デ ィズ ニー ラ ンド に お い て 、 こ れ ら の幻
想 的 に 擬 制 さ れ た 外 部 を リ ア ル な も の と し て受 容 さ せ て い る の は 、 ﹁本 物 ﹂ へ の準 拠 で は な く 、
リ ア リ テ ィ演 出 の諸 々 の 演 劇 s な 仕 掛 け な の で あ る ( Eco,U. ,Trav e l si n Hype rRe al i t y,Har cour t race Jovanovi ch,1983)。
ボ ー ド リ ヤ ー ル は 、 こ の よ う な 議 論 を さ ら に 先 へと 押 し 進 め る 。 ﹁デ ィ ズ ニー ラ ン ド と は 、
め に、 そ こ に あ る ﹂。 す な わ ち
﹁ロ サ ン ゼ ル ス全 体 と 、 そ れ を と り 囲 む ア メ リ カ は 、 も は や 実
︿実 在 す る ﹀ 国 、 ︿実 在 す る ﹀ ア メ リ カ す べ て が 、 デ ィ ズ ニー ラ ン ド な ん だ と い う こ と を 隠 す た
在 で は な く 、 ハイ パ ー リ ア ルな シ ミ ュ レ ー シ ョ ン の 段 階 にあ る ﹂ の に 、 こ れ ら が す べ て 実 在 だ
と 思 わ せ る た め に空 想 と し て 設 置 さ れ た のが デ ィズ ニ ー ラ ン ド な のだ と 言 う の で あ る 。 ボ ー ド
リ ヤ ー ルが こ こ で 述 べ て い る こ と は 、 か つ てブ ー ア ス テ ィ ンが 述 べ た こ と と 、 ま っ た く 異 な る
わ け で は な い。 ア メ リ カ のす べ て が デ ィ ズ ニー ラ ンド に な っ て し ま っ た と い う こ と は 、 こ の 社
いう こ と で あ る 。 完 全 に メ デ ィ ア化 さ れ 、 実 在 性 の次 元 か ら 浮 か び あ が っ て し ま った 社 会 と は 、
会 が す べ て 、 メデ ィ アが 現 出 さ せ る 自 己 準 拠 的 な リ ア リ テ ィ の 次 元 に 吸 い 込 ま れ て し ま っ た と
シ ミ ュ レ ー シ ョ ン の 社 会 で あ る ︵﹃シミ ュラ ー ク ルと シ ミ ュレー シ ョン﹄法 政 大 学 出 版 局 、 一九 八 四
年 ︶。 プ ー ア ス テ ィ ンが 非 難 し た の は 、 奥 深 い 現 実 を 隠 蔽 し 、 変 質 さ せ る も の と し て の イ メ ー
ジ で あ った 。 だ が 、 シ ミ ュラ ー ク ル化 し た イ メ ー ジ は 、 現 実 を 隠 す と いう よ り も 、 現 実 の 不 在 を隠 す の であ る。
デ ィズ ニー 映 画 と デ ィズ ニ ー ラ ンド の複 合 体 に典 型 化 さ れ る 情 報 消 費 社 会 の リ ア リ テ ィ構 成
は 、 ア メ リ カ で も 、 日 本 で も 、 そ し て アジ ア や ラ テ ン ア メ リ カ で も 、 都 市 の空 間 を ま す ま す ハ
イ パ ー リ ア ル な 次 元 へと 移 行 さ せ ず に は いな い 。 し た が って 、 デ ィズ ニー ラ ンド 都 市 に つ い て
論 じ る こ と は 、 消 費 社 会 を 覆 っ て い る さ ま ざ ま な リ ア リ テ ィ、 メ デ ィ ア化 さ れ 映 像 化 さ れ シ
ミ ュ ラ ー ク ルと 化 し た リ ア リ テ ィと 、 わ れ わ れ が 都 市 に お い て 経 験 す る さ ま ざ ま な 空 間 の 成 り
立 ち と の構 造 化 さ れ た 関 係 に つ い て 論 じ て いく こ と で な け れ ば な ら な い。 さ ら に 言 う な ら 、 そ
れ は 都 市 そ の も の が 、 メデ ィ ア で 複 製 さ れ て いく イ メ ー ジ と 同 様 、 オ リ ジ ナ ル な き コピ ー と し
て 増 殖 し 、 わ れ わ れ の 生 活 を 囲 い込 ん で い く 過 程 を 明 ら か に す る こ と で な け れ ば な ら な い。
デ ィズ ニ ー ラ ンド は 、 そ の 巧 み な 空 間 の編 成 を 通 じ 、 入 園 者 た ち を デ ィズ ニー の世 界 が 映 し 出
さ れ る ス ク リ ー ン の な か に 吸 い込 ん で い く 。 人 び と は 、 デ ィ ズ ニー ラ ンド を 歩 き 回 る な か で 場
の高 度 消 費 社 会 に お い て 都 市 全 体 が デ ィズ ニ ー ラ ン ド 化 し つ つあ る のだ と す る な ら ば 、 そ れ は
所 的 な 広 が り を も っ た 世 界 の 住 人 か ら ス ク リ ー ン の人 物 へと 変 身 し て い る 。 そ し て 今 日 、 多 く
か に 吸 い込 ま れ つ つあ る こ と を 意 味 し て い る の で あ る 。
わ れ わ れ の生 活 全 体 が 、 こ う し た 巨 大 な ス ク リ ー ン の よ う な 、 奥 行 き を 欠 い た リ ア リ テ ィ の な
わ れ わ れ は 、 以 上 の よ う な 認 識 を 踏 ま え つ つ、 次 の よ う な い く つか の方 向 で デ ィ ズ ニー ラ ン
ド 都 市 に つ い て の 批 判 的 な 分 析 を 発 展 さ せ て い く 必 要 が あ る 。 第 一に、 世 界 資 本 と し て のデ ィ
ズ ニ ー 社 が 、 空 間 と メデ ィ ア の 両 面 か ら 、 ま さ し く 地 球 規 模 で 人 び と の 日 常 意 識 や 文 化 環 境 の
デ ィズ ニ フ ィ ケ ー シ ョ ン を 進 め つ つあ る 過 程 が 明 ら か に さ れ な け れ ば な ら な い。 最 近 、 パ リ に
ユー ロ ・デ ィ ズ ニー ラ ン ド が 開 園 し た こ と に よ り 、 デ ィ ズ ニー 社 は 、 ア メ リ カ 、 ア ジ ア、 ヨー
ロ ッ パ の 三 つ の広 域 圏 に拠 点 を も つ こ と に な っ た 。 同 時 に こ こ で 注 目 し て お か な け れ ば な ら な
い の は 、 デ ィ ズ ニー か ら ス ピ ルバ ー グ や ル ー カ ス に 至 る ハリ ウ ッド の 映 像 が 、 以 前 に も 増 し て
グ ロ ー バ ル に流 通 し て い る こ と で あ る 。 い う ま で も な く 、 こ れ ら の 動 き は 連 動 し て い る。 デ ィ
ズ ニー ラ ン ド に 示 さ れ る よ う な 空 間 戦 略 の グ ロー バ ル化 と 、 ハリ ウ ッド 型 の コ マー シ ャ ル な 映
像 の グ ロ ー バ ル化 は 、 相 互 に作 用 し あ い な が ら 、 い ま や デ ィ ズ ニー 社 の よ う な リ ア リ テ ィ産 業
を 現 代 の 情 報 資 本 主 義 の な か でき わ め て重 要 な 役 割 を 果 た す 巨 大 世 界 企 業 と し て 発 展 さ せ て い
る の で あ る 。 わ れ わ れ は 、 か つ て のC ・W ・ ミ ルズ の パ ワ ー エリ ー ト 論 や ガ ルブ レ イ ス の テ ク
ノ ス ト ラ ク チ ュ ア論 、 あ る い は ア ド ル ノ た ち の文 化 産 業 論 や ハー バ ー ト ・シ ラ ー の知 識 産 業 論
を 踏 ま え つ つも 、 よ り 複 合 的 な 視 点 か ら デ ィズ ニー 型 の グ ロ ー バ ル資 本 主 義 に つ い て 考 察 し て いく 必要 が あ る。
第 二 に 、 東 京 デ ィ ズ ニー ラ ン ド を は じ め 、 日 本 の な か に 多 数 建 設 さ れ て き た テ ー マパ ー ク や
シ ョ ッピ ン グ モ ー ル に お け る 異 空 間 や 異 時 間 の演 出 が 、 ど の よ う な 経 験 と し て来 訪 者 た ち に 感
受 さ れ て い る の か が 検 討 さ れ な く て は な ら な い。 た と え ば 、 東 京 デ ィズ ニ ー ラ ン ド で の自 分 の
経 験 に つ い て 次 の よ う に 発 言 し た 大 学 生 の 女 性 が い る 。 ﹁東 京 デ ィズ ニー ラ ン ド に は 、 四 回
行 った こ と が あ り ま す 。 一緒 に行 った の は 、 同 性 の友 人 や 異 性 の友 人 、 家 族 な ど です 。 で も 、
同 じ 人 と 二 回 行 った こ と は あ り ま せ ん 。 そ の 理 由 は 、 デ ィズ ニ ー ラ ンド で は 、 い つで も 新 鮮 な
驚 き を 受 け る 人 で な く て は な ら な い か ら で す 。 あ る ア ト ラ ク シ ョ ン に対 し て ﹁な あ ん だ 、 こ れ
知 って る よ ﹂ と 言 っ て は い け な い と 思 い ま す 。 知 っ て て も 、 ﹁カ ワ イ ー ﹂ と か ﹁び っく り し た
な あ ﹂ と 言 っ て 、 な ん に も 知 ら な い、 か わ い い自 分 を 演 じ る 場 所 だ と 思 い ま す ﹂。 デ ィ ズ ニー
ラ ン ド に つ い て の こ の よ う な 経 験 的 リ ア リ テ ィ は 、 い った い ど の よ う な 人 び と に よ り 強 く 出 て
い る の で あ ろ う か 。 世 代 や ジ ェン ダ ー 、 階 層 、 地 域 に よ る 違 い は ど の 程 度 あ る の で あ ろ う か 。
デ ィズ ニー ラ ンド 以 外 の テ ー マ パ ー ク や シ ョ ッ ピ ン グ モ ー ル で は 、 こ う し た 自 己 と 環 境 を め ぐ
る 感 覚 が ど の程 度 広 が っ て い る の で あ ろ う か 。 各 地 の テ ー マパ ー ク や シ ョ ッピ ン グ モ ー ル も 含
み 込 ん だ デ ィ ズ ニー ラ ン ド 都 市 の 構 造 を 明 ら か に す る に は 、 こ の 都 市 で 経 験 さ れ て い く さ ま ざ
ま な リ ア リ テ ィ の 同 質 性 と 多 層 性 が 、 経 験 主 体 の階 層 や ジ ェ ン ダ ー 、 世 代 と い った 社 会 的 位 置
と の結 び つき に お い て 明 ら か に さ れ な け れ ば な ら な い の で あ る 。 こ れ は い わ ば 、 ブ ルデ ュー的
な 意 味 で の 文 化 消 費 の 場 と し て のデ ィズ ニ ー ラ ンド 都 市 に つ い て の分 析 で あ る。
最 後 に 、 デ ィ ズ ニー ラ ン ド 都 市 の増 殖 、 つま り は 消 費 社 会 的 な リ ア リ テ ィ環 境 の拡 大 が 、 こ
れ ま で の 地 域 社 会 や 盛 り 場 、 観 光 地 のあ り 方 を 、 ど の よ う に 変 容 さ せ て い る の か が 問 わ れ な け
れ ば な ら な い。 これ は、単 に遊 園 地 や消 費 空 間 の分析 と し てだ け でな く、 消 費 社 会 的 な メカ ニ
ズ ムが 高度 化 す るな か で変 貌 し て いく 地域 や都 市 の問 題 を考 え て いく う え でも 、 必 須 の こと で
あ る。 こ こで も演 劇 的 な メ タ フ ァーを 使 わ せ ても ら う な ら 、第 一の点 が プ ロデ ュー スの シ ステ
ムに つい て の、 第 二 の点 が観 客 のド ラ マ受 容 に つい て の分 析 であ る とす るな らば 、 こ の第 三 の
点 は劇 場 そ のも の の空 間 論 的 な分 析 であ る。 ち ょう ど 一九 七 〇年 代 の パ ル コの都 市 戦 略 が 、街
を ﹁劇 場 ﹂ に組 み込 ん で いく こと を めざ し て いた よ う に、 今 日 の消 費 社 会 は都市 全体 を、 さ ら
には 国境 を 越 え て地球 全 体 を 巨 大 な シミ ュレー シ ョン の ﹁劇 場 ﹂ に組 み込 ん で い こう とす る。
こ のよ う なプ ロセ スは、 それ ぞ れ の地域 で生 活 す る 人び と の場 所 と の結 び つき や 生活 空 間 の形
づ く ら れ方 を ど のよ う に変 容 さ せ て いる のであ ろう か。 ま た こ のよ う な コ マー シ ャ ル でグ ロー
バ ルな空 間戦 略 の展 開 は、 近 代 都 市 計 画 に生 じ てき て いるポ スト モダ ン的 な さま ざ ま な動 き と
ど の よう に関 係 し て いる のであ ろう か。 こ う し た点 を 、 近年 のポ スト モダ ン地 理 学 の動 き など も 参 考 にし なが ら 考 察 し て いく こと が 必要 な のであ る。
ブラウン管のなかの子ども文化
チ ョコレ ー ト のな か のテ レビ ア ニメ
今 日、 子ど も たち の生 活 世 界 は、 テ レビ を はじ めと す る映 像 的 な メデ ィ ア環 境 から 切 り 離 し
て考 え る こ とが でき な く な って い る。 周知 のよう に、 わが 国 で テ レビ 放 送が 始 ま った のは 一九
五〇 年代 だが 、 テ レビが 子ど も たち の日常 に本 格 的 に作 用 し はじ め る のは 六 〇年 代 以 降 であ る。
そ し て八 〇年 代 以 降 、 テ レビ ゲ ー ムを はじ め各 種 のイ ン ター ラク テ ィヴ な電 子 メデ ィア の登場
に より 、 子ど も た ち の生 活世 界 のな か で電 子的 な映 像 メデ ィ アが 及 ぼ し て いる作 用 は圧 倒 的 な
力 を 持 つに至 って い る。斉 藤 次 郎 はす で に 二十 年 近 く も 以前 、 子 ど も たち と テ レビ の つき あ い が 本 格 化 す る端 緒 に ついて次 のよう に述 べ て いた。
4月
1995年
幼 児 が テ レ ビ に関 し て 最 初 に驚 く の は 、 自 分 が 見 て い る テ レ ビ 番 組 と す っ か り 同 じ も の
を 、 と な り の カ ズ ち ゃ ん も 見 て い る 、 と い う 事 実 を 発 見 し た と き だ ろ う 。 カ ズ ち ゃ ん のう
﹃ 仮 面 ラ イ ダ ー X ﹄ を 、 カ ズ ち ゃ ん も 好 き だ と は 思 って も み な か った のだ 。
ち に 受 像 機 が あ る のを 知 っ て い て も 、 カ ズ ち ゃ ん と 一緒 に テ レ ビ を 見 た こ と の な い彼 は 、 自 分 の好 き な
そ し て こ の 驚 く べ き 発 見 を 契 機 と し て 、 幼 児 は テ レビ と の 本 格 的 な つき あ い を 開 始 す る こ
と に な る 。 マ ス ・ メデ ィ ア と し て の テ レビ は 、 無 数 の家 庭 に 同 時 に 同 質 の画 像 と 音 声 を 届
け る こ と を 本 質 と し て い る の だ か ら 、 こ の 驚 き は 、 テ レビ の 本 質 へ の洞 察 に ほ か な ら な い ︵﹃子ど も た ち の現 在﹄ 風 媒 社 、 一九七 五年︶。
こ こに指 摘 さ れ て いる のは、 か つて の路 地 や 空 き 地 にか わ って子 ど も た ち の共 同 の時 間 を媒
介 し て いく装 置 と し て の テ レビ の作 用 であ る。 斉 藤 によ れば 、 こ の よう な 共 同性 のメデ ィ アと
し て の テ レビ の発 見 は、 母親 と の 一体 化幻 想 が 崩 れ る のと 同時 に起 き る。 子 ども が テ レビ を見
て い るとき 、 た とえ ﹁母親 が 台 所 で夕食 の仕 度 を し て いた と し ても 、 彼 は、 そ れ でも な お自 分
ろが 彼 は 、 やが て母 親 では な く、 別 の家 に住 ん で い る カズ ち ゃんが 、 テ レビ を通 じ て ﹁自 分 と
が 追 体 験 し て いるS F ド ラ マを母 親 も 体験 し つづ け て い る にちが いな い﹂ と 思 って い る。 と こ
同じ 体 験 を持 ち、 母 親 に話 をす ると き と 同 じ よう にそ の体 験 に つ いて語 り 合 え る﹂ こと に気 づ
く。 こう し て自 分 の体 験 と仲 間 の体 験 を 一致 さ せ、 確 認 す る た め にご っこ遊 びが 始 ま る の であ
る。 子 ど も た ち の間 でご っこ遊 びが 始 ま る た め に は、 ﹁真 似 す る テ レビ を知 悉 し て い る仲 間 、
彼 が 何 の真 似 を し て いる のかが す ぐ 了解 でき る他 人 が 必 要 な のであ って、 そ う し た他 者 の眼 の
る モデ ル の模 倣 と いう よ りも 、 子 ど も た ち の共 同 性 の媒 介構 造 そ のも の の変 容 であ る。
存 在 な し には真 似 る こと自 体 に意 味 が な い﹂ のであ る。 つま り、 こ こ で生 じ て いる の は、 単 な
も ち ろ ん、 テ レビ が 登 場す る以 前 にも 同 じ よう な こと は あ った。 子 ど も た ち は い つ頃 から か 、
母 親 と の 一体 化 幻 想 と は 別 の次 元 に、 同世 代 の友 人 たち と の間 で知 識 の共有 性 に基 づ く 共 同 の
リ ア リ テ ィを つく り だ し て いた。 し かし テ レビ は、 こ のよ う な 同輩 集 団 にお け る共 同 世 界 の準
拠 枠 を 、他 のあ ら ゆ る社会 的 場 面 にも 優越 す る圧 倒 的 な 仕方 で提 供 し て いく。 テ レビ の登 場 以
来 、 子 ど も た ち の共 同 性 は、 近 所 の空 き 地 で年 長 の者 か ら年 下 の者 へ引 き継 が れ て いく 近 隣 の
仲 間 集 団 の連 続 性 に よ ってよ りも 、 ま た幼 稚 園 や学 校 で先 生 か ら提 供 さ れ る知 識 に よ ってよ り
も 、 は るか に影 響 力 のあ る仕 方 で こ の メデ ィ アが 全 国 同 時 的 に供 給 す る映像 イ メージ に準 拠 し て営 ま れ て いく よう にな った のであ る。
こう し て日本 の子 ど も た ち の世 界 が 決定 的 に変 容 し て い った転 換 点 は、 ほぼ 一九 六 三年 頃 に
求 めら れ る。 こ の年 の 一月、 国産 のテ レビ ア ニメ第 一号 と し て ﹁鉄 腕 ア ト ム﹂ が ブ ラ ウ ン管 に
登場 し た。 す でに 五 一年 から 雑誌 ﹃ 少 年 ﹄ に連 載 さ れ て いた マンガ の ア ニメ ー シ ョン化 であ っ
た。 石 子 順 によ る な らば 、 ﹁鉄 腕 ア ト ム﹂が 登 場 す る 二、 三年 前 ま では 、 子 ど も た ち に人 気 の
テ レビ 番 組 と いえば ア メリ カ製 が ほと んど で、 五 六年 から ス ター ト し て い た ﹁ス ーパ ー マン﹂
や ﹁名 犬 リ ン チ ン チ ン﹂、 ﹁ラ ラ ミ ー牧 場 ﹂ や ﹁ロー ハイ ド﹂ な ど の 西 部 劇 、 ﹁ポ パ イ﹂ や
﹁デ ィズ ニー ラ ンド﹂ のよ う な ア ニメ系 番 組 が 日 本 製 を 圧 倒 し て い た。 当 時 、 マ ス コミ文 化 と
し て の テ レビが 子ど も の間 に定 着 し つ つは あ ったが 、 これ ら の番 組 に し ても ﹁本 気 に な って子
ど も た ちを 熱中 さ せ るだ け の威 力 は、 まだ 十 分 に発 揮 で き な﹂ いで いた。 そ れが 、 ﹁鉄 腕 ア ト
ム﹂ で 一変 す る のだ 。 以 来 、 民放 局 は ﹁子 ど も の大 好 き な マンガ の主 人 公 が 生命 を吹 き 込 ま れ 、
言葉 を し ゃ べり なが ら、 効 果 音 や音 楽 を 伴 って、ブ ラ ウ ン管 の上 を自 由 自 在 に動 き ま わ る 三〇
分 ア ニメ マンガ と いう、 視 聴 率 を 飛躍 的 に上 昇 さ せ、 子ど も 番 組 の商 品価 値 を 大 幅 に高 め る、
強 力 な武 器 を 手 に入 れ た のであ る﹂ ︵﹃子ども のテレビをどうする﹄啓隆閣、 一九七六年︶。
﹁鉄 腕 ア ト ム﹂ に続 き 、 ﹁狼 少 年 ケ ン﹂ ﹁鉄 人 28 号﹂ ﹁エイ ト マ ン﹂ な ど の 子 ど も 向 け ア ニ
メ ー シ ョン番 組 が 次 々 に放 映 を 開 始 し 、他 方 で は ﹃ 少 年 キ ン グ﹄ ﹃ 少 女 フ レ ン ド﹄ ﹃マーガ
レ ット﹄ の三誌 が 創 刊 さ れ、 五九 年 から 出 て いた ﹃少 年 サ ンデ ー﹄ ﹃ 少 年 マガ ジ ン﹄ と合 わ せ
て主 要 な マンガ雑 誌 が 出揃 う。 つま り 、 五 九年 の皇 太 子 成婚 と 六 四年 の東京 オ リ ンピ ック に挟
まれ た こ の時 期 に、 今 日 に至 る マンガ = ア ニメー シ ョン世 界 と、 それ を 子 ど も た ち に媒 介 し て
いく メデ ィア の基 本 的 な 体 制 が で きあ が る の であ る。当 時 、 ﹃少年 マガジ ン﹄ の編 集 長 だ った
内 田勝 は、 こ の時 期 の マンガ 週刊 誌 登 場 の背 景 に、 ﹁マ ンガ は テ レビ の印 刷 媒 体 化 し た も の で
あ る﹂ と いう 認識 が あ った こと を指 摘 し て いる。 テ レビ 時 代 に雑誌 が 勝 ち残 る道 と し て選 択 し
た のが 、 ﹁ 連 続 し た画 面 、 動 画 が テ レビ な ら、 マンガも 同 じ で す。 映 像 化 時 代 にあ って、 マ ン
ガが 持 って い る メデ ィ ア機 能 は、非 常 に大 き な 力 を発 揮 し て いく はず だ ﹂ と いう 考 え方 であ っ た ︵﹃ 子ども の昭和史 昭和 三十五年︱ 四十八年﹄別冊太陽、 一九九〇年︶。
し かも 、 こ の動 き は単 に作 者 や メデ ィ ア の変 化 と いう だけ でな く 、 そ れ ら の媒 体 で広告 主 と
な って いく 産業 や そ の市 場 の変 化 と結 び つい て いた。 前 掲 の斉 藤 は、 な ぜ 六 三年 が テ レビ ア ニ
メが 子ど も た ち の世 界 を 席巻 し て いく 最 初 の年 とな りえ た のか を解 き あ かす 鍵 と し て、 人 気 テ
レビ ア ニメ の当初 の スポ ン サーが 、 ﹁ 鉄 腕 ア ト ム﹂ は明 治 製 菓 、 ﹁狼 少年 ケ ン﹂ は森 永 製 菓 、
﹁鉄 人 28号 ﹂ は江 崎 グ リ コと いう よう に、 いず れ も 大 手 菓 子 メ ー カ ー であ った点 に注 目 し て い
る。 す な わ ち 、高 度 経 済 成 長 期 に入 り 、 ﹁子 ど も の小 遣 いが 日払 い方 式 か ら 週、 月ぎ め式 にか
わ り はじ め、 子 ども の消 費行 動 が 独 自 の展 開 を 示す に至 った ことが 、 テ レビ と 週刊 誌 と いう 二
つ の漫 画 メデ ィアを 下 から支 え た のであ る。 マンガ週 刊 誌 ブ ー ムと は、 親が 買 い与 え る雑 誌 か
ら子 ど も自 身 が 買 う 雑 誌 へ、 と いう 経 済的 な変 化 に対 応 し て いた のであ り 、 同 じ 子ど も の身 銭
を狙 って開 発 し た低 額菓 子類 を親 の媒 介 を とび こえ て直 接 子 ども に働 き かけ 、 子ど も に選 ば せ
る た め に、製 菓 会 社 は競 って漫画 番 組 の スポ ン サー を買 って出 た のであ った﹂ ︵ 斉藤、前掲書︶。
ンガ雑 誌 と 子ど も た ち の世界 の つな が りが 、ど のよう な 社 会 の文 脈 のな か で開始 され た の かを
いさ さ か 経済 決 定 論 の気味 が あ ると は いえ、 こ の斉 藤 の説 明 は、 わが 国 の テ レビ ア ニメや マ
的 確 に捉 え て いる。 実際 、 明治 製 菓 は、 同社 の ﹁マーブ ル チ ョ コ﹂ と ﹁ア ト ム﹂ を結 合 さ せた
マー ケ テ ィ ング戦 略 を 大 成功 さ せ、 森永 製 菓 を抜 い て業 界第 一位 と な ったと いう。 そ し て、 こ
れ 以 降 の子 ど も 向 け ア ニ メ番 組 の スポ ン サ ーを 見 ても 、 ﹁エイ ト マン﹂ と ﹁スー パ ージ ェ ッ
ター﹂ は丸 美 屋 食 品 、 ﹁ワ ンダ ー 3﹂ は ロ ッテ、 ﹁遊 星 少 年 パ ピ イ﹂ は江 崎 グ リ コ、 ﹁オ バ ケ の
Q 太 郎 ﹂ は不 二屋 、 ﹁ 宇 宙 少 年 ソラ ン﹂ は森 永 製 菓 と 、 六 〇 年 代 の テ レビ ア ニメ の発 展 と 大手
菓 子 メー カー と の結 び つき は 明白 であ る。 こう し て、 か つて駄 菓 子 屋 と 貸本 屋 を舞 台 に営 ま れ
て い た 子 ど も た ち の共 同 性 は 、 ブ ラ ウ ン管 と ス ー パ ー マ ー ケ ッ ト の商 品 棚 を 通 し て営 ま れ る そ れ へと 徐 々 に代 替 さ れ て い った の で あ る 。
つ い で な が ら 、 こ う し て 一九 六 〇 年 代 に 日 本 で起 き た のと 類 似 の こ と は 、 五 〇 年 代 ま で に ア
メ リ カ の 子 ど も 向 け テ レビ 番 組 で も 起 き て い た 。 ウ ィ リ ア ム ・メ ロデ ィ に よ る な ら 、 ア メ リ カ
の テ レビ 業 界 が 子 ど も 番 組 への 関 心 を 急 速 に 拡 大 さ せ て いく の は 五 〇 年 代 半 ば か ら の こ と であ
る。 そ のき っ か け は 、 A B C が デ ィ ズ ニー ・プ ロダ ク シ ョ ン と 契 約 し て 五 四 年 十 月 か ら 放 映 を
始 め た ﹁デ ィズ ニ ー ラ ン ド ﹂ と い う 番 組 で あ った 。 冒 頭 に ウ ォ ル ト ・デ ィ ズ ニー が 登 場 し て視
聴 者 に 語 り か け 、 ﹁ア ド ベ ン チ ャ ー ラ ン ド ﹂ ﹁フ ロ ン テ ィ ア ラ ン ド ﹂ ﹁フ ァ ン タ ジ ー ラ ン ド ﹂
﹁ト ゥ モ ロ ー ラ ン ド ﹂ と い う デ ィ ズ ニー ラ ン ド 本 体 と 同 じ 構 成 で デ ィ ズ ニ ー の ア ニ メ ー シ ョ ン
や 記 録 映 画 が 流 さ れ て い く こ の番 組 は 、 ア メ リ カ の子 ど も た ち の 間 で 急 速 に 人 気 を 集 め 、 ま も
な く ニ ー ル セ ン の視 聴 率 調 査 で ベ ス ト テ ン 入 り し 、 五 四 年 の最 優 秀 教 育 テ レビ 番 組 と し て ピ ー
ボ デ ィ賞 を 、 翌 年 に は 最 優 秀 ア ド ベ ン チ ャ ー ・シ リ ー ズ と し て エ ミ ー 賞 を 獲 得 す る 。 そ し て 五
六年 以降 、 三大 ネ ット ワー ク に流 れ る子 ど も 番 組 の量 は き わ だ って増 加 し て い く の であ る。
﹁子 ど も を 対 象 と す る フ ィ ル ム番 組 は ハリ ウ ッド か ら 大 量 に続 々 と 制 作 さ れ 、 ス ポ ン サ ー た ち
も 高 い関 心 を 示 す よ う に な った 。 ゼ ネ ラ ル ・ミ ル ズ 社 や ゼ ネ ラ ル ・フ ー ズ 社 、 ケ ロ ッグ 社 等 々
の会 社 は 、 ラ ジ オ 以 来 ず っ と 子 ど も 番 組 に の っ て 販 売 し てき た の で あ った が 、 そ れ ら に 加 え て、
こ の新 し い関 心 の 盛 り あ が り に よ り 、 子 ど も が 使 う よ う な 商 品 を 扱 っ て い な い多 く の 新 し い広
告 主 が 魅 き つけ ら れ る よ う にな った ﹂ ︵﹃子 ど も の テ レビ を侵 す も の﹄ 聖 文 社 、 一九 七 六 年︶。
﹁ア ト ム﹂ の 爆 発 的 な ヒ ッ ト は 、 原 作 者 で あ る 手 塚 治 虫 に と っ て は 必 ず し
ブ ラ ウ ン管 のな か の鉄 腕 ア ト ム テ レビ放 映 さ れ た
も 幸 運 な こ と で は な か った か も し れ な い。 手 塚 は 、 ﹁ ぼ く は ア ト ム を ぼ く の最 大 の愚 作 の 一 つ
と み て い る し 、 あ れ は 名 声 欲 と 金 儲 け の為 に書 い た ﹂ と 語 った が 、 こ の 発 言 は 、 テ レビ ア ニ メ
と し て 全 国 的 に 浸 透 し て い った ﹁鉄 腕 ア ト ム﹂ のイ メ ー ジ が 、 必 ず し も 手 塚 本 来 の指 向 と 一致
す る も の で は な か った こ と を 示 し て い る。 桜 井 哲 夫 が 示 し た よ う に 、 手 塚 は ﹁ア ト ム﹂ の テ レ
ビ 放 映 が 始 ま る 直 前 の 一九 六 〇 年 前 後 、 ﹁O マ ン﹂ に 代 表 さ れ る よ う な 異 文 化 へ の 不 寛 容 を
テ ー マ に し た 作 品 を 描 い て い た 。 ま た 、 ﹁ア ト ム ﹂ そ の も の も 、 基 本 に あ る の は ロボ ッ ト = 異
人 種 と 人 間 の和 解 と い う テ ー マで あ る ︵﹃手 塚 治 虫﹄ 講 談 社 現 代 新 書 、 一九 九 〇 年 ︶ 。 と こ ろが テ レ
ビ ア ニ メ と し て の ﹁ア ト ム﹂ の流 行 は 、 こ う し た こ の 作 者 本 来 の問 題 設 定 を 希 薄 化 さ せ 、 む し
ろ 輝 か し き 科 学 テ ク ノ ロジ ー が も た ら す 未 来 世 界 が 前 面 に 出 る よ う な 物 語 イ メ ー ジ を 大 衆 的 に
消 費 さ せ て い った 。 こ う し て 六 〇 年 代 か ら 七 〇 年 代 に か け 、 ﹁エイ ト マ ン ﹂ ﹁宇 宙 少 年 ソ ラ ン﹂
﹁悪 ﹂ の 襲 来 に よ って 危 機 に 陥 った 人 類 を 救 済 す る た め に 活 躍 す る と い う 、 ア ニメ 番
﹁ス ー パ ー ジ ェ ッ タ ー ﹂ な ど か ら ﹁デ ビ ル マ ン﹂ ﹁マジ ン ガ ー Z ﹂ に 至 る 、 先 端 技 術 や 超 能 力 の 保 持 者が
組 の ひ と つ の ス タ イ ル が でき あ が る の で あ る 。
に つ い て く わ し い議 論 を 展 開 し て い く 余 裕 は な い。 こ れ ら に つ い て は 、 い ず れ よ り 広 い コン テ
残 念 なが ら、 こ こ で戦後 日本 の マ ンガや 大衆 文 化 に おけ る テク ノ ロジ ーと 異 文 化 のイ メ ージ
ク ス ト のな か で分 析 を し て み た いと 考 え て いるが 、 さ し あ た り はご く 部 分的 な言 及 し か でき な
い。 た と えば 、 ﹁ジ ャング ル大 帝 ﹂ や ﹁鉄 腕 アト ム﹂ か ら ﹁0 マ ン﹂ あ たり ま で の初 期 の手 塚
マン ガ には、 ① 異 文 化 と のデ ィ ス コミ ュ ニケー シ ョ ン、 あ る いは自 文 化 の異 文化 支 配 と そ の逆
と いう テ ー マが 〓 じ れ を 孕 み なが ら 交 差 し て いた。 ご く 初期 の ﹁ジ ャ ング ル大帝 ﹂ の よう な 場
転 の可能 性 と いう テ ー マと、 ②先 端 的 な 科 学文 明が も た ら す未 来 の ユー トピ ア/ デ ィ ストピ ア
合 、 桜 井が 的 確 に指 摘 し た よ う に、 物 語 の基本 は ﹁タ ーザ ン・イ デ オ ロギ ー﹂、 す な わ ち西 欧 中
心 の植 民 地主 義 的 言 説 の枠 内 にあ る。 主 人 公 の レオ は、 人 間社 会 によ る動 物 た ち の世 界 の植 民
地化 の先 兵 と な る のであ り 、 こ れ に反 抗 す る動 物 た ちも 、 医 学 など の近 代 科 学 の恩恵 を受 け る
こ と に よ って調教 され て いく のだ。 こ こ にお い て、 未 来 を 約 束 す るも のと し て の科 学 的 知 識 と
人間 社 会 の異 文化 に対 す る関 係 は、 文 化 的 帝 国 主義 の言 説 空 間 にす っぽ り と 収 ま って いて深 刻 な矛 盾 や 対 立 は生 じ て いな い ︵ 桜井、前掲書︶。
同様 の科 学 技術 主 義 と植 民 地 主義 的 な言 説 の予定 調 和 的 な 結 合 は、 大 筋 にお い ては 一九 五〇
年代 ま で の ﹁鉄腕 アト ム﹂ でも変 化 し て いな いよ う に思 われ る。 実際 、 こ の時 期 の ﹁アト ム﹂
の物 語 の多 く にみ ら れ る パ タ ー ンは 、 ①宇 宙 から の侵略 者 や、 ② ジ ャ ング ルや 地 底 、 海底 、 雪
山 な ど に ひそ む 狂 気 の科 学 者 や 強 欲 な ギ ャ ング 団 に操 ら れ た ロボ ットや猛 獣 と ア ト ムが戦 う と
いう も のであ る。 こ の場合 、 ア ト ムが 戦 う べき 異 質 な他 者 た ち に対 し 、 人類 の科 学 技 術最 高 の
成 果 た る アト ムの優 越 性 が 強 調 され て いる。 だ が 、 ﹁0 マン﹂ や、 と り わ け 一九 六〇 年 前 後 以
降の ﹁ 鉄 腕 アト ム﹂ では、 こう し た科 学 テク ノ ロジ ーと 異文 化 に対 す る優 越 性 は明 ら か に崩 れ 、
下:青 騎 士 の巻
いず れ も、 手 塚 治虫 漫 画全 集 ( 講 談社 ) 「 鉄 腕 ア トム」 よ り
ク ノ ロジ ーを 支 配 す る 人間 全 体 の権 利 と 理性 そ のも のが 根 底 から 疑 わ れ て いる のであ る。
間 の支 配 から の解 放 を求 め て自 ら の意 志 で反 乱 を 起 こす。 つまり 、 こ こで は ロボ ット =科 学 テ
人 間 に反 抗 す る の は、悪 者 の強 盗 団 に操 ら れ る から だが 、後 者 に お い て青 騎 士 = ロボ ットは 人
把 握 にお いて決 定 的 な変 化 が 認 めら れ る。 前 者 にお い て、 フラ ンケ ン シ ュタイ ン= ロボ ットが
せ るよ う に描 いたと 考 え ら れ るが 、 そ れ にも か かわ らず 両者 の間 に は、 人 間 と ロボ ット の関係
であ ろ う。 両 者 は話 のプ ロット の点 では酷 似 し て おり 、 手塚 は意 識 的 に後 者 を前 者 に重 ね 合 わ
の は、 五 二、 五 三年 の ﹁フ ラ ンケ ン シ ュタイ ン の巻 ﹂ と 六五 、 六 六年 の ﹁青騎 士 の巻 ﹂ の違 い
技 術 的知 識 の持 ち 主 た ち の理性 が 決 定 的 に疑 わ れ て いく 。 こ う し た変 化 が 明瞭 に示 され て いる
上:フ ラ ンケ ン シ ュタ イ ンの巻
だが 、 こ のよ う な変 化 にも か か わ らず 、 ﹁鉄 腕 ア ト ム﹂ 全 体 を 通 じ て科 学 技 術 そ のも の に対
す る信 頼 は、 根 本的 には いさ さ かも 揺 ら いで いな い。 ここ で手 塚 が 疑 う のは、 科 学 技 術 を 開 発
し 、使 用 す る人 間 の理性 や倫 理 であ って、 科 学 技 術 そ のも ので はな い。 つま り そ れ は、 人 間 理
性 に対 す るき わ め て強 い不信 であ ったが 、 そ の疑 わ し い人 間理 性 の所 産 であ る はず の科 学 技 術
に はな お強 い信 頼が 寄 せ られ て い る の であ る。 当 然 、 ﹁アト ム﹂ に登 場 す る ロボ ット たち には、
絶 えず 悲 劇 的 な 運命 が つき ま とう こと にな る。 と いう のも 、 ロボ ット =科 学 技術 の力 はな お 特
権 化 さ れ て いる の に、 いま や そ の科 学 技 術 を支 配 す る人 間 理 性 は根 底 から 疑 わ れ て いると す れ
ば 、 こ の科 学 技 術 は帰属 す る場 所 を も たな いま ま、 ど こ にも な い不 可能 性 の時空 を さ ま よわ な
け れば な ら な いから だ。 前 述 の ﹁青 騎 士 ﹂ だ け で なく 、 ﹁地上 最 大 の ロボ ット﹂ や ﹁ロボ イ ド﹂
な ど 、 六〇年 代 以 降 の ﹁鉄腕 アト ム﹂ に登 場 す る多 く の ロボ ットた ち は、 自 ら の アイデ ンテ ィ
テ ィの不安 に悩 む。 と ころが こ のよう な な か にあ って、 ア ト ムだ け は例 外 であ った。 アト ムは
いわば 絶 対 的 な 理性 、 善 悪 の判断 力 を 備 え 、 し か も そ れを 決 し て誤 ら な い超 越 的 な 理 性 と し て
ふ るま って いる。 こ こ に お い て、 一度 は疑 問 視 さ れ た科 学 技 術 に対 す る管 理 能 力 が 、 神 な ら ぬ ﹁ 科 学 の子﹂ の名 によ って再 び 救 済 さ れ て いる のであ る。
テ レビ 放 映 さ れ た ﹁鉄 腕 ア ト ム﹂ に全 国 のお 茶 の間 の目が 集 ま り 、 こ の ア ニメが肯 定的 に受
け 入 れ られ て い った のは、 ま さ に こう し た ﹁救 済 ﹂ の契 機 に よ って であ った よう に思 わ れ る。
香取 淳 子が 引 用 し て いる 六 四年 二月 二十 三 日 の読 売 新 聞 は、 ﹁鉄 腕 ア ト ムは ロボ ットだが 、 ア
ト ムは人 間 以 上 に人類 愛 にあ ふれ た 人 間 であ り 、 こ の高 さ を子 ど も は求 めて いる のであ る﹂ と
論 評 す る。 ま た同年 四 月 五 日 の毎 日新 聞 の記事 は、 ﹁子 ど も に ひ か れ て見 た ので す が、 わ た し
も 楽 し め ま し た。 ま あ科 学 的 だ し、 夢 も あ って結 構 だ と 思 います 。 家 で はパ パ ま で夢 中 です ﹂
と 語 る東 京 在 住 のあ る母親 の発 言 を 紹 介 し て い る ︵﹃メデ ィアの逆襲!﹄芸文社、 一九九 三年︶。 こ
れ ら に示 さ れ る よう に、 本来 は科 学 テ ク ノ ロジ ー、 す な わ ち手 段 にす ぎ な いはず のも のが 、 そ
れ 自 体 、 ﹁人 間 以 上 に人類 愛 にあ ふ れ た﹂ 存 在 と し て神 話化 さ れ 、 こ の理 想的 な存 在 者 に よ っ
て夢 のあ る科 学 の世 界が 担保 され て いく と いう点 が 、 技 術 の未 来 に社 会 の未 来 を仮 託 し て いた
ンガ で は、 一度 は問 題 化 さ れ た科 学 の正 当 性 が 、 アト ムと いう 超越 的 存 在 に よ って再 び救 出 さ
六〇 年 代 の日本 人 の意 識 と強 く共 振 し た の では な いだ ろう か。 結果 と し て、 も と も と の手 塚 マ
れ ると いう 二重 構 造 だ ったも のが 、 テ レビ ア ニメで は後 者 の ヒ ー ロー性 が 前 面 に出 る こ と で、 普 遍 的 な ﹁正義 ﹂ に よ る科 学 万能 の物 語 へと 平板 化 さ れ る の であ る。
そ し て、 こ の未 来 的 な 科 学 技 術 と ﹁正 義 ﹂ の ヒー ロー の結 合 と いう 点 は、 ﹁鉄 人 28号 ﹂ であ
れ、 ﹁エイ ト マン﹂ や ﹁スー パ ージ ェッター﹂ であ れ、 六〇 年 代 半 ば に テ レビ 画 面 で人 気 を 集
め る多 く の ア ニメに共 通 す る特徴 であ った。 加 え て これ ら の番 組 は、他 にも いく つか の典 型 的
な要 素 を共 有 し て いた。 たと えば 、 わ か り やす い画 面 、 スピ ーデ ィな 場 面展 開 、 キ ャラ ク ター
の動 き の面 白 さ 、 独特 の発 声 によ る誇 張 的 な科 白 ま わ し、 わく わ く さ せ る よ うな 主 題 曲 、 か っ
こ い い主 人 公 と 息 を も つか せ ぬ ア ク シ ョン、 単 純 で敵 味方 のは っき り し た設 定 、 ほぼ 固定 し た
プ ロ ット のく り 返 し 、 そ れ に超 人 的 な 力 を備 え た存 在 への変 身 など であ る。 七〇 年 代 以降 、科
学 技術 への信 仰 は、 やが て重 心 を 超 能 力 や魔 法 への信 仰 へと移 動 さ せ て い った よ う に見 え るが
そ れ 以 外 の 特 徴 は ほ ぼ 八 〇 年 代 の テ レビ ゲ ー ム に ま で 連 続 し て い る 。 実 際 、 八 〇 年 代 の フ ァ ミ
コ ン現 象 は 、 六 〇 年 代 以 降 の テ レ ビ ア ニ メ の 展 開 を 基 礎 に し な が ら 、 子 ど も の身 体 を テ レ ビ 画
﹁ 制 作 に参 加 で き る ア ニ メ番 組 ﹂ と 規 定 し て い っ た こ と は 正 し
面 の な か に 取 り 込 ん で い っ て し ま った と こ ろ に 成 立 し た も の に ほ か な ら な い の で あ る 。 そ の意 味 で、 斉 藤 が 後 に フ ァ ミ コ ンを
い ︵﹃ あ あ 、 フ ァミ コン現 象 ﹄ 岩 波 書 店 、 一九 八 六年 ︶。 コ ン ピ ュ ー タ の イ ン タ ー ラ ク テ ィ ヴ 性 は 、
六 〇 年 代 か ら の テ レ ビ ア ニ メ の物 語 世 界 と 結 び つく こ と に よ って 、 プ レイ ヤ ー の自 己 を 画 面 上 に 展 開 す る 物 語 世 界 に取 り 込 ん で い く の で あ る 。
テ レビ ゲ ー ム とプ ログ ラ ム の消 費
を遂 げ る。 こ の変 化 を 端 的 に示 し た のは、 八〇年 代 半 ば から 全 国 を席 巻 す る フ ァミ コンブ ー ム
さ て、 一九 六〇 年 代 から本 格 化 し た テ レビ ア ニメと 子ど も た ち の関係 は、 八〇年 代 に高 度 化
であ る。 八〇年 代 初 め、 玩 具 メ ーカ ー の任 天 堂が 家庭 のテ レビ 受像 機 に直 接 つな げ ら れ る低 価
格 のテ レビ ゲ ー ム機 を売 り 出 し 、 こ の いわ ゆ る ファ ミ コンを 用 いた 数 々 のテ レビ ゲ ー ムが 、 子
ど も た ち の遊 び の世 界 を 大 き く変 容 さ せ て い った のだ。 む ろ ん、 遊 戯装 置 と し て の テ レビ ゲ ー
ムは、 す で に七 〇年 代 半 ば 頃 から 街角 のゲ ー ム セ ン タ ーや喫 茶店 に置 かれ て い た し、 ﹁ブ ロ ッ
ク崩 し﹂ や ﹁スペ ー スイ ンベ ーダ ー﹂ と い った ゲ ー ムが街 角 の若 者 に絶 大 な 人気 を呼 ん でも い
た 。 と は いえ 、 こ の頃 は まだ 、 テ レビ ゲ ー ムは家 庭 生 活 と は いち おう 切 り離 さ れ た都 市 的 な空
間 で す る 遊 び で あ った 。 と こ ろ が 八 〇 年 代 以 降 、 日 本 で も 一千 万 台 以 上 の家 庭 用 テ レビ ゲ ー ム
機 が 普 及 し 、 テ レビ ゲ ー ム は 完 全 に 家 庭 の文 化 の 一部 と し て、 子 ど も た ち の 日 常 意 識 に 深 く 影 響 を 及 ぼ す よ う に な っ て い った 。
八 〇 年 代 に お け る 任 天 堂 フ ァ ミ コン の普 及 に は 、 ひ と つ の見 過 ご す こ と の でき な い特 徴 が あ
る 。 す な わ ち 、 ハー ド と と し て の ゲ ー ム 機 の爆 発 的 な 売 れ 行 き が 、 ソ フ ト と し て の ゲ ー ム の 大
衆 的 な 人気 と常 に対 を な し て いた こと であ る。 実 際 、 発 売 さ れ た 八 三年 に は四 十 四 万台 に とど
ま っ た フ ァ ミ コ ン の 売 り 上 げ が 、 翌 年 、 急 速 に 伸 び は じ め る の に は 、 ﹁パ ッ ク マ ン﹂ や ﹁ゼ ビ
ウ ス﹂ と い った 人 気 ソ フ ト の導 入 が 必 要 で あ った し 、 そ れ が 八 五 年 末 ま で に 五 百 万 台 を 突 破 す
る の は 、 や は り ﹁ス ー パ ー マ リ オ ブ ラ ザ ー ズ ﹂ の爆 発 的 な ヒ ッ トが 契 機 と な っ た 。 そ し て 、 そ
の後 のブ ー ム の さ ら な る 拡 大 に は 、 八 六 年 か ら 始 ま った ﹁ド ラ ゴ ン ク エ ス ト ﹂ シ リ ー ズ の こ れ
も 圧 倒 的 な 人 気 が 作 用 し て い た と 考 え ら れ る 。 つま り 、 八 〇 年 代 後 半 の任 天 堂 ブ ー ム は 、 フ ァ
ミ コ ン と い う ゲ ー ム機 の普 及 で あ った と 同 時 に 、 こ れ に 媒 介 さ れ る 電 子 的 な 物 語 の 大 衆 化 現 象
だ った の で あ る 。 実 際 、 ﹁ス ー パ ー マリ オ ブ ラ ザ ー ズ ﹂ の 場 合 、 攻 略 本 は も と よ り 各 種 の キ ャ
ラ ク タ ー 商 品 、 テ レ ビ 番 組 、 映 画 、 マリ オ を テ ー マ に し た 食 品 類 と 多 様 な ジ ャ ン ルを 巻 き 込 ん で 一個 の世 界 を 形 成 し て い っ た 。
そ し て 、 こ の よ う な 物 語 = メデ ィ ア の同 時 的 な 消 費 拡 大 が 可 能 で あ った の は 、 八 〇 年 代 後 半
か ら フ ァ ミ コ ン で 人 気 を 博 し て い く ゲ ー ム の多 く が 、 ゲ ー ム の な か で プ レ イ ヤ ー が 主 人 公 を 演
じ 、 次 々 に冒 険 を 経 験 し な が ら 力 を つけ て いく 、 い わ ゆ る ロー ルプ レイ ン グ ゲ ー ムだ っ た か ら
こ そ で あ った 。 た と え ば 、 ﹁マ リ オ ﹂ シ リ ー ズ の場 合 、 カ メ族 に 侵 略 さ れ た キ ノ コ の 王 国 の た
め、 ピ ー チ 姫 救 出 の旅 に 出 か け る 冒 険 を テ ー マ に し て お り 、 王 国 全 体 が い く つ か の ワ ー ルド で
構 成 さ れ 、 さ ら に こ の ワ ー ル ド が エリ ア に 分 割 さ れ 、 山 や 谷 、 海 の な か を 主 人 公 が 進 む プ ロ セ
スが 細 か な と こ ろ ま で 設 計 さ れ て い た 。 ま た 他 方 の ﹁ド ラ ク エ﹂ が 、 ト ー ル キ ン の ﹃ 指 輪物
語 ﹄ を 原 作 と し 、 ア メ リ カ で 人 気 と な っ た ﹁ウ ィザ ード リ ィ﹂ や ﹁ウ ル テ ィ マ﹂ と い った ゲ ー
ム を 日 本 式 に ア レ ン ジ し た 物 語 で あ り 、 非 常 に 手 の こ ん だ 複 雑 で起 伏 に富 む プ ロ ット を も つ こ
﹁ド ラ ク エ﹂ シ リ ー ズ に見 ら れ る よ う に 、 物 語 の消 費 そ のも
と は 周 知 のと お り で あ る 。 も ち ろ ん、 こ れ 以 前 の ﹁ゼ ビ ウ ス﹂ な ど で も 物 語 性 が 全 然 な か っ た と い う わ け で は な いが 、 と り わ け
の を 目 的 と す る ゲ ー ム群 が 主 役 を 占 め る よ う に な った こ と が 、 八 〇 年 代 後 半 の フ ァ ミ コ ン現 象 の特 徴 であ った。
大 塚 英 志 は 、 八 〇 年 代 後 半 の フ ァ ミ コ ンブ ー ム の な か で顕 在 化 し た 消 費 パ タ ー ン が 、 高 度 な
電 子 メ デ ィ ア を 何 も 利 用 し な い 菓 子 の オ マ ケ の世 界 で も 同 じ よ う に 起 き て い た こ と を 明 ら か に
し た 。 彼 が 注 目 し た の は 、 一九 八 七 年 か ら 八 八 年 に か け て 子 ど も た ち の 問 で 大 流 行 し た ﹁ビ ッ
ク リ マ ン チ ョ コ レ ー ト ﹂ で あ る。 大 塚 に よ れ ば 、 販 売 す る 菓 子 メ ー カ ー に と って も 、 こ の
﹁チ ョ コ レ ー ト﹂ が 食 品 と し て 価 値 を も って い る わ け で は な い こ と は 明 白 な 前 提 だ った 。 子 ど
も た ち は ﹁ビ ッ ク リ マ ン チ ョ コ レ ー ト ﹂ を 買 う と 、 ﹁ビ ック リ マ ン シ ー ルを 取 り 出 し 、 チ ョ コ
レ ー ト を た め ら い な く 捨 て た ﹂。 つ ま り こ の チ ョ コ レ ー ト は 、 ﹁製 造 元 が 菓 子 メ ー カ ー で あ り
必 然 的 に 食 品 流 通 の ル ー ト に 乗 っ て 販 売 さ れ な く て は な ら な い と い う 理 由 の み で、 ︿チ ョ コ
レ ー ト ﹀ と い う 形 態 を と った に す ぎ な い。 商 品 の本 体 は くシ ー ル﹀ で あ り 、 ︿チ ョ コ レ ー ト﹀
は こ れ を 消 費 者 の 許 に 届 け る メデ ィ ア と し て の役 割 の み を 果 た し て い る の で あ る ﹂。 大 塚 は さ
ら に 、 こ の 子 ど も た ち の シ ー ル集 め が 、 一九 七 二年 か ら 七 四 年 に か け て 、 や は り 中 身 を 捨 て て
オ マ ケ の カ ー ド を 集 め る 子 ど も た ち が 続 出 し た ﹁仮 面 ラ イ ダ ー ス ナ ッ ク ﹂ の 場 合 と は 質 的 に 異
な っ て い る と 主 張 し た 。 後 者 の場 合 、 子 ど も た ち が 集 め る カ ー ド の価 値 は 、 あ く ま で 石 ノ 森 章
﹁鉄 人 28 号 ﹂ に 準 拠 さ せ た 菓 子 が 大 ヒ ット し た 構 造 の 延 長 線 上 に あ った 。 と こ ろ が
太 郎 原 作 の 特 撮 テ レ ビ ド ラ マ ﹁仮 面 ラ イ ダ ー ﹂ に 準 拠 し て い た 。 つま り こ の 場 合 は 、 ﹁鉄 腕 ア ト ム﹂ や
﹁ビ ッ ク リ マ ン チ ョ コ レ ー ト ﹂ の 場 合 は 、 あ ら か じ め ﹁ビ ック リ マ ン﹂ と い う テ レ ビ ア ニ メ が
存 在 し た わ け で は な い 。 準 拠 す べ き 原 作 を 持 た ず 、 し か も 菓 子 本 体 の付 随 品 で は な い自 立 し た
記 号 の シ ス テ ム と し て 、 ﹁シ ー ル﹂ は 子 ど も た ち の生 活 世 界 を 占 領 し た の で あ る 。
こ の よ う に 、 子 ど も た ち が 多 数 の シ ー ルを 集 め て いく こ と で 、 そ の臨 界 値 と し て構 成 さ れ る
記 号 世 界 の こ と を 、 大 塚 は ﹁大 き な 物 語 ﹂ と 呼 ん で い る 。 こ の ﹁大 き な 物 語 ﹂ と 個 々 の ﹁シ ー
ル﹂ の関 係 は 、 ち ょ う ど テ レビ ゲ ー ム のプ ログ ラ ム と 個 々 の プ レ イ の関 係 に 相 同 的 であ る 。 す
な わ ち 、 ゲ ー ム の プ ログ ラ ム は ﹁ゲ ー ム ソ フ ト の内 部 に 存 在 す る 閉 じ た 世 界 に お い て 、 想 起 し
う る す べ て の 可 能 性 か ら な る 全 体 と し て の 秩 序 ﹂ を 定 義 し て い る 。 そ し て 、 こ の プ ログ ラ ム の
内 部 で ﹁同 じ ソ フ ト を 使 っ て ゲ ー ム を し て も 、 そ の 展 開 は プ レイ ヤ ー ご と に 、 プ レ イ す る こ と
に 、 そ れ ぞ れ 異 な る 展 開 を 見 せ る ﹂ 無 数 のプ レイ が 成 立 し て い る の だ 。 と り わ け ゲ ー ム マ ニ ア
は 、 攻 略 本 や ゲ ー ム 世 界 の マ ップ 作 り を 通 じ て 隠 さ れ た プ ロ グ ラ ム を 顕 わ に し よ う と し 、 さ ら
に ﹁バ グ ﹂ や ﹁裏 技 ﹂ と 呼 ば れ る プ ログ ラ ム ミ ス か ら
﹁世 界 ﹂ の綻 び を 見 つけ だ そ う と す る。
つ ま り 、 こ こ に お い て 消 費 さ れ て い る の は 、 個 々 のプ レイ や ド ラ マと いう 以 上 に プ ログ ラ ム そ
の も の で あ る。 そ し て 、 こ れ と 同 じ こ と が 子 ど も の菓 子 の世 界 で も ご く 普 通 に起 こ り は じ め て
い る の で あ る 。 明 示 的 な 特 定 の 原 作 に準 拠 し て 記 号 を 消 費 す る の で は な く 、 そ う し た ﹁原 作 ﹂
の 観 念 が そ も そ も 不 可 能 に な る よ う な シ ミ ュ レ ー シ ョ ン の シ ス テ ム を 消 費 し て い く 新 し い構 造
が 、 ﹁ビ ッ ク リ マ ン チ ョ コ レ ー ト ﹂ か ら ﹁お ニ ャ ン 子 ク ラ ブ ﹂ ま で の 八 〇 年 代 の ヒ ッ ト 現 象 を
支 え て い る と いう のが 大 塚 の主 張 で あ る ︵﹃ 物 語 消費 論 ﹄ 新 曜社 、 一九 八 九年 ︶。
環境 化 す る ア ニメ 的リ ァリ テ ィ
こ の 大 塚 の 指 摘 は 、 す で に述 べ た 一九 六 〇 年 代 の テ レビ ア ニ メ に関 す る 議 論 の延 長 線 上 に 位
置 づ け ら れ る 。 六 〇 年 代 と 八 〇 年 代 を 隔 て て い る の は 、 ﹁原 作 ﹂ の 消 失 と い う 事 態 で あ る 。 後
者 に お い て 、 子 ど も た ち が と も に消 費 し て い る の は 、 手 塚 や デ ィズ ニ ー と いう 原 作 者 に よ っ て
書 か れ た ス ト ー リ ー で は な い。 子 ど も た ち は ﹁ド ラ ゴ ン ク エ ス ト ﹂ な り ﹁ス ー パ ー マリ ォ ﹂ な
り の プ ログ ラ ム を 消 費 し な が ら 、 そ の 共 通 の設 定 の な か で 個 々 の ス ト ー リ ー を そ れ ぞ れ 紡 い で
い る の で あ る 。 も ち ろ ん、 こ の こ と は 子 ど も た ち の ﹁個 性 ﹂ の多 様 化 を ま った く 意 味 し な い。
任 天 堂 が テ レ ビ ゲ ー ム の爆 発 的 な 流 行 を も た ら し て い った の は 、 あ く ま で 特 定 の人 気 ソ フ ト を
つ く り 出 し 、 そ のプ ログ ラ ム を 大 量 生 産 ・販 売 す る こ と に よ っ て で あ っ た 。 し か も 、 こ う し た
プ ロ セ ス で 、 個 々 の 子 ど も た ち の フ ァミ コ ン上 で の プ レ イ と 並 行 し て 、 テ レビ や マ ン ガ 、 玩 具 、
映 画 、 ビ デ オ 、 シ ョー な ど さ ま ざ ま な 場 面 で 人 気 ソ フ ト に 対 応 す る 典 型 的 な ス ト ー リ ーが 演 じ
ら れ て い っ た こ と を 見 過 ご す べ き で は な い。 す な わ ち こ こ で は 、 子 ど も た ち の 思 考 の プ ログ ラ
ム レ ベ ル で の マ ス化 と ス ト ー リ ー レ ベ ル で の 多 様 化 が 連 動 し な が ら 、 全 体 の物 語 = メ デ ィ ア消
費 の メ カ ニズ ム を か た ち づ く っ て い る の で あ る 。 所 与 の プ ロ グ ラ ム を 前 提 に イ ン タ ー ラ ク テ ィ
ヴ な 操 作 状 況 を も た ら す テ レビ ゲ ー ム の技 術 的 特 性 は 、 こ う し た 差 異 化 と 同 質 化 を 連 動 さ せ る シ ステ ムの戦 略 を効 果 的 に機能 さ せ てき た の であ る。
同 様 の こ と は ア メ リ カ で も 指 摘 で き る 。 マ ー シ ャ ・キ ンダ ー は 、 ア メ リ カ で の テ レ ビ ゲ ー ム
の普 及 を 映 画 、 テ レビ と い った 映 像 メデ ィ ア の 発 展 過 程 の 一部 と し て 捉 え 、 こ れ ら の諸 メデ ィ
ア の間 で の テ ク ス ト の複 合 的 な 関 係 に注 目 し て い る 。 た と え ば 、 一九 八 九 年 に 封 切 ら れ た 映 画
﹁ウ ィ ザ ー ド ﹂ は 、 ﹁ス ー パ ー ・ マリ オ ・ブ ラ ザ ー ズ ﹂ を 直 接 の 題 材 と し 、 こ れ を 映 画 の な か に
ア レ ンジ し た も の で あ っ た し 、 四 匹 の亀 が 放 射 能 で 汚 染 さ れ て 人 間 大 の忍 者 亀 に変 身 し 、 さ ま
ざ ま な 冒 険 を 経 験 す る ﹁テ ィ ー ン エイ ジ ・ミ ュー タ ン ト ・ ニ ン ジ ャ ・タ ー ト ゥ ル ︵T M N T︶﹂
は 、 も と も と マ ン ガ で 人 気 を 呼 ん で い た 題 材 を 任 天 堂 が テ レビ ゲ ー ム化 し 、 こ れ が C B S の テ
レビ 番 組 や ハリ ウ ッド の 映 画 に も な り 、 さ ら に は レ ン タ ル ビ デ オ や 忍 者 亀 グ ッズ の 人 気 へも つ
な が っ て い った も の で あ っ た。 た し か に コ ン ピ ュー タ ・ゲ ー ム と 映 画 が 結 び つ い て い った 例 と
し て は 、 す で に 八 二年 に 封 切 ら れ た ﹁ト ロ ン﹂ が あ る が 、 キ ン ダ ー は 、 こ の ﹁ト ロ ン﹂ や 八 四
年 の ﹁最 後 の宇 宙 戦 士 ﹂ の よ う な 映 画 が 指 向 し て い た の は 、 あ く ま で パ ソ コ ン の ゲ ー ム に 没 頭
す る マ ニ ア ッ ク な 若 老 た ち で あ った の に対 し 、 八 〇 年 代 後 半 の ﹁ウ ィ ザ ー ド ﹂ や
﹁T M N T ﹂
で は む し ろ 、 任 天 堂 の フ ァ ミ コ ン で遊 ぶ 家 庭 の 子 ど も た ち す べ て に 照 準 が 向 け ら れ 、 子 ど も の
玩 具 世 界 と 映 像 技 術 と の結 び つき を 高 次 化 す る こ と が 狙 わ れ て い る と 指 摘 し て い る ︵ Ki nder , M .,Pl ay i ng Wi t h Power ,Cal i f o円ni aUni vers i t y pr es s ,1991 )。
つ ま り テ レビ ゲ ー ム は 、 必 ず し も そ れ ま で の 子 ど も 映 画 や テ レ ビ ア ニ メ に と っ て 代 わ る も の
で は な く 、 む し ろ そ れ ら の 映 像 世 界 と 複 合 的 に 結 び つき な が ら 子 ど も た ち の生 活 世 界 を 変 容 さ
せ て い る の で あ る 。 映 画 が テ レビ に な り 、 や が て テ レ ビ が テ レビ ゲ ー ム や マ ル チ メ デ ィ ア に転
換 し て い く の で は な い。 映 画 、 テ レ ビ 、 テ レビ ゲ ー ム、 マ ン ガ 、 さ ら に は テ ー マ パ ー ク の よ う
な 空 間 化 さ れ た 映 像 世 界 ま で も 含 め 、 歴 史 的 に 重 層 し て き た 映 像 メ デ ィ ア の リ ア リ テ ィが 、 い
ま や 資 本 の想 像 力 の な か で 相 互 に 結 び つき 、 全 体 と し て 子 ど も た ち の 日 常 を 枠 づ け る 映 像 テ ク
ス ト群 を 構 成 し て い る の で あ る 。 し た が って 、 八 〇 年 代 の任 天 堂 ブ ー ムが い か に セ ン セ ー シ ョ
ナ ル な も の で あ った と し て も 、 そ の技 術 的 革 新 性 の 側 面 だ け を 一方 的 に強 調 す る こ と は でき な
い。 む し ろ 、 こ れ ま で 述 べ て き た よ う な 六 〇 年 代 の テ レ ビ ア ニメ か ら 八 〇 年 代 の テ レ ビ ゲ ー ム
ま で の ア ニメ 的 な リ ア リ テ ィ の 展 開 の な か で 、 テ レ ビ か ら テ レビ ゲ ー ム へ の技 術 的 な 変 化 を 捉
え 直 し て いく 必 要 が あ る の で あ る 。 そ し て お そ ら く 、 こ れ ら の 過 程 は よ り 長 い 目 で 見 る な ら ば 、
と も にす で に 十 九 世 紀 末 ま で に 始 ま っ て い た か も し れ な い子 ど も た ち の想 像 世 界 の 技 術 的 商 品 化 と いう大 き な プ ロセ スの、 最 も 現代 的 な 局 面 を構 成 し て い る のだ 。
テレ フ ォンのある 風景
﹁電 話﹂ と いう 関 係
独 り暮 ら し にな って、 電 話 を かけ る 回数 が かな り増 え た。 ひと り で いる と、 意 外 に暇 な
の であ る。 と にか く 誰 か と話 し たく な る。 で、 つい ついダ イ ヤ ルに指が 伸 び る のだ 。 ⋮ ⋮
何 も な い状 態 や 、 何 か し て いな い状態 に耐 えら れ な い の であ る。 生 ま れ た とき か ら テ レビ
も 電 話も あ った。 情 報化 社 会 の中 で育 ってき た と いう と ころも 大 き い のか も し れ な いが 、
自 分 以外 の世 界 、 外 界 と遮 断 され る こと に無 意 識 のう ち に拒 絶 反 応 を 示 し てし ま う のだ 。
割 に お っと り と育 ってき た つも りだ った の で、 そう い った情 報媒 体 に左 右 さ れ た りす る こ
と はま ず な いだ ろう と 思 って いた のだ が 、 ひと り で暮 ら す よ う にな り、 外 界 と 何 か し ら の
6月
1990年
つ な が り を 持 って い な い と 落 ち 着 か な い 自 分 に気 づ い て し ま った 。 情 け な い。 今 で は 、 風
呂 に 入 る と き や 寝 る と き に は 、 コー ド を 延 ば し 、 電 話 を 手 元 に置 く よ う に な っ て し ま った 。
こ こ に挙 げ た のは、 私 が 非 常 勤 で教 え て い る東 京都 内 の私 立 大 学 生 た ち に、 一九 八 九年 の夏 、
﹁自 分 と電 話 と の かか わ り ﹂ に つい て自 由 に記 述 し ても ら った も の の 一部 であ る。 と り わ け こ
の大 学 三年 の女 性 の文章 は、 自 己 観察 の行 き 届 いた 出来 のい いも の のひ と つだ が 、 似 た よ うな
感 想 は集 ま ってき た 何百 と いう 回 答 のな か に数 多 く 見 ら れ た。 独 り 暮 ら し に なり 、 居 住空 間的
には 独 立 を果 たし た はず が 、 こ の独 立空 間 の中 心 に はテ レビと 電 話 が置 か れ、 そ う し た メデ ィ
アを 通 じ て ﹁外 界 と 何 か しら の つなが り を持 って いな いと落 ち着 かな い自 分 ﹂ を そ こ に発 見 し
て いく。 こ こ で は個室 化 は必 ず しも 孤 立化 で はな く 、 電 子的 な 情 報 ネ ット ワー ク のな か で営 ま
れ る距 離 のな い親 密 圏 に自 己 をど っぷ り と浸 から せ て いく過 程 の始 ま り であ る。 同 じ よう に、
別 の学 生 は下 宿 を 始 め てから ﹁部 屋 か ら音 が な く な る のを避 け て、 画 面 を見 ると いう より は単
にB G M と し て テ レビ を つけ る よう にな った﹂ 自 分 に ついて語 り、 ま た 別 の学 生 は ﹁ど ん な に
夜 通 し 電話 し て い ようが 、ど んな 夜 中 に電 話 が か か って こよ うが 自 由 ﹂ であ る こ とを 自 慢 す る。
いず れ にせ よ、 彼 ら は電話 を通 じ て仲 間 ど う し の親 密 圏 を形 成 し、 日 々 の生 活 のリ ア リ テ ィを
確 認 し あ って いる。 も は や建 築 空 間 と し て の住 居 に住 ん で いる と いう よ り も、 電 話 と テ レビが つく り だ す情 報 世 界 のな か に住 ん で い ると い った方 が い いく ら いであ る。
こ のよ う な傾 向 と 並 行 し て、 最 近 で は若 者 た ち に よ る公 衆電 話 の使 わ れ方 も変 化 し てき た。
たと えば 、 こ のと ころ郊 外 の住 宅 地 な ど で は、 夜 にな る と電 話 ボ ック スで若 者 たちが し ゃが ん
だ り 、数 人 が 一緒 にな ったり しな が ら 長 々と電 話 を し て いる風 景 を しぼ しぼ 見 かけ る。彼 ら は
いわば 公 衆 電 話 を私 室 化 し て い る のであ り、 テ レ フ ォ ンカ ード の普 及が ち ょう ど 公 衆 電話 を独
り暮 ら し の部 屋 と 同 じ よう な 存在 に変 え て い る の であ る。 たと えば あ る大 学 三年 生 の男性 は、
中 学生 の頃 を ふり 返 って、 ﹁一人前 にガ ー ル フ レ ンド の でき た 自 分 は、 家 族 み んな が 集 ま る部
屋 にあ った電 話 を 利 用 す る のが 億 劫 であ った。 そ んな と き は必 ず 公 衆 電 話 か、 家 族 の者 が 出
払 って いると き に使 う よ う に し て いた。 そ んな と き 、 や はり 事 情 のあ り そ う な若 者 が 長 々と話
し て いた りし て、 公衆 電 話 を 使 う の には忍 耐 が 必 要 であ った。 も ち ろ ん こ の逆 も あ り 、 そ ん な
と き は待 つ人 を 無視 す る 図太 さ も 必要 であ った﹂ と 語 る。 ま た別 の男 子 学生 も 、 自 分 の個室 に
電 話 を持 つ以 前 、 親密 な話 が し た いと き に は夜 中 によ く こ っそり と 公衆 電 話 ま で足 を 運 ん だが 、
これ は ﹁女 の子 と 外 で会 った り、 夜 中 にこ っそ り 会 った りす るけ れ ど 、 家族 の目 の前 でお し ゃ
べり など し たく な い のと 同 じ だ と 思 う ﹂ と 述 べ て い る。 さ ら に、 ﹁一日 に 一度 ﹂ は公 衆 電 話 か
し て の役 割 をも って い る﹂ と 述 べ る。 彼 ら にと って の公 衆 電 話 は、 ﹁公 共 ﹂ のも のと いう 以前
ら恋 人 に電 話 を す る のを 日課 にし て いる と いう 女 子 学 生 も 、 ﹁私 にと って電 話 は デ ー ト の場 と
に、 き わ め て身 近 でプ ライ ベ ー トな 個室 メデ ィアと し て感 じ られ て い る の であ る。
と は いえ私 自 身 に ついて言 う な らば 、 長 いこ と電 話が 嫌 いであ った 。 あ のけ た たま し い ベ ル
の音 が も たら す 脅 迫 感 と意 識 の中 断 、 通話 中 つ い話 が 途 切 れ て しま った と き の何 とも 言 え な い
居 心 地 の悪 さ は電 話 特有 のも の であ り 、あ の黒 く 丸 い小 さ な道 具 のな か に、私 は何 か得 体 の知
れ な い不気 味 さ を感 じ て いた。 私 にと って電話 は、 コミ ュニケ ー シ ョ ンのか な り 不安 定 な 道 具
の域 を 出 る も ので はな か った。 そ し て こ のよ う な こと は、 電話 の当 然 の性格 な のであ ろう と 、
長 い こと考 え て いた。 と ころが 、 実 際 はど う も そ う で はな いら し い、 と 気 づ き は じ め た の は八
〇 年 代 半ば 頃 か ら であ ろ う か。 私 と同 じ 世代 の人 び と のな か にも、 電 話 を ま る で自 分 の体 の 一
部 の よう に使 いこな し、 関係 のネ ット ワ ー クを そ のな か で形 成 し て いる者 が いる。 彼 ら にと っ
て の電 話 は 、私 が 長 く 抱 い てき た電 話 への感 覚 と は対 極 的 な も の であ る。 そ し て、全 体 と し て
見 るな ら ば 、 こ のよう な タイ プ の方 が 、 今 日 の社 会 のな か で はし だ いに より 多 数 を占 め てき て いる よう な のだ。
実 際 、 八〇年 代 半 ば 頃 から N T T や KD D 、 あ る いは家 電 メ ー カ ーに よ る電 話 機 や電 話 サ ー
ビ ス の広 告 がず いぶ んと 目 立 つよ う にな ってき た。 留 守 番 電 話 や コード レ ス電 話 、 フ ァク シミ
リ、 ポ ケ ット ベ ル、 携 帯 電 話 等 の新 機 種 の宣 伝 や 、 キ ャ ッチ ホ ン、 伝言 ダ イ ヤ ルな ど の各 種 電
話 サ ービ スの宣 伝、 ﹁電 話 料金 値 下げ ﹂ を伝 え る情 報 な ど が 次 々 に私 た ち の目 や 耳 に飛 び 込 ん
でく る。 そ し て これ ら 以外 にも 、 ﹁テ レ フ ォン﹂が オ シ ャ レな都 市 生 活 を 指 示 す る記 号 の ひ と
つと し て巧 妙 に利 用 さ れ て い る例 を か な り 目 にす る。 と り わけ 近 年 のト レ ンデ ィド ラ マでは、 場 面 を導 く 中 心 的 な 小道 具 と し て電話 が 用 いら れ る よ う にな ってき て いる。
こう し た変 化 の背 景 に、 民 営 化後 のN T T の企 業戦 略 や関 連 企 業 の変 化 が あ る こと は いう ま
でも な い。 電 話 は いま や、 ハード 、 ソ フト の両 面 で、 公的 に管 理 さ れ るイ ン フラ と いう よ り も、
情 報資 本 主 義 が 販売 し、 消 費 さ せ る主 要 な商 品 の ひと つと な った のだ 。 も ち ろ ん、 こ のよ う な
変 化 は、 企業 戦 略 の レベ ル の変 化 だ け に起 因 す る わけ で はな い。私 た ち の生 活 のな か で の電 話
のあ り 方が 、 いま大 き く 変 化 し てき て い る。 若 い世 代 に おけ る電話 利 用 の急 激 な増 大 や、 テ レ
フ ォ ンカ ード の普 及 にも 見 ら れ る よ う に、 あ る意 味 で電 話 は、 日常 の風 景 に完 全 にと け込 み、 ま る で私 た ち の身 体 の 一部 のよ う な存 在 とさ え化 し つ つあ る のだ。
受 話 器を 握 る若 者 た ち
電話 の日常 生 活 への浸 透 を 考 え る上 で、 と く に興 味 深 い のは、 住 居 のな か で の電 話 機 の置 か
れ る位 置 の変 化 であ る。 一九 六〇 年 代 か ら わが 国 でも 多 く の 一般 家 庭 に普 及 し て いく 電 話 は 、
当 初 は た いて い玄 関 口や勝 手 口に、 そ れ か ら しだ い に リビ ング ルー ムや 食 堂 、 そ し て 八〇 年 代
ま で には そ れぞ れ の個室 にも と、 そ の位 置 を徐 々に変 化 さ せ てき た ので はな いだ ろう か。 あ る 大 学 三年 生 の女 性 は、前 述 の ア ンケ ー トで次 のよう に述 べ て いる。
私 の家 に電 話 が と り つけら れ た のは 、 た し か幼 稚 園 の年 長組 の頃 だ った。 そ のとき はど
こ に電 話が つい て いた か、 確 かな 記 憶 は な い。 次 に引 っ越 し た家 で は、 玄 関 のく つ箱 の上
に乗 せら れ て いた。 そ の家 には小 学 校 三 年 のこ ろ ま で いた 。次 の家 も 玄 関 に置 いた。 し か
し それ ま では、 く つ箱 の上 に置 かれ て いた のが 、 家 の中 に入 り 、電 話 台 の上 に置 か れ る よ
う にな った。 次 に引 っ越 し た家 も 電 話 は玄 関 に置 かれ た。 ただ前 の家 の電 話 と違 って いた
と こ ろ は、 コードが 少 し長 く な った こ と であ る。 コー ドを 延ば せば 、 玄 関 の隣 にあ る リ ビ
コード を 延ば し、 冬 は こ た つに足 を つ っこ みな が ら 長電 話 を し て いた。
ング ルー ムで電 話 を す る こ とが 可 能 に な った。 中 学 にな ると 、 リビ ング ル ー ムま で電 話
やが て、 こ の電話 は リビ ング ル ー ムや食 堂 へも 侵 入 し、 さら に は親 子 電話 とな って、 コード
を 延ば せば 子 ど も た ち の個 室 にも 持 って いく こと が でき る よ う にな ろう。 そ し て こ の コード の 延 長が 、 現 在 の コード レ ス電 話 へと つなが って いく の であ る。
か つて電 話 が しば しば 玄 関 に置 かれ て いた の は、 決 し て偶 然 で はな い よう に思 われ る。 なぜ
な ら電 話 は、 家 族 のな か の 一人 ひと り を直 接 、 外 部 の社会 関係 へと 接 続 さ せ て いく メデ ィア で
あ る。 私 た ち は電 話 を し て いると き 、物 理的 に は家 のな か に いても 、 意 識 と し て は家 から 出 て、
相 手 のと こ ろ に行 ってし ま って い る。 ま た見 知 ら ぬ者 も 、声 と いう か たち で電話 口から 自 由 に
家 庭 のな か に侵 入 し てく る こ とが あ る。 つま り電 話 は、 家庭 と いう 共 同 体 的空 間 のな か で玄 関
や 勝 手 口と 同様 の ︿境界 ﹀ の機 能 を 担 って いる。 だ から こそ、 こ のよう な役 割 に最 も ふさ わ し
い出 入 口 の位 置 に電 話 は置 か れ てき た の であ る。 む ろ ん、 呼 び出 し等 の た めと いう こ とも あ っ
た ろうが 、 同時 に私 たち は本 能 的 に電 話 と いう メデ ィア の本質 を見 抜 き 、 まず は 共同 体 と し て の家 族 の境 界 空 間 であ る玄 関 など に、 そ れ を 置 いた の で はな か った ろう か。
そ れ では、 こ の電 話が リビ ング、 個 室 と 位 置 を変 化 さ せ てき た こ と は、 い った い何 を意 味 す
る のだ ろ う か。 たと えば 、電 話 が 台 所 や リビ ング に置 かれ るよ う に なり 、 そ の電 話 を使 って息
子 や娘 が 長 電話 をす る よう にな る と、 必ず 生 じ る のが 両親 と の摩擦 であ る。 こう し た 長 電話 を
め ぐ る親 子 の摩擦 には、 も ち ろ ん 電話 料 金 の問 題 や他 の電 話 を した い者 への迷 惑 と いう こ とが
直 接 の理由 と な って いよう が 、 長 電 話 に対 す る家 族内 で の反 感 に は、 そ う し た機 能 的 な 問題 だ
け には還 元 でき な い、電 話 の本 質 に根ざ す要 因 も あ る ので はな い かと 思 わ れ る。
電話 を し て い る者 と、 回線 の向 こう側 の者 と の間 には、 あ る種 の ︿声 ﹀ の共 同 性 が 成 立 し て
い る。 そ し て こ の共 同性 は、 それ 自 体 は 見 え な い にし ても、 居 間 の片 隅 で受 話 器 に笑 いか け る
息 子 や娘 た ち の姿 と し て、 両 親 たち の目 に見 え るも のと し て現 われ て い る。 ま さ に こ の こと が、
る。 か つて テ レビ が 家庭 に侵 入 し て い った とき 、 こ の メデ ィ アは た とえ 幻 想 であ れ ﹁家 族 の団
家 庭 のな か で成 立 し て いる べき も のと さ れ てき た ﹁家 族 の団欒 ﹂ を 不安 にさ ら し て いく の であ
欒 ﹂ を演 出 す るも のと し て作 用 し た の に対 し、 電 話 はむ し ろ家 族 の 一人 ひと り を ﹁個 ﹂ と し て
外 部 の社会 に組 み込 み、 そ のこ とを 目 に見 え る形 で他 の家 族 に示 し て いく のだ。 そ の結 果 、 電
話 を し て いる当 人 のリ アリ テ ィと、 ﹁家 族 の団欒 ﹂ を担 う べ き 両 親 の リ ア リ テ ィと の間 に は、 状 況 の定義 を めぐ る対 立 的 な 関係 が 生 じ る こと と な る。
こ の よう な緊 張 を 回避 す る には 、 お そ ら く 二 つ の方 策 が 考 え ら れ よう 。 一つは、 外 部 と の
︿声 ﹀ の共 同 性 を 成 立 さ せ て し ま う よ う な電 話 を家 庭 内 で禁 止 す る こと であ り、 も う 一つは、
電 話 の空 間 を ﹁家 族 の団 欒﹂ の空 間 から 分 離 す る こ と であ る。 前者 は、 電 話 が ま だ十 分普 及 し
き って おらず 、 そ の頻 度 も 少 な いとき に は有 効 か も し れな いが 、 これだ け 日常 のな か に電 話 が
入 ってき てし ま う と 不可 能 であ る。 し たが って、多 く の家 庭 で電 話 を リ ビ ングだ け でな く、 両
親 の寝 室 や 子ど も 部 屋 にも 置 く よ う にな り 、 ﹁茶 の間 ﹂ と ﹁個 室 ﹂ を分 離 し よ う と す る動 き が
し て いく よ う に な ると き 、家 庭 と いう 空 間 は、 物 理 的 に は閉 じ ら れ て いても 、社 会 空 間 と し て
出 てく る こと は当 然 の帰 結 であ った。 そ し て、 こ のよう にし て個室 が 個 別 に外部 の社 会 に接 続
は分 解 し 、 個室 レベ ル でよ り広 域 的 な 情 報 ネ ット ワー ク の 一部 を成 し て いく こと にな る。
電 子ネ ット ワ ー ク と境 界 の消 滅
こう し た 傾向 は、 今 後 、携 帯電 話 や自 動 車 電 話が い っそう 普 及 し て いく な か でさ ら に進 行 す
る こと と な ろ う。 これ ら の技 術 は、 現 在 電 話が 部 分 的 にも たら し つつあ る傾 向 を 促進 し、 物 理
わけ 、 そ う し た際 に重 要 な のは、 電 話 の最 も 遠 く、 最 も 近 い メデ ィ アと し て の特 性 であ る。 す
的 な 距 離 に依存 し な い パ ー ソ ナ ルな ネ ット ワ ー クを さら に広 範 に都 市全 域 に広げ て いく。 とり
な わ ち電 話 は 、 一方 で は、 地 球規 模 で そ のネ ット ワー クを 拡 大 さ せ 、世 界 の同 時 化 を進 め て い
く メデ ィア であ る。 だ が 他 方 、電 話 は声 を 媒 介 と す る こ と に より 、 対面 的 な 出 会 い以 上 に距 離
のな い関 係 を つく りだ す 。 実際 、 私 た ち は、受 話 器 か ら聞 こえ る声 が 、 ま さ に テ レビ や ラ ジ オ
から 流 れ てく る声 と 同じ 電 気 的 再 生音 にす ぎ な い にも か かわ ら ず 、 そ れ を しば しば 相 手 の ﹁生
の声 ﹂ と し て受 け取 って い る。 対 面的 状 況 で は、相 手 を直 接 、 自 分 の目 で見 る こと によ り、 相
互 の距 離 が 確 認 さ れ る のに対 し、 耳 元 の受 話 機 から 聞 こ え てく る声 は 、相 手 と の距 離 の測 定 を き わ め て困 難 にし、 社 会 的 な 距 離が 不確 定 な 関 係 を つく りだ す の であ る。
電 話 コミ ュニケ ー シ ョン に お いて、 空 間 は 無 であ る と 同 時 に無 限 であ る。 さ ら に、 こ の コ
ミ ュ ニケ ー シ ョン の内 部 では 、準 拠 す る リ アリ テ ィを外 部 にも たな い独 特 の時 間 が 流 れ て いる。
も う 一度 大 学 生 た ち の記 述 を 借 り れば 、 あ る女 子学 生 は 長電 話 に つい て、 ﹁電 話 を し終 わ った
後 、 何 の話 を し た か な と考 え て み ても 大 し た話 はし て いな い のです が 、 そ れ でも 電 話 を し て い
る最 中 はと ても 楽 し い の です ﹂ と 語 り 、 ま た別 の女 子 学 生 は、 ﹁電 話 で の話 題 は、 実 際 に自 分
が いる 場所 や時 間 と は異 な る時 空 を持 って いる。 そ こ で展 開す る話 に没 頭 し て いるう ち に、 い
る﹂ と述 べ て い る。 電話 は、 空 間 のあ り方 だけ でな く 、 時 間 の流 れも 変 え て いく のであ る。 こ
わ ば そ の世 界 に ト リ ップ し て し ま い、 ふと 我 に帰 って み て現 実 の自 分 の所 在 に違 和 感 を感 じ
の よう な コミ ュ ニケ ー シ ョン のあ り方 が 、 電話 を かけ て いる 場所 を脱 コンテ ク ス ト化 し、 ど こ でも な い場所 へと変 容 さ せ て いく のだ 。
こう し て電話 は、 住 居 や都 市 の各 所 に浸 透 す る な か で、 社 会 の任 意 の場所 を 一瞬 にし て つな
ぎ 、 物 理 的 な 共在 や隔 離 の意 味 を な しく ず し にし て いく 。 こ のよ う な作 用 は、 住 居 内 の個 々 の
部 屋 、 あ る いは 都市 の諸 々 の空 間が 、 そ の空 間 的 な 配置 や地 理 的 な 位置 か ら く る条 件 を 逃 れ、
し だ いに そ の場 所 と し て の規 定 を あ いま い化 さ せ て いく動 き と結 び つい て いる。 電 話 を はじ め
と す る情 報 網 が 十 分浸 透 し た都 市 にあ って は、 家 庭 、職 場、 盛 り 場 と い った空 間 的 区 分 が 溶解
し、 さ まざ ま な 社 会 空 間が 、 そ の物 理 的位 置 に はそ れ ほど規 定 され な いよ う な仕 方 で再 編 成 さ れ て いく 可能 性 も 予 見 さ れ る のであ る。
か つて マク ルー ハンは 、電 話 の浸 透 によ り、 線 型 的 、 視覚 的、 階 級 組 織 的 な 権威 の構 造 が 解
体 し、 彼 が ﹁知 識 の権 威 ﹂ と 呼 ぶ 非線 形 的 、 非 視覚 的 、 包 括 的 な 権 威 の構 造 に よ って社 会が 組
織 さ れ て いく よ う にな る と述 べ た。 電 話 に お い て は、 ﹁ 少 な く と も こ の地 球 の時 間 と空 間 に関
す る限 り は、 周 辺 と いう も のが 存 在 し な い。 従 って、 対話 は多 く の セ ン タ ーと セ ンタ ーと の間 、
多 く の等 し い力 を も つも のど う し の間 に し か起 こ り 得 な い﹂ と いう わ け であ る ︵﹃メデ ィア論﹄
みすず書 房、 一九 八七年︶。 こ の マク ルー ハン の言 明 のす べ て を認 め るわ け で はな い に せ よ、 電
話 メデ ィ アに よ る脱 コンテ ク スト化 さ れ た空 間 の拡 大 は 、 こ れ ま で体 験 さ れ てき た物 理的 な 環
の次 元 で繰 り広 げ ら れ る 相 互作 用 は、 たし か に マク ルー ハン の予 言ど おり 、 距 離 の遠 近 法 を無
境 と し て の都 市 の時 間 や空 間 を、 異 質 な 次 元 へと移 行 さ せ て いく力 を 内 包 し て いる。 そ し てそ
効 にし、 線 型 的 な 時 間意 識も 解 体 し て いく かも しれ な い の であ る。
も ち ろ ん、 こう した 変 化 は電 話 だ け で起 こる わけ で はな い。 八 〇年 代 を 通 じ 、 いわ ゆ る高 度
情 報 化 のな か で登 場 し てき た さ まざ ま な 新 し い電 子 メデ ィアも 、 電話 と同 様 の作 用 を空 間 に対
し て及ぼ し、 そ の全 体 の結 果 と し て、 都 市 のな か の諸 々 の場 所が 、物 理的 な 境 界 性 を あ いま い
に し て いく の であ る。 これ ま で長 く、 社 会 的 結 合 と 分離 の基 礎 と な ってき たさ ま ざ ま な物 理的
な ﹁壁 ﹂ が 、急 速 にそ の意 味 を消 失 さ せ てき て いる今 日、 私 たち は過 激 に イ ンプ ロージ ョンす
る電 子 ネ ット ワー クと か かわ り なが ら、 いかな る新 た な社 会 的 結 合 を醸 成 さ せ て いく ことが で き る のであ ろ う か。
山梨 県 上 九一 色 村 の オ ウ ム真 理 教 施設 ( 毎 日新 聞 社 提供 )
われわれ自身のなかのオウム
日常 性 と し て の オウ ム事 件
あ の地 下鉄 サ リ ン事 件 が起 き て から す で に 二 ヵ月 あ ま り 、 わ れ われ は いま な お 恐怖 の政 治 学
の展 開 過 程 のな か に い る。 こ のプ ロ セ スを 進 行 さ せ て い る の は、 ど こ ま で オウ ム教 団 であ り、
国家 であ り 、 マス コミ であ り 、 さ ら に はわ れ わ れ自 身 な のか。 出来 事 に はあ ま り に多 く の矛 盾
す る要 素 が 錯 綜 し てお り、 容 易 に明確 な像 を 結ば な い。 た し か に マス コミ は、 狂 気 のカ ルト教
団 と威 信 を かけ た 警察 ・検 察 と の対 決 と いう周 知 の構 図 を描 き 、 そ の背 後 の ﹁闇 ﹂ の有 無 を取
り沙 汰 し てき た。 ま た 、 テ ロリズ ム の恐怖 に晒 され た市 民社 会 を 守 ると し て、 む き だ し の暴力
装 置 と し て の国家 が せり出 し ても き た 。首 都 圏 の駅 や 電車 で聞 か ぬ 日 のな い不審 物 に対 す る 注
7月
1995年
意 を促 す ア ナ ウ ン ス、 あ る い は洪 水 のよう な オ ウ ム報 道 は、 いま 、 日本 人 の日常 意 識 を大 き く
変 え つ つあ る のか も し れな い。 こう し た諸 々 の ことが 進 む 一方 で、事 件 全 体 と し ては おぞ ま し
さ と 不 可解 さ の印象 が 残 り 、 わ れ わ れ はそ のな か でただ 控 然 と す る のみ で、 いま な お 問題 の焦 点 を見 通 す よ う な構 図 を 十 分 に つか めず に い る。
今 回 の オウ ム真 理教 事 件 を 考 え る た め に は、 少 な く とも 三 つの水準 を区 別 し てお く 必要 が あ
一連 のテ ロリズ ム の背 後 関 係 な ど 、 いまだ 解 明 さ れ て いな い事柄 が多 いが 、 こ の点 に つ いて私
る。 第 一は、 犯罪 事 件 と し て の水準 。 拉 致 監禁 事 件 と サ リ ン事 件 、 こ の二 ヵ月 ば か り に起 き た
は何 ら語 る べき言 葉 を 持 た な い。 今 後 の捜 査 と裁 判 を通 じ、 でき う る かぎ り 冷 静 で正確 な事 実
の確 定 が な さ れ る こと を 望 む だ け であ る。 第 二 に、 宗 教 と し て のオ ウ ム真 理 教 と いう 問題 の水
準 が あ る。 た と えば 島 薗 進 は、 オウ ム事 件 のな か に宗 教 教 団 の ﹁内 閉 化 ﹂、 す な わ ち 教 団 が 外
部 社 会 と の敵 対的 関 係 を 保 ち つづ け る方 向 に自 ら を追 い込 ん で いく動 き の ひと つの帰 結 を 見 て
いる ︵毎日新聞 一九九 五年四月五日︶。 こ のよ う に、 こ の水 準 に お いて は現 代 日本 の宗 教 教 団 の
あ り方 や 教義 、 そ し て何 よ り も、 オ ウ ム真 理教 団が 本 当 に地 下鉄 サ リ ン事 件 を宗 教 的 実 践 と し
て確 信 犯 的 に起 こ し た のだ と す る なら ば 、 こ の無 差 別 テ ロ行為 の ﹁宗 教 性 ﹂ の質 が 論 じら れ な
けれ ば な ら な い。 と は いえ私 は、 こ の水 準 にお いても 、 さ し あ た り何 も 語 る能力 を持 って は い
な い。今 回 の出 来 事 に つい て私 が 何 か語 り う る とす るな らば 、 そ れ は第 三 の、現 代 日本 人 の意
識 、 あ る いは 日常 性 の構 造 を 照 ら し出 す鏡 と し て のオ ウ ム事 件 と いう 水 準 にお いて であ る。
オ ウ ム真 理教 事 件 は、 決 し て いわゆ るき わ め て特 殊 な カ ル ト教 団 の起 こし た 理解 不能 な 狂 気
な ので はな い。 こ の事 件 は、 さ まざ まな 意 味 で今 日 の日本 社 会 の日常 に べ ったり と連 続 し て い
る。 す で に栗 原 彬 が 朝 日新 聞 ︵一九九 五年 五月 二日︶ で述 べ て い る よう に、 ﹁オ ウ ム は 日 本 社 会
の外 部 の存 在 では な く、 内 部 に生 まれ 、 成 長 し た。 つまり 私 た ちが オ ウ ムに ﹁闇 ﹂ を見 る と し
た ら、 それ は何 ほど か私 た ち自 身 の内 部 の ﹁闇 ﹂ だ 、 と いう こ と に な る﹂。 問 わ れ る べき な の
は 、 こ の オ ウ ム の ﹁闇 ﹂ と わ れ わ れ の ﹁日常 ﹂ と の連 続 性 の構 造 であ る。 そ し て こ の構 造 を問
お う とす るな らば 、 少 な く と も オ ウ ム的 な リ アリ テ ィが 現 代 日 本 のな か で生 み出 さ れ てく る仕
組 みを 、 オ ウ ム の人 び と が 信 じ た物 語 の側 と 、 八 〇年 代 以 降 の メデ ィ ア のな か の オ カ ルテ ィズ ムや超 能 力 の消 費 と いう 側 の、 両側 から 捉 え 返 し て いかな け れ ば な ら な い。
本 論 の標 題 ﹁わ れ われ 自身 のな か の オ ウ ム﹂ と は、 いう ま でも な く第 二次 大 戦 直後 に書 かれ
た マック ス ・ピ カ ー ト の ﹃わ れわ れ 自 身 のな か の ヒト ラ ー﹄ ︵みすず書房、 一九 六五年︶ を下 敷 き
にし て い る。 ピ カー ト は、 ナ チズ ムを ヒト ラ ー の個性 や ナ チ スの組 織 、 諸 々の政 治経 済 的 な要
因 か ら捉 え る の では なく 、 二十世 紀 を 生 き る人 間 全 般 の実 存 の問 題 と し て 示 し た。 ﹁ナ チズ ム
は 、内 面 的 連 関 性 を失 った人 間 の在 り方 を 完 成 し た に過 ぎ な い﹂ の であ って、 こ の、 人間 が 記
た のであ る。実 際 、 も しも そ う で な か った ら 、 ﹁空 無 の世 界 を創 造 す る こと が でき る に し て は、
憶 を失 い、 経験 を断 片 化 さ せ て いく過 程 は、 す で に ヒト ラ ー の登 場 以前 から 確 実 に進 行 し て い
ヒト ラ ー はあ ま り にも 卑 小 な存 在 ﹂ であ った。 残念 なが ら 、 現 段階 の私 に は、 と ても ピ カ ー ト
が ナ チズ ムを め ぐ って し たよ う な洞 察 を 、 今 回 のオ ウ ム問 題 に つい て行 なう こと は でき な い。
だが 、 それ でも ﹁われ わ れ自 身 のな か の オ ウ ム﹂ を問 う こと は、今 回 の出 来 事 を めぐ って なさ
れ る べき 不 可 欠 の作 業 の ひと つであ ろ う。 実 際 、 事 件 のお ぞ ま し さ に比 べ、 麻 原 彰 晃 そ の 人
は、 わ れわ れ に はあ ま り に ﹁卑 小 な存 在 ﹂ に見 え る。 わ れ われ は、 オウ ム教 団 の教 義 や 修行 シ
ステ ム、教 団 構 造 の分析 を し て いく だ け で なく 、 教 団 信者 た ち のリ アリ テ ィ に、 ど の よう な 現
代 社会 の変 容 過 程が 接続 し て いる のか に つ いても 十 分 に洞 察 し て いく 必 要が あ る。
ニ コラ ・テ スラ と ﹁地 震 兵 器﹂
三月 末 以来 の報 道 で明 ら か にな ったな か で、最 も シ ョ ッキ ングだ った こと のひ と つは、 教 団
活 動 の至 ると こ ろ に見 ら れ た科 学 技 術 主 義 であ る。 オ ウ ム真 理教 は、 今 回 の事件 が 起 き るず っ
と以 前 から 、 野菜 を 詰 め たポ リバ ケ ツ に電 極 を 差 し 込 み、 ﹁教 祖 の唱 え る マント ラを 電 気 信 号
に変 換 し て野菜 のカ ル マを落 と﹂ そう と し た り 、 瞑想 中 の高 位 の修 行 者 が 呼 吸 を停 止 でき る こ
と を証 明 す るた め に地下 室 の酸 素 量を パ ソ コン で モ ニタ ー し、 ま た そう し た修 行 者 の脳波 を 測
定 し た グ ラ フを パ ン フ レ ヅト に載 せ ても き た。麻 原教 祖 のDN Aが 複 製 でき ると し て儀 式 のな
か に取 り込 み、 教祖 の脳 波 を 複製 す る と いう ヘッド ギ アを 多 数 の信 者が 被 って い た こと はす で
に周知 のと ころ であ る。 さら に、修 行 のた めと し て使 わ れ た大 量 の薬 物 や、 第 七 サ テ ィ ア ン の
発 泡 スチ ロー ル製 シヴ ァ女 神 像 の背 後 から 姿 を 現 し た化 学 プ ラ ン ト に押 収 さ れ た大 量 の化 学 薬
品 と 発覚 し た軍 事 技 術 の数 々。 近 代 日本 の宗 教 史 で、 こ れ ほど ま で に科 学技 術 に深 く 傾斜 し て
い った 教 団が あ っただ ろ う か。 オ ウ ム教 団 の異 様 な ま で の科 学 技 術 に対 す る ﹁信 仰 ﹂ は、 単 に
な 一側 面 を 照 ら しだ し て いる よ う に思 え てな ら な い。
教 団 幹 部 に理科 系 エリ ー トが 揃 って いた から と いう だ け では説 明 しき れ な い、 こ の宗 教 の重 要
私 が 言 いた い のは、 こう し た科 学 技 術 への強 度 の傾 斜 が 、宗 教 本 来 のあ り方 か ら の著 し い逸
脱 であ ると か、 あ る い は科 学 のと ん でも な い濫用 であ ると か い った こと で はな い。 む し ろ、 近
代 的 な 知 の系 譜 のな か で考 え る な らば 、 オ カ ルト的 宗 教 と 科 学 技術 信 仰 と の結 び つき は、 決 し
て オ ウ ム真 理教 のみ に見 ら れ る も ので はな か った。 西部 邁 が す で に指 摘 し て いる よ う に、 オ カ
ルテ ィズ ム はあ る意 味 で科 学 技 術主 義 の延 長 線 上 にあ る。 す な わ ち、 近 代 オ カ ル テ ィズ ムは科
学 主 義 に特 徴的 な因 果 関 係 への関 心 を極 限 ま で押 し進 め、 人 間 の直 観 や想 念 にお け る事 象 、 科
学 な ら偶 然 と か 誤差 と見 な す も のま でも 因 果 論 的 に説 明 し、 ﹁科 学 的 ﹂ に証 明 し よう と し てき
た。 し たが って、 オ カ ルテ ィズ ムは 近代 科 学 に対 抗 す るも のと いう よ りも 、 科 学 技 術 信仰 のも
う ひと つの顔 であ り 、 ﹁科 学 者 が 様 々な 壁 にぶ つか ったと き に大 い に陥 りが ち な精 神 状 態 ﹂ と も いえ る の であ る ︵ ﹁宗教と暴力﹂、 ﹃ 発言者﹄ 一九九五年 五月号︶ 。
実際 、 十 八世 紀 末 の フラ ン スで大 流行 す る メ スメ リ ス ムは電 気 や 磁気 に対 す る人 び と のイ マ
ジ ネ ー シ ョンを 利 用 し なが ら 自 ら の ﹁ 科 学﹂ と し て の正統 性 を 主 張 した し、 十 九 世 紀 後 半 の心
霊 主義 では、 降 霊 現 象が 科 学 的 方 法 で検 証 でき る こと が強 調 さ れ、 これ を 写真 に撮 ろう と し た
り、 実 験器 具 で観 測 し よ う とす る試 みが さ か ん に行 な わ れ た。 そ し て こ の時 代 、 科 学 も ま た し
ぼ しば 新 し い技 術 の魔 術的 な イ メージ を 強調 し て い た。 た と えば 、 医 学 では 電気 が 多 様 な 治 療
効 果 と 結 び つけ られ 、 電 気的 な治 療 に よ って癌 細 胞 の発 達 を止 め て おく ことが でき る と か、 高
周波 の電 流が 糖 尿 病 や痛 風 、 リ ウ マチ、 肥 満 の治 療 に大 き な効 果 を持 つと い った 主張 が 内 科 医
た ち に よ ってな され て い た。 十九 世 紀 、 科 学者 た ち は、 一方 では科 学 の発 展 が魔 術 を駆 逐 し て
いく のだ と し なが ら も 、他 方 で は 科 学 と も 魔 術 と も 区 別 の つか な いさ ま ざ ま な 企 て に 手 を 貸 し、 大 衆 の魔 術 的 興 味 を 引き つけ て い た の であ る。
いささ かグ ロテ スクな 現 代的 意 匠 を 与 え て い った。 実 際 、 一般 の常 識 から す るな らば ま ったく
オ ウ ム真 理教 は、 こう し た近 代 オ カ ルテ ィズ ムに広 く 見 ら れ た科 学 技 術 への過剰 な信 仰 に、
荒 唐 無 稽 に見 え る教 団 の数 々 の発 想 に は、 そ の原 型 を 十 九 世 紀 の科 学 技 術 と オ カ ルテ ィズ ムの
結 び つき にま で遡 れ るも のが 少 な く な い。瑣 末 な例 を 挙 げ るな ら、 PS Iと 呼ば れ た例 の ヘッ
ド ギ アだが 、電 気 技 術が 社会 化 され て いく な か で生 ま れ たさ まざ ま な 工夫 のな か に、 これ と 似
た魔 術 的 アイデ アを 見 いだ す こと が でき る。 た と え ば 、 十 九 世 紀 末 に ロ ンド ン の か つら業 者
は、 シル ク ハ ット の内 側 に電 流 を発 散 さ せ 、 被 って いる人 の頭痛 や神 経 痛 を 和 らげ て発 毛 を 促
せ る﹂ 電 気 ベ ルトを 大 々的 に売 り出 し て いた。 ま た、 前 述 のよ う に教 団 で は、 調 理場 の野 菜 に
進 さ せ る電 気帽 子を 販 売 し、 ア メ リ カ のあ る有 名 百 貨 店 も 、 ﹁男 性 の性 的 エネ ルギ ーを 回 復 さ
電 極 を 差 し 込 み、 教 祖 の声 を 電気 信 号 に変 換 し て送 り込 ん で いたが 、 電 気 刺 激が 穀 物 の生 育 を
助 け 、 有害 な寄 生 動 植 物 を麻 痺 さ せ る効 果 を 持 つと いう 発 想 は 、す で に十 九 世 紀 末 の 一部 の エ レク ト リ シ ャ ンた ちが 信奉 し て いたと ころ であ った。
さら に、 オウ ム教 団 にお け る宗 教 と 科 学 の結合 が 、 十 九 世 紀 の科 学 と 魔 術 の結 合 と 同型 的 で
あ る こと を 示 す 例 のな か には 、 オ ウ ム的 な 思 考 =行 動 パ タ ー ンを特 徴 的 に示 し て いる も のも あ
﹃ヴ ァジ ラ ヤ ー ナ ・サ ッ チ ャ﹄ ︵ 第 八号 ︶ は 、 阪 神 大 震 災 が 人 工 地 震 兵 器 に よ っ て起 こ さ
る 。 た と え ば 、 一時 マ ス コ ミ で も か な り 話 題 に な った ﹁地 震 兵 器 ﹂ も そ の ひ と つ で あ る。 教 団 の雑 誌
れ た も の で あ る ﹁可 能 性 が 極 め て 高 い﹂ と 主 張 す る 。 そ の 際 、 論 拠 と な っ て い る の が 、 ﹁ア メ
リ カ で は す で に 一〇 〇 年 前 に 、 人 工 的 に地 震 を 発 生 さ せ る 実 験 が 行 な わ れ 、 見 事 に 成 功 し て い
る﹂ と い う 彼 ら の 認 識 で あ る。 こ の 実 験 を 行 な っ た の は ユー ゴ ス ラ ヴ ィ ア の 天 才 科 学 者 ニ コ
ラ ・テ ス ラ で 、 彼 が ニ ュー ヨ ー ク の研 究 所 で 機 械 振 動 子 に共 鳴 現 象 を 起 こ さ せ て い た と き 、 振
動 は ど ん ど ん 大 き く な り 、 ビ ルを 崩 す か と 思 わ れ る ほ ど 揺 ら し 、 さ ら に は ﹁マ ン ハ ッ タ ン の 一
角 に奇 妙 な 音 が と ど ろ き 、 激 し い 震 動 が 発 生 。 窓 ガ ラ ス が 粉 々 に 崩 れ 、 蒸 気 ・ガ ス ・水 道 な ど の パ イ プ が 各 所 で 次 々 と 破 壊 さ れ て い った ﹂ と いう 。
ニ コラ ・テ ス ラ は 実 在 の電 気 科 学 者 で 、 交 流 の送 電 シ ス テ ム や 高 周 波 変 圧 器 の発 明 者 と し て
知 ら れ て い る 。 遠 隔 無 線 操 縦 や 高 周 波 照 明 、 X 線 装 置 な ど の 開 発 に も 従 事 し 、 エジ ソ ンと と も
に ノ ー ベ ル賞 候 補 に な った こ と も あ る 。 ま た 、 無 線 通 信 や ラ ジ オ 放 送 の 実 用 化 を 最 初 に 試 み た
の も 、 通 説 に あ る マ ル コー ニや フ ェ ッ セ ン デ ン、 ド ・フ ォ レ ス ト で は な く 、 テ ス ラ そ の 人 で
あ った と も 言 わ れ る 。 死 後 、 テ ス ラ の 名 は し ば ら く 無 視 さ れ て い た が 、 一九 八 〇 年 代 以 降 、 本
ス テ ム は も ち ろ ん 、 人 工 地 震 兵 器 、 気 象 コ ン ト ロー ル装 置 、 殺 人 光 線 、 粒 子 ビ ー ム兵 器 、 エネ
格 的 な 再 評 価 の動 き が 起 き て い る 。 そ う し た な か で 、 テ ス ラ が 構 想 し た 発 明 に は 、 空 中 送 電 シ
ルギ ー ・シ ー ルド 、 無 限 エネ ル ギ ー 装 置 な ど も 含 ま れ て い た と い う 議 論 が あ る 。 こ れ ら の構 想
が 喚 起 す る魔 術 的 な イ メ ージ や天 才 肌 の気 質 と神 秘 主 義 的 傾 向 、華 麗 な電 気 の パ フ ォー マン ス
から 、 テ スラ は数 多 く の逸 話 や伝 説 を 生 ん でお り、 そ のた め多 く のSF マ ニアや オカ ルト雑 誌
の関 心 を集 め てき た。邦 訳も され たジ ョン ・ マル コムの小 説 ﹃テ スラ の最 終 兵 器 ﹄ ︵ 扶 桑社、 一
八〇 年 代 、 ﹃ト ワイ ライ ト ゾ ー ン﹄ ﹃ムー﹄ ﹃A Z﹄ ﹃パ ワ ー ス ペ ー ス﹄ と い った オ カ ルト 系 雑
九 八九年︶ で は、 テ スラが 残 し た電磁 バ リ ア装 置 を めぐ って米 ソ英 が 三 つ巴 の争 奪 戦 を 演 じ る。
誌 で テ ス ラ のこ とが さ か ん に紹 介 され 、 彼 の名 は 日本 でも 、 これ ら の雑 誌 の読 者 には き わ め て 馴 染 み深 いも のとな って いた よ う であ る。
オ ウ ム によ る 阪神 大 震 災 =地震 兵 器 説 から 知 るこ とが でき る の は、教 団幹 部 た ちが 、 いか に
テ スラ の よう な 人物 の構 想 に没 頭 し て いた かと いう点 であ る。 新 戸 雅章 の ﹃ 超 人 ニ コラ ・テ ス
ラ﹄ ︵ 筑摩書房、 一九九 三年︶は、 テ ス ラ の生 涯 を最 近 の海 外 で の研 究 成 果 を 踏 ま え てま と め た
研究 で、 前 述 のオ ウ ム教 団 に よる 記述 の種 本 にも な って いるも のだ が 、 これ を読 むと 、 地 震兵
に見 え る。 たと えば 十九 世 紀 末 に は、熱 力 学 第 二法 則 に影響 され 、 人 類 は エント ロピ ー の増 大
器以 外 にも オ ウ ム の科 学 技 術 に対 す る イ メージ の いく つかが テ スラ のそ れ に呼応 し て い る よう
によ って宇 宙 と と も に滅 び る と の終 末 論が 流 行 す るが 、 テ ス ラは こう した 終 末 を 人間 の創 意 と
工夫 によ って科 学 的 に乗 り切 れ る と 主 張 し た 。 す な わ ち 、 ﹁彼 は そ の目的 を達 成 す る た め に、
宗 教 、道 徳 、 体 操 、 個 人 の清 潔 、 予 防 薬 、純 粋 な水 、 菜 食 主義 など を 推 奨 す る。 反対 に、 ギ ャ
ンブ ル、 過度 の労 働 、 ウ ィ スキ ー、 ワイ ン、紅 茶 、 コー ヒー、 タバ コ、 そ し て家 事 と 出産 以 外
の女 性 の仕 事 は否 定 さ れ る。 そ し て飢 餓 を 解決 す る た め、 テ スラ コイ ルの放 電 によ って窒 素 酸
化 物 を 大 量 に生 産 し、 これ を 肥 料 に利 用 し て食 料 を 増 産 す る よ う提 案 し て い る﹂。 ど こ か、 オ
ウ ム の化 学 プ ラ ント計 画 を 思 わ せ る よう な 内容 であ る。
TB S の報道 に よれ ば 、 オウ ム教 団 自 治 省 の幹 部 六人 が 、 今 年 二月 に ユー ゴ スラヴ ィ ア に渡
り、 ベ オグ ラー ド のテ スラ博物 館 に連 日 こも って研 究 を 続 け 、 未 公 開資 料 ま でも 整 理 す る と博
め た の は、 お そ ら く十 九 世 紀 末 の科 学 技 術 史 を 再考 す る た め の史 料 でも な け れば 、 テ ス ラ に つ
物 館 側 に申 し 出 て いたと いう 。 一見、 ま る で歴 史研 究 者 のよう な 行 動 だが 、 彼 ら が 博 物館 に求
いて の伝 記 的事 実 でも な い。 オウ ム教 団 の人 び と は 、最 初 は オ カ ル ト系 の雑 誌 を 通 じ て テ スラ
の伝 説 を 知 り 、 こ こ に彼 ら が 学 ん でき た大 学 の科 学 の世 界 と は異 な る 、 も っと秘 術 的 な 科 学 の
水脈 を感 じ て のめ り込 ん で い った ので はな いだ ろう か。 そ し て、 日本 で入手 でき る知 識 だ け で
は飽 き 足 ら な く な り 、 ユー ゴ ス ラヴ ィ アま で出 か け て ﹁原 典 ﹂ に当 た ろ う と し た の で は な い
か。 そ の際 、 テ ス ラ自 身 が ﹁兵 器 の アイデ アに没 頭 す る よ う な無 邪 気 な 一面 も持 ち合 わ せ て い
た﹂ こ と は、 教 団幹 部 た ち の マ ニア ックな欲 望 を 大 い に刺 激 し た であ ろ う。 さ ら に言 う な ら 、
地震 兵 器 であ れ 、 殺 人光 線 や粒 子 ビ ー ム兵 器 であ れ 、彼 ら は そ のテ スラ研 究 を通 じ て獲 得 した 兵 器 の アイデ アを 本 気 で実 用 化 し よう と考 え て いた よう にも 思 わ れ る。
教団信者と ﹁ 知 識﹂ の消 費
テ ス ラ に対 す る オウ ム の人 々 の傾 倒 は、 オウ ム的 な 知 識 のあ り よう を 象 徴 的 に示 し て いる よ
う に見 え る。 た と えば こ こ で、 一連 の事 件 の焦 点 であ る ﹁サ リ ン﹂ に つ い て考 え て み よ う。
﹃ニ ューズ ウ ィー ク﹄ 誌 の九 五 年 四 月 五 日号 は、 サ リ ンが ﹁あ る意 味 で決 し て テ ロ向 き の兵 器
では な い﹂ と 指 摘 し て いる。 製 造 には 本格 的 な 設 備 が 必 要 で かな り厄 介 、 取 り扱 いに は危 険 が
伴 い、運 搬 にも 相 当 の工夫 が 必要 であ る。 と こ ろが 電車 内 で の殺 傷 力 は、 単 純 な爆 弾 と変 わ り
が な い。 し か し、 サ リ ン は同 時 にき わ め て 重 大 な劇 的 効 果 を 持 つ。 ﹁通 常 兵 器 でも 、 場 合 に
よ ってはも っと多 く の人 間 を殺 せ るだ ろ う。 だが 相 手 に与 え る 心 理的 シ ョ ックは 比較 にな ら な
い﹂ と 、 同誌 は言 う 。 し か も サ リ ンは、 一般 にナ チ スが 開 発 し た兵 器 と し て知 ら れ て いる。 あ
く ま で推 論 の域 を 出 な いが、 オ ウ ム教 団 の サリ ン への強 い こだ わ り の背 景 と し て、毒 ガ スの持
つこう し た記 号 性 を 配 慮 に入 れ て おく 必 要 があ る ので はな いだ ろ う か。 オ ウ ム的 な 思考 様 式 と
行 動 様 式 を考 え る とき 、 テ ス ラと 地震 兵 器 に対 し て と った のと 同様 の態 度 を 、 ナ チ スと化 学 兵 器 に対 し てと った 可能 性 は あ る かも しれ な い。
これ と の関係 で注 目 し てお き た い のは、 前 述 の ﹃ト ワイ ライ トゾ ー ン﹄ や ﹃ム ー﹄ と い った
オ カ ルト雑誌 で、 ヒト ラ ーと ハル マゲド ンの予 言 と い った テ ー マが好 ん で取 り 上 げ ら れ て いた
こ と であ る。 た と え ば 、 ﹃ムー﹄ の 八 三年 二月 号 で は、 ﹁魔 術 師 ヒ ト ラ ーと 大 予 言 の謎 ﹂ と い
う特 集 が 組 ま れ て いる。 こ のな か で は、 ヒト ラ ーが ド イ ツ第 三帝 国 を築 いた の は ﹁奇 跡﹂ によ
るも のであ り 、 ヒト ラ ー の ﹁誕 生 か ら そ の死 ま で、 いや 再生 ま で﹂ が ノ スト ラダ ム スによ って
予言 され て い たと いう主 張 が 展 開 さ れ て いる。 そ し てこ れが 、 超 能 力 者 イ ル ル マイ ヤ ーは ﹁恐
怖 の ハル マゲド ン =第 三次 世 界 大 戦 は 一九 八 八年 に始 ま る﹂ と予 言 し たと いう論 点 と 結 び つけ
ら れ 、 ヒト ラ ー の再来 を待 望 す るか のよ う な言 いま わ しが な さ れ て いく の であ る。 こ の 一九 八
八 年 の ハル マゲ ド ン で は 、 毒 ガ スが 大 量 に 散 布 さ れ 、 中 性 子 爆 弾 が 用 いら れ 、 自 然 災 害 や 気 象
異 変 が 続 発 す る 。 こ の よ う な 破 滅 の イ メ ー ジ が 、 ﹁世 界 は い ま 、 混 迷 状 態 に あ る ﹂ と い っ た 現
状 認 識 と 結 び つけ ら れ る の だ 。 オ ウ ム の終 末 観 は 、 直 接 に ヨ ハネ 黙 示 録 に 由 来 す る と いう よ り
も 、 彼 ら の 毒 ガ ス や 核 兵 器 に 対 す る 発 想 も 含 め 、 オ カ ル ト 雑 誌 や 同 様 の メデ ィ ア の な か で 呈 示 さ れ た イ メージ と強 く結 び つい て いた よう に思 わ れ る。
さ ら に 言 う な ら 、 こ の よ う な 知 識 へ の か か わ り は 、 そ も そ も オ ウ ム真 理 教 と チ ベ ッ ト仏 教 の
関 係 にも 見 ら れ た の で は な いだ ろ う か 。 こ の点 に 関 し 、 江 川 紹 子 は ﹃救 世 主 の野 望 ﹄ ︵ 教育史料
出 版会 、 一九 九 一年 ︶ の な か で 、 チ ベ ッ ト 仏 教 に 詳 し い 小 野 田 俊 蔵 の言 葉 を 借 り つ つ興 味 深 い指
は ま る で ﹁欧 米 の 白 人 た ち が と ら え た 仏 教 を 、 逆 輸 入 し て い る ﹂ か の よ う な の だ 。 た と え ば 、
摘 を 行 な って い る 。 小 野 田 は 、 オ ウ ム 真 理 教 に は ﹁す ご く 西 欧 的 な 匂 い が す る ﹂ と 言 う 。 そ れ
オ ウ ム の教 え に は カ タ カ ナが や た ら に 多 い 。 カ ル マ ︵業 ︶、 バ ル ド ー ︵ 中 陰 ︶、 ク リ ア ー ラ イ ト
︵ 光 明︶、 ボ ア ︵ 転 移 ︶、 グ ル ︵導 師 ︶、 シ ッデ ィ ︵ 成 就 者 ︶、 イ ニ シ エ ー シ ョ ン ︵ 秘儀 伝授︶等 々。
そ れ に ミ ラ ク ル ポ ンド ︵麻原 教 祖 の入 った風 呂 の水︶、 プ ル シ ャ ︵お守 り バ ッジ︶ と い った 教 団 独 特
の 用 語 ま で、 執 拗 に カ タ カ ナ 語 が 氾 濫 し て い る 。 こ の う ち ﹁バ ル ド ー ﹂ と い う 言 葉 が 有 名 に
な った の は 、 ﹃ バ ルド ー ・ト ェド ル ﹄ と いう チ ベ ッ ト仏 教 に 伝 わ る 文 献 の英 訳 が 出 て か ら だ そ う
で 出 版 さ れ て ア メ リ カ で 爆 発 的 に 売 れ 、 一九 七 四 年 に は ア メ リ カ 版 か ら の 邦 訳 も 出 さ れ て い
だ 。 こ の英 訳 書 は 、 ﹃エジ プ ト の 死 者 の 書 ﹄ に 倣 っ て ﹃チ ベ ッ ト の 死 者 の 書 ﹄ と い う タ イ ト ル
る 。 こ の カ タ カ ナ 多 用 の効 果 に つ い て 、 江 川 は 元 信 者 の 次 の よ う な 証 言 を 紹 介 し て い る 。
日 本 で は お 経 と いえ ば 漢 文 だ と 思 い込 ん で い た わ け 。 で も オ ウ ム は カ タ カ ナ だ った 。 そ
れ も サ ン ス ク リ ット 語 な ん か が ポ ン ポ ン出 て く る。 見 慣 れ な い も の って 神 秘 的 に 感 じ る で
し ょう 。 馬 と い う の と 、 英 語 の ホ ー ス、 サ ン ス ク リ ット で ア シ ュヴ ァ って いう の は 、 ま っ
た く 同 じ 意 味 。 だ け ど ア シ ュヴ ア って いう と 、 神 秘 的 で 、 唱 え る だ け で 何 か 不 思 議 な 力 が
出 て く る よう な 気が す る。 そ う いう 不思 議 な ことば が 羅 列 し てあ るん です、 オ ウ ム の教 え
には。 わ か ったよ う な わ から な いよ う な感 じ で、 好奇 心が 旺 盛 な 人 ほ ど 、 そ う いう と ころ に魅 か れ て い っち ゃ う ん で す よ 。
江 川 が こ こ で 浮 上 さ せ る の は 、 ﹁ハ ンバ ー ガ ー 現 象 ﹂ と し て の オ ウ ム の 側 面 で あ る 。 す な わ
ち 、 ド イ ツ の ハ ンバ ー グ が ハンバ ー ガ ー と な って ア メ リ カ で広 が り 、 や が て 全 世 界 で 食 べ ら れ
る よ う に な った のと 同 じ よ う に、 イ ンド や チ ベ ッ ト の宗 教 が ア メ リ カ に 渡 り 、 あ る 種 の ﹁味 つ
け ﹂ を さ れ て普 遍 性 を 獲 得 し 、 世 界 各 地 に 広 が って いく 。 そ う し た プ ロセ スが 、 オ ウ ム の よ う
な 教 団 の 発 展 の背 景 に も あ る の で は な い か と い う こ と だ 。 む ろ ん 、 オ ウ ム の 場 合 、 た ん に ア メ
リ カ 経 由 の ﹁イ ン ド ・チ ベ ッ ト ﹂ の コピ ー だ った の で は な い。 ﹁阿 含 宗 を は じ め と す る 麻 原 氏 の
経 験 や 知 識 が ベ ー ス に あ っ て 、 そ れ に ア メ リ カ 経 由 の イ ンド ・チ ベ ット 系 新 興 宗 教 の 雰 囲 気 を
う ま く 盛 り 込 ん﹂ で い った 。 だ が そ れ に し て も 、 オ ウ ム の若 者 た ち に 対 す る 吸 引 力 の 何 ほ ど か
は 、 彼 ら が こ の ﹁ア メ リ カ ﹂ の 視 線 に捕 え ら れ た ﹁イ ン ド ・チ ベ ッ ト﹂ を 巧 み に 言 説 化 し て い た こと に由 来 し て いた よう に思 う 。
こ の こと は、 オ ウ ム信者 の語 る さま ざ ま な ﹁神 秘 体 験 ﹂ が、 それ ぞ れ の信者 におけ る経 験 的
内 実 は とも あ れ、 少 なく とも 言 語 化 さ れ た水 準 にお い て は、 メデ ィ ア のな か に描 か れ た ﹁体
験 ﹂ の追体 験的 な様 相 を 帯 び る傾 向 が あ る こと と無 関 係 で はな いよ う に思 わ れ る。 た とえ ば あ
る信 者 は、 オ ウ ムに おけ る ﹁身 体 的 リ ア リ テ ィ﹂ に つい て、 ﹁中 沢 新 一さ ん の本 に書 かれ て い
る神 秘 体 験 や、 あ る いは尊 師自 身 が 説 かれ てお ら れ る神 秘 体 験 が、 行 を積 ん で いく と確 実 に追
体 験 でき る﹂ と 語 る ︵﹃ 宝島 30﹄ 一九九五年 六月号︶。 中 沢 新 一の ﹃チ ベ ット の モー ツ ァル ト﹄ ︵せ
りか書房︶が 出 版 さ れ 、 若 い知 識 人 の間 にブ ー ムを 呼 ぶ の は 一九 八 三年 のこ と で あ る。 他 方 、
麻 原彰 晃 が ﹁オ ウ ム神 仙 の会 ﹂ を 組織 す る のが 八六年 、 そ の前 年 の 八五年 十 月 の ﹃ト ワイ ライ
トゾ ー ン﹄ で は麻 原 氏 の ﹁空 中 浮 揚﹂ が 大 き く 紹 介 さ れ て いる。 ま た、 当初 は古 代 日本 の霊 石
を 珍重 し た り、 エジ プ ト の神 々を 表 わ す ペ ンダ ントを 売 った り、 占 星 学 に凝 った りと 、 オ カ ル
ト的 な も の に は 一通 り手 を染 め て いた オ ウ ム真 理 教 は、 八 八年 五月 に麻 原 教 祖 が イ ンド へ渡
りわ け 強 調 す る よう にな って い ったと いう。
り 、 ダ ライ ・ラ マや チ ベ ット仏 教 の高 僧 た ち に面 会 し て から 、 チ ベ ット仏 教 と の つなが り を と
チ ベ ット仏教 から テ スラ の地震 兵 器 に至 るま で、 オ ウ ム真 理 教 の人び とが これ ま で自 ら の内
部 にさ まざ ま な知 識 やイ メ ージ を取 り 込 ん でき た過 程 に は、 あ る 共 通 のパ タ ー ンが 見 ら れ る よ
う に思 わ れ る。 た と えば 、 あ る化 学 の専 門 家 は、 オ ウ ム幹 部 たち の化 学 兵 器 や生 物兵 器 への取
り組 み に つい て、 ﹁考 え方 に独 自 性 はま った く な いが 、 公 刊 さ れ た文 献 を 、 非 常 によ く 理解 し、
咀嚼 し て い る﹂ と語 る ︵﹃ AERA﹄ 一九九五年 五月十五日号︶。 同様 のこと が 、 オ ウ ムの地 震 兵 器
から 、 ひ ょ っと した ら チベ ット仏 教 にま で当 て はま る の では な いだ ろう か。 雑誌 や本 な ど の メ
ルま で関連 す る知 識 を寄 せ集 め、 そ のま ま実 践 に結 び つけ る。 ひ と こと で ﹁オタ ク的 ﹂ と 言 っ
デ ィ アか ら得 た マ ニア ックな知 識 の断 片 に固執 し、 専 門 性 と いう点 で はき わ め て徹 底 し た レ ベ
て しま えば それ ま でな のだが 、 歴 史 意 識 や社 会 と の つなが り を欠 落 さ せ たま ま、 高 度 に専 門 的
な 知 識 と実 践 の回路 が 構 成 さ れ て い る。 そ し て こ の回 路 は ﹁解 脱 ﹂ な り、 ﹁救 済 ﹂ な り の手 段
と し て構 成 さ れ、 正 当 化 さ れ て いく の であ る。 麻 原 氏 は、 これ ま でも ﹁超 能 力 の得 ら れな い宗
教 は偽 物 であ る﹂ と か、 ﹁超 能 力 の出 な い修 行 は遊 び であ る﹂ と 公 言 し てき た。 こ う し た チ
ベ ット仏 教 的 と いう より も 、 む し ろ近 代 そ のも のと表 裏 を な す よ う なあ る種 の技 術主 義 的 で目
的 論 的 な 発 想が 、 オ ウ ム の出 発点 か ら ﹁終 末 ﹂ に対す る ﹁救 済 ﹂ にす べ てが 一元 化 さ れ て いく 段 階 ま でを 貫 い て いた の では な いだ ろう か。
上 九 一色 村 の ﹁デ ィズ ニ ー ラ ン ド ﹂
だが 、 こ の よう にオ カ ルト雑 誌 のイ メー ジ の世 界 を 拡張 し、 歴 史 や 社 会 の コンテ ク ストか ら
切 り 取 ら れ た 知 識 の 断 片 に、 そ の も と も と の コ ン テ ク ス ト 以 上 の リ ア リ テ ィ を 与 え 、 あ れ ほ ど
多 く の 人 び と を 巻 き 込 ん で いく こ と が でき た の は 、 い った い い か に し て な の であ ろ う か 。 私 は
こ の プ ロ セ ス の重 要 な 契 機 の ひ と つと し て 、 メデ ィ ア の 問 題 が あ る と 考 え て い る 。 オ ウ ム 真 理
教 は 、 自 ら が あ ま り に情 報 = メデ ィ ア 的 であ る が ゆ え に マ ス メ デ ィ ア と 執 拗 に敵 対 し 、 こ れ を
信 徒 た ち の日常 から 排除 し て い こう と し た よう に思 え る のであ る。 し たが って、 こ の メデ ィア
に媒介 さ れ た リ アリ テ ィ の振 じ れ た関 係 を 明 ら か にし て いく ことが 、 オ ウ ム の技 術 主義 の中 身
を 考 え て いく ひと つの糸 口にも な ろ う。 そ し て、 こ の点 に つい て考 え て いく とき 、 これ ま で取
り 上げ てき た論 点 に加 え て注 目 し てお か なけ れ ば な ら な い のが 、 し ば しば 指 摘 さ れ る彼 ら のS F ア ニメ的 で テ レビ ゲ ー ム的 でも あ る リ アリ テ ィであ る。
オウ ム真 理教 が 繰 り返 す ﹁ハル マゲド ン﹂ の物 語 が 、 ﹃ 宇 宙 戦 艦 ヤ マト﹄ や ﹃ 風 の谷 のナ ウ
シカ﹄ ﹃ 未 来 少 年 コナ ン﹄ ﹃ 北 斗 の拳 ﹄ ﹃幻 魔 大 戦 ﹄ ﹃ A K Ⅰ R A ﹄ と い った 七 〇 年 代 後 半 か ら
八〇 年 代 にかけ て ヒ ットし た SF ア ニメ の物 語 を 取 り 混ぜ たも の であ る こと は、 す で に多 く の
論 者 によ って指 摘 さ れ てき た。 た と え ば 、 ﹃ 宇 宙 戦 艦 ヤ マト﹄ に つ いて み る な らば 、 西洋 風 の
顔 と 名 前 を持 つ異 星 人 が 侵略 者 で、 彼 ら に滅 ぼ され よう と す る 人類 を 日本 人 の精 鋭 が 乗 った戦
艦 ヤ マトが 救済 す ると いう スト ー リ ー は、 ハル マゲド ン で西洋 キ リ スト教 文 明 に東 洋 仏 教 文 明
ヤ マトを 救 った女 王 スタ ー シ ャが 長 い髪が 腰 ま で届 く 長 身 の美 女 であ った こと も、 教 団 の女 性
が 敗 れ 、超 能 力 者 だ け が 生き 延 び て ﹁救済 計画 ﹂ を 実 行 す る と いう オ ウ ム の物 語 に重 な るし 、
幹 部 たち が 揃 って髪 が 長 く す ら り と し て い るこ と と重 な る。 そ し て、 上 九 一色村 の教 団 施 設 の
至 る と ころ に設 置 され た空 気 清 浄 器 の名 が 、 ﹃ヤ マト﹄ に登 場 す る 放射 能 除 去 装 置 ﹁コス モ ク
リ ー ナ ーD ﹂ に由 来 す る こと も 周知 の通 り であ る ︵﹃ AERA﹄ 一九九 五年 四月 二十 四日号︶。 こう
し た点 を 踏 ま え て大 塚英 志 は 、前 述 のS F ア ニメ に、 ﹁読 者 投 稿 欄 で ﹁転 生 戦 士 ﹂ を 求 め る少
女が 続 出 した オカ ルト雑 誌 ﹃ム ー﹄ や そ の周 辺 の刊 行 物 、 そ れ に サバ イバ ルゲ ー ムを含 む ミ リ
タ リ ー 方 面 の お た く 文 化 と い った 、 フ ァ ミ コ ン 登 場 以 前 の お た く 領 域 を 加 え れ ば ほぼ 、 オ ウ ム
一九九 五年 六月 号 ︶。
の 人 々 の世 界 観 の外 郭 は 描 け て し ま う ﹂ と 総 括 し て い る ︵﹁わ れ ら の時 代 の オ ウ ム真 理教 ﹂、 ﹃ 諸 君﹄
こ の よ う な S F ア ニ メ と の つな が り は 、 オ ウ ム 信 者 た ち の入 信 動 機 や 教 団 内 で の 経 験 にも 広
く 認 め ら れ る 。 た と え ば 、 大 学 の 電 気 工 学 科 に 在 籍 し て い た 当 時 に 漫 研 に 入 り 、 池 上 遼 一み た
﹃ 伝 説 巨 神 イ デ オ ン﹄
﹃ 空手バ カ
﹃ト ワ イ ラ イ ト ゾ ー ン﹄ な ど の愛 読 者 で も あ った と い う 。 社 会 に 出 て か
いな 絵 を志 し た こと も あ る 三十 七 歳 の信 者 は、 ﹃ 機 動 戦 士 ガ ンダ ム﹄ や が 好 き で 、 ﹃ム ー ﹄ や
ら 六 年 後 、 彼 は ﹁本 当 に こ の ま ま で い い の か 、 修 行 を し て み た い﹂ と 思 い 、 ま ず は
一代 ﹄ の 大 山 倍 達 の 山 ご も り を 考 え る が 、 ﹁極 真 は し ん ど そ う だ ﹂ と 思 い、 ﹃ト ワ イ ラ イ ト
ゾ ー ン﹄ に 出 て い た 麻 原 氏 の連 載 記 事 を 見 て 説 法 を 聞 き に い く 。 出 家 後 、 し ば ら く 麻 原 教 祖 の
ル マゲ ド ンを ﹁わ く わ く し な が ら ﹂ 待 ち 、 ﹁オ ウ ム は 地 球 の命 運 を か け た 最 後 の 救 済 の 船 だ と
運 転 手 を や っ て い た と き 、 車 の な か で ﹃宇 宙 戦 艦 ヤ マト ﹄ の 歌 を 一緒 に 歌 っ た こ と も あ り 、 ハ
信 じ て い る ﹂。 ﹁私 、 自 分 の中 で も う イ メ ー ジ が で き て る ん で す よ 。 世 紀 末 に な る と 、 麻 原 尊
師 が た く さ ん の真 理 勝 者 を 従 え て、 天 か ら 降 り て く る ん で す 。 そ う い う 奇 跡 の イ メ ー ジ が 、 自
分 の中 に あ る ん で す よ ﹂ と い う こ の信 者 の 発 言 を 紹 介 し つ つ、 取 材 を し た 岩 上 安 身 は 、 自 分 が
ア ニ メ の主 人 公 に な り う る 瞬 間 を 胸 躍 ら せ な が ら 心 待 ち に し て い る 信 者 は お そ ら く 彼 ば か り で
は な い だ ろ う 、 と 書 い て い る ︵﹁麻 原彰 晃 を 信 じ る人 々﹂、 ﹃ 宝 島 30﹄ 一九九 五年 六月 号 ︶。
オ ウ ム 真 理 教 の 世 界 は ま た 、 S F ア ニ メ的 で あ る と い う 以 上 に テ レ ビ ゲ ー ム 的 で も あ る。
ホ ー リ ーネ ー ムを与 え ら れ、 お布 施 を 重 ね 、 修 行 を 積 み、 イ ニシ エー シ ョンを 受 け る こと に
よ っ て パ ワ ーが 増 し 、 や が て は 解 脱 し て ﹁救 済 計 画 ﹂ の戦 土 た ち に な っ て い く と いう 物 語 の シ
ス テ ム は 、 ゲ ー ム の 主 人 公 に名 前 を 与 え 、 数 々 の ア イ テ ム を 揃 え な が ら パ ワ ー を 増 し て 魔 界 の
呪 縛 を 解 い て い く ロ ー ル プ レ イ ン グ ゲ ー ム の世 界 と 同 型 的 であ る 。 教 団 が 新 し い信 者 の た め に
用 意 し て い る 三 つ の修 行 コ ー ス、 ポ ア ・ コ ー ス、 シ ッデ ィ ・ コ ー ス、 ヨ ー ガ タ ン ト ラ ・ コ ー ス
は 、 ゲ ー ム を 開 始 す る 際 に 選 択 す る 物 語 の ヴ ァ リ エー シ ョ ン と い った 観 が あ る 。 問 題 の お 布 施
の シ ス テ ム や イ ニ シ エー シ ョ ン 、 数 々 の 薬 品 類 や 化 学 兵 器 、 地 震 兵 器 と い った も の ま で も 含
め、 こ の仮 想 的 な世 界 にあ っては、 モノや 出 来事 が 社 会 関 係 的 な コンテ ク ストか ら乖 離 し て、
ま る で ブ ラ ウ ン管 上 で 選 択 さ れ る ア イ テ ム の よ う な 姿 を 呈 す る 。 実 際 、 教 団 科 学 技 術 者 の中 枢
に い た 故 村 井 秀 夫 は 、 大 学 に い た 頃 か ら コ ン ピ ュー タ ソ フ ト を 作 る 技 術 に は 抜 群 の 才 能 を 示
し 、 ﹁夜 遅 く ま で コ ン ピ ュー タ に か じ り つ い て ソ フ ト を 作 って い た 。 と く に ゲ ー ム ソ フ ト は 、
面 白 い も の ば か り ﹂ で あ った と い う が 、 こ う し た 彼 の ゲ ー ム ソ フ ト に 対 す る 想 像 力 の あ り 方
と 、 教 団 内 で の 諸 々 の科 学 技 術 に 対 す る 信 者 た ち の か か わ り 方 の 間 に は 、 ほ と ん ど 明 確 な 境 界 線 を引 く こ とが でき な い ので はな いだ ろ う か。
以 上 の よ う な オ ウ ム真 理 教 に お け る リ ア リ テ ィ の 特 質 を 早 く か ら 指 摘 し て い た の は 島 田 裕 巳
で あ る ︵﹁オ ウ ム真 理教 はデ ィズ ニー ラ ンド であ る !﹂、 ﹃いま ど き の神 サ マ﹄別 冊 宝 島 一 一四 、 一九 九 〇
年 ︶。 こ の と こ ろ オ ウ ム 側 に 加 担 し た と し て 攻 撃 さ れ て い る 島 田 だ が 、 一九 九 〇 年 に 書 か れ た
氏 の オ ウ ム真 理 教 論 は 、 教 団 に お け る 現 実 感 覚 の 構 造 を 考 え る う え で多 く の 示 唆 を 含 ん で い
る。 島 田 は そ こ で、 オ ウ ム の信 者 にな る と いう こ と は 、 ビ ック リ マン の シー ルを集 め た り、
フ ァミ コ ンの ﹁ド ラク エ﹂ に没 頭 す る こと 、 あ る いはデ ィズ ニー ラ ンド の ア ト ラ ク シ ョン の世
界 に浸 る こと と 同 一平 面 で起 き て いる現 象 な のだ と指 摘 し た。 デ ィズ ニー ラ ンド は単 な る遊 園
地 で はな く 、外 部 の現 実 世 界 と は違 う ﹁お伽 の国﹂ であ る こと が前 提 と され 、 入 園者 た ち にも
そ こが 本 物 のお 伽 の国 であ る か のよう に ふ るま う こ とが 要 求 さ れ て いる。 島 田 によ れば 、 同じ
よう に オ ウ ム真 理教 が 宗 教 と し て成 立 す る た め には、 信 者 たち は麻 原教 祖 が ﹁最 終解 脱 者 ﹂ で
あ る と いう 前 提 を認 めな け れ ば な ら な い。 そ し てこ の前 提 から 出 発 す る約 束 事 の世界 で、 信 者
た ち は終 末 が 近 づき つ つあ る こと を さ まざ ま な 予兆 か ら解 読 し て戦 士 と し て自 覚 を持 ち、 修 行 によ って超 能 力 を身 に つけ て いく のであ る。
オ ウ ムと デ ィズ ニー ラ ンド の同型 性 は し かし 、 ど ち らも 一定 の約束 事 を前 提 に成 立 し て いる
フィク シ ョナ ルな リ ア リ テ ィの世界 であ ると いう点 にとど ま るも ので は な い。 デ ィズ ニー ラ ン
ド の重 要 な 特 徴 は、 デ ィズ ニー の映画 や テ レビ 番組 と い った映 像 メデ ィア のな か のヴ ァー チ ャ
ルな世 界 を 三次 元化 し、 人 び とが お のれ の身 を ま る ご と置 い て いく こ とが でき る よう な幻 影 の
空 間 を実 際 の地 理的 空 間 の 一部 と し て出 現 さ せ てし ま った点 にあ る。 オ ウ ム真 理 教が 熊 本 県 波
野村 や山 梨 県 上 九 一色 村 でや って い った こと も 、 そ こで演 じ ら れ る物語 の性 格 や 組織 のあ り方
の著 し い違 い にも か か わ らず 、 少 な く とも リ ア リ テ ィ のこう し たヴ ァ ーチ ャ ルな な り た ち と い
う点 では、 東 京 デ ィズ ニー ラ ンド で起 き た こと と 共 通す る側 面 を 持 って いた よう に思 わ れ る。
つま り、 これ ら の施 設 は、 S F ア ニメ の終 末 イ メ ージ や ﹁救 済 計 画 ﹂ を実 行 す る戦 士 のイ メー
ジ 、 さ まざ ま な オ タ ク的 知 識 の集 積 を 三次 元 空 間化 し、 それ ま で メデ ィ アのな か のイ メー ジ の
世 界 こ そ リ ア ル であ る と感 じ てき た人 び と が 、自 ら の身 体 を そ のな か に置 き 、 そ の閉 じ た リ ア リテ ィを再 確 認 し て いく こと が でき る よう にし て いた ので はな いだ ろ う か。
こ のよう に考 え る なら 、 教 団 施 設 の建 設 を 進 める オ ウ ムの人 び と に、 地域 住 民 たち と の関 係
を 現実 のも のと し て真 剣 に受 け と め、 そ こ から 自 ら のあ り方 を 見 直 し て いこう と す る視点 が 最
初 か ら完 全 に欠 落 し て いた のも 不 思議 で は な い。 オウ ム の人 び と にと って の現 実 と は、 地域 の
人 び と と の日常 的 な つき あ い のな かか ら発 生 し てく るも ので はな か った。 む し ろ それ は、個 人
の ﹁ 解 脱﹂ と地 球 の ﹁救 済 ﹂ を リ ン クさ せ て語 る メデ ィ ア のな か の物 語 か ら生 まれ 、 教 団 組織
によ って物 質 化 さ れ て いく べき も の であ った。 デ ィズ ニーラ ンド が 外 部 の現 実 に対 し て徹 底 的
に閉 じ た自 己完 結 的 な空 間 であ る のと 同 じ よう に、 波 野村 や上 九 一色 村 の教 団施 設 から は、彼
ら の ﹁解脱 ﹂ や ﹁救 済﹂ の物 語 と矛盾 す る外 部 の異 化 的 な 現実 が 入 り込 む 可能 性 は最 大 限 排除
され 、 自 己完 結 的 な リ ア リテ ィ の整 合 性が 保 た れ て い った よ う に見 え る。 す で に江 川 紹 子 は、
波 野 村 で地域 住 民 と 対 立 し 、教 団 施 設 を防 衛 し よ う と し て い た信 者 た ち の ふ る ま いを、 ﹁ウ ル
ト ラ警 備 隊 の ノリ﹂ であ ると 評 し て い る。 オウ ム的 な リ アリ テ ィ の構 造 から す る な らば 、 地 域
住 民 と の軋轢 と いう 事 態 す ら も、 ﹁救 済 ﹂ に向 かう 自 分 た ち戦 士 の物 語 の 一場 面 と し てし か認 識 され て いな か った の かも し れ な い。
だ が 実 際 には、 こ れら の教 団施 設 は、 現 実 の日本 の農 村 社 会 のな か に突 如 、 は な は だ暴 力 的
に出 現 し た施 設 であ り、 そ こ で演 じ られ る リ ア リテ ィが 、 デ ィズ ニー ラ ンド のよ う な 予定 調 和
的 に管 理 さ れ た自 己完 結 性 を 確保 し つづ け る こと は 不 可能 であ った。 オ ウ ム の リ アリ テ ィが さ
まざ ま な場 面 で見 せ る綻 び 、 あ る いは奇 妙 な 現実 感 覚 の遊 離 状 態 を象 徴 的 に示 し て いる のは、
上 九 一色 村 の施 設 におけ る徹底 的 に無 菌 化 さ れ た ﹁清 潔 さ﹂ の観念 と実 際 の 不潔 さ と の著 し い
乖離 であ ろう 。 信者 た ち は 一方 で、施 設 の至 ると こ ろ に空 気 清 浄 器 を置 き 、 村 人 たち の出 す お
茶 にも 口を つけ ず、 自 分 の体 内 を洗 浄 す る こと に大き な関 心 を 払 って いた。 あ る 二十 四歳 の女
性 信者 は、 入 信 の動 機 を ﹁周 囲が 汚 な いのが イ ヤ で、自 分 の内 側が 汚 な い のが も っと イ ヤだ っ
た から ﹂ と 語 った と い う ︵ 吉 田司 ﹁麻原バ ーチャル王国はなぜ暴走 した か﹂、﹃ 現代﹄ 一九 九五年 六月
号︶。 だが そ の 一方 で、 教 団 施 設 の不潔 さ は多 く の マス コミが 報 道 す ると お り で、 部 屋 は埃 だ
ら け で ﹁ネズ ミや ゴ キブ リが ウ ヨウ ヨ﹂ し てお り 、信 者 た ち の飲 む ﹁甘 露 水 は汚 いし 、 豆乳 に 死 ん だ蠅 が 浮 い て いた り、 オ ウ ム食 が 腐 って いた こと も﹂ あ ったと いう。
け では な い。 も し も教 団が 自 然 と の共生 を 本 気 で指向 し て い た の であ れば 、 表 面 的 な ﹁ 非衛生
注意 し て おき た い のだ が 、 問 題 は決 し て、 こう し た教 団施 設 の ﹁不潔 さ﹂ そ のも の にあ る わ
性 ﹂ を批 判 す る こと は、 近 代 の衛 生 思想 の変 形 でし か な い。 だ が こ こ で異様 な の は、 オウ ム真
理 教 は む し ろ観 念 の レベ ルで は、 無菌 化 な いし は異質 な も の の排 除 を 誰 よ りも 徹 底 し て押 し進
め て いた よ う に見 え るこ と であ る。実 際 の不潔 さ や 異質 な も のの混 在 を 認 め、 そう し たな か か
ら 共 生 の リ ア リ テ ィを 立 ち 上 げ て い く の で はな く 、 観 念 的 な リ ア リ テ ィ の レ ベ ルで の ﹁清 潔
さ ﹂ への志 向 を 徹 底 さ せ る こ と に よ って、 実 際 に存 在 し て いる 不潔 さ を 視界 の外 部 に押 し や り
な が ら 内向 し て いく 。 こう し たプ ロセ スが 昂 進 し て いく な か で、 周 囲 の自 然 にも 、 地 域 の日常
にも 立 脚 点 を持 たな い、 彼 ら だけ のヴ ァー チ ャ ルな ﹁現 実 ﹂が 、自 己完 結 的 に終 末 のイ メ ージ に向 か って突き 進 ん で い った ので はな いだ ろ う か。
そ し てお そ ら く、 こ の よう な ﹁現 実 ﹂ を 絶 えず リ ア ルな も のと し て感 覚 さ せ て いく仕 掛 け と
し て、 麻 原 教祖 の ﹁予 言 ﹂ は き わ め て有 効 に機能 し て い た の であ る。 つまり 、 オウ ム の人 び と
にと って は、 ﹁予 言﹂ が 当 た る かど う か と いう こ と が 重 要 な の で は な く、 ﹁予 言 ﹂ に よ って自
分 た ち の ﹁現 実 ﹂が 、 外 部 にあ る かも しれ な い敵 対的 な世 界 の現実 よ りも は る か にリ ア ルなも
のであ ると 確 認 さ れ て いく ことが 、 ど う し ても 必 要 だ った よう に思 わ れ る のであ る。今 回 のオ
ウ ム事 件 の根 底 に横 た わ るも のを 明 ら か に し て いく には、 こ のよう な オ ウ ム教 団 の ﹁現実 ﹂ と
わ れ わ れ の ﹁現 実﹂ と の、 メデ ィア に媒 介 され な が ら振 じ れ、 同 時 に自 閉 し て いく メ カ ニズ ム を 問 う と こ ろ から 、 考察 を出 発 さ せな け れば な ら な い。
﹁情報﹂として の身体
オ ウ ム 事件 を め ぐ る 二 つの断 層
オウ ム真 理教 事 件 には 、 いく ら 事 件 を め ぐ る犯 罪 レ ベ ル の事 実 関 係 が 明 ら か に なり 、 関 係者
の証 言 が重 ねら れ ても 、容 易 に了 解 し か ね る いく つか の断層 が 存 在 す る。 そ し て これ ら の断層
が 、 事 件 に今 な おき わ め て不 可解 な 印象 を与 え て い る。 な か でも 最 大 のも のは、 教 団 施 設 で真
面 目 に修行 に励 む 信 徒 た ち の姿 と 一連 の サリ ン事 件 や 組織 的 な殺 人 事 件 のお ぞ ま しさ と の間 の
著 し い落差 であ ろう 。 こ の落 差 は、 サ リ ン製 造 や殺 人 を 傍 証 す る多 数 の証 拠が 揃 い、 逮 捕 さ れ
た教 団 幹部 た ち の事 件 関 与 を認 め る自 白が 次 々に報 道 さ れ ても い っこう に縮 ま ら な い。 も ち ろ
ん、 ﹁マイ ンド コン ト ロー ル﹂ な り 、 ﹁闇 ﹂ の組 織 の ﹁謀 略 ﹂ な り と い った 図 式 に よ って こ の
8月
1995年
不 可解 さ に決 着 を つけ て しま う こと は 、何 ら問 題 の本質 にふれ る こと には な らな い。 わ れ わ れ
は 、 た とえ ど れ ほど事 件 が お ぞ ま しき 相 貌 を 呈 そう とも 、 ﹁特 殊 ﹂ な カ ル ト教 団 の ﹁異 常﹂ な
犯 罪 と し て しま う の では なく 、 わ れ わ れ の日常 に べ った り と連 続 し たと ころ から 始 ま った ひ と
つのリ アリ テ ィの帰 結 と し て、 こ の落 差 の間 にあ るも のを内 在 的 に理解 し て いか なけ れ ば な ら
な い のであ る。 こ のよ う な関 心 から 、 こ こ で は前 章 の議 論 を踏 まえ つ つ、 オ ウ ム教 団 にお け る 身 体 的 リ ア リ テ ィの組織 化 のさ れ 方 に つ いて序 論 的 に考察 し て み た い。
さ て、 前 述 の落 差 を信 者 の身 体 的 経験 の レベ ルでも う少 し細 かく 考 え ると す る と、 そ こ には
二 つ の断 層 が 認 めら れ る よう に思 う 。第 一は、 ヨー ガを基 本 に ひと り ひと り の身 体 的 な 解 放 、
あ る いは神 秘 体 験 や超 能 力 の獲 得 を 目的 と し て い た実 践 と 、 目前 に迫 る人類 滅 亡 から の救済 と
いう終 末 論 に捉 え ら れ る よう にな って い った こと の間 に見 ら れ る著 し いギ ャ ップ であ る。 第 二
は、 そ う し た終 末 論が 、 単 に教 団 を 方向 づ け る イ メ ージ の レベ ルにと ど ま らず 、 これ ま で の報
道 を前 提 にす るな らば 、 目的 のた め には手 段 を問 わ な いや り方 で殺 人 を 犯 し 、 サ リ ンを 撒 く と
ころ ま で い ってし ま った こ と に見 ら れ る短 絡 であ る。 いず れも これ ま で繰 り 返 し指 摘 さ れ てき
た疑 問点 だ が 、 いま だ 不 可解 さが 消 え た わ け で はな い。 これ ら の疑 問 に十 分 な形 の答 え を 出 し
て いく には、 今 後 と も継 続 的 に こ の事 件 に つ いて の検 証 を進 め、 これ を 八〇年 代 以 降 の時 代 意
識 の変 化 のな か で位 置づ け直 し て いく 必 要が あ ろう 。 し たが って、 こ こ でも ま た議 論 は中 間 的
な も の にな らざ るを え な い のだ が 、 少 し で も 問題 の理 解 に近づ く た め の作 業 と し て、 前 述 の 二
つの断 層 を挟 んだ 三 つの局 面 、 す な わ ち 、 ①終 末 論 が 前 面 に押 し出 され てく る以 前 に おけ る教
祖 と 信 者 と の コミ ュ ニケ ー シ ョ ン、 ② そ こ へ の終 末 論 の 介 在 、 ③ そ う し た 終 末 論 の現 実 化 、 と
いう 三 つ の局 面 に つ い て 、 さ し あ た り 指 摘 で き る 論 点 を 示 し て お く こ と に し た い。
﹁神秘 体 験 ﹂ を めぐ る競 争
まず 、 教 団 誕 生 の頃 、麻 原 教 祖 と 信 者 た ち の間 で は、 ﹁超 能 力 ﹂ や ﹁神 秘 体 験﹂ を め ぐ る ど
のよ う な認 識 が 共有 さ れ て い た のだ ろ う か。 麻 原 が 自 ら の ﹁超 能 力 ﹂ を オ カ ルト雑 誌 な ど でさ
か ん に喧伝 し、 多 数 の弟 子を 集 め はじ め た 一九 八 六年 、 彼 は ﹃ 超 能 力 ・秘密 の開 発 法 ﹄ と ﹃生
死 を 超 え る﹄ と いう 二 つ の著 書 を 出 し て いる。 こ れら の初 期 の著 書 を通 読 す ると、 オ ウ ム教 信
者 たち の ﹁超 能 力 ﹂ や ﹁ 神 秘 体 験 ﹂ が 、 ど のよ う な教 祖 と の、 あ る いは信 者 相 互 の関 係 性 の場
のな か に成 立 し て い た の かが 浮 かび あ が ってく る。 とく に彼が 強調 す る のは、 超能 力 は、 少 数
の選 ば れ た ﹁超 能 力 者 ﹂ に のみ備 わ る特 権 的 な能 力 な の で はな く 、 誰 しも が 教 団 の マ ニ ュア ル
に従 って修 行 を積 み さえ す れ ば 必 ず 身 に つくも のであ る と いう 点 であ る。 ﹃ 開 発 法 ﹄ の序 文 で
麻 原 は、 ﹁わ た し は、 以 前 は超 能 力 者 で は な か った。 ご く 普 通 の人 間 だ った。 ふと 人 生 に疑 問
を感 じ、 真 実 を 求 め て試 行 錯 誤 を 繰 り返 す う ち に、超 能 力 を獲 得 す る秘 伝 に巡 り合 った﹂ のだ
と 述 べ る。 そし て、 ﹁わ たし のよ う な 平 凡 な 人 間 でも 、 驚 異 的 な 力 を 持 つ超 能 力 者 と し て生 ま
い こな せ る よう にな るはず であ る。 あ な た も超 能 力 者 にな る﹂ と、 読 者 に呼 び か け て いく の で
れ 変 わ る こ とが でき た のだ。 し たが って、 だれ でも こ の方 法 で修 行 を す れば 、 必ず 超 能 力 を使
あ る。 さら に、 麻 原 のこう し た主 張 を傍 証 す る か のよ う に、 これ ら の本 の後 半 部 には 、初 期 の
信 者 た ちが 自 ら の神 秘 体 験 や超 能 力体 験 を 語 った文章 が 多 数 並 べら れ て いる。
同様 の ﹁平 凡 さ﹂ の強 調 は、 教 団 が 発 行 し た いく つ か の布 教 のた め の マン ガ に も 顕 著 であ
る。 教 団 が 衆 院 選 に大 量 の立 候 補 者 を出 し た九 〇 年 二月頃 に出 され た と 思 わ れ る ﹃あ な たも な
れ る かも ? 未 来 を 開 く転 輪 聖 王 ﹄ では、 神 秘 体 験 を し て修 行 を 始 める ま で の麻 原 が 、勉 強 が
できず 失 敗 ば かり し て いる空 想癖 の強 い 一青 年 と し て描 か れ て い る。 ここ でも ま た、 誰 もが 麻
原 のよ うな 超 能 力 を身 に つけ る可能 性 を持 って いる ことが 強 調 され て いる のであ る。 後 に教 団
信者 の 一人 が 、 ﹁こ のま ま 修 行 を 積 ん で いけ ば 、 私 の先 輩 た ちが 味 わ った神 秘 をき っと味 わう
ことが でき るだ ろ う 。 そ う 信 じ て い る ん です ﹂ と 語 って いる こと に も見 ら れ る よ う に ︵﹃宝島
30﹄ 一九九五年 六月号︶、 オ ウ ム教 団 を 支 え て いる意 識 の根 底 には、 ﹁超 能 力 ﹂ や ﹁神 秘 体 験 ﹂ に
ついて の横 並 び の意 識 、 あ る いは そ う し た経 験 への志 向 の大 衆 化 状 況が 存 在 し て い る。
る こ と を強 調 し て い る。 ﹃ 開 発 法 ﹄ でも 、 麻 原 はす で に空 中 浮 揚 だ け で な く 、予 言能 力、 遠 隔
と こ ろが 他方 で、 これ ら の書物 を通 じ て麻 原 は、自 分が 全 能 の絶 対的 な超 能 力 の持 ち主 であ
透視 能 力 、 微 視能 力 、 他 人 の身 に入 って動 かす 能 力 、 大小 便 で磨 い て劣 等 な金 属 を 黄金 に変 え
る能 力 、 物 に霞 を か け て見 え な く す る能 力 、 三界 ︵ 愛欲界 ・形状界 ・非形状界︶ を自 由 に出 入 り で
き る能 力 な ど を ほぼ 身 に つけ たと豪 語 す る。 そ し て、 こ の ﹁ア ー ラ ンバ 段階 ﹂ を 超 え て修 行 を
進 め る と、 次 の ﹁ガ タ段 階 ﹂ では ﹁輪 廻 の輪 の中 で成就 でき な い こと は 一つも な い﹂ 状態 と な
り 、 さ ら に ﹁パ リ チ ァヤ段 階 ﹂ では、 カ ル マが 消 滅 し て来 世 に再 生 す る 必要 が な く な る。 最 終
の ﹁ニシ ュパ テ ィ段 階 ﹂ で は、 ﹁も は や ヨーガ 修 行 の必 要 はな く な る﹂ ほ ど に解 脱 が 進 み、
﹁あ らゆ る障 害 から 離 れ て完 全 な独 立 者 と な る﹂ のだ そ う だ。 麻 原 は間 も な く ﹁最 終 解 脱 ﹂ を
宣言 す るが 、 これ は彼 が ﹁ニシ ュパテ ィ段 階 ﹂ ま で達 し て しま ったと いう こ とな のだ ろ う。 ず いぶ んと 即 席 の ﹁解 脱 ﹂ で はあ る。
そ し て こ の即 席 性 こそ 、 オウ ム真 理 教 の専 売 特 許 と な って いく 。 す な わ ち、 ﹁開発 法﹂ を は
じ め教 団 の出 版 物 や修 行 シ ステ ム は、前 述 の ﹁誰 でも超 能 力 者 にな れ る﹂ と いう 基 本 の段 階 か
ら、 彼 ら の ﹁ 尊 師﹂ が す で に達 し た と さ れ る高 度 な 超能 力 の段 階 ま で の最 短 ルー トを 具体 的 に
示 し て いく の であ る。逆 に言 え ば 、 教 団が 示す こ の最 短 ルー ト に沿 って いか にお のれ の修 行 レ
ベ ルを ア ップ さ せ て いく かが 、 そ れ ぞ れ の信 者 の課 題 と な る。 こ こ に出 現 す る のは、 多 数 の信
者 た ちが す べ て ﹁尊 師 のよ う な超 能 力 者 にな る こと ﹂ を めざ し、 同 一の ル ート に沿 って 一斉 に
修行 に励 ん で いく 、 一種 の競 争 状 態 であ る。 ど の信 者 にと っても 目的 はひ と つであ り 、 そ のた
め の方 法 も は っき り し て いる。 必 要 な のは 、与 えら れ た マ ニ ュア ルに則 って少 し でも 早 く 、 先 の段階 ま で自 己 の修 行 レベ ルを上 げ る こと であ る。
こ のよ う に し て、 オウ ム真 理教 に おけ る 信仰 生 活 は、 ど こか予 備 校 で の受 験勉 強 に似 てく る
こと にな る。 たと え ば教 団 で は、 教 学 のビ デ オ約 百 本 を 観 る こと と、 麻 原 の著書 十冊 ほど を読
む のが ﹁必修 科 目﹂ であ った と いう 。 入 門 コー スに は ﹁レベ ルー﹂ か ら ﹁レベ ル12﹂ ま で十 二
段 階 が あ り 、 それ ぞ れ の段階 で テ ス ト に合 格 し な いと 上 の レベ ルに 進 めな い。 ﹁学 科 試 験 ﹂ を
終 え 、 教 祖 の ﹁イ ニシ エー シ ョン﹂ を 受 け る こと で、 ﹁会員 ﹂ か ら ﹁信 徒 ﹂ へと ﹁合 格 ﹂ す る。
道 場 で は、 中 央 のテ レビ 画 面 に教祖 が 登場 し、 画 面 に合 わ せ て信 者 た ちが 呼 吸 を 整 え 、 マント
ラを 唱 え て いく。 説 法 の後 に質 問 と いう スタ イ ルも、 ど こ か の大 手 予 備 校 にそ っく り であ る
レベ ルの超 能 力 を身 に つけ たな ら 、学 校 の試 験 で高 得 点 を取 る こと な ど いとも 簡 単 に でき る よ
︵﹃AERA﹄ 一九九五年四月 二十四日号︶。 し かも 、 教 団 が 主 張 す る と ころ に従 え ば 、 も し も ハイ
う にな って し ま う のだ か ら 、予 備 校 で勉 強 に励 む の よ り は 、 オ ウ ム の道 場 で修 行 に励 んだ 方 が 、 努 力 の成 果 の応 用範 囲 は広 い こと にな る。
だが 、 こ のよう に信 者 の実 践 に ﹁神 秘 体 験﹂ な り ﹁超 能 力 ﹂ の獲 得 な り の明 確 な 目 標 を与
え、 それ に至 る方 法 を マ ニ ュア ル化 し て いく こと は、教 団 の統 合 力 と いう 面 か らす るな ら 明 ら
かな矛 盾 を 内 包 し て いた。 と いう のも 、も しも こ の マ ニ ュア ルが 本 当 に適切 なも のな ら 、 そ れ
が 示 す 最 短 ルー ト に沿 って信者 た ち が 修 行 に専 心 し て いけ ば 、 いず れ は 多 く の信 者 が 実 際 に
﹁尊 師 のよ う な超 能 力 者﹂ にな って し ま う こ と だ ろ う 。 つま り 、教 団 の修 行 の論 理 は、少 な く
る。 そ し て、 も し も 信者 の多 く が ﹁ 最 終 解 脱 ﹂ し て しま った な ら、 麻 原 自身 も そ う し た多 数 の
とも ﹁ 超 能 力﹂ の レベ ル で は、教 祖 と信 者 の差 を 確 実 に縮 め る傾 向 を 内 包 し て いた はず であ
解 脱 者 の 一人 と いう こと にな り、 彼 の超能 力 の特 権 性 は否定 さ れ る。 教 団 はそ う し た超 能 力 者
たち の横 並 び の集 団 と い う こ と に な り、 ﹁道 場 ﹂ から ﹁教 団 ﹂、 そ し て ﹁王 国 ﹂ へと いう実 際
の オ ウ ム真 理 教 が たど った 道 と は逆 の方 向 に向 か う こ と にな った か も し れ な い。 つま り、 ﹁超
能 力 ﹂ を め ぐ る麻 原 の言 説 そ れ自 体 に は、 多数 の信 者 を 呼 び寄 せ なが らも 、 同時 に教 祖 自 身 の 地 位 を 大 い に相 対 化 し て いく契 機 が 内 包 さ れ て いた のであ る。
こ う し た可 能 性 を 、麻 原 は容 認 し な か った。 信 者 た ち も ま た、 修 行 が 進 む こ と に よ って教祖
から の独 立 性 を 強 めて いく ので はな く 、逆 に修 行 が 進 めば 進 む ほど 教 祖 への従 属 を強 め て い っ
たよ う に見 え る。 麻 原 は 一方 で、 一定 の修 行 シ ステ ム に沿 って合 理 的 に修 行 を重 ね て いけ ば 、
の ﹁イ ニ シ エー シ ョン﹂ を 置 き 、 ﹁神秘 体 験﹂ や ﹁超 能 力 ﹂ が 、 個 人 の内 発 的 な 力 に よ って得
誰 でも ﹁神 秘 体 験 ﹂ や ﹁超 能 力 ﹂ が 得 ら れ る のだ と しな が ら も、 そう した 修 行 の中 心 に彼 自 ら
られ ると いう よ りも 、 教 祖 のカ リ ス マ伝 授 によ って得 ら れ るも のと し て意 味 づ け 、感 覚 さ せ る
傾 向 を 強 めて い った。 これ は 、 一連 の本 の後 半 に収 めら れ た信者 た ち の体 験 談 を 読 ん でも 明ら
かな のだ が 、信 者 たち は、 そ れぞ れ の ﹁神 秘体 験﹂ を、 自 身 の修 行 によ る身 体 の内 的 な変 化 の
結 果 と し て では な く、 麻 原 によ って与 えら れ た変 化 と し て意 味 づ け る こ と に終 始 し て いる。 こ
こに は オ ウ ム教 団が 、 自 律 的 な 修 行者 た ち のゆ るや か な集 ま りと な らず 、 カ リ ス マ的 独裁 者 へ
の絶 対 的 な 帰 依 を特 徴 とす る集 団 へと、 自 己相 対 化 の契 機 を欠 い て内 閉化 し て い った こと の少 な く とも 遠 因 が 認 め ら れ る。
﹁超 能 力 ﹂ と ﹁ハル マゲ ド ン﹂
前 述 の第 一の断 層 は、教 団 に おけ る教 祖 と信 者 の間 の こ のよ う な従 属 的 関 係 に媒 介 さ れ て い
た の では な いだ ろう か。教 団 の出 版 物 を 散 見 す る かぎ り 、 や が て ﹁ハル マゲド ン﹂ と いう言 葉
で示 さ れ て いく終 末 論 を麻 原 彰 晃 が 最 初 に 口に す る の は、 八七 年 に刊 行 さ れ た ﹃イ ニ シ エー
シ ョン﹄ にお い て であ る。 こ の本 には、 麻 原 が 同年 五月 の集 中 セ ミ ナ ーで し た説 法 が 編集 さ れ
て収 めら れ て いる と いう から 、 す で に八七 年 五月 には、 麻 原 教 祖 は人 類 の ﹁終 末 ﹂ と ﹁救済 ﹂
の必要 を 語 って いた こ と にな る。 さ ら に言 えば 、麻 原 を有 名 にす るき っか け と な った 八五年 十
月 の ﹃ト ワイ ラ イ ト ゾ ー ン﹄ の記 事 でも 、 彼 は核 戦 争 に よ る ﹁浄 化 ﹂ に つ い て語 って い る か
ら、 終 末 論 的 言 説 は も っと早 く か ら出 てき て いた と も 考 え ら れ る。 ﹁オ ウ ム神 仙 の会 ﹂が 発 足
した のが 八 六年 の四 月 、麻 原 が ﹁最 終解 脱 ﹂ を宣 言 す る のが 同年 七月 、 石 井 久 子が 弟 子 と し て
最 初 に ﹁成 就 ﹂ す る のが 八 七年 六月 、 そ し て ﹁神 仙 の会 ﹂が ﹁オ ウ ム真 理 教 ﹂ に改 称 す る のが
同年 七 月 と いう 動 き を 考慮 す る と、 一般 に言 わ れ て い る より も か な り早 く 、 す で に教 団発 足 当
初 から、 ﹁超 能 力 ﹂ と最 終 戦 争 にお け る ﹁救 済 ﹂ と が 並 行 し て語 ら れ て いた こ と に な る。
これ 以降 のオ ウ ム教 団 の言 説 で は、 大噴 火 や核 戦 争 に よ る人類 滅 亡 と救 済 主 体 と し て のオ ウ
ムと いう イ メージ は確 実 に比重 を増 し て いく。 た と えば 、 八九年 四月 に刊 行 さ れ た マンガ ﹃ 滅
いる。 ﹁黙 示録 ﹂ の個 々 の記 述 が 歴 史 上 の出 来 事 と個 別 に対 応 し て い ると の解 釈 が な さ れ、 そ
亡 の 日﹄ では、 教 団 の終 末 論 を正 当 化 す る ﹁原 典﹂ と し て ﹁ヨ ハネ の黙 示 録 ﹂ が 持 ち 出 さ れ て
う し たす で に書 か れ て しま った ﹁未 来 ﹂ の ﹁終 末﹂ の必然 性 と そ こで のオ ウ ム教 団 の使命 が 示
され て いく の であ る。 そ の後 、 九 一年 に は ノ スト ラダ ム スの予 言 書 の ﹁解 説 ﹂ が 行 わ れ 、 九 三
年 には ﹁一九 九 七年 か ら 二〇 〇 〇年 にかけ て激 し い ハル マゲド ンが 世界 を襲 う ﹂ と いう 主 張が
声 高 に唱 え ら れ て いく。 さ ら に九 四年 末 発 行 の ﹃ヴ ァジ ラヤ ー ナ ・サ ッチ ャ﹄ で は ﹃未来 少年
コナ ン﹄ や ﹃風 の谷 のナ ウ シカ﹄ か ら ﹃ ザ ・デ イ ・ア フ ター﹄ や ﹃タ ー ミネ ー タ ー 2﹄ ま で の
マンガ や映 画 の終末 像 が 引 用 さ れ る のであ る。 たし か にオ ウ ムの終 末観 に は さま ざ ま な変 化 が
見 ら れ よ う が 、麻 原 にお け る終 末 論 の強 調 は、 彼 が ヨガ 道 場 の ﹁先 生 ﹂ か ら宗 教 教 団 の ﹁教 祖﹂ にな って いく 過 程 と並 行 し て強 め ら れ て い った よ う に思 われ る。
そ れ に し ても 、 こ の八 七年 の ﹃イ ニシ エー シ ョン﹄ のな か で、 終 末 の予言 は いささ か唐 突 に
登 場 す る。 同 書 には 、前 半 で教 祖 自身 の説 法 が 、 後 半 で弟 子 た ち の神 秘 体験 談 が まと めら れ て
い るが 、 終 末 論 が 登 場 す る のは前 半 の七 つ の講 話 のう ち の第 六話 にお い て であ る。 第 五話 ま で
は ﹁悟 り﹂ や ﹁解 脱 ﹂ の解 釈 や それ に至 る方 法 論 が 平 易 に解 説 さ れ て おり 、 聞き 手 を 驚 かす よ
う な と こ ろ は ほと んど な い。 む し ろ、 麻 原が 多 く の信 者 を ひ き つけ て い った 理由 のひ と つに、
複 雑 で難 解 と思 わ れ る宗 教概 念 を 大 胆 に単純 化 し、 非 常 に ﹁平易 ﹂ な 図 式 にし て示 し て いく 彼
の能 力が あ った こと を 窺 わ せ て いる。 と ころが 第 六話 にな ると、 教 祖 は突 然 、核 戦 争 に よ る人 類 滅 亡 の可能 性 を 信 者 たち に公言 し て いく の であ る。
麻 原 は、 こ の講 話 の冒 頭 、 日本 は九 〇 年 を 境 に欧 米 と の経 済 摩 擦 か ら 少 しず つじ り貧 にな
り、 九 三年 には 再軍 備 を し 、 九 九年 から 二〇 〇 三年 ま で に確 実 に核 戦 争 が 起 き るだ ろ う と予 言
す る。 そ し て、 こ の予 想 さ れ る核 戦 争 を 回 避 す る には、 世 界 に オウ ム の教 え を 布 教 し 、各 国 に
支 部 を開 設 し 、 ﹁オ ウ ム の心﹂ を外 国 の人 び と に伝 え て いく ほ か はな い と信 者 た ち に迫 る。 つ
ま り、 ﹁核戦 争 ﹂ と いう 終 末 の恐怖 が 間 近 に迫 って い る こと を 予 言 し、 そ れ を 回 避 す る手 段 と
し て教 団 の急 速 な拡 張 の必 要 性 を 訴 え て いく の であ る。 彼 は、 修 行 を 成就 す れ ば 、 自 我 を 肉体
から遊 離 さ せ て ﹁ア ス ト ラ ル世 界﹂ に逃 れ、 ﹁ま た こ の世 に生 ま れ て き た か った ら、 新 し い肉
体 を 持 って 再生 ﹂ す るこ とが でき る よう にな る から核 戦争 も乗 り超 え ら れ る とも 述 べ る。 つま
り 、 超能 力 が あ れ ば 何 が来 ても 大 丈 夫 だ と いう わ け であ る。 し か し、 ﹁他 の人 々が 焼 か れ苦 し
ん で い ると き に、 見 て見 ぬ ふ り は でき な い﹂ か ら、 オ ウ ム の信 者 が ﹁真 理 ﹂ を 説 い て、 ﹁世 界
的 に オウ ム の修 行 シ ステ ムを広 め﹂ な け れば なら な いと 話 を続 け る の であ る。 こ こ に は いわ ゆ
る教 団 の ﹁小乗 ﹂ から ﹁大乗 ﹂ への転 回が 言 明 され て いる のだ ろう が 、 こ の転 回 を 必然 な ら し
め る説 得的 な論 拠 が 示 さ れ て いるわ け で はな い。 む し ろ、唐 突 に ﹁人 類 滅 亡﹂ の危 機 が 持 ち 出 さ れ、 これ を ﹁見 て見 ぬ ふ り は でき な い﹂ と信 者 は説 き伏 せ ら れ る のだ 。
こう した 説 明 に は、 論 理 的 な説 得 力 が あ る わ け で はな い。修 行 を積 めば 核 戦争 を切 り抜 け ら
れ る超 能 力が 身 に つく から 、信 者 は い っそ う修 行 に専 心 す るよ う に と言 う のな ら、 少 な く と も
論 理と し ては 一貫 し て い る。 と ころ が 、 ﹁見 て見 ぬ ふ り は で き な い﹂ か ら 人類 救済 に乗 り 出 そ
う と いう のは、 前 提 が 怪 し いだ け で なく 、 論 理 と し ても 一貫 し てお らず 、 何 かそ れ ま で と は異
質 な次 元 の物 語が 唐 突 に介 在 し てき た よう に見 え て し まう 。 少 な く とも 言 説 の内容 の水 準 で考
え る かぎ り 、 個 の身 体 に照 準 し た ﹁超 能 力 ﹂ の物 語 と、 宇 宙 大 の破 滅 から の ﹁救済 ﹂ の物 語 の
間 には 、 明 ら か な論 理的 飛 躍 が あ って、 論 理内 在 的 な 必 然 性 は 見 いだ せ な い の であ る。 む し
ろ 、 両者 は教 祖 の説 法 や パ フ ォー マン スに よ って見 か け のう え で結 合 さ れ て いた にすぎ な いの
では な いだ ろう か。 ﹁ 超 能 力﹂ への最 短 コー スを示 す だ け で は、 多 く の ﹁解 脱 者 ﹂ を 出 す こ と
は でき ても 、 教 団 を教 祖 に向 け て強 力 に統 合 し て いく こと は でき な い。 ﹁超 能 力﹂ が 、 信 徒 ひ
と り ひ と り に目 的意 識 を 持 た せ、 過酷 な修 行 に駆 り 立 てる言 説 と し て機 能 し て いた と す る な ら
ば 、 ﹁救 済 ﹂ は、 む し ろ そう し た ﹁超 能 力 ﹂ を す で に獲 得 し た修 業 者 た ち の集 団 であ る組 織 と
し て の教 団 に目的 を 与 え 、 これ を強 引 な 拡張 に駆 り立 て る言 説 と し て機 能 し て いた ので はな い
か。 実 際 、 これ ま でも 外 部 社会 と の軋 轢 が増 し、 危 機 に瀕 し た とき に は、 教 団 は そ れ ま で以 上 に声 高 に ﹁ 終 末﹂ の恐 怖 を 叫 ぶ よう にな る傾 向 を持 って いた 。
だ が 、 これ だ け で はま だ 、 個 々 の信 者 にお い て ﹁超 能 力 ﹂ の言説 と ﹁救 済﹂ の言説 が 違 和 感
な く結 び つく ことが でき た理 由が 見 えな い。 教 団 の統 合 と 拡 張 を も く ろ みな が ら ﹁ハル マゲド
ン﹂ を唱 え た教祖 や幹 部 に対 し、 教 団 の 一般 信 者 の経 験 にお いて は 、 ﹁救 済 ﹂ の言 説 はど の よ
う に ﹁超 能 力 ﹂ の言説 と共 存 し て いた のであ ろう か。 と りあ え ず 、 こ こ で留 意 し てお く 必要 が
あ る の は、 教 団 の信 者 と 外 部 の社 会 と の関 係 性 と いう 点 か ら 見 た 場 合 、 ﹁超 能 力 ﹂ の物 語 と
﹁救 済 ﹂ の物 語 は、 そ の脱 社 会 性 にお い て同 じ 傾 向 を持 って いた と いう点 であ る。 す な わ ち、
思 う にま か せ ぬ社 会 のな か で の日 々 の営 み か ら身 を引 き 離 し 、 ﹁超 能 力 ﹂ を 獲 得 し て逆 に こ れ
を コン ト ロー ルし て い こう と す る意 識 は、 容 易 にそ う し た 特 権 的 な 地 位 を 獲 得 し た者 が ﹁滅
亡 ﹂ の危 機 に瀕 し た社 会 を ﹁救 済 ﹂ し て いか なけ れば な ら な いと いう 意識 と結 び つく 。 いず れ
の場 合 も外 部 の社 会 には何 ら内 発 的 な契 機 が 認 めら れず 、 す で に ﹁超 能 力﹂ を獲 得 し た教 団 の
人 び と によ って 一方 的 に ﹁操 作 ﹂ さ れ 、 ﹁救 済 ﹂ さ れ る客 体 と し て認 識 さ れ て い る。 つま り 、
オ ウ ム真 理教 の信 者 たち にお いて は、 彼 らが 日常 生 活 を 送 ってき た はず の社会 の側 の主 体的 な
契 機 が 彼 ら の超 越 性 のう ち に剥 奪 さ れ 、 ま た彼 ら自 身 の主体 的 な契 機 が 教 祖 の超 越 性 のう ち に 剥 奪 さ れ る と いう、 二重 の剥奪 が 経 験 さ れ て いた ので はな いだ ろう か。
﹁ 情 報 ﹂ と し て の身 体
こ のよう な 二重 の剥 奪 が 可 能 であ った のは、 そ も そ も オ ウ ム真 理 教 にお いて は、 信 者 た ち の
間 に ﹁社 会 ﹂ と 呼 べる よ うな も のが成 立 し て いな か った こ とと 関 係 が あ る。 オ ウ ム教 団 では、
信 者 た ち は 入信 時 に ﹁ 修 行 の妨 げ にな る よ うな 人 間 関 係 は つく らな いよ う に﹂ と言 い渡 さ れ、
修 行 のな か でも たが い に 口を き かず 、知 り 合 いも でき な い構 造 に な って い たと いう 。 ﹃A E R
A ﹄ 一九 九 五年 四月 三日 号 は、 オ ウ ム教施 設 の近 く に住 む 人 の話 と し て、 オウ ム教 団 で は ﹁信
を受 け た こと を指 摘 し て いる。 こう し た傾 向 は、 他 の新 宗 教教 団 と比 較 し ても か な り際 立 って
者 同 士 も ほ と んど 相 手 を 無視 し て いたり し て、 ⋮⋮ 普 通 の集 団生 活 と は、 明 ら か に違 う﹂ 印 象
いる。 たと えば 、 一般 の新 宗 教 の場 合 、 法 座 と か座 談 会 の類 の集 ま りが あ り 、 そ こ で信 者 たち
が たが い に苦悩 を出 しあ う 仕 組 み にな って いる と いう。 いわ ば 、教 団 の組 織 的 結 合 の基 礎 を、
信者 たち の隣 組 的 な横 の結 合 が 固 め て いるわ け であ る。 と こ ろが オウ ム教 団 で は、 信 者 は自 分
の修 行 の レベ ル ア ップ に の み関 心 が向 か って い て、 周 囲 の他 者 たち と の横 の つな が り を形 成 し
よう と いう志 向 は き わ め て弱 い。 教 団 の活 動 は、 教 祖 と個 々 の信 者 の タテ の関 係 によ って営 ま れ 、 そ れ と交 差 す るよ う な横 の社 会 的結 合 が 欠 落 し て いる のであ る。
な る性格 のも のだ った のであ ろう か。 信者 た ち は、 い った いど のよう な リ アリ テ ィ の地 平 に自
そ れ では こう し た ﹁ 社 会 ﹂ への契 機 を欠 いた教 団 の人 び と を支 配 し て いた 関係 意 識 と は いか
ら の身 を 置 いて い た の であ ろ う か。 藤 田庄 市 は、 オ ウ ム真 理 教事 件 に つい て緊急 に ま と め た著
書 の末 尾 で、 こ の点 を 考 え る手 が か り と な り そ う な エピ ソ ード を 紹 介 し て い る。 そ れ に よ れ
ば 、 彼 が 一九 九 一年 秋 、 上九 一色 村 の教 団施 設 で出 家 信 者 た ち に取 材 を し て いた とき 、 彼 の取
材 に対 す る対 応 は非 常 に誠 実 なも の であ った にも か かわ らず 、 ﹁い いよ う のな い感 情 を抱 いた﹂
ことが あ ったと いう 。教 団施 設 のあ る同村 富 士 ケ嶺 地 区 と隣 の富 士 山 総 本部 道 場 のあ る朝 霧高
原 地 区 は、 戦 争 から命 か らが ら逃 げ てき た人 び とが 体 ひ と つで 入植 し た戦後 の開 拓 村 であ る。
機 械 も な く、 鍬 で荒 野 を堀 り起 こ し、 大変 な苦 労 を し なが ら酪 農 地 帯 を つく りあ げ てき た。藤
田は 取 材 のな か で、 オウ ム真 理 教 が こ の村 で修 行 を 続 け て いこ うと す る のな らば 、 村 民 の こう
した 苦 労 の歴史 を 理解 し、 相 手 の気 持 ちも 思 いやり な が ら 交渉 を し て い かな け れば な ら な い の で はな いか、 と話 し た ことが あ ったと いう。
と こ ろが 、 今 でも鮮 明 に覚 え て いるが 、 それ に対 す る 反応 は、 ど う 言 えば いい のだ ろ う
か、無 機 質 と いう か 、言 葉 が 通 じ な いと いう か、 感情 が 通 わな いと いう か、 要 す る に異 次
元 世 界 の よう な も のであ った。 開 拓 農 民 の こ と に共 感 を求 め て い た わ け で は な い。 人 に
よ っては反 発 も あ る だ ろ う し、 あ ま り感 じ な い こと も あ る だ ろう 。 関 心が わ かな い人 も い
るだ ろ う。 だ が 、 そ う し た普 通 の反応 では な い の であ る。 自 分 たち の存 在 し な い世 界 の話
と でも いおう か、 コミ ュ ニケ ー シ ョン成立 不能 の世 界 と でも いおう か、 そ ん な印 象 を ﹁出
家 修 行者 ﹂ から 受 け た のであ る。 ⋮ ⋮ 一般 的 に、 有 機質 の人間 は無 機物 に痛 み と いう も の
を 認 めな い。 ﹁ 修 行﹂ を経 る ご と に ﹁こ の世 ﹂ を 無 機 質 と み な し て いく よ う にな れ ば 、 そ
こ に 何 を 仕 掛 け て も 心 の 揺 れ を 生 ず る こ と は な いだ ろ う 。 同 じ 有 機 質 の 、 切 れ ば 血 の噴 き
﹁こ の世 ﹂ に 存 在 し て い る こ と の実 感 は 失 わ れ て い る のだ か ら 。 存 在 し て い る
の は ﹁リ ア リ テ ィ ー ﹂ だ け で あ る ︵﹃オ ウ ム真 理 教事 件 ﹄ 朝 日新 聞 社 、 一九九 五年 ︶。
出 る人 間が
こ こ に は、本 論 の冒 頭 で述 べた第 二 の断 層 に ついて考 え る糸 口が 示 さ れ て い る。 オ ウ ム教 団
の人び とが 、 次第 に終 末 論 への傾 斜 を 強 めな が ら 、最 終 的 に ﹁救済 ﹂ のた め の サ リ ンを自 ら 撒
いて無 差 別 殺 人 を犯 し て いく ことが でき たと す る な ら、 それ は基本 的 に は、 殺 人 の現 場、 す な
わ ち殺 され た 人 び と の生 き る社会 のこと を 、 無機 物 のよう な も のと し て し か感 じ ら れ なく な っ
てし まう ほど に、 彼 ら の修 行 の レベ ルが 進 ん で いた か ら であ る。 オ ウ ム真 理 教 の修 行 シ ステ ム
は、 いまだ 人 類 大 の終 末 論 にそ れ ほど 影 響 さ れず に ﹁神 秘 体 験 ﹂ や ﹁超 能 力 ﹂ の獲 得 を ひ たす
ら めざ し て いた時 点 から 、 す で にこう し た身 体的 な リ ア リ テ ィの次 元 の変 容 、 す な わ ち実 社 会
の生 の現 場 に対 す る感 情 や感 覚 の遮 断 を 重 要 な モチ ー フと し てき た。 修 行 者 たち は、 幽 体 離 脱
の超 能 力 を 獲得 す る と、 通常 の物 質 世 界 を 超 え て ア スト ラ ル世 界 に自 己 を存 在 さ せ て いく こと
が でき るよ う にな る。 麻 原 は 、自 分 の信 者 や 聴衆 に ﹁自 己 を 超 え て神 とな れ ﹂ と繰 り返 し呼 び
か け る。 自 己 の物 質 的 な 身 体 を 超 え て ﹁神 ﹂、 す な わ ち 非物 質 の精 神 世 界 の存 在 者 と な ってし
ま うな ら 、 物質 的 な世 界 で起 き る人 び と の愛 憎 や苦 悩 、 痛 み、 生 死 に対 し、 いさ さ か も心 を 動 か さず にす む よ う にな る。
こ のよう な身 体 感 覚 や 関係 意 識 の変 容 を 、 さ しあ た り ﹁身体 の情 報 化 ﹂ と 呼 ん でお く こと が
でき る よう に思 う。 つま り 、身 体 が そ の生身 を置 いて いる場所 か ら離 脱 し て、 非物 質 的 な情 報
秩 序 と し て再構 成 さ れ て いく よ う な過 程 であ る。 芹 沢 俊 介 と 山崎 哲 は、 対 談 のな か で こ のオ ウ
ム信者 た ち の身 体 の変 容 を 的 確 に言 い当 て て いる。 彼 ら に よ ると 、 オ ウ ム の修 行 のポ イ ン ト
は、 情 報 化 さ れ た ヴ ァー チ ャ ルな身 体 の自 由 自在 さ を、 不自 由 な生 身 の身 体 と 繰 り 返 し 出会 わ
せ て いく点 にあ った。 麻 原 は集 ま ってき た修 行 者 た ち に、 ﹁生 身 の身 体 の不全 性、 不完 全性 、
あ る いは枠 組 み の強 固 さ み た いな も のに出 会 わ せ る。 そ の へん から ス ター ト し て、 瞑 想 で も っ
てそ の生 身 の身 体が 身 体 と し ても っと も レベ ルが 低 い こと に気 づ か せ てゆ く ﹂。 つま り 、身 体
と いう のは限 界 が な いこ と、 手 足 や 五感 を超 え て宇宙 大 の広 が りを 得 る ことが でき る のだ と い
う こと を 具体 的 に示 し て いく のだ 。 こう し た自 己 の身 体 に対 す る認 識枠 組 の革 新 が 、 オウ ム の
修 行 の中核 に存 在 し て いた のであ る。 さ ら に麻 原 は、 修行 を積 めば 身体 が 空 間的 制 約 ぼ か り か
時 間 的 制 約 、 す な わ ち生 死 も 越 え ら れ る こ と を 示 し て い った ︵ ﹁﹁麻原彰晃﹂ の幻想﹂、 ﹃サンサー ラ﹄ 一九九 五年 七月号︶。
る、 と 芹 沢 ら は言 う 。 わ れ わ れ は今 日、 テ レビ を通 し て、 電話 を通 し て、 あ る いは パ ソ コン画
こ の よう な身 体 の ﹁情 報 化 =脱 場 所 化﹂ の欲 望 は、 情 報 化 社 会 に と って根 源 的 な も の であ
面 を通 し て、 一瞬 に し て地球 の裏 側 ま でも 行 って し まえ る身体 を 日常 的 に経 験 し て いる。 情 報
化 社 会 は、 生身 の身 体 を は るか に超 え た スピ ード と広 が り を も って人 び と の社会 的身 体 を 存 在
さ せ て い る の であ る。 こう し た な か で、 こ の生身 の ﹁身 体 そ れ 自体 が 非 常 な 制 約 、自 分を 締 め
つけ る 不自 由 感 を与 え るも のな ん だ と いう ﹂ 感覚 が 生 じ てき たと し ても 不思 議 で はな い。 逆 に
言 え ば 、 こ の生 身 の身 体 が 周 囲 の モノや ヒト と の間 に交 わ し て いる 日 々 の営 み を超 え た と ころ
に、 自 己 の アイデ ンテ ィ テ ィ の基 盤 を 見 いだ し て いく よう な感 覚 が 広 が って い った と し ても 不
か に超 え た と こ ろ、 たと え ば宇 宙 の彼 方 や は るか な る古 代 の大陸 に自 己 の リ アリ テ ィ の起 源 が
思 議 で はな い。 そ し て、 こう し た感 覚 を も っと押 し進 め て いく な らば 、 日常 の現実 世 界 を は る
あ る と い った感 覚 が 、 若 者 た ち の間 に成 立 し て いく こ と にも な るであ ろう 。
実 際 、 一九 八 六年 の岡 田有希 子 の自 殺 事 件 あ た り か ら、 死後 の世 界 に自 己 の リ アリ テ ィを 感
じ 、前 世 の自 分 を甦 ら せ るた め に死 に近 づ い て いく少 女 た ちが 確実 に増 え てき た 。 典型 的 な の
は 、 八九 年 に起 き た徳 島 の少 女 た ち 三人 の自 殺 ご っこ であ ろう 。少 女 た ち は、 自 分 た ち は古 代
の王女 の生 ま れ変 わ り で、 臨 死 状態 ま で いけ ば前 世 を覗 き 見 る ことが でき ると 信 じ て いた。 同
様 の意 識 が 八 〇年 代 を 通 じ て かな り の広 が りを 持 って い た こ と は、 ﹃う わ さ の本 ﹄ ︵別冊宝島 九
二号、 一九八九年︶ で浅 羽通 明が 紹 介 した 、自 ら の前 世 を 語 る少 女 たち の オ カ ルト雑 誌 への投 稿
を 見 ても 明 ら か であ る。 朝 倉 喬 司 は 、 オ ウ ム教 信 者 た ち の自 己 感覚 を考 え て いく う え でも、 こ
う した 八〇 年 代 後 半 から の ﹁前 世 希 求 ﹂ 願 望 を 理 解 す る こ とが 重 要 な 意 味 を 持 つと の認 識 か
ら 、彼 女 た ち の語 り の特 徴 を 整 理 し て いる。 そ こ に見 ら れ る の は、 自 己 を めぐ る感 覚 が 、家 族
や 地 域 になだ ら か に張 り めぐ ら さ れ て いた よう な 空 間 や時 間 を 一気 に飛 び越 え て、 断 片 化 し た
情 報 を 縒 り合 わ せな が ら は る か彼 方 の時 空 で展 開 す る物 語 に内 閉 し て いく過 程 であ る。 少 女 た
ち は、 ﹁私 は ま わ り と は違 う 人 間 だ﹂ と か、 ﹁いま の自 分 は本 当 の自 分 で は な い﹂ と リ ア ル に
考 え 、 こ の社 会 の、 こ の人間 で はな いと こ ろ に ﹁本 当 の自 分﹂ を見 いだ し て いく ︵ ﹁終末論と 八
〇年代若者文化、負 の接点﹂、﹃ 正論﹄ 一九九五年六月号︶。 こ のよ う な自 己 感覚 の回 路 が 社 会 の各 所 で出現 し てく る可能 性を 、 情 報 化社 会 は広 範 に用 意 し た のであ る。
麻 原 と オ ウ ム教 団 は、 こ の よう な情 報 的 な 自 己 の身 体 を 集 団 化 し て い った。 す な わ ち 、 八〇
年 代 の ﹁サブ カ ルチ ャー﹂ のな か に浮 上 し てき た身 体 の ﹁情 報 化 =脱 場 所 化﹂ の傾 向 を 、 ﹁逸
脱﹂ と し て周 縁化 す る ので はな く、 ま さ にそ う し た情 報 性 に こそ修 行 を通 じ て めざ す べ き自 己
の本質 が あ る のだ と規 範 化 し て い った。 自 分 の前 世 は ﹁天 使 ﹂ だ った と主 張 す る オ カ ルト雑 誌
への投 稿 少 女 は、喫 茶 店 で チ ョ コパ フ ェを食 べな が ら ﹁こ れ って私 の肉 体 の好 みな ん です よ。
肉 体 は 人 間 です か ら。 食 事 の好 み って天 使 ︵ 本当 の私︶ に は な いん です よ﹂ と 語 った と い う
︵﹃いまどき の神 サ マ﹄別冊宝島 一一四号、 一九九〇年︶。 こ の感 覚 を反 転 さ せ る な ら 、容 易 に、 教 団
施 設 の不潔 さや お よ そ味 覚 を 否 定 す る か のよう な オウ ム食 を厭 わず 、清 浄 な世 界 に ﹁本 当 の自
分 ﹂ を 住 ま わ せら れ る教 団信 者 た ち の自 己感 覚 に近 づ こう。 麻 原 は、 そ の巧 みな 弁 舌 と イ ニシ
エー シ ョン儀 礼 を通 じ、 こ のよう な ﹁天 使 =超 能 力 ﹂ に、 ﹁肉 体 =現 実 社 会 ﹂ を 優 越 す る リ ア
リ テ ィ の資 格 を 与 え 、 そ う し た身 体 を集 団 の レベ ル、 さ ら には疑 似 国家 の レベ ルにま で、組 織
化 し て いこう と した のであ る。 し かも こ のとき 、 彼 ら は、 本 来 はヴ ァー チ ャ ルな 時 空 のヴ ァー
チ ャ ルな身 体 の集 合 でし かな い はず の彼 ら の王国 を 、熊 本 県 波 野 村 な り 山梨 県 上 九 一色 村 な り
に物質 化 し て い こう と し た。 こ こ にお いて彼 らと 地 域 社会 と の、 そ し てま た現 実 の国 家 や 市 民 社 会 と の深 刻 な 対 立 は避 けら れ な か った のかも しれ な い。
彼 ら は し か し、 こ の情 報 化 され た教 団 の身 体 を 、 生身 の身 体 が せ めぎ あ い、 交 渉 しあ いなが
ら形 づ く ら れ て いく 現 実 の社 会 に再 び 根 づ か せ て いく こと に完 全 に 失 敗 し た。 彼 ら は自 ら の
﹁ 解 脱﹂ のた め に、 ま た や が て は ﹁ 解 脱 ﹂ し た者 た ち の幻 想 の共 同 体 の防 衛 のた め に、 本 来 な
らば そう した 幻 想 や飛 翔 の基 盤 であ る はず の生 身 の身 体 や関 係 性 を疎 外 す る方 向 へと 向 か って
い った。 彼 ら は 、教 団内 に異 質 な社 会 が 成 立 し てく る 可能 性 を 塞 ぎ 、 ま た教 団 施 設が 建 設 され
て実 際 に迷 惑 を 被 って いる地 域 社 会 と真 摯 に向 か いあ って いく 可 能 性 を塞 ぎ 、 教 祖 の予 言 か ら
部が 拉 致 監 禁 や 殺 人 、無 差 別 テ ロに関 与 し て い った であ ろう とき も 、彼 ら の行 為 は、 彼 ら の生
紡 ぎ 出 され る自 分 た ち の物 語 のな か にす べ て の認 識 の回路 を 内 閉 さ せ て い った。 信 者 た ち の 一
身 の身 体 が 置 かれ て いる場 所 で の出来 事 と し てど れ だ け自 覚 され て いた だ ろ う か。 修 行者 た ち
の身 体 は、 ﹁尊 師 ﹂ に導 かれ る ま ま にす で に脱 物 質 化 し て いた し、 彼 ら の教 団 は、 そ う し た脱
物質 化 し た リ ア リ テ ィを生 き る ﹁神 々﹂ の教 団 とな って いた。 こ の ﹁ 神 々﹂ は、 教 団 が ﹃ 滅亡
の日﹄ で述 べ て い た よう に、 ﹁人 間 の悪 業 が 積 も ってし ま った ら、 カ ル マの法 則 を使 って そ れ
を 具現 化 さ せ て悟 ら せ よ う とす る恐怖 の神 々﹂ であ った。 殺 人 や 無 差 別 テ ロは、 こ の ﹁恐怖 の
神 々﹂ に よ る ﹁裁 き ﹂ と し て、 彼 ら のな か で は正 当 化 さ れ て いた の かも し れ な い。
いず れ に せ よ、 ここ で は、 無 器 用 さ や 不完 全 さを む し ろ コミ ュ ニケ ー シ ョン の可能 性 と し て
抱 え 込 ん で い る生 身 の身 体 が たが い に交渉 し なが ら 形 づ く って いく 社 会 への回路 は、 決 定 的 に
塞 が れ て いた のであ る。 オ ウ ム真 理 教 事 件 が 信 者 の身 体 的 リ アリ テ ィ の水 準 で提 起 し た 問 題
を 、 も し も本 気 で乗 り超 え よ うと す る のな ら、 われ わ れ は 、 わ れ われ 自 身 の身 体 を ﹁即 席 ﹂ に
﹁情 報 化 ﹂ し てし まう ので はな く 、 そ の頑 な さ や 不自 由 さ、 そ こ に堆 積 す る記 憶 や風 景 の マテ
リ ア ルな厚 みや 異質 性 と 十分 に つき あ いなが ら 、 言 葉 や 幻 想 を紡 ぎ 出 し て いく自 ら の能 力 を 、 ゆ っく り と時 間 を かけ て奮 回 し て いく 必要 が あ る。
メデ ィアのなか の世紀末
オ ウ ム報 道 の大 量 消 費
三 月 二十 日 の地 下 鉄 サ リ ン事 件 以 降 、 こ の 国 の 日常 を覆 った 異様 な 狂 騒 状態 は い った い何
だ った のだ ろ う か。 わ れ われ は膨 大 な時 間 を テ レビ の前 で費 や し、 週 刊 誌 や スポ ー ツ紙 を負 り
読 み 、数 知 れ ぬ ﹁オウ ム話 ﹂ に明 け暮 れ た。 テ レビ では凄 ま じ い数 の ﹁報道 特 別 番 組 ﹂ が 組 ま
れ 、番 組 に よ っては 三 〇数 パ ー セ ン ト、他 でも 軒 並 み 二〇 パ ー セ ント台 と いう高 い視 聴 率 を 記
録 し た。 こ の間 、 テ レビ は ほぼ 全 面 的 に ﹁オ ウ ム﹂ に占 領 さ れ て しま った と 言 って い い。 あ る
和 歌 山県 の老 人 ホ ー ム に生 活 す る女 性 は、 ホー ムで は オウ ム の番 組 を ﹁江 戸 川乱 歩 のド ラ マで
も 見 る よ う に、 み んなが 怖 が り な が ら 結 構 、 楽 し ん で い た﹂ と 投 書 し ( 朝 日新聞 一九九 五年 六
7月
1995年
に帰 る と魂 を抜 かれ た よ う に母 と 二人 でテ レビ に見 入 り 、 ご は んを 食 べ るとき も オ ウ ム の話ば
月六日夕刊)、 ま たあ る 二十 五歳 の女 性 は、 ﹁会 う 人 全 員 と 少 な く と も 一分 は オ ウ ム話 を し 、家
かり し て いた﹂ (﹃ SPA!﹄ 一九九五年 六月十四日号)と 語 る。
そ し て新 聞 でも 、 スポ ー ッ紙 や夕 刊 紙 だ け で なく 、 朝 日新 聞 を は じ めと す る 一般 紙 の 一面 に
も 次 々に セ ン セ ー シ ョナ ルな 見 出 し が 登 場 し、 誤 報 が 繰 り返 さ れ 、 いま やあ ら ゆ る新 聞 が ス
ポ ー ツ新 聞化 し て し ま ったと指 摘 され た。 そ れ は、 あ るき わ め て ﹁奇 怪 な ﹂ 事件 と集 団を めぐ
る、 強 迫 的 な 不安 と好 奇 心 に促 さ れ た洪 水 のよ う な情 報 の消 費 過 程 であ った。 事 件が 少 なく と
ぐ ってど のよ う な物 語 が メデ ィ ア のな か で構 成 さ れ 、 そ れが ど う連 続的 に変 化 し 、 ど のよ う に
も 犯 罪 捜 査 の レベ ル で は 一段 落 し た か に見 え る いま、 われ わ れ は こ の オ ウ ム真 理 教 事 件 を め
消 費 され て い った のか に つい て の本格 的 な 検 証 に着 手す る必 要 が あ る。
あ る いは こう 言 っても いい。 オウ ム真 理 教 事 件 と は、 単 に 一連 の拉 致 監禁 事 件 から サリ ン事
件 ま で の疑 惑 だ け を 指す ので はな く 、 そう し た疑 惑 を め ぐ る情 報 の大 衆 的消 費 過 程 、 さ ら には
オウ ム教 団 の拡 大 を 可能 に し て い った 現代 日本 に おけ る リ アリ テ ィの情 報社 会 的 な構 成 ま でを
含 ん で いる、 と。 実 際 、 ﹁オ ウ ム﹂ に つ いて語 る こと の困 難 は 、 か な り の程 度 ま で、教 団 信 者
たち の世界 が ま ったく 根 拠 のな い妄 想 であ り、 われ われ の日常 と は無 縁 のも の であ る と批 判 で
き る ほど には、 わ れ わ れ 自身 の日常 的 現 実 が確 固 と し た輪郭 を持 って いな い、 と いう事 態 に由
来 し て い る。 つま り、 事 件 に つ いて真 剣 に語 ろ う と す るな ら ば 、何 ら か の仕 方 でわ れ わ れ自 身
の現 在 に つい て語 らざ るを え な く な る よう な 構造 を 、 こ の事 件 は根 本 的 に内 包 し て いる のであ
る 。 し た が っ て わ れ わ れ は 、 こ の事 件 を 深 く 洞 察 し て い く こ と で 、 日 本 が 現 在 、 ど の よ う な 社 会 と し て 存 在 し て い る の か を 明 ら か に す る こ と が で き る か も し れ な い。
﹁オ ウ ム﹂ を 検 証 す る 三 つの視 点
私見 に よれ ば 、 オ ウ ム事 件 に つい て の検 証 作 業 は 、 少 な く とも 次 の三 つ の視 点 を 貫 く よ う な
仕 方 でな さ れ て いか な け れば な ら な い。 第 一に、 テ レビ、 新 聞 、 週 刊誌 のそ れぞ れ の メデ ィ ア
で、事 件 を めぐ るど のよ うな シナ リ オや解 釈 図 式 が 提 示 さ れ、 それ が 段階 的 にど う 変 化 し 、 さ
ら にそ れ らが 視 聴 者 や読 者 にど う 受容 さ れ て い った のか を検 証 し て いく 必要 が あ る。 視聴 率 が
高 か った いく つか の特 別番 組 を対 象 と し て、 そ こ で の画像 や言 説 を 分 析 し て いく こと も でき る
し、 画 面上 で の強 調 点 の段階 的 な 変 化 も 明 ら か に し て いく 必要 が あ ろう 。 ま た、 新 聞 や 週 刊誌
に つい ても、 ど の よう な事 件 像 や教 団 像が ど の時 点 で構 成 さ れ て い った のか を、 実 証 的 に跡 づ
け て いく 必要 が あ る。 そ し て、 こう し た分析 を人 び と の事 件 を めぐ る 日常 的 なデ ィ スク ー ルの
変 化 と 結 び つけ て考 え て いく 必要 が あ る の であ る。 読 者 の投書 や街 の噂 が 再検 討 さ れ て い かな
け れ ば な ら な いだ ろう し 、 聞 き取 りや ア ン ケ ート調 査 を 通 じ 、 ど の世 代 や 階 層が ど のよう な 会
話 を こ の事 件 を めぐ ってし て い った の かが 分析 さ れ て い かな け れば なら な い。
だ が 、 よ り 困難 な の は こ こか ら先 であ る。 と いう のも 、 実 は オ ウ ム真 理 教 の発 展 の基 盤 そ の
も のも 、 や が て今 回 の オ ウ ム報道 に至 る よう な 教祖 や教 団 を めぐ る情 報 の大 衆 的 消費 過 程 のな
か にあ った よう にも 見 え る から であ る。 オ ウ ム教 信 者 た ち のリ ア リ テ ィ形 成 は、 かな り の程度
ま で、教 団が 刊 行 す る大 量 の本 や 雑 誌 、 ビ デ オ や パ ソ コン画 面 を通 じ てな さ れ て いる。 そ し て
こ のよ う な メデ ィア戦略 の前 提 条 件 と な った のが 、 一九 八 〇年 代 のオ カ ル ト雑誌 や オ カ ルト番
組 の流 行 であ った。 実 際 、 オ ウ ム真 理教 への若 者 た ち の初 期 の入 信 過 程 で、 ﹃ト ワ イ ラ イ ト
ゾ ー ン﹄ のよう な 超 能力 を売 り物 にし た雑 誌 の果 た した 役 割 は 小 さ くな い。 八 〇年 代 末 から の
オウ ム教信 者 た ち の急 速 な拡 大 を 、 教 団 の詐 欺 紛 い の勧 誘 テ ク ニック に よ るも のなど と し て裁
断 し て し ま う の で は な く 、 ﹁超 能 力﹂ や ﹁超 常 現 象 ﹂、 あ る い は ﹁ 神 秘 体 験 ﹂ が 、 こ の時 代 の
マスメデ ィ ア のな か でど のよ う に語 ら れ てき た のかを 検 証 す る と こ ろ から 捉 え 返 し て いかな け
れ ば な ら な い のであ る。 これが 、 事 件 に ついて な され る べき第 二 の検 証 作 業 であ る。
第 三 に問 題 な の は、 教 団 信者 た ち の身 体 感覚 の ﹁情 報 的 ﹂ な あ り よう であ る。今 回 の事 件 に
多 く の人 び とが 感 じ た の は、 あ る奇 妙 な 現 実感 のな さ であ った 。 た とえ ば 、 今 な お疑 問 と し て
残 って い る のは、 教 団 幹 部が 一連 のサ リ ン事件 の真 犯 人 な のだ と し ても 、 彼 ら は ど こ ま で ﹁人
を殺 す ﹂ こと の実 感 をも って い た のか、 と いう 点 であ る。 わ れ わ れ はす で に湾 岸 戦 争 に お い
て、 大 量 殺 人が テ レビ ゲ ー ム的 な リ ア リ テ ィと し て し か感 受 さ れ な い状 況 が 広 が り つつあ る こ
とを 知 った。 ま た、 連 続 幼 女 誘拐 殺 人 事 件 で は、映 像 メデ ィア への没 入 に よ って生 じ る若 者 た
ち の自 閉 的 な 世 界が 問 題 と な った。 と こ ろが 今 回 の事 件 で は、 こう し た現 実 感 覚 の変 容 をあ え
て徹 底 さ せ てき た オ ウ ム教 団 の宗 教 的 実 践 が 見 え隠 れす る の であ る。教 団 に おけ るさ まざ ま な
﹁修 行﹂ は、 食 欲 や 性 欲 か ら 肉体 的 な 痛 み、 さ ら には 他 者 への愛 憎 ま で、 生 身 の感 覚 を 可能 な
かぎ り 消 去 し、 む し ろ ﹁透 明﹂ な 情 報 宇 宙 の 一部 に身 を 置 い て いこう と す る身 体 を養 成 し て い
く。 教 団 の論 理 にお いて、最 も修 行 を 積 んだ 者 と は、 最 も 極 限 ま で生 身 の感覚 を解 消 す る こと
のでき た者 と いう こと にな る。 こ のよ う な 人 び と にと って、 無 差 別 殺 人 はど のよ う な リ ア リ テ ィ の水 準 で起 き て いた の であ ろ う か。
以 上 の よう な 三 つ の視 点 を 貫 い て指 摘 でき る のは、 こ のオ ウ ム事 件 が 、 事 件 の報道 にお いて
も 、事 件 の背 景 にお いても 、 ま た教 団信 者 たち の身体 意 識 に お い ても、 はな はだ 情報 社 会 的 な
現象 であ ったと いう点 であ る。 オ ウ ム事 件 の意 味 を 問 う こ と は、 ど こか現 代 日本 の情 報社 会 の
あ り よ うを 、 そ のき わ め てグ ロテ ス クな相 貌 から 照射 し て いく 契 機 を含 ん で いる。 本稿 で は、
今後 な され る べき 以 上 の三 つの作 業 に つ いて詳 しく 探 究 し て いく こと は でき な い。 三番 め の論
点 に ついて は前 二章 であ る程 度 論 じ てき た ので、 こ こ では最 初 の 二 つの論点 を めぐ り 若 干 の見
コミ的 消費 過 程 で現 わ れ た いく つか の解 釈 図式 の限 界 に ついて論 じ た い。次 に、 第 二点 に つい
通 し を 述 べ て おく にと ど め た い。 す な わ ち、 第 一点 に ついて は、 三月 末 以来 のこ の事 件 の マス
て は、 オ ウ ム真 理 教 と マス コミと の間 に見 ら れ る奇 妙 な 逆 説 に注 目 し、 教 団 のリ アリ テ ィが そ
も そ も ど のよ う な メデ ィ ア論 的 位 相 に成 立 し てき たも のな のか を考 え て みた い。
﹁謀 略 ﹂ モデ ル と ﹁マイ ンド コン ト ロ ー ル﹂ モデ ル
さ て、 三月 末 以降 の オ ウ ム報道 を ふ り返 ると 、 し だ いに こ の事 件 に対 す る人 び と の理解 を方
モデ ル、 ② ﹁マイ ンド コント ロー ル﹂ モデ ル、③ ﹁サブ カ ルチ ャ ー﹂ モデ ルと いう 三 つに注 目
向 づけ る、 いく つか の解 釈 図 式が 登場 し て いた よ う に見 え る。 そ のう ち こ こ で は、① ﹁謀 略 ﹂
し て み た い。 これ ら のな か でも前 二者 は、 テ レビ や 週 刊誌 、 スポ ー ッ紙 のオ ウ ム報 道 の大部 分
を 占 め て お り、 こう し た言 説 が 事 件 の理解 を めぐ ってど のよう な 作 用 を 果 た し た かを 考 え る こ と は 、前 述 の作 業 のた め にも 不可 欠 であ る。
一方 で、 ﹁謀 略﹂ モデ ルと は、 一連 の犯 罪 を 、 オウ ム教 団 の背 後 に ひ そむ 暴 力 団 や自 衛 隊右
派 、 公 安、 元 KG B や 北朝 鮮 工作 員 、統 一協 会 など の ﹁闇 ﹂ の組 織 の謀 略 によ るも のであ ると
で、 教 団 にこ れ ほど の ﹁ 裏 ﹂ が あ るな ら 、 そ のさ ら に ﹁裏 ﹂ も あ る に違 いな いと の憶 測 から 人
見 る構 図 であ る。 こ の モデ ルは、 教 団 の いわゆ る ﹁裏 部 隊 ﹂ の活 動 が 次 々 に明 ら か とな るな か
びと の関 心 を呼 び起 こし てき た。 だが 容 易 に気 づ く よう に、 ﹁ 謀 略 ﹂ モデ ル でオ ウ ム事 件 を 理
解 し よう と す る発 想 に は、 や は り陰 謀 史 観 に基 づき 状 況 を ﹁理解 ﹂ し よう と し てき た オ ウ ム教
団自 身 の発 想 と か な り相 似 的 な と こ ろが あ る。 た し か に 一部 の報道 が 強 調 す るよ う に、 そう し
た ﹁闇 ﹂ の組織 の事 件 への関 与 は 、 ひ ょ っと す ると部 分 的 に はあ った かも しれ な い。 だが 、 そ
こ に今 回 の事 件 の奇 怪 さ の本 質が あ る と は到 底 思 え な い のであ る。 む し ろ こう し た モデ ルは、
事件 の根 深 さ から 人 び と の目 を 逸 ら さ せ、 事 柄 の理解 を通 俗 的 な 推 理 小 説 の枠 組 み に還 元 し て
し ま う危 険 性 を 孕 んで いる。 実 際 、 こ の ﹁謀 略 ﹂ 論 的 な解 釈 は、 オウ ム問題 を劇 場 的 に消費 し
よう とす る膨 大 な 大 衆 の欲 求 を背 景 にし てお り、 今 回 の事 件 に つい て の、 比較 的 早 い段 階 で の 報 道 のか な り の部 分 を占 め てき た。
も っと も オウ ム真 理教 問 題 に早 く から 取 り組 ん でき た人 び と には、 こう した ﹁謀 略 ﹂ モデ ル
で事 件 を 理 解 す る こ と に相 当 の反 発が あ るよ う だ 。 だが そ の場 合 、 ﹁謀 略 ﹂ モデ ルに代 わ って
強調 され る の は、 も う 一方 の ﹁マイ ンド コ ント ロー ル﹂ モデ ル であ る。 こ の モデ ルは、 オ ウ ム
コント ロー ルの テ ク ニック に より 、教 祖 が 望 む よ う な人 格 に全 面 的 に置 き 換 え ら れ てし ま って
真 理教 のよう な ﹁狂信 的 カ ルト教 団﹂ の場 合 、 信者 た ち の人 格 は 、高 度 に仕 組 ま れ た マイ ンド
いる と考 え る。 実際 、今 回 の事 件 で マス コミ に登 場 し た多 く のジ ャー ナ リ ストや 宗教 学者 、 精
神 医 学 者 たち は、 オウ ム信 者 たち の ﹁ 常 識 で は 理解 でき な い﹂ ふ る ま い は、 マイ ンド コ ント
ロー ル技 術 によ って ﹁魔 法 に か け ら れ て い る﹂ よ う な も の であ る と 説 明 を し てき た。 た し か
に、 教 団 内 で のさ ま ざ ま な イ ニシ エー シ ョン にお け る薬 物 使 用 や 小 部 屋 への監 禁 、 ビ デ オ や
テ ープ の際 限 のな い反復 、恐 怖 体 験 を繰 り返 し再 現 さ せ て いく 修 行 な ど 、 オ ウ ム教 団 は信 者 の
感覚 や意 識 、 記 憶 の シ ステ ムを技 術 的 に操 作 可 能 な も のと し て いく こと に異様 な ほど の関 心 を
持 って いた よう であ る。 そ し て こ の操 作 可能 性 が 、 教祖 の都 合 の い いよ う に利 用 され ても いた
かも しれ な い。 だ が そ れ な らば 、 わ れ わ れ は彼 ら の こう し た身 体 の技 術 的操 作 化 の思 想 を 批判
す べき な のであ って、 ﹁マイ ンド コン ト ロー ル﹂ な ど と いう、 い か よう に でも 意 味 づ けが でき そう な マジ ック ワード にす べ て を帰 属 さ せ る べき で はな い。
カ ルト的教 団 に おけ る信者 た ち の リ ア リ テ ィを ﹁マイ ンド コント ロー ル﹂ で説 明 し てし ま お
う と いう 発 想 に対 し て は、芹 沢俊 介 が 的 確 な批 判 を行 な って いる。 芹 沢 が そ こ で直 接 の対 象 と
し た のは統 一協 会 を めぐ る 一連 の騒 動 だ が 、 今 回 も 同 様 の批 判 が 当 て は ま ろ う 。 芹 沢 に よ れ
ば 、 こ う し た説 明 の最 大 の問 題 点 は、 教 団 に ﹁自 ら積 極 的 に関 与 し た主 体 が 消 滅 し て し まう こ
ロー ルさ れ て い たゆ え に、 いま の マイ ンド コン ト ロー ルを解 除 さ れ た自 分 と は無 関係 であ る﹂
と ﹂ にあ る。 こう し て ﹁破 壊 的 カ ルト に所 属 し て いた とき のす べ て の行 動 は、 マイ ンド コント
と いう こ と にな る。 教 団 に所 属 し 、 そ のリ ア リ テ ィを 生き て い たと き の主 体 の軌 跡 、 そ の アイ
デ ィテ ィテ ィや社 会 関係 が 、 ﹁マイ ンド コ ント ロー ル﹂ と いう概 念 と と も にき れ い に洗 い流 さ
れ てし ま う のだ 。 こ の モデ ルは、 たし か に短 期 的 に は脱会 し た信 者 た ち の社 会 復 帰 に 一定 の効
果 を 果 たす かも し れ な いが 、 オ ウ ム教 団 を 成 立 さ せ、 多 数 の信 者 が 教 祖 の ﹁予 言﹂ や ﹁超 能
力 ﹂ を 信 じ て い った こと の根 底 に潜 む 問題 を、 いさ さ か も 明 ら か にす る も ので はな い。
﹁謀 略 ﹂ モデ ルと ﹁マイ ンド コント ロー ル﹂ モデ ルが と も に前 提 と し て いる のは、 オ ウ ム教
団 の リ アリ テ ィを 、 わ れ わ れ の日常 的 な現 実 と はあ く ま で異質 なも のと し て切 断 し てし ま お う
とす る 二分法 であ る。 ﹁謀 略 ﹂ モデ ルは、 オ ウ ム教 団 の異 様 に見 え る ふ る ま いを、 わ れ わ れ の
社 会 にも ﹁闇 ﹂ と し て存 在す る組 織 の隠 れ た陰 謀 の所 産 と し て説 明 す る。 こ のこ と に より 、 オ
ウ ム事 件 は 、現 代 社 会が 抱 え込 ん で い る反社 会 的 集 団 の悪辣 な意 図 によ るも のと し て常 識的 に
理解 可 能 な 事態 にな って いく。 他 方 、 ﹁マイ ンド コン ト ロー ル﹂ モデ ルは、 オ ウ ム教 信 者 た ち
のリ ア リ テ ィを、 あ く ま で教 祖 の ﹁狂 気﹂ に操 作 さ れ た 集 団的 伝 播 と見 な し、 こ れと わ れ わ れ
の日常 的 現実 と の連 続 性 を 問 う こ とを 最初 か ら 不可 能 にし てし まう 。 一連 の オウ ム報 道 は 、 こ
に事 件 を 物 語 と し て消 費 す るわ れ われ の側 のリ アリ テ ィが 根底 か ら問 わ れ て いく 可能 性 を 塞 い
れら の解 釈 モデ ルを作 動 さ せ る こ と で、 人 び と を持 続 的 な 恐怖 の感 覚 で刺 激 し なが ら も 、 同時
でき た の で は な い だ ろ う か 。
﹁サ ブ カ ルチ ャー ﹂ と オウ ム事 件
以 上 のよ う な 二 つの解 釈 モデ ルに対 し、 第 三 の ﹁サブ カ ルチ ャー﹂ モデ ルは、 オ ウ ム のリ ア
リ テ ィを 、 八 〇年 代 の ﹁オ タク﹂ 的 サブ カ ルチ ャー の末 路 と見 な す 。 た と えば 大 塚 英 志 は 、 オ
ウ ム教 団 の信 じ る陰 謀 史 観 や終 末 思 想 の背 景 に八〇 年 代 サブ カ ルチ ャー の存 在 を指 摘 した 。 す
な わ ち、 ハル マゲ ド ンを テ ー マにア ニメや コミ ック の断 片 的引 用 に よ って形 づ く ら れ る オ ウ ム
の世 界 像 は、 ﹁八 〇年 代 後 半 の ︿お た く﹀ 的 サブ カ ルチ ャー の射 程 距 離 内 に収 ま ってし ま う ﹂
に過去 のも のと な り つ つあ った ︵ ﹁われら の時代 のオウ ム真理教﹂ 、﹃ 諸君!﹄ 一九九五年 六月号︶。 あ
も の であ り、 こう し た サブ カ ル チ ャ ーは、 す で に九 〇年 代 に は ﹁ 終 わ らな い 日常 ﹂ の勝 利 の前
る いは宮 台 真 司 も 、 オ ウ ム事 件 の背後 に八〇 年 代 の若者 文 化 に見 ら れ た ﹁終 わ ら な い日常 ﹂ と
﹁核 戦 争 後 の共 同性 ﹂ と いう 二 つ の終 末 観 の対抗 図式 を 据 え 、 ﹁終 わ ら な い日常 ﹂ が 九 〇年 代 に
入 って勝利 し て いく な か で、 オ ウ ム の人 び と が し て い った こと は、 ﹁核 戦 争 後 の共 同 性﹂ を志
向 す る終 末観 の側 から の ﹁ 起 死 回生 の巻 き 返 し﹂ で は な か った か と述 べ る ︵﹁﹃ 良 心﹄ の犯罪者﹂、
﹃ 宝島30﹄ 一九九五年七月号︶。 いず れ の議 論 も、 オ ウ ム の人 び と の感 性 の源泉 を 八 〇 年 代 の、 と り わ け オ タ ク少年 た ち のサブ カ ルチ ャー に求 めて いる点 で共 通 し て いる。
こ のよう な 解 釈 モデ ルは、 事 件 を ﹁闇 ﹂ の組織 や ﹁妄 想 ﹂ によ るも のと 見 な し、 オ ウ ムの人
び とが 生 き る リ アリ テ ィと わ れ わ れ の日常 的 現実 と の関 係 を 不 問 に付 し て しま う前 述 の 二 つの
モデ ルに比 べれば 、 は る か に有 益 な視 点 を 含 ん で いる。 だ が こ の モデ ルは、 オ ウ ム的 な リ ア リ
テ ィの基 礎 を 八 〇年 代 のオ タ ク世代 と いう 特 殊 な世 代 的 文 脈 に落 と し込 ん でし ま う こ と で、 事
件 への問 い の射 程 を狭 め てし ま って いる の で はな いだ ろう か。 た し か に こ の モデ ルが 指 摘 す る
よ う に、 八〇年 代 のオ タ ク世代 が 愛 好 し た物 語 と オ ウ ム教 団 が繰 り返 す 物 語 の間 には か なり の
共通 性 が 見 ら れ る のだ が 、 必 要 な のは こう し た 共通 性 の基 底 にあ る社 会 の構 造 的契 機 を 明 ら か
にし て いく こと であ る。 ﹁オ ウ ム﹂ を世 代 論 や若 者 論 と し て では な く 、 あ く ま で現 代 論 と し て
語 って いく べき な のだ 。 オ ウ ム の物 語 の源 泉 が ほ と んど 八〇 年代 の ﹁サブ カ ル チ ャ ー﹂ に還 元
でき ると し ても 、 そ のサブ カ ル チ ャー的 現 実 は 、決 し て社 会 の局 所 と し て の オ タ ク世 代 だ け の
も のな の で はな く、 こ の高 度 に情 報 化 さ れ た 現代 日本 社 会 を 貫 い て いる はず な の であ る。
ロー ル﹂ の可 能性 を強 調 す る こと で、 わ れ わ れ の日常 的 現 実 に ついて の自 明 性 を疑 う こ とな く
以上 のよう に、 オ ウ ム事 件 を め ぐ る マス コミ的 言説 の多 く は 、 ﹁謀 略 ﹂ や ﹁マイ ンド コン ト
事件 を処 理 し よう と し てき た。 ま た、 ﹁オ ウ ム﹂ の リ アリ テ ィが 問 題 に さ れ、 これ と ﹁わ れ わ
れ﹂ のリ アリ テ ィと の連 続 性 が 議 論 さ れ る 場 合 にも 、 しば し ば 議 論 が 特 定 世 代 の ﹁サブ カ ル
チ ャー﹂ の問 題 に還 元 され が ち だ った よう にも 見 え る。 だ が 、 オウ ム事 件 が 現 代 日本 人 に これ
ほ ど ま で の シ ョ ックを与 え る のは、 こ の事 件 が 単 な る オ タ ク世代 にとど ま ら ず 、 日本 社 会 を 成
り 立 た せ てき た リ アリ テ ィの基 盤 を揺 るが す さ まざ ま な要 素 を 内包 し て い る から でもあ ろう 。
し かも 、 オウ ム教 団 のリ ア リ テ ィと現 代 日本 の マス コミ的 な リ アリ テ ィ の間 に は、最 初 から 根
深 く、 振 じ れ た 同型 性 も 存 在 し て いた ので はな いだ ろう か。
教 団 に お け る マ ス コミ と地 城 社 会
教 団誕 生 から今 日 ま で の オ ウ ム教 団 を マ ス コミと の関 係 にお いて見 直 し て みる と、 そ こ に は
あ る奇 妙 に背 反 す る ふ るま いが 共存 し てき た ことが わ か る。 す な わ ち、 一方 で麻 原教 祖 と オウ
ム教 団 は、 マ ス コミ の報 道 が ま ったく の虚 偽 であ り、 操 作 さ れ た も のにす ぎ な いと批 判 し、 信
者 た ち への マス コミから の影 響 を遮 断 し よう と し つづ け てき た 。 た とえ ば 、 教 団 の雑 誌 ﹃ヴ ァ
ジ ラ ヤ ー ナ ・サ ッチ ャ﹄ の第 七 号 は、 ﹁ 悪 魔 の マイ ンド ・コン ト ロー ル︱︱ 人 類洗 脳計 画 の全 貌
を暴 く﹂ と いう 特集 を組 ん で いるが 、 こ こ で徹 底 的 な攻 撃 の対 象 と さ れ て い る のも マス コミ で
あ る。 彼 ら によ れば 、 マス コミ の情 報 は ﹁ワ ン ワ ー ルド 主 義 者 ﹂ によ って思 い のま ま に操 ら れ
てお り ﹁百 パ ー セ ン ト歪 ん で い る﹂。 マス コミが 行 使 し て い る ﹁洗 脳 テ ク ニ ック﹂ は、 ﹁あ た
かも わ た し たち か ら手 足 をも ぎ 取 り、 揚 げ 句 の果 て に頭 を も 奪 お う と し て い るか のよ う﹂ であ
る。 こ のよ う な状 況 から 自 己 を 解 放 す る に は、 ﹁ 余 計 な情 報 を シ ャ ット ア ウ ト す る﹂ こ と や
﹁情 報 の使 いこ な し方 を教 え る﹂ こ とが 不 可欠 であ る。 そ し て、 そ う し た ﹁真 っ暗 闇 の情 報 社
会﹂ か ら抜 け 出 す方 法 を教 え てく れ る のが 、 彼 ら の いう ﹁最 終 解脱 者 ﹂ な の であ る。
こ のよ う に オウ ム教 団 は、 マス コミ情 報 が い か に当 て にな ら な い かを 繰 り 返 し 強 調 し てき
た。 実 際 、 今 回 の事 件 でも マス コミ への猛 烈 な 不信 感 が たび たび教 団幹 部 の 口か ら聞 かれ た。
と こ ろが も う 一方 で、 オウ ム教 団 は実 に熱 心 に テ レビ な ど にも 出 演 し、 メデ ィ ア のな か で自 己
を演 じ てき た よ う にも 見 え る。 今 回 の事 件 の場合 、 何 と い っても ﹁あ あ 言 えば 上 祐 ﹂ 氏 の生 放
送 番 組 で の パ フ ォー マン スが 際 立 って いた こと は言 う ま でも な い。 強 調 し ておき た い のは、 こ
う し た パ フォ ー マン スは、 上 祐個 人 のパ ー ソ ナリ テ ィに由 来 し て いると いう よ りも 、 む しろ 教
団 の マス コミ に対す る 一貫 し た姿 勢 の 一部 であ った点 であ る。 周知 のよう に、麻 原 彰 晃 は、 か
つて テ レビ のな か で ビ ー ト た け し と対 談 し、 ﹁朝 ま で生 テ レビ ﹂ にも 自 ら 出 演 し て い る。 ま た
雑 誌上 で は、 中 沢新 一、 荒 俣 宏 な ど の知 識 人 と 好 ん で対 談 し てき た。 つまり 彼 ら は、 決 し て マ
ス コミを全 体 と し て拒 否 し てき た わ け で はな く 、 一方 で は マ ス コミ への不信 を 強 調 し、 信 者 へ
の マス コミ情 報 を遮 断 し つ つ、 他 方 では マス コミ にす り寄 り、 メデ ィ ア のな か の自 己 イ メージ を 巧 み に演 出 し てき た のであ る。
え る無 視 の態 度 と顕 著 な 対 照 を な し て いる。 教 団 が 施 設 群 を建 設 し た山 梨県 上 九 一色 村富 士 ケ
こ のよ う な教 団 の マス コミに対 す る両面 的 な 態 度 は、彼 ら の地 域 社 会 に対 す る無 神 経 と も い
嶺 地 区 は、 も と も と戦 後 す ぐ に各 地 の入 植者 が 集 ま って開 拓 さ れ た寄 り 合 い所 帯 の酪 農 村 のた
め、 ヨソ者 にも 比較 的 お おら かな 土 地 柄 であ る と いう。 そ ん な彼 ら に も、 ﹁宗 教 上 の問 題 ﹂ を
理由 に ﹁何 でも許 さ れ る﹂ と いう オ ウ ム教 団 の態 度 は到 底 我慢 が な らな か った よ うだ 。 反 対 運
動 の先 頭 に立 ってき た竹 内 精 一は 、教 団 の上 祐 史浩 を指 し て、 ﹁け し から ん のです 、 あ の男 は。
マス コミ に は ペ ラ ペラ喋 るけ ど 、 上 九 一色 村 に来 て村 民 に頭 を 下げ た こ とな ん て 一度 も な い﹂
と 批 判 し て い る ︵﹃週刊朝 日﹄ 一九九五年 六月十六日号︶。 す で にオ ウ ム教 団 は、熊 本 県 波 野 村 への
進 出時 から 、 地 元 と の十 分 な コミ ュ ニケ ー シ ョンな し に大 挙 し て押 し寄 せ、 昼 夜 な く騒 音 を 出
し て施 設 建 設 を進 め る と いう 強引 な や り方 で ト ラブ ルを起 こし て いる。 そ し て ト ラブ ルが 生 じ
ると次 々に裁 判 を起 こ し、 世 間 を 騒が せ る こと で マス コミ の注 目 を集 め よう と す ら し てき た か
のよ う だ。 幹 部 た ち が 何 度 も 自 ら 足 を 運 ん で村 民 に理 解 を 求 め、 頭 を 下 げ て村 と の妥 協 点 を
探 って いく と いう常 識 的 な 努 力 はき わ め て不 十 分 に し か な さ れ て いな い よう に 見 え る。 つま
い こう と いう 問 題意 識 が 最 初 から 欠落 し て いた と し か考 えら れ な い のであ る。
り 、 オ ウ ムの人 び と には、 自 分 た ち の宗 教 実 践 を 地域 社 会 と妥 協 し なが ら安 定 的 に根 づ か せ て
マ ス コミ 的 現実 と し て の ﹁麻 原 彰 晃 ﹂
全 国規 模 の マス コミや ﹁有 名 人 ﹂ と の関 係 を 重 ん じ、 逆 に足 元 の地域 社 会 と の関係 を な いが
し ろ にし て いく オウ ム教 団 の こう し た傾 向 は、 こ の宗 教 集 団 の誕 生 の時 点 から 伏 在 し て いた よ
う に思 わ れ る。 事実 、 オ ウ ム真 理 教 は、 初 期 から マス コミを 使 って巧 み に自 己 のイ メ ージ を宣
伝 し 、信 者 の裾 野 を拡 大 し てき た 。 た とえ ば 、 八〇年 代 に超 能 力 指 向 の若 者 たち に好 ん で読 ま
れ て いた オ カ ルト雑誌 ﹃ト ワイ ライ ト ゾ ー ン﹄ は、 そ の八 五年 十 月 号 で麻 原 彰 晃 を ﹁ 神 を めざ
す 超能 力 者 ﹂ と し て詳 し く紹 介 し て いる。 オ ウ ム神 仙 の会 が 発 足 し た のが 前 年 二月 、麻 原が い
わ ゆ る ﹁最 終 解 脱 ﹂ を宣 言 す る のが 翌 八 六年 の夏 だ か ら、 こ の当 時 の麻 原 は まだ 、弟 子数 名 を
集 める ヨー ガ教 室 の ﹁先 生 ﹂ にす ぎ な か った。 こ の ﹁先生 ﹂ が 、 こ の頃 か ら オ カ ルト雑誌 を中
心 に メデ ィ ア に さ か ん に 登 場 し 、 し だ い に そ う し た メデ ィ ア の な か に 演 出 さ れ た イ メ ー ジ で 自
ら を 神 格 化 し て い く よ う に な る の で あ る 。 同 誌 の編 集 者 は 後 に 、 麻 原 が メ デ ィ ア で 大 き く 取 り 上 げ ら れ る よ う に な っ た 経 緯 に つ い て 次 の よ う に述 べ て い る。
オ ウ ム を 最 初 にと り あ げ て、 盛 り 上 げ て い った の は う ち の雑 誌 だ った ん で す よ 。 ま ず 、
麻 原 さ ん の ほ う か ら う ち の編 集 部 に 、 取 材 し て く れ と い う 依 頼 が あ っ た ん で す 。 空 中 浮 揚
で き る よ う に な った か ら 、 と 。 で 、 行 っ て み た ら 、 最 初 は 宗 教 法 人 な ん か じ ゃ な く て 、 単
に ヨ ー ガ の 道 場 だ った ん で す よ 。 麻 原 さ ん が ト ラ ン ク ス姿 に な って 、 六 人 の 女 の 子 と 一生
︵﹃いま ど き の神 サ マ﹄ 別 冊 宝 島 一四 四号 、 一九九 〇 年 ︶ 。
懸 命 ヨ ー ガ を や っ て た 。 そ れ で う ち の 雑 誌 で 二 年 ぐ ら い に わ た っ て 登 場 し て も ら った
さ て、 そ の八 五年 十 月 号 の ﹃ト ワイ ライ トゾ ー ン﹄ だが 、 巻 頭 に はそ の後 も よく 話 題 にな る
﹁空 中 浮 揚 ﹂ の連 続 写 真 が 掲 載 され て いる。 だ が 、 記 事 全 体 から む し ろ印 象 づ け ら れ る のは、
荒 唐 無 稽 で自 己中 心 的 な物 語 を、 いか にも も っとも ら し く 語 って いく スト ーリ ー テ ラ ーと し て
の麻 原 の才能 であ る。 し かも、 彼 の語 る物 語 のな か で、 す で にこ の頃 から ﹁修 行 ﹂ や ﹁解 脱﹂
と核 戦 争 によ る終 末 のイ メ ージ はあ る結 び つき を持 って いた。 麻 原 は、 神 秘体 験 のな か でさ ま
ざ ま な神 と 対話 し て得 ら れ た のは ﹁生 き る こと を否 定 せ よ﹂ と の認 識 であ った と述 べ る。 同年
五 月、 突 然 、 天 か ら神 が 降 り て き て、修 行 中 の彼 を ﹁アビ ラ ケ ッ ノ ミ コト﹂ に任 じ る。 ﹁アビ
ラ ケ ッ ノミ コト﹂ と は ﹁神 軍 を率 いる光 の命 ﹂、 つま り 戦 闘 の中 心 に な る者 のこ と で、 彼 は神
に西暦 二 一〇 〇 年 か ら 二 二〇 〇 年 頃 に シ ャ ンバ ラが 登 場 す る ま で、 ﹁アビ ラ ケ ッノ ミ コト と し
て戦 う よう に命 じ ら れ た﹂ のであ る。 そ し て、 そ の前 の 二〇 〇 六年 には核 戦 争 の第 一段 階が 終
わ ってお り、 こ の核 戦争 は ﹁ 浄 化 の手 段﹂ と な る のだ と麻 原 は続 け る。 ﹁選 り す ぐ った レベ ル
の高 い遺 伝 子 だ け を 伝 え る﹂ た め の ﹁浄 化 の手 段 ﹂ であ る。 麻 原 は、 修 行 を 通 じ て極 熱 に 耐
え 、放 射 能 を 防 ぐ ことが でき る身体 を作 れば 、 こう し た試 練 を 切 り 抜 け る こ とが でき ると考 え
て いる。 そう し て麻 原が めざ す の は、完 璧 な超 能 力 者 た ち だけ の ﹁最終 的 な 国﹂ であ る。
麻 原 のこう し た世 界 像 や修 行 の数 々は、 そ の後 も ﹃ト ワイ ラ イ トゾ ー ン﹄ や ﹃ム ー﹄ のよ う
な オカ ルト雑 誌 にた び たび 紹 介 さ れ て いる。 麻 原 の初 期 か ら の信 者 た ち のな か に は、 こう し た
オ カ ルト雑 誌 の紹介 記事 から 教 団 に参 加 し て い った若 者 た ちが 決 し て少 な く な い の であ る。 こ
の よう に オ ウ ム真 理 教 の発 展 の基 盤 には、 八〇 年 代 を通 じ た マス コミ的 言 説 に お け る オ カ ル
テ ィズ ム への関 心 の増 大 が 確 実 にあ った。 ﹁ 空 中 浮 揚 ﹂ を は じ めと す る ﹁超能 力﹂ は、 こう し
た メデ ィア の潮 流 に乗 って ク ローズ ア ップ され 、 こ こ に麻 原 の スト ーリ ーテ ラ ー的 な 才能 や演
技 力が 加 わ って、読 者 た ちを ひき つけ た ので はな いだ ろ う か。 逆 に言 う な ら、 オ ウ ム信 者 た ち
は 、教 団発 足 時 から す で に、 彼 ら の教祖 に メデ ィア のな か で の ﹁超 能力 者 ﹂ のイ メ ージ を投 影 し 、麻 原 も そう し た イ メージ を 演 じ つづ け た よう に見 え る。
オ ウ ム と マ ス コミ の 振 じれ た 関 係
そ し て、 当初 は外 部 の メデ ィアを 利用 しな が ら 進 め ら れ た ﹁超 能 力者 ・麻 原 彰 晃 ﹂ のイ メー
ジ作 り は、 教 団が 拡 大 し た 八〇 年代 末頃 から は自 前 の メデ ィアを 使 って強 力 に展 開 さ れ て いく
よ う にな る。 教 団 の月刊 誌 ﹃マ ハー ヤ ーナ﹄ が 創 刊 さ れ る のが 八七 年 七 月。 ダ ラ イ ・ラ マら と
記 念撮 影 し た写 真 を 教 団 の出 版 物 に掲載 し、 中 沢 新 一や荒 俣 宏 など と の対談 や、 吉 本 隆 明 の麻
かけ て であ る。 そ し て、 こ の頃 から 麻 原 や教 団 幹 部 た ち の著 書 が す さ ま じ い勢 い で増 え て い
原 の著 書 への批 評 を 自 ら の権 威 づ け に積 極的 に利 用 し はじ める のも 八〇 年代 末 か ら九 〇 年 代 に
き 、 最 近 ま でに百 二十 冊 を超 え る ほど にな る。 さ ら に教 団 では 、 テ ープ や ビ デ オ、 は たま た ラ
ジ オ放 送 ま で の多 様 な メデ ィ ア戦 略 が 試 み ら れ て い った。 そ れ は いわば 、 オ ウ ム真 理教 が マ ス
コミ に利 用 さ れ、 マス コミを利 用 し て いく 段 階 か ら、 自 ら が マス コミそ のも の にな って い こう とす る段 階 への移 行 であ った よ う に思 われ る。
し たが って、 オ ウ ム教 団 の マス コミ非 難 、 あ る いは信 者 たち への マス コミ情 報 の遮 断 の根 底
には、 あ る種 の近親 憎 悪 が あ る。 す な わ ち、 今 日 の社 会 に お い て、 テ レビ を はじ めと す る マス
コミは 、 わ れ わ れ の日常 の現 実 が い かな るも のであ る のか を 規 定 す る、最 も 強 力 な イ デ オ ロ
ギ ー装 置 とな って いる。 八〇 年 代 以降 、 こ の現 実 の規 定装 置 は、 明 確 な 輪郭 を失 って いく 日常
のリ アリ テ ィを 、 一面 で オ カ ルテ ィズ ム への逃 避 と いう 形 で補 填 し て い った。 オ ウ ム真 理 教 の
世 界 と は、 も と も と こう し た マ ス コミ のな か の超 能 力 ブ ー ムを基 盤 に誕 生 し 、発 展 し てき た本
質 的 に メ デ ィ ア的 な リ ア リ テ ィ であ る 。 彼 ら は や が て 、 自 ら の う ち に自 身 の リ ア リ テ ィ を よ り
純 粋 な 形 で 産 出 し 、 確 認 し て い く メ カ ニズ ム を 内 蔵 し て い った 。 こ の と き オ ウ ム 教 団 は 、 マ ス
コミ 的 な 情 報 空 間 と 敵 対 し 、 こ の敵 対 を 利 用 し な が ら 信 者 た ち を ﹁ハ ル マゲ ド ン﹂ に向 か う も う ひ と つ の 情 報 空 間 のな か に 呪 縛 し て い っ た の で は な い だ ろ う か。
で あ る だ け で な く 、 今 日 の 日 本 の マ ス コミ は 、 実 は も う ひ と つ の オ ウ ム な の で は な い か と いう
そ し て 、 今 回 の事 件 を め ぐ る 狂 騒 の な か で 見 え て き た の は 、 オ ウ ムが も う ひ と つ の マ ス コミ
点 で あ った 。 阿 部 嘉 昭 は 、 教 祖 の脳 波 を 流 す ヘ ッド ギ ア の 効 力 を 嗤 い な が ら オ ウ ム報 道 を 垂 れ
流 し 、 自 分 た ち で オ ウ ム 普 及 の サ ブ リ ミ ナ ル 効 果 を 機 能 さ せ て い く テ レビ の 属 性 は 、 オ ウ ム真
理 教 と い う 教 団 のあ り よ う に そ っく り だ と 指 摘 し て い る 。 阿 部 に よ れ ば 、 ﹁わ れ わ れ は T V で
あ る ﹂ と い う 主 張 と 、 ﹁わ れ わ れ は オ ウ ム で あ る ﹂ と い う 主 張 し か し な い 両 者 の 言 論 の 質 は
ま っ た く 同 型 的 で あ り 、 T V の ﹁や ら せ ﹂ と 教 団 の ﹁自 作 自 演 ﹂ へ の傾 斜 は 、 そ の自 己 再 帰 性
に お い て 同 じ で あ る ︵図書 新 聞 一九 九 五年 五月 二十 七 日︶。 事 実 、 一連 の オ ウ ム 報 道 に お い て 、
一部 の テ レ ビ 局 で は 番 組 の 映 像 に 麻 原 教 祖 の顔 な ど を 短 い カ ッ ト で 挿 入 す る サ ブ リ ミ ナ ル的 手
法 を 用 い て い た 。 こ う し た 手 法 は オ ウ ム 教 団 の ビ デ オ が 盛 ん に 用 い て い た と こ ろ で、 教 団 の映 像 と マ ス コ ミ の映 像 の 同 型 性 が 証 明 さ れ て し ま った か の よ う で あ る 。
さ ら に 、 オ ウ ム教 団 で は 、 教 祖 の ﹁予 言 ﹂ が 、 彼 ら の 内 閉 す る リ ア リ テ ィを 絶 え ず 確 か な も
﹁予
の に 感 じ さ せ て いく 仕 掛 け と な って い た 。 こ の プ ロ セ ス は 、 こ の 三 月 末 以 来 、 オ ウ ム事 件 に 関
す る 一般 の 日 本 人 の リ ア リ テ ィが 、 テ レビ を 中 心 と す る 膨 大 な マ ス コ ミ に よ って な か ば
言﹂ 的 に構 成 さ れ て い ったプ ロセ スと酷 似 し て いる。 こ の よう に、今 回 の事 件 が露 呈 さ せ た の
は 、 オ ウ ム教 信 者 た ち の想 像 力 の異様 さだ け では な か った。 マ ス コミに よ り組 織 さ れ る現 代 日
本 社会 の想 像 力 が 、 ど れ ほど オ ウ ム のそ れと 似 てき てし ま って いる か と いう点 も 明 ら か にな っ
た のであ る。 わ れ わ れ は今 後 、 ﹁ 謀 略 ﹂ 説 や ﹁マイ ンド コン ト ロー ル﹂ 説 はも ち ろ ん、 ﹁サブ
カ ルチ ャ ー﹂ 論 だ け にも議 論 を とど め てし ま う ので はな く 、現 代 日本 社 会 の メデ ィア空 間 のな か のオ ウ ム的 な契 機 を 、 深 く検 証 し直 し て いか なけ れ ば な ら な い。
チ ア パ ス の 反 乱(Proceso誌
よ り)
メキシ コシテ ィから の現在
メキ シ コシテ ィの夜 景 は美 し い。 ま る で噴 火 口から あ ふ れ だ し た溶 岩 が 平 原 全体 を 覆 い尽 く
す か のよ う に、 無 数 の電光 が 果 て しな く広 が り、 見 る者 を 圧 倒 す る。 夜 、南 の郊 外 にあ る ク エ
ルナバ カ方 面 から 尾 根 づ た い の道 路 を 帰 って来 ると 、 ち ょう ど銀 河 の海 に降 り 立 つよう な 、 微
かな めま いを覚 え ず には いら れな い。 暗闇 のな か に広 が る無数 のき ら めき は 、 こ の世 界 最 大 級
の人 口を擁 す る都 市 の巨 大 さ を 目 のあ たり にさ せ ると 同 時 に、 そ の均 質 的 な 色彩 によ って、 表 層 の風 景 の背 後 にう ご めくあ らゆ る差 異 と 切断 、 重 層 性 を 隠 し て いる。
レ フ ォル マや イ ン スル ヘンテ ス、 ペ リ フ ェリ コと い った大 通 り を疾 走 す る無 数 の自 動 車 の洪 水
実 際 、 昼 間 の メキ シ コシ テ ィは、 そ れが 夜 に見 せ た のと は ま った く違 う 相 貌 をあ ら わ にす る。
も 、 これ ら の通 り沿 い に並 ぶ スー パ ー マー ケ ット や フ ァミリ ー レ スト ラ ン の フ ァサー ド の画 一
9月
1994年
す、 一種 のま や か し にす ぎ な い ことが やが て明 ら か と な る。 そ のと き わ れわ れ は、 メキ シ コシ
性 も 、 こ の都市 が たが い に分 断 さ れ た形 で内 包 し て いる非 等 質 的 な世 界 の モザ イ クを 巧 み に隠
テ ィが 、 そ こを 訪 れ た者 が 最 初 に いだ く印 象 よ り も、 ず っと複 雑 で、多 様 で、 錯 綜 し た構 成 体
であ る こと に気 づ か さ れ る。 い った いこ のよう な 都 市 の全体 を 、 ど う す れば 統 合 的 に捉 え る こ
と が でき る の か。 こ の問 いに答 え る こと は、 たと え ば 東京 に対 す る同 じ よ う な問 いに答 え る こ と よ り も、 あ る意 味 では る か に難 し い こと のよう にも 思 わ れ る。
以 下 の文 章 は、 筆 者が 一九 九 三年 九 月 の メキ シ コ独 立 記 念 日 の直 前 から 、 翌年 四月 の復 活 祭
の頃 ま で、 国際 交 流 基 金 の派 遣 で、 メキ シ コシ テ ィ郊 外 にあ る エル ・ コレ ヒオ ・デ ・メ ヒ コと
コ社 会 に つい て の印 象 記 であ る。 も と より 七 ヵ月 と いう 滞 在 期 間 は 、 一個 の都 市 に ついて本 気
いう 大 学 院 大 学 で近 代 日本 文 化論 を教 え る ため に彼 の地 に滞 在 し た とき の、 こ の都市 と メキ シ
で語 ろう と す る のであ れば 、 ま った く 不十 分 な 短 さ であ る。 し かも 、 メキ シ コ生 活 に は必 須 の
スペイ ン語 も 現 地 到着 後 に入 門 編 に取 り組 んだ よう な状 態 であ る から 、 でき る こ と に は限 界が
あ った。 し たが って、 以 下 の記 述 も 、 本格 的 な メキ シ コシテ ィ論 と いう よ り も、 現 代 世 界 のた
だ な かで都 市 の現 在 を 考 え て いく た め の試 行 的 な作 業 と 受 け と め ても ら いた い。
北米 化 す るリ アリ テ ィ
最 初 の印 象 は、 圧 倒 的 な 勢 い で進 行 す る北 米 化 であ った。 メキ シ コシテ ィに住 み はじ め て数
週 間、 私 たち家 族 が こ の都 市 でまず 目 にし た のは、 近 代 の彼方 で異 文 化 の時 間 を息 づ か せ て い
る ア ステ カや マヤ の世 界 でも な け れば 、 貧 困 にあ えぎ 、 大 量 の不衛 生 な スラ ムが 都 市 を包 囲 す
にあ ふ れ て いた。 街 にはポ ス ト モダ ン風 の シ ョ ッピ ング モー ルや北 米 式 の スー パ ーが 建 ち、 そ
る いわゆ る第 三世 界 の都 市 でも な か った。 む し ろ そ こ で の生活 は、 予 想 を は るか に超 え て モノ
の横 で はや はり東 京 の郊 外 でよ く見 かけ る よう な フ ァミ リ ー レ ス ト ラ ンに買 物 客 が列 を つく っ
て いた。 生 ま れ て数 ヵ月 の赤 ん坊 を連 れ て い った た め、 いろ いろ な と こ ろ で乳 児 用 品 を探 し 回
るこ と にな ったが 、外 国製 の ミ ル クや哺 乳 瓶 、 ベビ ー フード の品揃 え は東 京 に見 劣 り し な いも
の であ った。 さ ら に、 フ ァ ッ シ ョンか ら台 所 用 品 に至 る ま で、 北 米式 の消 費 文 化 は急 速 に メキ シ コの都 市 の 日常 風 景 に浸 透 し つ つあ った。
街角 を走 る無 数 の自 動 車 。 これ も 、黒 煙 を巻 き あげ て疾 走 す るポ ン コツ車 の大 群 と い った イ
メージ か ら は遠 く 、 少 な く とも こ の首 都 に関 す る かぎ り、 フ ォード や 日産 の新 車 が 突 然 の車 線
変 更 や 信 号無 視 を 繰 り 返 し なが ら ひし め いて いた。 噂 にたが わ ぬ運 転 の乱暴 さ は とも かく 、道
路 はよ く整 備 され て い て、 た とえ ば メキ シ コシテ ィを 南北 に縦 断 す るイ ン ス ル ヘンテ スや 外縁
を 廻 る ペリ フ ェリ コのよ う な幹 線 道 路 の風 景 は、 ロサ ンゼ ル スあ た り の ハイ ウ ェイを 走 ると き
と ほと んど変 わ りが な いよ う にも 思 わ れ た。 そ し て、 こ の 二 つの幹 線 道 路 が 南 で交 わ る地 点 に
は、 と て つも な い規 模 の駐車 場 を持 つ北 米 式 の巨大 な シ ョ ッピ ング セ ンタ ーが建 って いた。 低
層 な が ら 延 々と広 が る建 物 のな か には、 大 き な デ パ ー ト 四軒 と数 えき れ な い ほど のブ テ ィ ック
や流 行 の店 々が 並 ん で い た。 マス メデ ィア に ついて見 ても 、 中 産階 級 の多 く の家 庭 にCA T V
上 :メ キ シ コ シ テ ィ の ハ イ ウ ェ イ 下 :増 殖 す る ス ー パ ー マ ー ケ ッ ト
が 入 り 、 C N N や 国 境 の北 の テ レ ビ ・ネ ッ ト ワ ー クが ご く 日 常 的 に視 聴 さ れ て い た 。 映 画 に し
て も 、 人 び と の 話 題 に のぼ る の は 、 ほ と ん ど が ハリ ウ ッド の最 新 流 行 作 で あ る 。 そ し て若 者 た
ち は 、 七 〇 年 代 後 半 か ら 八 〇 年 代 に か け て 欧 米 で 流 行 った よ う な ハー ド ロ ッ ク や パ ン ク ミ ユー ジ ッ ク と そ の フ ァ ッ シ ョ ン に 夢 中 で あ った 。
も ち ろ ん 、明 瞭 に階級 格 差 が あ り 、 そ れが しば しば 人種 的 な差 別 と 結 び つ いて いる こ の国 で、
こ う し た 北 米 式 の消 費 文 化 を 享 受 で き る のが 、 首 都 で も 中 産 階 級 以 上 の 階 層 に限 ら れ て い る こ
と は 明 ら か であ る 。 だ が 、 そ れ で も メ キ シ コ シ テ ィ の 人 び と の生 活 の な か に 加 速 度 的 に 浸 透 し
つ つあ る か に見 え る 北 米 の 影 響 は 、 日 本 で 想 像 し て い た 域 を は る か に 超 え て い た 。 実 際 、 メ キ
シ コ滞 在 中 、 何 人 も の人 か ら 、 こ こ 数 年 で メ キ シ コ シ テ ィ の街 並 み が だ ん だ ん ロサ ン ゼ ル ス の
よ う に な っ て き た と いう 話 を 聞 い た 。 私 が メ キ シ コに 到 着 し た 頃 、 ち ょう ど 日本 経 済 新 聞 は メ
キ シ コ特 集 を 組 み 、 そ の な か で チ ャプ ル テ ペ ッ ク 公 園 の 北 側 に あ る ポ ラ ン コ地 区 が 最 近 、 ﹁急
速 に青 山 通 り 化 し 始 め た ﹂ こ と に ふ れ て い る 。 そ れ に よ る と 、 こ の 地 区 で は 、 こ の と こ ろ ﹁高
級 専 門 店 の新 規 開 店 が 相 次 い で い る 。 ク リ ス チ ャ ン ・デ ィ オ ー ル 、 ニ ナ ・リ ッ チ 、 ウ ン ガ ロな
ど ヨ ー ロ ッパ 系 高 級 ブ テ ィ ッ ク 、 米 国 の ア パ レ ル メ ー カ ー 、 エ スプ リ ット 、 靴 の フ ッ ト ・ ロ ッ
カ ー な ど が 気 取 っ た 装 い の店 を 並 べ て い る 。 ⋮ ⋮ 売 っ て い る 商 品 の 値 段 は ロサ ン ゼ ル スな ど と
変 わ ら な い。 例 え ば 、 ア イ ス ク リ ー ム の ハー ゲ ン ・ダ ッ ツが 進 出 し て い る が 、 一杯 の カ プ チ ー
ノが 六 新 ペ ソ ︵ニド ル弱 ︶ す る 。 そ れ で も 昼 食 時 に な る と 、 ビ ジ ネ ス マ ン 風 の 若 い 男 性 や O L
ら で 店 内 は 結 構 混 ん で く る。 ⋮ ⋮ 週 末 の 夕 刻 に は 、 フ ァ ミ リ ー レ ス ト ラ ン で は 、 席 待 ち の 家 族
連 れが 行 列 を作 る﹂ ︵日本経済新聞 一九九三年九月十六日夕刊︶。
も し れな い。 す でに オ スカ ー ・ルイ スは ﹃ 貧 困 の文 化 ﹄ ︵新潮選書、 一九七〇年︶ のな か で、 一九
た し か に こう し た メキ シ コの北 米 化 は、 必 ず し も最 近 にな って始 ま った現 象 と は言 えな いか
四 〇年 代 以 降 の メキ シ コにお け る重 要 な 傾 向 と し て増 大 す る北 米文 化 の影 響 に注 目 し て いた。
最 近 、 ア メ リ カ の投 資 と 共 に大 規 模 な 宣 伝 が は い り 込 み 、 明 ら か に ア メ リ カ の趣 が 見 ら
れ る 。 大 半 の テ レビ 番 組 は 、 ネ ッ ス ル、 ジ ェネ ラ ル ・ モ ー タ ー ス、 プ ロ ク タ ー ・ア ン ド ・
ギ ャ ンブ ル 、 コ ル ゲ ー ト の よ う な 外 国 系 の会 社 が ス ポ ン サ ー だ 。 ⋮ ⋮ ア メ リ カ式 デ パ ー ト 、
ウ ー ル ワ ー ス や シ ア ー ズ ・ ロ ーバ ッ ク の よ う な 店 で の小 売 商 法 は 、 セ ル フ ・サ ー ヴ ィ ス、
商 品 の 魅 力 的 展 示 、 規 格 ・保 証 製 品 の よ う な 形 で こ の十 年 間 に更 に 一般 的 に な っ てき た 。
セ ル フ ・サ ー ヴ ィ ス と ア メ リ カ の商 標 の つ い た 包 装 食 品 を 売 る ス ー パ ー ・ マ ー ケ ット は 、
メ キ シ コ市 の暮 し 向 き の よ い 住 宅 街 や 小 さ な 都 市 の 一部 で 始 め ら れ て い る 。 ア メ リ カ 製 の
衣 類 や 靴 、 ア メ リ カ の有 名 な ラ ベ ルが 付 い て い る 現 地 製 品 が 高 級 店 で 売 ら れ て い る 。 工 場
や オ フ ィ ス に就 職 す る 数 が 多 く な った た め 、 手 早 く 昼 食 を 取 る 習 慣 が 広 ま り 、 家 庭 で 昼 食
を と った り 、 同 様 に 伝 統 的 な 昼 寝 も す た れ た 。 ア メ リ カ 式 の 朝 食 ︱ ︱ ジ ュー ス 、 オ ー ト
ミ ー ル類 、 ハム ・ エ ッグ 、 コ ー ヒ ーが 一般 的 と な り 、 伝 統 的 な 豆 の煮 物 、 チ ー レ ・ソ ー ス
と ト ル テ ィ ー ヤ に と っ て 代 っ た。 若 干 の中 産 階 級 で は ク リ ス マ ス ・イ ヴ に 七 面 鳥 を 食 べ る
風 習 を 採 り 入 れ て い る 。 キ リ ス ト降 誕 の情 景 の 飾 り つ け を す る 習 慣 に代 っ て ク リ ス マ ス ・
ス マ ス ・プ レゼ ン ト が か わ さ れ る と いう 点 に も こ の傾 向 が 見 ら れ る 。
ツ リ ー が 用 い ら れ 、 ﹃キ リ ス ト 公 現 の 祝 日 ﹄ で あ る 一月 六 日 の 代 り に 十 二 月 二 五 日 に ク リ
若 干 の修 正 を 加 え れ ば 、 戦 後 日 本 の ア メ リ カ ナ イ ゼ ー シ ョ ンを 語 る と き に も 当 て は ま り そ う
な こ の 描 写 が 書 か れ た の は 、 一九 五 九 年 の こ と で あ る 。 そ れ か ら ち ょ う ど 三 十 年 後 、 ア メ リ カ
人 ジ ャ ー ナ リ ス ト の パ ト リ ッ ク ・オ ス タ ー は 、 か つ て ル イ スが 用 い た ﹁ 羅 生 門 式 手 法 ﹂ に倣 い
な が ら 、 八 〇年 代 の メキ シ コシテ ィにう ご め くさ まざ ま な人 物 模 様 を浮 かび あ が ら せた 。 そ の
な か の 一人 、 ヘラ ル ド は 、 ル イ スが 観 察 し た 五 〇 年 代 末 以 降 、 北 米 の 文 化 的 影 響 が メ キ シ コ の
ブ ル ジ ョ ア た ち の 意 識 に ど れ ほ ど 深 く 浸 透 し て い った か を 如 実 に 示 し て い る 。 彼 は 、 高 級 住 宅
街 の ポ ラ ン コ地 区 に 建 つ ナ イ ト ク ラ ブ に 入 り び た り 、 ニ ュ ー ヨ ー ク の有 名 な デ ィ ス コ ﹁ス タ ジ
オ 54﹂ を 真 似 た イ ン テ リ ア を 、 ﹁か っこ い い だ ろ う 。 ア メ リ カ そ っく り だ ろ う ﹂ と 自 慢 す る 。
会 話 の な か に 英 語 の 語 句 や 罵 り こ と ぽ を 好 ん で 差 し 挟 む こ の ク ラ ブ の客 た ち は 、 自 国 製 品 の質
の 悪 さ を 軽 蔑 し 、 ア メ リ カ や 外 国 か ら の輸 入 品 で あ れ ば ど ん な 物 で も 尊 重 す る の だ 。 彼 ら の な
か で も 金 持 ち 連 中 は 、 ﹁週 末 の ち ょ っと し た 買 い 物 に ヒ ュー ス ト ン や ロ サ ン ゼ ル ス、 ニ ュー
ヨ ー ク ヘジ ェ ッ ト機 で飛 ぶ こ と な ど な ん と も 思 わ ず 、 カ ル バ ン ・ク ラ イ ン、 ジ ョ ー ジ ・ マ ル シ
ア ー ノ 、 ラ ル フ ・ ロ ー レ ン、 ハル ス ト ン の ブ ラ ンド 物 を 着 こ ん で い る ﹂。 そ し て こ の ヘラ ル ド
も 、 メ キ シ コ人 歌 手 の曲 は 避 け 、 ミ ッ ク ・ジ ャ ガ ー や フ ィ ル ・ コ リ ン ズ の曲 を 好 み 、 も っぱ ら
合 衆 国 や ヨ ー ロ ッ パ の ロ ック ミ ュー ジ ック と 英 語 の お し ゃ べ り が 流 さ れ る ラ ジ オ 番 組 、 あ る い
は テ レビ な らば ﹁マイ ア ミ・バ イ ス﹂ のよ う な番 組 を視 聴 し て いる。 オ スタ ーは 、 ﹁首 都 でも 他
の都 市 でも、 彼 に似 た金持 ち のメ キ シ コの若 者 に多 数 出会 う﹂ と述 べ て いるが 、 こ う し た印 象
は、 決 し て過度 に誇 張 さ れ たも の で はな い ︵﹃メキシ コ人﹄晶文社、 一九九 二年︶。
こ の よう に、 今 日 の メキ シ コシテ ィにお け る人 び と の生 活 や価 値 意 識 を 特 徴 づ け る最 大 の傾
向 のひと つは、 間 違 いな く 北米 の文 化 的 、 経済 的 影 響 の増 大 であ る。 こ のよ う な傾 向 は、 八 六
年 に メキ シ コが G A T T に加 盟 し て以 来 、 そ し てと り わ け P R I ︵ 制 度的革命党︶ の大 統 領 サ
リ ナ ス ・デ ・ゴ ルタ リが 、 八 八年 に ︵公式発表 のうえでは︶当 選 を 果 た し、 新 自 由 主義 の経 済 政 策
を積 極 的 に推進 し は じ め て以 来 、 い っそう 加 速 さ れ てき た。 墨 米 間 の関 税 が 次 第 に引 き 下げ ら
れ る な か で、 八 六年 から 九 二年 ま でに米 国 の対 メキ シ コ輸 出 は約 六倍 に増 え 、 メ キ シ コは ア メ
リ カ にと って 日本 以上 の得 意 先 と な って い った の であ る。 他 方 、 メキ シ コの方 も 輸 出 の約 七割
を 対米 輸 出 に依 存 し てお り、 そ の額 は 八 六年 から 九 二年 ま で に 四倍 近 く に増 大 し てき た 。 ま た
こ の間 、米 国資 本 の メキ シ コ への進 出 も増 加 し、 メキ シ コは貿 易 収 支 の赤 字 を資 本 収 支 の黒字
で補 う こと によ って、 八 〇年 代 前 半 の経済 的 破 産 状 態 か ら な ん と か脱 出 を果 た そう と し てき た。
こ のよ う な 両国 経 済 の統 合 化 は、 と り わ け 国境 地 帯 で は顕著 であ った。 安 い労 働 力 を 期 待 し て
メキ シ コ北部 への米 国 企業 の進 出 が 続 き 、 こ れ ら メ キ シ コ側 の諸 都 市 と テキ サ スや カ リ フ ォル ニア の諸 都 市 の間 に は国 境 を越 え た経 済 圏 も形 成 され てき た の であ る。
し かも こう し た傾 向 は、昨 年 十 一月 に メキ シ コが NA F T A ︵ 北米自由貿易協定︶ に加 盟 し た
こと に より さ ら に倍 加 さ れ ると考 えら れ て いた。 こ の協 定 への加盟 に より 、 米 墨 間 の関 税 は、
即 時、 五年 、 十年 の三段 階 にわ た って引 き 下 げ ら れ る こ と にな った。 そ れ はや が て、北 米 大 陸
に人 口三億 七 千 万 、 G D P 六兆 五千億 ド ルの巨 大 な自 由 貿 易 市 場 が誕 生 す る こと を 意味 し て い
た 。 こ う し た動 き を踏 まえ 、 北 米 の大手 自 動 車 メ ー カ ーは、 メ キ シ コで の工場 建 設 を進 め る と
同 時 に、 九 四年 以降 の大 幅 な輸 出拡 大 を見 込 ん で いた し、 九 〇 年 代 に入 って から 本 格化 し た パ
ソ コン の輸 出 も 、 関税 が 九 一年 に は四 〇 パ ー セン トか ら 二〇 パ ー セ ント へ、 そ し て九 四年 以 降
は 五年 間 で ゼ ロにな ると いう 見 通 し の な か で米 国企 業 が 熱 いま な ざ し を 注 い で いた ︵日本経済
に示 さ れ る メキ シ コ経済 の危 機 を 、 大 量 の北 米 資 本導 入 によ って埋 めあ わ せ よう と す る サリ ナ
新聞 一九九三年十 二月 二十三日︶。 N A F TA 加 盟 は、膨 大 な貿 易 赤 字 と 若 年 層 の過 剰 労 働 人 口
ス政 権 の政 策 の総 決 算 であ った。 いわば 、北 米 にと こと ん従 属 す る こと でな ん と か生 き 延 び よ
う と す るこ の戦 略 は、 た し か に こ こ数年 、物 質 的 な ﹁豊 か さ﹂ を 享 受 す る都 市 中 間 層 を 増 大 さ
せ、 ﹁メキ シ コはす で に ﹃第 三世 界 ﹄ から 脱 し 、 こ れ か ら は 北 ア メ リ カ、 つま り ﹃ 第 一世界 ﹄ の仲 間 入 り をす る﹂ と いう 幻想 を広 く ゆ き渡 ら せ て い た。
コヨ アカ ン の 二 つの貌
以 上 の よ う な 印 象 は し か し 、 メ キ シ コ シ テ ィ で 半 年 の 日 々 を 送 る 間 に 、 少 し ず つ、 根 底 か ら
崩 れ 去 っ て い った 。 ま ず 、 身 近 な と こ ろ か ら 話 す こ と に し よ う 。 私 た ち は 、 メ キ シ コ シ テ ィ南
部 の コ ヨ ア カ ン 地 区 の は ず れ に フ ラ ッ ト 型 の ア パ ー ト を 見 つけ て住 み は じ め た 。 こ の地 区 は 、
メキ シ コシテ ィのな か でも 独特 の情 緒 と 歴史 性 を 備 え た場所 であ る。 こ こ に長 く住 む バ イ オ リ
ニ ス ト の黒 沼 ユリ 子 は 、 ﹁コ ヨ ア カ ン ﹂ と い う 知 名 に は 、 メ キ シ コ人 に と っ て ﹁何 と も 言 え な
い、 あ た か も 自 分 の 幼 少 時 代 を 思 い出 す 、 な つ か し さ が こ も っ て い る ﹂ こ と を 強 調 し て い る
︵﹃メ キ シ コの輝 き﹄ 岩 波 新 書 、 一九 八 九 年︶。 も と も と ア ス テ カ 帝 国 の 都 テ ノ チ テ ィト ラ ン を 囲 む
美 し い 湖 テ ス コ コの 南 岸 に 位 置 し た コ ヨ ア カ ン に は 、 十 五 世 紀 ま で ト ル テ カ 族 の集 落 が 広 が っ
ス の侵 攻 に あ た って は 反 ア ス テ カ 側 に つ い て 征 服 者 に 協 力 す る 。 そ し て 征 服 者 た ち も 、 ア ス テ
て い た 。 そ こ に住 む 人 び と は 、 ア ス テ カ に 軍 事 的 に は 従 属 し な が ら も 独 立 意 識 を 保 ち 、 コ ル テ
カ制 圧 後 に コ ヨ ア カ ン に 居 を 構 え て 新 大 陸 の 支 配 を 確 立 し て い く の で あ る 。 今 日 で も 、 こ の 地
区 中 央 の広 場 に は 、 コ ル テ ス の館 と 十 六 世 紀 半 ば に建 て ら れ た み ご と な 教 会 が 並 ん で い る 。 こ
う し た 意 味 で は 、 コ ヨア カ ン は 、 メ キ シ コの な か でも ス ペ イ ン の植 民 地 文 化 が 最 初 に根 づ い て い った 場 所 の ひ と つ であ った と 言 う こ と が で き よ う 。
こ の よ う な コ ヨ ア カ ンだ が 、 今 世 紀 半 ば に メ キ シ コ シ テ ィ の 爆 発 的 な 膨 張 が 始 ま る 以 前 は 、
シ テ ィ郊 外 の、 瀟 洒 な 別 荘 地 の た た ず ま いを 残 し て い た 。 私 た ち 家 族 も こ こ に 住 み は じ め た 頃 、
家 の す ぐ 近 く の コ ン チ ー タ 公 園 ︱ ︱ 小規 模 な が ら 、 テ ン プ ロ ・デ ・ラ ・ コ ン セプ シ オ ン と い う
古 い 小 さ な 教 会 を 囲 む こ の公 園 の 雰 囲 気 は 素 晴 ら し く 、 今 も 私 は 、 こ れ が メ キ シ コ シ テ ィ の最
も 美 し い公 園 で あ る と 確 信 し て い る ︱ ︱か ら 、 コ ル テ ス に 協 力 し た イ ン デ ィ ヘナ の 妻 マ リ ン
チ ェの 館 が 並 ぶ 道 を 通 っ て中 央 の広 場 に 出 て 、 教 会 や カ フ ェ、 書 店 、 そ れ に メ キ シ コ の至 る と
こ ろ で 見 か け る レ ス ト ラ ン ・チ ェー ン の ﹁サ ン ボ ル ン﹂ な ど を ぶ ら ぶ ら す る と い う 散 歩 コ ー ス
を しぼ しば たど った。 時 間 が あ れ ば 、 さ ら に フラ ン シ ス コ ・ソー サと いう、 十九 世 紀 ま で の メ
キ シ コシテ ィの街 並 み を そ のま ま 残 し た よう な 並 木 道 を歩 き 、 地 区 の文 化 セ ンタ ーや 美味 し い
メキ シ コ料 理 の レ ス トラ ンま で行 く と いう コー スも あ った。 コロ ニア ル趣味 と言 って しま えば
そ れ ま でだ が 、 コ ヨアカ ンに はた し か に黒 沼 が 東 京 郊 外 の鎌 倉 にな ぞ ら え た よう な、 古 き 良き 時 代 の メキ シ コシ テ ィ郊 外 の別 荘 地 の、文 人 的 な 雰 囲 気が 残 って いた。
コ ヨーテ た ち の像 が 立 つ噴 水 を 囲 ん だ 地 区 中 央 ︵ソカ ロ︶ の広 場 に は、 週 末 に な る と ア ク セ サ
コ ヨアカ ンはま た 、 メキ シ コ シテ ィ の原 宿 でも あ った 。 こ の地名 の語 源 であ る とも 言 わ れ る
リ ーや 民芸 品 を 売 る若者 た ち の露 店が ひ し めく だ け でな く 、毎 週 のよう に コンサ ー ト や集 会が
開 か れ 、多 く の若 者 や観 光 客 が 集 ま って、 ま る で東 京 の表 参 道 か代 々木 公 園 さ なが ら の雰 囲気
が 醸 し だ さ れ て いた 。広 場 の周 辺 の街 路 には、 タ コ スや ケ サデ ィー ジ ャ、 ポ ソ レと い った メキ
シ コ料 理 を スタ ンド で食 べ さ せ る店 と 、最 新 流 行 のC D や フ ァ ッ シ ョンを売 る店 、 スノ ッブ な 画 廊 や ア ンテ ィー ク ・シ ョップ 、 カ フ ェな どが 混 在 し て いた。
生活 の場 所 と し て こう し た地 区 を 選 ん だ こ と に は、 も ち ろ ん 一長 一短 が あ る。 た し か に こ の
都 市 の周 囲 に点 在 す る掘 立 て小 屋 地 域 に住 んだ なら 、 今 回 の滞 在 で は外 側 から観 察 す る にと ど
ま った 人 び と の生 活 を よ り深 く知 る ことが でき た かも し れ な い。 だ が そ れ は、今 回 の私 にと っ
て は、 語学 力 の点 でも 、家 族 形 態 と いう 点 でも 不可 能 であ った。 中 岡哲 郎 は か つて、 メキ シ コ
シテ ィで の 一年 間 の滞 在 を通 じ て洞 察 力 にあ ふ れ た生 活 記 を 残 し た。 氏 の著書 は 、中 南 米 の専
門 的 研 究者 で は なく ても メキ シ コ滞 在 を 通 じ て 日本 人 が ど こ ま で こ の国 を 理解 す る こ とが でき
る の かを 示 す 良 き 例 であ る ︵﹃メキ シ コと日本 の間で﹄岩波書店、 一九八六年︶。 そ の中 岡 が 住 ん で
いた ペド レガ ル地 区 は、 一九 六 八年 の メキ シ コ ・オ リ ンピ ック以 降 に開 発 さ れ た 一帯 で、 こ こ
には メキ シ コシテ ィでも有 数 の高 級 住 宅街 と高 層 ア パ ー ト群、 それ に大 学 や 放送 局 、 行 政 機 関
が 集 ま って いた。 エル ・コレ ヒオ ・デ ・メ ヒ コも こ の地 区 にあ る わけ だ が 、 中 岡 は自 宅 から コ
レヒ オま で を毎 日、 環状 道 路 を歩 い て通 い、 そ の道 す が ら に メキ シ コ社 会 の根底 に届 く よう な
さまざ ま な観 察 を 始 め て いる。 それ ら の観 察 は、 ペド レガ ル の表 向 き の高 級 イ メ ージ と は明 白
に異 な る 、 メキ シ コ社 会 を さ まざ ま に分 断 し て いる亀 裂 へと つなが るも の であ った。 中 岡氏 ほ
ど の洞 察 は 到底 でき な い にせ よ、 私 も ま た コ ヨアカ ンから 出 発 し なが ら、 わ ず か でも メキ シ コ シテ ィと いう都 市 の断 面 を か いま見 る こと が でき れば と 考 え て いた。
た アパ ー トも 、 メキ シ コシテ ィ の平均 的 な 住 宅 水準 か らす るな らば 、 や や恵 まれ たも の であ っ
とも あ れ わ れ わ れ は コヨア カ ン に住 み着 いた。 場所 柄 から 察 せ ら れ る よう に、 私 た ちが 借 り
た よう に思 わ れ る。 少 な く と も 、 私 た ちが 東 京 で住 ん で いた家 に比 べ る な ら、 見 かけ はは る か
に立 派 であ った 。 と こ ろが こ の家が 、 われ わ れ が 生活 を始 め て 二 ヵ月 を 経 た頃 から 、 次 々 に些
細 な ト ラブ ル に見舞 わ れ る こと にな る。 まず 、 電 話が 壊 れ て 一週 間 ほ ど 全然 使 え なく な った の
を皮 切 り に、 翌 週 には水 が 突 然 止 ま ってし ま い、 そ の後 も断 水 状 態 が 繰 り返 さ れ た。 さ ら にそ
の翌 週 の夜 に は、家 のな か の照 明 が 次第 に薄 暗 く な った か と思 う と 、 ほと ん ど蝋 燭 の火 ほど の
細 さ にな って しま った。 ど う やら ど こか で誰 かが 盗 電 し て いるら し いと の こと であ った。 メキ
シ コには こう した 盗 電 のプ ロが たく さ ん いる そう であ る。数 週間 後 、 今 度 は新 品 同様 の テ レビ
が 突 然 、 煙 を出 し て壊 れ てし ま った。 原 因 は、 電 力 会 社 が 突 然、 規 格 を大 き く 超 え る電 圧 の電
流 を 流 し てし ま った こと にあ る ら し い。 年 末 には、 電 話 会 社 が突 然 、 私 の住 ん で いる 地域 の電
だけ でな く、 間 違 い電 話 の数 が 実 に多 く 、 正 し い番 号 を かけ ても そ の番 号 に は つなが ら な い こ
話 番 号 を変 更 す る。 ち な み に メキ シ コで は、 公衆 電 話 は ほと んど壊 れ て い ると 考 え た方 が い い
とも 少 な く な い。
年 が 明 け る と、 今 度 は メキ シ コの大 手 銀 行が 、 生 活 費 と し て私 の 口座 に送 ら れ てき た送 金 を
途 中 で紛 失す ると いう 事 件が 起 き た。 これ には私 も 困 り は て、証 拠 書 類 を 揃 え て銀行 と毎 日 の
よう にか けあ うが ら ち が あ か な い。 銀 行 側 には謝 る様 子 も 、 問題 を解 決 し よう と す る姿 勢 も 見
た の で罰金 を取 ると 言 う 。 さ すが に私 も 腹 が 立 ち 、 ﹁こ れ は お前 た ち の責 任 だ ろう ﹂ と 詰 め寄
ら れ な か った。 そ れ ど ころ か、 送 金 が 紛 失 し た た め に預 金額 が 小 切 手 を 払 う の に足 り なく な っ
ると 、 担当 の銀 行 員 はび っく り し た表 情 で、 ﹁と ん でも な い! 私 には 何 の責 任 も な い﹂ と 主
張 す る。 私 は驚 き 、 ﹁し か し、 こ の問 題 はす べ て こ の銀 行 の ミ ス で起 き た のだ ろう ﹂ と 繰 り 返
す と 、相 手 は そ の通 り 、 こ の銀行 は よ く そ う し た ミ スを 犯 す のだ と言 う。 そ し て加 え て、 ﹁私
は こ の銀行 に勤 め て い るが、 私 の仕 事 は こ の窓 口 の仕 事 だ け で、 こ こ で は何 ら ミ スを 犯 し て は
いな い﹂ と言 う の であ る。 た し か に筋 が 通 って いて、 会 社 と 個人 を無 意 識 に結 び つけ て いた自
分 を 反省 さ せ られ た次第 であ る。︱ ︱ だが 、 そ れ で は私 の生活 費 は い った いど う し てく れ る の だ ! 私 は しば し途 方 に暮 れ た。
も ち ろ ん こう し た ト ラブ ル のひ と つひと つは予 想 も でき よ う。 し か し、 実 際 にこ う毎 週 の よ
う に問 題 が 発生 し つづ け ると 、 だ んだ ん物 事 が信 用 でき な く な って く る。 表 面 的 な北 米 化 、 消
費 社 会 化 にも か か わ らず 、 そ う し た変 化 の中 身 と いう のは かな り 怪 しげ な ので はな いか。 換 言
す る な ら、 こ の都市 は、 表 面 的 にど れ ほど 北 米 化 し よ う とも 、 いま な お空 隙 だ ら け で、次 に何
が 起 こ る か わ から な い不確 定 性 を 伏在 さ せ て い る の では な いか。 そ んな 印象 を私 は強 め て い っ
た。 そ し て実 際 、 こ のよ う な 日常 生活 上 のト ラブ ルが 頻 発 し て いた頃 、 私 は コヨ アカ ン地 区 の
な か でも、 す で に述 べた コ ロ ニア ルで スノ ッブ な雰 囲 気 の街 並 み と はま った く 異 な る世 界 が 、 私 たち の家 のす ぐ近 く から始 ま って い た こと に気 づ いて い った。
それ は、 コ ヨア カ ンに住 み は じ め て 二 ヵ月 近 く を経 た頃 の こと で あ ったと 思 う。 そ れ ま で は
散 歩 コー スも 、 レ スト ラ ンや カ フ ェの並 ぶ中 央 の広 場 や市 場 ︵メ ルカド)や 植 物 園、 つま り 私
た ち の家 から す る と北 の方角 に歩 く こ とが 多 か った のだ が 、 そ ろ そ ろ そ う し た コー ス には飽 き
てき て いた。 あ る 日 、 わ れわ れ の家 のすぐ 南 を 走 る ミゲ ル ・ア ン ヘル ・デ ・ケ ベド と いう 大通
り の反対 側 から 楽 し そ う な音 楽 が 聞 こえ てき た の で、通 り を南 に渡 って音楽 の聞 こえ てく る方
向 に歩 いて み る こと にし た。 す ると そ こで は、 それ ほど広 く はな い通 り に移動 遊 園 地 が や って
来 て い て、遊 戯 機 械 のま わ り に ち ょう ど 日本 の縁 日 のよう な 具合 で駄 菓 子 屋 が 立 ち並 び 、 若 い
男 女 や子 ど も連 れ の家 族 で い っぱ いだ った の であ る。 こ こ に集 ま って いた人 び と は、 ポ ラ ン コ
地区 あ たり の路 上 で見 かけ る いか にも スペイ ン系 の血が 濃 そ う な エリ ー ト と はも ち ろ ん、 ケ ベ
ド大 通 り の北 を 歩 く 若 者 や イ ンテ リ、 中 産 階 級 の人 び と と も 明 ら か に 異 な って いた 。 フ ァ ッ
シ ョナブ ルで スノ ッブ な コヨア カ ンと は ま ったく 異 な る、 む し ろ土着 的 で宗 教 的 と も 見 え る ひ
と つの閉 じ た世 界 が 広が って いた。
私 は嬉 し くな って、 そ の後 も たび た び、 こ のケ ベド 大 通 り を南 に越 え た 一帯 を歩 き 回 る こと
にな った。 そ こ に は実際 、 そ れま で私 た ちが 通 り の北 で目 にし てき た のと はま った く違 う 風 景
が 広 が って いた。 北 側 では、 道 路 はだ いた い幅 広 く 、 直線 状 に交 差 し て い る。 明 ら か に都 市 計
画 的 に作 ら れ た街 区 であ る。 それ に対 し 、 大通 り の南 で は、 細 く曲 が りく ね った道 が 迷 路 のよ
う に入 り組 ん で、 そ の多 く は しば しば 行 き 止 ま り であ った。 私 は さ まざ ま な ル ー トを探 って み
たが 、 全然 違 う 方 向 に行 こう と し ても 、 い つも 同 じ教 会 の中庭 に出 てき て しま う ことが 何 度 も
あ った。 こ の細 く曲 が り く ね った路 地 に沿 って、 数 年 前 ま で はま った く の掘 立 て小屋 であ った
ろう 質 素 な バ ラ ック の住 居が 並 ん で い た。 石 を積 みあ げ て塀 にし て いる のだ が 、 大概 はど こ か
が 壊 れ て いる か、 建 設 中 な のか、 塀 の体 を な し て いる の は 一部 であ った。 路 上 や 塀 の上 に は目
つき の悪 い犬が ご ろご ろ し てお り、 異 邦 人 の私 た ち に睨 みを き か せ て いた。 塀 の奥 には コンク
リ ー ト の上 にト タ ンを 載 せた だ け のバ ラ ックが 雑然 と建 ち、 軒 先 には洗 濯 物 が 干 さ れ 、 そ の横 に はド ラ ム缶 が 数 本 並 べら れ て いた。
いた。 た とえ ば 、 私 は毎 朝 、 赤 ん坊 を 抱 い て こ の通 り の南 を 散 歩 し た。 そ ん な と き 、 よ く 出
こ の深 く 、曲 が りく ね った 路 地 で は、 大 通 り の北 と は ま ったく違 う生 活 のリズ ムが息 づ いて
会 った のが 路 地 の入 口 で停車 し た ゴ ミ運 搬 車 と 、 そ の横 で両 手 い っぱ い のゴ ミを 抱 え なが ら待
つ住 民 の長 い列 であ った。 一見 し て、 金 持 ち そ う な 人 は ひと り も いな い。 だが 、 そう し て いる
間 にも 次 々 に路 地 か ら ゴ ミを抱 え た人 び と が 現 わ れ、 ト ラ ック の上 で男 た ちが ゴ ミ の山 を うず
メ キ シ コ シ テ ィの ス ラ ム 。 上 は 初 期 の も の 、 下 は か な り発 展 し た も の 。
た かく 積 みあげ て いた。 も う ひ と つ、 こ の 一帯 の人 び と の生 活 リズ ムが 見 え てく る のは、 聖人
た ち の祭 礼 のとき であ った。 た と えば 十 二月 十 二日 のグ アダ ルー ペ の聖 母 の祭 り の日 には、 聖
母 像 の額 を 台 の上 に載 せ て神 輿 の よう に担 ぎ 、 路 地 か ら路 地 へと練 り 歩 く 人 び と の行 列 に出
会 った。 彼 ら は ト ラ ンペ ットや太 鼓 を 手 にし て音 楽 を奏 でな が ら進 み、 ひ と り は ひ っき り な し
に爆 竹 のよ う な 花 火 を 打 ち 上 げ て い た。 こ の音 楽 や花 火 に つら れ、 聖 人 を 祭 る住 民 た ち の パ
レード は、 し だ いに長 く な り なが ら、 地 区 を 一周 し て教 会 の前 にた ど り つ いた。 こ のよ う な行 列 を、 私 は こ の地区 で何 度 も 目 にし た。
やが て私 は、 こ のケ ベド 大 通 り の南 の 一帯 が 、 私有 地 の不法 占 拠 によ って生 ま れ た ﹁コ ロ ニ
ア ・パ ラ カイ デ ィ スタ﹂ ︵パラカイデ ィスタは落 下傘部隊 の意味︶と 呼ば れ る 地区 のひと つであ る こ
と、 し かも ど う や ら ワイ ン ・A ・コー ネ リ ウ スによ る メキ シ コシテ ィ の都 市 流 入 民 に つい て の
古 典 的 な 研 究 に出 て く る ﹁コ ロ ニア ・ヌ エバ ﹂ に当 た る ら し い こと を知 った。 コーネ リウ ス に
よ れば 、 コ ロ ニア ・ヌ エバ は次 のよう に し て誕 生 し た。 一九 六 八年 一月 のあ る夜 明 け 、 五 人 の
タ ク シー運 転手 と そ の家 族 が 、 そ れ ま で近 隣 の住 民が ご み捨 て場 と し て いた土 地 を こ っそ り占
拠 し た。 最 初 の占 拠 が 成 功 す ると 、 翌 々日ま で に占拠 者 は百 家 族 ほど に増 え て い た。 ま った く
自 然 発 生 的 に広 が った にも か かわ らず 、 す みや か に集 団占 拠 が 完 遂 さ れ た こ と に シ ョ ックを受
け た地 主 た ち は 、警 察 を 使 って占 拠 者 を排 除 し よ う と し た。 警 察 は掘 立 て小 屋 を 取 り 壊 し 、十
二家 族 の世 帯主 を逮 捕 し たが 、占 拠 者 たち はす ぐ に新 し い小 屋 を 建 て直 し た。 地 主 たち は 、警
察 が 占 拠 民 を 排除 す る の に役 に立 た な いこ とを 知 る と 、人 を雇 って占 拠 地区 の各 所 に放 火 さ せ
る と いう 無謀 な実 力 行 使 に出 た。 そ の結 果 、 二人 の大 人 と 五人 の子 ど もが 焼 け 死 ぬ惨 事 と な る。
こ の事 件 は、 こ の国 の マ ス コミ に大 き く 取 り あげ ら れ、 政 府 に、 残 忍 な 地主 たち から 可哀 相 な
占 拠 民 たち を守 る と いう 政 治 的 にう ま味 のあ る役 割 を演 ず る機 会 を 提供 す る こと にな る。 政 府
は さ っそく 、 放 火 に よ って家 を 二重 に奪 わ れ た 人 び と のた め に食 料 や 衣 服 を 与 え 、 さ ら にバ
ラ ック を再 建 す る た め の建 築 資 材 ま でも 提 供 す る。 翌 年 末 に は、 地 主 が 所 有 権 を証 明 でき な
か った と いう 理 由 で こ の土 地 は政 府 に接 収 され 、 占 拠 民 た ち に売 り 渡 さ れ た。 一九 七 二年 には、
コ ロ ニア ・ヌ エバ の人 口は千 八百 人 ほ ど に なり 、 大 き な 小 学校 が 建 てら れ 、電 気 や水 道 も ひか れ 、掘 立 て小 屋 も い つし かブ ロ ック造 り の家 々に変 わ って い った。
厳密 に、 私 が 歩 き 回 った地 域 のど のあ た りが コロ ニア ・ヌ エバ に当 た る のか は は っき り しな
コロ ニア ・ヌ エバ だ け でな く、 いく つも の不法 占 拠 地 区 が 広が って いた。 そ れ ら の地区 の形 成
い。 し か し、 コヨア カ ンは ケ ベド 大 通 り で階 層 的 に明 瞭 に分 か た れ て おり 、 通 り の南 側 に は、
過 程 に は、 メ キ シ コの政 治 が さ まざ ま な 場 面 で見 せ てき た 演 技 術 が よ く 表 れ て い る。 実 際 、
コーネ リ ウ スが コロ ニア ・ヌ エバ に注 目し た のも、 それ が メ キ シ コ政 府 と都 市 下 層 の間 に交 わ
され る駆 け引 き を示 す 典 型 例 のひ と つだ から であ る。 彼 は、 欧 米 の都市 化 から 一般 モデ ルを導
く や り方 を 批判 し、 第 三世 界 の都 市化 と流 入 民 た ちが 獲 得 す る政 治 的態 度 を、 彼 ら の コミ ュ ニ
テ ィ生 活 と いう 文脈 から 理 解 し て いこ うと し た。 コーネ リ ウ スは、 コミ ュ ニテ ィこそ が 、 中南
米 の都 市 では 流 入民 を政 治 的 に社 会 化 し て いく 基 本 的 な装 置 と し て機能 し て いる と論 じ る 。 な
ぜ な ら、 そ れ ら の都 市 で は流 入 し た 人 び とが す ぐ に工 場 や商 店 の定 職 にあ り つく 可能 性 は ほと
ん ど な い。 多 く の 場 合 、 彼 ら は 一時 的 で流 動 的 な 職 を 転 々 と す る 運 命 にあ る 。 そ の た め、 労 働
組 合 や 職 場 で の 組 織 的 な 関 係 は 一時 的 に し か 影 響 力 を 持 た な い の で あ る 。 も し も 流 入 し た のが
子 ど も な ら 、 学 校 が コミ ュ ニテ ィと は 別 の次 元 か ら 影 響 を 及 ぼ す か も し れ な い。 だ が 、 年 長 者
の 場 合 、 そ う し た 影 響 も 考 え ら れ な い。 さ ら に 、 都 市 に お い て 人 び と は 、 彼 ら が 農 村 に い た と
き 以 上 に マ ス メ デ ィ ア と 接 す る こ と に な る が 、 そ う し た メデ ィ ア の 影 響 力 は 、 少 な く と も 政 治
意 識 に 関 す る か ぎ り は そ う 大 き な も の で は な い 。 む し ろ 、 コミ ュ ニ テ ィ こ そ が 、 流 入 し た 下 層
Pr es s ,1975)。
民 に都 市 生 活 に適 応 し て いく仕 方 を教 え、 彼 ら に政 治 的 な役 割 を 与 え て いく 装 置 な の であ る
( Cornel i us,W.A. ,Pol i t i c s and t heM i gr antPoor inMexi c o Ci t y ,St anf or d Uni versi t y
ネ サ ワ ル コ ヨト ル の女 た ち
と こ ろ で、 私 たちが 住 む コヨア カ ン に見 ら れ た地 域 の異質 的 な 構 成 は、 メキ シ コシ テ ィが こ
の半 世紀 ば かり の間 に歩 ん でき た集中 と拡 大 、 そ し て分化 のプ ロセ ス のひ と つの現 わ れ にすぎ
な い。 いう ま でも な く、 メキ シ コ シテ ィ の前 身 は ア ステ カ帝 国 の都 テ ノ チテ ィト ラ ン であ る。
コル テ スに よ る征 服 の後 、 スペイ ン の征 服 者 たち は 、 ア ステ カ の神 殿 と宗 教 は徹 底 的 に破 壊 し
な が ら も、 帝 国 の統 治機 構 の 一部 は引 き 継 いで、 遷都 を せず に同 じ 都 か ら植 民 地 支 配 の シ ステ
ムを確 立 し て い った 。 と は いえ 、 十 九世 紀 初 めま では 、 カ ト リ ック教会 の強 い影 響 力 下 に置 か
れ て いた ヌ エバ ・エスパ ー ニャの支配 秩 序 はき わ め て分権 的 であ り 、権 力 や資 本 、 人 口 の首 都
への集 中 は ほと んど 見 ら れ な か った。 そ し て独 立 後 も 、 独 立戦 争 の混 乱 や カウデ ィー リ ョた ち
の闘争 、改 革 派 と保 守 派 の闘 争 に明 け 暮 れ た 十九 世 紀 の最 初 の四分 の三 は、 と ても 中 央 集 権 的 な国 家 や首 都 が でき るど ころ で はな か った。
よう や く 一八 七〇 年 代 、 ポ ル フ ィリ オ ・デ ィ ア スが 独 裁 権力 を確 立 し て いく な か で、 首 都 に
求 心 化 す る近代 国家 と し て の体 制 が か たち づ く ら れ て い った の であ る。 と り わ け こ の時 代 、 外
国資 本 を導 入 し て次 々と 建 設 さ れ て い った 鉄 道 は、 同 時 に廃 止 さ れ て い った州際 関税 とと も に、
そ れ ま で分 断 さ れ て いた地方 市場 の全 国 市 場 への統 合 を促 進 し た。 そ し て、 こう し た権 力 と市
場 の集 中 化 と 並行 し て、 首 都 にお け る さま ざ ま な 公共 施 設 の建 設 も進 んだ 。 国 立 芸術 院 や独 立
記念 塔 など の モ ニ ュメ ンタ ルな建 築 が 建 てら れ 、 レ フ ォ ル マ大 通 り 沿 いに は西 に向 け て上 流 階
級 向 け の住 宅 地が 開 発 され て い った。 一八九 八年 には、 それ ま で の馬車 鉄 道 に代 わ って市 街 電
車 が走 り はじ め る ︵ 山崎春成 ﹃メキシ コ・シテ ィ﹄東京大学出版会 、 一九 八七年︶。 こ のあ た り、 日本
にお け る明 治 国 家体 制 の確 立 、 そ れ に伴 な う 帝 都 東京 の発 展 と ま った く 同時 代 的 であ る点 に興 味 を そ そ られ る。
と は いえ、 こ のよ う なデ ィア ス時代 に進 んだ 首 都 の膨張 も、 やが て革 命 の動 乱 が 一段落 し た
後 、 一九 四〇 年 代 か ら始 ま る爆 発 的 な 人 口拡 大 から す る な らば 、 ま だ な お萌 芽 的 なも のだ った。
一八七 〇年 代 ま で 二〇 万 人前 後 でし か な か った メキ シ コシテ ィの人 口 は、 デ ィ ア ス時 代 が 終 わ
る 一九 一〇年 に は四 七 万 人 を超 え る。 だが 、 それ でも こ の数 字 は、 同 じ 時 期 の東 京 の人 口が す
で に 二〇 〇 万人 を 超 え て いた こと と 比 べ てみ ても わ か るが 、決 し て突 出 した も ので はな か った。
スプ ロー ルと いう点 でも 、 当 時 の メキ シ コシテ ィで市 街 化 が進 ん で いた の は市中 央 の ソカ ロか
ら レ フ ォ ル マ大 通 り に かけ て の 一帯 で、 旧 市域 を越 え るも の では な か った。 と ころが 四〇 年 代
万 人 から 五 〇年 に は約 三 〇 五 万人 、 七
以降 、 市 街 地 は 一気 に こ の旧 市域 を越 え て連邦 区 ︵DF︶を 呑 み込 み は じ め る。 そ し て、 連 邦 区 の人 口は、 公式 の数 字 だ け でも 一九 三〇 年 の約 一二三
〇年 には約 六 八七 万 人、 八〇 年 に は約 八 八 三万 人 と爆 発 的 に増 加 し て いく のだ 。 そ の結 果 、 一
九 〇 〇年 に はま だ 全 人 口 の約 四 パ ー セ ント にす ぎ な か った連 邦 区 の人 口は、 一九 八〇年 に は全
人 口 の約 一三 パー セ ント を占 め る に至 る ( 13) 。 こ の頃 ま で に は市 街 化 区 域 は連 邦 区 も 越 え、 メ
キ シ コ シテ ィ大 都 市 圏 ︵ZMCM︶を 構 成 す る ま で に な る。 こ の大 都 市 圏 の人 口 は、 一九 八 五
年 の時点 で約 一七 〇 〇 万 人 と推 定 さ れ てお り、 メキ シ コシテ ィが 四〇年 代 以 降 、 ま たた く 間 に 世 界 最 大 級 の都 市 圏 と な った こ と は間 違 いな い。
こう し た な か で、 急 激 に増 加 し た首 都 人 口 の大 部 分 を占 め た のは、 農 村 か ら職 を 求 め て流 入
し てき た膨大 な数 の貧 し い人 び と であ った。 コー ネ リ ウ スは、 一九 四〇 年代 以降 の メキ シ コシ
テ ィ の人 口爆 発 を、 農 村 の斥 力 と首 都 の引 力 の両面 から 説 明 し て いる。 一方 で、 急 激 な 人 口増
加 と農 業 の機 械 化 、 さ ら に新 た に耕 地 化 でき る 土地 の欠 乏 は 、農 村 に お い て大 量 の過 剰 労 働 力
を生 み出 した。 一九 四〇 年 から 六 〇年 ま で で、 土地 のな い農業 労働 者 は七 四 パ ー セ ントも 増 加
し た と いう 。 これ ら の貧 農 は、 た と え雇 用 にあ り つ いたと し ても そ の条 件 は悪 く 、潜 在 的 に は
い つも下 層 の労働 者 と し て大 都 市 や 国境 の北 へ流出 し て いく 可能 性が あ った。 他方 、 雇 用 機 会
や社 会的 サ ービ ス の諸 要 素 は、 こ の時 代 を 通 じ て大都 市 、 と り わ け首 都 で急 速 に増 大 し て い っ
た。 これ ら の都 市 で公式 に決 めら れ て いる最 低 賃 金 は、農 村 のそれ ら よ り もず っと高 か った。
そ し て、 こ のよう な 生 活条 件 の格 差 を 、農 民 た ち は しだ い には っき り と 実感 す る よう にな って
い った の であ る。 す で に彼 ら は ト ラ ンジ ス タラ ジ オを 持 ち、 都 会 から 流 れ てく る情 報 に耳 を傾
け て いた。 同時 に政 府 は 、全 国 に自 動 車道 路 網 を 張 り めぐ ら し て い ったが 、 そ のこと が 農 民 た
ち に、 バ ス に揺 ら れ て都 会 に出 る こと を 容 易 に し て い た ︵Comel is u ,o p.c i t . ︶。 こ う し て農 民 た
ち は、 親 戚 や知 り合 い の何 人 か を大 都 市 に持 つよう にな る。 村 のな か にも 、 大都 市 で働 き 、 住
んだ 経 験 のあ る者 が 増 加 し てく る。 いま や メキ シ コシテ ィは 、農 民 の想 像 を 超 え た別 世 界 と い
う よ りも 、 う まく す れ ば 自 分 も成 功 の チ ャ ン ス に恵 まれ るか も し れな い具 体 的 な 場所 と し て意 識 され て いく のであ る。
こ のよう にし て首 都 に向 か う人 口の激 流 を、 よ り詳 細 に見 て いくな ら ば 、 五 〇年 代 ま で と 六
〇年 代 以 降 では、 都 市 で の定 着 パ タ ー ンに違 いが あ った こと が わ か る。 す な わ ち 五 〇年 代 ま で
は、 ち ょう ど オ スカ ー ・ルイ スが ﹃ 貧 困 の文化 ﹄ で描 い たよ う に、 流 入 し てき た 人 び と の多 く
は都 心部 に、 な か でも 上 流 階 級 が 去 った あ と の邸 宅 を 細 か く分 割 し て でき あ が った、 ﹁ベ シ ン
ダ ー﹂ と呼 ば れ る 独特 の集 合 住 宅 に住 み つい て い った。 そ の後 、彼 らが 家 族 の拡 大 に伴 って郊
外 に移 動 す る こと はあ っても 、 まず は農 村 から の流 入人 口は都 心 の スラ ム に滞 留 し て いく のが
基本 的 な パ タ ー ン であ った。 と ころが 六〇 年 代 以降 にな ると 、都 心 の スラ ムはも は や飽 和 点 に
達 し 、質 的 にも劣 化 し てく る。 流 入民 たち は、 し だ いに直 接 、 都 市 周縁 部 に形 成 さ れ つ つあ っ
た ﹁コ ロ ニア ・プ ロレタ リ ア﹂ に滞留 し、 こ の都市 の下 層 の、 イ ン フ ォー マルな 労働 力 を構 成
し て いく よ う に な る の で あ る 。 ピ ー タ ー ・W ・ワ ー ド も 、 メ キ シ コ シ テ ィ への 流 入 者 が 、 最 初
は 都 心 部 の ス ラ ム に 住 み つき 、 や が て 周 縁 部 へと 移 って い く と い う 従 来 の 説 を 批 判 し て、 そ う
し た 二段 階 の パ タ ー ンが 成 立 し た の は 一九 五 〇 年 代 ま で で 、 六 〇 年 代 以 降 は む し ろ 直 接 、 周 縁
部 に 住 み つ い て いく 傾 向 が 強 ま る こ と を 指 摘 し て い る ︵ Ward,P.M . ,Mex c o iCi y , tBel haven r P ess , 1990︶。
そ の結 果 、 一九 六 〇 年 代 以 降 、 メ キ シ コ シ テ ィ の北 や 東 の 外 縁 部 、 あ る い は 西 や 南 で も 谷 間
や 山 腹 の よ う な と こ ろ に は 、 無 数 の貧 困 層 の掘 立 て 小 屋 居 住 区 が 形 成 さ れ て い く こ と にな っ た 。
た とえ ば 図 1 は、 メキ シ コシ テ ィに おけ る所得 階 層 別 の居 住 分布 を 地図 化 し たも のだが 、 これ
を 見 て も い か に低 所 得 者 層 の 居 住 区 が 、 こ の都 市 の 至 る と こ ろ に 広 が っ て い る か が 見 て 取 れ よ
う 。 ち な み に 、 こ の地 図 を 参 照 す る な ら ば 、 私 た ち が 住 ん で い た の は 、 コ ヨ ア カ ン の ち ょう ど
黒 く 塗 ら れ て い る 〝Hig h l uxury〟と 〝Popul ar〟が 接 し て い る あ た り で あ っ た こ と が わ か る 。
同 様 の 場 所 が 、 メ キ シ コ シ テ ィ の各 所 に 数 多 く あ った こ と が 見 て 取 れ よ う 。 同 じ よ う に、 図 2
は ト イ レ の な い住 宅 の 分 布 を 、 図 3 は 専 門 ・技 術 職 の居 住 分 布 を 示 し て い る 。 こ れ ら を 見 て も 、
全 体 と し て は 都 心 か ら 西 や 南 に向 け て ア ッ パ ー な い し ミ ド ル ・ク ラ ス の居 住 圏 が 広 が り な が ら
も 、 私 た ち が ケ ベ ド 大 通 り の 南 で 見 た よ う な 貧 し い人 び と の コ ロ ニ ア ︵ 居住区︶が 、 イ ン スル
ヘ ン テ ス や ペ リ フ ェリ コと い った 大 通 り 沿 い の ア メ リ カ ナ イ ズ さ れ た 風 景 を 至 る と こ ろ で 取 り 囲 ん で いた こ とが 理 解 でき る。
こ のよ う な首 都 に点 在 す る貧 困 層 の居 住 区 のな か でも 間 違 いな く最 大 のも のは 、 シテ ィの
図 1 所 得 お よ び 居 住 形 態 に よ る 人 口分 布(Ward,P.,Mexico
Cityよ
り)
(Butler,P.,The
図 2
ト イ レ の な い 住 居 の 割 合
Mexico
Handbook,Westview
Press,1994よ
図 3 専 門 ・技術 職 の居 住 人 口に 占め る割 合 ( 同)
り)
に隣 接 し、 す で に人 口 一三〇 万 を超 え る ﹁メキ シ コ第 四 の大 都 市﹂ と な った ネ サ ワ ル コヨト ル
であ ろ う。 ネ サ ワ ル コヨト ルは、 メキ シ コシテ ィの爆 発 的 な膨 張 のな か で、 それ 全体 が 不法 占
拠 と ヤ ミ分 譲 によ って誕 生 し た、 ま さ に メキ シ コの都 市 問 題 の深 刻 さ を象 徴 的 に示 す 地域 であ
る。 山崎 春 成 は、 こ れ ま で こ の地 域 に つ いてな さ れ てき た諸 研 究 を 踏 ま え、 ネ サ ワ ル コ ヨト ル
誕 生 のプ ロセ スを手 際 よ くま と め て いる。 それ によ れば 、 一九 三〇 年 、 テ ス コ コ湖 の排 水事 業
の完 成 に よ って、 そ の西岸 一帯 が 干上 が って陸 地 と な った。 こ の土 地 は 、本 来 は国 の所有 に属
す る と こ ろだ が 、 湖 のま わ り の自 治体 が 共 同管 理 す るこ と に な る。 雨 期 には沼 とな り 、乾 期 に
は塩 の吹き で た砂 漠 と な る よう な 劣悪 な土 地 であ った た め 、農 地 にも できず 、 しば ら く は 放置
さ れ て いた。 それ が 一九 五 二年 、 メキ シ コシテ ィ連 邦 区内 で の新 規 の土 地分 譲 が 禁 止 さ れ た の
を 機 に、 不動 産 業 者 の土 地買 い占 めが メキ シ コ州 全 体 に広 が る こと にな り 、 ネ サ ワ ル コ ヨト ル
にも そ う し た業 者 の目が 向 け られ て いく。 彼 ら は こ の土 地 に何 ら権 利 を 持 っては いな か った の
だ が 、 土 地 の所 有 関 係が あ いま いだ った こと を利 用 し て、 こ の 一帯 を 勝 手 に区 画化 し て売 り 出
し た。 も と よ り 不法 に分 譲 さ れ た土 地 であ る た め、 上 下 水 道 や電 気 、 道 路 な ど の公共 サ ービ ス
は い つま で待 っても 提 供 さ れ な い。 雨 期 は 沼 地 だら け と な り 、乾 期 に は砂ぼ こり で覆 われ 、 都
市 問 題 が集 中的 に発 生 す る。 そ れ でも 安値 に誘 われ て、 土 地 を 求 め る低 所 得 者層 が こ の怪 しげ
な分 譲 地 の買 い手 とな り 、 同 地区 の人 口は、 一九 六〇 年 には 六 万 人、 七 〇 年 には 六 五 万人 、 八 〇年 に は 一三 〇 万人 と み る みる う ち に膨 れ あが って い った ︵山崎、前掲書︶。
カ ル ロ ス・G ・ベ レ ス =イバ ニ ェスは、 こ のネ サ ワ ル コヨト ルで 一九 六九 年 から 七 四年 ま で展
開 さ れ た あ る 住 民 運 動 の 拡 大 と 収 束 の プ ロ セ ス に 焦 点 を あ て、 彼 が
﹁マー ジ ナ リ テ ィ の儀 礼
( r i t ual sofmarg i nal i t y)﹂ と 呼 ぶ 、 住 民 た ち の 社 会 的 運 動 を P R I の支 配 体 制 の な か に 取 り 込 ん
で い く シ ス テ ムが 、 こ う し た 貧 困 層 の 居 住 区 で ど の よ う に 作 動 し て い っ た の か を 鋭 く 照 射 し て
い る 。 彼 が 調 査 し た の は ﹁住 民 復 権 会 議 ( Co ng r esoRes taurador deCol onos ,以 下 C R C)﹂ と い う 、
ネ サ ワ コ ヨト ル全 体 に 広 が る 、 一時 は き わ め て 戦 闘 的 だ っ た 運 動 組 織 の 活 動 であ る 。 彼 ら の 活
動 は 、 一九 六 九 年 七 月 、 ネ サ ワ ル コ ヨ ト ル 分 譲 を め ぐ る 超 大 型 の ﹁詐 欺 ﹂、 本 来 国 有 地 た る べ
き こ の 土 地 が 不 動 産 業 者 に よ って ま っ た く 違 法 に分 譲 さ れ た こ と を 非 難 す る と こ ろ か ら 出 発 し
た 。 鬱 積 す る 諸 問 題 へ の 不 満 が 限 界 に ま で達 し て い た こ と も あ り 、 運 動 は急 速 に拡 大 し て い っ
た 。 初 期 の運 動 の中 核 に な った の は 、 ベ ラ ク ル ス州 出 身 で 、 一九 六 一年 か ら ネ サ ワ ル コ ヨ ト ル
に 住 み つ い て い た 大 工 職 の人 物 で あ る 。 彼 は 六 八 年 以 降 、 や が て彼 に 代 わ っ て組 織 の実 権 を 握
る も う ひ と り の リ ー ダ ー の助 言 を 受 け な が ら 、 ネ サ ワ ル コ ヨト ル全 域 に わ た る 三 十 二 の下 部 組 織 を ネ ット ワ ー ク 化 し て い った 。
は い く つ か の理 由 が あ った 。 ま ず 、 こ の 宣 言 は 、 不 動 産 業 者 に よ る 不 正 な 分 譲 に、 市 や 州 、 国
一九 六 九 年 七 月 の 彼 ら の非 難 宣 言 が 、 ネ サ ワ ル コ ヨ ト ル の多 く の住 民 に ア ピ ー ル し た こ と に
の 役 人 も 関 与 し て い た こ と ︱ ︱ い く ら 荒 れ 地 と は い え 、 公 有 地 が い つ の 間 に か 数 十 万 の人 口 を
抱 え る 分 譲 地 に 変 貌 し て い く こ と に 行 政 当 局 が 気 づ か な か った は ず が な い︱ ︱ 、 す な わ ち 何 ら
﹁外 国 人 ﹂ で あ る こ と を ほ の め か し て い
か の 重 大 な 汚 職 が あ った こ と を 指 摘 し て い た 。 第 二 に 、 ネ サ ワ ル コ ヨ ト ル分 譲 に か か わ っ た 会 社 と そ の経 営 者 の 公 開 さ れ た リ ス ト は 、 彼 ら の多 く が
た。 十 九 人 の経 営 者 のう ち 、 九 人 ま でが 非 スペイ ン語 系 の名 前 であ る と 同定 さ れ た の であ る。
これ ら の指 摘 は、 住 民 た ち の ナ シ ョナ リ ステ ィ ックな感 情 を 刺 激 し た。 運 動 は、 不 当 に売 却 さ
れ た土 地 は 再び ﹁国 民 化 ( nat i onal i ze)﹂ さ れ な け れば なら な い こと 、連 邦 政 府 は直 接 、 こ の土
地 に介 入 し て公共 サ ービ スを提 供 す べき であ る こと を訴 え て い った。 こ のよう な 条 件が 満 た さ
れ るま で、 C R C は住 民 に、 あ ら ゆ る土 地 代 金 の返済 や税 金 、 公 共 料金 の支 払 いを ボ イ コ ット す る よう 呼 び か け て い った。
C R C の運動 は、 六 九年 か ら 七 一年 に かけ て急 速 に拡 大 し て いく。 彼 ら は 毎 日 曜、 街 頭 に
立 って ビ ラを 撒 き、 土地 の不 正 な 分 譲 や都 市 的 サ ービ ス の欠 如 、 飲 料 水 の不 足 と汚 染 な ど 、 地
域が 抱 え る深 刻 な 問 題 を取 り あ げ て い った。 そ し て、 そ の日 の午 後 に は食料 雑貨 店 や野 球 場 、
あ る いは空 地 で集 会が 開 か れ て いく 。集 会 は、 ギ タ ー演奏 や歌 、 そ し て リ ーダ ーた ち の演 説 か
ら 成 って いた。 会 場 の正面 に は小 舞 台 が セ ット さ れ、 C R C の旗 や メキ シ コ国旗 に混 ざ って メ
キ シ コ革 命 の英 雄 エミリ アー ノ ・サ パ タや改 革 派 の大 統 領 ベ ニト ・フア レ スを シ ンボ ライズ す
る旗が 立 って いた。 こう し た集 会 に参 加 し た 人び と の スタイ ルは ま ったく 多 様 で、麦 藁 帽 子 を
かぶ った年 長者 に加 え 、 ベ ルボ ト ムに ニット のジ ャケ ット姿 の若者 た ち、 イ ンデ ィ ヘナ の服 装
を し た女 性 、 さ まざ ま な ヘア スタ イ ルの人 び とが 雑然 と混 じ り あ い、 ステ ー ジ で音楽 や演 説 が
続 く 間 じ ゅう、 子ど も たち は聴 衆 の間 を 走 り ま わ って いた。 ベ レ ス =イバ ニ ェスは、 こう し た
スタ イ ル の多様 さ を、 C R C の運 動 を 支 え た人 び と の構 成 の多 様 さ の表 わ れ と し て捉 え 、少 な
く とも 運 動 が 成 長過 程 にあ った こ の時 点 で は、 こう し た集 会 に見 ら れ る よ う に、 農 村 的 な も の
と 都会 的 な も の、 民衆 的 な知 恵 と 訓練 され た知 識 が 混ざ りあ った独 特 の政治 的 な場 が 、 C R C のな か に誕 生 し て いた こ とを 強 調 し て いる。
て いる の は、 地 域 の女 性 たち の間 に張 り めぐ ら さ れ て い った自 生 的 な ネ ット ワー ク に つい て の
最 盛 期 のC R C の活 動 に つい て のべ レ ス =イ バ ニ ェスの描 写 のな か で、 と りわ け光 彩 を 放 っ
記述 であ る。 昼 間、 地域 に残 る のは彼 女 た ち の方 であ った と いう こと も あ り、 女 性 たち は 、 ネ
サ ワ ル コ ヨト ル の運 動 に お い てき わ め て重 要 な 役 割 を演 じ た。 運 動 が拡 大 し、 当 局 と の対 立が
激 化 す るな か で、 不払 いを 理 由 に立 ち退 き を 迫 る不動 産 業 者 や C R C の メ ンバ ーを 逮 捕 し よう
とす る警 察 を押 し返 し て い った のは、 とり わ け こう し た地 域 の女 た ち であ った。 そ し て、 こ の
よ うな 女 た ち の活 動 を 可 能 にし た のが 、 彼 女 た ち を相 互 に結 ぶ 井 戸 端会 議 的 な ネ ット ワー ク の
存 在 であ る。 彼 女 た ち は 日 々、 こ のネ ット ワ ー クを通 じ て食 料 品 の値 段 や水 の状 態 、健 康 問 題 、
学 校 に つい て の情 報 な ど を 交換 しあ って いた 。 た と えば 、 あ るC R C のリ ーダ ー の妻 は、 こう
し たネ ット ワー ク の結節 点的 な役 割 を 果 た し て いた。 彼 女 が 家 の裏 の空 地 で遊 ん で いた 子ど も
に伝 言 を伝 え る と、 す く さ ま そ の子 は母 親 のと こ ろ に伝 え 、 彼 女 は ま た別 の女 性 に伝 え て いく
と いう 回路 が 地 域 ブ ロ ックご と に でき あ が って いた のであ る。 し かも これ ら のブ ロ ックに は、
伝 言 が 正 し く伝 わ った こと を確 認 し、 ま た そ れ を他 のブ ロ ック にも 伝 え て いく ﹁ター ミナ ル﹂
が あ った。 男 た ち は こう し た ネ ット ワ ー ク の重 要 さ に全 然 気 づ いて いな か ったが 、仕 事 から 帰
り 、彼 らが 地域 の状 況 に つ いて論 議 し て いく際 、 そ の基 礎 と な る情 報 は、 実 は こう し た女 たち のネ ット ワー クを 通 じ て得 られ たも のだ った のであ る。
こ のネ ット ワー ク は、 当局 と の闘 い のな か でも最 大 限 活 用 さ れ て いく。 たと え ば 、 男 た ちが
仕 事 に出 た後 、 も しも 警 官 や 見知 ら ぬ者 が コ ロ ニア に侵 入 し た のを 発見 す る と、 す ぐ さ ま情 報
が 一帯 に伝 え ら れ、 十 分 後 に はイ ンデ ィ ヘナ ・スタイ ル の三十 人 か ら 五 十人 の女 性 た ちが 自 分
た ち の居 住 区 を守 る た め に集 合 す る のが 常 だ った 。 一例 と し て、 ベ レ ス =イ バ ニ ェスは 一九 七
一年 に彼 が 目撃 し た あ る 日 の出 来 事 を挙 げ て い る。 こ の日、 市 当 局 から 判事 と 不動 産 業 者 の代
表 、 そ れ に警 官 が 、 土地 代 金 の不 払 いを続 け て いたあ る 住 民 の立 ち退 き を 執 行す る た め にや っ
て来 た。 情 報 はす ぐ さ ま伝 え られ 、 ま も な く 三十 人 を 超 え る女 た ち とそ の子 ど も た ち、 そ れ に
わ ず か数 名 の男 が 問 題 の敷 地 のま わ り に集 合 し、 座 り 込 みを始 め る。 そ し て、道 路 を挟 ん で彼
女 た ち と対 峙 し た判 事 た ち のひと りが 敷 地 に近 づ こう と す る や 、行 く手 は十 数 人 の女 た ち に阻
まれ て し まう のだ った。 や が て、 女 た ち は判 事 た ちを 、 ﹁腰 抜 け !﹂ と か ﹁意 気 地 な し !﹂ と
か い った 言葉 で罵 り、 嘲 り笑 いは じ め る。 完 全 に侮 辱 され て逆 上 し た警 官 が こ ん棒 を ふ り上 げ
ると 、 今 度 は前 面 に い た十 人 ほ ど の女 たち が 彼 ら に向 け て 一斉 に石 礫 を浴 び せ る のだ った。 判
事 た ち は散 々 に雑言 を浴 び せら れ て、 這 々の体 でそ の場 から 立 ち 去 った。 だ が 、 女 た ち は そ れ
で諦 め たわ け では な い。 彼 女 たち は男 た ちを 通 り か ら連 れ戻 し て石 で連 打 し、 不動 産 業者 の代
表が 着 て いた服 を ひ き裂 い て、 さ ら に判 事 の肛 門 に捧 を ぐ い っと 突 っ込 ん だ。
女 た ち に よ る、 こ の過 激 な 暴 力 は、 き わ め て 象 徴 的 な 行 為 でも あ った。 ﹁男 ら し さ ︵マッ
チョ︶﹂ が い ま も重 要 な価 値 と し て生 き る こ の国 で、 判 事 や 不動 産 業 者 、警 官 は、 そ の男 性 と
し て の、 と いう こと は つま り支 配 者 と し て の アイデ ンテ ィテ ィを完 全 に否 定 さ れ た のであ る。
同 じ よ う な 象 徴 的 暴 力 を 、 ネ サ ワ ル コ ヨト ル の 女 た ち は さ ま ざ ま な 場 面 で発 揮 し て い る 。 一九
七 一年 か ら 七 二 年 に か け て の最 も 戦 闘 的 だ った 頃 の C R C は 、 開 発 業 者 た ち が 土 地 代 金 徴 収 の
ため に地域 の各 所 に建 てた小 屋 に、 夜 、 しば しば 焼 き 討 ち を か け た。 こう し た動 き と 呼 応 し て、
﹁訪 問 ﹂ し 、 そ こ に あ った 物 を 略 奪 し 、 従 業 員 た ち を 追 い 出 し 、 も し も そ の
女 た ち も 一風 変 わ った 襲 撃 を 行 な う 。 彼 女 た ち は 、 真 昼 間 、 十 人 か ら 二 十 人 ほ ど の集 団 を 作 っ て そ れ ら の小 屋 を
な か に 男 性 が い よ う も の な ら 、 彼 ら を 素 っ裸 に し 、 汚 物 で い っぱ い の排 水 溝 に 放 り 込 ん で し
ま った の で あ る 。 ネ サ ワ ル コ ヨ ト ル の 女 た ち が 示 す こ う し た 逞 し さ は 、 C R C の運 動 に と っ て
き わ め て 重 要 な 要 素 で あ った 。 ベ レ ス =イ バ ニ ェスが 強 調 す る よ う に 、 女 た ち は 運 動 の な か で 、
男 た ち と は 違 う 仕 方 で連 帯 し て い た の だ 。 運 動 は 、 彼 女 た ち を 不 動 産 業 者 や 行 政 当 局 の支 配 に
対 抗 さ せ た と いう だ け で な く 、 彼 女 た ち が 、 お そ ら く 初 め て 男 性 支 配 的 な 原 理 に集 団 で 対 抗 し
て いく よ う な機 会 を 提供 し た のであ る。 そ う し た経 験 を 通 じ、 女 た ち の問 に は、友 愛 的 な 関 係
や 近 所 づ き あ い、 そ れ に義 兄 弟 分 の よ う な 関 係 が 生 み 出 さ れ て い った (Vel ez︲I banex,C.G. ,Ri t ualso f Mar gi nal i t y ,Uni ver si t y ofCal i forni aPres s,1 98 3)。
C R C の運 動 は し か し 、 七 一年 を 過 ぎ た 頃 か ら 内 部 対 立 を 深 め 、 最 終 的 に は 七 三 年 、 エチ ェ
ベ リ ア 大 統 領 の裁 定 で 不 正 大 量 分 譲 問 題 に 一応 の決 着 が つけ ら れ た の に 並 行 し て収 束 し て い く 。
C R C の リ ー ダ ー た ち は 次 々 に P R I 体 制 の な か に 地 位 を 与 え ら れ 、 運 動 そ の も のが 体 制 内 化
さ れ て し ま った の で あ る 。 ベ レ ス =イ バ ニ ェ ス は こ の 過 程 を 詳 し く 跡 づ け て い る が 、 こ こ で は
そ れ を 紹 介 し て い く 余 裕 は な い。 彼 の 議 論 に関 連 し て 最 後 に 言 及 し て お き た い の は 、 貧 困 層 に
よ る運 動 の体制 内 化 と彼 ら にお け る新 し い政 治 意 識 の萌 芽 と の相 互 媒介 的 な関 係 であ る。 ネ サ
ワ ル コヨト ルのよ う に、 住 民 の多 くが 社 会 の最 下 層 に位 置 し、 定 職 を持 た な い、 非 組織 のイ ン
フォー マル ・セ ク タ ーに属 し て いた 地域 で は、 運 動 の リ ーダ ー たち が 支 持者 の要 求 を 満 た し て
い こう とす るな らば 、経 済 的 、 政 治 的 に資 源 の配 分 権 を 握 って いた支 配 体制 と何 ら か の結 び つ
き を持 って いかざ るを え な か った。 こ のこ と は、 地 域 の リ ーダ ーた ちが 体制 の末 端 へと組 み込
と非 組織 の貧 困層 と の媒 介 項 と な り、 ベ レ ス =イバ ニ ェスが マージ ナ リ テ ィ の儀 礼 と 呼 んだ 従
ま れ て いく 可能 性 が 常 に存 在 し て いた こと を意 味 し て い る。 リ ーダ ー た ち は次第 にP RI 体 制
属 的 関 係 性が 織 り成 さ れ て いく こ と にな る の であ る。
だ が 、 運 動 のリ ーダ ー たち を取 り込 み、 彼 ら を 介 し て膨 大 な 貧 困層 を管 理 し て い こう とす る
こ の方 式 は、貧 し い住 民 す べ て の日常 を馴 化 でき る わ け で はな い。 た と え リ ーダ ーた ちが 運動
か ら成 果 を 引 き 出 そ う と し て支 配体 制 に取 り込 ま れ て い った と し ても 、数 年 間 続 いた彼 ら の運
動 は、 住 民 たち の間 に自 分 たち の力 に つ いて の集 合 的 な感 覚 を生 み出 し て い った。 悪 徳 な 不動
産 業者 や行 政 や 警察 を正 面 から 相 手 ど って展 開 され た こ の運動 は、 単 に政 治 的 目標 の達 成 に向
け ら れ て いたと いう だ け でな く、 貧 し い人 び と の間 に水 平 的 な連 帯 意 識 を醸 成 し、 彼 らが 新 た
な ア イデ ンテ ィテ ィを獲 得 し て いく 過 程 でも あ った のだ 。 こう し て醸 成 さ れ た 自 己意 識 は、
マージ ナ リ テ ィの儀 礼 が 生 み出 す 従 属 的 な 価 値 と は 多 く の点 で矛 盾 し て い た。 ベ レ ス =イ パ
ニ ェスは、 貧 困層 が 運 動 を 通 じ て共 有 し て いく多 様 な集 合 的 経 験が 、 やが て相 互 に結 び つき 、
マー ジ ナ リ テ ィ の儀 礼 や ナ シ ョナ ルな統 合 の神 話 か ら身 を引 き 離 し て いく よう な 一団 が、 メキ
シ コ社 会 のな か に現 わ れ てく る 可能 性 を 展 望 し て いる。
チ アパ スか ら の 声
私 は これ ま で、 急 速 に進行 す る北 米 化 と いう メキ シ コシテ ィに つ いて の最 初 の印象 から 出 発
し て、 そ う し た印 象 の背 後 にひ そ む さま ざ ま な亀 裂 に つい て描 写 し てき た。 コ ヨアカ ン の表 層
を彩 る ス ノ ッブ な消 費 文 化 も 、 そ こ から 数 歩 、街 区 のひだ のな か にわけ 入 るな らば 、 ま ったく
違 った仕方 で見 え て こざ るを え な か った。 そ し て、 メキ シ コ シテ ィ全体 に つい て見 ても、 都 心
の レ フォ ル マ通 り に見 ら れ る ポ スト モダ ン風 の都 市風 景 と は裏 腹 に、 こ の都 市 の東 や北 へ向 か
う なら 貧 困 層 の膨 大 な 居 住 区が 広 が って い た。 と は いえ、 私 は こ こ で、 いわ ゆ るブ ルジ ョアと
プ ロ レタ リ アー ト の階 級 的 対 立 に つ いて述 べ て いる わ け で はな い。 あ る いは、 オ スカ ー ・ルイ
スが か つて こ の都 市 に見 たよ う な ﹁貧 困 の文 化﹂ に つ いて論 じ て いる わ け でも な い。 む し ろ、
メキ シ コの至 る と こ ろ に存在 す る亀 裂 が 示 し て いる のは、 こ の国 の ナ シ ョナ ルな 統 合 メ カ ニズ
ム のな か で正統 性 を 与 え ら れ た社 会 秩 序 と 、 そ の下部 に広 が り 、 こ の都 市 の表 向 き の顔 に亀 裂
を走 ら せな が ら 、 同時 に それ を支 え ても い るイ ン フ ォー マルな 社会 秩序 と の緊 張 を 孕 んだ混 在
状 態 であ る。後 者 は時 と し て前者 に反 旗 を 翻 す が 、 いず れ も ﹁独 立﹂ と ﹁革 命 ﹂ に象 徴 さ れ る
ナ シ ョナ ルな統 合 の神 話 に捕 え ら れ て おり 、 そ のかぎ り に お い て両 者 の間 に は交 渉 可能 な関 係
が 成 立 し て いた。 逆 に言 う な ら 、 も しも こう し た統 合 の神 話 が 色 あ せ て見 え る よう にな った な
ら 、諸 々 の亀 裂 は 一気 に深 刻 な様 相 を帯 び て く る可 能 性が あ った。 そ し て、 急 速 に進 行 す る 北
る役 割 を 果 た し てき た記 号 と し て の ﹁革 命﹂ に シ ンボ ライ ズ さ れ る統 合 メカ ニズ ムに、 あ る疑
米 化 と グ ローバ ル資 本 主義 への統 合 化 の波 は、 こ れま で メキ シ コ社 会 が かか え る亀 裂 を 隠 蔽 す
いの余 地 を 差 し挟 み はじ め て いた のであ る。
こう した 現在 の メキ シ コの危機 を具 体 的 に示 す 出来 事 が 、 一九 九 四年 の初 め、 メキ シ コ最 南
端 のチ ア パ ス州 で勃 発 し た。 ち ょうど NA F T A が発 効 す る 一月 一日 を期 し、 チ ア パ ス の先 住
民 ・農 民 千 数 百 人が 武 装 蜂 起 し、 か つて の州 都 で、 いまも こ の地 方 の文化 的 中 心 であ る サ ン ・
クリ ストバ ル ・ラ ス ・カ サ ス市 を はじ め、 オ コシン ゴ、 ア ルタ ミ ラ ノな ど の州 南 部 の主 要都 市
を 占 拠 し た のだ 。 彼 ら は、 メキ シ コ革 命 の英 雄 サ パ タ の名 前 か ら ﹁サ パ テ ィ ス タ国 民 解 放 軍
︵EZLN︶﹂ を 名 乗 り、 NA FT A 反 対 と メキ シ コの民主 化 、 チ ア パ ス にお け る先 住 民 ・農 民 の
劣 悪 な 生活 状態 の改 善 な ど を訴 え て い た。 こ の ﹁先 住 民 の武 装 反乱 ﹂ の ニ ュー スは、 正 月 の眠
りも さ めや ら ぬ 全世 界 の メデ ィ アを驚 愕 さ せる こと とな った。 不意 を衝 かれ た政 府軍 はあ わ て
て 一万 数 千 人 の陸 軍 を派 遣 し 、 ま た 周辺 の山 林 地 帯 への空 爆 を開 始 し た ︵この空爆 のた め、多 く
の 一般住民が難民化して逃げだすこととな った︶ 。 こう し たな か で、 E Z LN の兵 士 た ち は、 グ アテ
マラと の国 境 地 帯 に広が る ラ カ ンド ン の山 岳 密 林 地 帯 へと撤 退 す る。 そ れ でも こ のと き 、 オ コ
シンゴ など で は反 乱 軍 と政 府 軍 の間 で激 し い戦 闘 が 繰 り広 げ ら れ て多 数 の死者 が 出 た。 一連 の
戦 闘 で死者 は少 な く と も 百 五 十人 程 度 、 一部 には 四百 人 以 上 と いう報 道 も あ る。 数 日後 、 政府
軍 は主 要 都市 を反 乱 軍 から奪 還 し たが 、 そ の後 も陸 軍 基 地 や 政府 軍部 隊 、 刑 務 所 、送 電 施 設 な
ど へのゲ リ ラ的 な 攻 撃が 続 いた。
チ アパ ス の反 乱 は、私 た ち にと っても大 き な 驚 き であ った。 メ キ シ コに来 て から す で に三 ヵ
か ってき て いたが 、 そ れ でも メキ シ コシテ ィの北 米 化 す る リ アリ テ ィ のな か で生 活 し て いる か
月 あ まり が 過 ぎ 、 こ の国 の現 実 が 決 し て 一筋 縄 で は いか な い入 り 組 んだ も の であ る こと は わ
ぎ り 、 あ れ ほど 大 規 模 な武 装 反 乱 を 予 見す る こ と は でき な か った。 メキ シ コシテ ィで はも ち ろ
ん、 地 方 の旅 先 でも 、武 装 反 乱 が こ の国 で起 こ る こと を 予感 さ せ る不安 定 な雰 囲 気 はま った く
感 じ ら れ な か った の であ る。 反 乱 から 一ヵ月間 、 夢 中 にな って新 聞 や 雑誌 を買 い漁 ったが 、 ゼ
ロから 始 め て まだ 数 ヵ月 の私 の スペイ ン語 力 で は、 一つの記 事 を読 む の に丸 一日 か か ってし ま
いお 手 上げ であ る。 そ れ でも いろ いろ な話 を聞 く な か で、 こ の反 乱 が 、 た ん に中 南 米 の 一地方
のゲ リ ラ活 動 と いう だ け でな く、 わ れ わ れ の生 き て いる時 代 を根 底 から 問 う ほど の射 程 を持 っ
たき わ め て重 要 な 出 来事 であ る こと は理解 でき てき た。実 際 、 こ の国 の知識 人 た ち は、 やが て
繰 り 返 し こ の事 件 に つい て論 じ、 ﹁チ ア パ ス の反 乱 ﹂ を 語 る こと を 通 し て メ キ シ コと いう社 会
が たど ってき た道 と 現 状 に つ いて の考 え を深 め、 みず か ら の思 想 的 立 場 を鮮 明 に し て いく よ う
にな る。 チ アパ スの反 乱 は、 た ん に メ キ シ コ政 府 に敵 対 す る軍 事 行 動 だ った ので はな く 、 N A
F TA に象 徴 さ れ る よう な北 米 化 の流 れ に身 を ま か せ つ つあ った多 く の メキ シ コ国民 に対 し て、 自 ら の アイ デ ンテ ィテ ィを め ぐ る問 いを突 き つけ る行 為 でもあ った のだ 。
いう ま でも な く、 チ ア パ ス の反 乱 の背 景 には、 こ の地方 の農 民 の悲 惨 な 生活 状 態 と 民 主 主義
の欠 如 、 大 地主 に よ る先 住 民 の土 地 の非 法 な収 奪 が あ る。 だが 、 同 時 に、 こ の地 の民 衆 が 、 十
八、 九 世 紀 か ら外 来 の支 配権 力 に抗 し て自 分 た ち の生 活 世 界 を守 る反 乱 を 繰 り返 し てき た人 び
と であ る ことも 忘 れ て はな ら な い。 マヤ文 明 の末 裔 た る彼 ら は 、文 化 的 に はグ アテ マラと の連
続 性 が 強 く 、実 際 に十 九 世紀 初 め ま Oグ ア テ マラ領 の 一部 を 成 し て いた。 一八 二四年 に メキ シ
コに併 合 さ れ るが 、 最 初 から こ の国 の ナ シ ョナリ ズ ムの形 成 に関与 し てき たわ け では なく 、 い
ま でも 独 立 意 識が き わ め て強 い。 メキ シ コ シテ ィを中 心 と す る勢力 と、 グ ア テ マラ シテ ィを中
心 とす る勢 力 のち ょうど 中 間 地点 にあ り、 鉱 山資 源 に乏 し か った ことも 手 伝 って、 チ アパ スで
は 比較 的 遅 く ま で先 住 民 たち の文 化 や独 立 心 が守 ら れ た のであ る。 そ れが ま た こ の州 を、 教 会
権 力 や 国 家 権 力 に対 す る度 重 な る反 乱 の温 床 にも し た。 十 六世 紀 に スペ イ ン人 が チ ア パ スに
や って来 て から 今 日 ま で、 百 二十 を超 え る反 乱 が 発 生 し てき た とも 言 わ れ て いる。
こ の チ アパ スで、最 初 に大 規 模 な先 住民 反 乱 が 起 き た のは 一七 一二年 のこ と であ る。 き っか
け は、新 大 陸 で土 着 の信 仰 と キ リ スト教 が 独 特 の仕 方 で融合 し なが ら 広 ま った聖 母 信 仰 にあ っ
た。 十 八世 紀 初 頭 、 チ アパ スで は聖 母 信仰 が 人 び と の心 を強 く とら え 、 各 地 で聖 母出 現 の奇跡
が 語 られ て いた。 ま ず 、 一七 〇 八年 頃 に は、 シ ナ カ ン タ ン村 の隠 者 が 、 聖 母 が 降 臨 し、 イ ン
デ ィオた ち に恵 みを 与 え る であ ろう こと を 予言 し た。 彼 は多 く の信 者 を 集 めたが 、 こ こ に偶像
崇 拝 の兆 候 を読 み取 った 教会 は、 二度 にわ た り こ の隠 者 を 拘束 し、 最 後 に は悪魔 に取 り憑 かれ
た者 とし て捕 え て いる。 隠者 が 姿 を消 した後 、 今 度 は村 の貧 し い女 性 や子 ど もが 次 々 に聖 母 出
現 の奇 跡 に立 ち会 って いく。 一七 一 一年 秋 、 サ ンタ ・マ ルタ村 では、 ド ミ ニカ ・ロペ スと いう
名 の先 住 民 の女 性が ト ウ モ ロ コシ収 穫 の最 中 に聖 母 の出 現 に出 会 う。 やが て聖 母 は村 人 た ち の
前 に も 姿 を 現 わ し 、 木 像 と な っ て 新 た に建 て ら れ た 礼 拝 堂 に 安 置 さ れ 、 周 辺 の 村 々 か ら も 多 く
の巡 礼 者 を 集 め る よ う に な った 。 こ う し て 村 人 た ち の 信 仰 の中 心 は 教 会 か ら 聖 母 の 礼 拝 堂 に移
り、 こ の礼拝 堂 を 舞 台 に四旬 節 のと き の祝 祭も 行 な わ れ て いく。 再 び 危 険 を感 じ た教 会 は 、 ロ
ペ スと 夫 を 巧 み に 騙 し 、 彼 ら と 聖 母 像 を サ ン タ ・ マ ル タ 村 か ら サ ン ・ク リ ス ト バ ルま で連 れ だ
し て 聖 母 像 を ど こ か に 隠 し 、 ロ ペ ス た ち は 牢 に つな い で し ま った 。 と こ ろ が さ ら に 翌 一二 年 、
今 度 は カ ン ク ック 村 で 、 マリ ア ・カ ンデ ラ リ ア と いう 少 女 が 再 び 聖 母 の 出 現 に出 会 う の で あ る 。
こ のとき にも礼 拝 堂 が 建 てら れ、 多 く の信 者 を集 め るが 、教 会 は こ こ でも 礼 拝堂 を破 壊 し よう
と す る 。 だ が つ い に、 村 人 た ち は 抵 抗 に 立 ち あ が り 、 セ バ ス テ ィ ア ン ・ゴ メ ス と いう 指 導 者 が
ン 人 の支 配 か ら の自 由 を 叫 ん で サ ン ・ク リ ス ト バ ル を 取 り 囲 ん で い った 。
現 わ れ て チ ア パ ス高 原 の 三 十 二 の先 住 民 諸 部 族 を 結 び 、 六 千 人 も の農 民 た ち が 、 教 会 と ス ペ イ
も う ひ と つ の 、 最 大 規 模 の 先 住 民 反 乱 は 一八 六 九 年 に 勃 発 す る 。 こ のと き の 蜂 起 に つ い て は
清 水 透 が 優 れ た 分 析 を 行 な っ て い る 。 事 件 は ま ず 、 蜂 起 の 一年 半 前 、 サ ン ・ク リ ス ト バ ル近 郊
の 部 族 チ ャ ム ー ラ の貧 し い 部 落 ツ ァ ハ ル メ ヘル で 、 羊 番 を し て い た 少 女 ア グ ス テ ィ ー ナ のも と
に 三 つ の黒 い 石 が 降 っ てき た こ と か ら 始 ま っ た 。 少 女 が こ の石 を 持 ち 帰 る と 、 村 人 の 間 に神 の
お告 げ だ と いう 噂 が 広 ま り 、 チ ャ ム ラ ー の村 役 ク ス カ ット が 石 を 預 か る こ と に な る 。 そ の夜 、
石 を 納 め た 箱 が コ ツ コ ツ、 コ ツ コツ と 音 を 立 て は じ め、 ク ス カ ッ ト に 語 り は じ め た の で あ る 。
こ の 噂 は 周 辺 の村 々 に広 ま り 、 ツ ァ ハル メ ヘ ル は チ ャ ム ー ラ 族 全 体 の 巡 礼 の地 と な っ て い く 。
チ ャ ム ー ラ教 区 の 司 祭 や 教 会 と 結 び つ い た チ ア パ ス の 支 配 層 に と っ て 、 こ れ は ま ぎ れ も な く 邪
教 の復 活 であ った。 彼 ら は 周 辺住 民 の ツ ァ ハル メ ヘル信 仰 の高 ま り に 不安 を募 ら せ、 村 人 の信
仰 す る石 や 土偶 を取 り あ げ た だ け でな く 、 ク ス カ ットを 捕 え 、州 政 府 に身柄 を引 き 渡 す 。 と こ
ろが 、 ベ ニト ・フア レ ス大 統 領 のも と で ﹁改 革 ﹂政 策 が 推 進 さ れ て いた こ の時 代 、 ﹁改 革 ﹂ 派 の
州 知 事 は、 サ ン ・ク リ ストバ ルを拠 点 とす る伝 統 的 支 配 層 を牽 制 す る意 図 から ク スカ ットを 釈
放 し てし ま った のであ る。 これ を機 に チ ア パ ス の村 々の ツ ァ ハル メ ヘル信仰 は 一層 の高 ま り を
見 せ、 ク スカ ット は ﹁神 の母﹂ アグ ステ ィー ナ に従 う 女 たち に洗 礼 を 施 し たば か り か、 周 辺 村
落 の従 来 の村 役 に代 え 、 みず か ら各 村 の新 し い代 表 を 任 命 す る にま で 至 る。 も は や こう し た事
態 を黙 視 でき な く な った支 配 層 は、 ツ ァ ハル メ ヘル の礼 拝 堂 を破 壊 し 、 ク スカ ット と アグ ス テ ィー ナを拘 留 し て しま う 。
祭 の金 曜 日、村 人 た ち は アグ ステ ィー ナ の弟 を 十字 架 に かけ 、救 世 主 の出 現 を待 った。 す ると
だ が 、 村 人 た ち の信 仰 の高 ま り は、 こう し た迫 害 に よ って衰 え は しな か った。 六九 年 の復 活
数 ヵ月 し て、救 世 主 を 名 乗 る ラデ ィー ノ ︵非イ ンデ ィオ系 メキシ コ人︶ のイ グ ナ シオ ・ガ リ ンド が
弟 子を 伴 って現 わ れ、 先 住 民 た ち の自 由 と 収奪 さ れ た土 地 の返還 を訴 え る。 彼 は、 さ っそ く 村
人 た ちを いく つか の隊 に分 け 、 チ ャ ムー ラ の聖 山 ツ ォ ンテウ ィ ッツを 拠 点 に軍事 訓練 を開 始 す
る。 やが て六 月、 ガ リ ンド に率 いられ た千 人 を超 え る反 乱 軍 は、 教 区 の司 祭 を殺 害 し、 支 配 層
の経 営 す る農 園 を次 々に襲 撃 し て、 奴 隷 状態 にあ った数 千 人 の仲 間 を 解 放 し た。 さ ら に勢 いづ
いた 七千 人 あ ま り は、 鉄 砲 や槍 、 斧 、 こ ん棒 、 石投 げ 縄 で武 装 し た ま ま サ ン ・クリ ストバ ル に
向 か い、 そ こ に駐 留 し て いた 兵 士 た ちを 圧 倒 し た。 ガ リ ンド は軍 司令 官 と の交渉 に応 じ、 ク ス
カ ット解 放 の条 件 と し てガ リ ンド 本 人 と妻 、弟 子が 三日 間 人質 とな る こと に同意 す る。 三日後 、
今 度 はガ リ ンド の解 放 を 求 め て 五千 人 のイ ンデ ィオが 再 び サ ン ・ク リ ストパ ルを包 囲 し、 市 民
た ちが 逃げ ま ど うな か で戦闘 が 行 なわ れ 、政 府 側 の死 者 は百 人あ ま り、 反 乱 軍側 も 四十 人 あ ま
り の死 者 を 出 し たと いう ︵ 清水透 ﹃エル ・チチョンの怒り﹄東京大学出版会、 一九八八年︶。
容 易 に察 せ ら れ る よう に、 こ の ク スカ ット =ガ リ ンド の反乱 は、 サ ン ・クリ ストバ ル市 が 標
的 にな って いる点 や、 抑 圧 さ れ た先 住 民 の解 放 を外 部 から や ってき た ラデ ィー ノが 先 導 し て い
る点 で、 今 回 の チ アパ ス蜂 起 に酷 似 し て い る。 清 水 に よれ ば 、 一八 六九 年 の蜂起 の背 景 に は、
メキ シ コ独 立 以降 の近 代 国 民 国家 建 設 のプ ロセ スで、 そ れ ま で ス ペイ ン王 権 が先 住 民 村 落 に保
証 し てき た土 地 の共 同体 的 な 所有 形 態 、 そ れ に村 に与 え ら れ て いた自 治 権 が 脅 か さ れ は じ め、
ま た植 民 地 支 配 の中 核 を 担 ってき た カ ト リ ック教 会 の力 も 大幅 に後 退 し て い った ことが あ ると
いう。 一八 二〇 年代 以降 、 チ ア パ スでも 州 政 府 の手 で、 次 々と 私的 所 有 権 の原 理 に基 づ いた近
代的 な農 地 法 が 公布 さ れ て いくが 、 そ の最 大 の犠牲 とな った のが先 住民 たち の共 同体 所 有 地 で
あ った。 これ ら の土 地 は、 所 有 権 の未 確 定 な土 地 と みな され 、 購 入 し た い者 の要 求 に基づ いて
売却 され 、 私 的 所有 地 へと転 換 さ れ て いく 。 そ の結 果、 先 住 民 の村 落 は生 活 の基 盤 た る耕 作 地
や 入会 地 の多 く を ラデ ィー ノ の農 園 主 た ち に奪 わ れ 、村 人 た ち は農 園 で の隷 属 的 な 労働 を強 い
ら れ て いく こと にな る。 チ ャム ー ラ の場 合 、 一八四 六年 に副 知 事 だ った ラ モ ン ・ラ ライ ンサ ル
は、 そ の地位 を 悪 用 し て村 落 の土 地 の八割 を購 入 し 、自 身 の農 園 に編 入 し て いる。 こう し た共
同体 の土地 の収 奪 と ラデ ィー ノ に よる農 園 の拡 大 は 、十 九世 紀 の チ ア パ スで広 く 見 ら れ た現 象
であ った。 清 水 は こう し た原 因 に加 え 、 国家 の近 代 化 の動 き のな か で教 会 の財 産 の没 収 や 権 限
の剥 奪が 次 々に行 な わ れ て い った ことが 、先 住 民 社 会 に 一種 の権 威 の空 白 状態 を生 ん で い った
ので はな いか と指 摘 し て いる。 チ ア パ スに限 らず 、 十 九 世 紀後 半 に は メ キ シ コ全 土 で先 住 民 の
に集 中 し、 彼 ら の共 同 体 の基 盤 を掘 り崩 し て い った こ とを 背 景 にし て いた。
反 乱 が 相 次 ぐが 、 そ の多 く は 、近 代 国 民 国 家 形成 のな か で のさ まざ まな 矛 盾 が イ ンデ ィオ村 落
そ し て、 今 回 の三 回 目 の大 反 乱 であ る。 十 九 世 紀後 半 の先 住 民 反 乱が 、 ラデ ィー ノ によ る共
同 体所 有 地 の収 奪 と教 会 権 威 の空 洞 化 によ って引 き起 こ さ れ たも の であ った とす るな らば 、 今
回 の反乱 の背 景 にあ る ひ と つの要 因 は、 グ ローバ ルな資 本 主 義 に よ る メキ シ コのさら な る収 奪
への不安 と ﹁革命 ﹂ の規 範 の空 洞 化 であ ったと 考 え る ことが でき る かも し れ な い。 二十 世 紀初
頭 の メキ シ コを激 しく 襲 った革 命 の波 は、 実 質 的 な 社 会改 革 の力 を 南 部 の諸州 にま で は及ぼ さ
な か った が 、 そ れ でも こ の時 期 か ら、 か つて の教 会 に代 わ る新 し い権 威 の シ ス テ ムが 、 ﹁ 革命﹂
と いう 言 葉 を依 代 と しな が ら こ の国 の全 土 に打 ち立 てら れ て い った。 こ の シス テ ムは、 す で に
ネ サ ワ ル コ ヨト ル に つい て見 たよ う に、 P R I体 制 と し て整 備 さ れ 、 ナ シ ョナ ルな統 合 メカ ニ
ズ ムを さ まざ ま な生 活 場 面 で発 動 さ せ て いく 。 だが 、 N AF TA 発 効 に象 徴 され る、 グ ローバ
ルな資 本 主 義 への メキ シ コ経 済 のよ り 徹底 し た統 合 は、 ﹁革 命 ﹂ の イデ オ ロギ ーが こ れ ま で通
り の仕方 で作 動 し つづ け る のを不 可能 にし て いく 契 機 を含 ん で い た の では な いだ ろう か。 E Z
LN の反乱 が 、 そ れ ま で の メキ シ コ社 会 の雰 囲 気 を が ら り と変 え て しま う ほ ど のイ ンパ ク トを
持 ち え た のも 、 こ のと ころ進 ん でき た北 米化 と NA FT A 加 盟が 内 包 す る不 安定 化 の契 機 を 、
彼 ら が 正 確 に 衝 い て い っ た か ら であ る よ う に 思 え て な ら な い 。
の ゲ リ ラ と は 同 列 に 語 れ な い 、 未 来 に 向 け て の戦 略 を 含 ん で い た 。 す な わ ち 、 彼 ら は 自 分 た ち
チ ア パ ス の 反 乱 は ま た 、 こ の 地 方 の歴 史 と メ キ シ コの 現 状 を 前 提 と し な が ら も 、 他 の中 南 米
の反 乱 の 社 会 的 な 意 味 を 、 実 に 巧 み な メデ ィ ア戦 略 を 通 じ て 国 内 外 に広 く ア ピ ー ル し て い っ た
の で あ る 。 蜂 起 し た そ の 日 か ら 、 彼 ら は メ キ シ コ の民 主 主 義 を 問 う 、 さ ま ざ ま な メ ッ セ ー ジ を
新 聞 や 雑 誌 、 パ ー ソ ナ ル メ デ ィ ア を 使 っ て 継 続 的 に 発 信 し て い った 。 彼 ら の メ デ ィ ア戦 略 が い
か に 巧 み で あ った か に つ い て は 、 ハリ ー ・ク リ ー ヴ ァ ー の 次 の よ う な 観 察 に 的 確 に要 約 さ れ て
い る 。 ﹁ 一九 九 四 年 の 一月 一日 に 始 ま った 一連 の 出 来 事 の な か で 、 最 も 衝 撃 的 だ った の は 、 こ
の闘 争 の ニ ュー スが 流 通 す る ス ピ ー ド と 、 そ の結 果 起 き た 支 援 の動 き が き わ め て 迅 速 だ っ た と
いう こ と だ 。 ま ず 最 初 に 、 初 日 か ら E Z L N は 効 果 的 に 、 声 明 を フ ァ ッ ク スを 通 じ て 公 表 し 、
て 伝 え ら れ た そ の行 動 と 諸 要 求 は 、 メ キ シ コ の 国 内 外 で そ の動 向 に 関 心 を 抱 く 多 く の人 々 を つ
続 い て コ ミ ユ ニケ が 直 接 、 様 々な ニ ュー ス メ デ ィ ア へ送 ら れ た 。 第 二 に 、 マ ス メ デ ィ アを 通 じ
な ぐ コ ン ピ ュー タ ・ コ ミ ユ ニケ ー シ ョ ン の ネ ッ ト ワ ー ク を 通 じ て、 彼 ら の 要 求 や 行 動 に つ い て
の レ ポ ー ト が 自 然 発 生 的 に し か も 迅 速 に 流 通 し た こ と に よ って さ ら に補 強 ﹂ さ れ た ︵ ﹁チ ア パ ス
の叛 乱﹂、 ﹁ イ ンパ ク シ ョン﹄ 八 五号 、 一九 九 四 年 ︶ 。 反 乱 の 首 謀 者 と 目 さ れ る ﹁副 司 令 官 マ ル コ ス﹂
と い う 名 の覆 面 の リ ー ダ ー は 、 良 識 的 な 雑 誌 や 新 聞 に 対 し て た び た び イ ン タ ビ ュー に 応 じ 、 自
分 た ち の問 題 意 識 を 伝 え て い っ た 。 こ う し た 活 動 の 結 果 、 彼 ら は メ キ シ コ の世 論 を 味 方 に つけ
た だ け で な く 、 マ ル コ スな ど は そ の 容 姿 や 雰 囲 気 か ら メ キ シ コ の 若 い女 性 た ち の 人 気 の 的 と
な って い った。 彼 ら の反 乱 は最 初 から 、 グ ローバ ルな 情報 ネ ット ワ ー クを前 提 と し、 武 力 では 対 抗 でき な い政 府 から 一定 の譲 歩 を 引 き 出す こと に成 功 し た のであ る。
チ ア パ スで の出 来 事 は 、北 米 化 す る メキ シ コと は異 な る も う ひと つの メキ シ コを厚 み のあ る
か たち で浮 上 さ せ た。 一方 の北 米 化 と 他 方 のチ アパ ス。 こ のふ た つ のリ アリ テ ィは、 揺 れ 動 く
現 代 メ キ シ コのな か でた が い に交 錯 し、 ぶ つか りあ いな が ら も結 び つい て い る。 両者 は たが い
に背 反 しな が らも 、 同 じ グ ローバ ルな 資 本 と 情報 のネ ット ワ ー クを介 し て拡 散 、増 殖 し つ つあ
る。 一方 で、高 度 化 す る情 報 消費 社 会 的 な リ アリ テ ィは、 今 後 ま す ます 場 所 に依存 し な いか た
ち で全 地 球 を 覆 って いく だ ろ う。 だが 同 時 に、 ネ サ ワ ル コヨト ルや チ アパ スに見 ら れ た よう な
ゲ リ ラ戦 的 状 況 も、 全地 球 的 現象 と な って いく に違 いな いの であ る。 お そら く メ キ シ コは、 こ
う し た現 代 的 状 況 を 典型 的 に示 し て いる社 会 の ひと つであ る。 今 日 の メキ シ コシテ ィ、あ る い
は メキ シ コに おけ る錯綜 し た リ ア リ テ ィは、 決 し て旧来 の単 純 な 階 級 対 立 の モデ ルで は理解 さ
れ な いし、 表 層 の消費 文 化 の周縁 に ﹁民衆 ﹂ 的 な ﹁貧 困 の文 化 ﹂ を 設 定 す る こ と で解 決が つく
も の でも な い。 こ の都 市 と社 会 に お い て、 支 配 的 な も のと 従属 的 な も の、資 本 主 義 的 な も のと
フ ォー ク ロア的 なも のは複 雑 に結 び つい てお り、 両 者 が 単 一の社 会 空 間 に統 合 さ れ る こと はな
いと し ても 、 そ れ は必ず し も排 他 的 な 二 つの空 間 の存 在 を 示 す わけ でも 、 単 純 な階 級 的 対 立 状
況 を 示 す わ け でも な い の であ る。 私 の メキ シ コで のさま ざ ま な 経験 は、 一方 では 、 コヨア カ ン
の異 質 な 街 区 の重 な り の向 こう にネ サ ワル コ ヨト ル のよう な 居 住 区 の歴 史 が 浮 か びあ が ってき
た よ う に、 ま た 他方 で は、 N A F T A に象 徴 さ れ る北 米 化 の動 き のな か で、 チ ア パ ス の農 民 が
自 ら の存 在 を全 世 界 の人 び と に突 き つけ て い った よう に、 緊張 を帯 び な が ら 相 互浸 透 す る多 層
的 な 位 相 の絡 ま りあ い のな か に布 置 さ れ て いる。 おそ ら く こう し た リ ア リ テ ィ の布 置 に つい て
“Ri es gos
洞 察 を 深 め て いく こと は 、 メキ シ コシテ ィ のみ な らず 、 現 代世 界 のな か で今 日、 都 市 が 置 かれ て いる状 況 全 体 を 捉 え て いく こと に つな が る ので はな いだ ろ う か。 注
B enefi ciosdelT LC”,Macropoli s,N o.87,1993.pp.6︲29,を 参 照 。
★ 1 八 六 年 以 降 の メ キ シ コ経 済 の 北 米 圏 へ の統 合 過 程 に つ い て は 、 M acropol i s誌 の 特 集 記 事 y
か ぎ り 、 ﹃フ ォ ー リ ン ・ア フ ェ ア ー ズ ﹄ に お け る ポ ー ル ・ク ル ー グ マ ン で あ る。 ク ル ー グ マ ン は 、 一九
★ 2 こ の 時 点 O 、 メ キ シ コ の N A F T A 加 盟 の意 味 に つ い て 冷 静 な 指 摘 を 行 な って い た の は 、 私 の 知 る
九 〇 年 以 降 の メ キ シ コ経 済 の 成 長 が 、 労 働 力 の 成 長 を ほ と ん ど も た ら し て い な い こ と 、 す な わ ち 景 気
は 良 く な っ た は ず な の に 、 八 〇 年 頃 と 比 べ て も 失 業 率 は は る か に高 く 、 実 質 賃 金 も 大 き く 低 下 し て い
る こ と に、 現 在 の メ キ シ コ経 済 の基 本 的 な 問 題 が あ る と 指 摘 す る 。 こ の よ う な な か で の N A F T A 加
そ れ は 、 ﹁メ キ シ コの 改 革 は継 続 さ れ る と い う 海 外 の 投 資 家 へ の 公 約 で あ る と と も に 、 今 後 は 、 こ れ
盟 は 、 実 質 的 な 経 済 改 革 を 促 す よ り も 、 サ リ ナ ス の 政 策 続 行 を 可 能 に す る た め の政 治 公 約 な の で あ る 。
は 本 当 に 北 米 経 済 を 変 え る の か ﹂、 ﹃中 央 公 論 ﹄ 一九 九 四 年 一月 号 、 四 四 九 ∼ 四 五 六 頁 。
ま で よ り も よ い 時 代 に な る と いう メ キ シ コ大 衆 へ の 公 約 な の で あ る ﹂。 P ・ク ル ー グ マ ン ﹁N A F T A
や く 三 週間 後 にな ん と か解 決 し た。
★ 3 な お 、 こ の 問 題 は 結 局 、 東 京 銀 行 と 国 際 交 流 基 金 の現 地 事 務 所 の方 が た に協 力 し て い た だ き 、 よ う
★ 4 Fl orescano,E. ,“Subl evacion en Chiapas” ,1︲5.La o Jr nada,Enero6︲10,1994,な お 、 今 回 の 反 乱 と 過 去 の 二 つ の 大 反 乱 と の つな が り に つ い て は、 カ ル ロ ス ・フ ェン テ ス の 論 評 も 示 唆 に富 む
gri tan”,La J ornada,Enero 7,1994)。
(Fuentes,C. ,“Chi apas,donde hasta l as piedras
の ﹁貧 困 の 文 化 ﹂ 論 的 な パ ラ ダ イ ム は 、 い か に そ の 記 述 が 魅 力 的 であ ろ う と も 、 も は や 有 効 で は な い
★ 5 私 は 、 メ キ シ コ シ テ ィ の よ う な 都 市 や そ こ で の ポ ピ ュラ ー 文 化 を 捉 え る う え で 、 オ ス カ ー ・ル イ ス
と 考 え て い る 。 と は い え 、 コ ー ネ リ ウ ス の よ う な 地 域 政 治 の 鳥 瞰 的 な 分 析 で 文 化 の多 層 性 が 捉 え ら れ
の は 、 ネ ス ト ー ル ・ガ ル シ ア ・カ ン ク リ ー 二 の 文 化 社 会 学 的 な 議 論 な の で は な い だ ろ う か ︵Cancl ini,
る わ け で も な い 。 現 在 のと こ ろ 、 メ キ シ コ の 大 衆 文 化 に つ い て 最 も 可 能 性 が あ る 視 座 を 提 供 し て い る
N.G. ,Transfom ing M odernit y,Universi ty ofT exas Press,1993)。
ジ ュ リアナ東 京 (共 同通 信 社提 供 )
到 来 す る 大 衆 消 費 社 会
・・ -. ・ 三 ⋮ ︱・ イ ・ ・ ⋮ ﹂ ・ 読む
一九 二〇年 代 、 ア メリ カ人 の日常 生 活 は根 底 か ら変 容 す る。 口紅 や香 水 、 洗 濯 機 や冷 蔵 庫 、
ラ ジ オや タブ ロイド 新 聞 、自 動 車 、 摩 天 楼 、 デ パー ト、 そ し て何 よ りも 映 画 。 これ ら の表 象 に
よ って縁取 ら れ る消 費 生 活 の スタ イ ルが 、 広告 技 術 と ロ︱ ン の普 及 に促 され なが ら膨 大 な大 衆
の心 理 を と ら え、 新 し い時代 の欲 望 の基 本 型 を か た ちつ く って い った のだ 。 そ れ は、 た ん に風
俗 の変 化 と いう域 を 超 え て、 人生 の展 望 や 表 現 の形 式 、 さ ら に は政 治 のあ り 方 ま でを決 定 的 に
変 容 さ せ て いく過 程 の第 一歩 であ った。 こ こ に登 場 し た消 費 社 会的 な文 化 の枠 組 みは、 二〇 年
代 を通 じ て ア メリ カ全 土 に浸 透 し ただ け でな く、 第 二次 大 戦後 には、 日本 を 含 む 世界 各 国 の人
び と の生活 を深 く包 ん で いく こと にな る。 フレデ リ ック ・L ・ア レ ン の ﹃オ ンリ ー ・イ エスタ
デ イ﹄ ( 筑摩書房、 一九八六年 、原著 一九 三 一年) は、 こ のよ う な 現 在 で は 世 界 を 覆 って いる か に
x993年3月
見 え る消費 の文 化 を 、 そ の誕 生 の瞬 間 に お い て鮮 や か に捉 え た 同時 代 史 であ る。
変 容 す る マス メデ ィ アの 世界
た と え ば ラ ジ オ。 一九 二〇 年 十 一月 二 日 に 、 ハー デ ィ ン グ と コ ッ ク ス の対 戦 し た 大 統 領 選 挙
の 開 票 速 報 を 伝 え る た め に開 局 し た ウ ェ ス テ ィ ン グ ハウ ス の K D K A 局 は 、 や が て ア メ リ カ 全
土 を 席 巻 す る ラ ジ オ ・ブ ー ム のき っ か け と な った 。 も っと も ア メ リ カ に お け る ラ ジ オ 無 線 局 は 、
こ の K D K A 局 が 必 ず し も 最 初 で は な い 。 第 一次 大 戦 以 前 か ら 、 す で に こ の 国 で は ア マチ ュア
ア無 線 局 が 各 地 に現 わ れ は じ め て い た 。 K D K A の開 局 は 、 こ の よ う な ア マ チ ュア た ち の活 動
無 線 が ブ ー ム と な っ て お り 、 一九 一〇 年 代 半 ば 頃 ま で に は 音 声 の ラ ジ オ 放 送 を 行 な う ア マチ ュ
を 、 ウ ェ ス テ ィ ン グ ハウ ス の よ う な 大 企 業 が 事 業 と し て 取 り 込 み は じ め た こ と の 最 初 の現 わ れ
であ る 。 そ し て 、 や が て 二 〇 年 代 半 ば に は 、 こ う し た ラ ジ オ 放 送 の 産 業 化 が 、 広 告 産 業 と 一体 に な り な が ら 大 規 模 に進 行 し て い く こ と に な る の で あ る 。
ア レ ン は 、 ラ ジ オ の大 衆 化 が 、 二 二年 か ら 怒 濤 の よ う に始 ま っ た こ と を 示 し て い る 。 こ の年
の ﹁二 月 に は 、 ハー デ ィ ン グ 大 統 領 も 書 斎 に受 信 機 を 取 り つ け さ せ た し 、 デ ィ ス ク モ ア ・ゴ ル
フ ク ラ ブ は 、 ゴ ル フ ァ ー た ち に 教 会 の 礼 拝 を 聞 か せ る た め に ﹁電 話 機 ﹂ を 備 え つ け る と 発 表 し
た 。 四 月 に な る と 、 ラ ッ カ ウ ォ ン鉄 道 の 乗 客 は 、 ラ ジ オ ・ コ ン サ ー ト を 聞 く こ と が で き た し 、
メ イ ナ ー ド 中 尉 は 復 活 祭 の 説 教 を 飛 行 機 の 上 か ら 放 送 し て 、 キ リ ス ト 教 近 代 化 の 最 先 端 に立 っ
ルは、 二九 年 に は八億 四 千 三百 万 ド ル近 く に ま で跳 ね あが って いる。 ラジ オは 大戦 後 のア メ リ
た﹂。 ラ ジ オ ・ ブ ー ム は 二三年 以 降 も ま す ま す拡 大 し、 二 二年 の ラジ オ の年 間 総売 上 げ 六千 万 ド
カ最 大 の ヒ ット商 品 であ った。 そ し て、 二〇年 代 の終 わ り ま で に は、 後 にも う ひ と り の ア レ ン、
ウ デ ィ ・ア レ ンが 映 画 ﹃ラジ オ ・デ イ ズ﹄ のな か で描 いた よう に、 ラジ オは完 全 に ア メリ カ人 の生活 風 景 の 一部 と な って い た の であ る。
ラジ オ の産 業 化 と 大衆 化 は、 人 び と を取 り巻 く メデ ィア環 境 全 体 の変容 の 一部 であ った。 二
〇年 代 、 新 聞 や 雑 誌 も大 き く 変 化 し て いた。 ア レ ンによ れば 、 新 聞 は ﹁ 種 類 が 減 って、 発行 部
数 が 増 え た﹂ と いう 。 つま り 、 全 国 的 に統 合 化 さ れ 、 系 列 化 さ れ つ つあ った 。 ﹁地 方 新 聞 の編
ガ家 に頼 ら な く ても済 んだ 。 そ れ ぞ れ のチ ェー ン の中 央 編 集 局 や ニ ュー ヨー ク の シンジ ケー ト
集 者 は、 紙 面 を 埋 め る た め や、 地方 色 を出 す た め に、 もう 以 前 のよ う にそ の地 方 の作 家 や マン
が 、 論 説 、 健 康 相談 、 連 載 マ ンガ、 お涙 頂 戴 も の、家 庭 欄 、 スポ ー ツ界 のゴ シ ップ な ど を配 給
し た﹂。 同 時 に、 雑 誌 も 、 巨大 な発 行 部 数 をも つ全 国的 な 雑 誌 が 増 え て い た。 これ ら の全 国雑
誌 や新 聞 、 ラジ オ は、 大 衆 の関 心 を ひく 事 件 を セ ン セー シ ョナ ル に報 道 し、 人 び と の世 界 に対
す る見 方 を 均質 化 し て い った。 こ のイ メー ジ の大 量生 産 によ り 、 ﹁今 や 合 衆 国 で は、 か つて い
か な る時 代 、 いか な る場 所 でも でき な か った 、 同 一のおも しろ い シ ョウを 、 同 時 に、大 勢 の人 び と が 楽 し む﹂ こ とが でき るよ う に な った の であ る。
の発 展 であ る。 こ の時 代 の広告 業 者 たち は、 一方 で は大 衆 の嗜好 を 理解 す る能 力 の保 持 者 であ
も う ひと つ、 二〇 年 代 の ラジ オ や新 聞 、 全 国雑 誌 の伸 長 と 表裏 を な し て いた のは 、広 告 産 業
る こと を企 業 に向 け て アピ ー ルし、 他方 で は自 分 たち は そ の大 衆 の価 値 観 を ﹁近 代 化 ﹂ し て い
は、 全 国 雑誌 と ラジ オを 主要 な活 躍 の舞 台 と し なが ら 、 し だ い に広 告 の焦 点 を 、商 品自 体 から
く 改革 者 であ ると 宣 言 し なが ら 、 ア メリ カ社 会 のな か で の地 位 を急 速 に向 上 さ せ て いく 。 彼 ら
消 費 者 の自 己 イ メージ へと 移行 さ せ て い った。 商 品 は、 新 し い生活 スタ イ ルを 演 じ る た め の小
道 具 と し て位 置づ けら れ 、 人 び とが 望 ま し いと考 え る ﹁自 己 ﹂ そ のも のが 、 広 告 のな か で産 業 的 に演 出 さ れ て いく よう にな り はじ め て いた の であ る。
自 動 車 の 普 及 と身 体 意 識 の変 容
二 〇 年 代 に 起 き た ア メ リ カ 文 化 の 変 容 は 、 メデ ィ ア 環 境 の レ ベ ルだ け に と ど ま ら な か っ た 。
ラ ジ オ と と も に 自 動 車 が 、 二 〇 年 代 の ア メ リ カ全 土 の家 庭 に広 く 普 及 し た 。 舗 装 道 路 や ガ ソ リ
ン ス タ ン ド 、 修 理 屋 の 整 備 に よ って 、 自 動 車 は し だ い に ア メ リ カ 人 の生 活 文 化 の な か で 中 心 的
な 位 置 を 占 め る よ う に な っ て い った の だ 。 し か も 、 そ れ は た ん な る 移 動 の道 具 と い う 以 上 の、
む し ろ ア メ リ カ 人 が 自 己 を 社 会 の な か で 呈 示 し て い く 際 の、 中 心 的 な 表 象 に も な っ て い った の
で あ る 。 こ の 時 代 、 自 動 車 は ど ん ど ん フ ァ ッ シ ョ ナ ブ ル に な る。 ﹁メ タ ノ ー ル仕 上 げ が 発 明 さ
れ て、 フ ロ ー レ ン ス 風 ク リ ー ム色 か ら 、 ヴ ェ ル サ イ ユ風 紫 色 ま で 虹 の七 色 の車 が 出 そ ろ っ た 。
車 体 は 低 く な り 、 車 デ ザ イ ナ ー は 新 し い線 の組 み 合 わ せ を 追 求 し 、 低 圧 タ イ ヤが 出 ま わ り 、 つ
い に は 、 ヘ ン リ ー ・フ ォ ー ド ま でが 車 の ス タ イ ル と 美 し さ を 考 慮 せざ る を 得 な く な った ﹂。 一九
二七 年 のA型 フ ォード 発売 は、 フ ォード社 の実 用 中 心 主 義 が G M社 の差 別化 戦 略 に敗 北 し た こ とを 自 ら認 め る象 徴 的 な 出来 事 であ った。
自 動 車 の大 衆 化 は、多 く の ア メリ カ人 に、 それ ま で の日常 的 な生 活 圏 を は る か に越 え る地方
ま で移 動 し て いく こと を 可能 にし た。 ア レ ン の言 う よう に、 ﹁数 年 前 ま で は、 遠 く て と て も行
け な いと思 われ て いた広 大 な 森 林 地帯 や野 原 を 、 郊 外 鉄道 の駅 から 、 つま り大 都 市 から 、楽 に
行 か れ る範 囲内 に変 え た の は、 自 動 車 であ った﹂。 自 動 車 の普 及 によ って、 貧 し い農 民 や 工場
労 働者 ま でも が 、 家 族 を座 席 に詰 め込 ん で、 オ ー トキ ャ ンプ か ら オ ー トキ ャ ンプ へと 全 国 を旅
す る ことが でき るよ う にな った。 と り わけ フ ロリダ では、 暖 か い陽 光 を求 め て自 動 車 を 駆 る人
び と によ って、 空 前 の レジ ャーと 土 地 投機 ブ ー ムが 巻 き起 こ る。 フ ロリ ダ の至 ると ころ で ホテ
ルや 別荘 地 、 カジ ノや ゴ ル フ場 の建 設が 計 画 さ れ 、 人 び と は大 儲 け を 夢 見 て手 当 たり 次第 に土
地 に投資 し た。 フ ロリダ だけ で はな い。 ア メリ カ各 地 で新 し い郊 外 が驚 異的 な速 さ で発 展 し、 都 市生 活 の スタイ ルを変 容 さ せ て い った。
さ ら に、 以 上 のよ う な メデ ィアと空 間 の変 容 のな か で、 フ ァ ッ シ ョンや スポ ー ツ、 性 の モラ
ルな ど、 こ の国 の人 び と の身 体 意 識も 根 底 から 変 容 し は じ め て いた 。 ﹁娘 たち の服装 の変 化 は、
ま さ に驚 嘆 に値 す る も のであ った﹂ と ア レ ンは言 う。 スカ ー ト の丈 はど んど ん短 く な り、 断 髪
や 細身 で ロー・ウ ェス ト のド レ スが 流 行 し、 口紅 の使 用 も ご く 一般 的 な も のと な った。 ﹁こ う し
た も のはす べ て、意 識 す ると し な いに か かわ ら ず 、 こ の時 代 の女 性 た ちが 単 な る若 さ 、 そ れも
成熟 し て いな い若 さ だけ を 賛 美 し て いる こと の象 徴 であ った﹂。 こ の ﹁若 さ ﹂ に対す る感 覚 は、
セ ッ ク ス に つ い て の あ け っぴ ろ げ な 態 度 の ひ ろ が り と も 結 び つ い て い た 。 ペ ッテ ィ ング ・パ ー
テ ィ の 流 行 や 離 婚 率 の増 大 、 女 性 の飲 酒 や 喫 煙 の拡 大 が 、 間 接 的 に こ う し た 性 を め ぐ る 意 識 の
変 化 を 投 影 し て い た し 、 告 白 雑 誌 や ラ ブ シ ー ン を ふ ん だ ん に盛 り 込 ん だ 成 人 映 画 の浸 透 が 、 こ う し た 傾 向 に拍 車 を か け て い た 。
そ し て 最 後 に、 こ の時 代 の ア メ リ カ 人 の 身 体 感 覚 の変 容 を 直 裁 に 反 映 し て い た のが 、 ス ポ ー
ツ の流 行 で あ った 。 ゴ ル フ は急 速 に ビ ジ ネ ス マ ン た ち に と っ て 必 須 の趣 味 に な っ て き た し 、 野
球 や フ ッ ト ボ ー ル か ら ボ ク シ ング に 至 る シ ョ ー ・ス ポ ー ツが 、 し だ い に 大 衆 の最 大 関 心 事 と な
り つ つあ っ た 。 今 日 で は ご く 当 た り 前 のも のと 思 わ れ て い る こ れ ら の ス ポ ー ツ の ス ペ ク タ ク ル
化 は 、 第 一次 大 戦 後 に初 め て 本 格 化 し た 現 象 な の で あ る 。 ア レ ン が 書 い て い る よ う に 、 ﹁フ ッ
ト ボ ー ル競 技 場 や 野 球 場 や ボ ク シ ング ・リ ン グ の上 に ま で衆 人 環 視 の ま ば ゆ い光 が 当 て ら れ る
と い う こ と は 、 い ま ま で に な い こ と だ った ﹂。 二 〇 年 代 の 社 会 変 化 の な か で 、 プ ロ モ ー タ ー や
新 聞 社 、 ラ ジ オ 局 は 、 こ れ ら の ス ポ ー ツが 人 び と の熱 狂 的 な 関 心 を 動 員 し て い く 定 常 的 な イ ベ ントと な り う る こ と に気 づ い て い った の であ る。
﹁現在 ﹂ と し て の 一九 二〇 年 代
以 上 で述 べ てき た す べ て の こと は、相 互 に密 接 に結 び つ いて い る。 ラジ オ や新 聞 、 雑誌 など
の マス メデ ィア の発達 と 大衆 的 浸 透 は 、 こ の国 に住 む 膨 大 な人 び と の意 識 を、 き わ め て広 い範
囲 で日常 的 に混ぜ 合 わ せ て い った 。 こ う し た意 識 の撹 拌 には、 自 動 車 の普 及が い っそ う直 接 的
に作 用 し た であ ろ う。 人 びと は、 これ ら の情 報 と 移 動 の メデ ィア によ って、 それ ま でよ り も は
るか に容 易 に伝 統 的 な共 同体 の規範 か ら抜 け 出 し て い った。 も はや 保守 的 な道 徳 家 た ちが ど れ
ほど 非難 し よう と も 、す で に壁 は突破 され て い た の であ る。 新 し い価値 は、 雑 誌 広告 や ラジ オ
番 組 、あ る い は享 楽 的 な映 画 や セ ン セ ー シ ョナ ルな 事件 報 道 を 通 し て、 生活 のな か に知 らず 知
ら ず のう ち に浸 透 し て いた し、 自 動車 で遠 出 し てし ま えば 、 昔 な が ら の顔 見 知 り の眼 な ど 気 に せず に、 思 う 存 分 自 由 の気 分 を 味 わ う ことが でき た 。
こう し て、 新 し て幻想 の形 式が し だ い に人 び と の心 を と らえ て い った。 た と え ば 、 ﹁リ ンド
バ ーグ の奇 跡 ﹂ は、 二〇年 代 の ア メリ カが つく り あげ た最 大 の ﹁事 件﹂ のひ と つであ った。 一
九 二七年 、 西 部 から 来 た無 名 の青 年が ニ ュー ヨー ク ・パリ間 の無 着 陸 飛 行 に成 功 す ると 、 こ の
国 の マス メデ ィア は、 一斉 に こ の リ ンドバ ーグ の飛 行 を英 雄 的 な 行 為 に仕 立 てあ げ て い った の
であ る。 ア レ ンが 注 意深 く述 べ て いる よ う に、 リ ンド バ ーグ は飛 行 機 で最 初 に大 西洋 を 横 断 し
た人 物 ではな い。 だ が、 二〇 年 代 の マス メデ ィア は、 国 民 の満 たさ れ な い欲 望 を 、 こ の青 年 の
パ フ ォー マン スのな か に成就 さ せ た の であ る。 第 二次 大戦 後 、 ダ ニエル ・ブ ー ア ステ ィンは、
な って いる こ とを 指 摘 し 、 こう し た メデ ィ アが 製 造 す る ﹁事 実 ﹂ の こと を ﹁疑 似 イ ベ ン ト﹂ と
現 代 の メデ ィアが 、 大 衆 の欲望 を 成 就 さ せ る た め に事 実 を つく り あ げ て いく 文 化 神 な 装 置 と
呼 ぶ 。 二〇年 代 は、 ブ ー ア ステ ィン流 に言 う なら ば 疑似 イ ベ ント の作 用 が 、 大衆 の 日常 意 識 を 広 く 包 み 込 ん で い った最 初 の時 代 であ った。
そ し て 一九 二九 年 十 月 二十 四 日、 そ れ ま で約 十 年 間 に わ た り ア メ リ カ社 会 を 支 配 し てき た
﹁バ ブ ル﹂ の時 代 が 突 然 の終 焉 を 迎 え る。 こ の大 恐 慌 以 降 、陽 気 な 空 騒 ぎ の 二〇 年 代 か ら重 く
のし か か る 不安 の三 〇年 代 へと、 時代 は大 き く 旋 回 し て いく こと にな る。 女 性 の スカ ー ト の丈
は再 び 長 くな り はじ め、 断 髪 は流 行 し な く な った。 セ ック スはも はや 、 若者 た ち の最 大 関 心事
で はな く な り つ つあ った。 ラ ジ オ は い っそ う 日常 生 活 に浸 透 し て いた が 、新 記 録 や スポ ー ツイ
ベ ント に対 す る関 心 は 弱 ま り つ つあ った。 も は や禁 酒 法 と ア ル ・カポ ネ の時 代 は過 去 のも のと
なり 、 フ ラ ッパ ー娘 た ち も街 を闊 歩 し ては いな か った。 二〇年 代 の軽 や か な消 費 文 化 は影 を ひ
そ め、 いま や ニ ューデ ィー ルが 全 国 的 に展 開 さ れ よう と し て いた。 こう し た変 化 のそ の後 の展
えば ギ ャンブ ル の増 加 や 流線 型 の流 行 、 ﹃タバ コ・ロード ﹄ や ﹃ 風 と共 に去 り ぬ﹄ の成 功 、 カ メ
開 は、 ア レ ン によ る続 編 の ﹃シ ン ス ・イ エスタデ イ﹄ に詳 し く描 かれ て い る。 そ こ で は、 たと
ラ ・ブ ー ムと ﹃ラ イ フ﹄ の創 刊、 火 星 人 襲 来 の騒動 とデ ィズ ニー ・フ ァ ンタジ ー への逃 避 、 こ
れ ら のことが 、 三〇 年 代 の ア メリ カ の不安 の心 理 とど の よう に結 び つき な が ら起 こ って い った のかが 的 確 に捉 え られ て い る。
大 恐 慌 を 境 と し て、 たし か に時 代 は転 換 した 。 こ の ﹃オ ンリ ー ・イ エスタデ イ ﹄ の末 尾 で、
著者 は ﹁や が て、 時 の へだ たり の霞が 、 一九 二〇年 代 の輪 郭 をぼ かし て し まう こと だ ろ う﹂ と
書 い て いる。 し か し なが ら 、 こ こ に描 かれ た諸 々 の変 化 は、 単 に 二〇年 代 のア メ リ カ に特 異 な
現象 と し て、 つま り ﹁古 き 良 き 時 代﹂ の思 い出 と し て片 づ け て しま え るも のであ ろ う か。 た と
えば 一九 五〇 年 代 の ア メリ カ で は、 再 び 二〇 年 代 を 上 回 る よう な 陽 気 な空 騒 ぎ の時 代 が始 ま る
こと は周 知 の通 り であ る。 そ う し た意 味 では、 ﹁パ ー マー の赤 狩 り﹂ は容 易 に第 二次 大戦 後 の
マッカ ー シズ ムを連 想 さ せる。 それ だ け では な い。 本 書 に描 か れ て い る 二〇年 代 のア メリ カ文
化 は、 何 と戦 後 日本 のわ れ わ れ に馴 染 み深 いも のであ る こと か。 若 者 たち の フ ァ ッ シ ョンや 性
意 識 の変化 、自 動 車 の普 及 と スタ イ ル競 争 、 ラ ジ オな ら ぬ テ レビ に よ るイ メ ージ の大 量 生産 と
広 告 の発 展、 そ し て シ ョー ・スポ ー ツ の隆 盛 な ど 、 いず れ も高 度 成 長 期 を通 じ、 日本 人 の生活
と意 識 に深 く浸 透 し て い ったも のば か り であ る。 そ し て、企 業 にお け る ゴ ル フ趣 味 や フ ロリ ダ
の土 地 投機 ブ ー ム、 さ ら には株 価 への熱 狂 と石 油 スキ ャ ンダ ルと い った叙 述 を読 む と 、 八 〇年
代 のバブ ル時 代 を も含 め、 現 代 日 本 の消 費 文 化 のす べて の原 型 が 、 す で に こ の二〇年 代 の ア メ リ カ に出 揃 ってし ま って いる よう にも 感 じ ら れ る。
に特 有 のも のと いう よ りも 、 現代 の情 報 消 費 社会 に広 く通 底 す る文 化 そ のも のな のであ る。 ア
要 す る に、 一九 二〇年 代 に ア メリ カ社 会 を 覆 って い った現 象 の多 く は、 こ の時 代 の ア メリ カ
レ ン の著 書 は、 二〇 年 代 の ア メリ カ の風 俗 や 文化 、 社 会 意 識 の微 細 な変 化 に内在 し なが ら 、 現
代 と いう 時 代が 、 い か にし てわ れ われ の眼前 にそ の全 貌 を 現 わ し た のかを 鮮 や か に浮 かび あ が
ら せ て い る。 そ う し た意 味 では、 同 書 が 描 き 出 し た ア メ リ カ の 二〇 年 代 は、第 二次 大 戦 後 の世
界 を 、 さ ら に広 く 、 深 く 覆 って いく のだ 。 わ れ わ れ は、 現 代 の消 費 文 化 の起 源 を、 ひと つには
一九 二〇年 代 あ たり を 出発 点 と しな が ら 問 う て いく ことが でき る。 そ の際 、 同 じ 二〇 年 代 の コ
ミ ュニテ ィ生 活 の変 容 を扱 った都 市 社 会 学 の古 典 、 リ ンド 夫 妻 に よ る ﹃ミド ル タ ウ ン﹄ ︵ 抄訳、
青木書店、 一九九〇年︶も 必須 の文 献 であ ろう 。 も ち ろ ん、 こ の ﹃オ ン リ ー ・イ エス タデ イ﹄ は、
一九 二〇年 代 に つい て の歴 史 的 な 記 述 と し て読 ん でも 十分 に価 値 のあ る も のであ る。 し か し な
が ら 、 こ の本 の素晴 ら し さ は、 そ う し た 歴史 的 記 述 のな か に、 現 代 を 透 徹 す る視 点 が し っか り
と 据 え ら れ て い る点 であ る。 実 際 、 こ こで のア レン の叙述 は、 す で に半 世紀 以上 の歳 月 を 経 て
い る にも か かわ ら ず 、 ま った く色 槌 せ ては いな い。 良 い意味 で のジ ャー ナ リズ ム の真 髄 が こ こ に は込 めら れ て いる。
消 費 す る
﹁孤 独 な 群 衆 ﹂ D・ リ ース マ ン﹃ 孤独な群衆﹄を読む
他 人指 向 型 人 間 の 登場
一九 二〇年 代 のア メリ カ に現 わ れ た大 衆 消費 文 化 は、 三〇 、 四 〇年 代 を 通 じ て拡 大 し、 第 二
次 大 戦 後 には マス メデ ィア のネ ット ワ ー ク に取 り 囲 まれ た消費 生活 の様 式 を 、 こ の国 の大 多 数
の人 び と の間 にゆ き わ た ら せ て い った。 ア レ ン の ﹃オ ン リ ー ・イ エスタデ イ ﹄ は、 こ の変 化 の
最 初 期 のあ ら わ れを 、 ジ ャー ナリ ストと し て の鋭 敏 な 時 代 感覚 によ って活 写 し た作 品 であ った
が 、 ニ ューデ ィー ルと戦 争 の時 代 を 経 て、 一九 五〇 年 代 と も な る と、 再 び 消費 文 化 が 、 中 間 層
を中 心 に こ の国 の大 多数 の人 びと の日 常 意識 を中 心 的 にと ら え る よう にな る のであ る。 し かも 、
こ の頃 ま で には、 マ スメデ ィ アに乗 って次 々に広 告 さ れ て いく新 し い商 品 た ち のイ メージ は、
7月
1989年
二〇年 代 よ りも ず っと 日常 的 で広 範 な か た ち で ア メ リ カ全 土 の国 民 の生活 を覆 い尽 く す よ う に
な って いた。 さ ら に重 要 な こ と に は、 人 び と の人 生 観 や ライ フ スタ イ ル、社 会 関 係 のあ り方 ま
でも が 、 こう し て全 域 化 す る消 費 文 化 のな か で 構造 的 に変 容 し は じ め て いた の で あ る。 デ イ
ヴ ィ ッド ・リ ー ス マンの ﹃孤 独 な群 衆 ﹄ ︵みすず書房、 一九六四年、原著 一九 五〇年︶ は、 こ の よう
な 一九 二〇年 代 以 来 の ア メリ カ社 会 と そ こ に生 き る人 び と の生 の変 貌 を 、 社 会的 性 格 と いう 鍵 概 念 を 用 いなが ら丹 念 に捉 え、 解 釈 し て い こう と し た名 著 であ る。
同 書 の冒 頭、 著 者 はま ず 、 ﹁ど のよ う な社 会 で も 、 そ れが う ま く機 能 す る た め に は、 そ の成
員 が 、 そ の社会 、 あ る い はそ の社 会 のな か で の特 定 の階 層 の 一員 と し てな す べき 行為 を し たく
な る よう な 性格 を身 に つけ て いな けれ ば な ら な い﹂ と いう フ ロム の言葉 を引 き な が ら、 社 会 的
性格 を、 社 会が そ れ を構 成 す る諸個 人 から あ る程度 の同調 性 を 保証 さ れ る仕 方 であ る と定 義 す
る。 し たが ってそ れ は、 ひと り ひと り の個 人 の特 性 と いう よ りも 、 む し ろ社 会 の側が 個人 に要
求 し て いく 周 囲 の世 界 への反 応 の様式 な のであ る。 リ ー ス マンによ れば 、 こ のよう な 意味 で の
社 会的 性格 は、 人 口 の高 度 成 長 潜 在期 、過 渡 的 成 長 期 、初 期 的 減 退 期 の三 つ の段 階 に応 じ て伝
統 指 向型 か ら内 部 指 向型 へ、 そ し て他 人指 向 型 へと 移 行 す る。 と は いえ 、著 者 自 身 も たび た び
はな い。 人 口 の変 化 はあ く ま で指 標 にすぎ ず 、 実 際 には さ まざ ま な制 度 的媒 介 のな か で各 々 の
強 調 し て いる よう に、彼 は決 し て人 口構造 が 社 会 的 性 格 を 生 む原 因 であ ると考 え て い るわ け で
社 会 的 性格 が 創 出 さ れ て いく のであ る。
そ れ では まず 、 三 つの社会 的 性 格 の中身 に つ いて説 明 し てお こ う。 ま ず 、 高度 成長 潜 在 的 な
社 会 では、 そ の成 員 は社会 への同 調 性が 伝統 に従 う こと によ って保 証 さ れ る よ う な社 会 的 性 格
を も つ。彼 の生 活 は 先 祖 伝 来 の儀 礼 と慣 習 の体 系 によ り 厳 密 に規 定 さ れ てお り 、 そ の行 動 は
﹁恥 を かく﹂ こ と への恐 れ によ って律 さ れ て い る。 第 二 に、 過 渡 的 成 長期 の社 会 で は、 成 員 の
同 調性 は幼 児 期 に目標 の セ ットを 内 化 す る こ と に よ って保 証 され る。 こう し て形 成 さ れ る内 部
指 向 型 の特 性 を 、 リ ー ス マンは羅針 盤 にた とえ て いる。 こ の羅 針 盤 は両親 や権 威 に よ って個 人
のな か に据 え つけ ら れ、 それ が 指 示 す る針 路 から はず れ る こ と は当 人 に ﹁罪 の感 覚 ﹂ を 呼 び起
こす。 第 三 に、 初 期 的 減 退 期 の社 会 では、 外 部 の他 者 た ち の期 待 と 好 み に敏 感 であ る 傾 向 に
よ って そ の同 調 性 を保 証 さ れ るよ う な社 会 的 性 格 が ゆき わ た る よう にな る。 こ の社 会 的 性格 に
特 徴 的 な の は、個 人 の方 向 づ け を決 定 す る のが 同 時代 人 であ る こと だ。 こ の同 時 代 人 は直 接 の
知 り合 い であ る こ とも あ ろ う し 、 マス メデ ィアを 通 じ て間 接 的 に知 って いる人 物 であ る ことも
あ ろう 。 いず れ にせ よ、 他 人指 向型 の人 間 に内在 化 さ れ る の は、 行動 の規 範 で はな く、 こ れら
の同 時 代 人 によ って発 信 さ れ る信 号 に たえ ず 注意 を払 い、 と き には そ の流 通 に参 加 す る能 力 で
あ る。 リ ー ス マンは、 彼 ら の特 性を 不定 形 な ﹁不安 ﹂ に動 機 づ け ら れ た レーダ ー装 置 にた とえ て い る。
これ ら 三 つ の性 格 類 型 のな か で、 リ ー ス マンが こ の本 の全 編 を 通 し て分 析 を 重 ね て いく の は
内 部 指 向 型 か ら他 人 指 向 型 への変 化 であ る。 彼 は、 他 人 指 向 の特 徴 を も つ人 び とが 、 第 二次 大
戦 後 の ア メリ カ に お い て、 大都 市 の中 産 階級 、 そ れも 若 い世 代 に出 現 し つ つあ り、 やが て ﹁こ
の型 の性 格 が ア メリ カ全 体 の ヘゲ モ ニーを と る こと は、 現在 の傾 向 か ら み て時 間 の問 題 であ
る﹂ と述 べ る。 そ し てこ の変 化 は、 か つ て近 代 初 頭 の ヨー ロッパ に現 れ た内部 指 向 型 が 、 現 在
では全 世 界 的 な 広が り を見 せ つ つあ るよ う に、 いず れ は産 業 化 が 飽 和 段 階 に達 し た 国 々で 一般
的 に見 られ る よう にな る と も 考 え ら れ る のだ 。 と いう のも 、 他 人 指 向 型 の登 場 は、 ﹁生 産 と 開
発 の フ ロンテ ィア で の古 い社 会 的 機 能 が 失 お れ、 あ る い は弱 く な って消 費 と 人 間関 係 の領 域 に
お け る新 し い フ ロン テ ィ アが 発 見 さ れ つつあ る﹂ 資 本 主 義 の現 状 に対 応 した 個 人 レベ ルの変 化
に ほ かな ら な い のだ から。 問 わ れな け れ ば な ら な いの は、 こ の新 し い社 会 的 性 格が 、ど のよう
な 諸 関係 に媒 介 され な が ら 現 わ れ てき て いる のか と いう こと であ る。 リ ー ス マンは こ の点 に関
し、 ① 両 親 ︵および教師︶ と の関 係 、 ② 同輩 集 団 と の関 係 、 ③ マ スメデ ィア と の関 係 、 の 三 つ の視角 か ら 分析 し て いる。
変 容 す る社 会 関 係
まず 、 両 親 と の関 係 に つい てみ る と、 初 期 的 人 口減 退 期 の社 会 では 、親 た ち は子 ど も た ち を
ど のよう に育 てた ら いい の か に つ いてだ んだ ん自 信 を失 ってく る。 彼 らが 子ど も たち に教 え ら
れ る のは、 い つも でき るだ け のこ と を し な さ いと いう こと であ って、何 が 正 し い 目標 な の かは
彼 ら自 身 も わ か ら な くな って いる のだ。 そ の結 果 、彼 ら は 同時 代 人 や マス メデ ィア の意 見 に耳
を 傾 け る のだ が 、結 局 のと こ ろ親 た ちが 子 ど も に伝 え て い る のは、 ﹁親 た ち自 身 が も って いる
伝染 的 で荘 漠 と し た 不安 そ のも の﹂ な のかも しれ な い。 か つて、 過 渡 的 人 口成 長 期 の親 たち は 、
子ど も たち を自 分 た ち の直 接 の集 中 的 な 観察 と統 制 下 に置 き な が ら、 目標 に向 か って進 み つづ
け る衝 動 を 植 え つけ て いく こと が でき た。 そ れ に対 し、 いま や 子 ど も た ち は マスメデ ィ アや遊
び 仲 間 から と き に応 じ て両 親 のあ る べき 姿 を 学 ん で いく。 そ し て、 そ こ で学 び と った 行 動規 範
を自 分 の親 たち にも 要 求 す る の であ る。 ﹁伝 統 指 向 的 な 子供 は 両 親 の顔 色 を う かが う こ と で行
動 し た。 内 部 指 向型 の子 供 たち は親 た ち と た た かう こと によ って育 った。 と こ ろが 、 他 人指 向
型 の子供 は親 た ち を繰 り、 ま た親 た ち によ って繰 ら れ る こと の出 来 る子 供 た ちな のであ る﹂ と、 リ ー ス マンは述 べ て いる。
以上 のこ と は、 他 人指 向 型 の子 ど も た ち に と って の両親 の役 割 の低 下 を 示 し て いるが 、 これ
と は逆 に、 彼 ら のな か で同輩 集 団 の果 た す役 割 は ます ま す 大き なも のと な り つつあ る。 同 輩 集
団 は、成 員 の振 舞 い に対 し て陪 審 員 室 と し て判 定 を 下 し て いく のであ る。 そ の基 準 と な る のが
そう す るこ と で自 分 の レ ーダ ー装 置 が 正 常 に作動 し て い る かど う か を確 か め て いく。 彼 ら の エ
消 費者 嗜 好 で、 他 人 指向 の子ど も たち は仲 間 た ち の気 ま ぐ れ な趣 味 に強 い興味 を 示す と同 時 に、
ネ ルギ ーは仲 間 から 承 認 を得 よう と す る不定 形 な競 争 に使 わ れ て いる のだ が 、 こ の競 争 はあ か
ら さま に競 争 的 であ っては な ら な い。 そ れ は いわば ﹁ 敵 対 的協 力﹂ と でも 名 づ け ら れ る よう な
関 係 であ る。 彼 ら は競 争 相 手 か ら かけ 離 れ 、 ひ と り だ け で輝 く のは絶 望 的 で危 険 な こ とだ と考
え るが 、 さ り と て完 全 に協力 的 な わけ で はな く 、自 分 の パ ー ソ ナリ テ ィ にほ ん のち ょ っと し た
差 を つけ る こと で仲 間 に先 んじ よ う とす る。 つま り、 独 占 的 競 争 の特 徴 をな す ﹁製 品 差﹂ と似
た よう な戦 略が 個 々 のパ ー ソ ナリ テ ィ の生 産 に つい ても認 めら れ るわ け で、 リ ー ス マンは こ れ
を ﹁限 界 的 特殊 化 ﹂ と呼 ん で いる。
他 方 、 リ ー ス マンは、 マス メデ ィアが コミ ュ ニケー シ ョ ン産 業 のな か で の卸 し 問 屋 の位 置 に
ち は自 分 た ち の間 で流 通 す る好 み が何 であ る かを 決定 す るが 、 そ れ は 同時 に彼 ら の仲 間内 を越
あ る とす るな ら 、同 輩 集 団 は小 売業 者 の役 割 を受 け も って いる のだ と いう。 同 輩 集 団 の仲 間 た
え て 一般 的 に通 用 し う るも の でな け れば なら な い。 そ し て こ の よう な保 証 は、 結 局 のと こ ろ マ
ス メデ ィア によ って のみ与 え ら れ う るも のであ る。 こ こ に、 マスメデ ィ アと 同輩 集 団 が相 互 に
浸 透 しあ いな が ら他 人指 向 型 の性格 を 再生 産 し て いく構 図 を描 い て みる ことが でき る。
む ろ ん、 マ スメデ ィ アが 社 会 的 性 格 の創 出 に対 し て重要 な役 割 を 果 た し て いる のは他 人 指 向
型 の場 合 だ け では な い。 内 部 指 向 型 の創 出 に お い て、活 字 メデ ィア、 と り わ け新 聞 が 果 た し た
役 割 の大き さを リ ー ス マンも 注 意 深 く指 摘 し て いる。 新 聞 は、 伝 統 指 向 に属 し て いた人 び と の
たし た のだ 。 と は いう も の の、 過 渡 的 成 長 の段階 にあ って、 マス メデ ィアは まだ 、 人 び と の生
価 値 を批 判 し、 新 た に個 人 化 され た人 間 を新 た に形 成 さ れ つ つあ る社 会 に結 び つけ る役 割 を 果
活 そ のも のを 呑 み こん で しま う ほど には膨 張 し て は いな か った。 だ が 、 初期 的 人 口減 退 期 の マ
スメデ ィ アは、 それ 以前 と は比 べも の にな ら な いく ら い の勢 いで人 び と の生活 に浸 透 し、 これ
を 圧 倒 し てしま う 。 ﹁過 渡 的 成 長 期 の社 会 にあ って は、 シ ンボ ルが 大 都 市 を中 心 と し てそ こか
ら 流 通 す る過 程 が 徐 々 に つく られ て いた が、 初 期 的 人 口減 退期 の社 会 で は、 そ の シ ンボ ルの流 れ はす さ ま じ い激 流 と な る﹂ のであ る。
他 人 指向 型 の時 代 にお け る マス メデ ィア の人 び と への影 響 は 、 こ のよう な 量的 な変 化 にと ど
ま ら な い。 マスメデ ィ アは今 日 で は、 そ れ ま で と は異 な る仕方 で世 界 を 構 成 し は じ め て いる の
だ 。 か つて、 内 部 指 向 的 な 時 代 にあ って、 大 衆 的 に読 ま れ て い った 物 語 の主 人 公 た ち のき わ
だ った特徴 は野 心 であ り 、 し かも そ の野 心 は読 者 た ちが 同 一視 し う る性 質 のも の であ った。 彼
らが 関 心 を寄 せ た のは、 た ん に野 心 の実 現 と いう結 果 で はな く 、 そ こ に 至 る内 面 的 な葛 藤 のプ
ロセ スだ った のであ る。 それ に対 し、 ﹁他 人 指 向 型 の子 供 たち は結 局 の と こ ろ、 物 語 の内 面 的
な複 雑 さ 、 た と えば 、 道 徳 的 な葛 藤 と い ったよ う なも のに はあ ま り 関 心 を示 さな い。 か れ ら に
と って関 心 が あ る のは誰 が 勝 つ のか、 と いう こ と だ け であ る ﹂。 そ の結 果 、 たと え ば 漫 画 や ラ
ジ オ ド ラ マで は、 読 者 や聴 衆 と 主 人 公 の間 に成 り 立 つ同 一視 の内 容 はだ ん だ ん 貧 弱 な も のと
な って、 結 局 、 主人 公 が 勝 つか負 け る かと いう 結果 だけ に読 者 は興 味 を集 中 さ せ るよ う にな っ
て しま った 。 人 び と は勝 利 者 と何 ら か のか かわ り を持 ち た いと 思 う のだが 、 それ は自 分 の見 物
し て いる競 争 を意 味 あ るも の にす る た め であ る。 し たが って そ こ では 、勝 利 に 至 るプ ロセ スは
スペ ク タ ク ルと し て仕 立 てあげ ら れ な け れば な ら な いこ と に な る。 リ ー ス マンは、 こ のよ う な
傾 向 が 、 狭 い意味 で の物 語 だ け でな く、 ク イズ 番組 や スポ ー ツ ・コン テ スト、 さら に は政 治 的 シ ョー にも 共 通 し て見 ら れ る よう にな り つ つあ ると 指摘 し た。
﹁ た のし み ﹂ か ら ﹁心配 の種 ﹂ へ
さ て、 以 上 のよ う な 三 つ の視角 から 現代 社 会 に おけ る社 会 的 性 格 の変 化 を 分析 し た後 、 リ ー
ス マンは、 内 部 指 向 の人生 と他 人 指向 の人生 が ど の よう に異 な って い る のか を、 生 産 と 消費 の
各 場面 に つい て明 ら か にし て いく 。 こ こで特 に注 目 し てお き た い の は、 他 人指 向 型 の人 生 にお
け る消 費 の様 式 の変 化 であ る。 リ ー ス マ ンは、 ﹁ト ック ヴ ィ ルの ア メリ カ観 察 記 が 発 行 さ れ て
から 、 こ ん にち ま で のあ いだ に ひ と つの変 化 が 起 こ った﹂ と いう 。 そ れ は、 ﹁た のし み の領 域
が そ れ自 体 、 心 配 の種 にな った﹂ こと だ。 か つて、 内 部指 向型 の人 び と にと って消 費 は、 生産
の重 要 性 か ら見 れ ば 二次 的 な、 し かし そ れ だけ に富 裕 でさ え あ れば 自 分 の好 き な よ う に浪 費 す
る こと のでき る領 域 であ った。 そ の場 合、 彼 ら は見 かけ 上 正反 対 の二 つの方 式 で消 費 を行 な っ
た のだ 。 一方 は、 リ ー ス マンが ﹁物持 ち の消 費 者 ﹂ と 呼 ぶ も の で、 ﹁も のを所 有 し よ う と いう
情 熱 によ って消 費 と いう 仕事 を し た﹂ 人 び と であ る。 彼 ら は自 分 の仕 事 に熱 中 し 、 そ れと ま っ
たく 同 じ 態 度 で楽 し み の領 域 にも のぞ んだ の であ る。 ウ ェブ レ ン的 な ﹁これ 見 よ が し の消 費 ﹂
も お そ ら く は こ の類型 に近 い。 豪 華 な 邸 宅 や 家 具 、 宝 石 や蔵 書 は、 彼 ら の地 位 と 富 の証 明 で
あ った。内 部指 向 型 のも う ひと つ の消 費 の パ タ ー ンは ﹁逃 避 的 消費 者﹂ と呼 ば れ るも のであ る。
リ ー ス マンは、 内 部 指 向 型 の人間 は、 消 費 にお いて自 ら を 非 社 会化 す る こ とが でき た のだ と い
う。 なぜ な ら、 内 部 指 向 の人 間 にと って 一番 大 切 な のは仕 事 であ り 、 そ の仕 事 のな か では完 全
に社 会 化 さ れ た自 我 が あ る から、 消 費 の場 面 で非社 会 化 され る部 分 があ っても 、 彼 は再 び仕 事 のな か に戻 って いく こと が でき た のだ 。
こ のよう な物 持 ち の消 費 者 と 逃 避的 消 費 者 は、 他 人指 向 的 な 性 格 が 台 頭す る に つれ て消 滅 し
て いく。 一方 で、物 持 ち の消 費者 が い つ果 て ると も な く物 を 買 い集 め る と いう フ ロン テ ィ ア の
な か に生 き る ことが でき た の は、 彼 らが 品物 の価 値 は永 遠 に失 われ な いも のだ と考 え て いた か
ら であ る。 こう した 情熱 は し か し、 財産 が か つて の よう な安 定 性 と 確 かさ を失 う と同 時 に衰 退
す る。 他 人 指 向 的 な 人 び と は、 子 ど も のとき から 消 費 財 に囲 ま れ て暮 ら し て いるが 、 ど の消費
財 に対 し ても いず れ は飽 き が く るも のだ と考 え て い る。 他方 、内 部 指 向 型 の人 間 にみ られ た逃
避 的消 費 も、 いまや 仕 事 と楽 し みが 混 り あ う よ う にな った こと に より 意 味 を失 う。 ﹁見 かけ に
似 合 わ ず、 他 人 指 向 的 な 人間 は自 分 自 身 か ら 逃げ 出 す こと が でき な いし、 ま た豊 か で、 勝 手 き
ま ま な ジ ェスチ ャー のも と に時 間 を 浪 費 す る こと も で き な い﹂。 と いう の も、 ﹁他 人 指 向 的 な
人 間 は、自 我 のは っき り し た核 を 持 って いな い。 だ から 自 我 か ら逃 避 す ると いう こ と は 不可 能
な のだ﹂。 リ ー ス マンは こ のよ う に述 べ、 他 人 指 向 的 な時 代 にあ って は、 ﹁大 衆 文 化 が し ば し
ば 、 ほと ん ど絶 望 的 に集 団 への適 応 の訓 練 のた め に使 われ て い ると いう 事 実 ﹂ を 問題 にし て い
く。 彼 が 取 りあ げ る のは、 音 楽 や料 理 、 婦 人 雑誌 、 コミ ック等 々だが 、 これ ら は特定 の階 級 の
利 害 に奉 仕 し て いる と いう より も、 他 人 指 向 的 な 人 び と に対 し て集 団 への適 応 を 促 し 、 一定 の 方 向 づ け を 与 え て いる の であ る。
と こ ろ で、 他 人指 向 的 な 消 費 の パタ ー ンが と り わ け 典型 的 に見 ら れ る のは政 治 の分 野 であ る。
リ ー ス マ ンは、伝 統 指 向 型 の性格 が 、 政 治 と いう も のは自 分 以 外 の誰 か の仕 事 だ と 考 え る無 関
心 派 の傾 向 を も って いた のに対 し 、内 部 指 向 的 な 性格 は、 政 治 の分 野 では ﹁道 徳 屋 ﹂ と いう ス
タイ ルをと る傾 向が あ り、 他 人 指 向 的 な性 格 は、 ﹁内 幕 情 報 屋 ﹂ と いう スタ イ ルを と る傾 向 が
あ る と主 張 す る。 一方 で、 道 徳 屋 にと って は政 治 も ま た仕 事 の場 面 であ った。 彼 ら は政 治 的 な
判 断 を 仕 事 の基 準 に 照ら し て行 な った のだ 。 こう し た道 徳 屋 の典 型 例 を 十九 世 紀 ア メ リ カ の政
治 に見 いだ す こと は容 易 であ る。 そ れ に対 し、 内幕 情 報 屋 は政 治 のな か に消 費 の世 界 か ら生 ま
れ た態 度 を 持 ち込 も う と す る。彼 ら は、 たと え ば ﹁スポ ー ツの よう な様 々な 娯 楽 の領 域 にお け
る 成績 を知 って いな けれ ば な ら な い のと同 じ よう に、政 治 的 な ス コア ーも知 って いな け れば な
ら な い﹂ と 考 え る のだ。 つま り 、 他人 指 向 型 の人 び と の間 で は、 政 治 も ひ と つの重 要 な消 費 財
な のであ る。 だ から こそ彼 ら はそ こ で、 自 分 の消 費 に対 す る正 し い好 みを 示 さ なけ れ ば な ら な
い。 そ し て そ の際 、 マス メデ ィアが 政 治 と いう 舞 台 の上 の演 技 者 たち と 他 人指 向 的 な 観客 を つ
て の批 評を 下 し、 政 治 の領 域 で消 費者 と し てど う ふ るま えば い いか の テ ク ニック を直 接 的 、 間
な ぐ最 も重 要 な チ ャ ンネ ル の役 割 を 果 たす こ と にな る。 メデ ィア は演 技 者 と ド ラ マ全 体 に つい
接 的 に観 客 たち に教 え て いく のであ る 。
消費杜会の同調システムを超えて
以 上 のよ うな リ ー ス マン の分 析 は、 た ん に第 二次 大 戦 後 にお け る ア メリ カ的 性格 の変 容 と い
う だ け でな く、 われ われ が いま で は ﹁消費 社会 ﹂ と呼 ん で い る状 況 下 で の人 び と の生 活 や態 度
の変 化 を鋭 く 照射 し て い る。 そ れ にし ても 、 ﹃ 孤 独 な群 衆 ﹄ と いう こ の本 の タイ ト ル は いさ さ
か誤 解 を招 き や す いも の で はな か った か。 こ の タイ ト ルから す ぐ さ ま想 起 さ れ る のは 、文 字 通
り の ﹁孤 独 な﹂ 大 衆 、 す な わ ち バ ラバ ラ に原 子 化 さ れ た個 人 の ア モ ル フな集 合 体 と いう イ メー
ジ であ る。 彼 ら は中 間集 団 の結 び つき を 喪 失 し て お り、 ﹁裸 の﹂状 態 にあ る が ゆ え 、容 易 に エ
リ ー ト によ る 全体 主 義 的 な操 作 に屈 し てし ま う と され る。 周知 のよ う に、 こう し た大 衆 社 会 の
イ メージ は コー ン ハウ ザ ーが 大衆 社 会 の民 主 主 義 的 批 判 と呼 ん だ も の で あ る。 し か し なが ら
﹃孤 独 な群 衆 ﹄ の分析 は、 オ ル テ ガ に代 表 さ れ る大 衆 社 会 の貴 族 主 義 的 批 判 と はも ち ろ ん、 こ
れ ら民 主 主 義 的 批判 にも 、 簡 単 には収 まり き ら な いよう な豊 かな 展望 を含 ん で い る。 リー ス マ
ンは、 他 人 指 向 的 な社 会 で は支配 階 級 を頂 点 と す る ヒ エラ ルキ ーが崩 れ て、 権 力 はあ ち こ ち に
ワー エリ ー ト論 と真 向 から 対 立 す る こ と は よく 知 ら れ て いるが 、 重 要 な のは、 こ のよ う に 一見
散在 す る ﹁拒 否 権行 使 グ ループ﹂ に分有 され る よう にな る のだ と いう。 こ の見 解 が ミ ルズ のパ
多 元的 にも 見 え る社会 で、 人 び と は政 治 か ら文 化 に至 る さ まざ ま な 領 域 の ニ ュー スを 消費 し つ
づ け て いかな け れば な ら なく な る こと を リ ー ス マンが見 抜 いて いた点 であ る。 こ の よう な パー
スペ クテ ィヴ から す る な らば 、 こ の本 の最 後 で リ ー ス マンが 、 他 人 指 向 的 な社 会 に おけ る自律 性 の問題 を扱 った のは いわば 論 理 の必 然 で あ った と いう ことが でぎ よう 。
リ ー ス マンは問 う 。 あ る社 会 のな か で人 び と は、 ど のよ う にし てそ の社 会 が要 求 す る性 格 構
造 を は るか に超 え て いく ことが でき る よう にな る のであ ろう か︱ ︱ 。 こ の問 い に答 え る た め に、
ミー型 ﹂、 同調 す る能 力 を も ち なが ら も 同 調 性 に対 し て距 離 を と る こ とが で き る ﹁自 律 型 ﹂ と
彼 は、 社 会 が 要 求 す る 典 型 的 な 同 調 性 を 示 す ﹁適 応 型 ﹂、 規 範 へ の同 調 能 力 を 欠 い た ﹁ア ノ
いう 三 つのパ ター ンを 想 定 し 、前 述 し た各 々 の社 会 的 性 格 に つい てこ れら の パ タ ー ンが ど の よ
う な傾 向 を も つのかを 検 討 し て いる。 問 題 は、 他 人指 向 的 な 社 会 にお いて、 こ の自律 型 への契
機 が い か にし て現 われ う る のか と いう こと だ 。 こ の点 に関 し、 リ ー ス マンは必 ず し も説 得 的 な
解 答 を 示 し て いる わけ で はな い。 さ しあ たり 彼が 強 調 す る のは、仕 事 の場 に おけ る ﹁ 偽 り の人
格 化﹂ と遊 び の場 におけ る ﹁強 制的 な私 生 活 化 ﹂ と いう 二 つの条 件が 、 こ の自 律 型 への障 害 と
な って いる こと であ る。 す な わ ち 、 一方 で職 場 のな か にさ まざ まな 社 交的 要 素 が 計 画 的 に導 入
さ れ 、 他方 で人 び とが 家 庭 のな か に マス メデ ィア に囲 ま れ なが ら ひき こも る。 こ のよう な 状 況
が 続 く かぎ り、 他 人 指 向的 な社 会 のな かか ら自 律 性 が 醸 成 さ れ てく る可 能 性 は少 な い。 リ ー ス
マンが 模索 す る のは、 人 び とが 家 庭 から も職 場 か らも 解 き 放 た れ た レジ ャー経済 のな か で、 自
見 え る より も は る か にバ ラ エテ ィ に富 んだ レジ ャー に対 す る態 度が 存 在 し て い る﹂ と彼 は いう 。
律 的 な 人 生 を か た ちづ く って いく 可能 性 であ る。 ﹁私 の考 え で は今 日 の ア メリ カ では う わ べ に
そ う し た遊 び に対 す る多 様 な 志向 のな か から 、 新 し い自 律 的 な 思 考が 生 み出 され てく る可能 性 を 示唆 す る こと によ り、 ﹃孤 独 な群 衆 ﹄ の叙 述 は終 わ って い る。
リ ー ス マンの ﹃孤 独 な群 衆 ﹄ が わが 国 に翻 訳 され た のは 一九 六 四年 であ る。 原 著 の初 版 は 一
九 五〇 年 に出 て い るわ け だ か ら、 翻 訳 の時 期 と し て は決 し て ﹁早 す ぎ る﹂ と いう こ と はな い。
し か しなが ら、 リ ー ス マンが こ の本 で問 題 にし た よう な 他 人指 向 型 の人 間 が 、 日本 でも 顕 著 に
登場 し はじ め る のは 一九 七 〇年 代 後 半 あ た り か ら のこと であ り 、 六 〇年 代 に はま だ、 わが 国 は
内部 指 向 的 な 性格 が 高 度 経 済 成 長 と結 び つき なが ら拡 大 再生 産 さ れ て い る時 代 であ った ︵ただ
し、日本 の近代化を推進し た社会的性格を ﹁ 内部指向型﹂と呼ぶ ことが でき るかについては若干 の留保が
必要であ る︶。 つま り、 そ こ では ま だ リ ー ス マン の著 作 の意 味 に つい て、 日本 の現 状 に 照 ら しあ
わ せ て正 当 に評 価 し て いけ るだ け の社 会 的 背 景 が存 在 し な か った の では な いだ ろう か。 そ のた
め、 同書 は これ ま で、 ど ちら かと いう と コー ン ハウ ザ ー的 な 大 衆 社 会 論 の文 脈 で論 じ ら れ る こ
とが 少 な くな か った よ う に思 わ れ る。 だが 、 す で に述 べ た よう に ﹃孤 独 な群 衆 ﹄ は、 決 し て い
わ ゆ る原 子化 した 大 衆 を モデ ル にし た狭 義 の大 衆 社 会論 な ので はな い。 リ ー ス マンが 問 題 にし
た のは単 純 な 意 味 で の ﹁孤 独 な ﹂ 大衆 と いう より も 、 む し ろ ﹁消 費 す る ﹂大 衆 であ る。 そ う し
た意 味 で彼 のこ の著 作 は、 わが 国 でも 八〇 年 代 以 降 、 ボ ード リ ヤ ー ルな ど の影 響 を 受 け つつ展
と いう有 力 な 武 器 を 用 いなが ら消 費 社会 の記 号 編 成 と 個 々 の身 体 と の関 係 に つ いてさ まざ ま な
開 さ れ て いく 消 費 社 会 論 の直 接 の先 駆 を なす も のな のだ。 ただ 、 現 在 の消費 社 会 論 が 、 記 号論
角 度 から 問題 を 提 起 し て いる の に対 し 、 リ ー ス マ ンの分析 は社 会 心 理 学 的 な枠 組 に基 づ い てな
され てお り、 ま た同 時 に個 々の分 析 にあ って は、 職 人芸 的 とも いえ るあざ や か な手 腕 が 発揮 さ
れ て いる。 こ のよう な 点 を含 め、 わ れ わ れ は いま よう や く、 リ ー ス マン のこ の古 典 的 著 作 を 正 当 に評価 でき る位 置 に立 って い る の かも し れな い。
モ ノ た ち の 語 り の な か で
J・ ボード リヤール﹃ 消費社会の神話・構造﹄・読む
今 日 の消 費 社 会 を 論 じ て いくう え で、 ジ ャ ン ・ボ ード リヤ ー ルは避 け て通 る こ と の でき な い
存在 であ る。 一九 七 〇 年 に ﹃消 費 社 会 の神 話 と構 造 ﹄ ︵ 紀伊國屋書店、 一九七九年、原著 一九七〇
年︱ ︱ 以下、 ﹃ 消費社会﹄︶が 刊行 され て以 来 、 彼 は い つも 現 代 消 費 社 会 を 論 じ る論 議 の中 心 に位
置づ け ら れ てき た。 だ が 、 いく つも の旋 回 と切 断 を 含 む ボ ード リ ヤ ー ルの思 想 の軌 跡 は、 必 ず
しも 初 期 の著作 で提 起 さ れ た 展望 を深 め て いく方 向 に進 ん でき た わ け で はな い。 そ れど こ ろ か、
いま とな っては 、彼 が 消 費 社 会 の ﹁神 話 ﹂ と ﹁構造 ﹂ を ど こま で の深度 で見 据 え よう と し て い
た のか、 多 少 の疑念 す ら感 じ てし ま う ほど であ る。 ボ ード リ ヤ ー ルは、 消 費 社 会 にお け る モノ
の記 号論 理 に つい て精 密 な分 析 を 進 め た初 期 の研 究 から、 バ タイ ユに惹 か れ なが ら 象 徴 交換 を
語 り 、 シ ミ ュラ ー ク ルや ハイ パ ー リ アリ テ ィ、 ト ラ ン スポ リ テ ィ ック の全面 化 を 論 じ て い った
中 期 の作 品群 を経 て、東 西冷 戦 構 造 の崩壊 以降 、 再 び そ う し た 全面 的 に ハイ パー化 し た現 実 に
亀 裂 が 走 り、 他 者 たち の姿 が 浮 上 し つ つあ る こ と に関 心 を 向 け る最 近 の著作 ま で、 アプ ロー チ
や記 述 の スタ イ ルを 大 き く変 化 さ せ てき た。 ﹃消 費 社 会 ﹄ の邦 訳 普 及 版 で訳 者 た ちが 述 べ た よ
う に、 七 〇年 代 末 以 降 、 ﹁ボ ード リ ヤ ー ルは 理 論 的 構 築 の作 業 から しだ い に遠 ざ か り 、現 代 文
明 の感 性的 批 判 者 と でも いう べき スタイ ルを、 そし て時 には 一瞬 先 を 照 ら し出 す 予 言 者 的 スタ イ ルを さ え﹂ と るよ う にな って い った のであ る。
いく う え で、 こ の本 を中 心と す るボ ード リ ヤ ー ルの初 期 の三部 作 に は、 いま な お思 考 の出 発 点
と は いえ、 七 〇年 の ﹃ 消 費 社 会 ﹄ は 間違 いな く 重 要 な著 作 であ る。今 日 の消 費 社 会 を考 え て
と な る べき 多 く の展望 が 含 ま れ て いる。 実 際 、 同 書 は そ の明晰 な 議 論 の運び ︵中期以降 の著 作 に
比 べれば 、ここでの著者 の分析はきわ めて明晰だ︶と ソ シ ュー ルや レヴ ィ= ス ト ロー ス、 バ タ イ ユ
な ど と の思 想 的 な結 び つき に お い て、 消 費 社 会 に ついて のそれ ま で の学 問的 探 究 の パ ラダ イ ム
を 一変 さ せ るイ ンパ クトを も った 研究 であ った と いえ よう 。 ガ リ マー ル版 の序 文 で メイ ヤ ーが
述 べ た よう に、 同書 は た し か に、 ヴ ェブ レ ンの ﹃ 有 閑 階 級 の理 論﹄ や リ ー ス マン の ﹃孤独 な群
衆 ﹄ に連 な るも のと し て、 ま た こ れ ら に優 ると も劣 ら な い重 要 性 を も つ著 作 と し て今 日 に 至 る
ま で広 く 読 ま れ 、多 大 の影 響 を 及ぼ し て い った のであ る。 以 下 では 、す で に古 典 と な った こ の
﹃消費 社 会 ﹄ に焦 点 を あ てな が ら 、 ボ ード リ ヤ ー ルの初 期 の諸 著 作 にお け る消 費 社 会 への展 望 を整 理 し てお く こ と に し た い。
消費 = 欲求 充 足 か ら消 費 =言 語 活 動 へ
現代 社 会 に対 す る ボ ード リ ヤ ー ル の関 心 の根底 には 、 わ れわ れが 今 日、 あ ふれ んば かり の量
と 種類 の モノた ち と そ のイ メージ によ って取 り 囲 ま れ 、 そ れら と の交渉 を通 じ て 日常 生活 を な
り た た せ て い ると いう 認 識 が あ る。 ﹃ 消 費 社 会 ﹄ の冒 頭 に は、 こう し た認 識 が は っき り と表 明
さ れ て いる。 いわ く 、 ﹁豊 か に な った人 間 た ち は、 これ ま で のど の時 代 にも そ う であ った よ う
に他 の人 間 に取 り囲 ま れ て い る の で はも は やな く、 モ ノ に よ って取 り 巻 か れ て いる﹂。 そ れ は
たと え ば 、 住宅 内 部 のイ ンテ リ ア や家 電製 品、 シ ョー ウ ィンド ー に並 ぶ 流 行 の フ ァ ッシ ョ ンや
スー パ ー マー ケ ット の食 料 品 はも ち ろ ん、 ﹁広 告 と マ ス・メデ ィ アか ら送 ら れ てく る 日常 的 な 数
百 の メ ッセ ージ にお け る モ ノ の礼 賛 の恒 常 的 な光 景 も そう だ し 、 いく ぶ ん妄 想 を 与 え る よ うな
ガ ジ ェット の群 が り か ら夢 にま で つき ま とう 夜 を彩 る モ ノが 演 ず る象徴 的 な心 理 ド ラ マに いた
るま でが そう ﹂ であ る。 今 日 のわ れ わ れ は ﹁他 人 の近 く に生 き る より も む し ろ従 順 で眩惑 的 な
モノ の無 言 の視 線 のも と で生 き るよ う に﹂ な ってき て いる。 問 題 は、 こ のよ う に氾 濫 す る モ ノ
やイ メ ージ の集 合 が 、 わ れ わ れ に及ぼ し て いる強 制 力 を 、ど のよう な 理 論的 地平 に お い て把 握
す る のか と いう点 であ る。 初 期 の諸 著 作 にお いてボ ード リ ヤ ー ルは、 消 費 に関 す る既 存 の理 論
を厳 しく 批判 しな が ら 、 こ の点 に つい て の明快 で説 得 力 のあ る解 答 を 示 し た。
そ れ は、 ひ と こ と で言 う な らば 、 記 号 の シ ステ ム の生 産 ︵ あ るいは再生産︶過 程 と し て の モ
ノ=環 境 世 界 の消 費 と いう 認 識 であ る。 ボ ード リ ヤ ー ルはま ず 、 消費 を主 体 の欲 求 と モ ノ=客
体 の使 用価 値 と の間 に生起 す る事 象 と し て把 握 す る経 済 学 的 ・心 理学 的 言 説 の誤 りを 徹 底 的 に
批 判 し て いく。 彼 に よれば 、 こ の よう な 言説 が 幅 を き か す に至 った背 景 には 、近 代 の欲 求 と福
祉 、 そ し て幸 福 を めぐ る 平等 主 義 イデ オ ロギ ーが 存 在 す る。 こ のイデ オ ロギ ーは、 す べ て の人
間 は欲 求 と充 足 の原 則 の前 で は平 等 であ る と いう 認 識 か ら 出発 す る。 人 間 は 、 モ ノ の交 換 価値
の前 では 不平 等 であ り 、 たが いに反 目 し て いる に し ても 、 モ ノ の使 用 価 値 と の関 係 に お い ては
共 通 の地平 に立 って いる と いう の であ る。 使 用 価 値 と し て の ステ ー キを 前 にし て は、 プ ロレ タ
リ ア ートも 特 権 階 級 も な いと いう わけ だ 。 し たが って、福 祉 国 家 は、 ﹁量 に よ る自 動 的 平 等 化
と 最終 段階 で の均 衡 の見 通 し のも と に、財 の量 を 増 加 す る こ と に よ って内的 矛盾 を克 服 し よ う
と す る努 力 ﹂ を 重 ね て いく こと にな る。 つまり 、 万 人 に同 じ よう に普 遍 的 に存 在 す る自 然 と し
て の欲求 は、 モノ =使 用価 値 の量 的増 加 に よ って充 足 さ せ ら れ るも の であ り、 それ が 実 現 さ れ
るな らば 万 人 が 幸福 な状 態 に到 達 でき る と の考 え か ら 、大 量生 産 ・大 量消 費 の社 会 の必 然 性が 担 保 さ れ て いく の であ る。
も っとも 、 ガ ルブ レイ スの よう な経 済 学 者 の議 論 は 、 こ れ ほど 単 純 な 欲求 モデ ルに立 って い
た わ け で はな い。彼 が 問 題 と した のは、 いくら 財 の量が 増 大 し、 十 分 すぎ る ほど に モ ノが 氾濫
し て いる状 態 にな っても 、 人 び と の欲 求 は充 足 さ れ る ど こ ろ か、 かえ って欲 求 不満 が 増 大 し て
いく傾 向 が 認 めら れ る と いう 事態 であ った。 ガ ルブ レイ スは こ の事 態 を 理解 す る た め に、 独占
資 本主 義 段 階 の産 業 シ ステ ム は、 市場 調 査 や マー ケ テ ィ ング、 広告 によ って、 欲 求 =消費 需 要
そ のも のを 創 出 す る能 力 を 獲 得 し た のだ と いう 見解 を 示 し た。 ボ ード リ ヤ ー ルは、 こ のよ うな
ガ ルブ レイ ス の見 解 は、 一定 の批 判 的 価値 を も って い ると 評価 す る。 こ の主 張 は、 消 費 行 動 で
は消 費 者 個 人が 権 力 を 行 使 し て いる のだ と いう古 典 的 な 神 話 を粉 砕 す る から であ る。 実 際 、 こ
う し て個 人 の力 を強 調 す る こと は、 今 日 の産 業 シ ステ ムを 正 当化 す る こと と 結 び ついてき た。
シ ステ ムの活動 か ら派 生 す る さ まざ まな 機 能 障害 、 た とえ ば 環境 破 壊 は、 消 費 者が 主権 を行 使
す る領 域 が 広が って いく こと の代価 であ ると の理 由づ け に よ って大 目 に見 ら れ てき た し、 経 済
学者 や心 理 学 者 を動 員 し て の市 場 調査 は、 個 人 の消費 欲 求 を名 指 し 、 そ れ を販 売 戦 略 に結 び つ
け なが ら、 実 のと こ ろ そう し た消費 欲求 そ のも のが シ ステ ムに よ って生産 さ れ て いく 過 程 を 隠 蔽 し てき た のであ る。
だが 、 こ う し た批 判的 価 値 にも かか わ らず 、 ガ ルブ レー ス の議 論 に は決定 的 な限 界 が あ る。
ガ ルブ レー スは、 個 人 の諸 々 の欲 求 は 、 本来 は安 定 化 可能 であ ると 考 え る。 つま り、 人 間 の欲
求 に は何 か しら 経 済 原 則 のよ うな も のが あ って、 産 業 シ スー ム によ る ﹁人 為 的 ア ク セ ル﹂ が な
か ったな ら 、調 和 のと れ た 限界 を設 定 す る こと は 可能 であ ると 考 え て いる のだ。 ボ ー ド リ ヤ ー
ルに よ れば 、 ﹁こう し た見 解 は ま ったく 空 想 的 で あ る﹂。 と いう のも 、 消 費 者 の欲 求 充 足 のど
ルブ レイ スのよ う に欲 求 を あ れ こ れ の モノ に対 す るあ れ これ の欲求 と し て理 解 す るかぎ り、 そ
こ ま でが ﹁自然 ﹂ で、 ど こか らが ﹁人 為 ﹂ かを線 引 き す る こと な ど 不 可能 な のだ 。 し かも 、 ガ
れ らが なぜ シ ステ ム によ って かく も無 防 備 に操 作 さ れ るも の にな って いく のかと いう こと を説
明 でき な い。 む しろ実 際 には、 企 業が 個 々 の製 品 レ ベ ルで消 費 者 の需 要 を操 作 し よう と し ても 、
﹁消 費 者 が そ のよ う な 命令 に い か に抵 抗 す る か、 モノ の ﹁鍵 盤 ﹂ 上 で彼 ら が 自 分 の ﹁欲 求 ﹂ を
いか に 巧 み に演奏 す る か と いう こと や 、宣 伝 が け っし て全能 で はな く て しば しば 逆 の反 応 を引
き 起 こす こと 、 あ る い は同 一の ﹁欲 求 ﹂ に関 し て いく つも の モ ノが 次 々と 取 り替 え ら れ る こ
と﹂ など は頻繁 に見 ら れ る。 ガ ルブ レイ ス の主 張 に反 し 、 少 な く とも 個 々 の製 品 に対 す る需 要
と いう 点 で は、産 業 は そ れ ほど ﹁人為 ﹂ 的 に欲 求 を 創 造 でき は しな い の であ る。
こう し てボ ード リ ヤー ルは、 彼 の議 論 を ガ ルブ レイ スら のそ れ と決 定 的 に分 か つ地 点 に到達
す る。 す な わ ち 、資 本 主 義 の強 制 力 は 、消 費 者 の個 々の欲 求 と モ ノの使 用価 値 と の間 に お い て
働 いて い る の では な い。 ガ ルブ レイ スが 見 落 と し た のは ﹁差 異化 の社 会 論 理 であ り、 ⋮⋮ あ ら
ゆ る欲 求 は記 号 と差 別 の客 観 的 社 会的 要求 に従 って再 組織 さ れ る こ と にな る と いう社 会 学 的 考
る使 用 価 値 と し てよ りも 、 消 費 者 たち の アイデ ンテ ィテ ィを社 会 のな か に定 位 し て いく メデ ィ
察 ﹂ であ る。 つま り 、現 代 の氾 濫 す る モ ノ の大 群 は、 消費 者 た ち の膨 れ あが る欲 求 を 充 足 さ せ
アと し て強 制 力 を 持 って い る の であ る。 ボ ード リ ヤ ー ルは 、 ﹃記 号 の経 済 学 批 判 ﹄ ︵法政大学出
版局、 一九八二年︶ でも 、 ﹁そ れぞ れ の集 団 や 個 人 は、 生 き 残 る こと を 確 実 な も のと す る以 前 に
さ え、 交 換 と 関 係 の体 系 のな か で自 己 を意 味 と し て産 出 し な く て は なら ぬと いう切 迫 し た状 況
のう ち にあ る﹂ と強 調す る。 消 費 と は 、 こ のよ うな 意 味 で の モ ノ/ 記 号 を めぐ る 言語 活 動 な の
であ って、 こ の活動 を通 じ て、 モノ/ 記号 た ち は差 異 化 さ れ た シ ステ ムと し て組 織 さ れ、 同 時
に、 そ れら を 消 費 す る社 会 の欲 求 の シ ステ ムも 生 産 さ れ て いく。 重 要 な こと は、初 め に発 話 の
個 人的 欲 求 が あ るか ら言 語 活 動 が あ る ので はな く 、 言 語 活 動が あ る から こそ 、発 話 への欲 求 が
産 出 さ れ て い る のだ と いう 点 であ る。 ﹁客 観 的 な 消費 欲 求 が あ る か ら ︿消 費 ﹀ が あ る、 と いう
わ け で はな い。 差 異 の用具 、 意 味 作 用 や 地位 の価 値 の コード など の交 換 体 系 のな か で社 会 的 生
産 が 存 在 す る。 財 や 個 人的 欲 求 の機 能 性 は、 後 から こ の交換 体 系 に接 続 し にや ってき て、 基 本 構 造 の メカ ニズ ムを 合 理化 す る と同 時 に抑 圧 し て しま う ﹂ の であ る。
記 号的 差 異 化 を 通 じた 統 合 シ ステ ム
消 費 が 言 語活 動 であ ると す るな らば 、 そ こ で消費 さ れ る モノ たちが 、 ど のよう な 言 説 秩序 を
構 成 し て い る のかが 問 わ れ な け れば な ら な い。 ボ ード リ ヤ ー ルは処 女作 ﹃ 物 の体 系 ﹄ ︵ 法政大学
出版局、 一九八〇年︶ にお いて、 す で に こう し た観 点 から の分析 を進 め て いた 。 彼 は 、言 説 と し
て の モ ノ の構 造 を 、 ①機 能 の言 説 、 ② 主観 の言 説 、 ③ メ タ機 能 =非 機 能 の言 説 の三 つ の次 第 元に
分 け て い った。 そ の際 、 彼 の観 察 を 貫 いて いた のは、 現 代 では ﹁機 能 性 ﹂ の強 調が 、 モノ の配
置 や 色 、形 、 材 料 な ど の構 成 の主 軸 と な ってき た と いう 認 識 であ る。 こ の場 合 、 重要 な こ と は、
こ の機能 性 が ﹁ひと つの目的 に適 合 す るも のを形 容 す る の で はな く て、 ひと つの秩序 も し く は
に機 能 的 に働 く かど う かを 問 題 にし た わけ では な く、 言説 と し て の モ ノ の秩 序 が 、 機 能 性 と い
体 系 に適合 す るも のを 形 容 す る﹂ のだ と てう 点 であ る。 つま り 、 ボ ード リ ヤ ー ルは モ ノが 実 際
う規 範 にど こま で強 力 に枠 づ け ら れ て いる かを 論 じ た のであ る。 し たが って、 こ の記 号 論 理 の
延 長 に お い て、 モ ノは機 能 の言 説 を こ え て メタ機 能 =非機 能 的 な 言 説 の領 域 に入 り込 ん で いく
ことも あ る し、 機能 の言 説 から 主 観的 な言 説 の領 域 に退 いて いく こと も あ る。
こ のよう な モ ノ の言 説 秩 序 に関 す る分 析 は、 ﹃ 消 費 社 会﹄ で は よ り 構 造 的 な 水 準 へと発 展 さ
せ られ て い る。 ボ ード リ ヤ ー ルは、 モ ノ/ 記 号 は ひ と つひ と つ切 り 離 さ れ た ので は意 味 を な さ
ず 、 全 体 と し て の集 合 的 配 置 や構 成 、 モノ相 互 の関係 の網 目 こそが 意 味 を成 立 さ せ て いる のだ
と強 調 す る。消 費 者 は、 ﹁全 体 と し て の意 味 ゆ え に モ ノ の セ ットと か か わ る﹂ の であ って、 単
体 と し て の モ ノ に他 から 切 り離 さ れ た形 で欲 望 を感 じ て いく わ け では な い。 シ ョーウ ィ ンド ー
や商 店 の棚 、広 告 に お い て、 わ れ わ れ にま な ざ され る モ ノた ち は 、 ﹁消 費 者 を も っと 多 様 な 一
連 の動 機 へと誘 う、 より 複 雑 な 超 モ ノと し て互 いに 互 いを意 味 づ け あ って いる ﹂。 たと え ば 洗
濯 機 は、 ﹁幸 福 や威 信 等 の要 素 と し て の役 割 を 演 じ て い る﹂ のだ が 、 こ の場 合 、 ﹁他 のあ ら ゆ
る種 類 の モ ノが 、 意 味 表 示的 要 素 と し て の洗 濯機 に取 って かわ るこ とが でき る﹂ の であ る。 こ
シ ョンを読 み解 い て いく ことが 、 消 費 社 会 の記号 論 的 分 析 の重 要 な課 題 と な る。
の よう にし て、 消 費 =言 語活 動 のな か で相 互 に関 係 しあ う モ ノ/記 号 た ち の全体 の フ ォー メー
よ って構 成 され て い るよ う に見 え る。 一方 は、 消 費 の換 喩 的 操 作 と でも 呼 ぶ べき も の で、 ﹁あ
上 野 千鶴 子が 明 快 に整 理 し た よう に、 こ の フ ォー メ ー シ ョンは、 二 つの同 時神 な記 号 操 作 に
な た は牡 蛎 や肉 類 や 洋梨 や か んづ め の ア スパ ラ ガ スの今 にも崩 れ そう な ピ ラ ミ ッド を手 に入 れ
た つも り で、 そ のな か か ら少 しだ け 買 う﹂ のであ る。 つま り、 部 分 で全 体 を 代表 さ せ ると いう
換喩 的 方 法 が 繰 り 返 さ れ て いく こと にな る。 こ の方 法 は、 た ん に大 量 の モノを少 量 の モノ で代
表 さ せ るだ け で はな い。 より 重 要 な のは 、全 体 と し て のひ と つ のラ イ フ スタイ ルを イ メージ さ
せ る よ うな 一群 の モ ノ/ 記 号 の連 辞 的 な結 合 が 、 そ の部 分 を なす ア イ テ ム によ って表 現 さ れ て
いく こと であ る。 上 野 に よれ ば 、 庶 民 にと って ﹁ピ ア ノを 買 う﹂ こ と は、 ﹁ピ ア ノのあ る 山 の
す る ﹁山 の手 ふ う の生 活 ﹂ と 実 際 にピ ア ノが 持 ち 込 ま れ る 四畳 半 の部 屋 と の間 で、 あ る記 号 論
手 ふう の生 活﹂ を換 喩 的 に表 現 し て いた。 だ が 、 こ の 一点 豪 華 主 義 は、 買 わ れ た ピ ア ノが指 示
的 な 不整 合 を 生 じ さ せ て いく。 不整 合 は 日常 的 に意 識 さ れ 、 ﹁山 の手 ふ う の生 活﹂ を指 示 す る
よ り多 く の モノを 買 い揃 え る方 向 に人 び と を 促 し て いく 。 ﹁やが て 人 々は ピ ア ノを 置 け る 応 接
間 つき の郊 外 一戸 建 住 宅 を買 い、 レミ ー マルタ ンを飲 み、 パイ プ を くゆ ら す 。 一つの モノ は サ
ンタグ ム の系 列 に意 味 を 波 及 す る。 こう し て 一つ のサ ンタグ ム の全体 が 別 の サ ン タグ ム に置 き か わり 、 ﹃ 人 な み化 ﹄ が 完成 す る﹂ ︵﹃ ︿私﹀探しゲーム﹄筑摩書房、 一九八七年︶ 。
こう し た換喩 的 操 作 は、 ま った く同 時 的 に、 パ ラデ ィグ マテ ィ ックな 次 元 で の差 別 化 の操作
を伴 って い る。 さ まざ ま な系 列 の モ ノ のサ ンタグ ムが 、相 互 に微 妙 な 差 異 を つけ あ いなが ら自
分 の位 置 を 確 保 し て いる のであ って、 あ る系 列 内 の ひと つの モノを 選 択 す る こと は、 同 時 にさ
日 では しば しば ﹁個 性﹂ と いう 名 前 が つけ ら れ て い る。 ﹁自 分 の個 性 を発 見 し てそ れ を 発 揮 す
ま ざ ま な系 列 のな か から ひ と つの系 列 を選 択 す る こと でも あ る。 こ の選 択 さ れ る系 列 に は、 今
る こと 、 そ れ は本 当 に自 分 だ け の楽 し みを 発見 す る こと です 。 そ のた め に は ほ ん のわず か のも
のが あ れば 十分 。 私 は長 い こと か か ってや っと 気が つき ま し た。髪 の毛 を ほ ん の少 し だ け 明 る
い色 合 い にす る こ と で、私 の肌 や眼 の色 にぴ った り合 った ハー モ ニーが 生 ま れ る と いう こ と
に﹂ と、 あ る染髪 シ ャ ンプ ー の広告 は語 り かけ る。 ボ ード リ ヤ ー ルは 、 こ のよう な広 告 の諸 例
を引 用 しな が ら 、 ﹁個 性 化 ﹂ す る差 異 が 、 も はや 諸 個 人 を 対 立 さ せ る こ と な く、 あ る無 限定 な
と を強 調 す る。 ﹁オプ シ ョナ ル﹂ な 商 品 の ﹁個 性 化 さ れ た﹂ 系 列 を 身 に つけ る こ と で、 われ わ
階 梯 上 に階序 化 され る いく つか の モデ ルやそ の シリ ー ズ に収 斂 し て いく記 号 的 な 差 異 であ る こ
れ は、 わ れ わ れ を他 な ら ぬ ﹁わ れ わ れ自 身 ﹂ にし てく れ る よう な差 異 を 必死 にな った探 し求 め て い る の であ る。
した が って、 消 費 社 会 の呪縛 力 は、 大 量 生産 さ れ た画 一的 な モ ノを産 業 が 消 費 者 に押 し つけ
よう と す る と こ ろ から 来 る の でも 、 巧 みな広 告 や マー ケ テ ィング によ って消 費 者 の欲望 が 過 剰
に刺 激 さ れ る と ころ から来 る のでも な い の であ る。 こ の よう な 一方 的 な 戦 略 に対 し て は、 消 費
者 たち はあ る程 度 ま でそ れ ぞ れ の仕 方 で対抗 し て いく こと が でき る。 と ころ が ボ ード リ ヤ ー ル
が 照準 し た のは、 ﹁個人 の レベ ルを は る か に越 え た無 意 識 的 な社 会 的 強制 ﹂ と し て個 人 の行 動
を 呪縛 し て いく 消 費 社 会 の力 であ る。 各 人が 、 各 人 な り に異 な る嗜 好 を も ち 、 異 な る スタイ ル
の ﹁ 自 分ら しさ ﹂ を追 い求 め て い ったと し ても 、 消 費 社 会 の強 制 力 は、 ま さ にこ のよう な 消 費
者 みず から の ﹁個 性的 ﹂ な差 異 の追 求 を 通 じ て最 も 有 効 に作 用 す る のだ 。 消費 社 会 は、 消 費 者
た ちが 受 動 的 であ るが ゆ え に彼 ら を 管 理 す る ので はな い。 正反 対 に、 人 び とが ま ったく 能 動 的
であ るが ゆ え に彼 ら を と こ と ん呪 縛 し て いく のだ 。 ﹁ 消 費 者 は自 分 で自 由 に望 み か つ選 ん だ つ
も り で他 人 と 異 な る行 動 を す るが 、 こ の行 動 が 差 異 化 の強 制 やあ る種 の コー ド への服 従 だ と は
思 っても いな い。 他人 と の違 いを強 調す る こと は、 同時 に差 異 の全 秩 序 を打 ち立 て る こと にな
るが 、 こ の秩 序 こそ は そも そも 初 め か ら社 会 全 体 のな せ る わざ であ って、 いや おう な く 個 人 を
越 え て しま う の であ る ﹂。 こ の集 合 的 な 次 元 に存 立 し て いく の は、消 費 社 会 の ﹁コード化 さ れ
た価 値 の生 産 と 交換 の普 遍的 シ ス テ ム﹂ であ る。 こ の意 味 で、消 費 の シ ス テ ムと は、 ﹁言 語 と 未 開 人 の親 族 体 系 と 同 じ よう に﹂ 意味 作 用 の記 号 秩 序 な のであ る。
消 費 の 全域 化 と シミ ュラ ーク ル の支 配
し か しな が ら 、 同 じ よう に言 語 活動 と し て個 人 の存 在 を拘 束 し て い る にせ よ、 消 費 が 成 立 し
て いる場 所 は、 モ ー スや レヴ ィ= スト ロー スが 分 析 し た よ う な未 開 社 会 の贈与 や親 族 体 系 が 成
立 し て いた場 所 と は決定 的 に異 な る位 相 に属 し て い る。 ボ ード リ ヤ ー ルは、 こ の違 いを象 徴 交
換 か ら価 値 / 記 号 への移 行 と し て把 握 す る。 一方 で、 象 徴 交換 のな か の モ ノ は、 交 換 され る具
体 的 な 関連 に お い て特 殊 化 さ れ て い る。 こ のよ う な モノ に は、 欲望 の両 義 性 と 社 会的 諸 関 係 の
透 明 性が 現 われ て い る。 つま り、 それ ら の モ ノ の意 味 は、 誰 そ れ の誰 そ れ に対 す る贈 り物 であ
ると いう関 係 の規 定 性 か ら離 れ る こと が でき な い。 それ に対 し 、 モノが 他 の モ ノと の差 異 の体
系 のな か でそ の意 味 を 獲 得 し て いく よう にな る とき 、 それ ら の モ ノは象 徴 的 な 次 元 を失 い、 記
号 と し て の価 値 を得 る。 ここ に現 われ る のは、 記 号 の示 差 的 な 価値 と コード の能 力 であ る。 消
費 社 会 を特 徴 づ け て い る のは 、 ほ かな ら ぬ こ の価 値 / 記 号 の示 差的 体 系 へ、 あ ら ゆ る モ ノ の秩
序 が 再 編 さ れ て いく こ と であ る。 ﹁差 異 化 さ れ た記 号 と し て の モ ノ の流 通 ・購 買 ・販 売 ・取 得
は、 今 日 では わ れわ れ の言 語活 動 であ り コード であ って、 そ れ によ って社 会 全 体 が 伝達 しあ い 語 りあ って いる。 こ れが 消 費 の構 造 であ り 、 そ の言語 であ る﹂。
ボ ー ド リ ヤ ー ル によ れば 、 こ のよ う な差 異 化 す る記 号 の論 理が 、 か つてそ れ らが 準 拠 し て い
た よ う な現 実 の照 合系 か ら解 き 放 た れ て全域 化 し、 モ ノ の象 徴 的 次 元 や 効 用 の次 元 を完 全 に無
化 し て しま った と こ ろ に成 立 す る のが シ ミ ュレー シ ョン の世 界 であ る。 こ の世 界 は、 市 場 交 換
に先 立 つ象 徴 交 換 の論 理 が 崩 壊 し た果 て にあ る の みな ら ず 、 資 本 主 義 の初 期 段 階 に は全 盛 を
誇 って いた生 産 と 効 用 の論 理 も ま た終 焉 し た果 て に広 が り、 労 働 、 生 産 、 経済 と い った領 域 の
独 立性 を 無 化 し て いく こ と にな る。 こ の シミ ュレ ー シ ョン の世 界 にあ っては、 ﹁あ らゆ る記 号
が 互 い に交 換 し あ う が 、 今 や 決 し て実 在 と 交 換 さ れ る こ とが な い﹂。 と いう のも 、 ﹁何 か を 指
示す ると いう 記 号が か つても って いた ﹁古 代 的 な ﹂義 務 か ら解 き 放 た れ る と、 記 号 は つい に自
由 とな ってあ ら ゆ る組 み合 わ せ 的 ゲ ー ムに参 加 す るよ う に な る。 こ のゲ ー ムを律 す る規 則 は 、
限 定 さ れ た 等価 関 係 と いう 以 前 の規 則 にと って代 わ った無 差 別 と 全 面的 不 決 定 性 であ る﹂。 こ
れ が 、 中 期 以降 の諸 著 作 でボ ード リ ヤ ー ルが 展 開 し て いく こと にな る基 本 的 な 主 張 であ る。
ボ ード リ ヤー ルは、 シ ミ ュラ ーク ルが 社 会 関係 を代 補 し て いく 過 程 を 三 つに分 け て いる。 第
一は ﹁模造 ﹂ の段 階 で、 これ は ルネ ッサ ンスか ら産 業 革 命 ま で の時代 の図式 であ る。 こ の時 代 、
か つては 秩序 の象 徴 であ った記 号 の同 一階 級 内 で の流 通 に、 徐 々 に ではあ るが あ ら ゆ る階 級 が
無 差 別 に記 号 を利 用 でき る よ う な状 況 が 代 わ って いく 。 こ の過 程 は、 階 級 的 な 威 信 や神 聖性 と
結 び つけ ら れ て い た記 号 の用途 を拡 張 し 、 誰 もが 利 用 でき るよ う な模 造 品 を 行 き渡 ら せ て いく。
第 二は ﹁生 産 ﹂ の段 階 で、 これ は産 業革 命 時 代 の図式 であ る。 ここ で は n個 の同 一の モ ノが 大
量 生 産 さ れ る こと が 可 能 と な り、 これ ら の モ ノ の関 係 は、 も は や オ リ ジ ナ ルと 模造 品 の関 係 で
も な け れば 、 ア ナ ロジ ーや 反映 の関 係 でも な く、 等 価 性 の関係 と な る。 大 量 生 産 さ れ、 流 通 し
て いく よ う にな った記 号 は 、 オ リ ジ ナ ルと いう準 拠 枠 を 圧 倒 し 、記 号 的 な 差 異 す ら も無 化 され
る均 質 的 な 世界 を つく り あ げ て いく 。 だ が 、 こ の画 一的 な 複 製 の生 産 は、 ﹁世 界 を 支 配 す る に
は いさ さ か お粗 末 な 、 非 現 実的 方 法 ﹂ にすぎ な いとボ ード リ ヤ ー ルは言 う 。 こう し て わ れ わ れ
は、 やが て第 三 の段 階 に突 入 す る こと に な る。 そ れ は 、 コード によ って あ らゆ る記 号 の生産 が
管 理さ れ る ﹁シ ミ ュレー シ ョン﹂ の段階 であ る。 こ の段階 で は、 あ ら ゆ る記 号 の形 態 を 差 異 の
で は なく 、 モデ ル に従 って変 調 さ れ て いく こ と であ る。 か つて ﹁模 造 の領域 が 大 量 生 産 の領 域
変 調 に した が って産 みだ す モデ ルが 登場 す る。 こ こで重 要 な の は、複 製 が 大 量 生 産 さ れ る こ と
によ って捕 捉 さ れ た よう に、 生 産 の全領 域 は今 や オ ペ レー シ ョナ ルな シ ミ ュレー シ ョン のな か で揺 れ 動 い て いる﹂ ︵﹃ 象徴交換と死﹄筑摩書房、 一九 八二年︶。
ボ ード リ ヤ ー ル によ れば 、 シミ ュレ ー シ ョンの段 階 と は、 消 費 社 会 的 な記 号論 理 が 、 生 産 と
労働 の領 域 ま でを も含 み こ み、 あ ら ゆ る社 会 的 場 面 を 支配 し て いく 時代 であ る。 消 費 社 会 に つ
い て のこれ ま で の分析 は、 しば しば 消費 領 域 への生 産 の論 理 の拡 大 を問 題 にし てき た。 だ が 、
いま や反 対 に、 ﹁生 産 ・労 働 ・生 産 諸 力 の全領 域 は、 一般化 さ れ た公 理 系 、 記 号 の コード 化 さ れ
た 交換 、 生 活 の 一般的 デ ザ イ ンの領 域 と み な され る ﹁消費 ﹂ の領 域 のな か で上 下運 動 す るも の
に統 合 さ れ て い る の では な い。 そ れ ら は、 ﹁生 産 のた め に動 員 さ れ る の で はな く て、 演 算 上 の
だ と 考 え な く て はな ら な い﹂。 今 日、 知 識 や想 像 力 、 性 や身 体 は価 値 法 則 が 支 配 す る 生 産 過 程
変 数 と し て指 数 化 さ れ 、割 当 てられ 、 そ のよ う に ふ る まう よう に促 され 、 つい に は生産 力 と い
う よ り も 、 同 じ ゲ ー ム の 規 則 の な か に 捉 え ら れ た コー ド の 格 子 縞 の諸 断 片 と な っ て し ま う ﹂ の
であ る 。 こ の 過 程 を 支 配 し て い る の は 、 生 産 の論 理 で は な く 、 コー ド の論 理 で あ る 。 い ま や 労
働 す ら も 、 生 産 の 基 礎 で あ る と いう よ り も 、 む し ろ す べ て が サ ー ビ スと な る 。
ボ ード リ ヤ ー ルを 超 え て
一九 七 〇年 代 から 八〇年 代 への時 代 の流 れ のな か で、 ボ ー ド リ ヤ ー ルの議 論 の焦 点 は、 消費
社 会 の記 号的 構 成 に つい て の精 密 な 分析 か ら、 シミ ュラ ーク ルの支 配 に つい て の執 拗 な 強 調 へ
と 変 化 し て い った よう に見 え る。 ﹃ 象 徴 交 換 と 死﹄ に つづ く ﹃ 誘 惑 の戦 略 ﹄ や ﹃シミ ュラ ー ク
ルと シ ミ ュレー シ ョン﹄、 ﹃ 宿 命 の戦 略 ﹄ な ど で は、 あ ら ゆ る 現 実 が シ ミ ュレ ー シ ョン の操 作
によ って ハイ パ ーな 次 元 に吸 収 さ れ てし ま う過 程 が 描 か れ て いる。 これ ら の議 論 に つい て、 こ
こ で詳 し く触 れ よう と は思 わ な い。 む し ろ、 最 後 に指摘 し て おき た い のは、 ボ ード リ ヤ ー ルが
八〇年 代 以 降 に展 開 し て いく シミ ュレー シ ョン論 や 誘惑 論 、 ト ラ ンスポ リ テ ィ ック論 のよ う な
現 代文 明論 は、 はた し て彼 の初 期 の著 作 が 示 し た消費 社 会 への より 多 面的 な展 望 から 導 か れ る
の消去 を いささ か散 文 的 に語 って いく前 に、 消 費 社会 が そ の記 号 の体系 的 操 作 を 通 じ 、 わ れ わ
唯 一の可能 性 だ った のか、 と いう 疑 問 であ る。 たと えば 、 シミ ュラ ー ク ル の専 制 や リ アリ テ ィ
れ の身 体 や感覚 、 日常 意 識 を ど のよ う に整 序 し て いる のか を、 も う 少 しき め細 か に観察 し て い く こ とも でき た の ではな いだ ろう か。
一例 を挙 げ るな ら 、 ボ ード リ ヤ ー ルは か つて、 モノ の言 説が 、 階 級 の文法 や抑 揚 のな か で読
ま れ な け れば な ら な いこ とを 強 調 し て いた。 個 人 や 集 団 は、 実 際 に は消費 さ れ る モノ たちが 織
り な す コー ド の命 令 にひ た むき に従 う ど こ ろ か、 そ れ ぞ れ の コンテ ク スト に応 じ て ﹁モノ の差
異 表 示的 ・命 令 的 目 録 に対 し て何 ら か の道 徳 神 な いし 制度 的 コード にた いす る のと同 じ 振 る舞
いを す る ﹂。 つま り 彼 ら は、 コード を勝 手 に解 釈 し たり 、裏 を か い たり 、階 級 的 方 言 で語 った
り す る の であ る。 し た が って、 消 費 社 会 の社 会 学 的 分 析 は、個 人 や集 団 が モノ の言説 を 通 し て
自 分 自 身 の社 会 的 状 況 に出会 って いく 、 そ の屈 折 し た回 路 のな か で浮 上 す る矛盾 や葛 藤 に照 準
し て い かな け れば な ら な い。 モ ノ の集 ま り の具体 的 な統 辞 法 、 そ し て そ の言 い間 違 いや 不整 合 、
矛 盾 、 過剰 や欠 落 、 さ ら に こう し た モノ の言説 秩 序 と 他 の社会 的 行 為 と の矛盾 に満 ち た関 係 を
精 密 に分 析 し て いく 必 要 が あ る のであ る。 こ のよ う な社 会 的 実 践 の場 のな か で の趣味 の差 異 化
と象 徴 闘争 の問 題 は、 ボ ード リ ヤ ー ルより もブ ルデ ューが 、 ﹃ デ ィ スタ ン ク シオ ン﹄ ︵ 藤原書店、 一九九〇年︶を はじ めと す る著 作 で試 みた と こ ろ であ る。
ま た、 ボ ー ド リ ヤ ー ルは、意 味 作 用 と コード の シ ステ ム の歴 史的 生 産 を問 題 にし ても いた。
それ が 各 個 人 の必然 的 に相 違 す る 固有 の内 容 と存 在 を取 り除 き 、差 異表 示記 号 と し て産 業 化 と
彼 が 正 しく 指摘 し て い た よう に、 消 費 社 会 の記 号 の ﹁シ ステ ムが シ ステ ムと し て成 り 立 つ のは、
商 業 化 が 可 能 な 示差 的 形 態 を 代置 す る から ﹂ であ る。そ こ に は、 ち ょう ど マルク スが 語 った産
業 資 本 主 義 の原始 的 蓄 積 段 階 に相 当す る よう な 消費 社 会 の局 面 、 つま り 一び と が 消費 と いう言
語活 動 の主 体 と し て訓 練 され て いく過 程 が 存 在 し て いた はず であ る。 ボ ー ド リ ヤ ー ル は こ の点
に つ いて、 ﹁現 在 行 わ れ て いる体 系 的 で組 織 さ れ た消 費 に対 す る訓 練 が 、実 は 一九 世 紀 を 通 じ
て行 われ た農 村 人 口 の産 業 労 働 に向 け て の大 が か り な訓 練 の 二〇 世紀 に おけ る等 価物 であ り延
長 に ほ かな ら な い﹂ と論 じ て い た。 す な わ ち 、 ﹁労 働 力 と し て大 衆 を社 会 化 し た 産 業 シ ステ ム
は さ ら に前 進 し て完 成 さ れ ね ば な ら な か ったし 、消 費 力 とし て彼 ら を社 会 化 しな け れば な らな
か った﹂ のだ ︵﹃ 消費社会﹄︶。 も っと も 大衆 が 産 業 労 働 す る身 体 と し て調 教 さ れ て い った のは、
十 七、 八世 紀 か ら であ り、 消費 す る身 体 への調 教も 、 遅 く と も 十 九 世紀 半 ば ま で には始 ま って
いた と思 わ れ る。 そ し て、 これ ら は た ん に産業 シ ステ ムと いう よ り も、 国民 国 家 と資 本 主 義 と
の結 合 に お い て作 動 す る権 力 シ ス テ ムとし て の近代 そ のも の の作 用 であ った。 いう ま でも なく 、
こう し た パ ー ス ペク テ ィヴ は、 八 〇年 代 以 降 、 ボ ー ド リ ヤ ー ルと いう よ りも フー コー の権 力 論 の現 代 社 会 論 的 発展 と し て、 さ まざ ま に試 みら れ て いるも の であ る。
こ のよう に考 え てく ると 、 ﹃ 消 費 社 会 ﹄ に おけ るボ ード リ ヤ ー ル の展 望 は、 一九 七 〇 年 代 後
半 か ら 八〇 年代 を通 じ、 ボ ード リ ヤー ル自 身 よ りも 彼 に続 く 何 人 か の社 会 学 者 や 歴史 家 、 批 評
で活 発 化 し てき た カ ルチ ュラ ル ・スタデ ィーズ の諸 研 究 は、 消 費社 会 に おけ る言 説 と権 力 の作
家 た ち に よ って発展 さ せら れ て い った よう に思 え て なら な い。 と り わ け 八〇 年 代 以降 、英 米 圏
動状 況 を 、 ボ ード リ ヤ ー ル のよ う に 一般 論 に還 元 し て し まう の では な く、 階 級 や ジ ェンダ ー、
エス ニシテ ィな どが 重 層 的 に差 異化 され る文化 の政 治 学 と 結 び つけ なが ら、 より ダ イ ナミ ック
に捉 え よう と し て いる。 す で に本 書 の冒 頭 でも ふ れ たと ころ だ が 、 こ のよう な アプ ローチ は、
少 な くと も 私 には、 初 期 のボ ード リ ヤ ー ルの問 いを、 中 期 以 降 の本 人以 上 に正 当 に発 展 さ せ た
も の であ る よう に思 わ そ る。 消 費 社 会 が、 いか にそ の リ アリ テ ィ の レベ ル で記号 を浮 遊 さ せ、
ハイ パ ーリ ア ルな 様 相 を 呈 し、 シ ステ ム全体 の変 動 過 程 を 記述 し て いく よう な視 点 を 不可 能 に
し て いる よ う に見 え よう と も、 必 要 な のは 、 そ う し た シミ ュレー シ ョ ンの論 理 に身 を委 ね な が
らそ こ に見 え て く る風 景 を描 写 し て いく こと では 必ず しも な く 、流 動 す る記 号 の流 れ のな か に
身 を 置 き なが ら、 同 時 にそ れ と屹 立 し、 変 容 の歴史 社 会 的 な 論 理 を 、変 容 の具 体 的 な文 脈 のな か で冷 静 に測定 し て いく 方 法 的 な ま なざ しな の であ る。
あ とが き
常 で は な か った。 阪 神 大 震 災 に し ろ 、 オウ ム事 件 にし ろ 、 金 融 破 綻 にし ろ 、 次 々 に強 烈 な パ ン チを 受
激 動 の 一年 が 終 わ った 。 私 はど ち ら か と いう と 世 情 に鈍 感 な 人 間 な のだ が 、 そ れ に し て も昨 年 は 尋
オ ウ ム教 団 への破 防 法 適 用 や 米 軍 基 地 問 題 で の大 田沖 縄 県 知 事 に 対 す る訴 訟 、 金 融 破 綻 に関 す る 不 透
け 、 日 本 と いう 社 会 は何 や ら き わ め て 不 安 定 な方 向 によ う めき つ つあ る か の よ う だ 。 年 の暮 れ にも 、
明 な処 理 と いう よう に、 社 会 党 の党 首 を 頂 上 に戴 いた体 制 に よ って 反 動 的 と し か 言 いよ う の な い政 策
が 次 々 に打 ち だ さ れ て い った 。 あ ま り狭 義 の ﹁政 治 ﹂ に拘 泥 し た く は な いが 、 そ れ でも こ の列 島 で 現 在 起 き て いる こと を 、 憤 り な が ら も 冷 静 に見 つめ て いく 必 要 性 を感 じ て い る。
い てき た 文章 を 中 心 に ま と めた も の であ る。 こ の十 年 ば か り の社 会 の動 き を 同 時 代 的 に見 つめ て き た
本 書 は 、 一九 八〇 年 代 末 か ら 九 五年 ま で 、 筆 者 が 現 代 社 会 の さ まざ ま な 文 化 状 況 と 出 会 う な か で 書
作 業 の中 間報 告 と 考 え て も ら って い い。 九 四 年 末 に出 し た 拙 著 ﹃メデ ィ ア時 代 の文 化 社 会 学 ﹄ ︵ 新曜
社 ︶が 方 法 論 的 な 文 章 のま と め であ った の に対 し、 本 書 は同 時 期 の状 況 論 的 な文 章 のま と め で あ る。
と え ば 、 冒 頭 で メデ ィア天 皇 制 を 論 じ て い るが 、 これ は 九 三年 春 の現 皇 太 子 の成 婚 イ ベ ン ト の最 中 に
実 際 、 収 録 し た 論 文 の多 く は も と も とが 雑 誌 論 文 であ り 、 初 出 時 の状 況 と 強 く 結 び つ い て い る。 た
︵﹃ 記 録 ・天皇 の死﹄ 筑 摩 書 房 を参 照︶ が ど こ か し ら 伏 線 に な ょ て い る。 ま た 、 東 京 デ ィズ ニー ラ ンド の
書 かれ たも の で あ り 、 そ の数 年 前 の昭 和 天 皇 の死 に際 し、 人 び と の反 応 を 調 査 し て い った と き の こ と
バ ブ ル最 盛 期 のも の であ る。 さ ら に、 オ ウ ム事 件 が 提 起 し た 問 題 を 、 知 識 ︵ と 実 践 ︶、 身 体 ︵ と 情 報 ︶、
空 間 ・時 間 構 造 に つ い て論 じ た 次 章 は、 東 京 湾 岸 の ウ ォー タ ー フ ロ ント 開発 が 華 や か に 語 ら れ て い た
メデ ィ ア と いう 三 つの角 度 か ら 論 じ た 三本 の論 文 が 、 九 五 年 の 日本 社 会 の異 様 な状 況 に身 を 置 く な か で書 かれ て い ったも の であ る こと は い う ま でも な い。
こ れ ら の諸 論 文 を 一冊 にす る こ と で 私 が めざ し て い る の は、 本 書 の冒 頭 で ﹁ト ラ ンジ ット ﹂ と いう
ん にそ の表 層 の記 号 性 にお い て描 写 す る の で は な く 、 そ れ ら を貫 い て文 化 の政 治 学 が 立体 的 に作 動 し
言 葉 に あ え て複 数 の意 味 を 込 め なが ら 述 べ た よ う に、 わ れ わ れ の生 き て いる社 会 の リ ア リ テ ィを 、 た
て いる 場 と し て提 示 し て いく こ と であ る。 こ の こと は、 消 費 社 会 の リ ア リ テ ィを 諸 側 面 か ら 捉 え た第
シ ャ ルな 現 実 に走 る裂 け め に目 を 向 け よ う と し た第 Ⅲ部 の間 の関 係 に 示 さ れ て い る。
Ⅰ 部 と 、 そう し た リ ア リ テ ィ のひ と つの破 局 を テ ー マに し た 第 Ⅱ 部 、 そ し てグ ローバ ル化 す る コ マー
り ま わ って い る ふ た り の子 ど も た ちが 誕 生 し た の も そ の ひ と つで あ る。 当 時 は ま だ 赤 ん坊 だ った 長 男
こ の数 年 間 は、 個 人 的 にも さ ま ざ ま な 変 化 が あ った 時 期 であ った。 いま も 猛 然 と 私 や 妻 の周 囲 を 走
を連 れ 、 三人 で半 年 あ ま り を 過 ご し た メ キ シ コで の生 活 は、 本 書 が こう し て ま と ま るき っかけ も 作 っ
て く れ た 。 そ し て そ の メ キ シ コで は 、 実 に多 く の人 び と に お 世 話 にな ったが 、 こ の場 を 借 り て まず 、
田 中 道 子 さ ん、 粟 飯 原 淑 恵 さ ん を はじ め エ ル ・ コレ ヒオ ・デ ・メ ヒ コの先 生 方 、 日本 科 の学 生 の皆 さ
ん、 メ キ シ コに留 学 し て いら し た若 き 中 南 米 研 究 者 の皆 さ ん、 国 際 交 流 基 金 の現 地事 務 所 の方 が た 、 そ の ほ か メキ シ コ在 住 の多 く の方 が た に、 改 め て お礼 を 申 しあ げ た い。
ま た 、 本書 に収 録 し た 諸 論 文 は 、 私 に と って は そ れ ぞ れ 思 い 出 深 いも の であ る。 論 文 掲 載 時 、 ﹃ 世
界 ﹄ ﹃現 代 思 想 ﹄ ﹃イ マー ゴ﹄ ﹃ 地域 開発﹄ ﹃ A U R A﹄ ﹃ 子 ども 学﹄ ﹃ 朝 日 ジ ャ ー ナ ル﹄ の そ れ ぞ れ の
雑 誌 で編 集 を 担 当 し てく だ さ った 方 が た、 そ れ か ら 中 公 新 書 と ち く ま 文 庫 で リ ー ス マ ンと ア レ ンの著
書 の解 説 を 書 いた と き に お世 話 にな った方 が た にも 、 ひ と り ひ と り こ こ で お 名 前 を挙 げ る こと は で き
な いが 、 深 く 感 謝 の意 を 表 し た い。
最 後 に、 本 書 の編 集 を 担 当 し て く だ さ った紀 伊 國 屋 書 店 の高 橋 英 紀 さ ん 、 装 丁 デ ザ イ ンを 引 き 受 け
て く だ さ った 秋 山 伸 さ ん にも 、 心 よ り お 礼 を 申 し あ げ る。 高 橋 さ んと は 以前 か ら 消 費 社 会 論 の本 を つ
く る話 は し て い たが 、 本 書 の最 終 プ ラ ンを 私 が 提 示 し た の は、 ち ょう ど オ ウ ム事 件 で ま だ 世 情 が 騒 然
と し て い た去 る 七月 であ った。 以 来 、 加 筆 原 稿 や書 き お ろ し原 稿 の〆 切 をず る ず る と引 き 延ば す 著 者
に忍 耐 強 く つき あ いな が ら 、 拙 稿 に い つも 的 確 な コメ ン ト を加 え てく だ さ った 。 ま た秋 山 さ んを 知 っ
た のは 、 一九 九 一年 に川 崎 市 民 ミ ュージ ア ム で 開 か れ た ヨー ゼ フ ・ボ イ ス のポ ス タ ー展 の カ タ ログ に
雑 文 を書 か せ ても ら った と き だ が 、 一度 、 拙 著 のデ ザ イ ンを お 願 いし た い と 思 って い た。
シ ョナ リ ズ ム の強 化 、 メデ ィア の グ ローバ ル化 と ロー カ ラ イ ゼ ー シ ョ ン、 ア ジ ア全 体 を 覆 う消 費 文 化
さ て 、 時 代 は いま 、 ど ち ら の方 向 に 向 か って変 化 し つ つあ る の であ ろ う か。 ネ ー シ ョ ン の溶 解 と ナ
と 国 境 を越 え た ネ ット ワ ー ク、 ・ ジ ェンダ ーや エ ス ニシ テ ィを め ぐ る さ ま ざ ま な 政 治 学 と マス メデ ィア
や 学 校 シ ステ ム の強 固 な支 配 ︱ ︱ 。 対 立 し 、 拮 抗 し 、 ま た 調 整 し 、 共 謀 も す る 多数 の流 れ が いま 、 世
界 の多 く の地 域 と 同 じ よ う に こ の列 島 で も 軋 み音 を 立 て は じ め て いる 。 こ の多 数 の流 れ が ど こ で相 互
に結 び つき 、 ど こ に向 か って いく の か は 、 お そ ら く は ま だ 誰 にも 見 え て いな い。 こ のよ う な時 代 だ か
ら こそ 、 わ れ わ れ は歴 史 の切 断 や 連 続 を ス ロー ガ ン的 に主 張 す る よ り も 、 い ま、 わ れ わ れ が 立 って い
る 場 所 の 歴史 の複 数 性 を、 と も に冷 静 に 見 つ め て い く 必 要 が あ る ので は な いだ ろ う か。
一九 九 六年 元 旦
吉見 俊哉
初 出一 覧 序 章 … … 書 きお ろ し
Ⅰ メデ ィア 天皇 制 の射 程 … … 遊 園 地 の ユ ー トピア ……
『世 界 』 (岩 波 書 店 )1993年
『世 界 』 (岩 波 書 店 )1989年
デ ィ ズ ニ ー ラ ン ド化 す る 都 市 … … 1992年
6月号
(原 題
7月号 6月 号
『地 域 開 発 』 (日本 地 域 開 発 セ ン タ ー )
「イ デ オ ロ ギ ー と し て の デ ィ ズ ニ ー ラ ン ド」 に 大
幅加筆) ブ ラ ウ ン管 の な か の子 ど も文 化 … … ポ レ ー シ ョ ン )1995年
春号
(原 題
『季 刊 子 ど も学 』 (ベ ネ ッ セ コ ー 「重 層 化 す る メ デ ィ ア と子 ど も た ち
の リ ア リテ ィ」 に 大 幅 加 筆 ) テ レフ ォ ン の あ る風 景 … … 月29日
号
『朝 日 ジ ャ ー ナ ル 』 (朝 日 新 聞 社 )1990年
6
(大 幅 加 筆 )
Ⅱ わ れ わ れ 自身 の な かの オ ウム … … 「情 報 」 と して の 身 体 … …
「オ ウ ム 真 理 教 の 深 層 」 (原 題 メ デ ィ ア の なか の 世 紀 末 …… 111号
(原 題
『世 界 』 (岩 波 書 店 )1995年
『イ マ ー ゴ 』 (青 土 社 )1995年
7月 号
8月 臨 時 増 刊 号
「オ ウ ム 的 な る身 体 を め ぐ っ て 」) 『A URA 』 (フ ジ テ レ ビ ジ ョ ン 編 成 局 )
「マ ス コ ミの な か の オ ウ ム / ナ ウ ム の な か の マ ス コ ミ」)
Ⅲ メ キ シ コ シ テ ィか ら の 現 在 … … (原 題
「現 代 思 想 』 (青 土 社 )1994年
9月 号
「メ キ シ コ ・シ テ ィ1993/94」 )
Ⅳ 到 来 す る 大 衆 消 費 社 会 … … F.L.ア レ ン 『オ ン リ ー ・イ エ ス タ デ イ 』 (ち くま文 庫 )解 説 消 費 す る 「孤 独 な 群 衆 」… … 杉 山 光 信 編 書)所収 モ ノ た ちの 語 りの なか で… … 書 き お ろ し
『現 代 社 会 学 の 名 著 』 (中 公 新
著 者 吉見 俊哉
1957年 、 東 京都 に生 ま れ る。 1981年 、東 京 大 学 教 養 学 部 教養 学 科 相 関 社 会科学分科卒業。 1987年 、 同大 学 院 社 会 学 研 究科 博 士 課 程 修 了。 現 在 、 東 京 大 学 社 会 情 報 研 究所 助 教 授 。 専 攻 は都 市 論 ・文 化 社 会 学 。 著 書:『 都市 の ドラマ トゥル ギ ー』 (弘 文 堂 ) 『博覧 会 の 政 治 学』
(中 公 新 書 )
『メ デ ィア 時代 の文 化 社 会 学 』
(新 曜 社 )
『《声 》 の 資 本 主 義 』 (講 談 社 選 書 メチ エ ) 『記 録 ・天 皇 の死 』 (共 編 著 ・筑 摩 書 房 ) 『メ デ ィア と し て の電 話 』
(共 著 ・弘文 堂 ) 他。
リア リテ ィ ・ ト ラ ン ジ ッ ト 1996年 2月22日
第 1刷 発 行
発行所 株社 会 式紀 伊 國 屋 書 店 東 京 都 新 宿 区 新 宿3‐17‐7 電 話03(3354)0131( 代 表 )
出 版 部 (編 集 ) 電 話03(3939)0172 ホー ル セー ル部 (営 業 ) 電 話03(3439)0128 東 京 都 世 田 谷 区 桜 丘5‐38‐1 〓Shunya
Yoshimi
ISBN4‐319‐00723‐0 Printed
1996 C0036
in Japan
定 価 は外 装 に 表 示 して あ り ま す
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